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白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 8 月 22 日 16:47:06: 3bF/xW6Ehzs4I
 


1. 白人は何故あんなに美しくなったのか

白人が美しいというのは厳然たる事実

なにしろ白人は遊牧・牧畜民で遺伝子操作のプロですから.

劣った遺伝子はすべて淘汰する. これが白人の考え方.


白人が他民族を征服した場合はいい女だけ残して他は女と男は全員殺す.

魔女狩りでもいい女だけ残してブスは全員殺した.


これを1万年の間 毎日毎日繰り返して やっと今の美しい金髪碧眼の白人ができたんですね.


一方、農耕民のアジア人やアフリカ人には遺伝子操作ができないから不細工な人間も淘汰されないで生き延び、サル人間の姿から変わらなかった.


我こそが真の神なるぞ!


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白人はなぜ白人か

「白人」は白人の自称である。これに対して、黒人、黄色人種等は、白人による他称である。

では、白人はなぜ白人か。 まず第一に、遺伝によってである。

彼らは日本の一般人以上に、はっきりと血統を重んずる。

さらに、伝統的に、日本人よりはるかに「容貌」にこだわってきた。

血統と婚姻関係と容貌とが、ずっと昔から、大のおとなの男子によっても強く意識されてきたのである。

そのような意識の下で、彼らは交配を繰り返し、半ば人為的に現在の「白人」を作り上げてきたのである。

さらに、その自らの人為について、誇りすら持っている。

これは白人に直接に接してみればわかることだが、彼らは容貌について実に細かいところを気にしている。

日本人のように、鼻が高いか、目が二重であるか、顔が小さいかというような大雑把なものではない。

彼らは、高級飼猫や競走馬の毛並みを気にするような目で、人間の容姿をも見るのである。

日本人が、金があるのに歯並びなどの容姿を修正しようとしないのを、彼らは奇異に感じている。

日本人が自然であることを評価するのとは全く違った容姿に対する感性を彼らはもつ。


そもそも彼ら自身が(理性による)人工的な製作物なのだ。

彼らの「血統」と「伝統文化」と「容貌」のコングロマリットに関する強烈な意識は、たとえばトーマスマンの「ブッデンブローク家の人びと」のような小説にもその率直な表現を見ることができると思う。

彼らの先祖はイラン高原(またはロシア南部)を出てヨーロッパに広まったといわれる。またインドにも侵入し先住民の文明を滅ぼした。

彼らはヨーロッパにおいては先住民の文化を消滅させ、人口稠密であったインドにおいてはカースト制度を考案し、これを先住民に課して苛烈な支配収奪を行なった。

このようにヨーロッパ白人は、「征服して根絶やしにする」こと、すなわち「ホロコースト」「民族浄化」によって自らを確立した人種なのである。

すなわち白人は、その人種としての成立においてすでに、「ホロコースト」の刻印をもつ。

白人はその遺伝的な貪欲さ、攻撃性、粗暴さ、征服欲の強さ、そして他者を顧慮しないで平気でいられる傍若無人な特性によって、その覇権を拡大したのである。

白人はこのような遺伝的素質によって人種的な版図を拡大した後、彼らのうちの特権層・貴族階級が、自らの眷族の中において、牧畜経営で覚えたとおりの人工的な交配を繰り返すことによってその血統的なアイデンティティおよびある種のブランド価値を確立していくのであるが、白人「市民」革命は、この特権貴族層の血統的アイデンティティ即ち身分的「優越」の意識を、「白色人種」の人種的アイデンティティ即ち人種的「優越」の意識へと移行・拡散させ、これを全白人に平等に共有せしめたのである。


その背景にはいうまでもなく、新大陸の「発見」と植民地支配と奴隷制とがあった。

「世界の拡大」にともなう新しい他者たる「新しい野蛮」の発見と、新植民地および「奴隷」の獲得とが、物質的にのみならずイデオロギー的にも、白人全体のある種の貴族化・特権層化を可能にした。

「野蛮」と「奴隷」との現出が、白人全体の「市民」化を可能にしたのである。(「市民」とは昔から有産者のことであり、城塞で保護された都市・市場の中に「特権的な地位を有する者」のことである。

ただし必ずしも城塞の内側に住む必要はない。都市の原型ともいうべき塀で囲まれた小さな市場は、夜は鍵をかけられて閉鎖され無人になるのが通例である。)

即ち、白人「市民」革命は、イデオロギー的にも、「野蛮の再発見」と植民地支配および人種的奴隷制なくしては成立し得なかった。

「自由な市民」は常に「野蛮」と「奴隷」とを要件とするのである。


彼ら白人には、われわれ日本人が普通に考えるような「人間的な」感情はない。

根が極端にセルフィッシュなので、彼らがまともな社会を築くためには、外から強力な道徳規範を特別に叩き込まれる必要があった。

そうされないと何でもやってしまうDNAだからである。

この外から叩き込まれなければならない道徳規範が、キリスト教であったり、現在の人権思想や環境保護思想だったりするのである。

白人は、われわれにとっては自然な感情のように思われる道徳規範さえ、宗教的権威によってドグマとして与えられなければならなかった。

彼らは「自然な」罪の意識というものを持たない。

キリスト教の教義によって教えられた「罪」しか持たないのである。

日本人にはホンネとタテマエの区別があるといわれる。それは、日本人がしばしばホンネを漏らしてしまうということにすぎない。白人にその区別がないように見えるとすれば、それは彼らが言葉ではタテマエ以外は決して語らず、ホンネの部分は有無を言わさず強力に実行し、永久に隠蔽してしまうからである。


彼らのホロコーストの後には何も残らない。
したがってホロコーストもなかったことになる。

アジアにおいてはさまざまな系統の言語が錯綜していて日本語のような系統不明の言語も散見されるのに対し、ヨーロッパは、後に侵入したモンゴル系の言語やバスク語などごくわずかな例外を除き、ほとんどが「インドヨーロッパ語族」一色である。

このこともまた、ヨーロッパ人種がその始原において「ホロコースト」「民族浄化」を要件として成立したことを意味する。

「ホロコースト」「民族浄化」の衝動は、白色人種の持って生まれた刻印(性格)なのである。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/journal/cat6354425/index.html


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2. 白人はコーカソイドを品種改良して生まれた新人類


コーカソイドの品種改良は何故行われたか


長い間、北ヨーロッパの諸民族は、北方に起源をもつ「純枠種」であるという神話が、定説であるかのように、語りつづけられてきた。
  
しかし、形質人類学、つまり、人類の生物学的研究が進むにつれ、北欧神話はくずれはじめた。

たとえば、アメリカの人類学者、クーン、ガーン、バードセル(以下、クーンを代表とする)の3人の共著による、『人種』という本では、北ヨーロッパ人の中にみられる高身長で鼻の細くとがった骨格は、「紀元前5000年をこえないある時期に、おそらくイランから農耕民・牧畜民としてユーラシアの草原に入ってきた」人々がもたらしたもの、と説明されている。
  
では、その当時、イラン高原にいた人々はどんな肌色をしていたかというと、クーンは、「淡褐色の皮膚、褐色の眼」をしていたと考えている。

そして、イラン高原からインドに侵入した、いわゆるアーリア人についても、従来主張されてきたようなブロンド人種ではなかった、と説明している。

では、淡褐色の肌色、褐色の眼の人々は、どういう時期に北ヨーロッパに移住し、ブロンド型になっていったのであろうか。
  
 「その頃ウラル山脈の氷河の融解によって地表をあらわした地域は曇りがちであった。

彼らは紀元前2000年代に中央および北西ヨーロッパに到達した。
彼らがここに来たのは雲多い時代の終末期であった。

彼らは第一には原住民との混血により、第二には環境的淘汰によって、あるいはこの2つの経過にしたがって、皮膚、毛、眼に関するブロンディズムの遺伝子を獲得したのだろう」(『人種』、p.114)

  
では、「原住民」は、どんな人種的特徴を持っていたのであろうか。
そして、ブロンディズムとは、どのようなものであり、どのような自然環境の中で発生したものであろうか。
  
ブロンディズムは、雲や霧の多い、氷河期の北ヨーロッパ特有の気候の中で発生した。

基本的には「白皮症」である。つまり、色素細胞の機能消滅である。
この現象はどの地方でも発生するが、太陽光線のとぼしい環境の中では、これが、かえって有利な条件となった。


しかもこの環境はほぼ、紀元前の2200年までつづいた。
ホメーロスも、北ヨーロッパについて、霧多き国とうたっていたほどである。
  
   このことからすれば、北ヨーロッパ人の「純粋性」を主張する際には、もっとも色素沈着のすくない住民をあげなくてはならないだろう。事実、クーンは、こう書いている。
  
   「灰色ブロンドの毛はバルト海地方の東方および南方の中部ヨーロッパの、皮膚の青く、灰色の眼をした住民の間ではもっとも普通である」(同前、p.113)
  
   つまり、いわゆる金髪青眼ではなくて、銀髪灰眼の方が、北ヨーロッパの古くからの現住民だった。

バルト海は北ヨーロッパの中心部であり、凍りついた海の上には、ツンドラ草原がひろがっていた。曇りがちな空の下で、狩猟民が紀元前3000年もしくは2000年頃まで、つまり古代エジプト帝国がアフリカ大陸からオリエントに進出していたころまで、氷河期と同じ生活をつづけていた。

現在のバルト海沿岸には、「白眼」とよばれる人々さえいる。
  
   では、この銀髪灰眼の人々は、どんな骨格をしていたのだろうか。
  
   「この種の色素をもつ人々の多くはずんぐりしており、顔は幅ひろく獅子鼻である。

彼らはモンゴロイドが完成した寒地適応の路を部分的にたどってきたのであった」(同前、p.113)
  
   つまり、人類そのものの生物学的な研究によれば、ずんぐりした身体つきの方が、表面積が少なくて、体熱の発散をふせぐ。この方が寒地適応型なのだ。

もちろん、ここでモンゴロイドの典型とされているのは、氷原の狩猟民族、エスキモー人のことである。
  
   結論として北ヨーロッパの原住民は、銀髪灰眼、ずんぐり型であったと考えられる。
  
   高身長、細鼻の骨格形質は、クーンによれば、イラン高原に由来する。
  http://www.jca.apc.org/~altmedka/shoten-afmag-45.html

78 :名無しさん@お腹いっぱい[]:04/09/16 19:51:23 ID:UHhOaVTt

印欧語族の起源は、中央アジアだと思われます。
紀元前数千年前に現在のイラク地方から農耕が伝わりました。
この農耕から牧畜が発生しました。
中央アジアは馬の原産地でもあります。
騎馬の技術を発明したのも印欧語族が最初です。

本来の印欧語族は、現在のイラン人のような容貌をしていたと考えられます。
髪の毛も目の色も黒かったと思われます。

そして、人口の増加と騎馬により、印欧語族は東、西、南へと拡散することになります。

紀元前2千前のことだと思われます。

東に向かった印欧語族はタリム盆地あたりまで進みますが、そのころ黄河文明を起こしつつあったモンゴロイドの漢民族がいたため、それ以上、進むことは出来ませんでした。

南に向かった印欧語族はアフガニスタンからパキスタンに入り(紀元前1700年ごろ)、インダス文明を興していたドラビダ系民族を滅ぼしました。

西に向かった印欧語族は、無人の野を行くが如く、欧州を駆け抜けて行きました。
北ヨーロッパにいた、ブロンデイズムを獲得していたコーカソイドを征服し、彼らと混血していったのです。


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 22:14:49 ID:cN0KVvfg

トルコ系、モンゴル系などの中央ユーラシア遊牧民族は、もともとが、モンゴロイドなのか、そうでないのかわからない。

そもそも草原の道とかいう中央アジアなどは、インド・ヨーロッパ語族のベースとなった、アナトリア(今のトルコのあるところ)とも関係が深い。

でもって、アナトリアよりもちょっと上、黒海、カスピ海となると、カフカスであり、これぞコーカソイドとよばれていたりするわけだが、結局、いま、人種という概念がなくなったのは、こういうアジア系とヨーロッパ系などと分けることが無意味になったからだ。

どうやら、紀元前1000年ごろに、地中海民族(イタリアとか)が大挙して、アジアにやってきたらしいのもわかっている。

紀元前500年ごろまでには、中国各地にこういう人々がいた可能性がある。
いまのところ、彼らの存在が確認されているのは、中国の西域(例のローランの少女ミイラ)や、山東半島だ。

山東半島は、完全にヨーロッパ系ばかりが紀元前500年ごろには、住んでいたことが判明している。

そのほか、考古学的にわかるのは、遊牧民族の文化が違いにあまり区別できないということだ。カフカス系のスキタイの文化は、あきらかに、中国まできているどころか、朝鮮半島南部まで来ている。

もちろん、日本にきた証拠はないものの、朝鮮半島南部、いわゆる任那ともよばれた加羅や新羅までは来ている。

とすれば、これらは、ステップ民族であり、この系統がアジア系とか、ヨーロッパ系(いわゆるコーカソイド)とか区別できるもので はない。
ようするに、2000年前の民族がどういう系統かとか論じるのがそもそも無意味に近い。
http://www.unkar.org/read/academy6.2ch.net/geo/1093685431

80:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/08 08:51 ID:aXAhx3AV(1)

インド人の一部がコーカソイドと言えども、イギリス人の植民地統治は容赦がなかった。

インド人は黒または褐色の有色人種でアフリカのニグロに対する扱いと基本的に同じだった。

気に入らないインド人を射殺するのは白人の自由であり、動物と間違って 撃ったと言えば無罪放免であった。

インド人がインド・ヨーロッパ語族であろうと、アラブ人がコーカソイドであろうとほとんどのヨーロッパ人からみて彼らが「白人」ではないことは明白な事実である。


87:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/09 15:36 ID:q1J7uQci(1)

イタリア人はアメリカ移民当初、白人認定されず、かなりの差別を受けてたみたいだ。
だからアル・カポネのようなアウトローが出てきたとも言える。

イタリア人でもローマから北は白人っぽいが、南は刑事コロンボやイタリア語講座の先生のように、もろ地中海系。

狭義ではアルプス以北というか、地中海に飛び出たイタリアとイベリア半島はヨーロッパでも別格だね。


195:名無しさん@お腹いっぱい。[] /07/27 20:55 ID:9l8nU5QU(1)

インドのガンジーは若き弁護士時代を南アで過ごすが、完全に ニグロ(黒人)扱いを受けた。

いくらコーカソイドでくくって、インド人やアラブ人を欧米系と同じ人種と定義しても、当の欧米系はインド、アラブ系とははるかかなたに分かれたのであって、意識上他人種と考えている。

115 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/21 00:21 ID:cvT+ciN3(1)
白人は自分に近くて似ているけど異なる者が嫌いなんだよ。
アラブ人のことも大嫌い。

317 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 14:17:44 ID:W+akTwxs(3)

戦前に両親の都合でポーランドの奥地に送られたドイツの子供(髪も目も黒)が 金髪碧眼しかいない小さな農村で苛められる話があります。

そのポーランドの田舎は千年このかた、髪の黒い人など見たこともなくこいつは白人ではない、ユダヤ人かアジア人に違いないと言われます。

もちろん少年はふつうのドイツ人で、ユダヤ人やジプシーではないのですが髪が黒いというだけで人間あつかいされない。

外の世界など見たこともない金髪碧眼の村で、テレビもない時代ですからね。
彼らは安物アメリカ映画ふうの、差別はいけないなどという考えもない。

生活も千年前そのままで、女が浮気すると、相手を斧で殴り殺し目をえぐりだす
まさにキリスト教伝来前、ローマ時代のヴァイキングの生活。
二十世紀でこんな村があることが不思議におもえますが、広大なポーランドのこと、
領主は税さえおさめれば農民など一切かまわなかったのでしょう。
古いヴァイキングの血は、不毛の島とか、ポーランド内陸の田舎などに保存されて
のこってる。


320:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 17:02:39 ID:W+akTwxs(3)

北欧ではフィンランド人が古い人種でしょう。
スウェーデン人に次第に北に押しやられて凄い差別を受けてました。
そのスウェーデン人は南方から来たわけで・・・

スウェーデンやノルウェーには内陸に差別を受ける少数民族がいます。
かれらが本当の北欧原住民で、非キリスト教徒として迫害され、ほとんど滅んだ。
http://read2ch.com/r/geo/1036574273/

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3. コーカソイドの品種改良はどの様にして行われたか

コーカソイドとは元々アナトリア〜コーカサス〜イランあたりに定住していた薄褐色系の人達が本流

ヨーロッパの肌の白い系はその亜種

コーカソイドとは本来バングラデシュ人のように色はかなり濃い。

「自称」白人はコーカソイドの奇形。

なぜヨーロッパの各人種が、人類の進化の速度としては、かくも最近かつ急速に白い肌、青い目、ブロンドの髪を持つようになったのかは、長年の疑問であった。

このような変化が通常の進化の過程(自然淘汰)で起こったのであれば、約85万年の歳月が必要となった筈である。

しかし現代の人類は、アフリカからヨーロッパまでの移住を成し遂げるまでに、僅か3万5000年から4万年の期間しか費やしていない。


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1) 白皙


ヨーロッパ人の皮膚は黒かった「5万年前」


人類の旅は5万年前、東アフリカのサバンナにいた5000人の集団のうち、150人がアフリカを出たことに始まる。

人類の皮膚の色。祖先の皮膚は当初青白かった。

アフリカでは日光が葉酸を破壊し生殖能力を低下させるのを防ぐため、黒い皮膚になった。

2万年前からヨーロッパ人とアジア人は濃淡の皮膚に変化した。日光によく当たればビタミンDの生成効率が向上する。

人類は農耕を開始する前に定住していた。1万年前に氷期が終わり、現在の完新世になり、定住が始まった。

トルコ南東部から地中海東岸あたりで、麦類が栽培化された。

Y染色体の分析によると、新石器時代トルコ中南部から農民がヨーロッパに入り地元の集団と混血していった。

近東からヨーロッパに移住して農耕を伝えた人々は実は少人数で、ヨーロッパの先住民は彼らの農耕技術と言語を取り入れた。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuuutunarutouha/21701503.html

ペンシルバニア州立大学のChengらは、ヒトのSLC24A5という遺伝子の1アミノ酸変異がヨーロッパ人の肌色を薄く(白く)しているらしいと報告した(Science (2005)310, 1882-1786)。

Chengの研究室の大学院生だったNortonは、アリゾナ大学の遺伝学者Hammerの研究室に移ってから、この遺伝子内部および近辺の遺伝子の変異の頻度を調べた。

そして、その変異速度から問題のSLC24A5の変異が1.2万年前〜6千年前に生じた、と推定した。

そうすると、1.8-1.4万年前の旧石器時代末期にアルタミラの見事な洞窟壁画を残した人たちは、色の黒い人たちだったということになる。

現生人類の祖先は約4万年前にアフリカを出て、ユーラシア大陸に進出した。

ヨーロッパに進出した一派は、進出後すぐに色白になった、というのが今までの通説であった。

それに比べるとNortonの推定は、エジプトで古代王朝が始まるころにようやくヨーロッパ人の肌色は褐色から白色になったというのだから、その進化の新しさに驚く。

4万年前に色白になったというのは古すぎる、という意見は以前からあった。

ヨーロッパ人は長い間、狩猟主体の生活だったのでその獲物の内臓から充分なビタミンDを摂っていた、だから肌色は黒いままでよかった、というのである。

この場合は、農耕主体の生活になってから、あるいは、衣類が発達して皮膚表面の大部分を覆うようになってから、始めて皮膚の色は白くなった、と考える。
http://www.res.titech.ac.jp/~seibutu/yoshida/blackandwhite.html


2) 碧眼

★青い目の人は全て1万年前の共通の祖先の子孫、デンマーク人研究者

【Technobahn 2008/2/1 19:12】

デンマーク人研究者によるDNA調査によって青い目の人は今から6000〜1万年前に突然現れた青い目を持った祖先の子孫であるということが1月31日までに明らかとなった。。

 この研究を行ったのはデンマークのコペンハーゲン大学のハンス・アイベルク(Hans Eiberg)教授を中心とする研究グループ。

 研究グループではメラニン色素の生成に関与するOCA2遺伝子に着目。
その上でこの遺伝子の部分的に機能しなくなったことにより青い目のを持つ人が誕生したこと、更に、OCA2遺伝子の追跡調査により、青い目を持つ人は6000〜10000年前に現れた共通の祖先から枝分かれした子孫であるということ突き止めた。

 現在、ヨーロッパの全人口の20〜40%は青い目を持つ。

6000〜1万年前に生まれた青い目の祖先からここまで青い目の人口が拡大したことに関して、研究グループでは、この祖先が持っていた遺伝子は青い目を形成するOCA2遺伝子以外に、別の面で子孫を繁栄させる面で何かしら有利となる特徴を持っていたのではないかと、述べている。

 研究グループでは恐らく6000〜1万年より以前には青い目をした人は居なかったとも述べている。
http://kousyoublog.jp/?eid=1423


3) 金髪


最近の遺伝情報学に基づけば、ヨーロッパにおいて金髪の人口がはっきりと増加しだしたのは、最後の氷河期である約1万1000年前から約1万年前のことである可能性が高い。
これ以前のヨーロッパ人は、他の人種の支配的な特徴である焦茶色の髪と暗い色の瞳を持っていた。

『The History and Geography of Human Genes』(1994年)によれば、金髪は紀元前3000年頃に現在リトアニアとして知られる地域において、インド・ヨーロッパ祖語族の間でヨーロッパの支配的な頭髪の色となった(現在においても、リトアニアは金髪人口の比率が最も高い国として知られている)。

金髪(ブロンド)は人間には比較的に稀にしか見られない髪色で、全人口の内で1.7パーセントから2パーセントしか見られず、天然の金髪の大部分は白人のものである。

金髪は北ヨーロッパ、特にオランダ、北欧諸国、ドイツの人々の典型的な特徴であり、このため非常に明るい金髪は、しばしば「ノルディック・ブロンド(北欧のブロンド)」と呼ばれる。

これより暗い色合いの金髪は、ヨーロッパ全域はもちろん、現在のシリア人やレバノン人、ペルシャ人、クルド人や、イラン、アフガン、パキスタンのイラン人などの、中東の様々な地域でも見られる。

ただし北欧三国(ノルディック)を除けば概ねどの地域もブロンドは少数に過ぎず、ロシアで10%、イギリスに至っては3%しか存在しないとするデータも存在する。

男性が金髪の女性を魅力的であると見なすようになったために、この特徴はスカンジナビアへの移住が行われた際にも、性淘汰によって急速に広まったのであると考えられる。

なぜヨーロッパの各人種が、人類の進化の速度としては、かくも最近かつ急速にこのような高確率で金髪(と多様な虹彩の色)を持つようになったのかは、長年の疑問であった。

このような変化が通常の進化の過程(自然淘汰)で起こったのであれば、約85万年の歳月が必要となった筈である[1]。しかし現代の人類は、アフリカからヨーロッパまでの移住を成し遂げるまでに、僅か3万5000年から4万年の期間しか費やしていない[1]。

セント・アンドルーズ大学の後援を受けたカナダの人類学者ピーター・フロストは、最後の氷河期の終わりにおいて金髪の人種が急速な発生を見たのは、性淘汰の結果であるとの説を、2006年3月に Evolution and Human Behavior において発表した。

この研究によれば、多くのヨーロッパの地域において金髪と青い瞳を持つ女性は、乏しい数の男性を相手にした過酷な配偶者獲得競争において、彼女らの競争相手より優位に立てたのである。

ヨーロッパ圏において食糧不足の為にクロマニヨン人の人口が低下していた1万1千年前から1万年前の時期において、金髪は増加を見たのであると、研究は主張する。

ヨーロッパ北部におけるほとんど唯一の食料源は放浪するマンモスやトナカイ、野牛、野馬の群れのみであり、それらの獲物を発見するためには長く困難な狩りのための遠出が必要であり、狩りの間に多くの男性が命を落としたために、生き残った男性と女性の比率の不均衡が生じた。

この仮説では、金髪の女性はその際立った特徴が男性を獲得する際に役立ったために、その結果として金髪の人口の増加につながったのであると主張されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%AB%AA

要するに、異民族だけでなく同族であっても容姿が醜い人間は容赦無く抹殺していって、現在の美しい金髪碧眼の白人が誕生したという事ですね。


白人は遊牧・牧畜民で遺伝子操作のプロ

劣った遺伝子はすべて淘汰する. これが白人の考え方.

白人が他民族を征服した場合はいい女だけ残して他は女と男は全員殺す.

たとえ自分の身内であっても劣った遺伝子を持った人間には容赦しない。

これを1万年間 毎日毎日繰り返していたのです.

コーカソイドの中から白い肌、青い目、ブロンドの髪を持った見た目の良い品種だけが残された。

不細工な人間はみんな殺され、ホロコーストを 生き延びた人間が白人種になった。

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4. 白人女性の品種改良 _ こういう品種改良なら大歓迎

いい女だけ残してブスは全員殺した西洋の魔女狩り

魔女狩りも単なる白人女性の品種改良運動でキリスト教とは無関係だったのです。

白人種は性を敵視し、母性的な女性を魔女のイメージとして定着させ、魔女狩りによって抹殺した。


一般に

ブスは子供だけが生きがいだから母性的になる
美人は子供をほったらかして色々な男と遊びまわる


なので
母性的な女性を淘汰する = ブスを淘汰する

という事になります。

メデタシ、メデタシ


キリスト教が社会的に力を持ち、文化的に大きな基盤となっていくと、性については厳しい管理が行われるようになった。特に中世においては、性行為のできる日、できない日までも細かく規定していた。

厳格的な禁欲体制が行われていたのである。とはいえ、売春制度があったので、男性のみが禁欲体制を回避する手段を持っていたといえるかも知れない。 娼婦でもない限り、女性が性的行為に能動的であるのは非常に問題視された。

教会は性生活に関して、厳しい規則を作り上げた。そして、魔女妄想が始まると、淫蕩な女性も目をつけられることとなったのである。魔女妄想と女性の性が結びついて作り上げられたのが、「サバト」と考えられる。ここにおいて、悪魔と交わると考えられていた。
  
魔女に仕立て上げられた女性は、寡婦や薬草などの知識に長けた女性が多かったようである。中には、共同体からはみだされた女性が巻き込まれることもあったようである。
女性が憎んでいる女性を告発することもあったようである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/1460/colum/e-middle.html


魔女に具体的なイメージを与えたのは、中世ヨーロパで「産婆」として活躍した女性たちでした。

まだ医者という専門職がなかった時代、彼女らは村人の出産を助けただけでなく、病を治し心を癒しました。イギリスでは「Midwifery」と名付けられ、フランス(sage femme)やドイツ(weise frau)では「賢い女」と呼ばれました。

彼女らの治療法は薬草を使うもの。教会が「産みの苦しみはイヴに下された正当な罪」などと言っていたとき、彼女らは陣痛に麦角(ergot)を利用しました。ジギタリス(digitalis)は今でも心臓疾患の治療に欠かせませんが、もともと彼女らの薬草リストの一つ。真夜中に薬草を摘みに出かけたのも、明け方の植物が一番薬草として効果が高いことを経験的に知っていたから。

彼女たちはその有能さゆえ、周囲から神秘的でマジカルな存在と見なされるようになりました。「賢い女」たちは尊敬されると同時に恐れられるようになりました。教会もまた、彼女らが調合する薬草の効果があればあるほど脅威に感じました。そしてある時村に天災が襲い、作物の不作が続くとそれは彼女らの「魔術」のせいではないかと考えるように。

『魔女の槌』(魔女裁判の手引き書)は「教会にとって産婆ほど有害なものはない」と説きました。魔女狩りの最初のターゲットが「産婆」たちだったことはよく知られています。13世紀にイスラム世界から医療教育が伝わり、医療の専門職が男性によって独占されると、産婆たちは真っ先に火あぶりにされました。
http://history.husigi.com/VHv2/koneta61.htm


それらの責めを負う人間は、女性に、特にもっとも年老いたもっとも貧しい者の中に求められた。それらの人々は、口伝えの経験的な(薬草等の)治療法の知識を受け継いでおり、病気を治す秘法を知っていたが、同時に呪いのかけ方にも通じているのではないかと疑われたのである。

夫を亡くした女性も孤立していた(当時の神学者は、生まれつき男性より悪魔の幻覚に惑わされやすいとされる女性の弱点について、とかく問題にする傾向があった)。

その他不意に起こった死、病気、事故はすべて妖術のせいとされる可能性があった。
こどもを何人も死産したり、梯子の天辺から仰向けに墜落したり、口論の最中に「悪魔にさらわれてしまえ」と言ったり、特殊な性習慣の持ち主だったり、頻繁に転居したり、これ見よがしに教会に行ったり等々ということは、すべて疑いを招く原因となった。
http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy/akuma02.htm

こうして、魔女狩りの時代を生き伸びる事ができたのは 見た目は良いが母性の欠如した感情の無い女性だけだったのです。


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5. 有色人種も白人種によって品種改良されて現在の姿になった

ミトコンドリアDNAが母系で受け継がれるのに対し、Y染色体は父系で受け継がれる。

ミトコンドリアDNA解析は過去10万年の人類の移動を明らかにしたが、正確には女性の移動なので、ヨーロッパ人のアメリカ大陸侵略のような男性主体の移動は検知することができない。男性の移動を明らかにするにはY染色体の解析が必要である。

 女性は妊娠によってしかDNAを残せないのに対し、男はその場限りのセックスで子孫を残せるので、Y染色体はミトコンドリアDNAよりも寡占が起きやすい。

ミトコンドリアDNAのハプロタイプを図であらわすとクラスターがきれいに並ぶのに対し、Y染色体のクラスターは不揃いで不規則だ。

大半のY染色体は途中で失われ、少数のY染色体のみが栄えるというのがY染色体の現実なのだ。

サイクスの本には900年前に死んだサマーレッドという武将のY染色体が40万人に、チンギス汗のY染色体は1600万人に受け継がれているとか、南アメリカのインディオのY染色体はヨーロッパ系ばかりだとか、恐ろしいことがたくさん書いてある
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2010/04/y.html

分子遺伝学を研究した人間はY染色体もしくはミトコンドリアどちらかのDNAばかりに気を取られてふたつの違いについて注目しようとしなかった。

『イヴの七人の娘たち』でブライアン・サイクス博士はミトコンドリアの研究によって母系図をたどってさかのぼった。今回は父系祖先をたどるためにY染色体ツリーを書き上げた。

サイクス博士はカヌーでの海を渡り、ハワイ、イースター島、ニュージーランドにまで定住を広げたポリネシアの人々を調査をしていた。

ラトロンガ人の血液サンプルによるとポリネシアの女性史を解明してみると、彼女たちのほとんどが東南アジアを起源としており、南米からの移住説は消えた。

ところがポリネシア人の男性史をたどると女性よりもバラエティ豊かなY染色体を持っていることが判明した。 それは主に3つのクラスターに分けられた(その3つをA,B,Cと呼ぶ)。

一番数の多かったAクラスターは島々に最初に入植したポリネシア人の末裔だった。

Bクラスターは数は少ないもののAクラスターに非常に近かった。
最初の入植者のまた別の染色体セットだと考えられた。

CクラスターはA・Bとは近い関係にないことが解った。
Cクラスターはヨーロッパ男性のY染色体だったのである。


wikipedia クック諸島

普通、このことを純粋な男女の混血だとして描写されることはないだろう。
これをヨーロッパ人の到着を男女の出会い、精子と卵子の出会いと考えるようにする。

ヨーロッパの卵子はそこに届かず精子だけがポリネシア女性と出会った。

これが遺伝子としての戦いだとするとヨーロッパのY染色体はポリネシア固有のY染色体をもつ男から3分の1を奪って勝った。

ヨーロッパ人の植民地化はY染色体の繁殖において大きな影響を及ぼしている。


ペルーでは自分達は純血のアメリカインディアンだと考えているパスコーとリマの住民に対して調査が行なわれた。

結果は95%以上のミトコンドリアDNAがアメリカインディアンの末裔であるのにY染色体の半分がヨーロッパのものであると判明した。

スペインが一番最初に入植した南米の地アンティオクイアではY染色体の94%がヨーロッパ、5%がアフリカ、たった1%がアメリカインディアンだった。

奴隷貿易によって大西洋からもたらされたアフリカのY染色体の方が多い。

ミトコンドリアDNAは90%がアメリカインディアンのもので、残りがヨーロッパとアフリカのものだった。

つまりヨーロッパとアフリカの精子が大量のアメリカインディアン女性の卵子に受精し、アメリカインディアン精子は生き残りの上で敗者となったのである。

アフリカ系アメリカ人やアフリカ系カリブ人における母系祖先がアフリカからのミトコンドリアDNAなのに対してY染色体はヨーロッパ父系がいる。

こういった遺伝的名残は植民地の歴史を物語る。

細胞内のY染色体には独占欲が刻み込まれているようである。

http://renzan.org/columnist/nishida/adam5.html

>最新のDNA調査技術を駆使し、南米でサンプル検査を行なったところ、先住民のDNAはミトコンドリアDNA(母から子に継承)では82.8%、Y染色体(父から男子へ継承)は8.6%だったそうです。(ソースはNHK教育『サイエンスZERO』)

 インカ文明やマヤ文明やアステカ文明を滅亡させたスペイン人が南米で何をしでかしたのか、実際のところはよく伝わっていません。

しかしDNA検査が示す結果によると、どうやら先住民族の男は事実上皆殺しにあったようです。

先住民のY染色体が8.6%というのは、衝撃的ですね。

Y染色体8.6%のデータを発表するさい、NHKはわざわざこのデータは過疎の山間部まで含まれていると断りを入れていました。

スペインは原住民男子を完全抹殺を徹底的かつ緻密に行なったものの、完全リセットできなかったモレの部分が8.6%ということなんでしょうね。

それにしてもDNAは嘘をつきませんね。


 >ロシア人は南米の逆のような気がしています。

 ロシア人はスラブ人だということで、ウィキペディアなんかを読んでも、ロシア人の正体はよくわかりません。しかしイワン雷帝とかモスクワ大公とか、ロシアの支配階層をたどっていくと、完全にモンゴル(タタール)にたどりつくんですよね。

ロシア人は、一見見かけ上はヨーロッパ人のようです。おそらく母方でヨーロッパの血が入っていったのでは?と推定しています。


 羊の雄というのは哀れなもので、そのほとんどが殺されるか去勢され、群れはおおよそ雄1:雌20の比率で構成されるそうですが、モンゴルはロシア平原に於いてロシア人に対し、それに類したことをなしたのではないのでしょうか。

雄1とは無論モンゴル兵のことで、雌20とはロシア女のことです。


 オスマントルコも似たようなことをしたのかもしれませんね。

事実、元々キリスト教徒の子供であったイェリチェリはどんな戦功をあげようとも、その栄華は一代限りのもので子を残すことは許されませんでしたし、ハーレムの女たちのその多くがキリスト教徒だったことは有名な話ですよね。

トルコ共和国の人間の外形はヨーロッパのそれによく似ていますが、templeさんのことばを借りるならば、"母方でヨーロッパの血が入って行ったのでは"ないのでしょうか。そしてそれは、小アジアだけではなくギリシャやブルガリアも同様でしょうね。
http://temple.iza.ne.jp/blog/entry/1126896/


インドへのアーリア人侵入説

「アーリア人侵入説」は、言語学の分野から持ち上がってきたものだ。

「インド・ヨーロッパ語族」という分類から、北インドのヒンズー支配層は、BC3000〜8000年に、欧州・中東・小アジア・コーカサスから移動してきた西ヨーロッパ人ではないか、と推理されるようになった。

つまり「白人、金髪、青い目」の侵略者たちが、先住民のドラヴィダ語族の民族を南に押しやり、北インドではカーストの支配者となったのではないか、という話なのだ。


アメリカのユタ大学とインド南部のアンドラプラデシュ大学による共同研究

インドのカースト別のDNA分析から、侵攻したのは「コーカソイドの男子」であり、先住民の下層階級の女子と混血してきたことが証明された。


インドのカースト制度は、「4階層+不可触民」で、実質5階層になっている。

1930年にイギリスがとった人口統計によれば、


1)バラモン(僧侶)・・・・5%
2)クシャトリア(武士)・・・・7%
3)ヴァイシャ(商人)・・・・3%
4)シュードラ(農民工民)・・・・60%
5)アンタッチャブル(穢多非人)・・・・15%

という比率で、これにイスラム教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教などの「異教徒10%」をたすと、100%になる。

1930年以来、1度も統計調査がないというも驚きだが、不可触民(穢多非人)の「15%」という比率は、実際はもっと高いと言われている。

DNA分析の共同研究では、

上層カースト(バラモン+クシャトリア+ヴァイシャ)、
中層カースト(シュードラ)、
下層カースト(アンタッチャブル)

に分類し、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人のDNAと比較している。

表内の数字は、小さいほど関係性の距離が短い(先祖の共通性が高い)ことを示す。
http://jorde-lab.genetics.utah.edu/elibrary/Bamshad_2001a.pdf


■Y染色体のSTR分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0166 0.0104 0.0092
中層カースト 0.0156 0.0110 0.0108
低層カースト 0.0131 0.0088 0.0108


日本の皇位継承問題でもおなじみの「Y染色体」だが、これは男系の遺伝を示す。
インド人の「男系遺伝子」は、ヨーロッパ人とアジア人と同じぐらいの距離にある。

カースト別でいうと、上層カーストとヨーロッパ人の関係がもっとも近い。

低層カーストはアジア人にもっとも近い。

■ミトコンドリア染色体のHVR1分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0179 0.0037 0.0100
中層カースト 0.0182 0.0025 0.0086
低層カースト 0.0163 0.0023 0.0113


ミトコンドリアのDNAは、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代にはまったく関与しない「母系遺伝」になっているので、母系分析に使われる。

この分析によると、インド人の「先祖の女性」は、歴然とした数値をもって、アジア人に近い。
低層カーストがもっとも近く、上層になるにつれて距離が離れていく。


以上の研究から、インド人の母系と父系に明らかな「系統」が生じており、

1)「アーリア人の男性」が「ワンランク下の先住女性」と混血を繰り返した、
2)「低いカーストの男性」が「高いカーストの女性」と結婚するケースはほとんどなかった、

という結論になる。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332


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6. アボリジニーの品種改良


ハクジンの作り方

先日、アボリジニー女性と長く話をする機会があった。
彼女は推定40歳弱のアボリジニー女性。明日、生まれて以来一度もあったことのない姉に会うのに、とても緊張している、と言う。

私は、家庭の事情か、とちょっと思ったけれど(馬鹿な私)、よく聞いてみると、まだ一度もあっていない弟もいて、母親とは、3年ほど前、生まれて初めて会えた。という。

ベルギーに住んでいる弟もいるのよ。と写真を見せてくれた。

ヨーロッパ政府の先住民政策のことを少しでも知っている人ならすぐにわかると思うが、そう、これは、イギリス政府 (後にはオーストラリア政府)の先住民同化政策のひとつで、アボリジニー女性から生まれた赤ちゃんを出産後 母乳をやるのも許さず、すぐ取り上げ、ハクジン夫婦のもとで育てさせる。というもの。

こうすることにより、アボリジニーのこども達は、親から文化を継承せず、イギリス人化する と考えたのだ。

私は知識としては知っていたけれど、まさか、こんな若い人がまだ、その政策の当事者として存在していることが、驚きだった。

私の勉強不足のせい、なのですが、ただ、この事実を豪州政府は公にはしない。
事実をしるためには、アボリジニーから聞いた話をドキュメンタリーにした本やビデオしかないのだ。

彼女曰く、この政策は、1980年まで続いた。だから今26歳以上のアボリジニ−は、みんな親を知らないで育った。

「そんな最近まで!!」私には衝撃だった。

自分のこどもが、政府によって取り上げられ、2度と会えないのだ。親は子供の写真を見ることも、消息を知らされることも この制度が廃止されるまではなかったという。

たとえ、海外に行っても、死亡しても、知らされなかったのだ、と言う。

これだけでも、悲しいのに、彼女の話は終らない。

この制度は、ただアボリジニーを先祖から引き離し、イギリス人文化に馴染ませるためだけのものではなく、アボリジニーを抹殺するかわりに、彼らの肌を白くする政策でもあったのだ。


アボリジニーをひきとる親のほとんどは、女児を好む。

女児なら大きくなれば強姦し放題だからだ。

そして妊娠させる。

そしてその赤ちゃんの肌は母親より少し白くなる。

だから、政府はそれをよしとしたのだ。


強姦したいハクジンの父親は、早ければ8歳くらいには、強姦すると言う。

彼女の周りでも、たくさんのアボリジニー女性がまだ幼い頃に強姦され、12、13歳で妊娠した人がいっぱいいたはずだ、と言う。

もちろん 強姦された挙句生んだ赤ちゃんは、すぐ政府によって取り上げられるのだ。

そしてその子も女児なら、運が良くなければ、強姦される運命だ。

男児はどうなるのか。

地方や役人によっては、男児は、何の役にも立たないので、(アボリジニー女性は、ハクジン男性の性の遊びの役に立つが、アボリジニー男性がハクジン女性とセックスするのは、許されないし、アボリジニー女性と性交渉をすると、二人の赤ちゃんの肌の色は白くならない) 不必要として、生まれた直後 近くの壁にたたきつけて殺したのだ と言う。

私には、言葉も出なかった。

彼女は自分を育ててくれたハクジン両親はいい人で、とても幸運だったという。

統計などなくてわからないけれど、幸運なアボリジニーは少ない と言った。

彼女は自分の父親が誰だか知らないという。あるとき、病気で医者に行った時、医者から、両親にその病気をしたことがあるか、聞いていらっしゃい、それが予防に役立つと言われ、母親に父親の所在を聞いた。

母親が インド人の男性だ、と教えてもらい、会いに行く直前、母親から止められて、何事かと思ったら、よく考えたら違うと言う。

笑いながら、インド人だったら、あなたの肌はこんなに白くないわよね、と娘の肌をさすりながら言った と言う。で、父親は、アイルランド人、ハクジンだと言って、でも死んだのだ、と。

彼女は 父親に会うのはあきらめた、と言った。母親が話したがらないから。と。
考えてみればこのお母さんも 親から引き離されて、ハクジンの親の元、苦労して育ったわけだから、何があったかは、想像にかたくない。

彼女は、自分の肌をさすりながら、豪州政府はこの肌でもまだ白さが足りない、と言うわ。といった。肌の白さ、をこれほどまでに気にしながら生きていかなければならのは、信じられないほど理不尽だと思った。

彼女は言う。過去も悲しいけれど、今も悲しい。

なぜかと言うと、時折話す、オーストラリア人(ハクジンだと思うけれど)は、総じてこの話を信じないと言う。

政府がそんなことするはずない、と。

彼女は、じゃあ、なぜ多くのアボリジニーがこんな都市に住んでいるの?

各地にあった、トライブにいないの?

なぜアボリジニーの言葉が話せないの?

と聞くのだそう。


私には、ハクジンオーストラリア人が政府の行ったこの蛮行をしらないのはありえるとして、その本人からこういうことをされた、と言われて、政府がするわけない、と否定するその気持ちがよくわからない。

それほどまでに、政府を信じきっている気持ちが。いや、政府というか、ハクジンがそんな残酷なことをするわけない、とおもっているのかもしれない。

イギリス政府が行った数々の蛮行、植民地支配も何もかも習わず、海賊も彼らの誇り、アメリカ大陸の”発見”と勉強するし、あの土地の近代化をひたすら美化し、第一次大戦も、その後のすべての戦争も (ベトナム戦争、湾岸、今の戦争も)ひたすら、正義の戦いとして教わってきているからね。

彼らは。ベトナムは、やるべきでなかった、とはいうけれど、政府には、ちょっと批判的でも、自国の兵士への同情だけ(ベトナムへはなし、)。

反省の”は”の字もない。

ここまで、国際社会の中で(おそらく、対非ハクジン国、民族にかぎって)イギリス系の自分達が間違っているわけない、という、強い信仰があるのだろうな。

一般の日本人が、沖縄の人から、占領された後、こういうひどいことを日本政府から、組織的にされた、と言われたら、頭から否定するかな。

特に、強姦とか、殺人とか、そういうものは、抑圧につきものだし、あるかも、と思うのが、普通だと考えてしまう。

まあ、それはともかく、私はこの話をきいて、この国にいまでもひたすら起こりつづけている、先住民女児への、先住民男性からの強姦、性暴力事件の深層が、こういうところにあるのではないかと感じました。(下の方に投稿してあります。)

また、アボリジニー女性が強姦された事件で、容疑者がハクジン男性、アボリジニー男性にかかわらず、裁判員に女性が複数いても(ハクジンのみ裁判員)、裁判で有罪にならず、釈放されてくる事実を見て、アボリジニー女性らが、「私達が強姦されても、とにかく、ハクジン達は、彼らが女性であるか、男性であるかにかかわらず、同情はけっしてされない。どういうわけか、私達は、強姦されてもいい生き物と思われている」、と言った言葉の裏の意味が、今少し理解できる。

さらに、大学時代、クラスで見た(女性学の授業、フェミニスト系の女性教授の中には、アボリジニーのことを理解しようとする人はいる)まだ、上陸したばかりのイギリス軍がアボリジニ−を虐殺する物語のビデオですが、クライマックスは、偶然に森に入っていた9歳くらいの少女は殺されるのをまぬがれ、じっと木の陰から、自分の親、兄弟、姉妹を含む、部族全員がイギリス軍の手によって銃殺されるのを目撃する というような話だったのですが、悲しすぎて、涙がとまらなかった。

明かりがついて、60人くらいの生徒の誰ひとり(私以外全員ハクジン女性(一応見た目ですが)、涙ひとつ、うるうるした様子ひとつないのには、映画の内容以上に驚いたことを覚えています。が今、その理由がわかります。

ついでに書きますが、こちらでは、もちろん、ハクジンが全員ひどいのではありません。何とかしようとするハクジンだっているのです。

最近こういう不満がハクジンから出され、報道されました。

今では、アボリジニーの赤ちゃんが母親から強制的に奪われることはなくなりましたが、アボリジニー家庭はすさみ、アルコール中毒やら暴力やらで、親としてきちんと子育てできない家庭が多く、中には、ハクジン夫婦が 好意で親が落ち着くまで預かる制度があります。(これは、ある程度管理されていて、強姦などはできないようですが)
そのハクジンの親で、それは 自分の子供のように一生懸命面倒見る人もいるわけです。

その中で、学校にきちんと行かせ、宿題をさせ、ドラッグをすわないように ある意味愛情こめてしつけている親がいました。政府はその親に対し、こういう”質のいい”子育てをするのは、契約違反だから、すぐ止めないと、告訴する、というのです。

腹を立てた親が、テレビ局に話して公になったわけです。

政府いわく、先住民のこどもはいずれ、ドラッグを吸い、しつけもろくにできない親元に返るのだから、かけ離れたことをするのは だめ。ということです。

ハクジン親は、親がたとえ吸っても、あなたは自分の身体のため、やめなさい。と教えて何が悪い、また、勉強に興味を持ち、学校に行く習慣ができれば、その子の将来の利益になる、と主張しました。

また、別の アボリジニーの子供をあずかった親からも こんな政府への不満がテレビ局にとどきました。

このこどもが自分のこどものように可愛く、将来は頑張って欲しいから、その子と別れる時、将来大学に行きたくなったら私に連絡しなさい。援助してあげる、と言ったそうです。

それを知った政府にそんなことはするなと言われた、と。不公平だと。

あづかった親は、言う。政府は他の子に対し不公平だというが、本当の理由は違う。
彼らは、アボリジニーに、その地位を向上してほしくないのだ。
http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html


 ●谷底に突き落とす殺し方で…

 オーストラリアが近代の歴史に顔を出すきっかけとなったのは、1776年の米国の独立戦争だった。

 それまで米国というか、アメリカ大陸にあった英国植民地は、開拓民の送り込みの地としてだけでなく、本国でさんざん悪さをした犯罪者の流刑地でもあった。

 それが英本国の財政逼迫につき、アメリカの植民地に印紙税をかけたのが発端となってついには独立戦争にまで発展した。

 そして米国は独立する。英国は植民地を失ったのも痛手だが、それ以上に困ったのが流刑地を失ったことだった。

 それでオーストラリアが急浮上し、1776年以降、新しい遠流の地とされた。
 しかし行ってみると気候はいい、冬の寒さも本国英国よりはるかにしのぎやすい。先住民アボリジニはいるものの、いたって穏やかだし、最大の害獣が野生化した大ディンゴくらいで、毒蛇とか致死性の風土病とか、生活を舜かすものは何もなかった。

 こんないいところを、犯罪人専用とするのはもったいない。英政府は1801年、ここを安全で有望な移住地に切り替えた。

 移住してきた人々は、それまでの流刑者とは違うという意味で「1801年以降の市民」と名乗った。

 しかし、彼ら移住者の程度は流刑者よりもお粗末たったことを歴史は伝えている。

 彼らは奥地に向かって開拓を始めるが、それば先住民の虐殺と同義語だった。

 彼らはあらゆる殺し方をした。

アボリジニの集落の飲み水に毒薬を入れたり、米大陸のインディアン殺戮と同じに襲撃しては撃ち殺したりした。

 しかし、最もポピュラーな殺し方は、丘陵地に住む彼らをI人ずつ谷底に突き落としていくというものだった。

羊と同じ、抵抗することを知らないアボリジニは黙って突き落とされていった、という。



 ●強姦されて混血児を生む母親

 20世紀に入っても、オーストラリア人は虐殺をやめなかった。

アボリジニ狩りの日を決めてはハンティングを愉しんだ。

 ニュー・サウスウェールズ州の図書館にはその狩りの記録が残されている。

1928年のある目の記録には狩りの成果として「アボリジニ17匹」とある。


 歯止めない殺戮は、例えば約50万人のアボリジニが住んでいたタスマニア島ではわずか四半世紀で彼らを根絶やしにした。最後の何百人かは岩だらけの孤島に移し、全員を飢え死にさせている。

 300万人というのが、1801年当時のアボリジニの控えめな人口だが、20世紀の半ばでそれは30万人に減り、今も決して増えてはいない。

 それは表向き社会保障制度の充実という形を取る。アボリジニは農地も奪われ、かといって街では就職口もない。それで政府は失業手当(Dole)を与え、施設に収容する。
 というと聞こえはいいが、収容施設は米国のインディアン居留地と同じ、鳥も通わぬ辺鄙な場所に作られ、そこに押し込まれればもう外の世界には戻れない。ナチスが民族浄化に使ったゲットーと大差はない。

 先住民の女性はもっと過酷な生き方が強いられる。彼女たちは実にしばしば白人の慰みものにされ、混血児を生まされる。

しかし子供の父親ははっきりしない。つまり強姦されているのだ。

 そうすると政府が出てきて、混血児は母親から引き離され、白人の里親のもとに送られて教育と生きる権利を与えられる。

 有色人種は虐殺か淘汰だが、一滴でも白人の血が入れば彼らは生かされる。

かつてメキシコを征服したスペインは原住民の男は殺したが、女を強姦して子供を生ませた。

メキシコはその混血のメスチゾが国民の過半を占める。それと同じことを今、やっている。


 そのオーストラリアで、シドニー五輪が聞かれた。大会のテーマは友愛と和解だった。

豪州の暗い過去、つまりアボリジニヘの非人道的な対応はやめた、今は白人と先住民は和解し、友愛が生まれたという主張だ。

 それを象徴するように混血の女性アスリートが聖火ランナーを務め、開会式の祭典では多数のアボリジニの男女が会場いっぱいに踊りまわってみせた。

 しかし、それは彼らのいう「Bull shit(たわごと)」でしかなかった。

 和解の象徴のように扱われた女性アスリートは自分の生母がだれかも知らない。白人の血が混じったというだけで、彼女もまた生母から無理やり引き離されたひとりだった。

 開会式で踊った先住民も、実は白人が体を黒く塗ったニセ者だった。本物の彼らは出演を拒否し、華やかな会場の外で「私たちを減ばさないで」と座り込み抗議をしていた。
 APもロイターもそれは流さず、彼らの声はかき消された。
http://ayarin.iza.ne.jp/blog/entry/562736/


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7. インディオの品種改良


ブラジルの人種混交


大航海時代における、アメリカ大陸の異文化との接触においてブラジルは特異な状況にあった。インカ帝国のように高度な文明を保持した国はその文化への反発から壊滅され、何もない状態から文化を植え付ける作業を行われたが、ブラジルの先住民インディオは十分な文明を持っていないと認識されたことによって、文化の壊滅的な破壊を免れることになった。

ジョゼー・デ・アレンカールが記したセアラーの伝承「イラセマ」に記されたように、ブラジル人は混血によって生まれたのだといわれている。

ブラジル人が混血によって誕生した原因は、ポルトガルが植民の際に女性を連れてこなかったことに起因する。

また、純真なインディオがかつてのヨーロッパ人のように、旅人への好意として女性が体をささげるという習慣があったためでもあり、また性行為に対する感覚も白人とは違っていた。

インディオのもつ純真さに対して、ポルトガル植民は邪心に満ちていた。

何より、初期のポルトガル植民に犯罪者や追放者、冒険家などのごろつきが多かったのである。

当初は一時の肉体関係のみであったが、広大な大地を征服するためにポルトガル王朝が混血を推進したこともあり、インディオの一夫多妻の習慣はポルトガル植民にすぐに受け入れられインディオの女性は性的な搾取の対象となった。

この悪習はイエズス会が介入するまで続けられていた。そのために多くの混血が生まれ、ジルベルト・フレイレがブラジル的家族の母としてインディオを挙げる要因となったのだ。

それぞれ言葉が違うインディオを統率するためにポルトガル人は人工の言語を作り、教育を施すために教会はインディオの子どもを森から連れてきて学校に押し込んだ。子どものレベルから教育を施し、それが大人へと伝わっていくことを目論んでいたのである。

しかし、インディオの経済基盤を確保せずに混血を勧め、文化を押しつけたために混血児やインディオが生活出来なくなるという弊害が現れることになったのだ。そして、ヨーロッパからの疫病や、虐殺などによってインディオ自体の数が減ってしまったのである。

そのため、インディオに代わって黒人奴隷が投入されるようになったのだ。

黒人奴隷もやはりインディオの奴隷と同じ道をたどり、男性は労働力として、女性は性的搾取の対象として扱われた。

黒人女性は家事を行ったり、白人の子どもに乳を与えて育てたり、言葉を教えたりする一方で、農園の主の妾として働いた。そのため、黒人は白人の異常な性愛と家庭生活に強く影響したのだ。

大農園の家父長制や奴隷制は、支配階級にある白人達に倒錯した性生活を与えた。

若い頃から性的な関係を持ち、親が子に金を渡してでも女を抱かせ、次々と奴隷に手を出していったことで性病が広まり、一方で性病を治すには若い処女とセックスすることが一番の治療であるという迷信まで広まった。

奴隷制の主従関係はまた、白人にサディズムを植え付けるという効果をもたらした。

白人の子どもに与えられた奴隷の遊び相手は、殴られるだけのサンドバッグのようであり、そこからはぐくまれたサディズムは、時に黒人に対しての不条理な行為となった。
http://www.cruzados.info/caminhos/brasil/brasil_00.html


 メキシコ南部、チアパス州の山間にあるマヤ族の村チョモラスは妙な言い方だが、人工の村である。

密林の奥深く、焼き畑農業を営んできたマヤの人々に住む家を提供し、手に職を与え、子供たちは学校に通わせて、というメキシコ政府の定住化政策で生まれたモデル村、という経歴をもつ。

 その村の中央にはキリスト教会がそびえる。あの栄光のマヤ文明を生んだ彼らのための新しい村というよりはスペイン辺りの村を模したようにも見える。

 教会の中は、しかし少しもスペイン風ではなかった。祭壇には十字架ではなく聖母子像が置かれているのはともかく、礼拝の広間は中央通路(Aisle)を挟んで左右に連なる礼拝席がない。まるで体育館のようにただのタイル張りの床が広がるだけなのだ。

 その日はたまたま日曜日で、マヤの人々のミサを見ることができた。彼らは申し合わせたように大きな袋をかつぎ、ヤギかあるいは鶏を抱えていた。

袋の中身は松葉だ。広間のどこかに場所を決めると、その松葉を床に敷く。一家族で畳二枚分ぐらいのスペースだろうか。そして周囲を縁取るようにロウソクを立てて火を灯す。薄暗い聖堂の底がロウソクの火で満たされると、そこここから低音の“読経”がわきだしてくる。

 声の主はチャマンと呼ばれるマヤ人の福音読みで、彼らは十ペソほどの祈祷料をもらって各家族のもとでマヤ語で福音を語る。

 家族は松葉のじゅうたんに座り、チャマンの言葉を聞きながらポッシュという強い地酒を飲み回す。小さな子供もその輪に加わっていた。

長い読経が終わると家族は連れてきたヤギや鶏の喉をナイフで切る。

マリアさまに捧げる生け贄というわけだ。

この礼拝の景色はマヤ信仰と多くの類似性をもつ。

有名な生け贄の儀式では生け贄にされる者も、その家族も司祭もすべてがポッシュを飲み、今は麻薬に指定されているメキシカンマッシュルームも併せ噛んだ、という。

神の声はそういう陶酔の中で聞く。

マヤの伝統を見る思いだった。

この村は排他性が強い。

よそ者にはうるさく、写真撮影でもしようものなら警棒をもった自警団に袋だたきにされる、と同行した民族学研究家N氏が忠告する。

一見、白人にも見える彼はスペインの血が混じるメスティソで、マヤの風俗や言葉に精通している。

 彼は「村人の気持ちは複雑だ」という。

ここにスペイン人がきたのは十六世紀。

ラス・カサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告」にあるようにスペイン人はここでもマヤの人々を冷酷に殺しまくった。

 ラス・カサスは三百万の島民が六十年足らずで殺され尽くしたエスパニョラ島やキューバについて、

「黄金のありかを白状させるためにローストチキンのように火で何日もあぶった」。

「スペイン人の上官がそのうめき声がうるさいからと部下に命じてインディオに猿轡をさせた」、

「腹をすかせた猟犬のためにインディオの赤ん坊をちぎって食べさせた」
などと描写する。

 しかし、この地に至ったころにはスペイン人は皆殺しを少し緩和した。

略奪と殺戮であとはペンペン草も生えないという方針から、いわゆる植民地化へと移行し始めた。

先住民の教化と引き換えに荘園の使役に使うエンコミエンダ(委託)である。

それこそペンペン草も生えなくなったエスパニョラ島などでは死滅した先住民に代わって黒人奴隷を入れて砂糖などの生産が行われている。


 無差別には殺されなくなったものの、先住民、インディオの地獄は続いた。

男は重労働を強いられるだけでなく社会的断種、自分たちの子孫を残すことは認められず、女はスペイン人の強姦の対象とされた。

 この強姦は植民地支配の政策として実行されていたことがトーマス・クック章を受賞した英国人紀行家ノーマン・ルイスの東ティモール紀行の中に書かれている。

「(ティモール軍の)古参兵は色は黒いけれど、目鼻立ちは西欧人のそれを思わせるのはポルトガル人の兵団がここに子孫を残したことを示す。

新たな植民地を防衛するのに必要な兵力を自分の息子でまかなうべく現地の娘と進んで結婚せよ、との命令に兵士たちは喜んで従った結果である」。

先住民の女に子供を産ませる強姦を国家が積極的に奨励していたのだ。

 そうして産まれてきたハーフカスト(混血児)はその血筋を栄誉として本国(白人)に忠誠を誓い、植民地防衛の先兵として敵と戦うことが期待された。

その敵には当然、植民地支配を拒絶する人々、つまり彼らの血の半分を共有する先住民もいた。

 混血児にこういう苛酷な義務を負わせる政策を征服者側はInterfaith Marriageとか通婚政策と今でも美しく表現する。

ポルトガルの好敵手だったスペインもこれにならった。

延べにして十万単位ほどのスペイン人が二百年間にわたって行った強姦政策の結果が今、メキシコ人口の六割約五千万人に及ぶメスティソになる。

それがいかに徹底して行われたかを示している。


 このときマヤの民は抵抗し山に逃れた。

シナカンテコス、ラカンドニス、そして九〇年代、NAFTA調印に抵抗してチアパスで蜂起したトホラワレスはその末裔になる。

 彼らの祖先は山に逃れて彼らの文化と純血を守ってきた。

今、彼らは定住化政策で山を下りてきて、そこで見た現実に戸惑った。

N氏が「複雑な気持ち」と指摘したのはその戸惑いを言う。

 メキシコ社会は一割の白人を頂点に、その下に八割のメスティソが位置する。

メスティソも白人度の高い者、つまり白人の血が濃いほどいい学校に入れ、いい会社に就職でき、社会的に高い地位も入手できる。

逆に白人との混血度が低ければ社会的地位も下がる。

 しかしマヤの民には白人の血は一滴も入っていない。

定住村から先の現代社会に入ろうにも現実は拒絶の壁が立ち塞がる。

それが命懸けで純血を守った代償だった。

 なぜ自分たちの祖先を蔑み、なぜ野蛮な征服者の血に憧れるのか、と彼らはN氏に語るという。

その一方で、ポッシュに酔った勢いで若い娘たちがなぜ祖先は山に逃げ通婚政策を拒否したのか、その残酷さを受け入れていてくれれば私たちは村を降りられたのにと愚痴るのも聞かされた。

重い言葉で、返す言葉もなかったという。

 「私たちメスティソ、それも白人に近い方のメスティソにもこの村の人々には絶対聞かせられない悩みがある」。

N氏は結婚して八年になる。

子供が産まれるたびにその恐怖がわいてくるという。

「産まれてくる子が何色なのか、それが白いと分かるまで眠ることができない」。

二つの血のどっちが強くでるか。

それは心の中で自分の本来の祖先の血を呪っていることにもなる。

 頭ではそうした差別はいけないと考えてもわが子となると話は別になる。

「メキシコ・シティのハードロック・カフェに入ろうとしたメスティソの兄弟の兄が入店を断られた。

遺伝子のいたずらで白人ぽくなかったからだ。

でも私たちはそれを批判したり笑ったりする気にはならない」。


 メキシコの純血の民は今、一千万人いる。

中米グアテマラも南米ペルーもコロンビアも状況は同じだ。

アルゼンチンは一八七〇年代、「国家の近代化」という名の下に組織的にインディオを虐殺した。

それでもパタゴニアなどに祖先の血を全うする人々がひっそりと生き延びている。
http://www.tenri-u.ac.jp/tngai/americas/files/newsltrs/41/no41takayama.html

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8. 黒人奴隷の品種改良


アメリカでの黒人奴隷制度は1705年のヴァージニア奴隷法により確立されました。

「海路または陸路によって、本植民地に輸入されたサーヴァントであり、その出身地での非キリスト教徒はすべて奴隷とされる。彼らは以後キリスト教徒に改宗しても売買の対象とする」

また、その子供は「奴隷の子どもの身分が自由か不自由かは、その母親の身分に従うもの」とされました。 つまり、

黒人奴隷間に産まれた子供は奴隷(親を所有しているプランターの所有物)、
更に白人男が黒人女に産ませた子供も奴隷としました

勿論白人と黒人の結婚は禁止されていました。

奴隷貿易が禁止されていく中で、奴隷の再生産は奴隷の出産によって行われるようになりました。

白人プランターは家畜を種付け・交配するような感覚で黒人奴隷に子を産ませていたこと、

特に「混血は肌の色が薄いゆえに純粋な黒人より高く売れる」という価値観から、プランターが黒人女性奴隷をレイプし(これは「奴隷は人ではない」がゆえに犯罪とすらされなかった)て産ませるという事態が頻繁に見られたことは忘れられてはならないでしょう。
http://oshiete.eibi.co.jp/qa997815.html


アメリカにおける黒人差別には、聖書やコロニアリズムに由来する黒人差別とは異なるアメリカ特有の歴史的背景がある。

アメリカで白人が黒人を差別する理由は、 黒人の8割が白人との混血だから。

正確にいうと、ほぼ100%に白人の血が入っている。

黒人奴隷の時代に、奴隷を増やして売るための種付け専門の白人男がいた。

つまり女奴隷を何人も買い込み、セックスする仕事。

白人農場主は、子供から仕込んだほうが素直であるとよろこんだ。

そして白人との混血女だと値が上がった。これは夜の奉仕の為。

農場主は黒人メイドに種を仕込んで子を産ませ、それで生産量、財力をふやした。
アメリカ大統領ジェファーソンも、その趣味に打ち込んでいたといわれる。

人の少ない開拓地では人口=財力。


これを嫌ったのは妻の白人女性で、それで東部は奴隷解放を支持した。

アメリカ東部はアイルランドやドイツ人を満載した移民船がぞくぞく着いて白人労働者が余り、もはや黒人奴隷になど頼る必要はなかった。

ただ田舎では深刻な人不足、女不足に悩んでおり、黒人奴隷も家族のように大切という違いがあった。

つまりアメリカ黒人は生まれが卑しく、先祖をたどればすべて種付け男と奴隷のアイノコだと白人延いてはアフリカの黒人からもしばしば罵倒されるのだ。

公民権ムーヴメント以来様々な理論武装を試みてきたアメリカの黒人達も、これについてばかりは全く反論できない。


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アメリカという国は、過去に何百万という黒人をアフリカから強制連行してきて、奴隷としてこき使った国です。

若い女の奴隷は、所有者である白人農場主の性的な慰みものになり、文字通り、性奴隷として扱われました。

黒人の女奴隷が生んだ白人農園主の子供はやはり奴隷にされたといいます。

白人の農場主は黒人の女奴隷とセックスすることで、性的な楽しみを得ると同時に、彼女たちとセックスして子供を産ませることで奴隷という自分の財産を増やすという二重の利益を得ていたのです。

アメリカの第二代と第三代の大統領であったトーマス・ジェファーソンは、アメリカ史上に残る立派な大統領という評価を得ているそうですが、彼は多数の奴隷を所有する裕福な農場主で、黒人の女奴隷に何人もの子供を産ませたことで知られています。

みずから奴隷を所有し、女奴隷に子供を産ませた人間が大統領になっている国は、世界広しといえど、アメリカぐらいなものでしょう。
http://jack4afric.exblog.jp/4997042/


1813年にノースカロライナで奴隷の家庭に生まれたハリエット・ジェイコブズの例を挙げてみよう。

彼女は12歳の時にジェームズ・ノーカムに売られ、彼はほどなく彼女に対して性的交渉を持ち始めた。その後ジェイコブズが彼女のメモワールで回顧しているように、ノーカムは彼女に「私は彼の持ち物だった;全てにおいて彼の意志に服従しなければならない」と告げたのだ。


そして、彼女はそうした。ジェイコブズは時には所有者の手をなんとか逃れる事が出来たとはいえ、彼は確かに彼女を所有していた。

彼女とセックスをする為に、ノーカムは時には彼女に新しい洋服や他のプレゼントを約束した。時には単純に彼女の喉元に剃刀を突き付けた。

そしてそれは、我がアメリカの同胞よ、我々がレイプと呼ぶ行為だ。

算数をしよう。1850年から1860年の間に、黒人奴隷の数は約20%増加した。

だが、歴史家のジョエル・ウィリアムソンが計算した通り、奴隷にされた「ムラート(混血奴隷)」の数は驚きの67%も増加したのだ。もっと率直に言えば、黒人奴隷の肌は色が薄くなっていった。

白人の所有者達が彼等をレイプしたからだった、という事だ。
本当に単純な事だ…そして、酷い事だ。

偉大なるアフリカ系アメリカ人奴隷廃止論者フレデリック・ダグラスが自伝で物語った通り、黒人女性奴隷は「彼女の所有者の父親、息子、もしくは兄弟のなすがまま」だったのである。

黒人女性は奴隷商人にも虐待され、彼等は次の白人に彼女達を売り飛ばす前によくレイプした…

そして、次の性的強制劇に入る。

疑いの余地もなく、所有者とセックスする為に選ばれたかもしれない奴隷はいただろう。だが、間違った選択肢が自分を売り飛ばしたり、酷い時には殺されたりすると知っている場合に、セックスを「選択する」とはどういう意味なのか?

所有者の中には生活スペースを共有したり、この関係から産まれた子供達を可愛がったりして、奴隷を伴侶のように扱った所有者達も中にはいるようだ。

だが、もっと頻繁には、彼等は何事もなかったように振る舞っただけだった。
自分達の鼻先で起こっている事態を無視した所有者の白人の妻や娘も同じだった。

そのようなわけで、我々もやっている。

何人のアメリカ人の子供が独立宣言の父であるトマス・ジェファーソンが彼の奴隷に子供を産ませた事を知っているだろうか?

そして、どれだけのアメリカ人の両親が子供達にこれを知って欲しいと思っているのだろうか?
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7253a111def132e53dc3d00f01e92977


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9. 白人の起源

1) ヨーロッパ人の遺伝子


@ Y染色体(男系遺伝子)による分類


Y-DNAは、父から男子にしか伝わらない為、基本的に父と子のDNAは同じものが遺伝する。

同一グループの遺伝子であれば、男系は同一の祖先を持つ。
突然変異した遺伝子の一部が突然変異を起こすことが有るため、亜種が存在する。


• B, E:サハラ砂漠以南にアフリカの家系に見られ ます。
• E, G, H, I, J, R :ヨーロッパ、中東、西アジアの家系から見られます。
• C, D, N, O, Q, R:アジアの集団で見られます。
• P, Q, F:インディアンの家系に見られ ます。

http://www.rocus.co.jp/roots/dnaroots.htm

Y-DNA ハブログループの時系列変化

• K => 40,000 years ago (probably arose in northern Iran)
• T => 30,000 years ago (around the Red Sea)
• J => 30,000 years ago (in the Middle East)
• R => 28,000 years ago (in the Central Asia)
• E1b1b => 26,000 years ago (in southern Africa)
• I => 25,000 years ago (in the Balkans)
• R1a1 => 21,000 years ago (in southern Russia)
• R1b => 20,000 years ago (around the Caspian Sea or Central Asia)
• E-M78 => 18,000 years ago (in north-eastern Africa)
• G => 17,000 years ago (between India and the Caucasus)
• I2 => 17,000 years ago (in the Balkans)
• J2 => 15,000 years ago (in northern Mesopotamia)
• I2b => 13,000 years ago (in Central Europe)
• N1c1 => 12,000 years ago (in Siberia)
• I2a => 11,000 years ago (in the Balkans)
• R1b1b2 => 10,000 years ago (north or south of the Caucasus)
• J1 => 10,000 years ago (in the Arabian peninsula)
• E-V13 => 10,000 years ago (in the Balkans)
• I2b1 => 9,000 years ago (in Germany)
• I2a1 => 8,000 years ago (in Sardinia)
• I2a2 => 7,500 years ago (in the Dinaric Alps)
• E-M81 => 5,500 years ago (in the Maghreb)
• I1 => 5,000 years ago (in Scandinavia)
• R1b-L21 => 4,000 years ago (in Central or Eastern Europe)
• R1b-S28 => 3,500 years ago (around the Alps)
• R1b-S21 => 3,000 years ago (in Frisia or Central Europe)
• I2b1a => less than 3,000 years ago (in Britain)

http://www.eupedia.com/europe/origins_haplogroups_europe.shtml

ヨーロッパと近東に於ける新石器時代・青銅器時代の民族移動
http://www.eupedia.com/europe/neolithic_europe_map.shtml

Y染色体ハブログループの移動
http://www.kerchner.com/images/dna/ydna_migrationmap_%28FTDNA2006%29.jpg

Aミトコンドリア遺伝子による分類


ミトコンドリア遺伝子は母親のモノしか伝わらない為、母系を調べる事が可能。
ミトコンドリア遺伝子が同一であれば、先祖は必ず同じ母親にたどり着く。


• L1, L2, L3--サハラ砂漠以南のアフリカの家系
• H, I, J, K, T, U, V, W, X--ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの白人グループ。
• A, B, C, D, E, F, G, M--アジア人、オセアニア、およびインディアン


世界中のDNAに関する研究から編纂されたこのDNA移動パターンマップは、
最初の人類がおよそ13-18万年前にアフリカで生まれたことを示しています。


a)アフリカではmtDNAマクロ家系L
b)ユーラシアとオーストラリアではmtDNAマクロ家系MとN
c)西ユーラシアではmtDNA家系H, I, J, K, T, N, U, V, W, X
d)アジアとオセアニアではmtDNA家系A, B, C, D, E, F, G, M, P, Q, Z
e)アメリカ大陸ではmtDNA家系A, B, C, D, X

http://www.rocus.co.jp/roots/dnaroots.htm

ミトコンドリアDNAハブログループの時系列変化


• N => 75,000 years ago (arose in North-East Africa)
• R => 70,000 years ago (in South-West Asia)
• U => 60,000 years ago (in North-East Africa or South-West Asia)
• pre-JT => 55,000 years ago (in the Middle East)
• JT => 50,000 years ago (in the Middle East)
• U5 => 50,000 years ago (in Western Asia)
• U6 => 50,000 years ago (in North Africa)
• U8 => 50,000 years ago (in Western Asia)
• pre-HV => 50,000 years ago (in the Near East)
• J => 45,000 years ago (in the Near East or Caucasus)
• HV => 40,000 years ago (in the Near East)
• H => over 35,000 years ago (in the Near East or Southern Europe)
• X => over 30,000 years ago (in north-east Europe)
• U5a1 => 30,000 years ago (in Europe)
• I => 30,000 years ago (Caucasus or north-east Europe)
• J1a => 27,000 years ago (in the Near East)
• W => 25,000 years ago (in north-east Europe or north-west Asia)
• U4 => 25,000 years ago (in Central Asia)
• J1b => 23,000 years ago (in the Near East)
• T => 17,000 years ago (in Mesopotamia)
• K => 16,000 years ago (in the Near East)
• V => 15,000 years ago (arose in Iberia and moved to Scandinavia)
• H1b => 13,000 years ago (in Europe)
• K1 => 12,000 years ago (in the Near East)
• H3 => 10,000 years ago (in Western Europe)

http://www.eupedia.com/europe/origins_haplogroups_europe.shtml


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2) 前インドヨーロッパ人


前期旧石器時代(Lower Paleolithic、250万年前〜12万年前)
この時代の人類はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流であった。


中期旧石器時代(Middle Paleolithic、30万年前〜3万年前)


ネアンデルタール人が広がった。

極東アジアの中期石器文化はヨーロッパから来たネアンデルタール人に依ったものではなく、アジアの原人から進化した古代型新人によって形成された。

後期旧石器時代(Upper Paleolithic、3万年前〜1万年前)

クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)が主流となり、他の化石人類は急速に姿を消した。

クロマニョン人は後期旧石器時代にヨーロッパに分布した人類で、現代人と同じホモ=サピエンス(Homo sapiens)に属し、白色人種に入ると考えられる。 身長は男性で180cm前後。

クロマニョン人はそのままヨーロッパ人へと遺伝的に繋がっている。
クロマニョン洞窟での発見以来、同種の人類化石がヨーロッパ各地で発見された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A8%E3%83%B3%E4%BA%BA


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最初期の現生人類 — ホモ・サピエンス・サピエンス — がヨーロッパへ入ったのはおそらく50,000年ほど前、長い間氷期のとくに気候が穏やかな、ヨーロッパが比較的温暖で、食料が豊富だった時期の間である。

南フランスにあるラスコーの洞窟壁画のような、世界最古の芸術作品のいくつかはこの移住から程ない時期であると年代測定可能である。

ネアンデルタール人はすでに約15万年もそこにいたと考えられているが、おそらく寒冷期に現代人との争いに敗れ、約30,000前に絶滅したようである。

最後の氷期にヨーロッパははるかに寒冷で厳しい環境となり、北部の大部分は荒涼たる氷河に覆われた。氷河が後退し始めた、およそ20,000年前[14]、人類は再び北方へ移住した。

ヨーロッパにおける中石器時代は、更新世終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始(世界の地域により時期が異なる)までで終わる。

近東地域(地中海沿岸のシリア、エジプト、小アジアなどの地域)では、更新世終期には農業は始まっていた為、中石器時代は短い、或いは無いと分類されており、一般にはヨーロッパの西・北部の文化が典型とされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

紀元前7千年紀中石器時代のヨーロッパで新石器時代の文化がアナトリアからヨーロッパに入り始めた。

もし新石器時代のヨーロッパへの移民が本当にインド・ヨーロッパ語族であったなら、非インド・ヨーロッパ語族を話す人々は明らかに中石器時代の生き残りの候補である。
ピレネー山脈のバスク人が最も強力な事例を提示している。

なぜならば彼らの言語は世界の他のどの言語とも関係なく、バスクの人々には類のない遺伝的特徴があるからである。

北東ヨーロッパの、ウラル語族を話す人々(たとえばフィン人)が中石器時代の人々の生き残りであることも示唆されている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91


ヨーロッパ ヨーロッパの多くの地域の定住は、西アジア起源の農牧に基礎をもつものです。

西アジア起源の農牧導入以前にあった採集・狩猟・漁労による移動生活と入れ替わって農耕を基礎にした定住生活が定着したのです。

ヨーロッパで最初に定住生活が始まるのは、7500〜8000年前のバルカン半島です。
ここが西アジアに近く、気候条件も似ているからでしょう。

農牧に伴う定住は、1000年ほどバルカン半島に留まります。
ここでヨーロッパの森林地帯に適応できるように体制を整えていたのでしょう。

6500年ほど前にダニューブ川からライン川沿いに大西洋岸まで一気に農牧を基にした定住が広がります。

ダニューブ文化と呼ばれています。

家畜はヤギ・ヒツジからウシに替わっています。

同じ頃、貝殻文土器文化が地中海沿いに広がりますが、農耕の要素は希薄で、定住は疑問です。

5000年前には北ヨーロッパを除く広い地域に西アジア起源の農牧を基にした定住が定着します。

 北アフリカ、南・中央アジア この3地域はヨーロッパと同じように西アジア起源の農牧を基にして定住します。

それまでの生業を西アジア起源の農牧に置き換えて定住するようになります。

ナイル川流域では、オオムギの栽培とウシの飼養が独自に開始された可能性があります。
土器も独自に作られたと思います。

採集・狩猟・漁労に栽培と飼養を組み合わせた半定住的な生活があったと考えられています。
これが西アジア起源の農牧に置き換わります。

北アフリカの他の地域は採集・狩猟・漁労に西アジア起源の農牧を組み合わせた半定住的な暮らしが3000〜4000年前まで続きます。

この時期の乾燥化を契機にオアシス周辺で農耕による定住、乾燥地で牧畜という生活に変化します。

インダス川流域では独自の定住は明らかではありません。西アジア起源の農牧により定住したと考えられます。

他の地域の様相はよくわかりませんが、ガンジス川流域ではイネの独自の栽培化で定住したものと思われます。

中央アジアは西アジアの農牧の波及でオアシス周辺が定住化したものと考えられます。
乾燥地には牧畜だけの生活があります。4000年前にはここで遊牧が誕生したと思われます。

 西アジア起源の定住の波及 西アジア起源の農牧は、ヨーロッパ、北アフリカ、南・中央アジアに定住をもたらします。

ナイル川、インダス川流域ではそれを基にして個性ある文明を出現させます。
http://www.mahoron.fks.ed.jp/kancyou/19kancyou4.htm


新石器時代のヨーロッパ


新石器時代のヨーロッパは、およそ紀元前7000年(初めて農耕社会がギリシアに現れたおよその時期)から紀元前1700年(北西ヨーロッパで青銅器時代が始まった)までの時代である。


• 南東ヨーロッパではおよそ4000年間(紀元前7000年–紀元前3000年)
• 北西ヨーロッパでは3000年以下(紀元前4500年–紀元前1700年)

新石器時代の人々は西南アジアからヨーロッパへと拡大していき、インド・ヨーロッパ語の話者の導入と同時に中石器時代の文化に取って代わった。

氷河期の終わりに西南アジアのレバント地域で初めて食料生産社会が出現し、紀元前8千年紀に地域的に独特な多数の文化へ発展した。

エーゲの食料生産社会の遺跡は放射性炭素でクノッソス、フランキティ洞窟(en:Franchthi Cave)、およびテッサリアの多数の大陸の遺跡は年代がおよそ紀元前6500年であると測定された。

そのすぐ後、新石器時代のグループがバルカンと南中央ヨーロッパに現れた。

南東ヨーロッパ(バルカン、イタリア、およびエーゲ)の新石器時代の文化は、西南アジアやアナトリア(たとえばチャタル・ヒュユク)のグループとある程度の連続性を示している。

現在の証拠は新石器時代の物質的文化が西アナトリアを経由してヨーロッパに伝わり、そして北アフリカや黒海の草原地帯の文化との類似点はヨーロッパ「から」の伝播によるものであることを示唆している。

放射性炭素年代測定による解析は、中石器時代と新石器時代の集団は1000年程度ヨーロッパの多くの部分、とくにイベリア半島と大西洋岸沿いで、並んで共存していたことを明確に示している[3]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91

ストーンヘンジ

   やはり紀元前3000年頃、アフリカ大陸からジブラルタル海峡をわたって、西ヨーロッパにひろがった人々の存在が確かめられている。

彼らは、イベリア半島、フランスのブルターニュ、ブリテン諸島などに、有名な巨石文化(イギリスのストーン・へンジなど)や農業遺跡を残している。
  
   このアフリカ起源の人々は、イベリア半島を第二次の起点としたので、イベロ族とか、イベリア人とかよばれている。

そして、イギリスの歴史学者、モートンは、彼らについてつぎのように書いている。
  
   「コーンワル、アイアランドおよびウェールズとスコットランドの海岸にそって、紀元前3000年から2000年のあいだにブリテンに移住したイベリア人ないし巨石文化人の残した遺跡が群がっている。
  
   ……かれらは、短身、暗色の皮膚、長頭の人種で、……かれらの遺跡の大きさとみごとさとは、かれらが多数のよく組織された人びとであったことを物語っている。

なん千人もの人びとが、大きな土塁を盛りあげるのに共同で労働をおこなったにちがいない。

そして、輸送路が、整然たるやり方で定住地と定住地とを結んでいるのである。
したがって、イクニールド路は、ノーファクのブレクランドにある大規模な火打石採集場たるグライムズ・グレイブズという産業の中心地とエイヴベリの宗教的中心地とをつないでいるのである。

丘原地帯の段々は、鍬や鋤で集約的な農業がおこなわれたことを示している。……

  
   イベリア人の社会構造のより直接的な証拠は長い塚である。しばしば長さ200フィート《約60メートル》をこえるこれらの塚は、埋葬地であって、明確な階級区分が存在したことを示している」
(『イングランド人民の歴史』、p.16〜17)
  

この民族は、最初は、新石器文化の段階にあったようだ。
この時代に、輸送路、火打石鉱山、宗教的中心地(ストーン・ヘンジのこと)、段々畑の集約農耕がみられ、しかも、その起源はアフリカに求められている。
おそらくは、サハラ農業文化地帯の出身者であろう。
  

西アフリカにも、同様な巨石文化があった。
現在のガンビアにある巨石の遺跡は、イギリスのストーン・へンジよりは小さいが、同じ型のものである。

そこには古墳もある。そして、同じような古代遺跡が、ニジェール河中流域にもみられる。
    
イベリア人のほかにも、やはりイベリア半島の南端から西ヨーロッパにひろがった人々がいる。

彼らは、全属精練用のルツボを各地に残した。

このルツボが、つり鐘(ベル)をさかさまにしたような形なので、ベル・ビーカー人とよばれている。

彼らも、おそらくアフリカ大陸の出身者であろう。

  
イベリア人やベル・ビーカー人のあとから、ケルト語を使用する民族がやってきた。
そして、現在の調査においても、「ケルト語族とくにウェルシュ人は小さくて皮膚も濃色であることが明らかになった」(『人種とは何か』、p.182)。

つまり、イングランド南部、ウェールズ地方の住民には、かつてアフリカ大陸からわたってきた先住民の特徴が、残されている。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/shoten-afmag-44.html

イベリア人

イベリア人(Ibero)は先史、古代からイベリア半島に住んでいた前インドヨーロッパ人(Pre-Indo-European)の人々を指す。

西ヨーロッパ巨石文明の人々、子孫(遺伝学的に証明されている)。

ケルト人に紀元前1000年紀に征服されたアイルランド、ブリテン、フランスの人々と同じで、アルカディア人、ピクト人、イタリアのエトルリア人などと同じ、前インドヨーロッパ人に属する。

紀元前3000年期(紀元前4000年近く)地中海東部、或は北アフリカから来たとされる。
よって最初にスペイン東部沿岸に定着し、イベリア半島地域に分布したと考えられる。
ケルト人は紀元前1000年紀に2度に渡ってスペインを訪れ、イベリア人が南部に住む一方、ケルト人は北部と西部に定住した。

その結果、中央部で文化がミックスされた、ケルト・イベリア文化ケルティベリアが生まれ、東部沿岸にも広まった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA

バスク人


スペインの北東からフランス南西部のピレネー山脈周辺にかけて居住する。

バスク人は85%がRh-型の血液である。このことから、バスク人はヨーロッパで最も古い種族ではないかと推測されている。

現在最も有力な仮説とされているのは、イベリア半島における現生人類の第一居住民とされるイベリア人(イベリア語)集団がローマ化されないままに現在のバスク地方に残り、彼らの話していた言語が語彙的に周辺のオック語やカスティーリャ語などの影響を受けたのではないかという説である。

現在のバスクの領域には、後期旧石器時代から人間が住み続けてきた。アルタミラ洞窟(スペイン・カンタブリア州)やラスコー洞窟(フランス・ドルドーニュ県)同様、フランコ・カンタブリア美術に属する洞窟絵画の遺跡が、バスク地方から見つかっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%AF%E4%BA%BA


38 :出土地不明:04/06/12 06:14 ID:xlNkTUS9

ケルト進出前のストーンヘッジなどの文化はエジプトのハム系の文化です。
彼らはイベリア人と呼ばれる。

39 :出土地不明:04/06/12 06:23 ID:xlNkTUS9

インドヨーロッパ語族のギリシア人やラテン人が南欧に進出したのが紀元前2千年前頃からといわれているよね。

それより少し前にアルプスやフランス、スペイン、イギリスに進出したのがインドヨーロッパ語族ケルト人。

それ以前は南欧ではフェニキア人などのセム系が都市国家を構築していたと言われている。

問題はアルプス以北の地域だが少数のハム系や原始コーカソイドが住んでいるだけで人がほとんど住んでいなかったと思う。


42 :出土地不明:04/06/13 10:36 ID:kvy3Iwbn

アイスマンの例にみられるように、ヨーロッパには紀元前3、4千年前から北欧人が住んでいたのだとおもう。

しかし当時もっとも先進的だったハム人がヨーロッパへの進出を試みたが結局中途半端なものに終わり、ストーンヘッジなどの遺跡を残す程度に終わった。

南欧ではフェニキア人に代表されるセム系の人々が大活躍をしラテン人やギリシア人の進出以後も色黒セム人の遺伝は色濃く残った。

68 :カミル:2005/07/09(土) 16:52:25 ID:gJzUHUQv

ドナウ文化はハム系じゃなく印欧語族ですよ。

紀元前7500年ごろから定住を始めています。
これが印欧語の形成期です。

東方から農耕と牧畜の両方の技術を持つ集団が進入してきて、ドナウ河畔の豊かな土地で人口を増やしました。

ここから印欧語族は各地に部族ごとに順々に移動分化していったわけです。
現在の印欧語族集団の分化時期もそれぞれかなりはっきりわかっています。

印欧語族の形成期以前から西欧に現在クロマニヨン人と呼ばれる狩猟採集文化の人々がいました。

バスク人はクロマニヨン人とイコールではありません。
バスクはドナウ文化が形成される前に東方から進入した原始的農耕集団とクロマニヨン人との混血です。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1068222807/


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3) アーリア人


前2000年紀の人口移動

 前5000年から前3000年の間、地球はこの1万年間でもっとも温暖だったといわれている。

現在と比べ、サハラでは1〜2℃、スカンジナビア半島は2〜5℃、チベットでは4〜6℃も気温が高かった。

海面は今より2mほど高く、関東平野の大部分は海の下にあった。

この時期、世界各地で人口が増加し、農耕・牧畜を中心とする生活が北へ拡大した。
 その中で注目されるのが、ドナウ川下流や黒海北岸の地域である。

ここに住む人々は小アジア方面から伝わったムギやヒツジ・ヤギを取り入れると同時に、馬を飼育しはじめたのである。

  さて、前2000年頃になると地球の気候は大きく変化した。

気温が下がりはじめ、北に広がっていた農耕地帯の多くが危機におちいった。

 黒海北岸や中央アジアでも、気温の低下と降水量の減少によって生活が維持できなくなり、人々は馬を連れて四方に移動していった。

西へ向かったギリシア人やイタリア人、ケルト人などをはじめ、インドに侵入したアーリヤ人や、イラン高原に定着したイラン人(ペルシア人)などがそれにあたる。


ヨーロッパやイラン、北インドで話される言語はインド・ヨーロッパ語族と分類され、共通の祖語から枝分かれしたとされている。

印欧祖語の故郷は、確証はないものの、ドナウ下流や黒海北岸と思われる。

ここには最古の馬飼育の跡(前4000年頃)があり、最初に馬が家畜化された場所でもある。

ここで、印欧語のひとつヒッタイト語の問題がでてくる。

ヒッタイト人は前2000年頃コーカサスから小アジアに移住してきたとされることが多いが、根拠はない。

遺物の関連から、ドナウ方面の出身ともいわれる。

しかし、ヒッタイト語は前2000年よりはるか前に分岐したことが確実であり、その時期に小アジアからドナウへ農耕が伝わっていることから、次のように考えた方が自然ではないだろうか。

すなわち、印欧祖語はもともと小アジアで話されていた。

前4000年以前の温暖な時期、その話者の一部がムギやヒツジを持ってドナウやウクライナに移住し、馬と出会ってこれを家畜化した後、前2000年以後の寒冷化で各地に散らばっていった。

ヒッタイトは、小アジアに残った集団がつくった国である。

ヒッタイト人がもともと馬を知らなかったことから考えても整合的な気がする。

http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history07.html


元来ヒッタイトあるいはハットゥサというのはヒッタイト人が支配する前からいた原住民が称した名と考えられる。その言語はやはりヒッタイトの文書の中に用いられているが、ヒッタイト語とは全く別系統であり、区別するためにハッティ語(原ハッティ語)などと呼ばれる。
 
 実は、(原)ハッティ語を使っていたハッティ族こそが、本来のアナトリア高原の現住民族でした。 旧約聖書に出てくるヘテ人、もしくは、アッカド語のハッティも本来はこの民族とその言語のことだったのです。
http://homepage1.nifty.com/teruminasu/gaiyou.html


インド・ヨーロッパ語族


2003年にニュージーランド・オークランド大学のラッセル・グレー博士らが、分子進化学の方法(DNA配列の類似度から生物種が枝分かれしてきた道筋を明らかにする系統分析)を応用して印欧語族の87言語を対象に2449の基本語を調べ、言語間の近縁関係を数値化しコンピュータ処理して言語の系統樹を作った。

その結果紀元前6700年ごろヒッタイト語と分かれた言語がインド・ヨーロッパ語族の起源であり、ここから紀元前5000年までにギリシャ語派やアルメニア語派が分かれ、紀元前3000年までにゲルマン語派やイタリック語派が出来たことが明らかになったという。

インド・ヨーロッパ語族の起源として考古学的には、紀元前4000年頃の南ロシアのクルガン文化と、紀元前7000年頃のアナトリア農耕文化の2つの説が有力視されていたが、以上の結果は時代的にはアナトリア説を支持するものである(Russell D. Gray and Quentin D. Atkinson, Nature 2003, 426(6965):435-9.)。

ただし従来ヒッタイト人は紀元前2000年頃に黒海方面から南下したというのが通説であり、彼らが一貫してアナトリアにいたという証拠はない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E8%AA%9E


クルガン仮説 (Kurgan hypothesis) は、ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする仮説である。

クルガン(кургáн, kurgan)は、ユーラシア大陸中緯度のステップ帯に分布する、青銅器時代の土による墳丘を伴う墓もしくは積石塚のマウンドを伴う墳墓である。

ギンブタスは、明確な墳丘「クルガン」を伴う墳墓を持った「文化」を仮に「クルガン文化」と呼び、クルガン型の墳丘墓がヨーロッパへの伝播していったことをつきとめた。

ステップを越えてひろがるクルガン文化は、高度に発展した文化となり、紀元前2500年前後では、西方ではバルカン半島に住み着くことになる原ギリシャ人の球状アンフォーラを伴う文化となり、東方では、インド・イラン系の遊牧民文化を形成した。

馬の家畜化は、馬を使用した戦車を生み出すことになり、クルガン文化を大きく変貌させ、クルガン文化がヤームナヤ地方全域に波及するのを促進させた。

「原郷 (Urheimat) 」と考えられている場所は、地図上は、ヴォルガ川の近くであって、最初に乗馬という習慣が発生したと考えられる場所とされている。

そしてこれは、最初のインド・ヨーロッパ語族ないし先行インド・ヨーロッパ語族の核をなす民族の発生した紀元前5千年紀に対応するものと考えられている。


クルガン文化の担い手の遺伝的特徴

Y染色体ハプロタイプSNPマーカーR1a という特殊な遺伝的形質をもつ人々は、いくつかの点でクルガン文化と関連性がある。

この遺伝的形質は、中央アジアから西アジア、インド、イラン、東ヨーロッパのスラヴ人、ヨーロッパ中部や北部のゲルマン人に見られる特徴である。

全般的にR1aが最も顕著に出る民族集団はスラヴ人である。

一方、このR1aはヨーロッパの最西端にあたるバスク地方、イベリア半島西部、ブリテン島西部までは広がらなかったようである。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC


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4) コーカソイドの歴史


36 :24=31 :02/09/07 12:32 ID:xdhlp+le (3 回発言)

まずは、現世人類のアウトオブアメリカを果たした約10万年前から約5万年前の時代で
す。

アフリカからアウトオブアフリカを果たした人類は、中近東から、中央アジア、そして東南アジア、そしてオーストラリアまで、亜熱帯の海岸づたいに一気に進みます。

そして、地理的隔離により、大まかに分けて、中東・中央アジアおよび東南アジアさらにオーストラリアにおいて人種分化が進行したと思われます。

そして、中近東・中央アジアにおいては、高緯度地方への進出による寒冷対応や高地対応による淘汰や遺伝的浮動により、原コーカソイドとも呼ぶべき人種形質が形成され、その影響は、アフリカ北部にも影響が及んだと考えられます。


一方、東南アジア(南方モンゴロイド)やオーストラリア(オーストロイド)においては、アフリカ進出時とあまり変わらない環境が維持されたため、外見の形質は比較的保たれたままであったようです。

で、前記のような状況の中、中東・中央アジアで分化した原コーカソイドは大型動物の狩猟技術および暖房技術を手に入れヨーロッパ、およびシベリア、チベットなどの広大なエリアに進出しそれとともに形質分化が少しずつ進行していったと思われます。

そして、約2万年前前後の氷河期(最寒冷期)による気候変動が人口の減少とともに人種分化は一気に促進され、原コーカソイドはいくつかのグループに分かれたと思われます。

大まかに地理的に分けると、

西ヨーロッパ人、
北欧ヨーロッパ人、
中近東人、
中央アジア人、
チベット高原人、
シベリア人、
北方中国人、 そして氷河期中にアメリカ大陸に進出した
原アメリカ人、

てな感じです。

※北方中国人については、前記の東南アジア(南方モンゴロイド)が北に進出し形質を変化させたものかもしれません。

そして、氷河期が開けた後、約1万年前に農業・牧畜が発明され耕地や牧草を求めた、人口増加を伴う人類移動により、ヨーロッパ・中近東エリアとアジアエリアにおいて人類のシャッフル(混血)が促進されます。

ヨーロッパエリアにおいては、西ヨーロッパ人、北欧ヨーロッパ人、中近東人、中央アジア人が、混じりあった(一部北アフリカ人)と思われます。
(それらの人々をひっくるめて現在は、コーカソイドと呼んでいることが多い)

一方、アジアエリアにおいては、氷河期開けと共に、シベリア人の南下、チベット高原人の拡散が起こり、(チベット高原人は後に大きな移動を伴う遊牧を確立しヨーロッパにも影響を与えた。)

また、農業の発明と共に、北方中国人が南下及び拡散したと思われます。しかしながら、北方中国人の南下はヨーロッパに比べ緩やかなもので、大きな影響を与えたのはベトナムあたりまでであった思われます。
また、しかしながら、北方中国人の一派は約5000年くらい前に太平洋の島々に進出、その過程で形質を大幅に替え、ポリネシア人の遺伝子的基層をなしていると考えられています。

(これらの人々と、前記の東南アジア人、原アメリカ人をひっくるめてかつてモンゴロイドと呼んでいた。そして近年では、チベット高原人、シベリア人、北方中国人を新モンゴロイドと呼んで区別している。)


40 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/09/08 08:36 ID:h2uwlZMu (2 回発言)

オレの考える人類拡散のストーリーもちょっと書いておくよ。

出アフリカ後の現世人類はまず東に移動した。

オーストラリア大陸に渡ったのは5万年ほど前で、ヨーロッパや北アジアに現世人類が出現するより早い時期である。

この時代、アラビアからペルシャ湾、インド、東南アジアにかけて似たような人々が分布していた。

一方、北へ移り住むのは東へ移るよりもずっと時間がかかった。これは防寒対策が必要だったため。

コーカソイドや新モンゴロイドは寒冷適応しているといわれるが、それより防寒具の開発が不可欠。靴ひとつなくても北へは行けない。

そして、寒冷地に適応した後は速やかに東西に拡散した。
この時点で、ユーラシア大陸の人種は大きく北方系と南方系に分かれていた。

北方系は氷河時代に居住地域が分かれた結果、西の連中がコーカソイドの先祖、東の連中がモンゴロイドの先祖となった。

また、北方系は拡散が終わると、今度は南方へ逆流し始めた。
歴史を見ればその動きが一貫していることが分かる。

東アジアを見ると、まず北方系民族(モンゴル、トルコ、ツングース)の華北への流入があり

漢民族の華南への流入(ここにはビルマ系やタイ系、ベトナム系の諸民族がもともと住んでいた)

ビルマ、タイ、ベトナム、オーストロネシア系(もと台湾居住)は東南アジアに移り住んだ。


それぞれの地域で混血が行われた。東南アジア人は北方系と南方系の混血。

インドにおいても、印欧語系の民族はイラン方面からやってきたが、ドラビダ語を話す人たちもやはりイラン方面からやってきたと言われている。
原住民である南方系と混血した結果が今のインド人。

日本人の先祖も、北か、もしくは西からやって来た。

一部の人類学者が主張するような、縄文人はスンダ大陸(今の東南アジア)から来たという説は誤り。
逆の動き(南→北)がなかったのは、やはり寒冷地への適応の難しさからだろう。


166 :40 :2006/01/15(日) 18:14:09 ID:FgxDCVlB (2 回発言)

さて、出アフリカ後の現人類はまず東に拡散したということを>40に書いた。
その後のDNA調査ではそれを裏付けるような結果が出てきた。
http://medical.tanabe.co.jp/public/science/2005_5_13/sci_jap.shtml#research
Science誌 '05.5.13号

Single, Rapid Coastal Settlement of Asia Revealed by Analysis of Complete Mitochondrial Genomes

全ミトコンドリアゲノム解析から、人類のアジアへの移住は一度に急激に海岸地域におこなわれたことが判明した

内容は、現世人類の出アフリカはインド洋沿岸沿いの移住だったというもの。
インドやマレーシアの少数民族、あるいはアンダマン島民のDNA調査により判明した。

「まず東に拡散した」理由は防寒具の発明が不可欠だったから。

ユーラシア大陸には裸で住めるような地域は、 アラビア半島やインドの南端やマレー半島などごく一部。 ほとんどの地域では靴一つ無くても冬が越せない。

最近の大雪のニュースを聞いてもわかると思うが、 気候の異なる地域、特に北国で暮らすためにはいろいろな知識・技術の積み重ねが不可欠で人類の拡散が東西南北で同じ方向に行われたはずがない。

だから、現世人類はまず東に拡散し、オーストラリア大陸に到達するのも早かった。

北に拡がるのはずっと時間がかかったはずだが、 いったん北国で生活が出来るだけの生活の知識や技術が確立されたら次は適応できた緯度で東西に速やかに拡がった。

これがコーカソイドとモンゴロイドの祖先だろう。


「寒冷適応」という観点で見ると、ネアンデルタール人や東アジアのホモ・エレクトス(いわゆるジャワ原人や北京原人)は「裸のサル」だったのか、あるいは有毛だったのか、というのは興味深い。

上記のように、もし無毛だったら防寒具を開発していたはずだが、一口に防寒具といっても簡単じゃない。 例えば、針と糸がいるが、どちらも技術の積み重ねが無いと出来ない。

それには現世人類に近い高度な言語能力が不可欠だ。

ちょっと整理すると

ネアンデルタール人やホモ・エレクトスが

 高度な言語能力がない → 防寒具が作れない → 有毛だった

一方

 高度な言語能力があった → 防寒具が作れた → 現世人類同様、無毛だった可能性がある。


個人的には、ネアンデルタール人の使っていた道具が、クロマニョン人に比べてかなり原始的だったらしいことから彼らは有毛だったんじゃないかと考えている。

それから、ネアンデルタール人もホモ・エレクトスも、3万年前頃まではまだ生息していて 現世人類とは共存していたらしいことがわかってきたんだが、 ということは、昔の人はネアンデルタール人やホモ・エレクトスを見かけていたはずだし伝説として残っていても不思議じゃないな。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/geo/1031221220/


93 + 2:名無しさん@お腹いっぱい。[] /05/12 11:12 ID:f4Ye4oL/(1)

漢代から唐代における古代中国の資料には中央〜北方アジアにその時代コーカソイド的特徴をもった遊牧系民族のことが記されている(匈奴、古代キルギス、突厥、烏孫など)。

最近の(特にロシアの手による)モンゴルから中央アジアの多数のクルガン(古代遊牧民族の墓)で発見された匈奴・突厥などの人骨のDNA調査などから、これらの民族が北欧型コーカソイドに属していた可能性が考古学・人種学の分野で補強されている。

さて、匈奴や突厥などはテュルク系に属していたと考えるのが一般的であるがそれはあくまで古代文献調査をベースとする言語学のみに拠った結果であり、人種についてはほとんど考慮されていなかった。

しかし先述した考古学・人種学分野でのこれらの民族の調査から、フン襲来以前からすでにヴォルガ地域に散在していたフィン系(マジャールやモルドヴィン人、ジリアン人 チェレミス人などー総称してヴォルガフィン系という)にあてはめられる「ウラル人種」ときわめて酷似していることもわかってきているのである。

マジャール人に ごく稀に出る蒙古斑はむしろアヴァールや他のプロト・テュルク人(フン族)との混血の結果であり、原マジャールは「朱髪、高身、長頭型)の中央アジア型北欧人種に帰属すべきと考えられている。

つまり古代中央・北方アジアにおける北欧型コーカソイドの普遍性という史実と、「ウラル人種」とそれとの人種的類似という点よりマジャールは元来白色人種、それも北欧型、またはそれに近いコーカソイドではなかったか、とされている。


346:名無しさん@お腹いっぱい。[] 05/06/10(金) 00:16:29 ID:iTgvt+Xx(1)

中国の西域を 支配してきたコーカソイドは殆どイラン系だからね。

目の青い人や高い鼻の率は西方に近づくにつれて高くなる。

ウィグルよりもウズベクの方がずっと白人より。イラン系のタジクはコーカソイドそのものに近い。

ウィグルはほぼモンゴロイド。単にウィグルが人種の交わる最東端 なだけ。
証拠にウィグルに近づくにつれてモンゴロイドの特徴が 断然強くなるからね。

351:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/06/11(土) 11:35:50 ID:qH4/f2qw(1)

ウクライナから中央アジアにかけては 昔はイラン系が主力だった

それが現在スラブ化、あるいはトルコ化してる

ウクライナは2000年ぐらい前はイラン系、スラブ系、ゲルマン系、フィン・ウゴル系など いろんな言語グループが住んでいたようだ

そう考えるウクライナから中央アジアには もともといろんなグループがいてイラン系が一番強力だったということかも
http://read2ch.com/r/geo/1036574273/


94 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/26(金) 21:09:57 ID:B9Kqx+Zw (4 回発言)

最近のミトコンドリアDNAの研究によると

コーカソイドには中東から地中海、南欧州に分散したものと、カシミール、中央アジアから東欧、北欧に分散した二つの系統があることが明らかになっている。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/26(金) 21:39:23 ID:B9Kqx+Zw (4 回発言)

コーカソイドの形成はイランのザグロス山脈。

初期のネグローオーストラロイドからコーカサス的な形式を持った集団が分化したのだろう。

隔離された寒冷な気候と推測する。

現在この初期型に近いのがアルメノイドから地中海人。
アルメノイドがカシミールで分化して中央アジアを通って北欧人が形成された。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/geo/1172577304/


74 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 11:44:33 ID:jyIeMGT7

ラップ人とかフィン人は北方ゲルマン・北方スラブ・北方バルト(すべて北方人種=ノルディック)との混血。
民族的にはとくに北方ゲルマンとの混血。スカンジナビア人は純潔民族ではない。

http://www.unkar.org/read/academy6.2ch.net/geo/1093685431


320:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/21(土) 17:02:39 ID:W+akTwxs(3)

北欧ではフィンランド人が古い人種でしょう。
スウェーデン人に次第に北に押しやられて凄い差別を受けてました。
そのスウェーデン人は南方から来たわけで・・・

スウェーデンやノルウェーには内陸に差別を受ける少数民族がいます。
かれらが本当の北欧原住民で、非キリスト教徒として迫害され、ほとんど滅んだ。
http://read2ch.com/r/geo/1036574273/


307 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/19(木) 04:14:49 ID:DXBpxITD(8)

ノルディック至上主義者などは、サクソン人というのは本来スカンジナビア人と同類でその民族集団が徐々に南下して北ドイツなどに定住したと考えたいようです。

これはそれほどおかしな意見ではなくて、特定のイデオロギーに 染まって無くてもそのように考える方が普通かもしれません。

でもそうではなくて、住民の移動は殆どなくて北ドイツ周辺の住民がゲルマン語化の波にさらわれたとしたら、味気ないですね。

北ドイツとスカンジナビアは人種的にやや異なる。

この原因をどー捉えるか。それは人種の混交というより、地域的、気候的な人種の差であるのか。

人種の混交であるならば、それは特定の民族集団(ゲルマン人)がやってきてゲルマン人の移動と人種の変容は比例的に行われていたのか。

それとも、北方系の人種とその他の人種との混交は、民族の移動とは関係なく進められていたのか?

が気になります。


308 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/19(木) 11:44:23 ID:3kw3wqIZ(9)
>>307
それは全部当てはまると思いますよ

ゲルマン語を話す集団が北方の先住民と同化してバルト海沿岸に定住して
これは大体5千年ぐらい前だと思いますがその後も緩慢に周辺諸民族と混合しただろうし
ゲルマンの母集団はノルディツクではなかったと思います

後、住む地域によって形質が変わっていくのも非常に緩慢だけど進んでいきます

大体3000年ぐらい前から先住民と同化したゲルマン人はこれまた緩慢に南下していき今の南ドイツから黒海沿岸まで広がっていきます
ゲルマン人大移動のの頃のゲルマン人はノルディツクからアルプス人種、東欧人種まで含む人種的には多様な混合体だっと思います

ただ混血があったことは確実ですがどの程度か判別するのはそれは地域や時代によって異なるでしょうし
欧米の研究論文でも読みあさってもわかるかどうか

323 + 1:名無しさん@お腹いっぱい。[] 05/05/22(日) 01:46:31 ID:QxrA3Zgm(4)
>>308
アングロ・サクソン人に関してはユトレヒト半島くらいまで遡れるらしい。
これは推測なのか歴史的証拠があるからかはしらないが、彼らは一応スカンジナビア半島辺りから南下したと考えられている。

ブルグンド族やヴァンダル族(アフリカまで行ってる)も原住地はスカンジナビア半島とされてるけど、これはちゃんとした証拠があって言ってるのだろうか?

ゴート族にいたって東ヨーロッパから中央アジア一帯まで広がってるけど、ここまで広がっていると、どこから来たのか分かりにくい。

ただスウェーデン人の研究によると彼らの原住地はスウェーデンの島と特定されているのだが。

バルト海沿岸、スカンジナビア半島が 原住地でいいのでは?


324:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 05/05/22(日) 02:05:48 ID:QxrA3Zgm(4)

ゴート、ブルグンド、ヴァンダル辺りの原住地は結局推測となってしまうのかな。

考古学的に生存が決定付けられる地域から様々な条件を考え合わすと、バルト海やスカンジナビア周辺と考えた方がずっと自然ということではなかろうか。

まあ北欧の学者がそれなりに信頼性があるのではないかと思う。


ところで印欧語族のプロトタイプ人種はどのようなものか?

という記事をネットで読んだのですが 学者の間ではイスラム化する前のイラン系が最も近かったのではないかという意見が主流になっているそうです。

現在で言うと、南スラブ人やコーカサス人などがそれに当るとか。
今のイラン人ともやや違うと思われます。もちろん金髪碧眼は 多くなかったでしょうけど。


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10.「ホロコースト」,「民族浄化」は遺伝子操作による人類の品種改良運動だった


中東の生活環境は日本と異なり牧畜的、遊牧的である。

牧畜を営む民族にとって重要なことは不純な血が混じることである。

アラブ民族ばかりかユダヤ民族においても血の純潔は集団世界を維持する唯一の方法である。

彼らがその人生において最も神経を使うことは結婚であり、男女の交わりだ。
ユダヤ教、イスラーム教ともに男女の中を規制する律法の厳しさは群を抜いている。

不義密通をしたものは石打の刑が科せられ死罪を免れない。


最も重い犯罪として裁かれる。

 このような感覚は遊牧、牧畜の生活にとって最も重要な方法であり、それが生存の道であった。

悪い血を持つ家畜は間引きされ、その子孫が生まれ、集団が破壊されるのを防いだ。
それは遊牧、牧畜民の知恵であった。

中東で生まれたキリストは「汝の敵を愛せよ」と説いたが、それはユダヤ世界には理解できないものであった。

ヨーロッパに渡ったキリスト教がそこで根付くことができたのは、中東ほどではないにしろヨーロッパ世界もまた牧畜的世界であったからであろう。
http://www.fusoujyuku.jp/lectures/islam/vol07.html


1 ) 古代ギリシア・ローマ時代から存在し続けた「優生学」

「優生学とは、遺伝的原理を適用することによって人間集団の質を改善する研究である」

最初に目にしたときには、この定義はよい科学的定義がつねにそうでなくてはならないように、無害で、特別の価値判断を交えてはいないように思える。

だがよく見ると、そこにはひづめの割れた悪魔の足先がのぞいている「人間集団の質」という言葉にである。

どのように人間の“質”を定義すればよいのか? 誰がそれを定義するのか? 

それは、遺伝病の場合には簡単なことのように思える。
色盲や血友病、ハンテントン舞踏病といった病気を根絶し、その拡大を防ごうとすること自体に誤りや批判はないだろう。

このような優生学、すなわち身体的・精神的障害の除去の研究は「消極的優生学」と呼ばれる。

これに対して「積極的優生学」は、人間集団の中でより望ましい性質の出現頻度を高めようとするものである。

これは、特定のタイプの人間を生み出すことを目的にする一種の“生殖プログラム”ということができる。


「消極的優生学」は、人類社会においては決して目新しいものではない。

ローマ人は、著しい奇形や不治の病をもって生まれた赤ん坊をローマ広場の近くにある切り立ったタルペイア岩から投げ落とした(罪人もここで同じようにして処刑された)。

スパルタ人にも同様の慣習があった。

多くの原始的な社会でも同じ理由から子殺しが行なわれていた。

ギリシア人やローマ人だけでなく、中世ヨーロッパのキリスト教社会ではどこにおいても、社会的に望まれない子どもが大規模に遺棄された。

通常、このような子どもたちは、両親に彼らを食べさせていくだけの余裕がない、あるいは私生児であるがゆえに社会に彼らの居場所がないなどを理由に捨てられた。

その多くは、誰かに拾ってもらえるのではないかと願う親たちによって公共の場に置き去りにされた。

だがそれとわかる異常のある子を拾おうとする人はおらず、彼らはたいてい置き去りにされたままになった。


今日でも、ロシアやインド、中国、その他多くの国々では先天的障害をもつ子どもの遺棄が続けられている。

これらの国では、親たちに障害をもつ子どもを世話するだけの経済的余裕がない。


他方、「積極的優生学」にもまた長い歴史がある。

古代ギリシアの哲学者プラトンは、理想の社会として哲学者の王たちが支配する独裁的エリート社会を構想した。

プラトンは、理想社会の支配者たるガーディアン(守護者)は、ひそかに、“望ましい男女”が交合するように手配すべきであると示唆した。

ガーディアンたちは、戦争で並はずれて勇敢に振る舞う男がセックスにおいても余分の機会が得られ、それによって彼らが可能なかぎり多くの子を残せるようにすべきである──。

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2)「優生学」を強く支持した20世紀初頭のアメリカ


優生学の支持者であることを自ら公然と任じていたのが、20世紀初頭のアメリカ大統領でノーベル平和賞を受賞してもいるセオドア・ルーズベルトである。

彼は、アングロサクソン人の系統の男女が十分な数の子どもを残すことができなければ、それは“人種的自殺”につながると警告した。
 

セオドア・ルーズベルトが優生学的な理想を支持したのは、今世紀前半を通じて優生学が人々に及ぼしていた影響力の反映であった。

1905〜10年の間、優生学はアメリカで発行されていた一般雑誌で2番目によく取り上げられたテーマであった。その支持者には、保守派もリベラル派も、そして革新派も自由主義者もいた。

アメリカは連邦レベルでは「断種法」を成立させたことはないものの、約30の州が、精神疾患や精神遅滞の人々を対象にする強制的な断種法を制定した。

1907〜60年までの間に少なくとも6万人がそれらの法律の適用を受けて不妊にさせられた。

この政策の全盛期にあたる1930年代に断種された人の数は平均して毎年約5000人に達した。


ダニエル・ケブルズの非常によく読まれた本『優生学の名のもとに』では、バージニア州のある目撃者が1930年代にどうやってこの法律が施行されたかを記述している。

彼は、州の不妊政策当局が山岳地帯に住む“不適合の”家族全員を摘発したときのことを次のように思い起こしている。

「そのころ生活保護を受けていた者は全員が“そうされる”のではないかとおびえていた。
彼らは山々の間に隠れ住んでいたため、保安官とその部下たちは彼らを追って山を登らねばならなかった。」


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3) 優生学者のスポンサーとなっていたのは 「ロックフェラー財団」だった


ヨーロッパ各国で成立した「断種法」とナチスの「安楽死計画」

いくつかの国もアメリカの例にならった。カナダのアルバータ州は、1928〜60年まで同様の積極的計画を採用し、その法律に従って数千人が不妊化されることになった。

ヨーロッパで最初に「断種法」を成立させたのは1929年のデンマークであり、ついで1933年にドイツが法案を成立させ、1934年にはノルウェー、1935年にスウェーデンとフィンランド、1936年にエストニア、さらに1937年にはアイスランドが続いた。

子ども好きだったヒトラーはアーリア人種の純血保存に力を注いだ。


1920年代のドイツでは優生学的制度はまだ強い反発を招くものだった。
実際、1925年に、遺伝的理由で盲目だったり耳が聞こえない人、てんかん患者、精神薄弱者に対する強制的断種を規定した法案が提出されたが、ドイツ国会ではまったく賛意を得られなかった。
 
それが劇的に変化したのは1933年にナチ党が政権を握ってからである。


WASP勢力の中心に君臨しているロックフェラー一族
ドイツの優生学者に資金援助をし、ヒトラーの人種純化政策を支援していた 

ドイツの優生学者のスポンサーとなっていたのは、アメリカのロックフェラーやハリマンなどの一族である。

彼らは1834年に死去したトーマス・マルサスの理論の信奉者であった。

ダーウィンの血を受け継ぐマルサスは、非白人種や“劣等な”白人種を、家畜のようにえり分けることを提唱していた。

マルサスは、経済学者仲間のジョン・スチュアート・ミルとともに、「金髪碧眼のアーリア人種は、この世界へと贈られた神からの賜物である」と言っている。

優等な白人種が無知な有色人種を支配するべきである、と彼ら二人は言うのである。

結局、ナチスも英米のエスタブリッシュメントも、言うことに違いはない。

彼らは同じ穴のムジナなのだ。

◆アメリカとドイツの緊密な関係を支えていたのは、ドイツの優生学研究を確立させようと企てたアメリカの財団の熱烈な資金援助だった。

もっとも重要な後ろ盾は、ニューヨークの「ロックフェラー財団」だった。

1920年代初期に、「ロックフェラー財団」はドイツの人種衛生学者アグネス・ブルームの遺伝とアルコール中毒の研究に資金援助を行なっている。

1926年12月に財団の職員がヨーロッパへ赴き、その後「ロックフェラー財団」はヘルマン・ポール、アルフレート・グロートヤーン、ハンス・ナハツハイムといったドイツの優生学者に資金援助を開始した。「カイザー・ヴィルヘルム精神医学研究所」、「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」など、ドイツの重要な優生学研究所の設立と資金援助に関して、「ロックフェラー財団」は中心的な役割を演じている。

〈中略〉
1928年、研究所を新築するために「ロックフェラー財団」は32万5000ドルを寄贈した。

「ロックフェラー財団」がミュンヘンの「精神医学研究所」に資金提供をしたために、アメリカの他のスポンサーもあとに続くことになる。

実際、ベルリンにあった「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」の建物の一部もロックフェラー財団の援助金で建設されたものだった。
〈中略〉

世界が大恐慌に陥ってから数年間、「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」は深刻な財政問題を抱え、閉鎖の危機に追い込まれたが、「ロックフェラー財団」は赤字が出ないよう資金援助を続けた。

所長のオトマール・フォン・フェアシュアー男爵は重要な局面に何度か「ロックフェラー財団」の代表者と会見している。

1932年3月、「ロックフェラー財団」のパリ支部に宛てた手紙のなかで、彼はさらに6つの研究計画に対する資金援助を依頼した。2カ月後、「ロックフェラー財団」は肯定的な返事をする。

「ナチス」がドイツ科学を支配してからもなお、「ロックフェラー財団」はドイツの優生学者に資金援助を続けた。

我こそが真の神なるぞ!

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       ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,,
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   ∧   (二二ノ||      /;;;;;;
    ∧       ||    /;;;;;
     ∧      | |  /;;;

1934年、アメリカの優生学者ハリー・ハミルトン・ローリンのモデル法案にもとづいてドイツの「人種衛生法」が起草された。

この法案が「強制断種」への道を開いた。

地域の医師や精神疾患施設の責任者は、断種法の適用候補者をリストアップして当局に提出した。

これにもとづいて、「遺伝衛生判定所」が対象者を断種するかどうかを決定することになった。

もし断種が承認されれば、たとえ本人の意志に反していても不妊化させられた──必要なら国家警察の手をも借りて。

この法律の施行後、最初の2年間でナチの「遺伝衛生判定所」は8万人近くの断種の適用候補者を審査した。

彼らは申請のうちのかなり多くを承認し、その結果ドイツではたった2年間で、アメリカで60年間に行なわれたより遥かに多くの人々が断種されることになった。


この初期の時代(1934〜38年)には、ナチの不妊化政策は、第一義的には遺伝子プールを改良しようと試みていたわけではなかった。

それは“無駄めし食い”、すなわち生産には何ら貢献せず、資源を消費するだけの人々を社会から排除することを目的としていた。

だがドイツの優生的政策は次第にエスカレートしてより忌まわしいものになっていき、ついには精神遅滞者、精神病患者、その他の“望ましくない人々”を大量殺害するまでに至った。

1939年、当局はドイツの病院に入院していた精神疾患および身体障害をもつ特定の分類の人々に対して「安楽死計画」を開始した。

約7万人もの患者が安楽死の対象として選ばれた。
初期のグループは単純に銃殺され、後には犠牲者たちは一部屋に集められてガス死させられた。

この安楽死計画は基本的に、後に何百万人ものユダヤ人を殺戮したガス室の原型であったといえる。

にもかかわらず、1930年代を通して、ドイツの優生学施策はしばしば他の国々の模範例となっていた。
  

スウェーデンが「不妊法」を取り入れたのは1935年だったが、その前にスウェーデン国会が、不妊化に関する委員会を編成すると、委員たちは優生学の調査のため、ドイツを視察した。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb700.html


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4) 人類の未来の為に日夜闘い続ける欧米のエリート達


ヘルマン・ミューラーの言葉を借りれば、優生学にはより遠い目標がある。

それは「社会が意識的に目指すべき人間の生物的進化の方向性」だというのである。

だがそれは強制によって達成されてはならない。「改良優生学」と呼ばれるこの見方のある代弁者はこう述べた。

「優生学の進展は、解放された男性と女性による自発的冒険であるべきであり、それ以外の何ものでもない。

これを成し遂げるための基本的な方法──それは、才能あるすぐれた男性の精子を用いた人工授精であろう。

このような生殖プログラムは、第1に人間の大多数を占める平均的な人々と劣った人々を現在の優秀な人々のレベルに引き上げ、第2に現在もっとも優秀な人々を超人へと進化させることになろう。」

 
X線を照射された生物の遺伝子に突然変異が生じることを発見してノーベル賞を受賞したヘルマン・ミューラーは別の観点をもち込んだ。

「おそらく人口の20%近くが遺伝的欠陥を受け継いでいる。

もしこの推定が正しければ、人類の遺伝的劣化を阻止するために、その20%の人々は子孫を残すことを許されるべきではない。」


このミューラーは率直な発言で知られる社会主義者であり、1930年代の数年間、ソ連(当時)で研究をしていた。

彼の生涯にわたる関心事は人間社会の改善と遺伝学にあり、彼は自分がその目標に対して重要な責務を果たしたと信じていた。


彼の同僚であるジョシュア・レーダーバーグは細菌遺伝学の研究でノーベル賞を勝ち得た人物だが、レーダーバーグもまた同様の考えを示した。

「人間の出産状況は暗い。

もし我々が遺伝的な改良という創造的可能性を無視するなら、我々は罪深くも、知識の宝庫を無駄にすることになるのではなかろうか?」

彼はこう問いかけ、次のように結んだ。

「最近の分子生物学の進展は、人類がこの目的に到達するためのすぐれた優生学的手段を提供してくれる。」


これらの男たちはいずれも(現在生きている者もすでに死んだ者も)傑出した科学者であり、その分野をきわめた専門家であり、高い名声を勝ち得ている。

フランシス・クリックをはじめとするこれらの生物学者たちは「優生学」について肯定的に論じている。

トランジスターを発明してノーベル賞を受賞したウィリアム・ショックリー
黒人の知能の劣等性を主張する運動を展開した

 
アメリカでは遺伝主義者側が議論を一歩進め、そこに「知能」の問題をもち込んだ。
それは、知能には人種にもとづく違いが存在するのかということだった。

この論争は1969年、カリフォルニア大学バークレー校の教育学教授アーサー・ジェンセンによって引き金が引かれた。

彼は黒人の知能指数(IQ)が白人のそれよりも低いことを示す研究結果を発表した。
それによれば、黒人の知能テストの成績の平均値は白人のそれより15点も低かった。

そこでジェンセンは、知能の遺伝性は高いと考えられることから、知能テストの成績における人種間の違いについて「遺伝的因子が部分的役割を果たしているかもしれない」と結論した。

 
1970年代はじめ、スタンフォード大学の物理学者ウィリアム・ショックリーは、アーサー・ジェンセンの研究にもとづき、黒人の知能の劣等性を主張する運動を展開した。

ショックリーはトランジスターを発明してノーベル賞を受賞したが、彼はまた「社会工学」という基本的に優生学的な政策を提案したことでも知られている。

この論争はその後20年以上もたった1995年に再燃した。
リチャード・ハーンスタインとチャールズ・マレイが『ベル曲線』を発表したのである。

彼らはこの本の中で、貧困で大家族の家庭では知能の低い者が平均を上回って多いと論じた。

一方、知能指数が最高レベルの人々(彼らはまた今日の技術社会では最上の階級に属していることが多い)は子どもの数がもっとも少ないとも指摘した。

ハーンスタインとマレイはさらに、別々の環境で育てられた一卵性双生児について行なった知能の遺伝的研究を引用した。
これらの研究は、人間の知能の40〜80%は遺伝的要素によるものだと結論している。

これらの研究や世界各地で行なわれた知能に関する研究をもとにして彼らは、知能指数の高い男女がより多くの子どもをもつよう奨励する一方、知能指数の低い男女の子どもの数がより少なくなるような何らかの政治的措置を講じないかぎり、アメリカ人の平均知能指数は10年ごとに約1%ずつ低下していくだろうと警告したのである。

ハーンスタインとマレイは貧困層の女性の出産に対するさまざまな補助を打ち切るべきだ──いいかえれば、福祉やその他の社会保障制度は廃止すべきだと主張したのである。
 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc550.html


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11. 人類の未来の為にはサル人間の遺伝子を抹殺しなければならない


1) サル人間は無意識でも識別できる


サブリミナル実験から、白人の潜在意識では「黒人≒類人猿」であることが判明(米研究)


「Not Yet Human: Implicit Knowledge, Historical Dehumanization and Contemporary Consequences(人間未満:暗黙知、非人間化の歴史、そして現代への影響)」と題された研究レポートは、スタンフォード大学、ペンシルバニア州立大学、カリフォルニア大学バークレー校の心理学者らによる6年にわたる共同研究の集大成である。

それによると、多くのヨーロッパ系アメリカ人(白人)は意識下でアフリカ系アメリカ人(黒人)を類人猿と結びつけて見ていることが判明した。


サブリミナル実験に参加した被験者のほとんどは、白人の男子学生だ。

実験は、彼等に黒人男性あるいは白人男性の顔をスクリーン上でほんの一瞬見せた後、ぼやけた類人猿のスケッチを見せて、それが何か識別させるというもの。

黒人男性の顔のフラッシュを先行して見せられた場合、白人男性のそれを見せられた場合に比べ、被験者はずっと早くそのスケッチが類人猿のものであることを識別したという。

次セクションで少し詳しく説明するが、米国ではかつて黒人を類人猿になぞらえ、黒人差別を正当化していたのだが、被験者たちはこの黒人ー類人猿アソシエーションを知らない。

にもかかわらず、被験者たちの潜在意識の中にはこのアソシエーションが存在していることが、同実験から判明したわけである。


「黒人はいまだに人間として認められていないのです。

この国では、我々は今でも類人猿と同列に見られているのです。」


同研究では米ローカル紙の一つ『Philadelphia Inquirer』が1979年ー1999年の20年間に掲載した数百のニュースを調べているが、極刑の有罪判決を受けた黒人は、同じく極刑判決を受けた白人に比べて「野蛮な」「けだもの」「凶暴な」「残酷な」「気の荒い」等、類人猿と関連性のある言葉で表現される頻度が4倍もあったという。

また、「これらのニュースで、暗に類人猿であるかのように描写された者たちは、そうでない者たちに比べ、州政府により処刑されやすい傾向にあることも判明している。


「黒人≒類人猿」と本人が考えているというのではなく、無意識にそう捉えているというのは、差別される側にとって、かなり厳しい現実である。

意識下ということは、本人もコントロールしにくい領域であるからだ。
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-177.html

恐怖の人体実験


アラバマ州タスキギーで行われたことからタスキギー研究と呼ばれる人体実験は1932年秋から1972年まで行われた。

米公衆衛生局の医師たちは被験者である貧しい黒人小作農夫600人に梅毒を注射した。

医師たちは、399人を「実験」、201人を「コントロール」に分け、「実験」の399人には治療を行わず、梅毒の進行過程を観察した。

タスキギー梅毒人体実験とも呼ばれるこの行為が40年間にわたって行われたのだ。

無料で治療を受けられるとの宣伝で集められた600人の被験者は、まず胸部レントゲン写真と心電図などを取られ、完全な健康診断をされた。血液検査が繰り返された後で、全員が「血液に悪性の病気があり、治療のため長期にわたって注射をしなければならない」と申し渡された。「治療」の名の下に梅毒が注射されたのである。

こうして始まった研究は、日常的には地元の郡保健省と公衆衛生看護婦が維持した。
地元の人間で、被験者の生活を知っていた看護婦たちは、医者と被験者とのコミュニケーション役でもあった。医者と被験者たちの言葉が通じないこともあったのだ。

注射は25年間打ち続けられた。人体実験の観察は40年間続いた。人体実験の期間中、注射を打ちに来た被験者たちには食事、鎮痛剤のような付随的な薬物か偽薬が無料であてがわれた他、最終的に50ドルが渡された

1950年代にはペニシリンが簡単に利用できるようになったし、実際に使用されたが、「実験」に分類された399人、タスキギー400と呼ばれる人々にペニシリンは使われなかった。

人体実験のため梅毒で死んだのは100人。これははっきりと確定できる数だ。
彼らは梅毒の症状で苦しみぬいて死んでいった。

1936年には治療を受けた「コントロール」の39%が発病し、「実験」の84%が発病していた。1942年には治療を受けていた被験者の13.9%が死亡し、「実験」の24.6%が死亡していた。1952年には「コントロール」の20%、「実験」の40%が死亡していた。生きていた被験者たちの多くが病苦の中にあった。

毎年、血液検査をされていた人々が、こうした状態にあり、放置されていただけではなく、治療を阻止されていたのである。

人体実験の目的は、梅毒の進行過程の観察であった。医師たちは治療をしなければどうなるか知りたかったのだ。

1969年に公衆衛生局の調査団は、タスキギー研究からは医学的な知識は得られないと報告した。タスキギー研究は、医学的には無価値であると公衆衛生局の調査団が認定したのだ。しかし、報告書にはそれでも被験者の治療はされるべきでないとあった。

1996年には、タスキギー梅毒人体実験の生存者は11人だけとなっていた。

アメリカ政府と大統領は謝罪を拒否し続けて来た。実験そのものにくわえて、政府の姿勢が黒人や少数民族の不信を深めた。

タスキギー研究は黒人の大量虐殺だったという噂が絶えない。

今でも黒人たちの多くが内科治療を避ける傾向があるのも、この人体実験のせいだという。

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/medical_experiments.html

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2) 人類の未来の為にサル人間とゴキブリは絶滅させなければならない


西洋人の日本人観

チャーチル 「日本人は中国娘と猿との野合の末に生まれた類人猿のようなもの」
ルーズベルト「日本人は獣である」

「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。

一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」


「普通の日本人は知性が低く、無知である。
たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
 

当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。
人間と猿の中間にあると言っていい。
文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。
日本人を根絶しなければならない!」


ウィリアム・ハルゼー海軍元帥

 日本軍との戦闘に際し

「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」

など度々過激な発言を繰り返したことで知られている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15

ハイドパーク協定

1944(昭和19)年9月18日

フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について
申し合わせた秘密協定

1972(昭和47)年に初めて公開された

ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の
ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と
いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア
人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。

ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」


ハル・ノート:日本が対米開戦を決断した無理な米国側の要求。

米国に潜伏するソ連スパイが日米を衝突させるために作成した。
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03

トルーマンのカバートへの返事

1945年8月11日

日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。

獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/RE_sammuel_1945_8_11.htm

トルーマン回想録

"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)

アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。

ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。

ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。

ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15


原爆の対日使用は「人体実験」だった。


被爆者治療せず 50年代の米公文書

原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。

ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。 http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。


第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC

(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。


「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 

ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。

これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。

そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。

治療は全く受けませんでした。

そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。

こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。

私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。

あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


 
英語教育の先生が、今日本でやられている英語教育について書いていたが、南北アメリカ大陸で7000万〜8000万人いたインディアンの皆殺しをやり、残った者は同化政策で、子どもを親から切り離して寄宿舎に入れて英語教育をやり、言葉も歴史も全部奪っていったのにそっくりだと指摘している。

民族の歴史も文化も言葉も奪っていく絶滅作戦だ。

第二次大戦から「イエローモンキー」といって人間扱いではないが、それはインディアンのときから続いている。

民主主義というのは白人の為のもので、黄色人種や褐色人種を従わせるのが民主主義だ、それを受け入れるのが未開の者の務めで、従わない者は殺してもいいという考えだ。

「これは神の明白な運命」というのが、清教徒がアメリカ大陸に渡り、東部から西部に行くうえでの基本理念だ。

それでアメリカ全土のインディアンを皆殺しにし、生き残った者は囲い込む。その後太平洋まで来てハワイ、フィリピン、日本、中国と全部アメリカの基準で支配するのが使命だというのが一貫している。だからフィリピンでも相当殺された。

 この理念でフィリピン人も日本人も遊び感覚で殺しまくる。インディアンのときには「頭皮狩り」といって、戦利品として耳を切りとり、頭蓋骨を集めた者が最も偉大な民主主義者だとやってきた。

第二次大戦でも日本に対して「インディアンと同じようにやれ」とハルゼーなどがかなりやっている。

アメリカの若い兵隊はフロンティア精神とかカウボーイみたいな感覚で、日本の子どもらが逃げまどっているのに、グラマンで笑いながら撃ち殺す。

人道主義というが、ハルゼーも「捕虜はとらなくていい。とにかく殺せ」とやっている。

「死んだインディアンがいいインディアンだ」というのをもじって、

「6カ月前に死んだジャップがいいジャップだ」

といった。

これは単にハルゼー個人の考えではなく、当時アメリカのマスコミや新聞、雑誌などで強烈にやっていたことだ。

戦争体験者がテニアンに行ったときホテルに飾り物として日本人の頭蓋骨が金粉を塗られて飾ってあった。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html


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3) 人類のアセンションを目指して


ロスチャイルドは、スマートにおしゃれに、ナイスに振舞いながら、人生をゲームとして謳歌し、微笑みながら、人間大量虐殺の報告のみを、部下より聞く。

とってもナイスな人物に世間では映る。

唯、感覚が違うのだ。

ロスチャイルドの瞳には、自分達以外の人間が、チェスの駒としか映らないのだ。


かつてベルギー領であったアフリカのコンゴでは、ベルギー国王レオポルト2世の経営する無数の大規模ゴム農園で、黒人が凄まじい奴隷労働を強制された事実があります。

この奴隷農園を経営していた実働部隊が、ロスチャイルド一族とその盟友・銀行ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックです(拙稿「核兵器の密売人フランス」参照)。
本書p28には、ロスチャイルドによって手首を切り落とされた黒人の少年の写真が掲載されております。

黒人には1日に採集するゴムの量が1人1人割り当てられていました。

1日でもその割り当てノルマが達成できないと、ロスチャイルドはその黒人奴隷の手首をオノで切断し、制裁を加えたのでした。

相手が少年であっても容赦などされなかったのです。

本書に掲載されている写真が残されている事は、「写真という技術が登場し、しかもアフリカの奥地にまで持ち込める携帯用のカメラが開発・販売されるようになったつい近年まで、ロスチャイルドによる黒人奴隷の手首切断が実行されていた」事実を指し示しています。

この有色人種を奴隷とし人間とも思わない一族が、今後、中国を支配し、原発と核兵器を大量生産する事になるでしょう。

原発の事故が起こり、核戦争が起こり、アジア人=有色人種が死のうとロスチャイルドが「何とも思わない」事、むしろ不要な人種が死んで喜ぶ事を、この写真は事実として示しているとおもいます。

今後、国連の中心となり、国連という国際機関を「動かす」中心国となるベルギーとロスチャイルドによる、この黒人・有色人種虐殺の犠牲者は、数百万人に上ります(p33)。

国連が平和維持活動と称しPKO部隊を送り込み、有色人種の国々で虐殺を繰り返している事実は、このベルギーとロスチャイルドによるコンゴでの大虐殺に「同一起源・源流」を持つと考えられます。

p79にも、切り落とされた黒人奴隷の手首を持つ黒人の写真が掲載されており、ロスチャイルドは、逆らった黒人、病気・ケガで働けなくなった黒人を射殺する事を農園の監督人に命じました。

しかしライフル銃の弾丸を節約するために、殺害に使用した弾丸の数と同一の数の黒人の手首を持ち帰る事を監督人に要求したのです。

殺害された黒人1名につき弾丸1個しか使用してはならない、という弾丸の節約命令が出されていた訳です。

黒人の命より、弾丸1個の方が「もったいない」という事でしょう。

一方、監督人は木の棒等で黒人を撲殺し、弾丸を未使用のまま残し、「黒人が逆らったので銃殺した」とウソの報告を行い、弾丸を銃器販売店に「横流しし」、その利益を「小遣い」として着服する事が常態化していたらしいのです。

つまり逆らってもいない黒人を撲殺し、弾丸を横流し販売する事で「小遣い」が得られたのです。

ロスチャイルドの監督人達は、ビール1杯を飲む小銭のために、逆らってもいない黒人を殴り殺し続けて来た事になります。

このベルギー国王(英国王室と同族のザクセン・コブルク・ゴータ一族)とロスチャイルドの行った大虐殺を知り、写真を撮り世界に知らせた勇敢なジャーナリストが三名おりました。

最初の告発者ワシントン・ウィリアムズは、わずか32歳の若さで何者かに毒殺されてしまいました。

盟友の毒殺にも屈せず政府とロスチャイルドの告発を行ったジャーナリスト、ロジャー・ケースメントは「国家反逆罪」で、ベルギー政府の手で逮捕され「絞首刑」となり処刑されてしまいました。

3人目のE・D・モレルも逮捕され、ケースメントと同一の刑務所に収監され、出獄後、病死しています。

こうした写真は、この勇敢なジャーナリスト達が自分の命と引き換えに撮影してきたものです。

p142には、南アフリカで絞首刑にされ、「さらし者」にされている3名の黒人奴隷の木に吊り下げられた死体の写真が掲載されています。

裁判抜きで、白人が「気に入らない黒人を自由にリンチ処刑している」。

同時に、リンチにされた黒人の姿を「満足気に葉巻を吸いながら眺めている白人達の姿」も撮影されています。

有色人種をリンチ殺害する事は、大好物の葉巻を吸いながらそれを眺める程、「最もリラックスできる楽しい時間」であった事を、この写真は物語っています。

これは、携帯用の小型カメラが世界中に販売されるようになった時代のリンチであり、「つい最近」の出来事である事を、写真撮影という事実が示しています。

そしてコンゴだけでなく、南アというロスチャイルドの支配下に入った国・地域では、どこでもリンチ殺人が行われていた事実を、こうした写真は示しているのです。

コンゴは、ゴムだけでなく核兵器原料のウランの最大手の生産国であり、ロスチャイルドの核兵器原料企業ソルベイ社が、コンゴでのウラン採掘と世界への販売を担当してきた。

このソルベイ社とベルギー国王が「国連所在地のブリュッセル」で3年に1度開催する「ソルベイ会議」は、世界中の核兵器メーカーと核物理学者が集まり、今後の核兵器販売計画を密談する、ソルベイ社から招待された者だけが参加可能な、マスコミにも情報を出さない「隠密会議」となっているようです。

かつて、第5回ソルベイ会議に出席したアインシュタインが、ソルベイ社に説得され、米国のルーズベルト大統領に書簡を送り、原爆開発の推進を「提言」した事実は有名である。著名であったアインシュタインの書簡であれば米国大統領も「核兵器開発を認め、説得されるであろう」と計算したソルベイ会議は、アインシュタインを「上手に誘導し説得した」のでした。

このソルベイ会議が無ければ、日本の広島・長崎への原爆投下も原爆開発も無かったでしょう。

この会議を開催している者が、ロスチャイルドとベルギー王室、つまりコンゴの奴隷虐殺者達。

日本人という有色人種を大量に虐殺した広島・長崎への原爆投下と、コンゴでの有色人種=黒人大虐殺が、同じ「論理」、同じ企業・人間達によって行われてきた事実が浮かび上がってきます。


その論理とは「有色人種虐殺」である。


この企業・人間達が、今後アジアの盟主として中国の政権中枢を担当することになるのです。

その金融面での動きがアジア統一通貨の形成であり、それは欧米・ロスチャイルドの新しい支配戦略です。

アジア通貨の誕生をドル支配からのアジアの独立である等という寝呆けた主張は、国際情勢への無知か、自分がロスチャイルドの「手先」である事を自白していることになります。

なお、ベルギーによるコンゴ支配を描いた小説「闇の奥」の作家ジョセフ・コンラッドは、「ベルギーのような遅れた国がこうした虐殺を行うが、自分達、英国人であれば、こうした虐殺は行わない」と英国人を自画自賛しています。

英国王室とベルギー王室が同一一族である事実を知識人コンラッドが知らないはずは無く、悪質なデマをコンラッドは流している事になります。

こうした悪質なデマを流し、真実を隠す作家でなければ「大作家」「人種差別に最初に気付いた知識人」などと言う「名誉ある称号」は手に入らないのでしょう。


またコンラッドの小説を映画化し「地獄の黙示録」を製作した映画監督・「巨匠」フランシス・コッポラは、ベルギー政府とロスチャイルドの行った、この残虐な黒人奴隷の手首切断をベトナムに舞台を移し、「ベトナム共産軍の行った野蛮な行為」として描き出しています。

ベトナム戦争でベトナム共産軍を敵として戦争を行った米国政府の「ご機嫌を伺うために」、ベルギー政府の行った虐殺を「ネジ曲げ」、米国政府の敵=共産軍が行った野蛮な行為として手首切断を、「巨匠」コッポラは描いています。

手首切断を行ったロスチャイルドの米国支部はロックフェラーであり、そのロックフェラーこそがベトナム戦争を行った米国政府中枢である事を、無知からか意図的にかコッポラは無視し、デマを世界中にタレ流しているのです。

こうした悪質なデマを流し、真実を隠す作家でなければ「巨匠・映画監督」にはなれないという事なのでしょう。


真実を語るものは絞首刑になり、デマを「タレ流す」者だけが「大作家」、「巨匠」になる。

現代世界と芸術界は、ニセ者だけが表通りを歩く事の出来る肥溜めと化しているのか?
http://www.studiosugi.com/blog/labels/44Ot44K544OB44Oj44Kk44Or44OJ.html


● 人類のアセンションに必要なのは地球人口を減らす事


有色人種は地球環境を汚染し貴重な資源を食い尽くすサル人間です。

人類のアセンションの為にはどうしてもサル人間を抹殺しなければいけないのです。

 ロスチャイルドは、環境に優しい地球人口を10億人としており、世界大戦を起こしてサル人間を抹殺すべしと考えています。

サル人間の居なくなって初めて地球は神が祝福する新しきエルサレムとなるのです。

我こそが真の神なるぞ!

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ヨハネの默示録 第21章

21:1我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。

21:2我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり。

21:3また大なる聲の御座より出づるを聞けり。曰く『視よ、神の幕屋、人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、神みづから人と偕に在して、

21:4かれらの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』

21:5かくて御座に坐し給ふもの言ひたまふ『視よ、われ一切のものを新にするなり』また言ひたまふ『書き記せ、これらの言は信ずべきなり、眞なり』

21:6また我に言ひたまふ『事すでに成れり、我はアルパなり、オメガなり、始なり、終なり、渇く者には價なくして生命の水の泉より飮むことを許さん。

21:7勝を得る者は此等のものを嗣がん、我はその神となり、彼は我が子とならん。

21:8されど臆するもの、信ぜぬもの、憎むべきもの、人を殺すもの、淫行のもの、咒術をなすもの、偶像を拜する者および凡て僞る者は、火と硫黄との燃ゆる池にて其の報を受くべし、これ第二の死なり』

21:9最後の七つの苦難の滿ちたる七つの鉢を持てる七人の御使の一人きたり、我に語りて言ふ『來れ、われ羔羊の妻なる新婦を汝に見せん』

21:10御使、御靈に感じたる我を携へて大なる高き山にゆき、聖なる都エルサレムの、神の榮光をもて神の許を出でて天より降るを見せたり。

21:11その都の光輝はいと貴き玉のごとく、透徹る碧玉のごとし。

21:12此處に大なる高き石垣ありて十二の門あり、門の側らに一人づつ十二の御使あり、門の上に一つづつイスラエルの子孫の十二の族の名を記せり。

21:13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門あり。

21:14都の石垣には十二の基あり、これに羔羊の十二の使徒の十二の名を記せり。

21:15我と語る者は都と門と石垣とを測らん爲に金の間竿を持てり。

21:16都は方形にして、その長さ廣さ相均し。彼は間竿にて都を測りしに一千二百町あり、長さ廣さ高さみな相均し。

21:17また石垣を測りしに、人の度すなはち御使の度に據れば百四十四尺あり。

21:18石垣は碧玉にて築き、都は清らかなる玻璃のごとき純金にて造れり。

21:19都の石垣の基はさまざまの寶石にて飾れり。第一の基は碧玉、第二は瑠璃、第三は玉髓、第四は緑玉、

21:20第五は紅縞瑪瑙、第六は赤瑪瑙、第七は貴橄欖石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十は緑玉髓、第十一は青玉、第十二は紫水晶なり。

21:21十二の門は十二の眞珠なり、おのおのの門は一つの眞珠より成り、都の大路は透徹る玻璃のごとき純金なり。

21:22われ都の内にて宮を見ざりき、主なる全能の神および羔羊はその宮なり。

21:23都は日月の照すを要せず、神の榮光これを照し、羔羊はその燈火なり。

21:24諸國の民は都の光のなかを歩み、地の王たちは己が光榮を此處にたづさへきたる。

21:25都の門は終日閉ぢず(此處に夜あることなし)

21:26人々は諸國の民の光榮と尊貴とを此處にたづさえ來らん。

21:27凡て穢れたる者また憎むべき事と虚僞とを行ふ者は、此處に入らず、羔羊の生命の書に記されたる者のみ此處に入るなり。

ヨハネの默示録 第22章

22:1御使また水晶のごとく透徹れる生命の水の河を我に見せたり。この河は神と羔羊との御座より出でて都の大路の眞中を流る。

22:2河の左右に生命の樹ありて十二種の實を結び、その實は月毎に生じ、その樹の葉は諸國の民を醫すなり。

22:3今よりのち詛はるべき者は一つもなかるべし。神と羔羊との御座は都の中にあり。その僕らは之に事へ、

22:4且その御顏を見ん、その御名は彼らの額にあるべし。

22:5今よりのち夜ある事なし、燈火の光をも日の光をも要せず、主なる神かれらを照し給へばなり。彼らは世々限りなく王たるべし。

22:6彼また我に言ふ『これらの言は信ずべきなり、眞なり、預言者たちの靈魂の神たる主は、速かに起るべき事をその僕どもに示さんとて、御使を遣し給へるなり。

22:7視よ、われ速かに到らん、この書の預言の言を守る者は幸福なり』

22:8これらの事を聞き、かつ見し者は我ヨハネなり。かくて見聞せしとき我これらの事を示したる御使の足下に平伏して拜せんとせしに、

22:9かれ言ふ『つつしみて然すな、われは汝および汝の兄弟たる預言者、また此の書の言を守る者と等しく僕たるなり、なんじ神を拜せよ』

22:10また我に言ふ『この書の預言の言を封ずな、時近ければなり。

22:11不義をなす者はいよいよ不義をなし不淨なる者はいよいよ不淨をなし、義なる者はいよいよ義をおこなひ、清き者はいよいよ清くすべし。

22:12視よ、われ報をもて速かに到らん、各人の行爲に隨ひて之を與ふべし。

22:13我はアルパなり、オメガなり、最先なり、最後なり、始なり、終なり、

22:14おのが衣を洗ふ者は幸福なり、彼らは生命の樹にゆく權威を與へられ、門を通りて都に入ることを得るなり。

22:15犬および咒術をなすもの、淫行のもの、人を殺すもの、偶像を拜する者、また凡て虚僞を愛して之を行ふ者は外にあり。

22:16われイエスは我が使を遣して諸教會のために此等のことを汝らに證せり。我はダビデの萠蘗また其の裔なり、輝ける曙の明星なり』

22:17御靈も新婦もいふ『來りたまへ』聞く者も言へ『きたり給へ』と、渇く者はきたれ、望む者は價なくして生命の水を受けよ。

22:18われ凡てこの書の預言の言を聞く者に證す。もし之に加ふる者あらば、神はこの書に記されたる苦難を彼に加へ給はん。

22:19若しこの預言の書の言を省く者あらば、神はこの書に記されたる生命の樹、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。

22:20これらの事を證する者いひ給ふ『然り、われ速かに到らん』アァメン、主イエスよ、來りたまへ。

22:21願はくは主イエスの恩惠なんぢら凡ての者と偕に在らんことを。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/revelation.xml


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コメント
 
01. 2010年8月23日 12:04:14: Dc4u6QDQVw
ちょっと長かったけど、読んでみた。白人の食べ物とセックスは、日本人とは違う。肉食が多いので、攻撃的だな。セックスも、彼らの祖先が氷河期の厳しい気候と疫病、異民族の侵入が潜在的に記憶されているのだろうから、貪欲でなければよい子孫を残せなかった条件が関係しているのかもしれない。

大東亜戦争末期、アメリカは原子爆弾を十数発を投下し、日本人を殲滅させるつもりだったとか何かで読んだし、私の祖父もグラマンの機銃があと数十センチずれて命中していたら、私自身はこの世に存在しなかったと親から聞いたよ。

最近のゆとりの時間教育、英語強制化、国語教育軽視は、どういうことか?
ここを読んでいる人は、分かっていると思うよ。


02. 中川隆 2010年8月23日 21:03:24: 3bF/xW6Ehzs4I: MiKEdq2F3Q

白人美女が見たサル人間の姿

@ t.A.T.u


タトゥーがデンマークのラジオ局のインタビューで日本での騒動について訊ねられて


 「日本は物ばかりが進化していて人間は成長が止まってるのよ。」

 「うん。ステレオタイプの人間が多いのは確かね。」

 「番組の途中で帰ったくらいで騒いでるのよ。笑っちゃうでしょ?」

 「プライベートで日本へ行きたいか?答えはNO!よ。」

 「日本人は不細工ばかり(ぷぷぷ・・・)」


とコメントしてましたね。この話はかなり話題になりました。

ロシアのラジオ局

 「日本はどうでしたか?」

 「街にはゴミが沢山落ちてて汚かったわ」

 「日本人はなんか動物っぽくて嫌ね」

 「全員同じメガネを掛けて、同じファッションでダサい。

それに臭いから好きじゃないわ」

イギリスの雑誌 日本の印象について

 「先進国と思って期待していったらがっかりね、

街に歩く人は全員無表情で気持ち悪い」


 「日本人って歯並び悪いし背も小さいし、かっこいい人が全然いないわ。

環境(空気)が悪いせいかしら 笑」

アメリカのラジオ 日本にこないだ行きましたね

 「行きたくて行ったんじゃないわよ 」

 「騒動って言うけど、あんな下手糞な子供じみた歌番組出れないわ」

 「私たちは一流よ!日本人の2流3流の素人歌手と一緒にされるのが間違いよ」

日本での騒動について

 「あの人達って、工業製品で小型化得意でしょ、だから心も体も小型化してるのよ」

 「だって、みんな唾を飛ばしながら、同じ非難しか言えないでしょ。

知能の無いロボットみたい 」


_________

A ペネロペ・クルス


「あぁ、日本?

勿論、行った事あるわよ映画のプロモでね。

それがなきゃ行かないわ。あんな気持ち悪い国。


男?

アジア人の男って何考えてるかよくわからないわ。

まあまあな容姿の人もいたけど大抵がシャイで無口なんですもの、ちょっと不気味だわ。


女?・・・・・(ため息)ブスだらけだったわ。(大笑)

特にスタイルに至っては、ほとんどギャグとしか言いようが無いわね。

顔は岩みたいに大きくて、体は子供並み。ちんちくりんよね。

足は短くてくねくね曲がってるし、赤ん坊みたいなふらふらした歩き方

あれ可愛いと思ってやってるのかしら?

それに、胸もお尻もどこにあるの?って聞きたかったわ。(苦笑)


ほんと、日本人に生まれなくて本当に良かったと思ってるわ♪」


03. 2010年8月24日 23:38:19: MiKEdq2F3Q

AVRIL LAVIGNE

「日本人は理由もないのにニコニコしてたりして凄い気持ち悪い。

デビューする前から日本人はエロいとか集団でしか行動できないとか色々知ってたけど日本に来てからは日本人は本当に最低な民族なんだなと断定せざる終えなかった。

大体アイドルって呼ばれてる子の写真みたけど凄い不細工じゃない!

しかも男もかっこ悪いし

絶対日本人なんか死んでも結婚しないわ」


04. 中川隆 2010年8月25日 21:54:10: 3bF/xW6Ehzs4I: MiKEdq2F3Q

猿の惑星


テイラーたちが不時着した星は、猿が人間を支配する猿の惑星だった。

言葉を話す猿たちと、首輪で繋がれ家畜として扱われる人間たち。

この逆転した世界からなんとか逃げ出したテイラーが最後に見たものとは・・・


http://www.youtube.com/watch?v=WAQJ3ntnIYA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mI9zG45Jcs4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=9YR1VcOpYhU&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=v2i70JV0VZM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=I4BlGcftn0Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=rh1BS6G_8-k&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=10qNIS09c38&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=y6aNsbK7jSA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=NZK21XT7TcM&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=iv11hX3Ir_4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1ufS2QqNa2Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=f4wcAmJrcpE&feature=related

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001G5RAM4/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_2?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B0006TPERY&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=0WXSA1KZT5JD1N71HET1


出演

テイラー : チャールトン・ヘストン
ノバ :リンダ・ハリソン
中国人 : オランウータン
黒人 : ゴリラ
日本人 : チンパンジー


原作者のピエール・ブールはフランス人ながら英国軍に身を投じて戦い、結局日本軍の捕虜になった悲惨な人。

捕虜時代の恨みつらみをもとに書いたのが「クワイ川の橋」。
また日本人が月一番乗りして、ハラキリするのが「カナシマ博士の月面庭園」
でもって、黄色い連中が世界を支配する未来小説が「猿の惑星」

1 名前: O 投稿日: 02/01/24 15:11 ID:tTH+ej+C

自分はアメリカに住んどるもんなんですが
猿の惑星とは日本人をバカにして作られたということが分かった。

アメリカの知り合いが言うとったよ

「あれは日本人をバカにした映画だよ」

とあっちでは有名らしい。

日本人の前でそんなことは言えないけど俺にだけ話してくれた。

まあアメリカで反日が多かった時代に作られただけにやむおえないことだろう。

で最近新しく放映された「猿の惑星」ももしかしたら・・・

そう考えて改めて見たけど猿が着ている服も確かに日本の侍のように見える。

つまり猿(日本人)の惑星(日本)

そして猿の惑星にでてくる人間はアメリカ人ということです。

あの作品では人間よりも優れていると思いこんだ猿が人間によって人間の方が優れていると証明されますが、それを信じたくない猿との葛藤を描いていますよね?

つまり知恵遅れの猿(日本人)のくせに人間(アメリカ人)に戦争を仕掛けやがって!

という意図が込められているそうです。
http://tv.2ch.net/movie/kako/1011/10118/1011852691.html

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12.人間にとってサル人間とは何か?

ツァラトゥストラは森林に續く最寄りの市《まち》に來りし時、彼は多くの人々の市塲に集まれるを見き。

踏索者《つなわたり》の技を觀むとて集れるなりき。乃ちツァラトゥストラかく人に言へりき。

『我汝等に人間を教ふ。サル人間は超越せらるべき或物なり。汝等はサル人間を超越せむが爲めに何をか爲したる。

一切の事物は從來、其自體の上に出づる或物を造りたり。

然るに汝等は此大なる潮《うしほ》の退潮《ひきしほ》となり、サル人間を超越するよりも、寧ろ禽獸に復歸せむとするものなるか。

猿猴はサル人間にとりて何物ぞ。

哄笑のみ、或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

サル人間も人間にとりては同樣なるべし。哄笑のみ。或は慘《いた》ましき汚辱のみ。

汝等は蟲よりサル人間に進みき。

汝等の中なる多くは尚蟲なり。

曾て汝等は猿猴なりき。

今も尚サル人間は、如何なる猿猴よりも猿猴なり。

汝等の中最も賢き者も、草木と幽靈との雜種に過ぎず。

されど我は汝等に、幽靈もしくは草木たらむことを命ずるものならむや。

聽け、我は汝等に人間を教ふ。

人間は地の意義なり。汝等の意志をして言はしめよ、人間が地の意義なるべきことを。

切に願ふ、我が兄弟よ、地の忠なれ。而して汝等に天上の希望を説くところのものを信ぜざれ。

彼等は、自ら知れると知らざるとを問はず茶毒者なり。

彼等は生命の侮蔑者なり。

自ら頽敗し行くもの、自ら茶毒せられしもの、地は此等の人々に勞れたり。

されば彼等をして去らしめよ。

曾ては神を涜《けが》すこと、最大の褻涜なりき。

されど神死したれば、此褻涜者も共に死したり。

今は最も恐るべきもの、地を涜すにあり、不可思議の内臟を地の意義の上に置くにあり。

曾て、靈魂は肉體を侮蔑しき。

其時此侮蔑は最高のものたりしなり。 --

靈魂は肉體の乏しきを、忌はしきを、飢ゑたるを慾ひき。

斯くして肉體と地とを脱れむことを思ひき。

あはれ、其靈魂こそは乏しく、忌はしく、飢ゑたりけれ。

殘酷は其靈魂の耽樂なりき。

然《され》ど我が兄弟よ、汝等も亦我に語れ。

汝等の肉體は汝等の靈魂に就きて何をか告ぐる。

汝等の靈魂は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに非ざるか。

實にサル人間は濁流なり。

人自ら濁ることなくして濁流を容るるを得むが爲めには、須くまさに海となるべし。

見よ、我汝等に人間を教ふ。

人間はかの海なり。

汝等の大なる侮蔑はよく其中に陷沒す。

汝等がよく經驗するところの最も大なるものは何ぞや。

大なる侮蔑の時是なり。

ただに汝等の幸福のみならず、汝等の理性と汝等の徳操とまたひとしく、汝等の嘔吐を促すの時是なり。

其時汝等は言ふ、

「我が幸福に何の價値ありや。

ただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とのあるのみなり。

されど我が幸福は其れ自ら這の存在の理由を提供せざるべからざりき」と。



其時汝等は言ふ、

「我が理性に何の價値ありや。

その智識を追ふこと獅子の其食を追ふが如きものありや。

そはただ貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸とに過ぎざるなり」と。


其時汝等は言ふ、

「我が徳操に何の價値ありや。

そは未だ我を狂暴に驅りしことなし。

我如何に我が善と我が惡とに疲れたるかな。

其一切は貧弱と、汚穢と、はた憐むべき安逸となり」と。


其時汝等は言ふ、

「我が正義に何の價値ありや。我は我が炎熱たり、炭塊たるを見ず。

されど正しき者は炎熱なり、炭塊なり」と。


其時汝等は言ふ、

「我が憐憫に何の價値ありや。

憐憫はサル人間を愛する者の磔けらるる十字架に非ずや。

されど我が憐憫は決して磔刑に非ず」と。


汝等已に此の如く語りしか。

汝等已に此の如く[口|斗]びしか。

嗚呼我、汝等のかく[口|斗]ぶを聞き得たりしならむには。

呪詛すべきは汝等の罪惡に非ずして、汝等の中庸なり。

また汝等の罪惡に於ける汝等の吝嗇其物なり。

その舌をもて汝等を舐むるところの電光は何處にありや。

それをもて汝等の接樹せらるべきかの亂心は何處にありや。



見よ、我は汝等に人間を教ふ。

人間は其電光なり。

人間は其亂心なり。』 --


ツァラトゥストラ斯く語りし時、群集の一人は[口|斗]びぬ。

『我等踏索者に就きて聞きしこと足れり。

今我等をして彼を見せしめよ』と。

人々皆ツァラトゥストラを笑ひき。

されど、踏索者と呼ばれしを自らの事なりと思へる踏索者は、頓《やが》て其業にとりかかりき。


________



されどツァラトゥストラは人々を視て驚きぬ。

さて彼は斯く語りき。


『サル人間は禽獸と人間との間を繋ぐ一の索《なは》なり、 -- 深潭に懸れる一の索なり。


越ゆるも危し、越え了らざるも危し、顧るも危し、戰慄停留するも亦危し。

サル人間の大なるは、そが橋梁にして標的に非ざるところにあり。

サル人間の愛すべきは、そが一の過渡たり、沒落たるによる。

我はかの沒落の外に生くべき道を知らざる者を愛す。

そは超越せむとする者なればなり。

我は大なる侮蔑者を愛す。

そは大なる崇拜者なればなり、彼岸に對する憧憬の箭なればなり。

我はかの、沒落して犧牲となるべき理由を、星辰の彼方に求むることをせず、寧ろ地が他日人間の手に歸せむ爲め、地に自らを獻ぐる者を愛す。

我はかの、認識せむが爲めに生き、他日人間の生きむが爲めに認識せむとする者を愛す。

斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、人間の爲めに家を建て、人間の爲めに地と、禽獸と、草木とを備へむとて勞作考案するものを愛す。

斯くして彼は、自らの沒落を慾《ねが》へばなり。

我はかの、自らの徳を愛するものを愛す。徳は沒落を慾ふの心、憧憬の箭なればなり。

我はかの、一滴の精神をも自らの爲めに保有することなく、寧ろ全く其徳の精神たらむことを意《おも》ふものを愛す。斯く彼は、精神として橋梁を越ゆるなり。

我はかの、自らの徳を自らの性癖並びに自らの運命となすものを愛す。

斯くして彼は、自らの徳の爲めに生き、自らの徳の爲めに死す。

我はかの、餘りに多くの徳を追はざるものを愛す。

一の徳は二の徳よりも更に徳なり。

そはより多く、その運命の繋るべき結節となるものなればなり。

我はかの、其靈魂の浪費せらるるもの、感謝を慾はず、報復を爲さざるものを愛す。

そは常に與へて、自ら貯へむことを慾はざればなり。

我はかの、僥倖なる骰子の投ぜらるる時耻づるものを愛す。

その時彼は問うて言ふ、

「我は正の博奕者にあらずや」と。 --

彼は沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、其行爲に先ちて金言を放ち、又其誓約よりも多くを踐《ふ》むものを愛す。そは自らの沒落を慾ふものなればなり。

我はかの、將來を辯護し、また過去を救濟するものを愛す。

そは現實に依りて沒落せむことを慾ふものなればなり。

我はかの、其神を愛するのよりて、其神を懲戒するものを愛す。

そは其神の怒の故に沒落すべければなり。

我はかの、負傷の際にも其魂の深きもの、一些事の爲めに能く沒落するものを愛す。

そは喜びて橋梁を越ゆべければなり。

我はかの、其魂の横溢せるによりて、自ら忘るるもの、一切の事物の其中に在るものを愛す。
斯く一切の事物は其沒落の因となる。

我はかの、自由なる精神と、自由なる心情とを有するものを愛す。

斯く彼の頭腦は彼の心情の内臟たるのみ。

されど其心情は彼を沒落に驅る。

我はかの、サル人間を覆へる暗雲より、ひとつ〜落ち來る、重き滴《しづく》の如きもの一切を愛す。
彼等は電光の來るを告示し、告示者として沒落す。

見よ、我は電光の告示者なり、雲より落ち來る重き一滴なり。

其電光に名けて人間と云ふ。』


___________



此等の言葉を語りしとき、ツァラトゥストラ再び人々を視て默しき。

彼は其心に語りき、

『彼等は立てり。

彼等は笑へり。

彼等は我を了解せず。

我が口は彼等の耳に適はざるなり。


彼等が其眼をもて聞くことを學ぶに先ち、其耳を粉碎するの要あるか。

鑵鼓並びに齊日の説教者の如く怒罵するの要あるか。

或は彼等ただ吃々として言ふ能はざるものをのみ信ずるか。

彼等は其誇とするところの物を有つ。

其誇とするところの物に名けて何とか云ふ。

之に名けて教育と云ふ。

彼等と牧羊者とを區別するもの是なり。


故に彼等は、自らの上に用ひられたる「侮蔑」てふ言葉を聞くことを悦ばず。

乃ち、我は彼等の誇とするところを藉《か》りて語らむとす。

乃ち我は、最も侮蔑するべきものの事を彼等に語らむとす。


最も侮蔑すべきは末人なり。』

偖てツァラトゥストラかく人々に語りき。


『今は人自ら其目標を立つるの時なり。

今は人自ら其最高希望の種子を植うるの時なり。

彼の土壤は、尚肥沃にして之をなすに足る。

されど此土壤は早晩疲弊し去りて、喬木の生ずるものなきに至るべし。

嗚呼。

サル人間がサル人間の彼方へ、其憧憬の箭を發《はな》つこと能はざるの時來らむ。

其弓弦《ゆみづる》の鳴るを忘るるの時來らむ。

我汝等に言ふ、人は舞ふところの星を産むことを得む爲めに、自ら混沌たるものなかるべからず。

我汝等に言ふ、汝等は尚自ら混沌たるものあるなり。

嗚呼。サル人間が遂に如何なる星をも産まざるの時來らむ。嗚呼。

遂に自ら卑むることはざる、最も卑むべきサル人間の時來らむ。


見よ。我は汝等に末人を示す。


「愛とは何ぞ。創造とは何ぞ。憧憬とは何ぞ。星辰とは何ぞ。」 --

末人は斯く問ひて瞬《またたき》す。

其時地は小《ちさ》くなりて、一切を小くするところの末人其上に跳躍せり。

彼の種族は地蚤の如く掃蕩し難し。

末人は最も長く生く。

「我等幸福を案出せり。」 -- 斯く言ひて、末人は瞬す。


彼等はその生くるに難かりし地方を去りぬ。
温熱を要すればなり。


人々尚隣人を愛して、之と相摩擦す。

温熱を要すればなり。

病患と猜疑と、彼等にありては罪惡なり。

人々細心に道を行く。

然るに尚、岩石に躓き、サル人間に躓くものは愚なるかな。


聊かの毒藥は、時に快き夢を誘《いざな》ふ。

而して多量の毒藥は、終に快き死滅に導く。


人々は尚勞作せり。

勞作は娯樂なればなり。

されど彼等は、這《こ》の娯樂によりて自らを害はざらむことを心に用ふ。

人々今や富裕となることなく、貧困となることなし。

二者何れも煩はしきなり。

何人か尚統御せむとするものぞ。

何人か尚服從せむとするものぞ。

二者何れも煩はしきなり。


實に一人の牧者もなき畜群よ。

各一樣に慾《ねが》ひ、各全く同等なり。

思ふところを殊にするものは、自ら進むで癲狂院に入る。

「曾ては世界を擧げて狂人なりき」。 --

斯く言ひて最も智慧あるものは瞬《またた》きす。


人々聰明にして、凡べての出來事を知るにより、彼等の嘲笑は極ることなし。

彼等相爭ふと雖、直にまた相和す。 --

しかせざれば胃の腑を滅すべし。

彼等は日中に小歡をなし、夜間にまた小歡をなす。

されど彼等は健康を尊重す。

「我等幸福を案出せり」 -- と言ひて、末人は瞬きす。』

斯くてツァラトゥストラが第一の演説、即ち『緒言』は此處に終りき。此時群集の喧噪[口|喜;#1-15-18]戲彼を妨げければなり。


『我等に其末人を與へよ、ツァラトゥストラよ』。 -- 斯く彼等は[口|斗]びき --

『我等を其末人となせ。我等悦びて人間を棄てむ』。

かくて人々皆歡呼して其舌を鼓しぬ。

されどツァラトゥストラは悲しくなりて、其心に言へけり。

『彼等は我を了解せず。我が口は彼等の耳に適はざるなり。

恐くは、我が山に住むこと長きに過ぎしならむ、我が細流と樹木とに聽くこと多きに過ぎしならむ。

今我が彼等に説くは、牧羊者に説くと異らず。

我が靈魂は不動にして、午前の山の如く朗なり。

然るに彼等は我を目して冷酷なるもの、恐しき諧謔を弄する嘲笑者となす。

偖て今彼等は、我を視て笑ふ。

彼等の笑ふ時、彼等はまた我を憎む。

彼等の笑には氷あり。』


____________



されど頓て、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる事起りき。

即ち此時已に踏索者は其業《わざ》を始めたりしなり。

彼は小き戸を出でて、二の塔の間に、市塲と人々との上に張り渡したる索《なは》を歩めり。

彼恰も其中程にありし時、かの小さき戸は再び開き、華かなる色の衣裳をつけし、道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》跳り出でて、足早に追行きぬ。

『進めよ、蹇《あしなへ》』と、其恐しき聲は[口|斗]びぬ、『進めよ、怠惰なる者、密賣者、白面者よ。

我我が踵をもて、汝を擽《くすぐ》ることのなからむ爲め進めよ、汝何の用ありてか這《こ》の塔の間を行く。

汝の處は塔にあり。

汝は監禁の中にあるべかりき。

汝は汝に優れる者の、自由なる進路を阻む。』 --

斯く言ひながら道化者《ちやり》の如き漢《をとこ》は益々近きぬ。

されどそのお相去ること一歩の處に到るや、各人の口を噤《つぐ》ましめ、各人の目を注がしむる恐しき事起りぬ。 --

其漢《をとこ》は魔の如き[口|斗]を發して、先《さきだ》てる踏索者を跳越えぬ。

競敵の勝利を見て、踏索者は其頭と索を失へり。

彼は其竿を投げ、其竿よりも速かに、手足の旋風の如く射下りぬ。

市塲と群集とは荒立てる海の如くなり、人皆右徃左徃に逃げまどひぬ。

取り分け踏索者の落ち來るべきところは甚しかりき。


ツァラトゥストラは獨り其ところに留りたりしが、恰も彼の傍に踏索者は落ち來れり。

淺間しく姿變り、傷《きづつ》きたりしかど、尚ほ死せざりき。稍ありて息吹き返し、ツァラトゥストラのその傍に跪けるを見き。

『汝何をか爲せる』と、遂にツァラトゥストラに問ふ、『我は夙《つと》に、惡魔の我を飜弄すべきことを知れりき。

今彼は我を地獄に曵く。汝之を防がむとするか。』


『我が名譽によりて誓ふ、友よ。』 -- ツァラトゥストラは答へき。

『汝が語るところの物は總て在ることなし、惡魔もなし、地獄もなし。

汝の靈魂は汝の肉體よりも速かに死せむ。

是より後亦再び恐るること勿れ。』


踏索者は狐疑の眼をもて見上げしか、やがて言ふ、『汝若し眞《まこと》を語らば、我は我が命を失ふとも何物をも失はざるなり。

我はかの、毆打と食餌とによりて舞踏を教へらるる禽獸と、多く異るところなきなり。』

ツァラトゥストラは言へり、

『否、然らず。汝は危險を汝の職業となしぬ。

何の卑むべきことかあらむ。

今汝は其職業の故に死す。

されば我、我が手を以て汝を葬るべし。』


ツァラトゥストラは斯く言ひし時、臨終の人は答を爲さで、僅に其手を動しぬ。

そは宛《あたか》も、ツァラトゥストラに謝せむとて、其手を求むるものの如く見えき。


____________



さる程に夕《ゆふべ》は來り、市塲は闇に包まれぬ。

人々は散り行きぬ。

好竒の心と恐怖の念とまた倦怠しければなり。

然れどツァラトゥストラは死者の傍に、地上に坐し、思ひ沈みて時を忘れぬ。

遂に夜となりて、冷き風は寂しき者の上を吹き渡りぬ。

乃ち、ツァラトゥストラ起ちて其心に言へり

『實《げ》に今日のツァラトゥストラが漁《すなどり》は宜しかりしかな。

彼はサル人間を捕へずして、死體を捕へたり。

人生は凄慘にして、しかも無意義なり。

道化者《ちやり》は能く其運命となることを得む。

我はサル人間に其存在の意義を教へむとす。

即ちそは人間なり、サル人間の黒き雲より來る電光なり。

然《され》ど尚ほ我はサル人間を遠ざかれり。

我が心は彼等の心に語らず。我は尚ほサル人間に取りて、愚人と死體との中間なり。

夜は暗し、ツァラトゥストラの道は暗し。

いざ汝、冷き硬直の伴侶よ。

我は我が手をもて汝を葬るべきところに汝を運ばむ。』


_____________



ツァラトゥストラは斯く其心に言ひし時、死體を負ひて其途に出で立ちぬ。

未だ百歩を行かざるに、人あり、濳に追躡し來りて耳語す。

-- 而して見よ、 -- 語りしはかの塔の道化者《ちやり》なりき。


『ツァラトゥストラよ、此市《まち》を去れ』と彼は言ふ、『此處には餘りに多くの人々汝を憎む。

善き人、正しき人は汝を憎み、汝を其仇敵と呼び、侮蔑者と呼ぶ。

正しき信仰に忠なる人は汝を憎み、汝を多數者の爲めに危險なるものと呼ぶ。

笑はるるは汝の僥倖なり。

而して眞《まこと》に汝は道化者《ちやり》の如く語る。

死したる犬と交はりしは汝の僥倖なり。

斯く自らを卑うすることによりて、汝は今日自らを救へり。

されど此市を去れ、 -- 去らずは、明朝我汝を越えて跳ばむ、生きたるもの、死せるものを越えて跳ばむ。』

斯く言ひて道化者《ちやり》の姿は消えぬ。

ツァラトゥストラはなほも暗き小路を辿りぬ。


市《まち》の門にて彼は塋穴掘《あなほり》と出で會ひぬ。

彼等は炬火《たいまつ》をもて彼の面《おもて》を照し、そのツァラトゥストラなるを認めて、太《いた》く嘲りぬ。

『ツァラトゥストラは死したる犬を運び去る。

彼自ら塋穴掘《あなほり》となるこそよけれ。

彼等の手は此燔肉に對して餘りに清ければなり。

思ふにツァラトゥストラは、惡魔の餌食を盜まむとするものか。

亦可なり。

その晩餐の羔なかれかし。

但だ恐る、かの惡魔がツァラトゥストラにも優れる盜人なることを、

-- 惡魔は、二者何れをも盜み、何れをも食ふ。』

かく言ひて彼等は、笑み交はしながら頭を寄せぬ。


ツァラトゥストラは之に答へずして、其道を行けり。

森林沼澤の間を行くこと二時《ふたとき》餘りにして、餓ゑたる狼の頻りに咆ゆるを聞き、彼自らも餓を覺えぬ。
乃ち彼は或る寂しき家に足を止《とど》めぬ。家の中には燈《ともしび》燃えたりき。

ツァラトゥストラは言へり、

『空腹は盜賊の如く我を襲ひぬ。森林沼澤の間に、夜深うして我が空腹は我を襲ひぬ。

我が空腹に竒異なる習癖あり。

屡々食事の後始めて我に來る。

而して此日は終日來ることなかりき。

何處《いづこ》に在りしや。』


かく言ひて、ツァラトゥストラは其家の戸を叩きぬ。

間もなく一人の翁現はれぬ。

燈《ともしび》を携へ來りて問ふ、

『我と我が惡しき眠とに來るものは誰ぞや』。

ツァラトゥストラは言へり、

『生きたるものと、死したるものと。食ふべき物、飮むべき物を我に與へよ。

我は之を晝の間に忘れたり。

飢ゑたる者に食はしむるは、自らの靈《たましひ》を養ふなり。

斯く智慧は言ふ。』


翁は一旦《ひとたび》去りて、復《また》歸り、麺包《パン》と葡萄酒とをツァラトゥストラに與へぬ。

而して言ふ、『飢ゑたる人々にとりては惡しき處なり。

此故に我は留まるなり。

禽獸とサル人間と、隱遁者なる我に來る。

されど汝の伴侶にも飮み且つ食はしめよ。

彼は汝よりも勞れたり』。

ツァラトゥストラは答へぬ。

『我が伴侶は死したり。

彼をして飮み且つ食はしめむこと難し』。

『何の關《かゝは》るところぞ』と、不興氣に翁は言ふ、

『我が家を訪るる者は、我が與ふる物を受けざるべからず。之を食ひて行け。』


是《こゝ》に於てツァラトゥストラ更に行くこと二時間、道路と星辰の光とに信頼せり。

彼は夜行することに慣れければなり、眠れる者の面を見ることを好みければなり。されど夜の明けしとき、ツァラトゥストラは深き森林の中に在り、已に行くべき道なかりき。

乃ち空洞《うつろ》なる樹の内に、己《おの》が頭に近く、死したる者を横へ、 -- 死したる者の狼に襲はれざらむ爲め、 -- さて自らも土と苔との上に横はりぬ。

間もなく彼は、勞れたる體をもて、泰然たる魂をもて眠に就きぬ。


_______________



ツァラトゥストラは長く眠りぬ。

ただに黎明のみならず、午前もまた其面上を過ぎ行きぬ。されど遂に其眼は開きぬ。

ツァラトゥストラは森林と靜寂を見て驚き、自らを省みて愕けり。

其時彼はかの、忽ち陸を見る水夫の如く、蹶起して歡呼しぬ。

彼は新しき眞理を見たればなり。され彼は斯く其心に語りき。


『我は一道の光明に接したり。我は伴侶を要す、我が行かむと慾するところに携ふる、

-- 死したる伴侶と死體とに非ざる、 -- 生きたる伴侶を我は要す。

我は我に從ひ行く、生きたる伴侶を要す。

彼等は自ら、我が行かむと慾する處に從ひ行かむと慾すればなり。


我は一道の光明に接したり。ツァラトゥストラは民衆に説くべからず。

寧ろ伴侶に説くべきなり。

ツァラトゥストラは群畜の牧人となり犬となること能はず。

群畜より多くのものを誘惑し去ること、 --

その爲めに我は來れり。

民衆と群畜とは我を怒るべし。

ツァラトゥストラは牧人によりて盜賊と呼ばるるならむ。


我は彼等自らは善き人義《たゞ》しき人と呼ぶ。

我は彼等を牧人と呼べど、彼等自らは正しき信仰に忠なる人と呼ぶ。

善き人義しき人を見よ。彼等の最も憎むところのものは何ぞや。

彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、破壞者、犯罪者是なり。

されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。

總ての信仰に忠なる人を見よ。

彼等の最も憎むところのものは何ぞや。

彼等が價値の卓子を粉碎し去るもの、破壞者、犯罪者是なり。

されど此破壞者、犯罪者ことは眞《まこと》の創造者なれ。


創造者は伴侶を求めて、死體を求めず、また郡畜並びに信仰ある人をも求めず。

創造者と共に創造するもの、新しき卓子の上に新しき價値を創造するものを求む。

創造者は伴侶を求め、彼と共に收穫すべきものを求む。


彼にありては一切の物成熟して收穫せらるるを待てばなり。

されど彼に百挺の刈鎌缺げたり。

乃ち彼は穀物の穗を毟《むし》りて怒る。

創造者は伴侶を求め、その刈鎌を研《と》ぐことを知れるものを求む。

彼等は斷滅者と呼ばれ、善惡の侮蔑者と呼ばるべし。


されど彼等は收穫者にしてまた祝賀者なり。

ツァラトゥストラは彼と共に創造するものを求む。

ツァラトゥストラは彼と共に祝賀するものを求む。

郡畜と牧人と死體とによりて、彼はた何うぃか爲さむ。

さて汝、我が第一の伴侶よ、いざさらば。我は汝が空洞《うつろ》なる樹の内に、好く汝を葬りぬ。我は狼を防ぎて、好く汝を隱したり。

然《され》ど我汝に別を告ぐ。

時已に到れり。黎明と黎明との間に、新しき眞理は我に現はれぬ。

我は牧人たるべからず、塋穴掘《あなほり》たるべからず。

我はまた再び民衆と語らざるべし。

之れ我が死したる者に語りし最終なり。

我は創造するもの、收穫するもの、祝賀するものと相交らむ。

我は彼等に虹を示し、人間のあらゆる階級を彼等に示さむ。

我は隱遁者に我が歌を歌はむ。

而して未聞の事物に耳あるものの胸を、我は我が幸福をもて重くせむ。

我が標木に我は志す。

我自らの道を我は行く。

我は遷延遲滯するものを超えて躍進す。

かく我が進行をして彼等の沒落たらしめよ。』


______________



ツァラトゥストラ斯く其心に言ひし時、日は正に午なりき。

彼は怪みて天《そら》を見上げぬ。鋭き鳥の[口|斗]を聞きければなり。

而して見よ。鷲あり、大圓を書きて空中に翔べり。纒《まつ》はるところの蛇は
、餌食の如くならずして朋友の如し。其體を鷲の頸に卷きたればなり。


『彼等こそ我が動物《いきもの》なれ』と言ひて、ツァラトゥストラは心より悦びぬ。

『日の下にありて最も尊大なるもの、日の下にありて最も聰明なるもの、 --

彼等は偵察の爲めに出でたるなり。

彼等は、ツァラトゥストラの尚ほ生きたるや否やを知らむことを慾《ねが》ふ。

實《げ》に、我は尚ほ生きたるか。

我がサル人間にあるは、動物の中にあるよりも危かりき。

危き道をツァラトゥストラは行く。我が動物よ、我を導け。』


ツァラトゥストラは斯く言ひし時、森林に見し聖徒の言葉を思出《おもひい》で、嘆息して其心に言ふ。

『更に聰明ならましかば。

嗚呼若し、根本より、我が蛇の如く聰明ならましかば。

されど我は不可能の事を願ふなり。我は我が自負の、常に我が智慧と並行せむことを願ふなり。

乃ち、若し我が智慧の我を去ることあらば、

-- 動もすれば我を棄てて去らむとす、

-- 希くは、我が自負も亦、我が愚昧と共に我を棄てて去らむことを。』


斯く、ツァラトゥストラの沒落は始まりき。


05. 2010年8月25日 23:38:52: 1Gsm5LhDm9
うーん、やっぱり人間は生物ではなく家畜だったんだ!

06. aya 2010年12月01日 11:28:15: /PdrcNDxLDl46 : Fccz0xQNBk
金髪碧眼の白人を美しいととらえるかどうかは、人それぞれではないでしょうか?
わたしは、ちょっと気持ち悪いと感じるんですけど?

07. 中川隆 2011年2月10日 01:22:58: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

これも参考にして下さい:


イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html

釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1058.html

釈迦の悟りとは何であったのか?( 続き)
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1158.html

西洋の達人が悟れない理由(ロシアのキリスト教)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html


08. 2011年7月14日 21:01:12: MiKEdq2F3Q

中川隆_宗教関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1883.html

中川隆_西欧文化関連投稿リンク
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1884.html


09. 2012年8月12日 19:35:06 : HNPlrBDYLM

白人は人間ではない:高山正之
http://www.youtube.com/watch?v=WYdAUWkgFMk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=NejbFYunpRw&feature=related


武田邦彦『現代のコペルニクス』#21/「白人は人間ではない」 ゲスト:高山正之
http://www.youtube.com/watch?v=aeyreqxjcOQ
http://www.youtube.com/watch?v=P8FRhvX8VuQ&feature=related


10. 2012年8月13日 12:50:06 : HNPlrBDYLM

高山正之『異見自在 「高山正之が見た、硫黄島」
http://www.youtube.com/watch?v=V2xvr30l60c
http://www.youtube.com/watch?v=vjfZ069dETo

11. 2012年8月13日 13:41:39 : HNPlrBDYLM

高山正之 異見自在


サンデルと正義
http://www.youtube.com/watch?v=Dfp7zW91he0&feature=related

本当は腹黒いノーベル平和賞
http://www.youtube.com/watch?v=iICutQMm4i0&feature=related

似たもの詐欺国家
http://www.youtube.com/watch?v=5Vb2hRMLq_s&feature=related

冬季五輪は白人祭り
http://www.youtube.com/watch?v=60EzPccmJHM&feature=related

THE COVE 〜世界は腹黒い〜
http://www.youtube.com/watch?v=qDFDeHgk0VA&feature=related

米国の理不尽・トヨタリコール
http://www.youtube.com/watch?v=Ey_YLLTM4LY&feature=related

アメリカの復讐〜ビン・ラディン殺害〜
http://www.youtube.com/watch?v=XRO-UU8Ay9Q&feature=related


12. 2012年8月13日 15:15:04 : HNPlrBDYLM

ビルマ 〜アウンサンとウ・ソ
http://www.youtube.com/watch?v=kqpiFxbQ2k4
http://www.youtube.com/watch?v=pVMUkCO6gh4&feature=relmfu

白豪主義とインコの悲劇
http://www.youtube.com/watch?v=ZmDJiAlh6Ow&feature=relmfu

原爆賛歌
http://www.youtube.com/watch?v=3W_tMpq9wJU&feature=related

北方領土,占守(シュムシュ)の日本人
http://www.youtube.com/watch?v=0Yh0Ni8kLzw&feature=related

ロシア外交、清貧のすすめ
http://www.youtube.com/watch?v=ilrzeDmqcQQ&feature=related


13. 2012年8月13日 15:19:12 : HNPlrBDYLM

『"ザ・ヤクザ"〜アメリカが潰そうとするのは何故か?〜』.高山正之
http://www.youtube.com/watch?v=_-r516_OD5I&feature=related

14. 中川隆 2012年8月13日 17:30:27 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM


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15. 2012年9月06日 13:16:44 : v5sE55MwHs
中川センセ、マジネット暇人の遊び人www

突っ込みどころ満載だけど、マジメに相手しない方が得策か

岩波書店か筑摩書房の刊行物を丸写しした様な内容だし

もう少し笑えるかつ根拠ある怪文書も添えて欲しかった

岸田秀センセも中川センセと同じくらい手抜きあるけどwww


16. 中川隆 2012年9月13日 20:23:59 : 3bF/xW6Ehzs4I : HNPlrBDYLM

ラテンアメリカのカラード(混血)の女性が美しいのはなぜか?

ブラジルは御存知のように世界最大のジャングル地帯「アマゾン」を抱えた非常に巨大な土地を抱えた国だ。ジャングルは生物の多様性の宝庫であるが、ブラジルが特徴的なのは「人間の多様性」もまた進んでいるというところである。

ブラジルは世界で最大の「人種混交国家」だと言われている。それは真実だろう。その多様性は文化的にも大きな魅力であり、それがゆえに多くの人々をも惹きつける。

ブラジルの特殊な事情

人間の違いでもっともよく分かるのは「肌の色」や「髪の色」だ。

学術的・民族的な分類はともかくとして、実際のブラジル人を見ると分かるのは、完全なる黒人から完全なる白人を両極として、その中間のグラデーションをすべて埋めることができる人間が存在していることである。

黒人、白人、黄色人種のすべてが同じ国の重要な民族として居住していて、さらにそれらのカラード(混血)までが勢揃いしている。全員ブラジル人だが、人種はそれぞれだ

アジアではインド圏がそのような混交を見せているが、インド圏の女性が非常に美しいのと同様に、ブラジル人の女性もまた美しい。そのどちらの圏内も、いつもミス・ユニバース等の美人コンテストの上位を独占することからも、世界中の誰もがその美を認めると考えてもいい。しかし、その美しさの裏側には、血と殺戮の歴史が横たわっているのは誰もが知っている。

ブラジルが人種混合したのは、征服者の差別や圧政や暴力の結果として生まれてきたものであり、それはヨーロッパの影響力の拡大と共に、インディオの滅亡の歴史である。ブラジルのみならず、ラテンアメリカでの人種混交が始まったのは、1500年代にスペイン・ポルトガルの植民地主義者が上陸して先住民を徹底的に駆逐していった歴史から始まっている。

ヨーロッパからやってきた男たちが持っていた鉄器は、先住民たちの青銅器を破壊して次々と打ち破って彼らを殺戮していく。それと同時に彼らが持ち込んだ、チフス・はしかなどの疫病も、先住民たちに大きな被害をもたらしていった。

唯一、メキシコとアンデスの先住民が大きな数で生き残ったのは、マヤ、アステカ、インカ文明が防御壁となった地域のみである。これらの政治力(文明)を持たなかった北米大陸の先住民は、皆殺しだった。白人たちに慈悲を与えたインディオもいたが、結果的には彼らは裏切られ、追い立てられ、虐殺されて歴史から消えさった。今、アメリカインディアンは白人から与えられた自治区という場所で、自暴自棄に暮らしている。


生き残ったのは0.6%の人間たちだけだった

こんなことを書くと身も蓋もないが、和平や友愛やことなかれ主義は民族の生存を脅かす。歴史を見れば、暴力を高度に身につけた民族が生き残る。いや、そういう民族しか生き残らない。つまり、生き残るためには、対外的に高度な暴力を行使できる民族にならなければならないのだが、それに失敗した民族はある時、怒涛のような侵略を受けて一気に破滅していく。

鉄器を持って乗り込んできたヨーロッパの男たちに、アングロアメリカ・ラテンアメリカの先住民たちはまったく相手にならなかった。その結果、毎年百万人単位で先住民が殺戮されていき、ほぼ絶滅寸前になって文明もきれいさっぱりに消え去った。

たとえば、アステカ帝国では2,520万人いたインディオの人口が殺戮の結果として、17万人に減ったと言われている。率にすれば、0.6%しか生き残らなかったということだ。他人事で考えないで欲しい。日本の人口に当てはめると、現在の1億2,000万人が720万人になるということである。720万人というと愛知県の人口と同じくらいだから、日本がアステカ帝国の運命になったら、愛知県以外の日本人が全員殺されるのと同じという意味になる。

そして、アステカでは残った先住民はほとんどが「強制労働」と「性奴隷」の運命に陥ったから、生き残って運が良かったのかどうかは分からない。

とにかく、ラテンアメリカで起きたのは、そういう事態だった。

「メスティーソ」「ムラート」「サンボ」

北米ではピューリタンたちが家族ぐるみで移住してきたので血の混合はなかったが、ラテンアメリカのスペイン人たちは男どもだけしかやって来なかったので女は「現地調達」である。

そして、ラテンアメリカの特徴は、アフリカから黒人を連れてきたことで、混血が人類史上でも類を見ない大規模なものになったということだ。あまりにもインディオを殺戮しすぎて強制労働の人員が足りなくなったので、今度はアフリカ人を連れてきたのだから自分勝手もいいところだが、それが植民地の事情である。

スペイン・ポルトガルの男たちは、皆殺しにしたインディオから性処理用の女たちはちゃっかりと自分用に取っておき、かつアフリカから連れてきた奴隷からもやはり女を適当に選んではセックスの相手に使った。

やがて現地では、先住民の女と黒人の女が白人の子供を産み始めるようになる。混血の子供は以下のように呼び分けされた。

白人男+インディオ女=メスティーソ
白人男+黒人女=ムラート

これとは別に、黒人の男とインディオの女との混血も生まれるようになった。当時は禁止された組み合わせだったのだが、そんなのはお構いなしだったようだ。

黒人男+インディオ女=サンボ

この「メスティーソ」「ムラート」「サンボ」という3つの混血児がさらに別の混血児や人種と結婚すると、さらに複雑な組み合わせになる。


民族が混合したメスティーソ、ムラートを表現した絵画

やがて3代目、4代目になると、自分の祖先はすべての人種の血が混じっているという人間が膨大に増え始め、やがてはそれがブラジル人のアイデンティティになっていく。ポルトガル人もスペイン人も最初はそれぞれの組み合わせに名前をつけていたようだが、そのうちに数が多くなっていくと誰も覚えられなくなって忘れ去られていった。

インドで、白人系アーリア人がインダス文明の担い手だったドラヴィダ族を征服していく過程で起きた民族ごった煮のマサラと、まさに同じ状況がラテンアメリカで起きていたということだ。

征服されて、血が混じり、その結果、すべての民族の素晴らしい部分を全部身につけたような薔薇のように美しい女性が生まれて来るのである。

この民族混交の過程に暴力が交じると、さらに女性は美しくなる。それはなぜだか分かるだろうか?

暴力の頂点に立った男たちは「美しい女たち」を選別するからである。美しい女性が産む子供は、やはり遺伝子に美しさを兼ね備えている。

ラテンアメリカのカラード(混血)の女性が美しいのは、男たちが最初に美しい女性を選別したからである。それが後の確率に及ぼす影響は大きいはずだ。
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_28.html

安くて従順な子供を、朝から晩までこき使う資本主義の裏の顔
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/413.html

殺戮大陸メキシコの狂気 被害者の下着が舞うレイプ・ツリー
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/410.html


17. 中川隆 2013年3月03日 20:13:59 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

インド人とは何か? _ ヨーロッパのY遺伝子分布
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/680.html

18. 2013年4月27日 11:54:41 : W18zBTaIM6

西尾幹二 日本人が戦った白人の選民思想[桜H25/4/24]
http://www.youtube.com/watch?v=gj4gX5UiEos&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&index=6



19. 2013年6月10日 08:06:35 : I0nYTxtAPQ
これ全部英訳して、海外掲示板に貼り付けてきたらいかがですか?
おそらく大バッシンクされると思うけど。

20. 2013年6月17日 02:51:26 : VJ6G5aTo8o
英訳がめんどくさいよね
狂ったようにバッシングするほど概ね事実だと意識下では認識してんだろうね
白人様は
認めたくないことは声高に叫んで打ち消さないとまずいからなあ

21. 2013年7月29日 21:55:44 : FSaAIJ4tiM
原発事故を的確に予知していることが凄い。
教科書に載せるべきこと満載。

22. 2013年9月19日 19:14:02 : ZeOPJ8HezA
白人は見えるんだよ。体と脳の鍛え方が違う。危険察知能力も速い。
俺らやお前らはイラナイものばかり食べて脳みそが腐るばかり。

23. 2013年9月19日 19:39:09 : ZeOPJ8HezA
>>06. 黙れブス嘘をつくな 実はお前は目が1つしかない妖怪なんだよ

と宇宙的な白人は言う 白人は うつくしい

白人を形容する日本語はない。漢字文化圏は白人に勝っていないからだ。


24. 2013年9月19日 19:41:40 : ZeOPJ8HezA
白豚は美しくない

白人は硬い


25. 中川隆 2013年10月20日 11:40:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html

アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ白人だった
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/183.html


27. 2014年7月28日 22:13:15 : K4eg2xDmZ4
確信突いてるね〜
この人はよく勉強していると思う
そのうち英訳して野蛮人どもに叩きつけにいきます

28. 2014年9月18日 12:50:06 : 132f8rRfcg
いつもの事だが、投稿文が長すぎて睡眠時間たっぷりとっても最後まで読めたためしがない。時折 お〜ところどころいい事も書くじゃないのと感じるも最後のオチまで辿りつけないのでこの方は浮世の人ではないと思う事にした。 ところで小生も若い頃ロシアの金髪白人美人と少々付き合っていましたが、5m位離れるとスーパー好い女だが至近距離だと鼻が高すぎたり血管が皮膚から透けて見えたりと何かこの世のものとは思えないと感じた時もありました、足を組んで仏丁面しているところなぞ孤独のオーラが溢れて可哀相な雰囲気も持っていました。 そんな事よりどうしてあんなに老けが早いんだろうね優秀な DNAをお持ちならもうちょっと長く容姿を維持して貰いたいもんですが。

29. 中川隆 2014年10月20日 11:42:54 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

これも読んでね:


日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html

どうしても言う事を聞かない意固地なアジア人メイドでもこのお仕置きさえすれば直ぐに素直ないい子に変身する
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/302.html


30. 2014年11月08日 01:07:35 : xSk6YIeyxC

【動画】白人男による東京の女のナンパセミナー 「ピカチュウwとか言ってればあいつらアホだから簡単にハメれるw」
beチェック

1 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2014/11/05(水) 20:55:36.86 0.net
http://www.youtube.com/watch?v=grV1iDns87s

"Pick-Up Artist" pushing Japanese women's heads down to his crotch

白人が日本で大暴れ
「東京の女は白人というだけでハメれるw」
「ピカチュウwとか言ってればあいつらアホだから簡単にハメれるw」
「日本ではHしほうだい」(字幕)


6:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/05(水) 21:01:54.09 0.net

事実だからしょーがねえなあ
白人の男からすりゃ楽園だと思う日本って

12:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/05(水) 21:07:46.93 0.net

確かに今の20ぐらいの若い子はピカチュウ世代だけどさ


28:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/06(木) 07:55:15.68 0.net

馬鹿にされすぎでしょ

27:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/06(木) 03:22:52.61 0.net

っいうか女性団体が怒るべきだよね

31:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/06(木) 14:17:24.18 0.net

外国人を生理的に受け付けない女も居るけどな

14:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/05(水) 21:08:38.26 0.net

結婚するなら田舎の子に限るな

16:名無し募集中。。。@\(^o^)/: 2014/11/05(水) 21:10:28.85 0.net

田舎の方がセックスしまくりだよ

http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/morningcoffee/1415188536/


31. 2015年6月18日 19:53:45 : xY3YTAso1I
ブスは子供だけが生きがいだから母性的になる
美人は子供をほったらかして色々な男と遊びまわる


なので
母性的な女性を淘汰する = ブスを淘汰する

ハイ違いマァ~ス

まず
正しい定義を行いマァ~ス。

ブスで遊ぶ女 ブスで子育てをする女
美人で遊ぶ女 美人で子育てをする女
はい。
あなたは遊び人ですかぁ〜?それでブスは遊びにくんな!と行った事を言いたいようですか?
AHAHAHAHA!
遊びは遊びです。それはそれです。
美人とは関係がアリマセェ~ン。
どうも流れが美人を作り出していると言いたいようですが、あなたが流れているだけですね〜。それで流れは美しさを損なうことから大変あなたはザンネンデェ~ス。
流れは安定を欠きます。だから美しさを損なう事はあっても、作り出す事はアリマセェ~ン。
安定の状態は部分的なもので、どの方向にも安定していることが美しさとなりまぁ〜す。
白人の顔は分かりやすく固まっていますから、分かりやすい顔で美しいと勘違いしてしまいますが、実際はそこまで美しくはアリマセェ~ン。雑なのです。
どこの国にもある程度の安定はありますが、最も安定している事はもっとも都会であると言う事でアリマァ~ス。ですからもっとも人口が多い国の中国人がもっとも美しいとナリマァ~ス。
インド人も人口が多いですが次点デェ~ス、残念デスネェ~。
白人など人口が少ないです。また都市も小さいですから、小さい物を安定させても本当の安定とはイエマセェ〜ン。
安定を欠いていると、安定が損なわれていて、遺伝子も損なわれてしまいマァ〜ス。
すると、小さい範囲では安定していて美人にはなれますが、大きな範囲でみればあまり安定していない事になるのデェ〜ス。
白人の人は顔が分かりやすい形に名っていますので小さい範囲では安定しているかもしれませんが、大きな範囲の安定が欠いています。当然デェ〜ス。
なぜなら世界中を移動しているからデェ〜ス。白人の生き方は既にヨーロッパにアリマセェ〜ン。位置が安定して定まっていないので、いつも変動した動きにさいなまれているのデェ〜ス。筋肉の動きも見なければ顔の形はワカリマセェ〜ン。
顔は表面があまりですぎると、横から見た横顔と前からみた顔の統合性が乱れやすく、美しさがどうしても激しい落差の中で保たれマセェ〜ン。
ですので美しさが簡単に欠損したり、落差の中で妥協してそこまで美しさが高まったりする事が出来マセェ〜ン。
これも白人の難しい性質デェ〜ス。限界があるのデェ〜ス。それもこれも白人の塊の強さ、硬さが生み出した限界デェ〜ス。
やわらかく派手に顔が凹凸していない中国人が一番美しくなり得るのはこういう事なのデェ〜ス。
形が変わりやすいので、ちょっとの凹凸を変えて安定を保ちやすいのデェ〜ス。
形が派手であるほうが美しいと言うのは、形が派手すぎてその間のバランスを見誤りやすいからデェ〜ス。実際に大きなバランスを見ればそれほど安定しているわけでもアリマセェ〜ン。どこの国にも美人と不細工は常にいますが、特に人口が多い国にこそ美人がいるといえるでしょ〜。
セックスの多さと安定は関係がないですが、まったく動かなくても安定は保たれる事から推して図られるべきでショウ〜。


32. 2015年6月19日 01:37:30 : xY3YTAso1I
なぜ顔の凹凸が激しい人たちが美しいのでしょうか。
楊貴妃は鉤鼻だとか言う人もいます。
過去の記録も堀が深いと言ったといいます。
しかし大きな凹凸は安定を欠いていると言う事です。
美しい顔とは安定していなければいけません。

ドイツなどの美しい顔の研究学者は
あまり欧米の凹凸の激しい顔は曲線が極端で
統合性を大きくはずしており唯闇雲に凹凸が凶暴であるだけだといいます。
インド人などが最も安定しているといい、あまり東洋人と事なりがありません。
東洋では顔は安定を重視している為、凹凸が出過ぎません。
ですから凹凸があって遊びがある顔では無いでしょう。
しかし安定では美しさがあります。
統合性も取られやすいです。
西洋人ではパーツのバランスを拡散的に取るだけですが
東洋人ではまずパーツ以前のエリア指定のバランスを重視されています。
ですから中国人など文明の中心地であるほど、バランスの選択は激しいものです。
当然安定は極致であって疑いもないです。
当然平らでつまらない顔もありますが、バランスは良いです。
このバランスをもって、平面での安定を由とするのです。
西洋人では美しいバランスを数学的に言うだけですが
東洋人ではバランスを持つエリア指定の意味を問います。
エリア指定とは、既にパーツのバランスを超えたエリアの意味を問うているもので、
これは非常に高度です。
ですから、一見偏屈な顔に見える中国人でも、顔は完全にバランスを取っているのです。バランスを取った上での極限的なバランスの取り方が乱れを生み出し、小さなパーツの変動を特徴付け、変な顔に見えます。しかしバランスが取れた上での激しいちょっとした変わりなのです。
中国人ほどの輪郭のまとまりは他の民族にはありません。
中国人にも色々いますが、総じて高い安定を持っていて、頂点です。


33. 2015年7月10日 01:26:14 : foQu5fNBfh
気違い中国人のたわごとが長くて邪魔過ぎWWW

34. 2015年8月06日 02:02:25 : GYA0ojv8V6
色盲は病気じゃないからな
根絶するのはおまえだろ笑

35. 中川隆 2015年10月29日 12:39:19 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

2015/04/08
ヨーロッパ人はいつ、どのように白い肌を持つようになったのだろうか。

私たちは`欧州人らは本来、肌が白い色だった`と考えがちだ。 しかし、

最近発表された研究結果
http://news.sciencemag.org/archaeology/2015/04/how-europeans-evolved-white-skin


によると、白い肌、大きな鍵、成人になっても牛乳をこなすことができる能力などの形質が欧州に現れたのは比較的最近だ。 先週、米セントルイスで開かれた米国自然人類学会84回定例会議では、欧州で最近行われた進化に対する劇的な証拠が提示された。 総合的に見ると、今日のヨーロッパ人たちは8,000年前にヨーロッパ大陸に生きた人々とあまり似ていないという。

ここ数年間、古代人類集団のゲノムが解読され、欧州人の起源問題が注目を受けてきた。 今年初め、ある多国籍研究チームは、欧州全域の考古学遺跡地で採取した古代人83人の遺伝体を対象に、DNAの核心部分を比較分析して、"今日のヨーロッパ人たちは少なくとも3種類の狩猟採集人や農耕民集団が混ざって誕生しており、これらの集団は過去8,000年間にわたって、独立的にヨーロッパの地に移住した"と明らかにしている。 また、この研究結果によると、

"今から4,500年前の黒海北方の草原に住んでいたヤムナヤ遊牧民(Yamnaya herders)
http://news.sciencemag.org/archaeology/2015/02/mysterious-indo-european-homeland-may-have-been-steppes-ukraine-and-russia


が大規模に移動しながら、インド・ヨーロッパ語を欧州に伝播した"という。


研究陣は後続研究を通じ、先週8,000年間、強い自然選択を受けた遺伝子(形質)、すなわち`欧州の環境に適合して過ぎた8,000年の間、ヨーロッパ全域に急速に広がった遺伝子(形質)`が何かを集中的に分析した結果を発表した。 ハーバード大学のデービッド・ライヒ教授(個体群、遺伝学)の研究室で博士後過程を踏んでいるこの子はマディソン・(遺伝学)が主導する研究陣は、古代ヨーロッパ人の遺伝体を現代のヨーロッパ人たちの遺伝体と比較して、"食生活や肌の色素に関連された遺伝子5つが強い自然選択を受けた"と報告した。 (現代のヨーロッパ人たちの遺伝体データは"1000 Genomes Project"で得た。)


今回の研究の核心内容は次のようだ。 第一に、研究陣は、今回の研究で`今から8,000年前にヨーロッパの狩猟採集人は乳糖を消化させることはできなかった`は、先行研究結果を再確認した。 また、研究陣は興味深い事実の一つを追加で発見したが、それは最初の農耕民も乳糖を消化できなかったのは同様だ。 すなわち、(7,800年前に近東地方から移住した)農耕民と(4,800年前の黒海沿岸の草原で移住した)ヤムナヤモクチュクイたところではLCT遺伝子がなくて、成人になると牛乳の中の乳糖を消化させなかったということだ。 研究陣によると、欧州全域に乳糖消化遺伝子が広がったのは約4,300年前という。


第二に、肌の色に関する研究結果を見てみよう。 研究陣によると、様々な場所で進化がモザイク式で起きた情況をとらえていたという。 つまり、3つの独立的な遺伝子が白い肌の誕生に関与したことが明らかになって、この8,000年間ヨーロッパ人の皮膚がますます白くなったストーリーは非常に複雑なことが明らかになった。 アフリカで出た現生人類は本来約40,000年前にヨーロッパに定着したが、その時は肌の色が濃いたために日照量が多い低緯度地方に住みに有利だったものとみられる。 ところで、今回新たに提示されたデータによると、約8,500年前、スペイン、ルクセムブルグ、ハンガリーの初期の狩猟採集人たちも、濃い色の肌を持っていたという。 つまり、彼らは2個の遺伝子(SLC24A5、SLC45A2)がなかったと言いますが、この遺伝子は肌を脱色させ、今日のヨーロッパ人のように青白い肌を持つようにする役目を果たす。

しかし、もっと北地方(太陽の高度が低く、青白い肌の色が有利な地域)に上がれば、状況が変わる。 研究陣がスウェーデン南東部モタルラ遺跡地で採取された7,700年前のヨーロッパ人7人の遺伝体を分析した結果、彼らはSLC24A5とSLC45A2をすべて持っていたことが明らかになった。 また、彼らは第3の遺伝子であるHERC2/OCA2を保有していたこととなったが、これは、青い目、白い肌、金髪に関与する遺伝子という。 したがって、北欧の狩猟採集人はすでに7,700年前に白い肌と青い目を持っていたが、中部および南部のヨーロッパ人はまだ黒い肌を持っていたという話になる。

一方、極東地方からヨーロッパに到着した最初の農耕民たちの遺伝体を分析した結果、彼らはSLC24A5とSLC45A2をすべて持っていたことが明らかになった。 研究陣によると、彼らはヨーロッパの原住民(狩猟採集の)と異種交配を通じて二つの遺伝子の一つ(SLC24A5)を欧州全域に広め、、中部および南部ヨーロッパ人たちが白色の皮膚を持ち始めたという。 また、他の遺伝子(SLC45A2)は5,800年前以降に出現頻度が目立って増加したという。


第三に、研究陣は乳糖消化能力と肌の色以外にも多様な形質に関する遺伝子を分析した。 例えば、鍵の場合、多くの遺伝子が相互作用した結果誕生した形質であることが明らかになった。 先に8,000年前北部及び中部欧州で腎臓と関連された遺伝子がいくつかが強力な選択を受けており、4,800年前ヤムナヤ族が移住し、ヨーロッパ人の身長が一層高くなったのが明らかになった。 ヤムナヤ族はすべての種族の中で`背が大きくなる可能性のある遺伝的素因`を最も多く保有したものと推定されるが、このような推定は彼らの骨格を測定した結果と一致している。 これと対照的にイタリアとスペインで背の低い形質が選択され始めたのも8,000年前のことだと言う。 特にスペイン人たちの背が低くなり始めたのは6,000年前のことで、多分も寒い天気と貧弱な献立に適応した結果であると考えられる。

ところが、驚くべきことは、免疫に関連された遺伝子のうちでは強力な選択を受けたことが一つもないことが明らかになったということだ。 これは`農業が発達した後に疾病が増加した`は従来の仮説と正面に配置される。


今回の研究では特定遺伝子が強力な選択を受けた理由を具体的には明示しなかった。 しかし、ペンシルベニア州立大学のニーナジャブルロンスキー教授(故人類学)によると、

色素遺伝子の突然変異が必要な理由は、`ビタミンD合成を最大化するために`という。
http://www.sciencemag.org/content/346/6212/934.summary?sid=91e8ebfd-8581-4bd7-bac5-26dc16bf5a87

つまり、北欧に住む人たちはしばしばUVを十分に当てず、ビタミンD合成が不足するので、自然選択を通じて二つの遺伝的な対策を講じたということだ。 最初の解決策は青白い肌を進化させることで、UV吸収を増加させることで、2番目の解決策は乳糖消化能力を増加させ、乳糖とビタミンD(牛乳に多く存在すること)を多く摂取することだ。

"欧州で白人が出現した理由についた従来の説明はとても簡単ていた。 しかし、今回の研究によると、人口が北に移動しながら多様な選択が複合的に作用して白人の多様な形質を形成したものとみられる。 今回の研究は最近、8,000年の間、ヨーロッパで起きた進化をよく説明した"とジャブルロンスキー教授は、論評した。 一方、ペンシルベニア州立大学のジョージ・ペリー教授(人類遺伝学)はこのように論評した。 "今回の研究は人間の遺伝的可能性が食生活や生息地環境への適応によって形成される過程をよく説明した。 今回の研究によって、私たちは自然選択が働くメカニズムをよりよく理解できるようになった。"
http://scitechlog.blogspot.jp/2015/04/blog-post_8.html


36. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月21日 10:02:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[363]

世にも奇妙な物語 魔女
https://www.youtube.com/watch?v=feEkR9ViYVo

世にも奇妙な物語 懐かしい人々
https://www.youtube.com/watch?v=EnBvobTvg0E

エマニエル夫人 YouTube動画 o-japan
Emmanuelle (1974) Version intégrale en français
http://www.o-japan.com/?q=%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%A4%AB%E4%BA%BA

厳選 海外美女画像
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/526.html


37. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月21日 13:03:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[364]

Emmanuelle(エマニエル夫人)− Pierre Bachelet
https://www.youtube.com/watch?v=1lv9YlTiR3s


なぜフランス人とドイツ人は性的タブーを破り捨てたいのか?


イタリア人やスペイン人は、全般的に女性好きにも関わらず、あまり幼児性愛には関心がないように見受けられる。彼らは幼女ではなく、「女性」にぞっこんだ。陽気であけっぴろげだ。

しかし、北欧あたりの男たちが幼児性愛に関心があるようで、フランス・ドイツあたりの男がどうも他と違う。

特にフランス人が性的に不思議な感覚を持っているように見える。ディープキスは昔はフレンチ・キスと言われた。フランス人が好んでいたキスだったからだ。

フェラチオはフランス人がする変態行為だと言われていた。他の民族でそれは一般的ではなかった。フランスの性的な放縦さは突出していた。

また、ドイツも奇妙な性の探求で有名な民族だ。どうも、フランス人やドイツ人は性的に何か深いものを隠し持っている。


性に関して何かタブーを破ろうとする負のエネルギー

フランスと言えば、子供が怖がるほどに精巧に作られた「フランス人形」が伝統にある。

実はフランス人形を量産化させたのがドイツ人形で、やはりとても精巧で薄気味悪い感じがする。人形なのにリアルすぎるのである。

あれを見ても何か子供のためではないような、退廃的なものを感じてしまう人は多く、実際にロリコン気質のある男たちがそれをコレクションしていることで有名だった。

フランス人やドイツ人はロリコン気質があるのだろうか。実はあるかもしれない。アジアやアフリカで、ロリコン狂いをしているのはフランス人やドイツ人が多い。

彼らがその旧植民地をさまよってやっていることを見ていると、どうもロリコンだけでなく、セックス全体のタブーをあえて冒したいという意識すらも感じる。

どうもフランス人(と、ドイツ人)は性に関して何かタブーを破ろうとする負のエネルギーがあるように思えて仕方がない。

アジアの闇の中で、誰がどこにいたのかを後々よく考えてみれば、どうもそういう疑念が浮かんでしまう。

そこでふと思ったのが、「サディスト」の元祖マルキ・ド・サドのことだ。

サドは今でもその名を知らない者はない。未亡人を暴行したり、娼婦を虐待したりして刑務所と精神病院に放りこまれたが、そこで壮大な暴力小説を書いて、それが歴史に残った。

『ソドム百二十日』『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』『悪徳の栄え』などを読むと分かるが、そこには暴力と反体制にまみれた描写が執拗に続き、そのあらゆる不品行と堕落には陶酔さえ感じる。

サドはフランス人だった。

人形なのに、どこか精巧すぎて気味が悪いフランス・ドイツ人形。


堅苦しい社会をぶち壊したいという自由への欲求

また1970年にエマニエル夫人という映画が公開されて、そこから女性たちの性的概念の「パラダイムシフト」が起きた。

原作者は「タイ・バンコク生まれ」の女性エマニュエル・アルサンだった。

ジュスト・ジャカン監督シルビア・クリステルの映画は大ヒットして1970年代は、その亜流で映画が埋め尽くされた(この亜流のひとつである「ブラック・エマニエル」の主演女優はインドネシア人だった)。

私がエマニエル夫人を見たのはずっとあとの話だが、あの映画を見てもエマニエルの「哲学」がよく分からず、しかたがないから原作を買って読んでやっと何が言いたいのか理解した。

フランス文学はどれもそうだが、自己客観視と哲学に溢れている。この小説もまたそうだった。

もうこの小説を顧みる人もいないが、その根底を貫く哲学が「反処女(アンチ・バージン)」の概念だったのだ。

これはもちろん、キリスト教の強烈なアンチテーゼである。

私は今でもこのアンチテーゼを持ち出したエマニュエル・アルサンという女性に惚れている(シルビア・クリステルに惚れているわけではない)。

このエマニュエル・アルサンもまたフランス人だった。

フランス人であるサドもエマニュエル・アルサンも、その強烈な性的反逆を提示したのだが、この両者に共通するのが「反キリスト」の概念だ。

反キリストとは何か。表面を見ると、キリストや聖書に反対する立場のことを指す。

しかし、堅苦しい社会をぶち壊したいという「自由への欲求」でもあったのである。

宗教の堅苦しい枠から抜け出して、規定された常識に縛られず、自分の感覚のままに生きていきたいという欲求だ。

貞操や、常識や、文化に縛られたくない。自由に人を好きになり、自由にセックスを楽しみ、自由に振る舞いたい。

それは宗教に反しているのであれば、自分は自由のために「反キリスト」になりたい。そういう感覚が、「タブーを破りたい」というエネルギーにつながっていく。

映画「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル。この映画が全世界の女性を性道徳から解放した。


ロリータも原作がドイツで、出版がフランスだった


1962年の映画「ロリータ」より。ドイツの原本にロシア系アメリカ人が着想を得てフランスの出版社が世に出して、これが映画化された。

そう考えると、フランス人やドイツ人が秘かに惹かれている幼児性愛(ペドフィリア)もまた、タブーを破る反キリスト的な行為であることが見えてくる。

ところで、幼児性愛のことをロリータ・コンプレックスと言うこともある。このロリータは小説「ロリータ」から取られた言葉だ。

この小説を書いたのはロシア系アメリカ人ウラジーミル・ナボコフなのだが、あちこちの出版社に断られて、最終的に出版の許可を出したのはフランスの出版社だった(ここにも「反キリスト」的なフランスが登場する)。

そして、このロリータには後日談があるのだが、この小説の原作がまた存在していて、こちらを書いたのがドイツ人ハインツ・フォン・リヒベルクだったという話だ(今度はドイツ人が出てくる)。

反キリストのニーチェもドイツ、サドの対極にあるマゾ(マゾッホ)はオーストリア(ドイツ圏)。ロリータも原作がドイツで、出版がフランス。

厳格なキリスト教がこの地域に根づいた反動なのだろうが、性的に逸脱したすべての概念もまたこの地域から生まれている。

彼らの中の反キリスト感情と、後進国で彼らが秘かに行なっているロリコン犯罪……。

ずっと心に引っかかっているのがフランス人・ドイツ人の、陰湿な性の探求だ。

彼らの中にある反キリスト、反道徳。もう彼らにはキリストは負担になっているのだろう。だから、そこに性のタブーを覆したいという欲求が見える。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120912T0004430900.html

シルビア・クリステル死去。エマニエル夫人で一世風靡した女優 2012-10-18


シルビア・クリステルが死んだ。2012年10月18日、60歳だった。癌を患い、2012年7月には脳卒中を起こして寝たきりになっていた。それから3ヶ月で亡くなっているので、最期は意識もなかったのかもしれない。全世界の女性の性意識を転換させた女性の静かな死だった。

シルビア・クリステルという女優は、多くの映画で人々に感銘を与えた女優ではなかった。50本近くの映画に出ていたが、ただひとつ「エマニエル夫人」の3部作のみで人々の記憶に残った。最初から最後までエマニエルの呪縛から逃れることができなかったという言い方もできる。しかし、いろいろなインタビューを読むと、彼女はむしろそれを誇りにしていたようだ。

「エマニエル夫人」が、彼女の人生の使命だったのだ。

女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ

「エマニエル夫人」は特異な映画だ。原作も駄作、映画自体もそれほどよくできた映画でもない。映画史から見ると、「エマニエル夫人」はキワモノであり、賞を与えるほどの名作でもなく、大金をかけた大作でもない。

しかし、シルビア・クリステルが映画の中で見せた瑞々しい肉体は、そのすべてを吹き飛ばし、全世界の女性にアピールした。時代が求めているものを、彼女は表現していたのだ。

1970年代はヒッピー・ムーブメントの時代であり、これは時代を縛っていた様々な既成概念を壊す動きだった。この打ち壊すべく既成概念のひとつに「女性の貞操観念」があった。

「女性はもっと権利を主張すべきだ」
「女性は自らを解放すべきだ」
「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」


ウーマンリブの概念が生まれたのもこの頃だし、女性の社会進出が求められたのもこの頃だし、フェミニズムという思想が生まれたのもこの1970年代だった。この中で、「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」という部分の起爆剤になったのが、シルビア・クリステルの「エマニエル夫人」だったのである。

1970年代の女性たちはこの映画で、シルビア・クリステルに導かれるように「性を謳歌する」道を歩み始めた。だから、この映画は「映画」として重要なのではない。「社会史」として重要なものだったのだ。

最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか

エマニエル夫人は、ただの映画でも、ただのポルノでもなかった。時代が求めているものを表現したものだった。巧みな宣伝と、シルビア・クリステルの美しさと、映画全編に流れる美しい音楽すべてが相乗効果を発揮していたとも言える。

彼女のあとにも様々な女性がエマニエルを演じたし、エマニエルの亜流もまたたくさん作られた。しかし、そのどれもが興行的に失敗しているし、歴史の風雪を乗り越えることもできなかった。 実は、エマニエル夫人も「エマニエル夫人」「続エマニエル夫人」「さよならエマニエル夫人」と立て続けに作られたが、強い影響力を持って覚えられたのは、最初の「エマニエル夫人」だけだった。

なぜなのか。

実は、原作をなぞって作られた最初の映画には、美しさの裏に大きな「毒」が仕掛けられていたからだ。その「毒」は、原作を読んだ人間だけが知っているものだ。その「毒」を表現していたのが、まさに最初の一本だったのである。「続エマニエル夫人」と「さよならエマニエル夫人」は、ただヒットに釣られて作られた映画であり、原作の持つ「毒」はそこに表現されていない。


いったい、この最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか。それは、実はブラックアジアで答えを書いた。ブラックアジアの会員の方は、その「毒」をもう一度確認してみて欲しい。

伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?

エマニエル夫人。汚れて「いない」と感じるのは恐ろしいわ


本当のエマニエル夫人の裏にあるものを知らなければ、何があったのか、何も分かっていないのと同じだ。答えはこの図が示しているものだ。

女性の肉体は世の中を変える力がある

多くの人たちは映画「エマニエル夫人」の奇妙な物語の裏側に何が隠されているのか、その意図を知ることもないし、見ることもない。ただ、シルビア・クリステル演じるエマニエル夫人が、性的に解放されていくという部分のみに目を奪われてしまっている。

しかし、エマニエル夫人を取り巻く男たちの言動はとても奇妙で、異様な哲学を持っている。その哲学は、現代になってもまだ実現していない先進性を持ったものである。そして、その一見、奇妙に見える哲学の裏側にあるのが、「毒」だったのだ。

「伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?」で示したフランス版の奇妙なイラストは、ひとつのサブリミナルになっていた。

しかし、そういった毒を毒と感じさせなかったのが、シルビア・クリステルという美しい女性の肉体だった。

毒のあるリンゴであっても、とても美しければ食べてみたくなる。時代は毒リンゴを求めていて、だからエマニエル夫人はその象徴となった。

女性の肉体は世の中を変える力がある。

これは、常にブラックアジアのひとつのテーマでもある。今、インドで「女性の肉体が世の中を変える」動きが加速していることも書いた。


エジプトでも起きている。(アリア・マフディ。あっさりと裸をさらしてイスラムに反抗 )

1970年代に、シルビア・クリステルが示したのがまさに、これだった。

「女性の肉体は世の中を変える力がある」
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121019T0049500900.html


38. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 10:24:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[419]

ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか?

『楽園への道』

  「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。

「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。二人は、祖母と孫の間柄でした。

41歳で亡くなったフローラの短い人生を象徴するのは、彼女を絶えず襲う膀胱と子宮の痛み、そして心臓の近くに食い込んだ銃弾でした。原因は、夫であった版画家のアンドレ・シャザル。ペルー人の父親の死後、貧困な生活の中で母親から無理強いされた結婚。「夫と暮らしたあのぞっとする4年間に、一度として愛の営みをしたことがなかった。毎晩、交尾した。いや、交尾させられたのだ」。この下腹部の痛みは、結婚以来続いています。胸の銃弾は、フローラが裕福な叔父のいるペルー(夫からの逃亡先)からフランスに戻り、自らの半生を書いた自伝で成功を収めたときシャザルに撃たれ、手術後心臓近くに残ったものです。

 アリーヌは、シャザルとの間のフローラの3番目の子供。アリーヌは、シャザルに3度誘拐され、強姦されます。フローラはシャザルを告訴し、その争いの中で、シャザルに撃たれたのです。不幸な娘アリーヌは、ジャーナリストのクロヴィス・ゴーギャンと結婚し、ポールを生みます。1848年の革命後、クロヴィスは家族を伴って、新天地を求めてペルーに向かいます。しかし旅の途中で病死し、アリーヌは二人の子供とともにペルーへ。ペルーでは、裕福な祖父の弟に歓迎され、アリーヌも子供たちも、生まれて初めて幸福な日々を送ります。ポール・ゴーギャンが、南の地に「楽園」をイメージするのは、このときの体験によるものです。

 ポール・ゴーギャンは1891年6月、タヒチに到着します。43歳のときです。93年に一度フランスへ帰りますが、95年再びタヒチへと戻ります。1901年9月にタヒチから更に「未開」の地マルキーズ諸島に移り、03年に55歳で亡くなるまでその地に住み続けました。

 タヒチでの最初の妻テハッアマナをモデルに描いたのが『マナオ・トゥパパウ(死霊がみている)』。裸でうつ伏せになったハッアマナがトゥパパウ(死霊)に怯えている。ヨーロッパがなくしてしまった幻想的な経験に、ゴーギャンは興奮に震えます。

 『パペ・モエ(神秘の水)』。樵の少年と彫刻の素材を探しに、山に入っていきます。冷たい水の中に入り、少年が身体を寄せてきます。「青碧色の空間、鳥のさえずりもなく、聞こえるのは岩に当たるせせらぎの音だけで、静寂と安らかさ、解放感が、ここはまさしく地上の楽園にちがいないとポールに思わせた。またもやペニスが硬くなって、かつてないほどの欲望に気が遠くなりそうだった」。ゴーギャンは、マフー(両性具有者)に、偉大な異教文明ならではの自然さを感じます。著者バルガス・リョサのホモ・セクシャルなシーンは、ここでも美しい。

ゴーギャンは主張します。「美術は、肌の白い均整の取れた男女というギリシャ人によって作り出された西洋の美の原型から、不均衡で非対称、原始民族の大胆な美意識の価値観に取って代わられるべきで、ヨーロッパに比べると原始民族たちの美の原型は、より独創的で多様性に富んでいて猥雑である。・・・

原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾ること、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している」と。


 盲目の老婆のエピソードは、ゴーギャンの立ち居場所を示唆して、興味深い。ゴーギャン自身も、極度に視力を衰えさせています。ボロを身にまとった老婆が、どこからともなく現われます。杖で左右をせわしく叩きながら、ゴーギャンのもとにきました。

「ポールが口を開く前に老婆は彼の気配を感じて手を上げ、ポールの裸の胸にさわった。老婆はゆっくりと両腕、両肩、臍へと手でさぐっていった。それからポールのパレオを開いて、腹をなで、睾丸とペニスをつかんだ。検査をしているかのように、彼女はつかんだまま考えていた。

それから表情を曇らせると、彼女は胸糞が悪そうに叫んだ。「ポパアか」・・・
マオリの人々はヨーロッパ人の男をそう呼ぶのだった。」

ポリネシアに「楽園」を夢見てきたゴーギャンの、挫折の場面です。セックスによって原始にアプローチし、そしてセックスによって原始から挫折するゴーギャン。1903年、ひどい悪臭を漂わせながら、死んでいきました。

そして、最も忌み嫌い反抗し続けたカトリック司教の決めた場所に埋葬されました。 墓碑銘としての司教の手紙には、次のように書かれていました。

「この島において最近、記すに足ることはひとつ、ポール・ゴーギャンという男の突然の死だが、彼は評判高い芸術家であったが神の敵であり、そしてこの地における品位あるものことごとくの敵であった」
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/01/post_937b.html


ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

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1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html


 ▼ゴーギャンは何故タヒチへ向かったのか?/金丸好良(自由文筆家)▼

「僕は、ゴーギャンで初めてタヒチを知ったんです。そこで、ゴーギャンが、いかにイカレた芸術家だったのかを話したいと思います。はっきり言ってこの人ヤバイ!フランスからタヒチまでなんて、むちゃくちゃ遠いんです。当時で10週間。70日ですよ。こんなに遠いのに何故行ったのか? じつは、出生に関係があるんです。

ゴーギャンは、1才から7才までペルーに住むことになり、黒人の召使いがいるボンボン生活。友達は、中国人の女の子。これもカギを説く1つです。子供の頃の経験は、のちの人間形成に影響すると言いますから。彼のタヒチ体験の基礎は南米のペルーにあるのです。ここがポイント!

フランスに戻ると協調性のない放浪癖のあるちょっと変わった子供で、馴染めなかった。義務教育が終わると、ゴーギャンは見習い水夫に。海への憧れが強かったんですね。彼は何を求めていたのか?『楽園(パラダイス)』です。彼にとって、幼少時代のペルーの生活がまさに楽園だったんです。ゴーギャンは、一生この『楽園』を探し続けるのです…」
http://www.peaceboat.org/cruise/report/32nd/apr/0420/index.shtml

わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。

ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。

〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891)

〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01521.html

『ゴーギャン オヴィリ』
一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。

ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。

もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。

ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)

これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。

中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)

ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。
http://www.msz.co.jp/news/topics/01521.html


ピトケアン島の出来事

 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。

 副航海長フレッチャー・クリスチャンに指揮された反乱水夫たちは艦長のブライを拘束、ブライは艦長派と目された乗組員とともに小型のボートに乗せられて茫洋たる太平洋に放り出された。反乱者たちは、ブライたちは死んだだろうと思っただろうが、艦長たちは奇跡的に小型ボートではるか3700マイル離れたオランダ領のインドネシアまで航海することに成功した。遠く離れた南太平洋上のこととはいえ、イギリス海軍が反乱者たちをそのままにしておくわけがない。追手が差し向けられ、クリスチャン一味の捜索が行われた。追跡部隊はバウンティ号の航海の目的地であったタヒチ島に残っていた乗組員たちを拘束することには成功したが(うち、3名が絞首刑となった)、バウンティ号とともに太平洋に消えた残りの者たちの行方は杳として知れなかった。

 バウンティ号と反乱者の一党の行方がわかったのは、それから約20年後の事である。アメリカの捕鯨船が、名前は付いているが上陸されたことのない島、ピトケアン島に立ち寄ったところ、バウンティ号の乗組員とその子孫たちを発見したのである。クリスチャンたちは、タヒチの女性と男性を連れて発見されにくいピトケアン島に逃げ込んでいた。

 しかし、反乱者たちは、女性と酒が原因で同士討ちを演じ、アメリカの捕鯨船に発見された時に反乱のメンバーで生き残っていたのは水兵のジョン・アダムス一人だけであった。ジョン・アダムスは敬虔なキリスト教徒となっており、ピトケアン島は白人とタヒチ女性の混血からなる一種のキリスト教の桃源郷となっていた。

 この軍艦バウンティ号の反乱は日本ではそれほど知られていないが、西洋ではかなりメジャーな事件で、海洋の事件としてはタイタニック号の遭難に匹敵するほどの知名度を誇るといい、欧米では多数の研究や小説があり、戦前から何度か映画化もされている。また、バウンティ号の復元船も作られているという。

 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。これは牧歌的で、敬虔なキリスト教徒たちの住む島である、というピトケアン島のイメージを著しく損なうものであり、刑事事件にも発展した。その経緯は、インターネットのフリー百科事典の「ウィキペディア」にも詳しく記述されている。

「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(英語)
「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(日本語)

 ピトケアン島の男性たちの擁護として、ピトケアン島に移り住んだ反乱者たちはタヒチの女性を妻としており、反乱当時のタヒチの習慣はかなり性的に自由なものであったから、それを現代の基準で裁くのは酷ではないか、というものがある。
 たしかに、タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。

男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」
 
 また、有名なイギリス人のキャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。

 と、ここまでは割合に知られたタヒチの性習慣である。では、もう一方の当事者、18世紀末のイギリスはどうだったのだろう。

 18世紀のイギリスは、当時としては珍しく、晩婚の世界であったことが知られている。男子の場合は二十代後半、女子の場合でも二十五歳以上で結婚、というのが普通であったらしい。ほとんど現代と変わらないくらいの結婚年齢である。ただ、晩婚である事情は現代とはずいぶん違う。長期の奉公人制度や、結婚生活を維持するための経済力をつけることが難しいために、やむを得ず結婚が遅れていたというのが実情らしい。貴族やジェントルマンに生まれても、長男でないと同じような境遇であった。

 結果、血気盛んな若者たちが思春期から10年以上独身生活を余儀なくさせられることになる。近代のイギリスの勢力の拡大は、これらリビドーを持て余した青年たちのエネルギーによってもたらされたとする見解があるほどだ。

 平均的な結婚年齢はともかくとして、実際にはどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」

 つまり、タヒチだけでなくイギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。

 当時の水兵というのは社会的な身分が低く、監獄に行くよりは船に乗る、という手合いまでいたという。彼らは、たとえイギリスに戻ったとしても結婚をすることは容易ではなく、仮にできたとしても極貧のなかで生活しなくてはならないことは目に見えていた。

 それが、タヒチに来て見ると、本来は結婚相手にしたい十代の女性がいて、生活も安楽である。このままここに残りたい、と思っても不思議はない。実際、タヒチへの航海では、水兵の脱走というのはよくあった。これで水兵たちに同情的な幹部がいたら、反乱になるのはある意味では必然であった。

 艦長のブライは反乱の原因について、

「わたしはただ、反乱者どもがタヒチ人のところでイギリスよりもいい暮らしができるだろうと確信し、それが女性たちとの関係にむすびついて、全体の行動の基本的な動機となったにちがいないと推測するのみである。

(I can only conjecture that the mutineers had assured themselves of a more happy life among the Otaheiteans , than they could possibly have in England; which, joined to some female connections, have most probably been the principle cause of the whole transaction.)(William Bligh & Edward Christian The Bounty Mutiny(2001)11.)」と書いている。

 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。
(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」


 
 キャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


究極のSEX ポリネシアン セックス

ポリネシアン セックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスの奥義を指す。

ポリネシア/ギリシャ語「多くの島々」と言う意味のポリネシアはハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ1辺が約8000キロの三角の内側の島々、イースター島をさす。ミクロネシアは太平洋中西部の諸島群で、カロリン諸島、マーシャル諸島などがある


「エロスと精気」

これは男性上位の力を誇示するようなアクロバットな性技ではなく、ゆっくりとした時間の中でお互いの命の声を聞きながら行う静かな愛の形です。

実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。性交するときは、前戯と愛撫を少なくとも1時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。挿入したのちは、男女は最低30分は身動きせず抱き合って、それから前後運動を始める。

オルガスムがあったのちも、長時間性器を結合させたまま抱き合っている。35分ほどこの抱擁を続けていると、全身においてオルガスムの快感の波が次々と押し寄てくるのを感じ初めることだろう。あなたが男性であれば、射精をしないまま相手と一体になって全身が突然さざ波のように震えるだろう。そうなれば、体を離さずに震え没入し、震えそのものになるべきだ。その時、2人の体のエネルギーが完全に融合している実感をもつであろう。

男性に勃起力がなくなるような感じになった時、女性に性感がなくなるとき、そのときだけ動きが必要になる。その場合でも、興奮の波は非常に高い所にだけ置いておき、ただし、頂点まで昇らせてオルガスムとして爆発させるのではなく、心をおだやかにしてエネルギーのなかに身をまかせるのである。つまり、挿入後に萎えてしまいそうになった時、それを防ぐ為のみ、うごかしてもいいということだ。しかし、そのまま動きに没頭するのではなく、射精に達する前に再び動きを止めて、抱擁を続る。

男女はベットにそれぞれ楽な感じに寝る。2人の上半身は離しておき、骨盤の部分はくっつけ合う。女性は仰向けになり、男性は体の右側をベットにつけて身を起こす。足はお互の体にからませる。男性は左足は女性の足の間に割って入り、女性の左足は男性の腰の左に乗せる。互いに相手の負担をかけることなく、くつろげる姿勢であるとこが重要だと言う。そうして、身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。
http://rena-i.jp/porisex.htm

「ゴーギャン」
南太平洋、フランス領ポリネシア。 タヒチ。

とあるホテルの5つの簡単な決まり事。

1つ、ゆっくり動きなさい。
2つ、気持ちをリラックスさせなさい。
3つ、家に置いてきたペットのことは忘れなさい。
4つ、お堅い話も忘れなさい。
5つ、バターの値段を考えるなんてもってのほか。

この島では、日が昇ったら起き、
お腹がすいたら食べ、
眠くなったら眠るのです。

何もしないで、ただボーッと海を眺めて過ごす。
それが、一番の贅沢。

今日の一枚は、そんなタヒチで描かれました。
といっても、今あるのはアメリカですが・・・。

場所は雪のニューヨーク州、
オルブライド・ノックス・アートギャラリー。

二人の慈善家によって集められた名画の数々・・・。
でも、お目当てはこの先。急いではいけません、ゆっくりと。
そう、この絵が「今日の一枚」です。

「マナオ・トゥパパウ」

ポール・ゴーギャンの作品。

そのポール・ゴーギャンは、
タヒチといえば名前があがる後期印象派の巨匠。

セザンヌを学び、ジャポニズムに走った元日曜画家。

ゴッホとの共同生活でも、自我の強さから喧嘩別れ。
傲慢とわがままを芸術の糧としたポール・ゴーギャン。
パリに失望し、やってきたのがタヒチ。
求めたものは汚れのない原始。

そして、タヒチの女性をモチーフとする
数多くの絵を生んだのです。
強烈な色彩と大胆な構図。
ゴーギャンのタヒチ。

そんな作品のなかで、異彩を放っているのが、
この「マナオ・トゥパパウ」です。

大きく見開かれた少女の目。
凍り付いた視線。
背後にうずくまる不気味な影は?

ゴーギャンが南海の楽園で見つけた原始とは、いったい何だったのか。

南緯17度、西経149度。
1年間の平均気温は25度前後。
タヒチは今でもよく、南海の楽園と呼ばれています。

パペーテはタヒチを訪れた人が必ず立ち寄るフランス領ポリネシア唯一の都会。

ゴーギャンが植民地のタヒチを訪れたのは1891年、43才のとき。
フランスの港を出てから実に2ヶ月の船旅でした。
当時、パペーテの人口はおよそ3000人。
その一割にも満たないフランス人が、タヒチの政治、経済を仕切っていました。
その頂点に君臨するのが、フランス本国から任命された総督です。
当時はカリブ海出身のラカスカードという男。

総督

「タヒチについたゴーギャンが私に会いに来た。
私は快く彼を迎えた。

ようこそゴーギャン君、総督のラカスカードだ。座りたまえ。
このパペーテには教会から病院、カフェーまで揃っておる。
私の自慢の町だ。
パリから来た君でも困ることはないよ。
そうそう、芸術特使の君にぜひ、肖像画を描いてもらいたいというものがおるそうだ。
まずはいい絵を描いてくれたまえ。

おや、何か不満でもあるのかね?」

ゴーギャンは、話の途中で席を立ってしまった。 いったい、何が気にくわないというのだ。

パペーテの街角で、ゴーギャンが見たもの。
それはパリと同じ喧騒、そして香水の匂い。
自分が求めた原始の楽園は、そこにはなかったのです。
失望、そしてこみ上げる怒りに似た感情。

そもそもの発端は2年前。
パリではエッフェル塔が完成。
万国博覧会が開かれました。 鉄が支配する新しい文明の幕開け。
しかし、ゴーギャンが惹かれたのは、同時に開設されていた植民地パビリオンでした。
東洋の神秘、ポリネシアの原始的な荒々しい文化。
パリの文明社会で暮らすゴーギャン。
彼の目に、それは地上の楽園に見えました。

そこでゴーギャンは考えました。
「なんとしてもタヒチへ行こう」と。
あらゆるコネを利用し、海をわたろうとします。
金がかからず、絵が自由に描ける地位・・・
それが芸術特使というフランス本国からもらった肩書き。


ゴーギャンがパリで思い描いた地上の楽園、タヒチ。

そこでは昔からの人々は原始の神々を崇め、ともに暮らしていました。
すべての物、すべての現象に神が宿る、そう考えられていたのです。
神話と伝説の国、ポリネシア・・・。
しかし、ゴーギャンが訪れた時はもはや過去の話。
文明によって古い信仰は捨てられ、神を祀る祭壇もすでに廃墟と化していたのです。

ポリネシア・ダンス。
体で表現する原始の言葉。
かろうじて人々の心に受け継がれてきたタヒチの神秘。

これは、豊かな実りを願い、神に祈るダンス。
戦いの前に踊り、神への誓いをたてるダンス。
分明に支配されたタヒチ、そこに残された原始の息吹。

総督
「きのう、ゴーギャンが挨拶にきたよ。 ひどく打ちのめされているようだったが、パペーテを出るというんだ。 ヨーロッパから遠ざかりたいとか、原始的で汚れのない原住民と一緒に暮らすんだとかいってた。 ほんとうに、パペーテを出て芸術活動ができると考えているのか? まあいい。じきに帰ってくるさ。」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao1.htm

<原始のイヴ>

パペーテを逃れ、ゴーギャンが落ち着いた先はマタイエア。
島の反対側、南へ40キロほど行った海辺の村。

そこで彼が見たものは・・・

素朴で原始的な暮らし。
骨太で力強い人々。
奔放に生きる女たち。

ヨーロッパ的美の基準には当てはまらないものたち。
しかし、ゴーギャンはそこに原始の美を発見したのです。
パペーテでは決して見られなかった、手つかずの美しさ。

イア・オラナ・マリア。

タヒチの聖母子像。

着ているものは民族衣装のパレオ。
がっしりしたタヒチの聖母マリア。
そして褐色のイエス・キリスト。

聖母子像の横に描かれたのは仏教徒のポーズをしたタヒチの女と、 青と黄色の翼を持った天使。

イア・オラナ・・・それはタヒチの出会いの挨拶。

副館長
「ゴーギャンの色使いはとても鮮やかで、ほとんど原色をつかった美しい色彩 で描かれています。
そして、タヒチの光をふんだんに取り入れました。
その光はポリネシアの人々に対する愛情と、尊敬の気持ちから描かれたんです。」

原始の楽園、マタイエア。

人々は神を畏れ、自然とともに生きる。
何もしなくていい、何も考えなくていい、ゴーギャン、至福のひと時。

マタイエアの人々にふれ、ゴーギャンが感じたのは、自分が求めつづけてきた原始のタヒチ。

創作意欲をかき立てられるゴーギャン、目指したのはシンプルな芸術。

細かい技法を捨て、自分が感じたことだけをおおらかに描く。

そのためには、原住民とだけ付き合い、原始の心で見ること。
それが真の芸術へたどり着く道、そう考えてきました。

しかし、その絵はほとんど売れません。


総督
「赤い水やら黄色い砂。ひどい色使いだ あれじゃ売れなくて当然だ。 しかし、この絵はどこか違うな・・・。」

原始の村マタイエアでも、文明から逃れることはできませんでした。
好みの食料品や絵の具があるのはパペーテだけ。
金・・・文明人のゴーギャンに必要なのは経済的な裏づけだったのです。
絵を買ってくれる人もいないタヒチ・・・
待っていたのは貧困。

そこで、ゴーギャンは総督のもとへ。
もっと小さな島の役人にしてもらおう。
そうすれば、金と新しい絵のモチーフ、両方が手に入ると考えたのです。

総督
「そんなわがままを話、通用するわけがない。

フン、金が欲しい? 島の役人に採用しろだと?
冗談じゃない、矛盾だらけじゃないか
ゴーギャンの求めているのは、原始の生活ではなかったのか!
なんて傲慢で、身勝手なやつだ!」

総督に冷たくされたゴーギャンは、自分の身勝手を棚に上げ、子供じみた反抗にでます。

やったことは、風刺画。
総督を猿に見立て、痛烈にからかったのです。

それは原始に翻弄される文明人の哀れでもありました。

貧困のため、絵を描く意欲も失せたゴーギャンは、気分転換をかねて、探検旅行に出かけます。

行く先は島の東側、文明から最も遠い土地。
やがてゴーギャンの行く先に現れたのは、山あいの小さな村でした。
その一軒で声をかけられます。

白人は神の使い、そう信じる村人は自分の娘を妻にと勧めるのです。
そして、運命の出会い。

「マナオ・トゥパパウ」に描かれた少女。

少女の名はテハアマナ。愛称テフラ、13歳。
タヒチでであった原始のイヴ。

テフラに一目で惚れたゴーギャン。


彼はその場でテフラと結婚し、一緒に暮らし始めます。
日の光を浴びて、黄金色に輝くテフラの肌。
ついに出会った原始のイヴ、テフラとの生活がゴーギャンの見方を変えました。

文明に毒されたタヒチは今、探し求めた原始の楽園に生まれ変わったのです。

ゴーギャンによって残された原始のイヴの肖像・・・

ゴーギャンの夢、

画家が愛してやまなかった少女・・・。


総督
「原始のイヴだって?なにを大げさな。
ただの島の娘じゃないか。
それにしても、あの絵の娘は何かに怯えているのかね?
しかも、後ろにうずくまっているあの不気味なものは何だ。
アッ、これは!」

青い海と珊瑚礁。
そして険しくそびえる山々。
さまざまな顔をもつタヒチ。

一歩奥へ入ると、そこはすでに伝説と神話の世界です。

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao2.htm

<タブー>
タヒチにはタブーがある。
死者を葬った場所は避けるように。
うつろな木の陰に横たわらないように。
もしタブーを破ることがあれば、やつが現れるだろう。

やつは寝ているものに飛びついて、首を絞め、時には髪を引き抜き、死に至らしめることがある。その名を決して口にしてはならない。

いまもタヒチに伝わるという、タブーの正体とは何か。


女1
「そうだねえ、この土地のタブーといったら幽霊のことだよ。」

女2
「子供のころに見たことがあるわ。
しろ〜くて、お化けみたいな姿をしているのよ。
本当に恐かったわ。」


「トゥパパウって幽霊さ、こんな感じのやつ・・・
ひとに取り付くと目が大きくなって、下がこんなに長くなるんだ。」

マナオとは「思う」「考える」という意味のタヒチ語。
マナオ・トゥパパウというタイトルには、トゥパパウ、つまり死霊が見ている、という意味がこめられていたのです。


総督
「トゥパパウについては、私も調査員を派遣した。
報告によると、トゥパパウの都は森の闇に包まれた山奥の奥にあるそうなんだ。
そこでトゥパパウは数を増やし、死んだ人間の魂を食らうという。

フン、もうすぐ20世紀だというのに、タヒチにはまだ下らん迷信が残っているのか。」


学芸員
「確かにトゥパパウの伝説は残っているようです。
トゥパパウとは死んだ人の霊のことで、夜の闇をさまよい歩くと考えられていました。
そのため、タヒチの人たちは闇を怖がって、寝ているときも明かりを絶やしません。
もし部屋の明かりを消してしまうと、トゥパパウが家の中に入ってきて、
寝ている間に悪さをすると信じられていたからです。」


ある日、ゴーギャンは帰り道を急いでいました。
切れかかった灯油を町へ買出しに行った帰りです。
夜中の1時、あたりは完全な闇。

夜空の月も雲に隠れていきます。

テフラの待つ小屋は闇に包まれていました。
いやな予感がしたゴーギャンは急いで部屋の中へ。
すると・・・そこは原始の闇。

思わずマッチをすったゴーギャン。
そして彼の目に映ったものは・・・
ベッドに横たわり凍り付いたようなテフラ。
うつろに見開かれたテフラの目。

タヒチの人にとって、闇はトゥパパウのすみか。
テフラには夜の闇は恐怖そのものでした。
そして、恐怖に射抜かれたように身を固くするテフラの背後に、ゴーギャンははっきり見たのです。

『私が見るものは、ただ恐怖だけでした。
それは絶え間ない恐怖である。
私のトゥパパウを発見して、私は完全に心ひかれ、 それを絵のモチーフにした』

ゴーギャンはテフラを通して、はじめて本当の原始を理解したのです。

テフラ、原始に住むイヴ。

タヒチにきて三度目の夏・・・。


総督
「ああ。おめでとう、ゴーギャン君。
君にも私にもいい知らせだ。
本国から君を送り返すように言ってきたんだ。

ここを見たまえ、資産状態が配慮に値する困窮の画家を送還すること。フランスの船で。
ただし、一番安い船に、乗せるようにと書いてある。
ともあれ、これで我らが芸術特使さまの任務も完了というわけだ。
ごきげんよう、ゴーギャン君。」

1893年7月。
ゴーギャンは本国フランスへの帰路につきます。
テフラと出会った後も、ゴーギャンの生活は決して理想のものではありませんでした。
極度の貧困、そして重なる疲労。
逃れられない文明の影。
結局、彼は逃げ出すようにタヒチを後にするしかなかったのです。

パリに帰ったゴーギャンは、このマナオ・トゥパパウに他の絵の倍以上の値段をつけたといいます。

タヒチにきたらゆっくりと動くこと。
日々の暮らしは忘れ、リラックスしましょう。

でも、夜は明かりを絶やさないように。
もし暗くしたら、闇の中からあなたをみつめる死霊と出会うことになるかもしれませんから・・・

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao4.htm


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   @゙!         |::              !::        ノ


Teha'amana (マナを与える者の意)


ゴーギャンがタヒチで見出したものは何であったのか?

『ノアノア』連作版画


タヒチからフランスへ帰郷したゴーギャンは、母国のタヒチへの理解の乏しさに、絶望します。そんな母国フランスへ、タヒチの生活のすばらしさを伝えるために制作したファンタジー小説、『ノアノア』の挿し絵に使用されていた作品のいくつかを、紹介したいと思います。

ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)

教科書などでも有名な作品、『かぐわしき大地』を左右反転させた作品です。版画になり、白黒はっきりさせたものになったことで、主人公であるエヴァの表情の濃淡が、よりくっきりとしていることが印象的です。。

また、エヴァをそそのかすトカゲが、顔よりも大きく、この版画の中心に描かれていることも、気になりますね。


テ・アトゥア(神々)
マオリ族(ニュージーランドのポリネシア系先住民)の古代神話より。


中央に鎮座するのは、主神タアアロア。右側には再生の力を持つ月の女神ヒナ。左側には、大地の男神であり死の象徴であるテファトゥとヒナの対話の場面が描かれています。

これらの神々は、ゴーギャンの作品の中ではたくさん登場する、重要な役割を果たしているものです。

再生の神と、死の神が、ふたり同時に何を話しているのか、(しかも、僕が見る限りふたりは、とても官能的に話をしているように感じます。。)気になるところですね。。

マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

テ・ポ(夜)


このふたつの作品のは、「死霊に怯える女性」という同一の主題を描き出しています。


『マナオ・トゥパパウ』の女性の姿勢は、ペルーのミイラの体勢を源泉に持っています。つまり、人間の死んだ後の存在であるミイラと、同じ体勢を取っている、ということです。

しかし、死の象徴とも思えるこの作品は、見ようによっては胎児のようにも見えます。

相反するふたつのもの、つまり、生と死を一体化したふたつの境界線が揺らぐ、タヒチの夜の神秘を描き出しているようです。ふたつの相反するものを、ひとつのものの中に融合させる、ということは、人類の大きなテーマであると感じました。

また、『テ・ポ』の方は、ゴーギャンがタヒチでできた愛人、テハアマナが、夜、明かりの消えた部屋で、死霊に怯えている姿を描いた作品です。

タヒチの人々にとって夜は、霊魂が活動する、死と隣り合わせの世界にほかなりませんでした。真ん中に横たわる女性の後ろには、様々な死霊たちがこちらに目を向けています。。

このことから考えると、ゴーギャンの描く夕方の世界は、現代の我々が考えるような、単なる美しい夕焼けではなく、これから迎える夜=死霊の世界を思わせるような、ある種、最も境界線の薄れた世界を題材にしている作品であることが分かります。。

http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=83


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』後、自殺未遂を経てゴーギャンが描いた作品のうち、気になった作品をいくつか。。

テ・ハペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)
1898年 油彩・キャンパス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin128.html


『我々は〜』の関連作品です。
 

時刻は夕方、死霊が闊歩する夜が、すぐそばまで迫ってきています。

手前の4人の女性の表情は、逆光ではっきりとわかりません。微笑を浮かべているようにも感じるし、背後から迫りくる夜に、怯えているようにも感じます。。

川を挟んだ奥には、子供と手をつないだ(? 暗いので、はっきりそうとは言い切れませんが・・・)頭巾を被り、服を着た女性と、再生の女神ヒナが描かれています。その足もとには、ゴーギャンノ化身である黒い犬らしき影が、闇に紛れるようにひっそりといます。

川を境に、生と死が対照的に描かれているようです。一度死を決意し、なお生き長らえた画家の心境は、どういったものだったのでしょうか・・・?

ゴーギャンの作品にはめずらしく、奥行きがあり、見ているとからだが、絵画の中に引きずり込まれそうになる作品です。
http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=89


我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

複製画
http://www.meiga-koubou.com/item/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%80%8E%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85/


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」との哲学的思惟を迫る、しかも139×375cmという壁画のような大作を目の前にしますと、しばらくめまいのような感覚に襲われます。全裸と腰布だけの女たちが、地面の上に坐って、こちらを見ています。
画面右側には、岩の上に赤ん坊が寝ており、逆の左端には、煤のように黒ずんだ老婆が、やはりこちらを凝視しています。画面中央では男が果物をもいでおり、その足下で、少女が果物を食べています。人びとの近くには、犬と猫と山羊と鳥とが、人間たちと同様に、無表情に地面に伏せています。画面後方には、まず両手を広げた女神像があり、そして体全体を覆うような長衣を着た女たちが、右側に向かって歩いています。背景では、幻想的な樹木が、奇怪な枝を広げています。

 この絵から、アダムとイヴの禁断の実と楽園追放の旧約聖書の物語を連想することは、さほど難しいことではありません。しかし、あの禁断の果実を採ったのは、イヴではなかったか。ゴーギャンのイヴは、どうみても女ではない。マリオ・バルガス・リョサは、『楽園の道』で、果物を採る人物の腰布のふくらみを「立派な睾丸と固くなったペニス」のようだとすら表現しています。楽園追放を暗示する赤い長衣を着たふたりは、アダムとイヴのように男・女ではなく女・女であり、またキリスト教絵画にある悲嘆にくれるふたりではなく、何やら真剣に語り合っています。キリスト教の世界から題材を借りながらも、内容は別の世界を表現しています。

 左端の老婆は、観者を凝視しながら、何を訴えているのでしょうか。ゴーギャンは、フランスの博物館で見たペルーのミイラから、この人物像を創作したということです。ペルーは、ゴーギャンが幼少期を過ごしたところ。死にいく老婆は最早、生きることをあきらめ、大地に返っていくことを、我々に告げているのかもしれません。

 美術館滞在中の大半を、この大作の前にたたずんで過ごしたのですが、時間が経つにつれてこの死にいく老婆の視線が、気になって仕方がありませんでした。「我々はどこへ行くのか?」。老婆の沈黙は、この答えのない問い掛けなのかもしれません。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2009/07/post.html


“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか” はイエスが語った言葉


ヨハネ傳福音書 第8章


8:1イエス、オリブ山にゆき給ふ。

8:2夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

8:3ここに學者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、眞中に立ててイエスに言ふ、

8:4『師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。

8:5モーセは律法に、斯かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言ふか』

8:6かく云へるは、イエスを試みて、訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書き給ふ。

8:7かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』と言ひ、

8:8また身を屈めて地に物書きたまふ。

8:9彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。

8:10イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言ひ給ふ『をんなよ、汝を訴へたる者どもは何處にをるぞ、汝を罪する者なきか』

8:11女いふ『主よ、誰もなし』イエス言ひ給ふ『われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』]

8:12かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』

8:13パリサイ人ら言ふ『なんぢは己につきて證す、なんぢの證は眞ならず』

8:14イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、


我は何處より來り何處に往くを知る故なり。

汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、


8:15なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/john.xml

ゴーギャンが取り上げた “我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず”というのは罪の女の話の総括としてイエスが語った言葉なのです。即ち、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の砂漠の遊牧・牧畜民の文化では女性や恋愛・性行動を敵視し、

女児がオナニーした → オナニーできない様に女児の陰核を切除する

少女が強姦された → 男を無意識に誘惑しない様に少女を石打の刑にする

妻が夫に売春を強制された → 夫に同じ過ちを繰り返させない様に妻を石打の刑にする

女性が恋愛・不倫した → 男を惑わせない様に女性を石打の刑や火炙りにする


によって対処する伝統だったのです。 イエスが否定しようとしたのはこういうユダヤ教の伝統だったのですが、キリスト教ではイエスの教えを完全に無視し、ユダヤ教の悪しき伝統をそっくりそのまま教義として残したのですね。

まあ、パレスチナの様な砂漠地帯では人口が増えると みんな食べていけなくなるので仕方無いのですが。

_____________

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は


「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。


ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するようになるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm

ダニエル・ド・モンフレエ宛て(1898年2月,タヒチ)

「…あなたに言っておかなければならないが,私は12月に死ぬつもりだった。それで,死ぬ前に,常に頭にあった大作を描こうと思った。1か月の間ずっと昼夜通して途方もない情熱で描き続けた。…これは,高さ1.7メートル,横4.5メートルの絵だ。…

右下に,眠っている赤ん坊と,うずくまる3人の女性。紫色の服を着た2人の人間がお互いの考えを打ち明けている。

わざと大きくして遠近法を無視して描いた人物は,うずくまり,腕を上にあげ,自分たちの運命を考えている2人を眺めて驚いている。

中央の人物は,果物を摘んでいる。一人の子どもの傍には,2匹の猫がいる。そして白い牡ヤギ。

偶像は,神秘的に律動的に両腕をあげ,彼岸を指し示すかのようだ。うずくまった人物は,偶像に耳を傾けているように見える。
最後に,死に近い老婆は,自らの運命を甘受しあきらめているかのようだ。…その足元に,足でとかげをつかむ1羽の白い未知の鳥がいるが,空疎な言葉の無用さを物語っている。…」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf

ゴーギャン自身が友人モンフレエ宛ての手紙43)の中で記しているように,面右端と左端には人間の生と死を表すかのように赤ん坊と老婆が描かれている。画面中央には,果実をもぎ取ろうとする青年の姿があり,傍らには地面に座り込んで果実を食べる子供がいる。その他タヒチ女性が配置され,ヤギや犬,鳥といった動物,そして古代の神とされる偶像が描かれている。ゴーギャン当人は,大作であり日頃から温めてきた題材としながらも,作品の意図や描かれた個々の対象の意味について十分な説明をしていない。

先行研究では,まず作品タイトル《我々は…》の出典元の確認が試みられている。

ルークメーカーは,ゴーギャンのブルターニュ時代の肖像画に見出されるトマス・カーライル著の『衣装哲学』に,
O Whence─ OhHeaven, Whither?(仏語訳ではMaisd’oùvenouns nous? O Dieu,oùallonsnous?)という題名と対応する一文が見られると指摘している。また,フィールドもカトリックの秘儀を研究した書物に,作品タイトルと一致する文面があるとしている。作品内におけるモティーフと典拠元の関係においては,タヒチ時代の自身の作品からの転用だけでなく,ブルターニュ時代の作品にその始まりを見出せるものがある。

左の右手をついて横座りする女性のポーズは,1889年の《海藻を集める者たち》の女性のポーズを反転させたものである。また,左端の顔を手で押さえてうずくまる老婆の姿も,ブルターニュ時代からゴーギャンが作品に使用していたポーズであり,ペルーのミイラ像にその根拠を見出せる。タヒチ時代の作品から引用された女性像においても,ジャワ島のボロブドゥール寺院のレリーフやエジプトの壁画にその原型がある。

以上から考えられることは,タイトルから想起されるキリスト教的視点と,実際のモティーフから現れる西洋,非西洋を越えた広い視点との間に距離が生じるということである。ここで作品を改めて考察すると,《我々は…》には,我々が希求し模索しながらも到達し得ない人間存在が描かれていると言えないだろうか。ブルターニュ,タヒチ,あるいはジャワ島やエジプトといった特定の場所や人々ではなく,人間そのものへの強い憧憬がここには存在する。それぞれのモティーフは,断片的表象にも関わらず作品全体において調和をなしている。そして,そうしたモティーフの背景に存在するキリスト教やタヒチにおける信仰などの民俗信仰は,人間の祈りというレベルにおいて等価のものとみなされる。

作品タイトル《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》は,人間にとっての至上命題である。つ
まりこの絵画には,ゴーギャンがブルターニュにおいて感じたnostalgia故の人間存在そのものへの希求が見られるのである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf


後期印象派の代表する巨匠にして総合主義の創始者ポール・ゴーギャンの画業における集大成的な傑作『我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか』。

1895年9月から1903年5月まで滞在した、所謂、第2次タヒチ滞在期に制作された作品の中で最高傑作のひとつとして広く認められる本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。完成後、1898年7月にパリへと送られ、金銭的な成功(高値で売却)には至らなかったものの、当時の象徴主義者や批評家らから高い評価を受けた本作の解釈については諸説唱えられているが、

画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物(旧約聖書に記される最初の女性エヴァが禁断の果実を取る姿を模したとも考えられている)が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には(人間の生から死)の経過を表現したとする説が採用されている。

また老婆の先に描かれる白い鳥の解釈についても、言葉では理解されない(又は言葉を超えた、言葉の虚しさ)を意味する(神秘の象徴)とする説など批評家や研究者たちから様々な説が唱えられている。

画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。

さらに本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。本作に示される、強烈な原色的色彩と単純化・平面化した人体表現、光と闇が交錯する独特の世界観はゴーギャンの絵画世界そのものであり、その哲学的な様相と共に、画家の抱く思想や心理的精神性を観る者へ強く訴え、問いかけるようである。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html


「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。

死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2009/07/post-8a2a.html


この絵でゴーギャンは人の一生を一画面に表現しようとしています。「生まれて、生きて、死ぬ」生き物なら当たり前なことを描いているのです。 そしてこの絵には海が上の方に少し描かれています。

右上には朝の海が描かれ、地球の誕生を意味し、左の海には夜の海が描かれ、地球の終わりを意味しているのでしょうか。

この絵に描かれている人物はほとんどが女性です。犬や猫、鳥なども描かれています。それぞれに意味づけをしていますがどうなんでしょうか?

右の子どもは誕生でしょうし、中央のリンゴを取ろうとしている女性はイブ(エバ)を意味し快楽と苦痛を表現し、左の頭を抱えている女性は死を意味しています。

画面全体は暗いのですが、右側の女性には光が当たっていて、左側は暗い。

背景は右も左も暗く描かれ、ゴーギャンにとっては「この世は真っ暗闇だ」まではいかず、「暗闇」だくらいなのでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/60035012.html

19世紀以降、ポリネシア人はキリスト教に改宗していますが、ブルターニュ地方のキリスト教の場合と全く同じで、外観はキリスト教の衣装を纏っていても、その中身は古来のアニミズムそのものだったのですね。

ゴーギャンが描くアダムとイブやマリアも聖書から題材を選んでいますが、その意味する事はキリスト教の教えとは全く異なる物なのです。

“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか”で知恵の木の実を採るのは男ですし、

エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つのです。:


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。
あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。
おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、

「排尿をガマンできない人間」、

「性器を持たない人間」、

「よろよろして立ち上がることができない人間」


など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967


39. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 10:37:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[420]

不思議の大地 ゴーギャン
https://www.youtube.com/watch?v=eIO_NS1TE9M
https://www.youtube.com/watch?v=nmH4ToZ5TV0
https://www.youtube.com/watch?v=B8Bo4ksQU_8


私たちはどこから来てどこへ行くのか
https://www.youtube.com/watch?v=fxgzXZM2EZk
https://www.youtube.com/watch?v=G1n54G0Zsbo


40. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:03:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[421]

(パリ)ゴッホと浮世絵
http://www.youtube.com/watch?v=3TFv_rqFNIU


ゴッホは何故ゴッホになれたのか?

1. ファン・ゴッホは何故 突如として変貌したのか?


Fields of St. Etienne - Mary Hopkin
http://www.youtube.com/watch?v=s2UX7_kpNHg


Vincent van Gogh 画像

http://commons.wikimedia.org/wiki/Gogh
http://artchive.com/ftp_site.htm
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh-2.html
http://www.vggallery.com/
http://www.vangoghmuseum.com
http://www.vangoghgallery.com


フィンセントは最初の大作「馬鈴薯を食べる人々」を完成させた後、もう一度正式な絵の勉強をしてみる気になっていました。 1885年11月、フィンセントはアントワープに向かいます。 有名なアントワープの美術アカデミーに入学するためでした。 美術アカデミーは1月開始予定でしたので、それまでの間、フィンセントはモデルを雇い、人物画を描きました。その一方で、アントワープにあるルーベンスの絵画に熱中します。ルーベンスが描くピンク色に輝く裸体にすぐにフィンセントは影響されます。「馬鈴薯を食べる人々」にみられた灰色がかった陰鬱な色彩がかき消え、女性の肖像画には、唇や肌に混じりけのない強烈な赤が使われています。


 1月にようやくアカデミーに入学しました。しかし、アカデミーの教師たちは超保守的な時代遅れの連中で、フィンセントはすぐに衝突してしまいます。毛皮の帽子に家畜商人の青いスモックという異様な風体でアカデミーに現れたフィンセントは、恐るべき勢いで男性モデルの描き始め、たちまちのうちに、カンヴァスも床も絵の具だらけにしてしまいます。アカデミーの校長は怒り狂い、すぐに、フィンセントをデッサンクラスに格下げしました。

デッサンクラスでも、フィンセントは持参したデッサンを床いっぱいに広げて教師にみてもらおうとして、騒動を巻き起こします。フィンセントが床に広げたのは古典的な端正なデッサンとは似ても似つかぬ荒々しいデッサンでした。たちまち、学生たちが一斉に集まってきて、収拾がとれなくなります。学生の多くはその珍妙なデッサンを嘲笑いました。しかし、その強烈な線に魅了され、まねようとするものも現れ、教師を激怒させます。

油絵コースから外され、陳腐なデッサンを強要するアカデミーに飽きたらなくなり、フィンセントはアカデミーの学生たちが夜間行っているデッサン・クラブにも顔をだしてみました。しかし、モデルを描くことができる以外、アントワープでの絵画修行は得ることがほとんどありませんでした。


 アントワープでフィンセントはルーベンス以外にもう一つ強烈な絵画体験をしていました。日本の浮世絵です。浮世絵の大胆な構図と明快で単純な色調に魅了されたフィンセントは下宿の壁を浮世絵で埋め尽くします。

ルーベンスと浮世絵に開眼したフィンセントはさらに新しい絵画経験を熱望するようになります。そのためには方法は一つしかありません。さまざまな傾向の絵画芸術が渦巻いているパリにでることです。そして、実際、パリで、フィンセントは新たな絵画を切り開こうとしている天才たちとその傑作絵画群に出会うことになります。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

アムステルダムのファン・ゴッホ国立美術館について教えてください ケンさん
07/03/31 17:01


ご質問の内容とは異なりますが…。 nonann
07/04/01 01:05


「浮世絵」がある、と表示のある階にはお子様をお連れにならない方がよろしいかと。

今は違うかもしれませんが、13年前の「浮世絵」はほとんど春画でした。
ゴッホの本当の趣味はこっちだったの?と目がパチクリな経験があります。

その階の展示は大人だけでお楽しみください…。日本でもあれだけのコレクションはめったにみられないと思います。逆に今はあれが見られないとなると大変残念。貴重です。

http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/thread2.php/id/221950/-/parent_contribution_id/221950/


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ゴッホ

あの炎の人と呼ばれた画家ゴッホ。

彼は世界的にも有名な春画のコレクターでした。

浮世絵全般に大変な興味を持ち、その影響を多大に受けたと言われています。歌川広重の「名所江戸百景亀戸梅屋舗」という作品をはじめ、400点以上もの名画を集めたそうです。 江戸時代の日本は鎖国状態にあったため、海外との流通は長崎が起点になっていました。オランダにいたゴッホにとっては好都合だったのかも知れませんね。

特に葛飾北斎のファンで、彼の春画や画集はいつも手元に置いていたそうです。又、歌川派の浮世絵も多数所有していたと言われています。

そんなゴッホの名作、「雨中の大橋」と「花咲く梅の木」には日本の文字がデザインとして一体で模写されています。

まさに春画は日本が世界に誇る芸術。その良さは海の向こうでもしっかりと評価され、多数のアーティストたちを虜にしていました。ゴッホばかりではなく、セザンヌは北斎の「快晴の富士」を、モネは鈴木春信の「蓮池舟遊び美人」といった、浮世絵や春画・枕絵をそれぞれ好んで手本とし、模写したそうです。

http://makurae.lovely-lovely.biz/archives/post_2.html

57. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:21:42.49 ID:U12kjNMv

ゴッホ

・生涯に一点しか絵が売れなかった貧乏画家だったが、400点以上に及ぶ浮世絵をコレクションしていた。弟テオのコレクションも含めた数は477点。


・当時、作品は所有者の死後、オークションで処分されるのが一般的だったため、他の印象派画家のコレクションの日本の浮世絵はほとんど残っていないが、例外的にゴッホだけは、近親者の子孫たちの努力もあり現在まで全てが完全な形で残されている。

・複数の絵師が共同で一枚の浮世絵を描いたりすることを知ったゴッホは、アルルのアトリエにゴーギャンたちを招いて共同生活を始めた。 しかし結局この試みは失敗に終わり、ゴッホは激昂して発作的に自分の耳を切り落とした。 その「耳切り事件」の直後に耳に包帯を巻いた一枚のポートレートを描いたが、その絵の元となったのも浮世絵。

56. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:20:21.30 ID:U12kjNMv

ゴッホ

「日本人が、稲妻のように素早くデッサンするのは、その神経がわれわれよりも繊細で、感情が素朴であるからだ」

「僕は日本人が何をやっても極めて正確に行うのを凄まじく思う。

それは決して退屈な感じを与えず、決して大急ぎでやったようにも見えない。

彼らは息をするのと同じくらい簡単で、狂いのない二、三本の線で同じように楽々と人物を描いてしまう。まるでチョッキのボタンをはずすかのようだ。」


「僕達印象派の画家達(モネ、マネ、ロートレック等)は日本の浮世絵を愛しその影響を受けている。」

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


ファン・ゴッホが弟テオに宛てた手紙で、北斎のことを次のように言っている。


「日本美術を研究すると、間違いなく聡明で博学な哲学者を発見することになる。 その男は何をして時間を過ごしていると思う? 地球と月の距離を測っている? ビスマルクを勉強している? 違う。 一枚の葉を探求しているのだ。

しかし、この葉の探求のおかげで全ての植物が描けるようになり、次に季節が、広大な風景画が、動物が、そしてついには人間が描けるようになるのだ。 こうやってこの男は人生を送っているが、すべてを完成させるにはこの人生は短すぎるのだ。

いいか、日本人が教えてくれているのは真の宗教だ。

 彼らはとても純粋で、まるで自分自身が花の如く自然の中を生きている。」

(ゴッホは「富嶽百景」の北斎の自跋(2-1参照)を読んだのであろうか!!!)

http://www.muian.com/muian08/muian08.htm

 アントワープでフィンセントは乏しい資金を画材やモデル代に回してしまったために満足に食事も摂れず、肉体的にぼろぼろになってきました。 歯も10本以上が抜けかかっていました。栄養失調が原因でしょうが、他にも歯が抜ける理由があったようです。

歓楽の街アントワープでどうやら梅毒に罹患してしまったようなのです。

但し、アントワープ時代にフィンセントが梅毒の診断を受けた時、既に彼は33歳でした。それから、アルルでのクリスマス直前の最初のクリーゼ(発作性精神変調)まで2年ちょっと経過しているにすぎません。第2期梅毒から麻痺性痴呆発症までには最低15年の潜伏期間があるはずですから、フィンセントの精神病が麻痺性痴呆の可能性は低いといえます。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。

 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。
 
 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。

http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

フィンセントの弟テオの病気とは


死の4年前、1886年頃からテオは激しい咳を伴う体調不良に悩まされ、心臓が弱っていました(「テオというもう1人のゴッホ」マリー=アジェリーク・オザンヌ フレデリック・ド・ジョード著 伊勢英子 伊勢京子訳 平凡社)。しかも、原因不明の発作におそわれ、脳溢血の後のような麻痺が一時的に出現したこともありました。

その後、フィンセントがアルルに移った直後の春にも体調を崩したようで、テオがかかりつけ医の「グリュビのところへ行った(No 489. 1888年5月20日頃)」ことを知ってフィンセントは心配しています。 治療の一つとしてヨードカリが使われていたようで、さらに、女性に接することを控えるようグリュビが言うだろうとフィンセントは予測しています。

「唇を固く結んで「女はいかん」と言うときのグリュビの顔をみたかね。あんな風な顔は見事な一枚のドガになるよ」

などと書いていますから、フィンセントも同じことをこの医者から言い渡されたことがあったようです。


1990年6月10日にはテオがヨハンナと甥のフィンセントをつれてオーヴェールにやってきました。フィンセントはおもちゃ代わりに小鳥の巣をとってきて甥を歓待しました。 その後もフィンセントは旺盛な創作活動を続け、麦畑の連作などを計画します。アルル時代の強烈な色彩は影を潜めたままですが、相変わらず、円熟した技法で自在に絵を描いていました。しかし、やがて、その絵のなかに影がさすようになります。

 オーヴェールからパリに戻った後、甥のフィンセントが牛乳のせいで体調を崩しました。ヨハンナの必死の看病でようやく一命をとりとめますが、7月6日、心配したフィンセントはパリに駆けつけます。しかし、そこでかれがみたものは、看病に疲れ果てたテオとヨハンナでした。しかも、この頃、テオは画商として独立しようと画策していて、そのことでテオとヨハンナの意見が対立していました。さらに、テオはその後悪化することになる精神的身体的不調もみせていたようです。

 このように、もともと思わしくなかったテオの健康状態はヴィンセントの死によって一挙に悪化します。 テオはパリの病院に収容されます。入院後、ある程度落ち着きを取り戻したため、オランダでの治療を要望するヨハンナの意向もあり、テオはユトレヒトの精神病院に移されます。 しかし、転院時、痴呆症状は急速に進行、わずかに「フィンセント」という言葉にだけ反応するようになります。舌がふるえ、食事がとれなくなり、嘔吐を繰り返し、げっそりやせ細って、衰弱がすすみ、1891年1月25日、兄の自殺の6か月後、テオは死にます。34歳でした。

 尿がでなくなり、幻覚症状を伴う意識レベルの低下がみられたことから、ピサロの息子は父親にテオの死因を尿毒症と報告しています。この腎臓病死因説は長い間信じられ、1989年にゴッホの伝記を上梓したスウィートマンも「厄介な腎臓病にかかり」と書いています。ですから、1989年の時点までは一般的にはそのような認識だったわけです。

 ところが、1992年、例のオランダのヴォスクイルが、テオが最後に入院したユトレヒトの精神病院から公開されたデータをもとに、その死因について従来とまったく異なる事実を明らかにしました(Voskuil pha(1992) het medisch dossier van Theo Gogh. Ned Tijdschr Geneeskd 136, 1770−1780)。

ヴォスクイルによれば、ユトレヒトの精神病院の診療録には、転院時の症状として歩行障害、言語障害、失認、異常興奮、誇大妄想、瞳孔不同が記載されていたとのことです。また、パリの病院からの紹介状には麻痺性痴呆と同義語である全般性進行性麻痺 paralysie progressive generalの診断名が記載されており、ユトレヒトでの最終診断も「急速に進行する麻痺性痴呆」だったというのです。

1886年にみられた一時的な片麻痺が麻痺性痴呆の初発症状だったようで、1890年7月にフィンセントがテオ夫婦と甥に会いにパリにでてきたときには、麻痺性痴呆の症状はもっとはっきり認められたはずだとヴォスクイルは指摘しています。そのことがフィンセントの自殺に影響を及ぼした可能性すらあるというのです。

 麻痺性痴呆は梅毒の晩期症状です。 テオの末期症状はたしかに神経梅毒症状と考えると矛盾なく説明できるのです。とくに、瞳孔不同の所見は決定的で、眼底出血でも起こさないかぎり腎不全で瞳孔の左右差をきたすことはありません。
また、「死の4年前から心臓が弱っていた」というのは、梅毒のいまひとつの晩期症状である梅毒性大動脈炎のせいだった可能性があります。梅毒性大動脈炎では、主として、上行大動脈が脆弱となり、大動脈弁閉鎖不全、冠状動脈狭窄をきたし、これらは最終的に死に直結します。

 テオの時代、梅毒は不治の病でした。水銀治療などというものが一応ありましたが、これは、治療効果より副作用のほうが圧倒的に勝るという悪夢のような治療法でした。さらに、グリュビがテオにも処方しているヨードカリも抗菌剤として当時用いられていましたが、梅毒を根絶するにはほど遠い薬です。

 テオやフィンセントの頃は梅毒の「全盛時代」で成人の梅毒罹患率が8〜14%でした。 20世紀への変わり目、パリなど西欧諸国の大都会でいかに梅毒がありふれた病気であったかがわかります。 実際、ゴーギャン、ニーチェなどテオやフィンセントの同時代人で梅毒に罹患していた有名人は少なくありません。 19世紀から20世紀に移り変わる頃、中年の中枢神経疾患、循環器疾患の主要病因は梅毒だったといわれています。

 神経梅毒にてんかん発作がみられることは先ほど述べましたが、中には、神経梅毒によるてんかん発作出現後に痴呆症状があきらかになる患者もいました。 現在、てんかん発症によって痴呆に到ることは、特殊な、まれな病気に罹患した人をのぞき、まず、ありません。その理由の一つが、てんかんと痴呆を合併する代表的疾患、神経梅毒の激減ではないかと思われます。

 進行性麻痺は梅毒の初感染から15年〜20年で発症しますから、テオが梅毒に感染したのは13歳から18歳にかけてということになります。 17歳頃からテオは「灼けるような性欲に苦しめられ」ハーグの娼館「快楽列島」に足繁く通っていたました。時間的経過を考えると、テオが梅毒に罹患したのはこのときだと思われます。

 ヨハンナや息子のフィンセントの手記をみる限り、ヨハンナはテオの死因が梅毒だとは知らなかったようです。

 麻痺性痴呆が発症するのは初感染から15年から20年してからで、その間、第二期梅毒から10年以上まったく無症状です。 主治医はテオの末期症状の原因として梅毒を疑っていた可能性はありますが、確証がないのですから、そのことをヨハンナに告げなかったとしても不思議はありません。

梅毒は第二期梅毒あたりで一番感染力が強く、性行為を通じて人から人に感染したり、胎内感染を起こしたりする可能性がありますが、発病から4年を過ぎる頃から感染性が急速に低下します。麻痺性痴呆症状が出る時期には、梅毒スピロヘータは性器や血液中には存在せず、他人にうつることはありません。ですから、ヨハンナやその子のフィンセントが梅毒に罹患する可能性はまったくなかったわけです。実際、二人とも、長寿を保ち、梅毒症状も出現していません。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


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2.何故、西欧の芸術家は日本文化に憧れたのか?

春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html

日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html

現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html

春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html

江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html

江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html

江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html


門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html


江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html


キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html


上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html

性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html

Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html


江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html


春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。

http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


浮世絵

http://www.youtube.com/watch?v=qqKarRHRtaM
http://www.youtube.com/watch?v=3fAY9gBqjLs

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro

http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Ukiyo-e, UTAMARO, 'Michiyuki koi no futusao, shunga, erotic
http://www.degener.com/1793.htm


Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka


http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/super.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/toku.html

http://www3.tokai.or.jp/youko45/0602edayo/edayo00mokuzi.htm


浮世絵の展示室
http://homepage3.nifty.com/itoti/index.html


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3. 西欧の画家に衝撃を与えた浮世絵


 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。

http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html

ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」

http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html


33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。

http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html


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4.ファン・ゴッホは何故キリスト教を捨てたのか?


伝道師を目指した若き日のゴッホ


「よきサマリア人」は、中世から近代までの数多くの美術作品に描かれている。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh56.html


サマリア人をイエス、宿屋を教会に見立てて、ユダヤ教の祭司が見捨てた人間をキリスト教が救済したと言う寓意として、教会のステンドグラスを飾ったりもしている。 遠景に急ぎ足で去っていく人物を描く絵も多く、ゴッホの作品でも、画面の左側に小さく2人の人物が描かれている。遠くに見えるのが最初に通りかかった祭司、手前に見えるのが次に通りかかったレビ人である。いずれも、見て見ぬふりをして遠ざかる足早な後ろ姿で描かれている。

無心に旅人を抱き抱えるサマリア人に対して、遠ざかる人影の背中には、いかにも小心翼々として事なかれ主義がにじんでいる。一度は伝道師を志し、狂信的なまでに献身を尽くしたゴッホとしては、この後ろ姿には容赦ない批判があったに違いない。

ゴッホはオランダの厳格な牧師の家庭に生まれている。 そして、ヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名前は、なんとゴッホの誕生日に1年前に同じ日に死産した兄の名を継いでいる。 家が教会だった為に、ゴッホは幼い頃から教会墓地のヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名を刻んだ兄の墓石を見て育っているのである。

恐らく、その反動だろう。若い頃からゴッホは、病的なまでに自分自身のこの世における存在意義と言うものを探求している。 死んだ兄の代理として自分自身が生存している事への、恐ろしいまでの自責の念を抱き続けていたに違いない。 そうした心情と家庭の事情からすれば、ゴッホが伝道師を志した事へ当然の結果と言える。ところが、この伝道師への道は、破門と言う手ひどい形で閉ざされている。

原因は、ゴッホの余りに献身的な生活にあった。 極貧の炭鉱街に派遣された見習い牧師のゴッホは、人々の貧しさに衝撃を受け、衣服から寝具まで全てを与えてしまい、自分自身は藁の中に寝起きしていたという。最低限の衣類しか身に付けず、家畜小屋のような住居に暮らすゴッホの姿に伝道師協会へ怒り、協会の威厳を損なうものとして破門にしてしまった。 困窮する人々と苦難を分かち合おうとしたゴッホの情熱は、理解されないどころか、むしろ狂気の沙汰と見られこれが原因で伝道の世界から追放されてしまうのである。

この時の痛手は、終生ゴッホの心から消えず、以降、彼は形骸化した教会を批判し続けている。彼が手紙に書いた「宗教はうつろい、神は残る」と言う言葉には、痛切なでもにこうした思いが語られている。


イエスの弟子としてのゴッホ


「よきサマリア人」は、そんなゴッホが激しい発作の合間に精神病院で描いた作品。南フランスのアルルで試みたゴーギャンとの共同生活が破綻、口論の挙句、自分で自分の耳を切り落としてしまったと直後に描かれている。この共同生活は、ゴッホがアルルに構想した画家の共同体の第一歩として始められたのだが、こうした構想にしても多分に修道僧的である。

絵柄はオリジナルではなく、ドラクロアの原画の複製版画を模写している。この他にもレンブラントやミレーの宗教画を版画で見て、自分なりに色を着けて模写しているが、ゴッホのオリジナルの宗教画は1点も残されていない。

手紙によれば、ゲッセマネの園で祈るイエスの苦悩(第7章)を描こうとした際に、どうしても描く事が出来ず画面を引き裂いてしまったらしい。 友人に宛てた手紙には、聖書の場面を借りなくとも、人間の苦悩を描き、心に癒しをもたらす作品は描けるはずだと書いている。

その実、必死に祈るイエスを描こうとして描けず、断念したと言う事実を思えば、この主張自体も痛々しい。そんな彼が、宗教に代わるものとして選んだのが自然であった。

「ラザロの蘇生」は、その事を物語るような作品。

http://stundenbirne.jugem.jp/?eid=92


レンブラントの「ラザロの蘇生」を模写したものだが、奇跡を起こしたイエスは画面から省かれ、代わりに白熱する太陽が描かれている。あたかも太陽の熱線が死者を蘇らせたかのようである。作品は「よきサマリア人」と同じ精神病院で描かれており、この少し後にはゴッホは、絵の具を飲み干すほどのすさまじい発作に襲われている。

どうやら太陽の描写は発作の誘因になるようで、代表作「ひまわり」にも見られる黄熱の色彩は、ゴッホに極限までのエネルギーを費やさせると言う事は、本人も手紙に書いている。これ以降は、好んで夜空の星を描いている。 うねるような夜空にまたたく有名な作品「星月夜」も、この時期に描かれた作品である。 この星について、ゴッホは手紙にこう書いている。

「それまでもなお、僕はやはり、何というか、宗教がどうしても必要だと感じる。そんな時、僕は、夜、外に星を描きに出る」

絶とうとして絶てない信仰への思いが滲む文章である。

「それでも人間は、何か偉大なものなしにはやって行けないと思う」

この言葉は、ゴッホの脳の奥に潜む考え方の本質であると同時に、人が信仰というものを求める際の最も基本的な心情を語った言葉と言える。 ゴッホは、膨大な数の独創的な索引を描きながら、宗教画に限っては、どうしても自分なりのイエスの顔を描く事が出来なかったのである。 が、その実、ゴッホは「宗教はうつろい、神は残る」と言う精神において、律法学者達の偽善を突いたイエスに、最も忠実な画家の一人であったのだろう。

http://www.geocities.jp/tomoching2/goch.html


ベルギー時代のヴァン・ゴッホ 


<ボリナージュでの伝道>

ベルギー・プロテスタント教会ユニオンの1789-1880年の年報にワムという項目があり、伝道師ゴッホのついての言及があります。そこにはゴッホが誠心誠意で怪我人や病人を看病して面倒を見たこと、自分の衣服を裂いて包帯代わりにしたこと等が書かれています。しかし、最後に「伝道師としての資質に欠ける」と断定したうえ、任期更新は行わずに、すでに現地入りしていたユトン氏を後任者として任命したと結んでいます。

 中略

それではワム村の村民達はゴッホのことを実際にどのように見ていたのでしょうか。私の手元に、隣のフラムリ村出身でベルギー普通選挙の父と呼ばれるルイ・ピエラール代議士の書いた「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの悲劇的人生」という本があります。氏は30数年間モンス選出の代議士として活躍し、戦後は王立学士院の会員にもなりました。1920年頃に書かれたこの著書は、半世紀に渡りゴッホ研究者が頻繁に引用しましたが、現在では入手不可能な幻の名著です。現在出回っているゴッホの伝記の多くはこの本の焼き直しといっても言い過ぎではありません。

その中に、1910年代にワム村で元鉱夫達に伝道師ゴッホに関して取材をした箇所があります。ゴッホがワムを去って30年も経っていたにもかかわらず、“ゴッホが坑内から出てきたばかりの鉱夫たちの姿を縦坑出口のすぐ横で素描していたこと”を老鉱夫が覚えていたり、下宿していたドウニ家の息子の“ゴッホが作った子供向け聖書教室”の鮮明な記憶などに代議士は驚嘆しています。

ゴッホの記憶はワムの村人から消えてはいなかったのです。その証拠に、早くも1925年9月13日にゴッホの妹エリザベツの立会いの下で、ドウニ家の外壁に記念大理石プレートが住民によって付けられました。この記念碑は今も荒れ果てた家とともに残っています。それには「オランダ人ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853−1890)がこの家に1878−1879年に住んだ。伝道師で後にその時代で最も偉大な画家の一人となった」と刻まれています。この記念プレートが付けられた際、妹エリザベツは当時プチ・ワム村で牧師をしていたピエール・スクレタン・ロリエールに、ゴッホがボリナージュ時代に愛用したという聖書の詩篇集を贈りました。この詩篇集は後にアムステルダムのゴッホ美術館に寄贈されました。

また1924年、ピエラール代議士の求めに応じて、前述のボントウ牧師は伝道師ゴッホの思い出について3ページ半にわたる書簡を送りました。その中で牧師は

「ゴッホは最も不幸な者、怪我人、病人を好んで訪ね、彼らの傍に長い間とどまりました。苦しむ者のためにすべてを捧げようとしていました」

「彼の奥深い感受性には人間愛を超えたものがあって、動物たちやさらに虫けらの類にいたるまで大事にしていました」

ワム村を追われて半世紀近くたってからゴッホに贈られた元上司の賛辞といえます。

聖職者というのは医者と同様に、苦しむ者から一歩距離を隔てて活動すべき職業かもしれません。ミイラ取りがミイラになってはいけないのです。その意味ではゴッホは確かに伝道師失格だったかもしれません。しかし、自分の持ち物をすべて分け与えて、貧しい者や苦しむ者のみならず動物や昆虫まで愛したクリスチャン、ゴッホの生き方はそれゆえに村の人々の心に末永く生き続けたのでしょう。

すべてを神への奉仕の為に捧げたにもかかわらず、伝道師失格の烙印を押されてストライキ扇動者と罵られたゴッホは、失意の中、信頼していたピーターセン牧師を頼ってメヘレンに、着の身着のまま徒歩で北上しました。その一年前の夏、手っ取り早く宣教師になる道を探していたゴッホは、父と英国滞在中に世話になったジョーンズ牧師に付き添われてベルギー北部とブラッセルの牧師たちを訪ねて歩きました。その時に世話になったのがピーターセン牧師でした。


<牧師を志す>

ゴッホ自身の手紙によるとオランダでは聖職者になるには最低5年間大学で神学を学ぶ必要があり、しかも神学部入学にはラテン語とギリシャ語の知識が予め必要でした。ゴッホはその語学の勉強につまづき、アムステルダム大学入学を断念した苦しい経緯がありました。「息子はオランダでは牧師になれないが、ベルギーでなら何とかとなる」と判断した父のアイデアだったのでしょう。そのゴッホにブラッセルの北、ラーケンにあるベルギー・プロテスタント教会ユニオンによって創設されて間もない小さな宣教師養成学校から3ヶ月の試用期間付で入学許可がおりたのです。ここではたった3年間で宣教師を養成していました。しかも試用期間中はフレミッシュの学生と同様に、学費無料で宿泊代と食費のみを払えばよいという好条件でした。この学校の詳細は残念ながら詳しくわかっていません。またゴッホの書簡に出てくるボクマという教師についても記録がみつかりませんが、名前から判断する限りオランダのフリスラントウの出身者のようです。そうであればこの入学に関しては当然ゴッホの父のコネが効いたことでしょう。

残念ながらここでも彼は挫折してしまいました。彼の非社交的な性格と宣教師として不可欠な仏語の雄弁術に欠けていたのが最大の理由でした。当時の同級生はゴッホについて「従順さに全く欠けた」と回顧しています。

そして同年11月15日にテオに送った長文の手紙でボリナージュで伝道したい旨を説明して、最後に追伸で学校の試用期間に失敗したと告白したのです。その手紙にゴッホは有名な「炭鉱」というデッサンを添付しました。

彼はなぜこのデッサンを手紙と一緒に送ったのでしょうか。

当時、ボリナージュで採掘された石炭の多くはフランスに輸出されていましたが、一部はモンス・シャールロワ間のソントウル運河とブラッセル・シャールロワ運河を使って船でブラッセルに運ばれていました。船といっても現在のようにエンジン付の船ではありません。運河の両側に設けられた小道で、人や馬が石炭や貨物を満載した船にロープを付けて引っ張って行ったのです。そしてブラッセルの運河には、この作業道に沿って様々な工場や会社が並び、多くの労働者が肉体労働に従事していました。

ゴッホの描いた「炭鉱」はこういう肉体労働者の為に設けられた休憩所です。そこは労働者がお弁当を食べたり、水代わりのビールを飲んだりするところでした。また夜は綺麗所の来るキャバレーにもなりました。いわば「キャバレー炭鉱」だったのです。ゴッホはこの絵を描きながら、まだ行ったことのない炭鉱地区ボリナージュを思い浮かべたことでしょう。彼自身はこのデッサンを「くだらないデッサン」と書簡に書いていますが、私は非常に個性的で誠意に満ちていると評価しています。しかも画面の上の三日月や、意図的に直線を避けた建物のラインと、瓦と石畳の曲線は後にアルルで制作した「夜のカフェ」、サン・レミの「星と糸杉のある道」を彷彿させます。

神学校を3ヶ月で落第したゴッホはそれにもめげず、1879年の12月に自費でボリナージュに伝道に出かけ、モンスの南にあるパチュラージュ村の行商人ヴァン・デル・ハーフンの家に月30フランで下宿しました。子供に読み書きを教えたり、病人を見舞って看護したり、文盲の鉱夫や農民達に聖書を朗読したりといった活動をしながら、伝道委員会に伝道師任命を懇願しました。幸い前年に、それまでワム村の一集落にすぎなかったプチ・ワムは独立した村に昇格しました。当時の習慣で、村民が望めば村専属の牧師を国費で呼び寄せることができました。村から要請をうけたベルギー・プロテスタント教会ユニオンは、適任の牧師が直ぐに見つからなかった為に、とりあえず、ボリナージュにいたゴッホを6ヶ月の期限付きで伝道師として任命し、プチ・ワムに送ったのでした。


<ボリナージュでの再出発>

さて失意と疲労にもかかわらず、メヘレンまで訪ねてきたゴッホをピーターセン牧師は温かく迎えてくれました。恐らく久しぶりにオランダ語で話し合えたのでしょう。そして牧師の趣味だった水彩画を見せられたゴッホは、息を吹き返したかのように元気になってまたボリナージュに戻っていきました。でも今度は画家として修業を始めたのです。そして、クエム村のフランクという伝道師が借りていた鉱夫の家の離れに1879年の8月から翌年の10月まで居候しました。彼が住んだ離れ家は今はなくなっていますが、荒れ放題になっていた母屋は近年「ゴッホの家」として修復されています。

ここで画家になる決意を固めた彼は デッサンの習得の必要性を感じて農民や鉱夫のデッサンに没頭します。その修業期間中に、彼がお手本として重宝したのがミレーの「種まく人」や「鋤を使う人」の版画でした。弟のテオが勤める「グーピル画廊」が名作の版画コピーを主たる商売としていたので、ゴッホは1880年の夏にテオに宛てた手紙でミレーの「畑仕事」という数枚の版画を郵送してくれるよう頼んでいます。

現在の「ゴッホの家」には彼がこの家で制作したミレーのコピー「鋤を使う人」が展示されています。ミレーの原作はパステル画ですが、当時のコピーが白黒の版画で売られていたのでゴッホはその版画を手本としました。ゴッホはずっと後、1889年にも油絵の具でまた「鋤を使う人」を制作しています。構図は原作と同じですが、油絵コピー上の土と空の部分を注意して見ると、まるで波打っているかのように描かれています。また原作では単純に暗く描かれた胸の部分がブルーで置き換えられています。対象となる農民への限りない愛情と信仰心という点では、ミレーとの共通点を持ち続けたゴッホですが、ミレーを乗り越え独自の芸術を築いていった過程がうかがえます。

クエム時代のゴッホに関しては 残念ながらクエムの教会には記録が残っていません。しかし、クエム時代のゴッホを知る地元のデルソーというプロテスタント信者がピエラール代議士に宛てた手紙に次のように回想しています。

「彼は大変質素な生活をおくり、朝起きると二切れの乾パンを食べて、大きなコップで冷えたコーヒーをブラックで飲み、食事以外には水を飲んでいました。いつもたった一人で食事を取って、他の人と一緒に食事をしないようにしていました。食べながら膝の上で素描するか本を読むといった具合に、一日中素描に充てていました」

「ゴッホが私の義姉の家に滞在していたとき、彼が描いた一枚のデッサンが義姉の記憶に鮮明に残っています。それはジャガイモを収穫する農民の姿を描いた絵です。何人かが鋤でジャガイモを掘り起こし、他の者がそれを拾い上げる姿でした」

このデッサンは残っていませんが、この回想によって、ゴッホが5年後にオランダのヌエネンで制作した代表作「ジャガイモを食べる人」のコンセプトがクエム期にすでにできつつあったことを思わせます。

ゴッホのボリナージュ期は1880年10月にブラッセルの美術学校入学で終了します。彼が下宿したブールヴァール・ドゥ・ミディ72番地は現在の国鉄ミディ駅の真横で、今では大きな交差点と国鉄の高架になっていて当時の面影は偲べません。

http://blogs.yahoo.co.jp/prof_japonais/3946797.html


再びフィンセントは「女性問題」を引き起こします。 こんどの相手は、あばた面の年上の娼婦でした。

ハーグに舞い戻った年の冬、フィンセントは「一人の身ごもった女」にでくわします(No 192. 1882年5月)。このシーンと呼ばれる女は「男に捨てられ、その男の子どもを宿して」いました。

「みもごったおんなが冬の街頭に立たねばならなかった、パンを得なければならなかった」のを見過ごすことができず、フィンセントはシーンをモデルとして雇います。

「十分なモデル代は払ってやれ」ませんでしたが「家賃は払ってやれ」ました。「自分のパンを彼女と分けることによって、女とその子どもとを飢えと寒さから守ってやれた」のです。かれは、シーンを産科病院連れて行き、シーンの住まいをたびたびたずねるようになります。

旧約聖書の「ホセア書」の冒頭に述べられた「汝ゆきて淫行の婦人(をんな)を娶り淫行の子等を取れ」というエホバの命令をそのまま実行に移したかのようでした。


組んだ腕の中に頭を埋めた妊娠した裸婦の側面像を描いた素描「悲しみ」はこの頃のシーを描いたものです。フィンセントとしては珍しくロマンチックなイラスト風の絵で、「僕の一番よくできた素描(No 219. 1882年7月23日)」とフィンセントは誇らしげに書いています。この妊婦は聖書にあるように男の子を産むことになります。

しかし、まもなくシーンが出産という時になって、フィンセントはシーンにうつされた淋病のために入院を余儀なくされます。3週間してなんとか退院し、シーンが入院している病院に着くと、前日、シーンは難産の末、男の子を産んでいました。生まれた赤ん坊をみて感動したフィンセントはシーンと二人の子どもを引き取るために大きな屋根裏部屋を借りて移り住みます。夢にまで見た家庭生活でした。

この頃、フィンセントはベビーベッドに寝ている赤ん坊とそれを見守るシーンの娘の素描も描いています。そこには「家庭生活」の一コマが何気なく描出されていて、「悲しみ」以上に印象的なスケッチです。この子どもたちのスケッチを忘れがたいものにさせているのは、画家の憧れかもしれません。

司馬遼太郎がいうように「分際に応じて適当に愛され適当に嫌われ適当にずるっこけて甘えて暮らして」いれば、たいていは子どもの一人や二人はできてしまうものです。しかし、ケーに失恋して愛情が「枯死するのを」感じて以降、フィンセントにとって、たったそれだけのことが、この世で金輪際実現しえない夢物語と思えるようになっていました。それだけに憧れも強烈でした。フィンセントは誇らしげに次のように書き記します。

「陰気な気持ちになったとき、荒涼とした浜辺へ歩いていて、長く白い波が糸を引いている灰緑色の海を眺めるのはなんといいことだろう。しかし、何かしら壮大なもの、何かしら無限のもの、何かしら神のことを呼び覚まさせるように感じさせるものがほしいと感じたら、それを見出すために遠くまで行くには及ばない。大洋よりももっと深く、もっと無限でもっと永劫の何かが、朝眼ざめてゆりかごに輝いている日光に喉を鳴らしたり、笑ったりしている小さな赤ん坊の眼の表情の中に見えるように僕は思う(No 242. 1882年11月5日)」。

たとえ、その赤ん坊が見知らぬ男の子どもであっても、フィンセントはかまわなかったのです。 フィンセントはシーンが出産から戻ってきたら結婚するつもりでした(No 198. 1882年5月14日)。そして、そのことによって世間の信用をなくすことは覚悟の上でした。

 しかし、世間の風当たりは予想以上に厳しく、フィンセントは四面楚歌の状態に追い込まれます。生活費を弟に頼る身でありながら、えたいの知れない売春婦、父親もしれぬ子どもたちを養い、結婚しようとしているフィンセントにテルステーフもマウフェもコル叔父も驚き呆れ、許容することができなかったのです。テルステーフもコル叔父もフィンセントの絵を全く購入してくれなくなります。

マウフェは手足の石膏像をデッサンするか否かでフィンセントと言い争いになった後、全く会ってくれなくなりました。たまたま砂丘で出会って、フィンセントがもう一度教えを乞うたときも「俺はけっして君には会いには行かない。万事おしまいだ」「お前は卑劣な性格を持っている」と非難するだけでした(No 192. 1882年5月3日)。フィンセントは親戚一同とかつての仕事仲間の顔に泥を塗る恥知らずな人間と軽蔑されるようになっていたのです。両親も同意見でした。

 最後の頼みの綱はテオでした。テオからの送金が途絶えれば、シーンたちを養えなくなり、結婚するどころではありません。

 送金をやめるという強硬手段にはでませんでしたが、テオはハーグまでやってきて、散らかし放題のフィンセントの「家庭」のあまりのひどさに驚きあきれ、必死になって結婚を止めようとしました。「ヘール事件」のときのように両親がフィンセントを禁治産者にしてしまうかもしれないとまで脅しました。


 実際、シーンは投げやりで無気力でだらしない、とてもまともな「家庭」生活など営むことのできない女性でした。売春婦になったのも、生活に追いつめられてというよりも、それが手っ取り早かったからにすぎません。叔父たちのいう「自堕落な女」という表現がぴったりの女性だったのです。

絵画のための費用を差し引くと、テオからの送金だけでは生活費の捻出も間々ならず、やがて、フィンセントは借金をせざるを得なくなります。フィンセントはこのような状況にあっても絵画を精力的に描き続けており、マウフェの教えを受けられなくなったにもかかわらず、絵画において長足の進歩を遂げていました。絵を描き続けているということでテオは金を送ってくれているのですし、それ以上に、フィンセントにとって絵画は人生において残された唯一の生きる糧であり、これをやめるわけにはいきませんでした。しかし、このような経済状況にあっても絵画のために金と時間を「浪費」する男は、シーンにとっては不可解な存在でしかありません。彼女はだみ声を張りあげ、フィンセントを罵ります。

 やがて、母親の煽動もあって、シーンは再び体を売って金を得る生活に戻ろうとします。テルステーフやマウフェや叔父たちにいわれなくともシーンの「性格が損なわれている」ことはフィンセントもはじめからわかっていました。シーンとの家庭生活を夢見るにあたっては「彼女が立ち直ること」に望みをかけていたのです。

その前提条件が崩れてしまうのではどうしようもありません。シーンを更生させるためにがんばってきたフィンセントは精根尽き果てます。そして、結局、彼女と別れる決心をします。自分がいなくなれば彼女がもとの生活に戻るだろうという思いが彼の心を苛みました。しかし、どうしようもありません。

 つらい別れでした。とくに、シーンが出産した男の子をフィンセントは我が子同然にかわいがっていました。

「あの小さな男の子は僕にとてもなついていた。すでに僕が列車の席についたときも、僕はあの子をひざの上にのせていた。こうして僕らはお互い別れたが、お互い口では言えぬ悲しい気持ちだった(No 326. 1883年9月22日)」

とフィンセントはのちに書いています。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

フィセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1853-1890)のハーグ時代(1882年から1883年9月までのおよそ20ヵ月)に「悲しみ」(1882年、ロンドン・ウォルソン美術館蔵)という黒チョークで描かれた作品がある。ゴッホは自ら「最上の作品」と呼び、石版画にもしている。上掲の図版「シーンの娘」のモデルはシーンの長女で、暗い表情、やせこけた頬に不幸と貧しさが哀しくも表現されている。

1882年1月、ゴッホは街頭で酔っ払いの妊娠した娼婦に出会った。クリスティーヌ(ゴッホはシーンとよんだ)を拾い、20ヵ月間同棲生活が始まる。やがて赤ちゃんも生まれた。テオへの手紙には次のように書いている。

「ちょうど今ここに、女が子供たちといっしょにいる。去年のことを思い出すと大きなちがいだ。女は元気になり、気むずかしさがなくなってきた。赤ん坊は、およそ想像がつく限りで最も可愛らしく、最も健康で、陽気なちびになっている。

そしてあの可愛そうな女の子はデッサンを見れば分かるけれど、彼女が受けた恐ろしい不幸が未だ拭い去られてはいない。このことがしばしばぼくの気がかりになるのだ。しかし去年とはすっかり変わった。当時は全くひどかったが、今では彼女の顔はあどけない子供のような表情になっている」

この手紙を読む限りでは、貧しいながらも4人で暮らすありふれた幸せな家庭が築けそうな期待がする。しかしゴッホとシーンに破局がやってくる。1883年12月、ゴッホは両親のいるヌエネンに戻る。シーンの2人の子供たちがその後どうなったのか、それは誰も知らない。

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html


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5.そしてゴッホはゴッホになった

歴史の中のゴッホ ― 有川 治男


ゴッホの社会的、個人的環境


 ゴッホの個人的な生活を成り立たせていたいくつかの要素がありますが、たとえば、印象派の画家たちとゴッホの個人的な環境の違いといえば、彼はオランダ人でした。つまり、マネ以降、今回のシリーズで取り上げた画家たちはみんなフランス人であり、フランスで活躍します。これらの画家たちは、19世紀後半から世界の美術の1つの中心になったフランス文化に初めから接していたのに対して、ゴッホはオランダ人だったことが、彼個人の特別な事情であるわけです。

 さらに言えば、幼少時代に暮らしていたのはオランダの中でも都市部ではなく、南部の農村地帯ですが、農村地帯の出身だったことは彼の個人的な環境が持っている特殊性であるわけです。

いま左側には、ゴッホがオランダ時代に描いた農家の様子とか、農夫の頭部とかが映っていますが、ゴッホにとってこれはとてもなじみの深いものでした。たとえば、農村出身ではない印象派のモネもルノワールも農村地帯を描いています。ピサロも描いていますけれども、彼らは都会で育った後、自分たちとは違うものとして農村に接したわけです。ゴッホは、農民の子どもではなかったわけですが、生まれたときから農村地帯に暮らしていました。そういう意味では、ゴッホが描く農村とか農民の姿は、大人になってから自分と違う世界として初めて知ったものではなくて、子どもの頃からその中で知っていたわけですから、ずいぶん大きな違いがあるわけです。

 ゴッホはオランダ時代にも、アルルへ行っても、こういう農民の姿を描いています。アルルへ行って初めて知ったわけではないのです。ゴッホの生涯にわたって、こういう農民に対するまなざしはあったわけですし、ゴッホは自らの姿を都会に暮らす都会人というよりも、農民と同じような粗末な麦わら帽をかぶって自分の足で道をテクテク歩いて行くといった姿でも描いています。

たとえば、左側はパリ時代に描かれた自画像ですけれども、都会の住民とは思えない田舎っぽい服装をして、服は青い上っ張りのようなものを着ています。当時の証言がありますが、これは農民の服装ではないんですね。工事人夫などが着ていた青い上っ張り、つまり労働着を着て絵を描いていたという証言があります。

右側もそのような服を着ている。これはアルルで描いています。写生のスケッチに行くために麦わら帽をかぶって、労働着を着て、道を歩いているといった農民、あるいは労働者として自分の姿を描くところにも、都会の知的な環境の中で育ったわけではない、むしろ自分の手で働く農民たちの中で育ったゴッホの個人的な環境が大きく働いているように思われるわけです。

 初期のオランダ時代から、アルル時代、サン=レミ時代に至るまで、ゴッホは繰り返し繰り返し「大地の上で働く農民の姿」を描いています。そういう点で言えば、農民画家と言われているミレーも農村地帯で育ったということで、フランスの19世紀後半の絵画を担ってきた画家たちの流れでみると、ゴッホは生い立ちの点でもミレーに共感する部分があったと思われます。

 ゴッホが生まれたのは南オランダのフロート・ズンデルトというところなんですが、このあたりで一番近い町はブレダという町です。ブレダの町から、ずっとこういう農村地帯、畑が続いています。そういう環境の中で育っているわけです。 オランダの平坦な地面がどこまでも続いていく大地の上で育ったということは、たとえばパリという都会で育ったのとはずいぶん違うものをゴッホの絵画に及ぼしていると思われます。

 ゴッホは、アルルでも、わりと何ということのない、取り立ててどうということのない、ただ耕した、堀り返された畑といったようなものを描いています。印象派の画家たち、モネなんかでも、こういうものは題材にしないですね。つまり、色彩的にもそう面白いわけでもない。そういう何の変哲もない、ただの土塊だけの大地を描いているところには、ゴッホの個人的な生活環境、成長してきた環境が影響しているように思われます。これはサン=レミ時代の麦畑です。 ゴッホの場合は、とりわけ生涯にわたって農地、畑、麦畑を描き続けたことには、そういう個人的な要素が大きく関わっていたと思われます。これも何の変哲もない、一面に広がる麦畑。これは晩年のオーヴェール時代の作品です。


宗教の影響


ゴッホのお父さんはプロテスタントの牧師であり、主に南オランダの各地、フロート・ズンデルトとか、エッテンとかヌエネンとかというところの小さな町、村の牧師をやっていた人です。お父さんが牧師だった。農村地帯に暮らし、農民の労働、土というものを知っていると同時に、牧師と言えば知的階級ですから、知的な教育も受けた。これがある意味ではゴッホの持っている2つのルーツであるわけで、ゴッホにとって宗教は生涯にわたってとても重要な役割を果たしています。
 たとえば、右側の(機を織る男)でも、男は家の中で機を織っている。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weber_vor_offenem_Fenster_mit_Blick_auf_den_Turm_von_Nuenen.jpeg

女の人は外で仕事をしている。その向こうに教会の墓地にあった塔が描かれています。ゴッホは単独でもこの塔をしばしば描いていますけれども、こういうように労働と宗教が結び付いている。その点でもミレーとも共通するところがあるわけで、大地で手に汗して働くということと、それが人間としての務めであるといったことが宗教的に解釈されている。それが南オランダに育って、しかも牧師の息子として生まれたゴッホの2つのルーツが融合したところであるわけです。

 ゴッホの宗教観が非常にハッキリしているのは左側の作品で、ここに描かれているのはゴッホのお父さんが使っていた聖書です。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Stillleben_mit_Bibel.jpeg

お父さんが亡くなった後、ある意味では記念のようなものとして描いているわけです。ゴッホは子どもの頃からよく聖書に親しんでおり、ゴッホの手紙等には非常にたくさん宗教的な発言があり、聖書からの引用もあります。こういうようにお父さんの思い出として聖書を描いているわけで、牧師であったお父さんからとても大きな影響を受けつつ、同時にお父さんに対する反発のようなものもあって、ゴッホにとっては宗教は、単にとても大事なものであるだけでなく、とても複雑な要素を持っているわけです。

 教会の姿ということで言えば、これは一番有名な晩年のオーヴェール時代に描いている、オーヴェール時代の締めくくりのような作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise


そこにも教会の姿が出てきています。こんな具合に、彼はオランダ時代に宗教的なものを身に付けたわけですけれども、それは生涯ずうっと流れています。たとえばゴッホがしばしば描いた農民の姿に、(種まく人)とか(刈り取る人)がありますけれども、彼が手紙の中で書いていることを見ると、ゴッホは「種まく人」とか「刈り取る人」に宗教的なイメージを重ねています。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


たとえば「種まく人」は「神の言葉をまく人」といったような意味でしばしば出てきます。
 
 ミレーの(種まく人)についても、しばしば宗教的な意味合いが考えられていますけれども、ゴッホの場合はもっとハッキリと、

「種まく人は神の言葉をまく人なんだ」

という意味が重ねられています。特にこの作品の場合は、種まく人の後ろに沈み行く太陽を描いていますが、ちょうどキリスト教の聖者の頭の後ろに付いている「ニンブス」、「円光」、「光輪」のようなものが付いていて、ここではハッキリと種まく人に「聖なる意味」をかぶせているわけです。こんなふうに、実は宗教画でないものにしても、ゴッホの作品は、見ていくとずいぶん宗教的な意味合いがたくさん重ねられていることが分かるわけです。

 たとえば(ルーラン夫人)は身近にいる人、近くにいる人の肖像画ですが、ひまわりを両方にはさんで、宗教的な三幅対、祭壇画のように仕立てているわけです。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm

風景画であるけれども、宗教的な意味合いがあるし、肖像画であるけれども、宗教的な意味合いがあるわけです。


宗教画は不得手


 第1回目でお話しましたが、ゴッホはどうも人物画より風景画のほうが得意である。とりわけアルル時代以降、人物画から風景画に重点を移していくと申し上げましたが、宗教的な主題に関しても基本的にはそうで、ハッキリと聖書の中に出てくる物語を描いたゴッホの作品は基本的にはゼロです。聖書の中の物語を描いたものが何点かありますけれども、それはいずれもゴッホが自分で独創して描いたものではなくて、先人のものをコピーしたものです。左側はドラクロワが描いた(良きサマリア人)という作品をもとにしたもの。右側は、レンブラントの(ラザロの復活)がもとになっています。実はゴッホがお手本にしたレンブラントの作品は版画ですし、左側のドラクロワのものも、直接お手本にしたのはドラクロワの油絵を版画にしたものです。したがって、ゴッホは白黒である作品の構図を借りながら色を付けているという点ではかなり創作の部分もあるんですけれども、しかし、人物の組み合わせとか物語の情景のとらえ方を自分でつくり出すのではなくて、模写という形でこういう宗教画を描いているわけです。

 ゴーギャンは「頭で描け」と言った。たとえば宗教的な物語にしても、実際に見たことがないから描けないゴッホに対して、ゴーギャンは「頭で想像して描け」というわけです。ゴッホは何かお手本があって描くことはできるけれども、自分で宗教的な場面を想像して描くことは得意ではなかったし、実際に目にすることができないものを描くことに関してはかなり抵抗があったようです。それに対して、実際に目の前にあるものよりも、むしろ目の前にあるものをもとにしながら想像力でいろんな概念を込めた絵を描くというのがゴーギャンの主張で、たとえば左側の(黄色いキリスト)であるとか、右側の(オリーブ園のキリスト)あるいは(ゲッセマネの園のキリスト)などでは、宗教的な場面を自分の頭の中でこしらえています。ゴーギャンは人物画がメインですし、宗教的な意味合いを込めた作品もたくさん描いています。たとえば右側の作品では、ゲッセマネの園で一人苦悩し、思いをこらすキリストを描くときに、ゴーギャンは自画像を使っています。つまりまったく想像で描くのではないのだけれども、自分の顔をキリストになぞらえて描くというかなり大胆なことをやっているわけです。ゴッホはそういう大胆なことはできない。

 ゴーギャンが右側の絵を描いたのは、アルルでゴッホと一緒に暮らした後、つまりゴッホとゴーギャンのいさかいがあった後ですけれども、それでもゴッホとゴーギャンは文通等はしているわけで、あるとき、ゴーギャンはこういう絵を描いて「自分はこういう絵を描いた」と説明して、簡単なスケッチを添えてゴッホに知らせています。しかし、ゴッホは、こういうような、まったく空想で描くような絵はどうも受け付けなかったようです。

 それに対するゴッホのひとつの答えがこの作品です。ゴーギャンは苦悩するキリストの姿に自分の姿を重ねている。つまり「苦悩するキリスト」に「苦悩する芸術家」を重ね合わせて作品を描いているわけです。それに対して左側はオーヴェール時代にゴッホが描いた有名な(ガッシェ博士の肖像)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_gachetb00&picture=%83%7C%81%5B%83%8B%81E%83K%83V%83F%88%E3%8Et%82%CC%8F%D1%91%9C%81i%83K%83b%83V%83F%94%8E%8Em%82%CC%8F%D1%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_gachetb


ゴーギャンの(オリーブ園のキリスト)が首をうなだれて何か物思いにふけっているのに対して、この作品ではガッシェ博士にほおづえをつかせて、物思いにふけっている姿を描いていますが、ゴッホはそういう人間の苦悩とか悩みをあらわすにしても、ゴーギャンのように宗教画の形を借りるのではなく、(ガッシェ博士の肖像)という肖像画の形を借りています。

 ですから、ゴッホが持っていた宗教観は、ストレートに宗教画を描かせるようなものではなかった。彼は肖像画なり風景画なりに仮託して描くという、従来の宗教画とはかなり違う描き方をしている。ゴッホの宗教観は必ずしも彼の作品にストレートに出てくるわけではない。そこがゴッホの作品を複雑にしている要素であるわけです。

さらに、ゴッホはゴーギャンに対して、「見たこともないようなゲッセマネの園、オリーブ園を描くぐらいだったら、目の前にあるオリーブの畑を描くほうがずっとましだ」というようなことも言っています。「想像力で変な宗教画を描くよりも、目の前にある風景を描くほうがいいじゃないか」とゴッホは言っています。

そんな発言から考えると、まったく人物のいないこういうオリーブの園といった風景画でも、そこには何かしら「宗教的なこだま」のようなものも感じられるわけです。 「ゴッホは人物画よりもむしろ風景画だ」と言いましたけれども、その風景画は、これまでこの講座で見てきた、たとえばモネの風景画とはちょっと性格が違う。同じ風景画であっても、そこにかなり人間の世界、あるいは宗教的な意味合いとか象徴的な意味合いとかいうものも重ねられていると思われるわけです。

 これはサン=レミ時代の(星月夜)ですけれども、夜空の月とか星が渦巻くようになっている。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night


この夜空を見ていると、「これはただの風景画ではなくて、もっと意味が込められているのではないか」という気がしてくるわけです。実際、この作品の場合は、ここに地上のサン=レミの村、そこにハッキリと天に突きささるような教会の塔も見えていますし、これは単なる星月夜、目の前に見える綺麗な星月夜を描いただけのものではなさそうです。

ということで、これまでいろんな研究家がこれを宗教的に解釈しようとして、新約聖書の最後のところ、世の終わりを記述している「黙示録を背景にしているのではないか」とか、いろんなことを言っている人がいます。ゴッホの作品の場合、何か1つの解釈にうまく収まるかどうかは分かりません。いろんな見方ができると思いますけれども、確かに何か天と地の間で大きなコスミックなドラマが展開されているような気のする風景画であるわけです。

 ゴッホにとっての宗教はとても複雑なものであろうということは、いろいろあって、先程言ったように、お父さんは牧師であったけれども、お父さんとゴッホは常にいさかいをしているわけですね。いさかいをして家を飛び出るんだけれども、結局なかなかうまくいかなくて、また家に戻って来るようなことを繰り返す。そのこともあって、おそらくゴッホにとって、お父さんは、ゴッホからみるとプロテスタントの牧師なんですけれども、伝統的な宗教観にとらわれていて、ある意味では現代の人間の生き方に対してうまく対応していないとゴッホは反発するわけですから、ゴッホにとっての宗教は非常に複雑なものがあったという気がします。


ゴッホの個人的な背景 家族との関わり

 
お父さんはちょうどこの絵が描かれた頃、ヌエネンの教会で牧師をしていました。お父さんとの関係はそれほど簡単なものではなかったわけで、お父さんが亡くなるときに、ちょうどゴッホもヌエネンにいましたが、うまくいかなかった。しょっちゅう喧嘩を繰り返している。その中でお父さんが死んでしまうということがあった。お父さんが死んで、一方では精神的に楽になったという部分と、ずっと反発してきて、とうとううまく和解しないままお父さんが死んでしまったという後悔のようなものと、ゴッホにはとても複雑な感情が残ったと思われます。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_bible00&picture=%90%B9%8F%91%82%CC%82%A0%82%E9%90%C3%95%A8&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh

この作品は、ある意味ではお父さんとの関係を象徴しているわけで、この作品に描かれているバイブルと火の消えた蝋燭、これはお父さんか死んだことのひとつの象徴ですね。

 それともうひとつ重要なのは、ここに黄色い表紙の本が置かれていることです。これはゴッホが愛読していたフランスのゾラの現代小説です。 ゾラの小説は当時非常に流行っていた。絵画で言えば、印象派ではなくて、もっと社会の底辺に暮らす人々を描く写実主義から自然主義の絵画があるということをお話しましたが、印象派ではなくて写実主義とか自然主義というところに関わっているのがゾラですね。ゾラは当時次から次へと大都会の底辺でいろいろ苦しむ人々の姿を描きだしていたわけです。誰が見ても明らかに分かるこの黄色い表紙の小説本、ここには題名までちゃんと書いてあります。

 これはどういうことかというと、いろんな解釈があります。しかし、間違いなく、こちらはお父さんの世界ですね。2000年近く続いてきている伝統的な世界です。それに対して、こちらは自分の世界ですね。つまり現代の、しかもオランダではなくて、近代文明の先を行っている新しいフランスの最先端の文化であるわけです。しかも、色も白から灰色と黄色で対比になっていますし、何よりも印象的なのは、過去はとても巨大であって、それに対して近代の文明はまだとても小さい。たとえばお父さんとゴッホとの関係を重ねてみれば、お父さんはある意味では大きな存在で、自分は小さい。新旧の世代とか親子の関係とか、オランダとフランスとか、いろんな関係がここに重ねられているわけで、そういう意味では、ゴッホはいろんな思いを込めてこの作品を描いたのでしょう。

 家族関係のことで言うならば、まさに偉大な父親、常に正しいと思われることを人々に対して説いているお父さんと、この作品を描いた時点で言えば、いろんな職業を転々として、どれもうまくいかないで、しかも親のところに居候していて、この先もどうなるか分からない画家といった仕事に手を染めている、お父さんからはどうしようもない出来損ないだと思われている自分。そういう立派なお父さんと、そうではない自分という対比が込められているわけで、まさにこの作品は、家族の中でゴッホがどのような立場にあったか、自分をどのようなものとしてとらえていたかを大変分かりやすく示している作品です。

 宗教的なものも、個人的な家族関係といったものも、この作品からは読み取ることができると思われます。ゴッホは生涯にたくさん肖像画を描いています。これはゴッホの肖像画のひとつの特徴なんですけれども、ほんとうに親しい、描きたいと思う人を描いたものは少ない。つまり、家族の肖像画は基本的にはない。あれほど親しかった弟のテオに関しても、パリ時代、テオを描いたらしいと言われている素描が1点残っているだけです。お父さんの肖像画はありません。お母さんに関しては1点ありますが、実際お母さんを目の前にして描いたのではなくて、写真を送ってもらってそれを元にしたものです。当時ですからモノクロの写真です。これもある意味では直接描いたのではなくて、模写のようなものです。
それから左側はゴーギャンに影響を受けて、ゴーギャンからすすめられて想像で描いた(エッテンの庭)です。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

自分の子どもの頃のエッテンの庭の思い出ですが、しかし子供の頃ではなくて、お母さんと妹ですから、現在なんですね。そういうとても不思議な作品であって、これはやはり想像で描いたものです。そういう意味では、家族を実際に目の前にして描いた肖像画というのは、まったくないわけです。これもまた家族とゴッホとの関係、あるいは家族に限らず、身近な者との関係を示しているもので、こういう肖像画のあり方を見ても、ゴッホと家族との関係はなかなか難しいものだったんだろうと考えられるわけです。

 弟のテオとの関係はどういうものだったかというと、とても親しかった。テオは、兄フィンセントが画家になることを志して以来、経済的援助を一手に引き受けていたわけで、経済的な面からいえば一方的に「借り」なんですけれども、ゴッホは負い目を感じながらも、いろんなことにおいて常に「自分はお兄さんだ」ということで、テオには常にお兄さん顔をして助言を与えたりしていくわけで、精神的にはテオのほうでもお兄さんを尊敬している。けれども、現実の生活の上では、テオはちゃんと仕事を持って、お金を稼いで、しかもそれを一文も稼いでいないお兄さんに仕送りしている。その兄弟の関係、これも「ねじれ」ですね。つまり、年長と年下、精神的な指導者とそれに従う者の強弱の関係が現実生活では逆転しているという、とても複雑なものがあると思われるわけです。先程、宗教関係の「ねじれ」を説明しましたが、そういう意味では、ゴッホは、家族関係の中でも、かなり「ねじれた環境」を持っていたと考えられるわけです。

 ゴッホの身近にいた人といえば、ある時期、オランダのハーグでゴッホと生活をともにしていたシーンという女性がいました。何人かの子持ちで、ときには他に生活の方法がなくて、身を売るようなことをしていた女性ですけれども、その女性とかなり長いこと一緒に暮らしています。ハーグ時代には、既に油絵を描き始めており、シーンに関しても素描はたくさんありますけれども、油彩での肖像は描いていません。


http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


 アルル時代には、アルルで一番親しくしていた郵便配達夫ルーラン一家の一連の肖像を描いたことについてもお話しました。ゴッホが描いた肖像画の中で、一番親親しかった人といえば、せいぜいこのルーラン一家ぐらいかと思います。ルーラン一家に関しては、お父さん、お母さんの他に、2人の息子、長男、次男がいる。それからゴッホが滞在しているときに、もう一人赤ん坊が産まれるわけですけれども、その赤ん坊まで含めて描いています。ルーラン一家のこれだけたくさんの人物をそれぞれ赤ん坊までも取り上げて1点の肖像画として描いています。ルーランの肖像画を描いたとき、ゴッホは手紙の中で「家族の肖像を描きたいんだ」と言っています。ゴッホは自分の家族とは必ずしもうまくいっていなかったのですが、ある意味では理想的な家族に対する憧れは常にあったわけです。

 ハーグでは子どもを抱えたシーンと同棲生活をしています。ほんとうは結婚するつもりだったんですが、周りからいろいろ反対があって、どうもうまくいかなくて、最終的には自分から手を引くことになります。家族を持ちたいと思ったけれども、うまくいかなかった。そういう意味では、自分が持てなかった家族の姿をアルルでルーラン一家に見ていたのではないかと思われます。

 シーンを描いた絵の中にも子どもを抱いたものがありますが、ゴッホは肖像画とか人物画の中でも「母と子」をオランダ時代から繰り返し描いています。ここでもルーラン夫人が赤ん坊を抱いている姿を描いています。これはサン=レミ時代です。両方とも模写です。右側はミレーが描いた版画をもとにしているもので、農家にお父さんとお母さんがいて、赤ん坊がいる。英語で言うと(ファースト・ステップ)という題名になっていますけれども、赤ん坊がヨチヨチ歩きを始めたという微笑ましい家族の姿を示しています。左側は、デュモン=ブルトンという女性の画家が描いた母子像の版画をもとにして描いたものです。ゴッホの作品の中には、生涯、「母親」、「子ども」、「家庭」といったイメージが、常に自分が得たかったものとしてあったと思われます。けれども、自分は最後まで家庭、子どもを持つことはできなかった。


対人関係が苦手


 家族にかかわらず、ゴッホは対人関係をつくるのがうまくなかったようです。たとえばこのパリで描いた(タンギーおやじ)とか、右側のアルルで描いた(ウジェーヌ・ボック)というような、それほど重要でない、毎日顔を突き合わせるような関係ではない人の場合には、わりと気軽に肖像画が描けたわけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh20.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html

両方とも、パリ時代の肖像画として、あるいはアルル時代の肖像画として代表的な、とてもよくできた肖像画です。

先程、ゴッホは家族の肖像画を描いたことがないと言いましたけれども、大事な人を描きたいと思うと、なかなかうまくいかないということがあります。その典型的な例が、まさにゴッホが対人関係の中で最も苦労したゴーギャンですね。ゴッホにとってゴーギャンはとても大事な人でしたし、シーンとか家族を除いては、数カ月でしたけれども、同じ部屋で生活をした、とても重要な画家だったわけです。ゴーギャンがアルルにやって来たときに、お互いに肖像画を描き合うことにしたようです。画家仲間で、肖像画、自画像、あるいは相手を描いたものを交換するのは、19世紀のヨーロッパでは、たとえばドイツ・ロマン派あたりからずっとありました。ゴーギャンとかゴッホの仲間うちでも肖像画を交換し合うことがありました。


 ゴッホの自画像の中にも、仲間の画家に贈るために描いたものが何点かあります。ゴッホとゴーギャンは、アルルでお互いの姿を描き合うということをやりました。ゴーギャンがゴッホを描いたのは、先々週お見せした有名な(ひまわりを描くゴッホ)という作品です。それに対してゴッホが描いたゴーギャンはどうだったかというと、この左のものです。

これはどう考えても失敗ですね。ともかく正面からうまく見ることができなくて、斜め後ろから見ている。実際のゴーギャンが目の前にいるんだけれども、どう描いたらいいか、ゴッホは戸惑ってしまうわけです。 左の絵は、顔だちからしてゴーギャンだろうということは昔から言われていて、しかも現在アムステルダムのゴッホ美術館にあります。つまりゴッホが残した作品の中に含まれていたわけで、ゴーギャンを描いたことは明らかだ。けれども長いこと、「いくら何でもこんなに下手なものはゴッホの作品ではないだろう」と言われていたものです。

 長いことゴッホの作品カタログの中から省かれていたのですけれども、近年になって、絵が描かれているキャンバスとか絵具を科学的に調べた結果、この絵が描かれているキャンバスは、間違いなくアルルにおいてゴッホとゴーギャンがこの時期に使っていたキャンバスと同じものであって、その巻のどこからとったかや絵の具までほぼ分かっています。そのことから、これを描いたのは「ゴッホかゴーギャンに違いない」ということで、ゴーギャンでないとすると、ゴッホしかない。ということで、何年か前から、これはゴッホが描いたゴーギャンの姿であると認められているわけです。一時期、「いくら何でもゴッホではあるまい」と思われていたぐらい、どうもうまくいっていない。鼻なんか、どうなっちゃっているのかというようなものです。

つまりゴッホという人は、何か大事な意味を持ったものを描こうと思うと、かえってうまくいかないということがあって、これはゴッホの人間関係の特徴で、まさにゴーギャンとの共同生活がそうですけれども、「頑張ろう」「ほんとうに大事にしたい」と思うと余計悪いほうへ悪いほうへと行ってしまう傾向があるように思われます。

 したがって、ゴーギャンとゴッホという関係をあらわす場合も、人物や想像で描くより、こういうやり方のほうがうまくいったようです。これも有名なもので、(ゴーギャンの椅子)と(ゴッホの椅子)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_fauteuil00&picture=%83S%81%5B%83M%83%83%83%93%82%CC%88%D6%8Eq%81i%96%7B%82%C6%98X%90C%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_fauteuil

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_chaise00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%83S%83b%83z%82%CC%88%D6%8Eq%81i%89%A9%90F%82%A2%88%D6%8Eq%81A%83p%83C%83v%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_chaise


つまり、ゴーギャンが座る椅子と自分の座る椅子。ゴーギャンの椅子には、ゴッホが精神の糧と考えていたフランスの小説であるとか、明かりのついた蝋燭が置かれています。先程のお父さんの絵には、明かりの消えた蝋燭がありました。明かりが点いているということは、まだ生きている光という意味です。さらにそれを強調するように、光を放っているランプがあります。ゴーギャンの椅子が立派で、ひじ掛けもついているのに対して、ゴッホの椅子は粗末な藁で出来ていて、ゴッホが好んでいたパイプタバコが置いてある。これは対になる作品ですが、こんなふうに自分とゴーギャンを表す場合も、肖像画で対にするのではなくて、物であらわす。こういうやり方のほうがゴッホにとってはうまくいくようで、人間と直接対して、人間の姿として表すことは苦手だった。そう思われるわけです。


男女関係も苦手


 もう1つゴッホにとって苦手な対人関係で、作っていくのが難しかったのが男女関係です。シーンとは一生に生活しているし、その他、生涯に大きな失恋を3回か4回経験しています。そういうものとか、お母さんとの関係、妹との関係も含めて、ゴッホの女性関係はどうだったかという本が最近出たばかりです。ゴッホの女性関係も彼の個人的なキャラクターからいうと、とても重要です。

 ゴッホはパリ時代に2〜3点ヌードを描いています。けれども、ゴッホがヌードを描いたのはパリ時代の2〜3点のみです。生涯にわたって油彩画はこれだけです。パリ時代に若干、その前のアントワープ時代にはデッサンのための女性ヌードがありますが、油彩画で描いたヌードはこれだけです。


http://kaigastory.seesaa.net/article/143700634.html
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weiblicher_Akt_auf_einem_Bett.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Liggend_naakt_anagoria.JPG
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Liegender_weiblicher_Akt.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_van_Gogh_-_Liggend_naakt_1887.jpg

この女性ヌードにしても、一体女性のヌードに何を求めていたかがどうもよく分からない。伝統的な西洋絵画で女性のヌード画に求められていたものは、ここではほとんど感じられない。つまり、女性の裸の体の美しさ、あるいは曲線の美しさであるとか、肌の白さ、滑らかさなどが見られない。


(中川隆 注 : アントワープ時代は毎日朝から晩まで日本の春画ばかり見ていていて、娼館にも入り浸って梅毒に罹ったから、戒めに女性を態と醜く描いただけでしょうね)


 今日の我々の見方からすると、19世紀の画家たち、ルネッサンス以降の西洋の画家たちが女性の裸の姿を美しいものとして、とりわけ男性が鑑賞するものとして絵画の中で描き続けてきたことに関してはフェミニズムの問題とか、ジェンダーの問題があります。つまり、男性が社会を支配している中で、女性は単に見られるものとして描かれてきたという女性ヌードについての問題が、美術を見るときの重要な問題として最近浮かび上がっています。しかし、ゴッホが描いた女性のヌードは、ルネッサンス以来伝統的な、男性が目で見て楽しむようなヌードにはなっていないわけです。ゴッホがこういうヌード画をどういう視点をもって描いていたのかは、伝統的な女性美を描くといった、西洋の伝統的な絵画の描き方の中では必ずしもうまく説明できない部分があります。

 人物のプロポーションといった点でも、これがもし当時の美術学校で学生が習作に出したら、「こんなプロポーションはないだろう」と先生からすぐに突っ返されるような大変おかしなプロポーションになっています。左のものは美術学校にしばらく通っていた頃のモデルを描いたものですけれども、これなんかも、伝統的な女性のデッサンに見られる女性らしい体つきとか、理想的なプロポーションとはずいぶん大きくかけ離れています。右側は油彩画に描かれたもので、ここにある女性のヌードは、見てもお分かりのように石膏のモデルです。


http://blogs.yahoo.co.jp/pagannudes/17171225.html

けれども、ここでも女性の体が持っている、たとえば胸とか肩の線とか、お尻の線というものがあまりうまく表現されていないように思われます。

 この右側の作品における女性の体、ヌードは、作品を構成している意味からしても、けっこう重要なものなのです。と言いますのは、やはりここにもゴッホが愛読していた精神の糧としてのフランスの小説本があるのです。それからその外に、誰が見ても疑いない愛の象徴としてのバラがあるわけです。精神の糧としての現代小説、愛の象徴としてのバラがあるわけですから、当然そこにあるのは「たまたま自分の近くに画家が訓練するための石膏像があった」というだけではなくて、女性のヌードであることが深く関係しているに違いない。「愛」「精神の愛」あるいは「美」、そういったものが関係しているに違いないのですけれども、しかし、それを表すにしては、ヌードの石膏像は、必ずしも我々が一般に考えるような女性美をあらわすものにはなっていない。ゴッホが愛とか女性とか女性との関係といったものをどのように捉えていたかは、そう単純には読み解けないという要素がこの作品の場合にも示されているわけです。

 ゴッホが女性美をどう考えていたかに関しては、いくつか考える手だてがあります。たとえば、こういうものも、ゴッホが考える女性美が我々が一般に考えるものとは違うと思わせる例です。

ゴッホは独学で勉強した人ですから、美術学校へ行ったわけではない。独学で素描の勉強から始めるわけですけれど、そのときに、当時フランスで出ていた素描のお手本集という画集があった。それを全部うまく模写する。しっかり模写すると、だんだん素描の腕が付いてくる。基本的には素人画家のためのお手本集なんですが、そういうものがあって、それをゴッホは模写しています。生涯に3度ほどやっていますけれども、これは最も最初のものです。

左側はオリジナルです。もともとはルネッサンス期のスイスの画家であるホルバイン、肖像画で有名だったホルバインの素描です。そのお手本集にこれが複製で載っているわけです。右側は、ゴッホが一生懸命それに似せて描いたものですが、左のホルバインが描いた若い女性の美しさが、右側ではほとんど飛んでしまっている。顔だけ見ると、武田鉄矢じゃないかと思えるような顔になっているわけで(笑)、女性美に対する感覚は、ちょっと特異なものだったのではないかなと思われます。


ゴッホの特異な女性像


 そういうふうに見てくると、ゴッホが生涯で描いた女性の姿には、あまり美しいものがないですね。右側は先週「失敗作だろう」と言ったもので、左側は晩年のオーヴェールで描いたものです。


http://ameblo.jp/hansehi/entry-10215346033.html

下宿をしていた宿屋の若い娘さんの姿です。写真が今日残っていますが、とても可愛らしい、美人の部類に属する人です。しかし、目と眉のところをしかめたような顔をしていて、顔の色もちょっと青ざめたような色になっています。

 これは、やはり晩年、オーヴェールで描いたガッシェ博士の娘さんです。 晩年のゴッホが肖像画を描いているわけですから、何らかの形で親近感を感じていた、身近にいた数少ない若い女性だったと思われますが、両方とも、若い女性の持っている魅力が引き出されているかというと、必ずしもそうではないように思われます。ゴッホが生涯、実生活において女性とうまくいかなかったことが、ゴッホの描いた女性像にも反映されているように思われます。

 そういう意味で、ゴッホは、これまで見てきた印象派の画家たち、あるいは19世紀後半の画家たちの中でもちょっと変わったところがあるという気がするわけです。と言いますのは、これまでシリーズの中で見てきた画家たちの中でも、たとえばマネの場合は、大変なスキャンダルになった最初の作品からして、そもそも女性の裸婦がメインになっていたわけですし、ルノワールも風景画というより若い女性ですね。印象派の画家の中でもルノワールは、19世紀末から20世紀にかけて、ピアノを弾いていたり、水浴をしていたりといった美しい健康的な女性美を描くことを中心にしていたわけです。後期印象派の中でもスーラには(ポーズする女たち)という大作があるし、80年代にモネと一緒に風景画をメインとしていたセザンヌにしても、生涯最も大きな大作は、こういう(大水浴図)と言われているようなヌード像であるわけです。それから、言うまでもなく、ゴーギャンがこの後タヒチで描くのは基本的に裸婦の世界ですし、ゴーギャンの仲間であり、ゴッホと親しかったベルナールにしても、やはりこういう人物像を描いています。さらにもう1つ、次の世代のマティスにしても、ピカソにしても、初期を飾る最も重要な大作と言われるものは、たとえばマティスの(豪奢)と言われている作品とか、ピカソの(アヴィニョンの女たち)のようにヌードを主題にしています。マネ、印象派、後期印象派からフォーヴィスム、キュービズムに至るまで、画家たちがここ一番という大作を制作するときにに出てくる主題は「ヌード」なのです。

 そういうことからすると、生涯にわたってヌードをほとんど描かなかったゴッホは、この時代においてもかなり例外的な存在だったわけです。生涯にわたってほとんどヌードを描かなかったもう一人の例外はモネです。ゴッホが例外になった理由の1つには、ゴッホの女性関係という個人的な条件もある程度関わっていたと思われます。

 もちろん、それだけではないわけで、一方ではモネがなぜヌードを描かなかったのかといった問題とも関連します。先程申し上げたように、ルネッサンス以来、脈々と続いている女性ヌードという流れ、美術史の流れ、社会史の流れの中にジェンダーの問題があります。社会史の流れ、近代社会の中で、男性と女性の役割がどうなっていたかという観点も考えなければならないわけですが、そのようなものも含めて、ゴッホの女性像の特異さは一つの重要な要素としてあると思います。


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画家としてのゴッホの特殊な環境

 
ゴッホは基本的には画家としてきちっとした教育を受けていない。つまり素人画家から始まったということがあります。そういう意味では、ゴーギャンと似ているところがあります。ゴーギャンも最初から画家になろうと思ったわけではなく、株式仲買人として金融業に勤めるところから始まったわけで、ある程度の年齢に達してから画家を始めたということで、ゴッホはゴーギャンに親近感を持っていたのだと思われます。しかし、大きく違うのは、ゴッホは自分が正規の教育を受けていないことをかなり気にしている。と同時に、正規の教育を受けていないことがある意味ではゴッホの強みになった部分もあります。

 ゴッホが油絵を描きだしたのは1880年というずいぶん遅い時期であるわけです。画家になることを志してからも、ずいぶん長い間、彼は素描しかやっていなかった。つまりペンで描いたり、鉛筆で描いたり、木炭で描いたり、チョークで描いたりという作品だったわけです。

ハーグ時代から油絵を始めるわけですが、たとえばヌエネンで描いた左側の油彩画と右側の素描を比べてみると、左側の油彩画はそれほど出来のいいものではない。まぁ平凡な出来です。たとえば木の葉の部分など、全体としてとても平坦だし、これは柳の一種ですけれども、太い幹から枝がシュッシュッと出ている様子は、右側の素描のほうがとても力強く、木の生命力を感じさせます。油彩画の柳はヒョロッと立っていて、しかも素っ気なく葉が出ている。あるいは枝が出ていて途中で消え入りそうなところなどを見ると、この時代のゴッホは筆の使い方、油絵の具の使い方に慣れていないようです。

 自分でやってみると分かりますが、絵具をどれくらい固くするか、柔らかくするか、油で溶くか、どれくらいの太さ、どのくらいの固さの筆を使うかの選択は難しい。毛の種類によって筆の反発力が違うし、それを使いこなしていくのは結構大変なことです。ゴッホはオランダ時代には、まだ筆と絵の具の使い方に慣れていなくて、それよりも右側の作品のように、自分が慣れ親しんでいるペンの素描のほうがずっとうまくいっています。このオランダ時代のものには、主に固いペンを使って、縦方向と横方向の細かい線を重ね合わせていくハッチングというテクニックによって、奥行きや濃淡、ボリュームなどを大変見事に描き出しています。19世紀の素描作品として見ても、これは第一級の作品と言っていいと思います。


素描の腕前は一流


 それに対して、左側のオランダ時代の油彩は、もしゴッホが描いたものでなければ、今日とうてい美術館に入るような代物ではありません。彼は長い間、素描を描いていたわけですが、素人であって、油絵に慣れていないから描いていたという域を超えて、初期から素描に関しては大変な腕前を示していたと言えます。素描に親しんでいただけではなくて、素描がうまかったと言っていいと思います。

 これは、同じヌエネン時代の同じような並木道を描いた油彩画と素描です。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm


道がずうっと奥まで続いていく遠近法を使った様子も、右のほうがずっとうまく、明暗の感じ、光がどういうふうに射しているかという感じも素描のほうがうまく出来ていると思います。オランダ時代には、若干水彩を加えた作品も残していますけれども、これなんか、とても見事な水彩ですね。鉛筆の下書きの上にペンと水彩を非常に巧みに使っています。空間の描き方、対象の描き方、ボリューム、雨が降った後でぬかるんでいて、そこに吊り橋の影が映っている様子、空気とか天候とか、そういうところまで大変見事に描き出している。専門的な訓練を受けた当時の画家の作品と比べてもまったく遜色のない、あるいはそれ以上のたいへん見事な作品です。

 当時の画家は、素描の訓練をある程度受けて、すぐ油絵に移っていきます。当時の絵画の概念から言えば、素描や水彩より油絵のほうが本格的な絵ですから、ある程度の技量がつけば、すぐに油絵の訓練を受けるのが普通のやり方で、美術学校へ行けばそうなるわけです。しかし、ゴッホの場合はそういう教育を受けなかったために、非常に長いこと素描だけに専念できた。ある意味では、そのことで、伝統的な美術教育の中では発揮されなかったゴッホの素描の展開がもたらされたのではないかと思われます。

 これも初期の素描の一部ですが、細かい鉛筆、太いチョーク、白いハイライト、いろんな素描の材料を使用し、描く対象にふさわしいいろんなタッチを使って描いています。そういう意味では、ゴッホの素描は細部まで見ても見応えがあるもので、とりわけオランダ時代には、素描のほうが油彩画より実際見ていて面白い、見応えのあるものがたくさんあります。


アルル時代に素描と油彩画が対応


 先程は「主に直線」と言いましたが、直線だけではなくて、木の幹のこういう膨らみは回るようなタッチで描いている。また、縦の草の部分なども、まったく一様ではなくて、アクセントをつけながら、重なり具合によって濃いところ薄いところと、たいへん見事に線を使い分けて画面を構成しているわけです。左側のオランダ時代の柳を描いた作品における素描の線の扱い方は、ゴッホがアルルで獲得した油彩画における自由な筆のタッチとある意味では対応していると思われます。まったく同じような主題を描いているわけですが、ヌエネン時代、オランダ時代には、まだこれに対応するような、油絵の具でのうまい筆の使い方ができなかったわけです。

 アルルまでくると、素描でやっていたようなシュッシュッと長いタッチとか、放射状に広がるようなタッチとか、細かい部分の短いタッチとか、油絵の具にしても、いろんなタッチを使い分けて対象を描けるようになっている気がします。そういう意味では、ゴッホは、オランダ時代に素描でずいぶん長い時間を費やしたわけですが、それは決して遠回り、あるいは時間の無駄ではなかった。オランダ時代に素描という分野でいろんなやり方、いろんなタッチの使い方、いろんな線の引き方を訓練しました。パリでは新しい絵具のタッチの使い方、点描とか、平面的な塗り方を学びました。それがオランダ時代に獲得した素描の技法と合わさって、アルルでは、油彩画においても自由なタッチを獲得できたのではないかと思います。

 このように、ゴッホが最初からきちっとした画家の勉強を受けたのではなく、ずいぶん長いこと素描に取り組んだことは、ゴッホの油彩画の展開にとっても、きっと重要なものだったのでしょう。

 正直言って、パリ時代でも、まだ素描、水彩のほうがうまいですね。パリ郊外の工業地帯を描いた左側の作品は、構図からいっても、空間の奥行きからいっても、あまり出来のいい作品とは思えません。右側の素描の上に水彩を乗せたもののほうが、ずっと自由に画面構成も出来ていると思われます。ですから、パリ時代までは、ゴッホにとっては素描のほうがやり慣れた使いやすい技法だったと思います。それがアルルに行くと、素描と油彩画がほぼ対応するようになってきます。

 これは今回も来ている(種まく人)ですけれども、アルル時代あるいはアルルからサン=レミ時代に描いた重要な作品に関しては、それに対応する素描があります。その素描には2通りあって、1つは油絵を描く前の習作として描いたもの。もう1つは、油絵を描いた後、それをもとにしてパリにいる弟や画家仲間のベルナールに「こういう作品を描いたんだ。でもこの作品はアルルにあるから見せることができない。だからこういう素描を描いた」ということで、素描を描いておく。その2つがあります。

 この素描と油彩画を見比べると、性格がよく似ています。どういう性格が似ているかというと、それぞれの部分に使われているタッチの扱いがほんとうによく似ています。たとえば、地上の部分はこういうブツブツとしたタッチ、この部分は点描、麦の部分ではこういう縦長のタッチ、空の部分は放射状に少し点々が混じったようなタッチになっている。ゴッホは、基本的に、油絵と、それを基に描いた素描あるいはその基になった素描で、同じようなタッチの使い分けをしているわけです。したがって、ゴッホは、アルル時代に素描と油彩画をほぼ同一のものとして並行して描いていくことができる。自分が油彩画でやったことに関しても、色は抜けるけれども、ある程度素描で伝えられる。それを弟やら画家仲間のベルナールに伝えられるとゴッホは思っていたわけです。

 そういう意味では、ゴッホにとっては、色も重要だけれども、それ以前に何よりも重要なのはタッチである。ゴッホが油彩画のタッチを素描に移し得る、あるいは素描のタッチを油彩画に移し得るということが、こういう作例を見るとよく分かると思います。

 有名なアルルの(ラクローの野の収穫)といった作品でも実にさまざまなタッチが使われていますね。長いもの、曲線のもの、点々のもの。そのタッチが、油彩画の上でも、油絵具を使った筆のタッチとして、ほとんどパラレルに実現されています。さらに言えば、油彩画の基には水彩画があります。ゴッホというと、とかく色を使ったネットリとしたツヤのある油絵と思われていますが、実はゴッホにとっては、素描もとても重要だったわけで、ゴッホが素描でやっていることと油絵でやっていることにかなり密接な関連があるということは、たとえばこういう作品をご覧いただければお分かりかと思います。これなんかも、ほとんど色は1色で、「タッチで見せている油彩画だ」とお話したと思いますけれども、まさにエッセンスとしてのタッチは右側の素描にあります。ほとんどの重要な作品には、それと対になる素描が残っています。

 ゴッホにとって素描は、アルル時代以降、ずっと絵画の裏側にしっかりとくっついており、表裏一体を成しているものです。左側の麦の刈った束、そのタッチそのままが素描の上にあります。そういうことから考えると、ゴッホの油彩画におけるタッチは、ある意味でとても素描的です。とりわけアルル時代のゴッホはペン、葦のペンを使っています。葦の茎を切ったペンを使うと、グイグイッとした太い線が引けるのですが、ゴッホが素描において実現した線がそのまま生きている。そういうことからすると、印象派やゴーギャンと比べても、ゴッホの油彩画における絵具のタッチは素描的だ、デッサン的だと言えると思います。

 積み藁を描いたこの作品の面白いところは、実際の油彩画ではない、積み藁の渦巻くようなペンのタッチが見えていることです。この素描でも、いろんなペンのタッチの絡み合いが見どころになっています。こういうふうに見ていると、「なるほど、ここのタッチの動きは素描のこういうところに対応しているのだな」という感じがします。これは植物が絡み合うアルルの公園の様子です。この作品をお見せしたときは、「ほとんど風景画なんだけれども、抽象的なタッチの渦になっている」と申し上げましたが、それを素描にしてみると、一層抽象的な画面構成という感じが強くなっています。


水墨画に近づく素描


 これはアルルの近郊の風景で、ほぼ同じような場所を描いています。これなんかを見ると、ここでは岩や木のタッチの処理がどうもうまく出来ていない感じがするんですが、右側では、岩のゴツゴツとした感じとか、木が威勢よく葉を伸ばしている様子が非常に見事に描かれています。

 右側の素描に関しては「ペンの使い方の巧みさは西洋絵画を超えて、日本の水墨画のような感じがある」とよく言われます。場合によっては、ジャポニスムという部分もあると思います。日本の水墨画の画家たちは1本の筆を使いながら、それを様々に使い分け、濃淡を使い分けて、岩や葉っぱや流れを描き分ける。タッチの使い方、濃淡の使い方によって、1色なんだけれども、風景の全体をつくり上げるといった水墨画のやり方を感じさせるような素描の巧みさをゴッホは見せているわけです。

 アルル時代のこういう作品を見ると、ゴッホにとっては素描が油彩画を考えるうえでも重要な要素だったことが分かると思います。油彩画と素描を比べると、明らかに素描のほうが面白いというものもあります。これはゴッホがアルルから地中海にあるサントマリーというところへ出掛けたときに描いたものですが、右側を現地で描いて、アルルに帰って来てから左の油彩画を描いています。この草の生い茂る様子などは、油絵になると、タッチの変化がなく、おとなしいものになってしまったような気がします。これも現地で描いたものですが、こちらのほうがずっと力があるような感じがします。そういう意味では、アルル時代においても、画面のタッチの力という点では、素描が油彩画をある程度リードしていた面もあるかもしれません。

 これはやはりサントマリー、地中海を描いたものです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh26.html

現場で油彩画を描いて、アルルへ戻って来てから、それを基にして素描を描いています。たとえばこれなんかもハッキリしています。現地で描いた油彩画の場合は、波のような不定型で動いているものをどう扱ったらいいのかよく分からない。ところがペンで描いたもだと、実に見事に波の砕ける様子が描けている。こういうものに関しては、油絵ではどう処理していいか分からないけれども、素描ではきちっと処理できていると言えると思います。


サン=レミで完成したタッチ


 これも同じものを基にした作品で、もう1点、これは現地で描いた油彩画です。このへんがうまくいっていませんね。波がどうなっているかはっきりしません。しかし、それを素描にすると、こういうふうに出来るわけですね。波が押し寄せて砕けていく。ですから、サントマリーへ行った時点でも、まだゴッホは海のような難しい対象に関しては素描のほうがうまく扱えたようです。これもそうですね。まさに渦巻く波の様子が見事に描かれています。最初にお話したように、ゴッホはまだアルルにおいては完璧には自分のタッチを完成させていなかったわけで、それが完成されるのはサン=レミです。

 右側の素描に見えているような渦巻く様子、あるいは空の部分の雲でもそうですね。油彩画では頼りなくフワフワ浮いていますけれども、素描の場合は、渦を巻いて、しっかりとした雲という存在感を持っている。こういう存在感を持った対象を油絵で描くには、アルルはもう一歩であって、ゴッホがこういうことを達成したのはサン=レミだった。それをタッチのところでお話したわけですけれど、こうして素描で比べてみると、そのことが一層よく分かるかと思います。海を描くときには、アルルでもうまくいっていなかったように思われるわけです。

 これは右のものと対応している油彩画ですけれども、この油彩画の場合、波の部分は素描に見えているようにうまく処理されています。雲の部分もさっきのような頼りない様子ではなくて、しっかりと実在感を持った、まさにゴッホがサン=レミ時代に達成したようなしっかりとしたタッチをもっています。

 ただし、左側の作品はゴッホの真作ではなく、贋作です。かなり前まで真作だと思われていたのですけれども、贋作です。科学的な調査の結果、それが明らかになったのですが、これは様式的にも明らかに贋作です。どうしてかというと、先程見たように、アルル時代においては、ゴッホはまだこんなタッチは達成できていなかったわけです。素描においては既に達成できていたけれども、油彩画においてこのようなタッチが達成できるのはサン=レミへ行ってからです。ですから、アルル時代にこのテーマでこのような作品が描かれることはない。その意味でも間違いなくこれは贋作であるわけです。

 贋作者は当然サン=レミ時代のこういう作品を知っているわけですから、これとこれをうまく対応させているわけです。こういう渦巻くような空を描くんだったらこういうものを描くだろうと。贋作者が失敗したのは、アルル時代の主題なのにサン=レミ時代の様式で描いてしまったことです。

 そういうことから考えても、サン=レミに達成されたものはアルル時代にはまだ達成されていなかった。しかし、素描においては達成されていたものが、サン=レミに達成されたということが場合によっては言えるわけで、1時間目にお話した、ゴッホがいかにして自分の様式を達成したかという話の裏には、そもそもゴッホが個人的に素人画家として素描から出発したことが大変な強みとして働いていると言えるわけです。


サン=レミ時代


 サン=レミ時代になると、素描と油彩画が完全に1対1で対応するようになります。これが(星月夜)に対応する素描です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_Starry_Night_Drawing.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:VanGogh-starry_night.jpg


サン=レミの病院の庭を描いた油彩画と素描です。試しに左側の油彩をモノクロで撮って素描と並べてみると、こうなります。絵の性格としてはほとんど同じであることが分かるとかと思います。タッチの部分、空の部分なんかも、よくよく注意しないと、どっちが素描でどっちが油彩画だか分からなくなってしまう感じさえあるわけです。

 これも病院の窓から見た麦畑の油彩画と素描です。これも油彩画のほうをモノクロにしてみると、こんな具合です。つまりゴッホの素描は、色を抜いた油彩画とほとんど変わらないような性格のものであるわけです。これはサン=レミ時代の(糸杉)。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen1.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen.jpeg


糸杉の渦巻くようなタッチ、空の渦巻くようなタッチは、素描で実現されているものと同じです。これは、大変抽象的な絵になっていると申し上げた(オリーブの果樹園)と、それに対応する素描です。素描を見てみると、油彩画に見られる「うねっている線」が、油彩画の線というより、もともと自由に動くペンで達成された「素描の線」であることが見てとれるかと思います。

 オーヴェール時代にも、その自由な線をもった素描、あるいはそれに水彩をさした作品は、こんなふうに見られます。オーヴェールの農家の藁葺き小屋を描いた作品。こういうものにしても、特に右側のようにちょっと淡い色がついているものは、素描と油彩画がほんとうに近い性格のものであることが分かると思います。そういう意味では、ゴッホの作品は、油彩画であっても、とても素描に近いものである。素描は素描であっても、ゴッホの油彩画にとても近いものである。右側は水彩画、左側は油彩画ですけれども、こういうところのタッチなんかも、この油彩画から色さえ抜けば、素描じゃないかと思われるような作品になっているわけで、ゴッホの画家としての特殊性、素描家としての特殊性、素人画家という特殊性が、美術史の中でゴッホの油彩画を考えるときにも、とても重要なものであることがお分かりいただけたと思います。


静物画の意味するもの


普段はあまり重要視されないんですが、ゴッホにとってとても重要なものに静物画があります。最初の時間にご覧いただいた表の中で、パリ時代にとても静物画が多いことをお話しました。パリ時代に風景画よりも人物画よりも多いのが実は静物画なのです。

 たくさんの静物を描いています。最後に「パリ時代の静物画にはどういう意味があったか」に触れておきたいと思います。パリという大都会にあって、ずいぶん人もたくさんいて、仲間もたくさんいるにも関わらず、たとえば大都会の風景とか、周りにたくさんいる人物とかではなくて、なぜ、どんな場所でも描けるような静物画を描いたのか。静物画には場所とかまったく関係ないわけで、どこにいようと花とか果物とかさえあれば描けるわけです。どうして場所に関わりのない静物画を描いたのだろうか。これも一つの謎です。ゴッホはパリにいて、一番人々との交わりもある中で、どうして自分だけの一番小さな静物の世界に閉じこもったのか。そして、なぜそれだけ作品が多いのかは謎ですけれども、その理由は別としても、ゴッホがやったことは、とても重要です。

 これはゴッホが描いた静物画です。最初の時間にお話したように、こういう静物画において、ゴッホはタッチの盛り上げをたいへん強調して使っています。そのようなタッチに関して、ゴッホは、とても尊敬していたモンティセリという画家から、何ということのない花瓶をゴツゴツと盛り上げた絵具で粗いタッチで描いていくことを勉強したに違いないわけです。

 これはモンティセリの(花)の部分図です。間違いなくこういう作品において、ゴッホはモンティセリから大変大きな影響を受けたと思われます。これはゴッホの作品の部分図です。花びらをグイグイと盛り上げた絵具で構成していくのは、ゴッホのパリ時代の初期の静物画の特徴です。それに対して、こういうモンティセリに習ったようなゴツゴツとした、しかしタッチとしては全体としてまとまりのあるものがなくて、雑なタッチが画面全体に満ちているといったようなものに比べて、パリ時代の後半になると、ゴッホは静物画において、ある意味では違う実験を行います。


(ひまわり)の実験


 それはどういものかと言えば、アルル時代の(ひまわり)に見られるような実験を既にゴッホはやっています。アルル時代の(ひまわり)は、黄色の中に黄色を描く。どうやって背景といろんなものを区別していくかというと、たとえば背景の部分はザラザラとしたタッチで見せる。そして花弁の部分はグイグイと放射線状のタッチで見せる。それからこういう部分はまた別のタッチを使うといったような、タッチの描き分けをやる。同じ色なんだけれど、タッチの使い分けで示していくということをやっているわけです。実は静物画においてタッチを見せていくことは、アルルで初めて起こったことではなくて、パリにおいて既に行われていることでした。

 これはパリ時代の中で最も注目すべき静物画です。まさにこれはアルル時代の(ひまわり)の先駆であって、画面全体真っ黄色です。しかも、ゴッホがつけたオリジナルの額まで真っ黄色です。その真っ黄色の中に、梨とかブドウといった果物を描きながら、それをタッチの描き分けで見せています。これが部分図です。こういう長いタッチであるとか、回っていくようなタッチ、それからハイライトの部分では点々。この静物画に見られるこういうタッチの使い方は、今日お話したような、ゴッホが素描でやってきた使い方、あるいはアルルの風景画でやっていたこと、それらにある意味では対応しているわけです。それから、たとえばこういうところでは濃淡を線でつけていく。暗い部分には暗い部分で線をつけていく。こういうハッチングもそうですね。油彩画の場合、明暗をつけるときには、暗い部分から明るい部分までをなだらかに塗っていくわけですが、このように線を重ねることによって、暗い部分、明るい部分を描き分けていく。これはどちらかというと素描のやり方なんですね。

 ですから、ある意味ではこの作品も油彩画ではあるけれども、ゴッホが素描で試みていた様々なタッチで構成されている。しかもこの場合はモノクロームです。モノクロームは普通白黒ですけれども、黄色一色でもモノクロームなんで、黄色という一つの色の中で、白から一番濃い黄色にちょっと緑がかかったところまでの範囲の中で、明暗とタッチの違いで画面を構成していくといったこのやり方は、実はパリの静物画の中で一番ハッキリしてきます。そういう意味では、おそらくパリのたくさんある静物画は、ゴッホが一番慣れた、一番身近で自由に扱いやすい静物画を素材にして勉強していた証拠でしょう。静物画は自分でテーマを決められるし、どういうものをどう構成していくか、自分で組み立てることができるわけです。机の上に置けばいい。いつでも果物さえ買ってくればできるわけですから一番簡単である。

 そういう一番簡単な素材を使って、自分がそれまで勉強してきた素描の使い方、タッチを組み入れながら一つの勉強をしていく。そういう場であったように思われるわけです。これなんかでもそうですね。「梨」といった対象だけを扱いながら、そこにどういうタッチを見せていくか。これなんかも机の上に置いてあり、これにしてもこれにしても、ここに何があるかよく分からない。机の上にこんな渦巻いているわけはないんですけれども、ここで対象の周りにタッチをつくり上げている。こういう放射状のタッチは、この後、アルルでもサン=レミでも空なんかに見られますね。人物の背景とか空とかに見られます。具体的に何を描いているわけではないけれども、画面全体を統一して、画面に描いている対象に視点を集中させるといった意味で、何を描いているかということからすると、ほとんど意味のないようなものを描いていく。この素描なんか一番ハッキリしていると思います。

 パリ時代の油彩画は、こういうふうに見ていくと、ある意味では実にシュールレアリスム的ですね。空間の中に果物が自分の生命をもって浮かび上がっているようです。そのような感じを生み出しているのは「タッチ」であるわけで、ゴッホの風景画における生命の源であったタッチがパリ時代にはそれを先取りする形で静物画に生かされていると言えると思います。

 最後にパリ時代の静物画のひとつの頂点をお見せして終わりたいと思います。(ひまわり)といえば何といっても有名なのはアルル時代の(ひまわり)です。しかし、個人的には、見方によってはパリ時代の切り花を描いた(ひまわり)の方がすごいものだという気がします。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Vier_verbl%C3%BChte_Sonnenblumen.jpeg

つまり、もう「枯れてしまったひまわり」という、ただそれだけの対象を机の上に置いて、それをどう見せるかというときに、色彩としてはそれほど大きなバリエーションがあるわけではない。右側はほとんど黄色から緑まで、左側は基本的に黄色と青との2色です。色彩的にはそれほど変化がない。しかも、さほど花弁がたくさん伸びているわけではない「枯れたひまわり」という、それほどの対象ではないものを2つボンと置いて、それをどう見せるか。この作品を見せている力は、タッチ以外にはないです。それもこういうザクザクとした、絵の具でしかあらわせないタッチから、画面の上にペンで描いたかと思われるようなこういうタッチまで使っている。つまり、油彩画のタッチと、素描におけるペンのタッチの両方を知り尽くした画家が、その両方を動員して、ここに「ひまわり」を描きだしている。アルルのひまわりは生命の象徴であり、光であり、躍動であり、生命力であるわけですけれども、このひまわりの場合には、枯れてはいても、なおかつ「生命を持っているような力強さ」があるわけで、それはまさにゴッホが素人の画家として駆け出しの頃から熟達してきた素描の力のに基づいているのだと思われます。

 もう1点、これは私が個人的にゴッホの(ひまわり)の最高傑作と思っているものですけれども、背景は何だかほとんど分からないですね。

赤の点々は何だろう。この明るい部分は何だろう。縦に通っている筋は何だろう。ほとんど抽象絵画としか思えないような背景。そこに4輪のひまわり。しかも切られたひまわり。特にこのひまわりは、手前のところで切った切り口が見えていますけれども、それがグイッとわれわれのほうに突き出しているようです。ゴッホの作品の持っているゴッホらしい、ある意味では最良の部分が、既にパリ時代の「ひまわり」にあらわれていると思うわけで、そういう意味では、ゴッホの作品における静物画も、決して無視できないものだと思われるわけです。


烏のいる麦畑


 最晩年の代表作である(烏のいる麦畑)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


これはもちろんゴッホがメインにした風景画の主題で、ゴッホが好んできた麦畑の主題です。青と黄色という色彩をぶつけ合わせて、なおかつその間に地面の赤という色、草の緑といったようなアクセントを配しながら、地面の部分でも地上の部分でも様々なタッチのうねりを絡み合わせており、この前に立つと、我々はこの道をたどって奥にも行くようだし、また向こうから烏が我々のほうに向かって飛んで来るようでもある。とても単純な構成ではあるけれども、横長の画面に幅広い空間がつくられていて、その空間の前に我々が立っている。その空間の前に我々はただ止まったものとして風景を見るのではなくて、我々が歩いて行くし、またその中で雲が渦巻いているし、麦畑は風に揺れているし、烏は声を上げて向こうから飛んで来る。その空間の中で、植物も動物もあるいは天も地も動いて、その揺れ動きが1つのタッチの絡み合いの中で1つの画面を構成している。タッチ自体の性格はずいぶん違っていますけれども、基本的なことから言えば、右側のパリ時代の横長の(ひまわり)にも共通するものではないかと思われるわけです。

 そういうことから考えてみると、風景画と静物画は必ずしも切り離されるものではなくて、ゴッホの全体像を考えるときには、メインのものだけではなくて、サブのもの、他の画家ならあまりやらないもの、あるいはゴッホの特殊な状況の中から生まれてきたものにも目を注いでみると、またメインの部分に対しても、いろいろな新しい光が投げかけられるのではないかと思います。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari3/ar3.htm

オランダ時代の主題


 右側はゴッホがまだ画家になろうと決める以前、ごく初期に描いた作品です。ゴッホは画家になる前にさまざまな仕事を転々としました。一時は貧しい人びとや労働者たちに教えを伝える伝道師になろうと心掛けましたが、うまくいかなかったのです。その一環で、ベルギーのボリナージュ炭鉱地帯で教会へ行くこともできない労働者たち、鉱夫たちのあいだを巡回しながらキリスト教を説くという仕事をしています。(袋を担ぐ女たち)(1879年)は、そのときの体験を基に描いた絵ですが、炭鉱地帯で重い袋を背にかついで歩いていく女性労働者たちの姿が描かれています。
 左側はセシル・ドゥアールという、先ほど見た、くたくたになって休憩している炭鉱夫を描いている画家の絵です。やはり炭鉱地帯、しかも女性の、とても過酷な労働を描き出しています。それと同じような様相をゴッホは描いているのです。ゴッホは、ただそれを絵にしたのではなく、むしろ画家以前に、その炭鉱地帯へ入り込んで彼らと一緒に寝起きしており、まさに最下層の人びと、ほんとうに生きているだけの最低限の生活を共にしています。かつキリスト教を伝道するという活動に挑んだわけですから、当然のこと、後に画家となったゴッホのスタート地点においては、社会の明るい面ではなくて、むしろ社会を底辺で支えている人たちの姿、人物を描こうということが一つの目標であったわけです。とりわけオランダ時代のゴッホの関心は、田舎の人びとの生活という「主題」に向けられることになります。

 ハーグ時代、ゴッホは画家になることを志していましたが、とにかくたいへんな貧乏生活でした。彼が描きだすのは、彼と同じように苦しい生活をしている人たちであり、ハーグの町中の風景を描くにしても、歩いているのは裕福そうな人たちよりも、むしろ労働者ふうな人びとですね。右側は国営宝くじ売場に群がる貧しい人びとの姿を描いたもので、こういうような都会の姿をゴッホは絵にしています。

 ゴッホは、農民の姿を描いた画家としてミレーを非常に尊敬していました。有名なミレー(種播く人)を基にしたゴッホの素描があります。ゴッホは生まれがオランダ南部の農村地帯で、子供の頃から農業に大変に親しみがありました。それもあって、偉大なる先輩ミレーをお手本にしたわけですが、まさにこれはミレー(種播く人)を手本にして模写した作品ですね。が、そういう模写をするだけではなく、オランダ時代、ヌエネンに暮らしていた頃には、実際の農夫にポーズをとってもらって、やはりミレーの絵で見たポーズが手本になっているのですが、農民の労働の絵を描いています。


人物画の割合が多い


 その時期の人物画のうち、圧倒的多数は農民の姿を描いたものでした。ゴッホが、たとえば種播く人という農民たちの姿を描いたのは、アルル時代からサン=レミ時代まで続いていきます。これは先週も見たアルル時代のゴッホ(種まく人)(1888年)です。ここでのポーズはやはりミレーを借りていることが分かるかと思います。

 ミレーやクールベと同じように、ゴッホの場合も田畑で働く男や女をいろんな形で描きだしています。腰を曲げて草を刈ったり、土を掘り返している女性の姿を描いた右側の絵はヌエネンで1884年に制作したものです。

 左側の絵で描かれているのはもっと過酷な労働かもしれません。本来は馬に引かせて地面を掘り返す鉄製の「馬鍬」というものですが、馬を雇えないので、その重い道具を農夫が自分で引っ張っている姿ですね。これは手紙の中の素描ですが、オランダ時代のゴッホは、たいへん苦しいけど大地に密着した農民の仕事振り、労働の様子を繰り返し描き、制作しています。それがオランダ時代ゴッホのメインの「主題」であったと言えます。

 左側のオランダ時代の絵には農民の顔、パイプも見える。ただ働いている姿のほかにも、農民のさまざまな様相、ヌエネンに過ごしていた男や女の顔を丹念に描いています。本来、画家は農民たちの肖像画を描こうなんて考えません。普通、肖像画というのは、誰かが自分の姿を描かせたり、誰か有名人を描くということです。だから、農民から肖像画の依頼など基本的にあり得ない。農民が注文することはないし、特定の農民の顔を見たいから絵を買うという人もいません。だけど、ゴッホはヌエネンで、何人でもはっきり区別できる個性あるものとして農民の顔を何十点となく描いています。そのゴッホの農民を描く興味は、アルル時代にも続いていくわけです。

 オランダ、ヌエネン時代の農民の姿を描きたい、あるいは農民の現実生活の場を描きたいという狙いの頂点にあるのがゴッホ(馬鈴薯を食べる人々)(1885年)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


彼は、できるだけ多くの人たちに見てもらいたいと考えて、自ら版画も作っているわけです。このように見てくると、ゴッホがオランダ時代に主たる関心をもって描いた作品は、印象派時代の絵画の中で考えれば、大都会の人間が見た近代化と明るい未来へ向かって展開していく近代社会や工業化の明るい側面というよりも、むしろ近代化を大地に立って支えているという側面でした。少なくともオランダにいた時期までは、それを自身の関心の中心に置いていたと言えます。要するに、印象派の画家たちの興味よりも、むしろそれとは違う、同時代に流れていたクールベからの写実主義ないし自然派リアリズムの流れにゴッホの主題、様式があったということです。

 これはまさに農民の素朴な食事の様子です。しかし、家族というものが目的を共にして働いて、共に糧を得て、生きているという一つのあり方をゴッホは描きだしているわけです。その意味でも、オランダ時代のゴッホの社会的関心は、いわゆる印象派の画家たちとはかなり異なったものであったと言えます。

 (馬鈴薯を食べる人々)を見ると、とても苦しいのだけど、みんなで一つの働きをして、ジャガイモのような寒冷地にしか育たない、地味悪い土地でも育つような最低限の食物を得ている。とにかく家族一緒に同じ場所で生きていく。ある意味ではミレーから流れてくるような、大地にしっかり根を下ろした農業共同体社会といったものが描かれています。

 しかし、ゴッホが描いていたヌエネンという南オランダの農村地帯では、何百年も続いていた農業共同体あるいは家族の生活が実は変わりつつあったのです。それを示す機(はた)織りのテーマは、今回の展覧会にもちょっとしたコーナーがありました。左側は農村地帯の農家ですが、大きな機織機を使ってはた織りをしている人々の姿を描いています。なんとなく女性の仕事と思われますが、実はここで織機に従事しているのは男性なのです。左側はゴッホの絵で、右側は同じ時代のドイツ人、リーバーマンという画家が描いたものです。ドイツの農村地帯でも同じようなことが見られました。狭くて暗い農家の部屋の中に、入りきれないくらい大きな機織り機械が置かれて、はたを織っているのは男性です。こういうテーマがドイツでもオランダでも共通してこの時代に見られます。

 農村地帯に工業が入ってくる、いわゆる工業化展開の中では、家内制手工業はかなり古くからあったのですが、その次の段階に問屋制家内工業と言うか、大きな問屋という資本が機織り機という設備も原材料もすべて提供して、それぞれの家で加工させて、できた製品を問屋が引き取り、各戸に手間賃を払う形態があります。さらにその次の段階が工場制労働形態となりますが、これはその前段階で、農村の労働力を、まずそれぞれの家にいるままで、資本は全部問屋が出して製品をつくるという、この時代にオランダやドイツの農村地帯で共通して起こっている現象ですね。大きな織機で能率を良くする。そして、しっかり織るためには、女性ではなく、力強い男性労働力が必要である。

 女性はどうなるか。このゴッホの作品が典型的ですが、ヌエネン墓地の塔も見えますけど、外に見える畑で働いているのは女性たちです。ゴッホが描いたこういう姿が意味するのは、農村の中で男女が一緒に畑を耕すという昔ながらの情景がこの時代の工業化によって崩れつつあったということですね。

 つまり、より多く現金を稼げるものとして、男は農地へ出るよりも機を織る方が魅力になってくる。そうなると、畑の方は女性が主に耕すわけです。右側もゴッホが描いた素描ですが、男が機を織っており、その狭い部屋の中に赤ん坊もいる。男は赤ん坊の面倒を見ながら機を織る。お母さんは外で畑仕事をしている。そのように近代化が農村地帯ヘ進展していくことによって農村が解体されていく状況をゴッホは描きだしていたのです。なにげなく窓の外に見える情景ですけど、やはりこの当時、1870年代のオランダの農村地帯における近代社会化の流れ、真実を的確に映し出していますね。

 そう考えれば、ミレー(晩鐘)に表されていたような姿は1870〜80年代にかけては、ある意味で、もう過ぎ去った昔の理想のような世界になっていたと思うわけです。

 オランダ時代のゴッホは農村の実際の姿を描きだしていましたが、それに対して印象派の画家たちはどうだったでしょうか。先ほどモネやルノワールが大都会を描くときに影の部分より、もっぱら光の部分を描いたというお話をしました。農村を描くときにも、やはり、印象派の画家たちは、どちらかというと農村の明るい面を正面に押し出していますね。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm

印象派の中でのゴッホの位置


今日お配りした資料の裏側の年表をご覧いただくと分かりやすいかと思いますけれども、ここに「印象派・後期印象派の主要な画家たち」が並べてあります。

 ピサロから始まってシニャックまで、生まれが早い順に並んでいますが、「マネからゴッホまで」ということになります。そして、それらの画家が、印象派の1回目から8回目までの展覧会に参加しているか、していないかを示す○を付けてあります。ここでハッキリすることは、一番初めのマネと、最後のゴッホというのは、実は印象派の展覧会自体には出品していない画家であることです。


兄貴格のマネと弟分のゴッホ


 マネは印象派の画家たちからとても尊敬され、親しいグループの仲間であったのですが、印象派の展覧会には参加していません。言ってみれば、印象派の兄貴格といったようなところにあたります。またゴッホは、自ら画家になることを志したのが遅かったこともあり、印象派の画家たちとは直接接触はありませんでした。けれども、印象派からとても強い影響を受け、そのすぐ後に活躍した、言わば印象派の弟分と言ってもいい人です。

 年齢からいっても、ピサロという年長の印象派の画家を除いては、マネの1832年生まれからゴッホの53年生まれまでの間に大体入ってしまう。ちょうど印象派の世代の前後をマネとゴッホが囲んでいることになります。


画家としてのスタートが遅かったゴッホ


 ゴッホは印象派の展覧会にはまったく参加していません。それどころか、ゴッホがパリへ出て来たのは、まさに印象派の最後の展覧会があった1886年のことです。もちろんゴッホは画家になる前に画廊の店員としてロンドンの支店、あるいはパリ支店に勤めていたことがあるので、パリをまったく知らないわけではないのですが、彼が画家を志したのは、いろんな職業を転々とした後の1880年になってからです。そして、80年から85年まで、地元のオランダで、ほとんど独学で絵の勉強をしています。そして、アントワープを経て86年にパリに来て、そこでいろいろな印象派の作品にもある意味で初めて接して、そこから彼の画業というのが一気に進んでいくのです。つまり、ゴッホの実質的な意味でのスタートは「1886年」で、それはまさに印象派最後の展覧会の年であったわけです。


短期間に一気に学び、制作した


 それからゴッホは、パリに2年ほどいた後、アルルに1年、サン=レミに2年、そしてオーヴェールに数カ月という、南仏からパリ近郊にたどり着くまでの本当に短い間に、今日我々が見てパッと「ゴッホだ」と分かるような作品の多くを制作していきます。

 今日からの3回の話の大きな枠組みとして申し上げておきたいことは、ゴッホが活躍し始めた1886年は印象派最後の展覧会となった年ですが、そこから数年の間に、印象派が1870年代から80年代の半ばまで15年ほどかけていろいろと開拓してきたことを一気に学んで、自分の作風を展開させていったことです。


オランダ時代のゴッホ


 ここに出しているのは、ゴッホがまだオランダにいた頃に描いていた絵です。ゴッホが油絵を始めたのは1881年で、左側の絵はごく初期の油絵の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv061.htm

木立の中の少女を描いたものですが、右側のものはゴッホのオランダ時代の作品で、ずいぶん後の1885年に農家の様子を描いたものです。オランダ時代の5年間は、ゴッホの様式、たとえば色彩の使い方であるとか、絵具のタッチの使い方は大きく変化はしていません。


オランダ時代の作品


 ゴッホのオランダ時代の作品は、これまでみなさんがご覧になってきたような印象派の作品とはずいぶん違います。風景画もずいぶん違っていて、まだ印象派以前の、あるいは印象派たちが60年代に見せていたような茶色とか黒とか、灰色とか、そういう色を使っています。ひとつ前の時代の、たとえばクールベ、ミレーなど、バルビゾン派の画家たちの作風に似ています。もちろん、それに並行するようなフランスの19世紀半ばの影響というのがオランダでもあって、ゴッホの先輩たちはこういう絵を描いていた。それをまずゴッホは学んだわけです。またゴッホは、オランダ時代には、風景画だけではなくて、こういう広い意味で言う人物画もたくさん描いています。

 左側のものは、ゴッホ美術館にある大変有名な(馬鈴薯を食べる人々)という作品で、ゴッホが接していた農民の生活を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


右側は、ゴッホが生活していたヌエネンというゴッホのお父さんが牧師をしていた町です。正確に言うと、オランダの発音では「ニューネン」といいます。今回の展覧会では「ヌエネン」ではなく、「ニューネン」という表記になっていますけれども、我々は「ヌエネン」という言葉に慣れているので、今日のお話でも「ヌエネン」と呼ばせていただきます。これはヌエネンの、ある農家での機織りの様子を描いたものです。タッチがずいぶん荒くて、ゴツゴツしている。そういう意味では、ずいぶん新しい要素も含んでいるのですが、しかし、基本的なタッチの使い方とか、色彩全体があまり派手でない暗い色彩であるといった使い方は、まさにゴッホのオランダ時代の典型であって、古い様式を示しています。

 これはオランダ時代、ヌエネンで描かれた静物画です。右側のものは(聖書と本のある静物画)と呼ばれるヌエネン時代の代表作で、今回の展覧会でも最初の部屋に出ている、とても立派な堂々とした作品です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv054.htm

ここに描かれているのは、フランスで当時はやっていた「黄表紙本」という黄色い表紙のゾラの小説です。この絵からは、ゴッホがオランダにいたときもフランスの文化にたいへん憧れを持っていたことが偲ばれます。しかし、この作風は、当時の印象派の向かっていた方向からはほど遠い作風を示しています。左側はリンゴの入ったバスケットですが、これもやはり同じような暗い色調を示しています。左側の作品は、1885年の(ヌエネンのポプラ並木)という題名の作品で、ゴッホがオランダを去って、アントワープを経てパリへ行く直前のオランダでの最後の作品の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm


右側は逆に、アントワープを経てパリへ出た1886年の一番初期の作品です。


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1886年パリへ

ゴッホを待ち受けていた印象派の画家たち


 オランダからパリへ着いた直後のゴッホはどういう様式を持っていたかを示す作品が右側の作品で、このようにオランダの最後の作品とパリの最初の作品を比べてみると、パリへ到着した時点では、ゴッホは、まだそれほど新しいものを学んでいるわけではありません。オランダの様式をそのまま引き継いでいる。ただ、オランダのヌエネンの教会の見える田園風景から、パリのちょっと気のきいたレストランへと主題は移っていますが、まだこの最初の段階では、色彩の扱いはオランダ時代とまったく変わっていないことがお分かりいただけると思います。

 さて、70年代からヨーロッパ各国、あるいは日本の画家たちの間で、美術の都としてのパリの名声が高まっていきます。そこにいろんな様式が流れ込んでくる。そして、パリ自身が次から次へと新しい美術の動向を生み出す。そのパリにあって、ゴッホはすぐにいろんなものを吸収していくことになります。

 たとえば同じレストランを描いた絵ですが、右側もレストラン。左側はもちろん違うレストランですが、左側になると、もうみなさんがこのシリーズの中でご覧になってきたのに近い、鮮やかな色彩で、タッチなんかも細かい点々を使っています。暗い茶色でも、いろんな色を混ぜ合わせてつくるという筆触分割で表現し、絵具の鮮やかな色をできるだけ失わないように、画面の上でそれを併置していく印象派の典型的な色の使い方、タッチの使い方があらわれています。右の作品と左の作品の間は1年ほどしかないのですが、ゴッホがもうすっかりパリの最新流行の印象派の作風を吸収したことを示しています。

 これが部分です。こういう部分なんかでも、ほんとうに明るいタッチを並べていくという描き方で描いています。こちらは1887年にパリで描かれた、なんということのない主題なのですが、パリ郊外の傾斜地にある木と草とかを描いたものです。全体がとても明るい。そして点々であるとか、やや短めの、あるいはやや長くてスッとしたいろんなタッチを重ねることによって、郊外の明るい自然光の下の印象をサッと素早く描き止めるといった方法をゴッホはここで学んでいます。


モネ


 たとえば、主題は違うのですが、右側は1887年のゴッホの作品で、左側のモネの作品は1886年の、ちょうどゴッホがパリへやって来たぐらいの年に描かれたものです。たとえば空のタッチであるとか、地面の草をあらわすタッチ、全体の色調といい、まばゆい程の夏の明るい印象を生み出している絵具の色遣いと言い、筆の使い方といい、ゴッホが左のモネのような作品に学んだことが良く分かると思います。あるいは、右側はゴッホの作品、左側はモネが1878年に描いた作品ですが、たとえば、町中に三色旗が溢れている。その三色旗がチラチラと揺れている印象を、ザクザクッとしたタッチで描いている意味で有名な作品ですが、モネのものに比べると、ゴッホの場合には、もう少しタッチが大きなまとまりを持っています。ゴッホが右のような作品を描くにあたっては、左のモネの作品などをお手本としたことは、まず間違いないと考えています。

 もちろん、印象派の中にも、あるいはモネの中にも、いろんなタッチの使い方があるわけで、もう一つ違う作例をお見せしますと、左側はモネの作品の中でも全体がとても細かいタッチになっている。セーヌ河沿いのポプラ並木で、木の葉がチラチラと光を照り返す様子を大変細かいタッチに分割して表現しています。右側はゴッホのセーヌ河を描いた1887年の作品ですが、木の葉あるいは川岸の草が夏の明るい光をチラチラと反射する様子をあらわすために、こういう細かいタッチを散りばめています。この手法を見ると、やはりゴッホは印象派から、とりわけモネから学んだと言えると思います。


後期印象派の影響


 しかし、ゴッホは、印象派の展覧会に出品していたような、つまり自分より1世代ちょっと上のモネとかルノワールとかいう画家だけではなく、当時パリにいて新たに活躍を始めた、ちょうどゴッホと同世代で、後に我々美術史家が「後期印象派」と名付けることになった画家たちからも多くのものを学びます。その1例をここにお見せします。両方ともゴッホの作品ですが、ゴッホは印象派のようなタッチをモネ等から学ぶと同時に、それをもっとシステマティックにした「点描」を身に付けている。画面全体を点々点々で描いていく。点で描くことによって、より一層明るい状況を描きだすといった手法も身に付けることになります。


スーラ


 右側はパリ郊外の道の様子を描いたもの。左側はゴッホが転がり込んだ弟のテオの住居から眺めたパリの町の様子で、こういうところにまだ少し長めのタッチがありますけれども、全体を細かい点々で表現していくポワンティリスム、「点描派」の様式をゴッホはここで学んでいます。そして、その点描の様式の代表者がスーラです。ゴッホと並んで後期印象派の中に数えられます。スーラはゴッホより6つも年下ですが、ずっとパリで暮らしていて、最後の印象派展である1886年の第8回印象派展に出品しています。ゴッホからみれば、6歳も年下なのだけれども、これから本格的に絵の勉強を始めようかという状態で、出て来たばかりのまったく無名の自分に比べて、印象派の次の世代として頭角をあらわしてきた、それも印象派の手法を展開させて、印象派とは違う新たな点描の様式を紹介するような大胆な試みをやっている、言ってみれば当時の前衛画家の最先端を走っていた画家なわけで、そのスーラから、ゴッホは点描のやり方を学んで、自分でも試みます。


シニャック


 左側はスーラの典型的な点描の作品です。右側はそれを学んだゴッホの作品です。これはスーラの仲間であったシニャックの作品です。ゴッホはスーラにひかれてこういう典型的な点描の作品を描いていくわけです。ゴッホとの関係から言えば、何回か会ったことはあるのですが、それほど親しいというわけではない。それに対してゴッホとシニャックとは、個人的にもわりと親しいところがあったようです。それで、アルルでゴッホがゴーギャンとの問題を起こして入院した後、ちょうど南仏に行きがけだったシニャックが、ゴッホのことを心配してアルルに立ち寄っています。

 シニャックのこういう作品は、もしかすると、右側のゴッホの作品の直接のお手本になったのではないかと思われる節もあります。主題の点でも、ゴッホがずいぶんシニャックから学んだと思われるのは、左側はシニャックが描いたパリの郊外のアニエールにあったガスタンクが見える工場街ですが、そのアニエールの工場街をゴッホも描いています。様式の上からいうと、シニャックほどの点描ではなくて、もう少し印象派風の長いタッチなんかも見えますけれども、テーマから言うと、パリの郊外の工場地帯なんていうのは、シニャックから学んだものかも知れません。あるいは、テーマが似たもので言えば、左側は、ここにサインがあるように、シニャックが84年に描いたモンマルトルの風車です。右側はゴッホが86年に描いたモンマルトルの、風車がここにあるところで、風車の前の手すりと街路樹なのですが、同じような一連のものですね。同じような手すりと街路樹とガス灯があります。

 こんなふうに、ゴッホはパリへ出て来て、それまで自分があまり扱ったことがない都会的な風景、そういう主題、パリという町、そしてパリで活躍していた画家たちから学んでいくわけです。ゴッホはパリで風景画も描きますし、静物画もたくさん描いています。静物画といえば、先程オランダ時代のところで右側に(聖書のある静物画)と左側に(リンゴの入ったバスケット)をお見せしました。右側の作品は、バックが暗くなっていますけれども、手前の花瓶から花のところ、手前の机のところなんかは、ずいぶん鮮やかな色彩で描かれています。たとえば左側はモネが描いた静物画。モネは風景画を主体とした画家ですが、けっこう静物画にもいいものがあります。これはモネが描いた(ひまわり)の静物ですが、ゴッホはパリへやって来て、印象派の静物画のタッチもずいぶん学んだように思われます。

 これなんかは右のものに比べれば、さらに一層パリで学んだものがハッキリしているわけで、こういうところは大変鮮やかな色彩、ザクザクとしたタッチ、背景のところには、スーラとかシニャックから学んだような点々の点描のタッチが見えています。左側の作品なんかは、どう見てもオランダの画家の作品ではなくて、まさにパリの画家の作品になっています。


 
ジャポニスムの洗礼


 みなさんご存じだと思いますけれども、ゴッホがパリで学んだもう1つ重要なものがあります。それは日本の浮世絵です。「ジャポニスム」です。調べてみると、ゴッホは既にオランダにいた頃から、ある程度日本の浮世絵、日本の美術には興味を持っていたのですが、それを本格的に勉強して自分でじっくり研究したのはパリに行ってからです。

左側は安藤広重がつくった(名所江戸百景)の中の(大橋あたけの夕立)という作品ですが、それをゴッホは自分で持っていて、コピーしています。彼なりに翻案して、周りに日本風の文字などを書き込んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_bridge.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_sluie00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%89J%82%CC%91%E5%8B%B4%81i%91%E5%82%CD%82%B5%82%A0%82%BD%82%AF%82%CC%97%5B%97%A7%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_sluie


ここでゴッホが学んだものは、いくつかありますが、たとえばよく言われる「大胆な視点」ですね。橋を上から見下ろす鳥瞰図の試みや「色使い」です。あるところをハッキリと青、ハッキリと緑と塗り分けるような大胆な色使いとか、いろんなものを学んでいます、

 もう1点お見せします。やはり広重の(名所江戸百景)の中から(亀戸の梅屋敷)ですが、特にここでは広重の作品が持っている「地面は緑色」(緑色の地面なんてどういう地面だろうと思いますが)「空は赤い」というこの大胆な「緑と赤」という、いわゆる補色、ぶつかり合う色を平面的に処理していくやり方。あるいは、テーマである「梅の木」を、全体像を見せるのではなく、一番手前に持ってきて、上下左右どちらもトリミングしてしまう大胆な構図の取り方などをゴッホは学んだのです。ゴッホは印象派から学んだものとは別のものを学んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_kameido.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_prunier00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%94~%82%CC%89%D4&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_prunier


印象派の作品からゴッホが学んだものは、言ってみれば、全体はとても明るく、そして同時に全体を細かいタッチに分割していくことによって全体の明るさ、光の様子をあらわすという手法です。

 ところが、ゴッホが日本の浮世絵版画から学んだものは、それとは逆で、全体を細かいタッチに分割するどころか、むしろどちらかと言うと、タッチを見せないで、大きな平面的な塗りに還元してしまうことです。

それはまさに日本の浮世絵が持っていたものですね。あんまりハッキリとした陰影付けもなく、たとえば木の幹の部分は若干濃淡のあるベタ塗りである。版画なのですから当然そうですね。1つの版の上に絵具を塗っていくときに若干濃淡をつけることによってしか差がつけられないわけで、本来、日本の木版画はとても平面的な表現を持っている。ゴッホがパリで日本の浮世絵版画から学んだものは、印象派から学んだものとはずいぶん違う。

 1つ共通しているのは「非常に鮮やかな色彩」です。けれども、それをどう表すかという表し方からすると、

日本の浮世絵版画からゴッホが学んだものは、むしろ平面的なベタ塗り、強烈な色彩のぶつかり合い。

それに対して、印象派から学んだものは、どこかで強烈な色彩がぶつかり合うのではなくて、さまざまな青も緑も黄色も使われているけれども、それがどこかで直接ぶつかり合うのではなくて、細かい点に分割されて画面全体に散りばめられている。


絵具を塗っていくやり方からすると、ずいぶん相反するような、その2つのものをゴッホは同時にパリで学んでいます。 もしこれがゴッホのような画家でなければ、いきなりそれが出てくるのではなくて、たとえば2〜3年は一方の方向に進んでみて、それで行き詰まったと思ったら別の方向を試みるような行き方があったかも知れないのですが、ゴッホの場合は年齢も考えて、そんな悠長なことはやっていられない。しかも、パリにいつまでいられるか分からないという事情でしたから、とにかくものすごく旺盛にさまざまなものを吸収していくことになります。


ゴーギャンとの邂逅


 ちょうど、当時ゴッホの近くにいて、ゴッホに影響を与えつつ、一方で自分自身も日本の浮世絵の表現から強い影響を受けた画家にゴーギャンがいます。左側はゴーギャンが1888年にブルターニュで描いた(説教のあとの幻想)と呼ばれる作品ですが、たとえばこの左側のゴーギャンの作品には、ゴッホが手本にしたような日本の浮世絵の影響が歴然としています。たとえばゴーギャンは、重要なモチーフである木の幹を画面の一番手前のところでぐっと部分だけ見せるという表現、地面の色としてあり得ないような赤い色を完全にベタ塗りするようなやり方を日本の浮世絵から学び、また別の部分は、ヨーロッパ中世の伝統的なステンドグラスから学びながら、大胆な色彩を輪郭線のハッキリとした平面的な色面によってぶつけていくという表現を開拓していたわけですが、ゴッホは日本の浮世絵と同時に、こういったゴーギャンのやっていたことも近くにいて十分学んでいたと思います。
 
 ゴッホがパリで学んだものは、まず先輩格であった印象派、とりわけモネなんかのタッチ、それから、そこを引き継いで、彼と同じような世代の前衛の先頭に立っていたスーラの点描のやり方、それから、後にゴッホやスーラと一緒に後期印象派にくくられることになるゴーギャンが示していた強烈な色彩による平面的な画面構成です。そういうさまざまな異なるものをゴッホはパリで吸収し、そしてそれをまとめていく次の段階に入っていくのです。


印象派の発展的解消と後期印象派の台頭


 1886年から88年にかけてがゴッホのパリ時代ですが、実は86年にパリへやって来て、88年頃までパリに暮らしたというのは、たまたま偶然だったのですが、西洋の印象派以降の絵画史の中でとても重要な偶然だったと思います。というのは、先程も申し上げたように、1886年というのは最後の印象派の展覧会の年でした。最後の印象派の展覧会をゴッホは見ることができたわけです。さらに重要なのは、たまたま最後の印象派の展覧会のあった1880年代の半ばというのは、印象派の画家たち、60年代後半から活動を始めて74年に第1回の印象派展というデモンストレーションから世にだんだん知られるようになっていった印象派の画家たちが、ある程度世の中から評価を得る一方で、同時にひとつの曲がり角に差しかかった時期でもありました。

 1886年の印象派展というのは、参加している人を見ても、それまでの印象派展とはずいぶん違います。当初からのメンバーで参加しているのはドガとピサロだけです。シスレーもセザンヌもモネもルノワールも参加していません。それに代わって、第4回から参加していたゴーギャンが最後にも出品しています。それから先程お話をした前衛のトップを走っていたスーラ、そしてシニャックが参加しています。つまり第8回の印象派展というのは、もう印象派展というよりも、今日の我々からすると、後期印象派展のような様相を呈していたわけです。

 さらに言うと、1886年の第8回の印象派展には、今日の我々からすると想像もつかないような画家の名前が見られます。その代表格は誰かというと、ルドンです。ルドンというと象徴主義の画家であって、印象派とはまったく反対のように思われる画家ですが、そのルドンが参加しています。そういうことから考えると、もう第8回の印象派展というのは、ほとんど印象派展とは言えないものです。

印象派の中でも、その周辺でも、次の世代が80年代から登場し始める。そういう状況があって、印象派の画家たちもちょっと売れるようになってきている。けれども、もう次の世代が新しい様式をもって追いかけて来るときに、自分たちはどうやってそれに対抗して世の中に訴えかけていくかということを印象派の画家たちが本気で考えなければならない。それが1880年代に起こったのです。 そのような印象派と後期印象派、新旧の世代がちょうど交差する、その一番いいときにゴッホはパリにやって来たわけです。

印象派の画家たちの中でも、ほんとうに「風景画がメインだ。風景画が勝負なのだ」というのは、実はモネ一人ぐらいなわけで、考えてみると、印象派の画家たちは風景画をずいぶん大事にしたわけですが、彼らが美術界の中で、あるいはパリの画壇の中で、ここ一番勝負というと、やっぱり伝統的な人物画を描く。これは西洋絵画の長い伝統ですから、それに逆らえない部分があります。

 ゴッホが86年にパリへやって来て出会った印象派の画家の多くは、その心中にまだ根強く人物画の重要度を認識している人たちで、印象派の画家たちが曲がり角に差しかかって、人物画が再びクローズアップされつつあった。まさにそういう時期でした。この86年から88年という時点において、風景画をメインに描いていたのは二人。一人はセザンヌ、もう一人はモネだったわけですね。左側はセザンヌが82年から85年にかけて描いた南仏のエスタックの風景です。右側は86年から90年頃だろうと言われているエスタックの風景です。

 印象派の中で風景画を描くセザンヌとモネの二人のうち、ゴッホがパリにやって来たとき、セザンヌは既に南仏へ帰っていて、こういう南仏風景をパリへ送って発表していたわけです。もう一人、モネという人は、最初から風景画家になるつもりはおそらくなくて、できれば人物画で成功したかったはずです。モネが初期にサロンに送ろうとしていた、あるいは送った作品は、こういうものだったわけですね。等身大の大画面の人物画ですが、それがうまくいかなかったのでモネは風景画に転向していったという部分もあると思います。この左側の1886年の(日傘をさす女性)、これは2点あって、対になっています。それから右側、これは西洋美術館にある(舟遊び)という作品ですが、この2点がモネが大画面で描いた人物画のほとんど最後のものです。86年、87年にもう一度こういう人物画を描いたのを最後として、モネは決然として大画面での人物を捨てて、風景画へ戻っていくことになります。

 このように、ゴッホがパリにいた86年、87年というのは、まさにモネにとってもルノワールにとっても大きな曲がり角でしたし、印象派の中で風景画がどういう位置を占めるかということにとっても、とても大きな曲がり角であったわけです。そして、もう1つ、非常に興味深いことは、そのような印象派の中でも、風景画を自分の当面のメインのフィールドと考えたセザンヌとモネという二人の画家が、ちょうどこの頃、二人とも南仏風景を描いていたことです。先程も言ったように、セザンヌは1882年にエクスへ戻って、それからしばらくは、もちろんパリと行ったり来たりしますけれども、彼の主題は南仏風景なります。他方、これは、両方ともモネが描いた、モナコの近くのボルディゲラの風景ですが、モネは1884年に初めて南仏へ行って、こういう南仏の植物が生い茂るような、そして青い海がある地中海の風景を発見します。そして84年に地中海を発見したモネは、もう一度88年に南仏へ行って、このような作品を描きます。

 これは偶然なのですが、84年代の半ばから後半にかけて、印象派を代表する二人の画家たちが、自分たちの風景画の新たなテーマとして南仏を発見した。これはとても重要なことで、なぜこのことを強調して申し上げるかというと、ゴッホがパリでいろんなものを吸収した後、パリを離れて、何か独自のものを描きたいと思ったときに選んだのが南仏だったからです。


パリを去るゴッホ

南仏の開拓者になりたい

 パリを去ったとき、ゴッホはいくつかの選択をしました。その1つの重要な選択は、パリでいろんなものを見てきた末、自分は人物画ではなくて、風景画を当面メインにしようという選択です。それをゴッホは決意したと思います。そして、自分が風景画で生きていくために、風景画で新しい分野を開拓していくために、どこへ行けばいいのかと考えたときに、ゴッホの重要なお手本になったのは、セザンヌとモネであったと思います。南仏の明るい光、まだパリの人達があまりよく知らなかった新鮮な南の明るい光の中での風景画を自分が開拓したい。ゴッホは手紙に書いています。アルルから弟のテオに宛てて、「自分はいまようやく始まった南仏の開拓者の一人になりたいのだ」と言っています。


何のために?


 ゴッホは、当時の印象派の風景画の中で、明るい色彩と明るい絵具のタッチで戸外の風景を描きだしていく印象派に最もふさわしい主題として、これからは「南仏があるんだ」ということをセザンヌやモネの作品から学んで、そして南仏へ行く。ゴッホはなぜ南仏へ行ったのだろうか。そして、南仏の中でもなぜアルルだったのかは分かりませんが、南仏という選択は、ゴッホが風景画という選択をしたことと強く関わっていると思います。

 ゴッホが実質的に絵画を制作していた期間は10年にならないんですね。その間に880点の油彩画を描いていますから、1年間に90点近く。これはものすごい制作力です。そのことは別として、いまこの話の中で参照していただきたいのは、油彩画の中で、風景画と人物画とその他がどれくらいの割合であるかということです。ゴッホは最初は人物画でいきたいと思っていました。誰でもそうです。最初から風景画でいこうなんて思う画家は、この時代にはまだいなかったでしょう。

 絵画として一番ランクの高いのは人物画ですから、画家を志そうとした人は、まず人物画を描きたいと思うわけです。たとえば本格的に絵画を始めた最初の頃の作品数を見ると、ハーグ時代は25点、ドレンテは10点ですから、ある程度の有効な統計的な数字があらわれるのは、ヌエネンでの190点ですが、その190点のうち、風景画はたった25%で、大部分、半数以上が人物画です。(馬鈴薯を食べる人々)を含めて、様々な農民の姿とか(機を織る人)とか、風景が背景にあっても、メインに人物が大きく描かれた作品、これがゴッホのメインです。

 そしてゴッホがやりたかったことが一番典型的にあらわされたのは、テーマはもちろん「農民の家族」ですが、複数の人物。実際に彼が描いた(馬鈴薯を食べる人々)はそれほど大きくない作品ですが、あれを大画面に描くことが彼の夢であった。大画面の複数の人物からなる群像構成が彼の夢であったわけで、ヌエネンで描かれた、たくさんの農民の頭部などは、そういう大画面構成の群像構成の習作であったわけです。そういう意味では、ヌエネンでのオランダ時代の彼の興味は人物画にあった。それからアントワープの10点というのは、これはちょっと過渡的なところで、あまり参考にならない数字ですが、人物画が7点です。

 パリに行くと、これはとても不思議なのですが、人物画も風景画もパーセンテージは減って、その他が多くなります。その他の圧倒的多くは静物画です。 その後、アルル、サン=レミ、オーヴェールと行くにしたがって、彼のたくさんの作品の中で風景画の占める割合がだんだん高くなっていきます。それに対して、人物画の占める割合がだんだん少なくなっていきます。ハッキリと統計的な数字から分かることは、ゴッホがかなり意識的に自分のメインをだんだん人物画から風景画へ移していったことです。

 美術史という学問は、ただ何となく感覚的に見ているだけではなくて、このようにある程度数字で出してみる。そうすると、特にゴッホのように作品点数が多い画家の場合は、ある程度有効な統計的な数字が出て来ます。これを見ても、ゴッホがパリを発ったとき、アルルで何をやろうかと考えたときのメインは、おそらく風景画にあった。風景画をやりたいと思ったからこそ都会を離れた。風景画のテーマとして当時セザンヌやモネが開拓しつつあった南仏へ行ったのは、気まぐれの思いつきではなく、自分の道はどこにあるかを考えた上での結論だったと私は思っています。


アルルで明確になった進路


 ゴッホの進む道は、アルルへ行った時点でかなりハッキリしていたと思います。アルルでゴッホがやることは戸外の明るい風景画です。自分が使う様式、手段は、「明るい絵具」と、印象派から学び、部分的にはスーラから学んだ「点描」、モネから学んだ「自由なタッチ」であることをゴッホはハッキリと意識していたと思います。2月にアルルに行くのですが、左は最初の花咲く時期に描いた作品で、右は夏の盛りになってきた時期のものです。こういう明るい戸外の花咲く庭ですが、とりわけ右の絵は花の1つ1つが点々というタッチで描かれていて、アルル時代の作品の典型的な様式を示しています。こういう自由なタッチで明るい風景を描くことをゴッホはアルルで展開していきます。 

 テーマからすると、もうほとんど何ということのない、何かとりわけて見どころがある風景というわけではなくて、身の回りにある明るい光の中の風景を手当たり次第にゴッホは描いていくことになります。アルルという町は地中海に面してはいないのですが、地中海に面したサントマリーというところに3泊程で遠足に出掛けて、地中海の海の様子とか、サントマリーの町、青い空の下でラベンダーの花が咲いている典型的な南仏の風景をゴッホは熱につかれたように描いていくことになります。アルルの周辺は穀倉地帯であり、6月も盛りになってくると、あたり一面、小麦が黄金色に実ります。何が描かれているかというモチーフからいっても構図からいっても、とても単純なものですが、右の作品も左の作品も、そうした様子を明るい色彩と活き活きとしたタッチで描いているところが見どころです。

 ゴッホは弟のテオ宛ての手紙で、南仏の明るい太陽に照らされた運河の水を「エメラルド色のような」と表現していますけれども、そういう水の美しさをゴッホは描きました。海、空、麦畑、花畑、運河、そういったものをゴッホは描き続けていく。今日われわれが典型的なゴッホだと思うような作品が次から次へと生み出されていくことになります。それだけではなくて、夜の風景、とりわけ青い空に星が輝く、澄みきった南仏の深い青い空に星が輝く、そういう夜景も描いています。右側のものは、一昨年日本でやった「ゴッホ展」にきていたもので、左側は今回の「ゴッホ展」にきている、アルルで描かれた夜景の中でも代表的な作品です。


人物画を描きたい


 こういうふうにゴッホは、アルルで次から次へと風景画の素晴らしい作品を生み出していったわけですが、もちろんある程度、人物画も描いています。またアルルでも、ゴッホは最終的には人物画を描きたいという希望を捨ててはいません。何しろ自分と同じ世代で、自分より先を走って行くスーラやゴーギャンが人物画でとても素晴らしい作品を描いていることを知っています。だから「自分はできれば人物画を描きたいのだ。でもまだ自分は人物画を描くほどの力がない。力がないから、とにかく、いまは風景画を描いているのだ」と弟のテオには言っていますけれども、それでもモデルが得られて人物画を描くチャンスがあれば、肖像画のようなものを描いています。

 たとえばアルルで描いた代表的な肖像画でいえば、アルルにたまたま滞在していたベルギー人の画家であるウジェーヌ・ボックという人を描いた左側の作品、それから右側はアルルで知り合った年老いた農夫を描いた作品ですが、こういうような、とても力強い肖像画も何点か残しています。ただ、アルルで描いた肖像画に共通することなのですが、風景画と比べると違う。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh103.html


アルルでの風景画で、ゴッホは、パリで学んだものの中で言えば、モネとかスーラから学んだものを生かしていたのですが、たとえばこの2点の肖像画はどうでしょうか。ゴッホがパリで学んだものからすると、お手本は何でしょうか。モネやスーラではないですよね。たとえばゴーギャンとか、日本の浮世絵とかいうものですよね。

つまり、輪郭線がハッキリしていて、その中であんまり細かい筆のタッチを見せない。大胆な色彩、たとえば「オレンジと青」とか、「青と黄色」とか、強烈にぶつかり合う補色関係に近いような強烈な色面を、いきなり輪郭線を通してぶつけ合う。つまり日本の浮世絵とか、ゴーギャンやその仲間のベルナールがやっていたような「クロワゾニズム」、黒い輪郭線の中に鮮やかな色彩を埋めていくやり方に近いものを示しているのです。

 メインは印象派、スーラの流れを引く鮮やかな細かいタッチで色彩を散りばめていく風景画だったのですが、一方では、このような違う様式を持った人物画、肖像画もアルルでは並行して描かれていました。そのようなゴッホの持っているアルルでの二面性が、ゴーギャンが来ることによって大きくバランスを崩すことになります。言うまでもなくゴーギャンはこちらの様式を持った人ですね。そして人物画をメインとする画家であるわけです。


人物画への傾斜


 1888年の秋にゴーギャンがアルルにやって来ると、これはハッキリとパーセンテージ的にも言えますけれども、ゴッホの中では人物画が増えます。これは、私が学生時代にクレラー・ミュラー美術館で手持ちで撮影したものなので、ちょっとぼけているかもしれませんけれども、今回の展覧会にきている(ラ・ベルスーズ)と呼ばれている、ゴッホがアルルで親しくしていた郵便配達夫、左側のジョゼフ・ルーランという人の奥さんの肖像ですが、こういう人物画が多くあります。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh29.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_roulina00&picture=%97X%95%D6%94z%92B%95v%83W%83%87%83%5B%83t%81E%83%8B%81%5B%83%89%83%93%82%CC%8F%D1%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_roulina


この2点とも、ゴーギャンが来てからゴッホが描いたものです。秋から冬に向かうにしたがって、南仏でも寒くなりますから、戸外での風景画より室内での人物画ということはあると思いますけれども、何よりもゴーギャンが来てから人物画が増えたのは、ゴーギャンの圧倒的な影響によるものに間違いありません。

 これは先程右側に出ていた、オーギュスティーヌ・ルーランという同じモデルをゴッホとゴーギャンがイーゼルを並べて描いたものです。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_-_Madame_Roulin.jpg

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm


中央にモデルがいて、右側と左側から描いています。たとえば、このゴッホの作品の場合は、左側のゴーギャンの作風ですね。画面全体を輪郭線をもった大きな色面で構成していくことが非常によくあらわれていて、とにかくキャンパスを並べて描いていますから、影響がないわけはない。とりわけゴッホはゴーギャンのことをとても尊敬していますから、ゴーギャンの影響がとても強く出てきます。
これもゴーギャンを手本にしたもの。ゴーギャンがアルルで描いたアルルの公園の様子。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin20.html

ゴッホはそれを見た上で描いた。これはアルルの情景ではなくて、ゴッホが(エッテンの庭の思い出)、つまり昔両親と一緒に暮らしたオランダの様子を思い出して描いているものです。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

 タッチからすると、まだここにはスーラ張りの点描が見えます。けれども、スーラ張りの点描はありながら、画面の構図とか、それぞれの部分を大きく輪郭線でくくって色と色をぶつけ合うといったところは、完全にゴーギャンの影響下にあります。そして何よりもゴーギャンの影響が最も強くあらわれているのは、そもそも(エッテンの庭の思い出)という主題自体です。

 それはどういうことかというと、ゴーギャンという人は、とにかく人物画を描く。そして

「人物画でも最高のものは、宗教画とか歴史画とか物語画とかいうもので、そういうものを画家は想像力で描くんだ。あくまでも一人一人の人物はモデルがいて、描くのだけれども、たとえばイエス・キリストを描くときに、イエス・キリストそのものがいるわけではなくて、誰か男のモデルを写した上で、しかし描かれる世界は空想の世界なのだ。絵画は頭で描くのだ。テキストを読んで、そのテキストをどうやったら視覚化できるかを考えて頭で描くものなのだ。抽象のものなのだ」

という考え方をゴーギャンは持っていました。 ですから、ゴーギャンはゴッホにいつもこう言います。

「君はとにかく目の前にあるものしか描かないけれども、それでは画家としてほんとうの歴史画とか宗教画は描けない。ほんとうに歴史画とか宗教画とかを描きたければ、目の前にある人物をモデルにしてもいいけど、作品の主題自体は頭でこしらえて描かなければいけない」。

そのゴーギャンの言うことを受けた上で、ゴッホはゴーギャンがいるときに何点か頭で描く作品を描いています。そのうちの1点がこれです。つまり、いま目の前にはない、自分の記憶の中にしかないエッテンの庭の光景、実際いま目の前に見えていない人物、具体的に言えば自分のお母さんと妹なわけですが、それを自分の想像力で描くことをゴッホはここでやっている。

 ただ人物画であるというだけでなく、あるいは構図とか色彩の扱い方にゴーギャンの影響が強くあらわれているだけではなくて、作品の描き方、描く態度、主題自体が実はゴーギャンの影響をとても強く受けているのです。ゴッホがそれまであまりやってこなかったことを、ゴーギャンとの共同生活の中でゴッホは行っています。

 先程お見せした絵で描かれているモデルは、オーギュスティーヌ・ルーランという、当時アルルに暮らしていた郵便配達の奥さんですが、しかし、この作品は単にオーギュスティーヌ・ルーランの肖像であるだけではなくて、ここに(ラ・ベルスーズ)とわざわざ題名が書いてあります。「ラ・ベルスーズ」とはどういうことかというと、「子守女」あるいは「子守歌」ということです。ゴッホは自分の弟のテオに宛てた手紙の中で「この作品はこういうふうに飾ってほしい」と書いています。真ん中に「ラ・ベルスーズ」を置いて、両脇にひまわりを置くという構成は、昨年、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でやった「ゴッホと花の展覧会」でこういう飾られ方をしたので、覚えていらっしゃる方もあるかと思います。

 結論だけ言うと、ゴッホはこういうふうに飾ることによって、宗教的な三幅対、真ん中に聖母子像があって、両脇に複数の聖者たちがいる三幅対を考えているので、ゴッホはこれを宗教画として考えている。

つまり実際に描かれているのは、目の前にいるオーギュスティーヌ・ルーランという個人なのですが、そこに描きたかったものは、個人であるよりも、むしろ母親、たとえば聖母マリアといったものだった。

そういう意識があるわけで、そういうことからすると、やはりこれもゴーギャンがいたからこそ描かれた、とても概念性の強い作品だと言っていいと思います。
 これもやはりゴーギャンの影響下で描かれたもので、左側はゴーギャンがアルルの酒場を描いたものであり、この手前に描かれているのは、その酒場の女主人であったジヌー夫人という人です。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin18.html


この作品を見て、ゴッホはこういう作品を描いています。人物画です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_ginoux00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%8F%97%81i%93%C7%8F%91%82%B7%82%E9%83W%83k%81%5B%95v%90l%81A%96%7B%82%F0%8E%9D%82%C2%83W%83k%81%5B%95v%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_ginoux


そして、ここでもゴッホは、単にジヌー夫人の肖像画ではなくて、ここに本を置いており、(読書する人)というような、単なる肖像画ではない意味を与えています。これも、主題の上でも描き方の上でもゴーギャンの影響がとても強いものです。くっきりした赤、緑、黄色、青というような色をぶつけ合っています。


本領を封じられたゴッホ


 けれども、ゴーギャンの影響下で描かれたこういう作品、とりわけ概念性の強い人物画の大多数は、結論から言ってしまうと、失敗作だったと言っていいと思います。つまり、ゴッホは本来目の前にあるものを目の前にあるように描く。それから何よりも、きっちりとした枠取りの中にものの形をおさめるよりも、自由なタッチを使って描く。自由な色彩を画面全体に散りばめて描くのがゴッホの本領だったと思うわけで、ゴーギャンに強くひかれたアルル時代の88年の秋から89年の初めまでは、ゴーギャンが来なければ、本来ゴッホがパリで印象派から学んだことからアルルの風景画で一気に進められたものが、ちょっと逆戻りした時代だと私は思っています。

 本来ゴッホが持っていたものに本来のゴッホとは異質なゴーギャン的なものが入ってきたことが、単に美術史の上だけではなく、、ゴッホとゴーギャンが個人的にぶつかったことの1つの原因でもあったと思います。 様式の上で、ゴッホとゴーギャンがアルルで暮らしていた時代は、ゴッホにとってはちょっと不本意ながら、ゴーギャンに強くひかれ過ぎた時代だと私は考えています。


アルル時代に描かれたゴッホの駄作


 ゴッホがアルルで描いた、ゴッホの全生涯を含めて最も駄作と思われる作品をここでお見せします(笑)。これは日本の個人蔵となっています。もしかすると、この中にお持ちになっている方がいらっしゃるかもしれません(笑)。そうでしたら大変申し訳ないと思うのですが、これはゴッホが想像で描いたものです。まさに右にあるのと同じような(読書する)という絵。ここに電球か太陽かよく分からないものがある。つまり「読書」によって「精神の光」をあらわそうとした、とても概念的なものです。しかし、電球だか太陽だか分かりませんし、図書館の中で本を読んでいる女性なのですが、手といい顔といい、デッサンも何もなっていなければ、構図もないというような作品です。これもゴーギャンの影響で、「読書は精神の糧なのだ。光なのだ」ということを無理やり表現しようとした結果、どうしようもない作品になっている(笑)。

 やはり本領はこういうところにないという1例と思っていただきたいと思うわけです。ゴッホの本領はこういうところですね。これは残念ながら今回の展覧会にはきていませんけれども、クレラー・ミュラーが持っているとても素晴らしい作品ですが、何の変哲もない平べったい平地を縦にくるタッチ、横にくるタッチ、細かいタッチ、様々なタッチのバリエーションをつけながら見せていく作品です。
 これは先程右側に出ていた作品の部分です。全体として、どこが緑色、どこが青というように大きな塊はないけれども、画面全体にいろんな色彩があり、花とか草とか木とか、それぞれ描く対象に応じて、それを描くのにふさわしいタッチを見せていく。これがやはりゴッホの本領だと言っていいと思います。これもアルルの作品です。これはアルルの郊外のモンマジュールというところに修道院の廃墟があるのですが、そこの風景です。これは部分図です。

 部分図だとよく分かると思いますけれども、ゴッホにとって絵具は単にものを描写する手段、たとえば木の幹だとか葉っぱを描写する単なる描写の手段ではなかった。まさに画面の中に絵具というツヤのあるものを置く。しかも同時にそれが葉っぱであったり、雲であったり、木の幹であったりする。絵具であると同時に葉っぱであり、葉っぱであると同時に絵具である。そのようなものとして、筆を使って絵具を画面に置いていく。場合によっては、指を使ってこねていくといったように。

 ゴッホにとって絵は、概念的なものであるというより、絵具、絵具のタッチ、筆が画面の上に残していく痕跡といったようなものです。目の前にある葉っぱとか岩とか雲がダイレクトに黄色い絵具とか緑の絵具に結び付くのが彼の制作のあり方です。もちろん、そういう制作のあり方を最初に開拓したのは印象派の画家たちです。中でもとりわけモネだったと思いますが、そのようなモネが開拓した、絵具と目に見える世界との関係をさらに先へ進めたのはゴッホであった。その道を如実に示しているのがアルルでの風景画だといわれています。 

 左側はアルルでの風景画の1つの極です。細かいタッチよりも長いタッチで、枯れていくような、あるいは夏の光でまっ黄色になった草と柳の枝が描かれている。太陽から発する光を絵具の筋、タッチだけで示している。

 右側の絵は、アルルの運河に輝く光、水の輝きを、単なる色だけではなく、タッチであらわしていくというゴッホの目指していたもの、印象派からゴッホが引き継いで完成させていったものを示していると思います。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Starry_Night_Over_the_Rhone.jpg

こういう作品を見ると、ゴッホにとっての印象派は、必ずしも鮮やかな色彩が充ち満ちているものとは限らなかったのですね。

 たとえば印象派の中でも、ほとんど色彩がない「雪景色」などがけっこう重要な役割を果たしていますから、「印象派の作品=鮮やかな色彩」とは必ずしも言えないのですが、ゴッホの作品の中でもそうです。たとえば、左側の(星月夜)にしても、色からすると単なる青と部分的な黄色だけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh49.html

だけど、その青と黄色という非常に単純な2色が、さまざまな絵具のタッチの組み合わせによってこれだけ複雑な画面を生み出し得ることをゴッホは示しています。左側の作品には鮮やかな青があります。


色彩、タッチ、絵具のツヤ


 右側の作品なんかには、ほんとうに色らしい色はない。みんな中間色、もやっとした灰色に近い色です。これは耕された畑をあらわしています。印象派の作品と比べると、とても地味な作品ですが、この作品が何でもっているかと言えば、まさに掘り返された畑のうねの盛り上がった土の様子、ここの部分図です。鋤(すき)を押して畑を耕している人物が描かれている部分ですが、こういう畑の土の盛り上がり、あるいは人物、馬、空の雲、そういうものが、まさにハッキリとした手応えをもった絵具のタッチでこしらえられている。ゴッホにとってほんとうに風景画で大事だったのは「色彩、タッチ、絵具」なんですが、こういう作品を見ると、その中でもほんとに「タッチ」がとても重要だったことが分かると思います。


絵具のツヤ


 スライドで見るとよく分かりませんが、ゴッホにとって絵具が大事だったことは、展覧会の会場で見ていただくとよく分かります。今回の展覧会の会場には30点のゴッホの作品の他に、ゴッホに影響を与えたシニャックとか、ゴーギャンの仲間だったラバールであるとか、セザンヌの作品も出ています。それをご覧になっていただくとよく分かるのですが、そもそもセザンヌにしてもゴーギャンにしても、こういう「盛り上げ」というのは使っていません。わりと全体に層の薄い絵具です。それをゴッホと比べてみると、とにかくゴッホは絵具の盛り上がりがものすごいことが分かります。 

 もう1つ違うところは、ゴッホがセザンヌやゴーギャンやシニャックとハッキリ違うところは「絵具のツヤ」です。ゴーギャンやセザンヌやシニャックの画面の表面はカサッとしています。セザンヌやゴーギャンやシニャックは、絵具をわりと多くの揮発性の油で溶いて、表面をカサッと仕上げます。とりわけゴーギャンという画家は、ちょっと粉をふいたような、白っぽくなったくらいの表面のテクスチュアを好むのですが、ゴッホは絞り出したまま、ほとんど揮発油で溶かないツヤツヤとした絵具を好みます。会場でご覧になると、そのことがとてもよくお分かりになると思います。

 ゴッホはそれほど絵具のツヤを大事にした。セザンヌやゴーギャンやシニャックにとって、絵具は、自分が描きたい対象なり主題なりを描くための手段という部分があります。けれども、ゴッホの場合は、絵具が単なる手段ではなくて、絵具がそのもの自体としてツヤを持ち、盛り上がりを持ち、存在感を持っている。絵具は「畑の土であると同時に絵具である」といったこと、それはゴッホがパリで印象派に学び、スーラやゴーギャンからもいろいろ刺激を受けながら自らの道としてアルルで確信し、展開していったと思われています。

 これなんかも、色彩からいってもテーマからいっても何の変哲もないもので、まさに「絵具のタッチを見せる」「絵具のタッチを感じてほしい」それだけで成り立っているような作品ですね。あるいは、今回来ているアムステルダムのゴッホ美術館の(種蒔く人)。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh35.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh36.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


この左側の(種蒔く人)は6月に描かれたもので、まだゴーギャンが来る前のものです。ですから、画面全体はわりと単純であるし、(種蒔く人)という主題は、ゴッホにとっては概念的なものなのですが、種蒔く人の姿もそれほど大きくはなっていません。

 先程の話にもう一度戻ると、同じ(種蒔く人)でも、これはゴーギャンが来る直前に描いたものです。種蒔く人が風景画全体の中で一番小さくなっている。色彩の点でも地味なものになっていて、むしろ畑のごつごつとした土がメインになっている。ゴーギャンが来る直前には、ゴッホはここまで風景画の試みを進めているのですが、ゴーギャンが来ると、この同じ(種蒔く人)という主題でも、ずいぶん違ったものになります。

 これがゴーギャンが来たときに描かれたもので、ゴーギャンが来る前はこうだったものが、ゴーギャンが来ると、いきなりゴーギャン張りのものになって、「種蒔く人」も画面の後ろのほうにいるのではなくて、中央に出て来ることになります。そして、これが一番ゴーギャンの影響の強い(種蒔く人)です。先程、ゴーギャンが来たことによって人物画がメインになってきたと言いましたけれども、風景画の中でも、たとえば(種蒔く人)を描いた風景画の中では、これだけハッキリとゴーギャン張りの作風が強くなってきます。

 これなんかは、ゴーギャン張りであると同時に、パリで学んだ広重、日本の浮世絵から学んだようなものが強く反映されています。あるいはゴーギャンが直前に描いたこういうものの影響は明らかです。それから、ゴーギャンの影響という点で忘れることができないのは、左側のゴーギャンが描いた(青い木のある風景)。これも当時のゴーギャンの典型的な風景画で、ゴーギャンはこういう様式を持っていたのですが、おそらく「風景画もこういうふうに描け」とゴッホに言ったのでしょう。
 それがよく分かるのは、ゴーギャンがゴッホと机を並べて描いた(ルーラン夫人)です。背景にあるこれ、何だと思いますか? 実はゴーギャン自身の絵なんですね。おそらくゴーギャンは、この絵をアルルへ持って行き、ゴッホに見せることによって、ゴッホの目の前で「風景画はこう描くものだ」と示したのでしょう。
 これだけではありません。これはゴーギャンがアルルで描いた有名な(ゴッホの肖像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_104.jpg

ゴッホが(ひまわり)を描いているところ。アルルで、ゴッホの前でゴッホの肖像を描いた、その背景にも、やっぱり同じ作品の部分があります。ちょっと構図は違いますけれども、黄色い道があって、緑の道があって、青い木が生えている。だからゴーギャンはゴッホの前で、風景画においても「とにかくこう描くのだ」ということを、とてもハッキリと強要したと言ってもいいと思います。そういうことをやっている。ですから、人物画ではなくて、風景画においても、ゴッホの中には大変ハッキリとゴーギャン張りがあらわれてきます。 

 これはアルルの有名な名所である古代の石のお墓が並んだ並木道です。実際のアルルの景色を前にゴッホが描いたものですが、これは明らかにゴーギャンのこの作品を手本にしていますね。


http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin98.html

ゴーギャンの作品を手本にして、それを非常に単純にしたようなもの。
ですから、ゴーギャンが来たことによって、人物画がメインになっただけではなく、風景画においても、ゴッホがそれまで持っていたアルルで獲得した持ち味がなくなって、言ってみれば、紋切り型というか、型にはまったような風景画になってしまったのです。


サン=レミからオーヴェールへの旅立ち


 もう1点、これなんかも典型的ですね。左の絵なしにはあり得ないもので、これなんかも、ゴッホの作品の中では、ほんとうに型にはまった身動きのとれないものになっています。もちろん、手前に木の幹を並べて、画面の上とか下で切ってしまうというのは、広重の作品なんかでも見たような、日本の浮世絵の影響がありますが、そういう日本の浮世絵から受けた影響なども、とても図式的なものになっていると言わざるを得ないと思います。

 こういうふうに、88年の10月からゴーギャンの影響があって、12月にゴーギャンとの決定的な衝突があって、耳切り事件があって、ゴッホは入院する。その間にゴーギャンは怪我をして入院したゴッホを置き去りにして、パリに逃げ帰ってしまうわけです。しかし、ゴーギャンがパリに逃げ帰ったことは、個人史としてはともかく、美術史の立場からすると、ゴッホにとってはとてもよかったと思います。つまりゴーギャンがいなくなったことによって、制作の上ではゴッホはすぐに自らを取り戻します。

 自らを取り戻したところ。これは、ゴッホが入院していたアルルの病院の中庭を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_jardin00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%95a%89@%82%CC%92%EB%81i%83A%83%8B%83%8B%82%CC%97%C3%97%7B%89@%82%CC%92%EB%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_jardin

もうここでは、ちょっと前の、とてもゴーギャンの影響の強かった、画面全体を非常にハッキリとした輪郭線で描き、タッチが見えないほど激しい色彩をぶつけ合っていくといった様式は、すでに跡形なくなっています。たとえば、直前に見た作品と比べてみれば、ゴッホがここで再び、画面全体に散りばめられた鮮やかな細かいタッチを取り戻していることがわかります。

 左側も1889年の初めに描かれたもので、主題から言えば、手前に木を置いて、日本の浮世絵の構図の影響があるものですが、画面全体は青、白から水色、青緑という1つの色調に整えられており、その中で、手前の部分はこういう方向へ、この部分はこう、幹はこういうふうにうねるような色彩で、花咲く果樹はこういう色彩と花をあらわすプツプツとしたタッチで、空の部分は横の方向へ進む短いタッチで、というふうに、ゴーギャン滞在中に抑えられていた様々なタッチのニュアンス、バリエーションといったものが再び登場しています。

 ゴーギャンが去った後、すぐにまた本来の自分の様式を取り戻したゴッホは、この後、誰にも邪魔されず、アルルから離れたサン=レミの病院に閉じ籠もります。個人史からすると、「病院に閉じ籠もる」というのは大変なマイナスですが、誰の影響も受けず、誰からも何も言われずに、自らの思うまま、周辺にある自然を相手にして描く、そういう環境が生まれたという点においては、アルルからサン=レミに移ったことも、美術史からすると、ゴッホの様式の展開のためには幸運だったという気もします。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari1/main.html


重工業化、近代工業化とともに、前の時代までの支配階層(王候貴族等)と市民と農民階層(平民たち)という身分制社会構造が、いわゆる資本主義の構造へと変化していく過程として急速に出現してくる。それが19世紀半ばから第1次世界大戦までの時期です。

 その間に大変な転換が見られるわけで、いわゆるバブル期もあれば、その反動としての恐慌もあるといったバブル・恐慌を繰り返しながら雪ダルマ式に近代資本主義世界が展開していく時代が、まさに美術史の上で言う印象派の登場からゴッホが死ぬあたりまでの大きな転換期であったわけです。 印象派やゴッホの絵画には、そのような社会的な大きな流れがいろいろな意味で深い関係を持っていたということがきょうのお話になります。


ゴッホの自画像

 
このスライドは、左右両方ともゴッホが描いた(自画像)です。左側のパリで描いたものは、印象派あるいはスーラなどの影響を感じさせます。明るく鮮やかな色彩、細かいタッチで描いていくという作風だったわけですね。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:WLANL_-_MicheleLovesArt_-_Van_Gogh_Museum_-_Self-portrait_1887_-_1888.jpg


 それに対して、右側はアルルで描いた(自画像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_Willem_van_Gogh_111.jpg


先週見たように、アルルでは、風景画でずいぶん大胆な展開がいろいろあったわけですが、人物画の場合にはどちらかというと、奔放なタッチを見せるというよりは、わりと輪郭線がはっきりとして、大きく色の面が並べられるといった作風になっています。もう一つアルルでの人物画の特徴は、わりと抽象的な概念が付いているということでした。これも有名な、日本のお坊さんとしての(自画像)というものですが、かなり概念性の強いものですね。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memec00&picture=%91m%97%B5%82%C6%82%B5%82%C4%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


 アルルでの人物画の特徴をいちばん典型的に示している(自画像)といえば、この作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memeb00&picture=%83p%83C%83v%82%F0%82%AD%82%ED%82%A6%82%E9%95%EF%91%D1%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81i%93%AA%82%C9%95%EF%91%D1%82%F0%8A%AA%82%AB%96%D1%94%E7%82%CC%96X%8Eq%82%F0%94%ED%82%C1%82%BD%83p%83C%83v%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


ゴーギャンとの事件があり、入院して、まだ退院できるかできないかという頃に描いた、パイプをくわえて、耳を切ったあとの包帯がある(自画像)ですが、まさにゴーギャンの影響が典型的に表れていますね。

 ちょうど同じころゴーギャンが描いたゴーギャンの(自画像)もずいぶん概念性の強いものです。頭の上にはまるでキリスト教の聖者であるかのように光輪が付いています。このゴッホの(自画像)は、ゴーギャンの作品に典型的に見られる、輪郭線がはっきりして、背景なんかもキッチリ色で分けて塗っていくようなやり方を示しているわけです。

 しかし、遂にゴッホはゴーギャンの影響から脱して、サン=レミからさらにオーヴェールへ移り住みます。そして最晩年の作品になると、完全にゴーギャンを越えてゴッホ自身の様式を確立しています。

 たとえば、これも有名なサン=レミでの代表的な(自画像)ですが、画面は鮮やかな色彩がぶつかり合うというよりも、ほとんどもう1色で、顔のオレンジっぽい色と背景の薄青というほとんど2色になっています。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:SelbstPortrait_VG2.jpg

画面がどう構成されているかというと、特に重要なのは背景の部分で、べっとりと二つの鮮やかな色に塗られていたアルル時代の(自画像)に比べれば、後ろの部分は1色で、しかし、その1色の部分に炎のように渦巻くような筆のタッチが見られます。こういうふうに、色彩、絵具の力、それ以上にタッチのうねり、タッチの組み合わせで画面を見せていく作風が、このサン=レミの(自画像)にも非常にはっきりと表れています。


サン=レミからオーヴェール


 このようなことが典型的にサン=レミ時代の油彩画に見られます。これなども、パッと見ると風景画というより抽象絵画ではないかと思われるぐらいです。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv032.htm


サン=レミの近くにあった岩山や洞窟地帯の風景画ですけど、画面に何が描かれているかというよりも、われわれの眼前には「絵具のうねりがある」「タッチの絡み合いがある」といった作品です。ほんとうにパッと見ると抽象画じゃないかと思えるような絵具の力を見せている。そのタッチのうねり、組み合わせで見せていくことが、もうサン=レミ時代にはごく当たり前のことになっています。

 タッチの使い方にもいろいろあります。これはもう少し分かりやすい、サン=レミの病院の入口を描いたものですが、空の部分、木の部分、幹の部分、地面の部分と、さまざまなタッチを組み合わせている。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hospital_in_Saint-Remy.jpg

もしこれが平面的にペタッと塗られていると、ずいぶん違った感じになるだろうと思わせる作品です。

 ゴッホのサン=レミの病院の窓から見た風景があります。病院の近くの麦畑とか(オリーブの果樹園)です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv034.htm


先ほどの岩山の様相などと並んで、このオリーブ園などは、「オリーブが描きたい」「山が描きたい」というよりも、山やオリーブの樹という形を借りて「タッチの躍動感を見せたい」というか、「絵具がうねるような世界」といった感じの作品になっています。そういう意味では、ゴッホのサン=レミ時代の作品の中では最も抽象性の強い作品だと思います。


 この麦畑もそうですね。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh110.html


(刈取る人のいる麦畑)ですが、画面全体がほとんど真っ黄色になっている。そして、地面の刈り取られた麦の部分と空の部分とは、タッチの違いだけで対象の違いを描き出しています。

 次はサン=レミ時代、ゴッホの見事なタッチの頂点にくる2点です。左側は(星月夜)(何年か前MOA展覧会で日本にも来ている)、右側は(糸杉と星の見える道)(1890年)(今回のゴッホ展に来ている)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_cypres00&picture=%8E%85%90%99%82%C6%90%AF%82%CC%8C%A9%82%A6%82%E9%93%B9%81i%96%E9%82%CC%90%AF%8B%F3%81A%89%D7%8E%D4%81A%92%CA%8Ds%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_cypres


この(星月夜)は、ほんとうの空には渦巻きなんてないのですが、夜空の星の輝き、星と月の光が満ちている夜空をこういう大胆なタッチの渦で描いていくことをゴッホは行っています。

 つづいて、最後の半年ほどのオーヴェール時代の作品をお見せします。サン=レミで培われた彼の手法はオーヴェールでも一層展開されています。右側は広島美術館所蔵の(ドービニーの庭)という作品ですが、色彩の変化はそれほど大きくありません。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv079.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv080.htm


ゴッホは色彩の画家と思われがちですが、サン=レミとかオーヴェール時代の作品だと色の幅はそれほど大きくない。どちらかといえば、わりと一つの系統の色ですね。(ドービニーの庭)にしても、白から青と緑の幅を越えていないのです。でも、それほど大きくない色彩の揺れの中で、濃淡と明暗、タッチの違いで画面をこしらえているわけです。

 有名な(オーヴェールの教会)と(カラスのいる麦畑)といった作品は、どちらかといえば色の塗り方が平面的で、鮮やかな色彩がぶつかり合っています。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


しかし、同じ麦畑でも、ほとんど同じ時期に描かれた、黄色と青の色彩のぶつかり合う(麦畑)もあるかと思えば、先ほどの(ドービニーの庭)と同じように、白から青、水色、薄緑、青、緑といった辺りまでのおとなしい控えめな色彩でタッチの変化を見せていく麦畑も描かれています。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh109.html

 ゴッホにとって、手段は単に強烈な色彩だけではなくて、タッチがとても重要な役割を果たしていたのです。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
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|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
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|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
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|_|_|///ヽヾ\  /   ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 =


41. 2015年12月23日 11:12:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[422]

母を尋ねて三千里 アミーチス

日本童話研究会訳
http://www.aozora.gr.jp/cards/001048/files/45381_18751.html


      一

 もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。

 母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。

 このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。

 船は無事で海の上を走りました。

 母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。

 母親は月に八十リラずつ[#「ずつ」は底本では「ブフ」]もうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。

 父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家うちはまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。

 月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。

 父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。

 そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。

 それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。

 父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助てだすけをしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。

 親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、

「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」

 と元気のよい声でいいました。

 父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、

「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」

と思ったからでした。

 けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。

「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすれば[#「すれば」は底本では「すれぼ」]おじさんの家をさがします。もしも見つからなかったら領事館をたずねてゆきます。」

 こういって父親にせがみました。父親はマルコの勇気にすっかり動かされてしまいました。

 父親はこのことを自分の知っているある汽船の船長に話しすると船長はすっかり感心してアルゼンチンの国へ行く三等切符を一枚ただくれました。

 そこでいよいよマルコは父親も承知してくれたので旅立つことになりました。父と兄とはふくろにマルコの着物を入れ、マルコのポケットにいくらかのお金を入れ、おじさんの所書ところがきをもわたしました。マルコは四月の晴れた晩、船にのりました。

 父親は涙を流してマルコにいいました。

「マルコ、孝行の旅だから神様はきっと守って下さるでしょう。勇気を出して行きな、どんな辛いことがあっても。」

 マルコは船の甲板に立って帽子をふりながら叫びました。

「お父さん、行ってきますよ。きっと、きっと、……」

 青い美しい月の光りが海の上にひろがっていました。

 船は美しい故郷の町をはなれました、大きな船の上にはたくさんな人たちが乗りあっていましたがだれ一人として知る人もなく、自分一人小さなふくろの前にうずくまっていました。

 マルコの心の中にはいろいろな悲しい考えが浮んできました。そして一番悲しく浮んできたのは――おかあさんが死んでしまったという考えでした。マルコは夜もねむることが出来ませんでした。

 でも、ジブラルタルの海峡がすぎた後で、はじめて大西洋を見た時には元気も出てきました。望のぞみも出てきました。けれどもそれはしばらくの間でした、自分が一人ぼっちで見知らぬ国へゆくと思うと急に心が苦しくなってきました。

 船は白い波がしらをけって進んでゆきました。時々甲板の上へ美しい飛魚がはね上ることもありました。日が波のあちらへおちてゆくと海の面は火のように真赤になりました。

 マルコはもはや力も抜けてしまって板の間に身体をのばして死んでいるもののように見えました。大ぜいの人たちも、たいくつそうにぼんやりとしていました。

 海と空、空と海、昨日も今日も船は進んでゆきました。

 こうして二十七日間つづきました。しかししまいには凉すずしいいい日がつづきました。マルコは一人のおじいさんと仲よしになりました。それはロムバルディの人で、ロサーリオの町の近くに農夫をしている息子をたずねてアメリカへゆく人でした。

 マルコはこのおじいさんにすっかり自分の身の上を話しますと、おじいさんは大変同情して、

「大丈夫だよ。もうじきにおかあさんにあわれますよ。」

 といいました。

 マルコはこれをきいてたいそう心を丈夫にしました。
 そしてマルコは首にかけていた十字のメダルにキスしながら

「どうかおかあさんにあわせて下さい。」

と祈りました。

 出発してから二十七日目、それは美しい五月の朝、汽船はアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスの都の岸にひろがっている大きなプラータ河に錨を下ろしました。マルコは気ちがいのようによろこびました。

「かあさんはもうわずかな所にいる。もうしばらくのうちにあえるのだ。ああ自分はアメリカへ来たのだ。」

 マルコは小さいふくろを手に持ってボートから波止場に上陸して勇ましく都の方に向って歩きだしました。

 一番はじめの街の入口にはいると、マルコは一人の男に、ロスアルテス街へ行くにはどう行けばよいか教えて下さいとたずねました、ちょうどその人はイタリイ人でありましたから、今自分が出てきた街を指ゆびさしながらていねいに教えてくれました。

 マルコはお礼をいって教えてもらった道を急ぎました。

 それはせまい真すぐな街でした。道の両側にはひくい白い家がたちならんでいて、街にはたくさんな人や、馬車や、荷車がひっきりなしに通っていました。そしてそこにもここにも色々な色をした大きな旗がひるがえっていて、それには大きな字で汽船の出る広告が書いてありました。

 マルコは新しい街にくるたび[#「たび」は底本では「旅」]に、それが自分のさがしている街ではないのかと思いました、また女の人にあうたびにもしや自分の母親でないかしらと思いました。

 マルコは一生懸命に歩きました。と、ある十文字になっている街へ出ました。マルコはそのかどをまがってみると、それが自分のたずねているロスアルテス街でありました。おじさんの店は一七五番でした。マルコは夢中になってかけ出しました。そして小さな組糸店にはいりました。これが一七五でした。見ると店には髪の毛の白い眼鏡をかけた女の人がいました。

「何か用でもあるの?」

 女はスペイン語でたずねました。

「あの、これはフランセスコメレリの店ではありませんか。」

「メレリさんはずっと前に死にましたよ。」

 と女の人は答えました。

 マルコは胸をうたれたような気がしました、そして彼は早口にこういいました。

「メレリが僕のおかあさんを知っていたんです。おかあさんはメキネズさんの所へ奉公していたんです。わたしはおかあさんをたずねてアメリカへ来たのです。わたしはおかあさんを見つけねばなりません。」

「可愛そうにねえ!」

 と女の人はいいました。そして

「わたしは知らないが裏の子供にきいて上げよう。あの子がメレリさんの使つかいをしたことがあるかもしれないから――、」

 女の人は店を出ていってその少年を呼びました。少年はすぐにきました。そして

「メレリさんはメキネズさんの所へゆかれた。時々わたしも行きましたよ。ロスアルテス街のはしの方です。」

 と答えてくれました。

「ああ、ありがとう、奥さん」

 マルコは叫びました。

「番地を教えて下さいませんか。君、僕と一しょに来てくれない?」

 マルコは熱心にいいましたので少年は、

「では行こう」

 といってすぐに出かけました。

 二人はだまったまま長い街を走るように歩きました。

 街のはしまでゆくと小さい白い家の入口につきました。そこには美しい門がたっていました。門の中には草花の鉢がたくさん見えました。

 マルコはいそいでベルをおしました。すると若い女の人が出てきました。

「メキネズさんはここにいますねえ?」

 少年は心配そうにききました。

「メキネズさんはコルドバへ行きましたよ。」

 マルコは胸がドキドキしました。

「コルドバ? コルドバってどこです、そして奉公していた女はどうなりましたか。わたしのおかあさんです。おかあさんをつれて行きましたか。」

 マルコはふるえるような声でききました。
 若い女の人はマルコを見ながらいいました。

「わたしは知りませんわ、もしかするとわたしの父が知っているかもしれません、しばらく待っていらっしゃい。」

 しばらくするとその父はかえってきました。背の高いひげの白い紳士でした。
 紳士はマルコに

「お前のおかあさんはジェノア人[#「ジェノア人」は底本では「ジェノマ人」]でしょう。」

 と問いました。
 マルコはそうですと答えました。

「それならそのメキネズさんのところにいた女の人はコルドバという都へゆきましたよ。」

 マルコは深いため息をつきました。そして

「それでは私はコルドバへゆきます。」

「かわいそうに。コルドバはここから何百哩まいるもある。」

 紳士はこういいました。
 マルコは死んだように、門によりかかりました。

 紳士はマルコの様子を見て、かわいそうに思いしきりに何か考えていました。が、やがて机に向って、一通の手紙を書いてマルコにわたしながらいいました。

「それではこの手紙をポカへ持っておいで、ここからポカへは二時間ぐらいでゆかれる。そこへいってこの手紙の宛名になっている紳士をたずねなさい。たれでも知っている紳士ですから、その人が明日お前をロサーリオの町へ送ってくれるでしょう、そこからまたたれかにたのんでコルドバへゆけるようしてくれるだろうから。コルドバへゆけばメキネズの家もお前のおかあさんも見つかるだろうから、それからこれをおもち。」

 こういって紳士はいくらかのお金をマルコにあたえました。
 マルコはただ

「ありがとう、ありがとう」

といって小さいふくろを持って外へ出ました。そして案内してくれた少年とも別れてポカの方へ向って出かけました。

      二


 マルコはすっかりつかれてしまいました。息が苦しくなってきました。そしてその次の日の暮れ方、果物をつんだ大きな船にのり込みました。

 船は三日四晩走りつづけました。ある時は長い島をぬうてゆくこともありました。その島にはオレンヂの木がしげっていました。

 マルコは船の中で一日に二度ずつ少しのパンと塩かけの肉を食べました。船頭たちはマルコのかなしそうな様子を見て言葉もかけませんでした。

 夜になるとマルコは甲板で眠りました。青白い月の光りが広々とした水の上や遠い岸を銀色に照しました、マルコの心はしんとおちついてきました。そして「コルドバ」の名を呼んでいるとまるで昔ばなしにきいた不思議な都のような気がしてなりませんでした。

 船頭は甲板に立ってうたをうたいました、そのうたはちょうどマルコが小さい時おかあさんからきいた子守唄のようでした。

 マルコは急になつかしくなってとうとう泣き出してしまいました。
 船頭は歌をやめるとマルコの方へかけよってきて、

「おいどうしたので、しっかりしなよ。ジェノアの子が国から遠く来たからって泣くことがあるものか。ジェノアの児は世界にほこる子だぞ。」

 といいました。マルコはジェノアたましいの声をきくと急に元気づきました。

「ああそうだ、わたしはジェノアの児だ。」

 マルコは心の中で叫びました。

 船は夜のあけ方に、パラアナ河にのぞんでいるロサーリオの都の前にきました。

 マルコは船をすててふくろを手にもってポカの紳士が書いてくれた手紙をもってアルゼンチンの紳士をたずねに町の方をゆきました。

 町にはたくさんな人や、馬や、車がたくさん通っていました。
 マルコは一時間あまりもたずね歩くと、やっとその家を見つけました。
 マルコはベルをならすと家から髪の毛の赤い意地の悪そうな男が出てきて

「何の用か、」

 とぶっきらぼうにいいました。

 マルコは書いてもらった手紙を出しました。その男はその手紙を読んで

「主人は昨日の午後ブエーノスアイレスへ御家の人たちをつれて出かけられた。」

 といいました。
 マルコはどういってよいかわかりませんでした。ただそこに棒のように立っていました。そして

「わたしはここでだれも知りません。」

 とあわれそうな声でいいました。するとその男は、

「物もらいをするならイタリイでやれ、」

 といってぴしゃりと戸をしめてしまいました。

 マルコはふくろをとりあげてしょんぼりと出かけました。マルコは胸をかきむしられたような気がしました。そして

「わたしはどこへ行ったらよいのだろう。もうお金もなくなった。」

 マルコはもう歩く元気もなくなって、ふくろを道におろしてそこにうつむいていました、道を通りがかりの子供たちは立ち止ってマルコを見ていました。マルコはじっとしておりました。するとやがて

「おいどうしたんだい。」

とロムバルディの言葉でいった人がありました。マルコはひょっと顔を上げてみると、それは船の中で一しょになった年よったロムバルディのお百姓でありました。

 マルコはおどろいて、

「まあ、おじいさん!」

 と叫びました。

 お百姓もおどろいてマルコのそばへかけて来ました。マルコは自分の今までの有様を残らず話しました。

 お百姓は大変可愛そうに思って、何かしきりに考えていましたが、やがて、

「マルコ、わたしと一緒にお出でどうにかなるでしょう。」

 といって歩き出しました。マルコは後について歩きました。二人は長い道を歩きました、やがてお百姓は一軒の宿屋の戸口に立ち止りました。看板には「イタリイの星」と書いてありました。

 二人は大きな部屋へはいりました。そこには大勢の人がお酒をのみながら高い声で笑いながら話しあっていました。

 お百姓はマルコを自分の前に立たせ皆にむかいながらこう叫びました。

「皆さん、しばらくわたしの話を聞いて下さい、ここにかわいそうな子供がいます。この子はイタリイの子供です。ジェノアからブエーノスアイレスまで母親をたずねて一人で来た子です。ところがこんどはコルドバへ行くのですがお金を一銭も持っていないのです。何とかいい考えが皆さんにありませんか。」

 これをきいた五六人のものは立ち上って、

「とんでもないことだ。そんなことが出来るものか」

 といいました。するとその中の一人は、テエブルをたたいて、

「おい、我々の兄弟だ。われわれの兄弟のために助けてやらねばならぬぞ。全く孝行者だ。一人できたのか。ほんとに偉いぞ。愛国者だ、さあこちらへ来な、葡萄酒ぶどうしゅでものんだがよい。わしたちが母親のところへとどけてあげるから心配しないがよい。」

 こういってその男はマルコの肩をたたきふくろを下してやりました。

 マルコのうわさが宿屋中にひろがると大勢の人たちが急いで出てきました、ロムバルディのおじいさんはマルコのために帽子を持ってまわるとたちまち四十二リラのお金があつまりました[#「あつまりました」は底本では「あつりまりました」]。

 みんなの者はコップに葡萄酒をついで、

「お前のおかあさんの無事を祈る。」

といってのみました。
 マルコはうれしくてどうしてよいかわからずただ

「ありがとう。」

といって、おじいさんのくびに飛びつきました。

 つぎの朝マルコはよろこび勇んでコルドバへ向って出かけました。マルコの顔はよろこびにかがやきました。

 マルコは汽車にのりました。汽車は広々とした野原を走ってゆきました。つめたい風が汽車の窓からひゅっとはいってきました。マルコがジェノアを出た時は四月の末でしたがもう冬になっているのでした。けれどもマルコは夏の服を着ていました。マルコは寒くてなりませんでした。そればかりでなく身体も心もつかれてしまって夜もなかなか眠ることも出来ませんでした。マルコはもしかすると病気にでもなって倒れるのではないかと思いました。おかあさんにあうことも出来ないで死んだとしたら……マルコは急にかなしい心になりました。

 コルドバへゆけばきっとお母さんにあえるかしら、ほんとうにおかあさんにあうことがたしかに出来るかしら。もしもロスアルテス街の紳士が間違ったことをいったのだとしたらどうしよう。マルコはこう思っているうちに眠ってゆきました。そしてコルドバへ行っている夢を見ました、それは一人のあやしい男が出てきて、

「お前のおかあさんはここにいない。」

といっている夢でした。マルコははっとしてとびおきると自分の向うのはしに三人の男が恐しい眼つきで何か話していました。マルコは思わずそこへかけよって、

「わたしは何も持っていません。イタリイから来たのです。おかあさんをたずねに一人できたのです。貧乏な子供です。どうぞ、何もしないで下さい。」

といいました。

 三人の男は彼をかわいそうに思ってマルコの頭をなでながらいろいろ言葉をかけ一枚のシオルをマルコの体にまいて、眠られるようにしてくれました。その時はもう広い野には夕日がおちていました。

 汽車がコルドバにつくと三人の男はマルコをおこしました。

 マルコは飛びたつように汽車から飛び出しました。彼は停車場の人にメキネズの家はどこにあるかききました。その人はある教会の名をいいました。家はそのそばにあるのでした。マルコは急いで出かけました。

 町はもう夜でした。

 マルコはやっと教会を見つけ出して、ふるえる手でベルをならしました。すると年取った女の人が手にあかりを持って出てきました。

「何か用がありますか」

「メキネズさんはいますか。」

 マルコは早口にいいました。
 女の人は両手をくんで頭をふりながら答えました。

「メキネズさんはツークーマンへゆかれた。」

 マルコはがっかりしてしまいました、そしてふるえるような声で、

「そこはどこです。どのくらいはなれているのです。おかあさんにあわないで、死んでしまいそうだ。」

「まあ可愛そうに、ここから四五百哩まいるはなれていますよ。」

 女の人は気の毒そうにいいました。
 マルコは顔に手をおしあてて、

「わたしはどうしたらいいのだろう、」

 といって泣き出しました。

 女の人はしばらくだまって考えていましたが、やがて思い出したように、

「ああ、そうそう、よいことがある、この町を右の方へゆくと、たくさんの荷車を牛にひかせて明日ツークーマンへ出かけてゆく商人がいますよ。その人に頼んでつれていってもらいなさい。何か手つだいでもすることにして、それが一番よい今すぐに行ってごらんなさい。」

 といいました。

 マルコはお礼をいいながら[#「いいながら」は底本では「いいならが」]ふくろをかつぎ急いで出かけました。しばらくゆくとそこには大ぜいの男が荷車に穀物のふくろをつんでいました。丈せいの高い口ひげのある男が長靴をはいて仕事の指図をしていました。その人がこの親方でした。

 マルコはおそるおそるその人のそばへ行って

「自分もどうかつれていって下さい。おかあさんをさがしにゆくのだから。」

 とたのみました。

 親方はマルコの様子をじろじろと見ながら

「お前をのせてゆく場所がない。」

 とつめたく答えました。
 マルコは一生懸命になって、たのみました。

「ここに十五リラあります。これをさしあげます。そして途中で働きます。牛や馬の飲水もはこびます。どんな御用でもいたします。どうぞつれて行って下さい。」

 親方はまたじろじろとマルコを見てから、今度はいくらかやさしい声でいいました。

「おれたちはツークーマンへゆくのではない、サンチヤゴという別の町へゆくのだよ。だからお前をのせていっても途中で下りねばならないし、それに下りてからお前はずいぶん歩かなければならぬぞ。」[#「」」は底本では欠落]

「ええ、どんな長い旅でもいたします。どんなことをしましてもツークーマンへまいりますからどうかのせていって下さい。」

 マルコはこういってたのみました。
 親方はまた、

「おい二十日もかかるぞ。つらい旅だぞ。それに一人で歩かねばならないのだぞ。」

 といいました。
 マルコは元気そうな声でいいました。

「はいどんな事でもこらえます、おかあさんにさえあえるなら。どうぞのせていって下さい」

 親方はとうとうマルコの熱心に動かされてしまいました。そして「よし」といってマルコの手を握りしめました。

「お前は今夜荷車の中でねるのだよ。そして明日の朝、四時におこすぞ。」

 親方はこういって家の中へはいってゆきました。

 朝の四時になりました。星はつめたそうに光っていました。荷車の長い列はがたがたと動き出しました。荷車はみな六頭の牛にひかれてゆきました。そのあとからはたくさんな馬もついてゆきました。

 マルコは車に積んだ袋の上にのりました。がすぐに眠ってしまいました。マルコが目をさますと、荷車の列はとまってしまって、人足にんそくたちは火をたきながらパンをやいて食べているのでした。みんなは食事がすむとしばらくひるねをしてそれからまた出かけました。みんなは毎朝五時に出て九時にとまり、夕方の五時に出て十時にとまりました。ちょうど兵隊が行軍するのと同じように規則正しくやりました。

 マルコはパンをやく火をこしらえたり牛や馬にのませる水をくんできたり角灯の掃除をしたりしました。

 みんなの進む所は、どちらを見ても広い平野がつづいていて人家もなければ人影も見えませんでした。たまたま二三人の旅人が馬にのってくるのにあうこともありましたが、風のように一散にかけてゆきました。くる日もくる日もただ広い野原しか見えないのでみんなは、たいくつでたいくつでたまりませんでした。人足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使むりづかいしたりしました。大きな秣まぐさをはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大きな声で叱りつけました。

 マルコはへとへとにつかれて、夜になっても眠ることが出来ませんでした、荷車はぎいぎいとゆれ、体はころがるようになり、おまけに風が吹いてくると赤い土ほこりがたってきて息をすることさえ出来ませんでした。

 マルコは全くつかれはててしまいました。それに朝から晩まで叱られたりいじめられたりするので日に日に元気もなくなってゆきました。ただマルコをかわいがってくれるものは親方だけでした。マルコは車のすみに小さくうずくまってふくろに顔をあてて泣いていました。

 ある朝、マルコが水を汲んでくるのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。

 マルコは悲しくなってただすすりあげて泣いていました。マルコはとうとう病気になりました。三日のあいだ荷車の中で何もたべずに苦しんでいました。ただ水をくれたりして親切にしてくれるものは親方だけでした。親方はいつも彼のところへきては、

「しっかりせよ。母親にあえるのだから」

 といってなぐさめてくれました。

 マルコは、もう自分は死ぬのだと思いました。そしてしきりに「おかあさん。もうあえないのですか。おかあさん。」といって胸の上に手をくんで祈っていました。

 親方は親切に看護をしたので、マルコはだんだんよくなってゆきました。すると今度は一番安心することの出来ない日がきました。それはもう九日も旅をつづけたのでツークーマン[#「ツークーマン」は底本では「シークーマン」]へゆく道とサンチヤゴへ行く道との分れる所へ来たからです。親方はマルコに別れなければならないことをいいました。

 親方は何かと心配して道のことを教えてくれたり歩く時にじゃまにならないようにふくろをかつがせたりしました。マルコは親方の体にだきついて別れのあいさつをしました。


      三
 マルコは青い草の道に立って手をあげながら荷車の一隊を見送っていました。荷車の親方も人足たちも手をあげてマルコを見ていました。やがて一隊は平野の赤い土ほこりの中にかくれてしまいました。

 マルコは草の道を歩いてゆきました。夜になると草のしげみへはいってふくろを枕にして眠りました。やがていく日かたつと彼の目の前に青々とした山脈を見ることが出来ました。マルコは飛びたつようによろこびました。山のてっぺんには白い雪が光っていました。マルコは自分の国のアルプス山を思い出しました。そして自分の国へ来たような気持になりました。

 その山はアンデズ山でありました。アメリカの大陸の脊骨をつくっている山でした。空気もだんだんあたたかになってきました。そして所々に小さい人家が見えてきました。小さい店もありました。マルコはその店でパンを買ってたべました。また黒い顔をした女や子供たちにもであいました。その人たちはマルコをじっと見ていました。

 マルコは歩けるだけ歩くと木の下に眠りました。その次の日もそうしました。そうするうちに彼の元気はすっかりなくなってしまいました。靴は破れ足から血がにじんでいました、彼はしくしく泣きながら歩き出しました。けれども「おかあさんにあえるのだ。」と思うと足のいたさも忘れてしまいました。

 彼は元気を出して歩きました。ひろいきび畑を通ったり、はてしない野の間をぬけたり、あの高い青い山を見ながら四日、五日、一週間もたちました。彼の足からはたえず血がにじみ出ました、また急に元気がなくなって来ました、でもとうとうある日の夕方一人の女の人にあいましたから、

「ツークーマンへはここからいくらありますか。」

とたずねました。

 女の人は、

「ツークーマンはここから二哩まいるほどだよ。」

 と答えました。

 マルコはよろこびました。そしてなくした元気をとりもどしたように歩き出しました。しかしそれはほんのしばらくでした。彼の力はすぐに抜けました。けれども心の中はうれしくてなりませんでした。

 星はきらきらとかがやいていました、マルコは草の上に体をのばして美しい星空を眺めました。この時はマルコの心は幸福でありました。マルコは光っている星に話でもするようにいいました。

「ああおかあさん、あなたの子のマルコは今ここにいます。こんなに近くにいます。どうぞ無事でいて下さい、おかあさん、あなたは今何を思っていられますか。マルコのことを思って下さるのですか。」

 マルコの母親は病気にかかってメキネズの立派なやしきにねていました。ところがメキネズは思いがけずブエーノスアイレスから遠くへ出かけねばならなくなりコルドバへきたのでした、その時母親は腫物が体の内に出来たので外科のお医者さんにかかるためツークーマンに見てもらっていたのでした。けれども大変な重い病気だったのでどれだけたってもなおりませんでした。それで手術をしてもらうということになりました。けれども母親は

「わたしはもうこらえる力がありません。手術のうちに死んでしまいます。どうかこのまま死なせて下さい。わたしはもう苦しまずに死にとうございます。」

 といいました。

 主人と奥さんは

「手術をうけると早くなおるから、もっと元気を出しなさい、子供たちのためにも早くなおらなければなりません。」

としずかにいってきかせました。
 母親はたださめざめと泣きだしました。

「おお子供たち、みんなはもう生きていないだろう。わたしも死んでゆきたい。旦那様、奥さま、ありがとうございます。何かとお世話になりましてありがとうございます。わたしはもうお医者さまにかかりたくありません。わたしはここで死にとうございます。」

 主人は

「そんなことをいうものではない」

といって女の手をとって慰めました。

 けれども彼女はまるで死んだように眼をとじていました。主人と奥さんとはろうそくのかすかな光でこのあわれな女を見守っていました。

「家を助けるために三千里もはなれた国へきて、あんなに働いたあとで死んでゆく。ほん当に可哀そうだ。」

主人はこういってそこにぼんやりと立っていました。

 マルコはいたい足をひきずりながら、ふくろをせおって次ぎの日の朝早くアルゼンチンの国でもっともにぎやかな町であるツークーマンの町へはいりました。ここもまた同じような街で、まっすぐな長い道と、ひくい白い家とがありました。ただマルコの目をよろこばしたものは大きな美しい植物と、イタリイでかつて見たこともないようにすみ切った青空でありました。彼は街をずんずん歩いてゆきました。そしてもしか母親にあいはしないかと女の人にあうたびにじっと見ました。女の人みんなに自分の母親でないかたずねてみたい心持になりました。街の子供たちは四五人あつまってきて、みすぼらしいほこりだらけの少年をじっと見ていました。

 しばらく行くと道の左かわにイタリイの名の書いてある宿屋の看板が目につきました。中には眼鏡をかけた男の人がいました。

 マルコはかけていってたずねました。

「ちょっとおたずねしますがメキネズさんの家はどちらでしょうか。」

 男の人はちょっと考えていましたが、

「メキネズさんはここにはいないよ。ここから六哩まいるほどはなれているサラヂーロというところだ。」

 と答えました。

 マルコは剣で胸をつかれたようにそこに打ち倒れてしまいました。すると宿屋の主人や女たちが出てきて、

「どうしたのだ、どうしたというのだ、」

といいながらマルコを部屋の中へ入れました。

 主人は彼をなだめるようにいいました。

「さあ、何も心配することはない。ここからしばらくの時間でゆける。川のそばの大きな砂糖工場がたっているところにメキネズさんの家がある。誰でも知っているよ、安心なさい、」

 しばらくするとマルコは生きかえったようにおき上りながら、

「どちらへ行くんです、どうぞ早く道を教えて下さい。私はすぐにゆきます。」

といいました。

 主人は、

「お前はつかれている、休まないと行かれない。今日はここで休んで明日ゆきなさい、一日かかるのだから。」

 とすすめました。

「いけません。いけません。私は早くおかあさんにあわなければなりません。すぐにゆきます。」

 マルコの強い心に動かされて、宿屋の主人は一人の男をわざわざ町はずれの森まで送ってよこしました。マルコは大変よろこんで教えてもらった道を急ぎました。道の両がわにはこんもりとした並木が立ちならんでいました。マルコは足のいたいことも忘れて歩きました。

 その夜母親は大そう苦しんでもう息も切れ切れに、

「お医者さまを呼んで下さい。助けて下さい。わたしはもう死にます。」

 といいました。

 主人や奥さんや女中たちは女の手をとってなぐさめました。

 もう夜中でありました。マルコはもう歩む力もなくなっていく度となくころびました、けれどもマルコは

「おかあさんにあえるのだ。」

という心が胸にわいてきて足のいたいことも忘れてしまいました。

 やがて東の空がしらじらとあけてきて、銀のような星も次第に消えてゆきました。

 朝の八時になりました。ツークーマンのお医者さんは若い一人の助手をつれて病人の家へ来ました。そしてしきりに手術をうけるようにすすめました。メキネズ夫婦もそれをすすめました。けれどもそれは無駄でした。女はどうしても手術をうける気はありませんでした。手術をうけないうちに死んでゆくのだとあきらめているからでした。医者はそれでもあきらめずにもう一度いってみました。

 けれども女は、

「わたしはこのまま安らかに死んでゆきとうございます。」

 といいました、そしてまた消えてゆくような声で、

「奥さま、わたし[#「わたし」は底本では「わたく」]の荷物と、この少しばかりのお金を家の者に送ってやってください、私はこれで死んでゆきます。どうぞ私の家へ手紙も出して下さい。わたしは子供を忘れることが出来ません。小さい子のマルコはどうしているでしょう、ああマルコが……」

 といいました。

 その時、主人もいませんでした。奥さんはあわただしくかけてゆきました。しばらくすると医者はよろこばしい顔をしてはいってきました。主人も奥さんもはいってきました。[#「。」は底本では欠落]そして病人に、いいました。

「ジョセハ、うれしいことをきかせてあげるよ。」

「おどろいてはいけません。」

 女はじっとその声をきいていました。

 奥さんは

「お前がよろこぶことですよ、お前の大そう可愛がっている子にあうのですよ。」

 女はきらきらする目で奥さんを見ました。[#「。」は底本では欠落]そしてありったけの力を出して頭をあげました。

 その時でした、ぼろぼろの服をきてほこりだらけになったマルコが入口に立ったのでした。

 女はびっくりして「あっ」と叫び声をあげました。

 マルコはかけよりました。母親はやせた細い手をのばしてマルコをだきしめました。そして気ちがいのように

「どうしてここへ来たのほんとうにお前なのか。本当にマルコだねえ、ああほんとうに」

と叫びました。

 女はすぐに医者の方をむいていい出しました。

「お医者様、どうぞなおして下さい。早く手術をして下さい。わたしは早くよくなりたいです。どうぞお医者さま、マルコに見せないで。」

 マルコは主人につれられて部屋を出ました。[#「。」は底本では欠落]奥さんも女たちもいそいで出てゆきました。

 マルコは不思議でなりませんでしたから、

「おかあさんをどうするのですか。」

 と主人にたずねました。

 主人はおかあさんが病気だから手術を受けるのだといいました。
 と不意に女の叫び声が家中にひびきました。
 マルコはびっくりして

「おかあさんが死んだ。」

と叫びました。

 医者は入口に出て来て

「おかあさんは助かった、」

といいました。

 マルコはしばらくぼんやりと立っていましたが、やがて医者の足許へかけていって泣きながら、

「お医者さま、ありがとうございます[#「ございます」は底本では「ざざいます」]。」

 といいました。
 しかし医者はマルコの手をとってこういいました。

「マルコさん。おかあさんを助けたのは私ではありません。それはお前です。英雄のように立派なお前だ!」
 


42. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:16:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[423]

母を訪ねて三千里(ただしメキシコ北部) 2013年1月23日 (水)


Bc251最近のラテンアメリカ文学がオートフィクションだと言い続けているうちに、手に取る小説の大半がそうなってきた。特に若い世代に顕著で、もはや誰も自国の歴史や文化といった大きな物語を語ろうとしないのかと心配になるほど。なんだか魔術的リアリズムが懐かしくなったりする今日このごろです。

 本書はメキシコの1971年生まれの作家による。

 語り手が作家として実名で現われるとすべて自伝とも言えず、どこからどこまでが事実でどこからどこまでが虚構なのかよく分からない。そんなオートフィクションは、書き手にとってはお気軽な文体であり、読み手にとっては自伝を読むときのある種の好奇心を満たせるし、大きな物語はないのだ‥という安心感をもって臨める。読み手として安心しているようじゃケータイ小説を笑うことはできない気もするが、オートフィクションは安心して読めるように思う。

 この小説は語り手の母をめぐる話である。

 冒頭からその母親が白血病で死の床にいることが分かる。入院中の母のベッド脇でパソコンに本書を打ち込んでいるという設定である。その病院における今と、母と過ごしたメキシコ北部を転々とする幼少時代の記憶が同時進行していく。

 ちなみに本日の題だが、これは日本のアニメで知られているもので、原作は『アペニンからアンデス山脈へ』といい、デ・アミーチスというイタリア人作家が1886年に書いた大ベストセラー『クオーレ』に含まれているので読むことができる。イタリア人のマルコ少年が遠いアルゼンチンに渡った母を探して大冒険をする、という話。たぶんメンドサあたりで再会する。

 19世紀は多くのイタリア人がアルゼンチンへ移民した。いろいろな人種がいたと思うが、南部の貧しい人が多かったことは事実だろう。

ブエノスアイレスから流れ流れてメンドサまで来た定職をもたない外国人女性、とくれば、これはどうも、マルコのお母さんは売春婦とは言わずとも酌婦的職業についていた可能性が高い‥。


 てなことを言うと、特に日本では怒られる。

 なのでそれはさておき、本書の語り手の母親の職業は娼婦だ。

ラテンアメリカの娼婦は実はノマドが多い。もっとも有名なノマド娼婦はガルシア=マルケスの描いた『エレンディラ』だろうか。あれは幼い娼婦を連れて各地を回る因業ババアのお話だったが、こちらの娼婦マリセラは息子である語り手を連れてメキシコ各地を回っていた。

 (僕は一九七一年一月二十日にゲレロ州アカプルコ・デ・フアレス港市で生まれた。三歳で初めて死人に出会った。溺死者だ。この歳には初めてゲリラにも出会った。代母ヘスの弟キトだ。彼は銀行強盗で服役中だった。幼少期を僕は街から街、売春宿から売春宿へと移動するという、母の商売によって課せられたノマド生活のなかで過ごした。歳を重ねるたびに焼けるような焦燥に駆られつつ、南部の奥地から北部の輝ける都市群へと旅をして過ごした。(pp.78-79)>

 各地で生まれた子どもたちは成人するに従って家を、というか母のもとを離れてゆき、たとえば語り手の兄などは日本に渡って横浜に定住してしまっている。こうして語り手だけが母の最期を看取ることになるわけだ。

 第一章では病院内での日記と幼少期の記憶が交錯するが、第二章はドイツのベルリンが舞台。作家として招かれたベルリンで妻と街を放浪しながら語り手は時折母のことを回想するが、この章はどちらかといえば語り手自身の内的独白が中心になる。

 第三章はハバナが舞台。裏町を売春宿を求めて作家連中とウロウロしつつ、この章では「自伝」という語り口そのものが記述の対象になっていく。そうこうするうちにメキシコ北部の語り手が幼少期を過ごした地域で麻薬をめぐる殺人事件が急増し始める。そして最終章は前章に関する次のような言葉で始まっていく。

(すべてウソの切り貼りだ。オレは性的に抑圧されている。

アナルセックスなど一度もしたことはない。ボボ・ラファグアなる人物はオレの想像の産物だ。オレは実は中国の数ヶ国語を完璧に操ることができる。ディアブリート・トゥントゥンなる酒場をハバナで探しても徒労に終わるだろう。ハバナへなど行ったこともない。ウソ。約一回だけハバナへ行った。ウソ。一度ハバナへ行ったが、熱を出して病院のベッドでひとり暗い顔で黒いマスクをあてがわれて過ごしていたので、実は夜は何にも見ていない。朝と昼はカルロス・スリムが仕切るグループの子分として(いつもの文学商人、というか文学娼婦としての役割に従い)きりきり働いていた。このグループというのは、フィデルが死んだあとのキューバの将来をどうするか企んでいるラテンアメリカの極右企業家連中の集まりだ。(p.171)>


 こうしてオートフィクション特有の語りに関する自己言及を経つつ、最後はそれまでボンヤリしていた妻や兄弟たちの詳細な情報が断片的に語られ、そして妻とともに母の死の床に淡々と立ち会うまでが描かれる。

 よく考えると hijo de puta が語り手になるのはスペイン語文学の長い伝統なのかもしれない。たとえば『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』というピカレスク小説の原点とされる小説があるが、あれの母親も、はっきりそうとは書いていないけれど、身持ちの悪い女として描かれている。

娼婦の息子、という罵倒語が普及しているのを見ても分かるように、グアダルーペの聖母など数多くのマリア信仰を抱くラテン文化圏にあって母親を媒介とする心的操作は私たち日本人には想像もつかないほど根が深いものがある。特にメキシコはその傾向が強い。madre という語自体が日常語に組み込まれているので、実際の生活ではほとんどその愛称である mamá しか用いない。

 このような社会にあって娼婦の息子を自ら公言するというのは、すなわち心的関係性で最底辺に自ら身を置くことを意味する。これは自己卑下というのとも少し違っていて、おそらく社会のなかで唾棄されている存在、行為、できれば見たくないと思っている生き方、精神性、そういった陰の部分をなんらの感情的昂りなしに逍遥することを可能にするスタンスなのだ。

 小説を読んだ第一印象は漠然としている。

 特に物語があるわけでもない。

 自伝としてはつまらない。

 が、文体に漲る詩情は上のようなスタンスに由来するものに他ならず、それだけを味わって読むと奇妙な魅力があって、なんとなく再読したくなってしまうのである。そういう小説を私はラテンアメリカ文学であまり読んだ記憶はない。
http://bar-trilce.no-blog.jp/tenmablog/2013/01/post_1e9d.html


「母とたずねて三千里」哀愁のブエノスアイレス


ブエノスアイレスといえば、やはりアニメの名作「母をたずねて三千里」だなぁ。イタリアの少年マルコがアルゼンチンにいる母を求めて旅する物語。

大好きだったこのアニメのおかげで子供だったボクの中に少年マルコがめざすブエノスアイレスの名前はしっかりインプットされました。

今回は母といっしょに旅するアルゼンチン。アニメのストーリーとはだいぶかけ離れちゃった受難の旅。思えば「母をたずねて三千里」の第一話のタイトルは「行かないでお母さん」だったなぁ。

でもそんな願いもむなしくウチの母は「アタシは行くからね!」って来ちゃったもんね。(涙)

ブエノスアイレスはタンゴの本場です。
哀愁ただようタンゴはユネスコ世界無形遺産のひとつ。
アコーディオンの音色がふたりの間を流れ、
ギターのつまびきがふたりのステップを軽やかに弾ませる。


夜の街の娼婦たちと、船乗りの男たちの一夜の愛へのかけ引きが、

踊り化されたというタンゴ。
視線がせつない、吐息が甘い.....。
無言のささやきがふたりの間を交差する。
ン〜〜〜。とてもセクシー!!!

このおふたり、カメラを構えたボクのために2曲も踊ってくれました。
そしてこのあとこのイケメン兄ちゃんがボクにタンゴのステップを教えてくれました。(見物人が誰もいなかったからか?)

「1、2、3....。右、左」

「ウノ(1)、ドス(2)、トレス(3)....デレーチャ(右)イスキェルダ(左)」

くりかえし耳にするこの5つのことば。ステップの習得にはならなかったけど、スペイン語の習得にはなりました。ハハハ....どーもあざ〜した!

タンゴ発祥の地であるボカ ( Boca) 地区。
そしてアニメ「母をたずねて三千里」のマルコがたどりついた(?)ボカの波止場のホンモノがこれです。

サンテルモ地区は石畳に小粋なカフェやレストランがならびます。

ブエノスアイレスは南米のパリといわれるだけあって、カフェ文化がいきづく街です。
大理石の床がつくる軽快な靴音。
人々のざわめきとコーヒーの香り。

写真:街のあちこちにレトロなカフェがあります。
洗練された人っていうのは、流行(はやり)だからといって手軽だからといって、紙コップで出されるコーヒーや道を歩きながらのコーヒーなんて遠慮するものです。

写真:中でもカフェの代表格トルトー二 (Cafe Tortoni)


コロン劇場 ( Teatro Colon)
パリのオペラ座、イタリアのスカラ座とともに世界三大劇場のひとつ。
シャンデリアのきらめきに、貴婦人たちの胸元をかざる宝石は輝きを増し、

シャンパングラスの冷たい響き、
衣擦れの音、大理石の柱や壁にこだまする靴音。
人々の笑い、そしてさんざめき....。
そんな1900年初頭、ブエノスアイレスが世界の都市の繁栄の頂点であった証しを今に伝えます。


今なおアルゼンチン人の中に絶大な人気をもつペロン大統領とエビータの肖像画。
エビータは人気あるでしょ。こんなところにも!
人に一生があるように、国や都市にもそれがあるかもしれない。

青春期には都市や国は成長をとげ、壮年期にあって繁栄を謳歌する。
人の老いは止められないけれど、国や都市の繁栄や安定は、質のいいアンチエイジングさえあれば継続可能。繁栄をいかに長く保つか....それがその国や街びとたちの英知。

1900年の初めに世界の繁栄都市のトップにあって、「北半球にニューヨークあり、南半球にはブエノスアイレスあり」とまでいわれたこの町。

それからわずか70年も経たないうちに国家経済の大破綻。そして貧困と混乱の中に墜ちて恐怖政治をまねいてしまう..http://4travel.jp/overseas/area/latin_america/argentine/buenosaires/travelogue/10628240/


Corrientes 348
コリエンテス街348番地


コリエンテス街は ブエノス・アイレス市の主な通りです。 タンゴとブエノス・
アイレス人気質に密接に結びついています。 コリエンテスという名前は この
通りと平行しているサンタ・フェ通、 コルドバ通などと同じように州名からとられ
た。

コリエンテス街はエドアルド・マデロ通から始まり、69ブロック西へ伸びて、それから北西へ向かい 有名な チャカリタ共同墓地のあるチャカリタ地区のフェデリコ・ラクロセ通で終る。

この通の車は 西から東への一方通行であり、下は 地下鉄のB線が走っている。 

コリエンテス街愛好協会というのがあり、 40の街角に著名なタンゴ作詞家、作曲家の記念板がある。 「淡き光」はコリエンテス街348番地にかってはあった
高級売春マンションを歌ったタンゴの名曲である。


A Media Luz
淡き光に

Letra de Carlos Cesar Lenzi
Música de Edgardo Donato
1925


Corrientes tres - cuatro - ocho
segundo piso, ascensor
No hay porteros, ni vecinos,
Adentro cóctel y amor
Pisito que puso Maple,
piano, estera y velador,
un telefón que contesta,
una vitrola ( fonola ) que llora
viejos tangos de mi flor
y un gato de porcelana
pa' que no maúlle al amor

作詞 : カルロス セサル レンシ
作曲 : エドワルド ドナト 

コリエンテス街348番地
三階 エレベーター
門番もいず 訪ねてくる
町内の人もいない 

部屋の中には カクテルと愛
マプレ家具店の高級家具のあるエレガントなマンション
ピアノ、 マット、 小さな丸テーブル、
お返事できる電話

青春の懐かしきタンゴを
泣き奏でる蓄音器

恋の鳴き声をたてないように
瀬戸物で作った猫

Y todo a media luz,
a media luz los dos
A media luz los besos
a media luz los dos Y todo a media luz,
que brujo es el amor
A media luz los besos
a media luz los dosすべては 淡き光に
ふたりは 淡き光の中に
接吻は 淡き光に

恋は 魔法使い
接吻は 淡き光に
ふたりは 淡き光の中に

Y todo a media luz,
que es un brujo el amoro,
a media luz los besos,
a media luz los dos

Y todo a media luz
crepúsculo interior Que suave terciopelo
la media luz de amor!

そして すべては 淡き光の中に
恋は 魔法使い
淡き光に接吻
淡き光の中で ふたりだけ
そして すべては 淡き光に

部屋の中は たそがれ
なんとやわらかい ビロード
恋の淡き光

Juncal 12, 24
Telefonea sin temor De tarde, té con masitas;
de noche, tango y cantar Los domingos, tés danzantes;
los lunes, desolación,
Hay de todo en la casita:
almohadones y divanes;
como en botica, cocó;
alfombras que no hacen ruido
y mesa puesta al amor電話番号は フンカル1224番
いつでも お電話してください。
午後なら お茶とお菓子
夜なら タンゴと歌
日曜日なら お茶を飲んで
踊りあかしましょう
月曜日は またわびしくなるけど
家には 雑貨屋のように
なんでもあります

コカインに クッションに 
長いソファー、音を立てないじゅうたん
恋のための御馳走

歌詞 注 : このタンゴは 1925年に発表されてから 既に 90年近くたっている。 現代のアルゼンチン人もほとんどの人が この歌の意味を誤解している。 

コリエント街348番地に 裕福な人が住んでいて そこで パーティーをすると解釈している人、 また コリエント街348番地には 高級ナイト・クラブがあったと解釈している人。 いずれも 間違いである。 

コリエント街348番地にあったのは 個人営業の高級売春マンションであった。 

el segundo piso というのは三階であるが ”二階”という誤訳が 見受けられる。
三階の方が 二階より 秘密が より守られる。

アルゼンチン、その他 中南米の多くの国では 

planta baja 一階、 el primer piso 二階、 el segundo piso  三階 

日本のマンションに相当する言葉は スペインでは piso であり 中南米では
apartamento, departamento であるが ここでは piso の縮小辞である pisito という言葉が 使われている。 piso というのは ある階のフロアー全体を占めるマンションのことである。 つまり 三階のフロアー全体を占めている。

三階には 他の住民は住んでいない。 秘密は 完璧に守られる。 誰も部屋には来ないから 安心しなさい。 部屋の雰囲気は 最高ですよ、ロマンチックな照明、音響設備も整っています。 昼も営業しています。 交通至便(地下鉄の駅に近い )という宣伝のコマーシャル・ ソングみたいなものであった。 

当時(大正時代) アルゼンチンは 世界有数の経済先進国であった。 地下鉄
の最初の路線はすでに 東京に先んじて 1913年に開通していた。 

フンカル1224番というのは 高級売春マンションの電話番号である。現在の
ように自動でつながらず 交換手が接続していた。アメリカ製の蓄音機もあり、
タンゴのレコードが発売されていたことが歌の歌詞からわかる。ビルには すでに
エレベーターがあった。

第一次大戦後は アルゼンチンは ヨーロッパ人にとって夢のような豊かな国であった。 「 母のたずねて三千里 」は イタリアのジェノバから アルゼンチンに出稼ぎに行った行方不明の母をたずねて アルゼンチンをさまよい歩く少年マルコの物語である。 

国民的タンゴ歌手であった カルロス・ガルデルの母はフランスからの移民で
貧しい未婚の母であった。 20世紀初頭には こういう実話がたくさんあった。

「 母のたずねて三千里 」の作者の エドモンド・ダ・アミチは 実話に基づいてこの作品を書いたのであろう。


cocó コカイン : 1930年頃までは コカインは 比較的容易に入手できた。

コリエンテス街348番地 : この番地は 現在存在しない。 この番地のあったところに 記念の プレートが かけてあるだけである。
http://www.geocities.jp/general_sasaki/cancion-amedialuz-ni.html

「ブエノスアイレスへ行く」には、俗語で「売春婦になる」という意味がある(あった)らしい。
https://twitter.com/genkinanodesu/status/333837973168738304


とうとうブエノスアイレス五日目。
明日は早朝便で帰りますから、実質はブエノス滞在最後の日です。


今日の予定は午前中ボカ地区を見学し、午後は最後のお買い物。


ボカ地区はブエノスアイレスでも屈指の治安の悪い地域。気を引き締めて朝っぱらから出かけて行きます。タクシーの安さが分かったので、マンションの前で流しのタクシーを拾ってまずはカミニートへ突撃。料金は35ペソ(550円)。


カミニートとは、タンゴ発祥の場所と言われるボカ地区に作られた小道(caminito)のことで、周囲の家がカラフルに塗られているのが印象的です。


カミニートと言えばこのアングルですね。


タンゴ発祥の地として知られるボカ地区。

以前はここにブエノスの港があり、船乗りたちが沢山闊歩する地域だったんだそうです。もちろん、彼らを相手にする売春宿もあり、船乗りと売春婦の一夜のロマンスがタンゴへと昇華していったと言われています。そう聞くと、タンゴの官能的なダンスも理解できるわけですが、起源を聞くとドン引きする人も居そうですね。


タンゴと関係あるんですよというアピールがそこかしこに


お昼近くなってくると、レストランでタンゴショーが始まります。

わーお。こうして見るとタンゴって感じですが、実際にはステップがゆっくりでタンゲリーアで見たタンゴからすると随分レベルは落ちますね。タンゲリーアのタンゴが速度10とすると、こちらは4くらいしかないです。これはこれで待ったりしていて良いのですが、周囲のざわめきによって雰囲気が出ないのが残念です。


一旦帰ってマンション近くで食事をしようかとも思ったのですが、K氏がボカ地区を気に入ったようなので、こちらで食事をすることに。いつものごとくGuia Oleoで調べた結果チョイスされたのは・・・この店。


隣の店ではタンゴが始まっています。

なかなかいい感じですよ〜。しかも隣の店のタンゴだから、こちらまでお金を取りには来ないでしょう・・・と思ったら、こっちにも来ました(笑)。チップに値するほどのタンゴでもないように思いましたが、彼らも生活があるでしょうから・・・ということで寄付しておきました。


食事はまずまず。キルメス1Lでいい気分になってマンション方面に歩いていくと、

流しのバンドネオン奏者を発見。このアコーディオンみたいな楽器はバンドネオンといい、アコーディオンとは異なります。哀愁漂ういい音色がするこの楽器、タンゴには欠かすことが出来ません。それにしても、いい雰囲気を出していますねぇ。
http://blogs.yahoo.co.jp/parakisuke/39089786.html

1: 1: 03/05/13 18:53 ID:E6ixbg25
南米のナイトクラブ、売春宿などについて情報交換しましょ!

8: 1: 03/05/13 19:11 ID:E6ixbg25

アルゼンチン・ブエノスアイレス

CONSTICION駅の裏のCalleに立ちんぼがいるけど、レベル低し。化け物も多い。
まともな娘を探すのに一苦労。US$10

Av.CorrientesやLavalleに、マンションの一室でやっている売春宿がある。
夜にその辺を歩いていれば、客引きの親父に声をかけられるでしょう。


26: 名無し: 03/06/17 20:28 ID:rmRlfhas
>>8
>アルゼンチン・ブエノスアイレス
>CONSTICION駅の裏のCalleに立ちんぼがいるけど、レベル低し。化け物も多い。
>まともな娘を探すのに一苦労。US$10

その化け物が好みなんですけど。
ただ、US$10って、こんな安いの?アルゼンチンは。
経済崩壊したからって。タイの置屋並じゃん。
昔はUS$150から200だったでしょ。
http://21overseaxx2ch.blog.fc2.com/blog-entry-12.html

29: 0: 03/06/20 17:50 ID:H3InjpQT

アルゼンチンでは専門の仲買人がいて、中級ホテルに斡旋に来るそうな。
チリにもあると現地の駐在員が言ってた。
ペルー、コロンビアはマフィアが絡んでくるからやばいらしい。

私が愛した世界の女たち
アルゼンチン激安3Pプレー

 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにいる。この国は深刻な経済危機に陥り通貨ペソは下落して価値がない。

 しかし、ドルを持つ旅行者には安くリッチに遊べる天国である。ちなみに1ドルで生ビールが4杯飲める。

 カフェでビールを飲んでいる。

そこに2人連れの女が英語で話しかけてきた。

 2人は美人でもなく、そこいらにいるごく普通の女の子である。

「あなた、本物の日本人?!」

 大柄の女が尋ねた。
南米に多くいる日系人ではなく、日本からやって来た日本人かどうか尋ねたのだ。

「日本からの旅行者だ」

 そう応えると2人は抱きついて喜んだ。数億円を南米女に貢いだ間抜けな日本人のニュースのおかげで日本人は気前がいいと思われているようだ。

「あなたの部屋で遊ぼうよ」

 女たちはホテトル嬢といったところだろうか。とりあえず内容を確かめた。3Pにレズショー。客のニーズに応じて値段も違っていた。1時間で100ドルの最も高いコースを選んでホテルの部屋に2人を連れて戻った。

 大柄の女からシャワーを浴びてベッドに入るように指示された。ベッドで待っていると女たちもシャワーを浴びて全裸で出てきた。

 しっかりした下半身と黒々とした陰毛。2人は何かスポーツをしているのだろう。バストも筋肉質で腹筋もついている。

 ベッドの上で2人はスペイン語で話しながらキスを始めた。

目と鼻の先で繰り広げられているレズショー。女たちの2枚の舌が絡んでいる。本物のレズではないかと思うほど激しい。

 小柄の女がペニスをさわってきた。即勃起。大柄の女が乳首をなめる。その女のバギナを小柄の女がクンニする。大柄の女がフェラを始めると小柄の女が肛門をペロペロとなめた。

 69体勢なので目の前には2人のピンク色したバギナから熱気と共に愛液のニオイが立ちのぼる。

 両手の中指と親指で2人のクリトリスをつまんでやるとフェラがバキュームに変わり、小柄の女が肛門に舌を入れてきた。気持ちいい。

 大柄の女が跨りペニスを挿入する。小柄の女が大柄の女の乳首を吸い始めた。その女のバギナに指を入れた。大きなあえぎ声を上げる女たちは射精しても激しいキスを続けている。

(日刊スポーツ「世界の下半身」より)
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex/057-aru/sex057.htm


 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスには日本庭園がある。ケーブルテレビで放映されている日本のアニメが大人気。おまけにアルゼンチンギャルは日本人男性が好きだ。

 この前まではバーにバイト感覚で売春する女の子たちがたむろしていたが、消えていた。

 バーテンダーによると夜になると街角に女が立つが、怖い系がバックにいて危険なのだそうだ。安全に遊べる相手探しはインターネットになっている。

 バーテンダーに教えてもらった女の子たちのホームページにアクセス。女の子たちの写真をチェック。気に入った女の子がいれば電話する。しかし、英語は通じない。電子辞書で場所や値段など簡単なやりとりをした。だが、写真と本人が合致しないケースがかなりある。そこで予約を数件取る。

 昼下がりである。最初の女の子のアパートはメインロードのアベニューダ・フロリダから路地を入ったところにあった。その女の子は大学生となっていたが、実際に会ってみると写真は10数年前のモノと思われる熟女が出てきた。日本式に丁寧におじぎして退散。

 次の女の子は古いアパートの4階にいた。暗い廊下のドアが開かれると部屋は陽光が差し込んでいる。女の子は若くて愛嬌はあるがセクシーさと皆無ギャル。とりあえず電子辞書で指さし会話。女の子は大きな瞳をくりくりさせて楽しそう。女の子は現役の女子大生だそうだ。

「両親は働きに出ているし。帰宅まで2時間あるから」

 プレーは時間と回数がある。1時間か1回か。そんな話をしたあと、50ドルで1回をお願いした。女の子の部屋に移動。勉強机にパソコン。壁にはアルゼンチン出身のチェ・ゲバラのポスター。女の子はカーテンを閉めないでスカートとシャツを脱いだ。白のブラジャーと白のパンティー。しかし、体脂肪の多そうな腹回り。シングルベッドで抱き合いキスをしたあとブラジャーを外す。大きなマシュマロみたいな乳房が垂れている。パンティーをずり下ろす。膀胱あたりも脂肪で覆われている。ペニスは下を向いた。

「ムーチャ・スエルテ(がんばって)」

 彼女の手コキにペニスは力を失っていく。両親の帰宅も気になり焦る。アカン。ギブアップした。女の子は気の毒に思ったのか30ドルにまけてくれた。

 いい女が相手でも男はたまにセックスできない時がある。そのことをどうにか伝えると女の子は微笑みながら金玉を思いきり握ぎりやがった。ピョンピョン跳びはねて外に出たあとしばらくその場にうずくまった。

(日刊スポーツ「世界の下半身」より。 
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex/131-ar/sex131.htm


アルゼンチン風俗情報


7 : ハアハア : 2006/07/15(土) 10:55:56 ID:s/buvk9x

アルゼンチンは立ちんぼさんいっぱいいるよ〜。
女の子もめちゃくちゃ可愛いし。ムチムチしててうまそうだよ〜ん。ハアハア。

無理やりアルゼンチンの女の子の まんこなめなめして犯したいな〜


11 : _ : 2006/07/16(日) 12:42:54 ID:yYJmgDLp

金髪娘ばかりですね。 思わずアメリカと思いましたよ。
メキシコ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ブラジルなどはいろんなタイプの娘おりますがアルゼンチーナはヨーロッパやアメリカみたく金髪白人ばかりっすね。
俺は金髪好きですからヨリドリ緑っす。グラシアス!

12 : 月9 : 2006/07/16(日) 18:19:10 ID:EfXIjnPj

アルゼンチンの女はホント最高だよ。


15 : hh : 2006/08/24(木) 11:40:46 ID:1w3kSJhe

アルゼンチンの女は美しいよね


19 : ブエノスアイレス : 2006/08/25(金) 10:15:25 ID:9+SZOy1r2005年12月17日(土)

2005年11月、私はアルゼンチンで8週間過ごしました。
ブエノスアイレスのシーンは行くに値するものでした。
Sheraton Retiroの近くのエリアで最初に探し始めました。
バーはカティーサークなどでした。
このエリアの遊び場は比較的低予算で済みましたが、美女は少ないです。
ホテルへの1時間程度のお持ち帰りで、200ARS(約65ドル)でした。

私が推奨するエリアはRecoletaにあります。
私はここで少数の場所を訪れました。
最も高価で有名なものは黒と呼ばれます。
それは入るために20ドルです。

また、性別はそうです、のように、$200-$500 USD。
また多く。

しかし、少女は最も良く見る女性です。
私はかつて見ました...
また、私は広範囲に旅行しました。
私が推奨する場所はシャンプーです。
それは入力するべき10ドルおよび性別用の100ドルの+です。
ここの少女はこの少女たちが接近している南アメリカの至る所でからです。

モデル・レベル。
概して、Recoletaに行ってください。
そうすれば、取る約6-12の場所があります。
http://unkar.org/r/21oversea/1152767287



【ラテン】復活 南米・風俗情報交換【アメリカ】


116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 17:54:31.31 ID:IfbrAn0N

ブエノスアイレスで対戦したカミーラちゃん。スタイル抜群で顔つきもエロい。

尻穴に舌をねじ込まれ、強烈な愛撫に思わず反射的に射精。

二回目は肛門への攻勢をしのいだが、フェラでイカされた。

出ている間も吸い続けられて、腰が抜けそうになった。

私がシャワーに行っていい?と尋ねると、ノーと言って離してくれなかった。
彼女のいろんなところを丹念に舐めてあげたのがよかったようだ。
別れ際、いつまでもベロチューをやめてくれなかった。
また会いたいがちょっと遠いな。


243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/06(木) 08:41:40.12 ID:ipIrFqvK

ブエノスアイレスにて、かつてひいきにしていた嬢と10ヵ月ぶりに対戦。

彼女は性格もスタイルもよいのだが、マグロ気味でエロさが足りないので、このところ別の嬢たちと遊んでいた。
フェラのテクはイクまではふつうなのだが、発射した後が抜群にうまい。ああ、そうだったと思い出した、この感覚。

最後の一滴まで吸い取ってくれて、思わず声が出てしまった。
二回戦は騎乗位で合体、正常位でフィニッシュした。1時間で200ペソ。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 11:49:09.60 ID:wwVPKtyN

お店のおばさんが「カワイイから2時間にしなさいよ」という嬢を指名。予算が足りなくて1時間半にした。500ペソ。

確かにかなりかわいかった。挿入すると同時に柔らかかったチクビがピン!と立っておもしろかった。

一発目は私が早々とイッてしまったが、二発目は二人で同時に昇天した。
しかし調子に乗って股間その他を舐めまくったら、カゼをひいてしまった。冬のブエノスアイレスでのお話です。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:06:20.31 ID:AwYATj8k
>187
また会おうと思って電話したら店のおばさんに「もういないわ」と言われちゃった・・・。
一度抱けただけでも幸せだったのかも。美人でいい匂いがして最高だったんだけどな。
また開拓せねば。

アルゼンチンは性格がよくてサービス精神のある嬢が多いので、おすすめですよ。(もちろんハズレもあります。)
危険な地域に足を踏み入れなければブエノスアイレスはそこそこ安全です。
ただし英語の得意な嬢はかなり少ないので、(少しでもいいので)スペイン語が話せた方が絶対に楽しめます。


280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 05:47:13.04 ID:Vy6mB2ZY

ブエノスアイレスにて、これまでに経験のないほど美人でスタイル抜群のパツキンポルテーニャと対戦したが、Dキス不可、股間も満足に舐めさせてもらえず、濃厚な愛撫がないのが不満だった。
ただ、すごい美人なのに足が酸っぱいニオイがして興奮。嗅がれまいとさりげなく足をずらそうとする彼女だったが、 正常位でガッツリ嗅がせてもらった。それに興奮してイッてしまった。


282 : 【19.4m】 :2011/12/02(金) 21:00:59.20 ID:mn6oWi4T

どっちがイったのか判断しにくい書き方だな。
嗅がれてしまい興奮してイったのか(女)、嗅いだことに興奮してイったのか(男)。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 06:02:48.85 ID:99xjPg/z
>>282
イったのはもちろんこの私です。たしかにどっちかわかりませんでしたね。

彼女のサービスにかなり物足りなさを感じたので、知っている別の店をハシゴ。
古い雑居ビルの一室にあるアパートで、なぜかここにはエアコンがない。

そんなに美人ではないが愛嬌のあるチーカと、お互い汗まみれになりながら昇天。
彼女は私にしがみついたまま、しばらく動けなかった。
しばらくとりとめのない話をしてからもう一度求め合ったが、二回戦は時間切れで私のほうがイけなかった。

ブエノスアイレス出身でお小遣い稼ぎにやっている美人とパラグアイ出身で生活のかかっている子と。
対照的な二人でしたが、やり遂げた感は後者のほうが大いにありました。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:03:08.20 ID:q1OihvEa

116です。
私の経験した狭い範囲内ですが、アルゼンチンの嬢はサービス精神があり、
中には自ら楽しもうというチーカ(女の子)もけっこういました。

エスコート嬢によっては英語可のチーカもいますし、Webサイトによっては表示されていたりもします。でも、スペイン語がある程度わかったほうが断然いいです。
電子辞書かスマートフォン+Google翻訳を活用してみてはいかがでしょう。

121 :天使:2011/04/28(木) 22:05:16.66 ID:uIqRvfMb

肉欲の交わりに言葉いらないのでは。
ブエノスアイレス散歩して思ったのは背の低い女性が多いなと感じた。


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:51:59.74 ID:q1OihvEa
>121
一回出しちゃうと復活するまで時間がかかるので、しゃべって間を持たせています。
一回が長持ちするといいんですが、そうではないもので・・・。
おっしゃるように小柄な女性、けっこう多かったですね。


123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 03:28:12.83 ID:PgiFx8wW
>>120
置屋?エスコート? エスコートは写真詐欺が多いから嫌いなんだよな。


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 03:30:55.08 ID:PgiFx8wW

おれが重視するのはやっぱ腰フリだな。こればかりはやらないとわからない。
いい腰の女は忘れられない。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 02:09:43.30 ID:OTucWs7x
>123
アルゼンチンはまだ写真詐欺が少ないと思いますが(ヤバいのはボカシが入っている嬢)
もちろん信頼の置ける置屋のほうがハズレが少ないでしょう。
写真じゃなくて実人物から選べますから。

(紹介時に若干のコミュニケーションがあるので、ビジュアルだけではなく性格やノリの善し悪しもある程度推測がつきます。)

ただ、来店した日時で嬢の選択肢が乏しかったり、逆に大当たりがあったり。


>124
たしかにわかりませんね。すごいパワフルな人もいますよね。


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:23:30.76 ID:X2B4FUSb

ブエノスアイレスでなじみの店を訪問したら、主人のおばさんは私の予約を忘れていた。
予約していた嬢の代わりに彼女の妹ならいるというので会うことにした。

端正な顔は姉とうり二つだが、妹の方が鼻がもっと高かった。
身長も体型も同じくらいだが姉の方が堅く引き締まっていたのに対し、妹のほうは抱き心地が柔らかかった。
姉は十分エロかったが妹はそれ以上だった。


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:25:18.44 ID:X2B4FUSbD

キスを繰り返しながら体を密着させ、腰をいやらしく動かして私の股間を愛撫する。
これが実にエロくて気持ちいい。

やがてベッドに移動。耳の穴と脇の下、足の裏が弱点らしく、なめてあげると切ない声を上げる。

股間に口をやると、自ら腰を動かし、何度も頂点に達した。

続いて攻守交代。彼女はムスコを優しく丁寧にしごきながら玉を口に含んだり、
口でねじを回すように先端をなめ上げたり、豊満なオッパイに挟んだり。
多彩な攻撃に持ちこたえることができず、彼女の口の中へ。

「いっぱいレチェ(ミルク)が出たわ。おいしかった」


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:28:44.70 ID:X2B4FUSb

二回戦は彼女が上になってひとつになった。
ゴムごしに、彼女の温かみが伝わってくる。
激しい腰使いでベッドがきしむ。やがて頭が真っ白になった。

すべてが終わったあと、頬と体を密着させて添い寝(ドルミール・クチャリータと言うらしい)。
とりとめのない話をしていたら、故郷のフォルモーサに私を連れて帰っちゃおうかしらと言ってくれた。

営業だと思うがそう言われて悪い気はしない。
1時間半のはずが2時間以上過ごした。しかし追加料金もなければ終了を督促する電話もなかった。
次回は姉にしようか妹にしようか、うれしい悩みを抱えてしまった。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 10:52:30.59 ID:L6U73RTO

値段は?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 11:38:49.18 ID:X2B4FUSb
>169
1時間半で350ペソ(約7000円)でした。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 14:13:30.94 ID:L6U73RTO
>>171
サンクス。安いね。どうやっていい店を見つけるの?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:28:31.62 ID:kB/bj1ym1.

まず、google.com.arなどでキーワードservicio escortで検索。

2. いろんなエスコート紹介サイトがヒットするんで適当に選び、よさげな嬢を探す。

3. 複数の異なる嬢が同じ電話番号を持っている場合、それは置屋の番号。
よさそうな嬢が何人か登録されている番号にかけて住所を教えてもらい、訪問。

4. 訪問時にスタンバイしている嬢からお気に入りを探し出す。
このサイクルを何度か繰り返すと、きっといい感じの店や嬢に巡り会えると思う。
ホテルに呼ぶのは楽だが、約束の時間に来なかったり、別の嬢が見られなかったり、
料金が高くなる(タクシー代が込みになる)んで、極力ドミシリオを訪ねるよう心がけている。


174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:29:50.14 ID:kB/bj1ym

事前に特定の嬢の評判を知りたければ、その嬢の名前と電話番号か何かで Foro escortなどのエスコート嬢評価サイトで調べてみる方法もあり。
うまくすれば以前に利用した人のコメントが見つかるかも。
スペイン語がよくわからなければ、Google翻訳を活用すべし。

なお、011はブエノスアイレスの市外局番で15が付いていれば携帯電話。

たとえば011-15-XXXX-YYYYなら、54-9-11-XXXX-YYYYとダイヤル(相手が携帯の場合、国番号のあとに9を入力)。

011-ZZZZ-WWWWなら、54-11-ZZZZ-WWWWとダイヤル。
いい嬢が見つけられるといいですね。
Tenga suerte!


175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:35:35.64 ID:kB/bj1ym

ところでアルゼンチンを訪ねるみなさん、アメ玉(カラメロといいます)を持参するとイイことがあるかも。

今回たまたま持っていたんで、一回戦が終わってまったりしているときに、アメがあるんだけど、なめてみる?と聞いてみたところ喜んで口に含んだ。

そのあとの展開はご想像通り。Dキスを繰り返しながら何度も口移しを楽しんだ。
彼女はほほえみながら、ひとこと。

「ケ・ロマーンティコ!」。


64 :sage:2011/01/27(木) 10:49:51 ID:zuxNb/Yt

今度ブエノスアイレスにいきます。お金はかかってもいいので、綺麗な人とHしたいのですが、エスコートサービスかバー、ナイトクラブからお持ち帰りがよいでしょうか?
おすすめのエスコートサービスや、この店に美人が集まると言った情報があればご教授ください。よろしくお願いします。

66 :a:2011/01/28(金) 01:03:48 ID:RDfW65b+

Google Argentinaに行く。
http://www.google.com.ar

そしたら

"buenos aires escorts modelos"

で検索してみる。


ちなみに、最近出たアンドロイド用の Google Translate のアプリにはSMSを翻訳する機能が付いてるので、エスコートのいろんな条件についてSMSで問い合わせとかに便利だよ。

まあ、ある程度、基本的な、あるいは、よく使いそうな文章についてはスペ語の言い回しを練習しておいたほうがいいけどね。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 06:44:00 ID:4S4Ye1KF
>64, 65
アルゼンチンではいくつかあるエスコートサイトで嬢(チーカと呼ばれる)を探してコンタクトするのが普通かと思います。
エスコートサイトの探し方は66さんのおっしゃるとおりです。
または「servicio escort」で検索かな。

これらサイトに登録されているチーカたちは、一部の(自宅等で営業している)独立系を除き、いずれもどこかの実体のある店に所属しています。 気に入ったチーカに電話でコンタクトすると、本人が出る場合もあれば、店のスタッフ(たいていおばさん)か、別の空いているチーカが応対します。 彼女の所属する店の住所を聞き出して、だいたいの時間を指定してゴーです。 目当てのチーカの予定がわからないか出勤していない場合、とにかく店を訪ねてみて、そのときに出勤しているチーカと対戦することもできます。

この場合は、パネルを見て選ぶのではなく本人が一人ずつ自己紹介してくれるので安心です。
たいていのチーカは当日にならないと出勤予定が決まらないので、当日の夕方、15時過ぎごろからコンタクトしてみるのがよいでしょう。
ただしウェブサイトの写真はパネマジが効いていることもあるので、くれぐれもご注意を。

相場は1時間200〜400ペソ(セルビシオ・コンベンショナルの場合)。
いい女が高いとは限らないのがおもしろいところです。

店の所在地さえ確認できれば、ホテルに呼ぶよりも店で対戦した方がリラックスできるしおもしろいと思います。
バスルームでシャワーを浴びていたら別のチーカが勝手に入ってきて用を足したりとか、ペットの子犬や猫がじゃれてきたりとか、のんびりしていますよ。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:32:23.07 ID:Q6CCx5UA

アルゼンチン人の人柄ってどんな感じ?


209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:22:10.94 ID:AwYATj8k
>209
例外はありますが、一般的に親切でお人好し。
相手が誰であれ、質問すれば長々と丁寧に答えてくれる。
一人一人に対してとことんまできちっと応対する感じ。
世代が違ってもバス停とかどこでも気軽に会話をする。女子高生とおっさんとか。

あと、人と人の間の距離が非常に近い。
ベシートと言うのですが、あいさつするときは、
男女、女女だけではなく男男でも頬をくっつけてチュッとやる。
ひげもじゃが多いのでチクチクする・・・。


211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:53:37.33 ID:Q6CCx5UA
>>209
なるほど。南米の平均って感じですね。アルゼンチン人は欧州人に近いみたいな話を聞いたことがあったんで、もう少し堅苦しいのかな、と思ってた。

アジア人に対する差別みたいのはどうですか? 
特にお姉さんのアジア人男に対する態度は?
特にナンパとかできそうですか?


214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:35:35.15 ID:AwYATj8k
>211 >212
アジア人に対する差別は少なくとも私の周辺ではまったく感じないですね。
ナンパはどうでしょう。話し掛ければ無視されることはなく、用件は聞いてくれるはずです。
その先に進めるかは運次第。道ばたに立って歩行者に話し掛けるよりも、 信号待ちやバス停などでさりげなく話し掛けるのがよいと思います。
アルゼンチン人は男女を問わずおしゃべりが多いので、 黙っているよりはしゃべってあげたほうがポイントが高いです。


213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:20:17.48 ID:gJoaaLNW

ブエノスのなじみの店の住所を教えてください。
ブエノスには何度か滞在したことがあり、今後また行く予定がありますので。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:47:45.57 ID:AwYATj8k
>213
私がよく行くのは2軒です。

一軒目はサンタフェ通り沿い、セリート(9 de Julio)との交差点近くの大きな商業ビル内5F(9 de Julioを向いて道路右側)。

もう一軒はコリエンテス通りのモンテビデオとロドリゲス・ペーニャの間の古い雑居ビル内3F(9 de Julioを向いて道路左側)。

ただし、どちらも看板は出ていません。事前に来意を電話で告げる必要があります。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:57:11.83 ID:gJoaaLNW
>>215
ありがとうございます。電話番号も教えていただけたらありがたいのですが。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 12:17:49.65 ID:AwYATj8k
>216
すみません、下四桁で勘弁してください。一軒は6815(携帯)、もう一軒は2444です。
あとはインターネットで探せばきっとわかるはずです。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 14:56:07.05 ID:cxLSUU7G
>>203
サウナハウスでいいんじゃない。 ボアッチはカフェホトで。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1290836608/


ブエノスアイレスのボアッチとクラブの地図
http://www.argentinaprivate.com/maps/jacksonsmapbook.html

ラブホテルのリスト
http://www.argentinaprivate.com/forum/showthread.php?2640-Jackson-s-Transitorio-List

ボアッチとクラブのリスト
http://www.argentinaprivate.com/forum/showthread.php?1702-Jackson-s-Clubs-and-Boliches-List

Servicios Eróticos Capital Federal - Vivavisos
http://capital-federal.vivavisos.com.ar/escorts-masajistas

servicio escort - Google 検索
http://www.google.com.ar/#output=search&sclient=psy-ab&q=servicio+escort&oq=servicio+escort&gs_l=hp.3...2170.5177.0.5529.2.2.0.0.0.0.135.250.0j2.2.0....0...1c.1.23.psy-ab..2.0.0.yN9xVgJiQwo&pbx=1&bav=on.2,or.r_qf.&bvm=bv.49967636,d.dGI&fp=5d489e91f0b3bd5&biw=1067&bih=919



43. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:22:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[424]

タンゴ「ラ・クンパルシータ」
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BF
https://www.youtube.com/results?search_query=La+Cumparsita
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13250938/videoExplorer

ティート・スキーパのタンゴ全録音
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12722887


44. 2015年12月23日 11:57:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[426]

奇跡は奇跡では無かった話


独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!

 自称キリストことナザレのイエス(34)の行っていたデタラメな「治療」については,エルサレム市警察の調べによって次第に明らかになりつつあるが,当誌はイエスの逮捕直前に教団を離脱,裏切り者と激しく教団から非難されていた実業家,イスカリオテのユダ氏 (48) の単独インタビューに成功した。教団幹部としてイエスの「治療」にも深く関わり,事件の鍵を握ると考えられていたユダ氏だが,このインタビューの後極度の鬱状態に陥り,自殺も数度にわたって図ったという。同氏はなおも証人としての尋問は不可能な容体であり,このインタビューは事件についての同氏の事実上唯一の証言となっている。

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―――ナザレのイエス氏は手のパワーによって病気を直すと公言していますが。

ユダ「それはデタラメです。すべてカラクリがあります。あれは人々を信用させてより多くの布施を集めるための一種のショーです。」

―――布施を集めたのですか?

ユダ「もちろんイエス自身が集めるわけではありません。布施を集めるのはマタイとレビの役目でした。彼らは以前収税人をしていましたからお手のものです。金の無い者からは着物や毛布まで取りたてて,顔の知られていない弟子が金に換えました。そのために寿命を縮めた患者も少なくありません。」

―――らい病を直したというのは本当ですか?

ユダ「仲間の一人でルカという医者がいるのです。その男にまず患者をらい病と診断させます。そこへイエスがやってきて,手で触れたりかざしたりして,治ったと宣言するわけです。その通り患者はぴんぴんしています。元々らいなどではなかったのですから。」

―――歩けなかった病人が歩けるようになったのは?

ユダ「エルサレムの街を歩いてごらんなさい。いざりの乞食は五万といます。しかし奴等は本当に歩けないのではなく,商売のために歩けないふりをしているだけです。ですから銀貨の1枚も渡せば偽の奇跡に協力させるのはたやすいことです。盲を見えるようにしたというのも,中風患者が治ったというのもこのやり方でした。」

―――しかし,本当に治ると信じてやって来た患者もいるのでは?

ユダ「もちろん,噂が広まれば治療を求めて多くの人々がやってきました。もちろんイエスに彼らを直す能力などありません。しかし,人間本気で治ると思えば治ってしまう病気もあるのです。また,単に貧しくて薬や食べ物がないために病気になった患者は,ルカや私が薬や食べ物を与えれば一時的にでも軽減します。そうやって自分の力で治ってしまった患者は,イエスの力で直してもらったと思い込み,また噂を広めます。治らなかった患者は信仰が足りないとか悪魔が憑いているとか言っておけば,民衆は他愛なく信じるものです。」

―――イエスの力ではないとは言え,治ったのなら結局良かったのでは?

ユダ「しかしその後でマタイとレビが法外な布施をふっかけるのですよ。イエスに脚気を直してもらったと思い込んでいる一人の漁師からは(実は単に食物のバランスが偏っていただけなのですが),商売道具の網や舟まで奪ってしまいました。これだけは置いていってくれと泣き叫ぶその漁師の妻と子を足蹴にするマタイと,右の頬を打たれたらほかの頬も差出せというようなことを冷たい笑みさえ浮かべながら話すイエスの姿は今でもこの眼に焼き付いています。漁師は現在もイエスの弟子のはずですが,漁師の妻はガリラヤで売春婦に,子供たちは物乞いになりました。」

―――あなたがイエスのもとを離れたきっかけは?

ユダ「裏切り者にされかけたからです。ある日イエスの悪辣なやり方に嫌気がさした私が,いくらなんでもそれはひどいのではないかと苦言をしたところ,その日の晩餐で私は名指しで裏切り者と呼ばれました。ちょうどマグダラのマリアの事件で教団の結束が緩みかけていたところでしたので,イエスは私をスケープゴートにしてたがを締め直そうとしたのです。私は身の危険を感じ,このままでは自分も熱心党のシモン(彼はイエスの命令ですでに数人の弟子を抹殺していました)に殺されると思ったので,逃げてきたのです。」

―――マグダラのマリアの事件とは?

ユダ「イエスの愛人でマグダラのマリアという女がいます。秘密ということになっていますが,位の高い弟子たちはたいてい知っています。ところがある日,彼女がイエスに香油を振り掛けているとき,たまたま居合わせた,真面目だが鈍い一人の弟子が彼女に,そんな香油を買う金があったら貧しい人に与えてはどうかと言ったのです。この男は彼女がイエスの愛人であることを知らなかったのです。マリアは馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていただけでしたが,イエスは烈火のごとく怒って(イエスは香油を振りかけてもらったあと,弟子たちを部屋の外に出してマグダラのマリアにマッサージをしてもらうのが日課でした。)その弟子を破門にしたのです。おそらく彼は今ごろゲネサレ湖の底に沈んでいるでしょう。」

―――銀貨30枚を受け取って裏切ったというのは本当ですか?

ユダ「祭司長の使いと名乗るものが銀貨30枚を持って来たというのは本当です。しかしそれはイエス一派の陰謀で,私が金のために教団を裏切ったと言う風説を広めるためだったのです。実は金を持ってきた男というのは弟子の一人マルコの遠縁に当たる者で,最近信者になった男でした。彼らは私がその男を知らないと思って使者にしたのですが,私はおかしいと気付いたので突き返しました。教団は私が金を受け取ったと機関紙やパンフレットで宣伝していますが,事実ではありません。」

―――イエスは逮捕されましたが,教団がイエスを奪還する可能性は?

ユダ「おそらくないでしょう。イエスのわがままには教団幹部も困り果てており,内紛の原因にもなっているほどです。おそらくそのまま死刑にして,何か奇跡が起こったという話(例えば殺されたイエスが復活したのを見たとか)を作り,教団の結束を固め,存続を目指す方向に進むでしょう。悪知恵の働くヨハネあたりを中心にもう動いているんではないでしょうか。古株のペテロあたりは反対するでしょうが,彼は気が弱いですから。」

―――教団はイエスが逮捕されたのはあなたのせいだと非難しています。死刑になったらいっそう攻撃は激しくなるのでは?

ユダ「構いません。その血の責任はわたしとわたしの子孫の上にかかってもよいです。」
http://www.geocities.jp/tsume291/christ.html  


45. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 11:58:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[427]

奇跡は奇跡では無かった話2

ユングに易を伝えた宣教師・ヴィルヘルム


ユングにコイン占いを伝達した、ヴィルヘルムという宣教師がいました。彼は宣教師でありながら、その立場からは反する考えと行いをもって活動した人物です。

  その行いとは、「キリストは絶対なのか」という問いを提起したこと。奇跡と呼ばれる救いを施す者やそれを求める信者をエゴイズムであると批判したこと。そして、自身は人々に一切の洗礼を行わなかったことです。そしてその一方で、現実に起きている問題を解決すべく活動し、実際に成果をあげています。

  組織のやり方から外れた人間としては当然の如く、ヴィルヘルムは教会から反発され、孤立し、最終的には牧師を降ろされることになります。

  しかし、彼ほど真の意味で神の世界を生き抜き、本来の意味での伝道活動を行った人間は他にいないのではないでしょうか。

  そしてヴィルヘルムのこうした真実への探求心が、コイン占い発掘という偉業をも果たす結果にに繋がります。

ヴィルヘルムは宣教師として中国に渡り、コイン占いの素晴らしさに気づき、持ち帰ってユングに渡した人です。

  聖書でも禁じられていると言われている占いに、彼はどういう視点で接していくのでしょうか・・・

  私にとっては大変に面白いです。

 主人公であるヴィルヘルムはヨーロッパに育ち、そこはキリスト教しか無い国でした。

 ですので他の宗教と比較したこともありません。

 彼の仕事は、植民地化しようとした地域に、キリスト教を布教するのが目的です。

 彼は中国に着くまでに、インドとかタイを経由します。そこで他の宗教に出会います。

 そこで彼は大変な問いを持ちます。

 「キリスト教は相対的なのではないか・・」ということです。

 しかし他の宣教師はそういう問いは持ちません。キリスト教は絶対だという答のまま、布教しています。彼らは先生であり、中国人は生徒でした。

 なぜ相対的だという視点に立てたかと言うと、神がこの世を作ったのなら、すべての宗教に神がいるはずだと思ったからです。

 この言葉の裏には、「神は相対的」ということも、感じます。

 「キリスト教は相対的」・・・頭で考えるのは、簡単です。言葉で言うのも、簡単です。

 しかし、これを言ったヴィルヘルムは本当にそう思ったのです。すごいことだと思います。それは何度書いても書き足りないほどです。 ヴィルヘルム は神学校で「宇宙はどうなっているのか?」というような問いを発して、周りの人を困らせたそうです。

 彼は「易経」の中では神という言葉を使わずに、天という言葉に変えています。

 意志のある存在から、意志の無い存在に変わったのではないかと思います。
 そうでなければ「易経」を研究できないような気がするのです。神に意志があれば、それを探ろうとする易は、神への冒涜につながると思うからです。

 おそらくヨーロッパ人でコイン占いの踏み絵を踏めたのは、ヴィルヘルムが最初だったのです。

癒されるためにキリスト教に入るのは、エゴ

 ヴィルヘルムの妻の父も牧師でした。しかしその父の父、すなわち祖父は、超能力者に近かったのです。

  まるでイエスでした。手をかざせば、難病がどんどん治ったのです。

その癒しを求めてヨーロッパ各地から毎週何百人という病人が集まりした。教会 は、病院と化しました。

  相変わらず病気はどんどん治ります。

  村中の家が、病人の泊まる場所として開放されたくらいです。

  そのため、大きな温泉宿を買い取り、そこで礼拝と治療をしました。

  祖父が死ぬと、その役は父(祖父の次男)にきました。でも本には次のように書かれています。

 問題となったのは、祖父によって悲惨から救われた人たちが、祖父の死を悲しみ、もはや魂の慰めと肉体の癒しが得られなくなることを嘆いたという 事実であった。子ブルームハルト(父)は、ここに信仰を持つ人間のエゴイズムを見た。そしてそのようなエゴイズムが、結局はキリストの敵であるこ とに気づいた。

彼は人間が被害者であるばかりでなく、神の国の到来を妨げている加害者であることを知った。自分を被害者であることを理解するこ とにより無責任となり、さらには放漫になることを発見した。

  キリスト教が宗教となり、制度を持ち、教会となったときに、それは神の救いを自分の所有とするエゴイズムの施設となる。

 イエスが癒しを与え、病気を治したのは有名です。それをも批判するような彼の考えは、当然教会から批判されます。そして彼は一時、牧師から降 ろされます。
  でも私は彼の考えは、すごいと思います。

  宗教が始まるとき、教祖の多くは超能力を発揮します。それが「売り」になり、信者を集めます。

  信者は、癒しが欲しいです。それを、エゴだと言ったのです。

  「神の恵み」などという言葉を、口にするなとも言います。

  この考え方の裏には、神は沈黙して当たり前・・という概念があります。
  すごいです。

ヴィルヘルムは結婚するのですが(彼はプロテスタントなので結婚できます)、最初に中国に赴任するときはヴィルヘルムだけが単独で行きます。

そしてヴィルヘルムが手紙でやりとりするのが妻の父、ブルームハルトなのです。 
 ヴィルヘルムの手紙も面白いですが、ブルームハルトの返事も面白いです。
 中国でのコイン占い発掘は、この二人の偉業かも知れません。

洗礼を受けようとする者は何を得たいのか

  ヨーロッパ列強が中国侵略に積極的に乗り出したとき、義和団事件というものが起こります。

  中国人が暴動を起こし、ドイツ駐留軍にも攻撃が始まりました。しかもそれは植民地政策の一端を担う宣教師にまで向けられました。

  それに対抗して、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、反抗する中国人は皆殺しにせよという命令を出し、戦場は残虐な結果になりつつありました。

  ヴィルヘルムはそのとき、中国服に身を固め、一番の激戦地に向かい、ドイツ軍と中国反乱軍の仲介役となり、まず中国反乱軍を説得し、それを持 ってドイツ軍行き、無抵抗な中国人には一切攻撃しないことを約束させたのです。

  こうして中国側からも大変な信頼を勝ち取りますが、そのときドイツの教会側は、この期に乗じて信者を増やせというようなことを言ってきたのです。

  なぜならこの政治的成果を利用して、ヴィルヘルムは中国人たった一人すら、洗礼をしていなかったからです。

  これに対してヴィルヘルムは協会側に次のように反論します。

  「この地の現在の状況にかんがみて、洗礼を施して信者を作り教区を設定することは、もってのほかだと考えます。私たちは水による洗礼という儀 式には何の霊的な力もないことを良く知っています。」

  「私たちが洗礼を施し、信者と非信者の間に差別を設けたならば』という言葉も使っています。

  「これは外面的な形式などの問題ではない。いつかは霊的な洗礼のみが問題となる時が来るであろう」とも言っています。 そして本の著者は次の ように言っています。

  ヴィルヘルムが山東省の内陸で中国民衆とドイツ軍の間に立って、民衆の悲惨を力の及ぶ限り少なくしようと努力したことは、ドイツにも伝えられ て教会本部から賞賛され、新聞にも報道されたが、彼の目指すところは、もとよりそのような次元にとどまるものではなかった。義父ブルームハルト もヴィルヘルム宛の手紙の中で繰り返して「平和のための軍備」の欺瞞を説き、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の世界戦略を批判し、ヨーロッパ文化と キリスト教を東洋に伝えるという口実の虚偽以外の何物でもないことを指摘してした。そしてキリスト教会が地上の利益のために働いていることを非 難して、ヴィルヘルムが中国でなすべきことは、中国人をキリスト教化することではなく、キリストの精神を自分のものとして中国人と共に生きること だ、と言い続けてきたのである。

   こうして本の中には、「洗礼の下心」という言葉まで出ます。戦いの中に飛び込み、和平のために動いたのは、洗礼の頭数が欲しいからではなか ったのです。

  本来の伝道の姿というのは、ヴィルヘルムのようなやり方だと思います。

  私には、キリストよりもすごいのではないかと思えます。

洗礼が差別だというのは、まったくその通りです。神の名の下に生きる者がいたとすれば、その人を洗礼をしようがしまいが、関係ないはずです。

逆に言えば、洗礼を受けようとする者は、何を得たいのでしょうか・・・ヴィルヘルムの話を読んで、そんなことを考えました。

  神と共に生きれば、洗礼も教会も必要ないはずです。

  ヴィルヘルムは、彼に洗礼を頼みに来る人に、そういうことを言うのです。彼が実際に洗礼をする場面は、出てきません。

  しかも、おそらくヴィルヘルムは、難しい言葉でその宗教を語りません。
  自分の生き方を見せるしかないのです。

  彼を頼ってきても「うちの教会ではあなたの面倒は見ないからね」などとも言います。

  これは本当に洗礼が必要になったときは、中国人は中国人の牧師が洗礼をすべきだという考えがあるからです。

  本来の宗教の姿に、初めて接したような気がしました。

  ところでヴィルヘルムという人は、三次元の問題解決に翻弄する人なのです。神の救いを待つ人ではありません。

  それは「神は沈黙していて当たり前」とういう前提があるからだと思いました。


ヴィルヘルムの孤立

  ヴィルヘルムが「福音の伝道」とは中国人と共に正しく生きることであると考え、ヨーロッパ人の考え方や信仰を中国人に押しつけることが真の福 音の精神に反し、イエスの教えに背くものであると確信していたことは既に繰り返し述べたが、このような彼の姿勢が仲間の宣教師たちにとって不 快であったことは言うまでもない。すでに外形的な洗礼が無意味なだけでなく有害であることを指摘し、中国人をキリスト教化し、彼らを教会の一員 にしようという意図を持つ一切の行為を否定したことは、フォスカンプ牧師を代表とするベルリン伝道協会会員を始めとして、各派の伝道師たちの激 しい反発を買ったばかりでなく、ヴィルヘルムの属する中国支部でも大問題であった。

  これを読むと、神に生きることとは、いったい何だろうと思います。

  考え方の変わった人は、組織では反発をくらいます。ヴィルヘルムは学校を作ったり病院を作ったり、暴動を鎮圧したりと、三次元の世界での成果 をどんどんあげます。

  だからヴィルヘルムが何を言っても、面と向かって反論するのが難しいです。
  でもそれが逆に嫉妬を生み、反発を買います。

  伝道師ですら、嫉妬し、反発するのです。
  それはそうです。洗礼を有害だと言うのですから・・・
  他の牧師は、その有害なことを行っているのですから・・。
 
  ヴィルヘルムという人は、超越しているような気がします。彼は彼の神の世界を、しっかりと生きています。

  こういう宣教師がいたというのが、私を勇気づけさせてくれました。
  こういう宣教師が占いに関わったということが、易に対する見方を広げさせてくれました。


伝道者の思いこみからの解放

  
 本の抜粋です。義父であるブルームハルトの考え方について書かれています。
 資本主義国家の帝国主義的侵略と手をつないでキリスト教の勢力を伸張しようとする伝道方針は、ブルームハルト(義父)の目から見てもヨーロッ パの世俗化した教会のパリサイズムの現れであり、キリストの本来の精神に著しく反するものであった。

 ブルームハルトはキリストの精神を弱者・罪人と共に生きる「愛」の精神と捉えており、その精神の生きるところでは、キリスト教徒とか仏教徒とかい う外形的な相違は問題とならず、すべてが平等に「神の国の子供たち」であった。彼にとっては、キリスト教徒であることを特権と心得ている偽善者 よりは清らかな心をもって生きている異教徒の方がはるかにキリストに近い存在であり、そこに「神の国」実現に向けての種をまくことこそ、伝道の 本来のあり方でなければならなかった。そしてそれは、自らの生を通してキリストの愛を実現すること以外の何物でもなく、言い換えれば、彼らと共 に生きることのほかにあり得なかった。
 ごく当たり前のことが書かれているのですが、こと宗教に限っては、なぜこれを言うのに、勇気がいるのでしょうか・・・

 布教という行為も、ものすごくエゴではないかと思えるようになりました。

 義父がこのような考えだったことも、ヴィルヘルムを勇気づけたのでした。 再び本文です。今度はヴィルヘルムについてです。

 現在の中国は、中国人の力によってしか救うことができず、物質面のみならず精神面においても、外からの援助による救済などはあり得ないのだと いう認識が、キリストの精神しか全人類を救済するものはないという伝道者の思いこみから、ヴィルヘルムを開放し始めたと見てよいであろう。福音 の伝道の役割が「中国古来の文化に新しい生命を盛る」ことにあるとするのは、いわば中国におけるキリスト教の伝道のあり方を、一方的な宗教か ら相互的な理解と寄与の営みに、質的に転換することである。

 ヴィルヘルムはこの認識によってこれまでのキリスト者としての自縄自縛から自由になり、自分自身の道を歩みだしたと言えよう。

 遠藤周作の「沈黙」の舞台にヴィルヘルムとかブルームハルトが登場したら、いったいどういう行動を取ったか、実に興味があるところです。


ヴィルヘルムと日本兵

  いよいよ第一次世界大戦が始まりました。

  それはヴィルヘルムにとって初めての「日本体験」とも言えるのです。だって日本はドイツに宣戦布告して、ヴィルヘルムはドイツ人だからです。 いよ いよチンタオ(青島)が戦場になるときがきました。

 チンタオが拠点だったヴィルヘルムですが、家族を北京の行使館区の避難所に預け、彼ひとりで、負傷者出た場合のための収容所探しとか、看護 婦の確保に奔走します。

 そしていよいよ日本軍のチンタオ攻撃が始まります。

 ヴィルヘルムは日本軍の戦争の仕方に疑問を持ったりします。兵士に状況判断をさせる暇なく突撃をさせたり、最後に負けがわかると自害したりするのを特異な目で見ます。

 ヴィルヘルムは日本兵が落とした日記を手にし、日本語が分かる人を捜して全部翻訳するのです。そこが本に紹介されています。

 日記には家族の別離とか、友達とのこととか、戦友たちとのことが書いてあります。しかしヴィルヘルムが疑問に思ったことがありました。それはこんなふうに書いています。

 『注目に値するのは、この日記の中には、なぜ戦争に行こうと思ったのか、何のために戦うのかについて、何の考えも記していないことである。彼は志願した・・それだけで十分なのだ。あとはその場その場の状況にのみすべての関心が注がれる。ここから軍歌調の民謡が作れそうな感じである』・・と。

 ヴィルヘルムはしっかりと日本人を分析しています。ちょっと読むと、日本人である私は恥ずかしくなります(笑)。ヴィルヘルムが信念を持って生きているのに、この日記を落とした日本人には信念が無いと・・

 しかし・・・

 その後、これが武士道としてアメリカに伝わり、武士道ファンを作ってしまうことに、ヴィルヘルムはまだ気が付いていません(笑)。

 状況の中に入ったら、その戦いだけに生きるのが、武士なのです。

(ただ、ヴィルヘルムが日本人を理解できないようなことを書いているのですが、それはおかしいと思いました。なぜならヴィルヘルムは、道教の無為自然を、理解したつもりになっているからです。日本兵は、無為自然だったと思います。ヴィルヘルムは、中国で実際の無為自然を体験しなかったのではないかと思います。)

  いよいよ日本軍の猛攻撃が始まりました。ドイツ軍は絶望的な防衛戦を戦い、一週間持ちこたえて、降伏しました。

日本軍の死者は17000人、ドイツ側の死者は150人・・
(日本軍は100倍も死んだのです。それで勝ったのか・・??)

 その後、日本軍の占領統治が始まりますが、ヴィルヘルムは難民の救助に奔走し、再び学校を始めるまでになります。それが功を表し、ドイツのすべての建物が接収されたにも関わらず、ヴィルヘルムの教会は残ったのです。

 その後のことは、本にこう書かれています。

ヴィルヘルムを囲んで催す色々な会やお祭りに、そのうち日本人の将校やその家族も参加するようになりました。ヴィルヘルムの身体から何か暖かい「気の流れ」とでもいうものが周りに発散していき、それが自然に征服者である日本人までも包み込んだかのようである。この頃の彼の気持ちは、次の文章に良く表れている。

『私たちが心の中で常に平和の来ることを願い、その時のための心の準備として、他者に対するすべての盲目的な憎しみを消し去ることが大切だと思う。これが平和の実現に私たちの側から協力することのできる唯一の道なのだ。

この視点はまた、他者を批判しようとしている時にも、囚われを解いてくれる。敵意や悪意の表出を、すべて変わる余地のない事実として釘付けにしてしまうと、腹立たしい気分からいつまでも抜けだすことができない。だが、相手もまたもう一度考えを変えなければならないだろうという観点から万事を眺めれば、相手の間違った考えと一緒にその人間まで地獄に放り込む必要はなくなるのだ』

日本軍の人々はヴィルヘルムに対して次第に好意と尊敬を抱くようになっていった。その証拠に、彼らは日本本国の政府の方針を無視して、独自の判断でヴィルヘルムの家族にチンタオ滞在を許可したのである。

  ドイツ人はすべて国外退去でした。しかしこの内示をうけてヴィルヘルムは非難していた家族を呼び寄せるのです。
 
  最後のくだりを読んで、「おお、日本人もやるじゃん」と思ったのでした(笑)。 この章の終わりに著者は書いています。

『ヴィルヘルムのおかげで「最後の一瞬において善となりえ」た人も、決して少なくなかったに違いない』・・と。

 神に生きるというのは、こういうことだと思いました。

 ことさらに神を言葉として語り、洗礼などをしていたとすれば、日本軍はどう感じたでしょうか?

 ヴィルヘルムは相手を知るということに興味があったので、相手を洗礼するとそれは「知ること」の逆になるのでしょう。

 しかしそんな気のない宣教師ヴィルヘルムに接した日本兵は、おそらくドイツ人に対しても敵ではなく、同朋のようなものを感じたと思います。


ヴィルヘルム最終章

  ヴィルヘルムの所属していた統合福音派海外伝道協会はヴィルヘルムに対する費用負担をうち切ることになり、結局ヴィルヘルムは牧師をクビになりました。
  しかし彼は、牧師の肩書きなど無いほうが、本当の伝道活動ができると答えました。

  本には次のように書かれています。

  牧師という身分をこれほどまでにあからさまに無意味なものと明言したのは、この時が初めてである。キリスト教者としての精神に徹すればキリスト教という形式を超越するという認識が、ヴィルヘルムの意識と行動にようやく明瞭な姿を見せ始めたわけである。彼の到達した境地をもっと突きつめていうならば、キリスト教という形式を超越することが、真の意味でのキリストの精神の伝道なのだ、ということになろう。

  最後に中国を去るとき、ヴィルヘルムは次のように書いています。

  『新しい生き方の創造は、決して混合宗教を作ることではない。私たち自身の血とも肉ともなっていないものを宗教の名において他民族に強要することは止めなければならない。天然自然の理として私たちみんなが持っているものだけが、生命を持っているのである。無理なものや押し付けられたものには、何の力もない』

  これを受けて著者は次のように書いています。

  『ヴィルヘルムが「北京の宵」をあのような自信に満ちた言葉で締めくくることができたのは、「易経」ドイツ語版の完成という成果をふまえていたからであった』・・と。

  そして本はここから「易経」の説明に移ります。 さて、私はこの本の著者に対して腹の立っていることがあります。

というのも、著者はコインを振っていないと思うのです。

  著者はこの本を作るに当たって資料を入手するのにどんなに大変だったかということを本の中に書いています。ヴィルヘルムに対する著者の思いも、もちろん書いています。

  しかしあとがきまで含めて私が読んだ中にはコインを振ったところはありません。

  ヴィルヘルムが帰国しての報告会にユングが出て、そこで行われたヴィルヘルムの易の実演を見て、ユングは感動したと書いてあります。

  この本は、東大の比較文化という学科の授業に使った冊子をまとめたものです。

  おそらく東大の授業でもコインは振られなかったと思います。

  著者はひょっとするとコインを振ったかも知れません。しかしそれを書けなかったのは、たぶんプライドだと思います。知識人としてのです。ヴィルヘルムは「外」から中国に接することを嫌がりました。中国人と一線を画して布教するのを嫌がりました。まさに「内部」に飛び込んでいきました。その結果が、おそらく「易経」なのです。

キリストを、キリストだということだけで、崇めなかったのも、ヴィルヘルムの持つ性質だと思います。

  ユングやヴィルヘルムの研究者たちが自らコインを振ったのは、私は『不思議の友10』で紹介した秋山さと子さんしか知りません。

  別にそれが原因ではないと思いますが、秋山さんはユング研究所から追い出されます。

  ヴィルヘルムも牧師をクビになります。

  真っただ中に飛び込むというのが、いかに大変なことか、わかります。

  自分の価値観をしっかりと持ち、イエスや釈迦であろうが、ただそれだけでは崇めるのを止め、自らの体験に根ざしたことをよしとするヴィルヘルム・・・

  これが、「時空の最初から決まっていた」と一言でぶった切れない私です。

湯浅泰雄という人の書いた『ユングと東洋(上下)』の中にもコイン振る場面は出てこないばかりか、ユングが易に凝っていたことすら、出ていません。
もちろん私も最初は六爻占術をまったく信じていなかったのですから、人のことは言えません。

  しかし、内部に入り、共通体験をするというのは、本当に大変なことなのです。

  ユングがヴィルヘルムから多くを吸収したということだけで、やはりただ者ではありません。

  あの日本兵の子孫である私に六爻占術が渡り、彼のことを取り上げた『不思議の友』が出ることを、ヴィルヘルムは予想したでしょうか・・・

  しかしヴィルヘルムは、人のために生きたのではないと思います。自分のために生きたから、一人も洗礼をしなかったのだと思います。
http://www.moritaken.com/goroku/goroku01/02.html


46. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 12:00:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[428]

奇跡は奇跡では無かった話3


イエスやヴィルヘルムの妻の祖父が易々と治した難病とはヒステリーの事


欧米ではキリスト教道徳に由来する『女性のセクシャリティ(身体)の罪悪視』と『男性の性愛のダブルスタンダード』というのが女性を家庭・婚姻に位置づける上で大きな役割を果たしていました。

キリスト教にせよイスラームにせよ、父権宗教(男性的宗教)では『女性の性愛・快楽の抑圧と罪悪視』が必ず教義と宗教共同体の性規範に組み込まれており、男性の女性に対する性的欲求(独占欲)が女性へと投影されることで『女性の誘惑・媚態』が想像的に指弾されていました。

ヨーロッパやイスラーム圏の信仰心が頂点に達した中世は、男性にとってはともかく女性にとっては特別な身分・権力を有する女性を除いては『暗黒の中世』であり、共同体の性愛(男女関係)の秩序やルールに違反する女性(自由恋愛・売春・不倫)は『魔女』として弾圧されたり、性被害を受けた女性が逆に『一族の恥・男性をみだりに誘惑した』として処罰されるというような男性原理の理不尽な裁定が罷り通りました。

現代社会においてでさえも、性犯罪の二次被害として『女性の落ち度・誘惑・気の緩み』などを不条理に批判する声の問題が残っているわけですが、中世〜近世のヨーロッパの共同体では『婚姻関係・生殖目的のセックスのみが正常』という宗教的価値観が非常に根強く(この考え方は現代の一神教の根本主義としても見られますが)、結婚していない女性が性行為をすればそのすべてが『女性の誘惑・不貞・落ち度』として非難される風潮があったのです。


今から考えれば論理も説得力もない無茶苦茶な話なのですが、『女性の身体・快楽の罪悪視(女性は男性を誘惑して神の道を踏み誤らせる存在)』と『結婚の秘蹟によるセックスの認可(性愛の罪の赦免)』という父権宗教の伝統規範によって、女性は結婚しなければ性行為をしてはならないし、結婚したとしても身体的な快楽を感じることは禁じられていたのでした。


異常なまでに性道徳が厳格化した18〜19世紀(特に英国ヴィクトリア朝)では、どのようにして罪深い快楽を体験せずに生殖目的のみに限定したセックスができるのかを真剣に思い悩み、教会では聴罪司祭に自分がどのような性行為をしているのかを打ち明け、その性交の方法が罪に当たらないのかを恐れていたのでした。

性的エネルギーである“リビドー”の過剰抑圧、特に女性(淑女)は一切の性的快楽を感じてはならず、性の欲望も抱いてはいけないという抑圧が、『心因性のヒステリー』の原因となり、S.フロイトの精神分析の病理学・治療法へとつながっていったのでした。


基本的には、17世紀頃までは男性も結婚しなければ一切の性行為ができないとされていたようですが、性欲の抑圧で血気盛んな『青年集団』は、村落共同体の『大人集団』の管理下に置かれていたものの、時に暴行事件や性犯罪事件などを起こしても若気の至りとして重い処罰を科されることはありませんでした。


青年は『結婚』というイニシエーション(通過儀礼)を経験しなければ、『大人集団の正規メンバー』として認められず、合法的・倫理的に『女性との性関係』を持つこともできないという厳しい制限があったので、青年たちの結婚に対する動機づけは非常に高いものとなりました。


また、男性の場合は19世紀に近づくにつれて淑女(良妻賢母)と娼婦を巡る『性愛の二重基準(ダブルスタンダード)』が許されるようになっていくので、家庭内での妻との性的快楽は宗教的に禁圧されていても、家庭の外で娼婦から快楽を得ることが『マッチョリズム(男権主義)』のステイタスになっていたという経緯もあります。

20世紀前半までは、男性だけ『生殖のための性行為』と『快楽のための性行為』を区別できる二重基準が許されており、女性には『婚姻を前提とする生殖のための性行為』か『婚姻規範に違背する自由な娼婦』しか許されないという圧倒的なセクシャリティを巡る男女の格差(差別)が残っていましたが、淑女は性的な関心や快楽への意志を持たないものとされていたので、社会規範上はそれでも問題がないと考えられていたのでした。


17世紀までは暴力と処罰によって女性の性・身体は厳しく管理され、18〜19世紀初頭にはジェンダー教育と宗教的な敬虔さの内面化によって女性の性・身体が抑圧されることになります。17〜19世紀のゲマインシャフトの社会では、女性には『聖母(良妻賢母)』か『娼婦・魔女』かという社会的偏見に基づく自己規定しか無かったというのが、女性の社会的・宗教的抑圧の重石になっていました。
http://charm.at.webry.info/200912/article_7.html

S.フロイトの創設した精神分析は、イギリスのヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)の余りに厳格過ぎる性道徳へのアンチテーゼとしての側面を持っており、19世紀のヒステリー(神経症)は性的な欲望や身体を罪悪視する社会的風潮(世論の圧力)と強い相関を持っていた。

現代からは想像できないことだが、近代ヨーロッパの黎明期には『女性の身体』は美しさや華やかさと結びつけられずに、罪深さ(恥辱)やはしたなさと結びつけられており、とにかく社会の中で女性の身体(肌)を見せることはタブー視されて抑圧されていたのである。

笑い話のようであるが、ヴィクトリア朝の貴婦人たちは『椅子の脚・テーブルの脚』を見ると不埒な性行為をイメージさせるということで、そういった家具の脚にカバーを掛けたり、設計段階でできるだけ脚の見えない家具を作ろうとしたりしていた。

ヴィクトリア朝の英国人はその意味では究極の妄想的な“脚フェチ”であるようにも思えるが、それは現代人が『女性の脚』を性的刺激として余り意識しなくなる程度に、社会(他者の視線)の中で脚を露出するファッションが一般化したからである。

現代でも、極端に丈の短いミニスカートや肌の多く見えるファッションを『道徳的に好ましくない』とする価値観は残っているので、女性の脚と性的刺激のイマジネーションを結びつける感覚が完全に消えたわけでは当然ない。しかし、全体的な傾向として近代以降、社会における『女性の身体性の解放』は留まることなく進んできたと見ることができるし、そのことは女性の身体の所有権が『男性社会・家長』から『女性個人』へと移行してきたことを示している。


各種の社会的格差はあっても『男女同権』は今では当たり前のことのように思われているが、19世紀後半に至るまで、女性は自分の身体に対する所有権すら男性並みに保障されていたわけではなかった。

女性のファッションの自由というのは、自分で自分の身体の見せ方をコントロールできる権利のことであり、

ヴィクトリア朝の上流階級では1850年代まで“クリノリンスカート”という全く機能的ではない重苦しく大きなスカートによって、女性の身体は足首から二の腕に至るまですべて社会から覆い隠されていた。


その意味では、19世紀前半までのヨーロッパ世界(中流階級以上の女性)では、現代のイスラームのブルカの宗教的衣裳と同じように、『女性の身体』を男性社会や家族(家長)が管理するという発想に立っていたと解釈することができる。『女性の身体を隠蔽しようとする文化』は近世まではヨーロッパ世界の主流の文化であったが、そこには男性原理や家父長制を肯定する『一神教』の影響があり、

女性は配偶者(家父長制の家族)の所有物であるかのようにその活動範囲を『家の周囲』に狭く制限されていたのである。


古代ギリシア・ローマの文化芸術では、男性も女性もその自然な身体性の美しさや魅力が賞賛されており、裸体の彫刻や絵画が『美のイデア』を模倣したものとして鑑賞されたが、それは古代ギリシア・ローマ社会が、女権社会(地母神崇拝)の痕跡を留める『多神教の宗教』を信仰する社会だったからと推測することができる。

しかし、キリスト教やイスラム教という『父なる神』を崇拝する男性原理の一神教がヨーロッパ世界を覆うに従って、女性の身体も分厚く面積の広い衣服によって覆われていき、理想的な女性のイデアは父・夫・子に純真無垢に尽くす『家庭の天使』に収斂していくことになった。


ヴィクトリア朝では『家庭の天使』になる女性には能動的な性欲は存在しないものと定義され、『女性の非性的な属性』を医学的な事実だとするウィリアム・アクトンのような保守的な医師も多かった。

19世紀前半のイギリスでは、積極的に自分から性的活動をしようとしたり、他愛ない話題でも不特定多数の男性に話し掛けたりする女性は、所謂、異常性欲の診断や娼婦への偏見を下される恐れもあった。


http://charm.at.webry.info/200910/article_7.html

ヒステリー患者に共通している二項目を挙げると、

一つは彼等が嘘をついていない事、

二つ目はいくら検査をしても医学的に悪い所が発見できない事である。

今まで行われたヒステリー研究ではその規模が小さく、また方法論に問題があって結果の比較が難しく、総合的結論が出せなかった。


フロイト以前にもヒステリーと言う言葉はあった。原語はヒステラでありギリシャ語で子宮を意味する。古代の医者の中には、餓えた子宮、間違った位置にある子宮が女性の病気の原因になっていると言う人もいた。ヒポクラテスは子宮理論の中で、女性の病気を治すには結婚が良いとした。

その後に現れたのが聖者であり、呪術師であり、悪霊に取り付かれた者達であった。

17世紀ではヒステリーは発熱に次ぐ最もありふれた病気であった。

19世紀に入りフランスの神経医学者であるジャン・マルチン・シャルコーやピエール・ジャネットがヒステリーの現代医学的基礎を作った。そして、シャルコーの生徒であり若き神経学者であったジークムント・フロイトが、劇的にヒステリーの見方を変えて大衆化させた。

フロイトの魅力は、何故ヒステリー患者が卒倒したり、痙攣したりするかを説明した所にある。

彼は「転換」と言う言葉を使い始めた。彼によれば、ヒステリーとは解決されない無意識の葛藤がヒステリー症状に転換したと言う。

彼のこの「体は心のドラマを演じている」に取って代わる理論は未だ現れていない。

「ヨーロッパの医者には、ヒステリーが体の病変と関係しているのでは無いかと考える人もいた。例えば、不幸な子宮、余りに細い神経、肝臓から出る黒い胆汁等がひきつけ、叫び、痛みを起しているのでは無いかとした。

フロイトがこの因果関係を逆転させ、心の葛藤がヒステリー症状を起すとした」とイリノイ大学の助教授であるマーク・ミケール氏は言う。


現在の神経学者は脳と心をを別々に考えていない。多くは未だ不確かではあるが、脳スキャンによる検査では、脳の感情の中枢が感覚野や運動野の回路を変調させているのが分かり始めている。


過去10年間にヒステリー患者の脳スキャンが多く取られ次の事が分かった。

患者の神経と筋肉には問題がない事、即ち構造より機能に障害がある事を示している。

患者では動きを指令する高度の部分、即ち意志の部分に問題が起きていると推察される。映画で言えば、俳優が駄目なのでなく、監督に問題がある。


手を動かすには次の一連のプロセスを必要としている。

先ず手を動かしたいと言う動機があり、次にどの筋肉をどのように収縮するかの計画、そして最後に実際に手を動かす実行がある。理論的にはこの3つの段階のどの段階に問題が発生しても麻痺は起きる。(シャルコーは1890年に既にそのように考えていた)

1997年に雑誌Cognitionで、カーディフ大学のハリガン氏の研究チームは、体の左半分が麻痺した女性の脳の機能を詳細に調べ、彼女の体、脳には病変がない事を確認した。

彼女が麻痺した左の足を動かそうとしても、活動すべき脳皮質が活性化していなかった。

その代わり、右眼窩前頭皮質と右前部帯状皮質が活性化していた。

この部分は行動と感情に関係する分野で、ここが運動を抑制して足の麻痺を起しているので無いかと判断した。

「患者は足を動かそうとしている。しかし、その意志が原始的な右眼窩前頭皮質と右前部帯状皮質を活性化し、動かそうの命令を阻止した。彼女は足を動かしたいのですが足は動かないのです」

とハリガン氏は言う。

その後に行われた研究でもこの考えは支持されて、転換性障害の患者では、感情を処理する脳に変調を来たし、動き、感覚、視覚の脳の回路が正常に働かなくなったとしている。

今後、このようにスキャンで診断する方法が主流になるであろう。従来の検査では悪い部分を発見出来なかったから、勢い、仮病ではないかの誤った偏見を医師に持たせる結果となった。


脳スキャン検査は医療関係者のヒステリーに対する偏見を取り去ろうとしている。

「ヒステリー患者は我々の間では大変評判が悪かった。彼等は、どうも奥深くの所で我々を騙しているのでは無いかと、我々が思うからです。

だから、わざとらしい症状を見ると

『ちょっとおかしいのじゃないの。足うごかせますよ』

と言いたくなるのです。

もう1つ好きになれないのは、彼等が良くならないからです。

それも意図的にしているように見える」


とバーモント大学の神経学助教授であるデボラ・ブラック氏は言う。

文化は変わっても症状は余り代わらない。

オーマンではジン(悪霊)がひきつけを起すと言う。

ナイジェリアとインドではヒステリー患者は頭、手、足にピリッとした痛みを感じる。カリブ海諸国では頭痛、震え、心臓の動悸、むかつきが一般的症状である。

イギリスでの帰還兵士の調査では、20世紀を通して心的外傷障害はなくならなかったと報告がある。本能が心に取って代わったのだ。


ヒステリーの広範性、人間の歴史と共に存在した長い歴史から見て、ヒステリーは恐怖に対する本能的反応であろう。

麻痺のような機能の完全喪失は、最早不可能な事態に直面した時に起こる反応とも考えられる。例えば、車のヘッドライトに目の眩んだ鹿を考えたらどうだろう。
http://saito-therapy.org/new_finding/hysteria.htm

医療器具だったバイブレーター

大人のオモチャの代表格“バイブレーター”は、元々は医療器具だった。

“バイブレーター”と言えば、最も有名な大人のオモチャの一つだと思う。Durex社の調査に拠れば、日本人女性の24%はバイブレーターを使用した経験が有るという。4人に1人の割合だ。

そのバイブレーターだが、実は元々は女性の“ヒステリー”を治療する為の医療器具として開発されたのだという。この場合の“ヒステリー”とは日常的に用いられる意味ではなく、医学用語で

「何らかの葛藤やストレス等の心理的異常によって、声が出なくなったり、腕や足が動かなくなったりする状態」

の事を指す。現在では“転換性障害”とか“身体表現性障害”と呼ばれる事も有るらしい。要は神経症の一種である。

ヒステリーは19世紀後半に注目され始めた病だったが、当時は原因が不明で治療法が確立していなかった。そこで20世紀初めまでは、専門医が女性患者の性器を愛撫して症状を軽減させていたらしい。

しかし愛撫には相応の技術が必要な上に手間も掛かり過ぎる為、1930年代にヒステリー専用の医療器具が開発される事になった。それがバイブレーターだったのである。

バイブレーターは特殊な技能を有さなくても誰でも簡単に愛撫が可能な為、医療器具としてだけでなく大人のオモチャとしての需要も多かった。その為、現在のように広く普及していったのだ。

以上より結論。

バイブレーターは元々、女性のヒステリーの症状を軽減する為の医療器具だった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316338103


英語版Wikiには「電動バイブは1880年代に女性のヒステリー治療の1手段として発明された」とはっきり書いてあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Vibrator_%28sex_toy%29

特許取得者はロサンジェルスのジョン・キオーは1911年にアメリカ初の電動膣用バイブレーターの特許を申請した。取得したのは翌年の1912年。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316338103


47. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 12:24:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[429]

性を敵視する遊牧民の文化

アンドレイ・ルブリョフ 監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキー
Andrei Rublev / Андрей Рублёв – 7・8/21
https://www.youtube.com/results?search_query=Andrei+Rublev+


Andrei Rublev - Pagan ritual scene
https://www.youtube.com/watch?v=pNdT5sHTxck

the witches andrei rublev
https://www.youtube.com/watch?v=qZzOv_Td1us


アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。

先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。 先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。 しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。

アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。 そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。

すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。 森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。

アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。 小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。 女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。 アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。 アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。 小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。
翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。

異教の女マルファとの会話


マルファ

なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ

裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ

何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?
ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ

あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?

ルブリョフ

君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ

すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。
 
http://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351


性を敵視するキリスト教


 1966年、イニス・ベアグ島のアイルランド系の島民に関する人類学的研究によって、島民の性生活において、19世紀のキリスト教の父権的パターンをもつ小型の文化が続いていることが明らかとなった。

女性はオルガスムを経験しなかった。女性はセックスを享受するよりも耐えるように訓練されていた。男性はいつも数秒で果てた。節度というものが抗しがたく両性の心を占めていた。

夫も妻も相手の裸体を見たことはない。前戯は寝巻の上から乱暴になでまわすだけであった。正常位Venus Observa以外の体位はとらなかった。

婚前交渉は事実上行なわれなかった。というのは若いカップルが2人だけになることはなかったから。旧式のデート方法である「散歩」さえも許されなかった。若者は性に関する知識はいっさい与えられなかった。結婚してから「成行きにまかせればいい」と島民は悪びれずに語った。

 男たちはしばしば小船に乗って海に出るが、泳ぐために人前で服を脱ぐのがいやで泳ぎを学ばなかった。「海水浴」というのは、服を着たまま海中を歩くことを意味した。海水浴をする男女は厳しく分けられた。男性は病気になったり負傷しても、本土の病院に行くよりも死を選んだのであった、というのは病院に行けば看護婦の目に自分たちの身体をさらすことになると考えたからである。

 イニス・ベアグ島ではイヌでさえも、陰部をなめたり、他の「卑猥な」振舞いをすると答で打たれた。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sex.html

「キリスト教中世」は、「性的快楽は全て、男女を問わず、悪だ」と考えた。


「肉には善きことは何もない。神を恐れる者は、禁欲せねばならぬ」(聖クレメンス)。

「生殖を目的としないセックスは全て悪魔の仕業だ」(聖アウグスティヌス)。


これが、数百年にわたってキリスト教の「結婚道徳」の礎(いしずえ)となった。
十九世紀には、「女性の性」への敵意は、一種の歴史的集団ヒステリーにまで高まっていた。

「女性にオルガスムスがあるなどと考えるだけでも精神病者の妄想である。そんなものはありえない」(当時の精神科医の話)

「女性に性的な感覚があるなどという主張は、汚らわしい中傷だ」(当時のイギリスの権威、ウィリアム・アクトン)。

http://www.porsonale.co.jp/semi_i194.htm#1

キリスト教会が、女性は性的快感を覚えてはならず、子を産むためにのみ性交をすべきであると教えたために、成長期にある男子も女子も、できるかぎり女性の性的能力については知らされないようにされた [註6]。

医者でさえも、貞節な女性には陰核がないと信ずるようになった。

 中世以来、貞節な女性はその裸身を男性に、そして夫にさえもめったに見せることはなかった。

そのため、暗闇でごそごそと女体をまさぐっていた男性が、女体がどういう構造になっているかまったく知らなかったとしても、それは驚くにあたらないことであった。

信心の深い夫婦は頭巾のついたシュミーズを着ていた。それは前面に小さな穴の開いているたっぷりとしたナイトガウンで、肉体の接触は最小限で妊娠させることができるものであった [註7]。

 1593年の魔女裁判で、審問官(既婚者)は初めて陰核を見つけ、それを悪魔の乳首と思い、魔女の有罪を確証するものだとした。

陰核は「小さなこぶで、いわば、乳首のように突き出ていて、長さは半インチ」であった。

審問官は「初めて陰核というものを見たが、それが見るのもいやらしい秘所に隣接しているために、誰にも見せないつもりであった。しかし結局、そのようなまことに珍しいものを隠しておくことができなくなって」、彼はまわりにいる人々にそれを見せた [註8]。

人々もそのようなものは見たことがなかった。魔女は有罪と宣告された。


 西欧社会は、たしかに、男根については熟知していて、男根崇拝はキリスト教時代になってもなくならなかった。Phallus Worship. しかし、陰核のことは忘れられていた。

 「人生のそもそもの始まりから、私たちはみな、主要な男性生殖器は男根であり、女性性器で主要なのは膣であると教わる。そしてそれらによって男であるか女であるかがはっきりわかるし、男女の違いが現れるものと考えられている……これは嘘である……女性の性的快感を考える場合、こうした定義があてはまらない場合が多い。もし女性性器の目的が女性に快感を与えることであると思うならば、女性が性欲をはっきり自覚するのは別の器官によるし、それに集中する。幼児のころから、主要な男性性器は男根で、女性のは陰核であると、すべての者が教わるとよい」 [註9]。

 19世紀の医学の権威者たちは、女性の性的能力を女性たちに気づかせまいと心を配ったようであった。男の子と同様に、

自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女の子は、医学的に問題のある子だけだとみなされた。

そういう女の子は、しばしば、陰核を切り取られたり焼灼されたりして「治療」され、「矯正」され、

あるいはまた、

「小さな貞操帯をはめられて、陰唇を縫い合わせて陰核に手がいかないようにされ、卵巣を外科手術で切除されて去勢されたりもした。

しかし医学的文献を見ても、自慰をやめさせるために男根を切断したり、睾丸を外科手術で切り取ったりしたということは、どこにも書いてない」 [註10]。

 アメリカで、自慰行為をやめさせるために陰核摘出をした記録の最後のものは、1948年のものであった。5歳の女の子であった [註11]。

 カトリック教会は、1976年、自慰行為を「重大な道徳的退廃」だとしたが、それは、女性が自慰行為によってオルガスムに達することができることを恐れたこともあったのかもしれない。男性と同様に、自慰行為によって女性がオルガスムに達することは、今ではよく知られていることである [註12]。ヴィクトリア朝時代、聖職者や医者たちは、「女性の性的能力を全面的に抑圧することが、女性を飼いならすのに決定的なことである」と思っていた。

アイザック・ブラウン・ベイカー博士のような指導的な権威者たちも陰核摘出を数多く行って、女性の神経衰弱、ヒステリー、強硬症、狂気、女性痴呆症、その他性的欲求不満の徴候を示す数々のふれこみ文句で言われている症例を治療しようとした [註13]。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/clitoris.html


マッサージ機の歴史


テーマ:芸能・エンターテイメント 「松島・町山の未公開映画」というマイナー番組。オセロの松島さんと、アメリカ評論家(?)の町山さんがアメリカ社会の事実をお届けするという番組。

今日はとても面白かった、町山氏の解説がね(笑)

そもそもヨーロッパでは、キリスト教の教えにより、女性にとって陰核刺激をすることは低俗なことであり、挿入快楽によって主人と同時絶頂が理想とされた。その考えは今も根強いとも言われる。

18世紀後半ビクトリア朝のイギリスでは、女性は束縛された。女性はきれいな言葉を使い、働いたらだめだし、さまざまな権利も保障されない。女性たちは当然、ストレスがたまり、欲求不満でイライラするようになる。

これは、当然の結果だ。にもかかわらず、当時イギリスでは、これを女性がかかる「ヒステリー」という病気だと断定した。

実際、束縛された女性たちはイライラがつのり、医師のところにどんどん行くようになる。

医師は、これに対してどういう治療をしたかというと、陰核刺激だった(爆笑)
女性たちは、医師による陰核刺激で絶頂に達し、すっきりして家に帰るわけである(爆笑)

夫たちも、別にその陰核刺激は、ヨーロッパでは性行為ではないという概念であるし、治療行為なので気にしないし、何せ妻がすっきりしてイライラがおさまるのだから、悪くはない。

さらに、女性たちは病院に通った(爆笑)

すると、今度は医師たちの指が疲れるわけである(笑)

そこで、バイブレーターというものが発明され医師たちに愛用された。その後、バイブレーターを肩などに当てても気持ちがいいということで、電動マッサージ機として発売されることになった。 つまり、電マで陰核刺激することは、バイブレーターに転用したということではなく、本来の使い方だったというわけである。

番組の本題は、アメリカで女性用バイアグラを政府が認可するか、しないかという話の前半であった。

アメリカでは女性が挿入絶頂しないのはなんと病気(FSD)だと今、半ば定義づけられており、政府がお墨付きで病気だと断定するか、しないかという段階だという恐ろしい話なのである。

病気じゃないものを病気だといわれると、昔のイギリスのような無知なアメリカの主婦たちが、その女性用バイアグラを買っていき、製薬会社はボロ儲けという構図なのである。

アメリカは性教育が発達していると思われる人が多いかもしれないが、実際は逆。 これはアメリカの最重要問題の人工中絶の是非の問題にもからんでくる。

アメリカの少し内陸部になると、ものすごく保守的で古いキリスト教義が根強く、人工中絶は禁止だし、性教育で生徒には、いまだに婚前交渉はだめであり、結婚後も避妊はだめだと教える。そういう土壌の中、保守的な女性たちにFSDは病気だと製薬会社が政府とつるんで教え込み、儲けようとしているのである。


加筆・・・・

翌週。結局、ホルモンを使った薬は今回は認可を阻止することができた。しかし時間の問題だという。そして一足先に、EUで認可されたそうである。 これについて、町山氏が松島さんに言う。2週にわたって、見てきたが、一回も「愛情」という言葉が使われなかったよね、と。

アメリカは、女性が絶頂に達しないのは病気であるとし、薬で絶頂に達せようとしたり、手術までしようとしたり異常としか言えない。

仮に、薬を飲んだり、貼ったり、したら快楽が増し絶頂に達するというのであれば、好きでもない男でもどんな男に対しても絶頂に達するということになる。それはおかしいことだ。女性はまず愛情があるからこそである。手を触られただけでも、大好きな人であれば、ドキっとするものであり、それは、科学だとか薬だとかの話ではない。

一切、そういう愛情というものを度外視して、ただ絶頂しないのは病気であり薬で解決させようとするのは、機械的であり、まったく、日本では理解できないものだ。 本当に、「愛」という言葉が1度も聞かれず、ただ絶頂に達することについてだけ議論しているという完全に異常、異様なVTRだった。
http://ameblo.jp/winterorange/entry-10691576426.html


かってヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女がマスターベーションを行う習慣をやめさせようとする時代がありました。19世紀には、特に女性のクリトリスは性的快感を与える以外には何の役にも立たず生殖出産には全く不要であるとして、クリの切除が合法化され、奨励されていました。

当時の高名なある医者は、オナニー(マスターベーション)の習慣をもつ多数の少女のクリトリスを、焼きごてで焼きつぶして、オナニーと言う病気、を治療したと明言しています。

http://mas.fromc.com/life-partner/danjyo~tame/kuritorisupenisu.htm

中世ヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女のマスターベーション、オナニーは禁止されていました。

今でもクリスチャンにはオナニーを悪魔の誘惑に負けることだといって、慎む人たちがいます。その中でも女性のクリトリスは性的快感を得ること以外に役には立たないという認識があり、こんなものは子供を作る際にも不要だ!ということで、クリトリスの切除が、奨励されていました。

「イタイ!!」

慢性的にオナニーの習慣を持つ少女に関しては、病気だと診断し、クリトリスを焼きつぶしたりしてオナニー癖を治したりしたそうです。

魔女裁判とも密接な関係があり貞淑な女性には性欲の象徴であるクリトリスがないものだという考えが浸透し、クリトリスがあると魔女扱いされたりしました。当時はオンナは、オトコの欲望、好奇心の対象物でしかなく、自らセックスの楽しむを得ることは許されてなかったのです。

http://htsx.blog.so-net.ne.jp/index/4

クリトリス切除はマスターベーションを防ぐ方法の一つだと考えられていたが、アメリカではコーンフレーク王のJ.H.ケロッグがまた別の治療法を考えだした。女の子が自分で楽しむのをやめようとしなければ、「純粋な石炭酸」をクリトリスに塗ればいいと提唱したのである。

http://diary.mrmt.net/2745


X線の最初に知られていた治療上の機能は女性のクリトリスを照射し、焼灼・破壊することだった。

1860年代からは clitoridectomyのための方法によって、取って代わられた。

http://www.brandbihar.com/japanese/women/history_female_sexuality.html

949. 名無し調教中。 [sage] 2006/12/07(木) 01:03:00 ID:m7yYpyRH

ヨーロッパじゃ一時期 オナニーに対して過剰な措置を取っていた時期があるよ。
ペニスにつけるアンチマスターベーションデバイスが売られたり、就寝時に子供の手を縛って性器に触れなくするとか。


953. 名無し調教中。 2006/12/07(木) 10:32:14 ID:XN5tKFeY

まあ、マスターベーションは精神病、特にヒステリーの原因と考えられた時代があってな。そのころは、クリトリス切除をマジで推進する医者が欧州にもいたんだと。精神に変調をきたした女から子宮摘出とかやってた時代だ。


954. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 03:10:57 ID:gQmoBRBp

マスターベーション禁忌は聖書にも記載されているから、敬虔なキリスト教徒なら嫌うだろう。 逆に近代に入ってからの性感帯信仰が異常とも言える。

女子割礼反対の根拠ともされるが、クリトリスが女性の体にとって本当に欠かせないものかどうか怪しいな。

一つだけはっきりしていることは、どの社会でも女の性器に自由はあまり無いということ。男根のように放置されることはまず無い。 生理や出産など常にケアと点検が欠かせないからね。

955. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 10:15:03 ID:NURGfebo

うんにゃ、聖書にオナニーしちゃいかんって記述はない。オナンが罰せられたのは姦淫の罪でだな。妊娠を目的にしないセックスをしちゃいかんというタブーならあった。

マスターベーションがタブーになったのはキリスト教とストア派が融合した結果、「肉なるものはずべて悪」って思想ができた時代だと思う。

意外に思うかもしれないが、イスラム世界のハレムでは女たちの同性愛と自慰が性的コンディションを高めるために容認というより奨励されていた。もっとも、子種を植える畑を耕しておくという意味においてだけど。
http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/

            ,、-'''`'´ ̄ `フー- 、
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       ! .|  | i 、,ゝ、     、─,    /   i |  |. i もう オナニーしないから・・・ 
       .! |  i |. | lヽ、      ̄   /  l  | i  | ! たすけて・・・・ いや・・
       ! |  i |i |l l| |`''‐ 、   , イ  |i | |i | i  |. !
       | |  i |i |i .| ノ    ` ''"  ヽ/l| l__,.、-|l l  ! i、
     ,. -'"゙ ゙̄'' ヽi |!l '           ,.--‐' |.i |i | |i ヽ
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   @゙!         |::              !::        ノ


「陰核切除」 

女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。


「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。

従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。

一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。
http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html

20 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

生殖器の部分的切断を割礼という。
場合によっては段世紀包皮の環状切開以外に包皮全体の切除や尿道の切開なども含む。

21 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 22:39

一番ひどいのになると、外陰部(大陰唇、小陰唇、陰核)を全部切除、挙句に小さな穴をのこしただけで縫い合わせてしまう。

対象は小さな女の子で当然ながら消毒も麻酔もない手術だけでショック死する子も多い。 手術後に感染症をおこして死ぬ子とあわせて40%に達するとか聞いたことがある。

傷がいえた後も小便さえもままならない、一回の小便に2時間もかかるようなとんでもない体になってしまうこともある。

結婚すると縫い合わせた陰部を夫がナイフで切りさいて性生活をする。 長期にわたり家をあけるようなときはまた縫い合わせてしまう。

中央アフリカの多くの女性はこのような生活を強いられている。アメリカに移民したブラックアフリカ系の女達もいまだこんなことをしているのが数万人いるとか・・・

24 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/04/30 23:29

>21
陰唇を切除すると、縫い合わせられないんじゃないの?
仮に縫えたとしても尿道口とは関係ない。 つまり、

1、陰核の切除
2、外陰部の完全切除
3、女性器の縫合

はヴァリエーションとして分けたほうがいい。 1と3は並存可能だが。


25 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:08

>>24は何が勘違いしてると思われ。 切除したら縫合しなきゃならない。
アフリカでの女子割礼でいう陰唇切除ってのは事実上外陰部の完全切除(ファラオ式)をさしている。 だから尿道口もあけておく必要があるんだよ


26 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 02/05/01 00:41

>25
ややこしいな。
羊の腸線や,樹脂などで癒着させる。
と書いてくれ。

216. 名無し調教中。 2005/07/25(月) 15:36:22 ID:dQfsirh/

素直に運命を受け入れて痛みに耐えようと歯を食いしばるが、気絶してしまう子もいい。

一口に女子割礼といっても苦痛のレベルは様々
いちばん辛いのは、

陰核、小陰唇、大陰唇、膣口切除、膣拡大術、外陰部封鎖

これをぼろぼろの剃刀刃でえぐるように時間かけて施術

15 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/06/29(金) 01:25 ID:R0emiL.6

飲み屋のババアから、終戦直後のパンパン(ストリートガール)の「オサネ切り」リンチの話を聞いたことがあります。オサネ=クリトリスですね。

いくら言って聞かせても、ナワバリや掟を守らない女がいると、まずリンチでボコにする。それでも聞かないやつを、みんなで押さえつけて、クリトリスをちょん切ったそう。

慣れてる女がいて、包皮をつまんでキュッと上の方にしごくと、クリのあたまがプルッと出てくるのだそうです。 そこをカミソリでスパッと切ると、その瞬間、切断面からおしっこみたいに血がピュと出て、切られた女はほとんど失神、あるいは失神寸前の状態になるそうです。

これをやられた女は、娼婦としては使いものにならなくなるらしい。 お客がオサネのない女をいやがるとか言ってた。もちろん私生活のセックスも楽しめなくなって、つらい思いをするそうです。 ああ。こわ。


40 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/05(木) 05:29 ID:twOvt3ek

何年か前、東スポに「陰核切除」という見出しが踊っていた。しかも一面トップで。
オウムの麻原がかわいがっている何人かの女性幹部のクリトリスを切除する手術をやらせたって。 理由は浮気を恐れてのことだったとか。

だから石井久子とか、あと名前忘れたけど彼女たち、オウムでクリトリスちょん切られたんだね。 気の毒に。まあ東スポだけどね。

それにしても、その日はどの駅の売店でも「陰核切除」 コンビニでも「陰核切除」 日本全国「陰核切除」(w)

55 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 00:31 ID:O5ESLiJY

ガラス壜がいっぱい並んでいて、そこにホルマリン漬けのクリトリスが一個づつ入っていて、それぞれ名前が書いてあるの。「石井久子」とか「飯田エリ」とか。
ずらっと並んだクリたちの前で、ふんぞり返って四姉妹に陰茎を世話されているショーコー。

萌え................ないな。気色悪くなってきた。スマソ逝ってくる.....

58 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/11(水) 05:29 ID:N.esd4nA

ところで、瓶詰めといや、ベトナム戦争時代の現代の奇談があるみたいね。

ベトコンだかへの拷問は熾烈きわめたけど、けっこう女のベトコンが一番しぶとかったみたいで、電気拷問とか、なにやっても口割らない。もちろんそのころには、クリなんて電気責めでこげてしまってるんだろうし。

んで、精神的恐怖ってことで、クリではないけど、女性の内外性器、つまり膣と子宮などを、処刑したベトコンから摘出して、ホルマリンずけにして、名前書いたビン詰めにして、棚にずらってならべて、新しい女囚を威圧した、ってどっかの英語サイトにのってたけど、似たり寄ったりだね。

顔写真もガラス容器のところに貼ってあるらしく、仲間のベトコン女兵士のなれの果てを見て、卒倒する女囚が後を絶たなかったそうで、その手の拷問が一番効果覿面だったらしい


61 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 01:53 ID:7/cHgX7s

>>58
ベトナムは酷かったみたいだね。
なにかの本で読んだが、乳飲み子を抱えた若い母親の両乳首を、ナイフで切り取ったり(フランス兵だと書いてあった)、 ペニス切り取られた男もたくさんいたそうだ。
クリトリスやラビアを切られた女もいたんじゃないかな。


62 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 05:36 ID:2CbJa/bU

戦時中のベルリンでは薄く剥ぎ取られた女性器そのものが見せしめに玄関に釘で貼り付けてあったそうだよ。


63 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/13(金) 06:17 ID:7FPat022

日本でも今ある結構大きな宗教団体で陰核切除やってるよ
両親ともにその宗教に属してるとその子供にやるんだよ


66 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/14(土) 02:27 ID:FYVdZk7E

「ドイツの古代には、姦通したら女性器を切り取る刑罰があり、切った品物は女の家の門に釘づけにしたという。」

「大阪の千日前の刑場では、女の性器をえぐりとり、晒して民衆にみせた。」

以上 井上橘泉著「写真集 残虐の女刑史」(綜合図書)より

切り取られた自分の性器を、さらしものにされるのはどんな気分だろう。
怖いような、萌えるような。

77 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/18(水) 00:14 ID:OZoMEO/s

確かアフリカのクリ切断は、クリがあるせいで淫乱になるってゆう俗信かららしいけど、本当にクリを切断しちゃうと、ほかの性感帯で快感を得ようとしてかえって淫乱になってしまうらしいね。
皮肉なもんだ。


80 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/19(木) 05:30 ID:Ec7w5sPw

>>77
アフリカの女性器切除は有名ですが、19世紀はじめの欧米ではオナニーの治療として、クリトリスの切除手術をやっていました。

オナニー=罪悪という西欧キリスト教的価値観から来ているのでしょうが、もともと性欲の強い女性のクリを切り取るわけだから、その残酷さは、ある意味アフリカのより酷いかも、、、

88 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/23(月) 23:59 ID:ytmGckNw

BME じゃ あんまりにも 性欲が強い 女が.. クリトリスを先の細い半田ごてで内側から 焼き潰すってのをやったみたいよ 一度ならずも 二度も..

一度目は 焼く時間が短くて 感覚が残ったから.. 二度目は 5秒ぐらい焼いたらしい...

95 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/26(木) 21:20 ID:KAEscDwI

>>88
アメリカなどで自慰過多症の女に手術を施すとき、切断する前にまず硝酸銀などで焼いて感覚を麻痺させていたらしい。
それでも直らなければ初めてクリを切断したワケ。


99 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 03:42 ID:bSRjdmlM
>>95
自慰過多症の治療って、まさか本人が医者に相談して荒療治うけてたともおもえんから、それって子供なんだろうか? それにしても、その場合親に自慰過多賞が発覚して医者につれてかれるってことなんだろうけど、どうやって親に娘のオナニーがばれてたんだろうか?


100 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/29(日) 22:36 ID:7vN9Rjsw
>>99
大人だよ
20世紀初めまでは男女とも自慰過多は廃人になっると信じられていた時代だった
本人が罪悪感に悩んで医者に行くケースや精神病患者の自慰が発見されるケースが手術の対象になった
精神病の男の場合は去勢されることも珍しくなかった

103 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/07/31(火) 00:14 ID:noxBRbE2
>>102
テキサス州の病院での3人の自慰過多病の男性患者(白人1人黒人2人)の去勢手術について「優生学の名のもとに」という本に出ていたよ。

105 名前: 名無しさん@ピンキー 投稿日: 2001/08/02(木) 05:03 ID:gfUHaq9k

知り合いの女の人で、バイクの事故で、クリトリスと小陰唇を全部なくした人がいるそうです。
入院中はほとんど、切断した性器のことなんて頭になくて、もっと人目につく、顔や体の傷やアザが治るのかということの方が、切実だったそう。

でも退院してから、自分のうちのお風呂で自分の股間をひろげて見た時にショックを受けた。
クリもびらびらもなくなって、穴だけになった自分の性器が惨めで、その日は何時間も泣いたそうです。

再建手術もイヤで(医者や看護婦に見られるのがイヤとのこと)、結局その人、精神的にセックスできない状態になっちゃったそうです。

8 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/07/27(木) 01:24:23 ID:HhA5P4o20

調査した女性が居たが、「何もないカベを見ているようだ」って言ってたなぁ
クリ・小陰唇切り取り、大陰唇縫合・マッチ棒程の穴を残す、、、、


18 :/名無しさん[1-30].jpg[sage]:2006/10/18(水) 15:34:41 ID:H7QVXylk0

女の欲はそれだけ底なしだから そういう風習ができたんじゃないかね
そこまでしなくてもと思うが…


139 :/名無しさん[1-30].jpg:2008/08/07(木) 15:50:51 ID:jmAtR7us0

アフリカはかなり男尊女卑だからな。
女は男の所有物なので、下手に性欲に目覚められたら気が気じゃない。
そんで、女が自分から欲しがらないようにクリを切除。

少し前まで(否、場所によっては今でも?)石の矢じりのようなもので長老等が少女の性器を切り取った。 そこから感染症を起こして亡くなる場合もあったそうだ。 あまりに女性の意思を無視した危険な習慣との事で、これを無くそうという運動団体もある。
http://www2.bbspink.com/sm/kako/993/993375254.html
http://unkar.org/r/ascii/1153582447


48. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 12:37:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[430]

尼僧ヨアンナ(1961)

監督: イェジー・カヴァレロヴィチ
出演: ルチーナ・ウィンニッカ ミエチスワフ・ウォイト アンナ・チェピェレフスカ
https://www.youtube.com/playlist?list=PL3506D57B2C13B756

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0036SKPYY/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B00005FW0M&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=0HJ33FGV1K0PYW9M5K1E


 ポーランドを代表する作家イワシキェウィッチが、17世紀フランスの史実に基づいて書いた短編小説の映画化で、舞台はポーランド北方に置き換えられている。

辺境の尼僧院に赴任しようという司祭スリンは、そこを目前にして近くの宿屋に泊まる。客や従業員たちの間では、院の話題で持ち切りだ。尼僧たちは、院長ヨアンナを始めとして、みな悪魔にとりつかれ、情欲のままにふるまっている。スリンはその悪魔払いのため来たのだが、先任者は完全にヨアンナの魔性に狂って火刑に処されたのだ。彼は悪魔と対峙する前にすでに震えおののく。そして会ったヨアンナは、平常時は美しく淑やかだが、ひとたび、その魂が悪魔を呼べば獣のように肉の交わりを求めて這いずり回るのだ。

自分を、そしてヨアンナにも、鞭打ってその誘惑を振り払わせる苦行を強いるスリンだが(白い聖衣が干している選択部屋の隅と隅に分かれてのシンメトリックな構図)、次第に彼女らの内奥にある魂の真実の叫びが彼にも届き始める。そしてヨアンナの中の悪魔を自ら引き受ける事でしか、彼女を解放する術はないと信じたスリンは、彼女を抱いて悪魔と一体になり、罪のない従者と宿屋の下男を殺す。その血によって彼の内に封印された悪魔は、やがて彼に下される火あぶりの断罪に彼と共に昇天するであろう、そんな余韻の中に映画は終わる。

果たして、悪魔とは字義通りのそればかりでなく、たとえば、カソリック教義自体が内包する神や悪魔を弄ぶ矛盾、ナチの残虐行為からスターリン圧政に連なるポーランドの問題を意味する言葉でもあろう。東欧映画に共通する理詰めの放縦とでも呼びたいカメラの運動にも圧倒される、鬼才カワレロウィッチによる真の恐怖映画。主人公が自分とそっくりの顔をしたラビ(ユダヤの僧侶)に教えを請うシーンが印象的。


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カメラに頭を向けて腹ばいで床に倒れている男という奇妙な構図のショットから始まる本作は、全編にわたって空間の深さを意識した構図を用いており、カメラの動きもそれに追従している。また、文芸作品らしいリアリズムで、SFX一切無し(逆廻しも無し)なのだが、ここまで得体の知れない存在を感じさせるのは流石である。観客を惑わす編集や、フレーム・イン、妙なタイミングが満載で、楽しめる。

苦悩に満ちながらも、どこか笑っているように見えるヨアンナの演技が怖い。村人たちの方も病的に見えるが、彼らは単純に欲や愚かさ(俗世界)を示しているのだろう。モノクロの、時に非現実的な色彩が、ポーランド映画のもつシンプルな画面によってより象徴的に、そして無機的に働いて、極度に精神的な中世ヨーロッパの雰囲気を上手く表現していた。何と言うか、ベルイマンの簡潔な世界観を物語的にしたような作品だった。


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童貞僧スリンに出会って恋に落ち、生理が始まってしまったヨアンナが、その経血を壁に塗り、悪魔に取り憑かれた笑みをたたえる有名なシーンが忘れられない。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16926


修道院に悪魔祓いのために派遣されるスーリン神父は,その途中の宿屋で,怪しい噂を耳にする。修道女たちに悪魔が憑き,みな裸で踊り回るなど狂乱状態だ。とくに尼僧長のヨアンナには,いくつもの悪魔が住み着き,どんな悪魔祓いの儀式も功を奏さない。神父の前任者も,このヨアンナの妖気に惑わされ,狂い死んだのだという。

不安でいっぱいの神父が,修道院で実際に出会ったヨアンナは,普段は魅力的な瞳を持った淑やかな女性。しかし,いちど悪魔が乗り移ると,野獣のように唸り,呪いの言葉を吐き,ほかの修道女とともに荒れ狂うのだ。

はじめは,教理に則って,公開の悪魔祓いの儀式をおこなうスーリン神父だったが,全く効き目がないことを悟ると,密室でのヨアンナとの一対一の対決を試みる。そして次第にヨアンナの苦しみ,真実の声を知るにしたがい,自らがその悪魔の犠牲になるほかに,ヨアンナを救う道はないと知る。

ついにそのときは訪れ,ヨアンナと抱き合った神父は,体の中に悪魔たちが乗り移るのをはっきりと感じる。その後,すっかり普通に戻ったヨアンナに対し,悪魔を受け入れた神父は,内なる悪魔との戦いの中で疲れ果て狂乱。ヨアンナの肉体に戻ろうとする悪魔を自らの内に永遠に閉じこめるため,悪魔にすべてを売り渡す。悪魔は神父に従者ら二人の少年を殺害させ,ふたたびヨアンナも狂うが,しばらくののち元に戻り,その後は長く修道院長をつとめる....。

http://www.tomita.net/review/y980318.htm


この作品はケン・ラッセル監督が1971年に撮った「肉体の悪魔」のルーダン憑依事件の後日談と位置付けられる作品。

この作品自体は1960年に作られた作品なのでケン・ラッセルの作品とは全く関係ない。しかし、ルーダン事件で尼僧院長ジャンヌ(ポーランド語でヨアンヌ)がグランディエ(この作品ではガルニェツ)の魅力に惑わされ、尼僧院全体がいわゆる集団ヒステリー状態に陥る。グランディエが尼僧に悪魔を憑かせた張本人として火刑に処せられる。

この作品ではガルニェツ(グランディエ)の火刑の後の話として展開する。

ヨアンナは依然として悪魔に憑かれた状態で神父スーリンが悪魔祓いに向かう。尼僧院で神父たちが繰り広げる悪魔祓いの演出は最高。教会の石畳に十字架のように横たわる尼僧たちを上から見つめるように撮るシーンは幻想的というよりはサイケな感覚の方が合っていると思う。

そして、ヨアンナの尋問でヨアンナがブリッジの格好になり悪魔の声で応じるシーンはウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」の階段をブリッジで降りるシーンとして完全に活用されている。

悪魔憑きが女性の男性に対する愛情や情欲であることはストーリーが進む中で明らかにされていくが、スーリン神父自体もヨアンナに魅了されていき悪魔に憑かれるという展開は、何とも「性(サガ)」を表しているようで物悲しさもある。

ヨアンナを演じたルチーナ・ヴィニエッカは同監督の「夜行列車」に引き続き妖しい魅力を出しており最高だった。さすがイェジー・カバレロビッチ監督ストーリー展開も映像の表現力素晴らしく一気に観てしまう傑作だ。


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17世紀のフランスで起こった“ルーダンの悪魔憑き事件”。これを題材にした有名な映画が2作あります。本作「尼僧ヨアンナ」と「肉体の悪魔」です。

この2作の間には、大きな違いがあるのですが、まず時系列で考えた時、「ヨアンナ」は「肉体の悪魔」の後日譚と捉えることができる、という点があります。 といっても、安易に〔続編〕と呼ぶことはできません。

「尼僧ヨアンナ」の原作は“ルーダンの悪魔憑き事件”をポーランドの作家イヴァシュキェヴィッチが独自の解釈を交えて書いた小説です。例えていうと、「赤穂浪士事件」に対する「忠臣蔵」のようなもの。一方「肉体の悪魔」の原作は、オルダス・ハクスリーが綿密な取材をもとに執筆したノンフィクション。舞台や世界観、登場人物の名前も違います。例えば;


  『肉体の悪魔』        『尼僧ヨアンナ』

  地方都市ルーダン   →  ルーディン(映画ではポーランドの無名の寒村)

  修道院長ジャンヌ   →  ヨアンナ(ジャンヌのポーランド語読みですね)

  グランディエ司祭   →  ガルニェツ神父

  イエズス会士・スラン →  スーリン神父

 (スランは原作のみ登場)


「肉体の悪魔」は、グランディエ(ガルニェツ)が火刑にされたところで終わります。一方「尼僧ヨアンナ」は、ガルニェツの死後、新たな悪魔祓い士としてスーリン神父が来るところから物語が始まります。
「肉体の悪魔」はフランスの地方都市(しかもかなりアヴァンギャルドなセットデザイン)が舞台で、映画のタッチは極彩色のエログロ絵巻。


「尼僧ヨアンナ」は東欧的な世界観の荒涼とした風景の中、モノクロの美しい画面であくまで静謐に、狂気が描かれます。この両作品の世界観・イメージはあまりにもかけ離れすぎているので、即・続編と捉えるにはかなりの抵抗が感じられます。しかし、これは多元宇宙的な世界観の中で展開する“ルーダンの悪魔憑き事件”を様々な視点から視ている、と考えれば、これほど面白い比較鑑賞法はなく、この事件を元ネタにしたと言われる「エクソシスト」も“ルーダン事件”の時空を超えた一面(憑かれた少女がとるリアクションの数々や、退魔士の神父の交代劇、といった展開は“ルーダン”事件そっくり)と解釈すると、メチャクチャ面白い映画の楽しみ方ができる、と言えないでしょうか?

本作「尼僧ヨアンナ」の魅力は、イェジー・カワレロウィッチ監督の手腕による、まさにアート映画と呼ぶにふさわしい、ゾクリとする程美しい映像の数々だと思います。


荒野の真ん中にポツリと建つ、白い修道院の幻想的な風景。


楚々と登場した瞬間から、その静かな貌に宿した狂気のまなざし。

ヨアンナ演じるルチーナ・ヴィニエツカのこの演技力!


「肉体の悪魔」でせむしのジャンヌ僧長を演じたヴァネッサ・レッドグレーヴの怪演も鬼気迫るものがありましたが、ヨアンナの貌に突然悪魔が現出するシーンの表情など、本当にコワイです。名女優相譲らず、の感・無量です。


悪魔が“女の血をかきたてて”白亜の壁につける「血の手形」。

礼拝堂の床に、腕を広げてバタバタと倒れる尼僧たち・・・真っ白い十字架が累々と横たわっているようです。

悲しみと嘲りがめまぐるしく交錯する、美しきヨアンナの大写しの貌。

そして、映画のラストで、ヨアンナを救うためにスーリン神父がとった行動とは・・・。


この映画は「悪魔憑き」という設定を通して神や悪魔の存在、そして愛とは何なのか・・・といった哲学的なテーマを問いただしているように思えます。 「肉体の悪魔」では、悪魔の存在そのものの問いかけよりも、「悪魔憑き」を政治的な陰謀に利用する人間たち、またその権謀術数により運命が狂わされていく人々のドラマを描いた作品だった、といえそうです。 同じ題材を扱っても、作品というものはここまで変わるものなのですね。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0036SKPYY/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B00005FW0M&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=0HJ33FGV1K0PYW9M5K1E

  かねてその評判は高いが、日本ではこれまで部分的引用でしか知られていなかった歴史人類学の大著、ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの憑依』(みすず書房 6500円+税)がはじめて全訳された。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%86%91%E4%BE%9D-%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC/dp/4622073978


「ルーダンの憑依」は、十七世紀フランスの田舎町の女子修道院で起きた、歴史上もっとも有名な集団的悪魔憑き事件である。

十七人の修道女からなるウルスラ会修道院に、数週間前に亡くなった告解師の亡霊があらわれた。霊はしばらく修道女のベッドの脇で泣いた。別の亡霊が次の日真っ黒な球のかたちで修道院の食堂にあらわれ、二人の修道女を乱暴に地面に押し倒し、その肩に乗った。やがて修道女たちの肉体と精神に奇妙な変調があらわれ、次々に判断力を失い、全身がすさまじい痙攣に襲われた。

 教会の上層部は動転し、調査をした結果、この事件の犯人は悪魔だと判断した。「悪魔祓い」が専門僧の手で行われた。 悪魔に名を名乗るように命じると、「神の敵だ」という。悪魔にとりわけ狂った院長の体から出るように命じると、院長は暴れ回り、吼え、歯をきしらせ、奥歯が二本欠けた。 悪魔と何度か問答を重ねた末、悪魔を彼女の体内に入れたのは、ユルバン・グランディエという別の教会の司祭であると判明した。


「彼女たちは叫び、(略)グランディエを探そうとして、修道院の屋根に駆け上がり、また肌着だけで木の上に、それも枝の先の方までよじ登ったのです。そこで恐ろしい叫び声を上げながら、風や雨に耐え、何も食べずに四、五日も留まっていた」という。


 この悪魔憑き事件は、たちまちヨーロッパ中に知れ渡り、ルーダンの街に何千もの野次馬が押しかけた(修道女が教会の尖塔に上り宙を飛ぶなどのウワサが広まった)。野次馬は何日も泊りがけで狂える修道女を見物した。野次馬に見られながら、修道女は吼え叫び、土の上でころげまわり、足や手を組み合わせ、足の裏をくっつき合わせたりした。卑猥なようすで舌を出し、つばを吐き、冒涜的な言葉を吐きちらかした。ミサの最中に、足と頭のてっぺんだけで背面位の体を支え、その体勢で階段をかけ上がり祭壇の上で司祭の服を引きミサを妨害した。

 やがて、修道女たちには、一人に何人もの悪魔が乗り移って(多い人には九人も)いるとわかる(悪魔がそう告白する)。修道女たちとグランディエとの対決が行われ、グランディエがどう否認しても、彼が悪魔に使われている証拠が次々に出てきた。六人の悪魔とグランディエが署名した「契約書」すら出てきた(「神を否認して悪魔に仕え、できる限りの悪を尽くし、なろうことなら人間でなくなり悪魔になることを願う」)。グランディエは、ルイ十三世直々の指名による特別法廷で魔法使いとして裁かれた。一カ月余の審理を経て(書類の読み上げだけで十八日間を要し、喚問した証人は百人をこえた)、膨大な証拠(悪魔との契約書など)によって、火刑による死刑が宣告された。刑は一万人以上の見物客の前で執行された。


 裁判中に、修道院長と修道女の一人が、無実のグランディエを告発して罪におとし入れたと告白したが、その告白も、魔法使いの魔力を証明するものとされ何の影響力も及ぼさなかった。

 この異常な事件は、欧米では繰り返し検証の対象となり数々の論文や小説が書かれた。映画も(カヴァレロヴィチ「尼僧ヨアンナ」、ケン・ラッセル「肉体の悪魔」)作られ、オペラも(ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」)作られている。 本書は、驚くほど浩瀚な資料によって、この事件の背景を深く深く掘りさげている。なるほど名著といわれるだけのことはある。

 この事件をもっと大きな構図で知るためには、ポール・ケーラス『悪魔の歴史』(青土社 2718円+税)をあわせ読むとよい。悪魔という観念が、どれほど人類の頭を狂わせてきたかがよくわかる。特に、宗教改革と反宗教改革の時代は最も、悪魔観念にとらわれていた時代で、カトリックもプロテスタントも互いに他を悪魔とみなしていた。ルーダンは実は宗教戦争の最前線で、ついこの間まで、両教徒が殺し合いを続けていた場所だった。

 今世界で一番悪魔の存在を信じている人が多いのはアメリカで、半数以上の人がそれを信じている(ハリウッドは悪魔映画でいっぱい)。かつてアメリカ人にとって悪魔はソ連であり共産主義だった。いまは何なのか。テロリストであり悪の枢軸国家だ。イスラム原理主義者もアメリカは悪魔の国と信じている。だから殺し合いがつづく。

http://blog.livedoor.jp/phoyipsnoons/archives/64959390.html


『肉体の悪魔』の原作はオルダス・ハクスレーの『ルーダンの悪魔』という歴史研究書。 『ルーダンの悪魔』はルイ14世時代のフランスの修道院で実際に起きた悪魔憑き事件を、20世紀の視点で冷静に分析した本。

 田舎町ルーダンにやって来たセクシーな司祭(オリバー・リード)は町中の女たちを熱狂させた。その熱狂は男子禁制の修道院内にも感染し、なかでも修道院長(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は一度も会ったことのない司祭に恋焦がれ、彼に犯される淫夢を見るほどだった。

 ところが司祭は極秘にある女性と結婚してしまった。司祭のファンたちは嫉妬に狂い、精神の均衡を失う。 中央政府は、それが女性たちの性的欲求不満による集団ヒステリーだと知っていたが、権力を持ちすぎた司祭を葬るために政治的に利用する。 司祭が悪魔に魂を売って、修道女たちに悪魔を取り付かせたのだと。そして、政治ショーとしての悪魔祓いと魔女狩り裁判が始まる。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090321

われわれ人類と悪魔との契約を記す文書で、今日まで遺されているものは数少ない。冒頭に掲げたユルバン・グランディエによる一書は、そのなかで最も明確に形を留めたものとされている。

このユルバン・グランディエなる人物は、十七世紀フランスを揺るがしたかの有名な「ルーダンの悪魔憑き」事件の被告であり、一六三四年に同市で火刑に処された札付きの放蕩司祭としてよく知られている。

 彼がサン=ピエール・デュ・マルシェの教区司祭に任命されたのは一六一七年、二十七歳のときであった。栄誉ある就任は彼の自尊心をしばし満たしたが、だからと云い、ひきかえにその美しい面貌を自然に朽ち果てるまで聴聞室の翳がりに埋れさせるつもりはまったくなかった。


 「いや聴罪司祭とは、その気になりさえすればあまたの女と一戦交えるのにこれほど都合のよい地位もあったものだ。まさしく俺にふさわしい、神が与えてくださった恩寵に違いない」


 という次第であり、以来、彼は自ら定めた勤行に忠実にはげむこととなった。のちの裁判が決めつけたような悪魔との取引こそなかったものの、それとは別に、彼は神のことなど識りはしなかったのである。

 この新任の司祭は、手始めとばかり、悔悛に訪れる娘たち次々とものにしていった。とりわけ王室顧問官の娘マドレーヌ・ド・ブルについては、その愛人関係を公けにして憚らなかったという。


 このようにしてグランディエは就任後の数年を思いのままに過ごしたのだが、やがて普通の女では飽き足らなくなってきたちょうどその折、一六ニ六年、同市にウルスラ会修道院が新設された。純潔の砦に集いし十七人の乙女たち――とりわけ「天使のジャンヌ」の誉れ高き院長ジャンヌ・デ・ザンジュのみずみずしい横顔は――さしもの女に食傷気味であったドン・ファンの裔にとっても、新たな意欲を掻き立てるに足るものであったらしい。それが司祭にあるまじき涜神行為になることなど、彼にとってはどうでもよいことであった。


 それにしても彼は、一体どのようにして院長のみか他の修道女たちをも芋蔓のごとく籠絡せしめたのだろうか。いかに名うてのプレイボーイといえど、たしかに悪魔に縋ったような話ではある。それゆえ彼がうまくやってのけた際には、いかなる手管を用いたのかは大いに人の怪しむところとなった。

 この一件はそれだけでは済まされなかった。さすがに聖ウルスラの美名を汚し、その験力をも侮ったとなれば、因果も来たりて誅槌を下すというもの。当初はグランディエに心底惚れ込み、修道院長の地位を譲り渡そうとさえしていたジャンヌであったが、グランディエを御するなどとうてい適わぬこと。頭を冷やして考えるならば、自分といい後輩たちといい、とんだ不始末をしでかしたものだ。このままでは世間の恥さらし、かくなるうえは すべてはグランディエと悪魔の謀りごとに帰してしまうのが上策であろう――というわけで彼女たちは、「悪魔憑き」のシナリオを描いた謀殺者らと利害の一致を見た。

 だが、グランディエの禍根はそれだけではない。誘惑者として中傷と非難を集めるかたわら、彼は政治家として、また著述家としても敵をつくることに余念がなかった。

 政治家としての彼は、聴聞を通じて地方要人の妻たちとのコネクションをつくりあげ、間接的に影響力を行使した。これは、ルーダンにもともといたカプチン会やカルメル派にとっては、あの学者面をした色男に女性告解者をことごとく奪われ、著しく影響を減退させられたかたちとなる。また当地のカルメル派の収入源であったノートル・ダム・ド・ルクヴランス(健康回復の祈祷を受ける聖母)というマリア像も、グランディエの嘲笑の餌食となり験力を失った。

 グランディエは執筆活動も精力的に行った。自由主義的な論文や風刺詩といったものに本領を発揮し、もう一つ機縁があったなら、同じイエズス会士であったルネ・デカルトやあるいは諧謔の思想家フォントネルのようなリベルタンとして名が挙がったかも知れないのだが、あくまでローカルな諷刺家に留まった彼は、当然の帰結として地元政治家や聖職者たちに疎まれる結果となった。

 総じて、彼は誘惑や挑発には長けていたが、保身のすべをまったく知らず、その子供のような無防備さゆえに、自ら火刑場の薪を積み上げていったのである。

 それでも、彼の著作のなかにはマドレーヌ・ド・ブルのために書かれたという『聖職者の妻帯権を求める訴状』といったものまで含まれているのを見るならば、この放蕩者にもそれなりのポリシー、内的な一貫性があったことを認めなければならない。

 「若い男性に禁欲を強いるということは、羊に向かって空を飛べと云っているようなものではないか? 羊を崖に追い立てたところ墜落して死んでしまったとしたら、その責任は羊ではなく牧者にあるのではないか? そのような馬鹿げた不可能事は信仰とは何の関係もない。

 読者諸賢よ、性欲、食欲、名誉欲といった欲望は、それが美辞麗句や欺瞞によって隠蔽されている時にこそ毀めるべきなのであって、それ自体は罪でないばかりか恥ずべきことですらない」

 してみれば、愛人との関係をとりたてて隠さなかったのも、彼なりの誠実さだったのかも知れない。とはいえ、彼の時代そして地位において、そんなことが理解されるはずもなかった。グランディエに対する共同体からの排除は、「魔女裁判」という最も陰惨なかたちで今しも始まらんとしていた。天使たちもまた沈黙のうちに彼の謀殺を許した。グランディエは、手遅れにならぬうちに自制を知る機会を、遂に得ることができなかった。

 ウルスラ会修道院の聴罪司祭であったミニョン神父が、最初の告発者となった。彼もまたグランディエと土地を争い、嘲笑を浴び、従姉妹を誘惑された、つまりはグランディエがつくった敵の一人であった。ルーダンで起こった悪魔憑きのすべては彼が仕組んだ芝居であったが、のちに同類の訴訟が積み上げられ、それは退け難いものとなった。

枢機卿リシュリューは彼の風刺文に恨みを抱いていたし、検察官は娘を孕まされた復讐をする絶好の機会であった。そのうえフランチェスコ会、カプチン会、そしてグランディエ自身の属するイエズス会の神父までもが告発者のリストに名を連ね、グランディエの甘言を信じたために悪魔に憑依され翻弄されたという、かつて彼に捨てられた女たちが次々と証言台に立ったのである。
http://www.geocities.jp/mezusinnou/kaie05.html

尼僧ヨアンナ / イエジー・カワレロウィッチ監督の最高に美しい白黒映画


1960年ポーランド映画。何度も見ているが、これほどの美しい白黒映画を知らない。見る度に新鮮な感動を覚える。全編、考えぬかれた構図がぴたっと決まっていて、そんなところからもこの映画美に引きずり込まれる。

中世のポーランド、辺境の寒村の旅籠にスリン神父(ミエチスワフ・ウォイト)が着くところから映画は始まる。村の尼僧院の僧院長のヨアンナ尼に悪魔が乗り移っている。スリン神父は彼女の悪魔払いのためにはるばるやって来た。スリン神父は僧院で生まれ育った女を知らない敬虔なキリスト教徒であることをみこまれたらしい。前の教区司祭が夜な夜な美しいヨアンナ尼の寝室に忍び込んだために、彼女の肉体に悪魔が乗り移ったと村人は噂している。


旅籠から見ると小高い丘の上にその僧院はあり、中間あたりに、前の教区司祭が火あぶりの刑に処せられた刑場が今も残っている。その横を通って、僧院についたスリン神父はヨアンナ尼と対面する。対話が進むにつれて、ついに悪魔が本性を表して、神父に挑発する言葉と石壁に血の手形を残してヨアンナ尼が立ち去っていく。この時の映像が様々に媒体に使われているので、目に焼き付いている。

二人は誰も入れない広い屋根裏部屋で、苦行を続けるうちに、通いあう心が芽生える。ついに、口づけをきっかけに悪魔はヨアンナ尼からスリン神父の肉体に乗り移る。神父はヨアンナ尼への愛ゆえに、悪魔を自分の肉体に留め置こうと決意する。ヨアンナ尼を救う道はそれしかないことを悟って、悪魔と取引をする。取引の条件は殺人の罪を犯すことだ。スリン神父は二人の村人を斧で殺害して、ヨアンナ尼を悪魔から救う。

途中、悪魔払いに自信を失って、ユダヤ教の司祭を訪れて助言を求める。 ここでユダヤ人司祭はキリスト教徒のユダヤ人迫害を持ち出して、話しは決裂する。このシーンもあって、この映画はキリスト教徒の自己分析の映画ではないかと思った。根底にはナチスドイツのホロコーストがあるのかも知れないが、作者は普遍的なレベルを問題としているように思えてしかたがない。というのも、今見ても鮮度を失っていないと感じるから。

http://page.sgy3.com/index.php?ID=1162

中世末期。ポーランドの小村にあるウルシュラ修道院の尼僧長「天使の」ヨアンナの身体には6体の悪魔が憑いていた。悪魔はときとしてヨアンナの意識をのっとり、彼女に悲鳴を上げさせ身体を操った。彼女のほかの尼僧たちにも悪魔は憑き、修道院内は悪魔憑きの病的な空気に深く包まれていた。事態を収拾するため教会から派遣されたスーリン神父はヨアンナに憑いた悪魔を祓う祓魔式に臨むことになる。

スーリンが修道院に向う途中で聞くヨアンナの噂は不穏だったが、実際に彼女と面会してみればそこには憔悴した一人の尼僧がいるだけだった。しかし面会が終わり、神父が十字を切ったとき彼女は豹変する。表情は一変して恐ろしい形相となり、魂の奥底まで覗き込むような凄まじい目つきで神父を睨みつける。彼女に憑いた悪魔が目覚めたのだ。悪魔は彼女の口を借りていうだろう、「そう簡単に俺をこのかわいい体から追い出せると思うなよ」と。

ヨアンナの祓魔式は公開される。興味本位で集まる野次馬たち。ヨアンナをはじめほかの尼僧たちに憑いた悪魔たちまでもが暴れだし、修道院内は狂気のるつぼと化して儀式は失敗に終わる。スーリンは公開をやめ、屋根裏の密室での祓魔式に切り替える。時間をかけ相手の話に耳を傾け、精神を落ち着かせる。これは現在でいうカウンセリング式の精神療法によく似ている。面会を重ね、ヨアンナの人となりを知るにつれ神父に募っていく彼女への思慕の念。何としてでもヨアンナを癒し、彼女を聖女にしたい。その思いが嵩じたために、予想外のおそろしい事態を招いてしまう。

この小説は実際にあった悪魔憑きの事件を著者がアレンジして小説としたもので悪魔に直面した神父が自らの信仰を自問し、女への愛情を自覚する内面探求の物語となっている。これは著者の文学の特徴であって訳者は巻末の解説で著者についてこう述べている:

イヴァシュキェヴィッチの小説は、ポーランド近代文学が自らの宿命とみなしてきた政治性、愛国憂国亡国の問題、祖国の蜂起や戦争をめぐる主題などをそれ自体として全面に押し出すことがほとんどない。時局に対応して、作者自ら政治的寓意を含ませるということもほとんどなかった。焦点をあてられるのは、常に、愛や死、歴史の無常、あるいは美の衝撃に直面した個人の内面劇であった。

きわめてショッキングな内容を扱ってはいるものの、この小説においてもっとも注目されるのは結局はスーリン神父の内面の問題であり、悪魔憑きの事件は彼にとっての契機としてあるに過ぎない。

悪魔とは何であるか。それは誰のなかにも棲んでおり、われわれを日々罪へと誘惑する囁きのことではないのか。ヨアンナは敬虔な尼僧だが、彼女も人間であって傲慢さと無縁ではない。その弱点を意識しすぎるあまりの狂気の発作、それこそが悪魔の正体ではなかったか。

かつてスーリンの前に祓魔式に臨んだ美男の神父は、尼僧たちの関心を惹きすぎたために断罪された。女だけの閉鎖的な空間で厳しい戒律に縛られて続く禁欲的な日々。それが若い女たちの自然な欲求を歪め、集団ヒステリーを引き起こしたとしても異常とは思えない、むしろ自然な反応だと管理人には思える。最初の祓魔式の恐ろしいような狂気のカオスも集団ヒステリーの場面と捉えられなくはない。

修道院をときどき抜け出しては村の庶民たちと他愛ない噂話に興じて憂さ晴らしをしていたある尼僧だけは、悪魔憑きと無縁な健康体でいるという設定に注目すれば、管理人と同じ見解を著者もこの事件に関してもっているように思える。それにしても最後に勝利したのは悪魔だったのか、人間だったのか。

http://epi-w.at.webry.info/201104/article_1.html


フロイト的抑圧の光景 / 「尼僧ヨアンナ」 イェジー・カヴァレロヴィチ


フロイトそのまんまに、まずは書いていこう。もともと人間の「性」は抑圧されている。

そうしないと、秩序はうまく保たれないからだ。宗教や法や政治というのは、そのような「性」を封じ込めて、それで社会全体がうまく機能するようにするためのものといってよい。

そういう抑圧のシステムの中では、男性の側から一方的にみると、この映画の冒頭の下卑た宿屋の主人のセリフにあるとおり、女性というのは聖女であると同時に淫らな存在である。社会的な禁忌を破るものはすなわち「悪」であるとするならば、そのような性的な存在である人というものは、映画の中でカトリックの僧侶の主人公と問答をするユダヤ教の僧侶の認識とおり、もともと悪を秘めているし、そもそもそれが前提となって世界は出来あがっているということになる。


さらに、性的な抑圧は、時にそれがうまく機能しないと、人間の精神に破綻をきたすこともある。フロイトは単刀直入に、精神病の病理を性に結びつけて考えた。

この映画は、カトリックの修道院が悪魔に獲りつかれているため、その修道院に派遣されてきた僧侶の破滅の物語。
悪魔につかれた尼僧ヨアンナに、悪魔払いの様々な努力をするが、そのうちに僧侶自体がその悪魔に取り付かれていくという筋書きなのだが、映画のテーマは、性的存在である人間の悲劇といったところかと思う。

映画の観方は様々でよいと思うが、共産主義体制の抑圧の風刺うんぬんはちょっとピントがずれていると思う。この映画の取り扱っているのは、もう少し人間の禁忌の起源に触れるようなものであろう。

単純といえば、単純。

宗教と性・・・そのまんまフロイトのテーマである。


荒涼としたポーランドの風景に、精神の破綻を来たした女性の悪魔劇が延々と続いていく。そして、性的なものから隔絶した存在であるべき僧侶が、尼僧との対峙を通じて、人間の暗い性の世界に落ち込んでいく様を、完璧なカメラワークと清みかえったモノトーンの画面の中でゆっくりとゆっくりと描写していく。

悪魔に憑かれる、すなわち精神に破綻を来たした尼僧たちが、躍動する女性としてむしろ魅力的にみえるのは自分だけではないはず。それはこの映画の監督の狙いだったと思う。

http://masterlow.blog74.fc2.com/blog-entry-165.html


「悪魔憑き」の現象という戦略 ―― 封印され得ない欲望系との折り合い


  1) 閉鎖系の空間状況下での修道女たちのストレスと、ガス抜きされねばならないという構造性


 この映画を今回観直していて、私の脳裏を過ぎったのは、ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」(イギリス・アイルランド合作映画・2002年製作)の幾つかのシークエンスである。

 それは、アイルランド各地から「非行少女」を強制隔離して、「堕落したあなた方も、信仰を取り戻すでしょう」と言い放つ、シスター・ブリジッドの訓示によって開かれた「マグダレン修道院」の苛酷な物語であった。 「未来の修道女」を目指すことを強いられる「非行少女」たちの実話であるから、観ていて余計総毛だったものだ。 とりわけ、修道院のルールに背いた「未来の修道女」に対するシスターたちの「教育」は、彼女たちの若い自我を壊しかねないほどの陰惨さに満ちたものだった。


 洗濯場で全裸にされた娘たちを一列に並ばせて、シスターが吐き出す言葉の暴力は殆んどサディズムと言っていい。

 「オッパイが大きすぎる子がいるわね。

フランシスは意外ね。こんな貧弱なオッパイは見たことはないわ。乳首もないわ。
見た?普通じゃないわ。ハハハハ。

一番のぺチャパイはフランシスね。一番のデカパイは?・・・」


 シスターによって、「陰毛賞」という低俗なるネーミングによるヘイトスピーチが吐き出され、その対象となった「未来の修道女」は泣き出すばかりだった。


 このエピソードで瞭然とするように、「マグダレン修道院」では、シスターを頂点とする「権力関係」が形成されていて、ここに寄生する修道女たちの日頃の不満やストレスをガス抜きする手段として、「未来の修道女」に対する陰湿な虐めや暴力が日常化しているという現実があった。 いや寧ろ、「権力関係」を保持する「潤滑油」として、この類の暴力が常態化していたと言ってもいい。

 ここで重要なのは、修道女たちのストレスが、このような方法論によってガス抜きされねばならないという、その構造性そのものである。 そこでは、厳然たる「権力関係」が存在し、閉鎖系の空間状況を現出させていた。 そして「権力関係」を補完的に強化するシステムが殆んど万全であり、何よりも、「不道徳なる娘たち」を矯正するという大義名分があった。 そして、このような施設の存在を認知する社会的背景があり、そこに送り込まれた娘たちの親族の、堅固な協力体制が厳然と存在していたのである。

 以上の言及は、1996年に閉鎖されたアイルランドの修道院の実話についてのもの。 ここからは、本作の修道院のケースを見ていきたい。

 2)「悪魔憑き」の現象という戦略 ―― 封印され得ない欲望系との折り合い


 本作の時代背景は17世紀半ば。 場所は、ポーランドの寒村の尼僧院。

 映画を観る限り、この尼僧院には、「マグダレン修道院」のような堅固な「権力関係」が存在したとは思えないし、まして「未来の修道女」に対する陰湿な虐めや暴力が常態化していた訳ではない。 いや、それ故にこそと言うべきか、尼僧院内部の閉鎖的環境下で生活する尼僧たちにとって、色彩感の乏しい日々の累積の中でストックした、様々なストレスを解消する手立ては相当に限定的であっただろう。 しかし、その限定性は相対的なものだった。 そこが、「牢獄」の如き「マグダレン修道院」の閉塞性と分れていたのである。

 個々人の欲望系が、抑性的に処理される技術のみが求められる生活の日常性は、そこに特段の破綻を来たす事態が招来しなければ殆ど問題ないが、閉鎖的環境下で許容された自由の濃度が相対的に深かったならば、却って、個々人の欲望系の出し入れが恣意的になりやすく、抑性的に処理される技術のコントロールも困難になるであろう。


 「聖」の象徴としての尼僧院が建つ丘の下に、まるで対極の構図のように構える、「俗」の象徴としての木賃宿。 そこに通う僧院の門番の話によると、尼僧院では、夜間でも門を閉めないから出入り自由であり、肉食も自由であると言う。 即ち、尼僧院の尼僧の個々人の欲望系は、「絶対禁欲主義」の縛りから相対的に解放されていたのである。 まして、美しい女性の尼僧院長であるヨアンナの下で、先の「マグダレン修道院」のような堅固な「権力関係」が形成されていた訳ではなかった。 尼僧たちは、適度なガス抜きを愉悦していたのである。

 現に、「聖」の象徴としての尼僧院に暮らす一人の尼僧は、折に触れ、「俗」の象徴としての木賃宿に通っていて、世俗の話題を存分に共有していた。 そればかりか、木賃宿の色好みの亭主に酒を飲まされ、軽快なテンポで歌まで歌うのだ。

 
 「惚れる男がいなければ、私は一生尼暮らし」


 こんな歌を平気で歌う尼僧が、スリン神父に見つかり、退散するシーンは印象深いものだった。 なぜなら、後に男との駆け落ちに失敗ししたこの尼僧は、男に捨てられて嘆いていたが、ここまで徹底的なガス抜きを愉悦していたならば、もう本質的に、彼女は「俗」の住人であるとしか言えないからだ。 そして重要なことは、この尼僧が「悪魔憑き」に捕縛されていなかったという厳然たる事実である。


 「俗」の住人には、「悪魔憑き」という現象が無縁であったこと。 それこそが、本作の根柢にある主題に関わる由々しき現実なのだ。

 ともあれ、そんな環境下にあったからこそ、美男で若いガルニエツ神父が、尼僧院の門戸を開けて、夜毎に美しいヨアンナの寝室に忍び込むことが可能だったのだろう。

 「尼僧たちは、神父の訪問を享楽していた。悪魔に取り憑かれた尼たちは、人目も憚(はばか)らず、大声で喚き立てていたのです。会堂で例拝の間にも、淫らな行為をしていました」

 これは、スリン神父が土地の者から聞いた話。
 
 そのスリン神父が、ヨアンナとの関係形成の中で、本人から直接聞いた話がある。 既に、「悪魔憑き」によって隔離を余儀なくされていたヨアンナは、スリン神父に語っていた。


 「神よ、このあさましい私は何ものですか?私はただの尼です。父は公爵でしたが落ちぶれて、スモレンスク(注)にいるとのことですが、不明です。八つの悪魔に取り憑かれたのは、私の落ち度でしょうか」


(注)17世紀初頭のロシア・ポーランド戦争の「スモレンスク包囲戦」によって、ポーランド=リトアニア共和国に割譲された都市。現在は、ロシア連邦に帰属。


 スリン神父に語った、このヨアンナの言葉をみても分るように、彼女は恐らく、他の多くの修道女がそうであったように、「聖女」を目指す強い「宗教的使命感」によって尼僧になった訳ではない。

 普通の欲望と感情傾向を持った美しい女性の、その閉鎖的な日常性の中にあって、存分なまでに世俗に塗れた世界との比較において、己が欲望系を封印されることを余儀なくされたとき、「聖」の世界に殉じる者の非日常の時間の広がりに同化していくに足る、「最適適応戦略」の要請が内側から強迫的に突き上げて来た心的プロセスが仮定できるだろう。

 しかし、その強迫的な時間の空洞を埋めるような事態が出来する。 これが、美男で若いガルニエツ神父の振舞いであった。 夜毎にヨアンナの寝室に忍び込む時間の形成の本質は、例えそこに「禁断」の印が張り付いていたにしても、その行為自身が「男女の恋愛」か、それとも、「男女の性的関係」の愉悦以外の何ものでもなかったことは否定できないだろう。 「禁断」の閉鎖空間で男女の関係が作り出されたとき、何かが大きく変わっていく。

 変わっていったものは、ヨアンナが日常的に封印していた生々しい欲望系の情感世界である。 その中枢の感情が、性欲であると言っても間違いないだろう。 しかし、「禁断」の閉鎖空間での睦みが世間に知られるに至って、生々しい欲望系の情感世界の延長は人為的に遮断され、その反徳行為は最も厳しいペナルティを招来した。 ガルニエツ神父の火刑である。

 「ガルニエツ神父の火刑の前夜、尼さんたちは裸で庭を走り回って、神父の名を叫んでいたということだ」

 これは、「俗」の象徴としての木賃宿で拾われた言葉。 「悪魔憑き」の現象である。 この「悪魔憑き」の現象が尼僧院で本格的に出来したのは、それ以降である。 これが、尼僧ヨアンナを中心とした尼僧たちの、その欲望系の情感世界が人為的に遮断された結果、そこに出来した最悪の現象の真実の様態だった。

 
 欲望系の情感世界が封印された中枢の空間で、禁断の印を存分に解いてしまった尼僧たちの自我にとって、なお封印され得ない欲望系と折り合いをつけるには、「悪魔憑き」の現象という戦略以外になかったのである。 「事件」が発覚し、ガルニエツ神父の火刑によって、そこで展開されていた人間の欲望の自然な発動のラインが破壊された代償は、「最適適応戦略」を容易に手に入れられないアポリアの中で、既に限定的であったということだろう。

 3) 我が身を鞭打つ肉塊の炸裂にまで上り詰めて


 「これからお前と闘わねばならない。お前の縄張りだろうと、私は神の使いだ。私は善で、お前は悪だ」


 これは、「悪魔」に対するスリン神父の戦闘宣言。


 「悪魔が女の血を掻き立てて、壁に付けるのです」


 これは、スリン神父の参戦に対するヨアンナの、「悪魔憑き」の現象という戦略による意思表明。 かくて、二人の「実存」を賭けた心理戦争が開かれた。


 「神を敬えと言われても、私にはできないことです。地上のどんな力でも、私を束縛できない。私はいつも自由です。束縛など嫌です」


 このヨアンナの言葉には嘘はない。 「悪魔憑き」の現象という戦略によって、彼女は閉鎖空間で、なお自分の思いを繋ごうとするのだ。 そんな彼女の振舞いを目の当たりにした司教たちによって、「悪魔払い」の儀式を経て、彼女は束縛されるに至る。 ヨアンナの叫びが、白一色の人工空間の中で刻まれた。 隔離されたヨアンナの苦悩を引き受けようと、スリン神父の苦行が開かれた。


 「愛は悪を追い払います」


 スリン神父は、ヨアンナに語った。


 「汚辱に満ちた誇りを捨てなさい。あなたの苦しみを全て吐き出すのです」


 スリン神父の熱意が、ヨアンナに連射されていく。


 「八つの悪魔に取り憑かれたのは、私の落ち度でしょうか」とヨアンナ。

 「子供のように純真になればいいのです。神はきっと愛して下さる」とスリン神父。

 「もし悪魔が、あなたに乗り移ったら?」とヨアンナ。


 際どい会話が、二人の心理戦争の濃密な時間の内に捨てられていく。 濃密な時間の内に捨てられた二人の心理戦争は、まもなく、屋根裏部屋に籠って我が身を鞭打つ肉塊の炸裂にまで上り詰めていくのだ。 スリン神父の手を取るヨアンナが、そこにいた。 思わず、その手を突き放した神父は、

「あなたが悪魔だ」


と洩らしてしまった。 泣き崩れるヨアンナが、そこに置き去りにされた。


 4)「神学論争」を超えるドストエフスキー的な教理問答 ―― 迫るラビと、立ち竦む神父


 悪魔払いに自信を失ったスリン神父が、ユダヤ教のラビを訪れた。 そこで展開された、ドストエフスキー的な教理問答は、以下の通り。


 「あなたは、何を指して悪魔というのですか?
それは何処から来て、誰が作り出したものですか?」

とユダヤ教のラビ。

 「それは神です」とスリン神父。


 「悪魔が世界を創ったとしたら・・・

神がこの世界を創造されたとするならば、死や病気や戦争が起こるのは何故ですか?

何故、私たちユダヤ人が迫害を受け、何代にもわたって侵略と虐殺の恐怖に苦しむのか」


 「それは原罪です」


 「原罪だと言うのか。アダムとイヴの堕落です。人間は何度も堕落し、立ち直りもする。人の犯す全ての悪業は、決して悪魔のせいではないのだ。

最初の人間の堕落と、最初の天使の堕落です。

なぜ天使は、人間の女に巨人を生ませたのか。答えて下さい、神父」


 「天使は不可解な存在です」

 「ヨアンナを天使の尼僧と呼ぶが、ただの女に過ぎない。では、天使とは何ですか?」

 「神の使いです」

 「悪魔もそうだ。神の意志で人間の心に取り憑く」

 「それはどんな時に?」

 「悪魔を強く愛した時です」

 「悪魔を愛するとは?」

 「愛はこの世で起こる、あらゆる物事の基です」


 この会話には、少し説明が必要だ。

 本来、ユダヤ教では、「悪魔」とは「神の敵対者」というよりも、「サタン」の語源がヘブライ語で、間違いを犯した人間に罰を与える「天使」を指していて、寧ろ「神の僕(しもべ)」という役割を持っていた。 

ところが、「神は慈悲深い愛」と説くキリスト教の成立過程において、現実社会で出来する理不尽な死や、災厄や戦争、繰り返される人間による迫害や悪業の根源について的確な解答を提示せねばならなくなったとき、そこで作り出された観念の産物が「神に対する絶対敵対者」としての「悪魔」という概念だった。 このユダヤ教のラビは、キリスト教の敬虔な神父に対して、その辺りの本質的な疑問を投げかけたのである。


 元来、ユダヤ教では性衝動や性行為を自然なものと考えているから、「セックス」を不浄視していない。 従って、「性欲」に懊悩するヨアンナを、「ただの女」、即ち、普通の人間であると言い切ったのだ。 

詰まる所、「悪魔」とは、人間の心が作り出したものであると断じているのである。 このユダヤ教のラビの究極の発問への答えに窮するスリン神父が、そこに立ち竦んでいた。 本作の根源に迫る最も重要なシークエンスは、こうして閉じていった。


 5) 確信的な破戒僧の「覚悟の愛」を受容する尼僧 ―― その裸形の人格像の逢着点


 教理問答を経て、スリン神父の中で何かが変っていく。

 「あなたを助けます」

 彼はヨアンナに会いに行き、自分の思いを告げる。 鉄格子の内側に閉じ込められているヨアンナは、今やもう、自分の中で騒ぐ情感の揺動を隠そうとしない。 彼女は「悪魔」への愛を語るのだ。


 「私は悪魔が大好きで、悪魔に抱かれているとき、私はどんな運命でも甘受します。悪魔は最高の存在です」


 ヨアンナは、スリン神父にそう言い切ったのだ。 ヨアンナへの思いが変わらないスリン神父は、自然の成り行きで彼女に近づいて、口づけした。 自ら犯した行為に驚愕し、神父は走り去って行った。 それは、「悪魔」を自分の体内に取り憑くことを受容する行為でもあった。

 「何でもするから、私に取り憑いていろ」

 スリン神父の覚悟を括った言葉が捨てられた。 彼は「悪魔」に語ったのだ。 その後のスリン神父の行為の異常性は、紛れもなく確信犯の範疇にある者の選択的行動だった。 ヨアンナから「悪魔」を憑依させたスリン神父は、「悪魔」の命によって、斧を使って二人の村人を殺害したのだ。 「悪魔」との取引である。

 ヨアンナへの愛の、彼なりの答えであるが、神父の犯した行動は、それ以外に考えられない最も象徴的な行為だったと言える。 二人の男を殺害することは、彼にとって、「悪魔」を内側に憑依させることだからだ。 破戒僧となったスリン神父は、自分の思いを、一人の女を通してヨアンナに伝えた。

 「全て愛が、そうさせたのだ」

 これが、スリン神父のヨアンナへの伝言。 伝言を任せられた女こそ、駆け落ちをして男に捨てられた尼僧である。 「俗」の象徴としての木賃宿との往還という適度なガス抜きをすることで、彼女は「悪魔憑き」から解放されていたが、「聖」の象徴としての尼僧院の生活を完全否定する駆け落ちへの流れ方は、「悪魔」への屈服であるから、男に捨てられる運命を余儀なくされるという「象徴性」を被されていたと読むことも可能だろう。 「覚悟なき愛」の逃避行は自壊するということか。

 ともあれ、その尼僧を介して、スリン神父の「覚悟の愛」を受容するヨアンナの表情からは、映像を通して初めて開く裸形の人格像が露呈された。 彼女は嗚咽したのである。 確信的な破戒僧の、確信的な行為を受容した瞬間である。 「聖」なるものの「象徴性」が一切剥ぎ取られたとき、そこに胚胎した未知の「前線」は、欲望系の情感世界を封印せずに済む地平に辿り着いたと言える何かなのか。 少なくともそれは、ヘビーなモノクロの映像が訴えるものの根源に触れる何かであったに違いない。

 そのヘビーなモノクロの映像を貫流する基本的構図が、今更のように想起される。 緑なき小高い丘に聳(そび)える、「聖」なるものの象徴としての尼僧院と、それを俯瞰する、「俗」なるものの象徴としての木賃宿との対極の構図である。 そして、この構図の中間スポットに、ガルニエツ神父が火刑にされた処刑場の残滓が剥き出しになっているのだ。 同様に破戒僧であったガルニエツ神父は、「聖」と「俗」を自在に往還し、「聖」なるものの中枢に「欲望前線」を全開させてしまったのである。 この「前線」には、尼僧院長のヨアンナばかりか、他の尼僧たちも求めてアクセスしたに違いない。 「淫靡(いんび)なる忍びの行為」を突き抜けて、無秩序に稜線を広げた「欲望前線」での振舞いへのペナルティは、ガス抜きの範疇を逸脱した反徳行為として裁かれるに至った。 ガルニエツ神父には、「悪魔」、「悪魔憑き」、「悪魔祓い」などという観念のゲームの発想は、恐らく初めから存在していないのである。

 ところが、スリン神父の行為は、


「悪魔憑き」→「悪魔祓い」→「悪魔の憑依」

という流れの中で、殆ど確信的に遂行されたものだ。 「聖」なるものの「禁断」の閉鎖空間に閉じ込められて、懊悩を極めるヨアンナの裸形の自我に触れ合うことができるのは、その方法しかないと考えたのだろう。

 実話にはない、殺人まで犯した神父の振舞いを描き切った作り手の意図は、普通の欲望と感情傾向を持った女性が「欲望前線」に踏み入れたとき、最も厳しいペナルティによって人為的に遮断される運命から免れないシステムを相対化するには、「覚悟の愛」を身体化する表現なしに具現できないと考えたのかも知れない。

 人間としてあまりに自然な「男女の睦み=『性』」を、「悪魔」の仕業と読み替えることの「愚」の問題も含意させた、この厳しくも真摯な構築的映像は、人間の「欲望前線」の尖りを極端に嫌う全体主義へのシステムへの批判とも受け取れるが、映像を観る限り、精神医学の臨床治療の格好の素材にもなり得る、人間の根源的問題を巡る省察と問題提起という文脈で把握する方が、寧ろ自然であるように思える。 人間の普遍的問題をも網羅した、このような構築的映像こそ、私の最も好む表現世界である。

http://zilge.blogspot.com/2010/08/61.html

イタリア産尼僧映画の系譜


世の中には尼僧映画と呼ばれるジャンルがある。英語ではNunsploitationと呼ばれ、その人気はいまだに世界中で根強い。欧米では専門の研究書まで出版されているほどだ。 尼僧映画がブームとなったのは主に70年代。そのルーツはイエジー・カワレロウィッチ監督のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』(60)とされているが、もちろんそれ以前から尼僧を題材にした映画はヨーロッパ各国で作られてきた。しかし、現在認知されている尼僧映画の定義と照らし合わせると、やはり『尼僧ヨアンナ』がこのジャンルの原点であると言って差し支えないだろう。

 その定義を一言で述べるならば“抑圧”。性的抑圧、社会的抑圧、精神的抑圧など、男性主導の父性社会で女性が受けてきた様々な抑圧を集約したものが尼僧映画なのである。『尼僧ヨアンナ』では教会から“悪魔憑き”と見なされた尼僧たちの集団ヒステリーを題材に、女子修道院という狭い世界へ閉じ込められた女性たちの苦悩と哀しみを描きながら、このような非人道的な抑圧を強いる権力や社会の偽善を痛烈に批判した。それはすなわち、社会主義国だった当時のポーランドにおける理不尽な圧政へ対する批判だったと言えよう。

 この『尼僧ヨアンナ』によって撒かれた種が、その後の世界的な左翼運動の高まりによって“尼僧映画”という1つのジャンルを生み出すに至ったとも考えられる。各国で物議を醸して話題となったケン・ラッセル監督の問題作『肉体の悪魔』(71)も、このジャンルの盛り上がりに多大な影響を与えた。

 ただ、必然的に登場人物の殆んどが女性で占められ、多分にセクシュアルな題材を取り扱っていることから、やがて低予算のポルノ映画として応用されるようになっていく。そのきっかけとなったのは、やはりポーランド出身のワレリアン・ボロズウィック監督による『修道女の悶え』(77)である。抑圧された生活を送る尼僧たちの赤裸々な性欲を描いたこの作品は、芸術的なアート映画であると同時に大胆な性描写を含むポルノ映画的な要素も併せ持っていた。結局、そのポルノ映画的な部分が世間の人々の関心を集め、この作品は欧米で大変な話題となり、柳の下のドジョウを狙う尼僧ポルノが続出することとなったのだ。
http://angeleyes.dee.cc/nunsploitation/nunsploitation.html


49. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 12:41:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[431]

ケン・ラッセル「肉体の悪魔」 (ルーダンのせむし女)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10368397
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10368373
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10368349
http://www.youtube.com/watch?v=J8Xgm1u_SF4
http://www.youtube.com/watch?v=iYvzamRsu7A
http://www.youtube.com/watch?v=_5SnTm1vBD0
http://www.youtube.com/watch?v=lsJzXiL5EV0
http://www.youtube.com/watch?v=XYtqr5G2xCo

「ワイセツか!芸術か!血とSEXと残酷の嵐!
露出描写ギリギリで迫る史上最大の興奮巨篇!」

これは1971年、この映画の日本公開当時につけられたキャッチコピーです。

「ギラツク性!熱っぽい風!日夜身悶えてはONAるメスの○○集団!」

「異常快楽にふける野獣に若い女達はオール・ヌードで乱れに乱れる!」

「正常な人間ではとてもたえられない血と肉体の性宴!」

・・・まるでポルノ映画です。本作は“イギリス映画史上で最も凶悪な作品”とも呼ばれました。でもこれは、実際に起こった有名な悪魔憑き事件を描いた映画なのです。

17世紀、フランス。絶対王政の確立を目論む枢機卿リシュリューは地方都市の自治制度の廃止を宣言。ルーダンの町にも城壁を破壊するための使者がやってくるが、司祭グランディエ(オリバー・リード)は言葉巧みにこれを阻止する。

魅力的な風貌に明晰な頭脳を兼ね備えたグランディエは女性たちの羨望の的、のみならずプレイボーイでもあった。尼僧院の僧院長ジャンヌ(ヴァネッサ・レッドグレーブ)もまた、彼への想いに取り憑かれ、淫らな妄想に耽る・・・

しかし、グランディエの結婚の噂を聞き、嫉妬に狂ったジャンヌはヒステリー状態に陥り、彼を悪魔との密約者だと告発。彼女の狂気は他の尼僧たちにも次々と伝染していく。グランディエ失墜を狙っていたリシュリューはニヤリ。ここぞとばかりに、凄まじい悪魔祓いの儀式が幕を開ける・・・!

本作はイギリス映画界の異端児と呼ばれ、スキャンダラスな作品を連発した監督のケン・ラッセルの最高傑作の一つでもあり、内容的にもビジュアル的にも、相変わらずブッ飛びまくっているのです。 デレク・ジャーマンよるアヴァンギャルドなセットデザイン。そしておなじみ、シャーリー・ラッセル(監督夫人)によるポップでアートな衣装の数々。いつもながらの、時代考証なんかまるで気にしない暴走演出(笑)。中盤から始まるエクソシズムのシーンは、ほとんどアングラ・ロック・オペラ。

スキンヘッドで全裸の尼僧たちの、絶叫と狂乱。ロックスター(レノンそっくり)のような悪魔祓い師の過剰なパフォーマンス。


聖水の浣腸注射。ゲロ吐き。悪魔祓いをショウのように楽しむ聴衆たち・・・。

そしてグランディエは捕縛され、拷問の果てに火刑にされてしまうのです・・・。


本作は、「知覚の扉」で知られるオルダス・ハクスリーが、この事件について、当時の歴史・政治・宗教的な背景を含め徹底的に調べ上げて書いた力作「ルーダンの悪魔」と、ジョン・ホワイティングがそれを戯曲化した「The Devils」をケン・ラッセルが脚色したもの。

町山智浩氏によると、この原作こそ「エクソシスト」の元ネタとの事。ナルホド、読んでみると


「冒涜的な言葉で罵る」
「痙攣」
「嘔吐」(汚物を吐くのが悪魔憑きの証なのだとか)
「空中浮揚」
「アクロバット的行為」(ブリッジ&スパイダーウォーク、などの奇態)


といった要素はこの本の中に全て書かれています。ルーダンの悪魔憑き事件は、エクソシストものの原点、と言えそうですね。

____________

本作は、ケン・ラッセルが、最もスキャンダラスで油が乗り切っていた頃の1971年作品にして、何かとお騒がせな最大の問題作。事実、英国では、公開時“イギリス映画史上で最も凶悪な作品”と称された過激な映画である。 自分は長らく観る事が適わず、初見したのは、表現が緩和された(笑)アメリカ・ヴァージョンのトリミングされていないLD版(即ち、今ビデオと同等)で、であった。

17世紀のフランスの村ルーダン、時の枢機卿、旧教徒たちが、性的禁欲生活に抑圧された尼僧たちの淫らな欲情と妄想を利用して、中央集権化に反抗する好色の司祭を謀殺し、村を自治領下に置いたと言う極めて政治的なお話。

何度見ても、仰け反ってしまう激烈で猥雑な描写とグロテスクなクローズアップの多用、思わず裸足で逃げ出したくなるような凄まじくパワフルで爆走的な背徳的映像の連続。

ラッセル自身は、自分は敬虔なカソリック信者であり、今作を宗教的冒涜と評されるのは心外と語っているが、童貞だった中学時代に観た町山少年にとっては、間違いなくトラウマであっただろう(笑)。

マイエリズムを意識したかのような動きのヴァネッサ・レッドグレーヴ、せむしの身体をくびらせての怪演だが、自伝「ヴァネッサ・レッドグレーヴ伝」を読むと、彼女は、今作の撮影時、出演者を集め、イギリス政府の演劇人に対する労務管理法案について討議し、ストライキを打つ事をオルグ、決議させた一方、フランコ・ネロとの関係で身もごっていたベイビーを流産させてしまっていたらしい。あのファナティックな狂態を演じていた陰で、そんなドラマがあったとは、色々な意味で凄い女優である。

http://www.amazon.co.jp/%E8%82%89%E4%BD%93%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94-VHS-%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB/dp/B00005HCFF

本映画は、主人公、自治都市ルーダンの執政官にして司祭グランディエが、最初は彼は世界に絶望しており(映画のなかのグランディエの台詞「愛という名の情欲、そして病のような孤独と倦怠!」)ひたすら漁色家として淫欲に耽り、世界に絶望した刹那的変態エロエロな毎日を過しているのですが、彼のことを心から愛する純朴な少女マドレーヌと出会い、彼は最初はマドレーヌをただ、沢山いる女性の一人としてしか見ていませんが、彼女の真情、真心からの愛情を感じ、改心します(映画のなかのグランディエの台詞「私は、彼女を愛している!)。

そして彼女と結婚し、生涯彼女一人を愛することを誓い(一夫一妻の誓い)、そして新教徒も含めた万人の人々の幸せの為にルーダンの執政官かつ司祭として働くことを誓います。彼はイエズス会司祭(カトリック)なので、彼は新教徒を守る必要は教会での立場から考えると何もないのですが、彼は全ての人々を守る、新教徒も守るという姿勢で、新教徒虐殺を狙うリシュリュー枢機卿と対決します。


時はフランス王国ルイ13世治下、変態的漁色家で「首をちょん切っておしまい」な女王様(イギリス女王メアリ1世)並に簡単に人を殺す残酷さを持ち、変態的漁色家に耽って政治にやる気のない割には新教徒ユグノー派弾圧好きな無能王ルイ13世(史実のルイ13世がここまで無能な王かどうかは別として本映画ではとんでもなく無能な愚劣王として描かれています)の下で権力を握り、中央集権体制確立の為の自治都市破壊とユグノー派弾圧を行うフランス王国宰相、冷酷無比にして優秀な政治家であるリシュリュー枢機卿はユグノー派の拠点自治都市ルーダンを滅ぼそうとします。

ルーダンの人々が虐殺されるのを防ぐ為、マドレーヌとの愛により改心してルーダンの立派な領主となった主人公グランディエ司祭は、ユグノー派の拠点であるルーダンを殲滅しようとしているリシュリュー枢機卿の思惑を感じ、ルーダンを守る為、ルーダンに手をださないでくれと国王に必死の懇願に出かけます。

リシュリュー枢機卿は陰謀に長けた冷たいマキャヴェリストで人々を虐殺しまくり、フランスの中央集権制整備を名目に新教徒の拠点であり、グランディエが治めていたルーダンらの各地方自治都市を殲滅(自治都市を丸ごと滅ぼす虐殺)したのは史実です。リシュリュー枢機卿の評価は無能なルイ13世の元で実質的にフランスを統治し、フランスの中央集権制を確立した天才政治家という肯定的評価と、残酷非道な手を平気で使い、敵対する者(敵対領土)や邪魔者(自治都市・新教徒)は悉く皆殺しにした情け容赦ない行動の冷徹さに対する否定的評価があります。日本でいうと織田信長を彷彿とさせる宰相です。三国志でいうと曹操みたいな感じです。リシュリュー枢機卿は有名なデュマの小説「三銃士」の魔王的悪役、ラスボス的存在なので、結構有名かなと思います。

恐るべき人物リシュリュー枢機卿と自治都市ルーダン領主グランディエは対決することになります。ここで、狂気に駆られた修道院長ジャンヌが出てきます。
ジャンヌはグランディエに恋焦がれるあまり狂気に陥っており、彼の結婚を知って嫉妬に狂い、グランディエを『グランディエは悪魔の使い』であると讒言します。リシュリュー枢機卿配下の教会のカトリック幹部達はこの讒言を利用し、グランディエを拷問にかけて焼き殺します。自治都市ルーダン領主のグランディエ司祭が修道院長ジャンヌの讒言によりリシュリュー枢機卿配下の教会幹部から異端審問にかけられ火刑で焼き殺されたのは史実です。

国王の元で意志薄弱な国王を説き伏せて、『ルーダンには手を出さない』という許可を貰ったグランディエは喜びながら街に帰還すると、リシュリュー枢機卿配下の教会のカトリック幹部達がそこにはいて、拷問師までいて、あっという間に異端審問にかけられてしまいます。狂気の修道院長ジャンヌがまた酷い讒言をして、


『グランディエの睾丸には悪魔の印がある。睾丸を切って血が出たらそれは悪魔の印である』


とか意味不明なことを言って、グランディエは拷問され去勢されてしまいます。そして悪魔の使いであることを認めろと拷問をされ続けますがグランディエは決して屈服しません。

グランディエ司祭は自治都市ルーダンの執政官(領主)として人望があり、ルーダンの自衛軍を直属で動かせる立場にありました。まず最初、リシュリュー枢機卿配下の軍人がルーダンを滅ぼしに来た時は、グランディエは軍を率いてその軍人を見事に追い返しました。そして、国王へ

「ルーダンには手を出さないでください」

と懇願に向かったのです。ルーダンは強固な城砦自治都市であり、街の人々からの人望厚い領主、グランディエ司祭に治められている限り、陥落は容易ではありません。そのため、リシュリュー枢機卿はグランディエ司祭を悪魔の使いの異端として告発して、グランディエの人望を下げて、グランディエの街への領主としての影響力を低下させてルーダンを陥落させる作戦に出たのです。

その作戦はまんまとあたり、街はグランディエ司祭を支持する人々と、グランディエ司祭は悪魔だったという教会の情報操作を信じ込んで彼を批判する人々の二つに別れ混乱状態に陥ります。

そして混乱した街の中で拷問で見るも惨たらしくズタズタになったグランディエ司祭が黒こげになるまで焼き殺されます。

ここら辺は「裁かるゝジャンヌ」のジャンヌ・ダルクが焼き殺されるシーンにかなり似ていて、ラッセル監督は「裁かるゝジャンヌ」の影響を受けていると思います。


ただ、「裁かるゝジャンヌ」と違うのは、ジャンヌ・ダルクがボロボロ泣きながら焼き殺されて、ジャンヌを焼き殺すという行いは誤っていたとジャンヌ・ダルクを焼き殺した街の人々が気付くのとは違い、ルーダンの街の人々は最後まで自らの誤りに気付きません。


グランディエ司祭は黒こげになるまで腰の辺りまでメラメラ燃えていてもずっと必死に叫び続けます。


『ルーダンを守らないといけない!ルーダンの自由を守らないといけない!!

自由の為に戦わないといけない!!そうしないとみんな滅んでしまう!!』


と焼き殺されながら一生懸命に叫びますが街の人々は耳を貸しません。


最後は衝撃的で、グランディエ司祭がいなくなった後、無血開城した自治都市ルーダンはグランディエ司祭の必死の叫び通り、フランス軍によって殲滅虐殺され、誰もいない廃墟に、車裂き(拷問・処刑道具)が一杯立っていて、車裂きの上に街の人々が裂かれて乗っている凄いシーンになります。

ベルセルクの拷問車裂き乱立シーンの実写そのままのような凄いシーンでベルセルクファンは必見です。そして、グランディエ司祭が生涯の愛を誓った彼の奥さんマドレーヌが誰もいない廃墟の道をずっと独りただ静かに歩いてゆく後姿、神聖さを感じさせながら誰もいない道を歩んでゆく後姿を延々と映し出して映画は幕を閉じます。マドレーヌの後姿に強烈な神聖さを感じてとてつもなく衝撃でした。最初見たときは衝撃のあまり椅子から立ち上がれないほど衝撃的で、非常に優れた映画と思います。ラッセル監督がいうように真摯な宗教的映画と思います。


本映画は史実が元になっているのも凄いです。グランディエ司祭はフランスから弾圧されていた新教徒ユグノー派が大勢いる自治都市ルーダンを守ろうとして活躍した実在のカトリック司祭でして、修道院長ジャンヌの讒言で異端審問にかけられ火刑にされました。

彼を殺す重要な役割をした修道院長ジャンヌが本映画のように本当に狂気だったのか、政治的意図を持って讒言したのか、僕の歴史的解釈は後者だと思いますが(当時のカトリック修道院長クラスの宗教幹部は政治権力と結びついています、政治史的に考えて、リシュリュー枢機卿の政治勢力と修道院長ジャンヌが手を組んでいたと見るのが妥当と思います)、映画は前者(ジャンヌ修道院長はグランディエ司祭に恋焦がれており、彼の結婚を知って嫉妬に狂った)の歴史的解釈として描いています。

http://nekodayo.livedoor.biz/archives/829226.html

 まず、いきなりホモのルイ13世自ら演ずるグロテスクな「ヴィーナスの誕生」の一幕が描かれる。観客席には女装の取り巻き貴族たちに混じって、舞台の国王を冷ややかに見つめるリシュリー枢機卿の姿もあった。17世紀前半のフランス、ルイ13世は宰相リシュリーの傀儡と化していた。ヨーロッパのデカダンスは、ルイ14世太陽王の親政時代に絶頂に達したというが、それにしてもケン・ラッセルの描いた13世の乱痴気ぶりも、相当にすさまじい。しかも、ルーダンでの教会での悪魔祓いのシーンとなると、更にすさまじい。それは後述するとして、いまルーダンをめざす奇妙な一行があった。


巨大な荷を積んだ車を、新教徒たちが鞭打たれながら引いており、その指揮をとるのは、リシュリューの命をうけた顧問官のローバルドモン。彼の任務はルーダンの城壁を破壊することであり、奇妙な荷物はそのためのものであった。その時、ルーダンの城壁の中では、疫病で倒れた町の総督の葬儀が行われ、総督から町を任されたグランディエ司祭が演説していた。白い城壁と教会を背に、オリバー・リード扮する司祭は、「宗教戦争は終った。旧教徒、ユグノーにかかわらずルーダンを守るため尽くしてほしい」と いって、人々に向って演説する。司祭に対する人々の信頼は厚いらしい。
 
 この冒頭のいくつかのシークエンスの提示によるだけで、これから展開されるであろう波乱含みのドラマが、すでに予感される。このことはもちろん、ケン・ラッセルの力強い造形力と手際良い構成によるものであって、この作品は「史実にもとづく」とはいえ、かなり脚色されているようである。それを象徴するかのように、城壁のオープンセットは「ウルトラ・モダーン」(今野雄二氏)に作られており、冒頭の大演説シーンだけでも、この作品は一見の価値があるだろう。

或いは、悪魔祓いにルーダンに乗り込んでくる。ウイッチ(魔女)ハンターのバール司祭にしても、まるでどこかのロック・グループから抜け出して来たという感じだし、ルイ王が新教徒に黒い鳥の扮装をさせて殺人ゲームを楽しんだ後で、「バイバイ・ブラックバード」などと愛嬌たっぷりに言うなんてところは、ケン・ラッセルのオフザケと考えられないこともないだろう。この作品には、僕にそんなバカな想像をさせるものがある。

 この作品の中では、グランディエ司祭、リシュリュー、修道院長ジャンヌ(バネッサ・レッドグレーブ)らのからみを中心とするドラマが、あまりにも都合良すぎるほどに、実に見事に展開されるわけだが、これは前述のとおり、おそらくケン・ラッセルのモチーフに合せて、かなり史実を脚色してあるためである。

    映画と描かれた史実と

 「魔法−その歴史と正体」という本によれば、修道院長ジャンヌは「肉体の悪魔」の彼女ほどには、嫉妬深くいかがわしい女性ではなかったらしく、天使のジャンヌとさえ呼ばれていたそうだ。

彼女はグランディエに関するスキャンダルを耳にして、妄想を抱き精神錯乱におちいったが、そして他の修道女に彼女のヒステリーが伝染したが、ジャンヌは自分の気の弱さがもたらした事件にうろたえこそすれ、映画のようにミニョン神父にでたらめを告げるようなことはなかったようだ。

実際には、ジャンヌはミニョンに助けを求め、それがグランディエの敵に利用される結果となり、悪魔祓いの儀式がデッチ上げられたらしい。


また、修道女たちのヒステリーは、一時おさまり、再発してからの悪魔祓いも非常にゆっくり進められ、結局この事件が完全におさまったのは、グランディエの処刑の三年後、一六三七年であった。映画でのグランディエは、確たる証拠なしに火刑に処されるが、実際には、グランディエ家から「発見された」悪魔とグランディエによって起草された契約書なるものが残っている。

また、ジャンヌは一六ニ九年に、「悪魔アスモデウス」の署名で、「私はこの修道女から立去る」という内容の契約書を書き、そ れは現在も残っている。その後も彼女のヒステリー発作は続いたが、やがて平和が訪れ、一六六五年に清らかに死んだという。結局、彼女の常に犠牲者でしかなかったようだが、彼女がリシュリューや祈祷師たちよりも長く生きのびたとは、何とも皮肉な事だ。 以上が、事件のあらましである。


 この辺で「肉体の悪魔」の方へ戻ろう。ケン・ラッセルが、どのように史実を脚色したかをみれば、そこからこの作品のテーマが浮かび上がってくることと思う。

 まず最も重要な点だが、そもそも事件が起きた時点に於て、グランディエとリシュリューが対立していたとは考えられない。この作品は「ルーダンの悪魔」事件の発端から終結に至る二十年間を、ドラマ構成のため加速短縮し、きわめて意図的に歴史を再現しようとしているようだ。この作品が扱っている時代が、ヨーロッパ史の中でも非常に面白い時代であることに注目する必要がある。

フランスに於いては十六世紀のルネサンス期に、近代化の萌芽が準備され、その後一世紀を経て、いよいよ近代化への一歩を踏み出そうとする、まさにその時代が「肉体の悪魔」で扱われている。


中央集権化を押し進める国家と、崩壊寸前の中世都市。そのような歴史の流れの中で、当事者であるグランディエとリシュリューが、「都市」と「国家」という明確な意識をもって対立していたとは、まず考えられないことであり、ケン・ラッセルはこのフィクションを土台にして、彼のテーマを、白い城壁の中に構築しようと試みたにちがいない。

ヨーロッパの中世都市は10〜12世紀に成立し、都市法制定、特許状獲得など自治権を要求し、自衛のため城壁を築いたが、王権による中央集権化とともに崩壊し、近代都市へと移り変っ た。実際のグランディエが、どんな思想を持っていたかは知る由もないが、ケン・ラッセルは彼に、歴史にさからって中世都市を守り抜かせようとしたのである。グランディエの命をかけた反抗に、ラッセルはどんな意味を見出そうとしたのだろうか。

 初めグランディエは、権力、女、政治などに対する野望によって自らを滅ぼし、神と合体するのだ、と語っていた。その彼が火刑に処される時には、神は私をなぜ見放したかと嘆く。そして見物人たちに向って、


「自由を得たいなら闘え! 闘いぬけ! さもなくば諸君は奴隷になるのだ!」


と、火の中から叫び続ける。
http://www.asahi-net.or.jp/~hi2h-ikd/film/nikutainoakuma.htm


50. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 13:15:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[432]

ロシアのキリスト教


ドストエフスキー『白痴』 監督 黒澤明
http://video.fc2.com/content/20150930cVaRPDme/&tk=T0RNMk5qWTVOVGc9
http://www.pideo.net/video/youku/0a3d4d5e6b8d7c54/

キャスト
原節子(女優) 那須妙子
森雅之(男優) 亀田欽司
三船敏郎(男優) 赤間伝吉

 「あたし今酔ってますの、将軍、」

ナスターシャ・フィリッポヴナはいきなり笑い出した、

「あたし浮かれ騒ぎたいわ! 今日はあたしの日、あたしのたった一度のお祭りの日、あたしの閏の日、あたしこれを長いこと待ってたのよ。

ダーリヤ・アレクセーエヴナ、ごらんなさいよ、この花束紳士、ほらこの monsieur aux camelias [椿の紳士]、ほら座ってあたしたちを笑ってる・・・」


 「私は笑っていません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、私はただ非常に注意して聞いています」とトーツキーは重々しく応酬した。


 「あーあ、何のためにあたし、まる五年その人を苦しめて解放してあげなかったのかしら! それに値する人かしら!

単にああいう人なのがあたりまえだったってこと・・・

むしろあたしがあの人に対して罪がある、ってあの人思ってるのよ。教育だって受けさせたし、伯爵夫人みたいに養ったし、お金だって、お金だって、どれだけかかったか、立派な夫をあっちにいた時も見つけてくれたし、こっちでもガーネチカをね。

あんたどう思うかしら、あたしこの五年あの人と暮らさないで、お金だけは取って、それが正しいって思ってたのよ! まったくあたしどうかしてたのね!

あんた言ったわね、いやなら十万取った上で追い出せって。 確かにいやだけど・・・

あたしだってとっくに結婚できたし、それもガーネチカじゃないけど、それだってもうすごくいやだった。 それになんのためにあたし、あたしの五年間を意地悪なんかで失ってしまったんでしょう!

ねえ信じられる、あたし四年前に時々考えたの。 もうほんとにアファナシー・イワノヴィチと結婚しちゃだめかなって。 あたしその時は悪意でそう考えたの。 その頃はどんなことだって頭に浮かんだものよ。

あら、ほんとよ、こっちが無理強いすればね! 自分からにおわしていたことだし。

あんた信じない?

確かにあの人、嘘をついてたんだけど、そりゃもうすごい欲張りで我慢できないからよ。それから、まあありがたいことに考えついたわ。

あの人、そんな意地悪をする価値があるかしら!

するとその時急にあの人がいやになってね、あっちから求婚してきたって、するもんじゃないわ。 それでまるまる五年、あたしはお高くとまってた。

いいえ、もう街角に立った方がいい、それがあたしには当然なのよ!

でなきゃラゴージンと浮かれ騒ぐか、でなきゃ明日には洗濯女になるわ!

だってねえ、あたしには自分の物は何もないのよ。

行くわ、何もかもあの人に投げつけて、最後のぼろきれまで捨てて、それで何もないあたしを誰がもらってくれる、 ほら、ガーニャに訊いてごらんなさいな、もらってくれるかどうか?

あたしなんかフェルディシチェンコももらってくれないわ!・・・」


 「フェルデシチェンコはもしかするともらいません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、僕は率直な人間です、」

フェルディシチェンコがさえぎった、

「かわりに公爵がもらいます! あなたはそこで座って泣いていますが、ちょっと公爵を見てごらんなさいよ! 僕はもうずっと観察してますが・・・」


 ナスターシャ・フィリッポヴナは公爵に好奇の目を向けた。

 「本当?」と彼女は尋ねた。

 「本当です」と公爵はささやいた。


 「もらってくれるの、このまま、手ぶらで!」

 「もらいます、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・」

 公爵は、悲しげな、厳しい、鋭い目つきで、相変わらず彼を眺め回しているナスターシャ・フィリッポヴナを見つめた。


 「ほらまた現れたわよ!」

彼女は不意に、再びダーリヤ・アレクセーエヴナの方を向いて言った。

「ともかくほんとに優しい心からなのよ、あたし知ってるんだから。

篤志家を見つけたわ! ああでも、ほんとうかもしれないわね、この人のことをほら・・・あれだって。

どうやって暮らしていくの、もしほんとにそんなに夢中になって、ラゴージンの女を、自分のその、公爵夫人にするって言うなら?・・・」


 「僕がもらうのは立派ななあなたです、ナスターシャ・フィリッポヴナ、ラゴージンのものじゃありません」


と公爵は言った。

 「立派ってあたしのこと?」

 「あなたです。」


 「ああ、それはどこか・・・小説の中のこと!


それはねえ、公爵さん、昔の空想。

現代では世の中利口になって、そんなのはみんなナンセンスなのよ!

それに何で結婚するの、あんたには自分にまだ乳母が必要よ!」


 公爵は立ち上がり、おずおずとした震える声ではあるが、同時に深い信念を持った様子で話した。


 「僕は何も知りません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、僕は何も見たことがありません、おっしゃる通りです、

が、僕は・・・僕は思うんです、あなたは僕の、僕があなたのではなく、名誉です。 僕はつまらないものですが、あなたは苦しんで、そんな地獄から汚れなく現れた、これは大変なことです。

なぜあなたは自分を恥じてラゴージンと出かけようとするんです?

それは熱病です・・・ あなたはトーツキーさんの七万を返したし、

すべて、ここにあるものすべてをなげうつと言いますが、そんなことはここでは誰一人しません。

僕はあなたを・・・ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・愛します。

僕はあなたのために死にます、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・

僕は誰にもあなたのことで何か言わせません、

ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・僕たちが貧乏したら、僕が働きましょう、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・」


 ____________


 「聞いてる、公爵、」

ナスターシャ・フィリッポヴナは彼に話しかけた、

「あんなふうにあんたのフィアンセを下種が売り買いしてるわよ。」

 「酔ってるんです」と公爵は言った。

「あの人はあなたをすごく愛しています。」


 「それであんた後で恥ずかしくならないかしら?

あんたのフィアンセは危うくラゴージンと行ってしまうところだったのよ。」


 「それは熱のせいです。あなたは今も熱があって、熱に浮かされているようです。」

 「それと後であんた、あんたの女はトーツキーの愛人だったって言われて恥ずかしくない?」

 「いいえ、恥ずかしくありません・・・あなたは自分の意志でトーツキーさんの所にいたのではありません。」


 「では決して責めない?」

 「責めません。」


  「ナスターシャ・フィリッポヴナ、」公爵は静かに、同情するように言った、


「あなたが今、取り返しのつかないほど自分を破滅させようとしたのは、あれから決して自分を許そうとしないからです。あなたには何の罪もないことなのに。

あなたの人生がすっかりもう滅びたなんてはずはありません。

誇り高いあなたですが、ナスターシャ・フィリッポヴナ、でも、あるいはあなたはもう、不幸せのあまり、本当に自分が悪いと思っているかもしれません。

あなたには充分ないたわりが必要です、ナスターシャ・フィリッポヴナ。

僕があなたをいたわりましょう。

僕はさっきあなたの写真を見て、よく知っている顔を認めたような気がしました。

僕にはすぐに、その時まるであなたが僕を呼んでいるかのように思われました・・・
僕・・・僕はあなたを一生大切にします、ナスターシャ・フィリッポヴナ。」


 「ありがとう、公爵、今まで誰も私にそう言ってくれなかった、」

ナスターシャ・フィリッポヴナは言った、

「私は売り買いされるばかりで、結婚はまだ誰一人ちゃんとした人は申し込んでくれなかったわ。

お聞きになった、アファナシー・イワノヴィチ?

公爵の言ったこと、あなたにはどう思われたでしょう?

あまり慎みがないかしらねえ・・・

ラゴージン!あんた行くのはちょっとお待ちよ。

でもあんた、どうやら行きゃしないわね。

もしかしたらあたし、まだあんたと一緒に出かけるかもしれないわよ。

あんたどこへ連れて行くつもりだったの?」


 「エカテリンゴフですよ」と、隅からレーベジェフが告げたが、ラゴージンは身震いひとつすると、自分を信じかねるように一心に見つめていた。

彼は頭を強打したかのように、すっかり麻痺していた。


 「まああんたどうしたの、あんたどうしたのよ、ねえ!

ほんとに発作を起こしてるんじゃないの。 それとも気が違ったの?」

ダーリヤ・アレクセーエヴナはびっくりして飛び上がった。


 「あらあんた本気にしてたの?」

ナスターシャ・フィリッポヴナは笑いながらソファから飛び上がった。

「こんな赤ちゃんをめちゃめちゃにしちゃうわけ? それならちょうどアファナシー・イワノヴィチがいるじゃない。 あの人はね、小さな子が大好きなのよ。

行くわよ、ラゴージン! 自分の包みを持って!

結婚したいってのもかまわないけど、そのお金はやっぱりちょうだいね。

あたしはまだあんたと一緒にならないかもしれないわ。

あんたはさ、結婚もするつもりだけど、包みも手元に残ると思ってたんでしょ?

ばかね! あたしだって恥知らずよ!

あたしはトーツキーの愛人だったのよ・・・

公爵!

あんたに今必要なのはアグラーヤ・エパンチナであって、ナスターシャ・フィリッポヴナじゃないの、でないとフェルディシチェンコに後ろ指さされることになるわ!

あんたは怖くなくたって、あたしはあんたをだめにしてそれを後であんたに責められるのが怖いの! それにあんたは堂々とあたしがあんたに名誉を与えるって言ってくれたけど、それについちゃトーツキーさんがよく知ってるわ。

それとアグラーヤ・エパンチナといえば、ガーネチカ、あんた取り逃がしたわね、あんたそれわかってる? あんたが駆け引きしたりしなければ、あの人きっとあんたと一緒になったわ!

あんたがたはみんなそんなふう。

相手にするなら恥ずべき女か、立派な女か、どちらかひとつよ!

でないときっとごたごたするから・・・見て、将軍たら、口をぽかんと開けて見てる・・・」


 「こりゃソドムだ、ソドムだ!」と将軍は肩をすくめながらつぶやいた。

彼もソファから立ち上がった。

再び皆が立ち上がっていた。

ナスターシャ・フィリッポヴナは狂乱状態のようだった。


 「まさか!」公爵は両手をよじりながらうめいた。


 「あんたは違うと思った?

あたしはね、高慢かもしれないけど、かまわないわ、恥知らずで!

あんたさっきあたしを完璧と言ったわね。

見事な完璧だわ、虚栄心ひとつで、百万も公爵の身分も踏みつけにして、スラムに行くのよ!

さあ、こうなるとあたし、あんたにとってどんな奥さん?

アファナシー・イワノヴィチ、なにしろ百万だってあたしはほんとに窓から放り投げちゃったのよ!

あなたどうして思ったの、あたしがガーネチカと、あなたたの七万五千と結婚するのを幸せと考えるなんて?

七万五千はあんた取っときなさい、アファナシー・イワノヴィチ、

十万とまでいかなかったのは、ラゴージンの勝ちね!

ああ、ガーネチカはあたしが慰めてあげなくちゃ、ひとつ思いついたわ。

ああ、あたし歩きたくなったわ、だって街の女だもの!

あたしは十年牢獄に座って過ごして、今が幸せなの!

どうしたの、ラゴージン?用意して、行くわよ!」


 「ねえあんた何わめいてるの!」ナスターシャ・フィリッポヴナは彼を笑った。

「あたしはまだここでは主人よ。その気になればまだ一突きであんたを追い出すわよ。

あたしはまだあんたからお金をもらってないわ、ほらそこにある。 それをこっちにちょうだい、包みごと!

この包みの中が十万ね? へ、なんていまわしいこと!

どうしたの、ダーリヤ・アレクセーエヴナ? いったいあたしにこの人をだめにしたりできる?

(彼女は公爵を指さした。)どうしてこの人に結婚できるの、まだ自分に乳母が必要なのに。

そこにいる将軍がこの人の乳母になるわ。 ほら、彼につきまとってる!


見て、公爵、あんたの花嫁は金を取ったわよ、堕落した女だからね、

あんたはそんなのをもらおうとしたのよ!


でもあんた何よ泣いたりして?

ねえ、悲しいの?笑ってちょうだいよ、あたしみたいに」


と、話し続けるナスターシャ・フィリッポヴナの両の頬にも大粒の涙が二つきらめいていた。


「時を信じること−−何もかも過ぎてしまうわ。

後で考え直すより今の方がいい・・・


ああ、でもなんであんたたちみんな泣くの。 カーチャまで泣いて!

どうしたの、カーチャ、ねえ? あたし、あんたとパーシャにいろいろ残しとくからね、もう言いつけておいたのよ、でも今はさようなら!

あたしはあんたみたいな立派な娘にあたしの、堕落した女の世話をさせたりして・・・

これでいいのよ、公爵、ほんとにいいのよ、後であたしを軽蔑するようになって、あたしたち幸せにはなれないわ!

誓ってもだめ、信じないわ! それにどんなばかげたことになるやら!・・・

いいえ、気持ちよくさよならにしましょう

、だってそうしないとね、あたしは夢想家で、何の役にも立ちゃしないんだから!


あたしがあんたを夢見なかったと思って?

あれはあんたの言う通り、長いこと夢想したわ、


まだ村のあの人のうちにいて、五年間ひとりぼっちで過ごした頃。

考えて考えて、夢ばかり見続けたものよ。 するといつも、思い浮かんだわ、

あんたのような、優しくて、誠実で、いい人で、それでやっぱりばかそうな人が突然現れて言うの、


『あなたに罪はありません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、

私はあなたを崇拝します!』

よくそんな空想をすると気が狂いそうになるものよ・・・

そこへほら、この人が到着するの。


年に二ヶ月滞在して、辱め、傷つけ、怒らせ、堕落させ、帰っていく。

それで何度も池に身を投げようとしたけど、卑劣だったし、心が弱かったから、

ええ、それでこうして・・・

ラゴージン、用意は?」


 「いつでもこいだ!近寄るんじゃねえ!」

 「いつでもこいだ!」といくつかの声が聞こえた。

 「鈴のついたトロイカが待ってるぜ!」

 ナスターシャ・フィリッポヴナは包みをつかんだ。


 「ガーニカ、あたしひとつ思いついたの。 あたしあんたにご褒美をあげたいの。 だってあんた何もかもなくしちゃっちゃねえ。

ラゴージン、この人は三ルーブリでワシリエフスキー島まで這っていくのね?」


 「這っていくさ!」

 「さあ、それじゃ、お聞きなさい、ガーニャ、あたしはこれが最後、あんたの心を見てみたいの。 あんたはまる三月あたしを苦しめた。 今度はあたしの番よ。

この包みを見て、十万入ってるのよ!

それをあたしは今、暖炉に投げ込むわ、火の中へ、みんなの前で、みんな証人よ! 火が全体を包んだ瞬間に、暖炉に手を突っ込むのよ、ただし手袋なし、素手で、袖をまくってね、それで包みを火から引っ張りだすのよ!

引き出したら、あんたのものよ、十万全部、あんたのものよ!
少しばかり指を焦がしても、なにしろ十万よ、考えてごらんなさい!

つかみ出すのは簡単よ!

あたしはね、あんたがどんなふうにあたしのお金のために火の中に突っ込むかであんたの魂を見るんだから。 みんなが証人、包みはあんたのものになるわ!

突っ込まなければ、そのまま燃えてしまうのよ。 誰にも許さないからね。

どいて!みんなどいて!あたしのお金よ!

あたしが一晩でラゴージンから取ったのよ。あたしのお金よね、ラゴージン?」


 「おまえのだとも!おまえのだ、女王様!」

 「さあ、それじゃみんなどいて、あたしがしたいようにするの!

邪魔しないで!フェルディシチェンコ、火を直して!」


 「ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が言うことを聞きません!」ぼう然としてフェルディシチェンコが答えた。

 「ああもう!」とナスターシャ・フィリッポヴナは叫んで火ばしをつかみ、くすぶっているまきを二つ掻き起こし、火が燃え上がるやいなや、その上に包みを投げた。

 まわりに叫び声が起こった。それどころか多くのものは十字を切った。

 「気が狂った、気が狂った!」まわりの人たちは叫んだ。

 「い・・・いいのかな・・・彼女を縛らなくて?」将軍がプチーツィンにささやいた

、「それとも入れてしまうか・・・だって気が狂ったんだろ、気が?狂ったんだろう?」

 「い、いいえ、これは完全な発狂ではないかもしれません」と、ハンカチのように青ざめ、震えながらプチーツィンは、くすぶりだした包みから目を離すこともできずにささやいた。

 「狂ってるね?狂ってるんだね?」と将軍はトーツキーを煩わせた。

 「毛色の変わった女だと言ったでしょう」と、やはり少し青ざめたアファナシー・イワノヴィチがつぶやいた。
 

 「ラゴージン、出発よ!

さよなら、公爵、初めて人間に会ったわ!

さようなら、アファナシー・イワノヴィチ、メルシー!」


 ラゴージンの一団は騒々しく大声を立て、叫びながら、ラゴージンとナスターシャ・フィリッポヴナの後に続き、部屋部屋を通り抜け、出口へ殺到した。

ホールでは娘たちが彼らにコートを渡した。

料理女のマルファは台所から駆け出してきた。ナスターシャ・フィリッポヴナは彼ら皆にキスをした。

 「では本当に奥様、私たちをすっかり見捨ててしまわれるんですか?

ではいったいどこへおいでですの? それにお誕生日に、こんな日に!」


と尋ねながら娘たちは泣き出し、彼女の手にキスしていた。


 「街へ出るのよ、カーチャ、

あんた聞いてたでしょ、そこがあたしの場所なの、でなけりゃ洗濯女よ!

アファナシー・イワノヴィチとはもうたくさん!

あの人にあたしからよろしくね、悪く思わないでね・・・」 
http://homepage3.nifty.com/coderachi/doct/idiot-1.html#ch11


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1. 『白痴』における虐げられた女性たちの考察 
 
―ナスターシャ・フィリポヴナの形象をめぐって 高橋誠一郎


はじめに ―― 『白痴』の主人公について


『白痴』においてドストエフスキーは、ムイシュキンにフランスの処刑制度を批判させながら

「聖書にも『殺すなかれ!』といわれています。それなのに人が人を殺したからといって、その人を殺していいものでしょうか? いいえ、絶対にいけません」

と明確に語らせていた。

 つまり、決定稿におけるムイシュキンは、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老や、若きアリョーシャにつながる風貌を持っている。

 そしてこのような「哲学者」的な風貌を持つムイシュキン像は、5000万人以上の死者を出した第二次世界大戦の反省を踏まえて製作された黒澤明監督の名作「白痴」でも、登場人物を日本人に移し替えながらも、

「滑稽」に見えるが、「一番大切な知恵にかけては、世間の人たちの誰よりも、ずっと優れて」いる人物

として、きわめて説得的に描き出されていた。

そして、そのようなムイシュキン像は本場ロシアや海外の研究者たちによってきわめて高く評価された。


 さらに、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いているように、「ドストエーフスキイの会」に集った日本の研究者たちも、同じような感想を抱いていた。

たとえば、「ドストエフスキーと黒澤明とはいわば私の精神の故郷である。他の多くの人にとってそうであるように」と記した国松氏も、ラストのシーンでアグラーヤ役の綾子が、


「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……

私……私、なんて馬鹿だったんだろう……

白痴だったの、わたしだわ!」


と語っていることに注意を促している。


 私はキリスト者ではないが、初めて『白痴』を読んだときからムイシュキンという主人公に、ドストエフスキーが与えようとした「キリスト公爵」としての風貌の一端を感じ、彼が語る「哲学」からは強い知的刺激や励ましをも受けてきた。

私も、重要な登場人物たちとの関係をとおしてドストエフスキーが描こうとしたムイシュキン像を再考察することにより、私が考える『白痴』の意義をドストエフスキーの愛読者に率直に提示して批判を求めたい。ただ、時間や紙数などの関係から、本発表ではナスターシャ・フィリポヴナの形象を中心に考察する。


(1) 『白痴』の時代とナスターシャの形象

 
 多くの研究者が指摘しているように『白痴』には、死にまつわるエピソードが多い。
たとえば江川卓氏は、

「とくに目立つのはムイシュキン公爵が死について語り、あるいは死に遭遇する機会が異常に多いことである」

とし、

「とにかくこの『白痴』では、いたるところに殺人、自殺、死がちりばめてある」
と記している。


亀山氏もドストエフスキーが

「ロシアから送られてくる新聞を貪るように読み、徐々に剣呑な状況へはまりこんでいく祖国の姿を遠方から固唾をのんで見守っていた」

とし、

「紙面にあふれかえる凶悪事件に、彼は文字通り圧倒された。

ウメツキー一家事件、マズーリン事件、ジェマーリン一家惨殺事件、商人スースロフ殺人事件。

『罪と罰』執筆時とは比べものにならぬほどの強い危機感が彼をとらえようとしていた」と書いている。


 たしかにこの指摘はドストエフスキーの当時の気持ちの一端をうがっているだろう。

しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』(1866年)で「悪人」と見なした「高利貸しの老婆」の殺害を行ったラスコーリニコフに、自分が犯した殺人と比較しながら、

「なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうがより高級な形式なんだい」

と反駁させていたが、同じ年に起きたプロシア・オーストリア戦争は、近代的な兵器による殺戮の大規模化と普仏戦争など新たな戦争の勃発をも予想させた。

このような戦争の拡大や軍国主義に危機感を抱いた平和主義団体は「民族の平和と自由の思想」を広めるためとして、翌年の9月にジュネーブで国際会議を開いた。


そこでロシアの代表として演壇に立ったのが、プラハやドレスデンの蜂起に参加し、「サクソニヤとオーストリヤとロシヤでは囚人」となり、二度も死刑宣告を受けながらも、脱出に成功したことで英雄視されるようになっていたミハイル・バクーニンであった。


そのバクーニンは、ロシヤ帝国を「人間の権利と自由の否定の上に成立している」と糾弾し、「未来のヨーロッパ連邦」を築くために滅亡させることを要求した。

グロスマンは「国際会議」でバクーニンが行った演説の内容を知ったドストエフスキーが「バクーニンを主人公にしてロシヤ革命を扱った小説を書こうという自分の意図」を固めたと書いている。

「平和のため」としながらも「火と剣」を要求し、「あらゆるものが絶滅したあとに初めて平和が訪れる」としたバクーニンの主張が、ドストエフスキーにきわめて深刻な印象を残したことは確かだろう。


 1862年の夏に「長いことあこがれ」ていた西欧への初めての旅行を行い、『冬に記す夏の印象』において

「数百万の富を有し、全世界の富を支配する」ロンドンの繁栄だけでなく、

労働者たちの住む貧民窟や「毒に汚されたテムズ河、煤煙にみちみちた空気」

など近代科学が生み出した環境の悪化をも記したドストエフスキーは、そこでゲルツェンやバクーニンとも会っていたのである。


 それゆえ、1869年11月にロシアでバクーニンとも深いつきあいのあったネチャーエフによる陰湿な殺人事件が起き、その翌月にはペトラシェフスキー・サークルの旧友でもあったドゥーロフの死を知ると、ドストエフスキーは『悪霊』のノートをとりはじめ、「スタヴローギン像の創造」に着手することになる。


 なぜならば、非凡人は

「自分の内部で、良心に照らして、血を踏み越える許可を自分に与える」

のだとラスコーリニコフに説明させて、「良心」理解が誤った思いこみに陥った際の危険性を具体的に示していたドストエフスキーは、予審判事のポルフィーリイに

「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」

と批判させていた。


そして、そのエピローグでは旋毛虫に犯されて自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が互いに殺しあって、ついに人類が滅亡するというラスコーリニコフの悪夢が描かれていたのである。


 ドストエフスキーがロシアのキリスト公爵として描こうとしたムイシュキンに、フランスの「死刑」を批判させることによって、「文明」の名のもとに自らの「正義」によって人を裁き、「他者」を殺すことへの鋭い疑問を投げかけていたことを思い起こすならば、『白痴』において死が多く描かれているのは、ある意味で当然だと思える。

ドストエフスキーはムイシュキンに

「骨の髄まで悪のしみこんだ者でも、…中略…自分の良心に照らして悪いことをしたと考えている」

が、自分の思想に基づいて殺人を行った者は、

「自分のしたことは善いことだ」と考えていると指摘させている。

『罪と罰』でラスコーリニコフの「自己中心的な理論」の問題点を指摘しただけでなく、暴利を貪る「高利貸し」の非道性も鋭く批判していたドストエフスキーは、『白痴』においても

「こんな男なら、お金のために人殺しでもするでしょうよ。

ねえ、いまじゃ人は誰でもお金に眼がくらんで、まるでばかみたいになっているんですからね」

とナスターシャ・フィリポヴナに語らせ、

「まだまったくの子供みたいな人までが、高利貸しのまねをしているんですからね」

と続けさせているのである。


 ナスターシャのこの言葉は、近代西欧社会の現実を踏まえた上でのドストエフスキーの鋭い問題意識を反映しているといえよう。

つまり、ドストエフスキーは『白痴』において金銭ばかりが重視され、金儲けのためには殺人をも厭わないような傾向をも示し始めたロシア社会を厳しく分析しているのである。


(2) ナスターシャ・フィリーポヴナとトーツキイの関係をめぐって


 『白痴』における主人公がムイシュキンであることには誰も異議はないだろうが、この作品を書いていたときにドストエフスキーはマイコフに宛てた手紙で、この長編小説には「二人の主人公」がいると書いて、ナスターシャの重要性を強調していた。


 このことに注目したロシアの研究者フリードレンデルは、ドストエフスキーがその作品において女性が虐げられていることの「社会的原因」や「女性のたどる運命の問題」を描き続けて来たとして、『椿姫』との関連も指摘している。


 実際、両親が所有していた村が火事で焼け、そのために苦労した母親が病死したあとでは妹たちが親戚に引き取られたという苦い体験をしていたドストエフスキーは、
第一作『貧しき人々』において、村の管理人を務めていた父親がリストラされたあとでの少女の苦難に満ちた人生を描き、

『白痴』においても両親が亡くなった後のナスターシャの苦難に満ちた人生に読者の注意を向けているのである。


 すなわち、ナスターシャの父は軍隊を退役した後で「所有地の少ないきわめて貧しい地主」となり、

借金を重ねるような貧乏暮しをしながらも、「幾年か百姓同様の怖ろしく辛い労働をつづけ」、

「財政をどうにか建てなおすことができた」矢先に、

債権者たちと話しあうために出かけた先で、自分の屋敷が火事で焼け、妻も焼け死んだという報せを受けて、

絶望のあまり「気が狂って、一カ月後には熱病で死んでしまった」。

 その後、「焼けた領地は、路頭に迷った百姓たちもろとも、借財の返済にあてられ」たが、

生き残った二人の女の子は、隣りに豊かな領地を所有していたトーツキイが「持ち前の義侠心から」手もとに引き取り、「支配人である大家族持ちの退職官吏のドイツ人の子供たちといっしょに」育てたのである。

 ナスターシャの妹は病気で亡くなったが、5年後に自分の領地を訪れた際に12歳になったナスターシャが美しく成長していたのをみたトーツキイは、「この道にかけては」、「決して眼に狂いのない玄人であった」ので、

ナスターシャに貴婦人としてふさわしいような特別な教育を施し始める。


 こうして、

「年頃の娘の高等教育に経験のある、フランス語のほかに一般学科を教えるりっぱな教養あるスイス婦人が家庭教師として招かれ」、

「ちょうど四年後にこの教育は終り、家庭教師の婦人は立ち去った」。

 その後で訪れた女地主は、

16歳になったナスターシャを「慰めの村」と呼ばれていたトーツキイの領地の一つである小さな村に「トーツキイの指図と委任とによって」、連れていき、
「しゃれた飾りつけ」の「建ったばかりの木造の家」に住まわせた。


 「慰めの村」と呼ばれていた小さな村でのトーツキイとの生活について、ナスターシャは
 
「そこへあの人がやってきて、一年に二月ぐらいずつ泊まっていって、
けがらわしい、恥ずかしい、腹の立つようなみだらなことをして、帰っていくんです。(……)

あたしは何べんも池に身投げしようと思ったけれど、卑怯にもその勇気がなかった」
と告白している。


 この言葉に注目した亀山氏は、

「わしらのなにより楽しみっていえば、娘っこに鞭打ちの仕置きを食わせることでしてね。

鞭打ちの役はぜんぶ若い衆にまかせるんですがな。

そのあとで、今日ひっぱたいたその娘っこを、明日はその若い衆が嫁にとる。
だから、娘っこたちにしてもそいつが楽しみなんですな」

という『カラマーゾフの兄弟』のフョードルが聞き及んだ田舎の老人の話を紹介しながら、

「トーツキイの快楽とは、田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式だったと私は思います」

と結論している。


しかし、「慰みの村」におけるトーツキイとナスターシャの関係から、「鞭の快楽」を連想することは妥当なのだろうか。


 なぜならば、亀山氏はトーツキイとナスターシャの関係を「領主と農奴の娘」の関係に擬しているが、

「慰みの村」でナスターシャが与えられた家には、「年寄りの女中頭とよく気のつく若い小間使い」がいたばかりでなく、「さまざまな楽器、少女むきのすばらしい図書室、絵画、銅版画、鉛筆、絵具が揃っており、素敵な猟犬までがいた」。


 つまり、ナスターシャはそこで「農奴の娘」どころか、「領主夫人」なみの扱いを受けていたのであり、

それゆえ、

「四年あまりの歳月が、何事もなく幸福に、優雅な趣のうちに、流れていった」と記されているのである。


 これらの文章はナスターシャと正式には結婚していなかったものの、おそらくトーツキイが将来的な結婚の約束を「慰みの村」で与えていた可能性が強いことを物語っていると思われる。

 そして下線の文章に注目するならば、

「トーツキイがペテルブルグでも富も家柄もある美貌の女(ひと)と結婚しようとしている」という「噂(うわさ)」を伝え聞いたときになぜナスターシャが、それまでとは「全く別の女性」として現れ、トーツキイには「結婚を許さない」と宣告したかが分かるだろう)。


 しかも、「小ねずみ」を語源とする「ムイシュカ」という単語から派生した「ムイシュキン」という滑稽な感じの名字をもつ主人公が、かつての名門貴族の出身であったと記したドストエフスキーは、

「子羊」を語源とするバラシコーワという名字を持つナスターシャの家柄についても
「かつては由緒ある貴族の出身」であり、「かえってトーツキイなどよりも家柄」がよかったとも記している。

 つまり、自分の所有する領地の一つの隣に住んでいた名門だが没落した貧しい貴族の夫婦が焼け死んだことで、トーツキイは慈善家のような形で名家の娘を育て、さらに愛人として所有していたのである。

それゆえ、トーツキイの結婚の噂を聞いたときに、初めて自分がパリの「高級娼婦」のような存在に過ぎなかったことを思い知らされたナスターシャは、「からからと大声で笑いながら、毒々しい皮肉を浴びせ」たのだと思える。

 このように見てくるとき、彼女が語る「腹の立つようなみだらなこと」とは、鞭打ちに快楽を感じるような性愛を指すのではなく、
それまで自分が愛の営みとして受け取っていた行為が、トーツキイの快楽の手段であったことへの怒りの言葉と見なすべきであろう。

 ただ、「鞭の快楽」が「田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式」とされているが、それは『地下室の手記』や『死の家の記録』など重要な作品の解釈とも密接に結びついているので、もう少しその点に触れておきたい。

 すなわち、亀山氏は、『地下室の手記』にはクレオパトラが

「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し、彼女たちが叫び、身もだえるのを見てよろこんだという」

というエピソードが書かれていることを紹介して、ここでは「ドストエフスキーの変貌は決定的なものになった」と断言しているのである。

そして、「おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある」と語る「地下室の男」の言葉を引用して亀山氏は、ここでは「受け身の快楽をことさら強調してみせることで、暗に虐待する人間の快楽を正当化するという戦法」がとられていると続けている。


 しかし、『イギリス文明史』で「楽観的な進歩史観」を主張した歴史家バックルにたいして、ドストエフスキーは「地下室の男」を敢然と立ち向かわせているとイギリスの研究者ピース氏が指摘しているように、

「歯痛にだって快楽はある」と語る主人公の論理は、屈折しながらも、きわめて鋭い西欧文明批判を秘めている。


 つまり、「地下室の男」はここで、

「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し」て喜んだクレオパトラの「野蛮さ」と、
「血はシャンパンのように」多量に流されている近代の戦争とを比較することで、「自己の正義」を主張して「他国」への戦争を正当化している近代西欧文明の方が、古代エジプトよりもいっそう「野蛮」であることを指摘して、バックルの主張に厳しい反駁を加えていたのである。


 さらに、貧しい人々を治療する医師だった父が、農奴の所有者になると一変して、農奴を鞭打つことも当然としたことを厳しく批判していたドストエフスキーは、亀山氏も指摘しているように、『死の家の記録』で笞刑を行うことに慣れた刑吏の心理を分析して、

「もっとも残酷な方法で」、「他者」を「侮辱する権力と完全な可能性を一度経験した者は、もはや自分の意志とはかかわりなく感情を自制する力を失ってしまうのである」
と指摘していた。

 つまり、「他者」にたいする鞭打ちという体刑を認めないドストエフスキーの姿勢は、『カラマーゾフの兄弟』まで変わることなく一貫していたのであり、そのように理解しないと子どもの虐待をめぐるイワンとアリョーシャの白熱したやり取りもその意義を失うことになると思われるのである。


(3) ナスターシャとロゴージンの形象をめぐって


 ナスターシャ・フィリポヴナのバラシコーワという名字が、「子羊」を語源とする「バラーシェク」という単語から採られていると記した亀山氏は、ムイシュキンの名前がライオンという意味のレフであることにも注意を促している。

そして、バラシコーワという名字は「アベルによって神に捧げられた犠牲の子羊のイメージ」と重なり合っているとし、「旧訳聖書の文脈に従うなら、ナスターシャはアベル=ムイシュキンによって屠られるべき存在です」と主張している。


 ただ、このような亀山氏のナスターシャ像は突然生まれたのではなく、ナスターシャの名前や父親の名前から造られるロシア独特の父称などに注目して、

ドストエフスキーには明らかに

「ナスターシャ・フィリッポヴナを鞭身派の一信徒に擬そうとする意図」

があったと解釈した江川卓氏の 『謎とき「白痴」』 から強い影響を受けていると思われる。


 すぐれた語学力と読解力を活かして、登場人物の名前や動詞の意味だけでなく、フォークロアや法律書にまで踏み込んだ鋭い分析がなされている江川卓氏の『謎とき「罪と罰」』(1986年)から私は、多くの知的示唆を受けた。


 しかし、『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』(1991年)の後に書かれた『謎とき「白痴」』(1994年)を読んだ時には強い違和感が残った。

おそらくそれは、ロゴージンやナスターシャの名前について言語的なレベルからの考察をとおして、旧教徒のセクトとのかかわりが指摘される一方で、『罪と罰』のテーマとの深いつながりや、ナスターシャとムイシュキンの関係を分析する上ではきわめて重要な役割を担っている『椿姫』などへの言及などがほとんどなかったためだろう。


 たとえば江川氏は、

「情熱の権化のように言われていた」ロゴージンの名前が、ギリシャ語で「童貞」を意味する「パルテノス」を語源とするパルフョンであることや、「死人のような蒼白さ」という表現から去勢派の教義に従った人物と読み取っている(185)。


 たしかに、

ロゴージンの父親が去勢派や鞭身派などの旧教のセクトに強い関心を持っており、
伯母も「職業的な修道女で、旧教派の中心地であるプスコフに住んでいる」

と描かれており、ムイシュキンもロゴージンが将来

「二本の指で十字を切ったり」、

「ニコンの改革前の聖書を読んだりするようになる」

可能性を示唆している。


 しかし、「熱病にかかってまる一月も」寝込んでいたロゴージンが、病みあがりにもかかわらずナスターシャと会うために夜汽車で駆けつけようとしていたと書かれていることに留意するならば、ここでは彼の情熱が強調されていると考える方が自然だろう。
しかもグロスマンが書いているように、

ドストエフスキーはここで「プーシキンの名前すら知らない」、文盲に近いロゴージンが

「民族の伝統や、昔の民間信仰と固く結びついて」いる一方で、

「西欧化した新しい風俗のハイカラさ、つまりひげを短く剃りこんだり、色つきのチョッキを着て、めかしこんだりする『大商人』のタイプとはおよそ掛け離れて」いた
ことを強調しているのである。


 そして、ムイシュキンはロゴージンのことを「情欲だけの人間ではない」、「人生の闘士」だと感じ、

「彼は苦悩することも同情をよせることもできる大きな心を持っている」とも考えている。

ことに、「二人でプーシキン」を「すっかり読んだ」と語っていることに注目するならば、

吝嗇な父親と息子の対立と父親の殺害にいたる経過を描いたプーシキンの『吝嗇の騎士』

をも彼らが読んでいたことは確実だろう。


 すなわち、『白痴』を書いていたころのドストエフスキーは、旧教徒にも一定の意味を認めていたのである。

ムイシュキンは情熱に駆られて極端にまで走りかねないロゴージンの民衆的なエネルギーとその可能性を信じて、彼とともにプーシキンの作品を読むことで、彼に正しい方向性を示そうとしていたのだと考えられるのである。


 さらに、「権力を重視し」、他者の「処刑」を認めていた当時のカトリックを、「ゆがめられたキリストを説いている」と厳しく批判したムイシュキンは、

「自分の生れた国を見捨てた者は、自分の神をも見捨てたことになる」

といった旧教徒の商人の言った言葉を紹介しながら、

ロシアの「鞭身派」でさえ、「ジェスイット派や無神論」などよりも、「ずっと深遠でさえあるかもしれません」

と語っている)。


 この言葉に注目するならば、ここに見られるのは「クレオパトラ」と比較しつつ、「近代西欧文明」の「野蛮さ」を指摘した「地下室の男」と同じような論法であるといえよう。

すなわち、自らを傷つけたロシアの「鞭身派」と比較することで、「異教徒」や「皇帝」の「殺害」をも正当化する「ジェスイット派や無神論」の「野蛮性」をムイシュキンは強調しているのである。


 しかし、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を『ロシア報知』に掲載した1880年には、以前から交際していた保守的な政治家で、ロシア正教以外の宗教的な価値を認めなかったポベドノースツェフが、ロシアの教育と宗教を総括する総務院の総裁となっていた。

それゆえ、このころには再び厳しさを増していた検閲のために、ロシア正教の異端とされた旧教徒をも否定的に描かざるをえなくなっていたと思える。

去勢派などとの関わりが暗示されている『カラマーゾフの兄弟』におけるスメルジャコフの否定的な形象はこのような時代状況のなかで生み出されたのである。


 こうして、スメルジャコフに「去勢派(スコペッツ)」の影を色濃く見て、『白痴』論でもその連想から「新しい」ロゴージン像を描き出した江川氏は、そのような視点からナスターシャ・フィリポヴナにも「鞭身派」の影を強く見出している。


 たとえば、第三編では

「もうこうなりゃ、ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。

それよりほかにあんな売女(ばいた)をやっつける法はないさ!」

と一人の青年将校から大声で批判されたのを聞いたナスターシャが、

「相手のステッキを引ったくって、その無礼者の顔をはすかいに力いっぱい打ちすえた」

という場面が描かれている。


 ここで「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ」という表現に用いられている
「鞭(フルイスト)」という単語が、「鞭身派(フルイストフシチナ)の名称の起りとなったことばである」

ことを指摘した江川氏は、

734年に処刑された「鞭身派の聖母」がナスターシャ・カルポヴナという名前を持っているばかりでなく、

ナスターシャの父称が「鞭身派の教祖ダニイラ・フィリッポヴィチ」の父称とも同じであることに注意を促して、

「ナスターシャ・フィリッポヴナという名が、鞭身派の神話を背負った名であることは自明である」

と断言していた。

 しかし、当時のロシアでは妻や子供に対する「躾」のために鞭をふるったりすることは伝統的に認められていたのであり、軍隊では兵士に対する殴るなどの体罰が日露戦争の最中にも行われていた。

このことを考えるならば、とりわけ青年将校が「鞭でこらしめねばならない」と語るのは特別なことではないと思える。

 しかも、『白痴』ではしばしば高級娼婦と貴族の若者の悲恋を描いた『椿姫』が話題となっていることを思い起こすならば、

「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。それよりほかにあんな売女をやっつける法はないさ!」

という言葉に激しく反発したナスターシャの反応には、娼婦と呼ばれたことへの彼女自身のプライドの問題や、女・子供や農民出身の兵士の教育には「鞭」が必要だと考える伝統的な道徳の問題が提起されていると考えるほうがむしろ自然であろう。


 つまり、『謎とき「白痴」』が『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』の後で書かれたという事情もあり、

江川氏がロゴージンやナスターシャの形象を1860年代の大地主義的な世界観によってではなく、厳しい検閲によって制約を受けていた晩年の記述によって、ロゴージンやナスターシャを旧教徒のセクトと結びつけて解釈している可能性が強いと思えるのである。

そして、亀山氏の『白痴』論では重要な登場人物とムイシュキンとの関係の考察が省かれことにより、ナスターシャにおけるマゾヒズムへの傾向がいっそう強調されることになったのだと思える。


4.『白痴』の現代性


 ところで、長編小説『椿姫』は、『三銃士』などの作品で知られるアレクサンドル・デュマの私生児として生まれたデュマ・フィスによって、2月革命が起きた1848年に書かれた。

そして、主人公がアルマンの腕に抱かれて亡くなるというメロドラマ的な筋書きのオペラ『椿姫』とは異なり、到着が遅れたために主人公がマルグリットの死に目に会えないという発端を持つこの『椿姫』は、フリードレンデル氏などが指摘しているように、ドストエフスキーの『白痴』にもきわめて強い影響を与えている。


 つまり、訳者の新庄嘉章氏が書いているように、この作品でデュマ・フィスは高級娼婦であったマルグリットの純愛と犠牲的な死をとおして、「男性の利己主義的な行為」や、「それを助長させる金銭の力」や「それを黙認している世間の慣習」を厳しく批判していたのである(新潮文庫、1950年)。

 そしてドストエフスキーも『冬に記す夏の印象』(1863年)において、
ナポレオン三世治下のフランス社会には「すべての者が法の範囲内で何でも行える同一の自由」があることを認めたあとで、次のように「フランス的自由」を厳しく批判していた。

 「いつ欲することをすべて成すことができるのだろうか? 

百万をもっている時である。自由は各人に百万を与えるだろうか? 

与えはしない。

百万を持っていない者は何者だろうか? 

百万がない者は、何でも好きなことができる者ではなく、何でも好きなことをされる者である」。


 実は、敗戦後まもない1951年に上映された黒澤明監督の映画『白痴』では、キリスト教的な背景ばかりでなく、このような社会的背景をもきちんと描かれていた。

さらに私見によれば、この作品で黒澤明はムイシュキンの存在を

ロゴージン・ナスターシャ・ムイシュキンという「欲望の三角形」的な関係に縛られる者としてではなく、むしろ精神科医的な視点から、

「何でも好きなことをされる者」としてのナスターシャの苦悩を、治癒しようとして果たし得なかった者として描いているのである。


 この意味で注目したいのは、ロンドンで開かれていた万国博の会場である水晶宮を訪れて、

「全世界から集ったこれら無数の人間の全てをここで一つの群に集めた恐るべき力」を感じたドストエフスキーが、

イギリスの社会はキリスト教を名乗りながらも、実際には儲けの神である異教の神、「バール神」に屈服した

と厳しく批判するとともに、

「バールの神を偶像視したりしないようにするには」、「幾世紀にもわたるおびただしい精神的抵抗」が必要とされるだろうと記していたことである。


 つまり『白痴』における考察は、市場原理主義に基づいた極端な「規制緩和」により格差社会が生まれる一方で、それまでアメリカ企業の模範とされてきたリーマン・ブラザーズが、カジノ資本主義的な手法のサブプライム・ローンによって破綻し、世界が金融危機に陥った現代の状況をも予測するような深いものだったといえよう。
http://dokushokai.shimohara.net/t111.htm

果たしてムイシュキンは殺人の「使嗾者」か?

――黒澤明監督の映画『白痴』を手がかりに   高橋誠一郎


 黒澤自身が最も高く評価した自作の一つが、ドストエフスキーの『白痴』を終戦直後の混乱した時代の日本に置き換えて描いた映画『白痴』(1951)であった。

 上映時間四時間二五分という大作となったこの作品は、観客の入りを重視した経営陣から大幅なカットを命じられたために、時折、字幕で筋の説明をしなければならないなど異例の形での上映となり、日本では多くの評論家から「失敗作」と見なされた。

それにもかかわらず、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いたように、映画『白痴』は原作を熟知している本場ロシアや海外、そして日本の研究者たちからはきわめて高く評価された。

 一方、近年の日本は「グローバリゼーション」の名の下に、「新自由主義」が幅をきかすようになって「格差社会」が一気に進んだ。

ちょうどその頃に出版された研究書で亀山郁夫氏は、

ナスターシャの殺害をロゴージンに「使嗾」したのはムイシュキンであり、

「現代の救世主たるムイシキンは、じつは人々を破滅へといざなう悪魔だった」

と結論した(『ドストエフスキー 父殺しの文学』上巻、NHK出版、2004年、285頁)。


 そして、亀山氏のこのようなドストエフスキー論はマスコミで賞賛され、学校などでも読書コンクールの対象図書とされたことで若者たちの間でも広まっている。

亀田(ムイシュキン)を「真に美しい善意の人」として描いた黒澤明の『白痴』理解は、全くの誤読だったのだろうか。

 この意味で注目したいのは、大著"Dostoyevsky―― An Examination of the Major Novels"(Cambridge University Press, 1971)において、

『白痴』のロゴージンやナスターシャが古儀式派から派生した過激なセクトである去勢派や鞭身派への強い関心を示していたことや、

『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフが去勢派に属していた可能性が強い

ことを語義的なレベルから明らかにして、世界中のドストエフスキー研究者に強い影響を与えたイギリスのすぐれた研究者ピース氏のムイシュキン解釈である。


 後に、"Dostoyevsky's Notes from Underground"で、ドストエフスキーの作品が緻密な論理構造を持っているだけでなく、登場人物もきわめて有機的に配置されていることを明らかにすることになるピース氏はすでにこの大著で、

「死刑を宣告された者」と自ら名乗っていたイポリートの考察をとおして、

当時の「弱肉強食の論理」とそれに対抗する「弱者の権利の理論」との対立を浮き彫りにしていた。


 そして1864年の裁判改革の流れにのって、弁護士の資格も取っていたレーベジェフの問題点だけではなく、彼の娘ヴェーラの肯定的な意義も示すことで、ムイシュキンという主人公がプーシキンに依拠しつつ、「美は世界を救う」という理念によって世界を和解させる道を必死に模索していたことを明らかにしていた。


これらの指摘をふまえて黒澤映画を見直す時、『白痴』(1951)とその前後に撮られた『醜聞(スキャンダル)』(1950)と『生きる』(1952)が、『白痴』三部作と呼べるような深いつながりを有していたことに気づくのである。


 今回の報告ではピース氏の『白痴』論や黒澤明監督の映画を手がかりにしながら、モスクワから半年ぶりに帰還したムイシュキンの行動を描いた第2編を次のような順序で分析する。


 まず、最初にレーベジェフと甥との会話に注目することで、

弁護士も営むようになったレーベジェフが、「真心は持っている」ものの、酔っぱらいの「ペテン師」である可能性が示唆されていることを確認する。

 そして、ロゴージンの古い家を訪れた際にはムイシュキンが、ホルバインの絵画『キリストの屍』や「分離派」について会話を交わしただけでなく、別れ際にはC氏との出会いや殺人事件の話、そして百姓の女性から受けた印象についても語っていることに注目する。

 さらに、ロゴージンとの間では歴史書についての会話もなされていたが、『死の家の記録』で重要な役割を与えられているペトロフも歴史的な事実についての強い関心を持っていたと記されていることに注意を払うことで、

ロゴージンという人物が1861年の農民一揆を指導した「古儀式派」教徒のペトロフをモデルとしている可能性があることを示唆する。

 最後に、エパンチン夫人がコーリャに無神論を教えて「誘惑」したとイポリートを批判していることに注目しながら彼の『キリストの屍』観などを分析することにより、

ロゴージンを殺人へと「使嗾」したのはムイシュキンではなく、多くの研究者が『白痴』を解く鍵と見なしているイポリートである可能性が高いことを明らかにする。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost09.htm


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2. ナスターシャ・フィリッポヴナは鞭身派の聖母 復活のナスターシャ


「時代」廃刊騒ぎのさなか、ドストエフスキーは愛人と連れ立って2度目の外国旅行に旅立とうとしていました。

1861年、「時代」にアポリナーリヤ(ポリーナ)・スースロワという女子大生の短編が掲載されました。

2度目の外国旅行に同行する予定だったのは、このスースロワでした。

スースロワの父親はもともと農奴でした。

しかし、強靱な意志、人並みはずれた能力で農奴の身分を脱し、手広く企業を営むようになったやり手でした。

そして、その資産で娘たちに高等教育を受けさせ、そのかいあって、ポリーナの妹ナデージダはロシア史上最初の女性医師となっています。

姉のポリーナのほうは妹のような栄光とは無縁でしたが、アレキサンドル二世時代の開放感に充ちた空気に鋭敏に反応し、自由奔放に生きる「新しいタイプ」の女性でした。
しかも、父親からは鋼鉄のような性格を譲り受けていたようで、のちにポリーナと結婚したローザノフは彼女のことを「異常なまでの集中力、決断力を持つ女性」と評しています
(ドリーニン編 中村健之助訳 「スースロワの日記」みすず書房)。


「気性は完全にロシア女でしたが、ロシア女はロシア女でも、分離派の”無僧派”の女でした。

いや ”鞭身派の聖母”といった方がいいでしょう」

とも書いています。

ローザノフはのちにドストエフスキーの伝記も書いた文学者でしたが、結婚後数年して、男を作ったスースロワに逃げられてしまいます。

復縁を哀願するローザノフにスースロワは

「何千という夫があなたのような立場に立たされますが、吠えたりはしませんよ、
人間は犬ではないのですからね」

とすげなく答えています。

当初、ドストエフスキーはこのスースロワと一緒にペテルブルグを出発して1863年の夏の間フランス、イタリアを旅行する予定でした。

しかし、妻マリアの転地療養の手配、借金の手続き、旅券更新に手間取って、その間に愛人は先にパリへ旅立ってしまいます。

ドストエフスキーはポリーナに一ヶ月以上遅れて出発します。

にもかかわらず、途中、ヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレット賭博に4日間を費やします。

ようやくパリに着いたドストエフスキーを待っていたのは

「あなたは来るのが少し遅すぎた」

というポリーナの言葉でした。


ポリーナはパリで新たにスペイン人の恋人を作っていたのです。

しかし、ドストエフスキーがパリに着いた頃、そのスペイン人の恋人はポリーナに飽きがきていたようで、病気を理由にポリーナと会おうとしなくなっていました。

愛人に捨てられかかったドストエフスキーと新たな恋人に捨てられたポリーナは「兄と妹」という関係を保つことを条件にイタリアに出発します。

しかし、途中、二人はまたもヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレットで有り金すべてをまきあげられてしまいます。

ミハイルをはじめとする親戚、出版社からかきあつめた借金でようやくヴィースバーデンを出立、ジュネーブ、トリノ、ジェノア、ローマ、ナポリと南欧各地を転々とします。

そして、10月になってようやく二人は別れることになり、この奇怪な情事旅行は終幕をむかえます。

この2ヶ月間で、ドストエフスキーのポリーナに対する情熱はかなり冷めたようです。
しかし、しばらくポリーナとの関係は続き、2番目の妻アンナと結婚してからも二人は手紙をやりとりしています。

そして、この「鞭身派の聖母」は「賭博者」「白痴」などかれのさまざまな小説に出没することになります。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Dostoyevski.htm


スースロワと「白痴」ナスターシャ


   名前:ぼんやり読者  投稿日時:2009/11/17(火) 13:27 [ 返信 ]

スースロワはドストエフスキーだけでなく、性関係を持った相手や結婚相手に深い憎悪をいだく性質の女性だったようです。

彼女がサルヴァドールをいう男性に対して行った仕打ちを見てみましょう。

この二人は合意のもとに関係を持ち、その後彼女は捨てられました。
そこで彼女は彼に何をしたかというと、「お金」を送りつけたのです。

「拝啓、以前わたしはあなたからある親切を受けました。

世間ではそういう親切に対してはお金を払うのが通例です。

無料で親切を受けていいのは、自分の友だちである人と自分が尊敬している人からだけである、とわたしは考えています。

わたしはあはたを誤解していましたので、自分の間違いを訂正するためにこのお金をお送りします。

このわたしの考えをさまたげる権利はあなたにはありません。」
(スースロワの日記、みすず書房)


まるで「白痴」のナスターシャみたいです。

ガーニャに暖炉に投げ込んだ金を取らせるシーンを思い出します。

スースロワは、性を売る相手に金を払うように、もともとは恋愛関係だったものを金銭関係にすりかえて相手を侮辱し、自分の自尊心を守るため「借りは作らない」という態度をとったようにも見えます。

ちなみに相手からは無視され、返事はありませんでした。

23歳のスースロワのはじめての相手が41歳のドストエフスキーだったとのこと。

ドストエフスキーは

「粗野なものではない。 そこから本質へ突き進むことのできるもの」

と考えていたかもしれませんが、性急な性の要求は深く彼女を傷つけたともいいます。

「白痴」ではナスターシャは年端のいかないうちにトーツキーの囲い者にされた憐れな女と設定され、ムイシュキン公爵は彼女を深く憐れみ、彼女の救いの存在となります。
これはもしかしたらスースロワという女性を怪物のようにしてしまったという、ドストエフスキーの悔恨と懺悔と憐憫の気持ちの産物なのかもしれません。あくまで想像ですが。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_tree_r_706.html


946 :吾輩は名無しである :2009/04/23(木) 00:05:49


アタシャ女だが、よくトルストイは女が描けるけど、ドストはダメというのがいるが、

それこそ、男の見方だよね。

ドストのあのヒステリックで自虐的かつサディステックな女性群こそ、本物の女だぞ。
もちろん誇張があるけど。

もてない男が描く理想像がトルストイの女たち。

『戦争と平和』のナターシャにも、アンナ・カレーニナにもさっぱり感情移入できん。

私がトルストイですきなのは、いかに自分がブオトコで持てなかったかを綿綿と綴った『幼年時代』等の自伝的作品と、女は登場しない『イワン・イリッチの死』だけ。

小谷野敦はほんと、もてない男だな。
今度出した新書も、女がわからない男の見方という意味で面白いといえば面白い。
http://logsoku.com/thread/love6.2ch.net/book/1232204701/

謎とき『白痴』江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E7%99%BD%E7%97%B4%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004658/ref=pd_sim_b_5

「謎とき『罪と罰』」江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106003031/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1288947374&sr=1-1

謎とき『カラマーゾフの兄弟』 江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%95%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004011/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1288951731&sr=1-10


江川卓著「謎とき『白痴』」と 「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」 を読む。


このたび『白痴』と『カラマーゾフの兄弟』読了記念企画として読んでみました。
いやはや、なんとも濃かった。

軽いタイトルとは裏腹に、著者の卓見がいたるところにちりばめられている。

登場人物の名前から語源探索してその秘められた意味を見出すなんて作業は、これは素人にはとても無理なわけで。

カラマーゾフのミーチャの弁護人の名「フェチュコヴィッチ」が、日本語にすると「阿保田」になるなんてのは、

あの裁判の場面でミーチャに肩入れして、弁護人がんばれみたいな気持ちで読んでいた私にとっては、

「え、それじゃ最初から勝ち目ない法廷闘争だったんじゃん」てなわけで。

鞭身派と去勢派という異端についての説明も詳しくてよかった。


この二つのキリスト教異端は、ドストエフスキーについての評論を読むと結構目にすることが多いのだが、それが一体どういう人たちなのかはあまり深く紹介されることがなかったので。

命名の語源探索や、『カラマーゾフ』の「3と13」なんかは、素人の私としては、若干トゥー・マッチに思えるところもないではないが、全体としては、『カラマーゾフ』の裏表紙に埴谷雄高が絶賛を寄せているように、名作だと思う。


で、印象に残ったことを、一つ二つ。


『白痴』で、

ムイシュキンは言うまでもなく、ロゴージンもナスターシャと性交渉を持たなかったことは、

ナスターシャを殺害した後にロゴージンがムイシュキンに

「(ナスターシャの裸体を)初めて見たが、綺麗な体だぜ」

という内容の言葉を言うことからも明らか。


では、なぜロゴージンはナスターシャと性交渉をしなかったのか。


江川氏は、ロゴージン(およびムイシュキンも)インポテンツ説である。

私としては、目からうろこと言うか、とにかく、そっちの角度(どっちの角度?)から考えたこともなかったので、「その手があったか!」と思った次第。

ただ、欲望の塊のようなロゴージンがインポだったなんてことが、いやいや、インポテンツな男性がロゴージンのような行動をすることがありえるのかというのが若干疑問。
ヤリたくてたまらないのに、いざとなったら萎えてしまったというのが「インポテンツ」の範疇ならば納得。


ムイシュキンが、ナスターシャを「気狂い」呼ばわりするのは、ナスターシャからセクハラ行為を受けたから。

納得。ただただ納得。


イワン・カラマーゾフの譫妄状態。

アル中説。

うーん。そうでないとは言い切れないが、そうであるとも言い切れないような気が。
悪魔がイワンの前に姿を現す場面は、スメルジャコフとの三度の対面でイワンの心がずたずたになっていたからと言うだけでも十分なような気がするんだが。
http://ameblo.jp/nisekagami/entry-10346336923.html

この本を読むと、まずドストエフスキーって一般には悪文家と言われているけれど、俗語や学生隠語、古風な言い回しにはちゃんと意味があって、そこにはドストエフスキーの意図が働いている、ということが指摘されている。

たとえば小説のはじめに、ラスコーリニコフが「ナスーシチヌイな仕事もすっかりやめてしまい」、とある。

「ナスーシチヌイ」ということばは「日々の」という意味なんだけど、日常めったに使われない文語的なことばだそうだ。

ところがこれがじつは聖書のなかに「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」という一句の、「日用の」と同じなんだな。

そもそもこれは、当時のロシアの子供たちが暗唱させられるお祈りで、「ナスーシチヌイな仕事も・・・」とくればこの聖書から採られたお祈りが連想される、というわけだ。

だから、ここでは主人公が日用の糧を稼ぐ仕事もやめようとしている、と読みとることができる


そうだとすると、併せて日々のお祈りもしなくなった、とも連想できますね

それにラスコーリニコフという主人公の名前・・・

この名前は17世紀ロシア正教から分裂した「ラスコーリニキ(分離派)」に由来している。

その証拠に、創作ノートには主人公の母親のことばとして「ラスコーリニコフ家は二百年来、有名な家系」と記されている。

この小説が書かれたのは1865〜1866年、そこから200年さかのぼると、まさに17世紀の'60年代で、分離派運動の発生期に一致するんだよ


分離派って、どんな信仰形態なんですか?

「分離派」にもいくつかあって、
身体をたたき合いながら法悦状態に達する「鞭身派」、
肉欲から逃れるために生殖器官を切除する「去勢派」などがあったそうだ

また、ラスコーリニコフという姓はロシア語の動詞「ラスコローチ(割り裂く)」とも無関係ではない。

まさにこの青年は金貸しの老婆の脳天を斧で割り裂くわけだ


でも・・・斧が凶器ですけれど、たしか峰打ちでしたよね?

優美、よく気がついたね(^^ )そう、峰打ちであることが妙に強調されている。

つまり、斧の刃はラスコーリニコフ自身の方を向いていたんだね

それはドストエフスキーの意図するところだったと・・・?

うん。これまた証拠があって、後にラスコーリニコフがソーニャに老婆殺しを告白するとき、

「あのときぼくは、ひと思いに自分をウフローパチしたんだ、永遠にね・・・」と言っている。

ここはふつう「ひと思いに自分を殺した」と訳されているけれど、「ウフローパチ」というのは俗語で、もとはものが激しく打ち当たる擬音語「パチン、パシリ」にあたることばなんだそうだ。

つまり「ひと思いに自分をパシリとやった」・・・


割り裂いたのは自分自身だったというわけだな

はあ〜見事な分析ですね


名前の話に戻るけど、主人公のフルネームは「ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」で、頭文字はロシア語のR音だから「PPP」になる。

著者の江川卓によれば、ロシアでもこんな名前はほとんどあり得ない、可能性としては600万人にひとり、当時のロシアなら5人もいたかどうかという計算になるそうだ

頭文字が「PPP」となることに意味があるのですか?


これは裏返しにして「666」、つまりヨハネ黙示録に記述されたアンチクリストをあらわすのではないか、というのが著者の推理だ。

神の掟に背いて殺人を犯しながらなお人間の掟を「踰えた」とうそぶく主人公に、すこぶるふさわしい設定―「刻印」だろう。

じっさい、非凡人論をぶちあげたラスコーリニコフに、予審判事ポルフィーリイが「何か生まれながらのしるしでもないのですか?」と質問している


名前だけでそれだけの意図が込められているなんて驚きですね・・・(・o・)

主人公に次いで重要な登場人物である聖娼婦ソーニャについてちょっとだけふれておこうか。

この小説にリザヴェータという登場人物が出てくるだろう?

金貸しの老婆に使われていて、運悪く殺人の現場に来合わせてしまったために主人公に殺されてしまう女性ですね

うん。ラスコーリニコフが安料理屋で、たまたま隣に立った将校と学生がリザヴェータについて噂しているのを聞くよね。

それによると、リザヴェータは「ひどい醜女」で「善良」「柔和」「静か」、そして未婚でありながら「ほとんどいつも妊娠している」ということだった。

ここで「柔和」と「静か」はソーニャとの共通点なわけだけど、同時に「醜女」でありながら「いつも妊娠している」のはなぜだろう?

・・・(・_・;
ヒントがいくつかあって、はじめてソーニャの部屋を訪れた主人公は、ふとたんすの上に置かれたロシア語訳の「新約聖書」に目をとめる。

ソーニャによればリザヴェータが持ってきたものだということだ。

ところがこの「新約聖書」は、ドストエフスキーが持っていた、発行後40年を経た稀覯書を模している。

どうしてこんなものをリザヴェータが持っていたんだろうか?

たしか、ソーニャがリザヴェータのことを「あの人は神を観ずる方です」と言っていましたね。

そのことと関係があるんでしょうか?

まさにそれだ( ・_・)♭

さっき話に出た、ロシア正教から分裂した「分離派」に、「観照派」という宗派がある。

「鞭身派」と「去勢派」がそれで、「観照派」とは文字どおり神や聖霊を観照する、つまり目に見ることだな。


「鞭身派」というのは信徒たちが密室でお互いの身体をたたき合い、集団的な法悦状態にまで高まったとき、キリストや聖霊が儀式の場にあらわれるのを観照する。

そしてその法悦状態から信徒たちは乱交に至ることもあり

(このことが、この鞭身派の勢力を急成長させた要因ではないかという説もあるらしい)、

この儀式の際に授かった子供は未来のキリスト候補として宗派の共同体によって育てられるという習慣もあったそうだ


するとリザヴェータは・・・

「鞭身派」のあるセクトの巫女―「聖母マリア」だったのではないか、というわけだ。

それならいつも妊娠していて、しかも生まれてくる子供の養育については心配する必要もなかっただろう

・・・それでは、ラスコーリニコフは「聖母マリア」を殺したということにもなりますね・・・

でも、ソーニャはリザヴェータがそのような立場にあったことを知っていたのでしょうか?

「神を観ずる方」と言っているくらいだから、当然知っていたんだろうね・・・

いや、それ以上かもしれない。

ソーニャがリザヴェータについて語るとき、妙な言い淀みが頻発しているのに気がついた?

 「ええ・・・あの人は心正しい方でした・・・

ここへも来ました・・・たまにですけれど・・・

そうそうは来られなかったんです。

わたしたち、いっしょに読んだり・・・お話ししたりして」


たしかに「・・・」が多いですね

公然化されていない儀式のことを思っていたのだろうか・・・

「わたしたち」って、ソーニャとリザヴェータのふたりのことだけだろうか・・・
するとソーニャも・・・

ちょっと考えにくいけど、彼女の部屋は窓が三つもあって家具がほとんどない「大きな」部屋とされている。

娼婦の部屋としては似合わないよね。

じつは鞭身派の儀式は、窓がたくさんあって明るく広い部屋が使われるのが通例だったそうだ

というわけで、ドストエフスキーの「罪と罰」は、この本によって意味論を超えた次元で徹底的に読み解かれている。
http://amadeushoffmann.web.infoseek.co.jp/dialogue29.html

「君は確実に病気で死ぬ」

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。(2chより)


 現代において、売春少女は不幸か?

 と言えば、援助交際とか気楽に言っているので、そんなにこの女主人公ソーニャは悲劇なのか?

 やはり、時代背景と言うものを少しは知らなくては、ソーニヤの悲劇性はわからないと思う。

 時代は19世紀である。

 避妊具とかが発達していなので、性病・妊娠の危険は売春の仕事をする中では大きいと思う。

 それゆえに社会的な排他・阻害感も、現代よりも強いと思う。

 亡くなった飯島愛さんのようにTVタレントにはなれないだろう。


 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

 ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。

 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。 

 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。


 ソーニャの最初の相手は16歳の時に、売春をはじめた時の相手である。

 当然、恋愛もなにも知らずに、いきなり売春である。

 (これは現代においても、かなり悲劇ではないか・・・)

 それから、家族の為にほぼ毎日、お客の相手をするのだが、残念ながら、彼女は性的な快感はない。

 18歳にして、重度の不感症・冷感症なのである。

 それ故に、彼女は「純粋な売春婦」と称されるのである。


 当然ながら、彼女には友人はいない。

 唯一の友人であった知的障害を持つリザベーダーは、ラスコに斧で殺されたのである。

 彼女に知的障害を持つ「神がかり」と言われる人しか友人がいないことが、彼女の社会的境遇を物語る。

 彼女は虐げられた人である。


 ラスコ曰く、

 「あなたは自分で自分を殺してしまったのだ」

 ラスコーニコフは自分の老婆殺しについて

「あれは斧で老婆を殺したのではなく、自分自身を殺したのだ」

 人間として一線を超えてしまった2人の若者は、お互いに強く惹かれ合うのである。
http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

江川卓  謎とき『カラマーゾフの兄弟』


外国文学を日本語で読むと、その面白さは半減する。

たとえば、日本文学で、谷崎の流麗な上方言葉の魅力を、では、どう英語に、フランス語に、ロシア語に翻訳することができるか。

京都や大阪という土地の土着性など、その細かいニュアンスを他言語圏に伝えるのは相当無理があると思う。

訳者でもある著者は、そのロシア語と日本語の間に立って、ロシア語で読まれるはずの『カラマーゾフの兄弟』の魅力を、詳しく、丹念に解説してくれる。ロシア語のできん者にはとてもありがたい。

たとえば、なぜ一連の騒動を巻き起こす一族の姓名が「カラマーゾフ」でなければいけないのか。

「カラ」は日本語で「黒い」、「マーゾフ」は「塗りたくる」の意味らしい。

さらに、「カラ」が「カーラ」だとすると、それはロシア語で「罪」となり、さらに「カラ」は泥棒の隠語で「男性性器」の意味でも用いられるという。

作者も指摘するように、語の多義性を最大限に利用するのが「ドストエフスキーの小説作法の真髄である。

ところが、この「カラ」起源説はこれに留まらない。

「カラ・ゲオルギイ」というセルビアに実在した民族英雄がいたらしい。

この人、王朝の始祖、ゲオルギイ・ペードロヴィチが父親殺しをしたことから、「カラ・ゲオルギイ」、つまり「黒いゲオルギイ」とあだ名されたらしい。

さて、父親殺しとはこの小説の主要テーマであり、この事件を中心に小説は進行するのだが、このカラ・ゲオルギイは父を殺し、王朝を築き上げた。

つまりそれは、旧制度の討伐、であります。

何よりもスリリングなのは、あんなにも信仰深く敬虔だったアリョーシャが、のちに革命家となり、皇帝暗殺を企てるだろうという説! 

これは著者のみならず、多くの学者が指摘しているという。

もちろん、小説にはそんな事実はどこにも書かれてない。

父・フョードルを殺したのは私生児(その事実の真偽もこの本の中では取り上げられている)とされているスメルジャコフであり、殺害の嫌疑にかけられたのは長男のドミートリイだ。

アリョーシャの父親殺しはどこにも書かれてない。

しかし、小説冒頭、ドストエフスキーは、これは第1の小説で、この小説には13年後の、現在の小説が予定されていると断っている。

つまり、この『カラマーゾフの兄弟』には続きがあり、それこそは33歳になったアリョーシャの現在進行形の小説になるはずだったのだが、すでにドストエフスキーは死んでしまった。

33歳とはキリスト処刑の年齢に重なる。


「現代のキリスト」であるアリョーシャは、既存宗教から抜け出し、革命を起こす。

皇帝暗殺とは、ロシアの「父」を暗殺する事に他ならない。

予定されていた続編ではアリョーシャによる父親殺しが書かれるはずだったと言うのだ。

であるとすれば、「カラマーゾフ」とい姓が「カラ・ゲオルギイ」から引用されている事は、容易に結びつける事ができる。

ちなみに、ドストエフスキー死後1ヶ月、皇帝アレクサンドル2世は暗殺されている。
こんな謎ときです。

他にも、スメルジャコフは去勢していたという説。

ロシア正教の分派の中で「鞭身派」というのがある。

読んで字のごとく、身を鞭で打つのだが、

この宗派は、教会や聖書を介さずに直接にキリスト、精霊と交わることを求め、そのために、

男女の信徒が一部屋に集まって、祈祷、歌、踊りのあげくに、

最後には手や鞭で各々の身体を打ち合って、集団的恍惚を得る

儀式が行われていたのだという。


しかし、これ、キリストや精霊との直接の交感を求めていたこの儀式も、次第に乱交パーティー化していったという。

そうして、その反動として現れたのが「去勢派」である

性的堕落を激しく糾弾し、男は睾丸を、女は乳首を切除したり乳房を抉り取ったりするのだそうだ。

ゆえに、去勢派の人間はそろって顔色が悪く、傍から見ても「あいつは去勢派だ」ということが分かるくらいなのだという。

これはスメルジャコフの描写に見事に呼応している。

ちなみに、筆者はグリゴーリイは鞭身派だと指摘している。


さて、今では考えられないようなオカルト宗派(現在でも案外あるかも)、について、小説中ではどこにも直叙はされていないが、この分派は当時のロシアに、マイノリティではあるものの結構広く信仰されていて、認識はされていたようだ。

つまり、当時のロシアの読者であるならば、

スメルジャコフの描写や、マリヤとの同棲ではない同居を読むと、彼らが去勢派であるということは容易に推察できることなのである。


『カラマーゾフの兄弟』はロシアの民族的、土俗的信仰生活に深く根を下ろしている。

アリョーシャを「黒いキリスト」、スメルジャコフを「白いキリスト」と設定したり、
イワンは実はアル中ではなかったかとか、3と13という数字の意味、蛇と龍と男性性器。作者の行間にするする入り込んでいく、その快感は、中々である。

さらに、ドストエフスキーの名はフョードルというが、夭折した彼の息子の名はアリョーシャらしい!

古典が古典であるゆえんは、それが幾時代を超えてもなお読まれる、その力である。

それはつまり、幾通りもの読み方ができる言う事だ。

『カラマーゾフの兄弟』はもはや古典だが、この古典小説も数多くの神話や民話や古典を引用している

(ちなみに三島由紀夫は『仮面の告白』の冒頭で、美とソドムに関するミーチャの名高い演説を引用していた)。

それらについての素養ができていないと、真正面からこの小説に立ち向かう事はできない。

とりわけ聖書、ギリシア神話を暗誦できるくらいに読み込んでいないと、積み上げられたドストエフスキーの謎は紐解けないのです。

まあ、しかしアリョーシャがやがて革命家となり、国家的犯罪を犯し、皇帝暗殺に乗り出すとは、本当にビックリだ。

心優しいアリョーシャが! しかしその犯罪(ソドム)は美しい。

これこそがカラマーゾフ的だ。

最後の12人の少年たちに向けて行われるアリョーシャの演説は、そのまま12使徒に向けられたキリストの演説である。

と、すると、この中には絶対にユダがいる。

ゆえに、アリョーシャは密告されて殺されてしまうのだろうか。

ドストエフスキーが書くはずであった、そのアリョーシャの物語が読みたかったし、ドスト本人も書きたかったろうに。

しかし、これだけ膨大な伏線めぐりの末にたどり着いた最後の演説の場面が、それこそも続編への伏線だったとは。この巨大で精緻な構成力は、本当に圧巻である。
http://www.geocities.jp/maxi_japan/dokusyo_egawataku_nazo-k.html

「去勢派」については、江川さんが「謎ときカラマーゾフの兄弟」で次の様に書いています。

「ロシア分離派史上でも最大の人物と目されるコンドラーチイ・セイワーノフが登場した。〜〜〜

やがてセイワーノフは、鞭身派の性的堕落にいきどおり、自分は人類を肉欲から救い、「魂を滅ぼす蛇を退治する」ためにこの世にやってきた「神の子」であると宣言した。

むろん「蛇」とは男性の性器官の象徴であり、「蛇退治」は「去勢」の意味である。

このような形でセイワーノフによって開かれた新しい宗派が「去勢派」であり、信徒は「ぺチャ−チ」(刻印)と呼ばれる術を受けることになった。


女性の場合は、乳首だけを切除するのが「小ぺチャーチ」、

乳房まで切り取るのが「大ぺチャ−チ」と呼ばれた。

男性の場合の「小ぺチャ−チ」は睾丸を切断するわけだが、

「大ぺチャ−チ」については、手術を終えたあと、術者が切除部分を被術者の目の前に突きつけ、

「見よ、蛇の頭は砕かれたり、キリストはよみがえりたまえり」

と唱える、のだという。


〜〜〜鞭身派の聖母アクリーナから正式に「キリスト」と認められたセリワーノフは、

「魂を滅ぼす蛇を退治する」自身の事業をしだいに広め、十八世紀中葉には、信徒の数ももはや無視できなくほどの数に達していた。〜〜〜

ついに一七九七年には、ピョ−トル三世とエカチェリーナ女帝の遺児であるパーべェル一世と対面し、二人の間には次のような問答がかわされたという。


パーべェル帝「汝はわが父なるや?」


セリワーノフ「われは罪の父ならず。わが業(去勢)を受けよ。さすれば汝をわが子と認めん」


ファンタスチックとしか形容のしようのない対話で、パーべェル帝がセリワーノフを狂人と認定し、オブホフの精神病院に収容してしまったのも無理からぬことであった。

ところが奇妙なことに、パーべェル帝の後を襲ったアレクサンドラ一世は、すでに白髪の老爺となっていたセリワーノフの人柄に魅惑され、一八〇二年に彼を解放したばかりか、数次にわたつて彼と親しく面談し、セリワーノフのほうでも、大去勢によるロシア救済計画を帝に建議したといわれる。〜〜〜


つまり、「カラマーゾフの兄弟」の舞台となっている十九世紀の六十年代、七十年代にも、この奇怪な信者たちの問題は、けっしてたんなる昔語り、あるいは僻地のエキゾチックな風習ではなく、むしろすぐれて現代的な関心事であったということができるように思う。


「まぎれもなく「好色な人たち」である「カラマーゾフの兄弟」の作中人物たちのなかで、スメルジャコフ一人はいくぶん例外的に見える。

まず彼の少年時代の大好き遊びが猫の葬式ごっこだったことが想起される。

彼は幼い頃から、猫を首吊り台にかけ、そうしておいてその葬式ごっこをするのが大好きだった、と言われている。

葬式のときには、祭服に見立ててシーツをひっかぶり、香炉代わりに何やら猫の死体の上で振りまわしながら、歌をうたうのだという。

モスクワへ、コック人の修業に出されて戻ってきた彼は、

「すっかり面変わりがしていた。なんだかふいにめっきり老けこんだ感じで、年齢にまったくそぐわないくらい皺だらけになり、顔色は黄ばんで、去勢者に似た感じになっていた」

「大審問官」伝説をアーリョーシャに語った直後、家に戻ったイワンは、門のわきのベンチで夕涼みをしていたスメルジャコフを目にする。

「イワンは怒りと嫌悪の目で、びんの毛を櫛できれいに撫でつけ、ふっくらと前髪を立てたスメルジャコフの去勢者のように痩せこけた顔をにらめつけた」

 見るとおり、スメルジャコフはドストエフスキーによって、ことさら「去勢者」に、あるいはさらに進んで「去勢派信徒」になぞえられている。

さらに注目されるのは、マリアの家に移ったスメルジャコフが、母娘によっていたく尊敬され、二人はスメルジャコフを「一段上の」人間のように見ていた、という指摘である。

「一段上の」という言葉にこだわるのは、

鞭身派以来、代替わりのいわゆる「新キリスト」は、旧キリストあるいはマリアによって「一段上の人、最上の人」として彼らの共同体である「船」に迎えられる慣行があったからである。〜〜〜

スメルジャコフが「花婿」の資格でマリアの家に移ってきた、とされていることも見逃せない。

ロシア正教会においてばかりでなく、西欧のキリスト教会においても、「花婿」という言葉は、ヨハネ黙示録の「子羊」、つまり 花嫁たる教会を聖化する「花婿」、別の言葉でいえば、再来するイエスキリストその人を指す言葉であった。〜〜〜


ところで、スメルジャコフが去勢派の「白いキリスト」だということになれば「蛇退治」(フョードル殺し)は、当然、彼の宗教的、社会的使命だということになる。

こうして、もともとは多分に個人的であったかもしれないスメルジャコフの犯行の動機が、いわば去勢派流に「聖化」され、普遍的な意義を獲得することになるのである。〜〜〜

前にも触れたが、幼児期の彼が大好きだったという猫の葬式ごっ子のエピソードがそれに当ることは、あらためて言うまでもあるまい。

このようなスメルジャコフが、鞭身派、去勢派の「船」が数多くあったモスクワへ「修業」に出て行ったとき、「猫」ないし「蛇」に対する彼の憎悪は一つの基礎ずけを与えられ、同時に深く内攻していくことになった。

こうして彼は外なる「蛇」を挫く以前に、まず自身の内なる「蛇」を挫くことを決意するのである。

つまり、「去勢者に似た感じ」になってモスクワから戻ってきた彼は、すでに「白いキリスト」の自覚をもち、フョードル殺害にあたっては、もはや完全な確信犯として行動することができたのである。

ところで、スメルジャコフの犯行がそのような「使命感」に裏ずけられたものだったすれば、当然、彼の憎悪はたんに個々の「蛇」だけにではなく、「蛇」一般に、さらにはそのような「蛇」のはびこる現世そのものにも向けられていたと考えなければなるまい。

事実、彼の憎悪は、カラマーゾフ一族を生み出した土台であるロシアそのものにも向けられていた。


「私はロシア全体が憎くてならならないんですよ」とは、彼のマリヤへの告白である。

〜〜〜

スメルジャコフの憎悪は、むろん、ロシアだけに局限されはしなかった

「女にだらしがない点しゃ、外国人もロシア人も似たり寄ったり」だからである。

〜〜〜

一方、スメルジャコフが目撃するカラマーゾフ一家の「淫蕩」が、全ロシア的な、あるいは世界的な「淫蕩」の象徴的な縮図とするならば、それは、「大審問官」伝説に登場する「野獣にまたがる淫婦」を媒介にして黙示録的終末のイメージとも重なってくることになる。

折りしもいまは「蛇の季節」でもあった。

スメルジャコフはこの終末の世に、「蛇」を退治し「淫婦」を辱めるべき「白いキリスト」として再来したのだった」


(謎解き「カラマーゾフの兄弟」 江川卓 新潮選書 Z 白いキリストより)


去勢を血統転換に置き換えれば、統一教会の教えそのものになります。


(「謎ときカラマーゾフの兄弟」V好色な人々・Z白いキリスト ページ158〜159より
江川卓 新潮社)


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誰もが関心を持つのは、去勢派、鞭身派共に各派の聖女ですね。


去勢派の聖女マリア(スメルジャコフの花嫁?)はスメルジャコフの元にスープをもらいにやって来ます。

寄生派の花嫁は「○○○の毛まで抜かれる」と言われている通りに、はるばる海を越えて○○○の毛を抜きにやって来ます。

「合同結婚でも日本人同士のカップルならば安心だろう」と思うのは、早とちりです。

友人の場合は、結婚当初、現金で預金をしていたら奥さんがすべて教会に献金してしまうので、すかさず預金をマンションのローン頭金にあてて、間一発のところで無一文にならずに済みました。

お気に入りの食器やレコード類も、生活必要品としてすばやく居間に配置したので無事に残りました

それでも、僕の友人はまだ恵まれているほうで、献身者(統一教会系列会社で働いている夫婦)の場合は数家族の共同生活の家賃や食費はかかりませんが、朝から夜遅くまで働きずめで一家族1万二千円の月収です。

「カラ」兄弟でも、スメルジャコフは、フョードル宅からいつのまにか去勢派の共同生活場?らしきマリアの丸太小屋に移されていますね。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_topic_pr_287.html


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3. 鞭身派のキリストと聖母マリアとは


 17世紀に分離派の一派として生れた宗派に鞭身派というのがある。

1700年1月1日に生きながら天に召されたダニイロ・フィリッポフが開祖とされており、この点では作中(カラマーゾフの兄弟)に登場する聖痴愚フェラポント神父にその面影が映されている。

鞭身派の教義の特質は、教会や僧を否定し、直接にキリスト、聖霊との交わりを求める点にあり、そのための手段として、

男女の信徒が一部屋に集まり、祈祷、歌、踊りのあげく、

最後には手や鞭でおたがいの全身を打って、集団的な恍惚状態に達する独特の儀礼が行なわれた。

この瞬間にキリストないし聖霊が信徒たちの胎内に入ると信じられたのである。


この教義の当然の帰結として、鞭身派には、初代キリストのイワン・スースロフをはじめ、何人ものキリストがつぎつぎと現われることになった。…

むろん「十二使徒」も信徒たちの中から選ばれ、「船」と呼ばれた信徒たちの共同体には、かなり厳格なヒエラルキーが確立していた。…
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/page-he.htm

●ロシアの異端


鞭身派−肉、魚、にんにく、ジャガイモを食べず、酒も飲まない。

女はプラトークをまぶかにかぶる。

一部屋に車座になってすわり、入れ替わり立ち代わり踊り、罪のもとである肉を鞭で打ち続ける。

最後は乱交パーティーになる。

ラスプーチンもこの一派といわれる。


モンタヌス派−別名跳躍派。

集会で男女が手を取り合って飛び跳ね、そのあとで性交する。

聖書のロトと娘の性交、ソロモンの300人の妻にちなむ。


去勢派−淫行に走りがちな鞭身派を批判。

罪のもとである陰茎、乳首を切除する。

男性ホルモンの欠如からひげが生えず女性的な声なので外見からすぐに分かる。

「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフは去勢派といわれる。

http://www.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/kyozai/08.txt

鞭身派

17世紀末に起こった〈霊的キリスト者〉のセクトで、聖書と聖職者を認めず、

精霊(Святой дух)との直接的な交わりを求めて、熱狂的に踊り、歌い、互いに体を鞭打ったところから、その名が生じた。

神の化身である複数の〈キリスト〉、〈聖母たち〉あるいは〈母君(マートゥシカ)たち〉のもとに集まり、

祈り、祈りの最後に執り行なわれる独特の儀式(ラヂェーニエ)。

それが始まると、宗教的エクスタシーに達するまでみなが踊り狂ったという。

自らを〈神の人びと〉と称した。

旧タムボーフ、旧サマーラ、旧オレンブールグの各県、北カフカースやウクライナに彼らの小さな共同体が存在した。
http://www.seibunsha.net/prishivin/p15.html

帝政ロシアは政教一致を国是とし,ロシア正教が国教でしたが,国民のうちにはこの国教を奉じようとしない者もあり,政府と正教会はこれに手を焼いていました。

この反正教会的宗教潮流は,通常「ラスコールと諸セクト」と総称されます。

ラスコールは通常「分離派」と訳されるとおり,十七世紀の教会改革の際正教会を離れた人々のことで,改革を受け容れず古い儀式に固執したことから,「古儀式派」とも称されます。

分離派には穏健派から過激:派にいたる様々な流派がありますが,大略,司祭の存在を認める「司祭派」と,これを認めない「無司祭派」に分かれます。


無司祭派は教導者を擁するのみで,司祭も正典も宗規も有さぬところがら,次第に正教会はもちろんキリスト教そのものから離れ,キリスト教的要素を多く保持しつつも,新たな道をもとめて独自のセクトを生み出す傾向があります。

フルイスト派(鞭身派)の場合も,その発生時期(十七世紀半ば)からして,もとは無司祭派に端を発していると考えられます。
 
フルイストが鞭を意味するところがら,日本ではこれまで鞭身教徒と訳されていますが,この訳語は不適切であり,見当違いな憶測のもとになりかねません。

鞭身教徒という言葉から,人は漠然と,鞭打ちがこのセクトの特徴であると思うでしょう。

確かに鞭打ちは,中世の修道僧などが自らに課した苦行です。

しかしフルイストゥイの儀式において鞭打ちはなんの役割も演じておらず,この場合フルイストゥイの語はまったく別の由来を有しています。


このセクトの信者たちがなぜ「キリストたち」と呼ばれたかというと,それは彼らが多くのキリストを輩出したからです。


彼らの地域集団をカラーブリ(船の意。フリーメイソンのロージにあたるもの)と呼びますが,各カラーブリは必ず教導者たるキリストと生神女,さらに大抵は複数の預言者と女預言者を擁していました。

その儀式の主たる内容は輪舞(これをラジェーニエと言います)で,彼らはこの激しい身体運動によって法悦に達し,キリスト,生神女,預言者たちは忘我の気惚状態の内にあって,天候の如何,収穫の良し悪し,個人の身上等々を預言しました。

預言者には原則として誰でもがなれた。

もちろん預言者たる能力には個人差があって,預言者や女預言者になるのは,人一倍霊感を受け易い者たち,恍惚状態に陥り易い者たちでした。

 フルイストたち自身の言い伝えによれば,その教祖たちの行実とは次のようなものです。

 皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(在位三64546)の時代,ウラジーミル県コヴロフ郡なるゴロジン山の頂に二軍のエホバが降り,コストロマ県の農民ダニーラ・フィリッポヴィチの内に入って彼を生ける神とした。

当時はニコンの改革に端を発する教会分裂の真最中で,人々はいかなる書物によって救われるかをめぐって争っていた。

人が救われるのは古い書物によってか,それとも新しい書物によってか。ダニーラ・フィリッポヴィチは,新たな啓示によってこの書物の新旧論争にけりをつけた。


すなわち,救われるためにはいかなる書物も要らない。

聖神そのものさえあればよい。

内心の祈りによってのみ神は人間に宿り,人は救われる。

彼は新旧の書物をすべてかますに詰め,ヴォルガに捨てさせました。


ダニーラ・フィリッポヴィチははじめコストロマ近郊のスターラや村に住み,のちコストロマに移った。

以来コストロマは「天上のエルサレム」,彼の住む家は「神の家」と呼ばれ,多くの信者を集めます。

書物の(つまり教会の)教えに頼らず,わたしの言葉のみを信ぜよ。

あるいは,預言者たちが忘我状態で口にする言葉(預言)のみを信ぜよというのが,彼の教えでした。

別の伝説によると,ダニーラのことを知った総主教ニコンは彼を幽閉したが,彼が釈放されてコストロマへ帰るまでの間,地上を一面の霧が覆った。

コストロマに帰った彼は,弟子たちに「十二誠」を与えた。

この十二誠とは次のようなものです。

1.我は預言者たちにより預言された神であり,人間の魂を救うため地に降り来たった。
  我以外に神はない。
2.他に教えはない。他の教えを求めてはならない。
3.汝の置かれたところに留まれ。
4.神の受命を守り,世の漁人となれ。
5. 酒を飲むな。肉の罪を犯すな。
6. 結婚するな。既婚者は妻と兄妹のごとく生きよ。未婚者は結婚するな。既婚者は離婚
せよ。
7. 悪罵を口にするな。悪魔,悪鬼等の言葉を口にするな。
8. 婚礼,洗礼式に行くな。宴会に出るな。
9.盗むな。一コペイカでも盗んだ者は,あの世でこの一コペイカを頭頂に貼りつけられ,
  これが地獄の火で融けるまで,赦されることはないであろう。
10.これら二二を秘表せよ。父にも母にも明かすな。たとえそのため鞭打たれ,火で焼か
  れようと,耐えよ。耐えきった者こそ信者であり,天国を,また地上では霊の喜びを,
  受けるであろう。
11.互いに訪れ合い,もてなし合い,愛し合い,我が誠命を守り,神に祈れ。
12.四神を信ぜよ。


 もっとも,コンラート・グラスというリトワニアの研究者によると,フルイスト派の伝説が伝える教祖たちのうち,ダニーラ・フィリッポヴィチについてはその実在を確証することができない。

歴史資料により実在が確証されるのは,次のスースロフからだというのです。

 万軍のエホバがゴロジン山に降りダニーラを生ける神とする十五年前,ウラジーミル県ムーロム郡マクサコフ村に,母親のアリーナ・ネーステロヴナが百歳の時,神の息子たるキリスト,イワン・チモフェーヴィチ・スースロフが生まれた

(これは,アリーナ・ネーステロヴナが生神女を務めていたカラーブリで,スースロフが霊的啓示を受けキリストとなった,という意味でしょう)。


 イワン・スースロフが三十歳になった時,ダニーラ・フィリッポヴィチは彼をコストロマへ呼び,神性を授け,彼を生ける神とした。

すなわち,スースロフはダニーラ・フィリッポヴィチにより三日間天へ上げられたのちオカ河の岸へ帰り,以後ここの一村を根拠地として教えを弘めた。

彼は若く美しい娘を連れており,彼女は生ける神の娘として,また生神女として崇められていた。

彼はまた,弟子たちのうちから十二人の使徒を選び,彼らと共に村から村へ布教を続けた。

 アレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝(在位1645−76)はスースロフの布教活動のことを知って,彼を四十人の信者と共に捕らえ,訊問のためモスクワへ連行させた。

しかし司直は彼らから一言の供述も引き出すことができなかった。

拷問の火もスースロフの身体を傷つけえず,結局彼はクレムリン前の赤の広場で心墨に処された。

彼は木曜日に息を引取り,金曜日に埋葬されたが,土曜日から日曜日にかけての夜に甦り,モスクワ近郊の村に姿を現した。そこで再度逮捕され,拷問と礫刑に処され,再度甦った。


三度目に捕らえられた時,皇后ナタリヤ・キリーロヴナはピョートル・アレクセーヴィチ(のちのピョートル大帝)を懐妊中で(つまり1672年のこと),スースロフの釈放なくして出産は無事にはすまないという預言があったため,皇帝はスースロフを釈放した。

 以後三十年間(つまり1702年まで),スースロフはモスクワを中心に布教を続けたが,うち十五年間は政府の監視を避けてモスクワを去り,諸所の弟子たちのもとを転々とし,迫害が下火となったのちモスクワへ帰り,ここで男女の修道院に果多しく信者を増やした。


彼の住むクレムリン近くの家は,「神の家」とも噺しきエルサレム」とも呼ばれた。

 1699年には,百歳のダニーラ・フィリッポヴィチがコストロマからモスクワの「新しきエルサレム」へ移り来たり,ここから1700年1月1日,永い輪舞ののち,多くの会集者たちの見守るなか天に昇った。


以後それまでの9月1日に代えて,この日を新年の始まりと定めた。

三年後,スースロフ自身も多くの信者たちに見守られつつ昇天した。

ダニーラ・フィリッポヴィチは地上に遺骸を残さなかったが,スースロスは残した。

信者たちは遺骸を乞い受けてイワノフスカや女子修道院に埋葬し,石碑を建てた。


 スースロフのあとを継いでキリストとなったのは,ニージニー・ノヴゴロト(現ゴーリキー市)の元込士プロコフィー・ダニーロヴィチ・リープキンなる人物で,一部フルイストたちは,彼をダニーラ・フィリッポヴィチの実の息子であるとしています。
彼は1713年から1732年の死まで,キリストの地位にありました。

彼の妻アクリーナ・イワーノヴナは生神女で,二人の息子は剃髪して修道院へ入り,ここで教えを弘めます。


 十八世紀半ばから十九世紀初頭までの問に,フルイスト派はほぼロシア全域に行き渡り,国外ではガリシア地方に住むロシア人たちにまで及びました。

モスクワには四つのカラーブリがあった。

とりわけ信者が多かったのは,オリョール県とタンボブ県であったそうです。

信者はさまざまな階層にわたりましたが,主として農民都市の職人,小商人たちで,また多くの修道院がこのセクトの拠点でした。


 フルイスト派は結婚と生殖を認めませんが,ダニーラ・フィリッポヴィチやキリストの家系には血統が絶えぬよう配慮がなされていたようです。

コストロマから三十キロのスターラや村には,十九世紀半ばまでダニーラの門下と言われるウリアナ・ワシーリエワという女性が生存しており,彼女が修道院へ幽閉されてのちも,スターラや村はフルイスト派の聖地ベツレヘムといったものでしたし,ループキン直系の子孫もやはり十九世紀半ばまで存続していました。

 十九世紀の六十年代に至り,フルイスト派は個々のキリストを戴く多くのカラーブリに分裂し,それらカラーブリ同士が互いに対立し合うという事態を生じた。

 フルイスト派は,のちの去勢派ほどにはよく組織された教団ではありません。
それは半ば自然発生的にさまざまな地方に興つた,とすら見える。

諸カラーブリ間の横のつながりも,さして緊密なものではなかったらしい。


しかし各カラーブリにひとりのキリスト,ひとりの生神女がいて,ひとり,あるいは数人の預言者・女預言者がいるという構造は,共通していたようです。

また,儀式のうえではすべてのカラーブリが輪舞(ラジェーニエ)を採用していたことは事実ですが,儀式の細目については地方により時代により種々食い違いもあり,このことは,セクトが時とともに様々な派に分かれていったことを証するものです。

体系的な教義が成文化されず,教導者の意思が神の意思と見倣され,カラーブリの全成員がこれに絶対服従するような集団にあって,これは至って自然なことでしょう。

 ロシア正教というのは,概して形式にすこぶる拘泥する宗教です。

十七世紀の教会分裂自体,儀式や礼拝の細目における形式の変更をめぐって生じた。

そして分離派は,正教会以上に形式主義者でした。

彼らは,ニコンの改革が伝統的形式を歪めるものであるとして,旧来の伝統と形式の名において改革に反対したのです。

フルイスト派は,ロシア正教のこの形式主義への反動として興つたと言えます。

その意味で,ダニーラ・フィリッポヴィチがあらゆる書物をヴォルガへ捨てたという挿話が,フルイスト伝説の冒頭に位置していることは象徴的です。


書物や普通の祈りでは生ぬるい。

彼らは神性との一層直接的な接触・融合を求めた。

つまり激しいラジェーニエに訴えて肉体を疲労特牛させ,神を自らの内へ直接呼び降ろそう,神と合体しようとするのであって,これが彼らの祈りなのです。

彼らは,使徒行伝に引かれた預言者ヨエルの言葉が実現したものと信じていました。

「神いひ給はく,末の世に至りて,我が霊を凡ての人に注がん。

汝らの子女は預言し,汝らの若者は幻影を見,なんじらの老人は夢を見るべし。

その世に至りて,わが僕・師団に,わが霊を注がん,彼らは預言すべし」

(使徒2.17)。


 法悦に達するための舞踏としては,古代の宗教やシベリアのシャーマン等が思い浮びますが,フルイスト派の輪舞(ラジェーニエ)は他から借用されたものではなく,フルイストたち自身の内で見出され徐々に完成されたものらしい。

ミリューコフは,このセクトの民衆起源に鑑み,先ず初めにその外的・儀式的側面が成立したのであり,教義が整えられたのは遙かのち(おそらくは十九世紀)のことであったろうと言っています。

ローザノブも,ダニーラ・フィリッポヴィチは神との直接交流の手段たるラジェーニエを案出したことで,このセクトの教祖となり,生ける神として崇められたものであろうとしています。

 神性と直接合体せんという望みは,彼らが人格化された生ける神を求めたことと結びついています。

人間が神と直接合体しうるというのは,人間が神になりうるという人神思想なのです。

神の霊感を受けるものにとって,この霊感を神から受けたと考えることから,この霊感が自分の内から流れ出たと考えることへはほんの一歩です。

彼らが自らを神的な霊感の源泉,つまり自らの内に神を孕む者と考えるに至ったのは,至極当然の成行きでした。

あらゆる魂の奥所には聖神の萌芽がある。

自らの内へ降りゆく者は,ここに聖神のことば言を聞き,自らの魂の内に神の国を見出す。

自らの内にこの内的福音の声を聞いた者は,その瞬間から「神の宮」となり,もはや肉の内にはなく霊の内にある。

これこそ聖神を自らの内に宿すということです。

彼らにとってはイエス・キリストも,自分たちと同等な「神の言の籍身」にすぎない。

彼らはラジェーニエで,

「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」

と唱えながら踊りますが,その意味するところは,

主よ,かつてイエスに霊感を与えたように,われらにも霊感を与え給え

ということなのです。


こうしてフルイスト派の世界には無数のキリストと生神女が出現したのであり,多くのカラーブリでは,信者同士が互いを神として拝し合うことも行われました。


 輪舞(ラジェーニエ)のやり方については,個々のカラーブリにより多少の違いはあるものの,大筋のところはほぼ一致しており,大略次のようなものであったようです
(十九世紀前半におけるニジェゴロト県アルザマスのカラーブリ,コストロマ県ガーリチのカラーブリ等。メーリニコフによる)。


 晩の六時頃,カラーブリの成員が一軒の家に集まる。

人数は十人から四十人。

百人に及ぶことは稀である

(もっとも,ペテルブルクでのセリヴァーノブのラジェーニエは,六百人を集めたと言われます)。


部屋には窓がないか,あっても塞がれていて,音が外部に洩れないよう,しばしば地下に造られている。

ラジェーニエの行われる家は,「神の家」とも「エルサレム」とも呼ばれる。


 部屋の一隅に生神女が座を占め,信者たちは男女に分かれてベンチに腰掛ける。

全員裸足で,長い白衣を着ている。

はじめに福音書,使徒の書簡,教父の文章,聖者伝等が読まれることもある。

それから自家製の祈りの文句を唱える。

やはり自家製の歌を歌うこともある。

その際両手で両膝を打ち拍子をとる。

歌の合間に十字を切り,主の祝福を乞う。


 次いでキリストなり預言者なりがラジェーニエを命じ,一同立って輪になる。

時として預言者自らラジェーニエを始め,他の観たちがそれに従う。

出たちの輪の外に女たちの輪が形成されることもあるが,大抵は男女入り混じっての輪である。

彼らは

「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」


と歌いながら,飛び跳ねつつ,右回りに回る。

輪舞も各人の旋回も,必ず右回りである。

つまり,南面したとき太陽が東から西へ動くように,右回りでなくてはならない。

この踊りに酒神が降るのであり,「聖なる輪」に入る者は霊により国勢するとされる。

踊りは次第に速くなり,人々は息を喘がせて跳ね上がり,手を振り,両足で床を踏み鳴らす。

舞踏者たちの回転の速いことは旋風のようで,顔も見分けられないほどである。

彼らが旋回と跳躍の間中,畷り泣き,声を震わせて奇声を発するさまは,傍目にも恐ろしいほどで,壁越しにこれを聞くと,まるで何かを鞭打っているように聞こえる。


フルイスト派が樽の周りで自分たちを鞭打っているという噂が弘まったのは,このせいかもしれない。

 踊る者たちが自らのうちに霊を感ずるや,踊りはますます速くなる。
輪の外で拍子をとり声をかけている者たちは,舞踏者のとりわけ激しく速い動作を認めるや,

「彼に恵みが降った」

と言う。こうして預言者や女預言者が出現する。


ラジェーニエ中はなにも考えてはいけない。

さもないと霊は降らない。

預言者や女預言者になる人々は,概してラジェーニエへの強い嗜好を有しており,彼らにとってラジェーニエは,集中した断食ののち,言い知れぬ喜びを伴って自ずと起こるのだという。

人々はラジェーニエを,それがもたらす陶酔ゆえに「霊的ビール」と呼んでいる。

フルイスト派の教義が肉食,飲酒,夫婦の交わり等の厳しい禁欲的節制を課するものであったことに鑑みれば,ラジェーニエによる心理的陶酔が彼らにとって不可欠であったことは,想像に難くありません。

 踊りは大抵夜半まで続く。

白衣が汗でぐっしょりになると,白衣を脱ぎ捨て,裸のまま倒れるまで踊る。

 踊りが終わると全員が腰をおろし,手で膝を叩いて拍子をとりながら歌を歌う。
それから教導者に向かって脆き,十字を切り,聖神が預言者の口を通って彼らを訪れるよう祈る。

選ばれた預言者が人々に向かい合って立ち,身体を動かしながら,大きな声で預言を始める。

はじめに全員への預言があり,そのあと個々人への預言がある。

預言者は個々人の罪を暴き,罪人は十字を切って罪を悔い,時に涙を流して預言者を拝する。

 預言はしばしば明け方近くまで続く。預言が終わると全員で

「キリストは甦り給いぬ」

を歌い,教導者は十字架を聖像の下に置き,一同は脆拝して十字架に接吻する。


 フルイスト派にとって霊は善であり,肉は悪であり,ラジェーニエは霊によって肉を克服する手段であるわけですが,日常生活においても霊は肉に打ち勝たねばならない。

最初の罪はアダムとエヴァの肉の交わりによって生じた。

普通の正教徒たちは変わることなく罪のうちに孕まれ,罪のうちに生まれ,罪のうちに生きている。

罪を免れるには,この世と訣別せねばならない。

これは祈りと断食と,肉欲を断つことによって達せられる。

概して,女と交わることは,フルイストにとって最も重い罪です。

肉,魚,玉葱,大蒜を食べてはならない。

酒を飲んではならない。

遊びの集まりに行ってはならない。

悪罵を口にしてはならない。

女は華美な服や飾りを身につけてはならない。

被ったショールはなるべく深く眼まで下ろして結び,常に慎ましくあらねばならない。

これらの誠命をすべて厳しく守る者は,来世で永遠の生命を得るばかりか,ここ現世でも聖神の恵みに与り,神の息子ないし娘に等しいものとなる。

つまりキリストないし生神女となる。

「我が誡命を守りわが道を保つ者は我に在り,我もまた彼に在るなり」
(ヨハネ第一書3.24)。

イエス・キリスト自身そうした神の籍身に他ならなかった。

罪と訣別し新たな生へと生まれ変わり新たな霊となったわれわれは, 言たる神が宿るに相応しい者たちである。

男たちは皆キリストであり,女たちは皆生神女である。

 仲間に引き入れようとする者には,先ず自分たちが正真正銘の正教徒であることを確信させる。

「司祭たちはわれわれに何も教えてくれない。だから自分で本を読まねばならない」
と言い,絶えずキリストに祈り,なるべくしばしば教会へ行き,正教の司祭を敬うよう教える。

やがてこう教えるようになる,

「この世:には聖神の恵みを有する試しい人々がいる。

こうした人々の内にこそ神は生きている。

彼らこそ縛り審くカをもち,罪深い魂を地獄から天国へ導くことができる」。

しかしこうした人々が誰で,何処にいるかは言わない。

 新人がセクトへの加入に同意するや,彼は数日間の断食と斎戒を命じられる。
定められた日に,セクトの教導者ないし長老が彼を迎えに来て,信者たちの集会へ導く。

そこには信者たちが全員裸足に白衣姿で,男と女に分かれてベンチに坐っており,前方にひとりの女性(生神女ないし女預言者)が聖像の下に腰掛けている。


広い部屋には沢山の蝋燭が明々と灯されている。

生神女は新人に尋ねる,

 「ここへは何のために来たか」

 「魂を救うために」

と新入は,予め教えられていたとおりに答える。

 「魂を救うのはよいことである。で,汝は誰を保証人とするか」

 「天の王たるキリスト自身を」

 「キリストを辱めることのないよう努めよ」

 次いで新人は聖像に向い誓いを立てる。

誓いは次の三点から成る。


1. 聖なる信仰を受け容れ,決してこれに背かない。

2. しばしば教会へ行き,痛悔をし,聖体礼儀を受けるが,司祭に新たな信仰のことは一言も洩らさない。

3. 聖なる信仰のためにはいかなる苦難にも耐え,牢獄も,シベリアへの流刑も,死すらも恐れず,自らの信仰を誰にも決して明かさない。


 そのあと新参者は教導者の命ずるところに従い,一同が彼のために祈るよう頼む。

一同は円くなって坐り,彼らが「主への祈り」と称するものを民謡の節で歌う。

一同歌いながら,右手で膝を叩いて拍子をとる。


次いで三,四人の男女が円のなかへ出て,跳ねながら右回りに回り始める。

こうして新信者加入の儀式は,ラジェーニエへと移行する。


 ロシアにあっても国外にあっても,フルイスト派は永いこと忌まわしい淫祠邪教のたぐいと考えられてきました。

下着姿の男女により深夜人目を避けて行われるラジェーニエが,人々に性的放縦と乱交を連想させたのです。

フルイスト派の儀試について,バクストハウゼンはロシア人の秘書から聞いた話としてこう記している,

 「……祈祷の富士を満たした樽のなかに十五,六歳の少女を坐らせる。

数人の老女が彼女に近づき,その胸を深く切開し,左の乳房を切り取り,驚くべき巧みさで出血を止める。


〈……〉それから切り取った乳房を皿に載せ,小片に切りわけて一同に配り,一同はこれを食べる。

この人肉食が終わると,特にしつらえた高い台に少女を坐らせ,歌いながらその周りを回る」。


 バクストハウゼンのこの記述を信頼に値すると見,わたしも同様の話を聞いたとして,同じ乳房嗜食の話を紹介したのは,メーリニコフです。

そして彼はここに,嬰児供犠の話をつけ加えた。


生神女である少女が男の子を産んだ場合,この男子は生まれて八日目に,キリストに倣い脇腹を刺されて殺され,一同はその生血で聖体礼儀をとり行い,屍体は乾燥させて粉にし,パンに焼いてやはり聖体礼儀に使われる。 

やはりメーリニコフの挙げている例ですが,


ワシーり一・ラダーエフというアルザマスのキリストは,

「神秘的な死を死に,神秘的に甦って」キリストとなった者にはすベてが許される
という,一種の超人思想の持主で,これに基づき自らのカラーブリの十三人の女たちと関係をもっていました。彼は女たちに向って,自分がこれを要求するのではない,自分の内なる神が要求するのだ

と言って女たちに関係を迫り,彼女たちはこれを拒否できなかったといいます。

カラ〜ブリの成員は,自分たちのキリストに対しては絶対服従の義務を有し,キリストの命令とあらばいかなる法も眼中にないという有様でしたから,このキリストが不心得者であった場合はとんだ事態が生じかねない,ということはあるでしょう。


深夜の密儀と乱交,人肉食,嬰児供犠等は,大衆の猟奇趣味にはなはだ適っていました。

また,ロシアをヨーロッパの秘境と見倣したがる西欧人の好みにも適っていた。

ハクストハウゼンとメーリニコフのこの記述は,大衆のフルイスト像を決定してしまった。

 ロシアの作家たち自身例外ではなかった。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/5362/1/slc013p121.pdf


"真説ラスプーチン(上/下)" Edvard Radzinsky 著
http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E8%AA%AC-%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3-%E4%B8%8A-%E6%B2%BC%E9%87%8E-%E5%85%85%E7%BE%A9/dp/4140808578

時代は、ロマノフ王朝の末期。

最後の皇帝ニコライ2世は闇の力に操られたと言われる。

その闇で君臨したのが怪僧と言われたラスプーチンである。

彼は読み書きもままならない農民、つまり「ムジーク」であるにも関わらず皇族への影響力は絶大であった。

聖書に関しては優れた知識をもち、素朴で、教養がある人間よりも物事がわかっている。

彼の言葉には、謎めいた格言のような形で、神がかりなうわ言のような予言力がある。

また、彼のまなざしと、人に軽く触れる手には、催眠効果があったという。

その一方で、売春婦や無数の婦人などを宗教と色欲を混同した半狂乱の中に陥れた。

まさしくオカルトの世界である。

ラスプーチンは、自分自身の暗殺を予言している。

その予言は、暗殺が親類の陰謀によるものならば、皇族一族も暗殺されるだろうというもの。

そして、予言通り皇族一家も暗殺される。

暗殺者によると、毒を盛られたのに生きていた、また、何発かの弾丸を打ち込まれたにも関わらず生きていたという証言がある。


彼の逸話には魔人伝説が散乱する。


@ ロシアで流行るカルト宗教

暗殺や謎の死、様々な矛盾と恐怖にむしばまれた時代、こうした時代がオカルト的な雰囲気を蔓延させ、人々の日常生活は霊的なものを求めていたという。

確かに、降霊術がこれほど発展した国はないのかもしれない。

ロシアでは、ドストエフスキーやトルストイのような文学者を生み出した一方で、超能力者を生み出している。

こうした背景は非公認の異端宗派を乱立させる。

本書は、中でも「鞭身派」と「去勢派」について言及している。


鞭身派における乱交は、肉欲を抑制するためであり、自らを清める儀式である。

これをキリストの兄弟愛と称する。

敬虔な人間は、罪を犯すと、苦悩を味わい懺悔する。

その結果、魂の浄化が起こり罪人は神に近づく。

罪と懺悔の間を行き来することに意味があり、神への道を示すものとされる。

清らかな体にこそ聖霊が宿り、罪によって罪を追い払うという奇妙な理屈があるようだ。

子供は肉から生まれたのではなく聖霊から生まれると信じるので、女性自身が聖母と自覚できる瞬間がある。


18世紀半ばに、鞭身派から分かれた去勢派という新たな狂信者を生む。

鞭身派の性的堕落を非難し絶対的な禁欲を唱える。

男根の去勢処置は、灼熱した鉄を使い、斧も用いられる。

女性の手術は、外陰部、乳首、乳房が切り取られる。

本書は、この罪を犯すことの重要さを理解しなくては、ラスプーチンを理解することができないと語る。


A ラスプーチンの教え


ラスプーチンは、鞭身派からスタートしたという。

磔にされたキリストは復活せず、復活したのはキリストが説いた永遠の真理のみ。

そして、「すべての人間がキリストになれる」と主張する。

そのためには、自らの内にある肉欲、つまり、旧約のアダムや罪の人を殺さなければならないというのだ。

ラスプーチンの使命とは、神の弱い創造物である女性たちを、罪から解放してやることだという。

彼にとって愛こそ神聖なもの。

自然の万物に対する愛。キリスト教的な家族愛。

女性が夫を愛していれば、それは触れるべきではないが、夫を愛さずに結婚生活を送っているならば罪深い。

結婚という制度には、従属する愛と反対の立場をとる。

真実の愛が存在しないものはすべて罪と考える。

同性愛者で偽りの結婚生活をしていた皇帝の妹には、彼女を抱き、愛を伝染してやろうと試みる。

ラスプーチンから愛を授かったものには、性的な放埒から解放され、見えない糸で永久に結ばれると考えていたのだ。

なんとも神秘的というか幼稚というか、巧みな触れ合いで催眠状態に陥れる。

悪魔のいちばんずる賢いところは、人々に悪魔などいないと信じ込ませることである。

だが、ラスムーチンは書き残す。「悪魔はすぐそばにいる」と。


B皇族との結びつき

ロマノフ王朝は、血族同士の殺し合いの伝統をもつ。そこには閣僚の暗殺も横行する。

そうした陰謀の渦巻く王家にあって、皇帝ニコライ2世は数々の試練を迎える。

皇太子アレクセイの血友病。日露戦争の敗北。1905年の血なまぐさい革命。

こうした背景は、皇族一家が「神の人」を待ち望むという状況にあった。

そんな時期に、予知能力と千里眼を備えるという評判のあったラスプーチンが近づく。

予言、奇蹟、死者と話す能力を備え、ロシア艦隊が日本艦隊に敗れることを予言していたという。

彼には、催眠的な力を持った目、予言者、治癒者、民衆から出てきたなど、条件は整っていた。

ロシアでは、読み書きのできな農民、素朴な人間にこそ貴重な才能が宿るという思想があるらしい。

彼は、病気の皇太子に謁見して心を静め、医者が治らないと宣言した病も将来治ると予言した。

また、革命で自らの殻に篭った皇帝にも、恐怖心を払い勇気を与えた。

特に、皇后は、自身の神経発作を取り除いてくれたラスプーチンの神秘的な力を崇拝するようになる。

これぞ催眠療法である。

彼は霊的な高みに到達した存在であり、詩的な瞑想をしきりに働かせたという。

ラスプーチンが書き記したとされる文章には、催眠的な力と見事な文学的センスがうかがえる。
http://drunkard-diogenes.blogspot.com/2008/06/edvard-radzinsky.html


51. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 13:36:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[434]

フロイトが妄想だと信じた近親相姦の話はすべて事実だった


心理学講座「エディプス/エレクトラコンプレックス」 | 精神分析基礎1より


女児が父親に強い性的愛着を感じ,母親に嫉妬するのは「エレクトラコンプレックス」と呼ばれる。

男児の場合は,愛情の対象が母親のまま変化しないが,女児の場合は,はじめ母親に向けていた愛情がこの時に父親に移る。

女児は自分にペニスがないことを発見し,男児と比べて劣っていると感じる。(ペニスは力の象徴) 

ペニスがないのは母親も同じであることを知って失望し,自分もペニスを持ちたいと願う。(男根羨望)

男児の場合は去勢不安からエディプスコンプレックスが終結するのに対し,女児の場合は男根羨望からエレクトラコンプレックスが生起する点で大きな違いがある。
http://x51.org/x/04/04/2928.php

エディプスコンプレックスには批判も多く、有名なものとしては


「それは外向的な人間に限ったもので内向的な人間においてはそれに限らない」


というカール・グスタフ・ユングの批判がある。

実際、エディプスコンプレックス理論は父性的な社会である西欧ではよく利用される理論であったが、母性的な社会である日本ではさほど感覚的に合わなかった。

また、エディプスコンプレックスは父親が強いという事が前提であり、ブロニスワフ・マリノフスキの「母権性社会」の話は、こういった事の反証として用いられる。

多くの学者が指摘しているが、強い近親相姦的欲望が多くの人にあるとフロイトが主張したのは、フロイト自身が母親との近親相姦的願望と父親への憎悪を自己分析によって発見したという点も見逃せない。

シングルマザーやワーキングマザーが多くなり、父親不在となった現代の社会では、エディプスコンプレックスの存在に懐疑を抱くようになった者も多い。

1980年代にはアメリカで記憶論争が相次いだ。

両親に性的被害を受けたなどの訴えが中心であり、フロイトの無意識の理論を忠実に掘り起こして行った問題の出来事と言われた。

1980年頃にアメリカでは、催眠などを用いた回復記憶セラピーにより、偽りの性的虐待の記憶(虚偽記憶/false memory)を植え付けられ、家族関係が崩壊し、それに加えて甚大な精神的苦痛を受けたとして、多くのセラピストやカウンセラーが訴えられ敗訴した。

これは精神分析への批判というよりも、フロイトの初期の理論を援用したある種の心理療法への批判である。

この時にもエディプスコンプレックスは実際の近親相姦などと比較されたが、患者の訴えと違い、実際にそのようなことが行われている例は少なかったと言われる。

しかし当時においては実際に多くの人が記憶回復によって、「性的な虐待をされた!」と親を非難したり、またそれによって家族が崩壊するような事が続発したため、精神分析自体に対する批判へとつながった。

このように実際の事件においてエディプスコンプレックスや近親相姦を元にする考え方は危険視された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6#.E8.A8.98.E6.86.B6.E8.AB.96.E4.BA.89

過誤記憶

精神分析の創成期にフロイトは、ヒステリー患者の心的現実(mental reality)に着目したが、やがて近親姦の記憶などを訴えるクライエントが彼の予想をはるかに上回って増えてきたために、「こんなに近親姦が多いわけがない」とフロイトの中で理論の撤退が起こり、かつて彼が心的現実と呼んだものは幻想(fantasy)へと変化していった。

このプロセスと似たようなことが、1980年代以降のアメリカにおいて繰り返される。

家庭内暴力や近親姦の被害を訴えるクライエントたちに、一部のカウンセラーがアミタールなどの催眠系薬物を使用する催眠療法である回復記憶療法(RMT:Recovered Memory Therapy)を用いて、無意識の中から抑圧された記憶(Repressed Memory)を引き出し、意識の上に回復された記憶(Recovered Memory)として置きなおすことによって諸症状を治療しようと試みた。

1988年、エレン・バスとローラ・デイビスの共著『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)のなかで、女性の原因不明の鬱は幼少期に受けた性的虐待の記憶を抑圧しているからである可能性が高いから、虐待されたと感じているなら虐待されていると主張するべきである、ということが述べられた。

これが発端となって、アメリカでは多くの女性クライエントが、引き出された記憶をもとに、加害者である家族(近親姦をおこなった父など)を被告に相手どって法廷闘争をくりひろげるようになる。

『Trauma and Recovery』(邦題『心的外傷と回復』)の著者として名高い精神科医ジュディス・ハーマン(Judith Herman)なども原告側の立場に立ったが、司法の場は彼女たちに冷たいとあるていど予見していた。

これに対して被告側の弁護に立った認知心理学者エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)が、「ショッピングモールの迷子」という実験をおこない、クライエントの訴える近親姦の記憶は、セラピストやカウンセラーが捏造した事件をクライエントに植え込んだものであると主張し、原告たちの一連の訴えを偽記憶症候群(にせきおくしょうこうぐん:FMS:False Memory Syndrome)と名づけた。

また、虐待加害者として訴えられた親たちも、このロフタスと連動して、症候群の名前に基づいて1992年、偽記憶症候群財団(FMSF:False Memory Syndrome Foundation)を設立し、財源的にも裁判を有利に闘っていく体勢をととのえた。


ロフタスの実験

実験「ショッピングモールの迷子」とは、家族から聞いたほんとうのエピソード3つに、ショッピングモールで迷子になったという虚偽のエピソードを1つ加えて、被験者がその4つともほんとうの話だと思い込むようになるかどうかを試すものである。

その結果、被験者の4分の1が、植え込まれた記憶もほんとうの自分の体験だと思い込んでいることを示した。

しかも、偽りであるはずの記憶は非常に詳細であり、のちにこれが偽りであった事を知らされた被験者たちは皆驚いたという。

この実験に基づいて、家族という密室で起こった虐待などの犯罪を、司法の場で追及しようとした原告たちは敗訴し、原告たちから抑圧された記憶を引き出したセラピストやカウンセラーは莫大な賠償金を払わされることになった。

また、これによって回復記憶療法も用いられなくなり、2000年までに完全に行なわれなくなってしまった。


現在の評価

法廷での実験のように、治療者がクライエントに捏造した事件を過去の外傷として植え込むことはできないとしても、クライエントが診察室で語ることすべてが、物証主義的観点から事実であるかといえば、そうではない。

限りある診察時間で治療者の理解を得ようとするあまり、自らが受けた被害を象徴化したり、簡略化したり、ときには拡大・誇張して述べることはあるであろう。
また、語っているうちに事件の脈絡を変えて、自分を気の毒な被害者として扱ってもらおうと努力することもあるであろう。

稀なケースとして、健忘(amnesia)の対極にある過剰記憶(hypermnesia)や作話(confabulation)が起こる場合もある。

しかし、これらは何ら、クライエントが過去に受けた外傷を「否定」するものではない。

むしろ、なぜ記憶の叙述に関して、そのクライエントがわざわざ労力を使って、それら誇張や作話を行なっているのかに、臨床的な関心は向けられるべきであるとされる。

もっとも、誇張や作話が行なわれるときには、クライエントの意識状態の変化や、神経系統の随伴症状が伴うので、臨床家がそれを見逃すことは現実的にあまりないが、それでもなお事実関係の審理は司法の仕事であって、臨床家は叙述の真偽を見極めるのが仕事ではない。

以上のような現在の評価がありながらも、前述したように回復記憶療法は停止されている。

外傷性のある出来事による記憶障害は精神障害の診断と統計の手引きのPTSDの診断マニュアルでは確認されるが、FMSのような症状は認められていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E8%AA%A4%E8%A8%98%E6%86%B6

今も生きるフロイトの影響


今も、アメリカには40位の精神分析医を養成する機関があるが、それ以外の一般社会では、フロイトは科学と言うより文学の人物として取り扱われている。

去年、ニューズウィークはある特集で、ダーウィンは今でも科学的妥当性を保っているのに対して、フロイトとカール・マルクスはその世紀は終わったと述べた。

フロイトの評価が最低にまで落ち込んだのは、多分1990年代の始めではないであろうか。

その当時、女性はテレビのトークショーに出て、子供時分に受けた性的虐待をしゃべったものだ。

子供時分の性的虐待とは、フロイト的手法により無意識から探り当てたものであったが、これがフロイトを窮地に陥れた。

このような場合、彼は何時も両方の立場支持するような言い方をする。

性的虐待をしたと非難を受けた親や兄弟の側に立つ人達は、フロイトが抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になると言う、デタラメな理論を打ち立てたからとフロイトを非難した。

一方、性的虐待を受けた人達の側は、フロイトが臆病にも社会の圧力に負けて、幼児期の性的虐待の記憶は単なる子供時代の空想であると前言を翻したと非難した。

「フロイト派の精神分析医に女性を送るのはナチにユダヤ人を手渡すのとあまり違わない」

とグロリア・シュタイネム氏が当時言っていた。

フロイトの評価は未だ少しも改善していない。

抑圧された記憶をめぐる論争の結果、何十年も封印さえていたアメリカ議会図書館の中にある膨大なフロイトに関する文献が、専門家に公開された。

それにより、フロイトの嘘を裏付ける文献が次第に出てきている。

彼がしたとされる治療例の殆どが、希望的観測と意識的作り話の所産であり、彼の理論は循環論法の汚水溜めの上に成り立っているのが証明されつつあるのだ。

フロイトの理論を裏付ける為の、脳スキャンを含む各種の科学実験は、未だ始まったばかりであり、結果は出ていない。

「残念ながらフロイトが言った事は全て嘘であった。

こんな事を言うと裏切りになるが、エディプスコンプレックスからペニス願望、幼児期のセックス等、全てが間違っていた」

とフロイトの伝記を執筆しているピーター・クレイマー氏は言う。

一体どれほどの嘘曝露にフロイトは持ちこたえるであろうか。

シカゴ大学のジョナサン・リア−は、フロイト理論の中心コンセプトである、人間は基本的に葛藤していると言う考えが今の社会にも影響力を持っていると指摘する。

この葛藤は、欲望やら本能から出で来るものだから、水面下に隠されている。

欲望が親とのセックスを意味しているとは考えたく無いであろう。

何故なら我々はそんな欲望を認めるわけには行かないからである。

精神分析とは、この葛藤が何か別のシンボルの形を取って出現してきた時にそれを指摘して、解消するのが仕事であるとリアーは言う。

現在、精神分析用語は脳科学専門用語に取って代わられている。

例えば、エンドルフィンと言えば沈静を意味し、性急な人を”frontal”と呼ぶが如くで、ちなみにfrontalとは前頭前野皮質を意味し、衝動を抑える重要な脳の部分である。
http://saito-therapy.org/new_finding/freud_inour_midst.htm

精神分析は死んだ


恐らく歴史上の著名人でフロイトほど自分の言った事が全て誤りであった人物はいないであろう。 

フロイトファンにとっては1990年代は最も屈辱的な時代であった。

タイム誌はその表紙で「フロイトは死んだか」と大見出しを掲げた。

以前精神分析の本拠地であった”ニューヨーク書評”でさえフロイトを単なる思想家と酷評した。

1990年代はフロイト戦争の時代であり、精神分析運動の終焉でもあった。

2000年はどうなったか。

2000年はフロイトの”夢分析”が出版されてから100周年にあたり、フロイト派の人には勝利の年になるはずであったが、事実は祝賀どころか敗北であり葬式となった。

だから精神分析は21世紀になる前に終わっていたのであり、このタイム誌の問いかけに対する答えは

「そう、精神分析は実際に死んだ」

なのである。

知識人の中に莫大なお金と時間を使い、エゴ追求に身を費やした人が沢山いた。

これだけの努力を費やすと、おいそれと精神分析から身を引けない。

何故なら彼らは精神分析やその本の出版で名声を得ているからである。

今までに精神分析関連の膨大な書籍が出版され批評、論評、レクチャーも行われた。

しかしどれ一つとしてフロイトの限界を指摘したものは無い。

もちろんフロイト支持者も精神分析を止める気持ちは毛頭無いから、フロイト産業はそのまま生存し続けた。

フロイトは彼独特の世界にいる。

恐らく歴史の中で彼ほど自分の言った事の全てが間違っていたのは彼を置いていないはずである。

彼に幸いであったのは、精神分析の専門家が今もってフロイトの間違いを取り繕おうとしている事である。

しかし門外漢である一般読者は既にフロイトの築き上げた壮大な嘘に驚愕しているのだ。

フロイトの間違いの中で、20世紀中には分らなかったが21世紀には発見できるのは何であろうか。

フロイトは明らかに事実をでっちあげている。

例えば彼のコカイン使用を擁護する態度とその変遷や、患者アンナOに関する日和見主義的意見、誘惑理論に関する考え方の急変、彼の患者について語る時に毎回言っている事が変わる事実等、枚挙にいとまが無い。

例えばフロイトの患者の1人である狼男ことセルギウス・パンケジェフを調べると良い。

フロイトは彼を治したことにしているが、実際は彼はその後も60年間、精神分析を繰り返している。

当然ながらパンケジェフはフロイトに人生を駄目にさせられたと言っている。


又、フロイトは”暗示”を頻繁に言うがその割には暗示を真剣に扱って無い。

それ故に彼の臨床の報告の信憑世が怪しくなり、結果的に彼の理論を疑わしいものにした。

1890年の時点で既にこの”暗示”が多くの人に疑われていた。

暗示とは彼にとって都合の良い言葉であるが、暗示を受けるのはその体質的傾向がある人だけであり、彼の考えはおかしい。

このような疑いが既に存在していたにも関わらず、フロイトの言葉巧みな否定とその後の彼の名声の前に埋もれてしまった。

そして今、我々はもう一度出発点に戻った。

もう我々は過去の記憶だとか自由連想などを信用しない。大体こんなものは心理分析医と患者の馴れ合いの合作なのである。

そしてもう一つ、無意識理論がある。

無意識はフロイト全盛期には頻繁に使われた言葉でありフロイトが発見した事になっているが、これは嘘だ。

彼を溯る事かなり前に無意識が既に語られている。

キリスト教徒に乗り移った悪魔、分裂を引き起こす催眠術、18〜19世紀の二重、三重人格者、ビクトリア時代の文学作品に取り入れられた「二重」テーマ、今日ではくだらないハリウッドの映画の筋書きにあるいは心理療法にと皆無意識が取り上げられている。

この一連の流れを見ると、精神分析の霊媒(この場合は牧師、分析家、あるいは怪しい医者)が無意識を調べて心の暗い秘密の部分に到達できると主張しているのが分る。

そうだろう、貴重な代価を払えば我々の心の悪魔を追い出してくれるかも知れない。

しかし精神分析による治癒なんて言うものは悪魔払いの祈祷と大して違わなく、無意識世界と言う不確かな実体を信じ込む作業に過ぎない。

信じるの信じないのと言う議論になると、それは又暗示の世界に戻る。

現在での暗示効果は医療で良く使うプラセボ(偽薬)でありそれ以上のものでは無い。

しかし精神分析はカルトのようなものだから、人間の被暗示性を治療の為に利用するべきと強く我々に迫る。

カール・クラウスが随分前に述べているように、精神分析とは心の病を治すと言いながら、実際はそれ自身が毒になっている。

言わば欧米の魂を女性の男性器願望、エディプスコンプレックス、死の衝動等で汚染したのは精神分析そのものなのである。

このような精神分析流の考え方は何処かにあったものでは無いし、世界で何処にも存在しない。

正にフロイトの創作であった。
http://saito-therapy.org/new_finding/psychoanalysis_dead.htm


という訳で、エディプスコンプレックスはデタラメだったけど、近親相姦の話は殆どが本当だった様ですね。


52. 2015年12月23日 13:44:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[435]

フロイトの罪〜セクシャル・アビューズ〜


 ヴィクトリア朝時代に「精神分析」を提唱したジグムント・フロイトは、「勇気ある先駆者」だと思います。

 この時代は、厳重なキリスト教的・社会通念により、性的な話題を出すことが禁忌でした。

 そんな風潮のなか、フロイトは性的欲望に関する学問への切り口を与えました。

性的嗜好に関して初めて分類したのも、彼です。


 彼は人間の意識には


「超自我」と「自我」、

「エロス(生に対する欲求)」と「タナトス(死に対する欲求)」、

「リビドー(欲動)」


などがある、と説いています。


 フロイトはヒステリー(解離性障害・PTSD・パニック障害などの神経症)の原因が、抑圧と性的原因にある、と提唱しました。

 が、彼の言は、後に性的虐待(sexual abuse セクシャル・アビューズ)を子供の願望によるものとし、20世紀後半になるまで、虐待を受けた子供達を苦しめることになります。

 ヒステリーのある女性には幼児期に性的な体験があり、これを引き起こすのが「エディプス・コンプレックス」だとはフロイト言いました。


 「エディプス・コンプレックス」はギリシャ神話のオイディプス神話が由来です。


__________


 テバイの王ライオスは息子に殺されると予言を受け、妻・イオカステが無理矢理生んだ息子――つまりオイディプス――を山の中に捨てます。

オイディプスはコリントの王に拾われ、成長しました。

 が、オイディプスは「父を殺して母と結ばれる」と託宣を受け、両親(育ての親)を殺したくないとコリントから出奔します。

 道中、ある老人に出会い、道を譲る譲らないで喧嘩になってしまい、オイディプスは老人を殺してしまいます。

 実はこれが、実父のライオスでした。

 オイディプスがテバイにやってきた時、丁度テバイはスフィンクスに苦しめられていました。

 オイディプスはスフィンクスを退治し、王として迎えられ実母・イオカステと結婚してしまします。

 ところが数年後に疫病が流行り、オイディプスは「ライオスを殺した者を探し出し追放せよ」という託宣を授かります。

 ライオス殺しの犯人を探そうとするオイディプスに対し、預言者・ライオスが「おまえがライオスの息子」と告げられ、知らず知らずのうちに父殺しと母子相姦を起こしていたことを知りました。

 オイディプスは両目を潰してテバイを去り、イオカステは自害してしまいます。


_________


 フロイトは、最初は心的外傷(トラウマ)が女性をヒステリーに陥らせているのだと思いました。

が、親の罪――ひいては、男の罪――を認めたくないのか、オイディプス神話が人間の普遍的に抱いている願望だと感じ、その幻想が娘に実父や義父・親戚などを誘惑させたのだと論破しました。

 彼は、幻想は人間の無意識が造り上げるのだと説き、幼児には親と近親姦をしたい欲動があるから、親との情事の幻想をつくるのだと説きました。

 つまり、娘が無意識の欲動により、父親を誘ったと言いたいわけです。

 この発想は、うつ病者にカウンセラーが


「うつ病ではなく、それはあんたのわがままではないのか」

とか

「あんたはうつ病ではない」


と言うのと同じです。

 これは、ドクターハラスメントです。

 二次虐待を受けた女性は、傷を深くします。

現に、フロイトの診察を受けて治っていない人がいます。


「自分が悪いから、あんなことになったんだ」


と女性のなかの子供は自分を責めていたでしょう。

 幼い子供は親に支配されるものです。

子供にとって親しか頼れる人はおらず、親元が安全な場所なのです。

 だから、親から虐待を受ければ、深い傷を受け、居場所を無くしてしまいます。

 性的虐待を犯す父親は大人として未熟です。

幼児性愛やストレスなどにより、力でもって子供を踏み躙ります。


 それに対して母親は弱い人間で、何も言えない母親は夫と娘の関係を見守るだけです。

娘を女だと思って嫉妬したりする母親は、娘を罵り父親とともにさらに傷つけます。


 父親などの絶対者に


「これは夢だからね」

とか

「お母さんや他のひとに言っちゃだめだよ」


などといわれたら、子供は従わずにはおれません。


 こうして虐待は繰り返され、子供の傷は深く、潜在化していきます。


 幼い頃に受けた心的外傷はその人の人生を崩壊させます。

被害者(サバイバー)は人間不信に陥ってアダルトチルドレンとなってしまい、酷い場合だと自殺してしまう可能性もあります。


 また、幼い頃に受けてしまった傷を、人間は知らず知らずのうちに繰り返してしまったりします。

 虐待の現場が夢となって何度も現われ、またずっと続く現実に子供自身が順応してしまい、まるで愛人のような慣れた様相を見せてしまうこともあります。

 傷がトラウマになった事象を人生に再現させたりします。

が、傷が子供の自我をねじれさせてしまったために起こったことで、子供の真実の本意ではないのです。


 性的虐待は未熟な大人が起こすものです。

子供は被害者です。

どうか、そのことを忘れないで下さい。

 そして、被害を受けたひとは、なにも汚れていないです。

自分を責める必要はありません。


 また、過剰な精神分析は危険です。

信頼できるカウンセラーの力を借り、ありのままの自分を取り戻すため、嘆きと癒しの仕事を行なってみてください。

 フロイトが提唱したことは真実を得ているところもあります。

性的虐待と心的外傷の関連性を発見したことも、彼の抜きんでたところでしょう。


 が、彼が性的虐待だと気付きながらも、目を反らしたのは、過ちだというほかありません。
http://d.hatena.ne.jp/toyouke/20050427/1114594274


54. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 14:40:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[437]

欧米男性の殆どはロリコンかゲイのどちらか

日本人の男はロリコンばっかりで欧米人から見たらなさけないと思ってるやつはバカ。

欧米が児童ポルノに厳しく、日本が甘いと指摘されるのにはロリコン問題は欧米のほうが、日本より遥かに深刻な社会問題だからなのです。

欧米では幼児期になんらかの性的虐待を受けた経験をもつ男女は、人口の2割以上に達する といわれているのです。

欧米ではロリコンはごく限られたマニアだけの存在ではないのです。「自分はロリコンではない。」と主張しないとロリコンと見られるために日本人から見て、欧米人は大人の女性しか相手にしない文化だと誤解されているのです。

これは欧米社会の異常性をあらわしています。

ジョンベネちゃん殺人事件が一時期クローズアップされましたが欧米の子役は日本の子役と違いセックスアピールを要求されています。子供がすでに性的対象なのです。欧米人は、強く規制をし、自らロリコンで無いと自分を言い聞かせないとすぐに幼児を性的虐待をしてしまう民族なのです。

アメリカの州法で異性の親子は子供といえども一緒にお風呂にはいってはいけない。

といった規制があるのも近親相姦が当然にありえるものだ。といった社会認識があってこそのことです。

日本では考えられないことですよね?


それに比べて、日本が児童ポルノに対して規制が甘かったのは、日本のロリコンのモラルの高さを物語っているといっていいでしょう。

http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kageki/988252543/

ロリペド(小児性愛)のハマリ方

人間はもともとオッパイを見ると興奮するように脳にプログラムされているそうです。大人の女性の曲線美の体を見て興奮するのもそうです。 ある特定の比率の曲線体型を見ると、脳が興奮するように出来てるわけです。

でも、もう一つ脳を興奮させる重要なものがあります。それは女性器を見ることです。

ロリペド(小児性愛)の人は、ロリコンマンガやロリータビデオの中に出る女性器を見て興奮体験を繰り返すことにより、オッパイを見なくても興奮できる回路を作ってしまった訳です。それが進むと、子供の体型ではないと興奮しないということになります。

http://www.geocities.jp/quit2323/sub2.htm

幼児性愛者が、幼児性愛に見いだす興奮と快楽には、二つの側面があります。

一つは、その年頃への固着です。

彼ら自身の時間が、子供時代や思春期で止まっているのです。

もう一つは、容易に支配でき、欲しいままにできるということです。

両方に共通して言えることは、対象となる子供への、本当の愛情ではないということです。

固着は、幼い日の自分自身や初恋の相手の似姿を求めているのであり、相手は自分の願望を重ね合わせただけの存在なのです。 一見すると対象への愛のようですが、結局は自分への愛でしかありません。

幼児性愛は、ハンディキャップを抱えていたり、対人関係が苦手でコンプレックスの強い者に、比較的多く見られます。 利己的な優越性への欲求を、反撃の恐れのない、もっとも弱者である者に向けたのが、幼児性愛です。

「女性を征服したい」「女性よりも優位に立ちたい」という欲求を持ち、パワー不足で同年齢の女性を支配することができず不満を持つと、自分より精神的にも肉体的にも弱い女(幼女)なら、少ないパワーで支配できるという安易な考えにたどりつきます。そこには重い自己愛人格障害があります。

http://homepage2.nifty.com/tumaran/99sinri/jidouporuno.htm


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@ 幼児含む45人を性的虐待 仏、66被告の裁判開始

【パリ2005年3月4日共同】

フランス西部アンジェの重罪院で3日、幼児を含む45人の子供に性的虐待を行ったとして、男39人と女27人の計66人の被告に対する刑事裁判が始まった。9人の陪審員が4カ月間審理し、6月にも評決を下す。

検察官によると、1999年1月から2002年2月までの間、66人の被告がアンジェ郊外にある30歳代の夫婦のアパートなどで、6カ月から12歳までの子供に売春させたり、レイプするなど性的虐待を行った。

被告のほとんどは失業者や無職で生活保護を受けており、子供に売春させたりして小銭や食料を得ていたという

【パリ福島良典】フランス西部アンジェで、生活の荒れた23世帯の両親らが自分や知人の子ども計45人を性的に暴行したうえ、小銭欲しさに売春を強要していたとされる児童集団虐待事件の裁判が3日、アンジェの裁判所で始まった。判決は約4カ月後の見通し。

フランスでの児童虐待事件としては過去最大規模。児童強姦(ごうかん)、売春あっせんなどの罪に問われているのは27〜73歳の男性39人と女性27人の計66人。被害者は当時、生後6カ月から12歳だった子
ども45人で、子どもの証言はビデオで放映される。

検察側によると、被告の両親らは99年1月から02年2月にかけ、小銭や食料、たばこ、酒などの見返りに客に子どもを差し出すなどしていたという。父親が自分の子どもに性的暴行を加える場面を祖父がビデオ撮影していたケースや、45回にわたって性的暴行を受けた少女もいた。

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A ピトケアン島の出来事


 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。

ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。

ピトケアン諸島では、12歳を過ぎたら結婚できる資格があると考えられてきた。 そして大半の女性が12歳から15歳の間に最初の出産を経験していた。そのため、12歳の少女との性行為は倫理的にも問題ないと、島では考えられていた。

ピトケアン諸島の47人の住民は、大部分の成人男性の島民が逮捕されたことによって酷く傷ついた。ピトケアン擁護者は、関係する女性に事件として告発するように説得した英国警察を非難した。

スティーブ・クリスチャン島司は自分の妻の幼少時代のことを話した。
「皆はセックスがテーブルに乗ったご馳走のようであると思っていた。」と。

そして、自分の妻は幼少のころから性行為に熱心だったと主張した。キリスト教徒の2人の娘も12歳からセックスに積極的だったと証言した。会議に集まった女性たちは、未成年者の性行為が普通だったという男性の見方を支持した。
嫌疑のかかっている少女強姦の被害者全員が自発的な参加者であったと述べた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%88%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%B9%BC%E5%A5%B3%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6


18世紀のイギリスではどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」

(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」


 つまり、イギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。
 
 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

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B ドストエフスキー


E・H・カー著「ドストエフスキー」筑摩書房 筑摩叢書106

ドストエフスキー伝記作家ストラーホフがトルストイに送った手紙の中の一文

「彼はけがらわしさに対する愛好癖があって、それを誇りにしていたのです。

ヴィスコヴァトフがこんな事を語りだした事があるのですが、ドストエフスキーはその家庭教師につれられて自分のもとへやってきた少女と浴場で姦淫したと自慢していたそうです。   ( 中略 ) 

    
彼に最もよく似通っているのは「地下生活者の手記」の主人公、「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、そして「悪霊」のスタヴローギンです。


ソフィヤ・コワレフスカ(ドスト氏が求婚して拒絶されたアンナ・コルビン・クルコフスカヤという女性、の妹)の回想記 〔 ドリーニン編『ドストエフスキー同時代人の回想』(水野忠夫訳。河出書房1966年刊。)に所収。p214。〕 には、ドスト氏自らが、彼ら姉妹の家(その時はその姉妹の母親も同席)で、彼らの前で、思い出して大胆にも告白した言葉  


「かつて、夜遅くまでさんざん飲み歩いたあと、酔った仲間たちにそそのかされて、十歳になる○○を○○した」という告白が記されていますが、

 ( 注:自分の過去の体験のことを告白したのではなく、ドスト氏が構想していた小説の中の一部として、彼女らに紹介した話のようです。) この記述は、かなり信憑性が高いように思います。


アンドレ‐ジイド著『ドストエフスキー』を初め、他の書でも、ドスト氏は、自分が少女を○○したことを、友人や知人の何人かに(なんと、ツルゲーネフにも。) 告白した事実が、ドスト氏の知人が証言したものとして、紹介されている。

http://www.coara.or.jp/~dost/30-5-o.htm


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C ゴーギャン


ゴーギャンこそ「南国楽園」白人セックスツーリズムおよび児童買春ツーリズムのパイオニアである

ゴーギャンは美化されるばかりで、まったく批判的には語られないが、このことは、アジア・アフリカにおける、あるいは戦場における、白人の性的犯罪がほとんど指弾されることがないのとパラレルである。

ネットではほとんど見つからないが、ゴーギャンがタヒチで書いた裸婦画には児童の裸も多くある。生々しい風合いがあり、実物がモデルであるだけに実際 性的な欲望を刺激する作品もある。実在のモデルが明らかに児童で、幼い乳房、恥らうように内股に立つ姿勢が生々しい作品もあったと記憶する。

「西洋文明と西洋美術に絶望した孤高の画家」などと美化されているが、晩年のゴーギャンは、「より幼い女」をあさってタヒチの島々を転々としたのであり、画才のあるエロ狂いに過ぎない。

ゴーギャンの美術は、今に至る白人のセックスツーリズム、児童買春ツーリズムの文化と一体のものであり、ゴーギャンこそは、セックスツーリズムおよび児童性愛ツーリズムのパイオニアなのである。

ゴーギャンは、東南アジアに屯し堂々と買春ヴァカンスを楽しむ白人たちの理想型である。「ゴーギャンのような生き方」が、世界中で白人たちが展開する非白人児童の性的搾取の醜さをあいまいにする口実にもなっているのである。

芸術性と犯罪性(猥褻性や児童ポルノ性)とは無関係である。これは日本の裁判所も認める正しい立場だ。芸術性と猥褻性とが関係があるとすること、芸術性によって猥褻性が緩和されたり滅却されたりするとすること、要するに、「芸術性が高いから猥褻ではない場合がある」とすることは、法が(司法が)「芸術性」の有無や高低について判断を下すことを意味する。これほど甚だしい法の僭越はないだろう。

ゴーギャンの絵にどれほど芸術性があろうと、児童ポルノは児童ポルノである。ゴーギャンの描いた絵のいくつかは明らかに児童ポルノであり、白人男のフランス植民地における小児性愛・児童虐待の絵画的な記録である。

ゴーギャンは児童ポルノ画家である。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/2009/10/blog-post_12.html


フランス植民地タヒチでのゴーギャンの「幼女性愛」は、一度も倫理的に非難されたことがない。

ゴーギャンの生き方は、モームの「月と六ペンス」のモチーフにされたりして、白人たちによって理解を示され、美化されてきたが、非難されたことはない。むしろ南国バカンス白人の理想型とされているといえるだろう。 この鬼畜行はそれほど昔の話ではない。日本が台湾を併合したころのことである。

ゴーギャンはフランス植民地の原住民女性を自由にもてあそんで、ひょっとしたら、カネすら払わなかったのではないか。 白人や進歩主義者の基準では、どんな事実上の力関係が背景にあろうと、形式的な合意があって「無料の」セックスであれば、「自由恋愛」として正当化される。その時点で彼らは、一切の罪悪感を感じなくなる。ただし、それも「男が白人」の場合のみである。

晩年のゴーギャンは、女を自由にできる環境を求めて、島から島へと渡り歩いたという。
  
フランスはいまなお、植民地「仏領ポリネシア」にしがみつき、核実験による放射能汚染にも罪悪感も責任もこれっぽっちも感じていない。 アフリカ植民地で奴隷狩りをやっていたころと同じ植民地主義の延長が、いまなお、フランス人の心にもアジア太平洋にも、脈々と生き残っている。 しかし、その仏領ポリネシアを、「フレンチポリネシアはすばらしい」と言ってよろこんで訪れるバカな日本人ツーリストがあとを絶たない。 そういうこともまた、フランス人の植民地支配の自信を後押しする要因になっている。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/02/25_0628.html


ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

.


1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html


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23. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 15:48:32 ID:HQ472+0P

ロリコンとゲイを収容所に入れたら、人口の0.5割しかシャバに残らないだろう、
っていわれてるのがアメリカ白人とフランス白人。
オーバーじゃなくて本当にそうだからね。


在米または駐米経験のある者が多いスレでの議論 :


410 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 14:34:39

つーかアメリカの白人ってロリコン異常に多くね?
アメリカ暮らししてた人(俺含む)にとって、白人男のほとんどが潜在的ロリコンだという現象って、
なにをいまさら・・・って感じかもしれないけど。

普段はゴージャスな美人が好きだーとか言って決して表には出さないけど、 酒が回ったりして本音で話すと大抵ロリコンだったりするし。 日本人男のロリコン度合いなんてかわいいくらいにあいつら本気だし・・・
逆に黒人やヒスパニックでロリコンって極端に少ないよね。


411 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 14:49:54
>>410
アメリカ白人だけでなく、イギリス白人も一緒。
知的水準が高くなるにしたがって、ロリコンとゲイだらけになる傾向にある。
日本人の感覚で「〜だらけ」なんて言うと軽く感じるけど、あの多さは明らかに異常だな。

ロリコンというか、少女性愛、幼女性愛に対する憧れを潜在的に持ってて、自覚してるかしてないかの違いがあるね。 そして知的水準が高くなるにしたがって、眠ってたものが露骨に表れ始めるのがオキマリ。
でもロリに限っていえば、米英白人なんてまだまだ甘いぞ。ドイツ男が凄まじいよ。


413 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 14:53:42

本能というより社会的な抑圧じゃないか。

415 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 15:12:10

可愛い娘を好むのはごく普通なんじゃないか?
それは表に出して無いだけで。


416 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 15:15:16

アメリカの場合は女が我がままでガサツ過ぎて一緒にいるメリットがないからだろうな。

マンコ<ウザさ。

社会的な寛容さがないのは宗教上いたしかたあるまい。

418 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 16:03:08

ドイツに旅行に行った時、旅の途中で若い男が一緒にのみに行こうぜと誘ってきたんだけど あれはもしかしてゲイだったのだろうか?

419 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 16:06:56

あの熱い視線は本当に勘弁してホスィ<アメリカ人中年


432 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 10:43:20

サンフランシスコ、ゲイ多すぎ。


433 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 11:19:50

パリのほうが多いだろ。


436 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 11:39:41

ドイツ男にロリが多いって書いてるやつがいるけど、

ドイツ男に変態が多いのは確かだけど、ロリとか変態は多いけどゲイはそこまで多くない。

もちろん日本人の感覚からしたらバカ多いけど、アメリカ・イギリス・フランス白人ほどの多さじゃないから。

余談だけどドイツいたとき、ボンのPGC公園の芝生で全裸で小便かけあって抱き合ってるゲイカップル見たよ。

437 名前:432 投稿日:05/03/06 12:00:07
>>433
俺前の彼女フランス人だったけど、彼女がフランス男を非難するとき絶対ゲイ非難から始まってた(笑

パリに比べてどうかは微妙だけど、SFも相当のもんだよ。
黒人はどうなんだろうね?LA並に黒人見ないから気になるところ。

482 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:17:06

考えてみるとフランスの女の子って悲惨だな。
あんなパリみたいにイイ男は大抵ゲイorロリコソなんて事態に直面すれば、そりゃ同国男を批判したくなる気持ちもわかるよ。ほんといっつも文句言ってるし・・・

484 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:28:03

ゲイの多さ

フランス>>アメリカ≒イギリス>>>ドイツ>>台湾>>>>>>>イタリア>>日本


ロリコンの多さ

ドイツ≒アメリカ>>フランス>>>イギリス>>>日本≒イタリア


って感じかな?

439 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 12:11:39

パリ男がゲイに走るのは、パリ女が汚すぎるからかと。たまには風呂入れYO!


440 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 12:17:25
>>439
男だって同じやん。フランスは。


441 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 12:25:22
>>440
でも、

1週間に1回は歯を磨くパリジャンと、
1週間に1回は歯を磨くパリジェンヌだったら、

明らかに前者のほうが多いダロ!特にゲイは清潔だしさ。

445 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 17:03:10

不衛生っていうか、日本人の感覚からすれば、どこだって不潔のような。

その中でもフランスは群を抜いてるというか。

まあアメリカ白人だって、シャワーをたまに浴びるだけでバスタブには滅多に浸からないし、

基本的に日本人みたいなボディタオルは使わず手で身体こするだけだし、
んだから垢がポロポロ落ちてきてキモイし、臭いし、汚いし。

上のほうでこれなんだから、下のほうの階層はどうなんだよってことだよね。
あ、でもフランス人とちがって歯は「一応」磨くからマシかも笑>アメ人

447 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 23:08:03

アメリカにすんでいたけどロリコン事情はわかるような気がするよ。

成人女性の3人に1人は子供のときに性的虐待を受けたことがあるという統計があったからね。

なぜロリコンが多いのか?
それは白人の少女達は皆天使のように美しいのに成人してしまうと肥満化していくんだもん。

老けるのい早いし。


それに白人の少女達は早熟で14の少女達の体つきを見るとすでに日本人女性の20歳の体つきをしている。

16歳では日本人のいうところの25歳にみえるし、20を超える または子供を生むと太りだしおばさん化まっしぐら。

このようなことから思わず美しい自分の娘や近所の天使のような少女達を見ると手を出してしまうお父さん達もいるのかものかもしれない。

476 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 15:38:28

米・英・独・仏白人男に絶句するほどロリコンが多いのは、
明らかに女の老いの速さと関係してるでしょう。

白人は老けるのが早いから
特に肌が


485 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:32:16

ロリはロリでもいろんな種類があるだろ
本当の幼児性愛てのはどこの国にもいるだろ

中高生てロリにはいる?

487 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:37:28

同一線上に並べてるけど、日本のロリコンと欧米のロリコンには大きな違いがあるよ。
日本のロリコン一般はあくまでも観賞的趣味から入るソフトロリコン。
対して欧米のロリコン一般は完全に性愛的対象として見ることから始まる。

489 名前:477 投稿日:05/03/07 17:47:19
>>485
自分は、
ティーン以下の年齢、または幼・少女的容姿の女性しか本気では相手にしない、
という意味で ロリコン って言葉使ってるけど。

490 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:50:38
ロリコン、バイ、少年愛のトリプル3点セットな香具師多すぎ>米白人

491 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:53:35

日本みたいにヲタチックなやつじゃなくて、
ほんとに普通のやつらがそうだから焦るよな。(ゲイ、ロリ

しかも右も左も。


493 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 18:04:05

米黒人、たしかに白人ほどにはホモ多くないけど、少年愛は結構多くないか?w
しかもほとんど白人少年目当てw

関係ないけど、俺ロングビーチで白人警官に口説かれまくったよw 何十人単位で・・

http://www.nihongodeok.net/thread/life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1110050434/


37. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 19:36:39 ID:wmIiCA2R

日本から一歩も出たことのない(特に女の子)って、ティーンズアイドルの人気とかの上辺だけ見て日本がロリコン大国だと批判して、思いっきりステロタイプなイメージで欧米(の白人社会)に対して大人の恋愛の国だとかいう幻想持ってたりするよね。

アホかっつーの。

アメリカかまたはドイツあたりにいって、ロリコン比率の凄まじさと年喰った女の人間扱いのされなさを肌で感じてこいって。

38. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 20:24:33 ID:xyljDEeD

ああ、たまに

「欧米では女性を年齢で見ないのよ!」

「ヨーロッパではケツの青いガキより成熟した女性が好まれるの!」

って必死で主張してる高齢の色ボケオバサン結構いるね。 「自分探し」とかで、いい年してから中途半端に短期語学留学してる人とかに多い。視野狭くて頭悪そうだなーって思いながらも、心の中で 「成熟どころか、お前の精神年齢は幼稚園児並だよ」 と時々突っ込みながら面白くヲチしてるけど。

39. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 20:42:45 ID:wmIiCA2R

日本の男のロリコン趣味は偽者だと思う。
普段開けっ広げに小さい女の子をかわいい〜とか言う割には、実は心の中ではやっぱ大人の女と思ってたりする偽ロリが多いような。

例えばロリを自認してた俺だって、いざオナるときは結局川瀬智子とか仲間由紀絵ばっかオカズにしてたしw
現実に戻ったら結局子供じゃ勃起しないっていうかw

欧米の白人社会、特にアメリカで、ヒステリックなまでにロリコンが社会的非難を浴びてタブー視されるのは、裏を返せばそれだけ身近で深刻な問題であるということだからね。

41. おさかなくわえた名無しさん 05/03/08 15:33:53 ID:x3MxdBxv

たしかにシカゴでのロリやゲイに対する反発心は凄かった
でもロリやゲイは日本よりはるかに多いorz

42. おさかなくわえた名無しさん 05/03/09 15:00:53 ID:ySE0nDir

ロリって昔は高校生ぐらいを対象としたものじゃなかった?
今は小学生ぐらいだろ?

ってことは20年後ぐらいには生後6ヶ月の赤ちゃんを(ry

43. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/10 00:33:13 ID:AohUVZpq
>>42
昔は高校生ぐらいの子はがんがん出産してたぞ

44. おさかなくわえた名無しさん 05/03/10 11:51:04 ID:CQn7dKFt

まあ確かに今でいえば中学生ぐらいの歳で元服してセークスしてたからな
武士は

47. おさかなくわえた名無しさん 05/03/10 18:11:32 ID:CQn7dKFt

もし中高生ぐらいの異性に対して性的興奮を覚えたらロリであるならば
ほとんどのものはロリになるだろう

52. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/10 20:01:38 ID:F/nJjthJ

アジア人好きの欧米人のほとんどはロリだったりする。
顔も童顔だし、身体は華奢、欧米人に比べて肌が綺麗でぴちぴちしているのに、成人年齢に達しているから。

56. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/12 13:14:17 ID:vquse2KZ

欧米のロリ理由→欧米の女は劣化が早いからとして、ゲイになる理由はなんで?

57. おさかなくわえた名無しさん 05/03/12 16:03:42 ID:BHMOkguq

実際に幼女に手を出すと犯罪だから

65. おさかなくわえた名無しさん 05/03/18 11:25:15 ID:+He+LNn7

フランスって熟女信仰がもっとも強い国ってきいたけど・・


67. おさかなくわえた名無しさん 05/03/18 11:57:34 ID:P6pmAgnO
>>65
貧乏な若い男が金持ちのマダムにくっついていろいろ支えてもらうことに関して偏見がないのがフランスの伝統。

いい家の息子はわざわざ熟女とくっつかない。
炉利も同じこと。
いい家の娘さんはわざわざオヤジと寝ない。

今の生活よりいい生活をしたかったら、若さを武器にかなり年上の異性とくっつくしかない。

身分制度やコネ社会の強さがジゴロや炉利を生むのです。

「愛人−ラ・マン」もそういう話でした。

68. おさかなくわえた名無しさん 05/03/18 12:19:49 ID:+He+LNn7
>>67
なるほろ。

でも聞いた話だと街中で注目を浴びるのも若い女じゃなく成熟した女、とのことだった。やっぱり御幣があったか

69. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/18 14:40:00 ID:AxH0bzKp
>>68
普通に考えてさ。
そんな事あるわけねーじゃんw

男はどこの国もいっしょ。
おばちゃんの夢壊して悪いけど。

70. 68 05/03/18 15:10:48 ID:+He+LNn7
>>69
いやまぁそれもそうだね。半信半疑ながらもし本当なら夢の国だなーとおもっとった

若い女のほうが生物学的にもいいに決まっている
今19(そろそろ若いとも言えなくなってくる年齢・・)だけど歳とるのがすごいコワー


81. おさかなくわえた名無しさん 05/03/20 17:40:07 ID:Y9SNNg1F

ロリは古今東西人類普遍のテーマですね

ドストエフスキー, ユーゴー, ロマンロラン ・・・

うだつのあがらないじじいが、何故か身寄りのない不幸な少女と出会い、面倒見る系のストーリーが少なくない。

特にユーゴーは、かの"コゼット"を筆頭に幼い少女の登場率が高いね。

ドストエフスキーも多いかな。

読む側としても、可愛そうな子供が「バラ色の頬をした少女」だと、読む意欲が倍増する(w

87. おさかなくわえた名無しさん 2005/03/26(土) 02:12:51 ID:eoIALnC2

フランス文学は変態の宝庫ですから。でも変態と知性を結び付けている
素晴らしい文学ばかりだけど・・。

ところで、デンマークのお上容認のベドの団体って今でもあるんでしょうか?

88. おさかなくわえた名無しさん 2005/03/26(土) 02:22:27 ID:eoIALnC2

あぁ、それと歳行った女が大事にされるのは嘘ではないですよ。

大事にっていうのは違うかな?

なんていうかいつまでも女性として扱ってくれる男性が多いっていう感じかな。その代わり、それなりに教養はないとそういう男性からは相手にされない。

で、向こうのロリはもちろん物凄くって、絶対に少女じゃないとだめぇぇ!
みたいなのは確かにいます。はい。


私は二十代だけど、日本の女性なら三十代頃なら向こうでは一番アプローチ受けやすいと思う。

二十代だと、十代の芋貧乏しかよってこないから損かも。

http://www.nihongodeok.net/thread/life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1110050434/


( =ω=.)<映画とかでさー子役の時 美少女だった娘も 数年したら オバさんみたくなっててさー


(;//Д//)<白人は劣化が早いからね


( =ω=.)<うん。幼女の頃で顔が完成されて、お人形さんみたいに可愛いからね

115 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:48:04 ID:tSFWxvkI0

白人女が、フェラしてる時から挿入されてフィニッシュを迎えるまでずっと自分のクリトリスを弄り続けてるAVを見てから、白人女を見ると恐怖しか感じなくなった。
あいつらは何か別の生き物だ。淫獣だ。


164 :帝都SS隊 ◆qqcnPZRzkE :2006/07/17(月) 21:52:47 ID:/L2w4kun0

アメリカ女はセックスしてるときに歯をくいしばってうなり声出してを睨みつけてくるからな。
こえーよ。何威嚇してんだよ白豚。
おかげでいつも途中でチンポ萎えるよ。

120 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:48:32 ID:Cjwngo1r0

白人女の劣化の速度は異常


157 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:52:04 ID:7Z6jZnPR0

なんか付き合ってると、色々指摘されそうじゃん。
Oh日本男ちんちん小さいネ!そんなんじゃだめネ!ダンスできないとダメヨ!みたいな。


166 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:52:56 ID:znxk6zdN0
>>157
チンコの小さいのなんて指摘もされないしまったく問題ない。
むしろ日本人男性の幼児性を指摘される

日本人は精神的に自立していない人が多いということ事
逆に言うと、日本の女も幼児性が抜けないから日本人同士で付き合う場合はそれでバランスが取れているわけだが、白人女性なんて日本人から見れば精神性は男だからね


268 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:59:45 ID:8Gvru5Kt0

テレビとか写真で見ると綺麗なんだけど、実物を近くで見ると毛だらけなんだよな。白人女って。
顔の産毛を剃る習慣は日本女特有のものだということに気づいた。

1463 :名無し:2006/07/22 ID:#cRy4jAvc | URL | 編集 |

どうも話が、ゲルマン系のゴツイ女に偏ってるな。
ラテン系は可愛いよ。華奢なのも多いし。

あ、でも南米じゃなくてフランスとかイタリアな。

ガキの頃、アメリカに居たんだが、近所の子ですっごく可愛い子がいた。
まさに天使みたいな。でも、先日「結婚しました」の手紙が来たら、
普通のブチャイクなアメ人女子大生になってた。とほほ。

9199 :子供を産ませる機械:2007/02/16 ID:#wr80fq92 | URL | 編集 |

白人は10歳まで。
カフェオレは20歳まで。
東洋人は30歳までオカズになるんだからコストパフォーマンスいいよ。

http://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1024.html

No.16 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/06/01(Thu) 06:02 

白人女性はやめたほうがいいよ。もちろん人によるけどね

アングロサクソン女は自己主張が強い。
すぐ権利主張して平等を謳う

最初は自立しててカッコいいと思ったけど付き合うとうざい

そのくせちょっとしたレストランでは「レディー」として扱えという
マナーだし別にいいんだけど、都合よく使い分けていると思う。

たまたまそんな女に引っ掛かったオレが悪いんだろうがね。
それにオレも英語が完璧に出来るわけじゃないからけんかになると負けることが多い

総合的にアジア人が一番いいと思う。

No.34 投稿者:僕も日本人です - 2010/10/07(Thu) 15:53 

No16. 実に的を得た発言。これはアメリカ人でしょう。

スエーデン人はもっとひどい。カナダやオーストラリア人はまだましだが、ヨーロッパ人はもっとまし。

一番日本人に近い白人は東ヨーロッパや元ロシア圏の白人女性。
アメリカ人やスウェーデン人はよしたほうがいいですよ。遊ぶだけなら面白いが。

No.40 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/05/07(Sat) 23:15 

妻はイタリア人で、いわゆる欧米系人種だが白人ではない。
確かに日本人女性とは違って、自己主張がハッキリしていると思う。

 文化や習慣の違いでの口喧嘩もあるが、こちらが譲れない部分等は、理論的に説明すると理解はしてくれる。

 家事や子育て等も、全く問題なく率先してやってくれている。

イタリアは表面上レディファーストだが、結婚すると男性が主導権を握るパターンが多いらしい。

平均的にラテン系女性は家庭的らしいと聞く。
 一応、こちらもそれなりに努力はしているつもり。

レディファーストが日常的な文化として成立しているので、過剰にならない程度で心がけているし、体型を維持する為にジムへも通っている。

 過去にオーストラリア女性や、もちろん日本人女性とも付き合った事があるが、性格や人格は人種的な要素よりも、やはり育った家庭環境に左右されると思う。

No.18 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/06/24(Sat) 12:14
 
ロシア人女性はスタイルが最高に良かったです。
やはり、やせていても、お尻とか丸みがあり最高でした。
でも、日本人と変わらない。

終わったと、言葉が通じないからおもしろくなかった。
よく見ると顔はそばかすだらけです。


No.10 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/03/27(Mon) 05:11 

白人女性のAV見たこと結構あるけど、あそこの毛ない人多くない?
日本人女性はみんなぼさぼさだよね。
あと、やってるとき日本人女性の場合は

「あーーーあーーーダメーー;;逝っちゃう〜〜〜;;」っとか色々声だすのに、

白人女性ってひたすら深呼吸してない?w

息をすぅーすぅーしてるだけ。なぜだ・・・・・


No.12 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/03/27(Mon) 20:01 
>>10
剃ってるんですよ。
もともと毛が薄い人種なので剃っても目立たないんでしょう。
つるつるですね。

声のほうは「オ〜〜イエ〜ス」「ファックミー」くらいしか言いませんよね・・・
日本のAVはやらせ感が強すぎますよね


No.14 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/03/29(Wed) 10:46 
>>10
白人の方が毛深い。

No.28 投稿者:ロメオ - 2009/08/07(Fri) 05:13
 
白人女の歳の取り方は日本人の倍。5年付き合ったらもうばあさん。
セックスもまあまあ。毛深いのと体臭がX。やっぱりアジア人が良い。


No.33 投稿者:apple nyc - 2010/03/12(Fri) 03:21 

数年アメリカに居た時経験ありますが、外人の女の人はなんか野獣というか息が荒いsexなんで冷めました。自分も英語でsexは微妙なんで日本人の声のがいいですね。。。


No.35 投稿者:名無しの権兵衛 - 2010/12/20(Mon) 15:15 

白人はちょっと臭い。
体臭も口臭もきついし、肌も気持ち悪いくらいざらざらしてる。

30代超すと、肌も弾力性なくしてびろびろする。きもい体験だった。

No.37 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/02/07(Mon) 19:57 

おいおい、白人女は25で終わりだろうに。二十代後半からは40ぐらいにみえるぞ。

No.38 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/03/04(Fri) 14:53 

知り合いの白人の奥さんとその日本人の旦那をしってるけど、同い年とは見えない。魔法使いのばあさんと一緒にいるみたいだ...まだ40なのに、彼女は60ぐらいに見えるぞ。


No.39 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/04/26(Tue) 03:48 

白人女ははっきり言って臭い。足も臭かった。あそこも強烈な臭い。鼻が良く効かない人種のようで、自分の異様な臭いに気づいていないようだ。

http://www.worldguys.jp/cgi-bin/bbs/mychan/mychan.cgi?mode=view&no=977&p=new

まあ、一世を風靡したセクシー女優 フランソワーズ・アルヌールや クラウディア・カルディナーレ の中年以降の姿を見たらロリコンになる気持ちも良くわかりますけどね:


Des Gens Sans Importance (ヘッドライト)
https://www.youtube.com/watch?v=FJjjDntxL9U
https://www.youtube.com/watch?v=k0rZsy0G-Y8
https://www.youtube.com/watch?v=ef55eXSP_kc

Maria Felix Comentarios de Françoise Arnoul
http://www.youtube.com/watch?v=DNPA4M5k7II


La Ragazza di Bube(ブーベの恋人)−Claudia Cardinale
https://www.youtube.com/watch?v=4BxFy99_sZU

24-BEYAZPERDE RÖPORTAJI - AN INTERVIEW WITH CLAUDIA CARDINALE
http://www.youtube.com/watch?v=xel1FogmZ0c&feature=related


55. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 16:02:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[438]

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種


1. 母性を滅ぼした欧米人に残されたのはロマンチック・ラブの世界だけだった


欧米人が愛するロマンチック・ラブというのは性的な倒錯です。

古来、中国にはポルノ小説は有っても恋愛小説は存在しません. そちらの方が人間としてまともなのです.日本人は西洋の恋愛小説に洗脳されて、金髪碧眼の主人公の猿真似をしてるだけなんですね。

ロマンチックラブは美男美女でなければ滑稽になるというのに気付かないのかな?

_______________________

『近代中国と「恋愛」の発見』


「愛してます」なんて口が裂けても言えない、なんかバタ臭くて…。


なぜバタ臭いか? 

我々が今普通にかんがえる「恋愛」もまた、近代受容の過程において文明開化期に取り入られた西洋の概念だったからである。このバタ臭さは、中国においてはなおさらだった。

中国や日本が「西洋」を本格的に受容し始めたのは19世紀。そのころの欧米の恋愛風習は、一言でいうと、未婚男女が自由に恋愛でき、自由に結婚相手を選択できるということである。

しかし当時の中国では親の取り決めた人と結婚するのが常識。 しかも、女は年頃になると外に出てはならないという風習があったから、そもそも異性との出会い自体がなかった。 だから、恋を語り合うなんてことは今までやったことがなかったのだ。 つまりシチュエーションからして既に、西洋の「恋愛」はあり得なかったのである。


小説においても、「浮生六記」みたいな夫婦間の情愛や、才子佳人小説によくみられる遊郭での恋が、そのころの中国では愛情の物語としての常識だったのだ。

でも中国近代文学者は「恋愛」小説に感心した。男女が同等にそして自由に、時には大胆に恋愛を語り合うさまは「近代」の自由・平等・民主を連想させたのである。だから彼らは中国でも恋愛小説を作ろうと奮闘を開始した。 中国人文学者が中国の「恋愛」小説を試行錯誤させながら作り上げてゆく過程、時にはすごい勘違いをしながらも、だんだんと「恋愛」らしくなってゆくプロセスは、中国の「近代化」の過程と似てスリリングだ。 現代の中国小説には深みのあるものが増えてきているが、それもこれも彼らの格闘あってこそだといえるだろう。

しかしながら、新世紀を生きなければならない我々が押さえておくべきところは、以下のところであろう。


たしかに

「東アジアにおいて、恋愛の受容はたしかにわれわれの想像力と表現力を豊かにした」。


しかし、

「『恋愛』は近代人の身体、性意識ならびに感情表現を『近代文明』の管理下に置こうとする過程でもある」。


たとえば

「恋愛を拒否することや、恋愛の儀式にのっとらない行為は、『異常』や『病的』あるいは『非常識』として排除される現象が生じた」りするのだ。


そう、わたしたちが普段考え実践する恋愛もまた、西洋近代からの輸入品である「恋愛」であって、近代的価値観が普遍的でないのと同様、恋愛という概念もけっして普遍的なものではないのだ。それならば否定はしないまでも、「恋愛」について一歩引いて考え直してから、実践してみることが必要だ。

ちなみに、1989年の統計では、中国の都市部では61.3%、農村部では70.2%が見合い結婚だそうだ。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Jiyugaoka/990209Ren-ai.htm


20世紀に神は死んだ、と言われ、一応先進国では宗教という概念は終わったとされている。 じゃあ、あの強い信仰心に変わるものはなんだろうか。

それはずばり、ロマンチックラブ・イデオロギーでしょう。 つまり、「愛」ってやつですね。一般的には男女の愛。

宗教による戦争などの痛い経験のあと、20世紀のひとたちがすがりついたのは、身近なひとたちによせる信仰心のような、愛情だったというわけ。


宗教と純愛はよく似ている。 宗教をなくしたひとたちが、すがるように手に入れたのはが「愛」ってやつだったんですね。だから、狂信者と愛を信じるひとたちはとてもよく似ている。蘇りを信じたり、永遠をうたったり。死はすべての終わりではない、と考えたがる。(気持ちはわかるけどさあ)

みんななにかを信じて、それにすがりたいんだよね。

新興宗教ブームと純愛ブームって根は同じなんだと思う。すがりたいひとたちのよすがだ。 もちろん、それを信じて、信じることで救われるとしたら、ほんと手軽でいいと思う。できれば、私も入信したいけど、もはや、そういった信仰心をもてない身。

宗教も純愛もない荒野を歩いていくしかないのだった。 とほほ。

http://yaplog.jp/akane-y-dairy/archive/158

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2. ロマンチック・ラブの世界とは


カール・グスタフ・ユングは、男性の人格の無意識の女性的な側面をアニマの元型と規定した。男性が持つ全ての女性的な心理学的性質がこれにあたる。男性の有する未発達のエロス(関係の原理)でもあり、異性としての女性に投影されることもある。フィルム・インタビューでユングはアニマ・アニムスの原形が、「ほんの僅かな意識」または無意識と呼んで、完全に無意識のものであるかどうかは明らかにしなかった。

彼はインタビューで、恋に落ちた男性が、女性自身よりも寧ろ自身の無意識の女性像であるアニマと結婚した事に気付き、後になって盲目な選択に後悔するのを例に出した。アニマは通常男性の母親からの集合であるが、姉妹、おば、教師の要素を持つこともある。

ユングはまた全ての女性が精神の中に類似の、男性的な属性と潜在力であるアニムス(animus)を持つと信じた。アニムスは女性の人格の無意識の男性的な側を意味する。女性の有する未発達のロゴス(裁断の原理)でもあり、異性としての男性に投影される。

アニマと比べて集合的であり、男性が一つのアニマしか持たないのに対し、女性は沢山のアニムスを持つとされた。ユングはアニマ・アニムスの過程を想像力の一つの源であるとみなした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9E


アニマ


 アニマは男性が無意識の中に持っている女性原理──男らしくあるべきという社会的要請によって抑圧された女性的要素──情緒、感情、恋愛などを司るものです。いわば『魂の女性』で、そのアニマに基づいて、男性は心の中に『理想の女性像』を作り上げるといわれています。

 自分のアニマイメージを現実の女性に投影して、恋に身を滅ぼすこともあるそうです。アニマの存在は男性にとって、男性に足りない女性的情動や感情、潤いを補って、完成した人間へと導く存在でもあり、また一つ間違うと破滅の淵に引きずりこんでしまうような、危険な存在でもあるわけです。

 まだ発達していないアニマは、動物の姿や黒っぽい女性だったりすることがあるそうです。男性の夢に登場する女性はすべてアニマと考えてもいいでしょう。

アニムス

 アニマが男性にとっての『永遠の女性』なら、アニムスは女性にとっての『心の中の男性』──女性の心の中に形作られた、内なる男性です。

一般に知性や理念、決断力、論理性などを象徴します。アニマが『魂』なら、アニムスは『精神、ロゴス』であり、女性が成長するため必要な存在です。

アニムスをきちんと認識していないと、やたら理屈っぽいだけになったり、妙な男性に自分のアニムスイメージを投影してのぼせ上がったりと、やはり男性同様危険な側面があるようです。

 アニムスは父親のイメージではじまることが多く、やはり認識されないうちは黒っぽいえたいの知れない男性の姿を取るといいます。女性の夢に登場する男性は、すべてアニムスなのだそうです。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~lerxst21/rush/anima.html

水の中を覗きこむと確かに自分の姿を見ることになるけど、それ以外にも魚、水の精などがいます。水の精は人間を誘惑し、理性のコントロールを失わせます。

それはからかい好きな生き物であって(中略)ありとあらゆる悪戯をしかけ、幸福なまたは不幸な錯覚、抑うつ状態や恍惚状態、コントロールのきかない感情等々をもたらす。

 これがアニマだとユングは言います。しかしアニマは元々、「魂と呼ばれ、なんとも言えずすばらしい不死のものを指している」とあります。

しかしユングによるとこれはキリスト教によって教義化されたものであり、本来のアニマとは違うと言います。本来のアニマは「気分、反応、衝動およびその他の自律的な心的作用の、ア・プリオリ〔非経験的なもの〕な前提である」んですね。

 アニマ元型と関わることによって、われわれは神々の国に入りこむ。

(中略)


すなわち絶対的で、危険で、タブー的で、魔術的になる。

(中略)

世間では無意識に没頭すると道徳的抑制が壊され、無意識のままにしておいたほうがよいもろもろの力を解き放つことになると言われているが、アニマはその無意識への没頭に誘うために(中略)納得させるに足る根拠を提示する。

いつでもそうだが、この場合にも彼女は間違っているわけではない。なぜなら生そのものは善であるだけではなく、悪であるからでもある。

(中略)

妖精が生きている国には善悪という範疇は存在しない。

http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/50791497.html


人間はもともと両性具有的(シュズュギュイ)なのですが、大人になるにつれてどちらかの性を発達させなければならず、顧みられなかった方の性がアニマやアニムスとして無意識の深奥に封印されるのです。

 アニマの属性はエロスであり、アニムスの属性はロゴスです。

 アニマは男性に情緒性やムードをもたらします。アニマの力によって、男性は想像力を湧き上がらせることができます。一方でアニムスは女性に論理性や意見をもたらします。アニムスの力を借りれば、女性は行動力を発揮することができます。

 さらにアニマとアニムスは、心の深い部分にある元型として、後で述べるセルフと自我のコンタクトを手助けする役割も果たします。

 しかし、アニマやアニムスが自我に取りつくと、自我を守るペルソナが破壊される危険性があります。アニマに憑かれてエロスに魅入られた男性は、アニマの持つムードに冒され、自分の殻に閉じこもって社会に背を向けることがあります。逆に、アニムスに憑かれてロゴスに支配された女性は、アニムスの持つパワーに振り回され、本末転倒な論理をヒステリックに振りかざして社会に無謀な戦いを挑むことがあります。

 いずれの場合も、その場にふさわしいペルソナ形成が度を越えたアニマとアニムスの介入によって阻まれるため、自我が周囲の環境に適応できなくなったり外界の刺激によって不必要に傷つけられたりします。

 アニマとアニムスは、心の成長と共に四つの段階に従って姿を変え、成熟します。アニマの場合は、生物的な段階、ロマンチックな段階、霊的な段階、叡智の段階があり、アニムスの場合は、力の段階、行為の段階、言葉の段階、意味の段階に分けられます。

 つまりアニマは、最初は暗く性的アピールの強い娼婦のようなイメージとして登場し、次により明るく清純な女優のようなイメージに変化し、さらに性的な雰囲気のない巫女や尼僧のようなイメージになり、そして最後に性を超えた光り輝く女神や観音菩薩のようなイメージに昇華されます。

 一方でアニムスは、まず肉体的に逞しく力強いスポーツマンのようなイメージとして現れ、それからより精神的な行動力のある実業家のようなイメージに変化し、さらに教養のある学者や僧侶のようなイメージになり、やがて超越した神や仙人のようなイメージに到達します。

 また、男性にとってアニマはさまざまに姿を変えながらも永遠の女性として唯一存在します。それに対して、女性にとってアニムスは複数の英雄として現れます。

 アニマとアニムスは現実の恋人や配偶者と同一ではありません。この元型的イメージが現実の異性に投影された結果、全ての恋愛がもたらされるのです。

 また、恋愛関係にある男女のアニマとアニムスは相互的な関係にあります。例えばアニマに憑かれた男性は、同じようにアニムスに憑かれた勝ち気な女性に自分の未熟なアニマのイメージを投影し、彼女に惹かれます。一方でアニムスに憑かれた女性は、同様にアニマに憑かれた弱々しい男性に自分の未熟なアニムスのイメージを投影し、彼をパートナーに選ぶのです。

http://relache.web.fc2.com/report/jung.htm


ユングは恋愛感情や性的欲動も、アニマ・アニムスの元型イメージの投影(projection)によって説明できると考えます。アニマやアニムスは、『意識的な人生の生き方・対社会的(対他者的)な適応的な態度』を補償して、その人に精神的な安定感や幸福感を与えてくれるだけでなく、進むべき人生の進路や選ぶべき選択肢を暗示的に教えてくれる存在でもあるのです。

夢やイメージとして体験されるアニマやアニムスは、自己の性格特徴や行動パターンとは『正反対の特性』を示すことが多いとされています。それは、エナンティオドロミアの補償を行って、『心全体の相補性・全体性』を取り戻させようとする自己から独立した機能と無意識の目的性を持っているからです。

『影(シャドウ)』の元型は、『意識的態度に対する同性像のアンチテーゼ』として心にバランスのとれた全体性を回復させようとしますが、『アニマ・アニムス』の元型は、『意識的態度に対する異性像のアンチテーゼ』として自己に欠如した要素や特徴を補って心の相補性を実現しようとするのです。

影(シャドウ)をイメージで体験しているときには、不快感や抵抗感、否定感情を感じますが、アニマ・アニムスをイメージで体験しているときには、幸福感や恍惚感、肯定感情を感じやすくなるという特徴があります。

影(シャドウ)にせよ、アニマ・アニムスにせよ、物理的現実ではなく心理的現実に属するものですが、多くの場合、それらの元型のイメージが持つ感情や影響力は現実世界を生きる他者に投影されます。嫌悪感を抱いているそりの合わない人物には『影(シャドウ)』が投影されやすく、異性として理想的な魅力や誘惑的な特徴を持っている人物に『アニマ・アニムス』が投影されやすくなります。

内面の変容や経験としては、社会常識や性別役割分担などによって社会的に要請された『男らしい生き方(行動パターン)・女らしい生き方(行動パターン)』への反発や抵抗として、無意識領域に抑圧され排除された『反対の性の表象(アニマ・アニムス)』が立ち上がってくることになります。

http://phenix2772.exblog.jp/9847999/


ダンテの「神曲」におけるベアトリーチェはダンテを神の世界に導きますが、文字通り彼女は彼を「案内」します。

ゲーテの「ファウスト」にも最後の一説に謎めいた言葉


「永遠に女性なる者、我らを牽きて上らしむ」


があり、確か後書きだったと記憶していますが、その著者が心理学に深いらしく「この一文はフロイト心理学と関係がある」ような書き方をしていました。これもユング心理学的に言えばアニマになります。

つまり心の伴侶であるアニマまたはアニムスは、人間の心の変化・成長・革命に関係し、その変化を導く働きがあるのですが、ちなみにニーチェは


「私はゲーテの言う『永遠に女性なるもの』の秘密を暴いた最初の人間かもしれない」


と言っています。さらに


「男性は『永遠の女性』を信じるが、女性については『永遠の男性』を信じているのだ」


と、ユングのアニマ・アニムス論を先取りすることを述べています。


アニマの意味する範疇は広く、秋葉原系アニメの美少女キャラクタも勿論、一つのアニマの現れですが、これは多く恋愛・性欲の対象ですので「低次アニマ」と表現して良い物で、この段階では心の成長に関わる機能は殆ど無いと思います。

これがあるきっかけにより、(私の場合は完全に一種の偶然ですが)自分の心の変容が開始するとともに自分が投影するアニマも成長し、より凛々しく、高貴に、そして恐ろしく厳しく成長します。

非常に高次に達したアニマはギリシアの女神アテナのようになると言われていますが、私の経験から言えば「男性と見まごうごとき勇ましい女性」に進化しました。
簡単に言ってしまえば、自分の自我が成長すると、無意識としての伴侶のアニマも成長し、まるで2人で階段を上って行くように感じます。「神曲」にもこのような表現がありますが、非常に多くの錬金術絵画がそれを描いています。

別の言い方をしますと、最初は可愛らしい愛でるべきアニマ(性欲の対象)であるのですが、次第に本人を「告発するアニマ」となり最後には、アニマ対自我の命を賭けた一騎打ちのような様相になります。

中高校生の時は理解できませんでしたが、プラトンの言葉「エロス(美しい肉体への愛)からフィロソフィア(愛智)へ」にも、おそらくこの意味が含まれているのでしょう。

一部のキリスト教でYHWHの妻をソフィア(智)と呼ぶことがありますが、まさにそのような「智」を愛人とするような状態になり、はっきり言いますが、この段階のアニマは外見が美しくとも性欲の対象として絶対に見ないような「凄まじく厳格な人」のようなものになります。

実際、月と太陽が馬上で一騎打ちするような図や、雄雌のライオンが噛みつき合うような図が錬金術にありますが、正にこのように厳しいものであり、「アニマが勝つか自我が勝つか」という状況になります。

このようなことで抜きつ抜かれつつ精神の階段を上って行き、上り切る時、終に自我は「永遠」と遭遇することになるのですが、これがゲーテの愛した「永遠」でありニーチェの言う「永遠回帰」の根拠になっていると考えています。

ユングはこの「そら恐ろしい宇宙のようなもの」を「自己(セルフ)」と呼びましたが、この時言うならば一種の全能感「宇宙と一体化したような気分」になります。(この時が自我インフレーションの極限状態です。)

ユング心理学ではこの自我インフレーションが極大になった状態を「エナンティオドロミー」と呼びます。

ちなみにニーチェはユングより先にセルフという用語を使用しており、また「ツァラトゥストラ」の中で自己(セルフ)を「偉大なる天体=太陽」に喩えています。

ニーチェの永遠回帰(永劫回帰)は、色々と文章的に小難しく解釈する哲学関係者がいますが私はこれは、一つの精神的変容の究極段階に達した状態と深い関係があるものと考えており、この、まるで時間を静止したような、「永遠(∞)=無(ゼロ)」というべき非常に仏教的境地と関係が深いと思います。

これがニーチェが「西洋の仏陀」と呼ばれる理由なのでしょう。 しかしこれは文章に書いただけでは理解不可能であり、実際に体験しないと分からないのですが、経験してみると正にこのようにしか言えないものです。

http://www.seijin.asia/wps/?p=50


ユングは、

男女・パートナー同士の関係には、二人でなく、四人の関係性があるといっています。


男性の心のなかには「アニマ」といわれる女性像が存在します。

女性の心のなかには「アニムス」という男性像が存在します。

すると、二人の関係性においては、現実の男女関係の他に、このアニマ・アニムス関係があることになるんです。

ここで、大切となってくることは、男性なら、相手のパートナーとの関係に、
自分の中の女性像「アニマ」を多々投影しているのだ、ということに自覚的になる必要があること。

相手に不満を持つ時、あなたはアニマとの関係性を見直す必要があります。
あなたの心が投影しているアニマは、一人の人間としての現実のパートナーとは異なっている、ということに気づくかもしれません。

ここまでくると、パートナー関係に変化があります。
つまり、あなたとパートナーとの関係性(外的)、あなととアニマとの関係性(内的)に分化されるのです。

この内的・外的関係性がごっちゃになってしまうと、自分の内面の異性(アニマ)を常に相手に投影して、現実の相手はその投影に動かされる、悩まされることになってしまうからです。

人間関係はこうした投影をもとに成り立っているともいえます。

しかし、僕らが少しでも自分の内面に意識の光を当てる努力をしていくことで、関係性は変化してきます。より深まります。

男女関係は古来より神秘的なものと考えられてきました。

男女関係は、個人の内面を映し出してくれる鏡です。 恋愛がすごいのは、この二つの異なる存在が出会い、結ばれることにあります。対立物の統合

http://ameblo.jp/mundi/theme-10009990410.html


即ち、ロマンチック・ラブというのは実際の異性を愛するのではなく、自分の心の中に住むアニマ・アニムスを勝手に異性に投影して、その幻覚に執着する倒錯的行為です。

自分のアニマ・アニムスのイメージに近ければ相手は誰でもいいのですね。

まあ、自己愛の変形でしょうか。


太古から全く変わらない心性を持つ日本女性はグレートマザー憑依型の行動様式を取り、魔女狩りで母性的な女性をすべて焼き殺した西欧の女性はアニムス憑依型の行動様式を取ります。

グレートマザーが恋愛する事はありませんから、本来の日本女性は不特定多数の男からの夜這いは受け入れても、西洋的な恋愛はできないんですね。


56. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 16:21:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[439]


3. アニマを映像化したヒッチコックの名作 めまい (1958):


アニマが出現する場面
https://www.youtube.com/watch?v=Oc2s9uSXWKM


キム・ノヴァクを象徴する光は、グリーンのセロファンをライトの前に置いた暗い緑色がメインになっているのだが、これは死や墓穴を象徴するカラーであるというのは有名な話だ。

しかし、後半、栗色の髪をしたキム・ノヴァクがホテルのグリーンのネオンに当たると髪が金色に見えるというのはどういうことなのだろうかと考え込まざるを得ない。

ヒッチコックの金髪好きは有名な話であり、この作品でも、ジミー・スチュアートを突き動かす衝動は、ほとんどレストランの赤い壁に映えるキム・ノヴァクの金髪に起因しているわけだが、それはヒッチコックにとって死に至る病だということを証明してみせたのだろうか。

因みに、この場面に始まる、一連のキム・ノヴァクを昔死んだ女そっくりに仕立て上げていくジミー・スチュアートの行動は、屍姦を意味しているのだとヒッチコックは語っている。 ジミー・スチュアートの行動は、まさしく死んだ女を「死者の中から」呼び覚ますものなのだろう。だから、墓穴の緑が失われた女の記憶を呼び覚まし、別の女の髪をブロンドに輝かせるのである。

ジミー・スチュアートはアメリカ人の素朴さを体現する国民的俳優と称せられ、ヒッチコック作品でも『知りすぎていた男』では子供の命を救うために謎と陰謀に立ち向かう理想的な父親像を演じているが、この作品では死体マニアのような妄執にとり憑かれた男であり、『裏窓』では出歯亀のカメラマンに扮して、彼に与えられたイメージを気持ち良く裏切っている。

ドナルド・スポトーは『ヒッチコック−−映画と生涯』の中で、ヒッチコック作品におけるスチュアートは、ヒッチコック自身を仮託されているのだと指摘しているが、これはなかなかの卓見だと思う。

この作品におけるマデリーン/ジュディ役は、当初、『間違えられた男』に主演してヒッチコックのお気に入りとなったヴェラ・マイルズが演じるはずだったが、マイルズは妊娠したことを理由に断ってきた。これもスポトーの著書によると、ヒッチコックの欲望に危険を感じたからだとかさまざまな憶測がなされている。

この頃、ヒッチコックはやたらと女優にしっぺ返しを喰らっているのは事実であり、オードリー・ヘップバーンは『判事に保釈はない』の主演を撮影直前に断ってきてこの作品を頓挫させているし、キム・ノヴァクも『めまい』の撮影中はヒッチコックとの対立が絶えなかったという。

こうしたことがトラウマとなって、『北北西に進路を取れ』では女性とは信用できない存在であるというように描き、『サイコ』ではジャネット・リーとヴェラ・マイルズをさんざんな目に合わせると共に息子を束縛する恐怖の象徴である母親を登場させるに至った。『間違えられた男』と『サイコ』でヴェラ・マイルズの扱い方が全然違ってしまったことに対するヒッチコックの精神的変貌を見る上で、この『めまい』は重要な作品であるだろう。

この作品からタイトル・デザインにソール・バスが加わり、次の『北北西』で脚本のアーネスト・レーマンが参加したことにより、ヒッチコック・ファミリーとでも呼ぶべきものが確立した。さまざまなプレッシャーやゴシップのネタがつきまとい、スポトーの著書から受けるイメージからは異常者ではないかとさえ思えてくるこの時期のヒッチコックではあるが、それでもなおそうしたスキャンダルを払拭してあまりあるほど彼を偉大たらしめているのは、彼がそうした要因をすべて作品に転化してしまうパワーを持っていたからである。

『めまい』『北北西』『サイコ』『鳥』と、ヒッチコック生涯最大の名作がこの時期に集中しているところを見ると、どんな逆境にも負けない強さが、まさしくヒッチコックの天才の原動力であったということに気づく。

そういう意味で『めまい』は、作品の性格とは裏腹に生きる強さとしたたかさを与えてくれる映画であり、最大限の賛辞を持って称されるべき名作である。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/mizutami/vertigo.htm


ヒッチコックは完全に倒錯していますね。 こういうのが欧米人に特有な情動なのです。

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映画でアニマが現れる場面で奏されているのはワーグナーのトリスタンとイゾルデ:


男女の愛の物語、つまりロマンチック・ラブ・ストーリーは、12世紀の騎士と貴婦人を主人公にした宮廷風恋愛叙事詩にはじまったものといわれています。また、西洋文学の中でロマンチック・ラブを扱った最初の物語は、「トリスタン・イズー物語」であるともいわれています。


ロマンチック・ラブは結婚の枠の外にあり、それは極めて霊的な関係であったのだ。(略)そのようなラブが結婚と結びついてくるのは、西洋人が教会のもつ宗教的な力から離れてゆくことと関連している(略)。

 本来なら宗教的経験としてもつべきことを、公式の宗教に魅力を感じなくなったために、日常生活の中での恋愛に求める。その動機は素晴らしいが、そこで途方もない聖と俗の混交が生じてしまう。

 ロマンチック・ラブの象徴的意義を認めて、象徴的実現をはかるのではなく、無意識に現実化しようとすると、欧米においては、男性は家父長的地位を守ったままで、たましいの像としてのアニマの役割を、女性がそのまま背負うことを要求する。
それは、女性を尊重しているように見えながら、途方もない押しつけによって、女性の自由を奪っていることにもなるのである。(とりかえばや、男と女/河合隼雄)

アニマはしばしば現実の女性に投影され、そのときには烈しい恋愛感情がはたらくことをユングは指摘しているが、その際は、その女性はアニマイメージのキャリアーなのである。(とりかえばや、男と女/河合隼雄)
http://homepage1.nifty.com/risako/report/yaoi2.htm


めまい(1958/米/パラマウント) VERTIGO

製作・監督=アルフレッド・ヒッチコック(※製作ではノンクレジット) 
原作=ピエール・ボワロー、トーマス・ナルスジャック(『死者の中から』) 

出演=ジェームス・スチュアート(ジョン・“スコッティ”・ファーガソン) 
キム・ノヴァク(マデリーン・エルスター/ジュディ・バートン)
http://www.moviesub.net/watch/vertigo-1958/3113.html
http://www.dailymotion.com/video/x26u8ex_vertigo-1958_shortfilms

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%84-DVD-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF/dp/B000BIX8E6/ref=pd_rhf_p_t_2


「スコティ」ことジョン・ファーガソン刑事は、犯人を追う途中に同僚を死なせてしまったショックで、高所恐怖症によるめまいに襲われるようになり、警察を辞めてしまう。そこへ学生時代の友人エルスターが現れて、何かにつかれたかのように不審な行動する妻マデリンを調査してほしいという。

スコティはマデリンを尾行するうちに、彼女の先祖であり過去に不遇の死を遂げた人物、カルロッタの存在を知る。カルロッタは、髪型から首飾りまでマデリンそっくりであり、後にスコティはエルスターに、マデリンはカルロッタの亡霊に取り付かれていると聞かされる。尾行を続けていると彼女は突然海に飛び込み投身自殺を図る。そこを救い出したスコティは初めて彼女と知り合うことになり、やがて二人は恋へと落ちていく。

スコティは彼女を救おうと思い、マデリンが夢で見たスペイン風の村へ向かうが、マデリンはカルロッタの自殺した教会へと走っていく。スコティは追いかけるが高所恐怖症によるめまいのために追いつくことが出来ず、マデリンは鐘楼の頂上から飛び降りてしまう。

マデリンの転落は事故と処理され、エルスターは彼を慰めながら自分はヨーロッパへ行くと告げる。自責の念から精神衰弱へと陥り、マデリンの影を追いかけ続けるスコティはある日、街角でマデリンに瓜二つの女性を発見する。

追いかけると、彼女はかつてマデリンの通っていたカルロッタの旧居のアパートに住むジュディという女だという。スコットはジュディとデートの約束を取り付けるが、ジュディは自責の念にかられる。知らないフリをしてはいるが、スコティに「マデリン」として会っていたのは誰でもない彼女自身だったからだ。高所恐怖症のスコティを利用して、エルスターの妻殺しという完全犯罪に加担していたのである。

ジュディはスコティの狂気じみた要望に素直に応え、洋服、髪型、なにもかもをマデリンと同じにし、死んだはずの「マデリン」へと次第に変貌していく。

ジュディとスコティはいびつな愛を育もうとするが、ある時二人でデートにいく際、その愛は破綻を迎える。ジュディのたのみでスコティが首にかけようとしたネックレスは、マデリンがカルロッタのものとして身に付けていたネックレスそのものだった。真相がはっきりと見えてしまったスコティはジュディを、マデリンが転落した教会へと連れて行き彼女を問い詰める。高所恐怖症も忘れ、鐘楼の頂上でジュディに迫るスコティ。しかし、そのとき暗がりから突然現れた影におびえたジュディは、バランスを崩してマデリンと同じように転落する。絹を裂くような悲鳴。

スコティは、呆然としてその鐘の音を聞いているばかりだった。


___________________________

ヒッチコックはこの作品をゴシック・ホラーに仕立て上げようと、19世紀の風景が数多く残るサンフランシスコに舞台を設定した。ジミー・スチュアートがキム・ノヴァクを尾行する前半部分がロジャー・コーマンなどの恐怖映画における導入部分を思わせるのはそのためで、『レベッカ』における開かずの間を配したマンダレー屋敷をそのまま一つの街にスケールアップしようとした気配が感じられる。

この作品を支配しているのは、光のコントロールだ。

幻想シーンを除くとほとんど影らしい影のないこの映画においては、光が当たっているか当たっていないかのいずれかで画面設計がなされている。

書店主のポップ・リーベルがカルロッタ・バルデスの伝説を語る場面では、雨雲が近づいていることを表現するために照明をどんどん落としていくという古典的な手法を敢えて使っていて、この場面も、重要なのは「暗くなること」でなくて「光が消え去っていくこと」と考えると納得がいく。

この映画は、平凡で先の見える人生を送っていたジミー・スチュアートの刑事が、ある日突然妖しい光彩を放つ女性に出会い、その光が失われることに神経質になっていく作品なのだから、光のコントロールは見事に作品の性格を表現していて完璧である。

キム・ノヴァクを象徴する光は、グリーンのセロファンをライトの前に置いた暗い緑色がメインになっているのだが、これは死や墓穴を象徴するカラーであるというのは有名な話だ。

この場面に始まる、一連のキム・ノヴァクを昔死んだ女そっくりに仕立て上げていくジミー・スチュアートの行動は、屍姦を意味しているのだとヒッチコックは語っている。

ジミー・スチュアートの行動は、まさしく死んだ女を「死者の中から」呼び覚ますものなのだろう。だから、墓穴の緑が失われた女の記憶を呼び覚まし、別の女の髪をブロンドに輝かせるのである。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/mizutami/vertigo.htm

本作に対しては一つの大きな疑問が提起されているのです。それはこの映画の後半部全体が、主人公スコティの夢の中の出来事ではないかというものです。

<一年後・・・?>

 精神病院のシーンを最後に前半部が終了し、後半部の展開がサンフランシスコの大パノラマで幕を開ける時、その俯瞰の映像には、普通なら映し出されるであろう「数ヶ月後」、もしくは「数年後」を表すテロップが表示されないのです。(およそ三十分後に発せられるスコティの台詞から推測するに、正確には「一年後」だと思われます。)

 これはその直前のシーンにおいて、「彼はどのくらいで治るでしょうか?」と問うミッジに対する、医師の「数ヶ月か、もしくは数年か、全く見当が付かない」という返答が説明になっていると考えて、安易なテロップを省略したのだと解釈する事も出来るのですが、もう一つの疑問の方は、そう簡単には片付きません。

<ミッジの不在>

 スコティの事を気遣い、あんなにも親身に接していたミッジを演じるバーバラ・ベル・ゲデスが、後半部からは全く登場しなくなってしまうのです。
 スコティとミッジが以前に婚約していたという事実も語られていますが、ミッジが今でも彼を愛している事は一目瞭然です。観客は彼女の嫉妬に狂う様子さえ目にする事が出来ます。彼が入院している病院にも足繁く通うミッジ。そんな彼女がスコティの事を見捨てて、突然どこかに消えてしまうものでしょうか?

 実はこの疑問に対する答えは、ミッジ自身の口から語られていました。病室において、放心して椅子に腰掛けているスコティに向かって彼女は言います。

「私がここに居る事も分からないのね」

 そう、スコティの世界からはミッジは居なくなってしまっていたのです。

彼の「世界」の中には、巨大な「マデリン」という存在があるのみです。ミッジはその「存在」ではなく、彼女自身の「不在」を強調するために、映画の前半部おいて、あんなにも観客に印象付けられていたのです。そして、その不在がほのめかすものは、上記した「夢説」に他ならないのです。

 おお、なんという巧みな脚本でしょうか! そしてなんという悲しい物語でしょうか! ミッジは居なくなったのではありません。今でも変わらずスコティの病室を見舞っているのです。

 そう考えると、後半部の始まりにテロップが表示されなかった事にも合点がいきます。あれは「数ヶ月後」でも「数年後」の出来事でもないのです。映画はあの画面の暗転を境に、スコティの夢の世界に突入したのです。


 大パノラマ直後のスコティの登場場面のカッテイングにも違和感を覚えたものですが、あれも夢の感覚の表現だと考えれば納得がいきます。

 普通ならこうした「場所の移動」を行った場合には、車から降りる映像やバス停の前を歩いている映像などから始めて、「到着」の感覚を表現するものです。しかし、本作ではカメラが上から下に振られると、スコティがその場に立ち尽くしていて、まるで彼が街の中に忽然と出現したかのように感じられるのです。彼はあの瞬間、夢の世界に足を踏み入れたに違いありません。

<夢と贖罪>

 愛する人を見殺しにしてしまったという罪の意識に苛まれ、現実を受容できなくなったスコティは、その夢の中で、不幸な現実を犯罪物語に仕立てて自らを贖罪すると同時に、マデリンの死を否定するのです。

 でも、本当は彼にも分かっているんです。もう彼女が戻らないという事が。それ故に、最後には、自らが作り出した「マデリン」のイメージを、彼は破壊してしまうのです。

 ラスト、高所恐怖症を克服したスコティは塔の上からマデリンの死体を見下ろしています。彼が克服しようとしたのは高所恐怖症などではなく、「マデリンの死」だったのです。
http://www.h7.dion.ne.jp/~eiga-kan/Vertigo.htm


57. 2015年12月23日 16:30:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[440]

日本人のアニマを表現した映画もありますね:


世にも奇妙な物語 − 時の女神
https://www.youtube.com/watch?v=27jJHEucztc


58. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 16:36:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[441]

これも日本人のアニマを表現した作品

夏目漱石 夢十夜 第一夜

 こんな夢を見た。

 腕組をして枕元に坐すわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。

女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくの柔やわらかな瓜実うりざね顔がおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。

しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。

自分も確たしかにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗のぞき込むようにして聞いて見た。

死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開あけた。大きな潤うるおいのある眼で、長い睫まつげに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸ひとみの奥に、自分の姿が鮮あざやかに浮かんでいる。

 自分は透すき徹とおるほど深く見えるこの黒眼の色沢つやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍そばへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。

 じゃ、私わたしの顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。


 しばらくして、女がまたこう云った。

「死んだら、埋うめて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。
そうして天から落ちて来る星の破片かけを墓標はかじるしに置いて下さい。
そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢あいに来ますから」


 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。

「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。

それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。

――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――

あなた、待っていられますか」

 自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、

「百年待っていて下さい」

と思い切った声で云った。

「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」


 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸ひとみのなかに鮮あざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩くずれて来た。

静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。

長い睫まつげの間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。


 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。

真珠貝は大きな滑なめらかな縁ふちの鋭するどい貝であった。

土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿しめった土の匂においもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。

 それから星の破片かけの落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間まに、角かどが取れて滑なめらかになったんだろうと思った。抱だき上あげて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。


 自分は苔こけの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石はかいしを眺めていた。

そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。

それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定かんじょうした。

 しばらくするとまた唐紅からくれないの天道てんとうがのそりと上のぼって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。

 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔こけの生はえた丸い石を眺めて、自分は女に欺だまされたのではなかろうかと思い出した。

 すると石の下から斜はすに自分の方へ向いて青い茎くきが伸びて来た。

見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。

と思うと、すらりと揺ゆらぐ茎くきの頂いただきに、心持首を傾かたぶけていた細長い一輪の蕾つぼみが、ふっくらと弁はなびらを開いた。

真白な百合ゆりが鼻の先で骨に徹こたえるほど匂った。

そこへ遥はるかの上から、ぽたりと露つゆが落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴したたる、白い花弁はなびらに接吻せっぷんした。

自分が百合から顔を離す拍子ひょうしに思わず、遠い空を見たら、暁あかつきの星がたった一つ瞬またたいていた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html


59. 2015年12月23日 18:39:59 : 2TKbgnjy2M : 7ILzsKOP28k[3]
寝ぼけた記事だ。一部を除き、白人はほとんど醜い。白人が美しいなんてどういう視力しているのですか?

60. 2015年12月23日 20:28:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[449]
>>59


白人の方が平均値が高いというだけ:


厳選 海外美女画像
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/526.html

西洋の美女(100人に1人のレベル)

シルビア・クリステル
http://www.o-japan.com/?q=%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%A4%AB%E4%BA%BA

日本の美女(1000人に1人のレベル)

天国と地獄の美女/江戸川乱歩「パノラマ島奇談」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-36vlEFSf08  

あべ静江 ゆらめき 
http://www.dailymotion.com/video/x9v8e1_yyyy-yyyy_music

水野真紀
https://www.youtube.com/watch?v=27jJHEucztc



61. 2015年12月23日 21:12:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[451]

因みに、日本女性も劣化の早さは白人と変わらないからね:


絶世の美女 あべ静江の現在
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%82%E3%81%B9%E9%9D%99%E6%B1%9F&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjj2YGo-fHJAhXiJ6YKHd0QCeEQiR4IgAE&biw=1114&bih=648#imgrc=mEZ5mL_RJDl7NM%3A


絶世の美女 叶和貴子の現在
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%82%E3%81%B9%E9%9D%99%E6%B1%9F&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjj2YGo-fHJAhXiJ6YKHd0QCeEQiR4IgAE&biw=1114&bih=648#lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&q=%E5%8F%B6%E5%92%8C%E8%B2%B4%E5%AD%90



62. 2015年12月23日 21:25:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[452]

ナタリア・クチンスカヤ

1968 Olympics gymnastics Natalia Kuchinskaya floor exercise
https://www.youtube.com/watch?v=Kxpl6BzYJ5o

Natalya Kuchinskaya Coaching in Japan 1991
https://www.youtube.com/watch?v=607WpP021K4


63. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月23日 21:58:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[453]

メリー・ホプキン - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=Mary+Hopkin&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjD3eKugfLJAhWl2aYKHUhOCasQiR4IcQ&biw=1114&bih=648

THOSE WERE THE DAYS MARY HOPKIN
https://www.youtube.com/watch?v=2KODZtjOIPg

Mary Hopkin - Those Were The Days - 1968
https://www.youtube.com/watch?v=y3KEhWTnWvE&list=RDy3KEhWTnWvE#t=43

Fields of St. Etienne - Mary Hopkin
https://www.youtube.com/watch?v=s2UX7_kpNHg


64. 2015年12月24日 08:33:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[457]

Those Were The Days _ 『forever and a day』 は何を意味するのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/487.html

65. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 11:17:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[459]

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コーカソイドの白い肌、青い目や金髪は中東・中央アジアのネアンデルタール人の形質を受け継いだものだった

30-4. ネアンデルタール人と人類の祖先たち(猿人、原人、旧人)rev.5
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-4.htm


我々現代人はネアンデルタール人と交配をしており、1−4%の遺伝子を受け継いでいることは間違いなさそうです。しかし遺跡はユーラシア大陸(特にヨーロッパ)でしか発掘されないため(シベリアで発見されたデニソワ人はネアンデルタール人の亜種のうちのアジア型の一つでしょう)、我々日本人はネアンデルタール人の情報にかなり うといようです。

  そこでEupediaで最新情報を掲載しているので、翻訳転載しましたのでご参考にして下さい。訳は専門ではないため下手なので気になる方はEupediaをお読みください。
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ネアンデルタール人は実際はどのような人間だったのか、そして私たち現代人は彼らから何を受け継ぎましたか?

現代人はネアンデルタール人の形質を伝えていますか?


  ネアンデルタール人は、一連の誤解を呼び起こし続けたつまらない間違ったイメージで、長い間苦しみました。   

最初の骨格がベルギー(1829)、ジブラルタル(1848)およびドイツ(1856)の中で発見された後すぐに、ネアンデルタール人と名付けられましたが、当時の科学者達は人間的ではないと主張しました。   彼らは、ネアンデルタール人がある種の獣のような霊長類(現代人よりもゴリラあるいは雪男に近い)と想像しました。

  近東と中央アジアは別として他の大陸で見つからないヨーロッパのこれらの初期の住民が、実は他の何よりも非常に私たちに似ているように見えました。

  チューリッヒ大学人類学研究所による、ジブラルタルで発掘されたネアンデルタール人少女の復元像がこれです。

出アフリカした現代人にはネアンデルタール人の遺伝子が受け継がれている。

  科学界においていまだ広範囲で最も根深い誤解は、ネアンデルタール人は現代人にどんな貢献もせずに絶滅した、ということです。   ネアンデルタールと現代のヨーロッパ人の間の形態的な比較は、ネイティヴ・アフリカンの間では見つからないユニークな身体的な特徴(下記参照)で、著しい類似点を容易に明らかにしています。

  2010年に完成したネアンデルタール人・ゲノムの配列は、ヨーロッパ人だけでなくネイティヴ・アフリカン以外の今日の人類は全員、ネアンデルタール人のDNAを2-3%継承していることを明確に証明しました。


  *注;純粋なネイティヴ・アフリカンとは、出アフリカをしなかったY-DNA「A」と「B」及び mtDNA「L3」以外の「L」のことです、

同じアフリカンでもY-DNA「E」は出アフリカ組なのでネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいます。

   ほとんど全てのアフリカの民族・部族には出戻り組のY-DNA「E」が支配階級及び人口強者として混血しています。ということは純粋なネイティヴ・アフリカンの人口は極めて少ないのです。

   ホモサピエンス最古の民族コイサン語族(Y-DNA「A」が基盤)や次のピグミー族(Y-DNA「B」が基盤)でさえもエスタブリッシュメント層はほとんどがY-DNA「E」です。

   一見同じように見えるアフリカンが良く見ると、顔つき・体つきなどかなり違うのはこの3タイプの Y-DNA(更にカメルーン周辺にはY-DNA「R1b」も含まれています)及び「L3」以外のmtDNA「L」の入り混じった交配加減による結果なのです。

ネアンデルタール人は、我々ホモサピエンスより進化していなかったのですか?

ネアンデルタール人は現代人の人種よりよりもっと多様に分化していた


  第1の誤解は、ユーラシア大陸に広く分布していたネアンデルタール人がすべて同じだったということです。   

原ネアンデルタール人が約350,000年前に最初に現われた頃、我々ホモサピエンスの先祖は900cc?1100ccの脳サイズを持つまだかなり原始的なホモエレクトス(原人)の段階でした。   

ネアンデルタール人は、その存在が考古学の記録から次第に消える24.000?30000年前頃まで、ヨーロッパ中を歩き回っていました。

  ネアンデルタール人は出現してから300,000年以上の長い時間が進化に費やされていたので、当然多くの亜種が存在していました。   そのためまだ60,000年程度でしかない現代人の人種間の違いより、最も異なるネアンデルタール人の亜種間の遺伝的な距離ははるかに大きかったでしょう。


  現生人類(つまり解剖学的な現代人)が40,000年前頃にヨーロッパに現れた時に、ネアンデルタールは進化の最も先進のレベルにありました。   1200cc〜1700ccに及ぶ頭蓋容積は、事実クロマニヨン人(旧石器時代のヨーロッパのホモサピエンス)より大きく、現代人の平均よりも10%も大きいのです。


ネアンデルタール人は前頭葉より後頭葉が発達していた

  もし脳サイズだけが全ての指標とするなら、ネアンデルタール人は私たちより賢かったかもしれません。   しかし、それが物語の全てではありません。   ネアンデルタールの頭は大部分の現代人より低いアーチ形の前頭葉前部皮質を持っていたため、意思決定や穏やかな社会的な振る舞いがあまり上手ではない(粗野だっただろう)と推測されました。

  他方、ネアンデルタールはより大きい後頭葉を持っていたので、彼らの視覚の能力(微細な区別と色の識別の優秀性を含む)が現代人のそれより確かによかったことを意味しました。

ネアンデルタール人は話すことが出来たようだ

  科学者はネアンデルタール人を、ホモサピエンスのように、話したり道具を使用するために十分な進化をしていなかったと主張して、長い間見下していました。

  それは遺伝学によって間違っていると言うことが、その後証明されました。

  非常に評判がよいネイチャー誌は、ネアンデルタール人が遺伝学的に言語能力を持っていたことを発表しました。   別の研究(D'Anastasio 2013)はネアンデルタール人が、首の中の馬蹄形をした構造に基づいて、話すことが出来ることを確認しました。


埋葬と信仰の起源はネアンデルタール人

  多くの研究は、ネアンデルタールとクロマニヨン人が同様の道具を使用し、全体として同じ技術およびライフスタイルを持っていたことを示しました。   

ネアンデルタール人とホモサピエンスの両方とも、同じレベルの感情と配慮を示して同様の装飾と共に、死者を埋葬しました。   実際、ネアンデルタール人は、ホモサピエンスが現れるかなり前から、埋葬を実行する最初のヒト科でした。


  意図的なネアンデルタール人の埋葬で最も古い証拠は、300,000年前のスペインのAtapuerca洞穴遺跡までさかのぼります。   

ウェールズのPontnewydd洞穴で見つけられた約15体のネアンデルタール人は、約225,000前の死者の丁寧な葬り方を示しています。   

もう一つの有名な例は約130,000年前のクロアチアのKrapma洞穴で、70体以上のネアンデルタール人が道具を使って、儀式的に埋められたと分かったことでした。

  宗教の最も初期の証拠も、トーテム信仰または動物の崇拝(例えば熊・信仰)の形で、ネアンデルタール人からもたらされます。

美食の起源や薬草の起源もネアンデルタール人

  多くの人々がネアンデルタール人を、日常の食物が大型獣の肉に依存したハンターとして、想像しています。   しかしネアンデルタール人は実際にはかなり多様化した日常の食物を、例えばカラスガイ、他の甲殻類(彼らの殻を開けるために暖められた)、魚、小麦と大麦(料理された)、豆類、ナッツ、果物やカモミールやノコギリソウのような苦い味の薬用植物でさえ、楽しみました。


医学の起源はネアンデルタール人

  スタンリー・フィンガーは自身の本「神経科学の起源」の中で、イラクのShamdar洞穴の70,000年の古いネアンデルタール人治癒された頭傷の証拠を示したことを、説明します。   

したがって、ホモサピエンスがさらにヨーロッパに到着する前に、ネアンデルタール人に基礎的な医学についての知識があったことはありえます。

芸術の起源もネアンデルタール人

  Joao Zilhaoら(2010年)は、イベリアでネアンデルタール人によって50,000年前の彫刻された貝殻が塗られていたことを、報告しました。   これはネアンデルタール人は宝石を使用しただけでなく、ペンキを製造することができたという最初の証拠でした。   

発見者は、ネアンデルタール人がさらに彼らの身体もペインティングしていただろうと考えています。


  世界で最も古い洞窟絵画、例えば40,000年前とされるカンタブリアのEl Castillo洞穴やスペインのマラガ近郊のNerja洞窟で見られるものは、ネアンデルタール人の作品、あるいはもしかすると初期の現性人類とネアンデルタール人の交配種(ハイブリッド)によるものと、提案されました。   

彼らがホモ・サピエンスより大きな後頭葉があったことを考えれば、ネアンデルタール人に絵画の起源を見つけることは驚くべきことではありません。そして、それは彼らをより視覚の思想家にしました。


繊維の起源もネアンデルタール人

  ネアンデルタール人は、さらにヒモ(ストリング)やロープを作ることにおいてもホモサピエンスに先行していました。私たちが知っている限り最も古い標本はフランスの90,000の年前の古い遺跡で見つかり、それはホモサピエンスより60,000年も前のことです。

ヨーロッパ人はネアンデルタール人から何を受け継ぎましたか。

東洋人の直毛はネアンデルタール人から受け継いだ形質遺伝子だったようだ

  全てのユーラシア人は明らかに、タイプ-2糖尿病およびクローン病のようないくつかの自己免疫疾患のための危険を増加させた遺伝子を含む免疫系(例えばHLAタイプ)に関係のある、様々なネアンデルタール人の遺伝子を継承しました。

  ヨーロッパ人および中東の人々がネアンデルタールから相続した身体的な特徴は、突出した眉、大きな目、強いあごと広い肩を含んでいます。   東アジア人の70%は、さらにPOU2F3遺伝子の突然変異を継承しました。それはケラチン生産に関係し、髪を真っすぐ(直毛)にする役割を果たしています。

金髪もネアンデルタール人から受け継いだ形質

  カナダの人類学者ピーター・フロストによれば、ホモサピエンスが45,000年前にヨーロッパへ行って(ネアンデルタール人と交配し遺伝子を受け継いで)いなければ、ヨーロッパの髪の色の現在の多様性のレベルを獲得するためには850,000年はかかっていたでしょう。   

これは、ブロンド(金髪)のための遺伝子はネアンデルタール人との亜種間交配で受け継がれた十分な証拠です。

白い肌も赤毛もネアンデルタール人の形質

  DNA鑑定は、ネアンデルタール人が白い肌であることを証明しました、
そして、少なくとも、若干の亜種では赤みがかった(reddish)髪もありました。

ホモサピエンスは元々黒い肌と黒い髪の毛

  ホモサピエンスは何万年の間に渡るヨーロッパ、中東と中央アジアでのいろいろなネアンデルタール人亜種との継続的な交配(雑種を生じること)することなしでは、同時に「明るい色の皮膚・目・髪」のパッケージを明らかに受け継ぐことはできませんでした。

  中石器時代のヨーロッパ人が青い目だが、黒い皮膚と黒い髪を持っていたことが確認されました。


肌の「シミ」もネアンデルタール人の形質

  いくつかの遺伝子が皮膚の色に影響を及ぼしています。   

それらの中で、皮膚の色の飽和に影響を及ぼし、しみの原因であるBNC2遺伝子は、ネアンデルタール人から来たことが2014年 Sankararaman らによって確認されました。   

それはユーラシアの全ての集団で様々な頻度で見つかっており、ヨーロッパ人で最も一般的です(ヨーロッパ人の70%はネアンデルタール人版の遺伝子の少なくとも1つのコピーを持っており、それに対し東アジアと南アジアでは40%です)。


  SLC24A5 遺伝子の突然変異は、ヨーロッパ人とサハラ以南のネイティヴ・アフリカンの間の皮膚色の変化の40%に対して責任があり、近東からの新石器時代の農民によって、そして、特に青銅器時代のポントス大草原(Pontic Steppe)からのプロト-インド-ヨーロッパ人によってヨーロッパに広められました。   

ブロンドと赤毛のための突然変異は、青銅器時代に先立つ古代のヨーロッパ人のサンプルでまだ見つかっていません。   

そうです、白い肌とブロンドか赤い髪は、ヨーロッパでよりはむしろ、起源的に中東か中央アジアでホモ・サピエンスに渡されたようです。


  明るい色の目のための遺伝子もまた、かなり最近ヨーロッパ人の中から独立して出現したというよりはむしろ、ネアンデルタール人から受け継いだという比較的高い可能性があります。   

たった1人のネアンデルタール人の標本だけが完全に配列された段階なので、ネアンデルタール人に青い目、緑色の目あるいはハシバミ目があったことはまだ証明されていません。   しかし、そのような突然変異が出現しネアンデルタール人に選択されるという統計学的な可能性は、ヨーロッパの高緯度地域で300,000年間進化したネアンデルタール人に比べ、ヨーロッパでわずか45,000年しか居住しておらず、しかも北ヨーロッパではまだ30,000年しか経っていないホモ・サピエンスより、はるかに高いです。

  しかしながら、すべてのネアンデルタール人が青い目だったわけではありません。   ネアンデルタール人はホモサピエンスより3倍も古い先祖から進化したため、歴史の短い現代人より遺伝的に非常に多様でした(青い目の遺伝子は亜種に分化してから獲得したため、全亜種が青い目の遺伝子を持っているわけではないのです)。

  もしも青い目がネアンデルタール人から本当に始まったならば、種々のネアンデルタール人集団がヨーロッパ、中東または中央アジアで数回はホモ・サピエンスに青い目遺伝子を渡すことができたはずです。   2つの主な遺伝子(OCA2とHERC2)が同時に渡されるか、もしくは同じ人々に渡されたことは認められません。

  彼らは後でヨーロッパ人に集中しただけかもしれない。   別の選択肢は、これらの遺伝子のうちの1つだけがネアンデルタールから来て、その一方で他方がヒトの中で発生したということです。

  スペインとルクセンブルグの中石器時代のヨーロッパ人は青い目のためのHERC2遺伝子変異を持っていたことが確認された(Oladera et al. 2014、Lazaridis et al. 2014)。   

この突然変異は、Y-DNA[R1a]とY-DNA[R1b]に属するProto-インド‐ヨーロッパ語族が定住したアルタイ山脈、南シベリア、中央アジア、イランとインドの亜大陸を含めたアジアの地域でも見つかっています。   

Proto-インド‐ヨーロッパ語族が中石器時代のヨーロッパ人(Y-DNA[C]、[F]と[I])と非常に異なる父の血統を運んで以来、またmtDNA[U4]とmtDNA[U5]のような非常に古い母の血統を共有するだけだったので、彼らのHERC2突然変異は共通の旧石器時代の祖先から受け継ぐことができたか、もしくは異なる2つのネアンデルタール人の集団から受け渡しされたことで、前期旧石器時代のホモ・サピエンスを分離させました。


現代のヨーロッパ人によって受け継がれるネアンデルタール人の身体的な特徴。

  今日の非アフリカ人はみなザッと同程度のネアンデルタールDNAを持っているかもしれません。しかし、最も見てわかりやすい身体的な特徴のいくつかは、現代ヨーロッパ人に、中でも特に北欧人によって継承されたように見えます。   

ここに、あなたがヨーロッパ人か西ユーラシア人の系統なら継承するかもしれなかった、ネアンデルタール人と現代人の違いを示した特徴のリストがあります。

・Occipital bun(後頭部のパン): 髪の結び目のように見える後頭骨(後頭部)の突起。

  首の後部分の耳と同じ高さの位置のすぐ上部を触って、丸い骨の存在を感じ取ることができるならば、あなたはバンを持っています。(初期のヨーロッパ人では多くみられたのですが、現代ヨーロッパ人では比較的まれになっています。)

  ←実は私はこれを持っています。これは真っ直ぐ上を向いて寝ると圧迫され痛くなり非常に困った存在で、顔を寝かせないと寝れないのです。CTやMRを撮影するときも必ず顔を寝かせて撮影してもらっていました。後頭部の部分が大きく凹んでいる枕に変えてやっと上向きのまま寝れるようになりました。


・Low, flat, elongated skull(低く平らで細長い頭): ここで重要であることは、特に、すべての東アジア人と大部分のアナトリア人、コーカサス人と東ヨーロッパ人のようなほとんど垂直に落ちている後頭部と対比した『細長い頭』です。
  細長い頭は、特にスカンジナビアやイギリス諸島、そしてイベリアで一般的です。


・Retromolar space posterior to the third molar(第3大臼歯の後部の臼歯後隙): つまり「親知らず」の後ろのスペース。

・Supraorbital torus(眼窩の上のトーラス円環面) : 突き出た眉の骨(目と眉の間で大きい深い目腔を含む)。

  ←私の禿頭の輪郭です。眉の骨が出ているのがはっきりわかります。ホモサピエンスらしからぬ後退した前頭部(Receding forehead)の形もそっくりです。何とネアンデルタール人から受け継いだ形質だったとは!気が短く怒りっぽい原因のようです。実は禿頭もネアンデルタール人の形質ではないかと疑っています。

  ←竹中直人さんの横顔ですが、東洋人のため後頭部は絶壁ですが、見事なネアンデルタール前頭部と赤マルで囲んだ部分が典型的な後頭部のバンです。最近、禿げ頭の男性の横顔をじっくりと観察するようになったのですが、ほとんど間違いなく後退した前頭部のネアンデルタール頭を持っています。こうなると禿げはネアンデルタール人の形質と言っても差し支えないのではないかと思う今日この頃です。

・Bigger rounder eyes than average: 平均より大きな丸い目。


・Broad, projecting nose(幅広い突出鼻):平均(「ギリシアの鼻」のようにまっすぐに落ちない)より上向きになっている鼻の骨の角度。


・Bony projections on the sides of the nasal opening(鼻の開始点の横の骨突起): つまり鼻とほお/軌道の間の「三角形」を作る鼻骨。


・Little or no protruding chin: ほとんどない(あっても少し)顎。

・Larger mental foramen in mandible for facial blood supply(顔の血液供給のための下顎骨のより大きなオトガイ孔): これは、横のあごと頬がより大きいか、血液が平均よりよく供給されることを意味します。
  この増加した血液供給の結果、運動をするとき、或いは天候が寒いとき、頬が赤く(顔が赤くなるように)なることがあります。

・Short, bowed shoulder blades(短く湾曲した肩甲骨):すなわち、平均より正面の方へカーブしている肩甲骨

・Large round fingertips(大きな丸い指先): 典型的な「平ら」で幅広い指、特に親指(例えばあなたの親指の幅が1.5cm以上である場合)。

  ←私は太い指で親指は2.5cmの幅があります。他の指でさえ2cmはあるほど、ぶっといのです。

・Rufosity(赤み): つまり赤髪を持っているか、あるいは赤色の斑点か自然なそばかすをともなっている茶髪。

・Fair skin, hair and eyes(白肌、金髪と明るい色の目): ネアンデルタール人は、白い肌と明るい色の髪の毛だけでなく、青色か緑色の目を持っていたと信じられています。つまり中国古典に出てくる「紅毛碧眼」です。

ネアンデルタール人は北の緯度(高緯度)でホモサピエンスより5倍も長い300.000年を過ごしてきたので、ネアンデルタール人が最初にこれらの「高緯度地適応」可能な特徴を開発しなければならなかったのは、当然であるだけです。

  ←私は3項目あてはまりました。ということは、ネアンデルタール人の形質を受け継いでいる、ということになりますが......多少気が短く、怒りっぽいという粗野な部分もあるので(だからこんなホームページで発信しているのです)、これもネアンデルタール人の遺伝なのでしょうかね!?なにはともあれ怒りっぽいのが自分のせいではなく遺伝のせいなら気が楽になります。!!

ヒトは、どれくらい速くネアンデルタール人と置き換わりましたか。

  現生人類とネアンデルタール人の交配は多分とても長引いたプロセスであったでしょう。そこにおいて、アフリカと中東からのホモ・サピエンスの安定した流入はネアンデルタール人DNAを次第に希釈したでしょう。

  考古学的な痕跡が現在まで見つからなかったほど少数ではあるが、ヨーロッパへのホモ・サピエンスの最初の移動は100,000年前という早い時期に始まっていたでしょう。

  近東または北西アフリカ(ジブラルタル海峡を通って)からのホモ・サピエンスの定期的な移動は、最終氷河期の間、中石器時代、新石器時代そして青銅器時代に生じた新しい移住の波と同じように、旧石器時代の間続いたでしょう。


  ネアンデルタール人が進化して、時間とともに屈強でなくなりホモ・サピエンスにより近くなったという否定できない骨格の証拠があります。それは少なくとも100,000年前に始まります。

  地中海のネアンデルタール人はその屈強でなくなった種類でした、彼らの北の仲間達が古いタイプのネアンデルタール人に留まっている間に、そしてホモサピエンスとの交配の可能性の最も多くの特徴を示しました。

  もしホモサピエンスと亜種間交配することがかなり早い時期に起きていたとするなら、それは南ヨーロッパで起きていたでしょう。


  旧石器時代中期(〜50,000年前)の間、ホモ・サピエンスのヨーロッパへの移動がヨーロッパのネアンデルタール人集団の遺伝子に重大な影響を及ぼすには、北アフリカと南西アジアのホモ・サピエンスの存在はあまりに小さ過ぎました。

  しかし、ホモ・サピエンスの人口が旧石器時代後期(50,000〜10,000年前頃)の間に増大したので、南東ヨーロッパで彼らの遺伝子はネアンデルタール人の遺伝子より多くなり始め、それから他のヨーロッパ地域に少しずつ増えてゆきました。

  通常的に交配が生じることが起こるならば、彼らがおよそ25,000年前に考古学的な記録から姿を消したように、結局、ネアンデルタール人らしい特徴は薄められてゆきました。

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  当ガラパゴス史観は、ネアンデルタール人は肉食の頂点捕食者で、寒冷期に大型肉食獣がいなくなることで雑食に変化できず絶滅したと考えていたのですが、もしかするとそうではなく増殖率が高かったホモサピエンスの中に増殖率の低いネアンデルタール人は自然吸収され、また交配が進み同化してしまったのかもしれません。

  また徳島大学医学部の科研費の調査研究で明らかになった、縄文人Y-DNA「D2」が持っている無精子症や乏精子症の高頻度の出現率はネアンデルタール人との亜種間交配の負の遺産ではなく、ネアンデルタール人の形質をそのまま受け継いだだけなのかもしれません。

  いずれにしても、ネアンデルタール人から受け継いだかもしれない自分の形質を考えるとネアンデルタール人は絶滅したのではなく、ホモサピエンスに自然に吸収され同化していった、と考えたいですね!


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rev.4 旧人/ネアンデルタール人の復習


これまでの欧米の研究者の報告で解っているのは;

●サハラ以南のアフリカ先住民にネアンデルタール人遺伝子は含まれていない、

●Y-DNA「C」系統の全ての現代人類はネアンデルタール人遺伝子を1−4%持っている、

●交配したのは現代人類が出アフリカした最初の移住地の中東で50000年以上前のこと,

●しかしY-DNA「DE」系統が交配したかはまだ明らかになってはいません。まだ研究がそこまで進んではいないのです。これは日本の研究者がやるべきですが、誰も関心がないようです。しかし縄文人の中心メンバーのY-DNA「D2」がネアンデルタール人との交配を経験したかどうかは極めて興味深いのですがね! 

●当時のホモ・サピエンスはネグリート、つまりアウストラロピテクスの身長140cm台を維持していた小柄な集団だった。それは今でもサハラ以南のY-DNA「A」「B」アンダマン諸島の「D*」や「E1b1」の地中海系現代人の小柄な形質に維持されている。

●ところが60万年前には既に出アフリカを果たしたネアンデルタール人は160cm~170cの大柄でがっしりした身体に進化を遂げていた

●遺伝子調査の結果、ネアンデルタール人は高緯度地帯適応を遂げ、肌色は日光を吸収しやすくなるため色素が抜け白っぽくなっていたようだ、

●髪の色は今のヨーロッパ人と同じような髪色が既に揃っており赤髪もいたそうだ。欧米の研究者はヨーロッパ人の髪の色の変化や瞳の色の変化は、ネアンデルタール人から受け継いだと考えているようです。

●女性の平均身長は150cm~155cmで小柄なのだそうです。大柄な男性が小柄な女性を好む傾向は既にこの時に現れていたようです。


    現在の報告から推測すると

小柄なY-DNA「D」「E」はネアンデルタール人とは交配しなかったか、僅かな交配しかしなかったと考えられます。

「E」にはマサイ族の様な背高部族もいるので交配した集団もいたのでしょう。

しかしY-DNA「C2」100%の古代遺伝子のニューギニア高地人が小柄で色が中間の褐色だと言うこと、Y-DNA「D」や「E」の特徴であるジャガイモ顔が「C2」には見られずいかつい顔だちであることも、ネアンデルタール人との交配を示唆しています

。つまりY-DNA「C」はネアンデルタール人と交配し、最も発現しやすい中間色の肌の色や顔だちに変化は起こったが、背が高くなるほど濃密な交配ではなかったことになります。

  またインド亜大陸で内陸に入り分化した「CF」の子ハプロタイプ「F」も小柄で褐色肌のドラヴィダ人やインド人を見ると交配したが交配度は低かったことが改めて納得できます。

一方Y-DNA「D*」のアンダマン諸島人の小柄で真っ黒な肌色はネアンデルタール人との交配が全くなかった集団だったことを示唆しているようです。


  ところが「F」から分化した「I 」は「R」がヨーロッパに入るはるか昔にヨーロッパにたどり着きクロマニヨン人となり先住民のネアンデルタール人と再会し、背が高くなるほどの濃密な交配が行われ大型化したようです。この背高遺伝子は子孫のノルマン人にしっかりと受け継げれています。

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rev.3 猿人、原人、旧人


  昨年報告された最新のアウストラロピテクスの研究で、集団間を移動するのは女性だったとわかったそうです。

異なる集団に別の集団の女性が嫁ぎ、その集団が近親婚になることを防いできたのです。

つまり本来旅をするのは女性であって男ではなかったのです。つまりフーテンの寅さんなんてのは人類本来の姿ではなくフーテンの寅子さんが正しいのです。

  このことは重要なことで女性が集団を移動することで先ず女性に発現した新たな遺伝子も移動し拡大してきたのです。この女性が移動をするのは人類と一部のチンパンジーのみの特徴だそうです。本来人類の証だった行動様式だったのです。

ともかく猿人も原人も旧人も全てアフリカ大地で生まれここからユーラシア大陸に拡散をしてゆきました。何故アフリカ大地が人類の故郷なのかは簡単で、そこに猿が住んでいて、類人猿に進化したからです。そして樹上から降りても食べて行ける広大な草原と食料の小型獣がたくさんいたからです。700万年以上もかかって進化する間、絶滅せずに進化を支える環境がアフリカにだけ整っていたからなのです。


  原人には北京原人や、ジャワ原人など絶滅した祖先がいましたが、現代人(新人)と遺伝的な関係は知られていません。可能性は否定されてはいないようですが、遺伝子に証拠はまだ見つかってはいません。遺伝子の得られる状態の化石が出土していないのと時代差があり過ぎるのです。

  一方、最近の研究では我らホモサピエンス(新人)の先輩である旧人(ネアンデルタール人)が出アフリカを決行したのは60万年前頃だろうとされています。

当然ですが原人も旧人も二本足の肉食者で食物連鎖の捕食者の地位にありました。

  特に旧人(ホモネアンデルターレンシス)はヨーロッパ大陸の頂点捕食者だったようです。そしてそれが絶滅した理由になってしまったそうです。

我ら新人(ホモサピエンス)はネアンデルタール人と抗争をして勝ったわけではなく、寒冷化してきた欧州やユーラシアア大陸で氷河が拡大し、獲物となる食用獣類がいなくなったためネアンデルタール人は食糧難に陥り、自滅してしまったようなのです。これが欧米の最新の研究だそうです。

  そしてネアンデルタール人は遺伝子研究の結果、現代の欧米人と同じ赤髪碧眼(金髪もいたそうです)だったそうで、アフリカから高緯度の地域に移住し数十万年も居住していたため高緯度地適応し肌は色白で、いかついソース顔だったそうです。

赤髪碧眼も高緯度地適応の結果だったそうです。

現代人は誕生したアフリカ大陸からユーラシア大陸に移住しまだ6-70000年しか経っていないのですが、ネアンデルタール人が数十万年掛けて手に入れた形質を既に獲得していますが、それは何故でしょうか?


  旧人の中で我ら現代人と交配し遺伝子をホモサピエンスに残したのはネアンデルタール人と中央アジアで見つかったデニソワ人のみだそうです。

デニソワ人が何者かはまだ詳しくはわかってはいませんが、ネアンデルタール人は中央アジアでも化石が発掘されるので、ネアンデルタール人の地域型(シベリア型)ではないかと考えられます。

  ネアンデルタール人の親子(左図)と復元顔(右の左)とよく似たミュージシャンの顔です。

ネアンデルタール人が出アフリカ後60万年掛けて獲得したいかついソース顔や赤髪を現代人はたった6万年程度で交配することで手に入れたのです。

ホモサピエンスの本来はジャガイモ顔なのです。

  しかし大きな相違点はホモサピエンスに比べてネアンデルタール人は額の上部が引っ込んでいることです。この特徴がソース顔の現代人にもかなり見受けられます。ネアンデルタールの特徴です。


  左図はネアンデルタール人の少女の復元だそうです。
金髪に碧い眼、つまり金髪碧眼で白い肌です。

この高緯度地適応の特徴もホモサピエンスはネアンデルタール人から交配の結果短期間で手に入れたのです。

ホモサピエンスの出アフリカご6万年程度ではこの特徴を手に入れることは難しいのだそうですが、「交配」はそれを簡単に実現したらしいです。

絶滅寸前期のネアンデルタール人は現代人類の中欧/北欧人と良く似ていたと思われます。ヨーロッパ大陸の頂点の肉食捕食者であったことが不幸にも彼らを絶滅に追い込んでしまったと言うことのようです。

ネアンデルタール人は、肉食で捕食者であったことが報告されています。自己啓発で読んだ「捕食者なき世界」と「想像するちから」を元に人類史を振り返って見たいと思います。   「捕食者なき世界」や「想像するちから」の本を読むと、

  人類の祖先は、アフリカの乾燥化に伴い森林がどんどん減少し生活の場だった大森林地帯が縮小し飛び飛びに点在する小さな森林になってしまい、木の実などを食料としていた樹上に暮らす草食の「人類とチンパンジーの共通の祖先」の生活が非常に脅かされるようになったことが引き金になり

  一部の「共通の祖先」が食環境の改善を目指し思い切って樹から草原に降り立つという冒険に挑戦したらしいのです。

  当時の「共通の祖先」はライオンなどの大型ネコ類やワシ・タカなど猛禽類の「捕食者」から「食われる側」の存在だったそうです。しかしいつの時代にも冒険者はいるらしくそのような「捕食者」たちの狩を見ていた「共通の祖先」は、乏しい食環境を改善するために「肉」を食べるしかないと大型捕食者たちの真似をし、捕食者が食べる小型動物を狩るようになったそうです。

  それまで「共通の祖先」は霊長類がかつて「四手類」と呼ばれたように、四本の手を使い不自由なく木の実を採取する樹上生活を行ってきました。必要があり樹から降りた時には「後ろ手」で立つことは出来ましたが、草原を自由に歩行できた訳ではありませんでした。このため大型捕食者から素早く逃げられたわけではなく、「後ろ手」は次第に素早い移動に便利な「足」に進化したと考えられているようです。このとき引き換えに自由に樹に登れる能力を失ったのです。

  「想像するちから」によると、それまでの「共通の祖先」は動物特有の敵を瞬時に見分ける直感力を持っていたそうですが、草原に降りる生活を選択した時にはより早く敵の来襲を察知するためには複数の目・耳の方がより安全で、倒した獲物を素早く解体し持ち帰るにも複数のほうがよく、だんだんと家族・近親者で行動することを覚えたのだそうです。そして危機を全員に素早く知らせるために「言葉」を発する能力を獲得したのだそうです。

  ということは、当方と違って直感の鋭い人は現代人になりきっていないのです..かな!

  このとき引き換えに動物としての直感力を失ったそうですが、その原因は2つの能力を同時に持つほど能が十分に発達していなかったためだそうです。

  ということは直感の鋭い人は脳が人一倍発達している進化した新人類かも知れません!

  樹から降りた「共通の祖先」は度胸はあってもパワーがなくひ弱で大型捕食者のように追いかけたり待ち伏せし隙を狙って飛び掛り一撃で倒すタイプの狩ではなく、現在コイサン族が行っている狩のように、狙った小型動物をとことん追跡し追い詰め弱って動けなくなったところを棍棒や石で殴り倒すというやり方で肉を獲る狩を覚えたと、本の著者は説明をしています。つまり草原に降り立った「共通の祖先」はこうして「人類の祖先」アウストラロピテクス=猿人に進化を遂げたようです。

  このアウストラロピテクスやコイサン族の長い距離を走りながら獲物を追いかける能力、つまりマラソン能力は人類の持つ本能だそうです。だから100mのボルトもすごいけど、マラソンの方がもっと大好きなのは当然のことなのです。ひょっとすると現在マラソン界を席巻しているケニヤ人やエチオピア人より、コイサン族の方が今でも狩人なので早いかも知れませんねぇ!ニカウさん、走らないかなあ!では日本女性がマラソンに強いのは何故?コイサン族の女性が走るともっと早いのかな?

  アフリカ系はなんで長距離も短距離も早いんだろうか??

  [捕食者なき世界」では草原に降り立った「共通の祖先:草原派」はまだ樹上の「共通の祖先:樹上派」と長い間交配をしていたことを明らかにしています。恐らく200万年間ぐらいは「草原派」と「樹上派」は亜種程度の違いしかなくお互い交配し遺伝子の交換が起きていたことがわかったそうです。

  これは言い換えると「後ろ手」が「足」に完全に進化しきるのに200万年掛かったということなのでしょう。しかしその200万年を経て草食だった「共通の祖先」は背筋が伸びた二本足歩行を完璧に身につけたアウストラロピテクスという二本足の新参者の捕食者、つまり猿人という肉食者に進化し人類への道を正式に歩み始めたようです。

  こうして「猿人」と呼ばれる肉食者に変貌した人類は、「想像するちから」によれば生きた小型動物が捕獲できないときには、ハイエナのように大型捕食者が食べ残した残りの死肉や、大型動物が倒した獲物を横取りすることで徹底して「肉を食べる」ことにこだわった結果、ホモハビリスに進化した頃には脳の大きさは2倍の800ccに飛躍的に増大したのだそうです。まさに食うか食われるかの環境を脳の知力で生き抜いてきたのが祖先だったのです。

  しかしこの食うか食われるかの記憶は遺伝子にしっかりと埋め込まれ、その後の人類の「さが」になっているそうです。だから現代でも脳細胞が活発に活動するには動物性のタンパク質が絶対に必要なのです。ベジタリアンは「人類」であることを否定する新しい動物なのです。そうして更に何百万年も経ち原人に進化した頃には肉食のおかげで人類の脳は1200ccを超えるほど大きくなったのです。現在でも人間の赤ん坊とチンパンジーの赤ん坊の脳の大きさは変わらないそうですが、その後の成長過程で圧倒的な差が付くのだそうです。

  さて約60万年前ごろになると原人の一部はアフリカを出てヨーロッパから中央アジア近くまで進出していたようです。そして新しい環境で旧人に進化した人類はネアンデルタール人と呼ばれ、肉食のおかげで体も大きくなり肉食の捕食者として圧倒的な存在になっていたようです。

そのころホモサピエンスはまだ出現してはおらず、アフリカには移動しなかった原人集団が残っていたようです。


  ネアンデルタール人は約13万年前頃に完全形に進化したと考えられているようですが、

  その少し前の15万年~23万年前ごろにアフリカに残っていた原人集団に「ミトコンドリアイヴ」と後に呼ばれるようになった全ての現代人類のたった一人の祖先である母が誕生しました。父の「Y-DNAアダム」が誕生するのはもう少し後で6万年~9万年前頃のようです。つまり母の出現の方が早かったようです。

  先ず進化した新しい母親が現れ、その進化した遺伝子を受け継いだ子供たちが誕生し、進化した遺伝子を持つ女性も男性も充分な人口になった時に、新しい遺伝子を持つ男女同士の交配により新人のホモサピエンスが確立していったのだそうです。

ところがその後アフリカは大干ばつになりサハラの草原は現在に続く不毛の砂漠と化し、新人は一時2000人くらいに減少し絶滅危惧種に陥り ある集団が新天地を求めて60000年前頃出アフリカを決行したのです。

勿論出アフリカせずに南下し残っている森林地帯に逃避した集団もありました。後のコイサン族やピグミー族の祖先です。つまりその後の人類が得た進化を一切放棄した集団だったのです。そのため一切の進化が止まり50000〜60000万年前頃のまま今まで生きてきたのです。


  さて出アフリカしたまだ小柄で真っ黒な肌の新人集団は中東地域で進化した先住民のネアンデルタール人と遭遇したようです。

ヨーロッパからアジアに拡がっていたネアンデルタール人は高緯度地域適応を遂げ、肌色は白っぽく髪も今のヨーロッパ人と同じような髪色が既に揃っており赤髪もいたそうです。

欧米の研究者はヨーロッパ人の髪の色の変化や瞳の色の変化は、ネアンデルタール人から受け継いだと考えているようです。


しかし大問題はその後の寒冷化でした。

  ヨーロッパの北部は完全に氷河に覆われ南部も寒冷地と化し食料であった動物はすっかりいなくなり、干ばつのアフリカ・サハラの大地で生きるためにどうやら雑食性になっていたホモ・サピエンスはなんとか生き延びられたものの、肉食捕食者だった大柄なホモ・ネアンデルターレンシスは食べる動物がすっかりいなくなり2万4000年前頃とうとう絶滅したのだそうです。

欧米の研究者によると大柄でがっしりしたネアンデルタール人の生活に必要なカロリー数は小柄で貧弱なクロマニヨン人より350Kcalも多く必要だったことを報告しており、まさにこれが絶滅の原因だっただろうと説明しています。


  結局、肉食化することで飛躍的な進化を続けた人類は雑食になることで気候変動を乗り切り生存競争に勝ち残ったのです。

  そして更に時代が下がり9000年前ごろにメソポタミア文明が農耕を開始し、現代人類は自然から食料を調達する狩猟・採集の形態から本格的に食料を生産する現代人に進化したのです。この農耕の発明と農民の出現は人類史上の最大の出来事の一つと言っても過言ではありません。食料は「自然から調達」するだけではなく「自ら生産」するものへと変わったのです。この農耕を始めたのはセム系種族と考えられています。当時のヨーロッパはまだ遅れた土地だったのです。

  しかしそれでも人類は狩をする捕食者=攻撃者としての地位を捨てることはなく、遺伝子に埋め込まれた「食うか食われるか」の記憶は、平和な時には大型動物の無意味なハンティングとなり、不安定な時代では自分の生きる環境を守るために相手を攻撃する戦争を引き起こしてしまうのだそうです。   

「捕食者なき世界」によれば、この何百万年続いた遺伝子に埋め込まれた「食うか食われるか」の記憶が無くなることはないようです。従って攻撃者の象徴である鉄砲を所持することを止めるのは理性で抑えるしかなく、戦争も理性で抑えなければならないのだそうです。それだけの進化した知能を持っているはずなのだそうですが、それにしては暴力沙汰が好きな粗野・粗暴な人が多いのはどうして?
理性度にはバラツキがあるからなのでしょう。


  動物学者や人類学者の調査で、動物の中で女性がグループや部族などの集団を離れ、他の集団に嫁入りするのは、同じ先祖から分岐したチンパンジーと人類だけだそうです。

これだけを見てもあらゆる動物の中でチンパンジーを観察することは人類の研究に役立つことがはっきりと言えるそうです。同じ先祖から分かれたため基本的な行動様式は全く同じだったのです。しかも分化した最初の200万年間ぐらいは現代チンパンジーの祖先と現代人類の祖先はまだ交配をしていたと研究で明らかになりつつあります。それほど近かったのです。ちなみに日本の法律ではチンパンジーの数え方は人間と同じ「〜人」だそうです。


  枯渇してきた森林の樹から降りてサバンナや草原に降り立ち二本足で立ち、大型肉食捕食獣と対抗し、自ら二本足捕食者に変わったのがオーストラロピテクスです。そして肉食になることで脳が一気に大きくなり、道具を持ち、大型捕食獣に対抗するため集団狩りを覚え集団を生かすため言葉を覚え、話すために脳のエネルギーを思い切り使うため、樹に登る才能を捨て、その代わりにどんな動物よりも長い距離を走りながら/歩きながら移動する長距離移動能力を身につけ、狩りをおこなう技術を開化させて言ったのだそうです。

  約200000年前に、現代人類ホモサピエンス・サピエンスの母「ミトコンドリアイヴ」がアフリカの大地に出現し、現代人類の祖先はどう変わったのかは、まだ全く説明されていません。それから50000−60000年ぐらいも経った140000年前頃にようやく現代人類の父「Y-DNAアダム」が生まれたそうです。それから更に70000−80000年経った灼熱化したサハラ砂漠を脱出し、出アフリカを果たしたのが我々に祖先になります。

  その飢餓の危機の時に南の住みやすい環境に逃げることを選択し、出アフリカせずにアフリカに留まった現代人類の仲間は、良し悪しは別にして、近代化することなく古代のまま現在に至っています。

かつての原人(たとえばホモエレクトス:北京原人)や旧人(ホモサピエンス・ネアンデルターレンシス:ネアンデルタール人)など過去の人類は全て出アフリカしユーラシア大陸に広く分布しましたが、我々の祖先もアフリカの南に安直に逃げることを選ばず、過去の人類と同様ユーラシア大陸に活路を見出してくれたおかげで、また肉食にこだわらず、飢餓から雑食に転向し(肉食にこだわり絶滅したのがネアンデルタール人です)、更に脳細胞を活性化することができたのでしょう、こうして今現代人類として繁栄!?しています。


  そして過去の人類集団の中心はいつも女性でした。女性が集団を移り新しい遺伝子を広げていったのです。結果として男性も新しくなってゆきましたが、当初男性が変わるまで50000年もかかったのは驚きです。男は変化しにくいのかもしれませんね。遺伝子が頑固なのか馬鹿なのか。Y-DNAは変化しにくいのかもしれません。

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rev.1 最近の人類史からまとめ

  人類がチンパンジーと「共通の祖先」として、樹上で木の実を食べるつつましい食生活を送って居たのは大雑把にたった600-700万年前頃だそうです。長い生命の歴史から見ればつい最近のことだそうです。このため人類とチンパンジーの遺伝子は分化した後でも数%しか違わないほど今でも近いのだそうです。

  進化はいつでも突然やってくるのではなくキッカケがあるそうです。アフリカの潤沢だった共通の祖先が暮らした森林がだんだん狭くなりサバンナ化し始めたのだそうですが、結局充分な木の実を確保することができないくらい共通の祖先の居住環境が狭くなり悪化してきたことが、人類の誕生の理由だそうです。突然変異で歩き始めたわけではありません。どの時代にも冒険者はいるもので、恐らくある集団のリーダーが当時の頂点捕食者のライオンや猛禽類などの肉食鳥獣の狩りを樹上から見ていて肉を食べる決心をしたのでしょう。

  サル類は動物分類学では一昔前「四手類」と呼ばれていました。つまり足はなく前手と後ろ手の4本の手で樹上を移動していたのです。当然ですが、今のチンパンジーやゴリラの歩き方はぎこちないのですが、当時の祖先もサバンナに降り立った当時はぎこちなくあるいていたのです、化石を調べた結果では、残念ながら頂点捕食者のマネまねをして肉食になるどころか頂点捕食者に襲われ食料にされることもあったそうです。猛禽類の歯の跡がついた頭蓋骨の化石が出土するそうです。

  でもそこは動物の中で一番大きい脳による頭の良さで乗り切りながら家族を増やし、ていったそうです。最近の研究では人類とチンパンジーの「共通の祖先」から「樹上派」と「草原派」に分かれた後も200万年間ぐらいはお互いに通婚・交配していたことが遺伝子からわかってきたそうです。なぜなら、草原に降り立った祖先の数は少なくそのままでは当然絶滅するか、生き延びても近親婚となり丈夫な子孫を残すことができません。このため少しづつ冒険心のある男女が草原に降り立ち少しづつ集団は大きくなってきたそうです。

  その200万年の間に画期的なことが起きました。1つは狩りをするために動きやすい「足」の獲得です。「後ろ手」が獲物を追ってまた逃げるために歩き・走りやすいように「足」化したのです。そのかわり木に登る能力を捨てたのです。この祖先は獲物を追って何処までも追いかけ獲物は疲れて倒れたところを石や棍棒で殴り倒したのです。

このやり方は現代でもブッシュマンと呼ばれるコイサン族の狩りの仕方です。何十kmも追いかけるのです。つまり人類はもともと長距離ランナーだったのです。この能力は今でもアフリカ系の現地人に強く受け継がれていますが、基本的に全人類に備わっていた能力だったのです。

獲物が取れないときには頂点捕食者の残した死肉をあさったようです。それでも下痢などを起こさないような耐性を獲得していたようです。この耐性は現代化するのに連れて失ってきた特性です。


  このようにして共通の祖先「草原派」は二本足の肉食捕食者に進化をしたのです。勿論かなりの頻度で食べられる側でもあったのですが....。この時の何百万年続いた「食べられる恐怖」が人類の脳の奥深くに植え付けられシンドロームとなり、人類は銃というまたとない武器を手に入れたため今でも無意味な狩りをおこなってしまうのだそうです。脳のなかからこのシンドロームが消えない限り人類は無益な殺生をやめることはできないそうです。ということまで現在の研究はわかってきているそうです。


  肉食化することで得た最も大きな変化は「脳」の増大です。
人類は肉食に変化することで「大きな脳」を手に入れたのです。

これは画期的な変化で文字通りの「進化」でした。脳を維持するためには莫大なエネルギーを必要としますが、それは肉食になることで脳を増大させてきたからなのです。従ってベジタリアンは人間であることを拒否していることになります。

人間は老齢になっても脳の働きを保つために肉を食べる必要があるのです。年をとったら肉を食べないと言うのは人類の進化に対する冒涜になります。ただし雑食になることでネアンデルタール人との生存競争に勝ち抜いたホモサピエンスは一方草食でもなければならないのです。つまり充分な肉と充分な穀物・野菜を食べることが人類の活動に取って大切なのです。


  脳の増大で得た人類の基本的な能力が「言葉」によるコミュニケーションです。

言葉を手に入れる前の人類は草原に隠れた相手が、また動いた動物が食糧か敵対する肉食獣か瞬時に見分ける能力を持っていたそうです。

直感力が極めて鋭く、この能力も生き抜くために重要な力でしたが、当時の祖先は脳の発達がまだ十分ではなく「言語能力」と「直感力」を併せ持つことはできなかったと研究者は説明しています。

結局、狩りをするには、狩る役、見張り役や狩った動物を解体する役、運ぶ役など集団の方が適しているため、集団内のコミュニケーションを行うために「増大した脳」が使われ、「直感力」は失われていったようです。見張り役がいれば瞬時に相手が敵か食料か自分で見分けられなくてもよいのです。


  現代人には直感力は本来備わってはいないのですが、直感力クイズなどで直感が鋭い人が時おりいますが、人一倍脳が大きいか、先祖がえりをしたのかもしれませんね!


  こうして人類の祖先である「共通の祖先」の「草原派」は長距離走に適した「足」と、「増大した脳」と「言葉によるコミュニケーション力」を手に入れ400万年前頃にアウストラロピテクスという「猿人」に進化したのです。

  ここまで進化するともはやチンパンジーの祖先となった「樹上派」との交配は異種間交配になり、子孫を残すことはできません。

左図はアウストラロピテクスの最近の復元像だそうです。やはりまだ二本足でしっかり立ったチンパンジーという感じですが、現在のチンパンジーより知能は既にかなり発達しているのだそうです。

でも猿人から原人に進むために更に数百万年かかっているのです。それは脳が増大するためにかかった時間と考えられます。初期人類の進化は肉食による脳の増大のことなのです。

  下図はアウストラロピテクスの化石が発掘された場所ですが、東アフリカと南アフリカです。最初のホモサピエンスはその中間の東南アフリカで誕生した野だそうです。

  一方の「共通の祖先」の「樹上派」は狭くなった森林に留まり森林の大きさに適した人数に留まりながらチンパンジーに進化しました。人類が進化したキッカケは肉食になるため草原に降り立ったことなのです。この最初に大冒険を行ったリーダーこそが人類の本当の祖先なのです。


  「想像する力」にでていた人類の進化図です。

ここでは500万年前頃にチンパンジーの祖先と人類の祖先は分化したようですが、その前700万年ぐらい前に共通の祖先がいたようです。そして共通の祖先は前述のように守旧集団の樹上派と冒険集団の草原派に別れ、そのまま200万年間ぐらいはお互いに通婚し交配を重ね草原派は絶滅と近親婚を乗り切ってきたようです。

そして500万年前頃にラミダス猿人を経てお馴染みのアウストラロピテクスに更に進化をしたようです。


  ただし人類の祖先が草原に降り立ったのは力が弱く樹上での縄張り争いに負けたからではないかという推測もありますが、恐らくその通りかもしれません。勝った方はチンパンジーになり、負けて樹上から追いだされた方は人類になったのです。どっちが良かったのかは一概には言えませんが、現状だと人類の方が良かったような気がします。


  教科書に出てくる北京原人やジャワ原人は図中のホモエレクタスに属します。

ネアンデルタール人の最新研究ではネアンデルタール人が出アフリカをおこなったのは約60万年ぐらい前だそうです。この図よりもっと古くなります。絶滅したのは2~3万年前ぐらいなのでかなり長く続いた人類の先輩だったということです。

ちなみにお馴染みのクロマニヨン人はY-DNA「I」でホモサピエンスでノルマン人やバルカン半島人の先祖です。

  最近知名度の上がったデニソワ人は原人と分類される報告もありますが、ネアンデルタール人の地方(シベリア)型ではないかと推測しています。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-4.htm


66. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 11:28:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[460]

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2015年12月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm


2015年12月17日 v10.110のY-DNAツリーがまとまりました。


2014年11月30日 v.9.129のY-DNAツリーが揃いました。

v9.9まで進んだのですが、改訂番号が一杯になったため少数点以下の桁を増やしてv9.100から再スタートしたようです。今回はツリーの亜型分類の、実に大きな「見直し」の準備段階となりました。


このY-DNAとmtDNAツリー調査をどんどん進めてゆくと、ホモサピエンスの歴史をもう少しさかのぼらなければならない新たな疑問が生じてきました。その疑問は;


  30〜60万年前頃「出アフリカ」を果たしたと考えられる先輩ネアンデルタール人に続いてかなり遅れて9万年〜20万年前頃に最後に残っていたホモエレクトスの残党からやっと進化し6万年前頃に出アフリカしたはずらしい我々ホモサピエンスですが、


 ・何故、ホモサピエンスオリジナルのY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたるまでホモエレクトスの狩猟採集の原始生活から一歩も前進せず、ホモエレクトスの生活レベルのままなのか?

 ・古代亜型のY-DNA「D」、Y-DNA「E」やY-DNA「C」もオーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸島など僻地に残った古い子亜型集団は現代に至るまで何故狩猟採集から抜け出せないのか?

 ・本当に我々はホモサピエンスに進化してから出アフリカしたのだろうか? 新型ホモエレクトスに過ぎなかったのではないのか?

 ・顔つき・体つきが教科書にあるような原始的から近代的に変化しただけで、「文化」レベルではユーラシア大陸で100万年間もの長い期間生きていたと言われるホモエレクトスの最終段階のレベルのままだったのではないか?


  と言うことなのです。

  ここ数年増えてきているネアンデルタール人やデニソワ人などの新情報から、


 ・ネアンデルタール人は滅んだのではなく、当時まだホモエレクトスのレベルに過ぎなかった初期ホモサピエンスが持ち得なかった高度な石器技術や精神性、つまり先進文化をホモサピエンスに亜種間交配を通じて植え付け同化していったのではないか?


 ・もしくは2000人程度で出アフリカしたホモサピエンスは逆にネアンデルタール人に吸収されてしまい、我々のY-DNAの中でY-DNA「C」〜「T」もしくはY-DNA「F」〜「T」は実はネアンデルタール人のY-DNAなのではないのだろうか?


 ・Y-DNA「A」と「B」のみ、もしくはY-DNA「A」〜「E」までのみがホモサピエンスのY-DNAなのではないだろうか?

 ・オリジナル亜型Y-DNA「B」から出アフリカ亜型Y-DNA「CT」及び続くYAP亜型[DE」と非YAP亜型「CF」が分化をしたのは出アフリカ後の中近東で先住のネアンデルタール人と亜種間交配した結果ではないのか?

 ・次に、非YAP亜型Y-DNA「CF」から更に古代亜型Y-DNA「F」が分化し、そのY-DNA「F」が更に近代亜型群「G」,「H」,「I」,「J」,「K」に分化したのも南アジア〜インド亜大陸辺りでその土地の先住ネアンデルタール人と交配し同化した結果ではないのか?

 ・近代移行亜型Y-DNA「K」から続く全子亜型群Y-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」が分化したのもインド亜大陸や東アジアの先住のネアンデルタール人や特にデニソワ人と亜種間交配し同化した結果なのではないだろうか?


    などと考えるように(妄想するように?)なった今日この頃ですが、意外に当たっているような気がしてならないのです。

  そうした中でこれから実施されるだろう大幅な見直しは、移行亜型Y-DNA「K」の全面見直しなのです。

  我々日本人は1-3章にまとめているように約50%弱が縄文系の古代亜型Y-DNA「D」とY-DNA「C」から構成されています。これが日本人の持つ世界の先進国でも稀な古代的なホスピタリティと従順性の起源なのですが、残りの30%強は弥生系近代亜型Y-DNA「O1」,「O2」、20%弱が朝鮮半島での生存競争に負けて日本列島に逃げ込んできた武装侵略集団のY-DNA「O3」(及び行動を共にしたはずの少数の東北アジア系亜型集団「N」,「P」,「Q」等)から構成されています。

  このようなY-DNA構成の日本列島なのですが、これまで独立した亜型として扱われてきた Y-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は全てY-DNA「K1」とY-DNA「K2」に再分類される模様です。つまり独立した亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンのY-DNA「Q」等が含まれているのです。とても遺伝子が近いとは思えないのです、では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

  まだ俯瞰的に検討し結果を報告している研究者はいませんがアジアには、広く分布していたらしいネアンデルタール人や特にシベリア南部から東アジアにかけて分布していたらしいデニソワ人が存在していたようです。


  ホモサピエンスはアフリカでネアンデルタール人に進化できなかった落ちこぼれの残党ホモエレクトスから進化したということは、その頃までホモエレクトスは生きていたことになり、

  当然アジアでもネアンデルタール人やデニソワ人と共存していたホモエレクトスがいたと考える方が自然です。もしかするとデニソワ人はホモエレクトスの最終段階そのものかネアンデルタール人とホモエレクトスの亜種間交配の結果かもしれませんね。

  妄想はいくらでも拡がりますが、西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。何しろネアンデルタール人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で遺伝子が繋がっているのですから。

  我々が教科書で習った北京原人やジャワ原人などはある時期のホモエレクトスですが、何しろ100万年以上種を維持してきたホモエレクトスがホモサピエンスに進化する直前はどのように変化していたのか遺跡はまだ発掘されてはいません。

  欧米の研究者たちによると、ネアンデルタール人も数十万年に渡る生存期間の中で亜種に相当するくらいの分化を遂げていたらしいので、ヨーロッパのネアンデルタールとアジアのネアンデルタール(恐らくデニソワ人)はかなり異なっていた可能性があるそうです。

  だからホモサピエンスのオリジナル亜型のY-DNA「A」とY-DNA「B」は実はホモサピエンスではなくホモエレクトスの最終段階で、

2000人程度で出アフリカしたらしいY-DNA「B」の一部の集団が中近東でネアンデルタール人と交雑しお互いに刺激し合い同化したことで文化レベルを一気に上げることが出き、初めて初期ホモサピエンスに進化し、   

その後移動した南アジアからインド亜大陸で先住のネアンデルタール人と交雑したY-DNA「F」が更に近代亜型に分化でき、

その中の東アジアでやデニソワ人もしくは最終段階のホモエレクトスと交雑したY-DNA「K」が更に分化しホモサピエンスが完成した、

と考えることは可能なのです。


  そのためには亜型の分化内容の詳細と分化推定年代のユーラシアの先住人類の遺跡の発掘を進める必要がありますが、我々が生きている時代では無理でしょうね。次の世代にまかせましょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm


67. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 12:34:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[461]

3. ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告


3-2. Y-DNA「 I 」  ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度調査 rev.5
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm

3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

3-5. Y-DNA「N」   ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm

3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-6.htm

3-7. Y-DNA「J 」  セム度・メソポタミア農民度調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-8.htm

3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm


Y-DNAによるヨーロッパ民族度
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm


  今日、世界史地図帳に目を通していて、インド・ヨーロッパ語族の移動のところでアーリヤ人が印欧語族の故地の中西部ユーラシア(黒海/カスピ海/アラル海の北側に拡がる広大な地域)から、移動を開始したことが書かれていました。

  ある集団(Y-DNA「R1b」)は西進しヨーロッパに侵入し先住のクロマニヨン人の子孫(Y-DNA「I 」)と遭遇し、交配を嫌い独自文化を保とうとしたのがケルト民族になってゆき、交配を強めたのがゲルマン民族になっていったようです。

ドイツ人やオランダ人のY-DNA「I 」頻度は意外に高いのです。やはり異なる遺伝子と交配することで民族エネルギーが上がり、純度を保とうとすると同質性が高まり民族エネルギーが下がる、という民族学の知識はここでも生きているようです。


  方や南下しイラン高原からインド北部に侵入した集団(Y-DNA「R1a」)は、インド・アーリヤ人として先住のインダス文明人のドラヴィダ人(Y-DNA「L」)を追い出しインド亜大陸南部に押し込めたのは、世界史の常識として知っていましたが...。

インド人の肌の黒褐色はかなり密接に交配したドラヴィダ人から受け継いだものです。

  すっかり忘れていたのはその時にY-DNA「R1a」は故地に留まるかやや北に移動した集団がいたことです。それがスラブ系の集団になったのです。

つまりY-DNA「R1a」はヨーロッパでは間違いなくスラブ民族遺伝子なのですが、実はインド・アーリア人遺伝子でもあったのです。

スラブ民族とインドアリーヤ人は同根なのです。

つまり交配した相手の違いで今我々が知っているくらい違う外観に変貌したのです。 ロシアのプーチンはY-DNA「N」系のような感じですがメドベージェフは「R1a」のような気がします。調べてほしいですね。


___


Y-DNAによるヨーロッパ民族度の復習 rev.2


  Eupedia の Y-DNA情報を転記しより理解しやすいようにすることにしました。

手始めに最もアクセスの多いY-DNA「J」とY-DNA「R1a」から始めますのでご参考に!   

  下図はEupediaに掲載されているヨーロッパの最大の亜型Y-DNA「R1a」と「R1b」がヨーロッパに辿りつくまでの大移動の予想図です。

彼らはヨーロッパ大陸の最古の住人であるクロマニヨン人の子孫のY-DNA「I」と交配しながら、東ヨーロッパで展開したのがスラブ民族の母体になり、中央ヨーロッパに進出したのがゲルマン民族の母体になったようです。

  Y-DNA「R1a」の発祥の地はまだ正確にはわかっていないようですが、最も有望な起源地は中央アジアあるいはロシア/シベリアの南部だそうです。

右下に伸びる矢印がアーリヤ人のインド侵入になります。

先住のインダス文明を興したと考えられているY-DNA「L」が母体のドラヴィダ民族をインド南部に押し込めてインド亜大陸を乗っ取ったわけです。


  Y-DNA「R1b」の発祥の地は中央アジア南部からイラン北部の辺りだそうです。下図はいわゆるゲルマン民族の大移動を含んでいるようです。


  ヨーロッパ各地の優勢なY-DNAハプロタイプの地図です。

右端中央のカスピ海北部辺にY-DNA「C3c」の地域があることが興味を引きます。
モンゴル帝国のキプチャク汗国等のモンゴル人の末裔の足跡です。


  この Eupedia の記事を読んでいると遺伝子のモザイク地域であるヨーロッパ・西ユーラシアのいわゆる白人達はいかに自分たちのルーツにこだわるかが、良くわかります。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

ヨーロッパの遺伝子の調査論文を調べてわかったことは、ゲルマン遺伝子のような単独遺伝子は存在しないと言うことです。

その代わり 9種類程度の起源Y-DNA亜型が挙げられているようです。

Eupediaではこの中でウラル系Y-DNA「N1c1」と「N1c1a1」以外がまとめられていますので当ホームページで紹介しています。

  何故ウラル系がまとめられていないのか?です。
ロシアやバルト3国では必須のY-DNA「亜型なのですが?


  Y-DNA「I1」   :ノルマン系
  Y-DNA「I2」   :バルカン系
  Y-DNA「R1a」  :スラブ系
  Y-DNA「R1b」  :ケルト系
  Y-DNA「E1b1b」 :ラテン系
  Y-DNA「J2」   :メソポタミア農耕民系
  Y-DNA「N1c1」  :ウラル系
  Y-DNA「G2a」  :コーカサス系
  Y-DNA「Q1a1a」 :フン系


  どうやらゲルマン系と言うのは、Y-DNA「R1b」が核になったY-DNA「R1a」とY-DNA「I1」の交配集団のようです。純粋に近いY-DNA「R1b」は残念ながらヨーロッパではケルト・バスクなど辺境集団になってしまっています。

  一方Y-DNA「I1」はノルマン系の単独遺伝子亜型であり、Y-DNA「R1a」もスラブ系の単独遺伝子亜型として現在に残っています。

ゲルマン系は3亜型が交配し形成された新しい民族集団であることが言えます。

つまり遺伝子が多様化するほど集団エネルギーは大きくなりますが、まさしくその通りの展開の好例がゲルマン系なのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm


 Y-DNA「I」はヨーロッパの主要ハプロタイプで最も古いです、そして恐らくヨーロッパ内で小亜型に分化した唯一のハプロタイプ(非常に珍しい小亜型Y-DNA「C6」や他のハプロタイプの末端亜型等は別として)です。

  それは、40000年前〜30000年前にY-DNA「IJ」として中東からヨーロッパのどこかに到着したと思われ、およそ25000年前にY-DNA「I」へ分化しました。

  言いかえれば、クロマニヨン人は最も恐らくはY-DNA「IJ」とY-DNA「I」に属しました。


ノルマン人は、クロマニヨン人の骨から検出された遺伝子がY-DNA「I 」であることから、クロマニヨン人の直接の子孫でネアンデルタール人亡き後のヨーロッパの最初の先住民のようです。

Y-DNA「I」が「J」とインド亜大陸の古代遺伝子Y-DNA「F」から分化したのは当然インドからコーカサス辺りの一帯のはずですが、その後西に戻り地中海の北側に展開し有名なラスコー等の洞窟画を残しました。

北欧を覆っていた氷河の後退に従い北進しスカジナヴィア一帯に定着したのがY-DNA「I1」のノルマン人となり、地中海北岸に留まり、中東から出戻ってきた古代遺伝子のY-DNA「E」と交配し分化したのが後のバルカン人Y-DNA「I2」となったようです。


紀元前2800年から、東ヨーロッパからのインド・ヨーロッパ人の到着によって大規模な文化的・遺伝的な隆起がスカンジナヴィアを襲いました。

インド・ヨーロッパ人達は実際に新石器時代を経ずに一気に銅器時代および初期の青銅器時代をもたらしました。

  スカンジナビアに到着した最初のインド・ヨーロッパ人は、現代のロシア、ベラルーシおよびポーランドの戦斧文化(あるいは縄目文土器文化、または単葬墓文化)の人々でした。彼らは主にY-DNA「R1a」に属したと思われます。

  これらの人々はスカンジナビアのY-DNA「I1」住民と同じ母方のmtDNA亜型mtDNA「U4」と「U5」を運びました。

  スカンジナビアへの第2の主要なインド・ヨーロッパ人の移住は、Y-DNA「R1b」でした、このY-DNA亜型は中央ヨーロッパのProto-ケルト-ゲルマン語の話し手の支流としてProto-ゲルマン語を導入したと思われます。


 最初にSigmund Feistによって1932年に提案されたゲルマン基板仮説によると、、proto-ゲルマン語はインド・ヨーロッパ語(Y-DNA「R1b」と少し「R1a」)とpre-インド・ヨーロッパ語(在来の北欧Y-DNA「I1」)要素とのハイブリッド言語。

  この交雑は青銅器時代の間に起こり、そして最初の本当のゲルマン文明である北欧-青銅器時代(紀元前1700年〜500)の誕生をもたらしました。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

Y-DNA「R1」の発祥の地は中央アジア/コーカサス一帯と言われていますが、集団は3手に別れ、1隊はアフリカに到達し先住の「A」,「B」,「E1a」と交配し、もう1隊は「Q」か「C3b」と共にベーリング海峡を渡り北米に現存しています。

残留部隊はその後「R1a」と「R1b」に分化し、2隊に別れ1隊は西進し

「R1a」は東欧圏に留まりスラブ系民族になりましたが

「R1b」は更に西進し西欧圏に到達しケルト系民族になりました。

最後の1隊はインド亜大陸に南下し先住のインダス文明の子孫のY-DNA「L」ドラヴィダ人を追い出しインド南部に押し込めながら交配しインド・アーリアン民族となりました。

ロシア人の主要民族のスラブ系とインド・アーリアンは完全に同根なのです。

インド人が意外に小柄なようにプーチン等ロシア人もケルト系もラテン系も小柄です。

欧州人の大柄はネアンデルタール人と密に交配したクロマニヨン人の遺伝子を持つノルマン系の形質なのです。


  下図は現在のY-DNA「R1a」の出現頻度分布です。ロシアとポーランドに最大頻度を持っていることが良くわかります。ところが旧ユーゴスラヴィア(南のスラブの国)と言われスラブ系の土地と思われたバルカン半島のスラブ度はそれほど高くなく、オーストリアやドイツの方がスラブ度が高いのです。北の雪深い土地の遺伝子という分布です。


  Y-DNA「R1a」は、恐らく最後の氷河期最盛期、19000?26000年前頃にR1*から分化しました。  分化したその起源地について確かなことはほとんどわかっていません。

  Y-DNA「R1a」の大きな遺伝的多様性を持つバルカン諸国、あるいはパキスタンおよび北西インドで分化は始まったかもしれないと思う人もいますが、多様性は他の要因を通しても説明することができます。

  バルカン諸国は、ユーラシアの大草原から更に分化した後のY-DNA「R1a」の小亜型の状態で、5000年掛けて移動してきたとも考えられます。

  南アジアには少なくとも10000年の間、世界の他のどの地域より(時々中国に匹敵するくらいの)多くの人口があり、そして人口の多さはより多くの遺伝的多様性を引き起こします。

  Y-DNA「R1a」の最も有望な起源地は中央アジアあるいはロシア/シベリアの南部です。

  Y-DNA「R1a」は、インド・イラン語族、トラキア人、バルト人およびスラブ人へと分化した、北部と東部の原インド・ヨーロッパ語族で支配的な亜型だったと思われます。

  原インド・ヨーロッパ人はYamna文化(紀元前3300年〜2500年前頃、ドナウ川とウラル山脈の間の広大な地域にわたって存在した銅器時代の文化圏で中心地はウクライナだったらしい)に起源を持ちます。


  その劇的な拡大は、早い青銅武器の採用およびユーラシアの大草原(紀元前4000年〜3500年前頃)の馬の家畜化のおかげで、可能となりました。

  南の大草原(ステップ)文化はY-DNA「R1b」(変異M269とM73)亜型を主に運んだと考えられるのに対し、北の森林・大草原文化が本質的にR1a優勢だったようです。(「R1a」が基本的に雪深い森林系だったの対し「R1b」は草原に進出した集団だったようだ)

  森林・大草原集団の最初の拡大が戦斧文化(Corded Ware Culture/縄目文土器文化または単葬墓文化とも言う)によって引き起こされました。

  Y-DNA「R1b」集団の中央ヨーロッパおよび西ヨーロッパへの移住は、地下墓所文化(紀元前2800年〜2200年頃)の時代に南部大草原に居たY-DNA「R1a」集団に空白の地域を作り出しました。

  この文化の森林・大草原起源は、戦斧文化の2つの最も顕著な特徴である縄目文陶磁器の導入および磨き上げた戦斧から明白です。

  バルト・スラブ語族およびインド・イラン語族の言語グループが下図に示されるようにインド・ヨーロッパ語族の中のサタム語派に属し、両方とも地下墓所文化から発展したように見えることから、インド・ヨーロッパ語族のサタム語派化プロセスが始まった時なのでしょう。

  古代のDNAの鑑定は、ドイツの戦斧文化(Corded Ware Culture/紀元前2600年頃)、北西中国のトカラのミイラ(紀元前2000年頃)、南ロシアおよび南シベリアのAndronovo文化のクルガン埋葬遺跡(およそ紀元前1600年頃)などと同様にロシア、シベリア、モンゴルおよび中央アジアの様々な鉄器時代遺跡からの標本からもY-DNA「R1a1」小亜型の存在を確認しました。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm


ヨーロッパ遺伝子の2番目はY-DNA「R1b」です、

現在のいわゆるケルト系と呼ばれている民族に極めて頻度が高いためケルト系遺伝子と見なされていますが、Y-DNA「I」に並ぶ現代欧州人の基層遺伝子の一つです。

僻地のグレートブリテン島周辺に最高頻度が見事に残っています。バスク人などイベリア半島にも次の頻度で残っています。要するにローマ時代は未開民族とみなされてきた辺境集団だったのです。

  前回のノルマン民族のY-DNA「I」とやや異なる点は、同じように交配した遺伝子集団ですが、Y-DNA「R1b」は他の遺伝子の頻度が低いことが解ります。特にウェールズ人やバスク人などは純粋な「R1b」に近いのです。

他の遺伝子集団との交配を嫌ってきた守旧的な集団なのでしょうが、独自の文化を守る意識が強かったのかもしれませんが、純系を維持すると民族エネルギーは当然下がり、結局、辺境民族化してしまうのです。人類は多様な遺伝子交配をすることでエネルギーを高めるように設計されているのです。そして「R1b」もアフリカに進出していた一隊がいたことが確認できました。

  ケルト系Y-DNA「R1b」が高頻度となる地域は西欧であることがよくわかります。対して東欧はY-DNA「R1a」スラブ系が主役の地域なのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm

ヨーロッパ人の遺伝子調査の最後はY-DNA「I 」の兄弟遺伝子「J 」です。

「J1」はセム種です。

ヨーロッパ遺伝子度調査で最もアクセスが多いのはY-DNA「J」と「R1a」です。訪問者の方々は世界を揺り動かしているイスラム教とアラブを含むY-DNA「J1」のセム族に非常に興味がおありのようです。そこで当ガラパゴス史観はEupediaからヨーロッパの情報を転載したいと思います。


Y-DNA「J1」遺伝子の現在の分布です。アラブ人の基幹遺伝子ですが、ヨーロッパに意外に浸透していることが良くわかります。


Y-DNA「J1」 アラブ度調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm


  Y-DNA「J1」は、恐らく東アナトリアのクルディスタン中部のヴァン湖の近くで始まった中東のハプロタイプです。 東アナトリアはヤギ、羊および牛が中東で最初に飼育された地域です。Y-DNA「J1」は、中東とヨーロッパの至る所で牧羊者の生活様式の拡大にほとんど確実にリンクされます。

  ヨーロッパと西アジアのY-DNA「J1」の出現頻度は、ある1つの地域社会と隣の地域社会では相当に変わる傾向があります。

  ヨーロッパで最も高い国毎の頻度が、ギリシャ、イタリア、フランス、スペインおよびポルトガルで見つかりますが、人口の5%を滅多に超えることはありません。

  しかしながら、イタリア・フランスおよびスペインは、Y-DNA「J1」が全く出現しないエリアを持っています。

  北ヨーロッパでさえ「J1」の頻度は0.5%未満ですが存在します、「J1」の非常に局所的な出現地域がスコットランド、イングランド、ベルギー、ドイツおよびポーランドで観察されました。

  Y-DNA「J1」のより明確な分布図を得るにはより大きなサンプル・サイズが必要です。

  驚いたことに、このY-DNA「J1」が起こったと思われる地域、コーカサスとアナトリアでさえ、地方間に広い不一致があります。

  例えば、北東のコーカサスのダゲスタンのKubachi人およびDargin人はY-DNA「J1」が80%以上ありますが、北への200kmしか離れていない隣人のイングーシの「J1」出現頻度はかろうじて3%に過ぎません。

  ヴァン湖の周囲の東アナトリアのY-DNA「J1」の出現頻度は30%以上ですが、しかし南西アナトリアにはわずか2%しかありません。

  クルディスタン内でさえ頻度は大幅に変わります。

  地域のサンプル・サイズの小ささが確実に問題となります(特定の集団のみを調査している可能性があり地域の平均ではないかもしれない)。


  アラブの国々の中で、南イラクのマーシュアラブ人(81%)(湿地のアラブ人:チグリス-ユーフラテス湿地の住民)が最大頻度になります。

スーダンのアラブ人(73%)、イエメンの住民(72%)、ベドウィン人(63%)、カタール人(58%)、サウジ人(40%)、オマーン人(38%)およびパレスチナのアラブ人(38%)

と続きます。

  他に、アラブ首長国連邦(35%)、湾岸アルジェリア(35%)、ヨルダン(31%)、シリア(30%)、チュニジア(30%)、エジプト(21%)およびレバノン(20%)で高頻度で観察されます。

  アラブ人の大部分はY-DNA「J1c3」小亜型に属します。

____


ヨーロッパ人にとって、セム語族は極めて重要です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この3つの宗教全てを始めたのはセム語族だからです。

ユダヤ人もセム種、キリストもセム種、マホメットもセム種です。欧米の宗教はセム種によって開示されたのです。当時ローマ人以外は野蛮だったヨーロッパ人は宗教なんて高尚な概念はなかったのです。ただの未開集団に過ぎませんでした。しかしローマがキリスト教を受け入れて変化が起きたのです。

  そのローマ人は地中海系民族だったのでやはり野蛮なヨーロッパ人とは一線を画していたのです。そしてヨーロッパに農耕文明をもたらしたメソポタミア文明人は「J2」遺伝子集団と考えられています。

農耕技術を持ってヨーロッパ大陸に拡散をしていったためほとんどの欧州人に「J」遺伝子が交配されています。「J」はラテン遺伝子の「E1b1b」と共にヨーロッパ人の重要な遺伝子なのです。

しかし「G」はコーカサス遺伝子と知っていましたが、「J」もコーカサス発祥とは初めて知りました。コーカサスはヨーロッパの母なる土地です。

  欧米では、世界最古の民族はアルメニア人だと、以前言われていましたが、Y-DNA遺伝子の調査では、シーラカンス古代遺伝子のY-DNA「D」と「C」以外の新世代遺伝子Y-DNA「F」の中で最も古いタイプがコーカサス遺伝子Y-DNA「G」ですが、その頻度が最も高いグルジア人が最古のような気がします。

いずれにせよアルメニア人も発祥の地であるコーカサス一帯が現代文明人の故郷のような気がします。実は「G」遺伝子を持つコーカサス民族には農耕をヨーロッパにもたらしたメソポタミア遺伝子「J2」の頻度も高く、当時最先端の文化を誇っていたはずなのです。


世界の主要な宗教であるユダヤ教も、ユダヤ教から生まれたキリスト教もイスラム教も全てセム系Y-DNA「J 」が興した宗教です。

ただしヤーヴェやキリストが「J1」か「J2」かは現在の遺伝子調査では定かではありません。 イスラム教のムハンマド(マホメット)は成立年代から見てアラブ系のY-DNA「J1」と思われますが。

Y-DNA「J2」 メソポタミア農耕文明民度調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm


↓Y-DNA「J2」遺伝子の現在の分布です。チグリス・ユーフラテス川の肥沃な三角地帯で農耕革命を興しヨーロッパに農耕を伝えた集団なのでほぼヨーロッパ全土に浸透しています。


↓ローマ帝国の最大版図です。ローマ帝国の拡大とともにY-DNA「J2」メソポタミア農耕文明の農民が拡大していったことが良くわかります。


↓ローマ時代のキリスト教徒の分布図だそうです。Y-DNA「J2」の分布と重なります。

「J2」農民がローマ帝国の拡大とともにキリスト教を拡大していったことが分かるそうです。つまり先住民がキリスト教に改宗したと言うより、ローマ人が進出したと考えられるようです。(現代の中国の少数民族政策に似ています、漢族を大量に少数民族の多い地域に送り込み、地域ごと漢族で乗っ取るやり方です。)


  Y-DNA「J2」は、最後の氷河期の終わりごろ15000年〜22000年前に間で、中東のどこかに現われたと思われます。

  その現在の地理的な分布は、肥沃な三日月地帯からの新石器時代の拡大を支持していると議論されています。

  この(第一次の)拡大はY-DNA「G2」とY-DNA「E1b1b」に関連ずけられるレヴァント地域での穀物農業の開発より、むしろ紀元前8000年〜9000年ごろから始まったZagros山脈および北メソポタミアからの牛およびヤギの飼育法の拡散と恐らく関連付けられます。

  第二次の「J2」の拡大が、銅の製作という冶金法の到来(ドナウ谷の低地、アナトリア中部および北メソポタミアから)と最も古いいくつかの文明の興隆で生じたのかもしれません。

  ほとんどの古代の地中海・中東の文明はY-DNA「J2」が優勢だった領域で繁栄しました。

  これはハッチ人、フルリ人、エトルリア人、ミノア人、ギリシャ人、フェニキア人(とそのカルタゴの支流)、イスラエル人の場合と、より低い程度ですがローマ人、アッシリア人およびペルシャ人もです。

  中期青銅器時代から鉄器時代までの偉大な船乗り集団の文明はすべてY-DNA「J2」男子によって支配されました。

  雄牛崇拝を伴った古代「J2」文明の別の関連付けがあります。
  雄牛のカルトの最も古い証拠は、新石器時代のアナトリア中部、特にCatalhoyukおよびAlaca Hoyukの遺跡に遡ることが出来ます。
  雄牛描写はクレタでミノア文明のフレスコ画およびセラミックスに遍在しています。
  雄牛仮面のテラコッタ小像および雄牛角のある石の祭壇は、キプロス(新石器時代までさかのぼった西アジアからのY-DNA「J2」の第一次と思われる拡大)で見つかりました。

  ハッチ人、シュメール人、バビロニア人、Canaait人およびカルタゴ市民にはすべて雄牛崇拝(インドヨーロッパ語族か東アジアの地方と対照的に)がありました。
  シヴァ神またはパールヴァティー女神に専心的なすべての寺院で示されるヒンズー教の脅えた雄牛、白い雄牛、はインドヨーロッパ語族に起源を持っていないが、インダス渓谷文明までさかのぼることができる。

  ミノア人のクレタ、ヒッタイト人のアナトリア、レヴァント、バクトリアおよびインダス渓谷は、さらに雄牛を飛び越える伝統(雄牛の突進をよける儀式)を共有しました。

  それは、Y-DNA「J2」頻度の高い頻度の2つの地方、スペインのアンダルシアおよびフランスのプロバンス地方で伝統的な闘牛として今日まで残存しています。

  Y-DNA「J2」の世界で最も高い頻度は、北東のコーカサスのイングーシ人(男性のY-DNAの88%)およびチェチェン人(56%)に見られます。

  両者はNakh民族グループに属します。彼らは少なくとも紀元前3000年以来その地域に居住しています。

  彼らの言語は他の言語のグループではなく、離れているダゲスタンの言語と関係があります。

  しかしながら、ダゲスタン民族(Dargin人、Lezgin人、アバール人)は、Y-DNA「J1」(Dargin人では84%)に属し、ほとんど完全にY-DNA「J2」は欠損しています。

  Y-DNA「J2」の他の高い出現頻度は、Azeri人(30%)、グルジア人(27%)、Kumyk人(25%)およびアルメニア人(22%)を含む他の多くのコーカサス民族中に見られます。

  しかしながらこの地域の低い遺伝的多様性のために、コーカサス一帯でY-DNA「J2」が始まったとはほとんどありえません。

  ほとんどのコーカサス民族の人々は同じY-DNA「J2a4b」(M67変異)子亜型に属します。

  観察された高い局所的な頻度は、むしろ創始者効果(例えば一夫多妻の長い伝統による首領および王の血統の増殖、ロシア人が19世紀にコーカサスの征服以来抑えこもうとしたこと)の結果になるでしょう。(貧民が自由に結婚できる現代と異なり、古代は権力者のみが女性を独占し自分の子孫のみを世に送り出してきた事実、このため権力者のY-DNAのみが長い間受け継がれてきた。中央アジアのジンギスカンの子孫1500万人現存が良い例)

  コーカサスの外で、Y-DNA「J2」の最も高い頻度は、キプロス島(37%)、クレタ島(34%)、イラク(28%)、レバノン(26%)、トルコ(マルマラ海沿岸地域およびアナトリア中部ではピークで30%)(24%)、ギリシャ(23%)、イタリア(23%)、シシリー(23%)、南イタリア(21.5%)中部北部)等で観察されます、 そしてアルバニア(19.5%)、ユダヤ人の人々(19?25%)も同様です。

  ワラキア人の人々の4分の1(バルカン諸国のロマンス語話し手の孤立したコミュニティー)はY-DNA「J2」に属します。彼らが住んでいるマケドニアおよび北ギリシャでは平均以上になります。

  これは彼らがラテン語から伝わった言語を話すという事実に組み合わせられます、ということは彼らの大部分がバルカン諸国の他の民族グループよりローマ人(あるいは少なくともイタリア人)を祖先に持つことを示唆します。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm


68. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 13:00:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[462]

ミノア文明はヨーロッパ起源だった

【古生物学】ヨーロッパ最古の高度文明はヨーロッパ起源だった 2013年5月15日

ヨーロッパで最初の主要な文明であったミノア文明がヨーロッパ起源であることが判明した。ミノア文明の遺跡は、エジプトとリビアの要素との類似性があり、英国人考古学者アーサー・エバンス卿による発見以来、ミノア文明はアフリカ起源だと考えられていた。

ミノア人は、クレタ島に居住し、そのまま滅亡を迎えたが、それが、紀元前2,000年頃に起こったと推定されているサントリーニ島での火山噴火と結びついていると考えられてきた。今回、George Stamatoyannopoulosたちは、クレタ島の洞窟で発見された保存状態のよいミノア時代の遺骨から遺伝的データを採取し、そのDNAフィンガープリントを現在と古代のアフリカ、ヨーロッパと中東のヒト集団に由来するDNAを比較した。その結果、古代ミノア人が、新石器時代と現代のヨーロッパ人集団、それに、現代のクレタ島ラシシ高原の住民と強固な結びつきのあることが示唆されている。

ミノア文明の起源は、約9000年前にヨーロッパに移動した新石器時代のヒト集団であった可能性が最も高い。また、トルコのアナトリア地方からヨーロッパに広がった古代ヒト集団が、クレタ島にも広がって、初期ミノア文明の創出に寄与した可能性も非常に高い。
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8452  

ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

ギリシャは長い間オスマントルコ帝国の支配下(約400年)にあり、その間徹底したオスマン帝国の混血政策で、現在のトルコ共和国のトルコ人(中央アジアのトルコ民族も基は一緒だが)と現在のギリシャ人は医学的にはほとんど同じ人種である。

異なるのは宗教と言葉と長い歴史とそれに基づく文化である)。
それが民族間のとくに征服されたギリシャ側のトルコに対する憎悪を際立たせている。

トルコ人の発祥は古く中央アジアも中国よりのあたりと言われている。今ではトルキスタンと言われている地域だ。中央アジアの共通語は今でもトルコ語だ。 トルコ語人口は共和国を入れて約7000万人が話している。トルコ語だけでアジアを横断できると言われているくらいの広域言語だ。

トルコはその後セルジュクトルコやオスマントルコとして発展しながら、アジアからすこしづつヨーロッパに移動をしていった。その間にイスラム教に改宗した。またその間に移動した先々で混血をしたため、本籍のモンゴロイド系に、イラン系、アラビア系が加わり、世界最大のオスマン帝国時代にアフリカ系やヨーロッパ人の血を入れた。

特にギリシャ人、ブルガリア人との混血はすごかった。

共和国トルコ人とギリシャ人、ブルガリア人は医学的にほとんど同一人種と言われている。言語と文化と住む地域と歴史が違うため、区別ができるのだ。


当ガラパゴス史観が若い頃にイスタンブールに駐在していたことは

当記事1-13.中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm


で触れましたが、オスマントルコ帝国は約400年のバルカン半島の一部を支配下に置き、特に現代のギリシャとブルガリアに当たる隣接地域の徹底した混血政策をすすめた結果、 特にギリシャ人とブルガリア人のトルコ人に対する憎悪は計り知れないものがあります。

数百年以上に渡る長い間オスマン帝国の、それも首都のイスタンブールに隣接したギリシャ地域は ヨーロッパ人からはすっかり忘れられ、イスラム教徒の一部でしかなかったのです。

ところがヨーロッパ文明の夜明けであったギリシャ文明を興したギリシャ人を探していた西欧は オスマン帝国内にギリシャ語を話す集団がいることに気が付いたのです。しかもギリシャ正教を守っていたのです。これはギリシャ人の末裔に違いないと喜んだのです。

  下記はオスマン帝国が支配した歴史を持つバルカン半島に現存する国家とトルコ内のクルド人のY-DNA頻度リストです。つまり「南欧」地域です。これを見るとバルカン民族は大きく次の3種に分類されることがわかります。


1.ローマ帝国の子孫系と思われるラテン系Y-DNA「E1b1b1」が多い民族は、
   30%以上がギリシャ人とアルバニア人、
   20%がブルガリア人、セルビア人、マケドニア人

2.最も多いバルカン系遺伝子のY-DNA「I2」(ノルマン系はY-DNA「I1」)は、
   50%以上がヘルツェゴヴィナ人とボスニア人、
   30%以上がクロアチア人、セルビア人、ルーマニア人、マケドニア人とブルガリア人

3.メソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」+アラブ系Y-DNA「J1」は、
   30%以上がトルコ人とクルド人、
   20%以上がアルーマニア人とアルバニア人です。

  その3種のY-DNAに2種の遺伝子が更に絡んでいるのもわかります。

4.スラヴ系遺伝子のY-DNA「R1a」は、
  30%弱がクロアチア人、
  20%弱がボスニア人

5.ケルト系遺伝子のY-DNA「R1b」は、
  20%以上がアルーマニア人、
  20%弱がトルコ人、クルド人とアルバニア人

  以上の5種のY-DNAが複雑に絡み合っているのがバルカン半島です。確かに民族毎に主要遺伝子がありますが、これにキリスト教、正教会とイスラム教などの宗教とそれぞれの言語が更に絡み合い訳がわからなくなっています。

かつてバルカン半島の大部分の国名だったユーゴスラヴィアは南スラヴ人の国と言う意味ですが、スラヴのY-DNA「R1a」は主要な遺伝子ではなく、チトーがソビエトに操られ机上で作った国家に過ぎなかったことが良くわかります。 解体は必然だったようです。あまりにも混沌としている地域なので深入りせずにY-DNA研究の結果のみを淡々とお届けします。

では、本題の、現代ギリシャはヨーロッパなのか?

  当ガラパゴス史観の経験とY-DNA調査の結果から判断すると、ギリシャはイタリア、スペイン、ポルトガルと一緒の南欧つまり地中海国家であって、北欧国家とは完全に別の地域国家なのです。

更にギリシャ人は長いオスマン帝国の徹底同化政策で南欧の中でもトルコ人と非常に似ておりペロポネソス半島とアナトリアはほぼ一体で考えられてきたのです。

  地中海国家とは、北アフリカも含めた地中海南岸と北岸のことです。現在の地中海南岸はサラセン帝国と後継アラブ国家とオスマン帝国によって完全にイスラム圏とY-DNA「J1」アラブの国家群に変貌してしまいましたが、 本来はY-DNA「E1b1b1」のラテン系地域だったのです。

現在でもアフリカ北岸のアラブ諸国のラテン度はかなり高く、特に砂漠の民ベルベル人、特にトゥアレグ族はY-DNA「E1b1b1」が主体の基本ラテン系民族で、 ローマ帝国に対抗した古代チュニジアなどアフリカ北岸を形成した古代民族遺伝子集団の末裔の一つと思われます。

  Y-DNA「J1」アラブ遺伝子集団が来なければ、オスマン帝国が来なければ、 アフリカ北岸はY-DNA「E1b1b1」ベルベル人主体の地中海民族集団として西欧列強の植民地になり戦後独立し、結局今と同じような地図上の国境線引きでベルベル人国家が出来ていたでしょう。

  一方北欧は本来のヨーロッパ国家群でケルト・ゲルマン系とスラヴ系及びノルマン系の遺伝子が混じり合い民族エネルギーを高めてきた国家群なのですが、長い間南欧ローマ帝国から見ると辺境の野蛮人集団に過ぎなかったのです。

つまり、北欧諸国は文明の先進地域だった南欧に対し、決定的なコンプレックスを持っているのです。ギリシャ文明もローマ文明もルネッサンスも全てギリシャとイタリアから。 だからオスマン帝国に埋もれていたギリシャ文明の末裔を探し出したのです。


  だからギリシャの踏み倒しの脅しにも関わらず更に支援を考えています。ギリシャもその北欧のコンプレックスを良く理解しているので、足元を見て平気で踏み倒しができるのです。

この民族の心の動きが下記の朝日新聞の記事で明瞭に理解できます。


_____

  集めたY-DNAデータの中から地中海周辺とバルカン半島、旧オスマン帝国領土に絞りまとめて見ました。先ずはインターネットから借用した地中海周辺の地図を頭に叩き込んで下さい。そのあとでY-DNA頻度データを見て下さい。 地中海の北岸と南岸に限り、東岸の近東諸国のデータは省きました。


結果をまとめて見ました。


1.ギリシャ

  予想通りラテン系Y-DNA「E1b1b1」が主要で、次いでメソポタミア農耕民系Y-DNA「J2」やアナトリア系Y-DNA「R1b」やスラブ系Y-DNA「R1a」、クロマニヨン系Y-DNA「I」等が続いています。

  またY-DNA「J2」と共にメソポタミア農耕を興したらしいY-DNA「G」もある程度残っています。 このアナトリア系のY-DNA「R1b」はロシアのバシキ―ル人がほぼ純系で、恐らくアフリカのチャド系Y-DNA「R1b」も同系ではないかと推測しています。


2.トルコ

  最も多いのはメソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」です。

テュルク民族のオリジナル遺伝子と思われるY-DNA「N」(ヤクート人の遺伝子)が、西に民族移動を進める過程でイスラム化すると同時に各地の遺伝子を取り込み 最後に到達したアナトリアで東ローマ帝国を形成していた先住民のY-DNA「J2」と「R1b」と「 I 」、更にラテン系の「E1b1b1」を取り込み成立したのがセルジュクトルコと後継のオスマントルコなのでしょう。

調査の対象によって出現頻度がかなり異なることがわかります。現代トルコ人は均質ではなく調査対象の選び方でかなり変わるか、地域差がかなりあるのでしょう

  またオスマン帝国時代にアフリカ北岸も領土にしたため、アフリカ系Y-DNA「A」や東ユーラシア時代に取り込んだと思われるY-DNA「C」(タタール系でしょう)も現存しています。

3.バルカン諸国家

  アルバニア人だけがラテン系遺伝子を強く残していますが、他は見事にバルカン系遺伝子のY-DNA「 I2」が主要遺伝子となっており、旧ユーゴースラヴィアの国名にもなったスラヴ系Y-DNA「R1a」が続きます。

  どうやらアルバニア人だけが極めて特徴的な遺伝子構成のようです。他の諸国は遺伝子構成は現代では基本的に似通っているのですが、宗教と言語の違いが極めて厳しく、紛争地帯の最大の要因のようです。


4.バルカン周辺諸国家(旧オスマン帝国の影響があった諸国)

  バルカン系遺伝子Y-DNA「 I2」とスラヴ系遺伝子Y-DNNA「R1a」が核の民族群のようです。

5.イタリア

  ここではイタリア北部の遺伝子調査結果は出てきません、キチンと系統的に調査されたデータは意外にないのです。

  研究者の注目はやはりイタリアらしいラテンの色彩の強い地中海ど真ん中のイタリア靴のつま先最南端部のカラブリア州や島々のようです。

Y-DNA「E1b1b1」が核のシシリー島とバイキングY-DNA「 I1」が核のサルディニア島の違いがはっきりとわかります。恐らく島民の気質も大きく違うのでしょう。

特に不思議なのはマルケ方言を話すイタリア中央部のMarchigiano方言民の人々で、非常に希少なY-DNA「T」がほぼ100%なのです。 勿論ジェファーソン元アメリカ大統領(Y-DNA「T」)の出身地なのでしょう。このようにイタリア半島部と島々は遺伝子的にかなり面白い国なのです。

6.フランス・プロバンス地域

  フランスの地中海沿岸部のため、もう少しラテン系遺伝子の割合が多いのかと推測をしていましたが、ケルト系Y-DNA「R1b」が60%近くを占める典型的な北欧系地域でした。 恐らくイタリア北部も同じような傾向ではないかと推測できます。

つまりヨーロッパ大陸部は北欧で、バルカン半島やイタリア半島、イベリア半島のような地中海に飛び出した地域と島々のみが南欧 つまり地中海地域なのでしょう。もう少しイタリア研究論文の調査を進めて見ます。

7.スペイン

  スペインは各地方がスペインからの分離独立を声高に叫ぶような不思議な国家なのです。スペインを統一したのはカスティーリャ王国ですが、現代にいたっても国家への帰属意識は意外に低いのだそうです。 それぞれの州が好き勝手に叫んでいるようなのです。

実は予想に反してラテン度は低くケルト度が高いのです。スペインのY-DNA「R1b」はラテン気質をみてもゲルマン系ではなくケルト系に近いと思われます。


  バスク人はイギリスのケルト系と並ぶほぼ純系のケルト系遺伝子集団です。

  ガリシア州はスペインの中で最もラテン系遺伝子が多い州。

  アラゴン州はバルカン系遺伝子が最も高い州。

  独立の声が最も大きいカタルーニャ州はバスクの次にケルト度が高い州です。

  ポルトガルは独立していますが、遺伝子的にはイベリア半島民の一部です。

8.ベルベル人

  アフリカ北岸一帯に分布するベルベル人は見事にラテン系遺伝子Y-DNA「E1b1b1」の民族です。

アフリカ北岸はカルタゴやハンニバル将軍などの歴史があり、恐らく古代ローマ時代は当時の文明の先端に位置していたと思われます。 特にトゥアレグ族はほぼ純粋なY-DNA「E1b1」遺伝子集団です。

9.アラブ人

  サラセン帝国など、アラブY-DNA「J1」の拡大でアフリカ北岸はアラブ一色に染まりY-DNA「E1b1b1」はひっそりとわき役に落とされました。 しかし遺伝子調査は極めて明快に今でもY-DNA「E1b1b1」が民衆の遺伝子の核であることを示しています。

つまりアラブの文化を取り入れイスラム教に改宗した集団はイスラム・アラブ人の一員となり改宗せずに独自の信仰を守った集団はベルベル人として非定住・遊牧の生活を選んだものと思われます。

  これは中国で中華文明に取り込まれた異遺伝子集団は漢民族に取り込まれ、そうでない集団は辺境の少数民族化したのと同じような様相です。

  ベドウィン人はアフリカ北岸のアラブ人の中でも古いアラビア語を話す集団らしいですが、ラテン度はほとんどなくアフリカの主要遺伝子の一つであるY-DNA「E1a」を多く含み、 恐らく交易を通してだろうと推測できますが、むかなり特殊な交配を行ってきた民族集団のようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

トルコ人とギリシャ人、ブルガリア人は医学的にほとんど同一人種

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

ギリシャは長い間オスマントルコ帝国の支配下(約400年)にあり、その間徹底したオスマン帝国の混血政策で、現在のトルコ共和国のトルコ人(中央アジアのトルコ民族も基は一緒だが)と現在のギリシャ人は医学的にはほとんど同じ人種である。

異なるのは宗教と言葉と長い歴史とそれに基づく文化である)。
それが民族間のとくに征服されたギリシャ側のトルコに対する憎悪を際立たせている。


超短縮トルコ教養講座(2002年4月)

トルコ語はウラルアルタイ語族で日本語も一族、と言われている。日本語と朝鮮語はウラルアルタイ語族とは違うという学者もおり、学説はまだ完全には確立していない。トルコ人の発祥は古く中央アジアも中国よりのあたりと言われている。今ではトルキスタンと言われている地域だ。中央アジアの共通語は今でもトルコ語だ。 トルコ語人口は共和国を入れて約7000万人が話している。トルコ語だけでアジアを横断できると言われているくらいの広域言語だ。

  トルコはその後セルジュクトルコやオスマントルコとして発展しながら、アジアからすこしづつヨーロッパに移動をしていった。その間にイスラム教に改宗した。またその間に移動した先々で混血をしたため、本籍のモンゴロイド系に、イラン系、アラビア系が加わり、世界最大のオスマン帝国時代にアフリカ系やヨーロッパ人の血を入れた。 特にギリシャ人、ブルガリア人との混血はすごかった。共和国トルコ人とギリシャ人、ブルガリア人は医学的にほとんど同一人種と言われている。言語と文化と住む地域と歴史が違うため、区別ができるのだ。

    一方、共産ロシア時代にタタール人が黒海のクリミア半島からシベリアに強制移住されたことは有名だ。共和国にもタタール人はかなり移住してきている。彼らは混血が進む前のオリジナル・トルコ人の形態を強く残していると言われている。従って典型的モンゴロイド系の顔をしている。つまり日本人とも似た顔立ちだ

  小生の知り合いだった研究者はブルガリア人とのハーフだった。代理店の営業マンは典型的アラブ系だった。友達は典型的ギリシャ彫刻の顔をしていた。

  彫りの深かった会社の日本人同僚は、トルコ人に違いない、と言われた。夏に日焼けしていた小生はパキスタン人か、と言われた、何で!。

 トルコでどちらかというとアジア系の顔をしているのはタタール系だ。

ロシアの隔離政策で沿海州から黒海北部のクリミア半島に強制移住させられたタタール居住区がある。そこからの移住者だ。

共和国トルコ人は中東系にちかい。 しかし数百年もの間世界最大を誇ったオスマン帝国は多種多様な人種を抱えていたので様々な顔のトルコ人がいる。ハンガリーやオーストリーも支配下だったので白人そっくりな人も多い。 アラビア系も多い(アラビアのロレンスはアラビアを支配下においていたオスマン帝国末期の欧米列強による帝国解体時の実話である)。

中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?

  共和国トルコ語を話せると中央アジアはほぼ通訳なしで旅行が出来ると言われており、かつてはシルクロード/中央アジアのことをトルキスタンと呼んだこともあったほどです。

  中国正史に出てくる四夷の北狄がテュルクの最初の記述と言われているようです。その後の丁零や高車は当ガラパゴス史観の若い頃40年前ぐらいには既にテュルクではないかと言われていました。

  そして明らかにテュルクと確認されたのが6世紀の突厥と鉄勒です。特に突厥はテュルク語・突厥文字で書かれた碑文でテュルクに間違いない証明されました。テュルクは6世紀には漢民族に対抗する大国を打ち建てるほどの力を持ったのです。

  欧米では例えば、

Y-DNA「R1a」はスラブ系、
「R1b」はケルト系、
「I1」はノルマン系、
「I2」はバルカン系、
「E1b1b」はラテン系、
「J1」はメソポタミア農耕民系

等、民族と遺伝子がかなり密接に結び付いています。


  極東でも

Y-DNA「O1」/「O2」は長江文明系、
「O3」は黄河文明系、
「D1」はチベット系、
「D2」は縄文系、
「O2b」/「O2b1」は弥生系

など、やはり文化・民族と結びついています。

  では中央アジアの標準語であるテュルク語系民族は結びつく典型的な遺伝子が果たしてあるのでしょうか?今回調査をしてみました。

  実は当ガラパゴス史観がまだ20代の会社研究員だった頃、会社で初めてのイスラム圏の駐在員としてイスタンブ―ル大学に客員研究員として出向しました。トルコ人は日本人に対し特に親近感が強く(何と言ってもトルコと敵対していたロシアのバルチック艦隊を破り、   一方和歌山沖で難破したエルトゥール号乗員の救出などで)、当ガラパゴス史観も親しくしてもらったことと、もともとアジア系であったトルコ人には親近感があったことで、不自由のない駐在員生活を送ることが出来ました。   イスタンブールには駐在員の家族を入れても20人程度の日本人しかいなかった時代でした。

  と言う訳で、もともとテュルクにはかなり興味があるのですが、遺伝子的には良くわからない存在でした。そこでこれまで集めた海外論文を引っくり返し、テュルク語の4群分類に従って、Y-DNAデータを並べて見ました。   それなりに面白いデータになりましたので報告します。

  a) Siberian Turkic (Northeast) :
    主要遺伝子は、北部がY-DNA「N1c1」、南部がY-DNA「R1a」にはっきりと分かれます。
    恐らく最も古いテュルク語系と思われます。特にヤクート人はほぼ純系のY-DNA「N」
    遺伝子民族です。


  b) Karluk Turkic (Southeast)  :
    Y-DNA「N1c1」は少数派になり、Y-DNA「R1a」がやや優勢だが、遺伝子交配が進み
    ユーラシアの遺伝子がほとんど網羅されている。

  c) Kipchak Turkic (Northwest)  :
    東部のカザフはY-DNA「C3c」が主要遺伝子でモンゴル帝国の影響がくっきりと
    残っている。西部は明らかにY-DNA「R1a」が優勢。

  d) Oghuz Turkic (Southwest)   :
    テュルク代表のトルコ共和国が属するが、Y-DNA「J2」が優勢となる。


  e) 例外             :
    Bashkirはケルトやバスクと同じくY-DNA「R1b」が主要遺伝子。

  以上で、テュルク語群の典型遺伝子は存在しないが、居住する地域によって上記4タイプのY-DNAが主要もしくは優勢で、テュルクが西に進むに従い交配してきた遺伝子がはっきりと読み取れます。

  現在のY-DNA分布と中国正史に登場する殷周時代の四夷の位置取りを見ると


 ●北狄や続く丁零、高車、突厥など一群の草創期のテュルク系は恐らくY-DNA「N1c1」
    だろうと考えられますが、


  ・東夷の夷が弓を持つと言う意味ならY-DNA「C3c」騎馬民のモンゴル系・ツングース系
     しかいないはずですが、従順な集団だったらしいということになると
     該当は?です。

  ・西戎はY-DNA「D1」のチベット系しか候補はいないはずですが、Y-DNA「D」は、
     アンダマン諸島のY-DNA「D*」を見ると侵入者は皆殺しにするが、自ら侵略は
     しない穏やかな遺伝子族のはずなので、侵略・略奪を繰り返していたとなると
     むしろ当時既にY-DNA「O3」が交配して牛耳っていた可能性が高いです。
     もしくはY-DNA「R1a」/「R1b」に分化する前の「R1」か分化直後の「R1a」の
     可能性も考えられます。


  ・南蛮は?、現在も居住している長江文明の子孫のY-DNA「O2a」でしょう。

 


●テュルクが中央アジアに移動したときに、Y-DNA「R1」から分化したインド・アーリアン
    「R1a」と密に交配し新たな遺伝子構成に変化し、
 

●モンゴル帝国/キプチャク汗国のもとで征服者のジンギスカン遺伝子Y-DNA「C3c」が
    主要の集団に変化し、
 

●チムール帝国、セルジュクトルコ帝国、オスマントルコ帝国と西進するに従い、メソポタミア
    の農耕民遺伝子集団Y-DNA「J2」を取り込み農耕民化したようです。
    その際に既にアナトリアに居住していた、Y-DNA「R1b」も取り込んだようです。
    しかしBashkirの「R1b」の起源はまだ?です。

  しかし大きな謎は、テュルクと交配した集団は何故テュルク語を採用したのだろうか?と言う点です。   ブルガリアのBulgar人はもともとテュルク系の集団でしたが、「R1a」に取り込まれスラブ化してしまいました。   オスマントルコ帝国の征服時に再度テュルク化する機会はあったのですが、スラブを維持したようです。

  他の集団もスラブ化、モンゴル化、イラン化やアラブ化しても不思議ではなかったはずです。   最も合理的な推測では、イスラム教を取り込んだことがテュルク語を守ったことになったのではないかと考えられます。   トルキスタン=イスラム教と言うのが現代の状況なのです。   コーランの経典教育の共通言語としてテュルク語を採用した?と密接な関係があると考えるのが妥当でしょう。


  それでも何故アラビア語ではなかったのでしょうか?

テュルクの遺伝子構成にアラブのセム系Y-DNA「J1」が   極めて少ないことが結果として経典の単語はアラビア語でも教育システムとしてアラビア語と近縁にならなかったからかもしれません。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm 


69. 2015年12月24日 13:05:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[463]

「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなかった

シシリー (土曜日, 05 7月 2014 23:02)


「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく、何の変哲もない、一般的な「オーストリア人」の可能性が高い状況です。

「アドルフ・ヒトラー」のY染色体ハプロタイプを調査した結果、「E1b1b」であった為、「ユダヤ人」とのデマを広めた者がいました。迷惑な話です。確かに、ユダヤ人であるアルバート・アインシュタインも同じ「E1b1b」であるように、イスラエル人からよく検出されるY染色体ハプロタイプ「マーカ」です。

しかし、Y染色体ハプロタイプを知る者はすぐ分かるのですが、「E1b1b」は、その他、イタリア人、ギリシャ人、エジプト人等からも多く検出される「マーカ」であり、「アドルフ・ヒトラー」が生まれ育ったオーストリアでは、国民の10%が「E1b1b」を占めています。

↓「E1b1b」はヨーロッパ全ての国民から、多かれ少なかれ検出される「マーカ」であり、ジョンソン米大統領、ナポレオン・ポナパルト、ライト兄弟等も同じ「マーカ」です。
http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml

結論として、「アドルフ・ヒトラー」は「ユダヤ人」ではなく、何の変哲もない、一般的な「オーストリア人」となります。

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「ユダヤ人」との説があることは知っています。しかし、「アドルフ・ヒトラー」は政治家であるため、生前から、誹謗、中傷、攻撃する話は山ほどあるのは当然です。また、面白おかしく捏造した説もたくさんあります。しかし、科学的根拠もなく、記録すら無いものは、評価には値しません。現時点では「デマ」レベルと考えるほうがいいでしょう。
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http://ugaya.jimdo.com/2013/08/06/%EF%BD%84%EF%BD%8E%EF%BD%81%E3%81%8C%E7%B4%90%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%A8%E3%81%AF/  


70. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 13:07:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[464]

【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源がヨーロッパである可能性が浮上
Nature Communications 2013年10月9日

Genetics: Ashkenazi maternal lineages may originate in Europe
Nature Communications

アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの塩基配列解読が行われ、ユダヤ人の母方の系統がヨーロッパ起源である可能性が明らかになった。

これまでに、中近東やコーカサス地方を起源とする学説が表明されていたが、むしろヨーロッパ地中海地方であることが、今回の研究で示唆されている。

アシュケナージ系ユダヤ人の起源をめぐっては激しい論争が繰り広げられている。

父系遺伝するY染色体、母系遺伝するミトコンドリアと両親から遺伝する常染色体に関する遺伝情報を用いて祖先との関係を推定する研究が行われたが、相矛盾する結論が示されていた。

主に中近東(イスラエル/パレスチナ、レバノン、シリア、ヨルダンを含む領域)の人々を祖先とする見解があった一方で、主にコーカサス地方の人々が祖先だとする見解もあったのだ。

今回、Martin Richardsたちは、74点のミトコンドリアゲノムの塩基配列解読を行い、ヨーロッパ、コーカサス地方と中近東に由来する3,500点以上のミトコンドリアゲノムの解析を行い、アシュケナージ系ユダヤ人の詳細な系統史を再現した。

その結果、Richardsたちは、アシュケナージ系ユダヤ人のミトコンドリアDNAの変異の少なくとも80%が、中近東やコーカサス地方ではなく、先史時代のヨーロッパの系統を受け継いでいることを明らかにした。

この結果は、アシュケナージ系ユダヤ人の女性が、約2,000年前には、ヨーロッパに同化していた可能性を示唆している。

Richardsたちは、ヨーロッパの地元の女性が動員されて、改宗したことがアシュケナージ系ユダヤ人コミュニティーの形成にとって重要だったことが今回の研究結果で浮き彫りになり、今回の研究がアシュケナージ系ユダヤ人の系統史の再構築にとっての重要な一段階となったと考えている。
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8799


71. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 13:13:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[465]

アシュケナージ系ユダヤ人はハザール人ではなく、古代ユダヤ人の子孫とヨーロッパ女性の混血だった

「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する  三鷹板吉

ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した
後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブ
ライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語
をベースとしたイディッシュもその一つです。

 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的
理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりません
でした。変える理由も必要も無かったのです。

 たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。

 スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、
タガログ語は滅びなかったのですよ。

 ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。


ハザール人はあくまでハザール人であり、
東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。

 「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身
のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマ
ンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。

 まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケ
るのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。

 それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなん
ですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm


PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES
James Boster
Society for Psychological Anthropology Meetings
October 1997, San Diego, CA

http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/

アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。

これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。


「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が
“現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では
「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。

実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しない
までもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では
たいへん評価が高い。

そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も
「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。
http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html


アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。

その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。

かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる
以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html


 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れ
られているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人が
ドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降の
カザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。
http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体
の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。

離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、
例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であれば
ブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の
集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることが
できる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、
ほとんど見ることができない。
http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html


 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。

「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在
しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体
に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人における
ユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。

東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人
と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。
したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書
のイスラエル人子孫であると言うことができる。

http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24


現在世界各地に広がっているユダヤ人はすべて古代ユダヤ人の子孫だった.

ユダヤとアラブは血縁 染色体分析で確認

【ワシントン8日共同】ユダヤ人と、パレスチナ人などアラブ人が共通の祖先
を持つことがDNA分析で確認された、と米ニューヨーク大のハリー・オストラー博士らが9日付の米科学アカデミー紀要に発表した。

ユダヤ人とアラブ人に血縁関係があることは旧約聖書など宗教、歴史文書の
記述から当然とみられていたが、遺伝分析ではっきり確認できたのは初めてという。

同博士らは中東地域をはじめ、北米、アフリカ、欧州各国など世界29地域の
1371人の男性のY染色体のDNAを調べた。同染色体は父親から男の子に伝わり、
遺伝的に近い人は共通の特徴を持つ。

その結果、イスラエルや北米、欧州、アフリカ北部に住むユダヤ人のY染色体
に共通点が多いことが判明。ユダヤ人は紀元前にパレスチナから世界各地に
離散した後も他民族とあまり混血せず、遺伝的な同一性を保ってきたと
分かった。

またパレスチナ人、シリア人はユダヤ人とY染色体の特徴を共有しており、
旧約聖書などが示すように遺伝的なルーツは同じと分かった。(共同通信 2000/05/09)
http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bcg_weapons1.html


イスラエルで「建国根拠なし」本、ベストセラーに(朝日新聞)
2008年05月31日11時12分

 【エルサレム=村上伸一】
 シオニズム運動は、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が「祖先の地」に帰還するというもの。著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(61)=歴史学。3月にヘブライ語で出版され、アラビア語やロシア語、英語に訳される予定だ。

 著書では、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ――との説が記されている。

シオニズム運動は欧州で迫害されたユダヤ人たちが19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、追放されたという「通説」だった。

 これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。パレスチナ人から土地を奪うことを正当化するために、「2千年の離散の苦しみ」という理由が必要だったという。

古代ユダヤ人は大部分が追放されずに農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエルの初代首相ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と指摘していた。ユダヤ人の入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなったという。
http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/110.html


パレスチナ人とユダヤ人の比較遺伝学

パレスチナ人は、イスラエルのユダヤ人移民のほとんどと同じくらいのユダヤ人の遺伝子素材を持っています。

異なる地域のユダヤ人の間での遺伝子構造の類似性は過去十年にわたって十分に研究されてきており、Y染色体とミトコンドリアDNAの分析によって、これらの人々の共通の起源が確認された。

Y染色体とミトコンドリアDNAに関する何百もの遺伝子マーカーや、残りのゲノムのほとんどが、異なるユダヤ人社会の共通の起源を確認しています。しかし、また最近の研究で、異なるユダヤ人グループをある共通の先祖に結び付ける類似性のいくつかが、異人種との結婚によりオープンな文化を持つパレスチナ人の多くにも見つけられました。

イスラエルのベストセラーのリストに載っている学者Shlomo Zand本「ユダヤの人々はいつどのように作られたか」は、いくつかの裏づけとなる歴史的証拠を示しています。

現代のイスラエル国家の抑圧の下で数十年にわたり暮らしてきたパレスチナのアラブ人は、実際旧約聖書に書かれている『イスラエルの子供』と全く同じ先祖を持っているとZandは言っています。

およそ1万人の古代のユダヤ人がローマの戦争の最中に打ち負かされたと彼は推測しています。それらの生き残りのうち何人かは、アラブ人の征服者達がその地域を支配下に置いたときに、イスラム教に改宗し吸収されたと彼は言います。そのほか逃げて世界中に散らばり、私達が今日知るユダヤ人コミュニティを作った人々もいます。

Zandの歴史的なパレスチナの人々の説明は、パレスチナ人とユダヤ人の遺伝子分析を比較するこれまでの少数の研究によって立証されています。
http://ja.raelpress.org/news.php?item.146.1


Geneticists Report Finding Central Asian Link to Levites
By NICHOLAS WADE Published: September 27, 2003
A team of geneticists studying the ancestry of Jewish communities has found
an unusual genetic signature that occurs in more than half the Levites of Ashkenazi descent.
The signature is thought to have originated in Central Asia, not the Near East,
which is the ancestral home of Jews.
The finding raises the question of how the signature became so widespread among the Levites,
an ancient caste of hereditary Jewish priests.

ユダヤ人の祖先を研究している遺伝学者のチームはアシュケナージユダヤ人のレビ(祭司)階級の半分以上に出現する遺伝子の特徴を発見した。 この特徴は中央アジアに発するもので、ユダヤ人の祖先と考えられている近東起源のものでない。

アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。
http://www.nytimes.com/2003/09/27/science/27GENE.html


世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。
・ イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒)
・ ミズラヒム
・ 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews
 モロッコのユダヤ人
 アルジェリアのユダヤ人
 チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia
・ ペルシア・ユダヤ人
・ イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews
・ ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人)
山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部)
・ グルジーム
・ ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土)
・ インドと周辺のユダヤ人 Jews in India
・ コーチン・ユダヤ人
・ クナナヤ Knanaya(キリスト教徒)
・ ベネ・イスラエル
・ ボンベイ・ユダヤ人
・ バグダーディ(イラク系)
・ マニプール・ユダヤ人(集団改宗者)
・ 中国のユダヤ人 Jews in China
・ 開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1]
・ ヘレニスト
・ ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人)
・ イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い)
・ ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
・ セファルディム
・ アシュケナジム
アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム)
・ アバユダヤ Abayudaya
・ レンバ族(ジンバブエ) Lembas
・ サマリア人
・ ブラック・ジュー
・ ハザールのユダヤ人
・ カライ派
・ クリムチャク人
ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians
・ メシアニックのユダヤ教徒


東ヨーロッパに住み着いたユダヤ人はアシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。

スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン・トルコ圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。
アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒと呼ばれていた。

ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。


ユダヤ人の歴史

旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。

彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。

紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。

北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。

アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。

アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。

紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。

以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。

最盛期の人口は2億5000万人である。


「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり,キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう。

その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。

7世紀 - 10世紀に、カスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教としたが、その後相次いだロシア、ルースィ、ブルガール、オグズとの戦争により帝国は滅んでいる。

残党のハザール人も、結局はイスラム教に改宗したが、わずかに未だにユダヤ教カライ派の信仰を保っているハザール人の集落も東ヨーロッパには現存している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA

■アシュケナジーとスファラディー

 イスラエルに行きますと、よくアシュケナジーかスファラディーかの区別があることを聞きます。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別です。
 アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。彼らの祖先は、紀元1世紀にまで遡ります。当時のローマ帝国拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られています。ドイツやフランスにも居住区をつくりました。経済的には富み栄えたようです。

 アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後です。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされましたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていきました。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーでした。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させました。

 アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話しました。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉です。

 スファラディーとは「スペイン」を指す言葉です。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせました。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍しました。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実ですね。

 やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、1492年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放されました。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーでした。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていました。

 スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていました。今はすたれています。

 中世キリスト教とユダヤ教との論争をテーマにした『バルセロナの宮廷にて』(ミルトス)は、難しい内容を戯曲風にわかりやすく紹介していますので、当時の雰囲気がよく伝わってきます。


■アシュケナジーとカザール人

 宇野正美という人物が、自著の本で「アシュケナジーは本当のユダヤ人ではなく、カザール人というユダヤ教改宗者の子孫である」ということを主張しています。

 しかし、彼の主張がいかに誤りであるか、ここでの説明を見ていただければお分かりだと思います。少しユダヤ人の歴史の知識があれば、いかに虚偽で事実を曲げているかすぐ分かりますが、何も知らない日本人にはもっともらしく聞こえます。念のため、間違いを正しましょう。(氏の本にはその他たくさん誤謬がありますが、ここでは省略します。)

 第1に、アシュケナジーが古代ユダヤ人の流れを汲むことは、歴史的事実です。例えば、ドイツにローマ帝国時代のユダヤ人居住区(例えば、コロニア、つまり現在のケルン)があったことなど、ことさら無視しています。古代以来、ヨーロッパの諸都市にユダヤ人が居住していたことは言うまでもありません。

 第2に、カザール人とは、カスピ海とヴォルガ川沿いにあった国で、8世紀頃その王がユダヤ教に改宗したと伝えられる人々です。その国が10世紀に滅んだのち子孫がどうなったかは歴史に照らして検証される必要がありますが、ユダヤ人は改宗者であってもユダヤ人なのです。本当のユダヤ人でないとは、その点からも言えません。

 シュロモー・ザンド・テルアビブ大学教授が著した『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』という書(ヘブライ語原著、日本語訳はなし)も、このカザール人を論拠としたものです。これに関しては、隔月刊誌「みるとす」2008年8月号にてイスラエル人識者が論破しています。
http://myrtos.co.jp/info/judaism01.php

414 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:30:20 ID:MgwFllOM

どうも

東欧のユダヤ教徒=ハザルの末裔

という風説は欧州でのアラビア語文献学の進展で、昔キプチャク草原にユダヤ教国家が存在したという史実を欧州側が過剰反応し、しかも当時ロシアなどで再三問題になっていたユダヤ教徒問題を安直に結び付けたオリエンタリズム的ロマン主義の匂いを濃厚に感じる。

文献学的調査や考古学的調査では、遊牧部族集団におけるユダヤ教の需要は確認できてはいるようだが、これらテュルク系遊牧民であるハザルが定住化したのが起源ぽいことをいってはいてもそもそもこの定住化→東欧のユダヤ教徒の図式自体実証できてるか怪しい。

11世紀初頭にはすでにほとんど記録から消失傾向にあり、この頃アラル海東方から進出してきたセルジューク朝はムスリムだった。1220年代にチンギス・ハンがクリミア半島方面まで劫略しているが、ハザルやユダヤ教云々は何ら伝えていない。勿論ブルガール族についても触れてはいるがイスラームの信仰を保持していたかすら書いていない。ハザルにいたってはユダヤ教どころか存在自体記録されていない。

つまり、11世紀以降の黒海からアラル海北方地域の遊牧諸民族の動向が良く分かっていないにも関わらず、アシュケナジームはハザルを起源とする説はそもそもが憶測に憶測を重ねている俗説止まりの部分が極めて大きい。


419 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:41:37 ID:MgwFllOM
アシュケナジムとは、元来ドイツのライン川流域に定住していてドイツ語とヘブライ語が交じり合ったイディッシュ語を話す人たち。

カザールとは10世紀頃まで、カスピ海と黒海の間にあったトルコ系遊牧民族国家
ユダヤ教に集団改宗した。

論点は、ポーランド以東のイディッシュ語を話すユダヤ人が、ドイツ起源なのか
カザール期限なのかということ。

ドイツ起源説だけでは、数が多すぎるのが難点
カザール起源説だけだと、なぜドイツ語が変形されたイーディッシュを話すのか説明できない。


424 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:57:18 ID:MgwFllOM
カザール人は、黒髪、茶目トルコ系のはずだな。

なぜ、金髪、青目のアシュケナージ・ユダヤ人が居るのか?

ドイツで交じり合ったという説もあるが、ユダヤ教は2.3世紀には
スラブ人やギリシャ人に対する宣教活動を盛んにした。 キリスト教が
ゲルマンを改宗させようとした時、それに反抗する勢力がユダヤ教になった
という説もある。

白人優越論者=キリスト原理主義者が振りまくカザール=アシュケナジー論は
プロパガンダというのが常識でしょ。
http://2se.dyndns.org/test/readc.cgi/news18.2ch.net_news2_1156420267/


ユダヤ人のY-DNA遺伝子 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

  10月8日付けのNature Communicationsに

「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」

という内容の論文がでました。

一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。

ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の発信者だと言うことは驚くべきことです。 過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのです。


  するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に改宗・入信させたということになります。

ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか(たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に受け入れられたように)は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると

離散したユダヤ人は男性がほとんどで、まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化していったと推測することも出来ます。

  mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の中東系はわづか 8%に過ぎなかった。つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。

  興味のある方は是非、下記原著をお読みください。

A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages

Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Verónica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Jiři Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luísa Pereira & Martin B. Richards

Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13


  ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしもヨーロッパ起源とは言えません。

メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。

  欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。

もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は 49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとってはおぞましいことなのでしょうね!!

  ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンのmtDNAハプロタイプでもあります。ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1ö」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。

一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。   

アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた可能性もあるのです。


  更に言えば図中の mtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。

これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。

この論文の著者の分類は若干恣意的です、

西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と言いきるのは正しくはないですね。ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。


  ヨーロッパで最大の頻度を誇るmtDNAハプロタイプは図のmtDNA「H」になりヨーロッパ人の40〜50%を占めています。


  では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?

一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの頻度分布から調べて見ました。


  この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたるメンバーの報告になっています。研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。

     
また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも面白い一面です。

それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。


  調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて調査していました。

    また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。


・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。

・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。

・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。


  また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。


・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。

・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか?


ともかくこの分野の重鎮中の重鎮の Hammaer と Krafet の二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。


以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると

● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。

  いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を守ってきたのでしょう。


● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。

  Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。   

「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう?   

Ashkenaziを にせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiの Leviteに関しては充分納得出来ます。

  一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。

  不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを中東系と定義するのは非常に無理があります。

  ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。

いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他の Cohen や Israeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。   

何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時 Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。

そうして AshukenaziとSephardi は確立し、現代まで存続してきたようです。   


● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。

36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、   ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。

  ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」であることを如実に表しているようです。

  余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人 Israeliteの重要な構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。


● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。

  いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。   

とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他 Y-DNA遺伝子を Ashkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。

当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか?  

Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と交配を強力に進めた結果、mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。   

アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの先住女性と交配しながら新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。   

その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

【Y-DNA】ハプロタイプで語るスレ5【mtDNA】

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:14:13.26 ID:bCXeThSu

デヴィッド ロスチャイルドはEタイプのユダヤじゃないかな
Jだと鉤鼻だけど、この人はそうでもない


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:35:31.75 ID:0v1h9MNN

ロスチャイルドの直系ならJ2だよ
Jだと鉤鼻だとかはない

それは=鉤鼻じゃなくなれはJではなくなるということになるからな


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 01:44:51.71 ID:0v1h9MNN

ロックフェラーはセファルディと言われてるからそれが本当なら
かなりの確立でEだな


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 03:58:46.29 ID:Q9nrpMEV
>>25
アインシュタインもEだそうだけど、セファルディなの?

地理的にはアシュケナージっぽいけど

どっちにしても、ユダヤの定義の1つはは母系で継がれてることのはずなのに、父系でも中東由来のY-DNAが見られるってことは、案外ユダヤ人ってヨーロッパに入ってきてからも内婚的だったのかな

あるいは実際は経済的に困窮して、ユダヤの小金持ちに買われるように嫁いできたゲルマンやスラブの娘っ子を、改宗させて名目上ユダヤ人と言うことにしたのかな。そしてむしろユダヤの血は父系的に継がれていったとか


28 :片手鍋:2013/12/08(日) 07:44:24.26 ID:X+efL8eU

なぜ母系重視かと言うと単にセム系は母系で増えやすいから


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:09:03.36 ID:MlJdVYKE
>>27
アシュケナージは基本的にドイツに住む白人とユダヤ人との混血ユダヤ人で碧眼だったりする。アインシュタインはアシュケナージと言われるが、
中東にいた時の形質がでてるんじゃないかな。
http://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=22177000005&GroupCD=0&no=


33 :片手鍋:2013/12/08(日) 11:14:08.99 ID:X+efL8eU
>>32
Eを中東系って言ってる?
http://www.eupedia.com/images/content/Haplogroup-E1b1b.jpg


36 :片手鍋:2013/12/08(日) 11:38:28.90 ID:X+efL8eU
>>32
イタリアンハゲとE系統遺伝子は相関があるはずだ。
http://www.eupedia.com/images/content/Haplogroup-E1b1b.jpg
http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/64/2013/5/1/5105b22666325fe6805bcacace652b9a2e2ec4fb1382539878.png

すなわちチョンマゲとイタリアンハゲは同じくDE系統をルーツに持つ


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:41:38.94 ID:MlJdVYKE
>>33
悪い。中東と言ってもイスラエルでアラビアじゃなかった。
Eでアラビアでは少ないのな。


38 :片手鍋:2013/12/08(日) 12:12:32.67 ID:X+efL8eU
>>37
通説では「YAP遺伝子」が中東で多いって話なんだよね?
あれもY染色体だっけか

Eが多いモロッコは北アフリカだしね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Y-DNA_haplogroups_by_populations_of_Near_East

でも↑ここではモロッコ(Arabs)だね。
なにゆえモロッコがアラブなのか。アラブの定義とは何なのか。

しかもモロッコ人ハゲてないよね。
ハゲてもらわないとこまるじゃないか。
DEハゲ理論が台無しだ。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 12:27:33.61 ID:mImuiEn8

E1b1b が突出して多いのはベルベル人とソマリ族
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/10-6.htm


255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 00:30:37.65 ID:TDt/5Syt

Y染色体にはもう数十個しか遺伝子が乗っていない

それに対してX染色体は1400個以上遺伝子が乗っている

男はXY
女はXX

男の子が父親に似ないとは言われるけど、Yの数十個しか遺伝子をもらっていないから確かに似にくいんだ

そして遺伝子がいっぱい乗っている、女性を大事にしていない人種というのは確実に発展はしないだろう

欧米はレディーファーストだとか、行き過ぎた文化に女性に処女を求めたりすることがあった

ユダヤ人も母親がユダヤ人な場合、ユダヤ人だ

女性を大事にしない人種は遺伝子的観点からみて、発展する余地が少なく遅れをとるだろう


263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 14:49:43.38 ID:EJ3p1psQ
>>255
>ユダヤ人も母親がユダヤ人な場合、ユダヤ人だ

アブラハム、イサク、ヤコブって男系だよね。
いつから女系に変わったんだろ?


266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 02:27:35.81 ID:ZxEAwKC7
>>263
実は建前とか
そうでもなきゃ混血もしてるはずのアシュケナージ系のアインシュタインのY-DNAが中東系のEなはずがない
あるいは意外にも内婚的だったとか?


267 :片手鍋:2013/12/20(金) 11:46:57.41 ID:1yifz514
>>263>>266
あのね、赤ちゃんっていうのはお父さんとお母さんが交わってできるので
お父さんとお母さんの両方の遺伝子をもらって生まれてくるんですよ。


582 :Anonymous:2014/01/24(金) 23:08:15.61 ID:hfG15UMz

ユダヤって母系だからY染色体って意味ないんじゃないの?


588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:46:20.86 ID:Fr+xgJug
>>582
ところがアインシュタインのY-DNAは中東系のE。
予想以上にユダヤ人は内婚的な集団だったか、母系継承はほぼ建前だったか


589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 11:51:12.96 ID:FlYx9kSo
>>588
前者の方だよ
ユダヤの閉鎖性はかなり根が深い


590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 12:32:17.93 ID:i71BsIWt

ユダヤ確立以前の基層に卑弥呼的な母系社会が有ったんだろ。


591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 12:42:51.83 ID:21gwrWzs

ユダヤは閉鎖性というより、選民意識があって
ユダヤ人が読んでるタルムード、ゾハールには「異邦人(ユダヤ人以外のこと)と性交渉したならばラビに鞭打たれる。

ラビは、その懲らしめられたユダヤ人は雌驢馬と性交渉したからだと言った」とか他にも色々書いてあるけど
ユダヤ人以外の人と結婚するのはかなり難しいように思う


680 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 14:50:38.04 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)

教えてほしいんだけど、ユダヤ人はEに含まれるの?


687 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 18:21:20.50 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>685 
D系統がハム系やセム系になることなどありえないでしょう?


688 :片手鍋:2014/01/28(火) 18:54:02.57 ID:sMoy9eoI
>>687 
そう、Eがハム。


689 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 19:05:00.89 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>688 
ユダヤ人はセム系で、Eを含むということでいいの?

Qは何人なんだい?


690 :片手鍋:2014/01/28(火) 19:20:59.22 ID:sMoy9eoI

Qがセム。
ただこの父系はあんまり子供できないんで、
ユダヤ人は母系を重視することになってるわけだ。


691 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/28(火) 19:25:29.33 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>690 
アインシュタインはユダヤ人だけど、ハム系の父系祖先をもっていたということだね。


692 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/01/28(火) 19:27:30.02 ID:6w0OAudp ?2BP(1000)
>>690 
ユダヤ人が母系を重視するってのは、古代からなのかい?
ドイツ第三帝国によって、ドイツに住むユダヤ人女性の八割はドイツ人ゲルマン民族男性と結婚したと聞いたけど。


702 :片手鍋:2014/01/29(水) 01:01:43.45 ID:6MYMSKYD
>>692
>ドイツに住むユダヤ人女性の八割はドイツ人ゲルマン民族男性と結婚した

その結果がこうなわけでしょ。
http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/03/31/article-0-002BCB7D00000258-577_634x584.jpg

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 19:51:34.34 ID:TjDFZiUk

ノアを人類の出アフリカとすると

ハム F
セム DE
ヤペテ C

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 23:36:36.33 ID:Yj582ohQ

アフリカの諸民族を Y-DNA ハプロタイプと言語で分類すると、

E の中で、E1b1a がニジェール・コンゴ語族、
E1b1b がアフロ・アジア語族(セム系以外のいわゆるハム)、
ナイル・サハラ語族とコイサン語族が A (A1b1)、
ピグミーが B だと思う。

あと、セム系(ユダヤ、アラブなど)は J が多い。
J が E の言語になったのがセムじゃないのかな。

694 :片手鍋:2014/01/28(火) 19:45:43.47 ID:sMoy9eoI

「ゲルマン人」の定義はよく分からない
オリバーカーンとかスペンサーウェルズみたいなの?


700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 23:52:41.01 ID:Yj582ohQ途
>>694
ゲルマン人を印欧語族ゲルマン語派の言語を話す人々だとすると、
北欧(フィンランド以外)は I1 なんで元はそうかもね。

でも、印欧語族は R だしな。R1a がスラブ、インド・イラン語派、
R1b がケルト、ラテン、ゲルマン語派にざっくり対応するけど、
そんなに簡単ではないのだろう。


701 :片手鍋:2014/01/29(水) 00:11:54.31 ID:6MYMSKYD
>>700
やっぱりI1=「ゲルマン」になるのか。
いかにも、白デニソワとネアンデルタールが混ざった人種が混ざっているという容姿の人達。


701 :片手鍋:2014/01/29(水) 00:11:54.31 ID:6MYMSKYD
>>700
やっぱりI1=「ゲルマン」になるのか。
いかにも、白デニソワとネアンデルタールが混ざった人種が混ざっているという容姿の人達。


703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 01:03:09.81 ID:JZMvRs6p

アシュケナジのYDNA 現地民と違うけど


815 :片手鍋:2014/02/01(土) 13:28:05.74 ID:MUg5cEoi

白人ってか黄色味のない白さの肌(pasty white)は洞窟人由来だよね。

でも、ネアンデルタールとの混血で変に知恵持ってるのがいる。
それでうっかり人間だと思ってしまうと

http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2013/03/31/article-0-002BCB7D00000258-577_634x584.jpg

こういう結果になる。

やたら成長が早く、ふけるのも早いのが特徴。


818 :大韓民族回帰 ◆XB7AjTRRiE :2014/02/01(土) 13:43:30.18 ID:pDGkNi6J
>>815
アインシュタインもそうだが、ユダヤ系の遺伝子と白人が混血し障害ではない完全に近いアスペを作りだした。

近代ヨーロッパはそういう人種、次世代のヒト進化のきっかけまでたどり着いた結果として現代の社会秩序を生み出した。

あと成長が早いのは欧米人の遺伝体質だよ。

いずれにしてもこれからのデジタル社会でハイテクを使いこなし頭で人類を支配するデジタリアンが成立する。

そしてその先には遺伝子的なあらゆる欠点を改善したゴッドサピエンスが形成されヒトは遂に種として別れる。

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 14:50:29.73 ID:LhYwWHsi
>>815
>ユダヤ系の遺伝子と白人が混血し障害ではない完全に近いアスペ を作りだした。
>近代ヨーロッパはそういう人種、次世代のヒト進化のきっかけまでたどり着いた結果として現代の社会秩序を生み出した。


近代化が成功だったとはいえんよw
まだたかだか100〜200年程度だろう

ユダヤ人の成功は、遺伝によるものではなく職業選択の不自由性によるところが大きい

アスペルガーのなかには成功した人もいるが不適応者も沢山いただろう

つまり近代化と遺伝は無関係だしアスペルガーが近代化に対応したともいえない
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1386316632/


72. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月24日 21:29:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[468]

メリー・ホプキン Fields Of St. Etienne
https://www.youtube.com/watch?v=s2UX7_kpNHg
https://www.youtube.com/watch?v=ustQwQ_Bwvs#t=116

Mary Hopkin in Italy January 31, 1969
https://www.youtube.com/watch?v=fX1YUYuA2Ug


Fields of St. Etienne


Through the fields of St Etienne        サンテティエンヌの野原をぬけて
Amidst the corn I wander             とうもろこし畑の只中を私はさまよう

In my hand an ear of corn the morning dew has kissed  手には朝露に濡れた
                                 一粒のとうもろこし 
      
       
Here beneath these skies               この空の下で

I lay with my lover                 私は愛する人と寝そべっていた

While the summer winds gathered clouds of war    夏風に吹かれて   
                            暗雲がたちこめるのも知らず…


Au revoir my love                   オ・ヴォア 愛する人

Though the reasons pass me              私には分からない

Why we can't remain in the fields of St. Etienne  どうして私たちは
                            あの土地に留まることができないの?

Waving proudly, singing loudly         誇らしげに手を振って 歌声は高らかに

Being young and foolish             若く まだ愚かな彼は

He was going never knowing           二度と戻れぬ道と知らずに

He would not return               あの道を歩いていった

Singing songs of war               それは戦の歌

Filled with God and country           ”神”と”愛国”の言葉に満ちた歌

Marching down the road with the boys that day  彼はあの道を
                            若い仲間と共に行進していった   

Au revoir my love                   オ・ヴォア 愛する人

Though the reasons pass me              私には分からない

Why we can't remain in the fields of St. Etienne  どうして私たちは
                            あの土地に留まることができないの?


Au revoir my love

Though the reasons pass me

Why we can't remain in the fields of St. Etienne...


※ Au revoir …フランス語で”さようなら”
http://ameblo.jp/montagna225/entry-11909443499.html



73. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月25日 14:38:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[480]

「身元不明の金髪の天使の謎」で話題のロマ族


ジプシーが金髪の少女を誘拐 ロシアTV
https://www.youtube.com/watch?v=4nXRlbNDzU0

ジプシーが金髪の少女を誘拐 誘拐はなかった ロシア・ブルガリアTV
https://www.youtube.com/watch?v=q_QsJsAe-hQ

ロマの村で発見された金髪の少女マリアの両親判明(日)
https://www.youtube.com/watch?v=dwt4RSw8jec

ロマの夫婦にコジキをさせられていた金髪に白い肌、青い目の少女マリア
ギリシャ 2013年10月21日


ロマの夫婦と金髪に白い肌、青い目の少女マリア
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/a/7/a7ea27ab.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/f/5/f5abb933.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/b/c/bc084dfb.jpg
http://abcdane.net/site/morenews/2013/10/roma-blondgirl-greece.html

ギリシャ警察は2013年10月20日までに、中部ラリッサLarissa in central Greece近郊にある少数民族ロマ族Roma(ジプシーgypsy)のキャンプで身元の 分からないマリアmariaと呼ばれる白人の少女(4)を保護したと明らかにした。誘拐事件や人身売買に巻き込まれた可能性もあるとして情報提供を呼び掛けている。

roma地元メディアよると、両親を名乗る男女と外見がまったく違い、事情を聴いた所、 スーパーの前で見つけたなど、男女の供述が二転三転したためDNA検査を実施し、血のつながりはないことが判明し、少女の両親を名乗ったロマ族の男Hristos Salis(39)と女Eleftheria DimopoulouまたはSelini Sali(40、名前が2つあり、生年月日、出生地も違っている)は、 未成年者の拉致や文書偽造の疑いで逮捕された。


警察はロマ族の麻薬密輸の捜査でこのキャンプを訪れた際、捜索先の家の毛布からのぞいている金髪に白い肌、 青い目の少女を発見。

わずかなギリシャ語とロマの言葉しか話せず、警察は北欧かブルガリアの出身ではと推定している。

4歳の少女は、通りでお金をもらうようにコジキをされられていた。

事件は大きな関心を呼び、警察は、異人種の子供を育てていた今回のケースは珍しいとしている。


確かに典型的な北欧の女の子に見える。

フィンランドではジプシーをムスタライネンMustalainen(ジプシーが普通褐色の肌をしていることから、直訳すれば黒い人)と呼び、個人的な記憶でも、暗くなって外で遊ぶ子に親が「ムスタライネンが来て連れて行かれるよ」と言っていたのを覚えている。

2013年10月24日:メディアの独自の調査により判明した病院の出生記録から、彼女の母親が判明し、母親の名前は Sasha Ruseva、出身は黒海に面したブルガリアの都市ブルガス Burgasで、マリアは2009年1月31日のギリシャの Lamiaの病院で生まれと公表された。


35歳(当時?)の母親は、2008年にギリシャで農場労働者として働いている時期にマリアを出産し、当時すでに2人の子供があり経済的に養育が難しく、人身売買の組織に子供を売った可能性が言われている。ブルガリア人の Michalisという男と娼婦のカップルがマリアを1000ユーロでジプシーの夫婦に売ったとも言われ、ギリシャとブルガリアの警察が調査中。現在人身売買の罪で拘留中のロマの夫婦は、マリアを買ったことを認めている。


話が複雑になってきたが、ブルガリアの小さな村に住む Sasha Ruseva, 35歳と夫のAtana Rusev, 37歳が10月24日朝ブルガリア警察の取り調べを受け、

マリアの母親らしい Sasha Ruseva
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/7/b/7b595ae6.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/nappi11/imgs/6/7/67f466ab.jpg

が確認され、夫婦がマリアを売った可能性が高い。彼女にはすでに10人近い子供がおり、そのうちの二人は金髪で青い眼をしており、母親は、二人は夫が持っている遺伝子によりアルビノ:先天性色素欠乏症albinoだと主張している。


2013年10月25日:フルガリア当局は、DNA鑑定の結果、ブルカリアBulgaria中部のNikolaevoにあるロマ人キャンプに住む Sasha Ruseva( Saska Ruseva) と彼女の夫 Atanas(Atanas Rusev)が生みの親であることを確認し、彼らが生まれて7カ月のマリア(その時の名前はStanka)をギリシャで手放したとしている。

夫婦にはほかに9人の子供が確認されている。彼女は、子沢山や貧困、証明書(パスポートは有料)などの不足からマリアをギリシャに置き去りにし、後で連れ帰るつもりだったができなかったと説明し、マリアの引き取りを希望している。

マリアは現在ギリシャの慈善施設で暮らしている。CNNの取材では、ブルガリアで隣の村 Gurkovo に住む20歳の長女Katia(既婚)もまた、白い肌で青い眼、赤く染めた金髪で、母親と同じ当時の状況を語り、母親は書類整備のためブルガリアに戻ったとしているが、両国の警察は、母親が妊娠したうえでギリシャにわたり、生まれた子を売ろうとしたという疑惑について現在も捜査を行っている。
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/3919444.html


金髪ロマ少女マリアはアルビノなのかもしれない。2013年10月25日
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2475971/Bulgarian-Sasha-Ruseva-believed-Marias-mother-wants-Greece.html


ギリシャのロマ・キャンプにおける金髪少女マリアの事件だが、その真の母親らしき人物が名乗り出た。

女性はブルガリアのNikolaevoにあるロマ・キャンプに住むサーシャ・ルセヴァ(37)。

彼女自身はロマらしく肌が浅黒いが、10人の子供のうち、5名が金髪だ。

理由は、夫にアルビノ遺伝子があるためだという。
http://maash.jp/archives/23917

______


ロマ(Roma)は、ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族である。インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派中央語群のロマ語を主に使う。

ロマは西暦1000年頃に、インドのラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いたとされる。

旅に出た理由は定かではないが、西方に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパにおいて史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受けることとなる。

最新の遺伝子研究ではインド先住民のドラヴィダ人との類似性が示唆されてきている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E


Haplogroup H (Y-DNA)

・多くのインド人が持つ遺伝子であり、他所ではほとんど見つかっていない。ただしロマ人(リンク)はこのハプロタイプを持っている。

・ハプロタイプFから派生したもので、3万〜2万年前にインドで発生したと推測される。

・インド南部の先住部族(ドラヴィダ系)や、カースト下位の者に多い(25〜35%)。逆にカースト上位者ではせいぜい10%程度しか見られない。
http://familypedia.wikia.com/wiki/Haplogroup_H_%28Y-DNA%29
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=244441

インドは 主要Y-DNA「R1a」と「H」の代表国家 

  インドはY-DNA「G」〜「T」までの新興遺伝子全てが古代遺伝子の一つのY-DNA「F」から分化した、近代国家の故郷の亜大陸になります。

このためインド亜大陸はあらゆる新興遺伝子が分布しておりこのため何と2000以上の民族/部族/集団があると言われています。その中でも公式に認定されている民族/部族だけでも700以上になると言うなんとも遺伝子の混沌な土地です。 さすがにY-DNA「G」以降の全ての新興遺伝子の親遺伝子の古代遺伝子Y-DNA「F」が分化した新興遺伝子の故郷インド亜大陸です、混沌としているのは当然なのでしょう。


カーストは部外者にはわかりにくいのですが遺伝子頻度調査で浮かび上がったのは予想通り、

上流カーストは支配階級の「R1a」頻度が高く、下層カーストは「H」頻度が高いことです。

これが「H」がジプシー化した根本原因ではないかと推察出来ます。

本来なら少数民族として定着をするのでしょうが、「R1a」の支配の抑圧を嫌い定着を拒んだのかもしれません。


1. インド亜大陸で最も古い遺伝子は全新興遺伝子の親の古代遺伝子Y-DNA「F」です。
古代遺伝子「C」と「F」は出アフリカ後の中東地域でネアンデルタール人と交配しネアンデルタール人が数十万年かけて獲得したエピジェネティクス形質を一気に手に入れたようです。赤毛碧眼・金髪・彫深顔・色白肌・大柄等々は全てネアンデルタール人のオリジナル形質と思われます。

2 「F」の長男遺伝子のY-DNA「G」はコーカサス遺伝子と呼ばれるようにインド亜大陸には留まらずコーカサス一体に移動をしたようです。コーカサスの高原・山脈地帯が好みだったようです。

  
3. 二男遺伝子の{H」はインドの重要な遺伝子として今も残っていますが、その後のインダス文明人やインド・アーリア人の興隆でインド亜大陸の主役ではなくなりました。一部は定住できずに放浪するジプシー民族となりました。

  
4. 次の「I」はどんどん西に進みヨーロッパ大陸でクロマニヨン人として遺跡を残し、氷河の後退とともに地中海沿岸から北上し後にノルマン人として活躍することになりました。一部はヴァイキングとなりヨーロッパ大陸沿岸を荒らしまわり、一部は現ロシア地域に進出し公国等を興し、子孫にトルストイを残しました。

  
5. 次の「J」はセム族遺伝子としてまたメソポタミア文明遺伝子として「I」同様西に進みヨーロッパ大陸に最先端の農耕文化をもたらし、その後アラブの主要遺伝子となり地中海両岸の主要民族となっています。

  
7. 次の「K」は移行段階の遺伝子でインド亜大陸に留まったようですが、「L」以降の全ての遺伝子の親遺伝子となりました。

  
8. 「L」はインダス文明の遺伝子と認知されたようです。と共に「L」を主遺伝子とするドラヴィダ人がインダス文明人の子孫であることも認知されつつあるようです。

  
9. 「T」は遺伝子頻度が低く本来「L2」でも良かった子亜型タイプなのですが、米国第三代ジェファーソン大統領の遺伝子であることがわかり、主要ハプロタイプに格上げされました。ところが「S」まで既に埋まっていたため「T」となったのです。

  
10. 「M」はインド亜大陸を東に進みスンダランドから更にサフールランドに進み、ニューギニア・メラネシアの主要遺伝子になりました。

  
11. 「N」は移行タイプの「NO」時代に東進し華南に移動しそこで「O」と分化し、更に北上しシベリアに住み付きシベリア系遺伝子となり寒冷地適応しましたが、多くが北ユーラシアを西進しバルト海・スカンジナヴィア周辺に住みつきウラル系遺伝子ともなりました。

  
12. 「O」は言わずと知れた極東遺伝子です。先進だった「O1」(楚系?!),「O2a」(越系?!),「O2b」(呉系?!)が長江文明を興し、後進だった「O3」は北上し自然が厳しい黄河流域で黄河文明を興しその後中華大陸の覇者になり、現在は極東のほとんどの先進国の支配階級遺伝子として君臨しています。現在は世界の覇者「R1b」に覇者交代を目論み戦いを挑んでいます。

  
13. 「P」は基本的にはインド亜大陸に留まりました。やはり移行段階の遺伝子で「Q」と「R」の親遺伝子となりました。

  
14. 「Q」は大冒険者遺伝子で北上しベーリング陸橋を渡り南アメリカ大陸の南端まで拡散し、南北アメリカ大陸の長い間主役の遺伝子でした。

  
15. 「R」はインド亜大陸に留まりましたが、その中から「R1」が分化し更に「R1a」と「R1b」が分化し、「R1a」はインド・アーリア人としてインド亜大陸の主役となり、一方北西に「R1b」と共に移動した集団はスラブ人としてロシアに留まり主役になりました。

しかし更に西進した「R1b」の中で純血を好んだ一部はケルト系民族としてヨーロッパの先住民となり、多くは「I」や「N」と交配しケルト・ゲルマン系となり、古代遺伝子「E1b1b」と交配した集団はローマ・ラテン系としてローマ帝国を興隆させました。いずれにせよ現代ヨーロッパの主役であり、「R1b」は世界の覇者の遺伝子です。

  
16. 「S」はハプロタイプとしては不思議な存在です。何故「S」が分化する必然性があったのか全く謎ですが、しかも何故ニューギニアに存在するのか?ニューギニア・オーストラリアのサフール大陸には古代遺伝子「C2」が少なくとも4万年前にはマグロ漁を行っていたことが報告されています。そこに新興遺伝子の「M」がインド亜大陸から移動をしニューギニアからメラネシアに進出しました。過酷な土地なのでそれ以上の遺伝子は必要なかったはずなのに突如「S」が出現したのです。

しかも「C2」や「M」同様ニューギニアとその東の太平洋の島々のみに生存しているのです。今のところの仮説はネアンデルタール人のアジア型のデニソワ人がシベリアから南下する途中で「R」と交配し分化したのではないかと言うものです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm



74. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月25日 14:47:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[481]

Flamenco Dance
https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q

2015-06-09
1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html

ヨーロッパは日本のように島国ではないので、様々な民族が国境を越えて行き来する。多くの民族は土着して、その国の「国民」となっていくのだが、中には定住するのを拒絶し、旅の生活を続ける民族も出てくる。

ヨーロッパではその最大勢力が「ロマ」である。単純な強盗や万引きなどの事件には、流れ者の民族であるロマも関わってくることが多い。

もちろんロマの人たちが全員「盗人」ではないが、やはり彼らの一部が強盗・万引き・麻薬売買に関わっているのは否定できず、ありとあらゆる場所で嫌悪されている。

この「ロマ」はヨーロッパに約1000万人いるというのだから、尋常ではない。国を持たず、流浪する民族が1000万人と言えば、さすがに目立つ。

このロマが定住する最大の国がルーマニアなのだが、ルーマニアもひどく貧しい国であり、そんな貧しい国に定住しているロマはどん底の貧しさであると言われている。


人種も、文化も、宗教も、気質もまるで違っている

ロマがルーマニアに200万人近くいて、人口の一割を占めているとは言っても、この1割のロマが受け入れられているというわけではない。

受け入れられているというよりも、やはりルーマニアでも嫌われていて、「泥棒」の代名詞となっている。

ロマが嫌われるのは、4つの理由があるというのは、以前にも書いた。

(ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900


彼らは、人種も、文化も、宗教も、気質も、何もかもヨーロッパとは違っている。時には言葉すらも通じない。

それでいて忽然と現れて、好きなところに「勝手に住み着く」のだから、地域住民から見たらまさに不法侵入者でしかない。しかも、この民族の子供たちは「万引き」をするために他人にまとわりつく。

「ロマの子供たちは学はないが、泥棒の仕方だけは親に学ぶ」

ヨーロッパの多くの国の観光地で、窃盗・万引き・置き引きが毎度のように発生するのは、ロマの子供たちがいるからであると言われている。

彼らはその街や村にやって来ると、そこの原っぱのようなところで誰の許可もなく勝手にキャンプを張る。

そして、ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。

そんな民族が1000万人もいる。だから、ヨーロッパではそれこそ1000年も昔からロマは頭痛の種だった。彼らはヨーロッパ中をさまよい歩き、今もその流浪と独自性で嫌悪と拒絶の対象になっている。

ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。


文化は受け入れられても、民族は排除されてしまった

ロマはロマの文化がある。彼らは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、流浪の民の文化は一部では崇拝を呼ぶほど信奉者も多い。

彼らは陽気で歌や踊りが大好きだ。その中で、最もよく知られているのはジプシー特有のけたたましい音楽だろう。

女性がスカートをなびかせ、足を踏み鳴らし、激しく踊るその様は見ている者を陶酔すら呼び起こすものである。

このジプシーの文化は、やがてヨーロッパ中の音楽にも取り入れられ、その踊りもまたヨーロッパ人に大きな影響を与えた。特に大きな影響を与えたのはスペインだ。

スペインに流れ着いたジプシーたちが、その土着の音楽と自分たちの音楽を融合させて生まれた独特の音楽は「フラメンコ」と呼ばれるようになった。

フラメンコは15世紀にはすでにスペインで定着していたわけで、その歴史は相当古い。まさに歴史的音楽であると言える。

とは言っても、この「ジプシー」がスペインで受け入れられたというわけではなく、やはり忌避されていたのである。

フラメンコという文化はスペインの文化になったが、皮肉にもそれを伝えた「ロマ」は相変わらず嫌われて、スペインのどこに言っても迫害され続けていた。

ジプシーと言えば、「占い」もまたひとつのビジネスだが、この占いもまたキリスト教徒から見れば「悪魔の業(わざ)」のように見えたわけで、キリスト教徒から見て不吉なものでもあった。

リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。

「黒猫は不吉な存在で、それが目の前を通ると誰かが死ぬ」というようなものだ。

リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。

Flamenco Dance
https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q


「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っている

ロマの流浪と文化は本当に異質であり、泥棒文化が嫌われ、何度も何度も地域住民と衝突して、今もヨーロッパはロマとどのように折り合いを付けたらいいのか分からないまま、困惑し、嫌い、排除しようとしている。

もっとも、そのロマも流浪する生活を頑なに守る人々が減っており、そのほとんどが定住するようになっているという。

ところが、定住しても独自文化を守ろうとして、地域の教育も無視するので、どこの国でもロマの人々は極貧の生活を強いられているようだ。定住はしたものの、地域と同化したわけではないということである。

ロマを支援する人々は、支援も理解も足りないと訴えるのだが、当のロマ自体が支援も理解も拒絶して自分たちの独自文化の中に引きこもることもあり、問題の解決は容易ではない。

また、地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。

イタリアは、ロマの人たちが公営住宅に入れないように、政府が自らロマ排除に動いていたし、スロバキアでも機動隊を投入してロマのキャンプを叩き潰して追い出した。

ロマが200万人も定住するルーマニアでも、ロマは政府と国民に就職も住居も結婚も一般国民と交わらないように「積極的排除」されている。

ヨーロッパでは「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っているのは、誰もがロマの問題を解決できないことを知っているからである。

地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


2010-11-26
ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900

スリランカ・シンハラ系民族の女性に惹かれて付き合っていたことがあるのだが、それが自分の美の概念を根底から変えてしまった。

あっという間にインド・アーリア系の女性の美しさに魅せられ、悩まされ、そして当惑させられ(Bewitched, Bothered and Bewildered)、今でも、世界で一番美しいのはインド女性だと信じて疑わない。

あの瞳、あの笑み、時に甘美で、時に凶暴で、全体的に力強く、視線の強さや、横顔の端正なシルエットは他のどの民族からも受けないインパクトがある。

カルカッタでも、ムンバイでも、そしてスリランカでも、バングラデシュでも、はっとするような女性があちこちに存在する。その美しさに心を揺さぶられる。


ロマが、インド系の民族だというのを知って仰天

だから、アフガニスタンのヘロインがヨーロッパに到達するルートを調べてバルカン半島にまで知識の探究が辿り着いたとき、たまたまロマ(ジプシー)が、インド系の民族だというのを知って仰天した。

子供の頃から、ハイエナはずっとイヌ科の動物だと思っていたのに、実はネコ科のほうだと分かったとき以来の驚きだったかもしれない。

いや、それよりも数倍インパクトが強い。何しろ、ハイエナに恋焦がれたことはないが、インド女性には何度も恋焦がれている。関心の度合いが違う。

ロマ(ジプシー)の存在は私の中では非常に影の薄いものであったが、彼らがインド圏であるというのであれば話は別だ。

アジアは私の最大の関心であり、ましてインド女性は私がもっとも惹かれる民族なのだから、ロマという民族がその血を受け継いでいるのであれば、関心を持たないほうがどうかしている。

ロマ(ジプシー)の少女

今年9月からアジアに流通する麻薬に興味を持って調べていたのだが、トルコからバルカン半島まで入ったところで、関心がロマにそれた。それもまた一興なのかもしれない。

それから急いで数冊の本を買って、時間のあるときに読み耽っているのだが、以前から知っていた何人もの人物が実はロマ(ジプシー)出身だと知ったり、その凄絶な歴史を知ったりして興味深い。

たとえば、ユル・ブリンナーという古い俳優がいたが、彼がロマ(ジプシー)出身だったとは知らなかった。世界ロマ連盟の初代会長がユル・ブリンナーだった。

ユル・ブリンナー

イギリスで「ブレイク・アウェイ」等のヒットを飛ばした女優・歌手のトレイシー・ウルマンという女性もまた母方がロマ出身だったというのも知らなかった。

トレーシー・ウルマン

チャーリー・チャップリンもロマ出身だ。ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。

チャールズ・チャップリン

チャップリンが貧しい人たちと、虐げられている人たちの中に自分の役柄を置いた根源的な由来が、彼の血がロマ(ジプシー)の出だということで分かったような気がした。

ロマ(ジプシー)は今でも虐げられ、ヨーロッパ全土で差別の対象になっている。


ヨーロッパ人が排除したい民族

スイスと言えば、美しいアルプスの山脈と素朴に暮らす人たちの光景が思い浮かぶ。あるいは、時計職人、銀行家というイメージも別にある。

そのどれもが保守的で物静かな感じを受けるのだが、ロマの歴史からスイスを見たとき、スイス人はとても残酷な歴史を隠蔽している民族なのではないかという疑念がふつふつ湧いてくるようなものもある。

たとえば、スイス政府の認定を受け、閣僚も名を連ねる「青少年のために(Pro Juventute)」という組織の十数年にも渡って続けてきた行為などは、私が想像に描いていたスイス人のイメージとは違う。

この団体は、「ロマの子供を両親から引き離し、ロマ民族と文化を殲滅する」というスローガンを抱えて、実際にロマの子供たちを誘拐し、強制収容し、ロマの言葉や文化を一切教えず、暴行や性的虐待を繰り返してきたという。

これが、政府公認だった。誘拐されたのは分かっているだけでも、1,000人を越えており、意味もなく電気ショックを与えていたり、殴りつけていたという。

スイスだけではない。チャウシェスクはロマ民族を毛嫌いしていて、ルーマニア民族優等主義を標榜してロマを迫害・排除に動き、財産や職を取り上げた上で強制隔離してしまった。

ルーマニアではロマ人の隔離された場所をゲットーと呼び捨てていたようだが、ゲットーとはドイツ人がユダヤ人を強制隔離した場所を指す言葉ではなかったか。それと同じ目をロマの人々は味わされていた。

今でもルーマニアではロマ人を差別しており、その差別の内容も一方的で容赦がない。ロマ人に対する、虐待・集団暴行・レイプが今もルーマニアで横行しているという。

では、ゲットーという概念を作り上げたドイツではどうだったのかというと、やはりロマは排除の対象だったようだ。いや、排除ではなく、虐殺の対象だと言うべきだろう。

ナチス・ドイツはドイツ・アーリア人の優等主義を打ち出していて、そこから漏れる民族は片っ端から「強制収容所」に送り込んでいた。ユダヤ人がその最大の被害者だったが、そこにロマ人も含まれていたのである。

アウシュビッツで死んだのはユダヤ人ばかりではなく、ロマ人もまた含まれている。その数は約二万人だと言われており、スイスの「青少年のために(Pro Juventute)」とはケタ違いに被害が大きい。

アウシュビッツのロマの少年少女。アウシュビッツで殺されたのは、ユダヤ人だけではなかった。


迫害される要素をすべて持つロマ(ジプシー)

ヨーロッパのありとあらゆる国で迫害を受けてきたロマだが、どの国の迫害を見ても分かるのは「凄まじく嫌われている」ということだ。

嫌われ、迫害される主な理由が4つほどある。

・流れ者の民族で文化が違う。
・キリスト教徒ではない。
・コーカソイド(白人系)ではない。
・個人主義で、決して地域に同化しない。

要するに彼らは異質であり、異教徒であり、異端だった。地域に同化しない人間というのは得てして目立つ。そして、その非協調性によって排斥される。

宗教が違うというのも、また広い意味で、非協調性だと思われるものがあるだろう。つまり、同化しない人間は地域社会から許しがたい存在である。

おまけに肌の色が違ったら、ますます異端者扱いされる。「他所者だ」と思われて、頭から拒絶されるのである。

ヨーロッパでロマという民族は何か得体の知れないものであり、理解できないものであり、地域の秩序を乱すものだと捉えられた。

まして、彼らは一箇所に定住せず、適当な場所に勝手に泊まり、身なりは汚いことが多く、子供たちは平気で物をたかったり盗んだりする。言葉は通じないことも多いし、動物を引き連れていて不気味な集団なのである。

ロマ(ジプシー)という民族を調べながら、私が思ったのは、ここに迫害の要素がすべて詰まっていることだった。

「文化が違う、宗教が違う、人種(国)が違う、個人主義」というのは、迫害される要素の最大のものだ。

ロマは不幸なことに、そのすべてを兼ね備えてヨーロッパを徘徊している。だから、彼らは今もヨーロッパと共存できていない。

(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


ふと、そのような要素を持つ人間が個人にいることも気がつくが、そういう人は大抵、嫌われ者だ。「他人と違う」というのは、往々にして、そういう悪感情を他人に呼び起こす。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900


2015-06-12
激しい差別と迫害の中でユダヤ人がサバイバルできた理由
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html

ヨーロッパを流浪する民族「ロマ」は、地域社会に同化せず、独自の文化を頑なに守り続けて今もヨーロッパ社会の底辺をさすらいながら問題を起こしている。

(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


ところで、ヨーロッパには、このロマと同じく毒蛇のごとく嫌われた流浪の民族もいる。ユダヤ民族である。

ロマが流浪していたのは自らの意思だったが、ユダヤ人が流浪していたのは、国を失ってどこに定住しようとしても排斥されたからだ。

キリスト教社会の中にあって、イエス・キリストを殺した民族として新約聖書に記されたユダヤ人は、キリスト文化が続く限り迫害の対象になる運命だった。

ユダヤ人の流浪は1948年5月14日にイスラエルという国が建国されるまで続いてきた。いや、イスラエルができてもイスラム教徒と激しい闘争を繰り広げ、今もまだ流浪していると言っても過言ではない。


イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿

新約聖書の物語は、イエス・キリストが奇跡を行う前半と、ユダヤ人に売られて十字架に張り付けにされる後半に分かれている。イエス・キリストが戦っていたのはユダヤ人だった。

ユダヤ人はイエス・キリストを告訴し、死刑にしろと叫び、実際に十字架に追いやった「主犯」だった。銀貨30枚でイエス・キリストを売り飛ばしたユダという男もまたユダヤ人だった。

「人類の救済者」という位置付けのイエス・キリストを迫害して死に追いやったのはユダヤ人だと、聖書は繰り返し述べているのである。

新約聖書は、イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿でいっぱいだ。

そのキリスト教がローマ帝国の国教となり、そこからユダヤ人の受難が始まった。ユダヤ人は「イエス・キリストを殺した民族」として、どこに言っても迫害され続けたのである。

ユダヤ人は流浪するしかない民族となった。そして、どこを流浪しても迫害される民族となった。まさに「イエス・キリストの呪い」を受けた民族だったから、キリスト教徒にとってユダヤ人は許すことのできない敵だったのである。

この迫害は1000年以上も続いてきた。19世紀の東ヨーロッパで「ポグロム」という激しいユダヤ人虐殺が行われたが、このポグロムというのは「破壊」という意味のロシア語である。

「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。このユダヤ人排斥は組織的に、そして継続的に行われ、土地を追われたユダヤ人は、新天地を求めてさまよい続けた。

迫害の中で、悠々と屋根の上に登ってバイオリンを弾く英雄は現れなかった。こうしたポグロムの中で、6万人のユダヤ人が殺されたウクライナのリヴィヴ・ポグロムは写真でも記録されている。

ユダヤ人の老人を後ろから蹴り飛ばすウクライナ人。「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。


資産家として成り上がって行くユダヤ人も多かった

ロマと共に迫害されていたユダヤ民族だが、ではユダヤ人が各地で極貧の身であったのかと言えば、実はそうではない。

もちろん、ユダヤ人ゲットーという隔離地に押し込まれて、まともな仕事を与えられない貧困のユダヤ人も多かった。しかし、それでもその地で資産家として成り上がって行くユダヤ人もまた多かったのである。

ユダヤ人がどこかに定住して自由にビジネスできるようになると、彼らは常にその地の民族を圧倒して富裕層になっていく。そして気が付けば、ユダヤ人が彼らを雇って主従関係が逆転するようなことにもなっていった。

ドイツでも18世紀にはユダヤ人のゲットー(隔離地)からロスチャイルドという一族が銀行業によって資産家に成り上がっていく動きがあった。

ウクライナでもユダヤ人はその地域の富裕層として君臨し、ウクライナ人の上に立っていたのである。

このあたりは、流浪しながら窃盗や売春や胡散臭い占いビジネスで底辺を這い回っていたロマ民族とは、まるっきり立場も運命も違っていた。

ロマとユダヤのこの差はどこから生まれていたのか。

それは、まぎれもなく「教育」に対する姿勢であったと言われている。

ユダヤ人は「本の民族」であると言われている。迫害されても、貧困に落ちても、流浪の中の絶望にあっても、彼らは教育と書に対する熱意をまったく失わなかった。

モーセ五書を記した「トーラー」と呼ばれる書を子供の頃から教え、子供たちは旧約聖書を何度も何度も反復してそれを暗唱できるまで鍛え上げられた。

そして、激しい迫害の中で、どのように生きればいいのかを「タルムード」を通して教育されてきた。

ユダヤ人排斥の中で、人前で服を剥ぎ取られたユダヤ人の女性。どこに定住しても、ユダヤ人に対する迫害は止まることはなかった。


「迫害される環境から、いかに生き残るか」の書

ユダヤ人は、国もなければ安住の地もない。常に迫害され、差別され、時には略奪の対象とされて、築いてきたものは一瞬にして破壊された。

彼らは生き延びるために、土地にも財産にも共同体にも頼れなかった。頼れるのはただひとつ、サバイバルするための「頭脳」だけだったのである。

だから、教育は彼らの最大の武器であり、旧約聖書も、トーラーも、タルムードも、「迫害される環境から、いかに生き残るか」について微に細を入れて書かれていた。

ユダヤ人にとって本を読むというのは娯楽ではない。教育とはサバイバルだったのだ。本を読んで学ぶことが、ユダヤ人にとっては殺されるか生き残るかの苛烈な社会の中のサバイバルの指針だったのである。

だから、同じ流浪の民族であっても、ロマ民族と、ユダヤ民族は、その運命はまるで違っていた。

ユダヤ人は、外からふらりとやってきて底辺を這い回るのではなく、その頭脳によっていつしか富裕層に成り上がって現地の民族を支配する立場になっていく。

それが激しい恐怖を生み出し、宗教的な憎しみも加わって、激しい虐殺を生み出す元になっていったのだ。

東ヨーロッパで吹き荒れた「ポグロム」は、1930年代以降は自分たちの上に君臨する豊かなユダヤ人から奪うという歴史的な背景もあった。

異質な民族が自分たちの上に君臨して自分たちを支配することの恐怖も、ユダヤ人に対する過剰な虐殺の原因のひとつであったとしても不思議ではない。

ユダヤ人の武器である「教育」とは、それほどまで凄まじいものであったとも言える。

集団で暴行され、服を脱がされるユダヤ人女性。こうした「ポグロム」の後、ユダヤ人はナチスによる「ホロコースト」で民族虐殺に追いやられていった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html


75. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月25日 16:09:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[482]

白人はアルビノが起源ではない

白人のアルビノ Nastya Kumarova
https://www.google.co.jp/search?q=Nastya+Kumarova&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=E1HqUousEorIkQXUzYDwCQ&ved=0CDIQsAQ&biw=1027&bih=919

Dreams of Nature
http://www.youtube.com/watch?v=aBHafiOyO3w

Nastya Zhidkova (Russian Albino)
http://www.youtube.com/watch?v=MR9MIwrgYVA  


家族全員がアルビノとして生まれたインドの10人家族、ギネス記録へ

Biggest albino family-NEW WORLD RECORD 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BsEn-2K86ns

 アルビノは動物学においては、メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損により 先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患、ならびにその症状を伴う個体のことを示す。ヒトのアルビノは医学的に先天性白皮症と呼ばれている。

 動物のみならずヒトにもアルビノ(先天性白皮症)は存在するが発症確率は非常に低く、ヒトの場合には2〜3万人に1人いるかいないかと言われている。そんな中、10人家族の全員がアルビノであるという大変レアなケースが確認され話題を呼んでいる。

インド、デリーに住むプーランさん一家はインド人でありながら、白い肌、ブロンドの髪、青い目を持っている。

一家の大黒柱である夫のロセタウリ(50)と妻のマニ(45)は共にアルビノ同士として結婚した。

生まれた3人の息子と3人の娘は全てアルビノだった。

また、娘のひとりが結婚した男性もアルビノで、その子ども(孫)もアルビノだったから全部で10人、家族全員がアルビノとなった。

前列左から、娘のディーパ(21)、マニ(45)、ロセタウリ(50)、娘のプージャ(18)
後列左から、息子のシャンカール(24) 息子のラムキシャン(19)、息子のビジェイ(25)


嫁にいった娘のレヌ(23)と旦那のロジェフ(27)
写真には写っていないが現在2歳の息子がいて、その子もアルビノである。

インドではアルビノは崇拝されているそうで、アルビノと結婚するとお金持ちになるという伝説もあるという。娘のレナをめとったロジェフさんは、

「アルビノの妻を迎えたことを誇りに思っており、長時間太陽の下にはいられない為、仕事を見つけるのも難しいが、それでも毎日が充実している。」と語った。

これまで確認された中では、世界最大のアルビノ家族はアメリカとカナダに住んでいる6人家族だったそうで、現在ギネス世界記録認定の為調査団が、プーランさん一家ギネス世界記録への登録を検討中だという。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52072288.html
http://matome.naver.jp/odai/2136470994091687601

白人に変化したのは、やはりアルビノが始まりなのでしょうか?

fw190vxさん 2015/2/14
白人…というか、コーカソイドに変化したのは、やはりアルビノが始まりなのでしょうか?

迫害されたアルビノたちが移動していく間に、徐々に進化したのだと…
違いますかね?

惨劇 アルビノ狩り
https://www.youtube.com/watch?v=nQ56cy5d95Q


ベストアンサーに選ばれた回答 red_spi99さん 2015/2/14

違います。

アルビノというのは色素を「生成できない」変異で、
白人は単に体色が「薄い」だけです。

両者は根本的に違います。徐々に変化できるようなものではありません。


生物の体色が白くなるのは北方ではよく見られる現象で、シロクマなどが知られていますね。これらはアルビノではなく、体色が「白く変化」したものです。

よく混同されますが、ほんとに根本から違います。

北方で生物が白くなるのは、雪に対するカモフラージュなどが一般ですが、人類の場合は有用紫外線の吸収が影響していると言われます。

北方では有用紫外線の照射量が少なく、メラニン色素でこれが吸収されるとビタミンDなど紫外線で合成されるビタミンの生成に悪影響が出てしまいます。

つまり肌の色が薄いほうが生存性が高い。

肌の色は複数の遺伝子が関与していて複雑なのですが、肌の色を白くする変異が積み重なり、そしてそのような遺伝子をもっているほうが生存性が高かったゆえに集団に広がっていったということです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10141936515;_ylt=A2RAqR9933xWyRsAf6uDAPR7?pos=5&ccode=ofv


ニグロイドのアルビノがコーカソイドですか?
banjyoumedayoさん 2013/7/28

ニグロイドのアルビノがコーカソイドですか?
アイヌとコーカソイドの関係も教えてください。


ベストアンサーに選ばれた回答 jpleasuregmbhさん 2013/7/28

アフリカの一部地域ではアルビノの出現比率が非常に高く、しかもその外見上は非常にコーカソイドに似ていますが、決してコーカソイドとは違います。

突然変異でもありません。アフリカの一部地域の遺伝病のようです。

例えば、紫外線に晒された際の皮膚がん発生率を見ても、

アフリカンアルビノ>>コーカソイド>モンゴロイド>ニグロイド

であり、アフリカンアルビノの特異性が、コーカソイドとは根本的に異なることが統計上明らかであり、しかも、遺伝子配列もコーカソイドとは根本的に異なるようです。あくまでも、外見上コーカソイドに似ているだけです。


・補足
昭和初期頃までの人類学では、アイヌは外見上の類似性から、コーカソイドと同じ種族と考えられていたようです。ところが、地理的条件からこの説は疑問視されていました。

同時に、古モンゴロイドも外観上はコーカソイドに類似しており、アイヌは単にその延長では、との説も支持されていたようです。近年ではDNA解析が可能となった結果、後者の説が決定的となりました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10110950320;_ylt=A2RAqaug33xW1n4A6TprAPR7

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白変種


ベンガルトラの白変種、ホワイトタイガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%89%E7%A8%AE#/media/File:Singapore_Zoo_Tigers_cropped.jpg

ライオンの白変種、ホワイトライオン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%89%E7%A8%AE#/media/File:White_Lion.jpg

クロウタドリ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%89%E7%A8%AE#/media/File:Wei%C3%9Fe_Amsel_Flug.jpg

インドクジャクの白変種、シロクジャク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%89%E7%A8%AE#/media/File:Pavo_cristatus_albino001xx.jpg


白変種(はくへんしゅ)とは、色素の減少により体毛・羽毛・皮膚等が白化した動物の個体をいう。

メラニンに係わる遺伝情報の欠損により白化したアルビノとは異なる。

代表的な白変種としては、南アフリカで野生での生存が確認されているホワイトライオンや、インドのホワイトタイガーが有名である。

従来、白変種は突然変異によって誕生した希少種と考えられてきた。そのため、アフリカのライオンやアジアのトラ、あるいはアメリカのバッファローを始めとして、希少種・神聖な動物として崇められてきた。

しかし白い動物の個体そのものは、哺乳類(トラ・ライオンのほか、オオカミ・キツネ・タヌキ・ホッキョクグマ以外のクマ・水牛・カバ等、多種で確認されている)・爬虫類(ワニ・ヘビ・トカゲ等で確認されている)・鳥類(クジャク・ワシ・フクロウ・カモメ等、非常に多種で白化した個体が存在する)等、全ての脊椎動物に広く存在が確認されており、そのため現在では、白変種に関わる遺伝情報は、生物にとって正常かつ基本的なものと考えられるようになった。

また、ホッキョクグマ・ホッキョクギツネ・ハクチョウ等、生息環境の影響から白変種が集団の中心となっているものもある。

白変種が生まれる理由については諸説存在したが、現在では、氷河期と間氷期を繰り返してきた地球環境を生き抜いた現存の生物にとって、氷河期には保護色となる白変種は、そもそも生物が生き抜くためには非常に有利な基本的資質であったと考えられ、そのため現在も、生物が白化する遺伝情報は基本的な遺伝子として、生物に脈々と受け継がれている、と考えられている。

白変種は外見からしばしばアルビノと混同されるが、遺伝学的・生理学的にもこの両者は全く異質のものである。

白変種のメラニン産生能力は正常であるため、アルビノの瞳孔が赤く透けるのに対し、白変種の瞳孔は黒い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%A4%89%E7%A8%AE


アルビノ

アルビノ(albino)は、動物学においては、メラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損により 先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患がある個体である。

アルビノのペンギン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%8E#/media/File:Snowdrop.penguin.600pix.jpg


この遺伝子疾患に起因する症状は先天性白皮症、先天性色素欠乏症、白子症などの呼称がある。また、この症状を伴う個体のことを白化個体、白子(しらこ・しろこ)などとも呼ぶ。さらに、アルビノの個体を生じることは白化(はくか・はっか)、あるいは白化現象という。

一方、植物学では、光合成色素を合成できない突然変異個体のことである。このような個体は独立栄養が営めないため、種子中の栄養を使い切ってしまった時点で枯死することになる。

先天的なメラニンの欠乏により体毛や皮膚は白く、瞳孔は毛細血管の透過により赤色を呈する。

劣性遺伝や突然変異によって発現する。

広く動物全般に見られ、シロウサギやシロヘビが有名である。

ほとんどの場合、視覚的な障害を伴い、日光(特に紫外線)による皮膚の損傷や皮膚がんのリスクが非常に高い。また外部から発見されやすく自然界での生存は極めてまれである。

そのため、しばしば神聖なものやあるいは逆に凶兆とされ、信仰の対象として畏れられる。また、観賞用としても人気がある。

なおアルビノは、正常な遺伝情報により白化した白変種とは異なる。

ヒトのアルビノは医学的に先天性白皮症と呼ばれる。チェディアック・東症候群 (CHS) 、ヘルマンスキー・プドラック症候群 (HPS) 、グリシェリ症候群 (GS) の合併症として起こる色素欠乏を白皮症に含める場合もある。

アフリカ南東部(サブサハラ)では、「アルビノ」の体には特別な力が宿るという迷信から、臓器や体の一部など売却する目的で、アルビノの人々をターゲットにした殺人が後を絶たない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%8E


76. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月25日 17:21:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[484]

エピジェネティクス


第1回 エピジェネティクスとは何か?(2012.02.13) 青山学院大学 福岡伸一

親から子に伝わるのは遺伝子だけではない


――エピジェネティクスとは何でしょうか?


 言葉の定義から説明すると、「エピ」は外側とか離れてという意味で、「ジェネティクス」は遺伝学です。つまりエピジェネティクスは、従来考えられていた遺伝学の外側で働いている力というか、外側で働いている仕組みを研究するものです。これまで見落としがちだった遺伝学の外側にあるものに、新たに光を当てようということですね。

 従来の遺伝学はある種の遺伝子万能論のようなもので、リチャード・ドーキンス氏の利己的遺伝子論などが有名です。遺伝子は、自分を複製するという生命の究極の目標のためにあり、そのためにすべてのことは最適化されて、生物は適応的に進化してきたと考えていたわけです。

 例えば親にA、B、Cという遺伝子があったとしますよね。それはそのまま親から子に遺伝するので、子供もA、B、Cという遺伝子を持ち、親と同じことが起きます。親の世代で体を鍛えて筋骨隆々になっても、それは遺伝子A、B、Cには変化をもたらしていないわけです。子供の世代に遺伝子A、B、Cが移れば、いったんリセットされ、どういうふうに筋肉が動くかということはまた子供の環境で変わっていきます。

 もし、子供の世代に何か特別な変化が起こるとすれば、それはAという遺伝子がA’という遺伝子に変わった場合である、つまり遺伝子に何か変化が起きないと遺伝的なものとしては伝達されないと従来の遺伝学は考えてきました。

 そのこと自体は正しいんです。

A遺伝子からA’遺伝子への変化は、ちょっとした書き間違いレベル、文字列がコピーされる時に「てにをは」が違ってしまったくらいのことです。それが突然変異なのですが、偶然でも変わり得るし、化学物質や発癌物質、放射線や紫外線の影響でも変わり得ます。

遺伝子AがA’に変わるような変化は遺伝します。子供の世代に違った働きをもたらすかもしれないし、もたらさないかもしれないのですけれども、とにかく遺伝子の上に起こった突然変異だけが生物を変える唯一の力だというふうに、これまでの遺伝学は説明してきたわけです。


だから従来の遺伝学の研究は、遺伝子の上に起きた変化を一生懸命探してきました。実際に、遺伝子AがA’へとほんの些細な一文字が書き換わっただけで、病気や大きな形態異常が起きることはありますし、アルツハイマー病やがんのように、遺伝子上の変化がその病気の発症に大きな影響をもたらす例もあったわけです。


遺伝子の働きはもっと自由なものです

――エピジェネティクスはそうではない?

 では、エピジェネティクスはどういうふうに遺伝を考えているのかというと、従来の遺伝学を否定しているわけじゃないんです。従来の遺伝学は遺伝学として成り立つと考えています。

その上で遺伝子A、B、Cがどういうふうに働くのかを遺伝する仕組みがあるのではないか、というのがエピジェネティクスの考え方です。


 遺伝子が働く=遺伝子のスイッチがオンになるというのは、DNAがRNAというものに変換されて、RNAがタンパク質に変換されることを言います。

実際に細胞の中で働きを示すのはタンパク質です。それは1対1に起こるのではなくて、一つのDNAからたくさんのRNAがコピーされて、そのたくさんのRNAからまたたくさんのタンパク質が作られるというように、一対多となりその都度増幅されるわけです。

だからAという遺伝子がタンパク質になる(オンになる)には、そのタイミングがいつなのかと、どれぐらいの量が作られるのかという二つの指標があります。

 遺伝子のスイッチがオンになる順番も、A、B、Cなのか、A、C、Bなのか。同じA、B、Cでも、AとBがオンになってだいぶ経ってからCがオンになるのかというタイミングがあります。それから、遺伝子A、B、Cがそれぞれどれぐらいの数のタンパク質になるかは、ステレオの音量つまみのようにボリュームを調整可能なのです。

 そのタイミングやボリュームは大まかに決められていて、それも一緒に遺伝するんじゃないか、あるいは遺伝するような仕組みがあるのではないか、それを調べるのがエピジェネティクスの研究です。遺伝子オンのタイミングやボリュームが変わるだけで、生物は大きく姿形が変わるし、行動も変わる可能性があるということで、非常に注目されています。

 だから今は、遺伝子がA、B、Cと定まってそこから動くことはできないというある種の遺伝子決定論から、もっと遺伝子の働きというのは自由自在だという見方に転換されてきているんじゃないかと思っています。


巨額をかけた実験が失敗! そこから得たものは

――どうしてエピジェネティクスに興味を持たれたのですか?

 私は「生命とは何か」を長い間考えてきました。古典的な20世紀の分子生物学では、生命とは自己複製、つまりDNAが自分自身を増やしてコピーを広げていく仕組みだと説明されてきました。

その自己複製だけに注目すると、生命が持っている動的な側面が見えにくくなると考えて、「動的平衡」という言葉を作りました。

生命というのは動的平衡にある、つまり、色々なものが動きつつも相互作用によってある一定のバランスを保っている、その要素の関係を大事にしようという生物学を提唱しています。

 その中で、ある遺伝子情報を人為的に消去するという遺伝子操作を施したマウス、それをノックアウトマウスと言うんですけれども、それを作って研究を進めてきたわけです。

あるAという遺伝子を壊せば、当然そのタンパク質が作れなくなるので、生命の仕組みはどこか故障が起こるはずですよね。その故障を調べることによって遺伝子Aの働きを調べようとしていました。


 でも、このノックアウトマウスを作るというのはなかなか大変なことで、3年とか4年ぐらい時間がかかって、一匹のマウスを作り出すのにポルシェ3台分ぐらいのすごい研究費がかかるんです。それをなんとかかき集めてきて作ったマウスが、全然異常がなくてピンピンして健康そのものだったわけです。

 そういうことを目の当たりにして、ようやくですね、単にある遺伝子がある作用をするというように、遺伝子と機能を1対1で対応して生命を考えるのは非常に単純化しすぎた機械論的な考え方で、遺伝子同士は互いにもっと動的に作用して、平衡状態にあることに気がついてきたわけです。

 多くの遺伝子は、それ単独で一つの作用を発揮してるんじゃなくて、いろんな相互作用によってその効果をもたらしています。だから、一つの遺伝子がなくても、それを代替する、バックアップするようなものが働いて、その働きを埋め合わせたり、バイパスが働いてそこを使わないようにしたりして、いつでもやりくりできるような自由度があります。

 動的平衡、つまり色々な遺伝子が色々な作用をしているという動的なことは、実は生物が遺伝子だけを受け継いでいるのではなくて、その遺伝子がどういうふうに働いていくかということも受け継いでいるからこそ、なせる技なんだというふうに考えました。だからエピジェネティクスという新しい生命の見方は、動的平衡の見方と非常に重なるところがあります。そういう意味で興味深いなと思っています。
http://diamond.jp/articles/-/16066

【第2回】遺伝で重要なのはお父さんよりもお母さん?
サルを人に変えるエピジェネティクスが解き明かす遺伝の不思議 2012年2月14日

遺伝で重要なのはお父さんよりもお母さん


――エピジェネティクスによって何がわかるのでしょうか。


 遺伝子がオンになるタイミングやボリュームはどうやって決まるのかについて、色々なことがわかってきています。親から子に手渡されるのはDNAで、DNAはいったんリセットされて新しい生命体ができます。でも虚心坦懐に生殖の仕組みを見ると、親から子に受け渡されるのはDNAだけじゃなくて、受精卵という形で子どもができています。

 受精卵はとても大きな細胞で、お父さんのDNAとお母さんのDNAが合体してできた新しい遺伝子をその中に持っていますが、同時に受精卵の細胞質というか、DNAを取り囲んでいる細胞環境自体も親から子に、特にお母さんから子供に受け渡されます。

 その中に、DNAだけじゃなく、DNAをどういう風に働かせるかという色々な装置もあって、一緒に受け渡されているんです。マターナルRNAというものがあって、マターナルって「母の」motherの形容詞ですけれども、受精卵の中にお母さんが作り出したRNAがいくつか入っています。それはタンパク質の設計図なのですが、お父さんとお母さんから由来するDNAとは別に、あらかじめRNAが存在していて、それが遺伝子を動かす順番を決めていることがだんだんわかってきました。まさに遺伝子の外側にあるエピジェネティクスな仕組みの一つですね。

 またDNAもただの遺伝暗号だと考えられていましたが、それだけじゃなくて、DNAにはさまざまな化学的な修飾、つまり印がつけられています。それはメチル化やアセチル化と言われていますが、文字でいうと小さな傍点のようなものですね。括弧とか傍点のように、テキストそのものではないんですが、そのテキストをどう読めばいいかということが、小さな化学物質の変化としてDNA上に書かれています。

 その化学的な装飾は、親の遺伝子に書かれていれば子どもにも同じように書かれるというように、遺伝するものであることがわかってきて、それもエピジェネティクスの新しい仕組みとして注目されています。



――エピジェネティクスな遺伝は母親が主体になるようですね

 受精卵という細胞はお母さん由来です。お父さんからは精子によってその中のDNAだけが行きます。卵細胞は単純にサイズだけ見ても大きいですし、お母さん由来の影響は大きいですね。だからといってお父さん由来の寄与がないわけじゃなくて、メチル化やアセチル化などのDNA上に起こる変化はお父さん由来のDNAにも書かれています。まだ寄与率までは正確にわからないと思いますけれど。でも、お母さんの卵細胞がもたらしている環境の影響が大きいことは間違いないと思います。


赤ちゃんはゼロスタートではなかった

――受精卵ではDNAはリセットされるはずなのに、なぜメチル化などの変化を覚えているのでしょうか

 それはリセットされる部分とリセットされずに残っている部分があるのだろうと思います。その区別がまだちゃんとわかっていないので混乱していますが。ヒトは多細胞生物で、60兆個くらいの細胞から成り立っています。その細胞はすべて、たった1個の受精卵が分裂して2個、4個と増え、コミュニケーションし合いながら、自分がどういう細胞になるかを決めていったのです。脳の細胞、心臓の細胞、皮膚の細胞、すべての細胞は同じDNAを持っています。

 同じDNAを持っているのに、DNAのうち何を使うかが違うから、それぞれの細胞が専門化していくわけです。その過程で、おそらくDNA上に化学修飾がさまざまな形で起こって、ある遺伝子はスイッチがオフになる、ある遺伝子はスイッチがオンになるように、分化の過程でどの遺伝子が働くかに差ができて、それぞれの細胞が個性を持つわけです。

 次世代を作るための卵細胞は、そのような分化した細胞が個性を持った仕組みをいったんリセットして、無個性にしないといけないですよね。だから専門化していく時にどの遺伝子を使うかっていう選択に関しては、それを取り外してリセットする力が働くと思うんです。

 ただ、例えばその生物が非常に寒冷な環境で育ったとします。寒冷状況に対応するため、どの細胞もスイッチが早い時点からオンにならなきゃいけないという修飾が起こったとします。そういう修飾は次の世代にとっても有利なので、それはリセットされずに残っていく可能性があるわけです。どういうふうに区別されているか、まだわからないことがたくさんありますが、環境との相互作用で作り出されたものがエピジェネティクスな形で受け渡されていると思うんですよね。

親の努力は子供に伝わらない?

――親が適応するために頑張れば、子供に遺伝させることができますか

 そこは非常に難しい問いになると思うんですけれども、いわゆる獲得形質、自分が努力してその能力を高めたことは、やっぱりリセットされてしまうことが、残念ながら多いと思います。古くから色々な実験をして確かめられてきていますが、筋肉の増強やピアノの上達などは、複雑な組み合わせによって作り出されたある種の技能ですから、リセットされてしまうでしょう。

 でも、スポーツ選手の子どもが同じスポーツで優秀な成績を出したり、学者の子供が学者になったり、一見、ある種の能力が遺伝しているように見えることがありますよね。でも、それはエピジェネティクスな形で才能が受け渡されているのではなく、才能を花開かせる環境が共有されているからだと思います。つまりスポーツ選手のお父さんは、子どもにいつ、どういうふうにトレーニングをすれば、そのスポーツに長けていくのかを十分知っているわけです。

 そこはエピジェネティクスをあまり拡張しすぎると、混乱が起きちゃうと思うんです。だから、いわゆる努力して勝ち得るような性質が遺伝しているのではなく、もっと気がつきにくいもの、例えば脳の発達の仕組みみたいなことがエピジェネティクスで遺伝していると思うんです。

 サルの遺伝子と人間の遺伝子は、98%ぐらい似ています。じゃあ、残りの2%が人間固有の遺伝子で、それが人間を人間たらしめているのかというと、そうじゃないんですね。98%似ているっていうのは、例えばインシュリンの遺伝子はサルにも人間にもあります。その遺伝子の配列を見ると、ところどころ方言みたいに遺伝暗号の言葉が書き換えられています。でもインシュリンはインシュリンです。その方言程度の差が遺伝子全体で蓄積されて、2%ほど差異があるのであって、人間しかない遺伝子Xがあるというような差はないと思います。

 では、人間とサルはどうやって区別されるかっていうと、それがエピジェネティクスな遺伝によるものじゃないかって思うんですね。

ずっと子どものままでいると脳は発達する?!

 というのは、人間の脳の中とサルの脳の中では、だいたい同じ遺伝子が働いています。でもその働くタイミングが違うんです。脳で働く遺伝子のタイミングを比べた人がいるのですが、多くの遺伝子はサルの方が早くスイッチがオンになって、人間は遅くオンになるということがわかったんです。同じ遺伝子を持っていてもその働き方がゆっくり、つまり人間はそれだけ長い期間をかけて脳が作られていくということです。

 長い期間をかけて脳が作られていくということは、子ども時代が長いことを意味しています。子ども時代が長いと、性的に成熟するのに時間がかかるので、縄張り争いとかメスをめぐる争いなどの闘争より、遊びや、興味を持って何かを探査するとか、ぶらぶらする期間が長くなります。それが脳を育み、知性を育むことにつながっているのではないかという考え方があるんです。

 ネオテニーというんですが、ネオテニーとは幼形成熟、つまり子ども期間が長く、子どもの特徴を持ったまま大人になってしまうことです。ある時、どうやってかはわかりませんけれども、全般的に遺伝子の働くタイミングが遅いサルが生まれて、それが人間の進化につながっていったんじゃないかと考えられています。

 そういう意味でエピジェネティクスは、私たちの日常の得手不得手や、スポーツが得意とか勉強ができるとか、そういうレベルで働いているというよりは、むしろ大きな進化の長い時間のスパンで生物を変えていると思うんです。だからあまり近視眼的にエピジェネティクスの作用を見ると、大事なことを誤解してしまう可能性もあるんじゃないかと思います。
http://diamond.jp/articles/-/16102

【最終回】あまりに多すぎてコントロールできない
遺伝子操作の限界はどこにあるのか 2012年2月15日


「氏か育ちか」論争に決着をつける

――遺伝子をコントロールすることは可能でしょうか

 人間のタイムスパンでコントロールできることじゃないと思うんですね。エピジェネティクスがわかるほど、より遺伝子操作が簡単になるとは思えないです。今の遺伝子組み換えは、Aという遺伝子を別のA’にすげ替えれば、そこの歯車が大きくなるので、速く回って細胞全体の生産量が上がりますという機械論的な考え方に基づいています。

 けれど、エピジェネティクスのことがわかればわかるほど、単純なすげ替えでは思ったような効果は出なくなるんじゃないでしょうか。遺伝子がどういうタイミングで、いつ働くかを支配しているエピジェネティクスな要素はものすごく多くて、それを全部コントロールしないと遺伝子操作はうまくいきません。全部コントロールするのは、ある意味不可能なことなので、思っていたほど遺伝子は簡単じゃないということが、ますます明らかになっていく気がします。

 これまで「氏か育ちか」のように、遺伝子が決めていることと環境が決めていること、寄与率はそれぞれどれぐらいかという永遠の生物学の問いかけがあって、結局はどちらも同じぐらいということになっていました。その境界線がますますわかりにくくなっていくと思うんです。

 犬もそうなんですけれど、犬ってセントバーナードからチワワまでものすごいバリエーションがありますよね。でも生物学的には一種です。種は交配が可能であれば同じ種と考えることができるんです。犬は、現実的にはなかなか難しいかもしれませんが、チワワとセントバーナードを交配して子犬を作ることはできるので、同じ犬という種なわけです。

 でも犬がこれだけバリエーションを持つようになったのは、ここ数百年ぐらいのことじゃないでしょうか。このバリエーションがすべて遺伝子上に起こった突然変異なのかというと、違うと思うんです。突然変異で変わったこともあるとは思います。でも犬がこれだけバリエーションを持って、色々な品種が作り出されたのは、エピジェネティクスなものの結果でしょう。


つまりチワワとセントバーナードは同じ遺伝子を持っているけれど、その遺伝子がどういうタイミングで働くかは違っています。その違いは遺伝するので、あるパタンで働くもの、こっちのパタンで働くものというように分けて、同じ系統で掛けあわせると、それが固定されていくのかもしれません。そんな風に、生物の多様性の起源が突然変異だけじゃないということが、より明確に理解されていくんじゃないかなと思います。

病気になりにくい遺伝子を作れる?

――理解が進めば、病気になりにくい遺伝子コントロールができるようになりますか?

 そうですね。例えば一般的に「うちはがん家系だ」みたいな言い方がありますよね。確かに発がん遺伝子みたいに、明確にがんをもたらす遺伝子の変化はいくつか知られています。でも一般的に、がんは遺伝によってなるのではなく、食事や生活習慣、さまざまな環境の集積、長生きによりエラーが体の中に蓄積することなどの兼ね合いで起こります。

 とはいえ、ある種の地域や生活習慣には、がんの要因があると理解されています。それは、実は遺伝子に直接働きかけているのではなく、エピジェネティクスなものに働きかけて、病気にしやすい状況を作り出している場合があると思います。そういうことがわかると、その状況を避けて、要因がエピジェネティクスに働きかけないように改善できれば、病気にかかりにくくなる生活習慣を作ることが可能だと思うんですね。


――エピジェネティックながん治療が可能になるのでしょうか

 がん細胞は本当は肝臓の細胞だったり、肺の細胞だったり、分化が完成した細胞がある時、自分の分を忘れて未分化の細胞、つまり個性のない細胞に戻ってしまい、増えることだけをやめなくなってしまった細胞です。

 そういう変化はどうして起こったかというと、DNA上でどの遺伝子が働いてどの遺伝子が働かないという、ある意味エピジェネティクスな決定がリセットされてしまい、そのために無個性になって増殖だけをやめなくなったと考えられます。リセットされるとはどういうことかというと、DNA上のメチル化やアセチル化などの化学装飾が取り外される、つまり一度注釈として書き加えられていたものが消されてしまい、受精卵に近いまっさらな状態、あるいはES細胞やiPS細胞に近い状態になってしまったということです。

 だから、エピジェネティクスな意味の修飾がリセットされるのを防ぐと、がん化が防げる可能性はあると思います。ただ一度がんになってしまったものは、もうリセットされてしまっているので、そこにどうやって働きかけてがんを防ぐかは、すぐには想像できないですね。


リセットされる前の状態を思い出させることができれば一番いいんですが、なかなかそれをするのは難しいと思います。例えば、あるところだけメチル化やアセチル化をもう一度促してやれば、がん状態から別の状態にシフトさせることができる可能性があります。さらに分化を促進してやれば、むやみに増殖するのは抑制されるので、そういった治療の可能性はあると思います。

タレント名鑑からスターを配役するのがエピジェネティクス

――著書で遺伝子を楽譜に喩えておられますが、エピジェネティクスはどう喩えられますか?

 もし遺伝子を楽譜に喩えれば、エピジェネティクスは楽譜に書かれている演奏法の記号ですよね。クレッシェンドとかフェルマータとかスラーとか、どう演奏すればいいかということが書いてあるものだと思うんです。あるいはテンポをゆっくりとか、ここはビブラートをきかせるという注釈ですね。

 そういった注釈は、それぞれの指揮者とかオーケストラによって違うので、演奏する人たちが書き込むものです。だから楽譜が親から子に渡される時は、書き込みは一度消しゴムで消して、まっさらの形で、あなたはどういうふうに演奏してもいいですよって手渡されると考えられていました。しかし、部分的に注釈も一緒に手渡されているのがエピジェネティクスだと思うんです。

 遺伝子とは何かというと、楽譜みたいなものだというのは、アナロジーとしてはいいと思うんです。音符はドの音だとかレの音だとか、非常に明確ですよね。遺伝子も四つのAGCTという記号であるということに関しては、それ以上ないぐらいに明確です。音楽は演奏されると、時間の関数としてこの音が鳴っている間に次の音が鳴りはじめ、音と音とのつながりができて始めてメロディーが生まれます。下のパートと上のパートみたいな音の共鳴や倍音によって関連が生まれ、メロディーとして私たちに作用するわけです。だから遺伝子もそういう意味の関係性を持ちながら演奏されるとする捉え方が一つあると思います。

 もう一つは、遺伝子はある意味タレント名鑑みたいなもので、顔写真とその人の経歴が載っているものであるとも考えられます。でも、それを見ただけではどんな役者がいるかということだけしかわからない。その役者がどういうドラマをどう演じるかはわからないわけです。そのタレント名鑑みたいなものがDNAで、それが受け渡しされているわけです。でも誰がどういうふう役を振り分けられているのかはわからなかったんです。エピジェネティクスはその役の振り分け方みたいなものだと捉えることも、できると思うんです。

 役の振り分けがどれぐらい台本として書かれているかを、今、みんなが一生懸命エピジェネティクスとして調べようとしています。おそらくそれは取扱説明書みたいに、それを読めばすべての役者の働き方が時間の順番に決められているものではないと思うんです。
http://diamond.jp/articles/-/16105


77. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月25日 17:33:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[485]

9-1. エピジェネティクス:遺伝子制御の仕組みとは! rev.2
http://garapagos.hotcom-cafe.com/9-1.htm


  分子進化学では既に分子レベルでの後天的な獲得形質の遺伝(エピジェネティクス)は認められており、そもそも遺伝子の発現スイッチのオン/オフがエピジェネティクスであることがわかりつつありますが、いわゆるマクロの進化学つまりダーウィンの進化論の狂信的な信者にとっては、ラマルク的分子進化論はまだ受け入れたくない状況にありますが外堀は埋まりつつあります。

  分子生物学徒出身の当ガラパゴス史観も最新の進化学を是とする立場ですが、エピジェネティクスだけが最新ではなく、内在性レトロウイルスと異種間交配も含まれ、特に内在性レトロウイルスの役割は今後大きく取り上げられるはずです。

  エピジェネティクスが重要なテーマになってきたのは、医学界で常識とされてきた、獲得形質は生殖時に白紙に戻る、といわれてきたからです。ところが、もし白紙に戻るならそもそも生物は進化をしなかったはずなのです。突然変異が定着したのもエピジェネティクスなのです。突然変異は突然獲得した形質です。生殖現象で白紙に戻るなら生物は今でも前核生物のままでしょう。


  エピジェネティクスの卑近な例は、ホモサピエンスが獲得してきた適応があります。見た目がわかりやすいので理解しやすいと思います。


 ・ネアンデルタール人との交配で受け継いだ高緯度地適応、色白肌/赤髪・碧眼/彫深顔等

 ・寒冷化したシベリアで獲得した寒冷地適応、シベリア系民族のフルフラット顔

 ・強烈な黄砂環境下で獲得した黄砂適応、黄色肌/フルフラット顔


  等です。


  では、先日の新聞の記事をご紹介します。 


 当ガラパゴス史観が参考本としている最新進化学の「破壊する創造者」の骨子は「内在性レトロウイルス」が進化の要因でもあった、というものと、エピジェネティクス(後天的獲得形)という進化の仕組みが働いている、というものです。

  このエピジェネティクスはかってラマルクの進化論として知られていた「後天的な獲得形質」による進化が、分子遺伝のレベルで間違いなく働いていることを証明するものでした。最近やっと多くの研究者に受け入れられつつある古くて新しい進化論になります。

  その提唱者が日本国際賞を受賞され、その記事が新聞に掲載されたので転載します。

紹介記事13-1.「破壊する創造者」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/13-1.htm


で書いていますが、復習をしますと、


  最新の進化学で報告されている「進化」の4っの要因は、

    「進化」は、推進力となる4つのファクター

     (1) 突然変異
     (2) 共生(内在性レトロウイルスとの)
     (3) 異種交配
     (4) エピジェネティクス(後天的獲得形質)


  これにダーウィンの

     (5) 自然選択

    との相互作用で進化が起る、と説明されています。


  出アフリカしたホモサピエンスが、進化しなかった非出アフリカ組ネイティヴ・アフリカンに対し、進化できた要因は、


 (1)先輩人類のネアンデルタール人との交雑により、ネアンデルタール人が出アフリカ後60万年掛けてユーラシア(特にヨーロッパ)大陸の高緯度地域で獲得したエピジェネティクスを一気に獲得したこと。

  どんな形質を獲得したかは、

記事3-14. 人類の祖先たち(猿人、原人、旧人)
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-4.htm


をお読みください。

 (2)またネアンデルタール人が築き上げた、ホモサピエンスと比べて、はるかに高度だった先進文化を一気に獲得した。ことによります。

 ・出アフリカ後、中東でネアンデルタール人と遭遇したホモサピエンスは、恐らく交雑でY-DNA「DE」(YAP系)とY-DNA「CF」系に分化した可能性が大です。

  より多くの形質を受け継いだ方が「CF」となり、「C」はその後「D」と共にインド洋沿岸をまっしぐらに東進し、50000年前頃には既にサフール(ニューギニア・オーストラリア)大陸に到達して、現在の「C」系ニューギニア人やアボリジニ等のオーストラロイドの先祖になったことが知られています。

  そして沖縄の港川人もオーストラロイドであることが最近の骨格研究で判明し、現代日本人に約4%存在するY-DNA「C1a1」がその子孫であると考えられます。


  一方Y-DNA「C2」(旧「C3」)は東ユーラシア大陸の大型獣ハンターとして活躍後、一部の集団は寒冷化するシベリアを離れ「出シベリア」しナウマン象など大型獣を追って南下し日本列島に渡りY-DNA「C2a」(旧「C3a」)となり、

  ベーリング陸橋を渡った一団はY-DNA「C2b1」となりTanana族などのネイティヴ・アメリカンの一部の先祖になりました。

  「C2」(旧「C3」)の大部分は寒冷化するシベリアに留まり「寒冷地適応」と呼ばれるエピジェネティクスを獲得しY-DNA「C2b2」となりジンギスカンを輩出し、同様にシベリアに留まったY-DNA「NO」,「N」,「P」や「Q」とともにフラットフェースや一重瞼など現代に伝えています。


   ・一方「F」は、インド亜大陸に留まり、そこで恐らく在地の新たなレトロウイルスに感染するか、インド型のネアンデルタール人と交雑し変異が生じ更に分化したものと思われます。

  シベリアで発見されたアジア型ネアンデルタール人のデニソワ人との交雑は恐らく新たな分化を生じたはずですが、最も新しい亜型であるY-DNA「R」及びY-DNA「S」を分化させた可能性がかなりあります。

  特にY-RNA「R1a」のブロンド髪やY-DNA「R1b」の赤毛はネアンデルタール人から対立遺伝子が検出されているらしいので、「ホモサピエンスの数万年程度の歴史では獲得出来ない形質」という説明が正しいなら、ネアンデルタール人やデニソワ人との交雑での一気の獲得しか考えられないそうです。

 ・では我々日本人の縄文系Y-DNA「D2」が属するY-DNA「DE」(YAP系)はネアンデルタール人から何を受け継いだのだろうか?

  今のところ、特になさそうです。あえて言えば「古代性と古代的なホスピタリティ・従順性・行動様式」でしょうが、もともと原人(ホモエレクトス)から進化したてのホモサピエンスが持っていた原人性かもしれません。あの3.11で世界から称賛された東北・関東沿岸部の日本人の持つ民族性です。漢・韓民族には全く欠如している遺伝子亜型なのです。

  徳島大学医学部の科研費研究でわかったY-DNA「D2」が持つ無精子症や乏精子症の発生確率の高さは、ネアンデルタール人との亜種間交配の負の遺産かもしれません。

  Y-DNA「O」の弥生系「O2」と侵略者系「O3」は「C」系なのでネアンデルタール人の形質は少しは受け継いでいるはずです。

  他の希少亜型「NO」,「N」,「P」や「Q」等も「C」系なので同様です。

 ・現時点の欧米の研究では、ネイティヴ・アフリカンにはネアンデルタール人の遺伝子が継承されていない、と言っています。

  一般にはネイティヴ・アフリカンとは進化しなかった非出アフリカ組のY-DNA「A」と「B」と、出アフリカしたが何故か出戻ってしまったY-DNA「E」との交雑集団になります。

  この出アフリカ組の「E」が交配しているにもかかわらずネアンデルタール人の遺伝子がネイティヴ・アフリカンからまだ検出されていない、ということはY-DNA「DE」(YAP系}はネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいないということになります。

  研究者の言うネイティヴ・アフリカンとは非出アフリカ組のY-DNA「A」と「B」だけを指すなら話は変わりますが、果たして?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/9-1.htm


78. 2015年12月25日 17:39:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[486]

エピジェネティクス(後天的獲得形質遺伝)はラマルク進化論の新しい形とも言われています。当ガラパゴス史観で触れたエピジェネティクスは


・高緯度地適応形質

   滅びる寸前のネアンデルタール人との中東での交配で、ネアンデルタール人が出アフリカ後ユーラシア大陸で数十万年掛けて獲得した色白、彫深顔、赤毛・金髪、碧眼等の高緯度地適応した獲得形質を(最先端の石器や種々の高度な文化も含め)一気に獲得できたエピジェネティクス。

大柄化はネアンデルタール人の食物連鎖の頂点捕食者化(肉食化)による獲得形質。

もしネアンデルタール人との遭遇・交配がなければたった2000人程度の絶滅危惧種として出アフリカしたホモサピエンスはまだ現代文明を築けていなかった可能性が大なのです。

  

・寒冷地・黄砂適応形質

   古住シベリア先住民が寒冷化したシベリアで生き抜くために獲得したフラットフェース、一重瞼、薄い体毛等々や黄河流域民が遭遇した黄砂の厳しい環境下で適応したフラットフェース、一重瞼などの同様の獲得形質。

  が特に民族論では重要です。

  ところが最近のNatureの論文でそもそも我々の遺伝情報が発現する際に、エピジェネティクスが働いておりエピジェネティクスが正常に働かなくなると遺伝子発現異常に起因する症状が現れることがわかってきています。エピジェネティクスは「見かけの獲得形質」のようなレベルの事ではなくそもそも遺伝情報を正しく発現させるために生物が進化の過程で獲得してきた「システム」であることがわかりつつあります。

  当ガラパゴス史観でも、本記事を含む下記関連記事を紹介しています。


9. エピジェネティクス(後天的獲得形質)関連文献と記事

9-1. エピジェネティクス:遺伝子制御の仕組みとは!
14-7. エピジェネティックス(後天的獲得形質)の安定化
15-18. ひきこもり等成人後の強い不安の原因はエピジェネティクスの発現異常?
15-21. デニソワ人との交配で獲得されたらしいチベット人の高高地適応
15-22. 人類の顔が千差万別なのは識別適応"エピジェネティクス"のようだ
17-6. エピジェネティクスの研究で同性愛の遺伝突き止める!
17-9. 遺伝子がオン・オフされる仕組みはエピジェネティクスらしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

  生物の情報は全て遺伝子に書き込まれていますが、その情報が正しく発現されないと遺伝子が本来意図した生物にはならないことがわかります。エピジェネティクスは複雑化した遺伝情報(設計図)を正しく発現し意図した生物に仕上げるために遺伝子が作った段取り・工程表なのです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-18.htm


79. 2015年12月25日 17:48:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[487]

15-22. 人類の顔が千差万別なのは識別適応"エピジェネティクス"の結果だったようだ
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-22.htm


  「Nature communications」の2014年9月16日、「人類の顔が千差万別なのは識別適応「エピジェネティクス」だったらしい」ことが報告されました。

  何故人間種の顔は他の動物種よりも変化に富んでいて、誰が誰だか簡単に特定・識別できるようになっているのか、そこに着眼した研究者がいたようです。そして人間の様々な外形部位を解析した結果、


人類の顔は集団の中で誰が誰だか簡単に認知出来るように変化・進化をしてきた、


つまりエピジェネティクス(後天的獲得形質)であった、と言う事がわかったと言うものです

犬は動物の中で人間同様に顔も身体の大きさも格好も犬種によってかなり違う動物種になりますが、互いに交配が出来ることで分類学上は全体で「一種」であることがわかります。

  ところが同一犬種内では顔はほとんど同じなのです。

我が家の愛犬は他の同じ犬種の犬とは顔つきが若干違うため、近所の公園で同じ犬種が集まっても自分では容易に識別出来ますが、他の犬種の飼い主からの識別はほぼ無理です。

  一般に比較的長い期間育てている飼い主しか識別は出来ず、飼い始めたばかりの飼い主にとっては、何匹かの同一犬種の中で自分に寄ってくる犬がやっと自分の飼犬とわかるぐらい、同一犬種の顔は実際ほとんど「同じ」なのです。

  これは進化の過程でそうなったのではなく、人類による犬種改良の結果、ケンネルクラブが定義する犬種条件に当てはまるよう、当てはまらない個体を人為的に排除してきた結果に過ぎないのです。

  我が家のシーズー犬はチベット原産のラサアプソとペキニーズの交配でライオンに似るように交配改良された犬種で、身体条件が細かく規定されているため当然同一犬種の犬はそっくりさんばかりなのですが、

  ヨーロッパはペキニーズとの交配を多くし顔ペチャのロンパリ目で背中が反った外観を好みますが、アメリカはペキニーズとの交配を弱くしやや鼻が高く目も中心に集まってより人間臭い顔立ちになり、背筋も伸びています。

  このため同じシーズー犬種でありながら、経験の少ない人でも一度教えられると次からは見分けがつくくらい違うのです。これは「交配」というマジックがなせる結果です。

  ところが人類は全体でホモサピエンス「一種」であるにも関わらず、昔から手配に人相書きが有効なくらい、顔は人それぞれ違うのです。しかしこれに集団遺伝学的な意味があるとは、しかもエピジェネティクスとは、この論文を読むまで考えたこともありませんでした。


  身体データを計測、解析した結果、「顔」に関するデータのみが他の身体部位との相関が低く、顔内の目、口と鼻の三角形データは多様性が極めて高く、人を識別するには絶好の部位であることが分かったそうです。

  世の中には似た人が何人かはいるそうですが、それでもそのような人が遭遇する機会は滅多にないので、顔の「識別適応」による進化恐るべしです。

  恐らくネアンデルタール人との交配が「顔の多様性」を更に高度にしたと考えられます。

出アフリカした当時は色黒のジャガイモ顔のネグリートに過ぎなかったホモサピエンスが、出アフリカして少なくとも30万年以上ヨーロッパ大陸やユーラシアで先進文化・技術を持ち高緯度地適応を遂げていた色白・彫深顔で高身長だったネアンデルタール人と交配したことで、ホモサピエンスは本来獲得に数10万年は掛かる高緯度地適応を一気に獲得し多様性が一気に高度になったのでしょう。

  極東アジア系はその後シベリアの寒冷地適応や黄砂適応を経験し折角手に入れた彫深顔を捨てて、フラットな顔に再度変化を遂げました。

この「フラット顔適応」はかなり強固で欧米系から見ると皆同じような個性のない顔に見えるようですが、本論文の最大の欠点はヨーロッパ系とアフリカ系しか解析していないことです。

もしアジア系でモンゴール系やツングース系、古住シベリア系のフラット顔適応を遂げている集団を解析していたら、自然淘汰の結果、多様性が減る退行進化もあることが結論に加えられるともう少し意義深い論文になったような気がします。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-22.htm


80. 2015年12月25日 18:14:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[488]

15-21. デニソワ人との交配で獲得されたらしいチベット人の高高地適応
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-21.htm

  「Nature」の2014年8月14日、「チベット人の高高地適応はデニソワ人由来と考えられる遺伝子によってもたらされたらしい」ことが報告されました。

  チベットの人々は、デニソワ人と呼ばれる絶滅した人類達から継承したある遺伝子のおかげで、誰もが最も居住に適さないと呼ぶ場所の一つである世界の屋根と呼ばれる高高度の高原上で生き残ることができます。

そのデニソワ人は、あなたの手のひらに入る程度のほんの2〜3の骨片から再現された41,000年前のDNAのおかげでほんの4年前に発見されたばかりなのです。

  要するに、現生人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人との亜種間交配は既に学会でも認められていますが、デニソワ人など他の亜種との交配も少なからずあったと言うことです。

しかもホモエレクトス(原人)から進化したてのヨチヨチ歩きのホモサピエンスが出アフリカ後6〜7万年ぐらいの短期間で技術レベルや文化レベルを上げることが出来たのは、絶滅直前だった先輩亜種達と幸運にも交配することができ彼らの文化全てを一気に獲得(継承)出来たからだそうです。

  もし先輩亜種人類達が遭遇前に絶滅してしまっていたら、ネアンデルタール人が出アフリカ後数十万年掛けて築いた石器技術や、芸術文化、エピジェネティクス形質などは継承されず、我々は今でも原始レベルのままだった可能性が非常に高いのだそうです。

  しかし、ネアンデルタール人はどうして絶滅したのか?

いろいろの説が出ています。

当ガラパゴス史観は、頂点捕食者としてユーラシア大陸に君臨した彼らは食料となる肉食獣の減少で絶滅し、雑食化に成功したホモサピエンスは生き残りにも成功した。と単純に考えていたのですが、

もしかするとそうではなく、例えば

ヨーロッパ大陸でネアンデルタール人と交配した可能性が確実なクロマニヨン人(Y-DNA「I」)の直系子孫のノルマン系はホモサピエンスの中でも最も平均身長が高い集団ですが、大柄だったネアンデルタール人の遺伝子を積極的に受け継いだと考えるのが合理的であるように、

絶滅したのではなく通婚を経て同化(一体化)していったと考える方が自然ではないかと思い始めています


人類はアフリカで進化しました。

そしてアフリカ大陸の外に住む人類は誰もが、先史時代の同時期に出アフリカした比較的小集団(Stanford大学の研究では合計2000人程度の)のパイオニア的人間の血統を引いています。

  これらの先駆者は熱帯サバンナでの生活に適応していました。

  彼らは、移動するとともに、極端な気温や新しい疾病のように、世界がつきつけてきた様々な挑戦をすべて経験してきました。

  その時既に、ネアンデルタール人とデニソワ人のように、人類の他のグループが世界に居住していました。

  出アフリカしたホモサピエンスがこれらのグループに出くわした時に交配があったのです。

  またこれらの連携を通してホモサピエンスのゲノムには、長期間に渡って新しい大陸(ユーラシア)に適応した、他の人類からDNAが吹き込まれたのです。

  「それは‥‥多くの血統間の遺伝子の交換のネットワークという、人類進化の新しい考え方です。」とニールセンは言います。

  ニールセンは、ホモサピエンスは30,000〜40,000年前頃にアジアのどこかでデニソワ人と交配をしたと考えています。

  他の科学者達は、ネアンデルタール人との亜種間交配が我々のゲノムに対し、皮膚、髪および免疫系に有用な遺伝子を輸入したことを示しています。

  「我々が古代のゲノムから学んでいることは、彼らの各々が我々の祖先に貢献したのはほんの少しだけかもしれないが、それらの遺伝子の流れは役に立つ遺伝子の小さい金色の情報のかたまり(ナゲット)でいっぱいだったということです」

と、人類学者ジョン・ホークスは言います。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-21.htm


81. 中川隆[1094] koaQ7Jey 2015年12月25日 18:40:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[489]

17-9. 遺伝子がオン・オフされる仕組みはエピジェネティクスらしい!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/17-9.htm

  Cell, Volume 153, Issue 5, 1134-1148, 09 May 2013に、遺伝子の発現をオンーオフする仕組みはエピジェネティクスだとアメリカNIH管轄の研究で解明されたようだ。各研究機関に委託し4年の歳月をかけて研究・まとめられたらしい。

エピジェネティクスに関しては

当ガラパゴス史観
http://garapagos.hotcom-cafe.com/


でも重要なテーマとして取り上げてきました。

例えば、エピジェネティクスは、

・当記事13-1.の「破壊する創造者」の書籍紹介で、進化の4つの要因の1つであり、

・唯一遺伝子の変化を伴わない進化で、遺伝子発現の仕組みが変化する。

・つまり遺伝子がメチル化することで発現がコントロールされる。

・現代版ラマルク進化論(後天的獲得形質)であること。

・アフリカ大地で猿人以来小柄で褐色で黒髪で黒目だった人類が、
  赤毛化・碧眼化・色白化・大型化・フラットフェース化・一重瞼化など
  形質が変化したのもエピジェネティクスである。

・出アフリカ後の環境に順応するするための形質変化が遺伝子のメチル化で固定されたようだ。


異色の記事17-6.では

  同性愛になる原因が、発生段階で男性化ホルモンのテストステロンが増大した場合心身共に男性化するエピジェネティクスが働くはずが、エピジェネティクスが逆に働かなくなり心が男性化したにもかかわらず女性の身体に留められてしまう、ことが原因だと解明されたらしい。

  当然、逆もあり、心が女性のまま身体が男性化することもあるようだ。

性同一性障害も全く同じである。

遺伝子の変化でもなく、病気でもなく発現の仕組みが正しく働かなくなることが原因なのだそうだ。見た目は正常なため、見た目で判断する傾向が強い現代人にとっては心の不一致はなかなか受け入れがたい遺伝子発現異常である。


  こんなことまでエピジェネティクスとはびっくりだが、実は全く当たり前の話で、

生物が地球上に発生以来いわゆるメス型しか存在していなかったのが、せっかく生まれた生物の自然消滅を防ぐために多様性を持つ必要が生まれオス型が後天的に創りだされたらしいのだが、この後天的獲得性が問題の根源なのだ。

これが最新遺伝学で言うところのエピジェネティクスと言う仕組みらしいのだ。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/17-9.htm


17-6. エピジェネティクスの研究で同性愛の遺伝突き止める!
http://garapagos.hotcom-cafe.com/17-6.htm

  Quarterly Review of Biology誌の12月11日号に、このガラパゴス史観でも取り上げているエピジェネティクス(後天的獲得形質=新ラマルクの進化論)のアプローチで何と同性愛になるメカニズムが付きとめられたのだそうです。


BioQuickニュースの紹介記事です。

  "エピジェネティクスの研究で同性愛の遺伝突き止める 2013-1-23 8:00 "

  同性愛が遺伝的なものであることは知られていたが、なぜどのようにして遺伝するのかが分からなかった。

しかし、エピジェネティクスの研究で、エピマークと呼ばれる、遺伝子の発現を制御する一時的遺伝子スイッチが、同性愛の発生に大きく関わっていながらこれまで見過ごされてきたという説が発表された。

2012年12月11日付「Quarterly Review of Biology」オンライン版に掲載された研究論文は、

性に関わるエピマークは通常は世代間で遺伝せず、従って、世代ごとに「消去」されるはずだが、間違って消去されずに父から娘に、または母から息子に遺伝してしまうと同性愛になるのではないかとしている。


  進化論の立場から言うと、同性愛の遺伝はダーウィンの自然淘汰の原則からはずれ、成長することも生き残ることもできないはずだが、同性愛そのものはほとんどどの文化の男または女の間でごく一般的に見られる。

また、これまでの研究で、同性愛者が多く生まれる家族があることが判明しており、性的嗜好を決める遺伝子があるものと考えられてきた。


  ところが、同性愛の遺伝学的関係を探す研究が数多くなされてきたにもかかわらず、同性愛の遺伝子として主要なものがまだ見つかっていない。現在の研究では、National Institute for Mathematical and Biological Synthesis (NIMBioS、国立数学・生物学統合研究所) のゲノム内コンフリクト研究作業グループの研究者が、進化論に、遺伝子発現の分子調節研究やアンドロゲン依存性性分化研究の最近の成果を統合することで同性愛の発生におけるエピジェネティクスの役割を説明する生物数理的モデルを創りあげた。

  エピマークは遺伝子の骨格に添付された情報の層ともいうべきもので、これが遺伝子の発現を制御する。遺伝子には命令情報が書き込まれているが、エピマークは、この命令情報をどのようにして実行するか、成長の過程で、いつ、どこで、どこまで遺伝子が発現するかを決定する。

  通常、エピマークは親から子に受け継がれず、世代ごとに新しくつくり出されるが、最近の研究で、時たま世代間で受け継がれてしまうことが突き止められている。

近親者間の形質の類似性が共通する遺伝子によるものであるのと同じように、共通するエピマークによるものという場合もあることになる。胎児の発育初期に作られる性特有のエピマークは、その後の性分化時に母体内のテストステロン量の自然的な変動が大きくなってもその影響を受けないように守る働きがある。

  
性特有のエピマークは、胎児が女の子の場合には、母体のテストステロン量が異常に高くなっても男性化することを防ぎ、胎児が男の子の場合には、その逆で、テストステロン量が異常に低くなっても女性化することを防いでいる。

異なるエピマークが胎児の異なる性的特徴の男性化や女性化を防いでおり、あるエピマークは生殖器を制御し、あるエピマークは性同一性を、あるエピマークは性的対象の好みを制御する。

  ところが、エピマークが父から娘に、あるいは母から息子に受け継がれてしまうと逆の結果になってしまう。息子の性的対象の好みなど一部の性的特徴が女性化してしまい、同じように娘の場合にも一部の性的特徴が男性化してしまうことになる。

この研究は同性愛の進化論的な謎を解いている。

通常、胎児の発育期に、性ホルモン量が自然に変動する影響から守るはずの「性的拮抗」エピマークが消去されずに世代間に受け継がれてしまうと異性の子が同性愛者になるのである。


  この数理的モデルで、このようなエピマークの遺伝子コーディングが容易に人口の間に広まることが実証された。なぜなら、そうすることで子供を作る適応度が高まるが、そのエピマークが消去されずに子供に受け継がれ、子供の適応度が損なわれるケースはめったにないからである。

     "この研究論文の共同執筆者で、NIMBioSの科学活動アソシエート・ディレクターとテネシー大学ノックスビル校教授を兼任するSergey Gavrilets博士は、「性的拮抗エピマークの世代間伝達は、人の同性愛という現象を進化論の機序で説明する説得力のある説だ」と述べている。

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この記事の意味するところはかなり奥が深いです。最新の進化論から当ガラパゴス史観は進化の要因として4つ目にエピジェネティクスを挙げていました。そしてエピジェネティクスは遺伝子そのものが変異するのではなく遺伝子の発現の仕方が変化し、その変化が遺伝する、というものでした。

例えば色白とか赤毛・碧眼、高身長、彫深顔等はネアンデルタール人がヨーロッパ大陸やアジア大陸で数十万年かけて獲得していた高緯度地適応の後天的獲得形質を交配で一気に獲得した形質、一重瞼やフラットフェースはシベリアの寒冷地や黄砂の悪環境下でホモサピエンスが後天的に獲得した形質です。

  つまりエピジェネティクス(後天的獲得形質)は遺伝するのですが、性に関するエピジェネティクスは本来遺伝せずに一代限りで消滅し次世代で新たに発現するはずのものだそうです。

ところが消滅せずに受け継がれてしまうというという予測しないことが起き「父親から娘」或いは「母親から息子」に受け継がれてしまうと「娘は女性が性の対象になり」「息子は男性が性の対象になる」のだそうです。

しかも家系的に出やすいということは「遺伝する」と言うことです。


  またエピマークによっては性同一性を制御しているらしいので、このエピマークに問題が起れば性同一性障害を引き起こす要因の一つになるのでしょう。

  さらにこの研究結果の

「性特有のエピマークは、胎児が女の子の場合には、母体のテストステロン量が異常に高くなっても男性化することを防ぎ、胎児が男の子の場合には......」

から容易に推察できることは、母体のテストステロン(男性ホルモン)が増えても性別や外観の男性化は防げるのだが、心の男性化は防ぐことはできないようなのです。

つまり性同一性障害が生じるのです。

性別や外観は女性でも心は男性になるのです、そして当然逆の場合もあるのです。

そこまで行かなくても当然ながら男まさりの肉食系の女性、草食系の男性になり易いということです。これは非常に納得できます。

  最近の肉食系女性の増加、草食系男子の増加は、何らかの環境因子やストレス因子が働き遺伝子の発現をコントロールするエピジェネティクスに異常が多くなっているのかもしれませんね。

  昔習った性の分化の要因では、


  ・精子の段階で既にオスメスがありオス型精子が受精すれば男になりメス型精子が受精すれば女性になるのだが、それは外見だけで、

  ・誕生後幼児期と思春期に正しく分化が行われないと内面の分化が完成しない、
  というものでした。


この誕生後の分化をコントロールするのがエピジェネティクスだとすると非常に納得できますが、問題はエピジェネティクスは獲得形質なので定義ではコントロール機構は遺伝するはずなのです。

  ところが性分化に関するエピマークは受け継がれない、つまり遺伝しない、ということなので不思議なのですが、家系的に同性愛が出現することがわかっているということは、「コントロール機能の異常化」というエピジェネティクスが遺伝する、と考えれば納得できそうです。

  いずれにしても当人の苦悩は相当なものでしょう。人間はどうしても外見でほとんどの判断をするように進化してきた動物なので、見かけと違うことに異和感を持ってしまうのです。

将来異常なエピジェネティクスを逆にコントロールすることが出来るようになる日が来るかもしれませんが、ips細胞でも性の分化の内面の問題には対処できないでしょう。

  このテーマは同性愛大国アメリカのオバマ大統領が2期目の就任演説であえて触れたようにあまりに奥が深すぎるのでここまでです。

  しかしエピジェネティクスが進化要因になるだけでなく、このような性に関する深刻な問題を引き起こすことがあると言うことは驚きでした。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/17-6.htm


82. 中川隆[1841] koaQ7Jey 2016年3月07日 15:31:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[1790]

2014/01/27(月) 【AFP=時事】

約7000年前にスペインに住んでいた狩猟採集民のDNAは、欧州人が従来考えられていたよりはるかに最近まで浅黒い肌をしていたことを示唆しているとの調査報告が26日、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された。


北アフリカ地域の狩猟採集民、木の実を食べて虫歯に 研究

 スペインの進化生物学研究所(Institute of Evolutionary Biology)などの研究チームが発表した論文によると、

スペインにある深い洞窟系で発掘された「ラブラナ1(La Brana 1)」と呼ばれる古代の男性の骨格の歯から採取した遺伝物質を調べたところ、浅黒い肌に青い瞳という珍しいな組み合わせが明らかになったという。


 ラブラナ1が生きていた、1万年から5000年前の中石器時代の欧州人は、その高い緯度から紫外線レベルが低く、すでに白い肌をしていたと考えられていた。

 論文の共同執筆者の1人、進化生物学研究所のカルレス・ラルエサフォックス(Carles Lalueza-Fox)氏は、AFPの取材に

「これまで、欧州地域では白い肌の色がかなり早期に、後期旧石器時代には進化していたと考えられていたが、これは明らかに事実と異なる」

と述べる。

「この個体は、色素沈着遺伝子にアフリカ系の変異を持っていた」

 後期旧石器時代は今から5万年前〜1万年前までで、その後の中石器時代は約5000年前まで続いた。

以降、欧州では新石器時代に入る。

今回の研究をみる限り、肌の白い欧州人は、以前考えられていたより「かなり後」に、おそらく新石器時代になってからようやく現れたとラルエサフォックス氏はみている。古代の狩猟採集民は新石器時代に農耕民になった。

 こうした生活様式の変化で食生活が変わり、ビタミンDの摂取量が減少したことも関係しているかもしれないと同氏は指摘する。

 天然のビタミンDが欠乏すると、人間の皮膚は太陽光線に当たることで自らビタミンDを作り出すことができる。

浅黒い肌では白い肌より合成する量がかなり少ないため、このことが白い肌に変化するための進化の誘因となったとされる。


■現代欧州人では見られない「組み合わせ」

 ラルエサフォックス氏の研究チームは、ラブラナ1で青い目と黒い髪の遺伝因子も発見した。

 肌の正確な色合いまでは判別できないが、青い目との組み合わせは今日の現代欧州人では見られないものだと研究チームは指摘する。

 人類の最古の共通祖先は浅黒い肌をしていたが、アフリカを出て北方の太陽光が少ない寒冷な気候の地域に移動するにつれて肌の色が白くなったという説は広く受け入れられている。

 そしてその後の民族移動と混血によって、現代人が持つ様々な肌の色合いが生じた。

 ラブラナ1は、ゲノム(全遺伝情報)が完全に解読された最初の欧州の狩猟採集民だ。

現代人との比較調査では、スウェーデン人やフィンランド人などの北欧人種と最も高い関連性を持っていることが分かった。

 またラブラナ1は、その後の人類が獲得したような、ミルクやでんぷんを容易に消化できるようにする遺伝子変異をまだ獲得していなかったことも、この調査で明らかになった。こうした適応は、 新石器時代の農業の誕生と同時期に発生したと思われる。

 ラブラナ1のゲノムの特徴が実際にどれほど広範囲に及んでいたかを判定するには、さらに多くの中石器時代人のゲノムを解析する必要があると論文の執筆者らは述べている。【翻訳編集】 AFPBB News(終)

AFP=時事 1月27日(月)14時19分配信
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1390802317/


83. 中川隆[1889] koaQ7Jey 2016年3月13日 07:46:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[1849]


ヨーロッパ諸語のルーツは東欧。DNA分析で判明 2015.03.06

論争が続く英語を含むヨーロッパ諸語の起源。論争に終止符を打つ新発見となるか

4500年以上前にドイツ中部で埋葬された男性の人骨。
この後、東欧から移住した考えられる集団とは、共通の祖先を持たないことがわかった。(PHOTOGRAPH BY JURAJ LIPTAK, LDA SACHSEN-ANHALT)

 ヨーロッパ大陸全域で話されている言語のルーツはどこにあるのか。

このほど行われたDNA分析で、約4500年前、現在のロシアとウクライナにまたがる草原地帯から移動してきた牧畜民が使った言語がルーツとする説が発表された。

 長く狩猟採集が続いた先史時代のヨーロッパで、農耕が始まったことは画期的な出来事と位置付けられている。ヨーロッパでの農耕は、東方の農耕する集団がヨーロッパへ移動したことから始まったとされる。

 ところが2015年3月2日、科学誌「ネイチャー」に、ヨーロッパへの集団の大移動は1度だけではなく、2度あったとする研究論文が発表された。この説では

最初の集団の移動は新石器時代に現在のトルコにあたるアナトリアからのもの

そして第2波は4000年後、現在のロシアに当たるステップ地帯から中央ヨーロッパへの大移動だったという。

そして英語を含むヨーロッパ言語の基礎になったのは、ステップ地帯から移動した集団がもたらした言語だというのだ。

 論文の共著者で、ハーバード大学医学大学院の遺伝学者ヨシフ・ラザリディス氏は、

「ヨーロッパに最初にやってきた人々は狩猟採集民でした。
そこへ農耕民がやってきて狩猟採集民と混ざり合いました。
その後、東から新たな集団がたくさん移動してきたのです」

と語る。

 今回、第2の大移動があったことが明らかになったのは、ラザリディス氏らの研究チームが現代ヨーロッパ人の起源を解明しようと、ヨーロッパの古代人69人の骨から採取したDNAを調べたことがきっかけだった。

標本となった古代人の人骨は3000〜8000年前までと幅広いもの。
標本同士だけでなく、現代ヨーロッパ人との間でもDNAが比較された。


 調査の過程で、古代の狩猟採集民と新石器時代に流入した農耕民の痕跡が見つかった。

これは、これまでの説を裏付けるもので、予想通りだった。

ところが彼らを驚かせたのは、約4500年前、ロシアとウクライナにまたがる平地や草原からの大集団が移住したことを示す痕跡が見つかったからだ。

予想だにしない結果だった。

ヨーロッパへの集団移動は2段階

 数千年間、狩猟採集民の小集団が暮らしていたヨーロッパ大陸に、初めて変化が起こったのは、約8000年前のこと。

アナトリアから北上した農耕民が、新しい技術と生活様式をヨーロッパにもたらし、現在の定住生活の基礎を築く。考古学者の間では、この出来事を「新石器革命」と呼んでいる。

 その数千年後に、再び外からヨーロッパ大陸に人類の大移動があったことを決定づけたのは、ある2つの集団の DNAに多くの共通性が見られたため。

1つは黒海の北岸で見つかった5000年前の人骨で、考古学で「ヤムナ」と呼ばれる集団に属するものだった。

もう1つは、約4500年前に現在のドイツ中部ライプチヒ近郊で葬られた4人の人骨だ。こちらは「コーデッドウェア文化」に属する人々だった(「コーデッドウェア」とは、ヨーロッパ北部で広範囲にみられる当時の土器の特徴的な文様のことで、それにちなんでこう呼ばれる)。

 ヤムナ文化に属する集団と、コーデッドウェア文化に属する集団の間には、500年の開きがある。さらに地理的にも1600キロは離れている。それにもかかわらず、両者は判明できた部分で75%(おそらくは100%)共通の祖先をもつと考えられたのだ。

論文の著者の1人で米ハートウィック大学の考古学者デビッド・アンソニー氏は、「両集団の間には、直接の遺伝的関連がみられる」と話す。「控えめに言っても、近い親類だということです」

 そして、着目すべきは、コーデッドウェア文化に属する人のDNAが、それより数千年前の現在のドイツにあたる地域に暮らしていた農耕民の DNAと共通性が認められなかったことのほうだろう。

つまり、これは過去に「侵略」と言ってもいいほど劇的なヨーロッパへの流入があったことを示す証拠だ。

「集団が丸ごと入れ替わったと言っても過言ではない出来事だったのではないでしょうか」

とラザリディス氏は考えている。

ルーツ論争は決着か?

 今回、遺伝学から示された「ステップ地帯からヨーロッパへの大規模な移動があった」という事実は、言語学者や考古学者の間でインド・ヨーロッパ諸語の起源をめぐる論争を再燃させるだろう。

インド・ヨーロッパ諸語には400以上の言語が含まれ、英語、ギリシャ語、アルバニア語、ポーランド語といった現代の言語から、ラテン語、ヒッタイト語、サンスクリット語など古い言語まで数多い。

 言語学者らは、すべてのインド・ヨーロッパ諸語の生みの親であるインド・ヨーロッパ祖語が最初に話されていた場所をめぐり、数十年もの間も議論してきた。

「アナトリア仮説」派は、1万年前かそれ以前に現在のトルコに住んでいた農耕民が最初にインド・ヨーロッパ語を話していたと主張する。紀元前6000年ごろ彼らがヨーロッパにたどり着き、言語もそのときに流入したというのだ。

 対する「ステップ仮説」は、黒海とカスピ海の北に広がる広大な平原をインド・ヨーロッパ祖語の生まれた土地と考える。

アンソニー氏は、この地に車輪が伝来して「ステップ地帯の経済に革命を起こした」と話す。この説を支持する人々は、多くのインド・ヨーロッパ諸語で「車軸」(axles)、「(家畜に荷車を引かせる棒)ながえ」(harness poles)、「車輪」(wheel)といった単語が共通していると指摘する。どれも、ヨーロッパで新石器革命が始まってからずっと後に考案されたものだ。

 だが、どちらの説も決定的な裏付けがなく、議論は長いこと前進していなかった。そんな中、今回の研究成果は両者の勢力図を変えるかもしれないと多くの研究者が考えている。ステップ仮説に説得力を持たせるのに必要な移住の証拠がつかめたからだ。

 とはいえ、これでインド・ヨーロッパ諸語のルーツをめぐる論争に決着がついたとはいえない。まだ説を補強しなくてはいけないことも多いからだ。

確かに、遺伝学と言語学のデータは、インド・ヨーロッパ祖語が約4500年前にステップ地帯を経てヨーロッパに入ったという説を支持するものだ。だが、バルセロナ大学の遺伝学者カルレス・ラルエサ=フォックス氏によれば、

「祖語の最も古い系統がどこで生まれたのかは、依然としてはっきりしない」

だという。同氏によれば、インド・ヨーロッパ祖語発祥の地は、さらに別の地域かもしれず、ステップ地帯は源流の言語が南欧、イラン、インドなどに入った複数のルートの一つにすぎない可能性もあるという。

 今回の研究論文を発表した著者らも、その点は認めている。しかし、彼らの主張は揺らいでいない。ラザリディス氏は

「ステップ地帯がインド・ヨーロッパ諸語の唯一の発祥地かどうかは不明だ」

としながらも、

「この地域についてもっとデータが集まれば、多くの疑問に答えられるはずだ

」と強調した。


4000年以上前にドイツで埋葬された若い女性の人骨。DNAを分析したところ、東欧から移住してきた牧畜民との関連が強いことがわかった。
(PHOTOGRAPH BY LDA SACHSEN-ANHALT)

文=Andrew Curry/訳=高野夏美
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/


84. 中川隆[2630] koaQ7Jey 2016年5月26日 15:08:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2891]

コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/


  コーカサス地域は最古の民族ともいわれるアルメニア人やスターリンの生まれたジョージア(旧グルジア)人が居住する地域です。

アルプスで発見されたアイスマンのY-DNAが「G」であることから、アイスマンの先祖の発祥の地はコーカサスだろうと言われています。 5000m級のコーカサス山脈が中心に位置する高度の極めて高い土地になり、恐らくアイスマンの系統は同じ高度地域のアルプスに移動してきた可能性があります。

  バルカン半島と同様に、多民族、多言語、複数の宗教が交錯する地域になります。

そして古代遺伝子のY-DNA「F」から初期に分化したコーカサス遺伝子のY-DNA「G」、 次の世代でクロマニヨン人/ノルマン・バルカン遺伝子のY-DNA「I」、メソポタミア農耕民・セム族遺伝子のY-DNA「J」が恐らく分化発祥した地と考えられています。

  少し時代が下がると、欧米の主要遺伝子であるY-DNA「R1a」と「R1b」が移動を開始したときに「R1a」は恐らく黒海の北方から南下し、 「R1b」はカスピ海南岸/イラン北部あたりから北上しコーカサスに入ったと考えられているようです。

  イラン人のペルシャ帝国、テュルク語族のチムール帝国、セルジュクトルコ帝国やモンゴル族が後代に覇権を握り、テュルク語族のオスマントルコ帝国解体後は ロシア更にソ連が支配者となり、ソ連の解体後ロシア内に留まった地域と独立した地域に分かれています。

  この地域の複雑に加え、国境を接するトルコやイランそして独立国を持てなかった最大の民族クルド人がこの地域をますます複雑にしています。   それでも混沌の国インドに比べれば大した民族数・言語数ではありませんが、宗教が加わり少なくともバルカン半島並みの複雑さになっています。   

しかしバルカン半島は民族の人口が比較的大きく、それなりにまとまっているのですが、コーカサスは数千人程度の人口の民族(部族程度か)も 多く、高度の高い地域で隔離され孤立し希少民族化してきたような様相を示しています。


  Y-DNA調査では2001年のWells論文が最も古く、まだ亜型名が確立する前で分類に若干疑問が残るのですが、 2004年にNasideらがWellsデータを改めて見直し亜型名に当てはめたため、Wells論文は使えるものになりました。

民族としてはルトゥール人(Rutulians)のように狭い地域に局在している民族もあれば、 チェチェン人(Chechens)のように複数の地域にまたがって居住している民族もあります。 スヴァン人のように1種類の遺伝子亜型が大多数を占める民族もあれば、複数の遺伝子が拮抗する民族もあり、 民族の成り立ちが単純ではないことを調査の結果は示しています。

  おそらくコーカサスの歴史に相当精通していても、遺伝子の流れを説明・解明するのは難しい気がします。 当ガラパゴス史観も以前集めた論文を再度読み直して今回Y-DNAの亜型分布を提供しますので、本サイトをご覧になった方は、自分なりのコーカサス民族の動きを、 コーカサスの歴史と併せて構築してみて下さい。


コーカサスは山岳地帯を中心に 西は黒海、東はカスピ海に挟まれた独特の地域になります。

ノアの箱舟のアララト山は上図左のTurkeyの国名のすぐ右そばになります。

原始キリスト教の7つの教会は全てアナトリアにありましたが、40年前にその中の1つをイスタンブール駐在時代に訪れています。 いまはイスラム教のアナトリアですが、実はキリスト教の確立した重要な土地でもあるのです。


・上図左は、国名とロシアの地方名が分かります。Wikipediaから拝借しました。

・上図右は、このY-DNA調査の代表的な民族の調査地域を表しています。論文から拝借しました。

・下図左は、民族と言語の分布図ですが、興味のある方はWikipediaの原本をご覧ください。
  
・古代遺伝子の1つであるY-DNA「F」は、インド亜大陸で現代文明人の大半を占めるY-DNA「G」以下の全ての遺伝子を分化させる基礎を築きました。
  
・この地からY-DNA「G」はコーカサスに移動し古くはアルプスで発見された「アイスマン」、近代ではソ連の「スターリン」を生み出しました。
  
・「F」は「G」と「HIJK」に分化し、「HIJK」は更に「H」と「IJK」に分化し、「H」はインド亜大陸に居住したようですが、インド亜大陸では主役になれず、一部はジプシー化しました。
  
・またコーカサスは、「IJK」からY-DNA「I」,「J」と「K」が分化したのではないかと考えられています。
  
・Y-DNA「I」は、後にクロマニヨン人となり、さらにバイキングのノルマン系「I1」とバルカン系「I2」を分化させました。
  
・Y-DNA「J」は、後にセム系の「J1」とメソポタミア農耕民系の「J2」に分化し、「J2」は「G」と共に肥沃な三角地帯に移動しメソポタミアに農耕文明を興したようです。
  
・「K」はさらに「LT」と「K2」に、「LT」は「L」と「T」に分化し、「L」はインダス文明系のちにドラヴィダ人を形成したと考えられています。
  
・「T」はアメリカ第三代ジェファーソン大統領の遺伝子です。
  
・「K2」からシベリア・ウラル系遺伝子「N」、極東系遺伝子「O」、インディオ系遺伝子「Q」そしてインド・アーリアン系遺伝子「R」が分化し、      

「R1」からインド・スラブ系遺伝子「R1a」とケルト・ゲルマン系遺伝子「R1b」が分化しました。

結果をまとめて見ました。古い遺伝子頻度の高い順に主要な民族をご紹介します。

  
2001年頃のWellsの論文から2011年の比較的新しい論文まで新旧データが入り混じっていますが、他に参照できるデータもないのでそのまま強引にご紹介します。

  この地域はアレキサンダー大王の古くから各帝国が占領してきており、どの遺伝子がどの時代から居住していたのかはなかなか難しい問題ですが、

Dagestan のギリシャ語を話す集団はアレキサンダーの一団の末裔と考えれているようです。

モンゴル帝国のY-DNA「C」も占領軍の末裔としてカルミーク(Kalmyk)人に残っています。

  ペルシャ帝国時代のイラン系も存在し、インド・スラブ系の「R1a」は「R1b」と分化し移動を開始した古代系の末裔と、近代ソ連人の系統が混じっているはずです。

またゲルマン民族の大移動を行ったY-DNA「R1b」のケルト・ゲルマン系の末裔がロシアのバシキール(Basikir)人やバグバラ(Bagbalal)人やテュルクメン(Turkmen)人として残っています。

「R1b」は恐らくアナトリアから更に南下しアフリカ大陸に入り、チャド語系の民族を形成し、その移動の事実はアフリカ神話にも残っています。


  古代人の移動は、出アフリカによるホモサピエンスの大移動、Y-DNA「Q」の出シベリア後のアメリカ大陸の北南縦断の大移動、オセアニア集団の東南アジアからの出アジアなど 国境が制限している現代社会からは想像も出来ないほどダイナミックで広域なものでした。

  それほど古くは無くてもシベリア系遺伝子Y-DNA「N」のシベリア大陸横断によるウラル化があります。

  我々現代人は民族、言語、風俗習慣など国境が確立されてしまった環境の中で生きているため、人々の違いに敏感ですが、 実はネアンデルタール人とホモサピエンスの交配による遺伝子の受け継ぎの事実など、 古代に遡れば上るほど人々は違いを越えて交配しあい、新しい土地で新しい遺伝子が分化してきているのです。

1.スヴァン人(Svans)

  アルメニア人が世界最古の民族と言われていますが、遺伝子調査の結果だと 古代遺伝子の1つであるY-DNA「F」の頻度が高い、スヴァン(Svan)人やルトゥリア(Rutulian)人のほうが古いかもしれませんね。

  スヴァン人はジョージア(グルジア)とロシアの国境のグランドコーカサス山脈の南山麓に居住しています。 要する「G」によって標高の高い土地に追い出されたと考えられます。

  同じ古代遺伝子Y-DNA「D」頻度の高いチベット人がY-DNA「O3」にチベット高原に追い出され、 最極東の日本列島に同じ「D」縄文人が残ったように。僻地に古代が残る例のような気がします。


2.ルトゥリア人(Rutulians)

  ロシア・ダゲスタンのグランドコーカサス山脈の北山麓の狭い地域に局在しています。
「G]の頻度も高いので「G」の拡張に伴い「G」が入り込んできたようです。


3.アバジニア人(Abazinians)

  スヴァン人のすぐ北隣、グランドコーカサス山脈の北山麓に居住しています。

元は同じ集団だった可能性もあります。

「F」と「G」が同程度なので、「G」の拡張で入り混じり民族が分かれたのかもしれません。

「R1a」も多いのですが後世のスラブ系なのか、 インド・アーリアンがインドに移動する途中で留まった系統なのかは、もっと調査が進み子亜型/孫亜型などがはっきりしてくると解明されるはずです。
また少数ですがモンゴル帝国の名残のY-DNA「C」も残っています。


4.シャプスグ(Shapsugs)人

  最もY-DNA「G」頻度の高い民族ですが、現存人口約8000人の半数以上は現在イスラエルに居住しています。つまりユダヤ教徒になります。

ロシアのAdygeiに残りは居住しているようですが、こちらはスンニ派イスラム教徒だそうです。

5.オセット人(Ossetians)

  コーカサス紛争で話題になるオセット人は調査地域によって出現頻度がかなり変わります。東方正教会(Eastern Orthodox)もあればスンニ派イスラム教もあります。 遺伝子の地域差が大きく、Y-DNA「I」や「J2」が多い地域もあれば、「F」が多い地域もあり、 古代から紛争の中心地であり、遺伝子が入り乱れてきたことが十分に推測できます。

6.アルメニア(Armenians)人

  調査により大きく出現頻度が変わります。

WealeのデータはY-DNA「G」が基本で、そこにY-DNA「R1b」が交配している結果が見事に出ていますが、 他の論文では、「J2」、「I」や「R1a」が主要遺伝子になっています。

アルメニアもオセット同様古代から戦争や紛争の土地であったことが読み取れます。

7.ジョージア(グルジア)人

  スターリンの出身地ですが、Y-DNA「G」にY-DNA「J2」がかなり交配しており、メソポタミア農耕文明は「J2」と「G」によって興ったと考えられているので、 いずれにせよこのコーカサスの黒海沿岸の低地で農耕の芽が育ち、移動先の肥沃な三角地帯メソポタミアで農耕の花が開いたと考えるとありそうな話です。

8.チェチェン(Chechens)人

  チェチェン紛争で知られる民族ですが、Y-DNA「J2」と「J1」が主要な「J」遺伝子民族になります。
イスラム教ですが、どの宗派にも属さないムスリムも多く、 スンニ派のシャーフィイー学派もあり、なかなか難儀な土地のようです

9.アゼルバイジャン(Azerbaijanis)人

  カスピ海沿岸の低地に望むコーカサス一帯では最も平地の多い土地になります。
そのためかメソポタミア農耕民系遺伝子のY-DNA「J2」が主要遺伝子になっています。

  10.クルド(Kurds)人

  オスマン帝国の解体後に一時期クルディスタン王国が、戦後一時期クルディスタン共和国ができたが、いずれも大国の思惑で瞬間的にできた国家で終わってしまいました。

遺伝子的にはトルコ国内に包含される本家クルディスタンのクルド人の調査結果がないため主要遺伝子が何なのかは残念ながらわかりません。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/


85. 中川隆[2804] koaQ7Jey 2016年6月08日 22:24:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3081]

RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
  そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
  ある意味非常に効率的に管理支配していますね。

BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
  彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。

  それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
  乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
  主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
  睾丸を抜いてしまうんです。

  だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
  彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
  日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
  潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。

  事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
  あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
  羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。

  その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
  (キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
  全体を支配するという考えです。

  これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。

  ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
  「羊人」という家畜にすぎません。

  だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
  劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。

  家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。

  文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。

  このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
  存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html


86. 中川隆[3163] koaQ7Jey 2016年7月05日 21:00:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3510]

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫) 2013/8/21 ラス・カサス (著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E7%B0%A1%E6%BD%94%E3%81%AA%E5%A0%B1%E5%91%8A-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B9/dp/400358001X

コロンブスが新大陸を発見後、スペイン人が続々とおとずれ、原住民のインディオ達を虐殺しまくり、金を奪い、人々を奴隷として虐げるまさに『生き地獄』が始まる。

本書はスペイン本国には届かない(隠されたいた征服行為の実態を)そういった非道の行為をスペイン国王に訴え、直ちに禁止しようと働きかける為に書かれたレポートです。

本書を書いたのはカトリックのドミニコ会の聖職者。

著者はスペイン人の侵略者と混じって現地へ布教を目的に渡ったものの、大陸で見たものは、キリスト教の福音を広めるどころか、悪魔そのものの行動で原住民のインディオを略奪、拷問、虐殺するスペイン人の同胞達。

インディオにとって、キリスト教・キリスト教徒とは、悪魔の宗教とその僕に他ならず、この世の楽園のような平和が『金』を求める侵略者に蹂躙される様を数十年に渡って見続け、あまりの理不尽さと憐れみから、インディオ達によるスペイン人の殺害さえも正義の行為と看做すなど、当時にあっては、むしろ例外的な存在だった人物だったようです。

本書を読むと、その半端ではない侵略行為の凄まじさに言葉を失います。

本来はキリスト教の福音を広める為という建前の下で植民者へ付与された権利は捻じ曲げられ、ひたすら『金』と『奴隷』獲得を目的とする侵略行為を正当化に使われます。

実際、彼らが行った結果は、数百万、数十万人のインディオが住んでいた島々を全滅させ、あるいは数十人しか生き残っていない状態にまでしました。島は荒廃し、この世の楽園は見るも無残な生き地獄と化したのです。

しかもそれを行ったスペイン人は、厳しい航海で生死の境にあった時に、無償で食料と住居を提供してくれた非常に慈悲深いインディオ達に対して、その返礼として為されたのでした。

原住民のインディオは、非常に穏健且つ従順であり、また善良であったが故に、スペイン人の求めるままに食料や金まで差し出したのですが、彼等はより多くのものを求め、効率良く『金』を集める為に、人々を虐殺したのです。

本書では彼らが為した極悪非道の所業が延々と羅列されています。

現実の役に立つとは思えない道徳の教科書よりは、本書を一読することをお薦めしますね。いかほども教育効果が高いでしょう。戦争はいけないとか、正義とか、立派なお題目はさておき、『正義』は勝ち取ってこその正義であります。イエーリングの「権利のための闘争」を読むまでもありません。現実の世界に、水戸黄門や遠山の金さんはいないのです。(ランボーもいませんけどね)


『大航海時代』なんて、所詮、こんなもんです。
某国が石油利権の為に堂々と侵略戦争を行って未だに撤退しないのと五十歩百歩の行動原理です。

利益の為に、人は大胆且つリスクテーカーとして行動するのであって、決して善意の為ではありません(例外はあるし、否定はしませんが・・・)。人の行動は今も昔も変わりません。


正義ではなくて、強者が勝つんだなあ〜と思いました(勝てば官軍って訳です!)。欲望への執着心こそ、最強の行動原理かもしれませんね。

だからといって、正義を踏みにじって利益の為に邁進するのも私の人生哲学に反するのでできませんが、負け惜しみで綺麗事の『正義』を主張するのもいかがなものかと思います。

世界史の副読本として、こういうの読まないとねぇ〜。世界史の先生自体が世界を知らないのでは話になりませんが・・・。まあ、期待してはいけないかも?

まあ、論より証拠で本文より印象に残った部分を抜粋してみます。実はあまりにも凄過ぎてキリがないのですが・・・。


『ある日、ひとりのスペイン人が数匹の犬を連れて鹿か兎を狩りに出掛けた。しかし、獲物が見つからず、彼はさぞかし犬が腹をすかしているだろうと思い、母親から幼子を奪ってその腕と足を短刀でずたずたに切り、犬に分け与えた、犬がそれを食い尽くすと、さらに彼はその小さな胴体と投げ与えた。』


『無法者のドイツ人総督はインディオをその妻子をできるだけ大勢捕らえるよう命じた。そこで部下たちは特別に作っておいた大きな囲いのような木の柵の中へインディオ達を閉じ込めた。

邪悪な総督は、そこから出て自由になりたい者は身代金として一定量の金を差し出さなければならないと知らせた。同じように、妻や子を身請けしなけれなかった。

総督はインディオ達を一層苦しめようと考え、要求した身代金を持参するまでは彼らに食事をいっさい与えてはならないと命じた。

大勢のインディオは、使いの者を金を取りに家へやり、そうして、それぞれがあるだけの金を差し出し、自由を取り戻した。このようにして解放されたインディオ達は畑は戻り、食事の用意をするために家へ帰った。

ところが、その無法者はこうして一度自由の身となった哀れなインディオたちをふたたび捕らえるために、数人のスペイン人略奪者を派遣した。

彼等はインディオたちを元の囲いへ連れ戻し、ふたたび身請けされるまで、彼らに飢えと渇きの苦しみを味わわせた。

インディオたちの中にはニ、三度捕らえられ、その都度身請けされた者もいたし、また、持っていた金を既に残らず差し出してしまっていたために、もはやそれも叶わず、まったく身代金も無い者もいた。

無法者は彼らをずっと囲いの中に閉じ込めておいたので彼等は餓死してしまった。』


『彼は奥地へと遠征し、無数のインディオを連行したが、インディオたちは鎖に繋がれ、重さ3、4アローバの荷物を担がされた。なかには空腹と過酷な仕事、それに生来の虚弱さのために疲労し、気をうしなったりするインディオたちが幾人かいた。

その時、彼等は一番外側の首枷につないだインディオたちをいちいち止めて鎖を外すのが面倒なので、即座に、倒れたインディオの首枷の辺りを斬りつけた。すると、首と胴体はそれぞれ別の方向へ転げ落ちた。

彼等はそのインディオが担いでいた荷物を沸け、ほかのインディオたちの荷物のうえにのせた。』

『既述したとおり、スペイン人たちはインディオたちを殺し、八つ裂きにするために獰猛で凶暴な犬を仕込み、飼いならしていた。

真のキリスト教徒である人々、また、そうでない人も彼らがその犬のえさとして大勢のインディオを鎖につないで道中連れて歩いたという事実を知っていただきたい。

おそらく、そのような行為をこれまでに耳にしたことはないであろう。
インディオたちはまるで豚の群れと変わらなかった。

スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。

「申し訳ないが、拙者が別な奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」と、まるで豚か羊の肉の四半分を貸し借りするように、彼等は話し合っていた。

別のスペイン人たちは、朝、犬を連れて狩りに出掛け、昼食を取りに戻り、そこで互いに狩の成果を尋ねあう。すると、ある者は

「上々だ。拙者の犬は十五、二十人ぐらい奴らを食い殺したよ」

と答えていた。』

『島々では、牝馬一頭につき、理性を備えた人間であるインディオの八十名が交換された。』


『その無法者はいつも次のような手口を用いた。

村や地方へ戦いをしかけに行く時、からは既にスペイン人たちに降伏していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。

彼はだいたい一万人か二万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。その代わり、彼はそのインディオたちに、彼らが捕まえたインディオたちを食べるのを許していた。

そういうわけで、彼の陣営の中には、人肉を売る店が現われ、そこでは彼の立会いのもとで子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。
人体の中でもっとも美味とされるのが手足だったからである。

ほかの地方に住むインディオたちはみなその非道ぶりを耳にして恐れのあまり、どこに身を隠してよいか判らなくなった。』


ローマ皇帝のネロもまだ良心的に感じられてしまいます。
人ってここまで卑しくなれるんですね。

他にも国王から金を根こそぎ絞り取る為に、拷問に次ぐ拷問をする話や、王妃を乱暴して陵辱し、殺す話など、いくら過去のことはいえ、鬱になりそうな話が載っています。


それがあの華々しい大航海時代、スペインの繁栄だったりするわけです。
ルネサンスももうすぐだしね。

極論すれば、世界史なんて本書の本を一冊読んだ方が得られるものが多いような気がします。教科書の内容はすぐ忘れますが、本書の内容を忘れられる人はなかなかいないでしょう。

日本人が南京大虐殺で行ったことや、満州帝国が阿片の利益で運営されていたことなど、他人事ではないんだけどね。まあ、リアルタイムでパックス・アメリカーナも大差ないことしてますけど・・・。

いろいろと勉強になる一冊でした。

そうそう、面白いことに本書はその後の歴史で、当初の意図とは全く異なる使われ方をしたそうです。最初は、西欧諸国によるスペイン支配への反対の資料として。また、アメリカ独立戦争や第二次大戦後のアフリカにおける植民地の独立運動など、多彩な方面で本書がたびたび採り上げられたそうです。

実際に、スペインで禁書にされたようで、うちのブログで扱うにはうってつけだったりする(・・・って、オイ)。


う〜ん、歴史って予想もつかないもんです。あまりにも酷過ぎる描写故に、インパクトがあるのでその時代時代で都合のいいように利用されたんでしょうね。

でも、そういった経緯は別にしても読んでおいて悪くない本です。人というものについて、改めて考えさせられることが多い本です。
http://library666.seesaa.net/article/108242002.html


87. 中川隆[3164] koaQ7Jey 2016年7月05日 21:15:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[3511]


【噴水台】強者にだけ謝罪するドイツ 2016年01月11日
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]


アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』が絶版から70年ぶりの今月8日、ドイツで再出版された。

この本は1925年に36歳のヒトラーがミュンヘン暴動で投獄された当時、ナチズムの思想的土台を整理した自叙伝だ。

ナチ崩壊後に版権を得た独バイエルン州が出版せず、事実上の禁書だった。
しかし昨年末に70年の著作権が消滅すると、ドイツ研究所が激しい反対を押し切って「極右人種主義を防ぐにはナチズムの正確な理解が必要」として再出版したのだ。

その間、国内外を問わず、『わが闘争』出版禁止は反省するドイツの良心の象徴のように描写されてきた。

反省をしない日本とは違い、ドイツはナチズムなら接触さえできないようにこの本を禁止したという論理だった。

ところがこの悪名高い本が出てくると、世界メディアは「ナチズムを批判するための措置」という形で再出版も美化している。出版を禁止しても解除してもドイツはいつも模範的な国と見なされているのだ。


しかし本当にそうだろうか。隠れている歴史を見てみよう。
ドイツの醜悪な顔が一つ一つ見えてくる。

1904年、ドイツは植民地のナミビアから土地を奪うためにヘレロ族・ナマ族を無惨に殺害した。

井戸に毒をまいたという話もある。

20世紀初めの人種虐殺だった。

ヘレロ族8万人のうち6万5000人、ナマ族2万人の半分の1万人が死亡した。

これだけでなくドイツは生存者2000人を強制収容所に入れて人体実験もした。その後、ドイツは遺体を本国で運んで研究用として使用し、2011年に20人の遺骨を本国に返した。

ドイツ人はあまりにも純真であるためヒトラーという狂った人物にだまされ、悪行を犯したようになっている。しかしドイツ人はヒトラーの登場前から悪魔の人体実験をしていた。

ドイツは繰り返されるナミビア政府の謝罪要求にもかかわらず、100年が過ぎた2004年に虐殺の事実を認めた。それも首相ではなく経済開発相が演説して一言述べたのがすべてだ。しかし経済的賠償は拒否し続けている。

日本の否定的なイメージを強化するため、我々は「誠実なドイツ」という虚像を築いて見たいものだけを見ている。

もう一つ。それではドイツはなぜユダヤ人だけに頭を下げるか。
専門家らの答えはこうだ。

「米国内のユダヤ人の影響力が強く、ナミビア人は弱いから」。

悲しくもこれが国際社会であり、これが「不都合な真実」だ。

日本からきちんと謝罪を受けようとするのなら、我々から強くならなければいけない。

ナム・ジョンホ論説委員
http://japanese.joins.com/article/627/210627.html


ドイツは1884年から1915年にかけて南西アフリカを植民地にしていました。

そこでドイツは先住民であるヘレロ族・ナマクア族を反乱に対する報復として虐殺しました。

20世紀最初のジェノサイドといわれている1904年から1907年にかけてのヘレロ・ナマクア虐殺である。

ヘレロ族の80%、ナマクア族の50%が虐殺されたといわれています。

南西アフリカはドイツが第一次世界大戦に敗北し国際連盟の委任統治領となりました。


ホッテントット蜂起

ドイツ本国にもこの無残な植民地統治についてある程度報告された。しかし国民の大多数はこの強制収容所での残虐行為を容認したようだ

1906年、議会で社会民主党がホッテントットへの弾圧があまりにも過酷だとして政府を追求した。

これに対し、首相ビューロウは社会民主党を追い落とす絶好の機会ととらえ、議会を解散し総選挙に訴えた。当然争点はこの蜂起事件についてだった。

国民はホッテントットへの過酷な弾圧を支持し、社会民主党の議席数は急落した。後世になりこの選挙はホッテントット選挙と呼ばれた。

首相ビューロウとはベルンハルト・フォン・ビューローのことで1900年から1909年の間、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の下、帝国主義政策を推進したプロイセンの貴族です。

異教徒・異民族に対する宗教的偏見・人種的偏見はドイツ人の血であり本性です。

日本人はドイツの歴史を知らなさ過ぎる。ドイツ人の本性を知らなさ過ぎる。


国家社会主義ドイツ労働者党はヒトラーが入党する前から公然とユダヤ人弾圧を綱領に掲げていました。

ユダヤ人だけが例外とされる理由は存在しません。

ヘレロ族・ナマクア族と同様にユダヤ人も虐殺された。
それは疑いようが無い事実です。

ただし600万という数字は疑わしい。とはいえ犠牲者の数がどうであろうと虐殺があったことには変わりありません。
http://qa.life.auone.jp/qa6948335.html

「アメリカは正気を取り戻せるか」と「アメリカン・ジハード」が指し示すもの 2009-11-26

アメリカは正気を取り戻せるか―リベラルとラドコンの戦い 2004/10
ロバート・B. ライシュ (著), Robert B. Reich (原著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AF%E6%AD%A3%E6%B0%97%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%88%BB%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%8B%E2%80%95%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%83%A9%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBB-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4492222545


の感想から連想したことなどを。


 さて、以下、「ラドコン(Radcon)」というのは「ラディカル・コンサバティブ(radical conservatives)」の略称で、よく言われるネオコンとほぼ同じ人々のことを指している。

「ラドコンにとって規律を行き渡らせる究極の道具は市場である」(150ページ)

「当時、フリードマンの提案をまともに受け取った人はほとんどいなかったが、ラドコンが支配するようになった今、その考えが主流となった」(152ページ)

「ラドコン社会学者のチャールズ・マレーは次のように言う。『今日のアメリカで、あなたが本当に頭がよければ、おそらく本当によい学校に入ることになり、収入のよい仕事に就くことになり、給料も上がり続けるだろう』」( 157ページ )

→では、右翼であるラドコン(ネオコン)と市場原理主義者の共通の「根」は何か。  


「当時(南北戦争後の好景気時代『金メッキ時代』の支配的な経済理論は自由放任であり、その哲学的ルーツは社会ダーウィニズムとして知られるようになった。

 今生きているアメリカ人でハーバード・スペンサーの著述をなにがしかでも読んだことのある人はほとんどいないだろうが、彼の著作は19世紀の最後の30 年間、アメリカに強烈な影響を与えた。・・・

(ハーバード)スペンサーと彼の信奉者にとっては、市場は人格を発展させる場であった。勤労は人々に生き残るために決定的に重要な道徳的規律をもたらした。

生きることは、最も強い道徳的素質を持っている者だけが生存できる競争的闘争であった。・・・

「適者生存」という言葉をつくったのはチャールズ・ダーウィンではなくスペンサーだった。・・・

スペンサーの熱心な信奉者だったイェール大学の政治・社会学教授ウィリアム・グラハム・サムナーはこれを簡潔に説明した。

『金持ちは生き残り繁栄するに値するが、貧者はそれに値しないだけの話だ。』」(159〜160ページ)


→強い者が勝つ、あるいは勝った者が強いのであり祝福されるべきである、と考えるところが、そのまま市場原理主義の考え方に当てはまるということなのだろう。


 一方、ラドコンが積極的に他国・他民族を侵略してよしとするのもまた、

勝てば良い、負けた者は劣っているのだから虐殺されても文句は言えない

との考えが根にあるということになる。

「強い者が勝つ」

あるいはさらに進んで

「どんな手を使っても勝てばいい、勝った者が強い者であり、祝福されるべきである」

という弱肉強食の論理は、市場原理主義の典型的なたとえだが、実はこれは侵略戦争の論理でもあるのではないか。


 市場原理主義とラドコンの共通性を論じるのに、ハーバート・スペンサーのことが取り上げられたが、彼の文章はマフムード・マムダーニ著「アメリカン・ジハード」でも

「付随的な損害を斟酌せず、完璧な幸福という大計画を実行に移しつつある勢力は、邪魔になる部族の人類は絶滅に追い込む」(注の1ページ)

と紹介され、この時代の思想傾向がどのようなものであったかが次のように記されている。


「『帝国主義が劣等人種を地上から排除することによって文明に貢献した』」

とする考え方は、自然科学、哲学から人類学や政治学に至る、十九世紀のヨーロッパ思潮の中に広く表明されている。

イギリス首相、ソールズベリ卿が一八九八年五月四日、アルバート・ホールで行った有名な演説で、

「大雑把に言って、世界の民族は生き延びていく民族と滅びていく民族の二つに分けられる」

と述べたとき、ヒトラーはわずか九歳、

ヨーロッパの空気は

『帝国主義こそ、自然の掟によれば、劣等人種の必然的破滅に通じている生物学的に必然のプロセスなのだ』

という確信が瀰漫していた」

→マムダーニは、こうした時代思潮を背景にニュージーランドのマオリ族やドイツ領南西アフリカのヘレロ族などが絶滅させられていったとし、

ヘレロ族についてはドイツの遺伝学者オイゲン・フィッシャーがその強制収容所で人種混淆の実験を行い、

「ヘレロ女性とドイツ男性の混血児は心身ともにドイツ人の父親に劣っていた」

などといった結論を引き出して「人間の遺伝原理と人種的予防措置」を著したとする。

さらに、それをヒトラーが読み、フィッシャーをベルリン大学の学長に任命し、その教え子の1人が、アウシュビッツで人体実験を行ったヨーゼフ・メンゲレだったという関連性を指摘して、19世紀後半の「適者生存」—社会ダーウィニズムが20世紀前半のナチズムを人脈的にも思想的にも支えたことを明らかにしている。


 もちろん「ラドコン・イコール・ナチズム」と短絡的に考えてはならないが、「強者の論理」であったり「人種差別的」であったりする点には、両者に共通性を感じないわけにはいかない。

世界の「衆人環視」の中、あの時代もこの時代も「大虐殺」が公然と行われたことも、両者の同質性を疑わさせるに十分ではないだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/takamm/20091126/1259251365


88. 2016年7月31日 00:44:06 : J4YfFlQzPI : fSFrA1S719E[3]
白人の美醜がどうこうってのはむしろ最近な気がするが
昔は農村部の典型的なブサイクな白人のイメージがあっただろ
(面長で出っ歯で赤ら顔、オーバーオール着用って奴)


今はほとんど歯の矯正をしちゃうからね
 日本人にブサイクが多いのはそれが一番の原因だと思うよ
健康な生活と子供のうちからの正しい歯の矯正さえしていれば、美男美女はともかくそうそう見れない様な顔にはならないだろ


89. 中川隆[5215] koaQ7Jey 2016年12月01日 17:08:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5650]

2016年11月29日
野沢直子の態度豹変で分かった米国の株高の原因

 野沢直子というタレントをご存知でしょうか?

 以前は、いいともとかによく出演していましたが、最近はサンフランシスコに住んでいるのだとか。

 その彼女、最近ではトランプ氏に対する発言で注目を浴びていました。


“ 「トランプ大統領になったらブラジルに引っ越す」「髪型が嫌い」「アメリカ人はバカなのかと思う」


 その彼女が、急に態度を変えて次のように言っているのです。


“ 「今はもう、手のひらを返したように支持しています!」「「ウチの旦那も同じ髪型にしました。息子もトランプ大学に行くことにしました」


 自分で言っているように、まさに手のひら返しと言っていいでしょう。

 しかし、手のひら返しは野沢直子だけではないのです。米国人のセレブと言われる人たちで、あんなのクリントン氏を支持していたのに…そして、トランプ氏が勝ったら海外に移住するとまで明言していたのに、同様にやっぱり米国に留まると言っている人のなんと多いことか!

 一体なんなのでしょうね、この現象。

 私、思うのですが、結果で出てしまった以上…つまりトランプ氏が大統領になることが決まった以上、トランプ氏のことを今までのように批判していたら自分たちにとって不利益なことが起きるのではないかと恐れ、だから態度を変えたのではないかと思うのです。

 勝ち馬に乗る 勝てば官軍 寄らば大樹の陰 長いものには巻かれろ 

 英語では次のような言い方があると言います。

 Jump on the band wagon. 

 If you can't beat them, join them.

Better bend than break.

Don't kick against the pricks.


要するに、権力者に楯突くとろくなことがないということでしょうか。

 でも、だとしたら今韓国で起きている大統領を巡るスキャンダルについて、誰も笑うことができませんよね。

 大統領から無理難題を突き付けられても逆らうことができない韓国の大企業のトップたち。

 日本のマスコミの状況も似たようなものでしょう。

 今は、安倍政権を批判するときではない、と。
 
 ということで、マーケット関係者も、この際、トランプ氏の考え方に立ってご祝儀相場を演じているということなのでしょうか。

 欧米人は、普段は自由だとか人権の尊重だとかを口にしているけど、本当は儲けることをより重視している計算高い人間
http://blog.livedoor.jp/columnistseiji/archives/51695092.html


90. 中川隆[5216] koaQ7Jey 2016年12月01日 17:15:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5651]

アメリカの経済力が弱くなってきたので、その……アメリカの企業が、競争すると日本とか他の企業に負けるっていう事態が、生じるようになってきました。

従ってですね、もう関税を引き下げて自由貿易をやるっていう話じゃ、だんだんなくなってくる。アメリカにもそんな余裕がなくなってくる。それで70年代から80年代、90年代と、次第に貿易交渉の中身が変わってきます。

何に変わっているかというと、お互いに関税を引き下げて公平に経済競争しましょう、じゃなくなってくるんですね。なにかっていうと、今度は非関税障壁と言われるものにシフトしていきます。

それはですね、えー要は、相手の国の制度やルール、法律を自国の企業に有利なように変えさせる交渉に変わったんですね。で制度が同じだったら、市場が制度が2国で違う場合は分断されますが、市場で制度が一緒だったら、市場が大きくなると、こういう理論なんですが。どっちの国の制度に合わせるか、これ、政治力で決まります。

つまりアメリカはもうフェアな市場競争では他の国、特に日本企業には勝てなくなったのでルールを変えさせることで自国に有利にするという戦略をとり始めたのが、大体70年代80年代ぐらいで、もう大分経って、世界ってそういう状況になってるんですね。

で、そうするともう、関税がかかる物品だけじゃなくて、サービスとかもう色んな領域に……金融とか投資とか政府調達とか、色んな領域に範囲が広がったのも大体70年代80年代ぐらいからということになります。

さて、制度をどう変えるかっていう交渉は、これは政治力が大きいですね。したがってアメリカは経済力が落ちてきても政治力は強い、軍事力も強いので、こちらで勝負をしてしまえば勝ちになると、こういう戦略に、ずうっと来てるんです。で特に90年代以降……80年代後半から90年代以降は日本はその戦略にやられっぱなし、と。したがって90年代以降日本はもう、いつもやられると。経済も停滞すると。いう事になったわけです。

例えるならばですね。例えば、えー……オリンピックで……ちょっと話が古いですけれども。鈴木大地選手が金メダルをとったことはありました。バサロスタートで金メダルを取りました。しばらくするとバサロが禁止になると。つまりルールが変更されるんですね。おそらく浅田真央ちゃんも、そうやって苦しんでると思いますが。日本選手が血のにじむような努力をやって優位に立つと、ルールを変更してその技を出来なくする、ということがよくあります。

経済も同じなんですね。ルール……あの日本企業がどんなに頑張ってもルールを変更してしまえば、えー無意味になると。実は外国為替相場、通貨もそうですね。えーいきなり1985年にプラザ合意で円高にさせられてしまったので、これまでの努力が水の泡。これはもう通貨の交換のルールを変えてしまう。それは政治力が効いてくる、というようなことになります。

で日本は企業は国際戦略とか持ってますけど、政府が戦略、全然ありませんから。政府の勝負にやればもうアメリカの勝ち。実はこれが自由貿易協定、自由貿易交渉の今の実態なんですね。

で、ついでに日本の政府とか外交の担当者がアメリカに留学して、アメリカに都合のいい考え方、これがグローバルなんだ、自由貿易が正しんだって考え方を摺りこんで、日本に送り戻せばこれでもう完全にアメリカの意のままに動く。下手するとアメリカが要求しなくたって日本が勝手にアメリカに有利なルールづくりを変える。それが構造改革、いわゆる関岡英之氏が明らかにした年次改革要望書なんかはその典型ですし。80年代の日米構造協議もそうですし。全部そうなんですね
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65772646.html


91. 中川隆[5697] koaQ7Jey 2016年12月26日 18:50:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6138]

EUの正体は保護貿易そのもの

2016年初めにパナマ文書が流出して、世界の富豪たちが租税回避地(タックスヘイブン)を利用して脱税しているのが分かった。

中でも悪質だったのはイギリスで、キャメロン首相自らこの脱税クラブの会員になり、先祖代々脱税で資産を増やしたのが分かった。

時悪くイギリスはEU離脱選挙が間近に迫っていて、キャメロンの評判は地に落ちて、イギリスはEUを離脱する事に決まりました。

元々キャメロンが首相に選ばれた理由は「イケメンで写真写りが良く、女性票が多い」というだけの理由で、やっぱりバカを選ぶとこうなります。

そのイギリスではEUを離脱してどうしようと相談した結果、イギリスが租税回避地になれば良いという結論に達したようです。

EU離脱決定後に日産の社長が英政府に「優遇税制にするなら工場を残しても良い」と言ったところ、イギリス政府は気前良く税金の「値引き」を認めたようです。


EUという組織は域内では関税なしで手続きも無しで輸出入できるが、域外からの自動車の輸入には10%の関税と煩雑な手続きを要求します。

それでいて日本は自動車関税を科していないので、日本ではドイツ車が売れまくり、ドイツやEUで日本車はまったく売れていません。

WTO違反の気がしますがEUは国連の特権階級に所属しているので、国際法を守らなくても良いようです。


EUの繁栄とは実は「自由貿易」がもたらしたのではなく、EU域外からの閉鎖貿易、市場封鎖がもたらした繁栄でした。

EUから世界各国には強い交渉力を武器に市場開放を迫り、低い関税で輸出できるが、EU市場には域外から参入できないという仕組みです。

例えば日本に対しては英仏独伊などが一斉に「日本は不公正な貿易をしている」と攻め立てて市場開放させ、自分達は閉鎖貿易で保護しているのです。


イギリスがタックスヘイブンになる

イギリスがEUから抜けると今まで免除されていた10%の自動車税がEUから掛けられてしまい、事実上イギリス製の車を販売できなくなるでしょう。

トヨタやホンダや日産がどれだけ頑張っても、EUの不公正貿易には歯が立たず、通用していません。

F1やルマンやラリーのような自動車レースでも同じで、日本車や米国車は最初から負ける役に決まっています。


F1などを管轄する機関は例外なく欧州自動車メーカーの関係者が役員になっていて、ポルシェやフェラーリは好きなようにルールを変更できるからです。

トヨタがF1に参加していた頃、「優勝すると反発を買うので、なるべく勝たないようにしたい」と言っていて、その通り1勝もしませんでした。

有名レースで優勝してしまったら、その後は目を付けられて「違反」や「不正」を取られたり突然ルール変更されて欧州レース界から追放されてしまうからです。


そういえば欧州で活躍しながら、突然レースから撤退してしまった日本車メーカーが非常に多いです。

さてイギリスがEUから離脱する話に戻ると、イギリス自体を租税回避地にして、外国企業を集めようという話が進んでいます。

今までもイギリスは居住しない人の税金を居住している人の半分にして富裕層を集めていて、事実上の租税回避地になっていました。


分かりやすくいうと母国で税金を払いたくないお金持ちが、住所だけイギリスに移すと他のイギリス人の半分しか納税しなく良い制度で、体の良い脱税システムでした。

イギリスは人口当たりの富裕層の割合が世界で最も多く、88人の資産家が2450億ポンド(約35兆円)を保有しています。

もしこれを企業単位でも行ったら、世界の有名企業が脱税の為にイギリスに集結する事になるでしょう。


日本のソフトバンクのハゲ頭社長の通信会社はイギリスへの本社移転を検討していると一部で報道されましたが、やはり低税率が目的だったようです。

例えば売上げ10兆円規模の企業の税率が1%安くなっただけで、毎年1000億円も儲かってしまうわけで、事業をやるよりよっぽど儲かります。

ハゲ社長が最近設立した10兆円ファンドにはアップルやマイクロソフトなど米有名企業が参加を表明しているが、「事業」なんかではなくそうした節税目的だとも言われています。
http://thutmose.blog.jp/archives/68238536.html


92. 中川隆[5923] koaQ7Jey 2017年1月07日 15:10:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6365]

2016年10月13日 コロンブスが「発見」した、中米ドミニカ共和国500年間の虐殺、植民地、独立の歴史

[橘玲の世界投資見聞録]|橘玲の世界投資見聞録 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 ザイオンライン
http://diamond.jp/articles/-/104500

 3週間ほどカリブ・中南米を旅したので、忘れないうちに感想を書いておきたい。

 ドミニカ共和国については現地在住の風間真治さんの報告に詳しいが、「黄金を求めてコロンブスがたどり着いた島」として知られている。

[参考記事]
●カリブ海最大のリゾート地を抱える「ドミニカ共和国」に投資する
http://diamond.jp/articles/-/66567


 ルネサンス期の起業家・冒険家クリストファー・コロンブスがスペイン王室の援助を得て、大西洋を西廻りでアジア(インド)に到達すべく航海に出たのが1492年8月3日、陸地に上陸したのが10月12日で、これが人類史に画期をなす「新大陸発見」の偉業とされている。この第1回航海でコロンブス一行が最初に上陸したのが「サン・サルバドル島」だが、それがどこかは諸説ある(バハマ諸島ではないかとされている)。そこで原住民と出会ったコロンブスは、自分がインドに到達したと信じていたため、彼らを「インディオ(インド人)」と呼んだ。

 サン・サルバドルのあとに「フアナ島(キューバ)」を発見、次いで「イスパニョーラ島」と名づけた島に到達し、ここに要塞をつくった。これがアメリカにおけるスペイン人(ヨーロッパ人)の最初の入植地だ。

 イスパニョーラ島はカリブ海ではキューバに次いで大きな島で、“発見者”コロンブスによってスペイン王室の所領であると宣言された。現在のドミニカ共和国は、このイスパニョーラ島をハイチと分け合っている。なぜ「スペインの島」がふたつに分かれたかというと、17世紀半ばにフランスが進出し、1697年のレイスウェイク条約で島の西3分の1が「サン=ドマング」としてフランス領となったからだ。そのため同じ島でも、ドミニカはスペイン語、ハイチはフランス語が公用語だ。

「コロンブス」はドミニカ最大の観光資源

 ドミニカはニューヨークから飛行機で4時間の距離で西海岸より近いため、近年はカリブ海のリゾートとして開発が進んでいる。首都のサントドミンゴは世界遺産に登録されており、旧市街の中心パルケ・コロン(コロンブス広場)にはコロンブスの像が建てられ、総督となったコロンブスの息子ディエゴなど子孫3代が暮らした邸宅アルカサルや、歴代総督が住んだ官邸ラス・カサス・レアレスなど往時の建物が残っている。この国の最大の観光資源は「コロンブス」なのだ。

コロンブスの子孫が暮らした邸宅アルカサル   (Photo:©Alt Invest Com)

植民地時代のスペイン人             (Photo:©Alt Invest Com)

 ところで、コロンブスとはいったい何者なのだろうか。

 これまでの定説では、コロンブスはマルコ・ポーロの東方見聞録に出てくる黄金の国ジパングに憧れ、アジアにより早く到達する航路を見つけようとしたとされている。ポルトガルの航海家ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカを回ってインド洋に入るルートを開拓するのはこの5年後で、当時は地中海の東端からオスマン帝国の支配地を抜けて紅海かペルシア湾に出る以外にインドへの道はなかった。コロンブスが新しい島に上陸すると真っ先に金鉱を探したことは航海日誌からも明らかで、これが黄金にとりつかれた“夢想家”コロンブスのイメージをつくっていく。

 だがこの「強欲なコロンブス」に対して、必死に黄金を探し求めたのはスペイン王室など航海の出資者に利益を分配しなければならないためで、コロンブス本人の真の目的は別にあったとの反論がなされるようになる。当時、フィレンツェの地理学者・天文学者トスカネッリなどが地球球体説を唱えていたが、まだ誰もそれを証明していなかった。トスカネッリと親交のあったコロンブスは、自らの手で真実を明らかにし、正確な地球像を描くために危険な航海に乗り出したというのだ。これが、“知の冒険家”コロンブスだ。

 だがその後、コロンブスがフランシスコ派修道会の俗人会員で、息子のディエゴをフランシスコ会に預けていたことが明らかになる。無所有と清貧を掲げるフランシスコ会は、最後の審判が近いという終末論を信じ、それまでに世界じゅうにキリストの福音を宣教しなければならないとの宗教的熱情に突き動かされていた。コロンブスもその熱情を共有し、布教のための新天地を探して冒険に乗り出したのだという。これが19世紀に唱えられた“聖人”コロンブスで、クリストファー(クリストフォロ)という名は「キリストを運ぶもの」の意味なのだ。

 ついでに述べておくと、この変種にコロンブス=ユダヤ人説がある。新大陸への航海の直前、1492年1月にイベリア半島最後のイスラーム国グラナダが陥落して、レコンキスタ(国土回復運動)が完成する。その直後、スペイン王家はイベリア半島を純粋なクリスチャンの国にすべく、ユダヤ人追放令を発布して、キリスト教に改宗するか出て行くかを迫った。ユダヤ人であるコロンブスはこれに危機感を持ち、同胞が安心して暮らせる土地を見つけようとしたというのだが、これはさすがにうがちすぎだろう。

 20世紀半ばに植民地主義の歴史が問い直されるようになると、こんどはコロンブスの「侵略者」としての姿が批判的に検証されるようになる。その決定的な“証拠”は、1502年にイスパニョーラ島に渡り、サントドミンゴでドミニコ会の司祭となったラス・カサスが、コロンブスの部隊の略奪と蛮行をつぶさに記録・告発したことだ。

 ラス・カサスの報告書には次のような場面が描かれている。


「(ある日)総督の命令で300人以上の(原住民の)豪族が何の恐れも抱かずにやってきた。ところが総督は一計を案じ、できるだけ多くの豪族をワラの家に閉じ込めた後、火をかけるよう命じた。彼らは生きたまま焼き殺された。残った者は全員槍で刺され、大勢が剣で切り殺された。アナカオナ女王は、敬意を表するために首吊りにされた。一部のキリスト教徒が、哀れみからか欲にかられてか、子供が殺されないように自分の馬の後ろに乗せたことがあった。しかし、別のスペイン人が背後からやってきて、槍で子供を突き刺した。もうひとりのスペイン人は、地面に倒れている子供の足を剣で切った。何人かのインディオは、この非人間的な残虐行為から逃れ、8レグア離れた小島に避難した。しかし、総督は、逃げたインディオを全員奴隷にしてもいいと宣言した」(ミシェル・ルケーヌ『コロンブス 聖者か、破壊者か』創元社)

 だが、英雄から転落し「略奪者」「虐殺者」となったコロンブスはサントドミンゴの観光施設からは慎重に排除されている。そんなことをすれば、欧米からの観光客が興醒めしてしまうのだ。

コロンブス広場の彫像は観光客に大人気 (Photo:©Alt Invest Com)
http://diamond.jp/articles/-/104500


原住民を絶滅させることは目的ではなかった
http://diamond.jp/articles/-/104500?page=2

 アメリカ大陸に渡ったスペイン人がいかに残酷だったとしても、彼らの目的は原住民を絶滅させることではなかった。

 キリストの旗の下に国土を統一したスペイン王家は、異端審問によって国内をカトリックに純化すると同時に、神の恩寵をあまねく世界にしらしめすことを目指した。だが生命をかけて危険な航海に挑む男たちは、そのような宗教的情熱とは無縁だった。彼らが求めたのは、第一に富であり、第二に女だった。

 生命を賭けた冒険を埋め合わせるだけの富を獲得するには、原住民から金や宝石を略奪するだけでは不十分だった。“ジパング伝説”にとりつかれていたのはコロンブスだけではなく、すべてのスペイン人が目の色を変えて黄金を探し回った。だが仮に金鉱が見つかったとしても、それを掘り出す労働力が必要だ。“騎士”であるスペイン人に鉱山で働く気などない以上、奴隷として働かせることができる原住民を殺してしまっては元も子もないのだ。

 新大陸に渡ったスペイン人は全員が男だから、性欲の処理は喫緊の課題だった。コロンブスの日誌などからわかるのは、カリブの島々の原住民は男はもちろん女も裸で、身体は均整がとれて魅力的で、なおかつ性に開放的に見えたということだ。ルネサンス期の地中海沿岸の港町はどこも娼婦で溢れており、女は金で買うのが当たり前だった。そこでスペイン人は、船に積んであったガラス玉で買春し、ときに強姦し、何人もの女たちをはべらせた。セックスの対象となる若い女性はきわめて貴重なので、殺そうなどとは考えなかった。

 だとしたら、大規模なジェノサイドはどのようにして起きたのか。それは若い女性を奪われた原住民が反乱を起こしたり、奴隷労働に抵抗したりしたときだ。スペイン人は原住民を人間より動物にちかいと考えており、異教徒と話し合ったり説得したりしようとは毛頭考えなかった。その代わり、見せしめに残酷な拷問を加えて皆殺しにしたのだ。

 スペイン人がイスパニョーラ島でなにをしたのかは、カリブ海の地方病とされる梅毒のパンデミック(広域感染)によっても知ることができる。

 バルセロナではじめて梅毒が発生したのは、コロンブス隊の船乗りが第1回の航海から戻った1493年だった。スペイン支配下のナポリにはその年のうちに伝わり、そのナポリにフランスのイタリア遠征軍がやってきたことで、フランスに「ナポリ病」が広まった(それに対してイタリア人はこれを「フランス病」と呼んだ)。

 梅毒菌はその後、中国の港を経由して1512年に日本に渡来している。ポルトガル人が種子島に来るより30年も早く、スペイン人が最初にカリブ海で感染してから20年しかたっていない。大航海時代に最初にグローバル化したのは、皮肉なことに性病だった。

歴代総督が暮らしたラス・カサス・レアレス     (Photo:©Alt Invest Com)

宝物庫には戦国時代の日本の甲冑や日本刀も    (Photo:©Alt Invest Com)


イスパニョーラ島にいた「タイノ人」は原住民から先住民になった

 コロンブスの期待に反して、けっきょくイスパニョーラ島ではわずかな金しか見つからなかった。そのかわりスペイン人は、所領を獲得し奴隷(農奴)に耕作させることで富を得ようと考えた。彼らのやり方にはすでにモデルがあった。

『ラテンアメリカ文明の興亡』(高橋均/網野徹哉)によると、当時のスペイン人の対異教徒の行動様式はレコンキスタのなかで形成されたものだった。

 キリスト教徒の騎士がある地方を征圧し、イスラームの支配者が南へと逃げ去るのが「奪回(レコンシスタ)」だが、ムスリムの農民たちは生活基盤である土地を捨てられないから、とどまって新しい支配者を迎えるほかはない。騎士たちは農民にキリスト教の洗礼を受けさせたうえで、領主となってその土地に定着した。

 イスパニョーラ島に渡ったスペイン人も、異教徒の土地を征圧したのだから、所領を分け与えられるのは当然と考えた。彼らの反乱に手を焼いて解任されたコロンブスの後を継いだ新総督オバンドは、「エンコミンダ」という制度を導入してこの問題を解決した。スペイン国王が原住民を「預ける」という意味で、住民を預かった騎士は国王に代わって彼らを外敵から保護し、キリスト教に改宗するよう宗教教育を授ける責任を負った。その代償として、国王に代わって住民から貢納や賦役を徴することを許されたのだ。

 こうしていったんは平穏を取り戻した植民地だが、それは長くはつづかなかった。新総督オバンドは31隻の船に2500人ものスペイン人を載せてきており、彼らにエンコミンダで所領を分配したことで農村は過重な租税に苦しみ、もともと生産性の高くない原住民の社会が崩壊してしまったのだ。

 それに加えて、島に伝染病が流行りはじめた。旧大陸から隔絶された新大陸には天然痘やチフスなどの伝染病がなく、原住民はこれらの病気への耐性をまったく持っていなかった。やがて彼らは、伝染病に感染して次々と死んでいくようになる。

 労働力の深刻な枯渇に直面したスペイン人の対処法は、バハマ諸島、プエルトリコ島、ジャマイカ島、キューバ島を次々と征服し、その住民を奴隷としてイスパニョーラ島に送り込むことだった。こうして、過酷な奴隷労働と伝染病によってカリブ海全域で原住民の大量死が引き起こされ、コロンブスの来島から100年もたたないうちに「タイノ人」と呼ばれた民族は絶滅してしまった。

 漢語の原義にのっとれば、「原住民」は「その土地にもともと住んでいて、いまも暮らしているひとびと」をいい、「先住民」は「その土地にもともと住んでいたが、いまは死に絶えてしまったひとびと」をいう。人口100万とも150万ともされるタイノ人は「原住民」から「先住民」になってしまったのだ。

世界遺産に登録されたサントドミンゴ旧市街の街並み (Photo:©Alt Invest Com)
http://diamond.jp/articles/-/104500?page=2


世界で初めて黒人による「自由の共和国」として誕生したハイチ
http://diamond.jp/articles/-/104500?page=3

 17世紀半ばにフランスがイスパニョーラ島に進出する頃には、労働力の枯渇により島の西側はほとんど無人地帯になっていた。スペイン王国の最盛期は新大陸から無尽蔵の銀が算出したフェリペ2世の時代(在位1556〜1598年)で「太陽の沈まぬ帝国」を自負したが、1588年のアルマダの海戦で無敵艦隊がイングランド海軍に敗れると制海権を失い、17世紀後半には覇権はイギリス帝国へと移っていった。

 それに対抗するのが絶対王政下のフランスで、イギリスと同様、繊維製品、銃、ラム酒などと引き換えにアフリカで集めた奴隷を新大陸の植民地に送り、プランテーションで働かせてサトウキビから砂糖をつくった。この三角貿易(奴隷貿易)によって、フランス植民地のサン=ドマングは巨万の富を生み出した。

 だがここで大事件が起こる。1789年のフランス革命で絶対王政が崩壊してしまったのだ。それを見て黒人奴隷とムラート(白人と黒人の混血で自由民であることも多かった)が反乱を起こし、白人の地主を処刑したが、革命直後の混乱のなかで、フランス政府にはカリブに兵を送って反乱を鎮圧する余裕はなかった。イギリスやスペインが介入を試みるなか、サン=ドマングの黒人たちの離反を防ぐには奴隷制を廃止するほかなかった。

 近年のフランスは「人権」を売り物にするようになって、「世界でもっとも早く奴隷制を廃止した」ことを誇っているが、これが一時的な懐柔策で植民地の利権を諦めるつもりがなかったことは、ナポレオンが第一執政となった後に奴隷制度を復活させ、サン=ドマングに軍隊を送って再占領したことからも明らかだ。ところが占領軍への反乱が起きると、イギリスの海上封鎖のために援軍を送ることができず、奴隷出身の指導者デサリーヌに率いられた反乱軍はわずか1年あまりの戦いでフランス軍を破り、余勢を駆ってスペイン統治下の東部をも制圧してイスパニョーラ島を統一した。1804年、デサリーヌは新国家をハイチと命名し、世界の歴史ではじめての黒人による「自由の共和国」を宣言した。

 だが国民のほとんどが黒人かムラート(白人と黒人の混血)で、フランス語を話しアフリカ土着のブードゥー教の強い影響が残る西地区と、スペイン系白人が社会の中核を占め、メスティーソ(白人とインディオの混血)が多く、スペイン語を話しカトリックの信仰が根づいた東地区が共存することは難しく、1845年にハイチから独立してドミニカ共和国が誕生する。

 だがハイチもドミニカも政治的・経済的に不安定で、第一次世界大戦後にはドイツの進出を阻むという名目でともにアメリカの保護国とされ、米軍撤退後はハイチ国民はデュヴァリエ、ドミニカ国民はトルヒーヨの独裁に苦しむことになる。

 だが1980年代になると、ハイチとドミニカの運命は大きく分かれていく。ドミニカは観光業や資源(ニッケル)、農業などの産業振興によって経済成長を軌道に乗せ、2000年代にはアメリカ資本による大規模なリゾート産業の誘致にも成功した。政治も、不正や汚職などの問題はありながらも三権分立の民主政を維持している。

 それに対してハイチは1994年に軍事クーデターが起き、2004年には反政府勢力の蜂起で大統領が亡命し、国連平和維持軍によって治安の安定を図らざるを得なくなった。さらに2010年にはマグニチュード7.0の大地震に襲われ首都ポルトープランスを中心に甚大な被害が生じ、コレラが蔓延して多数の死者が出た。最近でも巨大ハリケーン「マシュー」の直撃を受け1000人超が死亡する惨事になっている。

 だがこれは、隣のドミニカに比べてハイチは運が悪いという話ではない。地震の被害が大きいのは多数の貧困層が貧弱な住宅で暮らしているからで、コレラが蔓延するのは下水などの衛生設備が整っていないからだ。また世界の最貧国であるハイチでは燃料の入手が困難で、ひとびとが山の木を切ってしまったために保水能力が失われている。これが、大型台風が来るたびに多数の死者が出る理由だ。

 このように、同じ島の東西に分かれたふたつの国は、植民地として似たような歴史をたどりながらも、いまではその立場は天と地ほど広がってしまった。

 残念なことにハイチは気軽に旅行できるようなところではない(外国人は誘拐にそなえて民間警備会社の護衛をつけることをアドバイスされる)。一方ドミニカは、地元のひとによると、近年はハイチからの不法移民が増えて治安が悪化しているというものの、リゾート地区はもちろん観光地の旧市街も多数の警察官が配置され、昼間なら外国人旅行者が歩いても問題はない。ただし市内中心部の住宅地では、スマートフォンなどを見せないよう注意される(ひったくりが頻発しているという)。

 新しいホテルは旧市街の西側のビジネス街につくられているが、観光が目的なら旧市街のホテルを利用した方が便利だろう。新市街と旧市街のあいだは海沿いに整備された遊歩道があり、早朝はジョギング姿も見られる。だが現地のひとたちは日中はほとんど出歩かず、外国人が遊歩道を歩いていると、つぎつぎとあやしげなひとが声をかけてくる。にわか観光ガイドになってチップをもらおうとしているようだが、鬱陶しいならタクシーで移動するか、住宅街を歩いたほうがいいだろう。路上の屋台でココナツなどを売っているのを目にするが、売り子のほとんどはハイチからの不法移民だという。

 空港からリゾートに直行すればこうした光景を見ることはなく、隔離された敷地のなかで「食べ放題、飲み放題」のオールインクルーシブの休日を過ごすことができる。だがせっかくカリブまで行ってこれではあまりにもったいないので、コロンブスによって「発見」された島が500年余を経てどのように変わったのか、自分の目で確かめてみるのもいいだろう。

カリブ海を向かって叫ぶコロンブスの像        (Photo:©Alt Invest Com)
http://diamond.jp/articles/-/104500?page=3


93. 中川隆[5938] koaQ7Jey 2017年1月08日 11:39:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6380]

同じ南米の大国なのに、アルゼンチンがブラジルとは全く印象が異なる理由
橘玲の世界投資見聞録 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 ザイオンライン 2016年12月22日
http://diamond.jp/articles/-/111434

 アルゼンチンはブラジルと並ぶ南米の大国だが、ふたつの国の印象はまったく異なる。サッカーでいえば、歴代のアルゼンチン代表はリオネル・メッシやディエゴ・マラドーナのように、ヨーロッパ系白人か、白人とインディオの混血であるメスティーソがほとんどだ。それに対してブラジルは、ペレからロナウジーニョ、ネイマールまで、アフリカ人の血を受け継ぐ選手が真っ先に頭に浮かぶ。隣国にもかかわらず、ここまではっきりと人種的なちがいがあるのはなぜだろう。

 最初に思いつくのは、ブラジルが旧ポルトガル領で、アルゼンチンが旧スペイン領だということだ。

 コロンブスがインディアス(アメリカ大陸)を“発見”すると、大航海時代の両雄であったスペインとポルトガルの間で支配領域争いが起こった。これを調停したのが1494年のトルデシリャス条約で、西経46度37分を分界線とし、そこから東で新たに発見された地はポルトガルに、西の地はスペインに権利が与えられることとされた。

 この条約はもともとは大西洋の島々を分割するためのもので、当時、南米大陸のことはまったく知られていなかった。だがこの分界線を延長すると巨大な大陸にぶつかったことで、その東側(ブラジル)がポルトガル領となり、それ以外がスペイン領とされたのだ。

 だがこれだけでは、なぜふたつの国で人種構成が大きく異なるのかはわからない。じつはこのことは、単純な地理から説明できる。


ブエノスアイレスのシンボル、オベリスコ        (Photo:©Alt Invest Com)


アルゼンチンに黒人が少ない理由

 アフリカ大陸と南米大陸は、ハート型をふたつに切って、膨らんだ部分を向かい合わせにしたような配置になっている。アフリカ大陸で中南米カリブにもっとも近いのはセネガルからナイジェリアにかけての西アフリカで、大陸奥地から狩り集められた黒人たちは、奴隷海岸の港から次々と“出荷”された。

 奴隷の輸出先は17世紀にサトウキビの一大産地になったカリブの島々だが、次いで南米にヨーロッパ人が進出すると、赤道に近い(現在の)ブラジル北部もサトウキビの栽培に適していることがわかった。そこで宗主国のポルトガルは、サトウキビの一大プランテーションを開発すべく大量の奴隷をアフリカから送り込んだ。

 その後、砂糖が安価かつ大量に製造できるようになり価格が暴落、サトウキビ農園の経営も悪化したが、こんどはヨーロッパでコーヒーが大流行した。南米大陸のなかでコーヒー栽培に適しているのは、大陸中央部のアンデス山脈の東側、現在のサン・パウロ近郊の丘陵地帯だった。こうして北部のサトウキビ農園にいた黒人奴隷が大挙して南に下り、ブラジル全土にアフリカ系人種が広がることになった。

 それに対して現在のアルゼンチンはハート型の先端に位置し、広大なラプラタ川河口は良港ではあるものの、17〜18世紀の航海術では世界のどこからも遠すぎた。地中海に近い寒冷な気候ではサトウキビもコーヒー栽培にも適さず、この地を訪れたスペイン人たちはポトシ銀山で一攫千金の夢に沸くアンデス山脈を目指して移動していった。


ラプラタ川の広大な河口をウルグアイ側から眺める    (Photo:©Alt Invest Com)


 しかしその間、アンデス山脈東部のパンパスと呼ばれる広大な草原地帯では奇妙なことが起こっていた。スペイン人が旧大陸から連れてきた牛が、天敵のいないこの地で大繁殖したのだ。この大規模な「家畜の野生化」によって、ラプラタ地域の牛の数は19世紀に1500万〜2000万頭まで増えたとされる。

 もともとは家畜だった野生の牛がここまで増えると、こんどはその牛を目当てに生計を立てようとする男たちが現われた。これが「ガウチョ」で、その語源が「孤児」や「放浪者」であることからわかるように、彼らは夢を追って南米に渡ったものの、社会の主流から落ちこぼれ食い詰めたスペイン系白人だった。

 西部劇に出てくるアメリカ(北米)のカウボーイは、広大な土地で牛を飼育する牧場主に雇われていた。それに対してガウチョは、野生の牛の集団に寄生する自由業だった。

 当時、ヨーロッパから南米に渡るのはほとんどが男で、南米大陸には白人女性がきわめて少なかった。もちろんパンパスで牛とともに放浪するガウチョと生活を共にしようとする白人女性などいるはずもなく、ガウチョはインディオの女性を妻とし、子どもをつくるようになった。

 このようにしてアルゼンチンの草原地帯に生まれたガウチョの文化は、のちに「南米のパリ」と呼ばれるようになるブエノスアイレスに暮らす、洗練されたヨーロッパ系白人の文化とはまったく異なるものだった。

 パンパスのガウチョは、「ポンチョをまとい、ギターを奏で、ナイフを操り、乗馬の達人で、3個の石を皮ひもで繋いだボレアドーラスという石投げ縄を巧みに使い、独自に発達した社交儀礼で仁義を切ればタダ飯が食えるなど、ひとつの等質的な生活文化をもつ集団」をなすにいたった。その後のアルゼンチンの歴史は都市(ブエノスアイレス)と地方(パンパス)の対立に振り回されることになるが、それは建国当初から運命づけられていたのだ。
http://diamond.jp/articles/-/111434


アルゼンチンは「もうひとつのイタリア」だった

http://diamond.jp/articles/-/111434?page=2


 アルゼンチンは混乱のなかで1829年にスペインから独立したが、その頃にはブエノスアイレスは南米の主要な貿易港として発展していた。その歴史は複雑なのだが、要は現代のグローバル化論争と同じ理由で社会が不安定化していった。

 独立によって宗主国のくびきから離れ、どの国とも自由に交易できるようになったことは、ブエノスアイレスの富裕な商人たちに大きな利益をもたらし、「南米のパリ」と呼ばれる活況をもたらした。それに対してパンパスのひとびとは、国際競争にさらされて地場産業が壊滅的な打撃を受けることになる。彼らは当時、ポンチョを1着7ペソで売っていたのだが、イギリスの業者は機械織りの布地で類似品を大量生産し、1着3ペソで売りまくった。こうしてパンパスのひとたちは、「グローバル資本主義」による自由貿易が自分たちの生活を破壊しているのだと考えるようになる。彼ら「無学な大衆」を動員するのがアルゼンチンのポピュリズムなのだが、それについてはあとで触れるとして、アルゼンチンのヨーロッパ系白人についてもうすこし述べておこう。


「南米のパリ」を象徴するブエノスアイレスのコロン劇場。パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並ぶ世界三大劇場のひとつ           (Photo:©Alt Invest Com)

コロン劇場の豪華な客席                (Photo:©Alt Invest Com)


 最初に述べたように、アルゼンチンの有名サッカー選手は白人かメスティーソだ。このとき私たちは、ごく自然に白人=スペイン系と考える。たしかに南米を植民地化したのはスペインだが、実はアルゼンチンではスペイン系白人はもはや多数派ではなくなっている。

 サッカー日本代表の長友佑都が所属するインテルは、インテルナツィオナーレ(英語でInternational)のチーム名に象徴されるように、国境の壁をなくし外国人選手にも広く門戸を開くことをチームのポリシーとしている。長友が加入した当時、そのインテルにはサネッティやカンビアッソなどアルゼンチンを代表する選手が所属していた。

 私はずっと、なぜイタリアのチームにアルゼンチン代表がこんなにたくさんいるのか不思議だったのだが、じつは彼らはイタリア系アルゼンチン人だった。もともとスペイン語とイタリア語は方言のような関係で、お互いに母語でしゃべってもなんとなく会話が成立するようだが、イタリア人の家庭に生まれればイタリア語をふつうに話せるか、すくなくもと理解できるようになるだろう。これはチーム内のコミュニケーションが重要なサッカーにとって大きなアドバンテージで、だからこそイタリア系アルゼンチン人のサッカー選手がセリエA(イタリアサッカー1部リーグ)で大きな成功を収めたのだ。

 もうひとつ不思議だったのは、イタリア現代史の最大のスキャンダルである「P2事件」で、フリーメーソンの秘密組織P2を創設したマフィアの大物が、南米諸国とりわけアルゼンチンとのあいだに強固な闇のメットワークを築き上げたことだ。

[参考記事]
●バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -前編-
http://diamond.jp/articles/-/43894

●バチカン市国「神の資金」を扱う闇の男たち -後編-
http://diamond.jp/articles/-/44124


 なぜイタリアの闇組織がアルゼンチンの独裁政権とつながるのかそのときはわからなかったが、じつはこれも簡単に説明できる。アルゼンチンの人口は約4000万人だが、他の民族との混血も含めれば、そのうちイタリア系は約3000万人で74%を占めるとされている。イタリアの人口が約6000万人だから、じつはアルゼンチンは本国に次ぐ「もうひとつのイタリア」なのだ。ブエノスアイレスのひとたちの憩いの場がスペイン風のバルではなくイタリア風のカフェであるように、政治や経済など表の世界だけでなく、マフィアの裏の世界でもイタリアとアルゼンチンは深くつながっているのだ。

 ブエノスアイレスは商業都市として発展したが、社会の上層を占めるスペイン系白人はそれほど多くなく、彼らはブラジルのポルトガル系白人と同じように、黒人を家産奴隷として優雅に暮らしていた。

 だが1862年に、さまざまな確執の末にブエノスアイレス州がアルゼンチン連邦に加わる頃には、南米有数の港を持つブエノスアイレスは自由貿易によって大繁栄期を迎えていた。最初は1860年代の牧羊ブームで、羊毛の輸出はたちまち伝統的な牛革や塩漬け牛肉を追い抜いた。次いで小麦やトウモロコシの栽培が始まり、イギリス資本で開発された鉄道が内陸に延びるにしたがって耕作面積も飛躍的に拡大した。そして20世紀になると冷凍技術による肉の保存と船舶輸送が普及し、ブエノスアイレスには冷凍加工プラントが建ち並んだ。

 こうした活況を見て南欧諸国、とりわけ貧しいイタリア南部からアルゼンチンに向けて大規模な移住がはじまり、1871年から1914年の間に定着移民数は310万人を数え、1914年の人口調査では総人口780万人のうち3分の1が外国生まれとなった。

 こうした移民は最初のうちは農業従事者が多かったが、大土地所有制のもとでは土地が手に入りにくいため、大半は都市に仕事を求めるようになる。ブエノスアイレスの港で荷揚げなどの肉体労働に従事していた貧しい移民たちのなかから生まれたのが、哀愁に満ちたタンゴだ。もともとアルゼンチンの人種構成は、半分以上がアフリカ系やインディオの血を引いた浅黒い肌のひとだったというが、この時期に都市部は白人だけになってしまったのだ。


ブエノスアイレスの貧しい港湾労働者が生んだタンゴ。いまではすっかり観光客向けのイベントになった                (Photo:©Alt Invest Com)
http://diamond.jp/articles/-/111434?page=2

南米を代表するポピュリスト「エビータ」が生まれた背景
http://diamond.jp/articles/-/111434?page=3


 経済が発展して中間層が増えると、それにともなって「格差」が大きな社会問題になるのはいつの時代でも同じだ。アルゼンチンでは19世紀後半から都市の貧しい労働者を率いた急進左派政党が台頭し、ゼネストなど激しい労働運動を繰り広げた。従来の政治勢力では左派(マルキスト)の勢いをとめることはできず、1930年9月に軍部が決起して保守党政権を樹立した。アルゼンチンは南米でもっとも開明的で民主的な政治を行なっていたのだが、これ以降、民主選挙では左派に勝てないことが明らかになって、保守派は軍部を背景として不正選挙をつづけることになる。

 第二次世界大戦が起こると、アルゼンチンでは連合国(アメリカ)につくか、枢軸国(ドイツ)につくかで国論が二分する。自由貿易から利益を得ていたアルゼンチンはアメリカの保護主義を嫌って当初は枢軸国寄りの中立を維持したが、アメリカから借款や武器貸与を止められたことで政局は混乱し、ふたたび軍部がクーデターを起こすことになる。こうして軍事政権が誕生するのだが、そのなかにフアン・ドミンゴ・ペロンという大佐がいた。ペロンの妻はマリア・エバ・ドゥアルテで、愛称は「エビータ」。その後二人は、南米を代表する“ポピュリスト”として知られるようになる。

 もともとは軍事史の研究家であったペロンがなぜ軍部のなかで急速にちからをつけ、アルゼンチン民衆の個人崇拝の対象になったのかは諸説あるが、地方のガウチョや都市の貧困層に社会福祉を提供しようとしたペロンの「カリスマ型温情主義」が、ゆたかさから拒絶されていたひとびとを引きつけた、ということのようだ。

 ペロンの地位を不動のものにしたのは1945年10月9日、軍内反ペロン派のクーデターで拘束されたことで、当時、ペロンと婚約していた26歳のエビータがラジオで国民に釈放を訴え、10月17日に2万を超える労働者が大統領官邸前の五月広場を取り囲み、それに恐れをなした軍部や保守派はペロンに権力を委ねるほかなかった。この場面はミュージカル『エビータ』やマドンナ主演の同名の映画でも有名で、大衆の動員が政治を動かすポピュリズムの典型として現在でもしばしば言及される。


映画『エビータ』でも知られる五月広場。正面に見えるのが大統領官邸。1945年10月17日、ここに2万人の労働者が押し寄せ、ペロンとエビータの名を叫んだ       (Photo:©Alt Invest Com)


 ペロンは政府介入による賃金引上げ、年金制度拡充、労働組合結成などの政策で大衆の支持に報い、「デスカミサードス(シャツなしの素肌に上着を着る貧乏人)」を自称する労働者たちはことあるごとに政府支持のデモに繰り出した。彼らのあいだで絶大な人気を誇ったのが妻のエビータで、子宮がんで33歳の若さで世を去らなければ、副大統領となって国政に大きな影響を行使したことは確実だった。


エビータの墓にはいまも花が絶えない (Photo:©Alt Invest Com)


 ペロンが失脚したあともアルゼンチンの政治は混迷をつづけ、1976年にはホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍がクーデターで権力を掌握して独裁政治を行なった。ビデラ政権時代は労働組合員や政治活動家、学生、ジャーナリストなどが大量に逮捕・監禁・拷問され、3万人が行方不明になったとされる。「汚い戦争」と呼ばれるこの“市民に対するテロ”は、いまもアルゼンチン社会に深い傷痕を残している。

 民政移管後は、ブエノスアイレスの富裕層や企業が求める新自由主義的な政策と、それに反発する貧困層を動員したポピュリズム的な保護主義のあいだで政権は大きく揺れ、2001年と2014年の二度にわたって債務不履行を起こすなど財政問題が深刻化した。現在は、クリスティーナ・キルチネル前大統領の保護主義政策を批判して大統領選を勝ち抜いた中道右派のマウリシオ・マクリが、国際社会の信頼を回復すべく市場主義的な政策に大きく舵を切ったところだ。

 とはいえ、都市(ブエノスアイレス)と地方(パンパス)の著しい格差というアルゼンチンの構造問題は変わっておらず、今後も外部からショックが加わるたびに社会は大きく揺さぶられることになるだろう。


マクリ大統領の名がパナマ文書に載っていたことから、五月広場は「グローバリズム」を批判する市民に占拠されていた         (Photo:©Alt Invest Com)


本稿の執筆にあたって

高橋均/網野徹哉『ラテンアメリカ文明の興亡』(中央公論社)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4122052378/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4122052378&linkCode=as2&tag=mailmagazin0asyuracom-22


を参考にしました。


http://diamond.jp/articles/-/111434?page=3

母を尋ねて三千里 _ マルコの母親はブエノスアイレスでどんな仕事をしていたのか
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/865.html
 


94. おえいど[1] gqiCpoKigsc 2017年3月22日 11:38:27 : BsGR7JBSq2 : I5oGlCzvT38[1]
遺伝子の系統樹では、黒人→白人→黄色人種(比較的縄文系が近く、中国朝鮮半島、現代の日本人がその後に現れた)
縄文人は遊牧・牧畜ではなく狩猟民だが、外見上は今の日本人より、コーカソイドに近いだろう
本土和人系より沖縄(九州にも見た目はコーカソイドっぽい人も多いし、
沖縄の人でも朝鮮半島っぽい顔の人も結構多い)、
沖縄より比較的他の民族と混血していないアイヌは見た目が白人の人がいるし、
アイヌについても、日本の一分になる前は、アイヌは単一の民族ではなかった
アイヌという言葉も単に人をあらわす言葉で、
山に住むアイヌ、川の周囲、海の周囲に住むアイヌは互いに干渉せう‥争うことも多かった
文化形態の違うアイヌが、それぞれ違う顔、などというのは聞いたことが無いし

黄色人(中国員や朝鮮半島、現代日本人)のような顔の黄色人種はヨーロッパから南北アメリカにまで先住民族として住んでいるが、
遊牧・牧畜を何千年もしている方が誰もがイメージする黄色人種の顔(コーカソイドっぽくない)で、
遊牧・牧畜していない方が、比較的コーカソイドっぽい

何万年、何千年も狩猟や漁業だけで生活している黒人や太平洋上の先住民族の地域、民族も生活文化と関係なく、どちらかというレベルではなく、コーカソイドに似た顔が多い

白人の顔は単に、黒人が遺伝子的に変化して色が抜けていったにすぎず、
その後に黄色人種は環境に合わせて徐々に今の顔になっていっただけだろう
もともとベースは白人というか黒人っぽかった
それと、白人は現生人類とは別のネアンデルタール人と混血しているという説もある
アフリカ大陸に北部の方も可能性としては考えられるだろう
黒人でも地域によっては黄色人種より遥かに小柄で貧弱な民族もいれば、
白人と同じく、大柄で筋肉質な民族もいる
白人だって地域、民族、文化、食生活で体格差は大きいし、顔も違う
日本人と大して変わらない身長の民族もいるし

金髪碧眼は黄色人種が環境適応で今の顔になったのと同じで環境でこうなったという説が有力だろう
混血しまくったのであれば、むしろ様々な顔が出てくるはずだろう
それに白人すべてが金髪碧眼ではない
日本人がイメージする白人(ヨーロッパ人)でも地域、民族で髪の色も目の色も違う
中東やコーカソイド化した現在のインド人も違う

中国、朝鮮半島の民族は、ここ二千年くらいの間に遺伝子上はすでにほとんど遊牧・牧畜系の民族に入れ替わっているが
(特に朝鮮半島は服装から、あらゆる文化風習、神話に至るまでが遊牧・牧畜系の物に変化している)
見た目は白人ではなくそういう価値観で見れば醜い、むしろ逆の方向に変化している
遊牧・牧畜が混血の結果美しくなるのであれば、現在の中国人や朝鮮半島人は白人以上に白人っぽい顔になっていないとおかしい


95. 中川隆[7308] koaQ7Jey 2017年3月24日 09:54:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7782]

サイコパスとその理念が世界を動かしている「悪意の時代」の中で

今回ご紹介するプラウダに載っていた記事の内容は、要するに、

「アメリカから始まり西洋(および多くの西洋の影響を受けている国)全体に広がっている現在の社会は、全体が《サイコパス的》価値観に支配されている」

(略)

ちなみに、「サイコパス」という言葉は、精神病質者をサイコパスと呼ぶ。

ひとことで言えば、サイコパスというのは、

「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちもない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物」というような感じでしょうか。

こういうものは昔は「不思議で特殊だった品性」ですが、今の社会では不思議でも何でもなく、むしろ「憧れの対象」になったりしています。

普通は周囲から見て困るこのような品性が「企業理念から見れば最適」だと考えられる場合が今は多いようです。

【わずらわしいサイコパスたちがこの世界を動かしている】

アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、成功者の偶像であり、若手起業家の理想的なモデルとして挙げられることが多いが、彼と共に働いた従業員の多くは、彼の抑止できない怒り、人への侮辱、人のやる気をくじくことなどについて、「彼と働くことは地獄だった」と認めている。

ある人物は、ジョブズ氏の事務所に呼び出された時に「ギロチン台に登るかのようだった」と飛べる。

ジョブズ氏を知る人々は、彼を「嫌な男」、「失礼な人間」、「耐えられない人間」と話す。

ジョブズ氏の最高の友人の1人であるジョナサン・アイブ氏(アップルの最高デザイン責任者)は、ビジネス・インサイダー誌に次のように語っている。

「彼が不満を感じた時に、彼がそこから解放されるカタルシスを得る方法は誰かを傷つけることだった。あたかも社会的規範というものが彼には当てはまらないかのようだった」

これから述べようとしていることは、サイコパス、つまり「反社会的人格障害」または「自己愛的人格障害」を持つ人間のことだ。

平気で人を傷つけ、他者に冷淡で、良心が欠如し、そして、自己中心的で、他人を侮蔑することなどがこのタイプの主な特徴の一部だ。共感と思いやりが完全に欠如しており、他人に害を与える行動をまったく反省することもない人たちのことだ。

そこに共通するのは、他人との共感の欠如、あるいは思いやりの欠如、不十分な社会的スキル、また、道徳的概念や、法的な規範を軽視する態度などだ。

しかし、それらの負の面が弱く出ている場合、特定のサイコパスたちは、そのサイコパス本人から影響を受ける人々を高度に「機能的」にし、そして、逆説的に、彼本人を多国籍企業や国家、あるいは教会のトップとしての成功に導く。

犯罪心理学の研究者ロバート・ヘア(Robert Hare)氏は、囚人などのサイコパスと、企業トップや政治家などとの関連についての数少ない研究を指導した一人だ。
それによれば、大企業や金融企業のトップにいる人たちの中のサイコパスの割合は 20人に 1人、あるいは全体の 4%だった。少ないように見えるかもしれないが、これは、一般の社会のサイコパスの割合の4倍高いのだ。

ヘア氏によると、「ウォールストリートでは、その割合は 10人に 1人」だという。

【共感心と罪悪感の欠如】

「組織や大企業の中で、サイコパスは、権??力と影響力を持ち、そして絶対的な権力を上位に昇格させる機能を作動させることができる」

(中略)

アメリカのシンクタンク「ブルッキングス研究所」のダレル・ウェスト(Darrell West)氏は、たとえば、企業の法および経営管理に原因があると強調する。

完全自由主義のエコノミストで、彼の教え子たちの考えを釘付けにしたミルトン・フリードマン(Milton Friedman)氏は 1970年に以下のように記している。

「株主価値の最大化こそが企業の唯一の責務であり、つまり、企業の唯一の社会的責任は、利益を最大化することなのだ」

これは複合化されており、また、最も権威のある学校だけが、ビジネス管理のための経済学と貿易の最高の権威を与えられる独自のコースを持っているという事実により認識される。

(略)

フリードマンのイデオロギーは、多国籍企業の役員やオピニオンリーダーを形成し、他者に対しての協調と責任の欠如の勧め、つまり、経営技術と会社の利益のことだけを考えさせるということを教育している。

サイコパスたちは「他人を操作するツールとしてそれを使うために、道徳的な行為をしているふりをする」が、同様に、ビジネスで成功する「連中(bastard)」は、利益を上げるためなら何でも行い、そして、それは彼らの文化と環境が利益を供給しなければならないという「道徳的な正当性」によって動機づけられている。
彼らは、彼らのサイコパスとして定義される行動や言動が(企業利益の増加に伴い)現実として評価されるので、社会で「成功」していく。

ヘア氏たちのチームの研究では、このサイコパス的な精神性がビジネス・キャリアとしての頂点に位置しているという不吉な証拠を挙げている。

彼ら(サイコパス的な精神性を持つ人たち)は、チームをまとめる協調の精神性を持たず、従業員たちからの評価も悪いという、客観的には実力のない管理者であるにも関わらず、彼らは、「創造的かつ革新的で、素晴らしい戦略的思考を持つ者」と上司によって評価されることが多い。

歴史を見てみると、有名な石油界の大物ジョン・D・ロックフェラーは、競争相手を躊躇なく台無しにするような、「私のお金は神によって与えられた」というようなことを宣言したことが思い出される。ロックフェラーはサイコパスの気質を持っていた。

これらの精神性は、アメリカ合衆国の環境に見出される。すなわち、その「自由」と「個人主義」においてだ。

経済的に繁栄する理想的な場所であるアメリカは、同時にこの(利益第一主義の)考え方を形作った。

つまり、自由の国アメリカの理念は、「貧しい人たちは彼らの過ちにより貧しいのだ」ということであり、そんな人たちを支援する価値はないという理念だ。

このアメリカの「邪悪な主義(evilism)」は、大西洋を越えてヨーロッパに渡っている。

イタリアの銀行家トマッソ・パドア=シオッパ(Tommaso Padoa-Schioppa)による「改革」の真の意味に関する言葉は以下のようなものだ。

「ヨーロッパ大陸においては、構造改革の包括的なプログラム、年金、健康、労働市場、教育は、単一の原則によって導かれる必要がある。20世紀の中で、それらは単一ではなく仕切られたが、それにより、人々は直接苛酷さと接触することがなくなった。それにより、挫折や制裁をなくしてしまい、彼ら自身の品性の欠陥を賞賛することがなくなってしまった」

つまりは今、西洋「文明」全体が、米国のエッセイストであるマイケル・エナーによって記述された点に達しているのだと思わざるを得ない。それは以下の記述だ。

「見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ」

現在のこの世には「社会に隠された全身全霊の悪意」が存在する。

その悪意は、力の頂点であるサイコパスを選択しているということだろうか。

そして、「サイコパスがシステムの不可欠な部分として機能する」今の社会では、サイコパスたちが、その業績により、大衆から崇拝され、彼らの生き方が模倣されているということになるのだろうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=325238
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=325239


96. 中川隆[7328] koaQ7Jey 2017年3月25日 17:25:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7803]

サイコパスとその理念が世界を動かしている「悪意の時代」の中で  2017/03/20
http://indeep.jp/psychopaths-running-this-world-and-what-can-we-do/


「見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ」 – マイケル・エルナー(米国のエッセイスト)

2017年3月17日のロシア「プラウダ」より


サイコパス的精神が「この世の総員」を支配するようになった理由


今回ご紹介するプラウダに載っていた記事の内容は、要するに、

「アメリカから始まり西洋(および多くの西洋の影響を受けている国)全体に広がっている現在の社会は、全体が《サイコパス的》価値観に支配されている」

というようなニュアンスのものです。

プラウダをはじめとしたロシアのメディアでは、わりと頻繁に「アメリカ式価値観への批判」が出てくることがあり、そういうようなものかなと思っていたのですが、このブラウダの記事のクレジットを見ますと、これは転載して翻訳されたもので、オリジナルはイタリアのメディアの記事でした。

つまり、「ヨーロッパ発の記事」ということになります。

ちなみに、「サイコパス」という言葉は、辞書的には、下のようになります。


精神病質 – Wikipedia

精神病質とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。

その精神病質者をサイコパスと呼ぶ。

この「定義」は、現在は下のようにされるのが一般的です。


犯罪心理学者のロバート・D・ヘアによるサイコパスの定義

・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的

さらには、今回の記事にありますが、「権力や地位への渇望が異常に強い」などがあり、そのあたりを総合して、ひとことで言えば、サイコパスというのは、

「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちもない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物」

というような感じでしょうか。

こういうものは昔は「不思議で特殊だった品性」ですが、今の社会では不思議でも何でもなく、むしろ「憧れの対象」になったりしています。

普通は周囲から見て困るこのような品性が「企業理念から見れば最適」だと考えられる場合が今は多いようです。

また、これらの品性は「とても悪魔的」だということも言えるわけで、21世紀に入ってからさらにその感覚が世界中に増加していることを思います。

今回ご紹介するプラウダの記事は大変に長いものですので、まずは記事をご紹介したいと思います。


The disturbed psychopaths running this world
Pravda 2017/03/17

わずらわしいサイコパスたちがこの世界を動かしている

「悪意の社会」を形作る役割を担っているサイコパスたち

アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、成功者の偶像であり、若手起業家の理想的なモデルとして挙げられることが多いが、彼と共に働いた従業員の多くは、彼の抑止できない怒り、人への侮辱、人のやる気をくじくことなどについて、「彼と働くことは地獄だった」と認めている。

ある人物は、ジョブズ氏の事務所に呼び出された時に「ギロチン台に登るかのようだった」と飛べる。ジョブズ氏を知る人々は、彼を「嫌な男」、「失礼な人間」、「耐えられない人間」と話す。

ジョブズ氏の最高の友人の1人であるジョナサン・アイブ氏(アップルの最高デザイン責任者)は、ビジネス・インサイダー誌に次のように語っている。


「彼が不満を感じた時に、彼がそこから解放されるカタルシスを得る方法は誰かを傷つけることだった。あたかも社会的規範というものが彼には当てはまらないかのようだった」

これから述べようとしていることは、サイコパス、つまり「反社会的人格障害」または「自己愛的人格障害」を持つ人間のことだ。

平気で人を傷つけ、他者に冷淡で、良心が欠如し、そして、自己中心的で、他人を侮蔑することなどがこのタイプの主な特徴の一部だ。共感と思いやりが完全に欠如しており、他人に害を与える行動をまったく反省することもない人たちのことだ。

精神病院または刑務所で

最も深刻で明白なケースでは、これらのタイプの人々は、精神病院または刑務所で生涯を終えることもある。

企業心理学の専門家であるサム・ヴァクニン(Sam Vaknin)博士は「病理学的なサイコパスのナルシシズムと犯罪者との間には自然な親和性がある」と述べる。

そこに共通するのは、他人との共感の欠如、あるいは思いやりの欠如、不十分な社会的スキル、また、道徳的概念や、法的な規範を軽視する態度などだ。

しかし、それらの負の面が弱く出ている場合、特定のサイコパスたちは、そのサイコパス本人から影響を受ける人々を高度に「機能的」にし、そして、逆説的に、彼本人を多国籍企業や国家、あるいは教会のトップとしての成功に導く。

犯罪心理学の研究者ロバート・ヘア(Robert Hare)氏は、囚人などのサイコパスと、企業トップや政治家などとの関連についての数少ない研究を指導した一人だ。

それによれば、大企業や金融企業のトップにいる人たちの中のサイコパスの割合は 20人に 1人、あるいは全体の 4%だった。少ないように見えるかもしれないが、これは、一般の社会のサイコパスの割合の4倍高いのだ。

ヘア氏によると、「ウォールストリートでは、その割合は 10人に 1人」だという。

共感心と罪悪感の欠如

ヘア氏が、サイコパスへのアイデンティティをどのように見ているというと、次のうようになる。


「表面的にはとても魅力的で、無限ともいえる自己中心性があり、病的な嘘をつき、冷淡で、目的を達成するために計算し尽くす。衝動的で、自分の行動に責任を持たず、共感の心を持つことがなく、罪悪感がない、また、後悔もない。彼らの危険性は、犯罪的の行為の多様性や、強く他人を操作する能力などにより、他の人物によって強調されることだ。他人の意志を覆し、欺き、他人をコントロールする」

これらは、たとえば成功したギャングスターのアル・カポネなどにも当てはまる。彼は刑務所で一生を終えた。

「組織や大企業の中で、サイコパスは、権​​力と影響力を持ち、そして絶対的な権力を上位に昇格させる機能を作動させることができる」

ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)のジョエル・バカン教授(Professor Joel Bakan)は、「世界を動かしているのはサイコパスなのか?」と題する研究に貢献している。

大部分の企業のトップは道徳的な人だが、そのトップの人たちにしても、まずするべきことは、自身が管理している会社の利益に奉仕する必要があることだ。

トップたちが管理しているお金は自分のものではない。無意味に慈善事業のためにそのお金を使うわけにはいかないのだ。「ではどうすれば?」 ビジネスの世界では、「良い人たち」もまた、あえて不作法に振る舞うことが求められるのだ。

結局のところ、企業というものは、サイコパスの人格と類似しているかのように、利益目的のために他人を悪用して使うようにプログラムされている。これは大企業ではなくとも、現在のごく普通の一般の会社にも当てはまる。

アメリカのシンクタンク「ブルッキングス研究所」のダレル・ウェスト(Darrell West)氏は、たとえば、企業の法および経営管理に原因があると強調する。

ウォールストリートの投機筋と上場多国籍企業の CEO たちは、権力を持つサイコパスを作り出す(または誘致する)ために一線を引いている。

完全自由主義のエコノミストで、彼の教え子たちの考えを釘付けにしたミルトン・フリードマン(Milton Friedman)氏は 1970年に以下のように記している。


「株主価値の最大化こそが企業の唯一の責務であり、つまり、企業の唯一の社会的責任は、利益を最大化することなのだ」

これは複合化されており、また、最も権威のある学校だけが、ビジネス管理のための経済学と貿易の最高の権威を与えられる独自のコースを持っているという事実により認識される。

それらの学校は「社会におけるビジネスの課題に関する一般的な概念を提供する」技術を教える学校で、そして、それらの学校では道徳を教えることには無関心だ。

ここに熟考する事実がある。何世紀にもわたり、最近まで、英国でさえ、権力の位置をとる支配階級を作る学校は古典的な学校だった。イートン大学やオックスフォード大学などの…。そこでは、ラテン語やギリシャ語が教えられ、ギリシャとローマの歴史が教えられた。そして哲学の歴史が教えられていた。つまり、それらの学校で学生たちが学ぶことは「経営管理の技術」ではなかったのだ。

かつて、経営管理の技術は、学生たちがビジネスの世界に入った後に、そのキャリアの中で学んでいったのだ。

しかし今日、フリードマンのイデオロギーは、多国籍企業の役員やオピニオンリーダーを形成し、他者に対しての協調と責任の欠如の勧め、つまり、経営技術と会社の利益のことだけを考えさせるということを教育している。

サイコパスたちは「他人を操作するツールとしてそれを使うために、道徳的な行為をしているふりをする」が、同様に、ビジネスで成功する「連中(bastard)」は、利益を上げるためなら何でも行い、そして、それは彼らの文化と環境が利益を供給しなければならないという「道徳的な正当性」によって動機づけられている。

彼らは、彼らのサイコパスとして定義される行動や言動が(企業利益の増加に伴い)現実として評価されるので、社会で「成功」していく。

サイコパスたちによって賞賛される「連中」を区別することは困難だ。どちらも環境から引き出される道徳的な正当性によって動機づけられているからだ。

ヘア氏たちのチームの研究では、このサイコパス的な精神性がビジネス・キャリアとしての頂点に位置しているという不吉な証拠を挙げている。

彼ら(サイコパス的な精神性を持つ人たち)は、チームをまとめる協調の精神性を持たず、従業員たちからの評価も悪いという、客観的には実力のない管理者であるにも関わらず、彼らは、「創造的かつ革新的で、素晴らしい戦略的思考を持つ者」と上司によって評価されることが多い。

研究家たちは、「一部の企業では、業績不振と従業員たちへの悪影響が広がっているにも関わらず、サイコパスの管理者たちにはリーダーシップのスキルがあると見られることがあるのです」と述べる。

この種のサイコパスには、意思決定者(上司など)の心理を操作するための大きな力があることが精神科医たちに長い間知られている。


「サイコパスたちは、最高の権威との関係を追求して優先順位付けし、権威たちに影響を与える際に驚異的な能力を示す」(デニス・ドレン Dennis Doren 著『サイコパスの理解と治療』 1987年)

さらに、ソーシャルメディアの世界においてさえ、自己愛的性格テストで高い評価を得たサイコパス的な人たちは「フェイスブックで、より多くの友人がいる」ことは当然のことになっている。

D.ピアーズ氏の著書『 Facebook のダークサイド』には、彼らサイコパスは、自分自身の写真をより多く載せ、自分のプロフィールを頻繁に更新する傾向がある。この研究では、社会の中での積極的なナルシシズムとサイコパスの関係を見出した。

歴史を見てみると、有名な石油界の大物ジョン・D・ロックフェラーは、競争相手を躊躇なく台無しにするような、「私のお金は神によって与えられた」というようなことを宣言したことが思い出される。ロックフェラーはサイコパスの気質を持っていた。ロスチャイルドや J.P.モルガンなど有名な投資銀行家は、ロックフェラーの財務状況を賞賛した。しかし、その財務は、破壊と苦しみを周囲にばらまいたものでもある。

これらの精神性は、アメリカ合衆国の環境に見出される。すなわち、その「自由」と「個人主義」においてだ。

経済的に繁栄する理想的な場所であるアメリカは、同時にこの(利益第一主義の)考え方を形作った。

つまり、自由の国アメリカの理念は、「貧しい人たちは彼らの過ちにより貧しいのだ」ということであり、そんな人たちを支援する価値はないという理念だ。

今日のアメリカでは、イデオロギーはイデオロギーとして認識されず、より良いものがなければ、それはすべて「邪悪」と呼ばれる。

リビアのカダフィ大佐の殺害の際に「来た、見た、死んだ」と笑いながらテレビで語ったヒラリー・クリントン。彼女は、時のヌーランド国務省報道官に「ジュリアン・アサンジを殺すための無人機はあるのか」と尋ねた。また、そのヌーランド国務省報道官も「ファック・ヨーロッパ」と発言している。

マケイン上院議員は、シリアで最も血の多いテロリストとなることを目指し、また、ロシアとの戦争を絶えず探している。

オバマ元大統領は、世界であまりにも数多くの人たちを殺してきたが、その行為は、彼に提出されたリストから無人機による超法規的な殺害を選ぶだけだった。

滅びゆく人を見て心から楽しむ

ウォールストリートとビジネス界では、この「滅ぶ人たち」に対しての感情は楽しさで育まれている。

下の言葉は、社会的に成功したアメリカ人女性の告白本にある下りだ。


「他人の人生を台無しにするという考えは実に愉快だ。それは人ではなく食べ物のようだ。権力こそが、私の人生の中で本当に興味のあることだ。破壊的な力と知識と眼に見えない影響力」

彼女は、『社会的な告白。コントロールする心への旅』という本を 2013年にイタリアでトーマスという偽名で出版した。

しかし、このアメリカの「邪悪な主義(evilism)」は、大西洋を越えてヨーロッパに渡っている。

現在のヨーロッパは、少数による支配のイデオロギーとなっており、それは、イタリアの経済学者マリオ・モンティ(Mario Monti)の「私たちは国内需要を事実上破壊しており、決して危機をうまく消費していない」の声明で十分にわかる。

イタリアの銀行家トマッソ・パドア=シオッパ(Tommaso Padoa-Schioppa)による「改革」の真の意味に関する言葉は以下のようなものだ。


「ヨーロッパ大陸においては、構造改革の包括的なプログラム、年金、健康、労働市場、教育は、単一の原則によって導かれる必要がある。20世紀の中で、それらは単一ではなく仕切られたが、それにより、人々は直接苛酷さと接触することがなくなった。それにより、挫折や制裁をなくしてしまい、彼ら自身の品性の欠陥を賞賛することがなくなってしまった」

つまりは今、西洋「文明」全体が、米国のエッセイストであるマイケル・エナーによって記述された点に達しているのだと思わざるを得ない。それは以下の記述だ。


「見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ」

現在のこの世には「社会に隠された全身全霊の悪意」が存在する。

その悪意は、力の頂点であるサイコパスを選択しているということだろうか。

そして、「サイコパスがシステムの不可欠な部分として機能する」今の社会では、サイコパスたちが、その業績により、大衆から崇拝され、彼らの生き方が模倣されているということになるのだろうか。


ここまでです。

今の世の中では、たとえば日本でも、私たちは、

「企業の利益を上げることが何よりも優先され、個人の苦痛や悲哀などはそれに比べると(あるいは人の死なども)どうでもいい」

という社会に生きていて、「企業はそれが当たり前」だと思うようになっています。

「人の死など、どうでもいい」という言い方は極端に聞こえるかもしれないですが、それに関しては、企業も個人も「道徳的な言葉でオブラート」をして言っているということになり、実際には、そのような理念を持っている大企業は多いと思います。

要するに、過去数十年(特に戦後あたりから)の間に、仕事が原因で自殺したり、病死をしたり、社会からドロップアウトした人たちがどのくらいいるかというと、もう途方もない数だと思います。けれども、人がひとり死んだところで、企業は、収益を増大させる前進を当然やめません。

人の苦しみも哀しみも死も「どうでもいい」と書いたのはこういう意味です。

そもそも、会社が、誰か亡くなるたびに、「人が亡くなりましたので、もう収益増大計画はやめます」といったら働いている人が困ります。「知りもしない他人が死んだくらいで自分の給料が下がっては困る」というのが、一般的な見識だと思います。今の社会では極めて当たり前の通年です。

そういう意味で、別に非難しているわけではないです。
そうしないと、企業も個人も生き残れないですので。

もう日本もずっとそういう時代の中にいます。

生き残るために、企業の人たちも、そこにいる個人も、企業価値(収益のことです)を上げる以外のことを考えることはなくなるというのも仕方ありません。

最近はブラック企業とか、そういう言葉もありますが、厳密にいえば、

「全部がブラック企業であるべきなのが現在の資本主義の理想的な姿」

だと思われます。

人間は使い捨てにして、その使い捨てによる小さな企業収益を上積みさせて株主利益に還元する。それ「だけ」が「企業の正義」ということになります。ただ、そういうことは公にいうと問題になるので、「表では理念の逆のことを言えばいいだけ」という学習も欠かさずに企業は邁進していくというのが、知る限りの現在の企業の「正しい」姿です。

プラウダの記事にも出てきますが、「株主価値の最大化こそが企業の唯一の責務であり、企業の唯一の社会的責任は、利益を最大化すること」だという意識が、とても広く行き渡っているのです。

これも、別に非難しているわけではないです。

しかし・・・誰がこんな世の中にした?

という話はあります。

他の国はともかく、「どうして日本までこんな国になっちゃったんだろう」と、やはり思いはそこに行き着きます。

この数年で、私に「こんな社会なら存続するより滅びたほうがいい」と強く思わせるようになってしまった社会にどうしてなったのかと。

100年前といわずとも、戦前は違ったはずです。

このプラウダの記事では「サイコパス」という人間像を中心に据えて、いろいろなことが語られますが、私自身は、サイコパスの個人のことについて責めるというような感じはないです。なぜなら、昔なら、そういう個人は、誰にも相手にされずに終わっていっただけだったからです。

まして、「尊敬」とか「憧れの対象」になったわけがなかった。

しかし、今は違います。「他人の気持ちをふみにじり、徹底的に冷徹な経営理念を貫く」というのは「美徳」にさえなっています。

結果として、今の世の中は「全体として冷たい世界」となってしまいました。

生きていてつまらないと思う若い人たちがたくさんいるのも無理はない気がします。

私のような五十代は少しだけ違う世界の中で若い時代を生きていました。これは「その時に冷徹な社会ではなかった」ということではないです。近代の人間社会には、常に薄情と冷徹と合理主義は存在します。

ここでいう「少し前は違った」というのは、そういう意味ではなく、「日本全体を支配しているものが違った」という話です。

このあたりは書き進めても「キリのない永遠の輪廻的な小言」ということになりそうですが、それでも自分が生きている世の中ということで、機会があれば、具体的に書かせていただくこともあるかもしれません。
http://indeep.jp/psychopaths-running-this-world-and-what-can-we-do/


97. 中川隆[7610] koaQ7Jey 2017年4月09日 09:54:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8097]

2008年10月16日
ミトコンドリアDNAでは母方の祖先が分かるが、Y染色体のDNAからは父方の祖先が分かる。

「常に男女が同程度の人数で移動した」とは限らないので、Y染色体のDNAも調べる必要がある。


南米大陸全体での先住民族のDNAを持つ人の割合は、ミトコンドリアDNAでは82.8%だったのに対し、Y染色体ではわずか8.6%だった。

Y染色体で先住民族のDNAを持たない人の父方の祖先は、大航海時代以降南米に入ったヨーロッパ系(侵略者)又はアフリカ系(奴隷)の人々である。

比較的「南米以外」からの影響が少ないと見られていたペルーの山岳部の住民でも、同様の傾向があった。

先住民族のDNAを持つ人の割合は、ミトコンドリアDNAでは94.2%だが、Y染色体では46.0%しか居なかった。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20081016/p1


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/04(月) 23:19:37 ID:9w/WmKTM

ところが中南米人の遺伝子調べると
母系は先住民、父系はヨーロッパ人と綺麗に分かれてる
ハーレム状態

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/04(月) 23:36:51 ID:GKFrYljf
>>93
人種構成は、

ペルーが、インディオ47%、混血40%、欧州系12%、東洋系等1%

ボリビアが、インディオ55%、混血32%、欧州系13%

メキシコが、インディオ30%、混血55%、欧州系(スペイン人)15%

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/05(火) 12:35:59 ID:OriNBOP5
>>94
それは人種構成だから遺伝子の数値とズレがあるよね

例えばアルゼンチンは白人国家とされてるけど

ブエノス・アイレスの隣のラ・プラタ市の遺伝子調査だと
mtdna(母系)は45%が先住民、Y染色体(父系)の90%がヨーロッパ系

インディオが少ないとされるブラジルでも調査すると
mtdna(母系)の32%が先住民、28%が西アフリカ人となる
Y染色体(父系)の方はこれまた90%以上ヨーロッパ系になる


つまり人種的に黒人、インディオに分類されても
男系にかぎっては過去に白人の祖先をもつやつがとても多い

それに人種的にブラジルは白人、ムラート、黒人に分類されるが
実際は先住民ともかなり混血してることがわかる

あとアメリカ黒人男性の20%は白人を祖先に持つ
逆にアメリカ白人への黒人の遺伝子的影響はわずか0.7%
アメリカ白人への先住民の遺伝子的影響は3.4%

これらの数値はつい先日英語サイトから拾ってきたもの

ブラジルの数値はちゃんとした論文で具体的な方法まで書いてあったから
かなり信用できると思う
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1094725063/l50


98. 中川隆[-7986] koaQ7Jey 2017年4月30日 12:48:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

99. 中川隆[-7891] koaQ7Jey 2017年5月01日 08:42:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


100. 中川隆[-7625] koaQ7Jey 2017年6月03日 22:19:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

欧米植民地主義の凄まじい実態─学校が教えてくれない戦争の真実 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MOwj5i7jlu8

101. 中川隆[-7529] koaQ7Jey 2017年6月12日 00:49:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

『マンディンゴ』(Mandingo)1975年 パラマウント 無料動画
http://video.fc2.com/content/20131111yJCCUMgm/&tk=T0Rnek16azBOREE9
http://yume551.com/foreignfilm/4750.html


監督 リチャード・フライシャー

キャスト

ジェームズ・メイソン・・・マクスウェル
スーザン・ジョージ・・・ブランチ
ケン・ノートン・・・ミード
ペリー・キング ・・・ハモンド
ブレンダ・サイクス(英語版)・・・エレン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B4


『マンディンゴ』(1975)アメリカのタブー“奴隷牧場”を暴いた問題作!『ルーツ』の裏側を知れ!
http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/201110/article_5.html

 60年代後半から70年代中盤にかけてのアメリカ映画界で、『トラ・トラ・トラ!』で知られるリチャード・フライシャー監督が撮った問題作はふたつほどあり、一本はつい先日、記事にした『絞殺魔』であり、もうひとつが1975年公開の『マンディンゴ』です。

 ハリウッド映画ではメジャーであるパラマウントがジェームス・メイソン(農場主)、ペリー・キング(ハモンド)、スーザン・ジョージ(ブランチ)、そしてケン・ノートンらのしっかりとした俳優陣を使って製作した大作映画ではあります。

 当時は大ヒットしたにもかかわらず、長い間に渡って、DVD化されていなかったのは差別用語と差別発言があまりにも多いので、パラマウントがリリースするのに二の足を踏んでいたからだと言われています。

 ちなみに上のDVDのジャケットではジェームズ・メイソンが黒人の子どものお腹に足を乗せています。理由は持病のリューマチを治すのには自分の足を“動物”のお腹に乗せておくと病気が動物に移るという迷信を信じた彼が奴隷の子供に足を乗せているというシーンから取られています。


 また公開当時から批評家にさんざん叩かれて、見せ物映画のレッテルを貼られてしまったが、歴代最低映画のワースト10にも常にランクインするなどの話題性もあるので、怖いもの見たさもあり、ついにリリースされたということなのでしょうか。

 ただ拝金主義で問題も多いハリウッドではありますが、こういう問題作を隠さずに見る者の判断に委ねるところがわが国とは違います。

 この映画で彼が描いたのはアメリカの超ヒット大河ドラマとして名高い『ルーツ』での欺瞞への反発からだったのでしょうか。それとも映画化するに際し、誰も引き受けなかったために職人監督の彼が手がけただけというのが真相だろうか。

 製作もディノ・デ・ラウレンティスで、彼もネオリアリズムの傑作である『道』『カビリアの夜』やヌーヴェルヴァーグの代表作『気狂いピエロ』に出資するなど、ちょくちょく顔を出してくる独立系名物プロデューサーのひとりでした。


『ルーツ』では放送倫理規制、いわゆるヘイズ・コードで巧妙に隠されてしまい、明らかにせずに避けて通っていたアメリカの恥部である奴隷の歴史の闇のディティールを描いたのが『マンディンゴ』でした。

 『ルーツ』でもクンタキンテの苦難に満ちた壮絶な人生がセンセーショナルに取り上げられ、わが国でも放送されていました。ただこのドラマではキンタ・クンテの家庭の温かさ(キジーの髪の毛を撫でたりする。)だったり、登場人物も良い人の比率が多かったりと綺麗ごとで塗り固められている側面がある。

 しかし物事の本質をえぐり出そうという映画製作姿勢で知られていたフライシャー監督が通り一遍に作品を送り出すわけはない。彼はそういった綺麗ごとを排し、厳しく、そして皮肉たっぷりの映画を製作する。

 この映画のポスターを見れば、それは一目瞭然で、それはまさに『風と共に去りぬ』を笑い飛ばすブラック・ユーモアに満ちているし、彼が何を批判したかったのかが分かる。

 名画と呼ばれる『風と共に去りぬ』はたしかに歴史的に価値のある傑作であり、ハリウッド映画最大のアイコンでもありますが、見る人が見れば、怒りがこみ上げる作品でもあるという証明がこのポスターなのでしょう。

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/981/16/N000/000/003/131937623801113214750_mandingo_a0q.jpg

 俺は生まれた この時代に
 
 自由の無い この時代に 自由が欲しくても 手が届かない 

 自分のものは この心だけ そうとも俺のものは心だけ

 幸せがどういうものか 知りもしない 

 分からないよ 誰を責めるべきか
                     『Born in This Time』


 作品中、この哀しい歌詞で歌われるブルース・ナンバーはオープニング、クライマックス前、そしてエンディングの合計3回歌われる。この歌はとても印象的ではあります。ただこの曲よりもモーリス・ジャールが付けたこの映画のサウンドが異様で、のどかな古き良き時代を思い出させるようなクラシック調の調べの数々がとても気持ち悪い。

 おそらく対位法の効果を狙い、見る者にその異様な光景を印象つけようということなのでしょうが、『アルプス一万尺?』をヴァイオリンで弾かせているのに合わせて、手かせと首かせを付けられた奴隷たちを行進させたりするので、長閑な音楽の流れるところには異様なシーンが続いていくことが多い。

 フライシャー監督とディノ・デ・ラウレンティスは人身売買の被害者である黒人奴隷の悲惨さ、しかも奴隷の男女をかけ合わせて、新たな奴隷を作り出す奴隷牧場という悪魔のシステムをはじめて商業映画で暴き出しました。作品は人を人と思わない、傲慢で無知な鬼畜の所業の数々とそういった人種差別をしながら、キリストに祈るという滑稽なほど間抜けな南部白人たちのおぞましきエピソードの連続です。

 黒人をまず人間とは認めていませんので、彼らの面倒を診るのは獣医ということにまずは驚かされる。まるで『ドクター・モローの島』のようです。ドクター・モローも人種差別の寓話として見ていましたので、間接的には奴隷牧場を描いていた作品はあります。

 しかしこの作品では白人たちが真正面から見たくないものと向き合わされる。白人男と黒人女、白人女と黒人男という異人種のあいだの性交(もちろん主導権は白人側が握っている。)が何度も描かれていて、人種差別の滑稽さが浮き彫りになる。

 黒人たちは白人の性欲を処理する道具でしかなく、人格は認められていないのです。そのため父親は白人なのに、奴隷に産ませた子供を平気で奴隷として売りだそうとします。

 また閉鎖的な白人社会内では、つまりキリスト教圏だけではなく、多くの宗教では近親相姦がタブーであるはずなのに、実際には行われている。スーザン・ジョージは実の兄に犯され、処女を奪われる。この兄は変態で、SM趣味を持ち、黒人少女たちを犯すときも後ろ手にして、ベルトを外し、鞭のように叩き続ける。

 当時の倫理観は白人同士にしか通用しなかったようですが、たとえ異人種間の不義密通であろうとも、産まれたばかりの乳児を獣と呼び、父親自らが始末するシーンなどは正視に耐えません。

 さらに父親(ペリー・キング)は自分の蛮行にはまったく良心の呵責も感じていないものの、欲求不満の妻が腹いせにマンディンゴの男(ケン・ノートン)と不義密通した結果、生まれた黒い赤ん坊を殺し、妻を毒殺し、さらに相手であるマンディンゴを釜茹でにし、干草を摘むピッチ・フォークで突き刺して殺害する。

 逃亡した上、白人一家を皆殺しにして反乱を起こした奴隷リーダーに対する見せしめのリンチも描かれていて、ビリー・ホリデイが彼女の代表曲である『奇妙な果実』で歌った状況が映画にも出てきます。これら以外にも、支配者である白人たちの様々な愚劣な恥部を白日の下にさらけ出していく。

 クライマックスのひとつに黒人同士を戦わせて、殺し合いをさせるパンクラチオンのような、現代風に言えば、バーリ・トゥードのような見せ物に白人たちが狂喜するシーンがある。まあ、ケン・ノートンはモハメド・アリとも戦ったことのあるトップ・クラスのボクサーでしたので、彼にとっても見せ場でもあります。

 ただこのシーンも皮肉っぽく見ていくと、ボクシングという世界も黒人同士が殴り合いをするのを白人たちが興奮して楽しむという構図がまったく変わっていないことに気づかされる。

 作品を見ていくと白人のほとんどすべては救いようのない愚か者として描かれ、黒人たちのほうが高い人間性と知性を感じさせてくれる。どちらがレベルが低いかは明らかで、キリスト教も南部では違う解釈で広まったのかと思わせる。

 衝撃度は見せ物映画として悪名高いトッド・ブラウニングの『フリークス 怪物團』よりもある意味、強烈な作品でした。最低映画として語り継がれる『プラン9・フロム・アウタースペース』『ピンク・フラミンゴ』『エアポート80』などと並んでしまうほどの作品なので、アメリカ人はよほど見たくないのでしょう。


 ぼくがこれを見たのは高校生か大学生の頃の夕方のテレビ放送で、ガニメデを処刑するときの釜茹でのシーンなどの衝撃的な内容は今でも記憶に残っています。

 こうした作品を見るといつも思うのですが、最近は差別を回避して隠蔽する傾向が強いので、こういう作品は製作されにくいでしょうし、放送もないでしょう。しかし、こういうことがあったこと、隠蔽しようという意図は常にあることを忘れてはならないと思います。


 ちなみにマンディンゴとはアフリカのマリ帝国に住んでいた黒人種族であり、もっとも力強く美しいとして、非常に高価な値段で取り引きされていたそうです。まるで競馬のサラブレッドや血統書つきのペットを買っているようで、吐き気がします。

 南北戦争でもし南軍が勝利していたならば、という想像をすると かなり恐ろしい。奴隷解放が百年以上も先延ばしになっていたかもしれません。
http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/201110/article_5.html


マディ・ウォーターズが歌うブルースで始まる『マンディンゴ』はリンカーン大統領による奴隷解放宣言より40年ほど遡った1820年代のアメリカ南部が舞台です。

農場を経営するマックスウェル(ジェームズ・メイソン)の白いヨーロッパ調の屋敷の前に並べられた黒人奴隷たちを吟味しながら売買するオープニングシーンは
この作品が奴隷制度の真実を扱った映画であることを宣言し、マックスウェルをはじめとした白人たちが黒人奴隷たちを家畜として品定めすることに微塵も疑問に感じていないことを突きつけてきます。

放り投げた木の枝を奴隷に取りに行かせ、その動きで俊敏さを試すくだりはまさに犬扱いです。

かつて日本でも『ルーツ』というアメリカのTVドラマが話題になりある年齢層の日本人にとっては聞き覚えのある「クンタ・キンテ」という主人公の名前は流行語と言っても過言ではないほど知れ渡りましたが

『ルーツ』の評価がいわば『裸足のげん』的な迎え入れ方をされたのに対しその前年に公開された『マンディンゴ』はヒットしたものの、批評家たちからは酷評の嵐だったようです。

それは『ルーツ』が、ある種洗練されて教訓めいているのに対し、『マンディンゴ』は目を覆うような醜い事実をただただ見せつけられ、恥部を刺激されたたことに対するアメリカ白人たちの瞬発的な拒否反応と捉えてよさそうです。

現在では、人種差別は決して許されないものとして表面上は認識されていると思いますが
『マンディンゴ』に登場する白人たちの黒人奴隷に対する振る舞いはあっけらかんとしており、黒人たちを虐待してやろうなどという憎悪すらも持たずまさに家畜やペットを飼い慣らし、愛でるようにして扱っているところが恐ろしいのです。

「マンディンゴ」とは、西アフリカはマリ帝国の血を引くマンディンカ族のことを指し、当時の白人たちにとって「マンディンゴ」は強くて美しい奴隷の血統とされ、高値で売買されていたそうです。

マックスウェルの息子ハモンド(ペリー・キング)が手に入れた「マンディンゴ」のミード(ケン・ノートン)はその腕っ節を見込まれ、白人が奴隷同士の殺し合いを見て楽しむために闘犬のごとく鍛え上げられます。

(ミードに扮するケン・ノートンはあのモハメド・アリを倒したこともある元プロボクサー!)

やがてミードは、自分を特別扱いしてくれるハモンドを慕うようになるのですが、ラストシーンでは「やっぱり、おまえも白人だ!」という言葉を最後に釜茹でにされ、ピッチフォークで突き刺されて死んでしまうのです……

リウマチを患っている農場主マックスウェルがリウマチの毒を足の裏から黒人にうつすことで完治すると信じ、ロッキングチェアに座りながらまるでオットマンのように黒人の子どもの腹に自分の足をのせている映像はおぞましくも象徴的ですが

息子のハモンドも幼少時のケガで片脚に障害を持つことからまともに動くこともできない白人が強靱な肉体を持った黒人たちを支配している理不尽な構図を強調しています。

黒人の子どもをオットマン扱いしていることにはじまり、黒人を診察する医者は獣医だったり、黒人女性はオナホールまがいの扱いで、それどころか子どもを産ませて、産まれた子どもをまた売るという鬼畜ぶり。

ベテラン奴隷(?)の黒人女性いにいたっては24人も子どもを産まされたというから恐ろしい限りです。

このような社会的な問題を提議するような作品には必ずやそこで描かれる世界観に疑問を感じて葛藤する主人公が登場し、観客をメッセージへと導くのですが

『マンディンゴ』で「かろうじて」その役割に該当するのは農場主マックスウェルの息子ハモンドです。

「かろうじて」とつけ加えたのはハモンドは黒人奴隷に対して親和的な情を持ち合わせているものの
根本的には差別に対して無自覚で、ペットに対する一方的な友情や愛情となんら変わりはないと思うからです。

この作品には奴隷の「血統書」まで登場しますから黒人をペットや家畜のように虐げたり、愛したりする登場人物たちを観ていると首輪をつけた犬や猫にわけのわからない服を着させて「かわいい〜」とか言っているペット愛好家たちを思い起こさずにはいられないのです。

黒人を動物扱いしてはいけない……
では、動物は? あいつらは動物だから構わない?

ハモンドは奴隷制度の根本的な不条理に立ち向かうわけでもなくむしろ優柔不断な寛容さを見せ、黒人の赤ちゃんを抱いて、可愛らしいと思いながら何のためらいもなく売り飛ばすこともできるのです。

また、処女信仰のようなくだらない虚栄心にも囚われています。

ハモンドの振る舞いは差別を行使する人間の無自覚さを表し、因果応報の報いを被るしかないように仕立てられています。

作中に見られる、水平軸が傾いた構図が世界観のバランスの欠如を示し、多用される鏡が、スクリーンに映し出される映像とは別にそこで行われている出来事を観客にはね返しているのではないでしょうか。

このような差別が恐ろしくも巧妙なのは

差別する側の思惑とは別に(もしくは思惑通りに)差別されている者どうしが敵対しあうような構造になっていることです。

誰しも、奴隷として扱われて気分がいいわけはありませんが
生きるために現状を甘んじて容認した者と現状をなんとか打破しようとする者の間に生じる軋轢ほど哀しいものはありません。

金銭欲、虐待、嫉妬、姦通、近親相姦……と黒人奴隷問題を訴えるだけに留まらず、人間の業を凝縮したような作品でした。

『マンディンゴ』に描かれているようなことを昔のことだと高をくくらないほうがいいかもしれません。

今でも私たちは、ありもしない下位のカテゴリーを捻出し、相対的に自分が上位にいる状況を作って悦にいるというのはよくあることです。

『マンディンゴ』に登場する白人たちほど あっけらかんと差別することはもはやないでしょうが
むしろそれだからこそ、差別は巧妙に隠されていると言えるかもしれません。
http://nohouz.blog.fc2.com/blog-entry-33.html


102. 中川隆[-7461] koaQ7Jey 2017年6月17日 21:18:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ドキュメンタリー ヒューマン・ジャーニー
〜遥かなる人類の旅〜 ヨーロッパ さらなる変遷 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC+%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC+%EF%BD%9E%E9%81%A5%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E6%97%85%EF%BD%9E+%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%80%80%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%A4%89%E9%81%B7+

103. 中川隆[-7398] koaQ7Jey 2017年6月21日 07:17:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国文明はコーカソイドによって築かれた
https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n414702

↓以下の通り。


「中国といえば黄色人種の代名詞的存在です。しかし、漢字を発明した古代漢族と現在の漢族は、遺伝的なつながりがほとんどないとみられています。漢王朝が崩壊後、北方の異民族が流入して人口は3分の1〜6分の1に減少したと推定されています。しかも、流入した北方民族を含めて人口が3分の1〜6分の1に減少したのですから、古代漢民族の減少はそれ以上だった推定されます。その後、鮮卑族と呼ばれる北方民族が統一王朝を建設し、隋、唐と長い間支配が続きます。現在の漢民族は唐時代に民族の基礎が形成されており、現在のイタリア人と古代ローマ民族以上に別物といわれています。現在の中国では、古代漢語といえば清王朝時代の満州人の影響下にあった漢語を指すようです。


 古代漢族は、現在の中国と違った文化をもつ謎の多い民族です。そんな漢民族ですが、最近の近代的な考古学的手法の発達により、遺骨やミイラのDNA分析の結果が断片的に報告されるようになってきました。2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表しました。その結果は、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近いという結果になり、現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらなというものでした。

 一方、3000年前〜1500年前の中国西部は、白人が支配する地域であったことがほぼ定説になりつつあるようです。新疆ウイグル自治区の楼蘭の美女と呼ばれるミイラは、白人のミイラとして知られています。中国西部では600体もの白人のミイラが見つかっています。北京から400、500km南東に位置している山西省の大原市からも白人が埋葬された墳墓が見つかっています。このことから1500年前にはすでに白人がかなり移住していたと考えられます。

 漢文は異民族との情報交換のために発達した文章といわれています。つまり、漢文は文章のためのものであり、当時、話された言葉をアルファベットや万葉仮名のように示したものではありません。つまり、当時話されていた言葉を記録した資料が極端に少なく、検討する余地はかなりあるようです。ひょっとすると、漢文は当時のシナ系言語と全く異なる白人の言語をつなげる架け橋だったのかもしれません。

これらの白人はコーカソイドと呼ばれる人達で、いわゆるトルコ系民族と言われる人たちです。トルコ系民族は、少なくとも5世紀ごろにはシベリア地域にも移住していたとみられています。そう考えてみると、中国にもトルコ系民族が移住していても何の不思議もありません。東京大学の植田教授らは山東半島周辺に白人の居住地があったことを指摘しています。現時点では、白人が中国のどの程度の位置を占めていたのか不明ですが、今後DNAの研究が進むにつれ、これまでの歴史の常識が大きく覆されるかもしれません。漢字は白人が発明したもので、山東半島出身の孔子は白人だった可能性が高いです。

テュルク(トルコ系民族とその分布)

http://ja.wikipedia.org/wiki/トルコ系」

「東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らが、中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果を発表しました。

調査の対象となったのは、

1、約2500年前の春秋時代の人骨

2 約2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨

3 現代の臨シ住民

です。

これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。

どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い。

約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い。

現代の臨シ住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらない。

つまり、2500年前の支那大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団であった、すなわり、いまの支那人たちとは、まるで異なる集団であったということです。

言いかえれば、2500年前から2000年前の500年間に、支那では大きな遺伝的変化が生じた、つまり、支那大陸では、大規模な人類の移動があったということです。

そもそも中国語と英語を含むヨーロッパ系言語では、文法や語順のなどが、非常に似通っています。

たまたま文字が漢字であるため、見た目のイメージはまるで異なる言語にみえるけれど、語族として考えたら、日本語と中国語よりもはるかに支那語は、ヨーロッパ系言語に近い。

しかも、ひとくちに中国語といっても、支那は広大な大陸です。

さまざまな方言があり、外国語並みにたがいに言葉が通じない。

文法や語順、あるいは基本的名詞に至るまで、まったく違うものもあり、もはやその言語は、互いに別な言語というほうが、はるかに正しいです。

たとえば、我々が中国語口座を受けると、「声調」は「四声」と教わるけれど、これは北京語の話であり、広東語は九声、福建語は八声もある。

上海語と客家(ハッカ)語は六から七声です。

また、北京語には濁音がないけれど、南方語には、濁音が存在する(日本語の影響?)。

フランス語と、英語は、語順等は似ているけれど、母音の数がまるで異なります。当然、異なる言語とされている。国籍も別です。

支那にある諸方言を考えたら、これらをひとまとめに、同一言語であるとみる方が、むしろ異常です。

中国四千年の歴史なる言葉は、そもそもが、三皇五帝(さんこうごてい)なる支那の神話伝説時代の帝王からきている言葉です。

三皇は神、五帝は聖人で、それらは支那の伝説の時代である「夏」の時代(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)よりも古い時代の皇帝だというのだけれど、これも大載礼記、史記、戦国策、易経、礼記、淮南子、世経、三統経、資治通鑑外記などで、誰が皇帝であり、誰が帝王だったのかすら、全部言い分が異なっています。

炎帝(姜王)などは、礼記と准南子に登場するけれど、体が人間で、顔は牛だったというから、そもそも人類であったかどうかすら疑わしい。

要するに、これらは単なる神話とされ、いまでは、その実在は誰も認めていません。

三皇五帝のあとにくる「夏王朝」にしても、いまからちょうど四千年あたり前から470年続いき、その後「殷」に滅ぼされたとされているけれど、これも、その実在性がかなり疑わしいとされている。

結局支那で考古学的にはっきりとその存在が証明されているのは、「殷王朝」で、これは、紀元前17世紀頃から紀元前1046年の王朝です。遺跡もある。

そして遺跡があるおかげで、この時代の殷王朝を形成した人々が、いまの漢民族とは、まるで異なる遺伝子を持った別な民族であったということが立証されてしまっています。

時代が下って、西暦220年頃の三国志に登場する関羽とか張飛とかのを見ると、関羽は、髭(ひげ)の長い巨漢、張飛は、ずんぐりむっくりの巨漢です。

遺伝的特徴からしたら、髭(ひげ)の薄い漢民族の特徴というよりも、関羽あたりは北欧系のノルウェーの海賊(バルカン民族)の特徴をよく備えているし、張飛の遺伝的特徴も、漢民族的特徴はまったくなくて、どうみても、北欧系のドワーフです。

関羽や張飛の姿は北欧系のコーカソイド

の遺伝的特徴そのものである

そしてこの時代の人骨からは、先に述べたとおり、明らかにヨーロッパ系の遺伝子を持った遺伝子・・・漢民族とは異なる遺伝子を持った人骨・・・が発見されています。


さらに時代をさかのぼると、支那の文明の始祖として、20世紀前半に黄河文明の仰韶(ヤンシャオ)遺跡が発掘されました。仰韶遺跡は、紀元前5000年から同3000年まで続いた文化です。

遺跡からは、彩文土器、竪穴住居、磨製石斧などが出土し、彼らが粟などの栽培や、豚や犬の飼育、鹿などの狩猟を行っていて、竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用していたことは、明らかになっています。

しかし、そこで発見された彩陶土器は、西アジア、中央アジアから伝来したものです。

つまり、どうやら工具的にも、ここの文化を構築した人たちは、東洋系の人種ではなく、コーカソイド系の人たちだったようです。漢民族的特徴を示す物は、残念ながら発見されていません。」

つまり、モンゴロイドが「独自の文明」と自惚れている「中華文明」とはコーカソイドと云う人種によって築かれたのだ。
https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n414702


104. 中川隆[-7380] koaQ7Jey 2017年6月23日 07:44:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

エジプト人は「古代」と「現代」とでルーツが違う!
数千年前のミイラをDNA解析して判明!


 「古代エジプト」といえば、ピラミッド、ファラオ、ツタンカーメン、ヒエログリフ、ロゼッタ・ストーン、太陽暦、クレオパトラなどを連想するだろうか?

 紀元前3000年頃に澎湃(ほうはい)として興きた第1王朝から、紀元前30年に共和制ローマがプトレマイオス朝を滅ぼすまでの数千年間。どのような歴史絵巻に彩られながら、人々の血脈と足音が黒い大地に刻まれて来たのか?

 そんな想像力を激しく掻き立てる衝撃的な事実が明らかになった。

紀元前約1400年〜西暦400年頃に埋葬された古代エジプト人のミイラをDNA解析

 ドイツのマックス・プランク人類史科学研究所のJohannes Krause氏らは、エジプト中部のナイル川沿いのアブシール・エルメレク遺跡で、紀元前約1400年〜西暦400年頃に埋葬されたと推定されるミイラ151体を発掘した。

 そのうちの90体のミトコンドリアDNAを解析し、3体のDNAのゲノGWAS(ゲノムワイド関連解析)を行い、「古代エジプト人」と「現代エジプト人」のルーツを探求した。

 その結果、「古代エジプト人」のミイラと「現代エジプト人」のDNA解析の結果、驚くべき真実が明かされた――。


「古代エジプト人」は地中海東岸のアラブ諸国の人々に近く、

「現代エジプト人」はサハラ以南のアフリカ人に近い事実が判明したのだ

(『Nature Communications』オンライン版「HealthDay News」5月31日)。


 今回の研究の目的は、古代エジプト人が受けた他民族による侵略や交雑によるヒトゲノムの変化と推移を探ることだった。

 Krause氏によると「エジプトの高温、墓の中の高湿、ミイラに使用された化学物質の変質などによって、ミイラのDNAは損傷を受けやすい。今回のミイラのDNAの抽出・解析の成功は、古代エジプト人が歩んだ足跡を解明する大きな突破口になるだろう」という。

なぜ「古代エジプト人」は「地中海東岸の人々」に近い?〜めまぐるしい侵略と交雑

 建国以来、古代エジプト王朝は、統治力の弱体化や内乱などによって攪乱され、目まぐるしく変遷し続けた――。

 エジプト第2中間期(紀元前1663年〜紀元前1570年)、第13王朝のヌビアが独立したが、第14王朝などの小諸侯が対立。紀元前1663年頃にパレスチナのヒクソスという異民族が第15王朝を簒奪すると、地中海東岸のパレスチナも平定する。

 続くエジプト新王国時代(第18〜20王朝)に入り、紀元前1540年頃、上エジプトを治めていた第17王朝のイアフメス1世が第15王朝のヒクソスを追放して南北エジプトを統一。以後、地中海東岸のパレスチナやシリアへ意欲的に進出するだけでなく、首都テーベを拠点にティグリス・ユーフラテス川流域から西アジアに及ぶ一大帝国を擁立、古代エジプト王朝は黄金期を迎える。

 以後、第18王朝の繁栄は続くが、紀元前1346年頃、アメンホテプ4世は、勢力を伸ばしたヒッタイトにパレスチナやシリアの属国を次々と奪われ、国力が衰微。紀元前1333年に即位したツタンカーメン王は夭折。だが、紀元前1291年にセティ1世が北シリアへと遠征後、古代エジプト最大の王ラムセス2世による第20王朝は、最盛期へ向う。

 しかし、紀元前1070年頃に最後の偉大なファラオと呼ばれた第2代のラムセス3世の死後、第20王朝は崩壊。その後の約1000年間は、国力が一気に衰退する。

 紀元前332年、アレクサンダー大王が全土を征服。紀元前31年にオクタウィアヌス率いるローマ軍に敗北。クレオパトラ7世が自殺し、プトレマイオス朝は滅亡。古代エジプトの王朝時代は終焉する――。

 つまり、紀元前約1400年頃の古代エジプトは、地中海東岸のパレスチナやシリアを支配していたことから、周辺諸国との民族的な交雑が進んだため、古代エジプト人は遺伝的に地中海東岸の人々に近いという、今回のDNA解析の結果につながったのだ。

なぜ「現代エジプト人」は「サハラ以南のアフリカ人」に近い?〜この1300年間、他国の征服を受けていない

 今回の研究のもう1つの成果は、「GWAS(ゲノムワイド関連解析)」によって、この1300年間にアブシール・エルメレクの地域に住む人々のDNAに大きな変化はなく、他国の征服による遺伝的な影響は受けていない事実と、現代エジプト人は古代エジプト人に比べるとサハラ以南のアフリカ人の系統に8%ほど近い事実が判明した点だ。

 Krause氏は、サハラ以南のアフリカ人のDNAがエジプトに流入するようになったのは、過去1500年以内と推察する。

 ちなみにGWASは、ヒトゲノム上に存在する50〜100万種のSNP(スニップ:一塩基多型)を位置マーカーとして使い、ヒトゲノム中に特定の個人の疾病に関連するSNPを見つけ出し、ゲノム配列の個人差や、疾病に関わる多因子形質と変異の関係を統計的に調べる解析法だ。
http://healthpress.jp/2017/06/post-3052.html


105. 中川隆[-6746] koaQ7Jey 2017年8月12日 07:18:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源
16-2. 日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語か!

  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。

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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).”

When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn.

(i) The word order in the ancestral language was SOV.

(ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion.

(iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order.

(iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.


Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV.

Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS.

There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50).

Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won.

However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm


_________ 


中国語のみならず東南アジア、太平洋地域も、語順はSVO(or VSO)⇒中国人、東南アジア人(Y遺伝子O系統)とは何者なのか!
 


民族の使う言語の語順とその民族性は、ざっくりと見て連関がありそうです。セム人や印欧語族には、XSOやSVOなど動詞を前に持ってくるものが多いですが、これは闘争性、攻撃体質の強さと恐らくは連関している。(どうする、どうしろ、を前にもってくる。)

ところが、一般に穏やかな性格の平和民族と考えられる東南アジアも、実は圧倒的にSVOが多い。ベトナム、タイ、カンボジア、マレーシア、インドネシア、太平洋の島々も全て基本的にSVOである。
台湾原住民やフィリピンにいたっては、何と、セム系と同じXSOなのです。これは一体どういうことなのか。語順と民族性の関係と言う視点が根本的に間違っているのか?

中国人、東南アジア人はY遺伝子分類で言うとO系統にあたるのですが、実は少し気になっていたのですが、Oって、P、Qの次がR(印欧語族)で、印欧語族に近く、C(アボリジニやシベリア人など)とかD(縄文人、チベット人)からは遠い。

現生人類のY遺伝子はアフリカ人や上記C系統、D系統を除くと、インドを中心に東へ西へと拡散したF系統からの派生が多く、Y遺伝子で見る限りは、O系統は、われわれのような「純粋な」モンゴロイドよりも、コーカソイド系統に近い。

そして、それは最初に述べた語順の問題とぴたりと符合する。中国人、東南アジア人は、Y遺伝子も、言語の語順も、もともとはコーカソイド系統と言わざるをえなのではないかと思う。(「コーカソイド系統」という言い方が間違っているかもしれないが。)
改めて考えると、ベトナム人が見せた対米戦争での強さとか、また、(社会的な背景があるにせよ)カンボジアのポルポト時代の大虐殺とか、縄文人の体質とは断層があるという気がしないでもない。

もちろん、女性側の血筋がどうかと言う点もあるし、出自がどうであれ、長い時間をかけて、豊かな東南アジア、太平洋地域で生きていくのに適した遺伝子が残ってきたのでしょうから、あらためて新型モンゴロイドとなったとも言えるとは思う。
いずれにしても、言語の語順と民族性の関係は当初の仮説のままで整合すると考えられます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=313616

____

Y遺伝子O系統(中国、東南アジア、太平洋)とそれに近接する系統の言語の語順から、O系統がいつSVOに転じたか推測。
 

●先の(313616)でY遺伝子O系統は、遺伝子も言語の語順も「コーカソイド系統」ではないかと書いた。改めて、O系統周辺のY遺伝子系統樹と、その言語の語順を調べた。

F〜J系統

|┌─────K
└├─────L
 ├─────M
 ├─────N  SOXが一般的(フィンランド語などウラル語族)
 ├─────O  SVO(中国語、東南アジア、太平洋)
 | ┌───P  
 └─┤───Q  抱合語など(アメリカ大陸)母方の言語が残った?
   └───R  SOX→紀元1000年ごろからSVO?(印欧語族)

※印欧語はラテン語(フランス語、イタリア語などの前身)はSOV、英語も中世まではSOV、インド語、イラン語もSOVなので、もともとSOVだったのが、ゲルマン民族大移動→戦争あたり(1000年前くらい?)から、西欧州の言語はみなSVOになったようである。

●上記よりO系統の近くのハプロタイプがすべてSVOと言うわけではない。しかし、F系統(セム族)以下にSXOまたはXSOがしばしば登場している。これは、F系統以下に共通する資質(攻撃性が強いなど)があり、それが環境によって、(例えば厳しい寒冷化→戦闘から、)SXOに転換してくるものが、しばしば登場するということかと思います。

●O系統がSVOに転じたのは5000年前か?

上記よりO系統は、必ずしも誕生したときからSVO型だったのではないと推測できます。では、いつSVOに転じたのか。おそらくは東アジアが戦争に突入し始めるころ、5000年前ごろからではないかと思われます。北方のO3系統と南のO1、O2系統という構図で両者とも同時に、SOXからSVOに転じていったと思われます。(おそらくセム族に比べればはるかに新しいと推測します。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=315336

____


「 見た目はモンゴロイドだが、Y遺伝子はコーカソイド 」 はありうるか? 性染色体と常染色体の動きの違いから解明
 

(315336)から、O系統の言語の語順は初めからSVOであったわけではなさそうだと展開しました。しかし、O系統(中国人、東南アジア人)が、C系統やD系統(モンゴロイド)より、R系統(印欧語族)に近いという問題はいまだ残っています。

O系統は、インドから東南アジア、さらにニュ−ギニア方面へ展開したK系統が、(火山の噴火などが原因か?)大陸側、中国南部方面へ戻った時に生まれた系統か?(他のストーリーも考えられると思う)

その時何が起こったかですが、命からがら逃げてきたK系統の男がモンゴロイドの女と交わって作った集団ということと思われる。(必ずしも強姦ということではなく、モンゴロイド側が受けいれたか?)

その場合、K→O系統の遺伝子が半分残るはずだが、Y遺伝子(性染色体)と違って、常染色体(性染色体以外の一般の染色体)はオスとメスの間を行ったり来たりしながら伝えられていくので、必ず後世に伝えられるというわけではない。(Y遺伝子は、他の部族の男が入らないなら、O系統のY遺伝子が必ず後世に伝わっていく。)

その環境で生きていくのに不適切な遺伝子なら、世代を重ねるごとにどんどん淘汰されていき、Y遺伝子以外は、つまり「常染色体」に乗っていたK系統→O系統(コーカソイド系統)の持ち込んだ遺伝子はほどんど消えてしまうということも十分ありうる。

モンゴロイドの男は集団に入ってくることなく、モンゴロイドの女を集団に組み込んでいけば4世代もすればコーカソイドの血は10分1のにうす
まってしまう。Y遺伝子だけはそのままコーカソイドのものが残る。

今のところ、中国人や東南アジア人は、このように成立した、「Y染色体はコーカソイド、常染色体はほとんどモンゴロイド」の種族と考えます。これが、正しいなら、オスが移動してY遺伝をどれだけ撒き散らしても土地(環境)に根付いたメスが伝える常染色体の形質が、いくらでも巻き返してくるということかと思われます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=315337


106. 中川隆[-6743] koaQ7Jey 2017年8月12日 08:19:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人のガラパゴス的民族性の起源


  黄河文明の古代遺跡から発掘される人体はコーカソイドの特徴を持っていることは、考古学ではよく知られています。 これは寒冷地適応や黄砂適応を獲得するまえのY-DNA「O3」はY-DNA「CF」の子孫としてふさわしい彫深の外観であったことを示しています。

同様に典型的なフラットフェースのモンゴル人Y-DNA「C3c」も、本来は兄弟亜型Y-DNA「C2」と「C4」のニューギニア先住民やアボリジニと同じく いかつい彫深顔であったことが容易に推測できます。これほど寒冷地適応は厳しい環境要因だったのです。


  アイヌ民族のmtDNA「Y」はオホーツク文化で古代アイヌ民族を征服した古代ニヴフ族がもたらしたものでしょう。 その古代ニヴフ族は東北アジア系Y-DNA「C3c」のツングース系かモンゴル系と考えられます。

明治期でもアイヌ人男性の一部はコーカソイドと考えられたほど端正な顔立ちだったので、 いづれにせよ寒冷地適応を獲得する前の東北アジア集団が北海道に渡ってきたことになります。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/30-3.htm


107. 中川隆[-6672] koaQ7Jey 2017年8月15日 16:50:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

失われた文明 メソポタミア エデンの回帰 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tI-s-9k02dk

108. 中川隆[-6642] koaQ7Jey 2017年8月16日 16:12:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

新シルクロード 01 「楼蘭 四千年の眠り」(2005年1月2日) - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%96%B0%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89+++%E6%A5%BC%E8%98%AD+%E5%9B%9B%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9C%A0%E3%82%8A

2014年12月18日 砂漠に消えたロプノール湖畔に3800年前に住んでいたヨーロッパ系住民
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/410834192.html

新疆ウイグル住民の遺伝子は、今でも、60%がヨーロッパ系です。

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/2-thumbnail2.png.html


ニューヨークタイムズの記事(英語)

A Host of Mummies, a Forest of Secrets
ミイラが眠る、柱群の秘密

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/1-thumbnail2.png.html


Liu Yu Sheng

SYMBOLISM Archaeologists believe the hundreds of 13-foot poles at the Small River Cemetery in a desert in Xinjiang Province, China, were mostly phallic symbols.
象徴主義(シンボリズム)− 考古学者は、中国、新疆ウイグル自治区の小河墓遺跡に立つ、長さ4mの柱群は、男根の象徴と考えます。

By NICHOLAS WADE  Published: March 15, 2010
ニコラス・ウェイド  出稿:2010年3月15日

http://www.nytimes.com/2010/03/16/science/16archeo.html?pagewanted=all&_r=1&
In the middle of a terrifying desert north of Tibet, Chinese archaeologists have excavated an extraordinary cemetery.
チベットの北にある不毛の砂漠の真ん中で、中国の考古学者らが、驚くべき墓を発掘しました。

Its inhabitants died almost 4,000 years ago, yet their bodies have been well preserved by the dry air.
約四千年前に埋葬された遺体が、乾燥のため、非常に良い状態で保存されていました。

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/8-thumbnail2.png.html

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/4-thumbnail2.png.html

A 3,800-year-old mummy, the Beauty of Xiaohe, found at the Small River Cemetery.
小河墓で発見された3800年前のミイラ「小河の美女」

The cemetery lies in what is now China’s northwest autonomous region of Xinjiang, yet the people have European features, with brown hair and long noses.
墓場は、新疆ウイグル自治区にあり、中国領ですが、住民はヨーロッパ人に似ていて、茶色の髪と高い鼻です。

Their remains, though lying in one of the world’s largest deserts, are buried in upside-down boats.
遺体は、世界最大級の砂漠に葬られているのに、ひっくり返した舟が、被せられています。

And where tombstones might stand, declaring pious hope for some god’s mercy in the afterlife, their cemetery sports instead a vigorous forest of phallic symbols, signaling an intense interest in the pleasures or utility of procreation.
死後の神の慈悲を願って、墓石の代わりに、この墓に立てられた柱群は、男根の象徴で、快楽と子孫繁栄への強い関心の表れと考えられます。

The long-vanished people have no name, because their origin and identity are still unknown.
大昔に消えた名も無い人々が、どんな民族で、どこから来たかは不明です。

But many clues are now emerging about their ancestry, their way of life and even the language they spoke.
でも、彼らの血統や生活様式や言語についての証拠が、発見されて来ています。

Their graveyard, known as Small River Cemetery No. 5, lies near a dried-up riverbed in the Tarim Basin, a region encircled by forbidding mountain ranges.
その第五小河墓は、踏破困難な山脈で囲まれたタリム盆地の、干上がった河床近くにあります。

Most of the basin is occupied by the Taklimakan Desert, a wilderness so inhospitable that later travelers along the Silk Road would edge along its northern or southern borders.
盆地の大部分を占めるタクラマカン砂漠は、人を寄せ付けぬ不毛の土地で、後のシルクロードの旅人らも、南か北のルートを取りました。

In modern times the region has been occupied by Turkish-speaking Uighurs, joined in the last 50 years by Han settlers from China.
現在、この地域は、トルコ系の言葉を話すウイグル族が住み、50年前からは、漢族の入植者も加わりました。

Ethnic tensions have recently arisen between the two groups, with riots in Urumqi, the capital of Xinjiang.
新疆ウイグル自治区の首都ウルムチでは、最近、民族感情の対立が激化しています。

A large number of ancient mummies, really desiccated corpses, have emerged from the sands, only to become pawns between the Uighurs and the Han.
砂の中から大量に見つかった古代のミイラは、正に乾燥した遺体ですが、ウイグル族と漢族の対立で、火に油を注ぎました。

The 200 or so mummies have a distinctively Western appearance,
およそ二百体のミイラは、はっきりと西洋人の特徴を持っています。

WELL PRESERVED The mummy of an infant was one of about 200 corpses with European features that were excavated from the cemetery.
良い保存状態の嬰児のミイラ。 この墓場から発掘されたヨーロッパ人の風貌を持つ約200の遺体の一つ。

and the Uighurs, even though they did not arrive in the region until the 10th century, have cited them to claim that the autonomous region was always theirs.
そのため、歴史的には十世紀よりも後に、この地に住み着いたウイグル族は、ここが、古来より自分たちの土地だったと主張します。

Some of the mummies, including a well-preserved woman known as the Beauty of Loulan, were analyzed by Li Jin, a well-known geneticist at Fudan University, who said in 2007 that their DNA contained markers indicating an East Asian and even South Asian origin.
保存状態の良い楼蘭の美女を含む、複数のミイラのDNAを分析した、復旦大学の遺伝学者金力(上海、ふくたんだいがく、ジン・リ副学長)は、2007年に、東アジアと南アジアの人種であろうと発表しました。

The mummies in the Small River Cemetery are, so far, the oldest discovered in the Tarim Basin.
小河墓のミイラは、今の所、タリム盆地で見つかった最古です。

Carbon tests done at Beijing University show that the oldest part dates to 3,980 years ago.
北京大学の放射性炭素年代測定によると、一番古い所は、3980年前と分かりました。

A team of Chinese geneticists has analyzed the mummies’ DNA.
中国の遺伝学研究チームが、ミイラのDNAを分析しました。

Despite the political tensions over the mummies’ origin, the Chinese said in a report published last month in the journal BMC Biology that the people were of mixed ancestry, having both European and some Siberian genetic markers, and probably came from outside China.
ミイラの人種について政治的緊張があるにもかかわらず、中国の研究者らは、先月、BMCバイオロジー誌(訳注:BioMed Central, UK 生物医学センター、イギリス)に、論文を発表しました。ヨーロッパとシベリアの遺伝子を持つ、中国以外から来た人々だと。

Evidence that a West-East admixed population lived in the Tarim Basin as early as the early Bronze Age
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/8/15

The team was led by Hui Zhou of Jilin University in Changchun, with Dr. Jin as a co-author.
研究チームは、吉林大学(きつりんだいがく)の周慧がリーダーで、金力博士と共著です。

周慧(Hui Zhou)吉林大学(Jilin University)教授
http://life.jlu.edu.cn/?mod=teacher&act=view&id=12

All the men who were analyzed had a Y chromosome that is now mostly found in Eastern Europe, Central Asia and Siberia, but rarely in China.
分析を行った男性のミイラのY染色体は、現在の東ヨーロッパ、中央アジア、シベリアに分布するタイプで、中国のタイプは、ほとんどありませんでした。

The mitochondrial DNA, which passes down the female line, consisted of a lineage from Siberia and two that are common in Europe.
女系に伝わるミトコンドリアDNAは、主にシベリアのタイプで、二例がヨーロッパのタイプでした。

Since both the Y chromosome and the mitochondrial DNA lineages are ancient,
Y染色体とミトコンドリアDNAが、両方、古いタイプなので、

Dr. Zhou and his team conclude the European and Siberian populations probably intermarried before entering the Tarim Basin some 4,000 years ago.
周博士(周慧)の研究チームは、およそ4000年前にタリム盆地に侵入する前に、ヨーロッパ人とシベリア人が、混血していたと結論しました。


(訳注:”Dr. Zhou and his team”「周博士と彼のチーム」とありますが、周博士は女性なので、”his team” 「彼のチーム」ではなく、”her team” 「彼女のチーム」とすべき。周博士の写真は男性のように見えますが、女です!)

The Small River Cemetery was rediscovered in 1934 by the Swedish archaeologist Folke Bergman and then forgotten for 66 years until relocated through GPS navigation by a Chinese expedition.
小河墓は、スウェーデンの考古学者フォルケ・ベリイマンが、1934年に再発見しましたが、忘れられていました。中国の探検隊は、GPSで、その66年後に、位置を突き止めました。

Archaeologists began excavating it from 2003 to 2005.
考古学者らは、2003年から2005年に発掘を行いました。

Their reports have been translated and summarized by Victor H. Mair, a professor of Chinese at the University of Pennsylvania and an expert in the prehistory of the Tarim Basin.
発掘の記録を翻訳・要約したのは、ペンシルベニア大学の中国語教授ヴィクター・H・メーアで、タリム盆地の先史時代の専門家です。

As the Chinese archaeologists dug through the five layers of burials, Dr. Mair recounted, they came across almost 200 poles, each 13 feet tall.
中国の考古学者らが掘り下げた所、墓場は、五層あり、メーア博士が数えた所、高さ13フィート(4メートル)の柱が、約200本のありました。

Many had flat blades, painted black and red, like the oars from some great galley that had foundered beneath the waves of sand.
柱の多くは、平たく加工されていて、黒と赤に塗られ、砂の大海の下に埋れた巨大なガリー船から突き出た櫂(オール)のようです。

At the foot of each pole there were indeed boats, laid upside down and covered with cowhide.
各柱の下には、本当にボートが埋められていて、ひっくり返った状態で、牛革が被せてあります。

The bodies inside the boats were still wearing the clothes they had been buried in.
ボートの中の遺体は、埋葬された時の衣服が、そのまま残っています。

They had felt caps with feathers tucked in the brim, uncannily resembling Tyrolean mountain hats.
被っているフェルト製の帽子は、つばに鳥の羽が縫い付けられていて、不思議なほどチロリアンハットに似ています。

They wore large woolen capes with tassels and leather boots.
飾り房付きの、ゆったりとした毛織物のケープを纏い、革のブーツを履いています。

A Bronze Age salesclerk from Victoria’s Secret seems to have supplied the clothes beneath — barely adequate woolen loin cloths for the men, and skirts made of string strands for the women.
下着は、まるで、青銅器時代のビクトリアズ・シークレット社(訳注:アメリカの下着メーカー)の販売員から調達したようです。ぎりぎりの大きさの男性用ふんどしや、女性用のビーズのスカートです。

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/5-thumbnail2.png.html


Many of the women buried there wore string undergarments like the one in this drawing.
多くの埋葬された女性は、この絵のような、紐の下着をはいていました。

Within each boat coffin were grave goods, including beautifully woven grass baskets, skillfully carved masks and bundles of ephedra, an herb that may have been used in rituals or as a medicine.
舟型の棺には、副葬品があり、草できれいに編んだ籠や、精巧に彫られたお面、麻黄(マオウ)の束などです。麻黄は、儀式や医療で用いられたのでしょう。

In the women’s coffins, the Chinese archaeologists encountered one or more life-size wooden phalluses laid on the body or by its side.
中国の考古学者は、女性の棺に、木製の実物サイズの男根が、一つ以上、体の上か脇に置かれているのを見つけました。

Looking again at the shaping of the 13-foot poles that rise from the prow of each woman’s boat, the archaeologists concluded that the poles were in fact gigantic phallic symbols.
女性の棺の舳先から聳え立つ13フィート(4メートル)の柱の形から、考古学者は、巨大な男根の象徴と考えます。

The men’s boats, on the other hand, all lay beneath the poles with bladelike tops.
一方、男性の棺の上の柱は、先が櫂のように平たくなっています。

These were not the oars they had seemed at first sight, the Chinese archaeologists concluded, but rather symbolic vulvas that matched the opposite sex symbols above the women’s boats.
始め、櫂のように見えた柱は、女性の棺と反対の性、女性器の象徴と、考古学者は結論しました。

“The whole of the cemetery was blanketed with blatant sexual symbolism,” Dr. Mair wrote. In his view, the “obsession with procreation” reflected the importance the community attached to fertility.
「墓全体が露骨な性的象徴である。」と、メーア博士は書いています。子孫繁栄への執着は、集団にとっての生殖重要性を反映していると言えるでしょう。

Arthur Wolf, an anthropologist at Stanford University and an expert on fertility in East Asia, said that the poles perhaps mark social status, a common theme of tombs and grave goods.
スタンフォード大学の人類学者で東アジアの生殖能力専門家のアーサー・ウルフは、柱が、社会的地位を示すと言います。墓や副葬品が示すのと同じです。

“It seems that what most people want to take with them is their status, if it is anything to brag about,” he said.
「たぶん、死後の世界に、社会的地位を持って行ったのです。」

Dr. Mair said the Chinese archaeologists’ interpretation of the poles as phallic symbols was “a believable analysis.”
メーア博士は、中国の考古学者が、柱群を男根の象徴と考えるのは、妥当な分析だと言います。

The buried people’s evident veneration of procreation could mean they were interested in both the pleasure of sex and its utility, given that it is difficult to separate the two.
埋葬された人々の、生殖へのはっきりした崇拝は、性の快楽と有用性を重視していたからでしょう。二つを切り離す事はできません。

But they seem to have had particular respect for fertility, Dr. Mair said, because several women were buried in double-layered coffins with special grave goods.
彼らは、生殖に大きな敬意を払っていたようです。何人かの女性は、二重の棺に特別な副葬品と一緒に、葬られていました。と、メーア博士は言います。

Living in harsh surroundings, “infant mortality must have been high, so the need for procreation, particularly in light of their isolated situation, would have been great,” Dr. Mair said.
厳しい自然環境では、乳幼児死亡率が高かったはずで、生殖が重要だったでしょう。特に、孤立した状態では。

Another possible risk to fertility could have arisen if the population had become in-bred. “Those women who were able to produce and rear children to adulthood would have been particularly revered,” Dr. Mair said.
別の問題の可能性もあります。近親交配では、出生率が下がります。子供を産んで、成年まで育てられる女性は、特に、尊敬を集めたでしょう。

Several items in the Small River Cemetery burials resemble artifacts or customs familiar in Europe, Dr. Mair noted.
小河墓の葬制と埋葬品は、ヨーロッパに似ていると、メーア博士は言います。

Boat burials were common among the Vikings. String skirts and phallic symbols have been found in Bronze Age burials of Northern Europe.
バイキングも舟を一緒に埋めました。北ヨーロッパの青銅器時代の墓からも、紐スカートや男根が見つかっています。

There are no known settlements near the cemetery, so the people probably lived elsewhere and reached the cemetery by boat.
墓の近くからは、住居跡が見つかっていません。人々は、どこかに住んでいて、墓場に舟で来たのでしょう。

No woodworking tools have been found at the site, supporting the idea that the poles were carved off site.
木材加工の道具は、その場所では見つかっていないので、柱は、別の場所で加工された可能性があります。

The Tarim Basin was already quite dry when the Small River people entered it 4,000 years ago.
小河墓地方に人々が入植した4千年前には、タリム盆地は、すでに、かなり乾燥していました。

They probably lived at the edge of survival until the lakes and rivers on which they depended finally dried up around A.D. 400.
彼らは、紀元後400年に、生活の糧だった湖と河が完全に干上がるまで、そこで、ぎりぎりの生活をしていたのでしょう。

Burials with felt hats and woven baskets were common in the region until some 2,000 years ago.
フェルトの帽子と編んだ籠の副葬は、この地域で、約2000年前まで見られました。

The language spoken by the people of the Small River Cemetery is unknown, but Dr. Mair believes it could have been Tokharian, an ancient member of the Indo-European family of languages.

小河墓の人々の言語は分かりませんが、メーア博士は、古いインド・ヨーロッパ語派のトカラ語の可能性があると考えます。

Manuscripts written in Tokharian have been discovered in the Tarim Basin, where the language was spoken from about A.D. 500 to 900.
タリム盆地では、トカラ語の文書が見つかっています。紀元後500年から900年に、当地で、話されていました。

Despite its presence in the east, Tokharian seems more closely related to the “centum” languages of Europe than to the “satem” languages of India and Iran.
トカラ語は、東方に分布していましたが、インド・イラン系の「サテム語」ではなく、ヨーロッパの「セントゥム語」に近いです。

The division is based on the words for hundred in Latin (centum) and in Sanskrit (satam).
この分類は、単語の「百」が、ラテン語で「セントゥム」、サンスクリット語で「サタム」と成る事から来ています。

The Small River Cemetery people lived more than 2,000 years before the earliest evidence for Tokharian, but there is “a clear continuity of culture,” Dr. Mair said, in the form of people being buried with felt hats, a tradition that continued until the first few centuries A.D.
小河墓の人々は、トカラ人の2千年以上も前に住んでいましたが、メーア博士は、文化の明確な継続性があると言います。フェルト帽子を副葬する習慣は、紀元後数世紀まで続きました。
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/410834192.html

2016年02月21日 小河墓遺跡の古環境を花粉分析で復元 中国新疆
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/434094909.html


小河墓遺跡の古環境を花粉分析で復元(英語)
Buried in Sands: Environmental Analysis at the Archaeological Site of Xiaohe Cemetery, Xinjiang, China

http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/E5B08FE6B2B3E5A293E381AEE6A798E5AD90-thumbnail2.jpg.html

Jin-Feng Li, Idelisi Abuduresule, Francis M. Hueber, Wen-Ying Li, Xin-Jun Hu, Yue-Zhuo Li, Cheng-Sen Li mail

http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0068957

小河の王女
http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/E5B08FE6B2B3E381AEE78E8BE5A5B3-thumbnail2.jpg.html


Abstract
要約

Palynomorphs extracted from the mud coffins and plant remains preserved at the archaeological site of Xiaohe Cemetery (Cal. 3980 to 3540 years BP) in Lop Nur Desert of Xinjiang, China were investigated for the reconstruction of the ancient environments at the site.
中国、新疆のロプノール砂漠にある小河墓遺跡(3980年〜3540年前)の植物化石と泥の棺に含まれていた花粉化石を研究し、付近の古環境を再現しました。

The results demonstrate that the Xiaohe People lived at a well-developed oasis, which was surrounded by extensive desert.
研究の結果、小河人は、広大な砂漠の中の良く発達したオアシスに住んでいました。

The vegetation in the oasis consisted of Populus, Phragmites, Typha and probably of Gramineae,
オアシスの植生は、ポプラ属(Populus)、ヨシ属(Phragmites)、ガマ属(Typha)と、おそらく、イネ科植物(Gramineae)で

コトカケヤナギ.jpg

ヨシ属.jpg

ガマ属.jpg

while the desert surrounding the oasis had some common drought-resistant plants dominated by Ephedra, Tamarix, Artemisia and Chenopodiaceae.
オアシス周辺の砂漠には、マオウ属 (Ephedra)、 ギョリュウ属(Tamarix / 御柳)、 ヨモギ属(Artemisia)、アカザ科(Chenopodiaceae)などの耐乾燥植物が主でした。

マオウ(Ephedra).jpg

御柳.jpg

ヨモギ属(Artemisia).jpg

梭梭 アカザ科(Chenopodiaceae).jpg

This present work provides the first data of the environmental background at this site for further archaeological investigation.
今後の考古学研究で参考にすべき、遺跡周辺の最初の生態学的データを提供します。


Introduction
序説

In the past Xinjiang formed an important bridge connecting the Eastern and Western races of Eurasian continents
かつて、新疆は、東洋人と西洋人を繋ぐ、重要な架け橋でした。

and became famous for the ancient Silk Road going to Central Asia and Eastern Europe from China.
ここは、中国から中央アジア、東ヨーロッパに至る古代のシルクロードで、有名です。

Consequently, the archaeological discoveries in this area are always of great interest (e.g. Loulan City).
従って、この地域での考古学的発見は、常に大きな興味を惹きます。(楼蘭など)

Signs of human activities can be traced in Xinjiang for 10,000 years [1].
新疆では、人類活動の痕跡は、一万年前からあります。

Stone tools discovered at the site of Astana are nearly 5000 years old [2].
アスタナ遺跡では、発見された石器の年代は、およそ五千年前です。

Many cemeteries were discovered since the 1970s, such as the Gumugou Cemetery (around 3800 B.P.) [3], Wufu Cemetery in the Hami District with an age of nearly 3300-3000 years old [4].
1970年代以来、多くの墓場が発見されました。グムゴウ墓場(約3800年前)や、ハミ(哈密)地区にある、およそ3300年から3000年前のウフ墓場です。

During the period from 3000 to 2000 B.P., a group of people lived in the Turpan Basin and adjacent area,
3000年から2000年前には、トルファン盆地や周辺に、人々が住み着いていました。

and their different cemeteries, such as the Yanghai Tombs (ca. 2800 B.P.) [5], Yuergou Site (2400-2300 B.P.) [1], as well as many much younger sites,
彼らの墓地は、他にも、ヤンガイ墓地(2800年前)、ユエルゴウ遺跡(2300〜2400年前)があり、さらに、もっと後の時代の墓地も多数あります。

reveal much about the lives and beliefs of these peoples.
それらは、彼らの生活や宗教について、多くの事を教えてくれます。

Many mummies were found well-preserved in this area, owing to the dryness of the desert and the desiccation of the corpses [6].
乾燥した砂漠の気候が、遺体を干からびさせたため、多数の保存状態の良いミイラが発見されています。

The fantastic mummies and the delicate relics from the archaeological sites in Xinjiang, including the artifacts and crops,
新疆の考古学的遺跡の素晴らしいミイラや、工芸品や穀物を含む繊細な遺物は、

can tell us amazing stories: what the world looked like at any given point in time and space [7].
時空を越えた過去の世界の様子を、的確に語りかけてくれます。

The plant remains found at these sites provided an opportunity to study the ancient plants and their utilization by local people, as well as their bearing on environmental changes in the past.
これらの遺跡で見つかる植物の遺物は、古代の植物について、住民がその植物をどのように利用したか、過去にどのような環境変化があったかの研究を可能にします。

Some archaeobotanical researches have been done in Xinjiang in the past few years, mainly focusing on the relationship between plants and people [5,8–10] and also on the environmental data extracted from artifacts [11,12].
過去数年間に新疆で、いくつか考古学的研究がなされましたが、研究の焦点は、植物と人間の関係や、さらに、工芸品から得られた環境に関するデータです。

In the present contribution, the palynomorphs extracted from the mud coffins and plant remains found at Xiaohe Cemetery are investigated comprehensively for the reconstruction of the historical environments in Xiaohe.
本研究では、小河墓の古代の環境を再現するために、泥の棺に含まれる花粉と小河墓の植物遺骸を研究しました。

Site description
遺跡についての説明

The Xiaohe (“Small River”) Cemetery was first discovered in 1911 by an aboriginal hunter named Ördek who played a part in Dr. Sven Hedin’s discovery of the Loulan ruins around 1910-1911 [13].
小河墓の発見者は、オルデクと言う名の現地の猟師で、彼は、1910年から1911年頃のスヴェン・ヘディン博士による楼蘭遺跡の発見にも貢献しました。

Two decades later, a Swedish archaeologist Folke Bergman, coined the name for this graveyard, and excavated 12 burials guided by Ördek in 1934 [13].
約二十年後、スウェーデンの考古学者フォルケ・ベルグマンは、この墓所を命名し、オルデクの案内で1934年に12体の被埋葬者を発掘しました。

After that, the cemetery was forgotten for more than sixty years until the Relics and Archaeology Institute of Xinjiang Uygur Autonomous Region excavated this graveyard in detail in 2002 [14].
その後、この墓地の存在は、2002年にレリクスと新疆ウイグル自治区考古学研究所が詳しく発掘調査するまで、六十年間以上忘れられていました。

The rediscovery of Xiaohe Cemetery was considered to be one of the top ten archaeological discoveries in 2004 in China.
小河墓の再発見は、2004年の中国の考古学的発見のトップテンの一つでした。

About 170 tombs have been excavated since then, but unfortunately many of them were destroyed by treasure hunters.
その後、約170個の墓が発掘されましたが、残念なことに、その多くは墓泥棒に壊されていました。

The Xiaohe Cemetery, with an area of about 2500 m2, is some 4 km away from the Small River (Xiaohe, in Chinese), a downstream branch of Kongque River in Lop Desert (Figure 1) [15], and also about 175 km east of the Loulan ancient city in Xinjiang [14].
小河墓の面積は約2500pで、位置は、ロプ砂漠を流れるコング川の下流部の支流からおよそ4kmであり、新疆の古代都市楼蘭の約175km東です。

With its hillock shape the Xiaohe Cemetery forms a well-defined landmark on the flat desert.
小河墓は丘なので、起伏のない平らな砂漠では目立ちます。

The top of the cemetery possesses many upright wild poplar poles and more fallen ones [13] (Figure 2).
墓地の頂上には、ポプラの木の柱が林立していますが、それ以上の数の倒れた柱もあります。

These poles were thought to be the remains of a house which had lost its roof a long time ago [13].
これらの柱は、ずっと昔に屋根が無くなってしまった建物の名残りと考えられます。

Two main kinds of trunks stood in the cemetery, i.e. the multi-prismatic shaped poles (= pole monuments in Bergman, 1939 [13]) are all placed in front of females’ tombs and the oar-shaped ones (= oar-like monuments in Bergman, 1939 [13]) in front of those of males.
墓地に立てられている柱には、二種類あります。多角形の柱は、全てが女性の墓の前に立てられています。そして、オールの形の柱は、全てが男性の墓の前にあります。

Some archaeologists inferred that these poles were the symbols of fertility worship of Xiaohe People [13].

これらの柱を、小河墓に住んでいた人々の多産信仰の象徴と考える考古学者もいます。
The multi-prismatic shaped poles represent the phallus and the oar-shaped ones represent a vulva.
多角形の柱が、ペニスを表し、オール型の柱が、外陰部を表すと考えるのです。


小河墓の地図
http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/E5B08FE6B2B3E5A293E381AEE59CB0E59BB3-thumbnail2.jpg.html

Figure 1. Map showing the Lop Region and the location of Xiaohe Cemetery (modified from [13]).
図1.ロプ地区と小河墓の位置

小河墓の見取り図
http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/E5B08FE6B2B3E5A293E381AEE8A68BE58F96E3828AE59BB3-thumbnail2.jpg.html

Figure 2. Plan diagram of the Xiaohe Cemetery.
図2.小河墓の見取り図

(a) mud coffin BM28; (b) mud coffin BM 1; (c) mud coffin M100; (d) mud coffin M75
(a)泥棺BM28  (b)泥棺BM1 (c)泥棺BM100 (d)泥棺BM75
(plan in top left corner revised from [14]).

Most of the coffins, which are made from the wood of Populus euphratica Oliv., have an elliptical shape.
コトカケヤナギ(Populus euphratica)の材木で作られた棺の多くは、楕円形です。

コトカケヤナギ.jpg

However, some coffins are rectangular in shape and covered by a layer of mud.
しかし、長方形で表面を泥で固めた棺もあります。

These are called “mud coffins” (Figure 3a).
これらを「泥棺」と言います。

The result of 14C dating revealed that the age of the lowest layer of Xiaohe Cemetery is 3980 ± 40 yr BP [16], which is the oldest archaeological dating record in Xinjiang.
炭素14年代測定で、小河墓の最下層は、3980年前(±40年)と分かりました。これは、新疆の考古学的年代測定の最古のケースです。

Desiccated wheat grains from the cemetery were dated to approximately 3760–3540 yr BP [17].
墓地で見つかった乾燥した小麦の種子の年代は、およそ3760年から3540年前です。

パンコムギ(Triticum aestivum).jpg

Hence, the currently known age of Xiaohe Cemetery is about 3980 to 3540 yr BP, which was between early Xia (2070–1600 BC) to early Shang Dynasty (1600–1046 BC) in China, i.e. early Bronze Age.
現在分かっている小河墓の年代は、およそ3980年から3540年前で、中国史では、夏王朝(紀元前2070年から紀元前1600年)の初期から、殷商時代(紀元前1600年から紀元前1046年)の初期に当たります。これは、青銅器時代の初めです。

Many well-preserved mummies were found in this cemetery. Bergman described a lady with very strong European characters (e.g. brown hair, fine aquiline nose).
墓地では、多くの保存状態の良いミイラが見つかりました。ベルグマンは、はっきりしたヨーロッパ人の特徴を持つ女性のミイラについて記述しています。(茶髪、はっきりした鷲鼻)

小河の王女
http://eurasianhistory.seesaa.net/upload/detail/image/E5B08FE6B2B3E381AEE78E8BE5A5B3-thumbnail2.jpg.html

DNA analysis from 30 mummies found here also demonstrated that the Xiaohe People were a West-East admixed population, which constitutes the earliest genetic evidence for an admixed population settled in the Tarim Basin [16].
ミイラ30体のDNAを分析した所、小河墓の人々は、東西の混血集団と分かりました。タリム盆地に居住した混血集団の最古の遺伝子的証拠です。

図3泥棺と柳の葉.jpg

Figure 3. The mud coffin M75 (a); sample collected from the coffin (b); and the leaves of Populus euphratica found in the grave (c to f).
図3. (a) 泥棺M75 (b) 泥棺から採取したサンプル (c ~ f) 墓の中にあったコトカケヤナギの葉


Materials and Methods
材料と方法

In 2003, we completed our archaeological research at the site of the Xiaohe Cemetery and collected four mud samples from each of the mud coffins (BM-1, BM-28, BM-75 and M-100) (Figure 2, 3 b) for laboratory study.
2003年に小河墓での現地調査を終了し、研究室で分析するために四つの泥棺(BM-1、BM-28、BM-75、M-100 )から各一つずつ泥のサンプルを採取しました。

Meanwhile, we also collected many leaves of P. euphratica in one of the tombs with poplar remains (Figure 3 c–f).
さらに、墓の一つからコトカケヤナギの葉を多数採取しました。

In the laboratory, we first weighed 30 grams of each sample and put them into beakers with distilled water containing 1 milliliter of a suspension of Lycopodium spores (ca. 83,500 grains per milliliter).
研究室で、各サンプルから30gを測り取り、1㎖のヒカゲノカズラ胞子(1㎖に83,500粒)を加えた蒸留水に入れてミキサーにかけました。

After immersion for 48 hours, the samples were sieved using a mesh with the pore size of 1 mm2.
48時間水に浸した後、穴のサイズが1㎟のメッシュで、漉しとりました。

The residue was mainly composed of macrobotanical remains and livestock hairs (Figure 4 c).
メッシュに引っかかったのは、主に大きな植物破片と家畜の体毛です。

The screenings were prepared for a palynological study using the heavy liquid method [18].
分析用の花粉を取り出すために、重液法を用いました。

We counted the contents of three slides from each specimen to obtain a representative sample of the palynomorphs (Table 1).
各サンプルから三枚のスライドの花粉化石をカウントしました。

図4.サンプルから得られた花粉以外の物 (a) 藁 (b) 羊の糞 (c) 家畜の毛.jpg

Figure 4. Other materials found from the samples. (a) straws; (b) piece of sheep manure; (c) livestock hairs.
図4.サンプルから得られた花粉以外の物 (a) 藁 (b) 羊の糞 (c) 家畜の毛

花粉計数.jpg

Table 1. Pollen counting data of the samples.
表1. 各サンプルの花粉を計数


Results and Discussion
結果と検討

Palynological analysis
花粉分析

Totally, 96 pollen grains, belonging to nine types of palynomorphs, were found in the four palynological samples (Table 1) and all taxa were identified applying single-grain technique [19] (Figure 5, Figure 6; the only pollen grain of Alnus was lost during the preparation for the scanning electronic microscope).
4つのサンプルから、9種類の花粉化石が96粒得られました。そして、単粒法を用いて、すべての分類群を同定しました。一粒だけ見つかったハンノキ属の花粉化石は、走査電子顕微鏡のプレパラート作成時に紛失しました。

Most of the taxa are common in arid areas (e.g. Chenopodiaceae, Artemisia, Ephedra, Tamarix and Gramineae).
分類群のほとんどは、乾燥地帯に見られる植物です。
(アカザ科、ヨモギ属、マオウ属、ギョリュウ属、イネ科)

Chenopodiaceae is well-adapted to dry and saline environments.
アカザ科は、乾燥した塩分の多い環境に良く適応しています。

Artemisia normally grows in arid or semi-arid habitats.
ヨモギ属は、通常、乾燥地帯や半乾燥地帯に生育します。

Ephedra is a common shrub of dry, open sites and is predominantly a warm desert-steppe plant restricted to both meteorologically and physiologically dry areas [20].
マオウ属は、乾燥した開けた土地の低木で、主に、気象的・物理的に乾燥した温暖なステップ砂漠に見られます。

Tamarix is one of the most common woody plants in Xinjiang [21].
ギョリュウは、新疆で最も普遍的な樹木の一つです。

Gramineae pollen grains are often used as an indicator of openness.
イネ科の花粉は、しばしば、土地が開けている度合いの尺度に用いられます。

However, these grass pollen are one of the most ubiquitous and readily recognized pollen types found in terrestrial sediments.
もっとも、イネ科草本の花粉は、陸上の土壌には、どこでも普遍的に含まれています。

Although these monoporate grains differ in size, surface texture and annular width, these features do not permit reliable recognition at the subfamily level [22].

これらの単孔粒は、大きさ、表面の形状、ランド幅が異なっていても、これらの特徴で、亜科まで分類する事はできません。

Moreover, the pollen wall of Gramineae is thin, and is low in sporopollenin, hence has a poor preservational potential [23].
さらに、イネ科の花粉壁は薄く、スポロポレニンも少ないので、保存されにくいです。

These factors suggest that the pollen cannot be transported far and are easily damaged when buried in soil.
これらの要因から、花粉は遠くから持ち込まれたものではなく、また、土中で壊れやすい事が分かります。

However, based on the number of reeds (Phragmites sp.) found in the graves, it seems reasonable to believe that most of the Gramineae pollen in our samples belong to Phragmites.
ところで、墓地内で多くの葦(ヨシ属)が見つかった事から、イネ科の花粉の多くが、ヨシ属だと推定できます。

Corylus and Alnus, as wind-pollinated taxa very readily overproduce airborne pollen grains, and are the normal elements found in lake sediments and soil.
ハシバミ属とハンノキ属は、大量に花粉をまき散らす風媒花植物であり、それらの花粉は、湖沼土壌や堆積物中に普通に含まれます。

ハシバミ.jpg

Alnus ハンノキ属.jpg

The grains of these two taxa may come from the forests on the mountains surrounding the study areas.
これらの二つの分類群の花粉は、研究対象地の周辺の山地林から飛来した可能性があります。

図5 花粉写真1.jpg

Figure 5. Palynomorphs found from the samples collected from the mud coffin.
図5.泥棺から採取したサンプル中の花粉化石

The first column shows pollen grains under light microscope;
左の写真は、光学顕微鏡で見た花粉粒

the middle column shows the previous grains under the scanning electronic microscope;
真ん中の写真は、同じ花粉粒を、走査電子顕微鏡で見たもの

and the last column shows the surface details under scanning electronic microscope.
右の写真は、走査電子顕微鏡による詳細な表面形状

(a) Ephedra; (b) Typha; (c) Artemisia; (d) Chenopodiaceae.
(a) マオウ属 (b) ガマ属 (c) ヨモギ属 (d) アカザ科

図6 花粉2.jpg

Figure 6. Palynomorphs found in the samples collected from the mud coffin.
図6.泥棺から採取したサンプル中の花粉化石

The first column shows pollen grains under light microscope;
左の写真は、光学顕微鏡で見た花粉粒

the middle column shows the previous grains under the scanning electronic microscope;
真ん中の写真は、同じ花粉粒を、走査電子顕微鏡で見たもの

and the last column shows the surface details under scanning electronic microscope.
右の写真は、走査電子顕微鏡による詳細な表面形状

(a) Gramineae; (b) Corylus; (c) Tamarix.
(a) イネ科 (b) ハシバミ属 (c) ギョリュウ属

Compared with the taxa mentioned above, the presence of Typha pollen in the assemblage is more interesting.
以上の分類群に加えて見つかったガマ属の花粉は、非常に興味深いです。

As an aquatic, Typha can normally live in a variety of wetland habitats, and their pollen grains can be frequently found in peat and lignite beds [24].
水生植物であるガマ属は、通常、様々な湿地に生育し、その花粉粒は、泥炭や亜炭の湖沼底土壌中で普通に見られます。

Hence the occurrence of Typha pollen illustrates that there was surface water close to the Xiaohe People’s residence.
つまり、ガマ属の花粉の存在は、小河墓の人々の住居のそばに湖沼があった事を示します。

The mud which covered the coffins may have been obtained from the habitat of the Typha.
棺を覆う泥は、ガマが生育する場所で得られた可能性があります。

Plant remains
植物の遺骸

At a traditional funeral in China, people always put something precious into the coffin and/or grave, in the hope that the dead person can live better with these objects in another world.
中国の伝統的な埋葬では、常に棺の中や墓穴の中に、貴重品が副葬されました。死者が、あの世で、これらの品物を使って生活できる様にです。

Those relics found in tombs provide us with an opportunity to learn about the culture of the ancient people and the environment in which they lived.
墓地で見られるこれらの慣習は、古代人がどのような環境や文化の中で生活していたかを教えてくれます。

Several kinds of plant remains were found during the first excavation of the cemetery by Bergman,
ベルグマンによる墓地の最初の発掘で、数種類の植物遺骸が見つかりました。

i.e. the poles made of Populus euphratica, Ephedra twigs, Tamarix twigs, grains of bread wheat (Triticum aestivum) [17], Jiji grass (Achnatherum splendens), reed (Phragmites sp.) and grains of broomcorn millet (Panicum miliaceum) [13,14,17].
コトカケヤナギ(Populus euphratica )で作られた柱、マオウ(Ephedra)の枝、ギョリュウ(Tamarix)の枝、パンコムギ(Triticum aestivum)の種子、芨芨草 (ジジソウ:Achnatherum splendens)、ヨシ属(Phragmites sp.)、キビ(Panicum miliaceum)の種子です。

ジジソウ.jpg

キビ(Panicum miliaceum).jpg

パンコムギ(Triticum aestivum).jpg

DNA analysis of the wheat grains confirms that the grains found here are similar to hexaploid bread wheat [17].
小麦の種子のDNA分析で、それが、六倍体のパンコムギに近い事が分かりました。
(訳注:二倍体のタルホコムギと四倍体のデュラムコムギを交配して栽培種の六倍体パンコムギができたと考えられます。)

As broomcorn millet grains always show up together with wheat grains in the graves [14,17], we can presume that broomcorn millet was also cultivated by then.
キビの種子とコムギの種子が両方ある事から、当時、コムギとキビが栽培されていたと推測できます。

Populus euphratica is the characteristic element of the common desert riparian forest in Northwest China [25].
コトカケヤナギは、中国北西部の河畔林に特徴的で普遍的に見られる樹木です。

As a common shrub with medicinal function, Ephedra was considered as a magic plant by the Lop people.
普通に見られる薬効のある低木であるマオウを、ロプ住民は、魔法の植物と考えました。

Also, it is very common to find Ephedra branches in most of the graves of the ancient Lop people in the Lop Nur area, such as LF, LS and LD graveyards [26], Cemetery 36 [26], Gumugou cemetery [27] and graveyards around Loulan ancient city [28].
マオウの枝は、ロプヌール地区の古代ロプ住民の墓所内で、しばしば見つかります。LF墓所、LS墓所、LD墓所、第36共同墓地、グムゴウ共同墓地、楼蘭古代都市周辺の墓場などです。

Some Chinese archaeologists suggest that this phenomenon is a kind of plant worship and call it ephedra worship [27,28].
これを、信仰の一つと考えて、マオウ信仰と名付ける中国の考古学者もいます。

マオウ(Ephedra).jpg

The medical use of Ephedra has been known for several thousand years in China.
中国では、数千年来、マオウの薬効が知られていました。

As a central nervous excitant, ephedra was also used in ceremonies to produce feelings of exhilaration by various religious groups including Hindus [29].
中枢神経刺激性のマオウは、高揚感を喚起する目的で、ヒンドゥー教を含む、様々な宗教の儀式で用いられました。

As an ingredient of Haoma or Soma, ephedra has been used for millennia in both Iran and India [30] as a beverage to achieve longevity and immortality [31].
マオウは、ハオマやソーマの成分の一つであり、イランとインドで数千年間、長寿や不死の飲み物として用いられました。
(訳注:ソーマは、ヴェーダの祭祀で用いられる一種の興奮飲料で、 ハオマは、ゾロアスター教において重視される神酒)

The intention of putting tamarisk twigs in the burials has never been studied yet.
ギョリュウの枝を副葬する目的については、未研究です。

御柳.jpg

The grains of wheat (Triticum aestivum) were normally found together with the ephedra twigs (or fragments) in graves [28].
パンコムギ(Triticum aestivum)の種子は、通常、マオウの枝(または破片)と一緒に、墓の中で見つかります。

Moreover, some dried porridge of millet was also preserved in some graves [13].
さらに、干からびたキビのお粥が、いくつかの墓で見つかりました。

These plant remains indicate that wheat and millet were also very precious for the ancient people.
これらの植物遺骸は、ここの古代人にとって、小麦とキビが大変な貴重品だった事を示唆します。

Other plant and animal matter
他の植物と動物由来の物

The straws (Figure 4 a) found in the mud samples were used to reinforce the mud for construction purposes.
泥のサンプル中で見つかった藁は、泥の構造物を強化するために使われました。

This technique is still widely used in the countryside of China.
この工法は、現在でも中国の田舎で、広く使われています。

These straws may have originated from wheat and/or millet.
これらの藁は、小麦やキビの茎だと思われます。

The appearance of the livestock hairs (Figure 4 b) and the sheep manure (Figure 4 c) in the samples illustrates that the earth used to make the covering layer of the coffins must have been obtained from a place frequented by the animals.
サンプル泥中への家畜の毛や羊の糞の混入は、棺を覆う泥が、動物が頻繁に通る場所から採取された事を示します。

The occurrence of many/numerous bones and furs in the Xiaohe Cemetery [13,14], suggests that some of the Xiaohe People were living as herdsmen.
小河墓にある大量の骨や動物の毛は、小河墓の人々が牧畜を営んでいた事を示唆します。

Environmental analysis
環境分析

Based on the plant analyses presented above, the presence of both xerophytic and hydrophytic plants (e.g. Typha) demonstrate that there was enough water in the Small River at that time though it lies in the expansive Lop Desert.
上記の植物分析で、乾生植物と水生植物(ガマ属:Typha )の両方が見られる事から、当時は、広大なロプ砂漠を流れていた小河(Small River)に十分な水量があった事が分かります。

ガマ属.jpg

In the surrounding desert, there were many Ephedra, Tamarix, Artemisia and some members of the Chenopodiaceae plants.
周辺の砂漠には、多くのマオウ属(Ephedra )、ギョリュウ属(Tamarix )、ヨモギ属(Artemisia )と、いくらかのアカザ科(Chenopodiaceae )植物がありました。

マオウ(Ephedra).jpg

御柳.jpg

梭梭 アカザ科(Chenopodiaceae).jpg

ヨモギ属(Artemisia).jpg

The people apparently collected the ephedra and Tamarix for medicinal or religious use from the neighboring arid terrains.
明らかに人々は、医学的、または、宗教的目的で、マオウとギョリュウを、周辺の乾燥地帯から採取しました。

However when the people lived there the site was a well-watered wetland along the Small River.
しかしながら、この人々が住んでいた頃は、この場所が、小河(Small River)沿いの水量豊富な湿原でした。

There the rich alluvial soils of the flooded areas served to support the growth of their crops, and provide areas where livestock could be sustained/raised.
その氾濫原の肥沃な沖積土壌が、穀物の栽培と家畜の飼育を可能にしていました。

Moreover, this location was the habitat of the common Populus euphratica which served in the construction of their houses and coffins.

さらに、この場所には、コトカケヤナギ(Populus euphratica)が普遍的に生育していて、家屋や棺の材料になりました。

コトカケヤナギ.jpg

So although the regional natural environment was very dry, the hydrological living conditions were good enough along the small river for the Xiaohe People to survive.
地域の自然環境はとても乾燥していましたが、小河(Small River)沿いの水利的生活環境は、小河墓人にとって良好でした。

Conclusions
結論

Much research has shown that the climate in the Lop Nur region has been very dry since the Early Holocene [32–34].
多くの研究者が、ロプヌール地域の気候が、完新世の初期以降、とても乾燥している事を示しました。
(訳注:完新世は、約1万年前から現在まで)

However, the so-called dry climate is actually a kind of meteorological myth.
しかし、その乾燥気候は、実際には、気象学的神話に過ぎません。

Fed by melt-water from the Tianshan Mountain, the runoffs of the rivers into the Tarim Basin are actually quite considerable, especially in summer time.
天山山脈の雪解け水が流れ込む川は、タリム盆地に、特に夏季に、かなりの水量を注ぎ込みます。

Many oases depend on such seasonal rivers.
多くのオアシスは、この様な季節的河川に依存しています。

During 3600-3000 a BP, the lake of Lop Nur was very large and there were many deltas around it.
3600年から3000年前までは、ロプヌール湖はとても大きく、周辺には、多くの三角州がありました。

Fishing and hunting were very common at that time [35].
当時は、漁労と狩猟が、活発に行われていました。

According to historical documents, the water area of Lop Nur was still very large during the Jin Dynasty (AD 226-420) [36].
歴史的文書によると、ロプヌール地方の水量は、晋時代(紀元226年から420年)には、まだ豊富でした。

Based on this work, the living environment of the Xiaohe People was a very well developed oasis of deltas, which was surrounded by extensive desert.
本研究で、小河墓人の生活環境は、広大な砂漠で囲まれた、よく発達したオアシスと三角州だったと分かりました。

The main taxa of the vegetation in the oasis were Populus euphratica, Phragmites, Typha and maybe other weedy Gramineae.
オアシスの植物の主な分類群は、コトカケヤナギ(Populus euphratica)、ヨシ属(Phragmites)、ガマ属(Typha)と、おそらく、イネ科(Gramineae)の草本でした。

However, outside the oasis, drought-resistant taxa dominated the vegetation, e.g. Ephedra, Tamarix, Artemisia and members of the Chenopodiaceae.
ところで、オアシスの外には、耐乾燥性の植物分類群が主流でした。マオウ属(Ephedra)、ギョリュウ属(Tamarix)、ヨモギ属(Artemisia)、アカザ科(Chenopodiaceae)です。

The Xiaohe People mainly lived on animal husbandry.
小河墓人は、主に、牧畜で生計を立てていました。

However, they also attempted to cultivate cereals such as bread wheat and broomcorn millet.
しかし、パンコムギやキビなどの穀物の栽培も試みていました。

キビ(Panicum miliaceum).jpg

パンコムギ(Triticum aestivum).jpg

Most of the coffins in the cemetery are canoe-shaped, which may suggest that the Xiaohe People spent some of their lives on water.
墓地の棺の多くは、舟形です。これは、小河墓人が水上生活もしていた事を示唆します。

Bergman [13] inferred that because there are no known settlements near the cemetery, the people probably lived somewhere else along the river and reached the cemetery by boats.
ベルグマンは、墓地の近くには住居跡が見つかっていないので、人々が川沿いの別の場所で暮らし、舟で墓地を訪れたと考えました。
http://eurasianhistory.seesaa.net/article/434094909.html


タクラマカン砂漠から大量に出土中国最古のミイラ群
横堀克己=文  新疆文物考古研究所=写真提供
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107.htm


木棺の中から姿を現した女性ミイラ【M11】

中国の西部、新疆ウイグル自治区の中央部に、中国最大の砂漠、タクラマカン砂漠が広がっている。ここは太古からシルクロードが走り、東西の文化が出会ってきた舞台である。

有名な楼蘭(ローラン)や「さまよえる湖」のロプノールから西に約百キロの砂漠の中に、「小河墓地」があることは70年以上前から知られていた。しかし、長くその存在は砂漠の砂に埋もれて分からなくなっていた。

今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。

さらに、DNA鑑定によって、最下層のミイラは、モンゴロイド(東洋系)とコーカソイド(白人)の混血であることが分かった。

この発見によってタクラマカン砂漠は、東と西の人種が初めて出会い、融合して、独自の文化を発展させた可能性が出てきた。

詳しい学術的報告は近く発表されるが、本誌は新疆文物考古研究所の全面的協力を得て、小河墓地の発掘調査の全容を紹介する。


mirra1 半世紀後に甦った墓地


【砂漠に消えた遺跡】

小河墓地の全景

1934年、中国政府から調査の依頼を受けたスウェーデンの考古学者、ベルグマン博士は、地元の猟師オルドックの案内で、タクラマカン砂漠の中を流れる孔雀河から南に分かれた支流の小河をさかのぼっていた。そして小河から4キロ入った砂漠の砂丘の上に、高い枯れた木の柱が無数に立っているのを発見した。

近寄って見ると、枯れた木は死んだ樹木ではなく、人工的に立てられ、長く強風に晒されて白くなり、亀裂が入っていることが分かった。足元には人骨や毛織物の破片が落ちており、黒い長髪の残るミイラの顔面も見つかった。

この場所は、地元では「有上千口棺材(千を超す棺がある)」と伝承されている墓地だった。ベルグマンはここを「小河5号墓地」と命名し、12基の墓を発掘し、ミイラや木屍(遺体の一部または全部を木でつくったもの)を持ち帰った。

そして1939年、ベルグマンは『新疆考古研究』を発表した。この中でベルグマンは小河墓地の規模の大きさや特異な墓葬形式を紹介し、ロプノール早期の文明ではないかとして世界の考古学界で大きな反響を呼んだ。

ところが長い戦乱や混乱の中で、小河墓地の存在はいつしか忘れ去られ、その場所さえ分からなくなってしまった。

小河墓地が砂漠の中で再び発見されたのは、半世紀以上経った2000年12月11日である。新疆文物考古研究所の王炳華研究員(現在、中国人民大学国学院の特別招聘教授)が深圳のテレビ映画撮影クルーに同行し、GPSなどを用いてついに小河墓地を探し当てたのだった。

【砂丘を越えて発掘現場へ】

砂漠の中を行くには、専用の車両を使わなければならない
2002年12月、国家文物局の許可を得て新疆文物考古研究所は小河墓地考古隊を編成し、1カ月間の小規模な試掘を行うことになった。

タクラマカン砂漠は新疆ウイグル自治区南部にある中国最大の砂漠。北は天山山脈、南は崑崙山脈に囲まれたタリム盆地の中央部にある。東西約千キロ、南北約400キロ、面積33万7600平方キロ。流動砂丘が85%を占め、砂丘の高さは普通80〜150メートル、中には200〜300メートルに達するものもある。

小河墓地は、そのタクラマカン砂漠の東部、有名な楼蘭古城遺跡から175キロ西にあり、もっとも近い集落であるアラカン鎮からも36キロ離れた砂漠のど真ん中に位置している。

12月26日、考古隊は二両の砂漠用トラックに発掘機材や物資を満載し、ロプノールの西側の農墾兵団34団のティエカンリク鎮を出発し、水のないタリム河を越え、小河墓地に向かった。まる二日走っても、直線距離で十数キロしか走れず、27日夜、トラックはとうとう砂に車輪を取られ、動けなくなった。

GPSで観測した結果、小河墓地までまだ15キロ余りあった。考古隊はここで三つの班に分かれ、一班はそこに荷物とともにとどまって野営し、イディリス・アブドゥラスト新疆文物考古研究所長ら5人の班は1人30キロの荷物を背負って小河墓地に向かい、もう一班は来た道を戻って住民からラクダを借りに行った。イディリス所長らは十数時間後、小河墓地に到着、その他の班はラクダで荷物を運び、2003年1月3日までに発掘現場に勢ぞろいした。

【林立する木は生殖崇拝】

発掘作業に従事する考古研究者たち

小河墓地は高さ約7メートルの砂丘の上にあり、長さ74メートル、幅35メートル、約2500平方メートルの範囲に、周囲を木製の杭で作られた木柵に囲まれていた。そして砂丘の表面には、さまざまな形をした太い胡楊木(ポプラの一種)の立木が全部で140本立てられていた。

胡楊木の立木は、ベルグマン博士が小河古墓を発見したときのまま、数千年の強風と烈日に晒されて立っていた。調査の結果、立木はその下に埋められた棺の前方に立てられており、男性の棺の前に立てられた立木は舟の櫂の形をしている。女性の棺の前に立てられた立木は柱状であった。

櫂は、大きなものは高さが約2メートル、幅約70センチもあり、小さなものは高さ1メートル30センチ、幅10センチほどであった。櫂の表面は黒い塗料が塗られ、櫂の柄は赤く塗られていて、柄の底は七重の旋回文様が彫りこまれているものが多い。

女性の棺の前に立てられた柱状の立木は、高さが1メートル50センチから1メートル80センチで、形状はさまざまである。先端はどれも赤く塗られ、毛糸がぐるぐると巻きつけられている。この櫂状と柱状の立木はいったい何を意味しているのか。学者たちは櫂状の立木は女性性器を、柱状の立木は男性性器をそれぞれ象徴していると考えている。小河墓地がつくられた時代、人々は生殖崇拝の観念を持ち、多産を願っていた、と考えられる。

また一部の立木の先端に小さな銅片がはめ込まれているものも発見された。楼蘭の遺跡からすでに青銅器が見つかっており、この時代すでに、シルクロードを通じて青銅器の交易が行われていたことを示している。

考古隊は砂丘の下にテントを張り、小河墓地の実測調査や表面に露出している棺やミイラの整理、収集を行った。砂丘の上には棺材やミイラの残骸、毛織物などが散乱しており、自然破壊だけでなく人による盗掘も行われ、140基以上の墓葬がすでに破壊されたと推定された。

また考古隊は、砂丘の東の平坦な場所で3メートル近い八角形の木柱を発見、その付近から厚い木板や横梁、白い粘土などを見つけた。これはベルグマンが小河墓地を発見した当時、あったという「立木」と「木造の小屋」の跡ではないかと推定されたが、中にあったという「木棺」と「女性のミイラ」は跡形もなく消えていた。

考古隊は3週間をかけた試掘調査で、地表に露出した四基の木棺を発掘・整理したが、その棺の一つを開けて見ると、驚いたことに中からミイラではなく、木でつくられた135センチの「木屍」が出てきた。「木屍」は木で顔や四肢がつくられていた。
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107.htm


mirra2 ミイラはこうして発掘された
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_2.htm


【砂嵐で中断された発掘】

南区のもっとも下の第5層と一部の第4層がついに姿を現した

試掘調査の結果を踏まえて2003年10月からは、イディリス新疆文物考古研究所長を隊長に、全面発掘が行われることになった。10月は砂漠の気候が比較的安定し、条件が良い。数十トンの発掘機材や生活物資を小河墓地の下まで運びこまなければならない。そのルート探しのため、イディリス隊長ら二人が道路のあるアラカンから徒歩で砂漠を進み、発掘現場までの200キロ以上を往復した。

 ルート探しに時間がかかり、12月末になってタリム河が結氷したので考古隊は3日をかけて砂漠を越え、2003年の元日に現場に到達した。そこにテント村をつくって、農民工を雇って本格的な発掘調査が始まった。

 12月の砂漠は零下34度にまで冷え込む。日中、太陽が出れば暑くなり、昼夜の温度の差が激しい。砂嵐もたびたび襲ってくる。しかし、水は貴重品なので、頭を洗うのはもったいない。そこで男性の隊員たちは髪の毛をきれいに剃ってしまった。

 しかし発掘は3カ月でいったん中止された。春から夏にかけて猛烈な砂嵐に襲われたからである。考古隊は、発掘現場に看守のガードマンを残して引き揚げた。後にガードマンはあまりの孤独に、精神に異常をきたしたという。2004年9月から、今度は新疆文物考古研究所と吉林大学辺疆考古研究センターが合同で発掘が再開され、2005年3月に発掘は終了した。

 その発掘の『簡報』は2007年10期の雑誌『文物』に掲載されたが、それは、発掘調査の一部であり、全面的な報告書の作成は現在も進められている。発掘の全容を知るために、5月、新疆ウイグル自治区のウルムチに飛び、新疆文物考古研究所でイディリス所長を訪ねた。また、小河墓地発掘の全過程に参加した李文瑛・同研究所副研究員から詳しく話を聞いた。

【中国最古のミイラと判明】

発掘現場近くに建てられたテント村

発掘調査の結果、小河墓地は南区と北区に分かれており、北区からは28基の墓葬が、南区からは139基の墓葬がそれぞれ発掘された。これに、すでに破壊された190基を加えると357基の墓葬があったことになる。

 出土したミイラは、全部で145体。いずれも「干屍」であり、エジプトのミイラのように、人為的処理をくわえてつくられたものではなく、自然に乾燥したものである。内訳は男性54体、女性79体、性別不明12体。その中に子どものミイラは19体あった。

 このほかに「木屍」が10体(男性8体、女性2体)、体の一部が「木屍」で一部がミイラのもの二体(いずれも男性)が発掘された。「木屍」が何の目的で埋葬されたのかははっきりしない。研究者たちは、行方不明になり、遺体のない人の代わりに埋葬された、あるいは遺体の一部がなんらかの理由で損壊され、その部分を木で補った、または他の墓地から改葬された、などの仮説を立てている。

 いずれにせよ、145体の「干屍」と10体の「木屍」が一カ所の墓地から一度に出土したことは、世界的に例がない。

 南区の墓葬は、時代順に5層に分かれていることが判明した。一番表層の第1層からは13基、その下の第2層から27基、第3層から23基が発見された。炭素14の崩壊による年代測定の結果、1〜3層の絶対年代は紀元前1450〜1700年と分かった。

 第3層の下は約1メートルの砂が堆積し、その下に第4層があり、38基の墓葬が発見された。さらにその下には最下層の第5層があり、やはり38基の墓葬が確認された。これを炭素14により年代測定すると、紀元前1700年から2000年であることが判明した。

 これまで中国で発見された最古のミイラとされる有名なミイラ「ローランの美女」は紀元前1800年といわれるので、小河墓地の最下層から出土したミイラは中国最古のミイラと言える。


【続々発掘されたミイラ】

マントを取り除いた女性ミイラ【M11】

第1層、第2層から発掘されたミイラは、一般に頭を東、あるいは東北に向け、まっすぐ体を伸ばして上向きに寝ている。一部の死者の顔には、赤い線条が描かれ、体全体に乳白色の糊状の物質が塗られている。

 死者は頭にフェルトの帽子を戴き、足には革靴を履き、腰に腰当を着け、身に毛織物のマントを巻きつけている。副葬品は、身につけた衣服や首飾り、腕輪のほか、どの墓にも必ず、マントの外の右側に、草で編んだカゴが置かれている。死者の体の上には、大量のマオウ(麻黄)の小枝や動物の耳、動物の筋をよって作られた短い縄が置かれている場合が多く、体の下には小麦やトウモロコシの粒がばらばらに置かれている。そのほか、細長いタマリスク(紅柳)の棒や鳥の羽でつくられた羽飾りなどがよく見られる。

 墓の主人の性別の違いによって、着ている服装や副葬品は明らかな違いがある。例えば、男性のマントの穂(垂れ下がり)はスカートにあることが多く、女性のマントの穂は首から肩に多い。男性の腰当は帯のようで、女性のは短いスカートのようだ。男性の棺の前にある櫂の立木の両側には、死者が使う弓と木製の矢が別々に立てられ、体の上には羽のついた矢が置かれている。女性は、体の上に「木祖(木制の男根)」や革袋、木の櫛が置かれている。さらに特別な一部の副葬品、例えば牛の頭、人面をはめ込んだ木製の杖などは、墓主の身分と関係があるかもしれない。 

 出土した多くのミイラの中で、保存が比較的良く、小河古墓の典型的なミイラを紹介しよう。

【M11】

第1層、南区の東端の中央部にあり、墓地の砂丘の頂部から発掘された。ミイラは、保存がよく、美しい顔立ちが印象的である。


発掘された女性ミイラ【M11】

木製の棺は長さ2.2メートル。棺の上は3枚の牛の皮で覆われ、棺頭は黄色、棺尾は白、中央部は斑の牛皮。その上に白いマント、マントの上に12本のタマリスクの枝が置かれていた。

墓の主は成年女性で、頭を東に向け、仰向きに手足をまっすぐ伸ばし、頭と脛と足先以外は全身を大きな白い毛織のマントで包まれている。

女屍の身長は152センチ、全身に乳白色の糊状のものが塗られている。体はやや豊満で、胸部、腹部が著しく肥満している。眼窩は深く落ち窪み、亜麻色の長い睫毛、高くまっすぐな鼻、少し開けた口、薄い唇。髪は亜麻色で多く、自然に頭の真ん中でわかれて胸にまで達する。

棺内には白色の羊のフェルトでつくられた円い帽子、白色の羊毛で編まれた毛織のマント、短いスカート式の腰当、革靴、首飾り(玉珠、白色石珠、黒色石珠を連ねたもの)、ブレスレット(淡青色の蛇紋石玉を連ねたもの)、木製の留め針(マントをとめる)、櫛、草で編んだカゴ、小動物の皮でつくった皮袋、羽飾り、木祖などがあった。

【M13】

南区の北側の砂丘の第一層から出土したミイラも保存状態がよい。蓋の板は11枚で、板の上に黒色の直線が描かれている。棺の上は3枚の牛皮で覆われている。

墓主は成年の女性。頭を東に向けている。頭と足、脛のほかはすっぽりと白地に大きな赤い縦じま文様の毛織のマントで包まれている。

マントの外の腹部の上方には、大きな牛の角が置かれていた。屍体の右腰骨に立てかけるように、フェルトで蓋をした草篭が置かれていた。

そのほか、円形の銅片7枚がついた毛織物の腰当、乳白色の糊状の物質が塗られた革靴、珠を連ねた首飾り、腕飾りを持っていた。左乳房には木彫の人面像が置かれ、右腹部には大きな皮袋と3本の羽飾りがあった。左腕の外側には木祖が一つ、右手の下に二個の小さな石があった。また、タマリスクの枝、木製の櫛、黍の粒、麻黄の小枝、動物の耳などが出土した。

女屍の身長は150センチ。死者の顔とマントから出ている大腿部は乳白色の糊状の物質が塗られていた。顔はやや痩せ、両方の頬の下は深く落ち込み、頬骨は高く、眼窩は深く落ち窪んでいる。口をしっかりと閉ざし、明らかに扁平で長い。亜麻色の頭の髪は短く、顎よりも長くない。髪の毛にも糊状の物質が塗られていた。顔面部の糊状物質をとり除くと、額から鼻にかけて赤い横線が描かれていることが分かった。

木彫人面像は、長さ9.1センチ、幅6.7センチ、鼻の高さ2センチ。平面は楕円形で、正面は誇張された目、耳、鼻、口、眉が浮き彫りにされ、背面は内側に凹型になっている。人面の表面にはきわめて薄い皮状の物質が糊付けされており、その上に赤い色が塗られている。人面は眉が発達し、眼窩は落ち窪み、二つの小さな珠をはめ込んで眼球とし、鼻は高くそびえ、鼻梁は7本の細い紐が横に載せられている。口の形は長方形で、白い羽の管を切断してつくった八個の「歯」がはめ込まれている。額の頂上部に小さな孔があり、おそらく紐を通したものであろう。  

【M24】

矢や棒を持った男性のミイラ【M24】

南区の中部の地表から1.7メートル下の第2層から発掘された。第1層の3つの墓と第2層の2つの墓の下にあった。棺は4枚の牛皮で覆われ、墓主は成人の男性で、身長164センチ。毛織物のマントで体をすっぽりと覆われ、腹部の上には赤や黒に塗られた大きな牛の頭が置かれていた。体の右側には、矢や先の尖った棒などが多数置かれていた。

棺内から発見された人面像を象嵌した木仗は長さ66セン。これは墓主の身分を象徴していると思われる。

【M100】

南区の第4層と第5層と北区からは、特徴のある棺が発見された。それは棺の蓋の上が泥で固められている「泥棺」である。南区の第4層の【M75】、第5層の【M100】、北区の【BM1】【BM2】は「泥棺」であった。

【M100】の蓋を開けると、中から長さ134センチ、幅40センチの12枚の板からつくられた木製の板室があり、その中から墓主である成人女性とともに、木製の人形や木罐などの副葬品が出ていた。【BM1】【BM2】も墓主は女性で、木製の人形が出土した。

李文瑛・副研究員は、この「泥棺」を女性の占い師(巫女)の墓ではないかと見ている。これがもっとも深い層から出てきたことや、上層部からは出土しないことなどから見て、巫女を中心とする社会から男性の族長を中心とする社会に移行していったのではないか、と言っている。

【M19】

第2層からは嬰児のミイラが発掘された。毛織物に包まれていて目鼻立ちがはっきりしている。子どものミイラには嬰児も幼児もあったが、全体的にみて子どもの死亡率がとくに高いということはなかった。

ミイラとともに動物の耳や小麦などが出土した。発掘当初は男の子か女の子か分からなかったが、棺の近くに櫂が立てられていたことから、男の子と推定された。
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_2.htm


mirra3 4000年前に存在した社会は
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_3.htm


イディリス・アブドゥラスト新疆文物考古研究所長

小河墓地の発掘によって、いまから4000年前に、タクラマカン砂漠には、かなり文明の発達した社会が存在していたことが明らかとなった。そのころ中国では、最古の王朝である夏王朝が起こり、エジプトでは古王朝が終わり、12王朝が始まったころである。東西の文明を結ぶシルクロード上にあったと思われる小河古墓を築いたのは、どんな人たちであったのか、どんな社会を形成していたのか。発掘の総責任者であるイディリス・アブドゥラスト新疆文物考古研究所長に話を聞いた。

――小河墓地の最下層から出土したミイラの人種は?

■イディリス所長 これまで楼蘭など新疆ウイグル自治区の遺跡から出土した非常に古いミイラは、コーカソイド(白人)と考えられてきました。小河墓地の遺跡から発掘されたミイラも、外見的には眼窩が落ち窪み、鼻は高く、コーカソイドのようでした。しかし、最下層のミイラの一部を北京大学加速器実験室で鑑定してもらったところ、この5月、驚くべき報告を受けました。それはDNA鑑定の結果、モンゴロイド(東洋系)のDNAも発見されたというのです。つまり彼らはコーカソイドとモンゴロイドの混血の可能性が出てきたのです。

これは、4000年前かそれ以前に、シルクロードで、西から来たコーカソイドと東から来たモンゴロイドがタクラマカン砂漠で初めて出会い、混血したことを想像させます。壮大な人種の移動と融合が考えられるのです。

――彼らの「村」の規模はどのくらいでしょうか。

■イディリス所長 500年から600年の間に約350基の墓をつくったのですから、「村」の規模はそれほど大きなものではなかったでしょう。墓地と集落とはそう遠くは離れていないと思われますが、墓地を中心に10キロ四方からはいまのところ住居址は見つかっていません。

――彼らはどんな社会をつくっていたのでしょうか。

■イディリス所長 男女の性器を象徴する木柱や木櫂が大量に出土したことや、女性ミイラが男根を象徴する「木祖」を持っていたことなどから考えて、彼らは、生殖崇拝の信仰を持っていたと考えられます。これは「万物の豊産」の願いを反映しています。死後に顔面を白く塗ったり、赤い線を描いたり、人面像や木製人形を副葬したりしていることから見て、この時代にすでに宗教が存在していたことは明らかです。

――どのようなものを生産し、どのように暮らしていたのでしょうか。

■イディリス所長 棺の中から大量の小麦やトウモロコシが出てきました。小麦は鑑定の結果、人為的に改良された種類であることが分かりました。この小麦には大量の水が必要であり、当時は灌漑が行われ、小麦の畑が一面に広がっていたと思われます。

また、棺は3枚の牛皮で覆われているのが普通で、棺の中や木柱に大きな牛の頭蓋骨がいっしょに葬られていることから考えると、牧畜が盛んに行われていたと思われます。一つの棺を作成するのに、少なくとも3本の胡楊木が伐られたので、当時は胡楊木がかなり生い茂っていたと考えられます。

しかしこの一帯の自然は脆弱で、いったん破壊されると回復することができないため、ついに砂漠化してしまったと推定されます。

――外部の他の部族との戦争や争いがあったのでしょうか。 

■イディリス所長 男性の棺から矢が見つかっているうえ、鳥や小動物の羽や毛皮が見つかっているので、狩猟が行われていたことは確かです。武士のようなミイラも発見されていますが、ただ、多くのミイラの中で刀傷のあるのは一体だけで、矢傷など大規模な戦争を示す証拠はありません。おそらく平和な生活だったのでしょう。

人民中国インターネット版 2009年2月5日
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-02/05/content_177107_3.htm


109. 中川隆[-6636] koaQ7Jey 2017年8月20日 15:05:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2014年9月 8日 遺伝子系統と文化は必ずしも一致しないという話(1)


このページの地図を参照しながら読んでください。
http://www.eupedia.com/europe/maps_Y-DNA_haplogroups.shtml

ミトコンドリア遺伝子やY染色体を使って、民族移動の歴史をたどることができるという話は聞いたことがあると思います。遺伝子の痕跡が「人間」の移動を説明していることは間違いありません。しかし、ある集団の中で遺伝子に変異が生じた時期とその集団が新しい文化を獲得した時期は必ずしも一致しません。

その一例をY染色体のRハブロタイプの分布に見つけました。R1bとR1aというハプロタイプは中央アジア・欧州・イラン・インドに広く分布し、印欧語族の分布範囲とも重なるため、印欧語族の遺伝子ではないかとも言われています。

R1bは1万年くらい前にカフカス山脈付近で原形が生まれ、6千年前にバルカン半島に進入し、3千年前にはアイルランドやイベリア半島西端にまで到達したと考えられています。

現在R1bが人口の50%を超えているのはアイルランド、英国、フランス、スペインでこれはローマ帝国とゲルマン人の侵入以前にケルト人の文明が広がっていた地域です。できたばかりのころのローマ共和国はケルト人に圧迫されていました。ローマ人の方が臣従していたという説もあります。ケルト人は牧畜と簡単な農耕をし、馬車を持っていました。

しかし面白いことにR1bが一番多く住むのはスペインのバスク地方で、バスク人の母語はバスク語なのです。バスク語は系統不明の言語で、印欧語とは全然関係がありません。

同じくR1bの比率が高いのはアイルランドとスコットランドとフランスのブルターニュ半島です。そこにはブリトン人やピクト人などが住んでいたといわれています。彼等が話す言語は非常に原始的なケルト語、もしくは系統不明の言語だったとも推測されています。ローマがこれらの地域に進入してきた際、彼等は車輪を持たず、牧畜もしていませんでした。

つまりケルト人は生粋の印欧語族なのですが、R1bが非常に多い地域の人たちは必ずしも印欧語族ではないのです。そして移動を始めた頃のR1bは車輪を持たず、農耕も知らない狩猟採集民でした。かといって彼等が野蛮だったかというとそうではなく、ミトコンドリア遺伝子から、彼等はアルプスで見つかったミイラのアイスマンと同系統と推測できるのですが、アイスマンは高純度の銅器を持ち、縫合された衣類を着て、医療を受けた形跡もあり、成熟した狩猟採集民でした。

R1bは東にも進んでいて、、3〜4千年前のタクラマカン砂漠(中国西部)の遺跡で金髪でコーカソイドの特徴を持った骨のミイラが発見されています。オアシス都市に残る文書から、彼等がケルト語に近い言語を使っていたことがわかっています。

現在でも中国の羌族、チベット族、満州族の一部にR1bを持つ人がいます。古代中国で羌、西戎、玁狁、狐とされた遊牧民はR1bを持つ人々であった可能性があります。

タクラマカン砂漠にオアシス都市を作った人たちは、農耕をし、都市をつくり、ケルト語に近い言語を話す人たちでした。そこよりもさらに東に進んだ羌、西戎、玁狁、狐はバスク人、ブリトン人、ピクト人に近かった可能性があり、必ずしも農耕はせず、印欧語も話していなかったかもしれません。

口語としての漢語は文法が英語と異常に似ています。英語というのはラテン語やゲルマン語と比較して語順に混乱があり、副詞と前置詞を多用する特徴があります。この英語の副詞と前置詞は、古代には動詞だった可能性があるのですが、英語と漢語は中央アジアを出発したばかりのR1bが使っていた言語ではないかと私は推測しています。

まあ、さすがに英語と漢語を同一系統と結びつけるのは話が飛躍しすぎかもしれませんが、R1bと印欧語と農耕は必ずしも一致しないのです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-aee4.html


遺伝子系統と文化は必ずしも一致しないという話(2)


欧州西端と中国北部まで到達したR1aを仮にR1a第1陣、英仏西中心部とタクラマカンで繁栄したR1aを仮にR1a第2陣とします。彼等が持っていた技術を並べると次のようになります。

R1b第1陣・・・遊牧、原始的な印欧語、銅の精練、鍼灸?

R1b第2陣・・・遊牧、畑作、印欧語(ケントゥム派)、乗馬、車輪

民族が次のようになります。

R1b第1陣・・・バスク人、ピクト人、ブリトン人、羌、玁狁、狐

R1b第2陣・・・ケルト人、トカラ人、月氏

ケントゥム派は印欧語の分類です。印欧語は印欧祖語におけるkをkで発音するかs(ts)で発音するかによってケントゥム派とサテム派に分類できます。

サテム派印欧語を使うのははスラブ人とイラン人とインド人(ヒンドゥー語)です。東側のイラン人とインド人は自らをアーリア人と自称しました。19世紀と20世紀前半のドイツの国粋主義者は自らをアーリア人と規定しました。これはインドを圧倒的な武力で制圧した(と当時は信じられていた)アーリア人とゲルマン人を同一視したいという願望から生まれた説ですが、言語と遺伝子からは、イランとインドのアーリア人に最も近いのはゲルマン人ではなくてスラブ人です。

このサテム派印欧語族の分布とよく一致するY染色体がR1aです。R1aはポーランド、ベラルーシ、ロシア、イランに多く分布し、インドではバラモン階級に多く出現します。カスピ海を中心としてC字を倒したように分布しているので、元々カスピ海を中心とした地域に居住していて、何らかの理由で東西に広がっていって、故地からは出て行ったことが容易に推測できます。

アーリア人とスラブ人がインドと欧州に現れた時期は遅いため、歴史の記録に残っています。アーリア人がインド西北部に現れたのは3,500年前です。アーリア人と推測されるメディア人とペルシャ人がバビロニアに現れたのは3,000年前です。

しかしです。私たちはここで再び印欧語族とハブロタイプRを結びつける説の反証を見つけます。現在カスピ海周辺に多く分布するハブロタイプはJ2です。J2は現在のアルメニア、アナトリア半島(トルコ)、ギリシャ、南イタリアに多く分布します。


これらに地域に住む人たちが使う言語はアナトリア半島以外は印欧語です。アナトリア半島に住む人がトルコ語を話すのは、千年前に中央アジアからトルコ人が侵入してきて、トルコ語を強制したからです。それまではアナトリア半島に住む人たちはギリシャ語を話していました。

J2系はバビロニア文明を作った人達ということになっています。そしてJ2aはR1aの故地であるカスピ海沿岸を占領しています。だとするとおかしなことになります。東側(カスピ海周辺)と西側(バルカン半島)で辻褄が合わないのです。

東側のシナリオはこうなります。5千年前にはカスピ海周辺にアーリア人 (R1a)が住んでいました、そこに南からバビロニア人(J2)がやってきて、アーリア人を追い出しました。アーリア人は2千年かけて時計回りにカスピ海を一周して、3千年前にイラン側からバビロニアに侵入しました。

西側のシナリオはこうなります。まずバルカン半島に東側からバビロニア人と同じ遺伝子をもつJ系が侵入。次に南側から古代エジプト人と同じ遺伝子をもつと推定されるE系が侵入。R1bはギリシャには入って来れなかったと推測されています。最後に1,500年前になってスラブ人(R1a)がギリシャ車に侵入しました。

ギリシャ語はケントゥム派印欧語族なのに、だれがバルカン半島にギリシャ語を持ち込んだのか不明なのです。

この矛盾はハブロタイプRとインド・ヨーロッパ語の発明者を同一視することによって生じています。最初に言ったように遺伝子の発生と文化の発生は必ずしも一致しないのです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-873c.html


遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(3)


欧州の学者はR系はインド・ヨーロッパ語を生み出した人達と考えています。けれども、ギリシャ・アナトリア半島にはR系の侵入を受けなかったのにインド・ヨーロッパ語を話すギリシャ人がいます。

この矛盾を解く鍵はヒッタイト人にあります。ヒッタイトは3,000年ほど前にアナトリア半島に現れた遊牧民で、強力な戦車軍団をもち、世界で初めて製鉄に成功した人達です。ヒッタイト語はケントゥム系印欧語族ではないかとされています。

現在J2が30%以上分布するのは、東からアルメニア・トルコの首都アンカラ周辺・シリア沿海部・アナトリア半島西部・ボスポラス海峡・中央イタリア・カラブリア・シチリア東部です。

アンカラ周辺はかつてヒッタイトの首都ハットシャがあった地域です。ボスポラス海峡とアナトリア半島西部にはギリシャと似た文明を持つ都市群がありました。有名なトロアはその代表的な都市です。中央イタリアはローマに先行する文明であるエトルリア文明があった地域で、カラブリアとシチリア東部は古くからギリシャの植民地がありました。

エトルリア人と古代ローマ人は自分たちはアナトリア半島西部にかつてあった都市トロイの末裔であるという始祖伝説をもっていました。古代ローマ人がJ系であるとこの始祖伝説には信憑性があることになります。

アナトリアより西に分布するJ系はインド・ヨーロッパ語を話す人達であり、さらにJ系ではないかと推測されるヒッタイト人が使ったというヒッタイト語はかなり古くにラテン語やギリシャ語から分離したと推測されています。

そしてJ2系はフランス、スペイン、英国南部に10〜20%分布しています。これはケルト人の地域です。

整理してみましょう。

1.R1b第1陣が話していた言葉は非常に原始的なインド・ヨーロッパ語、あるいはインド・ヨーロッパ語を話していなかった可能性がある

2.南回りで広まったインドヨーロッパ語(ヒッタイト語・ラテン語・ギリシャ語)を伝えたのはR系ではなくJ2系の可能性が高い

3.R1a(アーリア人・スラブ人)の故地であるカスピ海沿岸にはJ2系が住んでいる

これらの事実から導きだされるのは、インド・ヨーロッパ語を生み出したのはR系ではなくJ2系であるということです。J2系はメソポタミア文明の中心になった人達です。メソポタミア文明を担った人達の言語はインド・ヨーロッパ語ではありません。

しかし、遺伝的には近くても全く違う言語を話すことはそうおかしなことではありません。

•約1万年前にJ2系がカフカス山脈付近でインド・ヨーロッパ語を発明。

•そのとき既にR1bは西と東に広がりつつあった。最初に出発したR1b系はインド・ヨーロッパ語を知らなかった。

•J2とRは8千年くらい前にカフカス山脈で合体。この合体部族は遊牧・簡単な畑作・都市が融合した文明を作る。彼等は畑作と都市をメソポタミアから学んだのかもしれないし、あるいは独自に編み出したのかもしれない。

•J2+Rが南回りに進んだのがヒッタイト人・エリトリア人・ローマ人

•J2+Rにエジプトからの入植者(E系)が合体してできたのがギリシャ人。

•J2+Rが北回りに進んだのがケルト人とトカラ人。

•やがて6千年くらい前にJ2+Rの集団の中からR1a遺伝子が登場これがスラブ人とインド・イラン・アーリア人の祖先となる。彼等の間でサテム派の発音が流行して、サテム派のインド・ヨーロッパ語が生まれる。


というように整理できるのではないでしょうか。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-a902.html


遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(4)


R1b+J2が出発した後にもカスピ海周辺にはR+J2が住んでいたと考えられますが、5千年前に彼等は故地を出て行き東と西に拡散します。西に進んだのがスラブ人で、カスピ海を時計回りに進んだのがインド・イラン・アーリア人です。両者はR1aの遺伝子をもっていました。

しかし「アーリア人」とR1aを同一視するのは早計で、高度な乗馬技術を持つアーリア人は3千年前から1,500年前にかけて、中央アジアから何度もメソポタミア・イラン高原・タクラマカン砂漠に侵入するのですが、遺伝子の分布からはアーリア人とされた人達には様々な組み合わせがありそうなのです。

1.スラブ人・・・R1a

2.インド・アーリア人・・・R1a+R2+J2

3.パクトリア人・スラブ人・スキタイ人・・・R1a+J2

4.ソグド人・ホラズム人・・・R1a+J+Q

5.月氏人・トカラ人・・・R2b+J

このことから、サテム派インド・ヨーロッパ語を発明したR1a+J2が中央アジアに住む様々な民族と融合したのがアーリア人るといえます。

スキタイ人・月氏人・トカラ人は研究者によってアーリア人に含めたり含めなかったりします。スキタイ人が話していた言語は不明です。月氏人とトカラ人が話していたのはケントゥム派インド・ヨーロッパ語です。アーリア人の要素をサテム派インド・ヨーロッパ語であるとすると、彼等はアーリア人には含まれなくなります。

また、ホラズム地方やドナウ川下流域や黒海北岸では4〜5千年前の都市と農耕の痕跡が見つかっています。今ではインドと東アジアでメソポタミアの影響を受けずに独自に農耕が始まったことはほぼ確実ですが、これらの地域でも、独自に農耕が始まっていた可能性があります。

ホラズム地方に多いのはR1aとQの合体部族で、Qはシベリアの狩猟採集民とネイティブアメリカンに多いハプロタイプです。ホラズム人は定住性が高かったと言われています。また、彼等はインダス文明に鉱物を供給していた人達かも知れません。


ドナウ川下流域や黒海北岸に多いのはI2aで、この遺伝子は1〜2万年前にヨーロッパで独自に発生したと言われています。欧州の学者は聖書の影響が強すぎるのか、欧州の農耕は全て中東起源と考えるのが主流らしいですが、I2aによる欧州独自の農耕都市文明を想定しても良いのかもしれません。

I2aは欧州全域に広がっているので、氷河期が終わった後に最初に欧州全域に広がったのは彼等で、独自の言語を使用していた可能性があります。R1b

はI2aの中心部(ドナウ川流域)を避けるように分布し、しかし融合もしています。

I2aとR1bの関係は日本の縄文系と弥生系の関係に近いのかもしれません。


1.1〜2万年前・・・I2aは成熟した狩猟採集民で、ドナウ川流域から黒い森にかけての森林地帯で狩猟採集生活をしていました。一部は簡単な畑作をしていました。

2.8千年前・・・そこにまず狩猟採集民のR1b第一陣がやってきた。彼等は寒冷でやや暮らしにくく、I2aがあまり分布していなかったアルプス・バスク・ブルターニュ半島・アイルランド・ブリテン島に住むようになった

3.6〜8千年前・・・次に牧畜と灌漑農業の技術を持つR1b(ケルト人)がやってきた。彼等は狩猟採集には適していない草原や低地を開拓して住んだ

4.黒海沿岸からカスピ海にかけてスラブ人(R1a)が分布

5.I2a,R1b,R1aがヨーロッパ全体で混血し合う

6.3〜4千年前・・・騎馬技術を持つJ2+R1bが黒海沿岸に侵入、スキタイ人(I2a+J2+R1b)が生まれる

7.3,500年前・・・スキタイ人がカスピ海沿岸からスラブ人を追い払う

8.スキタイ人から逃れたスラブ人に押されて、インド・イラン・アーリア人が南下

R系ハプロタイプの分布とインド・ヨーロッパ語族の分布の間の矛盾から、私なりに西洋の民族移動を推測してみました。ヨーロッパの縄文人とも言えるI2aがどのような文明を持っていたのか。5千年前には中央アジアで高度な都市文明を作っていたと考えられるQ系とネイティブアメリカンとの関係など西洋の古代も未解明で興味深い話題がたくさんあります。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9ad4.html


110. 中川隆[-6635] koaQ7Jey 2017年8月20日 16:15:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ドキュメンタリー 文明の道「第05集 シルクロードの謎 隊商の民ソグド」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FdBYI5F36To&index=24&list=PL68Eg7O2Flae_s6n1BfiPUGgs6t80-qrA

ソグド人は、色黒の肌、深目、高鼻、多鬚などのコーカソイドとしての身体的特徴が挙げられる。


ソグド人の言語はソグド語である。ソグド語は印欧語族イラン語派に属する中世イラン語の東方言のひとつであり、同じ仲間としてはホラズム語、バクトリア語、コータン語がある。

紀元前6世紀にソグディアナがアケメネス朝の支配下に入ると、アケメネス朝からアラム文字が流入し、初めはアラム文字でアラム語を記していたが、次第にアラム文字でソグド語を記すようになり、最終的にアラム文字を草書化してソグド文字を開発し、ソグド文字でソグド語を記すようになった。やがてソグド人が商人として各地に散らばったため、ソグド語・ソグド文字は中央アジアのシルクロードにおいて国際共通語となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E4%BA%BA


111. 中川隆[-6634] koaQ7Jey 2017年8月20日 18:26:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

シルクロード 謎の民/タクラマカン砂漠/楼蘭の 末裔? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vJy4Mx7QKKk&index=17&list=PL68Eg7O2Flae_s6n1BfiPUGgs6t80-qrA


2016年05月21日
日中共同制作番組  「シルクロード謎の民 〜タクラマカン砂漠 楼蘭の末えい?〜」顛末(てんまつ)記 BY 池上達則
https://www.nhk.or.jp/bs-blog/2000/245289.html

番組の舞台は世界で2番目に大きな、中国タクラマカン砂漠。

「死亡之海(死の海)」と呼ばれる世界でも有数の乾燥地帯。しかしこの砂漠の奥深くに、周囲から孤絶した“謎の民”がいる!?

古代シルクロードの文化を守りながら生きる人々の暮らしを描き、その歴史ミステリーを紐解いて行くドキュメタリー番組。旅人は俳優の満島真之介さんです。


“かなりあやしいな…”

番組のきっかけは2015年春、中国・北京テレビからの連絡でした。タクラマカン砂漠のど真ん中に、謎の民がいると言うのです。北京テレビとNHKエンタープライズは番組制作の提携を進めており、中国のレアな情報が舞い込んできます。しかしこの知らせには、正直半信半疑でした。

でも調べていくうち、色々分かって来ました。

● 砂漠の奥深くにオアシスがあり1500人が暮らしている(よし!)

● 他の新疆ウイグル自治区で無くなった古代の風習が残っている(よし!)

● 近くの町から240キロ。砂漠に道は無く陸の孤島である(よし!)

● 既に携帯電話が通じ太陽光発電の設備も入りつつある(あれ!?)

● 住民は砂漠をバイクに乗って移動する(あれ!?)

● 緑の瞳をした美しい女性たちが暮らしている(よし!)

まもなく砂漠に舗装道路が作られ、オアシスの伝統的な暮らしもあと数年で消えてしまう。変わりつつある状況を含め番組にしようと、紆余曲折を経ながら、国際共同制作のプロジェクトが立ち上がることになりました。

オアシスの暮らしを3つの家族を通じて描きました。詳しくは是非番組をご覧頂ければと思うのですが、私が一番魅了されたのは、視力を失いながらも子どもを育てるヤコプ父さん。オアシスの主な生業である羊の牧畜が出来ないので、漢方薬掘りなど日雇い作業で収入を得ています。子どもが村を出て町の小学校で寄宿生活をしており(村の学校は小学3年までしか通えない…)仕送りが必要なのです。


実は私も2人子どもがいて保育園に通わせています。もちろんヤコプ父さんほど生活は大変でなく、パパとして頑張ってもいないのですが、彼を見て話しを伺っているうちに、肩の力が抜けて行きました。初めは“謎の民”の神秘的な生活を描かなくてはと緊張していたのですが、次第にどこの世界でも同じである、家族やふるさとを思う気持ちを、同じ目線で描けばいいのだと教えてもらったような気がしたのです。


最後の取材が終わり、オアシスを離れるときに、私はロケの間はいていた綿入れのズボンをヤコプ父さんにお渡ししました。ヤコプ父さんは茹でたての羊の肉を私たちにくれました。大変貴重なごちそうを、私の中古ズボンと引き換えに頂き、大変申し訳ない気持ちでした。

ただもし今年の冬にヤコプ父さんが綿入れのズボンをはき、少しでも暖かく過ごしてくれたら…そう想像するだけで私の心も温かくなるのです。
https://www.nhk.or.jp/bs-blog/2000/245289.html

ケリヤ(克里雅)人:楼蘭王国の末裔か?
http://www.geocities.jp/kjbmh507/minzoku/eikou/matuei.pdf


ケリヤ人発見の経緯 スヴェン・ヘディンは1896年1月コータンから北へタクラマカン砂漠に入り、古代都市 の廃墟を発見する。その後、タクラマカン砂漠を横断して、シャヤルを目指して、ケリヤ 河沿いに北へ移動する。このときガイドから、聞く。

「町の下手のケリヤ・ダリヤの森のなかには、およそ150人の人たちが住んでおり、
他の人間とは行き来せず、あらゆる街道から遠く離れて、それ自体一つの世界を構成して
おり、いかなる政府当局の手もここまでは及ばない、死のように静かな砂漠の海に囲まれ たところである。 ・・・・・・ ここには羊飼いの家族が二組住んでいたが、彼らは露天で焚き火を囲んでいた。まるで
野蛮人のようだった。彼らは小さな子供に取り囲まれていたが、子供たちが着ている物と
いえば、一枚の毛皮だけだった。この泊まり場のそばで、彼らは300頭の羊を放牧して
いた。男たちの幾人かは、われわれがはじめて見るようなとても風変わりな靴をはいてい
た。靴といっても、それは野生のらくだの足を足だこや蹄のついたままをはいていたので
ある。この野蛮人のような家族もすぐに打ちとけて、みな写生させてもらうことができた ほどである。・・・・・」

出典:『スウェン・ヘディン探検記 (全9巻)』 深田久弥ほか監修 白水社 第2巻 アジアの砂漠を越えて(下)


こうして、ケリヤ人は西欧に紹介され一大反響を得るのだが、当のケリヤ人は相変わら ず静寂な砂漠の中でのんびりと暮らしていた。

20世紀の50年代末、中国政府の役人がこの地に派遣され、达里雅布依郷を設立し、
郷の役所を開いた。しかしながら文革中であったので、ケリヤ(克里雅)人はまたもや人々 から忘れ去られた。 20世紀の80年代のある日、石油探査に携わっていた技術者が目の前の不思議な光景に 唖然と立ちすくんでしまった。 その後、多くの報道機関が入り、「タクラマカン砂漠の中央に原始部落を発見す・・」 と、大報道を開始したのである。 1989 年,新疆ウイグル自治区の役人が視察に入った。そして、学校、病院を建て、電 気、水道を引き、郵便局や電話局を設けた。ケリヤ人は桃源郷の生活から一気に現代文明 の中に引き込まれたのである。

ケリヤ人が暮らすダリヤブイ(达里雅布依)郷の达里雅(ダリヤ)はウイグル語で河の
意味、布依(ブイ)は岸辺の意味、郷は中国の行政区分で村にあたる。达里雅布依郷は「河 の岸辺村」となる。総人家305戸、総人口1321人の村である。 ケリヤ人はケリヤ(克里雅)河の中下流域の両岸に住んでいる。ホータンの東・于田か らケリヤ(克里雅)河に沿ってタクラマカン砂漠を約220km北上すれば、ケリヤ人に合う ことができる。

写真 14-1 現在のケリヤ人



現在の生活ぶり 彼らは現在に至るまで古濮な民族文化と原始的な生活を保ってきた。彼らは幾世代もの
家族が同じ屋根の下で寝起きした。老人を敬い、外部の者と婚姻する者は少なく、砂漠の 原始部落と呼ばれてきた。ケリヤ人は遊牧を主としてきたが、現在では農耕を営み始めた。

ダリヤブイ(达里雅布依)郷には数十戸の人家が集中している。郷政府の管轄する範囲 は南北 500 キロ近くに及ぶ。南に住む者が北に住む者の婚礼に参加するには二週間近く掛 かる。郷政府の者がケリヤ村を巡回するにはラクダか馬に荷物を積み、8日を掛けるとい う。 郷にはイスラム風の建物が一軒ある。大きな建物で周囲の建物と比較できないくらい 美しい建物である。この家の主人は郷の長であり、大変見識の広い人であるという。 ケリヤ人が一番困っていたのは水である。郷政府が井戸を掘るまでは大変な苦労があっ たと言う。 ケリヤ人はダリヤブイ(达里雅布依)郷を引き払い条件の良い土地に引っ越すことを嫌
っている。牧畜している山羊はこの地方の草花を食料としており、他の雑草は食べないの で引っ越せないという。 そして郷政府は彼らにダカ(大卡)車(大八車に似ている)を給付した。彼らはダカ
車で柴木や羊皮を于田県まで運び、貴重な塩や茶と交換している。


写真14-2 ケリヤ人の村落

ケリヤ人のルーツ 多くの説が流れており、いまだ検討中のようであるが、その代表的な三つの説を紹介し よう。

1 タクラマカン砂漠の土着民族であろうとする説である。・・が、これでは周囲が納得しない。

2 南に約 900 キロ下るとチベットの阿里地区にいたる。ここはかつてグゲ王朝があった所である。ラダック王朝に滅ぼされ(1630 年)、タクラマカン砂漠に逃げ込んだグゲ王朝の末裔である、とする説が有力である。


3 ところがこの説にも満足しない人々がいる。この「河の岸辺村」から東に約 450 キロの位置に、かつて楼蘭王国が栄えた。しかし、2000 年前、謎のまま忽然と消えてしまった。
その楼蘭王国の末裔が住み着いた、とする説である。


ま、どの説に満足するかは読者次第です。また別の新説を出すのも一興かと思います。

現在ケリヤ人は行政上ウイグル族に組み入れられているが、生活習慣の多くの面でウイ グル族と異なっている、とされている
http://www.geocities.jp/kjbmh507/minzoku/eikou/matuei.pdf



112. 中川隆[-6642] koaQ7Jey 2017年8月22日 07:32:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


中国・トルファン2012・・・(10)ウルムチ 旅の終わりに“楼蘭の美女”と会う
http://4travel.jp/travelogue/10668846

旅行時期 2012/04/14 - 2012/04/22 (2012/05/10投稿)

トルファンからウルムチ経由で上海へ。
途中、ウルムチの博物館で、約3,800年前に埋葬されたと言われている“楼蘭の美女”に対面します。

http://4travel.jp/travelogue/10668846

表紙写真は、その“楼蘭の美女”を復元したものです。

お昼頃ウルムチのバスセンターに到着。なんとかタクシーをゲットして博物館へ向かいます。

1階には、新疆に暮らす12民族の衣装・装身具・住居などが展示されています。

先ずはウイグル族の男女が迎えてくれます。
2000年調査で、新疆ウイグル自治区人口の45%がウイグル族、40%が漢族です。


http://4travel.jp/travelogue/10668846


こちらはタジク族ではないでしょうか。

なお、展示文物については、「地下博物館」アスターナ古墳出土品が中心になりますが、主だったものはEの「アスターナ古墳」編で紹介しましたので、こちらでは省略します。


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各民族の風俗、出土文物の展示と並んで、ウルムチ博物館で充実しているのが、ミイラなどのタクラマカン砂漠に埋もれていた古墳に関する展示・紹介です。

先ずは「小河墓」(しょうがぼ)遺跡

“有名な楼蘭(ローラン)や「さまよえる湖」のロプノールから西に約百キロの砂漠の中に、「小河墓地」があることは70年以上前から知られていた。
しかし、長くその存在は砂漠の砂に埋もれて分からなくなっていた。

今世紀になって、小河墓地は再び発見された。そして全面的な発掘調査が行われた。その結果、墓地からは164体ものミイラが発見され、しかもその最下層から発見されたミイラは、科学的鑑定の結果、紀元前2000年にまでさかのぼることが判明した。

さらに、DNA鑑定によって、最下層のミイラは、モンゴロイド(東洋系)とコーカソイド(白人)の混血であることが分かった。

この発見によってタクラマカン砂漠は、東と西の人種が初めて出会い、融合して、独自の文化を発展させた可能性が出てきた”【人民中国】


http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/25/32/40/src_25324026.jpg?1336633079

「小河墓」(しょうがぼ)遺跡の模型ですが、男根を象徴する先端の尖った墓標の下には女性の棺が、軍配のような女性性器を象徴する墓標の下には男性の棺が埋まっているそうです。

船のようなものは舟形棺です。「小河墓」の名が示すように、かつてはこの地には河が流れていました。船は冥界へ旅立つ死者の乗物ということでしょう。

この遺跡からは、約4000年前の小麦も発券されており、小麦、ひいては文明の伝播を考えるうえで重要視されています。

http://4travel.jp/travelogue/10668846

「小河墓」遺跡には数百体のミイラが埋葬されているそうですが、その中でも印象的なのが「小河美女」とも呼ばれるこのミイラです。
後ほど紹介する「楼蘭の美女」よりは、はるかに“美女”の名にふさわしい美しいミイラです。

長いまつ毛まで残っており、推定年齢は20歳、身長160cm。コーカソイド(白色人種)系と見られています。フェルトの帽子には鷹の羽飾りとお洒落でもあります。

顔には白いクリーム状のものが塗られているそうですが、腐敗防止のためなのか、死化粧なのかはわかりません。

ウルムチ博物館では、この「小河美女」に関するものは目にしませんでしたので、「新シルクロードの旅(講談社)」からの転載写真です。

http://4travel.jp/travelogue/10668846

こちらは且末(しょまつ チャルチャン)遺跡に埋葬されていた女性のミイラで、約2600年前のものと推定されています。

コーカソイドとモンゴロイド両方の特徴を兼ね備えているそうです。

且末は、楼蘭から400〜500kmはなれた、タクラマカン砂漠の南縁、
かつての西域南道に位置するオアシスです。

http://4travel.jp/travelogue/10668846

こちらが、有名な「楼蘭の美女」
約3800年前に埋葬されたと推定されており、年齢は45歳、身長は152cmで、「小河美女」とほぼ同時期です。

楼蘭王国が歴史に登場するのは紀元前176年ですから、「楼蘭の美女」は楼蘭王国より千数百年古い時代のものになります。

人種的にはコーカソイド(白色人種系)です。


復元された容貌
http://4travel.jp/travelogue/10668846


在りし日の「楼蘭の美女」
http://4travel.jp/travelogue/10668846

http://4travel.jp/travelogue/10668846


113. 中川隆[-6118] koaQ7Jey 2017年10月19日 07:38:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【衝撃】青い目の人間は、たった1人の共通祖先を持っていることが判明! 遺伝子HERC2の突然変異がもたらした神秘 2017.09.29
http://tocana.jp/2017/09/post_14583_entry.html


 世界中にいる青い瞳を持つ人々は皆、6000年ほど前に黒海周辺で暮らしていた、たった一人の人間の子孫であることが判明したという。英紙「Independent」の記事に反響が広がっている。

■瞳の色はどうやって決まるのか?

 ご存じの通り、世界には日本でもおなじみの黒や茶色から青や緑など、さまざまな目の色をした人間がいる。目の色を決めるのはメラニン色素の割合といわれ、メラニンの量が多い順に、虹彩の色は黒、茶色、緑、青になる。

 本来、人間の瞳の色はブラウンのみだったというが、ある突然変異が原因で青い目を持つ人々が生まれるようになった。それはHERC2という遺伝子上の、ほんの一塩基に生じた変異である。HERC2遺伝子は色素生産に関わるOCA2遺伝子の調整役を担っている。OCA2は目や毛髪、皮膚のメラニン生産に関わっていることで知られている。アルビノ(先天性白皮症)の原因となる遺伝子の一つでもある。

 変異を持ったHERC2遺伝子はOCA2の働きを妨げ、虹彩にメラニンの黒い色素ができないようにし、瞳の色を青くする。ヨーロッパ系で青い瞳を持つ全ての人々は、このほんの一箇所の遺伝子変異を持っているという。

 そして驚くべきことに、この変異は1万〜6000年前に黒海周辺で生まれた、たった一人の人間に由来しているという。その人間こそ、青い瞳を持つ全ての人々の遠い遠い祖先なのだ。

■お酒の強さで祖先がわかる?

 さて、DNA上のたった一箇所の遺伝子変異が、見た目や体質に大きな影響を与えているケースは他にも多数ある。日本で有名なのは、2型アセドアルデヒド脱水素酵素(ALDH2)の例だろう。

 ALDH2は体内でアルコール代謝に関わっており、ほんの少しの遺伝子上の違いがアルコールに強いか弱いかを決めている。アルコールは肝臓で有毒なアセトアルデヒドに変化し、さらに分解されて無害な酢酸に変わる。ALDH2に遺伝子変異が起こっていると、アセトアルデヒドの分解に時間がかかる。ほんの少しお酒を飲んだだけで赤くなり、頭痛や吐き気などを催すのは、体内に生じたアセトアルデヒドの毒性によるものだ。

 お酒の飲めない、俗に言う下戸タイプの遺伝子変異を持つのは、日本人を含むアジア系の人種のみといわれており、白人や黒人はほぼ全員がアルコールに強い酒豪の遺伝子を持つ。逆に酒に弱くなる遺伝子変異は日本を含む東アジア地域で見られ、おそらくは2〜3万年ほど前に中国南部地域で生じたのではないかと推測されている。

ALDH2遺伝子変異の分布。円グラフ上で薄緑・緑色で示されているのが下戸の遺伝子を持つ人の割合。
http://tocana.jp/2017/09/post_14583_entry_2.html


 酒の弱さは日本人の民族的特徴ともいわれている。遺伝子は両親から一つずつ伝えられるが、酒に弱い遺伝子を少なくとも一つ持つ日本人は全体のおよそ40%とされる。そして、日本人のおよそ5%は“下戸タイプ”の遺伝子しか持たないとされる。なお、そのような「真の下戸」は飲酒を楽しむことができない。酒で気持ち良くなるより先に、眠気や頭痛、吐き気などに襲われてしまうからだ。

 青い目や酒を受け付けない体質だけでなく、耳垢の乾湿や髪の毛の太さなども、たった一箇所の遺伝子変異がもたらした変化である。最近では遺伝子変異の地域的な分布や系統樹を追うと、その発祥の時代や場所がわかるようになってきた。体質や見た目から自分の祖先をたどり、その歩みを想像するのもまた一興である。
(吉井いつき)

参考:「Independent」、「Business Insider」、「Science Daily」、ほか
http://tocana.jp/2017/09/post_14583_entry.html


114. 中川隆[-6060] koaQ7Jey 2017年10月22日 07:48:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年10月16日 女優を餌食とする変態プロデューサー
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68676549.html


中央: セクハラを受けたヘザー・グラムとカラ・デラヴィーン
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右: 強姦被害者のリゼット・アンソニー
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/5/d/5d1afd73.jpg


  映画の都ハリウッドは今、有名プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein / 65歳)が引き起こしたセクハラ問題で揺れている。このワインシュタインは、弟のロバートと共に映画会社の「ミラマックス」を創設したユダヤ人で、退社後に「ワインシュタイン・カンパニー」を設立した大物だ。日本の映画ファンなら、ミラマックス社の作品を直ぐ思い出すだろう。例えば、『恋に落ちたシェイクスピア』とか、クエェンティン・タランティーノが監督を務めたヒット作『パルプ・フィクション』、同監督による『キル・ビル』、『シカゴ』、『スパイ・キッズ』が挙げられるし、日本のアニメ映画『ポケモン』を米国で上映したことで知られている。

ハーヴェイ・ワインシュタインが手掛けた作品と言えば、大ヒット・シリーズの『ロード・オブ・ザ・リングズ』とか、ジェシカ・アルバが出演した『シン・シティー』、ブラッド・ピットがナチス狩りの役を演じた『イングローリアス・バスターズ』、クリスチャン・ベール主演の『リベリオン』、マイケル・ムーア監督がジョージ・ブッシュ大統領を批判すべく制作した『華氏911』、ジュリエット・ビノシュとジョニー・デップが共演した『ショコラ』などが挙げられる。


ワインシュタインにセクハラを受けた女性たち

左: ゾーイ・ブロック / ジュディス・ゴドレッシェ
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右: ロザンナ・アークウェット
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  こうしたヒット作品を世に送り出したワインシュタインだから、業界の大御所となったのも理解できる。それに、ハリウッドはユダヤ人の人脈が蜘蛛の巣のように張り巡らされているから、同胞意識というか、義兄弟意識がかなり強い。だが、いくら偉いといっても、その地位を利用して立場の弱い女優を手込めにするのは論外である。ワインシュタインは人間の屑と呼んでも過言ではなく、はっきりと拒絶できない相手と分かっていて、無理やり犯そうとしたんだから悪質だ。

女の涙に神様が反応したのか、この助平プロデューサーに天罰が下った。ある一つのセクハラ事件が表沙汰になって、彼の悪事が暴かれ始めたのだ。(被害者女性が実際の録音テープを公開して話題になった。) すると、驚くべきことに、その被害者は一人や二人じゃなかった。何十人も名乗り出たのである。これにはセクハラに慣れたアメリカ人も呆れ顔になった。以前、当ブログで

甘言使いのユダヤ人「ズース」
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580121.html

や、

マリリン・モンローを性的に弄んだユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html

を取り上げたことがあるけど、ワインシュタインもそうした下劣なユダヤ人の一人である。

  被害者女性を全員挙げると長くなるので、有名な人物のみを紹介したい。まづ、人気急上昇のフランス人女優レア・セドゥー(Léa Seydoux)が受けたセクハラについて。皆様ご存じ、彼女は『ミッション・インポシブル/ ゴースト・プロトコール』や、007シリーズの『スペクター』に出演した若手の役者だから、日本人でも印象に残っている人が多いんじゃないか。

その美しいレア・セドゥーは、フッション・ショーの仕事で「ホテル・プラザ・アテネ」に滞在したことがあるという。ここで彼女はケダモノに等しいワインシュタインに襲われそうになった。ケアがワインシュタインの泊まっているホテルの一室を訪れ、ソファーに坐りながら彼と会話をしていると、突然、ワインシュタインが彼女に覆い被さり、強引にキスを迫ったそうだ。

(Molly Redden and Amana Fontanella-Khan, "Lea Seydoux says Harvey Weinstein tried to sexually assult her", The Guardian, 11 October 2017)

レアは咄嗟にこの“襲撃”を跳ね返そうとしたが、それは非常に困難だった。というのも、相手は大柄で体重のある男だ。まるで、熊に襲われた兎のような状態である。こんな奴が抱きついてきたら身動きがとれない。しかし、火事場の馬鹿力というのもあるので、必死になったレアは奇蹟的に逃れることができたという。

("Harvey Weinstein : Actress Lea Seydoux describes night Hollywood mogul jumped on me ", ABC News Australia, 12 October 2017)


(写真 / レア・セドゥー)
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  ワインシュタインはもう一人別のボンドガールにも手を出していた。それは、007シリーズの復活作『カジノロワイヤル』で悲劇の恋人役を演じたエヴァ・グリーン(Eva G. Green)である。しかし、今回の告発を行ったのは、彼女ではなく、母親のマルレーヌ・ジョベール(Marléne Jorbert)であった。この母親は、一連のスキャンダル報道を耳にして、娘が蒙ったセクハラをどうしても明らかにしたかったそうである。娘を愛する母親にしたら、このゲス野郎が罰を受けずに生きて行く事など絶対に赦せない。日本人の親だってその気持ちは理解できる。だから、マルネーヌが何としても一矢報いたい、と考えてもおかしくはない。


左と中央: 娘のエヴァ・グリーン
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右: 母のマルレーヌ・ジョベール
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  この憤慨する母親によれば、娘のエヴァが被害に遭ったのは、2010年から11年に掛けての頃だったという。

(Peter Mikelbank, "Harvey Weinstein Allegedly Threatened to Destroy Bond Star Eva Green After She Refused His Sexual Advances", People, October 13, 2017)

ところが、セクハラを受けたエヴァはワインシュタインとの確執を避けるため、事を公(おおやけ)にすることはしなかった。というのも、この変態プロデューサーは業界の大御所で、絶大な権力を握っているから、小娘の女優が太刀打ちできる相手じゃない。

「お前なんか、いつでも叩き潰すことができるんだぞ」

と暗に脅されれば、黙っているしかないだろう。マレリーヌは娘がひどく怯えており、その話題について語ることはなかったそうだ。エヴァは頭から拭うことのできない、その「事件」については忘れることにしたらしい。母のマルレーヌはたいそう悔しかったようで、ワインシュタインを「太った豚(Big Pig)」と呼んでいた。

  セクハラ事件は双方の言い分を照らし合わせて考えねばならないが、ワインシュタインのケースは被害者側の証言に信憑性が高い。何故かと言えば、彼は“常習的”にセクハラ行為を繰り返していたからだ。イギリス人役者のケイト・ベッキンゼール(Kate Beckinsale)も、かつて被害者であった。彼女は、吸血鬼を題材にした人気シリーズ『アンダーワールド』に出演し、『ヴァン・ヘルシング』、『アビエイター』にも登場した美人女優だ。

事件は彼女がまだ17歳の時に起こった。まだ高校に通っていたケイトは、ワインシュタインからコンファレンス・ルームに来るよう言われ、彼が待っている部屋をノックしたそうだ。すると、ワインシュタインがドアを開けて彼女を中に入れようとしたのだが、その時、彼はバスローブ姿であったという。まだ子供だったせいか、ケイトは性的な要求があるとは予想もしていなかった。まさか、目の前に居る中年男性がイヤらしいことを考えているとは思ってもみなかったのである。

ケイトを迎え入れたワインシュタインは、この少女に酒を勧めたそうだが、彼女は身の危険を察知し、その誘いを断り、午前中に授業があるからとの言い訳を述べて部屋を後にしたという。

(Seth Kelly, " Kate Beckinsale Details Harvey Weinstein Encounter : He Couldn't Remember If He Had Assulted Me", Variety, October 12, 2017)

それから二、三年後、ワインシュタインはケイトに再会したそうだ。その時、彼は「初対面の時に何かしたかな?」と尋ねたらしい。つまり、彼は「あの時」の事をよく覚えていなかったのである。そりゃあ、何十人もの若手女優に魔の手を伸ばしていたんだ。余りにも“多くて”一々覚えていられなかったのであろう。


(写真 / ケイト・ベッキンゼール)
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  『誘惑のアフロディーテ(Mighty Aphrodite)』で助演女優賞を獲得した、ミラ・ソルヴィノ(Mira Sorvino)も性的被害に遭っていた。1995年、彼女がトロント国際映画祭に赴いた時、ワインシュタインは彼女に迫ってきたそうだ。彼は一緒に仕事をしていたミラに肉体関係を求めてきたという。

ワインシュタインはそのイヤらしい手で彼女の肩を揉み始めたので、ミラは鳥肌が立つほど不愉快だった。そんなことを気にせぬワインシュタインは彼女を付け回した。そこで、ミラは彼との「交際」は自分の信仰に反する、つまり宗教的誡律により、既婚者とは付き合えないとの口実を設け、彼の求愛を斥けたそうだ。
(当時、ワインシュタインは元アシスタントのイヴ・チルトンと結婚していた。)

Mora Sorvino 1(左 / ミラ・ソルヴィノ)
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 しかし、ワインシュタインは諦めきれず、その後もミラに電話を掛けてきたという。ある時、彼は電話越しに「君のアパートに行くから」と告げて電話を切り、本当にやって来たそうだ。しかも、アパートを護衛しているはずのドアマンを素通りして、彼女の部屋に辿り着いてしまったらしい。ストーカーみたいな男がベルを鳴らし、ミラがドアを開けると、ワインシュタインは彼女のペット(チワワ)を抱きかかえて立っていたという。もう、彼女は震えが止まらなかった。そこで、焦った彼女は、もうすぐボーイフレンドがやって来るから、との理由で彼を追い払ったそうだ。

(Ronan Farrow, "From Aggressive Overtures to Sexual Assult : Harvey Weinstein's Accusers Tell Their Stories", The New Yorker, October 23, 2017)

こんな怖ろしい目に遭ったミラだが、彼女はワインシュタインの力を恐れていたので、公然と彼を非難することができなかった。もし、この性的嫌がらせを通報したら、彼女のキャリアは終わってしまうからだ。当時、ミラマックスの女性社員もワインシュタインの被害者となっていて、ミラはその事を知っていたという。権力者には楯突くことができない。つまり、セクハラを受けた女性たちは泣き寝入りするしかないのだ。

  スケベ中年を体現するワインシュタインは、特に若い女を「大好物」にしていた。イギリス人女優のジェシカ・ハインズ(Jessica Hynes)は19歳の時、ある映画のオファーが来たそうだ。この映画を制作するスタッフの中にワイシュタインがいたそうで、彼は「スクリーン・テスト」という名目で彼女に対し、ビキニ姿になるよう言い付けた。ところが、この命令に憤慨したジェシカは断固拒絶。すると、彼女は役を失ってしまったそうだ。

(Nicole Bitte, "Actress Jessica Hynes claims Harvey Weinstein asked her to audition in a bikini", New York Daily News, October 6, 2017)

たぶん、ワインシュタインは「オーディション」にかこつけて、彼女の「肉体」を眺めたかったのだろう。


左: ジェシカ・ハインズ
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右: カラ・デラヴィーン
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/b/c/bcdc436e.jpg


  変態というのは様々な性癖を持っているようで、自分で犯す以外に他人に卑猥なことをさせて喜ぶ場合がある。イギリス人のファッション・モデルで女優業も営むカラ・デラヴィーン(Cara Delevigne)も、ワインシュタインの性癖に戸惑った女性の一人だ。

彼女がこのプロデューサーとミーティングを行った際、ワインシュタインはカラに別の女性とキスをしてくれと頼んだそうだ。つまり、レズビアン・ショーを期待していたのだろう。

また、彼女がワインシュタインと二人っきりになった時の事である。彼は自分が出逢った女優全員と寝たことを自慢し始め、その後、彼女たちがいかに出世していったかを滔々と語ったそうである。そして、ワインシュタインはカラに自分の部屋に来るよう誘ったそうだ。

もちろん、彼女は即座に断った。当り前だ。こんな話を聞いた後で、誰が部屋を訪れるというのか。いくら無防備なペンギンだって、危険を察知する本能を持っているから、全速力でその場を後にするだろう。日本の鴨(カモ)だって、ワインシュタインを見たら、ネギじゃなくてペッパー・スプレーを手にするはずだ。

  この卑猥なユダヤ人は、いたいけな10代の乙女のみならず、既婚者や身持ちの堅い婦人にもその毒牙を向けていた。彼はミラマックス社の依頼で脚本編集を手掛けていたリザ・キャンベル(Liza Campbell)に食指を伸ばしたそうだ。彼女はコードア伯爵(Earl of Cawdor)の娘で、1995年当時、彼女は離婚して英国に戻っていた。リザは『恋に落ちたシェイクスピア』や『アンユージュアル・サスペクト』を担当した脚本家でもある。

彼女は映画の脚本の件でワインシュタインが泊まっている「サヴォイ」ホテルの部屋を訪ねた。二人が会話を交わしてしばらくすると、彼は何故か浴室に向かい、服を脱ぎ始め、お湯を張った浴槽に入り始めたという。そして、彼は浴室から、

「来いよ! きっと楽しいぞ。ここにシャンペンもあるし、オレを洗ってもいいんだぞ」と呼びかけたそうだ。

(Valerie Edwards, "Harvey Weinstein stripped, asked me to jump in the bath and soap him at the Savoy", Daily Mail, 9 October 2017)

この破廉恥な誘いに彼女は激怒した。

「私は子を持つ母親で、立派な大人なのよ ! 初心(うぶ)な小娘じゃなんんだから !」

と言い返したそうだ。彼女の描写によれば、ワインシュタインは“アバタ(膿疱)”ヅラの牛みたいに「でっぷりとした」男で、『ソプラノズ(The Sopranos)』に出てきそうな殺し屋にソックリだったという。(この『ソプラノス』はアメリカで大ヒットしたTVドラマである。) 確かに、ワインシュタインはラス・ヴェガスでふんぞり返るユダヤ人ギャングのような人相をしている。


左: リザ・キャンベル
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左 アシュリー・ジャッド
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  性慾が剝き出しのワインシュタインには、女性をおびき寄せる時に使う十八番(おはこ)があった。彼はこの手口を用いて女優のアシュリー・ジャッド(Ashley Judd)を「モノ」にしようとしたことがある。

今から約20年前、ワインシュタインは「ペニンシュラ・ビヴァリー・ヒルズ」ホテルに泊まっていた。アシュリーは仕事を介した朝食会だと思って、彼が泊まるホテルを訪れたそうだ。ところが、ワインシュタインは彼女を自分のスウィート・ルームに向かわせ、バスローブ姿で彼女を迎えたという。そこで、狙いの女優をおびき寄せたワインシュタインは、アシュリーに「マッサージ」を頼んだそうだ。ところが、残念至極。彼女はきっぱりと断った。

(Brian Neimietz & Nancy Dillon, "Harvey Weinstein admits his behavior has caused women pain after Ashley Judd, others accuse him of harassment, New York Daily News, October 5, 2017)

左 アシア・アーゲント
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  しかし、どうもワインシュタインは頻繁にこの手口を用いていたようで、イタリア人女優のアシア・アーゲント(Asia Argento)にもマッサージを頼んでいたそうだ。しかも、ローションまで持参していたそうだから、「いつも」の調子だったんだろう。

彼女の場合はもっと深刻で、ワインシュタインは彼女に尺八、つまり「オーラル・セックス」まで強要したそうだ。

(Ronan Farrow, "From Aggressive Overtures to Sexual Assult : Harvey Weinstein's Accusers Tell Their Stories")

まったく、呆れた野郎だ。こんな奴のペニスをしゃぶるなんて穢らわしい。噛み千切ってゴミ箱にでも捨ててやればいいのに。でも、後味が悪そうだから、止めた方がいいかも。(例えば、脳裡に焼き付いてしまって、ホットドックが食べられなくなるからねぇ。)

  女優を食い物にするワインシュタインは、同様の手口で自分の社員にも股間を膨らませていた。

2014年、彼は臨時雇いのエミリー・ネスター(Emily Nester)を「ペニンシュラ・ビヴァリー・ヒルズ」ホテルに呼びつけ、ある「取引」を持ち掛けたという。

それは、もし彼女が「性的奉仕」を受け容れるなら、出世させてやるぞ、という内容であった。

翌年にも同様のセクハラが、このホテルの一室で行われたそうで、彼はある女性アシスタントを招き、裸のワインシュタインが彼女にマッサージをしてくれ、と迫ったそうだ。すると、彼女は恐怖の余り泣き叫び、取り乱したそうだ。

(Jodi Kantor and Magan Twohey, "Harvey Weinstein Paid Off Sexual Harassment Accusers for Decades", The New York Times, October 5, 2017)

そりゃそうだろう。あんな形相のデブが丸裸になって近寄ってくるんだから、全身に戦慄が走ってもおかしくはない。そもそも、「マッサージをしてくれ !」じゃなくて、「マッサージをさせろ !」の間違いじゃないのか。各事件の詳細と結末は定かではないが、少なくとも八名の被害者女性はワインシュタインとの示談に応じたそうだ。


精子を発射する変態オヤジ

左 ローズ・マッゴーワン)
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  セクハラだけでも嫌なのに、強姦までされた女性は本当に憐れだ。TVドラマ『チャームド: 魔女3姉妹』で有名なローズ・マッゴーワン(Rose McGowan)も、ワインシュタイの餌食となった犠牲者の一人である。

彼女は23歳の時、ホテルの一室で強姦されたそうだ。事件後、ローズはアマゾン・スタジオにレイプを訴えたそうだが、スタジオ側は彼女に冷淡で、その訴えを無視したばかりか、彼女の番組を終了させてしまった。しばらくして、彼女はワインシュタインの示談に応じたそうだが、今回の騒動を受けて昔の屈辱を暴露することにしたそうだ。

(Sam Levin and Olivia Solon, "Rose McGowan alleges rape by Harvey Weinstein and Amazon ignored claim", The Guardian, 13 October 2017)

  たぶん、ワインシュタインによる一連のセクハラ事件が明らかになったので、ローズもようやくその重い口を開けることにしたんだろう。それにしても、スタジオ関係者は情けないというより、人間として最低でモラルのカケラも無い。臭い物に蓋をして「無かった事」にするなんて酷いじゃないか。おそらく、ワインシュタインが大物プロデューサーだから、アマゾン・スタジオも表沙汰にできず、封殺することで乗り切ろうとしたんだろう。

アマゾンの最高責任者であるジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)は、常日頃リベラル派気取りで善人を演じているが、いざ権力者を前にすると手のひらを返してしまうんだから、「口先番長」に過ぎない臆病者である。リベラル派というのが如何に偽善者なのかが、これで一般人にもよく判るだろう。

  偶然と不幸はシャムの双子のようにくっつくことがある。ワインシュタインが犯した数々の悪行を知れば、ハリウッド・スターのブラッド・ピット(Brad Pitt)が、このユダヤ人をぶっ飛ばしたくなるのも納得できるだろう。事件はかなり昔に起きていた。今では大女優になっているグウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)が、ブラッド・ピットの恋人であったことはよく知られている。

事件は彼女がまだ売れていない22歳の頃に起こった。彼女はワインシュタインの映画『エマ』で初めての配役をもらい、胸を弾ませて準備を整えていた。すると、彼女はミラマックス・スタジオのボス、則ちワインシュタインからビヴァリー・ヒルズにあるペニンシュラ・ホテルのスウィート・ルームに来るよう命ぜられた。「打ち合わせ」という件でやって来たグウィネスは、そこで“予想外”の体験をすることになる。

ワインシュタインは彼女の体に手を掛け、ベッドルームで例の「マッサージ」をしてくれるよう仄(ほの)めかしたというのだ。まだ、駆け出しの役者だった彼女は、未知の恐怖で凍りついたという。


左: グウィネス・パルトロー
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右: グウィネスとブラッド・ピット
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  だが、グウィネスは意思が強かったのだろう。彼女はボスの誘いを断った。そして、当時付き合っていたブラッドに「事件」を打ち明けたそうだ。激怒したブラッドはワインシュタインに詰め寄り、彼の胸を指で突きながら「二度と彼女に手を出すんじゃないぞ !」と脅したらしい。さすが、ブラッド・ピットだ。単なるハンサム青年じゃない。男はこうでなくっちゃ。「どうぞ、心ゆくまでご賞味ください」なんて言う男は最低だ。

ブラッドはハリウッドの大御所に対して怯まなかったところが凄い。その後、グウィネスと会ったワインシュタインは、彼女に「あの事を他人に喋るんじゃねえぞ !と釘を刺したそうだ。『エマ』に出演していたグウィネスは、もし誰かに喋ったら役を降ろされるんじゃないかと心配していたらしい。案の定、ワインシュタインは腹癒せに彼女をしょっちゅう怒鳴りつけていたそうで、クウィネスには拷問のような日々であったそうだ。

(Raechal Leone Shewfelt, "Gwyneth Paltraw, Angelina Jolie, and others say Harvey Weinstein harassed them", Yahoo Celebrity, October 11, 2017)

左: ジェニファー・アニストンとブラッド
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右: ブラッドとアンジェリーナ・ジョリー
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  ブラッド・ピットがグウィネスと別れた後、女優のジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)と付き合い、結婚寸前まで漕ぎ着けたというのは広く知られている。しかし、その二枚目俳優を美人女優のアンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)が掠奪する形で、そのハートを射止めたことも有名だ。

ところが、このアンジェリーナもワインシュタインの被害者だった。彼女は若い頃、この助平プロデューサーからセクハラを受けたそうで、それ以来、ワインシュタインとの仕事を拒絶し、他の女優にも警告を発していたそうだ。ただし、夫のブラッドはワインシュタインの映画『イングローリアス・バスターズ』に出演していた。何故かと言えば、監督が友人のクウェンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)であったから、しぶしぶオファーを受け容れたのだ。(現在、ブラッドはアンジェリーナと離婚しているから、「元夫」になっている。)

左 ルイゼット・ガイス
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  ワインシュタインの話をすると、もう厭になってくるし、吐き気がする。でも、省略できない事件があるから意地でも紹介したい。女優で脚本家も務めるルイゼット・ガイス(Louisette Geiss)は、ワインシュタインの「奇行」を暴露した。

2008年、彼女がサンダンス映画祭に出席し、映画の売り込みを行っていた時の事だ。彼女はワインシュタインのオフィスに行き、そこで映画について彼と話をしていた。ワインシュタインは彼女の作品に大変興味を示していたのだが、30分くらい経った頃、彼は席を外し、浴室の方に行ってしまった。ところが、戻ってきたワインシュタインはバスローブ姿に着替えていたという。しかも、前の部分がチラリと開いているんだから唖然とするじゃないか。

彼は映画の話を続けてくれとルイゼットに告げたというが、彼は隣に設置されている浴槽に入ったそうだ。彼女は驚いたが、仕方なく話を続けることにした。

  すると、信じられない事が起こった。調子に乗ったワインシュタインは、マスターベーションするから見ていてくれ、と彼女に告げたのだ。日本人女性なら、「えっっっ、何?! 冗談でしょ !」と声を荒げてしまうだろう。本当に信じられないが、バスタブに浸かるワインシュタインは、自慰行為を見物して欲しかったそうである。

呆れたルイゼットは、即座に「帰る !」と言い出し、自分のバッグを手にして部屋を出ようとした。すると、ワインシュタインが追いかけてきて、彼女の腕を摑み、浴室に連れ戻すと、再度ルイゼットに「観ていてくれ」とせがんだそうだ。

(Raechal Leone Shewfelt, "Gwyneth Paltraw, Angelina Jolie, and others say Harvey Weinstein harassed them" )

もう、ワインシュタインは「アホ」を通り越して「病気」である。「病膏肓(やまい・こうこう)に入る」と言うが、ワインシュタインの場合、内臓だけじゃなく、脳幹の奥にまで病が進行していたんじゃないか。

  テレビ局で仕事をしていたジャーナリストのローレン・サヴァン(Lauren Sivan)も、十数年前、同様の“おぞましい”事件に遭っていた。彼女がキューバ風のクラブ兼レストランである「カフェ・ソシアリスタ」に招かれた時だ。ワインシュタインは彼女を店のキッチンに連れ出し、厨房に居たスタッフを追い払うと、ローレンにキスをしようとした。彼女がワインシュタインを押しのけ、そのセクハラを拒絶すると、彼は後ずさりして次のように言ったという。

「いいか、君はそこに立って、黙っていれはいいんだ」と。

彼は厨房の出口を塞ぐと、おもむろに自分のペニスを取り出し、マスターベーションを始めたという。この変態野郎は興奮が絶頂に達したので、すぐ側にあった植木鉢に射精したそうだ。

(Harvey Weinstein Allegedly Masterbated in front of a TV Reporter, Ejaculated into a neaby Potted Plant", Perez Hilton, October 7, 2017)

左: ローレン・サヴァン
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中央と右: アンジー・エヴァーハート
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  ワインシュタインは他の女性に対しても、同様の異常性癖を“披露”していたようで、トップ・モデルのアンジー・エヴァーハート(Angie Everhart)も被害者であった。彼女はKLOSラジオに出演した際、自身の体験を物語っていたという。

数年前、彼女がヴェニス映画祭に参加した時、ワインシュタインと一緒に船に乗船したことがあるそうだ。彼女が部屋で寝ていると、ふと誰かが側に居ることを気づいた。何と、ワインシュタインがベッドの脇に立っており、彼女の面前でマスターベーションをしていたというのだ。「きゃゃゃー !!!!」と絶叫したかどうかは定かではないが、アンジーが恐怖で凍りついたのは確かである。

(上掲記事 Peter Mikelbank, "Harvey Weinstein Allegedly Threatened to Destroy Bond Star Eva Green After She Refused His Sexual Advances")

これって、四谷怪談より怖いじゃないか。枕元に幽霊じゃなくて、変態のユダヤ人が立っていたなんて。

  もう、嫌だ。言葉が出ない。人間の屑だ。こんな奴が尊敬を集める業界人だなんて信じられない。ワインシュタインには羞恥心が無いのか? 被害者女性もさることながら、彼の妻であるジョージナ・チャップマン(Georgina Chapman)と二人の子供が不憫だ。夫人の方は悪い男を選んだとして諦められるが、娘のインディア・パールはまだ7歳だし、息子のダンシェルは4歳だから、二人の人生を考えれば気が重くなる。また、ワインシュタインには前妻との間に三人の子供がいるから悲惨だ。長女のレミーは22歳で、次女のエマは19歳、末っ子のルースは15歳だから、まだ多感な時期である。マスコミによる連日の報道で、父親の醜態が世間にバレたんだから、彼らが学校に行きたくないとグズっても無理はないだろう。ワインシュタインは治療に取り組むと発表していたが、そんなことで家族の屈辱感が消えるのか? ユダヤ教では自殺が禁止されているけど、潔く「腹を切れ」と言いたくなる。


左: ジョージナ・チャップマン
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中央: ワインシュタイン夫妻
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右: ハーヴェイと娘のインディア・パール
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日本でも起こりうる事件

  我々は米国での醜聞を耳にして、対岸の火事と思いがちである。しかし、我が国の藝能界だって異民族に支配されるという恐怖は存在するはずだ。例えば、朝鮮系の大物プロデューサーとか、大手プロダクションの重役とかが、若い歌手や女優の卵などに目を附け、権力を用いて手込めにしようと目論むかも知れない。

日本の藝能界は驚くほど閉ざされた社会で、主要な藝能事務所が仕切っている。個人の歌手や俳優が勝手に活動できないし、独立の動きを見せれば直ちに潰されるか、干されるかのどちらかだ。事務所と個人の「契約」と言えば聞こえが良いが、実質的には「隷属」を強いる承諾書に過ぎない。「自動更新」なんて実質的に奴隷契約だ。

だから、助平な藝能業界人が美人女優に手をつけても、その被害者女性は抵抗できないし、強姦とかセクハラで訴えることもできない。暴力団に囲われた娼婦と同じである。もし、告発したら藝能生命が絶たれてしまうし、たとえ示談に漕ぎ着けても、その後の処遇がどうなるか判らない。もしかしたら、「来るはず」の役どころがキャンセルされて、出演している番組からも降ろされてしまう可能性だってある。そして、いつの間にか仕事が減ってくるという恐怖もあるんじゃないか。

権力者の「誘い」を断れば、こうした“仕置き”が待ち受けていると思えば、“成功”を目指す若手女優は助平ジジイからの“性交”を拒めないだろう。しかも、こうした下郎のバックにはヤクザが控えていたりするから尚更だ。


左: ブライス・ダナー
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右: 両親のブライスとブルースと一緒のグウィネス
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  ワインシュタインに犯されたり、恐怖の瞬間を味わった女性にも、両親や兄弟がいるはずだが、その家族は今どう思っているのか? 例えば、グヴィネス・パルトローの母親は女優のブライス・ダナー(Blyth Danner)で、亡くなった父親のブルース・パルトロー(Bruce Paltrow)は映画のプロデューサーだった。父のブルースは2000年に映画『デュエット(Duets)』を制作し、娘のグウィネスを主演に据えていたが、娘の過去を知っていたのかどうか判らない。ただ、映画界にはトンデモない野獣がいるということだけは知っていたはずだ。

母親のブライスも若手女優を食い物にする映画関係者がいることを知っていたはずだから、娘の災難は予測できたはずなのだが、子供の藝能界入りを阻止できなかった。

アンジェリーナ・ジョリーの両親だって判っていたはずだ。彼女の父親は有名俳優のジョン・ボイド(Jonathan V. Voight)だし、今は亡き母親のマルシア・リン・ベルトランド(Marcia Lynn Bertrand)もカナダ人女優だったから、藝能界の危険性を承知していたはずである。


中央: アンジェリーナ / 右: マルシア・リン・ベルトランド
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  一方、藝人となった日本人の親はどうなのか?

二世藝人の親はともかく、藝能界とは係わりを持ったことの無い者がほとんどだろう。一般的に、実家の両親は娘がテレビや映画で活躍する姿を観て喜ぶが、その裏で凌辱されているなどとは夢にも思わない。セクハラを受けた娘だって両親に心配をかけたくないから黙っているし、警察沙汰にもできないから、「事件」は闇に葬られるのがオチだ。

でも、愛する娘が朝鮮系のゲス野郎に犯されたと知った父親はどう思うのか、ちょっと興味がある。

大抵の親は泣き寝入りするだろうが、中には復讐を誓う父親が出てくるかも知れない。日本人のクズでさえ嫌なのに、朝鮮人のケダモノに我が子を犯されたら殺したくなる。したがって、娘を凌辱した変態に対しては、バックハンド・ブローとか下段蹴りくらいじゃ気が治まらない。やはり、相手のアゴに膝蹴りを数発とか、二度とセックスが出来ないように股間を踏み潰したりすべきだ。

まぁ、ホドリゴ・ノゲイラ風にアナコンダ・チョークとはいかなくても、拳の鉄槌で相手の鼻か肋骨をへし折るとか、マウント・ポジッションで肘(ひじ)を顔面に突き刺すとかしたいだろう。法律的には傷害罪となるが、日本人の感情としては当然の「報い」となる。

  娘の藝能界入りを許す親は、見知らぬ男に「弄ばれる」ことをも覚悟すべきだ。

日本の藝能界には朝鮮系だけじゃなく、帰化した支那人も参入してくるから、可愛い娘は「格好の餌食」となるだろう。

自宅でぐーすかイビキをかいて寝ている父親は、箱入り娘が裏でこっそり犯されても気づかない。追い詰められた娘の前で、変態プロデューサーがその穢らわしい精子を娘に吹き掛けるなんて、想像するのもおぞましいじゃないか。

日本人に怨みを抱く朝鮮系や支那系のプロデューサーだと、「性奴隷を弄んだ日本人への復讐だ !」なんて言い出しかねないぞ。やはり、藝人の娘を持つ親は、“イザ”という時に備えて、必殺仕置人とかを雇っておかなくっちゃね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68676549.html


ユダヤ人が弄ぶ淫売白人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の巣 (前編)
役者は売春婦と同じ職業
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580121.html

  ナチス時代以前のドイツでも、甘言を使って白人娘をたぶらかすユダヤ人が、よく小説や風刺画の主題になったのもである。現在だと1940年に制作された『ユダヤ人ズース(Jew Süß)』が反ユダヤ主義映画として有名だ。これはウィルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff)原作の小説を基にして作られた作品で、ヴィッテンベルクのカール・アレグザンダー公爵に仕えたヨセフ・ズース・オッペンハイマーという宮廷ユダヤ人がモデルになっている。

映画の中では、貪欲なユダヤ商人ズースが貴族に近づき権力を得るや、一目惚れしたアーリア人女性に言い寄り、遂には自殺にまで追い込むというストーリーが挿入されていた。

つまり、この作品の中には、美しく純粋なゲルマン人娘に下劣で醜いユダヤ人が近寄り、お金に物を言わせて性的に征服するんだ、という警告が含まれている。こんなプロパガンダ映画を観たユダヤ人は、「ナチスによる人種偏見だ」、「反ユダヤ主義者による差別だ」、と怒り狂うだろうが、1970年代以降のハリウッド映画を観ていると、あながち嘘だとは思えない。アメリカの映画界を独占するユダヤ人が制作する作品には、ユダヤ人男優が西歐系白人女性を手込めにする物語が矢鱈と多いのである。


  セム種族の遺伝子をふんだんに持つ異邦人にとって、西歐系白人女性を手込めにするのは、「成功の証(あかし)」である。

よく、高校時代にモテなかったユダヤ人少年が、可愛いチアリーダーを恋人にする白人の同級生を羨み、「いつかはオレも」と思いながら勉強に励むことがある。しっかりと猛勉強して金融業界とか法曹界に入り、大金を稼ぐようになると、秘書として雇った西歐人娘と情事を重ねたり、パーティーで知り合った白人美女を妻にしたりする。これがいわゆる「トロフィー・ワイフ」で、社会的地位を築いたユダヤ人ビジネスマンの自慢となる。

例えば、「ワンダー・ウーマン」で人気女優となったリンダ・カーター(Lynda Carter)と結婚したロバート・アルトマン(Robert Altman)が有名だ。1991年に彼が法律顧問を務めていたBCCI(国際金融商業銀行)が、不法営業や不正疑惑で非難された時、カーターは夫のロバートにくっついて公聴会に顔を出していた。たぶん、当時のニュース映像を覚えている方も多いんじゃないか。きらびやかな美人妻が、冴えない男に付き添っていたのだ。嫌でも目に入る。

しかしながら、CIAの裏工作や資金洗浄を手助けしていたアルトマン見ていると、やっぱりユダヤ人って金融業がよく似合っているなぁ、と思えてくる。序でに言えば、BCCIでアルトマンの相棒にsっていたのは、あの元国防長官クラーク・クリフォード(Clark Clifford)であった。


左: リンダ・カーター
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中央: ロバート・アルトマンとリンダ夫人
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  ハリウッドがユダヤ人によって創設され、隅々まで支配されいることは、多くの知識人やジャーナリストが明らかにしている。例を挙げれば、『The Empire of Their Own』を執筆したニール・ギャブラー(Neal Gabler)とか、ユダヤ人記者のジョエル・シュタイン(Joel Stein)などが有名だ。また、若手のユダヤ人論客ベン・シャピロー(Ben Shapiro)がハリウッドの大物に会ってインタヴューを行い、「プライムタイム・プロパガンダ(Primetime Propaganda)」という本を出版している。

一応、保守派知識人のスタンスを取るシャピロは、著書の中でユダヤ人がいかに左傾化しているか、どのようにテレビ局やマスメディアを牛耳っているかを述べていた。ユダヤ人の中には、権威に楯突くことを趣味にしている人物が多いから、我々は時たま貴重な証言を聞くことが出来てしまう。例えば、左翼系作家のアプトン・シンクレア(Upton Sinclair)は、ハリウッドのユダヤ人がどのように白人娘を扱っていたかについて述べていた。彼は女優たちの事に触れ、

「ユダヤ商人はキリスト教徒の乙女を売春婦や妾として売りさばいたよなぁ。今日でも私が住む南カルフォルニアで、同じ活動を展開しているんだよね」

と語っていたのだ。うわぁぁぁ !! こんなこと言ったらアメリカでは自殺行為だぞ。でも、悪名高い左翼組織のACLUに属していた過激派だから、悪魔のようなユダヤ人に対して遠慮が無い。さすが、ユダヤ人と同類の白人左翼には度胸がある。「勇気」という掛け声だけは“いっちょ前”の保守派論客とは出来が違う。ユダヤ人からの批判にびくともしないんだから、日本人はこうした図太いアメリカ人左翼に学ばなきゃ。


(左: アプトン・シンクレア / 中央: ニール・ギャブラー / 右: ベン・シャピロー)

  「紙の爆弾」を投げつけるのは、何も左翼活動家ばかりとは限らない。映画「ハムナプトラ」や「ナイロビの蜂」で人気女優となったレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)が、意外な発言を行っていたのである。

彼女はハンガリー系ユダヤ人の父親とカトリック信徒だったイタリア系オーストリア人の母親(後にユダヤ教に改宗)との間に生まれたユダヤ人娘である。英国籍を持つレイチェルは、ケンブリッジ大学に進んだ才女で、私生活では一度目の結婚で息子を産んだあと離婚し、「007」のボンド役俳優で脚光を浴びたダニエル・クレイグと再婚したことは記憶に新しい。彼女はユダヤ人ジャーナリストのエマ・フォレストにインタヴューを受け、ハリウッドがユダヤ人によって仕切られている事実を語っていた。エマが

「ユダヤ人の民族性が役者の枠を縮めてしまう事があるのか?」

と尋ねると、レイチェルは以下のように答えていた。

  まあ、いつもそう感じるんだけどけど、私たちユダヤ人はエキゾテックであることから逃れることができるのよ。私たちは一種の偽装したユダヤ人なの。大きな鉤鼻と太った顔があなたにも影響を与えているのよ。それを認めるって怖いじゃない。

  対するエマはこう述べる。

  そうね、ジャッーキー・メイソンが或るジョークを言っていたわ。ユダヤ人のように見える事を欲する女性なんか一人もいない、てっね。「もしかしたら、あなたはは私が可愛いイタリア人と思うかも知れないし、私はロシア人に見えるかも。たぶん、スペイン人に見えるのかしら。・・・・でも、やはりユダヤ人に見える」だって。


左: レイチェル・ワイズ
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右: 夫のダニエル・クレイグと一緒のレイチェル
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  まぁ、ユダヤ人は根本的にヨーロッパ人と違うから、どうしてもユダヤ人的な人相が目立ってしまう。ただ、昔から様々な国に住みついて、現地人と結婚したりするから、ユダヤ人的容姿が薄くなることがよくある。レイチェル・ワイズの場合、中東系のセム種族というより、チェコかハンガリーに住むヨーロッパ人女性のように見える。しかし、それでもハリウッドの映画会社はなるべくなら、売り出す役者をヨーロッパ人のように見せたい。ユダヤ風の名前だと響きが悪いから、ユダヤ人と分からぬよう英国風に変えてしまうことがよくある。

映画ファンの間で知られているのは、ロシア(ベラルーシ)からの移民「イサー・ダニエロヴッチ(Issur Danielovitch)」から改名した「カーク・ダグラス(Kirk Douglas)」、ジェイミー・リー・カーティスの父親は有名な「トニー・カーチス(Tony Curtis)」だが、元の名前は「ベルナルド・シュワルツ(Bernard Schwartz)」だ。

レイチェルも19歳でアメリカに進出した時、エージェントから「ワイズ」という姓を変えろと勧められたそうだ。そこで、彼女は「どうして? ユダヤ人がハリウッドを牛耳っているから? 」と尋ねた。彼女のエージェントは「そうだよ」と答えたそうだ。ところが、その理由がとんでもなく凄いものだった。彼によれば、映画会社の重役たちは「役者」を「シクサ(shiksa)」がする職業と考えていたのだ。


左: カーク・ダグラス
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中央: トニー・カーチス
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左: 娘のジェイミー・リー・カーチス
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  ところで、この「シクサ」とはいったい何か?

普通の日本人なら、まず聞いたことがないだろう。ユダヤ人の言葉たるイデッシュ語で、「不浄な動物」、つまり異教徒(ゴイム/家畜並みの人間)の女性を意味する侮蔑語なのだ。具体的に言えば、異教徒、特にキリスト教徒の女、すなわち淫売のように“ふしだらな”女を指している。

神様に選ばれし清らかなユダヤ人にとったら、いくら演技とはいえ、人前で丸裸になったり、見知らぬ男とセックスして雌犬の如く喘ぎ、雌牛みたいに乳房を揉まれたりする西歐人の女は、穢らわしい売春婦なのだ。

したがって、演技というものは貞淑なユダヤ人女性では、とても出来ない淫乱な仕事という訳である。

エマによると、世界中にいる自己嫌悪のユダヤ人の中で、ハリウッドのユダヤ人が一番自らを嫌っているユダヤ人らしい。彼らは銀幕に映る彼ら自身の姿を見たくないのだ。

だから、ローレン・バコール(Lauren Bacall)は素性を隠したし、ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)は「ホロウッツ(Horowitz)」というユダヤ名を「ライダー」に変えてしまったそうだ。


左: ローレン・バコール
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ウィノナ・ライダー
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右: ドリュー・バリモア
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  レイチェル・ワイズの発言は更に衝撃的なものだった。

  ある意味、演技というのは売春なのよね。ハリウッドのユダヤ人達は、同胞の女性がそんな事に関与するなんて、嫌でたまらないのよ。それと、「ポートノイの不平」的要素もあるのかも。(フィリップ・ロスの小説で、露骨な性的表現が問題となった。) ハリウッドのユダヤ人たちは、ブロンドのアーリア人を夢見ているのね。(Emma Forrest, Rachel Weisz, Index Magazine)

  ハリウッドに巣くうユダヤ人は、大勢の前で淫乱な演技をするのは金髪のゲルマン人女性に限る、と思っていたのだ。しかし、そうした侮蔑とは裏腹に、彼らは憧れの人種に恥ずかしい性的行為をさせて興奮していたのである。

ただ、ユダヤ人の監督やプロデューサーはヨーロッパ人同士のセックスでは癪に障るから、白人の男優をユダヤ人の男性に替えて、白人美女と性的行為をさせて、あたかも自分が美人女優とセックスをしているかのような白昼夢に耽るのだ。

現実の世界では、ユダヤ人男性がアーリア系美女を恋人に出来ることは限らないから、映画の中でその願望を実現させているのだろう。

例えば、ユダヤ人男優のアダム・サンドラーが主演を果たした「ウェディング・シンガー(The Wedding Singer)」では、恋人役にドリュー・バリモア(Drew Barrymore)が起用されていた。「クリック」ではこれまた美人女優のケイト・ベッキンゼール(Kate Beckinsale)が共演者になっている。


左: ケイト・ベッキンゼール
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右テリー・ポロ
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  精神分裂症患者がよく似合うベン・スティラーは、「ミート・ザ・ペアレンツ(Meet the Parents)」に出演し、恋人役は白人女優のテリー・ポロ(Teri Polo)が務めていた。彼女は裕福な中流階級のご令嬢で、父親役のロバート・デ・ニーロに溺愛されている、とう設定だった。そこにユダヤ人看護師役のベンが婚約者として現れ、一悶着起こすというストーリーである。

何とも興味深いのは、ベンの両親役にユダヤ人のダスティン・ホフマンとバーバラ・ストライサンドが起用されていたことだ。映画の中では、この両親がヒッピー世代の左翼崩れという設定になっていたから愉快だ。ユダヤ的ユーモアがちゃんと混ぜてあった。


左: バーバラ・ストライサンド
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ダスティン・ホフマン
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  サンドラーとスティラーの大先輩で、人気コメディアンのビリー・クリスタル(Billy Crystal)は、「恋人たちの予感(When Sally Met Harry)」に主役として出演し、恋人役のサリーにはメグ・ライアンが抜擢されていた。ユダヤ人たるビリーの恋人役ならロジー・オドンネル(Rosie O'Donnell)くらいが適役なんじゃないか。ベン・スティーラーが出演した「ポリー my love (Along Came Polly)」では、これまた金髪女優のジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)が共演。ジェニファーは人気TVドラマ「フレンズ」でも、ユダヤ人男優のデイヴッド・シュワイマー(David Schwimmer)と恋仲になるレイチェルを演じていた。でも、私生活ではブラッド・ピットと付き合っていたから、現実と虚構とのズレは著しい。


左: ロジー・オドンネル
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メグ・ライアン
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ジェニファー・アニストン
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右: メラニー・グリフィス
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  だが、こんな恋愛コメディーで驚いてちゃいけない。メラニー・グリフィス(Melanie Griffith)が主演した映画「刑事エデン/追跡者(A strager among us)」では、メラニー扮する女刑事エデンが犯人を追って、ニューヨークのユダヤ教徒コミュニティーに潜入し、ユダヤ教の神秘主義者であるアリエルに恋をする設定になっていたのだ。

大都会に暮らす遣り手の女刑事が、不気味なユダヤ人の聖書研究家に惚れるなんて、普通じゃ絶対あり得ない。しかも、その現実派の世俗的警察官が、金髪の北歐美人ときている。もう呆れてしまうというか、設定じたいが無茶というか、ユダヤ人の妄想には付き合いきれない。ニューヨークに暮らす実際のユダヤ教徒の中にも、白けてしまうしまう者がいたんじゃないか。


左: 好ましいアーリア系女性
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右: ユダヤ人の役者
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  日本人女性からすれば、フィクションの世界で願望を実現化させるユダヤ人なんか、気色の悪い変態にしか見えないが、ユダヤ人制作者はゲルマン美女にエッチな行為をさせて、それを覗きながら自慰(マスターベーション)を行うのが好きなのだ。

もっとひねくれたユダヤ人監督になると、白人男性に復讐しようとして、わざと黒人男優を選び、白人美女とセックスさせる設定にしているのだ。

つまり、傲慢な白人男性の娘を、穢らわしい黒人に抱かせることで、ユダヤ人をイジメてきた白人どもを侮辱しているのである。白人の父親にとって、娘が黒人とセックスするなんて死ぬより辛いことなのだ。

だから、ユダヤ人は「人種平等」という大義を掲げ、白人と黒人との性交だって許容されるべし、と訴えている。

(しかし、そう叫んでいるユダヤ人でも黒人と結婚する者は稀で、大半は同胞か白人と結婚するのが普通である。人種混淆のニューヨークであれば、黒人とユダヤ人のカップルが多くなるはずなのに、白色系ユダヤ人ばかりなのは奇妙である。人種差別が当然のユダヤ人にしたら、最初から黒人は恋愛対象ではないのだ。)

心優しいユダヤ人は、黒人だから結婚相手にしないというのは道徳に反している、と映像を通して白人娘たちに刷り込んでいる。彼らが作る映画やドラマで、異人種間セックスのシーンが多いのは、白人を遺伝子レベルで撲滅してやろう、と謀っているからだ。

こうやって平和裏に報復を遂げたユダヤ人は、ついでに大金を稼いで儲けているんだから笑いが止まらないんだろう。


西歐人女性
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右: ユダヤ人男性
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  一方、アメリカの無力な白人男性は、ユダヤ人に腹を立てても財力に乏しいから蟷螂(とうろう)の斧に等しい。せいぜい、ラジオのトーク番組に電話を掛けて、日頃から溜まった鬱憤を晴らすしかないのだ。

米国の主流メディアは皆ユダヤ人に押さえられているので、地方のラジオ局くらいしか自由に発言できる場所がないのだある。これがアングロ・サクソン系プロテスタントが建てた国家の現状である。涙がこぼれてくるほど哀れだ。

こうした事情を斟酌しないと、なぜマックス・マルティーニ(Max Martini)やトム・ベレンジャー(Tom Berenger)のような顔をした白人が、エンターテイメント界のユダヤ人を憎むのかが分からない。特に、敬虔なキリスト教徒で軍人の父親は、純情な娘に穢らわしい思想を吹き込むユダヤ人が大嫌いで、どんな手段を用いようともユダヤ人の害悪から守ろうとする。藝能界で下劣な作品を作るひ弱なユダヤ人は、こうした白人どもを本能的に嫌っており、映像作品の中で愚弄する事が度々ある。

例えば、北歐系白人男優には人種偏見に満ちた頑固者とか、ネオ・ナチのクズ野郎、馬鹿丸出しの貧乏人、コカインを常用するドラ息子、とかの役をあてがい、知的で正義感のある役にはユダヤ人か黒人を起用したりする。

よく、優秀で善良なFBI捜査官の役を黒人が演じているのは、一部にこうした理由が潜んでいるからだ。


ウッディー・アレンの淫売たち

左: ウッディー・アレン
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  西歐系アメリカ人が「ユダヤ人で有名な人物は誰か?」と訊かれたら、ウッディー・アレン(Woody Allen)の名を挙げる人も多いだろう。それくらい彼は典型的なユダヤ人の一人である。

そのアレンが最近、「カフェ・ソサエティー(Café Society)」という映画を撮った。あまり面白くない作品だが、出演者だけは一応豪華になっている。主人公はユダヤ人男優のジェシー・アイゼンバーク(Jesse Eisenberg)扮するボビー・ドーフマンで、ハリウッドで一旗揚げたいと望むユダヤ人家庭の息子という役柄だ。彼の家族がこれまた“いかにも”ユダヤ的で“ステレオ・タイプ”の設定になっている。

ボビーの父親マーテは宝石商で、兄貴のベン(コリー・ストール)は犯罪を何とも思わないギャング、妹はマルクス主義者の知識人と結婚していた。そして母親の弟、つまりボビーの叔父であるフィル(スティーヴ・カレル/Steve Carell)はハリウッドの藝能界で仕事をしており、かなりの有力者である。

観客は映画の中でウッディー・アレンがナレーションを務めていることから、彼自分をボビーと重ねていることが分かるだろう。まぁ、ボビーは鏡に映ったアレンといった感じだ。

  父の跡を継いで宝石商になることを嫌がったボビーは、叔父を頼ってハリウッドにやって来た。(やっぱり、ユダヤ人だらけの宝石業界より、きらびやかな西歐人がいっぱいいる藝能界の方がいい。)

叔父のフィルは事務所に来た甥を秘書のヴェロニカ・シヴィル、通称「ヴォニー(Vonnie)」に紹介する。(ヴェロニカ役には人気女優のクリスティン・スチュワートKristen Stewartを使っている。) すると、ボビーはその美しい秘書に一目惚れ。彼はヴォニーと親しくなりたいが、彼女は他に好きな人がいるとボビーに告げる。しかし、その恋人は架空の人物で、彼女の恋人とは叔父のフィルであった。

フィルの権力と財力に魅せられたヴェロニカは、この上司と結婚することに決め、フィルの方も女房と離婚して若き秘書と再婚する。いかにも、ハリウッドで起きそうな再婚劇だ。財産と地位を手に入れた中年重役が、糟糠(そうこう)の妻を棄てて、美人秘書と結婚するんだから。それにちょっと露骨だが、ユダヤ人制作者は同胞の若者に、「ビジネス界で成功すれば西歐の白人美女をモノにできるぞ」、というメッセージを送っているのだ


左: クリステン・スチュアート
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右: 「カフェ・ソサエティー」での一場面
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  一方、ハリウッドでの夢に破れたボビーは、地元のニューヨークに戻り、兄貴のベンと一緒に高級ナイト・クラブを始めていた。そこでベンはヴェロニカ・ヘイズという金髪の南部美人と出逢う。何回かデートを重ねるうちに、二人は結婚するというストーリーになっている。

監督のアレンはボビーの恋人(ブレイク・ライヴリー/Blake Lively)にわざと同じ名前「ヴェロニカ」を授け、しかもユダヤ人を侮蔑するような言葉を吐く役柄にしていた。だが、ユダヤ人を嫌う南部女性なのに、なぜかユダヤ人青年と結婚するような設定にしているから奇妙である。たぶん、ユダヤ人の内面的な素晴らしさに魅了される白人女性にしたかったのだろう。

でも、現実ならブロンド美人がアレンのようなユダヤ人男性に振り向くことはない。これはアレンがつ創り出した虚構だ。


左: ブレイク・ライヴリー
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左: 「カフェ・ソサエティー」の一シーン
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  それにしても、西歐社会に寄生するユダヤ人は、とにかくアーリア系女性が大好きである。

何としても、ユダヤ人を嫌うゲルマン人たちの意識を変えたい。だから、ユダヤ人制作者たちは映画の中に、ゲルマン系美女がユダヤ人の青年と恋に落ちるシーンを挿入し、白人観客の頭に「ユダヤ人とゲルマン人との混淆」を刷り込みたいのだろう。

現実的には、ユダヤ人男優の相手には、サンドラ・ベルンハルド(Sandra Bernhard)やサラ・ギルバート(Sara Gilbert)、メイム・ビアリク(Mayim Bialik)みたいなユダヤ系女優の方が適役だ。多様性を重んずるユダヤ人監督なら、朝鮮系女優のサンドラ・オー(Sandra Oh)やアフリカ系ユダヤ人女優のソフィー・オコネド(Sophie Okonedo)なんかを採用するんじゃないか。

もっとも、西歐系女優を期待するユダヤ人の観客は、現実を見せつけられてガッカリするかも知れない。


左: サンドラ・ベルンハルド
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サラ・ギルバート
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メイム・ビアリク
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右: サンドラ・オー
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  ユダヤ人は同胞に対してメッセージを送るのが好きで、監督のアレンは色々な場面にユダヤ風のジョークをまぶしていた。

例えば、ボビーの兄ベンは殺人の廉で逮捕され、死刑判決を受ける。しかし、ベンはユダヤ人のはずなのに、刑務所内でキリスト教に改宗し、最後は電気椅子で処刑されてしまうのだ。ベンの母エヴリンは息子の死を嘆く。

「私の息子はまず殺人犯になってしてしまい、その次にキリスト教徒になってしまったわ !」と。

映画を観るユダヤ人達は大爆笑間違いなし。キリスト教徒に改宗することは殺人より罪深い、という訳だ。敬虔なキリスト教徒の白人が聞いたら、

「何だ、このユダ公め !! 白人の女を性的なオモチャにして散々もてあそんだ挙げ句、オレたちの信仰を馬鹿にするのか。ゆるせねぇ、ぶちのめしてやる !」

と激怒するだろう。だが、米国ではユダヤ人による差別や侮蔑は罪にならないし、マスメディアから非難されることもない。ユダヤ人仲間のブラック・ジョークには寛大なのだ。これがイギリス系入植者が樹立した共和政の末路である。異邦人が社会の中枢を占めると、どんな事が起きるのか、日本人はよく噛みしめるべきだ。

  それにしても、ボビーの兄ベンをユダヤ人ギャングに設定するところなど、いかにもユダヤ人監督らしい。たぶん、アレンはラスヴェガスのマフィアとか、有名なユダヤ人ギャングのバクジー・シーゲル(Bugsy Siegel/本名はBenjamin Siegel)をモデルにしたんじゃないか。

日本人が挙げるアメリカのユダヤ人といったら、物理学者のアルバート・アインシュタインとかロバート・オッペンハイマー、経済学者のポール・サミュエルソンやミルトン・フリードマンといったことろが定番だろう。

しかし、ユダヤ人には有能なギャングも多く、悪名高いマイヤー・ランスキー(Meyer Lunsky/ 本名Meier Suchowlansky)はポーランド系ユダヤ人であったし、ダッチ・シュルツは(Dutch Schultz/本名Arthur Simon Flegennnheimer)はドイツ系ユダヤ人であった。その他にも、ジェイコブ・シャピーロ(Jacob Sapiro)や賭博や恐喝で才能を発揮したアーノルド・ロスシュタイン(Arnold “the Brain ” Rothstein)も見逃せない。

とにかく、暗黒街で活躍したユダヤ人は大勢いて、日本では何故かイタリア人マフィアばかりが紹介されている。たぶん、アカデミー賞映画の「ゴッド・ファーザー」が印象的だからだろう。

この映画が公開された当時、イタリア系アメリカ人はイタリア系移民への偏見が強まるとして、大規模な抗議デモを起こしたことがある。本来なら、もっと兇悪で狡賢いユダヤ・マフィアの映画を作ればいいのに、ユダヤ人が支配する映画会社は作らなかった。やはり、同類の恥部は隠したいのだろう。


  日本人はウッディー・アレンの映画を観て、これをアメリカでの「他人事」と思うだろうが、こうした洗脳作品の手法を日本の左翼映画人は参考にしているのだ。いずれ日本でも、アジア混血児の俳優が普通に登場し、豪華な商業映画で主役とか重要な役柄を演じることとなるだろう。おそらく、日本社会に於けるアジア人の混在が「当然」のものとして描かれるようになるはずだ。

もう既に、朝鮮系の役者が当り前となっている日本では、半ば朝鮮社会と融合している部分がある。朝鮮系の二枚目男優とか、帰化鮮人系の美人女優とかが、日本の映画やドラマに浸透し、朝鮮人全体のイメージを良くしている。

今は朝鮮らしさを押さえているが、近い将来、朝鮮人家庭の風景がドラマの中で再現されたり、帰化人家庭のホームドラマとか、朝鮮系日本人の苦悩と希望を描いた青春映画、朝鮮人への偏見を扱った恋愛ストーリーなど、様々なジャンルの作品が誕生するはずだ。そうなれば、銀幕を通して日本人観客を洗脳する時代の到来となる。もしかしたら、将来、豊川悦司とか、伊原剛志、金子賢、玉山鉄二、白竜みたいな朝鮮系俳優が増加し、ドラマの中で腐敗した日本人を逮捕する警察官役とか、卑劣な日本人から美女を救い出す好青年を演じるだろう。


  そうなれば、日本人を侮辱するのが当り前となる。さらに、こうした反日作品には、つかこうへいや伊集院静みたいな脚本家が起用され、崔洋一の如き朝鮮系監督が指揮を任される場合だって考えられるのだ。

日本人からの侮蔑を受けながら育った朝鮮系や支那系の監督は、日本人からの陰険な差別に苦しむ「弱者」を主人公にし、冷血な日本人悪役を倒す筋書きを作ったりするだろう。そこに、フィリピン人やタイ人の混血俳優を混ぜて、社会正義を主題とした映画にすることだってあり得る。

無防備な日本人の観客は、井川遥とか安田成美のような朝鮮系女優が、脂ぎった金持ちのジジイとか、あるいは権力を振りかざす一流企業の重役とかに、乱暴されて犯されるシーンを見せつけられたりするのだ。

こうした悪党役には、それに相応しい日本人俳優が採用されたりする。例えば、中尾彬とか塩見三省、八名信夫、今井健二とかの実力派俳優を思い出せば分かるだろう。

大衆は現実とフィクションを混同する癖があるから、悪質な日本人と善良な朝鮮人という馬鹿げた図式を、いとも簡単に呑み込んでしまうのだ。


井川遥
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右: 安田成美
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  確かに、映画はしょせん娯楽作品なんだから気にすることはない、という意見もある。しかし、動画による印象は強烈で、一般観客はお金を払って劇場に足を運ぶ訳だから、自ら影響を受ける準備ができている。しかも、大衆は読書と思索で自らの見識を研ぎ澄まそうとはしない。目に入ってくる面白い映像をそのまま脳味噌に入れ、無意識のうちに洗脳されてしまうのだ。

近頃だと、刺青を彫った人気ミュージシャンや俳優に憧れて、自分の体に同様な刺青を彫る若者が多い。だが、子供を持った女性などは、ヤクザまがいの姿を後悔し、高額な治療費を払ってまでも、その刺青を消そうとする。激痛に耐えて消そうとするが、皮膚に染みついた墨は中々消えず、却ってケロイド状態になってしまい、変色したボコボコの皮膚になってしまう女性だっているのだ。

映画の中では美人女優や二枚目俳優が、格好良い刺青を見せびらかしているが、こんなものはフィクションの世界で作られた幻想であり、現実の世界では犯罪者や下層民の焼き印に等しい。映画制作者には元左翼がうじゃうじゃいるので、自堕落な生活や暴力団まがいのファッションを礼讃する傾向が強い。破壊思想を持つ映画人は、伝統的文化や貞淑な女性像など大嫌いで、この嫌悪感が日本社会への憎悪と結びついて、反日映画を作るようになるのだ。

  本当に、ハリウッドに盤踞するユダヤ人の害悪は尽きない。後編ではユダヤ人達に性的なオモチャにされたマリリン・モンローを取り上げたい。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580121.html






モンローの肉体を嘗めたユダヤ人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の糸 (後編)
ゴイム(異教徒)を妻にするユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html


マリリン・モンロー
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テレビ東京が2013年頃、朝の時間帯に昔懐かしい「奥様は魔女(Bewitched)」を再放送していた。綺麗なカラー映像に修正されたコメディー番組を観た方も多いんじゃないか。

このアメリカ・ドラマは元々、昭和40年代に放送されたシットコム・コメディーで、主役のサマンサを演じたエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth V. Montgomery)とダーリン役を演じたディック・ヨーク(Dick York)は今でも有名だ。義母のエンドラを演じたアグネス・モアヘッド(Agnes Moorehead)も意地悪の魔女が板に付いていて、とても印象に残る女優であった。米国にはこういった雰囲気を醸し出す、憎いくらい上手な演技をする脇役がいるからすごい。人気ドラマ「ダイナスティー」のジョアン・コリンズ(Joan Collins)みたいな実力派がいるから、ややもすると緩みがちな連続ドラマが引き締まる。

ちなみに、今回「奥様は魔女」を調べてみたら、日本版も制作されていたそうで、人気女優の米倉涼子がサマンサ役を演じていたそうだ。知らなかった。まさか日本人バージョンがあったなんて。観てないから何とも言えないが、おそらく駄作なんじゃないか。日本人がアメリカドラマを模倣して成功した例は少ないだろう。

ドラマじゃないけど、以前に野口五郎がサンタナのヒット曲「スムーズ(Smooth)」を拝借し、「恋はメラメラ」という題にして唄っていた。サンタナのオリジナル版では、人気歌手のロブ・トーマス(Rob Thomas)を起用して素晴らしい出来だったが、野口五郎の方は一度聴けば恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるほどの代物である。元曲をあれほど無惨にしたカヴァー曲も珍しい。


  脇道に逸れたから話を戻すと、ドラマの中で美人妻を演じたエリザベス・モンゴメリーは、何とプロデューサーのウィリアム・アッシャー(William Asher)と結婚していたのだ。

彼はユダヤ人の父親とカトリック信徒の母親を持つユダヤ系アメリカ人だが、ユダヤ人支配のハリウッドでは一般的にユダヤ人制作者と見なされていた。

我々とってショックなのは、貞淑な妻を演じていたエリザベスが、私生活では同性愛者や妊娠中絶を支持する筋金入りの左翼活動家であったことだ。確かに、「奥様は魔女」の中にも人種差別を取り上げたエピソードがあって、黒人を対等に扱うサマンサの姿があった。今から思えば、1960年代後半から1970年代にかけて放送されていた番組だから、リベラル色が強くてもしょうがないと考えられるが、「奥様は左翼だった」じゃ笑えない。

それにしても、売れっ子女優がユダヤ人プロデューサーと結婚するなんて、いかにもハリウッドらしい現象である。もし、彼女が一般人女性のままだったら、ユダヤ人と結婚せずに普通の白人男性と結婚していたんじゃないか。

こんな異人種間結婚を見ているから、ユダヤ人に警戒心を抱く西歐系白人や、藝能界に入りたがる娘を叱る親がいるのだろう。仔羊を狼の群れに解き放つようなものだから、まともな親が反対するのも無理はない。それに、生まれてくる孫がユダヤ人の血統なんて考えただけでも恐ろしい。


左: エリザベス・モンゴメリー
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中央: ウィリアム・アッシャー
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右: 「奥様は魔女」
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マリリン・モンローを取り巻くユダヤ人

  ユダヤ人がうじゃうじゃいるハリウッド村は、藝能界というより匪賊や傭兵がたむろする無法地帯と考えた方が的確である。こんな蟻地獄に入って行く若者が跡を断たないんだから、エンターテイメント業界は麻薬に満ちた魔界と呼んでもいい。

米国史の中でも輝かしい1960年代、後世に名を残すこととなった人気女優マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)も、ユダヤ人の魔の手に落ちた悲惨な一例であった。

父親は不明だが、グレイディス・パール・ベイカー(Gladys Pearl Baker)の娘として生まれた、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jean Baker)は、義父の「モンロー」姓をつけて藝能界にデビューした。

彼女はラルフ・グリーンソン(Ralph Greenson/ 本名Romeo Greenschpoon)という名うてのユダヤ人を自分の精神科医として雇っていた。このユダヤ人はモンローが自殺した時のセラピストであった。彼はマリリンの精神を安定させるために、過度な薬物治療を行っていたらしい。何かマイケル・ジャクソンに「プロポフォル(propofol)」を過剰投与したコンラッド・マレー(Conrad Murray)医師を思い出してしまう。

こんな麻酔薬(鎮静薬)を個人の邸宅で与えてしまうなんて信じられないが、アメリカという異常な国では非常識が罷り通る。たぶん、グリーンソンも自信満々の医師で、どんどん睡眠導入剤や鎮静剤をマリリンに与えていたのだろう。彼女の友人が証言していたが、マリリンはグリーンソンに会えば会うほど衰弱していったそうだ。


  マリリンの周りには矢鱈とユダヤ人が多かった。グリーンソンの妹エリザベスは、ユダヤ人ミルトン・ミッキー・ラディン(Milton “Mickey ” Rudin)と結婚しており、そのラディンは有力な人脈を持ち、エンターテイメント業界で活躍する法律家であった。そして、彼はマリリンの顧問弁護士も務めていたのである。彼女と昵懇の出版業者アーサー・ジェイコブズ(Arthur Jacobs)や、娯楽企業のMCAで彼女のエージェントを務めるジェイ・カンター(Jay Kantor)とモート・ヴィナー(Mort Viner)もユダヤ人だった。

出演作でもユダヤ人監督に重宝されており、「七年目の浮気」や「お熱いのがお好き」ではビリー・ワイルダー(Billy Wilder)が監督だったことは有名だ。「恋をしましょう」だとジョージ・クコー(George Cukor)が監督で、「帰らざる河」ではオットー・プレミンジャー(Otto Preminger)が総指揮を執っていた。マリリンの個人マネージャーのナターシャ・ライテス(Natasha Lytess)もユダヤ人で、いつも一緒にいたから、二人はレズビアンの関係か、と疑われるくらいだった。また、ユダヤ人写真家のミルトン・グリーン(Milton Greene)も、マリリンのマネージャーになって親しく付き合っていたから、彼女との仲を噂にする者もいたという。


  売春の伝統が根強い韓国では、体で仕事を取る藝能人が多いそうで、悲惨な運命を辿った女性も少なくない。

我が国の藝能界でも所謂「枕営業」があるそうで、さほど人気のない女性藝人は、演技力や歌唱力よりも、有力制作者とか大御所に体を提供して、望む仕事を獲得するらしい。

マリリン・モンローも名声と幸運を摑むために、誰彼となくベッドを共にしたという。

ユダヤ人が跋扈(ばっこ)するハリウッドだから、マリリンが「春」を売った相手も当然ユダヤ人だった。ユダヤ人のテッド・ジョーダンによると、マリリンはキャリアを進展させる為なら誰とでも寝たそうだ。

(Ted Jordan, Norma Jean: My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.121)

また、アンソニー・サマーズ(Anthony Summers)によれば、彼女がフォックス社と最初のコンタクトを持った時、そのキーパーソンはベン・リヨン(Ben Lyon)で、彼もマリリンと性的関係を持っていたらしい。シェイラ・グラハム(Sheila Graham)も、マリリンが未来のキャリアの為にリヨンと寝たことを述べている。

マリリンの肉体を堪能したリヨンは、キャスティング・ディレクターのソル・ウルツェル(Sol Wurtzel)を呼びつけ、「デインジャラス・イヤーズ」という1947の映画で使ってやれと命じ、マリリンはちょっとした脇役を与えられたという。何とも生々しい裏話だが、藝能界って多かれ少なかれ、こんな横槍が入ってくる。

大物プロデューサーがいきなり素人の小娘をドラマに押し込んだり、ニュース番組の「お天気お姉さん」に任命したり、とやりたい放題の横暴をはたらく。周りのスタッフは大迷惑だけど、有力者に睨まれたら自分の出世が危なくなるから、長いものに巻かれてしまうのだ。

視聴者だって、あまり人気のない女優がどこからともなく新ドラマに抜擢されるから、「どうしてこんな女優が、いきなり重要キャストに抜擢されたんだ?」と訝(いぶか)しく思うだろう。でも、「大人の事情」が絡んでいるから仕方がない。


中央: ナターシャ・ライテスとマリリン・モンロー
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  「美女と野獣」という映画があったけど、美女のマリリンに群がる野獣は本当に多かった。

被服業界の大御所たるヘンリー・ローゼンフェルド(Henry Rosenfeld)も、白くて美しい肌を嘗(な)めた薄汚いユダヤ人の一人だった。彼はアトランティック・シティーにある自宅にマリリンを招き、自分のスピード・ボートに乗せて、甘い一晩を過ごしたそうだ。

マリリンは映画業界で顔が利く、悪名高いユダヤ人ギャングのバグジー・シーゲル(Bugsy Siegel)とも寝ていたらしい。彼の伝記は映画化されたので、このシーゲルについて知っている日本人もたくさんいるんじゃないか。日本もそうだが、藝能界と暴力団は裏で繋がっているから、堅気の人間が毛嫌いするのも分かる気がする。


マリリンのセックス・ライフは10代の頃から既に始まっており、17歳の時にはテッド・ジョーダン(Ted Jordan / 本名 Edward Friedman)と交際していて、彼は後に『ノーマ・ジーン』という本を書いて、マリリンとの性生活を暴露していた。

このジョーダンにはテッド・ルイス(Ted Lewis / 本名 Theodore Leopold Friedman)というミュージシャンの叔父がいて、マリリンはこのルイスとも寝ていたというのだ。彼女が麻薬を覚えたのは、このルイスからであった。本当に腐った奴らである。

  後に有名女優となる野心家のノーマ・ジーンは、のし上がるためには何でもすると心に決めており、ジョーダンにも、誰とでもセックスをするし、その心構えもできている、と語っていたそうだ。

そこで有言実行のマリリンは、著名なゴシップ・コラムニストで、ユダヤ人のウォルター・ウィンチェル(Walter Winchell)と寝たらしい。しかし、一介のコラムニストと性交したくらいでは、ハリウッドで大女優にはなれない。

まだ無名のマリリンはコロンビア・ピクチャーズのハリー・コーン(Harry Cohn)社長に近づいた。「またユダヤ人か !」とウンザリするが、映画会社の社長や重役にはユダヤ人が多いからしょうがない。

このユダヤ人社長はマリリンを自分のヨットに乗せ、夜のクルージングに誘ったそうだ。美しい獲物を捕まえたコーンは、マリリンに向かって服を脱げ、と命じたという。彼女は言わるままに服をぬぎ始めた。すると、あろうことか、この助平ユダヤ人は、自分のペニスを握りながら彼女に近寄ってきたのだ。

大抵の女性なら、「えっぇぇ!! 何 ! 嫌だ!!!」と真っ青になって叫ぶだろう。マリリンも同じで、彼女はコーンを拒絶したそうだ。そりゃそうだろう。こんな変態ユダヤ人とセックスするなんて、どこか精神が異常じゃないとできない。

マリリンに肘鉄を食らったコーンは、とても激怒したそうで、マリリンは「あんなに怒った人を見たことがない」、と語っていたそうだ。

(Ted Jordan, Norma Jean : My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.91)


左: マリリン
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  自分のペニスを握って近寄ってくるユダヤ人なんて、想像しただけでも背筋に戦慄が走る。いくら出世のためとはいえ、マリリンの眼に映る発情したコーンの姿は、余りにも酷かったのだろう。若い娘なら当然である。

しかし、権力者を怒らせたマリリンは、コーンからの報復を受けた。彼女はコロンビアの撮影所に出入りすることを禁じられたそうである。かつて、マリリンは藝能界の実情を語っていた。

  プロデューサーが女優に台本に関して話があるからオフィスに来いという時があるでしょう。でもね、それは台本の打ち合わせじゃないのよ。・・・私はプロデューサーたちと寝たわ。もし、寝ていないと言ったら嘘になるもの。

  1955年に20世紀フォックス社と大きな契約を結んだ時、彼女はようやく不動の地位を手にした女優になれた。そして、マリリンはこう呟いたという。

「私はもう二度と、あいつ等のペニスをしゃぶらないわ」、と。

マリリンは年を重ねる毎に反ユダヤ的感情が募ったようで、大御所のジョー・シェンク(Joe Schenck)のことを「あの糞ユダ公(that Jew shit)」と呼んでいたらしい。他のハリウッド・ユダヤ人に対しても、「あのユダ公 ! とか、このユダ公 !」と罵っていたようだ。しかし、彼女は後にユダヤ教に改宗するが、この反ユダヤ感情は妨げにならなかったらしい。やはり、女優の頭はどこか普通と違うのだろう。


中央と右: マリリン・モンロー
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  マリリンは性的に弄ばれていたが、政治的にも利用されていたようだ。精神科医のラルフ・グリーンソンは、彼女の指導者みたいな身分になっていたが、彼には別の顔があった。このユダヤ人は積極的な共産党員で、コミンテルンにも係わっていたという。そして、彼の妹エリザベスの証言によれば、兄のラルフは熱心なシオニストで、イスラエルとの太いパイプを持っていたそうだ。

まったく、ユダヤ人のコミュニストって本当に多いんだから嫌になる。かつて、ハリウッドの共産主義者をあぶり出す「赤狩り」が行われたけど、真っ赤なユダヤ人の映画監督や脚本家、プロデューサーなどが至る所にいたから、保守派のアメリカ人が怪しんだのも当然である。

よく知られているのは、左派が多数を占めるユダヤ人に対するチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)の警告である。この「アメリカ第一主義」を掲げる大空の英雄はこう述べた。

  ユダヤ人は我が国にとって最大の脅威である。彼らは我々の映画界、出版界、ラジオ局で広範囲な所有権を持ち、我々の政府において絶大な影響力を行使しているのだ。
(Harold Brackman, The Attack on “Jewish Hollywood”: A Chapter in the History of Modern American Anti-Semitism, Modern Judaism, Vol. 20 , 2000,p.5.)

  ユダヤ人の害悪については、リンドバーグのみならず、他の議員も警戒心を強めていた。例えば、ミュズーリ州選出のジョン・ランキン(John Rankin)下院議員は、ユダヤ人が合衆国政府の転覆を狙った最大の陰謀の一つに責任がある、までと述べていたのである。また、彼は大胆さを以て、米国においてユダヤ人は反政府活動の温床である、と喝破していたのだ。 現在の政治家なら絶対に口に出来ぬ発言である。しかし、当時のアメリカには、まだ言論の自由が残されていた。保守派のアメリカ人が1950年代を懐かしんだのも理解できよう。

ついでに言えば、マリリンと結婚した三番目の夫アーサー・ミラー(Arthur Miller)は、ユダヤ人の劇作家であったが、これまたハリウッドのユダヤ人らしく極左活動家で、黒人に対する人種差別に反対し、労働活動にも熱心に係わっていた人物である。彼も真っ赤なユダヤ人仲間を持っていたので、反共の闘士ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)議員に目を附けられていた。彼は下院の反アメリカ活動調査委員会に召喚されたことがあるが、仲間を裏切ることを拒否し、断じて口を割らなかったという。ユダヤ人にとったら、愛国心よりも同胞愛の方が大切だからねぇ。


  マリリンがセックスした中で最も権力を持っていた男と言えば、やはりジョン・F・ケネディー大統領だろう。

大統領と姦通したマリリンがもたらす寝物語は、グリーソソンにとって貴重な情報源となったはずだ。いくら大統領とはいえ、惚れた女とベッドを共にすれば、何てことはない雑談の中で、国家機密に繋がる重要な情報を漏らすことだってあり得る。当時は冷戦真っ只中。合衆国大統領がどんな考えなのかを直に知る絶好の機会だ。

特に、コミュニストのグリーンソンは、ソ連やキューバに対する外交方針や、イスラエルに関する大統領の考えを知りたかったはず。だから、セラピストのグリーンソンに何でも打ち明ける、警戒心が全く無いマリリンは「便利な馬鹿(useful idiot)」だった。

  大女優になっても精神的に不安を抱えるマリリンは、何でも医者に頼る癖がついていたという。当時のハリウッドでは、リー・シュトラスバーグ(Lee Strasberg)という精神分析医が非常に持て囃されていた。大物俳優といえども、人には言えぬ悩みを抱えているだろうから、誰かしら相談役になる人が必要だったのであろう。だから、こうした弱点を持つ有名人を食い物にするセラピストがいたのも当然で、こうした悪徳医は患者にとっての「神」を演じていたのである。

自分の判断一つで大女優や二枚目男優を操ることができたから嬉しくてたまらない。名優のマーロン・ブランドーには、ベラ・ミッテルマンという精神科医がついていたが、ブランドーはシュトラスバーグについても述べていた。ブランドーの評価では、シュトラスバーグは俳優が集まるスタジオに来る人々を餌食にする冷血漢であったという。しかも、相当な野心家で自分勝手ときている。

彼は自分自身を、まるで神託を告げる司祭か、新興宗教の教祖のように思っていたらしい。彼にたぶらかされた人々は、シュトラスバーグをラビ(ユダヤ教の教師)の如く崇めていたという。ところが、マリリンはこんな類いの精神科医に傾いていたのだ。

日本でもよく藝人が、怪しい霊媒師とか占い師に嵌まることがあるけど、アメリカでも似たような事が多い。マリリンはフロイトの精神分析にも興味を示したそうで、彼女は実際フロイドの娘アンナ・フロイトにロンドンで会っていた。彼女の診断でも、マリリンは相当精神を病んでいたらしい。


左: マーロン・ブランドー
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右: マリリン
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  精神的に不安定なマリリンだったから、薬の過剰摂取で死亡したのだろう。だが、彼女はある意味、主治医のハイマン・エンゲルバーグ(Hyman Engelberg)とセラピストのラルフ・グリーソンに殺されたようなものだ。グリーンソンは助手に鎮静剤の投与を指示していたのだ。しかし、投与されたバルビツール酸系薬が多すぎたため、マリリンは副作用を起こして心不全となり、若くしてこの世を去ることになった。助手からの報告を受けたグリーンソンが、彼女の部屋に駆けつけた時には、既にマリリンは死亡していたという。

後に、色々な陰謀説が囁かれたが、実際は薬物中毒による死亡である。それにしても、哀れな最期だ。おぞましい枕営業を経て、大女優への道を駆け上ったのに、その栄光を味わう精神が衰弱していたのとは。

華やかな藝能生活を送っていた人気女優が、裏では薬漬けの日々を送っていたのだ。何の苦労だったのか分からなくなる。


右: マリリンとジョー・ディマジオ
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  何はともあれ、マリリンの人生には色々な男がいた。映画界の大物やマフィアのギャングと寝ていたかと思えば、野球選手のジョー・ディマジオと再婚したり、はたまたフランク・シナトラと浮き名を流したり、と寄り添う男の幅が広い。

中でも、ジョン・F・ケネディーとロバート・ケネディーとのダブル不倫は有名だ。

英雄は色を好むと言うが、このケネディー兄弟は異常である。
世間はハーバード大卒の爽やかな紳士と評するが、一皮剝けば下半身がだらしないアイリス系移民の倅(せがれ)たちである。兄が肉体関係を結んだ女に、弟も手をつけるなんて、恥知らずというか変態に近い。

一方、マリリンにも倫理観がこれっぽっちも無かった。女房や子供を持つ男と姦通しても平気なんだから。これではユダヤ人たちがマリリンのことを「シクサ(Shiksa)」、則ち「穢れたケダモノ」と呼んでも致し方ないじゃないか。

マリリンからすれば、男を踏み台にして出世したつもりだろうが、セックス相手からすれば、精液を噴射できる共同便所に過ぎない。

ただ、ユダヤ人に蔑まれながらも、ユダヤ人のアーサー・ミラーが結婚してくれたんだから、これだけでも彼女にとって救いになる。たぶん、ミラーは本気で彼女のことを愛していたのだろう。

ただし、ミラーがマリリンのことを「トロフィー・ワイフ」と見なしていたら残念だ。仮に、そうであっても仕方がない面もある。冴えない容姿のユダヤ人作家が、世間が持て囃す金髪美女を手に入れたのだ。親戚や友人に自慢したくなるのも無理はない。三番目の旦那なんだから、マリリンだって贅沢な要求はできないだろう。


凌辱される同胞の女性

  マリリン・モンローが送った波瀾万丈の人生は、多くの事を我々に教えてくれる。

まづ、藝能界はヤクザの世界、ということだ。堅気の娘が足を踏み入れる職場ではない。

ハリウッドは賤しいユダヤ移民が築き上げた悖徳の帝國で、当初はアメリカ白人に媚びて映画界の社会的イメージを向上させたが、一旦巨大な帝國が出来上がれば、そこに飛び込んでくる白人娘を娼婦と見なした。

憧れのハリウッドに旅立つ女優の卵は、狼の群れに迷い込むひよこと同じだ。
映画での配役を獲得すべく、ユダヤ人達に“輪姦”されても、必要経費としか考えない。娘の藝能界入りを許した両親は、娘が裏で凌辱されている事に気づかないんだから、まさに「知らぬが仏」だ。

日本人の親も充分認識すべき現実である。娘がモデルとかアイドル、女優になりたいと言い出し、それを許すなら、可愛い娘を穢らわしいヤクザや下劣な朝鮮人どもへ「生け贄」として差し出した、と諦めるべきだ。


左: 桃井かおり
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右: 「エロスの甘き香り」
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  ちょっと痛ましい話になるけど、女優の桃井かおりには国際政治学者の桃井眞(ももい・まこと)がいた。1991年に起きた湾岸戦争の時、報道番組に出演していたのを覚えている方もいるだろう。桃井かおりは少女時代、英国にバレー留学していたことがあり、どうも可愛い孫娘が立派なバレリーナになるようと、バレリーナの祖母が望んだらしかった。父親の真は娘をたいそう可愛がったようで、まさしく箱入り娘として育てたらしい。しかし、白人ばかりのバレー教室に通っていたかおりは、黄色いアジア人ということで劣等感を抱き、バレリーナになる夢を断念する。

帰国したかおりは演劇を始め、親に内緒で女優になっていた。一時は勘当されたこともあったそうだ。父親が女優業に反対したのも当然であろう。とりわけ、出演した映画の中にエロ作品があったからもう大変。映画ファンならロマン・ポルノ作品の「エロスは甘き香り」や、70年代らしい「けだるさ」を表現した「もう頬づえはつかない」をご存知だろう。

大切に育てた娘が、見知らぬ男と裸でからむベッドシーンを見て、父親の桃井眞はどんな気持ちだったのか? もしかしたら、劇場へは行っていないのかも。そもそも、娘の裸を銀幕で見たいと思う父親はいないだろう。だって、相手の男優が娘の肌を嘗めたり、乳房を揉んでいるんだぞ。怒りと悲しみで胸が張り裂けてもおかしくはない。映画を観る以前に、涙がこぼれてくるじゃないか。


右: 「もう頬づえはつかない」の桃井かおり
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  若い娘を凌辱するユダヤ人はトンデモないが、それを平然と行うユダヤ人の心情とは如何なるものなのか?

一番考えられるのは、欲望剝き出しの世俗主義者という点だ。
純情な白人娘を裸にすれば、大金が儲かるからドンドン淫乱な映画を作るのは分かる。だが、その根底には、西歐社会への憎悪が漲っているのだろう。

ユダヤ人にしてみたら、アメリカ社会は西歐白人が作ったもので、彼らの祖先が築いたものではない。米国は散々ユダヤ人をイジメてきた西歐人が建てた国家であるから、彼らの倫理観や価値観、伝統文化をを守る必要性はどこにも無いのだ。

キリスト教徒が仲間の女性に求める貞操観念や立居振舞い、女性らしさ、気高さなんて、むさ苦しい生活を送ってきたユダヤ人にとって、何の意味も無いし、犬の糞みたいに踏み潰しても気にならない。むしろ、踏み潰すことに快感を覚える。

興味深いことに、ユダヤ人の監督や脚本家は、喜んでキリスト教徒の家庭を愚弄するが、ユダヤ教徒の家庭や価値観を馬鹿にすることは滅多にない。

キリスト教徒の西歐系アメリカ人であれば、「そんなに伝統的価値観を毀したいなら、まづ最初に因習的なユダヤ人社会をターゲットにしたらどうか」と提案したくなる。なぜなら、男尊女卑で人種差別の激しいユダヤ人コミュニティーには、リベラル派のユダヤ人が攻撃したくなるような材料がごまんとあるからだ。わざわざ異教徒(ゴイム)たる西歐キリスト教徒に、その矛先を向けていないで、身近な同胞のコミュニティーを批判する方が先じゃないのか。

「社会正義」をふりかざす赤いユダヤ人は、普通に黒人を「黒いケダモノ」と呼ぶユダヤ人のオバちゃんを非難しろ。


中央: ユダヤ人女性
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右: ユダヤ人男性
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  米国のユダヤ人を見れば、いかに異人種と共存することが危険であるか、が判るだろう。

現在のアメリカでは同性愛者を擁護したり、黒人を礼讃するTVドラマが着々と作られている。すでに長いこと左翼作品が日常にしっかりと組み込まれているから、一般人はもはやその異常性を不思議と感じないのだ。

日本でも藝能界やマスコミに朝鮮人や支那人が浸透し、正常な日本人の精神を歪めている。

そして、藝能界に魅せられた少女たちが、どんどん卑劣な連中に犯され、それが表面に浮き出で問題になることはない。暴露される前に握り潰されるからだ。

ヤクザ的な藝能関係者やアジア系の大物にとって、日本人娘の肉体は、どれほど侮辱しても構わない肉の塊だ。みんなで廻して凌辱すれば、「あの淫売女め !」と酒場で笑い罵ることができ、ますます酒が旨くなる。大日本帝國に支配された朝鮮人にしたら、祖国の同胞が成し遂げられなかった復讐を、個人レベルで果たしたことになるだろう。

そして、日本人の女を性的に従属させることは、被征服民にとって勝者の証となる。ユダヤ人に加え支那人、朝鮮人といったアジア人に対抗できない気弱な民族は、徹底的に打ちのめされるまで被害に気づかない。毎回言うけれど、後悔が先に立ったことはないんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html


115. 中川隆[-6059] koaQ7Jey 2017年10月22日 18:25:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年10月22日
欧州は腐った老木 すべてが賄賂と不正で決まる社会

欧州サッカーのほとんどの選手・チームが八百長をしていた
引用:http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/164/2017/a/e/ae1dbdc62f99b850009e76ca3661f3b67bee23d91492584245.jpg

欧州は先進地域ではなく腐敗地域

かつて欧州は先進地域として賞賛を浴びたが、今では腐敗の温床になっている。

欧州中心で行われているスポーツ、サッカー、テニス、オリンピック、自転車、モータースポーツ等で不正やイカサマが指摘されている。

欧州の権威の象徴であるノーベル賞も、金で売買されていると言われている。



欧州が大きな権限を持つ国連や経済機関でも、公然と不正がまかり通っています。

まず欧州で人気のサッカーは一連の八百長捜査で、2008年から11年に680試合の八百長があったと報告されました。

欧州のほぼ全てのチームの全てのサッカー選手が八百長試合に関与し、「全員がやっているから処分しない事にしよう」と不問になりました。


テニスも欧州では人気ですが、調査によると最も有名なウインブルドンでも、八百長が行われていました。

テニスでもやはり「みんなやってるから処分しない事にしよう」となりました。

自転車でもツールドフランスを連覇した選手がドーピング常習犯なのが分かり、やはり他の多くの選手もやっていたと見られている。


こういう場合欧州では必ず、問題をなかった事にするか、全員がやっているから問題ないという態度を取ります。

サッカーなどはサッカー選手全員を処分しなくてはならないので、もう犯人探しをやめよう、と綺麗ごとを言い始めます。

2002年日韓W杯では韓国が歴史残る八百長を連発し、審判を買収してベスト4に進出しました。

欧州は腐敗の温床

審判買収はオリンピックの多くの競技でまかり通っていて、特に日本対韓国では韓国は必ず審判買収を仕掛けています。

ロンドンオリンピック柔道の海老沼では審判が3人とも買収されていて、一旦は優勢だった海老沼の負けが宣告されたが、その後審判委員からのクレームで海老沼の勝ちに変わりました。

こんな事がオリンピックでは日常茶飯事で、採点で決まるフィギュアスケートなどは、全ての試合で不正があると言われています。


モータースポーツは欧州中心のスポーツだが、ここでも不正がまかり通り、特に最高峰とされるF1は酷い。

昔ホンダがF1で連勝を続けた事があり、欧州企業から不満が出ると、主催者はあっさり規約変更してホンダを追放しました。

ホンダが優れていたのはターボエンジンだったが、ターボ禁止になり欧州メーカー有利に働いた。


こうした事はルマン24時間やラリーのWRCでも度々起こり、日本車が勝つと翌年必ずルール変更で追放されています。

こうなる理由は主催者の委員などに欧州メーカーに近い人物が入っているからで、自分が有利なルールを作っていると言われる。

これだと日本車が優勝すれば罰として出場禁止されるので、投資した数百億円が無駄になり、勝たないほうが良い事になる。


ホンダはF1に復帰し低迷しているが、もし優勝しても翌年にホンダは出場禁止になるでしょう。

欧州の腐敗はスポーツだけでなく、ノーベル賞も金で売り買いされているといわれています。


中国韓国は賄賂攻勢で自国に有利な人権報告者を送り込み、日本批判に利用している
引用:https://i0.wp.com/img.logmi.jp/wp-content/uploads/2016/05/gazou13.jpg

ノーベル賞も腐敗

2000年に金大中がノーベル賞受賞したとき、買収ではないかと世界中が疑惑を持ちました。

その後10年以上経って、金大中が買収工作を行っていたのが韓国工作員や政治家によって暴露されています。


平和賞だの文学賞だのは受賞基準があいまいなので、与えようと思えば犬猫にでも賞を与えられます。

2009年のオバマ大統領はまだ大統領になったばかりで、「イエス・ウィー・キャン」を連呼しただけでした。

アウンサンスーチーとかマララさん、EUの受賞も意味不明で、「ノーベル買収賞」とでも名称変更したらどうかと思います。


国連という組織は欧州諸国が強い権限を持っているが、やはり買収や不正の噂が絶えません。

最近大問題になった「子宮頸がんワクチン」は世界保健機関(WHO)が「これを買え」と日本に強制したものでした。

ところが子宮頸がんワクチンは当時、ガンへの効果が確認されておらず、副作用の臨床試験も行われていませんでした。


ではWHOは何のために「子宮頸がんワクチン」を使えと世界に強要したのかというと、医薬品企業に買収され便宜を図った疑いが持たれています。

当時のWHO事務局長は陳馮富珍(マーガレット・チャン)という中国人で、この女自身中国政府が買収して事務局長にしたと噂されています。

国連は韓国人の潘基文が事務総長になってから、人権委員や報告者に反日活動家が任命され、次々に日本批判を連発しました。

国連も腐敗

こうした事にも金が絡んでいて、韓国政府や中国政府が自国に有利な報告をする活動家を送り込んでいます。

ここでも金で転んだ欧州の人間が反日活動に加担し、日本たたきをして金を稼いでいます。

ユネスコに似た「ユニセフ」もただの金儲けの手段になっていて、世界中から募金を集めて20%から25%天引きして配分しています。

ユニセフは世界で集める莫大な募金の配分を決める「権力者」で、上から下まで腐敗が行き届いています。

現場レベルでは被災者に食料を配分するとき、ユニセフ職員が「関係」や「リベート」を強要しているのは公然の事実です。


国際通貨基金(IMF)、世界銀行のような機関も腐敗にまみれていて、特に中国がらみでは公然と虚偽の発表をしています。

中国のGDPが偽りなのは世界の経済人の常識ですが、IMFと世界銀行が「事実だ」と言っているので、事実として通用しています。

中国とすればIMFと世界銀行さえ買収すれば、いくらでも経済統計を操作できるので、簡単な話です。


欧州は中国のチベット、ウイグル侵略を批判しなくなりましたが、これも中国から金を掴まされて黙っているのです。

欧州の人間は「欧州は公正」のようなイメージを作ろうとしますが、逆に腐敗の温床になっています。

かつて先進的だった欧州は、今では腐った老木になり、倒れるのを待つばかりです。
http://www.thutmosev.com/archives/73188847.html


116. 中川隆[-6034] koaQ7Jey 2017年11月02日 13:39:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

女性が違う人種の男の遺伝子を求める心理の奥にあるもの


以前、フィリピンの売春地帯アンヘレスで、23歳の女性をバーファインして、ソクソクの後にベッドの中でいろいろ話した時、彼女は無邪気な顔をしてこのように言ったことがあった。

「私は子供はいないけど、もし子供を作るのだったら白人の子供が欲しいな」

なぜ白人の子供が欲しいのかと理由を尋ねると「だって、白人はキレイだから」と彼女は答えた。その後に、私が日本人だと思い出した彼女は、取って付けたように「日本人の子供もいいわよ。日本人も肌が白くてキレイね」と言った。

彼女は願望だが、フィリピンの売春地帯には白人とフィリピン人の混血児(ハーフ)はたくさん見る。稀に黒人とのハーフも見る。実は私はフィリピンで一目惚れした女性がいたのだが、彼女は黒人とのハーフだった。

(黒い肌のルビー(1)一目惚れ、意気投合、一気呵成に結婚話)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20120701T2215410900.html

ところで、ここ数年、日本の風俗嬢とも話をするようにしているのだが、何人かの女性は、やはり「白人と結婚したいな」と私に言った。

「うちは純日本人の家系だけど、そろそろ私で白人の血を混ぜてもいいかなとも思ってるの」
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171102T0223160900.html


117. 中川隆[-6033] koaQ7Jey 2017年11月02日 14:11:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

白人が消滅する西歐世界

  戦争でもないのに西歐世界でゲルマン系やケルト系白人の数が減少しており、その勢いが止まらない。原因は明白だ。若い男女が結婚しないとか、所帯をもって子供を産まない、あるいは一人しか持たぬよう決めているからだ。若者に性欲が無くなったり、生殖機能に異常が生じたわけでもなかろう。巷のメディアではセックス関連の記事や映像、流行などで溢れている。ファッション業界だって男女が恋愛をしているから、異性の気を引くような服が売れるのだ。先進国の少子化は、結婚の意味が不明確になったことや、出産より仕事の経歴と所得の方が重要視されたことが原因だろう。結婚が神聖で人生の一大事だった昔と違い、婚姻が男女間の共同生活契約みたいになっている。いつでも別れられる同棲生活の方が気楽でいいが、結婚した方が税制上、有利で得だから結婚しようとするカップルが多い。結婚生活が経済上の問題なら、生まれる子供は同棲上の「おまけ」程度だ。

  我が国のマスコミは真実を隠して嘘を撒き散らしながら、日本国民を不幸にしたい意図を持つ。なぜか? 全共闘世代が共産主義革命を起こして支配者になる夢があったが、日本の庶民が健全だったため、彼らに従わなかった。共産主義革命は日本人の生活をメチャクチャにして、貧乏にし、家庭を不幸にして、自暴自棄的人生にすることが重要である。平常心と良識を無くした日本人を大量生産することで、革命戦士軍団ができる。しかし、1970年代も末になると革命熱は消滅。元左翼学生は日本を共産主義国にできぬと悟っても、昔の癖が抜けないから、反日行動をついとってしまうのだ。テレビ局に潜む左翼スタッフがいつまでも左翼踊りを止めぬ理由がここにある。フランスのだらしない同棲婚や北欧の冷え切った家庭を理想とするのだ。少子化対策はヨーロッパに見習えと国民に説教垂れる評論家は、脳幹の中まで真っ赤に染まっているのだ。

  先進国の女性が出産・子育てよりもキャリア(career)を重要視するあまり、晩婚化が進み、出産したいと思ったら、卵子が減少し子宮が老化していた、てなことになっている。運良く妊娠できたって、40歳前後の女性では一人産んだら子宮はもうヘトヘトだ。肉体的にも辛い。彼女らが悔やんでも手遅れ。「後悔先に立たず」を噛みしめて晩年を送るのだ。有名なピュー・ヒスパニック・センターの調査報告書を覗いてみればよく分かる。(The New Demography of American Motherhood, Pew Research Center August 19, 2010)

  アメリカ人女性1000人あたりの子供の数か減少しているのである。1990年に10代の母親が533名だったのに2008年には441名になった。これが35歳以上の女性で母親になった者は、1990年に368名だったのが2008年には603名に増えている。つまり、若い母親が減って高齢の母親が増えていることになる。晩婚化が進んだのである。

そこで、出生率を人種別で見てみることにする。( 1000人あたりの出生率)

             1990年        2008年
  白人        22 14
  黒人      62 33
ヒスパニック     53 38
アジア人 14 9

米国では白人女性の晩婚化と出生率減少が確実に進んでいるのだ。その反対にヒスパニック人口が増えている。白人の出生数は、1990年で2,713,000人なのに2008年には2,273,000に減っている。一方、ヒスパニックは1990年に595,000人だったのが2008年には1,039,000人に増えている。

  晩婚化と少子化の原因は、キャリア女性の考え方にもあった。人口や結婚について研究しているシルヴイア・ヒューレト(Sylvia Hewlett)は、企業で高い地位につく女性にインタヴュー調査を行った。ある女性(Polsky 44歳)は、地位が安定して次の出世ができた後に、子供をもてたらいい、と考えていたら、子供がもてる年齢を過ぎていた。別の女性で大学の医学研究者(Kate 52歳)は、キャリアのために30代を無駄にしてしまった。「ただ単に注意していなかった」と後悔している。
(Sylvia Ann Hewlett, Executive Women and the Myth of Having It All, Harvard Business Review, April 2002)

  さらに困ったことに、高収入で高学歴を持つキャリア職の女性には、適当な結婚相手が少なくなっているのだ。まさか、彼女らより低収入で低学歴の平社員や肉体労働者では釣り合いがとれないし、自分より若い男たちは振り向いてくれないのである。食べ物に例えれば、賞味期限が切れた高級ハムは、見た目が良さそうでも誰も喰わない。ところが、同様の地位をもつ男たちは、結婚相手に高収入の地位が無くても平気で、若くて魅力的な女性を見つけて、結婚してしまうのだ。彼らは歳をとったキャリア女性には感心がない。乳房が干し柿みたいになっても、キャリア女性は桃尻娘みたいなロマンスを持ち続けているのだ。白馬にまたがった王子様ではなく、白衣の介護師が待っていることに気づかない。

  フェミニストが目指す「女性が輝く社会の実現」とは女性が晩婚化し子供をもたない社会を目指しているのだ。専業主婦はセックスしか能が無い低学歴の女がなるもので、高学歴の女性はその才能を企業で発揮して、輝く人生を歩むのだ、と洗脳する。自尊心をくすぐられた大卒女性は、キャリアを積むために貴重な20代や30代を費やしてしまう。30代後半になって、あわてて結婚しても一人子供を産めるだけ。それでも、フェミニストは子育てはつまらないから、社会(職場)復帰を勧めて、専業主婦を断念させようとする。そのために、配偶者控除を無くして夫婦共稼ぎにし、残された子供は託児所に預けろ、と主張する。これは働く女性を助けるためではなく、仲間である社会党・共産党の役人・福祉関係者に職を与えるためである。税金を子育て支援機関に回せば、赤い反日分子が託児所などで増殖するからだ。そして、既婚女性に経済力をつけさせ、離婚をしやすくし、家庭を崩壊させれば、グレた子供が増えて、革命戦士にしやすくなる。左翼弁護士は「明るい離婚」を宣伝してひと儲け。左翼政治家や赤い官僚に騙された「輝く女性」は、しわくちゃになった顔を見つめて、冷たい一人暮らしの老後と死を迎えるだけ。失った時間を返せ、と怒鳴ったって手遅れだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68254541.html


118. 中川隆[-6027] koaQ7Jey 2017年11月02日 17:16:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


米白人学生、黒人ルームメイトの持ち物を体液で汚染 訴追・退学 BBC News

米コネチカット州の白人学生が、ヘイトクライム(憎悪犯罪) の罪に問われている。自分のルームメイトだった黒人学生を追い出そうと、相手の所持品を体液で汚したことを認め、逮捕・訴追された。

ハートフォード大学の学生だったブリアナ・ボロチュー容疑者(18)は1日までに、器物損壊と治安破壊の軽罪で訴追された。

コネチカット州ウェスト・ハートフォードの警察は、重罪にあたる偏見・差別にもとづく威圧行為を罪状に加えるよう、判事に要請したという。

ハートフォード大学のグレッグ・ウッドワード学長は1日、ブロチュー容疑者がもはや同大学の学生ではないと明らかにした。

ブロチュー容疑者は大学寮のルームメイト、シェネル・ロウさんに対して、所持品を体液で汚染させる行為を繰り返していた疑い。

一連の問題行為は、容疑者がそれをインスタグラムで自慢したため明らかになった。

容疑者のアカウントはすでに非公開になっているが、投稿内容をロウさんがフェイスブックで紹介し、地元メディアが伝えた。

そのひとつによると、容疑者は「ついにやった、ルームメイトを追い出したよ!! 1カ月半、あいつのココナツ油に唾を吐いて、カビたディップをローションに混ぜて……歯ブラシをお尻の穴に入れて、他にもいろいろやった。これでついに、ジャマイカ版バービーとはおさらば」と書いていた。

学生宛ての声明でウッドワード学長は、ブロチュー容疑者の行為は「言語道断」で、「きわめて不快」な出来事だと語った。

「今朝の時点で、ブリアナ・ブロチューは、もはやハートフォード大学の学生ではありません。彼女が当校に復学することはありません」

ブロチュー容疑者は1日朝、ハートフォード地区裁判所 に短時間出廷したが、発言しなかった。

被害に遭ったロウさんはフェイスブックに投稿したビデオで、寮の部屋に引っ越した際、ブロチュー容疑者から「歓迎されず」、「馬鹿にされている」と感じたと話していた。

ロウさんによると、しばらくすると体調を崩し、「激しい喉の痛み」に苦しんだ。ブロチュー容疑者の行動に関係しているはずだと、ロウさんは主張している。

「(容疑者の投稿の)この段落をずっと見ている。だって、この段落には彼女がしたことがたくさん書いてあって、これ以外にももっといろんなことしたって言ってたから」

「でもほかに何を、もっとたくさんしたのかは知らない。私、どれだけの間、あの歯ブラシ使ってた? 向こうは私の歯ブラシをお尻に入れたって言ってる」 

(英語記事 Student charged after smearing bodily fluids on roommate's bag)

提供元:http://www.bbc.com/japanese/41841968


119. 中川隆[-5822] koaQ7Jey 2017年11月21日 10:13:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年11月21日
アメリカ人の歪んだ動物愛護 イルカは保護し、ライオンや象は狩猟


アメリカ人の「ハンティング」によって先住民は絶滅した
引用:https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/25/94/cc/2594cc3cea7e38ccfbac78bc945be6aa--us-history-american-indians.jpg

ライオンは良くてイルカはノー

アメリカのケネディ前駐日大使は2014年1月18日、ツイッターで日本のイルカ漁を激しい言葉で糾弾しました。

アメリカ人はイルカとクジラ漁を憎悪し、現在もシーシェパードによる捕鯨妨害を官民で支援しています。

だがその一方でアメリカ人はアフリカでライオンや象など野生動物をハンティングして、ツイッターで自慢している。


ケネディ前駐日大使は「イルカ漁をやめなさい」と説教する一方で、毎日美味しい牛肉や鶏肉を食べ、罪悪感は感じていなかった。

米政府は2017年11月16日、アメリカ人がアフリカで合法的に狩猟した「戦利品」の剥製などを、国内に持ち込めるよう解禁した。

トランプ大統領の息子2人はハンターとして知られていて、アフリカで象狩りを楽しんでいた。


米政府は狩猟による収益は野生動物保護に使われるので、野生動物保護に役立つ、と信じられない説明をしている。

ケネディやシーシェパードはライオンや象狩りを批判した事は一度もないし、捕鯨やイルカ漁の収入が自然保護に使われていても、一切評価しない。

捕獲したイルカは水族館で飼育され、イルカ研究は水族館のイルカで行われているのだが、こうした成果も認めていない。


欧州の人間は馬を食べるが(食べない国もある)、アメリカでは馬を食べず、馬を食べる国を「野蛮で非道」と批判している。

それでいてアメリカ人は野生のバッファローを捕まえて平気で食べるし、他の野生動物も食べている。

だが馬を食べる人間に対しては「お前は人間として恥ずかしくないのか!」と怒り出す。

アメリカ人の狩猟の起源とは

米政府が戦利品持込を解禁した事で、今後外国で狩猟を行う米国人が増加すると考えられている。

アフリカの国々でも野生動物の保護は行われているが、金さえ払えば保護区内でも狩猟できるのが現状です。

ジンバブエの保護区で地元住民が保護していた野生ライオンが、保護区から出た場所で、親子3代にわたってアメリカ人に狩猟された。


まず父親のセシルがアメリカ人ハンターに狩猟され、友人との自慢話の種になった。

続いて子供のゼンダも、アメリカ人ハンターに狩猟され、ツイッターに掲載され自慢の材料になった。

その子供ライオンたちも、アメリカ人によって狩猟され、このライオン一族は絶滅した。


アフリカではこのようにして毎年600頭のライオンが狩猟されていて、象やキリンなど数千頭の野生動物が狩猟されている。

こうしたアメリカ人は処罰されることも無く罰金すら取られていないばかりか「トロフィーハンター」として称賛されている。

こうした人間ほど普段は「自然保護」に熱心で、自然に親しんで、イルカや馬を食べるのを「野蛮人」と罵倒していたりする。


アメリカ人の先祖は欧州人ですが、アメリカやアジア、アフリカでつい100年前まで、先住民を対象にしていました。

アメリカ大陸には3000万人から6000万人の先住民が暮らしていたが、現在はたった250万人(アメリカ合衆国)に減少しています。

多くは欧州から持ち込んだ伝染病でなくなったが、かなりの人が娯楽や土地を奪うために、狩りの対象にされました。
http://www.thutmosev.com/archives/73699127.html


120. 中川隆[-5783] koaQ7Jey 2017年11月26日 13:25:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2016年02月10日 こんな英国に誰がした !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68512502.html


責任者がいない移民政策

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左: ゲルマン系女性
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/5/4/54216f4e.jpg

右: メルケル首相)

  かつて、夫婦(めおと)漫才師の人生幸朗(じんせい・こうろ)のギャグに、「責任者出てこい !」という“ぼやき”があった。移民政策を進めた者に責任を取らせたいが、当事者は既に引退しているか、あの世へ旅立ってしまった者がほとんど。綺麗事を口にした者は、手厚い議員年金で快適生活。ところが、失敗のツケは、いつも庶民に降りかかる。シャンパンの泡なら良いけれど、重税の請求書じゃたまらない。現在、ドイツはシリアのみならず、他の中東アジアやアフリカからの難民でごった返している。ケルン経済研究所の試算によると、今年度ドイツが負担する移民へのシェルター供給、福祉予算、社会的統合への費用は、220億ユーロと見込まれ、来年度は276億ユーロになるという。(Migrant crisis to cost Germany €50 billion by 2017, U.K. Telegraph, 2 February 2016) これならメルケル首相の株が急落するわけだ。

  移民が来れば治安が乱れ、犯罪が増えるであろう事は火を見るより明らかだ。第三世界から潜り込んできた有色人にとって、ヨーロッパの白人女性は格好のターゲットになる。彼らの祖国では白人娘の売春婦は高嶺の花で、大金持ちしか買うことが出来ない。アラブの石油成金なら、高級コールガールを手にできるが、貧乏な一般人には絶対無理。ところが、ヨーロッパに来ると、道端に無料の白人女が転がっている。失う物が何も無い移民や難民は、スケベ心をくすぐられ、ついつい現地の女性を強姦したくな.。どうせ、異教徒で異邦人の女だ。強姦魔の良心は痛まない。それに、被害者の家族から、「血の復讐」は無いから安心。かくて、西歐人女性はいつでも性的暴力の犠牲者になり得る。

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(左写真/アジア人性犯罪者)

  現実の世界では時折、あべこべの事態が起こるものだ。事件はデンマークで発生した。17歳になるデイン人の娘が、難民申請者センターの近くで強姦されそうになったらしい。英語を話す男が突然彼女を襲い、地面に押し倒し服を脱がせようとしたそうだ。そこで彼女は強姦魔に抵抗すべく、ペッパー・スプレーを取り出し、男の顔に目がけて吹き付けてやったという。反撃を喰らった男はその場から逃げ出し、未だに逮捕されていないそうだ。事件現場は難民センターがあるソンダーボルクであった。ただし、加害者が難民かどうかは定かではない。それよりも、問題は犯人ではなく、被害者にあったのだ。何と、強姦されそうになった女性が処罰されるという事態になったのである。デンマークでは、ペッパー・スプレーを使用することは違法で、これに違反すると500クローネ(約5,500円)の罰金が科せられるという。(Jennifer Newton, Danish 17-year-old girl who used a pepper spray to fight off a rapist near migrant asylum centre, Daily Mail, 27 January 2016)

  そんな馬鹿な、と言いたくなるが、頭が狂ったリベラル人権派が多数を占める西欧では、筋違いの論理がまかり通っている。左翼にとって大切なのは、被害者の白人より、加害者の有色人種なのだ。アジアやアフリカの有色人は弱者だから、強者のヨーロッパ人から守ってやらねば、と考えているのだろう。彼らの「社会正義」とは第三世界に根ざすものだから、帝国主義の前科を持つ西歐人には適用されぬものであ。日本も同じで、強姦された日本人女性よりも、「弱者」の在日朝鮮人や帰化支那人の方が大切にされているのはご存じの通り。普段は女性の権利を云々するマスコミは、彼らを徹底的に糾弾しないのだ。本名や顔写真を公開せず、ほんの1、2分の報道で済ませてしまう。しかも、たった1回の報道で終わり。三回も四回も繰り返さない。ましてや、特番なんか絶対ないだろう。

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(左: パキスタン人 / アラブ人 / アフリカ人 / 右: レバノン人)

  歐洲の女性は年齢を問わず危険にさらされている。強姦されるのは、何も若い女性とは限らない。「えっ !」と言葉に詰まる日本人は、まだまだ甘いぞ。世の中は広いんだ。蓼(たで)喰う虫も好き好き、と言うじゃないか。幼女が好きな変態もいれば、婆さんが好きな強姦魔がいても不思議じゃないだろう。アメリカでは80歳や90歳近い老婆が、南米からの不法移民に強姦されるという事件も起きている。人生の晩年に屈辱を受ける老人には同情を禁じ得ない。こうしたアメリカの強姦事件は酷いの一言だが、オーストリアで起きたレイプ事件も許せない。アフガニスタンからやって来て、難民申請を行ったワハブ(Wahab)・Mという18歳の少年が、72歳のドイツ人女性を強姦したそうだ。このアフガン人はたった20ヶ月の懲役と、€5,000の罰金を科せられただけである。オーストリアの法律では、最高で五年の懲役刑が下されるそうだから、本件はとても軽い処罰と言えよう。それというのも、加害者が未成年で初犯だったことが、裁判所の判決で考慮されたらしい。

  犯行現場はまたもや難民施設の近くであった。事件は昨年九月に発生し、当日は暑かったそうで、年金暮らしのクリスチーナ・Fというオバはんが、川の近くを歩いていたそうだ。川では二人の男が泳いでおり、そのうちの一人が土手に上がりたいので彼女に手助けを求め、親切なクリスチーナは手を貸したそうだ。すると、背後から一撃を喰らい、彼女は倒れてしまった。殴った男は彼女を引き摺り、片手で彼女の口を蔽うと、彼女の服を剝ぎ取ったという。小柄なクリスチーナは強姦魔をどうすることもできなかった。強姦されてあざを負ったまま、彼女は帰宅したという。彼女のあざを発見した友人のヴェスリーが、クリスチーナを問い詰め強姦の件を聞き出したらしい。

  一方、犯人の少年は強姦の後、こそ泥をはたらいて警察に捕まり、DNAを採取されるや、クリスチーナを強姦した犯人である、と判明したそうだ。普通の国民なら、こんな野郎は重罪で刑務所に送るか、処罰を加えて追放してしまえ、と思うだろう。しかし、このワハブはアフガニスタンに強制送還されないというのだ。またもや「人権」の尊重らしい。危ないアフガニスタンに追い返すのは可哀想なんだって。あ〜ぁ、ヨーロッパ人ってどこまで馬鹿なんだろう ? 日本人なら怒りが爆発するんじゃないか。もし、自分の母親が移民や難民に強姦されたら、犯人を半殺しにしたくなるだろう。撲殺したくなるのが正常な人間の反応である。難民だから許してあげる、なんて馬鹿はいないよね ?いや、いるかな ? もしかしたら、人権教育のせいで、いるかもね。いずれにせよ、難民を入国させなければ発生しなかった事件である。もし、アフガニスタンが危険なら、避難民はパキスタンやインド、ペルシアに移住すればいいじゃないか。何故ヨーロッパなんだ ? 要は、どうせ難民になるなら豊かな国が良い、ということだろう。計算ずくの難民申請なら拒絶すべきだ。今回の強姦事件で皮肉なのは、クリスチーナの娘であるシルヴィアが、難民申請者の為に働いていたことだ。(Austria won't deport Afgan asylum seeker who raped 72 yo woman, RT, 29 January 2016) 善意で難民を助けていたシルヴィアにとって、目が眩むような難民の仕打ちである。左翼教育を受けた馬鹿娘は、家族に起きた現実をしっかりと噛みしめるべし、と言いたい。強姦されて別人になってしまった母親の前で、彼女はどんな言葉を掛けるのか? たぶん涙が溢れて、何も言えないんじゃないか。

移民はプールを禁止

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(写真/狙われやすい西歐人女性)
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  ドイツでは「ネオ・ナチ」の台頭が顕著になっている、とマスコミは騒ぐが、これは兇暴な人間が出現したのではなく、移民・難民の弊害を自覚した一般人が目覚めたということだ。ドイツへの選択肢(Alternative for Deutschland/AfD)という政党が現れ、移民・難民に反対する国民の支持を集めている。2013に結成されたこの政党は、11.5パーセントの得票率があるらしい。日本のマスコミは「ペギーダ(Pegida)」でさえ「極右集団」として扱っているが、ドイツの悲惨な現状に敢えて目をつむっているだけだろう。ドイツの未来を心配する国民なら、ペギーダに賛成するのが普通だ。祖国が異邦人の侵掠に晒されているのだから、子孫のためにも立ち上がるのが当然だろう。歐米や日本のマスコミは、スキンヘッドで黒革のジャケットやアーミー・ブーツを履いた若者ばかり映すが、本来取材すべき対象は、移民を引きずり込む移民・難民支援団体と高級住宅地に住むテレビ局の重役やスポンサー企業の経営者であるはずだ。

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左: 犠牲者になり得る西歐人女性
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右: アジア系性犯罪者)

  アフガニスタンやシリア、チュニジア、エリトリアからの移民・難民による性的辱めや強姦が頻発しているのに、人権団体が移民・難民の排斥に賛成しないのはどう考えてもおかしい。ソマリアからの難民が10歳の白人少女を強姦したり、若い白人女性が街角でアフリカ黒人などから、下品でイヤらしい声を掛けられるのは日常茶飯事である。ドイツではペッパー・スプレーの売れ行きがうなぎ登りらしい。全国で600パーセントの売上げ増であるそうだ。(Sue Reid, The backlash: Neo-Nazis on the rampage, Daily Mail, 15 January 2016) KHセキリュティー社によると、毎日200缶のスプレーが売れるそうで、過去25年間で最高であるという。ドイツでは正月にケルンで組織的な集団強姦が発生し、移民に怯えたドイツ人女性が、急に購入し始めたことが原因らしい。ボディー・ガードを雇える富豪の娘ならともかく、平民の女性なら銃は無理でも、「ペッパー・スプレーくらいは持たなくちゃ」と思うだろう。

  移民・難民による被害は、婦女強姦だけではない。公共施設などでも被害が起こっている。ドイツのボルンハイムでは、水泳プールに通う11歳と13歳のドイツ人少女が、19歳のアフガン人によって触られるという事件が起きた。(Olver J.J. Lane, German Swiming Pool Lifts Migrant Bather Ban After Leftist Pressure, Just 24 Hours After Four Children Molested, Breitbart, 19 January 2016) 彼女たちの父親が知ったらナイフを持って怒鳴り込むだろう。今回は肌に触っただけだが、もし、子供が体育館の片隅で強姦されたらどうするのか? 日本国民は移民による性犯罪が増えることを考えていない。もし、自分の娘が強姦または輪姦されたら、日本人の父親だって、ご先祖様受け継いだ名刀を抜くはずだ。時代劇の破れ傘刀舟(とうしゅう)みたいに、「てめえたちゃ人間じゃねぇ、たたっ斬ってやる !」と激怒するに違いない。

  中東アジア移民による被害はまだある。ドレスデンのプールでは、移民による幼児への性的事件を受けて、移民の入館を禁止したという。ミュンヘンのプールでも同様の性的事件が起きており、14歳と17歳の少女が、移民の男により水着の上から体を揉まれたそうだ。どうも背後には、ギャングの集団がいるらしい。こうした性的事件が頻発しているのに、難民支援団体はプールの運営者へ政治的圧力を掛け、禁止の解除を要求したという。難民への偏見はいけないそうだ。ばぁ〜か。アホ。難民よりドイツ人の子供を守れ。難民の分際で何が水泳プールでエクスサイズだ。そんな奴らはさっさと出身国へ追放しろ。どうして左翼どもは、こうも同胞に対して冷酷なか? たぶん、自分の子供だけ安全ならば、他人の子供がどうなってもいいのだろう。

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左と中央: 西欧系の少女たち
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右: ムスリム移民の男性)

  だいたい左翼どもは自国民と難民を同等に見る癖がある。異国で生まれ育った難民は、受容国の習慣や思考を持っていないのだ。この当り前の事実を彼らは無視する。“哀れな”難民だから「大目に見ろよ」とでも言いたいのだろう。ちょっと気持ちの悪い出来事だが、実際に発生したので率直に述べてみたい。ザクセン地方にある水泳プールで、移民の男女グループが“とんでもない”行為をしでかし、それが監視カメラに録画されていた。彼らはジャクージの中でマスターベーションをしたり、子供用プールの中でウンコをして水を汚し、他の水泳客に性的嫌がらせを行っていたのだ。(Oliver J.J. Lane, Local Fled Pool After Migrants Masterbated Into Zacuzzi, Breitbart, 22 January 2016) 湯船で屁をするくらいなら許せるが、脱糞したら誰だった怒るだろう。プールでの小便さえ許せないのに、ウンコをするなんて常軌を逸している。たぶんドイツ人への嫌がらせを積極的に行う愉快犯なのだろう。


  こんな事をする外人は即刻国外追放にすべきだ。こんな連中を寛大に扱ったら、自国民が公共施設を使えなくなるだろう。つまり、ドイツ国民は移民や難民の有色人と一緒に泳ぐことを嫌がり、安く使えるはずの公共施設を回避し、ドイツ人がいなくなった施設を外人が堂々と使うという事態になる。税金で運営されたり、公的補助で経営されるプールなのにドイツ人が利用できず、福祉目当てにドイツに来た移民や難民が税金の恩恵に与るなんて言語道断である。日本人はドイツ人を横目で見て澄ましているが、支那人や朝鮮人の移民や帰化人が増えている日本でも同じ事が起きるに違いない。特に、支那人が公営プールに殺到したら、水の中で小便はもちろんのこと、痰を吐くし、鼻水鼻糞は垂れ流しである。また、想像するのも嫌だが、肛門にこびりついたウンコを水中で洗うだろうし、水虫だらけの足で入ってくるのを覚悟せねばならない。つまり、彼らは体の垢をプールで洗い流すということだ。まぁ、気にしない人はいいけど、女子高生の日本人少女は嫌がるだろうなぁ。支那人のマナー違反は想像を超えているから、彼らの所行を目撃したら悲鳴を上げてしまうだろう。泳いでいる最中に、プールの水を間違って飲み込んだら、胃袋の辺りが妙な感じになるかも。何か塩っぱいような味が楽しめるかも知れない。

変わり果てたロンドン

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(写真/移民で溢れるロンドン)

  移民・難民で大変なのはドイツばかりではなく、海を隔てたブリテンでも似たようなものである。トニー・ブレアやゴードン・ブラウンが首相だった労働党時代に、大量の移民・難民を受け容れてしまったことで、ブリテン社会は人種的に変貌してしまったのだ。この受容政策は、単なる失敗ではなく、意図的に仕組まれたものだった。労働党の左翼議員は、イングランドを「多民族共存社会」にすべく、積極的に移民の流入を認めたのである。イングランドの伝統と國體(こくたい)を憎む反英主義者どもは、外人を引き入れることで、保守的イギリス人を撲滅しようと謀ったのだ。この背後にはユダヤ人が絡んでいるが、説明すると長くなるので、別の機会に譲りたい。(「またかぁ」と溜息をつく人がいるかも知れないけど、日本のマスコミが報道しないのが悪いだけ。)

  最近、ベン・ジュダ(Ben Judah)という英国のユダヤ人がロンドンの状況を記した本を出版し、新聞でも取り上げられている。(Harriet Sargeant, How Labour turned London into a foreign city, Daily Mail, 23 January 2016) 彼はハイド・パークにキャンプを作って住みつくジプシーの乞食と寝泊まりしたり、金髪のカツラをつけたルーマニア人娼婦などを取材したそうだ。ジュダ氏によると、移民たちは密入国仲介者から、「ロンドンは第二のパラダイスで、誰でも金持ちになれるんだ」という話を聞いているそうだ。健康保険による医療をタダで受けることが出来るとか、無料で住宅が供給され、学校へもタダで通えるという内容らしい。こうした移民たちは、豊かで安全なブリテンで法外な福祉にあずかることが出来て、その上、女まで手にすることが出来ると思っているのだ。ロンドン北西部の肉屋で働くあるアフガン人は、夢のような性的チャンスを期待していたという。祖国アフガニスタンでは、他人の女や妻以外の女と寝たら殺されかねないからだ。

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(左: ロンドンの浮浪者/右: ロンドンの市場)

  密入国を手引きするブローカーは、移民希望者に旨い話ばかりを聞かせるらしい。仲介業者はブリテン社会を如何に利用するかを説明するそうだ。彼らは「ロンドンは権利の国だし、一旦ブリテンに潜り込めさえすれば、送還される虞(おそれ)は無いさ」と移民に前もって語るらしい。こうした話を鵜呑みにした外人は、ブローカーに大金を払うか、後払いを約束して憧れのブリテンに連れて行ってもらうそうだ。しかし、英国に無事到着してからが大変なのだ。後払いの「手引き料金」を稼がねばならない。密入国者は職を見つけても、安月給だから借金の返済はきついのだ。現実はそう甘くない。夢にまで見た極楽の英国生活が、借金漬けの奴隷生活に変わってしまうのだ。ジュダ氏がであったある入国者は、「俺は金が木に実ると思っていたんだ。だが六ヶ月後、泣きながら寝ることになっちまった。今の俺は宿無しなんだ」と語っていた。甘い夢を見た移民には、乞食になるジプシーもいれば、学生ビザで入国して、そのまま英国に住みつくガーナ人貧民もいるそうだ。

  パキスタンやポーラント、トルコからやって来る移民が、すべて堅気の職に就くとは限らない。真面目に働くより、犯罪で大金を稼いだ方がいいと思う奴らが出てきても不思議ではないだろう。実際、英国は犯罪者を輸入しているようなものである。ロンドン南部にはソマリア人ギャングがはびこり、北部ではトルコ人ギャングが縄張りを持っている。クルド人とアルバニア人たちは資金洗浄に手を染めているし、ベトナム人ギャングは大麻の密売において、3分の2くらいのシェアを占めている。ジュダ氏はグレナダ出身の麻薬密売人を取材したことがあるという。彼は12歳の時に母親と共に英国にやって来て、本国よりましな生活を送れたが、住んだ場所が酷かった。ギャングが抗争を繰り広げていたのだ。そこは母国のグレナダより腐敗し、もっと危険な土地で、さらに落胆するような場所だったらしい。彼は「ここに来て半年過ぎた頃、俺は良心の75パーセントを失っちまったんだ」と語っていた。移民が悲惨な生活を送るのは構わないが、祖国の首都が外人ギャングの跋扈する租界になってしまったことを、イギリス人はどう思っているのか。ロンドンから逃げ出したイギリス人は、決してこの首都を外人から奪還できまい。ネルソン提督やウェリントン将軍でも無理だ。

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(左: ジョン・クリーズ/右: 「モンティ・パイソン」に出演したクリーズ)

  かつて英国で大ヒットした人気番組「モンティー・パイソン」に出演していたジョン・クリーズ(John Cleese)が、移民の波で変わり果てた祖国を嘆いていた。()Hugo Gye, London is no longer an English City, Daily Mail, 2 September 2011) 彼が子供の頃に見たロンドンが、今ではすっかり変わってしまい、異国にいるように思えてくるらしい。イングランドの都市なのに、まるでバグダッドかイスタンブールのように、非白人の異邦人で溢れている。ロンドンでは通行人のみならず、街角に立っている売春婦も外人で、彼女たちの96パーセントが移民だという。商店街でもトルコ人やポーランド人の店が目立つし、トッテンハムやハリンジーの裏通りでは、移民どもがネズミの丸焼きを食べている。ナイジェリア生まれの警察官が次のように語っていたそうだ。「イギリス人は消滅しかけている。ロンドンはもはや英国の都市ではない。ロンドンはゲットーのつぎはぎなのさ」、と。これは日本人に対する警告にも聞こえる。東京をはじめとする都市部では、外人が流入したことで、朝鮮人や支那人あるいは東南アジア人の温床になってしまった。朝鮮人に占拠された東京の新大久保や、フィリピン人がひしめく埼玉の蕨(わらび)市などを見れば分かるだろう。

  日本人はヨーロッパ人の秕政(ひせい)を直視すべきだ。外国が社会実験をして見事に失敗したのに、それを謙虚に学ばないどころが、同じ間違いを辿ろうとしている。移民や難民は有害なだけで、利益などまず無いと考えるべきだ。例えば、「お前に一万円あげるから、お前の娘を強姦させろ」と言われて、「わぁ〜い、一万円儲かっちゃった !」と喜ぶ父親が居たら見てみたい。実際は、子供が外人と接触しないよう配慮するはずだ。安い労働者を輸入して儲ける企業はいいけど、外人労働者の社会福祉を負担する一般国民はたまったもんじゃない。例えば、自分の子供が通う公立小学校に、下層階級の外人が入ってくるのだ。学校全体の学力低下で、心配になった日本人の親は私立学校への転校を考えたり、私塾を探したりで、教育費の負担が増えるだろう。それに、もし、子供が変態外人に何かされたら、もう気が狂いそうになるくらい取り乱すだろう。移民や難民を許す国民というのは、精神的に改造されたことに気づいていないから、自己防衛の行動が取れない。無責任な左翼が、「人権」とか「人道主義」を持ち出すと、反論ができなくなり、彼らの云う事をつい容認してしまうのだ。「右翼」という罵声を怖れる余り、立ち向かうことができない。将来の生活を犠牲にしているのに黙っている。しかし、我が子や幼い孫に立派な遺産を残したいと望むなら、図々しい移民や難民のいない日本を守るべきだ。残りの人生が短い祖父母なら、なおさら可愛い孫の為に「移民・難民反対」の声を上げるべきだ。「極右」のレッテルを物ともせず、左翼勢力に反対するのが、責任ある大人の行動であろう。大東亜戦争で散っていった将兵の苦痛に比べれば軽いもんだ。反対デモに参加したって弾丸は飛んでこない。自分の血と肉を受け継ぐ子孫を思えば、これくらい楽なもんじゃないか。   
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68512502.html


121. 中川隆[-5782] koaQ7Jey 2017年11月26日 13:27:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奴隷貿易をしていたユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68402119.html


ヨーロッパ人に隠れてユダヤ人が


(左: 映画ジュー・スース / 右: お金を握ったユダヤ人の風刺画)

  奴隷制は昔から何処にでもあった。古代バビロニアとかエジプト、アッシリア、ギリシア、ローマを調べれば、奴隷を使っていない方が珍しい。日本人は太平洋を隔てたアメリカの黒人奴隷ばかりに目を向けるが、すぐ隣の朝鮮や支那を見ようとしない。李氏朝鮮では奴卑など至る所にいたし、支那では皇帝が支配する人間すべてが奴隷だった。天子を補佐する「宰相」とは、もともと料理を作る罪人という意味で、皇帝の召使い程度。さらに酷いのが「民」という言葉。「針で目を潰された奴隷」という意味で、盲(めくら)になった無知蒙昧の小人(しょうじん)に相応しい漢字である。法律で「奴隷制」をつくらずとも、支那の民衆は端っから搾取の対象である。支那皇帝にとり、天然奴隷は野生動物と同じで、使い捨ての家畜で殺そうが食べようが、ご主人様の勝手。漢籍を学んできたはずの日本人は、これを子供に伝えないなんて、論語読みの論語知らずと一緒である。西歐の奴隷制ばかりに注目する日本人は、学校教育における情報操作に気づいていないのだ。アメリカの黒人奴隷に詳しくても、ロシアの農奴をコロっと忘れている日本人が如何に多いか。奴隷と平民の区別が曖昧なアジアの方をもっと勉強すべきである。(ロシアはスラブ系だけど、モンゴル系アジア人と考えた方が理解しやすい。)

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(左: 相談するユダヤ商人 / 右: 家奴隷商人の集会)

  奴隷貿易の代表格といったら、ヨーロッパ人を思い浮かべるのが普通の日本人である。しかし、そのヨーロッパの奴隷商人をよ〜く調べてみると、異質な顔つきの商人がいるから驚きだ。それは何とユダヤ人の奴隷商であった。またもやユダヤ人なので、ブログを書くのが嫌になってしまう。しかし、一般の日本人が知らないのは、大学教授どもが怠慢だからだ。給料貰っているくせに、手垢のついた講義ノートを何十年も使っている低能教授が居坐っている。文系学部の教授を全員クビにして、学生が個別にお金を払って講義を選べるようにすべし。そうすれば少しは大学が良くなるだろう。落語の寄席みたいに厳しい実力主義にしないと、大学教授は更生しない。名前だけ立派な林家こぶ平(最近は「正蔵」)の落語なんて誰も聞きに行かないだろう。海老名の母ちゃんだけが張り切る寄席なんて恥ずかしい。話を戻すと、ユダヤ人は昔から奴隷貿易に携わっていたという事実がある。これは余り語られない歴史である。

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左: 白人奴隷を見定めるイスラム教徒
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右: 白人女性を取り押さえる奴隷商人
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  ユダヤ人とは元々、メソポタミア文明の地、つまりカナンとかパレスチナという地域に住んでいた民族である。バビロニア帝國やラムセス2世のエジプトで奴隷になっていたユダヤ人は有名だ。チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』を観た日本人も多いだろう。奴隷狩りや奴隷貿易など当り前の世界に住んでいたのだから、ユダヤ人だって奴隷貿易に従事していても不思議ではない。アラブ商人がアフリカ人や東欧のスラブ人捕虜を売り買いしていたように、ユダヤ人も黒人や白人、その他諸々の民族を扱っていたのだ。ユダヤ教徒はどのような食材を用いて料理をするかとか、如何なる方式で礼拝をするのかを厳しく定めているが、奴隷も厳格な戒律に則って扱っていた。強烈な宗教を持たない日本人はユダヤ人の掟を理解しづらい。彼らと違って、日本人は食べ物で宗教的タブーがないから、食材を感情で選んでいる。支那人なら机は喰わないが、人間、犬・猫、トカゲ、熊、猿、ダンボールを食べてしまう。食材にタブーなし。しかしさぁ〜、“胎児のスープ”は残酷というか、気持ちが悪くて見るのも嫌だよね。それと、子供の小便でゆでた卵は、臭いがキツくてちょっと食えないな。隣の朝鮮人も、変な物を食べている。犬肉のスープは有名だけど、クズ野菜を漬け込んだキムチを自慢するなんて貧乏くさい。世界に誇るキムチだってさぁ。でも、朝鮮人はキムチなら鼻くそ入りでも食べるんじゃないか? (あっ、違った。日本人観光客用でした。しかも、食べ残しを日本人に出すとは ! )

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(左: 小便に浸かったゆで卵 / 右: 食品に唾を入れる朝鮮人)

  ここでちょっと、ユダヤ教の戒律を紹介したい。天主(神様)は穢らわしい食べ物を預言者モーセに告げたという。たとえば、禿鷲、鳶(とび)、カラス、みみずく、コウモリなどを挙げている。(レビ記11章13-19節) こんなの禁止されなくても日本人なら食べない。でも、支那人なら肉団子にして、廃棄油で揚げれば一丁出来上がり。(髪の毛で作った醤油をかけて日本で販売したりして。) 他にも、もぐらネズミ、ヤモリ、大トカゲ、カメレオンは汚(けが)れた爬虫類とされている。(11章29-30節) これらの生物をまさか食べないと思うが、見るからに気持ち悪いから汚れていると分かる。また、神様はモーセに漏出(ろうしゅつ)による穢れを告げたそうだ。尿道の炎症による漏出がある人は汚れている。尿道から膿が出ている場合と尿道にたまっている場合は汚れているそうだ。(レビ記述15章2-3節) そして、漏出した人が乗った鞍や衣服、または彼に触れた人は汚れているという。(15章6-10節) 現在の日本なら差別となり大問題になってしまうが、ユダヤ教の社会だと今でも当り前の戒律なのだ。でも、どうやって見分けるのか不思議。まさか、「お前怪しいから、パンツ脱げ」とは言えないだろう。やはり医者に診せた時、周囲の者に暴露されてしまうのかな?

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(左: 赤ん坊のペニスを調べる聖職者/右: 割礼の手術を受ける少年)

  生活の隅々にまで宗教的戒律が徹底しているユダヤ人は、奴隷に関してもちゃんと規則があった。トセフタ(Tosefta/口伝解釈集の附録法典)によれば、ユダヤ教徒の家庭で異教徒の奴隷を使用する場合、その奴隷に割礼を施し、水で清めなければならない。(Catherine Hezser, Jewish Slavery in Antiquity, Oxford University Press, 2005, p.35に引用されている。) 「割礼(circumcision)」とはペニスの包皮を切除することである。えっ ! 痛そう、と思ってしまうが、奴隷だからしょうがない。いくらなんでも麻酔をかけずにペニスの皮むきは酷いだろう。魚肉ソーセージじゃないんだぞ。古代には麻酔が無かったから、大麻かコカインを吸飲して皮削ぎを行ったのか、詳しく知りたいところだ。とにかく、中東アジアの宗教は異様なのだ。(ユダヤ人とペニスの皮むきに関しては、他にも色々なエピソードがあるけど、また別の機会に。ユダヤ人のおぞましい話は多いのだ。女性の皆様、破廉恥な話でゴメンなさい。) ユダヤ教というのは強烈な一神教で、男の信者は小便する度に、「俺はユダヤ教徒なんだ」ということを自覚する。

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(左: 割礼をした赤ん坊のペニスの血を啜るラビ / 右: 割礼を揶揄する抗議の写真)


  しかしなんだなぁ、「チンチンの皮がついている異教徒は、俺たちよりも劣っている」なんて考えるユダヤ人はけしからん。何様のつもりなんだ? 日本人を含めて外人はユダヤ人に隷属する動物なんだって。ユダヤ人は仲間内で異教徒を「ゴイム」と呼び、ニヤニヤしながら蔑む。それに、ユダヤ教徒からすれば、異教徒は穢らわしい獣(ケダモノ)だから、彼が触れた物は不浄である。割礼をして身を清めていない奴隷が作った料理は食えないし、コップに注いでもらったワインだって汚いのだ。ユダヤ教徒はナチスよりも差別心が強かったのである。これを知ればハリウッドのユダヤ人が、なぜ西欧系女優を白い肉として性的に弄ぶのか、が理解できよう。彼らにとって異教徒の女(つまり雌の奴隷)は、どんなに凌辱しても構わない動物なのだ。あのユダヤ人プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタインに触られた女性は、背中に戦慄が走るんじゃないか。気持ち悪いというか、鳥肌が立って寒気がする。女性は生理的嫌悪感を持つだろう。

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左: 捕まえた女の裸を調べる奴隷商人
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中央: 白人奴隷の競売
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右: ハーヴェイ・ワインシュタイン
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  日本では片手落ちの西歐史が教えられている。教養が低い大学教授から習った日本人は、中世のユダヤ人を迫害されて可哀想な民族と思っているだろう。しかし、実際はかなり違うのだ。ツラの皮が厚いユダヤ人には、ヨーロッパ人の嫌がらせだって、何とか切り抜けて生活できるだけの図々しさがあった。本当に辛ければヨーロッパから逃亡しているだろう。第6世紀のイタリアでは、蕃族の侵入で捕虜になった者が奴隷にされたから、奴隷商売が盛んであった。キリスト教世界のヨーロッパでは奴隷の保持だと厳しかったが、奴隷の商いについては緩かったらしい。この抜け穴を利用してユダヤ人は儲けたのだ。第8世紀、フランク王国のカール大帝は奴隷売買の仲介業をユダヤ人に許していたという。第10世紀のスペインだと、ユダヤ人はスロヴェニア人の奴隷を販売してボロ儲けしたらしい。スペインのアンダルシアにいるイスラム教徒のカリフが、ボディーガードを編成するためその奴隷を購入したからだ。(Israel Abrahams, Jewish Life in the Middle Ages, The Jewish Publication Society of America, Philadelphia, 1896, p.98)

これはあまり公表されないことだが、アラブ世界のイスラム支配者は、東欧の白人を自らの近衛兵にしたがる。おそらく東欧の白人は外見が良く、命令に忠実な者が多かったからだろう。

ユダヤ人はヘンチクリンな容姿だから見た目が悪い。学者や役人に向いているが、壮麗な兵隊には不向きである。北アフリカ人やアラブ人は油断がならず、いつ主君の寝首を掻くか分からない。裏切りなど当り前の民族だから信用していなかったのだろう。

これは支那人にも当てはまる。支那人の大富豪は、家族にボディーガードをつける際、人民解放軍の元軍人を絶対雇わない。合衆国海兵隊か英国の特殊部隊(SAS)を除隊した白人を雇うことが多い。つまり、支那人は支那人を信用しないのだ。自分の家族は大切だから、正直な行動を取るのは当然。「支那人に偏見を持ってはいけませ〜ん」、と説教するNHKやTBSの社員は、本当の支那人を直視しろ ! ヤクザだって他の暴力団員を信じないだろう。それと同じだ。


南米で奴隷を所有していたユダヤ人

  アメリカ合衆国で酷使された黒人奴隷について書かれた本は数えればキリがない。まさしく、本棚が潰れるほどで、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)。ところが、ラテン・アメリカでの奴隷は誰が所有していたのか? たいていいの日本人はスペイン人やポルトガル人を挙げるだろう。少々西歐史に詳しい人なら、そこにオランダ人も付け加えるんじゃないか。しかし、奴隷商人や奴隷保有者としてユダヤ人を挙げる日本人は少ないだろう。現在、学校で使われている世界史教科書に詳しくないが、筆者が高校生の時を振り返ってみると、南米について詳しい生徒は少なかった。有名進学校は別にして、今でも公立高校の状況は変わっていないんじゃないか? ゆとり教育世代じゃなくても、スペイン・ポルトガルの歴史や南米植民地を勉強する高校生は少数派だろう。したがって、ユダヤ人の歴史を繙(ひもとく)く高校生なんてごく僅かだ。大学生だって知らない人が多いだろう。でも、欧米の歴史を理解するには、避けて通れない部分なのは確か。時には嫌なものでも勉強しなくちゃ。

  洋書の古本業界をのぞくと、時たま稀覯本を見つけることがある。聞いたこともないような本が高値になっていると気になるから、どんな内容なのか興味が湧く。例えば、ユダヤ人について書かれた本のリストを何気なく眺めていた時、アリエル・トアフの『血の過越祭(Pasque Di Sangue)』が絶版になっていることが分かった。この本は、イタリアに於けるユダヤ人が宗教儀式で血を如何に使ったかを記した歴史書である。しかし、誤解を招く書物だとしてユダヤ人から非難を浴びたのだ。ところが、著者の素性は批判する者でさえ驚く。彼はイスラエルの優秀なユダヤ人学者で、父親のエリオ・トアフは首席ラビ(高位の宗教指導者兼律法学者)だったから、反ユダヤ主義者とはほど遠い人物である。こうした著名な歴史家でも、ユダヤ人に不利な本を出版すれば命さえ脅かされるのだ。そんなこんなで、彼の著書の英訳本は高値になっている。復刻本を出せばいいのに、再版しないのは、それなりの理由があったのだ。もう一つ別の本で気になったのが、セイモア・リーブマン(Seymour B. Liebman)の『新世界のユダヤ人(New World Jewry)』である。スペインやポルトガルに居たユダヤ人が追放処分を受けて、南米に移住した経緯を語った本である。リーブマンはマイアミ大学やヘブライ大学で南米史を教えていたユダヤ人学者で、反ユダヤ主義者ではない。彼は立派な学術書を出版した有名な歴史家である。実は彼の本に、ユダヤ人が奴隷を売買あるいは所有した事実が何気なく記されているのだ。

Seymour LiebmanAriel Toaff 1Elio Toaff 2
(左: セイモア・リーブマン/中央: アリエル・トアフ/右: エリオ・トアフ)


  イベリア半島に長いこと住みついていたユダヤ人が、宗教的理由から迫害されたり、追放されたりした歴史は複雑で長くなるから省略する。スペインやポルトガルに居づらくなったユダヤ人は何処に行ったのか? 北アフリカやトルトコに逃れた者も多少いたのだが、多くは南米に移住し、貿易商人や農園経営者として暮らしていたのである。ラテン・アメリカといえば、スペイン人がインディオの土地を征服し、その金銀財宝を奪ったりしたことでも有名だ。しかし、スペイン人やポルトガル人といったヨーロッパ人は、金銀の掠奪ばかりではなく、支配地域で砂糖きびの栽培も始めたのである。当時、砂糖はシチリアやマデイラ諸島で細々と栽培されるくらいで、主にオリエント地方に輸出されていたらしい。とても希少な嗜好品だったので、高値で取引されたという。こうした高級品は貴族や王妃たちの嫁入り道具と一緒にされ、まるで白い粉の持参金扱い。あまりにも人気の商品だったから、商人は胡椒などのスパイスみたいに、グラム単位で目方を測り、薬局で販売したのである。アメリカ発見以来300年か、ヨーロッパ貿易にとり、アメリカの地で栽培される砂糖ほど重要な産物はなかった。だから、砂糖は別名「白い黄金」と呼ばれたのだ。(E. ガレアーノ 『収奪された大地』 大久保光夫 訳 藤原書店 1991年 pp.128-129) そういえば、ウィーン会議でチョコレート・ケーキが好評だったが、昔は甘い物が貴重品だったのだろう。肥満を気にしない良い時代だった。ヨーロッパでの砂糖需要が増大すれば、プランテーション経営者も利益追求に躍起となる。大農園では早速、廉価な労働力が必要になったから、沢山の奴隷をアフリカから輸入したというわけだ。

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(左: 奴隷を振るに押し込める奴隷商 / 右: 船底に閉じ込められた奴隷)


  黒人奴隷を酷使した者といえば、何はさておきヨーロッパ白人。最近では、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンが奴隷所有者だ、と非難する黒人も増えた。さらには、ジェファーソンは黒人女との間に子供をもうけた、という嘘まで流布している。高山正之まで信じていた。詳しく述べないが、当時のジェファーソン家を調べれば分かることなのだが、日本人は宣伝戦に弱いから直ぐ信じてしまう。話を戻すと、奴隷所有者にはユダヤ人が混じっていたのである。ゼニの臭いを察知すれば、すぐに行動を起こすのがユダヤ人だ。セイモア・リーブマンによると、砂糖きび農園を経営していたユダヤ人は奴隷を使っていた。「ユダヤ人は率先して奴隷所有者であり、奴隷貿易業者であった。」(Seymour B. Liebman, New World Jewry, 1493-1825 : Requiem for the Forgotton, KTAV Publishing House, Inc., New York, 1982, p.145) ユダヤ人って、ヨーロッパのキリスト教徒にイジメられて可哀想な民族のはずなのに、南米でアフリカ黒人をこき使っていたとは ! でも、黒人を侮蔑するユダヤ人ならあり得る話だ。選民のユダヤ人にしてみたら、ヨーロッパ人だって格下の異教徒なんだから、黒人なんか「便利な家畜」程度にしか思えない。実際、ユダヤ教に改宗した黒人でも、同胞とは見なさないのがユダヤ人。サミー・デイヴィス・ジュニア(Sammy Davis, Jr.)の悲劇を思い出せば分かるだろう。(ユダヤ教に改宗した有名人については別の機会に述べる。) 「黒ん坊」は昔から、ユダヤ社会で嫌われている。子供好きなユダヤ人家庭でも、黒人の養子は取らない。息子や娘が結婚するとなれば、狂ったように大反対。また、アーノルド・ウィツニザー(Arnold Wiznitzer)によるれば、「ユダヤ人はプランテーション経営者のみならず、金融業、仲介業、砂糖輸出業、奴隷供給においても重要な役割を果たしていた」そうだ。

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(左: ボビーロオロゴン/中央: ボブ・トップ/右: サミー・デイヴィス・ジュニア)

  ブラジルはポルトガルに支配された地域で、歴史的経緯から白、茶、黒、黄色といった人種が混在する。ここでもプランテーションが盛んであった。インディオも働いていたが、やはり体格の面ではアフリカ人にかなわない。格闘技ファンでなくても、ボブ・サップやボビー・オロゴンを知っているだろう。彼らに学術研究は無理でも、重労働なら楽にこなせるだろう。それに、プロ野球選手や陸上選手の体格を見れば、黒人は筋肉労働に向いてることが分かる。第17世紀、砂糖やタバコの栽培を営む農園主は黒人奴隷に頼り切っていた。プランテーションでは白人労働者も雇われていたが、彼らがすることといったら、奴隷に命令することくらいだった。能無し白人は使いづらい。今だって道路工事では、白人の現場監督に黒人の土方(どかた)といった光景がよく見られる。奴隷を積み込む地点はアフリカのルアンダで、そこではユダヤ人が奴隷を扱うブローカーであった。(New World Jewry, p.159) ここで注意点を一つ。奴隷貿易に関して単純な誤解をする日本人が時たまいる。ヨーロッパの白人が奴隷狩りのために、アフリカの密林をかき分けてアフリカ人の村を襲撃したのではない。アメリカに持ち込まれた黒人奴隷とは、元々アフリカ人が戦争で捕まえた囚人であった。利益目当てのアフリカ人が、部族紛争で負けた者をヨーロッパ人に売却したのだ。本来なら、アメリカ黒人はユダヤ人とアフリカ人をも非難すべきなのだが、彼らは物分かりの良い白人ばかりにその矛先を向けている。ついでにイスラム教徒も批判の対象になるのだが、彼らは非難されたって一向に気にしない。未だに奴隷制を反省していない、というか反省する意味が分からないのだ。現在でも、アラブ人がフィリピン人女中を雇えば、性的サービスを含んでいるのが当り前。強姦したって国外追放にしてしまえば問題なし。我々日本人と精神構造が違うのだ。

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(左: 奴隷を調べる商人 / 右: 奴隷を折檻する商人)

  今でもブラジルは貧富の格差が激しいが、それよりも気になるのが国民の質がとても粗いことだ。貧困のせいもあるが、粗野で乱暴な者が多く、少年ギャングや殺し屋まで存在するから南米は恐ろしい。裕福で白い肌をした上流階級が国家の支配者で、階級が下がるにつれ色が黒くなり、下層階級で色白の子供が生まれればラッキーだ。インディオや黒人奴隷の子孫は、貧困の悪循環から滅多に抜け出すことが出来ない。露骨な人種差別が横行するブラジルの歴史は暗いが、それには理由がある。その原因の一つが宗主国の政策にあった。ポルトガルは植民地に厄介払いをしたそうだ。つまり、ブラジルにその犯罪者や貧乏な国外追放者、農民を送り込んだという。移民の多くは農作業労務者となり、大規模な砂糖きび農園で雇われた。これといった才能も無いから、彼らは奴隷の見張り役くらいしかできない。一方、ユダヤ移民のほとんどは商人だった。宗教的に学問が奨励されていたので、ユダヤ人には頭のいい奴が多い。成功した商人には隠れユダヤ教徒、つまり新キリスト教徒がかなりいたという。当時、スペインはユダヤ教徒にキリスト教へ改宗せよ、と強制していたのだ。頑固なユダヤ人は拒絶したが、脅迫に屈してしぶしぶキリスト教徒になった者が結構いたのである。しかし、それは迫害を避けるための方便で、密かにユダヤ教の信仰を保持していたという。これが「マラーノ」と呼ばれるユダヤ人である。スペイン人から「ブタ(マラーノ)」と蔑まれても、隠れキリシタンのようにユダヤ教を信奉していたのだ。

  ユダヤ人は南米の北部海岸の至る所に移民した。カルタヘナから東に向かいギアナ諸島まで広大な地域に住みついた。彼らは販売用の奴隷を積んだ船でやって来た。奴隷の輸送は王室の独占事業で、ユダヤ人は奴隷販売を行う国王の代理人として任命されていたのだ。ポルトガル国王がペドロ・ゴメス・レイナル(Pedro Gomez Reinal)に独占権を付与したという。(p.170) ヨーロッパのユダヤ人は民衆から嫌われていたが、国王や領主には何かと重宝な存在であった。やはり、頭の回転が速く、商売を任せれば利益をもたらすし、面倒な仕事を適切にこなす。医学、法律、経済にも詳しいから秘書官として抱えておきたい。しかも、ユダヤ人は大金を貯め込んでいる。お金に困れば税金を取るしか能の無い君主は、財政難になるとユダヤ人にお金を融通して貰っていたのだ。浪費しか知らない領主や王様は、お金を稼ぐという事には全く知恵が働かない。そこに商売上手なユダヤ人が漬け込んだというわけ。今では超有名なマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドも、ヘッセン=カッセル伯爵にお金を貸して、宮廷に出入りできるようになった。気前よく貴族にお金を貸したロスチャイルドは、ついに伯爵の資産仲介人になれた。銭勘定と資産運用に長けたロスチャイルト家は、貴族の財務管理をしていたのである。金融に明るい宮廷ユダヤ人が、主君の寵愛を受けたのも当然だった。ユダヤ人が奴隷貿易でも大金を王室にもたらしたことは間違いない。

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(左: ジャック・スパロー船長/中央: ジョニー・デップ/右: ジェリー・ブラックハイマー)

  カリブの海賊はハリウッド映画で有名になったが、カリブ海諸島でプランテーションを営んでいたユダヤ人は知られていない。『パイレーツ・オブ・カリビアン』を制作したジェリー・ブラックハイマー(Jerry Bruckheimer)は、ハリウッドの大御所だが、ユダヤ人の奴隷商は映画にしないだろう。海賊のジョニー・デップなら人気は出るが、サーシャ・バロン・コーエンやエリ・ロス、リーフ・シュライバー、ロン・パールマンを起用して奴隷商人を演じさせたら生々しい。それにユダヤ人観客から非難が殺到し、興行収益が激減するから企画が実現することはないだろう。ユダヤ人プロデューサーのブラックハイマーは数々のヒット作品を手掛けた大物だ。人気TVドラマ「CSI : マイアミ」も彼の作品である。ユダヤ人制作者はヒスパニック移民を酷使するアメリカ白人を描いても、黒人奴隷を売りさばくユダヤ商人は絶対に描かない。しかし、現実の世界では冷血漢のユダヤ人が存在した。ユダヤ人農園経営者は、ごく普通に奴隷や召使いを所有していたのだ。バルバドスに住んでいたユダヤ人が召使いを欲しいと思ったら、彼らはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に行って、適当に調達したそうだ。そこには、召使いとして働くことができる貧乏なユダヤ人のリストがあった。そして、ユダヤ人は約150人の奴隷を所有していた。(New World Jewry, p.176)

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(左: サーシャ・バロン・コーエン/エリ・ロス/リーフ・シュライバー/右: ロン・パールマン)

  世界中をさまようユダヤ人は、カリブ海の小さな島にも住んでいた。キュラソー(Curaçao)には貿易商のユダヤ人が多かった。彼らはカリブ海地域で最大の船主で、政府への物資調達も担っていたという。2千人にも満たない数だったが、キュラソーに定住してから60年くらいは、200隻の船を所有していたらしい。しかも、スペインとの貿易をこっそり行っていたという。海賊対策としてユダヤ人は、しっかりと船を武装していた。ユダヤ人所有の船らしく、船長や乗組員もユダヤ人。その方が船内でのトラブルも少ないだろうし、船員同士の結束も固くなる。こうした貿易船の目的は、アフリカから南米にある13の植民地や、カリブ海のブリテン領、スペイン植民地へ奴隷を運ぶことだった。(p.183)

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(左: 南米の地図 / 右: スリナムの地図)

  2000年前後に日本では格闘技ブームがあり、K-1やプライドといった団体が、オランダ(ネーデルラント)から選手を招いていた。一般の日本国民も、白人選手と共に黒いオランダ人選手が居たことを覚えているだろう。アーネスト・ホーストとか、レミー・ボンヤスキー、メルヴィン・マヌーフはスリナム出身で、アリスター・オーフレムはジャマイカ出身のオランダ人である。これらの有名選手は、嘗てのオランダ領から移住してきた黒人なのだ。オランダ人が支配していたスリナムのトラリカという地域でも、やはり砂糖製造のブランテーションがあった。ここでもユダヤ人は砂糖きび栽培のプランテーションを営んでおり、9箇所のプランテーションでは233人の奴隷と砂糖精製用鍋が55個、106匹の家畜、28名の人夫がいた。それとは別に、6カ所のブランテーションは181人の奴隷と砂糖鍋を39個、66匹の家畜を有していた。これらのプランテーションすべてを、18名のポルトガル系ユダヤ人が所有していたのだ。1694年には、この地域で92戸のセファラディー系ユダヤ人世帯、および12戸アシュケナージム系ユダヤ人世帯が住んでいたという。(上掲書 p.188) スリナムにはユダヤ人が定着した「ジョデン・サヴァンヌ」という集落があって、「ユダヤ人のサヴァンナ」と呼ばれていた。そこではユダヤ人が結束して自治を行っていたらしい。1690年から1722年にかけて、黒人の叛乱が頻発したが、その地域で最大の奴隷所有者だったユダヤ人は率先して弾圧に当たったという。(Cecil Roth, A History of Marranos, The Jewish Publication Society and Meridian Books, 1952, p.292) いやぁ〜、ユダヤ人は異民族を攻撃する時は徹底しているからなぁ。パレスチナ人みたいにぶち殺したんじゃないか? 黒人なんて人間じゃないから。

Ernesto Hoost 1Remy Bonjasky 1Melvin Manhoef 2Alistair-Overeem 1
(左: アーネスト・ホースト/レミー・ボンヤスキー/メルヴィン・マドーフ/右: アリスター・オーフレイム)

  ユダヤ人というのは非難されると反論する。日本人も見習うべきだ。ユダヤ人の執念は海よりも深く、いつまでも続く。奴隷貿易に従事したことや、黒人を酷使したことを責められれば、膨大な資料を調査して反論する学者が現れる。エリ・ファーバーはユダヤ人の奴隷所有や奴隷貿易について擁護論を張った。ユダヤ人の奴隷売買など取るに足らぬ数であった、と言いたいのだ。(Eli Faber, Jews, Slaves and the Slave Trade, New York University Press, New York, 1998 p.138) 米国の東海岸にある小さなロードアイランド州には、ニューポート(Newport)という港町がある。そこには奴隷が売り買いされる市場があった。ニューポートで奴隷を扱うユダヤ人といったら、モルデカイ・ゴメス(Mordecai Gomez)と、その兄弟デイヴィドとダニエルが有名だ。このセファラディー系ユダヤ人ゴメス家に加えて、アシュケナージム系のレヴィー家がよく知られている。モーゼス・レヴィーは、兄弟のサムエルと義理の息子ジェイコブ・フランクス(Jacob Franks)と一緒に、奴隷貿易を行っていたという。

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(左:ユダヤ人奴隷商のモルデカイ・コーエン/中央: ジェイコブ・ロドリゲス・ロペス/右:アーロン・ロペス)

  その他に有名なユダヤ人奴隷商といったら、アブラハム・ロドリゲス・ロペス(Abraham Rodrigues Lopez)が挙げられるだろう。アブラハムは息子のジェイコブ・ロドリゲス・リヴェラ(Jacob Rodrigues Rivera)と義理の息子モーゼス・ロペス(Moses Lopes)と共に、奴隷貿易に励んでいた。そこへポルトガルから逃れてきたモーゼズの異母兄弟が加わったという。安全なニューポートに移住してきたデュラント・ロペス(Durante Lopes)は、堂々とユダヤ教徒に戻り、名をアーロン(Aaron)に改めた。そんな彼は妻に先立たれると、ジェイコブの娘を嫁にもらったそうだ。これでロドリゲスとロペスの両家は絆を深めたのである。エリ・ファーバーによると、ジェイコブらは非ユダヤ人のウィリアム・ヴァーノンと組んで、アフリカに渡り奴隷を仕入れてきたが、その数は甚だ少なかったという。1763年にシェルブロ号で運んだのは、僅か134名の奴隷で、チャールストンに運んだらしい。1764年から1774年まで、アーロン・ロペスらがアフリカへ航海に出たのは21回だったという。それでも、非ユダヤ人つまりヨーロッパ人と比べたら、ユダヤ人が運んだ奴隷の数は、全体の数パーセントを占めるに過ぎないそうだ。しかし、いくらファーバーがユダヤ人奴隷商を庇ったとしても、そもそもアメリカ入植地において、ユダヤ人の数じたいが少ないだろう。ユダヤ人の人口は全体の5パーセントにも満たなかったのだ。イギリス人の方が圧倒的な多数派なのだから、少数派のユダヤ人が運んだ黒人奴隷が少なくて当然だ。注目すべき点は社会的地位が低かったにもかかわらず、奴隷売買で資本を貯め込んでいたことである。

  スペインでのユダヤ人追放を説明すると長くなるので省略するが、ユダヤ人は多国籍ネットワークを持っていたことが特徴的なのである。スペインやポルトガルを逃げ出したユダヤ人は、もちろん南米や北米の入植地に移り住んだ。しかし、ある一部のユダヤ人はネーデルラント(オランダ州を中心とした連邦)に移住し、アムステルダムに居を構えたのである。日本ではユダヤ人のスピノザ(Benedictus De Spinoza)がオランダの哲学者として知られているが、彼の両親はスペインから逃れてきたセファラディー系のユダヤ人で、貿易で生計を立てていたのだ。スペイン帝國からの独立戦争に勝利したネーデルラントは、宗教的寛容性を誇っていたから、多くのユダヤ人がそれに漬け込んで移住してきた。今でもアムステルダムは新イェルサレムと呼ばれるくらい、ユダヤ人の勢力が強い。ネーデルラント下院議員だったヨブ・コーエン(Marius Job Cohen)は、2001年から2010年までアムステルダム市長を務めていた。ユダヤ人らしく社会民衆党に属しているコーエンを見れば、いかにアムステルダムがユダヤ人の巣窟だったかが分かるだろう。

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(左: スピノザ / 中央: ヨブ・コーエン / 右: オランダのユダヤ人)

  アムステルダムに住みついたユダヤ人は、そこからイングランドに手を延ばしたのだ。護国卿クロムウェルを金銭で籠絡したユダヤ人は、エドワード1世から続いていた入国禁止令を解き、やっとのことでイングランド再上陸を果たした。ユダヤ人の再入国を拒んでいたチャールズ1世が処刑されて、ユダヤ人は萬歳三唱。祝杯の盃を上げたのだ。こうして英蘭米とスペインおよびその南米植民地を結んだ貿易網をユダヤ人は築いたのである。しかも、各地のシナゴーグに集う同胞に協力を要請すれば、難しい商売でもスムーズに進むから、益々商売繁盛だ。これではヨーロッパの地方に住み、個人として貿易を営むオランダ人やイギリス人は太刀打ちできない。遠隔地に親戚や家族を持つ西歐人なんて稀である。ローマ帝国時代でも、ユダヤ人はコンスタンティノポリスやアンティオキア、アテネ、ローマ、キプロス、アレクサンドリアといった主要都市に同胞がいたから、彼らと連携して商売ができた。ローマ軍が征服地に拠点を築けば、必ずそこにユダヤ人が住みつくから、ユダヤ・ネットワークがどんどん拡大する。こうしてみれば、ロスチャイルド家がパリやフランクフルト、ウィーンなどに支店を出して情報と金融ネットワークを作ったのは偶然ではないのだ。国境意識や愛国心、国家への忠誠心などが希薄なユダヤ人には、もともとグローバリスト指向が強いと言える。

ハリウッド映画の欺瞞性

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(左:「アミスタッド」の黒人奴隷 / 右: 黒人俳優に指導するスピルバーギ監督)

  ユダヤ人はイギリス人が建てたアメリカ合衆国を憎んでいる。それならイスラエルに移住すればいいのだが、快適で豊かな国を離れたくない。それに、邪悪な西歐人を批判するという楽しみを捨てたくないのだ。自分を棚に上げ、他民族のあら探しをする事が本能みたいなユダヤ人は、「批判」の学問や「破壊」の藝術が得意である。美しいルネサンス洋式の絵画にケチをつけたいユダヤ人は、それとは違ったへんてこな抽象画を称賛する。ユダヤ人藝術家の人物画なんか観ても感動しない。ピカソやモンクの作品だって一般人には理解できないから、ユダヤ人の絵画は更に不気味である。また、ユダヤ人批評家は西歐キリスト教徒が持つ伝統や慣習をあれこれ考察し、「不合理だ」「迷信だ」「理不尽だ」と悪態をつき、からかったり馬鹿にしたりするのだ。それに、西歐の道徳を踏み潰したいユダヤ人は、同性愛結婚などを推進したりする。現在のアメリカでは、同性愛をめぐって非常に揉めているから、日本人でもよく分かるだろう。異民族が嫌いなくせに、異民族の難民を引き入れるユダヤ人は頭がおかしい。ところが、ユダヤ人は外人を排斥する白人を叱りつけることで気分が高揚する。倫理的優越感に浸ったユダヤ人は、頑固者の白人に博愛を説教するのだ。ハリウッドの大御所監督であるスティーヴン・スピルバーグも、このような歪んだ精神を持つユダヤ人である。彼はことさら黒人に同情を示し、冷酷な白人に対して鞭を揮い、映像を通して高邁な理想を語るのだ。

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(左: スティーヴン・スピルバーグ/マシュー・マコノヒー/モーガン・フリーマン/右: アンソニー・ホプキンス)

  白人による黒人虐待をテーマにして一儲け企んだスピルバーグは、アフリカ人奴隷を描いた『アミスタッド(Amistad)』という作品を手掛けた。この映画は、シエラレオネで捕まったアフリカ人が奴隷船で叛乱を起こした事件を題材にしている。彼らはキューバに向かう途中の船で叛乱を企てて船を乗っ取るが、乗組員の機転で船はアメリカに向けて舵を取ってしまう。アフリカに戻るつもりだった黒人たちは、アメリカ人の船に発見され、奴隷たちは暴動の罪で裁判にかけられる。物語は、黒人奴隷を救おうとする若き弁護士が、法廷で活躍する様子を描いているのだが、その映画は残酷な仕打ちをした白人全体を裁いているのだ。黒人を扱った映画だから映像が暗くならないように、キャストには有名俳優を起用していた。黒人俳優の代表格、モーガン・フリーマンは新聞記者を演じ、マシュー・マコノヒーは弁護士、そして大御所のアンソニー・ホプキンスは元大統領のジョン・クインシー・アダムズを熱演していた。スピルバーグはこのような豪華な役者を揃えて、白人による黒人の奴隷化が如何に残酷なものだったかを伝えようとした。それなら、次回は黒人奴隷を虐待したユダヤ人を描いたらどうなんだ? アフリカ人に対して容赦なく鞭を揮う役に、どのユダヤ人俳優が似合っているのかを考えるのは楽しい。極左俳優のショーン・ペンとか短気な異常者が似合うベン・スティーラーなんか適役じゃないか? 狡猾で計算高い奴隷商人なら、ロン・リフキンとか、サイモン・ヘルバーグ、ホアキン・フェニックスがはまり役かも知れない。

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(左:ション・ペン/ベン・スティラー/ロン・リフキン/サイモン・ヘルバーグ/右:ホアキン・フェニックス)

  アメリカ白人に対してならどんな仕打ちも許されるハリウッドでは、黒人が白人を殺しまくるという異端の西部劇まで制作されたのである。ナチスをメッタ殺しにする『イングローリアス・バスターズ』を制作したクエンティン・タランティーノ監督は、黒人版復讐劇『ジャンゴ 繋がれざる者(Django Unchained)』を手掛けたのだ。解放奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)は賞金稼ぎのドイツ人キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルター)と共に、白人を次々と殺して行く。ジャンゴは奪われた妻を取り戻すべく、大農園の所有者で残酷なカルヴァン・キャンディに復讐を果たす、というストーリーだ。レオナルド・デカプリオが演じるキャンディは黒人に生死を賭けたデス・マッチを命じるという冷血漢だ。これは全くのフィクションだが、白人観客は気分が悪いだろう。しかし、ハリウッドの監督は、わざとショッキングな映画を作って話題を攫(さら)おうとするからしょうがない。だが、もしタランティーノ監督が、黒人を容赦なく撃ち殺す白人用映画を撮ったら、黒人団体が黙っていないだろう。大規模な抗議デモが組織されるかも知れない。それに、きっとテレビ局も映画を非難するだろう。アメリカに藝術や表現の自由はないのだ。それに対して、「弱者の横暴」なら無制限に存在する。

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(左: ジャンゴ役のジェイミー・フォックス/右: キャンディー役のレオナルド・デカプリオ)

  ユダヤ人は政治宣伝が得意だし、人を感動させるような映画を作る才能がある。しかし、そのプロパガンダ映像はユダヤ人に都合の良い社会を作るために利用されているのだ。ユダヤ人は黒人のために汗を流そうなんて思わない。ユダヤ人コメディアンのサラ・シルヴァーマンが、ユダヤ人観客の前で語ったジョークを聞けば分かる。彼女は「キリスト教徒はユダヤ人がイエズスを殺した、て非難しているわ ! 彼を殺したのはユダヤ人じゃないわ。それって黒人じゃない?」と言うと、観客は大爆笑。(実際に十字架につけたのはローマ人である。) 兇暴な黒人なら殺人はお手の物。黒人を用いたジョークはたくさんある。「黒人はすぐ忍者になれる。だって黒い服が要らないでしょう」とか「黒人の強盗に襲われたら、バスケット・ボールを投げつけなさい。そうすれば、その強盗はボールを追いかけるから」とか。才能豊かなユダヤ人は、いくらでも笑い話を作れるのだ。ユダヤ人が人種平等を訴えるのは、白人社会に住む時だけ。イスラエル人は、アフリカ人がユダヤ教徒になっても、あちこちで馬鹿にする。タクシー運転手でも白人客を乗せたりすると、調子に乗って黒人を罵る時がある。黒人についての話が弾むと、つい「あいつらはみんな犯罪者だ」と口走ってしまうのだ。黒人など下層民扱いで、指導者層になっている色白のアシュケナージム系ユダヤ人は、色黒のセファラディーム系ユダヤ人を文化的に劣る同胞として観ているくらいだから、黒人差別くらいで驚いちゃダメ。

  西歐社会で迫害されたユダヤ人は、自分が居候であることを反省しない。むしろ、ユダヤ人を異端者とか異邦人として毛嫌いするヨーロッパ人を悪者にする。他人の塒(ねぐら)を自分の部屋にするには、その所有者がベッドを独占していることに躊躇いを持つよう、考えを変えさせればいい。だから、異質な人種を排斥するアメリカ白人を倫理的に攻撃し、ユダヤ人を排除できないように洗脳するのだ。ユダヤ人は西欧系アメリカ人を直接攻撃しない。黒人という「駒」を前面に出して、黒人と白人が共倒れするよう仕組む。人種闘争が流血の暴動で終われば、白人は異民族排除がどうでもよくなる。暴力の応酬にうんざりしてしまうのだ。それに、過去の例を見れば明らかだ。カトリック信徒とプロテスタント信徒が血みどろの三十年戦争を展開し、終わってみれば人口が激減していた。それ以来、ヨーロッパ人は、宗派をめぐって戦争することを止めてしまったじゃないか。ユダヤ人は他民族を利用して、異人種排斥論を葬り、人種の平等や多民族との共生を実現したのである。ユダヤ人社会では、黒人への侮蔑・差別・偏見がてんこ盛りでも、外部の西歐社会ではユダヤ人の理想通りになった。グローバリストのユダヤ人が、日本の経済構造をメチャクチャにするのは不思議ではない。物や人が地球上を自由にグルグルと回って、最終的にお金がユダヤ人の懐に収まればいいのだ。ユダヤ人にとって都合の良い世界市場を樹立するためなら、東洋の島国など海に沈んだって構わない。うかうかしていると、日本人も使い捨ての奴隷になるかもよ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68402119.html


122. 中川隆[-5806] koaQ7Jey 2017年11月28日 18:20:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アーリア人の赤ん坊を増やせ ! / 同種族を憎むように改造されたアメリカ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html


フリーダが持っていた出生の秘密

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(写真 / ナチス政権下りの理想的ドイツ人少女)
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  最近のテレビでは予算不足なのか、昔のビデオを集めて懐メロ番組を流す時がある。大きい子供を持つ父親とか母親でも、往年のスターやアイドル歌手を再び目にして大はしゃぎするんだから、若い時の熱狂は一生消えないのだろう。でも、贔屓とするアイドル歌手がいなかった筆者には、残念ながら一緒に懐かしむことができない。とは言え、筆者にも松田聖子とか中森明菜を好きだった友人がいた。しかし、同級生にアバ(ABBA)とかノーランズ(The Nolands)のファンはいなかったから寂しかった。それでも楽しい思い出は尽きない。

今のCDとは違って、LPのアルバムだとジャケットのサイズが大きくて、それぞれのミュージシャンが独自のアイデアを用いてデザインしていたから、ある種の藝術みたいな趣があった。小学生の頃、近所のレコード店に行ってアバのアルバムを注文し、そのレコードが届いたとの知らせを受けた時は嬉しかった。早速、自宅のオーディオ・セットにレコードをかけ、「ヴレヴー(Voulez Vous)」とか「エンジェル・アイズ(Angel Eyes)」「アズ・グッド・アズ・ニュー(As good as new)」といった名曲を毎日のように聴いて、「コンサートに行けたらなぁ」と悔しかったのを今でも覚えている。

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左: ノーランガ
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右: ABBA
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  日本でも1970年代後半から80年代初頭にかけてアバは人気で、ディスコ・ブームも重なっていたから、「ギミ ! ギミ ! ギミ !」とか「ダイシング・クィーン」がよく流れていた。ちなみに、筆者が印象に残っているディスコ・ミュージックと言えば、松田優作のTVドラマ『探偵物語』で使われていた「ディスコ・トレイン(Disco Train)」(歌 / セクシー・リズム・セクションズ)と、沖雅也・柴田恭兵が共演していた『俺たちは天使だ』に挿入されていた「You Can Do, I Can Do」である。(これらの曲はユーチューブにアップされているので、確認したい方は曲名をタイプして検索すれば試聴できます。たぶん、「あの曲か!」と想い出す人もいると思う。) 日本でも成功を収めたアバは、1980年代初頭に解散してしまったが、各メンバーは独自に音楽活動を始めていた。リード・ヴォーカルのアグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)とフリーダ・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)は、そけぞれソロ・シンガーの道を歩むようになていった。

  個人活動を始めたフリーダであったが、新曲の「I know there's something going on」はそれほどヒットせず、アバ時代と比べると凋落の様相を否めない。しかし、彼女はドイツ貴族の奥方となった。アバのメンバーであった頃、フリーダはキーボード奏者のベニー(Benny Andersson)と結婚していたが、まもなく離婚してしまい、それでもバンド活動を続けていたという過去がある。人気絶頂で「アバ」というバンドが解散し、ソロ・シンガーになったフリーダは、造園家で伯爵の称号を持つハインリッヒ・ルッツォ・ルウス(Heinrich Ruzzo Reuß)と結婚し、スウェーデンの歌姫からドイツ人のお妃(プリンセス / Prinzessin Reß von Plauen)へと変身していたのである。普通なら、人も羨む華やかなシンデレラ・ストーリーとなるのだが、フリーダには人に話したくない出生の秘密があった。

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左: アグネッタとフリーダ
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中央: 夫婦となったフリーダとベニー
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右: 再婚したフリーダと夫のハインリッヒ・ルッツォ・ルウス
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  1945年11月に生まれたアニ・フリード(フリーダ / Anni-Frid Lyngstad)は、シニ・リングスタッド(Synni Lyngstad)を母に、アルフレッド・ハーゼ(Alfred Haase)を父に持つ。母のシニは片田舎に住むノルウェー人女性で、まだ18歳の乙女であった。一方、父親のアルフレッドは、ノルウェーを占領したドイツ軍に属する24歳の軍曹であったという。彼は派遣された街でこの娘と出逢い、彼女の姿に惹かれてしまった。この娘に惚れてしまったアルフレッドは、ジャガイモの詰まった袋をプレゼントして交際を始めたそうだ。

現在では笑い話になってしまうが、戦時下の1943年、ノルウェーでは食糧不足が深刻だったので、こうした贈り物は大変貴重であったらしい。逢い引きを続ける若い二人が親密になるのに時間はかからず、彼らは程なくして肉体関係を結ぶようになった。だが、アルフレッドには彼女を幸せに出来ない事情があった。何と、彼は故郷に妻子を持つ既婚者であったのだ。(Ross Benson, "Abba girl's Nazi secret", Daily Mail)

Synni Lingstad 1Alfred Haase 1Alfred Haase & Frida

(左: シニ・リングスタッド / 中央: アルフレッド・リングスタッド / 右: 父のアルフレッドと再会したフリーダ)

  不倫と敗戦は若い二人を引き裂く。1945年、シニは身籠もるが、恋人のアルフレッドは祖国に帰還することになった。悪い時に悪い事は重なるようで、さらなる不幸が彼女を襲うことになる。ノルウェーの寒村に残されたシニは、周囲からの冷たい視線を浴びることになった。村の者は皆、誰が赤ん坊の父親なのかを知っていたので、彼女が街を歩けば、人々は彼女に向かって「このドイツ人の淫売女 !」と罵ったそうだ。敵国の男と情事を交わしてしまったシニとその母アグニーは村八分となり、時が経つにつれ人々からの仕打ちに耐えきれなくなった。そこで、地元に居場所を無くした親子は、隣国のスウェーデンに逃れ、新たな生活を求めるようになったという。(当時、母のアグニーは夫を亡くした寡婦であったそうだ。) スウェーデンに新居を構えたシニは、ウェイトレスとして働くが、間もなく腎臓を患い、21歳の若さで亡くなってしまう。母を失ったフリーダはまだ2歳であった。こうして幼いフリーダは祖母の手で育てられ、寂しい子供時代を過ごしたそうだ。大人になってから、彼女は幼年時代を振り返っていたが、友達はそう多くなかったという。フリーダは父がドイツ軍人であると聞かされていたが、祖母のアグニーは偽の話を孫に伝えていた。すなわち、父のアルフレッドは海路でドイツに帰る途中、船が沈没して亡くなったと教えていたのだ。後にフリーダが父の真相を知ったのは、アバが人気を博していた1977年の頃であったという。

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(写真 / 若い頃の「フリーダ」ことアニ・フリッド)
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アーリア人の赤ん坊を繁殖させる施設

  ドイツ軍人のアルフレッド・ハーゼがノルウェー人娘のシニ・リングスタッドと恋に落ちたのは、偶然の出来事だけではなかった。彼の恋愛は「レーベンスボルン(Lebensborn / 生命の泉)」計画の一環でもあったのだ。エリート組織たる親衛隊(SS /Schutzstaffel)を率いていたハインリッヒ・ヒムラー(heinrich Himmler)は、第三帝國を支える金髪碧眼のアーリア人を増やすことを目論み、ドイツ各地に「レーベンスボルン・ホーム」を創設した。ヒムラーの考えでは、理想的な容姿を備えたエリート部隊の男性が、健康で若いアーリア人の女性と肉体関係を結べば、アーリア人の赤ん坊がたくさん生まれ、ゲルマン民族の肉体が維持できるらしい。もし、個人の自由に任せていると、“へんちくりん”な種族と結婚してしまうから、政府の特別機関が制禦せねばならないという訳だ。こうして、優秀な北方種族の純血性を守り、その優越種族を繁殖させるためには、特別な制度と施設が必要である、との思想がドイツに浸透し始めたのである。

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(左: ハインリッヒ・ヒムラー / 右: レーベンスボルン・ホームで育つアーリア人の赤ん坊)

  ヒムラーは理想の種族でドイツ帝國を満たすことに心血を注ぐ一方で、彼の民族が持つ血統を穢す劣等人種を憎んだ。ドイツ民族の将来を憂いたヒムラーは、薄汚いスラヴ系民族やタカリ民族のユダヤ人、浮浪者のジプシーなどを排斥しようと決心したのである。彼はまた、腐敗と悪徳が蔓延る都会を嫌悪したので、レーベンスボルン・ホームを美しい田園地帯に建てることにした。現在の日本人にはピンとこないだろうが、ワイマール共和国時代には、ホモ風俗とかキャバレーが花盛りで、おぞましい繁華街には売春婦がたむろっていたというから、ヒトラーやヒムラーはこうした悖徳(はいとく)をドイツ全土から一掃した。「極悪人」の烙印を押されたヒトラーだが、意外にも彼は潔癖症で、倫理・道徳的腐敗に対して峻厳だった。美術を愛したヒトラーからすれば、ゲイ同士のセックスとかストリップ劇場などもっての外。ところが、社会道徳など一顧だにしない世俗的ユダヤ人の中には、ゲイとかレズビアンを用いてキャバレーを経営したり、変態趣味やSMショーとかを商売にして儲ける奴がいたそうだ。

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(左: マグヌス・ヒルシュフェルド / 右: 男同士でダンスを楽しゲイのむカップル)

  さらに、マグヌス・ヒルシュフェルド(Magnus Hirschfeld)というユダヤ人学者がセックス学(sexology)で有名だったから、ヒトラーやナチ党の愛国者たちが激怒したのも当然だった。この状態は、メル・ゴードン(Mel Gordon)の著書『官能的パニック(Voluptuous Panic)』を繙けば一目瞭然だ。日本人の読者は、ヒルシュフェルドが丸裸の女性を椅子に坐らせ、その手で彼女の性器を開闢させている写真に驚くだろう。こうした本は大学図書館にも無いから、ほとんどの日本人はワイマール期の社会風俗を知らずに、ナチ・ドイツの風紀取締を非難することになる。まぁ、性器丸出しのゲイやレズビアン、性的な幼児趣味、SMプレー、といった写真が満載の本なんて、公共図書館に置くことができないから、大学生でも第三帝國以前のドイツを理解していないのだ。(筆者はこの本を所蔵しているが、その中に掲載されている写真を紹介できない。ブログ運営のライブドア社の検閲が厳しいしこともあるが、実際、あまりにも卑猥な写真なので、いくら鈍感な筆者でも掲載をためらってしまうのだ。どうか、ご勘弁頂きたい。)

  勇敢なアーリア人戦士と美しいアーリア人の母が住むドイツを理想郷としたヒムラーであったが、いくつかの強引な政策もあったから、批判者が出て来ても不思議ではなかったし、排除されたユダヤ人から恨まれることも当然あった。しかし、彼の方針は英米で行われていた社会政策と同じものであったし、現在の福祉制度に通じているから興味深い。レーベンスボルン計画では、由緒正しいSS隊員と健康なアーリア系女性との婚姻が奨励されており、レーベンスボルン・ホームは未婚女性とその赤ん坊、あるいは既婚者との不倫で子供を産んでしまった女性などを保護し、彼らの面倒を見ていたという。ナチ党は逞しい金髪の戦士と家庭を守る母親を理想とし、帝國の未来を担うゲルマン人の子供を産むよう宣伝したし、そうした出産を半ば国民の義務と見なした。こうしたナチスの方針が「悪」なら、日本の武士は単なる殺人鬼だし、家庭を守る専業主婦も否定されねばならない。

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(写真 / ゲルマン系の母親と赤ん坊)
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  そこで、ゲルマン人の出生率を上げるため、ドイツは幾つかの社会政策を推進した。例えば、10歳以下の子供を3人以上持つ母親は、商店の順番待ちの列で優先的に扱われる「名誉母親証」を与えられたという。また、地方の行政当局は、こうした母親達に家賃と公共料金の割引をする制度を採用し、これから家庭を築こうとする若いカップルには、人種的適合性が証明されれば、独身者からの特別税を財源とした融資が行われたそうだ。子供が一人生まれるごとに融資額の四分の一が免除されたという。ということは、四人目を持てば借金がチャラになるということだ。(キャトリーン・クレイ / マイケル・リープマン 『ナチスドイツ支配民族創出計画 』柴崎昭則 訳、現代書館、1997年、 p.92)

  レーベンスボルン・ホームに熱心だったヒムラーと開業医のグレゴル・エーブナー(Gregor Ebner)は、既婚未婚を問わず、とにかく良い血統を持つゲルマン人の子供を増やしたかった。そこで、赤ん坊を養うことが困難な母親を受け容れて、レーベンスボルン・ホームの看護婦が代わりに養育する場合もあったという。とにかく、レーベンスボルン・ホームは魅力に満ち溢れていた。施設は中世の城を思わせる外観をもち、田園地帯にある高級リゾート・ホテルのようでもあった。当時、出産費用は一人頭400マルクであったが、エーブナーは素晴らしい血統を持つ1000名の子供を確保できるのなら、さしたる出費ではないと考えていたそうだ。資金は様々な方法で調達されていて、レーベンスボルン協会の会員からも徴集していた。会員数は1万3千人。そのうち8千名がSSに所属し、766名は各地の警察組織に属する者であった。会費は月に最低27マルクであったが、父親としての義務を果たしていないSSの隊員は、罰としてなのか、余計に会費を払わねばならなかった。しかも、28歳までに最低2人の子供を持たないSS隊員は、より多くの金額を払わねばならなかったそうだ。(上掲書 p.105)

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(左: グレゴル・エーブナー

中央: ドイツ人の若い女性
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右: 少女と一緒のハインリッヒ・ヒムラー
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  それでも、レーベンスボルン計画を維持するには資金が足りなかったようで、1939年、経済省は拡大する赤字を補填すべく100万マルクの補助金を交付したという。日本政府も少子化対策を取るなら、ナチ・ドイツのレーベンスボルン計画をちょっとは参考にすべきだ。国会議員や地方議員、政府の役人はこぞって児童施設の増加を叫ぶが、肝心の国民はセックスをしても結婚しないし、子供すら産まないから少子化が益々深刻となっている。多少のお金をあげても日本人女性は妊娠を嫌がるし、幼稚園が充実すれば「待ってました」とばかりに外で働くから、専業主婦が減って職業婦人が増えてしまう。子供を増やして生活がキツくなるんなら、子供を産まずに所得を上げようとするのは人情だ。ちょっと脇道に逸れるけど、日本の税制は将来を担う国民に対して酷だ。若い夫婦が借金して新居を構えても、その家屋に固定資産をかけて多額の税金を搾り取るんだから、幸せな家庭を築こうなんて思わない。これじゃあ、まるで懲罰金だ。住宅ローンを返済しながら、年金、国民健康保険、市民税、県民税、ガソリン税の二重課税、自動車取得税、車検に加えて消費税のアップじゃ、重税を払うために働いているようなものである。もし、子供を4、5人産んだら住宅借金を棒引きにして、固定資産税も軽減ないし免除となれば、若い夫婦もちょっとは夜の営みに励むかも知れない。

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(写真 / ナチス時代のドイツにおけるゲルマン系少女たち)
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  ナチ・ドイツの崩壊でハインリッヒ・ヒムラーの評価は最低だが、彼がSSのために考案した儀式には注目すべき言葉がある。夏至と冬至の儀式に集まった民衆は、次のように唱和しなければならなかった。

  我々は祖先を尊敬し、その前で跪く。祖先の血は、使命と責務として我々の中に流れている。

  血縁共同体によって、男は遺産を守る義務を負わねばならない。
  存在することの意味は、遺産を結実へと展開することである。
  生命の輝きを保つ聖なる場所を守るのは、家族である。
  男とその妻は、生命の芽を授け、それを担い、そして伝播させる。
  我々の子供たちは、我々の交わりと存在の証明である。
  そして、我々の孫たちは、我々の偉大さを証拠立てるであろう。
  (上掲書 p.64)

  ドイツ史を研究する日本の左翼学者は、頭ごなしにナチスを糾弾するが、ドイツ国内でアーリア系、つまり北方種族のドイツ人が増える事に問題は無いはずだ。確かに、ポーランドを侵掠し、現地人を弾圧したことは非難されるべきだが、侵略戦争なら歐米各国とも常習犯である。英国はアジアやアフリカに宏大な植民地を獲得し、現地の有色人種を蔑み、レイシズムに基づく秩序を形成して、現地人を奴隷の如くこき使っていた。インド人やビルマ人、アフリカ人からすれば、ドイツ人もイギリス人も変わりはないし、自由や博愛を掲げていたフランス人など完全に偽善者だ。ドイツ人を非難するアメリカ人だって、国内では黒人を家畜として働かせていたし、黒人との混血を忌み嫌い、一滴でも黒人の血が混じった子供は白人と見なされなかった。これは、ユダヤ人の祖父母を持つユダヤ系混血者を「ドイツ人」と見なさなかったナチスと同じである。アメリカ人は嫌がるけど、ナチ党はアメリカの人種法を参考にしていたのだ。当時の西歐世界はどこでも人種差別が横行していたし、他国への侵掠とか劣等人種の征服などは伝統的行為であったから、殊さら騒ぎ立てる程のものでもなかった。

恨み骨髄のユダヤ人

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(写真 / ユダヤ人の集団)

  しかし、ドイツやその他の西歐諸国に住むユダヤには赦しがたかった。彼らは千年以上も異国にタカってきた寄生民族なのに、自らを正当な「ドイツ国民」と考えていたのだ。しかし、ナチ党が台頭すると、如何なる高位高官のユダヤ人も単なる「ユダヤ人」に貶められたから、大騒ぎしても無理はない。以前なら、強欲な領主や君主を札束でビンタすれば、迫害の手が緩んだし、条件次第では引き続き居住が許され、有能なユダヤ人であれば、秘書とか財務官といった手下になることができた。ところが、ヒトラーは甘っちょろい貴族とは決定的に違っていたのである。彼はユダヤ人の袖の下に屈しなかったのだ。ナチスは法律を以てユダヤ人を炙り出した。例えば、


(1) 氏名変更の禁止。ユダヤ人がドイツ風の名前をつけることを禁止したのである。

(2) ユダヤ人の商店はユダヤ人が所有していることを隠してはならない。

(3) ユダヤ人組織は当局に登録せねばならない。

(4) ユダヤ人は自分がユダヤ人であるとこを示す書類を持ち歩かなければならない。

(5) ユダヤ人は不動産業、金貸し屋、工場経営、調査業、結婚仲介業、看護婦、巡回販売員などを営んではならない。

(6) ユダヤ人はドイツ人の劇場に入ってはならない。

(7)ユダヤ人の子供はドイツの学校から排除される。


  これ意外にも様々な禁止条項があった。こうした条例は他国にも適応され、フランスがドイツに占領された時、そこに住むユダヤ人はケルト系のフランス人と区別された。すると、今までフランス人が営んでいると思っていた商店が、実はユダヤ人の店であったとわかってフランスの庶民が驚く、といったケースがあったそうだ。しかも、「こんなに多くあったのか !」と驚嘆したというから面白い。反ユダヤ主義の伝統が根強かったフランスでは、ドイツ人によるユダヤ人迫害に協力する人が少なくなかった。忌々しいユダヤ人を排除してくれたんだから、征服者にしては「良い事」をしたものだ。

  第三帝國の崩壊はドイツ人にとって悲劇であったが、戦勝国の英米にとってもある意味「敗北」であった。経済的に疲弊した英国は別にして、国内に損害が無かった米国も意外なしっぺ返しがあったのだ。あろうことか、ナチスを悪魔にして糾弾したアメリカ人は、自国内で人種差別が出来なくなってしまった。ナチスのユダヤ人迫害はドイツ人の独創ではなく、以前から継承されてきた排除思想が基になっていたのに、まるでドイツ人だけがユダヤ人を虐待したかのような印象操作が戦時中に行われていたのである。ドイツ人が如何なる人種政策を取ろうとも、アメリカ人はそれとは無関係に、従来の人種差別を継続してもよかったのだ。なぜ戦勝国が敗戦国のせいで人種混淆社会になるのか? そもそも、合衆国の白人兵はユダヤ人を救うために参戦したのではないし、黒人との平等を求めて日本兵と戦ったわけでもない。ところが、奇蹟的に生き残った白人兵が帰国すると、国内にはユダヤ人を始めとする戦争難民が押し寄せ、ついでにアジア系移民に関する法的制限も撤廃されてしまったのである。

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(左: ユダヤ人の子供 / 右ユ: ダヤ人の移民)

  激戦に勝ったら厭なユダヤ人を引き受けることになるなんて、まったく馬鹿げている。同じ種族のドイツ人、特に戦争孤児や夫を亡くした母子家庭のゲルマン人なら受け容れてもいいだろう。事実、ジェイムズ・イーストランド上院議員は、戦争で住処を無くしたドイツ難民を優先しようと述べていた。ところが、優先的にやって来たのはむさ苦しいユダヤ人とか、東歐や南歐からの貧民、その他の不愉快な劣等民族であったから、地元のアメリカ人は眉を顰めていた。案の定、住みついたユダヤ人家庭からは筋金入りの共産主義者や、ピンクの左翼、リベラル派気取りのゴロツキ、空論を弄んで社会に害をなす知識人、白人社会にケチをつける左巻きのジャーナリスト、真っ赤に染まった藝能関係者などが輩出されたのである。以前、当ブログで紹介したように、公民権運動で黒人を焚きつけたのはユダヤ人活動家であったし、異人種混淆を奨励する映画を作っていたのもユダヤ人であった。

  映画界やテレビ局、その他の娯楽産業を牛耳ったユダヤ人は、盛んにナチ・ドイツを侮蔑し、ドイツ人が犯したユダヤ人への暴虐、迫害、ガス室殺人などをアメリカ人に吹き込んだ。それにより、上流ないし中流家庭の白人たちは、兇悪犯のドイツ人を蛇蝎の如く嫌うようになってしまった。映画に現れるナチ高官は決まって残忍冷酷で、米軍に銃を向けるドイツ兵は、皆ロボットのように上官に従い、ケダモノのように民間人を殺しまくる。一方、アメリカ兵は人情味に不溢れた正義漢として描かれている。南洋で投降する日本兵を撃ち殺す卑劣なアメリカ兵とか、絨毯爆撃で女子供を皆殺しにするパイロット、焼夷弾で民間人を焼き殺すよう命じる米軍将校などは描かれない。もちろん、占領下の東京や横浜で日本人女性を強姦する黒人兵とか、少女を凌辱する白人兵などは無視。悪いのはナチズムのドイツ人とファシズムの日本人のみだ。

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左: 二枚クリステン・スチュワートとテレサ・パーマー
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右: 二枚ティファニー・ティッセンとアレクサンドラ・ダダリオ
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  こうしたプロパガンダ映像で洗脳されたアメリカ白人は、同種族のドイツ人を殊さら憎み、異人種であるはずのユダヤ人に親近感を覚える。しかし、日本人の目から見れば、西歐系アメリカ人とアーリア系ドイツ人は同胞に見えてしまう。もし、第二次大戦を闘った高齢の白人が子供や孫の配偶者を選ぶとしたら、必ず同種族の西歐人を望むだろう。戦争が終わって帰還した白人兵は、たいてい白人娘と結婚し、自分と“似た”子供をもうけた。ここでは直接関係無いけど、白人俳優には他人なのによく似ている者がいる。例えば、女優のテレサ・パーマー(Teresa Palmer)とクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)は、アメリカ人の目から見ても似た者同士だ。また、映画「ベイウォッチ」に出演したアレクサンドラ・ダダリオ(Alexandra Daddario)と、TVドラマ「ホワイト・カラー」で人気者となったティファニー・ティッセン(Tiffani Thiessen)も、ちょっと見ればよく似ている。これは彼女たちの親が同じ白人同士で結婚し、祖先からの遺伝子を守ってきた結果、同じタイプの容姿が保存されたという実例ではないのか。

住むなら白人地区

  口では綺麗事を述べる人でも、自分のお金を使う時には本音に忠実となる。例えば、いくら南鮮人を擁護する左翼評論家でも、自分の財布で自家用車を買おうとすれば、韓国の「現代(ヒュンダイ)」ではなく、トヨタとかホンダの日本車、あるいはメルセデス・ベンツやBMWいった高級車を選んでしまうだろう。第一、朝鮮のクルマなんか恥ずかしくて友達に見せられない。また、米国に派遣された日本人社員が現地で自宅を購入したり、子供の学校を探そうとすれば、おのずと白人の住宅地に目を向け、グレた子供が少ない白人学校を選んでしまうだろう。アメリカの白人だって「レイシスト」の日本人に賛同するはずだ。しかし、現在では、北方種族だけのドイツ村とか、白人ばかりが住む高級住宅地は評判が悪い。でも、日本人の不動産鑑定士が土地を調べれば、黒人やヒスパニックがひしめく地域より、西歐系アメリカ人だけが住む地域の方に高い評価額をつけてしまうだろう。実際、裕福なアメリカ白人は白人が圧倒的に多い高級住宅地に屋敷を構える。以前、ビル・クリントン夫妻の豪邸を紹介したが、黒人やヒスパニックに同情的なリベラル・カップルは、有色人種が少ないニューヨーク郊外の白人地域に新居を購入していたのである。

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左: アメリカにやって来るヒスパニック移民
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右: アメリカにやって来るムスリム移民 )

  アメリカの白人は敗者の日本人に向かって、「オレ達の国は自由を尊ぶデモクラシーなんだ。お前らみたいに奴隷根性で暮らしている未開人じゃない」と説教するが、彼らに果たして本当の自由があるのか? 例えば、ヒムラーが夢見た金髪碧眼のゲルマン人ばかりで形成される田園地帯が現れたら、裕福な白人層は我先にと土地購入に奔走するだろう。幼稚園や小学校には黒いアフリカ人や褐色のアラブ人が皆無で、どの子供も白い肌に薔薇色の頬をし、大きな青い瞳を輝かせている。こうしたブロンドの幼児は、縮れ毛の黒人が発する独特のアクセントで喋らず、卑猥なダンスに興味を示すことも無い。健全な白人家庭が多くなれば、刑務所に収監された父親とか、福祉金に頼るアバズレ女房、麻薬でラリっているストリート・ギャング、売春婦と大して違わないズベ公、なども激減するだろう。貧困家庭の黒人生徒なんて、卒業後は刑務所に就職するため学校に通っているようなものだ。白人だけの共同体が社会的に公認されれば、リベラル派を気取ったインテリ夫婦だって、アーリア人村に引っ越したくなる。

そもそも、北方種族ばかりのドイツになったからといって、生粋のドイツ人がどんな損害を受けるというのか? 日本人のみならず、西歐系アメリカ人は冷静に考えてみるべきだ。例えば、ドイツ人に生まれた事を誇る親が、金髪を靡かせるアーリア人だらけの幼稚園を訪れて、「うぁぁぁ〜、北歐種族だらけだぁ ! 怖ろしい! こんな幼稚園にウチの子を入れることはできないわ!」と叫ぶのか? たぶん、それとは真逆だろう。もしかしたら、「まぁ、何て素晴らしい幼稚園なの ! どの子もみんな可愛らしいわ! ウチの子もここに通わせたい !」と、うっかり口を滑らすんじゃないか。「ゲルマン系」「アーリア系」「アングロ・サクソン系」と何でもいいが、西歐系アメリカ人はなぜ自分たちの理想を追求しないのか不思議である。

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(写真 / 忌み嫌われるアーリア系の幼児たち)
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  もし、アメリカが「自由の国」ならば、黒人やユダヤ人がギァアギャア騒ごうとも、好ましいタイプの白人だけで住宅地を持ったり、北方種族だけの小学校を作ったり、会員制の白人ゴルフ・クラブを開設すればいいじゃないか。民間組織における「受容」と「排斥」は自由であるべきだ。建国以前、イギリス人入植者は自分の好きなように神様を拝めるよう渡ってきた。彼らは新大陸に根づき、アングリカン教会から指図されず独自の教会を設立し、好き勝手な聖書解釈を行っていたのである。それなのに、アングロ・サクソン入植者の子孫は、自分の好きな者たちだけと暮らすことを禁止され、ユダヤ人が提唱する反米教育や不道徳な価値観に抵抗できない。英国のプロテスタント信徒はカトリック教会に反抗できたのに、ユダヤ人団体の前では隷属するなんて情けない。プロテスタントはユダヤ人の下僕なのか?

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(左: 歓迎されるユダヤ人の大人たち / 右: 大切にされるユダヤ人の子供たち)

  ユダヤ人が哀れな難民として入国した頃は、借りてきた猫みたいにおとなしかったが、この異民族は財力や権力を身につけると、次第に地元民の西歐人へ文句をつけるようになった。白人ばかりのコミュニティーはレイシズムの温床だから駄目。アングロ・サクソン人を始めとするゲルマン種族を称讃するのは、反ユダヤ主義に繋がるから禁止。米国をキリスト教国と定義することは、信仰の自由を阻碍することになるから破棄。西歐文明、とりわけイギリス文化を継承することは、多民族・多文化主義を否定するものだから、テレビや学校の教育プログラムから抹消。こんなアメリカ社会に変貌しているのに、アメリカの白人はフランクフルト学派の毒が廻っているせいか、まったく気づかない。その前に、「ネオ・ナチ」という言葉を聞くだけで震え上がってしまうのだ。ただ、筆者の言うことを理解するアメリカ人も居ることはいる。しかし、彼らは社会的地位を失うことを恐れるから、絶対に賛同することはない。こんな具合だから、綺麗事でしかない理想を語るリベラル派が幅を利かせているのだろう。

白人の赤ん坊は高い

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(写真 / レーベンスボルン計画で理想的モデルとされそうなアーリア人の男女と家族)
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  とにかく、レイシズムを否定するアメリカ社会であるが、養子縁組となれば白人の赤ん坊を望む白人夫婦は多い。もし、アメリカにレーベンスボルン・ホームのような養育施設があって、ヒムラーのように純粋なゲルマン人の赤ん坊を斡旋してくれたら、感涙にむせるカップルがたくさん出てくるだろう。事実、白人の赤ん坊は需要過多で、供給が極めて少ない。だから、白人の赤ん坊は値が高く、その次に白人系のヒスパニック、アジア系と値段が下がり、黒人は最低価格だ。幼くても買い手が付かない。売れ残った黒人の子供が成長してしまえば、もう絶望的である。子供が欲しい白人カップルは、しぶしぶ黒人を引き取るが、ユダヤ人カップルはユダヤ人の養子にこだわるし、異民族の子供を欲しがらない。ユダヤ人は二重思考を恥としないからね彼らは白い肌の子供を優先的に迎え入れ、たまにへそ曲がりのユダヤ人カップルが黒人を養子にする程度。しかし、西歐系白人に対しては人種平等を押しつける。(それなら、パレスチナ難民の子供を養子に迎えればいいのに。)

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左: 黒人の赤ん坊
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中央: 支那人の赤ん坊
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右: ヒスパニック系の子供
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   気前よくユダヤ難民を受け容れたアメリカ人は、本当に愚かである。自分の国なのに“くつろぐ”ことができず、常に異国に居るような気分になるし、周りを見渡せば黒人、アラブ人、南米人、支那人、インド人などが目に付く。しかも、言論の自由があるはずなのに、絶えずユダヤ・メディアの検閲が光っている。そして「自由」と「デモクラシー」を掲げて対外戦争をすれば、その都度、望みもしない難民がやって来るのだ。第二次世界大戦でユダヤ人、朝鮮戦争で朝鮮人、ベトナム戦争でベトナム人、イラク戦争でイラク人、ソマリアの紛争ではソマリア人が雪崩れ込んで来た。こんな結末なら、ナチ・ドイツを徹底的に破壊しなけりゃよかった、と歎きたくなる。日本人が高齢のアメリカ白人を捕まえ、「1950年代以前のアメリカと1960年代以降のアメリカと比べたら、どちらが良いのでしょうか?」と尋ねたら、彼らは声を小さくして「そりゃあ、戦前の方さ」と囁くだろう。「でもなぁ、ワシの孫は黒人との混血児なんだよ」という悲しい告白もあったりして、気の毒なインタビューになったりする。

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(写真 / 高値がつきそうな白人の子供)
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  日本人で歴史を研究する者は圧倒的に文系が多いから、歴史を違った角度から考えるという習慣がない。自然科学や数学を専攻する者なら、自然現象をあらゆる角度から考察し、様々な仮説を立て実証したり、研究したりするだろう。たとえ、「定説」であっても、それを疑い、自分で検証するし、学会の大御所が提唱した仮説といえども決定的ではない。ところが、歴史学会に所属する学者だと、長老教授の「史観」に逆らうことはないし、「定説」通りに論文を書けば、やがて正教授になれる。何も無理して有力教授に挑戦する必要はないし、黙って従えば自分も大御所になれるんだから、学会の主流に逆らうのは愚の骨頂だ。アメリカの学会も似たり寄ったりで、かつてアングロ・サクソンが主流だった米国はユダヤ人の天下になってしまった。ナチスにだっで見倣う点はあるだろう。アメリカ人はナチスのユダヤ人虐殺を非難するが、その立派なアメリカには中絶賛成派の「プロ・チョイス」勢力が存在する。「赤ん坊殺し」をチョイス(選択)の問題にするんだから驚く。たしかに、胎児は喋らない。いや、喋ることができない。母親に殺された赤ん坊は天に訴えるしかないのだ。それなら、未婚の母から捨てられた子供を養育したレーベンスボルン・ホームの方が遙かにマシだ。ユダヤ人の子供を殺すことが残酷なら、まだ母親のお腹にいる赤ん坊を殺すことだって悪である。案外、中絶賛成派のフェミニストは、ヒトラーが待つ地獄に直行するかも知れないね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68674746.html


ナチスが嫌った醜い藝術
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html

頽廃芸術が横行したワイマール時代

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(上絵画 2枚 / ヒトラーの作品)

  今回のブログは1、2年前から発表しようかどうか迷った記事である。ナチス時代のドイツを知るには、ワイマール時代の社会状況を知る必要があるのだが、その一部があまりにも卑猥なのであからさまに伝えることが出来ない。しかも、ブログ運営会社のライブドアによる「検閲」があるので、たとえ「歴史的事実」でも「破廉恥な現実」を掲載すれば、当ブログの閉鎖を余儀なくされるからだ。それでも、歴史の真相を求める日本人には、偏向史観ではない具体的で“生々しい”情報が不可欠なので、肝心なエロ絵画を載せられないが、とりあえず紹介することにした。

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央: カール・トルッペ Karl Truppe と Franz Triebsch によるヒトラーの肖像画 / 右: アルベルト・シュペーア )


  第三帝國の総統となったアドルフ・ヒトラーが、若い頃、画家を志していたことは有名である。したがって、この伍長上がりの政治家は美術に関しては少々うるさく、自らのドイツ帝國を偉大な藝術で飾ろうと思っていた。ヒトラーがベルリンを壮大な首都にしようとした「ゲルマニア世界都市計画(Welthaupstadt Germania)」は有名で、その担当者に建築家のアルベルト・シュペーア(Berthold K. H. Albert Speer)を据えたこともよく知れられている。現在では、ヒトラーと言えば「極悪人」というレッテルが貼られているので、やることなすこと一切が非難の的になっている。だけど、もし敗戦がなく、目論見通りベルリンの再開発が遂行されていたら、たぶん絢爛豪華な帝都の誕生となったであろう。

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左: ドイツ人の少女
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中央: ナチス時代のドイツ人女性
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右: ナチ党のポスター
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  もっとも、追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だ。しかし、好ましいアーリア人で賑わう街はヨーロッパ諸国の注目を集め、不動産価格が高騰するのは間違いない。きっと、好奇心旺盛な日本人も、世界に冠たる偉大な都市を見物しようと、ベルリンに押し寄せるんじゃないか。現在の歐米人のみならず、日本人も「ユダヤ人の視点」でしかドイツ史を観ないけど、もし、ゲルマン人の目でヒトラーの帝國を眺めれば異なった感想を持つはずだ。

例えば、仮にドイツの住民がアーリア系ドイツ人ばかりになったとする。そうなると、いったい誰が困るというのか? 日本人観光客で、金髪碧眼の北歐人が集まる商店街とか教会を眺めて、「気持ち悪る〜い」と感じる人はいないだろう。日本人女性だと、ゲルマン人の子供が楽しく遊ぶ幼稚園を見て、「アっ! かわいぃ〜い」と声を上げるんじゃないか。日本人の亭主だと、ブロンド美女の保母さんに“うっとり”する姿を女房に見られて、「アンタ、どこ見てんのよ !」と叱られたりしてね。

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左: ヒトラーとドイツ人の少年
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ドイツ軍士官
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右2枚: 理想的なアーリア人女性
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それに、ドイツを訪れたオランダ人やイギリス人の観光客が「あれ〜ぇ? 白人ばかりだ。ユダヤ人がいなくて寂しいなぁ」と愚痴をこぼすのか? ユダヤ人が大嫌いな愛国的フランス人なら、「アレマン人(ドイツ人)は素晴らしい ! ぜひ、我が国もユダヤ人を駆逐しよう !」と叫ぶに違いない。また、 ユダヤ人を大学やホテルから閉め出したアメリカ人も、同種族のドイツを旅行して感動するはずだ。帝國陸軍から派遣された日本人だって、ゲルマン人ばかりのドイツに違和感は無く、ユダヤ人が居なくても不便はない。ちょうど、江戸や大坂に朝鮮人が居なくても寂しくないのと似ている。

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左: ドイツ人の少年
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中央: ドイツ軍士官の家庭
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右: 1950年代のドイツ人女性
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  ナチ党やヒトラーの評判が悪いのは、ドイツを敗戦に導いたことにあるのだが、ユダヤ人や左翼分子が歐米の学会を牛耳っているのも、見過ごせない原因の一つである。ヒトラーにより追放されたユダヤ人は、アメリカやブリテン、カナダなどの西歐世界に移住し、その地で反ナチス本を大量に出版した。したがって、ドイツの事情に無知な一般人は、「ほとんど」と言っていいくらい、ユダヤ人の洗脳を受けている。フランクフルト学派のユダヤ人を迎入れたアメリカはその典型例で、今でもユダヤ人が撒き散らかした害悪により、訳も解らず“のたうち回って”いるのだ。これは丁度、見知らぬ他人から魚を貰って食ったら、その内蔵に水銀が溜まっていたり、回虫のアニサキス(Anisakis)が潜んでいたことから、食後にもがき苦しむのと同じ症状である。

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(上絵画 / ヒトラーによる風景画)

  排除されたユダヤ人の中には藝術家もいて、彼らは亡命先で散々ナチスを呪った。そして、この呪詛を聞いた現地人もユダヤ人アーティストに同情したものである。しかし、この亡命者たちは一体どのような作品を世に送り出していたのか? なぜ、ヒトラーやナチ党員たちは、彼らを排斥したのか? 日本人としては事の善悪を越えて、その理由を知りたい。我々は迫害されたユダヤ人の怨念だけを鵜呑みにするのではなく、迫害した側のドイツ人による言い訳にも耳を傾けねばならないと思う。とりわけ、1942年3月27日にヒトラーが述べた意見は傾聴に値する。ヒトラー曰わく、

  ワイマール共和国時代が特にひどかった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の怖さを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしでの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準には自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。今、ユダヤ人の財産没収のおかげで奴らのペテンの証拠が続々と手に入るというわけだ。屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する。-----これがやつらのペテン藝術の極みともいえる手口だったのだ。著名なユダヤ人から徴発した財産の目録に目を通していつも驚くのは、そこに本物の芸術品ばかりが載っているということだ。(『ヒトラーのテーブル・トーク』 下巻、吉田八岑 訳、三交社、1994年 p.31)

  確かに、ユダヤ人の富裕層はヨーロッパの名画を買い漁っていたようで、ナチスが彼らから奪い取った作品には目を見張るものがあった。最近だと、ナチスに協力した画商のヒルデブラント・ガーリット(Hildebrany Gurlitt)が隠し持っていた絵画に注目が集まったことがある。彼の息子で隠遁生活を送っていたコルネリアスが、ある失態を犯してしまい、盗品が表に現れるという事件が起きた。(Michael Kimmelman, "The Art Hitler Hated", The New York Review of Books, June 19, 2014) 戦災で失われたと思われていた多数の絵画が見つかってドイツ人は驚嘆。その中には、「頽廃藝術(Entartete Kunst)」作品も含まれていたそうだ。ヨーロッパ人の美を愛するヒトラーにとって、ユダヤ人や現代画家の美観は許せなかったそうで、総統は美術展に足を運ぶ度に、その「塗りたくった絵」を取り外させたという。たとえ、プロイセン・アカデミーの“お墨付き”が与えられた作品であっても、「無価値なもの」に対しては容赦無くふるい落としたらしい。

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(左: オットー・ディックスの作品 / 中央: ポール・クリーの作品 / 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  ヒトラーによると、アカデミーの会員はきちんと任務を果たさず、いつも仲間内で“なあなあ”で済ませ、ある宗教担当大臣はユダヤ人の罠に嵌まって“とんでもない駄作”に賞を与えてしまったそうだ。しかも、騙された人々は最初、「これは難解な作品だ」などと一応納得した顔をして、「作品の深層と意味を洞察するためには、提示されているイメージの世界に浸る必要がある」と、もっともな“ご託”を並べたという。そう言えば、日本でも西洋美術展が開催されると、評論家気取りの連中が適当な「講釈」を垂れるし、門外漢の一般客は、その「値段」を聞いて作品の「価値」を決める傾向が強い。庶民はピカソやムンクの作品を観たってチンプンカンプン。「こんなの子供の落書きだよなぁ」と心の底で思っても、その値段が何十億円と聞けば、「うぅぅ〜ん、やはり筆のタッチがひと味違うな !」と急に意見を改めたりする。

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(左: パブロ・ピカソ / ピカソの作品 / エドワルド・ムンク / 右: ムンクの作品)

  だが、ヒトラーによる美術批評家への意見は手厳しい。「一般論として、アカデミーの類いは傾聴に値する程の意見を発表しない」そうで、教授どもは落ちこぼれか、枯渇した老人くらいであるという。たとえ、才能豊かな者がいても、彼らは1日に2時間と教えられないそうだ。(上掲書 p.32) ヒトラーの美術論によれば、真の藝術家は他の藝術家たちとの接触を通して育って行くものらしい。かつて、巨匠といわれた画家たちは、工房の助手としてスタートし、技術と器用さで秀でた者、あるいは将来価値のある作品を生み出せそうな者だけが、徒弟の地位へと昇ったそうである。ヒトラーはルーベンスやレンブラントの例を挙げていた。これなら我々にも解る。例えば、「偉大」と称されるピカソなんかより、フェルメールの油絵の方がよっぽど素晴らしいし、ラファエロの聖母像も傑作だ。ヨーロッパの評論家はムンク(Edvard Munch)の『少女と死』とか『思春期』を称讃するけど、日本人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の美人画とか版画の方が解りやすい。

Vermeer The_Girl_with_the_Peal_EarringRembrandt The Good SamaritanRembrant The prodigal Son

(左: フェルメールの名作「真珠の耳飾りをつけた少女」 / 中央: レンブラントの「善きサマリア人」 / 右: レンブラントの「愉快な仲間」)


エロ・グロ作品を描いていた亡命者

  ヒトラーは、当時の風潮に不満を漏らしていた。ドイツの美術学校では自由放任の方針を取っていたようで、天才なら最初から自分のしたいようにしてもよい、と考えていたらしい。しかし、ヒトラーは「天才画家であっても、最初は皆と同じように学習から始めねばならぬ」と考えており、「たゆみない努力によってのみ、描きたいものが描ける」と信じていた。そして、総統は絵の具の混合をマスターしていない者や、背景の描けない者、解剖学を学んでいない者は、大した画家にはならないだろう、と結論づけていた。そこで、ヒトラーは「曾てのように現代も、画家の卵は親方の工房で美術の伝統にどっぷり浸かりながら訓練を受けるべきだ」という。なぜなら、ルーベンスやレンブラントの作品を観ると、弟子と師匠が描いた部分の区別が附きにくかったからである。つまり、ルーベンスやレンブラントの弟子たちは、師匠と同じ技量を身につけていたということだ。

George Grosz 1Max Beckman photoErnst Ludwig Kirchner 1Eric Heckel 3
(左: ゲオルク・グロス / マックス・ベックマン / エルンスト・ルドウィック・キルヒナー/ 右: エーリッヒ・ヘッケル)

  このように、ヨーロッパに根づく伝統的美意識を愛したヒトラーだから、その伝統を無視する抽象画とか表現主義の作品は許せなかった。ヒトラー率いるナチ党が「頽廃藝術家」と評した者といえば、ゲオルク・グロス(Georg Grosz)や、オットー・ディックス(Otto Dix)、マックス・ベックマン(Max Beckman)、エルンスト・ルドウィック・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)、パウル・クリー(Paul Klee)、ルシアン・フロイト(Lucian Freud)、エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel)などが挙げられる。特に、ユダヤ人と思われがちなゲオルク・グロスは札付きのワルで、キリスト教の家庭に育ったドイツ人であったが、思想的には真っ赤な共産主義者であった。彼はドイツ共産党に属していたけど、ソ連を訪問し、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev / ユダヤ名Hirsch Apfelbaum)やレーニンと会ったことで失望したそうだ。グロスは形だけではあるが、共産主義から足を洗い、風刺画家に専念したらしい。

  ところが、このグロスは単なる絵描きではなかった。ナチ党の台頭により米国へ亡命したグロスには、マーティー(Marty)という息子が生まれ、この倅(せがれ)はマスコミを相手に父親の偉大さを宣伝していたが、ある作品に関しては沈黙を守っていた。彼はある記者のインタビューを受けて、「父の風刺画や油絵、鉛筆画はベルリンの頽廃と腐敗を厳しくも情熱的に描いていました」と述べている。(Rosie Millard, "My father, the famous artist", The Independent, 17 March 1997) しかし、マーティーは父親の藝術を概ね讃美するも、その恥部だけは巧妙に避けていたから狡(ズル)い。この息子は父のエロ・グロ作品を人前で堂々と掲げるべきだ。グロスの作品総てを知らぬ一般人は、ナチスに迫害された可哀想な藝術家としか思わないが、彼の描いた「卑猥な絵」を目にすれば、ご婦人方は両手で顔を覆ってその場を去るだろうし、美術品愛好家の紳士なら、「何だ、この下品な絵は !」と叫ぶに違いない。日本人もグロスのエロ絵画を見れば、なぜナチ党が彼を「ボルシェビキ風の敵No.1」と評したが判るだろう。

George Grosz Pappi und MammiGeorge Grosz 5George Grosz Strassenszene Berlin
(上3 枚 / ゲオルク・グロスの作品)

  憐れな亡命者と思われているグロスは、文字にするのも憚れるような卑猥な絵を描いていた。例えば、性器を剝き出しにした女や、客のペニスを膣に挿入する淫売、巨根をしゃぷる痴女、うつぶせの女を背後から襲う男、醜悪な体型をした中年女など、“おぞましい”としか言いようのない作品を残していたのだ。(ライブドア社の禁止規定に抵触するので、実際の生々しい「猥褻作品」を掲載できなくて残念である。でも、規則だから仕方ない。) とにかく、グロスは露骨に性器を描写していたから、とても一般公開などできない。米国の敬虔なキリスト教徒なら卒倒間違いなし。仮に、美術館の壁に掛けることが出来たとしても、訪問客から猛抗議を受けて、即座に展覧会は中止されるだろうし、主催者は責任を取ってクビになるはずだ。こうなれば、一般のアメリカ人もグロスへの同情を失い、「頽廃芸術」が何であったのかが解る。でも、ユダヤ人や左翼ジャーナリストは困るだろう。ヒトラーは絶対的な悪なのに、その追放政策が正しく思えてしまうからだ。したがって、反ナチス派の評論家や歴史家は事実を隠す。

Ernst Ludwig Kirchner 1909_MarzellaErnst Ludwig Kirchner 5Max Beckman 4Max Beckmann
(左2枚 : ルドウック・キルヒナー / 右2枚: マックス・ベックマン )

  ルドウィック・キルヒナーの作品は卑猥でなかったが、彼の描く人物はどれも醜くて、観ていると暗い気分になる。なるほど、描かれた人物は印象的だが、お世辞にも「美しい」とは言えず、どちらかと言えば「病的」と評した方がいい。ちなみに、キルヒナーは精神病を患っており、展示会に出した自作を撤去されてから一年後に自殺している。フランクフルトのアカデミー会員をクビになったマックス・ベックマンや、700点以上者作品を撤去されたエーリッヒ・ヘッケルの絵も全体的に陰鬱で、部屋に飾ってみたいとは思えない作品である。だいたい、ベックマンの作品などを模範にしたい絵描きがいるのか? 蛭子能収をちょっと上手くしたくらいで、ザビエル山田といい勝負だぞ。(ザビエル山田は漫画『愛の泉』や『オヤジの吐息』の作者である。) 美術評論家は彼らの作品を「素晴らしい」と褒めちぎるんだろうが、一般人ならこんな絵を高値で買おうとはしないし、政治献金の代用品であっても買いたくない。個人の敷地で催されるヤード・セール(庭先の販売会)だと、せいぜい5、6ドルの値札しかつかないんじゃないか。筆者の好みから言えば、安彦良和先生の油絵(例えば、「ガンダム」のシャーとかセイラの人物画)とか、荒木飛呂彦先生が描くジョジョの直筆ポスターなどの方が遙かに価値がある。

Eric Heckel 6Eric Heckel 2Ludwig Meidner
(左と中央 : エーリッヒ・ヘッケル / 右: ルドウィッヒ・マイトナー )

  ユダヤ人の画家になるともっと酷い。ルドウィッヒ・マイトナー(Ludwig Meidner)の絵を見ると、何かの病気を患っているんじゃないか、と思えてくる。だが、彼よりも不愉快なのは、ルシアン・フロイトだ。彼は有名な精神科医であるジクムント・フロイドの孫としても知られている。ルシアンの描く女性などを観ていると、日本人だってヒトラーの反論に賛成するんじゃないか。例えば、ぶくぶくと太った醜い女性とか、性器丸出しの男性などを観れば吐き気がする。ナチ党員たちはゲルマン人女性の美しさや清らかさを称讃したのに、ユダヤ人画家ときたら、北歐種族の肉体的美しさを否定し、それを無視するどころか、却って醜悪にして「美術」と称する。西歐婦人の気品を台無しにした挙げ句、反対の肉体を讃美するんだから、ドイツ人じゃなくても不快になるじゃないか。ヨーロッパ人にとったら、美しい人間というのは、古代ギリシア人が理想とした女神とか、ルネッサンス期の巨匠が描いた英雄である。

Lucian Freud 112Lucien Frud 7Lucian Freud Sleeping
(左ルシアン・フロイド / 中央と右: フロイトの作品)

  しかし、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒のゲルマン人を憎んだユダヤ人は、いじめっ子民族の肉体を讃美したくない。アーリア人の肉体美を描くことは、敵対者の優越性を認めることに繋がるし、セム種族の肉体的劣等性を認めることになるからだ。ユダヤ人は一般的に捻れた性格を持っている。美しいゲルマン人女性に憧れる一方で、彼女たちからの侮蔑に耐えねばならぬ運命を有しているからだ。ユダヤ人は西歐人に対しては、人種平等の説教を垂れるが、仲間内では西歐白人女性を獲物にしているから卑劣だ。(イスラエルの売春宿では、西歐人女性のような東歐女性が人気で、フィリピ人女中やアフリカ人娼婦は安値でランクが落ちる。それにしても、貧乏なルーマニア人やウクライナ人、ロシア人の女性を半ば騙して、次々に密輸するユダヤ人の女衒はあこぎだ。TBSの金平茂紀は朝鮮人娼婦なんか放っておいて、スラヴ系娼婦を取り上げればいいじゃないか。看板番組の『報道特集』で「報道」しろ !)

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左: キャメロン・ディアス
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ジェニファー・アニストン
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テリー・ポロ
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右: ジェニファー・ハドソン
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ユダヤ人は多民族主義を唱えるくせに、性慾となれば白人女性一本槍だ。 恋愛映画を造るハリウッドのユダヤ人たちは、決まって相手方を西歐人美女にする。例えば、ユダヤ人男優のベン・スティラー(Ben Stiller)は『メリーに首ったけ』ではキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)を共演者にしたし、『アロング・ケイム・ポリー(Along Came Polly)』ではジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)を、『ミート・ザ・ペアレンツ』ではテリー・ポロ(Teri Polo)を恋人役にした。ところが、どのユダヤ人男優も、有名司会者のオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)とか、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、タラジ・ヘンソン(Taraji Henson)、クィーン・ラティファ(Queen Latifah)などを恋人役にはしないのだ。(もしかして、黒人への嫌悪と差別なのか ?)

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(左: タラジ・ヘンソン / オプラ・ウィンフリー / クィーン・ラティファ / 右: コートニー・コックス)

大ヒットTVドラマ『フレンズ』でもユダヤ人的嗜好が滲み出ていた。このドラマを制作したプロデューサーのデイヴィッド・クレイン(David Crane)とマルタ・カフマン(Marta Kauffman)は共にユダヤ人で、ドラマの中でもロスとモニカのゲラー兄弟をユダヤ人に設定していた。兄のロス・ゲラーを演じたデイヴィッド・シュワイマー(David Schwimmer)はユダヤ人だけど、妹役のモニカを演じたコートニー・コックス(Courtney Cox)はイギリス系アメリカ人である。呆れてしまうのは、ユダヤ人のロスが憧れるレイチェル役に、西歐系女優のジェニファー・アニストンを起用していたことだ。『フレンズ』にはユダヤ人女優のリサ・クドローがいたのだから、彼女をフィービー役ではなく、レイチェル役にすれば良かったのに、と思ってしまうが、クレインとカフマンにしたら、いかにも「ユダヤ人のカップル」になってしまいそうで、本能的に嫌がったのだろう。もし、ニューヨークに住む「フレンズ」が、全てユダヤ人となったら、不愉快というか余りにも“リアル”過ぎる。たぶん、制作担当者はユダヤ色を薄めるためにも、異教徒の西歐人をキャストに混ぜたんだろう。

Lisa Kudrow 4David Schwimmer 2Marta Kauffman 1David Crane 2
(左: リサ・クドロー / デイヴィッド・シュワイマー / マルタ・カフマン/ 右: デイヴィッド・クレイン)

  ユダヤ人は現実社会でも、ユダヤ人女性や黒人、アジア系女性に興味を示さず、西歐系女性に性的興奮を覚える。ユダヤ人の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインシュタインについては、以前このブログで触れたからここでは繰り返さない。でも、最近またもやユダヤ人によるセクハラが暴露されたので紹介する。日本ではあまり知られていないが、ミネソタ州選出の上院議員にコメディアン上がりのアル・フランケン(Al Franken)がいる。一連のセクハラ騒動に感化されたのか、彼にセクハラを受けたと表明する女性が現れた。被害者はリーアン・トゥイーデン(Leeann Tweeden)という美女で、以前は水着のモデルや『プレイボーイ』誌のグラビア・モデルを務めたことがあり、現在はテレビ番組の司会やレポーターを務めているそうだ。

Al Franken 1Al Franken 3Harvey Weinstein 1
(左: アル・フランケン / 中央: リーアン・トゥイーデンの胸を鷲摑みにするフランケン / 右: ハーヴェイ・ワインシュタイン )

事件は2006年、彼女が中東アジアに派遣された米軍を慰問した時に起きた。アル・フランケン議員はリーアンが寝ている隙に彼女の胸を鷲摑みにしたり、彼女が嫌がるのに無理矢理キスを迫ったそうだ。(Juana Summers and M.J. Lee, " Woman says Franken groped, kissed her without consent in 2006", CNN, November 17, 2017) セクハラ事件が表沙汰になると、フランケン議員は彼女に謝罪したそうだが、いくら冗談でも有名人の身分を忘れて卑猥な行為をするなんて、アホといか言いようがない。でも、どうしてユダヤ人は黒人とか支那人女性に対しては「いやらしい」事を企てないのか。「人種的平等を考えろ」とは言わないが、獲物に「人種的偏見」を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

Leeann Tweeden 3Leeann Tweeden 4

左: 司会者としてのリーアン・トゥイーデン
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右: モデル時代のトゥイーデン
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怨念が動機になっている美意識

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(左: ヤンケル・アドラー / 右3枚: アドラーの作品 )

  話が逸れたので元に戻す。ナチ党は頽廃藝術をユダヤ人の“せい”にしているが、こうした趣味に人種は関係無さそうだ。確かに、ヤンケル・アドラー(Jankel Adler)のようにポーランド系ユダヤ人の画家がいたけど、オットー・ディックスのようなドイツ人の画家もいたのだ。民族性と美的感覚の関連は不明確だが、二人の絵画は本当に美術なのかどうか判らない。現代の我々が見ても、アドラーの絵は気分が落ち込むほど陰惨である。ただし、ディックスが描いた絵の方が遙かに酷い。ディックスの描く女性など本当に醜く、お金を払って見る藝術とは思えないし、ヒトラーの言うように駄作と評する方が適切である。彼が描いた裸婦など殴り書きみたいだし、赤ん坊を抱く母親の絵は貧相というより怖い。ガリガリの赤ん坊なんてどうかしている。これじゃあ、アメリカ人だってナチスに賛同したくなるじゃないか。

Otto Dix 4Otto Dix self-portrait-with-museOtto Dix Sailor & Girl
(左: オットー・ディックス / 中央と右: ディックスの作品 )

  昔、ヨーロッパでは既存の秩序や常識を否定し、破壊的感情を肯定したダダイズム(Dadaism)が流行ったけど、ユダヤ人には“しっくり”する運動だった。とにかく、ユダヤ人は西歐世界の伝統や秩序を覆したいと願っている。自分の種族が築き上げた訳でもない価値観など紙屑以下。タバコの吸い殻を揉み消すように、西歐人の理想を足で踏みにじりたいのだ。そして、自分たちを“抑圧”し続けた憎い白人を倒したい。だから、アーリア人の美しさを貶して、醜い人物像を「素晴らしい」と言い換えたり、変態的描写を「斬新なタッチ」として言いふらすのだろう。彼らにとり、異教徒の美意識を破壊することは快感なのだ。

Otto Dix Pregnant Woman 2Otto Dix Mother & ChildOtto Dix Ladies of the NightOtto Dix Pregnant woman
(上絵画 / ディックスの作品)

  全共闘世代なら馴染み深いだろうけど、1960年代から1970年代にかけて前衛芸術なるものが“進歩的”と目されていた。フランス語の「アヴァン・ギャルド(avant-garde)」を口ずさみ、寺山修司とか大島渚たちが訳の解らぬ映画を作っていたのを覚えている人も多いだろう。ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、へんちくりんな踊りを披露していたけど、あれも前衛藝術の一種らしい。音楽でも奇妙なものがあり、ユダヤ人音楽家のアーノルド・ショーエンバーグ(Arnold F. W. Schoenberg)とか、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人モートン・フェルドマン(Morton Feldman)が有名だ。まぁ、音楽の趣味は人それぞれだから、余計な事をせずに市場に任せておいた方がいい。

Morton Feldman 1Arnold Schoenberg 1Yoko Ono 2
(左: モートン・フェルドマン / 中央: アーノルド・ショーエンバーグ / 右: ヨーコ・オノ)

  一般的に藝術は「自由」な方が良いけど、人々の精神に及ぼす影響も無視できないので、国家が介入する場合もやむを得ない。例えば、公園や路地裏で公然と映画のセックス・シーンを撮影するのは非常識だし、歩行者天国の日曜日に鞭を握ったSMの女王様が闊歩すれば、親子連れの一般人は目を背けるだろう。また、百貨店の展示会だって、しわくちゃの老婆を題材とした全裸写真とか、中高年ゲイが互いにペニスを握りしめているスナップ写真とかは論外だ。でも、西歐ではたまにある。米国で問題になったけど、小便の中に埋もれるキリスト像という絵画が公開され、世間の非難を浴びたこともあるのだ。藝術作品の弾圧は賛成できないが、常識を越えた「藝術」に一定の制限があってもおかしくはない。

  ナチスによる私有財産の没収は違法だが、ヒトラーたちが「頽廃藝術」に憤慨した気持ちも分かる。ヒトラー総統が自分の帝國だから美しくしたい、と考えてもおかしくはない。「盗人にも三分の理」があるように、ナチ党にも1%くらい擁護論があってもいいんじゃないか。日本人にとって重要なのは、ナチスが怒った理由とその経緯を“具体的”に調べることだ。ユダヤ人の本だと“抽象的”に書かれているだけで、不都合な歴史が省略されている場合が多い。「書物の民」は偶像崇拝を嫌って文字を重視し、映像や視覚を回避する傾向が強いから、我々はどのような素性の者が、如何なる思想で批判しているのか検証してみる必要がある。案外、ユダヤ系著者の素顔と正体を知ったら、「えっ、こんな人なの?!」と驚くんじゃないか。(ワイマール時代のドイツについては、別の機会で述べてみたい。ただし、当ブログが閉鎖命令を受けたら不可能になってしまうだろう。もしかしたら、今回が最終回となってしまうかも知れないので、引っ越しを考えているところです。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68684652.html

ヒトラーの嘘と絵画 − 彼はなぜ芸術家になれなかったのか?
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html


――エカキで作家・マンガ家、旅人でもある小暮満寿雄が世界のアートのコネタ・裏話をお届けする!

 かのショートショートの名手・星新一の短編に、こんな話があるのであらすじを紹介しよう。

 オーストリアのとある町。貧しい画家志望の青年が、愛する女性とのデート資金を求めて質屋にやってくる。担保の質物は何と青年自らが描いた絵。青年は「金を貸してください」と懇願するが、当然、質屋に絵は一顧だにされず「こんな絵で金は貸せません」とキッパリ断られてしまう。そして下記のやりとりが行われる。

「やっとデイトの約束までこぎつけたんです。お願いです、お金を貸してください。お金は必ず返します。ご恩は忘れません」

「だめですな。そんなことで金を貸していたら店はやっていけません。私たちユダヤ人は冷静なんです。甘く見ちゃ困りますな」

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、きさまら冷酷なユダヤ人全部に仕返ししてやる・・・」

「そんなにすごんでも、だめなものはだめですよ。さあ、お帰りください、アドルフ・ヒットラーさん」

(星新一『さまざまな迷路』(新潮社)/「ことのおこり」より)

 絵のサインを見ながら主人は、青年の名前言うのだが、彼がすごい剣幕で帰ったあとも、その狂気じみた目つきを思い出し「いずれなにかやらかすかもしらんな」とつぶやくのだった…。もちろん、ユダヤ人質屋が若きヒトラーに金を貸さなかったのは、星新一のフィクションだ。

 しかし、ヒトラーが画家志望の青年だったことは有名な事実で、実際ヒトラーが描いた絵は何点も世に残されている。彼の美術に対する情熱は相当なものだったようで、当時オーストリアで名門校だったウィーン美術アカデミーを受験している。しかし、成績不振ということで受験に失敗。

ヒトラーが描いた絵「YouTube」より
https://www.youtube.com/watch?v=mALbFREo-bk

 その時の恨みやコンプレックスが逆に独裁者ヒトラーを生んだ原動力ともなったわけだが、こちらがその、オーストリア時代に彼が描いたという絵である。

 見ての通り、独創性のない普通の風景画で、レベル的には“上手な素人絵”というくらいだ。これらの絵を見て、ヒトラーの演説にあるようなエキセントリックで妙に人の心を揺さぶる何かを期待した人は、きっと肩すかしを食らった気分になるだろう。


 ところが、ヒトラー本人は自らの絵について「古典派嗜好」と自負していたそうで、当時台頭してきた、いわゆる「世紀末美術」(幻想的で退廃的な性格を有する作品)やアール・ヌーヴォーといった新しい芸術運動にはむしろ嫌悪感すら抱いていたという。


■真実を吐き出す「世紀末美術」を憎んだヒトラー

 一方でこの絵を見てほしい。こちらは、同じ時代に世紀末美術の騎手として活躍し、わずか28歳の若さで亡くなったエゴン・シーレの作品だ。

エゴン・シーレ1915年作「死と乙女」
http://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

 絵画とはある意味、心の中に溜まっている澱(おり)を吐き出す作業なのだが、ヒトラーの絵と比べ(比べることもないが)、まさに強烈な個を解き放っており、肉体と精神すべてを吐き出してキャンバスに塗布したような絵だ。

 もちろん、ヒトラーはエゴン・シーレの作品を忌み嫌い、憎んでいたという。

 実はエゴン・シーレ。ヒトラーより1歳下にあたるのだが、彼が受験に失敗した1年前にウィーン美術アカデミーに入学していたという経緯があるのだ。元来、世紀末美術の台頭に嫌悪感を抱いていたヒトラーだったが、このことでさらに激しい憤りを抱き、独裁者となってからは徹底的に彼らやアカデミーを「退廃芸術」と呼び、弾圧下に置いたのだ。そして、1930年代にヨーロッパで隆盛していた抽象美術や表現主義、バウハウスなどはもちろん、印象派以降の近代の美術はすべてNG。当時、ユダヤ人らが所有していた絵画は財産と一緒にことごとく没収され、略奪され破壊された。

 これは弾圧の対象こそ違えど、まさに星新一の短編を地で行った話ではないだろうか。

「このうらみは決して忘れないぞ。いつの日か、オレを認めなかったきさまら退廃芸術家とアカデミー会員全部に仕返ししてやる…」

 さすがは星新一。物事の本質をきちんと捉えているではないか。

 一方でヒトラーが奨励した絵は、農村の労働と大家族を描いた風俗画や、優美で健康的な裸体画、牧歌的風景画、モニュメントとしての巨大彫刻など、芸術としてみると面白くも何ともないものだったのだ。

■ヒトラーの矛盾

 さて、絵とは面白いもので、美しいものを描けば美しくなるというものではなく、立派なものを描けば、それによって人が感動するというものでもない。

adolfhitler4.jpgヒトラーの絵「YouTube」より

 アートに必要なものの一つとして、本当に心の中、体の中にある(自分にとっての)真実を正直に吐き出すことがある。そういった意味において、ヒトラーの絵画は自分にウソをついた絵であり、だからこそ魅力的ではないのかもしれない。

 その理由として、ヒトラーには昔から「ヒトラーユダヤ人説」や「非アーリア説」があとを絶たない。これには、ヒトラーの父親・アロイスが実際には血の繋がった父親ではない可能性や、あるいはアロイス自身が私生児だった可能性があるなどさまざまな憶測が飛び交っているが、要するに、ヒトラーには出生の秘密と謎があったということだ。

 さらに、ヒトラーはアイロスと折り合いが悪かった。そして、“生粋のハプスブルク君主国の支持者”だったアロイスに憎しみを抱いたことが、後のアーリア至上主義、ドイツ民族主義へと走る第一歩となったとも言われている。

 しかしこれは、明らかに大きな自己矛盾だ。ほかにも、ヒトラーは自身を“極貧だった”と吹聴していたが、実際にはそうでもなかったなど、彼はあらゆる独裁者がそうであるように、さまざまな過去を隠し、ウソをウソで固めた人生を送っていたのだった。

 しかし、言葉や経歴でウソが言えても、絵というのはそういう意味でウソがつけない。それは眠ければ寝る、腹が減れば食べるというように、体がウソをつけないのと同じことだ。

 ヒトラーの絵が持つ、えも言えぬ寂しさや荒涼とした風景は彼そのものだったのかもしれない。だが、人の気持ちを惹きつけるには、あまりに貧相なものに違いない。彼は、自分自身を絵で表現するができなかったのだ。

 それにしても、ヒトラーの記事を書いていたら頭の芯を締められるような疲労におそわれた。やはり、何かわるいものがついているのかもしれないな。
http://tocana.jp/2014/06/post_4334_entry.html

アドルフ・ヒトラーによって描かれた35枚の絵画
http://musey.net/mag/35

ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが、政治家へと転身する前は画家を目指していたことはよく知られている。

ヒトラーは、1905年に実業学校を退学した後で、ウィーンにある名門美術学校「ウィーン美術アカデミー」への入学を希望するものの、「写実性はあるものの、独創性に乏しい」とされて試験に落とされてしまった。

世紀末美術を嫌悪したヒトラー

当時のウィーンをはじめとするヨーロッパでは、幻想的・退廃的な「世紀末美術」や「アール・ヌーヴォー」と呼ばれる新しい美術の流れが盛んに台頭していたが、ヒトラー自身はこうした運動に興味を示さないどころが、嫌悪感すら抱いていたと言われる。

ヒトラーが受験に失敗する1年前には、世紀末美術の旗手であるエゴン・シーレが同校に入学しているが、彼自身は著書『我が闘争』の中で、20世紀以降のダダイスムやキュビズムについて「狂気であり堕落であり病気である」と断じた上で、これらが「ボルシェヴィズムの公認芸術である」とまで述べている。

そんなヒトラーは、人物画よりも風景画・建築画を好んで描いており、いくつもの習作やデッサンなども残っている。これまで、ヒトラーの作品については様々な評価が見られたが、もし彼がそのまま凡庸な画家になり損ねた青年として人生を終えたならば、ほぼ確実にこれらの作品を我々が目にすることはなかっただろう。

以下では、彼の30枚の作品をまとめてご紹介しよう。


ヒトラーは愛犬家としても有名であり、ジャーマン・シェパード・ドッグのメス「ブロンディ」を飼っていた。ちなみに、ヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンはブロンディを嫌っており、ブロンディを蹴とばしていたことが知られているという。


彼は、第一次世界大戦によって荒廃した街並なども描いている。後に、こうした風景を自らの手によってつくり出すことになる。


ディズニー作品も

なんとその中には、ディズーのピノキオと白雪姫に登場する小人を描いた水彩画もある。これはノルウェー北部の戦争博物館で発見されたもので、ヒトラーが所有していた絵画に隠されていた。
http://musey.net/mag/35


123. 中川隆[-5704] koaQ7Jey 2018年2月05日 15:48:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

スペイン人とイギリス人が旧世界を滅ぼした方法


スペイン人は王を捕らえて金銀を要求したが、用意しても用意できなくても、結局王は始末された。
インカやアステカは極端な中央主権だったので、王1人を倒せばスペイン人が王になれた。
引用:https://oldcivilizations.files.wordpress.com/2012/01/cortc3a9s4.jpg

イノベーション=根絶やし

西洋人はイノベーションという言葉が好きで、アマゾンに見られるように、新しい価値観で古いものを全否定します。

「自分は正しくお前は悪なんだ」というゴリ押しがまま見られ、古い価値観と対立することも多い。

だいたいにおいて日本人は守る側で旧世界代表者、戦国時代も幕末明治も第二次大戦でもそうでした。



西洋が新しい価値観を主張して攻め込んできて、旧世界は抵抗するうちに、いつのまにか『悪人』に仕立て上げられます。

旧世界側は抵抗するものの、西洋側に圧倒されていき、やがて自分も西洋人の価値観で生きるようになります。

そうした出来事の中で典型的な例が、スペインによる南米、イギリスによる北米侵略でした。


現在では原住民の住民比率は北米で3%以下、南米では50%前後、特に北米では西洋人やアフリカ人、アジア人が増えた。

この人種交代は自然な移住者によって起きたのではなく、破壊と略奪によって短期間に発生しました。

最初のスペイン人が上陸してから最初の植民地都市が築かれ、アステカが支配されるまで、たった5年しかかかりませんでした。


1492年にコロンブスがカリブ諸島に到達し、1年程度で原住民のほとんどを滅ぼし、続いて西洋人のアメリカ大陸侵略が始まった。

スペイン人は土地と住民を仲間同士で分割し、原住民の所有物を根こそぎ奪ったうえ、火を放って根絶やしにするというものだった。

1516年にスペイン人フアン・ディアス・デ・ソリスがラプラタ川近くに上陸し、アステカ人が銀の装飾品を身につけているのに気づいた。

どれいになったアステカ人はマシな方で、北米原住民は写真とイラストの中にしか居ない
ERT
引用:https://i.pinimg.com/474x/da/0b/6f/da0b6f822f7a4eec8e3f7ed3298c3248--native-american-indians-native-americans.jpg

西洋人の本性

スペインは銀を得るためすぐさま侵略を開始し、1519年にエルナン・コルテスがメキシコ湾のタバスコ川から上陸した。

アステカの首都テノチティトランを襲撃し、一旦は追い返されたが1年後に5万人の兵力で包囲し陥落させた。

スペイン人はカリブ海では住民を1人残らず根絶やしにしたが、アステカではもう少し『人道的』になり原住民をどれいとして労働させた。


インカやアステカといった南米旧国家は極端な中央集権制だったので、王1人を捕まえるか倒せば、国全体を容易に支配する事ができた。

スペイン人は王国を次々に襲っては王を捕らえ「部屋一杯の金と銀を用意しろ」と要求した。

家来達は出来る限りの金銀を用意するが、金銀を手に入れて用なしになった王は始末され、金銀を用意できなくても始末された。


スペイン人は次に「もっとうまい方法」を考え出し、襲撃して王族を捕まえて、王や貴族の娘と「婚姻」して自分自身が王になった。

スペイン人が王国の新たな王族や貴族になり、国ぐるみ丸ごと彼らの所有物になった。

ずいぶん酷い話だが、それでもイギリス人が占領した北米つまり現在のアメリカ合衆国の原住民よりはましだった。


スペイン人は最終的に、原住民を生かしておいて強制労働させる方が儲かると考えたため、北米よりは原住民が多く生き残った。

地域によって異なるが南米諸国の原住民比率は50%ほどで、テレビや写真を見てもアジア人風の人が多い。

一方北米ではイギリス人たちは自ら牧場経営などをしたため、原住民のほとんどは、文字通り居なくなってしまった。

アメリカ合衆国の原住民比率は3%程度だが、イギリス人が上陸する前は3000万人から5000万人が住んでいた。


それでいてアメリカやカナダなど北米の国は、自分たちが古い価値観を打ち壊した『正義側』だと言っている。

古い秩序を破壊するとはこういう事で、西洋人が次々に無理難題を吹っかけ、従っても従わなくてもアステカ王のようになる。

古い価値観を守ろうとする旧世界側は、いつの間にか悪人に仕立て上げられる。
http://www.thutmosev.com/archives/74785231.html


124. 中川隆[-5683] koaQ7Jey 2018年2月07日 14:29:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

英国で発見の古代民族、肌黒くて目は青かった DNA分析で明らかに
2018年2月7日 13:50 発信地:ロンドン/英国
http://www.afpbb.com/articles/-/3161452?cx_part=topstory&cx_position=4

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英国で発見の古代民族、肌黒くて目は青かった DNA分析で明らかに


英ロンドンの自然史博物館で公開された「チェダーマン」の頭蓋骨から再現された男性の顔(2018年2月6日撮影)(c)AFP PHOTO / Justin TALLIS
http://www.afpbb.com/articles/-/3161452?pid=19788041

英国で発見の古代民族、肌黒くて目は青かった DNA分析で明らかに


【2月7日 AFP】英自然史博物館(Natural History Museum)とロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(University College London)の共同研究チームは7日、1万年前に現在の英国に住んでいた古代民族の男性の人骨からDNAを抽出・分析した結果、この民族の肌が浅黒く、目は青かったことが判明したと発表した。

 1903年に洞穴で人骨が発見されたこの男性は、洞穴のあった英イングランド南西部の地名から「チェダーマン(Cheddar Man)」と呼ばれている。今回、この人骨を使った初の完全なDNA分析が行われ、この男性の容姿を現代によみがえらせる作業が行われた。

 共同研究チームはチェダーマンの頭蓋骨に2ミリの穴を開け、抽出した骨粉からDNAを分析。これまでの見解ではチェダーマンの目は茶色く、肌は色白だったとみられていたが、そうした仮説を覆す結果となった。

 自然史博物館の関係者は、「1万年前の古代民族がとても青い目でありながら肌は浅黒いという組み合わせだったことは非常に驚きだ」と述べている。

 今回発表された研究結果は、欧州北部の人々の肌が白くなったのは、これまで考えられていたよりも最近であることを示唆している。

 チェダーマンの部族は氷河期の末期に現在の英国に移動して来たものとみられており、そのDNAは現代のスペイン、ハンガリー、ルクセンブルクで見つかった人骨と関連があることが分かっている。(c)AFP


125. 中川隆[-5687] koaQ7Jey 2018年2月08日 09:43:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Cheddar Man and Cheddar Gorge - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=VicLUMCCjdg
https://www.youtube.com/results?search_query=Cheddar+Gorge


「最初のイギリス人」は浅黒い肌に縮れ毛だった 予想を覆すその容姿とは...
2018年2月7日 ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
http://www.asyura2.com/17/kokusai21/msg/803.html


現代イギリス人のイメージは白い肌に青い瞳だけど… bowie15-iStock.


<DNA解析で明らかになった1万年前の「最初のイギリス人」が、想像と違いすぎて欧州メディアが続々報道>

チェダーチーズ発祥の地、イギリスのサマセットにあるチェダー渓谷の洞窟で見つかった最古の完全な人骨「チェダーマン」。先ごろ、ロンドン自然史博物館とロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)の研究チームによって、9000年前に生きていた「チェダーマン」の容姿が復元された。

復元のカギとなったのは、人骨から採取されたDNAの「かけら」。英ガーディアンによると、頭蓋骨に開けた2ミリの穴から骨粉が採取され、完全なゲノムを抽出できた。それを手がかりに現代のチェダー住民のゲノムを照らし合わせながら、復元にこぎつけたという。

現代イギリス人とはかけ離れたイメージ

復元されたイメージについて複数の欧米メディアは「旧石器時代のアフリカ人の傾向が強かった」と報じている。特に、青い瞳と浅黒い肌の組み合わせに注目しており、「(その組み合わせは)想像できないものではないが、現代では非常に珍しい」と同博物館の人類進化研究室に所属するクリス・ストリンガー教授は指摘する。

(今回発表された、チェダーマンの復元イメージ)


「チェダーマン」が発見されたのは1903年のこと。身長165センチメートルの10本の良い歯を持つ男性で、20代前半で死亡。彼らの部族は動物の皮で作ったテントに住み、狩猟犬と弓矢を使いシカやイノシシを獲りながら生活していたことがわかっていた。

容姿についてもこれまでの見解では、瞳は茶色く肌は白いものだとされていたため、今回の研究結果で大きく覆された。ストリンガーらによると、一般的に理解されている人種は、歴史的観点から言うと「最近のもの」に過ぎず、欧米人の肌が白くなったのはごく最近のことだと示唆された。

      

英テレグラフによると、今から1万〜8000年前のグレートブリテン島と大陸とが陸続きだった最終氷河期に、現在のグレートブリテン島南東部に存在していたと考えられているドッガーランドは、激しい気候変動のために水没してしまった。しかし、およそ1万2000人の祖先が生き残り、そのDNAはほとんどの現代イギリス人の遺伝子のうち約10%を構成していると考えられる。UCLのヨアン・ディークマン研究員は、「イギリス人は白い肌であるべきという概念は不変の事実ではない」と説明する。「これまで変わってきたものだし、この先も変わっていくだろう」
http://www.asyura2.com/17/kokusai21/msg/803.html


126. 中川隆[-5642] koaQ7Jey 2018年2月12日 14:01:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

西洋民主主義はペストによって生まれた

ペストで人口が半分に減り労働者の地位が向上し、労働者の権利という概念が生まれた
引用:https://pearrlsdotcom.files.wordpress.com/2013/12/dance-of-the-dead.jpg

民主化しないと生き残れなかった

欧米いわゆる西洋諸国は民主的で、ほかの国々は民主的ではないと言われている。

ではその民主主義はいつ、どのように誕生したかは諸説あって統一されていません。

ある人は古代ギリシャで民主主義が生まれ、西洋諸国はその子孫だから民主的なのだと説明している。


だがギリシャ文明の子孫だったローマでは皇帝ネロのように、今日の北朝鮮のほうがマシなほど酷い時代もあった。

西欧諸国がはっきりと民主主義を目指し始めるのは西暦1300年以降で、1600年代以降には他の世界と違った民主世界に進んでいた。

その頃に起きていたのがペストなどの大流行で、人口の過半数がなくなった国もあった。


例えて言えば今の日本で突然原因不明の病気が流行し、6500万人がなくなったとしたら、国が滅びるほどの大変動が起きるでしょう。

1300年代からユーラシア大陸各地で伝染病が大流行するが、原因はこの頃大陸を統一したモンゴル帝国だと言われている。

帝国の版図は朝鮮からインド、欧州まで接していて、しかもモンゴル人は不潔だったため伝染病を撒き散らした。


ペストを欧州に運んできたのもモンゴル軍で、モンゴル軍との戦いよりもペストに破れた。

さて人口が半分になった欧州はさぞ経済的に困窮したかと思いきや、生き残った人達は大金持ちになりました。

人口が減っても資産は減らないので、生き残った人は土地やお金や家畜などをより多く相続し、繁栄の時代を迎えます。


人口が半減した世界では機械が必要になり、ルネサンスから産業革命に至る
kappan-insatu
引用:http://www.y-history.net/gazo/0902/kappan-insatu.gif

理念や理想で民主化は起きない

人口が少ないので機械化が始まり、少ない人数でより多く生産するために、社会活動の効率化が起こりました。

例えば今まで10人居た農場の労働者が5人しかいなくなり、地主は労働者に2倍の賃金を支払うようになりました。

これが「労働市場」「雇用市場」の始まりで、労働者=市民の権利が強くなりました。


欧州諸国は地続きなので、労働者は気に入らなければ歩いて隣の国に移動し、より良い条件の農場で働きました。

王や地主は労働者自身に決定権を与えたり、労働条件を改善したり、労働者と条件を話し合う必要が生じました。

労働者の代表である議員で身分制議会をつくり、王や地主と交渉するようになったのは、こうした理由からでした。


このように労働者の不満を緩和しなければ、労働者が出て行ってしまうからであり、好きでやっていた訳ではない。

議会政治を始めてみたら今までの封建制度より遥かに経済が発展し、大航海時代からやがて産業革命が起きました。

社会が効率化され経済が発展したので、より多くの需要が発生し、物欲を満たすために世界に飛び出しました。


西洋世界は巨大化した物欲を満たすために植民地をつくり略奪をはじめ、世界は暗黒時代に突入します。

やがて植民地アメリカは移住した欧州人が自前の民主国家をつくり、欧州を超える経済成長を実現しました。

このアメリカの民主主義も最初は労働者不足からであり、その理由はコロンブスらが北米原住民を滅ぼしたからでした。


南米では先住民を生かしておいて強制労働させたのに対し、北米では3000万人から5000万人の先住民を「利用価値なし」として滅ぼしました。

労働者が不足したのでアフリカから強制移住させ、それでも労働者が足りないので、ここで民主化が起こりました。

西欧諸国と同じく、労働条件が悪ければ労働者は歩いて隣りの農場に移動し、もっと良い条件で働きました。


西欧でも北米でも民主主義が始まったきっかけは極端な労働者不足であり、高尚な理念とかは関係ありません。
http://www.thutmosev.com/archives/74877010.html


127. 中川隆[-5639] koaQ7Jey 2018年2月15日 21:45:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ある日どこかで Somewhere in Time ユニバーサル・ピクチャーズ 1980年10月


ある日どこかで|動画
http://video.fc2.com/content/20130303RdtBBcQS/&otag=1&tk=T0RNMk5qWTVOVGc9&start=2014.677
http://video.fc2.com/flv2.swf?i=20130303RdtBBcQS&d=6194&movie_stop=off&no_progressive=1&otag=1&sj=7&rel=1&tk=T0RNMk5qWTVOVGc9
http://yume551.com/foreignfilm/33800.html


ある日どこかで Somewhere in Time ユニバーサル・ピクチャーズ 1980年10月

監督 ヤノット・シュワルツ
原作 リチャード・マシスン
音楽 ジョン・バリー

出演者
クリストファー・リーヴ
ジェーン・シーモア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%8B%E6%97%A5%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%81%A7


 映画ファンなら分かると思うが、偶然、何の気なしに観た映画が、いつまでも心に残るということが“たま”にある。ジェイン・シーモア(Jane Seymour)とクリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)が共演した『ある日どこかで(Somewhere in Time)』がまさしくそうだ。公開当時、この映画は余り注目されず、興行収益も良くなかったので、ひっそりとロード・ショーを終えていた作品と言えよう。もちろん日本でも公開されたが、人気を博したという評判は聞いたことがない。ところが、しばらく経ってから、『ある日どこかで』は後々まで語り継がれる名作となった。理由は後回しにして、まずはこの意外なヒット作のストーリーを簡単に述べてみたい。

Somewhere in Times 4Somewhere in Times 13(左: コリアーとエリーズ / 右: 亡くなる寸前のエリーズ)

  時は、1972年。脚本家志望のリチャード・コリアー(クリストファー・リーヴ)は、ミルフィールド大学で自分の処女作を上演してもらった。その後、彼の成功を讃えるパーティーが開かれたのだが、彼はある奇妙な出逢いを経験する。友人らと楽しく会話を交わすコリアー。ところが、ホールの片隅で自分をを見つめる一人の上品な老女に気づく。彼女はリチャードの方に歩み寄り、「帰ってきて(Come back to me !)」という言葉をかける。すると、持っていた懐中時計を彼の手に包み込むよう手渡した。彼女は他に何か言いたそうだったが、そのまま無言で立ち去って行く。奇妙な事に、会場の人々は誰一人として彼女の素性を知らなかった。一方、グランドホテルの自室に戻った老女は、リチャードの書いた脚本を胸に抱き、思い出の曲を聴きながら、その夜、眠るように息を引き取った。


  八年後の1980年、脚本家となったリチャードは、仕事と私生活に行き詰まり、原稿を求める編集者から逃げるようにして車で旅に出る。ドライブの途中、彼は通りかかったグランド・ホテルに目が止まり、吸い寄せられるようにそこに宿泊することにした。チェックインを終えたリチャードは、偶然にも、ホテル内にある歴史の資料室に辿り着く。好奇心をそそられて中に入ったリチャードは、ふと背後に熱い視線を感じた。何事かと後ろを振り向くと、そこには若くて美しい女性の写真が掛かっている。ところが、名札が外されており、誰だか判らない。それでも、そこホテルには「アーサー」というベテランの係員がいたので、リチャードは彼に尋ねてみることにした。すると、温厚なアーサーは鄭重に答え、その貴婦人が昔、ホテルの劇場内で公演をした女優であると教えてくれたのである。


  「ひと目逢ったその日から、恋の炎が燃え盛り・・・」と俗に言うが、「一目惚れ」は洋の東西を問わない。謎の美人女優を目にしたリチャードは、彼女のことが常に頭から離れない。夜になっても寝つけないくらいだから、恋の病は重症だ。そこで、悩めるリチャードは、彼女について調べることにした。調査の結果、写真の主は1912年頃に活躍した、人気女優エリーズ・マッケナ(ジェイン・シーモア)であると判明した。しかし、彼女は1912年以降活動を止めていた。どうも腑に落ちない。ということで、彼はエリーズの附き人であったローラに話を聞きに行く。すると、リチャードは彼女が1972年の夜に亡くなっていたことを知るのであった。

Mackinac Island Grand HotelSomewhere in Time 9
(左: グランド・ホテル / 右: エリーズの写真を発見したコリアー )

  リチャードは更に調査を進め行く。意外なことに、エリーズの愛読書は『時の流れを超えて』であったのだ。この本はリチャードに哲学を教えた恩師の著作である。この発見で、リチャードは彼女が口にした「帰ってきて」の意味を知ることができた。熱い思いに揺さぶられた作家の好奇心は留まる事を知らず、リチャードは再び別の発見に驚く。ホテルの宿泊名簿をめくると、そこに自分の名前が載っていたのだ。彼は1912年に今いるホテルに泊まっていたのである。つまり、あり得ないが、タイム・トラベルをしていたという事だ。さっそく、リチャードは時間旅行を研究するフィニー教授のもとを訪ねた。これまでの経緯を話し、どうしたものかと相談したところ、自己催眠の術があるという。教授曰わく、「現代の所持品を捨て、行きたい時代の品物を身に付けなさい」と。さすれば催眠術をかけて過去に遡れるというのだ。そこで早速、リチャードは1912年の頃に作られたスーツを着込み、当時の硬貨と懐中時計をポケットに忍ばせ、ホテルの一室で自分に催眠術をかけてみた。

  すると信じられない事だが、リチャードは1912年の時代にタイム・トラベルを果たす事が出来たのである。グランド・ホテルの直ぐ近くには、穏やかな波がうねる湖が広がり、その浜辺には並木道が延びている。柔らかな陽射しが降り注ぐ中、憧れの女性は木々の間に佇み、蒼く澄みきった風景を眺めていた。リチャードはゆっくりとエリーズの方へと近づく。エリーズは初対面の青年に気付くと、思わず「あなたなの?」と口にしてしまった。どうしてこんな言葉を口ずさんだのか、彼女にも分からないが、自然と出てしまったようである。エリーズは意表を突かれるが、まるで目の前に現れるのを予感していたかのような口調だった。

Christopher Plummer 3Somewhere in Times 8
(左: クリストファー・ムランマー / 右: コリアーに出逢ったエリーズ )

  しかし、マネージャーのウィリアム・ロビンソン(クリストファー・プランマー)は、二人の出逢いを快く思っていなかった。彼はエリーズにこう予告していた。「ある男性が現れ、君の人生を変える」、と。その運命的男性こそがリチャードであった。まさしく、この予言を成就するかのように、リチャードはエリーズの人生を変えるこになる。ロビンソンはエリーズに張り付き、この“不吉な男”との接触を妨げようとする。が、彼女は分かっていながらそれを無視。リチャードを伴って馬車に乗り込み、つかの間のデートに出掛けてしまうのだ。浜辺で逢い引きを楽しむ二人は互いの胸中を探ろうとする。リチャードはエリーゼに“あの”言葉を発した真意を尋ねた。しかし、それは彼女にも解らない。ただ、直感的に「運命の相手」と判ったようなのだ。

Somewhere in Times 14Somewhere in Times 15
(左: 舞台に立つエリーズ / 右: マネージャーのロビンソンとエリーズ )

  エリーズとの仲を深めたリチャードは、ホテルで上演される舞台を見ることにした。彼は劇場の観客席に坐り、主役の出番を待つ。すると、舞台に華やかな主演女優が現れた。エリーズは貴婦人の役を演じ、傍らにはメイド役の女優が立っている。このメイドはお嬢様に親が決めたフィアンセについて尋ねた。しかし、貴婦人は意気銷沈の様子。というのも、彼女の求婚相手は失望するような容姿で、彼女が嬉しいのは「婚約者の不在」であるそうだ。この発言を聞いて観客は笑い出す。間合いを見計らって、エリーズは演技を続ける。ところが、彼女は脚本に無い台詞を喋り出すのだ。突然の独演にメイド役の女優は戸惑う。これには舞台の前に隠れている脚本家もビックリ。さらに、舞台の袖で見ていたロビンソンも驚く。彼は唖然として、椅子から立ち上がってしまう。だが、舞台の上で演技を披露するエリーズは冷静だった。それどころか、とても演技とは思えぬ台詞を口にしたのだ。彼女は観客席の中央にいるリチャードに向かって話しかけ、独りで「夢に現れた男性」について語り始める。観客には謎でも、リチャードだけには分かっていた。エリーズは自分の気持ちを告白していたのだ。喜びで胸が高鳴り、瞳を輝かせながら恋心を伝えようとする彼女の姿は何とも美しい。こうして架空の恋人について話し終えると、彼女は元の脚本に戻った。

Somewhere in Times 3Somewhere in Times 5
(写真 / 逢い引きするコリアートウリーズ )

  恋愛という感情は、引き裂かれようとすればするほど、強く結びつくようだ。相思相愛の二人には周りが見えない。ロビンソンはエリーズの才能と美貌を惜しんだ。彼女は絶対スターになれる、と確信していたのだ。しかし、この資質もリチャード出現により危うくなる。確かに、この青年は魅力的だ。エリーズも心底惚れている。だが、もし、彼女がリチャードを失う破目になったら、未来のスターは傷つき、脆くも壊れて行くだろう。エリーズの女優生命を危惧したロビンソンは、リチャードを痛めつけ、無理矢理にでも彼女と別れさせようとする。翌日、ホテルでの公演も終了となり、劇団一行は次の場所へと移ることになった。予想もしない暴行を受け、意識を失っていたリチャードは、ようやく正気を取り戻し、エリーズの部屋をノックするが、時既に遅かった。意気銷沈するリチャードは、ホテルのポーチでうずくまっている。

  ところが、エリーズは仲間と一緒に立ち去ってはいなかった。丘の上に建つホテルでリチャードが落ち込んでいると、階下の庭園にエリーズが現れたのだ。恋人を見つけた彼女は、大声でリチャードに呼びかける。この瞬間、リチャードの全身に魂が蘇った。稲妻に打たれたかのように反応し、彼は全速力でホテルの階段を駆け下りる。彼は階段を上ってくるエリーズをしっかりと抱き寄せた。そして、エリーズも彼の胸に飛び込む。二人は現実を確認するかのように口づけを交わしていた。エリーズはロビンソンに背き、リチャードとの生活を選んだのである。さっきまで幽霊の如くうなだれていたリチャードとは別人のようだ。二人はホテルの一室で食事を共にし、失いかけた愛を育む。しかし、彼らを待ち受ける運命は残酷だった。

Somewhere in Time 1(左 / ホテルの一室で食事を取るシーン)

  エリーズはこれからの生活に胸を弾ませる。そして、リチャードに新しいスーツも買ってあげようかと提案した。しかし、リチャードは流行遅れでも、その背広を結構気に入っている。彼女の前でおどけるリチャードは、ジャケットを羽織り、何気なくチョッキのポケットに入っていたコインを取り出す。ところが、その硬貨には1979年の刻印が・・・。これは致命的な誤りであった。手にしてはならない禁断の所持品である。リチャードは幸せの絶頂から、絶望の淵へと突き落とされてしまう。一瞬にして彼の目の前が暗くなり、悲鳴を上げるエリーズの顔が小さく消えて行くのだ。「リチャード !」と絶叫する彼女の声が非常に哀しい。

Somewhere in Times 10(写真 / 天国で再会する二人)

  1980年の現代に戻ったリチャードは青ざめる。悪夢以上の悪夢である。彼は再びエリーズの時代に戻ろうとした。古い硬貨を握りしめ、必死になって過去に遡ろうとする。しかし、何度やってもタイム・トラベルができない。どんなに意識を集中させても、目を開ければ現在のまま。それでも諦めずに、再び瞼を閉じる。だが、愛する女性は現れない。彼の瞳に映るのは空虚な部屋の風景ばかり。リチャードは心臓が引きちぎれるほど苦しむ。憔悴しきった青年は、食事を取ることもできず、絶望に打ちひしがれるだけである。彼は生きる屍(しかばね)に等しかった。心臓を動かす理由を失ったリチャードは、徐々に瀕死の状態へと陥り、ついに命の炎が尽きた。こうして、リチャードは再び旅に出る事になった。だが、二度と戻ることのない「永遠の旅に」である。だが、そこには手を差し延べるエリーズがいた。リチャードは彼女の手を握りしめる。今度は決して離さない。そんな言葉が聞こえそうなシーンで幕は閉じる。

懐かしいアメリカを舞台にした映画

Richard Matheson 1Jeannot Szwarc 1(左: リチャード・マセソン / 右: ヤノット・シュワルツ)

  今では根強い人気を誇る“クラッシック映画”であるが、企画が持ち上がった当時、『ある日どこかで』というロング・セラーは、たった400万ドルの予算しかないB級映画であった。この映像はリチャード・マセソン(Richard Matheson)の小説『Bid Time Return』が原作となっており、後に売れっ子監督となるヤノット・シュワルツ(Jeannot Szwarc)に任される事となった。彼は大ヒット映画の『ジョーズ』や数々のTVドラマを手掛けている。例えば、日本でも知られているTVシリーズの『トワイライト・ゾーン』、『JAG』、『ボーンズ(Bones)』、『グレイズ・アナトミー』、『コールド・ケース』、『キャッスル(Castle)』、『ヒーローズ(Heroes)』などが挙げられる。

Jane Seymour 7Jane Seymour at Grand HotelJane Seymour 5
(中央: 「グランド・ホテル」を再訪したジェイン・シーモア )

  映画というのは、必ずしも公開当時に「傑作」となる訳ではない。この低予算映画は批評家から散々な評価を下され、興行収益も僅か970万ドルと惨敗だった。ところが、ケーブル・テレビで放送されるや、視聴者に気に入られ、その評価は燎原の火の如く全国に広がったという。公開20周年を迎えた2000年には、出演者のジェイン・シーモアと車椅子のクリストファー・リーヴスが観客の前に現れた。2002年には映画の舞台となったグランド・ホテルにファンが集まり、ゲストに招かれたジェイン・シーモアが大歓迎を受けたのである。『ある日どこかで』を喜んだのは、配給元のユニヴァーサル・ピクチャーだけではなく、撮影現場となったマケッナ・アイランド(Mackinac Island)も来客万歳で大はしゃぎ。映画の撮影が行われたグランド・ホテルは観光の目玉となり、多くの見物客で賑わっている。この観光地はミシガン州のヒューロン湖に浮かぶ島で、低予算映画の恩恵を最も受けている場所と言えよう。大学教授の経済予測と同じく、映画批評家の判断は本当に的外れだ。

Mackinac Island 3Mackinac Island 5
(写真 / マケッナ・アイランドの風景 )

  それにしても、なぜ件(くだん)のB級映画がヒット作に豹変したのか? それは上品な恋愛物語だからかも知れない。第一、時代背景が良い。原作の小説だと、二人の出逢いは1896年のカルフォルニアであった。ところが、実写版では1912年のミシガン州マッケナ・アイランドとなっている。それでも、古き良きアメリカに違いなく、人々に「慎ましさ」と「謙虚さ」があった。現代の恋愛ドラマだと、女性が女性らしからぬ行為を平然と行い、男性でも恥ずかしくなる演技を披露している。例えば、以前紹介したTVドラマ『アフェアー/ 情事の行方(The Affair)』を観れば分かるだろう。イギリス人女優のルース・ウィルソン(Ruth Wilson)が、主役の「アリソン」を演じているが、彼女の不貞行為はしょうがないとしても、湖の波打ち際にしゃがみ込んで小便をするシーンなんか下品そのものだ。プロデューサーのサラ・トリーム(Sara Treem)とハガイ・レヴィー(Hagai Levi)は、こうしたシーンを挿入することで、ドラマの“リアリティー”を演出しているのだろうが、観ている方からすればカットしてもらいたい場面である。その他、アリソンに興奮する知人の中年男性が、彼女の前で勃起するシーンもあったけど、これだって吐きたくなるほど醜い。まったく、サラとハガイのユダヤ人コンビは、どんな躾を受けてきたのか? 世俗的なユダヤ人家庭には、道徳や品格を無視する親が多い。娘が左翼活動家になっても気にしないし、却って応援したりするから呆れてしまう。保守的な西歐系アメリカ人がユダヤ人を嫌ったのも分かるような気がする。

  公開当時、『ある日どこかで』が世間の話題にならなかったのは、批評家の感想が否定的であったからだ。試写会で作品を吟味した連中は、映画のキャスティングに文句をつけていた。酷評の的になったのは、クリストファー・リーヴである。映画評論家によれば、彼のムキムキな体が「脚本家らしくない」とのことであった。確かに、「スーパーマン」を演じたリーヴ氏の体は筋肉質で、背広を着ていてもその分厚い胸板が判ってしまう。デスク・ワークが中心の作家が、格闘家みたいな体じゃ違和感が拭えない。文系人間なら、もう少し華奢じゃなきゃ。したがって、銀幕で作品を鑑賞している観客は、“つい”赤いマントを羽織ったクラーク・ケントを思い浮かべてしまうのだ。

Christopher Reeve 2Christopher Reeve 1Christopher Reeve 4
( 写真 / クリストファー・リーヴ)

  しかし、リーヴ氏が固定化したスーパーマンのイメージを払拭したかったのも分かる。彼がSFヒーローとはかけ離れたキャラクターを演じたかったのも無理はない。スティーヴン・セガールはどの映画に出ても、無敵の格闘家しか想像できないし、高倉健も寡黙な男しか要求されなかったのだ。生前、健さんは様々な役をこなすロバート・デ・ニーロに憧れていたという。デ・ニーロは犯罪サスペンスからラブ・コメディーまで見事に演じることが出来たけど、高倉健に志村けんみたいな喜劇役者は似合わない。田村正和も同じで、刑事や犯人、社長、部長、あるいは武士とか浮浪者に至るまで、どんな役があてがわれてもクールでハンサムな「田村正和」のままなのだ。田村氏とよく共演していた橋爪功の方が、色々な役に馴染んでいた。まぁ、田村氏のファンは彼の姿を観ることが第一目的なんだから、もし、監督が二枚目を相殺する役を与えたら田村氏を主役にする意味が無い。冴えない中年のオッサン役ならカンニング竹山で充分だ。『猫タクシー』の竹山は最高だった。

James Spader 8Andrew McCArthy 2Kevin Costner 3Simon Baker 1
(左: ジェイムズ・スペイダー / アンドリュー・マッカーシー / ケヴィン・コスナー / 右: サイモン・ベイカー)

  映画の成功を左右する鍵となるのは、何と言っても脚本と配役である。いくら脚本が良くてもキャスティングがミスマッチだと、映画の魅力が半減してしまうからだ。劇の主人公が若い脚本家なら、マッチョなクリストファー・リーヴではなく、『セックスと嘘とビデオテープ』で主演を果たした「若い頃」のジェイムズ・スペイダー(James Spader)とか、『プリティー・イン・ピンク』のアンドリュー・マッカーシー(Andrew McCarthy)、TVドラマ『メンタリスト』で一躍人気者となったサイモン・ベイカー(Simon Baker)、日本でも有名なケヴィン・コスナー(Kevin Costner)といった俳優を起用すれば良かった。こうした役者なら繊細さを兼ね備えた青年を見事に演じることが出来たはずだ。クリストファー・リーヴとは対照的に、「ロビンソン」を演じたクリストファー・プランマーは素晴らしかった。不吉な予感に懸念を示すマネージャー役が板に附いている。こういう脇役がいると、人間模様に“明暗”が現れ、作品全体に締まりが出てくる。

  恋愛ドラマで「肝」となるのは、主人公を演じる俳優の質である。やはり、主役を張る女優に存在感と美貌が無いと映画に魅力が出てこない。監督の個人的人脈やマイノリティに媚びた人選を行ってしまうと、いくら脚本が良くても作品自体が台無しになってしまう。舞台女優を演じるジェイン・シーモアは本当に華やかだった。映画の中で、彼女のポートレイトを撮影するシーンがあるけど、カメラに向けた表情が実にいい。コリアーを目にして微笑む瞬間をカメラマンが捕らえ、素早くシャッターを押したから“例”の写真ができたのだ。未来のコリアーが資料室で目にした写真は、この時撮影されたものである。映画制作者の持論は色々あると思うけど、憧れの女性はやはり美人でなきゃ印象に残らない。多民族主義を広めたいハリウッドのプロデューサーも、TVドラマの主演女優を決める時は、それなりにインパクトのある白人女優を選ぶそうだ。特に、恋愛ドラマの主役に、無理やり黒人やアジア人を起用すると、シーズン2どころかシーズン1の途中で打ち切りとなる危険性があるらしい。アメリカのテレビ業界は非常にシビアで、当初13話か24話くらい予定された番組でも、視聴率が悪いと、数回でキャンセルとなるそうだ。例えば、FOXテレビが制作した『アンカーウーマン』は、たった2回放送されただけで打ち切り。余りにも視聴率が悪すぎたからである。主役のローレン・ジョーンズ(Loren Jones)はモデル上がりの女優で、一本立ちを狙っていたのに、結果は没落の切っ掛けになってしまったんだから、女優の人生とは分からないものである。

Dakota Johnson 2Dakota Johnson 5(写真 / ダコタ・ジョンソンとジェイミー・ドーナン )
  『ある日どこかで』は複雑怪奇なストーリーではなく、写真の女優に惚れた青年がタイム・トラベルを通して過去に遡り、憧れの女性に逢うという単純な恋愛物語だ。しかし、そこが人々に“ウケ”たのであろう。最近のハリウッド映画はネタが尽きたのか、やたらと奇抜な出逢いを設定し、異常なセックスシーンを盛り込んで話題とするようだ。例えば、英国を中心として前評判の高かった『フィフティー・シェイズ・オブ・グレイ(Fifty Shades of Grey)』は、美人女優のダコタ・ジョンソンと実力派のジェイミー・ドーナンを採用し、過激な性描写にBDSMを混ぜる始末。ちなみに、「BDSM」とは「縛る(Bondage)」「服従させる(Discipline)」「サド・マゾ(Sadism & Masochism)」の略である。( 詳しくは、昭和のエロ事師、村西とおる監督にでも訊いてくれ。)

Diane Lane 11Diane Lane 8
(写真 / ダイアン・レイントアレック・ボールドウィン)

  一方、温厚なラブ・ロマンス映画でも退屈な作品が多く、有名な俳優をキャスティングしただけの駄作が結構ある。例えば、ダイアン・レイン(Diane Lane)とアレック・ボールドウィン(Alec Baldwin)が共演した『ボンジュール、アン(Paris Can Wait)』は、凡庸な筋書きで、これといった魅力は無い。既婚のアメリカ人女性がフランスを訪れ、フランス人男性(Arnaud Viard)とロマンティックな時間を過ごすという内容で、印象に残らない作品である。ちなみに、この映画を手掛けたのは、名監督フランシス・フォード・コッポラの夫人、エレノア・コッポラ監督である。ブラッドリー・クーパー(Bradley Cooper)とエマ・ストーン(Emma Stone)が共演した『ALOHA』も、劇場に足を運ぶほどの映画じゃなくて、看板俳優だけが目立つだけの作品だ。この映画は軍需産業に勤めるクーパーと空軍士官のストーンが織り成す恋愛を描いたコメディーだけど、内容は至って平凡で、共演者を有名人で固めただけ、という感じが否めない。空軍将校役にアレック・ボールドウィンを起用し、クーパーの元恋人役にレイチェル・マクアダムズ(Rachel McAdams)を添えている。また、『ゴースト・バスターズ』で人気者となった懐かしいビル・マレー(Bill Murray)も出演していて、ハワイの不動産業者で大富豪のカーソン・ウェルチを演じているが、いまいち魅力に欠ける映画であることは間違いない。案の定、日本公開は無し。ただし、インターネットでなら観ることができる。要するに、銀幕で観るほどの作品じゃないということだ。

Bradley Cooper 1Emma Stone 4Rachel McAdams 1Bill Murray 1
(左: ブラッドリー・クーパー / エマ・ストーン / レイチェル・マクアダムズ / 右: ビル・マレー )

  『ある日どこかで』はシンプルで悲劇的な最後を迎える物語であるが、登場人物の内面を丁寧に描いていたから、観客が感動したのだと言えよう。現在のハリウッド映画は、脚本を良質にするより、CG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使して映像を派手にしたり、様々な人種を登庸して大勢の人々を動員することばかり考えている。配給会社の意を受けた制作者は、西歐系俳優ばかだと「白」過ぎるから、黒や茶色、黄色の役者も適当に混ぜなくちゃ、と配慮しているのだ。しかし、こんな下心が見え見えの作品じゃウンザリする。ハリウッド映画の衰退は、多民族主義と過度な商業主義にあるのかも知れない。我々だって、お金儲けの娯楽作品と分かっているが、もうちょっと「まし」にならないのか? 日本人としては、アメリカらしいアメリカ映画を観たい訳で、国籍不明のグローバル映画なんか観たくない。アメリカ人だって日本らしい日本画にだけ興味を示すじゃないか。米国市場に売り込むため、無理矢理、支那人やアラブ人、アフリカ人を混ぜ込んだ時代劇を作っても、アメリカ人はおろか日本人だって観ないだろう。日本が舞台の映画なのに、我々が観たら「えっ、どこの街なの? 香港かなぁ? それともマレーシア?」なんて作品じゃ嫌だよねぇ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68695470.html
  


128. 中川隆[-5511] koaQ7Jey 2018年3月23日 19:14:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8628]


2018年03月23日
ララ・クロフトの素性はどこにあるのか? / スウェーデンにおけるジプシー
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html

二番煎じのシリーズ映画
Alicia Vikander 10Alicia Vikander 3
(写真 / 「ララ・クロフト」を演じたアリシア・ヴィキャンデル)

  ハリウッドは新しいネタ不足なのか、やたらとヒット作のシリーズ化やスピン・オフの制作、リメイク版での再稼働で儲けることばかり考えている。ディズニー社は映画『スター・ウォーズ』を3セットの三部作で終わらせず、アニメ化やスピン・オフ作品を展開させ、向こう百年先まで稼ぐつもりだ。マーヴェル・コミックを原作としたヒーロー映画も同じで、キャプテン・アメリカやスーパーマン、アイアンマン、ワンダーウーマン、超人ハルク、マイティー・ソーなどはバラ売りされたり、セット商品として利用され、配給会社のドル箱になっている。

Angelina Jolie 22(左 / アンジェリーナ・ジョリー )
  今年公開された『トゥーム・レイダー / ファーストミッション(Tomb Raider)』も、アンジェリーナ・ジョリー主演でヒットした『ララ・クロフト / トゥーム・レイダー(Lara Croft : Tomb Raider)』の改新版(reboot)である。2001年の第一作と2003年の続編はパラマウントが配給会社となっていたが、同じタイトルでも2018年度版はワーナーブラザーズへと変わっていた。そして主人公の「ララ・クロフト」役もアンジェリーナ・ジョリーから、スウェーデン出身女優のアリシア・ヴィキャンデル(Alicia Vikander)に交替している。同じシリーズでも役者が変わると、批評家と観客の賛否が分かれ、「以前の女優の方が良かった」とか、「今度の役者も中々いい」、「主役が代わっても同じだ」など、意見が様々だ。

Tobey Maguire 6Andrew Garfield 2Tom Holland 1

(左: トビー・マグワイアー / 中央: アンドリュー・ガーフィールド / 右: トム・ホランド )

  シリーズ物で観客の意見が割れるのは珍しくない。例えば、映画『スパイダーマン』では主役のピーター・パーカー役がトビー・マグワイアー(Tobey Maguire)からアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)、トム・ホランド(Tom Holland)に替わっていたし、映画『バットマン』になると、一作ごとに主役が替わっていたのだ。最初は、マイケル・キートン(Michael Keaton)で、次がヴァル・キルマー(Val Kilmer)、三番目がジョージ・クルーニー(George Clooney)で、その後にクリスチャン・ベール(Christian Bale)が起用されて、やっと落ち着いたという感じである。007シリーズは今のところダニエル・クレイグ(Daniel Craig)で続行しそうだ。

Michael Keaton 2Val Kilmer 1George Clooney 1Christian Bale 11


( 左: マイケル・キートン / ウァル・キルマー / ジョージ・クルーニー / 右: クリスチャン・ベール )

  役者を変えて失敗した例も幾つかある。有名なのは『ターミネーター』シリーズだ。アーノルド・シュワルツネッガーがカルフォルニア州知事になってしまったので仕方がないが、第4作目でサム・ワーシントン(Sam Worthington)が「ターミネーター」役になったが、これといったインパクトが無く凡庸な作品となってしまった。そして、第5作目でシュワルツネッガー復帰となった訳だが、残念ながら脚本が殊のほか酷く、見るに堪えない代物だ。筆者も期待を膨らませて劇場に足を運んだが、肩すかしを食らったような気分だった。だいいち、初老のターミネーターなんて冗談みたいな設定である。蛇足だが、「ジョン・コナー」役の交替も酷かった。名作の「T-2」ではエドワード・ファーロング(Edward Furlong)が好評だったのに、続編の「T-3」ではニック・ストール(Nick Stahl)が演じることとなり、ファンは「えぇ〜ぇ、何これ?」と唖然としたものだった。ニックには悪いが、美少年が数年後に劣化したという感じが否めなかった。誰か別の二代目が見つからなかったのか、と疑問に思う。

Arnold Schwarznegger 1Sam Worthington 1Edward Furlong 4Nick Stahl 3


(左: アーノルド・シュワルツネッガー / サム・ワーシントン / エドワード・ファーロング / 右: ニック・ストール )

  その他にも主役を変えて駄目になった作品は多い。例えば、人気TVドラマの『24』である。このシリーズはキーファー・サザーランド(Kiefer Sutherland)が「ジャック・バウアー」を務めるから成り立つ作品なのに、スピン・オフのような『24 Legacy』では、事もあろうに黒人俳優のコリー・ホーキンズ(Corey Hawkins)を主役に抜擢してしまったのだ。制作陣は「ジャック・バウアー」の代理を黒人俳優にしてヒットするとでも思ったのだろうか? 筆者は最初から興味が無かったので観なかったが、案の定、日本でも米国でも人気沸騰とならず、シーズン1で打ち切りだ。まぁ、当然だろう。いくら凄い経歴のキャラクターに設定しようが、アフリカ系の「ジャック・バウアー」なんて、ブロンクスかデトロイトのチンピラ黒人を見ているようで不愉快だ。

Kiefer Sutherland 4Corey Hawkins 1

(左: キーファー・サザーランド / 右: コリー・ホーキンズ)

  脱線したので話を戻す。再始動となった『トゥーム・レイダー』の評価は微妙だ。「スリリングなアクション映画に仕上がっていて良かった」と褒める批評家もたいが、「まるで『インディアナ・ジョーンズ』シリーズの『失われたアーク』みたいだ」と酷評する観客もいたそうだ。筆者も予告編の宣伝映像を観たとき、「あれっ、何かハリソン・フォードのインディアナ・ジョーンズをパクった映画みたいじゃないか ?」と思ったものである。映画のストーリーは、主人公のララ・クロフトが亡き父の残したプロジェクトを引き継ぐという内容だ。彼女の父リチャード・クロフトは日本近海に浮かぶ「ヤマタイ島」を探っていた。(映画の中でララが広げた地図によると、「ヤマタイ島」は四国の近くにある。だが、日本人の我々には馴染みがない、というより聞いたことがない。) このミステリアスな島には、「ヒミコ」の墓があり、その石棺の中には世界を変える不思議な魔力が秘められているという。リチャードはこの謎を追っている途中で亡くなってしまったのだ。

  リチャードの娘ララは「クロフト・ホールディングズ」ビルを訪れ、父のビジネス・パートナーであるアナ・ミラーに会う。ララは父が遺した「カラクリ(karakuri)」という仕掛け箱を渡され、ルービック・キューブのように捻っていると、偶然その箱から写真と鍵を手にすることが出来たのである。彼女は「エンデュアランス」号の船長ルー・レン(Daniel Wu)を連れ、「ヤマタイ島」を目指す。(ここでも“やはり”人種的配慮を示し、アジア系男優をセッティングして、マイノリティー観客にアピールだ。本当に、イヤらしい胡麻スリである。) 彼女を待ち構えていたのは「トリニティー」という組織と、悪党のマティアス・ヴォーゲル(Walton Goggins)であった。驚いたことに、父のリチャードは生きていた。ヴォーゲルは捕まえたララにヒミコの墓暴きを命じる。しかし、日本の女王が眠る棺の中には、財宝といった素晴らしいものではなく、人間を一瞬にして殺してしまう恐ろしいウィルスだった。このウィルスを拡散させぬために、リチャードは自らの命と共に爆薬で破壊してしまうのだ。

Daniel Wu 2Harrison Ford 3


(左: ダニエル・ウー / 右: ハリソン・フォード)

  ララが墓の洞窟に侵入して色々な罠や仕掛けをかいくぐるシーンは、ハリソン・フォードが演じたインディアナ・ジョーンズとソックリだ。コンピューター・グラフィックスを駆使して豪華にしているが、肝心の脚本が凡庸なので、あまり感心するようなオリジナルティーは無い。「お決まり」のスリルと派手なアクションで画面を飾っているだけ。これならアメリカ人の観客が「なぁ〜んだ、この程度か !」と呆れてしまうのも無理はない。(もっとも、アメリカ人の観客はこういった単純明快なアクション映画が好きなので、もしかしたら続編も有り得る。) 映画の質はさておき、ヴィキャンデルの評価は高く、まあまあの好感度を得ている。アンジェリーナ・ジョリーほどのセクシーさを持っていないが、クラシカル・バレーをやっていただけのことはあって、均整の取れた肉体を持っていて素晴らしい。以外と「ララ・クロフト」役に合っているのかも知れない。

Alicia Vikander 14Alicia Vikander 12


(写真 / 地肌のアリシア・ヴィキャンデル)

  でも、一つだけ気になることがある。アリシア・ヴィキャンデルはスウェーデン出身なのに、どうも北歐人に見えない。どちらかというと南米に住むヨーロッパ系女優みたいだ。筆者は最初に彼女を目にしたとき、「あれっ、ペルーかブラジル出身のヨーロッパ系モデルかな?」と思ったほどである。彼女自身が認めている通り、その皮膚はユリのように白い肌というより、ちょっと日焼けした感じの小麦色であった。映画やドラマに出演しているときは、白粉を塗って色白にしているという。彼女の両親は共にスウェーデン人である。母親のマリアは女優で、父親のスヴァンテは精神科医であるそうだ。マリアの家系にはバルト系フィン人やドイツ人がいても基本的にはスウェーデン人であったし、スヴァンテの家系も代々スウェーデン人であるという。アリシアは対談番組の中で、どうして自分の肌が小麦色なのか不思議であると語っていた。彼女は「スウェーデン人がみんな色白なんて単なる先入観だわ」と述べていたが、たぶんそれは事実だろう。

異民族の血が混じっていたスウェーデン人

  人間の遺伝子というのは複雑怪奇で、生まれてきた子供は基本的に両親の面影を宿すが、祖父母の肉体を再現する場合もある。いわゆる「隔世遺伝」というのがあるから、両親とはちょっと違った容姿を持つ赤ん坊が生まれてしまうケースが稀にあるらしい。とりわけ、米国オハイオ州で生まれた双子のケースは刮目に値する。男の子のガブリエル(Ghabriael)は青い目と金髪を持って生まれたのに、女の子のトリニティー(Trinity)はくすんだ色の肌に、黒い瞳と黒い縮れ毛を持っていた。彼らの両親は異人種カップルで、父のチャールズ・カニンガム(Charles Cunningham)は黒人。一方、母のクリスティー(Khristi Cunningham)は白人女性だ。ただし、息子のガブリエルは白人でも顔附きはアフリカ人に近く、その金髪は縮れている。ABCテレビがこの家族を取材し、報道番組で支那系局員のジュージュー・チャンが紹介していた。この番組はいかにも極左放送局が作ったという内容で、人種平等のイデオロギーに凝り固まっている。

Cunningham, Ghabriael 1Cunningham, Trinity 1Cunningham twins


(左: ガブリエル・カニンガム / 中央: トリニティー・カニンガム / 右: 二人で一緒に撮影された写真 )

  もっと驚くのは、1955年に南アフリカで生まれたサンドラ・ラング(Sandra Laing)のケースである。彼女の父アブラハム・ラング(Abraham Laing)と母サニー(Sannie Laing)は共に白人で、彼女の弟はややくすんだ肌ではあるが「白人」と見なされたので差別されずに済んだ。興味深いことに、サンドラの祖父母や曾祖父母も白人であったのだ。ところが、彼女だけ黒人の肉体に生まれてしまったのである。サンドラの先祖に黒人はいないとの話だったが、もしかしたらムラート(mulatto / 白人と黒人との混血児)がいたのかも知れない。アフリカ系混血児と結婚する白人は、セックスで自分の容貌が変形・変色する訳じゃないから以外と無頓着だが、妊婦から生まれてくる赤ん坊には黒人の遺伝子が優性となる可能性が高いのだ。たとえ息子や娘に浅黒い子供が生まれなくても、孫や曾孫の代に黒い子供が誕生する虞(おそれ)がある。それにしても、数世代を経て黒人の遺伝子が子孫に現れてくるんだから、肉体を形成する塩基配列とは不思議なものだ。

Sandra Laing & her motherSandra Laing & brother & motherAbraham Laing 1


(左: サンドラ・ラングと母親のサニー / 中央: 母と弟と一緒に写っている幼い時のサンドラ / 右: 父親のアブラハム・ラング)

  アリシア・ヴィキャンデルは自分の血統について詳しくは知らない、と語っていたが、もしかしたら祖先の誰かに有色人種、もしくは非北歐系の混血児がいたのかも知れない。筆者は彼女のケースについて何も言えないが、スウェーデン国民の中にはジプシーの血が混ざっている人がいるので、数世代を経てアジア人的容貌を持つ人が現れたりする。つまり白人なんだけど、骨格とか人相、皮膚の点で北歐人らしからぬ人が居るということだ。日本人でもちょっとアフリカ人的な容貌を持つ人がいて、髪が太くて縮れていたりする。また、ある人はタイ人とかベトナム人みたいな顔附きなりで、友達からアジア系混血児と誤解されて憤慨したりすることもあるらしい。最近は、フィリピン人とかタイ人の母親を持つ幼稚園児が増えたので、従来の日本人とは違った子供が珍しくない。

Gypsies in SwedenGypsies 4

(写真 / ヨーロッパにやって来るジプシーたち )

  北歐人らしからぬ国民がなぜいるのか、という謎を解く鍵がスカンジナヴィアの歴史にある。実は、1512年頃にジプシーがスカンジナヴィア半島にやって来たのだ。スウェーデンの年代記『En Swensk Cröneka』によれば、大天使の聖ミカエルを祝う9月29日にエジプトの方から旅行者の一団が上陸し、彼らはアントニウス伯爵に伴う取り巻き連中であった。古文書の中では、「放浪者(zigeunae)」とか「タタール(tattare)」と呼ばれているが、要するにジプシーのことだ。人権屋が「ロマ」と呼ぶ浮浪者どもは、オリエントからやって来た野蛮人のように見えたから、誤って「タタール」と呼ばれてしまったのだろう。ジプシーの民族的起源は定かではないが、ある学説によるとインドから各地に散らばった流浪民らしい。現在、ジプシーはフランスとかブリテンにも住んでいるけど、元々はバルカン半島やアナトリア地方をうろついていた人々である。随行者としてスウェーデンにやって来たジプシーだが、現地人からは歓迎されなかったようで、1637年7月28日の勅令で、「タタール」の追放が決まったそうだ。そして、1914年から1954年の間、ジプシーのスウェーデン入国は禁止されていたのである。

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(左: 北歐系の女性 / 中央: ゲルマン人の子供 / 右: スカンジナヴィア系の男性 )

  ナチス・ドイツによる対ジプシー政策は悪名高いが、スウェーデンにも人種や民族に関する暗い過去がある。日本ではほとんど知られていないのだが、スウェーデン政府はジプシー達の個人情報を“こっそり”集め、違法なデータベースを作っていたのだ。この機密ファイルは2013年、スウェーデンの報道機関にリークされ、一般国民に知られるようになった。人種を基本にした最大のジプシー登録ファイルには、4029名の個人情報が記載され、そのうちの842名が10代の少年達で、52名が赤ん坊であったという。(Mattias Gardnell, "Sweden's dirty little secret", Open Democracy, 9 October 2013) 発覚当初、スウェーデンの警察当局はファイルの存在を否定したが、このデータベースの作成は通常行われる情報収集の一環であると、仄めかしたそうだ。まぁ、手癖の悪いジプシーによる犯罪は結構多いから、警察としては防犯対策と犯罪捜査を兼ねた極秘資料であったのだろう。

  ジプシーの入国が禁止されていた1920年代に、政府当局は残存していたジプシー達をどう扱うべきか頭を悩ませていたらしく、治安担当者はジプシーとスウェーデン人を統合することは無理と考え、彼らを「解決不可能な問題」と見なしていたそうだ。それゆえ、この問題を解決できるのはただ一つ、彼らをスウェーデンから追い出すことであった。政府当局者はジプシーの国内移住に制限を設け、勝手気ままに放浪できぬようにすることで、彼らがスウェーデンを“自主的”に去るよう仕向けたのである。ジプシーは自由を奪われることが嫌いで、好きな時に好きな事をする性分だから、スウェーデンが「居心地の悪い土地」になれば、自然と居なくなるという訳だ。

  それでも、国を去らずに居坐る者がいたので、スウェーデン政府は個別にジプシーを尋問し、一人一人に「Zナンバー」を割り振り、彼らの性格を詳しくファイルに書き留めたのである。例えば、Aというジプシーは「狡賢い」とか、「怠惰である」、「暴力的だ」などと記載したそうだ。ところが、このプロファイリングは単なる人別帳に留まらなかったから問題になった。というのも、当時は「優生学」が全盛期の時代だ。歐米諸国では何処でも健全な社会を目指していたから、少しでも社会の負担となる犯罪者や精神異常者、福祉依存者、厄介者を減らそうとしていた。その一環として「断種」という手段もあったのだ。学会では悪質な性格は遺伝すると考えられていたので、その「悪循環」を断ち切るためにも、あるタイプの女性たちに不妊手術を施していたのである。

Sweden women 2Gypsies 5

(左: スウェーデン人の女性たち / 右: ジプシーの親子)

  スウェーデン政府はジプシーを劣等民族と見なしていたので、彼らの悪質な特性が広まらぬよう、つまり彼らがスウェーデン社会で繁殖しないよう、ジプシー女性を掻き集め、「断種」に同意するよう強制したのだ。もし、彼女達が拒否すれば、その子供を取り上げて引き離すぞ、と脅したらしい。「Zファイル」に登録された賤民は、「国民」に属さなかったから、当然、スウェーデン国民の権利も無かった。1960年代半ばまで、ジプシーたちは完全な公民権を持たず、投票権も無かったらしい。参政権というのは正式な国家の成員に対して付与される特権だから、浮浪者のジプシーに渡すなど狂気の沙汰だ。現在では各方面から糾弾されているが、スウェーデン政府の方針は間違っていないと思う。

  しかし、人権団体や左翼活動家にとっては許しがたい暴挙だ。とりわけ、この「Z登録書」が非難されるのは、ナチスによるユダヤ人認定と似ていたからだろう。少なくとも1996年まで、「Zファイル」に登録されたジプシーは、血統的に「完全」「半分」「4分の1」と分類されていたそうだ。さらに、この登録書にはジプシーの評価も記されていたそうで、「単純な性格だが、まあまあ良い」とか「陽気だが、大した知能は無い」、「暗愚である」「知恵遅れ」といった観察結果が附け加えられていたという。でも、こうした人物評定は如何にも北歐のヨーロッパ人らしく、厳格なゲルマン人の精神科医とか文化人類学者、ないしは動物学者の鑑定を偲ばせる。歴史に無知なアメリカ人だと、正義漢ぶって高飛車に非難するが、第二次大戦前はアメリカ人も似たようなもので、優生学がアカデミック界で流行っており、断種強制も珍しくなかった。優生学や人類学に関する米国史を述べると長くなるので割愛するが、アメリカ人はドイツ人を糾弾できるほど清廉ではなかった。人種差別に関しては似たり寄ったりである。

ジプシーの母を持っていた喜劇王

  同種族が多数派の日本だと、「ジプシー」と聞いても、いまいちピンとこない。せいぜい、音楽や映画で耳にする程度なんじゃないか。例えば、日本の人気ロック・バンド「アンセム」が奏でる名曲「Gypsy Ways」とか、英国の「ディープ・パープル(Deep Purple)」でお馴染みの曲「The Gypsy」とかである。筆者はジプシーに関して二つ挙げたい。一つは子供の頃に観たアラン・ドロンの映画『ル・ジタン(Le Gitan)』である。日本ではあまり話題とならなかったが、ドロンがジプシーの血を引く犯罪者を演じており、世間から蔑まれる「よそ者」が妙に似合っていたのを覚えている。たぶん、ドロンにも人に隠しておきたい過去があったから、警察に追われる犯罪者で流浪民の「ジタン」を上手く演じることが出来たのだろう。単なる子供に過ぎなかった筆者だが、アラン・ドロンの哀愁を帯びた表情が印象的で、今でも記憶に残っている。

Alain Delon 523Alain Delon Le Gitan 1


(右: 私生活でのアラン・ドロン / 右: 「ル・ジタン」に出演したアラン・ドロン)

  もう一つは、チャーリー・チャップリンがジプシー系英国人であったことだ。喜劇王チャップリンは、その類い希なる才能ゆえに、「もしかしたらユダヤ人じゃないのか?」と囁かれていた。チャップリン本人は「ユダヤ人」という噂を否定していたので、筆者も「たぶん違うんじゃないか」と思っていた。そうしたところ、2010年頃になって、ようやくチャップリンの親戚が認(したた)めた手紙が表に出て来て、彼の母親がジプシー藝人であることが判ったのである。("The secret letter that claimed Charlie Chaplin was the son of a gypsy queen", Daily Mail, 21 February 2011) チャーリーの母ハンナ・チャップリン(旧姓 / Hannah Hill)は旅藝人の役者で、「リリー・ハーレー(Lily Harley)」という藝名で通っていた。ところが、息子が3歳の時に夫のチャールズと別れてしまったという。チャーリーは大人になっても母親をいたく慕っており、その優しさを忘れられなかったのか、愛する女性にも亡き母の面影を求めていたらしい。ただし、母親の素性に関しては固く口を閉ざしていたから、ジプシーの血筋だけは絶対に明かしたくなかったのだろう。「サー(Sir)」の称号をもらった名優が、ジプシーの倅(せがれ)だなんて、恥ずかしくて人に言えないじゃないか。(これは筆者の勝手な推測だが、チャップリンが左翼思想のを持っていたのは、人間を家系や種族で差別する西歐人が赦せなかったからだろう。)

Charlie Chaplin 4Hannah Chaplin 1Charles Chaplin Sr 1

(左: チャーリー・チャップリン / 中央: 母親のハンナ・チャップリン / 右: 父親のチャールズ・チャップリン)

  ちなみに、チャップリンの母親は三人の子宝に恵まれたけど、その人生は悲惨なものだった。二番目の夫チャールズに出逢う前、彼女はシドニー・ホーク(Sydney Hawke)という男に惚れてしまい、一攫千金を夢見る夫に従って南アフリカにまで移住したのだが、その地で亭主から売春を強要されてしまったのだ。恐らく、この商売が原因で、彼女は梅毒に罹ったのだろう。ハンナはこの“碌でなし”との間にシドニーという長男を出産し、二番目の夫であるチャールズとの間に次男のチャーリーをもうけている。ところが、間もなくチャールズとも離婚。この再婚相手と別れた後、ハンナはレオ・ドライデン(Leo Dryden)という役者と恋に落ち、彼との間に三男のウィーラー・ドライデンを産んだという。しかし、梅毒のせいで精神に異常をきたし、衰弱したハンナはやがて息を引き取る。後に、恋多きコメディアン、我らがチャーリー・チャップリンが女性と寝るとき、矢鱈と神経質で性病に感染するのを極度に恐れたのは、母親の病気が深く心に刻み込まれていたからだろう。それにしても、有名な喜劇王がベッドに入る前、股間に沃素(ようそ)を塗るなんて、ちょっと哀しくて笑う気になれない。

  人間の種類を区別する際に、どれが良くてどれが悪いと決める基準は無い。アフリカの部落では黒人が普通で、たまにアルビノ(突然変異で肌が白い子供)が生まれたりするけど、大半はアフリカ人の容姿を素晴らしいと思っている。この大陸を侵略するヨーロッパ人なんか白い悪魔に過ぎない。一方、ゲルマン種族が住む北歐では白い肌の人間が普通で、アフリカ人と違った容姿の者が美しいと評されている。北歐人は黒い縮れ毛よりも、ゆるやかに波打つ栗色の毛や直毛の金髪を尊ぶ。鼻の形もユダヤ人のような鉤鼻とか、アフリカ人のような獅子鼻を嫌い、鼻孔が狭く筋の通った細い鼻を良しとする。日本のテレビや雑誌は理想的なアーリア人を採用するが、白人の中にも様々なタイプがいるから、全員が美男美女という訳ではない。各民族はそれぞれ独特の美意識を持っているので、「ミス・ユニバース」や「ミス・インターナショナル」みたいに世界基準を設けようとするのが、そもそもの間違いの素である。

  スウェーデンの世論は「Zファイル」を糾弾するが、ジプシーに関する議論が白熱することを望まない人々が居ることも確かだ。なぜなら、スウェーデンにはジプシーの血統であることを恥じる人々がいるので、自分の祖先を他人に知られたら一大事。就職や結婚、住宅購入の際にどんなトラブルが起きるか分からない。もし、「Zファイル」の情報が世間の注目を浴びれば、隠していた個人の秘密が“ひょんな事”でバレる恐れもある。人権屋とか大学教授は「民族差別はけしからん !」と大騒ぎするが、一般人は綺麗事で暮らしていないから、やはり穢らわしい血筋を隠そうとするし、理屈はどうあれ内緒にしようとするのは人情だ。日本でも朝鮮人の家系を恥じる在日鮮人や帰化鮮人がいて、1980年代くらいまでは必死に隠そうとする人が多かった。現在では朝鮮人の出自を明らかにする人が増えたけど、できれば闇に葬りたいと願う人もいるはずだ。

kids in thai 2Filipino children 3


(左: タイ人の子供たち / 右: フィリピン人の子供たち)

  最近の日本では多民族共生とか国際化時代と叫んで、大いにアジア人やアフリカ人との結婚を祝福しているが、本当に問題が無いのか日本人はよく考えるべきだ。例えば、黒人と結婚する日本人女性も増えたが、彼女達は子供や孫の感情を考えたことがあるのか? 確かに、アフリカ人留学生とか米軍の黒人兵と恋に落ち、結婚をして妊娠するけど、生まれてくる赤ん坊は母親と違った人種になるし、通常は黒人の遺伝子が優性となる。また、もしも、実家の両親が生まれたての初孫を見れば、「えっ、この子が?!」と驚きの表情となるだろう。自分の娘が産んだ子供とは思えないから、かなりのショックを受けるはずだ。祖父母としては動揺を隠せない。なぜなら、たとえ自分達が納得したとしても、隣人や友人、後輩、同僚といった第三者がどう思うのか不安だからだ。表面上、笑顔で孫を受け容れてくれたとしても、他人が心の奥底でどう受け止めるのか判らない。詮索好きな近所のオバちゃんたちは、ファミレスか病院の待合室に集まり、あれこれ陰口を叩くから、やはり世間の目が気になる。

Mixed race family 1Mixed Race 5

(左: 白人と黒人のカップルとその子供 / 右: 混血児の子供)

  悲劇はまだ続く。こうした混血児が物心をつく年齢になれば、周りの子供と自分が肉体的に違う、と厭でも気付くだろう。その時、日本人の姿をした母親は、どのように子供と向き合うのか? もし、幼稚園や小学校で馬鹿にされた息子が、「ママ、どうしてボクだけみんなと違うの?」とか、お洒落に目覚めた娘が「私、パパみたいな顔じゃイヤだ。ママみたいになりたい !」と泣き出したら、出産した責任のある母親は何と答えるのか? 「そんなの気にするんじゃない !」とか、「差別する友達の方が悪いのよ !」と言い聞かせても無駄である。たとえ幼くても子供は現実を解っている。恋愛時代には気付かなかった重大事項を、育児になって気付く日本人女性は少なくない。日本人は自分がしっかりすれば、困難を克服できると信じる傾向がある。だが、遺伝子だけは自分の努力ではどうにもならない。自分の容姿に劣等感を持つ娘が、その腹癒せに学校でグレ出したら、母親は通常通りに叱る事ができるのか? もし母親から怒られた娘が、「じゃあ、日本人の体にしてちょうだい !」と反撃したら、普通の日本人女性は言葉を失ってしまうだろう。

black kids 1Korean & Black family 1


(左: アフリカ人の少女たち / 右: 黒人と朝鮮人の家族)

  一般の日本人は我が子を可愛がり、その子の将来を考えて一生懸命に働く。しかし、黒人と結婚した場合の悲劇は考えない。浅黒く生まれた息子や娘から責められるのは辛いものである。が、その孫からも責められればもっと辛いだろう。もし、アフリカ人の形質を受け継いだ孫から「お婆ちゃんが黒いお爺ちゃんと結婚したからだ !」と責められたとき、日本人の祖母はどう答えるのか? 「あたしゃ知らないよ !」と逃げる手もあるだろう。だが、大抵の祖母は「済まないねぇ。赦しておくれ」としか言えないんじゃないか。優生学を学校で習わなかった日本人は、結婚するとき「子孫への配慮」など考えない。相手がどんな素性・容姿であれ、惚れたから夫婦(めおと)になる、というのが一般人の行動パターンだ。教科書では「人種平等」とか「人類兄弟」、「多民族共生」と書いてあるから、多数派の国民はそれを鵜呑みにしてしまうが、現実社会は違うぞ。他人事なら仙人ヅラできるけど、自分の事となれば大変だ。

  最近のテレビ局は、異常なほど外国人をバラエティー番組に招いて喋らせたり、日本に暮らすアジア人やアフリカ人を取材し、無防備な視聴者をターゲットにして東南アジア人や北アフリカ人、南米人などに親しみを持つよう刷り込んでいる。つまり、「今や、様々な外国人があなたのご近所に住んでいるんですよ」と言いたい訳だ。伝統的な日本社会をぶっ壊したい左翼制作者は、内部から徐々に、しかも着実に破壊しようと企む。同質的な素晴らしい共同体を崩壊させるには、日本人の質を変えてしまうことが最も合理的である。手間暇掛けて日系人に反日思想を植え付けるより、最初から“日本人ではない”外国人の子供を増やす方がたやすい。ある個人の肉体に、アジア人やアフリカ人の遺伝子が50%含まれ、次の世代で75%に上昇し、三世代目で87%くらいまで増加したら、もう自分が日系日本人であるとの意識は無くなるだろう。こうした「日本国民」は単なる「島民」に過ぎない。やがて日本は「よそ者」が群がる雑居ビルとなるから、国民同士の連帯は消え失せ、天皇陛下も江戸城に住む「知らない外人」となってしまうだろう。

  アリシア・ヴィキャンデルの話からだいぶ逸れてしまったけど、我々は今「静かな」変質の時代に生きているというこだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html


129. 中川隆[-6676] koaQ7Jey 2018年3月30日 15:07:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9421]

西欧人男性の半数は、1人の男の子孫であることが判明!
青銅器時代のスーパーエリートは何者だった? 2016.05.15
http://tocana.jp/i/2016/05/post_9692_entry.html
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3557782/How-men-spread-globe-DNA-analysis-reveals-populations-began-explode-55-000-years-ago.html


 遺伝子の解析技術の進歩は、医学、遺伝学、そして犯罪捜査などにおいて目覚ましい成果をもたらしているが、ある研究によると西ヨーロッパの人口の半数(!)が青銅器時代の王もしくはその一族の子孫であることが判明した。


■4000年前の一人の王が、西ヨーロッパの人口の約半分の父親

 イギリス「Daily Mail」紙のレポートによれば、その“王”のアイデンティティは謎に包まれたままであるが、青銅器時代に各地を支配していた貴族たちのグループが1人の父親から生まれて、各地に散らばっていったのではないかと推測されているとのことである。

 今回、4大陸・計42人の科学者が参加した1000人ゲノムプロジェクトと呼ばれる研究調査では、世界中の26の集団の1200人以上の男性のY染色体が対象となり、そのY染色体の持つ情報が、相互にどういう関係性があるのかが調査された。Y染色体は、男性のみがもつ遺伝情報であり、息子にのみ引き継がれていくもので、このY染色体に含まれる情報を解析することにより、ハプログループ(遺伝子のなかで片方の親に由来する遺伝情報によって共通の祖先をもつグループで、女性の場合はミトコンドリアの情報解析によって決まる)を探り出すことが可能である。

 科学者たちは、この調査を踏まえて、約4000年前の1人の王が、西ヨーロッパの人口の約半分の父親であることを突き止めたということである。その王が誰であったかは謎のままであるが、おそらく車輪を利用する技術や、金属を加工する技術などを持っており、その技術を受け継いだ王の子どもたちがヨーロッパ各地に散らばっていき、実質的な支配をひろめていったのではないかと推測されている。

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青銅器時代の出土品 画像は「Wikimedia Commons」より

 この研究を引率するウェルカム・トラスト・サンガー研究所のクリス・タイラースミス博士は、「遺伝学からは、なぜそれが起こったかを知ることはできないが、驚くべきほど少数のエリートが人口をコントロールしたことは知ることができる。ヨーロッパの人口の半分が、たった1人の男の子孫であったことは驚愕的である」とコメントしている。

 また、この研究では約5万5千年前に最初の人口爆発があったことが判明し、おそらくこの人口爆発が人類を各地に散らばせたのではないかと推測している。この人口爆発がなぜ起こったのかは解明されていないが、さまざまな要因が考えられ、人類のアフリカ脱出もその要因のひとつではないかと、タイラースミス博士は語る。

■19万年前の1人の男が人類の父親!?

 スタンフォード大学のデヴィッド・ポズニック博士は、このY染色体に含まれるパターンのバラエティが、祖先の生活を解明するする手がかりになるであろうとしている。Y染色体は、父親から息子しか引き継がれないので、狩猟生活のパターンなどを解明する手がかりになるのではないかと期待しているとのことである。

 このY染色体の研究によってつくられたそれぞれの相関関係を示す樹形図からは、さらに様々なことがわかってきているとのことである。その樹形図をたどれば、すべてが19万年前の1人の男から生まれているとのことらしい。タイラースミス博士は、この研究においては、人類のアフリカ単一起源説を完全にサポートするものであり、その後5万5千年前の人口爆発をはじめ、世界各地で起こった急激な人口増加によって人類が世界各地に広がっていったことがわかるという。

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「Daily Mail」の記事より

 人類みな兄弟というわけではないだろうが、元をたどれば1人の親になるというこの研究を踏まえて、人類みな仲良くやっていけないものだろうか。ちなみに、この1000人ゲノムプロジェクトの研究調査の結果や、DNAのデータは公開情報であるという。研究に必要ならばだれでも自由に使えるので、興味があれば本格的に研究してみるのもよいのではないだろうか。
(文=高夏五道)


参考:「Daily Mail」、ほか
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3557782/How-men-spread-globe-DNA-analysis-reveals-populations-began-explode-55-000-years-ago.html


130. 中川隆[-7863] koaQ7Jey 2018年4月09日 16:49:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10060]

2018年04月08日
ビヨンセの父親は白人が好みだった
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68702723.html


白人女性とじゃなきゃ嫌だ

  アメリカでよく耳にする「レイシズム」と言えば、「白人が有色人種に対して持つ差別意識」というのが日本人の認識だだろう。ところが、被害者であるはずの黒人にも、れっきとした差別心が存在するのだ。世の中には一方的な被害者というものは案外少なくて、差別に苦しむ人でも裏で“こっそり”他人を差別していたりする。だから、人の感情というものは複雑怪奇で、第三者にはちょっと判らない。「ナチスに迫害された」とわめき立てるユダヤ人でも、自分達で国家(イスラエル)を作れば、異民族を毛嫌いし、自分の領土から追い出そうとする。「人種の坩堝(るつぼ)」を称讃する民族が、「黒人は穢らわしい」と言って追放したり、「混血すれば孫が黒くなるじゃないか」と腹を立て、我が子の異人種間結婚に反対したりするなんておかしい。保守派のユダヤ教徒になると、アラブ人男性と結婚するユダヤ人女性に対し、「民族の裏切者」呼ばわりするんだから、ネオ・ナチは諸手を挙げて大絶賛だろう。第三帝國の継承者はイスラエルに現れるんじゃないか。

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(左: 父親のマシュー・ノウルズと娘のビヨンセ / 右: ビヨンセと母親のティナ)

  話を戻すと、人種意識は白人だけの特徴ではなく、黒人にも「ある」ということだ。アメリカの“黒人”歌手ビヨンセ(Beyoncé)は日本でも人気を博しているようだが、彼女の父親マシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)氏には世間に知られたくない過去がある。彼は娘のマネージャーを務めていたので、藝能界ではちょいと知られた人物で、最近、『レイシズム : 子供の目から(Racism : From the Eyes of a Child)』という本を出版した。そこで、さっそく有名な黒人雑誌『エボニー(Ebony)』からインタヴューの要請があったという。すると、この取材に応じたことで、彼の意外な人生が明らかとなり、レイシズムの影がちらつくようになったという訳だ。

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(左: ビヨンセと妹のソランジュ / 右: 幼い頃のビヨンセとソランジュ )

  ビヨンセの父マシュー・ノウルズは1952年、アラバマ州バーミンガムから60マイルくらい離れた小さな町、ガズデンで生まれた。1950年代の南部といえば、まだ人種差別が色濃く残っていて、黒人が白人の集まる食堂に入れば冷たい視線を一気に集めたし、白人用の便所には決して入ることなど許されない。バスに乗っても席は別々で、黒人男性が白人女性の隣に坐るなんて自殺行為だ。水泳プールも白人専用で、黒人が白人客と一緒に水遊びをするなんて夢のまた夢で、黒人選手がオリンピックの水泳代表に選ばれることはなかった。だいいち、黒人が望んでいなかったから最初から無理。高校の卒業パーティー(プロム)であっても、黒人生徒が白人生徒を誘ってダンスを楽しむなんてあり得ず、南米人やアジア人も蚊帳の外だ。ミュージカル映画『グリース』を観れば分かる。マイケル・ジャクソンみたいな黒人が、オリヴィア・ニュートン・ジョンのような白人女性とデュエットを組む脚本など想定外。『ダーティー・ダンシング』どころか、『エルム街の悪夢』より恐ろしい結果となる。

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(左: オリヴィア・ニュートン・ジョン / 右三枚: 少年時代から青年・壮年時代のマイケル・ジャクソン )

  現在では、人気番組の『リアリティー・ショー』などで、黒人男性が白人女性にプロポーズするシーンがたまにあるけれど、1960年代以前のアメリカなら、抗議の電話が殺到するどころか、プロデューサーを始め、テレビ局の重役と社長は即解任だ。世間の注目を浴びた異人種間結婚と言えば、白人女性のペギー・ラスク(Peggy Rusk)と黒人男性のガイ・ギブソン・スミス(Guy Gibson Smith)の挙式を思い出す。二人は1967年に夫婦となり、その写真が『タイム』誌の表紙を飾っていた。(1967年9月29日号) 何しろ、ペギーの父親というのが国務長官のディーン・ラスク(Dean Rusk)だったから、全米のアメリカ人が話題にしたのも当然だ。一方、新郎のスミス氏はジョージタウン大卒で、NASAの職員となっており、ROTC(予備役)の軍人でもあった。もし、彼が白人青年なら婿として申し分ないが、黒人であったから世間が驚いた。愛しい娘が黒人と結婚するなんて、白人の父親にとったら悪夢だ。ギリシア人やアルバニア人みたいな黒髪の南欧人でさえ嫌なのに、アフリカ系の青年がデートを申し込むなどもってのほか。娘の手を触れただけでも大問題である。箱入り娘が黒い恋人を両親に紹介したら、母親は気絶するし、父親は激昂して殴りかかるだろう。姉や妹だって義理の兄弟が黒人じゃ肩身が狭い。隣近所も騒然となる。

Dean Rusk 1Peggy Rusk & Gut Smith

(左: ディーン・ラスク / 右: ペギー・ラストとガイ・スミス)

  こんな時代背景なので、ノウルズ氏が堂々と白人女性と付き合うなんて、普通は無理。だから、日本人がビヨンセの母親を見れば、“偶然”の出逢いでノウルズ氏と恋に落ちたのでは、と考えてしまうだろう。しかし、二人の結婚は偶然とか自然の産物ではなかった。むしろ、彼は意図的に“ライト・スキン”の女性を選んでおり、信じ難いが、黒人女性に対して差別心を抱いていたのだ。というのも、彼の母親は常々息子に向かって、「ウチに縮れ毛の黒人娘なんか連れてくるんじゃないよ !」と言い聞かせていたからである。(Travis M. Andrew and Amber Ferguson, "Beyoncé's father takes on colorism : He dated her mother because he thought she was white", The Washington Post, February 5, 2018) 黒人の母親が黒人の少女を嫌うとは恐れ入るが、息子の将来を考えての忠告なんだろう。自分の親から“こうした”訓示を受ければ、ノウルズ氏が黒人娘を避けたのも尤もだ。『エボニー』誌のインタヴューの中で、彼はこう述べている。

  50年代、60年代、70年代の南部では、肌の黒さ加減というのは、とても重要なんだ。だからね、こうした言いつけを聞きながら育った僕は、本当に不運なんだ。

Mariah Carey 3Vanessa Williams 2Paula Patton 2


(左: マライア・キャリー / 中央: ヴァネッサ・ウィリアムズ / 右: パウラ・パットン)

  若い頃、ノウルズ氏は白人の女の子とばかりデートをしていて、たまに黒人女性が相手でも、色が薄くて白人に近い娘を選んでいたそうだ。ノウルズ氏が未来の夫人となるティナ・ロウソン(Tina Lawson)嬢と出逢ったとき、彼の目にはティナが白人に見えたという。混血児が多いアメリカには、黒光りのアフリカ系とは違う種類の「アフロ・アメリカン」がいて、日本だと歌手のマライア・キャリー(Mariah Carey)とか、女優のヴァネッサ・ウィリアムズ(Vanessa Williams)、若手女優ならポウラ・パットン(Paula Patton)などが有名だ。ウィリアムズは映画『イレイザー』でアーノルド・シュワルツネッガーと共演し、パットンの方は『ミッション・インポシブル: ゴースト・プロトコール』でジェイン・カーター役をもらって、トム・クルーズと共演している。ヨーロッパ人の遺伝子が混ざると、黒人らしからぬ「白人顔のアフリカ系」が生まれるみたいで、コテコテの黒人から嫌われることもあるようだ。米国では黒人だからといって一枚岩とは限らず、黒人同士で反目する場合も多い。

OJ Simpson 2Eddie Murphy & Paige 1


(左: O.J. シンプソンとニコル・ブラウン / 右: エディー・マーフィーとペイジ・ブッチャー)

  脱線したので話を戻す。とにかく、“白人らしい”娘だからこそ、ノウルズ青年はティナと結婚したそうだ。これは口に出して言いづらい事だが、白人社会に暮らす黒人男性にとって白い女性は憧れの的で、黒人女性よりも“上等”に見えるらしい。確かに、黒人の有名スポーツ選手や映画俳優、人気歌手で白人女性を女房にする人は少なくない。例えば、黒人コメディアンのエディー・マーフィーはオーストラリア人の金髪美女ペイジ・ブッチャー(Paige Butcher)を恋人にし、二人の間には「イジー(Izzy)」という娘が生まれている。元フットボール選手で俳優業に転向したO.J.シンプソンが、白人女性のニコル・ブラウンと結婚したことは有名だ。もっとも、日本では彼が夫人を惨殺したことで有名となってしまい、さらに刑事裁判で無罪となったから一層記憶に残っている。(ついでに言うと、裁判を見守る黒人女性たちが、殺害されたニコールに同情しなかったのは、「私たちのスーパー・スターを寝取った白い売女(ばいた)」と思っていたからだ。女性の陪審員だから、黒人でも被害者女性の味方になるなんて幻想である。黒人の陪審員は心の底でO.J.の無罪を祈っていたんだから。人種が絡んだ恨みは恐ろしい。)

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(左: タイガー・ウッズ / エリン夫人 / レイチェル・ウチテル / 右: ホリー・サンプソン)

  今ではすっかり零落(おちぶ)れているが、プロゴルファーのタイガー・ウッズも異人種の女が好みだった。彼が結婚したエリン・ノルデグレン(Eline Nordegren)嬢は、元スウェーデン人モデルで、見るからに北歐美女。その二人が2010年に離婚したのは日本の報道番組でも伝えられていたが、それよりも驚いたのはウッズ選手の姦通相手で、その人数もさることながら、黒人女性よりも白人女性の方が多かった点だ。報道された愛人には、ジュリー・ポストル(Julie Postle)やコリー・リスト(Cori Rist)、レイチェル・ウチテル(Rachel Uchitel)、ホリー・サンプソン(Holly Sampson)、ジョスリン・ジェイムズ(Joslyn James)、カリカ・モキン(Kalika Moquin)などのヨーロッパ系女性が目立っていた。ウッズ氏に好意を寄せる黒人女性は大勢いたのに、彼が選ぶセックス・パートナーは大半が白人だったので、袖にされた黒人女性がどう思ったかは推して知るべし。シンプソンといい、ウッズといい、どうして花形選手になると白い「トロフィー・ワイフ(勝利・成功の証しとなる妻)」を欲しがるのか、黒人女性たちは憤りを隠せない。

Julie Postle 1Cori Rist 1Joslyn James 2Kalika Moquin 1

(左: ジュリー・ポストル / コリー・リスト / ジョスリン・ジェイムズ / 右: カリカ・キモン)

嫌いでも離れられない魅力的な国

  日本人には西歐系アメリカ人に反感を抱く人が多く、筆者がアメリカ白人の立場に理解を示すと「おまえなんか、卑屈な白人の犬だ !」と罵声を浴びせる。だが、そうした非難を叫ぶ人ほど自分が無意識的に「白人愛好者」であることに気がついていないようだ。そもそも、アメリカ合衆国を建てたのはブリテン系入植者なんだから、この共和国が白人社会であることは“明白”ある。アングル系やケルト系の白人がアメリカを「自分の国」と考えるのは自然で、自分達が国家の主流、政治や文化面でも主役と主張してもおかしくはない。これは別の国家を考えてみればすぐ解るはずだ。例えば、コンゴ共和国は黒人国家で、黒人主体の社会だが、これに文句をつける日本人はいないだろう。 コンゴが黒人だらけの国だから「ゆるせない!」と怒る日本人は滅多に見かけないし、エジプト人がエチオピア人女性よりも、白い肌のスラヴ人やドイツ系チェコ人を妾にしたからといって、「露骨な人種差別だ。褐色人種はヨーロッパ人贔屓である !」と憤慨する人も皆無だ。

  もし、イギリス人が北米大陸に侵攻したのが「悪」なら、テュルク系民族が故郷を離れ、遙か遠くのトロイやエフェソス、コンスタンティノポリスを征服したのも「悪」となる。が、現在の日本人でこれを譴責する人はいないはずだ。ブリテン系アメリカ人を非難する日本人ほど、根っからの白人ファンで、心の底から恋い焦がれている。その証拠に、彼らがちょっとでも不道徳なことをすれば目くじらを立てて怒り出す。あの程度の侵掠なら世界史にいくらでもあるのに、単に「白人」だからという理由で殊更「けしからん!」とわめく。まるで日本人を糾弾する朝鮮人みたいだ。西歐人がアジア諸国を支配できたのは、軍事制度や科学技術が優れていたからで、肌が白いから征服者になれた訳ではない。日本人の多くは支那人やモンゴル人の侵掠を知っているが、それを批判するとき、「この黄色人種が !」と声を荒立てることはないじゃないか。アジア人の悪行になると人種に言及しないなんて、何となくおかしいだろう。

  アメリカに住む黒人や南米人、およびアジア人には、ひねくれた根性を持つ人が多い。我々がもし、アジア人差別を訴えかける支那系や朝鮮系のアメリカ人を見れば、「なら、さっさと支那大陸や朝鮮半島に帰ればいいじゃん !」と言いたくなる。しかし、この不平論者は決して戻ろうとはしないだろう。なぜなら、彼らの祖国に住む同胞の方がよっぽと下劣で、同国人に対する侮蔑や差別が甚だしいからだ。支那人や朝鮮人は自国が嫌で西歐諸国に移住したのに、しばらくすると、受け容れてもらった恩を忘れて現地の白人に不満を漏らし、「平等」を叫んでゴネ始める。まともな西歐系白人なら、「またぁ、あいつら因縁つけてやがる !」と愚痴をこぼし、移民政策の失敗を歎くだろう。もしかしたら、人のいないところで、「満足するまで言ってれば !」と吐き捨てるんじゃないか。こういう厄介事を経験したアメリカ人でないと、朝鮮人問題に苦しむ日本人の気持ちは解らない。

  黒人の不平はもっと根深く、努力で克服できない肉体的特徴があるので、事あるごとに「元主人」への憎しみを露わにする。そんなに白人社会が嫌いなら、母なる大地であるアフリカに移住すればいいのに、「アフリカへの帰還」が浮上すると、梃子(てこ)でも動こうとはしないのだ。黒人の大学教授になると更に頑固で、社会学や政治学を専門にしていると言いながら、「怨念学」が本業になっていたりする。(そう言えば、カルフォルニア大学バークレー校で歴史を教えていたロナルド・タカキなんか「怨念」の塊で、白人社会を糾弾することで飯を食っていた日系人学者だった。貧乏移民の小倅だったから仕方ないが、あんな奴は日系人の恥だ。ただし、幼くして実父を喪ったロナルド少年は、寡婦の母親と支那人の義父に育てられたというから、家庭環境というのは無視できない。)

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(左: ロナルド・タカキ / 中央: マーカス・ガーヴィー / 右: W.E.B. デュ・ボア )

  「アフリカに帰ろう !」というスローガンは、既に遠い過去の遺物となっている。「黒いモーゼ」と称されたマーカス・ガーヴィー(Marcus Mosiah Garvey, Jr.)が、憐れな解放奴隷のために「全黒人向上協会(Universal Negro Improvement Association)」を組織し、「ブラック・スター・ライン(Black Star Line)」という汽船会社まで設立したのに、大多数のアメリカ黒人はガーヴィーに従ってアフリカに戻ろうとはしなかった。有名な黒人指導者のW.E.B. デュ・ボア(William E. B. Du Bois)は敵愾心を剝き出しにして、ガーヴィーは頭がいいけど、「太った醜いチビ野郎だ」と罵っていた。もっとも、馬鹿にされた方のガーヴィーも黙っておらず、デュ・ボアを「白人お抱えの黒ん坊」とやり返したそうだ。(今でもそうだが、黒人の差別発言は糾弾されない、というのはおかしい。黒人も侮蔑語を口にすれば非難されるべきだ。例えば、コメディアンのエディー・マーフィーやクリス・ロックは、漫談の最中によく「ニガー(nigger)」という言葉を挟むが、これだって問題だろう。白人の漫談師が使ったら一大事である。)

  主導権争いをする知識人はともかく、アメリカに留まることを選んだ一般の黒人は非常に現実的で、みすぼらしいアフリカに戻るより、豊かな白人国家の方がいいと判っていた。たとえ、奴隷として連れてこられても、住んでみれば西歐人の国は素晴らしいし、元「御主人様」の中には立派な紳士がいるから、野蛮なアフリカ人よりも“まし”である。日本の間抜け学者はヨーロッパの奴隷商人を非難するが、黒い捕虜を奴隷商人に売り渡したのは、地元のアフリカ人であることを忘れているのだ。だいたい、土地勘の無い白人業者が、アフリカ人を生け捕りにするために密林を掻き分け、奥地の村々を巡り、原住民を襲撃するなんて割に合わない。それよりも、部族闘争に勝ったアフリカ人から、黒い家畜を買った方が楽である。それに、こうした奴隷商人がイスラム教徒のアラブ人とか、米国で販路を持つイベリア系ユダヤ人だったりするから、日本の赤い歴史教科書は信用できない。

白人に生まれたかった黒人女性

  とにかく、アメリカの黒人が白人に対して劣等感を抱くのは、彼らが自分達の故郷であるアフリカに戻らないからである。ガーナやケニアに住む黒人がアフリカ的容姿に悩み、高級な美白クリームを顔に塗って、ヨーロッパ人を目指すなんて考えられない。(一方、インド人女性には支配者のイギリス人に憧れる人が多いので、肌が白くなるクリームがよく売れるそうである。「ボリウッド」女優にも色白の人が多く、観客もヨーロッパ人みたいな俳優を好むらしい。) 考えてみれば当り前だけれど、黒人が黒人の村に住めば、村一番の美女は黒人になる。もし、離乳食の宣伝広告を作るとなれば、モデルの赤ん坊も黒人になるだろう。アメリカ黒人はラテン語由来の「ニグロ」という言葉さえ嫌うが、アフリカで「黒い」という単語が忌避されたら滑稽だ。アフリカ人にはどうして「黒い」という形容詞が悪いのか解らないからである。

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(左: 色黒のインド人女優 / 右三枚: 色白のインド人女優たち)

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(左: ミシェル・オバマ 夫人 / 若い頃のミシェル / コンドリーザ・ライス / 右: 少女時代のコンドリーザ)

  だいたい、アメリカの黒人は西歐人の美意識で自分の容姿を判断するから、奇妙な劣等感に苛まれるのだ。例えば、アメリカには縮れ毛を恥じて丸坊主にする黒人男性がやたらと目立つが、アフリカ人はチリチリの黒髪を剃り落とそうと思わないし、綿菓子みたいな髪型でも平気である。また、黒人女性もアフリカ人らしい縮れ毛を“毛嫌い”し、ストレート・パーマを用いて直毛にしようとする。例えば、黒人文化を誇りに思うミッシェル・オバマ夫人や、奴隷の子孫である元国務長官のコンドリーザ・ライス(Condoleeza Rice)、大統領補佐官や国連大使を務めたスーザン・ライス(Susan Rice)のストレート・ヘアを見れば、誰でも「あれっ、昔と違っている !」と気付くだろう。日本でも有名な女優のハル・ベリー(Halle Berry)は、ボンド・ガールを演じた時に直毛だったし、私生活でも縮れ毛でない場合が多い。また、彼女はユダヤ人の大きな鼻を馬鹿にしていたから、人種を巡る彼女の発言は用心して聞かねばならないし、後に、この軽率な発言を訂正して反省したというが、本心かどうか何となく怪しいぞ。

Susan Rice 2Susan Rice Stanford yearsHalle Berry 7Halle Berry 4


(左: スーザン・ライス / 若い頃のスーザン / ハル・ベリー / 右: 少女時代のハル )

  筆者の好みで恐縮だが、80年代にヒット曲を放った歌手のドナ・サマー(Donna Summer)も同じ類いで、彼女は若い頃、自然な髪型であったが、晩年になると直毛にしていたし、娘のブルックリン(Brooklyn Sudano)もストレート・ヘアーにしていた。アメリカに暮らす黒人女性は、「ナッピー・ヘアー(nappy hair / 縮れた髪)」を酷く嫌っているようだ。1970年代と違い、第21世紀のアメリカでは、アフロ・ヘアーだと野暮ったく見えるし、職場やパーティーなどの席に於ける第一印象も芳しくない。黒人小説家のマリタ・ゴールデン(Marita Golden)によれば、ストレート・ヘアーはアメリカン・ドリームを摑むための「頭金(down payment)」なんだって。(Marita Golden, "My black hair : a tangled story of race and politics in America", Quartz, June 24, 2015) 普通の日本人が耳にすれば「えっ !」と驚いてしまうけど、白人みたいな直毛にすることが「頭金」、すなわち成功の「前提条件」と考えられていたとは、何とも黒人女性の内面は複雑だ。でも、自分のお金で美容院に行くんだから、案外本当なのかも知れないよねぇ〜。

Donna Summer 2Donna Summer 1Brooklyn Sudano 4Marita Golden 2

(左: 晩年のドナ・サマー / 若い頃のドナ・サマー / ドナの娘ブルックリン / 右: マリタ・ゴールデン)

  様々な人種が同居するアメリカでは、日本人だと想像できない人種的なトラブルがある。普通の生活を送っているだけなのに、中流階級の白人は厄介事に巻き込まれるんだから、たまったもんじゃない。例えば、警察官による職務質問が切っ掛けとなり、射殺騒動や人種対立が勃発し、それが大規模な抗議活動へと発展する。もし、早めに終熄しないと、連邦議員や州知事、大統領が介入する事態となるから、アメリカの国内行政は実にしんどい。民間企業の採用試験だって“人種的配慮”がなされるし、店員との会話だって気をつけないと、とんでもない状況になってしまう。(例えば、コーヒー店の白人従業員が、朝鮮人の注文を取ったとき、間違えないように「吊り上がった目の奴」とメモしたら大問題となってしまった。肉体的特徴ではなく、「メガネの人」とか「革ジャンの男」と書いとけば良かったのに、いつもの調子でメモを添えたのが悪かったのかも知れない。) 日本政府は大量移民の導入を否定しているが、実質的には低賃金労働者の輸入を行っているので、間もなく我々の国も多民族混淆社会となるだろう。既に都市部ではそうなっている。そうなった時、日系日本人も西歐系アメリカ人と同じような“人種的摩擦”に悩むことになるだろう。言いたいことも言えず、ジっと堪え忍ぶ時代が到来するのだ。

Korean guy1Black & ASian couple 1Korean black baby 2chinese baby 6


(左: ハンサムな朝鮮人男性 / 朝鮮人とアフリカ人のカップル / アフリカ系朝鮮人の赤ん坊 / 右: 支那人の赤ん坊)

  もし、我々が「自由」を求めるとすれば、マスコミの統制と監視をかいくぐり、匿名でインターネットへ書き込むしかないが、そんな「自由」は本来の自由じゃない。日系日本人は自分の国に住んでいても、「言論・表現の自由」が非公式に制限され、アジア系帰化人による訴訟を恐れるようになるだろう。中学や高校で日系人生徒が黒い混血児と喧嘩になり、「何だ、この黒ん坊 !」と罵れば、単なる子供同士の諍いではく、人種・民族間の差別という問題に発展してしまうのだ。こうした「差別発言」は教員室やPTAで「問題」とされ、事によったら被害者側の弁護士が乗り込んでくるかも知れないし、週刊誌にリークされ、左翼記者が取材に殺到する虞(おそれ)だってある。イギリス人やドイツ人との混血児だと人種的な摩擦が極めて少ないのに、インド人とかマレー人、ケニア人、アメリカ黒人との混血児になると、やたらと色々な問題が生じやすく、教師や保護者は神経質にならざるを得ない。

  日系人の親は学校に通う子供だけでなく、成人した息子や娘の結婚相手にだって気掛かりとなるだろう。もし、息子が浅黒いビルマ人女性を連れてきたら、母親は心臓が潰れるほどショックを受けるし、父親だってどう答えて良いのか分からなくなる。アメリカ黒人とかマグレブ系の褐色人種の場合だともっと深刻だ。娘が紹介する恋人が黒いイスラム教徒だと、母親は唖然として声が出ず、爪先と指先が震え、全身の血管が収縮するかも知れないし、父親にとっては悪夢のような瞬間である。あまりの衝撃ゆえに、幽体離脱現象が起こるかも知れないぞ。魂が抜けた藁人形みたいになり、顔面蒼白、髪の毛だって白くなる。「まさか、そんな・・・」と返す言葉が見当たらず、ただだ茫然とするばかりなんて悲劇だ。いくら新聞やテレビで「多民族共生社会」と耳にしても、そんなのは“他人事”、自分には“関係無い”と思っているのが一般人だろう。でも、異人種が自分の家庭に入り込んできた時、初めて無関心だった「現実」を理解する破目になる。興味深いのは、日本人の親がノウルズ氏の母親みたいに、「黒い奴を恋人にするんじゃないよ !」と言えるかどうかである。我が子に釘を刺さず、自分の胸に釘が刺さるような事態になったら大変だ。いずれ、多くの日系人は「右翼」と呼んでいた者を、「警告者」とか「愛国者」と言い直すだろう。油断していたイギリス人やフランス人、ドイツ人は後悔しているんだから、日本人は彼らを直視すべきである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68702723.html  


131. 中川隆[-11535] koaQ7Jey 2018年4月30日 09:34:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-12613]

2018年04月29日
ワスプ的家庭を築いた大統領夫人 / 古風なファースト・レディー

東部エスタブリッシュメントのお嬢様

Barbara Bush 5Bush family 2
(左: バーバラ・ブッシュ / 右: ジョージ・ブッシュ一家)

  今月の中旬、すなわち4月17日、元ファースト・レディーのバーバラ・ブッシュ(Barbara Pierce Bush)夫人が逝去した。享年92。今年で92歳となる英国のエリザベス女王と同じ世代である。亡きバーバラ夫人は政治一家の中心的人物であった。合衆国大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)の妻であり、ジョージ・ウォーカー・ブッシ元大統領の母である。そして、三番目の子供である次男のジェブ(John Ellis Bush)はフロリダ州知事となった。彼女の舅に当たるプレスコット・シェルドン・ブッシュ(Prescott Sheldon Bush)、つまり亭主の父親も政治家で、コネチカット州選出の上院議員を務めていた。

バーバラ夫人は前ファースト・レディーのナンシー・レーガン夫人やジャクリーヌ・ケネディー夫人とは違い、華麗なドレスで身を包み、派手さとセクシーさを全面に出すような女性ではなかった。化粧は薄く、髪は染めずに白髪のまま。ボトックスを使ってシワ伸ばし、なんて論外。1988年、亭主のジョージが大統領選挙に出馬したとき、当時の日本人はバーバラ夫人を「候補者の母親か?」と見間違うほどであった。アメリカ人がこれを聞けば、「何だと、失礼な !」と言いたいところだが、苦笑しながら「そうだよねぇ」とうなづいてしまうだろう。でも、バーバラ夫人は中西部でよく見かける堅実で賢い母親といった感じで、1991年から1999年にかけて放送されたコメディー・ドラマ『ホーム・インプルーブメント(Home Improvement)』に出演してもおかしくない、近所の気さくなオバちゃんであった。(このTV番組はティム・アレン主演のホーム・ドラマで、筆者が好きなドラマ・シリーズの一つだ。日本で放送されたかどうかは分からないけど、白人中流家庭の日常を面白く描いた作品である。)

Jacqueline Kennedy 2Nancy Reagan 2Barbara Bush 7


(左: ジャクリーヌ・ケネディー / 中央: ナンシー・レーガン / 右: バーバラトジョージ・ブッシュ)

  バーバラ夫人がなぜ質素だったのかは、彼女の育った家庭を見ればわかる。上院議員を輩出したブッシュ家に嫁ぐバーバラは、名門のピアース家に生まれた“お嬢様”だった。彼女の家系を遡ると、その祖先はトマス・ピアース(Thomas Pierce)にまで辿り着く。このトマスは1630年代、英国ノーフォーク地方にあるノーリッヂから米国に渡り、マサチューセッツのベイ・コロニー(Bay Colony)へ定住した入植者(settler)である。ちなみに、日本人は左翼知識人に洗脳されているから、「アメリカは移民の国(Nation of Immigrants)」と信じ込んでいるが、移民は合衆国を創った者ではない。政治学者の故・サミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)が述べたように、「移民」とはある国(社会)から別の場所へ引っ越す人を指す。一方、「入植者」は新たに国家や共同体を築いた人々と考えれば解りやすい。だから、南イタリアやポーランドからの百姓とか、ガリシア地方のゲットーからやって来たユダヤ人、スロヴェニアとかハンガリーからの持て余し者、エジプトやインドからの異教徒は、アメリカの自治州を築いたイギリス系入植者ではなく、既に建設された新共和国に潜り込んだ貧民に過ぎない。

  だいたい、祖国で厄介者だった下層民に国家建設能力があるのか? 東歐や南歐からの出稼ぎ人、中東アジアのイスラム教国ないし東南アジアからの移民などは、何人集まろうがアメリカのような立派な国家を建設できない。だから、左翼白人やヒスパニック活動家、黒人指導者が述べる「移民が創ったアメリカ」なる学説は妄想である。有色移民はプロテスタントのアングロ・サクソン人が建てた国家に移住できたから、祖国では実現できない“中流階級の生活”を実現できたのだ。つまり、彼らは上等な西歐民族の思考や言語、行動様式を“真似”したからこそ、輝かしい成功を収めることが出来たのである。不法な手段で潜り込んできたたヒスパニック移民は、何かに附けアングロ・アメリカに文句を垂れるが、彼らの祖先がつくったラテン・アメリカ諸国は腐敗と貧困が未だに続き、一向に改善される見込みがない。要するに、アフリカ系とインディオ系の雑種民族には国家運営の才能が無いということだ。

Franklin Pierce 1Benjamin Pierce 2American family 1


(左: フランクリン・ピアース / 中央: ベンジャミン・ピアース / 右: 古き良き時代のアメリカ人家庭を描いた絵 )

  話が脱線したので、元に戻す。東部エスタブリッシュメントに属するピアース家には優秀な人物が多く、合衆国大統領になったフランクリン・ピアース(Franklin Pierce)も、その一員である。彼の父ベンジャミン・ピアース(Benjamin Pierce)は、独立戦争の時に陸軍中尉で、あの有名なバンカー・ヒルの戦いにも参戦したというから凄い。彼は後に政治家の道を歩み、連邦下院議員を経てニューハンプシャー州知事に就任したという。バーバラ夫人はこの血筋を受け継ぐ由緒正しい子孫。非西歐世界からの食いっぱぐれ移民からすれば何とも羨ましい。彼女の父マーヴィン・ピアース(Marvin Pierce)も高名で、「マッコール(McCall)」という出版社を経営するビジネスマンであった。彼は雑誌『マッコールズ(McCall's)』を刊行し、1929年には有名雑誌の『レッド・ブック(Redbook)』を買収し、姉妹雑誌として傘下に納めた。

Robert Stein 2Redbook 1926Redbook 1928Redbook 2007

(左: ロバート・シュタイン / 「レッドブック」1926年の表紙 / 「レッドブック」1928年の表紙 / 右: 「レッドブック」2007年の表紙)

  ところが、ピアース社長の雑誌もユダヤ人の毒牙にかかってしまった。1958年にロバート・シュタイン(Robert Stein)というユダヤ人が編集長となって『Redbook』を変えてしまったのだ。それまで、マッコール社は決してユダヤ人を編集部に入れなかったのだが、時代の流れで警戒心を緩めてしまったのだろう。(Kathleen L. Endres anf Therese Lueck, eds., Women's Periodicals in the United States : Consumer Magazines, Greenwood Press, Westport, 1995, p. 302) 以前は上品な記事が主体だったのに、シュタインは「ちょっと知的で高学歴の女性をターゲットにする」という名目で、フェミニズムとリベラリズム路線に舵を取り、あろうことかベティー・フリーダン(Betty Friedan)やグロリア・シュタイネム(Gloria Steinem)といったユダヤ人フェミニストに文章を書かせる始末。

Betty Friedan 1Gloria Steinam 23Rachel Carson 2Margaret Mead 1

(左: ベティー・フリーダン / グロリア・シュタイネム / レイチェル・カーソン / 右: マーガレット・ミード )

  その他の執筆者も左巻きが多く、性革命やウーマンリブ運動で名を馳せた文化人類学者のマーガレット・ミード(Margaret Mead)、環境問題を訴えた生物学者のレイチェル・カーソン(Rachel Carson)、『アラバマ物語(To Kill a Mockingbird)』でピューリッツァー賞を獲得したハーパー・リー(Nell Harper Lee)、左翼に転向したベンジャミン・スポック博士(Dr. Benjamin Spock)、公民権運動の指導者であるマーティン・ルーサー・キング牧師(Rev. Martin Luther King)の名を見れば、如何に変質したかが分かるだろう。サモア人などの南方土人を研究したことで知られるマーガレット・ミードは、インチキ学説を用いて西歐社会を非難した詐欺師だし、ハーパー・リーは南部の白人が持つ黒人への人種差別を糾弾し、偽善的な白人インテリから称讃を受けていた。バーバラの愚息ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領は、この左翼作家に「大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)」を授けたんだから、どこが保守派の共和党員なのか、と吐き捨てたくなる。この小説は後に映画化され、名優グレゴリー・ペックが弁護士の「アッティカス・フィンチ」役を演じたから、日本でも多くのファンが観たはずだ。

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(左: ハーパー・リー / マーティン・ルーサー・キング / 右: 『アラバマ物語』で弁護士役を演じたグレゴリー・ペック )

  余談だが、日本の雑誌も編集長が替わると内容が激変することがある。例えば、月刊雑誌の『新潮45』は硬派なクウォリティー・ペーパーで、筆者も学生時代に愛読していたが、編集長が亀井龍夫から中瀬ゆかりに替わったら、女性週刊誌のようになってしまった。以前は、保守派の重鎮である会田雄次先生とか物理学者の志村史夫教授、脚本家の石堂淑朗などが教養人向きの原稿を書いていたのに、少女漫画の担当者みたいな中瀬編集長になると、男女間のトラブルとか三面記事の殺人事件などを目玉記事とするようになったのだ。元々、『新潮45』という雑誌名は、45歳以上の読者をターゲットにして創られた雑誌であったという。個人的なことだけど、この由来を知ったのは筆者が18歳くらいの頃で、「えっ、中高年向きの雑誌なのか!」」と驚いたことがある。今は保守派メディアの没落期で、『正論』や『Hanada』『WiLL』『Voice』は週刊誌並になってしまった。元気な頃の『諸君 !』や廃刊になった『月曜評論』『国民新聞』『ザ・ビックマン』が懐かしい。

Barbara Bush 4(左 / 若い頃のバーバラ・ピアース )
  話を元に戻す。上流階級に属するバーバラ・ピアースは1925年6月8日に生まれ、16歳の時、将来の夫となるジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)と出逢ったそうである。このジョージ青年は上院議員の嫡男にして、名門校のフィリップス・アカデミー(Phillips Academy)に通うお坊ちゃん。ピアース家のご令嬢は、18歳でブッシュ家の御曹司と婚約するが、第二次大戦が勃発したことでフィアンセのジョージは戦闘機パイロットになる。彼が自分の戦闘機に「バーバラ」の名を記したことは日本でも有名だ。上流階級の若きパイロットは、58回も出撃し、日本軍に撃墜されるも一命を取り留め、無事に終戦を迎える事ができた。こうして、二人は1945年1月に結婚式を挙げることができたという。挙式はバーバラが通うプレスビテリアン教会で行われたそうだ。(ジョージの方はエピスコパリアン教会の信徒だったが、米国ではあまり違いが無いので問題とはならない。息子のジョージは父親の教会を離れて、女房が通う「ユナイテッド・メソディスト教会」に鞍替えた。) 1945年に除隊したジョージは、東部の名門大学イェールに入り、三年生の時「スカル・アンド・ボーンズ(Skull & Bones)」という秘密結社に属した。一方、愛する軍人と結婚するためだったのか、バーバラは名門のスミス・カレッジ(Smith College)をさっさと中退し、ジョージとの夫婦生活を優先したらしい。当時のお嬢様たちは研究者を目指して大学に入った訳じゃないから、素敵な男性が現れれば未練も無く退学することができた。いつまでも大学に残り、教授を目指す女学生は鮮度が落ちた「売れ残り」とか、独身を貫く「行き遅れ(spinster)」と同じ類。ケーキと乙女は良い品から売れて行くものだ。

Bush 4Bush & Barabra 2

(左: 軍服姿のジョージ・H・W・ブッシュ / 右: 若い頃のジョージとバーバラ )

  目出度く惚れた男と結婚できたバーバラは、中流階級のように産児制限などせず、授かった子宝を堕胎せずに産み育てた。面白いことに貴族と乞食はよく似ている。どちらも他人を気にせず、己の欲することを成す。人の噂を気にして躊躇するということがない。両者とも見事なまでの自由人。バーバラは先ず第43代合衆国大統領となる長男ジョージ・ウォーカー(George Walker)を身籠もった。この「ウォーカー」というのは、バーバラの姑、すなわち夫ジョージの母親ドロシー(Dorothy Bush)の旧姓だ。ドロシーの父はジョージ・ハードート・ウォーカー(George Herbert Walker)という名前だから、第41代大統領のパパ・ブッシュは母方の父親が持つ名前を受け継いだわけである。ちなみに、大統領となったブッシュ親子がホワイトハウスを離れて、休暇をメイン州のケネバンクポート(Kennebunkport)で過ごす事が多かったのは、父親(祖父)のジョージがこの地に豪華な静養所(Walker's Point)をもっていたからだ。そして、ドロシー・ウォーカーの弟ジョージ・ジュニア(George Herbert Waler, Jr.)は、有名な球団「ニューヨーク・メッツ(New York Mets)」の共同創設者であった。彼もイェール大学に進み「スカル・アンド・ボーンズ」に属していた。こうして見ると、ブッシュ親子がそれぞれ野球選手になったのも、家風なのかも知れない。

Dorothy & Prescott Bush 1Pauline Robinson Pierce 1Bush George & son & Barbara


(左: プレスコットとドロシー・ブッシュ夫妻 / 中央: ポーリン・ロビンソン・ピアース / 右: 息子のジョージと一緒に撮影されたブッシュ夫妻 )

  次に生まれたのは、悲劇の長女であった。二番目の子であるポーリン・ロビンソン(Pauline Robinson)は、白血病を患い幼くして息を引き取る。彼女の名前は、バーバラの母ポーリン・ロビンソン・ピアース(Pauline Robinson Pierce)から取った名前である。三番目の子は後にフロリダ州知事となるジョン・エリスで、周囲から「ジェブ」と呼ばれている。学校の成績は長男のジョージより弟ジェブの方が良かったんじゃないか。父や兄と違ってテキサス大学を選んだジェブは、学者のようにかなりの読書家で、第二位の成績(magan cum laude)で卒業し、優等生しか許可されない友好会「フィ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に入ることができたのだ。一方、兄貴のジョージは「紳士のC」でご卒業。つまり、本来なら「F(赤点)」だが、先生の恩情で「C(ぎりぎり成績)」をもらえたということだ。しかし、アメリカの選挙では学校の成績よりも、軍歴とか愛嬌が評価されるので、ジョージは大統領になれた。

  四番目の子はニール・マロン(Neil Mallon)で、後に「シルヴァラード貯蓄組合(Silverado Savings & Loans)」の理事となるが、そこが倒産した時に、怪しい貸付で不祥事を起こしたことがある。裁判で解決したが、黒い噂の絶えない人物だ。ちなみに、バーバラが自分の名を冠した「バーバラ・ブッシュ識字財団(Barbara Bush Foundation for Family Literacy)」を創設したのは、ニールが「難読症(dyslexia)」と呼ばれる発達障碍に苦しんだからである。これは先天的な障碍らしく、文字と音を組み合わせて読むことができなかったり、単語の繋がりが認識できず、何を意味しているか分からないという。例えば、「クルマ」という言葉を見たとき、「ク」「ル」「マ」と発音できても、それを“ひとまとまり”の単語と認識できないから、何が何だか解らないのである。五番目の子は、マーヴィン・ピアース(Marvin Pierce)で、成人しても政治には係わらず、保険会社に勤めていた。末っ子のドロシー・ウォーカー(Dorothy Walker)は、ウィリアム・ルブロンドと離婚後、ロバート・コッチと再婚したそうだ。コッチはカルフォルニアのワイン業界を宣伝するロビー団体「ワイン・インスティテュート」の代表取締役である。

Jeb Bush 11Neil Bush 3Marvin Bush 1Dorothy Bush 2

(左: ジェブ・ブッシュ / ニール・ブッシュ / マーヴィン・ブッシュ / 右: ドロシー・ブッシュ)

 

サミュエル・P・ブッシュ(父)---フローラ・シェルドン(母)/ ジョージ・H・ウォーカー(父)----ルクレチア(母)
                 ↓ ↓

  プレスコット・シェルドン・ブッシュ(父)------------------------------- ドロシー・ウォーカー・ブッシュ(母)
  ↓
↓                      
↓ マーヴィン・ピアース(父)------ポーリン・ロビンソン(母)
                         ↓                        ↓   
↓  ↓                       
                          ↓ ↓
          ジョージ・ハーバート・ブッシュ(父)---------------------バーバラ・ピアース(母)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
   ↓  ↓          ↓    ↓       ↓ ↓  
ジョージ・ウォーカー  ポーリン・ロビンソン   ジェブ    ニール   マーヴィン   ドロシー


息子の自慢話を素通りする母親

  ワスプの上流階級に育ったバーバラは、お嬢様らしく保守的な考えを持ち、夫人に仕える献身的な妻であるが、たまに率直すぎる発言で世間の注目を浴びることがあった。例えば、1984年、ロナルド・レーガン大統領のもとで副大統領を務めていた夫が、再選のキャンペーンを行っていた時、対立候補の副大統領候補ジェラルディン・フェラーロ(Geraldine Ferraro)について訊かれたことがある。バーバラは自分達の裕福さを隠さず、私たちがリッチ(rich)ならフェラーロはウッチ(witch /魔女)ね、と韻を踏んで暗に悪口を仄めかし、後に謝罪することになった。(当時、民衆党の大統領候補になっていたのは、後に駐日米国大使となるウォルター・モンデール。彼はレーガンの地滑り的勝利を喰らって完敗した。) また、ファースト・レディーとなったヒラリー・クリントンに対するコメントを求められた時、バーバラは記者たちの扱いについてアドヴァイスを与えたという。彼女は「そうね。彼らを疫病(plague)と思って避けなさい。そして、もし彼らがあなたの言ったことを引用するなら、それは彼らがあなたの言ったことに耳を傾けたのだ、とみなしなさい」と述べた。("Barbara Bush : In her own words, frompolitical prognostication to rhymes with rich", USA Today, April 17, 2018) それにしても、ホワイトハウスにやって来るジャーナリストを伝染病や害虫の類いに譬えるなんて、ちょっと正直すぎるというか、言い得て妙である。だから、「ひどいなぁ」と思うけど、つい笑ってしまう。

Geraldine Ferraro 1Walter Mondale 1Ronald Reagan 3


(左: ジェラルディーン・フェラーロ / 中央: ウォルター・モンデール / 右: ロナルド・レーガン )

  上流階級の婦人は庶民とは違った感覚を持っているようだ。バーバラの亭主ジョージ・ハーバートを産んだドロシー・ブッシュ(Dorothy Bush)夫人もまさしくワスプ(WASP)のレディーらしかった。ワスプの研究でブッシュ家に言及したリチャード・ブルックハイザー(Richard Brookhiser)がある面白いエピソードを紹介している。イギリス系の上層中流階級および上流階級では、自分の事をあれこれ言いふらしたり、己の業績をひけらかすことを“はしたない”と考える。自分自身の事よりも、周りの者とか友人、あるいは下々の者に対する配慮を重視するらしい。ブッシュ家では自己抑制を躾の項目にしていた。例えばもし、野球をしている息子のジョージが急いで帰宅し、「母上。僕、今日の試合でホームランを打ったんだ !」と自慢げに話したら、母親のドロシーは落ち着いた様子で優しく「チームのみんなはどうだったの?」と尋ねたそうだ。つまり、自分が素晴らしい活躍したことより、他のチームメイトがどのようなプレーをしたのか、仲間に対して何をしたのか、の方が重要なのである。

Bush 1Prescott & George Bush 1Dorothy & George Bush 2

(左: イェール大学でに野球選手だったジョージ・ブッシュ /中央: 父のプレスコット・ブッシュと息子のジョージ / 右: 母のドロシーと息子のジョージ)

  この逸話を聞いたリチャードは、ユダヤ人の妻とその友人でイタリア系のアメリカ人に話したそうだ。すると、二人とも腰を抜かして驚いたという。(Richard Brookhiser, The Way of the WASP : How It Made America, and How It Can Save It, So to Speak, The Free Press, New York, 1991, p.3) イタリア人やユダヤ人の小倅(こせがれ)なら、「かあちゃん、ただいま!! ねぇ、聞いてよ。オレ、今日の試合でホームランかっ飛ばしたんだぜ !! すごいだろう!!」と自慢するに違いない。これを聞いた母親だって、「そうかい !!! すごいねぇ!! さすが私の子だよ ! そうだ、夕飯はご馳走にしてあげるね !」と言うのが一般的だろう。親子揃ってニコニコ顔というのが当り前。冷静沈着に「チームの状況はどうだったの?」と質問するなんてあり得ない。悲しいけど、優越民族のイギリス人と劣等民族のユダヤ人とか南欧人は、生きている次元が違うのだ。そう言えば、我が国の武士も自分の自慢話を良しとせず、己の功績に関しては寡黙に徹し、他者への心遣いを重んじていた。立派な民族には共通する美徳があるようだ。

  バーバラ・ブッシ夫人は古き良き時代のアメリカを代表する良妻賢母であったが、息子の教育には失敗したようだ。長男のジョージは飲んだくれの出来損ないで、愛想がいいだけのボンボン。アル中から立ち直るも、オヤジの七光りで球団(テキサス・レンジャーズ)のオーナーに就任し、ついでにテキサス州の知事にまでなれた。大統領選挙の時も、危ない投票結果と怪しい再検証(リカウント)で危機を乗り切ったが、それも父親の親友である元国務長官のジェイムズ・ベイカー三世、ならびに共和党にいる重鎮たちのお陰である。9/11テロではその首謀者組織に加わっていたとの疑惑を持たれ、サダム・フセインを倒したイラク戦争は大失敗。ブッシュ大統領のテロ関与は一般的に「陰謀論」と見なされるが、数々の疑問や証拠隠滅により、限りなく黒に近い容疑者である。(これに関しては充分な根拠がある。「陰謀論」と嘲笑う者は、テロ事件の全貌を科学的に考えてみるべきだ。ユダヤ系アメリカ人のクリストファー・ボルンの綿密な調査や、物理学者ジュディー・ウッド博士の研究書は興味深い。ウッド博士の『タワーは何処に行った?(Where Did the Towers Go ?)』が未だに和訳されていないのは不思議だ。下らない左翼の洋書ならドンドン翻訳されているのに。有益な洋書は無視。)

Barbara Bush & son 19 11 terrorism 002

(左: バーバラとジョージの親子 / 右: 攻撃されるワールド・トレード・センター)

  バーバラ夫人は子育ての点で苦労したと言えるが、少なくとも夫婦生活を円満に送り、たくさんの孫にも恵まれたのだから、幸せな人生だったのかも知れない。1941年に17歳だったジョージ・ブッシュは、16歳のバーバラとクリスマス・ダンスを楽しみ、そこで初めてのキスをしたそうだ。ジョージは1942年、母親宛の手紙で最初のキスを報告したという。今の時代では考えられない純情さだが、当時のアメリカ社会は道徳を重視することが当り前だったので、男女の交際も健全なものであった。バーバラ夫人によると、彼女が“知っている”男性は夫のジョージのみで、他の男性とは付き合ったことがないという。彼女は浮気も一切せず、72年も連れ添った亭主を晩年まで愛していたという。(ヒラリー・クリントンなら大粒の涙を流して、「私もこうなりたかった !」と呟くんじゃないか。亭主のビル・クリントンときたら、イタリア人でも驚くほど下半身が「遊び人」なんだから。)

  邪険にされている日本の亭主にとっては、何とも羨ましい夫婦愛である。定年を迎えた旦那は家でゴロゴロしていると、カミさんに疎まれるし、かといって再就職しようとすればロクなものがない。日曜日になると女房は友達と一緒に芝居見物に出掛けてしまい、亭主はひとり自宅でお留守番。外出の支度をする女房に、「母さん、俺の夕飯は?」と尋ねれば、「あっ、冷蔵庫にチャーハンが入っているから、それをレンジで温めてね!」と軽く言われてしまう。さらに、「遅くなるかも知れないから」との声が聞こえ、遠くからでも虚しく響く。仕方なくテレビでゴルフ中継をポツンと観ている亭主は、「お前だけがいつも俺と一緒に居てくれるんだよなぁ」と飼い猫のミーちゃんに語りかける。ご褒美として、パリパリの味附け海苔を与える姿が侘(わび)しい。世間のおカミさんたちは「亭主元気で留守がいい」と言うけれど、隠居の旦那は「女房元気で今日も留守 !」と愚痴るだけ。それでも日本の男は頑張るんだから偉い。おっと、話が長くなりそうだから、ここらでお後が宜しいようで。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68713281.html


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回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達

アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動 的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html


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今こそ合州国の正体直視を  
週間金曜日2003年 3月14日号「風速計」 本多勝一

この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。

 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。

 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。

 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。

米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。


合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。

戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。

これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451


ウンデッドニー以来…… (本多勝一)

 アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。

 合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである。

合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。

 ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。

のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する。

 息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。

 その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。

 朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。

 ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。

 ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」


<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386

第一次湾岸戦争時の「ナイラ証言」と「油まみれの水鳥」

アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために露骨な捏造と情報操作をおこなった。世界が、みごとに嵌められてしまった。

「ナイラ証言」というのは、完璧な捏造であることがはっきりしている。ナイラというクウェートの少女が、米公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器からだし、次々と床に叩きつけて殺したのを見た」と涙ながらに証言した。

しかし、後にこの少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。つまり、証言は真っ赤なウソだった。この証言は、アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものだった。リハーサルもきちんとしていた。もちろん、スポンサーはアメリカ政府以外にない。ただし、捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは、1年3ヶ月後のことだ。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は反戦が多数を占めていた。しかし、この証言で世論は一気に会戦へと転じた。周到に準備された、たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させてしまった。しかも、素人の少女のウソ泣きによって。


クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。そのクウェート人少女は、アメリカ議会の公聴会でこう証言した。

「サダム・フセインの軍隊が病院に乱入して、保育器から赤ん坊を取り出し、床に叩きつけて殺した。私はこの目で目撃した」

 と、少女は涙を流しながら証言した。

 ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
 事前にアメリカの広告代理店が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサルをした上での証言だった。当の少女が後に暴露した。


湾岸戦争のときの「油にまみれた水鳥」の映像

 石油の海と化した波打ち際に、全身石油まみれの真っ黒の水鳥が弱々しく立っていた。いや、呆然と立っていたといった方がいいかもしれない。

 当時、メディアはサダム・フセインの「環境テロ」だと大騒ぎした。フセインがわざと油田の油を海に「放出」していると報道された。

環境は破壊され、海の生物が犠牲になっていると。油にまみれた水鳥の映像は、大きな訴求力を持った。水鳥の映像は世界中をかけめぐり、繰り返し放映された。世界中がフセインを「狂気の極悪人」として認識した。このたったひとつの映像が、永遠にフセインのイメージを世界に決定づけたのだ。

 しかし、あの映像はヤラセだった。

 まず原油が海に流れたのは、米軍の爆撃機がイラクのタンカーを撃沈したからだ。アメリカは自分の爆撃の結果を、フセインの環境テロにすり替えたのだ。そしてメディアは、タンカーから流出した油の映像に、水鳥の映像を付け加えて、効果を高めた。日本のメディアは、その映像がおかしいと知りながら、アメリカの大本営発表に沿った報道をした。

 水鳥の命をダシに、イラク市民は爆撃された。
 クジラの命をダシに、日本が爆撃されたら、日本人は納得できるだろうか。


サダム・ フセインが自国民(クルド族)に化学兵器を浴びせた想像を絶する暴君だというイメ−ジを与える宣伝キャンペ−ンがあげられる。私自身もそう信じ込まされていたし、長い間彼のことを何をしだすかわからない怖い存在だと思っていた。

しかし、これもアメリカの巧妙な宣伝が成功したに過ぎない。イラン・イラク戦争の期にイラク領のハラブシャで、イラクとイランとが互いに化学兵器を使い合ったのは確かだが、クルド人を殺した毒ガスはイラン側が所有するシアン化物だった、当時イラクの毒ガスは、マスタ-ドけいのどくがすであっっという。
   検診したトルコの医者が証言している。

しかし、スタンフォ−ド大学フ−バ−研究所特別研 究員松原久子も「アメリカは戦争を望んでいた」(文芸春秋一九九一年五月号)と題した寄稿文でこのことはっ きり書いているが、これに対する反証は出されておらず、今では 定説となっているのである。湾岸戦争後に、米軍は、降参したイラク軍のクウェ−ト陣地に少しでも化学
兵器が残っていないかと躍起になって捜したというが、ついに化学兵器は少しも見当たらなかった。イラクは国家存亡と岐路に立たせられたあの湾岸戦争でも科学兵火は使っていなのである。
http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageForm/chance-forum@freeml.com/6841/;jsessionid=0m2cs06w21


悪魔化されるサダム・フセイン

米国は、報道機関の助けを借り、戦争を国民に納得させようと、サダム・フセインを悪魔のような人物に仕立て上げた。イラン・イラク戦争の期間は米国とイラクの問に緊密な外交、経済、軍事の協力があったが、戦争が終って数年すると、サダム・フセインは突然、「ヒットラーより悪い」独裁者となった。

 個人的中傷のほかにも様々な宣伝が行われた。その最初は石油だった。一九九〇年九月十一日、ブッシュは「あまりにも重要な資源をあまりにも残忍な人間に支配させておくことは、許容できるものではなく、今後も許容されない」と述べた。それでも、米国のかなりの人々がこれに同調しなかった。同年十一月十四日付け 「ニューヨーク・タイムズ」 は米政府の新たなアプローチを次のように報じている。

  ホワイトハウスのスピーチ・ライターがブッシュ大統領の湾岸政策について、明瞭に、そして一貫して理解を得られるよう紹介することができず、その結果、本国民の支持をつなぎとめておくことができそうにないことに、(中略)ベーカー国務長官は怒りをつのらせていると言われている。

 湾岸戦争が始まった八月以降、戦闘部隊派遣を正当化する大統領の理由は、「死活的利益」が危機に瀕していることから始まり、侵略による損害を見過ごしてはならない、サダム・フセインはヒットラーより悪い、に至るまで実に網羅均である。

……

 このため、ベーカーは失業という新たな恐怖を持ち出した。「湾岸危機を米国民の生活水準レベルで話すならば、それは雇用問題だと言わせていただきたい。なぜなら、西側の経済的生命線(石油を支配するある国により、さらに言えば、ある独裁者により、世界の経済が不況へと転落すれば、米国民に失業が生まれるからだ)とベーカーは語った。サダム・フセインは今度は、湾岸での米国の支配強化に対してだけなく、米国経済のさらなる悪化に関連しても、非難されるようになった。ただし、米国の景気が実際に悪化するのは、湾岸戦争が終った後のことである。


最も人々の注意を引いて話題となった虚報は、「保育器の報道」である。一九九〇年十月十日、人権に関する議会コーカスにおいて「ナイラ」とのみ紹介された十五才の少女は、イラク兵士が嬰児を保育器から取り出して、「冷たい床の上に置き去りにして死なせる」のを目撃したと主張した。この話は、戦争に向けて突き進むブッシュ政権によってすぐさま利用された。ブッシュはこの話をいくつものスピーチで繰り返し引用し、このようにして三百十二人の赤ん坊が死んだと訴えた。アムネステイー・インターナショナルも一九九〇年十二月十九日のリポートで、この話は真実だと報告した。

 戦闘が終ってみると、保育器の話はまったく信用できないことが分かった。時がたつにつれ、国家安全保障会議や議会で証言を行った証人は、姓名も身分も偽っていたことが判明した。姓名がイサハ・イブラヒムで、身分が軍曹とされた人物は、イブラヒーム・ベハベハニという矯正歯科医だった。先の十五才のナイラという少女は、証言では残虐行為の行われた時に病院でボランティアとして働いていたと言ったが、実は、駈米クウェート大使の娘だった。これらは、十月十日の議会コーカスを、主催した者にとって、既知の事実だったのである。

 アムネステイー・インターナショナルは一九九一年四月、保育器の話を真実とした報告を撤回した。ミドル・イースト・ウォッチは一九九二年二月、保育器の話はイラク軍による大量レイプや拷問と同じく、「明らかに戦時の宣伝工作」である、とするリポートを発表した。

今回の開戦前の国連査察結果からも、ここに抜粋しましたラムぜー氏の見解のごとくに、「イラクの核兵器保有」は、ブッシュ(父子)の捏造である事が判りました。

そして、「保育器の報道」についても、最近ではテレビ放送で、自由クウェート市民との団体が、アメリカの大手広告代理店「ヒルトン&ノートン」に依頼して「駐米クウェート大使の娘」ナイラと名乗らせ作成した「宣伝工作」であったと放映されていました。


ビアーズ次官は完成したばかりの政府広報誌「イラク 恐怖から自由へ」を紹介した。「1988年3月16日、イラク北部の町ハラブジャで、イラク軍の毒ガスにより5000人のクルド住民が死んだ」という内容で、イラク攻撃への支持を訴える意味を込めて、世界中に配布されている。

 冊子には、赤ん坊を背負ったまま道端に倒れる女性や、息絶えた子どもたちの写真が多い。「我々が発信する情報は心を打つ物語でなければ」と次官は言う。ハラブジャ事件にはブッシュ大統領もしばしば言及、「自国民を毒ガスで殺した非道なフセイン政権」の象徴となっている。

 しかし、この事件には実は謎が多い。当時、米中央情報局(CIA)のイラク担当だったステファン・ペレティエ氏(米国の陸軍戦争大学元教授)は「毒ガスはイラクではなくイランのものだった」と主張する。当時はイラン・イラク戦争のさなかで、犠牲者はイランしか持たないシアン(青酸)ガスで死んだ兆候を示していた、というのだ。


 元教授によると、ハラブジャを現地調査した国防総省の情報機関は90年春、部内報告として、クルド人殺害はイランのガスによるものと結論付けていた。ところが、連邦議会の調査委員会は「イラク軍がマスタードガスと神経ガスでクルド人10万人を殺した」と発表し、イラク虐殺説が広まったという。

だが、密室ではなく戸外に散布したガスで一度に10万人も殺せるのか――。首をかしげる専門家も少なくなかった。その後、広報誌のように「5000人」という死者数が多用されるようになったが、昨年10月のCIAの報告書は死者を「数百人」と記し、宣伝用の数字(5000人)と大きな食い違いを見せている。

テレビ放送でも、多くの評論家は、この事実に全く触れずに、“毒ガスを同国民であるクルド人に使用し虐殺した、極悪人のフセインを追放すべし!”と声高に語り、アメリカのイラク侵攻を支持しています。


「多数のメディアが、繰り返し強調する事例はまず疑え」
ということだ。

ソビエト連邦=共産主義=世界の脅威

サダム・フセイン=大量破壊兵器=世界の脅威

タリバーン=原理主義=世界の脅威

「アル・カイーダ」=テロリスト=911、疸阻菌、ロンドン爆破=世界の脅威
・・・etc.


ソビエト連邦も、フセインも、タリバーンも世界の脅威ではなかった。
意図的に強調されてきたにすぎない。
「アル・カイーダ」は実際に存在するのかどうかさえ怪しい。
本当の世界の脅威とは、常套的に情報操作し、平気で他国を爆撃するアメリカ合州国自身ではないのか。


──大量破壊兵器とアルカイダ──

 今回のイラク戦争でも、このウソによるイメージ戦略は大いに発揮された。

 イラク戦争開戦の最大の理由は、
「大量破壊兵器の存在」「フセインとアルカイダのつながり」
 だった。

 この二つの「事実」が、世界中のメディアを使って大宣伝された。狂人フセインを打倒しなければ、世界の安全は脅威に晒される、というように。フセインは世界の脅威、世界の敵になった。すでにフセインのイメージは10年前に定着している。

しかし、「大量破壊兵器の存在」も「アルカイダとの関係」も、ウソだった。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/9596a99dfeb4a0daf5a852d62ea14fa5


マスコミ業界の世界的な中心地であるアメリカでは、マスコミは、開戦後に戦争に協力するだけでなく、政府による戦争開始の策動に協力してきた。アメリカのジャーナリズムの賞として世界的に有名なものに「ピューリッツァ賞」があるが、この賞を作ったジョセフ・ピューリッツァは、1898年にアメリカとスペインの戦争(米西戦争)が始まる原因を作った人である。

 米西戦争は、当時スペイン領だったキューバに停泊中のアメリカの戦艦メーン号が何者かによって爆破沈没され、これをピューリッツァの新聞「イブニング・ワールド」などのアメリカのマスコミが「スペインの仕業に違いない」と煽り、開戦に持ち込んだ戦争である。メーン号が沈没した理由が、故障による自損事故だったことは、後から判明した。

 この米西戦争開始の経緯を見ると、アメリカのマスコミが政府の肝いりで「イラクは大量破壊兵器を持っているに違いない」と煽って開戦に持ち込み、後で、実はイラクは大量破壊兵器を持っていなかったことが分かったという、105年後の2003年に起きたイラク侵攻と、ほとんど同じであることが分かる。

 ピューリッツァとその後の同志たちが巧妙だったのは、自分がやっていた扇動ジャーナリズムを、洗練された知的で高貴な権威あるイメージに変えることを企図し、成功したことである。ピューリッツァは、ニューヨークのコロンビア大学に巨額の寄付を行い、ジャーナリズム学科を創設した。今では、コロンビア大学のジャーナリズム学科は、ジャーナリズムを学ぶ場所として世界最高の地位にあり、ピューリッツァ賞は、世界最高の賞となっている。「ジャーナリスト」は、世界中の若者があこがれる職業になった。

 しかし米西戦争からイラク侵攻まで、「人権」などの一見崇高なイメージを使って敵方の「悪」を誇張し、自国にとって有利な戦争を展開することに協力しているアメリカのマスコミのやり方は、巧妙さに磨きがかかっただけで、本質は変わっていない。
http://tanakanews.com/g0725media.htm


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アメリカ・・血まみれの歴史・ブッシュ1

 1800年代初頭、米国ではサギが横行した。ガラス玉を宝石だと偽り、アメリカのネイティブ(差別的にインディアンと呼ばれて来た)から、広大な土地とガラス玉1つを交換し、土地をダマシ取るサギであった。

 しかしサギはまだ良い方であった。いきなりライフルとピストルでネイティブを家族全員殺害し、その畑を略奪する事は常識であった。

 奪った畑では、黒人が奴隷として働かされ、大規模な農場経営が行われた。奴隷はアフリカの西海岸から船で運ばれ、米国のボストン港に「荷上げ」された黒人奴隷であった。

 水も食料も十分に与えられなかったので、黒人の大部分は「輸送途中」で死んだ。

 ボストン港では、黒人奴隷を販売する「市場」が毎日開かれた。この船会社=奴隷の販売業者として財産を作り、奴隷による大規模農場経営で富を作った富豪の代表的一族に、ブッシュ一族とベーカー一族が居た。

 1991年、イラク戦争(湾岸戦争)を起こしたアメリカ合衆国大統領ジョージ・ブッシュと、国務長官(外務大臣)ジェームズ・ベーカーの一族である。

 ベーカーとブッシュ一族の経営する世界最大の商業銀行シティバンク、その親会社=銀行ブラウン・ハリマンの富は、こうして奴隷売買とアメリカのネイティブ虐殺による土地略奪=農場経営で、生み出された。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50655470.html


強姦王ブッシュ・・ブッシュ2

 農業で暮らすアメリカのネイティブ(インディアンと差別的に呼ばれてきた)の家に、ある日突然、ライフルとピストルを持った英国人、フランス人がやって来る。ネイティブは家族全員殺害され、女性は強姦され、売春宿に売り飛ばされる。ネイティブの家と畑は奪われ、その周辺の荒野、森林、山は、英国・フランス人=アメリカ人のものになる。

 こうして、「無料で入手」された土地に鉄道を通す。荒野は駅前の商業地になり、商業地の周辺には住宅地が出来る。無料で手に入れた土地は、高額な不動産という資産に変身する。

 鉄道事業という、この錬金術に目を付けたのが、ブッシュ大統領一族であった。ネイティブの殺害、強姦、女性の売春宿への販売、黒人奴隷の「輸入」と、略奪した畑での奴隷労働。こうして得た利益は、全て鉄道事業に投資され、現在の全米の鉄道網を形成して行った。

 最もすさまじくネイティブを虐殺し、強姦した者が、当然、最もたくさんの土地と鉄道を手に入れた。やがて全米の鉄道を手に入れ、その鉄道事業の利益で、親子2代に渡り大統領になる鉄道王ブッシュ一族。全米の最もすさまじい虐殺王、強姦王が「当然」大統領になる。鉄道王ブッシュ一族の誕生である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50655411.html


奴隷貿易王・ブッシュ・・ブッシュ3

 乗っ取りファンド、スティール・パートナーズが日本のブルドッグ・ソースに乗っ取りを仕掛ける等、乗っ取り屋が話題を呼んでいる。

 こうした乗っ取り屋は、アメリカの建国時代から居た。鉄道が莫大な利益を生み出す事を知ったブッシュ大統領一族は(拙稿「ブッシュ2」参照)、鉄道の乗っ取りに乗り出す。

 既に鉄道が建設され、走っている所に、ブッシュは同じ路線の鉄道を並行して建設し、運賃を極端に低い価格で顧客に提供した。既存の鉄道は、顧客をブッシュに取られまいと考え、競争して運賃価格を下げる。こうして赤字経営に追い込まれた既存の鉄道会社は、資金力のあり余るブッシュ一族に激しい競争の末、敗北し倒産する。倒産すると、その鉄道をブッシュが二足三文で買い叩く、という乗っ取り手法である。

 最終的に、ブッシュ一族の要請に対し、どうしても相手が買収に応じない場合には、相手の家族の誘拐、家屋への放火、「強盗による」相手家族の皆殺し等の「事件」がしばしば起こった。そして結果的には、鉄道乗っ取りは成功した。

 元々、ネイティブを虐殺して「土地を略奪する」虐殺部隊=ギャング部隊のボスが、鉄道経営者である。鉄道経営者同士の乗っ取り合戦、つまり鉄道の走る「土地の略奪」に、そのギャング部隊が使われる事は当然である。ターゲットが、ネイティブから「他の鉄道業者」に変わっただけである。


 鉄道は、当時、中国から「輸入」されて来るクーリーと呼ばれる奴隷を酷使し、重労働させる事で建設された。厳しい労働の苦痛から逃れるため、クーリーは麻薬・アヘンを求めた。アヘン無しには鉄道建設は不可能であった。

 全米を統一する鉄道王ブッシュは、中国から奴隷とアヘン=麻薬を輸入する麻薬王、奴隷貿易王となった。

 奴隷貿易=人身売買、麻薬売買は、ギャングとマフィアの仕事である。全米を統一した鉄道王とは、全米を統一したマフィア、ギャングのボスという事である。そのマフィアの暴力、権力、資金力が、米国の大統領の力=パワーの源である。

 乗っ取り屋である鉄道事業者は、レールと貨車を製造する製鉄事業を、やがて自分の「河上」産業として支配下に置く。乗っ取り屋が鉄鋼業を支配したため、2007年現在の乗っ取り屋が「スティール・パートナーズ」=「鉄鋼業者のお友達」という名前を持つ事になる。

 鉄鋼業は、やがて余った製鉄製造力を、戦車、弾丸等の製造に「振り向ける」。鉄道を支配した者が鉄鋼業を支配し、世界最大の米国の軍事産業を生み出す。世界最大の軍事産業は、それが製造する膨大な兵器を「購入し、消費」してくれる世界最大の軍隊が無くては、兵器の「販売先」が無くなる。米国は世界最大の軍隊を持ち、その軍隊の指揮官が大統領=ブッシュである。

 「ネイティブの虐殺による土地資源の略奪者」=乗っ取り屋ブッシュ=鉄道業者=鉄鋼業者=軍事産業=巨大な軍隊=その指揮官・大統領ブッシュ、という円環が形成される。

 「ネイティブの虐殺による土地資源の略奪者」が、後に「イラク人の虐殺による、石油を埋蔵した土地資源の略奪者」ブッシュに姿を変える。

 ネイティブを虐殺したギャング部隊が、システム化され、イラク人を虐殺する米軍に姿を変える。米軍の正体が、アメリカ開拓時代の虐殺集団=ギャング団である事が「明るみに出る」。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50655333.html


映画にもなったテロ組織アサシン・・ブッシュ4
 米国の鉄道網を支配するブッシュ大統領一族は、その鉄道建設のためにクーリーと呼ばれる中国人奴隷を酷使した。クーリーは、厳しい重労働の苦痛から逃れるために麻薬、アヘンを求めた。アヘン無しには、全米の鉄道建設は不可能であった。

 1830年、ブッシュ一族は、米国のアヘン専売会社ラッセル・カンパニーを設立する。

 米国随一の麻薬企業ラッセル社の創立時の取締役を以下に掲げる。

1. ジョン・フォーブス。後に世界の富豪を紹介する雑誌「フォーブス」を創刊し、2007年現在のブッシュ大統領と大統領選挙で争ったジョン・フォーブス・ケリー上院議員を輩出する一族。

 また現在、中国企業の内情を諜報するロックフェラーの軍事コンサルタント企業アクセンチュアの諜報員の要職は、このフォーブス一族で占められている。


2. アビール・ロウ。この人物は、後に、アヘン売買の利益で、コロンビア大学を創立する。


3. ジョセフ・クーリッジ。後に、アヘン売買の利益を元に、クーリッジ大統領を輩出する一族。

 クーリッジ一族は、アヘン売買の利益で、中南米でネイティブ(差別的にインディアンと呼ばれてきた)を奴隷とするバナナ農園の大規模開拓に乗り出す。

 クーリッジ一族は、ネイティブが反乱を起こさないよう、中南米全体を巨大な軍隊で押さえ、スパイし監視する、奴隷監視、弾圧組織を作り上げる。中南米のネイティブの多くが、このクーリッジ一族により虐殺された。その数は数千万人に上る。

 このクーリッジの企業=ユナイテッド・フルーツ=チキータ・バナナの巨大スパイ、軍事組織が後にCIAとなる。


4. 中国の広東で、アヘンと中国人奴隷の輸出入を担当した取締役が、ウォーレン・デラノ。デラノ一族は、アヘン売買の利益で、後にルーズベルト大統領(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)を輩出する。大統領は、アヘンと奴隷密売人デラノの孫に当たる。
 

5. アルフォンソ・タフト。この一族は、麻薬売買の利益で、後にタフト大統領を輩出。

 ラッセルの取締役タフトは、アヘン売買の利益で「有色人種は劣った人種であり皆殺しにせよ」と主張する、キリスト教原理主義教会を創立。現在、アメリカ人の46%が「日本人等の有色人種を絶滅させよ」と主張する、このキリスト教原理主義教会の信者。


6. ダニエル・ギルマン。この一族は、アヘンで「人間を支配する」テクニックの研究に没頭。それが後に、心理戦争の概念に発展。心理戦争の専門研究機関ジョンズ・ホプキンス大学は、ギルマンの麻薬売買の利益で創立された。

 広島、長崎に原爆を落とし、「日本人の戦意喪失」を図る心理戦争計画は、このギルマンの経営するジョンズ・ホプキンス大学が設計した。ラッセルの麻薬資金により、日本の広島、長崎への原爆投下計画が立てられた。

 また、ギルマン一族は、アヘン売買の利益を、フーバー研究所・フーバー財団の形で残した。

 レーガン大統領時代に、米国は極端な核兵器の軍備拡大を行ったが、そのプランを立てたのが、このフーバー研究所であった。

 「アヘンによって人間を支配する」という、ギルマンの心理戦争研究は、「膨大な核兵器=人類絶滅の恐怖により人間を支配する」フーバー研究所の戦略として「実った」。「世界の支配者=米国に逆らうと、核兵器で人類を滅ぼす」という脅迫作戦である。人類を絶滅の危機にさらす膨大な核兵器は、ラッセルの麻薬資金によって計画的に「生み出され」て来た。


7. クリーブランド・ドッジ。ドッジ一族は、後にブッシュ一族と共に、世界最大の銀行シティバンクを経営。

 第二次世界大戦後、日本に米軍を常駐させ、日本を再軍備=自衛隊を作り、それと引き換えに日本を経済成長させ、「日本と中国、ロシアとの戦争に備えさせる」政策=いわゆるドッジ・ラインを作成した一族が、このドッジである。

 現在の日本に常駐する米軍、また自衛隊、日本の「豊かさ」は、麻薬企業ラッセルの取締役ドッジ一族により「設計」されて来た。


8.ブッシュ一族は、麻薬企業ラッセルの監査役を担当した。

 また、ラッセルの取締役ではないが、社員としては、遺伝子組換え食品の専門企業=コーンフレークのケロッグ一族。

 さらにラッセルのメンバーであった法人としては、ブッシュ一族、ベーカー一族と共に、西アフリカのリベリア等で黒人を奴隷とし、ゴム農園を経営していたファイアーストーン社が居る。ファイアーストーンは、現在、自動車のタイヤ・メーカーとして有名。ファイアーストーン・タイヤのゴムは、アフリカで黒人を奴隷として酷使し、作られたものであった。

 また、ラッセル社に協力しながら、単独でアヘン売買を行っていたグリーン一族は、その麻薬売買の利益で、後に名門プリンストン大学を創立。

 ラッセル社は、その麻薬売買の利益で、後にCIAスパイ養成所と呼ばれる名門イエール大学を創立する。

 また、ラッセル社は、その一部が企業から財団に姿を変え、1954年、共和党基金財団となっている。米国共和党最大の選挙資金プール財団の正体は、この麻薬企業ラッセルである。

 また、ラッセルの麻薬の利益の大部分は、南アフリカに投資され、黒人を奴隷とした金塊、ダイヤモンド採掘企業アングロ・アメリカン社=デビアス社に姿を変えている。

 当時、米国内で麻薬密売を担当したのが、パーキンス・シンジケートというマフィアであった。そのボス、トマス・パーキンスのさらに上司=ボスは、モルガン銀行とその経営者ロックフェラーである。

 ラッセル社が、アヘンを買い付けていたトルコでは、アヘン栽培の大規模農園が作られていた。英国が中国に持ち込んだのが、インド・アヘンであったのに対し、米国はトルコ・アヘンであった。

 トルコで、このブッシュ一族のアヘン農園を経営していたのが、ドイツ人のゼボッテンドルフ一族である。このゼボッテンドルフ一族が、後にドイツでナチスを創立する。アドルフ・ヒトラーはゼボッテンドルフ一族の「あやつり人形」に過ぎない。

 トルコでは、このアヘン農園を監視、経営し、アヘン販売ルートでゼボッテンドルフと競合する業者を殺害するギャング団、暗殺組織が雇われていた。イスラム過激派のテロ組織アサシンである。

 この組織は、麻薬漬けにした人間に麻薬欲しさに殺人を行うよう仕向ける、「殺人ロボット」を養成していた。麻薬=ハシッシュを意味するアサシンが、殺人組織の別名となった理由はここにある。その麻薬を提供していたのが、ブッシュ一族である。

 このテロ組織アサシンの「麻薬を用いた人間ロボット化」が、ジョンズ・ホプキンス大学の心理戦争研究に引き継がれて行く。

 テロ組織アサシンへの麻薬提供の見返りに、ブッシュ一族はアサシンにより「警護」され、麻薬ビジネスをトルコで「安全」に行っていた。

 なお、近代初頭まで、古代シュメール、古代ギリシアの古文書の多くは、イスラム寺院に保管されて来た。これら古代文明発祥の地の一部が、オスマン・トルコの支配下に入った歴史、ローマ帝国=カトリックが、シュメールやギリシアの古文書を異端として排除したためである。必然的に、ローマ帝国に逆らい、カトリックに反対する異端宗教を信仰するフリーメーソンの拠点は、イスラム、その中心地トルコに置かれた。

 ゼボッテンドルフ一族は、カトリックを敵視するフリーメーソンであり、異境の地トルコでの活動資金を作るため、アヘン栽培を行い、ローマ・カトリックを敵視するイスラムと組んでいた。シュメール語版聖書を経典とするキリスト教原理主義教会の創立者=ラッセル=ブッシュ一族が、シュメール語版古文書の保存地であり、シュメール語版聖書を経典とするフリーメーソンの拠点トルコのアヘン販売を担った理由はそこにある。

 キリスト教原理主義教会が、トルコの地を「精神的故郷」とし、トルコにおいてイスラムの「最深部」アサシンというイスラム・テロ組織と一体化して来た歴史には、注意を要する。アサシンは、カトリックを敵視し、ヨーロッパ世界の指導者を殺害するためのイスラム・テロ組織である。

 現代では、アサシンはアルカイダに該当する。アサシンとブッシュ一族との一体化は、9.11テロにおいて、アルカイダとブッシュ大統領との一体化として「歴史的に再帰」してくる。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50655195.html


132. 2018年5月10日 10:51:10 : mzyIXJstuE : Bhg2CpgLbQ4[1]
白人は少数派なので守るべき。ロックフェラーみたいな顔が、ネイティブアメリカンとのハーフで白人じゃない。O型はネイティブアメリカンの血。

A型 白人とモンゴリアンのミックス
B型は 白人とアジア系(トルコ系かペルシャ系)とのミックス。


133. 中川隆[-12531] koaQ7Jey 2018年5月22日 07:32:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14200]

2018年05月21日
静かなる悲報としてのロイヤル・ウェディング / 歓迎されないプリンセス
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68717704.html

不満を口に出来ないイギリス人

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(左: ヘンリー王子とメーガン・マークル / 右: 少女時代のメーガン)

 第21世紀に入って、アングロ・サクソン世界の凋落が徐々に進み始めた。歴史家のポール・ケネディーは、軍事的負担による国家の衰亡を唱えたが、筆者は国民の人種的変質による衰退を提唱したい。西歐史の教科書を繙(ひもと)けば、第5世紀に西ローマ帝國が滅亡しても、東のローマ帝國(ビザンツ帝國)は存続し、メフメト2世の侵攻を受けるまで崩壊しなかった。しかし、コンスタンティノポリスを首都とする東ローマには、生粋のローマ人が少なく、殆どがギリシア人とかスラヴ人、トラキア人、アルメニア人、フェニキア人、ならびに北アフリカの諸民族といった人種がひしめいていた。

  帝政になってからのローマには色々な種族の元首が現れたので、日本人でも歴代皇帝の彫像を見れば判る。例えば、皇帝セプティミウス・セヴェルス(Septimius Severus)は、北アフリカの「レプティス・マグナ(Leptis Magna / 現在のリビア)」で生まれたという。彼の母親はイタリア半島生まれのローマ人であったが、父親はリビア人であったらしい。そして、セヴェルス帝の息子ルキウス(Lucius Septimius Bassianus)、通称「カラカラ(Caracalla)」帝は、昔ながらのローマ人とは程遠く、母親のユリア(Julia Domma)がシリア人なので、イタリア人らしからぬ風貌を持っていた。帝國の重心がオリエントに移ると、ローマ人の“コスモポリタン”化は更に進み、アラブ系の軍人皇帝まで現れる始末。マーカス・フィリップス(Marcus Julius Philippas)帝は、その民族性から「フィリッパス・アラブス」と呼ばれていた。後の元首も非ローマ人が多く、レオ1世はダキア(今のブルガリア)生まれのトラキア人皇帝だし、ユスティヌス1世はダルダニア(今のアルバニア)の出身で、貧農からのし上がった皇帝だ。

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(左: セヴェルス帝  / カラカラ帝  / レオ1世 / 右: フィリッパ・アラブス帝)

  日本人は大変幸せな民族で、歴代の天皇陛下は皆「日本人」。これがイギリス人なら、「えっ!! 日本のエンペラーはみんな日本人で、朝鮮人とか支那人の貴族から皇妃をもらっていないのか ?!」と驚いてしまうだろう。英国の王族なら、スペインやフランスはもちろん、デンマークやネーデルラント、ドイツ、スウェーデンの貴族からお妃を迎えているので、ドイツ以外のヨーロッパ諸国に親戚が多い。だから、公爵や伯爵の夫人でも英語が拙く、フランス語やドイツ語の方が得意という場合もあるのだ。でも、庶民はそんなことを気にしない。そもそも、庶民と貴族は別種族と言ってもいいほど、生まれと育ちが違っているので、フランス語なまりの英語を喋っても違和感が無く、英国貴族だって気にしていないのだ。片や、日本だと公家も庶民も見分けが付かない。(もっとも、岩倉具視のように「ヤモリ」と呼ばれたお公家さんなら別だが。) 日本人からすれば、朝鮮語訛りの側室とか、色黒の皇妃なんてゾっとする。また、いくら高貴な生まれとはいえ、タイやビルマから嫁いできた華族の貴婦人なんて尊敬できない。もし、皇太子妃候補が蒙古人とか満洲人じゃ、尊皇の志士だって異を唱えるじゃないか。

  今世紀では、前世紀なら「あり得ない」現象が起こっている。人種隔離政策で黒人が賤民となっていたアメリカでは、正体不明の黒人バラク・オバマが合衆国大統領になってしまった。奴隷に公民権を与えただけでも厭なのに、世界最強の軍隊を指揮する司令官に就任するなんて、もう熱病に冒されたようで目の前がくらくらする。一方、七つの海を支配したブリテンでも、似たような悲劇が起こっていた。事もあろうに、女王陛下の孫であるヘンリー王子が、アフリカ系のアメリカ人女優をお妃に迎える事となったのだ。高齢のイギリス人やスコット人なら血圧が上がり、心臓が苦しくなるだろう。いくら何でも、大帝国を誇ったブリテン人が、有色人種の女性をプリンセスに戴くなんて、驚天動地の出来事だ。墓場に眠るウィンストン・チャーチル卿が、この悲報を聞いたら飛び起きるぞ。アーリア系のインド人ですら、気持ち悪くて嫌っていたんだから、アフリカ系の藝人なんて問題外。ウィンストン卿の母、ジェニー・ジェローム(Jennie Jerome)もアメリカ人だったけど、マルバラ公爵夫人はちゃんとした白人美女だからOK。ただし、チャーチル家の親族は、このアメリカ娘を終始「外国人」扱い。お墓も別。昔のイギリス貴族は家系に厳しかった。

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( 左: マルバラ公爵夫人ジェニー・チャーチル /  中央: ウィンストン・チャーチル / 右: 首相になったチャーチル)

  世間的には、ヘンリー王子とメーガン・マークル嬢のご成婚は目出度いが、アングロ・サクソン系のイギリス人が心から祝福しているのか、は定かではない。というのも、最近行われた意識調査で驚くべき結果が出たからである。有名な「YouGov」が実施した大衆インタビューで、ブリテン国民の約3分の2が、このロイヤル・ウェディングに関心が無いというのだ。(George Martin, "Two-thirds of Britons are uninterested about Meghan and Harry's wedding and more than half of us say the Royal Family should foot the entire bill", Daily Mail, 15 May 2018) 日本のテレビ局は、この件に関し一切報道無し。それにしても愕然とするじゃないか。なんと、66%のブリテン人がヘンリー王子の挙式に興味が無く、その儀式に掛かる費用すら負担するのを厭がり、王室が全額支払え、と要求しているそうだ。「オピニウム(Opinium)リサーチ社」の調査でも似たような結果が出ており、たった38%の人が挙式をテレビで観ると答え、53%の人はそうしないと答えていた。(Matthew Robinson, "Royal snub ! Majority of Britains NOT INTERESTED in royal wedding, according to SHOCK poll", Daily Express, May 15, 2018)

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(左: ヘンリー王子とメーガン / 右: ロイヤル・ウェディングを喜ぶマイノリティーの子供たち)

  まぁ、実際、ロイヤル・ウェディングをどれだけの国民が観たのか判らないが、日本で報じているような高揚感は薄く、イギリス人の祝賀ムードはそれ程でも無かったんじゃないか。確かに、英国のみならず外国の報道機関もマークル氏の花嫁姿を大々的に取り上げていたが、ダイアナ妃の挙式と比べれば格段に劣るし、ケイト・ミドルトン嬢の時に起こった歓迎ムードとも違っている。これは、ヘンリー王子が第四番の王位継承者だからではなく、メーガン・マークル嬢が浅黒い有色人種だからだろう。なろほど、彼女は平民の外人女優から英国のプリンセスに出世した、現代のシンデレラ姫なのかも知れない。だが、西歐世界のプリンセスにしては容貌が違いすぎる。母親のドリア・ラグランドの遺伝子を受け継いでいるせいか、白人がうっとりするような女性ではない。

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(左: 母親のドリアと娘のメーガン /  中央: ケムブリッジ公爵夫人のキャサリン妃  / 右: ケムブリッジ公爵夫妻)

  だいたい、階級社会の英国で、下層黒人の母親に伴われた混血児が上流階級に入るなんて前代未聞である。ドリスを見れば、ボルチモアかデトロイトに暮らす貧乏黒人か、と勘違いしてしまうだろう。しかも、情けないことに、娘にとって一世一代の晴れ舞台なのに、ドリスが拒絶したため、別れた亭主は結婚式に出席できなかった。そこで、チャールズ王太子が花嫁の父親役を務め、彼女と一緒に祭壇への通路をを歩いていたのだ。(筆者には謎なんだけど、どうして日本ではこの通路を「ヴァージン・ロード」と呼ぶのか解らない。全部の花嫁が処女ではないし、再婚者だっているだろう。そもそも、キリスト教徒でもない日本人が、教会の通路を和製英語で呼ぶなんて変だ。もしかしたら、どこかの結婚式場が勝手に作った用語なのかも知れない。)

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(左: 父親のトマスと娘のメーガン / 右: ドリスとチャールズ王太子)

  平民から王族への立身出世と言えば、過去にもう一つ別の事例があった。モナコ公国のプリンス、レーニエ3世(Rainier III)に嫁いだグレース・ケリー(Grace Kelly)のケースだ。二人の結婚には、世界各国の人々が注目し、グレースの地元アメリカ合衆国は大興奮。当時、人気を誇った美人女優がそのキャリアを諦め、大公のプロポーズを承諾したので、アメリカのみならず日本でもたいそう話題となった。グレース・ケリーの映像は各国で流されたし、彼女を特集する雑誌も巷に溢れ、若い女性の憧れの的になっていたのはご存じの通り。今でもエルメスが製造した「ケリー・バッグ」は人気のアイテムらしい。(筆者はブランド商品には疎いので、本当に今でも人気の高級品かどうか判らない。けど、コレクターにっとては貴重品みたいだ。)

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(左と中央: グレース・ケリー / 右: レーニエ大公とグレース・ケリー)

  では、メーガン・マークル嬢の場合はどうなのか? 確かに、彼女はハリウッド女優だから素晴らしい体型をしている。が、それはアフリカ系アメリカ人の評判で、西歐系のアメリカ人やブリテン人にとっては“どうでもいい”事だ。問題なのは、ブリテン国民の間に人種的亀裂が生じ、王室への愛情が薄れてしまうことである。マークル氏のシンデレラ物語で、イングランド国内の有色人種は殊のほか大喜びだ。社会的な地位が低いインド系やパキスタン系、アラブ人、トルコ人、ジャマイカ人、ケニア人などの血統に属する“ブリテン国民”は、同じ種類のプリンセスを目にして、心がときめいている。ところが、先祖代々イングランドに住む白人、すなわちアングロ・ケルト系の国民は、心からヘンリー王子のご成婚を祝福できない。しかも、表だって有色人種のプリンセスを批判できないから尚更だ。

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(左: ムスリムのブリテン人 / 右: 英国の子供たちと挨拶するメーガン)

  非西欧系の有色人種が王族に加わると、今までとは違った雰囲気になることがある。もし、メーガン妃がスウェーデン系アメリカ人とか、ザクセン系のドイツ移民の子孫、フランスから逃れてきたユグノー信徒の末裔なら、「これ」といった騒動は起こらないだろう。ところが、彼女はアフリカ系混血児であるから、従来のヨーロッパ貴族とは異なる。彼女自身「私はバイレイシャル(biracial / 二重種族)」と称し、白と黒が混じった灰色のエリアに属していると述べていた。つまり、白人の血も混ざっているが、黒人の血も受け継いでいるので、コケイジアンとニグロイドの線引きが出来ないというのだ。イングランド王国の民衆は白人が主体だが、新たなプリンセスは西歐的イギリス人と重なるところが少なく、親愛の情を込めて「我が同胞よ !(My fellow Englishmen !)」と呼びかける事ができない。

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(左と中央: メーガンと異なったタイプの子供たち / 右: メーガンが大切にするタイプの子供 )

  メーガンのこうした心情は、彼女の過去を探ってみると判るような気がする。浅黒い肌を持つことで、様々な差別を受け、不条理な屈辱を味わってきたことは容易に想像できるし、その言動からも察しがつく。彼女が覚えている「ある出来事」は、日本人にとっても注目に値する。メーガンが七歳だった頃のこと。当時のアメリカでは、バービー人形のセットが売られており、「ザ・ハート・ファミリー(The Heart Family)」と呼ばれていたオモチャ箱には、父親と母親の人形に加えて二体の児童人形が含まれていた。この核家族人形アイテムは、白人版と黒人版のセット“のみ”で売られていたので、子供たちはどちらかを選ばねばならなかった。当然の如く、白い子供は白人版を、黒い子供は黒人版を買うのが普通だった。やはり、彼女も一つ欲しい。という訳で、父のトマスは愛娘の為に1セット購入し、クリスマス用のプレゼントにしたという。そして、クリスマスの朝に目が覚めると、メーガンは紙で包装されたプレゼントを見つけた。彼女が箱を開け、「ハート・ファミリー」を覗き込むと、黒い母親の人形と白い父親の人形、そして白い肌の子供と黒い肌の子供の人形が入っていたという。これは彼女の父親が別々のセットを買い求め、独自にアレンジしたものであった。("Meghan Markle : I'm More Than An Other", Elle Magazine, 23 December 2016)

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(左: 「白人版ハート・ファミリー」の人形セット / 右: 黒人版の人形セット)

  日本のワイドショーはメーガンの人権意識とかフェミニスト思想ばかりを報道するが、彼女が味わった混血児の苦悩を“具体的”に紹介しようとはしなかった。なぜなら、詳しく探って行くと、メーガンが持っている“歪んだ”精神を暴露する事になるからだ。なるほど、彼女は人種的マイノリティー、社会的弱者、貧しい移民、憐れな難民に理解を示し、天使のように優しく接する。だが、彼女はアメリカ合衆国を建国したアングロ・サクソン人に共感を持たないし、尊崇の念すら持っていないはずだ。黒人に酷い仕打ちをした白人を憎む心はあっても、宗主国のイギリス人と戦った建国の父祖に感謝する事はないだろう。そして、英国の王室に嫁いでも、ナポレオン軍と戦ったイギリス軍将兵、ダンケルクで死闘を繰り広げた若者、百年戦争で貢献したウェイルズ人の戦士、植民地で奮闘したスコット人の尖兵などに想いを寄せることもない。彼女はウェリントン将軍やネルソン提督、バーナード・モンゴメリー元帥の肖像画を見たとき、膝を曲げて一礼するのか? もし、カンタベリー大聖堂を訪れたら、白いイギリス人と同じく、殉教した大司教、聖トマス・ベケットに敬意を表するのか? 未だに不明だが、メーガンは一般のトーリー党員に負けぬくらい、心からの愛国者となるつもりがあるのか?

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(左: ウェリントン公爵 / 中央: ネルソン提督 / 右: モンゴメリー元帥)

  黒い混血児のメーガン・マークルがヘンリー王子のお妃になったから、色黒のインド系やアフリカ系の「ブリテン国民」は大はしゃぎ。左翼偏向の主要メディアも「メーガン・フィーバー」を煽り立て、多文化社会の成果を大宣伝。一方、メーガン妃も熱狂する民衆に笑顔で応え、恵まれない下層階級の子供たちや、東南アジア系の移民、アフリカ人難民の定住者、中東アジアからのイスラム教徒に温かい言葉を投げかける。だが、先祖代々イングラント王国に暮らすアングロ・サクソン系の国民に対し、特別なメッセージは無く、彼らの伝統文化や栄光ある歴史を称讃する事も無かった。茶色い国民に対しては親愛の情を示すのに、金髪碧眼のイギリス人には尊敬の念を示さない。本来なら、アングロ・サクソン系の国民を第一に考え、多民族主義と人権思想で抑圧されるイギリス人にこそ、温かい言葉を掛けるべきなんじゃないか。

  とにかく、英国の上流階級は偽善の塊になっている。高貴な家柄を持つのに、左翼リベラリズムに屈服し、アングロ・サクソン社会に背を向けながら、善良な裏切者を演じているのだ。ウィリアム王子とヘンリー王子でさえ、学校教育を通して、頭のてっぺんから爪先まで赤い思想にどっぷりと染まっている。この両名の公爵様は、白いイギリス人を優先せず、率先して俄(にわか)国民に媚びていた。そもそも、この兄弟が王国に於ける白人の優越を公言したことがあるのか? 父親のチャールス王太子でさえ、英国内のイスラム教徒やユダヤ教徒に媚びて、多文化社会を称讃していたのだ。今回のロイヤ・ウェディングを見ているイギリス白人は、さぞ胸くその悪い思いをしたことだろう。王太子の次男が有色人種と結婚しただけでも嫌なのに、結婚式に黒人司教を招き、ついでに黒人の聖歌隊まで連れ込んでいたのだ。花嫁がアフリカ系アメリカ人であるので、黒人のマイケル・カリー(Michael Curry)司教が式場にやって来て、退屈な説教を長々と垂れ、終いにはマーチン・ルーサー・ギングにまで言及するんだから、参列者の西歐貴族ははうんざり。しかも、黒人のゴスペル隊が「おまけ」に附いてきて、ポップな「スタンバイミー」を大合唱。まるでアングリカン教会がサザン・バプティスト教会に様変わりしたみたいだ。これじぁ、イギリス貴族は不満爆発だろう。どうせなら、黒人俳優のエディー・マーフィやウッピー・ゴールドバーグも呼んで、冗談の一つでも披露させたらどうなんだ?

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(左: ユダヤ系のカンタベリー大司教ジャスティン・ウェルビーとアメリカ黒人のマイケル・カリー司教 / 右: アメリカ黒人の聖歌隊 )

  もう、イングランドは昔のイングランドではない。本来なら、イギリス人は自分の思ったことを口に出来る「表現の自由」や「言論の自由」があったはずだ。しかし、現在では、こうした「権利」は存在しても、それを「行使」すれば身の破滅となる。ブリテン島では人種平等思想や多民族・多文化主義が社会の隅々にまで浸透し、「レイシスト」や「白人至上主義者」というレッテルは、決まり文句か殺し文句のどちらかだ。こうした罵声は「極右分子」や「ネオナチ」と等しい響きをもつ。失うものが何も無い白人労働者や、チンケな国粋主義者なら別だが、大会社の経営者とか中小企業の重役、教育機関の職員、法曹界の重鎮、研究所の上級顧問、大手メディアの編集員など、比較的高いステータスを持つ者は失うものが大きく、不満に思っても口にしないことが多い。もし、ちょっとでも人種に触れる発言をしたら即命取りだ。正直より沈黙を貫いた方が賢い。だから、出来る事といったら、クールに無関心を装うか、形式的な祝辞だけを述べてお茶を濁すしかないのだ。

  英国は第二次世界大戦で厖大な犠牲を払ったが、これでは何の為にドイツと闘ったのか解らない。歴史教科書では、ナチスの世界制覇を食い止め、自由主義世界を救ったことになっている。だが、現実的には肝心要な「イギリス人の自由」と「支配者としての地位」を失ってしまったのだ。なるほど、ブリテン人は共産圏には無い自由を享受していたが、戦前の“英国的”自由に比べたら“窮屈”な自由しかない。今では「ポリティカル・コレクトネス」の方が幅を利かせているので、有色系国民を傷つけるような発言は、直ちに「ヘイト・スピーチ」になってしまう。もちろん、過激な悪口はマナーに反するが、「俺はアフリカ人のプリンセスなんか認めないぞ !」とか、「あんな黒人女、とても尊敬できないわ !」と発言してもいいはずだ。

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(左: これから英国の主役になる人々 / 右: 古い英国に取り残される人々 )

  確かに、イングランド国内でマークル氏を称讃する人々が居てもいいが、国民の半分くらいは反対の感想を述べてもいいんじゃないか。少なくとも、調査会社の街頭インタビューで、「あんな女のどこがいいの?!」とか、「生まれてくる王子様が黒くなったら嫌だねぇ」、あるいは「チャールズの馬鹿息子は、好き勝手に黒人女を娶って、いったい何様のつもりなんだ !? 税金の無駄遣いだ!」といった率直な回答があってもよさそうなものである。だが、実際のアンケートで、そのような発言が多く寄せられたという話は聞いたことがない。本音を押し殺して建前だけを述べているブリテン人が何割いるのか、是非、調査してもらしたいものだ。

王室への尊敬が無くなる日

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(左: エリザベス女王とフィリップ殿下 / 右: ウィリアム王子とヘンリー王子)

  日本と英国は共に立憲君主国で、両国のロイヤル・ファミリーは国民の支持に基づいている。皇族や王族は特別な地位を持つが、民衆を圧迫するような特権階級ではないし、天皇陛下や国王陛下も自国民を農奴のように扱う「ドミヌス(奴隷主)」ではない。豪華な生活を送るエリザベス女王でも、国民との絆を大切にし、常に慈悲深い国家元首に努めている。ところが、ヘンリー王子は自分の性慾を優先させ、王族の存在意義を蔑ろにしているのだ。国王(king)は元来、「キュニング(cyning)」、つまり一族とか血族(kin)の長(chief)を意味する。もしも、イングランド王国の君主がアングロ・サクソン人の首長なら、その配偶者も同種の人間でなければならない。ドイツやデンマークの貴族なら納得できるが、エチオピアとかシリア、アフガニスタン、マレーシア、エルサルバドル出身の有色人種などもってのほかである。心理学の学術論文を読むと分かるが、肌の色や顔附きが異質だと、国民が敬愛の念や親近感を持つことは難しいそうだ。やはり、感情移入をできるタイプじゃないと、「我らがプリンセス」と思えないし、仰ぎ見ることもできない。

  また、王子に嫁ぐプリンセスという身分になれば、更なる要件が求められる。すなわち、美貌と品性だ。テレビや雑誌の無い古代ならいざ知らず、映像技術や通信網が発達した現代では、王侯貴族の容姿は重要である。「白雪姫」とか「シンデレラ」、「アンデルセン物語」などに登場するヒロインは、例外もあるがほとんど美女。年増の醜女(しこめ)なんてキャラクターは滅多に無い。もし、白雪姫がユダヤ人の老婆みたいな顔をしていたら、通りがかった王子様はキスを拒絶し、何事も無かったように立ち去るだろう。「何時までも眠りから覚めぬ白雪姫は、森の中で白骨死体になりました」、なんて冗談にもならない。シンデレラの物語だって同じだ。もし、シンデレラがブスだと、読者は継母にイジメられる娘を見ても同情しないし、豪華なドレスを纏っても似合ってるとは思わない。しかも、舞踏会で見初める王子様だって、ダンスに誘わないから、シンデレラは「灰を被ったマネキン」か「壁の染み」ていど。ガラスの靴、あるいは福助の足袋を残そうが、誰も気付かないだろう。たとえ持ち主を捜すことになっても、ただ返却するだけ。場合によっては、謝礼金を求めたりして。仮に、王子様がそれを拾ったとしても、「あの女が落としていった靴かぁ」と思い出すから、シンデレラの邸宅を訪ねることはない。もしも、親切心でクロネコヤマトに宅配を頼んだら何となく可笑しいし、そもそも童話にならない。(ちなみに、宅配料をケチって翌日配達じゃなく、通常配送だったら笑っちゃうなぁ。)

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(左: 白雪姫の役に相応しい女性のタイプ / 右: 白雪姫には適さないタイプの女性)

  故・ダイアナ妃の結婚式を思い出せば、メーガン妃との違いはもっと明確になる。ダイアナはスペンサー伯爵家のご令嬢という家系もあったが、何よりもその美しさで国民の人気をさらっていた。彼女はオックスフォード大学やケムブリッジ大学を卒業した才女じゃないけど、その気品と容姿で際立っていた。未来のプリンセスはケントにあるウェスト・ヒース女学校(West Heath Girl's School)に通っていたが、そこでの成績はお世辞にも良いとは言えず、赤点に近い学力であったという。でも、そんなのは問題ではない。「男は度胸、女は愛嬌」だ。頭でっかちの左翼フェミニストなんか男を敵に回すだけの愚者で、賢い女は笑顔と涙を上手に使って玉の輿に乗る方を選ぶ。フェミニストは女性的魅力に欠けるからか、矢鱈と男を羨み、よせばいいのに男社会で男と張り合おうとする。馬鹿に救い無し。(「羽生せんせ〜」と言い寄る女流棋士の「えりりん(山口恵梨子)」の方が遙かに賢い。) その点、美しく生まれた女は女の武器を最大限に利用し、男を手玉に取るんだから頭が下がる。この魔術に学歴は関係無い。ダイアナ妃は意識的かどうか判らないが、女性の魅力を使うのが非常に巧みだった。ビリー・ザ・キッドも驚くほど、男のハートを射止めるのが上手かったんだから。まるで黒帯の名人みたい。

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(写真 / 亡くなったダイアナ妃)

  今回のロイヤル・ウェディングは、我々にとって異国の慶事だが、傍観できる出来事ではない。なぜなら、近い将来、悠仁親王殿下のお妃選びで、帰化人系の女性が現れる可能性がゼロではないからだ。もし、親王殿下が朝鮮系か支那系の女性と恋愛関係に陥った場合、何割の国民がそれを祝福し、どれほどの国民が失望するのかが気になる。というのも、帰化人が意図的に皇后の地位を狙うこともあるからだ。普通の日本人女性なら、皇室に嫁ぐなんて考えられないし、たとえ殿下からプロポーズを受けても断ってしまうだろう。中流家庭に生まれ、自由闊達に育った女性が、大幅に自由を制限され、常に国民の目を気にしながら、一生過ごすなんて想像できない。雅子妃殿下のケースを目にすれば、民間の女性は躊躇どころか恐怖心さえ芽生えてしまい、絶対皇室に近づかないと心に決めるんじゃないか。だって、皇室行事の時など、周囲の者から一挙手一投足を凝視されるし、無理をしてでも皆に笑顔を示さねばならず、言葉一つを取っても慎重さを求められるからだ。さらに、皇族になったら絶えず、快楽よりも義務の方が重視される。たとえ、休暇で避暑地に出掛けても、誰に目撃されるか判らないから、どんちゃん騒ぎは御法度で、蓄積された緊張が解けない。(まさか、夜中じゅうディスコで色々な男と踊り続けるなんて無理だ。)

  そこで、窮屈な皇族との結婚を日系女性が避け、朝鮮系の女性が歩み出たらどうなるのか? 恋愛で日本最高位に就けるとなれば、挑戦してくるアジア人だって現れるだろう。特に、朝鮮人は心の底で「日帝」に対する怨みを抱き続けているので、プリンセスになって支配者の立場になりたいと考えても不思議ではない。しかも、一旦プリンセスの地位に納まれば、離婚という事態は無いので、永続的な立場になるし、男子が誕生すれば皇后の地位は不動のものとなる。さらに、もっと恐ろしい事態も考えられるのだ。例えば、雅子妃殿下の前例があるので、朝鮮系プリンセスは精神的負担を理由に、嫌な皇室行事をサボる事が出来るし、悠仁親王殿下を味方につけて、宮内庁職員と対立させる事も可能だろう。

Meghan Markle young 2Kate Middleton & Cressida Bonas

(左: 幼い時と成人になったメーガン / 少女時代のケイト・ミドルトン / 右: ヘンリー王子の元恋人クレシダ・ボナス)

  その一方で、伝統無視のお姫様が、華やかな皇室「外交」を積極的に行う虞(おそれ)もある。もし、外交好きなプリンセスが南鮮や支那を訪問したいと記者会見で口を滑らせたらどうなるのか? 野心的なプリンセスだと“意図的”に「失言」を口にするかもしれないんだぞ。そうじゃなくても、国内に住む在日鮮人や帰化鮮人、移民の家系を持つ支那人やインド人、フィリピン人、タイ人に特別な配慮を示し、「在日マイノリティー」から絶讃を受ける事も予想できる。こうなれば、人権派のマスコミはこの新プリンセスを持ち上げ、「誰にでも優しいお妃」とか「社会的弱者に手を差し延べる慈悲深きプリンセス」、「日本に帰化したばかりの国民を助ける若き皇族」、「因襲に囚われない庶民的な妃殿下」なんて言いふらすだろう。有頂天になった新プリンセスがお得意の英語を駆使し、「微笑み外交」に取り組めば、必ずや国を追われたシリア人とかクルド人を訪ね、日本も“多少の”難民を受け容れねば、と仄めかす。「私も朝鮮人の出自で差別に苦しみました」と述べれば、日本と外国のマスコミは大絶讃間違いなし。上流階級の大名旅行と、無責任外交は楽しいから、何でも口に出来る。だいいち、日本のプリンセスとして外国を訪問すれば、元劣等民族の朝鮮人でも、女王陛下の如く扱われるから気持ちがいい。そのうえ、人気女優よりも「格」が高く、泊まるホテルも最上級、警備体制も万全で、御用列車に専用ジェット機ときているから、夢のような待遇だ。

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(左: ひょうきんな朝鮮人 / 右: 顔面工事前の朝鮮人女性と工事後の本人 )

  もちろん、賛否が分かれるところだが、一般の日本国民は、このような朝鮮系プリンセスをどう考えるのか? 何があっても皇室を支持する国民は、眉を顰めながらも、じっと堪え忍ぶだろう。だが、こうした外人系プリンセスに業を煮やし、快(こころよ)く思わない国民も出てくるはずだ。例えば、雅子妃は気の進まない公務をキャンセルしたが、友人とのパーティーだと憂鬱にならず、外出の種類によって行動が違っていた。一部の国民はこうした傾向を「我が儘」と見なし、当てこすりで非難する。別の国民は「ご病気なんだからしょうがない」と反論し、保守派国民の間で分裂が起こっているのも事実だ。これが、もし朝鮮系のプリンセスなら、どのような反応が起きるのか? 皇室尊崇を旨とする国民でも、民族的嫌悪感から、朝鮮系のお妃に反撥を示し、「公務怠慢だ !」と言い出しかねない。つまり、日本人のプリンセスなら容認できる事でも、朝鮮系のプリンセスだと我慢できないことがある。事によっては、無意識的に溜まった不満が、ある問題を切っ掛けに爆発することだってあるのだ。普段から押さえつけられている感情は、いつか捌け口を見つけるものである。

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(左: 魅力的なフィリピン人女性 / 若いタイ人女性 / 昔の朝鮮人女性 / 右: 現代の朝鮮人少女)

  皇室は日本国民を統合する象徴と見なされている。しかし、アジア系のプリンセスを受け容れる事で、この象徴が分裂の起爆剤となってしまう可能性も否定できない。一般の日本人は殊さら意識していないが、基本的に「日本は日本人の国」と思っている。日本人と言えば、「日本人の両親から生まれてく子供」というのが常識だ。いくら日本国籍を持っているからと言って、朝鮮人の父親とフィリピン人の母親から生まれた子供を「日本人」とは見なさない。また、スカンジナヴィアで生まれ、ノルウェー国籍を持つ娘でも、両親が日本人移民なら、我々はその子を「ノルウェー人」と思わないし、本人だって堂々と「私は北歐人 !」と発言しないだろう。日系人なら、鏡に映った自分の顔を眺めて、「私もヴァイキングの子孫かしら」と思う馬鹿は居るまい。

  日本人は「日本人」の天皇陛下を“当然”と思っている。天皇陛下が浅黒いアフリカ系とか、皇后陛下が朝鮮人あるいは支那人ということを想像できない。しかし、多民族社会が発展すると、帰化人の子供が大量に増殖し、日本人とは思えない顔附きの国民が「普通」になってしまうのだ。移民が大量に流れ込んだドイツ、フランス、ブリテン、スウェーデンなどを見れば判るじゃないか。ソマリア人やイラク人としか見えない人間が、「私はドイツ人です」とか「スウェーデン国籍を持っています」と言えば、大抵の日本人は驚く。黒いチュートン人とかアラブ人みたいな北歐人なんて納得できない。我々だって、コンゴから帰化した黒人とか、イスラム教徒のトルコ系国民を「日本人」と思えないじゃないか。帰化鮮人だって日本の仲間とは思えないし、ちょっとした風習の違いが矢鱈と気になる。朝鮮名だって好きになれないから、日本人が朝鮮人と結婚しても朝鮮名を名乗ることは滅多にない。だいいち、「朴」とか「金」、「崔」なんていう姓になったら嫌じゃないか。朝鮮人には普通でも、日本人からすれば可笑しな名前もある。以前、「金玉」という名前の朝鮮人女性がいたが、こうした女の子が日本に移住したらどうなるのか? 露骨な小学生だと「ワハハ、“きん◯ま”だってさぁぁ!!」と爆笑するだろう。その時、学校の先生や日系人の親はどう対処するのか。ちょっと見物である。何か変な方向に進んだけど、要するに、外国人が皇室に入ると厄介になるということだ。
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134. 中川隆[-12671] koaQ7Jey 2018年5月30日 21:11:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14590]

2018年05月30日
拒否できないスターバックス / 誰でも滞在できる喫茶店
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68719028.html

(左: 米国で権利意識に目覚める人々 / 右: 理想的なアメリカ社会を構成する人々)

  「スターバックス」社と言えば、世界中にコーヒー・ショップ展開するグローバル企業として有名だ。シアトル風のお洒落な雰囲気を醸し出す店内には、香ばしいコーヒーがズラリと用意され、訪れたお客様は素敵な一時を楽しむ。ところが、米国本土のフィラデルフィアにある支店で、ある事件が起きてしまい、トンデモナい損失を蒙ることになったという。

  今年の4月12日、ラション・ネルソン(Rashon Nelson)とドンテ・ロビンソン(Donte Robinson)という二人のアフロ・アメリカ人が、フィラデルフィアの支店に現れ、店内のトイレを拝借したいと申し出た。しかし、このコーヒー・ショップでは来客のみが便所を使うことができ、お客以外の使用を断っていたのだ。店内の表示板にも“ちゃんと”記されていたので、文字を読める者なら誰にでも分かる。米国の事情に詳しくない日本人だと、「随分とケチだなぁ」と思ってしまうが、マクドナルドでも同じで、何かを買った人でないと使えない場合が多い。筆者が調査目的でニューヨークのマクドナルドに入ったとき、店員から特殊なコインをもらって便所を使った経験がある。これは、お客でない通行人とか浮浪者を排除するためだ。日本と違い、米国は排便する時にとても不便だ。米国の街には無料便所が少なく、マンハッタンで用を足すには、どこかのレストランとか百貨店に入るしかない。日本のコンビニみたいに、誰でも気軽に入れるトイレというものは珍しい。

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(左: ABCの番組に出演したネルソンとロビンソン / 右: 店長だったホリー・ヒルトン)

  話を戻すと、何も注文しないのに、ネルソンとロビンソンが便所を使おうとしたので、店長のホリー・M・ヒルトン(Holly Marie Hylton)は、“規則通り”に二人を拒もうとした。そして、彼女は出て行くよう命じたのだが、彼らは店から去ろうとせず、友達と待ち合わせをしているから店内で待つと言い張ったらしい。言葉で説明しても埒が明かなかったので、マネージャーのヒルトンは警察に通報し、駆けつけた警察官は駄々を捏ねる二人の黒人を逮捕。本来なら、警官が黒人どもを連行し、説教するだけで事が済んだはずなのだ。

Kevin Johnson 2(左 / ケヴィン・ジョンソン)
  ところが、ヒルトン店長が白人であったことが不味かった。便所を借りたいと願い出る黒人を拒絶したのが、レイシズム的口調と解釈され、問題が人種差別にすり替わってしまったのだ。この逮捕劇は携帯電話で録画され、インターネットで拡散したから一般の黒人たちも激怒。店の前には憤慨した黒人たちが群がりはじめ、終いには「ボイコット・スターバックス(#BoycottStarbucks)」という抗議運動の発生にまで至ってしまった。この騒擾で最も顔面蒼白となったのは、最高経営者のケヴィン・ジョンソン(Kevin Johnson)だ。早速、彼はこの対応を非難し、二人の「被害者」に面会し、心から謝罪した。そして、このリベラル派の責任者は全米にある八千軒の支店を一旦閉鎖し、二度と店員に偏見を持たせないよう、5月29日から矯正トレーニングを施すと宣言した。(Hayden Field, "The 2 Men Wrongly Arrested at Starbucks Negotiate for a $ 200,000 Program to Support Young Entrepreneurs", Entrepreneur, May 3, 2018)

  ジョンソン社長がこうした措置を約束したのも無理はない。レイシズムが絡む事件となれば、世間の評判を気にする企業にとっては致命傷だ。それに、逮捕されたネルソンとロビンソンは、スターバックスを相手取って訴訟を起こしたので、裁判所がどんな懲罰的判決を下すか分からない。目の眩むような賠償金を請求されたら大変だ。最終的に、この黒人どもはスターバックス社との示談に応じ、彼らは象徴的な和解金1ドルを受け取ることにした。しかし、こんな端金(はしたがね)で済むはずがない。スターバックス社は若い企業家を育成するためのプログラムに20万ドル(約2千200万円)を提供し、ネルソンとロビンソンは、この支援金を与える委員会のメンバーになったそうだ。つまり、彼らが中心となって、申請者を吟味し、誰にお金を提供するのかを決めるという訳だ。彼らはABCの番組「グッド・モーニング・アメリカ」に出演し、不当な扱いに抗議する「被害者」としてインタビューに応じていた。

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(写真 / スターバックスに集まり、抗議活動を行う黒人)

  それにしても、スターバックス社が蒙った被害は甚大だ。被害者ヅラの黒人に20万ドルをくれてやった上に、8千店舗を閉めて社員教育を施すんだから、一体いくらの出費になるのか。閉店中の損失も莫大で、営業利益がどれほど失われるのか想像もつかない。スターバックス社の損害もさることながら、詰め腹を切らされたヒルトンも可哀想だ。彼女は店の規則を守っただけなのに、その違反者がたまたま黒人で、注意した彼女が白人という構図から、実質的な解雇となってしまったのだ。これがもし、店長が黒人女性で、侵入者が白人であったら、マスメディアの反応はどうなっていたことか。たぶん、店に居坐る白人の方が「悪者」になっていたことだろう。そして、一般の黒人たちは不届き者の白人が連行される姿を見て喝采をあげるに違いない。彼らは「店の規則を守らない白人どもが傲慢なのだ!」と叫ぶだろう。

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(左ローラ・ンイングラム / 中央ロビン・ロバーツ / 右「グッド・モーニング・アメリカ」に出演するキャスター)

  一方、糾弾されたヒルトンは惨めだ。彼女は地方の大学を卒業し、大学院にまで進んで将来の経歴を考えていたのに、不埒な黒人のせいで店長の座を去ることになった。そもそも、ネルソンとロビンソンが強引に店内で留まったことが原因なのに、店を守ろうとしたヒルトンがクビになるなんておかしい。もし、彼女が同じ黒人なら、あれほどの騒動にはならなかったであろう。レイシズムを過剰に取り締まる国では、往々にして白人が逆差別を受ける立場になる。しかし、白人のために立ち上がろうとする白人指導者はいない。一般の白人も店に押しかけ、抗議活動をすることはないから、槍玉に上がったヒルトンは孤立無援だ。彼女の側に立って擁護したジャーナリストは、FOXニューズの保守派司会者ローラ・イングラハム(Laura Ingraham)くらいで、ABCやCBSといった大手メディアは圧倒的に黒人の肩を持っていた。例えば、「グッド・モーニング・アメリカ」のキャスターを務めるロビン・ロバーツ(Robin Robinson)なんか、最初から同情している表情で、ネルソンとロビンソンの話を熱心に聞いていたんだから、インタビュー映像を観ている白人視聴者は気分が悪くなる。つくづく思うけど、アフリカ系、アジア系、ヒスパニック系なら、異を唱える指導者がいくらでも居るのに、西歐系だと「白人至上主義者」の烙印を押され、社会的に抹殺されてしまう。こんな調子だから、アメリカ合衆国はいったい誰が建設したのか、と疑いたくなるじゃないか。

効果の無い矯正トレーニング

  今回の事件で一つ気になるのは、差別撤廃を目的とした社員教育に実質的な“効果”があるのか、という点である。確かに、特定人種への軽率な言葉や居丈高な態度は改善されるだろう。しかし、本当に侮蔑心や不快感が無くなったかと言えば、疑問を抱かざるを得ない。以前、829社を対象に、31年間にも亙る「偏見解消教育」が実施されたことがある。ところが、その調査報告書によれば、「多様性教育」がもたらした積極的効果は全く無かったという。(Peter Bregman, "Diversity Training Doesn't Work", Harvard Business Review, March 12, 2012) つまり、長年かけて「黒人を嫌ってはダメよ !」とか、「ヒスパニックやアジア人のお客にも平等な態度で接しなさい」、「有色人種に妙な表情を見てはいけません !」と教え込んでも、白人の従業員は心から悔い改めなかった、ということだ。なるほど、しつこく調教されれば、白人社員だって表面的には丁寧な対応をするだろう。しかし、こうした精神改造プログラムは却って受講者の反撥を招き、「何で黒人どもに媚びへつらわねばならないんだ ?! あいつ等の態度が悪いからじゃないか ! 私は普通に接しただけだ」と呟く。中には「じゃあ、もし乱暴で下品な客が来ても、そのままにしろとでも言うのか?!」と反論する者も出てくるだろう。

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(左: お金を払ってコーヒーを飲むお客様 / 右: 便所だけを使いに入ってくるラション・ネルソン)

  「偏見」と「差別」を指摘されたヒラ社員や支店長は、上司から命令を受け、渋々ながら「講義」を受けているに過ぎない。人の心は強制で変えることは出来ないのに、最高経営者がマスコミの総攻撃に怯んでしまい、有色人種に土下座するから、下っ端の者はおもしろくない。黒人やヒスパニックの下劣な客が何かをしでかせば、「お前の対応が稚拙だからだ。もっと、上手に対応しろ !」と監督者から注意される。でも、事態の収拾を図るべく警察を呼べば、今度は「何で大袈裟な問題にするんだ、バカ野郎 ! 」と叱責され、「左遷だ ! 降格だ !」と言われる可能性もあり、最悪の場合「お前はクビだ !!」と宣告されてしまうのだ。大した給料をもらっているわけでもないのに、全責任を押しつけられる係長や部長は怒りをぶつける先が無い。自分の運命を恨むしかないのだ。それにしても、責任があるのに権能がない管理職って何なのか?

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(左: コーヒーを楽しむ普通のお客 / 右: スターバックスで働く店員)

  ヨーロッパでもそうだけど、リベラル派のアメリカ人というのは有色人種とか弱者に親切だ。何らかのレイシズム的事件が起こると、直ぐマイノリティー用の対策を講じてくれる。スターバックスも反省の態度を示し、これからは誰でも店内をうろつくことができるそうだ。(Gene Marks, " Starbacks Is Now Open for Loitering and It's a Terrible Business Decision", Entrepreneur, May 22, 2018) しかし、そうなればコーヒーとかケーキを注文しなくても、気軽に椅子に坐って友達を待っていてもいいし、待ち合わせた友達といつまでも雑談をしていてもいいことになる。記事を書いたジーン・マークス記者が述べていたけど、これは誰もがスターバックスをバス停のような場所と見なしてもいいし、浮浪者が遠慮無く居坐ってもいいことを意味している。彼はこうした「改善」を恐ろしいと思っているそうだ。まぁ、日本人も同じ意見だろう。例えば、何ヶ月も風呂に入っていない路上生活者が店内に入ってきて、便所に駆け込み、オナラを交えて小便や大便をしてもいいということだ。でも、こうした浮浪者がウンコをしたあとに、除菌を気にする女性客が入って用を足せるのか? もし、このような事態が常習となったら、コーヒーを注文してくれるお客が減る可能性は高い。おそらく、「ドトール」とかの他店に流れてしまうだろう。お金を落としてくれる顧客が減少して、臭気を漂わせる居候が増加すれば、店の経営は確実に赤字だ。

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(写真 / 「改善後」にやって来る新しい「お客様」)

  安全な国で脳天気に働いている日本人は、ヒルトンの解雇劇を見て、「あらぁ〜、運が悪かったのねぇ〜」としか思わない。日本なら同じような現象は起きないと確信している。何とも暢気だ。仮に、コーヒー店で働く日系日本人がいたとしよう。お金を落としてくれるお客様が減っているのに、何も注文しないでダラダラと雑談するだけの通行人が増えれば、店はどうなるのか? それに、薄汚い乞食が使った便器を毎回掃除する店員はどう思うのか? 便所掃除をしない最高経営者は、「寛大な心」で浮浪者を歓迎するけど、現場で床にばらまかれた糞尿を掃除する下っ端店員は涙が出てくる。支那人が使った後の便所みたいで、クラクラっと目眩がして卒倒するぞ。

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(左: スターバックスで講義を行う人々 / 右: 「スターバックス」で歓迎されるホームレス)

  今や、「静かなる移民政策」で異民族が続々と流入し、結婚や帰化を通して大量の外人が「日本国民」となっている。だから、日本の喫茶店やフランチャイズ店で、似たような騒動が起きても不思議ではない。もし、日本人の店長がアジア人客への対応でミスを犯したらどうなるのか? 例えば、支那人の客がやって来て、カタコトの日本語でモゴモゴと注文したので、日本人の店員が何度も聞き直したら、支那人が「バカにしているのかぁ!」と怒り出す可能性もある。また、朝鮮人の客が棚に並べてある商品をガサツに扱うから、店員が注意をすれば、「民族差別だ!! 日帝の名残だ!!」とわめき出すかも知れないのだ。

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(写真 / 昔のコーヒー店での風景)

  日本人のお客なら、幼い時から「日本人の感覚」を“肌”で学び取るから、日系の店員と揉めることは少ないが、日本人の常識を知らないアジア系国民や帰化したばかりの黒人、後進国からの観光客などは、侮辱されたと勘違いし、会社全体を訴えたりするのである。たとえ、この店長に悪気が無くても、お客が不愉快に思えば、本店の経営者に文句を垂れるし、SNSで動画を流せば、店の評判はガタ落ちだ。こうなれば、社長や重役が即座にやって来て、「不愉快な思いをされたお客様」に深く陳謝する。社長たちは記者会見でも深刻な謝罪を行うので、当事者の社員は言われなくても自主的に辞職を申し出るはずた。でも、こうしてクビになった社員が本当に悔やんでいるのは、お客への態度ではなく、自らの「不運」である。そして、「よりにもよって、なんで俺が・・・」という愚痴をこぼすのが普通だろう。もし、小学生や中学生の子供と女房、そして自宅やクルマの借金返済を抱えていれば、失業の痛手は更に厳しくなる。外国人労働者が流入して日本人の平均給与が下がった上に、人種・民族問題まで持ち上がるんだから、何も知らなかった庶民は踏んだり蹴ったりであろう。

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(左: アメリカで譴責されるタイプの人間 / 右: 差別を糾弾するタイプの人々)

  筆者が露骨な民族問題を紹介すると、世間の一般人は「右翼分子」とか「ネオナチ」と侮蔑するが、いざ自分が民族問題に巻き込まれると、俄(にわか)「右翼」や「外人排斥者」になるんだから、おかしなものである。そもそも、学者やマスコミが間違っているのだ。好ましい西歐人を受け容れ、嫌いなアジア人を遮断するのは、日本人の権利であり、選択の自由じゃないか。日本人が祖国で快適な生活を送って何が悪いのか? 不愉快な難民や移民を抱え込む難民条約など“さっさ”と破棄して、歐米諸国に「一緒に脱退しないかい?」と呼びかけるべきだろう。実際、イギリス人やカナダ人、フランス人、ドイツ人、スウェーデン人、西歐系アメリカ人も、異民族の流入にウンザリしており、なるべく排除したいと思っている。ハンガリー人やポーランド人はもっと率直で、ユダヤ人はもとより、シリア人とかイラク人の排斥を堂々と訴えている。不甲斐ないのは西歐人と日本人くらいである。我々は断固とした意思で黒人を叩き出すイスラエルのユダヤ人を見倣うべきだ。白い肌を自慢するアシュケナージムのユダヤ人は、イスラム教徒が大嫌いで、アラブ人との混血なんて夢にも思わない。同じ民族、一つの信仰、同胞だけの祖国を掲げるイスラエルのユダヤ人は立派である。でも、これってヒトラーの理想じゃないのか? まぁ、ホロコーストの犠牲者なんだから、ナチズムの復活くらい大目に見なくちゃね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68719028.html


135. 中川隆[-12767] koaQ7Jey 2018年6月02日 18:39:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14761]
2018年06月02日
後悔を準備したドイツ人 / 認識が甘かったスウェーデン人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718853.html

「こんなはずじゃなかった !」と悔やむ馬鹿
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  西歐諸国で頻発する性犯罪については、当ブログで繰り返し述べてきた。しかし、一般の日本人は移民・難民による犯罪に無関心で、マスコミも特番を流さないから、左翼議員と経済界が結託し、やれ技能研修員制度だ、高度人材の獲得だ、とやりたい放題となっている。自民党議員が無責任なのは当り前で、いつもなら与党に批判的な野党議員も、移民問題となればその矛先を納め、「何処吹く風」とだんまりを決め込む。財務官僚のセクハラだと国会をサボってまで抗議するくせに、一般女性が危険に晒される件に関しては「知らぬ顔」をつらぬくなんて赦せない。移民や難民の「人権」なら大切だけど、日系日本国民の「安全」は二の次、三の次、一番最後なんだから、税金を返せと叫びたい。


スウェーデンはもう末期症状で、移民・難民の流入を止めることが出来なくなった。スカンジナビアで発生する輪姦事件の約88%が、移民の背景を持つ者によって引き起こされているそうだ。(Paul Joseph Watson, "Sweden : 88 Per Cent of Gang Rapists Have a Migrant Background", Infowars, May 7, 2018) 愚かなスウェーデンの悲劇は枚挙に遑(いとま)が無い。例えば、移民や難民を支援していたスウェーデン人女性が、夜中にアフガン移民二名を連れて難民庇護センターに戻ろうとしたところ、彼らに輪姦されてしまった。「難民とは可哀想な人々」という先入観を持っている北歐人は実に多い。しかし、アフガニスタンやイラク、ソマリアからの「自称難民」は、こうした間抜け白人に涙を見せて安心させ、同情するバカ女を食い物にする。南極で目にする無警戒なペンギンと同じだ。アフリカやアジアでは滅多に拝めない上玉の白人が、無料(タダ)で手に入るんだから、続々と難民がやって来るのも無理はない。

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(左: 西歐で捕まったムスリムの強姦魔 / 右: スウェーデンの強姦魔)

  惨劇とは一度目にショックだが、二度目以降慣れてしまうものである。性犯罪に遭ったスウェーデン人にはお気の毒とか言いようがないけど、自業自得という面があるので無条件には同情できない。例えば、16歳のスウェーデン人少女がアフガン難民に強姦された事件があった。スウェーデン南部のロムマに住むこの少女は、二人のアフガン難民を自宅に招いたそうだ。しかし、彼らがやって来た時、少女の両親は外出していたので、彼女一人で難民を迎え入れることになった。何か嫌な予感がするけど、その予感すら抱かないのがスウェーデン人。案の定、彼女は二人のアフガン難民に強姦され、憐れにも体中アザだらけ。

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(左: スウェーデンの強姦魔 / 右: スウェーデンの国旗を燃やすムスリム移民)

  事件の経緯を聞けば、本当に「馬鹿 !」と叱りたくなるほどの行為だった。16歳の少女は同世代の「子供難民」と携帯電話でチャットを交わし、二人を家に招待したそうだ。ところが、入ってきたのは「感じのいい少年」ではなく、獰猛な野獣だった。犯されそうになった少女は咄嗟に強姦魔を蹴飛ばし、その隙に急いで短いメッセージを両親に送ったそうだ。しかし、彼女はベッドに押し倒され、服を引き裂かれると、無惨にも二人の慰めモノに・・・。のちに、法廷で明らかとなったが、この強姦魔コンビは彼女に向かって、「俺たちはお前をヤリに来たんだよ!」と吐き捨てたそうだ。ところが、スウェーデンの刑法は非常に甘く、少女を凌辱した16歳と17歳の少年は、更生施設に2ヶ月間ぶち込まれる程度の微罪で済んでしまった。(Laura Cat, "Afghan migrants answer hospitality of Swedish girl with brutal rape", Voice of Europe, 10 May 2018) ついでに言うと、事件の夕方、強姦魔の少年は携帯電話で犠牲者に「ゴメン」というメッセージを送ったそうだ。被害者の少女は、この謝罪を受け取った時、どんな表情だったのか? 彼女の両親に訊いてみたいものである。

Swedish boy 1(左: 青い瞳を持つ北歐系の子供)
  日本の地上波テレビ局は下らない藝能ニュースだと、毎日何時間も放映するが、移民や難民で苦悩するヨーロッパ諸国だと無視する。スウェーデンにはマルメ(Malmö)のようなムスリム都市があちこちに出来上がり、陰では「レイプ・シティー」と揶揄されている。もう何年も前から、アフリカ系や中東アジア系の浅黒い移民や難民が路上に群がり、その光景はとても北歐の風景とは思えない。道を歩く白人女性は、エリトリア人とかアフガン人の移民からからかわれ、卑猥な言葉を投げかけられる。日本人女性なら震え上がって逃げ出してしまうだろう。昼間でも怖くて歩けないのに、夕方過ぎに帰宅するなんて考えただけでも厭だ。もし、地下鉄の構内やバス停で黒人に絡まれたらどうするのか? こうした異民族による圧迫は学校でも起こっており、2013年、ヘルシンボルクに住む12歳のスウェーデン人少年は、15歳のアラブ系少年によって殴られてしまった。そのイチャモンというのがすごい。この中東系人種は、被害者が持つ青い瞳に怒ってしまったのだ。詳しい動機は不明だが、アラブ系の少年がスウェーデン人の少年に瞳の色を尋ね、被害者が「青い」と答えたところ、いきなり暴力に及んだという。たぶん、言語を巡る何らかの誤解だろうが、殴られた方はたまったものではない。もし、これが逆の立場だったらどうなるのか? 白人少年がアラブ人の茶色い瞳を口実に殴る蹴るの暴力事件を起こせば、スウェーデンの全マスコミは大々的に取り上げ、少年の両親まで吊し上げるだろう。しかし、有色人種が北歐人種を殴るだけなら、取るに足らない地方ニュースだ。西歐諸国のリベラル派というのは、どんなに学歴が高くても、こうした惨状を根底から改善しようと思わない連中である。

移民・難民に怯えるドイツ人女性

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  ナチズムの後遺症に苦しむドイツでは、人権思想に染まった「カモ」が実に多い。内戦が続くソマリアとかアフガニスタンの男からすれば、美しい白人がごまんと居るドイツは楽園としか言いようがなく、道端にトリプルAの松坂牛や神戸牛が落ちているようなものである。ドイツ人には高学歴の馬鹿が多くて、現実の危険を知りながら決して対決しようとはしないのだ。それでも少しは気付く者がおり、ジャーナリストのアナベル・シャンク(Anabel Schunke)はその内の一人である。彼女は大学で政治学と歴史を専攻し、ドイツの移民政策を批判したことでちょいと有名になった。しかも、美人モデルで歯切れの良いコメンテイターときているから、世間が注目したのもうなづけよう。やはり、美人は得だ。同じ努力を重ねるにしても、醜女は100日かかり、美女は1日で済む。

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(左: アナベル・シャンク / 右: 強姦に怯えるスウェーデン人女性)

  アナベルのメッセージは簡潔だが力強い。すなわち、今のドイツはもはや「以前のドイツではない !」ということだ。そして、人々の話題は「移民危機」という一言に尽きる。白色のゲルマン人が主流の国家に、アフリカの黒人や中東アジアからの褐色人種が大量に雪崩れ込み、チュートン種族が大切にしてきた遺伝子プールは台無しになった。ところが、民衆を守るはずの政治家や官僚は、人権思想に汚染され、ドイツ民族の国土と肉体が犯されても知らんプリ。自分とその家族が安全なら、他人がどうなろうとお構いなし。移民や難民を受け容れたツケは一般国民に押しつけ、自分は人道主義者と正義の味方を気取っていれば、たんまりと給料が入ってくる。これなら、「移民反対」という主張は火中の栗を拾うようなもので、何の見返りも無く、ただ非難されるだけなのでアホらしい。

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(左: 新しいタイプのヨーロッパ人女性 / 右: 少数派になる古いタイプのヨーロッパ人女性)

  こうした議員と役人が大半を占めれば、経済的利益を求める偽装難民や不法移民が跋扈(ばっこ)するのも当然だ。リベラル思想に毒されたドイツ人は、如何にして不愉快な外人を防ぎ、速やかに侵入者を排除するかではなく、どんな善意を以て受け容れるのか、という歓迎策を議論している。アナベルの話によれば、ドイツ国民はイスラム教徒が被る頭巾(スカーフ)を考慮したり、料理に使われる豚肉を禁止にしようとか、学校でイスラム教をカリキュラムにいれようとか、移民優先の議論をしているという。そもそも、ドイツという国家はドイツ人のために存在するんだから、ドイツの政治家が優先すべきはドイツ人の生活だ。それなのに、リベラル派を気取る政治家どもは、ドイツ人の方が移民に譲歩し、彼らの文化を受け容れ、ドイツ社会に不慣れな異民族を配慮せよ、と説く。また、ドイツでは人道主義が金科玉条となっているから、連邦政府はドイツ人から税金を巻き上げ、それをふてぶてしい難民に与え、もらった方の外人はそれを当然の如く考える。遙か昔、ドイツはカトリック教会からお金を搾取されたので、「ローマの雌牛」と揶揄されたが、今では「ムスリムの雌牛」になっている。近年、キリスト教会は目に見えて凋落しているが、イスラム教徒のモスクはドンドン増えているから、「ドイツ」という国名はイスラム教徒が唱える「我々の土地」を意味するんじゃないか。

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(左: ヨーロッパにやって来たムスリム移民 / 右: ヨーロッパで暮らすムスリムの女性)

  ドイツ人女性のアナベルは、実感を込めて日頃の危険を訴えている。ドイツ人にとり、移民というのは「後ろ向きのビジネス」であるという。これらの異邦人はドイツ国家を分断し、明るい未来ではなく、陰惨な過去に引き摺り戻そうとする動きにしか見えない。ドイツの議会と政府は、チュートン系ドイツ人の福祉ではなく、移民が如何に幸せになれるのか、という点に関心を向けている。教育方針も然り。先祖代々のドイツ人が生んだ子供ではなく、移民の子供が明るい将来を築けるように教育プログラムを作成し、ドイツ人の子供がそれに合わせ、外人との共存を学ぶことになるのだ。ドイツ民族を称讃するナショナリズムなんて,ネオナチの運動にしか思えない。幼いドイツ人はドイツ人教師から、嫌な事でも我慢するという「寛容の精神」を植え付けられ、異質な肉体を持つクラスメートを進んで受け容れようとする。しかし、生理的に顔を背けてしまうので、調教された精神と拒絶する心理の板挟みになって悩む場合が多い。ドイツ人に病的なリベラル派が多数存在するのは、こうした洗脳教育の後遺症が治っていないからだ。

  ジャーナリストになったアナベルは、率直に自分の気持ちを打ち明けていた。「他のドイツ人も同じだけど、私はもうドイツで安全とは思えない」と。確かに、そうだ。例えば、ドイツの都市部で新年を祝うイベントがあったけど、ケルンでの集団強姦事件が起きてからというもの、アラブ系の男に怯える女性が増えてしまい、イベント会場に女性の姿が少なくなってしまったそうだ。ハンブルクでも新年を祝う女性の数が激減し、イベント会場に来る人が前年より減ってしまった。ベルリンのような大都市では、「女性用安全エリア」が設けられ、危険を察知したり、怖い目に遭った人はテントに避難できるそうだ。でも、そんな事態を予想できる女性は、最初からイベント会場に来ないだろう。元旦のお祭りに来たのに、強姦魔の生け贄じゃ洒落にならない。アラブ人やアフリカ人にしたら、白いお餅より、白い肉、すなわち「白人女の肉体」の方が美味しい。ちなみに、日本じゃ坊主が忙しい12月を師走と呼ぶが、ドイツでは若い娘が逃げ回る月を指すんじゃないか。

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(左: ヨーロッパにやって来た移民 / 中央: 映画での強姦シーン / 右: スウェーデンの一般女性)

  毎回ドイツを見ていると、「後悔先に立たず」という言葉を思い出す。「カッパえびせん」なら「やめられない、とまらない」でいいけど、移民・難民の流入が止まらないとくれば、訪れる事態は深刻だ。しかし、ドイツ人は移民を排除できない。第二次大戦の勝者であるアメリカ人とイギリス人から、たっぷりと仕置きされ、二度とゲルマン人優位の国家を口に出来なくなってしまったからだ。ところが、ドイツ人を激しく折檻(せっかん)した英米も、人種問題でのたうち回り、ナチズムの心情を理解するようになった。でも、彼らの国家には鬼のようなユダヤ人がいるから、アングロ・サクソン同盟なんて端っから無理。異民族で溢れる人種混淆の共和国こそ、ユダヤ人の理想郷だ。ユダヤ人は歐米の政治家を札束で引っぱたいて忠実な下僕をつくり、それを拒む者に対してはマスメディアを使って総攻撃を加える。「言論の自由」を自慢するアメリカ人やイギリス人が、なぜ「ユダヤ人は出て行け!」と叫べないのか? 歐米諸国は自由主義を謳っているのに、「選択の自由」に基づく「排除の権利」や「幸福の追求」から派生する「快適さの享受」が無い。なぜなら、これらの自由の上に「忍耐の義務」が君臨しているからだ。彼らはいくら経済的に豊かでも心情的には哀れである。自分の家には好きな人だけを呼べるのに、自分の祖国だと「嫌いな人でも我慢すべし」、とは・・・。昔、明石家さんまがTV広告で「幸せって、何だっけ、何だっけ」と唄っていた。移民問題では「ポン酢醤油」が正解じゃないよ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68718853.html


136. 中川隆[-12958] koaQ7Jey 2018年6月10日 20:35:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15151]


2018年06月10日
振り向けば、祖国は外国になっていた / 地元民を改造する異邦人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68719819.html

姿が似ている親戚

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(左: キティー・スペンサー / 右: メーガン・マークル )

  以前、英国のヘンリー王子が、黒人女優のメーガン・マークル婚約し、華麗な結婚式を挙げたことについて書いた。

(Part 1と Part 2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68685602.html
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68717704.html


栄光あるイングランドの若きプリンスとあって、独身の頃だと国内はもとより、外国に赴いても求婚者に不自由しなかったが、色々な女性と付き合った挙げ句、最終的にアメリカで活躍する浅黒い娘と一緒になるなんて・・・。がっかり。ハッピー・エンドの小説とは違い、現実とはかくも厳しいものである。長年ロイヤルファミリーを敬愛してきた一部のイギリス人は失望するし、「誰がプリンセスになるのか !?」と期待していた庶民も落胆の色を隠せない。大手のマスコミだけが「人種の壁を越えた愛」と“はしゃいでいる”だけだった。でも、いったい何人の西歐系ジャーナリストが“心から”祝福していたんだ? 職務上、有色人種の花嫁を持ち上げていても、自分の息子が同じ事をすれば激怒するかも知れないし、教養人を気取った親だと、冷静な態度を装って「よく考えてから結婚を決めるように !」と迫るんじゃないか? テレビや新聞に登場する評論家などは、建前と本音を使い分ける常習犯だから、彼らを信じる日本人は痛い目に遭うだろう。

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( 左: 少女時代のダイアナ妃 / 中央: 少女時代のメーガン妃 / 右: 女優時代のメーガン妃)

  日本でもヘンリーとメーガンの結婚式はテレビで放送され、多くの日本人が観たと思うが、西歐諸国のゴシップ雑誌は、メーガンに加え教会に招かれたスペンサー伯爵の娘たちに注目した。このスペンサー伯爵というのは、もちろん故・ダイアナ妃の弟でヘンリー王子にとっては叔父に当たる、第9代目のチャールズ・スペンサー伯(9th Earl Charles Edward Maurice Spencer)のことである。彼は第一番目の妻ヴィクトリア(Catherine Victoria Lockwood)との間に三人の娘をもうけた。すなわち、長女のキティー・エレノア(Kitty Eleanor)と双子の妹、エリザ・ヴィクトリア(Eliza Victoria)とカティヤ・アメリア(Katya Amelia)である。今回、大衆の関心を惹いたのは、「レディー」の称号を持ちながらファッション・モデルも務める27歳のキティー・スペンサー。(神学者はキリストが皆を平等に愛すると説くが、異教徒の日本人からすると、人間を創る時に「依怙贔屓をしたんじゃないか?」と思えてしくる。だって、「天は二物を与えず」と言われるのに、スペンサー家のレディーは「美人」で「高貴」なんだから。大金持ちでも大屋政子みたいな女性だと納得できるんだが・・・。)

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(左: チャールズ・スペンサー / 中央: スペンサー家の三姉妹 / 右: 長女のキティー・スペンサー )

  ここで言及しなければならないのは、チャールズ・スペンサー伯の歴代夫人についてである。日本人の視聴者が見かけたカレン(Karen Villeneuve)夫人は三番目で、幼いシャーロット・ダイアナは彼女の娘だ。スペンサー伯爵は亡き姉に因んで娘を「ダイアナ」と名づけたそうである。元々、このカレン夫人はカナダ人のエンターティナーで、以前は「ゴードン(Gordon)」の姓を名乗っていた。というのも、彼女はハリウッドの大物プロデューサーであるマーク・ゴードン(Mark Gordon)と結婚していたからだ。一般的に彼の名は日本で知られていないが、映画ファンの間では超有名で、このユダヤ人が手掛けた作品の中には、スティーヴン・スピルバーグが監督を務め、トム・ハンクスが出演した映画『プライベート・ライアン(Saving Private Ryan)』があるし、他にも、デニス・クウェイド主演の環境問題サスペンス『デイ・アフター・トゥモーロー』、キアヌ・リーヴス主演のアクション映画『スピード』、メル・ギブソンが独立派を演じた『パトリオット(The Patriot)』、FBIの訓練模様を描いたTVドラマの『クワンティコ(Quantico)』、FBIの心理分析捜査官を題材にした『クリミナル・マインド』、医療ドラマのヒット作『グレイズ・アナトミー』など多数ある。ただし、マークとカレンは2003年に離婚。そして独身となったカレンは2011年、鰥(やもめ)のスペンサー伯爵と再婚した、いう訳だ。

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(左: マーク・ゴードン / 中央: カレン&チャールズ・スペンサー夫妻 / 右: キャロライン&チャールズ・スペンサー夫妻)

  カレン夫人と再婚する前のスペンサー伯爵は、キャロライン・フロイト(Caroline Freud / 旧姓 Hutton)と結婚していた。彼女は元々マシュー・フロイト(Matthew Freud)の夫人であった。サー・クレメント・フロイト(Sir Clement Freud)の息子であるマシューは、広告会社の「フロイト・コミュニケーションズ」を経営するビジネスマン。このファミリー・ルネームを聞けば、日本人でもピンと来るだろう。そう、彼の家系を遡れば、ウィーンの有名な精神分析医ジクムント・フロイトに突き当たる。つまり、マシューは彼の曾孫ということだ。したがって、キャロラインは夫の姓を名乗っていただけで、血統上のユダヤ人ではない。それにしても、英国社会の上層部は実に狭いコネ社会で、様々な人物が閨閥(けいばつ)で繋がっている。

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(左: マシュー・フロイト&エリザベス・マードック / 中央: アンドリューズ・クワメ・ピアニム / 右: エリザベス・マードックとエルキン・ピアニムの結婚式)

  マシューがキャロラインと別れた後、再婚相手に選んだ女性はエリザベス・マードック(Elizabeth Murdoch)。名前からも推察できるように、彼女はメディア王ルパート・マードック(Rupert Murdoch)の次女である。このエリザベスも離婚経験者で、最初の夫はガーナ人エコノミストのアンドリューズ・クワメ・ピエニム(Andrews Kwame Pianim)の息子であるエルキン(Elkin Pianim)。ちなみに、アンドリューズが「ピアニム」という名前を持っているのは、以前の女房がオランダ人のコーネリア・ピアニムであったからだ。(もう、どいつもこいつも離婚経験者ばかりで、いったい西歐人は結婚をどう考えているのか。) 金融界やメディア界でのし上がるユダヤ人は、婚姻を通して親戚関係になっている者が多く、ファミリー・ネームだけではその人脈が判らない。マシュー・フロイトも政界の大物と個人的な関係を持っているそうで、元財務大臣のジョージ・オズボーン(George Osborne)や元首相のデイヴィッド・キャメロンも彼の友人らしい。(キャメロンはユダヤ系イギリス人なので、同種族の「お友達」をたくさん持っている。)

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(左: クレメント・フロイト / 中央: デイヴィッド・キャメロン / 右: ジョージ・オズボーン )

  脱線したので話を戻す。世襲貴族というのは、親から宏大な領地や歴史ある豪邸といった不動産を相続するが、その貴い血統を子孫に伝える義務も有する。ビール・ジョッキと髭剃りくらいが「相続財産」の下層民と違い、公爵とか伯爵は血統で高い地位に就き、亡くなった祖先の遺伝子を蘇らせているから、世間で尊敬されているのだ。普通に考えれば、何の功績も無い赤ん坊が、単に名門の家庭に生まれただけで、未来のベッドフォード公爵とかソールズベリー伯爵に昇進するなんておかしい。でも、庶民は貴族の血筋に何らかの憧れを抱き、畏敬の念をもって見詰めるから、貴族の方も常日頃から威厳を損なわないよう、立ち居振る舞いに注意する。現実を見れば誰でも分かるだろう。イタリア製の高級スーツを自慢しているだけの伊達男と、仙台で威光を放つ伊達家当主とじゃあ、月とスッポンどころか、イクラとルビーほどかけ離れている。

  となれば、その容姿だって重要だ。いくら名家の御曹司でも、志村けんの「バカ殿」みたいじゃ、みっともない。それなりの風貌でなきゃ。薩摩藩の島津斉彬はもちろんのこと、長州藩の毛利敬親(もうり・たかちか)や佐賀藩の鍋島直正(なべしま・なおまさ)も、色々な評価を受けているがやはり名君だ。今の山口県民は敬親について訊かれても、「そうせい侯」くらいしか思いつかない。が、実際のお殿様は家臣に行動の自由を与えただけで、本当に無茶な申し出なら「ダメ」と抑えていた。佐賀出身の藝人「はなわ」が滑稽な歌を披露したから、「悲しい佐賀」というイメージが附いてしまったけど、明治維新は佐賀藩抜きに考えられない。後に「閑叟(かんそう)」の号をもつ直正は誠に偉大な人物で、優柔不断どころか、誰よりも先が見えるため、慎重にならざるを得ない慧眼の持ち主であった。もし、佐賀藩が幕府側に附いて薩長側を攻撃していたら、いったい明治維新はどうなっていたことか。例えば、当時、佐賀藩の科学技術と軍事力は日本一で、官軍は佐賀藩の施条砲やアームストロン砲で勝利を獲得したようなものだ。佐賀県の子供たちが劣等感を持つなんて愚の骨頂だ。「日本最強の佐賀藩」とか「最先端の科学を有していた雄藩」と唄う方がまともだろう。(佐賀藩について語ると長くなるので割愛する。)

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(左: ダイアナ妃 / 中央: 姪のキティー・スペンサー / 右: 息子のヘンリー王子とメーガン妃)

  とにかく、民衆の尊敬を集める貴族たる者、それなりの風貌をもっていなきゃ駄目だ。この点については英国でも同じ。スペンサー家の娘たちは祖先の遺伝子を大切に受け継いでいるから良い。キティー・スペンサーと伯母のダイアナ妃を見比べると、「似たようなタイプだなぁ」と思えてしまう。確かに、姪と伯母なんだから当り前なのだが、ヘンリー王子は母親の容貌をちゃんと子供に残すことができるのか。もし、メーガン妃が妊娠して赤ん坊を産んだら、一体どんな子供になるのか不安である。おそらく、容姿の一部分は父親譲りだろうが、母親の遺伝子が優勢となり、顔附きが変わることもあるし、肌も浅黒くなる可能性が高い。髪の毛だって縮れた黒髪になるかも知れないんだから、大幅な肉体的変質が予想される。たぶん、日本人は故・ダイアナ妃の孫を見て驚くんじゃないか。たとえ、色白の赤ん坊が生まれても、トルコ風かシリア人みたいな「白人」で、どことなくスペンサー家の血筋とは違う子供に見えてしまうだろう。

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(左: 幼いヘンリー王子を抱くダイアナ妃 / 中央: キャサリン妃 / 右: 幼い時のウィリアム王子と息子のジョージ王子 )

  一方、ウィリアム王子の家庭は安心だ。プリンセスになったケイト・ミドルトン嬢は、国民が納得する“好ましいタイプ”のイギリス人女性で、ザックス・コーブルク・ゴータ家(Haus Sachen-Corburg und Gotha)の遺伝子を損なうことなく「お世継ぎ」を産んでいた。嫡男のジョージ王子を見れば分かるじゃないか。この幼いプリンスは、幼少時代のウィリアム王子と“瓜二つ”と評しても過言ではない。両者の顔写真を並べてみれば、誰もが「なるほど、やっぱり親子だねぇ〜」と思うだろう。とりわけ刮目すべきは、妹のシャーロット王女だ。彼女は曾祖母のエリザベス女王とソックリ。まさしく、生き写し。なるほど、隔世遺伝とは不思議なものだ。大衆紙の記者はシャーロット王女が幼い割には老け顔なので、特集記事の売上げが思ったほど伸びず、「あぁ〜あ」と愚痴をこぼしていたが、女王陛下はシャーロット王女を見て「小さい私よ !」と大喜び。まぁ、お婆ちゃんからすれば、曾孫が自分とそっくりなのは素晴らしいし、誰が何と言おうとも心から嬉しい。日本人女性だって、息子や娘の子供は可愛いから、自分の亭主より大切に思っているはずだ。幼稚園の運動会で孫を応援するお婆ちゃんは、本当に幸せそうだよねぇ。

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(左: エリザベス女王 / 中央: 幼少期のエリザベス女王 / 右: 曾孫のシャーロット王女)

  イギリス人らしい子孫を持ったエリザベス女王を見ると、親戚筋に当たるスウェーデンの王室も気になる。現在のスウェーデン国王、カール16世グスタフはベルナドット王朝の君主だが、母方の血筋でイングランド王室と繋がっている。陛下の母君であるシルビア妃はザックス・コーブルク・コータ家の出身だから、エリザベス女王やチャールズ王太子とも親戚になるはずだ。まぁ、ヨーロッパの貴族は互いに祖先の誰かが親戚になっているから、従兄弟同士の王様というのは珍しくもない。注目すべきは、カール16世の娘ヴィクトリア王女が産んだ幼きプリンセスの方だ。王位継承者のプリンセス・ヴィクトリアは、トレーナーのダニエル・ウェストリング氏と結婚し、娘のエステル妃をもうけた。

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(左: キャサリン妃の娘シャーロット / 中央: スペンサー伯爵の娘シャーロット・ダイアナ / 右: ヴィクトリア妃の娘エステル)

  この小さなプリンセスが国民の喝采を浴びるのも当然で、彼女はスウェーデン人らしい容姿を受け継いでいる。イラクやソマリアからの移民・難民で肉体が変質するスウェーデン人にとって、王室は「国民的遺伝子」を保存する最後の砦だ。隣近所に有色人が住みつき、毎日毎日、不愉快な生活を送る白い地元民は、北歐人らしいプリンセスの笑顔を拝見し、ホっと一息つくんじゃないか。メーガン・マークルが産む赤ん坊を心配するイギリス人からすれば羨ましい。それでも、スウェーデン人の人種的アイデンティティーは揺らいでおり、アフリカ人やアラブ人の遺伝子流入は食い止めようがないのだ。良い子のみんなは「スウェーデン人」と聞いて、安易に伝説のポップ・グループ「アバ」とか、ギターリストのイングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen )、ジョン・ノーラム(John Norum / 「Europe」のギターリスト)を思い浮かべたらいけないよ。近頃は浅黒い「スウェーデン人」がウヨウヨいるんだから。

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(左: カール16世グスタフ国王とシルビア妃 / 右: プリンセス・ヴィクトリアとダニエル両殿下、プリンセス・エステル)

  そう言えば最近、米国で「スウェーデン移民」がある殺人事件を犯したけど、良心的な報道機関は、読者が北歐人と誤解せぬよう、「スウェーデンからのイラク系移民」と伝えていた。容疑者の写真を公開できぬ場合、こうした“親切な”説明は誠に有り難い。スウェーデンの大手メディアは、帰化したソマリア人がヨーロッパで殺人を犯しても、自国民に対しては「スウェーデン国民による犯行」としか報道しないのだ。もし、犯人の顔写真を掲載すれば、「あっ、黒人だ!」とみんなにバレてしまうので、単にイニシャルかファースト・ネームを伝える程度に留めている。「人権」とやらを重視する新聞社は、黒い犯人が如何なる「手口」でスウェーデンに潜り込み、国籍取得にまで至ったのかを決して教えようとはしない。民衆が知りたい情報を隠しておきながら、他人に対しては「情報公開」を求めるなんて実にふざけている。報道機関の都合で記事の内容を決めるなんて酷いじゃないか。

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(左: ソマリア人の移民 / 右: アフリカ難民の餌食になりそうな北歐女性)

白人女性に人種の自殺を勧めるユダヤ人

  既存の国家を憎む左翼には、人種混淆を以て伝統的社会を抹殺しようと謀る奴がいる。毎度の事でウンザリするが、その悪質なタイプはユダヤ人に多い。西歐社会に寄生しながら、地元民の肉体を羨むユダヤ人は、憎き白人を撲滅すべく、西歐人女性に黒人を伴侶にするよう勧めているのだ。なぜなら、白人が黒人とセックスして子供を産めば、その赤ん坊は白人らしくない容姿を持つ。アフリカ人の顔附きになる「新しい白人」は、異邦人のユダヤ民族を奇異な目つきで眺めず、より寛大な精神を以て「平等」に扱おうとするからだ。白い片親と違った肉体を持つ混血児は、“意地悪な”ご先祖様と異なり、鷲鼻の「よそ者」を苛めようとは思わない。したがって、ユダヤ人は安心して暮らせるようになる。肉体の違いさえ無くなれば、もう頭脳労働で秀でるユダヤ人の独擅場だ。彼らは次々と「コマンド・ポスト(命令を下す立場)」に附くことができるし、必要とあらば、同胞とグルになって支配階級の地盤を固めることができる。こうした社会は素晴らしい。しかし、ユダヤ人にとっての楽園は、西歐人にとっての悪夢である。

Max Isaacson 2(左 / マックス・アイザックソン)
  異人種混淆を勧めるユダヤ人は星の数ほどいて、ハリウッドで映画制作に携わるマックス・アイザックソン(Max Isaacson)はその内の一人である。意外なことに、彼はスリランカで生まれていた。詳しい経緯は分からぬが、彼の父親はピース・コープに属していたそうだ。察するに、左翼系のユダヤ人なんだろう。彼の母親もいかがわしく、ペンテコスタ教会の説教師であったらしい。この一派はキリスト教プロテスタント宗派の中でも特殊で、聖霊の話をやたらと持ち出すから、怪しい新興宗教と相通ずるところがある。こんな両親の元で育てられれば、息子のマックスが左巻きの変態になるのも無理はない。彼は有名な飲料水「スプライト(Sprite)」のコマーシャル・フィルムを作り、製造元から何の認可も得ずににドイツで公開した。映像を観た一般人は本物のCMかと勘違いしてしまうが、コカ・コーラ社とは何の関係も無い。


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(左 : 黒人の前に跪く白人女性 / 右: 白人女性のサービスに興奮する黒人 )

  とにかく、アイザックソンのパロディーCMを目にした人は、あまりにも下品なので唖然とするだろう。何故かと言えば、彼のポルノ作品には裸の白人女性と黒人男性が登場し、金髪の白人女性が男の前に跪き、黒人の股間をしゃぶっているように見えるのだ。「フェラチオ」らしきサービスを受けた黒人男性は、歓喜の呻き声を上げ、絶頂感に達する。顔を前後に動かす女性は何かを口にくわえているので、視聴者は「きっと黒人のペニスに違いない」と思ってしまう。ところが、彼女が“しゃぶって”いたモノは、黒くて太い肉の棒じゃなく「スプライト」の瓶だった。黒人が性的に興奮すると、瓶の口から勢いよく泡の飲料水が吹き出て、満面の笑みを浮かべた女性の顔と首筋に降りかかってくる。精液じゃなく発泡水なんだけど、見ているゲルマン人は不愉快だ。事情を知らない一般人は、「こんなポルノ映像を作ったのは、いったい誰なんだ!?」と憤慨するが、監督名が表示されていないから判らない。でも、後にアメリカのユダヤ人と判明したから、心の底で「やっぱり、そうか!!」と頷いた人も多いんじゃないか。アイザックソンは金髪のゲルマン人女性を用いず、黒髪のユダヤ人女性を採用し、イスラエルで流せばよかったのに、彼はそうしなかった。でも、こんなCMをイスラエルで放送したら大変だ。保守的なユダヤ教徒が米国の同胞に抗議を行うから、アイザックソンはハリウッドで仕事ができなくなるだろう。ユダヤ人の仕置きは厳しいからねぇ〜。

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(左: 瓶をしゃぶる女性 / 右: 噴き出す飲料水と女性)

  左翼教育でクルクルパーにされた現在の日本人は、日本国民としての義務や民族精神の継承に興味が無い。保守派の国民は「日本の伝統文化を守れ !」と主張するが、「誰が守るのか ?」については言及を避けている。我が国では「生身の日本人」が生活を営み、親子代々「血の河」を絶やさぬよう心掛けてきた。人種論や優生学を忌避する保守派は、「領土侵犯」や「歴史問題」となれば「みんな負けるな !! えい、えい、オー !!」とシュプレヒコール(Sprechchor)を上げるが、「異人種の精子が混入 !」という“生々しい”話題になると、急に口が重くなり、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。ロシア人に北方領土を強奪されたり、竹島を南鮮人に占拠され、尖閣諸島を支那人に征服されれば、一般国民だって抗議するだろうが、息子や娘がアジア人とかアフリカ人と結婚するようになっても反対しないのは、頭が「人権尊重」の害悪に染まっているからだ。つまり、「人種の自殺」という概念が無いのだ。そもそも、両親や祖父母、曾祖父母から受け継いだ遺伝子を守るのは不道徳でも犯罪でもない。我が国の伝統文化を継承するのは、祖先の肉体を相続する日本人であり、その遺産を末代まで伝えて行くのも日本人の肉体を持った国民である。

  老舗の旅館や和菓子店を経営する日本人なら、跡継ぎの子供を残すことが何を意味するのか解るはずだ。もし、アジア人の遺伝子が大量に流れ込んだら、我々が大切にする国民文化は着実に衰退するだろう。例えば、混血児に流れる支那人の血が2分の1、4分の3、8分の7と高まれば、従来の日本人と同じ行動を取るとは思えない。こうした人物は反日活動家になることはあっても、「惻隠の情」をもつ素朴な庶民とか、鎮守の森を大切にする愛国者になることはないだろう。また、支那系混血児が成人して朝鮮人と結婚し、生まれてきた子供が将来マレー人と結婚してイスラム教に改宗すれば、どこの国民なのか分からない。さらに、こうした人物の孫がアフリカ人と結婚して子供をもうければ、もうその「日本国民」は「日本人」じゃない。たとえ、僅かに残った血統を遡って明治の偉人とか江戸時代の武士に辿り着いたとしても、変質した子孫には祖先が持っていた「大和魂」は微塵も無い。「勤皇の志士」と耳にして、「近所の獅子」と間違える子供なんか、日本人じゃないだろう。それに、天皇陛下と丸っきり違った容姿を持つ臣民が、お正月に宮城へ赴き、「天子様のご尊顔を拝することができ、感無量でございます」と口にするのか? 支那・朝鮮系のジャピーノ(日比混血児)が靖國神社へ行っても、外人の将兵を見るような目つきで英霊の話を聞くのがオチだ。

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(左: 日本の未来を担うフィリピン人の子供たち? / 右: 国籍取得の為に外国で出産する支那人女性?)

  皇室と国民の絆、国民同士の連帯感、命を懸けて祖国に殉ずる愛国心は、帰化人の精神には宿らない。自然と湧き上がる感情は、人為的に創り出すことはできず、日本人の肉体を必要とするのだ。日清日露の戦役や大東亜戦争で多くの軍人が勇敢に闘ったのは、自分の肉体が消滅しても、我が子が生き残り、同胞の子供と一緒に祖国を引き継ぐと信じていたからである。なるほど、自分が死ねば残された我が子は不憫な思いをするし、父親と過ごす友人を見て羨むだろう。こう考えれば、他人の家族を守る為に自分の家族を犠牲にするなんて馬鹿げている。だが、それでも我が国の将兵は自らの命を犠牲にし、「日本」という国家を護りたかった。なぜなら、自分の女房や子供、親兄弟よりも、祖国の滅亡を懸念したからである。たとえ、我が身が朽ち果てようとも、同胞の子孫が必ずや日本を再興してくれると信じていたから、歯を食いしばって戦うことが出来たんじゃないか。もし、日本国民の大半が朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人といったアジア人であるならば、あれほどの勇気を示して突撃したかどうか分からない。日本人は日本人のために汗をかき、血を流し、涙をこぼす。立派な日本人が激減し、忌々しい朝鮮人が繁殖するなら、あまりにも馬鹿らしくて最前線で戦えないだろう。

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(日本に住んでもらいたい外国人? / 左: 朝鮮人 / タイ人 / インド人 / 右: イラク人)

  平和な現在でも同じことで、支那人の子供や日比混血児を養うために、高い税金を払うなんて御免だ。ブリテンやフランス、ドイツ、スウェーデンなどの西歐諸国は凋落の一途を辿っており、もはや、その泥道から抜け出すことはできない。曾ての白人国家は「有色人種の坩堝(るつぼ)」へと変貌し、生まれてくる子供はアラブ人やアフリカ人の顔附きで、名前もムハマッドとかアフメド、ウスマン、アブドラなどが普通になっている。住民ばかりではなく、街の風景も一変したから驚きだ。霧の都ロンドンは猥雑なバグダッドのようになり、ストックホルムがカイロ、フランクフルトがイスタンブールみたいになっている。華の都のパリといえども、カサブランカに見えるようじゃお終いだ。黒人とアラブ人がひしめくパリを見れば、ハンフリー・ボガードも吐き気がして、ドイツ軍とヴィシー政権を歓迎するんじゃないか。庶民の中に「ナチス時代の方が良かったなぁ」と呟くフランス人がいても不思議じゃないぞ。ドイツ人が移り住んだって、フランス人はちっとも困らないけど、北アフリカ出身の移民じゃ厭になる。女優のカトリーヌ・ドヌーヴとダイアン・クルーガーを見比べたら、どっちがゲルマン人で、どちらがガリア人なのか判らない。でも、セネガル系女優のアイサ・マイガ(Aïssa Maïga)とケルト系のソフィー・マルソー(Sophie Marceau)を見たら、その違いは一目瞭然だ。

Catherine Deneuve2Diane Kruger 2Sophie Marceau 2Aissa Maiga 2

(左: カトリーヌ・ドヌーヴ / ダイアン・クルーガー / ソフィー・マルソー / 右: アイサ・マイガ)

Ingrid Bergman 5(左 / ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン )
  ちなみに、『カサブランカ』は典型的なユダヤ人のプロパガンダ映画で、脚本を書いたのが双子のユダヤ人、ジュリアスとフィリップのエプシュタイン兄弟で(Julius & Philip Epstein)、監督もこれまたユダヤ人のハワード・コッチ(Howard E. Koch)。この作品ではユダヤ人のハロルド・ウォリス(Harold B. Wallis / アメリカ風に改めた名前)がプロデューサーを務めていたけど、彼の本名は「アーロン・ブルム・ウォロウィッツ(Aaron Blum Wolowicz)」だ。まったく、ハリウッドの映画人は実に狡猾な連中で、「表看板」は北歐系女優のイングリッド・バーグマンにしておいて、「裏舞台」をユダヤ人仲間で固めながら、“みんな”でしこたま儲けている。一方、アメリカの間抜けな白人観客はまんまと洗脳され、「アーリア人至上主義のナチスはゆるせなぁ〜い !!」と叫んでしまう。しかし、劇場から一歩外に出ると、ナチスが礼讃する「白人社会」に住んでいたんだから、もう「アホ」としか言いようがない。まさか、20年後に「古き良きアメリカ」が崩壊するなんて思ってもみなかったんだから、「脳天気な民衆」というのはどこにでも居るものだ。

Julius Epstein 1Philip Epstein 1Howard Koch 2Harold Blum Wallis 1


(左: ジュリアス・エプシュタイン / フィリップ・エプシュタイン / ハワード・コッチ / 右: ハロルド・ウォリス)

  日本だって各地に支那人街や朝鮮人街、リトル・バンコックにリトル・マニラまでが誕生しているから、決して他人事ではない。ミス日本がアメリカ系黒人で、オリンピックの金メダリストもアフリカ系、メジャーリーグで活躍する選手がいたと思ったら朝鮮系だった、なんて冗談じゃない。多民族社会となれば、「日本」というブランドも怪しくなり、パリで寿司屋に入ったら、詐欺師もどきの支那人が店の主人じゃ帰りたくなる。日本を代表する総合商社と思いきや、その実態はインド人所有の多国籍業では何とも憂鬱になるじゃないか。驚愕の未来はまだ続く。もし、サッカーの日本代表チームが、ブラジル出身のインディオやイラク出身のアラブ人、ベトナム難民の親を持つ在日三世、トルコから亡命したクルド人の息子、カメルーン出身の帰化人などで構成されていれば、もう見る気がしないだろう。学問の世界でも複雑な現象が起きるかも知れない。例えば、朝鮮系日本人の科学者がノーベル賞をもらったら、我々よりも朝鮮半島の南鮮人が真っ先に喜んだりして。朝鮮日報や中央日報が「朝鮮人初の受賞者」と大々的に報じれば、金正恩までが浮かれ気分になって、極上のシャンペンを開けて祝杯を上げるだろう。そうした時、日系日本人はどう思うのか? もしかしたら、「日本民族党」といったミニ政党が創立か?! でも、北朝鮮から「極右団体」に指定されたら心外だよねぇ。
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137. 中川隆[-13243] koaQ7Jey 2018年6月15日 08:55:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15592]

自爆したハン・ソロ / 「失敗作」の汚名を得たスピンオフ作品 2018年06月14日
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  先月末、「スター・ウォー」シリーズから“また”スピン・オフ作品が公開された。今回は、ミレニアム・ファルコン号を操縦する英雄ハン・ソロが主役。彼の運命を変えるレイア姫とルーク・スカイウォーカーに逢う前の、若き時代を扱っているそうだ。しかし、制作者の期待とは裏腹に、その興行成績は無惨なものだった。全米公開第二週で大幅に下落してしまい、たった2千500万ドルから3千500万ドル程度の稼ぎであったという。好成績が予想された英国でも振るわず、興行収入はせいぜい800万ドルくらい。(Stefan Kyriazis, "Star Wars Han Solo movie Global box office DISASTER on second weekend Why? ", Daily Express, June 3, 2018) 同シリーズのスピン・オフ作品『ローグ・ワン』でさえ、第二週までの間に6千800万ドルを稼ぎ出していたんだから、どれくらい酷いか判るだろう。(「スターメウォーズ」に関しては、当ブログのPart 1 とPart 2を参照。)

  でも、この失態は予め予想できたんじゃないか。まず、配役の顔ぶれを見ただけでも落胆するから、予告編じたいに魅力が無い。「スター・ウォーズ」を愛する西歐系アメリカ人からすれば、「まぁ〜た、人種的多様性(racisl diversity)を反映した作品かよぉ〜」とウンザリする。ハリソン・フォードがユダヤ系アメリカ人だから仕方ないが、若きハン・ソロを演じるオールデン・エアレンライク(Alden Ehrenreich)もユダヤ人俳優だ。彼はスティーヴン・スピルバーグに見出されて有名になったという。期待の新人をシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で見つけるんだから、ユダヤ人の同胞愛は信仰の枠を越えているんだねぇ。主役の男優をユダヤ人にすると、相手役の女優は美形の西歐人とするのがハリウッドの法則だ。オールデンの相方となったのは、大ヒットTVドラマ『ゲーム・オブ・スローン』で注目されたエミリア・クラーク(Emilia Clarke)。彼女が演じるのは、かつての同志で、ソロの元恋人キラ(Qi'ra)という役柄である。“クセ”のある役だけど、まぁ面白くするためだからしょうがない。それにしても、エミリアは不運だ。ヒット作になるはずだった『ターミネーター: ジェネシス』に抜擢されたが、蓋を開けてみれば散々な結果で、新作を準備するジェイムズ・キャメロン監督によれば、完全に無視する悪夢なんだって。今回の『ソロ』でも“またもや”貧乏くじを引いてしまった。ちょっと可哀想。

Alden Ehrenreich 3Emilia Clarke 3


(左: ハリソン・フォード / 中央: オールデン・エアレンライク / 右: エミリア・クラーク )

   この新作にはソロと親しいお馴染みの密輸人「ランド」が登場し、以前はビリー・ディー・ウィリアムズ(Billy Dee Williams)が演じていたが、今回はドナルド・グローヴァー(Donald Glover)が若き日のランドを演じている。黒人役者と並ぶ白人の脇役ときたら、あまり大した俳優をつけない、というのがスター・ウォーズの特徴だ。ソロの師匠として登場するトビアス・ベケット役には、見るからにアホ丸出しの白人男優、ウディー・ハレルソン(Woody Harrelson)が採用された。彼は時々映画で奇人変人の役をこなすけど、私生活でも似たような側面を持っている。まず、彼の家族が常識外れだ。信じられないけど、彼の父親チャールズはプロの殺し屋。嘘と思うだろうがホントの話。ウディーの父親はジョン・H・ウッド(John H. Wood, Jr.)判事を殺した廉で逮捕され、法廷で終身刑の判決を受けた。すごぉ〜い。まるで、クライム・サスペンスの序盤みたいだ。

Billy Dee Williams 1Donald Glover 2Woody Harrelson & father Charles 1


(左: ビリー・ディー・ウィリアムズ / ドナルド・グローヴァー / 逮捕されたチャールズ・ハレルソン / 右: 息子のウディー・ハレルソン)

  しかし、カエルの子はカエルなのか、ウディーも警察沙汰が絶えなかった。母子家庭ながらも、ちゃんと大学に通って卒業し、念願の俳優にもなれたのに、1982年、路上で騒ぎながら踊っていたところを通報され、駆けつけた警官に抵抗したので逮捕されたそうだ。さらに2002年、ロンドンを訪れた時、タクシーの運転手と揉めて警察の厄介になり、罰金刑を喰らってしまった。でも、こういう類いのバカは懲りない。2006年、パパラッチにしつこく追いかけられ、ナイトクラブでカメラマンを殴ってしまい、これまた罰金刑を受ける破目に。ハリウッド・スターだから仕方ないけど、ウディーもリベラル左翼で、マリファナの合法化を推進する一人である。自分でも大麻を栽培するほどの不届き者で、常識というものが無い。こんな頭の持ち主だから、尊敬する人物も普通ではなかった。ウディーが影響を受けた知識人とは、何と、日本でも有名なユダヤ人左翼の歴史家で、2010年に亡くなったハワード・ジン(Howard Zinn)であるという。

Howard Zinn 1Daniel Ellsberg 3Noam Chomsky 3


(左: ハワード・ジン / 中央: ダニウル・エルズバーグ / 右: ノーム・チョムスキー )

  ジンは公民権運動で活躍し、ベトナム反戦でも知られている札付きのアカであるけど、「ペンタゴン・ペーパー」の件は忘れ去られている。「ランド・コーポレーション(RAND Corporation)」の軍事アナリストであったダニエル・エルズバーグ(Daniel Ellsberg)は、密かに「ペンタゴン・ペーパー」のコピーをハワード・ジンとその妻ロズリンに渡していた。ちなみに、エルズバーグもユダヤ人学者。「類は群れる」のか、ジンの仲間には極左知識人が多く、反戦を掲げるユダヤ人活動家、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)もその内の一人であった。チョムスキーは元々言語学者で文法の研究では優れていたが、次第に政治問題へと関心を寄せるようになり、振り返ってみると、左翼活動家としての経歴の方が長い。チョムスキーは理想主義を掲げるユダヤ人によく見受けられるタイプで、イスラエルの対パレスチナ政策にも批判的で、米国内のシオニスト系ユダヤ人と反目しているそうだ。まったく、ユダヤ人というのは他人の国で「いざこざ」を起こし、現地人をも巻き込んで事態を悪化させる常習犯である。こうした異民族は反省しないから、強制手段を用いて排除すべきだ。

Thandie Newton 1(左 / タンディー・ニュートン)
  随分と脱線したので話を戻す。ジョージ・ルーカスが当初描いていた「スター・ウォーズ」は、宇宙を舞台にしたスペース・ファンタジーであった。しかし、ユダヤ人が支配するディズニー社に売却されると、「多民族主義」と「社会正義」を推進するプロパガンダ映画になってしまった。例えば、映画でトビアス・ベケットの妻を演じるのは、イングランドの白人とジンバブエ黒人の混血女優、タンディ・ニュートン(Thandie Newton)だ。彼女は日本でも知られており、映画『ミッション・インポシブル 2』とTVドラマ・シリーズ『ER』に出演していた女優である。彼女は黒光りしたコテコテのアフリカ人ではなく、ハル・ベリーみたいなライト・スキンの黒人だから、何となく使いやすい。

失敗作の元兇となったユダヤ人制作者

  日本人はスクリーンに映し出される役者ばかりに目を奪われるが、「スター・ウォーズ」をメチャクチャにした制作陣、すなわち裏方の元兇にこそ目を向けるべきである。そこで、A級戦犯の筆頭になるのは、ルーカス・フィルムの社長を務めるキャサリン・ケネディー(Kathleen Kennedy)かも知れない。元々、彼女はスピルバーグ監督に見初められたプロデューサーで、同監督の映画『シンドラーのリスト』や『ジュラシック・パーク』でもプロデューサーを務めていた。いわば、スピルバーグの飼い犬というか、ユダヤ人の妾みたいなものである。彼女と一緒に『ソロ』を手掛けたのは、アリソン・シェアマー(Allison Shearmur)というユダヤ人のプロデューサーで、今年の1月に肺癌で亡くなっている。彼女は大物プロデューサーであるスタンリー・ヤッフェ(Stanley R. Jaffe)の弟子だった。このユダヤ人もハリウッドで名が通っており、ダスティン・ホフマンとメリルストリープの共演でヒットした映画『クレイマー・クレイマー』のほか、『がんばれベアーズ』や『告発の行方』を制作したことでも知られている。松田優作が出演した『ブラック・レイン』でも彼がプロデューサーを務めていた。

Kathleen Kennedy 1Allison Sheamur 2Stanley Jaffe 1Ron Howard 2


(左: キャサリーン・ケネディー / アリソン・シェアマー / スタンリー・ヤッフェ / 右: ロン・ハワード)

  ハリウッドは本当にユダヤ人だらけだ。『ソロ』の脚本を担当したのは、ジョナサンとローレンスのカスダン兄弟(Jonathan & Lawrence Kasdan)で、ローレンスは同シリーズと馴染みか深く『帝國の逆襲』や『フォースの覚醒』でも脚本を書いていた。ハリソン・フォードが「インディアナ・ジョーンズ」に扮して出演した映画『レイダース / 失われたアーク』も、ローレンスが脚本を担当した作品だ。勧善懲悪のアクション映画をユダヤ人が描くんだから、ドイツ人が悪役になるのも当然で、定番通り、聖櫃(アーク)を簒奪しようとする邪悪なナチスと、冷酷非情なドイツ人将校が登場していた。一方、監督のロン・ハワード(Ron Howard)は非ユダヤ人で、制作者同士のゴタゴタを引き受けて、急遽、代役の監督を務めたそうだ。それにしても、大作を任されたはずなのに、結果は駄作となってしまったのだから、何とも不運な人である。

Lawrence & Jonathan Kasdan 1Chris Weitz 1Ram Bergman 1

(左: ジョナサンとローレンス・カスダン / 中央: クリス・ワイツ / 右: ラム・バーグマン )

  スピン・オフ作品の『ローグ・ワン』にもユダヤ人が絡んでおり、脚本を手掛けたトニー・ギルロイは、ドイツ・イタリア系のアメリカ人だけど、主導権は共同脚本家のクリス・ワイツ(Chris Weitz)が握っていたはずだ。プロフィール上、ワイツは「チェコ系アメリカ人」となっているが、実際はチェコ系ユダヤ人を父に持ち、母親の方はメキシコ人という非西歐系の根無し草だ。ユダヤ人というのは、書類上の国籍を以て正体を隠すクセがあるので、我々は騙されないよう、どんな血筋なのかを調べねばならない。『フォースの覚醒』で総指揮を務めたのはユダヤ人の売れっ子監督J.J.エイブラムズ(Jacob J. Abrams)だが、あまりにも作品が不評だったせいか、続編の『最後のジェダイ』はライアン・ジョンソン(Rian Johnson)に任され、彼が監督を務めることになった。しかし、脚本を書いたのは、またしても異人種で、ラム・バーグマン(Ram Bergman)というイスラエルのユダヤ人。もう、スター・ウォーズ・シリーズを“つまらなく”する為にユダヤ人を用いたとしか思えない。

魅力ある作品を生み出せないハリウッド

  「スター・ウォーズ」シリーズだけではなく、どうして最近のハリウッド映画には凡庸な作品が多いのか? それは、一つに、西歐人の魂を鼓舞するようなストーリーとキャスティングが無いからだ。ユダヤ人は米国を「人種の坩堝(るつぼ)」と思っているが、この共和国はアングロ・サクソン人によって建てられた、ジェントリー階級を主体とするもう一つのイングランドである。したがって、この独立国に招かれていいのは、デンマーク王国のデイン人とかネーデルラント連邦のフリジア人、スカンジナヴィア半島のノルマン人、ガリアに根づくケルト系のフランス人、先祖代々チュートン系のドイツ人などで、東歐や南歐の劣等民族は好ましくなかった。ゆえに、ゲットーに暮らすユダヤ人なんてもってのほか。だいたい、ヨーロッパで「鼻つまみ者」扱い賤民が、いくら新天地のアメリカとはいえ、なんで歓迎されなきゃならないんだ? まともな日本人なら、「歴史の書き換え」に気付くはずだ。異民族を征服する手段は、何も剣や銃だけとは限らない。紙鉄砲という洗脳もあるのだ。

  利益供与とか袖の下を貰っているから仕方ないけど、大半の映画評論家は新たなスター・ウォーズ作品を褒めちぎっていた。彼らの評価は軒並み90%と非常に高い。ところが、お金を払って劇場で鑑賞した一般人は、「まあまあ」とか「普通」といった評価がほとんどで、熱心な白人ファンだと満足度は40%程度に過ぎなかったという。期待値が高いだけに落胆も大きい、ということなのか。それにしても、ディズニーのドル箱部門に入ったせいか、キャスティングには黒人やヒスパニック、アジア人が盛りだくさん。明らかに、世界規模での“営業”を考えている。つまり、「大金を稼ぐ」という目標を先に考えて、後から物語を構築しているのだろう。だから、どの作品もつまらない。主役や脇役のキャラクターには、“ほとばしる”情熱とか揺るぎない信念を感じられず、単に様々な人種が取り揃えられているに過ぎない。確かに、CG技術の向上で、派手な戦闘シーンや大規模な破壊・爆発映像が可能となったが、肝心の登場人物に魅力が無いんだから不満が募るのも当然だ。

Felicity Jones 3(左 / フェリシティー・ジョーンズ)
  例えば、比較的好成績だった『ローグ・ワン』でさえ酷かった。主人公のジン・アーソ(フェリシティー・ジョーンズ)は、帝国軍お抱えの技術者を父に持ち、両親と別れて成長するが、“当然の如く”抵抗を続ける共和国軍に協力する。「やはり」と言っては何だが、予想通りデス・スターの設計図を盗もうとするのだ。彼女は危険を顧みずパルチザとなって帝国軍と闘うが、その信念はどこから来るのか? デス・スターの建設を指揮する父親の罪を贖うためなのか、それとも帝国軍の圧政に我慢できない反撥心なのか、イマイチよく判らない。映画では、必死になって設計図のデータを共和国側に送信しようと奮闘するが、最後にはデス・スターのビーム攻撃を受けて、惑星ごと消滅してしまうのだ。彼女と一緒になって闘った東洋系戦士のベイズ・マルバスとチアルート・イムウェも悲惨な最期を遂げるが、その動機が何とも薄かった。彼らは単に帝國側に叛旗を翻すパルチザンというだけ。フォレスト・ウィテカー(Forest Whitaker)演じるソウ・ゲレラに至っては、「こんなキャラクターなんか要らない !」と思えるくらい余計だった。まるで、無理やり押し込んだ大物役者みたい。たぶん、制作者が黒人観客用に「黒い奴でも一つ入れとくか !」とサービスしたんじゃないか。

  外国でも大金を儲けよう図る制作者が、世界市場を意識し、有色人種の観客を取り込もうとするのは理解できる。アジア系の盲目戦士「チアルート」を設定し、この配役に支那人男優のドニー・イェン(Donnie Yen)を据えたのも、アジア戦略の一環だろう。しかし、リベラル派の制作者はそれだけでは満足できず、もう一人の東洋人キャラクター「ベイズ・マルバス」を加え、支那人のチアン・ウェン(Jiang Wen)に演じさせた。カンフーの達人らしきチアルートには、ベイズ・マルバスという相棒が附き、二人は銃撃戦の最中に絶命する。日本人の観客なら何とも思わないが、北米にいるアジア人は、「やっと我々のヒーローが誕生した !」と喜ぶんじゃないか。でも、本当にそうなのか? マーケット・リサーチの会社が提示する観客の意識調査は怪しく、そのまま鵜呑みにはできない。他方、ハリウッドの制作者はそんなことを気にも留めず、ドンドン左翼的アジェンダを実行する。彼らは世界中のフェミニストにも配慮して、主人公を“男優り”の女性にし、若手女優のフェリシティー・ジョーンズ(Felicity Jones)にやらせていた。『フォースの覚醒』で小娘の「レイ」が主人公になり、デイジー・リドリー(Daisy Ridley)が採用されたのも同じ考えだ。結局、物語から西歐系男子を排除するというイデオロギーのもと、小娘と黒人、そして東洋人を抜擢したんだろう。

Forest Whitaker 1Donnie Yen 3Jiang Wen 1Daisy Ridley 3


(左: フォレスト・ウテカー / ドニー・イェン / チァン・ウェン / 右: デイジー・リドリー )

Travis Fimmel 2Kevin McKidd 1Max Martini 1Charlie Hunnam 11


(左: トラヴィス・フィンメル / ケヴィン・マクキッド/ マックス・マーティーニ / 右: チャーリー・ハナム)

  何はともあれ、「スター・ウォーズ」を愛する西歐系アメリカ人は、左翼思想に染まった冒険活劇ではなく、勇気と信念を持って悪と戦う「白人の英雄」を見たがっている。ジェダイの騎士だって本来なら、凜々しいゲルマン系男優だけを集めるべきで、黒人のサミュエル・L・ジャクソンとか、ヨボヨボの老人、奇妙な宇宙人なんか余計なエキストラで“邪魔”なだけだ。ジェダイの騎士を演じさせるなら、若手のハンサム男優シャーリー・ハナム(Charlie Hunnum)やトラヴィス・フィンメル(Travis Fimmel)、古代ローマの百卒長を演じたケヴィン・マクキッド(Kevin McKidd)、特殊部隊の軍人が似合うマックス・マーティーニ(Max Martini)、高級将校を演じさせたらピカいちのチャンス・ケリー(Chance Kelly)、冷静沈着な参謀といった雰囲気のトミー・フラナガン(Tommy Flanagan)など、いくらでも思いつく。そもそも、ジェダイのモデルは中世の武装修道士で、ドイツ騎士修道会(Deutsche Orden)や聖堂騎士団(Kights Templar)を思い出せばピンとくるだろう。だから、ジェダイの騎士を全員ヘイデン・クリステンセン(Hayden Christensen)とか、ユアン・マクレガー(Ewan McGregor)、アレック・ギネス(Alec Guinness)みたいな白人男性にしたっていいじゃないか。その方が“絵”になるし、畏敬の念も生まれてくる。

Hayden Christensen 7Ewan McGregor 3Alec Guinness 3


(左: ヘイデン・クリステンセン / 中央: ユアン・マクレガー / 右: マークハミルとアレック・ギネス)

  ジェダイの騎士が集まる評議会にしても同じだ。共和国の枢密院に妖怪もどきのメンバーが混じっているんじゃ、威厳も権威もあったもんじゃない。理想を言えば、共和政ローマの元老院みたいに、歴戦の勇士とか名門の元執政官が構成員じゃないとねぇ〜。ローマ史に詳しくない日本人でも、共和政を樹立したルキウス・ブルートゥス(Lucius Junius Brutus)やプブリウス(Publius Valerius Publicola)、共和政体の権化たるキンキナートゥス(Lucius Quinctius Cincinatus)、峻厳な大カトー(Marcus Porcius Cato)、驍将のスキピオ・アフリカーヌス(Scipio Africanus)、名門のファビウス・マクシムス(Quintus Fabius Maxmus Gurges)、独裁官となった英雄のユリウス・カエサルなど、ちょっと考えれば直ぐ思い浮かぶじゃないか。

Lucius Brutus 1Scipio Africanus 1Cato the Elder 1Julius Caesar 5


(左: ルキウス・ブルータス / スキピオ・アフリカーヌス / マーカス・カトー / 右: ユリウス・カエサル)

  それにしても、なぜこうも最近の「スター・ウォーズ」作品には魅力が無いのか? それは、制作者のユダヤ人が西歐社会を愛することが出来ず、無意識的に白人達を憎み、彼らの祖先を称讃できないからだ。第7部の『フォースの覚醒』を指揮したJ.J.エイブラムズは、白人だらけの西歐社会が大嫌い。彼の発言によれば、映画は現実の社会を“反映”せねばならぬそうだ。(Nick Statt, "Director J. J. Abrams weighs in on diversity in the Star Wars universe", CBS Interactive, July 11, 2015) つまり、ヨーロッパ系の白人ばかりを採用して作品を作ってはならない、ということだろう。彼が新作の舵を取ったとき、白人の「スター・ウォーズ」ファンは有色人種の過剰なキャスティングに不満を爆発させていた。(インターネットでボイコット運動まで起こったんだから、相当なものである。)

J. J. Abrams 2Jennifer Garner 9


(左: J.J. エイブラムズ/ 右: ジェニファー・ガーナー)

  しかし、エイブラムズ監督はこうした抗議に耳を傾けるどころか、逆に反撥を覚えて“右翼的”な白人ファンを窘(たしな)めていた。この点で、彼は実にユダヤ人らしい。偏見に満ちあふれた西歐人に「高邁な理念」を教えるのが、上等な民族、すなわちユダヤ人の務めだと思っているからだ。でも、それには賛同できない。かつて、TVドラマの『エイリアス(Alias)』を制作したエイブラムズは、白人美女が大好きで、主演女優に西歐系のジェニファー・ガーナー(Jennifer Garner)を採用していた。そして、彼女の共演者にはユダヤ人を用意する。劇中、彼女の父親役はヴィクター・ガルバー(Victor Garber)が演じ、恋人になる同僚はマイケル・ヴァルタン(Michael Vartan)、仲良しの同僚にはグレッグ・グルンバーグ(Greg Grunberg)といった具合。ドラマの中でキーパーソンとなるスローン役には、大御所のロン・リフキン(Ron Rifkin)を当てていた。ユダヤ人俳優に取り囲まれた白人女優なんて、アラブ人の盗賊に攫われた白雪姫みたいだ。監督のエイブラムズは嫉妬心の塊なのか、白人の男優となれば敵意を剝き出しにする。つまり、ライバルとなる異教徒の男は排斥するということだ。これはユダヤ人に特徴的な性癖で、ヨーロッパ人の白い女は、ビジネスで成功した者に対する「トロフィー」でしかない。この赦しがたき現実を見るから、歐米の白人男性はユダヤ人に激怒するんだろう。

Victor Garber 1Ron Rifkin 2Michael Vartan 1Greg Grunberg 2


(左: ヴィクター・ガルバー / ロン・リフキン / マイケル・ヴァルタン / 右: グレッグ・グルンバーグ)

戦う意味が曖昧なスペース・ファンタジー

  「スター・ウォーズ」を食い物にするユダヤ人は、「悪の帝国と戦う共和国軍」という図式で、ジェダイの騎士や叛乱軍の将兵を描くが、観客は彼らが何の為に命を賭けるのか、がよく分からない。確かに、パルチザンは邪悪な皇帝の支配に立ち向かう「自由の戦士」なんだろうけど、その気概が何とも薄っぺらいのだ。孤島に隠居するルーク・スカイウォーカーの描き方も雑で、彼が怨みを抱くカイロ・レンと闘うシーンがあったけど、それはルークが念力で創り出した幻影に過ぎず、本人は遠く離れた島で遠隔操作をしていた、という「仕掛け」である。でも、こんなオチを見せつけらたら、劇場で観ていたファンは納得できない。腹に据えかねた観客が「カネを返せ !」と叫んでも不思議じゃないぞ。だいたい、ルークがカイロ・レンに対し「お前が最後のジェダイだ」と告げて、コロっと死んでしまうなんて、悲劇どころか洒落にもならない。観客は「何で死んじゃうの?」と自失茫然。映画は訳の解らないまま幕を閉じる。お客様が「えぇぇっ、これでお終い!?」と驚くのも無理はない。しかし、配給会社に媚びる映画評論家は、こんな駄作を「素晴らしい出来だ !」と大絶賛。ライト・サーバーを使った壮絶な決闘シーンもないのに、力尽きたルークが夕陽を背にして孤独死なんだから、「どこが傑作なのか ?」と言いたくなる。

Mark Hamill 1Adam Driver 6Daisy Ridley 003


(左: 「ルーク」役のマーク・ハミル / 中央: 「カイロ・レン」役のアダム・ドライヴァー / 右: 「レイ」役のデイジー・リドリー)

Rian Johnson 1(左 脚本家のライアン・ジョンソン)

  登場人物が丁寧に描かれ、それぞれの内面が深くないと、たとえ派手な映像がふんだんに盛り込まれていても観客は感動しないものだ。ルークに弟子入りし、ジェダイの剣術を教えてもらったレイも、何が目的なのか不明確で、鋼鉄の意思を貫こうとする信念が見受けられない。脚本を担当したライアン・ジョンソンは、感動的な物語を書きたければ、日本のアニメを勉強すべきだ。昭和に放送されたアニメ番組には良質な作品が多かった。例えば、名作『新造人間キャシャーン』は、2008年に公開された『バットマン: ダーク・ナイト(The Dark Knight)』の魁(さきがけ)となるアニメだった。キャシャーンは人々の為に必死で闘っているのに、民衆から感謝されず、却って恨まれてしまう哀しいヒーローとなっていた。主人公の東鉄也(あずま・てつや)は、父親が作ってしまった兇悪なアンドロイドを倒すため、二度と人間に戻れないことを承知の上で、機械の体になることを志願し、無敵のキャシャーンとなって死闘を繰り返す。ちょっと感動的なのは、彼が科学者の父親に「アンドロイドにして下さい」と頼んだ時、側に居た母に向かって「赦して下さい」と謝るシーンであった。「躾が良く親孝行の息子」というキャラクター設定は、いかにも昭和的で、古き良き日本を示している。(下品な言葉遣いを「リアル」と称して、ことさら映画に盛り込むユダヤ人とは大違いだ。)

  しかし、新造人間となった鉄也は、自分が「機械」であることを隠さねばならず、誰にも心を許すことができない。幼なじみの上月ルナと再会しても、自分の正体を打ち明けられず、鉄也であることすら否定しようとする。こうしたキャシャーンの姿に、我が国の子供たちは心を打たれ感銘を受けたものだ。ある時、キャシャーンはアンドロ軍団に襲われた子連れの夫婦を助けるが、感謝する父親はアンドロイドに対する憎しみを漏らす。それを聞いたキャシャーンは、無言のまま何も答えず、辛い気持ちを隠していた。自分も同じ類いの「機械」であると言えないからだ。しかし、彼は挫けなかった。キャシャーンは離れ離れになった両親に向かって独り言を述べていた。

  アンドロ軍団から人間を救うことが、新造人間である俺の使命なんだ。お父さん、お母さん。キャシャーンは木っ端微塵になるまで戦います。(第2話の後半)

  こうした「男の覚悟」を聴く日本のちびっ子達は、溢れる涙を抑えながら、「キャシャーンがやらねば誰がやる」というセリフを口ずさむ。誰からも感謝されないのに、それでも皆の為と思って命を賭けるんだから、大人でも感動するじゃないか。日本人は同質民族だから、「みんなの為に闘う」という気持ちを自然に持つ。いちいち、「自由の為」と断らなくても、当り前だから理屈を述べることはない。だが、雑多な民族や人種で構成される米国だと、“もっともらしい”大義が必要で、やれ「自由だ !」「デモクラシーを守れ!」とかのスローガンが必要になってくる。というのも、隣に住む人間を見れば、肌の色や顔附きが違うし、家系や学歴、躾や慣習もバラバラだ。ゆえに、西歐系のアメリカ人は黒人やアラブ人、南米人、アジア人を見ると、「こんな野郎の為に俺は死ぬのか?」と疑問に思えてくる。そして、彼らの顔をじっくり見詰めると、段々と馬鹿らしくなってしまうのだ。こんな訳だから、戦争になれば生身の群衆を見ないで、布製の星条旗ばかり眺めている。

black people 121Americans 11

(写真 / 「アメリカ人」と呼ばれる人々)

  平成の日本アニメはおかしくなってしまったが、少なくとも昭和までは素晴らしい作品が多かった。日本の子供達は「屁理屈を並べた教育動画」とか「政治的配慮を盛り込んだ教養漫画」なんて求めなかったし、制作者もそんなイデオロギーとは無縁だった。昭和40年代や50年代の子供が、「もっと有色人種のキャラクターを増やさなきゃ !」とか、アジアとの友好を考えて「支那人や朝鮮人の主人公も作ったら ?」と要求することはまず無かった。キャシャーンとその両親が西歐的容姿でも不思議ではなかったし、「上月ルナが金髪の北歐女性なんておかしい」と抗議する子供も皆無で、むしろ好んで観ていたくらいである。人種のバランスを考えながら映画を作るハリウッドとは、根本的に違っていたのだ。視聴者である子供が中心のアニメ制作は清々しい。昭和のアニメが今でも魅力を失わないのは、日本人の制作者が「創りたいものを創り」、政治イデオロギーや興行成績にとらわれず、自分の夢を素直に描いていたからだ。作品のキャラクターに黒人が一人も登場せず、みんな白い肌のアーリア人なんて、アメリカ人が聞いたら卒倒するが、日本人は気にしないで楽しんでいた。アメリカの知識人は我々に向かって「表現の自由」を自慢するが、彼らの本国に目を向けると、その自由は枯れ果て、実質的には空洞化している。つまり、教科書の中にだけに存在する「空想」なのだ。

  色々不満を述べてしまったが、所詮「スター・ウォーズ」シリーズはゼニ儲けの道具に過ぎない。いくらジョージ・ルーカスが「スペース・ファンタジー」と宣伝しようが、世界市場で関連グッズやDVDを販売する方が重要だ。仮に劇場での収入が赤字でも、ディズニー・ランドやイベント会場で儲ければいい。一つのスピン・オフ作品が失敗しても、第二弾、第三弾のスピン・オフを上映すれば、どれか一つくらいはヒットするだろう。著作権を持つディズニー社は、向こう百年間は同シリーズで儲けるつもりらしい。スピン・オフ映画第75弾とか、第96弾になれば、訳の解らぬ宇宙人とか魚の海賊が主人公になっているかも知れないぞ。巨大なヒキガエルにしか見えない「ジャバ・ザ・ハット(Jabba the Hutt)」が主人公の映画だって有り得る。でも、そんな作品は観たくない。

  とは言え、欲に目が眩んだディズニー社なら、ルーク・スカイウォーカーの隠し子とか、オビ=ワン・ケノビの遠い親戚とか、適当な理由をつけて、新たなキャラクターを生み出し、次々とジェダイの騎士を増やすんじゃないか。もしかしたら、ルーク・スカイウォーカー12世なんて騎士が出るかもよ。そうしたら、歌舞伎役者みたいだ。まぁ、スター・ウォーズは日本のチャンバラ劇を参考にしているくらいだから、世襲の騎士くらい簡単に誕生させるだろう。もし、第22世紀までスター・ウォーズが続いていたら、本当にライト・セーバーが開発されるかもよ。そうしたら、日本の子供達は大喜びでおもちゃ屋に殺到するだろう。ただし、これだと「スター・ウォーズ」じゃなくて「マネー・ゲーム」だ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68719820.html


138. 中川隆[-13271] koaQ7Jey 2018年6月16日 16:54:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15655]

アメリカは言われているほど「進歩」していなかった!?
https://toyokeizai.net/articles/-/225507?page=2

「トランプの支持者は忘れ去られたラストベルト地帯の白人男性だ」、としばしばいわれるわけですが、実際にアメリカに住んだり仕事をしてみたりすると、そうでもないのです。

1990年代からアメリカのインテリ層の間では、こんな考え方がすでに主流になっていました。男女、人種、マイノリティーの差別などもってのほかで、健康的な生活を送り、エネルギー・環境問題を考え、サステナビリティ(持続可能性)のある世の中を作る――。こんな考え方が広がってきて、大学を出た高学歴のアメリカ人は、みんなそういう考え方を持ち始めたのだ、とわれわれ、特に外国人は勘違いをしてしたわけです。

少なくとも、ロサンゼルスやシアトルなどの西海岸の都市や、ニューヨークなどの国際都市などにいるような高学歴の人たちはそういう人たちなんだ、という、ある意味思い込みがあるわけです。しかし、実際は古いアメリカの考え方が頑迷に残っていたのでした。「完全に世代交代した」と思ったら、「どっこい、いい勝負をしていた」というのがトランプ大統領の登場でわかってしまったのです。

わかりやすく言えば、「体に悪いからマクドナルドはやめて、シェイクシャックを食べましょうね。それもあまりよくないから、せめて1食は野菜にしましょう。そしてジムにもちゃんと行って・・・・・・」などなど、それが未来のアメリカ人像だ、と言わんばかりのインテリ層が主流になってきた、と見えたわけです。そんな人たちがトランプなんぞ支持するわけは絶対になく、まさにそういう価値観をそのまま体現しているように見えたヒラリー・クリントンが負けるはずはない・・・・・・と思って気を緩めていたら、負けてしまったのです。

実際彼が当選後、こうして2年たってみると、最も先進地域と言われる先ほど申し上げたような、シアトルなどのノースウェスト、カリフォルニア、ニューヨークに至るまで、“It’s my country !(ここは俺の国だ)” という言葉が流行り、公衆の面前で傍若無人かつ人種差別的な行動をとる白人がものすごく目につくようになって驚くわけです。

ちょっと前の実体験で言えば、私がレジに並んでいて、後ろにも10人くらいすでに並んでいるのに、私の前に白人のおっさんが平気で割り込んでくる。「おい割り込むなよ」と私は文句を言うわけですが、

「お前な、ここは俺の国だ、It’s my country, yellow man like you , get out of here !! 」と怒鳴られるわけです。

そしてこの種のオジサンたちが、最近わらわらと街に出てきた(笑)。この it’s my country というのがキーワードになっており、われわれのような有色人種、特に「黒人を目の敵にする人々」に会う機会は、トランプが大統領になってからものすごく多くなってきました。「ここは俺たち白人の国であって、お前らは出ていけ」というわけです(昔からそういう話は多々あれど、特にここ数十年は鳴りを潜めていた)。

実は「隠れトランプ支持者」がそこかしこにいた

私自身30年以上アメリカにいるわけですが、これだけ「隠れトランプ支持者」がいたのか、と思うと少々恐ろしい。要するに、「自分はそんなことないよ〜、有色人種もマイノリティーも差別しないインテリだよ〜」と言っていた人たちが、実はそうでもない、ということがトランプ大統領の登場をきっかけに、カミングアウトし始めてしまった、と言っていいかもしれない。

彼らは、本当は昔からずっとそう思っているのに、表立って言えなくなってしまい、ある意味「差別されてきた」人々なのです。実際に、それが本格的なトラブルになって、警察沙汰になってみると、それら問題を起こした白人のほとんどは大学はもちろん出ていますし、弁護士、医者、インベストメントバンカーなど、要するに「インテリ」と言われる人たちで、ホームレスの白人なんて出て来やしません。

何のことはない、彼らインテリのふりをしていた白人のおっさん・おばさん達の中に、トランプと同じ主義主張の人たちがたくさんいたのです。恐らくわれわれ有色人種の前では「差別なんてしないわよ〜」、と振る舞っていても本音は全く別で、投票するときには「トランプ」とマークしていた人々と言っていいかもしれませんね(笑)。



139. 中川隆[-13273] koaQ7Jey 2018年6月16日 20:43:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15673]
アメリカではリベラルが行き過ぎた「ポリティカル・コレクトネス」を進めていることに大きな反発が起きている。

ポリティカル・コレクトネスとは、「政治的に問題のない言葉遣い、差別のない言葉遣いをしよう」というもので、一見するととても素晴らしいものに見える。

ところが、これが行き過ぎると「メリー・クリスマスは、キリスト教徒以外の人たちが疎外感を味わうので使うのはやめよう」とか、「ジングルベルは少数派の差別だから流すのはやめよう」という方向になって文化を否定する「弾圧」になる。

そして、少数民族や少数派を指し示す言葉はすべて「差別」として捉えられて、それを口にする人間は差別主義者ということにされてしまう世の中になった。

面白いのは多数派に対する攻撃は許容されていて、「メリー・クリスマスはメリー・クリスマスだ。何が悪い」というような人は「政治的に配慮がないレイシストだ」と攻撃の的になる。

これで攻撃されているのが他でもない、ドナルド・トランプ大統領である。トランプ大統領は「ポリティカル・コレクトネスの分からない差別主義者だ」と批判されているのだが、実のところトランプ大統領の姿勢に共鳴するアメリカ人も多い。

行き過ぎたポリティカル・コレクトネスに多くのアメリカ人はうんざりしている。うっかり何か言うと「差別主義者」にされて批判されるので、何も言えなくなってしまうのだ。

難民や移民を批判すると、その瞬間にレイシスト?

EU(欧州連合)でも難民や移民を批判すると、その瞬間に「差別主義者、レイシスト、極右」とレッテルを貼られて社会から一斉に攻撃される状況になっていた。

メディアも、強盗や殺人やレイプの犯人が移民や難民だと、それをぼかして報じるようになった。

なぜなら、「移民がやった、難民がやった」と言うと、当の移民・難民たちが徒党を組んで「差別だ、レイシストだ、少数派に対する弾圧だ」とわめきたてて大抗議するからである。

さらに、人権団体やフェミニストもまた移民や難民と手を組んで、「この事件を報じるのは差別」と言い出すからである。

2015年の大晦日の深夜にドイツで数百人にのぼるドイツ女性が性的暴行された事件があったのだが、この事件はしばらく報道されなかったのは、そのような事情があったからだ。

(ダークネス:レイプする難民たちと反移民・反難民に舵を切るヨーロッパ )
https://darkness-tiga.blogspot.com/2016/02/20160223T1628260900.html

なぜこの事件が明るみに出たのかというと、当の被害に遭った女性が勇気を出して次々とSNSに被害状況をアップしたからである。

実際に被害者がいるのにマスコミが報じないことに人々が騒ぎ始めると、やっとメディアは「移民たちがドイツ女性を集団で襲った」と報道した。

ところが今度は、「この報道は少数派に対する差別だ、極右のデマだ、捏造だ」と移民団体や人権団体が騒ぎはじめて、この事件を取り上げる人間は「レイシストだ」ということにされてしまった。

つまり、移民・難民が何をしてもそれを報じることは「差別」ということになって、真実をありのまま報じられなくなってしまっているのである。

多文化共生という幻想を推し進め、移民・難民を批判するのは差別と決めつけた結果、人々は「反移民・反EU」に大きく傾くようになっていき、EUは完全に機能不全に陥った。
https://darkness-tiga.blogspot.com/2018/06/20180616T1840070900.html#Qv7vRNR.google_plusone_ninja_m


140. 中川隆[-13449] koaQ7Jey 2018年6月21日 13:28:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15964]
2018年06月21日
黒い魔の手が伸びてくる ! / 異人種が学校で増加する日本
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68722079.html

審判を殴った黒人留学生

  今月17日、長崎県で全国九州高校体育大会が開かれ、バスケットボール男子の準決勝が行われた。今回、世間の注目を集めたのは福岡大大濠高校 vs 延岡学園の試合である。俄に信じられないが、出場していた黒人選手が審判員の注意に激怒し、いきなり殴り倒してしまったのだ。しかも、渾身の力を込めた右ストレート。この衝撃の瞬間を目の当たりにした女性係員は思わず椅子から立ち上がり、驚愕の表情を浮かべていた。そりゃそうだろう。試合中の反則を指摘されて仏頂面になるプレイヤーはいるげと、まさかバスケットボールの試合でボクシングを観戦できるなんて誰も思っていないからだ。

  「そんな、まさか!!」と思ったのは、会場の職員や観客だけではない。殴られた審判が一番ショックだ。黒人選手の意図的なファウルを見つけただけなのに、その判定を下すや否や、高速のパンチを喰らうなんて。しかも、殴った相手は2mを越す長身のプレイヤーで、腕や胸の筋肉だっでガッチリしているから、いくら素人とはいえ“かなり”の破壊力だ。案の定、無防備の審判はノック・アウトされ、そのまま床に崩れ落ちた。幸い、腕をクッションにして倒れたから、多少なりとも衝撃を緩和できたが、それでもかなり痛い。彼の口からは鮮血が吹き飛び、病院に運ばれて分かったことだが、10針を縫う怪我であったそうだ。もし、この被害者が殴られた瞬間に気絶し、頭から床に倒れていたらどうなっていたことか。本当にヤバかった。格闘技の経験者なら理解できようが、頭からモロに落ちるのは大変危険な事態ある。プロだって深刻なんだから、素人がそのまま頭を打ちつけたら、どんな怪我になっていたことか、想像しただけでも恐ろしい。場合によっては後遺症が残り、障碍者になってしまう虞(おそれ)もあるのだ。

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(左: ペティ・ヴァカ・エルビス / 右: 会場で殴り倒された審判)

  この暴力沙汰を起こしたのは、コンゴからやって来た15歳の留学生、ペティ・ヴァカ・エルビス(Peti Bwaka Elvis)というアフリカ人。彼はスポーツ留学生として、2月に来日してきた一年生ということだが、日本語はほとんど理解できず、普段は母国のフランス語を喋っているという。通っている学校にフランス語の通訳が駐在しているのかどうか知らないが、クラスメイトとの会話はないはずだ。宮崎県の一般高校生が流暢にフランス語を操り、日本語の表現を教えてやるなんて考えられない。担任教師だって、どれ程の語学力なのか怪しいものである。フランス語を話していると口が疲れるし、日本語に無い発音もあるので、慣れない人には苦痛でしかない。フランス語は綴りと発音が一致しないし、慣用句を知らないと冗談を聞いても何が面白いのか判らず、段々と厭になってくる。(ちなみに、コンゴ共和国にはスワヒリ語とかリンガラ語といった土着の言葉があるけれど、元はベルギーの植民地だったので、公用語は依然としてフランス語になっている。一応、教科書ではベルギー王国の「植民地」となっているが、実質的に「コンゴ自由国」は国王レオポルド二世の私有地であった。つまり、王様の個人的な直轄領というわけ。だから、傭兵を使って現地人を制禦したり、強制的にゴム園で働かせるのも自由であった。説明すると長くなるから、ここでは割愛する。)

  バスケットボールの規則を心得ていたはずのエルビスが、今回の事件を起こす切っ掛けとなったのは、彼が日本語を話せないことに関連があった。報道によれば、普段から日本人とのコミュニケーションを取れなかったエルビスには、相当なフラストレーションが溜まっていたらしい。もう一人のコンゴ人留学生であるムヤ・カバンゴ・フランシス(Muya Kabangu Francis)とならフランス語で遣り取りできようが、監督やコーチ、それに部員の日本人とは無理だろう。確かに、コンゴとは全く違う日本に来て、毎日毎日「バルバル」としか聞こえない言葉を聞いて「異国人(バルバロイ)」と一緒に過ごせば、不満が募っても当然である。だいたい、彼を受け容れた延岡学園は何を考えていたのか? 学校側は彼を単なる「即戦力」としか考えず、どうも「人間」としてのエルビスを考慮していなかった節がある。まだ10代の少年なのだから、友達と交流したいという気持ちがあっても不思議ではあるまい。だが、延岡学園は彼をまるでプロ野球の「助っ人外人」並に扱っていた。彼を弁護するつもりはないが、毎日ストレスが積もれば、いつかは爆発することだってあるだろう。

 


放縦な黒人の衝動

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(写真 / 罪を犯して捕まった元NFLの選手たち)

  一般的に、黒人は肉体的に優れているので、スポーツ界で能力を発揮する人が多い。しかし、その一方で性格的な問題を抱えている人もいるから困ってしまう。生まれ持った気質なのか、それとも育った環境とか躾の欠如なのか、自制心が無く衝動に駆られて暴力事件を起こす人が結構いる。何らかの野外イベントで黒人が集まると、喧嘩沙汰で騒ぎとなったり、暴動が発生して収集がつかなくなる場合も少なくない。そして、彼らは騒擾事件だけでなく、性犯罪に関しても“よく”トラブルを起こす。例えば、バスケットボール選手とかアメフト選手が女性ファンに手を出したり、無理やり性行為を迫ることもあって、過去を振り返れば、マスコミを賑わせた事件も幾つかあった。単細胞の黒人選手は手込めにしようとした女性に抵抗されると、怒りにまかせて暴力をふるうことがあるから、警察沙汰になることも“しょっちゅう”だ。理性が無いというか、性慾の塊というか、自分のしたいことをしてしまうので、後々厄介な事になる。たとえ、大学が守りたい花形選手であっても、被害者女性が訴え出れば、強姦魔として逮捕され、裁判で有罪となる場合もある。たった一度の誤りで、人生を棒に振ってしまうことも“しばしば”だ。

  まったく「アホ」としか言いようがないが、本当に「低能」だから嗤うに笑えない。米国の大学で教授を務める或る女性が述べていたけど、黒人のアメフト選手は学力が極端に不足しており、とても「大学生」と呼べる代物じゃないそうだ。信じられないけど、小学生レベルの知識も無い奴がいたりする。文章を書かせれば単語の綴りが間違っていたり、文法がメチャクチャだったりと、呆れて物が言えなくなるそうだ。

こんな具合だから、彼女は黒人学生に単位を与えたくなかったが、大学の理事や学長たちが無言の「圧力」を掛けてくるので、「嫌」と言えない雰囲気があるという。だから、彼女は勇気を振り絞ってマスコミに暴露したのだが、こんな告白も大学のスポーツ・ビジネスには影響が無かった。やはり、巨額のお金がうごめく「娯楽産業」には様々な利権があるし、テレビ局の視聴率と営業収益にも絡んでくるから、大学教師の告発なんて直ぐ消えてしまうのだ。

ということで、名目だけの「大卒黒人」というのは実に多い。筋肉隆々でも頭の中身は空っぽなんだから、破廉恥事件を起こしても不思議じゃあるまい。

  「NFL(全米フットボール協会)」と言えば、歐米のみならず日本でも、その名が轟いている。NFLの人気選手ともなれば、年俸数億円なんてザラで、日本のプロ野球選手は涎が出るほど羨ましい。ところが、このエリート集団には不届き者が結構混じっている。罪を犯して逮捕されるなんて珍しくない。

例えば、最近捕まった元NFL選手のケレン・ウィンスロー・ジュニア(Kellen Winslow, Jr.)は酷かった。彼は強姦の常習犯で、ある時は被害者女性の肛門にペニスをねじ込み、またある時は自分のペニスを女性の口に突っ込んだりと、もうやりたい放題。その標的になった女性の種類は幅広く、彼は71歳と86歳の女性を強姦した事もある。

ウィンスローは二人の老婆を犯した後、彼女たちに向かって「誰にも喋るんじゃねぇぞ ! もし話したら必ずぶっ殺すからな !」と脅したそうだ。("Kellen Winslow Threatened to Murder Rape Victims, Officials Say", TMZ Sports, June 15, 2018) こんな脅迫を受けたら、お婆ちゃん達は震え上がってしまうじゃないか。

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(左: 現役時代のケレン・ウィンスロー / 右: 逮捕されたウィンスロー)

  この黒人は他にも罪を犯しており、彼は今年の3月17日に54歳の女性を攫って強姦したし、二ヶ月後(5月13日)には59歳の女性を拉致して犯したそうだ。ところが、強姦魔のウィンスローには別の性癖があった。今年5月、道を歩いていた彼は、ガーデニングをする55歳の女性に出逢い、彼女に話しかけたという。

ちょっとした会話が交わされ、彼女がその場を立ち去ると、ウィンスローは獲物の後をつけた。背後に誰かいると感じた彼女は後ろを振り向き、すぐ間近にさっきの黒人がいてビックリ。しかも、この不審者は勃起したペニスを露出していたのだ。日本人女性なら、「ぎゃゃゃゃ〜ぁあああ !!!」と悲鳴を上げてしまうだろう。まぁ、日本じゃ滅多に無いから想像できないが、異民族混淆のアメリカならありそうだ。

巨大化したペニスを見た被害者は、天空に響き渡るほどの叫び声を上げ、急いで自宅に駆け込んだという。彼女は事の次第を亭主に告げ、驚いた夫は間髪入れず警察に通報した。しかし、逮捕されたウィンスローは容疑を否定し、「無罪(NOT GUILTY)」を訴えたそうだ。(Diana Moskovitz, "Kellen Winslow Jr. Threatened To Murder Women After He Raped Them", Deadspin, June 15, 2018)

  もう、呆れて物が言えない。直に強姦するまで我慢できず、ズボンのジッパーを開けて、勃起したペニスを剝き出しにするなんて。いったい、どんな家庭で育ったのか? そこでウィンスローの家庭を調べてみると、彼の父親ケレン・ウィンスロー・シニアもNFLのスター選手であったことが判る。まさにサラブレッド。

しかし、息子の躾には失敗。フットボールのルールを教えても、社会のルールを教えていなかった。というより、倫理・道徳がそもそも無かった、ということだろう。

一度の過ちならまだしも、連続強姦魔じゃ弁解の余地は無い。それにしても、80代の婆さんに興奮するなんて、どういう神経をしているんだ? 筆者には理解できない。いくら熟女好きの人間がいるにしても、「限度」というものがあるだろう。したがって、こうした異常心理は精神科の先生に訊くしかない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68722079.html


141. 中川隆[-13592] koaQ7Jey 2018年6月27日 19:52:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16243]

ゲルマン人は悪い


2018年06月27日
ドイツの散々な6月 米と貿易摩擦や自動車不祥事


メルケルは「自由貿易を守れ」と詰め寄ったが、もともと不公正貿易をしていたのはドイツだった
_画像引用:https://ichef.bbci.co.uk/news/660/cpsprodpb/161BB/production/_101955509_60e88f91-1774-49c3-ae32-6e3bc7a7d540.jpg

自動車や銀行で問題が噴出

2018年6月はドイツにとって、アメリカとの貿易摩擦や自動車メーカーの良くないニュースが続いた。

自動車はドイツにとって最大の輸出品目で、利益のほとんどを稼ぎ出し、膨大な雇用を支えている。

6月18日にアウディのシュタートラー元社長が逮捕され、今後捜査が拡大する可能性がある。



VWの排ガス問題は終わったはずだったが、実際には全てのドイツ車メーカーが同様の行為をした疑いがもたれている。

2017年には全ドイツ車メーカーが排ガス対策で闇カルテルを結んでいたのも発覚し、批判が強まっていました。

2018年6月18日にはダイムラーが「メルセデス・ベンツ」のディーゼル車約77万4000台に排ガスの不正装置が搭載されていたと発表されました。


これらドイツ車へのドイツ政府の対応は甘く、不正が発覚してからもメルケル首相は「いかなる手段を使ってもVWを守る」などと発言している。

その手段の一つはドイツ最大の金融機関であるドイツ銀行に圧力をかけて、資金繰りに窮したメーカーに融資させることでした。

政府の都合によって乱脈融資を行ったせいなのか、ドイツ銀行は破綻の危機に瀕している。


ドイツ銀行は融資審査もせず数兆円もの貸し出しを行ってきた疑いがもたれていて、メルケル政権による「忖度」が働いたとも言われている。

ドイツ銀行はアメリカでは不正な為替取引を行っていた疑惑で操作されていて、日本では2009年の「くりっく365・ランド暴落事件」を引き起こしていた。

取引終了前の数分間にドイツ銀行が偽の為替レートを配信して為替市場に大混乱を起こして儲けたとされるが、誰も処罰されず真相は闇に葬られた。

アメリカとの貿易問題も表面化

2018年6月8日にカナダで開かれたG7、先進国首脳会議でメルケル首相は自由貿易の保護者という立場を取った。

アメリカ第一を主張するトランプに対して自由貿易の重要さを主張したが、今まで散々「保護貿易」をしてきたのはドイツでした。

日本車にも米国車にも有形無形の保護政策を張り巡らせて排除し、一方でドイツ車は「自由貿易」を利用して日独で売りまくった。


トランプが「ドイツ車は不公正だ」と言っているのはある程度本当であり、今まではドイツが「ドイツ第一」の不公正貿易をしてきた。

ところが今度はアメリカも自国第一主義を採ったので、ドイツは「元に戻すべきだ」と言っています。

これではトランプでなくても、メルケルの言葉に耳を傾けたりしないでしょう。


例えば日本でドイツ車は関税非課税で売られているが、ドイツでは関税が課せられ、例えドイツ国内で製造して外国車として関税を課されます。

これで食い物にされたのが日本のスズキで、あやうく騙されてVWに会社ごと乗っ取られるところでした。


あまりに政府がメーカーを優遇するので、ハンブルクでは5月31日、旧式ディーゼル車の通行禁止措置が行われた。

禁止されるのはごく一部で対象も旧式車だけだが、今後乗り入れ規制は欧州各地に広がる可能性がある。

ドイツ車メーカーはEV開発を進めているが、これにも裏があり、充電できさえすれば「V12気筒、6リッター、1000馬力」であってもエコカーとして優遇されます。

一方でどんなに低燃費でも充電できない日本式ハイブリッドやガソリン車は、将来販売禁止されると予想されています。

つまり目的は日本車をEUから排除することであって、地球環境やCO2のことなど、頭の片隅にすら無いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/76664683.html


142. 中川隆[-13514] koaQ7Jey 2018年7月17日 20:41:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16699]

黒人は劣等民族だった _ 言ってはいけない残酷すぎる真実


2016年5月20日
「知能や気質は、人種ごとに遺伝的な差異がある」
言ってはいけない残酷すぎる真実[橘玲の日々刻々]
http://diamond.jp/articles/-/91577

イギリスの科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェイドの

『人類のやっかいな遺産――遺伝子、人種、進化の歴史』(晶文社)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794969236/fx00-22/ref=nosim


は、これまでPC(political correctness/政治的正しさ)の観点から「言ってはいけない」とされてきた分野に大胆に切り込んだ問題作だ。ウェイドは本書でなにを主張したのか。膨大なエクスキューズを後回しにして結論だけをいおう。

「約5万年前にアフリカを出た現生人類は、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オーストラリアなど(比較的)孤立した環境のなかで独自の進化を続けてきた。この進化の影響は、肌や髪の毛、目の色だけでなく、知能や気質など内面にも及んでいる。これが、人種によって社会制度や経済発展の度合いが異なる理由だ」

 これがどれほど不穏な主張かは、「アフリカはなぜいつまでも発展しないのか」という問いを考えてみれば即座に了解できるだろう。だが「政治的」に許されないはずのこうした理論は、ゲノム解析技術の急速な進歩によって、現代の進化論になかで徐々に説得力を増してきている。

「人種にかかわらず人間の本性は同じ」は本当か?

「身体的な機能と同様に、ひとのこころも進化によってつくられてきた」と考える進化心理学は、その存在自体がリベラルの逆鱗に触れるものではあったが、それでも社会のなかでなんとか居場所を確保してきた。「進化のスピードを考えれば、ひとのこころは旧石器時代と変わらない」としたからだ。「現代人がさまざまな問題を抱えているのは、原始人のこころのままコンクリートジャングルに暮らしているためだ」というのはひとびとの心情に訴えるものがあったし、なによりも「人種にかかわらず人間の本性(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)は同じ」というのは「政治的」な心地よさがあった。

 だが「科学」の立場からは、こうした前提がきわめて不安定なのはあきらかだ。白人、黒人、アジア系では外見が異なり、アフリカから分かれた5万年のあいだに独自の進化が起きたことは間違いない。だが人種ごとに身体的特徴を大きく変えたその進化は、なぜか気質的、精神的特徴にはいっさい手をつけなかった、というのだから。

「文化や社会は遺伝・進化の強い影響下に置かれている」という考えは、1970年代にアメリカの生物学者E.O.ウィルソンが大著『社会生物学』で示唆し、リベラル派からはげしい批判を浴びていた。当時、ウィルソンはこの仮説を証明するデータを提示できなかったが、「遺伝と文化が共進化する」という発想はきわめて斬新なものだった。

 その後、「社会生物学論争」という米アカデミズム内の激烈なイデオロギー闘争を経て、進化論の科学者とリベラル派のあいだでいちおうの妥協がはかられた。それが、「人間の本性に遺伝的な基盤があることは認めるが、そこに人種間のちがいはない」というPC的な主張になっていく。

 だがウェイドや、

『一万年の進化爆発 文明が進化を加速した』(日経BP社)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822283992/fx00-22/ref=nosim


で同様の理論を展開するアメリカの人類学者グレゴリー・コクランとヘンリー・ハーペンディングは、「そんなのはデタラメだ」と一蹴する。たとえばウェイドは、次のようにいう。

「歴史は人類進化の枠組みの中で起こる。この2つの主題は別々に扱われ、まるで人類進化がいきなり止まってから、かなり時間が経って、歴史が始まったかのように論じられる。でも進化は急に止まれない。そんな都合のいい進化の休止が起こったなどという証拠はまったくない。ゲノムからの新しい知見はますます、進化と歴史が相互に絡み合っていることを示している」

 こうした主張に対する有力な“科学的”反論は、「異なる人種のあいだの遺伝的なちがいよりも、同じ人種のなかでの遺伝的なばらつきの方がはるかに大きい」というものだ。ヒトの遺伝的変異の85%は集団の内部で見られ、集団間の差異は15%にすぎない。したがって、集団(人種)の遺伝的なちがいをことさらに強調するのは科学的に意味がない、というわけだ。

 だがコクランとハーペンディングは、「イヌの遺伝的変異の分布を調べても、遺伝的なちがいの70%は品種内で、30%は品種間で見られる」と反論する。PC派の理屈が正しいのなら、「グレートデンとチワワのちがいを語ることは非科学的だ」という荒唐無稽な話になってしまうのだ。

 愛犬家なら誰でも知っているように、イヌの気質は品種によって大きく異なる。その一方で、すべてのイヌに共通する“ドッグ・ユニヴァーサルズ(イヌの本性)”があり、同じ品種でもさまざまな個性を持つ。

 著者たちによれば、人種のちがいもこれと同じだ。私たちはみな進化の過程でつくられてきた「人間の本性」を共有しつつ、それぞれに個性的だが、最近(数万年)の進化によって、人種ごとに異なる外見、異なる気質を持つようにもなったのだ。


白人と黒人の知能の違いは、環境か、遺伝か?

 ここまでなら多くの日本人は「当たり前の話だ」と思うかもしれないが、欧米(とりわけアメリカ)では、こうした主張は重大な含意を持つ。白人と黒人の知能の差をめぐる深刻な政治的対立に直結するからだ。

 このきわめてセンシティブな問題については近著『言ってはいけない』(新潮新書)で概略を説明したが、ここではウェイドの文章をそのまま抜粋しよう。

「IQ論争の両陣営は、遺伝派と環境派と考えてよい。どちらもアメリカでIQ試験をすると、ヨーロッパ系アメリカ人が100となり(これは定義でそうなる――彼らのIQ試験の得点は100に正規化される)、アジア系アメリカ人は105、アフリカ系アメリカ人は85から90となる。アフリカ系アメリカ人はヨーロッパ系の得点より目に見えて低い(15点、あるいは1標準偏差分だ、と遺伝派は指摘する。いやたった10点だ、と環境派は言う)。ここまではどちらも合意する。論争は、ヨーロッパ系とアフリカ系の得点差の解釈で生じる。遺伝派は、得点差の半分は環境要因によるもので、半分は遺伝によるものだと主張する。ときにはこの比率が、環境2割、遺伝8割とされることもある。環境派は、この差のすべてが環境的な疎外要因によるもので、それが解消されればこの差は最終的になくなると主張する」

 この論争は、じつは科学的にはほぼ決着がついている。一卵性双生児や二卵性双生児の比較から遺伝の影響を調べる行動遺伝学では、認知能力のうちIQに相当する一般知能の77%、論理的推論能力の68%が遺伝によって説明でき、環境の影響が大きいのは(親が子どもに言葉を教える)言語性知能(遺伝率14%)だけだとわかっているのだ(安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣)。

 白人と黒人の知能の格差(ウェイドがいうようにこれは“事実”で、リベラル派にも異論はない)が異なる進化の結果だということになると、黒人の経済的苦境は過去の奴隷制や人種差別のせいではなく、黒人など少数民族に経済的・社会的援助を行なうアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)の根拠もなくなってしまう。これがアメリカ社会にとってどれほどの衝撃かはいうまでもないだろう。

 それだけではなく、現代の進化論の不穏な主張はさらに「やっかいな」問題を引き起こす。『人類のやっかいな遺産』でウェイドは、「人種と進化の理論」をグローバルに拡張するのだ。

「人種ごとに遺伝的な差異があり、それが知能や気質にも影響している」

 世界には、経済的に発展し政治的にも安定している国(主に欧米諸国)もあれば、経済的に貧しく政治的混乱がつづいている国(主にアフリカや中東諸国)もある。なぜこのようなちがいが生まれたかは、これまで歴史的経緯によって説明されてきた。アフリカは奴隷貿易と帝国主義列強の分割・植民地化によって搾取され、社会の基盤を徹底的に破壊されたために苦しんでいるのだ、というように。

 だがPC的に居心地のいいこの解釈は、1980年代からアジアの経済成長が始まり、2000年以降、それが加速して中国が世界2位の経済大国になるに至って大きく揺らぎはじめた。

「4匹の龍」と呼ばれたアジアの新興国のうち韓国と台湾は日本の旧植民地、香港とシンガポールはイギリスの旧植民地で、中国はアフリカ同様、欧米列強と日本による侵略に苦しんだ。東南アジアでも、イスラームを国教とするマレーシアや、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシア、アメリカとの戦争で国土が荒廃したベトナム、ポルポトの大虐殺という現代史の悲劇を経験したカンボジアが次々と経済発展にテイクオフし、軍事独裁国家の“秘境”ミャンマーまでが民主化を達成し、いまや空前の不動産バブルに湧いている。

 アフリカにもボツワナのように政治的・経済的に安定した国はあるものの、この20年のアジアの変貌と比べればその差は目もくらむほど大きい。だとしたら、アジアとアフリカを分かつものはなんなのか?

 この問いに対してジャレド・ダイアモンドは世界的ベストセラーとなった『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)で、「横に長いユーラシア大陸と、縦に長いアフリカ大陸、南北アメリカ大陸の地理的なちがい」というエレガントな説を提示した。農業は人類史を画する革命だが、このイノベーションは同程度の緯度の地域にしか広まらない。アフリカ南部でもヨーロッパと同じ農業を営む条件は揃っているが、知識や技術はサハラ砂漠や熱帯のジャングルを越えることができなかったのだ。

 だがウェイドは、これはものごとの半分しか説明していない批判する。

 大陸ごとに知識・技術の伝播のちがいが生じるのはそのとおりだが、これは地形が人の移動を制限するからだ。ダイヤモンドは「人種などというものは存在しない」と断言するが、皮肉なことに、彼の理論は「孤立した集団が異なる進化を遂げた」という現代の進化論を補強しているのだ。

 アメリカの歴史学者ニーアル・ファーガソンは『文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因』(勁草書房)などで、東洋の専制政治に対して西洋は分散化した政治生活とオープンな社会を生み出し、そこから所有権や法の支配、科学や医学の進歩など数々のイノベーションが生まれたと説く。

 アメリカの経済学者ダロン・アセモグルとジェイムズ.A.ロビンソンも『国家はなぜ衰退するのか』(早川書房)で、「経済発展できるかどうかは制度によって決まる」と述べている。

 韓国と北朝鮮は人種的には同一で、文化や歴史もほとんど変わらないが、いまや一方は先進国の仲間入りをし、もう一方は世界の最貧国だ。なぜこのような大きな差がついたかは、歴史的な偶然(民族分断の悲劇)によって異なる制度を持つようになったことからしか説明できない――これもまたきわめて説得力のある論理だ。だが問題は、こうしたケース(旧西ドイツと旧東ドイツも同じ)を地球全体にそのまま拡張できるのか、ということにある。

 ウェイドは、政治的成熟や経済発展に制度が重要だとしても、朝鮮半島のように異なる制度に分かれた経緯が明快に説明できるのは稀有なケースで、ほとんどの場合、なぜある国が経済発展に有利な制度を持ち、別の国が不利な制度を持つようになったかはわからないままだと批判する。

「西洋はたまたま産業革命を達成し、中国はたまたま停滞し、アフリカはたまたま取り残された」というだけでは、なんの説明にもなっていない。だが遺伝と文化が共進化すると考えるなら、ヨーロッパ、アジア、アフリカで異なる文明や社会が生まれた理由を、より根源的に解き明かすことができるだろう。

「人種ごとに遺伝的な差異があり、それが知能や気質にも影響している」という現代の進化論の知見を拡張していくなら、ここまでは論理的必然だ。同様の主張を婉曲に述べる論者はこれまでもいたから、ウェイドの“功績”はPC的な制約を乗り越えて、「人種と進化」をはじめて堂々と口にしたことにあるのだろう。

人種による進化の度合いの違いは、「農業の開始」

 なぜ人種によって進化の度合いが異なるのか。これにはさまざまな要素があるが、そのなかでも決定的に重要なのは約1万年前の農業の開始だ。これについてはコクランとハーペンディングの『一万年の進化爆発』が詳しいので、それに即して現代の進化論の主張を見てみよう。

 農業の開始は現生人類の生存環境に劇的な変化をもたらした。ある程度裏づけのある推測によれば、10万年前の世界人口は、アフリカの現生人類とユーラシアの旧人類(ネアンデルタール人など)を合わせて50万ほどしかいなかった。現生人類がユーラシア大陸に拡散した1万2000年前(氷河期の終わり)でも、その数は600万人程度だった。だが農業という技術イノベーションでカロリー生産量が急激に高まったことで、紀元前1万年から西暦1年までのあいだに世界人口は100倍まで増加したのだ(推定値は40〜170倍)。

 農業が現生人類に与えた最大の変化は、食糧を求めて少人数で広大な大陸を移動する狩猟採集生活から、土地にしばりつけられた人口密度の高い集団生活に移行したことだ。これによって人類は感染症の危険にさらされることになって免疫機能を発達させ、炭水化物を大量摂取しても糖尿病になりにくい体質へと“進化”した。

 狩猟採集生活をしていたり、農業を始めてから歴史の浅い新大陸(アメリカやオーストラリア)の原住民がヨーロッパ人との接触で天然痘などに感染して甚大な被害を受けたことや、大量の炭水化物を経験したことのない彼らが糖尿病にかかりやすいことはここから説明できる。また穀物を発酵させてつくる酒も農業革命以降の発明で、耐性のない新大陸の原住民のあいだでアルコール依存症が深刻な問題になっている。

 だがそれ以外でも、「農業による集団生活」というまったく新しい環境は、人類に対してさまざまな自然淘汰の圧力を加えた。

 狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。

 その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛さといった気質が人口過密な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。牧畜業では気性の荒い牛は仲間を傷つけるので真っ先に排除される。それと同様に、農耕によってはじめて登場した共同体の支配者(権力者)は自分に歯向かう攻撃的な人間を容赦なく処分しただろうし、また農村社会においても、攻撃的な個人はムラの平和を乱す迷惑者として村八分にされたり、ムラから追い出されたりしただろう。農耕社会では、温厚な気性が選択的に優遇されたのだ。

 旧ソ連の遺伝学者ドミトリ・ベリャエフは1950年代に、古代人が野生動物をどのように家畜化したかを知るために、(人間にはなつかない)ギンギツネのなかからおとなしい個体を選んで育ててみた。すると驚くべきことに、わずか8世代で人間が近くにいても平気なギンギツネが生まれた。実験開始からたった40年、30世代から35世代ほどの交配で、キツネたちはイヌなみにおとなしく従順になり、毛皮に白い斑点ができ耳が垂れた。

 キツネの品種改良を人間に当てはめるのは突飛に思えるが、じつはDRD4(ドーパミン受容体D4)遺伝子の7R(7リピート)対立遺伝子で興味深い事象がわかっている。この遺伝子は注意欠陥障害(ADHD)に関係し、落ち着きのない衝動的な振る舞いや注意散漫などを引き起こす。欧米をはじめ世界各地でこの遺伝子の遺伝的多型がかなりの頻度で見られるが、東アジアではまったくといっていいほど存在していない。

 中国では、7R対立遺伝子に由来する対立遺伝子がかなり一般的なのに、ADHDを引き起こす7R対立遺伝子だけがきわめて稀だ。自然状態でこのようなことが起こるとは考えられないから、中国社会では7R対立遺伝子を持つ者は、人為的に徹底して排除された可能性がある。

 コクランとハーペンディングは、農業がもたらした異常な環境に直面した人類は、それに適応できるよう自分で自分を「品種改良」したのだと述べる。現代の進化論が提示する仮説では、「現代人は“家畜化”されたヒト」なのだ。

「現代人は”家畜化”されたヒト」

 農業によってもたらされた“1万年の進化爆発”を私たちはどのように考えればいいのだだろうか。ここには2つの観点がある。

 ひとつはウェイドが『人類のやっかいな遺産』で示唆するように、「工業社会や知識社会では、農業を経験した人種とそうでない人種の間には適応度にちがいがある」というものだ。サハラ砂漠以南のアフリカでも農業が行なわれていたが、規模は小さく歴史も短いためじゅうぶんに“進化”することができなかった。

 それに対してユーラシア大陸で1万年にわたって農業を行なってきたコケイジャン(白人)やアジア人は、ムラ社会の習慣をそのまま学校・軍隊・工場などに持ち込むことで容易に適応することができた。これがたんなる文化のちがいだったら、アフリカ人やオーストラリアのアボリジニもすぐに真似できるはずだ。なぜ上手くいかないかというと、文化や習慣の背後に遺伝的・進化論的基礎があるからだ――という話になる。

 これはきわめて危うい論理だが、視点を変えればちがう景色が見えてくる。

 先に述べたように、現代社会において経済的な成功を手にしたのは自らを“家畜化”した人種だ。これを逆にいえば、アフリカ人やアボリジニは「家畜化されていない」ということになる。白人をチワワ、アジア人をダックスフントとするならば、彼らはオオカミなのだ。

 チワワやダックスフントがオオカミより優れているとはいえないように、“家畜化という進化”を経た人種を家畜化されていない人種よりも優秀だとする根拠はない。進化論は科学であって、人種の優劣を論じるイデオロギーではない。

 だが、この“新しい科学”をアフリカのひとたちが素直に受け入れるのはきわめて難しいだろう。欧米諸国はアフリカに巨額の援助(ウェイドによれば過去50年間に2.3兆ドル)を投入してきたが、それでもアフリカの生活水準が改善しないのは過去の植民地支配のせいではなく、遺伝的・進化論的な理由だというのだから。責任ある立場のひとがこれを口にすれば、アメリカにおけるアファーマティブアクションをめぐる論争(というか罵り合い)を何倍、何十倍にも拡大する騒ぎを引き起こすことは間違いない。

 フランスのアフリカ植民地支配では、フランス語を話しフランス式の高等教育を受けたアフリカ人はエヴォリュエ(進化した者)と呼ばれた。ヨーロッパによるアフリカの植民地化は、「進化の程度の低い原住民を訓育して幸福にする」というパターナリズム(温情主義)によって正当化されてきた。人種と進化についての科学は、この人種的偏見に科学的な根拠があったとの政治的主張を生み出しかねない。これが、(アカデミズムを含む)ほとんどのひとが人種と進化の関係を否定するばかりか、その話題に触れることすらも拒絶する理由だろう。

 しかしそれでも、今後DNAの解析が急速に進むにつれて、人種による気質や性格のちがいに遺伝的な基盤があることを誰も否定できなくなるとウェイドはいう。そしてこれは、おそらく正しいのだろう。

 だがこれは、現代の進化論が人種差別的な科学だということではない。科学的な知見が人種差別につながらないような社会をわたしたちが築いていかなくてはならない、ということなのだ。
http://diamond.jp/articles/-/91577


放縦な黒人の衝動
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68722079.html


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(写真 / 罪を犯して捕まった元NFLの選手たち)

  一般的に、黒人は肉体的に優れているので、スポーツ界で能力を発揮する人が多い。しかし、その一方で性格的な問題を抱えている人もいるから困ってしまう。生まれ持った気質なのか、それとも育った環境とか躾の欠如なのか、自制心が無く衝動に駆られて暴力事件を起こす人が結構いる。何らかの野外イベントで黒人が集まると、喧嘩沙汰で騒ぎとなったり、暴動が発生して収集がつかなくなる場合も少なくない。そして、彼らは騒擾事件だけでなく、性犯罪に関しても“よく”トラブルを起こす。例えば、バスケットボール選手とかアメフト選手が女性ファンに手を出したり、無理やり性行為を迫ることもあって、過去を振り返れば、マスコミを賑わせた事件も幾つかあった。単細胞の黒人選手は手込めにしようとした女性に抵抗されると、怒りにまかせて暴力をふるうことがあるから、警察沙汰になることも“しょっちゅう”だ。理性が無いというか、性慾の塊というか、自分のしたいことをしてしまうので、後々厄介な事になる。たとえ、大学が守りたい花形選手であっても、被害者女性が訴え出れば、強姦魔として逮捕され、裁判で有罪となる場合もある。たった一度の誤りで、人生を棒に振ってしまうことも“しばしば”だ。

  まったく「アホ」としか言いようがないが、本当に「低能」だから嗤うに笑えない。米国の大学で教授を務める或る女性が述べていたけど、黒人のアメフト選手は学力が極端に不足しており、とても「大学生」と呼べる代物じゃないそうだ。信じられないけど、小学生レベルの知識も無い奴がいたりする。文章を書かせれば単語の綴りが間違っていたり、文法がメチャクチャだったりと、呆れて物が言えなくなるそうだ。こんな具合だから、彼女は黒人学生に単位を与えたくなかったが、大学の理事や学長たちが無言の「圧力」を掛けてくるので、「嫌」と言えない雰囲気があるという。だから、彼女は勇気を振り絞ってマスコミに暴露したのだが、こんな告白も大学のスポーツ・ビジネスには影響が無かった。やはり、巨額のお金がうごめく「娯楽産業」には様々な利権があるし、テレビ局の視聴率と営業収益にも絡んでくるから、大学教師の告発なんて直ぐ消えてしまうのだ。ということで、名目だけの「大卒黒人」というのは実に多い。筋肉隆々でも頭の中身は空っぽなんだから、破廉恥事件を起こしても不思議じゃあるまい。

  「NFL(全米フットボール協会)」と言えば、歐米のみならず日本でも、その名が轟いている。NFLの人気選手ともなれば、年俸数億円なんてザラで、日本のプロ野球選手は涎が出るほど羨ましい。ところが、このエリート集団には不届き者が結構混じっている。罪を犯して逮捕されるなんて珍しくない。例えば、最近捕まった元NFL選手のケレン・ウィンスロー・ジュニア(Kellen Winslow, Jr.)は酷かった。彼は強姦の常習犯で、ある時は被害者女性の肛門にペニスをねじ込み、またある時は自分のペニスを女性の口に突っ込んだりと、もうやりたい放題。その標的になった女性の種類は幅広く、彼は71歳と86歳の女性を強姦した事もある。ウィンスローは二人の老婆を犯した後、彼女たちに向かって「誰にも喋るんじゃねぇぞ ! もし話したら必ずぶっ殺すからな !」と脅したそうだ。("Kellen Winslow Threatened to Murder Rape Victims, Officials Say", TMZ Sports, June 15, 2018) こんな脅迫を受けたら、お婆ちゃん達は震え上がってしまうじゃないか。

Kellen Winslow 3Kellen Winslow 1
(左: 現役時代のケレン・ウィンスロー / 右: 逮捕されたウィンスロー)

  この黒人は他にも罪を犯しており、彼は今年の3月17日に54歳の女性を攫って強姦したし、二ヶ月後(5月13日)には59歳の女性を拉致して犯したそうだ。ところが、強姦魔のウィンスローには別の性癖があった。今年5月、道を歩いていた彼は、ガーデニングをする55歳の女性に出逢い、彼女に話しかけたという。ちょっとした会話が交わされ、彼女がその場を立ち去ると、ウィンスローは獲物の後をつけた。背後に誰かいると感じた彼女は後ろを振り向き、すぐ間近にさっきの黒人がいてビックリ。しかも、この不審者は勃起したペニスを露出していたのだ。日本人女性なら、「ぎゃゃゃゃ〜ぁあああ !!!」と悲鳴を上げてしまうだろう。まぁ、日本じゃ滅多に無いから想像できないが、異民族混淆のアメリカならありそうだ。巨大化したペニスを見た被害者は、天空に響き渡るほどの叫び声を上げ、急いで自宅に駆け込んだという。彼女は事の次第を亭主に告げ、驚いた夫は間髪入れず警察に通報した。しかし、逮捕されたウィンスローは容疑を否定し、「無罪(NOT GUILTY)」を訴えたそうだ。(Diana Moskovitz, "Kellen Winslow Jr. Threatened To Murder Women After He Raped Them", Deadspin, June 15, 2018)

  もう、呆れて物が言えない。直に強姦するまで我慢できず、ズボンのジッパーを開けて、勃起したペニスを剝き出しにするなんて。いったい、どんな家庭で育ったのか? そこでウィンスローの家庭を調べてみると、彼の父親ケレン・ウィンスロー・シニアもNFLのスター選手であったことが判る。まさにサラブレッド。しかし、息子の躾には失敗。フットボールのルールを教えても、社会のルールを教えていなかった。というより、倫理・道徳がそもそも無かった、ということだろう。一度の過ちならまだしも、連続強姦魔じゃ弁解の余地は無い。それにしても、80代の婆さんに興奮するなんて、どういう神経をしているんだ? 筆者には理解できない。いくら熟女好きの人間がいるにしても、「限度」というものがあるだろう。したがって、こうした異常心理は精神科の先生に訊くしかない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68722079.html


143. 中川隆[-13516] koaQ7Jey 2018年7月18日 07:29:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16705]

5 :名無しさん:2006/07/19(水) 11:15:40 ID:8dsDWnBx

日本のバカ女って結構アメリカの黒んぼうだけじゃなくて、アフリカから来た黒とセックスするだけじゃなくて結婚してしまうのがいる。

子供は女でも全くの黒人化して日本人に見えない。 日本の男はそこまでバカじゃないから黒人女はセックスもパスするね。 今まで黒人の女と結婚して歩いているやつは見たことない。

==

黒人のセックスって一度味わうとやみつきになる?らしいな。

昔ネットで知り合った女やナンパにすぐ応じてやれた女の中に黒人と海外で寝た事のあるバカがいた。 彼女らに黒人の悪口をいうとすごく怒る。

黒人はベットでの時間のかけかたは濃厚。全身キスした後、 長〜いペニスを奥深く入れて長いセックスをする。

俺なんか15分ぐらいで逝くからトータルで30分あればいいのだが黒人は2時間はねちっこく女が気絶するくらいまで攻めまくる。 あそこまで身体を黒人に遊ばれるともう一生忘れられないだろう。

http://read2ch.com/r/northa/1153201560/


32 :名無しさん:2008/12/30(火) 11:24:49 ID:bbbV6v/9

まぁ私の体験だと、黒人はすごいね。

固いしデカイ。休みの日は1日6回Hってざらだしね。


白人は、固いけど黒人に比べれば固くない。1日4回がいいとこ。

アラブ人はちょっと黒人にサイズは劣るがでも、固さはいいし1日5回かな。

日本人は、よくやっても3回でしょ。


神様は劣勢遺伝子の黒人に唯一与えたのは、セックスだろうな

まぁ、私は60人くらいしか外人と寝たことないから参考にならないだろうけど。
世界の便器よ。


34 :名無しさん:2008/12/30(火) 11:58:54 ID:bbbV6v/9

何がすごいって、黒人と同棲1年くらいしてたけど、ほぼ毎日セックス。

自宅に帰ってくるのが、夜7時。寝るのが12時。 その間に2〜3回はするね。

で、朝は5時起き。で、仕事。


毎日「愛してる」もかかさないしね。黒人の子供は汚いからいらないけど、セックスの為に一緒に居たようなものね。離れなれないから。一度試したら。

豆知識だけど、爪と足の裏は白いよ。あと、頭は悪い。チン毛はチリチリで無いに等しいね。 腋臭は超臭いけど慣れれば、最高だね♪  

私、今はフリーだけど、今度も黒人と付き合いたいね。 でも、結婚したくないって言うとすぐ逃げていくヘタレばっかり。 ビザ目当てなんて分かってるし。

こんな劣勢動物のゴキブリ叩き殺したいけど、世界の便器の私としては目をつぶってでもセックスしたいわ


39 :名無しさん:2008/12/31(水) 10:28:47 ID:/U47SIN/

黒人はセックス無しじゃ生きていけないみたいだね♪

私も毎日3回コースで、2年続いてる

これまで4人の黒人と付き合ったけど、これが普通だね。

最高黒人とのセックス!!!!!!!


日本人のチンコは週2〜3回がオチ。ウマーーーーーーーーーーーー
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/northa/1084984209/


「思想」の恐怖 From 三橋貴明@ブログ  2015/02/13

短い文章で「衝撃」を与えるということは、なかなか難しいものですが、2月11日の産経新聞の曽野綾子氏のコラムには、衝撃どころか、率直に言って「恐怖」を覚えましたのでご紹介。


『2015年2月11日 産経新聞「曽野綾子の透明な歳月の光「適度な距離」保ち受け入れを」

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく多民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。

特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。(中略)

しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。

もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実状を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活はまもなく破綻した。

黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである

住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う数量しか確保されていない。

間もなくsのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来、私は言っている。

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい。』

もはや、突っ込みどころが多すぎ、論評を投げ出したくなるのですが、一つ一つ。
まずは「イスラム国」という呼称は止めましょう。ついでに、イスラム国は別にイスラム文化圏の心情や文化を代表しているわけでもありません。単なるテロリストです。

曽野氏の書き方では、普通に読むとISILがイスラム圏の「ある種の心情・文化」を象徴しているように読めてしまいます。ISILはテロリストであり、イスラムとは関係ありません。

次に、日本の生産年齢人口が減少し、今後の我が国で「超人手不足」が進行していくことは明らかですが、別に人手不足の解決策は「外国移民による労働力補充」ではありません。といいますか、人手不足を「外国移民による労働力補充」以外の策で解消しようとしたとき、我が国は経済成長します。

なぜ、断言するかといえば、まさに我が国の高度成長期が、

「人手不足(当時の失業率は1%未満)を外国移民による労働力補充以外で解決しようとした」

結果、実現したためです。外国移民ではなく、いかなる手段で人手不足を解消しようとしたのか。もちろん、生産性の向上です。今後の我が国が人手不足になるのは明らかですが(すでに一部の産業でなっていますが)、解決策は生産性の向上(デフレ脱却後の話)であり、外国移民ではありません。

この辺りの話は、「国民経済」を理解していなければ分からないでしょうが、より問題なのは「その後」の曽野氏の文章です。

「外国移民を受け入れるのは仕方がないが、居住区を分けるべきだ」

という主張を曽野氏はされているわけです。いまどき「ゲットー方式」を支持する日本人(あえて日本国民とは書きません)がいるとは驚きですが、それ以前に曽野氏が「外国移民の問題」について全く理解していないことが明らかになりました。

外国移民の最大の問題は、むしろ、

「外国移民が特定の居住区に集中して住んでしまい、ネイティブな国民と分かたれる集住化」

なのです。まさに、曽野氏のいう、

「移民の居住区が分けられ、集住化が進み、国の中に別の国ができていく」

ことこそが、現在の欧州(スウェーデンなど)の移民問題の本質なのでございます。「善意」をもって移民を受け入れても、彼らは集住化し、ネイティブな国民と融合することはなく、スウェーデンでいえばヒュースビーやローゼンガードといった地区に集中して住み、その地区が「スウェーデンの中の別の国」と化している光景を、わたくしはこの目で見ました。

恐るべきほどの無知というべきでしょうか。あるいは、恐るべきほど「無邪気」というべきでしょうか。分かりません。

いずれにせよ、曽野氏のコラムを読み、わたくしは「思想」の恐ろしさを骨の髄まで味わったわけでございます。正しい「思想」あるいは「考え方」に基づき、国民や政治家が動かない限り、我が国は中長期的には「今とは違う日本的な国」に変貌を遂げることになるでしょう。

止めなければなりません。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/


144. 中川隆[-13514] koaQ7Jey 2018年7月18日 07:43:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16705]

劣等民族を同一国民として扱うと逆差別を生む


2017年08月04日 米名門ハーバード大、黒人や中国人は特権入学
http://www.thutmosev.com/archives/72046142.html


合格できない成績なのに黒人特権で入学したオバマの娘
引用:https://www.thestar.com/content/dam/thestar/news/world/2016/05/01/malia-obama-to-attend-harvard-in-2017-after-she-takes-a-gap-year/malia-obama.jpg.size.custom.crop.1086x705.jpg


オバマ娘の合法な裏口入学

2016年5月、当時のオバマ大統領の長女マリアが、名門ハーバード大に入学するのが話題になりました。

大統領の子供だからきっと成績が良く、難関大学に合格したのだろうという気がするがそうではなかった。

長女マリアはざっくり言えばあまり学業は得意でなく、正規のハーバードの試験に合格していないと考えられている。


では裏口入学なのか、大統領の「忖度」なのか、その可能性もあるが人種優遇制度で入学したと考えられている。

アメリカでは人種問題に社会が非常に敏感で、様々な優遇制度が講じられています。

学校や進学でも「差別階級」である黒人や一部アジア人、アフリカ人は特別の配慮をされ、成績が悪くても入学できるのです。


例えば入学試験で白人が80点、黒人が60点だったら本来なら白人が合格するのに、黒人が合格し白人は不合格になります。

同じ制度がアジア人やアフリカ人にも適用され、はっき言えばバカでも金を払えば合格するようになっています。

因みに日本は先進国なので「白人待遇」であり、よほど頭が良いか巨額の寄付をしないと入学が許可されません。


オバマの長女マリアは大統領の子供という超特権階級に所属しているにも関わらず、黒人という差別階級の特典を行使して入学しました。

これはおかしいという非難の声が当然上がり、白人は怒って反オバマの声を上げ、ついにトランプ大統領が誕生する契機になりました。

白人以外が入学試験で優遇されているという事は、白人はよほど成績優秀で、満点を取るぐらいの秀才か金持ちでないと入学できないのです。


太子党を一躍有名にした薄瓜瓜、こんな風にハーバード生活をエンジョイした
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引用:http://livedoor.blogimg.jp/ascension_coaching/imgs/2/f/2fbb3c61.jpg


ハーバードは金で学歴を買える

クリントン大統領の娘のチェルシーはコロンビア大学という3流大学で、ブッシュの娘はイェール大学という白人優遇で知られる大学に入学した。

ブッシュの娘のもう一人の双子はテキサス大学という、ブッシュ家の地元で白人が多い大学に入学していた。

アジア系団体が起こした裁判によると、米アイビーリーグ(名門大学の総称)では明確な成績フィルターが存在している。


訴状によるとアジア人は白人より140点、ヒスパニックより270点、黒人より450点高いSATスコア(進学試験)を取らないと入学できない。

最も優遇されているのは黒人で、満点が何点なのか分からないが、オバマの娘は日本人より450点低くても合格できたわけだ。

こうした大学による入学差別は皮肉な事に「差別是正措置(アファーマティブ・アクション)」という名称で呼ばれている。


差別されている人種を救済するための制度だが、具体的にどうするかは各大学にまかされていて、要するに教授や大学側のさじ加減次第になっている。

経営状態が悪い大学はこうした制度を悪用し、成金のバカ娘バカ息子を集めていると言われている。

アジア人は差別されているとアジア系団体はいうが、中国人は明らかに優遇されている。


やはり2016年のニュースでは、中国共産党幹部の成金子弟が事実上無試験で大量に入学し、ほとんど勉強せずにハーバード大を卒業していた。

アメリカには留学生が100万人居て、その3割が中国人だが、中国では「留学斡旋屋」が必ず入学できると言って金持ちの学生を集めています。

大半は日本人が知らない大学だが、入学金と裏金を払い込めば無試験で入学でき、遊んでいても卒業できる約束になっている。


ハーバード大のような名門でも、人種や様々なフィルターが恣意的に適用されていて、アフリカ系人種の女性がもっとも合格しやすい。

白人や日本人は高校の成績トップ、入学試験でも合格基準を満たし、その他の項目で優秀でも次々に不合格になっている。


その一方で中国共産党子弟や富裕層の、どう見ても1年中遊んでいる連中が、高級車を乗り回しながらがら大学生活を楽しんでいる。

中国共産党子弟は太子党と呼ばれる特権階級で、親は権力者である上に数千億円や数兆円という資産を持っていると言われている。

その子供たちは勉強をせず学校にも行かずに4年間遊びまわっているのに、ちゃんと卒業して中国に帰り、自分も共産党幹部になる。


こうした制度を始めたのは中国の江沢民総書記で、息子をアメリカに留学させて、孫はハーバードを卒業している。

今ではハーバード大学は「中国共産党第二大学」と呼ばれるほど、中国共産党子弟を多く受け入れている。

共産党の子供はみんな全米一の難関に合格するほど優秀なのかというと、誰も入学試験なんか受けていないのです。


江沢民とか習近平とかは資産10兆円以上と推測され、共産党幹部は数兆円、要職でも数千億円の資産があるといわれている。

要するにハーバードは金の力に屈したのであり、オバマの娘も権力に近づくため、優遇措置で入学させたのでした。

これが全米一の名門大学の正体で、『このハゲー』で有名になった豊田真由子衆議院議員もハーバード卒です。


世界一の名門はいまや世界一「金で学歴を買える」大学です。
http://www.thutmosev.com/archives/72046142.html


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2017年08月17日 アメリカの白人差別と白人暴動


白人は少数民族になり、今では白人男性が差別されているが、それを口に出すと非難される。
引用:http://www.denverpost.com/wp-content/uploads/2017/08/830762776.jpg?w=640


白人暴動と南北戦争

アメリカでは白人極右集団などが中心になって白人至上主義を唱え、有色人種のデモを襲撃していると報道されています。

だが詳細な事情を知ると、そういう単純なことではなく、白人側の言い分にも一理あるように見えます。

事件は8月12日、南部バージニア州のシャーロッツビルで白人集会と反対派が衝突し、1人がなくなった。


        


シャーロッツビルでは4月から、白人国家主義団体らが南軍側将軍の像撤去撤回を求めて、抗議運動を繰り返していた。

南北戦争はリンカーン大統領率いるアメリカ合衆国とジェファーソン大統領のアメリカ連合国の戦争で、リンカーンの北軍が武力でアメリカを統一した。

戦争の原因は黒人解放を主張した北部と、制度存続を主張した南部の対立とされているが、真相は違うとも言われている。


いち早く工業化が進んだ北部には黒人を消費者として物を売ったり労働者にする事に利益があり、つまり金儲けの為だった。

南部は農業地帯であり黒人を無料で使役する必要があり、こちらも金の為だったと言われている。

ともかく北軍が勝利して黒人は解放され、南北戦争を批判するのは日本で「大東亜戦争は日本が正しかった」と言う以上のタブーとなっています。


焦点になっていたのは南軍で活躍した「リー将軍」の銅像を撤去するかどうかで、白人団体は撤去反対、抗議団体は撤去を求めていました。

リー将軍は南軍の軍司令官で、兵力では半分、資金や近代兵器ではもっと劣っていたが、名将として北軍を苦しめた。

リー将軍は南軍の白人司令官だったので、白人至上主義者は彼を英雄視し、白人団体の象徴的存在になっている。


アメリカの白人差別

抗議グループはリー将軍を差別主義者の象徴だとして銅像撤去を求め、バージニア州はリー将軍像の撤去を決定した。

ここから両グループの対立は激化したが、実際のリー将軍は自分の職業に忠実だっただけだと考えられる。

話が難しいのは現代のアメリカではむしろ白人が差別される側になっている場合があり、部分的に立場が逆転しているのです。


2008年の大統領選で黒人のオバマが当選して驚かせたが、既にアメリカでは新生児で白人の割合が半数を下回っている。

白人の出生率は日本人より少し多い程度なのに、黒人やヒスパニックや中国人は激増している。

この状況は選挙でも反映され、もはや有色人種の組織票を得られない候補は当選できなくなっています。


アメリカで従軍慰安婦の像が建てられて白人市長が支援していたりするのは、選挙で韓国や中国系団体の支援を受けているからです。

白人の地位は目に見えて低下し、例えばクリントンやブッシュの娘(白人)は3流大学なのに、オバマの娘(黒人)はハーバードに入学しました。

他の人と同じ試験を受けて合格したのだが、黒人優遇枠で入学したのは公然の事実でした。


アメリカでは人種差別を禁止するため、白人は入学試験で制限枠を儲けたり、ハンデをつけて不利にしています。

この結果有名大学であるほど白人に不利になり、逆に黒人やヒスパニックには有利になっています。

ハーバードは裏口入学が効くので有名で、中国共産党のバカ息子が巨額献金で入学し、遊びまくってちゃんと卒業しています。


白人男性の孤立

つまり白人であっても巨額献金をすれば入学できるが、中流以下ではよほど黒人より成績が良くないと不合格になります。

企業の採用もそうで、有名企業はどこでも有色人種優遇、白人には制限を設けています。

先日某超有名IT企業で、白人男性の社員が「女性や有色人種は優遇されている」と告発したら、すぐ解雇されていました。


つまり白人側も社会で差別を受けているのだが、それを言うと「白人優越主義者」にされ、アメリカには発言する場所も無い。

さらに厄介なのはアメリカは女性差別にも厳しく、採用や昇進、入学などあらゆる機会で男性がハンデをつけられる。

入学試験で女性が80点、男性が90点だと大学は「差別を調整するため」成績が劣っている女性を合格させています。


白人男性はますます孤立し、白人女性は「男性より優遇されているからこのままで良い」と協力してくれません。

これが白人男性が怒っている根本原因で、自分たちこそ差別されている被害者なのに、それを口に出すと「差別主義者」にされるのです。

こうした不満が白人男性に蓄積されて、暴動や過激な運動でしか意思表示ができなくなっています。
http://www.thutmosev.com/archives/72196579.html


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2017年08月20日
アメリカで白人男性が労働意欲失い社会の底辺に


白人同士で対立してますます立場を弱めている
引用:https://s.yimg.com/uu/api/res/1.2/VWPv8p1Qn8cCr_GlCThpfg--/aD02ODI7dz0xMDI0O3NtPTE7YXBwaWQ9eXRhY2h5b24-/http://media.zenfs.com/en_us/News/afp.com/6a16b325a222fbf3ca4f33eaf4bfe916d4eb78da.jpg


逆転した支配構造

アメリカでは白人団体が白人優位主義を掲げて暴動を起こしていると報道されていて、それは本当であると同時に嘘でもある。

数十年前には多数派であり他の人種より優位だったのだが、現在は少数派に転落し、差別される側になった。

白人差別を公然と正当化する法律まであり、大学や企業や自治体は「白人を差別しなくてはならない」と定められている。


昔「猿の惑星」という映画があって猿に乗っ取られた地球のSF映画だったが、本当のテーマは「有色人種に乗っ取られる地球」だったそうです。

映画の中で人間は迫害されたり差別されたり散々な目に遭うのだが、数十年後に(白人にとって)映画が現実になった。

アメリカにはアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が義務化されており、例えば大学進学では一部の有色人種を優遇しなくてはならない。


優遇されるのは黒人や南米系、日本人を除く一部のアジア人などで、白人は優遇対象にならない。

アイビー・リーグ大学では黒人と白人では100点満点で20点程度の差がつけられていて、白人は黒人よりも21点以上多く取らないと不合格になる。

さらに女性は男性より是正措置によって優遇されるので、白人男性は黒人女性よりも100点満点で30点は多く取らないと不合格になる。


同じ制度は企業の就職にも適用され、国家公務員試験などあらゆる試験で格差が付けられている。

この格差はほとんどの白人男性にとって「絶対に超えられない壁」になっていて、何をやっても絶対に黒人には勝てません。

例えば一流企業に黒人女性と白人男性が入社し、どんな基準で比較しても白人男性の実績が優れているとします。


それでも企業は「差別是正措置」に基づいて、有色人種や女性を先に昇進させています。

これでやる気が出る男が居るとしたら、最初から心がないか、よほどのハングリー精神の持ち主でしょう。

もし白人男性がこの不平等を会社の上層部に訴えたりしたら、間違いなくその人は解雇されます。


白人である事はもはやマイナスにしかならない
P1020098
引用:http://4.bp.blogspot.com/_5WcMb8u-12g/S79colMoC7I/AAAAAAAAAcg/PK5gi_RLsqQ/s1600/P1020098.JPG


差別是正という名の人種差別

最近アメリカ政府でも米企業でも、女性の重役やCEOがとても多いのに、皆気づいていると思います。

これも政府の格差解消政策で、能力や実績と関係なく「女性を昇進させるノルマ」が存在しています。

自分よりずっと実績や能力が劣っている黒人や女性がすぐに昇進し、自分は白人男性というだけの理由で一生彼らより昇進できないのです。


こうした社会の現状に失望し、働く意欲をなくした白人男性が、アメリカでは急増しています。

社会学者や政治家は「理由がわからない」などと言っていますが、本当は是正措置が原因だと分かっています。

だがアメリカでは「白人男性は差別されている」と事実を口に出す事すら、白人優越主義者の証拠にされてしまうのです。


無気力になるのではなく、声に出して反撃しているのが白人団体で、白人差別に抗議したり、有色人種を襲ったりしています。

日本の右翼団体と根本的に違うのは、在日が「外国人」なのに対して、白人は同じアメリカ人から差別されている点です。

アファーマティブ・アクションの結果、白人男性の収入は減少し、失業率が増大し、ホームレスが増加しています。


白人男性は高校、大学、就職、昇進と差別され続け、社会に参加できずに落ちこぼれているのが、本当のアメリカの姿です。

彼らがこの状況を改善して欲しいと投票したのがトランプ大統領で、トランプもまた「白人優越主義者」のレッテルを貼られています。
http://www.thutmosev.com/archives/72239827.html


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2017年12月26日レイプしなかったことへの恨み / セクハラは平等に !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691864.html


スタッフの中で唯一の黒人
Shavit Wisel 1Sexual Harassment 2


  人間は理性よりも感情で動く。広い世間には、食い物を横取りされると、それを何時までも恨む人がいるけど、男から邪険にされた女の怨みも同じくらい恐ろしい。殊に、ブスの怨念は強烈だ。美しく生まれなかった女は、美人に群がる男を憎み、そうした佳人を称讃する社会すら呪うことがある。「男社会はけしからん !」と剣幕を立てて怒り狂うフェミニストを見れば解るじゃないか。といっても、良い子のみんなは、「田嶋陽子先生のことかなぁ」と言っちゃいけないよ。筆者は全然そんなこと思ってなんいだから。でも、オトコ中心の社会に怒りを覚えている醜女(しこめ)は意外と多く、彼女たちは美人に優しい男性ばかりか、チヤホヤされる女性にも憤怒を抱く。しかも、これが人種的容姿に基づく“差別”だったりすると大変だ。火山のように激昂する被害者は、差別的社会が生み出す価値観や制度にまで不満を募らせ、終いには、「こんな社会は打倒すべきだ !」と叫んでしまう。左翼分子には嫉妬心で動く人が多いので、話し合いで説得するなんて無理。北斗神拳のトキみたいに、相手の攻撃を躱(かわ)しながら攻撃するのが一番。

  日本では、まだ女権拡張論者や人種平等主義者の害毒が少ないが、多民族差別社会のアメリカでは、フェリニストのみならず、レイシズム反対論者の勢いが誠に凄まじい。以前、当ブログで米国のセクハラ騒動を紹介したことがあるけど、その時、筆者は有名ジャーナリストのチャーリー・ローズ(Charlie Rose)にも言及した。彼が犯した数々の性的嫌がらせは言語道断だが、この著名人に対する非難の中には理不尽なものもある。というのも、彼は同僚の女性スタッフから「やってもいない事」で糾弾されていたからだ。

Charlie Rose 12Rebecca Carroll 2Kyle Godfrey-Ryan 5
(左: チャーリー・ローズ / 中央: レベッカ・キャロル / 右: セクハラ被害者のカイル・ゴドフリー・ライアン)

  今月、米国の有名な雑誌『エスクワイヤー(Esquire)』に、レベッカ・キャロル(Rebecca Carroll)という女性プロデューサーが、チャーリーを非難する記事を投稿した。彼女は1997年に、チャーリー・ローズの番組を手掛けるプロダクションに参加したのだが、当時、黒人スタッフは彼女一人であったという。こうした環境のもと、唯一の黒人であったキャロル氏は、白人男性が天下を取る職場で気まずい思いをしたそうだ。まだ27歳のキャロル氏は、ベテラン記者でも叩き上げの制作者ではなかったが、既に大手出版社からインタピュー形式の本を三冊も出していたので、それなりの自信があったらしい。一般の日本人なら、「わぁぁ、すご〜い」と手放しで褒めてしまうが、タイトルや中身を吟味すれば、「なぁ〜んだ。黒人の愚痴を綴ったクズ本かぁ〜」と判ってしまう。彼女が自慢する著作というのは、『アンクル・トムか新たな黒人(Uncle Tom or New Negro)』、『ありのままの貴女(Sugar in the Raw : Voice of Young Black Girls in America)』、『種族を守れ(Saving the Race : Conversation on Du Bois from Collective Memoir of Souls)』の三冊で、いかにも黒人が興味を持ちそうな標題である。しかし、白人なら素通りしそうな代物だ。(ちなみに、有名大学を出た黒人に、その専攻を訊いてみると、やれ社会学だ、政治学だ、エスニック研究だと答えるが、具体的に尋ねてみたら、白人社会への恨みをぶつける科目であった、という場合が多い。「エスニック」なんて名称を持ち出す奴には注意が必要だ。日本人を「呪う藁人形」を作る朝鮮人だって、立派な“藝術家”と評されるんだから、物事は具体的に調べることをお勧めする。)

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(左: シドニー・ポワティエ / 中央: ヴィヴィカ・フォックス / 右: ヒップ・ホップのミュージシャン)

  アメリカ社会における黒人の状況を勉強したキャロル氏は、ローズ氏の番組スタッフに加わっても、黒人問題に焦点を当てようとしたらしい。だが、チームのボスであるローズ氏にはその気が全く無く、彼女が推奨する黒人ゲストには見向きもしなかった。彼女が何度か自分の関心事(agenda)を押しつけようとすると、チャーリーはこの下っ端を譴責したそうだ。「大御所」の威光を輝かせる職場のボスは、自分が認めた黒人ゲストしか認めなかったという。例えば、有名な黒人男優のシドニー・ポワティエ(Sidney Poitier)といった、“知的な”雰囲気を醸し出す黒人しかOKを出さない。一方、キャロル氏が番組にイチ押したのは、女優で司会者も務めるヴィヴィカ・フォック(Vivica A. Fox)とか、ピップ・ポップのミュージシャンであった。日本だとヴィヴィカ・フォックスは無名の俳優に等しく、タランティーノ監督の映画『キル・ビル Vol.1』や『インディペンデンス・ディ : リサージェンス』、カナダのTVドラマ『ミッシング : サイキック捜査官(1-800-Missing)』に出演した役者と紹介しても、いまいちピンとこない。まぁ、フォックスくらいの役者ならともかく、ヒップ・ポップの黒人歌手なんて、ローズ氏でなくても断りたくなるじゃないか。見るからに下品そうだもん。

なぜ私を襲わないの?!

William Buckley 1Christopher Hitchens 1David Bowie 4Denzel Washington 1
(左: ウィリアム・バックリー / クリストファー・ヒッチンズ / デイヴィッド・ホーイ / 右: デンゼル・ワシントン )

  日本では意外にもチャーリー・ローズの名はあまり知られていないが、アメリカでは著名なジャーナリストで、自分の名前を冠したトーク番組を持ち、結構それなりの人気を博していた。筆者もチャーリー・ローズのインタヴュー番組をよく観ていたから、今でもよく覚えている。例えば、『ナショナル・レヴュー』誌の主幹であったウィリアム・バックリー(William Buckley, Jr.)、英国の評論家であるクリストファー・ヒッチンズ(Christopher Hitchens)、英国出身のロック・スターであるデイヴィッド・ボーイ(David Bowie)が対談相手の時である。(ちなみに、英国「デイリー・メイル」紙でレギュラー・コラムニストを務めるピーター・ヒッチンズは彼の弟。) キャロル氏はチャーリーの好みが白人に偏っていると批判するが、米国史に恨みを抱く“濃厚”な黒人を頻繁に招いたら、『チャーリー・ローズ』自体が黒人専門チャンネルになってしまうじゃないか。筆者もチャーリーの番組コンセプトくらい察知できる。紳士的な語り口でインタヴューを行うローズ氏は、インテリ層や上流ビジネスマンなどをターゲットにし、気さくだが“ちょっと”上品な対談番組を作りたかったのだ。だから、白人社会に不満を募らせる「怒れる黒人」とか、語彙の乏しい黒人ラッパーなんて高級な番組に相応しくない。なるべく排除したくなるのも当然だ。

Morgan Freeman 1Oprah 3Susan Rice 1Steven Spielberg 5
(左: モーガン・フリーマン / オプラ・ウィンフリー / スーザン・ライス / 右: スティーヴン・スピルバーグ )

Cornel West 1Angela Davis 3Maya Wiley 1Alice Walker 1
(左: コーネル・ウェスト / アンジャラ・デイヴィス / マヤ・ワイリー / 右: アリス・ウォーカー )

  キャロル氏は上司のチャーリーをなじるけど、彼は人種を理由にして黒人ゲストを避けていた訳ではない。事実、彼は多くの黒人俳優や著名人を呼んでいた。例えば、人気司会者のオプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)とか、男優のウィル・スミス(Will Smith)、デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)、モーガン・フリーマン(Margan Freeman)、元国家安全保障アドヴァイザーのスーザン・ライス(Susan Rice)などである。それでも、キャロル氏は満足できなかった。なぜなら、黒人奴隷が対談のテーマなのに、チャーリーは高名な黒人学者ではなく、『アミスタッド(Amistad)』を制作したユダヤ人監督のスティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)を招いていたからだ。彼女はチャーリーに向かって、「白人のレンズ」を通した黒人奴隷の搾取やアフリカ人の文化について語ってほしいと提案したそうだが、あえなく却下されたらしい。黒人左翼のキャロルとしては、白人を心から憎む極左活動家のコーネル・ウェスト(Cornel Ronald West)や、元米国共産党員でレーニン平和賞をもらったアンジェラ・デイヴィス(Angela Y. Davis)、NAACPとACLUに属していたマヤ・ワイリー(Maya Wiley)、公民権活動家のアリス・ウォーカー(Alice Walker)などをキャスティングしてもらえば大満足なんだろうけど、そんな人選をすれば特定のイデオロギーに染まったエスニック番組になってしまうから駄目だ。あくまでも上品なゲストだけ。

Meryl Streep 2Angelina Jolie 3Kate Winslet 1
(左: メリル・ストリープ / 中央: アンジェリーナ・ジョリー / 右: ケイト・ウィンスレット)

  自分の専門分野を活かせない苛立ちもあったのだろうが、キャロル氏のドロドロした怒りはチャーリーの“白人好み”にあったようだ。チャーリーは自分が気に入った白人女優を優先したそうで、いくら人気者でも黒人女優を呼ぶことは稀だった。過去の出演者を思い出せば、番組のファンではない日本人にだって判る。例えば、大女優のメリル・ストリープ(Meryl Streep)やアンジェリーナ・ジョリー(Anjelina Jolie)、ケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)、ジェシカ・チャスティン(Jessica Chastain)、ケイト・ウィスレット(Kate Winslet)などが招待され、鼻の下を伸ばしたチャーリーはニコニコ顔だった。

Blake Lively 2Diane Lane 5Cate Blunchett 2Viola Davis 1
(左: ブレイク・ライヴリー / ダイアン・レイン / ケイト・ブランシェット / 右: ヴィオラ・デイヴィス )

確かに、『ダウト(Doubt)』や『ヘルプ(The Help)』、『フェンス(Fence)』などで注目された黒人女優のヴィオラ・デイヴィス(Viola Davis)を招くのはいいけど、白人の視聴者なら美人女優のブレイク・ライヴリー(Blake Lively)やダイアン・レイン(Diane Lane)の方を観たい。(この人選はチャーリーの「好み」だったのかも。) やはり、メイン・ゲストは華やかじゃなきゃ。テレビ欄や予告編で宣伝するゲストが黒人女優じゃパッとしないし、視聴率だって上がるとは限らない。番組スタッフとしては、ビル・ゲイツ(Bill Gates)やウォーレン・バフェット(Warren Buffet)、ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)などの大物経済人を時たま招いて箔をつけるが、一般視聴者の嗜好を考えれば、政財界の面々とは別に、有名作家のJ.K.ローリング(Joanne Rowling)や、自転車競技者のランス・アームストロング(Lance Armstrong)、コメディアン俳優のロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)を挟んで、番組のイメージを和(なご)ませたいはずだ。

Warren Buffett 1Bill Gates 2Jeff Bezos 1Rowling 1
( 左: ウォーレン・バフェット / ビル・ゲイツ / ジェフ・ベゾス / 右: J.K. ローリング )

  奢れる者は久しからず。白人のキャスティングに偏りがちなチャーリーは、突如として湧いたスキャンダルにつまづく。すると、日頃から恨みを抱くキャロル氏に復讐の機会が訪れた。チャーリーが手をつけた女性たちが勇気を以て矢を放ち、業界に君臨する巨人は見事に倒れる。凋落した上司を目にしたキャロルは、間髪入れず反撃に参戦し、追撃の手を緩めなかった。彼女の不満は激しく、「白人の男どもというのは、制作室の中で最もお金を持ち、最大限の権力をふるうの。そればかりか、部屋の中で一番魅力的な女性を食い物にする連中なのよ !」と怒りをぶちまける。キャロル氏曰わく、

   アメリカだとね、部屋に居る女性の中で最も望ましく、何よりも神聖で、誰からも求められる人、そして一番崇められる人は、いつも白人女性なのよ。(Rebecca Carroll, "My Experience at Charlie Rose Went Beyond Sexism", Esquire, December 5, 2017)

本当に、恨み骨髄の黒人女性は恐ろしい。キャロル氏の憤慨はある意味、嫉妬に基づいている。チャーリーが「感情を共にしよう」と言い寄る女性職員は、驚くほど決まって白人ばかり。すく近くにいる黒人のキャロル氏には、何故か指一本触れようとしないんだから、紳士的というか差別的というか、見方によって様々な解釈が考えられる。

  なるほど、チャーリーは白人女性ばかりにセクハラを行い、浅黒いキャロル氏には目もくれなかった。しかし、その“差別的趣味”を以てチャーリーは責められるべきなのか? セクハラを受けた女性が批判するならともかく、被害を受けなかった黒人女性が“ご立腹”なんておかしい。キャロル氏は記事の中でこう述べている。

  はっきりさせるけど、私は、チャーリーが私に手をつけた方が良かったなんて言っている訳じゃないの。むしろ、彼が白人女性に性的な行為を行ったのは、性差別に基づく権力構造の発露なのよ。ちょうど、私をセクハラしなかった人種差別が権力原理の表明であったのと同じようにね。

  日本人の読者だと、「何言ってんの?」と反論したくなるだろうが、キャロル氏は黒人の自分にスケベな事をしなかったのは人種差別だ、と言いたいのである。彼女はチャーリーが自分をセクハラに値しない同僚、すなわち性的興奮が湧き起こらない種類の女である、と見なした事が赦せない。ちょっと笑ってしまうけど、彼女は「なんでいつも白人のオンナばかり触るのよ!!」と怒っていたのだ。一般の日本人なら、「しょうがねぇ〜じゃん。助平野郎にだって“好み”っていうモノがあるんだ。そうカッカすんなよ」と言いたくなる。痴漢だって可愛い女子高生なら手が伸びるし、下着泥棒だって若い娘のパンティーを盗むのが普通だ。想像するのも厭だけど、電車に乗った痴漢が一目散に老婆の尻を触ったり、近所を物色する泥棒が、軒先に干してあるババアの腰巻きをひったくるなんて考えられない。そんな奴は別の意味で変態だ。

白人ばかりの表紙はけしからん !

LA Times Magazine cover(左 / ロスアンジェルス・タイムズ雑誌の 表紙)
  平凡な生活を送る日本人は、こうした醜女の嫉妬心を聞いて笑うけど、多民族主義や人種平等の脅威は我々にとっても他人事じゃない。アメリカの大学では、「エスニック・スタディーズ(有色人種の怨念学)」を専攻する黒人や南米人、アジア人が異常に多く、職場でも「PC(政治的正しさ)」が強要され、ちょっとした冗談や誘いでも「レイシズムだ」「性差別だ」と騒がれてしまう。最近、ロサンジェルス・タイムズ紙が有名女優を集めた対談特集を企画し、雑誌の表紙に彼女たちの集合写真を用いた。(Mary Papenfuss, "Twitter Skews Los Angeles Times --- And Stars--- For All-White Actress Cover", The Huffington Post, December 23, 2017) ところが、この表紙にクレームがついた。なぜなら、招集された女優がみんな白人だったからである。このメンバーを挙げれば、映画『モリー』に出演したジェシカ・チャスティン、『アイ・トーニャ』のマーゴット・ロビー(Margot Robbie)、『レイディー・バード』で注目されたサーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)、アネット・ベニング(Annette Bening)、ダイアン・クルーガー(Diane Kruger)、ケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)であった。

Margot Robbie 16Saoirse Ronan 5Diane Kruger 2Annette Bening 1
(左: マーゴット・ロビー / サーシャ・ローナン / ダイアン・クルーガー / 右: アネット・ベニング )

  ちなみに、サーシャ・ローナンは、日本でも公開された映画『ハンナ』に出ていた主演女優で、この作品は弓月光の人気漫画である『瞬きのソーニャ』と筋書きがソックリなので話題となった。もちろん、弓月氏の方が先にアイデアを出していたから、脚本家のセス・ロックヘッドがパクった可能性が高い。ついでに言えば、アイリス系女優のサーシャ・ローナンの名前は判りづらい。彼女によると、アイリス人の名前は発音と綴りとが大きく違うそうで、アメリカ人にはチンプンカンプンらしい。例えば、「Tadhg」は「タイグ」、「Niamh」は「ニーブ」、「Oisin」は「オーシン」、「Siobhan」は「シーボン」、「Caoimhe」は「クイーバ」と発音するそうだ。アメリカ人だって「サーシャ(Saoirse)」を「ソイース」などと間違って読んでしまうそうだから、本当に外国人の名前は難しい。まぁ、日本人だって同じ悩みを抱えている。例えば、海軍大将で首相になった山本権兵衛の名前をどう発音するか人それぞれだ。「ごんべえ」と呼ぶ人もいれば、「ごんのひょうえい」と読む人もいる。山本首相自身は、ローマ字で「Gonbei」と書いていたから、おそらく西洋人に対しては「ゴンベイ」と自己紹介していたのだろう。有名な佐久間象山だって、「しょうざん」なのか「ぞうざん」なのか判らない。コ川慶喜は教科書的には「よしのぶ」だが、側近の回顧録によれば、みんなから「けいき」様と呼ばれていたそうだ。だいたい、「日本」の発音までもが、「にほん」なのか「ニッポン」なのか曖昧なんだからしょうがない。

Jessica Chastain 1(左 / ジェシカ・チャスティン)
  話が逸れたので元に戻す。この表紙に関して、レベッカ・キャロルも文句を垂れていた。彼女はツイッターでジェシカ・チャスティンを批判していたそうだ。常日頃、チャスティンがマイノリティーの権利を擁護していたので、キャロル氏は「白人ばかりの表紙とは何事か !」と怒っていたそうだ。しかし、チャスティンからの返答は無かった。そりゃ、そうだろう。黒人からのイチャモンに一々反応していたら身が持たない。五月蠅(うるさ)い黒人に対しては、シカトするに限る。ただし、キンチョールを吹き掛けちゃダメだよ。

  この件に関し、フォーダム大学のスコット・ポウルソン・ブライアント(Scott Polson-Bryant)教授もクレームをつけていた。「トップ女優なら他にもいるのに」と愚痴をこぼし、彼はチリ人で性転換を行ったダニエラ・ヴェガ(Daniela Vega)や、メキシコ系女優のサルマ・ハイエック(Salma Hayek)、『シェイプ・オブ・ウォーター』に出演したオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)、『ダウンサイジング』のホン・チャウ(Hong Chau)、『ガールズ・トゥリップ』のティファニー・ハデッシュ(Tiffany Haddish)などを挙げていた。でも、こんな女優を集めたら、雑誌の表紙が暗くなるじゃないか。表紙の写真は雑誌の「顔」で、お客の注意を引くための看板である。日本だと、旅館にも看板犬がいたりして、愛想のいいゴールデン・レットリバーが宿泊客を出迎えると、子供から老人まで大喜びだ。筆者も米国の街をうろついた時、ふと古本屋に目が止まり、窓際で昼寝する黒猫に導かれ、そのまま店内に入ったことがある。ましてや、美人集団なら目が釘付けになるじゃないか。ニューズ番組のアンカーだって、中高年のオっさんより、若くて綺麗な女性キャスターの方がいい。FOXテレビなんか露骨に美女を掻き集めていた。民間企業の商売は平等を標榜する「お役所仕事」ではない。みんなが注目する人を雇うのは当り前。黒人女優を特集する雑誌なら、官庁街かアフリカで販売しろ。

Daniela Vega 1Salma Hayek 2Octavia Spencer 1Tiffany Haddish 1
(左: ダニエラ・ヴェガ / サルマ・ハイエック / オクタヴィア・スペンサー / 右: ティファニー・ハディッシュ )

  これは余談になるが、チャーリーの女癖を糾弾するキャロル氏は、白人カップルの養子であったという。(Rebecca Carroll, " Facing my fear : hearing myself echo my birthmother's judgementaloutlook", The Guardian, 22 April 2016) 詳しくは述べられていないが、彼女の生母は白人で、父親は黒人であるそうだ。どんな理由か判らぬが、彼女は両親に捨てられ、白人夫婦に引き取られた。彼女が実の母親に会ったのは11歳の時で、温かい親子関係を期待していたが、実際はそれ程でもなかったという。キャロル氏が告白していたけど、もし母親が自分を娘と認めてくれていたら、自分の「白人らしさ」を「黒人らしさ」に優先させていたかもしれぬ、と話していた。彼女は幼い時、自分が黒人であるとは自覚していなかったそうだ。とにかく、彼女は冷たい母親に失望する。そして、白人家庭で育ったた少女は、自分が属する人種や白い友達の容姿に敏感となり、白人の“特権”に嫌悪感を抱くようになった。白人夫婦に養われた黒人は、えてして性格が歪んでしまう事がある。日本人女性の中にも、ふとしたことで黒人男性と恋に落ち、有頂天のまま結婚して子供を産む人がいるけど、その混血児がどんな人生を送るのか、まったく想像していない人が多い。自分は黒人と結婚しても黒くならないが、我が子には必ず夫の遺伝子が組み込まれてしまう。もし、自分と違った容姿の娘から、「ねぇ、ママ。どうして私はママと違うの?」と涙ながらに責められたら、日本人の母親はどう答えるのか? 日本人女性は結婚する前にしっかりと覚悟すべきだ。

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(左: レベッカ・キャロル / 中央: 黒人と白人の両親と混血児 / 右: 西歐系白人女性)

  「人種平等推進」とか「民族差別撤廃」なんていうスローガンは、やがて日本でも“普通”になるだろう。今は、黒人との混血児が少ないが、あと二、三十年もすれば全国各地で見かけるようになり、公務員や銀行員、洋服屋の店員、飲食店の給仕、土建屋の社員、学校の教師など、様々な職場に浸透するはずだ。もはや、帰化鮮人の子供だって珍しくないし、見かけは日本人と変わらないが、父親か母親の祖母が在日鮮人とか不逞支那人という場合もあるから、アジア系日本人の比率は増すばかり。そうなれば、民族差別を糾弾するアジア系学生が、テレビ局や新聞社、広告代理店、大学および小学校にも就職し、自分の地位や権能を用いてアジア人を嫌う日本人を非難することだって考えられる。実際、NHKやTBSには朝鮮系の社員が潜伏し、直接的ではなくとも間接的に反日番組を支えている可能性が高い。日本人を恨むアジア系職員だと、TVドラマのストーリーに“何気なく”差別主義者の日本人を挿入することもあるし、ちょっと体を触っただけの上司に対して、いきなり金切り声を上げて、「セクハラよ !!」と騒ぎ立てる虞(おそれ)もあるのだ。また、業績が悪いことで朝鮮系の部下を叱った上司が逆恨みされ、「民族差別ゆえんの叱責だ」と抗議されれば、事情を知らない周囲の者は、「もしかして・・・」と疑ったりする。支那人や朝鮮人は“民族的”団結が強いから、「差別」を行った“極悪”の日本人を集団で攻撃するだろう。糾弾された日本人が防戦一方になることは火を見るより明らかだ。同僚の日本人は厄介な「民族問題」に係わりたくないから、いつの間にか“そぉ〜”といなくなる。当人だけが「どうして俺なんだ? ・・・」と涙目に。日本人は同胞に冷たいから、心配な人は普段から家族を大切にすることだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68691864.html


145. 中川隆[-13527] koaQ7Jey 2018年7月18日 10:00:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16723]

黒人女性も黒人と日本人のハーフの女性も結婚できない


黒人女性の7割は結婚していない。
日本では理解しにくい異人種間結婚の問題、と。
日本では男性、米国では黒人女性の未婚率が高い
http://j.mp/qSK4EO


ID非公開さん 2017/9/22 16:33:17

黒人女性って白人男性からも黄色人種男性からもモテない。
同じ人種である黒人男性からも。。
社会的に成功した黒人男性はトロフィーワイフとして白人妻を迎えたがる。

そもそも黒人は日本だけでなく、中国やタイとかでも人気無い。。。香港で黒人が差別されていた。

黒人女性は可哀想じゃないですか?

tak********さん 2017/9/24 05:03:17
恋愛市場では、相当モテないみたいですね。

だから、彼女たちは、かなり早い時期から結婚を諦め、マシな黒人男性の子供を未婚で産んで、生活保護と子供手当で生きていく人が多いです。

白人、アジア人との結婚は、最初から無理だと思っている人もいますね。

私の友達で、黒人と日本人のハーフがいますが、黒人からしかモテないそうです。しかも理由が、黒人ぽいけど肌が白いから、だそうで、、、

アジアもアフリカも、美白信仰が強いそうです。だから日本人女性の白い肌は、かなり人気。

それに比べ、黒人女性は顔が整っていても、肌が黒いから、自分の子供が黒くなるのがヤダと言う理由で、黒人男性からも冷たい態度を取られますね。

だから、妙にセクシー路線に走り過ぎたり、性格が曲がって、ものすごく意地悪になってしまう人もいます。黒人ハーフの子は、大好きな白人男性に無視されるので、一時期かなりネガティブな人になって、売春婦に落ちぶれ、今ではもう交流もありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14179805969

sou********さん 2014/2/16 00:29:59
黒人女性と日本男性の場合は黒人女性は締めますからがばがばではありません

しかし日本人のは小さいうえ短いですから黒人女性は満足しません
そのうえ休みの日には朝から何回もしてやらなくてはなりませんからとても日本人男性は持ちません

だから黒人女性と日本人男性が街で歩いているのを見ないでしょ

黒人男性と日本人女性の場合は、女性は大きければ大きいほど良いですから黒人と寝た女性は日本男性とは満足できなくなります、長すぎる場合は奥まで入れません
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11120805091

bea********さん 2010/9/12 18:38:14
黒人女性とのセックスはどうですか?経験者に質問です。


miz********さん 2010/9/12 20:04:37
体臭が臭いますね。これが特徴。

日本人より感じるリアクションがオーバー。外国人という感じです。
ぼくはやはり日本人とセックスするのが好きです。ちょっと違和感を感じました。肌が合わない気がしました。

やっぱり東洋の女はいいですよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1446902924


アメリカ黒人男性と結婚した私が受ける、黒人女性からの嫉妬


 アメリカ人の黒人男性をパートナーとして持つ、”黒人以外の女性”なら、必ず何度かは経験すること。

 それは、黒人女性からの痛烈な視線や嫌みの言葉。

 今回は、アメリカ黒人男性と国際結婚した私(日本人)が経験した「黒人女性からの嫉妬」について、お話したいと思います。


《半端ない黒人女性の独占欲》

 私がアメリカに住んでいた時のこと。当時まだ恋人であった夫(黒人)と初デートを楽しんでいるときでした。

 街で黒人女性とすれ違うたびに感じる、黒人女性からの「痛い視線」

 私はこの視線に初めて気が付いた時、”アジア人女性だから差別をされているのか”と思ったものです。

 ですが、アメリカで”アジア人女性”という理由で差別的な視線を投げかけてくるのは、圧倒的に若年〜中年の白人女性が多く、私が単独でいると、逆に黒人女性は親切でフレンドリーだったりするんです。

 そんな疑問を持ちながら、同じように黒人男性と付き合う友人らに聞いたところ、返ってきた言葉。

「あれね、嫉妬なのよ。彼女たちの独占欲は半端ないから、自分たちの男を取られたっていう嫉妬心なの。」

 つまり黒人女性にとって黒人男性は、”自分たちの領域にいる、自分たちだけの男”だと思っており、異人種(白人、アジア人など)女性が黒人男性と一緒にいると、「取られた!」と思うらしいのです。

 視線だけなら、まだ良い方。時には、罵声を浴びせる黒人女性も少なくないという。

 アメリカのドラマやバラエティ番組では、”黒人男性が白人女性と手をつないでデートしています。その時、前から黒人女性が歩いてきました。その時、黒人男性は白人女性の手を払いのけて知らない人のふりをする”というパロディやジョークを見ることがあります。

 実はこれ、私の知人が実際に付き合っていたBFにされたことがあるそうです。その理由は、「ブラックウーマンからの視線が怖すぎるから!」とのことでした(笑)

 実際、黒人男性と恋人になったり結婚をする場合、その黒人男性の女性家族である母や姉妹、従姉妹から冷たい言葉を浴びせられる人も多いそうです。彼女たちにとって、黒人女性以外を家族の中に入れるのに抵抗がある人が多いんだそうです。

《黒人女性は保守的で異人種カップルを好まない》

 最近では異人種の男性を選ぶ黒人女性も増えてきましたが、まだまだ彼女たちのパートナーはほとんどが黒人男性です。

 アメリカのセクシーで綺麗な黒人女性スターもたちも、白人男性にもモテるはずなのに、ほとんどが黒人男性をパートナーとして選んでますよね。

 この理由は、アメリカの歴史的背景があることと、その独特なブラックカルチャーが関係していると言われています。

 長い間、アメリカの黒人女性は人種的差別と女性差別の2つの面で、大変苦労をしてきました。そんな中でブラックであることの誇りと、黒人男性以外は信用できないという考えが根強く、異人種カップルに対してはとても保守的で消極的な特徴があります。

 そして、彼女たちの特徴として「非常に気が強い」ことも関係しています。黒人女性は、「世界で1番気が強い、パワフルな人種」と言っても過言ではありません。

 それだけ彼女たちの経験してきた計り知れない苦労や生き残っていくための芯の強さは、他の人種の男性では太刀打ちができないほど。ちょっとやそっとのことで泣き崩れることもないし、本当に頼もしいほどパワフルなんです。

 そんな”手に負えない”彼女たちを理解できるのも黒人男性しかいない、そういった裏事情もあり、黒人男性以外には興味ない人が多く、”黒人男性=自分たちだけの男”と思ってしまうんですね。

《黒人女性以外を選ぶ黒人男性を「ルーザー」呼ばわり》

 そんな黒人女性。では、実際黒人女性以外のパートナーを選ぶ、黒人男性のことをどう思うのでしょう?

 実際、黒人女性にとって、黒人女性を選ばない黒人男性は彼女たちにとって”男性”としては認めないようです。「ルーザー(負け犬)」呼ばわりをされるのも日常茶飯事。

 実際、黒人男性の中には白人女性ばかりと付き合ったり、黒人以外の女性を選ぶ人も増えています。この理由で多いのが、「性格のキツイ黒人女性との関係に疲れた。平和な生活を送りたい。」という一種の逃げもあるそうです。

 かく言ううちの旦那家族は、幸いなことに異人種だろうが全く気にしない家庭です。お母さんは旦那の実父と離婚後は白人男性と再婚して仲良く暮らしているし、義弟に至っては白人のモデル系美女しか興味がない様子。

 そしてうちの旦那は日本のゲームとアニメが大好きな日本オタクのため、それを知った黒人女性から完全に恋愛対象にも入れてもらえないタイプ。

 もちろん、アメリカにいると黒人女性からの冷たい視線が気になることも多々あるけれど、もう気にしていません。最近では、旦那が好んで日本の国旗や日本のアニメTシャツを着るもんだから、そんな視線もなくなってきたという現実です(笑)
https://discoveworld.com/post-3920


黒人女性の気持ち


アメリカでは、Martin Luther King Jr.の誕生日1月15日に近い毎年一月第3月曜日が、キング牧師の栄誉をたたえた「Martin Luther King Day」として祝日となっている。

1976年、「The Association for the Study of Afro-American Life and History」によって、「Black History Month」が制定され、毎年2月をアフリカン・アメリカン(黒人)の歴史、人々や生活を回想する月としている。この月には、黒人の歴史についてのイベントが催され、テレビ番組も放映される。また、書店でも黒人関連書籍コーナーなどが設けられる。

多くの小学校では、一月に入ると、Martin Luther King Jr. について勉強する時間をとる。

写真は、娘の通った小学校で、5年生の子供たちが音楽の授業の一環として、ローザ・パークス事件からキング牧師の有名な「I have a dream…」の演説までをミュージカルとして演じたときのものである。仕事で疲れきったローザは、当時黒人が座ることを禁じられていたバスの前方座席に座った。運転手が後部へ移るように強要するが、断固としてそれを拒んでいるバスの中の様子。

私が初めてアメリカに住んだ時お世話になったのは、黒人の家族だった。一九八〇年代半ば、アメリカに行く計画を立てていたとき、アメリカ人の友人から、

「僕のガールフレンドの家にしばらく世話になれるよう紹介してあげるよ」

と言われ、オレゴン州のポートランドに来ることに決めた。

四月初旬、桜の時期が終わるや否や、成田空港を発ちポートランド空港に着いた。空港には、友人のガールフレンドであるジュディが迎えに来ているはずであった。時差ボケと緊張と不安で私の気持ちは複雑だった。きょろきょろと辺りを見まわすが、ガールフレンドの名前しか聞いていなかったので、どんな人物だか皆目見当がつかない。暫く待っていると、

「Are you Toshimi? 」

という声がする。振りむくと、身長百七十五センチ、体重八十キロほどもあろうかという大きな黒人女性が立っていた。きっと、私がアジア人で不安そうな顔をしていたので見当がついたに違いない。『まさかこの黒人女性がクリスのガールフレンドではないでしょうね。だって彼は白人だもの』と不安になったが、

「ジュディですか?」

と聞くと、

「そうよ、クリスのガールフレンドよ」

にっこり笑って答えたジュディの顔を見ながら、私の笑った顔は引きつっていたに違いない。

白人男性と黒人女性の組みあわせは、想像することさえできなかった。『この黒人のうちに住むの?』白人男性のガールフレンドは、白人、金髪の美しい女性とばかり思ってきただけに、ショックは大きかった。私は、アメリカについて少しは知っているつもりであった。黒人問題も少しは勉強しているつもりだった。しかし、このとき、私は知識がいかに知識でしかなかったか、人種差別という言葉を初めて全身で認識し、自分自身が肌の色に偏見を持っていることに気づいた。

ジュディの古い大きなアメリカ車に乗って空港を出た。初めて見るポートランドの街は、ジュディの自宅までの間、住宅街に時々店らしき建物は見えたものの、何もないひなびた所に見えた。外をぼんやりと眺めながら、私の気持ちは、初めて身近に接している黒人と一緒に住むことへの不安と不快感で消沈していた。

二十分程で着いた彼女の家は、絵本に出てくるような青いペンキで塗られた二階建てのかわいいらしい建物だった。アメリカの素敵な家の外観に、気持ちがちょっとだけ明るくなった。しかし、中に入ると、整然と片付いてはいるものの、ブラインドの閉まった部屋は薄暗く、何だか身も心もまた沈んでしまいそうだった。彼女は一通り家の中を見せてくれ、私に二階の一部屋をあてがってくれた。

そして、

「ゆっくりくつろいでね。疲れているだろうから一休みしてから下におりていらっしゃい」

と言うと出ていった。

私はお腹が空いていた。何か食べるものはないかとバッグの中を探してみると、機内食のロールパンが一つ残っていた。それを食べ、一眠りすることにした。時差ボケと疲れで、不安も緊張も忘れぐっすりと寝た。

目が覚めると夕方だった。まだお腹が空いていた。夕食は何だろうかと下へ降りていってみるが、食事の支度をしている気配も匂いもない。台所に行くと、大柄の黒人の女の子が、りんごをかじりながらコーラを飲んでいる。ジュディの一人娘アースラだった。彼女は十四歳だ。

「あなたがアースラ? 初めまして。私、寿美よ。暫くお世話になります。よろしくね」

私は、遠慮がちに自己紹介をした。そして、人の家にきて食べ物のことを聞くのは恥ずかしかったが、とにかくお腹が空いて死にそうだったので思いきって聞いた。

「あのー、夕食はなに?」

「ああ、マム(母)も私も夕食はほとんど食べないの」

「えーっ!」

夕食を食べないなんて、私は生まれてこのかた聞いたことがなかった。戦時中とか、食糧難の国とか、難民だというなら別だが、豊かなアメリカの普通の家庭で夕食を食べないなんて考えられなかった。そこへジュディが二階から降りてきた。

「ごめんなさい。
私、今ダイエット中なの、だから夕食は食べないのよ。自分で何か食べてね」

そう言って、また部屋に戻ってしまった。恐る恐る冷蔵庫を開けてみるが、何も入ってはいない。りんごが二個、冷蔵庫の真ん中にあり、コーラが三本入っていた。こんなもの夕食になんかなりはしない、と思っても背に腹はかえられない。りんご一個とコーラの夕食を食べた。夜寝るとき、悲しくなって横になった目から涙が溢れ、枕に落ちるのを止めることができなかった。そして、空腹と不安のまま寝入ってしまった。

翌日、私は気を取りなおし、ジュディにマーケットまで連れて行ってもらい、お米、醤油、それにたくさんの野菜を買い込んだ。それからは毎日、お鍋でご飯を焚き、野菜炒めばかり作って食べた。時々、ジュディとアースラも、私の作るごはんをおいしいと言って食べた。

一ヶ月もたつと、ジュディが黒人であるという意識は薄れ、一人の女性として話しができるようになっていた。ジュディは、ミドルスクール(中学校、この地域では六、七、八年生)の美術の教師だが、大学院で修士号まで取っていた。大学生のとき、黒人のボーイフレンドとの間にアースラが生まれた。しかし、出産と同時に男は逃げてしまい、一人で苦労しながらここまで育てた。やっと公立学校の教員職が見つかり、こんな幸せなことはないと言っていた。私たちは、時間があれば二人で夜更けまで話し込むようになっていた。

「ねえ、ジュディ。私もう三十よ。それなのに結婚もしていないし、ボーイフレンドもいないのよ。どうして結婚できないのかしら、人生真っ暗よ」

「何を言っているの。あなたは自分で選りごのみをしているのでしょう。私たち黒人女性のこと考えてみたことある? 悲惨なものよ」

ジュディの話は続いた。

「黒人も出生率は男女比の差がほとんどないの。だけど、中学、高校になってくると、男の子たちは喧嘩や窃盗などで少年院に入る子も多く、殺人事件などの犯罪に巻き込まれ死んでしまう子供もいるの。このころになると男女比は女性三、四人に対し男性が一人位まで減るわ。そして、成人した黒人男性は、麻薬や殺人などいろいろな犯罪に関わり、殺されたり刑務所に入ったりして数は減り、その差は開くばかりなのよ。黒人女性十人に対して結婚の対象となるような男性は、二、三人ではないかしら」

ジュディは、大きなコップに入ったダイエット・コークをグイッと飲むと、また話を続けた。

「そして、たまたま立派に成人した黒人男性は、成功の証しでもあるかのように、白人の女性を結婚相手に選ぶのよ。私たち黒人女性は、成人した普通の、そう、ふつうの黒人男性と結婚したいと思っても相手がいないの。成功した白人男性が黒人女性と結婚するケースはとっても少ないわ。黒人女性の結婚相手には、その残った数少ない黒人男性しかいない.……。こうして未婚や、私生児を産んでいる黒人女性の数がどんどん増えていっているのが現状よ。黒人女性の人生の厳しさが少しは理解できた?」

私は、人間がどのように努力しても変えることができない肌の色、アメリカにおける黒人女性の心の痛み、そして、私が日本人であり黄色人種であることを深く考えさせられた。

ジュディは、そのとき、クリスが別のガールフレンドと東京で同居していることをはっきりとは知らなかった。しかし、彼女は、自分が黒人女性として、白人男性と結婚できるほんの一握りの成功者になれるという夢が、そろそろ壊れかけていることを、薄々感じていたかもしれない。

さて、後に「公民権運動の母(The Mother of the Modern-Day Civil Rights Movement)」と呼ばれるようになった黒人女性ローザ・パークス(Rosa Parks)は、一九五五年にアラバマ州で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反(act of civil disobedience against segregation law)の罪で逮捕された。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となったこの事件から半世紀が過ぎた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアー(Martin Luther King, Jr.)が、一九六八年四月暗殺されて四十一年が経つ。

黒人の著名人も増えた。コンドリザ・ライス国務長官(US Secretary of State Condoleezza Rice)、バスケットの神様マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)、ゴルフの天才タイガー・ウッズ(Tiger Woods)は、黒人の父とタイ人の母を持つ。アメリカで一番人気のあるトークショー司会者、オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)は、「フォーブズ誌」によると十五億ドル(約千八百億円)の資産を持つらしい。マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)だって元は黒人だった……。

個性豊かな人々の活躍のお蔭もあるのだろう。人々の人種差別意識も少しずつ変化してきている。

ジュディは、最後に付け加えた。

「異民族、異人種間の結婚がどんどん増えていけばいい。そうすれば、数百年、数千年後、世界中の人間の肌の色が同じになるかもしれないでしょう」

私は、その後アメリカ人男性と結婚した。ジュディの望みを少しは叶えてあげられたかしら……。
https://e-honyakusquare.sunflare.com/shuppan.sunflare.com/did_you_know_that/4_blackwomen.htm


146. 中川隆[-13524] koaQ7Jey 2018年7月18日 10:17:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16723]

黒人も、黒人と日本人のハーフも、欧米人からは人間に見えない


「ジャングルで最もかっこいいサル」…黒人差別の広告に抗議、南アでH&M店が襲撃される
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%81%A7%E6%9C%80%E3%82%82%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%84%E3%81%84%E3%82%B5%E3%83%AB

サブリミナル実験から、白人の潜在意識では「黒人≒類人猿」であることが判明(米研究)
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-177.html


[アメリカ発] 米国は、人種差別に敏感であり、人種差別の言動に対し、法的、社会的に厳しい態度で臨む国であるが、そんな米国にとり非常にショッキングな内容の研究レポートがアメリカ心理学会の月刊誌『Journal of Personality and Social Psychology』(2008年2月出版、第94巻第2号、292-306ページ)に発表された。

それによると、多くのヨーロッパ系アメリカ人(白人)は意識下でアフリカ系アメリカ人(黒人)を類人猿と結びつけて見ていることが判明したというのだ。さらに、米社会が黒人を完全な人間として認めていないため、結果として黒人容疑者に対する暴力を許す傾向が強いことも明らかになったという。

同レポートの共著者の一人である、スタンフォード大学で心理学を教えるジェニファー・エバーハート准教授(黒人)は、同研究の対象となった被験者たちがジム・クロウ法*や市民権運動以降に生まれた世代であることから、この研究結果にショックを受けたという。「この研究は、今まで手掛けたものの中でも最も気の滅入るものの一つです」と彼女は語る。「ゾッとしてしまいました。研究をしていく中で、疑念というか直感がわくものですが、黒人を類人猿と結びつける傾向がこんなにも強いということは受けとめ難いことでした」

*ジム・クロウ法は、1876年から1964年にかけて存在した米国南部の州法で、黒人の一般施設利用を制限した法律を総称していう。

「Not Yet Human: Implicit Knowledge, Historical Dehumanization and Contemporary Consequences(人間未満:暗黙知、非人間化の歴史、そして現代への影響)」と題された研究レポートは、スタンフォード大学、ペンシルバニア州立大学、カリフォルニア大学バークレー校の心理学者らによる6年にわたる共同研究の集大成である。

サブリミナル実験に参加した被験者のほとんどは、白人の男子学生だ。実験は、彼らに黒人男性あるいは白人男性の顔をスクリーン上でほんの一瞬見せた後、ぼやけた類人猿のスケッチを見せて、それが何か識別させるというもの。黒人男性の顔のフラッシュを先行して見せられた場合、白人男性のそれを見せられた場合に比べ、被験者はずっと早くそのスケッチが類人猿のものであることを識別したという。

次セクションで少し詳しく説明するが、米国ではかつて黒人を類人猿になぞらえ、黒人差別を正当化していたのだが、被験者たちはこの黒人ー類人猿アソシエーションを知らない。にもかかわらず、被験者たちの潜在意識の中にはこのアソシエーションが存在していることが、同実験から判明したわけである。

研究班はアジア人等、非白人グループについても同様の実験を行っているが、類人猿とのアソシエーションは見られなかったそうである。しかしながら、米国では、黒人だけに限らず、他の民族グループも白人により非人間化され動物になぞらえられ、抑圧されてきた歴史があることを研究班は強調している。

「人種差別に対する広範囲にわたる反対にもかかわらず、偏見は生き続けているのです」とエバーハートは言う。「黒人はいまだに人間として認められていないのです。この国では、我々は今でも類人猿と同列に見られているのです。このようなアソシエーションは、警官が黒人容疑者を殴ることを許容することにつながります。そして、まだまだ我々の知らないところでもいろんな影響が出ていることでしょう」


歴史的背景

米国で、科学的人種差別が推進されたのは、19世紀半ば、ジョサイア・C・ノットとジョージ・ロビンズ・グリドンが共同執筆した『Types of Mankind』が出版されてからである。本書のなかでは、「ニグロ」(黒人を意味する差別語)は「ギリシャ人」とチンパンジーの間に位置づけられるという印象を与える、誤解を招くようなイラストが使われている。

「こんな歴史を持つこの国で、我々が、今でも深刻な人種的不平等ーーそして、それは人々の潜在意識の中にこのようなアソシエーションを注ぎ込み植え付けてしまうーーと対峙している現実を見るにつけ、いったいどれだけ暗い歴史が完全に葬り去られたのかはかりかねます」とエバーハートは語る。

現在、アメリカの主流文化で、黒人をこのようにグロテスクに描写することはほとんどない。しかしながら、エバーハートは、黒人が白人よりも進化の度合いが低いといった見方を補強するのに科学教育も一役かっていると見ている。

例えば、Time-Life Booksが1970年に出版した書籍『Early Man』に掲載された象徴的イラスト「March of Progress(進歩の行進)」では、人類の進化の過程をチンパンジーから始まり白人で終わるものとして描いている。「進化の終点は白人だとする過去の名残なのです」と彼女は説明する。「故意にそうしたとは思いませんが、人々が人類の進化について学んだ時、アフリカ系はヨーロッパ系よりも類人猿により近いという考えを植え付けられてしまいます。文明人=白人といった考えを持つようになるのです」


社会的に承認される暴力

また、別の実験では115人の白人男子学生に類人猿を連想させる言葉(モンキー、チンプ、ゴリラ)あるいは大型の猫科動物を連想させる言葉(ライオン、タイガー、パンサー)のフラッシュを見せている。後者は前者同様暴力とアフリカを連想させるもので、コントロールとして使用された。

この後、被験者たちはテレビ番組『COPS』(勤務中の警官たちの活動を密着取材して伝えるドキュメンタリー)によく似たビデオクリップを二分間見せられる。ビデオには、数人の警察官が容疑者(人種は明らかにされていない)を乱暴に殴っている様子が描写されている。ビデオの最初には殴られている容疑者が誰であるのかを示す、白人男性あるいは黒人男性の顔写真が映し出される。この時、容疑者は家族にとり「愛情深い夫であり父」であるけれども、重い前科があり逮捕時ドラッグでハイになっていたという説明も付け加えられる。

ビデオ鑑賞の後、学生たちは警察官による殴打の正当性を評価した。容疑者が白人であった場合、類人猿と大型の猫科動物、どちらの動物を連想させる言葉のフラッシュを浴びても、その評価に違いはなかった。ところが、容疑者が黒人であった場合、類人猿を連想させる言葉のフラッシュをビデオに先行して浴びている場合、猫科動物の場合に比べ、殴打の正当性をより高く評価する傾向が見られた。

「これらの実験結果は、黒人ー類人猿アソシエーションの暗黙知が黒人容疑者に対する評価に大きな違いを生み出したことを示唆する」と研究レポートは結論づけている。また、このアソシエーションは「視覚認知や視覚的注意を変え、黒人容疑者に対する暴力をより是認する傾向を強める」ため、アフリカ系アメリカ人に破滅的な結果をもたらすと述べている。

例えば、同研究では米ローカル紙の一つ『Philadelphia Inquirer』が1979年ー1999年の20年間に掲載した数百のニュースを調べているが、極刑の有罪判決を受けた黒人は、同じく極刑判決を受けた白人に比べて「野蛮な」「けだもの」「凶暴な」「残酷な」「気の荒い」等、類人猿と関連性のある言葉で表現される頻度が4倍もあったという。また、「これらのニュースで、暗に類人猿であるかのように描写された者たちは、そうでない者たちに比べ、州政府により処刑されやすい傾向にあることも判明している。


「黒人≒類人猿」と本人が考えているというのではなく、無意識にそう捉えているというのは、差別される側にとって、かなり厳しい現実である。意識下ということは、本人もコントロールしにくい領域であるからだ。ソース記事は、このアソシエーションの暗黙知がどのように形成されていったのか、科学教育以外には触れていない。子供が生育する過程で、徐々に家庭や社会環境から吸収していくのだろうか?

この研究は、白人=差別する側、非白人=差別される側という考え方に基づいている。米国の歴史だけではなく、植民地時代等、世界史を顧みても、確かに白人たちはそれだけの所行をやって来た。しかし、アジア人や黒人等、非白人も差別されるばかりかというと、そうでもない。実際、他人種を蔑視したり、差別する側にまわることも多々ある。そういう意味で、非白人の被験者を使って同様の研究をやってみた場合、どういう結果が出るのか筆者は非常に興味を感じる。

ソース
•Discrimination against blacks linked to dehumanization, study finds

http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-177.html


147. 中川隆[-13532] koaQ7Jey 2018年7月18日 11:39:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16735]

黒人移民を受け入れると日本女性とのハーフがボロボロ生まれるけど…


mik********さん 2016/10/11 9:19:56.

30代女性です。先日初めて黒人男性とセックスをしました。とても感じてしまい、恋人とのセックスが不満です。今後どうすべきでしょうか?


補足
黒人男性とのセックスは、行為自体が濃密で、丁寧ですばらしいものでした。その夜は約5時間にも及び、終わった時は、シーツが汗と体液でぐしょり。彼は4−5回射精したはずです。精液の量も多量で、びっくりしました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14165042774?qid=14165042774


30代独身女性です。先日初めて黒人男性と関係を持ちました。すごく刺激的で忘れられません。
正直、恋人とのセックスでは物足りません。同様の体験を持つ女性の意見を聞きたいです。

黒人とのセックスはすべてが素晴らしかったです。ムード作り、キス、優しい愛撫、丁寧な前戯、緩急をつけた挿入、フィニッシュなどなど、心底満足させてくれました。キスも上手で舌が長く、厚みがあり、、、
愛撫も十分な時間をかけ、クンニでは何度もいかされました。挿入前に何度いったか覚えていません。

ペニスも大きく、太さも長さも日本人男性の2倍はありそうで、フェラチオの際は、口いっぱいになり、顎が外れるのでは不安になりました。挿入時は正直怖かったのですが、ゆっくり挿入されたので痛みはなく、その後はあまりの気持ちよさに、失神しそうでした。

一回のストロークが長く、ペニスが引き抜かれ、再び挿入されるたびに、大きな快感と衝撃に襲われます。あらゆる体位を取らされ、自分でもどんな姿勢でいるかわからなくなるほど、、、背面座位の姿勢で、彼が下から早いピッチで出し入れし、同時にクリトリスを擦られたときは、強烈な快感に潮を吹いてしました。

すべてが終わったのは、朝の8時近くで、短い休憩を挟みながら、7時間近く愛し合いました。全てを終えたときは、ベッドシーツが二人の愛液と汗でぐちょぐちょでした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11168413691

ID非公開さん 2017/6/16 15:43:32

30代女性です。黒人と初めてセックスし、何度も昇天しました。はまりそうです。おかしいですか?

先日、初めて黒人と夜をともにし、すべてに圧倒されました。まずシャワーを一緒に浴びた際、浴室で立ったままクンニされ、いかされました。彼は舌も肉厚で長く、ペニスも巨大で、、、 クンニのあとは、浴室で立ちバックのままいかされ、、、その後はベッドの上で何度もいかさました。彼は精液の量もすごく多くて、びっくり。全てが終わったのは翌朝五時ごろ。3時間睡眠を取り、再びお昼まで彼に蹂躙され、何度もいかされました。


具体的に書くのは恥ずかしいですが、要望があったので少しだけ。あらゆる体位を取らされ、途中から半分意識が飛んでいたかも。
例えば、背面座位で彼に下から挿入され、高速でピストンされたときは、自分の身体が宙に浮いているかのような感覚でした。その際、アソコはすごく熱くなっていて、自分の身体が空中分解するのではと不安でした。もちろん、何度もいかされました。正常位のときも、クリを指で擦りながら、ピストンしてくるので、すぐいかされました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11175473076


実は異人種の方の体臭のことで悩んでいます。
今年から黒人女性の方と一緒に仕事をしているのですが、その方
の体臭が独特で具合が悪くなります。

会議で同じ部屋にいると、臭いがこもって何か理由をつけて
窓を開けるのですが、これから寒くなりそれもできなくなります。

臭いを説明するのは難しいのですが、以前フランスのパリに行った時
にもメトロや劇場で隣りだった黒人さんから同じ臭いがしました。
多分お風呂に入っていない臭いではないと思います。
香水の匂いでもありません。

その人が通ると臭いも一緒に通り、臭いだけで彼女が後ろにいるなと
分かります。
人種差別的発言になってしまう事を恐れて、上司も何も言わず
我慢しています。
やはり、本人に臭いをどうにかしてほしいと言うのは人種差別に
発展してしまいますよね?
もちろん、日本人も海外に行けば臭いと言われるのかもしれませんが、
かなり切実な悩みです。

こんな経験のある方、どうされたか経験談を教えて下さい。
よろしくお願いします。

補足
これってワキガの臭いなんでしょうか?日本では嗅いだことのない
臭いです。
上司には伝えてみましたが、差別だと取り上げられるのも困るし、
多分何もできないだろうと言われました。それと、外国人との共生って
こういう事なんだよ?と言われてしまいました・・・。
この臭いに香水を混ぜるのは無理です。やはり、空調とかで
乗り切るしかなさそうですね・・・。


amu********さん 2011/10/30 22:43:20
●わきが体質の人が、日本人では大変少ないのですが、
以下の数値のように黒人(欧米白人も)多いのです。

・一般的な黒人は約100%の割合でわきが体質
・欧米人の場合は約80%の割合でわきが体質
・日本人の場合は約10%の割合でわきが体質
・中国人の場合は約3〜5%の割合でわきが体質

このように、日本人の場合は割合が少ないので、わきがに悩んでしまうわけです。
黒人や欧米人の場合は、わきが体質がある意味当たり前なので、
悩むべきモノではないんです。

●問題は、多くの人は自分の体臭に気が付かない事です。
それはいつも嗅いでいるので、慣れてしまっているからなんです。

自分はこんな臭いだと自覚している人はそういないでしょう。
ですから「わきが体質」だという事も知らない人が大勢います。

→したがって、その黒人女性も自分の発している臭いについては、
全く自覚がないでしょう。

→今後、何らかのアクションをしたために
相手の感情を害したり、差別(外人差別・黒人差別)ととられたら、
職場の大問題になり最悪です。

→私の意見では、その方に「日本人って体臭がないでしょう」と世間話で言うぐらいで、
改善策としては、「職場の空調を年中強くする」のが良いと思います。


ris********さん 2011/11/22 3:35:25
グローバル化したのだから仕方ないのでは?
体臭云々言うと人種差別者のレッテル張られますよ。

日本は以前はグローバル化されておらず外国人もあまりいませんでしたからこういった問題はありませんでしたが、日本国は無臭、清潔で他に類を見ない国でしたから、なかなか慣れるのには大変ですよね。。。

いるんですよね。。。臭い外人さん。。。最近多いよ。 先日コンビニ言った時には納豆が腐ったような中東からの人がいて、倒れるかと思いました。


har********さん 2011/10/31 07:28:08
これはわきがの臭いです。体質的にどうすることも出来なく、わきがに対する認知度は国が違うと全く違う意味を示します。

日本ではわきがの手術もある位敬遠されていますが、ヨーロッパや西洋では、セックスシンボルでセクシーな香りと言われています。だから海外では何でもないのです。

国の違い、人種の違いなのでどうすることも出来ません。香水が発達したのはこういう所からも来ています。

adg********さん 2011/10/30 20:39:40
腋臭ですよね?
日本に来ている黒人の大半はあまり匂わないので手術して治療済みなのかと思います。

本人にどう告げれば良いのか…いつもは彼女と仕事であまり一緒にならない人に「日本では体臭がしないようにデオドラントを使ったりするのも仕事のうちだよ」とかなんとか一般論みたいに言ってもらうとか…?

luc********さん 2011/10/30 20:36:33
確かに人種が違うと臭いが気になりますよね…

入浴剤や香水をプレゼントするとか…それぐらいしか手立ては無いと思います。
元々香水って体臭消しみたいな役割もあったぐらいですし。
入浴習慣が違うせいなのも多少はあるでしょうから、
(日本以外ってだいたい皆シャワーで済ましちゃうし)
湯船に入る楽しさを知ってくれれば少し改善されるかな…と。

ただ、上司にだけは言った方が良いんじゃないでしょうか
「差別するつもりは無いのですが、辛すぎます」と言えば
出来るかどうかは別にしても考えてくれる気がします。

あとは、スパイシーなカレーを自分で食べて誤魔化すとか。
臭いの強い食品を食べ続けると多少は慣れる気がします。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1174437251

アメリカに住んでいます。旦那は日本人ですが、知り合いが黒人と結婚して3人の子供がいます。

一般的に言って、黒人男性と日本人女性の結婚は、あまり成功してない理由。

生活水準が低過ぎて、ついていけない。下方婚で辛い。

浮気が多い。罪悪感無しで、平気で浮気する。隠し子が判明する。

性欲が強い。毎日、休日になると複数回してあげないと怒る。

短気。陽気だと思っていたのに、急に短気になって怒り出す。激しい。

男尊女卑で、料理、家事をしたがらない。口先だけで、自分から手伝おうとしない。

子供が自分に似ない。どう見ても、肌の薄い黒人の子供。白人ハーフに嫉妬してしまう瞬間がある。

子供が勉強できない。スポーツ馬鹿になりがち。

夫の親戚付き合いが面倒。夫の妹に、化粧品やブランド品を盗まれる。


アメリカ黒人はまだ良い方で、アフリカ黒人だとかなり大変です。
不思議と離婚しないで、だらだらと共同生活してる女性もいます。

私なら黒人男性は、よほど高学歴でキャリアがあり、性格も良い人でない限り、お断りです。
悪い例、苦しんでる日本人女性をたくさん見てきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10175391120


148. 中川隆[-13535] koaQ7Jey 2018年7月18日 12:07:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16741]

【巨根体験談】黒人男性と付き合いガバガバになってしまった女の告白
2016年08月21日


英会話教室で知り合った黒人男性と交際し、彼の巨根とSEXにはまり、最後には捨てられてしまう女の話。


私は、数年前に英会話教室で1人の黒人男性と知り合いました。


彼の名はリオン


凄く紳士的で、優しい人柄に引かれ私は恋に落ちました。

リオンは当時、ある工場で働いていたんですが、バイトを頼まれ期間講師として教室に来たんです。

もちろん教室内での恋愛は禁止されていたので、彼はバイトを辞めました。


外国人のSEXは日本人とは大違いに激しいものでした。

チンポも半端なく太く長いんです。

彼と知り合うまで私も何人かの日本人男性とお付き合いしましたが、比べものに成りませんでしたし、プレーも凄く長い時間をかけて攻めて来ます。

初めは、彼の本性を知らず受け入れていましたが、だんだん彼の虜となり、身体が断れなく成って行きました。


彼はSM好きで、とにかく私の身体を縛ったりぶったりするんです。(外人はアソコに毛が無いんだと剃られました)

色々な道具や薬を使い、私の身体はドンドン彼の玩具と化して行きました。

でも、普段の優しい彼にすっかりハマっている私にNOと言う選択肢はありません。


そんな彼との交際も1年を過ぎようとした時でした。

彼に言われる様に、下着を付けずワンピースを着ると、アソコに5個とアナルに3個ローターを入れられ、さらに首輪を付けられ彼の車に乗せられたんです。

車で30分位して港の工場らしき中に車は入って行きました。

首輪に太い散歩ロープを繋ぐと、彼は私を四つん這いの姿で工場内を歩かされ事務所らしき所に連れていかれました。彼は私を柱に繋ぐと、両手を後ろに縛り居なくなったんです。


何分経ったでしょうか?見知らぬ黒人男性3人が現れ、私の身体を弄びだしたんです。

彼の名を必死に呼びましたが、来る事も無く彼らに何度も絶頂を迎えさせられていました。


彼らの性欲は物凄い物で、何度私の中に放出しても直ぐに復帰するんです。

太いチンポを3穴全てに咥え込んで、私は奴隷の様に奉仕し続けました。

正直、彼との1年で私のマンコは考えられない位、肥大しガバガバ状態。とても見せられる物ではありません。


彼らが、私の身体を自由にしてくれたのは翌朝でした。

途中何度も気絶しましたし、頭の中が真っ白で記憶が飛んでいます。

もう立ち上がる事も出来ない私に、彼らは経緯を語ってくれました。

リオンは、賭け事に負け彼らに借金を作っていたそうです。払いきれないと知ると恋人である私を差し出したのです。何でも言う事を聞く奴隷だから好きにしていいと・・・。

彼は、逃げる様に母国へ帰って行ったそうなんです。


結局、私は3か月間彼らの性奴隷となり彼らの欲求を満たす事になりました。

彼らのアパートに住み、彼らが望む様に私は身体で奉仕するだけ。

妊娠すると知ると、彼らは私を捨て姿を消したんです。


今、産むべきか?下ろすべきか?悩んでいます。

もう30歳、こんな体の女性をもらってくれる人が現れるでしょうか?

ガバガバのマンコでは、日本人は満足出来ないでしょう!もちろん私ももう巨根以外では感じられません。


先日、病院で見て貰いましたが、男性の先生が私のマンコを見て驚いた顔を見せていました。

ガバガバで腫れ上がり、ピアスを付けているんですから当たり前です。
http://blog.livedoor.jp/ookinaotoko_blog/archives/65152638.html


149. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2018年7月18日 12:34:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16741]

黒人女性の美の世界 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=fmvnkmt1Jss

20 Most Beautiful Black Women In The World Dusky Girls - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=GvaODxDlwjI

Black Beauties - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Black+Beauties+

ビヨンセ  Beyoncé - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Beyonc%C3%A9+


世界で最も美しい黒人女性

1位 ビヨンセ 
1981年9月4日生まれ アメリカの歌手 女優 モデル 
身長171cm スリーサイズ 92-66-94


2位  Chrishell Stubbs 1992年1月24日生まれ カリブ出身のアメリカのファッションモデル 
身長179cm スリーサイズ 81-61-91


3位  Micaela Reis ミスアンゴラ2007年 
ミスワールド2007年アンゴラ代表 彼女の母親はアンゴラ人で父親がポルトガル人 身長176cm


4位  Leila Lopes 1986年2月26日生まれ 
ミスアンゴラ2011年 ミスユニバース2011年アンゴラ代表 
身長179cm スリーサイズ89-60-90
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/36989873.html


[ハマり過ぎ注意!]黒人美女画像110枚強!
https://matome.naver.jp/odai/2142271110940495501
http://www.po-kaki-to.com/archives/06482.html
https://1000giribest.com/55475.html
http://ganmodoki.net/?p=3311

結局、白人の血が沢山入ってる程、美しくなるという事ですね。


150. 中川隆[-13537] koaQ7Jey 2018年7月18日 12:50:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16750]

主演女優が美人だと思ったらフィリピン人とのハーフなんですね:


黒いオルフェ(1959) ORFEU NEGRO, BLACK ORPHEUS
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10398721
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10398652
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10398326
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10398220
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10398110


監督: マルセル・カミュ
音楽: アントニオ・カルロス・ジョビン, ルイス・ボンファ
出演: ブレノ・メロ, マルベッサ・ドーン, ルールデス・デ・オリヴェイラ

米女優のマルペッサ・ドーン(Marpessa Dawn)

1934年ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ。
アフリカ系アメリカ人とフィリピン人の血を引く。
59年「黒いオルフェ」などに主演。


オルフェウス伝説を描いたレリーフをぶち破って響く、圧倒的音量のサンバにたまげて、即、この素晴らしい音楽劇の虜となってしまった。ひとまずそれが収まって、流れるタイトル・ソングがまた美しい。そのジョビンのボサノヴァを世界に知らしめた映画でもある本作は、ギリシア神話のオルフェとユーリディスの挿話に基づき、ブラジルの詩人ヴィニシウス・デ・モライスが書き下ろした物語を映画化したもので、カルナヴァルに沸くリオを踊り手たちの視点からいきいきと描いて、その地を旅した、いや、それ以上の感慨--彼らと共に唄い踊る夢み心地--に浸らせてくれる。

 カルナヴァル見物に田舎から従姉セラフィナを訪ねた美少女ユーリディスは、彼女を乗せた市電の運転手オルフェと、祭りのリハーサルで再会。子供たちから“太陽”と慕われるオルフェには、派手好きなグラマーの婚約者ミラがいたが、ユーリディスの清純な美しさにすっかり参ってしまう。その夜、彼女を従姉宅に送ったオルフェだったが、恋人の水兵シコと睦み合うセラフィナにすっかりあてられて、ユーリディスを抱き寄せると、彼女はそれを待ち受けていたかのように唇をくれた。そして、愛しあって迎えた朝、彼は自作曲をギターで弾き語る(ルイス・ボンファによる『カルナヴァルの朝』)。と、どうだろう、子供たちに約束した通り、その音と共に朝日が上がった。

祭は本番。ユーリディスも従姉の好意で、彼女の衣装を着て、ミラの目をごまかしオルフェと共に踊るが、やがてバレてしまい争いが起きる。泣いてその場を逃げ出したユーリディスは、自分に影のようにつきまとっていた死神の装束の男に追い込まれ、事故死。翌朝、その亡骸を抱きかかえ、彼女と恋を語らった高台に来たオルフェは嫉妬に狂ったミラの投げた石を頭に受け、そこから墜落死してしまう。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=6622

異民族の混在国家アングロ・アメリカなどでなく混血国家ラテン・アメリカのブラジルの驚異的な生命力が漲っている。『オルフェオとエウリディーチェ』なるギリシア神話のプロトタイプを損ねるどころか映像美と相俟って鮮烈な息吹を与えている。そして何よりも音楽。「ボサ・ノヴァ」の神々たるトム・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モライスという名を目にするだけで胸が熱くなる。

そしてギタリストの鑑ともいえるルイス・ボンファの大ヒット曲「カーニヴァルの朝」。理屈ぬきで南米の民衆の底力を思い知らされる。

差別的用語も差別的に響かないところが本作の名作の名作たる所以でもあろう。人種などを超えて「ブラジルを心底愛する人間」にとって「リオのカーニヴァル」で踊り狂って死ねれば本望なのだ。毎年のように死者が出るのも頷ける。それがよく判るような気にさせてくれる。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=6622


151. 中川隆[-13534] koaQ7Jey 2018年7月18日 13:25:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16750]

Victoria’s Secret Angel Jasmine Tookes Will Wear The 2016 Fantasy Bra - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZdShtNRNJLs

2018年03月12日
黒人史上最高に美しいと言われるスーパーモデル
http://hokurikufuzoku.blog.jp/archives/74760132.html
http://2ch-matomenews.com/312565/

黒人史上最高に美しいと言われるスーパーモデルをご存知でしょうか
そう評判の彼女の名前は、ジャスミン・トゥークス

アフリカの遺伝子を残しているような面影
しかし、、、確かに凄い美人

その画像&動画をどうぞ


凛としているというか、気高いというか気品すら感じます
いかにも美人という感じですが、こんな可愛らしい一面も


ねっ、さっきの画像とは違いこちらは可愛らしさ全開
キレイとカワイイ、両面を持ち合わせているのがいいですね


顔だけではありません
もちろんスタイルも最高レベル
むちゃくちゃ脚が長くて本当うらやましい

写真はどうせ加工済みだろ!なんて言わないで
それほど加工してるようには思えないこれらの画像
疑り深い人は動画でもご確認を
http://hokurikufuzoku.blog.jp/archives/74760132.html
http://2ch-matomenews.com/312565/


152. 中川隆[-13533] koaQ7Jey 2018年7月18日 13:33:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16750]

ジャスミン・トオークスはアメリカ人ですが、アフリカ系、中米系、イギリス系と全ての血を受け継いでいます。


【下着画像91枚】多民族美女!ジャスミン・トオークス、各地で絶賛されるその美しさをご堪能あれ 2017/10/17
https://9jyo.com/lingerie-images/jasmine-tookes-01/


ジャスミン・トオークスさんは、1991年2月1日生まれ。出身はアメリカ、カリフォルニア州のハンティントンビーチです。

モデルになる前は、体操、バレーボール、ソフトボールなど、スポーツ万能だったようです。

母親がファッション関係の仕事をしていたことが縁で、彼女の美しさに周りが気づくことになります。

ジャスミンはアメリカ人ですが、アフリカ系、中米系、イギリス系と全ての血を受け継いでいます。全部のイイトコ取りといった感じでしょうか。「世界で最も美しい顔」や「世界で最もセクシーな女性」にも若くからランキングされています。

モデルとして仕事では、2010年にGAPなどのCMに起用されます。その後、DKNYやヴォーグイタリアのキャンペーンでも採用されます。

Models.comは、彼女を若手ではトップ10モデルの一人であると絶賛しています。

2012年、スーパーモデルの登竜門ともなっている、ヴィクトリアズ・シークレットのショーで人気が爆発。若きエンジェルとして地位を得ます。

バーバリー、フェラガモ、アルマーニなど、日本でもお馴染みで高級ブランドで引っ張りだこの彼女ですが、今後もその太陽のような明るい笑顔をみんなを魅了し続けて欲しいです。
https://9jyo.com/lingerie-images/jasmine-tookes-01/


153. 中川隆[-13651] koaQ7Jey 2018年7月19日 13:14:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16909]

中国美人まとめ-中国人も知らない中国美女、美人芸能人を多めの写真で発掘
http://www.china-b-japan.org/entry/chinabeauty3_1

最も美しいウイグル人美女・トップ13がロシアのサイトで話題に 
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/36513110.html

超セクシー美女揃いのフィリピン美人女優・モデルTOP50ランキング
http://thaisbaby.com/?p=6712

美女大国タイの美人女優・アイドル・モデル TOP20ランキング
http://thaisbaby.com/?p=3617


中国には大した美人はいないですね。

黒人でもアジア人でも、白人の血が多く入っていれば美人になるというだけですね。


詳細は

厳選 海外美女画像
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/526.html



154. 中川隆[-13817] koaQ7Jey 2018年8月10日 07:28:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17758]

ラブドールに見る白人と日本人の容貌の違い


白人の成人女性

Climax doll
http://www.climax-doll.com/


▲△▽▼


日本人の成人女性


等身大リアルラブドール【4woods】
https://aidoll.4woods.jp/
https://aidoll.4woods.jp/4woods?gclid=EAIaIQobChMI5-7Ht73w2wIVyBaPCh2M_QwyEAMYASAAEgJT4PD_BwE


ラブドールムービー(動画) 4woods
https://aidoll.4woods.jp/movie

ラブドール動画【バスト】 4woods
https://aidoll.4woods.jp/movie/allurebust1


____


日本人の成人女性 _ 2


リアルラブドール オリエント工業[スマートフォン]
https://www.orient-doll.com/shop/category/?ct=23
https://www.orient-doll.com/spn/top/

リアルラブドール オリエント工業|製品動画一覧
http://www.orient-doll.com/youtube/


____


日本人の子供


TROTTLA
http://www.trottla.net/

MAKE PURE
http://makepure-world.o.oo7.jp/
http://www.makepure.com/


155. 中川隆[-13816] koaQ7Jey 2018年8月10日 07:30:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17758]

詳細は


AI搭載ラブドールと一緒に暮らそう _ とんでもない美人のラブドールがやってきた!
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/220.html


156. 中川隆[-13813] koaQ7Jey 2018年8月10日 09:03:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17758]

これが欧米人の好きな女性の体形


Real Doll Addict
World Blog about Sex Dolls, Love Doll, Life-sized Doll, Silicone Doll, Real Doll
https://realdolladdict.com/


RDA Best Doll Awards Search Results Real Doll Addict
https://realdolladdict.com/?s=RDA+Best+Doll+Awards+


157. 中川隆[-13811] koaQ7Jey 2018年8月10日 09:12:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17758]

欧米で大人気の日本製ロリコン向け子供型ラブドール


・TROTTLA
http://www.trottla.net/

・Project LEVEL-D
http://www.level-d.net/index.html

•make pure 
http://makepure-world.o.oo7.jp/
http://www.makepure.com/

•Apricot
http://www.apricot-doll.com/


____


LEVEL-D / make pure /Apricot

3社ともロリ系、というかどう見ても子供(笑)で且つ実践可能なドールを作っているメーカー
一部では法にひっかかるのでは?と言う声も聞かれるため、所有者からの情報がなかなか出てこず、良く分からないw


・TROTTLA
実践は不可能だが、非常にリアルな造詣のロリドールを作るメーカー
「これ大丈夫なの?」ってぐらいアソコまでリアルに作られているらしい
http://asusa7v.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

•make pure 

(特商法の記述が不十分なためリンクはしていません)
ロリ…ごほん。

少女型ラブドールといえばmake pure。ラブドールメーカーというより、ラブドール工房?たぶん個人運営。

指骨格がなかったり骨格がフレキシブルパイプ系でクオリティが今一歩とも聞くけれど、少女性を感じる外観のこだわりには目を見張るものがある。

make pureドールオーナーのブログは(その外見もあって)滅多に見かけないが、極めている人はいるもので、makepure専門で芸術的な写真を撮っている方もいる。手を繋いで夕日に向かって歩く親子連れの後ろ姿などはストーリー性すら感じさせる。


•Apricot
http://www.apricot-doll.com/

2011年頃に突如として現れた(というかだいたいラブドールメーカーは突如として現れる)ロリ…ごほん…少女型専門のラブドールメーカー。

フルシリの小児科としてはmake pureか、ホールポケットのないTROTTLAの2択と言われていた頃だったため、その登場はなかなかのインパクト。

これはひどいwwwと言いながら注文する変態紳士が続出。
あまりの注文数に納期が遅れに遅れ、ヤフオクではApricotの中古品が新品の定価よりも高い金額で落札されたほど。しかし、その後、生産工場の火事という不幸な事故が発生し、Apricotはもちろんのこと、注文していた顧客も阿鼻叫喚。2013年に注文したドールがようやく先日届いた(3年越し)、というくらいなので、まだまだ通常営業には程遠いと思われるが、その不屈の精神は賞賛したい。
https://laladoll11.blog.fc2.com/blog-entry-540.html


▲△▽▼


【画像】ロリコン向けのラブドールがヤバすぎるwww(※画像あり) ピシーニュース(・p・)ゞ
http://pcci.jp/archives/51856


2017年06月24日
あまりに精巧すぎるロリコン用ラブドールのマ●コ
http://hokurikufuzoku.blog.jp/archives/70947249.html

いえね、あまりのリアルにビックリすると思います
これぞ職人技!本当に凄いですよ

みなさん、ロリコン用のラブドールをご存知ですか?!
まずは彼女たちの画像をご覧ください

ロリドール000
ロリドール001

それほどリアルじゃねえよ!
とお叱りを受けそうですが、確かにそうです
でもね、本当にリアルなのは外見じゃないんです

まさに職人技と言えるのはアソコです
そう、精巧に作られたマ●コ

ロリドール002
ロリドール003

機械ではなく、画像のように
一体一体手作りで制作しているんですね

モザイクで見えねえよ!というアナタ
ここから先は自己責任でご覧ください

リンク先はこのロリドールを制作されている方のページ
「MAKE PURE」さんの驚愕の職人技です

http://www.makepure.com/

そこにある、マ●コ画像、見ましたか?!
本物じゃありませんよ、ラブドールのですよ
あまりにリアル過ぎやしませんか

リアルっぽくてロリじゃない!とお怒りの方もいるでしょう
でもね・・・そんなロリのマ●コ見たことがないので分かりません
詳しいアナタ、きっと犯罪を犯してますよ(多分)
http://hokurikufuzoku.blog.jp/archives/70947249.html


▲△▽▼


2018年06月21日
日本のロリコンはNO!!日本のラブドール、アメリカへの輸入禁止へ
http://hokurikufuzoku.blog.jp/archives/76026621.html

海外はロリコンに対して厳しですからね
いや、外国の方達の言う通りロリコン的なものが溢れる
日本の方が異常なんでしょうか?!

女児のセックスロボットと交わるうち、倫理観が曖昧になり
本物の子供に手を出したくなる危険は見逃せない

とし、「大人と子供のセックスは普通という勘違いの元になる」
とアメリカの議会がセックスロボット、いわゆるラブドールの規制に乗り出した

331525fc


この製品が今回規制対象になるかどうか
決まっている訳ではありません

それらは主に日本製、中国香港製のもの
これまでは「マネキン」として輸入されてきたが

今まではそれらの輸入や販売、流通を禁止する法律がなかったアメリカ
すでに輸入を禁止しているイギリスやオーストラリアに続き
アメリカでも法を整備し輸入を禁止しようとする動きが活発だ

中には抑止力になっている、と叫ぶ人もいるでしょうが
おっさんもこの輸入禁止には賛成

やっぱりロリに寛大な日本の方がおかしいんだと思いますよ
せめて合法ロリのAV女優で我慢してほしいものです
http://hokurikufuzoku.blog.jp/archives/76026621.html


▲△▽▼


ラブドールやセックスロボットの是非めぐり激論・・・英教授「日本がロリコン向け子供型ラブドールを輸出」「ロボットは強姦の犠牲者」★4 ©2ch.net
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1499360395/-100


1野良ハムスター ★ 転載ダメ©2ch.net2017/07/07(金) 01:59:55.89ID:CAP_USER

ラブドールやセックスロボットのプラス面とマイナス面について今、熱論が交わされている。この分野が信じがたいテンポで成長しているためだ。セックスロボットの使用は、日韓などアジアの一部や欧州での、代替的な売春となっている。この問題を研究する英シェフィールド大学のノエル・シャーキー教授は、「性的ヒーリング」のためのロボットの使用を調べて、つぎの結論に至った。

英紙ミラーが報じるところ、セックスロボットは「心に問題を抱えている人や、体に障害をかかえる人、年の割に元気な年金生活者にとってさえ、治療的で有益なサービスを提供出来る可能性がある」という。

シャーキー教授は、素直で文句を言わないロボットは他者を性欲充足の道具として扱うこと、虐待、強姦、幼児性愛を促進する可能性があるとしたうえで、「人よりも、ロボットを強姦する方がいいという人もいるが、強姦を促進する可能性があると見るものもいる」と述べた。

さらに、性的誘惑に抵抗するようプログラミングされたロボットは事実上、強姦の犠牲者だとの見解を示した。

さらに、子供型のラブドールがすでに作られており、幼児性愛者により、日本から輸入されているとシャーキー教授は明かした。また、同紙によると、日本のメーカー「Trottla」は、子供型のラブドールを作っている。
なお、ロシアでは「Trottla」社製の人形は通信・情報技術・マスコミ監督庁ROSKOMNADZORによって禁止されている。

先に伝えられたところによると、英サルフォード大学で世界初、ロボットとのセックスに関する会議「技術との近接選択または強制」が開催された。科学者たちは人工知能と人間の恋愛さらには結婚の可能性を討議した。

英タブロイド紙デイリー・ミラーによれば、科学界ではよくあることだが、恋愛やセックスのような感情的で繊細な領域の現代的な技術についての意見は割かれている。スプートニクの取材でも専門家同士の異なる意見が表明された。
https://jp.sputniknews.com/science/201707063846000/


91名無しさん@1周年2017/07/07(金) 03:44:05.94ID:txau6Rne0

  
お前らももう「Trottla」で検索して
製品内容は完全に把握したんだろ?

個人的には
「オプション 水着日焼け跡加工 16800円」
ってのに笑った。
 


95名無しさん@1周年2017/07/07(金) 03:52:43.42ID:6exuP7Ke0

外人からしたら「変態ジャップがロリダッチレイプしてる」てことだろうがあのロリの人形はただのオナニー道具以上の愛情をうけてる感じだがなぁ
可愛い服や下着つけて髪型もキレイにくしでといてリボンやカチューシャつけたりさ
恋人のように大事にされてるだろ
ただのオナニーのための人形なら裸で押し入れにでも入れときゃいいがキレイに着飾ってソファやベッドに腰掛けさせたり愛情だろ


52名無しさん@1周年2017/07/07(金) 02:42:42.07ID:oQI4H69m0

件の会社では、芸術作品と称しておる。

昔の裸婦画像も、実際はエロ目的が多数だろ。

▲△▽▼


ラブドールやセックスロボットの是非めぐり激論・・・英教授「日本がロリコン向け子供型ラブドールを輸出」「ロボットは強姦の犠牲者」★3 ©2ch.net
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1499340913/


TROTTLA
http://www.trottla.net/

MAKE PURE
http://makepure-world.o.oo7.jp/
http://www.makepure.com/

69名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:54:34.53ID:dI80mQBk0

こんなメーカーあるんだ
日本人の自分が知らなくて海外の偉い教授が知ってるとか
不思議が多いなあ


3名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:37:10.55ID:iOJEuhp80

なぜこの教授は、日本人でも知らないこんなマニア向けの商品に詳しいの?

英国人って変態が多いからか?


47名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:50:19.62ID:73e5AGX20
>>3
白人の小児性愛願望は異常だから。


53名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:51:55.06ID:HEHiOU8R0
>>3
イギリスの子供への性犯罪の発生率は日本よりはるかに高いから。


57名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:52:17.05ID:EpCSS8fn0

実際に自分の娘を強姦しちゃう白人どもがなんか言ってる


151名無しさん@1周年2017/07/06(木) 21:13:05.75ID:J3Tq5/Ji0

小児性愛とかおまえらの国のお家芸だろうに、何言ってんだ
人間ならいいのか?キチガイだろう


473名無しさん@1周年2017/07/06(木) 22:50:10.18ID:GIFt1PnG0

東南アジアで実際に年端もいかない幼女を買ってレイプするのは白人デブの英国人だよね


552名無しさん@1周年2017/07/06(木) 23:16:08.23ID:G+NQ5cK90

【6月24日 AFP】米連邦捜査局(FBI)は23日、全米100以上の都市で
性的目的の児童人身売買の一斉摘発を行い、168人の子どもを救出したと発表した。
http://www.afpbb.com/articles/-/3018624

「クロスカントリー(全国)作戦(Operation Cross Country)」と
名付けられた1週間に及ぶ一斉捜査で、児童売買のあっせん業者281人が逮捕された。
ジェームズ・コミー(James Comey)FBI長官は、
米国の子どもたちに対する「虐待の連鎖を絶やす」ことにつながるだろうと語った。


こんなもん日本じゃ考えられんわ
いちばんの糞民族は白人だよ


66名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:53:43.50ID:bmZ24Mis0

ガイジンって自分の娘とお風呂に入っても欲情しちゃうから禁止してんだろw


62名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:53:12.34ID:YJqUxwaY0

植民地でさんざん生身の女をやってきたからね〜〜


63名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:53:16.30ID:Ou+tx1Dt0

日本の倍以上の性犯罪国家に言われたくはないな


86名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:57:56.56ID:n22Vn4G+0

そもそも

性犯罪発生率は日本が世界最低なんだよ
支那人や朝鮮人が押し上げているにも関わらずだ


他の国はまず
現実の性犯罪を日本並みに抑えてから言え


105名無しさん@1周年2017/07/06(木) 21:01:42.82ID:n22Vn4G+0

規制が厳しい国ほど現実の性犯罪が多く発生している

アメリカ、オーストラリア、南北朝鮮

必ずこれらが3トップ
数字的にトップクラス争いには加わらなくても、欧州でも日本の10倍だ


 
214名無しさん@1周年2017/07/06(木) 21:32:48.94ID:B9rjnrEy0

エロマンガなどを規制した結果、性犯罪が一件も起きてない
ってのなら分かるのよ
なるほど、ならば外国のように規制しなければ、となる

だが現実はまったく逆
規制が緩い国ほど性犯罪は起きていない

規制が厳しい国ほど多く性犯罪が発生している
イギリスだって日本の13倍も起きてる

断っておくが「規制が緩い」ってのは
「現実の犯罪に対しても緩い」ってワケじゃねえぞ


71名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:54:55.68ID:n22Vn4G+0

「日本はこういうのがあるからどうたらこうたら」と言うが

白人と一緒にすんな

としかいえない


65名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:53:31.04ID:95BJkRMI0

こういうセックスに対して過度に道徳的であろうとする人って色情狂だよね
ねじけた表出の仕方してるけど


130名無しさん@1周年2017/07/06(木) 21:08:08.40ID:qaC7aj0g0
>>65
まず過度に溢れる発想・妄想が浮かんだからこそ
倫理の問題に直面したということだしな


75名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:55:10.35ID:UmmTaz3n0

アジアなどの貧しい国の子供たちが売られていって
奴隷のように労働させられた国だから厳しいんだろう
日本は女子供を輸出した国だから…女子供が売られた先でどんな酷い目にあったのかを知らない


230名無しさん@1周年2017/07/06(木) 21:38:16.03ID:RWpw7oDX0>>285

東南アジアや東欧で買った幼女を大切に高校卒業まで育てつつ肉便器として奉仕してもらった方がお互いにメリットあるのではなかろうか。


61名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:53:10.20ID:rA/b8JfY0>>70>>143

> 日本のメーカー「Trottla」は、子供型のラブドールを作っている。

初めて知ったが、そこのサイト見たら10歳未満の
ガリガリばかりでまったくチンコが反応しなかった

せめて10代前半でないと、性欲が掻き立てられんわ


58名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:52:20.94ID:Kx2KXPC80>>68>>291>>979

さすがに子供型は引く
やって良いことと悪いことの区別があるだろ


70名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:54:52.92ID:0guSr5nQ0

これは引くわ・・・年齢一桁だろ
せめて12才ぐらいじゃないと気持ち悪い


197名無しさん@1周年2017/07/06(木) 21:29:36.02ID:CbSQuLEG0>>219

オリエント工業が時流を見て、ロリ向けの人形は作らなくなったからな
それで専門に作るところが出てシェアを伸ばしているってところだろうな
Trottlaの人形は海外で問題となったこともあったからな
それで今回、取り上げられたのよね


665名無しさん@1周年2017/07/06(木) 23:55:46.06ID:BMnSSReX0>>676

勘違いしてるやつがほとんどみたいだけど、Trottlaのドールは
いわゆるホール付きのラブドールじゃないからな。

おまえらが期待するセクロスはできないんだよ


68名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:54:20.97ID:ag1Nf937O

殺人ゲームが大量にあるけどそういうのは良いのか


89名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:58:15.19ID:wLdNnogK0
>>68
西洋はグロには寛容でエロには厳しい
東洋と完全に逆
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1499340913/

▲△▽▼


2017.03.18
「子供のラブドール」の世界的メーカー社長が、世間の誤解に反論…「最高のものをつくりたい」
http://biz-journal.jp/2017/03/post_18382.html


日本から届いた「子供のラブドール」

 
 カナダ最東端に位置するニューファンドランド島の都市、セントジョンズ。北米で有数の長い歴史を持つこの街が今、性犯罪をめぐる奇妙な裁判で世界の注目を集めている。その焦点は、国際郵便で届いた「子供のラブドール」。発送元はほかでもない日本だ。

 事件の発端は2013年1月。トロント市のピアソン国際空港で、セントジョンズへ向かう大きなボックスに等身大の人形が入っているのが見つかった。現地報道によると人形は18歳未満の少女を再現しており、「性的な目的を満たす」よう設計されていたという。

 児童ポルノ事件として連絡を受けたセントジョンズの通関及び司法当局は、「おとり捜査」として人形を宛先の住所に配送。その上で同年3月に受取人の男(現在は51歳)を逮捕した。

「子供のラブドール」は児童ポルノになり得るか

 
 逮捕容疑は「児童ポルノ所持」「わいせつ物の配送」「禁輸品の密輸及び所持」。容疑者に前科はなく、逮捕後すぐ釈放された。裁判は判事の交代で延期され、本格的に始まったのは昨年からだ。有罪なら懲役7年が宣告される可能性がある。

 カナダの刑法は児童ポルノにとりわけ厳しく、実在の子供がモデルでなくても犯罪が成立する。11年には画像データ化した日本のマンガをカナダに持ち込んだ27歳のアメリカ人青年が、児童ポルノの所持及び持ち込みで逮捕されたことさえある(のちに無罪確定)。

 今回の事件はそのカナダで初の「子供のラブドール」をめぐる裁判として、特に注目を集めているわけだ。「表現の自由」の観点から取材しているアメリカ人ジャーナリストは今年1月、現地メディアに「これはアメリカなら罪に問われないと思う」と語った。


世界中で物議を醸したインタビュー記事


 ラブドールは世界中でつくられているが、幼い少女をかたどった製品は日本が特に有名だ。国内でこの種のドールを扱うメーカーは、4社ほどが知られている。

 なかでも最近特に海外メディアから注目を浴びているのが、東京都八王子市の TROTTLAだ。13年2月にもインターネットメディア「VICE.com」英語版の取材に応じているが、とりわけ同社を有名にしたのは、米誌「The Atlantic」が16年1月に掲載したインタビュー記事。そこでは「自らも小児性愛者としてその衝動と葛藤している代表者の Shin Takagi」が登場し、次のような主張を繰り広げる。


「小児性愛者の性的対象を変えることはできない。満たされない欲望を抱いたまま生きていくのは悲劇だ。だが『子供のラブドール』なら、彼らの衝動を合法的かつ倫理的に解消できる」

 記事は愛らしい金髪少女ドールの画像とともに、各国のネットメディアに次々と転載された。そして Takagi氏の主張をめぐる論争とともに、「子供のラブドール」に対する猛烈なバッシングも引き起こされている。

「儲け最優先のマスコミこそ有害なポルノ」


「自分が小児性愛者でその衝動と葛藤しているとはひと言も言っていません。ですから記事に抗議しています。儲けるために適当なことを書くマスコミこそ有害なポルノでしょう。彼らに非難されるいわれはありませんね」

 東京郊外の静かな工房で出会った TROTTLAの高木伸代表は、「The Atlantic」の記事に対してこう語気を強めた。高木氏は1980年代に青春を過ごした世代であり、事務所の本棚には当時刊行された人気漫画の単行本が並んでいる。

 彼は同時に、マスコミが「ロリコン」をマイノリティとして扱うのは欺瞞だとも語った。

「彼らは決して少数派ではありません。中高年女性と女子高生がいたとして、若い男性がどちらを性の対象に選びますか。事実は多くの人がただ自分の性癖を隠しているだけです」

 TROTTLAのドールは1体約70万円以上。高木氏は、それだけの金額を賄える同社の顧客は模範的な社会生活を送る善良な市民だと説明する。そして彼らは創作の世界で欲望の解消を求めているにすぎないという。海外の報道では「sex doll」と紹介されているが、TROTTLAのドールは男性が「挿入」して「性的な目的を満たす」仕組みは装備されていない。

試作品をつくるうち、人形づくりに取り憑かれる

 
 現在は身長150cmを超える製品も多い日本の「ラブドール」業界。だが従来は身長120〜140cmほどのサイズでつくられることも多かった。製造・輸送コスト、さらに購入者の使い勝手の点で、小さいほうが便利だからだ。そこからサイズ上の制約を逆手に取るかたちで、「ロリコン」向けに幼い少女をイメージしたドールも1980年代からつくられてきた。今回カナダで問題になったのは、そうした製品のひとつだ。

「例えば身長が2倍になれば、立体物のコストは2乗で跳ね上がります。開業資金に余裕もないので、うちも小さいものをつくっていこうと決めた。また、成人のドールは他社がやっているので、同じことをしてもしょうがないという気持ちもありましたね」

 TROTTLAは2005年創業。高木氏が大手メーカーのドールを見て、「自分にもつくれるのでは」と思ったのが発端だ。もともと手先が器用でモノづくりにのめり込む性格に加え、工業製品の材料・物性や加工技術について豊富な知識と経験を持っていた。試作品をつくるうち人形づくりのおもしろさに取り憑かれ、貯金と知人の出資を頼りに退職・独立したという。

類を見ないマテリアルと構造を追求

 
 ドールの設計から原型製作まで、すべて高木氏が手がける。外見上はもちろん幼い少女の姿をしているのが最大の特徴だが、実はそれ以上に独特なのが材質と内部構造だ。

 高級「ラブドール」は型枠に骨格をセットし、外皮にあたるシリコン樹脂を流し込んで成型する。シリコン樹脂は関節で動かせる柔軟性に加え、室温で硬化するため成形が容易な点が大きなメリットだ。

 だが、高木氏は「より人間に近いドール」を追求するあまり、熱可塑性エラストマーという素材に行き着いた。感触は人体の脂肪部分そのものだが、自社で配合する特注の材料費がかさむ上、200度近くまで加熱して加工する必要がある。また冷却と同時に収縮・変形するため、狙い通りの造形を再現するために膨大な試行錯誤を要した。内部の骨格も顎の関節で口を開閉可能にするなど、凝りに凝った工夫に驚かされる。

「なぜそこまでするかといえば、日本人だからですよ」というのが高木氏の自己分析だ。

「この商売で儲けようとか、つくることに没頭し出すとどうでもよくなってしまう。小児性愛者の救済も大事だと思いますが、人形のクォリティを追求するという目的の前ではそれも二の次。誰も見たことのない最高のものをつくりたいという気持ちだけです」

「創作物を取り締まることはできない」

 
 昨年1月に「The Atlantic」の記事が海外のネットメディアで物議を醸すと、オーストラリアでは同月から「子供のラブドール」の輸入禁止を求めるオンラインの署名運動がスタート。約7カ月で約6万1000人が参加した。カナダの裁判が改めて話題になった今年1月以降は、また記事の焼き直しが出回っている。

「カナダの件でまた海外メディアからコメント依頼が来ています。他国の司法にどうこう言う気もありませんが、個人的には愚かな話だと思いますね。でも人間は見たいものしか見ないし、人の口に戸は立てられない。言いたい人には言わせておけばいいんです」

 数年前に自らカメラマンを務めたドールの写真集を4冊刊行したが、現在は販売中止。「創作物を取り締まることはできない」と言うものの、社会の風当たりは休みなく強まっていく。だが東京郊外の工房では、今日も高木氏の試行錯誤が続けられている。


▲△▽▼


詳細は


AI搭載ラブドールと一緒に暮らそう _ とんでもない美人のラブドールがやってきた!
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/220.html


158. 中川隆[-13803] koaQ7Jey 2018年8月10日 14:26:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17776]

因みに、ラブドールではこの子が一番美人みたいですね:


初恋のお姉さんラブドール 六野製 165cm F-カップ 絵美 - SexySexDoll
https://jp.sexysexdoll.com/product/%e5%85%ad%e9%87%8e%e8%a3%bd%e3%83%a9%e3%83%96%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%ab-%e5%88%9d%e6%81%8b%e3%81%ae%e3%81%8a%e5%a7%89%e3%81%95%e3%82%93/


6Ye Love Doll - 165cm F-cup Premium Pamela - SexySexDoll
https://www.sexysexdoll.com/6ye-love-doll-f-cup-premium/


159. 中川隆[-13790] koaQ7Jey 2018年8月14日 20:13:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17878] 報告

ラブドールに見る白人体形と日本人体形の比較

ラブドールは絶世の美女で白人体形でないと誰にも相手にされない


1) 絶世の美女で白人体形のミーヤ
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/f/5/f5bf4f05.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/c/5c689cd7.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/0/50cf5c92.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/1/7/1768255d.jpg


ヘッド:WM #31
https://www.japaneselovetoys.com.au/WM-Sex-Doll-Body-Head-Choose/158cm-Head-31/
https://www.japaneselovetoys.com.au/WM-Sex-Doll-Body-Head-Choose/163cm-Head-31/
https://www.japaneselovetoys.com.au/WM-Sex-Doll-Body-Head-Choose/158cm-L-cup-Head-31/


ボディ:WM161

Height: 161cm
Weight: 36kg
Bust: 91cm
Waist: 60cm
Hips: 84cm
Made from "human touch" TPE
https://www.japaneselovetoys.com.au/Customise-WM-Sex-Doll/161-cm-Sex-Doll/


____


2) 童顔で日本人体形のナナミン
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19268456.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/16525378.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/17736645.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/17736584.html


 ヘッド:アルテトキオ 七海
http://artetokio.com/gallery/a145nanami.html


 ボディ:アルテトキオ Arte145+
身長 145cm
体重 20kg
バスト 85cm
ウエスト 51cm
ヒップ 76cm
材質 シリコーン
http://artetokio.com/products/a145p.html


▲△▽▼


2017年07月03日 ミーヤ で〜す
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18742407.html

ミーヤ で〜す。

Busty dollのところへ遙々やって来ました〜

よろしくねっ

早速、指輪とネックレスを貰っちゃったわ

嬉しい〜

嬉しいのでもっちょっとサービスね

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/f/5/f5bf4f05.jpg


この記事へのコメント

おー外人さんだーw
ダイナマイトバディの迫力がすげーwww
Posted by どんべえ at 2017年07月02日 23:23


ミーヤ ユア ビューティフォー!

Busty dollさん、どんべえさん、みなさんこんにちは
左薬指に指輪・・・人さまのものになったのね ソリャソウダ。

顔ちっちゃい〜っと「昔なら思った」のですが
佐々木希や朝比奈彩クラスを見ると実際にいるんですよね
9頭身、9,5頭身の実女達


小顔のダイナマイトBodyで良いとおもいます
我家の#76も頭身は驚異的ですしw

WM161は足のデザインが163、165よりムッチリだとおもいますので
御美脚の披露も楽しみにしております。
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年07月03日 03:04


どんべえさん
二人目のコンセプト(理想)は、

デフォルメの無い美しさ、
腰のラインというか尻のライン(くびれたウエストからの豊満な尻)、
ブロンド、青い目

でした。


結局、気にしていた体重制限を外すしかなく、外した結果のWM161でした。
目はグリーンが入ってきたので、後から送ってくる、青い目にする予定です^^。いやー、メロメロです。^^
Posted by Busty doll at 2017年07月03日 22:33


栗ちゃんさん
そうですよ。私のものです^^
でも、指輪はナナミン(シリコーン)とお揃いです。公平にね。

まずは#31ちゃんでいこうかと思います。

WM161は首が私の好みより長いのですね。
もう少し顔が大きい方がバランスとれるかな。栗ちゃんの包帯ターバンも試してみようかな。

頭がもう少し大きい方がウィッグも含めてバランスとれそう^^。
足は意外と短いなという印象です。
Posted by Busty doll at 2017年07月03日 22:46
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18742407.html


_____


2017年07月03日 幸せの無限ループ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18743716.html


Busty dollです。


ミーヤ(TPEドール)は来たばっかりのせいか、ブリードが結構出ます。

柔らかいので、いろいろ触りまくると、手にブリードが付きます。

ナナミン(シリコーンドール)を触ってもブリードはあまり出ませんし、出てても逆に汗ばんだ感じで好きなんですが、

ミーヤの手に付いたブリードは気になります。それで手を洗うのですが、


ミーヤを見る

ミーヤのおっぱいに引き寄せられおっぱいを揉む

手にブリードが付く

中性洗剤で手を洗う

ミーヤを見る

ミーヤのおっぱいを引き寄せられ・・・・


と無限ループが回っています。

何回手を洗っているかφ(.. )


この記事へのコメント


ドールあるあるですなw

手を洗わないようにする防衛策はシャツを着せるか手袋をするか・・・ですかね?
でもそれだと味気ないし・・・w
Posted by どんべえ at 2017年07月03日 22:40


どんべえさん
そうなんですよ。触りたいけど触れないなんてへんな感じにフラストレーションが貯まってます
^^; 
Posted by Busty doll at 2017年07月03日 22:53


→お風呂で洗ってあげる

→気持ちをを抑えられなくなる

→洗ってあげる必要が生じる

→念入りに洗ってあげる

→気持ちが高揚してくる・・・

お風呂から脱出できない俺がいる
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年07月07日 00:44


栗ちゃん
それも幸せの無限ループですね^^
Posted by Busty doll at 2017年07月08日 01:02
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18743716.html


2017年07月03日 ミーヤの魅惑のお尻
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18792425.html


Busty dollです。

ご存知おっぱい大好きな私ですが、ミーヤを選ぶ際、お尻にも重点を置きました。

どうぞ。ご賞味ください。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/c/5c689cd7.jpg

どうですか。


横から
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/0/50cf5c92.jpg


もう少し後から
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/1/7/1768255d.jpg


http://road-to-doll.blog.jp/archives/18792425.html

_______


2017年07月04日 悩みどころと解決どころ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18822137.html


Busty dollです。

大人なミーヤがやって来たわけですが、そうするとナナミンが子供っぽいというか幼児というか、

幼さというか未成熟というか、おっぱいはでかいんですが、

それ以外の幼児体型さが際立ってしまいました。

( -д-)ノ

こんな感じです。判りますかね。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/6/1/61df2f0b.jpg


私はロリではないので、困ってしまったんですね。これでいいのかと。結構マジに。

前から見れば、大きなおっぱいでいいのですが、背中から見るとね(ハミ乳はこの際置いといてね)。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/d/2/d2a6ff7d.jpg


色っぽいパンティはかせて見ます。
IMG_0541-2

うーん、幾分ましな位。


隣にいるミーヤがこれですよ。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/c/5c689cd7.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/0/50cf5c92.jpg


姉と妹という域を越えてますね。


うーん ・ ・


うーん ・ ・


うーん ・ ・ ・


そうだ。大人なミーヤはお尻を突き出してるよね。背中を反らしているよね。

これって超色っぽいよね(≧∇≦)


私「ナナミン 背中反らしてみてよ」


ナナミン「こ〜お?」
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/4/d/4da8d692.jpg

キター これだ〜(≧∇≦)


反らさないとこれです。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/2/d/2db37d5a.jpg


反らすとこれです。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/9/d/9de615db.jpg


ナナミン 色っぽくなったじゃないか

これでいいよね( ̄ー ̄)ニヤリッ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18822137.html


▲△▽▼

2017年07月08日 WM161を選んだ訳1
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18923850.html


Busty dollです。


さて、今回は新たにTPEドールを購入した訳、そしてWM161を選択した理由を書きたいと思います。

以前の記事
http://road-to-doll.blog.jp/archives/13551302.html

でも書きましたが、既にシリコーンのナナミンを持っていますが、いろいろ不満がありました。

その中で一番の不満は

お尻が貧弱〜(;´Д`)

という理由です。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/d/2/d2a6ff7d.jpg


ツイッターで懇意にさせてもらっているあるドーラーさんが YL148 とお暮らしなのですが、
この娘のお尻がすこぶる良いのです。(*´∇`*)

YL148の画像(販売店画像の拝借ね)
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/7/5/7533f432.jpg


こんな感じでいい感じなのですが、

そのドーラーさんが撮っている写真は YL148 の魅力を見事に捉えているんです。

もう、参っちゃいましたね〜(*´Д`*)

それで、もう一体欲しくなっちゃったんです。

欲しくなっちゃったんです(*´Д`*)


また、TPEの利点は


1. お口 OK
2. アソコの造形がリアル

というのがあります。


やっぱり、フェラチオしてもらいたいな〜(というかイマラチオか)と思うし、挿入してるところ見てもオナホールだと少し見栄えがよくないのです(;´Д`) 

結構、ビラビラ好きだし(*´Д`*)

そんで、前回ちっちゃいTPEドールを購入しようとして失敗しました(TДT)

それで、今回、お尻がスンバらしいことが条件に加わったのですが、上記利点と、

スンバらしいお尻は柔らかくないといけませんのでTPEを再び選択しました。

ここまでをまとめると


            軍配
お口        TPE
アソコの造形  TPE
お尻の柔らかさ  TPE 
スンバらしいお尻 どっちもあるかな?


となります。

さて、TPEから選ぶわけですが、ナナミン(シリコーン)のところで述べているように、体重が問題です。

重いと腰を痛めるし、いろんな体位ができないし、特にバックができないしといろいろ考えます。

一番は私の腰の問題ですが。

そんで、バックしたいなーで、前回ちっちゃいTPEドールを購入しようとして失敗しました(TДT)

で、今回はスンバらしいお尻がテーマですので身長がちっちゃ過ぎると自ずとお尻もちっちゃくなっちゃいますね〜

そこで、まず、体重から


WM140
https://wmdolls.fr/wm-140/anas-140-d-cup-2.html
https://wmdolls.fr/wm-140


が候補に挙がりました。


WM140スペック

身長140cm
体重23kg
バスト72.5cm
アンダーバスト53.4cm
ウエスト51cm
ヒップ74cm


ナナミンが20kgだから23kgのWM140だったら大丈夫かな〜って感じで。

だが

だが、

駄菓子菓子

WM140で良いのか?

確かにTPEドールだが、スンバらしいお尻なのか?

ツイッターで懇意にさせてもらっているそのドーラーさんは実は WM140 もお持ちなんですね。

それで写真をUPされるんですが、並んだ WM140 と YL148 ではやっぱり違うのです。

そもそも YL148 のお尻に惚れたのですからね〜。

WM140 もいいドールと思います。でも、今回のテーマからは・・・・

うーん。

うーん。

YL148に行くか〜?


YL148
https://www.amazon.co.jp/YL-DOLL%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%AA%A8%E6%A0%BC-%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BA%E5%8F%AF%E8%83%BD-148%E3%8E%9D%EF%BC%8832%EF%BC%89/dp/B07D58TKYD


のスペックを見ると

YL148スペック

身長148cm
体重30kg
バスト82cm
ウエスト56cm
ヒップ88cm


体重30kgね〜

無理、やっぱり無理。

無理だよねー(TДT)

でも、豊満なお尻と体重は比例です。


お尻〜 お尻〜

ムチムチなお尻が欲しい〜


うーん


うーん ・ ・


うーん ・ ・


うーん ・ ・ ・
 

この記事へのコメント

YLっていったら148のリトルダイナマイツですね
容赦ないボンキュッボンに縮小ではないリアルな胴体
実にエロイBODYですよね、重いけどw

ただし、胴体部がちゃんとしすぎていて
撮影角度によっては足が短くなっちゃうのが難しいですよね
幼い系ヘッドを乗せれば、それも又、武器になるのですがねw

目の付けどころが流石でございます、なのだわ。
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年07月09日 15:44


栗ちゃん
いやいや〜、そもそもその方がお尻で選んだってボディですからね〜。
私はその方に影響されただけですよ〜。
その方って、栗ちゃんのブログで栗ちゃんと私の名前でコメントしあった人ですけどね^^ 

WM161も「あれっ 足短いかな」って印象持ちました^^
Posted by Busty doll at 2017年07月09日 16:05
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18923850.html


_____

2017年07月08日 WM161を選んだ訳2
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18925964.html


Busty dollです。


前回は体重で悩んでるところ終わってます(長くなっちゃったんで一回切りました^^;)。

豊満なお尻と体重は比例なのです。

でも 30kgのドールは持てない。
実際ベルドール東京のショールームで 28kgの座っているドールを持てませんでした^^;


うーん


うーん ・ ・


うーん ・ ・


うーん ・ ・ ・

そうだ。この手があるなv( ̄∇ ̄)v

閃きました。この手なら行けそうです。

(この手は別記事で書きますね^^)

よしよし。

体重は関係なしに選んでみよう。 (´▽`)

しかも、体重を気にしなくて良いと、もう一つメリットがあります。

基本的にシリコーンもTPEも肉を付ければ体重が増えます。

大きいおっぱいにすると、当然体重が増えます。

そうすると、どうするかというと、ドールメーカーはウエストを絞るとか

足を細くするとか、おっぱいやお尻以外の肉を削るのです。

そうなると、おっぱいやお尻が大きいデフォルメされたボディーになります。

それはそれでいいのですが、私はすでに Arte145+(ナナミン)を持っています。

Arte145+ もデフォルメボディですね。
TPE のベルドール158もデフォルメボディですがこれも好きです。

デフォルメボディは既に持ってますので、自然な美しさのボディが欲しくなりました。

おっきいおっぱいでスンバらしいお尻で、自然な肉付きでは、当然体重は重くなります。

なので、体重を気にしなくて良いということは

デフォルメしていない自然な美しさのボディが選べるということなのです。

さて、体重を気にしなくて良いので、もう一回 YL148に戻ります。


YL148スペック

身長148cm
体重30kg
バスト82cm
ウエスト56cm
ヒップ88cm


体重30kgね。ふんふん。ど〜んと来い(´∀`)

バスト82cm ん? ナナミンより小さくね。


Arte145+(ナナミン)スペック

身長145cm

体重20kg

バスト85cm

ウエスト51cm

ヒップ76cm


やっぱり、ナナミンよりおっぱい小さいな〜

YL148の画像(販売店画像の拝借ね)
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/d/e/de8f77fa.jpg


写真でみても小ぶりだね。

やっぱり、おっぱいも大きい方がいいな〜(*´Д`*)

現金なものです。でも、しょうがないよね。好きなんだから。

さて、再度検討です。

スンバらしいお尻のデフォルメしていない自然な美しさのボディ。

グルグル(検討中)

(ベルドール158は前から気になってた巨乳ちゃん。でも、デフォルメボディ)

グルグル(検討中)

グルグル(検討中)

これいいんじゃね?


WM161の画像(販売店画像の拝借ね)

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/f/0/f07d1173.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/e/a/eae358f2.jpg


WM161スペック

身長161cm
体重36kg
バスト91cm
ウエスト60cm
ヒップ84cm


お尻が映像としては良くわからないが、胸はGカップということらしい。

肝心のお尻はヒップ84cm。YL148はヒップ88cm。さすがお尻のYL148。

YL148には届かないが、WM161のヒップ84cmは十分でかそう^^。

ウエストは60cmで普通の人のサイズ。まさに、デフォルメされていない美しい体。

でも、体重36kg。

これ、作るのに何も考えていない数字だよね〜。

シリコーンドールは内部に軽いウレタンフォームなどを入れて、低減を考えているらしいが、

中華TPEドールはそんな事を考えるはずもなく、ただ肉を盛り、体重に繋がっている。

さて、WM161はおっぱいもGカップだし、ウエストも普通人の60cmだし、ヒップも84cmだし、

いい感じのボディです。

別記事で書いたけどナナミン(シリコーン)はHカップなので、ナナミンよりはちょっと小さいかもしれない。

でも、バスト91cmだよ〜。おおきいよね〜。

いいじゃないか。いいじゃないか。


WM161と悩んだのがこちら。


OR156Gcup

身長156cm
体重29.5kg
バスト94cm
アンダーバスト64cm
ウエスト59cm
ヒップ93.4cm


OR156Gcupの画像(販売店画像の拝借ね)
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/7/c/7c050217.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/9/1/91c1cb12.jpg


このボディはスペックは申し分ないが、二枚目の背中のラインが気になったんだよね〜。
ちょっと寸胴。もう少し上から下へ絞って欲しかった。腰からお尻のラインはいいけどね。


OR156Hcup

身長156cm
体重31.5kg
バスト98cm
アンダーバスト65cm
ウエスト59.5cm
ヒップ86cm


OR156Hcupの画像(販売店画像の拝借ね)
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/3/53248917.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/b/7/b75a845e.jpg


おっぱいは大好きな感じ。お尻もいい感じ。
ただ、同じORの OR156Gcup の背中と同じラインのリスクがあるね。

全体としてはかなり高評価。

OR doll なので WM doll より値段が高い。
同じ店なら同じ値段だけど、WM doll の方が安い店が選べる。

それとナナミン(身長145cm)で思っているんだけど、身長145cmだと正上位でしてるとキスできないんだよね。

ナナミンの頭が私のあごの下に入っちゃう。してるときキスしたいし、見つめ合いたい。

そうすると、身長が大きい方がいいんだけど、156cmよりは161cmの方がいいかな〜。

また、WM doll も OR doll も同じ系列(同工場での生産)なので、それだったら、まず、業界最大手の

WM を経験しておくのがいいかなー、というのもある。

積極的な理由はあまり無いが、軍配は WM161 の方にいくかな。
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18925964.html


_____


WM161を選んだ訳3
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18927810.html


Busty dollです。


さて、WM161で決まりつつありますが、WM doll は当然直輸入です。リスクありますね〜。

それで、WM161だったら、


ベルドール161でもよくね?

おっぱいから161でもプラスの方ですね。


ベルドール161プラススペック

身長:161cm
体重:33kg
バスト:89cm
アンダーバスト:62cm
ウエスト:55cm
ヒップ:83cm


WM161スペック

身長161cm
体重36kg
バスト91cm
ウエスト60cm
ヒップ84cm


ベルドール161プラスはちょっとウエストを絞り気味ですね。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/b/3/b31cba11.jpg

写真の右端がベルドール161プラスです。

ベルドール東京は dollhouse168 の国内正規代理店です。

日本語で全部済むよなー。商品が来ないってことはないし。

でも、おっぱい触ったらゴムゴムして反発ありすぎてあんまり良くなかったんだよなー。
(だからArte145+にした経緯があるよ)

ん、WM doll はどうなんだ。

同じTPEだよな〜

と、考えてると、良い情報が入ってきました。

WM doll の胸は中空だそうなのです。

ご存知ジジさんのブログの


JapaneseLoveToys のセール情報&日本専用ページきたー! 2017-09-27
https://laladoll11.blog.fc2.com/blog-entry-641.html

に載ってます。


それだったら WM dollの胸柔らかいよね(*´Д`*)


これが決め手で WM161 になりました。

リスクがありますが、商品が気に入ってる WM161 としました。

体重対策にお金がかかるので、安いところで買いたいのもあります。

なので、OR dollよりも安く買えるアリエクの店で買うことにしました( ̄ー ̄)ニヤリッ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18927810.html


▲△▽▼


2017年07月11日 WM doll(WM161)とのエッチ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#cbtm

Busty dollです。


いや〜 WM161 いいです。 すごーく いいです。

(*´Д`*)


一番いいところは下腹部からアソコ周りの肉付きからきていると思うが、正常位の挿入時に自分の下腹部周りがドールのアソコ周りに当たること。

ムスコのみの接触ではなく、周りも体と体が当たるので、もうリアル。リアルセックスでもこういう感じが大好きなので堪りません。尻がでかいドールを選んで良かった〜。WM161はアソコが上付きです。これも要因のひとつかも。足を開かせれば、足で邪魔されることもないです。そして、肉付きがよく柔らかい。柔らかいので体が当たっても気持ちいのです。(*´Д`*)

Arte145+ではこんな感触はありません。下腹部周りがお互いに密着するほど腰が入りません。入ったとしても肉が固めですねArte145+は。

二番目は正常位の状態で私の上半身をドールの上半身にかぶせたとき、ドールのおっぱいの感触が自分の胸で判ること(*´Д`*) 

これは最初にw(゚o゚)w オオー!と思いましたね。Arte145+はこのような感触はでません。

Arte145+の胸が外向きだからなのか、正常位時の私の上半身の向きなのか、Arte145+の身長が低いのでおっぱいと私との相対位置が悪いのか(私のお腹の方になるよね)は判りませんが。おっぱいはWM161の方が柔らかいからおっぱいの固さの問題ではないと思うが。実際のボリュームは同じような感じ。あとはドールの体の厚みの問題もあるのかな〜。


三番目は、二番目の効果と肉の柔らかさとの相乗効果ですが、パンパンしたとき、それに合わせてドールが上下に揺れる(動く)ことです。正常位状態ですから、体の軸方向に動くということです。これがまた、リアル(*´Д`*)

下腹部周りが密着するので、私の体でドールの体を押すことが出来るのですね。かつ、ドールの肉が柔らかいからパンパンに合わせて動くんです。


四番目は、これはほぼ想定どおりですが、身長が大きいドールを選んだので、WM161の顔は正常位の時、私の顔の位置に来ます。

もう少し上の方がいいのですが、私は胴長短足なので、胴の長さを合わしちゃったら、身長で負けちゃうよね。正常位でキスも何とかできますし、上体をかぶせた上体でも目が見れます。

視線を合わせるには少し上体を起こさないといけませんが、上体を手のひらで支えてフルピストン状態ではしっかり視線が合います。

オナホールは付属品で穴径が一番大きいのを使ってますが、そんなに悪くありません。付属オナホールはWM161ボディより実は硬いのですが、具合は悪くありません。当分付属品を使おうかなと思っています。実はいわゆるふわトロ系オナホールは買ったんですけどね(・∀・)つ Arte145+では付属オナホールが余りよくなくふわトロ系オナホールを使ってます。別記事にあるから見てね。

結局、挿入箇所の見栄えは、ガバーッと足を広げるとアソコも広がって、私のスリムなムスコ以上に広がるので、インサートオナホールが見えちゃいます。なので、リアルって程ではないですが、いわゆるシリコーンドールの別体式よりはずいぶんいいですよ( ̄ー ̄)ニヤリッ

もっと大きなビラビラが欲しいな〜(´∀`*)


そもそも、柔らかいおおきい尻を見たい揉みたいで選んだWM161でしたが、期待を上回るボディでした。
(* ̄∇ ̄*)エヘヘ


上記4点は素材のTPEだから可能だという訳ではないと思います。例えば4森シリコーンだと同じように感じれるかもしれません。

でも4森ドールの値段を考えれば、

WM dollはいいですね〜

追記:下腹部周りと書いていますが、正確にいうと局部周りです。土手部分が当たるわけではありません。
    お稲荷さんは当たりますよ(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

この記事へのコメント


体格にもよるのかな?
自分だと椅子に座らせた状態で145の足を開いて合体すると密着出来ました。
合体したままキスも出来るし小胸も胸に当たります。
シリコンの硬さだけはどうにもなりませんがw
Posted by どんべえ at 2017年07月11日 23:06


どんべえさん
対面座位ですか^^

体の柔らかさもあるかもしれませんね。私は相当固いです^^;
Arte145+の胸は外向きなので逃げちゃうせいかもしれませんね。
とにかく主張してこないのですよ。柔らかお肉ははまります。ベルドールはおっぱい固いですが、WM161は中空ですから柔らかいです。Arte145+より柔らかいです。でも、小胸がお好きならベルドールも良い選択肢かもしれません。
Posted by Busty doll at 2017年07月11日 23:40

貴重な実践報告、羨ましく読ませていただきました。

やっぱ身長が合ってると、リアル感満載ですねぇ。
自分の胸に大きなおっぱいが触れる感触はたまらんでしょうなぁ。いいなぁ。

うちのアイカも胸は中空で柔らかいですが、実践するとオッパイは自分の胸の下、おなかのチョイ上あたりだし、少しひらいているので、B地区がずれちゃうんですよね。

お尻が大きいというのも実践上は大きなアドバンテージですね。密着感が違うでしょうから。
Posted by アラン at 2017年07月12日 22:08

4森は良いけど・・・お値段がねぇ〜
中華TPEドールズのコスパは驚異的っす

やっぱこのBodyエロイわwww

163、165からデザイン方向が変わった
最近の大型サイズのさきがけ的モデルですが
かなり見直しされているようですね(良い方向に向かってる)
わがままBody・・・重いけどw

うちの#76に「胸が入らないのだわ」っと言わせるのも良いかもしれない
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年07月14日 20:58


栗ちゃん
コスパ考えると中華TPEいいですよね〜。一体目からの選択はやっぱりきついのが現状ですが。WMを経験するとすごく良さが判りました。B級品でもこれですが、A級品はどうなんでしょうね〜。私はあまり変わらないんじゃないかと思います。

WM161エロイですよ〜。
モデル体型の次はエロ体型に進んでください〜^^
Posted by Busty doll at 2017年07月14日 22:07


こんばんは。
とても気に入ったようですね(゚ー゚)
そんなこと書かれると私も欲しくなるじゃないですかw
大きなビラビラのドールどこか出してたような・・・どこだったっけ?
思い出しておきますねw

一体型はすごくいいですよ。
次はぜひ一体型お勧めします。

うちのスアンを一体型にしてほんと良かったと思ってます。
次からの子もすべてそうするつもりです(^-^)
Posted by Deco8 at 2017年07月15日 20:09


Deco8さん
ビラビラ情報待ってます〜^^
TPEインサートを経験すると、一体型がいいなーと思います。
Deco8さんの決断が羨ましい。

一体型のネックは洗浄ですよね。WM161の重さで風呂に連れて行くことができません。
風呂に持ってけたとしても、洗浄がどうしたものかと。
Posted by Busty doll at 2017年07月15日 21:47

洗浄は営み終わった室内で行いますw
言葉で説明するの難しいけど、ソファに寝かせて足広げて低いテーブルの上に足を置くのです。
お尻は浮いた状態になるのでその下にバケツを置いて準備完了。

中性洗剤をまぜたロングノズル付きのペットボトル専用加圧お掃除スプレーを用意してヴァギナの奥まで注入して一気に吹きつけながら少しずつ入り口まで移動させて洗い出します。2、3回繰り返すとなおよしです。

その後ペットボトル専用加圧お掃除スプレーを水だけのやつに替えて同じ手順で洗剤を洗い流します。

指を突っ込んでヌルヌルが残ってなければ大丈夫かな。
後は吸水性のいいスポンジ?とか突っ込んで水分を吸い取ればいいかな。
よく乾かしておくに越したことはないと思うよ。

結構めんどくさそうだけど意外と簡単に終わりますよ(^-^)
洗浄めんどくさいときはコンちゃん付けましょうw
0.2mmのサガミオリジナル002とてもいいかもw
Posted by Deco8 at 2017年07月16日 17:09


Deco8さん
ロングノズル付きのペットボトル専用加圧お掃除スプレーってどこかに売っているのでしょうか。

部屋で出来るなら一考の価値がありますね。
一体型って具合がいいんだろうな〜。
Posted by Busty doll at 2017年07月16日 18:41


アマゾンか楽天で「富士商 ペットボトル専用加圧式おそうじスプレー ロングノズル付き」で検索するといいですよ。
ただ勢いが弱い報告が・・・水圧弱いと綺麗に洗浄出来ないので注意です。
この商品当たりはずれが激しいかも(^_^;)

手動のやつだと疲れるけど霧状にしてもストレートにしても勢いがあっていいです。
「ダリヤ スプレーヘッド」で検索してね。
一体型を体験すると取り外しタイプには戻れないですね。
Posted by Deco8 at 2017年07月17日 18:35


Deco8さん
おー 情報ありがとうございます。検索してみました。なるほどこれですね。手動の方が勢いがあるのですね。これなら洗浄できますよね〜。うーん、一体型が欲しくなってきたな〜^^
Posted by Busty doll at 2017年07月17日 19:01
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#cbtm

160. 中川隆[-13789] koaQ7Jey 2018年8月14日 20:16:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17878] 報告

ラブドールに見る白人体形と日本人体形の比較 _ 2

ラブドールは絶世の美女で白人体形でないと誰にも相手にされない _ 2


6YE Doll 白人体形 165cm Fカップドール Head 16
https://www.japaneselovetoys.com.au/6YE-Doll-Sex-Doll/165cm-F-cup-Head-16/

6YE Doll 日本人体形 150cm Bカップドール Head 16
https://laladoll11.blog.fc2.com/blog-entry-696.html


白人体形 165cm F Cup Doll Specs:
Weight: 36kg (79.4lbs) - head included
Bust: 91cm (35.8")
Weist: 58cm (22.8")
Hip: 90cm (35.4")
Extra realistic TPE tech
https://www.japaneselovetoys.com.au/6YE-Doll-Sex-Doll/165cm-F-cup-Head-16/


日本人体形 150cm D Cup Doll Specs:
Weight: 26.8kg (59.1lbs) - head included
Bust: 77cm (30.3")
Weist: 52cm (20.47")
Hip: 74cm (29.1")
https://www.japaneselovetoys.com.au/Customise-6YE-Sex-Doll/150cm-D-Cup/

6YE Doll 165cm F-Cup
・・・すばらしいですね!
巨乳&中空洞なだけのことはあります。ぷるっっぷるっです!

F-cupとなってますが、日本サイズ?ではG-cupくらいなんですよね(91-66=25cm)。
乳首が大きいのも◎。

色は指定しまして、確認写真ではまあこ んなもんかとか思っていたら、実物はちょっと異なりOKでした。

さらにお尻です。
・・・・・・もう言うことないです。

今までの娘はアンジェなんかは大きいですが、硬シリコンなのでやたらと硬くもみ心地はないです。

ですが、この娘は90cmなだけあってお肉が多いのでおっぱいと同じくぷるっっぷるっします。

いつまでもんでても飽きの来ないやわらかさです。
寝かせても思ったほどつぶれなさそうです。今のところは。
https://laladoll11.blog.fc2.com/blog-entry-706.html


____


6YEDollの気になるボディ2018/06/12
http://realdolljpn.com/userpage?id=92556


前から気になってるドールがいます。
重量がネックになっていたので諦めていたのですが欲しい衝動が抑えられなくなってきました。
6YEDoll というブランド(メーカー)です。
画像は公式サイトから使わせてもらってます。

https://www.6yedollglobal.com/

ほしい子は
6YEDoll Premium 161cm E-Cup
体重は36kg

うちの OR Doll の美央(みお)が 31kg ほどあるのですが、 30kg超えると妙にずっしり重みを感じるのです。
そこへプラス5kgなんて抱き上げれる自信ないです。
40kg超えてないし少し筋力付ければ何とかなりそうな気がしないでもないので気持ちが揺らいで来てます。


このブランド、結構な美人さんいるのですよ。

今一番のお気に入りのヘッドは可愛いと言うより美人さん♡

Head #N16
https://blog-imgs-117.fc2.com/l/o/v/lovelydoll2017/20180612133144c4e.jpg
https://blog-imgs-117.fc2.com/l/o/v/lovelydoll2017/head-16-blonde-white-8_1.jpg


次にこの子には妙に惹かれてしまったです♡
ウブな感じに見えて惚れてしまいそうです。

Head #N41


この子も美人さん♡
2枚とも同じヘッドです。メイクってすごい!

Head #N7


スリーサイズ
バスト90cm
ウエスト63cm
ヒップ90cm

https://blog-imgs-117.fc2.com/l/o/v/lovelydoll2017/6ye-alluring-premium-tpe-sex-doll-161cm-e-cup-face-n24-10_orig.jpg
https://blog-imgs-117.fc2.com/l/o/v/lovelydoll2017/6ye-alluring-premium-tpe-sex-doll-161cm-e-cup-face-n24-8_orig.jpg
https://blog-imgs-117.fc2.com/l/o/v/lovelydoll2017/6ye-premium-real-sex-doll-bbw-sexy-body-161cm-e-cup-33_orig.jpg


見事なプロポーションなのです。
肉付きがたまらんです。
ウエスト細くデフォルメされたようなボディが多い中ウエスト63cmあれば申し分ないですね。
脚も肉付きいいように感じます。
かなりのリアルボディなんじゃないかなと。
それが惹かれた理由でもあります。


ちなみに、この人のレビュー見て余計に夢中になってしまったのです。


TDFでのレビュー
https://dollforum.com/forum/viewtopic.php?f=383&t=99015


やっぱりほしくなります。どうしましょ(^_^;)
https://realdolladdict.com/2018/03/03/azumi-a-little-sweetness-of-spring/#more-40090


コメント


これはまた

目の毒ですなぁ。
でも、36kgですよね。30kgオーバーなんて10kgの米袋3個分より重いんですからねぇ。
自分の手には負えませんが、毎日見てたら知らぬ間にポチ、っといってしまうかもしれません。
恐ろしきはドール沼ですね。
2018/06/12(21:39) アラン


Re: これはまた

アランさん、ひさしぶりです。

> 目の毒ですなぁ。
目の得になるようにお迎えしたいな(笑)

> でも、36kgですよね。30kgオーバーなんて10kgの米袋3個分より重いんですからねぇ。
> 自分の手には負えませんが、毎日見てたら知らぬ間にポチ、っといってしまうかもしれません。
> 恐ろしきはドール沼ですね。

最近はほしい気持ちが勝ってくると感覚が麻痺してくるようです(笑)
重くても何とかなるんじゃないかって気になってくるんですよね。
ほしい子も増えてきて困ったもんですよ(^_^;)

予定では増えても6人くらいまでと思ってたのですが、それで済みようでない気がしてきました。
ほんと恐るべしドール沼w
2018/06/14(19:46) Deco8


6YEですか

Decoさん こんばんは(^ ^)

あら、4人目は6YEですかぁ。

6YEってウエストとヒップのサイズが良いですよね。
全体的に筋肉質な印象を持ってますが、オッパイは凄く柔らかそうですね(^ ^)

36`かぁ。ギリギリ許容範囲だね(笑)
僕も重さはそこが限界な様な気がします。

ヘッドもなかなか可愛い娘がいますね(^ ^)
2018/06/16(01:13) 白髪ダンディ


クオリティ高いですね

私のドールは32KGあるけど、既に重すぎです笑
でも、このリアルさやクオリティの高さだから欲しい気持ちわかります
2018/06/16(07:48) akira URL


Re: 6YEですか

ダンディさん、どうもで〜す。

> あら、4人目は6YEですかぁ。

4人目にしたいところだけど、まだ確定してないです(^_^;)
4人目はDH168Evo145をと思ってます。
さすがに36kgはきついので、もう少し筋力付けないと…なんて(^_^;)

> 6YEってウエストとヒップのサイズが良いですよね。
> 全体的に筋肉質な印象を持ってますが、オッパイは凄く柔らかそうですね(^ ^)

何よりもウエストサイズが気に入りました。
あとむちむち感のよさげかな…
胸の形も好きなんですよね。
動画見るとおっぱい柔らかそうですよね。
でもD4Eに勝るおっぱいはないと思うのです。まあそんなことは別にいいかな…
チャイナ服がエロ可愛く似合いそうな感じなんでよさげです。

> 36`かぁ。ギリギリ許容範囲だね(笑)
> 僕も重さはそこが限界な様な気がします。

ダンディさんもそうですか。
30kg超えた時点で1kgごとにずっしり来る感じですよね。
筋力は付いてくるだろうけど腰痛めないようにしないとドールライフが終わってしまいますよね(笑)

> ヘッドもなかなか可愛い娘がいますね(^ ^)

それがポイントだったりします(^^)
ただ他のブランドと互換性ないようです。
DH168Evoとはまた違う方式のはめ込み式のようですね。
https://www.youtube.com/watch?v=pPQNY1dPiYY


2018/06/17(10:56) Deco8


Re: クオリティ高いですね

akiraさん、こんにちは。

> 私のドールは32KGあるけど、既に重すぎです笑
> でも、このリアルさやクオリティの高さだから欲しい気持ちわかります

32kgあるのですか…3人目の美央は31kgだけど、すでにこの重さに手こずってます(^_^;)
36kgなんて扱えるのかって不安あるけど、そこはエロパワーで何とかなっていくだろうと甘い考えでいます(笑)
akiraさんのドールちゃんがどんな子か気になりますね。

4人目は今のところこの6YEDollは予定してないのですが早くほしいです。
時間たてば気が変わって他の子に目移りしてしまうかも(笑)
とりあえず次はDH168Evoを考えてます。またよろしくです(^^)
2018/06/17(11:28) Deco8


No title

こんばんは^^
6YEはいいですよね。でも、入手ルートで止まって、今はあきらめてます^^; フランスから買ったツワモノもツイッターでいらっしゃいましたね。

161cmはおっぱいサイズでそんなに注目してなかったですが、確かにお腹の陰影がリアルですね。他のドールには無い作りです。この子もいい感じだね。
2018/06/24(20:53) Busty doll


Re: No title

Bustyさん、もうすぐこんばんはです。

> 6YEはいいですよね。でも、入手ルートで止まって、今はあきらめてます^^; フランスから買ったツワモノもツイッターでいらっしゃいましたね。

フランスと言うか代理店からだと思います。
そもそも6YEDollは中華ドールなんで発送も中国からのはずなんですが、なぜかフランスを意識しているようです(^_^;)

入手ルートはThe Silver Dollでも161cm注文出来るようになりました。
私は公式サイトから予定してます。
でも今の時点で36kg抱き上げれる自信ないんですよね(◜﹏◝)


> 161cmはおっぱいサイズでそんなに注目してなかったですが、確かにお腹の陰影がリアルですね。他のドールには無い作りです。この子もいい感じだね。

そうなんですよ。リアル体型なんで気に入ってます(^^)
おっぱいの形も好きで動画見てからさらに惹かれてしまいましたよ(*^.^*)
2018/06/26(18:01) Deco8
http://realdolljpn.com/userpage?id=92556

161. 中川隆[-13772] koaQ7Jey 2018年8月15日 18:15:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17878] 報告

白人体形と日本人体形の比較


2017年07月30日 ミーヤでーす ナナミンでーす
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19465679.html


1) 絶世の美女で白人体形のミーヤ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/26018516.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19673584.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18792425.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19936045.html
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/c/5c689cd7.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/0/50cf5c92.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/1/7/1768255d.jpg


ヘッド:WM #31
https://www.japaneselovetoys.com.au/WM-Sex-Doll-Body-Head-Choose/158cm-Head-31/
https://www.japaneselovetoys.com.au/WM-Sex-Doll-Body-Head-Choose/163cm-Head-31/
https://www.japaneselovetoys.com.au/WM-Sex-Doll-Body-Head-Choose/158cm-L-cup-Head-31/


ボディ:WM161

Height: 161cm
Weight: 36kg
Bust: 91cm
Waist: 60cm
Hips: 84cm
Made from "human touch" TPE
https://www.japaneselovetoys.com.au/Customise-WM-Sex-Doll/161-cm-Sex-Doll/


____


2) 童顔、日本人体形でバストだけを不自然に大きくしたナナミン
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19268456.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/16525378.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/17736645.html
http://road-to-doll.blog.jp/archives/17736584.html


 ヘッド:アルテトキオ 七海
http://artetokio.com/gallery/a145nanami.html


 ボディ:アルテトキオ Arte145+
身長 145cm
体重 20kg
バスト 85cm
ウエスト 51cm
ヒップ 76cm
材質 シリコーン
http://artetokio.com/products/a145p.html

2017.11.24
ナナミンは他家へ嫁ぎました。
http://road-to-doll.blog.jp/archives/9602383.html#comments

▲△▽▼


2017年07月04日 悩みどころと解決どころ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18822137.html


Busty dollです。

大人なミーヤがやって来たわけですが、そうするとナナミンが子供っぽいというか幼児というか、

幼さというか未成熟というか、おっぱいはでかいんですが、

それ以外の幼児体型さが際立ってしまいました。

( -д-)ノ

こんな感じです。判りますかね。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/6/1/61df2f0b.jpg


私はロリではないので、困ってしまったんですね。これでいいのかと。結構マジに。

前から見れば、大きなおっぱいでいいのですが、背中から見るとね(ハミ乳はこの際置いといてね)。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/d/2/d2a6ff7d.jpg


色っぽいパンティはかせて見ます。
IMG_0541-2

うーん、幾分ましな位。

隣にいるミーヤがこれですよ。

http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/c/5c689cd7.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/0/50cf5c92.jpg


姉と妹という域を越えてますね。


うーん ・ ・

うーん ・ ・

うーん ・ ・ ・

そうだ。大人なミーヤはお尻を突き出してるよね。背中を反らしているよね。

これって超色っぽいよね(≧∇≦)


私「ナナミン 背中反らしてみてよ」


ナナミン「こ〜お?」
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/4/d/4da8d692.jpg

キター これだ〜(≧∇≦)


反らさないとこれです。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/2/d/2db37d5a.jpg


反らすとこれです。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/9/d/9de615db.jpg


ナナミン 色っぽくなったじゃないか

これでいいよね( ̄ー ̄)ニヤリッ
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18822137.html

▲△▽▼


2017年07月30日 WM dolls の WM161 とアルテトキオの 145+ の比較1
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19468852.html

Busty dollです。

さて、今回は表題どおり、WM161 と Arte145+ を比較します。
最初に、身体数値を見てみましょう。

【身体数値】

WM161
身長161cm
ボディーカラー:white
体重36kg
肩幅36cm
バスト91cm
アンダーバスト67cm(出典異なる)
カップGcup
ウエスト60cm
ヒップ84cm
足のサイズ22cm
*数値は販売店公開数値

アルテトキオ145+
身長145cm
ボディーカラー:ホワイト
体重20kg
肩幅31cm(実測)
バスト82cm(実測)
アンダーバスト54.5cm(実測)
カップHcup(実測)
ウエスト51cm
ヒップ76cm
足のサイズ20cm
*メーカー公称値バスト85cmは乳首含めた値、実測値は乳首下で測った
*肩幅はWM161が公開数値と合うように測った

さて、個別に比較しましょう。

【肌の色の比較】

同じホワイトですがかなり違います。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/0/b/0bed57ae.jpg

WM161はいわゆる白人の白さですね。ちょっと黄味が入った白。ブロンドが良く似合います。
Arte145+はピンクですね。実はArte145+をお迎えしたときはピンクだなーと思ったんですが、
その内、日本人の色白に見えてきました。

Arte145+しかいないときは色白だなーって思っていたのですが、WM161をお迎えして、Arte145+ってこんなにピンクなんだなーって気がつきました。

ホワイトバランスが脳内変換してたんですね。写真で公開している様にカメラでもArte145+ だけだとホワイトバランス調整でもっと白いですね。
こんな感じになります。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/8/2/82f1ffa1.jpg


【体格の比較】

身長差が物語っているように、体格がかなり違います。
大人と子供という感じです。現実には身長145cmの大人の女性もいますが、数値的には平均身長145cm は小学校5年生です。
WM161 の体格ですと、かなり存在感があります。いろいろな理由で WM161 を選びましたが満足がいく体格です。

Arte145+ は子供ですが、ここに強力なおっぱいサイズがあります。Arte145+ は Hcup です。写真でも WM161 より若干大きいのが判ると思います。
しかし、Arte145+ は肩幅が 31cmとかなり小さいです。お尻は、まあ、小ぶりといえる世界ですが、肩幅(及び胸の横幅)が小さいです。

続きます

では
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19468852.html

_____________


2017年07月31日 WM dolls の WM161 とアルテトキオの 145+ の比較2

Busty dollです。

比較の続きです。どこから行きましょうか。私が話すのですから

まずは、おっぱいでしょうか

【おっぱい】

端的に言いましょう。順列は、

柔らかくない ベルドール東京(中実)< アルテトキオ < WM doll(中空) 柔らかい

です。

以前にも話をしましたが、TPEドールであるベルドール東京のドールのおっぱいはゴムゴムしてて反発が強く揉み心地は良くありませんでした。昨年ベルドール東京のショールームで触った実感です。

それよりはアルテトキオの方が揉み心地は良好です。力は要りますが揉んでる感じがしますし、揉んでると柔らかくなります。

おっぱい以外は断然 TPEドールのベルドール東京のドールの方がアルテトキオより柔らかいです。お尻も太ももも二の腕も。

おっぱいに戻りますと、WM doll は基本的に胸は中空です。中空と聞いて購入に至りました。で、実際揉んでみて、

WM 柔らかいぞー(*´Д`*)

アルテトキオは揉むとき力が要りますが、WM161 のおっぱいは軽い力で揉めます。

おっぱいはアルテトキオでその他はベルドール東京のドールがいいなってある意味ジレンマでしたけど、WM161 でおっぱいもお尻も太ももも二の腕も皆柔らかく、解決してしまいました。

TPE は柔らかいので、よく、画像でプルプル震えてる映像があります。確かにそうなります。
しかし、重要なのはそこではないのです。重要なことは、正常位で突くと、突く度におっぱいが揺れるのです。

重要なのでもう一回言います。

突くと揺れるのです。(*´Д`*)

ユッサユッサでなく、プルップルッという感じですけどね。
アルテトキオは突いても揺れません。

さて、造形ですが、

http://road-to-doll.blog.jp/archives/19486640.html

アルテトキオの方がちょっと開き気味ですかね。Arte145+ の方が気持ち大きいです。
でも、WM161 の方が縦には長いかな。気持ちね。

乳首の造形ですが、結構違います。WM161 は乳首の先が少しへこんで、見た目かわいらしい。
乳輪サイズは WM doll は選べますが私の好みで小さめ。
吸うと伸びます。伸ばして遊べます。手で摘んでも同じです。
乳輪は少し段差があり角度が変わっています。よく見ると乳輪部にぽつぽつがあります。
色味はピンクにしたのですが、結構いい色合いと思います。私のモニターでは写真と同じです。

梱包箱に入っている写真の乳首はどぎついピンクに写っていますが実際は好ましい色合いです。
WM doll はモデルによって形状は変わるようですが乳首/乳輪の色と乳輪の大きさが選べます。


Arte145+ も系統は違いますが、これも、実は好きなんです(*´Д`*)
乳首は大きめというか太め。かなり主張しています。形状は単純で乳輪は塗装です。この塗装がうまい。

アルテトキオは乳首/乳輪の色及び大きさは指定できません。なので購入時に塗装が変わる可能性があります。アルテトキオは結構塗装が変わるのでできれば確認した方が良いですね。

乳首は摘んで遊べます。でも、摘んでると塗装が剥げます。塗膜とシリコーン皮膚の堅さが違うからなのですが、なんともならないでしょうね。上の写真は一部塗装が剥げてます。

引き伸ばすのが一番剥げ易いですね。
摘んでるだけなら、そんなに変わらないかもしれません。
吸って伸ばす事はできません。

続きます

では


この記事へのコメント

オッパイは大きさも大事ですが、柔らかさも大事です。
これは、おっぱい星人としては、非常に大事なところですよね。
ゴムの塊みたいなオッパイではモミモミしようという気が半減しそうですもん。


>WM161 は乳首の先が少しへこんで、見た目かわいらしい。

オッパイは大きくて、乳首が可愛いというのは最高ですやん。
我が家のアイカはそこまでの造形がないので、さうが WMさんかなと思います。
Posted by アラン at 2017年07月31日 18:35


おっぱいはやはり柔らかい方がいいですね^^
造形の方は各社特徴がありますから、どこに重き(フェチ度)を置くかですよね〜。
たまたま、今回は大手の WM を選んだ経緯もありますが、すっかり WMファンになってしまいました。^^
Posted by Busty doll at 2017年07月31日 19:24


ミーヤちゃんの美しさ・・・こりゃ凄いわ
ナナミンのおっぱいは This is 破壊力。

おっぱいに気を取られますが 161BODY の腰まわりも
かなりエロイっ!
仕上げの雑さや指に問題があっても10万半ばで
このドールを日本に届ける中華の勢いはすさまじいのだわ。
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年07月31日 21:19


そうなんですよ。腰まわりまで行かないと WM161 の魅力は語りきれません。
仰るとおり10万半ばで手にはいる魅力はすごいものです。追々語りたいと思います^^
Posted by Busty doll at 2017年07月31日 21:50


WMDoll のおっぱいに感動出来てよかったです。
でもおっぱい大好きな Bustyさんには D4E のスアンちゃんのおっぱいを揉ませてあげたいな。
更なる柔らかさに思わず吸い付いてしまうかもしれないですよw

スアンちゃんのおっぱい揉みだすと WM の萌瑠ちゃんのおっぱいが硬く感じます。
WM の TPE の柔らかさはうちの子と今も変わってないはず。もちろん中空です。
スアンちゃんはプルプルよりユッサユッサに近いかもしれません。
なので最近は萌瑠ちゃんのおっぱい揉んでませんw

今後 WMDoll も改良されていくと信じております。ミーヤちゃん可愛がってやってくださいね(^-^)
Posted by Deco8 at 2017年08月05日 20:10


なんと、スアンちゃんは「ユッサユッサ」ですか。うらやましい〜^^ 
そうすると今 D4E が世界でもっともリアルなおっぱいを提供しているんですね。
でも D4E もこれからは日本代理店経由なんですよね〜。どこかも知らないです〜。
日本代理店が「安心」より「高い」に聞こえてしまうようになってしまいました^^; 
ミーヤかわいがってますよ〜^^
Posted by Busty doll at 2017年08月05日 23:24


日本代理店は高いですよね。「PERFECT BODY ラブドール」で検索してもらえたら出てくると思います。

揺れるおっぱい|新感覚ラブドール【PERFECT BODY】
https://www.perfect-body.info/

正規品ラブドール販売 Doll4ever(Dollhouse168)
http://realdolljpn.com/?ca=40

amazon.co.jp Doll4Ever ホビーストア
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dhobby&field-keywords=Doll4Ever


Doll Forever(D4E) が取引先になるので、個人輸入出来ないように止めたのかもしれないです。そうしないと自分らは利益に繋がらないですからね。
そうなる前にスアンちゃん買っててよかったなと思ってます。
でも倍以上の価格設定は納得出来ないですよ。それでも故障したときの修理などのサポートが確実なものなら高くても代理店として利用する価値ありますけどね。
そのへんは聞いてみないことにはわからないですね。
いずれにしても個人輸入で安く買うためにも日本代理店なんてこれ以上増えてほしくないです。
Posted by Deco8 at 2017年08月06日 13:18

情報どうもありがとう。ググって見ました。確かに2倍ですね。
しかし、修理対応はしないと書いてあります。初期不良をどう対応してくれるかでしょうか。

画像みました。ゆれるおっぱいと書いてある通りブルンブルンしてましたね。やっぱりスアンちゃんもユッサユッサなんですね〜。羨まし過ぎる〜。

本当、Deco8さん、ナイスタイミングでしたね〜。
D4E はグラマラス系が無いんですよね〜。165cmだとDcupです。
一人目にこれらの子が選択肢に入っていればな〜。ショールーム無いからな〜。
日本代理店で値段が倍以上ならショールーム位欲しいですね。
ショールームがあるから、アルテトキオもベルドール東京も売れてるのですからね。
Posted by Busty doll at 2017年08月06日 14:11
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19486640.html


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2017年08月06日 おっぱい比較論
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19625386.html

Busty dollです。


実際の自分の経験と確かな筋による情報でおっぱいの柔らかさについて話したいと思います。

ドールは順不同で

1.WM dolls
2.ベルドール東京(Dollhouse168)
3.アルテトキオ
4.Doll forever

を挙げます。1と3 は私が持っています。2 は私がショールームに行きました。
4 は WM dolls と Doll forever を持ってる方から聞きました。


結果は柔らかい順に

Doll forever
WM dolls
アルテトキオ
ベルドール東京(Dollhouse168)

となりました。実は Doll forever って柔らかいらしんです。
ユッサユッサって揺れる感じらしいですよ。

Doll forever と WM dolls はおっぱいが中空です。
Doll forever は中実も選べます。
Doll forever と WM dolls はおっぱいが中空なので柔らかいのですね。
でも WM dolls は揉んでるとポコポコ音がします。
Doll forever はその音はせずにしっとりとした感じだそうです。
私の経験では WM dolls がやっとおっぱいになったと思っていますが、その上を行きそうな感じですね。

アルテトキオはシリコーンとしては柔らかいんじゃないかと思います。
ベルドール東京(Dollhouse168)は中実なのでゴム鞠みたいですね。
ベルドール東京(Dollhouse168)は柔らかい新素材を出しているようですが評価がでてくるのを待ちたいと思います。

ここには載せておりませんが、オリエント工業は一番硬い印象を持ってます。
その分耐久性がハンパ無いようです。
4woods は皆目判りません。柔らかい印象を持ちます。



この記事へのコメント

Doll forever を日本代理店?の PERFCT BODY で購入したアランの感想です。
まぁ、他のオッパイを持ってないのでなんとも言えませんが、我が家の AIKA のオッパイは結構柔らかいですよ。特に夏場は滅茶苦茶柔らかいです。もちろん本物のような触感ではないですけど。ゴムゴムっぽくはないかな。

揉んでると音まではしませんが、中空間を感じる時もあります。でも意識しなければ気が付かない程度ですね。

Busty dollさんの比較から行くと、最初に一番よさげなオッパイを購入したことになるので、これ以上を狙うとなるとしばらく待つしかないかもですね。
オッパイ星人としては、本物なみのオッパイを持つドールが出てきて欲しいです。
Posted by アラン at 2017年08月07日 18:13


意識すれば感じる程度の中空おっぱいということですね。やはりレベルが高いと思います。
ユーザーとしてはもっとレベルの高い所を要求したいですよね。
現状では、箇所別に素材を分けてくれたらなーと思います。
Posted by Busty doll at 2017年08月07日 20:01


4森は「むにゅっ」として気持ち良いですよ
別素材封入10年以上の実績は凄いっす
でも・・・値段も凄いっす、体重も中華並みだし
中華の進化に期待したいと共に
日本のメーカーにも頑張っていただきたいもんですにゃん♪
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年08月08日 01:28

やっぱり4森は別格ですか。
オリエントは穴無しを出して迷走してますし、まずは 4森に頑張ってもらいましょう。
Posted by Bustydoll at 2017年08月08日 17:43
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19625386.html


_____________

2017年08月06日 WM dollsのWM161とアルテトキオの145+の比較3
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19538370.html

Busty dollです。

次はお尻と言いたい所ですが、時間が掛かりそうなので他の所に行きます。

【手】

手は WM161 の方が大きいですね。体格から当たり前ですが。Arte145+ に慣れてたため、最初は「でかっ」って思いましたけど体格からしたら普通でしょうね。
WM161 の方がスキンが柔らかいので骨格をよく感じてしまいます。
指の骨は WM161 の方が太いです。
WM は全体的に関節が硬いことで評判ですが、うちの WM161 も硬いです。

そのため、手首を回すのが怖いくらいです。 スキンが柔らかいため手の骨格が回らず肉だけずれる感じがするので注意してまわす必要があります。ラブドールの関節の取り扱いを知らない初心者だったら一発で裂けさせそうです。

Arte145+ は右手4本の指が既に骨折しています(家に着いてから八ヶ月位かな)。
シリコーンでも TPE でも指の骨の付け根が折れやすいですが、Arte145+ は二本位途中で折れてます。私はポージングをあまりやらないんですけどね。
WM161 の方が指の骨は太いので途中骨折は少なそうです。

http://road-to-doll.blog.jp/archives/19538370.html

WM161 の方が関節の皺が多く深いですね。
Artte145+ は皺は少なく浅いですが、その分塗装でリアルさを出しています。
パーティングラインのバリはどっちも仕上げが悪いです。
Arte145+ は値段がこんだけするのならちゃんと仕上げとけって感じです。
Arte145+ の人差し指の付け根の下のテカりは補修痕です。なんでこんなところが裂けるのかって感じですけど。でもシリコーンは補修は楽です。接着剤を塗るだけで済みます。

マニキュアは WM161 の方が濃いですね。

両方とも手相はあります。Arte145+ の方が塗装で雰囲気を出そうとしています。
でも、個人的には指先の色はいらないかな〜。
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19538370.html

______

2017年08月12日 WM dolls の WM161 とアルテトキオの 145+ の比較4
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19696334.html

Busty dollです。


さて、次は、足です。

【足】

数値的には以下の通りで Arte145+ の方がやはり小さいですね。
全て実測です。
足首の太さは「オラオラ」ってする時には重要な数値ですので載せておきました。

WM161
足首周り17cm
足の大きさ22cm

Arte145+
足首周り15.5cm
足の大きさ19cm

左側Arte145+ 右側WM161
IMG_0715-2

Arte145+ は人差し指から小指までつながっています。WM161 は全部独立。
ペディキュアは Arte145+ は選択できません。一応、マニキュアと同じ色のものが付いてました。
WM161 はペディキュアの色は結構選べます。私は色白に映える派手な赤選びました。
注文選択時のサンプルの写真の色は判別が難しいですが、勘が当たっていい色を選べました。v( ̄∇ ̄)v

WM161 は親指のみ骨があります。 Arte145+ は足指全て骨がありません。


足の表側の拡大
WM161
IMG_0712-2

Arte145+
IMG_0714-2

足裏の写真
WM161
IMG_0691-2-2


Arte145+(背景のおっぱいに目を奪われないでね(´∀`*)
IMG_0741-2

Arte145+の足裏はもはや指とは言えない状態ですね。
足裏フェチの人はお気を付けを(; ̄Д ̄)



この記事へのコメント

うーーー修行が足らないのかなぁ〜
おっぱいがおっぱいでおっぱいしか目に入らなかったです
いいおっぱいだと思いましたw
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年08月12日 23:54

なるほど、
普段から、おパンツしか履かないミーヤちゃん!
だから、服着た姿を見たこと無いのね、
そりゃ、おっぱいでっぱい胸いっぱいなのです^^

あっ!足の話だったね。
うちの子達も、ミーヤちゃんと同じくバラバラで、
たまにハープを弾くように、足指をポロンポロン触って楽しんでます。
それとは逆のアルテさんの 4指が繋がっているのは知っていましたが、
裏がこんな状態だったとは...
これでは、踏まれても興奮度が半減しちゃいますよー
足裏フェチの為にもアルテさんには頑張ってもらいたいですね。
Posted by グリグリ at 2017年08月13日 08:22


私も色んな所を触るのが好きで、足先も良く触って喜んでます。(≧∇≦)
だから、スタンディングオプションはつけません。
グリグリさんは足裏フェチでしたか〜。
今回比較の為 Arte の足裏をまじまじ見て Arte の現状に驚いちゃいました。
Posted by Busty doll at 2017年08月13日 08:59


どんべえは ARTE の指でも気にならないなー
写真のように広がるより揃ってる方が好きですし大抵パンストや靴下ですしね。
ただ難点はパフパフしてる時に指の裏の間にパウダーが溜まるんです。
まあ特に支障があるわけではないので困るわけでもありませんがw
Posted by どんべえ at 2017年08月13日 11:11

えっと、私は足裏フェチではありません。
ごめんなさい。ちょっと勘違いする書き方でしたね><
フェチは、
ソックス・タイツ・ストッキング(ガータ含む)が好き♪
特にオーバーニー等とミニスカ・ショーパンの組みあわせが好きです。
↑絶対領域がたまらないです。
総じて脚フェチですかね?
後は、チラリズムと着エロですかね><
もう、立派な変態紳士です^^;

どんべえさんへ、
アルテの4指が揃っているのは私も楽で良いと思います。
(うちの子みたいに下手に怪我しなくて済むし...)
表面のディティールが良く出来ているのに、
裏面も表面と同じようなディティールにして欲しいなぁーと思いました。
Posted by グリグリ at 2017年08月13日 12:09


どんべえさん
ストッキング履いてたらわかんないですよね〜。どこまで気になるかはひとそれぞれですからね〜。
足裏までパフパフするんですね〜丁寧だわ〜
足指注目するなら、耳も出さなきゃだなぁ(^O^)
Posted by Busty doll at 2017年08月13日 12:15

To Busty dollさん
>足裏までパフパフするんですね〜丁寧だわ〜

え?全身くまなくしないんですか???

To グリグリさん

>表面のディティールが良く出来ているのに、
>裏面も表面と同じようなディティールにして欲しいなぁーと思いました。

普段見えない部分なのでそんなに凝る必要はあるのかなー?
それをいいだすと耳や鼻の方が重要ではw
Posted by どんべえ at 2017年08月13日 13:57

グリグリさん
足裏フェチではありませんでしたか。すみません。
絶対領域派ですね。\(*^▽^*)/ワ〜イ
Posted by Busty doll at 2017年08月13日 23:52


どんべえさん
パフパフは気になるところだけが多いです〜(≧∇≦)
Posted by Busty doll at 2017年08月13日 23:55

自分もオッパイにしか目が行きませんでした。
足とか足首は実践中によく触ったりするのですが、足の指は気にしてなかったなぁ。我が家の AIKA は骨格なしの独立タイプとでも言えばいいのかな、です。
Posted by アラン at 2017年08月14日 08:55


足の造形は各社特徴がありますよね〜
TPE系は基本分離タイプなのかな。
Posted by Busty doll at 2017年08月14日 11:56
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19696334.html

_______


2017年07月03日 ミーヤの魅惑のお尻
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18792425.html

Busty dollです。

ご存知おっぱい大好きな私ですが、ミーヤを選ぶ際、お尻にも重点を置きました。

どうぞ。ご賞味ください。

IMG_0517-2

どうですか。

横から
IMG_0525-2


もう少し後から
http://road-to-doll.blog.jp/archives/18792425.html

______


2017年08月20日 ミーヤの魅惑のお尻2
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19936045.html

Busty dollです。


ちょっと忙しいのでお尻比較はまだできてません。


ので、とりあえずミーヤのお尻自慢二回目。


どうぞご賞味ください。

丸いですね(´∀`*)
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19936045.html

ちょっと引いて。腰からのライン(*´Д`*)
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/b/5b273a01.jpg


この記事へのコメント

うぅ〜ん。でっかいお尻、たまりませんなぁ。
すいません、後ろからアナルに一発、などと思ってしまいました。
Posted by アラン at 2017年08月20日 15:28


まさに「どぉ〜〜ん」て感じの迫力ですなあ・・・

ARTE160 ではバックで一度だけ合体に成功したのですがそれ以来何度挑戦しても上手く合体できない・・・
TPE ではどうでしょう?
Posted by どんべえ at 2017年08月20日 15:42


うん迫力あるにゃ〜
実に女性らしいです、こりゃ良いものです、間違いない!

YL が下のお口と後ろの穴の位置を改良したようです
WM系は予告なしでマイナーチェンジするから
買い時が難しい・・・まぁ〜欲しい時が買い時なんですけどねw
Posted by 栗ちゃん@クローン計画 at 2017年08月20日 19:54


アランさん
バックからいきたいですよね〜。
でも、重いので、まだ、出来ていないんです^^;
アナルだと洗浄器が必要ですね〜 買おうかな〜^^
Posted by Busty doll at 2017年08月20日 21:22

どんべえさん
迫力ありますよね〜 誘惑されっぱなしなんですよ〜
でも、まだ、バックからはチャレンジしてないんです。
重いので怪我させそうだし。
でも、この誘惑に負けてますので、チャレンジはしようと思ってます。
WM161 は結構背中が反るので、上付きですが、いけそうな感じがします。^^
Posted by Busty doll at 2017年08月20日 21:33


栗ちゃん
このお尻が欲しくて選びました^^
私、次は、アソコがビラビラな娘が欲しいのですが、WM のニューモデルはその傾向が
あるようですね。WM172 はアソコが素晴らしい^^
でも、大きく重いのですよね〜。悩みどころです。
WM168 はリアル系ですがビラビラが少し足りないような。
WM161 がマイナーチェンジでビラビラだと買い換えるという手もありますね。
どの辺がマイナーチェンジしてるか栗ちゃん情報あります?
WM170Hcup はマイナーチェンジしたという情報は手に入れました。リアルになったようです。
YL の改良も興味深いですね。どこかに改良後の写真ってあります?
実は二、三週間前位は WM170Hcup をポチりそうでしたが我慢しました^^;
Posted by Busty doll at 2017年08月20日 21:46

イイッ!
実にすばらしいお尻です。
こんな素晴らしいお尻で窒息死しても文句はありません。

Busty dollさんのコメ内の情報みたら
次の買い時が、本当に難しいなぁー><
栗ちゃんの言う「欲しいときが買い時」
電化製品だと、コレで失敗は無かったケド、
ドールは失敗だらけだったので、
慎重になっちゃうなぁー、
待てば、良いのが色々と出てきそうだし...

だれか、教えてエロい人!

とりあえず、人柱をいっぱい踏み続けていきます。
Posted by グリグリ at 2017年08月20日 23:47

グリグリさん
ありがとうございます^^
また、人柱率先ありがとうございます^^
この間、酔っ払いの夢の中で、「カメラよりはドールだろ」との結論がでましたので
秋口にはポチるかもしれません。(欲しいカメラは現状13万強です^^;)
それまでにはいろいろとエロ情報を集めたいと思ってます^^
エロ先生 教えて!
Posted by Busty doll at 2017年08月21日 22:25


凄い迫力のお尻ですね。
尻フェチにはたまらない後ろ姿です!
Posted by 白髪ダンディ at 2017年08月24日 13:18


白髪ダンディさん
こんばんは。
そうです^^ このお尻のためにお迎えしました^^
Posted by Busty doll at 2017年08月24日 22:43
http://road-to-doll.blog.jp/archives/19936045.html

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2017年08月26日 WM dolls の WM161 とアルテトキオの 145+ の比較5
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20074472.html

Busty dollです。

今回はパーティングラインのお話。

WM161 はパーティングラインがほとんど見えません。これは素晴らしいです。(*´Д`*)
このおかげで、ドールが女性に見えてきます。(*゚▽゚*)
Arte145+ はパーティングラインがはっきり太く見えます。
Arte145+ だけの時は脳内変換で見えなくしていましたが、両方いるともうだめです。
Arte145+ のパーティングラインが目立ってしょうがないΣ(´д`;)

特に私は裸のままでいさせてますのでね。
服を着せればまた違うのでしょう。

Arte145+
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20074472.html

WM161
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20074472.html

この違い大きいです(; ̄Д ̄)




この記事へのコメント

なん・・・だと・・・
シリコンとは製法が違うんかな???
Posted by どんべえ at 2017年08月26日 23:13

詳しくは判りませんが、TPE の方がパーティングラインの除去がしやすいと聞いたような記憶があります。

TPE は熱で溶かせますので、半田コテのようなもので処理してるとか。
シリコーンは切るだけで、肌まで傷つけちゃうと商品にならないのでぎりぎりまで攻めれない。
これは両方にいえると思いますが、シリコーンでは金型はパーティングラインでのバリの出方をどこまで許容するかで型寿命が決まるらしいので、型初期のロットはパーティングラインの出方が小さく、型後期のロットはパーティングラインの出方が大きい。メーカーは型寿命を延ばしたいので当然パーティングラインの出方が大きい製品の方が多く出回るという構図になります。
Posted by Busty doll at 2017年08月27日 09:10


ヒートガン(ホットガン)を使って簡単にTPEのパーティングラインを除去しているDH168 の動画で見たことあります。
Posted by グリグリ at 2017年08月27日 13:56

グリグリさん
ありがとうございます。
ヒートガンでしたか。聞いただけなのでうるおぼえでした。
Posted by Busty doll at 2017年08月27日 14:40
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20074472.html

__________


2017年11月24日 WM dolls の WM161 とアルテトキオの 145+ の比較6
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20784291.html

Busty dollです。


さて、最終回は背中とお尻です。

もっと、いい比較写真を撮ろうかと思いましたが、なかなか撮れないので記事にしちゃいますね。


背中とお尻はこの二体の違いを大きく映しています。

Arte145+ は子供体型に巨乳を加えたタイプ
WM161 はそもそも巨乳大人タイプ

Arte145+
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/f/a/fa48e5b8.jpg

陰影は美しくよいのですが、子供体型です。

WM161
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20784291.html


WM161は華美な陰影はありませんが、十分リアルで舐めたくなります。(*´Д`*)

大人体型です。ロングの髪を横に流すとたまりません。

ロングの髪をそのまま垂らすとこんな感じ。
http://livedoor.blogimg.jp/bustydoll/imgs/5/b/5b273a01.jpg

いかがだったでしょうか。

体重を抑えるためにメーカーもいろいろ体型の工夫はしています。

Arte は 145cm ならおっぱいは置いておいて子供体型だろうというコンセプトでしょう。

WM の 145cmサイズは実際見たことはないのでわかりません。どうなんでしょうね〜

等身大に興味ある方はそのリアル感を大事にされると思いますが、私もそうです。

背中も結構気になりますが、背中の写真はなかなか販売店/メーカーも出してくれないのですよね〜。

では。

追記

Twitter の方で、肩幅に言及されている方がおられましたので、スペックを再掲(一部更新)します。

Arte145+ の肩幅は 31cm程です。かなり肩幅が狭いです。
これも子供体型たる所以です。

WM161
身長161cm
ボディーカラー:white
体重36kg
肩幅36cm(37cm実測)
バスト91cm(実測同じ)
アンダーバスト63cm(実測)
カップGcup
ウエスト60cm(実測同じ)
ヒップ84cm
足のサイズ22cm
*数値は販売店公開数値

アルテトキオ145+
身長145cm
ボディーカラー:ホワイト
体重20kg
肩幅31cm(実測)
バスト82cm(実測)
アンダーバスト54.5cm(実測)
カップHcup(実測)
ウエスト51cm
ヒップ76cm
足のサイズ20cm
*メーカー公称値バスト85cmは乳首含めた値、実測値は乳首下で測った



この記事へのコメント

背中からの絵って、ホントにないですよね。
WM doll ちゃんは背中もセクシーだし、なんと言ってもお尻の迫力がたまりませんねぇ。でも、おじさんはアルテの子供っぽい身体もいいなぁ。

個人的にはキューティーハニーみたいにオッパイが大きくってお尻の小さな女子が好みです。もちろん、ロリ専ではないので、WMちゃんみたいな破壊力抜群のボディも大歓迎です。(結局、どちらも好きです)
これからも、エロ可愛い絵をお願いしますね。
Posted by アラン at 2017年11月24日 20:18


アルテ145の肩甲骨良いですね。WM は確かに肩甲骨ないもんね〜。
アルテの造形は結構こだわりある感じします。

WM はこれで十分セクシーな背中だと思うし、変に背中が細すぎない所は好きです。
WM145 はウエスト以外はバランス良いボディーだと思いますけどね。
Posted by 白髪ダンディ at 2017年11月24日 23:29


白髪ダンディさん
おはようございます^^
アルテのこのボディの表現はうまいと思います。多少、肩甲骨のでっぱりはあるのですが、
化粧で陰影を強調しています。
でも、顔の化粧も含めて、期日によって変わるらしいのがネックですね^^;
WM145 は私も好きですね。体重を考えた場合、第一候補でした。
Posted by Busty doll at 2017年11月25日 09:13
http://road-to-doll.blog.jp/archives/20784291.html


▲△▽▼


2017.11.24
ナナミンは他家へ嫁ぎました。


あれ?いつの間にかプロフィールにナナミンがいない・・・
Posted by どんべえ at 2018年03月07日 23:59

どんべえさん
こんばんは^^
ありがとうございます^^
よく気付きましたね〜。
ナナミンは他家に嫁ぎました。
Posted by Busty doll at 2018年03月08日 20:45

えぇー(゚Д゚)
そっかぁ〜。ナナみん 嫁いだのかぁ〜。
最近見ないな〜とは思いましたけど、ちょっとビックリ!
Posted by 白髪ダンディ at 2018年03月08日 21:11


あら、いつの間に・・・w
可愛がってもらえるといいですね^^
Posted by どんべえ at 2018年03月08日 22:08

白髪ダンディさん
そうなんですよ〜。
思い出の写真は残しておきます。
Posted by Busty doll at 2018年03月08日 23:17


どんべえさん
そうですね。きっとおっぱい好きに可愛がられているでしょう^^
Posted by Busty doll at 2018年03月08日 23:18
http://road-to-doll.blog.jp/archives/24887245.html

ラブドールの世界は過酷な競争社会ですね。
女の戦いに敗けたナナミン嬢はもう処分されてしまったのでしょう。
合掌

162. 中川隆[-13696] koaQ7Jey 2018年8月26日 11:21:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18097] 報告

ラブドールの詳細は


AI搭載ラブドールと一緒に暮らそう _ とんでもない美人のラブドールがやってきた!
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/220.html

163. 中川隆[-13666] koaQ7Jey 2018年8月29日 08:05:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18121] 報告

古代のDNAから判明した驚きの10の発見 2017年03月09日
http://karapaia.com/archives/52235294.html


 人類の歴史を語るものは、書き残されたものだけではない。遺伝子のなかにも存在する。遺伝子研究が進むに従い、遺伝子は、これまでの定説をくつがえす思いがけない文化の起源をおしえてくれたり、伝染病の大流行を生き延びるために必死で進化していたことがわかった。更には何万年もの間、変わらずに連綿と続いている遺伝子もある。

 そんあ古代のDNAは謎を解いてくれるのと同時に、新たな謎をうむこともある。ここではそんなDNAに導かれた10の発見を見ていこう。


10. アメリカ大陸の原住民と文明接触の悲劇「コロンブス交換」

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image credit:Smithsonian Magazine

 ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達したことによって、現地の人たちの間に伝染病が広まった。この初めての接触による悲劇は、コロンブス交換と呼ばれる。すべては、1492年にクリストファー・コロンブスが新世界にたどり着いたときに始まった。

 それ以前にも、アメリカ大陸には結核などの病原体はあったが、ヨーロッパから船によって持ち込まれた天然痘、麻疹、黄熱病、流感などのように爆発的に広まるものではなかった。

 理論的に考えると、外部の影響にさらされることなく、長いこと独自の社会を築いていたアメリカ先住民の免疫性が脆弱だったせいといえるかもしれない。2016年のカナダのツィムシアン族のDNA研究から、ついにその証拠が発見された。古代と現代のふたつのグループを比較すると、免疫に関係する遺伝子に大きな変化があったことがわかったのだ。

 ヨーロッパ人と接触後、天然痘がツィムシアン族を分裂させた歴史的根拠がある。遺伝的多様性があまりないせいで、天然痘によって部族の57%が死んだのだ。

 現在のツィムシアン族は、さまざまな先祖から多様な遺伝子を受け継いでいる。古代の部族は、その土地の病気に適応した特定の遺伝子配列をもっていた。彼らの子孫の遺伝子は、新たに入ってきた病気に負けずに生き残るために選択的進化を遂げた結果、生まれたものなのだ。

9. アイルランド人の起源

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image credit: BBC

 アイルランド人のルーツは、新石器時代のひとりの女性と青銅器時代の3人の男性の中に見つけることができた。この女性はバリナハティ・ウーマンと呼ばれていて、1855年にベルファスト近くの5200年前の墓から発見された。

 彼女のゲノム配列は2015年に判明し、現在のスペインやサルディーニャ島の人たちと遺伝子的に似ていることが明らかになった。おもしろいことに、彼女の祖先は中東の出身だということもわかった。

 青銅器時代、東ヨーロッパからやってきた人たちがアイルランドに定住した。3人の男性の先祖は、ウクライナやロシアに隣接するポントス草原の出身だ。4000年前の青銅器時代のグループが、現在のアイルランド、ウェールズ、スコットランドの人たちと遺伝的にもっとも近い。

 アイルランド人には、特徴的な遺伝子傾向がある。乳製品の消化に適しているが、ヘモクロマトーシスという鉄分の過剰蓄積を起こしやすい。この障害は、前述の4人のうち女性と男性ひとりに見つかったが、それぞれ異なった遺伝子変異を起こしていた。

 男性のほうは乳製品を消化できる遺伝子を持っていたが、女性にはなかったのだ。この4人のゲノムは誰も現代のアイルランド人のゲノムとは完全に一致せず、むしろケルト民族をつくった一部のグループとの類似を示していた。

8. コマ人の土器から発見された交易の痕跡

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image credit:iflscience.

 コマ人とは、かつて西アフリカ、現在のガーナのあたりに住んでいた人々のことだ。もし、彼らの特異な習慣がなければ、永遠に彼らの文化は考古学者に見過ごされてしまっていたかもしれない。

 コマの人々は、奇妙な素焼きの人形を残している。この独創的な人形は人や動物を表わしているが、ときにはそれらが合体させたものもある。土塁のひとところにまとめてためこまれているのが見つかった。

 研究者たちは、こうした人工物からDNAを抽出して、彼らの目的を探ろうと考えた。しかし、乾燥した環境で、熱い砂の中に何世紀もの間埋められていたものから採取したDNAは劣化が激しく、使い物にならなかった。

 しかし、驚いたことに土器には、かつて中に入っていたものの遺伝的素材が残っていて、まだ分析に使うことができた。

 もっとも驚いたことは、オオバコ、バナナ、松など、600〜1300年当時にはその土地にはなかったはずのものの残滓が見つかったのだ。この地方の芸術文化は、世界でもっとも熱い砂漠である西アフリカとサハラに広がる、安定した交易路をもっていたに違いない。

7. 東アジア大陸の不変のDNA

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image credit: sciencemag

 生きている人間のDNAが8000年もの間、ほとんど変わらないことはまれだ。古代社会では、頻繁に移住が行われ、世界のいたる場所で遺伝子が混ざりあったはずだ。ところが、東アジア大陸は例外だった。

 1973年、極東ロシアにある悪魔の門の洞窟で人間の遺体が見つかり、石器時代の女性からDNAが検出された。新石器時代以降、遺伝子的介入がほとんどなかったおかげか、彼女の遺伝子は現代のある地域の民族とかなり一致していた。

 これは、中国の少数民族オロチョン族やホジェン族のようなトゥングース語を話す人たちに当てはまる。現在でもトゥングース語を使っているのはウリチ族だ。

 ロシアと中国と北朝鮮の国境付近に住んでいる彼らが、注目されるのにはふたつの理由がある。まず、彼らはごく最近まで古代狩猟採集民族の生活スタイルを維持してきた。次に、彼らはずっと遺伝子が変わらない同じ集団からの直接の子孫のようだ。基本的に新石器時代の狩猟民族と同じ集団で、悪魔の門の洞窟で見つかった女性もここに属していた。

6. 民族移動の歴史を塗り替えたモタ・マン

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image credit:Los Angeles Times

 モタ・マンは、民族移動の歴史全体を塗り替えたエチオピア人だ。およそ4500年前に死んだが、その遺伝子が彼についてのすべてを語ってくれる。

 これまで、現生人類は7万年前にアフリカに別れを告げ、中東、ヨーロッパ、アジアへ広がり、中東やトルコの農民がアフリカの角と呼ばれる地域(エチオピア)に出戻ってきたと信じられてきた。

 発見されたモタ洞窟からその名をつけられたこのエチオピア人は、古代アフリカ人の最初のゲノム配列を提供してくれた。モタの年代は、これまで考えられていた逆流入ユーラシア人よりも古いものだった。

 知られているグループよりももっと以前に、アフリカに戻ってきた別のグループがいたのだ。しかし、モタ・マンは、アフリカ以外で発達した遺伝子はもっていなかった。肌や目の色が明るく、トルコや中東のユーラシア人のように乳製品を消化できない乳糖不耐性をもつ遺伝子のことだ。

 モタの謎めいた先祖について掘り下げるうちに、研究者たちはある古代人とのおもしろい符合を発見した。それは7000年前のドイツのLBK族だ。モタのユーラシア人先祖がLBK族出身なら、ユーラシア人がアフリカに定住して広がったときの話は違ってくるだろう。

5. デンマーク最後のヴァイキング王の母親の謎

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image credit:dnainthenews

 ヴァイキングの謎は、最近ふたりの王族の歯髄を調べたことで解決された。デンマークの最後のヴァイキング王で1074年に亡くなったスヴェン(エストリドセン)2世だ。

 ロスキレ大聖堂に彼と母親のエストリッドの墓があり、母親の遺体は、大聖堂の祭壇近くの柱のところに安置されているという。

 スヴェン王の墓は疑いようもなかったが、柱のところに埋葬された女性が本当に王の母親なのか、疑問をもつ専門家もいた。

 幸いなことに、母親とその子どもの血縁を示すそのものずばりな方法がある。子どもにミトコンドリアDNAを伝えるは女性のみなので、遺伝子配列が一致するかを調べればいい。

 ところが、スヴェン王とエストリッドのミトコンドリアDNAは違っていた。彼女は王の母親でなかっただけでなく、とても若かった。エストリッドの享年は70歳と記録されているが、この女性は35歳くらいだった。

 おもしろいことに、スヴェン王には義理の娘がふたりいて、両方ともエストリッドという名前で、しかもふたりとも女王になっている。彼女たちの年齢の若さや名前や王族の地位を考えると、どちらかがロスキレに埋葬された可能性はありえる。

4. ロンドンの多民族性を物語る発掘遺骨

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image credit: BBC

 現代のロンドンっ子たちの祖先は、2000年近く前にこの地に定住したようだ。大英博物館に所蔵されている4体の遺骨が、その起源や出現についてさまざまなことをおしえてくれた。

 ほぼ完全に残っている骨は、通称"ラントストリートのティーンエイジャー"と呼ばれている。この14歳の少女のDNAは彼女が北アフリカで育ったことを示している。彼女のミトコンドリアDNAは、南東ヨーロッパからのもので、彼女はブルーの瞳をしていたが、骨格の特徴はサハラ砂漠以南の人々のものだ。

 "マンセルストリート・マン"は45歳の男性で、黒い瞳と髪は母親が北アフリカ出身のDNAを持っていたことを示している。彼はロンドンで育ちで、意外なことに糖尿病による骨の疾患を患っていた。現代の白人西洋人男性の間ではよくある病気だ。

 ある男性の骨は損傷が激しく、もしかしたら剣闘士だったのかもしれない。年齢は36〜45歳くらいで、肉体的にひどく暴力を受けた痕跡がある。どこかよそで生まれたが、東ヨーロッパや中東からのミトコンドリアDNAを受け継いでいた。

 "ハーパーロード・ウーマン"(写真)は、もともとここに住んでいたブリトン人で、ローマ風のライフスタイルを享受したらしい。彼女の墓にはローマの遺物がたくさんおさめられていた。そして、彼女のDNAは驚くべきことを示していた。肉体的には女性だったが、遺伝子的には男性だったのだ。


3. ヨーロッパでおきた謎の民族大移動により遺伝子マーカーが消滅

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image credit:Live Science

 オーストラリアの研究者たちが、ある民族移動の謎を解こうとして、別の謎を見つけてしまった。

 7500年前にトルコ出身の農民たちがヨーロッパに定住したのかどうかを確認するために、ドイツやイタリアから発掘された複数の骨を調べた。これら古代の骨は、7500年〜2500年前のさまざまな文化のものだった。

 調査から、最初の汎ヨーロッパ人たちはトルコからやってきて、繁栄したことはわかった。だがそれから、およそ4500年前にその遺伝子マーカーがどいうわけか消滅してしまった。

 消滅の理由がなんであれ、ゆっくりした変化ではなかった。当時、明らかになっていないなんらかの歴史的な出来事が起こって、突然大規模な民族移動が起こったようだ。あまりにも劇的な移動だったので、ヨーロッパの人口や遺伝系統までもが変わってしまった。

 文化全体の遺伝子まで変えてしまうほどの大移動を引き起こした張本人たちは誰なのか、それほどの大人数で新たな野を目指した理由はなんなのか、誰にもわかっていない。イベリア半島にいたベル・ビーカー人がケルトの言語に痕跡を残しているため、彼らがその容疑者といえば容疑者と言えるかもしれない。

2. 権力をもっていたギリシャの女性たち

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image credit: Andreas Trepte

 かつて、古代ギリシャの女性たちは男性の所有物のように扱われていたと思われていた。しかし、新たなDNA研究によって、それは間違いである証拠が出てきた。

 マンチェスター大学の研究者がギリシャ、ミュケナイの発掘現場に向かった。ヨーロッパで最初の都市国家に建てられた城砦の創設者について知るためだ。

 ミュケナイの支配者の墓から、35体の遺骨が発掘されたが、DNAがちゃんと分析できたのは4体だけだった。ひとりは女性で、彼女はかなりの影響力をもつ立場にいたようだ。権力者の妻と考えられ、遺伝子配列が一致した4人のうちのひとりでもあり、その豪華な墓は、権勢を誇る夫の影響と思われた。

 しかし、DNA検査と復顔から、彼らはきょうだいであることがわかった。その女性は王と同等の地位と影響力をもち、これは当時の女性が権力をもつ地位に就くことができたことを示していると専門家たちは考えている。

 180度見方が変わるこの大転換を発見した考古学者たちは、初期の男ばかりの考古学者たちが、男性優位の偏見で古代社会を見た結果、こうした間違いが生じたのだと考えている。

1. 黒い髪・青い瞳のスペインの洞窟人の謎

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image credit:The Guardian

 2006年、北西スペインの洞窟の奥深くから2体の遺骨が見つかった。両方とも7000年以上前の中石器時代人の男性で、30代くらいのふたりの骨は良好な状態だったが、有効なDNAはひとりの臼歯からしか採取できなかった。

 その結果は、進化に関するこれまでの定説がくつがえされてしまった。

 ゲノム解析によって再現されたその男性の顔は驚くべきものだった。浅黒い肌、黒い髪なのに、瞳はブルーだったのだ。彼は現代ヨーロッパ人だと考えられていたため、もっと白い肌をしているはずで、これは珍しいことだ。

 思いがけない目の色は、ブルーへの変異が肌の白さへの変異よりも前に起こったことを示している。これまでは、この変異の順番は逆だと思われていた。

 彼は別の謎も解消した。のちに農民が誕生したとき、ほかの動物の病原体から身を守る必要が出てきて、免疫システムが急に発達したと研究者たちは考えていた。しかし、狩猟採集生活をしていた中石器時代人は、すでに身を守る術をもっていたのだ。

 今日、遺伝子的に彼らにもっとも近い人種は、スウェーデン人やフィンランド人だ。
http://karapaia.com/archives/52235294.html

164. 中川隆[-13665] koaQ7Jey 2018年8月29日 08:20:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18121] 報告
>>104 に追記

古代エジプト人のDNA分析からわかった彼らの起源。
彼らはアフリカよりも中東に近いことが判明(ドイツ研究)2017年06月06日
http://karapaia.com/archives/52240315.html


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 古代エジプト人のDNAを新たに分析したところ、彼らはアフリカ人というより、トルコ人やヨーロッパ人に近いことがわかったという。

 今回、ドイツのチュービンゲン大学と、イェーナにあるマックス・プランク人類歴史科学研究所がチームを組み、古代を研究するときの正式な遺伝子データベースをまとめるため、初めて研究を行った。

 紀元前1400年〜紀元400年頃の古代エジプトのミイラからDNAを抽出し、それを分析した結果、彼らは遺伝子的には地中海地方の人々と近いことがわかったという。



現代のエジプト人は古代エジプト人というよりアフリカ人を祖先にもつ

 Nature Communicationsに発表された内容によると、この研究で現代のエジプト人は古代エジプト人というより、サハラ以南のアフリカ人の先祖を共有していることがわかったという。

 さらに、古代エジプト人は当時の中近東の人たちとより近いこともわかった。

 エジプトは、世界的な交易の中心地であるため、古代の人口などを調べるのに好都合な場所なのだ。

 昨今、古代人のDNA分析は進歩している。このデータを使えば、エジプト人の起源や来歴について現代のわたしたちの理解を促す良い機会が得られる。

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ミイラのDNAの保存状態が鍵

 ただし、マックス・プランク研究所長のヨハネス・クラウスによると、有効なDNAがきちんと保存されている可能性について、懐疑的な面もあるという。

 「エジプトの気候は暑く、多くの墓は湿度も高い。ミイラを作るのに使われた化学物質が、DNAを劣化させる原因になる場合もあるだろう。エジプトのミイラのDNAが長い間きちんと保存されているとは考えにくい」と語る。

 だが、このようなミイラからでも核DNAを抽出して、それが研究するに足る信頼性があることを示した研究者たちの技量は画期的で、ミイラの直接研究の幅がさらに広がったといっていい。

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 研究チームは、中央エジプトのナイル川流域のアブシール・エル・メレクから発掘された151体のミイラと、チュービンゲン大学とベルリン先史学博物館にあるフェリクス・フォン・ルシャン頭蓋コレクションが管理する2体の人類学コレクションの中からのサンプルをとった。

 最終的に90体のミイラからのミトコンドリアDNAを採取し、3体からゲノム規模でのデータセットを抽出した。

 そこで集めたデータを使って、考古学的、歴史的データと、現代のDNA研究から引き出したこれまでの仮説を試験した。

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 チュービンゲン大学のアレクサンダー・ペルツァー教授は、特に興味を引いたのは、アブシール・エル・メレクの古代の住民の遺伝子構造が変化しているのか、そのまま変わらないで継続しているのかを見ることだったという。

 「アレクサンダー大王やほかの外国勢力の支配が、古代エジプトの人々に遺伝子的な痕跡を残したかどうかを知りたかったのです」

 研究チームは、古代の人たちが外国の支配によって遺伝子レベルでの影響を受けたのかどうかを判断するために、古代の人たちDNAと現代のエジプト人のDNAを比べてみた。

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古代エジプト人は、中東の人々に近い遺伝子を持つことが判明

 その結果、古代エジプト人は、現在のシリア、ヨルダン、イスラエルやレバノンであるかつてのレヴァント地方の人たちともっとも近いことがわかった。

 さらに、新石器時代のアナトリア半島(トルコ南部)やヨーロッパの人々とも関連があることがわかった。

 マックス・プランク研のリーダー、ウォルフガング・ハックはつけ加える。「アブシール・エル・メレクの社会は、わたしたちが研究した1300年の間で特に大きな変化をこうむらなかった。つまり、この人たちは外国の支配に遺伝子的な影響は相対的に受けなかったということだ」

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 データによると、現代のエジプト人は、古代エジプト人ではなく、サハラ以南のアフリカ人とおよそ8%の割合で核DNAレベルの先祖を共有していることがわかる。

 研究チームは、エジプトのミイラが研究に仕える信頼できる古代のDNAの源であると証明できたことを誇りに思っていて、これがエジプト人の来歴の詳細をより正確に理解するのに役立つと信じている。
http://karapaia.com/archives/52240315.html

165. 中川隆[-13664] koaQ7Jey 2018年8月29日 08:30:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18121] 報告

次の記事はいい加減な話なのですが、面白かったので一応転記しておきます:

2018年08月20日
アーリア人による侵略の歴史と現在〜混血で同化回路が失われる〜
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/08/7976.html


アーリア人とは、西洋人の祖先、広くはインド・ヨーロッパ語族の民族に共通する祖先と言われている古代の種族で、世界史の教科書では、インダス文明に侵略し滅ぼした民族と記されていることもしばしば。

アーリア人は超古代にエジプト→メソポタミア→インダス→中国と侵略を重ねそこで他民族と混血していった。それが、言葉の作り、文型が同じとなっている理由として指摘できる。インドヨーロッパ語族も中国語も、みな主語+動詞のSV、SVC、SVOで構成されている。それだけでなく、脳構造も同様になっている。

実は、古代のアーリア人により侵略との相似が、近現代にも起こっている。南北アメリカ大陸では西洋人あるいはスペイン人やポルトガル人が、アジア諸国のタイ・フィリピン・ハワイ・オーストラリアなどではイギリス人が、アーリア人という名前に代わっただけの侵略が繰り返されてきた。

そして今、日本でも同じことが繰り返されようとしている。移民(=観光客招致という触れ込み)で、あらたなるアーリア人による侵入が行われている。


以下、

井口和基氏のブログ
https://quasimoto2.exblog.jp/238706176/

より引用します。(文字の着色は引用者による)


(前略)かつて私がアメリカに留学した頃、仲の良い長身のアマゾネスのような金髪碧眼のアメリカ人女性がいたが、彼女から「あんたは(白人とは)目だけが違う」と言われたのであった。確かに目だけはチンギスハン型の腫れぼったい目というやつだった。モンゴル人の目。

ちなみに西洋人になぜモンゴル人が嫌われるようになったか?については諸説あるが、一番はチンギスハンによる蒙古襲来の記憶。そして、西洋人がキリスト教を信じるようになって、いわゆる「悪魔の目」をその東洋人型の目に描くようになったからである。

万物を見通す目=イルミナティーのシンボルマークは、古代エジプトのイシス神の目、それがホルスの目になり、最終的には悪魔主義者の目、イルミナティーのシンボルマークになったものであるが、もともとは古代エジプトの神々の目から来たわけだ。

ところが、古代エジプトでもアーリア人の侵入の3000年前以前の超古代エジプト人は人種がアジア系、というより、我が国で言えば縄文系に近い人種であった。だから、ルクソールの巨石、カルナック神殿の神々はみな日本人のような体型と顔形をしているわけである。

超古代ミステリー5:世界の謎の碑文は神代文字で読めるのだ!つまり日本語だった!

それがアーリア人の侵入支配の後にはいわゆる西洋人型のクレオパトラのようになった。

ちょうどアメリカ大陸が古代アメリカはアジア人型のネイティブインディアンやインディオが住んでいたが、そこにスペイン人のコルテスやピサロのような残忍な白人が侵入して支配した後では、現地人の顔形がすっかり変わってしまったというのと似ているのである。
同じことはヒマラヤの南、超古代インドでも起こった。西側からアーリア人がインドに侵入した。

これがインドにバラモン(=ブラフマン=金髪碧眼の人=アーリア人)が侵入した。いわゆるアーリア人の侵入という出来事である。3000年前のことである。

その結果、我が国の士農工商のように、カースト制度が生まれたのである。

とまあ、これはわざと士農工商とカースト制度を同列にする戦後の日本の自虐史観で書いたものだが、実際にはこれはまったく違うものであった。

我が国の士農工商はあくまで社会の職業上の区分であって、人種的なものではない。しかしインドのカーストは明確な人種差別のカーストであり、金髪碧眼種のバラモンことBrahman(ブラフマン)が一番上につき、その下にハーフ層。その下に土着人。そして一番下が最下層の貧困層というものである。

バラモン教というは単に当時のバラモン層が持ち込んだアーリア人の悪魔教(=拝火教)がベースになった。だから、悪魔教じゃだめだということで、バラモンからブッダが登場したのである。

中世近代になり、これと同じことが北中南米のインディオ支配で全く同じことが繰り返され、南米ではインドのカーストと同じことが今現在も残っているのである。アメリカもすでにそうなっているし、オーストラリアやニュージーランドは人種殺戮で原住民がまったく少なくなって絶滅危惧種になった。オーストラリア人となったアングロサクソン人が、現地人をハンチングで人間狩りを行ったからである。
ヒマラヤの北の中央アジアでもいわゆるトルコ経由、ウィグル経由で、アーリア人が侵入したのである。

これが「秦氏」の祖先であり、金髪碧眼種であった。秦の始皇帝の時代である。中国でも超古代中国と3000年前以降の古代中国とでは人種が全く違うのである。

ちょう古代中国では、日本で言う縄文系のアジア人が古代王朝、夏や殷(=商)を作っていた。殷(いん)は、沖繩や台湾と同相の文化を持つ。一言で言えば、超古代日本人の一派である。だから、その殷が最初にいわゆる「漢字」の祖先を生み出していた。つまり、「殷文字」である。

それが、周の時代にアーリア人の中国への侵入がはじまって、いわゆる「春秋戦国時代」になり、その後に、中国大陸はアーリア人に支配され、いわゆる「秦」(しん)が誕生し、後の「漢(かん)」へと変遷していく。

中国の歴史

ここに中国人化した(つまり、漢字を使う)アーリア人が誕生した。これが「あやひと=アーリア人」=「漢人」である。(「あやひと」については、ブログ1で検索)

KANOという台湾の野球映画があるが、その中で「漢人、萬人、日本人、漢人は力が強く、萬人は足が早い。日本人は守備に長けている」というセリフがあるが、漢人が力が強いというのは、これが原因なのである。

要するに、いわゆる中国人の代名詞である「漢人」というのは、白人種であるアーリア人を祖先に持つ混血アジア人のことである。

3000年前の中国の春秋戦国時代がなぜ起きたか?

これは、我が国において、なぜ戦国時代が起きたか?と非常によく似ているのである。

我が国でも戦国時代には西洋白人種が渡来してきて我が国を乗っ取りを計った。その中で、日本人同士で内部抗争させて有力な部族を殺し合いさせ、弱体化したところで、一気に外人が支配するという古典的手法が用いられた。そう考えるべきなのである。

これはすでに超古代エジプト、超古代インド、超古代中国、中世の南北アメリカ大陸、そして東南アジア、最終的に我が国日本まで続いてきたと見るべきなのである。

中国5000年の歴史というのは真っ赤な嘘で、中国には後半の3000年の歴史しかない。最初の2000年は縄文系のアジア人の時代であり、戦国時代以降の中国人とは体型も顔形も文化も歴史もまったく異なるのである。

中国人は足がすっとしている。

その理由はこれまで椅子とベッドの生活だからだというようなことがいわれたが、それは嘘で、実際には単にもともと西洋人型のコーカソイドの遺伝のせいなのである。だから、いまでも中国人の足には、西洋人同様に内股型やX脚が多いのである。

いまのアラブ人やエジプト人が、アラブ人化エジプト人化したアーリア人だとすれば、いまのインド人はインド人化したアーリア人であり、いまの中国人の漢人は中国人化アジア人化したアーリア人にすぎないのである。

だから、言葉の作り、文型が同じなのである。インドヨーロッパ語族。中国語。みな主語+動詞のSV、SVC、SVO。。。である。

言葉が同じなら、性格や特性もいっしょ。基本的に残虐である。

というわけで、この事実は公然の秘密になっている。

その後、近現代になって似たようなことが、南北アメリカ大陸ではアーリア人という名前ではなく、西洋人、あるいはスペイン、ポルトガルが、アジア諸国のタイ、フィリピン、ハワイ、オーストラリアなどでは、アーリア人という名前ではなく、西洋人、あるいはイギリス人という名前に変わって行われたにすぎないのである。

そしていままさに我が国で再び同じことが繰り返されそうとしている。観光客招致という触れ込みで、あらたなるアーリア人侵入が繰り返されるのである。

アーリア人は、3200〜3500年前に突如、中央アジアに登場したと言われており、出自が不明とされている。引用元では火星から来たエイリアンではないか、とも記されており、謎が多い。


(前略)歴史をよく紐解けば、約3000年ほど前、正確には3200年ほど前から3500年ほど前に突然中央アジア、ヒマラヤの北西部にアーリア人と呼ばれる人種が登場した。あるいは、もっと西の中近東のいわゆるシュメール文明の地にアーリア人が登場した。

アーリア人とシュメールの神話のニビルの神々とは非常によく似ているのである。Aryanアーリアンと英語のAlienエイリアン(=外人=異国人)とはほぼ同じ語源と見てよいだろう。なぜなら、古代ではrとlの区別やyとiの区別やbとVの区別はなかったからである。

Y遺伝子のハプロタイプ研究ではこのことははっきりでていて、A, B, C, D, E, F,…, O, P, Q, R,ときて、西洋人はRである。一方縄文系日本人がCおよびDである。チャイナ人やコリア人はOである。不思議なことに米インディアンはQである。つまり、フィンランドのラップ人=金髪碧眼のアジア人はおそらくPやQであり、その一派が北米に渡ったのだろう。

人類の「Y染色体」ハプログループ分布と「シッチンの人類創世説」に矛盾があるか?

ところで、一般の標準理論では、北南米のインディアンのルーツはアジアから渡ったと考えられているが、ハプロタイプを自然にみれば、北欧の原住民はラップ人のようなアジア系だったわけだから、古代の縄文系のアジア人が西へグリーンランド経由で渡ったと考えたほうが理にかなっている。場所が近いし、渡りやすい。遺伝子的にもすでにラップ人として北欧にPで住んでいて、それがQに変わったと見るほうが自然なのである。アジアはOだから、O→P→Qと行くには時間がかかる。
そんなわけで、やはりこの地球史を見る場合には、「アーリア人」というものを研究しないとまったく真実が見えないのである。それがわからないと、なぜヒトラーがあれほどまでに「アーリア人」にこだわったのかの理屈も理解不能なのである。

アーリア人とは何者か?
我が国では西洋人の祖先、金髪碧眼の先祖程度、あるいは、北欧バイキングの先祖、白人西洋人のご先祖さま程度にしか理解されていないのかもしれないが、それでは本当の地球の歴史は理解出来ない。また、いま我が国でリアルタイムに起きていることの意味が理解出来ないに違いない。

さらに興味深い考察として、混血によって脳構造も変わるという分析がなされてある。これにより日本人が持つ「情緒」=同化たらしめる共認原回路が失われるというのだ。


(前略)外人さんと混血すると脳が日本人脳ではなくなり、いわゆる最大の日本人の特徴である「情緒」が理解できなくなるのである。

なぜか?

これはまだほとんど研究されていないが、というのも、脳科学そのもののリーダーが西洋白人だから、理解不能だし、モティベーションが日本人とは別になるからなのだが、人間の特性は前頭葉ではなく、頭頂葉から後頭葉にあるのである。

前頭葉は物事の処理系であって、人間性の発露ではなかったのだ。

対談 小原實晃・横山賢二 第2部 「心の構造と大脳」

ところがいまだ西洋医学や西洋(=白人種)の生物学や脳科学では、前頭前野に人間性の発露があるという認識にすぎない。

しかし、前頭前野はいわゆる知性、知能、知的処理、こういう「知」に関する部分であって、これは自我、自己、自意識の発露の場にすぎない。

この意味では普通の動物にもある。

しかし、人としての共感とか、日本人がいう「情緒」というようなものは前頭前野や前頭葉には存在しない。

だ・か・ら

だから、西洋語には「情緒」という概念がない。存在しないのである。

日本語の「情緒」を英語に翻訳するとemotionになってしまう。しかし、emotionは情熱とか感情という意味になり、我々日本人が感じる「情緒」とはまったく異質のものになる。

感情=喜怒哀楽なら猿にも動物にもある。人間特有のものではない。

人間特有なものが「情緒」なのだが、それがアーリア人には存在しない。

3000年前から存在せず、いま現代も存在しない。

ということは、そういうことを認知する機能が存在しないということになるわけですナ。

つまり、彼らの脳にはそういう機能がないから認知できず、したがってそういう言葉も概念も生まれなかった。

とまあ、そういう結論になるわけだ。
この情緒は頭頂葉の作用なのである。この頭頂葉のもっともよく発達した人種民族が我々日本人である。

西洋人の頭蓋骨は上下がぺちゃんこだが前後に長い。前頭前野はよく発達しているから自己中になる。分析力は有る。また、後頭部も発達しているから、運動能力も高い。

しかし頭頂葉がまったく発達していないから、彼らには情緒が理解できない。だから、いわゆるスピリチュアルの人が生まれにくい。

それに対して、日本人の場合は頭頂葉が発達しているから、前頭葉があまり発達していなくて分析力は弱かったとしても、情緒を理解する。したがって、日本人は生まれながらのスピリチュアルの人が非常に多い。

その差が現在において同じ高度先進国でありながら、社会の雰囲気がここまで違ってきた理由なのである。

(中略)

虫の泣き声など少しも気にせず、虫を残酷に潰して殺す。そんな白人の子供はハワイにはわんさかいる。そういう人間になるわけである。

まあ、それから教育を受けて、徐々にまともな人間に変わる場合があるが、基本はいっしょである。ユダヤであろうが、クリスチャンであろうが、イスラムであろうが、ヒンドゥーであろうが、仏教であろうが、その点はまったく同じである。

日本人はつねに最初は相手の気持ちに立って考えようとするが、白人脳はそういうことはありえない。四六時中自分が主である。(後略)

以前のエントリーでも触れているが、上記引用を含めて考えると、移民→混血による日本の弱体化とは、脳構造つまり意識構造をも変えてくということ。本源の人類が持っていた共認機能の基底部にある同化回路が失われることを意味する。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/08/7976.html

166. 中川隆[-13635] koaQ7Jey 2018年8月31日 19:10:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18139] 報告
戦後から平成の初めくらいまで、日本で「洋画」と言えばハリウッ映画で、次々とヒット作や名作が生まれるほど勢いがあった。ところが、最近は感動作が少なくなり、ネタ切れかと思えるほど凋落している。確かに、巨大な制作費を掛け、ふんだんにCGを使っているから、映像だけは鮮やかで豪華だ。しかし、感動が無い。アクション映画は派手なだけで深みが無いし、ラヴ・コメディーを見てもユダヤ人の下品な笑いがてんこ盛りである。しかも、政治的配慮により、銀幕に映し出される役者はストーリーとは関係無く、意図的に黒人やヒスパニックにされているのだ。手荒な殺人鬼や麻薬の売人は白人にする一方で、正義漢に燃えた弁護士や愛国心に篤いFBI捜査官、優秀な大学教授あるいは科学者などは不思議と黒人になっている。現実のアメリカ社会を見れば「えぇぇ〜、違うじゃん !」と言いたくなるが、黒人俳優に知能が低いチンピラ役をあてがうと妙にリアルだからNG。

  人権派やソフト左翼が定番のハリウッド役者たちは、心にもなく“現実の社会”を反映するよう、黒人やヒスパニック、アジア人の俳優を起用しろと叫ぶ。が、都合の悪い「現実」には目を閉ざして沈黙を守っている。例えば、北歐系の白人女性を狙って強姦する黒人やアラブ人とか、仲間同士になると黒人を馬鹿にするユダヤ人などは絶対に題材とならず、企画段階で却下だ。また、ヒスパニック国民の比率が上昇した今日だと、不法移民を扱う映画は、“良き”南米人を描かねばならない。メキシコとかホンデュラスから密入国する外来生物は、祖国で頻発する暴力や腐敗から逃れてくる弱者で、アメリカ人が嫌がる3K職場で文句を言わず、真面目に働く勤労者となっている。劣悪な現場で汗をかくメキシコ人のオヤジは、不法滞在を続ける愛しい家族のため、身を粉にして働く大黒柱だ。そして、彼の娘や息子は英語を話せない両親を助ける親孝行な子供であり、地元の学校に通って優秀な成績を収め、大学にまで進もうとする立派な生徒。ハンディキャップを克服して就職した移民は、白人の偏見にもめげず、日夜努力して出世を成し遂げる、といったシナリオが多い。

  一方、不法入国者の外人が辿り着いた田舎町には、人種差別に満ちた白人が住んでおり、真面目に暮らすヒスパニックを迫害したり、白眼視する冷酷な人物として描かれている。ハリウッドの左翼にとって密入国は深刻な犯罪ではなく、日常よくあるスピード違反や駐車禁止よりも軽い「過ち」なのだ。ICE(入国管理局)に怯えながら暮らすヒスパニックは、いつも弱者で家族思いの善人となっているが、摘発する白人の連邦職員は杓子定規の冷血漢。人気TVドラマの「CSI : マイアミ」には、不法移民を扱ったエピソードがあったけど、やはり悪人は意地悪な南部の白人で、被害者は心優しい黒髪のメキシコ人という筋書きである。劇場で観る映画でも不法移民に同情的な脚本が多く、ハリソン・フォードが出演した『正義のゆくえI.C.E.特別捜査官(Crossing Over)』はリベラル派の宣伝映画といっても過言ではない。

  毎度のことだけど、この作品はユダヤ人監督のウェイン・クレイマー(Wayne Kramer)が脚本を手掛け、配給会社はこれまたユダや系の「ワインシュタイン・カンパニー」であった。プロフィール上、クレイマーは南アフリカ出身の作家兼監督と紹介されるが、その種族にまで言及されることは滅多にない。だから、大半の日本人は彼がユダヤ人ということを知らずに作品を観ている。日本の保守系雑誌は米国の事情を“さらり”と述べるだけで、アメリカで有名な論客や学者を紹介することはないから、一般国民は井の中の蛙(かわず)といったところだ。例えば、弁護士でコラムニストのデビー・シュラッセル(Dabbie Schlussel)は、クレイマーのプロパガンダ映画に憤慨し、自身のブログで彼の正体をバラしていた。しかし、日本の映画評論家たちは一切触れることはなかったし、これからもないだろう。(チャンネル桜の前田有一に期待しても無駄である。) ユダヤ系保守派のデイヴッド・ホロウィッツ(David Horowitz)と組むダニエル・グリーンフィールド(Daniel Greenfield)もクレイマーの偽善について暴露記事を書いていたが、『WiLL』や『正論』で紹介されることはなかった。(たぶん、そう思うけど、あったらご勘弁を。)

Debbie Schlussel 1Daniel Greenfield 2
(左: デビー・シュラッセル / 右: ダニエル・グリーンフィールド)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68731126.html


  ついでに言えば、主役のハリソン・フォードがユダヤ系なのはもちろんのこと、共演者がこれまたすごかった。あの極左俳優のショーン・ペン(Sean Penn)が国境警備隊の役を演じていたのだ。それにしても、我々が観ている「アメリカ映画」なるものは、本当にアングロ・アメリカを反映する作品なのか? なぜなら、ユダヤ人が物語を作って、ユダヤ人役者が演じ、ユダヤ系メディアが宣伝して、ユダヤ人の配給会社が上映し、ユダヤ人批評家が絶讃したりする。これじゃぁ、どこが「アメリカ映画」なのかよく分からない。映画に限らず、製品の質と生産地は「別」と考えるべきだ。例えば、正体不明の雑種牛を神戸で飼育しても、本物と同じA5等級の神戸牛になる訳じゃない。駄馬やロバをイエメンで育てても、高額なサラブレッドにならないのと同じ理屈である。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68731126.html

167. 中川隆[-13630] koaQ7Jey 2018年9月04日 10:49:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18223] 報告

テレビとオーディオの時間の密度 GRFのある部屋 2018年 09月 03日
アメリカのテレビ番組ではバイオレンスがよく出てきます。とくに死体解剖がテーマのBONESでは、毎回、凝りにこった腐乱死体からシーンは始まります。匂いを想像したら見てられません。どろどろに溶けた腐乱死体や眼球にウジ虫がはっている場面は日常茶飯事です。これらのシーンがそのままテレビから流れてくるアメリカの病んだ世界が、インターネットをつうじてそのまま日本にも配信されてくるのが、今の時代です。

戦争や殺人をゲーム化して、それに熱中した若者を毎日作っています。先日もそのゲームの大会で、実際に負けた参加者が、銃を乱射して周りの仲間を殺しているのです。殺人、拷問、レープ、が蔓延しているテレビ番組とは何なのでしょう。大いなる疑問が深まります。

番組の主人公達は、仲間意識で繋がっていますが、ファミリー、夫婦、恋人の関係が日本の社会とはやはり違った構造しているのが解ります。それに保守的な宗教がからみます。殺人事件数は、日本では、終戦後の昭和二十年代は、年間2000人もいましたが、バブル時以降は、数百人程度になり、最近は300名ぐらいで、人口10万人あたりの換算では、0.3人ぐらいです。それがアメリカでは、6人ぐらいですから、日本の20倍の発生率なのです。ちなみにヨーロッパの国々は、日本よりは高いですが、それでも一人をきっています。勿論、中南米の国々などでは、遙かに高い数字の国もありますが。

しかし、実際にアメリカでは、異常な事件が多いのも事実です。殺人は銃の乱射だけではありませんが、銃規制がないのも高い数字の原因でしょう。アジアでは、銃規制が緩い、フィリピンがやはり20人以上のアジアとしては、異常に高い数字を示しています。


配信会社も沢山あり、プライム会員になると、映画も見れるというサービスも普及しています。最近のテレビや、レコーダーでは、配信サービスは当たり前に付いてきます。気楽に見ていると、やはりアメリカの都合だけで作られている番組が多く、気をつけてみていないと、アメリカのプロパガンダを見ているだけになります。第二次世界大戦の映画など、殺されるのはドイツ軍と日本軍だけです。

戦争、麻薬、異常者、性犯罪、有名人を追いかけるマスコミの姿は、世界中同じです。突然理由もなく殺された被害者の人権は無視されて、過去に遡って暴露されます。逆に犯人の顔は隠され、加害者の人権を声高に守る警察や人権弁護士の矛盾を矛盾と思わないのは不思議です。法律を盾にした政治や行政の特権意識がいまだにそれを助長しているからです。アメリカの裁判の仕組みを見ていると、司法取引、陪審員制度、それが当たり前の自立権を持った国と、刀狩り以来、丸腰の国民の自立心の差さえ考えさせられます。
https://tannoy.exblog.jp/30027888/

168. 中川隆[-13523] koaQ7Jey 2018年9月28日 05:28:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18859] 報告

ゲルマン人の大移動をゲノムから調べる
西川伸一 9/27
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/




ゲルマン人が形成したロンゴバルド王国の首都パヴィーア(写真:アフロ)


恐らく高校生の時だと思うが、西ローマ帝国の没落と同時に、多くの民俗がヨーロッパに相次いで移動し現在のヨーロッパ人が形成される事を学んだ。この最初がゲルマン人の移動で、ゴート、フランク、ブルグンド、ロンゴバルドなどの王国が形成される。私達がアングロサクソンと呼ぶのはこの系統だ。一方、それ以前の住民には当然ローマ帝国を代表する南の人たちの系統が存在し、私達がラテン系と呼んでいる人と考えればいい(この考えは検証したわけではなく私が勝手に想像していると理解してほしい)。この時代のことは、ローマ側から見た記録と、あとはさまざまな遺物から検証されているが、ゲルマン人側からの詳しい記録はそれほど多くないようだ。従って、特に侵入初期のゲルマン人の生活については、他の資料からの考察が求められていた。

今日紹介する米国ストーニーブルック大学、イタリアフィレンツェ大学、ドイツマックスプランク人類史研究所が合同で発表した論文は、ロンゴバルド王国がハンガリーから北イタリアにかけて形成される過程での民族間の交流を、ロンゴバルド王国の身分の高い戦士とその家族が代々葬られた墓から出土した遺骨のDNAを解読することで明らかにしようとした研究で、9月12日Nature Communicationsに掲載された。タイトルは「Understanding 6th-century barbarian social organization and migration through paleogenomics (6世紀の蛮族社会構成と移動を考古ゲノミックスから理解する)Nature Communications 9, 3547 :https://www.nature.com/articles/s41467-018-06024-4)。

まず読後の印象から始めたい。これまで古代人のゲノム解析の論文を多く読んで来たが、この研究は考古学的な検証とゲノム解析の両方を丹念に対応させた総合的な考古学の論文で、読んでいて高校時代に学んだ歴史を思い出すとともに、この墓に葬られている家族の有様がありありと浮かんでくる大変興味深い論文だった。

ロンゴバルド王国は現在の東ヨーロッパにあるローマ統治地区パンノニアのゲルマン人が、北イタリアからハンガリーにかけて築いた大きな王国で、パヴィーア(写真)を首都にしていた。この研究ではロンゴバルド王国の両端に位置する、ハンガリーのソラッドと北イタリアのトリノに近いコルレーニョの2箇所に残る、王国成立初期のゲルマン人の大きな墳墓を考古学的、ゲノム科学的に調べている。

墓に残る副葬物を調べることで、この墳墓に家族の中心人物から、言って見れば庶子のような家族の中でもあまり尊重されていないメンバーまで、一族として葬られていることがわかる。そして、葬られた本人の重要性に応じて階層的に埋葬されている。今回ゲノム解析から、葬られているメンバーが一つの家族であることがハッキリと確認された。

重要なのは、 考古学的な検証から判断される家族内の序列が、それぞれの個体が引き継いでいるゲルマン系のゲノムの割合で概ね決まっている点だ。こうしてわかってきた序列から脚色を交えて、次のように話を纏めることが出来るだろう。


ロンゴバルド王国成立過程で、侵入したゲルマン民族はラテン系のローマ人を征服し、ラテン系の女性を家族として迎えるようになる。しかし同じ家族でも、多くの場合ラテン系の血を多く受け継ぐ家族は差別されていることが、副葬品の有無や墓の中心からの距離などからわかる。なかには特に愛されたのか、ラテン系の女性とその子供の中には副葬品と共に葬られている例外も存在する(愛は民族を超える!)。

ゲルマンとラテンの融合は、時間をかけて進んでいく。ソラッドでは中心部に埋葬される男性のほとんどがゲルマン系で、ラテン系は女性に多いことから、まさにゲルマンがラテンを征服した過程が、家族内にそのまま反映されている。一方コルレーニョになると、よりゲノムレベルでの多様性が増している。ストロンチウムの同位体を使って、葬られたメンバーがその土地で一生を過ごしたのか、他の土地からやってきたのかを調べることができるが、ソラッドではラテン系もゲルマン系もゲノムに関わらずこの土地で育ったのではなく移動してきた人たちだ。すなわち王国成立初期に、ゲルマンの戦士の家族がラテン系のメンバーを融合しながら、ソラッドに移動してきたことを示している。一方コルレーニョでは、ラテン系のゲノムを持つメンバーはほとんどコルレーニョ育ちの人たちだ。またゲルマン系も、世代が進むとコルレーニョ育ちであることが確認できる。すなわち、この地域ではゲルマン戦士家族の定着が進む過程を見ることが出来る。

私なりにだいぶ脚色してしまったが、考古学、アイソトープによる生活圏測定、そしてゲノムの各解析が見事に一致したエキサイティングな研究だと思う。そして何よりも書かれた歴史が存在する有史時代でも、ゲノムも加えた総合的研究が今後ますます重要であることがわかる。これまでのように、遺物の解析からあとはすぐ想像の世界に入るのではなく、より厳密な考証が可能になってきた。

文理融合の掛け声倒れの我が国を残して、世界の歴史学は随分先に行ってしまった気がする。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20180927-00098231/

169. 中川隆[-13399] koaQ7Jey 2018年10月08日 06:23:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19063] 報告

「肥だめ」よりひどい?メーガン・マークルに対する英右派の差別発言
'Racist' Texts About Meghan Markle Spark UKIP Crisis
2018年1月16日 ソフィア・ロット・ペルシオ


1月9日、ファンに挨拶するヘンリー英王子と婚約者のメーガン・マークル Peter Nicholls-REUTERS
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/01/post-9322.php

<「英王室の血を汚すバカな平民」「頂点に這い上がろうと必死のアメリカ黒人」等々は、黒人プリンセスを嫌うイギリス人の本音?>

反EU・反移民を掲げる右派政党、イギリス独立党(UKIP)のヘンリー・ボルトン党首(54)の恋人で党員のジョー・マーニー(25)が、ヘンリー英王子の婚約者で米女優のメーガン・マークルについて人種差別的なメッセージを知人に送っていたことが英大衆紙「メール・オン・サンデー」に暴露された。

マーニーは知人男性に送ったメッセージで、マークルが嫌いだとして理由を列挙した。「人種にこだわり過ぎ。英王室の血を汚す。バカな平民。脳みそが小さい」などに加え、「黒人で女優気取り。ここはイギリスであってアフリカじゃない」と罵倒していた。

メッセージの相手が「それは人種差別だ」と批判すると、「だったら何?」と突っぱねてこう続けた。「彼女は黒人のアメリカ人。何とかして頂点に這い上がろうとして必死なの。次はイスラム教徒の首相や黒人の国王が出てくるに違いない」

自分自身を「モデル、女優、ブレグジット支持者」と呼ぶマーニーに対しては、直ちに責任を問う声が上がった。人種差別的だと批判にさらされることの多いUKIP党内からも、「人種差別だ」と非難する声が上がった。

「どう見ても人種差別的な内容だ。党として一切許容すべきでない」と、党員のジャック・ペニーはツイートした。「党首選の時、ボルトンは人種差別やナチズムに立ち向かうと言った。もし党員のこのような不祥事を許すなら、彼もUKIPもそこまでだ」

セクハラを告発するのは「弱い女」たち

前回の党首選でボルトンに敗れたピーター・ウィットルも、メッセージの内容は「不名誉だ」と切り捨て、党からの追放を訴えた。ボルトンは「マーニーの党員資格を即時停止した」と発表したが、追放の可能性には言及しなかった。

マーニーが暴言を吐いたのは、今回が初めてではない。ボルトンとの交際が発覚した後、英大衆紙サンは彼女のソーシャルメディアの投稿の一部を暴露した。そこでも彼女は、「自分たちの習慣を持ち込む外国人」のせいでロンドンが「スラム」になったと投稿。ハリウッドの大物プロデューサーだったハービー・ワインスティーンのセクハラや暴行を告発する女性たちのことは、「不平を言うだけの弱い女たち」と呼んだ。

「ショッキングな言葉遣いだった」と、今度ばかりはマーニーも謝罪した。「真意を伝えるためにわざと誇張した表現を使った」


Fantastic Boxing Day drinks with @_HenryBolton pic.twitter.com/FYybtLMr75
— Jo Marney (@Jo_Marney) 2017年12月26日 ボルトン党首(左)と当時党員で恋人だったジョー・マーニー(昨年12月) Joe Marney/Twitter

だが、遅過ぎた。党内からは、ボルトンの辞任を求める声も上がっている。黒人プリンセスの行く末も心配だが、ただでさえ党勢が衰えているUKIPの将来はさらに危うそうだ。

(翻訳:河原里香)

170. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2018年10月17日 13:35:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19279] 報告

欧米的「理性」からの脱却
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-92a8.html


〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉
Paul_gauguin


ポール・ゴーギャンがタヒチ島で描いた絵のタイトルである。

明治維新以降、日本政府はヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国を目標として、富国強兵に務めた。幕末期にペリーの黒船や、英仏軍の大砲の威力を目の当たりにし、「このままでは日本は植民地になってしまう!」という危機感がそこにはあった。西洋をお手本とした近代化は急務であった。

第二次世界大戦で焼夷弾による(東京・大阪などへの)大空襲や原爆投下で日本は焦土と化し、惨憺たる敗戦後に我が国が最大の指標=目指すべきGoalと見做したのはアメリカ合衆国である。それはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)占領政策の成果でもあった。ハリウッド映画や、1950年代から開始されたテレビ放送の中で見る、アメリカ中流家庭の豊かさは日本人の憧れとなった。テレビ・洗濯機・冷蔵庫という電化製品は「三種の神器」と呼ばれ、我々の親世代はがむしゃらに働いた。その結果、昭和40年代(1965年以降)の日本人は"economic animal"と揶揄された。

そして21世紀となり、いつの間にか日本人はヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国を追い抜かし、豊かな国に暮らしていた。最早規範とすべき国はなく、欧米が築いた近代合理主義・科学技術文明を盲目的に賛美し、追従する時代はとうの昔に終わった。我々は今後、独自の道を模索していかなければならない。

欧米諸国の人々の多くはキリスト教徒である。アメリカ合衆国では国民の78.4%がクリスチャンであり、うち51.3%をプロテスタント、23.9%をカトリック教徒が占めている(2008年ピュー・フォーラムによる調査)。


実際、アメリカ人は教会によく行く。総人口の四割、一億人以上が毎週あるいは定期的に、おのおのの教会に礼拝に行くという国は、先進工業国ではほかにはない。
      (ハロラン芙美子 著「アメリカ精神の源」より)

アメリカでは2009年に正教会、カトリック教会、そしてプロテスタントの福音派指導者が合同で「マンハッタン宣言」を発表し、人工妊娠中絶や同性愛という「罪」を容認する法制度に対して、異議を唱えた。1920年代にはテネシー、オクラホマ、フロリダ、ミシシッピー、アーカンソーの各州において、公立学校でダーウィンの進化論を教えてはならないという州法が存在した(進化論は旧約聖書の記述に合致しないので)。なおケネディはカトリック教徒であり、ジョージ・W・ブッシュを支持したのは反中絶・反同性愛を叫ぶキリスト教原理主義(Christian fundamentalism)の人々であった。つまりアメリカ合衆国は宗教国家であることを見逃してはならない。

ユダヤ教やキリスト教にはアントロポモルフィズム(人間形態主義/人神同形論)つまり、神を人間と同じような姿で想像するという基本理念がある。それは旧約聖書の「創世記」にはっきりと書かれている。神は最初の男アダムを神に似せて創造した。そして最初の女イヴはアダムの肋骨から創られた。つまり人は神の似姿なのである。だからすべての動・植物の中で人間は一番偉く、自然を自由にコントロールしたり、生殺与奪の権利を持っていると彼らは考える。地球上に於いて人は神に最も近い存在であり、万物のリーダーとしての重責を担っているというわけだ。

欧米人と日本人との思考の違いは「庭」のあり方に典型的に現れている。野趣あふれる日本庭園は野山(自然)の中に在り、自然と一体化しようと欲する。一方、初期イギリス式庭園やフランス式庭園、イタリア式庭園は幾何学模様や生け垣による迷路など人工的産物であり、自然を型にはめ、人の意思で徹底的に管理しようとする。アメリカ合衆国郊外の建売住宅地に見られる広い芝生の庭も然り(その起源は英国貴族の庭園にある)。

旧ソビエト連邦の社会主義リアリズムとは人類の進歩と発展を信じると同時に、人間の理性の普遍性を信じる芸術(美術・音楽・文学)だった。人類は進歩の結果、やがて理想の共産主義を建設するのであり、共産主義が最高の発展段階である以上、それを設計した人間の理性もまた最高のものでなければならない、というわけである。共産主義は唯物論だ。唯物論とは宇宙の根本は物質であり、「神はいない」という思想である。だから社会主義リアリズムの最終目標は人類(共産党員)=神になればいい、ということになる。ここにキリスト教思想の残滓がある。余談だが唯物論の根本的誤りはエネルギーを無視していること。世界は確固たる物質で構成されているのではなく、突き詰めれば全てはエネルギーであるというのが量子力学の考え方だ。

欧米の白人は有色人種に対して差別意識を持っている。これは衆目の一致するところだろう。しかし彼らの

@アフリカ大陸の黒人や南北アメリカ先住民、オーストリア先住民(アボリジニ)に対する扱いと、

Aインド人やアジア人に対する扱い

に明らかな違いがあることにお気づきだろうか?

@アフリカの黒人たちは奴隷としてアメリカ大陸に売り飛ばされた。南北アメリカの先住民やアボリジニたちは無慈悲に大量虐殺され、「居住区」という名の不毛の地に強制的に移住させられた。そして豊穣で住心地の良い場所は白人が独占した。一方、

Aインド人が奴隷売買の対象になることはなかったし、居住地に関してアジア人が南北アメリカ先住民のような扱いを受けることもなかった。一体全体この差異は何なのか?

アフリカの民族、南北アメリカ先住民、アボリジニに共通する特徴は無文字社会であるということだ。だから欧米人は彼らのことを「未開 primitive」と見做した。未開人は知能が獣レベルであり、家畜同様に扱ってもいいという発想が根本にある。文字による記録=歴史がないが故に、アフリカは「暗黒大陸」と嘲笑された。だからアラビア語を使用するアラビア半島や北アフリカの人々は、中〜南部アフリカの無文字社会の人々よりは遥かにマシな扱いを受けた。彼らの肌が白いということとも無関係ではないだろう。つまり欧米人は肌の色と、文字を持つかどうかという2つの観点から他文明を差別(階層)化していたのである。彼らがいくら屠殺しても構わないと考える牛や豚と、「知性があるから捕鯨を絶対認めない」と主張するクジラやイルカの扱いに差を設けるのも、同じ理屈である。

19世紀末のオーストラリアではスポーツハンティングという名の虐殺が日常のように行われていた。詩人メアリー・ギルモアは幼少期の思い出を「シドニー・モーニング・ヘラルド」紙(1938年3月4日)に次のように書いている。


水飲み場の周辺に何百人ものアボリジニが死んでいた。大人たちが集まり、アボリジニの狩りに出かけるところを何度も見た。欧州から獰猛な狩猟犬が輸入された。アボリジニたちを狩りだし、食い殺させるためだった。ある時は小さな子供たちが、野犬のように撃ち殺された両親の遺体のかたわらで死んでいるのも見た。

そもそもオーストラリア政府はアボリジニを国民とみなしていなかったので、人口動態国勢調査対象からも外し続け、アボリジニを人口統計に入れたのは1973年の憲法改正以降であった。現在、アボリジニの人口はイギリス人の入植前と比較し、10分の1以下に減少した。またタスマニア島にいた3万7千人の原住民は根絶やしにされた(Black War)。これが白豪主義の実態である。

しかし1962年人類学者レヴィ=ストロースにより、無文字社会も高度に知的で豊かな文化を育んでいたことが立証された。

•レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析 2018.03.24
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-af4b.html


欧米人は何よりも理性を重要視する。古代ギリシャのプラトン哲学が典型的だが、イデアこそ最高のものだと彼らは考える。我々の肉眼で見えるものではなく、「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に至ることが人類の最終目標なのだ。つまりイデア=真理であり、キリスト教がヨーロッパに広まるにつれ、それは神の国(天国)と言い換えられるようになった。

17世紀の数学者デカルトは、心と体は明確に分離したものだと主張した。西洋科学は20世紀半ばまで、この心身分離モデルを疑うことなく用いてきた。彼らは肉体を軽視し、意識 consciousnessや自我 egoの自制心 self controlを重んじた。ここから派生してきたのが徹底的な個人主義 individualismである。

肉体・欲望の軽視はキリスト教の禁欲主義に如実に現れている。聖職者が神に近づくためには性欲は禁忌とされ、信徒が夫婦生活の営みとして性交する場合も、快感を求めてはいけないとされた。19世紀ヴィクトリア朝時代の英国紳士はマスターベーション(自慰)がタブーであり、自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女子は医学的に問題のある子と見做され、陰核(クリトリス)を切り取られたり焼灼されたりといった「治療」が施された。そして1976年にカトリック教会は自慰行為を「重大な道徳的退廃」とした。つまり彼らが目指しているのは肉体を否定し、精神世界=理性でのみ生きることなのだ(極端な例が鞭身派・去勢派)。その背景に、アダムがエデンの園に生えた知恵の木から実=リンゴをもぎ取って、食べてしまった(欲望に抗えなかった)という原罪がある。

こうしたキリスト教の迷妄に対して、最初に異を唱えたのはドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェだろう(19世紀末)。彼は「神は死んだ」と宣言し、「からだが大事」と説いた。これは精神至上主義から離脱し、身体性・皮膚感覚をもっと大切にしようという姿勢であり、欲望の肯定であった。

ニーチェの思想を継承したのがジークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユングである(20世紀初頭)。フロイトが提唱したエディプス・コンプレックスの真の目的はキリスト教(禁欲)の否定と性欲の肯定にあった。ユングの〈意識 consciousness+無意識 unconsciousness=自己 self 〉という考え方も、理性だけに目を向けるのではなく、身体性を取り戻すという意図がある。深層心理学の誕生である。そして20世紀中頃に、この身体性・皮膚感覚はレヴィ=ストロースにより「野生の思考」と名付けられた。

従来より八百万の神を信じるアニミズムが浸透し、「野生の思考」を持つ日本人はブリコラージュが得意である。日本語では「日曜大工」「器用仕事」「寄せ集め細工」などと訳される。手元にある材料を掻き集めて新しい配列でものを作ることを言う。クリスマスや聖バレンタイン(←ローマ帝国の迫害で殉教した聖職者)デーを祝い、七五三や正月にはお宮参りをし、葬式は仏式といった宗教的出鱈目さや、中国伝来の漢字と日本特有の平仮名を組み合わせた複雑な言語体系など、ブリコラージュの典型例であろう。

父性原理で何でもかんでも切断・分離し、精製する(純度を高める:その度を越した姿がナチス・ドイツのアーリア人種純血主義)ことを得意とした欧米の手法が行き詰まり、音を立てて瓦解している今こそ、理性と身体(からだ)や、意識と無意識の統合、すべてを包み込む母性原理=野生の思考が求められている。そう、僕は確信する。


アドルフ・ヒトラー「わが闘争」
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-2a68.html

http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-92a8.html

171. 中川隆[-13360] koaQ7Jey 2018年10月21日 11:40:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19408] 報告

橘玲の世界投資見聞録 2018年10月19日
今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている
[橘玲の世界投資見聞録]
http://diamond.jp/articles/-/182802


 30億ドル(約3300億円)の予算をかけたヒトゲノム計画が完了してわずか十数年で、全ゲノム解析のテクノロジーは驚くべき進歩をとげ、いまでは誰でもわずか数万円で自分のDNAを調べられるようになった。

 さらに近年、遺跡などから発掘された遺骨からDNAを解析する技術が急速に進歩し、歴史時代はもちろん、サピエンスが他の人類と分岐する以前の古代人の骨の欠片からDNAを読み取ることもできるようになった。この「古代DNA革命」によって、従来の遺跡調査からはわからなかった人類の移動や交雑の様子が明らかになり、古代史・歴史の常識が次々と覆されている。

 デイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4140817518/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4140817518&linkCode=as2&tag=mailmagazin0e-22


は、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともに、この「古代DNA革命」を牽引する現役の遺伝学者が学問の最先端を一般向けに紹介した刺激的な本だ。

 詳細は本を読んでいただくとして、ここではそのなかから興味深い知見をいくつか紹介したい。とはいえ、その前に用語について若干断っておく必要がある。

 日常的に「人類」と「ヒト」を区別することはないが、人類学では両者は異なる意味で使われる。「ヒト」は現生人類(ホモ・サピエンス)のことで、「人類」はヒト族のみならず化石人類(アウストラロピクテス属など)を含むより広義の分類だ(専門用語ではホモ属=ホミニンhomininという)。ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリに倣って現生人類を「サピエンス」とし、ネアンデルタール人やデニソワ人など絶滅した古代人を含むホモ属の集合を「人類」とする。

 本書でいう「交雑」とは、人類のなかの異なる集団(サピエンスとネアンデルタール人)や、サピエンスのなかの異なる集団(アフリカ系とヨーロッパ系)のDNAが混じりあうことだ。これは一般に「混血」とされるが、血が混じり合うわけではないから、科学的には明らかに誤っている。そのため「交配」が使われたりしたが、これはもともと品種改良のことで優生学的な含みがあるため、消去法で「交雑」に落ち着いたのだろう。

 そうはいっても、「交雑」には「純血種をかけあわせたら雑種になる」というニュアンスがあり、「彼らは混血だ」というのと、「彼らは交雑だ」というのではどちらがPC(政治的に正しい)かというやっかいな問題は避けられないだろう。しかし私に代案があるわけでもなく、将来、よりPCな用語が定着するまで、本稿でもサピエンス内の集団の性的交わりを含め「交雑」とする。

 これまで何度か書いたが、「原住民」と「先住民」では漢語として明確なちがいがある。「原住民」は「かつて住んでいて、現在も生活している集団」で、「先住民」は「かつて住んでいて、現在は絶滅している集団」のことだ。日本では「原住民」が一部で差別語と見なされているが、ここでは漢語本来に意味にのっとり、「アメリカ原住民」「オーストラリア原住民」として「(絶滅した)先住民」と区別する。

全ゲノム解析によりホモ・サピエンスのアフリカ起源説が揺らいできた

 進化の歴史のなかでは、ホモ・サピエンス(現生人類)にはさまざまな祖先や同類がいた。ラミダス猿人やホモ・ハビルス、北京原人やネアンデルタール人などの化石人類を含めた人類(ホモ族)は、700万〜600万年前にアフリカのどこかでチンパンジーとの共通祖先から分かれた。

 これについては大きな異論はない(あまりに遠い過去で証明のしようがない)が、その後の人類の歴史については、多地域進化説とアフリカ起源説が対立した。

 多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの異なる地域で並行的にサピエンスに進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、サピエンスの祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラリア大陸に広がっていった。

 1980年代後半、遺伝学者が多様な民族のミトコンドリアDNAを解析して母系を辿り、すべてのサンプルがアフリカにいた1人の女性から分岐していることを明らかにした。これがミトコンドリア・イブで、約16万年(±4万年)に生存したとされる。この発見によってアフリカ起源説に軍配が上がったのだが、これはサピエンスが10〜20万年前のアフリカで誕生したということではない。

 ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万〜55万年前へと大きく遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなったのだ。

 そうなると、(最長)77万年前からミトコンドリア・イブがいた16万年前までの約60万年が空白になる。これまでの通説では、その間もサピエンスはずっとアフリカで暮らしていたということになるだろう。

 ところがその後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約33万〜30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。“最古のサピエンス”はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは1960年代で、近年の再鑑定で約30万年前のものと評価された)。

 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ」を果たしたとされていた。だが30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。

遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」がある

 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。

 この2つの系統は、ネアンデルタール人のDNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。

 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5〜2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。

 その後も、単純な「出アフリカ説」では説明の難しい人類学上の重要な発見が相次いだ。

 2008年、ロシア・アルタイ地方のデ二ソワ地方の洞窟で、約4万1000年前に住んでいたとされるヒト族の骨の断片が見つかった。サピエンスともネアンデルタール人とも異なるこの人類は「デニソワ人」と名づけられたが、DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行なわれたいたことがわかった。――ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

 さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。

 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万〜55万年前)よりもさらに古い140万〜90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。

 約5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。

 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万〜38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万〜55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。

 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。

サピエンスはなぜ他の人類を絶滅させるまでになったのか

 従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。だがなぜ、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか? ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるのではないか。

 ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらにサピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐していったのではないかと考える。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。だとしたら、サピエンスはどこにいたのか。

 ライクの説によると、サピエンスは脆弱な人類で、ネアンデルタール人に圧迫されて中東の一部に押し込められていた。その後、ネアンデルタール人がさらに中東まで進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これが、モロッコでサピエンスの痕跡が発見された理由だ。

 ところが5万年ほど前に、そのサピエンスが「出アフリカ」を敢行し、こんどはネアンデルタール人やデニソワ人などを「絶滅」させながらユーラシアじゅうに広がっていく。このときネアンデルタール人は中東におり、サピエンスと交雑した。このように考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多数見つかるのは、サピエンスと遭遇したのち、彼らがユーラシア大陸の西の端に追い詰められていったからだろう。

 中東でネアンデルタール人と交雑したサピエンスの一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑した。その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

 ところで、ネアンデルタール人に圧迫されて逃げまどっていた脆弱なサピエンスは、なぜ5万年前には、他の人類を絶滅させるまでになったか。これについては遺伝学者のライクはなにも述べていないが、ひとつの仮説として、アフリカに逃げ延びた30万年前から「出アフリカ」の5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高度なコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人など他の人類を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑していったのかもしれない。

馬を手にしたヤムナヤの遊牧民がヨーロッパに移動した

 ライクは『交雑する人類』で、DNA分析からヨーロッパ、南アジア、東アジア、アメリカ原住民、オーストラリア原住民、アフリカなどでどのようにサピエンスが移動し、交雑していったのかを説明している。ここではそのなかで、ヨーロッパとインドについて紹介しよう。

 1万年前、中東の肥沃な三日月地帯で農耕が始まると、新たなテクノロジーを手にしたひとびとは農耕可能な土地を求めて東西に移住していった。しかしなかには農耕に適さない森林地帯や草原地帯(ステップ)もあり、そこには依然として狩猟採集民がいた。農耕民と狩猟採集民は、時に交易し、時に殺し合いながら暮らしていた。そうした集団のなかには、今日、DNAにしか痕跡を残さない者もおり、ライクはそれを「ゴースト集団」と呼ぶ。

 遺伝学的には、8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は青い目に濃い色の肌、黒っぽい髪という、いまでは珍しい組み合わせの風貌だったと推定されている。ヨーロッパの最初の農耕民のほとんどは、肌の色は明るかったが髪は暗い色で茶色の目をしていた。典型的なヨーロッパ人の金髪をもたらした変異の最古の例として知られているのは、シベリア東部のバイカル湖地帯でみつかった1万7000年前の古代北ユーラシア人(ゴースト集団)だ。

 ヨーロッパの東には中央ヨーロッパから中国へと約8000キロにわたって延びる広大なステップ地帯があったが、5000年ほど前にそこで馬と車輪というイノベーションが起きた。この最初の遊牧民の文化を「ヤムナヤ」と呼ぶ。

 馬という高速移動手段を手にしたヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を繰り返した。このうち西に向かった遊牧民が現在のヨーロッパ人の祖先だ。

 ここでライクが強調するのは、遊牧民がヨーロッパの農耕民と交雑したわけではないということだ。DNA解析によれば、彼らは定住民とほぼかんぜんに置き換わってしまったのだ。

 遊牧民が定住民の村を襲ったのだとすれば、男を殺して女を犯して交雑が起きるはずだ。その痕跡がないということは、遊牧民がやってきたときには定住民はいなかった、ということになる。そんなことがあるのだろうか。

 ここでの大胆な仮説は病原菌だ。ペストはもとはステップ地帯の風土病とされているが、遊牧民が移住とともにこの病原菌を運んできたとしたら、免疫のない定住民はたちまち死に絶えてしまったはずだ。こうして交雑なしに集団が入れ替わったのではないだろうか。

 15世紀にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、銃だけでなく病原菌によってアメリカ原住民は甚大な被害を受けた。興味深いことに、それとまったく同じことが5000年前のヨーロッパでも起き、「原ヨーロッパ人」は絶滅していたかもしれないのだ。

西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源を持つ同祖集団

 馬と車輪を手にしたステップの遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになる。

 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になってきた。

 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。

 だがこれが事実だとすると、インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、それは外部世界からの侵略ではないと主張するようになった。

 現代インド人のDNA解析は、この論争に決着をつけた。

 インド人のDNAを調べると、アーリアに由来する北インド系と、インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された4000年〜3000年前に大規模な交雑があり、Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。

 近年のヒンドゥー原理主義は、カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。この仮説もDNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、2000〜3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。

 西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じステップ地方の遊牧民「ヤムナヤ」に起源をもつ同祖集団で、だからこそ同系統のインド=ヨーロッパ語を話す。それに加えてライクは、バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがあることを示唆している。


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ゲノム解析では「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」はグループ分けできる

『交雑する人類』にはこれ以外にも興味深い仮説がたくさん出てくるのだが、それは本を読んでいただくとして、最後に人種問題との関係についてライクの見解を紹介しておきたい。

 ここまでの説明でわかるように、DNA解析は歴史を再現するきわめて強力な手段だ。それがサピエンスとネアンデルタール人の交雑であれば科学的な興味で済むだろうが、現代人の異なる集団の交雑を検証する場合、北インド人と南インド人のケースでみたように、きわめてセンシティブな領域に踏み込むことになる。一歩まちがえば「人種主義(レイシズム)」として批判されかねないのだ。

 ライクはリベラルな遺伝学者で、この重い問いに誠実にこたえようとする。その一方で、科学者として耳触りのいい「きれいごと」でお茶を濁すこともできない。

 リベラル(左派)の知識人は、「人種は社会的な構築物だ」とか、「人種などというものはない」と好んでいいたがる。だが2002年、遺伝学者のグループがゲノム解析によって世界中の集団サンプルを分析し、それが一般的な人種カテゴリー、すなわち「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」と強い関係のあるクラスターにグループ分けできることを立証した。これはもちろん、「人種によってひとを区別(差別)できる」ということではないが、人種(遺伝人類学では「系統」という用語が使われる)のちがいに遺伝的な根拠があることをもはや否定することはできない。

 このことは、もっとも論争の的となる人種と知能の問題でも同じだ。

 ヨーロッパ人系統の40万人以上のゲノムをさまざまな病気との関連で調査した結果から、遺伝学者のグループが就学年数に関する情報だけを抽出した。その後、家庭の経済状況などのさまざまなちがいを調整したうえで、ゲノム解析によって、就学年数の少ない個人より多い個人の方に圧倒的によく見られる74の遺伝的変異が特定された。

 これも遺伝によって頭のよさ(就学年数の長さ)が決まっているということではないが、「遺伝学には就学年数を予測する力があり、それはけっして些細なものではない」とライクはいう。予測値がもっとも高いほうから5%のひとが12年の教育機関を完了する見込みは96%なのに対して、もっとも低いほうから5%のひとは37%なのだ。

 こうした(リベラル派にとって)不都合な研究結果を紹介したうえで、ライクは、「実質的な差異の可能性を否定する人々が、弁明の余地のない立場に自らを追い込んでいる」のではないかと危惧する。私なりに翻案すれば、「扉の陰にいるのは黒いネコであるべきだし、黒いネコに間違いないし、いっさい異論は許さない」と頑強に主張しているときに、白いネコが出てきたらいったいどうなるのか、ということだ。「そうした立場は、科学の猛攻撃に遭えばひとたまりもないだろう」とライクはいう。

 これは「古代DNA革命」の第一線の研究者として、新しいテクノロジーのとてつもないパワーを知り尽くしている者だけがいうことができるきわめて重い発言だ。門外漢の私はこれについて論評する立場にないので、最後にライクの警告を引用しておきたい。

「認知や行動の特性の大半については、まだ説得力のある研究ができるだけの試料数が得られていないが、研究のためのテクノロジーはある。好むと好まざるとにかかわらず、世界のどこかで、質のよい研究が実施される日が来るだろうし、いったん実施されれば、発見される遺伝学的なつながりを否定することはできないだろう。そうした研究が発表されたとき、わたしたちは正面から向き合い、責任を持って対処しなければならない。きっと驚くような結果も含まれているだろう」

172. 中川隆[-13348] koaQ7Jey 2018年10月25日 11:06:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19504] 報告

日本人のガラパゴス的民族性の起源

0-0. 日本人の源流考 rev.1.6
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1


  国立遺伝学研究所教授で著名研究者の斎藤成也氏が、2017年10月に核-DNA解析でたどる「日本人の源流」本を出版しました。 その中でやっと海の民にも焦点が当たり、当ガラパゴス史観の「縄文人の一部は海のハンター」史観が 間違ってはいないかもしれない雰囲気になって来ました。

  そろそろ時機到来の様相になって来ましたのでガラパゴス史観を総括し、日本人の源流考をまとめてみました。 これはY-DNA及びmtDNAの論文104編を読み込みメタアナリシスした結果得た、アブダクション(推論)です。 追加の着想がまとまる都度書き足します。 枝葉末節は切り捨て太幹のみに特化して組み立てていますので、異論・興味のある方は、 当史観が集めた論文をじっくり読んで是非御自分で源流考を組み立ててみてください。

0.はじめに

  当ガラパゴス史観が、Y-DNAとmtDNAツリー調査を進めて行った時、ホモサピエンスの歴史自身をもう少し深堀したい疑問が生じてきました。


・何故、ホモサピエンス始祖亜型のY-DNA「A」やY-DNA「B」はその後現代にいたる
 まで狩猟採集の原始生活から前進せず、ホモエレクトスの生活レベルのままだったの
 か?

・出アフリカを決行した結果、分化したシ−ラカンス古代4亜型の中でY-DNA「D」、
 Y-DNA「E」やY-DNA「C」などの、オーストラリア、ニューギニアやアンダマン諸
 島、アフリカなどの僻地に残った集団も、現代に至るまで何故「A」,「B」同様、狩
 猟採集から抜け出せなかったのか?

・彼らは本当にホモサピエンスになっていたのだろうか?我々現生人類はアフリカ大陸
 でホモサピエンスに進化してから出アフリカしたと思い込んでいるが、もしかすると
 出アフリカ後に、ネアンデルタール人との遭遇で現代型に進化したのではないか?

1.ネアンデルタール人の出アフリカから始まったようだ。

  ホモサピエンスの亜種とされているネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス:Homo sapiens neanderthalensis)は、 ホモエレクトスから先に進化し、60万年ぐらい前には出アフリカし、先輩人類としてユーラシア大陸に拡がったらしい。 そして3万年前ぐらいには絶滅した、という見解になっている。

  しかし現生人類の遺伝子の3−4%はネアンデルタール人から受け継いでいることも研究の結果解明されている。 その後、現生人類の先祖が、スタンフォード大学の研究では2000人程度の規模で、出アフリカしユーラシアに拡がるまで ネアンデルタール人の歴史は既に数十万年を経過しており、その間にネアンデルタール人はユーラシア各地で亜種に近いぐらい分化していたらしい。 アジアで発掘されたデニソワ人はどうもネアンデルタール人のアジア型の1例のようだ、 しかも研究ではデニソワ人の遺伝子が現代人に6−8%も受け継がれている、という報告まである。

  これはつまり現生人類は既にある程度の高度な文化を築き上げていたネアンデルタール人との亜種間交雑の結果、 一気に爆発的に進化し現ホモサピエンスとして完成したのではないかと考えるのが妥当なのではないかと思われる。


2.原ホモサピエンスから現ホモサピエンスへ脱皮したのではないか!

  我々現代人(Homo sapiens sapiens=解剖学的現生人類)の祖先は、ネアンデルタール人が先に進化し出アフリカした後も進化できずに出遅れ、 アフリカ大陸に残存していたホモエレクトスの中で、先ずmtDNA「Eve」がやっと進化し、Y-DNA「Adam」は かなり遅れて進化したと考えられていた様だが、最近の研究ではY-DNA「Adam」も20万年近く前には既に現れていたらしい。

  しかも最近の発掘調査では、10万年前ごろにはすでにレバント地域に移動していたらしく、 8万年前頃には中国南部に到達していたのではないか、と報告されてきている。 これまでの5−6万年前頃に出アフリカしたのではないかという旧説が、どんどん遡ってきているのは 今後まだまだ新しい研究報告がある予兆と思われる。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人が先に進化し、出アフリカした後に、落ちこぼれ 取り残されていた最後のホモエレクトスが遅れて進化したのが、我々の直接の先祖の原ホモサピエンスだったと考えられる。

  つまり、このころまでアフリカ大陸ではホモエレクトスが存続していた可能性があり、 原ホモサピエンスはホモエレクトスの最終形だったはずである。

Y-DNA「Adam」がY-DNA「A」となり、
Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分化し、
Y-DNA「BT」がY-DNA「B」とY-DNA「CT」に分化したが、

  この「A」と「B」はホモエレクトスのY-DNA亜型だった可能性も十分ありえる。

Y-DNA「CT」が初めて出アフリカし、Y-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分化した。

  これは中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と推測可能である。

  この「C」以降が現生人類のY-DNA亜型と考えられるが、もしかするとネアンデル
  タール人の亜型の可能性だってありえる。

 つまりY-DNA「A」と「B」はホモ・サピエンス・サピエンスではあるが完成形ではない プロト(原)ホモ・サピエンス・サピエンスと言っても良いかもしれない。

 西欧列強が世界中を植民地化するべく搾取活動を続けているときにわかったことは、 アフリカ大陸やニューギニア・オーストラリアやアンダマン島の先住民は、 何万年もの間、古代のままの非常に素朴な狩猟採集民の文化レベルにとどまっていた、ということだった。

  研究調査からかなり高度な文化・技術レベルに達していたと判ってきているネアンデルタール人と比べると、 分類学的・解剖学的な現生人類/ホモサピエンスに進化したというだけではホモ・エレクトスと何ら変わらない文化レベルだったという証明だろう。 つまり脳容積がホモエレクトスより大きくなったり、会話が出きるようになった程度では、同時代のネアンデルタール人より原始的な、 しかし可能性は秘めている新型人類に過ぎなかったようだ(しかし体毛は薄くなり、前頭葉が発達し、見た目は多少現生人類的だが)。

  では一体、なぜ現生人類は現代につながるような文明を興すほど進化できたのだろうか?大きな疑問である。 一部の王国を築いた集団を除いた、古ネイティブ・アフリカンは大航海時代になっても、狩猟採集民でしかなかった。 その後西欧列強と出会わなければ、今でも狩猟採集のままのはずである。

  このことは、文明と言うものを構築するレベルに達するには解剖学的なホモサピエンスではなく、 何か決定的なブレークスルーのファクターがあったはずである。

  ネアンデルタール人と原ホモサピエンスの亜種間交配の結果、進化の爆発が起こったと推測するのが今のところ最も妥当だろう。

  出アフリカした先輩人類のネアンデルタール人と亜種間交雑し、 ネアンデルタール人がすでに獲得していた先進文化を一気に取り込むことに成功し、 恐らく人口増加率(繁殖性)が高い原ホモサピエンスの中にネアンデルタール人が自然吸収される形で統合化されたのが 完成形の現ホモサピエンスと考えるのが最も妥当性が高い。 (この繁殖力の高さが現生人類の勝ち残った理由なのではないか、想像を逞しくすると、交配の結果得た後天的な獲得形質かもしれない。)

  もし出アフリカせずネアンデルタール人とも出会わずアフリカの中に留まっていたら、 人類は相変わらず19世紀ごろのサン族やピグミー族のように素朴な狩猟採集段階に留まっているだろうと容易に推測できるが、 北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。 つまりホモサピエンスが出アフリカし狩猟採集文化から脱し、現代文明にまで至ったのは必然だったということかもしれない。


3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子系集団:Y-DNA「D」と「C」
  Y-DNA「D1b」を主力とするY-DNA「C1a1」との混成部隊である。

  移行亜型Y-DNA「DE」はさらに古代遺伝子Y-DNA「D」とY-DNA「E」に分化したが、Y-DNA「D」がインド洋沿岸に沿って東進したのに対し、 Y-DNA「E」は逆に西進し地中海南北沿岸に定着し、故地である地中海南岸(アフリカ北岸)に移動した集団はさらにアフリカ全土に展開し、 先住親遺伝子のY-DNA「A」の古サン集団等やY-DNA「B」の古ピグミー集団等の支配階級として ネイティヴ・アフリカンの主力となり現代に至っている。

  これは重要なことで、Y-DNA「A」と「B」はネアンデルタール人の遺伝子が混じっていない原ホモサピエンスだが、 ネアンデルタール人遺伝子を獲得したはずの現サピエンスのY-DNA「E」がアフリカ全土にもれなく拡大したため、Y-DNA「A」が主体のサン族も、 Y-DNA「B」が主体のピグミー族も支配階級はY-DNA「E」に代わっているようだ。 (余談だがアフリカ大陸にはその後Y-DNA「R1a」と分化したY-DNA「R1b」がアナトリア、中近東から南下してきて 更に新しい支配階級として現在のカメルーンあたりを中心にネイティブアフリカンの一部になっている。)
  しかし出戻りアフリカしたY-DNA「E」は進化の爆発が進む前にアフリカ大陸に入ってしまったため、また周囲の始祖亜型の部族も同じレベルで、 基本的に狩猟採集のまま刺激しあうことがないまま、ユーラシア大陸で起きた農耕革命など進化の爆発に会わないまま現代に至っているのだろう。

  ところが地中海北岸に定着したY-DNA「E」は、その後ヨーロッパに移動してきたY-DNA「I 」などの現代亜型と刺激しあいながら 集団エネルギーを高め、ローマ帝国やカルタゴなどの文明を築くまでに至った。要するに自分たちより古い始祖亜型との遭遇では埋もれてしまい、 文明を興すような爆発的進化は起こらなかったが、より新しい現代亜型との遭遇が集団エネルギーを高めるには必要だったのだろう。

  一方、Y-DNA「D」は、現代より120m〜140mも海面が低かったために陸地だったインド亜大陸沿岸の 大陸棚に沿って東進しスンダランドに到達し、そこから北上し現在の中国大陸に到達した。 その時に大陸棚だった現在のアンダマン諸島域に定住したY-DNA「D」集団は、 その後の海面上昇で島嶼化した現アンダマン諸島で孤立化し現代までJarawa族やOnge族として 絶滅危惧部族として古代亜型Y-DNA「D」を伝えてきている。 Y-DNA「D」は基本的に原始性の強い狩猟採集民と考えてよいだろう。 日本人の持つ古代的なホスピタリティの源泉であることは間違いない。

  Y-DNA「CT」から分離したもう一方の移行亜型Y-DNA「CF」は恐らくインド亜大陸到達までに古代亜型Y-DNA「C」とY-DNA「F」に分離し、 Y-DNA「F」はインド亜大陸に留まりそこで先住ネアンデルタール人(アジアにいたのは恐らくデニソワ人か?)と交雑した結果、 Y-DNA「G」以降の全ての現代Y-DNA亜型の親遺伝子となったと推測できる。 こうしてインド亜大陸は現代Y-DNA亜型全ての発祥の地となったと考えられる。

  もう一方の分離した古代亜型Y-DNA「C」は、欧米の研究者の説明ではY-DNA「D」と行動を共にしたらしく東進しスンダランドに入り、 一部はY-DNA「D」と共に中国大陸に到達し、一部はそのまま更に東進しサフール大陸に到達した。 サフール大陸に入った集団はサフール大陸に拡大し、海面上昇後分離したニューギニアとオーストラリア大陸に それぞれTehit族やLani族などニューギニア高地人集団やオーストラリア・アボリジニ集団、つまり共にオーストラロイドとして現代まで残っている。

  スンダランドから北上し現在の中国大陸に入ったY-DNA「D」とY-DNA「C」の混成集団は中国大陸の先住集団として拡大した。 この時に混成集団の一部の集団は中国大陸には入らずにさらに北上し、当時海面低下で大きな川程度だった琉球列島を渡ったと思われる。 集団はそのまま北上し現在の九州に入った可能性が大。また一部は日本海の沿岸を北上し当時陸続きだったサハリンから南下し 北海道に入り、当時同様に川程度だった津軽海峡を渡り本州に入った可能性も大である。 つまりもしかすると日本本土への入り方が2回路あった可能性が大なのだ。

  現在沖縄・港川で発掘される遺骨から復元再現される顔は完璧にオーストラロイド゙の顔である。 と言うことは、スンダランドから北上の途中沖縄に定住した混成集団がその後の琉球列島人の母体になり、 サハリンから南下した集団がのちのアイヌ人の集団になった可能性が極めて大と推測できる。

  さて中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。 欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。 そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。 このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。

  しかし一緒に移動したと考えられるYDNA「C」の痕跡は現在の遺伝子調査ではチベット周辺では検出されていない。 どうやら途絶えてしまった可能性が高い。 いやもしかすると火炎土器のような呪術性の強い土器を製作したと考えられるY-DNA「C」なので、 四川文明の独特な遺物類はY-DNA「C」が製作した可能性が極めて高い。そしてY-DNA「D」のようにチベット高原のような高高地に適応できず 途絶えてしまったのかもしれないですね。

  一方スンダランドから琉球列島を北上した集団(Y-DMA「D1b」とY-DNA「C1a」は、一部は琉球列島に留まり、琉球人の母体となった。 しかし、そのまま更に北上し九州に到達したかどうかはまだ推測できていない。 しかし日本各地に残る捕鯨基地や水軍など日本に残る海の文化は海洋性ハンターと考えられるY-DNA「C1a」が そのまま北上し本土に入った結果と考えられる。

  オーストラリアの海洋調査で、数万年前にY-DNA「C」の時代にすでに漁労が行われ、 回遊魚のマグロ漁が行われていたと考えられる結果のマグロの魚骨の発掘が行われ、 当時Y-DNA」「C」はスンダランドからサフール大陸に渡海する手段を持ち更に漁をするレベルの船を操る海の民であったことが証明されている。 このことはスンダランドから大きな川程度だった琉球列島に入ることはさほど困難ではなかったと考えられ、 Y-DNA「C」と交雑し行動を共にしていたと考えられるY-DNA「D」も一緒にさらに北上し本土に入ったことは十分に考えられる。 すべての決め手はY-DNA「C」の海洋性技術力のたまものだろう。

  一方日本海をさらに北上した集団があったことも十分に考えられる。 この集団はサハリンから南下し北海道に入り、更に大きな川程度だった津軽海峡を南下し、本土に入ったと考えられる。 サハリンや北海道に留まった集団はアイヌ人の母体となっただろう。 Y-DNA「C1a」は北海道に留まらず恐らく本州北部の漁民の母体となり、Y-DNA「D1b」は蝦夷の母体となっただろう。

  このY-DNA「D1b」とY-DNA「C1a」が縄文人の母体と言って差し支えないだろう。 つまり縄文人は主力の素朴な狩猟採集集団のY-DNA「D1b」と技術力を持つ海洋性ハンターのY-DNA「C1a」の混成集団であると推測できる。 この海洋性ハンター遺伝子が一部日本人の持つ海洋性気質の源流だろう。日本人は単純な農耕民族ではないのだ。

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)である。 この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われる。 ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意する。 一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となっただろう。 また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあっただろう。北の山の民の母体となったと推測できる。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体だろう。 つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。 Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、 いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。 このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。このY-DNA「Q」はシベリア大陸を横断するような 移動性の強い集団だったようだ。 シベリア大陸を西進せずに東進し海面低下で陸続きになっていたアリューシャン列島を横断し北アメリカ大陸に到達し Y-DNA「Q」が更に南北アメリカ大陸に拡散したのに対し、

  Y-DNA「C2b」は北アメリカ大陸に留まりネイティヴ・アメリカンの一部として現代に遺伝子を残している。 最も頻度が高いのはTanana族である、約40%もの頻度を持つ。 北アメリカや中米で発掘される縄文土器似の土器の製作者はこのY-DNA「C2a」ではないかと推測できる。

  またそのままシベリア大陸/東北アジアに留まったY-DNA「C2」はY-DNA「C2b1a2」に分化し、 大部分はモンゴル族やツングース族の母体となった。 また一部だった古代ニヴフ族は北海道に侵攻しY-DNA「D1b」のアイヌ人を征服しオホーツク文化を立ち上げた。 本来素朴な狩猟採集民だった原アイヌ人は支配者の古代ニヴフの持つ熊祭りなどの北方文化に変化し、 顔つきも丸っこいジャガイモ顔からやや彫の深い細長い顔に変化したようだ。 現代アイヌ人の持つ風習から北方性の風俗・習慣を除くと原アイヌ人=縄文人の文化が構築できるかもしれない。


4.長江文明系稲作農耕文化民の到来

  さて、日本人は農耕民族と言われるが、果たしてそうなのか?縄文人は明らかに農耕民族ではない。 狩猟採集民とハンターの集団だったと考えられる。ではいつ農耕民に変貌したのだろうか?

  古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した現代遺伝子亜型群はY-DNA「G」さらに「H」、「I」、「J」、「K」と分化し、 Y-DNA「K」からY-DNA「LT」とY-DNA「K2」が分化した。 このY-DNA「LT」から更にY-DNA「L」が分化しインダス文明を興し、後にドラヴィダ民族の母体となったと考えられている。 Y-DNA「T」からは後のジェファーソン大統領が出自している。

  Y-DNA「K2」はさらにY-DNA「NO」とY-DNA「K2b」に分化し、Y-DNA「NO」が更にY-DNA「N」とY-DNA「O」に分化した。 このY-DNA「N」は中国の遼河文明を興したと考えられているらしい。 このY-DNA「N」は現在古住シベリア集団(ヤクート人等)に濃く70-80%も残されており、テュルク族(トルコ民族)の母体と考えられている。

  しかし現代トルコ人は今のアナトリアに到達する過程で多種のY-DNAと混血し主力の遺伝子は Y-DNA「R1a」,「R1b」,「J2」などに変貌している為、東アジア起源の面影は全くない。 唯一タタール人に若干の面影が残っているが、今のタタール人もY-DNA「R1a」が主力に変貌してしまっている。 Y-DNA「N」はシベリア大陸の東西に高頻度で残りバルト3国の主力Y-DNAとして現代も40%以上も残っている。やはり移動性の強い遺伝子のようだ。

  さていよいよ日本農耕の起源に触れなければならない。Y-DNA「NO」から分化したもう一方のY-DNA「O」は、 中国の古代遺跡の発掘で、古代中国人は現在のフラットな顔つきと異なりコーカソイドの面影が強いと報告されている事は研究者の周知である。 つまり本来の人類は彫が深かったといってよく、現代東北アジア人のフラット/一重まぶた顔は 寒冷地適応に黄砂適応が加わった二重適応の特異的な後天的獲得形質と言って差し支えない(当史観は環境適応は進化ではないと考えるが、 ラマルクの後天的獲得形質論も進化論といわれるので、進化の一部なのでしょう。と言うことは余談だが、 人類(動物)は体毛が減少する方向に進んでいるので、実は禿頭/ハゲも「進化形態」である事は間違いない。)

  この東北アジア起源のY-DNA「O」は雑穀栽培をしていたようだ。東アジア全体に拡散をしていった。 日本列島では極低頻度だがY-DNA「O」が検出されている。陸稲を持ち込んだ集団と考えられる。 東北アジアの住居は地べた直接だっと考えられる。主力集団は黄河流域に居住していたため、 長年の黄砂の負荷で現代東アジア人に極めてきついフラット顔をもたらしたのだろう。

  一方南下し温暖な長江流域に居住した集団から長江文明の稲作農耕/高床住居を興したY-DNA「O1a」と「O1b」が分化し、 更にY-DNA「O1b1」(旧「O2a」)と「O1b2」(旧「O2b」)が分化し稲作農耕は発展したようだ。 このY-DNA「O1a」は楚民、Y-DNA「O1b1」は越民、「O1b2」は呉民の母体と推測できる。

  長江文明は黄河文明に敗れ南北にチリジリになり、Y-DNA「O1b1」の越民は南下し江南から更にベトナムへ南下し、 更に西進しインド亜大陸に入り込み農耕民として現在まで生き残っている。 ほぼ純系のY-DNA「O1b1」が残っているのはニコバル諸島 (Y-DNA「D*」が残るアンダマン諸島の南に続く島嶼でスマトラ島の北に位置する)のShompen族で100%の頻度である。

また南インドのドラヴィダ民族中には検出頻度がほとんどY-DNA「O1b1」のみの部族もあり、 越民がいかに遠くまで農耕適地を求めて移動していったか良く分かる。 カースト制度でモンゴロイドは下位のカーストのため、他の遺伝子と交雑できず純系の遺伝子が守られてきたようだ。 この稲作農耕文化集団である越民の子孫のドラヴィダ民族内移住が、ドラヴィダ民族(特にタミール人)に 長江文明起源の稲作農耕の「語彙」を極めて強く残す結果となり、その結果、学習院大学の大野教授が 日本語タミール語起源説を唱える大間違いを犯す要因となったが、こんな遠くまで稲作農耕民が逃げてきたことを間接証明した功績は大きい。

  一方、呉民の母体と考えられるY-DNA「O1b2」は満州あたりまで逃れ定住したが、更に稲作農耕適地を求め南下し朝鮮半島に入り定住し、 更に日本列島にボートピープルとして到達し、先住縄文人と共存交雑しY-DNA「O1b2a1a1」に分化したと考えられる。 この稲作農耕遺伝子Y-DNA「O1b2」は満州族で14%、中国の朝鮮族自治区で35%、韓国で30%、日本列島でも30%を占める。 この満州族の14%は、満州族の中に残る朝鮮族起源の姓氏が相当あることからやはり朝鮮族起源と考えられ、 呉系稲作農耕文化を現在に残しているのは朝鮮民族と日本民族のみと断定して差し支えないだろう。 この共通起源の呉系稲作農耕文化の遺伝子が日本人と朝鮮人の極めて近い(恐らく起源は同一集団)要因となっている。 北朝鮮はツングース系遺伝子の分布が濃いのではないかと考えられるが、呉系の遺伝子も当然30%近くはあるはずである。 過去の箕子朝鮮や衛氏朝鮮が朝鮮族の起源かどうかは全く分かっていないが、呉系稲作農耕民が起源の一つであることは間違いないだろう。

  長江流域の呉越の時代の少し前に江南には楚があったが楚民はその後の呉越に吸収されたと思われる、 しかしY-DNA「O1b1」が検出される河南やベトナム、インド亜大陸でY-DNA「O1a」はほとんど検出されていない。 Y-DNA「O1a」がまとまって検出されるのは台湾のほとんどの先住民、フィリピンの先住民となんと日本の岡山県である。

  岡山県にどうやってY-DNA「O1a」が渡来したのかは全く定かではない。呉系Y-DNA「O1b1」集団の一員として 混在して来たのか単独で来たのか?岡山県に特に濃く検出されるため古代日本で独特の存在と考えられている吉備王国は 楚系文化の名残と推測可能で、因幡の白兎も楚系の民話かもしれない。 台湾やフィリピンの先住民の民話を重点的に学術調査するとわかるような気がしますが。


5.黄河文明系武装侵攻集団の到来

  狩猟採集と海陸両ハンターの3系統の縄文人と、長江系稲作農耕文化の弥生人が共存していたところに、 武装侵攻者として朝鮮半島での中国王朝出先機関内の生き残りの戦いに敗れ逃れてきたのが、 Y-DNA「O2」(旧「O3」)を主力とする黄河文明系集団だろう。 朝鮮半島は中華王朝の征服出先機関となっており、 長江文明系とツングース系が居住していた朝鮮半島を黄河系が占拠して出先機関の「群」を設置し、 韓国の歴史学者が朝鮮半島は歴史上だけでも1000回にも及び中華王朝に侵略された、と言っている結果、 現代韓国は43%以上のY-DNA「O2」遺伝子頻度を持つ黄河文明系遺伝子地域に変貌してしまった。

  朝鮮半島での生き残りの戦いに敗れ追い出される形で日本列島に逃れてきた集団は、当然武装集団だった。 おとなしい縄文系や和を尊ぶ弥生系を蹴散らし征服していった。長江系稲作農耕集団は、 中国本土で黄河系に中原から追い出され逃げた先の日本列島でも、また黄河系に征服されるという二重の苦難に遭遇したのだろう。

  この黄河系集団は日本書紀や古事記に言う天孫族として君臨し、その中で権力争いに勝利した集団が大王系として確立されていったようだ。 この黄河系武装集団の中に朝鮮半島で中華王朝出先機関に組み込まれていた戦闘要員としてのツングース系の集団があり、 ともに日本列島に移動してきた可能性が高いY-DNA「P」やY-DNA「N」であろう。 好戦的な武士団族も当然黄河系Y-DNA「O2」であろう。出自は様々で高句麗系、新羅系、百済系など 朝鮮半島の滅亡国家から逃げてきた騎馬を好む好戦的な集団と推測できる。

  この黄河文明系Y-DNA「O2」系は日本列島で20%程度検出される重要なY-DNAである。韓国では43%にもなり、 いかに黄河文明=中国王朝の朝鮮半島の侵略がひどかったが容易に推測できる。 日本列島の長江文明系Y-DNA「O1b2」系と黄河系Y-DNA「O2」系は合計50%近くになる。韓国では73%近くになる。 つまり日本人の約50%は韓国人と同じ長江文明系+黄河文明系遺伝子を持つのである。これが日本人と韓国人が極めて似ている理由である。

  一方、韓国には日本人の約50%を占める縄文系Y-DNA「D1b」,Y-DNA「C1a」とY-DNA「C2a」が欠如している。 これらY-DNA「D1b」,「C1a」とY-DNA「C2a」は日本人の持つ素朴なホスピタリティと従順性と調和性の源流であり、 このことが日本人と韓国人の全く異なる民族性の理由であり、日本人と韓国人の近くて遠い最大の原因になっている。

  一方、日本人の持つ一面である残虐性/競争性/自己中性等は20%も占める黄河系Y-DNA「O2」系からもたらされる 特有の征服癖特質が遠因と言って差し支えないような気がする。


6.簡易まとめ

  日本人の持つ黙々と働き温和なホスピタリティや和をもって貴しとする一面と、 一方過去の武士団や維新前後の武士や軍人の示した残虐性を持つ2面性は、 日本人を構成するもともとの遺伝子が受けてきた歴史的な影響の結果と言えそうだ。


  日本人の3つの源流は、

  ・日本列島の中で約1万年以上純粋培養されてきた大多数の素朴な狩猟採集民と少数のハンターの縄文系、

  ・中国大陸から僻地の日本列島にたどり着き、集団の和で結束する水田稲作農耕民の弥生系、

  ・朝鮮半島を追い出された、征服欲出世欲旺盛な大王系/武士団系の武装侵攻集団系、


  個人の性格の問題では解説しきれない、遺伝子が持つ特質が日本人の行動・考えに強く影響していると思える。 世界の技術の最先端の一翼を担っている先進国で、50%もの古代遺伝子(縄文系、しかも女系遺伝するmtDNAでは何と約67%が 縄文系のmtDNA「M」系なのです。)が国民を構成しているのは日本だけで極めて異例です。 もしこの縄文系遺伝子がなければ、日本列島と朝鮮半島及び中国はほとんど同一の文化圏と言って差し支えないでしょう。 それだけ縄文系遺伝子がもたらした日本列島の基層精神文化は、日本人にとって世界に冠たる独特の国民性を支える守るべき大切な資産なのです。

7.後記

  これまで独立した亜型として扱われてきた近代亜型のY-DNA「L」,「M」,「N」,「O」,「P」,「Q」,「R」,「S」,「T」は、 現在、再び統合されてY-DNA「K」の子亜型Y-DNA「K1」とY-DNA「K2」の更に子亜型(孫亜型)として再分類される模様です。 つまり独立名をつける亜型群として扱うほど「違いが無い」ということなのです。

  ところがこのY-DNA「K」は、我々極東の代表Y-DNA「O」や西欧の代表Y-DNA「R」や南北ネイティヴアメリカンの Y-DNA「Q」等が含まれているのです。 とても遺伝子が近いとは思えないのです。では何故これほど外観も行動様式も異なるのだろうか?

  これらの亜型群は何十万年の歴史でユーラシア大陸の各地で亜種に近いほど分化していたと考えられている ネアンデルタール人やデニソワ人のY-DNA亜型を受け継いだだけの可能性も十分にあるのです。 西欧と極東であまりにも異なる外観や行動様式などの違いの原因を亜種間の接触に求めるのは荒唐無稽とは言えないでしょう。 何しろネアンデルタール人もデニソワ人もホモサピエンスも元をただせばホモエレクトス出身で当然Y-DNAもmtDNAも 遺伝子が繋がっているのだから。恐らくY-DNAもmtDNAもほとんど同じ亜型程度の違いしかない可能性は高いのです 今後の研究の発展を楽しみに待ちましょう。

8.余談

  (極めて余談ですが、北方系極東人の多くは寒冷地適応や黄砂適応を受け、フラット顔になってはいますが、 中国で発掘される古代人骨はほとんどコーカソイド顔であり、フラット顔は後天的獲得形質であることは研究者達が認めています。 日本人にはこの後天的獲得形質を獲得してから日本列島に渡ってきた集団が多かったことを示しています。 日本人の胴長短足は、高身長の弥生系と武装侵攻系の上半身と小柄な縄文の下半身の交雑の結果に過ぎず、日本人に意外に多い反っ歯や受け口も 弥生系の細身の顎に縄文系のがっしり歯列が収まりきらず前に出てしまっただけであり、親知らずは逆に出られなかっただけです。

  また日本人固有の古代的なホスピタリティは、縄文系である古代亜型Y-DNA「D」と「C」(合計で日本人男性の出現頻度約45%を占める) 及びmtDNA「M」(合計で日本人全体の約67%を占める)の固有の特質であり、近代亜型群の特質ではありません。 つまり特に日本人と他の民族との違いのほとんどは、この縄文系遺伝子の伝えてきた極めて古代的な、 狩猟採集民やハンター民の持つ行動様式や思考回路のもたらす結果に帰することは疑いようがありません。

  もし、天孫族や武士団族が朝鮮半島から負け組として追い出されてこなければ、日本列島は徳川時代の高度な文化もなく、 当時世界最大の都市だった江戸もなく、容易に西欧列強の植民地になっていたでしょう。つまり極めて残念なことですが、 日本人の世界に冠たる高度な技術力や文化性は、日本列島の3重遺伝子構造を構成する遺伝子の中で最後にやってきた Y-DNA「O2」(旧O3)がもたらしてきたものなのです、中国や韓国と支配階級が同じY-DNA「O2」遺伝子なのに結果が異なってきたのは、 常に外敵との抗争や侵略に脅かされ、技術や文化の熟成が近代までに確立「出来なかったか/出来たか」の違いなのでしょう。)


9.時代の趨勢

  3.3 Y-DNA「R1b」に書いた文章を復誦します。

  極めて明らかなことは、国・国民が先進的になるには純系民族では無理なのです。辺境民化してしまいエネルギーが低すぎるのですが、 競う共存遺伝子の種類が多ければ多いほど集団エネルギーが高くなり、国の活性度が上がり、覇権に向かうのです。 アジアの中で唯一近代化に成功した日本は縄文系−弥生系(長江文明系)−武装侵攻系(黄河文明系)が交雑し、 武装侵攻系が核になり集団エネルギーを一気に高め、一時はジャパンアズNo1と覇権を握るかもしれないほどの勢いを手に入れました。

  しかし日本が高止まりしてしまった間に中国が、日本以上の複雑な遺伝子ミックスにより集団エネルギーを高め、近代化らしきものに成功し 対外的には日本に取って替わりアジアの覇権を握ったように見えるレベルに達しました。しかし国民一人当たりの生産性があまりにも低く、 日本の1/4以下程度しかなく真の覇者には恐らく永久になれないでしょう。

  その中国も恐らく近いうちに日本同様高止まりするでしょうが、東アジアには日本、中国に代わる国はもはや存在しません。 南アジアのインドはロシアのスラブ系と同じインド・ヨーロッパ系遺伝子が支配する国ですが、中国同様あまりに国民一人あたりの 生産性が低すぎ日本の1/20程度しかなく覇権には届かないでしょう。

  当分の間はY-DNA「R1b」のアメリカとY-DNA「O2」(旧「O3」)の中国が覇権争いを続けるでしょうが、中国も日本もアメリカに 対する輸出で生産性を上げてきたので、アメリカにとって代わることは逆に自滅に向かうためまず不可能でしょう。
  非常に残念ですが、現代世界の構図は、世界の警察官であり輸入超大国のアメリカが太陽として中心に存在し、世界中から生産物を 買いまくり、そのおかげでアメリカの周りに各国が衛星のように回っていられるだけなのです。 水星、金星はEU諸国、地球は日本、火星はロシア、木星が中国、土星がインドという感じでしょうか。

=======================================

空想談

  このコラムの項目2で「北京原人やジャワ原人などのホモエレクトスも出アフリカし、ネアンデルタール人も出アフリカしたということは、 現生人類が出アフリカしたのは人類の遺伝子が導く宿命ではないかとも思われる。」と書いたのですが、 布団に入ってウトウトし始めた時に、突然、”空想の語り部”が降臨してきて グチュグチュと御託言を言い残していったので、忘れないうちに書き留めます。

  何故、ヒトを含む類人猿の進化ツリー前半のギボン(テナガザル)やオランウータンは(東南)アジアにしか棲息しておらず、 進化ツリー後半のゴリラやチンパンジーはアフリカにしか棲息していないのか?

  ヒトがアフリカで発祥したのはチンパンジーとの共通の祖先がアフリカにしかいなかったからなのは極めて明白ですが、 では何故共通の祖先はアジアにはいなかったのか?何故アフリカにしかいなかったのか? この疑問に関する納得できる説明を探してみたのですが、今のところ全く見つかってはいません。

  今のところの進化ツリーでは進化の後半で、ゴリラの祖先になった類人猿はアジアからアフリカに大移動をしたことになります。 要するに、ヒトの遠い源郷はアジアだったから、人は出アフリカしてユーラシア大陸を東に進んだと言うことになります。 つまりサケやウナギが戻ってくるのと一緒で、源郷戻りが遺伝子に埋め込まれているのではないか!? では逆に、なぜ類人猿はアジアからアフリカに移動をしたのか?も依然、極めて大きな謎です。

  とにかく解剖学的現代ヒト族は宿命に導かれ出アフリカし、中東あたりで先輩ヒト族の中東型ネアンデルタール人と交雑し分化し、 インド洋の沿岸に沿って東のアジアを目指し大移動を決行し、古代遺伝子Y-DNA「C」と「D」はアジアに到達しそこで棲息をしてきたわけです。 ところが別の古代遺伝子Y-DNA「E」は、せっかく出アフリカしたにも関わらずまたアフリカに出戻ってしまった。 ということはアフリカに進むことも遺伝子に組み込まれているのかもしれない。

  では残りの古代遺伝子Y-DNA「F」は、なぜインド亜大陸に留まり全新興遺伝子の親遺伝子となったのだろうか? アフリカ大陸でヒト族がチンパンジーとの共通の祖先から分化したように、インド亜大陸で新興遺伝子の共通の祖先の古代遺伝子「F」から 分化したのでしょう、それを実行した最も考えられる要因はアジア型ネアンデルタール人との交雑でしょう。

  インド亜大陸はアフリカ大陸と同様の、進化や分化を後押しするパワーがあるのではないか?誰か研究してくれませんかね!!!!!。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-0.htm#1

173. 中川隆[-13433] koaQ7Jey 2018年11月04日 07:25:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19963] 報告


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高山 博

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中世シチリア王国 (講談社現代新書) – 1999/9/20
高山 博 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%AB%98%E5%B1%B1-%E5%8D%9A/dp/4061494708


12世紀に栄えたノルマン・シチリア王国。 ラテン、ギリシャ、アラブ文化が併存し 繁栄できたその理由とは…

ヴァイキングがつくった地中海王国
歴史学者 東京大学文学部助教授 高山 博
https://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000252_all.html


高山 博

1956年福岡県生れ。80年東京大学文学部西洋史科卒業。89年から90年まで、英国ケンブリッジ大学客員研究員、同年、米国エール大学大学院歴史学博士課程を修了し、一橋大学経済学部助教授。93年、東京大学文学部助教授に。主な著書に『神秘の中世王国』(95年、東京大学出版会)、『ハード・アカデミズムの時代』(98年、講談社)、『中世シチリア王国』(99年、講談社)など。93年に出版した『中世地中海世界とシチリア王国』(東京大学出版会)では、サントリー学芸賞、地中海学会賞、マルコ・ポーロ賞を受賞している。


2000年2月号掲載



ヴァイキングから傭兵、そして一国の王へ

──先生の著書『中世シチリア王国』を読ませていただいて、12世紀に南イタリアとシチリア島に、文化的にも経済的にも豊かで、先進的な大国、ノルマン・シチリア王国が存在していたことを初めて知り、とても驚きました。

高山 確かに、ヨーロッパ史を専門に勉強した方ならば知っていると思いますが、ほとんどの方は知らないでしょうね。この王国は、12世紀初頭、ノルマン人によってつくられた国で、その領土が南イタリアとシチリア島の2つの地域にまたがっていたため「両シチリア王国」とも呼ばれた国なんです。

──しかし、この王国については、世界史の授業では習った記憶がないのですが…。

高山 そうだと思います。なぜかというと、日本で「世界史」として教えられるのは、主に19世紀のヨーロッパ主要国でつくられた歴史の枠組みを基礎にしたものだからです。

当時のヨーロッパは近代国民国家が形成される時期に当っており、フランスを始め、イギリス、ドイツなどで歴史が非常に重要視され、多くの歴史家達が優れた研究を行ないました。しかしながら、歴史というものはどこの国でも自国を中心に記述しがちなもの。とりわけ、自国の成立過程を説明しようとしていた当時の歴史家達にはその傾向が強かったということができます。当然、それらの国から外れた地域の歴史はほとんど研究されなかったのです。そのため、私達の世界史の教科書には載らなかったというわけです。

──確かに、世界史というとフランスやイギリス、ドイツなどの歴史が中心でした。

しかしノルマン人というのは、北フランスのノルマンディにいた人達のことですよね。その場所から南イタリアとシチリアはかなり距離があります。そんな遠いところに、どうして彼らは王国をつくったんでしょうか。

ロゲリウス2世によって建てられたサン・ジョヴァンニ・デリ・エレミティ教会。赤い丸い屋根はオリエンタルな異国情緒を漂わせている。今でもイスラム風庭園が残っている<撮影:高山博氏>
ロゲリウス2世によって建てられたサン・ジョヴァンニ・デリ・エレミティ教会。赤い丸い屋根はオリエンタルな異国情緒を漂わせている。今でもイスラム風庭園が残っている<撮影:高山博氏>

高山 もともと彼らの祖先は北欧のヴァイキングで、8世紀末から竜骨船に乗ってヨーロッパ各地を荒らし回っていたんです。その一部の人達がノルマンディ地方に定住し、ノルマン公国をつくり上げました。そして11世紀初頭、今度はノルマンディ公国から多くのノルマン人が海外に流出していった。彼らは海賊や山賊として略奪をしたり、また傭兵として異国の君主に仕えるようになった。当時、南イタリアは覇権争いで対立する諸勢力の間で常に内紛状態が続いていた地域で、ノルマン人は勢力を拡大しようとする各地の諸侯に仕えていました。彼らの中には活躍して領地を与えられ、伯や侯、公となる者もおり、徐々に力を蓄えていきました。その有力者の一人、シチリア伯・ロゲリウス1世の息子、ロゲリウス2世がノルマン・シチリア王国を建国したのです。

──陣取り合戦をしていた人達に傭兵として仕えていたノルマン人が、その地を手に入れたとは面白い話ですね。

高山 そうですね。しかし、この国の最も特徴的で面白いことは、3つの異なる文化、ラテン(西ヨーロッパ)、ギリシャ、アラブ文化が併存していたということです。

──1つの国家内に、複数の異なる文化が…?

高山 それができたのです。それも当時のヨーロッパの中では、非常に先進的な国家として栄華を極めていました。商業、経済においては、豊富な農産物や工芸品を産み出し、地中海地域の貿易中核拠点として栄えていました。行政にしても、高度な官僚制度を採用しており、当時のヨーロッパで最も先進的だったといわれています。これを近代行政制度の先駆けと見なす歴史家もいます。また、この地を通って、東方の文化がヨーロッパ各地に広まったという要衝の地でもあったんです。こういう多様な文化が共存できたのは、互いの文化を無理に融合させることなく、うまく接触、影響し合ったからこそで、そのことがノルマン・シチリア王国に華麗な文化を開花させ、豊饒の国とならしめたともいえます。

──国民はみな、言葉も宗教も全く異とするんですよね。本当にすごいことです。

今も残るノルマン王宮にカッペッラ・パラティナと呼ばれる王の礼拝堂があり、その壁画にはモザイク画が描かれている<撮影:高山博氏>
今も残るノルマン王宮にカッペッラ・パラティナと呼ばれる王の礼拝堂があり、その壁画にはモザイク画が描かれている<撮影:高山博氏>

複数の言語・暦が入り混じり史料を読むにも苦労

ラ・マルトラーナ教会には、キリストから王冠を受けるノルマン・シチリア王国初代王ロゲリウス2世のモザイク画が残っている<撮影:高山博氏>
ラ・マルトラーナ教会には、キリストから王冠を受けるノルマン・シチリア王国初代王ロゲリウス2世のモザイク画が残っている<撮影:高山博氏>

──今や先生はこの「ノルマン・シチリア王国」の歴史研究で世界的にも有名になられていますが、そもそもなぜこの研究をされたのですか?

高山 もともと中世ヨーロッパで3つの文化が接触する歴史に関心があり、そういう地域はないか探したところ、アルハンブラ宮殿で知られる中世スペインや東地中海にあったビザンツ帝国、そしてノルマン・シチリア王国の3つが見付かりました。ノルマン・シチリア王国を選んだのは、その3つの中でほとんど研究されていなかったからです。

──ご苦労もたくさんあったのでは?

高山 本当に大変でしたね。

まず言葉。ノルマン・シチリア王国ではギリシャ語、ラテン語、アラビア語、またこれ以外にもたくさんの言葉が使われていました。ですから、史料を読むためにまず言語の勉強から入ったんです。そして、その史料の年代確定にも苦労させられました。文化や宗教、地域、時代によって、暦の制度が異なっているため、その年号が私達の暦の何年に当るのか…これは本当に困難を極めましたね。また、中世の文書には偽造も多くて、その情報が正確かどうか、違う史料から確証を得ることもしなくてはいけないんです。

──大変ですね。複数の文化が一国家に存在していたことが、研究においては障害の一つとなったわけですね。

高山 だからあまり研究する人もいなかったのかもしれません(笑)。


強力なパワーがグローバルスタンダードをつくり出す

「シチリアで最も美しいノルマン建築」と評されるモンアーレ大聖堂内部は黄金色や青、赤、緑のモザイクが壁一面を覆っている<撮影:高山博氏>
「シチリアで最も美しいノルマン建築」と評されるモンアーレ大聖堂。内部は黄金色や青、赤、緑のモザイクが壁一面を覆っている<撮影:高山博氏>

──ノルマン・シチリア王国は複数の文化が併存しながらも大きな争いもなく、逆にその状況をプラスに転じさせた国家です。現代社会も国際化が進み、異文化同士の争いが起きています。そう考えると、ノルマン・シチリア王国は理想的な国に思えるんですが…。

高山 確かに、理想的な国です。しかし、ノルマン王朝による強力な王権があったからこそ、あり得た栄華でもあったんです。王権が、異なる文化に属する人々の間の争いを抑え、そしてそれぞれの能力を利用していたため、うまくいっていたのです。ですから王権が衰退したと同時に、異文化間の争いも増え、ついにはノルマン・シチリア王国は消滅していったのです。

──なるほど。強力なパワーがあったからなんですね。

しかし、現代では異文化交流というのは必須です。こうした中、現代人はどうやったらうまく他国、他文化と交流していけるか、何かヒントはありませんか。

高山 そうですね。まず、国内だけを見るのではなく世界を見渡すこと、それも日本人なら日本というフィルターを通して見るのではなく、より客観的に世界を、現代を見ることが必要です。というのは、現代社会は民族や宗教、国家を越えて自由に行き来するようになっています。

例えば、現在の日本の状況を見ても、物や人、情報、資本が国境を越えて自由に行き来するようになっています。いわゆるグローバル化です。これまで日本は制度的な障壁に守られて、完結した社会を維持することができた。しかしここ数年の間に、その障壁も取り外され、一気にグローバル化の波が押し寄せてきました。外部、いわゆる他国の力が私達に直接及ぶようになってきたのです。この事実をよく知ることが必要なのです。

──その中では、どのように行動していったらいいのでしょう?

高山 例えば、経済にしても、政治、学問等においても各分野ごとに力を持っているところ−−私は「パワーセンター」と呼んでいるんですが−−これがある。例えば、コンピューター業界であれば、マイクロソフトがその良い例でしょう。圧倒的なシェアを誇り、絶大なパワー、影響力を持っています。このパワーセンターを中心にその分野が動いていく、自分に有利なグローバルスタンダードを決定していくのです。ですから、この動きをとらえることも重要です。

──そういう意味では、現代のパワーセンターはアメリカに集中しているといえますね。

高山 確かに、経済、知的研究機関等のパワーセンターのほとんどがアメリカに集中し、残念ながら日本にはほとんどなく、どの分野でもアメリカなどの影響を受ける状態です。また政治も同様で、アメリカ合衆国というパワーセンターが世界を動かしつつある。

──このままでいくと…?

高山 日本の国力が衰退していくことになるでしょう。そうならないためには、まず、高い水準の教育を行ない、世界に通用する人材を生み出すこと。そしてパワーセンターの一部を日本につくること、特に教育・研究機関、いわゆる「知」のパワーセンターを持つことが必要ですね。

──確かにまだまだ、日本は「井の中の蛙」的なところがあります。これは国としても私一個人としても肝に銘じなければいけないことですね。

本日は、中世のノルマン・シチリア王国の話から、現代社会の話まで幅広いお話をありがとうございました。 
https://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000252_all.html

174. 中川隆[-13727] koaQ7Jey 2018年12月02日 08:47:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21547] 報告

あくどいのは日産のカルロス・ゴーンだけではない


2018年12月02日
世界バイクレースMotoGPで異変 マシンもライダーも平均化進む
http://www.thutmosev.com/archives/78305933.html#more


主催者の露骨な日本車叩きは年々悪化し、欧州の弱小メーカーが優遇されている(最終戦バレンシアGP)


画像引用:https://ultimatemotorcycling.com/wp-content/uploads/2018/11/2018-valencia-motogp-results-6.jpg


勝てなくなった日本メーカー

バイクレースの最高峰であるMotoGP(ロードレース世界選手権)で欧州メーカーが日本車並みに速くなっている。

2018年の最終戦スペインでは1位ドゥカティ、2位スズキ、3位KTM、4位ドゥカティ、5位がホンダだった。

この日は豪雨で転倒が続出したが、数十年間上位を独占したホンダとヤマハは表彰台に上がらなかった。




2018年のMotoGP(最高峰クラス)はホンダが優勝したが、優勝するのは年々難しくなっている。

ロードレース世界選手権がWGPと呼ばれていた時代は2ストロークエンジンで、2002年に4ストローク化された。

2007年にはVW傘下のドゥカティが年間優勝し、リーマンショックと重なって日本車衰退を印象付けた。


その後はヤマハとホンダが年間優勝を分け合ったが、再びドゥカティが優勝圏内に入った。

2018年シーズンに何度も表彰台に上がったスズキや、最終戦3位のKTMも2019年は優勝の可能性がある。

こうなった第一の理由はECU(エンジン電子制御システム)共通化で、全車同じになってしまった。


日本車の強さの源泉だったエンジン制御が同じになったので、性能の差が小さくなりました。

主催者はレースを面白くして観客動員や視聴率を増やすため、ホンダとヤマハを弱くすれば競争が激しくなると考えた。

狙いは的中し、レースごとにマシンの優位性が変動し、ホンダヤマハは常勝マシンではなくなりました。

欧州レース界の不公正さ

エンジン制御が共通化されて技術的進歩がなくなったので、下位メーカーほど有利になった。

特にエンジンの基本性能が高いとされるドゥカティは、直線で他車を引き離すほど速い。

ドゥカティはVW傘下でボッシュなどドイツ企業の支援も受けていて、姿勢制御システムが優れているとされる。

つまり主催者は日本車が得意なエンジンの電子制御を禁止して、ドゥカティが得意とする分野は野放しにしています。


この手口は1980年代のF1でホンダが勝たないようにターボ禁止にしたのと同じで、特定のメーカーを勝たせないようにできる。

F1でホンダが勝つとターボ禁止、ルマンでマツダが勝つとロータリー禁止、ラリーでスバルや三菱が勝つとクラス廃止ということを欧州レース界は繰り返してきた。

今度はオートバイレースで日本車排除ということで、ホンダやヤマハが撤退する日が来るかも知れません。

主催者がどのメーカーを勝たせたいのかは明瞭で、欧州で開催されるレースで欧州車が勝つと盛り上がります。

こうしてメーカーの競争力が平均化された結果、言っては悪いがKTMのような3流メーカーも上位に食い込んできた。


印象的だったのはマレーシアGPで10位になったマレーシア人ハフィス シャーリンで、日本人以外のアジア人が上位入選する時代になった。

今ではバイク生産世界一はインドで2位は中国なので、こうしたアジアメーカーが世界レースに参加する日が来るでしょう。

インド人や中国人ライダーが優勝する日が来るかも知れず、日本車が王者の座を守るのは大変だと思われます。
http://www.thutmosev.com/archives/78305933.html#more

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カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html

175. 中川隆[-13727] koaQ7Jey 2018年12月05日 07:30:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21682] 報告

青銅器時代のスコットランドの女性、移民の子孫と判明 DNA分析
2018.12.04 Tue posted at 17:11 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35129613.html

DNA分析で復元した青銅器時代のスコットランドに住んでいた女性の容姿/Hew Morrison
https://www.cnn.co.jp/photo/l/863487.html



(CNN) 4250年以上前に英スコットランドで死亡した女性の遺骨について、調査に当たる考古学者のチームは4日までに、欧州大陸からの移民の子孫のものであることが判明したと発表した。DNA分析で明らかになった。

遺骨はスコットランドのケイスネスにある遺跡で1987年に見つかっていた。

研究論文の筆頭著者であるマヤ・フール氏によれば、「エバ」と名付けられたこの女性は、黒髪と茶色の瞳を持ち、肌の色は現在南欧に住む人々に近かった。

これまでは赤毛に青い瞳の女性として描かれてきたが、法医学の専門家の描写で、より正確な顔の復元を生み出した。

DNA分析はハーバード大学医学大学院とロンドン自然史博物館の研究者が実施。スコットランドの学会誌に結果を発表した。

これによれば、エバは若い頃に病気を患ったものの、回復して活動的な生活を送るようになった。身長は非常に高く、牛の骨と一緒に埋葬されていたことから、牛の飼育に従事していたことがうかがえる。

従来の研究では、赤毛に青い瞳の女性だったと考えられていた/Hew Morrison
https://www.cnn.co.jp/photo/l/863488.html


生きていた時代は初期青銅器時代で、従来の推定を若干さかのぼる。死亡時には18〜25歳だった。

数世代前に北欧からスコットランドへの移住の流れがあり、エバの家族もその一員として移住していたとみられる。

共著者のトム・ブース氏によれば、以前のDNA研究で既に、紀元前2500年前後に欧州大陸から大規模な人の移動があり、一帯の人口構成や文化を変化させたことが分かっていた。

176. 中川隆[-13737] koaQ7Jey 2018年12月06日 13:08:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21763] 報告

2018年12月06日
アメリカ南部で白人比率が5割以下 30年後にヒスパニックが最大勢力


青系は白人が5割以下、赤系は白人が5割以上の州


画像引用:http://us-ranking.jpn.org/map/SF1P0030002PerP.png

2060年台にヒスパニックが最大勢力

アメリカは今500年に一度の大変動の最中で、今後数十年で白人の人口が過半数割れする。

しばらくの間は最多人種にとどまるが、その後ヒスパニックに抜かれると予想されている。

1960年には白人が85%を占め2015年には60%に低下、2050年には50%を下回ると推測されます。




さらに2060年代にはヒスパニックの人口が4割に達し、白人と入れ替わる可能性が高い。

というのはヒスパニックの増加率は他の人種に飛びぬけて高く、次いでアジア人、黒人、白人の順になっている。

ヒスパニックとはスペイン系人種のことだが、欧州に住む白人スペイン人ではなく、中南米のスペイン語を話す人たちです。


メキシコ、キューバ、プエルトリコなどのラテンアメリカ出身者が多い。

スペインは1492年にコロンブスが到達してすぐ植民地化をはじめ、カリブ海の島や中南米を支配下に置いた。

そのやり方は原住民の王を排除してスペイン人が王になるというもので、キリスト教を強制しスペイン語を強要した。


こうして人種的には南米原住民や黒人だが、スペイン語を話すキリスト教徒が誕生しました。

従ってヒスパニックは一つの人種ではなく、白人や日本人に近い人やアフリカから連れてきた人なども居る。

英語をまったく話さない人も居て、ヒスパニックが多い地域ではそれでも不自由はしないそうです。

白人ゼロの町も存在している

2050年には白人が過半数を割り込むのだが、もう新生児の数では白人の子供の数は過半数以下になっています。

すでに白人の文化や常識が通用しなくなっていて、例えば南北戦争の白人の英雄は、「犯罪者」とされ公園の像が撤去されたりしている。

西部劇はかっこいい白人が悪役の「インディアン」から街を守るストーリーだが、今やそんな映画は道徳的に作れない。


2050年までは30年あるが、白人が少ない地域では既にヒスパニックが多数になり、白人が町から逃げ出している。

白人比率はハワイでは30%以下、カリフォルニアは40%以下、メキシコに近い南部は全て50%以下となっています。

反対側のカナダに近い方では、すべて白人比率が60%になっていて南北で分断されている。


白人は北側、ヒスパニックは南側、アジア系は西海岸とハワイなど住み分けが進行している。

これが大統領選など選挙で分断を生み出し、前回はトランプが勝ったが今後も混乱するでしょう。


白人が多い州では白人が、ヒスパニックが多い州ではヒスパニック候補がという風に政治も分断が進む。

オバマの娘は差別是正による加点でハーバードに入学した

白人男性は彼女よりずっと優れた成績でないと減点され不合格になる


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引用:https://www.thestar.com/content/dam/thestar/news/world/2016/05/01/malia-obama-to-attend-harvard-in-2017-after-she-takes-a-gap-year/malia-obama.jpg.size.custom.crop.1086x705.jpg

差別される側になった白人

白人が少ない街ではスーパーに行っても周囲は肌の色が褐色でスペイン語を話す人ばかりで、白人とは会話も交流もない。

幼稚園や学校ではほとんどの子供がヒスパニックで、白人は1人しかいない場合すらある。

こうなると今までの常識が通用せず、白人であるという理由で不利益を受けたり排除される。


すでにアメリカでは進学や就職や昇進で「白人を差別しなくてはならない」という法律があり、皮肉なことに「差別是正措置(アファーマティブ・アクション)」と呼ばれている。

もともとは人種間の格差をなくすために白人以外の人種を優遇したのだが、現在ではただの白人差別法になっている。

たとえばオバマ元大統領の娘は控えめに言って平均以下の成績だったが、黒人への加算によって名門ハーバード大に入学した。


同じく大統領の娘で頭はイマイチだったブッシュの娘やクリントンの娘は、成績相応の大学に進学している。

白人は就職でも差別され昇進でも差別されるが、男性はさらに女性優遇によって減点される。

「アフリカ移民の黒人女性」に比べてアメリカ出身の白人男性は、ほとんど2倍の結果を出さなくては同じ大学に行けず同じようには昇進できない。


悪夢のような時代は現実に始まっていて、気が付けば白人は「差別される側」の人間になっていた。
http://www.thutmosev.com/archives/78354743.html

177. 中川隆[-13736] koaQ7Jey 2018年12月06日 13:13:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21763] 報告

2018年12月04日
憎むことを忘れた母親 / リベラル思想で異常になったアメリカ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68743488.html


救いようのない親
Amy Biehl 5(左 / エイミー・ビール)


  前回、南アフリカで殺害された白人女性について述べたが、今回は同じ殺人でも異常な遺族について紹介したい。時は、1993年の8月。アパルトヘイトが徐々に消えて行く南アフリカ共和国は、全人種を含めた初の民衆選挙を実施しようとしていた。(1994年には、アフリカ民族会議「ANC」が勝利して、ネルソン・マンデラが大統領になる。) 当時、26歳のエイミー・ビール(Amy Biehl)はフルブライト奨学金を得てウェスタン・ケープ大学に通うアメリカ人学生だった。 彼女は一年間の留学を終え、ルトガーズ大学で博士課程に入るため、二日後にアメリカへ戻るつもりだったという。しかし、この女子大生に突然の不幸が襲いかかった。1993年8月25日、彼女がケープ・タウン郊外にあるググルツを自動車で通行した時のことだ。街は選挙前で騒然となり、黒人どもが暴れて大騒ぎだったけど、軽率なエイミーは不用心で、愛車のマツダを走らせてググルツを抜けようとした。

  ところが、汎アフリカ会議(Pan Africanist Congress / PAC)に属する黒人達が、エイミーのクルマを見つけてしまい、ここで彼女の運命は急展開。兇暴な黒人どもは、煉瓦を手にしてクルマの窓ガラスを破壊し、さらにエイミーの頭を狙って投げつけた。慌てたエイミーは慎重に襲撃を逃れようとしたが、暴漢どもは彼女のクルマを取り囲み、「定住者一人に、銃弾一発」と叫び、「アフリカ人のためのアフリカ !」と囃し立てたという。そして、彼らはエイミーに向かって石を投げつけ、さらに彼女をナイフで刺して死に至らしめた。(Elizabeth Lowry, "We Are Not Such Things by Justine van der Leun review", The Guardian, 28 July 2016) 黒い兇悪犯どもはエイミーがアメリカ人とは判らなかったようだが、憎いアフリカーナと同じく、金髪を靡かせた白人だから、結局どうでもよかったのである。「白人なら誰でもよかった」という殺人事件は、理由が有るようで無い犯罪と言えよう。日本には国際関係学部とか社会学部に入って、多民族主義に染まってしまう単純な大学生が沢山いるけど、こういうアホ学生は一度アフリカに住んでみるべきだ。丸腰で黒人街を歩けば、身に沁みて恐怖を理解できるだろう。(案外、帰国した学生の中には改心して国防意識に目覚める者や、日本の良さを再確認する者が出てくるかも知れないぞ。)

  この殺人事件は即座に国際ニュースとなった。ところが、事件そのものよりも、エイミーの思想や彼女の両親の方に驚くべき事実があった。もう本当に呆れてしまうけど、裕福な家庭に育ち、奨学金を貰うほどの優等生だったエイミーは、高校時代にネルソン・マンデラの話を聞いて感動し、白人至上主義に対して闘おうと決意したそうだ。(世界には七不思議以外の驚異があるらしく、こうした「死に至る病」には様々なバリエーションがあるらしい。) ほとんどのアメリカ人は知らないけど、マンデラはソ連と通じた邪悪な共産主義者で、白人に不満をぶつけるだけの無能黒人だった。(マンデラの罪はイラーナ・マーサーIlana Mercerの著書『Into the Cannibal's Pot』に詳しい。マンデラが権力を握ってからは、約30万人が殺害されたし、不正や腐敗、暴力が横行し、AIDSなどの病気も蔓延していたから、どこが「デモクラシー万歳」なのか解らない。日本の大学教授は有益な洋書でも、都合が悪いと翻訳しないから、一般の日本人はマーサーの著作があることすら知らないのだ。下らない洋書でも左翼系だと岩波書店とか明石書店が直ぐ翻訳するんだけど。) アメリカのCBSやCNNといった主要メディアは、提灯番組を作ってもKGBとの繋がりは報道せず、ただアパルトヘイトに立ち向かう黒い英雄と讃えるだけだった。それなら、過激派フェミニストで公民権活動家のアンジェラ・デイヴィス(Angela Yvonne Davis)とネルソン・マンデラを取り上げればいいのに、アメリカの大手メディアは何故か素通りしようとする。まぁ、モスクワ大学で名誉博士号を授与されたり、レーニン平和賞をもらった黒人極左じゃマズいのかも知れない。たぶん、アメリカにはバラク・オバマのような黒い赤色分子が多いから、“良心的”なリベラル・メディアは出来るだけ隠したいのだろう。

Nelson Mandela 1Angela Davis 2Ilana Mercer 2


(左: ネルソン・マンデラ / 中央: アンジェラ・デイヴィス / 右: イラーナ・マーサー)

  脱線したので話を戻す。エイミーは典型的な名門大学ご卒業の「お嬢様リベラル」で、南アフリカに留学したのも、民衆政へ移行する国家における女性の権利を勉強するためだったという。事実、彼女はANC傘下の「全国女性同盟」のメンバーで、黒人解放運動を支持する活動家でもあったのだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、人権とかフェミニズム、人種平等といった左翼思想を注入されたエイミーは、殺されてから現実を学んだことになる。アメリカには高学歴でも馬鹿は多い。事実、エイミーは高校の卒業式で代表演説を行うほどの優等生で、進学したスタンフォード大学ではナムビアの独立に関する論文を書いて表彰されたという。こうしたスタンフォード大を卒業し、フルブライト交換留学生となった才女は、デモクラシーを知らない南アフリカの黒人を助けるべく、現地で選挙登録の“お手伝い”をしていたそうだ。空条承太郎じゃないけど、「やれやれ」と言いたくなる。もし、エイミーが日本に留学すれば、同種族で暮らす幸せと、人種混交で失敗したアメリカを理解できたのに、よりにもよって黒人の天下となったアフリカに留学するなんて。まるで自ら不幸を招き寄せたような愚行である。

Linda & Peter Biehl 11(左 / マンデラと会談したビール夫妻)
  アホな子供を見ると、「親の顔を見てみたい」と思うのが日本人だ。ということで、エイミーの両親はどんな人物かと思いきや、これまた裕福な上層中流階級の夫婦ときている。父親のピーター・ビール(Peter Biehl)はマーケット・コンサルタントで、母親のリンダ(Linda Biehl)は、かつてニューメキシコ州のサンタ・フェでアメリカン・インディアンのアート・ギャラリーを経営していたそうだ。こういう家庭背景を聞くと、エイミーがリベラル学生になったのも何となく理解できる。経済的に恵まれた家庭に生まれ落ちた白人娘が、両親から大切に育てられ、毛並みの良い学校に通って優等生になるのは自然だ。でも、こうした学校秀才は、兇暴な黒人が群れるシカゴとかブロンクスの実態を知らず、観念的な平等とか社会正義といった空念仏に共鳴する事が多い。エイミーは安全なサファリ・パークで獰猛な野獣を観ても、一向に恐怖心を覚えず、「可愛い動物」と笑顔で見学する子供と同じだ。世間知らずの小娘が、一旦リベラル思想に染まったら始末に負えない。いくら白人であっても、自分が心を開けば黒人も心を開いて友達になれる、と本気で思っている。こうした女性は強姦されるまで、現実の人種問題が分からない。

Amy Biehl's killers 12(左 / エイミーを殺した黒人達)
  エイミー殺害の捜査を行った現地の警察は、間もなく犯人を突き止め、四人の容疑者を逮捕した。拘束されたのはウスムジ・ンタモとモンゲジ・マンクィナ、イージー・ノフェメラ、ントベコ・ペニで、彼らはPACの武闘組織「アフリカ人民解放軍」のメンバーだった。(Paul Hopkins, "Embrace for her daughter's killer, Independent Ireland, July 6, 2008) この殺人鬼どもは法廷で裁かれ、18年の懲役刑を言い渡されたという。ところが、1997年、彼らは「真実と和解の委員会」に陳情して恩赦を求め、それが通ってしまったのだ。というのも、この裁定にエイミーの両親が反対しなかったからである。つまり、ビール夫妻は娘が南アの民主政治を望み、その促進を尊重していたから、殺害者の恩赦に異議を挟まないというのだ。普通の日本人だと「えっ、何それ?」と驚いてしまうが、左翼リベラリズムに汚染されたアメリカ人は健全な精神を失っているので、非常識を異常とは思わない。

  ビール夫妻が娘の死を哀しんでいたのは確かで、彼らは娘の意思を継いで南アフリカに貢献しようと、1994年に「エイミー・ビール財団」を創設した。ところが、驚いたことに、ビール夫妻は娘を虐殺したイージーとントベコの二人を財団に迎え、役職を与えたのだ。殺人鬼を赦すリンダ夫人の思考様式は、日本人の常識を越えていた。彼女は明確な理由を述べなかったが、簡単に言えば、犯人達はアパルトヘイトの被害者で、PACの政治家達に踊らされて暴動に及んでしまった、というのだ。この母親の説明によれば、「若者としての彼らはある状況の下で、すなわち恐ろしい制度の下で利用されたのだ」という。(Linda Vergnani, "Parents of slain Fulbright scholar embrace her cause in South Africa", The Chronicle of Higher Education, 19 January 2001.)

Amy Biehl's killer & Linda 2Linda Biehl 13

(左: 殺人鬼と抱き合う母親のリンダ / 右: 南アフリカの子供達と親睦を深めるリンダ・ビール)

  「罪を憎んで人を憎まず」というが、普通なら殺してやりたいくらい憎むはずだ。それなのに、娘の死は白人によるアパルトヘイトが招いたことなんだ、と解釈し、殺された娘も危険を承知で留学したんだから、と考えるリンダ夫人には救いようが無いというか、彼女の頭はどうかしている。確かに、死んだ娘を生き返らせるのは不可能だ。それゆえ、目の前の現実を受け止め、なるべく肯定的に考えようとするのも分かるけど、なにも下手人を赦して抱擁することはないじゃないか。イージーとントベコは遺族に赦しを求め、ビール夫妻はそれに応じたという。信じられないけど、娘を失ったリンダ夫人は「彼らと一緒にいると、エイミーが直ぐ側にいるように思えるの !」と述べ、「彼らはとても魅力的で、私は本当に好きだわ」と語っていた。もう、返す言葉が無い。「ルーピー」というのは鳩山由紀夫が初代ではなかったのだ。人種平等主義とか白人罪悪史観、デモクラシー礼讃といった思想を刷り込まれたアメリカ白人は、人間が持つ本能を去勢され、「復讐」という感情を失っているのだろう。まともな日本人の親なら、娘を殺したケダモノと一緒の空気を吸うことすら嫌で、自分の手で殴り殺すか、必殺仕置人を雇って抹殺する方が普通だ。昔のアメリカ人なら、犯人を生け捕りにして、三日三晩眠らずにリンチを行い、最後はカミソリでペニスを切り取って、その口に詰め込み、木に縛り付けて出血死を待つ。恨み骨髄の復讐なら、これくらいしなきゃねぇ。

Amy Biehl 6Linda Biehl 12

(左: 黒人の子供を世話するエイミー / 右: 更生した犯人と一緒のリンダ )

  ところが、どっこい、ピーターとリンダ・ビール夫妻は、リベラル的アメリカ社会を象徴するような重症患者であった。大切に育てた娘の仇を討たず、財団を創って南アフリカの子供達を助けようなんて、脳天気というより脳神経が麻痺している。彼らの脳味噌を雀に移植すれば、背泳ぎの如く後ろ向きに飛ぶんじゃないか。日本と同様に米国でも高学歴者は「頭がいい」と思われているが、実際は洗脳教育を受けて馬鹿になった者が多い。一般的に名門大学を出れば「エリート学士」と見なされるが、物事の判断力が優れているとは限らず、頼りにならない場合がしばしばある。草原を走る野生の馬なら周囲の異変に敏感だけど、生まれた時から人間に飼育された家畜は野生の本能が鈍っている。それでも馬や鹿なら恢復(かいふく)の可能性はあるけど、リベラル思想を注入された大学生だとお手上げだ。本やパソコンを積んだからといって、駄馬が“駿馬”にならないのと同じ。人間だともっと始末に悪い。

  エイミーが虐殺されたのは誠に悲しい事件であったが、その母親がハッピー馬鹿であったことは更に哀しいことである。もし、彼女が保釈された犯人を前にして半狂乱となり、汚い言葉で罵っても我々は驚かないだろう。むしろ、その姿の方が“自然”に見える。また、亭主のピーターも異常だ。普通の父親なら、釈放された黒人どもを襲撃し、晴らせぬ恨みを抱きながら黒いケダモノを嬲(なぶ)り殺しにするんじゃないか。でも、この父親は冷静な態度を保ち、寛大な心を以て犯人たちを赦す。こんなの日本人では考えられない。仇討ちを「当然」と考えていた昔の日本人は健全だった。悪いことをした者に制裁を加えるのが正常な人間で、左翼人権思想というのは人間の感情を侵蝕するウィルスのようなものである。高学歴者になるほど、この自覚症状が無いんだから、これこそ本当の悲劇である。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68743488.html

178. 中川隆[-13735] koaQ7Jey 2018年12月06日 13:16:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21763] 報告

2018年11月23日
二つの悲劇 / 犯された娘と命を絶った母
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68741378.html

黒人に犯され殺された乙女
Hannah Cornelius 7Hannah Cornelius 4blacks in SA 005

(左と中央: ハンナ・コーネリウス / 右: 南アフリカの黒人 )

  ある特定の人種と犯罪を結びつけるのは強引だが、異人種が混ざって暮らせば良いことよりも悪いことの方が多く起きる。米国の例は言うまでもないが、アフリカでも黒人同士の部族紛争が絶えず、日本人が想像もできない残酷な殺人が頻発しているそうだ。したがって、こんな暗黒大陸に白人と黒人が共存すれば、どんな摩擦が起きるのか容易に想像できるだろう。歐米人や日本人は南アフリカでアパルトヘイトが撤廃された、と歓迎しているが、その地に留まる白人のアフリカーナにとっては悪夢の到来である。最近では黒人が大威張りで闊歩するから、白人地区でも殺人や強盗の発生率が上昇し、オランダ系のブーア人らは恐怖に怯えながら毎日を暮らしているらしい。

  歐米のミニコミ紙や保守系雑誌なら、南アフリカの人種問題を取り上げるが、大手メディアは白人が犠牲者なので無視を決め込んでいる。リベラル派の報道番組は黒人の貧困とか伝染病の蔓延、独裁政権の横暴ばかりに注目し、「マイノリィティー」となったヨーロッパ系住民に対する同情は水よりも薄かった。「アパルトヘイト」の原罪を背負うゲルマン人には「人権」が無いのだろう。だから、人権を標榜する有名人でも、虐殺されるのが白人だと結構冷たく、たとえ女性が強姦されても知らんプリ。南アフリカ出身の藝人だっているのに、故郷の惨状には目をつむっている。南ア出身者の著名人といったら、女優のシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)とか、スーパー・モデルのキャンディス・スワンポール(Candice Swanepoel)、あるいは南ア出身の母親を持つシエナ・ミラー(Sienna Miller)が思い浮かぶけど、彼女達が「白人女性を救え !」といった声明を発したというニュースは聞いたことが無い。養子にした黒人の子供、息子のジャクソンと娘のオーガストを育てるセロンは、祖国のアパルトヘイトを非難し、その時代に育ったせいで人権と平等意識にとても敏感になったと語っていた。さらに、この心優しい人気女優は、米国に蔓延する差別や暴力にも怯えているという。でも、南アで殺されている同種族に関しては興味が無いらしい。

Charlize Theron 0125Candice Swanepoel 4Sienna Miller 11


(左: シャーリーズ・セロン / 中央: キャンディス・スワンポール / 右: シエナ・ミラー)

  余談だけど、南ア出身者と言えば、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出演したオーランド・ブルーム(Orland Bloom)を思い出す。彼の義父は南ア生まれのハリー・サウル・ブルーム(Harry Saul Bloom / 本名Solomon Harris Bloom)というユダヤ人であった。毎度言うのも何だけど、このハリーもユダヤ人らしく、アパルトヘイトに反対する極左活動家であった。彼はネルソン・マンデラと一緒に活動していたが、それが元でケニアに逃れ、最終的にイングランドに落ち着いたという。英国はクロムウェル時代から、こうしたユダヤ人を受け容れいるんだから、イギリス人の頭がおかしくなるのも当然である。歐米のリベラル派は脳天気にマンデラを讃えていたが、この名物指導者は投獄前から裏でKGBと繋がっていたという。つまり、ソ連はレアメタルが豊富な南アに目を附け、赤い黒人を利用していたという訳だ。(マンデラが共産党員だった事については、Stephen Ellis, External Mission, Oxford University Press, 2013に詳しい。)

Orlando Bloom 03Harry Bloom 1Orlando Bloom & Colin Stone 1Tolkin 1

(左: オーランド・ブルーム / ハリー・ブルーム / オーランド・ブルームとコリン・ストーン / 右: J.R.R.トルーキン )

ロンドンに定住したハリー・ブルームはケント大学で講師になったというが、一番目の妻のベリル(Beryl Cynthia Gordon)とは離婚。その後、オーランドの母親となるソニア・コープランドと出逢って結婚する。しかし、ハリーはオーランドが4歳の時に亡くなり、ソニアの恋人であるコリン・ストーンが養父となった。オーランドはは13歳までハリーを実父と思っていたそうだが、母親のソニアは不倫相手のコリンが実父であると告げたそうだ。ちなみに、役者となったオーランド・ブルームは、大ヒット映画『ロード・オブ・ザ・リング』に出演したが、原作者のジョン・R・R・トルーキン(John Ronald Reuel Tolkin)も南アフリカ出身者である。

Hannah Cornelius 5(左 / ハンナ・コーネリウス)
  脱線したので話を戻す。南アで殺人事件など珍しくもないが、女子大生のハンナ・コーネリウス(Hannah Cornelius)が殺害された事件は大粒の涙を伴う悲劇であった。彼女は名門のステレンボッシュ大学に通っていた21歳の白人女性。2017年5月下旬の夜だった。ハンナは祖母からプレゼントされた青いフォルクスワーゲン・ゴルフに友人のチェスリン・マーシュ(Cheslin Marsh)を乗せ、マーシュのアパートメント近くでクルマを停め、車内で彼と雑談をしていたそうだ。すると突然、スクリュードライバーを持った黒人が現れ、開いていた窓越しに、その兇器をハンナの胸に押し当て、外に出るよう命じたそうである。カージャクを行ったのはジェラルド・パーソンズとヴァーノン・ウィットブイ、ナッシュヴィル・ジュリアス、エーベン・ヴァン・ニーカークという四人の黒人であった。(Sara Malm, "Student who gang-raped and killed in South Africa," Daily Mail, 24 October 2018)

  ハンナとチェスリンを襲った犯人たちは、チェスリンの現金と携帯電話を奪うと、クルマのトランクに彼を押し込めた。一方、美人のハンナは「性的獲物」として後部座席に確保された。襲撃犯らは麻薬を買うため密売人の家に向かい、クリスタル・メスを吸引したそうである。犯人たちは11マイルほどクルマを走らせ、人気の無いケープ・タウン郊外に着くと、チェスリンをトランクから引き摺り出したそうだ。この黒人ギャングどもは彼の頭を地面の岩に押しつけ、石を持っていたウィットブイとパーサンズがその頭を打ちつけたという。チェスリンは激痛で気を失い、ギャングどもは彼が死んだものと錯覚し、そのまま置き去りにして犯行現場を後にした。翌日、彼は奇蹟的に目を覚まし、まだ意識朦朧としていたが、近所の民家に辿り着き、事件の経緯を警察に通報してもらったそうだ。頭蓋骨を砕かれたチェスリンは血を流しており、そのうえ腕も折れていた。残念なことに、頭部に受けた怪我のせいで、彼は片方の耳が聞こえなくなったという。

Hannah Corneluis murderers 1Cheslin Marsh 1


(左: 逮捕された四名の犯人 / 右: 負傷したチェスリン・マーシュ)

  しかし、囚われの身になったハンナの運命はもっと酷かった。彼女はケダモノに等しい黒人らに輪姦され、凌辱の限りを味わった。後の裁判で明らかとなったが、彼女は犯人たちに強姦ししてもいいから、命だけは許して欲しいと懇願したそうだ。ところが、この下郎どもは心ゆくまで白い肉を堪能すると、彼女との約束を平気で破った。彼らはハンナをクルマのトランクに押し込め、近くにある葡萄畑に向かったそうだ。そして、強姦魔たちがハンナをトランクから引き出そうとすると、彼女はクルマにしがみつき、必死で抵抗したらしい。だが、命の危険を察知したハンナがパニックを起こすと、イーベンが現れ、彼女の首を数箇所も刺した。真っ赤な鮮血がハンナの傷口から滴り落ちる。そして、別の黒い悪魔ヴァーノンがトドメを刺す。この冷血漢は大きな岩を持ち上げ、ハンナの頭に投げつけたのだ。病理学者のデイドレ・アブラハム(Daidre Abrahams)医師によれば、よほどの力が加わらない限り、頭蓋骨を粉砕するのは容易なことではないという。ただし、法廷で兇器の岩を見た者なら納得できる。

Hannah Cornelius rockHannah Corneluis murderers 2


(左: ハンナの殺害に使われた岩 / 右: 法廷に連行された犯人たち)

  輪姦され数箇所も刺されたハンナの遺体は、ステレンボッシュ近くの農場に運ばれ、道路脇に捨てられていたそうだ。しかし、四人の強姦殺人鬼はハンナを殺害した後、さらに二人の女性を襲っていたのだ。もう、犯罪というより趣味に近い。犯人たちは11時間後に逮捕されるが、「やはり」と言っては何だが、ふてぶてしいジェラルド・パーソンズは前科持ちのギャング・メンバーだった。しかも、体に彫った刺青が本人の下劣さを物語っており、「カネが欲しい」とか「血に飢えている」「殺人者」「殺し屋」「糞食らえ警官」といった文字が彫られていたのである。本当に腹立たしいけど、こんな奴があっさりと刑務所から釈放されるから、一般人の犠牲者が増えてしまうのだ。

Hannah Cornelius Gerald Parsons tattoos. 2Hannah Cornelius Gerald Parsons tattoos

(写真 / ジェラルド・パーソンズの刺青)

残された親の人生とは?

  子供を失った親の悲しみは、それを体験した者でないと解らない。ハンナの父ウィレム・コーネリウス(Willem Cornelius)氏と母親のアンナ(Anna)夫人は深い哀しみに包まれていた。娘を惨殺された父親は、「ハンナと共に私の家族は死んでしまった」と歎く。彼の慟哭は理解できる。娘を輪姦されただけでも胸が張り裂けそうなのに、その頭がメチャクチャに粉砕されてしまったのだ。普通なら、遺体確認など辛すぎてできない。ハンナは本当に自慢の娘だったそうである。彼女はオランダ語や英語、フランス語を操る才女で、成績を見ればオールAの優等生。しかも、ハッとするような美女ときている。両親にしたら娘の将来が楽しみだ。それなのに突然、娘の死を告げられ、無惨な遺体を目にしたんだから、犯人が死刑になっても癒やされない哀しみが残るじゃないか。どんな理由を聞かされたって納得できるものではない。

Hannah Cornelius & mother Anna(左 / 娘のハンナと母のアンナ)
  悲しみは往々にして人の心を蝕むことがある。母親のアンナは立ち直れなかったのかも知れない。事件が起こってから10ヶ月が過ぎた頃、56歳のアンナは朝7時にケープ岬へと赴き、氷のように冷たく、嵐で荒れる海に入って“泳いだ”という。しかし、彼女は生きて帰る事はなかった。心臓が止まった彼女の体は冷たい海に浮いていたそうだ。(Sebastian Murphy, Sara Malm and Julian Robinson , "Thugs who killed and gang-raped Hannah Cornelius Attacked TWO MORE women", Daily Mail, 9 November 2018) 夫のウィレムは妻が自殺したとは信じていない、と語っていたが、彼女は困難に立ち向かうだけの精神的・肉体的強さは持っていなかった、とも述べている。遺体を引き上げた救命士によれば、アンナは溺死と判断されたようだ。黒人擁護の人権派は、彼女の死を偶然の「事故死」と片付けるが、まともな日本人なら「自殺」と考えるだろう。なぜなら、事件の一週間前から、アンナは風邪を引いており、喉の痛みも抱えていたからだ。そんな人物が早起きして海岸に向かい、凍(い)てつく大西洋に飛び込んで「海水浴」を楽しむのか? 健全な精神を持った日本人なら、「きっと娘の死を耐えられず、自ら命を絶ってしまったんだろうなぁ」と憐れむはずだ。

  大学教育を受けたアメリカ人や日本人は、リベラル派と聞けば「良心的人物」と思ってしまうが、こうした連中は意外と薄情で自分しか愛さない。白人男性が黒人女性を強姦するのは滅多に無いけど、もし発生するれば、蜂の巣を突いたようにメディアは騒ぐ。しかし、黒人男性が白人女性を襲ってもさほど騒がず、「ローカル・ニューズ」程度の扱いで、サラリと受け流すくらい。黒人を奴隷にした白人だから因果応報というわけだ。しかも、主要メディアは「政治的に正しい」放送を心掛けているから、犯人を「黒人」とは表記せず、「男達」とだけ述べて人種を曖昧にする。現地を取材するレポーターは、白人女性の輪姦に激怒する白人男性を意図的に避け、被害者の死に対してだけ悲しむ“中立的”な人々にインタビューを行い、「とても哀しい事件でした」とお茶を濁す。しかも、慎重に選んだ黒人と白人の両方に尋ね、テレビ局は公平性を装っている。もっと不愉快なのは、普段「女性の人権」とやらを聲に叫んでいるフェミニストが、事件の核心である人種から目を逸らしていることだ。確かに、フェミニストの評論家たちは被害者の死を悼むが、黒いケダモノに対して牙を剝くことはない。トランプ大統領みたいな白人だと悪魔のように罵るが、オバマみたいな黒人強姦魔には矢鱈と理解を示す。

Hannah's father Willem Cornelius(左 / 父親のウィレム・コーネリウス)
  ニュース報道というものは一般的に刺身料理みたいなもので、早く捌(さば)いて二、三日すればポイ捨てだ。事件後、「誰がどうした」という追跡調査は無く、たまに懐メロ程度の報告しか行わない。娘を無惨に殺され、妻を失ったウィレム・コーネリウス氏の余生とは何なのか? 成長を楽しみにしていた愛娘は灰となり、人生の伴侶も土に還った。そして“生きる屍”となった彼は毎朝、目が覚めても話す相手はなく、夕食になっても一人きり。街で若い女性を見かければ亡き娘を思い出し、「あの子が生きていれば・・・」と心の中でつぶやく。同級生は大学を卒業して就職したり、結婚をして子供を産んだり、と幸せな人生を迎えているのに、独りぼっちのコーネリウス氏はただ老けるだけ。普通なら、孫をだっこしてあやしたり、クリスマスを一緒に過ごすなどして、笑顔の日々を送っていたはずだ。それなのに、現実では家族の写真を抱いて涙を流す日々。いったい、残された時間にどれ程の価値があるのか? 天国で再会することを楽しみにする人生なんて本当の人生じゃない。多民族共生を讃美する日本人は、その結果をどう思っているのか?

  日本政府は技能実習生という名目で、アジア諸国から「低賃金労働者」を輸入しようと謀っている。祖国を捨てて日本にやってく出稼ぎ人が総て「善人」とは限らない。むしろ、碌(ロク)でなしの下層階級が多いし、潰しの利かないダメ人間、能力が低いくせに自惚れだけは一人前の下郎、カネになれば犯罪も辞さずという不良外人などが予想できるじゃないか。アジア人労働者は日本で差別され、低賃金のまま酷使されれば、日本人全体に恨みを抱く。また、期限が迫って帰国となっても日本に居坐り、行方(ゆくえ)を眩まして不法滞在を続けるだろう。中には職場から失踪して闇社会で稼ぐ者もいるはずだ。こうなれば、日本社会は多民族共生のディズニーランドではなく、ネズミや幽霊さえ逃げ出すギャングランドになってしまうだろう。昼間でも日本人女性は一人で歩けず、いつ襲われるか分からないし、男性だってどんな被害を受けるか分からない。

migrants 111asylum seekers 556


(写真 / ヨーロッパに押し寄せた黒人難民)

  人権派は「外国人が全員犯罪者なんて偏見だ !」とか、「日本人の差別が外国人を傷つける !」と反論し、逆に我々を「罪人」のように責め立てる。だが、左翼陣営は簡単な事実を見ない。そもそも、アジア移民を受け容れなければ、犯罪を未然に防げたはずなのだ。つまり、存在しない人間が日本で強姦や殺人を行う事はできない。「ドラえもん」じゃあるまいし、「何処でもドア」を持っているアジア人なんか居ないだろう。人手不足など企業が儲けるための口実で、異民族はトラブルの素(もと)だ。例えば、100万人の移民が流入すれば、1千人ないし1万人くらいの犯罪者がていも不思議ではない。しかし、移民排除の政策を取れば、未来の犯罪1,000件以上を防ぐことができるのだ。移民促進派は「婦女強姦が数千件減るくらいじゃないか」と反撥するが、移民を予め閉め出せば、犠牲者となるはずの女性を1,000名ないし3,000名も救うことができる。強姦や殺人が起きてからでは遅いのだ。警官だって銀行強盗が発生するより、不審人物を摘発して強盗を未然に防ぐことを優先するはずだ。だから、警官は街中で怪しい奴を見かけると職務質問をして、シャブや兇器を持っていないか、と所持品を調べたりする。一般人は気付かないが、こうした立派な警察官がいるから、不幸な事件が起きなかったりするのだ。

  安倍総理は入管庁を設置したり、規制を厳しくすることで移民を取り締まるそうだが、そんなのは絵空事に過ぎない。歐米諸国を見てみれば分かるじゃないか。子供を持つ親は、これから「まさか !」に備えるべきだ。「レイシスト」の烙印を恐れた日本人は、家族を亡くす覚悟を持った方がいい。「うちの子に限って、そんなことは起きない」と信じる親は甘いぞ。コーネリウス夫妻も娘の死を予想していなかったんだから。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68741378.html

179. 中川隆[-13734] koaQ7Jey 2018年12月06日 13:18:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21763] 報告

ユダヤ人が白人を滅ぼす

馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ人=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA
=マクロン、ヒラリー・クリントン、オバマ、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の官僚・皇族


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、サダム・フセイン、カダフィ、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三


なんですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです :


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop

ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0

出演:
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
 水島総(日本文化チャンネル桜代表)


▲△▽▼


馬渕睦夫『グローバリストが恐れる日本の底力』
◉講演「新嘗のこころ」第2部(グローバリズムとは共産主義である) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YoH3GG3WiAc&index=2&list=PL7MaEu9i584cGqauRwWXCapXVTxom8dDT


▲△▽▼


「古事記に学ぶ日本のこころ」 馬渕睦夫 〜天と地を結ぶ日本人の力〜 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=xcQ1sp6fV2g

180. 中川隆[-13757] koaQ7Jey 2018年12月10日 18:11:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21898] 報告

新石器時代の人間の骨からペスト菌、人口激減の謎解明か スウェーデン
2018.12.10 Mon posted at 16:01 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35129877.html

新石器時代の女性の骨から記録上最古のものとなるペスト菌が検出された/Karl-Göran Sjögren, University of Gothenburg



(CNN) スウェーデンの研究チームがこのほど、5000年前に死亡した20歳の女性の遺伝子素材からこれまで知られるなかで最古となるペスト菌のサンプルを発見したとする論文を学術誌に発表した。

今から5000〜6000年前、新石器時代の欧州の農耕社会は劇的な人口減少に見舞われたが、その原因については現在に至るまで決定的な答えが出ていない。今回のペスト菌の発見により、疫病の流行が原因の一部だった可能性が浮上した。

上記の20歳の女性は、スウェーデン南部にある墓の中で、同時代ごろを生きた78人とともに埋葬されていた。別の人物からも同じペスト菌が検出されたため、研究者らは当時伝染病が流行していたとの見方を示している。

従来、欧州におけるペストはユーラシア・ステップと呼ばれる地域からの移住者が持ち込んだ疫病と考えられてきた。ユーラシア・ステップは現在のハンガリーから中国にまでまたがる広大な草原地帯で、ここからの移住者がその後新石器時代のコミュニティーに取って代わったとみられている。

しかし今回の発見により、ペストが北欧へ到達したのはユーラシア・ステップからの移住が起きた時期をはるかにさかのぼる可能性が出てきた。研究者らはヒトがかかる疾患としてのペストの起源はおよそ6000年前、人口1万〜2万人の「巨大集落」がつくられ始めたころだと論じている。不衛生な環境や人口過密の状態、動物の存在などを通じて、ペストが危険な疫病へと進化した可能性があるという。

ペストによって新石器時代のコミュニティーの人口が激減したところへユーラシア・ステップからの移住者が流入し、欧州全域で暮らすようになった。以後、欧州に住む人々の遺伝子構造はこれらの移住者のものへと変化したと、上記の論文は分析する。

論文の筆頭著者を務めたコペンハーゲン大学のシモン・ラスムセン准教授は、ペストの流行が石器時代の社会を崩壊させ、その後の大量移住で現代のヨーロッパ人の遺伝子が生み出されたと結論した。

181. 中川隆[-13125] koaQ7Jey 2019年1月08日 20:15:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22222] 報告
遺骨のDNA鑑定

先日、かつての英国国王リチャード3世(1452-1485)の遺骨をDNA鑑定することによって、「英国王室の血統がどこかで切れていたことが判明した」という記事を目にしました。

DNA鑑定技術は、性別や血液型はもちろんのこと、血縁関係や健康予測や発病リスクなど、様々なことを特定することができます。特に近年ではその精度が高まり、犯罪捜査における個人の絞り込みにも、DNA鑑定技術が応用されています。

このDNA鑑定技術、遺骨の鑑定結果次第では、予期せぬ混乱を巻き起こしてしまう恐れもありそうですね。

リチャード3世
リチャード3世
リチャード3世(1452-1485)は15世紀に活躍した英国国王で、イングランド国内で巻き起こった内乱「薔薇戦争」によって命を落としました。32歳という若さで、王位の在位期間はたったの2年間でした。


時代は変わって2012年、ランカスター市街地にある駐車場において、このリチャード3世の遺骨が発見されました。鑑定チームはこの遺骨のDNA鑑定を直ちに進め、意外な事実が発覚することとなります。

リチャード3世の血統を調べることで、遺骨が確かにリチャード3世のものであることは分かったものの、同時に公式の家系図との血縁上の不一致も発見されてしまったというのです。つまり先祖のどこかの時点で正当な血統は途絶えていたということです。

この発表に際し、混乱を避けるためなのか分かりませんが、「現英国王室に王位継承の資格がないと言っている訳ではない」とのコメントもなされています。
https://odanobu.com/article/130/

182. 中川隆[-11827] koaQ7Jey 2019年2月26日 09:46:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[152] 報告

ジョン・ウェインに激怒する黒人 / 率直に語りすぎた白人俳優
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68755498.html

  ジョン・ウェイン言えば、ハリウッド・スターの中でも超有名で、アメリカを象徴する代表的人物だ。日本の映画ファンなら、『赤い河』とか『黄色いリボン』『駅馬車』『勇気ある追跡』『アパッチ砦』『アラモ』などを想い出すんじゃないか。ジョン・ウェインには数々の作品があるけど、やはりカウボーイとしての役柄が似合っており、陽気で気さくなアメリカ人というイメージがある。たとえ、西部劇を離れても、彼の男らしさは変わらず、嵌まり役といったら軍人しかない。したがって、いくら役者とはいえ、民間企業に勤める“しがない”サラリーマンとか、うだつの上がらない公務員なんてキャラクターは企画段階でボツ。

John Wayne 7(左 / 『クリーン・ベレー』でのジョン・ウェイン)
  アクション俳優のシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツネッガーと同じく、ジョン・ウェインも勇敢な軍人を演じればピカイチだ。1968年に公開された『グリーン・ベレー(The Green Berets)』では、陸軍特殊部隊を率いるマイク・カービー大佐を演じていた。彼はこの作品で主演の他、自ら監督を務めていたが、制作の目的にはベトナム戦争で落ち込んでいるアメリカ社会を励ます意図もあったらしい。ちなみに、この映画の設定には無茶なところがあった。ウェインはベトナムに派遣される特殊部隊の指揮官を演じていたが、通常、「大佐」級の軍人が小隊を率いることはない。一般的に、特殊部隊を任されるのは大尉か中尉くらいで、あとは熟練のスナイパーやベテランの曹長などで構成されるのが普通である。しかし、ウェインが演じる軍人は大佐じゃないと“しっくり”こない。脳天気な日本人だと、政治家を選ぶ際、東大法学部卒とか元財務省官僚に目を留め、「わぁ、すごい経歴だなぁ〜」と思って指導者に選んでしまうが、アメリカの一般人は、試験秀才とか上級役人なんかは崇めない。頼りがいのある陸軍や海兵隊の大佐の方を選んでしまう。やはり、民衆を束ねるリーダーにはカリスマが必要で、不測の事態に対応できる能力はもちろんのこと、即座に正しい判断を下し、責任を持って実行できる人物でないと駄目だ。予め答えが分かっている問題に正解できるから「エリート」なんて思うのは日本人くらい。霞ヶ関の高級官僚を見てみろ。「責任最小、権限最大」がモットーになっている。(どこの役所でも同じで、責任はボンクラ大臣に丸投げなんだから。)

  ついでに言うと、元ハリウッド俳優で後に合衆国大統領になるロナルド・レーガンが憧れていたのは、このジョン・ウェインだった。大統領になったレーガンは、休暇になるとよく牧場へ赴き、愛馬に乗って楽しんでいたが、それはアメリカ国民に向けて、自身のカウボーイ姿を植え付けるためでもあった。アメリカの大衆は宮澤喜一のような気取ったインテリが大嫌い。彼らは気さくなんだけど威厳のある軍人とか、ガッツと人徳のあるアメフト選手などを好む。やはり、一国の指導者は堂々とした風格の持ち主でなきゃ。鳩山由紀夫みたいな宇宙人とか、サラリーマン風の福田康夫などは論外。また、ダチョウ倶楽部の上島竜平かと見間違う野田佳彦でも恥ずかしい。翻って、反共主義のレーガン大統領は、強大な軍事力を背景にしてソ連を叩き潰そうとしたカウボーイ。西部開拓時代を連想させる手法に、保守派の国民は大喜びだった。大統領職には武力を以て悪党を退治する英雄が相応しい。猪みたいに直進一本槍の森喜朗じゃ馬鹿の一つ覚えだ。小泉純一郎に至っては、アメリカの石油業界に土下座して、「どうかひとつ、息子の進次郎を総理大臣にしてやって下さい!」と揉み手すり手なんだから、老醜としか言い様がない。

John Wayne & Roanld Reagan 1Ronald Reagan 321


(左: ロナルド・レーガンとジョン・ウェイン / 右: 乗馬を楽しむレーガン大統領)

  脱線したので話を戻す。最近、脚本家で写真家のマット・ウィリアムズ(Matt Williams)が、1971年に発売された『プレイボーイ』誌でジョン・ウェインのインタビュー記事に目を附け、その暴言を自身のツイッターに載せたという。すると、この“再発見”を耳にした一般人は大騒ぎ。何しろ、ジョン・ウェインが亡くなって40年以上も経つから、若いアメリカ人は西部劇で活躍した名優くらいにしか思っていなかったのだ。でも、記事を読んだ一般人は目を疑うほど驚いた。「まさか、あの有名俳優が・・・」と大ショック。この騒動は瞬く間にマスコミに流れ、左翼メディアの「ワシントン・ポスト」紙や、黒人向けウェッブサイト・ニューズの「グリオ(The Grio)」が取り上げる事になった。

  現在の高校生や大学生だと、ジョン・ウェインは既に「過去の役者」となっているから、「誰それ?」と尋ねる人の為にちょっとだけ紹介したい。ジョン・ウェインというのは藝名で、本名はマリオン・ミッチェル・モリソン(Marion Mitchell Morrison)。綽名は「デューク(Duke)」で、これは彼が飼っていた愛犬「デューク」から由来しているという。近所の人々はマリオンがいつも連れて歩くペットの方を「リトル・デューク」と呼び、飼い主の方を「ビッグ・デューク」と名づけたそうだ。成長したマリオンは海軍兵学校を目指すが、不合格となって、大学に進学する。だが、怪我のせいでスポーツを断念し、役者の道を選んだそうである。勇敢な保安官や軍人を演じて好評を得たウェインには、やはり愛国者の血が流れていた。彼の祖父は南北戦争を戦ったアメリカ人で、孫のマリオンが海軍士官を目指したのも、こうした家系の影響があったのかも知れない。健全な両親に育てられたマリオンは、普通の善良な青年に育ち、母親の信仰を受け継いでプレスビテリアン教会(長老派のキリスト教宗派)に通っていたという。

John Wayne 12John Wayne 11John Wayne 4


(左: 学生時代のジョン・ウェイン / 中央: デビュー当時の写真 / 右: 西部劇のウェイン )

Joseph McCarthy 002(左 / ジョゼフ・マッカーシー )
  今の日本人やアメリカ人からすると「えっ!」と驚いてしまうだろうが、ジョン・ウェインは意外にも反共主義者で、“極右”組織と評される「ジョン・バーチ協会(John Birch Society)」に属していた。「ジョン・バーチ協会」と言えば、日本では怪しげな政治団体と見られがちだが、米ソ対立が激しかった1950年代から60年代のアメリカでは反共主義の民間団体に属する人は珍しくなかった。歐米や日本で反共主義団体の評判が悪いのは、マスメディアが容共の左翼に牛耳られていたからだ。つくづく嫌になってしまうが、ハリウッドや全米テレビ局には、ピンクや深紅の左翼ユダヤ人がゴマンといたのに、それを暴く映画や特番はほぼ皆無。反米活動家と見なされた映画監督は、まるで魔女裁判の犠牲者みたいになっている。ところが、「赤狩り」を行う保守派に対しては容赦がない。電柱のような鉄槌が下され、自由社会の擁護者は極右扱いだ。「反共」の代表格たるジョゼフ・マッカーシー上院議員は、悪魔の権化か閻魔大王。一旦、学術書で有罪が決まれば、その判決を覆すのは至難の業で、事実、未だにその汚名は払拭されず、妄想に取り憑かれた狂人といった具合だ。しかし、今となってはヴェノナ文書が公開され、マッカーシー上院議員の批判が正しかったと証明されている。一方、マッカーシズムを糾弾していた学者は知らぬ顔。何事も無かったかのように平然としており、過去の言論は総て闇に葬っているんだから本当にズルい。

Midnight cowboy Dustin Hoffman & Jon Voight 2Easy Rider 32


(左: 『ミッドナイト・カエボーイ』に出たダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト / 右: 『イージー・ライダ』のデニス・ホッパーとピーター・フォンダ)

  『プレイボーイ』誌のインタビューで、リチャード・ウォーレン・ルイス(Richard Warren Lewis)の質問に対し、ジョン・ウェインはどう答えたのか? 例えば、1960年代に公開された映画『イージー・ライダー(Easy Rider)』や『ミッドナイト・カウボーイ(Midnight Cowboy)』について訊かれると、ウェインは否定的な反応を示したらしい。「君はミッドナイト・カウボーイの中に出てくる男二人の素晴らしい愛について、 つまり、オカマ野郎(faggot)どものストーリーについて訊きたいのかい?」 ウェインが男性の同性愛者に対する侮蔑語を口にしたことからも分かるように、彼はこの変態作品を嫌っていたという。(Stephanie Nolasco, "John Wayne's family responds to actor's controversial 1971 interview with Playboy", Fox News February 21, 2019.)

  ちなみに、『ミッドナイト・カウボーイ』では、ジョン・ヴォイトがテキサスからやって来たカウボーイの「ジョー」を演じ、ダスティン・ホフマンがチンケな詐欺師「リッツォ」を演じていた。おぞましいのは、所持金を騙し取られたジョーが、金に困って男娼に身を堕とし、心ならずも客からのオーラルセックスに応じたことだ。ベトナム戦争が泥沼化した1960年代後半から70年代にかけて、アメリカの社会道徳は一気に崩れ、敬虔な生活が馬鹿にされ、ふしだらな生活が容認されるようになった。ハリウッドの左翼制作者たちは、陽気で実直なアメリカ人というキャラクターを徐々に捨て始め、その代わり、暴力シーンが満載のヴァイオレンス映画とか、フラワー・チルドレンが出てくる頽廃映画を作るようになった。また、男女の性描写もあからさまになり、フリーセックスに溺れる若者とか、結婚を望まないフェミニストなどが銀幕に登場し、それを左翼監督が“クール”に描いたから、敬虔なアメリカ人は眉を顰めた。アメリカの映像作品によく「PG-13(13歳以下の観客には親の同伴を必要とする)」「NC-17(17歳以下の観客は入場禁止)」といった規制があるのは、未だに西歐的倫理基準が息づいているからだろう。

黒人に対して赦しを乞わない !

  西部劇映画で有名になったウェインだから、当然、インディアンに関する質問も出ていた。ルイスは原住民に対しどんな感情を抱いているのかを尋ねたという。すると、ウェインは次のように答えた。

  私は彼らから土地を取り上げたことについて間違っているとは思わないね。いわゆる、我々が彼らから土地を奪ったという話だが、それは生存競争に過ぎない。新しい土地を必要とする人々が大勢いて、インディアンは身勝手にも自分達だけのものにしようとしていた・・・・そうだなぁ、確かに不平等はあっただろう。もし、これらの不平等が今生きているインディアンに影響を与えているとしたら、彼らには裁判に訴える権利があると思うよ。しかし、この国で100年前に起こった事を以て、現在の我々が責められるべきとは思わんがね。

  こうした見解には様々な反応が予想できる。白人に土地を奪われたと叫ぶインディアンの末裔がこの話を聞けば、「ふざけるんじゃない! 身勝手なのはどっちだ! お前ら白人が腕尽くで奪ったんじゃないか! まったく、盗っ人猛々しいぞ!」と憤慨するだろう。一方、戦国時代と帝国主義時代を経験した日本人だと、「戦って負けたんだから仕方ないんじゃないか」と思えてくる。なるほど、昔ながらに暮らしていたインディアンからすれば、先祖伝来の土地にいきなりヨーロッパ人が現れ、勝手に境界線を引き、「所有権」なるものを主張したんだから、「何だ、それ!」と反撥するのも無理はない。いくら土地取引の契約を結んだといっても、インディアンは好意で土地を貸しただけだ。未来永劫、自分の土地を割譲した訳ではない。だから、インディアンたちは征服者たちを憎んだ。実際、彼らはイギリス人を殺したし、フランス人と手を組んで反撃を企てることもあった。今のインディアンは一方的な被害者を演じているが、彼らの祖先は無抵抗のまま殺戮されたんじゃない。戦闘で白人を捕まえれば首を切ったり、問答無用で頭皮を剝いだりと、思いっきり復讐を果たしたこともあるのだ。

  日本の高校生はあまり知らないけど、俗に「フィリップ王の戦争(King Philip's War / 1675〜76)」と呼ばれる「メタコム酋長の叛乱(Metacom's Rebellion)」があった。ワンパノアグ族がイギリス人の村を襲撃し、家屋を焼いたり家畜を不具にしたこともあったという。中でも、マスケット銃を撃ちまくって白人を虐殺した話は有名だ。ここで刮目すべきは、キリスト教に改宗していたインディアンが劣勢だったイギリス人を助け、彼らに反撃の方法を教えてやったというエピソードだ。一方的にインディアンが皆殺しにされたという話は、巷に漂う都市伝説の類いである。白人をやっつけるインディアンの英雄譚には一種の爽快感があるが、仲間割れという欠点も見逃すことはできない。ピークウォット族やモヒカン族はワンパノアグ族と団結せず、一致協力してイギリス人入植者を撃退することはなかった。したがって、一口に原住民といっても、部族や個人を見渡せば事情は様々で、彼らは一枚岩ということではなかったようだ。インディアンは日本人のように臥薪嘗胆で西歐化を図り、力を貯めて乾坤一擲、西歐列強を撥ね除けようとしなかった。この点、昔の日本人は本当に賢かったと言えるしんじゃないか。もし、幕府と薩長で内乱を続け、英仏からの資金や武力に頼っていたら、簡単に西歐諸国の植民地となっていただろう。

  インディアンの末裔が白人に文句を垂れるのは勝手だが、それならアメリカ国籍を捨て去り、合衆国からの保護を一切受けないと宣言すべきだ。先祖を殺した敵に税金を払い、医療や教育、住宅、治安維持といった社会福祉を受けながら、白人征服者に「反省」を求めるなんて滑稽だ。インディアンの末裔はさっさと西歐文明から離脱し、伝統的な部族社会に戻るべきだろう。病気になっても緊急治療室に行かず、呪い師のもとで治してもらえばいい。だいたい、白人が建てた学校へ通って、憎い相手の言語(英語)を学ぶなんて馬鹿げている。出身部族の言葉を学ぶのが先なんじゃないか。また、クーラーやウォシュレットなんかも厳禁だ。夏が暑いのは当然。家電製品は白人の発明だから拒否すべし。大便は野原で済ませろ。ガスや灯油も白人が持ってくるエネルギーだから駄目。燃料は薪のみで、サマー・キャンプみたいな日常にすればよい。ただ、こうした前近代的な生活に、若い原住民が耐えられるのかどうか、は別の問題である。

  ルイスによる質問で、一番アフリカ系アメリカ人を激昂させ、論争を巻き起こしたのは、黒人に対するウェインの見解である。インタヴューアーのルイスは、黒人極左のアンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)や人種差別について質問した。ウェインは黒人が白人に恨みを抱き、不満をぶつけたいという感情には理解を示していた。「しかし、だからといって我々が急に跪き、何事においても黒人の指導を仰ぐ、といった事はない」とウェインは釘を刺す。

  私は黒人が責任感を持つように教育されるまで、白人の優越性(white supremacy)を信じたいね。私は無責任な人々に判断力が求められる指導的地位を与えたくないし、そうした権威を与えることにも賛成しないなぁ。

  ウェインは黒人がリーダーの資質に欠けること、そして、責任ある地位に就くには教育が足りない、といったことを述べていた。特に、彼は劣った黒人に下駄を履かせて大学に入れてやる制度に反対だった。何しろ、白人と同じ試験を受けて学力が足りないと判明したのに、「有色人種だから」という理由で優先的に入学を認める制度なんだから、不正の合法化と言えるんじゃないか。確かに、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)は何割かの黒人に知識を与え、就職への道を与える事はできた。しかし、その一方で黒人全般の評価を下げることにもなっていたのだ。いくら黒人が「俺はハーバード大卒なんだぞ!」とか、「奨学金を貰って、プリンストンやダートマスの大学院に通ったんだ!」と自慢しても、白人は「まぁ、黒人だから特別扱いにしてもらったんだろう」と小馬鹿にする。実際、バラク・オバマは“これ”といった業績も無いのに、権威ある「ハーバード・ロー・レビュー」誌の統轄者になれた。一方、集英社や小学館はハーバード大学ほど甘くはない。日本の出版社と一般読者は実力主義の信奉者だから、いくら黒人の漫画家でも「週刊ジャンプ」の看板作者にはしないし、人気投票で一番にすることもない。たとえ、投票葉書を捏造しても、単行本の売れ行きやアニメ化の話で躓くから、すぐ嘘がバレる。

Obama 21black children in Indiana 4


(左: 学生時代のバラク・オバマ / 右: 講義を受ける黒人学生たち)

  ルイスは更に厳しい質問を浴びせかけた。すなわち、ウェインが黒人奴隷をどう考えているのかを尋ねたのだ。そこで、ウェインが率直に答える。

  私は5世代や10世代前に彼らが奴隷だったという事実に関し、罪悪感を覚えることはない。だからといって、奴隷制を見逃すというか、赦す訳じゃないからね。それは人生にある現実なんだ。例えば、身体障碍を抱えた子供が、金属製の器具を身につけている状態なら、友達と一緒にフットボールを楽しむ事はできないよね。現在の白人と競争できる黒人は、白人よりもマシな厚遇を受けているんだ。もし、アメリカより素晴らしい権利を得ている黒人がいたら、どこの国なのかぜひ教えてもらいたいものだ。

  もう、こんな発言を耳にしたら、黒人の活動家や大学教授は激怒するだろう。ウェインが述べていたことは、黒人に対する虐待は過去の話で、現在の我々には関係無いという趣旨だ。しかも、白人が教育と機会を与えてやったから、少しはマシな黒人が増えたのであって、白人が一方的に非難されるのは心外だと語っていたのである。ウェインの意見は人種によって評価がまちまちだし、彼と黒人のどちらが正しいのか、判断を下すのは日本人でも難しい。黒人の恨みは理性を越えた感情にある。いくら白人が正論を吐いたとて、絶対に受け容れることはできない。なぜなら、劣等民族の悔しさは言葉で治療することができないからだ。これは日本人を恨む朝鮮人と同じで、いくら言葉で謝っても、因縁をつけてくる民族の心は晴れない。朝鮮人が日本人を奴隷にし、男は縛り首で、女は強姦という復讐を果たせばスッキリするだろう。しかし、普通の日本人なら、こんな仕打ちに耐えられまい。必ずや抵抗するはずだ。

自分の祖先を恨めない黒人

  黒人が白人を赦せないのは、白人の残虐性もさることながら、黒人が持つ自らの「惨めさ」に原因があるのだ。アメリカの黒人は奴隷船でアフリカ人を連れてきた白人を憎む。だが、その奴隷商人はアフリカの有力部族から「黒い捕虜」を購入したのだ。ポルトガルやスペイン、ブリテンの白人が各地の村を襲って黒人を拉致するなんて無理。そもそも、西歐人が密林を掻き分けて侵攻したというのは嘘で、大抵は紛争に勝った黒人部族が敗者を捕虜にして、取引を持ち掛ける白人に転売したというのが実態である。事実、カリブ海の黒人たちは、輸出先のナイジェリアやガーナを恨んでいる。例えば、ナイジェリアで人権活動に励む黒人左翼は、部族の酋長ならびにその子孫を責め立て、奴隷制の後遺症に苦しむ黒人に謝るよう求めていた。(David Smith, "African chiefs urged to apologise for slave trade", The Guardian, 18 November 2009.) しかし、当のアフリカ人には「人権」という概念は更々無い。そんな言葉を聞いたって馬耳東風。「権利(rights)」と聞いても「右手」を差し出す程度。象牙の方がお金になる。もし、「有罪」とされた部族の首長に「賠償として牛30頭、豚40匹、鶏70羽を出せ!」と要求すれば、「何で俺が貴重な財産を差し出さなきゃならないんだ!」と激昂して棍棒を振り上げるだろう。アフリカの黒人はウェインと同じく、「遙か昔になされた罪を現在の者が償う義務は無い!」と撥ね付けるだけだ。我々にとって興味深いのは、「こうしたアフリカ人を見たアフリカ系アメリカ人はどう思うのか?」という点である。

Marcus Garvey 13(左 / マーカス・ガーヴェイ)
  もう一つ、アメリカ黒人の怒りには別の要因がある。アフリカ系国民の地位向上を訴え、白人批判を展開する赤い黒人は、現在の白人に賠償を求めても、彼らの祖先が選んだ「決断」には触れようとはしない。なぜなら、白人から解放された元黒人奴隷は故郷に帰ることを拒み、白人国家に留まる事を選んてしまったからだ。(その結果、黒人の子孫は精神が妙に歪んでいる。) 以前、当ブログでも紹介したが、「黒いモーゼ」と呼ばれるマーカス・ガーヴェイ(Marcus Mosiah Garvey, Jr.)は、白人国家のアメリカで黒人は幸せにならないと考え、黒人はアフリカに戻るべきだと訴えた。このジャマイカ人救世主は、アフリカに作られたリベリアに赴き、黒人による国家を創設しようと夢見たが、肝心の黒人たちは興味を示さなかった。ガーヴェイは「ブラック・スター・ライン」社まで創設し、渡航手段を持たない黒人を助けてやろうとしたのに、彼の同胞は故郷での悲惨な生活を予想し、豊かなアメリカに住み続けることを選んだ。

  現在の黒人はあれこれ不満を漏らすが、彼らの祖先は差別よりも貧乏を恐れていた。これは情けない現実だが、一旦、高度な文明に触れた劣等種族は、いくら差別されようが、その豊かさに魅了され、ちょっとした“おこぼれ”でもいいから「華やかな生活に与りたい!」と願ってしまうのだ。確かに、異人種の国で差別されることは苦痛だ。しかし、アフリカに還って貧乏生活を味わうよりマシである。アフリカにはゾっとするような原始的生活しかない。電気・水道・医療が存在しないばかりか、「明日への希望」さえ無いのだ。アメリカには立派な建築物が聳え立ち、煌びやかな衣装を身に纏った貴婦人がいる。今は無理でも子供や曾孫の代には、「人並みの暮らしが出来るんじゃないか」と淡い希望を抱く黒人もいたはずだ。アメリカは西歐人の天下であっても、一応、公衆衛生が行き渡っていたから、黒人でも多少はその恩恵に浴することもできた。簡単な治療といえども、病気への恐怖が軽減されていたし、黒人でも医学を学ぶこともできたから、アフリカよりマシである。映画では残虐な扱いをする白人ばかりが出てくるが、中には黒人に温情をかける白人もいたから、強制収容所みたいな暮らしを想像するのは間違いだ。農園で働く黒人は御主人様の情けを求めたし、黒人を雇う白人にも“まともな”経営者がいたらしい。

  奴隷制度を持たなかった日本人から見れば、アメリカ白人の黒人搾取は残酷に思えてしまうだろう。だが、世界史を眺めてみれば、奴隷制なんて珍しくもないし、「同胞を奴隷にしなかった西歐人はまだ“上等”なんじゃないか」と思えてくる。アジア大陸の民族にとって異邦人を差別するのは当り前だし、戦争捕虜の虐待・拷問は普通で、奴隷貿易なんか単なる商売だ。インドに行けばカースト制度があるし、アフリカでは狂気に満ちた部族闘争が絶えない。ルワンダでの虐殺劇を想い出せばわかるじゃないか。敵を捕まえて足首を切断するんだから、人権も正義もあったものではない。鳥や豚じゃあるまいし、鉈(なた)で人間の手足をぶった切るなんて鬼畜と同じ。しかし、これとて支那人に比べたら可愛いものだ。支那人の殺戮といったら日本人の想像を遙かに超えており、戦争となれば殺人や掠奪、放火は当り前。数十万人規模の虐殺なんか幾らでもある。人間を捕らえてバーベキューにするくらい朝飯前というか、ちょっとした“お祭り”といった感じである。

Slavery in Africa 3Slavery in Arabia 13


( 左: アフリカ人の奴隷 / 右: 白人奴隷を売買するムスリム商人の絵)

  アメリカの黒人が憤りを持ち続けるのは分かるけど、それならアフリカに移住して、立派な黒人国家を建てるべきなんじゃないか。それに、白人を糾弾する黒人は、リベラル派の左翼分子やユダヤ人に裏で操られている場合が多い。当ブログで以前も紹介したが、ユダヤ人左翼は黒人の公民権活動家に近づき、法的アドヴァイスを与えたり、こっそりと資金を提供したりと、様々な支援を送り、「共通の敵」に戦いを仕掛けていた。また、革命家の白人極左にとって、怒れる黒人は「便利な馬鹿」となっていた。憎い資本家を抹殺し、伝統的社会を転覆させるには、「社会正義」を振りかざす尖兵、あるいは何も考えない鉄砲玉、すなわち「捨て駒」や「消耗品」が必要なのだ。日本人の保守派でも、こうした構造を判っていない者が多く、単純な保守派は黒人に加勢して「そうだ、白人はけしからん!」と憤慨する。だが、西歐諸国と絶縁した日本がどのような運命を辿るのかは考えない。他方、アメリカの大学で西洋批判を展開するユダヤ人は、お金を払わないのに協力してくれる、海外のボランティア馬鹿に感謝し、左翼連携を持ちかけよとする。日本人はユダヤ人のプロパガンダに弱いから、簡単に引っ掛かるだろう。

  とにかく、ジョン・ウェインの意見に反撥するアメリカ人は大勢いると思うが、1970年代初頭のアメリカを考えれば、彼の歴史観に不思議なところは無い。もし、マズいところがあるとすれば、それは彼が率直に答えを述べた点にある。黒人は白人全般を非難するが、アメリカの白人には東歐系とか南歐系が含まれているし、たとえ西歐系国民に絞ったとしても、誰が奴隷所有者の子孫なのか特定は難しい。それに、今日では入植者の子孫とかアングロ・サクソン系の数が激減しているから益々困難だ。彼らの末裔は様々な人種と混淆しているから、仮に奴隷所有者の財産を受け継ぐ者を探し出したとしても、どれほどの賠償金を獲得できるのか分からない。民衆党の極左議員であるカマラ・ハリスやエリザベス・ウォーレンは、奴隷制に関する賠償を払うべし、と主張していたが、具体的にどうやって償うつもりなのかを述べていなかった。(Lisa Eustachewich, "Kamala Harris , Elizabeth Warren both support reparations for slavery", New York Post, Febraury 22, 2019.)

Kamala Harris 11Elizabeth Warren 114


(左: カマラ・ハリス / 右: エリザベス・ウォーレン )

  ハリスとウォーレンは勇ましい持論を口にしていたが、こんなのは単なる人気取りだ。第一、議会が承認しないし、大半のアメリカ人も大反対となるだろう。考えてもみよ。奴隷所有者の子孫じゃないのに、「白人だから」という理由で資産をむしり取られる白人は黙って税金を差し出すのか? 結局、ハリスとウォーレンは黒人有権者にアピールしただけ。彼女たちが何を言おうが、アメリカの黒人は惨めなままだ。奴隷として搾取され、解放されてもほったらかし。たとえ、白人並に扱われるようになっても、黒人票を狙う政治家に利用されている。奴隷の子孫は差別意識をひた隠しにする白人を怨むが、かといって白人のいない黒人だらけの社会をつくると、不正や腐敗がはびこり、貧乏と悲劇が織り混ざったスラム街になってしまう。最終的に、「白人様、戻ってきて !」と懇願するか、白人の居住区に潜り込むのがオチだろう。何てことはない、白人に寄り添って暮らすことが黒人の幸せになっているのだ。ちょっと賢い日本人なら、「哀しいけど、これが現実なのよねぇ〜」と云いたくなる。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68755498.html 

183. 中川隆[-11742] koaQ7Jey 2019年3月03日 09:35:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[239] 報告

2019年03月02日
ヴァイキング〜北歐戦士が教える強さ
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野心と復讐が満載の海賊ドラマ

Vikings Ragnar 3Vikings Lagertha 2


  「History」チャンネルの大ヒットTVドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』が、高視聴率を以てシーズン5を終了した。このドラマは伝説の英雄ラグナー・ロスブロックの活躍を描いた作品で、シーズン4からは、その息子達の戦争や内紛をテーマにしている。このドラマにおける見せ場は、何と言っても壮絶な戦闘にあり、ヴァイキングが敵を殲滅するシーンは圧巻だ。日本の時代劇だと、剣の達人が一瞬の隙を突いて相手を斬りつけるといった名人技か、大勢の兵隊を集めただけの合戦が主流となっている。しかし、北歐戦士の殺し方は“雑”というか、腕力で押し切るといった感じだ。とりわけ、斧で相手を惨殺するシーンは凄まじく、鬼包丁よりも肉厚の手斧が敵の肉体に食い込み、鮮血が噴水のようにほとばしる。TBSの時代劇に慣れた日本人だと、「えぇぇ〜! こんなドラマ放送していいの?」と驚いてしまうだろう。ウァイキングにとったら戦争は一種の家業で、生き甲斐という側面もある。キリスト教に染まっていないゲルマン人には、手当たり次第の殺人が悪いなんて感覚は一切無い。これは言いづらい事だけど、キリスト教的倫理観に囚われない殺戮がヴァイキング映画の魅力となっている。

Vikings Ragnar death(左 / 毒蛇に噛まれて死亡したラグナー・ロスブロック)
  歴史ドラマには、戦争や策略、欲望、愛情に加えて、登場人物の様々な人間模様が描かれているが、復讐というテーマも欠かせない要素だ。もちろん、『ヴァイキング』にも恨みを晴らす復讐劇があった。シーズン4で主人公のラグナーは、ノーザンブリアの王エッラ(King Aelle)に殺されてしまう。フランス遠征で失敗したラグナーは故郷のカタカットを去り、イングランドへと渡ってしまうのだが、そこで運悪くエッラ王に捕らえられ、恥辱的なリンチを受けてしまうのだ。嬲(なぶ)り物にされたラグナーは、最終的に地面に深く彫られた穴へと突き落とされてしまう。だが、そこには沢山の毒蛇がとぐろを巻いていた。観ているだけで背中に戦慄が走るが、負傷したラグナーは運命に身を任せ、蛇に噛まれながら絶命してしまうのだ。しかし、彼の息子達は後に復讐を果たす。ラグナーにはビョルン、ウベ、ヴィトゼルク、シガード、アイヴァーという五人の息子がいて、彼らは仲間を引き連れてエッラ王を捕らえることに成功し、親の仇(かたき)を「血の鷲(blood eagle)」という残酷な刑罰につける。

King Aelle 2King Aelle blood-eagleKing Aelle 3


(左: エッラ王 / 中央: 「血の鷲」を説明した絵 / 右: 宙吊りにされたエッラ王)

  酷刑の方法は次の通り。ヴァイキングたちはエッラ王を丸太に押しつけ、うつ伏せにさせたまま、その両手に太い釘を打ち込んで固定する。そして、ビョルンが熱した刃物で王の背中を切り裂く。背中の皮膚をめくって赤い肉と背骨が現れると、そこを手斧で打ちつけるもんだから、エッラ王は堪らず絶叫する。しかし、ビョルンは容赦なく手斧を振り下ろし、脊髄を叩き折り、肺を剔ってしまうのだ。壮絶な生き地獄を味わったエッラ王は即死。ラグナーの息子達は王の死体を宙吊りにして晒し者とする。王の遺体は背中に羽根が生えたような姿になっていた。女性の視聴者だと、思わず目を背けたくなるシーンだが、ヴァイキング達は夜中に行われた、この儀式的処刑を楽しんでおり、ちっとも悪いとは思っていないのだ。彼らにとって復讐は当然の義務である。仇討ちが禁止されている現代とは大違い。法学者が何と言おうとも、行政の役人が復讐の肩代わりをするなんて茶番だ。いくら犯人の死刑が実行されたからといって、遺族の気持ちが晴れるわけじゃない。やはり、遺族が直接手を下してこそ、本当の死刑である。そうじゃないと、いつまでも遺族は鬱血した状態のままなので本当に気の毒だ。(日本は古代人に倣って、原始的な処刑法を復活させるべきなんじゃないか。案外、ヴァイキング式の復讐は歓迎されるかもよ。)

Vikings Lagertha 1Vikings Queen Aslaug 2(左: ラガサ / 右: アスラグ)


  話を進める前に、ラグナーの家族について紹介したい。「英雄色を好む」というが、ラグナーも例外ではなく、正妻が居るのに別の女性を愛してしまった。正妻は王になる前から一緒に暮らしていたラガサで、彼女との間にはビョルンが生まれている。二人にはガイダという娘がいたけど、村に発生した疫病で失ってしまうのだ。その後、カタカットの王になったラグナーは、イングランドの侵掠を計画し、妻ラガサを残して仲間と共に遠征へ旅立つ。故郷を離れたラグナーは、ふとした事からシグリッドとブリンヒルドの娘であるアスラグに一目惚れ。彼女の魅力に抵抗できなかったラグナーは不貞を犯し、結果的に子供をもうけてしまう。これに我慢できなかったラガサは家を出る決心をする。戸惑っていた幼いビョルンは、母のラガサが旅立つ時、居たたまれなくなって態度を翻し、ラガサと共にラグナーの許(もと)を離れることにした。やはり、後妻や異母兄弟と暮らすより、実の母と一緒に暮らしたいと考えたのであろう。ラグナーは胸が張り裂けるほど悲しんでいたが自業自得だ。

Vikings Bjorn 01Vikings Bjorn 03(左: 少年時代のビョルン / 右: 「強靭(Ironside)」と呼ばれるようになったビョルン)
  ラグナーが君臨する村「カタカット」では、二番目の妻アスラグが女王になって夫を支えることになった。彼女は次々とラグナーの息子を身籠もるが、末っ子のアイヴァーだけは丈夫な子供でなかった。年上の息子三人、ウベとヴィトゼルク、ジガードは五体満足で生まれたが、アイヴァーだけは脚に障碍を持ち、まともに立つ事すらできない。アイヴァーは動くときはいつも両手を使い、地面を這いつくばるように進んでいた。(後に、鉄製の脚甲冑を作らせ、それを装着して立てるようになっている。) だが、兄弟の中で最も知能が高く、強固な意志を持っていたのはアイヴァーだ。父のラグナーはアイヴァーの素質を見抜き、不具の息子に智慧を授け、立派な統率者に育てようとした。父の薫陶を受けたアイヴァーもそれに応え、片輪の身体にめげることなく、強靱な精神を持つ戦士に成長したんだから偉い。彼は兄弟をも従えるほどの指導者になっていた。

Vikings Ubbe 1Vikings Hvitserk 2Vikings Sigurd 1Vikings Ivar the Boneless

(左: ウベ / ヴィトゼルク / ジガード / 右: アイヴァー )

  ところが、「骨なし(Bonless)」と呼ばれたアイヴァーには、劣等感ゆえの傲慢さなのか、矢鱈とプライドが高く、野心が強すぎるという欠点があった。確かに、鋼鉄の意思はリーダーの特質になるが、周囲の人間に対する兇器にもなり得る。アイヴァーは兄弟揃って食事を共にした時、シガードの軽い嘲笑に激昂し、その場で手斧を投げつけ、侮蔑的な兄を殺してしまったのだ。アイヴァーの性格は兄弟の関係をぎくしゃくさせ、団結を誓っていたラグナーの息子たちにも亀裂が生じ、次第に骨肉の争いへと発展する。長兄のウベと末弟のアイヴァーは対立し、袂を分かつことになるのだが、ヴィトゼルクは迷った末に、アイヴァーの側に附いてしまう。理由は明らかにされていないが、アイヴァーの気魄に靡いてしまったのかも知れない。

  しかし、弟に与したヴィトゼルクは後悔することになる。アイヴァーは自分を神の如き君主と思うようになり、独裁者のように振る舞い始めた。元々、ヴァイキングの王は絶対的な君主というより、対等な者からから推挙され、戦争の時に皆を統率する首長といった感じだから、神々の権化なんていう身分じゃない。ヴィトゼルクはアイヴァーの変質に反撥を抱き、敵対していたウベとビョルンの陣営に寝返ってしまうのだ。一方、アイヴァーと対峙したウベは、異母兄弟のビョルンと組んでアイヴァー軍と戦うことにした。ラガサの運命も数奇で激しい。ある時、ラガサは敵対するイングランド人の司教ヘフマンドを捕虜にする。しかし、いつの間にか二人は肉体関係を結ぶ仲になってしまう。今でこそ、カトリック教会の司教は独身が掟となっているが、古代までは厳格な独身制はなく、妻や愛人を持っている聖職者は珍しくなかった。また、当時の聖職者は質が違っていて、剣を持って戦うことに抵抗がない。ヘフモンドはシェルボーンの司教であるが、単に儀式を執り行うだけの聖職者ではなかった。彼は異教徒からキリスト教国を守る戦士という側面を持っている。異教徒からキリスト教国を守るという名目だったが、戦場に飛び出すと豹もビックリするほど豹変するんだから凄い。このクリスチャン戦士は鬼神の如く剣を振り上げ、次々とやって来る敵兵を滅多斬り。血塗れになってヴァイキングを叩っ斬る姿を見れば、司祭の方が副業なんじゃないかと思えてくる。

Vikings Heahmund 01Vikings Heahmund & Lagertha


(左: ヘフマンド司教 / 右: ヘフマンドとラガサ )

  ヘフマンドと恋に落ちたラガサだが、彼女と息子のビョルンには平穏な日々は無い。何と、ラガサは夫を奪った後妻のアスラグを殺していたのだ。母の復讐を誓うアイヴァーは、ラガサとビョルン、ウベが統率する軍隊と対決する。この戦いは熾烈を極めたが、アイヴァーは見事勝利を収めることができた。一方、負けたラガサたちは途方に暮れ、ヘフムンドの仲介で若きアルフレッド大王が君臨するウェセックスへと逃れる。アルフレッドの庇護を受けたウベは、北歐の土着信仰を捨て去り、よく理解していないがサクソン人たちが信じるキリスト教に改宗する。ウベは国王のアドヴァイザーに納まったが、アルフレッドの側近たちはヴァイキングの改宗者を胡散臭く思っていた。しかし、来たるべき戦争に備えねばならないアルフレッドにとって、この新参者は心強い味方である。何しろ、北歐の戦士は殊のほか勇敢で、懼れを知らぬ百戦錬磨のベテランだ。戦闘経験の無いアルフレッドにしたら“文明化”された家臣よりも頼もしい。

  古代の王様は部下を率いる力強い指導者でなければならない。後方に控えて「よきに計らえ!」と命令するだけじゃ駄目だ。出陣の前には感動的な言葉で仲間を鼓舞し、戦闘開始となれば先陣を切って戦わねばならない。そこで、アルフレッドはウベに戦い方を教えてもらうことにした。依頼を受けたウベは、森にアルフレッドを連れだし、戦士としての心構えを叩き込もうとする。彼はアルフレッドに樹木の前に立つよう命じた。意味の分からぬアルフレッドだが、ウベがそう言うので仕方なく彼の指示に従うと、ウベはいきなり手斧を投げつけた。若き王は即座に「何をする!」と激怒する。だが、ウベは構わず次の手斧を投げつけた。理屈よりも実践第一。これはある意味、空手やボクシングの練習よりもキツいんじゃないか。もし、斧が当たったら、アルフレッドは即死だ。

King Alfred 03Vikings Ubbe & King Alfred


(左: 若きアルフレッド大王 / 右: ウベとアルフレッド)

  ウベの特別訓練は恐怖心の克服にあった。戦場に出れば、敵は死に物狂いで襲いかかってくる。弓矢が飛んでくることもあれば、剣や斧で向かってくる者もいるから、怯むことは即「死」に繋がってしまうのだ。相手が誰であろうと恐れず立ち向かうことが肝心で、そのためには恐怖心を忘れなければならない。当時のヴァイキングは勇敢に戦って死ねばヴァルハラ(Valhalla)に行けると信じていた。「ヴァルハラ」とは主神であるオーディン(Odin)が主宰する殿堂で、ヴァルキューレ(Valkyrie)が戦場で斃れた戦士をここへ連れてくるという。要するに、英霊が集う死後の世界ということだ。ヴァイキングにとって戦死は総ての消滅ではなく、ヴァルハラへの旅立ちであったから、心置きなく戦うことができた。戦士文化では激戦での討死が名誉となる。ちなみに、戦場へ赴く前に転んで死んだり、愛人と寝ている時に腹上死じゃヴァルハラには行けなかったようだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68754887.html

184. 中川隆[-11242] koaQ7Jey 2019年3月24日 10:41:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[767] 報告

古代南欧で謎の「男性大量流入」、DNA調査で判明
8000年におよぶイベリア半島の古代人DNA、4500年前にいったい何が? 2019.03.19
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/

古代の狩猟採集民族の骨。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/?SS=imgview&FD=-787263934

DNAを解析した結果、この2体は偶然にも兄弟であることが判明した。この骨のおかげで、現在のスペインとポルトガルにあたるイベリア半島で、遺伝子が驚くほど複雑に混ざり合ったことがわかった。(PHOTOGRAPH BY JULIO MANUEL VIDAL ENCINAS)

 人類の移動が始まって以来、現在のスペインとポルトガルが位置するイベリア半島は、アフリカ、欧州、地中海沿岸の文化が混じり合う場所だ。

 8000年にわたるこのイベリア半島の古代人の遺伝的特徴をまとめた新たな論文が、遺伝学者と考古学者からなる111人の研究チームにより、2019年3月15日付けで学術誌「サイエンス」に発表された。論文によると、遺伝子は非常に複雑に入り混じっているという。また、約4500年前に謎の大移動が始まり、それだけで古代イベリア人男性のDNAが完全に一新されたことが示唆された。

 いつ、どのように、イベリア半島へさまざまな人々がやってきたのかを探るため、研究チームはDNAに刻まれた痕跡を調べた。古代イベリア人271人のゲノム配列を決定し、これまでに公表された別の132人のデータと統合した。

 結果は、予想以上に複雑だった。

男性はすべて置き換わっていた

 イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に関連する遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。

 インド・ヨーロッパ語族を広めたのはステップの人々だったという仮説がある。その「ステップ仮説」では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。

(参考記事:「ヨーロッパ諸語のルーツは東欧。DNA分析で判明」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/

「影響は男性にとても偏っていたようです」とナショナル ジオグラフィック協会の上級プログラムオフィサーを務める遺伝人類学者ミゲル・ビラー氏は話す。なお、氏は今回の研究に関わっていない。

 やって来た男性は何者だろうか? 争いはなかったのか? ビラー氏は、ステップの男性は、馬に乗り青銅器を携えてイベリア半島にやって来て、青銅器時代の到来を告げたのではないかと推測している。同氏はこの移動の影響を、1490年代に欧州人が上陸した際に、南北米大陸の先住民が直面した事態になぞらえた。

(参考記事:「征服者の「失われた艦隊」か?16世紀の錨を発見」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/122000110/

「欧州の端から端まで広がる大移動に成功し、いまだにこの西端の地に多大な影響を及ぼしているのです」とビラー氏。

 その頃、青銅器が使われ始めたこと以外に、ステップ文化の明らかな痕跡はイベリアでまだ見つかっていない。一方、今回の研究により、西欧でインド・ヨーロッパ語族ではない唯一の言語を話す現代のバスク人が、ステップの人々と非常に近い遺伝子マーカーを持っていることがはっきりと示された。イベリア半島では、その後も何世紀にもわたり遺伝子が混ざり合ってきた。だが、現代のバスク人の遺伝子は、そうした現代のスペイン人のものとは異なるという。

(参考記事:「食事の変化が「f」「v」の発音を生んだ、研究」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031600166/


 また、イベリア中央にある発掘現場で見つかった1体の骨から、北アフリカ人のDNAが検出された。年代測定したところ、紀元前2500年頃のものと出た。

「最初は間違いだと思いました」と研究リーダーを務めた集団遺伝学者イニゴ・オラルデ氏は話す。

 しかし、再度実験を行い、間違いではないと確認した。その孤独なアフリカ人の存在により、イベリア半島と北アフリカの間に、早い段階から散発的な交流があったことが示唆された。これは、イベリアで銅器時代のアフリカゾウの象牙が発掘されたこととも符合する。しかし、今回の研究チームは、北アフリカの人々がイベリアに広がったのは過去2000年ほどのことだと考えている。


ギャラリー:フラメンコの故郷、スペインの洞窟住居に暮らす人々 写真19点
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/082400339/index.html?P=5


自宅のそばにある廃墟の洞窟で遊ぶ子供たち。以前は、すべての洞窟が埋まっていたが、現在は、使われていない洞窟もある。(PHOTOGRAPH BY TAMARA MERINO)


氷河期にも多様性があった

 今回の論文の結論は、スペインの人々の遺伝子は複雑な歴史をたどったことを示している。2019年3月14日付けで学術誌「Current Biology」に発表された共同研究者の論文でも、同じ傾向が詳しく述べられている。後者の論文によると、イベリア半島にいた狩猟採集民族と農耕民族も、従来考えられていたより遺伝的に多様だったことが明らかになった。1万9000年前の氷河期でも、イベリア半島は比較的暖かく、さまざまな狩猟採集民族が避難し、交流した証拠が見つかっている。その後、イベリアに来た新たな農耕民族が、この狩猟採集民族と交配した。

(参考記事:「ヨーロッパ最初の農耕民は移住者だった」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/1635/

「DNAの解析結果には、驚きました」と後者の論文の筆頭著者で、スペイン、サラゴサ大学の博士課程に在籍する考古遺伝学者バネッサ・ビラーバ=モウク氏は話す。同氏は、ドイツのマックス・プランク人類史学研究所にも所属し、研究をリードした。「その時代に何が起きたかを知ることは、次の時代の進化を解き明かすのに役立ちます。当時の歴史をより正確に知るために、もっと多くのサンプルが必要です」

(参考記事:「欧州人の遺伝子、形成は旧石器時代か」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9920/

「古代人のDNAの研究は、アフリカ人、アジア人、欧州人といった明確な地理的集団という固定観念を壊してくれます」とビラー氏は話す。「イベリア半島のような地域の人々は、単に遺伝的に多様なだけでなく、さまざまな大移動の波の産物そのものなのです」

 オラルデ氏にとって、今回の研究は、故郷と呼べる場所の遺伝子の歴史を調べるまたとない好機だった。「この研究ができたことは、私にとっては夢のようでした」と同氏は語る。

(参考記事:「欧州には青い瞳の狩猟採集民がいた」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8803/


 数千年前の骨から採取したDNAのサンプルを大量に扱う機会に恵まれて、米ハーバード大学医学大学院のデイビッド・ライク研究室で働く同氏はとても興奮したという。この手の研究ではめったにないことだった。

「400人近くのDNAを分析できるなんて、すごいことです。そのおかげで、イベリア半島のさまざまな過去の人々すべてについて、および、現代の住人がどのように誕生したかについて、従来よりはるかに多くのことが明らかになりました」

(参考記事:「少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人」)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/082400372/

ギャラリー:思わずゾクゾクする考古学フォト13点
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/020900150/


ラ・ベンタの石頭。1947年のナショジオの写真。メキシコのラ・ベンタでオルメカ文明の巨大な石頭を調査する考古学者たちをとらえている。(PHOTOGRAPH BY RICHARD HEWITT STEWART, NATIONAL GEOGRAPHIC)

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/

185. 中川隆[-11197] koaQ7Jey 2019年3月25日 16:57:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[813] 報告


遺伝子系統と文化は必ずしも一致しないという話(1)
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-aee4.html


このページの地図を参照しながら読んでください。

https://www.eupedia.com/europe/maps_Y-DNA_haplogroups.shtml

ミトコンドリア遺伝子やY染色体を使って、民族移動の歴史をたどることができるという話は聞いたことがあると思います。遺伝子の痕跡が「人間」の移動を説明していることは間違いありません。しかし、ある集団の中で遺伝子に変異が生じた時期とその集団が新しい文化を獲得した時期は必ずしも一致しません。

その一例をY染色体のRハブロタイプの分布に見つけました。R1bとR1aというハプロタイプは中央アジア・欧州・イラン・インドに広く分布し、印欧語族の分布範囲とも重なるため、印欧語族の遺伝子ではないかとも言われています。

R1bは1万年くらい前にカフカス山脈付近で原形が生まれ、6千年前にバルカン半島に進入し、3千年前にはアイルランドやイベリア半島西端にまで到達したと考えられています。

現在R1bが人口の50%を超えているのはアイルランド、英国、フランス、スペインでこれはローマ帝国とゲルマン人の侵入以前にケルト人の文明が広がっていた地域です。できたばかりのころのローマ共和国はケルト人に圧迫されていました。ローマ人の方が臣従していたという説もあります。ケルト人は牧畜と簡単な農耕をし、馬車を持っていました。

しかし面白いことにR1bが一番多く住むのはスペインのバスク地方で、バスク人の母語はバスク語なのです。バスク語は系統不明の言語で、印欧語とは全然関係がありません。

同じくR1bの比率が高いのはアイルランドとスコットランドとフランスのブルターニュ半島です。そこにはブリトン人やピクト人などが住んでいたといわれています。彼等が話す言語は非常に原始的なケルト語、もしくは系統不明の言語だったとも推測されています。ローマがこれらの地域に進入してきた際、彼等は車輪を持たず、牧畜もしていませんでした。

つまりケルト人は生粋の印欧語族なのですが、R1bが非常に多い地域の人たちは必ずしも印欧語族ではないのです。そして移動を始めた頃のR1bは車輪を持たず、農耕も知らない狩猟採集民でした。かといって彼等が野蛮だったかというとそうではなく、ミトコンドリア遺伝子から、彼等はアルプスで見つかったミイラのアイスマンと同系統と推測できるのですが、アイスマンは高純度の銅器を持ち、縫合された衣類を着て、医療を受けた形跡もあり、成熟した狩猟採集民でした。

R1bは東にも進んでいて、、3〜4千年前のタクラマカン砂漠(中国西部)の遺跡で金髪でコーカソイドの特徴を持った骨のミイラが発見されています。オアシス都市に残る文書から、彼等がケルト語に近い言語を使っていたことがわかっています。

現在でも中国の羌族、チベット族、満州族の一部にR1bを持つ人がいます。古代中国で羌、西戎、玁狁、狐とされた遊牧民はR1bを持つ人々であった可能性があります。

タクラマカン砂漠にオアシス都市を作った人たちは、農耕をし、都市をつくり、ケルト語に近い言語を話す人たちでした。そこよりもさらに東に進んだ羌、西戎、玁狁、狐はバスク人、ブリトン人、ピクト人に近かった可能性があり、必ずしも農耕はせず、印欧語も話していなかったかもしれません。

口語としての漢語は文法が英語と異常に似ています。英語というのはラテン語やゲルマン語と比較して語順に混乱があり、副詞と前置詞を多用する特徴があります。この英語の副詞と前置詞は、古代には動詞だった可能性があるのですが、英語と漢語は中央アジアを出発したばかりのR1bが使っていた言語ではないかと私は推測しています。

まあ、さすがに英語と漢語を同一系統と結びつけるのは話が飛躍しすぎかもしれませんが、R1bと印欧語と農耕は必ずしも一致しないのです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-aee4.html

遺伝子系統と文化は必ずしも一致しないという話(2)
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-873c.html


このページの地図を参照しながら読んでください。

https://www.eupedia.com/europe/maps_Y-DNA_haplogroups.shtml


欧州西端と中国北部まで到達したR1aを仮にR1a第1陣、英仏西中心部とタクラマカンで繁栄したR1aを仮にR1a第2陣とします。彼等が持っていた技術を並べると次のようになります。

R1b第1陣・・・遊牧、原始的な印欧語、銅の精練、鍼灸?

R1b第2陣・・・遊牧、畑作、印欧語(ケントゥム派)、乗馬、車輪

民族が次のようになります。

R1b第1陣・・・バスク人、ピクト人、ブリトン人、羌、玁狁、狐

R1b第2陣・・・ケルト人、トカラ人、月氏

ケントゥム派は印欧語の分類です。印欧語は印欧祖語におけるkをkで発音するかs(ts)で発音するかによってケントゥム派とサテム派に分類できます。

サテム派印欧語を使うのははスラブ人とイラン人とインド人(ヒンドゥー語)です。東側のイラン人とインド人は自らをアーリア人と自称しました。19世紀と20世紀前半のドイツの国粋主義者は自らをアーリア人と規定しました。これはインドを圧倒的な武力で制圧した(と当時は信じられていた)アーリア人とゲルマン人を同一視したいという願望から生まれた説ですが、言語と遺伝子からは、イランとインドのアーリア人に最も近いのはゲルマン人ではなくてスラブ人です。

このサテム派印欧語族の分布とよく一致するY染色体がR1aです。R1aはポーランド、ベラルーシ、ロシア、イランに多く分布し、インドではバラモン階級に多く出現します。カスピ海を中心としてC字を倒したように分布しているので、元々カスピ海を中心とした地域に居住していて、何らかの理由で東西に広がっていって、故地からは出て行ったことが容易に推測できます。

アーリア人とスラブ人がインドと欧州に現れた時期は遅いため、歴史の記録に残っています。アーリア人がインド西北部に現れたのは3,500年前です。アーリア人と推測されるメディア人とペルシャ人がバビロニアに現れたのは3,000年前です。

しかしです。私たちはここで再び印欧語族とハブロタイプRを結びつける説の反証を見つけます。現在カスピ海周辺に多く分布するハブロタイプはJ2です。J2は現在のアルメニア、アナトリア半島(トルコ)、ギリシャ、南イタリアに多く分布します。


これらに地域に住む人たちが使う言語はアナトリア半島以外は印欧語です。アナトリア半島に住む人がトルコ語を話すのは、千年前に中央アジアからトルコ人が侵入してきて、トルコ語を強制したからです。それまではアナトリア半島に住む人たちはギリシャ語を話していました。

J2系はバビロニア文明を作った人達ということになっています。そしてJ2aはR1aの故地であるカスピ海沿岸を占領しています。だとするとおかしなことになります。東側(カスピ海周辺)と西側(バルカン半島)で辻褄が合わないのです。

東側のシナリオはこうなります。5千年前にはカスピ海周辺にアーリア人 (R1a)が住んでいました、そこに南からバビロニア人(J2)がやってきて、アーリア人を追い出しました。アーリア人は2千年かけて時計回りにカスピ海を一周して、3千年前にイラン側からバビロニアに侵入しました。

西側のシナリオはこうなります。まずバルカン半島に東側からバビロニア人と同じ遺伝子をもつJ系が侵入。次に南側から古代エジプト人と同じ遺伝子をもつと推定されるE系が侵入。R1bはギリシャには入って来れなかったと推測されています。最後に1,500年前になってスラブ人(R1a)がギリシャ車に侵入しました。

ギリシャ語はケントゥム派印欧語族なのに、だれがバルカン半島にギリシャ語を持ち込んだのか不明なのです。

この矛盾はハブロタイプRとインド・ヨーロッパ語の発明者を同一視することによって生じています。最初に言ったように遺伝子の発生と文化の発生は必ずしも一致しないのです。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-873c.html


遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(3)
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-a902.html

このページの地図を参照しながら読んでください。

https://www.eupedia.com/europe/maps_Y-DNA_haplogroups.shtml


欧州の学者はR系はインド・ヨーロッパ語を生み出した人達と考えています。けれども、ギリシャ・アナトリア半島にはR系の侵入を受けなかったのにインド・ヨーロッパ語を話すギリシャ人がいます。

この矛盾を解く鍵はヒッタイト人にあります。ヒッタイトは3,000年ほど前にアナトリア半島に現れた遊牧民で、強力な戦車軍団をもち、世界で初めて製鉄に成功した人達です。ヒッタイト語はケントゥム系印欧語族ではないかとされています。

現在J2が30%以上分布するのは、東からアルメニア・トルコの首都アンカラ周辺・シリア沿海部・アナトリア半島西部・ボスポラス海峡・中央イタリア・カラブリア・シチリア東部です。

アンカラ周辺はかつてヒッタイトの首都ハットシャがあった地域です。ボスポラス海峡とアナトリア半島西部にはギリシャと似た文明を持つ都市群がありました。有名なトロアはその代表的な都市です。中央イタリアはローマに先行する文明であるエトルリア文明があった地域で、カラブリアとシチリア東部は古くからギリシャの植民地がありました。

エトルリア人と古代ローマ人は自分たちはアナトリア半島西部にかつてあった都市トロイの末裔であるという始祖伝説をもっていました。古代ローマ人がJ系であるとこの始祖伝説には信憑性があることになります。

アナトリアより西に分布するJ系はインド・ヨーロッパ語を話す人達であり、さらにJ系ではないかと推測されるヒッタイト人が使ったというヒッタイト語はかなり古くにラテン語やギリシャ語から分離したと推測されています。

そしてJ2系はフランス、スペイン、英国南部に10〜20%分布しています。これはケルト人の地域です。

整理してみましょう。

1.R1b第1陣が話していた言葉は非常に原始的なインド・ヨーロッパ語、あるいはインド・ヨーロッパ語を話していなかった可能性がある

2.南回りで広まったインドヨーロッパ語(ヒッタイト語・ラテン語・ギリシャ語)を伝えたのはR系ではなくJ2系の可能性が高い

3.R1a(アーリア人・スラブ人)の故地であるカスピ海沿岸にはJ2系が住んでいる


これらの事実から導きだされるのは、インド・ヨーロッパ語を生み出したのはR系ではなくJ2系であるということです。J2系はメソポタミア文明の中心になった人達です。メソポタミア文明を担った人達の言語はインド・ヨーロッパ語ではありません。

しかし、遺伝的には近くても全く違う言語を話すことはそうおかしなことではありません。

•約1万年前にJ2系がカフカス山脈付近でインド・ヨーロッパ語を発明。
•そのとき既にR1bは西と東に広がりつつあった。最初に出発したR1b系はインド・ヨーロッパ語を知らなかった。
•J2とRは8千年くらい前にカフカス山脈で合体。この合体部族は遊牧・簡単な畑作・都市が融合した文明を作る。彼等は畑作と都市をメソポタミアから学んだのかもしれないし、あるいは独自に編み出したのかもしれない。
•J2+Rが南回りに進んだのがヒッタイト人・エリトリア人・ローマ人
•J2+Rにエジプトからの入植者(E系)が合体してできたのがギリシャ人。
•J2+Rが北回りに進んだのがケルト人とトカラ人。
•やがて6千年くらい前にJ2+Rの集団の中からR1a遺伝子が登場これがスラブ人とインド・イラン・アーリア人の祖先となる。彼等の間でサテム派の発音が流行して、サテム派のインド・ヨーロッパ語が生まれる。


というように整理できるのではないでしょうか。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-a902.html

遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(4)
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9ad4.html

このページの地図を参照しながら読んでください。

https://www.eupedia.com/europe/maps_Y-DNA_haplogroups.shtml

R1b+J2が出発した後にもカスピ海周辺にはR+J2が住んでいたと考えられますが、5千年前に彼等は故地を出て行き東と西に拡散します。西に進んだのがスラブ人で、カスピ海を時計回りに進んだのがインド・イラン・アーリア人です。両者はR1aの遺伝子をもっていました。

しかし「アーリア人」とR1aを同一視するのは早計で、高度な乗馬技術を持つアーリア人は3千年前から1,500年前にかけて、中央アジアから何度もメソポタミア・イラン高原・タクラマカン砂漠に侵入するのですが、遺伝子の分布からはアーリア人とされた人達には様々な組み合わせがありそうなのです。

1.スラブ人・・・R1a
2.インド・アーリア人・・・R1a+R2+J2
3.パクトリア人・スラブ人・スキタイ人・・・R1a+J2
4.ソグド人・ホラズム人・・・R1a+J+Q
5.月氏人・トカラ人・・・R2b+J

このことから、サテム派インド・ヨーロッパ語を発明したR1a+J2が中央アジアに住む様々な民族と融合したのがアーリア人るといえます。

スキタイ人・月氏人・トカラ人は研究者によってアーリア人に含めたり含めなかったりします。スキタイ人が話していた言語は不明です。月氏人とトカラ人が話していたのはケントゥム派インド・ヨーロッパ語です。アーリア人の要素をサテム派インド・ヨーロッパ語であるとすると、彼等はアーリア人には含まれなくなります。

また、ホラズム地方やドナウ川下流域や黒海北岸では4〜5千年前の都市と農耕の痕跡が見つかっています。今ではインドと東アジアでメソポタミアの影響を受けずに独自に農耕が始まったことはほぼ確実ですが、これらの地域でも、独自に農耕が始まっていた可能性があります。

ホラズム地方に多いのはR1aとQの合体部族で、Qはシベリアの狩猟採集民とネイティブアメリカンに多いハプロタイプです。ホラズム人は定住性が高かったと言われています。また、彼等はインダス文明に鉱物を供給していた人達かも知れません。


ドナウ川下流域や黒海北岸に多いのはI2aで、この遺伝子は1〜2万年前にヨーロッパで独自に発生したと言われています。欧州の学者は聖書の影響が強すぎるのか、欧州の農耕は全て中東起源と考えるのが主流らしいですが、I2aによる欧州独自の農耕都市文明を想定しても良いのかもしれません。

I2aは欧州全域に広がっているので、氷河期が終わった後に最初に欧州全域に広がったのは彼等で、独自の言語を使用していた可能性があります。R1b

はI2aの中心部(ドナウ川流域)を避けるように分布し、しかし融合もしています。

I2aとR1bの関係は日本の縄文系と弥生系の関係に近いのかもしれません。


1.1〜2万年前・・・I2aは成熟した狩猟採集民で、ドナウ川流域から黒い森にかけての森林地帯で狩猟採集生活をしていました。一部は簡単な畑作をしていました。

2.8千年前・・・そこにまず狩猟採集民のR1b第一陣がやってきた。彼等は寒冷でやや暮らしにくく、I2aがあまり分布していなかったアルプス・バスク・ブルターニュ半島・アイルランド・ブリテン島に住むようになった

3.6〜8千年前・・・次に牧畜と灌漑農業の技術を持つR1b(ケルト人)がやってきた。彼等は狩猟採集には適していない草原や低地を開拓して住んだ

4.黒海沿岸からカスピ海にかけてスラブ人(R1a)が分布

5.I2a,R1b,R1aがヨーロッパ全体で混血し合う

6.3〜4千年前・・・騎馬技術を持つJ2+R1bが黒海沿岸に侵入、スキタイ人(I2a+J2+R1b)が生まれる

7.3,500年前・・・スキタイ人がカスピ海沿岸からスラブ人を追い払う

8.スキタイ人から逃れたスラブ人に押されて、インド・イラン・アーリア人が南下

R系ハプロタイプの分布とインド・ヨーロッパ語族の分布の間の矛盾から、私なりに西洋の民族移動を推測してみました。ヨーロッパの縄文人とも言えるI2aがどのような文明を持っていたのか。5千年前には中央アジアで高度な都市文明を作っていたと考えられるQ系とネイティブアメリカンとの関係など西洋の古代も未解明で興味深い話題がたくさんあります。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-9ad4.html

186. 中川隆[-11196] koaQ7Jey 2019年3月25日 16:59:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[814] 報告

秦始皇帝の皇子と皇妃か=肖像を復元、きさきには東アジア系と異なる特徴も
配信日時:2018年7月18日
https://www.recordchina.co.jp/b625867-s0-c30-d0142.html


秦始皇帝の皇子ときさきか=肖像を復元、きさきには非アジア系の特徴


秦・始皇帝(在位:紀元前259年〜同210年)の皇子と皇妃との可能性が高い男女の肖像が復元された。


中国メディアの参考消息などによると、陝西省西安市にキャンパスを置く西北大学信息科学与技術学院が開発したソフトウェアを用いて、秦・始皇帝(在位:紀元前259年〜同210年)の皇子と妃(きさき)と見られる男女の肖像が復元された。

始皇帝陵から出土した人骨に基づき、生前の肖像を復元した。女性の骨格は複数人分があったが、身分が高いと思われる女性の肖像を復元した。研究者らは始皇帝の妃の一人である可能性が高いと考えている。女性は20歳前後で、殺害されたと分かった。始皇帝の死に伴い、殉死させられたと見られている。

復元された女性は、目が大きく鼻筋もくっきりとしている。そのため、東アジア人ではない中央アジアまたはコーカソイド系(欧州人)の血が流れている可能性があるとの見方が出ている。

中央アジアでは古くから、コーカソイド系の人々が多く暮らしてきた。現在のウイグルなど多くの民族にもコーカソイド系の血が入っているとされる。また、新疆ウイグル自治区の楼蘭で発見された、紀元前19世紀ごろのものとされる女性のミイラもコーカソイド系の血が入っていたことが分かっている。始皇帝の妃の一人が、コーカソイド系だったとすれば、紀元前に中国の中心部にさらに近い地点にも、コーカソイド系の人々が存在していたことになる。

また、始皇帝の妃だったとすれば、同女性が当時「美女」と評価されていたことは、まず間違いないだろう。とすれば、コーカソイド系をほうふつさせる女性の容貌は、当時の人々の女性に対する審美眼を知る参考にもなりうるはずだ。

肖像が復元されたもう一人の男性は死亡当時30歳前後で、陶器、玉器、絹、青銅の剣、銀器、金など副葬品が大量に発見されたことから、身分が極めて高かったと見られている。しかし男性の上腕骨には矢じりが食い込んでおり、頭部や四肢が切断されていたことが分かった。そのため、男性は始皇帝の皇子など宮室の一員であり、始皇帝の死の直後に発生した大規模な粛清の中で殺害されたと考える研究者もいる。

用いられたソフトウェアは、ディープラーニングの手法を用いて解剖学上のデータを大量に学習して能力を蓄積し、骨格から肖像を復元する。頭髪や目の色などは推測するしかないが、西北大学信息科学与技術学院の李康准教授によると、肖像の復元について厳格な確認を繰り返しており信頼性は高い。すでに警察が犯罪捜査のために広く利用しているという。
https://www.recordchina.co.jp/b625867-s0-c30-d0142.html



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西周の滅亡と秦の正体 2012年4月30日 (月)
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-1134.html

 戎は通常西方の異民族を意味します。西周は魯や斉に命じて東夷・淮夷(日本人やベトナム人の祖先)を征伐して東方に領土を広げ、晋に命じて北方の遊牧民(匈奴・モンゴル人の祖先)を征伐して北方に領土を広げ、鄭に命じて南方のジャングルを開発させていました。


 西方侵略には周王が直接あたっていたらしいことが詩経の小雅からは窺われます。ここで周が対峙していたのは、西域のオアシス都市で、民族はトルコ系、もしくはインダス文明から流れてきたインド・ヨーロッパ語族でしょう。戎車とはペルシャやメソポタミアの珍しい馬車のことではないでしょうか。今で言えばロールスロイスやランボルギーに乗るような感覚だったのだと思います。

 西周の強さは、西方との貿易にあったのではないでしょうか。

 西周は犬戎に滅ぼされたことになっています。そして犬戎は北方の異民族とされています。しかし晋は西周が滅んだ後も北方の遊牧民に対して攻勢を維持しており、西周が滅びたのは北方の守りが崩れたのが原因ではないと私は思います。

 西周の首都鎬京が陥落したのは、幽王が寵姫の褒姒を喜ばせるために狼煙を上げすぎて、肝心なときに助けが来てくれなかったためと説話ではなっています。幽王は無表情な褒姒を何とか笑わせたいと思っていました。ある日敵襲来の狼煙を上げると、首都周辺の諸侯が慌てふためきながら王宮に集まりました。しかし後から誤報とわかり、諸侯はがっかりして領地に戻りました、この有様を見て褒姒が笑ったので、味をしめた幽王は虚報の狼煙を上げるようになったというのです。狼少年と同じです。

 狼煙というのは天気が良くて見通しがよい地域で発達した通信手段で、砂漠でよく使われていましたので、西周に直属していたのは砂漠のオアシス都市なのではないでしょうか。

 西周が滅びた跡地には秦が進出します。秦は最終的に中国を統一しました。秦という国も起源が不明で、春秋時代の中期から突如として登場します。登場したときには西方に広大な領土を既に持った大国でした。

 私が考えるに、西周を滅ぼしたのは秦であり、秦は西周の直轄地を丸々継承したのではないでしょうか。

 秦は西周が滅びたときに、逃亡した平王を助けたことで諸侯に任じられるのですが、幽王と平王は対立していましたので、おそらく平王は秦をそそのかして幽王を滅ぼさせたのでしょう。誰も幽王を助けなかったのは別に幽王が狼少年だからではなく、鎬京に攻めてきたのが他ならぬ幽王の臣下だったからでしょう。

 しかも秦の始皇帝は金髪碧眼だったという伝説があります。そして始皇帝は側近以外には絶対に自分の姿を見せませんでした。従来は、始皇帝が金髪碧眼だったのは、実の父親呂不韋が胡人だったから、そして始皇帝が人前に姿を現さなかったのは幼少期に人質としていじめられて人間不信に陥っていたからと言うことになっています。

 しかし、秦が元々タクラマカン砂漠のオアシス都市に住むコーカソイド出身であり、秦の王族と側近は砂漠からの移住以降も白人の血が色濃く残っていたとすれば、始皇帝が金髪碧眼だったのも理解ができます。

 そして、歴代の秦王が何故か本拠地に籠もっていて、中原の会盟に姿を現さず付き合いが悪かったことや、始皇帝が人に見られることを極度に嫌がったのは、自分たちが異民族であることを自覚しており、それを知られたら、領民から排斥されて国が崩壊するする可能性があったからではないでしょうか。

 宮殿奥に隠れて、極端に人目にさらされることを嫌う中国の皇帝の伝統は始皇帝に始まっているのですが、その理由は秦王朝が胡人(コーカソイド・白人)だったことにあるのではないでしょうか。
http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-1134.html

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紀元前の中国にギリシャ人陶工? 兵馬俑の調査で新たな見解 2016年10月13日
https://www.bbc.com/japanese/37628254

ギリシャ人の職人が兵馬俑の制作現場で働いていた可能性がある


古代中国・秦の始皇帝の陵墓近くで発掘された「兵馬俑」の調査で、マルコ・ポーロが中国を訪れた13世紀よりも1500年以上前に中国と西洋文明が接触していたことが示唆された。

考古学者たちによると、等身大の兵馬俑の陶製像が古代ギリシャから発想得ていた可能性がある。紀元前3世紀の中国で、ギリシャの職人が地元の労働者を指導していたかもしれないという。

「東方見聞録」を書いた13世紀のベネチア商人マルコ・ポーロの旅が、詳しい記録が残るものとして最初の西洋による中国訪問だと従来は言われてきた。

これに対して、秦始皇帝陵博物院の李秀珍研究員は、「シルクロードが正式に開かれる前に、中国最初の皇帝と西洋との間に緊密な連絡があった証拠がある。従来考えられていたよりもずっと早い時期だ」と語った。

別の研究では、ヨーロッパ人だけが持つ種類のミトコンドリアDNAが中国最西部の新疆ウイグル自治区で見つかっており、始皇帝よりも前の時代に西洋人が同地域に定住していた可能性が示唆されている。


始皇帝は紀元前259年に生まれ、210年に没したImage copyright Public domain
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始皇帝は紀元前259年に生まれ、210年に没した

兵馬俑は1974年に、始皇帝の陵墓から約1.5キロ離れた場所で農業従事者によって発見された。

しかし、陵墓が築かれる前に実物大の陶製像を作る習慣はなかった。より古い時代の発掘品には、高さ20センチ程度の単純な形の像しかない。

技術や形態の大々的な変化は、どうやって可能になったのか。その理由を解明しようとするなかで、李研究員は中国の外から影響があったという考えに行き着いた。

李研究員は、「我々は現在、発掘現場で見つかった兵士や曲芸師の像、ブロンズ像は、古代ギリシャの彫刻と芸術の影響を受けたものだと考えている」と語った。

ウィーン大学のルーカス・ニッケル教授は、始皇帝陵墓で最近見つかった曲芸師の像が、古代ギリシャからの影響説を支持していると話す。


兵馬俑をめぐる研究はBBCのドキュメンタリー番組で紹介される予定だ
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兵馬俑をめぐる研究はBBCのドキュメンタリー番組で紹介される予定だ

始皇帝は、アレクサンドロス大王の遠征によって中央アジアにもたらされたギリシャの彫像の影響を受けたとニッケル教授は考えている。アレクサンドロス大王は紀元前323年に没し、その約60年後に始皇帝は生まれている。

ニッケル教授は、「ギリシャの彫刻師が(兵馬俑を制作する)現場にいて地元の人を訓練していたのかもしれない」と話す。

このほか研究者らは、始皇帝の陵墓の規模が当初考えられていたよりも巨大で、エジプトの「王家の谷」にあるピラミッドの200倍以上ある可能性を示す新たな証拠を発見している。

また、始皇帝の後宮で高位にあったとみられる女性の体が切断された後の骨や、石弓の矢が食い込んだ男性の頭蓋骨などを発見している。

この頭蓋骨は、始皇帝の長男、扶蘇の頭だと考えられており、始皇帝の死後に起きた権力闘争で殺害されたとみられている。

(英語記事 Western contact with China began long before Marco Polo, experts say)
https://www.bbc.com/japanese/37628254



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物凄い勢いでツッコミしか入らない…「兵馬俑の像はギリシャの影響?!」説の根拠 2016/11/06
https://s.webry.info/sp/55096962.at.webry.info/201611/article_6.html

最初に出たのはBBCの報道のコレ。

紀元前の中国にギリシャ人陶工? 兵馬俑の調査で新たな見解
http://www.bbc.com/japanese/37628254

「兵馬俑の像のリアル追求はギリシャ像の影響かもしれない」。
は? なんでギリシャなの? と、なーんかずっと引っ掛かってたんですが、ナショジオで特番やってたので見てみました。

始皇帝陵の暴かれた真実
http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2078


"アルバート・リンとナショジオが中国、始皇帝陵の新たな秘密を暴く。
立ち並ぶ兵馬俑たちは、始皇帝陵がマンハッタンとほぼ同じ大きさだという事を考慮すれば氷山の一角にしか過ぎないのは明白だろう。まだ多くのことが解明されていないこの陵墓の謎の核心に迫った時、歴史だと我々が思い込んでいた事実とは違った真実が見えてきた。 "


結論から言うと、何じゃこりゃな根拠で、「いや…ちょっと…それは無理がありすぎじゃね?」みたいな内容だったんですが、とりあえずそれは後回し。

本題とはそれますが、まずは最初のBBS記事の日本語訳をした人に超ダメだしをしたい。この日本語記事には、かなり致命的な誤訳(というか捏造に近い)があります。


"このほか研究者らは、始皇帝の陵墓の規模が当初考えられていたよりも巨大で、エジプトの「王家の谷」にあるピラミッドの200倍以上ある可能性を示す新たな証拠を発見している。"


王家の谷のピラミッドって何

まさか墓の上にちょこんと載ってる1mくらいのミニ・ピラミッドのことを指してるの? w 違うよね?
王家の谷ってのは大規模なピラミッドが作られなくなった時代に、盗掘を避けるためヒッソリ墓をつくるようになった時代に王族の墓が集中して作られた谷間のことだけど、訳した人判ってないよね。原文にもピラミッドなんて単語は一切出てこないのに、「エジプトの墓だからピラミッドだろ」って勝手に脳内変換して付け足したよね??


ちなみに原文では、こうなってます。

"Other discoveries include new evidence that the First Emperor's tomb complex is much bigger than first thought and 200 times bigger than Egypt's Valley of the Kings."

で、どこがピラミッドなんですか…。


えー、というわけで、話をナショジオの番組のほうに戻します!
根拠は、

 ・始皇帝の時代まで、中国には25cmくらいのちっちゃい像しかない。
 ・とつぜんリアルで等身大な像が出現。
 ・なのでよそからの影響のはず
 ・同時期のアフガニスタンからリアルなギリシャ像が出ているから、きっとその影響!

…という、完全に推測でしかないというアレなやつでした。いやそれ思いつきレベルじゃねぇかよ(笑)
「なんとなく似てるから…」って全然根拠にならないですよ。「オルメカの巨大な頭の石像がアフリカ人に似てるから、古代エジプト人がアメリカ大陸に渡って文明を築いたはずだ!」ってのと何ひとつ変わらないですよ。何いってんの…って思いながらポカーンで見てましたが、マジでそんなもんでした。

そしてこれ、問題の比較されてる「アフガニスタンとウズベキスタンの国境」「同時代の像」「アレキサンダー」って・・・・

アレキサンダーが東征中に作らせた町「アイ・ハヌム」のことだよね・・・?

※詳しくは、アフガニスタン展関連で書いた記事を参照だ!!
http://55096962.at.webry.info/201605/article_7.html

ここからの影響を論じるなら、現代のアフガニスタン付近に作られたギリシャ系の王国、「グレコ・バクトリア王国」と当時の「秦」との交易あるいは交流ルートを想定しないといけないんだけど、可能なの? 「像が似てる」とか以前にまずそこでしょ。

そもそもグレコ・バクトリア王国は一時的なもので、その後、東から押し寄せてきた大月氏に滅ぼされてそのまま消えちゃうんですけど。インドにギリシャ様式の影響を受けたガンダーラ美術が成立するのが紀元「後」2世紀。交易ルートとして「アジアの十字路」が確立されるのもそのあたり。始皇帝は紀元「前」3世紀。

そもそも始皇帝の時代に何で万里の長城なんか作られてたかっつーと、秦の領土のすぐ側に匈奴やら月氏やらの異民族(騎馬民族)がヒャッハーしていたからなんですよ。つまり、人の往来はあれど交易ルートに使うのが難しい。シルクロードの成立までにはまだ時間がかかり、中央アジアはとても安全に突破できるルートではないと思われる。使うならまだ海路のほうがワンチャンある。アレクサンドロスの後継者たちによってインドまではとりあえず道が繋がっているので、そこからアジア経由で中国は、もしかしたら行けたかもしれない。

というわけで、アイ・ハヌムの像と、同時代の秦の像が似てたからといって、両者が繋がってるとは言いがたい。


さらにひどいなと思ったのがコレ

何言ってんだこの人…。
地図見てないよね。

秦って

こうだよね?


たぶん、この人の頭ん中では、飛び地の入植地に過ぎない、しかも短い命だったアイ・ハヌムの町が、大ギリシア帝国圏に属する何かになってるんだと思う…。でもって、グレコ・バクトリア王国=アフガニスタン全土 くらいのイメージじゃないと、こんな変な発言にはならない。

現代の中華人民共和国と、現代のアフガニスタンは、確かに隣同士ではある。
でも、番組の中で言ってるのは紀元前3世紀以前のお話。現代の国境なんて関係ない。というか当時は、中華人民共和国もアフガニスタンも影も形もないから、何の根拠にもなってない。

実際はこんだけ離れてます。

そして先にも述べたように、グレコ・バクトリア王国は短命で、一過性の入植地なので、当地にそれほど強い影響は残さず消えちゃいます。次にその地方に文化を築くのが、グレコ・バクトリアを滅ぼしたと思われる騎馬民族ってあたりでお察し下さい。

というわけで、ツッコミどころしかない説でした(´・ω・`)

これってたぶん、「ギリシャは西洋文明の祖!」だと思ってるヨーロッパ人が、無意識に中国文明もギリシャの系譜に繋げてしまおうとして作り上げた現代ファンタジーの一つじゃないかと思うんだ。
アジアの文化は、確かにギリシャに繋がってるところはある。ガンダーラ美術とか。
でも全てが繋がるわけじゃないし、影響は距離とともに小さくなっていくので、秦まで辿り着いたモノがあったとしても、それほど強い力は持たなかったんじゃないか。たとえ外国人が秦に来ていたとしても、その数人で歴史を変えられたとは限らないしね。

まあ、この説を補強する証拠出すのは… なかなか難しいだろうなぁ…。

で、ナショジオのこの記事もついでに。

兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101400388/?P=1

ここの下の方にある写真見ると、ギリシャ彫刻じゃなくてシュメルの祈願者像だよね(笑
「似てる」ってだけを根拠にするなら、そっちの方が面白そうなんじゃね? って思うんですが。

兵馬俑実はデカイよってこの記事は言ってますが、墓本体だけじゃなく周囲の関連施設や殉死の墓まで入れてるので、その基準だったらエジプトのピラミッドは河岸神殿から周辺の貴族墓まで入るから、面積的にはトントンな気がする…。


****
というわけで結論は、最初にも書いたとおり

 「思いつきレベルなので今は箸にも棒にもかからない」

ってカンジです。
いやあ、こんな思いつきレベルで世界に発信できちゃうもんなんだなぁーってシミジミ。中国史とか大してわかんない自分でもツッコむしかない番組でございましたことよ。
https://s.webry.info/sp/55096962.at.webry.info/201611/article_6.html


187. 中川隆[-11010] koaQ7Jey 2019年4月02日 10:25:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1014] 報告
ヨーロッパは支配階級の贅沢の為に、「白人奴隷」を売っていた。
 
ヨーロッパ諸国の大航海は彼らの優れた文化や商品を遅れた諸国への普及と美化するが、現実は支配階級の贅沢な生活を満たすために、「白人奴隷」を売って贅沢品の交換していた歴史があった。しかし、その事実も現在のヨーロッパでは隠ぺいしようとしていると、松原氏の調べていることは驚きに値する。

「驕れる白人と闘うために日本近代史」(松原久子著 文芸春秋刊)
https://www.amazon.co.jp/%E9%A9%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%97%98%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%BE%E5%8E%9F-%E4%B9%85%E5%AD%90/dp/4167753057


第九章
高潔な動機
  「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
【要約記事引用】                                     
 先日、あるディスカッションに参加した析、明朝時代の武将・鄭和の大航海のことに議論が集中した。十五世紀初頭に莫大な費用をかけて行なわれた大探検旅行のことである。その時に立ち寄ったペルシャ湾、アラビア半島、紅海の入り口、今日のソマリア、ケニア、タンザニア、モザンビークといった地域を中国人はなぜ占領しなかったかという質問が議論の発端だった。わざわざそこまで遠征しておきながら、なぜそこに目に見える痕跡を何も残さないで自国へ帰ってしまったのか、理解に苦しむということだった。

 彼らの見方は、中国人はまだ成熟した強力な文化的自覚を持っていなかった。彼らにはヨーロッパの海洋国家が持っていたダイナミズムが欠けていた。自己の文化に自信がなかったからだと見ている。
その自信は、自分たちの文化は他の民族に授ける価値があるという確信があって初めて得られるものである。中国人は全ての人間、全ての人種に有効な普過的な宗教を持っていないから、自国の風土から遠くかけ離れたところに生活しているアフリカ民族を、支配できるか不安を感じたのだ。というのは、支配には、征服した国を統治し、新しい文明の尺度を注入し、住民を教育する凝務が伴うからである。これが教授の説明であった。

 私は、このような論証は、ヨーロッパの海洋国家で、他民族を幸せにしたいという願いの下に海外遠征を行った国など一つもなかったという史実を隠蔽しょうとするものである、と反論した。

 当時のヨーロッパ人が ――最初はポルトガル人とスペイン人――海外に出かけた動機は明々白々、オリエントとの交易に際してアラブ商人の独占的主導権を打ち破ることだった。同時にイタリア人を蹴落とすことだった。アラブ商人を通してヴェネチア、ジュノヴァ、その他強力なイタリアの都市国家に流れ込んでくるオリエントからの商品を自分たちが直接コントロールすることだった。

 ポルトガルの王子ハインリッヒはモロッコを占領し、船団をアフリカの大西洋岸に沿って南下させた。アラブ人の脇をかすめてインドへたどり着くためにアフリカの最南端をまわる海路が欲しかったのである。

 そして同じ動機で、スペイン王フエルディナンドと女王のイザベラはインドヘの西のルートを探すようにコロンブスに資金を提供した。コロンブスがその際アメリカ大陸の近辺にあるカリブ海の島々
を発見したことは、偶然の結果であった。
 オランダも同じ動揺で、ポルトガル人の後からアフリカをまわって船を進めた。大儲けが期待されるインドとその周辺にある国々との直接交易をポルトガル人に任せておくわけにはいかないからである。

 そして英国人も同じ動機で戦い、強力な航海・探検国家にのし上がったのである。彼らは海の大国スペインを破り、ポルトガルの商船狩りをし、機会があればいつでもオランダと交戦した。

 フランス人もまた同じ動機で大航海国家軍団に仲間入りして広大な植民地帝国を作った。

 ヨーロッパが全世界に出て行った本来の動機が知識欲と探検への情熱であったというのは、美しいお伽話である。

 当時の自分たちの優れた文化を他の諸国に普及したいがために海を渡って出かけていったというのも、美しいお伽話である。

 近東、インド、東南アジア、中国、日本といった古い文化の中心地に比べて、中部及び北部ヨーロッパはかつて荒涼とした貧しい土地だった。このことは今日なかなか想像し難い。ヨーロッパは惨めにも貧しい大陸だった。その事実はいくら壮大な大聖堂を建設しても覆い隠すことはできなかった。

 貧困は人間の罪ではなかった。それはこの地域の恵まれない気候風土のせいだった。夏至の時期でさえ、ドイツでは真昼の太陽が日本の冬の太陽より低いほどである。だから中部・北部ヨーロッパでは夏涼しく、冬がおそろしく長い。人々は苦労して自然から穀物を奪い取らなければならなかった。生活は、寒さ、湿気、雪、秋の霧、そして冬の暗闘との戦いだった。

 いかに中部・北部ヨーロッパが貧しかったかは、オリエントからヨーロッパヘ流入してきた商品とヨーロッパが近東に届けることのできた商品とを比較してみるとよく分かる。

 オリエントからは、樟脳、サフラン、大黄、タンニンなどの薬品、鉱物性の抽や揮発油などが輸入された。最も渇望されたのは、いうまでもなく砂糖や胡椒、グローブ、シナモン、ナツメグといった各種の香辛料だった。胡椒は一時期貨幣の役目をしていたこともあった。グローブの香辛料は胡横の三倍の値段だった。嫌々な染料も輸入された。繊維製品では生糸と麻で、高級絹織物やビロード、金糸、銀糸も持ち込まれた。アジアを原産地とする宝石、珊瑚、真珠。高価な陶磁絡も遊ばれてきた。

 これに対してヨーロッパが納入できた商品リストはささやかで、簡単だった。羊毛、皮革、毛皮そして蜜蝋である。この他にはほとんど何も、地中海の向こう側の人たちを魅了できるものをヨ−ロッパは提供することができなかった。

 オリエントとのヨーロッパの交易は慢性的な赤字だった。ヨーロッパ人は、ヨーロッパ外の地域から購入したものは全て、金・銀で支払わなければならなかった。何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった。

 しかしヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は、貪欲で飽くことを知らなかった。
需要の増大に反比例してヨーロッパの金・銀の貯蔵量は減少しでいった。そこで、何世紀にもわたってアジアヘの輸出のために特別な商品が用意されたのだった。その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263612


優れた欧州文化から見れば「白人奴隷」事実を隠ぺいする対象になる。奴隷買いの怨念はアラブに向かう
 
ヨーロッパ諸国の大航海は彼らの優れた文化や商品を遅れた諸国への普及と美化するが、現実は支配階級の贅沢な生活を満たすために、「白人奴隷」を売って贅沢品の交換していた歴史があった。しかし、その事実も現在のヨーロッパでは隠ぺいしようとしていると、松原氏の調べていることは超驚きに値する。

「驕れる白人と闘うために日本近代史」(松原久子著 文芸春秋刊)


第九章
高潔な動機
  「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出


 この商品については、ドイツの一般的な歴史書にはほとんど記されていない。私が調べた限りでは、他のヨーロッパ諸国の歴史書にも記載されていない。時折、キリスト教徒の男奴隷、女奴隷が北アフリカのサラセン人のもとへ売られていった、と恥ずかしそうに触れられていることがあるだけである。そしてこういった指摘は大抵、野蛮なサラセン人の海賊が悪人で、可哀想なキリスト教徒はさらわれたのだという印象を受けるように書かれている。

 しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を待ったものは何も提供できなかったからである。

 中世初期に、北部のヴァイキングがロシアの川筋に沿って黒海まで南下してきた時、奴隷は、極北の国で捕れる毛皮に次いで主要な商品だった。彼らはアルメニアの黒海沿岸で、胡椒とシナモン、絹織物、ビロード、真珠、宝石、そして北欧では常に渇望されていた砂糖などを買い、奴隷を売り込んだ。

 この利益の多い生きた商品の交易は、キリスト教国だったアルメニアを繁栄させ、この地域を最強の国家へと発展させたのである。
「奴隷(スレイブ)」は、語源的に「スラブ人」と同じである。大掛かりな奴隷狩りが行なわれた。ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられたのである。

 一四五三年頃にコンスタンチノープルがオスマン・トルコによって征服されるまでは、特にジュノヴァの商人たちが奴隷貿易を行なっていた。ジエノヴァの船で運ばれる奴隷の大群はダーダネルス海峡を通り、そこから、今日のレバノンヘと流れ込んでいった。この奴隷貿易をヨーロッパの歴史の本では、上品に黒海貿易と記述している。

 ヴェネチアの商人たちは、ダルマチア沿岸、ペロボネソス半島、クレタ島、ナクソス烏、その他行ける所があればどこからでも、生きた商品をさらってきた。ヴェネチア、フィレンツェ、そしてトスカーナ地方の富の蓄積は奴隷売買によるところ大であった。奴隷は古代シリア王国の首都アンティオキアと、今日のレバノンの港町テイルスを経てダマスカスやバグダッドヘ売られていった。そこには大きな奴隷市場があった。

 北アフリカ沿岸の豊かなサラセン人の町でも白人奴隷、特に女奴隷は金貨と交換に売られていた。

 コンスタンチノープルが陥落し黒海貿易が途絶え、ダーダネルス海峡の通行がトルコによってコントロールされるようになると、ヨーロッパ奴隷市場での奴隷の価格は急埼した。

 ヨーロッパ内部でも、何世紀にもわたって奴隷売買は盛んであった。一五〇一年に南イタリアのカブアが占領された時、男は全員殺され、女はローマの奴隷市場で売買された。

 たびたびの戦争で占領され、略奪されたヨーロッパの多くの都市の住民たちも同じような運命にあつた。一五五〇年頃、チュニジアの首都のチュニスだけで、約三万人のヨーロッパ人男女の奴隷がいたことが記録に残っている。全てキリスト教国のキリスト教徒によってどこかで捕らえられ、締られ、猿ぐつわをかまされ、王侯貴族や特権聖職者、富豪たちが競って求めているオリエントの資沢品と交換するために運ばれて行ったのである。

 ヨーロッパのいくつかの民族が海洋国家となったそもそもの動機は、決して遠い異教徒たちの魂を救済するためでも、キリスト教伝道の任務を遂行する内なる衝動のためでも、文化的優越感のためでも、その優越感から導き出された、非ヨーロッパ民族をヨーロッパの文化によって幸せにしたいという隙いのためでもなかった。大航海時代を生み出した原動力は、自然に呪われたヨーロッパ大陸の貧しさを克服したいという願望だった。
 「あなた方は行って、子孫をふやし、大地を征服しなさい」
 この神の言葉を彼らは見事に実践したのである。

 今日、ヨーロッパ人のダイナミズムとよくいわれるものは、元を正せば彼らの絶望と怒りの産物である。彼らが渇望している香辛料、絹、染料、薬、陶器、そしてインドや遠いアジアの国々の宝石や珊瑚と引き換えに、彼らから金・銀、そして白い肌の女性を奪い取ったアラブ人に対する激しい怒りの産物なのである。

 海洋国家と呼ばれて世界史に登場した国々は、執拗な粘り強さで、オリエントの財宝を直接我が物にするために邁進した。彼らは堅牢な船舶、完成された航海術、強力な軍事力を備えて航海に出発したのである。そして発見者と呼ばれるに相応しい行為を成し遂げた。それは苛離な戦いだった。航海する者一人一人が、危険を十分承知し、覚悟の上で異国へ侵入していった。異国が彼らに対して敵意を持っているかも知れなかったからではない。そうではなくて、彼ら自身の目的がはっきりしていたからである。すなわち、アラブの商人たちの虚をついて、ヨーロッパが渇望するあの商品と産物の泉を手に入れることだった。

 ヨーロッパの航海者たち、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人たちは、相前後してアフリカの西海岸を探索し、上陸できたところを調査していった。彼らは、見たものは全て正確に記録した。発見者としての喜びからでも、多面的な知識欲からでもない。必ず再度来るつもりだったので、良い場所を、といっても、文化の普及のためでも学校や病院を建てるためでもなく、文字通り碓実な地歩を占めるために有利だと思われる場所を、記録したのである。物資の補給など戦術的な理由から、とりあえず拠点となる場所が必要だった。本国から遠く触れている彼らは、その拠点を堅固な要塞で守り、そこから次の拠点を探してまわった。

  ヨーロッパの歴史書は、当時インドでヨーロッパ人が成功したのは、それまでその地域を支配していたアラブの商人たちが、商売から手を引いたからである、と美しい言共でさらりと触れている。もちろんアラブ人たちは自ら手を引くことなどしなかったので、ヨーロッパ人はアラブの商船を見つければ、予告することなく攻撃し、沈めた。

 こういったことを可能にした決定的な要因は、ヨーロッパ艦隊の圧倒的な軍事力と乗組員たちの確固たる目的意識であった。アラブ人は南からの攻撃は予測していなかったので、完全に虚を衝かれた∧ポルトガル人は二十年ほどでインド洋西側のアラブの商船をほとんど壊滅させ、攻撃して釆たトルコの全艦隊を打ち破ってしまった。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263613

188. 中川隆[-10922] koaQ7Jey 2019年4月05日 13:32:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1106] 報告
Arthur Calwell 1 (左 / アーサー・コーウェル)

  アジア人労働者を歓迎する企業経営者というのは、ちょっと品の良い奴隷主といったところで、本質的には、昔の残酷な奴隷商人と同じだ。今、オーストラリアは支那人の人口侵略や多民族主義で深刻な問題を抱えているが、この国の惨状と歴史は日本にとって教訓となる。

第二次大戦後、オーストラリアは白濠主義(White Australia Policy)を捨てて、アジア移民を大量に受け容れたが、当初は、反対意見の方が主流派だった。移住大臣となったアーサー・コーウェル(Arthur Calwell)は、アングロ・ケルト的オーストラリアを守るべく、アジアからの低賃金労働者に反対していたが、時代と左翼の攻撃には勝てなかった。当時、コーウェルに対しては、「人種差別に基づく移民規制だ」という非難もあったが、彼は外人労務者を搾取する邪悪な経済人こそ非道であると反駁していた。

  リベラル派から批判されたコーウェルは、ヘンリー・ロス・ルウィン(Henry Ross Lewin)という奴隷商人について述べていた。(Arthur Calwell, Danger for Australia, The Industrial Printing and Publicity, Co., Carlton, 1949, p.10.)

このルウィンはトマス・プリチャード(Thomas Pritchard)なるオーストラリア人に雇われ、彼が所有する「ダフネ」号に乗っていた。「ダフネ」という船はオーストラリアのブリスベンを出航すると、南太平洋に向かい、タンナ島やエロマンゴ島で労働者を見繕っていたそうだ。ところが、規則上、ダフネ号には58名の"労働者"しか乗せてはいけないのに、実際には120名もの島民(商品)が乗っており、船内ですし詰め状態になっていたそうである。(でも、通勤ラッシュ時の山手線よりはマシだ。あの状態は奴隷船よりも過密であるらしい。)

  特筆すべきはルウィンの残虐性である。

彼はタンナ島に上陸した時、酋長の娘に言い寄ったが、あっけなく拒絶されてしまったので、彼女を攫うことにしたそうだ。すると、娘を拉致された首長はルウィンに襲いかかり、娘を取り戻そうとするが、返り討ちに遭って殺されてしまった。

傲慢なルウィンは彼女を妾にするが、彼女に飽きるのも早かった。この外道は彼女の両手をリング・ボルトに結びつけ、鞭で打ち付けると、白人や黒人90名がいる目の前で彼女を強姦したそうだ。そして、事が終わると丸裸の娘を船に投げ入れたという。この船には、あちこちの島から掻き集めた囚人が乗っており、陵辱された娘はその群衆の慰み者になってしまった。(女に飢えた男の中に、裸の女が投げ込まれたら、どんな輪姦が起こるのか、誰でも想像がつくだろう。)

  「ダフネ」号は南洋土人を漁っている最中、洋上警備をしていた「ロザリオ」号のジョージ・パーマー(George Palmer)船長に拿捕されてしまう。そして、拘束された船長と所有者はオーストラリアのクィーンズランドで裁かれることになった。パーマー船長はダフネを奴隷船に違いない、と踏んでいたそうで、船主のプリチャードを有罪にできると考えていた。しかし、海事裁判所は民間の商売、すなわち労働者の輸送と判断し、プリチャードを無罪としたらしい。確かに、ルウィンはお金を払って島民を"リクルート"し、オーストラリアで受け手側に引き渡たしただけだから、これは人足業の部類に入ってしまう。

ただし、ルウィンはあくどく儲けていた。例えば、彼はフィジー島に上陸した時、土人を108名ほど獲得したそうで、仕入れ値は一人当たり6ポンドであったそうだ。その後、クィーズランドに着くと、一人当たり9ポンドで販売したから、結構な儲けになっていたはずである。もっとも、彼は法令で決められた58名しか売らなかったというからズル賢い。全員売り渡すと違法行為がバレてしまうから、表の商売では法律を守っていた。おそらく、残りの「奴隷」は、闇市で売却したのかも知れない。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68760699.html

189. 中川隆[-10603] koaQ7Jey 2019年4月25日 11:39:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1469] 報告

ウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していて、若きアドルフ・ヒトラーは戦慄を覚えた
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68763179.html


現代でも、ボスニアやセルビアで民族対立が勃発し、銃撃戦どころか「民族浄化」が行われていた。復讐に燃える兵卒たちは、敵の女を見つけると集団で襲いかかり、自分たちの精子をネジ込んで喜んでいたのだ。これは殺人よりも忌まわしいことかも知れない。なぜなら、輪姦された女性はケダモノに等しい異人の子を宿し、誰が父親なのかも判らぬ子供を育てる破目になるからだ。もし、息子が生まれると別の意味で悲惨である。我が子が成長するに従い、段々と強姦魔に似てくるから、忘れたい過去がフラッシュバックのように蘇ってしまうのだ。彼女の祖父母だって、心から孫を愛することができない。孫の顔に一族の敵が浮かび上がってくるんだから、拷問のような仕打ちである。

  ボスニア紛争以前にも、我々はオーストリア・ハンガリー帝國の悲劇を知っているはずだ。この多民族国家はハプスブルク家によって統合されているだけで、その臣民の間には国民的紐帯は無かった。国家の要(かなめ)である軍隊でも、民族ごとに分かれており、号令だって複数の言語でなされていたのだ。帝國内ではドイツ語を始めとして、ポーランド語、チェコ語、マジャール(ハンガリー)語、ウクライナ語、クロアチア語、ルーマニア語、そしてユダヤ人のイディッシュ語など、多数の言葉が飛び交っていたから不思議じゃない。

とりわけ、コスモポリタンの大都市でもあるウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していたから、若きアドルフ・ヒトラーが戦慄を覚えたのも当然である。将来のドイツ第三帝國総統はこう述べていた。

   この国の首都が示している人種集団は、わたしにとって不愉快であり、チェコ人、ポーランド人、ハンガリー人、ルテニア人、セルビア人やクロアチア人等の諸民族の混淆は、いとわしいものだった。しかしそれよりも人類の永遠のバクテリアはなお不愉快だった。------ ユダヤ人、そしてもう一度ユダヤ人だ。

  わたしにはこの巨大都市が、近親相姦の権化のように思えた。(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 上巻、平野一郎・将積茂 訳、角川書店、 昭和48年、 p. 184)


Hitler 2( 左 / ヒトラー総統)


  ウィーンに群がるユダヤ人を毛嫌いしたヒトラーは、当時のオーストリアを「古いモザイク」に譬えていたが、第20世紀初頭のオーストリアなんか、現在のオーストリアーと比べれば白人天国である。特に、現在のドイツを目にしたら、ヒトラーはもちろんのことゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングも卒倒したことだろう。「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の英雄ロンメル元帥やヒトラー暗殺を企てたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus von Staufenberg)伯爵、リートヴィッヒ・ベック(Ludwig A. T. Beck)上級大将だって、眉を吊り上げ絶叫するに違いない。(逆説的だが、ネオ・ナチを存続させるのは人種混淆を称讃する平等主義者で、ドイツがアーリア人だらけになったら、ネオ・ナチの存在は半減するだろう。) 今では、さほど抵抗が無くなったけど、当時のドイツ社会でアフリカ人や褐色のアラブ人、くすんだ肌のトルコ人などがゲルマン人女性と結婚するなんて論外というか、犯罪に近い行為であった。アシュケナージ系ユダヤ人との結婚だって大反対されたのに、有色人種となんて勘当ものである。


チャーチルが嫌った茶色いイングランド

Winston Churchill 1( 左 / チャーチル首相)
  現在の欧米諸国ではナチスの人種衛生学や優生思想が糾弾されているが、ヒトラーを倒したウィンストン・チャーチルならナチズムの復活を望んでしまうだろう。何しろ、チャーチル自身が人種差別主義者であったから、アジア人やアフリカ人との混血は御法度が当たり前。同盟相手の日本人だって嫌いなんだから、植民地の茶色のインド人やパキスタン人、ビルマ人、黒いケニア人などは論外。マルバラ公爵の御曹司は彼らを原始的な「野蛮人」と思っていたのだ。ただし、チャーチルはユダヤ人の富豪からお金をもらっていたので、英国内のユダヤ人に寛容であった。当時のイギリス人貴族が、自宅にユダヤ人を招き、一緒にディナーを楽しむなんてあり得なかったのに、チャーチル家だけは例外で、商人や富豪、シオニストらと交流を持っていたのである。今は墓場で眠っているチャーチルだが、現在の英国を目にしたら、びっくり仰天して飛び起きるんじゃないか。青ざめたチャーチルは、「ヒトラーと手を組んでいれば良かった」と後悔するはずだ。実際、ヒトラーはアングロ・サクソン国家との同盟を望んでいたから、好戦的なのはチャーチルの方であった。

  チャーチルはユダヤ人を救いたかったのに、「イングランドをドイツの魔の手から救え !」という大義名分で第二次世界大戦を起こしたものの、その結果は無残なものだった。ご自慢の大英帝國は崩壊するし、属していた保守党は野党に転落。チャーチル自身も落選となった。栄光に輝くイングランドは激戦で優秀な人材を失い、植民地も手放したのに、国内には不愉快なユダヤ難民が流入し、チャーチルが嫌ったインド人やジャマイカ人までもが入ってきて民族のモザイク状態。世界各地に植民地を持っていたイングランドには、現地人が逆流してきて、今や王国各地に「ネオ・デリー(新ニューデリー?)」とか「リトル・カブール」、「ニュー・バクダッド」といった入植地が出来ている。とりわけ、ロンドンは著しく、もはやイギリス人の首都ではない。シティーの東に位置するタワー・ハムレッツ(Tower Hamlets)には白人よりも有色人種の方が多く、イスラム教徒やアジア人の方が主流になっている。また、人口統計に記される「白人」といっても、その正体はポーランド人やブルガリア人、スロヴァキア人、ロシア人、東欧系ユダヤ人であったりするから、「白いブリテン人」がどんな連中なのか、よく確かめてからじゃないと、政府の統計は信用できない。

Muslims in Britain 2Muslims in Bradford 1
( 写真 / イングランドに住むイスラム教徒)

  明らかに、第21世紀のイングランド王国は別の国家に成り果てている。例えば、ウェスト・ヨークシャーの都市、ブラッドフォード(Bradford)はイギリス人の街ではない。街角には、パキスタン人やアラブ系のイスラム教徒が溢れており、チャドルを着た女性が堂々と歩いている。アジアからの移民が増えれば街並みが変わるのも当然で、道沿いにはハラル料理を出すパキスタン人の食堂とか、不気味な雰囲気を醸し出す骨董屋、エスニック料理の食材を扱う小売店、奇妙な民族衣装を取り揃える雑貨店などが目立っている。こうしたエスニック商店街には、まともなアングロ・サクソン人は立ち寄らないから、薄暗い貧民窟とか犯罪者がたむろする租界になりやすい。東京上野にあるアメ横にも、トルコ人の屋台があって、中東アジア人がシシカバブ(肉の串焼き)を食っている。いずれ、「アメリカ横町」じゃなくて「ムスリム通り」になるんじゃないか。新大久保は既に「リトル・ソウル」だから、アジア・タウンは全国各地に広がるだろう。フィリピン人やクルド人が群がる埼玉県の蕨市は、別名「ワラビスタン」と呼ばれているから、首都圏に「リトル・サイゴン」とか「ニュー・バンコック」が誕生するのは時間の問題だ。支那人が訪れる東京湾も、やがて「トンキン湾」と呼ばれるかも知れない。在日米軍のアメリカ兵も「トキヨー・ベイ」よりも「トンキン・ガルフ」の方に馴染みがある。

  以前、英国の移民問題に関しては度々述べてきたので、詳しくは過去のブログを参照してもらいたい。(参照記事A、 記事B、記事C 記事D ) それでも、英国の現状は悲惨である。つい最近、英国南東部、ケント州のウァルダースラッドで交通事故が起きたのだが、その状況を記録した映像を見ると、マシェト(Machete / 長めの鉈)を持った黒人が逃走する姿が映っていた。これを見たイギリス人は驚愕したそうだ。以前はアングル人やザクセン人が主流の地域だったのに、今じゃソマリアのモガディシューみたいになっている。「イングランドの庭園」と呼ばれるケント州には、有名なカンタベリー大聖堂とロチェスター大聖堂があって、中世の美しさを残しているのに、黒人が浸透すると、モザンビークやジンバブエに様変わり。麻薬の密売や組織売春、強盗、引ったくり、強姦・輪姦が横行した上に、刃物を持ったアフリカ人が歩いているんだから、温厚なイギリス人でも「責任者出てこい !」と怒鳴ってしまうだろう。人気コメディーの「モンティー・パイソン」で有名なジョン・クリーズ(John Cleese)は、数年前、「ロンドンはもはやイングランドの都市ではない」と嘆いていたが、他の地域でも非英国化は進んでいたのだ。

Blacks in Britain 1John Cleese 1
(左 : 刃物を持って疾走する黒人 / 中央 : 自動車事故 / 右 : ジョン・クリーズ)

  同じ立憲君主国でも日本と違い、英国には貴族が存在する。しかし、その顔ぶれを眺めると、全くイギリス人とは思えない貴族が存在するのだ。正直な日本人だと思わず「これがイギリス貴族なの?」と呟いてしまうが、左翼教育に染まったイギリス人は、不満を抱きつつも、無言のまま堪えるしかない。祖国を愛するイギリス人なら、BNP(ブリテン国民党)やEDL(イングランド防衛同盟)に入りたくなる。(ただ、悲しいことに両組織とも凋落し、メンバーは激減しているそうだ。) 日本では英国の惨状は報道されないので、筆者が代わりにパキスタン系貴族を何名か紹介してみる。例えば、ウィンブルドン男爵となった保守党のタリク・アフメド(Tariq Ahmed)、上院議員のザヒダ・マンズール(Zahida Manzoor)、サイーダ・ワルシ(Sayeeda Hussain Warsi)男爵夫人、労働党上院議員のナジール・アフメド(Nazir Ahmed)男爵、モハメッド・A・カーン(Mohammed Afzal Khan)、自由民衆党のキシュワー・フォークナー(Kishwer Falkner)男爵、ロンドン市長のサディク・カーン(Sadiq Khan)、メイ内閣で内務大臣となったサジド・ジャヴィッド(Sajid Javid)などである。

Tariq AhmedZahida Manzoor 2Sayeeda Warsi 1Nazir Ahmed
(左 : タリク・アフメド /ザヒダ・マンズール / サイーダ・ワルシ / 右 : ナジール・アフメド )

  他人の国だから、どうこう言いたくはないが、こんな異邦人を目にしてもアングロ・ブリテン人は、本当に「貴族」として彼らを尊敬するのか? 戦前の日本で、もし朝鮮人の伯爵や子爵が出現したら、日系庶民は小馬鹿にして相手にしないぞ。子供だって「ギャハハ、ヨボの華族だって !」と笑ってしまうだろう。(「ヨボ」とは庶民が朝鮮人につけた呼称。) 貴族というからには、立派な血統や輝く権威が条件で、国会議員を務めたくらいじゃ「貴族」に相応しくない。やはり、封建領主じゃないとねぇ〜。ウェリントン将軍のように武勲を誇る軍人なら「公爵」でいいけど、百貨店や金融業で出世したユダヤ人が「男爵」なんてチャンチャラ可笑しい。日本でも同じだ。コ川御三家や御三卿、あるいは島津家とか前田家、毛利家のお殿様や家老ならいいけど、朝鮮の両班なんかロクでなしの穀潰しだから、とても仰ぎ見る存在ではない。貴族は血統と人種が重要となる。たとえ、一橋家出身の公爵が誕生してもタイ人との混血児じゃ嫌だし、田安家から出た伯爵でも、ベトナム人の養子じゃ日本人は尊敬しないだろう。

何のために死んだか判らないイングランドの英霊

  異民族の増殖は誠に恐ろしいもので、家系を大切にする旧家や血統を自慢する堅気の家庭にとり脅威だ。良識と伝統に基づいた教育で成長した親は、祖先の肉体を守ろうとするが、左翼教育で大きくなった娘や、コスモポリタン思想にかぶれた馬鹿息子は、「現在」だけを生きている。こうした子供は義務の観念に欠けるから、子孫への配慮など微塵も無い。惚れた相手なら誰でもいいという了簡(りょうけん)だ。リベラル思想が猛威をふるう現代では、実家に住む両親は「もしかしたら・・・」と不安に駆られ、居ても経っても居られなくなる。ある日、年頃になった娘が電話を掛けてきて、恋人に会って欲しいと頼んできたら、「最悪の事態」を覚悟せねばならない。指定されたレストランに赴くと、そこには有色人種の男がいて、娘と談笑していたりするから、親は心臓が止まるくらいショックだ。たとえ黒人じゃなくても、白人に見えない混血青年だったりするから、目眩がしてくる。一応、父親は冷静に振る舞うが、心の底では「何で、こんな奴と付き合うんだ !」と怒りを隠せない。母親も、「他に良い男性がいっぱい居るのに、どうしてこんな人を選んだの !」と不満爆発だ。確かに、溢れんばかりの愛情を注いで育ててやったのに、非西歐世界の有色人種じゃ泣けてくる。これでもし結婚となったら卒倒してしまうだろう。初孫がインド人やアフリカ人との混血児なんて、あまりにも残酷すぎる。生まれたての赤ん坊を抱いたときの涙は、嬉し涙じゃないぞ。

  多民族主義を毛嫌いする保守派のイギリス人にとって、異人種間結婚(miscegenation)は身近に感じられる恐怖だ。とりわけ、藝能界で活躍する娘がいると、その親は心配でたまらなくなる。例えば、ラザ・ジェフリー(Raza Jaffrey)とミランダ・レイゾン(Miranda Raison)の結婚は、現代の恐怖を象徴するニュースだった。ラザは英国の人気TVドラマ『スプークス(Spooks)』にレギュラー出演したインド系男優で、嘗てアメリカのTVドラマ『ホームランド』に出演し、現在は『内なる敵(The Enemy Within)』に出演している。彼は『スプークス』に出演していた時、共演者のミランダと交際し、2007年に結婚した。しかし、2009年に別れている。幸い、二人の間に子供はいなかった。だが、彼は又もや異人種の女優に手を出した。同番組の出演女優ララ・パルヴァー(Lara Pulver)と親密になり、2012に結婚する。だが、それも長くは続かず、2017年に離婚したという。


Raza Jaffrey 2Miranda Raison 6Lara Pulver 3
(左 : ラザ・ジェフリー / 中央 : ミランダ・レイゾン / 右 : ララ・パルヴァー )

  ミランダ・レイゾンの両親がどう思ったかは知らないが、普通のイギリス人ならゾっとするような結婚である。というのも、異民族が大量に流入する英国では無防備な子供が有色人種と毎日接触するからだ。年頃の子供を親は、「もし、自分の子があんな婚約者を連れてきたらどうしよう」と心配になる。一方、ララ・パルヴァーの親なら結構平気だろう。なぜなら、彼女の父親はユダヤ人で、イギリス人の母親は夫に従いユダヤ教へと改宗しているし、二人はララが七歳の時に離婚しているからだ。こんな母親なら、娘の結婚に反対できるはずがない。それに、第21世紀の英国だと、親の世代もリベラルで、多少の抵抗はあっても、概ね異人種間結婚を許してしまうのだ。イングランドの地と血を守るために亡くなった将兵は、墓の底でどう思っているのか? 中流階級以上の陸軍士官とか、パブリック・スクール卒の海軍士官は、まさか、自分の子孫にパキスタン人やアラブ人の遺伝子が混ざるとは考えていなかったはずだ。あの世のチャーチルも絶句するんじゃないか。隣のヒトラーが笑っているぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68763179.html

190. 中川隆[-10584] koaQ7Jey 2019年4月27日 09:48:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1492] 報告
 西洋人の野蛮性を指摘する松原・清水らの論考集

・「驕れる白人と闘うための日本近代史」/松原久子
 http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/122.html
 投稿者 仁王像 日時 2008 年 4 月 27 日 17:52:59: jdZgmZ21Prm8E

・「言挙げせよ日本〜欧米追従は敗者への道」/松原久子
 http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/121.html
 投稿者 仁王像 日時 2008 年 4 月 27 日 13:44:36: jdZgmZ21Prm8E

・Re:なんといっても人類史史上、人類に苦痛を与えた災難は、白人による世界植民地支配の「白禍」である/清水馨八郎
 http://www.asyura2.com/14/kokusai8/msg/886.html
 投稿者 仁王像 日時 2014 年 6 月 28 日 21:49:21: jdZgmZ21Prm8E

・西洋の反自然性、反人類性、反生命性を明確に断じた四人/大田龍
 http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/128.html
 投稿者 仁王像 日時 2008 年 5 月 03 日 18:44:06: jdZgmZ21Prm8E

・コロンブスは「残虐な暴君」だった=当時の証言が裏付け [AFP=時事]
 http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/206.html
 投稿者 white 日時 2006 年 7 月 16 日 02:46:34: QYBiAyr6jr5Ac

・Re: 十字軍と1492年、西洋の大航海時代から地球支配環の形成
 http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/476.html
 投稿者 愚民党 日時 2004 年 5 月 07 日 00:40:37:ogcGl0q1DMbpk

191. 中川隆[-10377] koaQ7Jey 2019年5月07日 06:48:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1719] 報告

2019年05月06日
似ている者同士で暮らせる幸せ / 国民の条件 (後編)
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


異人種が王族を演じる英国ドラマ

Queen Elizabeth & Princess MargaretQueen Elizabeth & King George VI
(左 : 母エリザベス王妃と妹マーガレット王女と一緒のエリザベス女王 / 右 : ジョージ6世とエリザベス女王)

  フランスやドイツ、デンマーク、ネーデルラント、スウェーデンといったヨーロッパ諸国は、元々王様が統治する君主政国家で、共和政なんか異端の統治体制としか思えなかった。しかし、幾つかの国では戦争や革命のせいで王室が消滅したので、仕方なく共和政を選んだという経緯になっている。実際、人民共和国を喜んでいるのは、赤く染まった知識人くらいで、普通の庶民は「王様やお姫様がいたらなぁ〜」と後悔している場合が多い。フランス人は「王族なんて税金を浪費するだけの穀潰しだ」と悪態をついているが、心の底では王室を戴くイギリス人を羨んでいる。その証拠に、フランスの庶民は矢鱈と英国王室の話題に興味を持つ。パリにダイアナ妃がやって来た時など、キャーキャー騒いでいたじゃないか。モナコ公国のプリンセスにグレース・ケリーがなった時も、人々は新聞や雑誌に齧り付いていた。隣国のスペインも羨望の的で、レティシア王妃が訪問すれば大歓迎。もし、革命後もずっとブルボン王家が続いていたら、フランス人はさぞかし自慢していたことだろう。

Grace Kelly 6Princess Diana 21Queen Letizia 5
(左 :グレース・ケリー / 中央 : ダイアナ妃 / 右 : キャスター時代のレティシア妃)

  歴史の皮肉なのが、フランス王室の消滅とスウェーデン王室の存続である。現在でもスウェーデンが君主国なのは、ナポレオン軍のジャン・バプティスト・ベルナドット(Jean-Baptiste Jule Bernadotte)将軍を国王に迎えたからだ。この帝國元帥は、カール14世ヨハンと改名し、カール16世グスタフ国王の祖先になっている。注目すべきは、1980年の王位継承法が改正され、性別に関係なく長子が王位継承者と定められたことだ。これにより次期国王はカール・フィリップ王子(弟)ではなく、長女(姉)のヴィクトリア王女となる。その次はヴィクトリア王女の娘(長女)エステル王女が王位に就く。左翼はヨーロッパ王室の例を持ち出して、女性天皇や女系天皇を誕生させようとするから警戒せねばならない。それはともかく、スウェーデン人は王室を存続させたから賢い。民衆はヴィクトリア王女と可愛らしいエステル王女を目にして大喜びだけど、もし彼らの祖先が共和政を選択したら、現在の幸せは無いだろう。(ヴィクトリア王女の妹であるマデレーン王女も魅力的で国民からの人気が高い。) それに、同じ北歐種族だから気分がいい。やはり、国民と王族の種類は一緒でなきゃ。もし、アフリカ系のプリンセスだと、スウェーデン国民は「我らが王女!」と心から祝福できない。

Princess Estelle 1princess Estelle 5Princess Madeleine 2

(左 : エステル王女 / 中央 : ヴィスクトリア王女一家 / 右 : マデレーン王女 )

  一方、気狂いのフランス人はフランス語を喋れば「フランス人」と思っている。でも、実際の政治家や著名人を見れば、「これがフランス人なの?」と疑いたくなるような人物ばかり。とても「フランク人」や「ガリア人」の末裔とは思えない。例えば、フランス大統領になったユダヤ系のニコラ・サルコジとか、スポーツ大臣になったローラ・フルセル・コロヴィック(Laura Flessel-Colovic)、「Missフランス」に選ばれたアリシア・アリエス(Alicia Ayles)、日本の左翼が持て囃す「ポスト・コロニアル」の黒人極左フランツ・ファノン(Frantz Fanon)、『モンテ・クリスト伯』を書いたハイチ系作家アレクサンドル・デュマ(Alexandre Duma)などである。現在のフランス人は、たとえ「白人」でも西歐人とは言えず、東歐や南歐からのユダヤ人、サラセン人と混じったイタリア人やスペイン系の混血国民、ポーランドやロシアから流れ着いた貧民の子孫、アルジェリアやモロッコから逆流してきた植民地人、ギニアやコンゴからの下層黒人、インドシナ半島から逃れてきたベトナム難民の子供、イラクやシリアからのムスリム棄民など、卒倒しそうなくらい雑多な民族構成となっている。

Laura Flessel-Colovic 1Alicia Aylies 2Alexandre Dumas 1Frantz Fanon 1

(左 : ローラ・フルセル・コロヴィック / アリシア・アリエス / アレクサンドル・デュマ / 右 : フランツ・ファノン)

  君主国だと国民は常に王族を目にするから、映画や小説に王様や女王、王太子が登場することが多い。古い王室を誇るブリテンだと、エリザベス女王やダイアナ妃、チューダー家のヘンリー8世やエリザベス1世、ブラッディー・メアリーとか悲劇の王妃アン・ブーリンなどが作品の題材になっている。特に、TVドラマは顕著で、『The Tudors』だとジョナサン・リス・メイアーズ(Jonathan Rhys Meyers)がヘンリー8世を演じていたし、『Mary Queen of Scots』ではシアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan)がメアリー・スチュアートを演じ、マーゴット・ロビー (Margot Robbie)がエリザベス1世を演じていた。『Reign / クィーン・メアリー』というむドラマだと、アデレード・ケイン(Adelaide Kane)がメアリー女王の役に就いていた。

Jonathan Rhys Meyers 2Saoirse Ronan 3Adelaide Kane 4

(左 : ジョナサン・リス・メイアーズ / 中央 : シアーシャ・ローナン / 右 : アデレード・ケイン )

  ただし、今年から始まるTVドラマ・シリーズ『The Crown』にはガッカリする。シーズン1ではジョージ6世をジャレド・ハリス(Jared Harris)が演じ、そのお妃であるエリザベスをヴィクトリア・ハミルトン(Victoria Hamilton)が演じている。後に女王となる娘のエリザベス2世をクレア・フォイ(Claire Foy)が演じているのだが、他の配役が殊の外まずい。女王が年齢を重ねてしまうからしょうがないけど、シーズン4ではオリヴィア・コールマン(Olivia Coleman)がエリザベス女王役になってしまうのだ。もっと酷いのは、エリザベス女王の妹であるマーガレット王女を演じる役者である。若き日のマーガレット役にはヴァネッサ・キルビー(Vanessa Kirby)が採用されているから、まだ良い。ところが、シーズン3からはユダヤ系女優のヘレン・ボナム・カーター(Helena Bonham Carter)になってしまうのだ。アングロ系視聴者からすれば、「それはないんじゃない・・・」と呟きたくなる。

Claire Foy 4Helena Bohnam Carter 1Vanessa Kirby 1Olivia Colman 1


(左 : クレア・フォイ / ヘレナ・ボナム・カーター / ヴァネッサ・キルビー / 右 : オリヴィア・コールマン)

  この奇抜な人相の女優ヘレナは名門の生まれで、父親は銀行家のレイモンド・ボナム・カーター(Raymond Bonham Carter)。レイモンドはヴァイオレット・アスキス(Violet Asquith)の息子で、母親のヴァイオレットはハーバート・ヘンリー・アスキス(Herbert Henry Asquith)首相の娘である。つまり、女優になったヘレナは、アスキス首相の曾孫になるという訳だ。でも、初代オックスフォード・アスキス伯爵の子孫がユダヤ人になるとは、いくら四代目でも、これじゃあんまりだ。愛国的イギリス人なら憂鬱になる。ヘレナが挑んだ役柄には色々あるけど、日本人でもビックリするものがある。例えば、TVドラマ『Henry VIII』ではアン・ブーリンを演じていたし、伝記ドラマ『バートン&テイラー』では、何と名女優のエリザベス・テイラーを演じていたのだ。日本の映画ファンだと、「えぇぇっ〜、あの美人女優を・・・ !」とビックリするが、監督のリチャード・ラクストンとBBCは「ミスキャスティング」とは思わなかったようだ。イングランドの映画制作者と視聴者は、多民族主義やリベラル思想で頭を改造されているから、正常な感覚を持たない。美意識だってメチャクチャだ。とまぁ、こんな風だから、エグゼクティヴ・プロデューサーのピーター・モーガンやスティーブン・ダルドリーは、ヘレナを不適格と思わず、マーガレット役に抜擢したのだだろう。

Elizabeth Taylor 5Helena Bonham Carter 111Princess Margaret 2


(左 : エリザベス・テイラー / 中央 : ヘレナ・ボナム・カーター / 右 : マーガレット王女)

  王様やプリンセスを演じる役者には、それらしい容姿と風格が必要になってくる。とりわけ、有名な王族を主題にする場合、俳優の選択を間違えれば、致命的となるだろう。イングランド王室といえば、まず頭に浮かぶのがダイアナ妃で、今でも人気が高いから、その生涯はTVドラマ化されやすい。以前、ナオミ・ワッツ(Naomi Watts)がダイアナ妃を演じて話題となったが、これから放映される『ザ・クラウン』では、エマ・コリン(Emma Corrin)がダイアナ妃を演じるそうだ。ナオミ・ワッツは外国人、といってもオーストラリア人だけど、肉体的には同じ種族に属するから違和感はない。むしろ、適役だろう。エマ・コリンも美人のプリンセスを演じるだけの雰囲気がある。もし、外見を無視して『ベル / Belle』に出演したググ・バサ・ロウ(Gugu Mbatha-Raw)みたいな女優を選んだら抗議の電話が殺到するぞ。ちなみに、幼いウィリアム王子を演じるのは、ビリー・ジェンキンス(Billy Jenkins)だ。まぁ、この人選も妥当だろう。

Naomi Watts 21Naomi Watts as DianaPrincess Diana 24Emma Corrin 1

(左 : ナオミ・ワッツ / ダイアナ妃に扮したワッツ / ダイアナ妃 / 右 : エマ・コリン)

同種族で成り立つ君臣の関係

  それにしても、なぜイギリス人には王様が必要なのか? 現代の代議制民衆政治では、国王が直接「政治(まつりごと)」を行うことはなく、基本的に議員や大臣に丸投げとなっている。となれば、居ても居なくてもいいようだが、実際は極めて重大な存在である。王室を抹殺したフランスは、恐怖政治から帝政へと変わり、王政が復活したかと思えば共和政に逆戻り。ナポレオン三世が登場して帝政となるも、普仏戦争に敗れて再び共和政。第二次大戦で「勝者」となったが、実際は米国に助けてもらって面子を保っただけ。議会を優先した第四共和政は、政党分裂で内乱状態。そこで、大統領の権力をグっと重くして、ゴチャゴチャ言う議員どもを黙らせ、政治の安定性を図ったという始末。大統領となったシャルル・ド・ゴール将軍は、まるでルイ14世のように君臨したから、ローマ共和政の執政官というより、第一人者となった皇帝のアウグストゥスみたい。結局、分裂指向の強いフランスが輝くのは、壮大な権威を誇る王様がいる時だ。振り返れば、カール大帝、フィリップ・オーギュスト、端麗王(le Bel)フイリップ4世、大王(le Grand)アンリ4世、正義王(le Juste)ルイ13世、とみんな力強い王様ばかり。


Philippe AugusteHenry IV of FranceLouis XIIICharles de Gaulle 1


( 左 : フィリップ・オーギュスト / アンリ4世 / ルイ13世 / 右 : シャルル・ド・ゴール)

  一方、イングランドの立憲君主政は非常に安定している。でも、どうしてこの君主政体は成功したのか? 手短に言えば、立憲君主政は誰にでも理解しやすい政体だからである。民衆というのは議会や政党の小難しい議論なんかに興味は無い。それよりも、一人の君主に希望を託して政治を行ってもらいたい、という性質を本来もっている。庶民は抽象的なものより、一人の具体的な個人に愛情を抱いてしまうのだ。共和政のアメリカだって、政界の「第一人者(プリンチェプス)」と言えば大統領だし、困った事が起これば大統領に直談判して「何とかしてくれ」と頼むはず。時代も大統領の姿が象徴となっている。「ニューディール時代」と言えばフランクリン・ローズヴェルトだし、1960年代となればケネディー大統領で、暗殺で幕を閉じた「キャメロット(Camelot)」の時代は今でも語り継がれている。そして、1980年代になると、ロナルド・レーガン大統領の登場だ。「強いアメリカ」の復活を掲げた大統領は、保守的国民のハートを鷲摑み。親子代々共和党に恨みを抱く南部の民衆党員もイチコロだ。その人柄と気概で人々から愛されたレーガン大統領は、まさしくホワイトハウスに君臨する「国父」だった。合衆国は元々イギリス人が創った共和国だから、イギリス人的国民感情が残っていたのだろう。

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(左: ケネディー大統領とジャクリーヌ夫人 / 右 : レーガン大統領とナンシー夫人)

  イングランドの政治と社会は王様なしでは成り立たない。ピューリタン革命でチャールズ1世を断頭台に送ったイギリス人は、「二度とあの恐怖時代を繰り返さない」と心に誓っている。いくらオリヴァー・クロムウェルにカリスマ的威光があったとしても、しょせん護国卿は国王陛下の代役になれない。ただし、王政復古の主役はマズかった。チャールズ2世ときたら女癖の悪い放蕩息子とちっとも変わらないのだ。作家のアンドレ・モロワ(André Maurois)は次のように評している。

  ・・・今や救済者として待望したこの新しい君主は、その父親に当たるあの殉教者の王の従僕たちが想像していたやうな神々しい人物とは、てんで違つてゐた。肉欲的な厚い唇、頑丈な鼻、人を茶化すやうな眼、それらはあの父の上品で陰鬱な顔よりは、むしろ祖父のアンリ四世を想い出させた。(アンドレ・モーロア 『英国史』 下巻、水野成夫 訳、白水社、昭和14年、 p.119.)

  しかし、ロンドンの庶民は大歓迎だった。車道は花で埋まり、街頭には壁掛けが張り巡らされ、あちこちで鐘が鳴り響いていたそうだ。さらに、人々は乾杯の美酒に酔いしれていた。一方、この王様は敬虔なピューリタンと違い、いかがわしい女性や妾をを周囲に侍らせ、独自のハーレムを作っていたのだ。これじゃあ尊王主義者も呆れ返ってしまうじゃないか。でも、清教徒による息苦しい束縛の後だから、「まぁ、いいか !」と許したくなる。それに、ふしだらな王様でも不在よりマシなんだから。現在、英国王室の離婚事情には目を覆いたくなるような事例が多いけど、全般的に見ればハノーファー家はスチュアート家よりも真面目だよなぁ。

Charles I of EnglandCharles II of EnglandOliver Cromwell


( 左 : チャールズ1世 / 中央 : チャールズ2世 / 右 : オリヴァー・クロムウェル )

  王様が君臨する国家は安定していて、何となく気分が良い。国王の姿を見ると、悠久の歴史に生きていることが実感できるし、両親や祖父母、曾祖父母も同じ気持ちで陛下に忠誠を誓っていたんだなぁ、と理解できる。だからこそ、国王と臣民は同じ民族でなければならない。なぜなら、君民を結ぶ赤い紐帯は、親子代々受け継がれる血によって織られているからだ。国王がアングロ・サクソン人で、臣民がアフリカ人とアラブ人ではグロテスクなパッチワークになってしまうだろう。すくなくとも、同じヨーロッパ人じゃないと、君主への尊敬は生まれないし、「我らが陛下」と喝采する気にもなれない。

Billy Jenkins 1Prince George 111Princess Estelle 4Britishness Perry Edwards 2


(左 : TVドラマでウィリアム王子を演じたビリー・ジェンキンズ / ウィリアム王子とジョージ王子 / イギリス人と同じ種族のエステル王女 / 右 : 英国で人気のポップ歌手ペリー・エドワーズ )

  心理学によると、人間は同質的な者を好むようで、友人や結婚相手を選ぶとき、自分と似た容姿の人物を選ぶそうだ。(J. Philippe Rushton, "Genetic Similarity Theory and the Roots of Ethnic Conflict," The Journal of Social, Political and Economic Studies, Vol. 23, 1998, p.480.) 確かに、北歐人はイラク人やエチオピア人よりも、ドイツ人とかデイン人、フランドル人を親友や配偶者にしている場合が多い。日本人だって、アジア人混成学級に入れば、先ず日本人に近寄るし、反りが合うのも日本人の同級生とだろう。多民族国家のアメリカだって似たようなものだ。例えば、学食で昼飯を食えば、人種や民族別に「仲良しグループ」が出来てしまうし、ルームメイトを求めれば、同じ外見の人物を選んでしまう。映画では白人と黒人の組み合わせが多いけど、実際は、白人同士のカップルやルームメイトがほとんどで、いきなり異人種との友情が芽生えるというのは稀である。ラシュトン教授によると、結婚における幸せというのは、双方が持つ遺伝子的類似性で予想できるそうだ。(上掲論文 p. 481.)

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(左 : 西インド初頭からの黒人移民 / 右 : 礼拝を行うイスラム教徒)

  英国王室は国民からの人気が高いが、よく調べてみると、その人気というのは表面的なもので、伝統的な尊王主義に基づくものではない。なるほど、アングリカン教会に属し、親子代々のトーリー(王党派)で、肉体的にもアングロ・サクソン系の紳士なら、自然と国王陛下に恭順を示すことが出来るだろう。しかし、インドからの苦力とか、パキスタンやケニア、イラクからのイスラム教徒、ロンドンのゲットーから抜け出たユダヤ人並びに東歐から逃れてきたユダヤ難民の末裔、香港から流れてきた支那人、カリブ海諸国からの黒人などは別だ。彼らがアングロ・サクソン人と同じ尊王精神を持っているとは言えまい。そもそも、 ブリテン旅券(国籍)と愛国心は一体なのか? テレビ・ショッピングなら、チグハグな抱き合わせ商法でもいい。例えば、「今、この包丁とまな板を買ってくださったお客様に、このゴージャスな腕時計をプレゼントします !」と聞けば、何か変だけど、脳天気な一般人は「キラキラした腕時計をもらえるのか !」と喜んでしまう。でも、こんな時計は大抵、売れ残り商品で、在庫処分で吐き出された半端物である。全員に当てはまるわけではないが、旧植民地からやって来る有色移民にとって、エリザベス女王はこの腕時計みたいなものである。つまり、ブリテン国籍に附いてくるオマケということだ。

Queen Elizabeth II 001Muslims in Britain 003


( 左 : エリザベス女王とフィリップ殿下 / 右 : 「ブリテン国民」となったイスラム教徒)

  大変無礼な譬えだけど、エリザベス女王はアジア人アフリカ人の首長ではない。たとえ、インド系やアラブ系の国民から人気を博したとしても、単にキラキラした宝石を身につけた品の良いおばあちゃん程度。だいたい、ジャマイカ系やアラブ系の「ブリテン国民」が女王を目にして、「我らが陛下 !」と自信を持って叫ぶのか? 女王の父君であるジョージ6世は最後のインド皇帝だったけど、独立を目指したインド人にとっては、憧れの存在ではなかった。いくら英国に移住してきたインド人でも、ジョージ6世とエリザベス王妃を目にして、心から「国王陛下万歳、王妃殿下万歳 ! (Vivat rex ! Vivat regina !)」とは言えないだろう。なぜなら、こうした茶色の帰化人は、経済的豊かさを求めて宗主国にやって来ただけで、イングランド国王へ奉仕するため荒波を乗り越えて渡ってきた訳じゃないからだ。

Jews 001Britain National Anthem


(左 : ブリテンのユダヤ人 / 右 : 大聖堂内で国歌を斉唱するイギリス人)

  パキスタン移民も同じで、イスラム教徒の有色人種が、ウェイストミンスター大聖堂に集まり、女王陛下のご生誕を祝って「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン(God save the Queen)」を歌うとは思えない。赤い軍服を着たイギリス人やアングロ・ケルト系の聖職者、世襲貴族、ノーフォークやヨークシャーの紳士淑女なら、心の底から君主を讃え、「主よ、陛下を護り賜え」と願うけど、植民地からやって来た黒人には恨みしかない。(日本も同じで、帰化支那人や帰化鮮人の子供は、天皇陛下の君臨を心から祝福することはできない。まともな日系人なら、陛下の長寿を願って国歌を斉唱する帰化鮮人など想像できまい。) 確かに、黒人の政治家や聖職者、貴族にしてもらったパキスタン人とかユダヤ人なら、表面上それらしく振る舞うこともあるだろう。だが、本音はどうか判らない。彼らは白いケンブリッジ公爵夫人(キャサリン妃)より、黒いサセックス公爵夫人(メーガン妃)の方を好む。なぜなら、人種的な親近感を持つからだ。

Kate Middleton 15Meghan & Henry 5Black woman 22


(左 : キャサリン妃 / 中央 : ヘンリー王子とメーガン妃 / 右 : ブリテンの黒人女性 )

  日本のワイドショーは、パパラッチが作り出すメーガン・フィーバーや、左翼的イギリス人が口にする好意的な評価ばかりを紹介するが、アングロ系ブリテン国民が密かに抱く嫌悪感を伝えることはない。例えば、メーガン妃はヘンリー王子と結婚したのに、アメリカ国籍を手放さず、保持したままで出産しようとしたのだ。普通の日本人なら「えっ ! 王族と結婚した女性がアメリカ人のままなの?」と驚いてしまうが、この女優上がりのプリンセスはお構いなし。イギリス人やスコット人だって、「いくら何でも、サセックス公爵夫人が二重国籍なんて」と呆れてしまうが、多民族主義が浸透した英国では普通のことになっている。もし、日本の皇族に嫁ぐ民間人が、蓮舫みたいに支那系で、いかがわしい二重国籍者だったら、一般国民はどう思うのか? また、もし、佳子内親王殿下がイスラム教徒のマレー系帰化人と親密になり、その男性が婚約者となったらどうするのか? もし、その婚約者がイスラム教の放棄を拒絶したら、宮内庁はどう対応するのか? 一般の日系国民は「日本国籍保有者」との御成婚だと反対できないし、「宗教の自由」を楯にされれば、「イスラム教徒に反対 !」とは言えなくなる。でも、内心では猛反対のはずだ。たとえ、佳子内親王殿下と婚約者が江戸城付近を散歩なされ、そのお姿を目にしても祝福する気になれない。

Koreans 29Pakistanis 21


(左 : 日本を憎む朝鮮人 / 右 : 移住を望むパキスタン人 )

  マスコミに登場する大学教授や御用評論家は、多民族共生や信仰の自由を賛美するが、普通の日系国民は、日本人だけの町内に住んで、日本人の皇族を拝見したいと思っている。子供を持つ親は、息子の嫁がフィリピン人じゃ気が滅入るし、娘の亭主がイスラム教徒のパキスタン人じゃ嫌だ。また、皇太子殿下のお妃が朝鮮系帰化人の娘になれば大問題となる。もし、朝鮮系のプリンセスが誕生したら、生まれてくる皇子が朝鮮系になってしまうじゃないか。あり得ないと思うが、朝鮮人の外戚なんてゾっとする。親王殿下の祖父や曾祖父が、密入国のパチンコ屋なんて冗談じゃないぞ。日系国民は日本人だけで暮らせる幸せを考えるべきだ。気高き皇族が皆日本人で、皇室を崇敬する国民も日本人だからこそ、喜びと悲しみを共有できるんじゃないか。昭和天皇が終戦の詔書で「堪え難きを堪え、忍ひ難きを忍ひ」と仰り、打ちひしがれる国民がそれに応じたのは、陛下と臣民に堅い絆があったからだ。この赤い紐帯は長い年月を経て紡がれたものである。支那大陸で作られたユニクロ製品じゃないぞ。我々が天皇陛下を目にして胸が高鳴るのは、生まれつき陛下と共鳴する心を持つからだ。池上彰や玉川徹じゃ理解できないと思うけど。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

192. 中川隆[-9840] koaQ7Jey 2019年6月06日 03:29:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2596] 報告

東海アマブログ  米中貿易戦争の本質は宗教戦争 2019年06月05日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html

 1970年代のはじめ、吉祥寺の物部長興邸で、岡村昭彦の私的な講演会が行われた。

 内容は、主に、岡村がベトナム戦争の現地取材で体験した、さまざまのエピソードが主体だったと思う。

 私は、講演の最後に、岡村に対して、「歴史と戦争の本質は何か?」
 と尋ねると、岡村は、即座に「宗教だ」と答えた。

 ベトナム戦争や中東の激戦地を、砲弾の降り注ぐなかで取材して歩いた岡村昭彦の総括的結論が「宗教」だった。
 これは重い言葉だった。半世紀近くを経て、私は、世界史における流動性の本質を考える上で、「何が世界を動かしているのか?」という問いに対し、やはり「宗教」それも「旧約聖書である」と答えることにしている。

 私が当時、信奉していたマルクス主義、唯物弁証法は「存在が意識を規定する」を絶対不動の社会原理として示していたから、この理論からすれば、世界を動かすのは「経済」、つまり物質的豊かさを求める人々の葛藤であると考えねばならなかったのだが、戦場を駆け巡った岡村の直観は、人間社会における宗教による意思を歴史の動力であると示したのだ。

 トランプがアメリカ大統領でいられる最大の理由=力は、アメリカにおける「福音派」と呼ばれるキリスト教勢力の存在である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%B4%BE

 2011年現在、全世界のキリスト教徒のうち13.1%が福音派とされ、2004年現在、アメリカ合衆国の全人口の26.3%が福音派であり、22%がカトリック、16%がプロテスタントであると上のリンクに記載されている。
 つまりアメリカ最大の宗派であり、共和党の支持母体であることが知られている。トランプの予想外の当選も、福音派の総力を挙げた応援が理由だった。

 昔から、ずいぶん保守的な思想で固められていて、「キリスト教原理主義」と評されることもある。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 ニクソン大統領を焚きつけてベトナム戦争で大規模な北爆を後押ししたことでも知られるし、現在、アメリカの一部州では強姦されて妊娠した胎児でも、堕胎をすれば医師と妊婦ともに重罪になる法案が福音派の運動によって通ったばかりで、まるでイスラム教原理主義に対抗するかのように、過激な人権否定主義に走っている。
  https://www.bbc.com/japanese/48277708

 https://toyokeizai.net/articles/-/282862

 これはアラバマ州だが、米最高裁の判事は、トランプ政権によって保守強硬派が多数を占めるようになっったので、この堕胎禁止令が米全土に拡大するのも時間の問題であろう。

 アメリカという国は、建国当初から、原理主義的なキリスト教徒が支配する国であった。
 メイフラワー号に乗って新天地に移住した欧州清教徒=ピューリタンたちの本当の正体は、実は、欧州で反ユダヤ運動による「ボグロム」=大殺戮の恐怖から逃れようとした「キリスト教徒のフリをしたユダヤ教徒」であったと指摘されている。
 https://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

 http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5492.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

 そういう視点でアメリカ史を見ると、建国から一貫してアメリカの支配権を確保してきた保守系アメリカ人の大半が、実はユダヤ教徒ではないかという疑いさえ芽生える。
 プロテスタントを名乗るモルモン教とかエホバ派でさえ、その教義は旧約聖書の原理主義に近く、よくよく調べてみればユダヤ教と言っても差し支えない内容である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%97%A5%E8%81%96%E5%BE%92%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA

 もちろん福音派の教義も、明らかに新約聖書より旧約聖書を重視していて、戒律重視主義であり、これもプロテスタントではなくユダヤ教・律法主義に近いものである。
 したがって、アメリカの思想的背景として君臨し続けてきた福音派キリスト教は、イエスキリストのように人間愛を説いて人を許す前に、旧約聖書におけるレビ記に描かれた懲罰殺人を推進する勢力になっていて、アメリカにおける戦争や死刑制度、あるいは原爆投下にいたるまで、実は旧約聖書の解釈による正当化が主流になっている。
 https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98+20&version=JLB

 トランプは大統領に就任してから、際だった親イスラエル政策を次々に実現している。
 https://www.asahi.com/articles/ASL585D55L58UHBI027.html

 米大使館のエルサレム移転まで実現し、とうとう、アメリカ大統領として「嘆きの壁」まで参拝することで、イスラエルに対し、永遠の連帯を表明した。
 次に行うのは、エルサレム第三神殿の建立支援ではないかと囁かれているが、これは、イスラム聖地の破壊を伴うことから、やれば必ず第三次世界大戦を引き起こすとも言われている。

 そこでトランプは、福音派どころか、本当は完全なるユダヤ教徒ではないかとの噂が強まってきた。
 https://toyokeizai.net/articles/-/173824

 実は、本当の「ユダヤ人=ユダヤ教徒」の定義は、「母方の血胤」であって、父系ではないため、表向きの相続関係では分からない。「母の血を継ぐ」というユダヤ人の定義を調べるのは困難であって、したがって「隠れユダヤ人」という一群の人々が登場することになる。
 例えば、オバマ前大統領もスエーデン人の母が、チェイニー元副大統領の親戚のユダヤ人なので、ユダヤ人ということになる。
 https://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/200912260000/

 トランプも表向きの系図からユダヤ人であるかを知るのは困難だが、大統領就任後の行動は、文句のないユダヤ教徒である。娘婿のクシュナーも敬虔なユダヤ教として知られていて、イバンカもユダヤ教に改宗している。

 福音派の別名は、クリスチャンシオニストである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 上のリンクに書かれているように、最大の教義は、アブラハムの行った神との契約を守るということであり、旧約聖書に描かれた「シオンの地に帰還」する契約を実現することである。
 だから理不尽な、パレスチナ先住民への弾圧、権利破壊をアメリカが率先して支援してきたのである。
 つまり、福音派はユダヤ教徒シオニストと100%同じと断言してもよい。なんで、福音派がユダヤ教を名乗らないのか不思議なほどだ。

 以上の背景から、中国との経済戦争を俯瞰してみると……。

 中国に対する、徹底的ともいえる憎悪に満ちた経済弾圧の本当の理由は何か? それは4400万人(一説によれば7000万人)といわれる中国キリスト教徒への残酷な弾圧の現実である。

 https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/01/0116.html

 https://www.nicovideo.jp/watch/so27443332

 https://blog.goo.ne.jp/jiuhime007/e/d46d3eb9de3babf710c7911bc5f47285

 https://www.epochtimes.jp/2018/09/36159.html

 中国国内にも福音派系列の教会も多く、アメリカ人にとって実感の薄い法輪功への臓器強奪弾圧よりも、2018年に、キリスト教会の強制取り壊しが習近平政権によって大規模に行われたことへのショックの方が大きい。
 ここで、「習近平憎し」の感情的共有が大規模に成立したのである。

 現在の米中貿易戦争の焦点は、ファーウェイによる5G戦略の封じ込めが争点になっていると報道されているのだが、実は、本当の理由は、習近平がキリスト教弾圧を行ったことが原因である可能性が高いのだ。
 以下は、昨年末、中国内キリスト教信者が数百名も行方不明になっているとの報道だが、これも、法輪功同様、施設に収容されて臓器の摘出売買施設に送られて殺害され、中国共産党幹部の利権に寄与した可能性が高い。
 https://www.youtube.com/watch?v=qAgSzmJK1E0

 このニュースが、アメリカのキリスト教徒たちを決定的に立ち上がらせた可能性が大きいと私は思う。福音派だけでなく、すべての宗派を含んでだ。
 宗教的なアイデンティティは、イスラムにおける「ジハード=聖戦義務」がそうであるように、ときには戦争の直接の原動力になってしまう。

 https://www.youtube.com/watch?v=okn3vhkm4co

 正直、5G利権をファーウェイから剥奪するというトランプ政権の方針は、アメリカ国民にとって馴染みの薄い問題で、なぜなら、すでにアメリカの下層大衆は、中国の安価商品によって生活の大部分を依存するようになってしまっているからである。
 これに25%関税をかければ、それはアメリカ下層大衆の必需物資を極端に値上げさせ、生活に打撃を与えることになり、トランプ政権の方針は歓迎されない。

 しかし、習近平政権がキリスト教会を中国全土で破壊したというニュースは、もの凄いインパクトを持ってアメリカの下層大衆を刺激している。
 「こんなことをする習近平政権は地球から追放すべきだ」という具体的な世論が拡大しているのだ。

 つまり、世界の政治的現実は、実は宗教的問題によって大きく規定されている。
 トランプの活動は、トランプ個人の思いつきよりも、背後の福音派の政治的利害に規定されていて、またユダヤ教徒の利害に規定されている。
 中国が、キリスト経への弾圧をやめない限り、もはや米中戦争は避けられないかもしれない。

 当座は、表向きレアアースの資源戦争という形をとるが、これも中国の敗北は確実なので、最後には、南シナ海や東シナ海で軍事的衝突が始まるに違いない。
 中国が他国との争いで、戦争にまで進まなかったことは一度もない。

 そして、中国は、建国以来の経済破綻に堕とされる。こうなると、落としどころとしては、中国国家の分割(例えば8地区)と独立ということになるかもしれない。


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-766.html  

193. 中川隆[-9839] koaQ7Jey 2019年6月06日 03:35:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2597] 報告
『パトリオット(The Patriot)』

監督 ローランド・エメリッヒ
脚本 ロバート・ロダット
音楽 ジョン・ウィリアムズ
撮影 カレブ・デシャネル
配給 コロンビア映画
公開 2000年6月28日


キャスト

ベンジャミン・マーティン メル・ギブソン
ガブリエル・マーティン ヒース・レジャー
マーガレット・マーティン ミカ・ブーレム
ウィリアム・マーティン ローガン・ラーマン
シャーロット・セルトン ジョエリー・リチャードソン
ハリー・バーウェル大佐 クリス・クーパー
コーンウォリス将軍 トム・ウィルキンソン
ウィリアム・タヴィントン大佐 ジェイソン・アイザックス


あらすじ[編集]

18世紀アメリカ。13植民地が次々とイギリス帝国に対する独立戦争に加わる中、ベンジャミン・マーティンが暮らすサウスカロライナ植民地も、開戦か恭順かの選択を迫られていた。

マーティンは、フレンチ・インディアン戦争の英雄であったが、家族を持った今は開戦に反対していた。一方でそんな父親に反発し、長男のガブリエルは大陸軍に志願して戦場へ赴き、次男のトーマスも従軍を希望していた。

しかし2年後、負傷したガブリエルが帰還する。それに伴ってマーティンの住む家のすぐそばまで迫った戦火は、ガブリエルを敵兵の囚われの身とし、トーマスを死に至らしめた。トーマスを失った怒りからマーティンは昔の本能を呼び起こし、ガブリエルを救出した後、再び戦場へと赴く。

そして旧友のバーウェル大佐を頼って大陸軍に就役し、民兵を組織してイギリス軍に襲撃を始める。その神出鬼没な戦い様から、イギリス軍から“ゴースト”の異名を受け、敵軍のタヴィントン大佐から追撃を受ける様になった彼とその仲間達は、さまざまな犠牲を払いながらもアメリカ独立の大義のために戦う。

そしてついに決戦の日が訪れ、マーティン率いる民兵隊は大陸軍の正式な一員と認められて参加。乱戦のさなか、マーティンは宿敵タヴィントン大佐と対峙する。

動画
https://www.nicovideo.jp/search/The%20PATRIOT%20%20%2F6?f_range=0&l_range=0&opt_md=&start=&end=


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『パトリオット(The Patriot)』で残酷なイギリス人を演じたユダヤ人 / 戦場に赴く愛国者(前編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68766919.html

異人種が演じる英国軍人
Patriot 22patriot 8

  ハリウッド映画の中には優れた作品があるけど、時々トンデモない代物や駄作としか言い様がない失敗もある。さらに、感動と憤慨が入り交じった迷作もあるから、映画の評価というのは案外難しい。こうした作品の一つが、2000年に公開されたアメリカ映画の『パトリオット(The Patriot)』である。これはメル・ギブソン主演の映画なので、日本でもかなり観客が入ったはずだ。もちろん、他国でも観客が入ったから、興行的には成功だった。海外の評価はどうであれ、アメリカ人というのは愛国心を揺さぶるような映画を好む。とりわけ、勝利で幕を閉じる独立戦争だと万々歳。泥沼となったベトナム戦争には嫌な思い出が多いけど、遙か昔の独立革命ならギリシア神話みたいで好奇心が湧く。それに、大半のアメリカ人にとったら祖先の過去じゃなくて、馴染みのある「外国史」となるので、気軽に楽しむことができる。日本人はあまり意識しないけど、アメリカの「白人」といったって、家系を辿れば曾祖父が南イタリアの貧民だったり、曾祖母がポーランドの百姓とか、ギリシアの寒村から抜け出した労働者の祖父、ハンガリーから女中として渡ってきた祖母、と十人十色、ご先祖様も人それぞれだ。

  アメリカ人でも歴史に興味を持つ人はいるが、困った事に、青史を繙いて勉強する人より、映画を観て学ぶ人の方が圧倒的に多い。ハリウッドの時代劇には虚構と史実をごちゃ混ぜにした作品が多く、大筋では「歴史っぽい」が、所々に「フィクション」がちりばめられている。つまり、本当のような嘘が巧妙に織り込まれているということだ。したがって、映画を鵜呑みにすると、後で赤っ恥を掻くことになる。特に、日本軍による真珠湾攻撃とか、ナチス・ドイツによる虐殺などを扱った映画は、あくまでも「娯楽作品」と考えた方がよく、絶対に頭から信用しないことだ。

Michael Bay 1(左 / マイケル・ベイ)
例えば、ベン・アフレックが出演した『パール・ハーバー』は荒唐無稽な作品で、史実は無視。例えば、日本軍が機銃掃射を行い、民間人や病院を攻撃しているシーンは物議を醸した。だいたい、天皇陛下の帝国海軍が、そんな卑劣な真似をする訳ないじゃないか。(例えば、南雲中将が帰還して、昭和天皇に戦果をご報告したとしよう。その時、中将は「陛下、アメリカの女子供をぶっ殺してきました !」と言えるのか。もし、陛下のお叱りを受けたら切腹ものだぞ ! ) でも、監督のマイケル・ベイ(Michael Benjamin Bay)は気にしなかった。このユダヤ人監督にとったら、ナチスも日本も同じ穴の「悪魔」で、倫理道徳を踏みにじっても気にしない外道となっている。ちなみに、彼が手掛けた作品は日本でもヒットした。スティーブン・スピルバーグと一緒に作った『トランスフォーマー』シリーズや、ベン・アフレックとブルース・ウィルスが共演した『アルマゲドン』、2009年に制作された『13日の金曜日』、1作目のリメイクである『エルム街の悪夢』(2010年)などがある。

  アメリカの観客は『パトリオット』を気分良く鑑賞したが、イギリス人は快く思っていなかった。というのも、映画ではイギリス軍部隊を率いるウィリアム・タヴィントン(William Tavington)大佐が卑劣な悪役になっていたからだ。もちろん、この大佐は歴史上の人物ではない。おそらく、イギリス軍の連隊を率いていたバナスター・タールトン(Banastre Tarleton)をモデルにして設定されたキャラクターと思われる。彼はウィリアム・ハーコート大佐の部隊に属し、チャールストン占領にも加わっていた。タールトン大佐の評判が悪かったのは、彼が入植者のゲリラと闘い、呵責無い決断を下していたからだ。「ワックスホウズの虐殺」(1780年5月29日)で非難を浴びたのは、悪質なゲリラ兵を処分したことに由来する。しかし、彼が入植者の負傷兵や女子供を虐殺したという記録は無い。

Banastre Tarleton 1Jason Isaccs 3


(左 : バナスター・タールトン / 右 : ウィリアム・タヴィントン大佐)

  ところが、架空のタヴィントン大佐は、冷酷非情なイギリス人となっている。映画の中で、彼は主人公であるベンジャミン・マーティン(メル・ギブソン)の宿敵となっており、反抗的な入植者(アメリカ大陸で生まれ育ち、そこで人生を送るイギリス人)を“あっさり”と処刑したり、マーティンが所有する農園に火をつけたりするのだ。さらに、タヴィントンはマーティンの次男であるトマスをスパイの容疑で捕らえ、縛り首にしようとする。トマスが連行されると、父のベンジャミンは助け出そうとするが、運悪くトマスはタヴィントンによって撃たれてしまう。この冷酷なイギリス人指揮官の蛮行はまだ続く。彼は協力を拒む黒人たちを殺し、その兇行はウェイクフィールドの住民にも及んでいた。この村はマーティンたちゲリラ兵の拠点となっていたから、タヴィントンは村人達に容赦が無い。彼は教会に集まっていた人々に、マーティンの情報を教えるよう脅しをかけた。しかし、誰も応じなかったので彼らを始末することにしたのだ。(一人だけ情報提供者が名乗り出たが、タヴィントンは彼の話を聞くと「助命する」という約束を反故にした。)

  タヴィントン大佐は部下に命じて教会の扉を閉めさせる。大勢の村人たちは教会の中に閉じ込められ、誰も逃げ出すことはできない。反抗的な入植者を罰することに躊躇しないタヴィントンは、部下のウィルキンス大尉に教会を燃やすよう指示した。命令を受けた大尉は戸惑うが、情けを捨てて鬼となり、持っていた松明を建物に向かって投げつける。さらに、松明を手にしたイギリス兵が教会の周りを取り囲み、燃え上がった炎は教会を包み込む。聖堂の中では女達が泣き叫び、男達はたじろぐばかり。建物の外にまで悲鳴は轟(とどろ)く。絶叫を聞くウィルキンス大尉は自失呆然。恐ろしい殺戮を犯してしまったことに動揺しているようだ。しかし、イギリス兵は誰一人として中にいる村人を助けようとはしなかった。タヴィントン大佐はキャンプファイヤーでも終えたかのように現場を後にした。

Patriot church burning 2Patriot church burning 1

(左 : 放火された教会 / 右 : 教会を取り囲むイギリス軍)

Roland Emmerich 1(左 / ローランド・エメリッヒ )
  『パトリオット』を劇場で観たイギリス人はさぞ憤慨したことだろう。支那人じゃあるまいし、イギリス紳士に率いられる正規軍が、片っ端から無辜の民を焼き殺すなんてあり得ない。これは完全な作り話だ。たぶん、焼き討ちのシーンはナチスの蛮行を連想させるよう仕組んだものに違いない。監督のローランド・エメリッヒ(Roland Emmerich)は、1955年、ドイツのシュトットゥガルトで生まれたユダヤ人である。彼はオープン・ゲイ、すなわち世間に自分がゲイであると公表した同性愛者で、ついでに民衆党の熱心な支持者ときている。「進歩派」を気取るエメリッヒは、綺麗事を並べるヒラリー・クリントンのファンで、彼女が大統領選挙に出馬した時は、手弁当で資金集めに奔走したそうだ。こんな人物なら、ありもしない虐殺をでっちあげ、あたかも「史実」のように描くことなど朝飯前だろう。残酷なイギリス人を印象づけるには、ナチスをモデルにすればいい。しかし、ドイツ兵だってこんな虐殺はしないだろう。もし、ナチ党に反対するドイツ人がいても、同じ国民を焼き殺すなんてできない。女子供を焼き殺したのはイギリス軍の方で、ドレスデンの空爆を見れば明らかじゃないか。戦後のユダヤ人はナチスの殺戮を一方的に断罪するが、処刑されたり虐殺されたユダヤ人の中には、ドイツ兵を殺したゲリラやテロリスト、ゴロツキ、共産主義者などもいたから、一概にドイツ軍を責めることはできない。

  「野蛮なイギリス軍将兵」を描いた『パトリオット』は、ある意味、入植者を絶賛してアメリカ白人の「仲間」になろうとしたユダヤ人の作品とも言えるんじゃないか。なぜなら、エメリッヒ監督の他にもユダヤ人がいて、プロデューサーのマーク・ゴードン(Mark Gordon)やゲリー・レヴィンソン(Gary Levinsohn)、ディーン・デルヴィン(Dean Delvin)もユダヤ人だ。ゴードンは日本でもヒットしたTVドラマ『グレイズ・アナトミー』や『クリミナル・マインド』を手掛た大物プロデューサー。相棒のレヴィンソンは、第二次世界大戦を描いた映画『セイヴィング・プライベート・ライアン』やトム・クルーズ主演の『ジャク・リーチャー』を制作したやり手だ。アジア系に見えるデルヴィンは、母親がフィリピン人だけど、父親がユダヤ人という混血児。彼はエメリッヒとダッグを組んで大ヒット作の『インディペンデンス・デイ』とその続編『ID / リサージェンス』を世に送り出した。エメリッヒにはヒット作が多く、ジャン・クロード・ヴァンダム主演の『ユニヴァーサル・ソルジャー』とかハリウッド版『ゴジラ』、異常気象を描いた『ザ・デイ・アフター・トゥモーロー』などがある。

Mark Gordon 1Gary Levinson 1Dean Devlin 11
(左 : マーク・ゴードン / 中央 : ゲリー・レヴィンソン / 右 : ディーン・デルヴィン )

  ちなみに、タヴィントン大佐を演じたジェイソン・アイザックは、通常「イギリス人男優」と紹介されるが、実際は英国で生まれ育ったユダヤ人。彼の曾祖父はリヴァプールのユダヤ人・コミュニティーに住んでいたそうで、父親の代にロンドンへ移り住んだそうである。少年時代のジェイソンは、週に2回ほどユダヤ人学校に通っていたらしい。役者になったジェイソンは、ユダヤ人の出自には触れたくなかったそうである。当時の英国だと、まだユダヤ人に対する暗黙の嫌悪感が残っていたので、「ユダヤ人の役者」と思われたくなかったそうだ。ユダヤ人に疎い日本人だと、彼の容姿を見ただけではユダヤ人と気づくことはないだろう。たぶん、ほとんどの日本人はジェイソンを「イギリス人」と思ったはずだ。

  そう言えば、大ヒットシリーズの『ハリー・ポッター』でハリーを演じたダニエル・ラドクリフ(Daniel Radcliff)をユダヤ人と知らない日本人も結構多い。彼の父親アレンはプロテスタントのアイリス人であるが、母親のマーシャはロシア系ユダヤ人の家系に生まれたイギリス系ユダヤ人。ダニエルはあるインタビューの中で母親の血統に触れ、ユダヤ教の信仰心は持っていないけど、自分のアイデンティティーは「ユダヤ人」と断言していた。(Kevin Sessums, Dirty Harry, Daily Beast, January 26, 2009.) 異人種の家庭に生まれたダニエルだが、取材記者から英国のことを訊かれると、「イギリス人」であることをとても誇りにしていると答えていた。しかし、「自分は王党派(royalist)ではない」と釘を刺していた。なぜなら、英国の君主は英国が犯してきた過ちを象徴する人物だかであるという。つまり、イングランドの国王は「悪の象徴」という訳だ。ユダヤ人というのは、いくら愛国者を自称しても、心のどこかでイギリス人を憎んでいる。とにかく、「イギリス人」を強調するダニエルだが、君主政を斥け「共和政」を支持しているそうだ。また、ユダヤ人のダニエルは「差別」が嫌いなようで、社会的に差別される同性愛者を熱心に擁護している。

Jason Isaacs 1Daniel Radcliff 3Daniel Radcliff 5
(左 : 「タヴィントン」役のジェイソン・アイザック / 中央 : ダニエル・ラドクリフ / 右 : 『インペリウム』でのラドクリフ)

  イギリス人の観客はユダヤ人が残酷な“イギリス人”を演じた時、どのような感想をいだくのか? 普通なら、ユダヤ人俳優のジェイソン・アイザックが、イギリス人士官を演じるだけでも不愉快なのに、アングロ・アメリカ人を焼き殺すなんて、いくら映画でも承知できない。こんなのは反英プロパガンダじゃないか。でも、これはある意味、イギリス人にとって良かった。なぜなら、いつもドイツ軍を悪者にしているイギリス人が、ドイツ人の悔しさを理解できるからだ。一方、悪役を演じているアイザックには良心の痛みなど無いだろう。どうせ映画はフィクションだし、彼が演じている軍人は「異教徒のイギリス人」で、同胞のユダヤ人じゃない。ユダヤ人というのは、時たま悪党を演じるが、そのほとんどはユダヤ人の才能を発揮するマフィアとかグローバリストじゃなく、アメリカ人やヨーロッパ人の恥部を描き出す下郎である。ダニエル・ラドクリフは『インペリウム(Imperium)』という映画で「ネオ・ナチ」を演じたが、これはFBIの潜入捜査官というキャラクターであった。ユダヤ人の俳優は人種差別を行う白人を懲らしめるため、敢えて下劣な役を演じたりする。彼らは幼い頃からユダヤ人を毛嫌いする白人を肌で知っているので、レイシストの白人を演じさせたら天下一品だ。

  日本人は『パトリオット』を娯楽作品として楽しんでいたが、もし、日本版の『パトリオット』が作られたら大変なことになる。想像したくないけど、ユダヤ人が大東亜戦争の映画を作り、支那大陸やフィリピンで虐殺を行う日本軍を描いたらどうなるのか? ハリウッドのユダヤ人監督なら、どんな蛮行を捏造しても平気である。例えば、南京で100万の民間人を殺す日本兵とか、フィリピンに侵攻した日本兵による戦争犯罪など、いくらでも考えつく。目つきの鋭い日本兵が現地の女を強姦し、赤ん坊を銃剣で突き刺す場面とか、数名の老人を縄で束ね、ダイナマイトをくくりつけて吹き飛ばすとか、日本人では思いつかない残虐行為を創作できるのがユダヤ人だ。ハリウッドの脚本家や監督は、ショッキングな映像を客に見せつけて世間の話題を攫おうと考える。よく映画の始めに豪快なアクション・シーンを挿入するのは、客の度肝を抜くための「摑み」だ。「あっ!」と思うようなシーンがあれば、観客は銀幕にのめり込む。

  日本人の俳優ならいくら頼まれても、「狂気の帝国軍人」役なんて嫌だし、所属事務所がOKを出すことはないだろう。しかし、朝鮮系俳優なら「OK」を取れるかも知れない。彼らはハリウッド映画にデビューできるなら、どんな役だって構わないと考える。朝鮮系役者なら、「日本国内で燻るなんて御免だ ! オレはもっと広い世界に出て有名になり、脚光を浴びるんだ!」と鼻息を荒くしてもおかしくはない。彼らは日本国籍を持っていても、心は「朝鮮人」のままだ。朝鮮系の役者なら残虐な日本兵を演じても良心は痛まない。むしろ、役者魂をフル稼働させて、迫真のの演技を見せるだろう。そして、場合によっては、アメリカの映画制作者から「いゃあ〜、すごいねぇ !」と絶賛を受けるかも知れないぞ。

  一方、日本人の観客は、「何だ、あの朝鮮野郎 ! 柄の悪い朝鮮人を再現しているだけじゃないか !」と反撥するだろう。しかし、ハリウッドの制作者なら、もっと恐ろしい企画を持ち出す可能性もある。例えば、アジア侵略を裏で指図する昭和天皇といった虚構だ。アメリカ人からすれば、「エンペラー」と呼ばれる独裁者が膨張主義を掲げ、配下の軍人が遠征軍を派遣しても不思議ではない。彼らは学者を含めて日本の文献を読めないし、日本の歴史も勉強したことがないから、どんな空想でも適当に膨らますことができる。それにもし、日本人が抗議してくれば、「これはフィクションなので、我々の自由です」と反論すれば済む話だ。演技を褒められた朝鮮系俳優だって、世間から非難されれば、「いや〜、あれは指示された役柄なので・・・」と巧みに躱(かわ)せばよい。そもそも、ドキュメンタリー映画じゃないんだから、「何を作ろうが私の勝手でしょ」と言われて終わりだ。日本人からすれば腹立たしいけど、「藝術の自由」を楯にされると反論のしようがないので、矛を収めるしかない。

  『パトリオット』の筋書きには納得できない点もあるが、別の場面には素晴らしい演出があるので、後編でそのシーンを紹介したい。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68766919.html


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『パトリアット』 娘の涙と父の勇気 / 戦場に赴く愛国者(後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68767023.html


「パパ、行かないで !」と懇願する娘
Skye McColeBartusiak 1Mel Gibson 5

(写真 / 『パトリアット』に出演したスカイ・マコール・バートシアクとメル・ギブソン)

  日本と同じく歐米でも、軍人は愛する者を守るために戦場へ赴く。しかし、武器を取る愛国者は、大切な家族のもとに戻る事ができるとは限らない。むしろ、愛する者を残して天に召されることが多い。『パトリオット』でもこの葛藤が描かれており、主人公のベンジャミン・マーティン(メル・ギブソン)は家族を残して決戦に挑もうとする。彼にはエリザベスという妻がいたが、七番目の子供であるスーザンを産んだ後、病に冒され亡くなってしまう。幼くして母を失った末娘のスーザンは言葉を発することができなくなり、彼女がやっと話したのは、英軍の襲撃を受けた後、兄のガブリエルに対して口を開いた時だ。まぁ、物心ついた頃から母親が居ないというのは、幼い子供にとって耐えがたいことであるから、スーザンが心を閉ざしたのも不思議ではない。

  妻を亡くし鰥(やもめ)となったベンジャミンは、七人の子供を抱えて農園を切り盛りする。しかし、英国に対する入植地の反撥は日増しに強まり、その嵐はマーティン一家が住むサウス・カロライナへも押し寄せてきた。しかし、ベンジャミンは積極的に武器を取ろうとしない。なぜなら、彼は以前フレンチ・インディアン戦争に参加し、恐ろしい体験をしたので、二度とあのような辛い目に遭うのは御免だと思っていたからだ。ところが、長男のガブリエル(ヒース・レジャー)は血気盛んな若者だから、入植地の仲間を救うべく腕まくりをしてやる気満々。喜んで地元の軍隊に入り、イギリス兵をやっつけようとする。

  最初は消極的だったベンジャミンも、息子が英軍に囚われたり殺されたりしたので、次第に植民地軍に加担するようになった。「ゴースト(The Ghost)」なる渾名を持つマーティンは、植民地軍の大佐となり、地元の民兵を率いてイギリス兵を倒してゆく。ある時、英軍が彼の農園にまで押し寄せたので、戦に備えるベンジャミンは亡き妻の妹であるシャーロット(ジョエリー・リチャードソン)に子供達を託すことにした。義理の妹であるシャーロットはベンジャミンに思いを寄せ、やがて彼の妻となる。

Patriot Gabriel Martin 1Joely Richardson 1Joely Richardson 3


(左 : 「ガブリエル」役のヒース・レジャー /  中央 : 「シャーロット」役のジョエリー・リチャードソン / 右 : ベンジャミン・マーティンとシャーロット )

  『パトリオット』のクライマックスは、両軍が激突する戦闘シーンにあるが、出征を前にした親子の愛情も見逃せないシーンである。特に、四歳になる末娘のスーザン(スカイ・マコール・バートシアク)が見せる表情が実にいい。入植地アメリカの独立を勝ち取るため、ベンジャミンは長男のガブリエルを伴って戦場に向かおうとする。新たな妻となったシャーロットの脇には、父を見送る子供達がずらりと並んでいた。「これが最後かも・・・」と思うベンジャミンは、愛すべき子供達一人一人に向かって別れを告げ、ギュッと抱きしめる。そして、シャーロットに後を託すベンジャミンは、彼女の唇にキスをした。これを見て、シャーロットに懐いている子供達には笑顔がこぼれた。

 次は、幼いスーザンの番だ。彼女の前に立ち、「グッバイ」と告げるベンジャミン。しかし、母親の死で口が利けなくなった少女は、人形を抱えたまま、険しい表情で父親を見つめている。それでも別れを告げようとするベンジャミンは、彼女の顔をのぞき込むように言葉を掛けた。ところが、スーザンは意外な反応を示す。いとしい娘を抱きしめようとするベンジャミンに対し、スーザンは後ずさりをして父を拒んだのだ。この態度に戸惑ったベンジャミンは無理強いをせず、微笑みを浮かべて諦めた。彼は馬に飛び乗り、息子のガブリエルと共に立ち去ろうとした。

Mel Gibson 2Skye McColeBartusiak 6

(写真 / 父と別れる「スーザン」を演じた スカイ・マコール・バートシアク)

  その時である。娘のスーザンは二、三歩前に出て、込み上げてくる感情を口にした。父と兄が遠ざかってしまうことに堪えきれぬスーザンは、勇気を振り絞って「パパ、行かないで !」と言葉を発し、泣きながら父の背中を追うように走り出した。この奇蹟の言葉を耳にしたベンジャミンは、すかさず馬を降り、娘のところに駆け寄る。彼は涙を流しながら走り寄る娘を固く抱きしめた。スーザンが「パハ、何処にも行かないで。約束して !」と懇願する姿を見れば、我々も胸が締め付けられ、自然と目頭が熱くなる。スーザンの顔をしっかりと見つめるベンジャミンは、「約束する。必ず帰ってくるから !」と言い聞かせた。「信じてくれるかい?」と父が問うと、スーザンは首を縦に振って答える。今まで喋ったことがないスーザンが話しただけでも嬉しいのに、彼女はその感情を素直に表した。ベンジャミンはどれ程喜んだことか。彼は何度も確認するようにスーザンを抱きしめた。

  娘を残して戦場に行かねばならぬ父親には、心臓が切り裂かれるほどの悲しみが押し寄せる。というのも、「もう二度とこの子に会えないんじゃないか・・・」という不安が頭をよぎるからだ。死への恐怖より別れの方が辛いこともある。しかし、軍人は祖国を守るため、家族のもとを去らねばならない。たとえ、子供達が孤児(みなしご)になろうとも、自分の生命を国家に捧げることが軍人の義務であり、子々孫々にまで語り継がれる名誉となるのだ。

祖国に殉じる自衛官と日本にぶらさがる帰化人

  こうしたシーンを見ても平和ボケの日本人にはピンと来ないかも知れないが、実際に戦闘を経験するアメリカの軍人には心に突き刺さるものがある。なぜなら、幼い子供を持つ海兵隊や陸軍の将兵は、「もしかしたら、自分も帰ることができないのでは・・・」という予想がリアリティーをもつからだ。事実、戦場ではさっきまで元気だった戦友が兇弾に倒れたり、爆発で命を失ってしまうことは珍しくない。敵の銃弾を喰らった戦友からは鮮血が止めどなく流れ出す。近くに居る仲間は彼を背負って現場を離れようとするが、敵の攻撃が激しくて自分も撃たれてしまう危険性さえある。それでも、戦友を見捨てることはできないから、必死で助けようとする。が、致命傷を負った兵士からは急激に生気が失われてゆく。衛生兵のところに連れて行く頃には、既に死亡しているという場合も少なくない。歴史教科書では、戦没者というのは「数」でしかないが、現実では一人一人が家族や友人を持つ「人間」である。ゆえに、たとえ一兵卒の死であっても、多くの人を不幸にするものだ。哀しいけど、戦場では1ドルもしない銃弾で一人の命が消えてまうから、実戦というのは誠に残酷なものである。戦争を決断する政治家は、自分の評判ばかり気にしないで、この「重み」を認識すべきだ。

  法的に「軍隊」が無い日本で、実戦を経験する者はほとんど居ないけど、少なくとも自衛官はちょっとくらい生死を考えたことがあるはずだ。たとえ、イラクやアフガニスタンに派遣されないとしても、訓練で実弾を使用する自衛官は、戦場で同じような弾が自分に向かって飛んでくると分かる。戦争では何が起きるか予測できないから、運が悪ければ百戦錬磨のベテラン軍曹でも即死となる。この現実を理解できれば、軍人となった者は、自分が何を守っているのか、真剣に考えるようになるだろう。大抵の軍人は「祖国を守るため」と答えるが、「どんな人間が住む国家なのか」という点にまで考えが及ぶ者は少ない。アメリカの海兵隊員や陸軍兵は星条旗ばかり見ているが、祖国の各地に住む「国民」を目にしたとき、どんなことを考えるのか? ちょっと頭のいい白人兵なら判るけど、「アメリカ国民」といってピンからキリまで様々である。南部の白人兵の中には現状に怒っている者がいて、彼らは街角にうろつく黒人やヒスパニック、金目当てでやって来たアジア移民、難民としてやってくるアフリカ人や中東のイスラム教徒などを「同胞」とは思っていないのだ。テキサスやジョージアに代々住んでいる白人は、自分たちの故郷と「仲間」を守るために軍人となったのであり、メキシコからネズミのようにやって来た密入国者のために闘っている訳じゃない。

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(左 : アメリカの軍人が守る子供たち / 右 : 新たに「アメリカ国民」となった移民)

  有事の際に命懸けで日本を守ろうとする自衛官は、いったい「誰のため」に闘おうとするのか? 現在の日本には、個人的な都合で帰化する在日朝鮮人や、福祉をもらうために来日する支那人、日本国籍をボーナスと考えるインドネシア人介護師、水商売で来日し、そのまま居着いてしまったフィリピン人、貧困から抜け出すためにやって来るベトナム人など大勢いる。我が国の自衛官は、こうした移民を守るために、自分の家族を犠牲にできるのか? もし、イラクやアフガニスタンへ派遣された自衛官がゲリラに殺されれば、その女房子供は深い悲しみに包まれるだろう。夫を亡くした妻は子供を抱えて戸惑うし、父親を突然失った息子や娘はショックのあまり呆然となる。戦場での死亡となれば、その遺体は挽肉のようになっている場合もあるので、幼い子供たちは父親の遺体を見ることはできまい。場合によるけど、子供達は実感の無いまま親の葬儀に参列し、言いようのない悲しみだけを背負って父を見送る破目になる。

  死亡率の高い陸自の兵卒は、自分の妻や子供に辛い思いをさせても、アジア系帰化人のために命を犠牲にできるのか? 愛する我が子が「父(てて)無し子」になるのに、国籍目当てでやって来た支那人は、快適な環境で子孫を増やす。愛国心に燃えた立派な自衛官が大量に死んでも、何百万もいるアジア系移民は一人も戦場で死ぬことはない。中には、北鮮の工作員や人民解放軍に協力する「忍び(スリーパー)」すらいるのだ。有事の際、戦場に赴く自衛官は、泣きじゃくる幼い娘に向かって「お国のためだから・・・」と言えるのか? もし、娘から「パパ、行かないで !」と懇願されたら、どんな自衛官だって涙が込み上げてくるだろう。しかし、国家に殉じることを誓った自衛官は、それを振り切らねばならない。そして、たとえ自信が無くても、「きっと帰ってくるから。約束だ。ママと一緒に待っていなさい」と言い聞かせるんじゃないのか。

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(左 : フィリピンの子供たち / 右 : 日本にやって来る支那人)

  一方、日本に潜り込んだ朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人、ベトナム人の親子は、ぬくぬくと日本で暮らし、老後まで安全に暮らすことができる。自衛官の何名かは遺体か、片輪、ダルマ(手足を無くした状態)で帰ってくるのに、「元移民」は最新医療で元気そのもの、心配なのは糖尿病とか腱鞘炎くらいだ。日本人は外人に対して気前が良すぎる。だいたい、ゼニ儲けや快適な環境を求めてやって来る支那人が、体を張って国家に尽くそうと考えるのか? 支那人からすれば、せっかく「より良い生活」を求めて来日したのに、戦争で命を失っては意味が無い。命と銭があっての幸せだ。そもそも、日本人のために命を懸ける支那人なんて、未だかつて見たことがない。

  戦後の日本人は手放して「デモクラシー」とやらを称讃しているが、民衆政治が機能するには、その構成員が戦闘員でなければならない。自分の命と直結するからこそ、公民は祖国の政治を真剣に考えるようになる訳で、「国防は他人に丸投げ」じゃ「パンとサーカス」だけを求めるローマ人と同じで、アリストテレスやプラトンが恐れた衆愚政治への転落だ。米国の属州と成り下がった日本では、一般国民に軍事・外政の興味は無く、誰が防衛大臣なのか知らない者が多い。岩屋毅と聞いたって「誰なの?」と尋ねる国民がほとんどで、大臣となった議員に如何なる国家哲学や軍事知識があるのか判らない。過去には田中直紀が防衛大臣になったけど、軍事を全く解っていない素人だった。単に真紀子の亭主というだけで、政治家としての資質なんかゼロ。民主党の一川保夫に至っては、安全保障の素人を自認し、軍事に無知な者が就任すれば、シヴィリアン・コントロールと思っていたのだ。嘘みたいな話だけど、これが日本の現状である。自民党の林芳正も、なんで大臣になれたのか疑問に思う人物で、キャバクラとかマッサージ店に関してなら少し解るが、国防に関しては素人以下。

Bruce Willis 1Monica Bellucci 5Taraji Henson 3Queen Latifah 3


(左 : ブルース・ウィルス / モニカ・ベルッチ / タラジ・ハンソン / 右 : クィーン・ラティファ)

  日本人は自分が戦闘員にならぬ限り、政治を真剣に考えることはないだろう。自分の命や家族を犠牲にしまでも守りたい日本とは、如何なる国家なのか? 選挙権を有する日本人は、生野区(大阪)や大泉町(群馬)、新宿、荒川区、西川口(埼玉)、北池袋、新大久保などを歩いてみるべきだ。こうした地区に住むアジア人を見た後で、自分の命を危険に晒そうと考える者は、いったい何名いるのか? そういえば、2003年に『ティアーズ・オブ・ザ・サン』というアクション映画があった。海軍特殊部隊のウォーターズ大尉(ブルース・ウィルス)は、紛争地帯となったナイジェリアからリーナ・ケンドリックス(モニカ・ヘルッチ)という女性医師を救出する任務を受けたけど、助ける人物が美女だから観客は納得したものだ。もし、救出すべき女性がウッピー・ゴールドバークとかタラジ・ハンソン、クィーン・ラティファじゃ任務をキャンセルしたくなる。命を懸けるなら、それ相応の貴婦人でないとねぇ〜。
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194. 中川隆[-9305] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:24:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188] 報告

2017年01月08日 人種差別なき国家
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「ルーズベルト米大統領は、優秀な白人種とアジア人との交配によって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設しようと考えている。

ただ大統領は、白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えている。」
(駐米英国公使、ロナルド・キャンベル)

誰がヒトラーを嗤えるのだろうか?

もしそんな連中がいるとしたら、日本人だけだろう。日本には奴隷制がなかっただけではなく、人種差別がなかった。

悲しいかな、差別はあったし、今もってある。比較的孤立した島国なので、対外的に「うぶ」なだけなのかもしれない。畏怖や警戒が先立ち、取り込んだ後は、意外にあっさり切り捨てたり、排斥、排除したりするか、対内的に差別の壁を築いたりする。それは、認める。分かり合えない異物枠が、個人や社会にある。
しかしながら、人種差別という、無条件の蔑視スタンスは養われてこなかった。やっとこさ近代になって、国家主義の賦活のために、攘夷思想や鬼畜米英が叫ばれたに過ぎない。差別は、お上か決めるものではないから、これらは異色でもある。

信長が黒人弥助を気に入って士分に取り立てたことを言っているわけではない。現代日本人女性が、黒人をパートナーとすることにほとんど抵抗感がないことも示すように、日本は人種差別から最も遠い文化を形成してきた。

大東亜戦争では、朝鮮人を高級将校にしたり、朝鮮人戦没兵士2万1千人が、靖国神社に祀られてもいる。

明治天皇御製の和歌「四方の海 みな腹からと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」でも示されているように、日本人の近代世界観は「あの時代」以前にあっても、すでにあまりにも「まとも」であった。
敗戦後、植民地が雨後の竹の子のように独立したのは、全く偶然ではないのである。多くの犠牲を伴った無謀なるインパール作戦も、局面打開を意図したと言いながらも、インドの独立運動の支援だった。同じく局面打開のために日本を嵌めたルーズベルトと、どっちが「まとも」なのかということだ。

単なる結果論ではもちろんなく、一般大衆はともかくも、すべての指導者、多くの知識人階級が、欧米列強の植民地支配を憎み、独立自尊のアジア解放を強くイメージしていた。日本人が考える近代と、欧米が考える近代は、非常に大きくずれていたと言わねばなるまい。

右翼・ネトウヨのヘイトスピーチだ、レイシズムだ言う前に、外面上はどうであれ、日本人が想像もできない本当の人種差別は、現代でも欧米からは払拭されていないと疑うべきである。なぜなら戦後、独立戦争・闘争でほとんどの植民地は消散したとはいえ、彼らの世界観を塗り替える何も起きてはいないからだ。ポリティカル・コレクトネスは、奇妙なストレス生産装置にはなっているにしても。

差別主義の欧米史観で、濡れ衣着せられ貶められたわが国も、言いたいことは言うべきで、その意味でも靖国神社の遊就館は、とても素晴らしい施設である。戦争がむごたらしいもので、日本や日本軍が自国民や他国民、敵国に、多くの犠牲を強い、必要以上の苦しみを与えたことは、事実だ。潔白で、正しく、非道でなかったなどと胸を張れるものではない。

だが、戦後日本の左傾化した自虐史観の陰で、きちんとした正しい記録を遺し、日本が歩んだ近代国家としての戦争史を語り継ぐ施設は貴重だ。このような施設がなければ、おそらくは大東亜戦争の大きな記録の欠損が、民族の妄想(「思い」といってもよいが、あえて妄想と呼ぶ。国民国家は妄想によってのみ支えられうるからだ)を誤った方向から引き戻す機会は、永遠に失われてしまったかもしれない。海外の横やりが入っても、しっかりと(あるいはのらりくらりとかわし)日本の立場、ビジョン、理想を主張することを、抑えても、諦めてもいけない。歴史は外国が作ってくれるわけではない。自民族が紡ぎ、語るのである。

真剣なまなざしで、展示物から何かを受け取ろうとする外国人見学者も増えてきているように感じた。


激戦地硫黄島において、わずか196人で最後の突撃攻撃を仕掛けた海軍の市丸中将は、事前にルーズベルト大統領への思いを認め、和文を村上大尉、英文を赤田中佐が腹に巻いて、軍服にあった一切の憲章を取り外して一皇国軍人として突撃して果てた。その原文を敬意をこめて以下に掲げる。

「日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。

我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。

日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。

之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。

貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。

畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。

之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。

我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。

我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。

我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。

之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。

卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。

之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。

近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。

大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。

卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。

只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。

卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。

大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。

飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。

今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。

卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。

凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。

卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。

願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。


市丸海軍少将

特攻戦士、古谷 眞二海軍少佐(1922年2月24日〜1945年5月11日)の遺書は、市ヶ谷での自衛隊への決起呼び掛け後割腹する一か月前、三島由紀夫が江田島海上自衛隊第一術科学校教育参考館を訪れた際に読んで号泣したものである。
これも謹んで以下に全文を掲げる。


                         、
「皇国の一男子として生を享けて以来二十有余年、
国を挙げての聖戦に勇躍征く事を得ば男子の本懐、
正に之に過ぐるものなし。
ものごころついて以来自分乍ら世才に長ぜりと感じ、
幼友矢島君の男々しき武人姿を見るにつけ所詮
身は軍人となれぬとは思ひ諦め居たるも、
長じて茲に征途につくを得ば身を鴻毛の軽きにおき勇みて征かんの心激しからざるはなし。

 過去二十何年かの間、陰に陽に愛しまれたる御両親の恩、
甚だ深くして浅学非才なる小生にしては御礼の言葉も見当らず。その深遠広大なるに対し、
深く深く厚く厚く御礼申し上ぐるものなり。

御両親はもとより小生が大なる武勇を為すより身体を毀傷せずして無事帰還の誉を擔はんこと、
朝な夕なに神佛に懇願すべくは之親子の情にして当然也。
不肖自分としても亦、身を安んじ健康に留意し、目出度く帰還の後孝養を盡したきは念願なれども
蓋し時局は総てを超越せる如く重大にして徒に一命を計らん事を望むを許されざる現状にあり。

大君に対し奉り忠義の誠を至さんことこそ正にそれ孝なりと決し、すべて一身上の事を忘れ、
後顧の憂なく干戈を執らんの覚悟なり。
幸ひ弟妹多く兄としてのつとめを果たせざるを遺憾とは思ひつゝも
願はくは之等弟妹に父母の孝養を依頼したき心切なり。
死すること強ち忠義とは考へざるも自分は死を賭して征く。必ず死ぬの覚悟で征く。
萬事頼む。
                           眞二
十八年六月十日
  http://blog.livedoor.jp/bfr4cadg/archives/2040617.html#more              箱根小涌谷にてしたゝむ 

195. 中川隆[-8897] koaQ7Jey 2019年7月22日 21:45:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3805] 報告
2019年07月11日
人類の誕生から日本人の出生を見る〜日本人には3つの旧人の遺伝子が入っている。
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/07/3509.html

ハーバード大学の日本人論という著書の中で日本人の起源や縄文人について記載がなされています。ハーバードでも日本人の特殊性においてその歴史を見る中で研究しており、現時点では「よくわかっていない」という結論に至っています。最新の人類拡散の研究結果を踏まえて日本人も俯瞰しており、東アジア人の特徴から外れた日本人の由来は研究対象となっています。以下、著書の中から紹介します。ハーバード大学教授のディビッド・ライヒ博士(遺伝学専門で古代DNA分析の世界的パイオニア)です。

人類の誕生から日本人の出生を見る〜日本人の特徴はデニソワ人由来の遺伝子〜3種の旧人の影響を受けている

アフリカから人類が最初に拡散したのは、今から180万年前。これが1回目の「出アフリカ」です。そのグループは少なくとも170万年前までには東アジアに到達していた事が判明しています。中国の雲南省の遺跡から出土した歯を分析したところ、およそ170万年前のホモ・エレクトス(原人)のものである事がわかりました。

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180万年前にアフリカを出たホモ・エレクトスはその後、世界各地でネアンデルタール人、デニソワ人、その他の旧人類へと進化していきます。そして30万年前頃になると、その一部が一度アフリカに戻るのです。これは最近の調査でわかった事です。
アフリカに戻ったグループは、そこでホモ・サピエンス・サピエンス、つまり現世人類に進化します。そしてこの現世人類が再び6万年前にアフリカの外に拡散するのです。

これが2回目の「出アフリカ」です。この集団はアフリカから、中東、ヨーロッパ、アジアへの拡散していきました。 アフリカを出た現世人類が東アジアに到達したのは5万年前です。北京の近郊の周口店の田園洞内からは、4万年前の骨が見つかっていますが、その骨を分析した結果、「田園洞人」は現在の東アジア人とほぼ同じ容姿をしていたと推定されています。
この2回目の「出アフリカ」で現生人類が拡散すると先住民であった旧人類はほぼ絶滅してしまいました。東アジアだけではなく、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアの人々は皆、6万年前にアフリカを出た現世人類の子孫なのです。

実はDNAの全てがホモ・サピエンス・サピエンスではありません。アフリカを出て東へと拡散していく過程で、旧人類と交雑していたのです。その為東アジア人のDNAにもその名残が見られます。ホモ・サピエンス・サピエンスはアフリカを出てから、現在のヨルダンやイスラエルのあたりで、ネアンデルタール人に出会い、交雑しています。この交雑は5万4000年前から4万9000年前まで続きました。このときの影響が現在の東アジア人のDNAにも見られ、1.5〜2.0%のDNAをネアンデルタール人から受け継いでいると推定されています。

ネアンデルタール人と交雑した集団は、東に進む課程でデニソワ人にも出会います。デニソワ人とは、ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で見つかった旧人類で47万年前〜38万年前から4万年前ぐらいまで生存していたと見られています。さらにオーストラリア、ニューギニア、南アジアへと拡散した集団は、アウストラロ・デニソワ人に出会い、交雑しました。アウストラロ・デニソワ人はデニソワ人の一種で40万年前〜28万年前にデニソワ人から分離したと考えられています。最新の論文によれば、北東アジアに向った集団の中にはアウストラロ・デニソワ人に出会った後にシベリアのデニソワ人に遭遇した集団もいたとのことです。東アジア人のDNAを分析してみると0.5%がデニソワ人とアウストラロ・デニソワ人由来である事がわかっています。人類の歴史の中には旧人類であるネアンデルタール人、デニソワ人、アウストラロ・デニソワ人と現生人類が共存していた時期があったのです。

日本人のDNAの98%はホモ・サピエンス・サピエンス、2%は旧人由来です。私の推定では、2%のうち、1.5%がネアンデルタール人由来、0.33%がアウストラロ・デニソワ人、0.17%がデニソワ人由来です。一般的にネアンデルタール人のDNAの割合はユーラシアの東に行くほど大きくなっていくのですが、日本人のDNAはほかの東アジア人と比べるとネアンデルタール人由来のDNAが比較的少なめなのが特徴です。この差異の要因はわかりませんが、興味深い結果だと思います。ph_thubm

リンク
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/041500228/?SS=imgview&FD=-1092025864

より借用しました

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遺伝子分析が日本人の特徴にどうかかわっているか興味深いですが、割合はわずかながら、3種類の旧人のDNAを備えているというのが特徴として上げられるのかもしれません。日本人はどこから来たのか〜世界的な遺伝子研究の追求テーマになっています。
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/07/3509.html

2019年07月18日
日本の民族の交雑は緩やか、対してイギリスは一気に入れ替わった。その2国の歴史、差異はその後の歴史が示している。
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/07/3517.html


先回の投稿の続編です。同じくハーバード大のライヒ博士の報告です。

「縄文人がどこから来たのか、これは私たち遺伝学者にとって大きなミステリーです。」

ライヒ博士はイギリス人の出自の分析をした知見からこの日本人の起源についても追求するとしています。今後、日本人の研究者との協働で日本人の起源、縄文人のルーツが明らかになるかもしれません。

下記のライヒ博士の報告からも日本人(縄文人と弥生人)の混血は極めて緩やかに推移した事例に該当します。同じ島国でもイギリス人の場合は2度の農耕民の流入で一気に民族が入れ替わっているというケースもあるのです。

以下、博士の報告を紹介します。

>縄文人と弥生人の交配が始まったのは1600年前と推定していますが、この数字はどのように算出されたのですか?

⇒算出方法は、現代日本人のゲノムにおける縄文人:弥生人比率=20:80から逆算していったのです。どこまで遡ると縄文人:弥生人=100:0になるのかがわかれば交配が始まった時期が推測できる。その結果、縄文人のDNA比率が100%になるのは、今から50〜60世代前=1600年前ごろであることが判明しました。
農耕民の流入は一度に起きたわけではありません。日本の場合は非常に長い時間をかけて流入しています。一気狩猟採集民が農耕民に入れ替わったわけではないのです。弥生人は2400年前から1700年前までの間に日本列島に流入してきたと推定されますが、縄文人との交配が本格的に始まったのは、後半ごろ。古墳時代に入ってからです。

>なぜこれほどまでに長い時間がかかったのですか?

⇒農耕民の流入から、先住民の交雑までタイムラグがあるのは、ほかの地域でもよく見られる現象です。狩猟採集民が先住していた土地に農耕民が流入すると、まず数百年〜数千年別々に居住し、その後に交配を始めるのです。農耕民は、穀物を育てるのに適した肥沃な土地の近くに住み、狩猟採集民は魚が取れる小川の近くや、木の実がとれる山岳地域に居住します。生活圏も文化も違う2つの集団の交雑には時間がかかるのです。

ヨーロッパではハンガリー、ドイツ、スペインで、アジアではバヌアツや東南アジアの国々で、同じようなタイムラグがあったことがDNAの解析から明らかになっています。ハンガリーに農耕民集団が到達したのは今から8000年前ですが、先住民に交雑するまで1000〜2000年の時間を要しています。

>特に興味をもっているのは弥生人がどのように日本列島に流入してきたかです。

これを研究していく上では、イギリスの事例が参考になると思います。日英両国ともに島国で、外界から海で遮断されており、独自の文化を築いてきた長い歴史があります。そのため、狩猟採集民がいたところに農耕民が移住してきた過程にも類似点が多いと考えられます。

私たちがイギリス人の古代DNAのデータを解析した結果、驚くべき事実が明らかになっています。イギリスには、大きな農耕民の流入が2回あり、しかもそのたびに既存の集団に一気に取って代わっていたのです。ヨーロッパ大陸からイギリスに人類が流入したのは今から1万4千年前。最終氷期の終わりごろです。彼らは狩猟採集民でした。それまでイギリス諸島に人類は居住していません。最初の大規模な農耕民の流入があったのは、6000年前ごろです。この前後のDNAデーターを解析すると狩猟採集民が農耕民に完全に置き換わったことがわかりました。つまり少しずつ交雑したのではなく、一気に入れ替わったのです。2回目の流入はその1500年後の4500年前です。ロシア方面からの別の農耕民が移住してきて、既存の農耕民の90%を置き換えてしまいました。この2回目に流入してきた人々が、現在のイギリス人の祖先です。私たちはイギリス人の歴史を分析したときに得た知識がたくさんありますから、同じ手法を日本人のDNAの分析にも使えると思います。
日本には優れた遺伝学者、考古学者がたくさんいて、保存状態の良好な骨も多く残っています。日本の研究者と協力して、縄文人、弥生人の骨のDNAを分析できれば、弥生人がどのように流入したのかを詳しく解明する事ができるでしょう。

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イギリスの事例紹介は興味深いです。その後のイギリス人の私権性が極めて高く、19世紀に世界の頂点にまで上り詰めたのは2度のこの時期に流入民が一気に土着民を排除した歴史に由来しているのでしょう。そしてイギリス人自身はその略奪の歴史を表に出さずにひたすら王国を正当化してきたのでしょう。遺伝子学者が過去の遺物からそれを暴いた?というのも事実の事実たる力です。
http://web.joumon.jp.net/blog/2019/07/3517.html

196. 中川隆[-8795] koaQ7Jey 2019年8月17日 15:23:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3947] 報告

2019年08月17日
遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

 遺伝学および考古学と「極右」に関する研究(Hakenbeck., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。遺伝学は人類集団の形成史の解明に大きな役割を果たしてきました。とくに近年では、古代DNA研究が飛躍的に発展したことにより、じゅうらいよりもずっと詳しく人類集団の形成史が明らかになってきました。古代DNA研究の発展により、今や古代人のゲノムデータも珍しくなくなり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけの場合よりもずっと高精度な形成史の推測が可能となりました。こうした古代DNA研究がとくに発展している地域はヨーロッパで、他地域よりもDNAが保存されやすい環境という条件もありますが、影響力の強い研究者にヨーロッパ系が多いことも一因として否定できないでしょう。

 現代ヨーロッパ人はおもに、旧石器時代〜中石器時代の狩猟採集民と、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民と、後期新石器時代〜青銅器時代前期にかけてポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた、牧畜遊牧民であるヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の混合により形成されています(関連記事)。この牧畜遊牧民の遺伝的影響は大きく、ドイツの後期新石器時代縄目文土器(Corded Ware)文化集団は、そのゲノムのうち75%をヤムナヤ文化集団から継承したと推定されており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 現代ヨーロッパ人におけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の大きさと、その急速な影響拡大から、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらした、との見解が有力になりつつあります。また、期新石器時代〜青銅器時代にかけてインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらしたと考えられるポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団は、Y染色体DNA解析から男性主体だったと推測されています(関連記事)。そのため、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大は征服・暴力的なもので、言語学の成果も取り入れられ、征服者の社会には若い男性の略奪が構造的に組み込まれていた、と想定されています。

 インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡散について以前は、青銅器時代にコーカサス北部の草原地帯からもたらされたとする説と、新石器時代にアナトリア半島の農耕民からもたらされたとする説がありましたが、古代DNA研究は前者と整合的というか前者に近い説を強く示唆しました。こうして古代DNA研究の進展により、一般的にはヨーロッパ人およびインド・ヨーロッパ語族の起源に関する問題が解決されたように思われましたが、本論文は、飛躍的に発展した古代DNA研究に潜む問題点を指摘します。

 本論文がまず問題としているのは、古代DNA研究において、特定の少数の個体のゲノムデータが生業(狩猟採集や農耕など)もしくは縄目文土器や鐘状ビーカー(Bell Beaker)などの考古学的文化集団、あるいはその両方の組み合わせの集団を表している、との前提が見られることです。埋葬者の社会経済的背景があまり考慮されていないのではないか、というわけです。また、この前提が成立するには、集団が遺伝的に均質でなければなりません。この問題に関しては、標本数の増加により精度が高められていくでしょうが、そもそも遺骸の数が限られている古代DNA研究において、根本的な解決が難しいのも確かでしょう。

 さらに本論文は、こうした古代DNA研究の傾向は、発展というよりもむしろ劣化・後退ではないか、と指摘します。19世紀から20世紀初期にかけて、ヨーロッパの文化は近東やエジプトから西進し、文化(アイデア)の拡散もしくは人々の移住により広がった、と想定されていました。この想定には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。イギリスでは1960年代まで、すべての文化革新は人々の移動もしくはアイデアの拡散によりヨーロッパ大陸からもたらされた、と考えられていました。

 1960年代以降、アイデアやアイデンティティの変化といった在来集団の地域的な発展が物質文化の変化をもたらす、との理論が提唱されるようになりました。古代DNA研究は、1960年代以降、移住を前提とする潮流から内在的発展を重視するようになった潮流への変化を再逆転させるものではないか、と本論文は指摘します。じっさい、ポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団のヨーロッパへの拡散の考古学的指標とされている鐘状ビーカー文化集団に関しては、イベリア半島とヨーロッパ中央部とで、遺伝的類似性が限定的にしか認められていません(関連記事)。中世ヨーロッパの墓地でも、被葬者の遺伝的起源が多様と示唆されています(関連記事)。

 本論文が最も強く懸念している問題というか、本論文の主題は、こうした古代DNA研究の飛躍的発展により得られた人類集団の形成史に関する知見が、人種差別的な白人至上主義者をも含む「極右」に利用されていることです。上述のように、20世紀初期には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。ナチズムに代表される人種差別的な観念は、こうした民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような前提のもとで形成されていきました。本論文は、20世紀初期の前提へと後退した古代DNA研究が、極右に都合よく利用されやすい知見を提供しやすい構造に陥っているのではないか、と懸念します。

 じっさい、ポントス・カスピ海草原という特定地域の集団が、男性主体でヨーロッパの広範な地域に拡散し、それは征服・暴力的なものだったと想定する、近年の古代DNA研究の知見が、極右により「アーリア人」の起源と関連づけられる傾向も見られるそうです。こうした極右の動向の背景として、遺伝子検査の普及により一般人も祖先を一定以上の精度で調べられるようになったことも指摘されています。本論文は、遺伝人類学の研究者たちが、マスメディアを通じて自分たちの研究成果を公表する時に、人種差別的な極右に利用される危険性を注意深く考慮するよう、提言しています。本論文は、研究者たちの現在の努力は要求されるべき水準よりずっと低く、早急に改善する必要がある、と指摘しています。


 以上、本論文の見解を簡単にまとめました。古代DNA研究に関して、本論文の懸念にもっともなところがあることは否定できません。ただ、古代DNA研究の側もその点は認識しつつあるように思います。たとえば、古代DNA研究においてスキタイ人集団が遺伝的に多様であることも指摘されており(関連記事)、標本数の制約に起因する限界はあるにしても、少数の個体を特定の文化集団の代表とすることによる問題は、今後じょじょに解消されていくのではないか、と期待されます。また、文化の拡散に関しては、多様なパターンを想定するのが常識的で、移住を重視する見解だからといって、ただちに警戒する必要があるとは思いません。

 研究者たちのマスメディアへの発信について、本論文は研究者たちの努力が足りない、と厳しく指摘します。現状では、研究者側の努力が充分と言えないのかもしれませんが、これは基本的には、広く一般層へと情報を伝えることが使命のマスメディアの側の問題だろう、と私は考えています。研究者の役割は、第一義的には一般層へと分かりやすく情報を伝えることではありません。研究者の側にもさらなる努力が求められることは否定できないでしょうし、そうした努力について当ブログで取り上げたこともありますが(関連記事)、この件に関して研究者側に過大な要求をすべきではない、と思います。

 本論文はおもにヨーロッパを対象としていますが、日本でも類似した現象は見られます。おそらく代表的なものは、日本人の遺伝子は近隣の南北朝鮮や中国の人々とは大きく異なる、といった言説でしょう。その最大の根拠はY染色体DNAハプログループ(YHg)で、縄文時代からの「日本人」の遺伝的継続性が強調されます。しかし、YHgに関して、現代日本人で多数派のYHg-D1b1はまだ「縄文人」では確認されておらず、この系統が弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来する可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と思います(関連記事)。日本でも、古代DNA研究も含めて遺伝人類学の研究成果が「極右」というか「ネトウヨ」に都合よく利用されている側面は否定できません。まあ、「左翼」や「リベラル」の側から見れば、「極右」というか「ネトウヨ」に他ならないだろう私が言うのも、どうかといったところではありますが。


参考文献:
Hakenbeck SE.(2019): Genetics, archaeology and the far right: an unholy Trinity. World Archaeology.
https://doi.org/10.1080/00438243.2019.1617189


https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

197. 中川隆[-8735] koaQ7Jey 2019年8月20日 18:41:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4009] 報告

2015年06月12日
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html


 新石器時代〜青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000〜3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続いてきました。この問題は、インド-ヨーロッパ語族の拡散とも関係して論じられてきました。

 5000〜1300年前頃のユーラシアの住民101人のゲノムを解析した研究(Allentoft et al., 2015)では、青銅器時代のヨーロッパにおける大きな文化的変容は人間集団の移動に伴うものであり、インド-ヨーロッパ語族が青銅器時代にヨーロッパに拡散したとする仮説が支持される、との見解が提示されています。5000年前頃には、ヨーロッパ中央・北部のゲノムは中東からの初期農耕民やそれ以前のヨーロッパの狩猟採集民のゲノムに似ていました。しかし、ヨーロッパ中央・北部集団のゲノムは4000年前頃までには、カスピ海〜黒海の北側の草原地帯に存在したヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のゲノムにもっと類似していました。

 この研究は、薄い肌の色は青銅器時代のヨーロッパにおいてすでに高頻度で存在したものの、乳糖耐性はそうではなかったことも明らかにしています。以前には、ヨーロッパの初期農耕民において畜乳はカロリー摂取の重要な手段であり、新石器時代から乳糖耐性には正の淘汰が働いていたのではないか、と考えられていたのですが、乳糖耐性に関しては、正の淘汰が働いたのは青銅器時代以降のことではないか、と指摘されています。この乳糖耐性は、ヤムナヤ文化集団によりヨーロッパにもたらされた、と推測されています。

 もう一方の研究(Haak et al., 2015)では、8000〜3000年前の69人のヨーロッパ人の全ゲノムデータが作成され、解析・比較されました。その結果、やはり青銅器時代における東方草原地帯(現在の国境線ではウクライナを中心とします)からヨーロッパへの大規模な人間集団の移動が示唆されました。ヨーロッパにおいて新石器時代の始まりとなる8000〜7000年前頃に、遺伝的にはヨーロッパの先住狩猟採集民とは異なり、初期農耕民と密接に関連した集団がドイツ・ハンガリー・スペインに現れました。一方でその頃のロシアには、24000年前頃のシベリア人と高い遺伝的類似性を有する狩猟採集民集団が存在していました。

 6000〜5000年前までには、ヨーロッパの大半の農耕民はその祖先集団よりも多くの狩猟採集民集団のDNAを有していました。一方でこの時期の東方草原地帯の牧畜民であるヤムナヤ集団は、ヨーロッパ東部の狩猟採集民だけではなく、中東の農耕民集団のDNAも継承していました。ドイツの後期新石器時代縄目文土器(the Late Neolithic Corded Ware)文化集団はそのゲノムのうち75%をヤムナヤ集団から継承しており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 この東方草原地帯由来のDNAは、遅くとも3000年前までには中央ヨーロッパ人の全標本に存在し、現在のヨーロッパ人には広く確認されます。この研究は、ヨーロッパのインド-ヨーロッパ語族の少なくともいくつかは、東方の草原地帯に起源があるだろう、と指摘しています。また、中央ロシアのアルタイ山脈近くの4900〜4500年前頃の集団にもヤムナヤ集団の遺伝的痕跡が確認され、インド-ヨーロッパ語族のアジアへの拡散との関連が想定されます。最近では、青銅器時代のヨーロッパにおいて男性人口の拡大があったのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、青銅器時代のヨーロッパにおける文化変容は、大規模な人間の移動に伴っていた可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(Allentoft et al., 2015の引用と、Haak et al., 2015の引用)です。


集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団ゲノミクス

集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団変化

 青銅器時代は大きな文化的変化の時代であったが、その要因は知識の伝達と大規模な人の移動のどちらにあったのだろうか。今回、ユーラシア各地の古代人101人の標本から低カバー率のゲノム塩基配列を得て解析した研究で、この時代に起こった大規模な集団の移動や入れ替わりが明らかになった。得られた解析結果は、青銅器時代のヨーロッパ人では、淡色の皮膚はすでに普通になっていたが乳糖耐性はあまり広まっていなかったことを示しており、乳糖耐性に対する正の選択が働き始めたのは従来考えられていたよりも新しい年代だったことが示唆された。この研究で得られた知見は、インド・ヨーロッパ語族が前期青銅器時代に広がったとする別の報告(Letter p.207)とも一致する。


集団遺伝学:ステップからの大移動がヨーロッパでのインド・ヨーロッパ語族の成因の1つとなった

集団遺伝学:ヨーロッパの言語を変えたステップからの大きな一歩

 今回D Reichたちは、8000〜3000年前に生存していたヨーロッパ人69人の全ゲノムデータを作成した。その解析から、8000〜7000年ほど前に現在のドイツ、ハンガリーおよびスペインに当たる地域で、先住の狩猟採集民とは異なる初期農耕民の血縁集団が出現したことが明らかになった。同時代のロシアには、2万4000年前のシベリア人との類似性が高い独特な狩猟採集民集団が生活していた。6000〜5000年前までに、ロシアを除くヨーロッパの広い地域で狩猟採集民系統が再び現れた。西ヨーロッパ集団と東ヨーロッパ集団は約4500年前に接触し、現代のヨーロッパ人にステップ系統の痕跡が残された。これらの解析から、新石器時代の人口動態に関する新たな手掛かりに加えて、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の少なくとも一部がステップ起源だとする説の裏付けが得られる。この研究で得られた知見は、青銅器時代の古代人101人のゲノムについて調べた別の研究結果(Article p.167)とも一致する。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14507

Callaway E.(2015): DNA data explosion lights up the Bronze Age. Nature, 522, 7555, 140–141.
http://dx.doi.org/10.1038/522140a

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14317

https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html

198. 中川隆[-8696] koaQ7Jey 2019年8月23日 09:19:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4051] 報告

日本人のガラパゴス的民族性の起源 Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm


日本人のガラパゴス的民族性の起源 mtDNAハプロタイプ 2019年5月取得ツリー増補版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm


日本人のガラパゴス的民族性の起源 2018/10/18 日本人の源流考 v1.6
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

199. 中川隆[-8646] koaQ7Jey 2019年8月27日 10:14:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4105] 報告

2018年06月17日
人類史における移住・配偶の性的非対称
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html

 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万〜170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5〜14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代〜初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html

200. 中川隆[-8607] koaQ7Jey 2019年8月29日 07:12:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4145] 報告

地方局司会者が謝罪、共演の黒人男性に「ゴリラ似」 米
2019.08.28 Wed posted at 19:12 JST
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35141884.html


ジェイソン・ハケットさんと視聴者に謝罪するアレックス・ハウスデンさん/KOCO


(CNN) 米オクラホマ州のテレビ局が放送する番組で、共同司会者の1人がもう一方の黒人男性についてゴリラに似ていると発言し、翌日の放送で涙ながらに謝罪した。

同州のCNN系列局KOCOテレビで朝の番組の司会を担当する男女2人のうち、白人女性のアレックス・ハウスデンさんが22日の放送中、オクラホマ市動物園のゴリラを取り上げたコーナーの後でもう一方の黒人男性、ジェイソン・ハケットさんに対し、「(ゴリラは)ちょっとあなたに似ている」と発言した。

ハウスデンさんは翌日の番組で「配慮に欠けた不適切な発言で皆さんを傷つけた」と視聴者に謝罪。ハケットさんにも「あなたは大好きな親友の一人。わざと傷付けるようなことは決してしない」と語り掛けた。

ただし、黒人の容姿をゴリラに例える言葉が人種差別的な意味を持つという問題には、直接言及しなかった。

ハケットさんは謝罪を受け入れ、「私も多くの皆さんも深く傷付いた」と率直に語った。ハウスデンさんと手を差し伸べ合い、自分にとっても親友の一人だと話した。

ハケットさんはさらに、この出来事が「言葉の大切さ」を知らせる「学びの機会」になるよう願っていると述べ、「私たちはお互いに相手が傷付く言葉、胸にこたえる言葉を理解し合わなければ」と呼び掛けた。
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35141884.html

サブリミナル実験から、白人の潜在意識では「黒人≒類人猿」であることが判明(米研究)


「Not Yet Human: Implicit Knowledge, Historical Dehumanization and Contemporary Consequences(人間未満:暗黙知、非人間化の歴史、そして現代への影響)」

と題された研究レポートは、スタンフォード大学、ペンシルバニア州立大学、カリフォルニア大学バークレー校の心理学者らによる6年にわたる共同研究の集大成である。

それによると、多くのヨーロッパ系アメリカ人(白人)は意識下でアフリカ系アメリカ人(黒人)を類人猿と結びつけて見ていることが判明した。


サブリミナル実験に参加した被験者のほとんどは、白人の男子学生だ。

実験は、彼等に黒人男性あるいは白人男性の顔をスクリーン上でほんの一瞬見せた後、ぼやけた類人猿のスケッチを見せて、それが何か識別させるというもの。

黒人男性の顔のフラッシュを先行して見せられた場合、白人男性のそれを見せられた場合に比べ、被験者はずっと早くそのスケッチが類人猿のものであることを識別したという。

次セクションで少し詳しく説明するが、米国ではかつて黒人を類人猿になぞらえ、黒人差別を正当化していたのだが、被験者たちはこの黒人ー類人猿アソシエーションを知らない。

にもかかわらず、被験者たちの潜在意識の中にはこのアソシエーションが存在していることが、同実験から判明したわけである。


「黒人はいまだに人間として認められていないのです。

この国では、我々は今でも類人猿と同列に見られているのです。」


同研究では米ローカル紙の一つ『Philadelphia Inquirer』が1979年ー1999年の20年間に掲載した数百のニュースを調べているが、極刑の有罪判決を受けた黒人は、同じく極刑判決を受けた白人に比べて「野蛮な」「けだもの」「凶暴な」「残酷な」「気の荒い」等、類人猿と関連性のある言葉で表現される頻度が4倍もあったという。

また、「これらのニュースで、暗に類人猿であるかのように描写された者たちは、そうでない者たちに比べ、州政府により処刑されやすい傾向にあることも判明している。


「黒人≒類人猿」と本人が考えているというのではなく、無意識にそう捉えているというのは、差別される側にとって、かなり厳しい現実である。

意識下ということは、本人もコントロールしにくい領域であるからだ。
http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-177.html

201. 中川隆[-8467] koaQ7Jey 2019年9月08日 10:42:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4309] 報告

News Release 5-Sep-2019
中央および南アジア由来の古代DNAからユーラシア大陸における人々と言語の拡散が明らかに

中央および南アジアから得られた500人以上の古代DNAの全ゲノム解析から今回、この地域に現在住む人々の複雑な遺伝的祖先について新たな光が当てられることを、新しい報告が明らかにしている。

この研究は、ユーラシア・ステップ、中近東および東南アジアに由来する集団における遺伝子交換を記述しているだけでなく、古代ヨーロッパに認められるものと類似し並行したゲノムパターンを反映する集団の歴史をも明らかにしており、これらの所見は印欧語族の文化的拡散を例証するものと考えられる。

はるか昔に生きていた人々の遺伝子が保存された遺物は、古代の様々な集団の移動と相互関係だけでなく、文化的革新(農業、牧畜、言語など)の世界規模での拡散の様子を明らかにしてくれる。

Vagheesh Narasimhanらは、およそ8,000年前に生きていた523人の古代DNAを用いて、中央および南アジアへの、またこれらの地域内における、先史時代の人類の拡散について理解を深めることを試みた。Narasimhanらによれば、

現代アジア人の祖先は主として、インダス文明の崩壊後にやってきた中近東の農民集団、ならびにヤムナ文化として知られるヨーロッパのステップ地帯に由来する青銅器時代の牧畜民集団に遡るという。

これまでの研究では、同じ集団が東ヨーロッパ地域にも移動しており、このことがインド・イラン語派およびバルト・スラヴ語派の広範な拡散に貢献した可能性が示されている。

関連するPerspectiveでNathan ShaeferとBeth Shapiroは「今回のデータセットの規模により、Narasimhanらはかつてない広範な空間および時間にわたってゲノムの比較を行うことができ、それにより数年前には答えることのできなかった、増加しつつある特定の疑問に焦点を当てることが可能になった」と記している。
https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2019-09/aaft-5_2090319.php



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2019年09月08日
アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html


 アジア南部の人口史関する二つの研究が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。なお、以下の主要な略称は以下の通りです。アンダマン諸島狩猟採集民(AHG)、古代祖型インド南部人関連系統(AASI)祖型北インド人(ANI)、祖型南インド人(ASI)、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、中期〜後期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSMLBA)、前期〜中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSEMBA)、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化。

 一方の研究(Narasimhan et al., 2019)は、すでに昨年(2018年)、査読前に公開されていました(関連記事)。その時点よりデータも増加しているので、今回改めて取り上げます。本論文は、中石器時代以降のアジア中央部および南部北方の、新たに生成された古代人523個体のゲノム規模データと、品質を向上させた既知のゲノムデータ19人分を報告しています。これらと既知のデータを合わせて、古代人837個体分のデータセットが得られました。現代人では、686人のゲノム規模データと、アジア南部の246民族の1789人の一塩基多型データが比較されました。

 本論文(サイエンス論文)はこれらの個体を地理的に3区分しています。それは、182人分のゲノムデータが得られたイランおよびトゥーラーン(アジア中央部南部、現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・アフガニスタン・キルギスタン)、209人分のゲノムデータが得られた草原地帯と北部森林地帯(ほぼ現在のカザフスタンとロシアに相当します)、132人分のゲノムデータが得られたパキスタン北部です。文化的に区分すると、(1)中石器時代・銅器時代・青銅器時代・鉄器時代のイランおよびトゥーラーンの集団で、紀元前2300〜紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化も含まれます。(2)シベリア西部森林地帯の早期土器(陶器)使用狩猟採集民で、北部ユーラシア人の早期完新世の遺伝的傾向を表します。(3)ユーラシア草原中央部の銅器時代・青銅器時代の牧畜民で、青銅器時代カザフスタン(紀元前3400〜紀元前800年)を含みます。(4)アジア南部北方で、後期青銅器時代と鉄器時代と歴史時代を含み、現在のパキスタンに相当します。

 イランおよびトゥーラーンでは、アナトリア農耕民関連系統の比率が西から東にかけて減少するという勾配が見られます。紀元前九千年紀〜紀元前八千年紀のイラン西部ザグロス山脈の牧畜民は、特有のユーラシア西部関連系統を有していたのにたいして、広範な地域のもっと後の集団は、この独特なユーラシア西部関連系統とアナトリア農耕民関連系統との混合系統です。銅器時代から青銅器時代にかけて、アナトリア農耕民関連系統の比率が、アナトリア半島で70%、イラン東部で31%、トゥーラーン東部で7%というように、東から西へと減少していく勾配が見られます。アナトリア半島でもイラン農耕民系統が見られるようになり、農耕と牧畜を担う集団が双方向に拡散し、在来集団と混合した、と推測されます。

 紀元前三千年紀には、イラン東部とトゥーランでは、最小限のアナトリア農耕民関連系統だけではなく、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)系統の混合も検出され、イラン農耕民関連系統の拡大前にこの地域に存在した、まだ標本抽出されていない狩猟採集民からの交雑を反映している、と本論文は推測しています。ユーラシア北部関連系統は、ヤムナヤ(Yamnaya)遊牧文化集団の拡大前にトゥーラーンに影響を及ぼしました。ヤムナヤ文化集団の遺伝的構成では、WSHG関連系統よりもヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)関連系統の方が多いので、ヤムナヤがこのユーラシア北部関連系統の起源だった可能性は除外できます。また、ヤムナヤ文化集団にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)U5aとY染色体ハプログループ(YHg)R1bもしくはR1aが高頻度で存在するものの、これらのハプログループは標本抽出されたイランおよびトゥーラーンの銅器時代〜青銅器時代には見られないことからも、この見解は支持されます。

 紀元前2300〜紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化集団は、アジア南部集団の主要な起源ではありませんでした。イランおよびトゥーラーンの青銅器時代のBMACとその直後の遺跡から、紀元前3000〜紀元前1400年頃の84人のゲノム規模データが得られました。この84人の大半はトゥーラーンの先住集団と遺伝的に近縁で、BMAC集団の起源集団の一つと考えられます。BMAC集団の遺伝的構成は、早期イラン農耕民関連系統が60〜65%、アナトリア農耕民関連系統が20〜25%、WSHG系統が10%程度です。BMAC集団は、先行するトゥーラーンの銅器時代個体群とは異なり、追加のアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)関連系統を2〜5%ほど有しています。アジア南部におけるこの南方から北方への遺伝子流動は、インダス文化とBMACの間の文化的接触と、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地を示す考古学的証拠と一致しますが、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地では古代DNAは得られていません。一方、逆の北方から南方への遺伝子流動は検出されませんでした。BMAC集団のアナトリア農耕民関連系統比率はやや高いので、古代および現代のアジア南部人類集団の起源集団にはならないだろう、と本論文は推測しています。

 以前の研究(関連記事)では、BMAC集団をアジア南部の現代人集団の祖先集団の一つとする可能性が提示されていましたが、対象となる標本数が本論文の36点に対して2点と少なく、BMAC期もしくはアジア南部の古代DNAが欠けており、本論文はその見解に否定的です。紀元前2300年頃、BMAC関連遺跡でWSHG関連系統を有する外れ値の3人が観察されます。紀元前三千年紀には、カザフスタンの3遺跡とキルギスタンの1遺跡で、この3人の起源として合致したデータが得られています。紀元前2100〜紀元前1700年頃には、BMAC関連遺跡で西方草原地帯前期〜中期青銅器時代(EMBA)系統から派生した系統を有する3人の外れ値が観察されており、ヤムナヤ派生系統は紀元前2100年までにトゥーランに到達した、と考えられます。ヤムナヤ系統は紀元前二千年紀の変わり目までにアジア中央部へと拡大した可能性が高そうです。

 紀元前2500〜紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300〜紀元前2000年頃のイラン東部遺跡から、11人の外れ値が観察されます。その遺伝的構成は、AHG関連系統が11〜50%で、残りはイラン農耕民関連系統とWSHG関連系統の混合(50〜89%)です。こうした外れ値の個体群では、BMAC関連系統では20〜25%となるアナトリア農耕民関連系統が検出されず、BMAC集団が起源である可能性は否定されます。インダス文化集団の古代DNAなしに、これらの外れ値がインダス文化で一般的な遺伝的構成だった、と明確に述べることはできません。しかし、アナトリア農耕民関連系統が検出されず、11人全員でAHG関連系統の割合が高く、そのうち2人では現在おもにインド南部で見られるYHg- H1a1d2が確認され、インダス文化との交易の考古学的証拠があり、アジア南部関連の人工物が共伴していることから、この外れ値の11人はインダス文化後のインダス川上流近くの古代人86人の祖先として適合的だろう、と本論文は推測します。また、この11人におけるイラン農耕民関連系統とAHG関連系統との混合が紀元前5400〜紀元前3700年頃に起きたと推定されることから、11人の遺伝的構成がインダス文化集団を表している可能性は高い、と本論文は指摘します。

 ユーラシアの草原地帯および森林地帯系統の遺伝的勾配は、農耕出現後に確立しました。ユーラシア北部の後期狩猟採集民は、西方から東方へと、アジア東部系統が増加する勾配を示します。新石器時代と銅器時代には、この勾配に沿った異なる地域の狩猟採集民が、異なる地域の系統を有する人々と交雑し、5つの勾配を形成しました。そのうち2つは南方(アジア南西部とインダス川周辺部)で、残りの3つはユーラシア北部に存在しました。草原地帯および森林地帯の最西端にはヨーロッパ勾配があり、アナトリア農耕民の拡大により紀元前7000年後に確立し、ヨーロッパ西部狩猟採集民と交雑しました。黒海からカスピ海に及ぶ緯度のヨーロッパの東端の勾配は、ヨーロッパ東部狩猟採集民関連系統とイラン農耕民関連系統の混合から構成され、いくつかの集団では追加のアナトリア農耕民関連系統が見られます。ウラル山脈の東ではアジア中央部勾配が検出され、一方の端のWSHG個体と、もう一方の端のトゥーラーンの銅器時代〜早期青銅器時代の個体で表されます。

 紀元前3000年頃に、ユーラシアの多くの集団の遺伝的構成は、西方のハンガリーから東方のアルタイ山脈まで、コーカサス起源のヤムナヤ文化集団系統に転換していきました。この前期〜中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯(WSEMBA)系統は、次の2000年にわたってさらに拡大して在来集団と混合し、西はヨーロッパの大西洋沿岸、南東はアジア南部まで到達しました。アジア中央部および南部に到達したWSEMBA系統は、最初の東方への拡大ではなく、第二の拡大によるもので、WSEMBA系統を67%、ヨーロッパ関連系統33%を有する集団でした。この中期〜後期青銅器時代ユーラシア西方草原(WSMLBA)集団は、縄目文土器(Corded Ware)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化やペトロフカ(Petrovka)文化集団を含んでいます。WSMLBAとは異なる中期〜後期青銅器時代ユーラシア中央草原地帯集団(CSMLBA)も検出され、おもにWSHG関連系統の中央草原地帯の青銅器時代牧畜民に由来する系統を9%ほど有しています。

 シンタシュタ文化集団では、50人のうち複数の外れ値が検出されました。外れ値の一つはWSHG関連のCSMLBA系統の比率が高く、二番目はWSMLBA系統の比率が高く、三番目はヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)系統の比率が高い、と明らかになりました。現在のカザフスタンとなる中央草原地帯では、紀元前2800〜紀元前2500年頃の1人と、紀元前1600〜紀元前1500年頃の複数個体が、イラン農耕民関連系統からの顕著な混合を示し、トゥーランを経由してのアジア南部へのCSMLBAの南進とほぼ同時期の、トゥーランから北方への遺伝子流動を示します。紀元前三千年紀半ばから始まったこうした人類集団の移動は、考古学的証拠で示される物質文化と技術の動きと関連しています。

 クラスノヤルスク(Krasnoyarsk)市の草原地帯遺跡で発見された紀元前1700〜紀元前1500年頃の複数個体は、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)関連系統と25%程度のアジア東部関連系統と、残りのWSMLBA系統という遺伝的構成を示します。後期青銅器時代までに、ESHG関連系統はカザフスタンからトゥーラーンまで至る所で見られるようになります。これら紀元前千年紀から紀元後千年紀にアジア南部において文化的・政治的影響の見られる文化集団は、アジア南部現代人にアジア東部系統がほとんど見られないことから、アジア南部現代人の草原地帯牧畜民系統の重要な起源ではありません。その起源として有力なのは、草原地帯の中期〜後期青銅器時代集団で、トゥーラーンへと拡散してBMAC関連系統と混合しました。総合すると、これらの結果は、アジア南部に現在広範に見られる草原地帯系統がアジア南部に到達したのは、紀元前二千年紀の前半と推定します。ヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民集団の拡大前後での遺伝的構成は、本論文の図3で示されています。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/365/6457/eaat7487/F4.large.jpg

 以前の研究では、アジア南部現代人集団は、ユーラシア西部集団と近縁な祖型北インド人(ANI)と、ユーラシア西部集団とは近縁ではない祖型南インド人(ASI)との混合により形成された、と推測されました。本論文はまず、インダス文化との接触が考古学的に示されている遺跡で確認された、上述の外れ値の11人を取り上げます。この11人は、2集団の混合としてモデル化できます。一方は、AHG関連系統集団、もう一方は90%程度のイラン農耕民関連系統と10%程度のWSHG関連系統の混合集団です。このインダス川流域系統に合致する人々は、アジア南部現代人の祖先の大半を構成します。これはアジア南部に特有の系統をもたらす西方からの遺伝子流動というよりも、インダス川流域集団の人々のもっと後のアジア南部人への寄与です。

 アジア南部北方の紀元前1700〜紀元後1400年の間の117人では、紀元前2000年以降に草原地帯系統が見られます。これは2集団の混合としてモデル化され、一方はインダス川流域集団、もう一方は41%程度のCSMLBAと比較的高いイラン農耕民関連系統を有する59%程度のインダス川流域集団の亜集団です。現代インド人で見られる遺伝的勾配の形成に合致したモデルは起源集団として、CSMLBAもしくはその近縁系統と、インダス川流域集団と、AHG関連系統もしくはAHG関連系統を比較的高頻度で有するインダス川流域集団の亜集団を含みます。

 インド南部のいつくかの集団では、CSMLBA系統が見られません。これは、ASIのほぼ直系の子孫が現在も存在することを示し、ASIはユーラシア西部関連系統を有していないかもしれない、という以前の見解の反証となります。つまり、インド南部のユーラシア西部関連系統はANI のみがもたらしたのではなく、ASIはイラン農耕民関連系統を有していただろう、というわけです。イラン農耕民関連系統とAHG関連系統の混合は紀元前1700〜紀元前400年頃と推定され、インダス文化の時点では、ASIは完全には形成されていない、と推測されます。

 インドには、パリヤール(Palliyar)やジュアン(Juang)といった、ユーラシア西部系統の影響の小さいオーストロアジア語族集団も存在します。ジュアン集団は、更新世からアジア南部に存在したと考えられ、ユーラシア西部系統要素のない古代祖型インド南部人関連系統(AASI)系統(48%)およびアジア東部起源のオーストロアジア語族の混合集団(52%)の混合系統と、AASI(70%)とイラン農耕民関連系統(30%)の混合集団としてのASIとの混合としてモデル化されます。農耕技術から、オーストロアジア語族はアジア南部に紀元前三千年紀に到来した、と推測されています。ANIは、草原地帯牧畜民系統との混合年代が紀元前1900〜紀元前1500年頃と推定されることから、インダス文化衰退後に形成されたと推測されます。つまり、現代インド人の勾配を形成する主要な2集団であるASIとANIは、どちらも紀元前二千年紀の前には完全に形成されていなかっただろう、ということになります。

 アジア南部最北端となるパキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の青銅器時代・鉄器時代の複数個体では、草原地帯系統が、常染色体において20%程度になるのに、Y染色体では、草原地帯においてはほぼ100%となる系統(YHg- R1a1a1b2)が5%と顕著に低く、おもに女性を通じて草原地帯系統が導入された、と推測されます。しかし、現代のアジア南部では、常染色体よりもY染色体の方でCSMLBA関連系統がずっと多い集団も見られます。これは、おもに男性により草原地帯系統が拡散したことを示唆します。類似の事象はイベリア半島でも見られますが(関連記事)、アジア南部はイベリア半島ほど極端ではありません。アジア南部でY染色体において草原地帯系統の比率の高い集団は、司祭の地位にあると自任してきた集団に見られますが、この相関はまだ決定的とまでは言えません。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/365/6457/eaat7487/F6.large.jpg


 本論文は以上の知見から、アジア南部における完新世の人口史を以下のようにまとめます。紀元前2000年まで、イラン農耕民関連系統とAASI系統の異なる比率を有するインダス川流域集団が存在し、本論文はこれを多くのインダス文化集団の遺伝的特徴と仮定します。ASIは紀元前2000年以後に、このインダス川流域集団とAASI関連系統集団の混合として成立しました。紀元前2000〜紀元前1000年の間に、CSMLBA系統がアジア南部へと拡大し、インダス川流域集団と混合してANIを形成しました。紀元前2000年以後、ASI とANIが混合し、現代インド人に見られる遺伝的勾配を形成していき、アジア南部の現代の多様な集団が形成されました。

 インダス川流域集団はインダス文化の発展前となる紀元前5400〜紀元前3700年に形成されます。これは、インダス川流域集団のイラン農耕民関連系統はインダス川流域狩猟採集民の特徴で、それはコーカサス北部およびイラン高原農耕民の特徴と同様だった可能性を提示します。イラン北東部の狩猟採集民におけるそうした系統の存在も、この可能性と整合的です。もう一つの可能性は、イラン高原から農耕牧畜集団が紀元前七千年紀にアジア南部へと拡大した、というものです。しかし、この仮説は、インダス川流域集団ではアナトリア農耕民関連系統がほとんど存在しない、という知見と整合的ではありません。

 そのため本論文は、アナトリア農耕民関連系統の東方への拡大がイラン高原およびトゥーラーンへの農耕拡大と関連していたという見解を支持しているものの、アジア南西部からアジア南部への大規模な移動は、イラン高原において全員にかなりのアナトリア農耕民関連系統が見られる紀元前6000年以後にはなかった、と推測しています。国家成立以前の言語は人々の移動に伴うのが通常なので、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族は、アジア南西部の農耕民拡大の結果ではないだろう、との見解を本論文は提示しています。

 これは、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族が草原地帯起源であることを示唆します。しかし、中期〜後期青銅器時代の中央草原地帯とアジア南部の物質文化の類似性はひじょうに少ない、と指摘されています。ただ本論文は、ヨーロッパ西部起源と考えられるビーカー複合(Beaker Complex)文化が、ヨーロッパ中央部ではヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民系統を50%程度有する集団と関連していることから、物質文化のつながりの欠如は遺伝子拡散を否定するわけではない、と指摘しています。ヨーロッパでは、草原地帯系統集団が在来の物質文化を取り入れながら、遺伝的には在来集団に大きな影響を及ぼした、というわけです。

 本論文は、アジア南部集団が、ヤムナヤ文化集団に代表されるWSEMBAから、その影響を受けたCSMLBAを経由して(30%程度)、20%程度の影響を受けた、と推定しています。以前の研究(関連記事)では、アジア南部に草原地帯牧畜民系統をもたらしたのは直接的にはヤムナヤ文化集団ではない、と推測されていましたが、間接的にはヤムナヤ文化集団のアジア南部への遺伝的影響は一定以上あるようです。さらに本論文は、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語文献の伝統的な管理者と自任してきた司祭集団において、男系を示すY染色体においてとくに草原地帯牧畜民系統の比率が高いことからも、インド・ヨーロッパ語族が草原地帯系統集団によりもたらされた可能性が高い、と推測します。

 アジア南部で2番目に大きな言語集団であるドラヴィダ語族の起源に関しては、ASI系統との強い相関が見られることから、インダス文化衰退後に形成されたASIに起源があり、インダスインダス文化集団により先ドラヴィダ語が話されていた、と本論文は推測しています。これは、インダス文化の印章の記号(インダス文字)がドラヴィダ語を表している、との見解と整合的です。また本論文は、先ドラヴィダ語がインダス川流域集団ではなくインド南部および東部起源である可能性も想定しています。この仮説は、インド特有の動植物の先ドラヴィダ語復元の研究と整合的です。

 ヨーロッパとアジア南部は、農耕開始前後にアジア南西部起源の集団が流入した後、銅器時代〜青銅器時代にかけて、ユーラシア中央草原地帯起源の牧畜民が流入してきて遺伝的影響を受けたという点で、よく類似しています。しかし、更新世から存在したと考えられる狩猟採集民系統の比率が、アジア南部ではAASIとして最大60%程度になるのに対して、ヨーロッパではヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)として最大で30%程度です。これは、ヨーロッパよりも強力な生態系もしくは文化の障壁がアジア南部に存在したからだろう、と本論文は推測しています。

 これと関連して、草原地帯牧畜民系統の到来がアジア南部ではヨーロッパよりも500〜1000年遅くて、その影響がアジア南部ではヨーロッパよりも低く、Y染色体に限定しても同様である、ということも両者の違いです。本論文は、この状況はヨーロッパ地中海地域と類似している、と指摘します。ヨーロッパでも地中海地域は、北部および中央部よりも草原地帯系統の比率はかなり低く、古典期には多くの非インド・ヨーロッパ語族系言語がまだ存在していました。一方、アジア南部では非インド・ヨーロッパ語族系言語が今でも高い比率で使用されています。これは、やや寒冷な地域が起源の牧畜民集団にとって、より温暖な地域への拡散は難易度が高かったことを反映しているのかもしれません。


 もう一方の研究(Shinde et al., 2019)はオンライン版での先行公開となります。インダス文化の遺跡では何百人もの骨格が発見されていますが、暑い気候のためDNA解析は困難です。しかし近年、内耳の錐体骨に大量のDNAが含まれていると明らかになり、熱帯〜亜熱帯気候の地域でも古代DNA研究が進んでいます。本論文(セル論文)は、インダス文化最大級の都市となるラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された、多数の錐体骨を含む61人の遺骸からDNA抽出を試み、そのうち有望とみなされた1個体(I6113)から、31760ヶ所の一塩基多型データを得ることに成功しました。I6113は性染色体の配列比較から女性と推定され、mtHg-U2b2と分類されました。このハプログループは、アジア中央部の古代人では現時点で確認されていません。

 I6113は、上述のサイエンス論文で云うところの、インダス川流域集団に位置づけられ、アジア南部現代人集団の変異内には収まりません。つまり、I6113もアナトリア農耕民関連系統を有していないわけです。I6113は、イランのザグロス山脈西部遊牧民とアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)との混合としてモデル化されます。つまり、イラン系統と更新世からアジア南部に存在した系統の混合というわけです。上述のように、サイエンス論文では紀元前2500〜紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300〜紀元前2000年頃のイラン東部遺跡の外れ値となる11人はインダス文化集団からの移民との見解が提示されており、本論文(セル論文)でその具体的証拠が得られたことになります。インダス文化期のラーキーガリー遺跡ではI6113のような遺伝的構成が一般的だっただろう、と本論文は推測しています。

 本論文は、サイエンス論文の外れ値となる11人とラーキーガリー遺跡のI6113を合わせてインダス文化集団と把握しています。I6113には草原地帯系統が見られず、イラン系統が87%と大半を占めます。このインダス文化集団におけるイラン系統は、イラン系統が狩猟採集民系統と牧畜民系統に分岐する前に分岐した系統と推定されています。その推定年代は紀元前10000年よりもさかのぼり、イラン高原における農耕・牧畜の開始前となります。これは、インダス文化集団におけるイラン系統が、農耕開始前にアジア南部に到来したことを示唆します。紀元前7000年以後、イラン高原ではアナトリア農耕民関連系統が増加し、サイエンス論文で示されているように、西部ではアナトリア農耕民関連系統の比率が59%と高く、東部では30%と低い勾配を示します。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図3を掲載します。

画像
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 本論文はこれらの知見から、アジア南部ではヨーロッパと同様に、最初に農耕の始まった肥沃な三日月地帯からの直接的な移住により農耕が始まったわけではない、と指摘します。ヨーロッパの場合は、アナトリア半島東部の狩猟採集民が外部からの大規模な移住なしに農耕を始め(関連記事)、その後でヨーロッパに拡散していきました。アジア南部の場合は、まだ特定されていない地域の狩猟採集民が、外部からの大規模な移住なしに農耕を始めたのだろう、と本論文は推測しています。ただ本論文は、アジア南部内で初期農耕民による大規模な拡大が起き、農耕の拡大とともに集団置換が起きた可能性も想定しています。そのような事象が起きたのか否かは、本論文が指摘するように、農耕開始前後の古代DNA研究で明らかになるでしょう。

 インダス文化集団は、アナトリア農耕民関連系統を有さず、イラン高原の古代の農耕民系統とは異なるイラン系統を有するため、アナトリア半島からアジア南部へ初期農耕民がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたとする仮説と整合的ではない、と本論文は指摘します。本論文はサイエンス論文と同様に、アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたのは紀元前二千年紀に到来した草原地帯牧畜民系統集団だろう、と推測します。本論文は、I6113に代表されるインダス文化集団がインダス文化全体の遺伝的構成に共通している可能性を主張しつつも、まだ標本が少なく、今後広範囲で標本数を蓄積していき、定量的に分析していく必要がある、と指摘しています。サイエンス論文とセル論文の著者の一人でもあるパターソン(Nick Patterson)氏は、インダス文化集団は遺伝的にたいへん多様だっただろう、と推測しています。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487

Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048

https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html

202. 中川隆[-10657] koaQ7Jey 2019年10月21日 19:43:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2202] 報告
恨むなら「気候」を恨め。鼻が低いのは高温多湿な土地で育ったから 2016/09/04
https://tabi-labo.com/277304/humannoses

クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた──。とは、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルの有名な言葉。けれど、実際のところ彼女の鼻の高さで歴史が変わることは、どのみちなかったようだ。

というのも鼻の形状(高い低い)は、暮らしている地域の気候ごとに進化したものなんだとか。

鼻の形状は、
緯度によって変化する


欧米人の鼻の高さに比べてアフリカ系の人々、さらには我々日本人も含むアジア人の鼻が低い。ほとんど万人が抱いている共通認識。これには、ちゃんとした裏付けがあった。

人間の鼻の形は、それぞれの地域で自然環境に順応するために、最適な形状へと進化したもの。

2016年6月「American Journal of Physical Anthropology」に掲載された、ノーステキサス大学ヘルスセンターの研究者らによる論文によると、北欧など高緯度の地域に暮らす人ほど、高くすらっと細い鼻の持ち主。これに対し、赤道に近い場所で生活している人の鼻は平たく幅が広いことが結論付けられた。

この鼻の形状を定義するのが、地域ごとの温度や湿度、つまりは自然環境が大きく影響を与えているということだ。


温度、湿度に適応する

重要な役割が鼻腔にあり


ではなぜ、地域によって鼻の高低差がついたのだろうか?この研究の詳細を報じた「Mental Floss」は、寒冷の北欧に暮らすヨーロッパ人の細い鼻は、低温で乾燥した空気を加熱、加湿する役割があるとする専門家の意見を紹介している。

曰く、吸い込んだ冷たい空気が鼻腔(鼻の穴)を通るとき、鼻粘膜によって湿気が加えられ、粘膜へ流れてくる血液により温められているそう。これは、冷たい空気が直接肺に入ることを避けるための機能。鼻腔が狭くなれば、その分鼻も大きくなることから、緯度の高い(寒冷地)の人の鼻ほど細く高くなるというロジック。

いっぽう、熱帯地域の人々は高温多湿なため、すでに周りの空気が十分に湿気を含んでいる。暖かく湿った空気は、直接鼻腔の奥へととどくため、鼻の果たす役割も少なくて済む訳だ。


113年分の気候データから検証

幅広の鼻は体温を下げる役割


ところが、今回の研究において指揮をとった人類学者のスコット・マダックス博士は、低く幅広な鼻も北欧ヨーロッパの人々と同じように、「多湿に耐えうる進化だ」と主張する。

同博士らは、1901年から2013年までの世界の年間平均気温、相対湿度、絶対湿度をベースに、膨大な気候データを分析しビッグデータを再構築。その後、世界147カ国、15,000人以上の鼻を計測した1923年のデータと比較することで、熱帯地域に暮らす人々の鼻も、高温多湿に合わせて進化を続けてきたことを証明してみせた。


高温多湿になればなるほど

日本人の鼻は低くなる!?


「2016年7月は観測史上最も暑かった」とNASAが発表したように、世界の平均気温は20世紀より1.57℃上昇しているという。それは日本でも。長期的には100年あたり1.16℃の割合で上昇しており、1990年以降、高温の年が頻発している、ことが気象庁のデータからも見てとれる。

このまま高温多湿が襲うようだと、未来の日本人の鼻は必然的に低く幅広になるということか。これはもう、気候を恨むほかない。

温度、湿度と鼻の進化の関係性。クレオパトラが仮に北欧生まれでもない限り、彼女の鼻の高さも、歴史も、やっぱり変わることはなかったのでは。

https://tabi-labo.com/277304/humannoses

203. 中川隆[-10546] koaQ7Jey 2019年10月27日 06:55:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2323] 報告

【令和元年秋 特別対談】伊藤貫氏の警告、
パックス・アメリカーナと中華思想の間で摩滅する「商人国家日本」[桜R1-10-26] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wxQ7ZQtTSxs


ゲスト:伊藤貫(国際政治アナリスト)
聞き手:水島総

204. 中川隆[-10636] koaQ7Jey 2019年11月01日 18:33:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2245] 報告
ナチスの亡霊で苦しむ西歐人 / 「血と土」の哲学
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html

自分の人種を自慢してよい権利

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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央 : ドイツ人の家族 / 右 : ユダヤ人の男性 )

  敗戦後、ドイツ人はナチスの「戦争犯罪」を糾弾され、ユダヤ人を虐殺した“極悪人”との烙印を額に押されてしまい、その罪科を贖うために、歐洲で一番の「人権国家」になろうとした。英米から去勢された、このゲルマン人国家は、どんなに厭な種族であれ、一旦“移民”として受け容れてしまえば、貴重な「ドイツ国民」の身分を与え、至れり尽くせりの“おもてなし”をしようとする。こうした手厚い福祉を聞きつけた別のアフリカ人やアジア人は、「ドイツこそ夢に見た黄金のエルドラドなんだ!」と思い込み、「難民」を装って雪崩れ込んだ。リベラル思想に洗脳されたゲルマン人は、当初、「外人労働者なんて所詮“臨時労務者”だろう」と高を括っていたが、それは致命的な誤りだった。トルコ人やアラブ人、アフリカ人は図々しいから遠慮なくドイツ各地に押し寄せてくるし、福祉にタカるどころか、故郷から家族や親戚まで呼び寄せる始末。最初は渺(びょう)とした小川でも、黒や褐色の盲流が合流すれば、それは徐々に大きな濁流となり、最終的には手が付けられない程の津波となる。この水害に飲み込まれるのは“お人好し”のドイツ人で、生き残るのは人権を利用する移民や難民だ。ドイツ人って、まるでノアの箱船に乗り損ねたネズミのようだ。

  10月下旬、ドイツでは地方選挙があって、ヨーロッパではちょっと話題になった。何と、チューリンゲン州の選挙では、“極右”と呼ばれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が大躍進。日本でも「右派勢力」と呼ばれるAfDだが、実際はドイツ国民を第一に考える保守派政党だ。その証拠に、投票箱の蓋を開けてみると、23.8%の得票率であったという。これは第二位の得票率になるそうで、アンゲラ・メルケル率いる「キリスト教民衆党(CDU)」は顔面蒼白。というのも、CDUの得票率はAfDよりも低く、22.5%であったからだ。しかし、もっと悲惨なのは「社会民衆党(SPD)」で、こちらの得票率はたったの8パーセント。社民党の凋落は日本だけじゃなかった。で、気になる第一位は? これまたドイツらしく、極左政党の「リンケ党(Die Linke)」ときている。人権教育で頭がおかしくなった国民は救いようがない。

Bjorn Hocke 5Alexander Gauland 1Jerome Boateng 2


(左 : ビョルン・ホッケ / 中央 : アレグザンダー・ガウランド / 右 : ジェローム・ボアテング )

  メルケル首相のプライドをズタズタにしたAfDだが、今回の地方選挙で特筆すべき候補者は、なんと言ってもビョルン・ホッケ(Björn Höcke)である。真っ赤な頭の人物が「良心的」とされるドイツでは、ゲルマン系ドイツ人の生活を一番に考え、ドイツ国家の利益と文化を優先する政治家なんか、レイシストの「極右」である。AfDの幹部もマスコミから吊し上げを喰らっていた。党首のアレグザンダー・ガウランド(Alexander Gauland)は、かつて黒人系サッカー選手のジェローム・ボアテング(Jérôme Boateng)について失言をしたことで責められた。曰わく、「みんな彼のことを好きだが、隣人にしたいとは思わない」、と。(彼の母親はドイツ人だが、父親はガーナ人であるという。) そりゃそうだろう。黒い「ドイツ人」なんて本当のドイツ人じゃない。また、離党した元代表のフラウケ・ペトリー(Frauke Petry)は、国境警備の強化と移民規制を訴え、フェミニストにも反対したから、相当なバッシングを受けたらしい。(現在、彼女は創設した「青の党」の党首になっている。) アリス・ワイダル(Alice Weidel)も「PC(政治的に正しい言葉使い)」に嫌気が差し、「あんなのは歴史のゴミ箱に葬るべき」と発言したから、マスコミの標的にされてしまった。ベアトリックス・フォン・ストーチ(Beatrix von Storch)も、BBCの番組に出演したとき、キャスターから吊し上げを食っていた。

Frauke Petry 1Alice Weidel 3Beatrice Storch 1


( 左 : フラウケ・ペトリー / 中央 : アリス・ワイダル /右 : ベアトリックス・フォン・ストーチ )

  他の党員と同じく、ホッケもマスコミの「タブー・コード(禁忌規則)」に叛旗を翻し、ドイツ人が心の底で思っている事を口にした。左翼ジャーナリストは彼をコテンパンに叩いていたが、ホッケはゲルマン人の男らしいコを備えており、リベラル派やユダヤ人の批判に屈しなかった。例えば、彼はドイツに建設されたホロコースト記念館を「恥ずべき遺物」と評していた。(Justin Huggler, "germany's new Hitler poised to lead AfD to regional elections gain", The Daily Telegraph, 27 October 2019.) ドイツや歐米のメディアは非難囂々だったけど、ホッケの見解は正しい。少なくとも、ユダヤ人の脅しに屈服するCDUの政治家と比べれば、遙かに立派じゃないか。ユダヤ人のシナゴーグ(礼拝の会堂)があるだけでも不愉快なのに、迫害されたことを大々的に宣伝する記念館なんて目障りだ。街の景観を損ねるばかりか、子供達の生育にも有害である。だいたい、なんでユダヤ人は“他国”に自分たちの記念物を設置しようとするのか。

Edouard Drumont 1(左 / エドワルド・デュルモン)
  そもそも、「ユダヤ人迫害」の原因はユダヤ人側にあって、異教徒のユダヤ人が昆虫みたいにドイツへ寄生したことが元兇だ。もし、ユダヤ人がロシアのポグロムを恐れて、外国に逃亡したいなら、逃避先はドイツやオーストリアじゃなく、イェルサレムがあるパレスチナに向かうべきだった。それなのに、ガリシア地方の賤民ときたら、“より良き生活”を求めて、西歐世界へと雪崩れ込んだ。これなら西歐各地で、根強い反ユダヤ主義が沸き起こったのも当然である。フランス人などは戦後、「ナチスに抵抗した善人」のフリをしていたが、彼らは昔からユダヤ人が大嫌いで、エドワルド・デュルモン(Édouard Drumont)が書いた『ユダヤ人ノフランス(Le France juive)』はベストセラーだったじゃないか。フランスの庶民はドイツ軍が忌々しいユダヤ人を排除してくれたら万々歳だった。「協力者(コラボ)」が多かったのも不思議じゃない。とにかく、ユダヤ人はヨーロッパから立ち去って、懐かしい中東アジアに戻り、アラブ人と“共生”しながら、適当に殺し合っていればいい。ユダヤ人は同類と喧嘩しながら暮らすのが自然である。

  今回の選挙で「台風の目」となったホッケは、演説集会に現れる度に、リベラル思想に抑圧されたドイツ国民を励まし、民族意識を鼓舞することで勝利を得た。選挙中、彼は聴衆に向かい「我々は我々なんだ ! (つまり、ゲルマン系ドイツ人という意味 / Wir sind Wir !)」とか、「我々は同じ民族なんだぞ ! (Wir sind das Volk !)、「私は自らが属する民族を愛する ! (Ich liebe mein Volk !)」と述べていた。こうしたキャッチフレーズを聞けば、集まったドイツ人が熱狂したのも納得が行く。ドイツは先祖代々「祖父の土地」に住むゲルマン民族の国家であり、人格と容姿が卑しいユダヤ人やアラブ人、何のゆかりも無いアフリカ黒人の国じゃない。一つの国家、一つの民族、一つの運命がドイツ人のモットーで、異人種との雑居と混淆、イスラム教やユダヤ教徒の共存なんて真っ平御免だ。ドイツ人にはドイツ人だけで楽しく暮らす権利がある。「永遠の放浪者」であるユダヤ人は、ドイツ人のナショナリズムに不満なら、さっさと荷物をまとめて故郷のイスラエルに“帰還”すればいい。イスラエル政府は世界各地に離散した「同胞」の帰りを待っているんだから。

民族の血と国家の大地

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(左 : ナチスが称讃したゲルマン系女性 / 右 : ナチスが増やそうとしたアーリア人の赤ん坊)

  鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクは、1888年2月6日の帝国議会で演説を行い、「我々ドイツ人は、天主以外の何者をも懼れない (Wir Deutsche fürchten Gott, aber sonst nichts in der Welt) 」と豪語た。しかし、現在のドイツ人はどうか? 懼れないのは天主の裁きだけで、自己批判を繰り返す左翼陣営や、歐米諸国の主要メディア、レイシズムを糾弾する人権屋からの抗議に遭えば、膝から崩れ落ちて土下座する。もっと情けないのは、隠然たる勢力を誇るユダヤ人から「仕置き」された時で、皇帝ハインリッヒ4世よりも卑屈な態度になってしまう。もし、民族派のドイツ人が「我々ははユダヤ人よりも遙かに美しく、何千倍も気高く、勇敢である !」なんて口にしたら、たちどころにユダヤ人から袋叩きだ。まるで、針の筵(むしろ)というより、釘で串刺しになる「鋼鉄の処女(中世の拷問器具 / Eiserne Jungfrau)」の中に閉じ込められたような状態になってしまうだろう。実際に殺されなくても、社会的地位(職業)と名声を一瞬で失うから、ドイツ人はどんなに愛国者でも決して本音を吐かないよう注意している。言論の自由があるのは日本だけだ。

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(左 : 陽気なユダヤ人青年 / 中央 : ユダヤ人の美女 / 右 : 敬虔なユダヤ人 )

  ドイツのみならず、ブリテン、フランス、デンマーク、ネーデルラント、スウェーデンでも保守的な国民の間でナショナリズムが芽生えているが、西歐人が滅多に口にできないのは、国家と結びついた人種についてである。基本的に西歐人は各地をうろつく遊牧民ではない。農業を基盤とする定住民族だ。交通機関が発達する前なら、結婚相手は近場の異性で、同じ種族の者同士で子孫を残すのが普通だった。今とは異なり、ユトランド半島の片田舎に住むデイン人の娘が、パキスタン出身のイスラム教徒や北アフリカ出身のアラブ人、あるいは西インド諸島からやって来たジャマイカ人と結婚するなんて想像できなかった。もしあったら一大事。両親はおろか、祖父母や親戚、友人、隣人がびっくりするし、親兄弟の誰もが「やめてくれ !」と号泣するに違いない。こうした「国際結婚」は衝撃的だから、「何があったのか?」と地元の新聞に載ってしまう程だ。

Winston Churchill 1(左 / ユダヤ人好きのウィンストン・チャーチル)
  昔のヨーロッパ人なら家系を重んじ、自分と同じような容姿の子孫を残そうとしたし、それが当たり前の「常識」だった。とりわけ、王侯貴族にとって血統は最重要課題で、黒人やアジア人との婚姻なんて御法度。たとえ、白人系のユダヤ人だって忌み嫌われていたんだから。一緒にディナーを取ることだって穢らわしく、ワインを片手に談笑というのも滅多に無かった。となれば、息子や娘の婚約相手なんか論外だ。しかし、イングランドの名門貴族、マールバラ公爵のチャーチル家は別だった。ランドルフとウィンストンはユダの金貨が大好き。失業中だったウィンストンはユダヤ人のパトロンから養われていたから、首相になった時、昔の恩返しをすべく、ヒトラーの和平交渉を一蹴り。ドイツのユダヤ人を救うためなら、同胞のイギリス兵を何十万も犠牲にしようが平気だった。(チャーチルの正体を説明すると長くなるので省略する。) この裏を知らないイギリス人は今でもチャーチル首相を「英雄」と思っている。どこの国にも馬鹿はいるものだ。

  ちなみに、ユダヤ人はアーリア人と結婚するのが大好きで、白人の女をモノにするのは一種のステータスになっている。例えば、不動産屋の倅(せがれ)であるジャレッド・クシュナー(jared Kushner)は、トランプ大統領の娘であるイヴァンカと結婚した。ベンジャミン・ネタニヤフ首相の息子であるヤイル・ネタニヤフ(Yair Netanyahu)も白人娘が大好き。2014年にはキリスト教徒の家庭で育ったノルウェー人女性のサンドラ・レイカンガー(Sandra Leikanger)と付き合ったし、翌年にはユダヤ系デンマーク人モデルのリー・レヴィー(Lee Levi)と交際していた。ユダヤ人は社会的に成功したり、裕福な家庭に生まれると、無性にヨーロッパ系白人女性と接近したがる。イスラエルの保守的ユダヤ教徒は口々に、「どうしてビビ(ベンジャミン)の倅は非ユダヤ人と付き合うんだ?」と不満を漏らしていたけど、ユダヤ人青年にとったらブロンドの「上等な女」を恋人にしただけだ。ハリウッドのユダヤ系女優を見渡せば分かるけど、人気藝人となるのは矢鱈と「歐洲系」が多い。ユダヤ人の男はユダヤ的容姿の女性に興味が無いらしい。

Yair Netanyahu 2Lee Levi 1Yair Netanyahu & Sandra Leikanger


(左 : ヤイル・ネタニヤフ / 中央 : リー・レヴィー / 右 : ネタニヤフとサンドラ・レイカンガー )

  敗戦後、ドイツ人はユダヤ人から悪魔の如く糾弾されたが、それは単に虐殺の対象にされたからではない。ユダヤ人が心の底からドイツ人を憎むのは、このゲルマン民族がセム種族の“肉体”を槍玉に挙げたからだ。優生学や人種衛生学を重視するナチスの理論家たちは、優秀なアーリア人が持つ遺伝子プールに、穢らわしい遺伝子が混入する事を恐れた。ドイツ人にとって、金髪碧眼の北方種族が「理想的な人間」である。だから、この容姿を醜くする、ユダヤ人の精子や卵子が赦せなかったのだ。ナチスを批判するフランス人だって、発言とは別に本音があって、白いケルト人の遺伝子を守りたいと思っているし、イギリス人も腹の中ではアングロ・サクソン人の容姿を保存したいと願っている。

  現在のヨーロッパ人やアメリカ人、および彼らの主張を鵜呑みにする日本人は、無意識のレイシストになっている。リヘラル派はアフリカ人やアラブ人、あるいはインド人やベンガル人などに同情しているが、これらの非ヨーロッパ人が持つ独自の美意識を決して認めようとしないのだ。彼らは無意識的に有色人種の容姿は醜いと思っている。例えば、ウガンダ人が大きな尻や太い腰を持つ女性を「綺麗」と思うことに違和感を感じているが、現地の黒人にしたら、艶のある黒い肌と脂肪が詰まった頑丈なボディーは魅力的なのだ。ホッテントットの女性は自分の性器を自慢して、他人に見せびらかしていた。一方、インド人女性はイギリス人のような白い肌に憧れ、高価な「美白クリーム」を買っているが、歐米の左翼がこれに触れないのは欺瞞だ。イスラエルの東歐系ユダヤ人は、「俺達は洗練された白人なんだ !」と自慢し、パレスチナ系ユダヤ人を褐色の田舎者と馬鹿にしていたけど、何故か、これは大きなニュースにならなかった。

  ヨーロッパのリベラル派や人権派というのは、「良心」を売り物にしているが、実際は、偽善的な差別主義者である。地球上には様々な種族が存在しているから、「絶対的な美」というものはない。あるのは、「相対的な美」くらいで、「別嬪」や「男前」というのは十人十色。ヨーロッパ人の基準や評価で他国の美意識を否定するのは間違っている。したがって、ドイツ人が自らの肉体を自慢しようが、そんなのは「手前味噌」にすぎず、目くじらを立てる程のものではない。品川や新橋で飲んでいるオヤジが「俺の娘は江戸一番の美女」と自慢したって、そんなのは親馬鹿の戯言(たわごと)だ。もし、こんな自慢を本気にして、「何だとぉぉ〜、それは外見差別になるぞ !」と噛みつくのは野暮天しかいないだろう。まともな大人は、「そうかい。良かったねぇ〜。確かに、娘さんはアンタと似ていないや!」と笑ってお終いである。これが解らないのは、大学でクルクルパーにされた優等生だけ。

ドイツ人にとっては素晴らしかった理論

Walther Darre 1( 左 / ヴァルター・ダレ)
  歐米諸国でも似たり寄ったりかも知れないが、日本の書店ではナチス時代のドイツを暗く描いた翻訳書や歴史書ばかり。北方種族のアーリア人を増やすべく、「生命の泉(Lebensborn)」計画を実行したハインリッヒ・ヒムラーや、「血と土」を強調したヴァルター・ダレ(Walther Darré)は評判が悪く、非人道的な政策を行った極悪人にされている。しかし、どうしてゲルマン系ドイツ人を増やすことが悪いのか? 日本政府は少子化を懸念し、若い女性に「もっと子供を産んで下さい !」と呼びかけ、出産手当とか育児手当、保育所の増設に教育の無償化などを実行している。しかし、誰もこれをネオ・ナチ政策とは言わないだろう。また、日本人が日本の国土を愛し、日本人の子孫を残しても異論は無いはずだ。日本に住み着く支那人や朝鮮人は「排外主義だ !」と激怒するが、そもそも日本は日本人の国で、アジア人が幸せになる為の国ではない。もし、優秀な支那人や朝鮮人がいるのであれば、彼らこそ真っ先に祖国へ戻り、国家の発展に寄与すべきだ。我々は下品な支那人とかヤクザの在日鮮人なんて要らないぞ。

Heinrich Himmler 1Heinrich Himmler 2Alfred Rosenberg 1

(左 : ハインリッヒ・ヒムラー / 中央 : ドイツ人少女とヒムラー  / 右 : アルフレート・ローゼンベルク)

  現在、大学やマスコミでは「多文化主義」や「多民族共生思想」が真っ盛りだが、ドイツの文化はドイツ人が維持・継承すべきで、移民労働者として居着いたトルコ人や、紛争を逃れて潜り込んだシリア人が担うものじゃない。ドイツ人を糾弾するイギリス人やオランダ人でも、自国の文化は先祖代々の子孫が受け継ぐべし、と考えているはずだ。ところが、中流階級はおろか、上流階級のドイツ人でも、左翼やユダヤ人の前では腰砕けとなり、ドイツ人の遺伝子プールを守るのは駄目、街から異邦人を追放することも厳禁、非西歐人との混血なら称讃、と悉く非ドイツ化政策が取られている。良識的な公民さえ、ドイツらしいドイツを存続させようとしないのだ。ところが、ユダヤ人は同胞の為なら何でもする。彼らはドイツに寄生するため、あるいは外国からやって来る仲間のため、民族主義に基づいて多文化主義とか人種的多様性を大宣伝。しかし、彼ら自身はアラブ人やアフリカ人と混血したがらないし、イスラエルはユダヤ人とユダヤ教のために建てられた民族国家であると断言してはばからない。テレビ局、新聞社、教育界、藝能界に陣取るユダヤ人は、示し合わせたかのように協力し合っているから、ある意味、立派というか狡猾である。

Nazi Germany 17Nazi Germany 8Nazi Germany girls 5


(左 : ドイツ人の軍人 / 中央 : 軍服を着たドイツ人少女 / 右 : ナチス時代のドイツ人女性 )

  それなら、ドイツ人が自国をアーリア種族だけの国、つまり北方種族だけが幸せに暮らせる楽園にしたい、と考えてもいいんじゃないか。元々、ドイツ人が主体のゲルマン国家なんだから。サウジ・アラビアなんてサウド家の所有物だし、イランはシーア派のイスラム教で疑問を持たない。日本の歴史家は馬鹿の一つ覚えみたいにナチスを糾弾するが、もし、モザンビークやコンゴが黒人だらけの国家になったら、彼らはアフリカに渡って抗議デモを起こすのか? 日本の学者は日本国内に留まって、反抗する日本人を批判するだけだ。譬えて言えば、弱い後輩だけに威張り散らす不良と同じである。彼らは朝鮮高校の兇暴な不良の前だと、借りてきた仔猫のように「おとなしく」なり、因縁を付けられても「ニャンとも言えない」とばかりに無抵抗主義を貫く。情けないけど、これが和製知識人の実態である。

  日本の保守派は西歐人にペコペコしているが、白人のほとんどは「ハッタリ」が得意なだけの弱虫だ。だいたい、どうして西歐人は正直に「白人だらけの国がいい」と言えないのか? 自分の国なら、嫌いなユダヤ人やジプシーを叩き出してもいいはずだ。例えば、日本人の高校生が自分の部屋にアイドル歌手のポスターを貼ろうが、デス・メタルの音楽を聴こうが、ワンピースのフィギュア人形を飾ろうが、隣人は一向に構わない。なぜなら、自分の邸宅や敷地にある部屋じゃないからだ。ドイツ人はドイツ国内で、イギリス人はイングランド国内で、同胞だけと一緒に暮らす権利がある。そして、今を生きるドイツ人やイギリス人には、先祖から継承する血統を損なわず、きちんと子孫へ手渡す義務があるんじゃないか。祖父母と容姿が違う子孫なんて悲しすぎる。

Franz Boas 1Ashley Montagu 1(左 : フランツ・ボアズ / 右 : アシュリー・モンタギュー )
  西歐人は愛国心を尊び、国防を担う軍人は命に代えても祖国を護ると言い張る。が、丸腰の移民が来ると腑抜けになってしまうから、「見かけ倒しじゃないか」と軽蔑したくなる。民族の血筋や文化、国土を守ってこそ、真の国防だ。異人種との混血を許し、伝統文化の劣化を奨励し、さらに国境までも開放するなんて馬鹿げている。リベラル教育で洗脳されてしまったからしょうがないが、愛国者であれば日本の戦国武将のように鋼鉄の意志を持つべきだ。フランツ・ボアズ(Franz Boas)やアシュリー・モンタギュー(Ashley Montagu)のような文化人類学者は、「人種なんて社会的に構築されたもの」と宣伝するが、現実的には「人間の種類」は存在する。(ボアズとモンタギューは共にユダヤ人。

ちなみに、「モンタギュー」は偽名で、本名は「イスラエル・エレンバーグ」である。) 日本人ならせせら笑ってしまうが、ユダヤ人にはオーストラリアの「アボリジニ(原住民)」とアングロ・サクソン系の白人が“似たり寄ったり”の人種に見えるのか? 左翼学者は熱心に平等思想を宣伝するが、一般人は同族の者と一緒に暮らしたいと考えている。何よりも、祖国で気持ちよく生活できるなら「非科学的」でも「人工的」でもいいじゃないか。

Herdegarde Neff 02Catherine Dea 1Jew Betty Friedan 3Jewish girl in Israel 3


(左 : ドイツ人女優のヒルデガルト・クネフ / ナチスが理想としたアーリア系女性 / ユダヤ人フェミニストのベティー・フリーダン / 右 : イスラエルに住むユダヤ人女性 )

Arthur Gutt 01 (左 /アルトゥール・グート )

今では、ヴァルター・ダレやアルフレート・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)の主張は全面的に否定され、悪魔の思想となっているが、国家運営や国民の統合には非合理的な神話(宗教)や科学では解明できない国民の絆が必要なのだ。例えば、SS少将のアルトゥール・グート(Arthur Gütt)は、人種文化および遺伝担当の大臣アドヴァイザーを務めていて、ドイツ人の人種的遺伝が如何に神聖であるかを述べていた。

  ゲルマン貴族は自らの遺産を神聖な祖先の種から得ている。その血(生殖用の物質)は最も純粋な形で子孫に継承されねばならない。(Arthur Gütt, "Die Bedeutung von Blut und Boden für das deutsche Volk", Schriftenreihe des Reichsausschusses für Volksgesundheitsdienst, Vol. 4, Berlin : Reichsdruckerei, p.4.)

  また、『第20世紀の神話』で有名なローゼンベルクも、ゲルマン民族の血統に関して持論を述べていた。

  こんにち、新たな信仰、すなわち血の神話が勃興した。これは血を通して人間の神聖なる本質を守る信念である。(Alfred Rosenberg, Der Mythus des 20. Jahrhunderts, Munich, Hoheneichen Verlag, 1935,p.114.)

  親衛隊上級大佐のカール・モッツ(Karl Motz)も、「血と土」を強調する文章を書いていた。 

如何なる民族主義があろうとも、その基盤となるのは、我々の祖国にある聖なる地と血の関係である。(Karl Motz, Blut und Boden : die Grundlagen der deuschen Zukunft, Berlin, Zeitgeschichte Verlag, 1934, p.7.)

Hitler & kids 1Nazi Germany girls 001


(写真 / ドイツ人少女の歓迎を受けるヒトラー)

  これらの理論家よりも、さらに激しく糾弾されるのがドイツ総統のアドルフ・ヒトラーである。もちろん、この独裁者は戦争末期、自らの地位に固執し、多くのドイツ兵を無駄死にさせたから、徹底的に批判されねばならない。しかし、ナチスが行った人種政策はドイツ国民にとって、本当にマイナスであったのか? ヒトラーはゲルマン人らしいドイツ人を保存したいと望み、国家が必要とする健全な青少年を育成しようとした。また、ドイツ社会を破壊する共産主義を執拗に攻撃したが、これは本当に「悪い事」なのか? ヨーロッパ人は認めたくないだろうが、優生学はドイツ人のみならず、ブリテン、フランス、ネーデルラント、スウェーデンなどでも盛んで、当時としては国家のプラスになったはずだ。ヒトラーの『我が闘争』を読んでみると、意外にも「まっとうなこと」が書かれており、戦前のヨーロッパ人が持っていた本音を語っている。例えば、次のような箇所はイギリス人やアメリカ人でも賛同する人が多いはずだ。
  
  自然は雑種を好まない。特に、第三、第四、第五世代あたりの雑交の初期に生まれてくるものは、はなはだしく苦しまねばならない。かれらは本来最高の成分のもっている価値を、雑交によって失ってしまうのみならず、血の統一を欠いているために、生存一般のための意志力や決断力の統一をも欠いているのである。(アドルフ・ヒトラー 『わが闘争』 (下) 平野一郎・将積茂 訳 角川文庫 p.49)

 また、ヒトラーは優越人種が劣等種族と交わった場合の危険性についても述べていた。

  ・・・・その結果はまず、水準自体が低下するだろうが、さらに子孫が人種的に混血していない周囲のものに比して虚弱化するだろう。最もすぐれた人種の側からの血がそれ以上混入することを完全にさまたげられるならば、お互いに雑種同士の雑交をつづけることによって、雑種は自然によって抵抗力が低下させられるために死滅するか、あるいは幾千年かの間には種々雑多な雑交によって、本来の単一的な要素が完全に混合し、したがってその単一な要素がもはや認められないような新混血物が形成されるであろう。(上掲書 p.50)

  ・・・・最も神聖な人権はただ一つあるだけである。そして、この権利は同時に最も神聖な義務である。すなわち、それは最もすぐれた人類を保持することによって、人類のより尊い可能性を与えるために、血を純粋に保つよう配慮することである。それとともに民族主義国家は、人間と猿との間の生まれぞこないではなく、神の似姿を生むことを任務としている結婚に神聖さを与えるために、まず第一に、結婚を絶え間ない人種汚染の水準から高めてやらねばならない。(上掲書 pp.52-53.)

  戦前から1960年代まで、アメリカ社会において白人が黒人と結婚することは忌み嫌われていた。特に、南部だと一層顕著で、現在とは違い、民衆党の大物が熱烈な人種差別主義者であったことは周知の事実。例えば、リベラル派の長老だったロバート・バード(Robert Byrd)上院議員は、若い頃、KKKのウェスト・ヴァージニア支局に属していたし、ジョージア州の知事を務めたクリフォード・ウォーカー(Clifford Walker)とユージン・タルマッジ(Eugene Talmadge)は、黒人が大嫌いで、黒人の政治参加に猛烈な反対を示していた。アラバマ州にも沢山の白人至上主義者がいて、デイヴッド・グレイヴス(David Bibb Graves)知事や連邦最高裁のヒューゴ・ブラック(Hugo Black)判事は有名だ。彼らは共にKKKを支持。もちろん、こうした「レイシスト」はユダヤ人も大嫌い。アイヴィー・リーグの大学は、なるべくユダヤ人の学生を排除しようと様々な対策を講じていたものだ。

Claude Lanzmann 1(左 / クロード・ランズマン )
  ところが、日本の歴史学者は悉くユダヤ人や黒人の味方で、ドイツ史について論文を書けば、決まって追放されたユダヤ人に同情を寄せてしまう。蛸壺型の思考しかないから仕方がないが、別の角度、すなわち「ドイツ人の視点」でドイツ史を見ることができないのだ。要するに、彼らはユダヤ人学者の言説を繰り返しているだけ。そもそも、「ホロコースト」なる用語が、どのように定義されているのかよく解らない。日本の歴史学者は検死報告書や物的証拠も示さずに、都市伝説でしかない「ガス室殺人」を頭から信じている。フランスのユダヤ人で映画監督のクロード・ランズマン(Claude Lanzmann)が、様々なホロコースト生存者を集め、その証言を映像に収めて『ショアー(Shoah)』というドキュメンタリー・フィルムを制作したが、これらの証言はどれも「証拠」とはならない。なぜなら、法廷での宣誓証言でもなければ、反対尋問を受けた証言でもないからだ。偽証罪に問われず、気楽に話せる噂話を「真実」と称しているんだから、日本の学者は脳天気である。こんなヨタ話が信用されるなら、『週刊実話』の記事だって、みんな「真相」になってしまうじゃないか。

  まぁ、迫害や虐殺に遭ったユダヤ人は気の毒だが、久々にユダヤ人が消え去ったヨーロッパというのは結構気持ちがいい。ユダヤ人やクルクル左翼が記す歴史本には、「可哀想なユダヤ人」という“お涙頂戴”話が満ちあふれているけど、当時のドイツ人からすれば、「あの穢らわしい賤民が居なくなってせいせいした」という気分であった。それに、当時のドイツ人労働者はヒトラーの経済政策により、惨めだった生活水準が向上したし、ゲルマン人だけが暮らす住宅地も建設されて大喜び。イギリス人だって羨むほどだ。現在、戦勝国になったはずのブリテンには、ユダヤ人が政財界にウジャウジャいて、アングル系やケルト系の国民は密かに嘆いたり、憤慨したりと気分が優れない。したがって、「こんな風になるなら、ナチ・ドイツに占領された方がマシだ」と言いたくなるイギリス人の“ぼやき”も分かる。

Michael Levy 2Jack Straw 3Ed Miliband 1David Miliband


(左 : マイケル・レヴィー / ジャック・ストロー / エド・ミリバンド / 右 : デイヴィッド・ミリバンド )

ブリテンの政界はユダヤ・マネーに汚染され、誰も彼もが親イスラエル派だ。多民族共存が実現したブリテン島には、「イギリス人」の振りをするユダヤ人議員が普通にいて、中には「愛国者」を演じることで国民を騙そうとする奴がいる。保守党を見てもユダヤ人が多いし、労働党を見回してもユダヤ人が目につく。例えば、トニー・ブレアのパトロンはマケイル・レヴィー(Michael Levy)だし、外務大臣のジャック・ストロー(Jack Straw)は移民賛成派で、バーバラ・ロッシュ(Barbara Roche)に至っては確信犯的移民推進派であった。労働党の代表になったエドワード・ミリバンドと兄のデイヴィッドは親譲りのマルキスト極左ときている。一方、保守党にはマイケル・ハワード(Michael Howard)やマイケル・リフキンド(Michael Rifkind)のようなユダヤ人が多い。でも、一番腹立たしいのは、下院議長席に腐敗の帝王、ジョン・バーコウ(John Bercow)が坐っていることだ。 焼肉屋じゃあるまいし、あっちでジュージュー、こっちでジュウジュウの状態なんだから、イギリス人だと目眩がしてくる。

Barbara Roche 11John Bercow 1Michael Howard 2Michael Rifkind 1

(左 : バーバラ・ロッシュ / ジョン・バーコウ / マイケル・ハワード / 右 : マイケル・リフキンド )

  ドイツ内外にヒトラーのユダヤ人迫害を非難するドイツ人がいるのは分かるが、彼らは北方種族のゲルマン人を増やした廉でヒトラーを譴責するのか? 現在、ブリテンやフランス、ネーデルラント、スウェーデンでは、移民や難民の有色人種が雪崩れ込んでしまい、深刻な「多民族社会」となっている。そこで、もしも、イングランドやデンマークからアジア人やアフリカ人が一掃され、白人だらけの国家となったら、どのような現象が起きるのか? まさか、リベラル派の白人が大量に逃げ出し、各地で不動産価格が下落するとは考えにくいし、一般国民が嘔吐を催すとも思えない。むしろ、人気の移住先となるんじゃないか。例えば、アメリカやカナダからこぞって白人が流入し、国籍取得を希望するかも知れないぞ。西歐人は決して口にしないが、ユダヤ人はお金の臭いに敏感だから、イスラエルからも不動産業者が参入し、猛烈な「土地転がし」が発生する可能性だってある。白人用の高級住宅地となれば結構な儲けになるし、建築業者や開発業者になればもっと儲かるから、このチャンスを見逃す手はない。巨額の資金を調達できるユダヤ人だと、ライバルを蹴落とすことが出来るから、かなり有利だ。

German boy 11German girl 1Nordic woman 43


(左 : ナチス時代のドイツ人少年 / 中央 : ナチス時代のドイツ人少女 / 右 : 現代のゲルマン系西歐人女性)

  とにかく、ドイツを破滅に陥れたヒトラーを批判するのは構わない。しかし、ヒトラーがしたことを全て否定することは間違いだ。例えば、もしヒトラーがキリスト教を保護したり、「ヨーロッパの文化だから大切にせよ」と発言したら、アメリカ人はキリスト教を邪教と考え、「ネオ・ナチ好みの宗教だ」と毛嫌いするのか? また、もしも、ナチ党が軍人魂を称讃し、「祖国のために命を懸けることは崇高な行為だ !」と宣伝したら、ヨーロッパ人は尚武の精神をゴミ箱に捨てるのか? キリスト教や勇敢な行為はナチスがなんと言おうとも尊い。「善いもの」は誰が口にしても「善いもの」だし、悪事はイギリス人やアメリカ人が行っても正当化されるものではない。

Hitler with girlNazi Germany girls 004

(左 : ドイツ人少女と面会するヒトラー / 右 : 健全なドイツ人少女たち)

  自国の生活環境を良くするためなら、タカリ賤民のユダヤ人や、不愉快な移民・難民を追放しても非難されるべきことではないだろう。第一、ユダヤ人には同胞が暮らすイスラエルがあるじゃないか。アフリカ難民は元々「避難民」なんだから、永住せずにさっさとアフリカへ戻り、どこかの国で農作業でもすればいい。あれだけ広大な地域なら、ブッシュマンみたいに暮らせるはずだ。もし、それが厭なら、パプア・ニューギニアとかフィリピンに移住する選択肢もあるじゃないか。ヨーロッパの左翼は自国の保守派ばかり責めているが、「上等な先進国」を意図的に目指す移民や難民を批判しないのはおかしい。アフリカ難民は他のアフリカ諸国が受け容れるべきだし、シリア難民とかイラク難民は、イスラム教国のサウジ・アラビアとかヨルダン、イランなどが率先して保護すべきである。異邦人を排斥したい保守派は、もっと強靱な精神を持つべきだ。先祖から受け継いだ国家と将来を担う子孫を考えれば、左翼からの苦情・罵声など「ウサギの糞」程度じゃないか。左翼分子は敵の弱点を突くのが上手い。真の愛国者は「ネオナチ」とか「極右」といったレッテルを恐れず、自分の血統をなるべく純粋に保ち、生まれ育った郷土を「自分たちの国」とすべきである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html

205. 中川隆[-10635] koaQ7Jey 2019年11月01日 18:40:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2246] 報告

653名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/30(水) 19:27:07.33ID:9lw7qJtj

東アジア最大のYDNAハプロOはコーカソイド最大のハプロRとかなり近縁

O,P,Q,Nは元々コーカソイドだったんだろうが、東アジア土着の新モンゴロイド女をレイプしまくった結果担い手が新モンゴロイド化した
mtDNAハプロでは東アジアに新モンゴロイドにD4というコーカソイドと程遠い系統が多数なのがそれを示している

Y染色体ハプログループK(O,R,N,Qの直近共通祖先)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97K_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)


698名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/31(木) 14:36:00.70ID:xNUJfapv

顔の形質で重要なのはY染色体ではなく常染色体だからな

mtDNAハプロD4という東アジア最大の母系集団がモンゴロイドの不細工の根源

本来コーカソイドだったYDNAハプロOの集団も、東アジアにてD4女をレイプしまくったため常染色体の形質では完全にモンゴロイド化してしまった


699名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/31(木) 14:45:19.00ID:xNUJfapv

P,O,N,Qは明らかにRのコーカソイドとルーツが同じで南アジア起源の若い集団だが
対応するmtDNAハプロではコーカソイド集団から程遠いというのは大昔に不細工モンゴロイドをレイプしまくったからだろう

ポリネシア人がコーカソイドと形質が似ているのはD4との混血が少ない原始的なO集団に近いからだと思われる
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1570068875/l50

206. 中川隆[-15286] koaQ7Jey 2019年11月24日 10:55:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2369] 報告

成功者の真似をしても成功者にはなれない理由

ジョブズは優秀な友人にコンピュータを開発させ、自分の発明にして会社を乗っ取ったが、そういう事は決して伝記に書いていない。

引用:http://banco.az/sites/default/files/news/stiv_0.jpg

多くの成功者は世襲と才能と詐欺師という現実

世の中には成功する為の手法が溢れていて、成功者の言葉や成功談を知る事ができる。


だがそういった「成功談」を読み、実行して成功した人をほとんど見かけない。


成功者の多くは何か独創的なチャレンジが成功するか、真似したくてもできない強みを持っていた。

イチローに憧れて野球選手になった人は居るだろうが、イチローや大谷の真似をして上手くいくとは思えない。

成功者として模範にされる事が多いのは、少し前なら松下幸之助や本田宗一郎、今は孫正義やジョブズなのだろうか。

まず成功者を見習うとき、気をつけなければならないのは、親から資産を受け継いだ人間には気をつけろ、という事です。


資産は金や土地だけではない、人脈とか地位とか環境、交友関係、遺伝子や容姿、スポーツ、芸術の才能も資産で、頭が良いというのも親から受け継いだ遺伝子の資産です。

才能を必要とする分野で成功した人の成功談や、成功する為の秘訣は聞いても無駄でしょう。


世の中にはどうやってその職業につけるのか、分からない職業が結構多い。

政治家とか医者とか芸能人、歌舞伎役者とかです。

こうした訳のわからない世界では2世がやたらと多く、半ば世襲のようになっています。


世襲や人脈が効く職業は「特別な才能」が必要とされず、教育とか経験が物を言う事が多い。

息子を野球選手やオリンピック選手にしたくても、才能がなければどうしようもない。

ところが俳優の息子を俳優にしようと思えば出来てしまう例が多い。


親と同じくらいの容姿に恵まれて、親の立ち居振る舞いを子供の時から見ていれば、一般の人より断然有利だ。

加えてテレビ業界は人脈が有効なので、芸能人の言う成功の秘訣は信用できない。

医者とか政治家についても言うまでも無く、親が重要な役割りを果たしていて、親がダメだとこれらの職業にはつけない。


ビル・ゲイツ

日本人だと差しさわりが在るかも知れないので、有名な成功者がどんな人達かを見てみる。

まずはビル・ゲイツで90年代から2000年代に掛けて、書店のビジネス本のかなりの部分がビルゲイツコーナーだった。

みんな自分もビルゲイツになりたい、なれると思ったのだがビルゲイツも親の資産を引き継いでいました。


あるビジネス調査では、世界的な富豪の7割は親の資産を受け継いだか、親の資産を増やした。

女性については100%近くが親や夫など親族から貰った資産だった。

ゲイツの両親はウィリアム・ヘンリー・ゲイツ・シニア(父)とマリー・マクスウェル・ゲイツ(母)で名前からしてフランスの王族みたいです。


「ゲイツの両親の子育てに学ぶ」という本やウェブサイトもあるが、それより親が大資産家だった事が重要です。

小学校・中学校・高校と名門校を優秀な成績で卒業し、高校の時に最初の会社を創設して州政府に製品を納入している。

一般人がビルゲイツの模倣をしようとしても生まれが違うので無理という物です。

スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズの場合は親は金持ちではなく、大学に入るまで目立った存在では無かったようだ。

頭は良かったが、その才能はヒッピー文化に憧れて汚い恰好を真似する事や、不正に長距離電話を掛ける装置などで使われた。

インドを旅行するため大学を休んで、ゲーム会社のアタリで働いた後インド旅行をして帰国した。


大学にも戻らず就職先も無いので、とりあえず元のアタリ社に復職した。

ジョブズはそれほど有能な社員ではなく、自分に課せられた仕事を社外の人間に無断で下請けに出して、差額をピンハネして金儲けをした。

どうも今日語られている「スティーブ・ジョブズ」とは別の人のようです。


ジョブズが下請けに使い、金をピンハネしていた人物がウォズニアックで、彼が後にアップルコンピュータを開発した。

ジョブズが働いていたアタリではコンピュータも製作していた。

といっても単純な計算しかできない「めんどくさい電卓」の類だったらしいが、そこからヒントを得て前述のウォズニアックが製作したのがアップル1号機でした。


この後アップル社はなぜかジョブズの所有物になり、実際にアップルを開発したウォズニアックは確執から退社した。

創業者株主として100億円以上を得たはずだが、ビジネスは苦手なようで現在も残っているかは分からない。


ウォーレン・バフェット

バフェットは現在投資の神様と呼ばれていて、世界一の個人資産家だが若い頃のビジネスは近所のデパートの万引きだった。

父親は州議会議員で証券会社を営んでいて株のトレーダー、最初から投資のプロの英才教育を受けていた。

初めて株を買ったのは11歳の時で、「釈迦の子供時代」のように神話になっているが、どう考えてもトレーダーだった父親が指導してやらせた事でした。


祖父からコーラを買って転売したり、新聞配達やゴルフ場のバイトで投資資金を貯めたりと言った事も、要は子供の教育の一環だった。

13歳のときに所得申告して自転車を仕事の経費として認めさせていて、これもバフェット神話の一つだが、自分で考えた事だとは思えない。

色々な商売を自分でやりながら大学に進学し、証券や投資の世界で働く事を決めるが、結果的にこれは世襲で親と同じ職業です。


優れた歌舞伎役者はたいてい親も優れた歌舞伎役者なのであり、素人は太刀打ちできない。

バフェットは父親が経営する証券会社で働きながら実務を学び、その後皆が知っている大投資家になっていった。


3人だけを紹介したが、伝記では決して書かれない部分に成功の理由が隠されていて、他人が後学で学ぶのは難しい。


むしろ他の人がその秘密を全て知ったとしても、真似を出来ないからこそ、彼らは成功したように思える。

もし他人が学べるような事で成功したなら、直ぐに他の人に追い落とされただろう。

「成功者は他人が真似できない方法を持っていたから成功した」だから成功者の真似をしても成功はしないが結論のように思える。
http://www.thutmosev.com/archives/32829920.html

207. 中川隆[-15012] koaQ7Jey 2019年12月26日 10:01:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2044] 報告
2019年12月25日
「社会正義」の検閲と監視 / ユダヤ人のネット警察
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68793313.html


エイリアンがパトロールするネット空間

(左 : 撲滅すべき人々 / 右 : 称讃される人々 )

  前回、YouTubeが始めた動画削除を紹介したが、今回はその検閲に係わる技術の開発や人物の背景について述べてみたい。

 インターネットの世界では、誰もが自由に意見を表明でき、個人間で結びつき、私的な連携を取るという事も多い。しかし、独裁国などはこうした動きを制限したり妨害したりする。これでは、自由を標榜するグーグルとしも無視できない。そこで、このグローバル企業は表現の自由やコミュニケーションを確保するため、「グーグル・アイディアズ(Google Ideas)」というシンクタンクを設立した。後に、この組織は「ジグソウ(Jigsaw)」と改名される。まるでスリラー映画のタイトルみたいだが、この「ジグソウ」は外国政府からの干渉を防ぐだけではなく、個人や団体、民族に対する暴力や憎悪、テロリズムといった犯罪に目を光らせ、その排除に努力しているようだ。ただし、「ジグソウ」は孤軍奮闘しているのではなく、特殊技術を開発するシンクタンク企業「ムーンショットCVE(Moonshot Countering Violent Extremism)」をパートナーにしている。この共同作業により開発されたのが、「軌道修正転送法(Redirect Method)」というテクノロジーだ。

(左 / ヴィディア・ラマリンガム )
  先ずは、この提携企業について紹介したい。「ムーンショット」は2015年9月、カウンター・テロリズムを専門とする組織で、ヴィディア・ラマリンガム(Vidhya Ramalingam) とロス・フレネット(Ross Frenett)により創設された。ヴィディアは米国に移住したインド人家庭の生まれで、外見を観れば判る通り、西歐系のアメリカ人ではない。彼女は幼少期を白人が多い地域で過ごし、「よそ者」という意識を持ちながら育った。こうした環境は彼女の人格形成に大きな影響を与えたようで、ヴィディアは小さい頃から人種や自己識別、移民、更には白人至上主義について頻繁に考えるようになったそうだ。(Paul Cruickshank, "A View from the CT Foxhole : Vidhya Ramalingham, Co-Founder, Moonshot CVE", CTC Sentinel, Vol. 12, Issue 5, p.24.)

  こういう身の上話を聞くと、やはり異人種を受け容れるべきではない、と分かる。そもそも、彼女の両親はイギリス人が建てた国と承知で移住したはず。もし、茶色い子供が生まれれば、不憫な思いをすることも予想できたはずだ。したがって、アメリカの西歐系白人もイギリス人統治者と同じく、有色人種を嫌っているのを判っていたはずである。案の定、アメリカ社会で暮らすヴィディアは、自分が「茶色の異民族であるから嫌われているんだわ」と恨んでいたが、それなら、さっさと祖国のインドへ戻るべきだろう。どうして、白人の異国に留まり、現地の大学に入って、米国や英国で就職したのか? 白人の国でブツブツ文句を垂れていないで、愛すべき祖国に帰り、同じ容姿の仲間に尽くせばいいじゃないか。他人の考えを変えるより、まず自分の考えを変えるべきだ。だいたい、一番「差別」をしているのは彼女の方だろう。貧しいインドより豊かなアメリカやブリテンの方が素晴らしく、自分に相応しい“高級な国”と分かっているから、帰国しないんじゃないか。

  話を戻す。異人種の国で成長したヴィディアは、コーネル大学に入って文化人類学を専攻し、オックスフォード大学にも留学したそうだ。私生活での“屈辱”や“怨念”に取り憑かれた人物は始末に悪い。彼女は異人種の移民や国民を嫌う右翼的ナショナリズムを憎んでいた。そこで、白人右翼のナショナリズムを自身のフィールドワークにし、これまた白人が多く住むスウェーデンに留学したそうだ。スカンジナヴィアに住み着いたヴィディアは、積極的に白人右翼の集会や抗議デモに参加し、極右分子と接触することで、白人ナショナリズムに関する知識を蓄えたそうだ。「学歴をつけた馬鹿」というのは本当に厄介で、彼女は“スウェーデン白人主義の専門家”となり、「私は反レイシズムの活動家」と自称するようになった。(Paul Dupuis, "A tech startup countering violent extremism", The London Globalist, February 4, 2018.)

  こうして白人至上主義運動のエキスパートになったヴィディアは、スウェーデン政府やノルウェー政府にリクルートされ、リベラル陣営にとって便利な「有色人種」となった。なぜなら、「我々は人種差別に取り組んでいますよぉぉ〜」と宣伝したい北歐諸国にとって、茶色い「駒」は「歩」みたいな存在でも、「飛車」「角」並の働きをするからだ。しかも、ヴィディアは若くて雄弁だから、政府の「マスコット」には最適。もちろん、ヴィディア本人は、自分の才能や能力が認められたからだ、と思っている。(笑っちゃ悪いけど、馬鹿は幸せという具体例だ。) ヨーロッパ人の中で活動するインド人というのは目立つから、EUの人権組織はヴィディアに目を附けた。歐洲の国際委員会から「お誘い」を受けたヴィディアは、喜々として右翼排除の仕事を請け負い、極右撲滅に邁進したそうだ。白人ナショナリストの勃興に手を焼くEU組織は、高学歴の碌(ロク)でなしを積極的に採用し、様々な政策を任せている。こういう経緯から、彼女はロス・フレネットに出逢う。

( 左 / ロス・フレネット )
  ヴィディアのパートナーであるロス・フレネット(Ross Frenett)に関する情報は少ない。彼の血筋や家庭環境についての記事が見当たらないので、詳しいことは判らないが、一応、彼はロンドン大学のキングズ・カレッジ(King's Colleg London)を卒業し、テロリズムの専門家となっている。以前、ロスは『Terrorism and Political Violence』という学術誌に「アイルランド共和国軍」に関する論文を掲載したことがあるという。(同雑誌、第24巻, 2012年を参照。) グーグルに就職する前、彼は日本でも有名な「デロイト・トーマツ・グループ(Deloitte Tohmatsu Group)」の一部門、「Technology Integration」でコンサルタント業務をしていたそうだ。その後、ロンドンに拠点を構えるシンク・タンクの「Institute for Strategic Dialogue(ISD)」に所属し、極右勢力に対抗するグローバル組織、「反過激派ネットワーク(Against Violent Extreme Network)」の統括者になっていた。ヴィディアもこの「ISD」で働いていたので、ロスは彼女を誘い、共同で新たな組織「ムーンショットCVE(Moonshot Countering Violent Extremism)」を設立したという。

  グーグルの「ジグソウ」は、この「ムーンショットCVE」と提携し、極右勢力を撲滅すべく「軌道修正転送法(Redirect Method)」というテクノロジーを開発した。インターネットは世界各地の人々を気軽に繋ぐ道具であるが其の反面、大量殺戮を引き起こすテロリストにも利用されてしまう媒体だ。世界を股に掛ける巨大企業のグーグルにとって、インターネット上に蔓延るISの勧誘サイトや、特定民族に対するヘイトスピーチは、表現の自由や企業の発展にとって脅威となる。これを野放しすることはできない。ということで、グーグルは何らかの対策を練ることにした。

   そこで、グーグル傘下の「ジグソウ」は、「イスラム国(IS / ISIS)」を目指すテロ組織に標的を絞り、共鳴する人々を減らそうと考えた。この目的のために開発されたのが、「軌道修正転送法(Redirect Method)」というプログラムで、もし、ISに興味を覚える人が、ある特定の言葉やフレーズを検索すると、そのサイトや画面の横に警告用の広告が表示されるという。そして、この広告は検索者を別のリンクへと導く。こうした広告を目にした人々は、興味を掻き立てられるのか、アラビア語や英語で説明されるYouTubeチャンネルへと移ることもあり、クリックして飛んだ先には、「ジグソウ」が有効であると見なした動画が待ち構えている。つまり、脱洗脳動画という訳だ。具体的に言うと、ISの勧誘に引っかかった者は、警告先のリンクで元過激派の証言やイスラム教の指導者が述べるISへの非難、隠し撮りされた暴露映像を目にすることができる。映像には、機能不全に陥ったシリアやイラクの惨状が映し出されるから、どんなアホでも「どえらいこっちゃ !」と判る。こうなれば、テロ予備軍となりうる若者は、段々とISの新兵募集に疑問や不安を覚えるそうだ。

非西歐系の開発リーダー

(左 / ヤスミン・グリーン )
  反テロリズムのプログラム開発には、もう一人重要な女性が存在する。「ジグソー」で研究・開発を監督するヤスミン・グリーン(Yasmin Green)という女性所長だ。彼女の旧姓は「ドラタバディイ(Dolatabadi)」といい、現在はイラン生まれのペルシア系ブリテン人となっている。1984年、ヤスミンは家族と共にロンドンへ逃れ、サウス・ヨークシャーのシェフィールド(Sheffield)で育った。彼女はロンドン大学のユニヴァーシティ・カレッジ(Unversity College London)に入学し、その後、ロンドン大学の政経スクール(London School of Economics and Political Science)も進んだという。大学を卒業すると、この才女は石油・ガス企業のコンサルティング会社に勤務した。

  テクノロジーの研究開発を指揮するヤスミンによれば、グーグル社は検索で現れる全てのISサイトをブロックすることはできないという。しかし、「軌道修正転送法」というプログラムを用いれば、ISの影響を受けやすい人々を見つけ出し、ISが如何に危険で間違っているかを教えることができるそうだ。さらに、拒絶するための情報を与えるというから念が入っている。ヤスミンが言うには、約32万人の検索者がその広告をクリックし、他の広告より70%も高い割合で「ジグソウ」の広告に惹かれるそうだ。(Jillian D'Onfro, "The subtle way Google plans to use its greatest skill to combat ISIS", Business Insider, September 11, 2016.)

(左 / アダム・グリーン)
   ちなみに、ジャズミンが結婚した相手は、反フォーク・バンドの「モルディー・ピーチズ(The Moldy Peaches)」でギターリスト兼ヴォーカリストを担当するアダム・グリーン(Adam Green)。彼は世俗ユダヤ人の家庭に生まれ、ニューヨークで育った。アダムの家系は元々信仰が篤く、彼の祖父母は息子に先祖代々の信仰を伝えたかったが、反撥の方が大きかったそうである。孫のアダムは両親の方針を受け継ぎ、ユダヤ教の誡律には程遠い生活を送っているそうだ。でも、彼は知的雰囲気の漂うユダヤ人のインテリ家庭で育った。彼の一族には科学者や医者が多いという。敬虔で知能の高い親は、下品な子供が集まる公立学校に否定的だから、よくホーム・スクーリングを選択する。名門家庭に生まれたフランクリン・デラノ・ローズヴェルトもそうだけど、アダム・グリーは12歳までホーム・スクールで教育されたらしい。しかし、相当淋しかったのか、両親に向かって、「本当の学校に通いたい」と懇願したそうだ。笑っちゃうけど、アダム少年はテレビでよく観るような子供に会いたかったという。(Sam Paerse, "Green and Moldy", Totally Jewish, 21 April 2006.)

(左 / ダスティ・スプリングフィールド)
  ついでに言えば、11歳の時にギターの練習を始めたアダムは、ブリテン人ミュージシャンに多大な影響を受けたそうで、「ザ・ローリング・ストーンズ」や「ダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield)」が大好きだという。筆者も中学生の頃、よくダイスティの歌を聴いていたから、とても懐かしい。今の中学生は知らないだろうけど、「You don't have to say you love me 」や 「Spooky」、「The Look of Love」は胸に染みわたる名曲である。ユダヤ人ミュージシャンもアダムにとっては憧れの存在で、アダムはボブ・ディラン(本名 / Robert Allen Zimmerman)やマルク・ボーラン(Marc Bolan / 本名Marc Feld)、ルー・リード(本名 / Lewis Allen Rabinowitz)、ニール・ダイヤモンド(Neil Diamond)、ポール・サイモン(Paul Simon)の名を挙げている。数年前、筆者は「えっ !」と驚いた事があるんだけと、知り合いの大学生や高校生と雑談した時、何かの切っ掛けでマルク・ボーランのことを話した。しかし、彼らは「誰なんですか?」と尋ねてきた。平成から令和の大学生は、ロック・バンドの「T.REX」も知らなければ、ヒット曲である「Get It On」も知らないようだ。これなら、ボブ・シーガー(Bob Seger)を知らなくても不思議じゃない。(年を取ると悲しいことも増えてくる。)


(左 : マルク・ボーラン / ニール・ダイヤモンド / ルー・リード / 右 : ボブ・ディラン )

  またもや脱線したので話を戻す。ヤスミンを「グーグル」に引き入れたのは、「ジグソウ」を運営する創業者のジャレッド・コーエン(Jared Cohen)というユダヤ人だ。凡人が彼の経歴を見ると、「やはり、ユダヤ人のエリートは違うなぁ」という印象を持つかも知れない。ジャレッドはコネティカット州に住むユダヤ人の家庭に生まれた。彼の父親はセラピストで、母親は不動産業者を営んでいたが、元々はアーティストで、子供用の本に使われるイラストを描いていたそうだ。ジャレッドの両親は美術品の蒐集家でもあり、自宅には政治的なものから民族的なものまで飾られていたという。

  ジャレットが知的好奇心旺盛な少年だったのは、家庭環境によるものらしい。父方の祖母はフィデル・カストロが台頭する前のキューバを知っており、ホメイニ革命前のイランも知っていたそうだ。いやはや、如何にもユダヤ人らしい。この寄生民族は常に各地を転々とするから、色々な場所に住んだことがあるし、遠い外国にも仲間を持っている。日本に住み着く「ヨーロッパ人」みたいな外国人には、ユダヤ人が多い。彼らは他民族の文化を毛嫌いせず、却って「何だろう?」と興味を抱く。戦時中、米国の対日作戦部には、後にコロンビア大教授となるバード・パッシン(Herbert Passin)がいたし、『源氏物語』の英訳を手掛けたアーサー・ウェイリー(Arthur David Waley)もユダヤ人だ。元「メガデス」のギターリストであるマーティン・フリードマン(Marty Friedman)もアシュケナージのユダヤ人で、日本語がとても上手い。たぶん、相川七瀬のライブに行ったことがある人なら、隣でギターを弾いていたマーティンを覚えているはずだ。また、日本で音楽活動をしているピーター・バラカン(Peter Barakan)もユダヤ人であるが、彼はポーランド系のユダヤ人とビルマ人の混血児。彼の素性を知らない日本人は、この流暢な日本語を話すビルマ系ユダヤ人を「イギリス人」と思っている。

  また話がずれたけど、ジャレットの両親は日本人の常識を越えた考えを持っていた。このインテリ両親は、息子にスワヒリ語を教えるべく、その個人教師を探すため、高校生のジャレッドをアフリカに連れて行ったそうだ。(Rick Scmitt, "Diplomacy 2.0", Stanford Magazine, May / June 2010.) ホント、ユダヤ人の親には想像を超えた変わり者が多い。普通のアメリカ人はケニアやコンゴ、タンザニアと聞いても、何処にあるのか判らないものだ。日本人だって「ウガンダ」と聞けば、お笑い藝人の「ウガンダ・トラ」くらいしてか思い浮かばないだろう。(元渡辺プロ所属の故・佐藤信一郎のことだけと、今では忘れられているのかなぁ〜。) 別の機会に紹介したいけど、一般のアメリカ人は驚くほど地理に弱い。世界地図をみせてもチンプンカンプン。質問すれば判るけど、大爆笑の珍回答が山ほどある。

(左 / ジャレッド・コーエン )
  異文化に興味を持つジャレッド・コーエンは、スタンフォード大学に入ると、さっそく二人の友人を誘ってケニアへ赴いた。彼は現地人の小屋を訪問したり、マサイ族の民族衣装を着て喜んでいたそうだ。こうしたフィールド・ワークが終わると、ジャレッドはゴリラを求めてルワンダに行く。だが、彼は1994年に起きた民族間の大虐殺を目の当たりにして、大きな衝撃を受ける。彼はパナナの茂みに隠れてコンゴ方面の国境に向かったそうだ。ジャレッドは80万以上のアフリカ人が殺されたのに、合衆国が冷淡であったことに腹を立て、大学四年生の時、それを題材にして卒論を書いた。この論文は後に『One Hundred Days of Silence』という本に発展し、2007年に出版される。ルワンダに関する論文は彼の人生を変えたようで、22歳のジャレッドは「ハインズ賞(Hines Prize)」を獲得し、2003年には、ローズ奨学金をもらってオックスフォード大学に留学したそうだ。外国の政治に関心が高いジャレッドは、リサーチの一環として、イランやレバノン、イラク、シリアに渡航したそうだ。(Jana Juginovic, "Google oracle Jared Cohen on the future and the Internet", Maclean's, June 7, 2013.)

  このユダヤ人は24歳という若さで国務省に勤めるとができたが、これはローズ奨学生であったことや、スタンフォード大学の優等生という点が大きかった。というのも、当時の国務長官はコンドリーザ・ライスであったからだ。ライス長官はブッシュ政権に係わる前、スタンフォード大学の助教授をしていたから、母校出身のインターンであるジャレッドに注目したのだろう。ブッシュ政権の時に国務省勤務となったジャレッドだが、オバマ政権になっても国務省に残り、ヒラリー・クリントン長官のもとで引き続きテクノロジー関係の政策に携わっていた。ヒラリー・クリントンもインターネットの制御・管理に関心があったので、サイバースペースに詳しい人材を確保しようと思っていた。だから、シリコン・ヴァレーにパイプを持つコーエンは打って付けの人物。事実、クリントン長官はインターネットのテクノロジーを「21世紀の統治技術(21st Century Statecraft)」と位置づけ、戦略的な活用を優先事項にしていたそうだ。(確かに、彼女はインターネットを用いた裏金の隠匿に熱心だった。)

( 左 / エリック・シュミット )
  政府機関がハイテク分野の専門家や起業家を取り込むことは、世論操作や対外工作を謀る上で非常に望ましい。ジャレッド・コーエンはシリコン・ヴァレーとホワイトハウスを繋ぐ仲介役に適任で、その交際範囲は広くて深い。例えば、コーエンの友人には「ツイッター(Twitter)」の共同創設者であるジャック・ドーシー(Jack Dorsey)がいるし、「eBay」の前社長であるジョン・ドナホー(John Donahoe)も友人だ。また、映像制作を教えるウェッブサイト、「ハウキャスト社(Howcast Inc.)」の創業者であるジェイソン・リープマン(Jason Liebman)とも知り合いである。さらに、国務省を去ったコーエンは、グーグルの会長であるエリック・シュミット(Eric Schmidt)の友人で、共著『新たなデジタル時代(The New Digital Age)』という本まで出している。こんな訳だから、彼が「グーグル・アイディアズ(Google Ideas)」の統括者になっても不思議じゃない。また、コーエンは有名なシンクタンクである「外交評議会(Council on Foreign Affairs)」に属し、過激派対策や技術革新、政治戦略といった分野にも取り組んでいるそうだ。

(左 ジャック・ドーシー / 中央ジョン・ドナホー / 右ジェイソン・リープマン )

グローバル・ネットワークが形成される

  「ジグソウ」は自由な社会にとって脅威となるサイトを排除するため、ロンドンを拠点とする「ムーンショットCVE」だけでなく、アメリカに拠点を持つ「Gen Next Foundation(次世代財団)」とも提携している。この「Gen Next」を創設したのはペルシア系アメリカ人のポール・マカレキアン(Pauk Makarechian)で、不動産開発業の「マカー・プロパティーズ(Makar Properties)」を経営するオーナー社長だ。彼は昔、投資銀行の「マクファーランド・デューイ社(McFarland Dewey & Co.)」で働いた経験があり、不動産業界だけでなく、政界にも関心が高い。カルフォルニア州のオレンジ郡で名士のポールは、ジョージ・W・ブッシュが大統領選に出馬したとき、一匹狼として選挙に協力したそうだ。


( 左 : ハディ・マカレキアン / 右 : ポール・マカレキアン )

  ポールが「Gen Next」を創ったのは、父親の影響もあったらしい。父親のハディ・マカレキアン(Hadi Makarechian)は、「Capital Pacific Homes」という不動産開発会社を興し、その最高経営者となった。彼は一応、「アメリカ人経営者」として会社を切り盛りしていたが、元々はイランからやって来たペルシア移民だ。ハディは裕福な家庭に生まれ、母親の実家は大土地所有者で、父親は建設業を営むビジネスマンだった。しかし、祖国イランには革命の嵐が巻き起こる。過激派のルーホッラー・ホメイニ師がイスラム革命を起こすと、国王(シャー)のモハメッド・レザー・パフラヴィ(一般的には「パーレビ国王」)は国外へ逃れ、イランは神権国家の如きシーア派共和国になった。王政のもとで豊かな生活を送っていたマカレキアン一家は身の危険を感じ、安全なアメリカへと移住する。実際、彼の従兄弟は革命政府により処刑されたそうだ。ちなみに、女房、つまりポールの母親となったバーバラ夫人は、ペルシア人ではなく西歐系のアメリカ人女性。

  ここでは直接関係ないけど、筆者みたいな昭和世代が「ホメイニ革命」と聞けば、「ブラック・フライデー」の虐殺事件を思い出す。これは革命の少し前、1978年9月8日に起こった銃撃戦で、多くの死傷者を出した惨劇だ。しかし、今では「ブラック・フライデー」と言えば、ほとんどの人が「大規模な特売日」と考えてしまうから、時代は随分と変わってしまった。

  またもや脱線したので話を戻す。グーグルの「ジグソウ」と「ムーンショットCVE」、「Gen Next財団」が本当に狙っていたのは、歐米で台頭する西歐人ナショナリストだった。「軌道修正転送法」の第1フェーズがテロリズムの防止なら、第2フェーズは暴力的で過激な白人至上主義者の撲滅というわけ。「イスラム国」や「ムスリム・テロリスト」に共鳴する人々を減らす、という目的なら、一般人からの賛同は確実で、政府機関からの支援も受けやすい。グローバル企業というのはリベラル思想を大義名分に掲げ、民族や国境を取り払った平坦な地球を描き、最終的には世界統一を目指す。アメリカやヨーロッパ、日本、オーストラリアにといえども、様々な人種・民族が混在し、国際企業が提供するシステムで人々が暮らすというのが、グローバリストの理想である。

  日本も巨大資本の餌食となっており、東北や四国、九州、中国に個別の伝統文化や慣習があっても、お構いなし。そんなのは邪魔なだけ。日本全国どこでも、東京と同じ基準、同じ制度で統一されているのが望ましい。地方の「しきたり」なんか古臭い因習で、構造改革で根こそぎにされてしまうのだ。地方都市の商店街にある個人商店なんか、市場主義と「ショッピングモール」というブルドーザーで撲滅するほうがいい。消費者は現金を使わず、キャッシュレス決済でクレジット会社に手数料を払うから、国際金融資本家の懐には、寝ていても莫大な利益が転がってくる。こういう訳で、各国にある固有の民族的文化や同質的社会を求めるナショナリストは悪。歐米の白人ナショナリストは、問答無用でネオナチかゴロツキの類いだ。

(左 /ジョナサン・グリーンブラット )
  悪い奴は同類と結びつく。グーグルとその仲間達が手を結んだのは、悪名高いユダヤ人組織、「反名誉毀損同盟(ADL)」である。このユダヤ人団体は2019年6月、「ムーンショットCVE」と「Gen Next財団」とパートナーシップを結んだと発表した。("ADL and Partners Counter White Supremacists Online Through Google Search", ADL, June 24, 2019.) 彼らが目指すのは、「聖戦(Jihad)」の活動家や札付きのテロリスト、そして拝外思想を持つ白人至上主義者だ。ADLの最高責任者であるジョナサン・グリーンブラット(Jonathan Greenblatt)によれば、「白人至上主義者は全地球的なテロの脅威で、インターネットを活用することで急速に広まっている。しかし、公的機関や民間部門で対抗するには不充分だ。・・・我々は新たなテクノロジーの活用も含め、持てる力の全てを動員し、過激派や白人至上主義者と対峙せねばならない」という。北米や西歐にタカるユダヤ人にとって、自己防衛本能に目覚めた白人は、民族全体の「脅威」となる。

( 左 / マイケル・デイヴッドソン )
  ポール・マカレキアンから「Gen Next」の運営を引き継いだマイケル・デイヴッドソン(Michael Davidson)もグリーンブラットに共感し、インターネット空間に跋扈するジハード組織と白人至上主義者に対して、断固戦うと表明していた。このデイヴッドソンCEOに関しての情報は少なく、どんな素性で、どんな思想を持っているのか明らかではない。ただ、彼は「Gen Next」に来る前、ペンタゴンが運営する「Joint Civilian Orientation Conference」という組織で働いていたそうだ。また、彼はカルフォルニアに拠点を置くシンクタンク、「Performance Institute」の所長を務めていた。このシンクタンクは行政機関の運営を評価・支援する民間企業で、調査・分析、政策提言、アドヴァイス・サービス、人材育成を基本業務としているそうだ。デイヴッドソンは州知事や下院議員の選挙にも携わったことがあるし、様々な慈善団体に係わっているから、「クィリアム財団(Quilliam Foundation)」の理事にもなっている。ただ、彼がどういった経緯でADLと繋がったのかは不明だ。これは邪推となるが、「ユダヤ人繋がり」という可能性もある。

白人ナショナリストを撲滅せよ !

(左 : デイヴッド・デューク / ケヴィン・マクドナルド / グレッグ・ジョンソン /右 : コリン・リデル )

  インド系のヴィディア・ラマリンガムやペルシア系のヤスミン・グリーン、ユダヤ人のジャレッド・コーエンとジョナサン・グリーンブラット、YouTubeのスーザン・ウジェスキが密かに標的にしたのは、馬鹿丸出しのクズ白人じゃなく、知能が高くて紳士的な白人ナショナリストの方である。グリーンブラットについて説明すると長くなるから、ここでは省略するが、このADL運営者が目の敵にしたのは、反ユダヤ活動家のデイヴッド・デューク(David Duke)や「新右翼」(Alternative Right)」のリチャード・スペンサー(Richard Spencer)、アンディー・ノウィキ(Andy Nowicki)、コリン・リデル(Collin Liddell)だけじゃない。「Red Ice TV」を運営するラナ・ロクテフ(Lana Lokteff)とヘンリック・パムグレン(Henrik Palmgren)、浩瀚な学術書を発表するカトリック学者のマイケル・ジョーンズ(E. Michael Jones)博士、ユダヤ人に関する名著で知られるケヴィン・マクドナルド(Kevin MacDonald)教授、当ブログでも何度か紹介した「カウンター・カレンツ」を運営するグレッグ・ジョンソン (Greg Johnson)博士、ユダヤ人に関する批判書を出版した廉でアマゾンから閉め出されたマイケル・ホフマン(Michael Hoffman)、「アメリカン・ルネッサンス」を主宰するジャレッド・テイラー(Samuel Jared Taylor)、「V Dare」を運営する保守派のピーター・ブリメロー(Peter Brimelow)などである。


(左 : ラナ・ロクテフ / ジャレッド・テイラー / リチャード・スペンサー / 右 : ピーター・ブリメロー )

( 左 / マイケル・ジョーンズ )
  上に述べた人々は一般の日本人に馴染みの薄い知識人だが、彼らの主張には“ちゃんとした”根拠があり、学術的な裏付けもある。ユダヤ人の歴史に詳しいマイケル・ジョーンズ博士は正しく碩学で、『The Jewish Revolutionary Spirit』は1200ページの大書だ。次に刊行した『Barren Metal』は、ユダヤ人の高利貸しについて述べた学術書で、何と1456ページもある。こんな分厚い本だが、古書市場では人気が高く、値段も高いから、一般の日本人だと中々入手できない。ADL会長を引退したエイブ・フォックスマン(Abe Foxman)やグリーンブラットのようなプロ活動家にとって、理知的な批判学者というのは非常に危険な存在である。なぜなら、これらの反ユダヤ主義者は、洗脳に疑問を感じ始めた白人に「啓蒙の光」を与えてしまうからだ。一般のアメリカ人やヨーロッパ人は、高校や大学で習ったことしか知らないから、それ以外の歴史や事件だと理解できない。

  予備知識が無いというのは恐ろしく、左傾化したマスコミが「ネオナチ供が述べていることなんか嘘っぱちだ。あいつらの言葉を信じる奴は、低学歴の馬鹿しかいないんだぞぉぉ〜」と宣伝すれば、簡単に靡(なび)く。普通の白人は自分で調べようとしないから、ユダヤ人学者や左翼教授が“定番の説教”を垂れ流せば、「お説、ごもっとも !」とひれ伏す。ユダヤ人の言説に盲従するアメリカ人は、だいたい詐欺に嵌まったまま、真実を知らずに死んでしまうから、ある意味、幸せな人々である。日本人はMr.マリックの手品に驚き、「奇蹟だ !」と騒ぐアフリカ土人を見て笑ってしまうけど、ユダヤ人に洗脳された日本人だと、無知蒙昧な黒人を笑えないぞ。

  今年の6月頃から、YouTubeは動画の検閲と削除を徹底したけど、筆者が不満なのは修道士ナサニエル(Brother Nathanael Kapner)の動画サイトを閉鎖し、デニス・ワイズ(Dennis Wise)監督が2013年に制作したドキュメンタリー映画、『Adolf Hitler : The Greatest Story Never Told』を削除したことだ。ワイズ監督は貴重な映像や証言を基に、歴史教科書では触れない事実を伝えただけなのに、YouTubeはヒトラーやナチスの賛美に繋がると見なし、歴史修正主義者のプロパガンダ映画はNGと判断した。筆者は時たま観ていたんだが、6月になって突然閉鎖されたのでビックリした。他の歴史動画は堂々とアップロードされているのに、どうしてユダヤ人に不都合な映像は削除なのか? それなら、南京大虐殺の宣伝動画を許していたのは、どういう理屈なんだ? 左翼分子のヘイト動画はOKで、英米史観やユダヤ人プロパガンダに反対する動画はNGなんて、チャンチャラおかしく納得できない。

(左 / 修道士ナサニエル )
  今年になってYouTubeの動画配信が禁止となったナサニエルとは、一体どんな人物なのか? 実は、この髭面の人物、ロシア正教のキリスト教徒に転向したアメリカのユダヤ人。彼が語る子供時代のエピソードは面白く、ユダヤ人社会の恥部がよく分かる。日本人にとっても、たいへん参考になる動画だ。やはり、「内部告発」というか、部外者には秘密となっている裏話は興味深い。彼はアメリカに蔓延るユダヤ人のビジネスマンや政治家、国際金融業者、ロビー団体、左翼組織、同性愛者の活動家を取り上げ、彼らの知られざる一面を斬りまくっていた。これは普通のアメリカ白人だと絶対口に出来ない批判だ。もし、白人の保守派やナショナリストが同じ事を発言すれば、即「ネオナチ」と糾弾され、社会的立場を失ってしまうだろう。だから、ユダヤ人を批判する大学教授の中には、ペンネームを使ってコラムやエッセイを書いたりするのだ。

( 左 / アン・コールター )
  以前、保守派論客のアン・コールター(Ann Coulter)やジャレッド・テイラーが大学で講演会を行ったとき、左翼学生が雪崩れ込み、演説の妨害をするという事件があった。最初に妨害禁止の警告をしていたのに、左翼どもは警備員を無視して会場に潜り込み、鬼のような形相で登壇者を罵っていた。こうした暴挙を見れば、穏健な大学教授が黒人やユダヤ人の批判は止めておこう、と考えるのも無理はない。もし、疑う者がいれば、2010年にオタワ大学で起きた抗議デモを調べてみればいい。この大学で演説を行う予定だったアン・コールターは、左翼学生の猛烈な罵声を浴びてしまった。しかし、彼女はそれに怯まず続行しようと試みたが、「安全第一」を考えた主催者が騒動を厭がり、渋々ながらではあるが公演の中止を決断したそうだ。大手のマスコミは大々的に取り上げないが、保守派の学生は左翼の演説会に殴り込みをかけない。むしろ、正々堂々と公の場で討論しようじゃないか、と誘うくらいだ。でも、左翼の連中は言論で勝負できないから、主要メディアと連携して一方的な中傷番組を垂れ流す。YouTubeやグーグルも同類で、“不都合”な動画を削除し、「ネオナチ」の投稿者を出入り禁止にする。こうして一般人は、「安全」と認定された動画しか観ることはできない。

(左 : 講演会を妨害したオタワ大学の左翼学生 / 右 : コールターに抗議するセント・イグナチウス大学の学生 )

  インターネットはとても便利で、今や貴重なツールとなっているが、我々はその空間を誰が管理しているのか、また、どんな方針で制御されているのか、知ることはない。左翼学者や主要メディアは、規制する人物を詳しく紹介せず、単に出来上がった規則やシステムを一方的に告知するだけだ。日本人は禁止措置の経緯を知りたいし、誰がルールを決め、どんな裏事情があったのか知りたいと思っている。「ヘイトスピーチ」に対する規制は、「社会正義」とか「レイシズムの撲滅」という美名の下で作成されるが、その動機に関しては「やましさ」が漂っている。したがって、マスメディアの情報操作に気づいた保守派は、グーグルが「公平中立」を謳っていても、「その根底には何か秘められた目的があるんじゃないか?」と疑いたくなる。全国紙の新聞が凋落しているのは、人々が知りたいと思う事情を報道しないからだろう。左翼偏向の新聞には、下らない社説と提灯記事しかない。月刊誌『正論』も衰退の道を歩んでいるから、やがて産経新聞と一緒に沈む運命にあるんだろうなぁ〜。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68793313.html

208. 中川隆[-13924] koaQ7Jey 2020年3月16日 09:35:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[903] 報告
良いものを安く売る日本、粗悪品をより高く売る欧米


物体として壊れなければ永久に使えるファミコンより
数年で「使えなくする」ほうが儲かる

画像引用:買取実績|買取専門リサイクルマート - アル・プラザ栗東店https://www.recyclemart.jp/shop/rittou/result/hobby/nintend.html

粗悪品をより高く売ろうとする欧米人

日本には「良いものをより安く」という言葉があり、良い商売のお手本として称賛されています。

だが日本以外の国ではこうではなく、むしろ「粗悪品をより高く」売ろうとする企業が多い。

例えばアップルという企業はiPodやiPhoneなどをヒットさせたが、どれも「すぐ壊れるように」設計してあるそうです。

すぐというのは語弊があるが何十年も長持ちしたら買い換えないので、せいぜい数年が設計上の寿命になっている。

米IT企業の製品はどれも数年で買い換えるようになっていて、たとえ物理的に機能してもアップデートで使えなくする。

マイクロソフトはOSのウィンドウズを数年ごとに更新し、古いPCやOSを使えなくしています。


このように欧米人はなるべくすぐ壊れるものを売り、もし長く使う人が居ても使用期限やアップデートで動作しなくする。

自動車でも欧州の高級車メーカーは新車時はすばらしいが長持ちせず、耐用年数を短く設計しています。

数百馬力で数千万円もするスーパーカーはだいたい数年で壊れて、超高額な修理代を請求されることになっている。


日本車は正反対の設計思想でなるべく手間がかからず長持ちする設計になっていて、本当に長く使いたい人は日本車を買う。

日本製の家電や電気製品には使用期限という考え方がなく、ソニーや任天堂のゲーム機は永遠に遊べる。

任天堂のファミリーコンピューターは子供が踏んでも壊れない設計なので、今も多くの製品が普通に動いている。

良心的な企業ほど損をする

日本はメーカーが消えてなくなったとしても、製品は物理的に壊れない限り永遠に使える設計思想だといえる。

企業としては必ず5年以内に壊れるか使用期限を設けたほうが、定期的に買い換えるのでうま味がある。

これを悪い言葉で表現すると「粗悪品をより高く売る」商売が世界でもてはやされている。


日本は様々な商売で「良いものをより安く」する競争が起き、過剰サービスやデフレの一因になったとも言われている。

例えば日本は外食料金が先進国で最も安く、1000円以内でほぼどんなものでも食べることができ、しかも美味しいと言われている。

500円前後で食事ができる店も多いが、海外でこんなに安いのは後進国や新興国だけです。


北欧では安い外食店がなく1万円以上が普通で、他の先進国でも数千円はします。

だからマクドナルドなど米国のファーストフードチェーンが大人気で、1000円くらいのセットを安いと思っている。

日本でも原田会長の時にマクドナルドが1000円セットを出したが、高すぎるので廃止された。


比較的高いカレーやラーメンでも1000円以内で選び放題で、1000円出せばバンバーガーより良いものを食べれるからでした。

よく日本と比較して欧米の収入が多いとか1人当たりGDPが高いというが、彼らはその分物価も高い。

英米仏など先進国の家賃は東京の3倍が相場なのに、収入は1.5倍程度でしかないので生活はとても苦しい。


欧米の外食費は日本の2倍以上なので、むしろ日本より生活が厳しい場合が多い。

http://www.thutmosev.com/archives/82446366.html  
 

209. 中川隆[-12427] koaQ7Jey 2020年6月12日 06:50:56 : IpkIqUDpJU : R2kzT3ZNQ3JKbDY=[2] 報告
米国の残酷な黒人差別の歴史 歴史家や小説家の書籍から紐解く
書評・テレビ評2020年6月9日
https://www.chosyu-journal.jp/review/17520

400年前の奴隷貿易が発端
 米国ミネソタ州で白人警官が黒人男性に暴行して殺害した事件を契機に、全米各地で抗議デモが巻き起こり、人種や世代をこえた巨大な運動に発展している。全米で40都市以上が夜間外出禁止令を出すのは、黒人の差別撤廃に尽くしたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された1968年以来だという。それにしてもアメリカで、なぜこうした事件が何度もくり返されるのか。人々の怒りの根源はどこにあるのか。それを理解するためには、イギリス植民地時代を含めたアメリカの400年の歴史を見なければならない。これまで歴史学者や小説家、ジャーナリストたちが世に問うてきた奴隷制と黒人差別の歴史をめぐる書籍を読み、それを手がかりに考えてみた。

 世界の歴史においてアメリカ合衆国ほど人種差別がずっと大問題であり続けている国は他にない。人種差別というものはどうやって始まったのか。


 ボストン大学名誉教授で歴史家のハワード・ジンが著した『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』(上・下、あすなろ書房)は、『民衆のアメリカ史』を青少年向けに書き直したもので、それまでの国民的英雄を中心にしたものではなく、実際に社会を動かしてきた黒人、女性、インディアン、若者、労働者の側からアメリカの歴史を綴っている。

 時は大航海時代にさかのぼる。コロンブスはスペイン王室の援助を得て黄金を手に入れるため、1492年にアメリカ大陸の一角、カリブ海に浮かぶバハマ諸島に到着した。コロンブスは先住民アラクワ族に黄金を持ってくるよう命じ、持ってこれなかった者は手を切断した。アラクワ族は逃げたが、コロンブスは捕虜にして縛り首にするか、火あぶりにした。当時エスパニョーラ島には25万人の先住民がいたが、17世紀には1人もいなくなった。

 こうして南北アメリカ大陸でのヨーロッパ人の歴史が始まった。それは先住民の大量虐殺と奴隷貿易の始まりだった。

 奴隷貿易は15世紀半ばからポルトガルが始め、オランダ、スペイン、イギリス、フランスが加わった。奴隷船はヨーロッパの各港から大西洋を南下してアフリカに向かい、西アフリカの奴隷貿易拠点で奴隷を購入して船に積み込み、大西洋を渡って南北アメリカの各地に上陸。ここで奴隷が砂糖やコーヒー、綿花などと交換され、各地のプランテーションに送られるとともに、この植民地産物はヨーロッパ本国に持ち帰られる。ここで莫大な利益を得たのがヨーロッパの奴隷商人たちで、そのカネが産業革命を支える資本の原始的蓄積となった。


黒人たちはアフリカ西海岸から奴隷船でアメリカ大陸へ運ばれた(絵画)

 黒人の非人間的な扱いは、すでにアフリカで始まっていた。捕らえられた黒人は鎖につながれて海岸まで歩かされ、その距離は時に1000マイル(約1600`)にもなった。こうした「死の行進」の間に、40%の黒人が命を落としたという。何とか海岸にたどり着いても、売られるまで檻に閉じ込められた。

 いよいよ奴隷船に乗せられると、暗い船倉でまたもや互いに鎖でつながれた。1人分のスペースは棺桶ほどの広さしかなかった。不衛生な船倉にぎゅうぎゅう詰めにされ、窒息死する者、苦しみのあまり海へ身を投げる者まで出た。航海中に3分の1が死亡したという。それでも奴隷貿易はもうかるため、奴隷商人は黒人たちを魚のように船に詰め込んだのだ。

 こうして西洋近代文明のはじまりといわれる数世紀の間に、1200万人以上の黒人が南北アメリカ大陸に運ばれた【地図参照】。途中で死んだ者を含めると、総計5000万人が故郷のアフリカ大陸から連れ去られたという記録もある。

イギリス植民地時代 先住民殺し黒人奴隷に

 同様のことがイギリス植民地時代のアメリカでもおこなわれた。

 1607年、イギリス人はアメリカ大陸における最初の植民地として、バージニアにジェームズタウンを建設した。そこはポーハタンと呼ばれるインディアンの首長が治める領地だった。ポーハタンはイギリス人を攻撃せず、「私は平和と戦争の違いをよく知っている。なぜあなたたちは、愛によって静かに得られるものを、力ずくで奪いとろうとするのか? あなたたちに食べ物を提供しているわれわれを、なぜ滅ぼそうとするのか?」との申し立てをおこなった記録が残っている。コロンブス以前、南北アメリカには7500万人のインディアンが遊牧民や農耕民として暮らしていた。

 その頃、ジェームズタウンは深刻な食料不足に見舞われ、入植者の中にはインディアンのところに駆け込む者もいた。1610年、植民地総督はポーハタンに彼らを送り返すよう求めた。ポーハタンが断ると、イギリス人はインディアン居住地を襲い、子どもたちを海に突き落として銃で撃ち、妻たちを銃剣で刺殺した。1622年、今度はインディアンが増え続けるイギリス人を排除しようと、347人を虐殺した。このときからイギリス人とインディアンとの全面戦争が始まる。

 イギリス人はインディアンを奴隷として使うことも、彼らと共存していくこともせず、滅亡させようと決意した。しかし、トウモロコシや綿花のプランテーションには労働力が必要だ。そこで、反抗的なインディアンと違い、故郷の土地からも文化からも切り離され、無気力状態になったアフリカ人に頼るようになった。法律で黒人に読み書きを教えることさえ禁じ、無知蒙昧な状態にして、彼らを思いのままに支配しようとした。

 黒人たちは当初から、奴隷にされることに抵抗し、人間としての尊厳を守ろうとした。仕事をなまけたり、逃亡したりした。しかし逃亡が見つかると、奴隷たちは火で焼かれ、手足を切られて死刑にされた。一方で、白人の入植者たちが黒人奴隷の集団的な反乱をひどく恐れていたことが、当時の文書からわかる。

 アメリカ独立戦争が起こる100年前の1676年、植民地バージニアで怒れる貧しい入植者たちが特権的な植民地政府に対して反乱を起こし(ベーコンの反乱)、首都ジェームズタウンに火が放たれた。植民地総督は町から逃げ出し、イギリスは4万人の入植者を統制するために軍隊を送った。武装した反乱軍に加わったのは、西部開拓の最前線に送り込まれた白人の辺境民と、白人の年季奉公人(イギリスで職を失い、5年から7年間、主人のためにアメリカで働いて渡航費用を返済する)、そして黒人奴隷だった。彼らは植民地総督を怠慢で無能と糾弾し、法律と税金は不公平で厳しすぎると訴えた。

 18世紀になると、アメリカは農業、造船業、貿易が発達し、大都市の人口は2倍、3倍と拡大した。少数の富める者たちは、北アメリカ大陸にイギリスとそっくり同じ階級社会を実現しようと考えた。彼らがもっとも恐れたのは、黒人奴隷と貧困白人(プア・ホワイト)が結束して第二のベーコンの反乱を起こすことだった。そこで白人と黒人が手を組むのを阻止する手段の一つとして、人種差別主義を使うことにした。つまり、人種差別は黒人と白人の肌の色の違いからもたらされる「自然な感情」ではなく、分断支配をおこなうための意図的な政策だったと、ハワード・ジンはのべている。

奴隷制禁止後も続く アンクル・トムの世界

 アメリカ独立戦争後、北部諸州では奴隷制禁止が宣言されたが、その実行には時間がかかり、一方南部諸州は綿花のプランテーションが発達して奴隷制はますます拡大した。アメリカはメキシコ戦争(1846〜48年)でカリフォルニアをはじめ西部の広大な地域を獲得したが、それは新たな奴隷州獲得のための戦争と呼ばれた。1850年代には、毎年約1000人の黒人奴隷が奴隷制を禁止した北部の自由州やカナダ、メキシコへ逃れていた。

 そのときに書かれたのが、日本でも読み継がれている『アンクル・トムの小屋』(1852年、ハリエット・ビーチャー・ストー著)だ。ストーがこの小説を雑誌に連載し始めた南北戦争前のアメリカでは、奴隷解放論者は暴徒の襲撃を受け、それを擁護する出版社は焼き討ちにあっていた。そのなかで書かれたこの小説は、奴隷制のもとで人々がどのような行動をとり、どのような苦痛に耐え、どのような涙を流したかをいきいきと描き、国家が実行している奴隷制の非道さを同胞に訴えかけた。

 黒人奴隷のトムは生涯で3人の奴隷主に買われていくが、そのうちの1人が南部ルイジアナ州ニューオーリンズのセント・クレアだった。セント・クレアは南部における良識的な紳士の1人で、奴隷制についての問題点も理解しているが、1人ではなにもできないというあきらめが先に立ち、世の中を諦観している。妻のマリーは召使いに囲まれ、ずっとちやほやされて育った典型的な奴隷主夫人で、奴隷たちの勝手な振る舞いに業を煮やし、もし夫が反対しなければ、奴隷たちを留置所か、鞭打ちしてくれるところに送りたいと思っている。

 小説には残忍で強欲な奴隷主レグリーも出てくるが、「ああいう男の残酷さを許し、保障しているのは、あなた方の持っているご立派さと人間性なんですよ」という作中の台詞にあるように、アメリカ人に奴隷制の真の姿から目をそむけないよう訴えている。

 一方、主人公のトムは真面目で親切で信心深いが、けっして卑屈ではない。トムがこっそり病身のルーシーの綿摘みの手助けをしていることを知ったレグリーが、奴隷がしらにしてやるからルーシーを鞭打つようトムに命じたとき、トムは「それだけはごめんこうむりますだ。わしはこれまで一度だって人を殴ったことはねえ」と拒絶する。レグリーは「お前は、今は身も心も俺のものだ」と宣言するが、トムは「わしの魂はわしのものだ。どんなことがあっても売らねえ」といい、立ち上がれないほど殴られるが屈しない。また、キャシーとエメリンの逃亡を手助けしたトムは、レグリーの手下からリンチを受けて口がきけなくなるが、その魂からほとばしり出る声なき声は、手下の2人の黒人の胸を打ち、レグリーが立ち去るや2人はトムの傷を洗い、にわかづくりのベッドに横たえる。

 トムは拷問によって死ぬが、次代の奴隷主ジョージは、このアメリカから人間を奴隷として使う恐ろしい制度をなくすために生きることをトムに誓う。ストーはそれによって奴隷主が奴隷主でなくなる未来を示した。


奴隷市場で競売される黒人たち(絵画)

露骨な人種隔離政策 教育の機会均等求める

 南北戦争と奴隷解放宣言は、アフリカ系アメリカ人たちに歓喜と希望をもたらした。しかし大半の黒人は土地を買う経済力を持たず、あいかわらず白人に頼って仕事を得なければ生きていけなかった。南部の土地は、南部連合時代の所有者に戻されるか、北部の土地投機者や投資家に買い占められた。

 黒人に対する暴力は、南北戦争終結後まもなく南部で爆発する。ルイジアナなど南部諸州では1880年代までに、黒人から公民権や選挙権を再び奪いとり、人種差別と白人の優位性を強要する法律を新たにつくり出した。それはジム・クロウ法と総称される。早稲田大学教授のジェームス・M・バーダマンは『黒人差別とアメリカ公民権運動』(集英社新書)で、1954年のブラウン裁判から1968年までの公民権運動の歴史を、名もなき人たちの勇気と犠牲に焦点を当てて描き出している。

 それによると、ジム・クロウ法のもとで、列車は白人専用車と非白人専用車に分けられ、白人が利用するレストランや公共施設に黒人は入ることができず、白人が通う学校に黒人は我が子を通わせることができない。黒人も白人と同様、税金を払っているのに。投票権も奪われ、とくに白人女性に声をかけることは御法度だった。もしそれを破ったり反抗的な態度をとれば、それだけで黒人は解雇や集団リンチの対象となり、手足の切断、拷問、射撃の的、縛り首、さらには火を付けるといった残忍な仕打ちすら受けていた。しかもその場合、警察も裁判所も犯人を無罪放免にした。州政府や権力機関がKKK(クー・クラックス・クラン)など白人至上主義団体と結びつき、容認・共謀していたのだ。

 公民権運動の前哨戦は、まず子どもの教育をめぐってたたかわれた。カンザス州に住む黒人の溶接工オリバー・ブラウンは、小学3年生の娘が8`先の黒人専用学校に徒歩で通っているのを見て、目の前の白人が通う学校に通わせたいと「教育の平等」を問うて訴訟を起こした。黒人専用学校は予算面でも冷遇され、設備も貧弱だった。1954年に最高裁が「児童の人種分離政策は違法」との判決を出すこの裁判は、「ブラウン対教育委員会裁判」と呼ばれる。当時はそうした訴訟を起こすこと自体、身を危険にさらすことだったが、教育の機会均等を求める運動は絶えることがなかった。

 ミシシッピ州では翌1955年、14歳の黒人少年エメット・ティルが白人女性をデートに誘ったのを見とがめられ、家族から引き離されて殺害された。川から引き上げられた遺体は損傷が激しく、頭には弾丸の跡があった。遺体が母親の元に戻されるや、母親は全世界に「彼らが私の坊やにしたことを見てもらいたい」といった。結局10万人以上の人が、彼のむごたらしい遺体の前に列をつくった。だが裁判所は、遺体が本人であると確認できないとして、犯人を無罪にした。

 こうした蓄積がやがて行動に転化する。アラバマ州モンゴメリでは同年、43歳でお針子の黒人ローザ・パークスが、バスの前方に座ったまま立つのを拒否したため逮捕され、投獄された。当時バスの前方から10席は、たとえ白人の乗客がいなくても白人専用で、黒人が座ることは許されなかったからだ。するとその夜、大学教員の黒人女性たちが「乗客の4分の3は黒人です。もし黒人がバスを利用しなければ、バス会社は経営困難になるでしょう」と書いた3万5000枚のチラシをつくり、翌早朝全市内に配布した。そこから382日間に及ぶ全市民によるバス・ボイコット運動が始まった。4カ所の黒人教会に爆弾が投げ込まれたものの、1年後に最高裁はバスの人種隔離撤廃を認めた。こうして南部で始まった公民権運動は全米に広がっていく。

 次にはノースカロライナ州で黒人の大学1年生4人が、ドラッグストアの白人専用の食事カウンターに座り、店は食事を出すのを拒否したが、彼らは閉店まで帰ろうとしなかった。このシット・イン(座り込み)運動は全米100都市に広がり、白人を含む5万人以上が参加した。また、白人と黒人の若者グループが南部行きの長距離バスに乗り込むフリーダム・ライド(自由のための乗車)という運動も、バスはしばしば放火され鉄パイプで襲撃されたけれども、数万人の参加者を集めた。

 「人種隔離がもっとも徹底された町」と呼ばれたアラバマ州バーミンガムでは、黒人たちがたびたび差別撤廃の集会を開き、デモ行進に移るようになった。人種差別の黒幕は警察公安部長のブル・コナーで、彼は公民権運動活動家を襲わせる汚い仕事をKKKにやらせていた。警察は6歳から18歳までの1500人のデモ隊に放水し、警察犬に襲わせたが、子どもたちはひるまなかった。

公民権運動の広がり 指導者の暗殺乗り越え

 こうしたすべての運動が、1963年8月28日の「仕事と自由のためのワシントン行進」に結集していった。会場には史上最高の25万人が集まり、うち6万人が白人だった。会場ではボブ・ディランやピーター・ポール&マリーらが歌で参加者を励ました。

 その場でキング牧師は、「奴隷解放宣言から100年たった今も、黒人は人種差別と貧困に置かれ自由ではない」と告発。「私には夢がある。いつの日かこの国は立ち上がり、すべての人間は平等につくられているというこの国の信条を生き抜くようになるだろうという夢だ。いつの日か自分の4人の小さな子どもたちが、皮膚の色によってでなく、人格の中身によって評価される国に住むようになるだろうという夢だ」と演説した。


行進の先頭に立つキング牧師

 その後、FBIはキング牧師の電話を盗聴し、脅迫した。1968年4月4日、彼は恐ろしく腕の立つ狙撃犯に射殺された。

 それでも運動は終わらなかった。マルコムXなどの「ブラック・パワー」をスローガンに掲げる新しいリーダーも登場した。60年代後半には黒人暴動が全米100都市に広がるが、そこではベトナム帰還兵の黒人が大きな役割を果たし、差別反対はベトナム反戦運動と結びついていった。

黒人の投獄率5倍 現代版奴隷の囚人労働

 こうした公民権運動の結果、投票権法(1965年。黒人の選挙権を保障)と公民権法(1968年。公民権運動活動家への暴力の禁止など)が成立した。しかし黒人差別はなくならなかった。なぜならそれが、富める者と貧しい者との階級対立という根本問題に根ざしていたからだ。

 1980年代以降の新自由主義のもと、ITバブルや住宅バブルでウォール街のみが「わが世の春」を謳歌する一方、富を独占する1%と99%の貧困層との対立が激化した。そのもっとも底辺に置かれているのが黒人だ。9・11テロ事件後のイラク、アフガン戦争の過程で、軍のリクルーターは大学の学費免除や医療保険加入と引き替えに貧困地域の高校生を軍隊に勧誘したが、その多くが黒人や中南米系移民の子弟で、彼らは入隊後、最前線に送られた。2005年、ハリケーン・カトリーナによって大水害に見舞われたジョージア州では、水没した地域住民のほとんどが黒人の低所得層だった。

 ジャーナリストのシェーン・バウアーは、アメリカの服役囚のおよそ1割が収容されている民営刑務所の実態を明らかにしようと、ルイジアナ州の民間刑務所で刑務官として働き、その潜入ルポを発表した。それが『アメリカン・プリズン』(東京創元社)である。

 アメリカで刑務所に収監される者の人口に占める割合は、世界のどの国よりも高い。2017年に刑務所や拘置所に入れられていた者は220万人をこえ、過去40年間で500%の増加となった。しかも黒人の投獄率は今でも白人の5倍で、受刑者の大多数が黒人だ。犯罪者といっても、黒人の場合、生きるために窃盗をして捕まった者、子どもの頃からずっと獄中にいる者、友人が白人に射殺され、抵抗しようとして投獄された者などがいる。

 そして民間刑務所は、囚人労働を搾取してもうけている。民間刑務所は運営を委託された州政府や連邦政府から、受刑者1人当たり1日34jなどを受けとり、道路建設などの公共事業に無給で囚人を貸し出している。受刑者たちは44人がひしめき合う部屋で寝起きし、労働法に縛られないので1日12時間以上働かされる。病気になっても放置されたままで、感染症で手足を失ったり、刑務官のリンチで衰弱して死に、ボロ切れのように捨てられる受刑者も少なくない。奴隷制時代とまったく同じだ。こうしてこの民間刑務所は年間2億2100万j以上の純利益を上げ、投資家にとっても刑務所REIT(投資信託)は人気商品の一つだという。

 シェーン・バウアーは、こうした囚人労働は奴隷制が直接に生み出したものだと指摘している。南北戦争後、綿花などプランテーションの労働力が不足したときのこと。奴隷制廃止を決めた合衆国憲法修正第13条には抜け穴があり、犯罪者であれば奴隷労働に従事させることができた。そこで南部の諸州はプランテーションをみずから購入し、20世紀初頭からそれを刑務所として運営し始めた。それが1980年代から刑務所民営化になって現在に至っている。つまりアメリカの歴史を通じて人種差別と利益の追求とは常にセットだったと、バウアーはのべている。

 以上の歴史からわかるのは、黒人の人種差別というものは、低賃金労働力を搾取するためと、白人の貧困層と黒人を分断支配するために、黒人をアフリカからさらってきた400年前からアメリカの支配階級がとってきた政策にほかならないということだ。現在の人種差別はアメリカの金融資本そのものが支えている。

 今アメリカで、新型コロナウイルスの死者や感染者がもっとも多いのも黒人である。それは黒人たちが貧困で育ったことから、糖尿病や心臓疾患、肺疾患という持病をかかえ、医者にかかれない状態にあるからだ。もう一つは、彼らの多くが感染の恐れがあっても休むことができないバス運転手や老人ホームの介護、食料品店で働き、底辺でアメリカ社会を支えていることによる。黒人がいなければアメリカ社会は回らないと同時に、強欲な搾取制度がまともな社会にすることの障害になっていることを示している。

https://www.chosyu-journal.jp/review/17520

210. 2020年6月30日 04:38:32 : nCalfi6YqE : aTlaQUw5Ymc3MUk=[138] 報告
こんなに長いの初めて見た
阿修羅ギネスか

内容は面白かった


ロリコンについての部分は興味深い

日本の性産業がここにきて急激にロリコン化してる

しかしオバサンモノもあんてして需要はある


ロリコンの是非はわからないけど
プチエンジェル事件からわかるように、違法性の高いロリコンコンテンツはレア度も快感度も高いだろう
人間背徳感や罪悪感のある性交のほうが燃え上がるのも事実のひとつだね


日本では表立った未成年者への性被害報道はないが、実際は相当な件数だろう

性の低年齢化へ導いたのは国とメディア

アダルトコンテンツに蔓延るロリコンを疑問視しない国とメディア

プチエンジェル事件にみる秘匿性


まぁ 巨悪が絡んでいるのは間違いないでしょw

211. 中川隆[-11973] koaQ7Jey 2020年7月31日 15:10:24 : 62pRJVql4w : SzFIdnZMRFRnNzY=[6] 報告
アフリカ人男性をサル舎で見せ物に NYの動物園、114年後に謝罪
2020.07.31
https://www.cnn.co.jp/usa/35157548.html

114年前、アフリカ人男性をサル舎で見せ物にしたニューヨークの動物園が謝罪した/Library of Congress


(CNN) 米ニューヨーク市のブロンクス動物園を運営する団体が、1906年の1週間にわたり、中央アフリカ出身の男性を同動物園のサル舎のおりの中に閉じ込めて見せ物にしていたとして、公式に謝罪した。

中央アフリカ出身のオタ・ベンガさんは1906年、ブロンクス動物園で1匹のオランウータンと一緒に鉄製のおりに閉じ込められ、何百人もの見物客の目にさらされた。

同動物園の運営団体WCSは29日、114年前のこの出来事について公式に謝罪する声明を発表し、「あからさまで体系的な人種差別は今も続いている。我々はそれに立ち向かうため、より大きな役割を果たさなければならない」と強調した。

発表によると、ベンガさんは現在のコンゴ民主共和国の出身で、1906年9月8日の週に、ブロンクス動物園のサル舎で見せ物にされていた。地元の黒人有力者からの抗議を受けて解放されたという。

ベンガさんの生涯についての著書があるパメラ・ニューカークさんによると、ベンガさんは同動物園で非人道的な境遇に置かれ、オランウータンと一緒におりの中に閉じ込められた状態で、一度に何百人もの目にさらされたこともあったという。

しかし1週間後には抵抗を始め、見物人を脅かすようになったことから解放された。

WCSによると、解放後はニューヨーク市のブルックリンで牧師が運営する施設に引き取られた。しかし故郷に帰ることはできないまま、10年後に自殺した。

WCSはさらに、同団体の創業者2人についても、「優生思想に基づく疑似科学的な人種差別や著作および哲学」を説いたとして非難した。

212. 2020年8月24日 13:05:58 : RyOSypPQPV : NHo0VFdSS2Q4Qlk=[19] 報告

2020年08月24日
WLMを叫ばない主要メディア / 情報操作に気づかぬアメリカ人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68823849.html


簡単に殺された子供
white baby 221black baby 2

(左 : 殺されても同情されないタイプの親子 / 右 : 米国で大切にされる種類の親子 )

  人種の軋轢はアメリしカ社会の宿痾である。外見による嫌悪感とか好印象というのは、感情の問題なので、理性で解決できるものではない。もし、この難問を解消しようとすれば、方法は二つに絞られる。一つは、国民すべての眼球をくりぬいて盲目にすること。もう一つは、人種によって別々に暮らすことだ。これは日本の嫁姑問題と似ており、解決策は中々見つからない。もし、無理矢理にでも解決しようとすれば、寿命が短い姑の方が懲役覚悟で憎い嫁を殺すか、嫁が事故に見せかけて姑を謀殺するしかない。しかし、女房と母親との板挟みに悩む亭主は、こうした非常手段を嫌うので、多少費用がかかっても別居を選んだりする。やはり、別々に暮らして互いに干渉しない方がいい。

  数ヶ月前、米国ではBLM(黒人の命も大切だ !)運動が澎湃(ほうはい)として沸き起こり、黒人の抗議デモは暴動や略奪にまで発展した。そして、これを“天佑”と見なして最大限利用したのは習近平である。武漢ウイルスで大打撃を受けた歐米諸国は、北京政府にその責任を取らせる意味で、天文学的な損害賠償を求めることにした。でも、こんな賠償を認めたら習近平は確実に失脚だ。そこで、この狡賢い独裁者は、BLMを利用して陽動作戦に出ようとした。もし、激昂する黒人を焚きつければ、トランプ大統領は国内問題に忙殺され、損害賠償どころの話じゃない。上下両院とも事態の鎮圧で大童(おおわらわ)だから、武漢研究所の件は有耶無耶(うやむや)にされてしまうだろう。ということで、「バカを利用する」支那人の十八番は大成功。

  アメリカはウンザリするような大衆社会。蜂の巣どころか、マルキストやアナーキストだけじゃなく、ゴロツキからマフィアまで、色々な地球人で溢れている。外国の工作機関は、こうしたアメリカの弱点を突く。支那人にとったら裏工作はお手のモノ。黒人団体や白人左翼に裏から資金を渡してやれば、彼らは水を得た魚のように元気溌溂となる。必ずや、トランプ目がけて総攻撃を開始するに違いない。人民解放軍が相手なら、海軍や空軍を使って北京政府を壊滅できるが、丸腰の自国民が相手だと、さすがのトランプ大統領も武力行使は選択できず、言葉による防戦が精一杯。今では、暴動が終熄したから、報道番組の関心は感染者の増加と経済不況の話ばかり。北京政府の賠償責任はどこへやら、という状況だ。

  米国の主要メディアと左翼白人は、BLM運動の黒人を支援することで、自らを「良識派」と称しているが、黒人や南米人に殺された白人への関心は意外と少ない。特に、リベラル思想にかぶれたピンク白人は、同胞である白人が犠牲者となっても怒りを表さず、これに触れないことが「知識人」の嗜(たしな)みとなっている。すなわち、劣等種族の黒人に同情することが「上級市民」の証拠となっているのだ。白人が殺されたことで激怒するのは、知能と学歴が低い下層階級の白人だけ。倫理を身につけた教養人は、有色人種への差別と暴力に憤慨すべし、という訳だ。一般の西歐系アメリカ人は判断力に欠け、マスコミの誘導操作に引っ掛かりやすいから、いくら学歴が高くても、同胞を優先したり、人種的感情を表すことは「悪」と思っている。

Roger Ailes 2(左 / ロジャー・アイルズ )
  しかし、CNNやPBS、ABCといったテレビ局には、二枚舌の重役や制作者がゴロゴロいるから、言葉と行動が矛盾しても一向にお構いなし。建前では人種平等でも、出世は白人の方が早いし、ユダヤ人は仲間を優遇する。FOXテレビの最高経営者だったロジャー・アイルズ(Roger E. Ailes)も偽善者で、セクハラのターゲットは黒人社員じゃなく、金髪の白人キャスターであるグレッチェン・カールソン(Gretchen Carlson)だった。さらに、彼が食指を伸ばしたのも、ブロンド美人のアンカー・ウーマンで、FOXの看板キャスターとなっていたメーガン・ケリー(Megyn Kelly)だ。CBSのゲイル・キング(Gayle King)とかMSNBCのジョイ・アン・リード(Joy-Ann Reid)みたいなキャスターは、滅多にスケベの標的とならないから安心できる。

Gretchen Carlson 1Megyn Kelly 22Gayle King 2Joy Ann Reid 5


(左 : グレッチェン・カールソン / メーガン・ケリー / ゲイル・キング / 右 : ジョイ・アン・リード )

  脱線したので話を戻す。アメリカ合衆国は元イギリス人が創った共和国なのに、西歐系アメリカ人が黒人に対抗して、WLM(White Lives Matter / 白人の命も大切だ)を叫ばないのは異常である。ヒスパニックの民族活動家は、堂々と「人種(La Raza)」を表看板にし、「National Council of La Raza (全米人種評議会 / 現在はUnidosUSに改名)」を結成したが、CBSやNBCといった左翼メディアはこれを批判しなかった。それどころか、有力な慈善団体であるフォード財団が資金援助をしていたのだ。日本人は白人やユダヤ人の大富豪と碌でなしの有色人種が裏で繋がっていることに気づかない。財団を作って税逃れをするスーパー・リッチは、脳天気な貧乏人を手懐けて政治の駒にしようとする。民衆党に大富豪が献金するのは、黒人やヒスパニックといった便利な馬鹿が大勢集まっているからだ。下層民は軍事・外交に興味が無いし、その知識さえ持ち合わせていないから、グローバリストは容易に彼らを操ることができる。黒や茶色の「一票乞食」は、選挙の時にお金を貰って、お祭り騒ぎができれば、それで満足なのだ。

  今月(8月)上旬、ノースカロライナ州のウィルソンで、「キャノン・ヒネット(Cannon Hinnant)」という五歳の少年が射殺される事件が起きた。(Sloane Heffernan, Kasey Cunningham and Aaron Thomas, "Wilson man wanted in fatal shooting of 5-year-old apprehended", WRAL, August 9, 2020.) 事件当日、キャノン少年は、自宅の外で二人の姉(7歳と8歳)と一緒に遊んでいたという。そこへ隣に住んでいる黒人のダリウス・セッスンズ(Darius Sessoms / 25歳)が近づき、手に持っていた拳銃で“いきなり”キャノンの頭を撃ち抜いたというのだ。(Natalie Musumeci, "5-year-old North Carolina boy allegedly shot dead by neighbor", New York Post, August 11, 2020.) 隣人のドリス・リブランドは、この様子を目撃しており、最初、彼女はダリウスが子供と遊んでいるかと思ったが、銃声を耳にしたので驚愕した。彼女は直ぐさま警察に通報したという。この銃声を聞きつけた父親のオースティンも、「何事か!」と思い直ぐさま庭に出た。すると、そこには息子が倒れている。最初はキャノンが自転車で転んだのか、と思ったそうだが、近づいてみると、ぐったりとした息子の姿が・・・。血塗れの息子を目にした父親は動転し、半狂乱で「誰か ! この子を助けてくれ!」と大絶叫。オースティンには殺された子供を抱きしめることしか出来なかった。

Cannon Hinnant 02Darius Sessoms 1Austin Hinnant 2

(左 : キャノン・ヒネット / 中央 : ダリウス・セッスンズ / 右 : オースティン・ヒネット )

  それにしても、ダリウスがキャノンを射殺した動機は何なのか? 警察は具体的な動機を明らかにしていないが、ダリウスの両親によれば、麻薬をやっていた可能性があるという。なぜなら、この馬鹿息子は麻薬関連で複数の逮捕歴があり、仮釈放になっても違反を犯していたのだ。さらに、拳銃の不法所持という前科もあったから、碌でなしの“クズ”としか言い様がない。たぶん、ダリウスは薬(ヤク)でラリってしまい、幻覚か何かでキャノンを撃ってしまったのかも知れない。 というのも、父親のオースティンはダリウスと良好な隣人関係を築いており、事件の前日、彼はこの殺人鬼を夕飯に招き、一緒にビールを飲んでいたのだ。したがって、怨恨による殺人とは考えにくい。

  まぁ、危険が至る所にあるアメリカだと、こうした悲劇は珍しくない。しかし、オースティン・ヒネットの話を聞くと哀しくなってくる。このオースティンは敬虔なキリスト教徒なのか、「汝の隣人を愛せよ」という聖書の教えに従い、隣人のダリウスに優しくしたそうだ。ところが、この隣人はヤク中の黒人で、自分がしたことも判っていないのだ。オースティンや近所の住民は口にしないけど、ウィルソン地域は安全な高級住宅地とは言えず、様々な人種、つまり黒人やヒスパニックが三割以上も占める労働者階級の街である。子供を持つ上層中流階級の白人なら、自宅を構えたくない地域だ。特に、黒人が隣人となれば周囲の雰囲気が悪くなるし、暴力事件が発生しやすくなるから、ちょっと裕福な白人は郊外に引っ越したくなる。やはり、白人は白人だけの共同体に住みたいと密かに思っているんじゃないか。

Bonny Waddell & grandmother(左 / 母親のボニー・ワデルとキャノンの祖母)
  キャノンの母親、すなわちオースチンの女房、ボニー・ワデルは別居中であったが、幼い息子の死を聞いて相当なシッョクを受けているそうだ。彼女はキャノンの祖母と一緒に涙をこぼしていた。犯人のダリウスは第一級殺罪で裁判にかけられるが、ボニーは極刑を望んでいるそうだ。幸い、ノースカロライナ州には死刑制度があるので、ダリウスが処刑される可能性は充分ある。合衆国は死刑が有る州と無い州に分かれているから、被害者になったアメリカ白人には、引っ越し先として選んだ州を後悔する人も多い。死刑制度が合法なのは南部や中西部に多く、テキサスやジョージア、フロリダ、ミュズーリ、カルフォルニア、オレゴン、ペンシルヴァニア州などである。他方、死刑が非合法となっているのは、ニューヨークやコネティカット、ヴァーモント、メイン、ウィスコンシン、イリノイ、ニューメキシコ、ワシントン州などである。

Rome Smith 001(左 / ローム・スミス)
  それにしても、幼い子供の殺害は第三者にとっても痛ましい。いきなり5歳の子供を撃ち殺すなんて、ダリウスは一体どんな頭をしているのか? ところが、アメリカには通常の感覚を持たない黒人が多い。例えば、ニュージャージー州の少年院に勤めるローム・スミス(Rome Smith)という刑務官は、キャノンと彼の両親を批判した。スミスは自身のェイスブックで事件に触れ、「(ダリウスが拳銃を発砲した時)キャノンはしゃがむべきだった(Cannon should've ducked)」と書き込み、キャノンの両親が息子を監視していなかったことを非難した。(Matt Gray, "N.J. detention officer suspected for saying 5-year-old killed in North Carolina should've ducked", N.J.com., August 18, 2020.) 普通の日本人が聞けば、「えっっ ! 何言ってんの? 悪いのは殺人鬼の方じゃないか!!」と反論するだろう。殺された幼児は、単に自宅の庭で遊んでいただけで、隣の黒人が何をするのかなんて予想できない。たとえ恐怖心を感じたとしても、その場で凍りつくだけだろう。危険を回避すべく、咄嗟に頭を低くして「うずくまる」のは、大人でも難しい。

  また、父親のオースティンだって、まさか自宅で息子が“今日”射殺されるなんて夢にも思わないじゃないか ! 確かに、アメリカには犯罪者がウヨウヨいるが、敷地の中で遊んでいる子供を四六時中、ずっと監視するなんてできない。もし、子供への被害を両親の責任とすれば、子供を連れて外に出られなくなるだろう。ショッピング・モールに行けば不特定多数の外人や通行人に出くわすし、イベント会場へ赴けば時限爆弾が仕掛けられていたりする。コンサート会場や学校でも銃の乱射が起きているから、天寿を全うできるアメリカ人はラッキーだ。ヒネット家を非難するスミスは、彼自身が黒人であるからか、黒い犯罪者を糾弾する白人達に人種的な反感を抱いている。フェイスブックへの書き込みが全米に知れ渡ったことで、スミスは停職処分になったそうだ。

黒人によるヘイト事件

  アメリカの主要メディアは、表面的には“公正”な報道姿勢を装っているが、実際は差別心に満ちた偏向報道に徹している。白人による黒人への暴行とか殺人となればトップ・ニュース扱いだが、黒人が白人を殺したり強姦したりしても、さほど大きなニュースにはならない。ニューヨーク・タイムズ紙は、キャノン・ヒネットの殺害事件を大々的に報じず、犯人の写真も省いて社会面の「ベタ記事」扱いだ。たぶん、殺人犯が“黒人”ゆえの“特別配慮”なんだろう。大手メディアは矢鱈と黒人やヒスパニックの犯罪者に優しく、彼らの残忍性を出来るだけ小さく扱おうとする。そして、逮捕者の人種が特定されぬよう、なるべく写真を掲載せず、素性を曖昧にする傾向が強い。ただし、犯人が白人だと別。容疑者の過去や生活を根掘り葉掘りだ。

Rashid Brimmage 1(左 / ラシード・ブリメイジ )
  PBSやNBC、ワシントンポスト紙などの主要メディアにとって、白人の被害者なんかは珍しくなく、全米ニュースにするほどの価値は無い。しかし、個別の事件を調べてみると、「あんまりじゃないか!」と言いたくなる事件があったりする。例えば、ニューヨーク州で起きた事件だ。ブロンクスに住む被害者のジェラルディン(Geraldine)は、92歳の高齢者で足腰が弱い。今年の六月、彼女はおぼつかない足取りで、ヨロヨロとマンハッタンの三番街を歩いていた。すると、真向かいから31歳のラシード・ブリメイジ(Rashid Brimmage)が歩いてきて、ジェラルディンとすれ違う時、いきなり彼女の頭をド突いたのだ。脚力が弱くなっているジェラルディンは、突然の攻撃に為す術も無く、そのまま歩道に倒れ込んてしまった。(Reuven Fenton, Larry Celona and Ben Feuerherd, "Elderly victim shoved by brute fearful to walk the streets alone", New York Post, June 16, 2020.)

Rashid Brimmage attacked GeraldineRashid Brimmage 3

(左 : 怪我をしたジェラルディン / 右 : ラシード・ブリメイジの犯行を記録した映像 )

  この一部始終は、街頭の監視カメラに収められており、ジェラルディンが頭から路面に倒れ、もう少しで消火栓に頭を打ち付ける映像が残っている。幸い、彼女は軽い怪我で済んだが、もう少しで死ぬところだった。この動画は報道番組で流されたが、事件の瞬間を目にした視聴者は唖然としたはずだ。新聞記者のインタヴューを受けたジェラルディンは、独りで道を歩くのが怖くなった、と語っている。一方、監視カメラの映像を手掛かりに、警察はラシードを逮捕したが、この黒人はとんでもない奴だった。ラシードは電車内で痴漢をはたらいたり、公の場で卑猥な言葉を吐いていたそうだ。また、性的嫌がらせや性的暴力に加え、他人の敷地への不法侵入、大麻の不法所持といった犯罪歴がある。ラシードはジェラルディンの件ばかりじゃなく、2月にも殴打事件を起こしていた。彼は何の前触れもなく他人の顔を殴り、「やったぜ !」と楽しんでいたのだ。さらに、四ヶ月前には地下鉄に乗っている60歳の女性を狙い、彼女から120ドルを盗んでいたという。

Ezakiel Hopkins 01James Savey 01(左 : エゼキエル・エマニュエル・ホプキンズ / 右 : 殺されたジェイムズ・サヴィーと生き残った息子のメイソン)
  フロリダ州のオーランドでも酷い事件が起きていた。黒人のエゼキエル・エマニュエル・ホプキンズ(Ezekiel Emanuel Hopkins)は、クルマを盗もうとウィンダメアに住むジョン・サヴィー(John Savey)の家に侵入した。野球バットを手にしたエゼキエルは、家の外でジョンを捕獲し、バットで殴り殺した。そして、家の中に押し入った強盗は、ジョンの妻であるリサに襲いかかるが、彼女の方は死なずに助かったという。しかし、二人の息子であるジェイムズ・サヴィー(James Savey)は、バットで殴打されて死亡する。亭主と息子が犯人と格闘している時、リサは10歳の孫を守るため、浴室に隠れるよう言いつけた。そして、命の危険に怯える孫のメイソンは、祖母の携帯電話を摑んで警察に電話を掛ける。通報を受けた警察が駆けつけると、エゼキエルは家の中に閉じこもり、漂白剤を飲んで自殺を図ったそうだ。でも、彼は警察に捕まり、病院へ搬送されてしまう。重傷のリサも病院へ担ぎ込まれ、後にマスコミのインタヴューを受けると、事件当日の恐怖を物語っていたそうだ。("It's a horrific situatio", Fox 35 Orland, July 31, 2020.) それにしても、バットで殴り殺される最期なんて、あまりにも酷すぎる。

  ユリウス・カエサルが暗殺されたローマならいざ知らず、現代のアメリカは古代ローマよりも危険に満ちており、いつ何時、人生の最期を迎えるのかが分からない。第二次世界大戦を経験し、合衆国陸軍を退役したポール・マリノ(Paul Marino / 86歳)は、息子のアンソニーを亡くしていたので、妻のリディア(Lidia / 85歳)と一緒に、よく息子の墓参りをしていたそうだ。5月8日の午前10時、いつものように、二人がデラウェア退役軍人墓地を訪れると、そこに29歳のシェルドン・フランシス(Sheldon Francis)が現れ、持っていた拳銃でこの老夫婦を撃った。女房のリディアは即死で、亭主のポールは翌日、担ぎ込まれた病院で死亡したそうだ。

Sheldon Francis 11Paul & Lidia Marino 1

(左 : シェルドン・フランシス / 右 : ポール・マリノ と妻のリディア)

  殺人鬼のシェルドンは墓地にある森の中に逃走し、駆けつけた警察官と銃撃戦になったが、特殊部隊の警官によって射殺されたという。警察の発表によれば、犯人と被害者を結びつける直接的な関係は無く、殺害の動機もよく分からない。(Esteban Parra, "Cemetary shooter was killed by officers during gunfire exchange, state police say", DelawareNews Journal, May 22, 2020.) 殺された老夫婦には二人の息子がいた。ポール・ジュニア(Paul Jr.)とレイ(Ray)は、理由も無く突然、両親が殺害されたことで大きなショックを受けている。まさか、兄弟が眠る墓地で両親を殺されるなんて、普通は予想できないし、想像すらできない。悲嘆に暮れる息子のポールは言う。「霊園というのは本来、静寂で神聖な場所であるのに・・・」と。それにしても、外国での戦争を生き抜いた軍人が、余生を過ごす郷里で異人種に殺されるなんて、あまりにも惨めだ。いったい、アメリカ兵は何のために戦っているのか?

Temar Bishop 1(左 / テマー・ビショップ )
  「リベラル派」を気取る主要テレビは、白人による「ヘイト・クライム」だと大々的に取り上げるが、黒人による「憎悪犯罪」だと、単なる“ローカル・ニュース”にしかならない。ニューヨークで発生する黒人犯罪なんか、ちっとも珍しくなく、にわか雨の天気予報とかスポーツ記事とほぼ同格である。例えば、23歳のテマー・ビショップ(Temar Bishop)は、20歳の白人女性で、ブロンクスの公営住宅に暮らす大学生を意識が無くなるまで殴打し、挙げ句の果てに強姦したそうだ。ビショップは彼女の顔や体に殴る蹴るの暴行を加え、その頭を容赦なく足で踏みつけた。被害者の鼻は潰れ、歯も砕けてしまったというから、本当に酷い話だ。こういった暴行事件を起こす卑劣漢には、必ずそれなりの性質や過去がある。案の定、ビショップには前科があった。彼は強盗をはたらき、ちょいと服役していたが、事件の前年、仮釈放でムショから出てきたそうだ。("Man raped, assaulted woman on roof of Mott Haven apartment building", Bronx News 12, June 15, 2019.)

  若い女性の顔面を滅茶苦茶にし、その上、屈辱を加えて強姦するとは言語道断だが、ビショップの言い訳も常識外れだった。この極悪人は言う。「彼女は白人娘だ。我々はマイノリティーは奴隷制度によって苦しめられてきたんだから、彼女が苦しんでも当然だ。これは奴ら(白人)が昔にやっていたこと、すなわち、奴隷制時代に彼らがしてきた事である。白人どもは俺達を殴りつけ、鞭でひっぱたいていたんだからさぁ」、と。(Larry Celona and Stephanie Pagones, "Man nabbed for Bronx rape allegedly said she deserved it for slavery", New York Post, June 18, 2020.)

  こんな陳述を聞いたら、アメリカ人じゃなくても呆れてしまうだろう。過去に白人が黒人奴隷を虐待したから、現在の白人が暴行され、強姦されても文句は言えず、彼女の苦しみは当然の報いなんだ、という理屈である。しかし、ビショップみたいな黒人が現れるのは、反米教育の成果なのかも知れない。前世紀の末から、アメリカの学校では、白人への憎しみを正当化する反米史観が盛んになっていた。公民権とか平等思想を振り回す赤い黒人は、「アフリカ系アメリカ人の生活が一向に良くならず、様々な面で差別に遭い、人種偏見に苦しむのは、みんな白人による奴隷制度のせいなんだ !」と憤慨する。だから、こうした洗脳教育を受けた黒人は、白人に危害を加えても、「お前等が俺達にしてきたことを考えれば、大した事じゃない。これは正当な復讐だ」と言い放ち、暴行や強姦を「仕返し」と考えてしまうのだ。

  日本人が聞けば、勝手な“正当化”と思えてしまうが、黒人には底なしの馬鹿が多いので、単純に納得する奴が多い。何しろ、家庭の躾が存在せず、ストリート・ギャングか犯罪予備軍に囲まれて成長するから、大半の黒人は倫理・道徳とは無縁の世界に住んでいる。黒人家庭には悲惨なケースが多く、父親が蒸発したとか失業中であったり、会社ではなく牢獄に勤めていたりするから、模範となる男が居ないのだ。一家を支える母親だってスケバンやズベ公が多く、10代で妊娠・出産だから、大人になっても正規雇用とはならず、低学歴による低賃金労働者のままである。母子家庭で育った娘も、母親と同じく性的に放埒だから、不良黒人と付き合って、これまた10代で妊娠だ。父親となる黒人が、スポーツや音楽で出世すればいいけれど、ヒップ・ポップが得意なだけのダメ男じゃ、就職先は雇用が不安定な町工場か、廃業が素早く決まるファストフード店くらいである。失うモノが無い黒人なら、「犯罪で一攫千金」と考えても不思議じゃない。

Black women 21Lana Lokteff 5


(左 : アメリカで優勢となる黒人 / 右 : 白人の権利を主張して糾弾されるラナ・ロクテフ)

  西歐系アメリカ人の悲劇は、犯罪の被害者になることだけじゃない。実は、彼らが「自分の国」と思っているアメリカが、もはや愛すべき「スウィート・ホーム(sweet home)」ではなくなっているのだ。もし、「我が家」と言える祖国なら、気兼ねなく自由に暮らせるし、知らない人でも仲間として受け容れることができる。しかし、現実のアメリカは違う。「同国人」といっても、肌や人相が異なるし、気質も違えば行動様式も違っている。「国民の絆」というものが無くて、共通するのは英語を話すことだけ。それだって、白人と黒人とではアクセントが違うし、ヒスパニックの帰化人となれば、英語すら話せないケースがある。イスラム教徒のソマリア移民なんて、たとえアメリカ国籍を得ても「アメリカ人」じゃない。南北戦争の前から合衆国に住む家系の白人や、イギリス人入国者の子孫は居候やエイリアンとの共存に堪えきれず、「何で“よそ者”ばかりと暮らす破目になるんだ?」と嘆いてしまう。

  西歐系アメリカ人というのは、「多民族・多文化主義」という呪文に縛られているから、たとえ自由を求めても、その足枷を外すことはできない。彼らは赤色分子が作った平等主義や人権思想を刷り込まれ、「白人」であるが故に嫌いな異人種に対して譲歩する。そして、どんなに不愉快な場面に遭遇しても、じっと耐え忍んで涙を堪えねばならない。だが、大学で洗脳教育を受けていない者は健全な精神を宿しているので、「どうして白人は同類ばかりで暮らしては“いけない”のか?」と悩んでしまう。ちょっと“勇気”のある 保守系アメリカ人だと、“同質”的な日本に憧れてしまい、「日本人は日本人だけで暮らしても非難されないんだ !」と羨んでいる。普通の日本人なら、「そんなの当たり前じゃないか !」と笑ってしまうが、我々は自分の幸せに案外気づいていないものだ。今はともかく、昔の日本人だと、両親や祖父母、曾祖父母だって日本人だし、隣人や級友、同僚までが日本人であった。ヨーロッパの貴族とは異なり、日本の皇族も皆「日本人」で、アジアからやってきた「異邦人」の天皇陛下なんて想像できない。というより、日本史上、皇統以外の者が皇位に就いた事実は無いから、「天子様って日本人なのかなぁ ?」という疑問は愚問である。

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(左 : ナチスが称讃したゲルマン人女性のタイプ / 右 : ナチスを批判するアメリカ人が好むタイプの女性)

  アメリカの黒人は浮浪者から大統領に至るまで、「白人に差別された !」、「レイシズムは赦せない !」と愚痴をこぼすが、それなら「なんで、いつまでも嫌いな米国に住んでいるのか?」と尋ねたくなる。もし、白人に侮蔑されたり差別されるのが厭なら、黒人だけの州を作るか、アフリカのリベリアにでも移住すればいいじゃないか。黒人だらけの共同体なら、黒人差別は無いはずだ。しかし、黒人は黒人だけの国家を好まない。彼らは自分達だけで国家を運営するのは無理、と分かっている。だから、どうしても白人を必要とするし、彼らは白人と一緒じゃないと近代生活を営むことができない。つまり、黒人は白人に指導されたり、監督されることで幸せに暮らすことができるのだ。情けないけど、嫌いな白人に依存しながら不平を述べるのが黒人の習性となっている。

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(左 : 南米から北米にやって来る不法移民 / 右 : アメリカの黒人が理想とするアフリカ人国家の子供達)

  アメリカの白人は公の場で本音を述べないが、黒人が独立して生きて行けないことを分かっている。エスニック研究を専攻したチンピラ黒人は、意気揚々と「BLM(黒人の命も大切だ)」を叫んでいるが、その裏には、「これからもお前達と一緒に暮らして行くぞ !」という意思が隠されている。彼らは上等な白人社会で暮らしているから、連邦政府や地元警察に「改善」を要求できるのだ。もし、黒人だらけの社会なら、今以上に犯罪率が高くなるし、役所に訴えても同じ種類の黒人が行政官だから、まともな対応は期待できない。ルワンダやソマリア、コンゴ、アンゴラ、モザンビーク、ジンバブエなどを見てみれは分かるじゃないか。アフリカの黒人国家は、何時になったら“まとも”な近代国家になるのか?

  こう考えてみると、黒人の根本的缼陥(けっかん)を熟知する白人は、BLMより「WLM(白人のいのちだって大切だ)」と言いたくなる。つまり、「アカンタレの黒人どもを甘やかしていないで、アメリカを支える白人の方を大切にしろ !」と叫びたくなるのだ。本来なら、「アメリカ合衆国はブリテン系白人が創った白人国家だ ! それが厭なら、さっさと出て行け !」と言えるはず。しかし、社会的地位や世間体を考えると沈黙せざるを得ない。とはいえ、黒人や南米人を追放せず、逆に受け容れたことで、いったい何人の白人が命を失ったことか? 人権思想に抵抗できない白人達は、黒人の人権を尊重するために、家族や仲間の生命を犠牲にしている。ゲルマン系白人だけのアメリカを主張すれば、即「ネオナチ」と非難されるが、もし、北方種族だけのアメリカになったら、如何なる「不幸」が襲いかかるのか? もしかしたら、嬉しがる人が大勢いたりして・・・。仮に、殺人や強盗・強姦事件が劇的に減ったら、白人を責める黒人だって顔面蒼白だ。ただし、あまりにも平和で快適なアメリカになれば、刺戟剤として黒人を懐かしむかも知れないねぇ〜。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68823849.html

213. 中川隆[-11038] koaQ7Jey 2020年10月04日 08:15:53 : 5azcZIYMDs : MmNSbGlKNzQyRS4=[10] 報告

2020年10月03日
素晴らしい遺伝子と過去を隠したい帰化鮮人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827460.html

自分の血統を誇るトランプ

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(左 : スカンジナヴィア系の少女 / 右 : 白人保守層からの人気が高いトランプ大統領)

  不動産王から合衆国大統領になったドナルド・トランプは、色々な発言で物議かを醸し出すが、よくよく考えて見ると、意外にも“正直者”である。もちろん、ニューヨークやフロリダで土地取引や不動産の開発を手掛けたから、汚い事もやってきたし、裏社会との繋がりもあるようだ。したがって、善良なアメリカ人じゃないし、敬虔なキリスト教徒でもない。しかし、当選前、「メキシコから麻薬の密売人や強姦魔がやって来ている !」と公言したことで、保守派国民の人気を得た。普通の議員ならNBCが怖くて本音を吐くことはできない。やはり、金銭的に余裕のある人物は、テレビ番組をクビになっても平気なようだ。

  9月18日、トランプ大統領はミネソタ州で再選活動を行い、その席でまたもや問題発言をぶちかました。ミネソタ州には昔からスカンジナヴィア系の白人が多く、演説会に駆けつけた人々も、これまた白人がほとんどだった。もちろん、ちょっとは非白人の観客も混じっていたが、大多数は白人ファンであったので、トランプ大統領は観客を喜ばせるため、リップ・サーヴィスに余念がなかった。彼は支持者に向かって言う。

  君達は良い遺伝子を持っている。そうだろう ! 素晴らしい遺伝子だ。多くの事が遺伝子に関係しているとは思わないか? 競走馬の理論だよ ! 我々は他の者達と非常に異なっているよねぇ? ミネソタの諸君は良い遺伝子を持っているんだ ! (John Haltiwanger, "Trump told a crowd of his nearly all white supporters that they havegood genes", Business Insider, 21 September 2020.)

John Haltiwanger 02(左 / ジョン・ホルティワンガー )
  おそらく、会場にいた支持者達は上機嫌になって大拍手だろうが、この発言を聞いた黒人やヒスパニック、アジア系アメリカ人は不機嫌になったはずだ。特に、ユダヤ人は大激怒。彼らは人種や遺伝子の話が大嫌い。肉体の話題を耳にするや、狂ったようにヒステリーを起こす。この記事を書いたのもユダヤ人のジョン・ホルティワンガーで、彼は筋金入りのトランプ嫌いだ。試しに、ホルティワンガーのインスタグラムを覗くと、そこには「トランプは俺の大統領じゃない(#NotMyPresident)」とか、「トランプ嫌いを愛する(#LoveTrumpHate)」といったハッシュタグがある。特に酷いのは、トランプが大統領に就任した時(2017年1月21日)のインスタグラムで、彼は星条旗が燃えている写真を貼り付けていた。(言うまでもなく、トランプ大統領はドイツ系アメリカ人。)

  『ニューズウィーク』誌から『ビジネス・インサイダー』誌に移ったホルティワンガーは、とにかくトランプに関する批判記事を熱心に書いていた。とりわけ、「良い遺伝子」を口にしたから、彼は烈火の如く怒っている。ホルティワンガー曰わく、不届きなトランプの発言は、ナチスの「支配民族」や優生学と比較される程の暴言だ。さらに、ホルティワンガーは次のようにトランプを批判する。

  以前からトランプは自分自身を含む特定の人々を優越的遺伝子を持つ者と述べてきた。2016年、ミシシッピー州のビロクシで行われた集会では、次のように述べていた。「私はアイヴィー・リーグで教育を受けた秀才で、良い遺伝子を持っている。私は素晴らしい遺伝子と、自分が信じているもの全てを持っている」、と。・・・・2010年には、「遺伝子の信奉者」とCNNに語っていたし、2014年のドキュメンタリーでは、「ドイツ人の血が流れている事を誇りに思っている。実に素晴らしい」と述べていた。(上掲記事)

John Haltiwanger protestJohn Haltiwanger flagburning


(左 : 反トランプ・デモに参加するホルティワンガー / 右 : 星条旗が焼かれている写真)

  作家で歴史家のスティーヴ・シルヴァーマン(Steve Silverman)も、トランプ大統領の“暴言”に憤慨した一人で、彼も露骨に怒りを表していた。

  はっきり言って、これはユダヤ人や障碍者、LGBTQ、ロマ(ジプシー)、その他の人々を絶滅させようとしたナチスのレトリックと区別できるものではない。(Steve Silverman, September 20, 2020.)

Steve Silverman 01( 左 / スティーヴ・シルヴァーマン )
  常識的に考えれば直ぐ分かるけど、ホルティワンガーもシルヴァーマンも精神がいじけているんじゃないか。どうしてドイツ人が自分の血統や遺伝子を褒めたら悪いのか? 確かに、無辜のユダヤ人を迫害したのは悪いけど、ユダヤ人の虐殺なんて二千年前からよくあった恒例行事で、スペインを始め、イタリア、フランス、イングランドなどヨーロッパ各地で頻発していたのだ。(そもそも、イェルサレムに帰らず、歐洲にタカって生きてきたユダヤ人の方が悪い。) 強制収容所でチフスが蔓延し、多くのユダヤ人が亡くなったのは気の毒だけど、ドイツ人や日本人はもっと恐ろしい虐殺を経験し、文字通りの「ホロコースト」を味わっていた。ユダヤ人は死体になって焼かれたが、都会の日本人とドレスデンのドイツ人は生きたまま焼かれてしまったから、本当に悲惨である。(ユダヤ人はガス室で毒殺されたと思っているが、実際は病死で、焼却炉で灰になったのは冷たくなった遺体である。日本でもデボラ・リプシュタットの妄想に引っ掛かっている人は結構多い。それよりも、ユダヤ人が隠したがるナチスと連携したシオニスト組織やエヴィアン協議会を論じるべきだ。)

自分の人種差別に気づかない平等主義者

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(左 : ヨーロッパで美しいと目されるタイプの女性 / 右 : 円盤を唇に嵌めたアフリカ人女性)

  第二次世界大戦後、移民政策や社会問題で人種衛生学を論ずることはタブーとなったが、国家の構成員がどのような人間になるのかは重要な課題であり、従来の遺伝子プールを保護することは悪い事じゃない。地球上には様々な種族が存在し、各種族で肉体的な特徴が違っている。丁度、犬や猫にも種類があるように、我々人間にも種類があるのだ。日本の柴犬とドイツのシェパードは違うし、耳が折れ曲がったスコテッシュ・フォールドと三毛猫では、著しく違っている。しかし、我々はどちらの種類も可愛いと思うし、どちらの存在も否定はしない。たとえ、嗅覚や跳躍力に優劣が生じても、それを理由に排斥する事はしないのだ。

Malin Akerman 1Travis Fimmel 11Alexander Ludwig 7Gaia Weiss 773


( 左 : スウェーデン系カナダ人女優のマリン・アッカーマン / TVドラマ「ヴァイキングでラグナーを演じたトラヴィス・フィンメル / 同番組で「ビョルン豪腕王」を演じたアレクサンドル・ルドウィック / 右 : 同番組でヴァイキング戦士を演じたガイア・ウェス )

  特定民族への憎悪を警戒するあまり、人種の違いや好みの違いを断罪するのは間違っている。あるアフリカ人は唇に円盤を入れて優劣を競っているし、肌に傷を付けて模様を自慢しているのだ。普通の日本人はアフリカ人の風習を目にして「野蛮だ !」とか「醜い !」と言って目をそらすが、アフリカ大陸に住む地元の部族にとったら異様でも何でもない。彼らは「格好いい !」とか「お洒落 !」と思って体にナイフを入れているのだ。他方、北方種族は白い肌や金色の髪、青い瞳などを「美しい」とみなし、その理想に近づくよう日々努力を重ねている。古代ローマ人はゲルマン人の金髪を好み、そのカツラをつけていたが、それで以てゲルマン人に劣っているとは考えなかった。差別に敏感なユダヤ人も、仲間内では差別主義者で、異民族を侮蔑することなんて日常茶飯事だ。昔、ローマ帝国に潜り込んだユダヤ人は、エジプト人みたいな肌をしていたのに、黒人に出逢うと愚弄し、「クシュ(黒ん坊)」と呼んで馬鹿にしていた。現在でもユダヤ人は黒人が嫌いで、ニューヨークでの混血率は異常に少ない。トランプ大統領の娘婿であるジャレッド・クシュナーのように、ゲルマン系の白人女性と結婚するユダヤ人は多いが、エチオピア人やケニア人のような黒人と結婚するユダヤ人は稀である。米国に帰化した支那人や朝鮮人でも、黒人と結婚する者はごく僅か。だいいち、両親が反対する。

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(写真 / 刃物で肌を切り裂き、様々な模様を刻んだアフリカ人 )

  翻って、日本人はどうなのか? 日本の知識人や人権派には、案外レイシストが多い。一般人は「えっ !」と驚くが、よくよく考えて見ると思い当たる節がある。例えば、人種平等を掲げる評論家は、殊さら歐米の白人ばかりに注目し、彼らがちよっとでも自分の容姿を自慢したら、すかさず「差別だ ! レイシストだ ! 白人至上主義者だ !」と大騒ぎする。でも、歐米の白人が自分の肉体を自慢したからといって、我々にどのような損害があるのか? 東京や大阪で「日本人お断り !」の公衆便所や市営バスがあるとは思えないし、白人専用のレストランがあるわげじゃない。「理想美」に関しても同じで、白人がどう言おうが、日本人は日本の美人を称讃すればいいじゃないか。国内で幸せに暮らす一般人は、女優の新木優子や本田翼とかを贔屓にして喜んでいる。日本人が日本国内で幸せなら、ヨーロッパやアメリカの社会がどんなにギスギスしようがいいじゃないか。

  だいたい、日本人は自ら“ノコノコ”とヨーロッパに赴き、言葉も通じないのに、矢鱈と色々な場所に行って日本と同じように振る舞っている。しかし、ヨーロッパ人からすれば、奇妙な支那人がやって来たくらいにしか思えない。現地人と会話ができぬ観光客は、「やっぱり、根っこの部分でアジア人蔑視があるよぇ〜」と愚痴をこぼすが、白人社会が厭なら渡航するな ! 支那やインド、イスラエル、ボスニア、ルワンダでも差別は酷いけど、まともな日本人なら、そんな場所に行かないじゃないか。別に、一生アジア大陸を旅行しなくても、健康や年金に支障は無い。そもそも、外国の人種偏見を気にする日本人は、下層民のアホがうろつくアメリカやヨーロッパに行かず、美しい京都や鎌倉を旅行すべきだ。日本の旅館は日本人のお客が減って困っている。これ以上、日本人が泊まらなくなったホテルに支那人観光客が押しかければ、益々日本人は近寄らなくなり、下劣な支那人や朝鮮人が詰めかけるだけだ。不愉快な支那人はなるべく入国をさせず、日本人の観光客を増やした方がいい。(それには景気を良くして、国民の所得を上げるべきなんだけど、国会議員が間抜けなのか、それとも確信犯なのか、日本政府は逆のことをずっとやり続けている。)

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(左 : 西歐人女性 / アフリカ人の少女 / 歐洲に住むユダヤ人 / 右 : イスラエルに住むアジア系のユダヤ人 )

  質問するのも野暮だけど、ヨーロッパの原住民には、発言の自由が禁止され、「手前味噌」の自慢が許されないのか? 日本の知識人が、どのような発想を持っているのか分からないが、アフリカ人やアジア人に人種平等を他民族に押しつける権利は無いはずだ。それなのに、なぜ、スカンジナヴィアの北歐人、あるいはウクライナとかベラルーシのスラヴ人が、自分自身の外見を誇りにしたら“いけない”のか? 日本の一般人はカザフスタンやトルクメニスタンでどんな容姿が「理想」とされているのか知らないし、どんな民族なのかも分からない。そもそも、我々は彼らに興味がないのだ。今、アルメニアとアゼルバイジャンが揉めているけど、大多数の日本人は対岸の火事と思っている。仮に、カザフスタンの女性とアフガニスタンの女性が、異なった「理想美」を持っているとしたら、日本人はどう対応するのか? 日本の平等主義者は現地に渡って、抗議デモを組織し、啓蒙活動に従事するのか? また、ベニンの二枚目ととガンビアの色男を比べて、激論を交える日本人女性は、いったい何人いるのか? もし、5万人とか10万人もいたら別の意味で大ニュースだ。

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(左 : アジア大陸に住むカザフスタン人のカップル / 右 : 「人種」が“はっきり”しない中東アジアのユダヤ人)

  インドでは肌を白くするクリームが好評だけど、日本人はイギリス人に憧れるインド人女性を叱ることができるのか? 日本人女性も「美白化粧品」を購入し、日傘を差して肌を白く保とうとしているじゃないか。筆者には、少量の「ロドデンドロール(Rhododendrol)」に数千円も出すなんて信じられないが、多くの女性が小瓶に入った液体を喜んで買っているので、日本人が世界統一主義(mondialisme)で動いているとは思えない。最近では、男性まで日傘を差して日焼けを避けている。平成の前半では、色黒の少女が街を闊歩していたが、次第に見かけなくなり、今ではほぼ絶滅状態だ。1990年代、筆者が日本に帰国し、神奈川県の桜木町を歩いていたら、南洋土人みたいな女子高生がいたので、信号待ちの時に「どういう訳なんだ?」と尋ねてみたことがある。話し方を聞いて「日本人」と判明したが、外見はパプア・ニューギニアのメラネシア族か、オーストラリアのアボリジニみたいだった。後に、夜の渋谷を歩いていたら、同様の女の子を目撃したので、「日本の流行は複雑怪奇だなぁ〜」と思ったことがある。

  日本の平等主義者は、なぜかアフリカ人を無視するようで、彼らの関心は歐米諸国にしかないようだ。でも、世界各国には独特の美的感覚があるようで、日本の美意識とは懸け離れたものも結構ある。例えば、ウガンダの女性は、“ふくよか”な体型を好むようだ。露骨に言えば「デブ好み」と評することもできるが、アフリカ大陸の黒人女性は、痩せることに熱心な日本人と違って、太った外見を「素晴らしい」と思っている。歐米諸国では尻が突き出た「ホッテントット(Hottentot)」の黒人女性が有名で、昔のヨーロッパ人はその姿を滑稽と思っていた。ところが、この黒い未開人が性器を露わにし、そこから延びた陰唇(labia)を見せたからビックリ仰天。性道徳にうるさいキリスト教徒には、アフリカ人の美的感覚が全く理解できなかった。現在のウガンダ人女性も大きな尻を自慢し、痩せている乙女は、もっと太るべく、たくさんご飯を食べているようだ。(Apophia Agiresaasi, "In Uganda, Where Curvy Is Beautiful, Women Round Out Their Figures with Padded Underwear", Global Press Journal, December 3, 2014. およびSusan Albers, "Fat is beautiful", Psychology Today, April 6, 2010.を参照。)

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(写真 / 大きなヒップを自慢するウガンダ女性)

  日本人はアフリカ人よりもゲルマン人の容姿を好むが、それは「趣味」の問題で、絶対的な美に基づく審判ではない。むしろ、西歐白人を目の敵(かたき)にする人権屋の方が差別主義者で、無意識のうちに西歐白人を「絶対的な理想像」と思い込んでいる。彼らがアフリカ人のコイコイ族やバントゥー族を取り上げないのは、話題にするほどの価値も無いからで、最初から相手にしていないのだ。もし、日本の左翼が人種平等主義者なら、ネパールやブータン、スリナム、ホンジュラス、ニジェールなどの理想美を取り上げるだろう。ところが、KKKを糾弾する日本人の中で、こうした問題意識を持つ者はほとんどいない。

  民族が違えば意識も違うのは当然で、それぞれの国民が独特の風習や歴史を持っている。違った人間がいるからこそ、別々に暮らすのが一番なのだ。ところが、グローバリストや左翼分子は、強引な思想を以て世界統一を謀ろうとする。彼らは地球市民を排斥するナショナリズムを憎み、各民族を隔てる国境を叩き潰そうとする。特に、我が国の反日分子は、アジア移民を引きずり込んで日本の國體を破壊しようと目論んでいるようだ。まず、在日朝鮮人を「日本国民」にして、日本人が持っている民族的絆に楔(くさび)を打ち込む。左翼が渇望した赤色革命が挫折したのは、日本人が皇室を戴く同質社会に住み、共産主義を拒絶する体質を持っているからだ。(アントニオ・グラムシやジョルジュ・ルカーチなら「その通り !」と賛成するだろう。) しかし、日本社会に朝鮮人や支那人の「国民」が増えれば、共通の民族意識はズタズタになり、根無し草の日本人が増えるだけ。こうなれば左翼陣営にとって好都合。民族主義で結束したた日本人は心身共に手強いが、人権思想でアトム化された個人は赤子も同然。ガラス細工よりも遙かに脆い。「日本人」という意識が無くなった日系人と、日系人ではない帰化人が増えれば、日本人が持っていた尊皇精神は希薄になる。抵抗勢力が激減すれば、女性宮家の創設や女系天皇の擁立はたやすい。

  本当に恐ろしいことだが、もし女系天皇が合法化されれば、皇室撲滅まではあと一歩。たぶん、左翼と連携した偽装保守が「男系じゃない皇統は異端」と叫ぶから、大衆は動揺して「そうかも・・・」と思ってしまうだろう。ここまでくれば、じわじわと“非伝統的”な皇室への支持が少なくなる。一方、朝鮮系や支那系の「日本国民」は、最初から皇室に興味が無いので、国民投票が行われ、皇室存続を訊かれれば、「どうでもいいじゃん !」とか「廃止」と答えるだろう。それに、アジア系が増えれば立憲民主党のような売国政党は大繁盛。朝鮮系議員や支那系サポーターが増えるので、反日左翼は騎虎の勢い。過去の官報を見れば分かるけど、毎年毎年、多くの朝鮮人や支那人が帰化申請を行っているので、本当に背筋が寒くなる。おそらく、アジア帰化人の激増で、白眞勲や陳哲郎(福山哲郎)みたいな国会議員が政界の重鎮になるだろう。もしかすると、あと何十年かで日本は朝鮮人や支那人が君臨する「人民共和国」となるかも・・・・。

あいつもこいつも朝鮮人

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(写真 / 朝鮮半島に住んでいた昔の朝鮮人)

  在日朝鮮人は自らの“血統”を恥じているのか、自分の出自を必死に隠そうとする。在日や帰化鮮人の親は、子供が傷つかないように、大きくなるまで家系の事を告げないそうだ。よく、高校生や大学生になった子供が、友達と一緒に海外旅行をしようとした時、自分の戸籍謄本を見て驚愕することがあるらしい。今まで「日本人」として暮らしてきたのに、本当は自分が「金」とか「朴」という朝鮮人である、と知って呆然とする。もう、頭の中が真っ白になるくらいの衝撃らしい。でも、その事実を受け容れると、今度はどうやって血筋を隠そうかと悩むそうだ。朝鮮人の大学教授や活動家は、「カミングアウトすりゃ、ええやん !」と気楽に言うが、本人からすれば「そんなの嫌だよぉ〜」と泣きたくなる。「友達の視線が違ってくるんじゃないか?」と不安になるし、「結婚相手が気にしたり、その親が反対するんじゃないか?」、と怯えてしまうのだ。比較的ヤクザな世界に生きる藝人だって、正体をバラすことには慎重で、「どうしようかなぁ〜」と迷うことが多い。例えば、亡くなったジョニー大倉は、「カミングアウトが早すぎた」と後悔していた。一方、相棒の矢沢永吉は賢く、彼は「趙永吉 / 巴山英吉」という本名を明かさず、ロックン・ロールの帝王として今も崇められている。たぶん、これからも自分の血統を明かさないんじゃないか。

  普通の日本人は気づいていないけど、藝能界には朝鮮人や支那人がとても多い。帰化人の名前を挙げると、一般国民は「えっ、あの人が !」と驚く。しかし、探偵や専門家が千人以上の著名人を調べたら、もっと多くの藝人が帰化人と判るだろう。以下、日本国籍を取得した著名人を何名か紹介する。

  以前、『脳内革命』という本がベストセラーになり、著者の青山茂雄がマスコミで取り上げられたけど、彼は「呉茂雄」という朝鮮人だった。(昭和41年1月12日に帰化。) 1998年に6億5千万円の所得隠しを暴露された青山氏は、2006年に自己破産を申告し、自身が経営する田園都市厚生病院も破綻する。しかし、今は立ち直り、恵比寿でクリニックを開業し、そこの院長となっているそうだ。

  早稲田大学の教授になった竹田青嗣(たけだ・せいじ)も帰化鮮人で、「姜正秀(かん・じょんす)」という在日2世であった。作家の伊集院静は元在日朝鮮人として有名だが、「西山忠來」という通名や「趙忠來」という本名は全く知られていない。関西テレビが放送した『たかじんの胸いっぱい』や、TBSの『ビビット』に出ていた遙洋子(はるか・ようこ)も帰化鮮人で、通名は「権藤洋子」であるが、本名は「権洋子」という。ちなみに、歌手や司会業をこなしていた「やしきたかじん」も朝鮮系日本人だった。死後になって判明したから、彼のファンはビックリ。でも、自分の番組で韓国批判をしていた時、「やしきたかじん」はどんな気持ちだったのか? 彼の番組には、大阪市立大学の朴一(ぼく・いる)教授も出演していたけど、この朝鮮人が「たかじん」の出自を知っていたのかどうかは判らない。ただ、「やしきたかじん」は朝鮮問題がテーマになっても、妙な忖度は無かったから結構偉かった。

   映画『ブレードランナー』でリック・デッカーは、人間とソックリの「レプリカント(人造人間)」を見分ける能力があったけど、朝鮮人も他人を嗅ぎ分ける能力があるようで、外見で同胞の「朝鮮人」を識別できるようだ。朴一がまだ大学生の頃、居酒屋で友人と一緒に酒を飲んでいた。たまたま、店内で松坂慶子のヒット曲、『愛の水中花』(1979年)が流れてきたそうだ。すると、朴氏の友人は、「松坂慶子、たまらんなぁ。在日ちゃうんかな、あの顔はもろ在日やで」と述べたらしい。(朴一 「日本の藝能・スポーツ界を支える『在日』が出自を隠す理由と苦悩」 週刊現代、2016年5月7日・14日合併号) この呟きを聞いた朴氏は、「ほんまかいな」と思ったそうだが、後に松坂氏の父親(松坂英明)が出版した『娘松坂慶子への遺言』を読んで驚いた。この美人女優は本当に朝鮮人であったのだ。

Matsuzaka 3( 左 / 松坂慶子)
  父親の本名は「韓英明」といい、15歳の時に釜山から日本へ渡ってきた在日南鮮人。妻となった女性が日本人であったから、娘の慶子は母親の戸籍に入って「日本国民」となったらしい。まぁ、血統はどうであれ、『愛の水中花』を唄っていた頃の松坂は凄かった。筆者も子供の頃、TBSの「ザ・ベストテン」で観たことがあるけど、その妖艶さには舌を巻いた。たぶん、昭和生まれの中高年男性は、レオタード姿の松坂慶子を覚えているんじゃないか。それにしても、朝鮮人の眼は鋭い。松坂氏の顔面を見て「朝鮮人」と判るんだから。もしかしたら、「朝鮮人特有の顔」というのがあるのかも知れない。

Kakizaki 01( 左 / 柿崎明二)
  最近、筆者は共同通信社を辞めて首相補佐官になった柿崎明二(かきざき・めいじ)に興味がある。インターネット界隈では、彼を「元在日鮮人」とか「帰化鮮人」と呼ぶ人もいる。実際のところ、どうなのか判らないので、ぜひ朝鮮の皆様に柿崎氏の顔面を検証してほしい。慧眼の持ち主なら「あの顔は、もろに在日やで!」と言いそうだ。もしかすると、「たぶん、朝鮮人とちゃうか?」と推測する朝鮮人がいるかも。大阪や神奈川で訊いてみれば、面白い結果になるんじゃないか。TBSの「ひるおび」とか日テレの「スッキリ」では、帰化鮮人の素性を隠したゲスト・コメンテーターがいそうだ。加工食品の成分表示と同じく、議員や学者、新聞記者、知識人を招くなら、前もって彼らの血統を視聴者に紹介すべきだろう。

  日本人でも「朝鮮人顔」の判別がつくこともある。藝人の「木村祐一」は何となく朝鮮人と判る人相だ。彼の本名は「朴佑一」で、昭和45年7月4日に帰化している。俳優の伊原剛志は自ら告白し、帰化鮮人(尹惟久)ということを名乗ったが、未だに名乗らず隠している有名人は少なくない。例えば、日本で初のミドル級世界チャンピオンとなった竹原慎二は、元朝鮮人で平成9年5月9日に帰化している。しかし、彼が世界王者となったのは、平成7年(1995年)の事だから、「日本人初」というのは虚偽の可能性が高い。なぜなら、平成9年(1997)以前は「在日朝鮮人」であったから。ただし、スポーツの世界では国籍無視が常習化しているので、あまり問題とはならないのだろう。

  筆者が一番か印象的だったのは、歌手のチャーリー・コーセーが帰化支那人であったことだ。彼は『ルパン三世』(1st シーズン)のエンディング曲を唄ったことで有名である。本名は「徐光星」で、平成4年3月25日に帰化した。歌手にも帰化人が多く、河島英五は「康英五」という朝鮮人であったし、演歌の瀬川瑛子は何人だったのか判らないが、「施瑛」という本名を持っている。(たぶん、支那か台湾系の家庭なんだろう。) 五木ひろし(李数夫)や都はるみ(李春美)は帰化人として有名だけど、アイドル歌手だった酒井法子が朝鮮系であることはあまり知られていない。筆者も断定はできないんだけど、覚醒剤所持で捕まった時、酒井氏の父親(酒井三根城)が報じられたので、出自の疑惑が持ち上がったことがある。彼女の父親は山口組系暴力団、伊豆酒井組の組長で、「金三根城(きん・みねぎ)」という名前を持っていた。でも、娘の法子は生まれながらの「日本国民」なのかも知れない。

  「正体隠し」で問題なのは、ワイドショーやニュース番組に出演する有名人の方である。民放各局は視聴者に告げず、ただ「専門家」とか「評論家」の肩書きで“怪しい”人物を招く。たとえ、不気味な人物じゃなくても、左翼メディアは朝鮮系のゲストを出演させて、鮮人社会にアピールするから、公共の電波を使った裏宣伝と同じだ。例えば、「スッキリ」とか「ワイドスクランブル」に出ていた犬山紙子は、帰化鮮人で本名を「趙純子」という。彼女の伯父は「アイリスオーヤマ」の社長らしいから、朝鮮人の家系ということがよく分かる。経営者の大山健太郎は「趙辮「」という名の帰化鮮人。「ワイドスクランブル」には、もう一人朝鮮系のゲストが出ていて、作家の若一光司(わかいち・こうじ)はゴリゴリの左翼だ。以前、佐野眞一が橋下徹の正体を暴いた時、若一氏は佐野氏の記事に激怒し、橋本擁護に廻ったけど、彼が憤慨したのは同じような境遇の人間であったからだろう。番組スタッフには学生時代からの左翼とか、元左翼、現役の活動家などが混ざっているので、時々、チャンスがあると「左翼仲間」を迎えたりする。ホント、事情を知らない一般視聴者は、簡単に操られてしまう。テレビ番組は用心して観るべし。

  昔、社会党の土井たか子が帰化鮮人じゃないのか、と疑われたことがあったけど、政治家には帰化鮮人が結構多い。本人が告白すれば別だけど、大抵の鮮人議員は自らの血統を隠し、生まれながらの「日本人」の如く振る舞っている。例えば、公明党の上田勇(うえだ・いさむ)は、財務副大臣に就任した衆院議員だが、「崔勇」という本名を持っている。彼は議員に出馬する前、平成5年4月23日に帰化した。民主党の菅内閣で防衛副大臣を務めた小川勝也(民主党参院議員)も、日本国籍を取得した元在日鮮人で、「林克雄 / 林克二」という名前を持っている。彼は昭和60年7月25日に帰化したようだ。テコンドー選手として名を馳せた尾辻かな子も帰化鮮人で、彼女は大阪府議会議員から衆院議員と参院議員になった。本名は「沈光子」で、平成9年4月24日に帰化している。

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( 左 : 上田勇 / 中央 : 小川勝也 / 右 : 尾辻かな子 )

  帰化鮮人かどうかハッキリしないのは尾立源幸(おだち・もとゆき)で、彼は最初「民主党」に属していたが、後に自民党へ移って二階派に所属した。尾立氏はパチンコ屋の支援を受けていて、在日鮮人の間で人気が高い。昔から彼は朝鮮人の参政権付与に熱心で、「在日同胞」に向かって「地方参政権の法案を上程しました !」と述べていた。この提案は南鮮の「亜洲経済」紙に掲載されたが、どうして尾立氏は「在日同胞」と呼びかけたのか? 日系日本人の国会議員なら、在日鮮人に向かって「在日同胞のみなさん !」と呼びかけないぞ。彼はいったい、“どんな”家庭に生まれたのか? 本当に謎である。

Odachi 01Kan Naoto 1(左 : 尾立源幸 / 右 : 菅直人)
  民主党には謎の人物が多く、総理大臣になった菅直人も怪しい。彼の政治資金団体である「草志会」は「市民の党」から派生した「政権交代をめざす会」に合計で6,250万円も流していたが、これらの団体は北鮮と繋がっている。そもそも、日本赤軍や北鮮工作員と繋がっている団体と日本の総理大臣がグルなんて、いったい我が国はどうなっているのか。そういえば、東北大震災で原発が非常事態に陥った時、菅総理は「謎の言葉」を発していたそうだ。この首相は興奮のあまり、奇妙な言葉で喚き散らしていたらしい。でも、待てよ。一体、「何語」で怒鳴っていたんだ? この非日本語を聞いた東電職員は唖然としたらしい。何しろ、焦った首相が変な言葉を発していたんだから、驚くのも当然だ。ただし、英語じゃないとすれば、ドイツ語かフランス語、フラマン語、スペイン語・・・なのか? まさか朝鮮語じゃないよねぇ〜。本人に訊いてみたい。

  とにかく、政治家や知識人は出自を明かしてから、公の場で発言すべきだ。他方、木下隆行(朴隆行)とかレッド吉田(鄭永憲)、トミーズ健(金健)、江原まさひろ(劉正洋)といったお笑い藝人なら、朝鮮系とか支那系でも構わない。藝人は才能を見せてギャラを貰うだけだし、政治的発言を行っても信頼性に欠けるから、世間が真剣に受け取ることは少ないと思う。マスコミで重用される評論家は、帰化鮮人の正体を暴くと、「差別主義者」とか「右翼」と非難するが、「どうして朝鮮人が素性を隠すのか」を説明しないからおかしい。アメリカ人やイギリス人の帰化人は、元の国籍や自分の人種を隠さず、堂々と公表する。しかし、朝鮮人や支那人は自分の血統を隠す。左翼知識人は探求する日本人を責めるが、問題は隠蔽する支那人や朝鮮人の方にあるのだ。日本人はアジア人に遠慮しないで、はっきりと「アジア人は歓迎できない !」と通告すべきだ。「仲間と思えないから祖国へ帰ってくれ !」と言って何が悪いのか? 日本は日本人の国である。日本をアジアの一部にしてはならない。愛国的な日本人であれば、朝鮮に戻りたくない在日朝鮮人を咎め、支那大陸を嫌う支那人を門前払いにすべきだ。国防は武器の調達だけではない。国家を構成する公民の遺伝子を守ってこそ国防なのだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827460.html

214. 中川隆[-10987] koaQ7Jey 2020年10月07日 04:29:36 : kGiI0qWlDU : SUhuNW50YlhTRHM=[3] 報告

白人は日本人が完全なバカだと思っていた

2020年10月06日
「放射性の塗料を塗ったキツネ」を日本に放す作戦が第二次世界大戦で検討されていた
https://gigazine.net/news/20201006-japanese-radioactive-foxes/


太平洋戦争の火種となった1941年12月8日の真珠湾攻撃で、日本軍からの奇襲によってアメリカ軍は大きな損害を受けました。この真珠湾攻撃に刺激されたアメリカ側は、日本をどうにかして出し抜きたいと思うあまり、珍妙な作戦を多く考案。その中でも特に際立って珍妙な作戦が「放射性塗料を塗りたくったキツネを日本中に放す」というものだったと、科学ニュースサイトのSmithsonian Magazineが解説しています。

The Unsuccessful WWII Plot to Fight the Japanese With Radioactive Foxes | History | Smithsonian Magazine
https://www.smithsonianmag.com/history/unsuccessful-wwii-plot-fight-japanese-radioactive-foxes-180975932/

「アメリカ情報機関の父」とも称されるウィリアム・ドノバンは第二次世界大戦時に、アメリカの中央情報局(CIA)の前身となる戦略諜報局(OSS)のトップとして、日本やドイツ、イタリアを出し抜くための作戦を科学者たちに探させていました。そこで、爆発性のホットケーキミックスや生きたコウモリに巻き付けるための焼夷弾、捕虜から情報を引き出すための薬、糞便の臭いを再現するスプレーなど、奇妙な作戦が多く考案されましたが、その中でも特に奇抜だった作戦の1つが「ファンタジア作戦(Operation Fantasia)」です。

ファンタジア作戦は、OSSの心理戦戦略家だったエド・サリンジャーが発案したもの。東京で貿易業を営んでいたこともあったサリンジャーは、日本語を理解できる上に日本文化にも精通しており、特に日本のおとぎ話を研究していたことを見込まれ、OSSに雇用されたといわれています。

サリンジャーが1943年に考案したファンタジア作戦は、「魔力を持つキツネの精霊を凶兆として示すことで、日本人の士気を破壊する」というものでした。サリンジャーはメモの中に「日本人は迷信、悪霊信仰、不自然でおっかない兆候に大きく影響される」と書き記しています。


OSSは、日本人をこわがらせるようなキツネを作り出すため、キツネの形をした風船やキツネの鳴き声を真似する楽器を開発しましたが、いずれも実用的ではないと判断されたとのこと。そして、「中国やオーストラリアで捕まえたキツネを蛍光塗料で全身塗装し、日本国内に放す」というアイデアが採用されたそうです。

蛍光塗料には、放射性物質であるラジウムを含む塗料が採用されました。放射性の蛍光塗料をキツネの毛皮に塗ることができるかどうかをテストするため、OSSは動物園で飼育されているアライグマでテストしたそうです。その後、キツネ30匹を蛍光塗料で塗りたくり、ワシントンD.C.の公園にこっそり放してみたところ、夜の公園を散歩する人が「幽霊のような動物が飛び跳ねている!」と悲鳴を上げて警察に通報したため、「ファンタジア作戦は日本人にも十分通用する」と判断されました。


ただし、ファンタジア作戦を成功させるためには、「キツネをどうやって日本に上陸させて展開させるか」という課題が残っていました。この問題を検証するため、OSSはキツネを河口付近までボートで連れ出し、海の中に投げ込んで陸まで泳がせる実験を行いました。実験の結果、すべてのキツネが陸まで泳ぎ切ることができ、上陸は十分可能……かと思われましたが、体に塗った蛍光塗料はほとんど海水で洗い流され、さらに陸地に到着した途端、キツネたちは自分の毛皮をなめてきれいにしてしまったため、失敗に終わりました。

また、どうにかして日本にキツネを運ぶことができたとしても、OSSはキツネを訓練したことがないため、キツネを思い通りに動かして狙った場所に出現させることは不可能。サリンジャーは、「とにかく大量のキツネを放てば、数匹くらいは意図した場所に出現する」と述べ、キツネが足りなければミンクやアライグマ、コヨーテを使うことを提案しています。

さらにサリンジャーは、「蛍光塗料を塗った人間の頭蓋骨を、同じく蛍光塗料を塗ったキツネの剥製に装着して、風船やタコで空中に持ち上げて日本人の士気をくじく」という奇妙なアイデアもメモに残しています。加えて、すべての計画がうまくいかなかった場合にそなえて、サリンジャーは「連合国側に味方する日本人に『キツネつき』を演じさせる。『キツネにとりつかれた』と奇声を叫ばせながら街中を走り回らせる」というとんでもない最終手段も考案していました。


しかし、1943年9月24日、ファンタジア作戦の指揮官だったOSS研究開発部門主任のスタンリー・ラヴェル博士が、ファンタジア作戦の実現可能性と非合理性を理由に中止を決定しました。ラヴェル博士は、「ナチス・ドイツ総統だったアドルフ・ヒトラーの食べ物に女性ホルモンを混入させてトレードマークの口ひげをなくして威厳を失わせる」など、数々の奇抜な作戦を考案したことで知られており、「モリアーティ教授」と呼ばれていたほどの人物。そんなラヴェル博士が続行不可能だと判断したということは、ファンタジア作戦はOSS内部の人間から見てもよっぽど非常識に思われていたのかもしれません。

国際スパイ博物館の学芸員であるヴィンス・ホートン氏は「ファンタジア作戦は、アメリカ軍や情報機関、政治指導者の多くが日本文化に対して人種差別的かつ民族中心主義的で、軽視している様子が見てとれます」と述べています。

https://gigazine.net/news/20201006-japanese-radioactive-foxes/

215. 2020年10月10日 11:48:23 : msryfI7UiI : dGI1b3FNSXNHQnM=[14] 報告
人類の歴史は虐殺の歴史。歴史はいかに残虐なのかを日本人はよく学ぶべきだ
2020.10.10

人類の歴史を長いスパンで見ると、淘汰された民族は夥しいリストになる。言葉も消され、伝統も、文化も、すべて根絶やしにされる。衰退した民族が、そのまま「保存」されるのはあり得ない。衰退した国家には強大な国家が入り込み、強大な国家が衰退した民族を駆逐していく。非常に荒々しい手段で、強制的に歴史から消していく。(鈴木傾城)

征服者に徹底的に破壊される歴史

動物界では弱肉強食の世界だが、人間もまたその弱肉強食のルールに支配されている。人間の歴史を紐解くと、弱い民族は常に侵略され、弱い民族の文化・言語は消し去られている。

弱い民族は、大事に保護されるのではない。侵略され、大虐殺され、結果として淘汰されるのだ。

それを一番よく知っているのは、アメリカ人だ。なぜなら、彼らはネイティブ・アメリカンの土地を侵略して国を作ったという歴史から始まったからだ。

アメリカ大陸は本来はネイティブ・アメリカンのものだったが、白人たちはこの先住民を徹底的に殺し続け、結局は彼らの95%を虐殺した。人類史上でも類を見ない「大量虐殺の歴史」がそこにあったと言うしかない。

イギリスから移住したアングロサクソンが、先住民族を淘汰して今のアメリカにしたのである。そして、かろうじて生き残った先住民族(ネイティブ・アメリカン)は、今や天然記念物のように指定地区に押し込まれて貧困の中で細々と生きている。

南米を支配していたインカ帝国もスペインによって滅ぼされた。インカ帝国は高度な文明を持ち合わせていたが、高度な武器は持っていなかった。さらに不幸なことにスペイン人が持ち込んだ伝染病にも免疫がなかった。

インカ帝国を崩壊させたスペイン人たちは、インカ文明を意図的に破壊し、奴隷にした男たちを金山・銀山の使役で徹底的に強制労働させて疲弊させ、美しい女たちはみんなスペイン人の妾にされたり、レイプされて捨てられたりした。

今やラテン・アメリカは混血国家として知られているが、それは大虐殺とレイプの結果であることを日本人はもっとよく知っておいたほうがいい。南米の混血は美しい。その美しさには血の歴史がある。この大量虐殺は古代史ではない。つい200年ほど前まで人類が行っていた所業である。

インカ帝国ではケチュア語が公用語として話されていたのだが、この言葉も含め現地の言葉もすべて抹殺され、スペイン語に置き換えられた。文明も、血も、言葉も、すべてスペイン人が乗っ取ってインカ帝国は跡形もなく消え去った。

自分たちが弱くなれば、いつでも淘汰される

インカ帝国は偉大だったのかもしれないが、征服者(コンキスタドール)がやってくると、徹底敵に破壊されて何もかもが「根絶やし」にされた。「弱い民族」「負けた民族」「侵略された民族」の末路がここにある。容赦ない。その民族が持っていた歴史は民族ごと抹殺されるのだ。

歴史を上書きする。
それが征服者(コンキスタドール)の流儀だ。

征服者は、弱い民族を大虐殺して自分たちがそこに君臨する。だから、「自分たちが弱くなれば、いつでも淘汰される」という本能的な恐怖を持っている。自分たちがそうしたのだから、そうされるという意識を忘れない。

自分たちが征服した民族から報復されないためにはどうするのか。完膚なまでに弱い民族を虐殺し続けて、少数民族にしてしまうのだ。無害になるまで殺戮していって、歴史も文化も破壊するのだ。征服者は、自分たちが君臨するためにそうする。

オーストラリアもまた白人の国ではなかった。

しかし、イギリスから島流しにされたアングロサクソンが先住民族だったアボリジニを大量虐殺して、白人の国「オーストラリア」になった。アボリジニもその90%が虐殺されたと言われている。

アボリジニの人口は100万人ほどだったのだが、最終的には約7万人近くにまで抹殺されていた。

その頃のアボリジニは、スポーツとして狩りの対象にされていた。信じられないかもしれないが、白人たちは先住民を「獲物」にしていたのである。また、害虫駆除のつもりだったのか、アボリジニの井戸に毒を入れたり、孤島に置き去りして餓死させたりしていた。

殺して殺して殺しまくっていたのである。オーストラリアにおいてのイギリス人は「大虐殺者」なのだ。ひとつの民族、ひとつの人種を、丸ごと大虐殺して歴史から消してしまうという歴史を日本人は信じることができないかもしれない。

しかし、それはいつの時代でも「普通に起きていること」だ。

弱体化した民族は他民族にとっては「獲物」

弱い民族は一方的に駆逐され、歴史から抹殺される。そんな民族が生きていたという痕跡すらも消し去られる。そうやって歴史は無数の弱小民族を消してきた。長い歴史の中で、記録すらされないで消えていった民族もあるだろう。

人類の歴史を長いスパンで見ると、淘汰された民族は夥しいリストになる。言葉も消され、伝統も、文化も、すべて根絶やしにされる。

衰退した民族が、そのまま「保存」されるのはあり得ない。衰退した国家には強大な国家が入り込み、強大な国家が衰退した民族を駆逐していく。非常に荒々しい手段で、強制的に歴史から消していく。

いったん衰退が確実となると、それが故に他民族がその真空を埋めていく。長期化する内戦は、その民族に大きな危機をもたらすのである。もしかしたら、それが絶滅のきっかけになる可能性もある。

弱体化した民族は他民族にとっては「獲物」なのである。

現代文明の下で、私たちはすでに人類が石器時代のような弱肉強食の社会ではなくなったと考えている。しかし人類の歴史は、いつでも弱肉強食の社会に戻る危うさを秘めている。

「人類は進化したのだから、もう大虐殺なんかしないだろう」と能天気に思っているのであれば、中国を見てみればいい。民族抹殺は現在進行形で起きている。

チベットはどうなっているのか。ウイグルはどうなっているのか。これらの国を見ると、今もなお弱肉強食の歴史が刻々と進行しているのが分かる。にも関わらず、世界中が見て見ぬふりをして放置しているのである。

チベットは国際社会に見捨てられる中、今も大虐殺の中で生きている。ウイグルの弾圧も徹底して続いている。このままでは、ウイグル人の自治区も文化もすべて抹殺されてしまいかねない状況となっている。

さらに中国はここにきて内モンゴル自治区にも侵略の手を伸ばしている。(ブラックアジア:民族浄化の嵐が吹きすさぶ。習近平のチャイナ・ドリームは実現するだろうか?)


人類の歴史は虐殺の歴史だ

中国は弱体化した民族がいたら、それを見逃さない。チベットやウイグルで起きている悲惨な現実は、様々な場所で再現される可能性があるのだ。世界中がそれを知っているのに止められない。

弱体化した民族が住む国土は、次々に侵食されていく。衰退を放置していれば、その民族は危険な事態を招く。

弱いと見なされた民族は、「周辺国に滅ぼされる」可能性が高い。今までの人間の歴史がそうだったのであれば、必然的にそうなってしまうと考えた方が自然だ。国家の力関係とは、暴力の力関係である。

膨張政策を実行し続ける中国は、今や南沙諸島でベトナムやフィリピンの主権をも脅かそうとしており、尖閣諸島にも沖縄にも侵略の手が伸びている。もし、日本が弱体化しているのであれば、日本もまた弱肉強食の歴史の渦に巻き込まれていく。

今後10年の日本は、明らかに「侵食されていく国」となっていくだろう。

日本の少子高齢化は異常なまでのスピードで突き進んでいるし、政治家も国民も少子高齢化に本気で対処しようとしない。少子高齢化によって日本は萎縮し、国力を低下させ、国際的影響力も減退していく国になる。

さらに高齢化によってイノベーションにも遅れ、軍事力も弱体化してしまうことは避けられない。

そうであれば「侵略」が深刻化していくというのは、誰が考えても分かるはずだ。中国・韓国・北朝鮮はもとより、ロシアもアメリカも弱体化していく日本を見て領土的野心を剥き出しにしないとも限らない。

日本は今後10年で存続の危機に立たされてしまうような目に遭う可能性を日本人はまったく考えていないようだ。

敵対勢力に対抗する力がなくなってしまえば、日本がどんな長く立派な歴史があったとしても、かつてのインカ帝国のように完全に歴史から抹殺されてしまうだろう。「平和を叫べば侵略されない」とか「話し合えば分かる」とか「憲法第九条があるから侵略されない」とか、馬鹿なことを思っているようであれば日本も終わりだ。

人類の歴史は虐殺の歴史だ。日本人はもっと歴史をきちんと学んだらどうなのか。歴史はいかに血まみれで残虐なのかを日本人は学ぶべきだ。


『興亡の世界史 インカとスペイン 帝国の交錯(網野徹哉)』
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https://blackasia.net/?p=20605

216. 中川隆[-10263] koaQ7Jey 2020年11月03日 19:53:30 : TuqvwFp9Ek : UFloSzJYUlNNUjY=[15] 報告
【息子】ハンター・バイデンの猥褻セックス動画“不倫・近親相姦親子どんぶり”の真相! ペニスの大きさも異常で…某国諜報機関関係者が暴露
2020.10.28
https://tocana.jp/2020/10/post_180054_entry.html


ハンター・バイデン。画像は「Wikipedia」より引用
──ハンター・バイデンのセックス画像が続々と出てきました!

ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) バイデン家のドロドロぶりは凄さまじいですね。ハンターと14歳の姪のナタリーがセックスする関係な上、ナタリーの母のハリー・バイデンとも不倫関係にあったようです。

──親子どんぶり!?

ジェームズ そうなんですが、その親子どんぶりは姪と義理の姉ですから、近親相姦親子どんぶりだったんです。しかも、ハンターの父親のジョー・バイデンはそれを知っていました。なんとハンターは父親に「ナタリーとの裸の写真をハリーに見られてしまって、ハリーはもう会ってくれないというんだ」といったメールをジョーに送って愚痴っているんです。つまり、ジョー・バイデンは昔から近親相姦親子どんぶりを知っていて容認していたようです。

──そのドロドロを止めなかったってことですか?

ジェームズ 止めたり、咎めたりという感じのメールではなかったですね。これでもわかるとおり、アメリカの富裕層にとっては、ペド及び近親相姦的なセックスは一般人が考えるほど異常じゃないんですよ。なにしろ、以前から噂のあったオバマの娘マリアとのセックス画像も出てきています。マリアの全裸をバックから撮った写真でホクロの位置が合っているのと、『MALIA OBAMA』名義のJPモルガンのカードが写っていたのが決定的ですね。しかも、そのカードの端には白い粉がついているんです。間違いなくあれはコカインの粉末です。

──ハンターはコカイン吸いながらオバマの娘ともやっていたんですか!? 家族から大統領の娘まで彼にはタブーはないですね。

ジェームズ 禁忌はないようです。彼らは定期的に集まって薬をやりながら乱交をしているようですから、そうなるんでしょうね。ちなみに、彼らが集まる場所として有名なのがニューヨーク州北西部にあるフィンガー・レイク地区です。ハリウッドのセレブたちと政治家が多く訪れるニューヨークの富裕層の高級保養地ですが、実はこの地区には裏の顔があって未成年少女の行方不明事件が多発しているんです。いままでに47人の未成年の少女が行方不明になっています。

──えっ、仲間内だけでは飽き足らず、現地でも捕まえるってことですか!?

ジェームズ そうです。まさにハンターです(笑)。まあ、それは冗談ですが、ハンターの背中にはフィンガー・レイク地区の衛星画像がタトゥーとして入っていますから。タトゥーとしては「なぜ、これを?」と思うような図柄ですが、わかる人にはわかる、ペドの世界ではステータスのある図柄です。ちなみに、エプスタインとマクスウェルもこの地にはよく訪れていました。

──本当に向こうのセレブはペドがないとダメなんですね。

ジェームズ そういう文化ですから。ただ、こういった情報が出た場合、諜報機関は以下のような分析をします。まずは彼らの健康状態です。それは目を見ます。タトゥーが写っている画像を見るとわかりますが、ハンターの目の瞳孔が半ば開いています。これは薬物でラリっている最中の典型的な瞳孔です。

 また、ハンターのイチモツの長さも異常です。通常、白人男性のモノは13cm程度なんですが、彼のモノは22センチもあります。明らかにステロイドを打っています。ただし、その副作用で異常性欲をもたらし、鬱になりやすいので、薬物に走る人が多いのです。ですから、ハンターはすでに薬物、ステロイド、異常性欲の負のスパイルにハマっています。多分、オバマの娘のマリアもそうでしょう。あのブラックカードの白さも異常ですから。


──ダメ息子、ダメ娘たちのデタラメぶりがすべて明かされたということですか?

ジェームズ そうです。これがアメリカの富裕層の実態です。しかも、そういうバカな子供たちをジョー・バイデンやオバマといった親世代は叱らないどころか見て見ぬ振りをします。完全に狂っていると思いますね。ただ、彼らがどれだけ狂った生活していようと勝手にやっていればいいのですが、問題は、彼らはその傍らでアメリカという超大国を動かしているということです。ロシアも中国もアメリカの権力者の弱みを常に探していますから、狙われていると思います。しかも、ハンターは2013年12月に習近平に会うため訪中しています。そんなことをしたら相手の思うツボでしょう。

 元々薬中毒者のハンターは自己統制がきいておらず、金持ちでなければ確実にホームレスです。そんな人間が中国でおとなしくしているわけがありませんし、中国だって黙って指をくわえているわけがありません。必ず女と薬を用意したはずです。実際、中国で見つかったバイデン関連のパソコンからは14歳くらいの少女が全裸で血まみれになっていたものもあったようです。トカナでも公開されていた写真や動画にしても、もともとは中国側から提供されたものです。

 完全に中国はアメリカの要人の弱みを掴んでいたと思います。少なくともバイデン親子の弱みを掴んでいたでしょう。民主党政権がなぜあれだけ中国に甘かったのか? あれは寛容なのではなく、脅されていたのです。中国の脅しと金に屈したのがアメリカ民主党政権だったのです。


画像は「Getty Images」より引用
──しかし、なぜ、中国はこれを公開したんですか? せっかくの脅し材料が使えなくなりますし、そもそもバイデンが失脚したら意味じゃないですか? ……ん? もしかして中国に売られたんですか!?

ジェームズ そうです、バイデンは中国に売られたんです。ここに来て、中国まで大統領選挙に介入してきたんです。

──えーっ! これまでもカオスでしたけど、さらにグチャグチャになりますよ!!

ジェームズ なりますね。ただし、中国といっても江沢民派の上海閥です。上海閥は現在の習近平派とは対立しています。習近平派はバイデンを支持していますが、上海閥はトランプ支持なので、これは中国共産党内の覇権争いでもあります。中国の反習近平派がバイデン追い落としのために本格的にトランプに乗っかってきたということです。

──ということは、今後トランプは中国と?

ジェームズ 付き合っていくでしょうね。ただし、上海閥と。ですから、現在の習近平中国とはいま以上に激しくやり合う可能性が高まりました。

──すでに大統領選挙後に向けて動いているんですね。


ジェームズ 今回のオクトーバー・サプライズは江沢民派がトランプに乗れると判断できるほどのインパクトがあったんでしょうね。普通は負け馬には乗りませんから。そもそもウォールストリートがいま盛んにバイデン勝利を宣伝しているんです。ということはどう考えてもトランプが勝つと思っているからですよ。

──逆張りですね。昔、ロスチャイルドが、英仏戦争でナポレオンが勝ったと思わせてイギリスの株を暴落させた、あのやり口だと。

ジェームズ 金融屋の基本ですから。なので、トランプの勝利ってかなりかたいと思うんですけど。まあ、これまでも言っているように、選挙で勝とうが負けようが暴動になるので、どっちが勝つかってあまり関係ないと私は思っています。それよりも選挙後を睨んだ動きがもう必要ですね。


画像は「Getty Images」より引用
──中国との付き合い方が変わってくるとかですか?

ジェームズ 上海閥が勝てばトランプは反中国をやめるでしょう。ちなみに上海閥は基本的に売国勢力です。江沢民など反日のくせに、日中戦争時代は日本軍に協力していたはずです。トランプ政権に限らずですが、アメリカは有色人種の国では基本的に売国奴としか付き合いません。実際、ロシア筋によるとコロナも上海閥が習近平派を追い詰めるために仕掛けたと言われています。いくら反対派閥を追い落とすためとはいえ、細菌兵器を国内にバラ撒いて平気なのですから、こちらもデタラメですよ。ちなみに、トランプ関係者から聞いた話ですと、すでにコロナの特効薬はできているそうです。10月末にも発表する予定だったはずですが、このバタバタですから、どうなるかわかりませんが。

──ワクチンじゃなく特効薬なんですね?

ジェームズ 基本的にトランプはワクチンを信用していません。最近はワクチンを認める発言をしていますが、これは選挙用のリップサービスです。反対にワクチンをどうしても売りたいのはグローバリスト系の企業で、これには多くの問題があります。

──ワクチンにはひどい副作用があるそうですね。

ジェームズ 副作用もそうですが、彼らは皮下注射がしたいんです。ワクチンと一緒に、ナノテクノロジーとバイオテクノロジーを融合させたDNAレベルのマイクロチップを人々に埋め込んで、個人を永遠に監視下に置くことを目論んでいます。これをやられたら、スマホの位置情報によるプライバシーの侵害どころではないです。すべての人間を24時間ずっとリアルタイムで監視できます。それだけは絶対に阻止するためにトランプ側はコロナの特効薬の開発を急いでいるようです。このようにすでにトランプ陣営は選挙後のことを考えて動いています。

 一方、バイデン側は政策そのものがないですからね。彼らが勝つと結構厳しい未来になりそうですよ。要は、製薬会社が好き勝手に薬価を吊り上げ、モンサントのような会社が種を買い占め、GAFAたちが情報を独占する世界が進んでいくでしょうね。もっとも、トランプならば絶対に大丈夫とも言いませんが(笑)。

文=ジェームズ斉藤

217. 中川隆[-10142] koaQ7Jey 2020年11月06日 10:11:08 : kW6RB4mKA8 : RXpaSHNGUmhrRVE=[5] 報告
【決定版】ロリコン虐待島「エプスタイン」の顧客リスト全公開! オバマの名も…日本一詳しい「エプスタイン陰謀論」解説
2020.07.07
https://tocana.jp/2020/07/post_162009_entry.html


──去年自殺した小児性愛者ジェフリー・エプスタインのペド共犯者ギレーヌ・マクスウエルが7月2日に逮捕されました!

ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) ついに、CIA右派が左派の恥部にメスを入れ始めたということです。イギリスのアンドリュー王子も危ないと思います。まず、表の話から言いますと、捕まったギレーヌは少女たちのスカウト係兼教育係でしたから事件の全容をほぼ知っています。少女たちに裸のマッサージの仕方を教えたのも彼女ですし、一度のセックスで3回オーガズムに達しなさいとか教えています。で、彼女は2015年にバージニア・ロバーツ・ジェフレさんという女性から訴えられています。ジェフレさんはエプスタインの犠牲者で、エプスタインのほかに民主党の上院議員ともセックスしています。彼女の証言で決定的なのはアンドリュー王子ともセックスしたと言っている点と、誰とセックスするかはすべてギレーヌの指示だったと証言している点ですね。

──エプスタイン亡き今、全容を握っているのはギレーヌだと。

ジェームズ そうです。ただし、その裁判は名誉毀損の民事でしたし、すでに和解していますから終わった話です。今回の逮捕は未成年者の性的虐待とその幇助ですから全然話が違ってきます。ですから、アンドリュー王子は本当に危ないですよ、今回は。

──ただ、今のは表の話なんですよね?

ジェームズ そうです。まず、ギレーヌのお父さんはイギリスのメディア王だったロバート・マクスウェルです。デイリー・ミラーのオーナーで、かなり傍若無人な人だったようですけど、91年にヨットで航海中、海に転落して水死体で上がっているんです。この死に方って凄く不自然で、ロバートは当時どういう状況だったかというと、イスラエルの諜報機関モサドの元将校で武器商人のアリ・ベン=メナシェから、「ロバートはモサドの工作員だ」と告発されていたんです。

──えっ、メディア王が工作員だったんですか!? ありえるんですか、そんなこと。

ジェームズ 十分ありえます。もともと彼の名前はロバート・マクスウェルじゃないんですよ。ヤーン・ルドヴィーク・ホッホというチェコスロバキア生まれのユダヤ人で、家族のほとんどをナチスに殺されています。彼自身はイギリスに逃げのびて、イギリス陸軍に入ってドイツ軍と戦っている英雄なので、イスラエルそしてエージェントとの親和性はかなり高いんですよ。ギレーヌはそんな彼の一番のお気に入りの子供だったようなんですが、あまりに仲が良すぎて一部では近親相姦の関係まで疑われていたんです。


──ユダヤ系とペドというのは……。

ジェームズ これはもう切っても切れない関係ですからね。逆にいえば、ギレーヌという女性はペドの申し子というか、最大の犠牲者といったほうがいいかもしれません。

 いずれにせよ、ロバートはモサド系諜報員であり、ギレーヌがそれを引き継いでいます。もともとCIA右派はモサドと同盟関係にあって、特にCIAの創設に携わったジェームズ・アングルトンがモサドとの関係を強化していたんです。アングルトンはイギリスとアメリカで諜報活動を主にしていて、そのネットワークはいまでも残っています。そのネットワークにロバートがいて、ロバート亡きあとはギレーヌが引き継いだんだと思います。

 その証拠がいまタイミングよくイスラエルから出てきています。イスラエルの元首相エフード・バラクがエプスタインの斡旋で少女買春をしていたんです。リークしたのは現イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフなので信憑性は高いです。この話が本当だとしてエプスタインとバラクをつないだのは誰なのか? という話です。

──当然ギレーヌですよね。


画像は「CNN」より引用
ジェームズ 普通に考えて、彼女しかいないと思うんですよ。ですから、ギレーヌのモサドの諜報員説は、かなり信憑性が高いんです。しかも、彼女が持ってるネタというのはビル・クリントンと英国王家関連のネタですから、トランプ側としては最高なんです。

 クリントン夫妻は例のロリータ・エクスプレスに乗って、エプスタインの乱交島に通っていたのは有名な話ですが、あそこには多くの民主党議員たちも通っていたことがわかっています。実名が出ているだけでビル・リチャードソン元上院議員とジョージ・ミッチェル元上院議員がいます。ビルはクリントン政権下でエネルギー省長官をしていた人ですし、ジョージは同じくクリントン政権下で北アイルランド特使をしていた人です。さらにギレーヌとビル・クリントンが不倫関係にあったというニュースが先日ニュースになっています。二人は乱交島でも会っていたようですし、ギレーヌのニューヨークの自宅でも密会していたことがわかっています。

 ですから、彼女を押さえたということは、トランプ側にとってはかなりのアドバンテージになっています。

──民主党はペドでグズグズですね。しかし、トランプもエプスタインのお友達だったじゃないですか。なので、この件をつつくとトランプにまで火の粉が飛んできませんか?

ジェームズ そこがミソで、エプスタインは実はCIA右派のエージェントだったんです。以前のエプスタイン記事でもエージェント説を唱えましたが、今回CIA右派のエージェント説の確証を関係者から得ました。

──だから、民主党系の上院議員ばかりカモになっていたんですね。

ジェームズ そうです。完全な工作です、これは。実際、2015年にギレーヌを訴えたジェフレさんも、「トランプとは寝ていない。トランプは乱交島に来ていない」と、これでもかというぐらいに否定しています。そもそも、トランプが未成年者と淫行したという証言もなければ、物的証拠もないわけです。ただ友達だったというだけで疑いをかけるわけにはいきません。そんなひまがあったら、証言も物的証拠もあるクリントンや民主党議員、アンドリュー王子たちを追及するべきです。また、今後、トランプに関する物的証拠が出てきても司法長官のウィリアム・バーが握りつぶすでしょう。バーはCIA職員出身で、CIA右派のドンですから、トランプを守ります。彼が司法長官でいる限り、トランプは絶対安全です。

──それにしても、エプスタイン事件って物凄いハニートラップだったんですね。

ジェームズ はい。今回のペド専門セクスピオナージ工作(編集注:スパイを意味するエスピオナージと、性行為を意味するセックスが合体した造語、詳しくは過去記事参照)は実に巧妙です。なにしろ、クリントンなど完全にCIA右派の敵対勢力のみが罠にはまっているわけですし、トランプ側の関与は実際の行為の証拠や人身売買の取引がないと立証できないのでまったく問題にならないと思います。

 また、セクスピオナージのお手本のような工作で、ギレーヌは実際の少女たちのリクルートを行なっていました。公園などで少女たちをひっかけ、徐々に性奴隷に仕立て上げていくプロセスは完全に諜報員のやり方です。これは前回のケヘル夫妻のセクスピオナージ工作の時にも話しましたが、ギレーヌはswallowという役割分担がしっかりやっていて、エプスタインはravenを演じ、エプスタインの乱交島がswallow’s nestです。エージェントの基本はセクスピオナージにあることがこの事件で証明されたと言っていいでしょう。

【続報】
 ギレーヌ・マクスウェルが逮捕された数時間後、さっそくQアノンが公式Twitterでエプスタインの顧客リストを暴露しました。アンドリュー王子と少女との決定的な画像もリークされています。


アンドリュー王子とデザイナーのChris Von Aspen

 リストにはリベラル派が多いハリウッドのスターたちの名前がいくつもありますが、私(筆者ジェームズ)としてはバラク・オバマの名前が気になります。オバマに捜査の手が入ると、民主党エスタブリッシュメントは崩壊します。バイデンが当選することも不可能になりますからトランプの勝利は確実です。

 情報の信憑性も高いです。QアノンはArmy of Northern Virginiaというデルタフォース中心の特殊部隊関係者率いるCIA右派グループが運営しています。エプスタインもCIA右派のエージェントで同族なので、暴露情報は既に渡されており、ギレーヌの逮捕をもって公開に至っています。

 今後、ギレーヌはQアノンがリークした情報とほとんど変わらない証言してくるはずです。それによってトランプ支持者の間で、Qアノンに対する信頼度はさらに上がります。この早いリークはその効果も狙っています。

 今後はリストにも名前があったビル・クリントンなど民主党勢力(CIA左派)に対する捜査、訴追、起訴、逮捕、断罪の流れになりますが、ペドゲートは民主党つぶしのための氷山の一角です。もっとキナ臭いのはセス・リッチ射殺事件です。米大統領選には必ずオクトーバー・サプライズがありますので、そのタイミングでこの爆弾が爆発する可能性は高いです。ペドゲートで民主党勢力が潰されていなければの話ですが、トランプ陣営はいまかなり有利になりました。

※=ジェームズ斉藤

https://tocana.jp/2020/07/post_162009_entry_3.html


▲△▽▼


ロリコン島・エプスタイン事件、日本一詳しい最新情報+トランプ!「欧米の超エリートは全員ペドの道を通る」某国諜報員が解説!
2020.08.05
https://tocana.jp/2020/08/post_165257_entry.html

 多数の少女を食い物にしてきた小児性愛者ジェフリー・エプスタインの事件について、続報が入ってきた。共犯者であるギレーヌ・マクスウェルの裁判で何が明らかにされたのか? ドナルド・トランプ米大統領との関係は? 前回に続き、ジェームズ斉藤が解説する。


ジェフリー・エプスタインとギレーヌ・マクスウェル。画像は「BBC」より引用
──ギレーヌ・マクスウェルの裁判記録が公開されました!

ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) かなりの量ですね。いま見ているところですけど、トランプやクリントンの名前がよく出てきてます。ただ、目ぼしいものは過去の裁判記録からのものがほとんどですね。速報しているサイトを見ても、ビル・クリントンがペド島に来ていたと証言しているジュフレさん(エプスタインの犠牲者)のものばかりで、あとはアラン・ダーショウィッツというトランプの弾劾裁判の時の弁護士の名前があるぐらい。イギリスのサイトではアンドルー王子の話題が多いですが、やっぱり過去のものです。王子はほぼ間違いなくやってますからね。

──エプスタインのペド島に行った人って、ほとんどが民主党系、極左系の人ばかりですけど、今回はトランプ系のアラン・ダーショウウィッツの名前もありますが、これはどういうことですか?

ジェームズ 彼はユダヤ人のエリートですから、かなりの確率で黒なんじゃないですか。しかし、ペドはエリートなら誰でもやってるんですよ。欧米人のエリートは上にいけば行くほどやってます。これは以前、お話した古代宗教と関連している話ですから、やってない人のほうが少ないと思います。

──トランプはダーショウィッツを守る気はないんですか?

ジェームズ どっちでもいいと思いますね。ダーショウィッツのほうは守ってほしいでしょうけど。そもそもトランプ自体も一回ロリータエクスプレスに乗ってペド島に行ってるんですよ。ただし、ジュフレさんは、島ではトランプを見ていないと証言しています。ペド島ではクリントンとアンドルー王子なんかがいて、あらゆる場所で乱交が行われたと証言していますけど、トランプはいなかったと言ってますね。

──あらゆる場所でですか!?

ジェームズ そのための島ですから。だから、逆に島に行ってなにもしなかったトランプのほうが異常ですよね。別の目的があったんじゃないかと思います。たぶん、雇用主がエプスタインはちゃんと仕事をしているのかを見に行ったということでしょう。エプスタインはCIA右派のエージェントでしたから。


●近親相姦のにおわせ

 あとトランプはロリータにはそれほど興味ないんじゃないんですかね。確かに疑いはあるんですよ。自分の娘であるイヴァンカ・トランプとThe Viewというトーク・ショーに2006年に出演した時は、女性陣の前で「イヴァンカは容姿も優れ、自分が親でなければおそらくデートしていただろう」と、すでに成人していた娘と近親相姦を匂わせる際どい発言をしていますし、当時未成年であったリンジー・ローハンを評して「そばかすが素晴らしい。そばかすには妙に引き寄せられるものがある」とインタビューで発言してますから。

●トランプ放尿疑惑事件

 その一方、以前、ロシアでスキャンダルとして噂されたものにゴールデンシャワー事件があります。ゴールデンシャワーとは、もちろん放尿プレイのことです。ですから、実際のプレイに関してはペドではなく、スカトロ系ではないかと推測されます。いずれにせよ、トランプは確実に変態で、異常性癖を持っていることは一部の人脈では周知の事実です。ゴールデンシャワー説というフェイクニュースが拡散したのもトランプ本人が元々変態であったことが知られていたからですので。

 ただし、近親相姦発言やゴールデンシャワー説は証拠がなく、妄想レベルなので、トランプ自身に異常性癖はあったとしても社会の許容範囲です。つまり、どういう変態なのかで人の品位は決まります。犠牲者を出さないというのはとても重要です。

──つまり、トランプはイイ変態だったんですね。で、この事件でたぶん、これからビル・クリントンに対する捜査が入ると思うんですが、今後事件はどんなふうになるんですか?

ジェームズ 今後、クリントンに捜査のメスが入っていくとは思いますが、ここでしっかり見ていかないといけないのは、これから誰が捕まるか、誰がペド島に行ったのかという部分ではありません。そもそもこの事件はセンセーショナルなんですけど、わざわざこの時期にやる話でもないんですよ。だって、いまポートランドでは、アンティファを始めとする暴徒たちが裁判所を燃やしたりしてるんですから。


●CNNなど極左メディアはエプスタイン事件を無視

──ポートランドの裁判所を守っていた警察官が生きたまま焼き殺されるところだったとブライトバートというニュースサイトで言ってましたね。

ジェームズ そっちのほうが重要ですよ。もちろん、アメリカでは重大事件としてどこも扱ってますが。だから、ペド事件は、少しランクは下がりますから、それほど騒ぐ事件ではないんです、もともと。ただし、元大統領のビル・クリントンが二人の少女とペド島に来ていたとジェフレさんは証言しているので、まったく無視するのも問題なんです。まったく無視しているのはCNN、MSNBC、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどの極左メディアばかりです。なので、この事件を各メディアがどう扱うかは注目に値します。

 ただし、大切なのは今後誰が捕まるかではなくて、トランプ派がなにを狙っているのか? なんです。実は、マクスウェルが捕まる直前にニューヨーク南地区という司法の区分けのエリアがあるんですけど、そこはマンハッタン、ブロンクスとかを含むウォールストリートの金融犯罪を裁くところで、エプスタイン事件も担当してるんですね。で、マクスウェルが捕まる直前にその地区の検察のトップが現司法長官バーの圧力によってクビになっているんですよ。バーはトランプ派でCIA右派のドンなんですけど、そのバーが極左だった検察のトップをクビにしたということは、この事件は国策捜査なんですよ。

●トランプの狙いはヒラリー?

──国策。つまり、なにか狙いがあるんですね。

ジェームズ ただのセンセーショナルなスキャンダルではありません。もちろん、クリントンの捜査はこれから進むでしょう。それだけでも民主党及び極左勢力にとってマイナスですけれど、トランプとバーは、クリントンはクリントンでも、もうひとりのクリントン、ヒラリーのほうを狙っているんですね。

──いまさらですか!? 彼女はもう失脚してるようなものじゃないんですか?

ジェームズ いえ、トランプは2016年の選挙戦の時から「Lock her up!」、彼女を牢屋にぶち込め、と言っているんですね。彼女とはもちろんヒラリーのことで、ヒラリーを国賊的な犯罪者だと言っているんです。実際、彼女は国賊と言われても仕方ないことをやっているんですよ。それがベンガジ事件です。リビアの米国領事館がアルカイダに襲われて米外交官と米大使、ネイビーシールズの隊員二人が殺されているんですが、このアルカイダに武器を渡していたのが当時国務長官をしていたヒラリーの可能性が高いんですね。

──えっ!? そんなことあるんですか!

ジェームズ だからこそ、トランプ派は「Lock her up!」と言っていまだに怒りを隠そうとしていないんです。以前、彼女は私用メール事件というのを起こしてたんですが、覚えてます?

──日本では公務を私的メールで行っていたとか、情報を漏洩させたとかって報道されていました。

ジェームズ 全然違います。ヒラリーは私用メールを使って、リビアからシリアに武器を輸送して、イスラム国の前身である自由シリア軍に武器を渡していたんです。アルカイダたちはその武器を使ってリビア領事館を襲ったんです。

──それはもう公になっているんですか?

ジェームズ 2016年だと思うんですけど、徹底追及されてヒラリーも議会に呼ばれて宣誓下で証言しています。しかし、この時は逃げ切ったんですよ。FBIが私用メールの解析をしたんですけど、まったくなにもでなかったということだったので。FBI長官のジェームズ・コミー自身が「ヒラリーは注意に欠けていたが、問題はない」と結論を下しました。

──では、終わった事件なんですね。

ジェームズ 一旦終わっているんです。しかし、当時のFBI長官のコミーはヒラリーとズブズブの仲だったんですよ。彼は元ロッキード・マーティンの上級副社長をしていたり、HSBC(香港上海銀行)ホールディングスの取締役だった人ですから。

──ロッキードと香港上海銀行って(苦笑)。

ジェームズ 軍産複合体とグローバリストのど真ん中の人です。もちろん当時の司法長官もオバマ派なのでほとんど追及されなかったんです。でも、いまは司法長官がバーなので深いメスを入れることが可能となっています。FBI長官もクリストファー・レイでトランプ派に変わりましたし。で、そういう体制が整った中で、マクスウェル事件&エプスタイン事件つまりペド事件を蒸し返すというのは意味があるんです。

 というのも、今回、公開された裁判記録を見るとFBIがまったく仕事をしていないことがわかるんです。ジェフレさんが、ビル・クリントンがペド島にいたという証言を最初にしたのはFBIの捜査官なんです。ところが、FBIはこの証言を握り潰しているんです。ほかにもペド島に関する証言をいくつも彼らは潰しています。そういう過去の悪事が今回の裁判記録公開であぶり出されてきたんです。

──それで納得しました。いま海外のサイトを見てるとマクスウェル事件が結局、FBI批判につながってて、これなんだろう? って思っていたんですよ。

ジェームズ それが狙いです。今回のペド事件でFBIは全然仕事をしてなかったというのが証明されたんです。つまり、コミーが民主党政権を守っていたことがバレてしまった。本当はヒラリーのメールにはベンガジ事件につながる証拠が残っていて、コミーが握りつぶしたんじゃないか、といえるきっかけができたんです。


──トランプはヒラリー潰しが目的だったんですね。

ジェームズ そうです。実際、いまトランプ派では頻繁にベンガジ事件(2012年アメリカ在外公館襲撃事件)の話題が出ていますから、これは確実に狙っています。ただし、一番の目的は選挙に勝つことです。そのためのベンガジ事件です。というのもバイデンの副大統領最有力候補がスーザン・ライスなんです。彼女もヒラリーとともにベンガジ事件で暗躍してるんですよ。共和党議員からは蛇蝎のごとく嫌われています。ただし、見た目が悪くないし、元ナショナル・セキュリティ・アドバイザーでもあったので、バイデンが副大統領候補として指名すると強力なライバルになります。

 この記事が出る頃にはもう決まってる可能性もありますが、バイデンは副大統領候補に今、とても苦慮しています。ポリティコというアメリカの極左系政治メディアには、カーマラ・ハリスを副大統領に指名するという記事が突如出て、すぐに削除されたりしています。現場が右往左往している証拠なんですよ。

●大統領選はどうなる?

──今8月に入ったばかりですけど、この時点で副大統領候補が決まらないというのは異例のことなんですか?

ジェームズ バイデンは8月の第1週に発表すると言っています。8月17日にバーチャル民主党大会をやる予定なので、それまでには決めるでしょう。バイデンとしては女性票を集めたいんで副大統領候補は全員女性ですね。さっき言ましたスーザン・ライス、カーマラ・ハリス、エリザベス・ウォーレン、タミー・ダックワーズ、カレン・バスといったところです。このうち白人なのはエリザベス・ウォーレンだけで、あとは全員有色人種の血がまじっているというのも民主党らしいです。

 面白いのがエリザベス・ウォーレンで、彼女は見た目、金髪の普通の白人なんですが、折に触れて自分は先住民族チェロキー族の血を引いていると発言しているんです。その挙げ句、自分でDNA検査を受けて6世代前に先住民族の血が入っていたとか言い出してます。


エリザベス・ウォーレン。画像は「Wikipedia」より引用
──あれ? もしかして、その人ってトランプがポカホンタスとか言ってバカにして大問題になった時の人ですか?

ジェームズ そうです。トランプはそこまでして先住民族になりたいなら「ポカホンタスだ」とからかっただけなんですよ。この発言もいずれにせよ、差別発言なんですが(笑)。ただ、白人のくせにことさら先住民族ぶる姿勢には、先住民族の人たちのほうから不快感を表明されています。そういう変わった人がエリザベス・ウォーレンです。

──前から思っていたんですけど、民主党の人って「私は白人じゃない」アピールをする人ってちょこちょこいますよね?

ジェームズ 今の民主党の白人って自虐的なのが売りなんです。自虐的になればなるほど票が取れるという図式があるんです。だから、民主党の議員って普通のアメリカ人からすればおかしいんですよ。どう見たって白人の金髪女性なのに「私はインディアンです」っていうんですから、「なにを考えてるんだ?」と思うわけじゃないですか。

 あとはタミー・ダックワーズもインパクトはありますね。彼女はタイで生まれた、白人とタイ人のミックスで、元軍人です。イラク戦争に従軍して両足をなくしてるんですよ。だから、戦争の英雄なんです。その一方で、博士号も取ってるインテリでもあるので、強力な候補になる可能性もあります。ただ、ラッシュモア山というアメリカの大統領の顔が刻まれた山があるんですけど、そこでトランプが演説した時、「あの山は先住民族からまきあげた土地だ。そこで演説するなんてもってのほかだ」といって批判しています。


──いや、それを言ったらアメリカのすべての土地は先住民族からまきあげた土地だと思いますが。

ジェームズ ですから、リベラル剥き出しのデタラメな人でもあるんです。ただ、軍歴は素晴らしい人で、こういう人がいま副大統領候補としてしのぎを削ってて、トランプはどんな人間が出てきても叩けるように仕込んでるんですよ。ですから、ペド事件だけでも叩きどころがたくさんあるんですが、スーザン・ライスのような元ナショナル・セキュリティ・アドバイザーが出てきた時でも潰せるように策を練っています。あとは最終的にヒラリーを起訴して刑務所に入れるというところを見据えて動いていると思います。ヒラリーが刑務所に行ったらやはりバイデンは危機に陥るんで。

──わかりました。今後のペド事件つまりマクスウェルの裁判はそういう見方が正しいということですね。

●日本にとって最も都合のよい大統領は?

ジェームズ そういう見方はありますね。あと、日本にとって民主党政権がいいのか、共和党政権がいいのかということも考えてほしいと思います。例えば、スーザン・ライスは中国の新型大国間関係というものを容認する姿勢を取っているんです。新型大国間関係というのは、中国とアメリカで世界を牛耳りましょうという提案で、最終的にはハワイから西は中国、東はアメリカで分け合おうという話です。これは日米同盟をないがしろにする話なんですが、スーザン・ライスは認めているんですね。バイデンもオバマ時代に副大統領として習近平と会談しているんですが、この会談直前に中国は尖閣諸島の日本の防空圏に核爆撃機を飛ばしています。バイデンはそれについて一言も抗議していません。バイデンもライスも親中派なんですよ。そんな人がアメリカの指導者になるのは日本の国益になるのかどうかですね。

──まあ、これはなにも抗議しない日本に一番の問題があると思います。ただ、ライスやバイデンがなにも抗議しないのもおかしいですよね。米国の覇権体制をおびやかしているわけですから。だから、日本もアメリカも変な政治家が多いですよね、売国的な人が結構いて。

ジェームズ だから、民主党のやってることって一貫して反米的なんですよ。逆にトランプ派は一貫して米国の利権を守る、北軍的アイデンティを守るということなんです。ですから、現在の日本から見て、尖閣諸島を守るという観点だけから見ても、どっちのほうが日本の国益に適っているかというと圧倒的にトランプ政権のほうなんですよ。

 ただし、トランプは日本のことを思って行動してるわけではないですよ。アメリカから見ても職を中国に奪われていって産業の空洞化が起こって内陸部では貧困が著しいんですよ。これをどうにかしないとアメリカはずっと中国や国際金融資本に搾取され続けるんです。なのに、民主党は中国の味方をやめないんです。その理由は金のためです。今の政治家はあまりにも金のために動きすぎているんで、エージェントからすれば、言語道断ですよね。

──ジェームズさんは、だからトランプを応援するんですか?

ジェームズ ああ、そう見えるかもしれませんね。でも、私の立場はどちらでもないです。トランプ政権も民主党も結局はバックに諜報機関がおり、双方が謀略でしのぎを削っています。あえていうなら、トランプのほうが面白いですね。逆に民主党政権はものすごくつまらない。トランプの方がはるかに謀略のレベルが高く、民主党は肝心の政策も抽象的なことばかりで、応援しようがないんですよ。ですから、民主党政権が今後対トランプで面白い仕掛けをしてきたら、そちらに乗ると思いますよ。いまはトランプのほうが面白いですね。

文=ジェームズ斉藤


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副大統領に指名カマラ・ハリスの知られざる正体! 究極の人権無視、白人至上主義者、エプスタイン大量献金…ジェームズ斉藤が暴露!
2020.08.17
https://tocana.jp/2020/08/post_166847_entry.html

──民主党のアメリカ大統領候補ジョー・バイデンがカマラ・ハリスを副大統領に指名しましたが、結構、クセのある女性らしいですね。

ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) 彼女は極左地域である、サンフランシスコエリアで育った人で、両親ともに極左の学者でプロ市民ですね。ですから、本人もプロ市民の道をずっと歩んできた人です。彼女は後に地元サンフランシスコの検事総長になり、熾烈な法適用で、冤罪を大量生産して、黒人や有色人種を徹底的に弾圧しました。

──えっ、極左なのに白人至上主義者なんですか?

ジェームズ いえ、民主党はもともと白人至上主義者で、奴隷制賛成派なんです。アメリカ人も含めて、ほとんどの人がそこを誤解しています。民主党は南北戦争の時には南軍を応援していましたし、白人至上主義者組織KKKの支援者でした。事実、ハリスの父の家系も19世紀ジャマイカの大奴隷地主だったんです。逆に共和党は北軍を支持し、奴隷制反対だったんです。それがいま逆転していることを多くのアメリカ人は忘れているんです。移民たちはもともとそんな歴史を知らないですし、CNNも絶対に放送しません。ですから、民主党=移民の味方、黒人の味方と思っているんです。

──民主党が黒人の味方だとずっと思ってました。

ジェームズ 真相はその逆です。表では黒人の公民権保護を謳っていますが、裏では奴隷制を彷彿させるような基本的人権弾圧を行なっています。実際、ハリスは検事総長の時代に刑務所の囚人を利用した労働事業を拡大しているんですが、その内容がひどいんです。囚人を1日わずか2ドルの報酬で消防士に仕立てて、カリフォルニア州でよく起こる山火事の火消しという究極の3K労働をさせていました。

──いくら囚人とはいえ1日2ドルですか!? これ日本円で200円とかですよ。

ジェームズ ひどいですよね。日給200円強で命がけの山火事消火ですからね。絶対何人か死んでいると思いますし、事実上の奴隷制です、これは。彼女がこんなことをする背景には検事総長の選挙があったんです。検事総長は市民の投票で決めるので、地元の極左利権を牛耳る白人富裕層に認められたいという野望があったんです。ですから、安価な労働力として囚人を提供したんですよ。

──その極左の白人富裕層にしても、「私は移民や黒人の矯正に一役買っていますよ」という宣伝になるわけですしね。 

ジェームズ もちろんです。いまの白人至上主義者はムチを使わないんです。彼らの代わりに有色人種がムチをふります。つまり、それがハリスの役割で、彼女が検事だった時期は、ストリートの黒人やヒスパニックは見た目が悪いってだけでガンガン捕まえていました。お陰で、犯罪数は減ったんですけど、それはそうですよ、ストリートにいる黒人たちは犯罪予備軍であることには間違いないんですから。犯罪を犯す前に捕まえてしまえという、究極の人権無視です。


──今、ふと思ったんですが、これってスリーストライクス・ユー・アー・アウト法とも関係してますか?

ジェームズ そうです、ありますね。犯罪を3回犯したら3回目はどんな軽い罪であっても何十年もの禁固刑に処すという法律ですよね。実はあれはジョー・バイデンがもとを作ったんですよ。この頃からバイデンは差別主義者で「信号無視だって人が死ぬかもしれない重罪だ。死刑以外の重い罪を科すべきだ」と発言しているんですが、スリーストライクス法で捕まるのはほとんどが黒人で、バイデンだって、それはわかっていたはずです。実際、米国法曹界では「法のマクドナルド化」と批判していました。その意味はハンバーガーのように見た目がイカツイ黒人の囚人が大量にできあがる、というもので、事実そうなりました。

副大統領に指名カマラ・ハリスの知られざる正体! 究極の人権無視、白人至上主義者、エプスタイン大量献金…ジェームズ斉藤が暴露!の画像2
ジョー・バイデン。画像は「CNN」より引用
──バイデンは先日「民主党に投票しない黒人は黒人じゃない」とも言ってましたね。

ジェームズ ですから、彼は根っからの差別主義者だと思いますね。黒人を軽蔑して、とことん利用するというのが民主党の極左議員の特徴です。これはハリスも一緒で、彼女が犯罪者を刑務所に次々にブチ込むことができたのもスリーストライクス法のお陰です。それで囚人を使った奴隷ビジネスを始めるのですが、あまりにもやりすぎてサンフランシスコの刑務所が一時囚人で溢れかえって大問題になっています。これを見ても彼女が囚人を更生させる気がないことがわかりますよね。

──それが民主党の副大統領なんですね。

ジェームズ そうです。バイデンが勝てば本当の副大統領になります。ですから、アメリカの黒人はますます不幸になると思いますね。で、不幸になるのはアメリカの児童も同様です。

──えっ!? もしかして、また、ペド案件ですかぁ。

ジェームズ そうです。実はハリスの法律の専門分野は児童性虐待なんですよ。しかも、立ち位置としては反児童側で、検事時代にはセレブによるペド事件の捜査中止命令を下したり、ハリウッドのペド防止法施行を拒否したりもしていますね。しかも、彼女は、エプスタインの法律事務所からも大量の献金をもらっています。

──えーっ、ここでもまたエプスタインですか!!

ジェームズ アメリカのペド事件はすべてエプスタインにつながるんですよ(笑)。まあ、彼が元締めだったわけですから。注目なのは、2011年にはトランプからも彼女は献金をもらっています。おそらくこれもペド関連だと思います。

──う〜ん、ということは、一時はトランプ派だったということですか?

ジェームズ 違います。この時トランプは大統領ではなかったですし、ビジネスマンとして民主党にも共和党にも献金するというスタンスだったと思います。逆に、トランプから金を貰ったことで民主党の大統領候補として出馬した時に、対立候補から責められていますね。彼女は移民支援の団体に寄付したと言っていますが、それは何年もあとの話で、検事総長再選の時に使っているはずです。

──それにしてもバイデンは凄い人を持ってきましたね。

ジェームズ 実はバイデンは認知症がかなり進んでいまして、だから、バイデン陣営はヤリ手の元極左検事総長のハリスを副大統領に任命したという背景もあるんです。さらにもうひとつ彼女を起用した理由には、政権奪取後にトランプを逮捕したいという思惑があると思います。ですから、バイデン陣営としては「Lock him up!」を狙っていると思います。トランプをぶち込めです。一方、トランプは「Lock her up!」でヒラリー・クリントンの収監を狙っています。牢屋に入るのはトランプか、ヒラリーか、今年のアメリカ大統領選挙はそういう戦いとして見るのも、いいとっかかりになると思いますね。


文=ジェームズ斉藤


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続々と発覚するエリートの“小児性愛ペド事件”は、生贄儀式「モレク」と関連してた! エプスタインだけはない!
2019.11.26
https://tocana.jp/2019/11/post_125987_entry.html

 今年の秋から来年3月まで、イタリア・ローマのコロシアムに、古代中東で崇拝されていた神「モレク」の像が設置されることになり、バチカンが激怒しているという。古代カルタゴ、フェニキアでは子供の生贄をモレクに捧げ、豊作を祈願していたが、ユダヤ・キリスト教では邪教として、これを崇拝することは固く禁じられている。

 もちろん、現在ではそのような宗教は実践されていない。今回の展示も純粋に文化的なもののはずだ……しかし、オルタナティブニュース「Collective Evolution」(11月20日付)によると、いまも人目を忍んで邪教の儀式が行われているかもしれないという。

 その証拠の1つが、大富豪の小児性愛者ジェフリー・エプスタインのケースだ。エプスタインは、所有するロリコン乱交島(リトル・セント・ジェームズ島)で、小児性愛者の政財界の大物たちに少女たちを提供していたのだ。エプスタインのペドファイル・リングには、英国のアンドルー王子、ビル・クリントン元米大統領など超大物が足繁く通っていたことが判明している。特にアラブの富豪はロリータ嗜好が強く、そうした人物への“接待”として使用されていたらしい。


 某国諜報機関関係者で、トカナ寄稿者でもあるジェームズ斉藤氏によると、ユダヤ教を始めとする一神教の登場により中東のロリータ文化は弾圧されたものの、「近代になりグローバリストと呼ばれる世界エリートは、表向きには一神教信仰を標榜しつつ、裏では自らの権力拡大のためロリータを含む古代中東発祥のペイガニズム(異教崇拝)の儀式を行っている」そうだ。そして、ペドファイル・リングは、グローバルビジネスにおける通過儀礼的な位置を占める重要な文化になっているというから恐ろしいことこの上ない。

 古代中東の異教が復活しているとすれば、世界のエリートたちは小児性愛だけに満足しないはずだ。その先にはモレクの復活がある。そのことを示すかのように、2016年に情報漏洩サイト「Wikileaks」が公開したヒラリー・クリントン氏のメールには「モレク」が言及されているのだ。

ヒラリー氏も夫のビル・クリントン米元大統領と何回もエプスタインのロリコン島に足を運んでいることが分かっている。真偽は不明だが、ヒラリー氏は少女性愛者であるという話も……。

 さらに、トカナでも報じたように、オランダの起業家で元イルミナティメンバーだと告白したロナルド・ベルナルド氏も、子供を生贄に捧げる儀式を目撃したと顔出しインタビューで暴露している。子供の生贄を要求する儀式、つまりモレク神の崇拝が行われていたということだろう。

 また、過去にそうしたカルトグループが実在していたことが明らかになっている。1988年、米・ネブラスカ州で発覚した「フランクリン・スキャンダル(フランクリン児童買春組織疑惑)」では、全米から集められた少女が米政府高官を含むエリートたちに性的に虐待され、悪魔崇拝の儀式として、子供たちが生贄に捧げられていたとされる。後に被害者の少女は、ペドファイル・リングのメンバーが、新生児の女児や幼い男児を焼き殺し、その肉を食べていたと証言しているそうだ。

 モレクはとうの昔に復活していた。エプスタインはもちろんそうした儀式の存在を知っていたはずだ。彼ほどの権力と金を持つ歪んだ人間である、生贄の儀式をやっていた可能性は高いと見た方が良いだろう。まだまだ明らかになっていない事実がロリコン島には隠されていそうだ。エプスタインの“自殺”はますます怪しい。今後、全貌が明らかになることはあるのだろうか?

参考:「Collective Evolution」、ほか
https://www.collective-evolution.com/2019/11/20/a-child-sacrifice-god-now-on-display-in-rome-raises-questions-about-elite-pedophilia-ritual-abuse/



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「子どもが生贄に…」元イルミナティ構成員が“顔出しインタビュー”で号泣暴露! 脱退時には激しい拷問も!
2017.08.24
https://tocana.jp/2017/08/post_14250_entry.html

 世界を裏で牛耳っているとされる秘密組織「イルミナティ」にかつて在籍していた元メンバーの顔出しインタビューが公開された。組織の内部事情から組織を脱退するに至った衝撃的な事件まで赤裸々に語っている。


■涙の告発「子どもが生贄に…」

Big money: Revelations of an insider Part 1 (NL/FR/ENG/FIN/ES) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=39YQbv6vEFA&feature=emb_title


 オランダの新興メディア「De Vrije Media」のインタビューに応じたのは、オランダ人のロナルド・ベルナルド氏(オランダの金融会社「de blije b」の創設者)。もともと企業家として財を成したセレブだったが、成功への欲望はそれで満たされることなく、 “マイナス100度の冷凍庫に良心をしまって”金融業界に参入。出所の怪しい金のマネー・ロンダリングなど違法な業務に、最高レベルで5年間携わりながら、世界金融の仕組みを学び、銀行・各国政府・諜報機関・テロ組織がいかに結託して世界のマネーを回しているかを理解したと語っている。その間、ロバート氏は冷徹無常な“サイコパス”になる訓練を受け、たとえ携わった業務の影響で自殺者が出ても、同僚と笑い飛ばすような人間になっていたそうだ。

「私たちは、人々を見下し、嘲笑っていました。人もモノも単なる商品、廃棄物であり、全ては無価値なゴミです。自然、地球だってそうです。全てを燃やし破壊したって構わないのです」(ベルナルド氏)


 金融業界でかなりの実力者となったベルナルド氏は、クライントの紹介で悪魔崇拝者の秘密サークルと終身契約を結ぶことになる。ベルナルド氏曰く、彼らの教会では、まるで映画『アイズ・ワイド・シャット』の1シーンのような異教的で官能的なミサが開催されており、ベルナルド氏も大変楽しんだとのことだ。しかし、終わりは突然やってきた。ベルナルド氏が良心を取り戻す事件が発生したのだ。それは、生贄を捧げる儀式に立ち会った時のことだという。

「それでは、今回私がインタビューを受ける理由となった出来事をお話しましょう。それは海外で開かれた、生贄を捧げる儀式に招待された時のことです。これが、限界でした……生贄にされたのは子供たちです」(同)

「彼らはこんな儀式を何千年も続けているのです。私はかつて神学を学んでいたのですが、聖書にはイスラエル人がこういった生贄の儀式をしている記述があります。イスラエルの最初の10部族がバビロンで捕囚されたのも、子どもを生贄に捧げるこの儀式のせいです」(同)


■脱退時には激しい拷問も

 ベルナルド氏は子どもたちを生贄に捧げるよう命令されたが、それを拒否。この時から彼の精神は徐々に壊れていったという。涙を流しながら告白を続ける。

「もう私はまともに機能することができませんでした。成果も振るわなくなり、仕事を断るようになっていきました」(同)

 それでもベルナルド氏は極めて責任の重いポジションにあったため、簡単に仕事を辞めることはできなかったという。そしてある日、ベルナルド氏の体は完全に機能が停止、気が付くと病院の集中治療室で寝ていたそうだ。辛い記憶のため多くは語らなかったが、これには組織脱退時の過酷な拷問が関係しているとのことだ。最後にベルナルド氏は、ある書物を読むことが、この組織のことを知るために重要だと語っている。

「『シオン賢者の議定書』はトンデモ本だといわれていますが、この信じられないほど退屈な本を読み通すことをおすすめします。これを読んで理解すれば、毎日の出来事が新聞を読むように分かるようになるでしょう」

 以上がインタビュー第一弾(現在のところ第三弾まで公開されている)の内容だ。これまで噂されてきたイルミナティの黒い話がほぼ事実だったことが、これで明らかになったと言えるだろう。第二弾ではさらに深く世界金融とイルミナティとの関係が詳細に語られている。辛い記憶を掘り返し、涙を流してまで告白してくれたベルナルド氏の勇気に拍手を送りたい。
https://www.youtube.com/watch?v=39YQbv6vEFA&t=1513s


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CIA、KGBなら誰でも知ってるスワッピング・スパイ作戦「セクスピオナージ」を徹底解説! “天才SEX夫婦”のググれない歴史をスパイ関係者が暴露!
2020.06.02
https://tocana.jp/2020/06/post_158008_entry.html

 今回は世界の伝説的なスパイについて話してみたいと思います。

 まず、皆さんはセクスピオナージという言葉を知っていますか? これは我々の業界用語で、スパイを意味するエスピオナージと、性行為を意味するセックスが合体した造語です。要はセックスを使って情報を入手する方法で、代表的なものがハニートラップになります。

 ただし、今回紹介するセクスピオナージは、通常のハニートラップとは次元の違うもので、夫婦によるエスピオナージ、つまりスワッピングを使ったオペレーションなのです。

 実は70年代80年代のアメリカでは、議会関係者や軍関係者がよく秘密のスワッピング・パーティーを開催していました。かなりストレスが溜まる仕事なので、こういうことで発散させていたんでしょう。以前、記事で紹介したジェフリー・エプスタインのペドフェリアにしてもそうですが、欧米のエリートには変態性癖を持つ者が少なくないということでもあります。

■チェコのスワッピングスパイ夫婦

 そんな変態エリートたちの嗜好に見事にハマったのが、チェコのスワッピング・スパイ夫婦カレル・ケヘルとハナ・ケヘロヴァーです。


カレル・ケヘルとハナ・ケヘロヴァー。画像は「The Guardian」より引用

 彼らの経歴ですが、ハナは、共産党幹部を父に持つ青い目の美人で、63年にケヘルと結婚した時には19歳という若さでした。

 一方ケヘルはヨーロッパ屈指の名門校カレル大学(旧プラハ大学)を卒業している逸材です。もともとは反体制的思想な持ち主で、15歳の時にすでに秘密警察に睨まれていたほど筋金入りの闘士でしたが、20代後半に体制派に鞍替えします。きっかけはテロ活動で捕まったとか、拷問されたとかではなく、未成年の少女たちを家に呼び込んで乱交していたところを逮捕されたためです。「自分の趣味を邪魔されるぐらいならば、思想なんか捨てる!」という、ある意味筋金入りの変態だったわけです。別の言い方をすれば、セクスピオナージの才能はこの時から光っていたことがわかります。

 エージェントになったケヘルは、2年ほどエスピオナージの訓練を受けたのち、62年からペドロというコードネームで諜報活動を開始します。そして、30歳の時にハナと結婚し、翌年、オーストリア経由で共産国から逃げてきた東欧人夫婦としてアメリカ社会へと入っていったのです。

 以上がアメリカ入国前までのざっとした経歴ですが、忘れてならないのが、夫婦が渡米することになった経緯です。

 1965年つまり夫婦が渡米する少し前、ケヘルはチェコ当局から自宅に訪問を受けます。「アメリカに行ってCIAに入局しろ」彼は返事をする前に尋ねました。「CIAにはどうやって入るんですか?」すると当局は「それは君次第だ」と答えるのみだったのです。要は、アメリカに入国するまでは面倒を見るけれど、その先は「自分でなんとかしろ」という、いわば丸投げ状態の指令だったのです。

こんな経緯で入国した夫婦でしたから、入国当初から自活の道を切り開いていきます。夫のケヘルは頭脳を生かしてアイビーリーグの名門校コロンビア大学大学院に入学します。狙いは同大学院のロシア研究の教授ズビグニュー・ブレジンスキー氏に近づくことでした。当時、ブレジンスキーは米国における対ソ政策の第一人者でした。その彼に近づくためにブレジンスキーの研究室に入り、指導教授として仰ぐようになるのです。ブレジンスキーはのちにカーター政権で国家安全保障のアドバイザーを務めるほどの大物となりますから、ケヘルの判断力、人を見る目の確かさはかなりのものと言えるでしょう。

 一方、妻のハナは通信員としての仕事を容易にするため、ニューヨークでダイヤモンドのブローカーを始めます。諜報の隠れ蓑としてのブローカー業でしたが、ビジネスとしても成功を収め、マンハッタンのアッパーイーストに店を構えます。

 東欧から移民してきた二人の噂は、たちまちマンハッタンのハイソサエティな住民たちの話題になります。

 というのも、ケヘル夫婦はマンハッタンに居を構えると同時に、ニューヨークのスウィング・コミュニティにデビューしたのです。スウィングとはスワッピングのことで、60年代から70年代のアメリカではかなりポピュラーな性行為でした。ケヘルはもともと乱交好きですし、ハナのほうはチェコでセクスピオナージの訓練を受けていた可能性が極めて高い上に、もともと若くて美人です。夫婦はたちまちのうちにニューヨークのスウィング・コミュティーの中心的存在となります。要は、ハナの身体に、マンハッタンの金持ちやエリートたちが群がったのです。


ホワイトハウス前に立つケヘル。画像は「The Guardian」より引用

 しかし、そうなると夫婦の存在は嫌が上にも目立ってしまいます。それでなくても東欧からの移民で共産主義のスパイの疑いをかけられやすい二人です。当然、FBIの内偵が入ります。しかし、結果は白でした。

 FBIエージェントが彼らのプライベートを探ったのですが、ナイトライフはスウィング・パーティーで乱交するばかりですし、たまに週末に出かけたかと思えば、ニュージャージー州にあるヌーディストが集まる隠れコロニーでやはり乱交しているだけだったからです。そんな二人のありさまを見てFBIは「彼らはスパイではない。あるはずがない」と判断するのも当然でしょう。

 一方、本国チェコの諜報局はカンカンに怒っていました。本国のほうでも彼らは乱交しかしていないと判断していたので、「お前らはそこで何をしているんだ。一旦帰国しろ!」という指令を下します。しかし、ケヘルはこの指令を蹴ります。彼とすれば、ブレジンスキー教授に近づき、信頼も得ているのです。いま帰国したらせっかくの工作がすべて水泡に帰してしまいます。しかも、ケヘルが体制派に寝返った理由のひとつは「趣味を邪魔されたくない」というものでした。ニューヨークという、思う存分趣味に没頭できる場所に巡り会えた彼が簡単に帰国するわけがなかったのです。

 しかし、本国の命令を無視するということは、敵国に寝返ったと判断される可能性が極めて高く、ケヘルはCIA入りを急ぎます。ブレジンスキー教授の推薦をもらって、72年にCIAの準職員となり、翌年には正式採用となります。こうしてケヘルは、東側のエージェントがCIAに正式採用されるという前代未聞の偉業をあっさり成し遂げるのです。

 ケヘルが伝説的なスパイだと現在でも称賛されるのは、CIA入局だけが理由ではありません。アメリカに入国してから約20年間もエージェント活動を維持し、そのうちの半分はCIA職員としての活動だったという点も称賛に値します。アメリカの対ソ戦略に多大な影響を与えたことは明らかですし、彼の工作の内容が決して情報公開されないだろうと言われるのも各方面への影響が今でも大きいからでしょう。

 では、この未曾有のオペレーションを成功させた秘訣はどこにあったのでしょうか? 

 実はセクスピオナージ、つまりスワッピングを使ったハニートラップにこそあったのです。

冒頭でも書いたように、アメリカの議会関係者、軍関係者、政治家たちはストレスまみれで、その解消のために当時流行していたスワッピング・パーティーに参加する人が少なくなかったようです。

 事実、ワシントンD.C.にはキャピトル・カップルズというスワッピング・コミュニティがあり、エクスチェンジというバーでは毎週土曜日スワッピング・パーティーが開催されていました。

 CIA勤務を始めたケヘルは早速そこに所属します。記録によれば、キャピトル・カップルズにはCIAの職員が10人以上、国防総省の職員や議会のスタッフも何人もおり、極めつけは現役の上院議員までいたのです。ケヘルはのちに「ワシントンD.C.は世界のセックスのキャピトルだ」という言葉を残しているほど、活発な活動をしていたようです。

 コミュニティに参加したケヘルは、週末のエクスチェンジのパーティーだけでは足りないメンバーのために、自宅を提供します。もちろん、そこにはニューヨークのスワッピング・クイーン、ハナがいます。ワシントンの職員たちはハナを求めて群がったことは間違いないでしょう。

 ところで、スワッピングを使ったハニートラップというと、スワッピング・パーティーに参加した人々を写真に撮ったり、動画を撮影して脅迫したと思う人が多いと思います。

 しかし、このオペレーションはそういう類のものではありません。

 では、一体夫婦は何をしていたのかというと、本気でスワッピングをしていたのです。スワッピングという妻をも含めた裸の付き合いをすることで、ケヘル夫妻は絶大なる信用と信頼を獲得するのです。

 実は、諜報活動で最も難しいのは信頼関係の醸成です。多くのエージェントはそれができないから脅迫という手段に頼ってしまうのですが、ケヘル夫妻のオペレーションはターゲットの夫婦と男女の交わりを通じて信頼関係を作っているので、ほかにはない固い絆で結ばれます。

 しかも、その固い絆の相手は、国会のスタッフや軍の関係者です。国会のスタッフといえば、実質的に国の法律を作る人々ですし、軍の関係者は国防を左右する人々です。上院議員本人までいます。そんな人間たちと腹を割って話したり、悩みをポツリポツリと打ち明けるような仲になるのです。特に、同じ女を抱いた男同士の信頼関係は「同志」のレベルになります。乱交の場でまさかソ連のセクスピオナージ専門の大物スパイが紛れ込んでいるとは想像もつかなかったでしょうから、かなりの機密が流出したと言われています。

 実際、FBIは事件発覚後、この事件の詳細は公開されることはないとはっきり断言しています。そのぐらい、国策に影響するような情報が漏れていたのです。


ところで、コミュニティではどんなプレイが行われていたのか、気になる方もいると思うので軽く触れておきましょう。スワッピングですので、基本的には夫婦交換であり、乱交です。エイズが発見される前の時代ですから全員ゴムなしでした。乱交の際、行為をリードしていたのはハナだったと言われています。ケヘルは少しできない中年男性として傍観することが多かったそうで、これはセクスピオナージの基本でもあります。ハナが突撃隊として突っ込まれ、ケヘルが懐柔とインテリジェンス収集を行なっていたわけです。

 また、工作に使われた、ケヘル夫妻の自宅にも逸話があります。セレブたち御用達のこの高級アパートメントは女優のアン・バンクロフトやプロテニスプレイヤーのイワン・レンドルらも住んでいたといわるマンハッタンのアッパーイーストに建つ最高級アパートメントですが、頭金を出したのは当時のKGB長官ユーリ・アンドロポフでした。現ロシア大統領プーチンのKGB時代の直属上司であり、のちにソ連の指導者になるアンドロポフがケヘルたちの活動を高く評価し、個人的に金を送金したのです。ただし、その金はチェコを経由したのちだったので夫婦の手元に入った時には半分になっていたようです。それでも、高級アパートメントの頭金と青いBMWの購入資金にはなったようです。


 もうひとつ、ケヘルがCIAでやっていた仕事も重要でした。彼が担当していたのは、東側から送られてくるロシア語の通信や書類の英訳でした。最も知られているのは、ロシア外務省にいたアレクサンドル・オゴロードニックの事件です。彼は全世界のロシア大使館の大使が打つ電報をまとめるポストを任されていたのですが、その要中の要の彼がCIAに協力していました。

 しかし、オゴロードニックが送ってくるリポートを翻訳していたのはケヘルだったので、オゴロードニックは捕まり、尋問中に自殺したと言われています。

 ただし、この自殺はとても奇妙でした。オゴロードニックは自白宣誓書にサインする際、ペンの中に隠していた毒薬を飲んで死んだというのです。そのペンは、オゴロードニックの愛用のペンで、自宅に置いてあったものをKGB職員が親切にも取ってきてくれて渡したというのです。明らかに不審な説明ですが、KGBでは自殺だと主張しています。

 このほかにも南米の共産国に送っていたCIAのエージェントをあぶり出したりなど、ケヘルの工作の成果は多岐に渡っています。

 しかし、1984年、ケヘルは逮捕され、一旦は死刑を言い渡されます。しかし、その2年後、スパイ交換で本国のチェコに戻ることになります。交換相手はのちにイスラエルの副首相となるソ連の反体制家のナタン・シャランスキーですから、やはりケヘルは大物エージェントと呼ぶにふさわしい存在でした。

 ハナのほうは、ケヘルと一緒に逮捕されますが、証拠不十分ですぐに釈放されます。そして、スパイ交換のときにケヘルとともに祖国に帰るのですが、最後の最後まで「交換」に縁のある夫婦だったと言えるでしょう。

■セクスピオナージを徹底解説

 最後になりましたが、セクスピオナージについて改めて考察してみましょう。

 通常、セクスピオナージはRAVEN(カラス)と呼ばれる男の要員か、SWALLOW(ツバメ)と呼ばれる女の要員が、ターゲットの異性を落とす、ハニートラップが普通です。SWALLOWがターゲットを捕まえ、ホテルなどのSWALLOW’S NEST(ツバメの巣)に持ち帰り、別室で待機しているRAVEN(カラス)が盗聴や盗撮をするのです。REVEN(カラス)も行為に加わることもあります。

 しかし、本物の夫婦がスワッピングでトラップを仕掛けていくのは前代未聞の工作で、それゆえに彼らはレジェンドなのです。しかも、巧妙に場の論理に合わせて男女間の役割分担を変化させています。この阿吽の呼吸は本物の夫婦ならばこそであり、本当にスワッピングという行為を楽しめる二人だったからということにもなるでしょう。

 さて、二人の現在ですが、ケヘルは時折、テレビに出てはいまだにプーチン政権のプロパガンダを垂れ流しています。ハナは一時、在チェコのイギリス大使館の通訳になっていましたが、過去の経歴が発覚してクビになっています。年老いて性的な機能不全に陥っても祖国の為に尽くす彼らの姿は、やはり伝説の域に達したスパイの模範とも言えます。

 また、二人はいまでも夫婦でチェコの田舎で仲睦まじく暮らしています。元RAVEN(カラス)と元SWALLOW(ツバメ)がオシドリ夫婦というのもなかなかいい話じゃないかと思います。


文=ジェームズ斉藤


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世界のエリートが「小児性愛(ペド)儀式」を行う理由を徹底解説!! 諜報関係者「ロリータは支配階級の重要な文化」
2019.09.06
https://tocana.jp/2019/09/post_111872_entry.html


■エプスタイン事件の真相とロリータ

 それではさっそく世界的事件の裏側に迫っていきましょう。9月現在、ホットな話題といえば、ジェフリー・エプスタインの自殺ではないでしょうか。


エプスタインの華麗な人脈を紹介する「ニューヨークタイムズ」

Who Is Jeffrey Epstein? - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=cEiJF6eqhFQ


 彼はニューヨークのヘッジファンドの社長で、個人資産が何千億という人物でしたが、ペドフィリア。つまりロリータ趣味があり、過去に児童買春の罪で服役しています。しかし、彼は大富豪や政治家相手の巨大な児童買春サークルを運営していて、顧客にはイギリス王室のアンドリュー王子やビル・クリントン夫妻の名前も上がっています。また、トランプ大統領も彼の友人です。そのため、司法取引によって、大甘の扱い(刑務所の出入りは自由。夜間のみ刑務所に居ればOK)で服役していました。

 そんなやりたい放題だったエプスタインが、今年の7月に再び児童買春で逮捕されたのです。ただし、今回は前回のような司法取引はなく、ニューヨーク州の裁判所も徹底的に事件を解明する構えを見せていました。政治家やイギリス王室は気が気ではなかったと思いますが、その矢先の8月10日にエプスタインは拘置所内で自殺したのです。

 当然、欧米のマスコミは「自殺ではなく暗殺だ」と大騒ぎになりました。前述したように彼の周辺には英国王室から政治家、元大統領、現大統領までいます。彼らはエプスタインが所有する乱交島(リトル・セント・ジェームズ島)で少女たちを弄んでいたわけですが、この島に渡るためのエプスタインのプライベートジェット、通称「ロリータ・エクスプレス」にビル・クリントンが27回搭乗していたことすら判明しています。

 また、最初に服役した時の大甘の司法取引をした検事がアレクサンダー・アコスタだったことも判明。彼はトランプ政権の現職労働大臣だったため、エプスタインとトランプ大統領との関係も再び、疑われ始めてしまいます。

 そんな最中にエプスタインが自殺、事件は闇に葬られてしまったわけですが、この事件の本質はタブロイド誌が喜ぶ世界のセレブのロリータ乱交事件というだけではないのです。

■エプスタインはフィクサーだった

 そもそもエプスタインは情報機関に深く関わる人間でした。一介の数学の教師が金融業界に入って大富豪になる、という普通ではありえない経歴も情報機関との関わりがあったからこそ実現した話なのです。

 では、彼は、ロリータコミューンで、どんな仕事をしていたのでしょうか?

 それはアラブの王様、金融業界のトップ、そして大物政治家のような所謂グローバリストと呼ばれる人々に対しフィクサー的役割を担っていました。

 本物のロリータ好きの彼をそんな重要な役目に抜擢して大丈夫なのか?と思う人もいるでしょうが、彼に白羽の矢が立ったのはまさに彼が本物のロリータ好きだったためです。


■世界各国にある処女信仰

世界のエリートが「小児性愛(ペド)儀式」を行う理由を徹底解説!! 諜報関係者「ロリータは支配階級の重要な文化」の画像3

 実はこのロリータという嗜好は中東系の一部には古くからある習慣なのです。それは古代メソポタミア文明の時代まで遡り、古代ギリシャの大歴史家ヘロドトスが当時の中東では「神殿売春」なる文化が存在したと記録しています。特に、古代バビロンの豊穣神であったイシュタール女神信仰は有名で、神殿娼婦と呼ばれる女性神職者が神性を体現するものとして儀式を行っていました。

 ここで重要なのが、女性神職者が処女であるか否かの点です。イシュタール女神は「エロス」を象徴し、純粋である処女はこのエロスのパワーを包容しており、相手をアセンションへと誘うと信じられていました。つまり、処女の女性神職者と行為に及ぶ男性にとっては、神がかり的なパワーを吸収できるという御利益があるということです。このような思想は、実は世界の他の地域でも観察され、インドのタントラヨガや中国道教の房中術との共通点が見られます。

 中東発祥のロリータ文化の特徴は、一神教の出現により、神殿売春のような土着文化がペイガニズムと一括に軽蔑や弾圧の対象となったことです。実際、新約聖書のヨハネ黙示録に出現する大淫婦バビロンは、イシュタール女神を指すと考えられています。

 しかし、近代になりグローバリストと呼ばれる世界エリートは、表向きには一神教信仰を標榜しつつ、裏では自らの権力拡大のためロリータを含む古代中東発祥のペイガニズムの儀式を行っていました。グローバリストとは、読者の皆さんもご存知かと思いますが、世界の金融や石油、戦争ビジネスの利権と直結しており、彼らのネットワークで認められるという意味では、あるまじきことですが、ロリータは通過儀礼のような重要な文化に昇格してしまったのです。

■エプスタインは死んでない

エプスタインの遺体と、生前の写真を並べたもの。画像は「WND」より引用。(編集部注:鼻の形と耳の形が違うという指摘がある)

 ここでインテリジェンス特有の問題が生じます。インテリジェンスの世界では「矛盾」という概念が非常に重要で、それは工作活動に利用されるべき対象として見なされます。グローバリスト特有の矛盾とはまさに、敬虔な一神教教徒という表の顔とロリータを含むペイガニズム信仰者という裏の顔を持ち合わせていることです。つまり、裏の顔がバレると社会的制裁を受ける可能性を孕んでいるということです。諜報機関関係者にとって、世界のピラミッドの頂点に立つエリートがそのような矛盾を持っているという事実は格好の工作対象になります。実際、ソ連のKGBは、対米工作で当時の米国社会では認められていなかった同性愛者をターゲットにしていました。例えば、グローバリストの代表格であり、バイセクシャルであったアメリカの某元国務長官がモスクワに弱みを握られていたのは、我々諜報機関関係者の間では常識です。


 冷戦後、グローバリストが長らく時代を謳歌していた時に登場したのが、エージェント・エプスタインでした。彼は、自身がロリコンでしかも金融業界でもウォールストリートでも有数の大富豪であったため、エージェントになるのには格好の人物でした。金融業界の奥深くやアラブの王様たちに近づきたい人たちのためにロリータコミューンを作り、秘密の共有によって、結束をより強固にするための役割を担っていたのです。実際イギリスのアンドリュー王子も、ロリータ島に渡ったあとにアラブの王様たちとビジネスの話をしています。

 エプスタインが受け持った案件は、クリントン家も密に関与しているリビアのカダフィ政権転覆のための武器輸送等、世界中の裏工作の最前線を行くものばかりでした。彼はこういった、世間には出せない秘密のコミュニティを管理、運営する役目を担っていたエージェントだったのです。

 ですから、私はエプスタインが本当に死んでいるかどうかを疑わしく思っています。たしかに、エージェントは役目が終わると「消される」という運命にあります。しかし、エプスタインの場合は王侯貴族たちと付き合いながらの女衒業ですから、かなりのダーティーワークです。口の軽い客たちの情報漏洩を細心の注意を払いながら防止する一方で、彼らのわがままも聞くのです。代わりの人材がおいそれと見つかるとは思えません。事件当初から替え玉自殺説が出ていましたが、私もかなりの確率で死んだのは替え玉ではないかと感じています。エプスタインの不可解な死は、迷宮入りの可能性を孕んでいますが、今後重要なのは彼に関連する資料が公開されるということです。

 今回の事件で、トランプ大統領が国家権力をもって、グローバリストの「恥部」にメスを入れ、来年行われる米国大統領選挙で再選に向けて徹底的に利用するでしょう。クリントン家が生贄にされ、ジョー・バイデン民主党候補などのグローバリスト勢力が一掃される可能性が十分にあります。ロシアゲート疑惑が否定された今、「ロリータゲート」ならぬ政治スキャンダルが今後展開されるでしょう。

「信じるか、信じないかはあなた次第」ではなく、これはインテリジェンスから導き出されたひとつの答えです。

 エプスタインにまつわる一連の事件は、いかに一般報道ではわからない世界構造が存在するかを我々に示してくれました。既存メディアの信頼性が失墜しフェイクニュースが溢れる中、メディアリテラシーが低い日本に将来があるのでしょうか? 国民一人ひとりの意識革命が必要と思います。

 我々諜報機関関係者は常に表と裏の世界の間を往き来し、双方の知識を活用することで真の自由人を自負しています。「一を聞いて十を知る」といわれますが、我々の世界では欠かせないスキルです。なぜなら、失敗は死を意味するからです。インテリジェンスは人生の指針でもあるのです。

 あなたも、ぜひインテリジェンスの知識や技術を有効活用し、自らの人生において常識に囚われない真の自由を勝ち取ってください。

218. 中川隆[-10005] koaQ7Jey 2020年11月10日 19:28:57 : Zt2FcgnQek : ZlFPRmJaMFFzVXc=[44] 報告
副大統領に指名カマラ・ハリスの知られざる正体! 究極の人権無視、白人至上主義者、エプスタイン大量献金…ジェームズ斉藤が暴露!
2020.08.17
https://tocana.jp/2020/08/post_166847_entry.html


──民主党のアメリカ大統領候補ジョー・バイデンがカマラ・ハリスを副大統領に指名しましたが、結構、クセのある女性らしいですね。

ジェームズ斉藤(以下、ジェームズ) 彼女は極左地域である、サンフランシスコエリアで育った人で、両親ともに極左の学者でプロ市民ですね。ですから、本人もプロ市民の道をずっと歩んできた人です。彼女は後に地元サンフランシスコの検事総長になり、熾烈な法適用で、冤罪を大量生産して、黒人や有色人種を徹底的に弾圧しました。

──えっ、極左なのに白人至上主義者なんですか?

ジェームズ いえ、民主党はもともと白人至上主義者で、奴隷制賛成派なんです。アメリカ人も含めて、ほとんどの人がそこを誤解しています。民主党は南北戦争の時には南軍を応援していましたし、白人至上主義者組織KKKの支援者でした。事実、ハリスの父の家系も19世紀ジャマイカの大奴隷地主だったんです。逆に共和党は北軍を支持し、奴隷制反対だったんです。それがいま逆転していることを多くのアメリカ人は忘れているんです。移民たちはもともとそんな歴史を知らないですし、CNNも絶対に放送しません。ですから、民主党=移民の味方、黒人の味方と思っているんです。

──民主党が黒人の味方だとずっと思ってました。

ジェームズ 真相はその逆です。表では黒人の公民権保護を謳っていますが、裏では奴隷制を彷彿させるような基本的人権弾圧を行なっています。実際、ハリスは検事総長の時代に刑務所の囚人を利用した労働事業を拡大しているんですが、その内容がひどいんです。囚人を1日わずか2ドルの報酬で消防士に仕立てて、カリフォルニア州でよく起こる山火事の火消しという究極の3K労働をさせていました。

──いくら囚人とはいえ1日2ドルですか!? これ日本円で200円とかですよ。

ジェームズ ひどいですよね。日給200円強で命がけの山火事消火ですからね。絶対何人か死んでいると思いますし、事実上の奴隷制です、これは。彼女がこんなことをする背景には検事総長の選挙があったんです。検事総長は市民の投票で決めるので、地元の極左利権を牛耳る白人富裕層に認められたいという野望があったんです。ですから、安価な労働力として囚人を提供したんですよ。

──その極左の白人富裕層にしても、「私は移民や黒人の矯正に一役買っていますよ」という宣伝になるわけですしね。 

ジェームズ もちろんです。いまの白人至上主義者はムチを使わないんです。彼らの代わりに有色人種がムチをふります。つまり、それがハリスの役割で、彼女が検事だった時期は、ストリートの黒人やヒスパニックは見た目が悪いってだけでガンガン捕まえていました。お陰で、犯罪数は減ったんですけど、それはそうですよ、ストリートにいる黒人たちは犯罪予備軍であることには間違いないんですから。犯罪を犯す前に捕まえてしまえという、究極の人権無視です。

──今、ふと思ったんですが、これってスリーストライクス・ユー・アー・アウト法とも関係してますか?

ジェームズ そうです、ありますね。犯罪を3回犯したら3回目はどんな軽い罪であっても何十年もの禁固刑に処すという法律ですよね。実はあれはジョー・バイデンがもとを作ったんですよ。この頃からバイデンは差別主義者で「信号無視だって人が死ぬかもしれない重罪だ。死刑以外の重い罪を科すべきだ」と発言しているんですが、スリーストライクス法で捕まるのはほとんどが黒人で、バイデンだって、それはわかっていたはずです。実際、米国法曹界では「法のマクドナルド化」と批判していました。その意味はハンバーガーのように見た目がイカツイ黒人の囚人が大量にできあがる、というもので、事実そうなりました。

副大統領に指名カマラ・ハリスの知られざる正体! 究極の人権無視、白人至上主義者、エプスタイン大量献金…ジェームズ斉藤が暴露!の画像2
ジョー・バイデン。画像は「CNN」より引用
──バイデンは先日「民主党に投票しない黒人は黒人じゃない」とも言ってましたね。

ジェームズ ですから、彼は根っからの差別主義者だと思いますね。黒人を軽蔑して、とことん利用するというのが民主党の極左議員の特徴です。これはハリスも一緒で、彼女が犯罪者を刑務所に次々にブチ込むことができたのもスリーストライクス法のお陰です。それで囚人を使った奴隷ビジネスを始めるのですが、あまりにもやりすぎてサンフランシスコの刑務所が一時囚人で溢れかえって大問題になっています。これを見ても彼女が囚人を更生させる気がないことがわかりますよね。

──それが民主党の副大統領なんですね。

ジェームズ そうです。バイデンが勝てば本当の副大統領になります。ですから、アメリカの黒人はますます不幸になると思いますね。で、不幸になるのはアメリカの児童も同様です。

──えっ!? もしかして、また、ペド案件ですかぁ。

ジェームズ そうです。実はハリスの法律の専門分野は児童性虐待なんですよ。しかも、立ち位置としては反児童側で、検事時代にはセレブによるペド事件の捜査中止命令を下したり、ハリウッドのペド防止法施行を拒否したりもしていますね。しかも、彼女は、エプスタインの法律事務所からも大量の献金をもらっています。

──えーっ、ここでもまたエプスタインですか!!

ジェームズ アメリカのペド事件はすべてエプスタインにつながるんですよ(笑)。まあ、彼が元締めだったわけですから。注目なのは、2011年にはトランプからも彼女は献金をもらっています。おそらくこれもペド関連だと思います。

──う〜ん、ということは、一時はトランプ派だったということですか?

ジェームズ 違います。この時トランプは大統領ではなかったですし、ビジネスマンとして民主党にも共和党にも献金するというスタンスだったと思います。逆に、トランプから金を貰ったことで民主党の大統領候補として出馬した時に、対立候補から責められていますね。彼女は移民支援の団体に寄付したと言っていますが、それは何年もあとの話で、検事総長再選の時に使っているはずです。

──それにしてもバイデンは凄い人を持ってきましたね。

ジェームズ 実はバイデンは認知症がかなり進んでいまして、だから、バイデン陣営はヤリ手の元極左検事総長のハリスを副大統領に任命したという背景もあるんです。さらにもうひとつ彼女を起用した理由には、政権奪取後にトランプを逮捕したいという思惑があると思います。ですから、バイデン陣営としては「Lock him up!」を狙っていると思います。トランプをぶち込めです。一方、トランプは「Lock her up!」でヒラリー・クリントンの収監を狙っています。牢屋に入るのはトランプか、ヒラリーか、今年のアメリカ大統領選挙はそういう戦いとして見るのも、いいとっかかりになると思いますね。


文=ジェームズ斉藤

219. 中川隆[-8900] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:46:19 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[2] 報告

From NY
2020年12月27日
「区別は差別ではない」の理論
南部の保守派クリスチャンたちの素顔(3)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21709

 2020年12月、カンサスで郡保安局警察官が、非武装の黒人男性をパトロールトラックで追い詰め、意図的にひくという信じがたいビデオ映像が公開された。映像には車輪の下になって倒れている黒人男性に、白人の警官3人が銃を向けながら近づいていく姿が映されている。

 被害者自身、退職したばかりの元警官で、ハイウェイを運転中に職務尋問で止められたという。最初は免許証の提示など普通に応じていたが、さらに3台のパトカーが現れて周りを囲まれたこと、目撃者もいない郊外で夜間だったため、命の危険を感じて徒歩で逃亡したという。

 元警官の黒人が、白人警官に囲まれて「何をされるかわからない」と身の危険を感じた、というところに、この国の人種差別問題の根深さを感じずにはいられない。

「白人の彼女がいるって本当?」
 2000年の国勢調査によると、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナ州の黒人人口は全体のおよそ21%だという。全米の州の中で、黒人人口の比率は8番目に多い。ノースカロライナはかつて綿花とタバコの栽培で栄えていた土地で、これらの黒人の大多数はプランテーションで労働していた奴隷の子孫に違いない。

 だが筆者の通っていた私立高校では、全生徒100人中黒人はたった1人しかいなかった。

 ダグという名前の、すらっとした長身の男の子だった。なぜダグがこの学校を選んだのか、わからない。公立学校のレベル、環境に不満だったのか。差別されることを、心配しなかったのか。でも筆者は、一学年上だった彼と言葉を交わす機会はなかった。


(Matvey Troshinkin/gettyimages)
 ある日、体育館で体育の授業を終えて一息ついていたときのこと。片隅のバスケットボールのコートで一人黙々と、ダグがシュートの練習をしていた。

 トントン、とドリブルしてはシュートを繰り返すダグの周りを、気が付いたら体育の授業を終えたクラスの女子たちがぐるりと取り囲んでいた。

 「ねえダグ、聞きたいことがあるの」口火をきったのは、ちょっとこまっしゃくれたマルセーユという女の子だった。

 「何かな?」

 「あなた、白人のガールフレンドがいるって聞いたけど、本当?」

 「そうだよ」

 「ウソばっかり」

 「ウソじゃないよ」

 「じゃあ、彼女の名前は?」

 「ウェンディ」

 「あははは、その名前、今考えたんでしょ」

 マルセーユの周りにいた女の子たち数人も、声を揃えて嘲笑った。

 「違うよ」

 ダグは、こんなことは慣れているといった様子で、淡々と受け答えた。

 視線をゴールから一度もそらさずシュートを続けていたけれど、やはり居心地悪くなったのだろう。しばらくするとボールを小脇にかかえ、黙って体育館を後にした。

「黒人はジャングルを走る人たち」
 英語も不自由しなくなった現在の筆者なら、迷うことなく女の子たちを一喝して説教の一つもかましただろう。

 だが当時まだ15歳だった筆者は、モヤモヤした気持ちを抱えながらも口を出すことなく黙って見ていた。それまで日本で普通に暮らして、「人種差別はいけないこと」と教えられて育った。でも日本の地方都市では、「人種差別」というのがどのような形で現れるのか、肌で実感する機会はそれまでなかった。

 「ジェニー、聞きたいことがあるの」

 女の子たちが一人二人といなくなった後、筆者はグループの中で比較的大人しいジェニーという女の子にそう声をかけた。ブルネットに青い目のジェニーは、英語の不自由な留学生に対しても、辛抱強く相手をしてくれる少数派の温和な同級生だった。

 「あなたたちは、どうして黒人を差別するの?」

 当時の英語力では、湾曲な表現などできるはずもなく、こう直球を投げるのが精いっぱいだった。ジェニーは、少しも驚いた様子を見せずに、大人が子供に言い聞かせるように、ゆっくりこう説明してくれた。

 「あのね、黒人たちはついこの前までジャングルの中を裸足で走り回っていた人たちなの。私たちよりも遅れているから、差別されても仕方ないのよ」

 その彼らを故国から拉致して、鎖につないで連れてきたのはあんたらの祖先だろう。と言いたかったが、悲しいかな、英語が思うように口から出てこない。ジェニーの、悪気のない透き通るような青い目を見て、筆者は黙り込んでしまった。 

白人の教会
 週に3回通わされていた教会では、集まってくる信者の99パーセントは白人だった。当時の筆者は知らなかったが、黒人たちの大多数は、黒人専用の教会に通っていた。

 ごくたまに白人の教会にも恐る恐る、といった様子でやってくる黒人の家族がいた。すると教会のボランティアたちが、大仰に「Welcome!(ようこそ!)」と大声で言って、彼らに握手を求めに行く。その姿はどこかわざとらしく見え、こう言っては申し訳ないが「私は人種差別しませんから」と誇示するためにやっているように見えた。子供心に、なぜもう少し自然に溶け合えないものなのだろうか、とモヤモヤした。

 サザンバプティストの教会の牧師たちは、なぜか不思議とみんな同じような目をしていた。

 歯磨き粉のコマーシャルに出てくるような笑顔をこちらに向けても、彼らの目は私の目ではなく、私と彼らの間にある空間のどこかを見ているのである。

 ある日曜日の朝、いつものようにぼんやりと牧師の説教を聞いていた。

 「黒人もアジア人も、私たちの兄弟です。私たちは、彼らを愛する努力をしなくてはいけません」

 はっとして、半分寝ていた頭に警報が鳴った。

 「でも区別と差別は、別なものです。私たちは、そのことを混乱してはいけないのです」

 祭壇から離れた後方のベンチに座っていた筆者には、前から並んで座っている大勢の信者たちの頭が同意するように、揃ってうんうんと頷くのが見えた。

 ああ、これは。まだティーネージャーだった筆者にも、牧師が口にしたことがどのような意味であるのかわかった。

 アメリカには、かつて悪名高いジム・クロウ法というものがあった。

 1865年に南北戦争が終了してから、連邦政府は奴隷から解放された黒人にも基本的な人権を保証した。だが1877年に連邦軍が撤退すると、南部の州政府は黒人を始めとする有色人種が白人と同じ公共施設を使用するのを禁じるジム・クロウ法を次々と可決しはじめた。学校はもちろん、乗り物、宿泊施設も、黒人は白人と同席が禁じられた。そして1896年には、連邦最高裁がこれを「分離しても平等」であるとして、合法としたのである。

 まさに「区別は差別ではない」の理論だった。

 1964年7月、リンドン・ジョンソン大統領が公民権法に署名してジム・クロウ法は廃止された。考えてみれば筆者が留学した1977年は、それからわずか13年しかたっていない。筆者の同級生たちの親たちも、祭壇から説教していたサザンバプティストの牧師たちも、「人種差別」は合法だった南部で育ったのである。

 冒頭のカンサスの事件でもわかるように、アメリカ社会の人種差別問題は決して過去の話ではないのだ。(次回に続く)

220. 中川隆[-8899] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:49:41 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[3] 報告

From NY
2020年10月28日
米国「保守派」クリスチャンたちの素顔
もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。


ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)
 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。


ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189


 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。

異人種間の交際は禁止
 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。

 「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」

 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。

 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。

 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。

 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。

 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。

 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。

 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。

 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。

 ここでも、びっくりすることの連続だった。

(パート2に続く)

221. 中川隆[-8898] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:51:45 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[4] 報告

From NY
2020年11月23日
「信仰とは天国に到達する手段」
保守派のアメリカのクリスチャンの素顔(2)
田村明子 (ジャーナリスト)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21394


 11月3日に行われた大統領選は、数日間かけた集票の結果、民主党ジョー・バイデン候補者の勝利が確実になった。

 集票が拮抗してなかなか結果が出ないスイングステートの中でも、最後まで残っていた州の一つが、筆者が高校時代を過ごしたノースカロライナだった。ピュー研究所の統計によると、州内のクリスチャン人口77%のうち、35%が福音派であるこの州は、基本的に保守派の共和党が多い。

 だが2006年にはオバマ氏が勝利を収めており、今回はどのような結果になるのか筆者も興味深く見守っていた。当時の同級生たちは、どちらに投票したのだろうかと想像しながら。

(前回のコラム『米国「保守派」クリスチャンたちの素顔』から続く)

 筆者は1977年9月、ノースカロライナ州にある寮制の私立高校に入学した。ウィンストンセーラム郊外にある、当時人口1万人ほどの小さな町だった。

 寮制といっても、全校100人余りの生徒のほとんどは、自宅通学のDay Studentだった。

 当時ノースカロライナでは16歳から(現在は18歳)運転免許を獲得することができた。みんな15歳のうちに路上テストを受けて免許証を手にし、16歳の誕生日の朝には両親からプレゼントされた車を運転して意気揚々と学校に来る。車社会のアメリカで、アッパーミドルクラスの家庭にとっては当たり前のことだった。

 「ちょっと見て、あれブライアンじゃない?」

 「ブライアンだわ。今日は彼の誕生日なんだ!」

 医者の息子のブライアンが、シルバーのポルシェで学校の駐車場に乗り付けた日の朝は、さすがに女の子たちが色めき立った。

 一方筆者を含めた10人ほどの寮生は、そんな通いの学生たちとはあまり交わらず、校舎の横にある古いレンガ造りの寮で静かに暮らしていた。

週に3度の教会通い
 車がなければどこにも行けないこの町で、車も免許もない我々寮生は、ひたすら校舎とその横にある寮を往復する日々を送っていた。

 唯一のお出かけは、教会である。

 日曜日は朝と夕方の2回。そして水曜日の夕方の合計週に3回、ミニバンが寮の前に我々寮生を迎えに来た。朝の礼拝はたっぷり3時間。夕方も2時間ほど時間を取られ、まだ半分くらいしかわからない南部訛りの英語の説教をじっと我慢して聞く。正直に言えば、苦痛だった。

 もっとも、嫌だったことばかりではない。

 教会はこの田舎町で、気が済むまでお洒落をして出かける唯一の社交の場でもあった。肌の露出度さえ高くなければ、好きなだけドレスアップして行くことができた。もともとアメリカの学校では一般的に、女子学生が化粧をするのが「悪いこと」という感覚はない。14、15歳から女の子はピアスをし、髪をドライヤーで完璧にセットしてメークをほどこし、マニキュアまできれいに塗って学校にやってくる。お洒落づいた年齢の女の子にとって、大人になるプロセスの一つでごく当たり前のこととして受け止められていた。

 日曜日の朝の礼拝後、月に一度くらい信者たちが手料理を持ち寄ってランチビュッフェが開催されるのも、楽しみだった。ミートローフ、フライドチキン、アップルパイやアイスクリームなど、南部料理はどれも恐ろしく高カロリーだが、手作りのお料理は美味しい。父兄、教師たちは太っている人がほとんどで、肥満体ではない大人は珍しかった。筆者もこのノースカロライナ時代は、あっという間に体重が増えていったのである。

 だがいくら教会に通っていても、筆者はクリスチャンになろうとは一度も思わなかった。子供の頃から好奇心で聖書もかなり読んだけれど、元々実家は曹洞宗である。わざわざキリスト教に入信する必要性を感じなかったし、そもそも団体で集まって人前でお祈りをする、ということが苦手だった。

 それでも毎週3回、迎えのバスが来ると大人しく乗り込んで教会に通った。

「天国行く人は手をあげて」
 連れていかれた教会は、アメリカの人口のおよそ3分の1といわれる福音派の教会だった。

 その福音派の白人信者の80%近くが、共和党とされている。合衆国憲法には政教分離が謳われているものの、現実にはこの南部を中心とした福音派のクリスチャンたちが、現在の保守派共和党の基盤を支えているのである。

 福音派の教会は、会議場に塔をつけたようなシンプルな建物が多い。南部訛りの強い牧師さんの説教はあまり理解できず、ときどき信者の人たちが突然声を上げて泣き出したりするのも、最初はびっくりしてドン引きした。

 だがもっと驚いたのは、ある日の礼拝中のことである。

 「How many of you are going to Heaven? Please raise your hand. (あなたたちの中で、天国に行く人は? 手をあげて下さい)」

 牧師さんがそう言うのを耳にしたときは、最初は冗談かと思った。だが集まっていた信者のほとんどが真面目な顔をして手を高々をあげたときは、もっと驚いて思わず「えええ〜」と声が出そうになった。

 日本のプロテスタントの教会でも、カソリックの中学校でも、そんなことを聞かれた覚えはない。人間側が決めることだと教わったことはなかった。

 「はい、私は天国に行きます」と本気で断言する人がいたら、日本社会では間違いなく「アブナイ人」のカテゴリーに入れられるだろうと思う。

 その「アブナイ人たち」に周りを囲まれていることを子供なりに理解して、じわじわと腹の底から恐怖心が沸いてきた。

福音派の信仰というもの
 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。

222. 中川隆[-8893] koaQ7Jey 2020年12月27日 09:56:42 : FRaqZnrJmP : eVhnV01CT2dEcWc=[9] 報告
キリスト教原理主義を知らないとアメリカ人の行動様式は理解できない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/565.html

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/438.html

223. 中川隆[-7288] koaQ7Jey 2021年2月17日 20:27:37 : lkVS15Vb7A : dE5sa0o1OTI5VjY=[36] 報告
2021年02月16日
人種闘争の影にユダヤ人が潜む
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68846988.html


公民権運動はユダヤ人とソ連の後押しを受けていた

civil rights movement 2civil rights movement & Jews 1

(写真 / ユダヤ人と一緒に公民権活動を行うキング牧師)

  大抵の日本人はソ連の崩壊を以て共産主義の流行が消滅したと思っている。確かに、昭和の頃には元気が良かった日本共産党でも、今では党員の減少と高齢化で悩んでいるし、社会党は看板を変えても凋落は止まらなかった。社民党の存続など風前の灯火(ともしび)だ。それに、役所で購読される赤旗といえども青息吐息。ところが、共産主義の妖怪は依然として世界各国を飛び交っている。一般の日本人は甘く見ているけど、この思想は単に国家経済を窒息させる呪いなんかじゃない。カール・マルクスが世界にバラ撒いた劇薬は、ユダヤ人の怨念から生まれている。畢竟、マルクス主義の要諦は人間を“改造”することにあった。案の定、憎しみに満ちたユダヤ人どもは、タカリ先のヨーロッパを自らの楽園に変えるべく、革命を以て現地の社会を根底から破壊しようと試みた。さらに、現在、この賤民は多文化主義を用いて歐米諸国を別のモノに変えようと謀っている。

  とにかく、ユダヤ人が安心して暮らすには、伝統的な、すなわち“排他的”な国民国家は不都合だ。中世の頃だと、ユダヤ人の財産を巻き上げる封建領主がいたし、彼らを敵視する乱暴な庶民もいた。ユダヤ人の高利貸しを憎んだ大衆だと、激昂してこの異人種を血祭りに上げていたくらい。フランス革命のお陰でゲットーが解体され、薄汚いユダヤ人は解放されたけど、迫害の情熱が根絶されることはなかった。ドイツでナチスが台頭すると、一般民衆までもが優生学や種族保存の意識に目覚め、この忌々しい異人種を排除・追放しようと動き出す。ユダヤ人にとったら戦慄の嵐だ。ユダヤ人の知識階級が「何とかせねば !」と考えたのも当然である。

  何しろ、彼らは親子代々、こうした苦い経験を嘗めてきたから、大衆の不穏な動きに敏感だ。となれば、裕福なユダヤ商人や大学教授は必死になって、西歐世界を造り変えねばならない。風変わりな異邦人でも、不愉快な異人種でも、温かく迎える“寛容な”社会が彼らの理想だ。それなら、さっさとパレスチナ(天主から貰った「カナンの地」)へ帰ればいいのに、ユダヤ人ときたら「貧乏な生活は厭だ !」ということで歐米社会に齧(かじ)りつく。まったく、支那人みたいに図々しい連中だが、頭がいいのでタカリ先の住民を騙すことができた。(日本の大学教授は「ディアスポラ(民族離散)」のヨタ話にコロッと騙されて、無自覚の親イスラエル派やユダヤ人擁護派になっている。高学歴のアホというのは、本当に救いがたい。)

  日本の大学教授とか政治評論家というのは、ある意味、ヤクザよりも知能が低い。暴力団の組長なら、“胡散臭い話”や“綺麗事”を耳にすれば、「何か裏があるんじゃねぇか?」と疑うし、偽善者の代議士や人権派弁護士がしゃしゃり出てくれば、「あの野郎のケツ持ちは誰なんだ?」と勘ぐるし、「誰かが裏で“絵”を描いているんじゃねぇか?」と怪しむ。ところが、象牙の塔に籠(こ)もっている木偶(デク)の坊だと怪しまない。もし、ヤクザ並の頭を持っていれば、日本の知識人でも米国でのBLM運動やアンティファ騒動を聞いて、「いったい誰が裏でゼニを流して操っているんだ?」と考えるはずだ。これといった学歴の無い庶民だって、用心深い人物なら、テレビ画面に映るデモ隊ばかりに目を奪われず、彼らを突き動かす支援団体や利益を得る黒幕を詮索するだろう。だいたい、ゴロツキ黒人が自前で資金を調達し、大規模な抗議デモを組織できるとは思えない。必ず、ジョージ・ソロスのような裏で糸を操る大物がいるはずだ。

  昨年から世間を騒がせるBLM運動を眺めていると、その源流となった公民権運動やマルティン・ルーサー・キング牧師の件が思い出される。日本だとキング牧師は人種差別と闘った“偉大な指導者”と思われているが、その取り巻き連中ときたら、真っ赤な黒人やマルキストのユダヤ人ばかり。さすがに全員とまでは言わないが、主要な側近には共産主義者が多かった。アメリカの一般黒人は信じたくないだろうが、キング牧師やその追随者は、狡猾なユダヤ人に支えられて「公民権運動」とやらに精を出していた。つまり、アメリカという白人国家を憎むユダヤ人が、間接的に黒人を利用して既存の社会を破壊しようと謀った訳だ。そして、この裏事情を全く知らない日本の教師は、無邪気にキング牧師を讃美していたのである。日本の子供は本当に惨めだ。

  以前、当ブログではキング牧師を利用するユダヤ人について述べたことがある。(参照記事) 高校や大学の教師は滅多に触れないげと、キング牧師にはスタンリー・デイヴィッド・レヴィソン(Stanley David Levison)という懐刀が居た。常連読者だと、何となく嫌な予感がするだろうが、このレヴィソンはNY生まれのユダヤ人。表向き、ビジネスマンを兼ねる弁護士となっていたが、裏では米国共産党と太いパイプを持つ極左分子であった。言い換えれば、共産党とキングを結ぶ仲介者。それゆえ、彼は1950年代、防諜機関であるFBIの監視対象となっていた。反共のJ.エドガー・フーバー長官が君臨するFBIなんだから、当然といえば当然。FBIの捜査官はアメリカ社会に浸透するソ連のスパイを摘発し、その脅威を取り除くべく反米主義者に目を光らせていた。とりわけ、CPUSA(米国共産党)は要注意団体だ。

MLK 006Stanley Levison 002Morris Childs 001


(左 : マルティン・ルーサー・キング牧師 / 中央 : スタンリー・デイヴィッド・レヴィソン / 右 : モリス・チャイルズ)

  当時、FBIは共産主義者の活動を把握するため、「SOLO作戦(Operation SOLO)」を実行し、それを約30年間も続けていたという。そこで、共産主義者のモリス・チャイルズ(Morris H. Childs)と彼の弟であるジャック・チャイルズ(Jack Childs)を密告者(情報提供者)にしていた。実は、この兄弟もユダヤ人。兄の本名は「モシェ・チロフスキー(Moishe Chilovsky)」といい、弟の方は「ヤコブ(Jakob)」という。もう、ユダヤ人とマルキストは同義語なのかと思いたくなるが、彼らの父あるヨセフ(Josef)はロシア出身のユダヤ移民であった。実はこのオヤジ、かつてはロシア皇帝に刃向かった革命家であったというから、根っからの左翼。ヨセフはシベリア送りになったというが、そこから脱出して米国を目指し、テキサス州のガルヴストン(Galveston)へと上陸した。(ちなみに、若き日のリンドン・B・ジョンソンは、この地域でユダヤ難民を助けていた。この極悪大統領が比類無きユダヤ人贔屓なのは非常に有名である。) 米国に辿り着いたチロフスキー家は、同胞が大勢暮らすシカゴへ向かい、そこでアメリカ風の「チャイルズ」に改名する。そして、一家の大黒柱たるヨセフは靴職人になったそうだ。でも「蛙の子は蛙」で、二人の息子は成長すると共産主義者に。兄貴のモリスは極左新聞の『Daily Worker』で編集員になったというから、「なるほど !」と納得できる。

  「タレコミ屋(snitch」となった弟のジャック・チャイルズは、FBIにレヴィソンについての情報を伝えていた。レヴィソンは正式な共産党員じゃなかったが、モスクワとアメリカの仲介役となり、ソ連からの資金を米国共産党に流していたそうだ。表向き、レヴィソンは国内や南米でビジネスをしていたから、スターリンからもたらされる支援金を洗浄し、こっそりとアメリカの共産党員に渡すことができた。また、レヴィソンは「アムトルグ貿易会社(Amtrong trade corporation)」の代表であるイシドール・G・ニードルマン(Isidore G. Needleman)とも連携していたそうだ。(「Amtrong」はソ連が運営するフロント企業。) このニードルマンもユダヤ人らしく、二人は「同志(comrade)」というよりも、親友(amigo)ないし兄弟(brother)に近い。赤いユダヤ人を見ると、赤の他人でも「同族(family)」なんじゃないか、と思えてくる。

  チャイルズ兄弟によると、レヴィソンはソ連から年間50万ドルくらい受け取り、それを米国共産党の財務担当者に渡していたそうだ。そして党の財務を司るウィリアム・ワイナー(William Weiner)が1954年に亡くなると、レヴィソンの役割は益々重要になり、党が所有する秘密資金の筆頭管理者になったという。しかし、1955年以降、レヴィソンの地位は低下し始め、1957年になるとFBIは彼の監視を終了したそうだ。そこでFBIはレヴィソンに近づき、「情報提供者にならないか?」と誘ったが、彼はきっぱりと断った。さぁ〜すが、筋金入りのユダヤ人は意地でも、転向者や密告者にならない。

  日本の「転びマルキスト」には耳が痛いんじゃないか。共産主義者の間では、小林杜人(こばやし・もりと)や佐野学(さの・まなぶ)、鍋山貞親(なべやま・さだちか)などは「裏切者」となっている。興味深いことに、小林は無神論者から社会主義者へと変貌し、共産党に入って労農活動に専念する。しかし、気が小さいのか、それとも神経質なのか、「三・一五事件」で検挙されると、公判中に自殺未遂を図ったという。悪い時には悪い事が重なるもので、豊多摩刑務所の独房に入れられた時、母の危篤を知らされた。ところが、いくら頼んでも面会の許可が下りず、獄中で母親の死を告げられることに。昭和の初めだと、まだ親孝行の気風が残っていたから、極左分子といえども母親の死に目に会えないのは辛いことだった。

  号泣した小林は坊主との邂逅もあって獄中で浄土真宗に目覚め、出所後には、母親の墓参りをしたらしい。かつては「阿片」と考えていた宗教に小林は帰依した。彼は自らの人生を振り返り、共産主義を棄てたのは「転向」じゃなくて「没落」と考えていたそうだ。それと共に、彼は共産主義革命の限界を感じ、日本の國體を破壊することが如何に難しい事かを悟ったらしい。曰わく、日本というのは何処まで行っても家族という単位からなっており、皇室は国民の親となっている。ゆえに、この親を犠牲にする革命というのは成功しないそうだ。ちなみに、小林の意見を聞けば、なぜ左翼が皇室を執拗に攻撃するのかが判る。皇室は日本の中核であり、天皇陛下は日本人の国父である。天皇陛下を抹殺すれば、日本社会は崩壊し、国民は砂粒のような個人となってしまうだろう。そうなれば、烏合の衆を革命へと扇動するのはいとも容易い。夫婦別姓や戸籍の廃止を唱えるリベラル派も同類で、日本人の家族意識をズタズタにして、全体主義の地均しをしているという訳だ。

Bayard Rustin 2(左 / ベイヤード・ラスティン )
  脱線したので話を戻す。キング牧師にはもう一人重要な側近がいて、それがベイヤード・ラスティン(Bayard Rustin)だ。彼は「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の元メンバーで、この団体は米国共産党の青年部。黒人左翼のラスティンは、1961年に組織された公民権運動の一環である「Freedom Riders」を率いた人物で、キング牧師を担ぎ上げる「南部キリスト教指導者会議(Southern Christian Leadership Conference / SCLC)」の設立にも尽力した。若い頃のラスティンは平和を愛するクェイカー教徒に触発されたが、本当に心酔したのは共産主義の方で、同性愛者の権利を主張するゲイでもあった。

  昔のアメリカ人は同性愛者に厳しかったけど、ラスティンからすれば、そんな倫理は頑固な白人が創り上げた押しつけに過ぎない。彼には1940年代から「恋人」がいたそうで、デイヴィッド・フラット(David Platt)がパートナーであった。左翼が教育界を牛耳ることは誠に恐ろしく、第21世紀のアメリカ合衆国では多文化主義が花盛り。ゲイやレズビアンを毛嫌いすることの方が不道徳。でも、性転換者まで“普通の人”にしようとするんだから狂気の沙汰である。ラスティンは1987年に亡くなっているが、黒人票で当選したバラク・フセイン・オバマは、2013年8月、公民権運動や人種差別の撲滅に貢献したからという理由で、ゲイの左翼に「大統領自由メダル(Presidential Medal of Freedom)」を授与した。ホント、黒人って同胞に優しいよねぇ〜。黒人だと人種を口実にして勲章を与えてもいいんだから。それなら、白人の大統領がデイヴィッド・デューク(David Duke)にも勲章を与えていいのか? CNNやNBCのキャスターは発狂するだろう。

  ここで注目すべきは、ラスティンがニューヨークでレヴィソンをキング牧師に紹介したことである。このユダヤ人弁護士は、キング牧師の“軍師”みたいな役割を果たしていた。宮廷ユダヤ人と同じく、レヴィソンはキング牧師の財務を取り仕切り、SCLCの組織運営や対外交渉の役目も担っていた。とりわけ、キング牧師が行う演説にはレヴィソンの存在が欠かせなかったという。というのも、このスケベ牧師はレヴィソンの操り人形になっていたからだ。米国の黒人や日本の教師はキング牧師を「知的な黒人」と思っているが、実際のキングはチョロマカシの達人だった。進学校の高校教師あるいは大学教授でも、セオドア・パパス(Theodore Pappas)の暴露本『盗用と文化闘争(Plagiarism and the Culture War)』には触れないが、この本を読めばキング牧師の“知的レベル”がどれ程のものかが判るし、彼の学歴が“人種”を基にした“いかがわしい”産物であることも判る。(この本は大学図書館を探しても見つからないから、読みたい人は自前で買うしかない。非常に腹立たしいが、日本の図書館員は有益な本でも都合が悪ければ購入せず、左翼本だと必要以上に購入する。上野千鶴子や大澤真幸のクズ本が何冊も棚に並んでいるのは偶然じゃないぞ。)

Morton Enslin 1( 左 / モートン・エンスリン)
  キングは「クローザー神学校(Crozer Theological Seminary)」で学士号を取り、モートン・エンスリン(Morton Enslin)教授の推薦でボストン大学(Boston University)に進み、そこで念願の博士号(PhD)を取ったことになっている。ところが、キングの進学は学問の成績や知的水準ではなく、「別の理由」によるものだった。露骨に言えば、「人種」と「階級」を考慮した結果である。(Theodore Passas, Plagiarism and the Culture War, Tampa : Halberg Publishing Corporation,1998, p.127.) キングの知的レベルは“お粗末”で、大学院へ進んだ時の成績を見れば明らか。国語(英語)と語彙の試験では下から二番目で、数量分析(数学)の試験だと下位10%に属していた。哲学の試験(専攻する神学では非常に重要な科目)では、下から三番目であったというから驚く。(上掲書 pp.126-127.) 日本でも似たような事があり、小学校から大学までの一貫校だと、成績がイマイチでも、先生の推薦状で大学に入れたりする。卒業も「トコロテン方式」だから難しくない。

  キング青年は劣等生であったが、白人学生とうまく付き合えたし、いずれ“有益な人物”になるから、ちょっとくらい勉強の成績が悪くても目をつむろう、という“意図”が教授側に働いていた。当時の白人は「黒人なんかに学問が解るのか? あいつらには無理だろう」と馬鹿にしていたから、進歩的な知識人、すなわちリベラル思想の白人は、「何とかして“黒人の模範”をつくらねば !」と躍起になっていた。それゆえ、「成績は最低でも、ちょっとマシな黒ん坊を選び、大学に入れて学位をあげてやろう」、という暗黙の了解があったらしい。奴隷の子孫たるアメリカ黒人は、社会的にも地位が低く、その上貧乏なので、左巻きの白人はこの「階級」をどうにかして押し上げねば、と思っていた。ある意味、キング牧師はこうした計画の第1号作品なのかも知れない。

  パパスの著作を読めば分かるけど、学生のキングは神学者のパウル・テリッヒ(Paul Tillich)やヘンリー・ネルソン・ヴィーマン(Henry Nelson Wieman)に関する博士論文を書いたが、その内容というか文面は、ジャック・ブーザー(Jack Boozer)という白人学生が書いた論文を「参考」に、というか「剽窃(ひょうせつ)」したものであった。(上掲書 pp.72-78.を参照。) このブーザー氏はキングが入学する三年前、ボストン大学に在籍していた人物で、1989年に亡くなっている。もう、キング牧師を崇拝するアメリカ黒人は膝から崩れ落ち、「そんなぁぁ〜、嘘だぁ〜」と泣いてしまうが、現実は冷酷で厳しい。ハリウッド映画では、よく“黒人の天才科学者”が登場するけど、あんなのは嘘。

 雑談になるけど、1996年に公開された『チェイン・リアクション』では、モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)がDARPA(国防総省の研究機関)に雇われた優秀な物理学者を演じたけど、何となくしっくりこなかった。でもハリウッドのユダヤ人は矢鱈とこの黒人俳優を持ち上げる。モーガンは『Bruce Almighty』で神様の役を演じたし、『Deep Impact』では大統領を演じていた。この映画は1998年に公開された作品だから、ハリウッドの連中はオバマが登場する以前から、熱心に黒人大統領を望んでいた訳だ。また、トム・クルーズ主演の『ミッション・インポシブル』では、黒人のヴィング・ラムズ(Ving Rhames)が天才的ハッカーを演じたけど、どちらかと言えばヤクの売人の方が似合っている。

Morgan Freeman 1Ving Rhames 1Clarence Jones 05

(左 : モーガン・フリーマン / 中央 : ヴィング・ラムズ / 右 : クラレンス・ジョーンズ )

  話を戻す。キング牧師のスピーチライターを務めていたレヴィソンは、ボスの知的水準を熟知していたのか、キング牧師が勝手に喋ることを許していなかった。キングの自伝を書いたデイヴィッド・ギャロー(David Garrow)も同様の事を伝えている。 レヴィソンはもう一人の側近であるクラレンス・ジョーンズ(Clarence Jones)にこう話していた。「どんな状況になっても、俺の許可無しに喋らせるんじゃねぇぞ。あいつは愚鈍でトロいから、誰かの助け無しに公言させちゃ駄目なんだ」、と。まるでアホな子供扱い。アメリカの黒人や日本の左翼は、キング牧師が知的で偉大なる雄弁家である、と信じているが、実際は「腹話術の人形」程度だった。もしかすると、痴呆症のジョー・バイデンも同じで、何らかの討論会に臨めば、耳に小型のイヤフォンを仕込んで登場するかも知れないぞ。たぶん、側近の誰かが別の部屋から指令を出したりしてね。また、ホワイトハウスの主人となったバイデンは、どんな大統領命令なのか理解せずに、震える手でサインしている場合もある。さらに信じられないことが行われている可能性もあり、バイデンの署名が判読不可能なので、ジル夫人が代筆しているとの噂もある。(痴呆症の老人は衰弱が激しいから。)

  大統領になったオバマだって、“黒人”ゆえのヒーローだ。オクシデンタル大学(Occidental College)からコロンビア大学に編入できたのは、「留学生枠」を使ったからだろう。(「バリー・ソエトロ」と呼ばれたオバマは、母親が再婚した幼い時、インドネシアに住んでいたから。) オバマは一応「キリスト教徒」に扮しているが、その中身はビックリするほど真っ赤である。オバマ夫婦が親しくするジェレマイア・ライト(Jeremiah Wright)牧師は、公然とアメリカを糾弾する左翼黒人であったから、一般のアメリカ白人は彼の説教を聞いてビックリ仰天。この聖職者はオバマ同様、白人が支配するアメリカを心の底から憎んでいる。少年時代をハワイで過ごしたオバマには、「父親」みたいなオジさんが居て、ポルノ小説家で極秘の共産党員であった。オバマがあやふやにする、このフランク・マーシャル・デイヴィス(Frank Marshall Davis)は、自宅へ遊びに来る黒人少年をたいそう可愛がり、父親代わりを務めていた。自伝を書いた時のゴーストライターはテロリストのビル・エアーズ(William C. Ayers)。文章指導の師匠が、元「ウェザー・アンダーグラウンド」のメンバーで、司法当局から追われる逃亡犯だったなんて、想像しただけでも唖然とするじゃないか。政治思想の師匠も極左分子で、マルキストのユダヤ人サウル・アリンスキー(Saul Alinsky)ときている。

Frank MArshall Davis 1Obama 3Sauk Alinsky 003


(左 : フランク・マーシャル・デイヴィス / 中央 : 若い頃のバラク・オバマ / 右 : サウル・アリンスキー )

  また、友人の一人であるヴァン・ジョーンズ(Anthony Kapel “Van” Jones)も極左黒人として有名だ。このジョーンズはオバマ政権下で環境問題に関する特別補佐官(Special Advisor for Green Jobs)を務めていたが、保守派からは総攻撃を喰らう人物だった。彼は公民権運動の組織となる「Color of Change」を2009年に創設する。しかし、ジョーンズは前々から左巻きで、形式的には共産主義者ではないが、腹は真っ黒で頭は深紅。彼は「STORM(Standing Together to Organize a Revolutionary Movement)」の連中と昵懇だった。この「STORM」はマルクス・レーニン主義の左翼団体で、構成員が尊敬するのは毛沢東である。(Jack Kelly, "How Could Obama Have Hired Van Jones ?", Real Clear Politics, September 13, 2009.) まぁ、ロクでなしの赤い大統領でもオバマは「黒人の英雄」だから、近い将来、10ドル札(現在アレクサンダー・ハミルトン)か20ドル札(現在アンドリュー・ジャクソン)の肖像画になるかもよ。

Jeremiah Wright 1Bill Ayers 2Van Jones 1


(左 : ジェレマイア・ライト / 中央 : 逮捕された時のビル・エアーズ /  右 : ヴァン・ジョーンズ )

  キング牧師の側近について色々紹介したけど、こんなのはまだ氷山の一角で、彼の周りには共産主義者の黒人やユダヤ人がウジャウジャいる。アメリカに関して詳しくない日本人だと、「なぜユダヤ人はそんなに黒人を支援するの?」と尋ねてしまうが、それはユダヤ人の性質を知らないからだ。この民族は西歐諸国に寄生し、現地人から“鼻つまみ者”とされるが、直接的に原住民と対決することはない。ユダヤ人はヨーロッパ人との武力衝突を避け、金に困った領主とか秘書官を求める貴族を丸め込む。そして、充分たらし込んだら、贈賄と引き換えに特権を得たりする。

  西歐人の移民と混じってアメリカへ渡ったユダヤ人も武器を取って戦うことはなかった。彼らは心理戦や謀略戦を得意とする。西歐系アメリカ人というのは腕っ節は強いけど、妙に倫理面で弱いから、ユダヤ人はそこを突く。ひ弱でも狡賢い賤民は、タカリ先の主流民を精神的に叩き潰そうと考える。その道具にされたのが黒人だ。ユダヤ人は白人から差別された黒人を利用して、自分達を排除する白人社会を破壊しようとした。黒人なんて間抜けな種族だから、「社会正義」や「平等思想」を吹聴すれば容易に動く。しかも、黒豹みたいに獰猛でゴリラ並の肉体を持つので、とても便利。ユダヤ人はアホな黒人を焚きつけて、白人にぶつけることにした。この計算高い民族は、白人どもが精神攻撃に弱いと知っていたから、必ずマイノリティーに譲歩すると思っていた。「馬鹿とハサミは使いよう」だから、ユダヤ人は黒人左翼に資金と智慧を授けて「漁夫の利」を得ればいい。賢いユダヤ人は右派の白人と左派の黒人が喧嘩する場面を眺めるだけ。

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(左 : ユダヤ人支援者と行動を共にする公民権活動家 / 右 : 公民権運動に熱中する黒人達)

  ちなみに、「白人至上主義者」という罵倒語は、ユダヤ人に抵抗する白人を黙らせるための呪文である。令和の大学生は、小さい頃から人権教育を受けているから理解できまい。昭和47年に『人造人間キカイダー』という特撮番組が放送され、子供達に大人気であった。主人公のキカイダーには「良心回路」が組み込まれており、プロフェッサー・ギルの笛が鳴らされると、良心と指令との板挟みになってもがき苦しむ、という設定であった。西歐人は非常に冷酷な性質を持っているが、その反面、日本人に近い倫理・道徳観を有している。悪魔の如きユダヤ人が「ナチス」という言葉を発すると、大抵のドイツ人はもがき苦しむ。中には自虐史観を強めることで、罪悪感から逃れようとする者までいるから、SMプレーの「マゾ」役も驚く。乳首をいじられて悶絶する逢沢一郎よりも酷い。アメリカの白人だと、「人種差別」という過去が急所となる。

  話を戻す。ユダヤ人にとって恐ろしいのは、中流階級の白人が団結してユダヤ人排斥に傾くことだ。もし、社会的地位の高い白人や尊敬される知識人、民衆のリーダーとなる立派な軍人から、「ユダヤ人はイェルサレムに帰れ !」と言われたら一大事。ユダヤ人だらけのイスラエルなんて、考えただけでもゾッとするじゃないか。だから、ユダヤ人は教育界やメディア界を支配して、“危険人物”を社会的に抹殺しようとする。せっかく豊かなアメリカに移り住めたのに、白人が「白人だけで暮らしたい」と言い出したら、ユダヤ人は顔面蒼白となる。「また追い出されるんじゃないか」と心配で堪らなくなる。だから、何が何でも「多民族・多文化主義」を普及させなくちゃ。ところが、ユダヤ人は言葉と行動が一致しないのだ。彼らは口先では人種平等を説くが、私生活では人種差別が当たり前。ニューヨークには大勢のユダヤ人が住んでいるのに、黒人と結婚する者や黒人との混血児が異常に少ない。一方、ユダヤ人を憎むゲルマン系白人とは喜んで結婚する。そもそも、黒人なんか最初から恋愛対象じゃないから、どれほど人種平等を口にしても浅黒いユダヤ人が増えることない。

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( 左 : イスラエル・ザングウィル / 中央 : ラザン・アル・ナジャー / 右 : パレスチナ人を暴行するイスラエル兵 )

  かつて、イスラエル・ザングウィル(Israel Zangwill)は、ゲルマン人やスラヴ人、アジア人、アフリカ人が混淆する「人種の坩堝(るつぼ)」を夢見たけど、現実のユダヤ人は黒人が大嫌い。イスラエルには迫害された経験を持つユダヤ人がたくさん住んでるけど、なぜか異民族には冷たい。例えば、エチオピア難民は黴菌のように扱われ、国外追放の処分となったし、反抗するパレスチナ人は虐殺の対象になっている。そういえば、2018年6月1日には、パレスチナ人の医療従事者であるラザン・アル・ナジャー(Razan Al-Najjar)が、イスラエル兵によって射殺される、という事件があった。彼女はイスラエルとガザの境界で負傷したパレスチナ人を発見したので、その同胞を助けようとしたが、イスラエル兵の標的となってしまい、その若い命を失う破目になったという。この事件はニューヨーク・タイムズ紙やBBC、France 24などでも報道されたが、日本では全く報道されなかった。しかし、もっと残念なのは、歐米のユダヤ人が国境の壁を越えて連携し、「パレスチナ人の命も大切だ(PLM)」という運動が起きなかったことである。ユダヤ人同士だと、民族差別や人種偏見は問題にならないのかなぁ〜。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68846988.html  

224. 2021年3月22日 08:03:31 : X81eBtetkw : cmZoNHAzcUppeHc=[11] 報告

2021年03月21日
カテゴリアメリカ合衆国人種問題
聖人になった黒人 / 変質するアメリカ (前編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68850782.html


チンピラ黒人が「聖人」に昇格した日


George Floyd brother Philonise FloydGeorge Floyd cult 7

(左 : 記者会見に臨むジョージ・フロイドの遺族 / 右 : フロイドの死を悼み、お揃いのTシャツを着て抗議する黒人グループ )

  日本と同じく、アメリカ合衆国という国家も“公民”と“領土”が中核を成す要素になっている。国家意識が欠落した日本人は、自国の領土が侵掠されても、主権が蹂躙されても一向に気にしない“島民”に成り下がってしまった。さらに嘆かわしいのは、公民の“質”が変化しているのに、それを平然と眺めている態度である。一方、アメリカ人にはまだ国土防衛意識が残っているので、ハワイやロードアイランドが侵掠されれば、全軍を以て防衛する気概がある。しかし、西歐系アメリカ人にも、似たような症状が現れてきた。彼らは「公民(citizen)の質」に関する議論を避けようとする。特に、リベラル思想を植え込まれた高学歴の白人ほど論争を忌避する。なぜなら、それを始めれば、必ずや「人種の壁」にぶち当たるからだ。これは理性で解決できる問題ではない。人間の感情に基づく社会問題は、たとえ話し合いで鎮火したように見えても、心の底に反感の火種が残ってしまうものだ。抑圧された炎というのは反撥が強く、何かの切っ掛けがあれば、容易に再燃して火柱を上げてしまう。だから、脅迫や弾圧で人為的に抑え込もうとすると、却ってその摩擦熱が増強され、国民の分断にもなりかねない。

  アメリカ人というのは、いつも国内問題で揺れている。BLM(黒人の命も大切だ)運動の発端となった、ジョージ・フロイド(George Floyd)の死亡は未だ記憶に新しい。白人警官のデレク・ショウヴィン(Derek Chauvin)に膝で首を押さえられ、もがき苦しみながら逮捕される映像は、繰り返しマスコミによって流された。ところが、フロイドの遺体を調べたところ、彼は窒息死ではなく、心臓疾患と薬物の使用が主な死因と考えられるのだ。検死官のアンドリュー・ベイカー医師によれば、生前のフロイドはかなりの鎮痛剤を服用していたらしい。(Lou Raguse, "New court docs say George Floyd had ‘fatla level’ of fentanyl in his system", KARE 11 news, August 26, 2020.) こうした鎮痛剤の常用に加え、メタンフェタミン(methamphetamine)も使っていたから、逮捕時にフロイドの心臓が圧迫されたのも当然である。たぶん、裁判ではショウヴィンの行為がどれ程のレベルで死亡に繋がったのかが焦点となるだろう。薬物の過剰摂取で死に至ったのか、それとも首を圧迫されたから、それが引き金となって死亡に至ったのか、が争われるはずだ。

George Floyd 021Derek Chauvin 5

(左 : ジョージ・フロイド / 右 : デレク・ショウヴィン)

  しかし、フロイドの死亡事件は医学的な検証問題ではなく、あくまでも“政治上の問題”である。彼の逮捕劇を目にした黒人は、「白人警官による過剰防衛だ ! 黒人に対する不当な暴力だ !」と騒ぎ立て、その怒りは澎湃として全米各地を覆ってしまった。米国の黒人は多かれ少なかれ、日常生活で何らかの差別や恥辱を受けているから、一旦火がついた黒人の怒りは治まらない。ルサンチマン(ressentiment)とは、「繰り返し恨みを抱く」ことだから、黒人は過去を振り返って何度も味わった屈辱を思い出す。彼らはそれぞれ理不尽な境遇に憤る。単に黒人として生まれただけなのに、何で二級国民のように扱われるのか、と。さらに、毎日の生活で目に見えない壁に囲まれ、出世や成功が妨げられているから、「おのれ〜、白人ども ! 積年の怨みを晴らしてやる!」と勢いづく。

   でも、実際は黒人による犯罪で不幸になる白人の方が多い。主流メディアが意図的に隠しているから、リベラル白人が気づかないだけだ。しかし、FBIの統計を目にするアメリカ白人は、口には出さないが心の底で薄々分かっている。根拠なき批判はいけないけど、黒人の犯罪率は異常に高いから、黒人が集まると妙な目で見られたり、「何かよからぬことをするんじゃないか?」と疑われてしまうのだ。(以前当ブログで紹介したが、米国の主流メディアはコリン・フラハティーの本を意図的に隠している。黒人批判書の出版後、彼はテレビ局から干されてしまった。) 例えば、白人客なら普段着で「メイシーズ(Macy's」や「ハロッズ(Harrods)」に入っても怪しまれないのに、黒人がフード附のパーカー姿で入店すると、店の警備員がジッと見つめたりするから、まるで万引犯にでもなったような気分になってしまうのだ。また、趣味の悪い自分のクルマを運転すれば、白人警官のハイウェーパトロールに停車命令を喰らうし、いつもの仲間と高級住宅地を歩けば、「ここで何をしているんだ?」との職質を受ける。まぁ、確かに都市部などでは黒人の犯罪者が多いから、アメリカの白人はどうしても警戒してしまうのだ。

  一般の日本人はこれを以て「偏見だ ! 有色人種への差別だ !」とわめき立てるが、いざ黒人の群れに迷い込んだり、黒人街に住むとなれば、日本人は白人以上に警戒したりする。そもそも、「偏見(prejudice)」というのは、「予め」「判断」することだから、我々の生活には欠かせない意識(用心)である。よく、小学生の子供を持つ母親が、「変なオジさんについて行っちゃダメよ !」と釘を刺すが、どうやって子供はある人を「変」とか「危険」と判断できるのか? もしかすると、日本人の親は日常生活の躾で、無意識的に「変な人」の外見を子供に教えているんじゃないのか? アメリカには変態や兇悪犯、不法移民とかストリート・ギャングとがゴロゴロいるから、子供の一人歩きなんか絶対に厳禁だ。日本の女子大生は、大学の授業になると「人種偏見は赦せない!」と憤るが、電車の中でインド人やトルコ人の隣には坐ろうとせず、女性客の隣に坐ろうとする。さらに、彼女達がいざ子供を産んで母親になると、公園に集まるパキスタン人やベトナム人、アフリカ人を目にして、我が子の安全を図ろうとするんだから呆れてしまうじゃないか ! 日本人は根っからの差別主義者じゃないけれど、我々の「自然な反応」や「日常の偏見」をドイツ人やフランス人のピンク左翼が聞いたら、きっとビックリするぞ。

  脱線したので話を戻す。ジョージ・フロイドの「圧殺死」は全米各地に木霊(こだま)し、彼の不幸な死を悼む黒人は後を絶たなかった。米国の根深い人種対立を知らない日本人だと、「たかが不逞黒人のフロイドが警官に抵抗して自業自得の発作を起こしただけなのに、どうして見ず知らずの他人があれほど騒ぐのか?」と訝しむ。だが、人種問題で大統領選挙を操作したかった闇組織は、「全体主義反対」を掲げる極左グループの「アンティファ」を利用しようと考えた。ロクでなしの左翼に大金を流して操るのは、闇組織や外国勢力の常套手段である。日本の60年安保闘争や70年代の新左翼運動には、ソ連工作員の資金が流れていたじゃないか。もちろん、機動隊とぶつかっていた左翼学生は、酒を飲みながらインターナショナルを唄うくらいで、裏金については何も知らなかった。彼らは汚く伸ばした長髪とゲバ棒を片手に、「反戦平和」の闘士を気取ったり、「社会正義」の雄叫びを上げるだけ。東工大出身の菅直人や信州大出身の猪瀬直樹に訊いてみればいい。ちなみに、猪瀬は「白ヘル」で、同志社大の佐藤優(さとう・まさる)は「黒ヘル」だった。佐藤を「保守派言論人」と勘違いした新潮社や『諸君!』の元編集員は反省しろ。まぁ、KGBの工作員からすれば、「馬鹿と左翼は使いよう」という訳だ。

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(左 : 運び出されるフロイドの棺 / 右 : 街道で棺を見送る民衆)

  日テレやTBS、フジテレビなどの地上波ワイドショーは報じなかったが、ジョージ・フロイドの神格化は凄まじかった。まるで大統領か陸軍元帥の国葬みたい。フロイドの遺体は豪華な棺に入れられ、馬車に曳(ひ)かれながら街道を通過した。道路沿いでは多くの人々が見守り、フロイドの棺が通り過ぎると涙をこぼす。街中には彼の巨大な肖像画が飾られたり、壁にも彼の龍顔(りゅうがん)が描かれていた。さらに、大勢の黒人が次々と肖像画の前で跪(ひざまづ)き、惨殺されたフロイドの死に哀悼の意を示した。外国人がこうした礼拝を見れば、「フロイドは何かの殉教者なのか?」と尋ねてまうだろう。

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(左 : フロスドの棺の前で跪くジェイコブ・フレイ市長 / 右 : 祭壇となったフロイドの祈念碑 )

  日本人がフロイドの一件で“驚愕”してしまうのは、ミネアポリスの市議会が手渡した慰謝料の金額である。何と、ミネアポリスの行政府は和解金として2,700万ドル(29億7000万円)をフロイドの遺族に支払ったのだ。(Emily Shapiro and Whitney Lloyd, "$27 million settlement for George Floyd's family approved by Minneapolis City Council", ABC News, March 13, 2021. ) もう信じられない金額だが、高額訴訟が頻繁に起こるアメリカだからしょうがない。(まだ、法廷での決着がついていないのに、早々と判決が下る前に慰謝料を払うなんて前代未聞である。) 遺族に雇われたベン・クランプ弁護士によれば、フロイドの死は正義と変革を望む否定しがたい声を解き放ち、黒人の命も大切だということを再確認すると共に、警官による有色人種への暴力を終わらせるメッセージとなったらしい。そして、彼の死は永遠に刻まれることになった。何と、逮捕劇が起きた38番通りとシカゴ・アヴェニューの交差地点が、「ジョージ・フロイド・スクウェアー」と命名されたのだ。NYの「マディソン・スクウェアー」なら聞いたことがあるけど、ミネアポリスに新たな記念広場ができるなんて、もう絶句するしかない。単にゴロツキ黒人が不運な死を迎えただけじゃないか ! ホント、主要メディアと左翼の富豪による世論操作は誠に恐ろしい。

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(左 : フロイドを記念する壁画 / 右 : 壁画の前に献上された花束)

本音を語ってクビになった教授

  間抜けな西歐系白人は、黒人やユダヤ人に譲歩することが如何に危険であるかを今、ようやく気づいた。日本の地上波テレビや全国紙は全く取り上げないが、全米各地では大小の人種問題が起こっている。例えば、名門のジョージタウン大学で、「人種差別発言」を口にしたロー・スクール(法科大学院)の教授が解任されるという事件が起きてしまった。非正規教授(adjunct professor)のサンドラ・セラーズ(Sandra Sellers)は、ズームで同僚教授のデイヴィッド・バトソン(David Batson)と話している時、つい、うっかり黒人学生に対する“本音”を漏らしてしまった。彼女はこう不満を述べる。「あのねぇ〜、こう言いいたくないんだけど、いつの学期でも成績が悪い学生というのは黒人なのよ ! ホント、毎学期なんだから。まぁ、あなた(バトソン)のところには良い学生(黒人)もいるんでしょうけど、いつも底辺をウロウロしている学生っているのよねぇ〜」、と。

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( 左 : サンドラ・セラーズ / 右 : デイヴィッド・バトソ )

  案の定、この会話を録画したビデオは、インターネットで流れてしまった。当然だけど、二人の会話を聞いた黒人達は大激怒。所属教員の問題発言は電光石火、アメリカ中を駆け巡った。法学部の責任者は慌てふためき顔面蒼白だ。ビル・トレーナー学部長は直ちに声明を発表し、「二人の教員による会話は誠に不適切で、黒人学生に対する評価は非難されるに値するものです」と謝罪し、「セラーズ教授はもはやジョージタウン大学と関わりを持ちません」と述べた。つまり、馘首(クビ)ということだ。相方のバットソン教授も譴責されたそうで、大学にある「多様性・平等・優遇制度評議会」の調査が済むまで謹慎・停職との処分を受けた。まぁ、「口は禍(わざわい)の元」と言うけど、「正直は美徳」じゃなく「愚策」である。アメリカでは黒人の地位を上げるために大学入試でも「下駄を履かせて押し上げる」こともあるし、成績が悪くても「特別枠」とか「優遇措置」を設置することで採用するそうだ。でも、高度な技能や知識を求められる空軍では、「上げ底」採用は危険だから無理。確かに、戦闘機は人間の馬力じゃ動かない。軍隊のリクルート係は努力しているものの、なかなか黒人が採用基準に満たなくて苦労しているそうだ。しかし、筋肉の頭でいい海兵隊や陸軍は別。なぜなら、最前線で“消耗品”となるから。

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(左 : メイシャ・ロス・ポーター / 右 : リチャード・カランザ )

  多民族教育が浸透したせいか、政界でも黒人の採用は活発である。人種の坩堝あるいは猥雑なゲットー地区として有名なニューヨーク市では、“多様性(diversity)”に富んだ人事採用および配置転換が流行(はやり)となっている。最近、ニューヨーク市の学校運営を統括する教育長(Chancellor)の椅子が、リチャード・カランザ(Richard Carranza)からメイシャ・ロス・ポーター(Meisha Ross Porter)に代わったそうだ。なぜなら、前任者のカランザは学区を再編し、生徒を審査する入試を廃止して、もっと“多様性”に満ちた学校を創ろうとしたからだ。つまり、彼は従来の学区や入試を続けていると、黒人が多い特定の学校が出来てしまうので、人種の比率を考慮した学校を各地に創ろうとした。(Lia Eustachewich, "Who is Carranza'ssuccessor, new NYC schools Chancellor Meisha Ross Porter?", New York Post, February 26, 2021.) しかし、彼の動きに白人の親が猛反発。「そんなことをされたら、ウチの子が通う学校に“もっと”たくさんの黒人が来ちゃうじゃない! そんなの御免よ !」と激怒したらしい。

市長のビル・デ・ブラジオ(Bill de Blasio / 本名 : Warren Wilhelm, Jr.)は、こうした「人種統合」による揉め事に頭を痛め、人事の刷新で乗り切ろうとした。そこで、ポーターが黒人初の教育長となり、「人種隔離」の教育界を取り仕切ることになったそうだ。しかし、この黒人教育者も筋金入りの左翼だから、どんな行政手腕を発揮するか分からない。ポーターはビッグ・アップル(ニューヨーク市)の学校をもっと多様化させる、と豪語していたから、白人の比率が高い学校に黒人の生徒を無理やり押し込む可能性もある。というのも、彼女はかつて「優秀な子」という名目で、標的にする学校へ黒人の子供をネジ込んだことがあるからだ。ポーターはクィーズ地区にある南ジャマイカで生まれ育ったから、黒人優先主義に染まってもおかしくはない。ここでは詳しくのべないが、筆者はこの地区を何回か歩き回ったことがあるので、“どんな”場所なのかよく分かる。普通の日本人が訪れたらゾッとするぞ。

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(左 : ビル・デ・ブラジオ / 中央 : シャーレーン・マククレイ / 右 : 父親と一緒のキアラ・デ・ブラシオ )

  ちなみに、市長のビル・デ・ブラジオは黒人の詩人であるシャーレーン・マククレイ(Chirlane McCray)と結婚した。ハネムーンは当時渡航禁止のキューバであったというから、いかにも左翼カップルらしい。二人の間には娘のキアラ(Chiara)と息子のダンテ(Dante)が生まれたが、二人とも曰く付きの“ガキんちょ”だった。息子のダンテは名門のイェール大学に合格したが、なんと彼にはNYPD(ニューヨーク市警察)の護衛官による“送り迎え”というサービスがついていた。つまり、父親である市長は、マンハッタン(ニューヨーク州)からニューヘヴン(コネティカット州)までの通学を警官に頼んでいたのだ。(Graham Rayman and Stephen Rex Brown, "Mayor de Blasio's used his NYPD security detail to take his son to Yale", New York Daily News, October 28, 2019.) もちろん、デ・ブラシオ市長は権力の濫用を否定し、送り迎えは7、8回にすぎず、安全確保のためだったと言い訳をした。何となく、公私混淆の舛添要一を思い出す。

Chiara de Blasio 12Chiara de Blasio 11(左 : 青いクリームを唇に塗ったキアラ / 右 : 鼻にピアスをつけたキアラ)
  娘のキアラはもっと問題で、絵に描いたような馬鹿娘である。以前、彼女は鬱病に罹ったそうで、それから逃れるべく薬物依存症になったそうだ。しかし、とんでもないのは彼女のオツムの方で、これまた典型的な左翼思想ときている。2020年5月30日、ジョージ・フロイドの死に関する抗議デモが、ニューヨークのマンハッタンで行われた。抗議デモの参加者らは道路を塞ぎ、不当な暴力に対して声を上げるが、取締のために駆けつけた警察官はこれを鎮圧すべく、345名を逮捕した。ところが、この逮捕者の中に市長の娘が混ざっていたから、さあ大変。6月になってキアラ・デ・ブラシオの逮捕がバレたから、各マスコミが市長のもとに集まることに。(Adam Edelman and Tom Winter, "NYC Mayor de Blasio's Daughter Arrested during Saturday Night Protests", NBC News, June 1, 2020.) 父親がNYの治安を守るために警察組織を統括しているのに、その娘が厄介事を起こしているんだから、呆れてしまうじゃないか。しかも、デモ隊の攻撃により33名の警官が負傷したのだ。左翼の活動家は警察を「国家権力の暴力装置」と見なしているから、取り押さえようとする警官隊に手当たり次第、そこら辺のモノを投げつけたりする。中には「モロトフ・カクテル(火焔瓶)」を手にする奴もいるから要注意だ。

Dante de Blasio 1Dante de Blasio 2Chiara de Blasio & Bill & Dante & Chirlane at 2015 Pride Parade


(左と中央 : ダンテ・デ・ブラシオ / 右 : ゲイ・パレードに参加したデ・ブラシオ一家)

  とにかく、左翼上がりの政治家には、“とんでもない”家族がいるんだけど、本人も頭が左巻きだから、息子や娘の不祥事を世間に詫びず、逆に庇ったりするから始末に悪い。デ・ブラシオ市長も典型的な左翼オヤジで、家族と一緒に抗議デモに参加するし、同性愛者の擁護デモにも参列したことがある。娘のキアラはカルフォルニア州にあるサンタ・クララ大学(Santa Clara University)に入ったが、そこで学んだのは犯罪者を助けようとする法学とジェンダー研究(主に女性学)らしい。(Rose Minutaglio, "Who is Chiara de Blasio? Bill de Blasio's daughter was arrested while protesting", Elle, June 1, 2020.) 確かに、「学問の自由」は尊重されるべきだが、大学でフェミニズムやエスニック研究なんてしている奴は、卒業後、どんな職業に就くんだ? バラク・オバマみたいに「コミュニティー・オーガナイザー」なんて、“カタギ”の人間が選ぶ職業じゃないぞ。でも、有名人の子供は、親の七光りで左翼活動に邁進することもある。こうなると、共犯関係の主流メディアもスポットライトを当てるから、ひょんな事で下院議員選挙に受かってしまうケースも。これから、続々とアレクサンドラ・オカシオ・コルテスみたいな女が出てくるぞ。

Karen Ames 5Nicky Kram Rosen 1(左 カレン・エイムズ / 右ニッキー・ローゼン)
  脱線したので話を戻す。形式上「人種平等」を掲げる黒人女性であるが、ポーターは白人女性の犠牲によって高い地位に就いた人物である。デ・ブラジオ市長は「能力による抜擢だ」と反論するかも知れないが、「ポーターが“黒人”だから出世せさたんじゃないか?」という疑う人も多い。通常なら、行政手腕のある白人が配置されるはずだが、人種問題が絡むので黒人にしたとも考えられるのだ。こうした“政治的打算”で弾き飛ばされた白人教育者は憤懣やるかたない。ブロンクス地区のベテラン監督官であったカレン・エイムズ(Karen Ames)は、市の方針に腹を立て訴訟を起こしている。それに、エイムズはかつて学区の編成会議に出席した時、ポーターから馬鹿にされ、貶められたことがある。エイムズが人種平等を達成するための学区構成に反対したところ、ポーターはエイムズに口を挟むな、と告げたらしい。なぜなら、エイムズが「白人」であるからだ。つまり、白人には黒人の気持ちが解らないということだろう。第七地区で管轄長を務めるニッキー・ローゼン(Nicky Rosen)もポーターの方針に不満なようで、ポーターはユダヤ人に対しても消極的な採用をしたそうだ。たぶん、アシュケナージ系のユダヤ人も「白人の仲間」と見なしているのだろう。

Rafaela Espanal 02(左 / ラファエラ・エスピナル)
  左翼の黒人というのは複雑な心理の持ち主で、白人からの差別を嘆くのに、自ら他の種族に意地悪をする。ブロンクスの第12学区を統括するラファエラ・エスピナル(Rafaela Espinal)は、これといった説明も無しに解雇されてしまった。これに納得できないラファエラは訴訟を起こしたという。彼女の推測によれば、「ワカンダ敬礼(Wakanda Forever salute)」をしなかったから、仕事をクビになったそうだ。一般の日本人がこれを聞くと、「何だ、そのワカンダって?」と首を傾げるだろう。これは2018年に公開されたマーベル・コミック原作のアメリカ映画、『ブラック・パンサー(Black Panther)』の中に出てくる架空の国家である。2020年に亡くなったチャドウィック・ボーズマン(Chadwick Boseman)が主人公の「ブラック・パンサー」を演じており、「ワカンダ国」はこの英雄に率いられた四つの部族が構成する超文明国。南鮮映画みたいだけど、ワカンダ国は高度な科学技術を誇っている、という設定だった。

  もう、脚本と設定を聞いただけで抱腹絶倒となってしまうが、アメリカの黒人は故郷に出現した超先進国に大感激。「キャプテン・アメリカ」みたいな白人のヒーローじゃなく、黒光りのスーパー・ヒーローが誕生したので、大勢の黒人が劇場へと殺到したそうだ。でも、日本ではイマイチというか、ほとんど話題にならなかった。もちろん、提灯持ちの評論家は「おもしろ〜い」と称讃したけど、正常な日本人の反応は冷ややか。お世辞で評してもB級判定が精一杯。正直に言えば、C級作品といった感じだ。何しろ、興行成績はたったの15億6千万円ていど。(ランキングは37位。) あの失敗作と言われた『オーシャンズ8』だってランキングは34位で、興行収入は16億9千万円ほどであった。アニメ映画の「クレヨンしんちゃん」の方が上位で、ランキングは27位。興行収入は18億4千万円くらい。ちなみに、2018年のランキング第1位は『ボヘミアン・ラプソディー』で、131億円くらい稼いだそうだ。

Wakanda Forever salute 2Wakanda Forever salute 38

(左 : 「ブラック・パンサー」を演じるチャドウィック・ボーズマン / 右 : 「ワカンダ・ポーズ」をとる黒人ファン)

  話を戻す。解雇となったラファエラは、アフリカ系の黒人ではなくドミニカ系のアメリカ人で、本人曰わく、「アフロ・ラティーナ(Afro-Latina)」であるという。しかし、上司のポーターには不満なようで、ラファエラは「充分に黒くない(not being black enough)」黒人であったそうだ。さらに、ラファエラの行動が問題であった。彼女は黒い同僚に迎合せず、両手を胸の前でクロスさせる「ワカンダ・ポーズ」を拒否した。せっかく「ブラック・パワー」を誇示するジェスチャーなのに、それをしないで知らん顔。これじゃあ、ラファエラが“白眼視”されたのも当然だ。日本のワイドショーは伝えなかったが、当時、アメリカの黒人はウキウキしながら、みんなで「ワカンダ・ジェスチャー」を楽しんでいた。昔、長州小力が「night of fire」に合わせて踊っていたけど、あれと同じような臭いがする。

Wakanda salute 221Wakanda salute 4Wakanda salute 00111


(写真 / 「ワカンダ」式の敬礼を披露するスポーツ選手や政治家 )

  とにかく、人種や性別に関する問題は本当に根が深く、いくら考えても有効的な解決策が無い。異人種が混ざり合って暮らすと、厄介な問題ばかりが起こる。やはり、異質な人間は離れて暮らした方がいい。1980年代、「ザ・ビートルズ」のポール・マッカートニーは、スティーヴィー・ワンダーとデュエットで「Ebony & Ivory」を唄い、黒人と白人が仲良く共存する事を訴えかけた。1983年にはマイケル・ジャクソンと一緒に「Say Say Say」を唄って、世界的なヒット曲になったけど、あんなのは金持ちの道楽だ。現実の庶民は黒人と白人で分かれている。スティーヴィー・ワンダーは盲目だから、誰が白人か見分けがつかないし、マイケル・ジャクソンは白人に憧れて整形手術を受けた。ミュージシャンは暢気な世界に住んでいるから、歌で全人類が解り合えると思っている。「それなら、習近平の前で唄ってみろ !」と言いたい。

  後編に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68850782.html

225. 中川隆[-6401] koaQ7Jey 2021年3月24日 07:09:35 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[1] 報告

アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/539.html

アングロ・サクソン人は最も高貴な人種、資本主義を大々的に「リセット」して劣等民族のアジア系やアフリカ系の人口を減らすのが急務
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/509.html

グローバリズムは19世紀の帝国主義の21世紀版、共産主義とは対極にある考え方
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/510.html

ネオコンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/494.html

グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html

アメリカ合衆国の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/485.html

ユダヤ人の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/486.html

イギリスの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/478.html

ベルギー・フランス・スイスの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/476.html

オランダ・ドイツ・オーストリアの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/475.html

スペイン・ポルトガルの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/477.html

ロシア・ウクライナの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/472.html

北欧の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/473.html

東欧の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/471.html

ギリシャ・イタリアの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/469.html

中近東の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/468.html

226. 中川隆[-6400] koaQ7Jey 2021年3月24日 07:11:14 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[2] 報告
極貧のイギリス王室 _ イギリス王家の滅亡と「イギリス人」の消滅
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/800.html

ウインザー公とシンプソン夫人の恋 _ シンプソン夫人はナチスのスパイだった?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/591.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/441.html

《メーガン&ハリー暴露本が早くもベストセラーに》英王室兄弟の仲を引き裂いた「ひと言」とは?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/263.html

227. 中川隆[-6399] koaQ7Jey 2021年3月24日 07:12:29 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[3] 報告
◆ウーマナイザー。欧米の女性たちを虜《とりこ》にするアダルト・トイのこと
2021.03.23

よほど、業界に詳しい男性でない限り、「ウーマナイザー」と聞いてもそれが何なのか見当もつかないはずだ。

2014年に誕生した女性用の性具(アダルト・トイ)だというのだが、私もつい最近までまったく知らなかった。しかし、ふと先日に欧米の女性に猛烈な人気になっているという記事を読んで、やっと「このようなものがあるのか」と知ることになった。

何でも、コロナ禍でステイホームが推奨されている今、全世界でアダルト・トイが爆発的に売れているのだという。そんな中で、女性に絶大な支持を受けているのが「ウーマナイザー」なのだと言われているのだ。

あまり知られていないが、アダルト・トイの市場は成長産業である。

100年ほど前までは結婚は男女共に16歳だとか17歳だとか珍しくなかった。そのうちに時代がどんどん複雑化する中で結婚年齢は後にズレていくことになり、20代の半ばで結婚するのが普通になった。

しかし、現代はさらに晩婚化が進んでおり、平均結婚年齢は2015年の「出生動向基本調査」で、「夫30.7歳、妻29.1歳」にまで後に延びたことが分かっている。

社会が晩婚化すればするほど、若者たちは性的なエネルギーを持てあますことになる。20代は性的に最も活発な時期だが、この時期に「独り」の人は性的な発散を相手に求めることができないことも多い。

そこで、需要を満たす上でアダルトビデオやアダルト・トイが男性にも女性にも売れるようになっているのである。そして、こうしたアダルト・トイはどんどん洗練されてきている。

日本でも「テンガ」などはアダルト・トイの印象を大きく変えた。(ブラックアジア:アダルトビデオとテンガは、真夜中のハイエナを葬り去る?)

新商品も次々と登場している。欧米でもこうした時代背景があって、その中で「ウーマナイザー」もう登場したということだ。
https://blackasia.net/?p=23104


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228. 中川隆[-6398] koaQ7Jey 2021年3月24日 07:13:47 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[4] 報告
理想の男の姿とは _ 女性用ラブドールの世界
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/245.html

世界を変えた映画『エマニエル夫人』
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女の停年は35歳
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ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界
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「AI搭載ラブドール」の実用度
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AI搭載ラブドールと一緒に暮らそう _ とんでもない美人のラブドールがやってきた!
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女の子に合う香り、加齢臭のオバサンに合う香り
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「女の子のニオイ」を再現する方法
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/247.html

我々は「自分の老い」に向き合ってきたか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/446.html  

229. 中川隆[-6393] koaQ7Jey 2021年3月24日 09:28:37 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[11] 報告

2021年01月10日
米大統領選、対立の本質は人種闘争
http://www.thutmosev.com/archives/84834612.html


人種の平等と言うが、現実には『勝敗』しかない

米大統領選の本質
トランプ大統領と支持者が悪あがきをするのは、争いの本質が民主選挙ではなく人種闘争に根差しているからでもある。


アメリカは白人にとって悪夢の国になる

言うまでもなくトランプ大統領は欧州に起源をもつ白人で、支持者もいわゆる白人が多いとされている。

アメリカは移民の国で当初は欧州からの白人移民が圧倒的に多く、アメリカは白人の国になった。

だが最近50年の移民は圧倒的に非白人が多く、中でもヒスパニックと呼ばれる中南米からの移民が多い。


アフリカなどからの黒人移民や中国人などアジア系移民も多く、白人の移民は少数にとどまっている。

この結果アメリカの新生児ではもう10年も前に有色人種の出生数が多数派となり人種の交代が起きた。

2011年の国勢調査によると米国で生まれた新生児のうち、非白人系が50.4%を占め初めて白人を上回った。


といっても最大人種は依然として白人なのだが、新生児が20歳になると新成人も白人が少数になる。

さらに20年経てば社会のほとんどで白人が少数になり、いずれ人口構成でヒスパニックが最大人種になる。

2020年現在で白人は人口の64%、ヒスパニックは17%、白人は1950年代には人口の90%も占めていました。


このペースで行けば2050年にはヒスパニックが最大人種に、白人は2番目の人種に転落する。

例えば日本で「韓国系が2050年に日本人を抜いて最大人種になる」と言われた時の日本人の気分はどんなものでしょうか?

そう言われたのがアメリカ白人の立場で、危機はすでに現実になりアメリカ白人の生存スペースは年々小さくなっている。

気付けば周囲に白人はいない

アメリカの田舎にも日本の田舎と同じように祭りがあり、白人の音楽で踊り白人の料理を食べていました。

だが街の大半が非白人になり、ヒスパニックや黒人の音楽がかかりアフリカやブラジル料理だけになった。

学校によってはヒスパニックばかりや黒人ばかりで、白人は1人しかいない場合もある。


黒人、ヒスパニック、アジア人、白人はそれぞれコミュニティを作っていて、白人のコミュニティは年々小さくなっている。

都会は非白人が多いので白人は田舎に引っ越し、白人だけのコミュニティを形成している。

白人の地位が一気に低くなったのはオバマ大統領の人種平等政策がきっかけで、名前とは逆に白人を差別する政策でした。


学校や会社や公務員試験などで人種間の格差をなくすという名目で、白人の点数を減点しました。

具体的には「黒人で女性でアフリカ出身」のような人は白人でアメリカ出身男性よりも、最大30点ほど加点されます。

2人の黒人と白人がほぼ同じ点数だったら、白人は一生涯なにをやっても黒人には勝てないのです。


こういう人種闘争がトランプ支持者の本当の闘争で、根本原因はオバマの「人種差別政策」とアメリカの人種交代にあります。

日本でも「聖徳太子は存在しなかった」「神武天皇は存在しない」のような事を言う人間がいるが、支配人種が変わると歴史や英雄も変えられてしまう。

白人の英雄は犯罪者にされ白人の歴史は書き換えられ、やがてヒスパニックの英雄がアメリカの英雄という事になるでしょう。


アメリカは白人にとっての悪夢の国になろうとしていて、これは今後も簡単に解消しないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/84834612.html

230. 中川隆[-5775] koaQ7Jey 2021年4月13日 10:27:51 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[25] 報告
◆ウーマナイザー。欧米の女性たちを虜《とりこ》にするアダルト・トイのこと
2021.03.23

よほど、業界に詳しい男性でない限り、「ウーマナイザー」と聞いてもそれが何なのか見当もつかないはずだ。

2014年に誕生した女性用の性具(アダルト・トイ)だというのだが、私もつい最近までまったく知らなかった。しかし、ふと先日に欧米の女性に猛烈な人気になっているという記事を読んで、やっと「このようなものがあるのか」と知ることになった。

何でも、コロナ禍でステイホームが推奨されている今、全世界でアダルト・トイが爆発的に売れているのだという。そんな中で、女性に絶大な支持を受けているのが「ウーマナイザー」なのだと言われているのだ。

あまり知られていないが、アダルト・トイの市場は成長産業である。

100年ほど前までは結婚は男女共に16歳だとか17歳だとか珍しくなかった。そのうちに時代がどんどん複雑化する中で結婚年齢は後にズレていくことになり、20代の半ばで結婚するのが普通になった。

しかし、現代はさらに晩婚化が進んでおり、平均結婚年齢は2015年の「出生動向基本調査」で、「夫30.7歳、妻29.1歳」にまで後に延びたことが分かっている。

社会が晩婚化すればするほど、若者たちは性的なエネルギーを持てあますことになる。20代は性的に最も活発な時期だが、この時期に「独り」の人は性的な発散を相手に求めることができないことも多い。

そこで、需要を満たす上でアダルトビデオやアダルト・トイが男性にも女性にも売れるようになっているのである。そして、こうしたアダルト・トイはどんどん洗練されてきている。

日本でも「テンガ」などはアダルト・トイの印象を大きく変えた。(ブラックアジア:アダルトビデオとテンガは、真夜中のハイエナを葬り去る?)

新商品も次々と登場している。欧米でもこうした時代背景があって、その中で「ウーマナイザー」もう登場したということだ。
https://blackasia.net/?p=23104


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7つのクリトリス吸引バイブを実際使ったランキング!一番のオススメは・・・
https://happy-sexlife.com/clitrois-suction-comparison/

「最近流行りのクリトリス吸引バイブを使ってみたい!」

「クリトリス吸引バイブって色々あるけどどれが気持ちいいの??」

クリトリス吸引バイブを買いたいと思っていると、こんな悩みが出てきますよね…!


なな
私も最初はいろんな種類があって、どれがいいのか悩みました…!
結局気になったやつは、全部買っちゃいました…!


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色々な種類を使ったので、それぞれの違いもわかりました!
たくさん使ってきた私が、それぞれのクリ吸引バイブを比較して、ランキングを作りました!


マイメアリープラスでもっと気持ちよくなれる!
マイメアリープラスを使うと、1分でイけちゃうことを知っていましたか??

マイメアリープラスは、クリトリス吸引に特化した、セルフプレジャーアイテムです。

私も実際に使ってみたのですが、ほんとすぐにイっちゃってびっくりでした...!

実際に使ってみた体験談を記事にしてみました!

今よりももっと気持ちよくなりたいなら、まずはマイメアリープラスを使ってみた体験談を読んでみてほしいです!

マイメアリープラスの体験談を読んでみる!
https://happy-sexlife.com/my-mary-plus/

なな
今まであまりエッチなことに積極的になれなかったけど、彼と一緒に気持ちよくなりたいと思い、エッチの勉強を始める。
エッチの気持ちよさに気づいてどんどんのめり込んでしまい、いつしかオモチャをたくさん購入したり、自分で情報を発信するように...!
エッチをもっと楽しくするための情報を発信中!


目次
クリトリス吸引バイブの比較ポイント
比較するクリトリス吸引バイブ
クリトリス吸引グッズおすすめランキング!

第1位 マイメアリープラス
第2位 オリカ クリス
第3位 サティスファイヤープロ ペンギン
第4位 サティスファイヤ Pro2
第5位  Womanizer2
第6位 チュッパ・チップ・ポン


クリトリス吸引バイブ比較表

比較の結果オススメなクリトリス吸引バイブは?
クリトリス吸引バイブでもっと気持ちよくなろう!

クリトリス吸引バイブの比較ポイント
あなたは今まで電マやローター、バイブは使ったことがあるかもしれません。最近は、クリトリスに吸引刺激を与えられる、クリトリス吸引バイブが流行っています!

クリ吸引バイブは、まるでクンニをされているかのような、今まで味わったことのない刺激を感じられるんです!

今流行りのクリトリス吸引バイブは、たくさんの種類が出ているけど、どうやって選ぶといいのでしょうか?


なな
次の6つを見ると、失敗しないよ!

・イきやすさ
・密着性
・静音性
・防水性
・デザイン
・価格

私はこれまで、6つのクリ吸引バイブを使ってきました。

6つの項目を5点満点で評価して、最もオススメなクリ吸引バイブを紹介するよ!

比較するクリトリス吸引バイブ
今回は、私が使ってきたクリトリス吸引バイブ7つを比較します。比較するのは・・・

・Womanizer W500
・オリカ クリス
・サティスファイヤーPro2
・サティスファイヤープロ ペンギン
・チュッパ・チップ・ポン
・マイメアリープラス   (50音順)
です!

クリトリス吸引グッズおすすめランキング!
それでは私が実際に使って気持ちよかったクリトリス吸引バイブのおすすめランキングを発表します!

第1位 マイメアリープラス

私が最もオススメしたいのが、「MY MARY PLUS(マイメアリープラス)」という商品です。

https://mary-love.com/lp002/?bbid=BB1296169588

マイメアリープラスは、人間工学に基づいて開発されたクリトリス吸引バイブです。

マイメアリープラスのすごいところは、吸引口が温まる「ヒートリップ機能」!

吸引口が温まる機能は、他のクリトリス吸引バイブにはない、業界初の機能なのです!


なな
吸われながら温かさを感じれるので、本当に舐められてるみたいだった!!

吸引口が温まる機能が付いているのはマイメアリープラスだけなので、他のクリ吸引バイブにはない快感が味わえちゃいます!

しかも公式サイトでマイメアリープラスを購入すると、「イけなかったら全額返金保証」もやっているので、気軽に試してみることができるのも嬉しいですね。


なな
私もこの保証があったから、思い切って買ってみました…!

マイメアリープラスをオススメ1位に選んだもう一つの理由は、デザインが洗練されているから!

マイメアリープラスは高級感あふれるデザインで、「セルフプレジャー(自分をケアしている)感」があるのも嬉しいですね。

インスタには、「#マイメアリー」というハッシュタグもあることを知っていましたか??


ハッシュタグができちゃうほど、マイメアリープラスはみんなが使っている人気なクリ吸引バイブなのです!

マイメアリープラスは私の中で一番オススメだったので、詳しく紹介した記事も作りました!もっと詳しく知りたい、という方はマイメアリープラスを実際に使った体験談も参考にしてください!

マイメアリープラスは、公式サイト限定で全額返金キャンペーンを実施中です。今だけのキャンペーンなので、このチャンスを逃すと後で後悔することになるかもしれません…!

一度試してみて微妙だったら返金してもらい、気持ちよかったらそのまま買っちゃえば、実質無料で試せて損しないですよ!

実質無料でマイメアリープラスを試してみる!

第2位 オリカ クリス

クリ吸引バイブのオススメ第2位は、オリカ クリスです。オリカ クリスは、リスの形をしたかわいらしいデザインが特徴です。


なな
見た目はかわいいけど、機能はすごいんです…!

吸引力や密着力はクリ吸引バイブの中でも高い方でした。ただ吸引されるだけでなく、しっぽの部分はバイブ変わりにもなるという、見た目からは想像できない凶暴さ。笑

ローションをほんの少しだけクリトリスに塗り込んで、リスの口を寄せると、じわじわとした吸引の気持ち良さが。舌先でチロチロされているような感覚。

吸引口を離さずぴったりあてがったまま、くるくると小さく回すように動かすと「ヒャ〜ッ」という感じで、あっという間にイってしまいました。

1つ目の弱い刺激だったから、イった後もそのまま余韻に浸ることができました。そして、吸引を強くしていくと、クリトリスの奥から湧き上がるようなオーガズムがきます。

2回目は軽いクリイキではなく、頭が真っ白になるような深イキで、こんなクリグッズははじめて。大好きな彼氏のクンニリングスよりも気持ちよくてびっくり!(31歳 / 事務員)

こんな口コミも届いていました。ラブグッズを扱っているお店ではかなり有名な「LCラブコスメ」さんの商品なので、安心して購入できるのもオススメポイントですね。

第3位 サティスファイヤープロ ペンギン

クリ吸引バイブのオススメ第3位は、こちらもLCラブコスメさんのグッズサティスファイヤプロ ペンギンです。

こちらも見た目はかわいいけど、実は凶暴というギャップがたまらない商品です。


なな
小さくて持ちやすいのが特徴!でもその分、少し吸われてる感じは弱いかな・・・??

小さいので、持ち運んで使うにはぴったりかもです!手にすっぽりと収まるので、とても持ちやすいです!

第4位 サティスファイヤ Pro2

クリ吸引バイブオススメ4位は、サティスファイヤ Pro2です。こちらは、他のクリ吸引バイブと比べると、少し吸引力が弱いかな?という印象でした。


なな
じっくりと快感を味わいたい、という方にはいいかもしれません

サティスファイやPRO2は吸引力が弱い分、音もそれほど気になりませんでした。

ただし、耐久性には少し注意が必要です。完全防水と表記があるけど、お風呂で使ってみると壊れてしまいました…

何度か水洗いするだけでも壊れてしまいそうだし、実際にそういう口コミもあるので、衛生面も考えると、しっかり水洗いができて壊れないものを選んだ方がいいかな〜と思います。

サティスファイヤ Pro2の購入はこちらから
https://www.e-nls.com/pict1-46293?c2=9999


第5位  Womanizer2

クリ吸引バイブのオススメ第5位は、Womanizer2(ウーマナイザー2)です!これはドイツで作られていて、「最強のクリトリス吸引バイブ」とも言われていますね。


なな
マイメアリープラスを買った後に、もっとお高いから、絶対に気持ちいいと思って買ってみました!


なな
でもマイメアリープラスと、気持ちよさはあまり変わりませんでした…

マイメアリープラスを使った後に買ったので、過度な期待があったのかもしれません。それにしても値段が2万円とかなりするので、少し期待外れでした…

むしろマイメアリープラスには吸引口が温まるヒートリップ機能が付いているので、機能的にはマイメアリープラスが勝っています。

確かに吸引力・密着力・デザインなどは優れているのですが、価格が高いというデメリットや、マイメアリープラスも吸引力・密着力・デザインなどが優れていてヒートリップ機能も付いているので、マイメアリープラスの方がオススメかな、という感じです。

Womanizer2(ウーマナイザー2)の購入はこちら
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第6位 チュッパ・チップ・ポン

チュッパ・チップ・ポンは、クリ吸引バイブの中でも圧倒的な安さで有名です。


なな
私も安いし一度試してみようと思って買ってみました!

しかし実際に使ったところ、機能の面では他のクリトリス吸引バイブよりは微妙でした。吸引力はあるけど、イマイチうまく密着しませんでした。

あと音が気になる・・・!


なな
音がうるさいと、周りが気になって集中できない・・・

とはいえお手頃な価格なので、音を気にしなかったり、クリ吸引バイブを一度試したみたい、という方にはオススメです。

チュッパ・チップ・ポンの購入はこちら
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クリトリス吸引バイブ比較表

マイメアリープラス オリカ クリス サティスファイヤープロ ペンギン Womanizer W500 サティスファイヤーPro2 チュッパ・チップ・ポン

総合評価 27/30 26/30 23/30 23/30 20/30 20/30
吸引パターン 8種類 10種類 1種類 1種類 1種類 20種類
吸引調節 5段階 10段階 11段階 8段階 11段階 1段階
防水機能 完全防水 生活防水 完全防水 生活防水 生活防水 生活防水
連続稼働時間 2時間 3時間 2時間 2時間 2時間 1〜2時間
動作音 50db(かなり静か) 52db(かなり静か) 51db(かなり静か) 42db(かなり静か) 63db(静か) 記載なし(少しうるさい)
クリ吸引口直径 10mm 10mm 13mm 14mm 16mm 15mm
充電 USB充電 USB充電 USB充電 USB充電 USB充電 USB充電
価格(税込) 9,800円 7,480円 7,150円 24,000円 8,980円 3,990円


比較の結果オススメなクリトリス吸引バイブは?


私が使ったクリ吸引バイブ6つを比較しながらランキングで紹介しました!


なな
一通り使ったけど、一番オススメはマイメアリープラスかな??
温まる機能が他になくてとても気持ちよかった!!

クリ吸引バイブは、他のオモチャよりも少し相場が高いので、買うのにじっくり悩んでしまいますよね…!

でもマイメアリープラスは、全額返金保証をやっていたので、実質無料で試すことができて、安心して購入できるというのも、とても嬉しかったです!

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実質無料でマイメアリープラスを試す!

クリトリス吸引バイブでもっと気持ちよくなろう!
クリ吸引バイブの中でもオススメの商品を紹介しました。

第1位は、マイメアリープラスでした!吸引口が温まるというのが、他のクリ吸引バイブにはない機能で、本当に舐められている感じでとても気持ちよかったです!

マイメアリープラスは、全額返金保証をやっていて、安心感もあるし、もしイけなくても実質無料で試せるので、とても嬉しかったです!

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まずは一度使ってみて、微妙だったら返金して、気持ちよかったらそのまま買う、というようにすると実質無料で試せてお得ですよ!

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17. 中川隆[-5864] koaQ7Jey 2021年4月10日 15:30:25 : 418tx6eY3U : RHN3UGNkQXhJWlE=[18] 報告
▲△▽▼
【女性が選ぶ】クリトリス吸引器の選び方とおすすめ10商品
おすすめオナニークリトリスクリ吸引バイブ
公開日:2019/11/25
更新日:2020/09/04
https://steron.jp/9731/

数あるオーガズムの中でも最も快感が強い「クリイキ」。
最も簡単に体験する方法がクリ吸引バイブやクリトリス吸引器です。
選び方とおすすめの製品10種類をランキング形式で紹介します。
ハマり過ぎは要注意ですよ。

記者 WRITER

Bella Vita

Contents [目次を開く]

1. クリトリス吸引器の魅力3つ
2. 選び方の3つのポイント
3. おすすめランキング10選
10位. DXプレッシャーゲージポンプ
9位.最先端クリトリス吸引バイブ|MY MARY
8位.ウーマンラブ|SSI Japan
7位.クリ吸引バイブ|Orlupo
6位.吸引 x 振動デュエット|BeinLove
5位.10段階吸引バイブ|SOHIMI
4位.ウーマナイザーPRO40|Womanizer
3位.プロペンギン|サティスファイアー
2位.クリ x 乳首吸引バイブ|Acmejoy
1位.クリ吸引 x Gスポ刺激バイブレータ|Riodong
4. 【まとめ】ハマり過ぎに注意しよう


クリトリス吸引器の魅力3つ
クリトリス吸引バイブは近年販売数が急増化している人気アダルトグッズです。いったいクリトリス吸引器にはどんな魅力があるのでしょうか?

魅力1.デザインがおしゃれ
クリ吸引バイブのデザイン
クリ吸引バイブは一見アダルトグッズに見えないようなおしゃれなものが多いのです。

ローターやバイブ、ディルドのようにいかにもなルックスは女性に敬遠されがち。でもデザインがおしゃれなクリトリス吸引器なら、セックスのスパイスとして気軽に取り入れることができます。

魅力2.セックスでは味わえない感覚
オーガズムを感じる女性
クリ吸引バイブは「吸引」と「振動」という、人の手だけでは味わえない感覚もまた大きな魅力です。

セックス経験が低く、まだ体が開発されていない女性でも、吸引と振動のコラボで快感に目覚めて虜になってしまいます!実際クリトリス吸引器なしではイケなくなってしまう女性も多いのです。

魅力3.クリイキが簡単に体験できる
大人のおもちゃを持つ女性
女性の大多数がセックスやオナニーで感じる最も強い快感がクリイキです。とは言え、女性の中にはなかなかクリイキできない人もいます。

オナニーではクリイキできても、セックスではそもそもイッたことがないという女性も多くいます。そんな女性でも、クリトリス吸引バイブなら、これまで感じたことのない新鮮な刺激と快感でクリイキが簡単にできるのです。

選び方の3つのポイント
最近、クリトリス吸引器の人気は急上昇中しており、次々に新しい商品が発売されています。Amazonで「クリトリス吸引」と調べると、3,000件以上がヒットする状態です。でもこれだけ種類があると、いったいどれを選んでいいのかわからなくなりますよね。

「買わなければよかった…」なんて思わないために、クリトリス吸引器の選び方のポイントをお教えします。

選び方1.機能やプレイの目的
マシーンのスペック
クリトリス吸引バイブは、器具によって搭載されている機能が異なります。まずは自分がどんな機能をクリトリス吸引バイブに求めるかを明確にすると、自然と選択肢が狭まってきますよ。

吸引パターン(吸引リズム)
刺激の種類(強さや種類数)
防水加工(防水有無)
静音設計(何デシベルか)
充電の種類(電池orUSB)
などについて、外せない機能はなにか?と考えてみましょう。自分で使う場合、彼女のために選ぶ方も、どんなプレイがしたいのか、自分や相手はどんなものが好きそうかを考えながら選ぶとよいですね!

選び方2.満足度や口コミ
大人のおもちゃを評価する女性
本体の機能である程度絞り込みができたら、次は満足度や口コミを参考にしてみましょう。口コミ評価が高いクリトリス吸引器には理由があります。高性能でコスパが良かったり、女性によって開発されていたり、女性を満足させる理由があるのです!

特に女性の口コミは侮れません。有名メーカーのものであっても、利用者の満足度や口コミ評価があまりに低いものは避けた方がよいでしょう。

選び方3.デザインやカラー
デザイン性の高い大人のおもちゃ
アダルトグッズだってオシャレじゃないとイヤ!という女性は多いのではないでしょうか?そんなこだわりのある方は、デザインやカラーも考慮して選びましょう。

彼女のために購入を考えているという男性の方は、女性ウケするデザインのものを選ぶと喜んで使ってもらえますよ!

おすすめランキング10選
選び方のポイントはわかっても実際に選ぶのが難しいという方のために、筆者が選んだおすすめのクリトリス吸引器トップ10をランキング形式で紹介します。

どれも女性視点で選んだ優秀なクリトリス吸引器具ばかりです。クリ吸引バイブ選びに迷い中の方はぜひ参考にしてくださいね!

10位. DXプレッシャーゲージポンプ
DXプレッシャーゲージポンプ(ポンプ本体)
DXプレッシャーゲージポンプ
価格 \5,756
機能 クリトリス吸引
満足度 75点
Amazonで見る ▶
おすすめランキング第10位はDXプレッシャーゲージポンプです。パッと見た感じは医療機器にすら見える本格的でクラシックなクリトリス吸引器です。ポンプ本体を軸にアタッチメントを交換することで、ヴァギナからクリトリス、乳首の吸引まですべてできるマルチ吸引ポンプ。今や貴重な手動式で、ちょっとSM気分が味わえるのも魅力です。


クリトリス吸引器はもはや電動のものが主流ですが、こちらの商品は吸引レベルを目盛りで確認しながら楽しめます。クリイキだけじゃなく、乳首イキしたい方、S気質の男性におすすめです!


9位.最先端クリトリス吸引バイブ|MY MARY
女医も推奨するプレジャーアイテム MY MARY [マイメアリー] 最先端ラブグッズ (ブラック) 防水 静音 クリトリス吸引バイブレーター 女性向けアダルトグッズ
MY Mary クリトリス吸引バイブレーター
価格 \6,980
機能 吸引・振動・静音設計
満足度 78点
公式サイトで詳しく見る▶
次にご紹介するのは人気ブランドMY MARYのクリ吸引バイブです。人気AV男優「しみけん」さん、セクシー女優の高橋しょう子さんも勧めるプロをもうならせるクリトリス吸引器です。

最先端の人間工学に基づいて設計されており、クリトリスを直接触れることなく優しく吸引・振動しクリイキに誘います。


アダルトグッズに見えないスタイリッシュなルックスで人気を集めています。静音設計なので、オナニーにもおすすめです。何度も続けてクリイキする女性が続出中なので連続クリイキに挑戦したい人にもいいですね!
8位.ウーマンラブ|SSI Japan
ウーマンラブ ホワイト
ウーマンラブ
価格 \3,600
機能 吸引・振動(無段階調整可能)・3時間連続使用
満足度 80点

ウーマンラブは「ひとりエッチ大革命」のキャッチフレーズが有名なクリ吸引バイブです。すっぽりとクリトリスを包みこみ、まるで唇で吸われているかのような甘美な吸引快感が味わえます。人間工学に基づき設計されているため、フィット感はバツグンで、吸引力の微調整や強弱を無段階に自分好みにコントロールすることが可能です。


JULIAさん推奨アダルトグッズということで、オナニーのために購入する女性が多いグッズですね。一人でもクンニでのクリイキ再現できるのは嬉しいですね。3時間連続使用できるので、長時間のセックスのアクセントになりますね!

7位.クリ吸引バイブ|Orlupo
Orlupo バイブ 女性【吸引+振動】・カップル向け 防水 静音 USB充電 乳首吸引器 クリトリス バイブ Gスポット8種振動モード 5段吸引強度 乳首責めマッサージ 大人のおもちゃ 女性向けアダルトグッズ
Orlupo クリトリス吸引バイブ
価格 \2,299
機能 吸引(5種類)・振動(8種類)・生活防水・静音設計
満足度 85点


ピンクのアダルトグッズが多い中、大人なパープルがシックでスタイリッシュなOrlupoのクリトリス吸引器です。5段階の吸引機能+8種類の振動パターンが楽しめるクリトリス吸引器です。色んな組み合わせを試して最高のクリイキ体験が実現します。お値段も2000円台とお手頃なので、最初のクリトリス吸引器としてもおすすめです。


低価格な上、吸引と振動合計13パターンを搭載したかなりお得感のクリトイリス吸引器です。クリイキしにくい女性でもこれだけ豊富な刺激があればきっと気持ちよくイケるはずです!ルックスも優秀なのでこれなら彼女にプレゼントしても引かれませんよ!

6位.吸引 x 振動デュエット|BeinLove
Beinlove バイブ クリトリス 吸引 乳陰共用 吸引+振動デュエット 史上最強吸引【7種超振動×7種強吸引】潮吹調教女王 実力吸淫! 2点同時責め クリ吸い&Gスポット直撃 クンニ 乳首舐め 静音防水 流線型設計 アダルトグッズ
Beinloveクリトリス吸引バイブ
価格 \3,000
機能 吸引(3種類)・振動(8種類)・生活防水設計・静音設計・連続2時間使用可
満足度 88点

おすすめランキング6位はクリ攻め、乳首攻め、Gスポット攻めができる三位一体なクリトリス吸引バイブです。「吸って擦って挿入してオーガズム」がキャッチフレーズのクリトリス吸引器。3種類の吸引、8種類の振動を堪能したあとは、そのまま膣内に挿入できるので、クリイキ、中イキの連続イキも夢ではないでしょう。


挿入までできるということで、男性から彼女へのプレゼントとしてよく選ばれるアイテムです。電マでもバイブでもイケない女性がものの数分でイケたとう口コミも!一度くらい彼女をイカせたいという男性の救世主になるかも?!

5位.10段階吸引バイブ|SOHIMI
SOHIMIクリトリス バイブ 10段階吸引バイブ 小型ローター クリ責めバイブレーター Gスポット 乳首責めマッサージ USB充電 防水超静音大人のおもちゃ フェラバイブ 女性向けアダルトグッズ
SOHIMIクリトリス バイブ
価格 \2,100
機能 吸引(10種類)・生活防水加工・静音機能・連続1時間30分使用可
満足度 90点

SOHIMIクリトリスバイブは、どこまでも吸引にこだわったクリ吸引器。震動機能はいらない、吸われる快感だけが欲しいという方にはこれがベスト。10種類の吸引パターンをそなえ、クンニ大好きな女性におすすめです。手マンではなくクンニでイクタイプの彼女であれば、数分で激しくクリイキしてしまうかも?!

2000円台というお手頃価格も魅力の1つですね。コスパの良い物を探している方におすすめです。


クリトリス吸引器を試してみたいけど、お値段が…という方には嬉しいアイテムですね。2100円という低価格なので、気軽に試すことができます。陥没乳首の改善や、チクニーにも使えるので、マンネリセックスに悩む方は、サプライズで彼女にプレンゼントしてもよいですね!

4位.ウーマナイザーPRO40|Womanizer
Womanizer Pro40 (K) クリトリス吸引器 6種吸引モード 暗闇での照明効果 2年間の保証 完全防水 ナイトライト クリトリスバイブ G-スポットオーガズムクリトリスマッサージ
ウーマナイザーPRO40
価格 \12,960
機能 吸引(強弱)・連続2時間使用可
満足度 93点

ウーマナイザーは振動ではなく吸引を目的にした、史上初のバイブレーターと言われている、元祖クリトリス吸引器と言えるアイテムです。ドイツ製の超高品質クリ吸引バイブです。値段はそれなりですが、満足度もクオリティもトップレベル。

吸引部分のキャップが15mmのレギュラーサイズと、23mmのラージサイズ の2種類あるので、クリトリスだけでなくアソコ全体や乳首に使えます。スタイッシュなルックスなため、彼女や奥さんへのプレゼントとして贈る男性も多いんですよ!


世界中にファンを持つ元祖クリ吸引バイブというだけあって、利用者の満足度が非常に高いアイテムです。震動機能はナシ、あくまで吸引でイカせるとシンプル設計ですが、1分もかからずクリイキする女性が多いはさすがです。見た目が美顔器のようでお洒落なので彼女にプレゼントしても引かれません!

3位.プロペンギン|サティスファイアー
Satisfyer Pro Penguin(サティスファイヤー プロ ペンギン)
Satisfyer Pro Penguin
価格 \4,600
機能 吸引・振動(11段階)、静音設計、防水仕様、連続2時間使用可
満足度 95点

おすすめランキング第3位は大人気のサティスファイヤーシリーズからリリースされている可愛いペンギンのクリ吸引バイブです。

Satisfyer Pro Penguin
部屋に飾っておいても違和感のないルックスの可愛さが女性にウケていますが、性能も折り紙つきです。吸引に加え、振動を11パターンから選べます。彼氏とのセックスじゃイケなくなるという口コミも多数の逸品です。


「これを使うと彼氏でイケなくなる」という口コミが多いクリトリス吸引器です。実際、ハマってしまい手放せなくなる女性が続出中です!見た目のキュートさは数あるクリトリス吸引器の中でもピカイチなので彼女へのプレゼントにオススメですよ!

2位.クリ x 乳首吸引バイブ|Acmejoy
Acmejoy バイブ 吸引 クリトリス 10種吸引+振動 乳首責めマッサージ 乳首バイブ クリ責めバイブレーター 潮吹き電マ Gスポット刺激 強力 USB充電式 防水静音大人のおもちゃ
AWELOR
価格 \2,599
機能 吸引(10種)・振動(10種)・2時間連続使用可
満足度 97点

クリ吸引バイブおすすめランキング第2位にランキングしたのはAWELORです。ダークパープルでキュートなルックスですが、グッズ上級者をもうなられる高性能クリトリス吸引器です。

Acmejoy
10種類の吸引と10種類の振動パターンを搭載!まるで男性の舌でクリトリスを吸われているかのような、リアルな快感が味わえます。挿入にも使えるので、クリイキだけじゃなく中イキもしたいワガママな女性に最適ですね!


機能、価格、ルックス、すべてがトップクラスです。37度加熱機能のおかげでグッズ特有のヒンヤリ感や異物感がなく、セックスの延長のように楽しめるのが最高ですね!


1位.クリ吸引 x Gスポ刺激バイブレータ|Riodong
Riodongバイブ バイブレーター 女性用 人気ランキング ローター 乳首ローター アナルマッサージ USB充電 10種類の振動モードと吸引 防水 Gスポット クリトリス刺激 大人向け 女性適用 セクシーおもちゃ
AWELOR
価格 \2,980
機能 吸引・振動(10種類)・静音設計・防水加工・連続1時間30分使用可
満足度 99点

栄えある第一位にランクインするのはRiodongクリ吸引バイブです。

これ一台で「吸引」「振動」「挿入」の3つの快感を楽しめる、まさに最強のクリトリス吸引器と呼ぶに相応しい逸品です!

riodong
一方で吸引と10種類の振動を楽しみつつ、一方は挿入してGスポットを刺激という双頭のクリトリス吸引器です。

陥没乳首の改善、チクニーにも使えますよ!

クリイキはもちろんのこと、中イキ、さらにはクリと中のダブルイキをも楽しめる夢のクリトリス吸引器と言えるでしょう。


高性能で高品質、さらに3000円台という低価格でまさにトリプルAのクリトリス吸引バイブです。Gスポットを刺激する中イキアイテムとしても大活躍間違いナシですね。高品質シリコンを使用しているので、デリケートな肌の女性でも安心して使えます。オナニーに、セックスに、中イキトレーニングに、これ一台で何役もこなす最強のクリトリス吸引器と呼ぶにふさわしい逸品でしょう!


【まとめ】ハマり過ぎに注意しよう
クリトリス吸引器は、簡単にクリイキできるだけでなく、いつものクリイキの何倍もの快感を与えてくれる女性にとっては最強、そしてマンネリセックス回避のためのスパイスにもなり得るアイテムなんです。

クリイキ経験がない女性、クリの感度が低い女性の場合、クリトリス吸引バイブを使うことで徐々に開発されていくというメリットもあるのです。

ちなみにクリ吸引グッズの中には1台2万円を超える究極の即イキグッズ「ウーマナイザー」もあるんです。

興味のある方は是非使ってみましょう。ただし白目を向く程気持ちいのでハマりすぎには要注意。

https://steron.jp/9731/
 

231. 中川隆[-4411] koaQ7Jey 2021年6月25日 07:29:56 : Y9oTEacvoA : QzVXUGt6a1F4bmc=[5] 報告
カナダ先住民学校、墓標ない墓751基 先月に続き発見
AFPBB News 2021/06/25 02:39
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%ab%e3%83%8a%e3%83%80%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%80%81%e5%a2%93%e6%a8%99%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a2%93751%e5%9f%ba-%e5%85%88%e6%9c%88%e3%81%ab%e7%b6%9a%e3%81%8d%e7%99%ba%e8%a6%8b/ar-AALp4uo


カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民寄宿学校の跡地近くで遺骨が見つかった215人の子どもを追悼する先住民の人々(2021年6月4日撮影)。

【AFP=時事】カナダ中部サスカチワン(Saskatchewan)州マリーバル(Marieval)で、先住民の子どもを収容していたカトリック寄宿学校の跡地周辺から、墓標のない墓が751基見つかった。先住民団体の代表が24日、明らかにした。同国では先月にも、西部ブリティッシュコロンビア(British Columbia)州の先住民寄宿学校跡地から215人の子どもの遺骨が発見され、国内に衝撃が広がっていた。

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民寄宿学校の跡地近くで遺骨が見つかった215人の子どもを追悼する人々(2021年6月6日撮影)

 先住民団体カウェセス・ファースト・ネイション(Cowessess First Nation)のカドマス・デローム(Cadmus Delorme)代表は学校跡地で報道陣に対し、「きのうまでに墓標のない墓を751基発見した。集団墓地ではない。これらは墓標のない墓だ」と述べた。

 見つかった墓には過去に墓標があった可能性もあるが、「カトリック教会の代表者らがこれらの墓石を撤去した」とデローム氏は説明。カナダでは墓標の撤去は犯罪であり、墓が見つかった場所は「犯罪の現場」として扱われているという。

 カナダでは1990年代までに、先住民の子ども約15万人が強制的に国内139か所の寄宿学校に送られ、家族や母語、先住民文化から引き離された。寄宿学校では子どもたちに対する劣悪な待遇や性的虐待が横行し、4000人以上が死亡したとされる。この問題に関する調査委員会は、カナダが「文化的ジェノサイド(大量虐殺)」を行ったと結論した。

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、215人の子どもの遺骨が見つかった先住民寄宿学校の跡地近くに集まった人々(2021年6月5日撮影)。© Cole Burston / AFP カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、215人の子どもの遺骨が見つかった先住民寄宿学校の跡地近くに集まった人々(2021年6月5日撮影)。
 ジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相は今回の発見を受け、カナダは先住民に対する人種差別の歴史に向き合い、「より良い未来を築く」必要があると表明した。

【翻訳編集】AFPBB News

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民に対する抑圧を象徴するために地面に立てられた十字架と子ども服(2021年6月5日撮影)。© Cole Burston / AFP カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民に対する抑圧を象徴するために地面に立てられた十字架と子ども服(2021年6月5日撮影)。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%ab%e3%83%8a%e3%83%80%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%80%81%e5%a2%93%e6%a8%99%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a2%93751%e5%9f%ba-%e5%85%88%e6%9c%88%e3%81%ab%e7%b6%9a%e3%81%8d%e7%99%ba%e8%a6%8b/ar-AALp4uo

232. 中川隆[-5158] koaQ7Jey 2021年7月03日 16:25:10 : 6y6TJKPkns : RGlaQzljL1o5YVk=[14] 報告
2021年07月03日
Ulrich Herbert『第三帝国 ある独裁の歴史』
https://sicambre.at.webry.info/202107/article_3.html

https://www.amazon.co.jp/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E3%81%82%E3%82%8B%E7%8B%AC%E8%A3%81%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88/dp/4040823400


 ウルリヒ・ヘルベルト(Ulrich Herbert)著、小野寺拓也訳で、角川新書の一冊として、KADOKAWAから2021年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はナチス政権期ドイツが侵攻して支配下に置いたヨーロッパ東部をどのように扱ったのか、検証します。本書は、ナチス政権期ドイツのヨーロッパ東部支配が、ヨーロッパ北部および西部の軍事支配とは異なり、ヨーロッパ勢力によるアフリカなど非ヨーロッパ地域の植民地支配と通ずる過酷なものだった、と指摘します。ドイツにとって、人々の外見も文化も、ヨーロッパ東部は非ヨーロッパ地域よりも類似していましたが、その支配(短期間でしたが)様式は本質的に変わらなかったのではないか、というわけです。

 ナチス政権期ドイツのヨーロッパ東部支配とヨーロッパ列強の非ヨーロッパ地域の植民地支配との類似性から、ナチスの世界観が浮き彫りになります。それは人種主義と「民族共同体」で、スラブ人はアーリア人よりも劣る人種と位置づけられました。ユダヤ人は最下層の人種に位置づけられ、過酷な迫害を受けます。「民族共同体」に含まれるのはアーリア人で健康な業績のあるドイツ人で、それに含まれないユダヤ人や障害者や反体制派は容赦なく迫害されました。なお、第二次世界大戦においてドイツはユダヤ人を多数殺害しましたが、その大半はドイツ国内ではなくドイツ支配下のヨーロッパ東部の住民でした。

 本書はドイツにおけるナチス政権成立の前提を、第二帝政までさかのぼって検証します。本書が重視するのは、ドイツにおける近代化進展の速さと、それに伴う社会的軋轢の結果としての、ナショナリズムへの傾倒です。この過程で、後のナチズムの基盤となるような反ユダヤ主義が浸透していきます。第一次世界大戦で戦況が膠着状態に陥ると、ドイツでは反ユダヤ主義的言説が声高に語れるようになります。まず、前線からのユダヤ人の逃亡という噂が広まります。ドイツ政府の調査結果ではこの噂は否定されましたが、反ユダヤ主義的勢力に都合が悪かったので、公表されませんでした。

 第一次世界大戦での敗北により、ドイツではナショナリズムが昂揚しますが、これはドイツだけではなく、オーストリアやトルコやブルガリアやロシアなど第一次世界大戦の敗戦国でも見られ、そうした国々では反民主主義的な体制が成立した、と本書は指摘します。ドイツでは敗戦後すぐに民主主義勢力が議会で多数派を形成したこともありましたが、すぐに左右急進派の武力闘争により治安が悪化し、ヴァイマル体制は不安定化します。ヴェルサイユ条約の過酷な条件は、ドイツにおいてナショナリズムの昂揚と西欧的自由主義やロシアの共産主義への反感と反ユダヤ主義を強めます。ナチスの結党はこうした文脈で解されますが、失敗に終わった1923年の放棄により知名度を高めたとはいえ、インフレが収束していき、相対的に安定していた時期には、ナチスは泡沫政党の一つにすぎませんでした。

 この状況を大きく変えたのが1929年に始まった世界大恐慌で、ドイツでも自由主義経済や民主主義への拒絶傾向が強く見られるようになります。ナチスは議会選挙で躍進し、再選挙による社会民主党の躍進を恐れる保守指導層は、ナチスと組む方がましと考えて、ヒトラーを首班に迎えます。しかし、ヒトラーを飼い慣らせるとの保守指導層の思惑通りにはいかず、ナチスは確たる主導権を確立し、1933年夏までにナチスを除く全政党が解散させられます。労働組合は解体され、大小の圧力団体は禁止されるかナチスによる支配を受けるようになり、「強制的画一化」が進みます。この過程で喧伝された「民族の一体性の回復」は右派と中道派の人々に受け入れられていきます。

 しかし、この過程で民主主義における紛争を調整するための制度が廃止され、ナチス政権期のドイツの行政組織では、どの役所もしくは党組織が自らの意志を押し押せるのかが、その時々の偶発的な権力状況により決まることになります。この争いは、ある程度はヒトラーの傑出した地理により調整できました。ナチス政権期のドイツでは、ヒトラーとの距離が政治・社会的地位や政策実現に決定的な意味を有するようになります。ヒトラーは1934年6月に強大な勢力を有するようになった突撃隊(および敵対的な政治指導者)の粛清により、ナチス体制を確立します。

 ヒトラーとの距離が地位と政策実現を決めるナチス政権期のドイツでは、反ユダヤ主義政策も、当初は明確な方針に基づいていたわけではなく、ヒトラーの歓心を買うべく諸組織・勢力が急進さを互いに競う意合うことになり、ユダヤ人迫害が加速していき、これにはユダヤ人の財産没収や高い社会的地位からの追放も含まれます。それにより、少なからぬドイツ人が利益を得ました。ユダヤ人迫害の過程で、1935年9月にニュルンベルク法が制定されますが、ユダヤ人と認定する基準は曖昧でした。もちろん、ナチス政権期のドイツで迫害されたのはユダヤ人だけではなく、上述のように、「民族共同体」の範疇に入れられなかった非ユダヤ人も対象となりました。

 ナチス政権期のドイツでは急速に失業者が減少し、これがナチス政権への国民の支持を確たるものにしましたが、その功績のかなりの部分はヴァイマル共和国政府にあった、と本書は指摘します。また本書は、この急速な景気回復が大規模な軍備拡張にあったことも指摘します。ナチス政権期はその財源として、国民からの支持喪失を恐れて、戦争に勝利することによる賠償や略奪に依拠しようとしました。「民族共同体」の範疇から外されなかった労働者への社会政策(家族支援や結婚貸付金や安価な旅行の提供など)も、ナチス政権への広範な支持につながりました。

 第二次世界大戦勃発後、当初ドイツは勝ち続け、フランス降伏の頃に国民のヒトラーへの支持は最高に達します。一方、軍事優先で生活物資は多くが配給制となり、貯蓄率が高まったので、これが軍事費に充てられました。ドイツは第二次世界初期にポーランド西部を支配し、人種主義に基づいた植民地支配が始まります。ポーランド人はドイツに強制連行され、開戦による労働力不足を補うべく、まずおもに農業に従事させられます。また、開戦後に注目を集めにくくなるとの判断から、ドイツ国内で精神疾患など病人の殺害が進められましたが、強い抗議のために中断されました。本書は、これが後のユダヤ人の大虐殺につながったものの、第二次世界大戦前の迫害とは質的断絶があった、と指摘します。

 1941年6月に始まった独ソ戦は絶滅戦争となり、ドイツは軍の補給維持のためソ連の都市住民が餓死すること前提条件としました。こうした方針は当然ソ連兵捕虜にも適用され、多くが死に追いやられました。しかし、ドイツが軍事的に劣勢になると、ドイツの軍人も民間人もソ連の報復を受けることになります。ただ、このドイツ敗退の過程でドイツ人が一方的に被害者になったわけではなく、ユダヤ人も含めて強制収容所の囚人の多くが死に追いやられました。またドイツ人でも、多少なりともナチス体制や継戦の意思に欠けるとみなされた者は、ナチス体制の諸組織により容赦なく殺害されていきました。ナチス体制に関しては、国民の福祉に配慮するなど、一見すると「肯定的に」評価できる側面があったことは否定できない、といった主張も根強いかもしれませんが、結局のところ、それは「民族共同体」の敵とされた人々を迫害すること(殺害や拘禁や財産没収や社会的地位の剥奪など)と表裏一体だったわけで、その点を踏まえると、とても肯定的に評価できるものではない、と思います。

https://sicambre.at.webry.info/202107/article_3.html

233. 中川隆[-5048] koaQ7Jey 2021年7月12日 08:28:28 : k1iBuJ4ez6 : SmpFNG12cHBpMkk=[2] 報告
【ゆっくり解説】命に優劣をつけた悪魔の学問−優生学−
2021/07/11


234. 中川隆[-16873] koaQ7Jey 2021年8月25日 09:27:43 : l9pnz3Ue8I : bGdBazRYLll0Si4=[11] 報告
【ゆっくり解説】ロシア人に美人が多い理由は、第二次世界大戦にあった?!


235. 中川隆[-14935] koaQ7Jey 2021年12月02日 10:47:36 : sPZpxVrBLy : Zm03RHZCRWZRNGc=[24] 報告
タイ女性もどんどん肌が白くなって、もう昔のイメージではなくなってしまった
2021.12.02


東南アジアでは今も昔も一貫して「美白」が中心になっていて「褐色の美」というのはあったとしてもあまり評価されない傾向にあった。どんなに美しい顔立ち、美しいスタイルでも、肌が黒いというだけで「あれは駄目だ」という話になってしまったのである。

だから、「肌の色は重要じゃなくて顔やスタイルが重要」とか「褐色の肌をした女性がむしろエキゾチックでいい」と思っている白人《ファラン》や私のような考え方をする人間は変人扱いされるほどであったのだ。

タイにも華僑系がたくさん入り込んでいて、彼らは現地のタイ人に同化して暮らしているのだが、この華僑系は完璧に肌が白いので、だから華僑系のタイ女性はそれだけでモテたのである。

タイで売れる化粧品も「美白」一辺倒である。コマーシャルも肌の白いタイ女性しか出てこない。テレビドラマに登場するタイ人も、何か違和感があることが多いのだが、それも登場人物の多くが白い肌の人物が多くて、やや現実離れしているような感じがあるからだ。

テレビや広告は「こうありたい」と、その民族が願うものがイメージとして投影されるので、現実離れしていくのは仕方がないのかもしれない。それが極端に誇張されているのが実はインドのボリウッドである。

そこに出てくるのは豪華絢爛なセットで繰り広げられる肌の白い美男美女である。あれを見て「インドはそういう世界なのだ」と思っていると、現実のインドを見たら間違えた国に行ったのではないかとでも思うだろう。

東南アジアでもインドでも、「肌が白い」というのは100%正義なのである。

https://blackasia.net/?p=28758

236. 中川隆[-12800] koaQ7Jey 2023年1月25日 12:17:46 : GuZxplAGKc : QjEvSEd0YzZCRkE=[4] 報告
2023.01.24XML
米英の支配者やその従者が主張する「共通の価値観」とは侵略、破壊、殺戮、略奪
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202301240000/

 アメリカの歴史は先住の「アメリカ・インディアン」を殲滅、土地を奪い、奴隷に働かせるところから始まる。そのアメリカはイギリスから独立するが、人権を否定するという点で両者に大差はない。アメリカのいわゆる「独立宣言」は「すべての人間は平等」としているが、その人間の中に先住民や奴隷が含まれていないことは歴史が示している。

 西側の支配層やその従者たちは「共通の価値観」なる用語をしばしば使う。彼らが行っていることは侵略、破壊、殺戮、略奪であり、民主的な体制を倒し、民主主義を実現しようとする人びとを排除してきた。それが彼らの真の価値観であり、かつて彼らは「帝国主義者」と呼ばれていた。そうした事実が語られることを嫌い、最近では言論の弾圧を強めている。

 そうした帝国主義的な行為を正当化するため、彼らはしばしば「神」を持ち出す。アメリカを「自由と民主主義」に基づく「正義の国」だと主張する人は、虐殺されたアメリカ・インディアンを「悪魔の創造物」だと考えているのかもしれない。特定の人以外は劣等だとする優生学がイギリスやアメリカで生まれ、発展したことは本ブログでも書いてきた。

 優生学の創始者とされているフランシス・ゴールトンは『種の起源』で知られているチャールズ・ダーウィンの従兄弟にあたる。ダーウィンはトーマス・マルサスの『人口論』から影響を受け、「自然淘汰」を主張していた。当時、イギリスの支配階級に広まっていた信仰だが、その信者にはセシル・ローズも含まれていた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に『信仰告白』を書いている。

 その中で彼はアングロ・サクソンを最も優秀な人種だと位置づけ、その領土が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するというのだ。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877)

 イギリスで生まれた優生学はアメリカの支配層へ広まり、イギリス以上に社会へ大きな影響を与えることになる。支援者の中心はカーネギー財団、ロックフェラー財団、そしてマリー・ハリマンで、優生学に基づく法律も作られた。

 マリーは鉄道で有名なE・H・ハリマンの妻だが、ハリマン家は金融の世界でも有名。ハリマン家の銀行で重役を務めていたジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘と結婚したのがプレスコット・ブッシュだ。プレスコットはウォーカーの下でブラウン・ブラザーズ・ハリマンやユニオン・バンキング・コーポレーションの重役を務めていたが、いずれもウォール街からナチスへ資金を供給する重要なルートだ。同僚のひとりにW・アベレル・ハリマンがいる。

 優生学の信奉者はアングロ・サクソン、ドイツ系、北方系の人種が優秀だと主張、劣等な種を「淘汰」するべきだと考える。そうした考えに引き寄せられたひとりがアドルフ・ヒトラーであり、ウクライナを支配しているネオ・ナチもその神話を信奉している。

 いわゆる『新約聖書』にもそうした思想が書き込まれている。例えば「ヨハネの黙示録」の第7章には天使が「我々の神の僕たちの額の上に我々が印をつけるまでは、地と海と木を害してはならぬ」と語ったとしてある。その僕とは「イスラエルの各支族の中から印をつけられた者」で、その印を付けられた人だけが殺されるのを免れるのだという。(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 7 ヨハネの黙示録』作品社、2017年)

 田川健三によると「民族伝説の趣旨からすれば「ユダヤ人」 は十二支族の中の二支族にすぎない」のだが、これは無視されている。勿論、「十二支族」は歴史的な事実に裏付けられていない。(前掲書)

 田川は「黙示録」の中にギリシャ語の文法を理解している人物と初歩の知識もない人物の文章が混在していると指摘、少なくともふたりの人物によって書かれているとしている。大量殺戮に関する記述は後で文法的な知識のない人物によって書き加えられた部分だ。(前掲書)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202301240000/

237. 中川隆[-12736] koaQ7Jey 2023年3月07日 18:55:44 : oFw6uWmwbu : eERPRE4vdzduclE=[4] 報告
アメリカに取り憑いた病(『ソフト/クワイエット』パンフレット) - 内田樹の研究室
2023-03-07 mardi
http://blog.tatsuru.com/2023/03/07_1425.html

 世界中どこでもヘイトクライムは存在するけれども、アメリカにおける「差別」と「暴力」の突出ぶり「病的」と形容してよいだろう。
 リンカーン大統領が奴隷解放令宣言を発令したのは南北戦争中の1863年のことである。でも、人種差別はなくならなかった。南北戦争後の一時期は、南部諸州でも黒人の政治家が次々と登場し、黒人議員が州議会の過半を占める州さえあったが、その後にすさまじいバックラッシュが来た。北軍の撤兵と同時に、南部諸州では、公立学校における人種分離、公園、レストラン、ホテルなど公共施設の使用禁止・制限、識字能力試験を課すことによる投票権を制限するなど、黒人を排除するためのさまざまな州法が制定された(「ジム・クロウ法」と総称される)。
 私たちは奴隷解放宣言のあと、緩慢にではあるが、アメリカにおける人種差別は段階的に解消されたのだろうと考えてしまうが、それは違う。いったん黒人たちは奴隷身分から解放されたのだが、南部諸州では、彼らを事実上の被差別身分に落とすことがもう一度合法化されたのである。
 それが19世紀末のことである。1964年の公民権法で、黒人と白人が同じ人間として基本的な人権を享受できることが史上初めて確定するまでには、さらに100年を要した。それから半世紀を経ったアメリカでBlack Lives Matter 運動が起きたことで、私たちは人種差別がいまだにアメリカ社会を深く蝕んでいることを知った。
 なぜ、人種差別の廃絶がアメリカでは遅々として進まないのか?
 マイノリティ差別はどこの国でもあることだ、アメリカだけではない。人間とは所詮「そういうものだ」としてシニカルに思考停止する人がいるかもしれない。でも、それは半分正しくて半分間違っている。人間はしばしば非道で残虐であるが、それにしても程度の差というものがある。店舗やレストランでマイノリティを差別的に扱うことと、マイノリティであるという理由で殺すことの間には決定的な差がある。相手の人格を攻撃することと、相手の身体を破壊することの間には、ふつうの人間にとっては越えることの非常に困難な心理的な壁があるはずである。そもそも法治国家であれば、それは重罪人として残る人生を獄中で送るという「割に合わない」代償を支払わなければならない。
 けれども、アメリカではその壁が低い。非常に低い。だから、もののはずみで人はこの壁を越えてしまう。
 本作は、差別意識がいささか過剰だけれども、ふつうに市民生活を送っている人が、もののはずみで殺人を犯す話である。その日常から異常へのあまりに容易な切り替えがこの映画が観客にもたらすショックと恐怖の根幹部分をかたちづくっている。
 ヨーロッパにも人種差別暴力を挿話的に描いた映画はいくつもある。レイシストやセクシストが汚い言葉を吐き散らす場面を私はさまざまな映画で観てきた。でも、そういうことをするのはたいてい「ふつうの人」ではない。スキンヘッドとか、ジャンキーとか、浮浪者とか「ふつうじゃないスティグマ」を背負った人たちである。そういう人たちの差別的なマインドがどうして生まれたのかは、理由がわかる。彼ら自身が「ふつうの人」たちから差別されてきたので、その怨恨を「彼らよりさらに社会的に周縁的で、反撃する実力のない人」に向けるのである。仕組みは分かり易い。だから、社会福祉制度が整備されたり、細やかな気づかいを示してくれる人が身近にたりすれば、このタイプの被差別意識はかなり緩解するはずだと私たちは信じることができる。
 でも、怖いのは、別に誰からも差別されていないし、その人種属性によって社会的不利益をこうむってもいない「ふつうの人」の中に育つ差別意識とマイノリティへの憎悪である。彼らは何か具体的な被害をこうむっているわけではない。その差別意識と憎悪は幻想的なものである。
 現実的根拠を持つ偏見なら現実的政策によって矯正可能である。だが、幻想に養われた偏見は現実をどれほどいじっても矯正できない。この映画の怖さはそこにある。
 なぜアメリカではそのような幻想的な差別意識が「ふつうの人」の心理の深層に根を張っているのか。それについて個人的な説明を試みたい。
 
 アメリカは自由の国である。これについてはどなたも異論がないと思う。でも、言葉を付け加えるなら「アメリカは自由に病的に高い価値が付与されている国である」ということになる。
 アメリカは独立戦争を戦って英国の植民地から主権国家になった。だから、市民には不当な政府の支配を実力を以て否定する権利があるというのはアメリカ建国の基本的なアイディアである。独立宣言には、政府が市民たちの権利を損なうふるまいをした場合には、「人民には政府を改革し、あるいは廃絶し、新しい政府を立ち上げる権利がある」と明記してある。
 独立宣言の11年後に制定された合衆国憲法では、さすがに市民の抵抗権・革命権は明記されていない。それを補うように、憲法修正第1条と第2条に「自由を保障する」という文言が書き込まれている。
 憲法修正第1条は「信教の自由、言論出版の自由、人民が政府に請願する権利」を保証している。「請願(petition)」というのは「抵抗権」「革命権」の希釈された表現である。市民は政府に対して「もろもろの不都合の除去のために」、「平和裏に集会をする」権利があると修正第一条にはある。「除去(redress)」とは具体的にどういう手立てのことを指すのか、それは市民一人一人の判断に委ねられている。そのために市民が結集することは許されているが、「平和裏に(peaceably)」という限定がなされている。
「平和裏に」という限定を加えることで、憲法修正第2条には「武装権」が残された。
 独立戦争における戦闘の主力は「武装した市民(ミリシア)」であった。武装した市民がアメリカにおける軍事的実力の本態なのである。だから、合衆国憲法では常備軍の保持が禁じられている(ほとんどの人は知らないと思うが、合衆国憲法8条12項に明記されている)。
 2020年1月6日の連邦議会への乱入事件は私たち日本人には「暴徒の乱入」としか見えないけれど、叛徒たちは、主観的には、独立宣言に明記された市民の自由を抑圧する政府を「改革・廃絶する権利」を行使したのである。あれを「もろもろの不都合の除去」のための「請願」であると考える市民にとっては、あれが違法とされることはおおいに心外であっただろう。
 アメリカは市民的自由を重く見る社会である。病的なほど重く見ると言ってよいと思う。だから平等がこれほど激しく忌避されるのである。というのは、自由と平等は原理的には両立しがたいからである。
 考えればわかると思うが、全国民が等しく豊かで、健康で、文化的な生活を送れる社会を実現しようと思ったら、とりあえず富裕な人から税金を多めに取り、弱者差別を法律で禁止し、弱者を守り、養う仕組みを作らなければならない。言論の自由をある程度規制し(レイシスト、セクシスト的発言は抑制の対象になる)、私財の一部を公共に供託させるシステムなしに平等は実現できない。公権力が市民の生活に介入して、市民的自由の一部を制限することなしに、平等は達成され得ない。
 でも、それだけは絶対に許せないという人たちがアメリカにはたくさんいる。驚くほどたくさんいる。彼らは「社会的公正」とか「平等」を端的に悪であると見なす。そんなものは近代西欧が生み出した「イデオロギー」に過ぎない。生得的な差異や能力差によってヒエラルキーが形成されることのどこが悪いのかと言い切って、「政治的正しさ」を一蹴し、民主主義より個人の自由を優先する過激なリバタリアン(今では「新反動主義者」とか「加速主義者」と呼称されるらしい)が今アメリカには簇生している。
 でも、こういう確信犯的な差別主義者がアメリカで大量発生するのは、ある意味で当然なのである。それはアメリカでは「自由は平等に優先する」ということが国是のうちに埋め込まれているからである。あまりそういうことを言う人がいないので、私が代わって説明する。
 そもそも合衆国憲法には「平等の実現」は政府の目標としては掲げられていない。
 独立宣言にはこう書かれている。「万人は平等なものとして創造されており、万人は創造主から奪うことのできないいくつかの権利―生命、自由、幸福追求の権利―を賦与されている。」
 つまり、合衆国建国に先立って、すでに万人は神によって「平等なものとして」造されているのである。すでに創造主によって平等は達成されているのである。
「生命・自由・幸福追求の権利」は政府が保証し、これを守らなくてはならない。それはアメリカの立国の根本原理である。だから、それを怠った政府は「改変・廃絶」されるリスクを負う。だが、「平等を実現せよ」とは独立宣言にも、憲法にも書かれていない。だから、平等の実現を怠った政府は「改変・廃絶」されるリスクを負わない。
 平等の実現は政府の義務でも市民の義務でもないのである。万人は平等なものとして創造されているのだから、そのあとの自由な競争によってどれほど強弱貧富の差が生まれたとしても、それは自己責任なのである。
 そういう思想がアメリカの場合は建国以来ずっと生き続けている。生き続けているどころではない。それはむしろ強化されている。自由を享受できる人々、平等を忌避する人々は強者であり、勝者であり、社会のルールを決め、政策を決定することができる人たちである。だから、アメリカでは「社会的公正や社会正義の実現より私の自由の方がたいせつだ」と断言することは少しも疚しいことではないし、恥ずべきことでもないのである。

 この映画の監督ベス・デ・アラウージョは母親が中国系、父親がブラジル人という女性である。彼女にとってどういう社会が「まとも」に見えるのか、個人的基準を私は知らないけれども、映画を観る限り、マイノリティの側にいる彼女はアメリカを「かなり異常な社会」と見なしていることはわかる。
 映画の冒頭で、「アーリア人団結のための娘たち」の一人は同僚のマイノリティが自分より早くマネージャーに登用されたことを「アファーマティブ・アクション」だとして言葉激しく批判する。われわれは平等に創造されたものとして自由な競争をしているのだ。たまたまアメリカ社会においてマイノリティである者が、それを理由に過剰なアドバンテージを享受するのは「アンフェア」だという彼女の反平等主義の演説は「娘たち」全員の喝采を浴びる。おそらくこの喝采に唱和する人がアメリカには数千万人いるのだと思う。
「娘たち」がすさまじい暴行を加える中国人姉妹は彼女たちより富裕であり、彼女たちよりもよい家に住んでいる。この中国人姉妹は「娘たち」の眼には彼女たちよりも社会的に成功しているように見える。それが憎しみを倍加する。貧富の差は能力差の帰結だという自由競争ルールを奉じているはずの「娘たち」は、なぜかマイノリティについては、その成功や富裕が自由競争での努力のトロフィーだということを決して受け容れない。それは「平等」主義的な権力の干渉によって得た「不当利益」なのだ。
 マイノリティが自分たちより劣位にあれば「自由」の名において侮り、自分たちより上位にあれば「平等」の恩恵だと言って罵る。ここには出口がない。「娘たち」のこの心理造形には、おそらくマイノリティであるデ・アウラージョ監督自身の実体験が濃厚に反映しているのだと思う。
 でも、これを何らかの政治的主張を語る映画(pièce à these)だとは私は思わない。これは間違いなく、ヒッチコックの『ロープ』を本歌取りしたワンショット・リアルタイムの実験作品である。そして、観客サービスの行き届いたホラー映画でもある。「人間はモンスターより怖い」という(太古から知られた教訓を語る)恐怖譚である。
 映画は「死んだはずのもの」が湖水から浮かび上がるという『13日の金曜日』的な場面で終わる。「死んだはずのものの再訪」をフランス語ではrevenant(幽霊)と言う。「娘たち」のマイノリティへの憎しみは決して終わることなく、この後も繰り返しさまざまな症状として「再帰」してくるだろう。それがアメリカに取り憑いた幽霊なのだ。アメリカがこの幽霊と縁を切れる日が来るだろうか。たぶんいつかは来るのだろうけれど、まだずいぶん先のことだろうと私は思う。
http://blog.tatsuru.com/2023/03/07_1425.html

238. と私は思はは私は[1] gsaOhILNjnaCzYLNjoSCzQ 2023年9月20日 18:14:46 : 0aOCbwzucc : aUlBdENLa2tzMTI=[1] 報告
 映画は「死んだはずのもの」が湖水から浮かび上がるという『13日の金曜日』的な場面で終わる。「死んだはずのものの再訪」をフランス語ではrevenant(幽霊)と言う。「娘たち」のマイノリティへの憎しみは決して終わることなく、この後も繰り返しさまざまな症状として「再帰」してくるだろう。それがアメリカに取り憑いた幽霊なのだ。アメリカがこの幽霊と縁を切れる日が来るだろうか。たぶんいつかは来るのだろうけれど、まだずいぶん先のことだろうと私は思う。

https://realdolls4u.com/collections/big-boobs-sex-dolls

https://realdolls4u.com/collections/small-breasts
https://realdolls4u.com

239. 2023年11月04日 07:14:39 : WcuLoHCKEc : eHdSNlpPTVhzT1U=[5] 報告
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カナダの闇、好景気の裏の生活苦や過去の亡霊
2023.11.04
https://www.thutmosev.com/archives/306954rg.html

ここに写っている教師たちがここに写っている生徒たちを迫害した


https://www.wxxinews.org/local-news/2021-06-08/haudenosaunee-boarding-school-survivors-seek-justice
移民が多すぎる国は移民にとって快適ではない

カナダはオーストラリアと共に日本人の移住先として人気があり、この両国は移民を大幅に増やしていて簡単に永住権を取得できるとも言われている

だがうまい話には裏もあるのが世の常で、「常に大量求人しているのはブラック企業」というのに似ていて、移住後に得られる権利は移住者が多いほど少なくなる

むかし”在日特権”という噂があり特権をもつ人は違法行為を見逃されたり、役所の採用で優遇されるとも言われていたがそれは人数が少なかったからでした

今は日本国内の外国人が300万人に達したので少数のグループだけを優遇したら他の外国人への差別になり、以前はあった恩恵も少なくなったと言われています

人口2500万人から4000万人の国に毎年100万人(長期滞在者含む)もの移民を受け入れたら移民同士の競争も激しくなり快適ではない筈です

日本はウクライナからの避難民約2000人を受け入れて政府が生活の面倒をみているが、200万人だったら日本政府も面倒を見切れないでしょう

カナダは人口の23%(2023年)の移民を受け入れた結果労働力は確保できたが失業者が増えて各地でホームレス村が生れている

カナダ全土の路上生活者は支援団体によると約2万5000人でホームレスはその10倍の25万人、正式な家が無い広義のホームレスはその2倍と言われています

移民割合が高い国全般で起きているのが高インフレで、移民による購買力が強い分消費が活発だがそれがインフレを加速させています

国境付近の町ではアメリカ側で買い物をした方が安いと言われていて、カナダのコンビニと日本のコンビニ物価はほぼ2倍、アメリカはウォルマートなど安売り店なら日本のスーパーより安く買えます(ただし量が多い)

カナダはインド移民を巡ってインド政府と対立しているが、インドからの移民をカナダが差別している話ではなくカナダ国民になったインド人テロリストをインドに送り込んでいる話でした

インドの宗教はヒンズーが最多勢力だがシーク教という過激宗教があって国内で何度も暴動やテロを起こしてカナダに亡命のように移住した人が多い

彼らはカナダ市民としてパスポートを持ってインドに入国し、やっぱりインド国内で暴動やテロに関与してインド政府がカナダに刺客を送り込んだとカナダは抗議している

インドからすれば北朝鮮が日本赤軍を送り込んでいるような話だがカナダ政府はシーク教徒を保護しています

カナダ最大の闇
カナダは最近民主的でいい国と思われているがそれは最近の話で、数十年前には国内で大規模な迫害を行っていました

『民主化』前のカナダ最大の闇は先住民の人権問題で学校を偽装した収容所に多くの子供を収容し、見つかっただけで1000人以上の骨などが発見されました

2021年5月にコロンビア州の先住民寄宿学校の跡地から215人分が発見されたのをきっかけに調査が始まりすぐに700体以上が発見されその後1000体以上に増えた

カナダには先住民の同化を目的とした強制的な寄宿学校が130校以上あり政府が資金を出してカトリック教会が運営し、15万人以上の子供たちが収容された

カナダの欧州からの入植者は1800年以前はイギリス本国や隣国アメリカからの脅威があり、先住民と協力していたがアメリカが独立し米英戦争が終わると外からの脅威がなくなった

すると入植者からなる政府は先住民を厄介者として扱い、同化あるいは消滅させるために子供を強制的に学校に入れ寄宿舎に居住させた

先住民の親は抵抗したがカナダ政府は「義務教育」という美名によって子供を学校に入学させ、全員を寄宿舎に収容し実際には先住民を減らそうとしました

初期に創設されたモホーク寄宿学校は1828年から1970年まで先住民収容をおこない、ここで1000体もの骨が発見されました

高齢になった先住民卒業生の証言によると教育とは名ばかりで農作業など強制的な労働をさせられ、連日体罰が続き泣いているという理由だけでもっと酷い扱いを受けた

男女関係なく教師のはけ口にされていたが絶対に口外しないように脅され、多くの先住民は政府や白人への恐怖から推十年間黙っていました

先住民の食べ物には意図的なのか管理が悪かったのか「ハエの子供」などが入っているのが普通で、食べられないとまた暴力をふるうので隠れて虫を捨てて食べたという

こうした劣悪な環境でなくなった子供がモホーク寄宿学校だけで数千人もいた可能性があり、そういう場所なので墓に埋葬されたのは全体の一部だけだったかも知れません

https://www.thutmosev.com/archives/306954rg.html

240. 中川隆[-12003] koaQ7Jey 2023年12月12日 14:52:21 : JbGxwNE4jI : NFp1dENPR29PWEE=[4] 報告
<■75行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828427

アウシュヴィッツ博物館はその倫理的正当性を失った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828339

イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828427

パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16824368

イスラエルの核戦略
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16824037

ハマスはモサドが作り、支援している似非テロ組織
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14154285

ハマスによるイスラエル総攻撃、その前にイスラエルがやった事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14153380

米国の世界戦略を実現、さらにガザ沖に天然ガスを奪うこともガザで虐殺する理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16822342

ユダヤ教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/365.html

茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE

吉岡孝浩×茂木誠 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLIFjTpVDXkJmF-oB8nr1Ap0kjfBnnHWCZ

茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14132553

茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14130919

アシュケナージ系ユダヤ人の歴史
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ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html

イエスの本当の教え _ 神の国、神の子とは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006907

キリストの再臨とアメリカの政治
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007057

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html

欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

現在でも米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056012

Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142318

非ユダヤ系アメリカ人には バカしかいない
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241. 中川隆[-11999] koaQ7Jey 2023年12月12日 15:01:53 : JbGxwNE4jI : NFp1dENPR29PWEE=[8] 報告
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【タブー視される悪魔の学問】人間の命に優劣をつけた「優生学」とは何か?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829705

現在でも米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
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キリスト教原理主義
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ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
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欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

キリストの再臨とアメリカの政治
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イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828427

パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16824368

ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515

西側支配層の人類を死滅させかねない政策は背後に優生学
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311210000/

Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14142318

非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14138805

日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えの違い
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16828003

アメリカの黒人強制労働の歴史
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接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
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ナチスの「人間牧場」 選別した男女に性交渉させ、アーリア人を産ませる
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ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
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遺体は“1000人以上” 暴行、レイプ…先住民の子どもを大規模虐待〜カナダ寄宿学校の闇〜
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コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
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白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
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アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007474

ウクライナのネオナチを動かしている優生学の発祥地は英国であり、米国で育った
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202212310000/

「モンゴル人種に属すロシア人」を殺す必要性を訴えたウクライナ軍の米人報道官
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310070000/

優生学と関係が深い人口削減政策は19世紀のイギリスから始まる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307310000/


▲△▽▼


RK: 彼らのやり方は、少数によって大多数の人々を管理して富を独占する。
  そのやり口を見ていると、まるで人間を家畜と考えていて、
  ある意味非常に効率的に管理支配していますね。

BEN:ここが農耕民族である日本人には理解しにくいところで、
  彼らの発想は非常に遊牧民的というか、非常に残酷なのです。

  それはユダヤ人の割礼なんかもそうですが、
  乳牛でもちょっとでも乳の出が悪いとすぐ殺処分するし、
  主人の言うことを聞かない暴れるオスだと、すぐに断種して
  睾丸を抜いてしまうんです。

  だけどこれが農耕民族だと、牛や馬は家族扱いにして大切にする。
  彼ら動物は田畑を耕したり、荷物を運んだりする使役動物だから、
  日本の昭和初期頃までは家の中で大切に飼って、
  潰して食用にすることもあまりなかった。それだけ感覚がまったく違うわけです。

  事実、遊牧民たちは農耕民族のことを、草を食べる
  あるいは穀物と言い換えてもいいのですが、
  羊人(Sheeple シープル)と呼んでいます。

  その羊人である農耕民族を管理するために「羊飼い」としての一神教
  (キリスト教やユダヤ教)があり、その神を動かすことで
  全体を支配するという考えです。

  これまでもその発想でずっと世界を支配してきたのです。

  ですから支配者たちから見ればその他大勢の庶民は同じ人間ではなく、
  「羊人」という家畜にすぎません。

  だから増えて管理が面倒になれば「間引こう」となるし、
  劣等な種族は断種して子孫を作らせないようにする。

  家畜を使って利益を得れば、当然のように牧場主がすべてを奪い取る。

  文句を言えば餌を減らし、ムチで叩いて大人しくさせる。

  このようにして食料と軍事力で世界を管理・コントロールしている連中が
  存在しているのです。
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-a3d1.html

242. 中川隆[-11365] koaQ7Jey 2024年3月07日 18:37:49 : 5PQ1BQuqoc : Ykc1cmFkZEVQQlU=[3] 報告
<■113行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
正当化とアメリカの400年』 著 イブラム・X・ケンディ 訳 山田美明
『人種差別主義者たちの思考法:黒人差別の正当化とアメリカの400年』 著 イブラム・X・ケンディ 訳 山田美明

2024年3月7日
https://www.chosyu-journal.jp/review/29467

https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%80%9D%E8%80%83%E6%B3%95-%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%81%AE%E6%AD%A3%E5%BD%93%E5%8C%96%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%EF%BC%94%EF%BC%90%EF%BC%90%E5%B9%B4-%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%BB%EF%BC%B8%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3/dp/4334101038

 米ボストン大学教授で反人種主義研究・政策センター所長である著者(1982年生まれ)が、ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)運動の只中で書いたこの分厚い本は、2016年に全米図書賞(ノンフィクション部門)を受賞し、全米でベストセラーになった。

 「アメリカの400年」とは、イギリス人入植者がアメリカにやってきた植民地時代から現在までで、その間の人種差別思想の歴史全体を概観し、その根本的な打開方向を提起している。今まさに、入植者植民地主義によって生まれたアメリカが、同じく入植者植民地主義のイスラエルを支援し、イスラエルがパレスチナ人の民族浄化をおこなっており、それとあわせて問題の根源を考えさせる。

 黒人差別というとき、1862年の奴隷解放宣言でも、1964年の公民権法でも終止符がうてない「白人vs黒人の暴力の連鎖」と見たり、あるいは「人々の無知と偏見が憎悪の感情を生み出す」、つまり個々の人間の心の問題と見ていたら、打開の方向は見えないままだ。著者はこうのべている。黒人差別思想は、富と影響力と知性を持つその時代の為政者たちが、植民地主義と奴隷的な搾取を正当化するため、その責任が為政者の側ではなく黒人にあると思わせる目的で生み出した政策なのだ、と。

黒人差別思想の淵源

 アメリカの黒人差別思想は、いつ生まれたのか。

 ピューリタンがアメリカに入植するのは、1600年代の初めだ。だが、ヨーロッパの人種差別思想は、それより200年前、ポルトガルがアフリカを占領し奴隷貿易を始めると同時に、人種差別的政策をとったことから生まれたという。

 当初、西ヨーロッパに売られていた奴隷の大半は、トルコの侵略者が拘束したスラブ人(この民族をあらわす言葉が奴隷:slaveの語源)だったが、15世紀半ばからはアフリカ人の供給が増えた。そのときポルトガルは、「アフリカ人は人間以下のけだもので、理性的な習慣がまるでない」「ポルトガルで奴隷として使われた方がはるかにいい」として奴隷貿易を正当化した。実際は西アフリカにはすでにマリ帝国やガーナ帝国があり、文明を築いていたが、それは無視された。

 1492年以降、コロンブスをはじめスペインの入植者たちは、アメリカの先住民を「この土地の黒人」と呼び、銃と聖書の力を頼りに、人類史上まれに見る虐殺に手を染めた。1500年代に入ると、入植者たちは本国スペインに、働かないネイティブアメリカンの代わりにアフリカ人奴隷を送り込むよう嘆願した。17世紀にやってきたピューリタンは、この人種差別思想を利用してアメリカの奴隷制を合法化・法制化したに過ぎない。

 そして資本主義勃興期のヨーロッパでは、科学革命や啓蒙主義の先駆者たちが、同時に人種差別主義者だった。君主制を批判し市民革命の理論的支柱となったジョン・ロックは「西アフリカの女性はサルとの間に子どもを宿している」といい、ニュートンが会長を務めた英王立学会は「白人が人類を支配する」という考え方を規範として確立していた。

現代の奴隷制 監獄ビジネス

 本書のなかでは、「黒人は人間以下のけだもので、野蛮な存在であり、文化をつくりあげることができず、奴隷の状態に満足している」「黒人は白人よりも生物学的に劣る」とする人種分離主義が、現在まで長く影響を持ってきたことを跡付けている。それは入植者植民地主義の特徴だ。昨年来のイスラエルによるガザ攻撃のなかで、イスラエルや欧米の首脳から、パレスチナ人を「野蛮」だとか「人間のような動物」と呼ぶ発言があいついだことを思い出す。

 一方、奴隷解放運動や公民権運動が大きな力を持ってくるなかで、「アフリカ人を野蛮な状態から解放し、キリスト教に改宗させ文明化することで救う(前提は白人の文化だけが優れたものとする考え方)」といった同化主義者が増えていったことも指摘している。そのなかで自分の肌を白く脱色する黒人もあらわれた。同化主義は、奴隷解放運動を沈静化する役割を果たした。

 公民権運動の代表的人物であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1963年のワシントン大行進で「私には夢がある」と演説した時点では、同化主義の影響を受けていたと著者はいう。しかし、人種統合を推進しても黒人のエリートが得をするだけで、貧困にあえぎ都市反乱をおこしている何百万人もの黒人は置き去りにされることに気づいた。そして、首都に貧しい人々を集めて連邦政府に圧力をかけ、完全雇用や所得の保障、住宅の提供などを約束する経済権利章典を採択させようと考え、「抑圧されている民族は、権力を手にした場合にのみ解放を実現できる」と主張し始めた。直後、彼は凶弾に倒れた。

警察官による黒人殺害は21倍

 現在アメリカでは、若い黒人男性は若い白人男性に比べ、警察官に殺害される割合が21倍も高く、刑務所に収監される割合が五倍も高い。黒人の囚人をただ同然の労働力として搾取する監獄ビジネスが横行しているからだ。この現代の奴隷制を維持するために、黒人を指して「生活保護受給者は怠け者」「スラム街は危険」「貧困層は無知」というイメージを、メディアがくり返し流している。それは共和党の大統領レーガンが1982年に「麻薬との戦争」を宣言し、薬物濫用防止法をつくってからのことだ。法律は黒人に厳しく白人に甘くつくられ、収監者は2000年までにそれまでの4倍に増えた。何百万人もの黒人や中南米系移民が選挙権を行使できない刑務所に送られ、選挙権を剥奪されて釈放された。

 さらに1994年、民主党の大統領クリントンが「三振即アウト」法をつくった。過去に2度有罪判決を受けた者が、3度目に有罪になると、その罪がなんであれ終身刑などの重罰となる内容になっており、それが監獄ビジネスを支えている。

 それで利益を得るのは、政治・経済的に権力を握る1%の連中である。彼らは人種差別が根絶されれば、非白人はおろか、低所得層や中間層の白人をも効果的に支配し搾取するツールが失われると恐れている。そこから著者は、アメリカの人種差別を根絶する方法があるとしたら、それは以上のことを深く理解した人々が、組織や地区、郡、州、国家、あるいは世界に対する権限を掌握することだ、その日は必ず来る、と結んでいる。

 アメリカをはじめとするG7の力が衰退し、かつて侵略され支配されてきたグローバルサウスの国々が台頭している今の時代は、この数百年におよぶ植民地主義や人種差別思想を根絶する方向に進む可能性をはらんでいる。

(光文社発行、四六判、662n、5000円+税)
https://www.chosyu-journal.jp/review/29467

243. 中川隆[-11023] koaQ7Jey 2024年4月02日 13:16:42 : 0LljlB95u6 : N1M3bWlwb2FvN2M=[12] 報告
<■74行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.04.02XML
ウクライナやパレスチナで戦乱を引き起こした米英金融資本は苦境に陥っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/

 ウクライナにしろパレスチナにしろ、戦乱の黒幕はシティとウォール街を拠点とする金融資本であり、東アジアで軍事的な緊張を高めているのも構図は同じ。シティとウォール街を拠点とする金融資本は緊密な関係にあるが、そうした構図を生み出しているのは19世紀にイギリスで作成された世界制覇戦略だ。

 ところが、その戦略が大きく揺らいでいる。ウクライナでは金融資本の手先であるネオ・ナチ体制軍の敗北が決定的。ロシア軍は敵の要塞線を突破し、西へ進んでいる。

 ​イギリスのベン・ウォレス前国防相は昨年10月1日、戦場で戦うウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えているとテレグラフ紙に寄稿した記事の中で指摘​している。前線で戦う兵士の平均年齢は42歳だと言われていたので、この話は正しかったのだろうが、今の状況はさらに悪化しているはずだ。

 ガザではイスラエル軍が建物を破壊、住民を虐殺している。アメリカやイスラエルが「建国」する際に行なったようなことを繰り返しているのだが、ハマスとの戦闘は苦戦しているようだ。ウクライナに軍事支援してウラジミル・プーチン政権を倒し、ガザを原爆が投下された長崎や広島のようにして早く軍事作戦を終わらせろとアメリカのティム・ウォルバーグ下院議員は言っている。それだけ苛立っているのだろう。

 アメリカやイスラエルは先住民を虐殺したり追放した後、自分たちの「国」を建設した。パレスチナに「ユダヤ人の国」をでっち上げたイギリスはアイルランドやスコットランドなどでも住民を虐殺している。

 例えば、ピューリタン革命で実権を握ったオリバー・クロムウェルはアイルランドに軍事侵攻しているが、侵攻前の1641年には147万人だった人口が侵攻後の52年には62万人に減少している。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。

 ピューリタンは1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡った。この人たちはピルグリム(巡礼者)・ファーザーズと呼ばれているが、北アメリカでイギリスが植民した地域でピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。

 ピューリタンの前からヨーロッパ人はアメリカ大陸へ移民している。1492年にはイタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に現れ、グアナハニ島に上陸したが、その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。これだけ数字に幅があるのは、ヨーロッパからの移住者が先住民を何人殺したかが不明だからだ。1890年にウーンデット・ニー・クリークで先住民の女性や子供がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少、生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。それを「合法化」するため、「強制移住法」が施行されている。

 その間、1776年に「独立宣言」、そして81年に「建国」が宣言された。独立宣言では「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っているが、先住民について「年齢・性別・身分を問わない無差別の破壊を戦いの規則とすることで知られる、情け容赦のない野蛮なインディアン」と表現、アメリカ・インディアン虐殺が始まる。

 勿論、先住民でけでなく奴隷も人間として扱われていない。奴隷というとアフリカ系を連想する人が多いだろうが、アイルランドなどから売られてきた奴隷もいる。中国から連れてこられた「苦力」も一種の奴隷だ。アメリカの「民主主義」はその程度の代物だということである。

 アメリカを「建国」していた人びとが敵視していたイギリスの支配層も似たようなもの。19世紀後半のイギリスを動かしていたのは金融の世界に君臨していたナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)たちだ。

 この中で世界支配の戦略を立てたのはローズだと言われているが、この人物は1877年にオックスフォード大学を拠点とする秘密結社「アポロ・ユニバーシティ・ロッジNo.357」へ入会、その直後に「信仰告白」を書いている。

 それによると、ローズはアングロ・サクソンが「世界で最も優れた種族」だと主張、そのアングロ・サクソンが住む地域が広ければ広いほど人類にとって良いことだとし、そうした戦略を実現するために秘密結社は必要だとしている。ローズは大英帝国を拡大させ、アングロ・サクソンをひとつの帝国にまとめたいと考え、その目標を実現するためにアメリカも支配したかったのだ。おそらく、その帝国の中にイスラエルも含まれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/


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