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巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/645.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 25 日 09:48:58: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 23 日 11:15:03)


巨匠神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか
ノーマン・レブレヒト (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%B7%A8%E5%8C%A0%E7%A5%9E%E8%A9%B1-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3-%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88/dp/4163519009


ノーマン・レブレヒトにやり玉にあげられていたカラヤンですが、個人的に親しい友人に、

「なあ、皆は自分のことを権力者だとか、金銭亡者だとかいろいろ言う。
しかし、結局は自分はこの右腕一本だけなんだ。これで音楽を作っているだけなんだ」

と寂しく笑っていたそうです。
http://www.fugue.us/Oct2007.html


▲△▽▼

カラヤンの名盤

ヘルベルト・フォン・カラヤン 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/198.html

プッチーニ オペラ 『ラ・ボエーム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/907.html

プッチーニ オペラ 『蝶々夫人』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/908.html

ビゼー 『カルメン』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/909.html

リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html

チャイコフスキー バレエ音楽 『白鳥の湖』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/941.html

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html  

ベルクのヴァイオリン協奏曲は何度聴いても理解不能なんだけど、本当にみんな感動してるの?(強い疑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/710.html  

ウェーベルン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/155.html

▲△▽▼


”帝王”カラヤンは ファルコンになって舞い戻る(富永 壮彦)2008年8月
https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/32580

「カラヤンさんはナチ党員だったと聞いています。党員番号を教えていただけませんか」

1960年代の初め、カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率い何度目かの来日をしたときの記者会見である。

会場は一瞬静まりかえり、カラヤンの表情は厳しくなった。「ナチ」のひとことが聞きとれないわけがない。通訳が戸惑い、司会者が引き取った。

「質問は音楽に関することに限らせていただきます」

●天は二物を与えず?

あのとき、アメリカでの嫌な思い出が、カラヤンの脳裏をよぎったのではあるまいか。

1955年、カラヤンはベルリン・フィルを率いてアメリカ・デビューをした。ニューヨーク・カーネギーホールでの演奏会。カラヤンがステージに現れるや、客席から「ゴー・ホーム・ナチ野郎!」の声が飛んだが、カラヤンは予定通り二度のコンサートを指揮して帰国した。

カラヤンがナチに入党したのは1935年、ドイツ北西部の古都アーヘンの音楽総監督になったときだった。市長に呼び出され、就任の条件としてナチ入党を示されてのことだった。

1946年には、ナチ協力の嫌疑がかけられ、非ナチ化の手続きが終わっていないこともあって、指揮活動禁止処分にあっている。処分は半年ぐらいで解けたが、ザルツブルク音楽祭から招待があり行ってみると、ほかの指揮者がモーツァルトの「フィガロの結婚」とリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」を指揮することになっており、カラヤンにはステージの床下のプロンプター・ボックスから歌手にサインを送る役しか残されていなかった。

のちにこの音楽祭も“支配”するようになった“帝王”カラヤンも、このような扱いを受けた時期があったのである。

さきの記者会見は、その後穏やかに進行した。今後期待できる若手指揮者は、との問いに「メータ、オザワ(小澤征爾)、アバド」と答えるなど、カラヤンは、何事もなかったかのように応答していた。

この会見で、私はカラヤンの声を初めて聞いた。あの、完全につくり上げられた、優雅ともいえるステージからは想像もできないようなしわがれ声だった。天は二物を与えずか。ヘルベルト・フォン・カラヤンの名をもらい、わが家のヒマラヤ杉に住みついている特別声の悪いカラスに「ヘルベルト」と名をつけた。

●来日11回“帝王”ブーム

カラヤンが初めて来日したのは1954年。単独でやって来てNHK交響楽団を指揮した。このときを含め計11回来日している。私は、初めての頃の、颯爽とした、まだ目をつむって指揮することのないカラヤンに好感をもっていた。

1956年にベルリン・フィルと来日したときには、札幌から福岡まで全国各地で公演した。その模様をNHKテレビが繰り返し放送した。日本でのカラヤン人気が急上昇しピークへ向かったのは、あの頃であったろう。カラヤンは、それまでクラシック音楽を聴いたことのない家庭の茶の間にまで入ってきた。

あるおばあちゃんの話がある。テレビの前に座っているおばあちゃんが、かたわらの孫に言う。

「あれがカラヤンていうおじさんだよ。あの人を見習いなさい。目が見えないのに、こんなにたくさんの楽隊さんを、棒一本で操っているでしょ」

茶の間だけではない。夜、酒場をのぞくと、割り箸をタクトに、目をつむってカラヤンの真似をする酔客を見かけた。

レコード店では、飛び込んできた男が「カラヤンのレコードください」。店員が「カラヤンが指揮したなんという曲をお求めですか」と聞くと、「えーと…」と言葉に詰まってしまう。こんな光景があちこちであったと聞いた。

ともかくテレビの視聴率は上がり、レコードは売れた。LP、CDを含めカラヤンの演奏したディスクは、生前だけでも世界で一億枚は売れたといわれる。そのうち日本で売れたのは、どのくらいであろうか。

●7回も録音した「悲愴」

カラヤンはかつて、こう言ったことがある。

「コンサートに来る人は、たかが数千人ぐらいに過ぎない。私は、全世界の何十億もの聴衆を相手にしているのだ」

自らオーディオ、ビデオのプロダクションを経営し、録音、録画に精出したカラヤンの自負であろう。そこには、クラシック音楽の大衆化への意気込みが感じられると同時に、“商業主義”ともいわれた商売熱心さもみえる。そういえば、CDを「上着のポケットに入るような大きさで」と発案したのもカラヤンであった。

録音への並々ならぬ意欲ということで、思い当たることがある。

カラヤンは、ベルリン・フィルのほかにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団などを指揮して、1939年から1984年までの間に、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を7回も録音している。

音楽記者は、せっせとコンサートに通わなければならないが、ディスクを聴くのも欠かせない仕事である。私も、朝晩の自宅にいる時間を使って、LP、CDを含め月に100枚は聴くという生活を何年も続けた。そんななかで、同じ演奏家による同じ曲に何度も出会えば、またかという気持ちにもなる。

カラヤンは手抜きをしない。念には念を入れて同じ作品を繰り返し録音している。しかし、細部にこだわり、念入りに仕上げ過ぎることは、中身が虚しくなる危険につながることだと知ったのは、カラヤンの「悲愴」との出会いによってであった。

●マリア・カラスの最晩年

カラヤンの11回の来日公演を次々と聴きながら、並行して私はさまざまな音楽体験をした。忘れ難いもののひとつが、カラヤンがベルリン・フィルと6度目の来日をした1973年、名ソプラノ、マリア・カラスが、テノールのジョゼッペ・ディ・ステファノとともに来日し、横浜で開いたリサイタルである。これがただ一度の来日で、カラスは4年後に亡くなった。

すでに声には期待できない状態だったが、カラスが県民ホールのそでから優雅このうえなく歩み出したとたん、満場の聴衆の目と心が、その歩みに吸い込まれた。自然に、美しく流れるときのなかで、私はカラスを聴くのではなく、見ていた。見るのではなく、感じていた。沈黙のあとに、快く重いものが残る。これが本物のスターの最晩年だと思った。

●霊魂再来説を信じる

一方カラヤンは1975年、9時間におよぶ椎間板の手術を生き抜いたが、もうあまり時間がないことを悟ったような発言をするようになっていった。

「いまの私は、私の生涯があと何年かで終わるであろうことを知っている。私は少しも死を恐れない。言うまでもなく、私は霊魂再来説を信じている」

「私は、ファルコン(タカ、ハヤブサ)になってこの世に舞い戻って来るという説に、なんら異議をとなえるつもりはない」

1989年の、ややあっけないとも言える死のあと、カラヤンは何度かファルコンになって、この世に舞い戻ってきている。

一度は1995年、カラヤンの演奏からアダージョの部分を集めたオムニバス盤CD「アダージョ・カラヤン」の爆発的売れ行きとカラヤン再発見の動き。

もう一度は今年、生誕100年に合わせて起きている再評価である。カラヤンはこれからも、ファルコンになって舞い戻るだろう。

とみなが・たけひこ会員 1933年生まれ 58年共同通信社入社 90年退社 大半を文化部で音楽を担当し 現在も音楽評論家として活躍 音楽記者歴は50年を数える
https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/32580


 

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コメント
1. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2020年3月25日 09:54:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1566] 報告

フルトヴェングラーとカラヤン


フルトヴェングラーは過大評価だよね?

1 :名無しの笛の踊り:2010/02/28(日) 17:59:08 ID:NBZERu3V

悪い指揮者ではないが、崇められすぎだ
カラヤンやショルティ、アバドラのほうがいい指揮者だろう


9 :名無しの笛の踊り:2010/03/03(水) 00:12:20 ID:vkIoeWU4

知らん奴はホントにほっとけばいいと思う。
そして或る日突然目覚めてそれまでの無知の日々を激しく後悔すると...

ざまあwである(笑)

11 :名無しの笛の踊り:2010/03/03(水) 00:23:27 ID:vtxcfQiE

昔は過大評価だったが今は正当評価だと思うぞ
「過大評価だよね?」などということすら憚られた時代があったから。
そして過大評価だと言えるようになって久しい今こんな旬過ぎたネタ持ってくるあたりがしょーもない。

ざっと言えばフルトヴェングラーは20世紀の形而上学の崩壊期における最後の徒花。

奇もてらうがあらゆる音に意味付けしたがる。そういうのが好きな人もいる。
意味付けから脱却して美しければいいとしたのがカラヤンで、美しさって甘ったるいことじゃないだろ、もっとはきはきしろよ、ってな感じのアバド。

美しさの基準は時代によって異なるからなんとも言えない。


31 :名無しの笛の踊り:2010/04/24(土) 22:39:49 ID:pWYw84Tg

フルトヴェングラーが解らない=音楽が解らない
だったよな、昔…


58 :名無しの笛の踊り:2010/05/20(木) 21:40:31 ID:jy5Ed3Vo

フルトヴェングラーのベートーヴェンこそ人類の至宝と崇めて未発表の録音を血眼で捜索していた時代が懐かしいです


78 :名無しの笛の踊り:2010/06/10(木) 00:40:06 ID:r7iCCYP7

フルヴェンは我儘な指揮者だった。
初めてVPOに客演したとき、「もっとはっきりと振ってもらわなければ分かりません」と言われて
怒って帰ってしまったというエピソードが残っている。

売り出し中のカラヤンという若手指揮者を潰しにかかったという点でフルヴェンは肝っ玉の小さな奴だった。 ナチに協力して指揮活動を停止された時期、BPOを救ったチェルビダッケにも嫉妬したものな。 そんなだからロクな死に方をしなかったんだ。


93 :寝言:2010/08/18(水) 04:56:45 ID:U9paKfnL

フルベンは、モーツァルトとかバッハの演奏がとてつもなく下手くそ
比較的ブラームスが上手い
あと合唱曲も苦手だったらしい。
ミサソレの依頼があったが「振れない」と正直に断ったそうだ。
謙虚だね。


95 :sage:2010/08/18(水) 22:26:43 ID:NFdD7+Wt
だからマタイの依頼も返事保留したのか。


96 :名無しの笛の踊り:2010/08/18(水) 22:32:20 ID:clgjjKYV
>>93
新潮文庫版「音と言葉」の訳者芳賀檀の訳者解説によると、
芳賀はフルトヴェングラー指揮の「ミサ・ソレムニス」を現地で実際に聴いて、
生涯忘れがたい感銘を受けた、と書いているが・・・

97 :名無しの笛の踊り:2010/08/18(水) 22:39:33 ID:2j9ZjaJ/

まあ偽物には間違いないがカラヤンよりは分を弁えてたようだな。


110 :名無しの笛の踊り:2010/09/23(木) 03:07:16 ID:DhL9JogD

29 July 1951 Bayreuth Fes. Orc. The last rehearsal & Live(EMI=Legge)
Beethoven:Sym.No.9

そろそろこの演奏の神格化は考えた方が良い。
第一楽章のテンポは断じてベートーベンが想定したものではないし、
第三楽章も遅すぎ。音については時代を考えれば十分であり、
些細な向上が毎回製作者の金づるになっているだけ。
上級者向けにはぜひ備えたい演奏だが、初心者に勧められる演奏ではない。

ベートーベンの第九を元にしたフルトヴェングラーによる自由なファンタジーであり、興行としてのお祭り、祭典として歴史の証言である。

こういう表現もありだし、これはこれで素晴らしい名演である。
第九をここまで想像力により、原曲を改編し、聴き栄えのある形に仕上げたフルトヴェングラーの力量は大したものである。

しかしベートーベンの設定はもっとテンポが速いのである。
勿論作曲者の意図だけが唯一ではないことも事実である。
フルトヴェングラーがベートーベンを上回る天才と信じる方には、このバイロイトが唯一最高の演奏となろう。その気持ちも解らぬではない。

ベートーベンの残された楽譜を忠実に再現するだけという制約を課していては、フルトヴェングラーの時代の指揮者では不可能だった早いテンポによるベートーベンの感動的な再現が その後記録された。

その指揮者は フルトヴェングラーがいずれは自分を抜いていく才能と看破し、抜かれる前に潰してやろうと嫉妬心を燃やし、徹底的に活動を妨害したヘルベルト・フォン・カラヤンである。

カラヤンの記録では1968年のDVDにより 最高の結実を見ることができる。
そしてカラヤンは見事にフルトヴェングラーを抜き去ったのはご存知の通りである

111 :名無しの笛の踊り:2010/09/23(木) 22:28:12 ID:14fKkTfj

カラヤンの才能に嫉妬し、カラヤン潰しに奔走したフルヴェンはじつに見苦しい音楽家だった

実力も人気もかなわないとこういう醜い行動に出るフルヴェンは最低な指揮者
こんなのを神格化した日本の評論家はクソ、その批評を鵜呑みにしてディスクを買いあさった側もアホ


280 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/23(木) 12:33:39 ID:ufzijpbj

なんでフルヴェンは第九のゴーダをいつもあのやたら早いテンポにしたのか?
初期はいいとしても晩年に至るまでずっとやってたね。

282 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/23(木) 14:27:03 ID:jBaClGoi
>>280
コーダで加速すると、一回聴くだけなら非常に興奮した演奏ができる。 しかし、レコードでその演奏を何回か聴いていくと興ざめするんだよな。

レコードが一定程度普及したときの演奏のあり方に、フルベンは最後まで答えをだせなかったな。当時としては偉大な指揮者だったとは思うが。

聴衆が「来るぞ、来るぞ」と期待してたから?

112 :名無しの笛の踊り:2010/09/24(金) 02:07:18 ID:JDM8LXv0

フルトヴェングラーも若い内から称賛されてた天才型指揮者だからカラヤンの台頭には穏やかではいられなかっんじゃないか。2人共初期のナチスの思想に共感してたし(まあ当時のドイツ人の大半はそうだけど) 演奏スタイルは違うけどどちらも典型的なドイツ系のナルシストだよね

才能も自信もあるけど意外とめめしい。

113 :中川隆:2010/09/24(金) 22:53:54 ID:HkFA5snx

カラヤンは誰が見ても三流なのに人気だけあるのが気に入らなかったんだろ。

カラヤンはアルメニア系ギリシャ人でゲルマン人の血は入っていない。
だからカラヤンがゲルマン音楽をやるとムード音楽になるのさ。

115 :名無しの笛の踊り:2010/09/24(金) 23:04:08 ID:0F0ijqR8

フルヴェンが当時だから通用した(ただし欧州だけで)指揮者、アメリカでは受け入れられなかった
今ではあのような演奏スタイルは支持されない、ようするに時代遅れ
常に先を見ていたカラヤンに嫉妬したのもそのためだ

116 :中川隆:2010/09/24(金) 23:49:33 ID:HkFA5snx

アメリカ人には音楽は理解できないだけさ。

アメリカに亡命したバルトーク、ブルーノワルター、アドルフ・ブッシュすべて駄目になった。

そもそもマーラーやメンゲルベルクよりトスカニーニを選んだアメリカ人って。

118 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 02:29:16 ID:Swf5Rqyj

http://www.muzieklijstjes.nl/100conductors.htm

カラヤンが1位だな。
フルベンも3位か、意外と高評価だな。

119 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 09:18:07 ID:w7HuGZqG

カラヤン、トスカニーニ、フルヴェンか
まあ順当だな、と思ったら2位(バルビローリ)が予想外でした


120 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 09:48:21 ID:7CoEbseq
>>117
アメリカ人は、過去の栄光にすがり、惰性で仕事する奴より、日夜努力する改革者が好きなのさ。
>>119
普通ならその3人だろう、順番は異論があってもかまわない
と思うがな。

121 :中川隆:2010/09/25(土) 10:30:52 ID:qoJ7IzLk

アメリカ人に音楽がわからない理由


この「聖」と「毒」が一緒に存在する世界・・・


このようなワーグナーの世界は、ある意味において、ヨーロッパの精神世界そのものと言えるでしょう。
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じラース・フォン・トリアー監督の「キングダム」という作品の冒頭のモノローグは
「この魑魅魍魎の渦巻く沼地の上に建てられた、近代科学の粋を集めた病院」
という言葉でしたが、この言葉はヨーロッパの精神の比喩そのものでしょ?

「神」による「聖」なるもの、それに対する「毒」、あるいは「近代科学」・・・

すべてあってこそヨーロッパと言えるのだとフォン・トリアー監督は考えているようですね。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の冒頭の、全く光のない劇場に弦楽器とホルンによって立ち上ってくる音響は、ワーグナーの引用であり、この映画が「聖なるもの」と「毒々しいもの」を含んだ「ヨーロッパの精神」をテーマにした作品であることを聴き手?に印象つけるわけです。

しかし、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に舞台はアメリカですよね?
つまり、この作品の設定は、「アメリカの中のヨーロッパ人」そして「アメリカ文化?の中のヨーロッパ精神」になっているわけです。

ヨーロッパには「聖」と「毒」がある。 では、アメリカ精神には何があるの?
それは「正義」と「悪」ですね。

アメリカにはこの世を越えた「聖」はなくても、この世の規範である「正義」はあるでしょ?

自らを蝕む「毒」はない代わりに、他者を裁く「悪」がある。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、そのようなヨーロッパの「聖」と「毒」が明確に描かれています。

「聖」なるものの代表例は言うまでもなく、教会です。 この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では不思議なくらいに教会が出てこない。 死刑のシーンにつきものの、聖職者(牧師とか神父)がいないでしょ?


映画における普通の死刑のシーンでは、刑の執行される前に聖職者と会話するシーンがつきものです。 一番感動するシーンですからね。では、どうしてないの?
この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、このような「聖」を思い起こすような人物は注意深く避けられているわけです。 キリスト教関係でいうと、セルマが刑務所のダクトから聞こえる賛美歌と、囚人の部屋にある1枚のキリストの肖像くらいです。

ダクトから聞こえる賛美歌・・・この賛美歌は一体どこから聞こえるのでしょうか?

他の人には聞こえない賛美歌・・・セルマの心にしか聞こえない音楽・・・

これはヨーロッパから聞こえる・・・と言えるでしょう。 勿論、物理的には無理ですが、心では聴こえているわけ。
つまり賛美歌を喜んで聴くセルマにもかかわらず、死刑において神父の立会いもない・・・

これくらいアメリカには「聖」から距離がある・・・とフォン・トリアー監督は言っているわけです。


では、ヨーロッパの「毒」とは?

それはまさにこの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、遺伝性の病気として示されているわけです。

「遺伝することがわかっているのに、何故に子供を作ったのか?」という疑問は、

「毒に満ちて閉塞感の漂うヨーロッパ文化を伝承することに、価値や意味があるのか?」

という、監督のフォン・トリアーの自問でもあるわけです。

毒に満ちた文化を伝承することによって、その「毒」も伝承される。 その価値と覚悟・・・

ヨーロッパの持っている出口のない状況と、未来一杯のアメリカ。
シリアスなヨーロッパの表現と、能天気なミュージカル仕立てのアメリカ風表現。

精神主義のヨーロッパと、商業主義から抜け出せないアメリカ家族。
約束を守るヨーロッパ人と、約束を無視するアメリカ家族。

例の事件のあった家族の庭に星条旗がはためいているのは偶然ではないわけ。 あの家族がアメリカ人の典型だ!とフォン・トリアー監督は言っているわけです。

あるいは、あの家における知性の欠落は、本棚を見ればスグわかるようになっています。 何かの全集ものがキレイに並んでいるんですね。 本棚の本がズラーと並んでいて、外見上もキレイなのは、本を読んでいない証拠。

フォン・トリアー監督がアメリカの単純さに距離を置く人であることは明白ですね。 まあ、「あんなに単純で生きられたらラクだろうなぁ・・・」と思っているのかな?

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-12/03-12-16.htm

まあ、アメリカ人にフルトヴェングラーが理解できる訳ないわな(嘲笑い)。


126 :名無しの笛の踊り:2010/09/25(土) 23:31:08 ID:u3q9lZsw

いまどき、フルヴェンを崇拝してる輩なんていないだろ?
昔はイカサマ評論家に騙されて、LPを買いあさった単細胞がいたけどCD時代になってからは耳が肥えてきたリスナーが増えたんだから あんな時代遅れの駄演盤を買う奴なんているわけねえよな

285 名前:名無しの笛の踊り 投稿日:2010/09/25(土) 13:58:27 ID:QKA/pZAT

フルヴェン聞いてる自分が好きなんだ、おれ。

127 :中川隆:2010/09/25(土) 23:43:53 ID:qoJ7IzLk

演奏がどうこう言う前に、音そのものがカラヤンなんかとは比較にならないよ。

128 :名無しの笛の踊り:2010/09/26(日) 06:14:42 ID:XLcQnO3j

確かに比較にならんな
フルヴェンは異常に芝居がかった演奏をするし、表現するのがちっぽけな人間的感情だけ
はっきり言って、曲を矮小化させてると思う。気持ち悪いし


129 :中川隆:2010/09/26(日) 09:50:01 ID:EBOV+P7W

芝居がからない演奏 = ムード音楽

132 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 02:31:10 ID:HM57NYyB

何度も聞くと鬱陶しい。
本人もそれわかってたみたいだし。

133 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 03:24:30 ID:OrFxSTLH

俺はシューマンの4番がフルヴェンの最高傑作と信じて疑わん!


134 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 06:37:26 ID:MX7WlJNi

俺のCDの棚にはそう言えばフルトヴェングラーのCDは少ないな。 ベートーベンの第9バイロイト、その他2〜3枚程度

人生は短いから、音の良い演奏で色々な曲や演奏を聞きたいとなると避けがちになる

135 :愛撫 先:2010/10/02(土) 07:38:01 ID:jUW+8RAO

不思議なのは、古楽器演奏や演奏法によるベートーヴェンが主流になってもフルトヴェングラーのベートーヴェンを第一とする人があまりに多い。 評論家もリスナーも。

トスカニーニだって楽譜に手を入れてるし、フルトヴェングラーはいわずもがな。 古楽器演奏や演奏法の是非はともかくとして、これを基準にするとフルトヴェングラーは演歌になってしまう。

粘るところはとことん粘り、盛り上げる部分はオケが崩壊しても突っ走る。 自分も中2のころは、「第5」の復帰演奏を毎日聴いてたが今聴くと…
「今、フルトヴェングラーの解釈をするとオケの団員からバカにされる。 今や誰も出来ないコトを(時代が違うとはいえ)やっていたフルトヴェングラーに価値を見出しているにだろう」 と思う。


136 :中川隆:2010/10/02(土) 08:44:27 ID:hSQXWzjT

ブルーノワルターもヨーロッパ時代は
粘るところはとことん粘り、盛り上げる部分はオケが崩壊しても突っ走る
だった。 メンゲルベルクも同じ様なもんだし。 これが19世紀の標準スタイル。


137 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 09:09:05 ID:b/j4ReU6

フルベンは、一回目聴くといい演奏と思うこともあるのだが、何回も聴くと本当に鼻についてしまう。

聴衆が聴きに来る曲をほとんどレコード等で聴いたことがない時代ならこの演奏方法は価値があったのだが、今となっては明らかに時代遅れとなっている。
実演では偉大な指揮者として考えるけど、正しいレコードの残し方は死ぬまで分からなかったのではないか。1954年に無くなったが、ステレオ時代まで生きていたら、おそらく評価が急落したと思う。


138 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 10:12:11 ID:z4+7UHYM
>>136
>これが19世紀の標準スタイル

19世紀って・・・せいぜい世紀末に彼らが幼少期、青年期を過ごしたってだけじゃん。
100年間もあれば演奏様式も技術も楽器の性能も変わるだろうし、ベートーヴェンからマーラーまで録音なんか残ってないのに、よくそういう見てきたような嘘をつけるね。


139 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 10:42:36 ID:bnuyrT5v

後期ロマン派スタイルだわな
それに最後のロマン派リヒャルトの演奏はまったく違うわけだし、フルヴェン流が演奏の主流だったのってほんの一瞬だったと思う


140 :中川隆:2010/10/02(土) 10:47:05 ID:hSQXWzjT

少年時代の音楽教育でその後のスタイルがすべて決まるもんだろ。
インテンポは20世紀のスタイルだよ。

楽器で進歩したのはピアノだけだろ。 19世紀のオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント奏法

それに合った指揮をしてただけだろ。

フルヴェン流 = テンポが遅い

ヨーロッパ時代のワルターもリヒャルトシュトラウスもシューリヒトもテンポが極端に速く、演奏が軽い。

これがヨーロッパ標準


142 :中川隆:2010/10/02(土) 11:23:42 ID:hSQXWzjT

20世紀最高の指揮者はワインガルトナーだというのが昔の常識だったみたいですね。


本物の貴族
テンポが極端に速く、演奏が軽い
ノンヴィブラート・ポルタメント奏法の奥義を極めた天才

143 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 11:27:12 ID:bnuyrT5v

>フルヴェン流 = テンポが遅い
すげえ、こんなの初めて知った


144 :中川隆:2010/10/02(土) 11:50:26 ID:hSQXWzjT

こういうことさ

演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。

現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。

この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。

アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。

また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。

第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。

ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。
おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。

本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。

しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。

つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
 
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html

146 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 12:03:30 ID:Dz7Mu4tB

他人のサイトの意見を鵜呑みにして「こういうことさ」って恥ずかしくないの?


147 :中川隆:2010/10/02(土) 12:22:48 ID:hSQXWzjT

これは常識だからね。

ワーグナー出現以前のスタイルというのはカペー四重奏団の演奏そのものだろ。
フルヴェンはロマンティックスタイルの代表

ノンヴィブラート・ポルタメント奏法に戻るのはもう不可能だから、フルヴェンを否定したら未来は無いのさ。


148 :中川隆:2010/10/02(土) 12:33:50 ID:hSQXWzjT

もうこんな演奏は無理だもんね

カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。
カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。

そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。

クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。 云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。


第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。 この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。

このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。

これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。

http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html

19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。

例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)

上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。
そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです

「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。

http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm

ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。

しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。

ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音は ただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。 私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。

20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。 フリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、グラマーなビブラートを始めたように思われます。

1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。 しかし、ごく徐々になのです。高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。

ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、
ウィーン・フィルは1940年までありません。

ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。

http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html


151 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 14:09:02 ID:lXJZscod
>>136,>>140
で、結局「標準」って何だ?

152 :中川隆:2010/10/02(土) 15:01:23 ID:hSQXWzjT


1.本来のヨーロッパ標準

ノンヴィブラート・ポルタメント奏法の甘味で純粋・透明な音色
インテンポ、テンポは極端に速く、演奏が軽い
ワインガルトナーとカペーSQがそのとう尾を飾った。

2.ロマンティック・スタイル

テンポの極端な変化やダイナミックレンジの広さ、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラート
テンパニの強打、金管楽器の強調
音楽の文学的な解釈、ドラマチックな盛り上げ
フルヴェンとメンゲルベルクが代表


3.現代的演奏
ムード音楽と変わらない
カラヤンが代表


153 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:07:20 ID:ydGg4Bll

そういえば何かの文献にワインガルトナーの演奏はアンチ・ビューロー
ということが書いてあった。

(ビューローの面前で「カルメン」指揮した際に逆鱗に触れたエエピソードあり)


154 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:14:03 ID:bnuyrT5v

>>136ではヨーロッパ時代のワルターをメンゲルベルクと同じスタイルだとし
>>141ではシューリヒトやRシュトラウスと並べてる。矛盾してるぞ
他にも突っ込みどころがありすぎる。かわいそうな人だ


156 :中川隆:2010/10/02(土) 15:23:46 ID:hSQXWzjT

20世紀初めは本来のヨーロッパ標準とロマンティック・スタイが共存していただけさ。

1930年代のウイーンフィルは本来のヨーロッパ標準に近かったから、ワルターのウイーン録音はヨーロッパ標準

ウイーンフィル以外のオーケストラは自由に振れたからロマンティック・スタイル

になった。

シューリヒトやRシュトラウスはヨーロッパ標準の指揮者に近いが、ポルタメント奏法が無くなった時代だからインテンポの所だけ標準に近い。


157 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:28:43 ID:HM57NYyB
>>152
ムード音楽の指揮者ってあとどの辺の人?


158 :中川隆:2010/10/02(土) 15:30:31 ID:hSQXWzjT

バーンスタイン

159 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 15:44:24 ID:HM57NYyB

たったそんだけ?
じゃ別にそんな大きな勢力じゃないじゃん。

160 :中川隆:2010/10/02(土) 15:57:48 ID:hSQXWzjT

オーケストラが全部ムード音楽専用オケになったという事。 今、フルヴェンが生まれてきても、もうああいう演奏はできないもんね。

161 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 16:08:06 ID:HM57NYyB

わかった、君が最近の音楽を聞いてないことはわかった。 だって聞くに値しないだろうからね。

162 :名無しの笛の踊り:2010/10/02(土) 20:39:49 ID:lXJZscod

実証も反証もしようがないから言ったもんがちだな

163 :中川隆:2010/10/02(土) 21:58:14 ID:hSQXWzjT

20世紀初頭と19世紀中頃はそんなに変わっていない。

20世紀初頭の状況はSP録音の歴史から推測できる。

従って、19世紀中頃の演奏スタイルはノンヴィブラート・ポルタメント奏法しか考えられない。

当時は早いテンポで小さい音で上品で甘い音で演奏していたんだ。

だから、フルヴェンの前にフルヴェンは無く、フルヴェンの後にフルヴェンは居ないというのは厳然たる事実だね。


165 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 09:04:04 ID:DGWEGJvm
>>160
なぜムード音楽専用オケばかりになったの?
なぜフルヴェンが今指揮してもああいう演奏できないの?
大指揮者なんだから出来るに決まってるだろ?
メンゲルベルクの第9のエンディングは「ドラマチックな盛り上げ」なの?
音楽になんで文学的解釈が必要なの?

167 :中川隆:2010/10/03(日) 09:23:17 ID:trtEv+0L

(なぜフルヴェンが今指揮してもああいう演奏できないの?)


昔はレコード会社自体がフルヴェンに輪を掛けたアレだったからできたのさ:


ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団

フルトヴェングラー・センターから会員向けにバイロイトの「第九」が発売された。

それも、編集がない、正真正銘のライブ盤だとか。

この「センター盤」が出現したことで、EMI盤が当時のプロデューサー、ウォルター・レッグによる編集を経て作られたことがほぼ明らかになりました。


 例えば、EMI盤にあった「vor Gott」のクレッシェンドは「センター盤」にはありません。

というより、「センター盤」は全体的に音楽の流れがとても自然です。
つぎはぎをされたらとてもこのように自然な流れにならないでしょう。

 気になったのは第4楽章の終結部です。もしかすると普通のテンポになっていないかと興味津々で聴いたのですが、猛烈なスピードで畳みかけるのは一緒ですが、音はよく揃っていて「ハチャメチャ」な感じは全くしません。 見事に最後の音に着地しています。

 こうなるとますます奇妙です。レッグはわざわざハチャメチャな方を編集材料に選んだことになります。

また、「vor Gott」にクレッシェンドをつけて強力に厚化粧をしています。
ライブ盤と銘打って発売するからにはこれくらいのことをしておいた方がインパクトがあると考えたのでしょうか。

実際に多くのファンに強烈な印象を与え続けたわけですから、レッグの目論見は完全に成功したと言えます。

http://www.kapelle.jp/classic/9th_symphony/beethoven.html


「EMI盤は、全体の4分の3が編集したものではないか。 EMI盤の憶測がいくつか明らかになった。

第4楽章中間あたり、”vor Gott"と合唱がフォルテで歌い、声を長く伸ばす、有名な箇所があるが、最後、瞬間的に合唱、トランペットのレベル(音量)が上がる。

これは、レコード制作時にわざとレベルを上げて、演出したのではないかという疑問だ。

バイエルン放送局盤はそのような音量の変化はない。 したがって作られたものだと判った。


______

要するに、楽員もレコード会社も聴衆も全員狂ってないとああいう演奏はできない:

何度も繰り返し再生され、なおも愛好家を増やしつつあるEMIバイロイト盤の「レコード芸術」としての歴史に、残念ながらセンター盤「真正実況盤」は敵わないように思う。

あれほどまでに聴きたいと思いつづけてきた「真正実況」だが、「今まで以上に優れたものではなかった」というレッグの実演に対する評価が、大きな実感としてshin-pの胸にのしかかった−(07/07/19)

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/comp03.htm

169 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 11:16:41 ID:mm5Di51H

いまだにムード音楽なんて引き合いに出す爺がいるのか

170 :中川隆:2010/10/03(日) 12:31:39 ID:trtEv+0L

カラヤンやバーンスタイン、ショルティ、クライバーの時代はムード音楽の全盛期だったから、彼らもその真似をしたのさ:


その場に快適な雰囲気をかもし出してくれる音楽、あるいは快適な雰囲気そのもののような音楽を、かつてムード音楽と呼んでいた。
太平洋戦争がおこなわれていた時代からアメリカで開発され、戦後の40年代後半から50年代なかばにかけて、完成の頂点を迎えた、おそらくもっとも贅沢な音楽が、ムード音楽だった。

日本では軽く扱われたが、もっとも豊かでしかも若かった時代のアメリカで、多くの天才的な才能と経費そして時間を惜しみなく注ぎ込んで、ムード音楽のLPが大量に作り出された。


1965年ごろから“ムード音楽”という言葉がもてはやされ、色々なオーケストラが出てきた。

マント・ヴァーニ、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、
パーシ・フェイス、ボストン・ポップス、アンドレ・プレヴィン、
カーメン・キャバレロ、カラベリ、ニニ・ロッソ、サム・テーラー、シル・オースティン等など。

http://kouji-trumpet.hp.infoseek.co.jp/moodmusic.htm

上にベルリンフィルやNYフィルも加えて欲しかった。


172 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 13:28:32 ID:trtEv+0L

(音楽になんで文学的解釈が必要なの?)
フルヴェンが表現したかったのはこういうのだから:


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
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;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー-  ';、 :::    `  ヽ`''ー-,,,i_    -‐''"          ::::::::;i、,
;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_   ''       ',::::    `'ー            .:::::::::;/:: ヽ、
;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''"    .;´ ̄`,   ',::::,,,,、-    _、           ''~     ''ー
:::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-'''''"´    "       ヽ     ::
:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
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  ヽ


173 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 13:37:55 ID:7sTH8MA/
>>170
ムード音楽っていうけどさバッハの管弦楽組曲やモーツァルトのディベルティメントなんかも目的は似たようなもんだよ

それに19世紀にはコンサートオケというのはむしろ少数派でオケといえばウィーンやドレスデンのように本来はオペラが本職、そしてほとんどのオペラは芸術鑑賞と言うより社交の一環だよ

その点はどう考えるんだ?

174 :中川隆:2010/10/03(日) 14:03:07 ID:trtEv+0L


1.本来のヨーロッパ標準
貴族や大金持ち向けのサロン音楽から生まれたもの


2. ロマンティック・スタイル
インテリの中産階級を対象として生まれたもの。


3.ムード音楽
レコードを買える一般大衆向け


要するに、レコード文化と共に生まれたのがムード音楽やカラヤンの演奏

177 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 17:26:48 ID:VcxWNf3D

ID:trtEv+0Lって他所のリンク貼り付けてるばかりだな
受け売りばっかで自分の意見がないなら邪魔だから止めてくれ

178 :中川隆:2010/10/03(日) 17:36:54 ID:trtEv+0L

真実は既に知られているけど、君達がそれを知らないというだけの事さ。

179 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 17:49:36 ID:iIY0Bhgl
>>173
なかなか鋭い突っ込みだね。

>>174
その3つのカテゴリーだと、トスカニーニはどこに分類されるんだ。
毎週一千万人が聴取するラジオ放送をやっていたから、1や2でないことは明白だが。

180 :中川隆:2010/10/03(日) 18:06:20 ID:trtEv+0L

トスカニーニもインテリの中産階級が対象だからロマンティック・スタイル
ロマンティック・スタイル というのは別に演奏がロマン的という意味ではなく、伝統を否定する演奏様式なら該当する。

181 :179:2010/10/03(日) 18:29:55 ID:iIY0Bhgl
>>180
回答サンクス
なるほどね。
まあそれなら3つの分類も有りかなと思った。

182 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 18:56:29 ID:7Aw9y7+s

せっかくだからオペラ指揮についてもどうぞ
ここまでクラシック最重要ジャンルの話がまったくでないので

183 :中川隆:2010/10/03(日) 19:22:12 ID:trtEv+0L

ポッペアの戴冠が理解できたる天才と理解できないアホ


天才は
ヤーコプス&コンチェルト・ヴォカーレ、ボルス、ロランス、他(1990 ステレオ)(3CD)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3891140


アホは
ガーディナー&EBS、マクネアー、オッター、他 輸入盤 〔C
http://store.shopping.yahoo.co.jp/hmv/790492.html


天才のヤーコプスはロマンティック・スタイル

アホのガーディナーはヨーロッパ標準


ネロを悪役としているのがヨーロッパ標準のアホ演奏

モンテヴェルディが表現したかったのはこれだからね:


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醴醴醴翩|IIi>:                   . ' . ' ` 'テi;  :゙(}蹤|I,(.'.?.(}I}||||I;(、'..          . ' :‘(浴}}}}諭gg_、
醴醴醴雛||II,( :. .                       、゙(li:ョ涸阨[|Ili.'.:.'.ミII}}|||Ii;、.          .、:::: (i゙(I浴||||謳薑
醴醴醴雛|||I)).:: .                       . .(ii.i}浴屈[}}'、'.':: (.(II}||||I,(. .         . `.'.、.(0IIII||||醴‡゚゙
醴醴醴靈詬I;(i:.:、                      . .('゙(}}}}}笏'゙'... . .'.:ii゙(I}|||回>.           .'.、.(,(II||朋醴「...
醴醴醴醴齟|IIi'。::. .                       . `' `'゙'.'` .  、'.:.(.(泪屈Iiン. .       .、::.'_(.(II泪讃置
醴醴醴醴鑿||II,(>:、..                              丶.'_(i゙(I泪窗||Ii:、..    .、.:.'_(.(.(,(II屈醴歡

ネロが大人になる為の自立の闘いを描いているだけなのに、アホは勧善懲悪の話にしてしまうんだ。

救いようがない馬鹿。


それからこれがムード音楽


・モンテヴェルディ:『ポッペアの戴冠』 セーナ・ユリナッチ(S ポッペア)
 ゲルハルト・シュトルツェ(T ネローネ)
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ウィーン国立歌劇場管弦楽団

 録音:1963年4月1日,ウィーン国立歌劇場(ライヴ)

http://artist.cdjournal.com/d/lincoronazione-di-poppea/1398040114


幾らなんでも趣味が悪すぎる(という話を聞いた)。
アホのヨーロッパ標準スタイルの方がまだまし。

186 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 19:58:05 ID:DGWEGJvm

ムード歌謡最高!


187 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 21:15:37 ID:YiwaLXSO
>>185
カラヤンはな、アンタみたいなコピペジジイなんかが太刀打ちできる相手じゃないんだよ。てか、いいCD持ってるじゃないか?
それ売ってくれよ。 もう廃盤なんだよな。


188 :中川隆:2010/10/03(日) 21:27:45 ID:trtEv+0L

確かにカラヤンを誉めてた大指揮者もいたね:

クレンペラー「悪くないぞぉ、カラヤン。みんなが言ってる程悪くないぞ。」


189 :名無しの笛の踊り:2010/10/03(日) 23:40:36 ID:7sTH8MA/
>>180
>ロマンティック・スタイル というのは別に演奏がロマン的という意味ではなく、伝統を否定する演奏様式なら該当する。

>>152 >>2.ロマンティック・スタイル
>
>テンポの極端な変化やダイナミックレンジの広さ、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラート
>テンパニの強打、金管楽器の強調
>
>音楽の文学的な解釈、ドラマチックな盛り上げ
これ、どう折り合いつけるの?


190 :中川隆:2010/10/03(日) 23:47:35 ID:trtEv+0L

トスカニーニはティンパニを強打してるし、ドイツの伝統を無視してドイツ音楽を演奏してるからね。

ムラヴィンスキーも金管を強奏してるし、低弦のバランスが異常だし、
チャイコフスキーみたいにドイツ音楽を演奏してるからロマンティック・スタイル

カルロスクライバーはカラヤンのファンだし、カッコ付けてるだけだからムード音楽


191 :中川隆:2010/10/04(月) 00:13:04 ID:aJwK12JL

ここにアホ・カラヤンファンが居るから教えといてやるけど、

カラヤンの凄さは stax の静電型ヘッドフォン(最上級機)で聴かないと絶対にわからない。

カラヤンは聴覚能力が異常に発達していたから、凡人とは音の聞こえ方が全然違うのさ。

超高音が練り絹の様にレガートで繋がっていくのを再現できる装置でないと、カラヤンの意図は再現できない。

ここのアホファンにはカラヤンの本当の凄さはわからないのさ。


まあ、これ買ってからカラヤンの評価しようね:

SR-007A 定価 210,000円(税込)
STAXイヤースピーカーのフラグシップ機。

コンデンサタイプらしからぬ量感たっぷりの低域、滑らかな中域、
繊細無比の高域をお楽しみください。
http://www.airy.co.jp/sub_stax.htm


194 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 10:28:16 ID:isR28n0L

売れないメーカーの必死の宣伝か。。。
こんなの使ったら難聴になるのにな。
あ、そうか、難聴の爺さん向けの宣伝だったか。
でもなんだか哀れで同情を誘うぜ。 ま、がんばれや。

195 :中川隆:2010/10/04(月) 11:18:55 ID:aJwK12JL

良く知ってんね(感心)
俺は stax を使ってて耳痛くなったからカラヤンを聴くの止めたのさ。

カラヤンは確かに凄いんだけど、それは音楽としての凄さではなく、
音そのものの生理的な快感なんだよね。


197 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 12:42:06 ID:omalygRl
>>196
生理的な快感を起こせる指揮者ってすごいよな。
aJwK12JLとは親友になれそうだ。

198 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 13:02:02 ID:UGA8ddCn

カラヤンの凄さはスピーカーでは再現できないのか、ヘッドホンて嫌いなんだよね。


199 :中川隆:2010/10/04(月) 13:29:07 ID:aJwK12JL

Quad ESL57 か ESL63プロにチェロかゴールドムントの超高級アンプを使えば Stax に近くはなるみたいだけど。

ESLは振動板が3年で劣化するし、交換に何十万円もかかる。
100万円以下のアンプではいい音にならない


安いのもあるけど振動板が劣化してるとあの音にならない:

QUAD ESL57(3ペアー在庫あり、金、黒、ベージュ)ペアー¥18万
QUAD ESL63(3ペアー在庫あり、茶、黒)ペアー¥25万

QUAD ESL63PRO ペアー¥28万


ESLは全て整備済み。
http://homepage2.nifty.com/soundpoint55/newpage3.html

サウンドボックス
ESL57  22+II  ESL63の復刻・再生品 新発売
http://www.soundbox.co.jp/quad.htm


5 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/24(日) 13:01

チェロはオーディオスィート、パレット、パフォーマンスが圧倒的に良くて、他はそれ程でもないと思う。アンコールシリーズは日本では売れたけど、音は今三。

61 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/08/08(水) 22:47
>>60
チェロはアンコールはそんなに良く無いよ。
スィートとは較べものにならないと思う。
どうせ買うなら、スィートだ。今ならヴィオラオーディオでアップグレードも出来る。
中古で見掛けたら即ゲットだね。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/07 12:20 ID:8J/ZIr7M

リモコンは使えないが、スィートの音は今でも最高だろ。
アンコールは駄目だが。

39 :AI ◆4wBVGeQHPA :03/04/26 00:41 ID:???
>>38
何度も言っているけど、チェロの場合スィート以外のプリはダメだよ。
チェロの神髄はスィートを聴いて語ってね。

http://mimizun.com/log/2ch/pav/1049683747/

2. 中川隆[-13337] koaQ7Jey 2020年3月25日 09:58:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1567] 報告

201 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 14:30:58 ID:K1SYU52Q
>>190
どっかのパートかセクションを強調し、ドイツ人でなければロマンティック・スタイルということになるね。
(インテンポかどうかは実は関係なく)
ちなみにモントゥーとかビーチャムはどれに属するのかな?

202 :中川隆:2010/10/04(月) 14:58:41 ID:aJwK12JL

モントゥーはブラームスが好きでドイツの伝統を尊重したからヨーロッパ標準 だろ。

ビーチャムやバルビローリも中庸だからたぶんヨーロッパ標準。

要するに、まともな人間はヨーロッパ標準
パラノイアや異常性格者はロマンティック・スタイル

になるのさ。


愛の音楽家 ブルーノ・ワルターがロマンティック・スタイルだった理由も説明しとくね:

レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。


「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

http://www.kapelle.jp/classic/archive/archive9904_b.html


205 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 17:44:22 ID:PCv3/VKg

ワルターがいくら性格悪くてもかまわない。 あの美しい音楽がすべて。
おれだってかなり性格悪いし頭も悪い。

206 :名無しの笛の踊り:2010/10/05(火) 00:35:26 ID:/NFwZQZF

じゃあどうして一銭にもならない当時病気だった宇野との文通を何年も続けたんだ?

207 :名無しの笛の踊り:2010/10/05(火) 06:59:24 ID:w+UWmkQM

ワルターはナチスに迫害されたり娘を事件で失ったりしてるんだから多少は性格悪くても仕方ない。
まあそれならアンチェルルはどうなんだとかいろいろ言えるけど、何も経験してない

俺らが言うことじゃないな。

208 :中川隆:2010/10/05(火) 09:26:50 ID:zX2qjY6K

みんなから非難されている若き日のブルーノ・ワルターの行動はすべて、女狂いから来てるんだよ。

歳取って落ち着いてからまともになったんだ。

210 :名無しの笛の踊り:2010/10/05(火) 12:00:07 ID:DmqQ66xE

だけどフルちゃんのおねだり病は異常なくらいだったらしいね。
それにニキシュの後釜がほぼワルターだったのに裏であちこちに手を廻してフルちゃんがベルリン・フィルを手に入れたんだよね。 ま、もしワルターだったとしても戦争始まったらその立場を追われるけどね。

それはともかくフルちゃんて、とても人間的。 音楽はあまり好きじゃないけどね。


211 :名無しの笛の踊り:2010/10/06(水) 22:27:53 ID:c2UQR4cG

ワルターが非難されてたのは戦後ヨーロッパで困窮してたなじみのユダヤ人のオケ団員を援助しるのを渋ったり。巨匠にふさわしい社会的振る舞いをしなかったから、ようするにせこくて小市民だったからではないか。


215 :名無しの笛の踊り:2010/10/13(水) 12:23:18 ID:ja608Fsz

試しにワーグナーの「神々の黄昏」から聴いてみた。
うーむ、どうも音楽が物々しいやらおどろおどろしいやらで、魔物か何かが出てきそうな雰囲気である。

じゃあ「ジークフリート牧歌」ならマイホーム的なホンワカ・ムードでいいんじゃないかと思ったが、これも何か深刻な家族会議ふうで、ときどきオヤジが激昂したりしていたたまれない。

「タンホイザー」も妙に壮大だったり興奮のルツボ状態だったりして、どうも暑苦しい。気を取り直してR.シュトラウスに向かったが、こちらも事情は五十歩百歩どころか、何か新興宗教みたいに神がかって鬱陶しい。

いやはや困った演奏である。なにせ鳴っている音のすべてが、いつもいわくありげなので、音楽を聴こうと思っても門前払い、あるいは置いてけぼりのような気分にさせられたり、「おうおう盛り上がってるな」とか「悩んでるな」とかいうように、ほとんど他人の不幸(?)を喜ぶようなギャラリー気分になってしまう。
でもしばらく付き合っていると、フルトヴェングラーの狙いが読めてくる。
おそらくそれは、聴き手を感動の方程式にはめ込むことである。

だからこんなに情でがんじがらめの音楽をやるのである。

しかしそれにしたって、そうしたフルトヴェングラーの術にハマるには、現在の聴き手にとって、かなり意識的、または自己催眠的にマインド・コントロールする努力が必要だろう。ましてやこちとら筋金入りのスレっからし。残念ながらそんなウブな純朴さはとうになくしてしまった。

セピア色に変色した昔の写真を見つめて、遠き日の感動をなぞるのもときにはいいかもしれない。でもそれはあくまで過去の出来事であり、いつまでも後生大事にするものではない。なんらかの「追憶」はあっても、そこに「今」を聴くことの面白さは見出せないのだから。

だからこの演奏は、ある時期には一定の影響を及ぼしたかもしれないが、「終わっている」としか言いようがない。

218 :名無しの笛の踊り:2010/10/13(水) 15:54:23 ID:jUv7npsN

ベートーベンやバッハもある時期には一定の影響を及ぼしたかもしれないが、「終わっている」としか言いようがないんじゃないの。


219 :名無しの笛の踊り:2010/10/13(水) 18:52:26 ID:TSsYnk+W

それレコ芸再発欄の石原立教の評だろ
まるまる載せるなら引用元書いておけよ

220 :名無しの笛の踊り:2010/10/14(木) 21:04:15 ID:dlVQLDJJ

主観的すぎて何書いててもはあ、あなたにとってはそうなんですかって感想しか出てこない文章だよね


>>215

221 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 08:46:57 ID:JwiL3ntH

信者にとっては絶賛以外は全部「バカの私見」だからなw


222 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 09:56:00 ID:a4fptUoV
>>221
確かにそうだね。
でも、フルベンを否定する奴を批判する奴こそ、きちんと論理性が通った文章を書けないのが現実なんだが。だから頭ごなしの否定文しか書けない。


223 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 16:18:19 ID:JwiL3ntH

否定はしてないだろ。あんな音質じゃ良し悪しの断定はできないというだけ。

224 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 17:16:27 ID:Tu3y5P5p
>>215
レコ芸にもこういうまともな評論が載るんだね。 なんか見なおした。
だけど、好きな人にはたまらないんだからお互い、いがみ合わないで棲み分けするしかない。

225 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 17:36:40 ID:CedQe6JL

フルトヴェングラーは歌謡界で言えば美空ひばりみたいな存在なんだよ
俺もフルトヴェングラー崇拝者の1人だけど、カラヤンだって初期のDGやコロンビア録音にはいいものも多い。彼の実演もいい思い出。 何でもかんでも対立軸で議論したがるのも短絡的で困り者。

でもショルティやアバドはどうだろう。フルトヴェングラーより優れていると言えるかね?

単なる好き嫌いと混同するなよ

226 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 17:50:27 ID:rD2Fcyv3

一つのスタイルを極めたってことではフルヴェンは確かに偉大だったと思うなぁ
ただ、別のスタイルを極めたカラヤン、トスカニーニやロッシーニ復活に功あったアバドも同じように偉大な音楽家

問題は彼のスタイル以外認めず、別な方法論を採った演奏家を「内容空虚」「ムード音楽」とかいうことだと思う

227 :中川隆:2010/10/16(土) 18:11:56 ID:04+WnRvX

トスカニーニは狂人の音楽


228 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 18:28:52 ID:a4fptUoV
>>227
トスカニーニは、偉大な開拓者だと思うがな。確かにある意味狂人だが、その手の批判は、茨の道をいく人間の宿命。


229 :中川隆:2010/10/16(土) 19:00:52 ID:04+WnRvX

フルトヴェンは意志薄弱のダメ男、というより男じゃない。
ほんとに情けない男だったみたいだね。 天才だけど。

230 :中川隆:2010/10/16(土) 19:20:00 ID:04+WnRvX

オケメンバーにとっては、リハーサルで失敗したとき、激怒してかんしゃくを爆発させる激情型のトスカニーニの激しい叱責より、ワルターに

「私の指揮が足らず君に失敗があった。 指揮者として申し訳ない」

と言われて涙を滲ませられると、失敗した楽団員にとってはそちらの方(トスカニーニの叱責よりワルターの涙の方)が辛かったという逸話も伝わっています


フルトヴェングラーはあまりそういった逸話がなく、良くも悪くも、フルトヴェングラーは音楽の神に自らの全身全霊を捧げており、「音楽以外はどうでもいい」という感じのする、ひたすら音楽を追求し、あまり人間的な部分を感じさせない求道者的指揮者です。

フルトヴェングラーの家がドイツの富裕な名門であることも音楽以外に気を払わない彼の求道的スタンスに関係しているのかもしれません。

http://nekodayo.livedoor.biz/archives/840652.html


本当はフルトヴェンは他人とは意志の疎通が全然できなかっただけなんだけどね。

236 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 23:23:12 ID:Mi20l35J
>>230
× 「音楽以外はどうでもいい」
○ 「音楽と女以外はどうでもいい」

231 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 19:29:26 ID:033ETuRF

フルヴェンとかトスカニーニまたはカラヤン・クラスになるといくら嫌いでも否定は難しい。 時代をリードしてきてきた大巨匠達だからね。


232 :名無しの笛の踊り:2010/10/16(土) 19:50:52 ID:JIp9hOWC

どの指揮者が好きでも嫌いでもいいが、人格と演奏を結びつけて罵倒するのは愚かなことだ。

指揮者でも作曲家でも、人格の良し悪しと作品や演奏の良し悪しは別だからな。
ワーグナーなんか嘘つき・尊大・自己中心で、身近にいたらとんでもなく厭な奴だろうけど、幸いなことに離れた立場でいられるので、作品を楽しめるわけだ。
フルトヴェングラーが偶像化されるのは下らないことだが、人格をあげつらって演奏が良くないというのもこれまた愚かなことだ。


233 :中川隆:2010/10/16(土) 20:07:47 ID:04+WnRvX

まともな人間は大指揮者にはなれないという話なんだけどね。

245 :名無しの笛の踊り:2011/01/08(土) 08:59:20 ID:jJu19gDs

やはり少し過大評価を受けているね。
確かに、偉大な指揮者の1人であるという点では違いないけど、まあネットが普及したおかげで、評価が少しずつ適正な位置に移動しようとしているけど、まだまだ実力と比べて高すぎる。

246 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 02:10:42 ID:eiNs6h1H
>>1
評価の仕方が悪い。
馬場さんのプロレスを想い起こすがいい。
技術的には大したことが無いし、技の切れも無い。

何も良いところがないようだが、感動する人には感動させた。
ゆったりと動いて、不器用に大きく振り被って、ガァっー!!と決めた。

フルトヴェングラーの音楽そのものではないか?
感じることのできる者だけが感じられるのだ。
感じられないものがとやかく言うことではない。


247 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 10:52:12 ID:w0+S9HjN
>>246
まあ、ある意味その通りと思うよ。
でも古便オタや批評家って、カラヤンやトスカニーニを散々叩きまくったじゃない。
その辺が話をややこしくしていると思うが。

248 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 11:00:58 ID:ot841RyZ

バカだなぁおまいら
ベートーベンをどう演奏しなけりゃならんかを知っていた唯一の指揮者だぞ
馬場もプロレスをどう見せなきゃならんかは弁えてたがな

249 :名無しの笛の踊り:2011/01/09(日) 13:29:51 ID:9gQRyXPu
>>247
その通りと思うなら、もう16文突っ込んで考えるんだ!
カラとかトスカとかは、デストロイヤーとかブッチャーとかドリー & テリーなんだよ!!
別の国ではヒーローでも、馬場さんの国では悪役なんだっ!!!

250 :名無しの笛の踊り:2011/01/10(月) 18:24:27 ID:E3cCL/fG
>>247
>でも古便オタや批評家って、カラヤンやトスカニーニを散々叩きまくったじゃない。
???
当時の批評家の推薦版にやたらカラヤンが多かったよ。

ほとんどカラヤン盤だったね。レコード芸術とか何とか読んだことないの?
トスカニーニやフルトヴェングラーは過去の人扱いだったよ。

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classical/1267347548

3. 中川隆[-13336] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:15:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1568] 報告

宇野功芳先生が大嫌いな演奏 _ カラヤン・レガート


カラヤン 動画

http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3

http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3&oq=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3&gs_l=youtube-reduced.3..0l4.1554.3677.0.4348.9.9.0.0.0.0.309.2022.0j2j6j1.9.0...0.0...1ac.1j4.zol2awpx5Sw
http://www.youtube.com/results?search_query=karajan&oq=karajan&gs_l=youtube.3..0j0i4j0l2j0i4j0l4j0i4.20616.23599.0.24458.7.7.0.0.0.0.125.864.0j7.7.0...0.0...1ac.1j4.6WUHbDHxc4U


カラヤン Herbert von Karajan ―音楽が脳を育てる 茂木健一郎

クラシック界の帝王と呼ばれた男、指揮者・ヘルベルト・フォン・カラヤン。
生誕100周年、没後20周年を迎え、今も世界を魅了してやまないその音の秘密を、脳科学者・茂木健一郎氏が読み解きます。

ザルツブルク・ベルリン・ウイーン。カラヤンゆかりの三都を旅し、茂木氏が辿り着いたキイワードは「レガート」。

音楽用語で「なめらかにつなげる」を意味するこの言葉こそ、カラヤンを成功に導き、現代日本に生きる我々に最も必要なことと喝破する。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-Herbert-Karajan-%E2%80%95%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%8C%E8%84%B3%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B-CD%E4%BB%98%E3%81%8D/dp/4418092234



小節の縦線が聴こえない、レガートの響き。
美とは一点の曇りもない美しい表面を持っていなければいけない。

カラヤンのレガートへの拘りは異常なほどだったという。
http://renoncule.exblog.jp/11491231/



  その頃のフルトヴェングラーはベルリンでの非ナチ化法廷での審理の最中であり、1946年12月に無罪となった後も米国を中心とする西側メディアからの追求と批判をあびていた。 その時期にカラヤンは、戦中時代からの行き違い(勿論、芸術性における解釈には違いがあるが)について、フルトヴェングラーとの和解を試みている。

1946年初冬、フルトヴェングラーが列車でチューリッヒに行く途中、カラヤンの滞在先であるザンクトアントンで途中下車し会いたいというカラヤンの願いに同意し、二人はアールベルクで対面をした。

対談自体は、フルトヴェングラーのカラヤン嫌いがあまりにも強く、修復の余地はなく失敗に終わった。しかし、後年、フルトヴェングラーはカラヤンのレガート表現の資質について、こだわりも悪意も捨ててカラヤンをほめ妻に語っている。

「カラヤンはほんもののレガートが使いこなせる。自分で学んだに違いない。
教えられて出来ることではないからな」と。

  歌うようなオーケストラ的レガートを正しく理解し、使いこなさなければ、第九交響曲や19世紀から20世紀初頭の多くのドイツ作品を指揮することが不可能であることをフルトヴェングラーはよく心得ていたからである。
http://www16.plala.or.jp/annys-house/karajan.htm



チェリダッケが、カラヤンのことを

「音は美しいが中身がない」

と言って、インタビューアーが

「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」

と言ったら

「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」

と言った話は有名です。


チェリビダッケは他にも

「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」

「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」

「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」

「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」

「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」


等、マスコミが喜びそうなことを言ってました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1377955283


クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」


__________


カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。

「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」

カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。
http://nyhanako.exblog.jp/10641334



川口マーン惠美 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』

カラヤンについては、共にその黄金期を過ごしたベルリンフィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏は、次のように語っている。

カラヤンは素晴らしい業績を残した。しかし、亡くなって、まだ二十年も経たないのに、もうすでに忘れられつつあるような気がする。

ところが、フルトヴェングラーは、没後五十年以上経つのに、いまだに偉大で傑出している。あなただって、フルトヴェングラーのために、ここまで来たのでしょう。
あなたの求めている『フルトヴェングラーかカラヤンか』という問への答えは、おのずと決まっていくかもしれませんよ。
http://blog.livedoor.jp/weidows95/tag/%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88



405 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:05:35.14 ID:7ySo7EVD
カラヤンが子供騙しな指揮者だったって事は本当ですか?


406 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:35:44.59 ID:ij4qrj9g
三分の一くらい本当です。


407 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:55:44.92 ID:n6gAFbdL
子ども騙しの最右翼はフルヴェン。
初心者のおれが「ここでこうやったらカッコイイ〜」
という解釈でやってくれるからわかりやすかった。

でもいずれネタがわかってしまい飽きてしまった。

それになにをやっても芝居がかってて鬱陶しくなった。
時代物として聞くならいいだろう。
シゲティとかカザルスとかコルトーもそう。


409 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 17:10:23.49 ID:jU7IpzTY

大衆化路線をそんなにバカにしちゃいかんよw。
カラヤンが早くからメディアの可能性に着目して、大量にレコードを出したから、批評家にも仕事のチャンスがたくさん回って、手厚く稼がせてやったわけだ。

その上アンチ批評家がフルヴェンやクナを聴け!と読者を説教したものだから、そちらのレコードもよく売れて、レコード会社は更にウマーw。

結果として俺たちは、氾濫したメディアのおかげで何時でも何処でも好きなように音楽を聴けるようになったんだし、評論家ごっこまでして遊べるようにもなったわけw。
感謝しなくちゃ。


410 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 19:04:43.55 ID:iZCOeSva
クラシック鑑賞は高尚な趣味で敷居が高い、という時代が短からず確かにあったんだよ。 それを居酒屋でオッサンが談義できるレベルまで降ろしてくれたのがカラヤン。


411 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 20:23:11.71 ID:bGTHVZUa
>>410
>>それを居酒屋でオッサンが談義できるレベルまで降ろしてくれたのがカラヤン。

いや、カラヤンではなく、宇野功芳などの俗悪音楽物書きのお陰で、クラシックが、居酒屋で呑んでるオヤジや、電車内でスポーツ新聞を広げてるようなオッサンでも語れるような庶民の文化となったのだよ。
少なくとも日本では確実にそうだと思う。


413 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 20:36:05.66 ID:cmXB50aQ
フルベンやクナなんか聴いてるの世界中で日本人だけらしい
同じ日本人として恥ずかしい
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1347016336/



岡本太郎

「きれいであってはならない。うまくあってはならない。心地よくあってはならない。
ほんとうの美とは、きれいとか、うまいとか、心地よいなどとは反対のものなのです。」


宇野功芳
「その本物の美しさと正反対なのが、カラヤンの演奏だと思う。」
http://www.geocities.jp/descanso_sabatical/music/classical/bruckner/conductor/karajan/karajan9bpo75.html


宇野功芳
現在、“帝王”と呼ばれる指揮者にカラヤンがいます。その人気はすばらしく、まさにスターですが、それはカラヤンの美男ぶりや洗練された指揮姿によるもので、音楽的な実力は明らかにベームのほうが上なのです。

芸術というものは芸術家の心が正直に反映します。カラヤンの演奏は音が美しくて、角がなくて、実にスマートですが、いささか表面的で聴く人の心を打ちのめすような内容の深さに欠けています。

彼がオペラを好み、ベートーヴェンをあまり得意にしていないのはそのためでしょう。ところがベームは違います。華やかなオペラよりは、内容できかせるモーツァルトとベートーヴェンを最も得意にしているのです
http://www.tokai-med.ac.jp/staffs/obara/sb/log/eid250.html


宇野功芳

エロイカ 朝比奈盤
カラヤン/ベルリン・フィルなど、オーケストラは数段上だが、いくら技術的に優れていても、本当に魂のこもった迫力において大阪フィルより落ちる。それはカラヤンの指揮が外面的だからであろう。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/50856054.html



指揮者の中には、実演第一主義とでも言いましょうか、コンサートでの演奏が全てであって、録音用の設備を整えたスタジオで、何回も取り直しを繰り返し、果てはテープの継ぎはぎ迄して、出来上がりの完成度を高める様な、そんな録音は絶対に取らないと言う、言わば硬派のご意見の方も多く居そうです。

その言葉が批難している対象は実はカラヤンなのです。

彼の完成させた録音はですから、プロが楽譜と突き合わせれば、恐ろしく楽譜に忠実な事に驚くのでは無いかと思われます。また、彼程耳の良い人も珍しかった様で、楽隊の鳴らす和音の中の、単一の楽器の音のずれを聞き逃さなかったと言われます。

加えて、記憶力抜群の指揮者でして、殆どの曲を暗譜で演奏したらしいのです。これは長大な時間の掛る膨大な楽譜のオペラでもそうだったと言われます。彼の残した映像を見て居ますと、協奏曲の伴奏オーケストラの指揮も原則的には暗譜で指揮して居ます。この事からも彼の暗譜力の素晴らしさが伺えます。
http://koten.kaiteki-jinsei.jp/080619.html



「売れる」演奏とは? 
カラヤンとリヒテル相容れない巨匠と名録音の知られざる裏側

ベートーヴェン作曲の三重協奏曲。
この曲、ピアノがリヒテル、ヴァイオリンがオイストラフ、チェロがロストロポーヴィチ、そしてカラヤン指揮でベルリン・フィルという、これ以上考えられない夢のような豪華な顔ぶれの録音があります。


BEETHOVEN - The Triple Concerto in C Major, Op. 56 - Oistrakh/Rostropovich/Richter/Von Karajan



 
そのレコーディングについて、リヒテルがドキュメンタリーフィルム「リヒテル(謎>」の中で知られざる裏について語っています。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・
 
三重協奏曲のレコーディングが悪夢だった。カラヤンとロストロポーヴィチ、オイストラフと私。2対2の戦争だった。カラヤンは私の不満顔に首を傾げた。

私はうわべだけの演奏が嫌だった。
オイストラフも失望してしょげかえっている。

一方、ロストロポーヴィチはただ目立とうとする。
私とオイストラフが不満だったのは第2楽章のテンポの遅さだ。だが、ロストロポーヴィチはすぐカラヤンに追随した。カラヤンが"これでよし"と終わろうとするから、私がやり直しを頼むと

"一番大事な仕事がある!"

・・・・写真撮影さ。
我々はバカみたいにヘラヘラ笑ってる。おぞましい写真だ。見るに耐えない。
 
     ・・・・・(以上引用)・・・・・


それにしても、一触即発の緊張感の中でのぶつかり合いだったということが想像できます。 
ロストロポーヴィチのチェロは、録音を聴く限り、気迫十分、間違いなく全盛期の演奏そのもの。実際は、ロストロポーヴィチもカラヤンと対立し、席を立って出て行ったという穏やかではない一場面もあったようです。
 
問題の2楽章、レガート奏法を多用し、艶やかで美しい音楽を追求するカラヤンからすると、やはりテンポは上げられなかったのかな、と思います。
カラヤンは、どうすれば「売れるか」ということをよく分かっていた人だと思います。
超有名演奏家を一同に集め、カラヤン美学で音楽を作り上げれば必ずヒットする。

そこが、生涯をただ純粋に音楽だけに捧げた孤高の芸術家リヒテルとは相容れなかったところだったのでしょう。
 
しかし、カラヤンのおかげで、本物のクラッシック音楽がある特定のファンのものだけではなく、一般の人々にまで受け入れられるようになったのです。そういう意味ではカラヤンの功績は大きいと思います。裏で何があろうとも、一筋縄ではいかない巨匠たちに、ここまですごい演奏をさせたカラヤンの手腕も見事。この名演奏から感じられる異常なまでの緊張感を生み出したのは、またしてもカラヤンの仕掛け?とふと思ってしまうのです。
http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/09/post-7296.html



“カラヤンの第1回目の「チャイ5」セッション録音”

チャイコフスキー 交響曲第5番 カラヤン&フィルハーモニア管
録音年:1952年5月ー6月、1953年6月 ロンドン、キングスウェイ・ホール
第2楽章ホルン・ソロ: デニス・ブレイン





参考

Tchaikovsky - Symphony No. 5 in E minor, Op. 64
Wiener Philharmoniker Orchestra, Herbert von Karajan




アナログ本来の持ち味を生かした復刻で定評のあるOPUS蔵のリリースだけに大いに期待したのですが、かつて発売されたEMI盤(7364602)よりも、音の伸び、ハリ、スケール感、各楽器の輪郭が明らかに劣ります。フーベルマンのチャイコフスキーなど、生々しい訴えかけを再現した復刻を知っている者にとっては、この結果は全く意外です。EMI盤をお持ちの方は、買い替える必要は全くありません。

演奏そのものに生命感が漲っていないものはアナログで聴いても同じ…とは決して思いませんが、少なくとも音の粒子が宿している微妙なニュアンスや深みを追及するタイプでないカラヤンの演奏は、ライヴ録音は別として、録音の美しさを前提にしなければ厳しいものがあるのでは…、と改めて考えさせる結果となりました。

演奏自体は、後年のカラヤンの基本形がここですでに完成していたことが確認できます。全体的に大人しいイメージですが、細かく聴くと例のカラヤン・レガートが後年の録音ほど練れていない分だけ露骨な形で表出されるので、その意図があからさまになりすぎて、音楽の流れを寸断する結果にも繋がっています。

時代掛かったルバートが控えめに盛り込まれているのも特徴的ですが、それがいかにも中途半端。よく揶揄される「表面的」というイメージを決定付けてしまいかねない演奏と言えましょう。

第2楽章のブレインのソロも、他の録音と聴き比べるまでもなく、彼だけが持ち得る閃きがまるで感じられない(EMI盤でも同様)のが信じられないほどで、それこそライナーに書かれている「スケール豊かなふくらみ」が抑え込まれているのですから痛恨の極みです。真に本領を発揮したときのブレインがいかに素晴らしいかを痛感していれば、「このブレインが素晴らしい」などと軽々しく言えないはずです!

第3楽章はカラヤンに相応しい楽曲のはずですが、綺麗に整えようとする意図ばかりが先走り、「ほら、こんなに素敵ですよ」と語りかけてくる箇所が見当たりません。勢いに任せた演奏=生命感のある良い演奏、とは言えませんが、人間的な自然な律動を抑えて音楽を組み立てようとすることの無理が表面化してしまい、いたたまれません。

終楽章も、展開部冒頭の8分休符がゲネラル・パウゼになっている珍妙さ以外は、後年の録音とスタイルは同じ。しかし、音自体に輝きと自信がなく、スケールも小さく、個々の奏者のセンスも封じ込まれているようなもどかしさが終始付きまとうので、当時のフィルハーモニア管の魅力を味わうとしても、肩透かしを食らいます。

しかしこの録音の後、オケの個人芸が自分より注目されることがないように徹底的に意識すること以外は熟考を重ね、1975年に(DG)に比類なき金字塔を築くのですから、この録音こそがその理想に向けての第一歩だったと言えるかもしれません。


第1楽章のツボ

後年の録音で顕著となる独特のぬめりを持つレガートがここでも出現。
メンゲルベルクほどではないが、73小節でわずかにテンポを落として19世紀的なニュアンスを漂わせるが、香りが立ち上ってこない。
活気付くことなく、媚を売るようななよなよとした進行。
まったく非の打ち所のない美しいフレージングで、響き極めて均整が取れているが、心に直に訴えかけるものに乏しい。


第2楽章のツボ
スコアを忠実に再現しているが、イメージを喚起させるニュアンスには乏しい。
注目のD・ブレインのソロも、ここでの演奏は何度聴いても彼本来の音楽性を発揮しているとは思えない。カラヤンが自分よりも彼が注目されてしまうことを恐れて何らかの操作をしたのだろうか?と勘ぐってしまう。
血の気が失せた顔で何やらワーッと叫んでいるだけのような感じ。
まるで心ここにあらず。
各小節の第1音は、縦の線をあえてずらして響きに広がりを持たせようとしているが、その全てが機械的。オケもその必然性を感じ取りながら弾いているとは感じられない。
スコアに書かれたとおりのスケール感は表出しているが、最後のぎりぎりのところで足を引っ張るような力が作用し、フォルテ4つの箇所に至っても、音楽が突き抜けないのは実にもどかしい。その原因は録音の古さだけではない。オケの弾きにくそうな顔が目に浮かぶ。


第3楽章のツボ
リズムがいかにも鈍く、楽想の持ち味が生かされていない。靴底にガムをつけたまま踊らされている感じ。
214小節からの終結部は音量を落とし、カラヤン特有のレガート節を徹底尾的に盛り込んでいるのは、後年の録音では影を潜める表現。場面転換にメリハリを与えるという点では大いに功を奏している。
http://www.wakuwakudo.net/review_chai5/karajan_opk7029.html



カラヤンの「大地の歌」をデジタルマスターリングLPで聴く

カラヤンには個性がないのではないだろうか。

それとも時代に応じて演奏スタイルを変えてきたから、統一された特徴や演奏スタイルというものが無いように見えるのか。

演奏を聴いて、それがカラヤンの指揮によるものだと特定できるものは、音響的にはあっても、音楽的には余りないことが経験的なことだ。

カラヤンはゲルマン的なところとラテン的な所を併せ持つが、逆に言えば無国籍のグローバルさ・・・インターナショナルテイックなものをもっている、というよりそうなってしまったのは・・・カラヤンの美学によって楽曲の持つローカルエリア的風土を排除したことにその要因があるような気がする。

言い換えれば、母国語があるのに、エスペラント語に置き換えてしゃべって表現するようなところがあるので、万人に理解されるようで、主観的すぎる翻訳が必ずしも上手く行ってないから、誤解を産むとが多いような気がする。

初期〜中期のカラヤンは、ザッハリヒな演奏スタイルだったが、カラヤンレガートが象徴するように、超メジャーになってからのカラヤンの演奏の特徴は、楽曲の解釈はあくまでもカラヤン自身の美学の帰結であり、誰がどこでどのような経緯で作ったのかなどは眼中にないようで、あくまでも楽譜とカラヤン自身の美学で音楽が成立する。

中期以降のカラヤンは、カラヤンレガートがあらわす如く、自分の美学に基づいて、音楽をソフティフィケートすることに専念するようになった。

注目すべきは、基本的にはザッハリヒな演奏スタイルなのだが、レガート、フェルマータなどを多用することでロマン主義的な演奏スタイルに思わせるような所があることだ。

万人に好まれるがコアなクラシックファンから嫌われるのは、カラヤンの美しさを追求する没個性の美学にあるのではないか。

マーラーの曲に内包されるものは、ドイツ辺境や周辺の地の民謡や踊りのメロディとリズムの引用、近代的和声とのシナジーを高めること、それらによって、音楽に新たな生命を宿らせた事なのではないか。

しかも楽曲には合唱やソロが登場するものが多く、つまり人間の声とオーケストラの調和と非調和、融合と拡散、協調と離反が合いまみえる曲であるといえる。

「大地の歌」では、意識しない宗教性と民族性、東洋思想、ペンタトニックスケール、現世否定と死への恐怖と憧憬、刹那的快楽主義、不条理、自己矛盾といったものが塗り込められているように思われる。

どうしても揚げておかなくてはならないのは、カラヤンは大体において、合唱を人間の声としてではなく、楽器のように扱っているということであるが、果たして合唱無しソロオンリーの大地の歌の場合はいかにしたのか。

例えばモツレクのキリエの終わりのキリエエレイソーンのフェルマ−タは、息が続くギリギリまで合唱を引っ張るが、このようなやり方は随所に見られ、声は楽器であるというカラヤンの考え方の表れであると思う。

ソロの声をも、楽器として扱うような気配があるや否やも、大事なチェックポイントである。

以上の観点を踏まえた、カラヤンの「大地の歌」、果たして如何なるものだったか。

音楽が美しい、いや美しすぎるぐらいだから、全曲をいとも簡単に聴けてしまった。
美しさの要因は、ここでもやはりレガートそしてフェルマータの乱用に近い使用である。

ソロの歌唱においてもそれは同様で、このためにソロ歌手の息が苦しそうな気配が、とくにはテナーのルネコロに著しい。

しかしマーラーを表現するテクニックとして、ひたすら美しい音楽づくりが果たして相応しいだろうか。

カラヤンはいつもたいていそうなのだが、「再生音響」に強いこだわりを持っているようで、この演奏録音では普段聴こえない音がハッキリクッキリ聴こえてくる。

ライブ映像で見る光景として、普段は中央よりやや下向きに吹く管楽器群が、一斉に楽器を上方前にして吹く事があるが、これは作曲家の指示かそれとも指揮者の指示なのか、マーラー演奏にそれが多いように思うが果たしてどうなのだろうか。

カラヤンの良いところ、それは再生装置で聞く人のことをも慮っていて、ホールの位置によってライブでは掻き消されてしまう楽器の音を、きちんと聞こえるようにしていることだ。

終楽章琵琶の音を模倣するためなのか、マンドリンの音色が今まで聴いたどれよりもよく出ており、マンドリンなどは使用してないと思うような録音がある中、音響を重視したカラヤンはマイク技術あるいはマスターリングで、それを再生装置で聞く聴衆のため、克復したとみてよいだろう。

1楽章に出てくるフルートのタンギングは、クレンペラー盤が最もよく表出していたが、カラヤン盤もよく聴こえてくる。

先日録画したアバド/BPOライブでは、フルートのタンギングが埋もれてしまいがちになったが、実際はそんなものなのであろう。

マーラーの曲は、押しなべて管楽器がハイライトされるものが多く、ホルンは勿論、特にイングリッシュホルン(コールアングレ)に活躍の場が多いが、それも含めた管楽器の音の表情付けだが、カラヤンは管楽器のソロにまで、たっぷりのレガートを要求する場面が多いから、弦が加わった暁には、滑らかに美しく聞こえるが音楽が甘ったるい蜜のようになるから、ひと舐めするには良いが、たくさん舐めると、その諄さが勝ってしまい、たちまち嫌気が襲ってくる。

確かにマーラーには、神秘主義的陶酔の感覚があるとは思うが、音楽は決して甘ったるくは無いはずだ。
ポルタメントを多用したメンゲルベルクよりさらに甘ったるくロマンティックに聴こえる。

アダージョ楽章では、ストイックで病的なものを感じることさえあるマーラーであるが、カラヤンはひたすら美しさを追求し、陶酔に導こうとするかのような演奏をする。

ソロ歌手のコロとルートビッヒだが、いずれもバックのオケとのマッチングがよくないのか、コロは神経質な歌唱が随所に見られるし、ルートビッヒも、クレンペラー盤であれだけの歌唱をしながら、カラヤン盤では楽曲の・・・詩の内容の深堀が出来てないのか、心なしか自信なさげに聴こえる。

クレンペラー盤よりも新しいカラヤン盤だから、どうもカラヤンの声も楽器という仕業のような気がしてならないが、ソロの歌唱にも無機質さを要求したのだろうか。

デジタルリマスターによるLPレコードは、確かに耳触りはよいのだが、リマスターで倍音成分まで除去してしまった結果なのか、本来持っているオケの音のエネルギーまでそぎ落としてしまったように聴こえる。従ってオケがBPOであるか否かの判断がつきにくいが、それを無視すれば、実に上手な演奏であることは間違いないことだと思われる。

カラヤンはなおさらに、録音によっても大きく評価は変わるから、今回聴いたLPのデジタルリマスターは、技術水準の問題、エンジニアの耳、商業的勇み足のいずれか、あるいはそれらの複合の産物のように小生は想っている。
http://sawyer.exblog.jp/14085204/


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カラヤンがゲルマン的でない理由

ヘルベルト・フォン・カラヤン
(Herbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)

アルメニアの姓で、「黒い肌の息子」という意味。アルメニア人は、国民の九割近くが -ian、もしくは -yan で終わる姓をもっている。
カラヤンの四代前の先祖は、ギリシア領マケドニアの生まれで、カラヤンニスというギリシア人的な語尾の姓をもっていたという。さらに、もともとは、アルメニア人であり、カラヤンのカラはトルコ語で「黒い」を意味するとある。

時間順に見ると以下のようになる。

カラ トルコ語(テュルク語) 「黒」

カラ アルメニア人の個人名になる。

カラヤン アルメニア人の姓になる。

カラヤンニス(Karaiannis, Caragianni) ビザンティン帝国に仕えたギリシャ人で、ギリシャ風の姓になる。

フォン・カラヤン(von Karajan) 高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは、現在のギリシャ共和国のコザニで誕生。1767年にウィーンへ向けて出発して最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住。兄弟と共にザクセンの服飾産業の世界で成功してフリードリヒ・アウグスト3世に仕えて1792年6月1日に爵位を受け貴族の称号である von を添えた。
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1336057.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2


1908年にザルツブルクで貴族の子として生まれた。兄のヴォルフガング(1906年-1987年)も後に音楽家になっている。

ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院とウィーン音楽院で学んだ後、親の買い上げたオーケストラによりザルツブルクでデビュー。

ドイツのウルム市立歌劇場の総監督から誘いが来て、1929年に『フィガロの結婚』でオペラ指揮者として脚光を浴び、1934年には同国アーヘン市立歌劇場で音楽監督に就任した。

1938年のベルリン国立歌劇場におけるヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌1939年にはベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位を得るとともに、イタリアのミラノ・スカラ座でオペラを指揮することとなった。

1954年、フルトヴェングラーが急逝したことで、翌1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督の地位に登りつめ、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3


■カラヤンはアルメニア系か?

祖先はアルメニア系とも言われているが、ギリシャ・マケドニア系のカラヨアンネス家の子孫の説が有力と私は考えている。


1)カラヤン本人が否定していること、アイデンティティが存在しない(アルメニア系なら肯定する)、

2)カラヤンはローマンカトリック、アルメニア系ならばアルメニア使徒教会となる、

3)カラヤニスから-nesを取ってカラヤンへ改名した事実があり、最初から-ian、-yanではなかった。


それから、大アルメニア王国(それ以前のウラルトゥ王国‖syuracom-228)は現在のアルメニアと地理的に重なるがアルメニアなのか疑問)が存在したのは紀元前190-66年の間、その後ペルシャ、ローマの支配を受け、離散している。

2000年以上も前に日本へ渡来した朝鮮半島の人は朝鮮系とは言わない。万が一、カラヤンの先祖が古代アルメニアから移住していたとしても、そのアイデンティティがないのではアルメニア系とは言えない。

以上、私の結論ではカラヤンはギリシャ・マケドニア系のオーストリア人である。

ちなみにHerbert von Karajanの「von」は貴族を表す。「von Karajan」、高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは、現在のギリシャ・コザニで生まれ、1767年にウィーンへ移住、最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住し兄弟と共にザクセンの服飾産業で成功した。この功績により神聖ローマ帝国フリードリヒ・アウグスト3世より1792年6月1日に爵位を受け貴族の称号である「von」の使用を許されている。

しかし、第一次世界大戦によりオーストリア帝国は消滅し、1919年4月に制定されたオーストリア共和国憲法によって貴族制が廃止されたことから、正式な氏名は「ヘルベルト・カラヤン」、パスポートにはこのように記されている。

「ヘルベルト・フォン・カラヤン」は芸名とも言える。
http://worldcity-mm.blogspot.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3


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A. mahler_no_2さん
♪レガート奏法はお嫌いですか?
私はカラヤンのレガート奏法が好きなんですが、お嫌いな方にお尋ねしますね!
《どんなところがお嫌いですか?》


Q1. makitabadaisukiさん
例えばモーツァルトの音楽でもフレーズが「トリスタン」の無限旋律のようにベタベタになってしまうところです。 私は、衣に油が残ってベタベタした天ぷらより、カラッと揚がっている天ぷらの方が好きです。

つまり、モーツァルトは「カラヤンときらめくストリングス」的な演奏より、虚飾がなく颯爽とした演奏の方が好き、てことです。これは好き嫌いの問題であって優劣の問題ではないことをご理解下さい。

ちなみに私は、ベタベタした「トリスタン」(をはじめ、他のワーグナー作品やマーラーなどの後期ロマン派の音楽)も好きです。



Q2.kurbane_2001さん
『春の祭典』については、作曲者に「あれは冗談だろう」と評価されたのにカラヤンはショックを受けましたが。
旧式レガード奏方自体が死んでしまった代物ですからどうしましょう?

俺的にはジュリーニが具体的に指示する細やかな指定、そこから生まれる自然なレガートが凄いと思うんですが(また贔屓の音楽に対する太鼓持ち)

カラヤンは単に流すだけ。一見するとあまりに無策なベートーヴェン。
しかしその深層?

無策通り。

ジュリーニの場合、自然なカンタービレから必然的に生まれるレガート奏法
カラヤンの場合はフォルムを整えるためのレガート。
単発録音ではそういう態度があからさまに分かってしまいます。
それはそれで楽しい時間を満喫できますが、後には何も残りません。


Q3.roland_gr1さん
簡単にシンセや打ち込みで再現できるので(嘘)有り難みが無いので嫌いです(嘘)。サンプリングの機械やソフトでもそれが売りになっています(笑)。

本当のレガートは生と録音では違う、パート分けなんかの技術的に神経を尖らせている部分が、録音の再生では消え失せるのが気持ち悪いです。

生は凄かったらしいですが、どうも、プラスチックみたいな不自然さを感じて落ち着きません。音を聴く前から生理的に受け付けませんから、たちが悪いです。聞く前から、、、

カラヤン以外にレガート奏法が得意な人の名演が聞きたいです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228628522

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カラヤン 音楽を語る


『カラヤン、音楽を語る』ききて:アーヴィング・コロディン、訳:萩原秋彦)

にこんなことが書かれていました。

 「ハ短調の第1楽章では、どうなさいますか。例のバスーンの使用について」。

 「使いますとも」とカラヤンはあっさり答えた。

「もちろん、いま私たちは、バスーンを重ねて、ホルンを吹かせています。」

 「あなたは、スコアに書かれたとおり忠実に従われるのですか」

 「だいたいはそうです」と彼(=カラヤン、ゆきのじょう注)は言った。

「テンポやメトロノーム記号・・・などについては必ずしもそうではありません。メトロノーム記号について言えば、私たちは、それに忠実に従おうとしてきました。しかし、時々、うまく行かないことがあるのです。

『エロイカ』の第1楽章には、多くの人たちがショックを受けるでしょうね。じっさい速いのです。ハ短調については、メトロノームの指示どおりに出来ると思いますよ。スケルツォでさえ96で、そんなに速くない・・・(中略)

 もうひとつ、それまでずっとやられていた旧式な解釈ではなく演奏しているところは、第九のスケルツォのリタルダンドです。しかし、今度の録音で、私は楽章全体をひとつのテンポで通しました。」


 これらのカラヤンの話が私にはとても意外に思えました。カラヤンはどちらかというと自己主張の強い指揮者だと思っていたからです。

例えば第7番の第二楽章などは連綿たるレガート奏法で始まるので、正直ぎょっとしました。また提示部の繰り返しをやっていないことも多く、田園の第三楽章でもリピートせずに演奏することもあったはずですから、ベートーヴェンの楽譜を忠実に演奏するなどということとは無縁だと思っていましたのです。それがベートーヴェンの楽譜や指定を尊重しながら録音を行っていたというのです。

 そういう視点で聴き直してみると、「第九」で畳み掛けるようだと思ったのは、実はカラヤンが楽譜通りの演奏をしようとしたからだと気が付きました。

第一楽章の冒頭、混沌とした序奏から第一主題が奏でられるところは、曲想が変わるので一旦一呼吸おいてから演奏されるのが多いように思います。しかし、楽譜には休符がないので間を置くことは「楽譜通り」ではありません。そこでカラヤンは序奏の最後をややテンポを緩めてクレッシェンドすることで違和感を与えずに、間を置かないで第一主題につながるようにしていると感じました。

また第四楽章の冒頭も同様で、残響を利用して少しリタルダントしたかのように見せかけてつながるように工夫していると思ったのです。バリトンの歌い出しも効果を狙っただけではなく、実際に楽譜には休符がないから行った、しかもそれを逆手にとって劇的にして見せたということなのだな、と想いました。

これらは、あの即物的と言われたトスカニーニも慣習的に「間」を空けて処理していた部分でした。

 カラヤンのベートーヴェンの全集での目指した姿勢は、カラヤンの死後1990年に発表されたベーレンライター版のような、学術的な視点からではないことは明白です。

使用楽譜はおそらくはブライコプフ慣行版であろうことは想像に難くはありませんし、私は何の曲の何処の部分をどうやっているかという細部を逐一検証するだけの耳も学も持ち合わせてはおりませんから、慣行版に従っているところが沢山あるだろうという想像をするだけです。

さらに前述の反復の実行の問題にしても、第九の第二楽章の反復をすべてしていないというのは慣行版の指定にすら従っていないではないか、その意味では使用楽譜通りではないだろう、という反論も当然あると思います。

 ただ、私が注目しているのは、カラヤンはただ何も考えずに、伝統的(旧来の)解釈のまま録音に供しているのではなかったということです。再録音が多かったカラヤンですが、再録音するだけの意味を常に考えていたのだと思うのです。
http://www.kapelle.jp/classic/yukinojou/karajan_bach_beethoven.html


基本に忠実

カラヤンの音楽は一般に現代的、スピーディーといわれていましたが、実は大変オーソドックスな音楽の作り方をしています。多くの指揮者があまり根拠もなくテンポを変化させたり、ルバートをするところ、カラヤンは基本的に楽譜に忠実に音楽を作っていました。楽譜に書いてあることをする・・・このごく当たり前のことを再び耳にしたのは、帰国後ラジオのインタビューで朝比奈隆さんのお話を聞いたときでした。


馬の手綱さばき

カラヤンは指揮のこつを、馬の手綱さばきによく例えていました。馬が行きたい方に行く・・オーケストラでいうと、楽員の音楽性を尊重して、その流れをつかむことにすばらしい才能がありました。


最後のばらの騎士

リヒャルト・シュトラウスのオペラばらの騎士のオーケストラ練習中、有名なワルツのところで、ウィーンフィルを前に・・・

「私にとって人生最後のばらの騎士ですが、あなた方は確かにこの曲にかけては世界一です・・みなさんが生まれたままの音楽をして下さい。ただ、本番前はワインは飲み過ぎないように!!」

ここでカラヤンはみごとにウィーンフィルの心をつかまえ、両者の間にはすがすがしい空気が流れました。演奏があっというまに生き生きとなり、ウィーンフィルの弦がポルタメントをたっぷり使い、歌い上げていきました。


ツィメルマンとリハーサル

ベルリンフィルとピアニストのツィメルマンとの初練習で。ショパンコンクールを優勝して、いよいよ初めてカラヤン&ベルリンフィルとの共演、曲はお得意のショパンの第2番、ツィメルマンの気負いに対してカラヤンはちょっと不勉強、さらっと通し、今日はおしまいといったところで・・・

ツィメルマンはスコアー片手にすくっと立ち上がり、カラヤンに対しオーケストラが合わないところがあるから、もう一回やってくれといいました・・・
楽器を仕舞いはじめていた楽員の手が一瞬止まり、それならやろうというカラヤンの一言で、ベルリンフィルがツィメルマンから指摘された場所を再び演奏しました。

今度の演奏は完璧でした・・


カラヤン  「どうですか?」

ツィメルマン「結構です」
  
カラヤン  「音楽は言葉を使うと、どんどん悪くなる!」


カラヤンのこの言葉はとても印象的でした。
たしかにすばらしい音楽は、説明がいらない。私も指揮をしていて、気に入らなくて何度もくりかえし、いろいろ注文をつけると、かえって悪くなってしまうという経験をよくします。
http://www.music-tel.com/maestro/Maestro/Karajan.html


カラヤンが好きになった

友人の家で、結構前にBSでやったらしいカラヤン生誕100年だか90年だかの記念番組の録画を見せてもらった。そこで、噂に聞いていた恐竜のような声という(ひどいしゃがれ声なのだ)のを初めて聞いたのだが、そんなことよりも内容がえらく気に入った。最初に、内藤町にあったNHKのスタジオでベルリンフィルと録画したマイスタージンガー前奏曲を見せてもらった。

「つまらんだろう?」と訊かれたが、いやすさまじくおもしろい、と答えた。すべての楽器の音色がきわめて明瞭に聞こえてくる。ヴァグナーはこんな響きの音楽を作っていたのか。これは不思議だ。(1958年ころの録画だ)

その次に、ヴィーン交響楽団とのシューマンの交響曲4番のリハーサルを見た。これが抜群だった。

たとえばこんな感じのことを言う。

「そこは、本来ピアノでの演奏を意識していたはずのフレーズです。ターンタターですからね。でもそれを弦でやろうとしているせいですごく難しいのです。弦楽器固有の撥音を抑えて演奏する必要がありますね。

余談ですがリヒャルトシュトラウスが指揮をしていたらフレーズを変えてしまうはずです。でもそうはいかないからもっとレガートにもう一度やってみましょう」


おーなるほど。カラヤンレガートというのはこういうのに由来するのかというくらい、レガートを連発する。


「ちょっと待ってください。ここでは第一ヴァイオリンとフルートが同じフレーズを演奏するわけですが、君たち、今フルートが聞こえましたか?

(楽団員首を振る)

ヴァイオリンはもっと指板に近いところを押さえて演奏してください。それによって倍音が抑えられてフルートの音が入ってくるはずです。ではもう一度やってみましょう」

おー、確かにフルートの音色が混ざって聞こえる。これは素晴らしい。

「そうです。今度はフルートの音が聞こえましたね(楽団員うなずく)」

このリハーサル風景を見て一発でカラヤンが好きになった。そしていろいろな情報が整理されて腑に落ちた。

カラヤンは位置としては新古典主義(楽譜に忠実)の完成者なのだ。しかも、それまでの指揮者ががーっとやってぱーっとやってそこでがんがん、ここでさわさわみたいなやり方をしていたのに対して、どう演奏すればどう聞こえるからここではどうすべきかということを理詰めで説明し、かつフィードバックをきちんと与えることができる。

楽団員はプロフェッショナルだから、技術に落とし込まれて説明されればそれを再現できるし、その効果が明らかならその正しさを理解できる。論理と実証が常にペアで廻って音楽を構成する。

逆に、このリハーサル風景を見て、なんか理屈をこねくりまわす技術屋(=芸術をないがしろにしている)と捉えた連中がカラヤンを悪く言っていたわけだ。

カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書) 中川 右介
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/4344980212)


(この本にも、とにかくリハーサルを繰り返すだけのチェリビダッケに対して、カラヤンのリハーサルはボウイングについての的確な指示を出すものだったことが書かれていた)

するとその後のどたばたもある程度は見えてくる。

おそらくカラヤンは1950〜60年代までは(特にヴィーン交響楽団は2流なので細かく指示をしているのだろうし、録画されていることを意識しているはずだが、それでも普段とそれほどは違わないと仮定して)、ベルリンを含めて、楽団員にとっては理論的な説明によってきわめて斬新的でモダンでありながら、伝統的な(ということが実は新古典主義の目標であるわけだし)音楽を引き出す指揮者としてありがたかったのだろうし、お互いにドイツ零年以降の音楽を作り出す同志であったのだろう。

だが、いつまでもそういうスタイルのリハーサルはできないはずだ。というのは、オーケストラは組織である以上、メンバーの入れ替わりはゆっくりだ。だが、すでに同志として結ばれた楽団員が多勢を占めている間はうまくやれる。すでに知っていることをさらに教えても意味がないし、かっては斬新であったものは普通の伝統芸になっているわけだ。

それが1970年代以降になると、音楽学校で最新の技術を習得して入団してくる演奏家が増えてきて、当然、同志たちは退団していく。そうなったとき、技術的指導者として君臨してきたカラヤンの王座が揺らぎ始めてきて……ということなのだな。

カラヤンの傑作に新ヴィーン学派の作品集がある。


新ウィーン楽派管弦楽曲集

 シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5
 シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲作品31
 シェーンベルク:「浄められた夜」作品4
 ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
 ベルク:叙情組曲からの3つの楽章
 ウェーベルン:管弦楽のためのパッサカリア作品1
 ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章 作品5(弦楽合奏版)
 ウェーベルン:6つの管弦楽曲作品6
 ウェーベルン:交響曲作品21

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
http://www.hmv.co.jp/artist_-%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%90%E3%82%B9_000000000035192/item_%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E2%88%92%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E9%9B%86%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%8F%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3_296642


Arnold Schoenberg, Transfigured Night Op. 4 (1899)




Schoenberg : Variationen für Orchester




Alban Berg : Lyric Suite - Karajan




Berg 3 Pieces for Orchestra, Op.6 Praeludium (Prelude)




Webern : Passacaglia Opus 1 - Karajan*




Webern: 3 movements op 5 - Karajan




Webern : 6 pieces for orchestra - Karajan*




これは本当に玄妙にして明解、あー、ヴィーン学派はおもしろいなぁと感じる作品だが、これを作ったときは、久々にかってやったような指導ができたのだろう。それまではばらばらでつながりも脈絡もない音が意味を持ち、つながりを持ち、音楽として構成される、そういうおもしろさを楽団員は堪能したと思う。

同じように、カラヤンの耳と演奏技術や音響についての知識が、録音技術にどれだけ貢献したかについても想像できる。また、それが音楽の技術的側面を無視する愚かな連中の憎悪を駆り立てることになったかも想像できる。

というわけで、まったく間違いなく20世紀中期においてカラヤンは偉大だったのだ。少なくともおれは技術屋だからカラヤンの偉大さを認める必要はある。

でも、田園を聴くとしたらフルトヴェングラーとウィーンなんだけどね。
http://www.artonx.org/diary/20111106.html


うーん、要するにカラヤンは自分では楽譜を忠実に音化していると思い込んでいたんですね。 惜しむらくはアルメニア人だったカラヤンはゲルマンの伝統を何一つ知らなかったし、ドイツ精神もドイツ音楽も全く理解できなかった。

ただカラヤンはピアノ調律師的な聴感と音のセンスだけは掛け値なしの天才だったので音楽がわからない楽員を驚嘆させて高い地位と人気を得た。さらに容貌もドイツ人とは全く違ってエキゾチックでスマートだったので、ミーハー女性に人気を博した。

しかしドイツ音楽の伝統を完全に無視したカラヤンのスタイルで楽譜に書かれた音符だけを忠実に音化すると、どんな深い曲でもみんなムード音楽になってしまうんですね。そして当然の事ながら本物がわかる音楽ファンからはそっぽを向かれてしまった。 そういう事でしょう。

何れにしろ、カラヤンが真剣に努力すればする程 音楽の本質から離れていくというのは間違い無いですね。
4. 中川隆[-13335] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:23:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1569] 報告
「レブレヒトの嘆き」ークラシック音楽は死んだのか? 7.23.2007
http://www.fugue.us/AboutNL_LifeandDeath.html


ノー マン・レブレヒト(Norman Lebrecht)は、Maestro Mythなどの挑戦的な著書で有名になった評論家で、日本でも数冊の本が出ています。音楽ビジネスによるクラシック界の腐敗について書き続けています。素 材の選びかたに主観が強く、誇張はやや多いものの、なかなか面白い視点を持つ作家だと思います。彼は今も、記事や論説を通じ、現代の音楽業界のあり方に警 鐘を鳴らし続けています。

最近、彼の「Life and death of classical music」という本を読みました。

この人の英語はあまり読み易いものではないのですが、メジャーレーベルがいかに凋落していったかが克明に記されてお り、なかなか面白い本になっています。本の後半部に、「100 milestones of the recorded century」と、「20 recordings that should have not been made」という章があります。前者は、グールドのゴルドベルク変奏曲やリパッティのワルツ集などの定番に加え、コリン・デイヴィスの幻想交響曲、マリ ナーの「四季」など、イギリス人以外には理解できないような選択も多くあります。グラモフォン誌と同じく、イギリス人の自国趣味というのは誰でも相当なも ののようです。


「クラシック音楽は死んだ」
http://uk.reuters.com/article/lifestyleMolt/idUKL2628257720070426

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601088&sid=aaC_hhclBSlI&refer=home

レブレヒトは、「THE LIFE AND DEATH OF CLASSICAL MUSIC」や、上の論文でも、アンドレア・ボチェッリらが100万枚も売れ続ける現状を憂え、「クラシック業界は死んだ」と言っています。「10年前、 6つのメジャーレコード会社から、700の新譜が出たのに、3つのメジャーから今は100も出ない。それも半分はクロスオーヴァーや映画音楽だ」と言って います。

彼 のあげた数字がどれだけ正しいかは置くとして、たしかに、例えばドイツ・グラモフォン(DG)一つとっても、70-80年代の勢いの残滓さえ感じることが できません。あの会社から、20-30年前の音源に内容で対抗できる魅力を持つ新譜が、はたしてどれだけでているでしょうか。レコード市場の飽和、巨匠時 代の終焉、実力不足のアイドルの起用、そしてmp3音楽ファイルの登場.............。いろいろな理由で、DGを始めとするメジャーがかつて のブランド力を失う材料が揃っています。レブレヒトの悲嘆は全く根拠なきものではありません。

メジャーレーベルもかつては野心的なプロジェクトが多くあったのです。ショルティ/カルショー/デッカの「指輪」が一例です。しかし、今やメジャーはリス クを怖れ、アイドル路線、無難なプロジェクト、それとフルトヴェングラーやカラヤンらの音盤の復刻しか興味がなくなってしまったように見えます。巨大な油 田を持つが故に近代化のチャンスを逃し、競争力と適応能力を失ってしまった中東国家のようなものです。

もちろん、このような状況を招いたのは、アーティストとプロモーターの側にも大きな責任があります。レブレヒトが「Maestro Myth」で指摘したように、アーティストの報酬は50年前とは比べものになりません。1955年の厳冬、デッカがシュトラウスの「影の無い女」を全曲録 音した際、指揮者のベーム、歌手、ウィーン・フィルの面々は無報酬で良いから、と、無名の大作の録音を躊躇するデッカを説得し、経費節減のために暖房さえ 止め、各幕ワン・テイクで録音したと言われています。まだ、アーティスト達の熱意と判断でそういうことができた時代でした。しかし、音楽がビジネスとな り、アーティストが商品となった今は、そんなことは不可能になっています。実際、同じデッカが、40年後に「影の無い女」をショルティらと録音した時は、 数億円という、録音歴史上でもっとも高額なセッションとなってしまいました。世界中の歌劇場を飛び回るようになったスター歌手をセッションに縛り付けてお くことの難しさ、ギャラの高騰といった問題は、80年代以降のオペラのスタジオ録音を非常に難しいものにしています。

それでも、私は、彼の「クラシック音楽は死んだ」という意見に同調しているわけではありませんし、彼の視野の狭さ、保守性に驚きさえ感じています。その理由を三つあげていきます。


1) インディーレーベルの台頭

レブレヒトが議論をしていない事が一つあります。マイナーレーベルの台頭です。

リスナーの興味の多様化に伴い、かつてなら歯牙にもかけられなかったようなインディーレーベル、ECM、BIS、Chandos, Naxos等から、多くの質の高い録音、興味深い企画の録音が出て、しかもそれが売れるようになりました。特に、メジャーの弱点とも言える北欧や東欧の音 楽、近代フランス音楽、現代音楽での躍進が顕著です。例えば、昨年暮れ、BISが出してきた「シベリウス全集」なども、特筆すべき企画でした。シベリウス のほとんどの作品を収めた13枚組が数千円、しかも、第一級の演奏、録音ばかりで、海外版でありながら、解説書には日本語の文章まで含まれていました。今 のメジャーに、ここまで消費者重視の姿勢が取れるでしょうか。そして、メジャーが同じ企画を同じ値段で出したとして、果たしてBISの全集の魅力と内容を 超えることができるでしょうか。もはや勢力地図が20年前とまったく変わってしまっているのです。レブレヒトのような地位にある人物がそういったことに全 く気づいていないとすれば、これほど不思議なことはありません。

TIMESも、「レブレヒトの主張には穴がある」と、インディーの隆盛を指摘しています。

http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/music/article1710177.ece

これによれば、昨年一年で、ナクソスは、238種のCD、700万枚を売っているそうです。しかし、周知のように、ナクソスの地位は一夜で出来たわけでは ありません。彼らが登場した時、私を含めてほとんどの人がナクソスを馬鹿にしていました(レブレヒトのナクソスに対する文章を読む限り、彼はいまだにその 偏見から抜け出せていないようです)。ナクソスの社長はこう述懐しています。

“We don't have to make money on everything so we do a lot of crazy projects -- the complete Pend-erecki, or the Naxos Quartets [by Peter Maxwell Davies]. But at the end of the day we have to make a profit, and although in the early days I subsidised it from other businesses, in the last five years I've had to live on Naxos and I do live very comfortably."

ナクソスの今の成功の裏には、英グラモフォン誌の強力なバックアップ、宣伝効果があったことは否定できません。しかし、それだけでなく、彼らは実際、数多 くの挑戦的な試みを行って来たのです。「日本人作曲家シリーズ」「シベリウスピアノ作品全集」「スクリャービンピアノ作品全 集」..............なかには質に問題のあるものもありましたが、いまでは曲の代表的な録音となったものも数多くあります。ニレジハージの録 音復刻に興味を示しているのも、今はそういったインディーレーベル達です。常に野心とチャレンジング精神を持つレーベルが多くある以上、「クラシック音楽 が死ぬ」ことは当分ないでしょう。


2) マルチメディアの発達

今は、DVDで、デジタルトランスファーされた映像のオペラのライヴ録音が安価に楽しめるようになりました。未発表の映像が毎月のように発表されていま す。この分野は発展途上で、例えば、リヒャルト・シュトラウスの「無口な女」「ダフネ」、アストル・ピアソラの「ブエノスノス・アイレスのマリア」と言っ た作品の映像が出る余地が残っています。また、既に映像を前提とした舞台作品も登場し始めています。小沢征爾と、「ライオン・キング」のジュリー・テーモ アの共同プロダクションによる、ストラヴィンスキーの「オイディプス王」などはその好例で、映像作品としてもきわめて高いレベルに達しています。

マルチメディアの発展も明るい材料です。雑誌や本にCDがつくことも珍しくなくなりましたし、当サイトのように本と連動させたサイトもあります。そして、 コンピューターの普及により、スクリャービンらのマルチメディア・アートを家庭で再現させることも不可能でなくなっています。Teldecから出たアーノ ンクールのモーツアルトの「レクイエム」の新録音も良い企画で、モーツアルトの自筆譜を見ながら演奏を聴ける、という興味深い趣向でした。こういった手法 を、若手演奏家の録音を出す時にどんどん使えば、過去の音源にはない魅力を与えることができるでしょう。ワーグナーの楽劇のライトモチーフの提示など、大 きな効果を発揮するはずです。楽譜だけでなく、サブ音声に演奏者によるコメントを収録するのもいいでしょうし、ファイルが重ければインターネットにサブ音 声や字幕を置いて、音声と連動させてもいいでしょう。少し前に、ジョイス・ハットーの捏造騒動がありましたが、その発想を逆手にとって、他人の演奏のリ ミックスで新しい演奏、モンタージュを作ることを目的としたCDがあってもいいでしょう。


以上の二点を考えてみても、決して、「クラシック音楽が死んだ」のではないのがあきらかでしょう。「60-80年代のメジャー・レコード会社主導方式の音 楽ビジネスが死んだ」だけの話なのです。レブレヒトは、カラヤン時代の音楽ビジネスの腐敗を追求しつづけるあまり、現代の最前線の動きを見失ってしまった のでしょうか。あるいは、彼が批判し続けた古い時代のシステムにノスタルジーを感じるようになってしまったかのでしょうか。もし後者だとすれば、これほど 皮肉なことはありません。


3) クロスオーヴァーは創造に欠かせぬもの

レブレヒトの悲嘆の理由の一つとして、「クロスオーヴァーと映画音楽がはびこっている」ということがあります。これは、私がもっとも同意できなかったことの一つでした。

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=aRcHjdWG_06U

このコラムでは、メゾソプラノのフォン・オッターが、DGから出したアルバムの数トラックに、自らが愛してやまないABBAの歌を入れていたことについて嘆いています。

"I'm not doing Benny's songs for a commercial reason," insisted Von Otter when I talked to her soon after the sessions in 2004. "No music makes me cry as his does -- like pushing a stupid button."

Her protestations notwithstanding, the refined trills of one of the finest Monteverdi and Handel singers of the day -- she performs "Theodora" in Paris and London this month -- are as wasted on the trivial ABBA ephemeral titles as a Michelin-starred chef would be in a drive-in McDonald's. What this dross is doing on Deutsche Grammophon, which the conductor Herbert von Karajan led to world classical dominance, is a matter for the conscience of a few senior executives at Vivendi SA's Universal Music Group, the yellow label's U.S.- based owner. They are dumbing down the musical content and quality faster than a Lang Lang piano prestissimo.

最高のモンテヴェルディやヘンデル歌手であるオッターが、DGで「とるにたらぬ」ABBAを歌うことは、「ミシュランのスターシェフがマクドナルドのドラ イヴインにいるようなもの」............この言葉に、クラシック音楽至上主義、メジャー・レーベル至上主義、というレブレヒトの保守性--- -しかも中途半端な保守性----がよく表れています。しかし、当のオッターが、「コマーシャル目的ではありません。(ABBA)の音楽ほど自分を泣かせ るものはないの」、と言っていることは、彼にはさして重要ではないのでしょうか。1920年代、ニレジハージがリストや、当時のポップスを弾いたことで非 難され、プログラムの改変を迫られたのです。まして音楽ビジネス隆盛の現在、ほとんどのアーティストは自身の録音内容を自分で決定できる状況にありませ ん。そのような中、数曲とは言え、オッターが、本当に歌いたい曲を録音したこと.........これは本当に素晴らしいことではないでしょうか。

クラシック界がクロスオーヴァーや映画音楽に手を出す事は、決して非難されるべきことではありません。モーツアルトもヴェルディも、かつて、大衆を十分に 意識したポップスミュージシャンと言える存在だったのです。モーツアルトの「後宮からの誘拐」など、オペラ全体が巨大なクロスオーヴァーとも言えます。も ちろん、安易なクロスオーヴァー、例えば、どこかの国のように、レコード会社にのせられたアイドル音大生が、甘ったるいアレンジで「イエスタデイ」を演奏 するようなCDばかりが氾濫するようなのは問題でしょう。しかし、演奏家達が、同時代の大衆音楽の作家を真摯に選び、それに取り組むのであれば、それは本 当に歓迎すべきことなのです。そして、現代音楽が魅力を失い、過去の大作曲家の作品が軒並み録音された今、演奏家達が大衆音楽や民族音楽に目を向けるの は、全く自然の流れなのです。ピアソラ作品がメーンストリームに躍り出、彼の自作自演盤に大きな注目が集まったのも、90年代のギドン・クレーメルやクロ ノス・カルテットによるクロスオーヴァーがあったからです。前述の小沢征爾とテーモアによる「オイディプス王」にしても、ミュージカル、モダン・ダンス、 オラトリオの優れたクロスオーヴァーでした。

レブレヒトのように、クロスオーヴァーを否定する態度こそが、クラシック音楽を博物館の陳列棚に押し込め、未来の発展の可能性を殺してしまうものなのでは ないかと危惧します。巷の音楽愛好家ならともかく、彼のように多少なりとも影響力のある人物は、時代の流れを正確に見極める眼と、より慎重な判断をもって 発言すべきではないでしょうか。

http://www.fugue.us/AboutNL_LifeandDeath.html

5. 中川隆[-13334] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:25:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1570] 報告
音楽家の経済学 2017.11.01
筆者:弁理士 石井 正

オーケストラの場合

 クラシック音楽を好む人は多いようで、筆者もその一人です。定期演奏会にはこの30年間、毎月通っています。そうした演奏会で音楽を聴きつつ、その経済を考えることがありますが、冷静にオーケストラ、すなわち楽団の経済を考えると、それはまことに厳しい状況にあることだろうとみています。通常、楽団には100人程度のメンバーが所属し、そこに広報などの裏方の仕事をする人が30人くらいはいるでしょう。演奏に係わる方、裏方に係わる方のそれぞれの人件費は普通のサラリーマンとほぼ同じ程度ですから、全体の人件費はおよそ想像することができるでしょう。

ところが演奏会のチケット収入を考えると、S席が7500円、最も安いC席が3000円としても、普通のコンサート・ホールでは、1回の演奏会の収入はせいぜい1000万円に届くか届かないか程度です。一方で経費は大きいのです。指揮者や独奏者に支払う出演料が数十万円から数百万円、会場使用料が150万円、広告費負担が大きく、また現代音楽の場合には著作権使用料も支払わなければなりません。結局、演奏会のチケット収入が楽団に貢献するのはその半分程度ということになるでしょう。そうなると演奏会を年間に200回行っても楽団メンバーの人件費を賄うことは無理だということとなります。ところが実際の演奏会は年間にせいぜい100回程度なのです。

苦境を乗り切るために

 演奏会の収入だけでは到底、運営していくことができないため、楽団は何らかの公的な支援か、あるいは大スポンサーを探すこととなります。そもそも欧州の音楽の歴史を見ても、貴族達の支援があって演奏家の生活が成り立っていたことを考えれば、そうした大スポンサーに頼るということも自然なことなのかもしれません。しかし楽団にも様々あって、著名な歴史ある高水準の楽団ならば、スポンサーも支援するでしょうが、その逆であれば、容易ではありません。米国の地方都市にある楽団は、80年代から90年代にその活動を停止したのが多くあります。1986年に活動停止したオークランド管弦楽団もその一つです。他方、サンディエゴ交響楽団の場合は、一度倒産の危機に瀕したのですが、IT企業の経営者からの130億円の寄付によって再建されたのです。米国の楽団の音楽監督の役割の一つは大口寄付者に対する高水準のサービスであると言われますが、それも無理もないことなのでしょう。日本の多くの楽団も国や地方公共団体からの補助金、賛助企業からの寄付金等によってなんとか維持されているのが現実です。

天才は別の次元

 音楽の世界の不思議なところは、楽団が厳しい経済状況に直面し、楽団メンバーがせいぜい普通のサラリーマン程度の所得しか得られないのに対して、天才と評価される著名指揮者や演奏家は全く別の次元の所得を得ているという現実なのです。しかもそれは20世紀に入ってから顕著となり、またそうした天才的音楽家を各楽団に仲介するエージェントによって現実化したのです。

 クラシック音楽の場合、世界のトップクラス、すなわち約100名程の天才はそのほとんどが音楽マネジメント会社CAMI社に所属し、巨額な報酬を得ることができます。このCAMI(コロンビア・アーティスト・マネジメント)社は、2015年に亡くなったロナルド・ウイルフォードが作った国際的音楽マネジメント会社で、知る人ぞ知るまさに特別な会社です。ウイルフォードは長くクラシック音楽の世界で、特にコンサートに関わる世界トップクラスの音楽家のエージェントをしてきました。彼の仕事はコンサートに出演するピアニストやバイオリニスト、それに指揮者や歌手等の出演交渉や出演料の交渉でしたが、彼のすごさは、世界の真の天才と交渉しながら、すべてと代理人契約をしていったことなのです。

(詳しくはNORMAN LEBRECHT “THE MAESTRO MYTH : GREAT CONDUCTORS IN PURSUIT OF POWER”邦訳はノーマン・レブレヒト「巨匠神話」文芸春秋社、1996年)


ロストロポービッチもカラヤンも

 ウイルフォードが仲介した天才の名前を列記すれば、亡き天才チェリストのロストロポービッチ、ピアニストのポリーニ、ミケランジェリ、歌手のホセ・カレーラス、指揮者ではカラヤンをトップにムーティ、アバード等々。もちろん小澤征爾もそうでした。小澤が世界の小澤になり得たのはウイルフォードの傘の下に入ったからだと言われています。世界の天才的音楽家はすべてウイルフォードとエージェント契約をし、ウイルフォードは世界各地のコンサートホールやオーケストラと契約交渉をしているのです。彼は世界のどこのオーケストラに対しても交渉のポジションが圧倒的に強く、彼の交渉条件を断るオーケストラはありません。もしも断るのであれば、ウイルフォードは次は誰も紹介しないからです。その結果、CAMIに所属する指揮者の出演料は巨額なものとなっていきました。1回の公演でおよそ5万ドル程度、年間契約した場合には100万ドルを超すのが普通となります。亡きカラヤンの場合、1回の公演で30万ドルという驚くような高額な契約もあります。他のCAMIに所属する指揮者や演奏家もウイルフォードの交渉によって巨額の出演料を獲得することとなったのです。

 オーケストラのメンバーの年間収入は決して多くありません。天才指揮者が一回の演奏会で得る収入が、オーケストラのメンバーの1年間の収入と同じかそれ以上となる皮肉な状況となるわけです。天才に対する報酬の難しい面であり、特殊な経済学となりますね。

https://www.fukamipat.gr.jp/discusses/217/

6. 中川隆[-13333] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:27:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1571] 報告

音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も

2018.10.20連載篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」
音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も
文=篠崎靖男/指揮者
https://biz-journal.jp/2018/10/post_25188.html


 厚生労働省が発表した8月の有効求人倍率は、1.63倍。日本人の勤勉さをもってしても、よくここまで日本が持ち直したものだと思います。バブル崩壊後の1993年から2005年までの13年間、リーマンショック後の2008年から2013年までの6年間は、有効求人倍率1倍を割っていたわけで、その時代に就職活動をしていた方々は、本当に大変な思いをなされたと思います。転職なんてとんでもない時代でもありました。特に1999年には求人倍率0.48倍を記録。その年を挟んで前後数年間は、2人に1人しか就職できない状況だったわけです。

 一方、オーケストラの就職事情に目を向けてみると、世界のどこを見まわしても、求人倍率0.48倍などという“素晴らしい時期”はなかったことでしょう。最初に答えを言いますと、0.01倍にも届かないのが実情です。9月3日付本連載記事でも少し触れましたが、たとえばヴァイオリンひとつとっても、日本全国42校ある音楽大学から、毎年ものすごい数の卒業生が生まれてきます。そんな彼らに対して、日本にはオーケストラが36団体しかないうえに、各オーケストラのヴァイオリンの求人は毎年、数名程度あるかどうかなのです。オーケストラによっては、募集がまったくない年もあります。しかも、卒業して何年もオーディションを受け続けるので、著名オーケストラともなれば、たった1名の求人に対して200名以上の候補者がオーディションに押しかけて椅子を奪い合うということも珍しい話ではありません。

 この背景には、細分化された専門職集団というオーケストラの特異性があります。オーケストラは大きく、弦楽器、管楽器、打楽器、そしてハープやピアノに分けられます。たとえば管楽器では8種類あります。そのなかで一番高い音を演奏するフルートの定員は、オーケストラの規模にもよりますが、通常2名から3名程度です。それもまた、首席奏者と2番奏者に分かれます。こう聞くと、多くの方は「2番奏者としてオーケストラに入って、経験を積んで首席になるのだろう」と思われるかもしれませんが、そうではありません。ソロが多い首席奏者のほうが給料は高いことは確かですが、2番奏者も首席奏者とは違う特別な技術が必要となる専門技術者なのです。首席奏者も2番奏者も、同じ楽器でありながらオーディションは別に行われます。

 そして、当然のことながら、フルート奏者はフルートしか演奏しないので、仮にトランペットやヴァイオリン、クラリネットの求人がたくさんあったとしても、フルートに空きがなければ、その年の就職口は閉ざされてしまいます。

オーディションに受かった後にも困難が待ち受けている

 このように常に就職難の状況なので、海外のオーケストラのオーディションを受けて、日本から離れて活動をしているオーケストラ奏者も数多くいます。もちろん、留学をして当地のオーケストラのオーディションを受けた方々が多くを占めているので、日本のオーケストラが就職難だから海外で就職というケースは多くありませんが、北はフィンランドから南は南アフリカまで、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国と、どこのオーケストラに行っても、大概は日本人奏者に出会います。

 では、海外のオーケストラのほうが就職口は多いかといえば、そうではなく、事情は日本とまったく同じです。やはり、誰かが定年退職したり、途中退団してくれないことにはポジションが空きませんし、運よく空いたとしても何十人、何百人もの若い音楽家がオーディションに押し掛ける点では同じなのです。しかも近年、ヨーロッパではビザの申請基準が厳しくなっており、外国人が職を得ることが本当に難しくなってきました。

 さて、オーディションに運よく受かったとします。しかし、「もう一安心。家族親戚にも胸を張って会える」かといえば、そうではありません。ここからが本当の勝負となります。それは、1年間の試用期間です。その期間中は、実際に仕事をしながら、ずっと周りの楽員に審査をされることになります。若い奏者は経験もありませんし、そのオーケストラ独自のやり方を習得するだけでも大変なのに、これまで演奏したことのない新しい曲が毎週、押し寄せてきます。なんとか最初の2、3カ月はこなせたとしても、1年間はとても長く、そこでボロを出してしまうことも多いのです。それをすべて乗り越えたのち、最後にオーケストラの同意を得て、やっとプログラムにも正団員として名前を載せてもらえることになります。残念ながら、その試用期間を通ることができなかった奏者を、僕もたくさん見てきました。

 皆さん、「オーケストラの楽員って、大変だなあ」と思われたと存じます。僕も心からそう思います。しかし、少しは良いことがあります。僕がロサンゼルス・フィルハーモニックの副指揮者をしていた時に、当時のフルート首席奏者であるジャネット・ファーグソン氏が、こう話してくれました。

「私の主人は、ウォルト・ディズニーで仕事をしているの。良い仕事だけど、半面、いつリストラされるかわからない。だから、オーケストラ奏者のほうが安定しているのよ」

 僕はなるほどと、思いました。アメリカのオーケストラは、音楽監督(指揮者)が絶大な力を持っており、奏者をクビにできるほどの権利があるけれども、音楽家組合が強いので、実際にはできません。

 日本のオーケストラでも就職するのは大変ですが、よほどのことがない限り、リストラの心配はありません。オーケストラには一般企業とは違う根本的な理由があるからです。たとえば、いくら経済状態が悪くなっても、「この経営危機を乗り越えるために、フルートは1人だけにしよう。トランペットはなし」といったことはできません。ひとつでも楽器が欠ければ、作曲家の楽譜通りには演奏できなくなります。つまり、オーケストラは全体が一蓮托生といえるのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

●篠ア靖男

 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。

 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。

 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。

 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。

 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

7. 中川隆[-13332] koaQ7Jey 2020年3月25日 10:41:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1572] 報告

カラヤンとナチについてちょっとだけ考えたこと 2007-08-19

テレビでは終戦の日をはさんで、色々と戦争を主題に色々な番組をやっている。特にスカパー!のドキュメンタリーなどのチャンネルではそれが著しい。

考えなくてはならないし、忘れてはならないことだと思う。更に現在進行形でイラクなどのことについても考えていたいと思う。

さて、広島に原爆が落とされた日に、産経新聞にあったカラヤンとナチスのことについての記事を読んで、またまた考えてしまった。

ナチスと関係があったことを戦後問題となった音楽家は数多い。カール・ベームやクレメンス・クラウス、ヴァルター・ギーゼキング、ウィレム・メンゲルベルク、アルフレッド・コルトー、ヴィルヘルム・バックハウス等々、大変多い。

権力を持つナチスに対して、おおっぴらに反対したりしなかった、あるいは協力したからと言って、その後追放したり、烙印を押してそれらの個人に対する反対運動を煽ったりすることは、私は大変違和感がある。

権力者が犯した過ちを、犯罪を、それと知らなかったただの取り巻きにまでその責任を問うというのは「正義」という剣の振り回しすぎに思われるからだ。

ナチはホロコーストをはじめ数多くの人道に対する罪を犯したことは間違いない。だからそれに反対しなかったからといってそこにいただけの人々も罪に問うのであれば、スターリンに追随した人々や、スペインのフランコ政権に追随した人々も同じように社会から追放するなどの制裁をしなくては公平ではないと思うからだ。

最近、プーチンがソ連は「ナチスのような虐殺もしていないし、アメリカのように無差別に民間人相手に原爆を落としたりしていないから、それほど酷くはなかった」とうそぶいているそうだ。アメリカは反論でないだろう。けれど、こういうのを五十歩百歩というのだけれど…。

戦争だから、そして我が国は、ドイツは負けたから一方的に叩かれたということなのだろう。ただ、私はどこかの辞めた大臣のように「しかたがない」と言ってすます気にはなれないでいる。

チスの蛮行はどうしても許せないが、その蛮行と直接関係のないところで、音楽を演奏したということが非難されるとしたら、当時ドイツに住んでいたことだけでも人道に対する罪であると言っているようなものではないか?

当時、ドイツにいた音楽家たちに対して、ナチとの関係を戦後も問い続け、その演奏するベートーヴェンやブラームスにナチの影を感じるとなれば、一体…。

イスラエルでは今でもワーグナーはタブーだと聞いたけれど、実際はどうなのだろう。確かにホロコーストで災難に遭われた人達が、そのことを思い出させるものとしてワーグナーがあるので辞めて欲しいと言われることについてはよくわかる。その思いを傷つけてまでワーグナーをユダヤ人の国で演奏する必要はないと思う。
しかし、正確を期すために言わせていただければ、ワーグナーがナチであったことはない。アメリカに亡命したというワーグナーの娘たちは反ナチであった。ただワーグナーの音楽をヒットラーが好み(大好きだったのはレハールなどであったそうだが)その音楽を利用したからであろう。ワーグナーの音楽はナチのプロパガンダ放送のテーマ音楽として、ヨーロッパでは有名だった。更にバイロイト音楽祭はナチスの保護のもとで戦争中も隆盛を極めていた。

しかし、だからワーグナーはナチスと何の関係もない。ヒットラーが生まれる前にワーグナーは亡くなっているのだ。

カラヤンの演奏にナチの響きを感じるというのは…。確かにカラヤンはナチの党員だった。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがナチだと言って非難する者もいるが、彼がナチであったことは一度もなかった。戦争中にドイツに留まったことが、ナチスであるという非難に繋がっているようで、ナチスのプロパガンダに利用されていたことも事実だろう。

だが、彼はユダヤ人の収容所の番人でもなかったし、殺したわけでもない。どうして亡命しなかったのかと非難しつづけた人々が、亡命しない=ナチスであるという極めて単純な思いこみにあるように思う。

彼よりずっと若く、これから成功への階段を駆け上がろうとしていたカラヤンが、その成功のためにナチの党員証を持つに至ったとしても、私には理解できるこどもある。ナチを肯定していのではないので、誤解のないようにしてほしい!!

音楽は抽象的な言葉である限り、権力に利用されるものであるのだろう。そして、カラヤンにナチを感じるという人に「それは間違いだ」とまで敢えて言う気はないけれど、「音がそんな政治的メッセージやイデオロギーを持つなんてちょっと考えられないけどねぇ」とつぶやくこととしよう。

山田耕筰の「かちどきと平和」を聞いて、戦意高揚の音楽だと非難するような愚かなことだけはしたくないものだ。ちなみに「かちどきと平和」は1912年の作品で、第一次世界大戦前の作曲である。富国強兵の時代から大正デモクラシーへと移る時代の音楽。だから「平和」であったのだと私は思う。

https://suisse.exblog.jp/6758164/

8. 中川隆[-13326] koaQ7Jey 2020年3月25日 15:34:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1578] 報告

ヘルベルト・フォン・カラヤン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3

ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)は、オーストリアの指揮者。

1955年より1989年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、多大な影響力を持つに至った。20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりであり、日本では「楽壇の帝王」と称されていた。また、その独自の音楽性と自己演出は「カラヤン美学」と謳われ時代の寵児にもなった[2]。

カラヤンは1908年にザルツブルク州のザルツブルクで、騎士 (Ritter) の子として生まれた。兄のヴォルフガング・フォン・カラヤン(ドイツ語版)(1906年 - 1987年)も後に音楽家になっている。

先祖は東ローマ帝国に仕えたギリシャ人のカラヤニス家(Karaiannis, Caragianni)の出身であるといわれているが、ギリシャ化したアルメニア人(スラブ系マケドニア人の説もあり)だという説もある。

カラヤンのカラはテュルク語で「黒」を意味するが、バルカン言語地域ではその語は存在しない。アルーマニア人(中世の東ローマ帝国時代にギリシャ北部、マケドニアなどの山岳部に住んでいた、ラテン語系統の言語を話す少数民族。ヴラフ人とも呼ばれ、ルーマニア人の先祖ではないかともいわれる)の子孫という説もある[3][4]。

高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは現在のギリシャ共和国のコザニに生まれて1767年にウィーンへ向けて出発し、最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住した[5][6]。ゲオルク・ヨハネスは兄弟と共にザクセンの服飾産業の世界で成功し、フリードリヒ・アウグスト3世に仕えて1792年6月1日に爵位を受け、貴族の称号である「フォン」を添えてvon Karajanという苗字になった[7]。


7.^ http://www.karajan.co.uk/family.html


ヘルベルトの母方はスロヴェニア人の家系であり、民族的にはスラヴ人の血を引いている[8]。カラヤン自身は、自らがオーストリア人であることを強く自認していた。

出生名はHeribert Ritter von Karajan(ヘリベルト騎士フォン・カラヤン、騎士ヘリベルト・フォン・カラヤン)だが、1919年、オーストリア・ハンガリー帝国の終結に伴う貴族制度の廃止により「騎士」「フォン」が外され、以降のオーストリアでの公式名(官公庁の証明書など)はヘリベルト・カラヤン(Heribert Karajan)(母音のiが入るのはスロヴェニア系の特徴)。

芸術活動を行う上でカラヤン自身が出生名(フォン入り)にこだわり、芸名(芸術家名)として「ヘルベルト・フォン・カラヤン」(Herbert von Karajan)を名乗ることを官憲に認めさせた経緯がある。

ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院とウィーン音楽院で学んだ後、親の買い上げたオーケストラによりザルツブルクでデビュー。ドイツのウルム市立歌劇場の総監督から誘いが来て、1929年に『フィガロの結婚』でオペラ指揮者として脚光を浴び、1934年には同国アーヘン市立歌劇場で音楽監督に就任した。1938年のベルリン国立歌劇場におけるヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌1939年にはベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位を得るとともに、イタリアのミラノ・スカラ座でオペラを指揮することとなった。

1946年、ウィーン・フィルとの第二次世界大戦後初の演奏会を前に、戦時中ナチスの党員であった[9] ことを理由に、ソ連の占領軍によって公開演奏停止処分を受けた。しかし、翌1947年には再び処分保留となった。

註9
1933年4月8日、ザルツブルクにおいて当時オーストリアでは非合法政党だったナチスへの入党手続きをとった。

ナチスの党員簿によると、最初の入党後カラヤンは行方不明扱いとされ、最初の党員番号は抹消されており、同年5月1日にウルムで再入党している。

当時のことを後年「私にとってナチス党員になることはスキークラブの会員になる程度の感覚だった」と述懐している。

戦後の非ナチ化審理の際、カラヤンは1935年、アーヘン市立歌劇場のポスト就任と同時に入党と申告しているが、なぜ非ナチ化委員会でカラヤンの申告が不問にされたかは謎に包まれている。ただし、リチャード・オズボーン著の伝記では「戦後の時代に誤った情報が多く流された」とされており、議論の前提となる資料に多くの誤りがあったと述べられている。

1948年にウィーン交響楽団の首席指揮者、翌1949年にウィーン楽友協会の音楽監督に就任。また、イギリスのレコード会社EMIの録音プロデューサーのウォルター・レッグの元で、フィルハーモニア管弦楽団との演奏活動およびレコード録音も盛んに行うようになった。1951年、戦後再開したバイロイト音楽祭の主要な指揮者として抜擢される。しかし、翌年には音楽祭を主催するヴィーラント・ワーグナーと演出を巡って対立。この後、ヴィーラントの死後もバイロイトに戻ることはなかった。この時期ウィーンフィルおよびウィーン国立歌劇場とも断絶状態となっている。

1954年11月、ドイツ音楽界に君臨していたヴィルヘルム・フルトヴェングラーが急逝したことで、翌1955年にフルトヴェングラーとベルリンフィルとのアメリカ演奏旅行の代役を果たし成功をおさめ、この旅行中にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。戦後、フルトヴェングラーの死までカラヤンは同団の指揮台に2〜3回しか登場しておらず、急転直下の就任であった。

1957年には同楽団と初の日本演奏旅行を行う(カラヤン自身は1954年、NHK交響楽団を指揮するため単身来日していた)。日本公演ではワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「前奏曲と愛の死」やブラームスの交響曲第1番などが特に評価され、日比谷公会堂の客席からはすすり泣きさえ聞かれたという[10]。

1956年にはウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任。ベルリンとともに、世界の人気を二分する両オーケストラを同時にたばねることになり(しかも加えてミラノ・スカラ座でも重要な位置を占めていた)、このころから帝王と呼ばれ始める。残された録音が少ないために忘れられがちであるが、この時期を中心にウィーン交響楽団への登場も非常に多い。演奏会としてはフィルハーモニア管弦楽団の倍以上、150回に及び、これはベルリン・フィルに次ぐ数字である。特に同団とは姉妹関係にあるウィーン楽友協会合唱団との共演による声楽曲(バッハの「マタイ受難曲」やベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」など)やブルックナーがこのコンビの得意レパートリーであった。

ウィーン国立歌劇場のポストは監督のエゴン・ヒルベルトと対立し1964年に辞任。以後十数年、ウィーン・フィルとは一部のレコーディングとザルツブルク音楽祭のみでの関係となる。1950年代からはミラノ・スカラ座でも主要な指揮者として活躍していた(当初はドイツオペラ担当、のちイタリアオペラも指揮)。1964年12月17日にスカラ座での椿姫の上演が完全に失敗したため、以後スカラ座では「椿姫」の上演を封印することとなった(カラスの呪い)。このころから健康問題の不調に悩まされるようになりながらも、世界中でおびただしい回数の演奏旅行を行った。ウィーン離任後はベルリン・ドイツ・オペラにも一度登場するが、この関係は継続されず。以後彼のオペラ活動は歌劇場よりも音楽祭が中心となっていく。

1965年には映画監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーとともにコスモテル社を設立して、クラシック音楽の映像化事業にも着手している。1967年には、自らの理想に沿うワーグナーのオペラの上演をめざして、ザルツブルク復活祭音楽祭を始めた。1972年にはベルリン・フィルとともに3度のコンサートを行い、ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭をも創設し、自ら音楽監督に就任した。ベルリン・フィルがオペラのオーケストラピットに入るようになったのはこの音楽祭が契機となっている。1972年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団団員の養成を目的としたオーケストラ・アカデミー、いわゆるカラヤン・アカデミーを創設した。1982年、自身の映像制作会社テレモンディアルをモンテカルロに設立。ベートーヴェン交響曲全集をはじめとする、主要レパートリーの映像化にも着手した。

四半世紀にわたり、カラヤンとベルリン・フィルは良好な関係を維持したが、1983年、女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーの入団を巡り、加入を認めないベルリン・フィルと対立した。その激しい軋轢は新聞種にもなり、ベルリン・フィルの芸術監督辞任の噂もささやかれたが、翌年和解に至る(結局マイヤーは自ら退団)。晩年を迎えたカラヤンはこの騒動の後、ベルリン・フィルからの離反を強め、もう一つのヨーロッパを代表する楽団であるウィーン・フィルとの結びつきをより深めていくことになる。1988年、ドイツの雑誌『デア・シュピーゲル』は「お金の魔術師」というタイトルでカラヤン批判の特集記事を組んだ。その内容とは、コロンビア・アーティスト・マネージメントがカラヤンとベルリン・フィルの台湾への演奏旅行の条件として法外な出演料と、カラヤンとウィーン・フィルとの演奏フィルムの購入を台湾側に要求したというものだった。このスキャンダルに加え、カラヤンのベルリンでの演奏回数が減っていたという事情も手伝って、カラヤンへの批判が噴出した。ベルリン・フィルやドイツの野党からも退任を求める声が高まった。

翌1989年4月24日、ウィーン・フィルとの演奏会出演の翌日に、健康上の理由でベルリン・フィルの芸術監督と終身指揮者を辞任した。7月16日、当時ソニーの社長だった大賀典雄がカラヤンの自宅を訪ねた時、カラヤンは「左胸のあたりが調子悪いから、自宅の温水プールで泳いだ」と語った。大賀は、カラヤンに次世代のデジタルビデオ・カメラを出来るだけ早く納品する約束と、カラヤンがLDでの発売しか認めていなかったレガシー・シリーズの映像作品を8ミリのソフトで発売しないかという営業に来ていた。エリエッテ夫人がシャワーを浴びている時に、カラヤンが突然ぐったりとなり、大賀の腕に抱かれたまま心肺停止の状態になった。緊急のヘリコプターが呼ばれたが間に合わなかった。それは、カラヤンがDGからソニーに移籍する直前の死去だった。満81歳没(享年82)。

移籍に当たっては、そのテストケースとしてカルロ・マリア・ジュリーニを先にソニーへ送り込み、また「カラヤンの耳」とも喩えられたレコーディング・エンジニアのギュンター・ヘルマンスも送り込んでいた。

辞任したベルリン・フィルとの最後のコンサートは、ザルツブルク復活祭音楽祭でのヴェルディのレクイエム。生涯最後の録音と演奏会は、ウィーン・フィルとのブルックナーの交響曲第7番だった。カラヤンは逝去する前日にザルツブルク祝祭大劇場で、この年の夏のザルツブルク音楽祭でプレミエを迎えるヴェルディの歌劇『仮面舞踏会』のリハーサルを行っていた。この突然の死がなければ、ウィーン・フィルと自身のレパートリーの新録音・再録音に着手し、また、1991年には10年ぶりにウィーン国立歌劇場に復帰する予定だったともいわれている[11]。

カラヤンは指揮者の職業病とも言える脊椎の持病に悩まされ続け、生涯に12回もの大手術を受けた。1978年の脳梗塞(『家庭交響曲』のリハーサル中、落とした指揮棒を取ろうとして指揮台から落ちたのが発作の原因であった)等が追い撃ちをかけた[12]。晩年には、歩行も厳しいほど体のコントロールを失うことにもなった。その頃のカラヤンは指揮台の柵につけられた、サドル状の特製の椅子に座って指揮し、長年目をつぶって指揮していたオーケストラのみの曲でも1983年ごろからは目を開いて指揮することが多くなった。オペラや合唱曲を指揮する時は、全盛期でも目を開けて指揮しており、これは残された映像で確認できる。

音楽

同じく戦後派の指揮者カール・ベームは、カラヤンは自分の求める響きが出るまで辛抱強く楽団員を説得していたと述べている(ベームは正反対)[13]。レガートを徹底的に使用し、高弦を鋭くさせ、(1960年代後半から)コンサート・マスターを2人おき、コントラバスを最大10人と大型化することにより、オーケストラの音響的ダイナミズムと、室内楽的精緻さという相反する要素の両立を実現した。どんなに金管が鳴っていても、内声や弦パートがしっかり鳴っていなければならないことや、低音パートがいくらか先に音を出すことなどを要求した。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。

一方で、一部の評論家からは音楽の音響面の美しさばかりを追求し作品の芸術的内容を軽視していると感じられたため[14]、「音楽が大衆に媚びている」「音楽のセールスマン」などと批判されることもあった。


註14
音楽評論家の岩井宏之は

「カラヤンは、いかにもスマートで美しい響きを生み出していたものの、作品の中に込められている作曲家その人の、あるいは当の作曲家が生きていた時代の"切なさ"を十分に表出するには至らず、したがって聴き手の心に迫ってくる力が弱かった。(中略)

カラヤンがオーケストラに対すると、どんな作品であれ、美しく響かせること自体を目的にしているような趣があり、それが私には不満だった」

と述べている(カール・ベーム指揮ウィーン交響楽団・ハイドンの四季のCD POCG-2328/9 のライナーノート、5頁)。


しかし、カラヤンの正確さと完璧さの追求はLPレコード時代からその自己演出と相まって一定の評判を得ることに成功し、レコードのセールスと知名度の広がりの面で大きな成功を収めている。

細身の体を黒で統一された服装で包み、白いマフラーを長く垂らせたスタイルでスポーツカーや自家用ジェット機を自在に操る姿はダンディズムに満ち、既成の音楽家のイメージを一新させた。男性モード雑誌から抜け出したようなカラヤンのいでたちは、その作りだす音楽以外の要素でも人目を引いた。指揮者は本来、反射神経を要求する職業であるが、実際にはその激しい動作が笑いの種になってきた歴史があり、その滑稽さを皮肉るカリカチュアも19世紀以来無数に描かれ、フルトヴェングラーでさえも揶揄の対象にされてきた。

そうした既成の概念を覆すように、カラヤンの動作はスマートで美しく洗練され、目を閉じ手を静かにウェイブする姿は神秘的にすら見せることに成功し、その雰囲気に酔う聴衆も多く存在するようになった。

その美意識はオペラの配役にも及び、1977年のザルツブルク音楽祭で『サロメ』のタイトル・ロールに当時はまだ無名だったヒルデガルト・ベーレンスを起用した際、カラヤンは

「サロメという女は20歳になっていない。従って、若くて細身の魅力ある歌手がいて初めて成立するオペラなのだ」

と語った。 オペラという総合芸術の音楽監督が容姿も考慮して歌手を決めたのはカラヤンが最初だといわれ、こうした独自の美学がカラヤンの音楽づくりには徹底されていた[15]。

カラヤンはオーケストラに(長年鍛えられたベルリン・フィルの場合これが顕著であったが)指揮の打点時のずっと後に音を出すことを心がけさせ、非常に重量感のある音を求めていた。また、楽員の集中力や陶酔力を深めるためとして目をつぶって指揮したため、団員ははじめ大いに戸惑ったが、「じきに慣れるさ」の一言で押し通し、事実その通りになった。

目を閉じる指揮法については、暗譜での指揮に関しクナッパーツブッシュから「(暗譜で指揮をしないのは)私は楽譜が読めるからだ」と皮肉を言われ、それに対し演奏に集中するための暗譜であることを誇示するために目を閉じるようになったという伝説がある。

カラヤンは当時の同世代の指揮者としては非常に広範なレパートリーを有していた(同時期に活躍したカール・ベーム、オイゲン・ヨッフム、ヨーゼフ・カイルベルトといったドイツ系指揮者はドイツ系の作曲家以外のレパートリーの比率は非常に低かった)。ベートーヴェンやブラームス、R.シュトラウス、ブルックナーなどのドイツ・ロマン派の音楽や、チャイコフスキー、あるいはモーツァルトのディヴェルティメントやセレナーデなどで特に高く評価された。

また、ヴェルディやプッチーニ等のイタリア・オペラにはドイツオペラ以上のこだわりを見せ、北欧と英米以外の指揮者が演奏することの珍しいシベリウスやグリーグなど北欧の作品も手がけた。

また、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンなどの新ウィーン楽派の演奏でも高い評価を得た。

舞踏音楽、序曲、行進曲といったアンコール・ピース的な小品にも熱心で、世界最高クラスの地位にありながらヨハン・シュトラウスをこれだけ繰り返し録音し続けた指揮者というのは、少なくとも彼の世代まではクレメンス・クラウス程度しか存在しなかった。

R.シュトラウスとは個人的な知己でアドバイスをもらっており、彼の作品の演奏も高い評価を得ている。また『メタモルフォーゼン』(23人の弦楽器奏者のための作品)について、シュトラウス本人に後半部で各パートを3人に増やし69人で演奏することを提案し、同意を得ていたが、ベルリン・フィルの室内楽的緻密さによりその演奏方法の実現を可能にした。

1970年にワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の世界初のステレオによるスタジオ録音を、東西ドイツ統一前のドレスデンで行った(この録音企画の当初の指揮者はサー・ジョン・バルビローリだったが、1968年の「プラハの春」事件に際して、亡命チェコ人であるラファエル・クーベリックが音楽家たちにあてた「東側諸国での演奏自粛」という嘆願書にバルビローリが賛同して、この録音を断った。しかし、カラヤンはその代役を快く引き受けた[16])。また映像作品にも取り組み、積極的に新しい分野を開拓していった。

ヨーロッパのオペラハウスでの原語上演は、カラヤンに始まるといわれている。それ以前はコヴェントガーデンやウィーンですら、オペラの現地の言葉での翻訳上演は半ば常識であった。カラヤンの芸術監督時代のウィーン国立歌劇場で始められた原語上演への改革が、その後の今日に至る原語上演の広まりのさきがけとなった。

その他の録音・映像として、1982年におけるマーラーの交響曲第9番、1988年におけるブルックナーの交響曲第8番、ザルツブルクにおけるオペラ映像などの実績が見られる。

ライフスタイル

ジェット機を乗り継ぎ世界中を飛び回って活動するという、昨今のスター指揮者の活動様式を始めた最初の一人だった。カラヤン以前には、指揮者は一つ処でオーケストラやオペラハウスの顔という役割をするのが普通であった。また、自家用ジェット機を保有していて、自ら操縦し別荘などへ行っていた。愛機はダッソー ファルコン 10。晩年になり、80歳で期限が切れる飛行機免許の代替としてヘリコプターの免許を取得している。

無類の車好きでありスピード狂としても知られ、様々なスポーツカーや高性能車、高級車を所有し乗り継いでいた。

歴代の愛車はメルセデス・ベンツ・300SL、ポルシェ・RSKスパイダー、フェラーリ・275GTB、ロールス・ロイス・ファントムV、フォード・GT40、ランチア・ストラトス、ルノー・5ターボ、ポルシェ・911(ターボおよびカレラRS)、メルセデス・ベンツ・500SEL、アウディ・クワトロなど。オースチン・A90・アトランティック(英語版)やミニ・クーパーMk2といった、より一般的な小型車も所有したことがあり、また、日本車(スバル・レオーネツーリングワゴン)を友人のスイス人医師にプレゼントしたこともある。

運転技術はF1ドライバーのニキ・ラウダ直伝。最晩年には赤いポルシェ・959に乗っていた。エリエッテ夫人は納車された959を見て、「もっとレコードを録音してもらわなきゃね」とジョークを飛ばしていた(DVD「カラヤン・イン・ザルツブルク」にその時の様子が映像収録されている)。

カラヤンのスピード狂はスキーにも及び、直滑降の名手として山小屋の主人[誰?]から「アルプスで1番速いダンナ」と呼ばれていた。

生前は派手な生活で知られたが、自ら地元アニフ(Anif)の教会内に用意し死後に埋葬された墓地は極めて質素である。死後、ザルツブルク市は遺族に対し豪華な墓地の提供を申し入れたが、エリエッテ夫人は故人の遺志を尊重しそれを断っている[17]。


エピソード

新しいもの好きで、録音技術や映像技術への関心は極めて高く、録音技術が進歩する度に得意のレパートリーを再録音した。中でもベートーヴェン交響曲全集、ブラームス交響曲全集、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」などは、何度も再録音を繰り返した。また、映像についても自らのレーベル「テレモンディアル」を設立し、自らの主要レパートリーの映像化を成し遂げた。

1959年、ベルリン・フィルに、東京芸術大学卒のヴィオラ奏者土屋邦雄を日本人初の団員として迎えた。土屋は2001年まで在籍した。

1983年に、日本人初のベルリン・フィルのコンサートマスターとして安永徹を選んだ。コンサートマスターのオーディション曲は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』などだった。

若手指揮者の育成にも積極的で、小澤征爾、マリス・ヤンソンス、オッコ・カム、高関健、クリスティアン・ティーレマン、山下一史などを輩出した。

1975年頃、日本人のみならず東洋人として初のウィーン国立歌劇場の団員として採用された高島一恵は東洋人団員の前例が無いことから、団員やスタッフから酷いイジメや偏見に遭って悩んでいたが、当時、指揮者の世界最高権威であったカラヤンが高島を評価したことで、高島へのイジメや偏見がピタリと止んだ。このことから、カラヤンは高島にとってイジメや偏見から救ってくれた恩人的な存在であるといえる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3

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