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[近代史4] 白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学 中川隆
1. 2020年10月05日 01:12:23 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[1]
【要約 資本主義 経済学・まとめ編】「武器としての「資本論」」 白井聡 資本論 by マルクス|コロナ恐慌に搾取される前に
2020/06/13




【経済・要約】タクミナタクミ
要約 資本主義 経済学入門!

本日取り上げるのは、
白井聡さんの「武器としての「資本論」」という本で、
カール・マルクスの資本論の概念を紹介した本になります!

これまでPart@〜Dの動画で、
武器としての「資本論」の本を参考に
マルクスの資本論を読むべき理由とその概念について解説をしてきましたが、
今回は全体のまとめとしてまずマルクスの概念の流れをおさらいして、
そして次にその概念が
私たちに実生活にどのようにかかわっているのかといった
よりリアルに話をしていきます。

具体的には、
・イノベーションはときに人間を疲弊させる
・ベンチャー企業のやりがい搾取
・国がNISAやiDeCoを進める理由

といった身近な内容にフォーカスをして、
この動画のシリーズを終えたいと思います!

<この動画のながれ>
@マルクスの概念のまとめ
Aイノベーションはときに人間を疲弊させる
B「必要な」の定義

<シリーズの構成>
Part@ 資本論を読むべき理由
PartA 資本主義の定義と成立過程
PartB 「商品」とはなにか
PartC 労働力こそが利益の源泉
PartD 生産性を向上させる理由
PartE まとめと現代社会の課題

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html#c1
[近代史4] 白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学 中川隆
2. 2020年10月05日 01:19:17 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[2]
武器としての「資本論」 単行本 – 2020/4/10
白井 聡 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96%E3%80%8D-%E7%99%BD%E4%BA%95-%E8%81%A1/dp/4492212418

白井 聡(シライ サトシ)
思想史家、政治学者、京都精華大学教員。1977年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。

3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版、2013年)により、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞などを受賞。

その他の著書に

『未完のレーニン』(講談社、2007年)、
『「物質」の蜂起をめざして レーニン、〈力〉の思想(増補新版)』(作品社、2015年)、
『属国民主主義論』(内田樹氏との共著、東洋経済新報社、2016年)、
『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)

などがある。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html#c2

[近代史4] 白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学 中川隆
3. 中川隆[-11034] koaQ7Jey 2020年10月05日 01:40:29 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[3]
『武器としての資本論』 著・白井聡
書評・テレビ評2020年6月18日

 『資本論』といえば、資本主義の全体系を本質的に解明したカール・マルクスの古典的労作である。だが、その重厚な内容とともに抽象的な論理的記述が、とくに初心者には難解な印象を与える。そのため、数多くの入門書が出版されてきた。本書は、その新たな一冊ともいえるが、これまで見られたような原書の要約や学術的な解説書ではない。そのことは、とくに新自由主義に直面する現在の若者の生活実感と問題意識に寄り添い、混沌とした現状から脱却し、未来を展望する武器として『資本論』をどう読み解くのかという、著者の姿勢に示されている。

 著者は、人々が日常生活で感じている息苦しさがどこから来るのか、政府や上司の言動など納得できぬまま過ごしてきたことの意味が、『資本論』のなかに鮮やかに描かれていると強調している。われわれが現実に直面するさまざまな馬鹿げたことは、すべて資本主義のシステムのなかで起きているからだ。そして、「『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラッと変わり、生き方が変わってくる」と。

 産業革命以来、社会の生産力は未曾有の勢いで発展し、社会全体は物質的に豊かになった。不断の技術革新による生産性の向上は人々を幸福にするはずだった。だが、そのもとで労働者の困窮は極まり、明るい未来が見えてこない。AI化は労働時間を短くするといわれるが、現実にはそれが増大する一方で、過労死が大きな社会問題になっている。学生の就職活動は本来、「職業選択の自由」を謳歌して社会に貢献できる契機なのだが、だれもが切羽詰まった表情をしている。

人間の労働力も商品に 資本増殖の本質

 本書では、こうした不合理がどこから来るのかについて、『資本論』の重要なフレーズを引用して解明していく形で進行する。著者はとくに新自由主義のもとで、資本主義が人間社会と不可分のものであるかのような空気が社会を覆い、自己責任論が当然のようにみなされ、「人間の思考・感性に至るまでの全存在が“資本の魂”に包摂されてきた」ことに着目している。そして、マルクスがそうしたように、今こそ資本主義が歴史の一時点の生産様式にすぎず永遠に続くものではないこと、それは資本の運動に内在する根本的な矛盾によって乗りこえられる宿命を背負ったシステムであることを再確認すべきときだと強調している。

 資本主義社会は、近代に入って人々が生活するうえで不可欠な物質代謝の大半を商品を通じておこなうようになって生まれた。それは、人間の労働力も商品となった社会である。資本の増殖の本質は、労働力を使用して生み出す剰余価値の追求にある。

 著者は、農民を封建的身分制度から自由にする形で、土地や道具など生産手段をはぎ取り無一文の賃金労働者を生み出していく資本の本源的蓄積の説明に力を入れている。そして、農村の共同体から労働者を都市にかり出す暴力的な手段は、古今東西の資本主義化に共通していることを、明治維新に始まる日本資本主義の発展過程からも明らかにしている。また、それが恐慌、戦争その復興需要などでもくり返されてきたことも。

労働者の既得権をはぎ取る 新自由主義で

 本書では、そのような観点から、新自由主義が「資本の側からしかけた戦争であった」ことを強調している。さらに「階級闘争は古くなった」のではなく、現実の問題であると訴える。労働者階級がそのような言辞にまどわされているあいだに富裕層は階級闘争を強力におし進めてきたからだ。

 それは、資本の側が労働力の価値を引き下げるために、これまでの労働者の既得権をはぎとる形でおこなわれてきた。この間の非正規・不安定雇用はもとより、生産拠点の海外移転や、外国人労働力の輸入もひとつながりに見えてくる。

 著者によれば、高度成長期の生産性向上・福利厚生政策のもとで、労働組合を通じた労働者の要求が一定程度受け入れられたのは、資本にとって労働者を生かす(労働力の再生産を成り立たせる)必要があったからで、それは労働者への人道的な慈愛というものではなかった。そして、それに安住していた労働組合や「労働者の利益」を掲げる党も、新自由主義にとり込まれざるをえなかった。

 そのような資本の剰余価値の追求(=搾取)によって「1%vs99%」という未曾有の経済格差が生まれた。著者は「自由・平等・人権」はあくまでたてまえであり、資本による労働者の支配の現実は「過去の奴隷制とつながっている」とのべている。

 本書のもう一つの特徴は、『資本論』の観点から階級闘争についての考え方を見直すよう提起していることである。それは、「資本家をやっつける」といったものではなく、資本制社会全体を一つのシステムとしてとらえて、「等価交換を廃棄する」ことをめざす闘う主体を地域共同体から形成することだという提起である。

 また、労働力の価値(労働賃金)を高めるたたかいとかかわって、この間労働者に影響を与えてきた「スキルがなければしょうがない」という資本側の考え方を克服し、人間としての尊厳をとり戻すための闘いとしてとらえることが必要だとのべている。そのうえで、労働力の価値とは社会的で文化的なものであり、うまいものを食べたいとか豊かな生活がしたいという「ベーシックな感性」の部分からもう一度立て直すよう提起している。

 本書の論述は、コロナ禍で噴出するさまざまな不合理、資本と人間の逆立ちした関係を鋭く照射するものともなっており、新たな時代を開くうえで鍵となる一冊だといえる。

 (東洋経済新報社発行、B6判・294ページ、1600円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/17593
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html#c3

[近代史4] マルクス経済学の世界 中川隆
3. 中川隆[-11033] koaQ7Jey 2020年10月05日 01:48:46 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[4]
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html#c3

[近代史4] 白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学 中川隆
4. 2020年10月05日 01:53:41 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[5]
書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊) - 内田樹の研究室書
2020-06-12
http://blog.tatsuru.com/2020/06/12_1352.html


 私事から始めて恐縮だが、経済学者の石川康宏さんと『若者よ、マルクスを読もう』という中高生向けのマルクス入門書を書いている。マルクスの主著を一冊ずつ取り上げて、石川さんは経済学者という立場から、私は文学と哲学の研究者という立場から、中高生にもわかるように噛んで含めるように紹介するという趣向のものである。

 第一巻で『共産党宣言』、『ヘーゲル法哲学批判序説』『ユダヤ人問題によせて』。第二巻で『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』と『フランスにおける階級闘争』。第三巻で『フランスの内乱』と「マルクスとアメリカ」についての共同研究。そこまでは出した。最終巻で『資本論』を論じて、それでめでたくシリーズ終了という計画だったが、「次は『資本論』だね」と確認してから2年が経過してしまった。停滞しているのは、私が忙しさに紛れて書かずにきたせいである。
 しかし、ここに白井聡さんの『武器としての「資本論」』が出てきた。一読、あまりの面白さに、「そうか、こういうふうに書けばいいのか!」と膝を打ったのであった。そして、いまは自分の『資本論』論が書きたくて、うずうずしてきた。コロナ禍でしばらく暇が続くので、書き始められそうである。届かない原稿を待ち続けていた編集者のために白井さんは陰徳を積まれたことになる。

 私が膝を打った「なるほど! こういうふうに書けばいいのか!」の「こういうふう」とは「どういうふう」のことなのか。それについて書きたいと思う。

 白井さんのこの本は「入門書」である。「『資本論』の偉大さがストレートに読者に伝わる本を書きたい」という白井さんの思いを託した入門書である。マルクスについて基礎的な知識がない若者を読者に想定している。そういう人たちにマルクスの「真髄」をいきなり呑み込ませようという大胆きわまりないものである。そして、それに成功している。

 たいした力業と言わなければならない

「入門書」の良否は、想定読者の知性をどれくらいのレベルに設定するかという初期設定でほぼ決まると私は思う。

 凡庸な専門家は「一般読者を対象に」と言われると、いきなり「啓蒙」というスタンスを取る。想定読者の知性をかなり低めに設定するのである。そうすることが「リーダー・フレンドリー」だと思っているからである。そして、たいていは失敗する。

「啓蒙」は「書き手は博識であり、読者は無知である」という「知の非対称性」を前提にする。そういう構えはコミュニケーションを阻害することはあっても、活性化する役には立たない。「啓蒙」的態度をとる人は、自分が読者を威圧したり、屈辱感を与えたりしている可能性をあまり気にかけない。書き手が読者に対して十分な敬意を示さない場合、読者がそれを敏感に感じ取り、心を閉ざすということを知らない(人は自分が相手から愛されているかどうかはよくわからないが、自分が相手から敬意を払われているかどうかは、すぐわかるのである)。

でも、書き手がほんとうに読者に伝えたいことは、ほとんどの場合、読者に「心を開いて」もらわないと達成できない。読者たちが、これまでの自分のものの考え方をいったん「かっこに入れて」、しばらくの間だけ自分の手持ちの「物差し」をあてがうことを自制して、書き手の言い分を「丸呑み」にしてくれないと、ほんとうに伝えたいことは伝わらない。だから、ほんとうにたいせつなのは、読者に「心を開いてもらうこと」だけなのである。

「コミュニケーションの回路を立ち上げる」という遂行的な営みに成功しない限り、その回路を行き来するコンテンツの理非や真偽はそもそも論じることさえできないのである。

一人の読者が、一冊の本を読みながら、今読んでいる箇所を理解するためには、自分自身の考え方感じ方を一時的に「かっこに入れる」「棚上げする」必要があると感じたならば、その本はコミュニケーションの回路の立ち上げに成功したと言うことができる。私はそう思う。

 いま「心を開く」という比較的穏当な動詞を使ったけれど、ほんとうはそんな生易しいものではない。読者が「心を開く」というのは、どこかで「自分を手離す」ということだからである。自分が自分のままである限り、この頁に書いてあることは理解できない。この頁が理解できるようになるためには、自分は今の自分とは別人にならなければならない。そういう「清水の舞台から飛び降りる」ような決断を下すこと、それが「心を開く」ということである。そして、そのようなきびしい決断を読者に迫る書物がこの世には存在する。白井さんのこの本はそういう書物である。

 白井さんは読者たちに「清水の舞台から飛び降りる」ことを求める。きびしい要求である。そのことを白井さんもわかっている。「はい、これがパラシュートね、あの目標点めざして飛び降りてね。じゃ、いくよ」くらいのあっさりした声かけでは、たぶん足がすくんで、ついてきてくれない。だから、飛び降りてもらう前に、入念なストレッチを行い、これから行ってもらう「跳躍」が、どういう歴史的な文脈のうちで形成され、なぜ知的成熟にとっての必須科目とされるに至ったのかを、諄々と説く。読者に「怖いこと」をさせるつもりでいる本はフレンドリーな顔をして近づいてくる。そういうものなのである。

 この本はとても丁寧に書かれている。でも、それは繰り返し言うが、「啓蒙的」な意図に基づく丁寧さとは違う。白井さんが、たいへんに丁寧に説明するのは、読者にこれから「たいへんなこと」をしてもらうためだからである。

 白井さんは「思索の人」であると同時に「行動の人」である。彼は(社会人としての立場上あまり広言はされないが)機会があれば「革命をやりたい」と思っている。

だから、すべての書物を通じて、実は白井さんは「ともに革命をする同志」を徴募しているのである。「読者にこれからたいへんなことをしてもらう」という「たいへんなこと」というのはそれである。

 レーニンは『国家と革命』の「あとがき」で「革命の経験をやりとげることは、それについて書くことよりもいっそう愉快であり、またいっそう有益でもある」と書いている。

きっと白井さんもそう思っている。

 だから、彼の本は「読者をして行動に導くための本」である。読んでもらって「よくわかりました。いや、『資本論』のことがよくわかりました。ありがとう」では済まされないのである。「よくわかりました。資本制社会の仕組みが理解できました。で、次は革命のために何を始めたらいいんですか?」という読者が欲しいのである。

 そういう本を書く人は少ない。

 前に、桑原武夫は人を評価するときに「一緒に革命ができるかどうか」を基準にしたと聞いたことがある。これはなかなかすてきな基準だと思う。
 革命闘争というのは、そのほとんどの時期が地下活動である。弾圧され、警察に追われ、逮捕投獄されて、拷問され、処刑されるリスクに脅かされる日常である。だから、それでも革命運動ができるとしたら、それは、レーニンが言う通り、日々の活動がたいへんに「愉快」だからである。「そうだ、革命をやろう」と思い立って、仲間を集めて、組織を作り、機関誌を出したりしている日々がそうでない日々より圧倒的に「愉快」だから、弾圧から処刑に至る不吉な未来についての「取り越し苦労」が前景化してこないのである。

 ということは、「一緒に革命ができる人」というのは、「一緒にいると、生きているのが愉快になってくる人」だということである。一緒にいると、日々の何でもないささやかな出来事が輝いて見え、現実の細部にまで深く意味が宿っていることが実感できる、そういう人が「ともに革命ができる人」である。白井さんはそのような書き手であろうとしている。これは現代日本にあってはまことに例外的な立ち位置というべきだろう。

 白井さんの「リーダー・フレンドリーネス」について書いているうちに内容の紹介をする前に予定の紙数が尽きてしまった。わずかな行数ではとてもこの本の中身を要約はできない。私が個人的に一番面白く読んだのは、白井さんが、どうして人間は「資本に奉仕する度合い」に基づいて格付けされることを(それが自分自身をますます不幸にするにもかかわらず)これほど素直に、ほとんど嬉々として受け入れるのか、という問いをめぐって書いている箇所である。

 われわれの時代の新自由主義的な資本主義は「人間のベーシックな価値、存在しているだけで持っている価値や必ずしもカネにならない価値というものをまったく認めない。だから、人間を資本に奉仕する道具としてしか見ていない。」(70頁)

 ほんとうにその通りなのだが、問題は、どうして人々はそれに抵抗しないのか、ということである。それは資本の論理は、収奪される側の人間のうちにも深く内面化しているからである。この倒錯をマルクスは「包摂」と呼んだした。

 この「包摂」と「本源的蓄積」がイングランドの農業革命期の「囲い込み」から始まったというのはマルクス主義の教科書には書いてあるが、白井さんの説明ほどわかりやすいものを私はこれまで読んだことがない。

 人間たちが現に自分を収奪している制度に拝跪する心性の倒錯に気づき、自分の身体の奥底から絞り出すような声で、その制度に「ノー」を突きつける日が来るまで、資本主義の瑕疵や不条理をいくら論っても革命は起きない。問題は革命的主体の形成なのである。

だから、白井さんは、本書の結論部にこう書いている。
「『それはいやだ』と言えるかどうか、そこが階級闘争の原点になる。戦艦ポチョムキンの反乱も、腐った肉を食わされたことから始まっています。『腐った肉は我慢ならない』ということから、上官を倒す階級闘争が始まったわけです。」(277−8頁)

 最終的に「反抗」の起点になるのは人間の生身である。かつてアンドレ・ブルトンはこう書いた。

「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」
 その通りだと思う。「生活を変える」ことなしに、「世界を変える」ことはできない。一人の人間が血肉を具えた一人の人間が、その生物として深い層から「それは、いやだ」という反抗の叫び声を上げるときに、労働者は資本主義的な「包摂」から身を解くのである。そして、「包摂」から逃れた労働者の眼前には「資本の本源的蓄積」以来の資本主義の全歴史が一望俯瞰される。だから、その次に労働者が選択するふるまいは、どのようなものであれ、その語の正しい意味において「革命的」なものとなるはずなのである。

 令和の聖代に「懦夫をして起たしむ」かかる「革命的」な書物が登場したことを喜びたい。
(2020-06-12)
http://blog.tatsuru.com/2020/06/12_1352.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html#c4

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
29. 中川隆[-11032] koaQ7Jey 2020年10月05日 02:01:31 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[6]
マルクス経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html

白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c29

[近代史4] 白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学 中川隆
5. 2020年10月05日 02:38:41 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[7]
【要約 資本主義 経済学 PartA】資本主義とは何か 「武器としての「資本論」」 白井聡 資本論 by マルクス|コロナ恐慌に搾取される前に
2020/06/07






【経済・要約】タクミナタクミ
要約 資本主義 経済学入門!

本日取り上げるのは、
白井聡さんの「武器としての「資本論」」という本で、
カール・マルクスの資本論の概念を紹介した本になります。

今回は具体的に資本論の内容について、
本書を参考に踏み入っていきます。

内容としては、
資本論の冒頭の文章を理解するために資本主義の定義について解説をします。

結論としては次になります。

・自由に土地の売買ができる
・自由に労働者は労働力を商品として資本家に売ることができる
この二つが成立することで資本主義経済は成立し、
また一度成立するとすべての社会を取り込むという
資本主義経済の強力性について解説をします。


少し難しい内容にはなりますが、
私たちにとって当たり前すぎる資本主義というものが
どのようなシステムであるのかを認識することは
これからの時代には欠かせませんのでしっかりと学んでいきましょう。

<この動画の内容>
・マルクスが定義する資本主義とは何か
 @物質代謝とはなにか
 A商品による商品の生産とはなにか
  @土地の売買
  A労働力の商品化


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html#c5
[番外地8] 防衛費はゼロでいいよ、憲法九条を変える必要もない 中川隆
2. 中川隆[-11031] koaQ7Jey 2020年10月05日 02:55:19 : r0012kP8cs : ekYyeG5rL2xHQ1k=[8]
防衛費はゼロでいいよ、憲法九条を変える必要もない
中国の脅威なんかどうでもいい小さな問題
米軍さえ日本から追い出せば戦争なんか起きる訳ないんだよ
と言うより、台風や地震による停電くらいで大騒ぎになる日本で戦争なんかできる訳ないだろ
国を守りたかったら中国人移民さえ入れなければいいんだよ  
尖閣、沖縄や北海道を取られたら経済制裁すれば済む事だ、北chousenや中国を経済崩壊させる位は簡単なんだよ

右翼は日本の本当の敵国は中国ではなく英米だというのがわかっていないバカばかりだね。

チャンネル桜と正論が最凶の反日売国勢力だった _ 中国の脅威なんかどうでもいい小さな問題
中国より遥かに恐ろしいのは、チャンネル桜も強力に尽力した欧米資本による日本の銀行と大企業の乗っ取り
安倍首相もトランプ大統領も反グローバリストではなく欧米資本のエージェント。
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow


2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A


資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。

▲△▽▼


中国は弱すぎて戦う必要なんかないんだよ
空母はおもちゃで飛行機は離陸できないし、
ミサイルは何処に飛んで行くかわからないし
軍人は敵を見ればすぐに逃げ出すし

怖いのは自民党が強力に推進している中国人移民受け入れだけ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/357.html#c2

   

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