★阿修羅♪ > NHJjeVV5TzZuS00= > 100000
 
g検索 NHJjeVV5TzZuS00=  
 
NHJjeVV5TzZuS00= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/n/nh/nhj/NHJjeVV5TzZuS00=/100000.html
[近代史5] 欧米の映画 中川隆
18. 2022年1月19日 08:39:19 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[1]
ポリティカル・コレクトネス遵守でアメリカ映画がつまらなくなった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1443.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/409.html#c18
[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
36. 中川隆[-14144] koaQ7Jey 2022年1月19日 09:10:40 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[3]
813名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 12:32:03.07ID:Nfn+Z5S9>>816
みなさんの、ブラ4のおすすめ教えて下さい
エントリー候補

1.ベルリン・メロディア(1943)
2.ティタニアパラスト・EMI(1948)
3.ウィースバーデン(1949)
4.ザルツブルク(1950)

814名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 12:54:01.73ID:DR/FWnL5
ヴィースバーデンの即興性に一票

815名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 12:58:19.97ID:9/RkGmfF
取り出すことが多いのはやはり1948年盤

816名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 13:04:54.69ID:j17DD4gH
>>813
2のEMIじゃない10/22もなかなか。

817名無しの笛の踊り2022/01/16(日) 14:14:45.34ID:tQj/52nq
フルトヴェングラーのブラームスではブラームスに聞こえない

818名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 06:42:19.21ID:5ErnzQvJ
神のささやきに聞こえてしまいます

819名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 08:32:47.64ID:6XfZPWZo>>824
神がテンポをコロコロ変える訳ないだろ

820名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 08:35:09.10ID:6XfZPWZo
緩徐楽章をワルターと比べるとフルトヴェングラーのブラームスの酷さが良くわかる

821名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 09:06:36.22ID:5ErnzQvJ
巨匠BW
香料が冴えるインタントコーヒー

822名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 09:09:22.21ID:5ErnzQvJ
香料抜きのトスカニーニが数段好ましい。
香料が鼻について、全く聴かなくなった。

823名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 09:14:45.49ID:5ErnzQvJ
生の演奏を多く聴く人間なら、コロンビアのステレオのオーケストラの録音がなんか変だとすぐ気づくだ思うが




826名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 12:32:46.58ID:VD4oPKqN
ムラヴィンスキーのブラームス交響曲四番が最高の名演だね
フルトヴェングラーはNG



828名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 14:21:51.62ID:m+25dYd+
フルトヴェングラーのブラームス交響曲四番は最高の名演だね。
あの素晴らしさが解らない人はブラームスも音楽も理解できない人と言っても過言ではない。

829名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 14:30:27.79ID:iltHsV/N
ムラヴィンスキーなら、2番が好きだな

830名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 15:18:15.74ID:VD4oPKqN>>837
あの宇野功芳ですらブラームス交響曲四番はフルトヴェングラーよりザンデルリンクの方が遥かに名演だと言っている位だからね:



Brahms "Symphony No 4" Kurt Sanderling 1992
Berliner Sinfonieorchester
Kurt Sanderling, conductor
rec 1992

831名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 15:22:54.11ID:iltHsV/N
宇野さんを持ち出すのは感心しない
一番、忌み嫌われる行為だよ
自重されたし

832名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 15:50:20.03ID:i1E7/xBv
> あの宇野功芳ですら
権威があるかどうか知らんが、
権威主義はいただけない
他人のふんどしで死ぬつもりでごわすか?




837名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 19:58:36.50ID:PqWjIa8R
>>830
宇野はワルターファンだからぼってりした演奏が好み
フルトヴェングラーとかカルロスクライバーをほめてるときは信用ならん
ちなみに宇野はフルトヴェングラーのブラ4は高く評価しているのは行間を読めればわかる

838名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 20:04:10.59ID:PkEmCpdY
宇野ちんにしろ黒恭とか鳥八つぁんとか
しょせんはレコード会社の太鼓持ちだったからね

839名無しの笛の踊り2022/01/17(月) 20:51:38.10ID:NMTHR6Va
子供の頃に吉田秀和や諸井誠に騙されてフルヴェンのレコードやCDを
よく買いました
私には理解不能でしたけど
モノカートリッジで聴いても良さがわからんかったよ
まあ吉田秀和なら生でフルヴェン聴いてるかもね



841名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 07:23:45.79ID:gzAfmmws
フルトヴェングラーは、ブラームスと面識あるから



843名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:03:36.48ID:9v7JNoY+
ブラームスはワインガルトナーが正統派なんだよ。フルトヴェングラーみたいな遅いテンポで緩急が激しくて大袈裟なのはブラームスではない

ベートーヴェン全集と並ぶワインガルトナーの偉業"ブラームス全集"が最新復刻でUHQCD化!!
掲載: 2021年03月03日
https://tower.jp/article/feature_item/2021/03/03/1111

ワインガルトナー
ベートーヴェン全集と並ぶ金字塔。澱み濁りの一切を排した高貴な名演。
作曲家本人が激賞したワインガルトナーのブラームス。
過去最高音質で復活 高音質UHQCDにて登場!
ブラームス:
交響曲第1番 (ロンドン響、1939年2月16日、18日) *U.S.盤より復刻
交響曲第2番 (ロンドンフィル、1940年2月26日) *U.S.盤より復刻
交響曲第3番 (ロンドンフィル、1938年10月6日) *U.S.盤より復刻
交響曲第4番 (ロンドン響、1938年2月14日) *U.S.盤より復刻
ハイドン変奏曲 (ロンドンフィル、1938年10月6日) *U.K.盤より復刻
大学祝典序曲 (ロンドンフィル、1940年2月29日 *U.K.盤より復刻

【演奏】
フェリックス・ワインガルトナー指揮

844名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:07:07.18ID:9v7JNoY+

「ブラームスの3番を聴く」10・・・初期の録音2 ワインガルトナー 




「フェリクス・ワインガルトナー(1863 - 1942)」
来日しN響(当時は新響)を指揮したこともあるワインガルトナーは、オデッサ生まれ、リストと、シューマンの弟子であるライネッケの教えを受けています。ウィーン宮廷歌劇場の総監督、ウィーンフィルの常任指揮者を歴任。
ワインガルトナーは、ビューローのようなその場のインスピレーションで自由に演奏するタイプではなく、きっちりと譜面に忠実なリヒターの影響を受けた指揮者です。

ワインガルトナーが名声を確立した時ブラームスはまだ存命でした。
1895年4月にベルリンフィルがウィーンにやって来て3日間でブラームスの交響曲全曲を演奏したことがあります。指揮はR.シュトラウス、モットル、ワインガルトナーの3人で、ワインガルトナーは第2番を指揮しました。ブラームス自身は、リヒターよりもビューローの指揮を高く評価していましたが、この3日間の全部の演奏会を聴いた後、ジムロックへの手紙の中でワインガルトナーの演奏を絶賛しています。

ワインガルトナーにはブラームスの交響曲全集があり、第1番は機械録音時代から実に3回も残しています。他の3曲は各々1回のみ。

・ ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
(1938年 10月6日   ロンドン、アビーロードスタジオ)
ワインガルトナーは晩年に至るまで解釈に大きな変化はなかったそうです。この録音は80歳近いワインガルトナー晩年の録音ですが、老いの影はなく、明快で健康的、端正で気品に満ちた名演です。

早いテンポで進めた第1楽章は音楽が自然に流れ、展開部後半のホルンソロによって演奏される基本モットーを下で支えるコントラファゴットが実に雄弁。
そのままウンポコ・ソステヌートを経て再現部に至る絶妙のテンポ運びには思わずうまいなぁと感心してしまいました。
終結部187小節以降の複雑な絡みも木管の動きを殺すことなく完璧。

第2楽章は、のどかな中に忍び寄る不安の暗き影を見事に表現。感傷に溺れない第3楽章も実に見事。推進力溢れる第4楽章の第2主題に呼応する低音弦楽器の深い響き、ダイナミックレンジも広く確信に満ちた演奏にただただ圧倒されました。

なお、ワインガルトナーはベートーヴェン以降の作品について、解釈と演奏法について有名な著書を残しています。特にベートーヴェンの解釈については、オーケストレーションにさまざまな手を加え、後の指揮者たちに大きな影響を与えました。
同時代のブラームスについても、そのオーケストレーションについて批判は残していますが、実際の演奏は譜面に忠実です。第1楽章のリピートはありませんでしたが、同時代の指揮者の多くがおこなっている第4楽章終結部に旋律線を弾かせる変更はせず、譜面に忠実でした。まさにプロ中のプロのお仕事。

ワインガルトナーはマーラー(1860年生)とほぼ同世代で、フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターたち、現在でも人気のある大指揮者たちよりも一世代古く、録音も1930年代までの古いものが中心のため、人気はいまひとつですが、この録音を聞くと実に偉大な指揮者であったことが実感されます。

今回は英EMI−IMGが出している2枚組CD「20世紀の偉大な指揮者たち」シリーズのワインガルトナー編と、新星堂が2000年に出した国内盤CDの2枚を聴きました。
新星堂盤は状態の良いSPを再生して収録したもので針音入り。高音部分のカットもなく比較的細部まで明瞭ですが、響きが幾分やせ気味でした。
一方のIMG盤は、金属原盤からの直接復刻かもしれません。針音は聴かれず、生々しく奥行きも充分で、パンチの効いた驚異的な再生音です。
新星堂盤は、ワインガルトナーがEMIに残した200枚余りのSPを全てCD化した空前絶後の画期的なシリーズでしたが、このブラームスの録音に関してはIMG盤が数段上の復刻音でした。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=53



845名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:07:17.65ID:9v7JNoY+
なお、ワインガルトナーはベートーヴェン以降の作品について、解釈と演奏法について有名な著書を残しています。特にベートーヴェンの解釈については、オーケストレーションにさまざまな手を加え、後の指揮者たちに大きな影響を与えました。
同時代のブラームスについても、そのオーケストレーションについて批判は残していますが、実際の演奏は譜面に忠実です。第1楽章のリピートはありませんでしたが、同時代の指揮者の多くがおこなっている第4楽章終結部に旋律線を弾かせる変更はせず、譜面に忠実でした。まさにプロ中のプロのお仕事。

ワインガルトナーはマーラー(1860年生)とほぼ同世代で、フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターたち、現在でも人気のある大指揮者たちよりも一世代古く、録音も1930年代までの古いものが中心のため、人気はいまひとつですが、この録音を聞くと実に偉大な指揮者であったことが実感されます。

今回は英EMI−IMGが出している2枚組CD「20世紀の偉大な指揮者たち」シリーズのワインガルトナー編と、新星堂が2000年に出した国内盤CDの2枚を聴きました。
新星堂盤は状態の良いSPを再生して収録したもので針音入り。高音部分のカットもなく比較的細部まで明瞭ですが、響きが幾分やせ気味でした。
一方のIMG盤は、金属原盤からの直接復刻かもしれません。針音は聴かれず、生々しく奥行きも充分で、パンチの効いた驚異的な再生音です。
新星堂盤は、ワインガルトナーがEMIに残した200枚余りのSPを全てCD化した空前絶後の画期的なシリーズでしたが、このブラームスの録音に関してはIMG盤が数段上の復刻音でした。

846名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:15:42.97ID:9v7JNoY+>>848
当時の指揮者の評価では
1.ニキッシュ
2.マーラー
3.ワインガルトナー
4.メンゲルベルク
5.ワルター
6.フルトヴェングラー

847名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:38:17.83ID:9v7JNoY+
フルトヴェングラーやトスカニーニは中高生向けの解り易い演奏だったから一般大衆に人気が出たんだよ
貴族や音楽関係者に人気が有ったのはワインガルトナーの方

848名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 10:52:21.82ID:/svCVnZd
>>846
トスカニーニもどこかに入れて欲しい。

849名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 11:48:28.36ID:xQ8s9ZMJ
結局戦前のSP期はあらえびす評価が今なお支配的なんだよな
「万人が認めて一流中の一流指揮者とするものは、トスカニーニ、
フルトヴェングラー、ワルター、メンゲルベルクらであろう。
それにワインガルトナーを加えるのが、まず今日の常識で、
レコードの方面ではアメリカの人気を背負って立つストコフスキーを加えて、
世界の六大指揮者とするのが穏当だと私は考えている。」『名曲決定盤』から

850名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 11:55:38.52ID:azgGAETV
銭形平次のひと

851名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 13:38:09.14ID:gzAfmmws
ワルター、ワインガルトナー信者はすごい

わろたwww

852名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 15:17:52.79ID:MRctSdYo
アーベントロート、フリッツ・ブッシュのブラームスはどうなんだ?
シュタインバッハの直系だか…

853名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:08:20.77ID:9v7JNoY+

ブラームス: 交響曲第1番<完全限定盤>
ヘルマン・アーベントロート 、 バイエルン国立管弦楽団




爆演の金字塔、ブラ1演奏史に輝く凄演。
極上音質で復活の超絶ライヴ高音質UHQCDにて登場!デジパック仕様(完全限定盤)

これが没年の演奏と言うことが信じられないアーベントロート会心の名演。爆演中の爆演であるブラ1がUHQCD化。すっかり東ドイツの人になっていたアーベントロートが珍しくバイエルン国立歌劇場管弦楽団(バイエルン国立管)の定期演奏会である「アカデミーコンサート」に登場。冒頭からして力こぶが盛り上がる様な雄々しく逞しいサウンドに圧倒されます。剛直でセンチメンタリズムに堕さない第2楽章。疾走する第3楽章。そして白眉は勿論のことフィナーレで、物をぶっ壊すかのようなティンパニの強打、旋律美が壊れるのを無視してまでブロック的に楽想を分断し、思う存分の変化をつけまくる超個性的解釈!アーベントロート屈指の名演として名高いものです。この前日には同会場でクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルと演奏会を開いていたと言う正に神々の時代の記録。至高音質として知られたDISQUES REFRAIN盤のマスターを使用。テープの傷は可能な限り修正しUHQCD化しました。英日のライナーノート付です。

【録音】
1956年1月16日
バイエル国立管弦楽団アカデミーコンサート
ミュンヘン・ドイツ博物館ライヴ

854名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:10:55.78ID:9v7JNoY+

今こそ聴くべし、アーベントロート!【宇野功芳】
「アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!」

ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!

ブラームス:
@交響曲第1番ハ短調Op.68
A交響曲第3番ヘ短調Op.90
 ヘルマン・アーベントロート指揮
 ライプツィヒ放送交響楽団
 録音:@1949年10月20日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)A1952年3月17日ライプツィヒ・コングレスハーレ、全てモノラル


855名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:14:09.33ID:9v7JNoY+

指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について(このページは転載禁止。)
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82

「『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、テンポを自在に変え、シュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏のこと。
この伝統に忠実なのはアーベントロート。
ヴァント、サヴァリッシュ、ベームのブラームスは楽譜の範囲内で『ブラームス・シュタインバッハの伝統』を解釈している。
(よくアーベントロートの指揮を19世紀的と言う人がいるが、実際にはそうではない、とのこと。)
ブラームスの演奏における『ブラームス・シュタインバッハの伝統』をシュタインバッハから継いだのは、ライナー、ストラヴィンスキー、アーベントロート。 アーベントロートから教わったのが、ヴァント。
なお、サヴァリッシュ・ベームは誰から教わったのかははっきりとは分からないが、サヴァリッシュ・ベームの振るブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の系統の演奏と考えられる。」

「ムラヴィンスキーのブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』に基づいていて(誰から教わったのかは不明)、振り方そのものは大変近代的、モダンである。」
「ノリントン、マッケラスはシュタインバッハの楽譜への書き込みを意識してはいる。しかしその演奏そのものは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の再現というのとは少し違うようだ。」
「一方、クナッパーツブッシュの振るブラームスは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、異なる。クナッパーツブッシュはブラームスが楽譜に書いた通りにやろうとしていて、テンポを途中で変えないやり方。R.シュトラウスやセル、チェリビダッケの指揮するブラームスも同じ系統。」
「なお、トスカニーニはシュタインバッハのブラームス演奏を大変意識してはいたが、トスカニーニの演奏は「歌う」部分が強いので、この2つの系統とはまた異なるブラームス演奏と考えられる。」

856名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:15:17.56ID:9v7JNoY+

ブラームスの演奏をする時に楽譜通りにやるか、あるいはプラスアルファの要素としてシュタインバッハのやり方を取り入れるかどうか、その辺が指揮者自身の考え方により違うのだろうか、と思います。
ブラームスの演奏解釈を研究されている方などが、現在では

「ブラームス・シュタインバッハの伝統」
「マイニンゲンの伝統 ( Meiningen Tradition )」

というキーワードを度々使われることがあります。
しかし、アーベントロートやヴァント、サヴァリッシュなど、実際にシュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏をしている指揮者達は、こうしたキーワードを使って説明したりすることはなかったのだそうです。
アーベントロートは
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
という感じで説明をしていたらしいです。また、アーベントロートから教わった方も
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
「シュタインバッハ先生から教わったことを、アーベントロート先生はこう言っていた」
という感じで説明していたそうです。

「マイニンゲンの伝統」とは、シュタインバッハに師事したことのあるヴァルター・ブルーメという人物が最初に呼んだものだそうですが、その後、ブラームス研究をする方のうち「シュタインバッハの楽譜への書き込み」に着目した人々(ウォルター・フリッシュなど)がこの「マイニンゲンの伝統」というキーワードを使うようになっています。
一方、アーベントロートが教えた指揮者、音楽家など、演奏する側の人々は
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
そういう言い方をされている。

この「シュタインバッハの書き込み」に関し研究者が本に書いたり論文で検証している内容というのは、演奏をしている現場でのやり取り、 指揮者や音楽家達の直接の伝承とはイロイロ異なる点などあるかもしれませんので、重く考え過ぎてはいけないのかもしれません。 (私、境山の個人的な感想ですが。)

また、「**の伝統」というキーワードが独り歩きすることも、余り好ましくないことなのかもしれません。

857名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:15:27.60ID:9v7JNoY+
(シュタインバッハとトスカニーニは、どういうつながりがあったかは分からないのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。

「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照

858名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:16:48.41ID:9v7JNoY+
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。 ( Brahms in der Meininger Tradition )

ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」
とのこと。

1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していたブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。

859名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 16:17:29.60ID:9v7JNoY+
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を 継いでブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そしてケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートからヴァントへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。

なお、アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)とイコールということでは「無い」。

アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えてテンポが変わることがある、ということなんですが、 しかしそれでも結果として「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。



861名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:41:44.46ID:9v7JNoY+
ブラームス交響曲第2番の聴き比べ
フリッツ・ブッシュ / デンマーク国立放送交響楽団




31EEA5VE93L1690年創立のマイニンゲン宮廷楽団の指揮者には1880年にハンス・フォン・ビューロー,85年にリヒャルト・シュトラウス、86年にフリッツ・シュタインバッハが就く。
そして85年10月にこのオケが初演した曲がある。それがブラームスの交響曲第4番であり、そこでオケに入ってトライアングルをたたいたのがリヒャルト・シュトラウスだった。
シュタインバッハはブラームスと親交が深く彼をマイニンゲンに招き、彼の作品によるザクセン=マイニンゲン地方音楽祭を立ち上げた名高いブラームス指揮者であった。

後年そのシュタインバッハがケルン音楽院で指揮法の教授になった時の生徒がハンス・クナッパーツブッシュとフリッツ・ブッシュである。
この二人のブラームス2番が聴けるというのは幸運なことだが、両者は違う。

862名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:41:54.50ID:9v7JNoY+
クナは自分のブラームスは先生のまねだと言ったらしいがバイロイトに行ってワーグナー指揮者として名を成した芸風の人であり一概には信じ難い。
両者はテンポからして異なり、ブッシュの終楽章は7分55秒と最速クラスだ。モーツァルトを得意とした彼のフィガロやドン・ジョバンニの芸風を持ってきた2番と言えそうだが、はて、こっちもこれが直伝かというと迷う。
かたや4番を聴くと両者には通じ合うものがあるのだが・・・。そこに関してはやはりブラームスと親しく、演奏会で自分の代わりに第2協奏曲を弾かないかと誘われ(断った)、この交響曲2番の作曲者指揮によるライプチヒ初演を聴き、どれかはわからないがブラームス臨席の演奏会で彼の交響曲を指揮し少なくとも解釈にクレームはつかなかったという逸話を持つマックス・フィードラーの終楽章を信頼すべきだろう。

これは驚いたことに四つ振りのやや遅めのテンポで始まり、全奏で速くなる。以後もテンポはよく動きとても流動的だ。ピアノ協奏曲2番をブラームスはとても情熱的に激しく弾きテンポはよく動いたという証言をどこかで読んだ記憶もあり、ほぼ同時期の44歳の作品である第2交響曲も同様の解釈が正解なのかもしれない。フィードラーの演奏を聴いていて僕はふとこれは蒸気機関車から見た光景か?と思ってしまった。彼はエジソンの蓄音機に録音を試みたように機械やニューテクノロジーに並々ならぬ関心を示しており、イタリアやペルチャッハへもSLで行った筈なのである。このブッシュ盤はSLどころか快速電車だが。このCD、モーツァルトの「リンツ」はやはり快速、メンデルスゾーンの「イタリア」冒頭主題は歌いまくる。ドイツ語圏音楽の解釈を考古学的に探ってみたい僕には非常に貴重な音源である。(総合点 : 4)

863名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:44:12.52ID:9v7JNoY+
「ブラームスの4番を聴く」27・・戦前派巨匠の時代9 フリッツ・ブッシュ
フリッツ・ブッシュ(1890 - 1951)

ヴァイオリンのアドルフ、チェロのヘルマンとともにブッシュ3兄弟の長男として主にドイツやイギリスで活躍した名指揮者。主な活動時期が第二次世界大戦と重なり残された録音も少ないため地味な存在ですが、ドレスデン国立歌劇場やイギリスのグライドボーンで音楽監督を務め、数々のオペラの歴史的な名公演をなしとげた名匠。
ブッシュはケルン音楽院でブラームスの盟友フリッツ・シュタインバッハに指揮を学びました。

ブッシュの残されたコンサートレパートリーの数少ない録音中、ブラームスは交響曲第2番と第4番、そして悲劇的序曲の録音があります。




・ウィーン交響楽団
(1950年10月15日  ウィーン 放送用録音)
ウィーン占領下のアメリカ放送局Rot-weiss-rot(赤白赤)放送局収録の聴衆なしの放送用録音。

ブラームスの交響曲第4番を初演したマイニンゲン宮廷楽団をハンス・フォン・ビューローから引き継いだフリッツ・シュタインバッハを、ブラームスは自分の作品の演奏者として最も高く評価していました。
この録音は、そのシュタインバッハ門下のスター的存在だったブッシュが指揮した、まさに「マイニンゲンの伝統」の影響を受けた演奏です。

「マイニンゲンの伝統」については境山さんのHPを参考にしました。
http://www18.ocn.ne.jp/~dirigent/abendroth_brahms.html

864名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 18:44:42.89ID:9v7JNoY+
この中で「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」とあります。

速いテンポの中で正確なリズムを確実に刻みながら聴かせる柔軟なフレージング。ブッシュの演奏はまさにこの「マイニンゲンの伝統」にぴったりの演奏でした。緊張感漂う引き締まったオケの響きも素晴らしい時代を超えた普遍的な名演です。

第一楽章冒頭の第一音は比較的短く開始。45小節のヴァイオリンも短めで、続く第2主題もホルンを喨々と響かせながら雄大に展開していきます。終盤のクライマックスの中で、414小節めに一瞬スーッと力を抜き柔軟な変化をさりげなく聴かせるなんという心憎さ。終結部最後の2小節はテンポを落とさず、最後の音は通常よりも長めに響かせていました。

第二楽章では20小節のクラリネットの微かなポルタメントに僅かに19世紀末の名残が感じられます。再現部65小節から弦楽器の動きを彩る木管楽器の美しさも印象に残ります。
端正でスピード感あふれる第三楽章では117小節1拍めにアクセント付加、中間部のふくよかなPoco meno prestoと前後との対比も見事。

第四楽章も自由な呼吸で音楽を流しながらも常に一定のリズム感が曲を支配し、いつまでも聴いていたいと思わせる演奏でした。トスカニーニのような人を寄せ付けない厳しさとは異なり、懐かしさと温かみも感じさせるのが素晴らしいと思います。

ただ、当時のウィーン響は大戦の痛手から未だ十分に立ち直っていないようで、第四楽章冒頭のトランペットや第三楽章の一部にオケの弱さを露呈させる部分があり、これは大変惜しい。

今回聴いたのはスイスのReliefから出ていたLPです。残響少なめの幾分硬い響きで一部音が割れる箇所もありましたが、各楽器は明瞭、50年の録音としては優秀です。

865名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 20:20:15.92ID:MRctSdYo
長々とありがとう
で、フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?



867名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 07:04:06.31ID:GD5cncAJ
同じ指揮者の42年の名歌手聴いたらよく分かる。
いくらでも置き換えが出来るような凡庸指揮者。

868名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 08:50:49.12ID:Asp20sPc
>フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど
何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?

フルトヴェングラーはドイツの伝統を完全に無視してるんだよ
もともと楽章が終わるごとに拍手していたのをフルトヴェングラーが止めさせたんだ。
ドイツのオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント 奏法で快速インテンポだったのに
フルトヴェングラーがヴィブラート ノンポルタメント奏法の緩急を極端に付けた大袈裟な遅いテンポに変えたんだ

ドイツの指揮者は左手をポケットに突っ込んで大振りなんか絶対にしなかったのに、
フルトヴェングラーが体を振り回す大袈裟な恰好付けの指揮を流行らせたんだ。

フルトヴェングラーは音楽には関心が無くて、観客からどう思われるかしか興味が無かったんだな。
カラヤンを嫌ったのもフルトヴェングラーが恰好付けの元祖・本家本元で、カラヤンに自分の真似をされたと思ったからさ

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c36
[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
37. 中川隆[-14143] koaQ7Jey 2022年1月19日 09:55:21 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[4]
865名無しの笛の踊り2022/01/18(火) 20:20:15.92ID:MRctSdYo
長々とありがとう
で、フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?

867名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 07:04:06.31ID:GD5cncAJ
同じ指揮者の42年の名歌手聴いたらよく分かる。
いくらでも置き換えが出来るような凡庸指揮者。

868名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 08:50:49.12ID:Asp20sPc
>フルトヴェングラーは当然ライバルであるワインガルトナーやアーベントロートやフリッツ・ブッシュの演奏会をたくさん聴いて熟知していたわけだけど
何が決定的に違っていて、どこがどうダメなんだ?

フルトヴェングラーはドイツの伝統を完全に無視してるんだよ
もともと楽章が終わるごとに拍手していたのをフルトヴェングラーが止めさせたんだ。
ドイツのオーケストラはノンヴィブラートのポルタメント 奏法で快速インテンポだったのに
フルトヴェングラーがヴィブラート ノンポルタメント奏法の緩急を極端に付けた大袈裟な遅いテンポに変えたんだ

ドイツの指揮者は左手をポケットに突っ込んで大振りなんか絶対にしなかったのに、
フルトヴェングラーが体を振り回す大袈裟な恰好付けの指揮を流行らせたんだ。

フルトヴェングラーは音楽には関心が無くて、観客からどう思われるかしか興味が無かったんだな。
カラヤンを嫌ったのもフルトヴェングラーが恰好付けの元祖・本家本元で、カラヤンに自分の真似をされたと思ったからさ

869名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 09:24:22.27ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーは絶対音感も無かったし、暗譜では指揮できなかった。
それでトスカニーニやカラヤンに完璧な絶対音感があって、暗譜で格好良く指揮しているのを見て腹立ってしかたなかったんだ。

フルトヴェングラーはカラヤンの指揮については、1940年に「彼らは芸術を裏切り、傷つけ、大衆を惑わせた。彼らが暗譜で指揮する技術といった表面的な資質を過大評価するのなら、彼らは芸術性ではなく勤勉性を讃えることとなる。」(中川P.76) と言っていたように、カラヤンの指揮は大衆受けを狙ったもので、芸術性には欠けていると述べている。後にフルトヴェングラーがヒットラーにワーグナーを暗譜で指揮することは可能かと聞かれたときに、それは不可能だと答えていることからもわかるように、フルトヴェングラーはカラヤンの指揮をまったく信用していなかったと思われる。
しかし、本当にカラヤンの指揮が芸術性もなく、紛い物の指揮であったと思っていたら、なぜあれまでにカラヤンを排斥しようとしたのだろうか。フルトヴェングラーはカラヤンの芸術性を理解していたからこそ、カラヤンの芸術面のみならず、その個性的な指揮のスタイルを脅威と感じていたのではないだろうか。
一方のカラヤンは当時の偉大な指揮者トスカニーニとフルトヴェングラーを研究する機会は決して見逃さなかった。フルトヴェングラーを聴ける機会があれば必ず出かけて行き、最後列の席で聴いていた。カラヤンは特にトスカニーニを敬愛し、多くの影響を受けた。カラヤン自身も「トスカニーニは、私に生涯二度とない圧倒的に印象を与えた人物でした。」(BachmanP.107) と述べている。トスカニーニが1931年にバイロイトで「タンホイザー」を指揮したときには、その演奏を聴くために、自転車に乗ってウルムからバイロイトに向かったという有名な話がある。
しかし、カラヤンがトスカニーニやフルトヴェングラーの音楽について批評めいたことを述べていたり、書いたりしているものを私はまだ知らない。

870名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 09:51:39.67ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーの名演もベートーヴェンだけだしね

バッハではメンゲルベルクには到底敵わなかった
ハイドン・モーツァルト・シューベルトではワルターには到底敵わなかった
ワーグナーではトスカニーニややクナッパーツブッシュには到底敵わなかった
ブルックナーではクナッパーツブッシュには到底敵わなかった
ブラームスではワルターやクナッパーツブッシュには到底敵わなかった
チャイコフスキーではメンゲルベルクやムラヴィンスキーには到底敵わなかった

ベートーヴェンでもクナッパーツブッシュやワインガルトナーの方が良いのが多い

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c37

[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
38. 中川隆[-14142] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:09:42 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[5]
871名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 10:08:05.78ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーが中高生に絶大な人気が有るのは、ティンパニを滅茶苦茶ぶっ叩くからだよ。
ベートーヴェンの第九も第七も第四もコリオラン序曲も人気の9割はティンパニぶっ叩きの凄まじさが理由だね。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c38
[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
39. 中川隆[-14141] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:14:39 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[6]
872名無しの笛の踊り2022/01/19(水) 10:13:52.70ID:Asp20sPc
フルトヴェングラーが難聴になったのもティンパニぶっ叩きが原因さ。
それ以外には人気を維持する方法は無いと悟っていたんだな。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c39
[近代史4] ペトロダラーシステム 中川隆
21. 中川隆[-14140] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:52:17 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[7]

2022.01.19XML
新時代でもヘゲモニーを握るために軍事的緊張を高め、COVID-19騒動を煽る米国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/


 世界は新しい時代へ入りつつある。その新時代でもヘゲモニーを握ろうとしているアメリカを中心とする欧米の私的権力はロシアと中国を中心とする勢力を屈服させようと必死で、ウクライナや東アジアなどで軍事的な緊張が高まっている。中東やアフリカも2勢力が衝突する舞台になってきたが、ここにきてアメリカは中央アジアに火をつけようとしている。

 その一方、私的権力の代理人的な存在であるWEF(世界経済フォーラム)の創設者、クラウス・シュワブはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」するべきだと主張した。

 現在のシステムはドルが中心。そのドルを発行する特権を持つアメリカの私的権力は圧倒的に優位な立場にある。そのシステムを維持するためにドルを実世界から私的権力の下へ還流させる必要がある。そこで考えられたのが石油取引のドル決済と金融規制の大々的な緩和。

 1971年までドルは兌換紙幣であり、金という裏付けがあった。その頃まで金はイギリスの支配下にあった南部アフリカが産出量で圧倒していたことから金本位制の通貨をコントロールできたのだが、その比率が急速に低下していく。そしてリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表したわけだ。

 金という制約なしにドルを発行できるようになったとも言えるが、何も対策を講じないと実世界にドルがあふれ、インフレになってしまう。そこでドルを還流させる仕組みが作られたのだ。

 世界は石油を必要としている。その石油を買うためにドルが必要となれば、各国はドルをかき集めるしかない。そして産油国へドルは集まるが、そのドルがアメリカへ戻る仕組みが作られたのだ。サウジアラビアをはじめとする産油国に対し、アメリカの私的権力はドル決済を認めさせる代償として、ニクソン政権は産油国に対して国の防衛と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の供給、支配的な地位や収入の保障などを約束した。いわゆる「ペトロダラー」の仕組みだ。

 その還流効率を高める意味もあり、私的権力は原油相場の大幅な引き上げを実行した。サウジアラビアのファイサル国王の腹心で石油鉱物資源相を務めた​シェイク・ヤマニ​によると、1973年5月にスウェーデンで開かれた「秘密会議」でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったという。この会議はビルダーバーグ・グループの会合だったことが後に判明する。この会合は1973年5月11日から13日にかけてスウェーデンで開かれている。

 ヤマニによると、ファイサル国王は価格の高騰が代替エネルギー源の開発を刺激するとして値上げに反対していた。そこで国王はヤマニをイランのパーレビ国王の下へ派遣したのだが、そこで「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」とパーレビから言われたという。

 石油相場が急騰した直接的な原因は1973年10月の第4次中東戦争。戦争勃発から10日後、OPECに加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表している。

 この戦争はエジプト軍の奇襲攻撃で始まり、イスラエルは窮地に陥った。キッシンジャーはエジプトのアンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げると同時にイスラエルへ和平交渉に応じるようプレッシャーをかけようとしたとされているが、石油相場を急騰させることもシナリオに含まれていたはずだ。

 当初、戦争はキッシンジャーの思惑通りに進むが、これを懸念する声が国防長官や統合参謀本部議長などから出てくる。そして統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を検討するが、キッシンジャーは妨害したという。後にネオコンの中心的な存在になるリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツはキッシンジャーの動きに激怒している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

 1970年代から金融規制の大幅な緩和で投機市場が肥大化していくことは言うまでもないだろう。実世界から資金を吸い上げて「バブル」という現象が現れるが、これは「ハイパーインフレ」の別形態だ。

 しかし、その後、アメリカの中東における支配力が弱まっていく。ウェズリー・クラーク元NATO欧州連合軍最高司令官によると、2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ラムズフェルド長官の周辺では攻撃予定国リストが作成されていた。イラクを手始めに、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを破壊するとされていたという。


 ドル体制からの離脱を目論んでいたサダム・フセインが支配していたイラクを先制攻撃で破壊したのは2003年。2010年から「アラブの春」というムスリム同胞団を中心とする体制転覆運動が始まり、アフリカに共通通貨を導入しようとしていたリビアのムアンマル・アル・カダフィの体制は2011年に潰された。2001年に攻撃が予定されていた国々は実際、攻撃の対象になっている。

 しかし、それでも中東での支配力を回復するというアメリカの計画は実現していない。そこで中東への依存度を低下させる必要性が強まっているわけだが、これはペトロダラーへの依存を低下させるということでもある。その目的を達成するためにも「カーボンゼロ」、そして通貨のデジタル化は必要なのだろう。デジタル化が進めばコンピュータによる通貨の管理が容易になる。

 リセットを実現するためにも使われているCOVID-19騒動は人びとの行動を制限、生産活動を麻痺させたが、石油の需要を低下させる要因にもなる。その騒動が始まって3年目に入ろうとしている今、「感染」に対する疑問が強まり、「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になってきた。COVID-19の蔓延を演出する道具として使われてきたPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が診断には不適切だということをWHO(世界保健機関)やCDC(疾病予防管理センター)も否定できなくなっているが、それでも日本は使い続けている。PCRのほかに「感染拡大」を演出する有効な手段が思いつかないのだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/822.html#c21

[近代史5] ペトロダラーシステムと米国覇権の終焉 中川隆
2. 中川隆[-14139] koaQ7Jey 2022年1月19日 10:56:21 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[8]
2022.01.19XML
新時代でもヘゲモニーを握るために軍事的緊張を高め、COVID-19騒動を煽る米国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/


 世界は新しい時代へ入りつつある。その新時代でもヘゲモニーを握ろうとしているアメリカを中心とする欧米の私的権力はロシアと中国を中心とする勢力を屈服させようと必死で、ウクライナや東アジアなどで軍事的な緊張が高まっている。中東やアフリカも2勢力が衝突する舞台になってきたが、ここにきてアメリカは中央アジアに火をつけようとしている。

 その一方、私的権力の代理人的な存在であるWEF(世界経済フォーラム)の創設者、クラウス・シュワブはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を利用して資本主義システムを大々的に「リセット」するべきだと主張した。

 現在のシステムはドルが中心。そのドルを発行する特権を持つアメリカの私的権力は圧倒的に優位な立場にある。そのシステムを維持するためにドルを実世界から私的権力の下へ還流させる必要がある。そこで考えられたのが石油取引のドル決済と金融規制の大々的な緩和。

 1971年までドルは兌換紙幣であり、金という裏付けがあった。その頃まで金はイギリスの支配下にあった南部アフリカが産出量で圧倒していたことから金本位制の通貨をコントロールできたのだが、その比率が急速に低下していく。そしてリチャード・ニクソン米大統領はドルと金の交換を停止すると発表したわけだ。

 金という制約なしにドルを発行できるようになったとも言えるが、何も対策を講じないと実世界にドルがあふれ、インフレになってしまう。そこでドルを還流させる仕組みが作られたのだ。

 世界は石油を必要としている。その石油を買うためにドルが必要となれば、各国はドルをかき集めるしかない。そして産油国へドルは集まるが、そのドルがアメリカへ戻る仕組みが作られたのだ。サウジアラビアをはじめとする産油国に対し、アメリカの私的権力はドル決済を認めさせる代償として、ニクソン政権は産油国に対して国の防衛と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の供給、支配的な地位や収入の保障などを約束した。いわゆる「ペトロダラー」の仕組みだ。

 その還流効率を高める意味もあり、私的権力は原油相場の大幅な引き上げを実行した。サウジアラビアのファイサル国王の腹心で石油鉱物資源相を務めた​シェイク・ヤマニ​によると、1973年5月にスウェーデンで開かれた「秘密会議」でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったという。この会議はビルダーバーグ・グループの会合だったことが後に判明する。この会合は1973年5月11日から13日にかけてスウェーデンで開かれている。

 ヤマニによると、ファイサル国王は価格の高騰が代替エネルギー源の開発を刺激するとして値上げに反対していた。そこで国王はヤマニをイランのパーレビ国王の下へ派遣したのだが、そこで「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」とパーレビから言われたという。

 石油相場が急騰した直接的な原因は1973年10月の第4次中東戦争。戦争勃発から10日後、OPECに加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表している。

 この戦争はエジプト軍の奇襲攻撃で始まり、イスラエルは窮地に陥った。キッシンジャーはエジプトのアンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げると同時にイスラエルへ和平交渉に応じるようプレッシャーをかけようとしたとされているが、石油相場を急騰させることもシナリオに含まれていたはずだ。

 当初、戦争はキッシンジャーの思惑通りに進むが、これを懸念する声が国防長官や統合参謀本部議長などから出てくる。そして統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を検討するが、キッシンジャーは妨害したという。後にネオコンの中心的な存在になるリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツはキッシンジャーの動きに激怒している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

 1970年代から金融規制の大幅な緩和で投機市場が肥大化していくことは言うまでもないだろう。実世界から資金を吸い上げて「バブル」という現象が現れるが、これは「ハイパーインフレ」の別形態だ。

 しかし、その後、アメリカの中東における支配力が弱まっていく。ウェズリー・クラーク元NATO欧州連合軍最高司令官によると、2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ラムズフェルド長官の周辺では攻撃予定国リストが作成されていた。イラクを手始めに、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを破壊するとされていたという。


 ドル体制からの離脱を目論んでいたサダム・フセインが支配していたイラクを先制攻撃で破壊したのは2003年。2010年から「アラブの春」というムスリム同胞団を中心とする体制転覆運動が始まり、アフリカに共通通貨を導入しようとしていたリビアのムアンマル・アル・カダフィの体制は2011年に潰された。2001年に攻撃が予定されていた国々は実際、攻撃の対象になっている。

 しかし、それでも中東での支配力を回復するというアメリカの計画は実現していない。そこで中東への依存度を低下させる必要性が強まっているわけだが、これはペトロダラーへの依存を低下させるということでもある。その目的を達成するためにも「カーボンゼロ」、そして通貨のデジタル化は必要なのだろう。デジタル化が進めばコンピュータによる通貨の管理が容易になる。

 リセットを実現するためにも使われているCOVID-19騒動は人びとの行動を制限、生産活動を麻痺させたが、石油の需要を低下させる要因にもなる。その騒動が始まって3年目に入ろうとしている今、「感染」に対する疑問が強まり、「COVID-19ワクチン」の危険性が明確になってきた。COVID-19の蔓延を演出する道具として使われてきたPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査が診断には不適切だということをWHO(世界保健機関)やCDC(疾病予防管理センター)も否定できなくなっているが、それでも日本は使い続けている。PCRのほかに「感染拡大」を演出する有効な手段が思いつかないのだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201180000/


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/683.html#c2

[近代史4] ペトロダラーシステム 中川隆
22. 2022年1月19日 10:56:58 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[9]

ペトロダラーシステムと米国覇権の終焉
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/683.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/822.html#c22
[近代史6] 部落出身の あべ静江 _ 絶世の美女で性格も良く料理上手なのに何故か独身 中川隆
2. 中川隆[-14138] koaQ7Jey 2022年1月19日 12:41:22 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[10]
SHIZUE ABE - YouTube動画
https://www.youtube.com/channel/UCse5vIl159OMjJg7IcELfdQ/videos


#あべ静江 - YouTube
https://www.youtube.com/hashtag/%E3%81%82%E3%81%B9%E9%9D%99%E6%B1%9F
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/144.html#c2

[近代史6] 部落出身の あべ静江 _ 絶世の美女で性格も良く料理上手なのに何故か独身 中川隆
3. 2022年1月19日 12:42:45 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[11]
あべ静江 オフィシャルホームページ
https://abe-shizue.com/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/144.html#c3
[リバイバル3] JBL オリンパス レプリカ 中川隆
11. 2022年1月19日 13:27:28 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[12]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
OLYMPUSシステムのアンプ群の変遷
2022年01月19日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7f01d8f37297bb5bd5b93f17a93fdad1


OLYMPUSシステムを入手したのは2005年6月だった。その頃のアンプ群です。まだマルチアンプにはしていなかった。サイテーション、アキュフェーズ、自作EL34モノラルアンプやマッキントッシュMX110プリ等を揃えていました。

翌年にはオールアキュフェーズで3ウェイマルチアンプを組み上げました。この状態で2年程使い込みました。かなり完成度の高いサウンドを出していました。プリアンプもC-280からC290へグレードを上げています。サイテーションXXとアキュフェーズの組み合わせでは「音の粒立ち」が合いませんでした。

アキュフェーズのM-100の限界を感じて、当時評判の良かったクラッセのCA2200を低域に、中域もクラッセにして見ました。しかし結果は、前のアキュフェーズのお組み合わせの方が良かったですね。

「音の厚み」(音数)に不満で、管球アンプで低域から高域まで交換しました。「音の厚み」については非常に良くなったのですが、低域のパンチ力は管球式では無理だと悟りました。また低域用のVT62プッシュプルモノラルアンプの発熱量が半端なく大きく、夏場はチョッと困りました。

現在の組み合わせに近い低域にレビンソン、中高域にGE6550S管球に落ち着きました。この組み合わせは10年前のモノです。その後、中域をSTC4033Lシングルアンプにして現在に至っています。

お店を閉める時に一度プリアンプとチャンデバを処分しています。再構築して現在のサウンドレベルにするまで3年かかっています。機器は使って潜在能力を引き出してやるのに時間がかかります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7f01d8f37297bb5bd5b93f17a93fdad1

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1123.html#c11

[近代史5] オランダ海洋帝国が繁栄した理由 中川隆
2. 2022年1月19日 15:28:14 : y3o483bN1Y : NHJjeVV5TzZuS00=[13]

2022年01月18日
黄金の馬車に乗る青ざめた国王
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68885395.html


寛容の精神と懺悔の日々

Doutzen Kroes 133Black Pete 29934

  ネーデルラントは「寛容の精神」と「多元的共存(pluralism)」の国として有名だ。様々な民族を受け容れると"文化的豊かさ"を享受できると信じているのか、単一の文化主義よりも、色々な人種や文化を支柱(pillars)にした国家の方が良いと思っている。本当は独自の文化や伝統だけを守り、異人種を排除した方がよっぽといいのに、このゲルマン人王国は不愉快な異民族を取り入れてバルカン半島状態になっているのに気づかない。否、気づいている者はいるが、世間の批判を恐れて黙っている。
---------------------
  註。筆者は日本で一般に言われる「オランダ(Hollande)」を使わず、連邦全体を指す「ネーデルラント(低地)」を用いることにする。(近隣のフランス人やベルギー人も「低い土地Pays-Bas」と呼んでいる。) 以前にも述べた通り、「オランダ」は州名であって国名じゃない。日本でいえば、「関東」や「関西」、あるいは「長州」や「紀州」といった感じの言葉で、国家全体を指す名称ではないからだ。
  また、所謂「オランダ語(hollandais)」はブラバント方言みたいな言葉で、フランドル地方の「フラマン語(flamand)」と同じ類いである。一般国民は「標準ネーデルラント語(néerlandais)」という「教養語」を使っている。我々は英語経由でネーデルラントの事を学んでいるので、中世ラテン語の「teudicus」から派生する「theudisk」をドイツ語で「deutch」と呼び、ネーデルラント語で「duits」、イギリス語で「Dutch」と呼んでいるのだ。
--------------------------
  異民族を易々と受け容れてしまうのは、もしかすると、ネーデルラントの歴史に原因があるのかも知れない。昔から、ここに住むゲルマン系のバタヴィア(Batavi)人にはプロテスタントが多く、スペインのカトリック勢力と戦って独立を勝ち得たことから、宗教的熱狂で異端者を処刑するのは大嫌いだ。『統治二論』や『寛容に関する書簡』で知られるジョン・ロック(John Locke)が、迫害を恐れて逃げ込んだのもアムステルダムであった。彼は大法官になったシャフツベリー伯爵、すなわちアンソニー・アシュリー・クーパー(Earl Shaftsbury, Anthony Ashley Cooper)の知遇を得て、彼の主治医兼私設秘書となった有名な哲学者。

John Locke 1Anthony Ashley Cooper 11Algernon Sydney 001King Charles II

( 左 : ジョン・ロック / アンソニー・アシュリー・クーパー / アルジャノン・シドニー / 右 : 国王チャールズ2世)

  しかし、1683年に起こった「ライ・ハウス陰謀事件(Rye House Plot)」に絡んでいたので、伯爵のもとで働いていたロックも一味じゃないのかと疑われてしまったそうだ。ということで、彼は不本意ながらもイングランドを去ることにし、海を渡ってネーデルラントに亡命することにした。日本では一般的に知られていないけど、この陰謀は反カトリックを標榜する集団が起こした政治騒動で、国王のチャールズ2世と弟のヨーク公爵(後の国王ジェイムズ2世)を抹殺しようと企てた暗殺未遂事件である。逮捕された者は色々な方法で処刑されたという。例えば、かの有名なアルジャノン・シドニー(Algernon Sidney)とウィリアム・ラッセル卿(Lord William Russell)は斬首刑。トマス・アームストロング卿(Sir Thomas Armstrong)と評議会議員のヘンリー・コーニッシュ(Henry Cornish)は縛り首にされた。可哀想なのは、エリザベス・ゴーント(Elizabeth Gaunt)という女性で、彼女は叛逆者達を匿っただけなんだけど、火炙りの刑に処せられてしまった。

  「寛容(tolerance)」というのは、元々「厭なことを耐え忍ぶ」という意味で、「本来ならしたくないけど、仕方ないから我慢する」といった諦念である。なるほど、政治亡命者や宗教的迫害を受けた人を迎え入れるのは立派だが、それは西歐人だけに限定すべきで、アフリカ人とかアラブ人、パキ人、ビルマ人、ベンガル人などは受け容れるべきじゃない。なぜなら、「難民」というのは「将来の国民」になる人、もしくは無期限の「永住者」になるのが普通であるからだ。したがって、非西歐文化圏のエイリアンを認めるのは新潮に考えるべきで、あまり賢明とは言えまい。だいたい、奇妙な人相の外来者を「同国人」とか「仲間」にするのは問題で、いい事なんて滅多に無いだろう。

King Willem Alexander 022(左 / 国王ウィリアム・アレグザンダー)
  最近、ネーデルラントのウィリアム・アレグザンダー国王が、従来使われてきた「黄金の馬車」をリタイアさせ、今後はアムステルダム博物館に展示する、との声明を発表した。日本の一般人なら、「どうして、あんなに素晴らしくて豪華なロイヤル馬車を放棄するのか?」と怪訝に思うだろう。実は、この馬車に描かれている「イラスト」が問題なのだ。馬車の側面には半裸の黒人や南アジア人が描かれており、彼らは王座に坐る白人女性の前でひれ伏し、贈り物を捧げる、といった描写になっている。この屈辱的な絵に対し、ネーデルラントに暮らす黒人やアジア人は大激怒。特に、アフリカ大陸や元植民地からやって来た有色移民やその子孫は烈火の如く怒る。

Golden Carriage The Netherlands 1455(左 / 黄金の馬車 )
  何しろ、奴隷にされた現地人が王権に服従し、卑屈な態度でウィルヘミナ女王(Queen Wilhelmina)を崇めているんだから、黒人奴隷の子孫からすれば、腸(はらわた)が煮えくり返って絶対に赦せない。白色人種のネーデルラント国民にとっては、第17世紀の帝国主義時代ときたら「黄金の勃興期」なんだろうが、征服された有色人種からすれば「暗黒の時代」である。ライデン大学にあるアフリカ研究センターやケンブリッジ大学の研究によれば、オランダ商人による大西洋貿易で、奴隷にされたアフリカ人は約60万人にも上ったという。(Helmer J. Helmers and Geert H. Janssen, eds. , The Cambridge Companion to the Dutch Golden Age, Cambridge University Press, 2018, p.173.)

  日本の主流マスコミは詳しく紹介しなかったが、ネーデルラントの王族が「黄金の馬車」に乗らなくなったのは、主に二つの理由が推測される。一つは、ネーデルラント国内における王室支持率の低迷だ。2020年の世論調査によれば、ウィルヘルム・アレグザンダー国王とマキシマ女王に対する国民の好感度・支持率は68%もあったが、2019年に行われた調査では83%であった。つまり、一年で15%も支持率が低下していたのだ。また、君主政に対する支持率も75%から58%へと下がってしまった。('Dutch royal family less popular, monarchy under pressure', DutchNews.nl, April 27, 2021.)

King Willem Alexander & Queen 223King Willem Alexander & royal family 2567


( 左 : ウィリアム・アレグザンダー国王とマキシマ女王 / 右 : 国王陛下の家族 )

  この激減には様々な要因が考えられるが、その一つは王室の贅沢な暮らしぶりにあるようだ。意外にも、ネーデルラント王室はヨーロッパ諸国の王室の中で最も多く税金を使っているそうだ。公式には6,000万ユーロと発表されているが、実際には3億5,000万ユーロの歳費を使っているらしい。('Hidden costs of royal family make it most expensive in Europe, claim republicans', DutchNews.nl., April 24, 2018.) 確かに、中堅クラスの王室が、イングランド王室よりも多額の公費を使っていれば、左翼議員や異民族は黙っちゃいないだろう。王制打倒を企てる極左分子や共和政支持者が騒ぎ立てるのも当然だ。

  そもそも、非西歐系の国民、つまりトルコ人やスリナム人、マレー人、アラブ系ムスリムからすれば、白人の王侯貴族なんか「赤の他人」である。ネーデルラントのパスパートを持っているからといって、カリブ海のアンティール諸島からやって来た黒人、北アフリカからの元"出稼ぎ人"、有色帰化人から生まれた混血児、あるいは異教徒のアラブ人に同族意識なんて無い。日本人は生まれや育ちが東北とか九州でも、江戸や京都の国民と同じだ。昭和時代までなら、大抵の国民が天皇陛下を尊敬し、地域に関係なく戦国武将が大好き。例えば、熊本の国民は尾張出身でも加藤清正が大好きで、細川護熙なんかは、たとえ総理大臣になろうが「バカ殿」程度の扱いだ。幕臣であった庄内藩士は薩摩藩の西郷隆盛を尊敬していたし、日露戦争で活躍した小倉藩の奥保鞏(おく・やすかた)大将とか、桑名藩の立見尚史(たちみ・なおふみ)大将とくれば、薩長の士族だって一目置く。

Suriname children 9993Dutch blacks 33234


( 左 : スリナム人の子供達 / 右 : ネーデルラントに暮らす非ヨーロッパ系国民)

  しかし、帰化鮮人となれば話は別で、こうした英雄も単なる「赤の他人」で、祖国を植民地にした憎い敵となる。例えば、昔、支那系の永六輔と北鮮人の辛淑玉が対談本を出した。永が熊本へ行った時のエピソードを話し、加藤清正の朝鮮征伐に言及すると、辛は「あっ、いやなヤツですよね」と言い、「征伐って、うちの朝鮮はなにか悪いことをしたのでしょうか?」と疑問を投げかけた。そして、永が清正公の「虎退治」を述べるや、辛は再び「虎は何か悪いことをしたのでしょうか?」と尋ねたのである。(永六輔 / 辛淑玉『日本人 対 朝鮮人』光文社、1999年、p.27.) 所謂「朝鮮征伐」は朝鮮人が敵じゃなく、宗主国の支那が日本の敵であったから、朝鮮人なんかは下っ端の雑兵でしかない。つまり、小早川秀秋や加藤清正にとったら、支那人の属国になった手下を討ち取ったまで。在日鮮人は朝鮮の惨めな歴史を認めたくないから、朝鮮兵を勇敢な戦士と勘違いしているのだろう。

  また、永が清正公の墓を見物した時、その周りに朝鮮人の墓を目にしたという。永は日本人が技能を持った朝鮮人を大切にし、その技術を尊敬したと述べたら、辛は再びケチをつけた。「加藤清正だって、今でいう強制連行で朝鮮人を日本に連れて来たけどお墓までつくった。なのに、この百年は墓どころか命をゴミとして扱った」と言いたい放題。(上掲書、p.38.) まぁ、朝鮮学校で教育を受けた在日鮮人には何を言っても無駄である。

  脱線したので話を戻す。もう一つの要因は、BLMから刺激を受けた黒い「ネーデルラント国民」の反抗心と民族意識の勃興であろう。ネーデルラントはヨーロッパ世界における「多文化・多民族主義のメッカ」であり、国民の大多数が深刻な"リベラル思想"に冒されている。ネーデルラント国民の精神病は致命的で救いようがない。政界や財界のみならず、教育界や藝能界にもユダヤ人やアラブ人が大勢紛れ込んでいるから、"人種的多様性(racial diversity"とやらが矢鱈と持て囃されている。例えば、労働党は多民族主義に汚染されており、党首はアムステルダム市長から下院議員になったヨブ・コーエン(Marius Job Cohen)が務めていたし、ロッテルダムの市長にはモロッコ人のアフメッド・アブタレブ(Ahmed Aboutaleb)が当選し、堂々と就任していたのだ。

  国民の”質”が変われば、"国民性”にも異変が起きるのは当然である。非西歐系の国民はネーデルラントの伝統や文化に反感を覚え、ゲルマン系国民が先祖代々受け継いできた歴史的遺産にも怨みを抱く。例えば、ネーデルラントのクリスマスでは、サンタクロース(Sinterklaas)に同伴する厄介な助っ人、「黒いピーター(Zwarte Piet)」が恒例となっている。子供達にプレゼントを配るサンタクロースは、赤い服を着て髭を伸ばした白人が演じるが、小姓の「ピーター」役には、顔面を黒く塗った白人がなっていたから問題となった。

Christmas festival in The Netherlands 3Black Pete demo in the Netherlands 2

( 左 : サンタクロースと黒いピーター / 右 : 「黒いピーター」に扮した西歐系ネーデルラント人 )

  PC(政治的に正しい言葉遣い)やBLM(黒人運動)の影響を受けたネーデルラントでは、「こうした黒塗りのキャラクターは人種差別的だ !」という意見が湧き起こり、有色人種の国民や知識人、主流メディアからの批判が激しくなっている。昨年のことだが、約100名の抗議者が街に繰り出し、「黒いピーターを叩き出せ !」と叫んだらしい。('Anti-racism activists stage demo against Dutch Black Pete', Associated Press, 13 November 2021.) こうした左翼活動家に阿(おもね)ったのか、マルク・ルッテ(Mark Rutte)首相は、もはやクリスマスの祭りでは、聖ニコラウスの伝統である黒いピーターを用いることはない、と発表したそうだ。(Sou-Jie van Brunnersum, 'Dutch PM deems Black Pete tradition racist', Deutsche Welle, 5 June 2020.)

  問題となった「黒いピーター」は、文字通り小馬鹿にされるような黒い肌の黒人である。しかも、縮れ毛の鬘(カツラ)に真っ赤な口紅ときているから、アフリカ系の「ネーデルラント国民」にしたら我慢がならない。ネーデルラント人の説明によれば、「ピーター」はスペインに居たムーア人奴隷を誇張したキャラクターであるそうだ。しかし、高等教育を受けた有色国民はには納得できない。こうした「差別文化」に激怒した一人が、「オランダ奴隷・遺産研究国家機構」の所長を務めるリンダ・ノイトミア(Linda Nooitmeer)である。彼女はネーデルラントに根づくレイシズムに恨みを抱き、それを認識したルッテ首相を高く評価した。この怒れる黒人は「何としても悪しき伝統を廃絶せねばならぬ !」と意気込んでいた。

Linda Nooitmeer 0022Black Pete demo in the Netherlands 3

( 左 : リンダ・ノイトミア/ 右: 「黒いピーター」に反対する黒人の活動家 )

  ノイトミアの怒りは「黒いピート」に留まらず、ネーデルラント白人による国民への"抑圧"にまで及んでいた。彼女は同胞の黒人に対して、ヨーロッパ白人の氏族名(last name)を棄てて、「アフリカ人の名前」に変えるよう呼びかけた。例えば、「ヤンセン(Jansen)」とか「デ・ヨング(De Jong)」、「ヴァン・デァ・バーグ(van der Berg)」とかは、奴隷を所有する主人(ドミヌス)の名前だから、アフリカ系国民は自分の民族性に目覚めて、「アベベ(Ababe)」とか「ブール(Buhle)」、「オコエ(Okoye)」、「ケニアッタ(Kenyatta)」といったアフリカ人のラスト・ネームにすべし、という訳だ。

  これは丁度、通名を止めて、祖先の本名を使用するよう勧めた在日鮮人の左翼と同じ理屈である。もちろん、誰がどんな氏族名やファースト・ネームを附けようが本人の勝手である。しかし、アフリカやアジア、南米出身の「ネーデルラント国民」が、祖先あるいは同胞の名前を誇りにするなら、嫌いなネーデルラントに住んでいないで、さっさとスリナムやトルコ、あるいはモロッコやイランに戻るべきだ。どうして祖先を奴隷にした白人と共存し、彼らから社会福祉を受け取るのか? 学校でネーデルラントの歴史を学ぶ際、白人主体の歴史観が嫌いなら、アフリカ大陸に帰って現地の言葉を使いながら「黒人の歴史」を学べばいいじゃないか?

  黒人やムスリムの活動家は二枚舌の御都合主義者だ。彼らは白人国家にタカリながら、フリジア人やバタヴィア人に向かって「お前達の過去は間違っている ! 残酷だ ! もっと黒人に配慮した社会にしろ ! 人種の平等と人権を尊重した政治にすべし !」 と叫ぶ。しかし、彼らの浅黒い両親や祖父母は、貧しい祖国が大嫌いで豊かなヨーロッパに移り住んできた。しかも、"自主的に"、だ ! 白人の愛国者は有色人種の移民なんか喜ばなかったし、彼らを"仲間"とも思わなかった。むしろ、色々な理由を拵えて追い払おうとしたが、偽善者のインテリと強欲な財界人が邪魔をし、低賃金で使える「現代版の奴隷」を次々と輸入したのである。

  したがって、本来、恨み骨髄の黒人たちが非難すべきは、"レイシスト"の白人ではなく、移民を呼び寄せた経営者とか親切なフリをする人権派の連中であろう。冷静に考えてみれば、「おかしい」点はいくらでもある。どうして、有色移民を嫌う白人の庶民が彼らと一緒に暮らし、移民や難民を呼び寄せた知識人や大富豪が、彼らと離れて暮らすのか? リベラル思想を掲げるテレビ局や、左翼番組に資金を提供するスポンサー企業の重役は、トルコ人やモロッコ人が密集するゲットーに邸宅を構えているのか? 

  また、ヨーロッパに住み着く有色移民は、矢鱈と白人至上主義を糾弾するが、それなら、アラブ人やユダヤ人は、中東アジアかアフリカ大陸の一角に「人種の坩堝国」を造って、エジプト人やトルコ人、インド人、ペルシア人、ベトナム人、支那人と一緒に暮らせばいいじゃないか。でも、こんな多民族国家は誕生しないし、多民族主義のユダヤ人は一目散に逃亡するか、唾を吐いて放棄する。第一、アジア人やアフリカ人には、"まともな国家"を建設・維持・管理・運営する能力が無い。

日常にはびこるレイシズム

  ゲルマン系のネーデルラント人は、寛容な精神に基づくリベラル思想や、多文化主義を支える多元化社会を自慢するけど、本音の核心は違った原理で動いている。スリナムやアンティール諸島からやって来た有色移民は、ネーデルラント白人の偽善的な行動や陰険な人種差別に日々曝されていた。

  例えば、29歳の或るスリナム系黒人は、医者として働いていたが、私生活で謂われ無き差別を受けていたという。それほど昔でもない頃、彼は従兄弟と一緒にクラブへ行ったそうだ。しかし、彼らは入店を拒絶され、ドアの前で店員から「身分証明(ID)を見せろ !」と要求されたらしい。二人は運転免許証を提示したが、なぜか入店を許されなかった。そこで、彼らは店長に理由を尋ねた。ところが、クラブの主人は全く答えなかったという。その一方で、現地(autochthonous)のネーデルラント人、すなわち白人客は店に入っていったそうだ。丁度その時、たまたま警察官が通りかかったので、彼らは助けを求めようとしたが、このパトロール警官達も店長と同じ種類の「現地人」で、彼らは何もしてしれなかったそうである。(Dienke Hondius, 'Black Dutch Voices : Reports from a Country that Leaves Racism Unchallenged', in Philomena Essed and Isabel Hoving, eds., Dutch Racism, Rodopi, Amsterdam and New York, 2014, p.282.)

Burqa 5621black students 11


(左 : イスラム教徒の女性 / 右 : 非ヨーロッパ系の学生達)

  別の黒人で23歳の男子学生も、ディスコの入店を断られた経験があるという。彼は街中でも奇異な目で見られることが多く、野球帽のような帽子(cap)を被り、ブード附の上着と半尻の腰パン姿で歩くと、人々は彼と離れて歩いたという。すると、彼は皆に言いたくなったそうだ。「ヘイ、俺はアンタ達を狙う"引ったくり強盗"じゃねぇぞ !」、と。確かに、ラップ・ミュージシャンのような格好なら、白人の通行人は何らかの「恐怖心」を感じ取って、こうした黒人を避けてしまうだろう。黒人の若者からすれば、"御洒落"のもつりかも知れないが、まっとうなヨーロッパ人からすれば、"下品なファッション"に過ぎない。

  28歳の黒人学生も人種の壁に悩んだそうで、一応「オランダ語」を話すけど、ネーデルラントでくつろぐことはないし、ここを祖国(郷里)とも思えないそうだ。就職のために面接を受けた時も、肌の色で落とされるし、何年住もうが「この国では歓迎されていない」と感じるそうだ。黒人女性も職場での人種差別を感じるそうで、医療福祉の現場で働くある黒人女性は、患者から拒絶されるケースがあるという。つまり、黒人に介護されるのは厭、という訳だ。60歳になる元教師のスリナム系女性も、苦い経験があるそうで、学校の生徒達が彼女を教師と思わず、一瞥もしなかった、というのだ。なぜなら、ネーデルラント人の子供達は、彼女を"清掃員"と思っていたからだ。(上掲書、p.283.)

  現在の有色系国民は、それほど露骨な差別を受けていないが、半世紀前のネーデルラント社会では、けっこう赦しがたい差別や侮蔑があったそうだ。ある高齢のスリナム系女性は辛い過去を語っている。「私の息子は(白人)から"サンボ"と呼ばれていたのよ !」と。63歳になる別の女性もレイシズムについて述べていた。彼女の息子は学校で"黒ん坊(zwarte neger)"と呼ばれ、クラスの子供達から「お前なんか国(出身国)へ帰れ(ga terug naar je land) !」と罵られたそうだ。

  31歳になる別の女性も露骨な差別を受けていた。彼女が道でバスを待っていると、運転手はそこで止まらず、彼女の前を通り過ぎてしまったのだ。アンティール諸島出身で23歳になる女性は、現在ロッテルダムに住んでいるが、7歳の頃を思い出し、当時の様子を述べていた。彼女が幼い頃、黒人の子供が白人の友達を持つことは非常に稀であった。哀しいことに、「同じ国民」とは言うものの、ネーデルラントで生まれ育った彼女は、依然として「外国人」と観られていた。それゆえ、彼女は心の底で「私は本当にオランダ人なの?」と自問自答し、劣等感に苛まれていたという。(上掲書、p.284.)

  アンティール諸島からの黒人やアラブ系のムスリム、マグレブ諸国からの異人種が体験した人種差別を話し出すと切りが無い。民族学や移民研究を専門にしている大学教授なんか、本質的には無駄飯ぐらいの左翼か、有害な言論を撒き散らす道楽者だ。こうした知識人というのは、勝手に居坐ったアフリカ人やアラブ人にインタビューをして、彼らの不満や怨念を長々と書く。どんなに馬鹿らしい内容でも、形式を整えた「研究論文」なら立派な「業績」となり、大手マスコミからの称讃を受ける。日本の大学教授は更に酷い。彼らは歐米の左翼学者が出版したクズ本を翻訳して、さも立派な「業績」にして自身が出した「著作」のプロフィール欄に載せている。こんなのは「二番煎じ」というか、生ゴミ捨て場で拾ってきた煮干しを再使用して、「一番出汁(ダシ)」と称するようなものだ。

  そもそも、ネーデルラント王国はバタヴィア人やジュート人、アングロ・フリジア人、サリカ・フランク人などのゲルマン民族が主流の国家だから、カリブ海の黒人なんか"対等"の国民にならないし、同じ権利を持つ"同胞"にはならない。令和の高校生や大学生は、どのようなタイプの人間を「ネーデルラント人」と思っているのか分からないけど、映画ファンの日本人なら、『エマニュエル夫人』に出演した女優のシルヴィア・クリステル(Sylvia Kristel)とか、モデル出身のダニエラ・ヴァン・グラース(Daniella van Graas)などを挙げるだろう。格闘技ファンなら、ピーター・アーツ(Peter Aerts)やセーム・シュルト(Semmy Schilt)じゃないのか。音楽ファンだと間違いなく、人気ロック・ギターリストで2020年に亡くなった、「ヴァンヘイレン」のエディー・ヴァン・ヘイレン(Edward van Halen)を挙げるに違いない。後は、来日したこともあるサックス演奏者のキャンディー・ダルファー(Candy Dulfer)くらいだろう。

Silvia Kristel 002Daniella van Graas 334Candy Dulfer 4


(左 : シルヴィア・クリステル / 中央 : ダニエラ・ヴァン・グラース / 右 : キャンディー・ダルファー )

  とにかく、日本や歐米諸国にはびこるリベラル派や人権活動家は頭がおかしい。だいたい、ネーデルラントのゲルマン系国民が、いくら人種平等主義を唱えたからといって、彼らが書類上(国籍上)のスリナム人やモロッコ人を「同胞」と見なすのか? 東大や慶応などの左翼教授ならともかく、正常な日本人であれば、K-1で活躍したアーネスト・ホースト(Ernesto Hoost)やレミー・ボンヤスキー(Remy Bonjasky)を「ネーデルラント人」とは思わない。日本人が思い描く「オランダ人」というのは、北方種族のアーリア人、つまり西歐系の白人である。

Peter Aerts 001Semmy Schilt 001Remy Bonjasky 33Ernesto Hoost 001

(左 : ピーター・アーツ / セーム・シュルト / レミー・ボンヤスキー / 右 : アーネスト・ホースト )

  長崎県には「長崎オランダ村」というテーマ・パークがある。もし、この娯楽施設で大勢のアフリカ黒人やアラブ人、あるいは髭面のトルコ人やチュニジア人が堂々と闊歩していたら、観光客の日本人はどう思うのか? たぶん、「えぇ〜っ !!」と驚き、「何で不気味な外人がうろついているんだ?!」と怪訝に思うだろう。大半の日本人は西歐白人がもたらすヨーロッパ文化を堪能したいだけ。お金を払って九州にまでやって来るのに、そこで交流する「オランダ人」が「中東アジア人」なんて馬鹿げている。それゆえ、いくら大金をかけて長崎に「コンゴ村」とか、「モロッコ牧場」を造っても、維持・管理できるだけの収益は見込めないだろう。「にゃんこスター」のアンゴラ村長を園長にした「アンゴラ風テーマ・パーク」を造っても無理。小池百合子とフィフィを起用した「エジプト遊園地」を建設しても、人気が出るとは思えない。

Koike Uriko 111Koike Uriko 122Elizabeth Taylor 33

( 左 :「魔法使いサリー」に扮した小池百合子 / 中央 : 「かまやつひろし」風の「メーテル」に扮した小池都知事 / 右 : 「クレオパトラ」を演じたエリザベス・テイラー)

  まぁ、「女帝」と呼ばれた小池都知事なら、アトラクションのメイン・キャラクターになるかも知れない。例えば、エジプトの「女王」役を申し出れば、「なるほど、名案かも・・・」と受けてくれる可能性もある。何しろ、大女優のエリザベス・テイラーが演じたこともあるので、自信満々の都知事様は「あら、私って、メークをするとエリザベス・テイラーにソックリかも !」と言い出しかねない。そう言えば、「東京全体をアニメランドにする」といった小池氏の公約はどうなったのか? 筆者は「魔法使い」サリーに扮した小池百合子よりも、「キューティー・ハニー」を演じるネーデルラント人モデルを見たい。例えば、ドゥツェン・クロース(Doutzen Kroes)とか、ロッテ・ファービーク(Lotte Verbeek)なんかは最高だ。(ファービークはネーデルラント出身の女優だが、英米の藝能界でも活躍している。たぶん、日本の洋画ファンなら知っていると思うが、彼女は米国の人気TVドラマ『ブラックリスト』にも起用され、ロシア人スパイの「カタリーナ・ロストヴァ」役を演じていた。)

Doutzen Kroes 111Lotte Verbeek 244Elizabeth Taylor 5


(左 : ドゥツェン・クロース / 中央 : ロッテ・ファービーク / 右 : エリザベス・テイラー )

  一般の日本人は気づいていないけど、我が国は既に世界でもトップクラスの移民受け容れ国で、4位か5位になるくらい、大量の外国人を「技能研修生」という名目で輸入している。まだ、多くの一般国民は日本を「日本人の国」と思っているが、その幻想は数年後、あるいは十数年後に崩れてしまうだろう。さすがに、皇室の馬車は廃止されないと思うが、秋篠宮家の愚行を目にすると、皇室伝統は安泰とは言えなくなる。我が国にも段々とイスラム教徒が増えているし、日本各地の森林や観光地が支那人によって買収されているから、日本の伝統維持は益々難しい。昔、山口百恵と三浦友和が共演した『ふりむけば愛』という映画があって、物語はハッピーエンドで幕を閉じたが、令和の日本だと『ふりむれけば支那』という映画が作られそうだ。まさか、日本が「倭人自治区」になることはないよねぇ〜。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68885395.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/121.html#c2

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > NHJjeVV5TzZuS00= > 100000  g検索 NHJjeVV5TzZuS00=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。