★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100258
 
g検索 koaQ7Jey   g検索 3bF/xW6Ehzs4I
 前へ
中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100258
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100258.html
[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
13. 中川隆[-11913] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:20:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[61]

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。

参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c13

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
14. 中川隆[-11912] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:26:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[62]

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、


第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。


「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。


「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。


三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。

拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。


信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。


美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。


外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。

更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg


《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c14

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
15. 中川隆[-11911] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:32:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[63]

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。

 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。

 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。

 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。

▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)

上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。

皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。

森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。

軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。

長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c15

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
52. 中川隆[-11910] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:41:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[64]

正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 


031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。


特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。


前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。

思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です

欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。


長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。

◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 


投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html



▲△▽▼

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html



▲△▽▼

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。


参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)



▲△▽▼


それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。

これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。

「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。

「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。

三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。


拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。

信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。

美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。

外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。


更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg

《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html

▲△▽▼

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。


その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。


左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。


 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。


 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。


 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。


▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)


上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。


皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。


森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。


軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。


長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c52

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
43. 中川隆[-11909] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:41:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[65]

正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 


031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。


特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。


前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。

思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です

欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。


長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。

◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 


投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html



▲△▽▼

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html



▲△▽▼

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。


参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)



▲△▽▼


それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。

これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。

「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。

「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。

三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。


拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。

信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。

美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。

外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。


更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg

《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html

▲△▽▼

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。


その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。


左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。


 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。


 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。


 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。


▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)


上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。


皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。


森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。


軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。


長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c43

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
165. 中川隆[-11908] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:42:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[66]

正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 


031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。


特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。


前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。

思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です

欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。


長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。

◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 


投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html



▲△▽▼

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html



▲△▽▼

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。


参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)



▲△▽▼


それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。

これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。

「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。

「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。

三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。


拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。

信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。

美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。

外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。


更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg

《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html

▲△▽▼

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。


その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。


左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。


 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。


 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。


 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。


▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)


上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。


皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。


森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。


軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。


長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c165

[近代史3] エイゼンシュテイン イワン雷帝 (1944年,1958年)

エイゼンシュテイン イワン雷帝 Иван Грозный (1944年,1958年)


監督 セルゲイ・エイゼンシュテイン
脚本 セルゲイ・エイゼンシュテイン
音楽 セルゲイ・プロコフィエフ
撮影 アンドレイ・モスクヴィン エドゥアルド・ティッセ
公開 1944年12月30日(第1部)、1958年月日不明(第2部)
上映時間 99分(第1部)、88分(第2部)

動画

イワン雷帝 第1部(1944) – gloria.tv
https://gloria.tv/video/8GCpNUsA3CsmD9XbbD1gW2X9T

イワン雷帝第2部貴族の陰謀=エイゼンシュテイン日本語終わり25mは幻の第3部未公開あり - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dl5OskTEFBE


▲△▽▼


キャスト

イワン4世:ニコライ・チェルカーソフ
エフロシニア・スタリツカ:セラフィマ・ビルマン
ウラジーミル公:パーヴェル・カドチニコフ
アナスタシア皇妃:リュドミラ・ツェリコフスカヤ

第1部(1944年)
16世紀半ば、帝位に就いたイワンはロシアを強力な統一国家にすべく邁進するが、それを快く思わない伯母のエフロシニアは、彼の愛する妃アナスタシアを毒殺してしまう。悲嘆にくれたイワンは退位して田舎に引きこもるが、民衆の熱い要請を受けて、再び帝位に返り咲く。

第2部(1946年)
民衆の熱い要請を受けて再び帝位に返り咲いたイワンであったが、宮廷内では依然としてエフロシニアを中心とする反イワン派の抵抗を受けていた。イワンはこの状況を打開すべく大粛清を決行する。

『イワン雷帝』(イワンらいてい 原題:Иван Грозный)は、1944年から1946年にかけて制作されたソ連映画。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督。

“イワン雷帝”ことイヴァン4世の生涯を描いた作品。
全3部構成で制作される予定であったが、第1部は時の権力者ヨシフ・スターリンから高く評価されたものの、第2部はスターリンを暗に批判した内容であったため上映禁止となり[1]、第3部は完成されなかった。第2部のラスト数分がカラー映像になっている。


エイゼンシュテインは1928年にモスクワで行なわれた2代目市川左團次の歌舞伎初の海外公演を観劇し、大いに感銘を受けた。その影響から、第1部ではクローズアップ・ショットで主人公に見得を切らせるという、歌舞伎的な様式の演出を用いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E9%9B%B7%E5%B8%9D_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

▲△▽▼

『イワン雷帝 第一部』(1944)歴史映画しか撮らせてもらえなかった、かつての巨匠の晩年。 2006/10/30
https://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200610/article_12.html


 映画史上、とりわけ制作における重要な理論であるモンタージュ理論とその効果的な実践で、社会主義陣営のみならず、全世界の映画界、なかでも制作者全体に多大なる影響を与え、革命を巻き起こしたのはセルゲイ・エイゼンシュテイン監督でした。

 彼の代表的作品である『戦艦ポチョムキン』ではモンタージュはもちろん、シンメトリー的配置の美しさ、遠近法の利用、図形イメージの連動と象徴性などにより観客の感情を意図的にコントロールして、自らの望むとおりに政治的に誘導していくプロパガンダとしての巧妙さも手伝い、全世界的に物議を醸した作品に仕上がりました。

 それは1925年であり、彼が世界で最も重要な映画人となった時代でした。しかし時代は常に動いているのです。この後には『ジャズ・シンガー』に代表されるように、トーキー革命の波がサイレント映画と映画界全体を呑み込み、サイレント映画では重要であったモンタージュ的な手法、演劇的な大げさな演技しか出来ず、声に魅力の無い俳優たちをも一気に飲み込んでいきました。

 映画界のみならず、政治的なトレンドも20年代と40年代では全く違ったものになりつつありました。米ソを代表とする連合国対日独伊枢軸国の対立構造から、アメリカに代表される自由主義連合対プロレタリア独裁制のロシアに代表される共産主義連合に移っていきました。

 まだ戦争は終わってはいませんでしたが、余力のあった米ソにとっては「来たるべき日」に備えた準備が水面下ではしっかりと進められていました。この頃の映画を観ても解るように、アメリカ映画では日本やドイツよりもソ連を恐れていたような台詞を多く見かけます。

 こういった状況の中ではかつての世界的革命家であるエイゼンシュテイン監督は浦島太郎的な時代遅れの映画人になりつつありました。完成した作品を見ても、『戦艦ポチョムキン』並みに成功した作品は皆無であり、『十月』は酷評されました。

 またスターリン体制下での弾圧も行われていったために、のちに撮った作品の多くは歴史物になってしまい、彼が撮りたかったであろう現代劇はただの一本も撮れませんでした。

 さらに追い討ちをかけたのが『メキシコ万歳』『ベージン草原』などの度重なる制作途上での作品の撮影中止と制作そのものの中止でした。『メキシコ万歳』は70年代後半になってようやく陽の目を見ることになりました。この『イワン雷帝』にしても第二部が公開されたのはスターリンの死後でした。当然ながらエイゼンシュテイン監督も既に鬼籍に入っていました。

 では一体巨匠の最後となってしまったこの『イワン雷帝 第一部』及び第二部はどのような内容だったのでしょうか。今日は一部についてのみの記述となります。

 光と影、とりわけ影が作品に与える劇的効果の力強さは圧倒的であり、その美しさもまた健在でした。莫大な予算と人件費を惜しげもなく使いまくる凝りに凝ったセット、俳優達が着ていた豪華絢爛な衣装の美しさにも目を奪われる。

 こうした煌びやかな衣装やセットをソビエト時代の現代劇では見れないので、ロシア映画界が持っていた実力と映画への意気込みを見るには最適なサンプルかもしれません。しかし国民全体が対独戦線の状況に緊張感を持って身構えている時に、金貨で行水を受けるような冒頭の戴冠式やふかふかのベッドは嫌味でしかない。

 『アレクサンドル・ネフスキー』のような民族的かつ肉体的な美しさを表現した映画ではなく、権力側の裏切りや腐敗などをテーマに語っていくこの作品は誰に向けて制作されたのかが非常に微妙な作品でもあります。

 芸術家が監督した時代劇、それも時間と予算を湯水のように使ったそれである。過去を描いたはずのこの作品が体制固めに躍起になっていたスターリンを刺激し、エイゼンシュテイン自身が弾圧されていくのはなんとも皮肉な話である。

 この第一部での見所は前述したように影と遠近法を最大限に利用した人物の配置、シンメトリーを強く意識した構図、迫力ある城郭攻防戦などのロケ・セットと爆破、そして豪華な衣装
などが挙げられる。

 演技面ではサイレント時代の名残りのような大げさな演技を見ることになる。目で演技する俳優たちの感情表現の巧みさには恐れ入るが、歌舞伎を見るような見得の切り方には違和感がありました。サイレントならばとても解りやすい良い演技であるとは思うのですが、これはトーキー映画なのです。

 説明的な台詞がなくとも大いに楽しめるエピック映画ではあるのですが、わざとらしいクロース・アップの多用は反って興を削ぐ。派手なシーンだけではなく、このような謀略を暗示させるシーンがあることにより、作品の質と奥行きが大きく、そして深いものになっているのは承知しています。でもわざとらしい。

 一部と二部をまとめて見ても十分に楽しめる作品であることも間違いない。本来は第三部まで制作する予定だったそうですが、エイゼンシュテイン監督の死亡のためについに制作されることはありませんでした。なんやかんや言いましたが、まあ結局、僕はエイゼンシュテイン監督作品が大好きなんですよ。『戦艦ポチョムキン』も合わせて、劇場で三本まとめて一日で観てしまうくらいですから。また観たい。今度は『ベージン草原』も観たい。
https://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200610/article_12.html

▲△▽▼


「ひどい代物だ!」 なぜスターリンはエイゼンシュテインの『イワン雷帝』の続編を容認できなかったか 2018年1月10日
https://jp.rbth.com/history/79540-iwan-raitei-eiga

 セルゲイ・エイゼンシュテインによる最後の映画イワン雷帝の二部作は、スターリンの要請で制作されたが、それぞれ異なる運命をたどった。有名な『戦艦ポチョムキン』も手掛けたこの監督は、第一部で最高の国家賞を受賞したが、第二部は当時非常に恐ろしかったスターリンその人から激しく批判された。ロシア・ビヨンドが、エイゼンシュテイン生誕120年の前夜にこのお話を皆さんにお届けしよう。


 「…エイゼンシュテインのイワン雷帝、第二部。あなた方の中に見た者がいるかどうか知らないが、私は見てきた。あれはひどい代物だ!」ソビエトの指導者ヨシフ・スターリンは1946年8月の共産党幹部会でこう言った。エイゼンシュテインの映画の第一部が第一級のスターリン国家賞を受賞してまだ一年も経っていない時だ。映画を注文したスターリンは、ロシアの第一代ツァーリの姿が映るその映画を楽しんだ。

 第一部はイワン4世の治世の始まりを描いている。支配者が実際に雷のごとき恐ろしさを露呈し、高位の貴族層から現実の敵と潜在的な敵とを排除する残酷な政策を始めるより前の時期である。第一部では、イワンは国を偉大にすることを誓い、内外の敵と戦う。これは政治的不安定さが去った後に必要となる行動計画だった。強く自信に満ちたツァーリは彼の公約を実現させていく。国外では長年の宿敵タタール人を破り、国内では皇帝の権力を強めようとする間に貴族たちの陰謀に遭う。

“優柔不断なイワン雷帝”


 ここまではスターリンにとって何の問題もなかった。ところが、第二部では貴族たちの反対勢力の伸長が描かれ、イワンの治世中最も論争のある時期であるオプリーチニナ、つまり貴族に対する恐怖政治の時期が扱われている。エイゼンシュテインはスターリンの期待に沿う形でそれを描くことができなかった。また監督はツァーリの人格の描き方を誤ったとして嵐のような批判の矢面に立った。

 しかしイワンの表象のどこに問題があり、なぜ世界初のプロレタリア国家の指導者にとって中世ロシアの支配者を描き出すことが重要だったのか。答えのいくつかは、監督とスターリン、その他何人かのソビエト高官が出席した1947年2月の会議の議事録に見出すことができる。

 「ツァーリ・イワンは偉大で賢明な支配者だった。彼の賢明さは、彼が国家的観点に立ち、外国人を国内に入れなかったという点に表れている。...イワン雷帝はとても残忍な人物だった。彼を残忍な人間として描くことはできるが、彼がなぜ残忍でなければならなかったのか説明しなければならない。イワンに関する誤解の一つとして、彼は五大封建領主の家族を完全に虐殺してはいない。...それなら後で問題もなかったろう。...彼はもっと決断力のある人物だったはずだ。」スターリンはこう述べ、エイゼンシュテインのイワンは「優柔不断でハムレットを思わせる」と指摘している。会議に同席した有名なソビエト高官のアンドレイ・ジダノフによると、監督はツァーリを“ノイローゼ患者”にしてしまった。

中世ロシアのクー・クラックス・クラン


 ツァーリの人格の他に、エイゼンシュテインは貴族との彼の戦いについても異なる見方をしていた。スターリンによれば、イワンが敵と戦うために編成した近衛兵による連隊、オプリーチニキは“正規軍”で“先進的な軍”だった。「あなたはオプリーチニキをクー・クラックス・クランのように描いている。」スターリンはこう言って監督を叱責した。

 議事録から読み取れる限り、会話の中には珍しい一場面もある。エイゼンシュテインが、皮肉とも取れる風にソビエトの指導者に反論しているのだ。監督は、クランのメンバーが白いフードをかぶっているのに対し、映画の登場人物は黒のフードをかぶっていると答えている。

 概してスターリンは、イワンの恐怖政治に対するエイゼンシュテインの否定的な態度に賛同することができなかった。彼は、恐怖政治は当時国を強くするのに役立ち、国をばらばらにしようと画策する封建領主たちから国を守った進歩的な方策だったと主張した。


スターリンと映画

 このエピソードから、スターリンが映画に対して特に注意を払っていたことは明らかだ。「スターリンは[他のいかなる芸術形態より]映画の制作を計画することに傾いていた。彼は、現代のイデオロギー闘争という当時の政治状況の観点から特に都合の良さそうな歴史上の既成の人物像を利用するのが常だった。」有名なソビエトの作家コンスタンティン・シモノフは、スターリンの映画に対する態度をこのように説明している。よって、常に心理的な思索に耽る、弱く決断力に欠ける支配者の像は、何のプロパガンダ的役割も果たし得なかったため、スターリンにとっては全く不必要だったのだ。

 イワン雷帝の第二部の場合、監督のツァーリとその政策の描き方がスターリンの気に入らなかったのは、この映画がスターリン自身の行いを思わぬ方向に描き出していたからだと推測されることが多い。「この映画を見た人は誰でもツァーリとスターリンとを重ね合わせただろう。スターリンにとっては当然、全くもって受け入れられないことだった。」モスクワ映画博物館の元館長、ナウム・クレイマンはそう主張する。スターリンは明らかに、当時彼の肖像に使われたような、強い支配者の像を好んでいた。イワンによる弾圧も敏感な話題だった。1930年後半にスターリンの承認によってソ連中で粛清の嵐が吹き荒れ、かくも多くの犠牲者が出ていたからだ。

 この映画に関して言えば、エイゼンシュテインはそうした“誤り”を正そうとしたと言われている。しかし彼は間もなく亡くなってしまい、彼の映画の第二部は1958年になってようやく、それもディレクターズ・カット版で上演された。
https://jp.rbth.com/history/79540-iwan-raitei-eiga


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/266.html

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
2. 中川隆[-11907] koaQ7Jey 2019年2月23日 12:54:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[69]
2018.07.11
雅子妃|男性遍歴@外交評論家;岡本行夫
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/

外交評論家;岡本行夫、外務省時代の尊敬する上司、二人の関係に怪文書が飛び交った 


今回は情報収集中に引っかかった雅子の乱脈な男性関係を具体的に斬っていこうと思います。

今から20数年前の1991年、あるニュースが週刊誌を賑わしました。

タイトルは「将来の次官候補、外務省北米一課長岡本行夫氏が退職」というもので、外務省内でエリートコースを突っ走っていて、周囲の期待も高く将来の事務次官候補と言われていた岡本氏がいきなり、不自然な止め方をした。

という趣旨の内容でした。

外務省は元々天下り先の少ない省です。ですから、一部の人を除いては、定年まで勤め上げます。その岡本氏が46歳という中途半端な年齢で、天下り先もないのに辞めるなんて・・・随分憶測を呼びました。

「上司と喧嘩したのだろう・・」とか。

しかし、出世コースを突っ走る男は上司と喧嘩するなんて馬鹿な真似はしません。

【あの世に持っていかなければならない理由】があったのでしょう。

そこでピ〜ンと来たのが外務省時代の小和田雅子です。

当時雅子は、隣の北米二課に所属してました。

バリバリ仕事する隣の課の課長の岡本に尊敬の念と憧れを抱いたのでしょう。雅子はいつも「岡本課長を尊敬している」と事あるごとに公言していたそうです。

働く女性が、同じ職場の上司を「尊敬している」と公言するのは、もっと踏み込んだ意味があります。

ちなみに岡本行夫の最初の妻は、有名バイオリニストの佐藤陽子です。

のち離婚して、「エーゲ海に捧ぐ」で有名になった池田満寿夫と事実婚しています。その恋愛経験が豊富な佐藤陽子が岡本を評して「SEXが本当に上手なの〜」と高評価をつけています。余程のテクニシャンなのでしょう。

当時独身のテクニシャン岡本と【SEX大好き雅子】が第一線を超えるのに時間はかからなかったでしょう。二人の関係は直ちに省内で有名になり、怪文書が省内を飛び交うありさまになりました。雅子が中絶したという噂が飛び交ったのもこのころです。

ただこの時の事務次官が雅子の実父の小和田恒でした。

恒としては、【雅子は皇太子に嫁がせる】という長年の野望がありましたので、娘の恋を許すわけにはいきませんでした。

「この恋を止めさせるには、岡本を止めさせるしかない。娘は皇太子に嫁がせるときにキャリアの外交官としてのブランドが必須の為辞めさせるわけにはいかない」

こう考えた小和田恒は、岡本に事務次官の目が無くなったことを告げ、退職することを勧めました。

代わりに、【一生雅子との関係を秘密にする】という条件で、退職後も、岡本の仕事を省を挙げてバックアップするという約束をしました。

そのお蔭で、岡本は外務省を退職すると、即「岡本アソシエイツ」なるコンサルティング会社を立ち上げました。

そして橋本政権の首相補佐官など、小渕内閣、小泉内閣でも外交ブレーンとして活躍しました。

その他、アサヒビール等5社の取締役を務めるなど、外務省中途退職者とは思えないほどの利権にありつけました。

しかし、彼の外交姿勢は徹底した【対米従属】なので私は評価しません。

日本をATMとしか思っていない、アメリカのジャパンハンドラー(日本の操り手)として有名な、リチャード・アーミテージ等の日本側の受け手です。

安倍総理が、対米協調しながらも、米国と対等な外交安保関係を築こうとしていますから、岡本の対米関係思考はもう古いのです。

今までの退職を飲む代わりにバックアップを惜しまずやってくれた小和田恒も一説には株の信用取引で大負けして、自己破産しているとのもっぱらの噂です。

自宅(目黒区)にも帰らずに、東宮御所に隠れ住んでいるとの説もあります。

権勢欲の強い小和田恒が世間に顔を見せないのは、余程恥ずかしいことをしたか、たいちょうがわるいかのどちらでしょう。

小和田恒が無くなれば、もう岡本をバックアップしてくれる人はいません。近いうちに仕事が無くなるでしょう。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c2

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
3. 中川隆[-11906] koaQ7Jey 2019年2月23日 12:57:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[70]

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/

今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c3

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
4. 中川隆[-11905] koaQ7Jey 2019年2月23日 12:59:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[71]


2018.08.09
雅子妃|男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/

婚約直前まで行った福田元総理の孫・越智隆雄現自民党衆議院議員


また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

スポンサードリンク


しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c4

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
5. 中川隆[-11904] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:04:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[72]

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c5

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
166. 中川隆[-11903] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:07:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[73]
2018.07.11
雅子妃|男性遍歴@外交評論家;岡本行夫
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/

外交評論家;岡本行夫、外務省時代の尊敬する上司、二人の関係に怪文書が飛び交った 

今回は情報収集中に引っかかった雅子の乱脈な男性関係を具体的に斬っていこうと思います。

今から20数年前の1991年、あるニュースが週刊誌を賑わしました。

タイトルは「将来の次官候補、外務省北米一課長岡本行夫氏が退職」というもので、外務省内でエリートコースを突っ走っていて、周囲の期待も高く将来の事務次官候補と言われていた岡本氏がいきなり、不自然な止め方をした。

という趣旨の内容でした。

外務省は元々天下り先の少ない省です。ですから、一部の人を除いては、定年まで勤め上げます。その岡本氏が46歳という中途半端な年齢で、天下り先もないのに辞めるなんて・・・随分憶測を呼びました。

「上司と喧嘩したのだろう・・」とか。

しかし、出世コースを突っ走る男は上司と喧嘩するなんて馬鹿な真似はしません。

【あの世に持っていかなければならない理由】があったのでしょう。

そこでピ〜ンと来たのが外務省時代の小和田雅子です。

当時雅子は、隣の北米二課に所属してました。

バリバリ仕事する隣の課の課長の岡本に尊敬の念と憧れを抱いたのでしょう。雅子はいつも「岡本課長を尊敬している」と事あるごとに公言していたそうです。

働く女性が、同じ職場の上司を「尊敬している」と公言するのは、もっと踏み込んだ意味があります。

ちなみに岡本行夫の最初の妻は、有名バイオリニストの佐藤陽子です。

のち離婚して、「エーゲ海に捧ぐ」で有名になった池田満寿夫と事実婚しています。その恋愛経験が豊富な佐藤陽子が岡本を評して「SEXが本当に上手なの〜」と高評価をつけています。余程のテクニシャンなのでしょう。

当時独身のテクニシャン岡本と【SEX大好き雅子】が第一線を超えるのに時間はかからなかったでしょう。二人の関係は直ちに省内で有名になり、怪文書が省内を飛び交うありさまになりました。雅子が中絶したという噂が飛び交ったのもこのころです。

ただこの時の事務次官が雅子の実父の小和田恒でした。

恒としては、【雅子は皇太子に嫁がせる】という長年の野望がありましたので、娘の恋を許すわけにはいきませんでした。

「この恋を止めさせるには、岡本を止めさせるしかない。娘は皇太子に嫁がせるときにキャリアの外交官としてのブランドが必須の為辞めさせるわけにはいかない」

こう考えた小和田恒は、岡本に事務次官の目が無くなったことを告げ、退職することを勧めました。

代わりに、【一生雅子との関係を秘密にする】という条件で、退職後も、岡本の仕事を省を挙げてバックアップするという約束をしました。

そのお蔭で、岡本は外務省を退職すると、即「岡本アソシエイツ」なるコンサルティング会社を立ち上げました。

そして橋本政権の首相補佐官など、小渕内閣、小泉内閣でも外交ブレーンとして活躍しました。

その他、アサヒビール等5社の取締役を務めるなど、外務省中途退職者とは思えないほどの利権にありつけました。

しかし、彼の外交姿勢は徹底した【対米従属】なので私は評価しません。

日本をATMとしか思っていない、アメリカのジャパンハンドラー(日本の操り手)として有名な、リチャード・アーミテージ等の日本側の受け手です。

安倍総理が、対米協調しながらも、米国と対等な外交安保関係を築こうとしていますから、岡本の対米関係思考はもう古いのです。

今までの退職を飲む代わりにバックアップを惜しまずやってくれた小和田恒も一説には株の信用取引で大負けして、自己破産しているとのもっぱらの噂です。

自宅(目黒区)にも帰らずに、東宮御所に隠れ住んでいるとの説もあります。

権勢欲の強い小和田恒が世間に顔を見せないのは、余程恥ずかしいことをしたか、たいちょうがわるいかのどちらでしょう。

小和田恒が無くなれば、もう岡本をバックアップしてくれる人はいません。近いうちに仕事が無くなるでしょう。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/



▲△▽▼

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/


今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/



▲△▽▼

2018.08.09
雅子妃|男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/

婚約直前まで行った福田元総理の孫・越智隆雄現自民党衆議院議員

また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

スポンサードリンク


しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/



▲△▽▼

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c166

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
44. 中川隆[-11902] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[74]

2018.07.11
雅子妃|男性遍歴@外交評論家;岡本行夫
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/

外交評論家;岡本行夫、外務省時代の尊敬する上司、二人の関係に怪文書が飛び交った 

今回は情報収集中に引っかかった雅子の乱脈な男性関係を具体的に斬っていこうと思います。

今から20数年前の1991年、あるニュースが週刊誌を賑わしました。

タイトルは「将来の次官候補、外務省北米一課長岡本行夫氏が退職」というもので、外務省内でエリートコースを突っ走っていて、周囲の期待も高く将来の事務次官候補と言われていた岡本氏がいきなり、不自然な止め方をした。

という趣旨の内容でした。

外務省は元々天下り先の少ない省です。ですから、一部の人を除いては、定年まで勤め上げます。その岡本氏が46歳という中途半端な年齢で、天下り先もないのに辞めるなんて・・・随分憶測を呼びました。

「上司と喧嘩したのだろう・・」とか。

しかし、出世コースを突っ走る男は上司と喧嘩するなんて馬鹿な真似はしません。

【あの世に持っていかなければならない理由】があったのでしょう。

そこでピ〜ンと来たのが外務省時代の小和田雅子です。

当時雅子は、隣の北米二課に所属してました。

バリバリ仕事する隣の課の課長の岡本に尊敬の念と憧れを抱いたのでしょう。雅子はいつも「岡本課長を尊敬している」と事あるごとに公言していたそうです。

働く女性が、同じ職場の上司を「尊敬している」と公言するのは、もっと踏み込んだ意味があります。

ちなみに岡本行夫の最初の妻は、有名バイオリニストの佐藤陽子です。

のち離婚して、「エーゲ海に捧ぐ」で有名になった池田満寿夫と事実婚しています。その恋愛経験が豊富な佐藤陽子が岡本を評して「SEXが本当に上手なの〜」と高評価をつけています。余程のテクニシャンなのでしょう。

当時独身のテクニシャン岡本と【SEX大好き雅子】が第一線を超えるのに時間はかからなかったでしょう。二人の関係は直ちに省内で有名になり、怪文書が省内を飛び交うありさまになりました。雅子が中絶したという噂が飛び交ったのもこのころです。

ただこの時の事務次官が雅子の実父の小和田恒でした。

恒としては、【雅子は皇太子に嫁がせる】という長年の野望がありましたので、娘の恋を許すわけにはいきませんでした。

「この恋を止めさせるには、岡本を止めさせるしかない。娘は皇太子に嫁がせるときにキャリアの外交官としてのブランドが必須の為辞めさせるわけにはいかない」

こう考えた小和田恒は、岡本に事務次官の目が無くなったことを告げ、退職することを勧めました。

代わりに、【一生雅子との関係を秘密にする】という条件で、退職後も、岡本の仕事を省を挙げてバックアップするという約束をしました。

そのお蔭で、岡本は外務省を退職すると、即「岡本アソシエイツ」なるコンサルティング会社を立ち上げました。

そして橋本政権の首相補佐官など、小渕内閣、小泉内閣でも外交ブレーンとして活躍しました。

その他、アサヒビール等5社の取締役を務めるなど、外務省中途退職者とは思えないほどの利権にありつけました。

しかし、彼の外交姿勢は徹底した【対米従属】なので私は評価しません。

日本をATMとしか思っていない、アメリカのジャパンハンドラー(日本の操り手)として有名な、リチャード・アーミテージ等の日本側の受け手です。

安倍総理が、対米協調しながらも、米国と対等な外交安保関係を築こうとしていますから、岡本の対米関係思考はもう古いのです。

今までの退職を飲む代わりにバックアップを惜しまずやってくれた小和田恒も一説には株の信用取引で大負けして、自己破産しているとのもっぱらの噂です。

自宅(目黒区)にも帰らずに、東宮御所に隠れ住んでいるとの説もあります。

権勢欲の強い小和田恒が世間に顔を見せないのは、余程恥ずかしいことをしたか、たいちょうがわるいかのどちらでしょう。

小和田恒が無くなれば、もう岡本をバックアップしてくれる人はいません。近いうちに仕事が無くなるでしょう。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/



▲△▽▼

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/


今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/



▲△▽▼

2018.08.09
雅子妃|男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/

婚約直前まで行った福田元総理の孫・越智隆雄現自民党衆議院議員

また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

スポンサードリンク


しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/



▲△▽▼

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c44

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
17. 中川隆[-11901] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:08:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[75]

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男

 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c17

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
15. 中川隆[-11900] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:09:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[76]

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男

 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c15

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
18. 中川隆[-11902] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:18:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[74]


asd********さん 2013/10/21 5:18:02

雅子様って実際、学力あるんでしょうか?
記事で雅子様の学歴は、お父様の小和田恆さんによるものが
大きいと見たのですが。
でも、お父さんの力で裏口入学はできても

外務公務員採用I種試験には学力がなければ合格しないのでは?


ベストアンサーに選ばれた回答

sai********さん 2013/10/22 2:00:15

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。

卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。

だそうです。

私の従兄弟でも帰国子女枠で東大に入りその後父親のコネで某政府機関に入った者がいますが、特別に優秀ではありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114349020

▲△▽▼


2018年12月09日
アメリカの有名大学では金で合格を買える

太子党子弟は無試験でアメリカ名門校に入学し、4年間遊びまわって卒業している

金で入学枠を売る名門校

日本の医学部入試で男子を優遇し女子を厳しくしていたニュースで、不思議なことに欧米から批判されませんでした。

いつもの”日本たたき”のパターンでは埋めてあった骨を見つけたシェパードのように吠えまくるのに、沈黙したままだった。

それもその筈でアメリカを始め「一流大学」とされる大学ほどコネ入学や裏口入学が横行しています。

アメリカの最高峰はハーバード、イギリスはケンブリッジ大だがどちらも試験より人物本位で入学者を選考している。

人物本位というと聞こえは良いが教授や学長の推薦や、有力者のコネが効くのです。

特に悪質なのがアメリカのハーバード大学で、一般の受験生とは別に「金を払えば入学できる」枠が存在している。


数年前中国で太子党事件というのがあり、共産党幹部の子弟たちが無試験でアメリカの超名門校に入学しました。

彼らは入学してからも勉強せず、毎日パーティや豪遊に明け暮れて高級車を乗り回し、その様子をSNSで自慢しました。

中国からは欧米のSNSを見れないが、さすがに本国でも話題になり批判が強まった。


太子党は江沢民や毛沢東や習近平など有力者の子弟や縁者で、帰国すれば共産党幹部になるのが決まっている。

噂では大学に莫大な寄付をしていて、アメリカの名門校は金で入学枠を販売している。

金のない一般の受験者は彼らの枠の分だけ合格者が減るので、なおさら狭き門となっている。

富裕層の子供は受験せず入学できる

同じハーバード大学卒と言っても、掛け算すらできない人間も居れば本当の天才もいる。

大富豪が大学に寄付する金額は数億円から数百億円にも達し、高額寄付者の縁者は推薦入学できる。

ナイキの創業者はオレゴン大学に5億ドル(約560億円)を寄付したが、もし彼の息子や孫が受験したら大学は不合格にできるだろうか?


驚くのはアメリカではこれが合法なことで、みんな知っているし堂々とやっている。

英誌「エコノミスト」米経済紙「フォーブス」などでもコネで入学できると指摘されているが、悪びれもせず続けている。

アメリカには共通一次試験がなく、入学試験そのものも必ずやる義務はない。


ハーバード大学は約4兆円もの資産を持っているが、こうした入学枠の販売は美味しいビジネスになっている。

さらに美味しいのは大学への寄付金が非課税になる点で、寄付した金額の最大50%が富裕層の所得から控除される。

例えばハーバードに10億円を寄付すると、バカ息子をエリート大学に入学できるうえに、所得から5億円を控除され節税になる。


アメリカにはこうした裏口(合法なので表口だが)仲介業者もあり、巨大ビジネスになっている。

有名な例では映画監督のスティーブン・スピルバーグの娘を入学させたデューク大で、願書の締め切りを過ぎていたのに入学させた。

もちろん無試験のうえに大学理事がスピルバーグの自宅まで出向いて「面接」をしている。


こうした例は枚挙にいとまがないほどあるので、日本の大学で男子を優遇したくらいでは「なんで問題になるのか?」という認識でしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/78373072.html  


▲△▽▼

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由

2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。


中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。


中国というのはやることがエゲツない。

ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。

バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。

知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。

だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。

それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。

中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か

「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。

米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。

●留学生による機密情報の国外流出を懸念

米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。

2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。

同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。

で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。

ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。

1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。

で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。

以下が江志成(こうしせい)さんです。

確かに江沢民に似てる。

江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。

で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。

アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。

ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。

つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。

ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。

それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。


中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界

さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。

後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。

中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。

そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。

そのやり方は、

@弟を当地へ留学させる。

A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。

B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。

第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。

例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。

第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。

中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。

第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。

中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。

ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。

これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。

共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。



同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。

過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。

さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)

まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。

それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。

書いてるうちにまた長くなってしまいますた。
次回に続きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c18

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
167. 中川隆[-11901] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:19:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[75]

asd********さん 2013/10/21 5:18:02

雅子様って実際、学力あるんでしょうか?
記事で雅子様の学歴は、お父様の小和田恆さんによるものが
大きいと見たのですが。
でも、お父さんの力で裏口入学はできても

外務公務員採用I種試験には学力がなければ合格しないのでは?


ベストアンサーに選ばれた回答

sai********さん 2013/10/22 2:00:15

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。

卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。

だそうです。

私の従兄弟でも帰国子女枠で東大に入りその後父親のコネで某政府機関に入った者がいますが、特別に優秀ではありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114349020

▲△▽▼


2018年12月09日
アメリカの有名大学では金で合格を買える

太子党子弟は無試験でアメリカ名門校に入学し、4年間遊びまわって卒業している

金で入学枠を売る名門校

日本の医学部入試で男子を優遇し女子を厳しくしていたニュースで、不思議なことに欧米から批判されませんでした。

いつもの”日本たたき”のパターンでは埋めてあった骨を見つけたシェパードのように吠えまくるのに、沈黙したままだった。

それもその筈でアメリカを始め「一流大学」とされる大学ほどコネ入学や裏口入学が横行しています。

アメリカの最高峰はハーバード、イギリスはケンブリッジ大だがどちらも試験より人物本位で入学者を選考している。

人物本位というと聞こえは良いが教授や学長の推薦や、有力者のコネが効くのです。

特に悪質なのがアメリカのハーバード大学で、一般の受験生とは別に「金を払えば入学できる」枠が存在している。


数年前中国で太子党事件というのがあり、共産党幹部の子弟たちが無試験でアメリカの超名門校に入学しました。

彼らは入学してからも勉強せず、毎日パーティや豪遊に明け暮れて高級車を乗り回し、その様子をSNSで自慢しました。

中国からは欧米のSNSを見れないが、さすがに本国でも話題になり批判が強まった。


太子党は江沢民や毛沢東や習近平など有力者の子弟や縁者で、帰国すれば共産党幹部になるのが決まっている。

噂では大学に莫大な寄付をしていて、アメリカの名門校は金で入学枠を販売している。

金のない一般の受験者は彼らの枠の分だけ合格者が減るので、なおさら狭き門となっている。

富裕層の子供は受験せず入学できる

同じハーバード大学卒と言っても、掛け算すらできない人間も居れば本当の天才もいる。

大富豪が大学に寄付する金額は数億円から数百億円にも達し、高額寄付者の縁者は推薦入学できる。

ナイキの創業者はオレゴン大学に5億ドル(約560億円)を寄付したが、もし彼の息子や孫が受験したら大学は不合格にできるだろうか?


驚くのはアメリカではこれが合法なことで、みんな知っているし堂々とやっている。

英誌「エコノミスト」米経済紙「フォーブス」などでもコネで入学できると指摘されているが、悪びれもせず続けている。

アメリカには共通一次試験がなく、入学試験そのものも必ずやる義務はない。


ハーバード大学は約4兆円もの資産を持っているが、こうした入学枠の販売は美味しいビジネスになっている。

さらに美味しいのは大学への寄付金が非課税になる点で、寄付した金額の最大50%が富裕層の所得から控除される。

例えばハーバードに10億円を寄付すると、バカ息子をエリート大学に入学できるうえに、所得から5億円を控除され節税になる。


アメリカにはこうした裏口(合法なので表口だが)仲介業者もあり、巨大ビジネスになっている。

有名な例では映画監督のスティーブン・スピルバーグの娘を入学させたデューク大で、願書の締め切りを過ぎていたのに入学させた。

もちろん無試験のうえに大学理事がスピルバーグの自宅まで出向いて「面接」をしている。


こうした例は枚挙にいとまがないほどあるので、日本の大学で男子を優遇したくらいでは「なんで問題になるのか?」という認識でしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/78373072.html  


▲△▽▼

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由

2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。


中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。


中国というのはやることがエゲツない。

ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。

バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。

知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。

だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。

それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。

中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か

「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。

米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。

●留学生による機密情報の国外流出を懸念

米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。

2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。

同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。

で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。

ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。

1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。

で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。

以下が江志成(こうしせい)さんです。

確かに江沢民に似てる。

江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。

で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。

アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。

ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。

つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。

ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。

それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。


中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界

さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。

後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。

中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。

そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。

そのやり方は、

@弟を当地へ留学させる。

A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。

B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。

第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。

例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。

第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。

中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。

第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。

中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。

ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。

これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。

共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。



同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。

過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。

さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)

まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。

それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。

書いてるうちにまた長くなってしまいますた。
次回に続きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c167

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
45. 中川隆[-11900] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:19:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[76]

asd********さん 2013/10/21 5:18:02

雅子様って実際、学力あるんでしょうか?
記事で雅子様の学歴は、お父様の小和田恆さんによるものが
大きいと見たのですが。
でも、お父さんの力で裏口入学はできても

外務公務員採用I種試験には学力がなければ合格しないのでは?


ベストアンサーに選ばれた回答

sai********さん 2013/10/22 2:00:15

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。

卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。

だそうです。

私の従兄弟でも帰国子女枠で東大に入りその後父親のコネで某政府機関に入った者がいますが、特別に優秀ではありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114349020

▲△▽▼


2018年12月09日
アメリカの有名大学では金で合格を買える

太子党子弟は無試験でアメリカ名門校に入学し、4年間遊びまわって卒業している

金で入学枠を売る名門校

日本の医学部入試で男子を優遇し女子を厳しくしていたニュースで、不思議なことに欧米から批判されませんでした。

いつもの”日本たたき”のパターンでは埋めてあった骨を見つけたシェパードのように吠えまくるのに、沈黙したままだった。

それもその筈でアメリカを始め「一流大学」とされる大学ほどコネ入学や裏口入学が横行しています。

アメリカの最高峰はハーバード、イギリスはケンブリッジ大だがどちらも試験より人物本位で入学者を選考している。

人物本位というと聞こえは良いが教授や学長の推薦や、有力者のコネが効くのです。

特に悪質なのがアメリカのハーバード大学で、一般の受験生とは別に「金を払えば入学できる」枠が存在している。


数年前中国で太子党事件というのがあり、共産党幹部の子弟たちが無試験でアメリカの超名門校に入学しました。

彼らは入学してからも勉強せず、毎日パーティや豪遊に明け暮れて高級車を乗り回し、その様子をSNSで自慢しました。

中国からは欧米のSNSを見れないが、さすがに本国でも話題になり批判が強まった。


太子党は江沢民や毛沢東や習近平など有力者の子弟や縁者で、帰国すれば共産党幹部になるのが決まっている。

噂では大学に莫大な寄付をしていて、アメリカの名門校は金で入学枠を販売している。

金のない一般の受験者は彼らの枠の分だけ合格者が減るので、なおさら狭き門となっている。

富裕層の子供は受験せず入学できる

同じハーバード大学卒と言っても、掛け算すらできない人間も居れば本当の天才もいる。

大富豪が大学に寄付する金額は数億円から数百億円にも達し、高額寄付者の縁者は推薦入学できる。

ナイキの創業者はオレゴン大学に5億ドル(約560億円)を寄付したが、もし彼の息子や孫が受験したら大学は不合格にできるだろうか?


驚くのはアメリカではこれが合法なことで、みんな知っているし堂々とやっている。

英誌「エコノミスト」米経済紙「フォーブス」などでもコネで入学できると指摘されているが、悪びれもせず続けている。

アメリカには共通一次試験がなく、入学試験そのものも必ずやる義務はない。


ハーバード大学は約4兆円もの資産を持っているが、こうした入学枠の販売は美味しいビジネスになっている。

さらに美味しいのは大学への寄付金が非課税になる点で、寄付した金額の最大50%が富裕層の所得から控除される。

例えばハーバードに10億円を寄付すると、バカ息子をエリート大学に入学できるうえに、所得から5億円を控除され節税になる。


アメリカにはこうした裏口(合法なので表口だが)仲介業者もあり、巨大ビジネスになっている。

有名な例では映画監督のスティーブン・スピルバーグの娘を入学させたデューク大で、願書の締め切りを過ぎていたのに入学させた。

もちろん無試験のうえに大学理事がスピルバーグの自宅まで出向いて「面接」をしている。


こうした例は枚挙にいとまがないほどあるので、日本の大学で男子を優遇したくらいでは「なんで問題になるのか?」という認識でしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/78373072.html  


▲△▽▼

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由

2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。


中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。


中国というのはやることがエゲツない。

ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。

バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。

知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。

だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。

それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。

中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か

「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。

米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。

●留学生による機密情報の国外流出を懸念

米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。

2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。

同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。

で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。

ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。

1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。

で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。

以下が江志成(こうしせい)さんです。

確かに江沢民に似てる。

江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。

で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。

アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。

ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。

つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。

ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。

それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。


中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界

さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。

後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。

中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。

そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。

そのやり方は、

@弟を当地へ留学させる。

A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。

B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。

第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。

例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。

第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。

中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。

第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。

中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。

ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。

これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。

共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。



同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。

過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。

さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)

まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。

それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。

書いてるうちにまた長くなってしまいますた。
次回に続きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c45

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
16. 中川隆[-11899] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:21:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[77]


asd********さん 2013/10/21 5:18:02

雅子様って実際、学力あるんでしょうか?
記事で雅子様の学歴は、お父様の小和田恆さんによるものが
大きいと見たのですが。
でも、お父さんの力で裏口入学はできても

外務公務員採用I種試験には学力がなければ合格しないのでは?


ベストアンサーに選ばれた回答

sai********さん 2013/10/22 2:00:15

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。

卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。

だそうです。

私の従兄弟でも帰国子女枠で東大に入りその後父親のコネで某政府機関に入った者がいますが、特別に優秀ではありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114349020

▲△▽▼


2018年12月09日
アメリカの有名大学では金で合格を買える

太子党子弟は無試験でアメリカ名門校に入学し、4年間遊びまわって卒業している

金で入学枠を売る名門校

日本の医学部入試で男子を優遇し女子を厳しくしていたニュースで、不思議なことに欧米から批判されませんでした。

いつもの”日本たたき”のパターンでは埋めてあった骨を見つけたシェパードのように吠えまくるのに、沈黙したままだった。

それもその筈でアメリカを始め「一流大学」とされる大学ほどコネ入学や裏口入学が横行しています。

アメリカの最高峰はハーバード、イギリスはケンブリッジ大だがどちらも試験より人物本位で入学者を選考している。

人物本位というと聞こえは良いが教授や学長の推薦や、有力者のコネが効くのです。

特に悪質なのがアメリカのハーバード大学で、一般の受験生とは別に「金を払えば入学できる」枠が存在している。


数年前中国で太子党事件というのがあり、共産党幹部の子弟たちが無試験でアメリカの超名門校に入学しました。

彼らは入学してからも勉強せず、毎日パーティや豪遊に明け暮れて高級車を乗り回し、その様子をSNSで自慢しました。

中国からは欧米のSNSを見れないが、さすがに本国でも話題になり批判が強まった。


太子党は江沢民や毛沢東や習近平など有力者の子弟や縁者で、帰国すれば共産党幹部になるのが決まっている。

噂では大学に莫大な寄付をしていて、アメリカの名門校は金で入学枠を販売している。

金のない一般の受験者は彼らの枠の分だけ合格者が減るので、なおさら狭き門となっている。

富裕層の子供は受験せず入学できる

同じハーバード大学卒と言っても、掛け算すらできない人間も居れば本当の天才もいる。

大富豪が大学に寄付する金額は数億円から数百億円にも達し、高額寄付者の縁者は推薦入学できる。

ナイキの創業者はオレゴン大学に5億ドル(約560億円)を寄付したが、もし彼の息子や孫が受験したら大学は不合格にできるだろうか?


驚くのはアメリカではこれが合法なことで、みんな知っているし堂々とやっている。

英誌「エコノミスト」米経済紙「フォーブス」などでもコネで入学できると指摘されているが、悪びれもせず続けている。

アメリカには共通一次試験がなく、入学試験そのものも必ずやる義務はない。


ハーバード大学は約4兆円もの資産を持っているが、こうした入学枠の販売は美味しいビジネスになっている。

さらに美味しいのは大学への寄付金が非課税になる点で、寄付した金額の最大50%が富裕層の所得から控除される。

例えばハーバードに10億円を寄付すると、バカ息子をエリート大学に入学できるうえに、所得から5億円を控除され節税になる。


アメリカにはこうした裏口(合法なので表口だが)仲介業者もあり、巨大ビジネスになっている。

有名な例では映画監督のスティーブン・スピルバーグの娘を入学させたデューク大で、願書の締め切りを過ぎていたのに入学させた。

もちろん無試験のうえに大学理事がスピルバーグの自宅まで出向いて「面接」をしている。


こうした例は枚挙にいとまがないほどあるので、日本の大学で男子を優遇したくらいでは「なんで問題になるのか?」という認識でしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/78373072.html  


▲△▽▼

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由

2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。


中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。


中国というのはやることがエゲツない。

ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。

バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。

知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。

だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。

それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。

中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か

「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。

米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。

●留学生による機密情報の国外流出を懸念

米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。

2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。

同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。

で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。

ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。

1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。

で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。

以下が江志成(こうしせい)さんです。

確かに江沢民に似てる。

江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。

で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。

アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。

ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。

つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。

ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。

それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。


中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界

さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。

後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。

中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。

そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。

そのやり方は、

@弟を当地へ留学させる。

A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。

B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。

第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。

例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。

第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。

中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。

第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。

中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。

ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。

これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。

共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。



同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。

過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。

さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)

まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。

それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。

書いてるうちにまた長くなってしまいますた。
次回に続きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c16

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
16. 中川隆[-11898] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:23:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[78]

asd********さん 2013/10/21 5:18:02

雅子様って実際、学力あるんでしょうか?
記事で雅子様の学歴は、お父様の小和田恆さんによるものが
大きいと見たのですが。
でも、お父さんの力で裏口入学はできても

外務公務員採用I種試験には学力がなければ合格しないのでは?


ベストアンサーに選ばれた回答

sai********さん 2013/10/22 2:00:15

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。

卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。

普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。

仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。

オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。

だそうです。

私の従兄弟でも帰国子女枠で東大に入りその後父親のコネで某政府機関に入った者がいますが、特別に優秀ではありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114349020

▲△▽▼


2018年12月09日
アメリカの有名大学では金で合格を買える

太子党子弟は無試験でアメリカ名門校に入学し、4年間遊びまわって卒業している

金で入学枠を売る名門校

日本の医学部入試で男子を優遇し女子を厳しくしていたニュースで、不思議なことに欧米から批判されませんでした。

いつもの”日本たたき”のパターンでは埋めてあった骨を見つけたシェパードのように吠えまくるのに、沈黙したままだった。

それもその筈でアメリカを始め「一流大学」とされる大学ほどコネ入学や裏口入学が横行しています。

アメリカの最高峰はハーバード、イギリスはケンブリッジ大だがどちらも試験より人物本位で入学者を選考している。

人物本位というと聞こえは良いが教授や学長の推薦や、有力者のコネが効くのです。

特に悪質なのがアメリカのハーバード大学で、一般の受験生とは別に「金を払えば入学できる」枠が存在している。


数年前中国で太子党事件というのがあり、共産党幹部の子弟たちが無試験でアメリカの超名門校に入学しました。

彼らは入学してからも勉強せず、毎日パーティや豪遊に明け暮れて高級車を乗り回し、その様子をSNSで自慢しました。

中国からは欧米のSNSを見れないが、さすがに本国でも話題になり批判が強まった。


太子党は江沢民や毛沢東や習近平など有力者の子弟や縁者で、帰国すれば共産党幹部になるのが決まっている。

噂では大学に莫大な寄付をしていて、アメリカの名門校は金で入学枠を販売している。

金のない一般の受験者は彼らの枠の分だけ合格者が減るので、なおさら狭き門となっている。

富裕層の子供は受験せず入学できる

同じハーバード大学卒と言っても、掛け算すらできない人間も居れば本当の天才もいる。

大富豪が大学に寄付する金額は数億円から数百億円にも達し、高額寄付者の縁者は推薦入学できる。

ナイキの創業者はオレゴン大学に5億ドル(約560億円)を寄付したが、もし彼の息子や孫が受験したら大学は不合格にできるだろうか?


驚くのはアメリカではこれが合法なことで、みんな知っているし堂々とやっている。

英誌「エコノミスト」米経済紙「フォーブス」などでもコネで入学できると指摘されているが、悪びれもせず続けている。

アメリカには共通一次試験がなく、入学試験そのものも必ずやる義務はない。


ハーバード大学は約4兆円もの資産を持っているが、こうした入学枠の販売は美味しいビジネスになっている。

さらに美味しいのは大学への寄付金が非課税になる点で、寄付した金額の最大50%が富裕層の所得から控除される。

例えばハーバードに10億円を寄付すると、バカ息子をエリート大学に入学できるうえに、所得から5億円を控除され節税になる。


アメリカにはこうした裏口(合法なので表口だが)仲介業者もあり、巨大ビジネスになっている。

有名な例では映画監督のスティーブン・スピルバーグの娘を入学させたデューク大で、願書の締め切りを過ぎていたのに入学させた。

もちろん無試験のうえに大学理事がスピルバーグの自宅まで出向いて「面接」をしている。


こうした例は枚挙にいとまがないほどあるので、日本の大学で男子を優遇したくらいでは「なんで問題になるのか?」という認識でしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/78373072.html  


▲△▽▼

中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由

2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。


中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。


中国というのはやることがエゲツない。

ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。

バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。

知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。

だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。

それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。

中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か

「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。

米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。

●留学生による機密情報の国外流出を懸念

米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。

2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。

同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。

で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。

ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。

1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。

で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。

以下が江志成(こうしせい)さんです。

確かに江沢民に似てる。

江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。

で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。

アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。

ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。

つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。

ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。

それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。


中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界

さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。

後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。

中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。

そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。

そのやり方は、

@弟を当地へ留学させる。

A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。

B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。

第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。

例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。

第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。

中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。

第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。

中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。

ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。

これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。

共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。



同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。

過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。

さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)

まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。

それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。

書いてるうちにまた長くなってしまいますた。
次回に続きます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c16

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
17. 中川隆[-11897] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:28:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[79]
小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c17

[近代史3] ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている 中川隆
13. 中川隆[-11899] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:41:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[77]
日本性奴隷史観<本澤二郎の「日本の風景」(3252)<自民党代議士・田畑毅の強姦事件はやくざの手口>
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52237983.html

2019年02月22日 「ジャーナリスト同盟」通信

<岩崎弥太郎の日本郵船と商船三井と天皇制>

 なにか夢を見ているようである。恩師・宇都宮徳馬さんが「フランス革命を勉強して、明治を見直せ」という指摘を記憶していたが、最近、知り合いが三菱・岩崎弥太郎の日本郵船と明治天皇が、無数の日本人婦女子を海外に性奴隷として売りさばいていた秘事を教えてくれ、天と地がひっくり返るような衝撃を受けたばかりである。明治の富国強兵のための原資・軍資金は、性奴隷貿易だった。それでもって武器弾薬を購入、日清日露戦争へと突っ込んだ。もちろん、背後を大英帝国が支えていた。性奴隷貿易が「唐行きさん」として、戦後もわずかに伝えられたものだろう。事実に相違ないのかもしれない。商船三井も続いたという。このさい、日本の近代史には、性奴隷史観が必要であろう。

 女工哀史は聞いたことがある。実際は女性哀史である。悲劇は、日本に女性運動家が生まれなかった。現在も、である。女性の地位の低さ、男女差別を裏付けている。
 政治的、経済的、社会的な弱者は、老人だけでなくすべての女性なのである。最近、発覚した医科大学の差別どころではない。日本女性の人権意識の低さとも関係している。

<150年前と同じ新天皇と新元号と新憲法?>

 夢か幻かでは済まない。戦前の日本女性を「半封建制」のまま、と分析したのは、米人日本研究家のルース・ベネディクトである。実際は、半封建どころか、それ以下であったのだ。

 ところで、今の安倍・自公内閣は、明治維新の150年前の日本へと逆流させるという。首相の言動や明治150年祭における発言からみてとれる。そのための平成元号を改めるための、皇位継承という一大政治ショーを参院選直前の5月にセット、一番手に米国大統領を招く。そのためにトランプに「ノーベル平和賞」を推薦した。愚かすぎて、あまりにもみっともない天皇政治利用の典型であろう。

 新天皇と新元号の先には、こわい落とし穴が待ち構えている。「戦争する軍事大国」というのだが、米投資家は笑い飛ばしている。日本はあと50年で消えるという。筆者は、あと30年程度ではないか、と思えるのだが。

<自民党代議士・田畑毅の強姦事件はやくざの手口>

 ネット記事で有名になっている自民党代議士がいる。田畑毅という愛知県選出の「国民の代表」である。彼が女性を強姦して告訴された。日刊ゲンダイと東京新聞が報道して、国民の目に留まった。

 自民党離党で済まそうという。TBS強姦魔事件の山口敬之を真似しようというのか。中村格の出番なのか。手口がそっくり、とネットで話題になっている。

 被害者の告訴に敬意を表したい。田畑は、性行為の場面を盗撮していた。覚せい剤も使用していたのであろう。これまた山口強姦魔そっくりである。

<やくざ浜名の「木更津レイプ殺人事件」そっくり>

 筆者は2014年4月28日に千葉県木更津市の君津中央病院で急死した「木更津レイプ殺人事件」を追及して、事件の全容を知ってしまった。公明党創価学会の末端組織で発生したやくざ浜名による強姦殺人であるが、やはり決め手はやくざゆえの盗撮である。

 盗撮こそが性奴隷の決め手なのだ。やくざの手口を田畑は学んでいた。恐らくは山口もそうであろう。もっとも、卑怯で悪辣である。盗撮こそが性奴隷の決定打となる。覚せい剤と盗撮で、女性を一生涯、性奴隷として格子無き牢獄に押し込むことが出来る。

 それを跳ね返したのが、伊藤詩織さんだ。山口も今回の田畑も、極刑が相当であろう。国民の声である。

 「木更津レイプ殺人事件」の被害者の美人栄養士のK・T子さんは、盗撮写真をばらすという殺人的脅迫に卒倒して急死した。性奴隷から逃げ出すことは不可能である。

 かくして、これまでレイプ殺人が事件化したことはない。被害者が泣き寝入りするためだ。それを打ち破った伊藤さんと今回の愛知県の女性に対して、改めて敬意を表したい。

<やくざ跋扈の性奴隷天国社会>

 日本はやくざが跋扈する犯罪天国である。無数の魅力的な女性がやくざの餌食にされているが、一人として警察が逮捕していない。

 なぜか。やくざと政治屋の結びつきは、経済界や大学その他へと金のある所へと広がっている。やくざが跋扈する性奴隷社会・犯罪天国の日本といっていい。

 性犯罪を取り締まる権力側が、やくざを擁護している。あるいは性犯罪者を救済している日本である。中村格一人ではないだろう。

 愛知県警の対応が注目される。腐敗天国を裏付けるものか。それとも、第二の中村の圧力を排除するのか。天の声は、極刑であることを代弁しておきたい。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html#c13

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
6. 中川隆[-11898] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:49:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[78]

雅子と寝た男たち その2
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/444634624.html

・原田治明
雅子・股子が寝た男として、最初に写真の
出てくるのがこの人。現在69歳。巨人の外野手でした。

股子16、7の頃です。

追っかけファンて、寝るものなのかどうか。
ま、六本木のバーの写真があるんだから、
寝たんでしょうね。

いま、原田治明は某社の統括部長で活躍してます。
写真はアップしません。

・デビット・カオ
アメリカ人です。股子がハーバート時代に寝た男。
股子が妃候補になると、宮内庁に怪文書を送りつけました。
トップレスの写真を持っていると。

強請りですね。

怪文書を解読した当時の宮内庁長官富田朝彦は
警察官僚出身でした。
雅子のアメリカ留学時代の男女関係を洗わせました。

その結果、股子は妃候補から外されました。

一度は外された股子が入内したのは、
昭和天皇崩御を待ち、小和田―高円宮ラインが
ゴリ押ししたためです。

悪いヤツ高円宮久子
妃久子高円宮.JPG

妃候補たちは、盆暗皇太子を嫌って、
次々と結婚してしまってたのです。

ただ一人、お国のためと残ったのが久邇晃子さん。
ミテコは久邇晃子さんの家柄にコンプレックス。
股子入内に手を貸します。

久邇晃子さんのその後は、絢爛そのもの。
オックスフォード出て、東大医学部。今精神科医です。

カオについては、故意か偶然か、その後
地元のチンピラと揉めて殺されたという説もあります。

股子は、高校もアメリカです。
カオ以前にも二人や三人とは、当然寝てますね。

・奥克彦参事官
イラク戦争の最中に、イラクで不審死を遂げました。
すると、直ぐに英国紙が日本では知られていなかった、
股子との情事を報じました。

奥克彦.png

この情事かモトで、小和田に危険なイラクへ飛ばされ、
なんと、どうやら米軍に銃撃されたみたいです。

・英国紙も米軍の謀殺とみている。
・日米とも証拠隠しに走った。
・現れてきた事実は、
ブッシュ政権の、再三の派兵要求にもかかわらず
明確な回答を出さない小泉政権に、決断を迫るために、
米国が日本の外交官を、あえて殺害したらしいと。

この事件以後、
小泉政権は早々にブッシュの要求を飲みました。

・外務省上司
上司との不倫を告発する怪文書が
省内を駆け巡った。中絶手術の噂あり。
雅子と寝た男たち その1の岡本行夫さんです。

・外務省同僚東大時代以来からの交際、
オクスフォード留学時代に関係が深まった。
この方は、名前不明。写真なし。

イギリス留学時代には白人男性との交際も噂された。
フリーカメラマンがツーショットを撮影し女性週刊誌
に持ち込んだが没になったそうです。

と、まあ股子、面目躍如といったところです。

・大野裕主治医、これには驚きというよりかは、
ああやっぱりな感があります。
大野医師、庇い過ぎてました。

大野裕.JPG

入内後も股子、盛んなんですねぇ!
盆暗皇太子がホモだそうだから、仕方ないのかも。

性欲の強さ、貞操観念の無さは特筆もんです。

・国連大学総長
て、外人? 大学には股子専用のエレベーターと部屋が
あるそうだけど。池田大作が造ったのだとか。

こういう股子と盆暗皇太子が即位するって、
神様が許すわけ無いと思うけど・・・な。
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/444634624.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c6

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
46. 中川隆[-11897] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:50:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[79]

雅子と寝た男たち その2
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/444634624.html

・原田治明
雅子・股子が寝た男として、最初に写真の
出てくるのがこの人。現在69歳。巨人の外野手でした。

股子16、7の頃です。

追っかけファンて、寝るものなのかどうか。
ま、六本木のバーの写真があるんだから、
寝たんでしょうね。

いま、原田治明は某社の統括部長で活躍してます。
写真はアップしません。

・デビット・カオ
アメリカ人です。股子がハーバート時代に寝た男。
股子が妃候補になると、宮内庁に怪文書を送りつけました。
トップレスの写真を持っていると。

強請りですね。

怪文書を解読した当時の宮内庁長官富田朝彦は
警察官僚出身でした。
雅子のアメリカ留学時代の男女関係を洗わせました。

その結果、股子は妃候補から外されました。

一度は外された股子が入内したのは、
昭和天皇崩御を待ち、小和田―高円宮ラインが
ゴリ押ししたためです。

悪いヤツ高円宮久子
妃久子高円宮.JPG

妃候補たちは、盆暗皇太子を嫌って、
次々と結婚してしまってたのです。

ただ一人、お国のためと残ったのが久邇晃子さん。
ミテコは久邇晃子さんの家柄にコンプレックス。
股子入内に手を貸します。

久邇晃子さんのその後は、絢爛そのもの。
オックスフォード出て、東大医学部。今精神科医です。

カオについては、故意か偶然か、その後
地元のチンピラと揉めて殺されたという説もあります。

股子は、高校もアメリカです。
カオ以前にも二人や三人とは、当然寝てますね。

・奥克彦参事官
イラク戦争の最中に、イラクで不審死を遂げました。
すると、直ぐに英国紙が日本では知られていなかった、
股子との情事を報じました。

奥克彦.png

この情事かモトで、小和田に危険なイラクへ飛ばされ、
なんと、どうやら米軍に銃撃されたみたいです。

・英国紙も米軍の謀殺とみている。
・日米とも証拠隠しに走った。
・現れてきた事実は、
ブッシュ政権の、再三の派兵要求にもかかわらず
明確な回答を出さない小泉政権に、決断を迫るために、
米国が日本の外交官を、あえて殺害したらしいと。

この事件以後、
小泉政権は早々にブッシュの要求を飲みました。

・外務省上司
上司との不倫を告発する怪文書が
省内を駆け巡った。中絶手術の噂あり。
雅子と寝た男たち その1の岡本行夫さんです。

・外務省同僚東大時代以来からの交際、
オクスフォード留学時代に関係が深まった。
この方は、名前不明。写真なし。

イギリス留学時代には白人男性との交際も噂された。
フリーカメラマンがツーショットを撮影し女性週刊誌
に持ち込んだが没になったそうです。

と、まあ股子、面目躍如といったところです。

・大野裕主治医、これには驚きというよりかは、
ああやっぱりな感があります。
大野医師、庇い過ぎてました。

大野裕.JPG

入内後も股子、盛んなんですねぇ!
盆暗皇太子がホモだそうだから、仕方ないのかも。

性欲の強さ、貞操観念の無さは特筆もんです。

・国連大学総長
て、外人? 大学には股子専用のエレベーターと部屋が
あるそうだけど。池田大作が造ったのだとか。

こういう股子と盆暗皇太子が即位するって、
神様が許すわけ無いと思うけど・・・な。
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/444634624.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c46

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
168. 中川隆[-11896] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:51:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[80]

雅子と寝た男たち その2
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/444634624.html

・原田治明
雅子・股子が寝た男として、最初に写真の
出てくるのがこの人。現在69歳。巨人の外野手でした。

股子16、7の頃です。

追っかけファンて、寝るものなのかどうか。
ま、六本木のバーの写真があるんだから、
寝たんでしょうね。

いま、原田治明は某社の統括部長で活躍してます。
写真はアップしません。

・デビット・カオ
アメリカ人です。股子がハーバート時代に寝た男。
股子が妃候補になると、宮内庁に怪文書を送りつけました。
トップレスの写真を持っていると。

強請りですね。

怪文書を解読した当時の宮内庁長官富田朝彦は
警察官僚出身でした。
雅子のアメリカ留学時代の男女関係を洗わせました。

その結果、股子は妃候補から外されました。

一度は外された股子が入内したのは、
昭和天皇崩御を待ち、小和田―高円宮ラインが
ゴリ押ししたためです。

悪いヤツ高円宮久子
妃久子高円宮.JPG

妃候補たちは、盆暗皇太子を嫌って、
次々と結婚してしまってたのです。

ただ一人、お国のためと残ったのが久邇晃子さん。
ミテコは久邇晃子さんの家柄にコンプレックス。
股子入内に手を貸します。

久邇晃子さんのその後は、絢爛そのもの。
オックスフォード出て、東大医学部。今精神科医です。

カオについては、故意か偶然か、その後
地元のチンピラと揉めて殺されたという説もあります。

股子は、高校もアメリカです。
カオ以前にも二人や三人とは、当然寝てますね。

・奥克彦参事官
イラク戦争の最中に、イラクで不審死を遂げました。
すると、直ぐに英国紙が日本では知られていなかった、
股子との情事を報じました。

奥克彦.png

この情事かモトで、小和田に危険なイラクへ飛ばされ、
なんと、どうやら米軍に銃撃されたみたいです。

・英国紙も米軍の謀殺とみている。
・日米とも証拠隠しに走った。
・現れてきた事実は、
ブッシュ政権の、再三の派兵要求にもかかわらず
明確な回答を出さない小泉政権に、決断を迫るために、
米国が日本の外交官を、あえて殺害したらしいと。

この事件以後、
小泉政権は早々にブッシュの要求を飲みました。

・外務省上司
上司との不倫を告発する怪文書が
省内を駆け巡った。中絶手術の噂あり。
雅子と寝た男たち その1の岡本行夫さんです。

・外務省同僚東大時代以来からの交際、
オクスフォード留学時代に関係が深まった。
この方は、名前不明。写真なし。

イギリス留学時代には白人男性との交際も噂された。
フリーカメラマンがツーショットを撮影し女性週刊誌
に持ち込んだが没になったそうです。

と、まあ股子、面目躍如といったところです。

・大野裕主治医、これには驚きというよりかは、
ああやっぱりな感があります。
大野医師、庇い過ぎてました。

大野裕.JPG

入内後も股子、盛んなんですねぇ!
盆暗皇太子がホモだそうだから、仕方ないのかも。

性欲の強さ、貞操観念の無さは特筆もんです。

・国連大学総長
て、外人? 大学には股子専用のエレベーターと部屋が
あるそうだけど。池田大作が造ったのだとか。

こういう股子と盆暗皇太子が即位するって、
神様が許すわけ無いと思うけど・・・な。
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/444634624.html
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c168

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
19. 中川隆[-11895] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:54:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[81]

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の子だった!?
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の落胤だった!!

雅子=股子の母親は、小和田優美子。
創価学会会員であり、精神病院入院暦もある。

・小和田一族はみんなスリムなのに、
 雅子=股子一人だけデブ。

・小和田一族は、イチオウ高学歴で
 優等生なのに、雅子=股子一人だけ莫迦。

池田大作の女漁りは、超有名でした。
国会議員も都議会議員も総なめだったとか。

女信者の方から大作教祖様に
抱かれたくて群がりました。

女だけでなく、男も女房娘が
大作の御手つきになることを栄誉としました。

大作の手が付けば、
学会での地位が上がるからです。

で、大作と小和田優美子の子がこれ↓です。

股子.gif

大作と股子、よく似てます!

ま、判断はあなた任せです。


皇室 もう一つの秘密

今、皇室の独裁者はミテコ皇后です。
宮内庁は、ミテコと小和田 恆(おわだ ひさし)と
長官の風岡典創価学会員に牛耳られてます。

ミテコも小和田もチョンです。
ミテコの悪辣さに比べれば
股子なんて霞んじゃいます。

そして、ミテコまた不倫の子なんです。
母優美と西武の堤康次郎との。

優美はチョン系シナ人。
堤康次郎またチョンです。

見てこいミテコ.gif

これまた、判断は貴方しだいです。

堤康次郎存命の頃は、雑誌などに
こういう記事を載せると恫喝されたそうです。
ミテコ本人が電話で脅しもしたとか。

股子の後ろにも、
ヤクザと繋がる部落民が居てます。

豚でもない皇室ではありませんか!!

スポンサーリンク



皇室 も一つの秘密

いま、皇室の大問題は、
先日の生前退位です。

生前退位は、盆暗皇太子を即位させ
次いで愛子天皇を実現させようという
ミテコの熱い熱い願望が発信源です。

ところが、この愛子。
明らかに知恵遅れです。

本来なら、養護学校に進むべきでした。
盆暗夫婦もその気でおったのでしたが、
希望した学校に断られたのです。

で、学習院に進学させ、
学習院を愛子の養護学校にしてしまいました。

愛子の知恵遅れに気づいたミテコは
愛子の影子を立てることにしました。

いま、愛子の影子は四人居るといわれています。

写真は、どうやら本命らしい影子と
ホンモノの愛子です。
本命の素性は不明です。

ミテコも明かすわけがありません。
ホンモノの愛子はどうなるんでしょうね。

あいこ.gif

本命が天皇になり、
チョンの婿を取れば、
ミテコの皇室つぶしは成功です。

日本なくなりますよ!

http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c19

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
18. 中川隆[-11894] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:55:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[82]

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の子だった!?
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の落胤だった!!

雅子=股子の母親は、小和田優美子。
創価学会会員であり、精神病院入院暦もある。

・小和田一族はみんなスリムなのに、
 雅子=股子一人だけデブ。

・小和田一族は、イチオウ高学歴で
 優等生なのに、雅子=股子一人だけ莫迦。

池田大作の女漁りは、超有名でした。
国会議員も都議会議員も総なめだったとか。

女信者の方から大作教祖様に
抱かれたくて群がりました。

女だけでなく、男も女房娘が
大作の御手つきになることを栄誉としました。

大作の手が付けば、
学会での地位が上がるからです。

で、大作と小和田優美子の子がこれ↓です。

股子.gif

大作と股子、よく似てます!

ま、判断はあなた任せです。


皇室 もう一つの秘密

今、皇室の独裁者はミテコ皇后です。
宮内庁は、ミテコと小和田 恆(おわだ ひさし)と
長官の風岡典創価学会員に牛耳られてます。

ミテコも小和田もチョンです。
ミテコの悪辣さに比べれば
股子なんて霞んじゃいます。

そして、ミテコまた不倫の子なんです。
母優美と西武の堤康次郎との。

優美はチョン系シナ人。
堤康次郎またチョンです。

見てこいミテコ.gif

これまた、判断は貴方しだいです。

堤康次郎存命の頃は、雑誌などに
こういう記事を載せると恫喝されたそうです。
ミテコ本人が電話で脅しもしたとか。

股子の後ろにも、
ヤクザと繋がる部落民が居てます。

豚でもない皇室ではありませんか!!

スポンサーリンク



皇室 も一つの秘密

いま、皇室の大問題は、
先日の生前退位です。

生前退位は、盆暗皇太子を即位させ
次いで愛子天皇を実現させようという
ミテコの熱い熱い願望が発信源です。

ところが、この愛子。
明らかに知恵遅れです。

本来なら、養護学校に進むべきでした。
盆暗夫婦もその気でおったのでしたが、
希望した学校に断られたのです。

で、学習院に進学させ、
学習院を愛子の養護学校にしてしまいました。

愛子の知恵遅れに気づいたミテコは
愛子の影子を立てることにしました。

いま、愛子の影子は四人居るといわれています。

写真は、どうやら本命らしい影子と
ホンモノの愛子です。
本命の素性は不明です。

ミテコも明かすわけがありません。
ホンモノの愛子はどうなるんでしょうね。

あいこ.gif

本命が天皇になり、
チョンの婿を取れば、
ミテコの皇室つぶしは成功です。

日本なくなりますよ!

http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c18

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
47. 中川隆[-11893] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:55:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[83]

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の子だった!?
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の落胤だった!!

雅子=股子の母親は、小和田優美子。
創価学会会員であり、精神病院入院暦もある。

・小和田一族はみんなスリムなのに、
 雅子=股子一人だけデブ。

・小和田一族は、イチオウ高学歴で
 優等生なのに、雅子=股子一人だけ莫迦。

池田大作の女漁りは、超有名でした。
国会議員も都議会議員も総なめだったとか。

女信者の方から大作教祖様に
抱かれたくて群がりました。

女だけでなく、男も女房娘が
大作の御手つきになることを栄誉としました。

大作の手が付けば、
学会での地位が上がるからです。

で、大作と小和田優美子の子がこれ↓です。

股子.gif

大作と股子、よく似てます!

ま、判断はあなた任せです。


皇室 もう一つの秘密

今、皇室の独裁者はミテコ皇后です。
宮内庁は、ミテコと小和田 恆(おわだ ひさし)と
長官の風岡典創価学会員に牛耳られてます。

ミテコも小和田もチョンです。
ミテコの悪辣さに比べれば
股子なんて霞んじゃいます。

そして、ミテコまた不倫の子なんです。
母優美と西武の堤康次郎との。

優美はチョン系シナ人。
堤康次郎またチョンです。

見てこいミテコ.gif

これまた、判断は貴方しだいです。

堤康次郎存命の頃は、雑誌などに
こういう記事を載せると恫喝されたそうです。
ミテコ本人が電話で脅しもしたとか。

股子の後ろにも、
ヤクザと繋がる部落民が居てます。

豚でもない皇室ではありませんか!!

スポンサーリンク



皇室 も一つの秘密

いま、皇室の大問題は、
先日の生前退位です。

生前退位は、盆暗皇太子を即位させ
次いで愛子天皇を実現させようという
ミテコの熱い熱い願望が発信源です。

ところが、この愛子。
明らかに知恵遅れです。

本来なら、養護学校に進むべきでした。
盆暗夫婦もその気でおったのでしたが、
希望した学校に断られたのです。

で、学習院に進学させ、
学習院を愛子の養護学校にしてしまいました。

愛子の知恵遅れに気づいたミテコは
愛子の影子を立てることにしました。

いま、愛子の影子は四人居るといわれています。

写真は、どうやら本命らしい影子と
ホンモノの愛子です。
本命の素性は不明です。

ミテコも明かすわけがありません。
ホンモノの愛子はどうなるんでしょうね。

あいこ.gif

本命が天皇になり、
チョンの婿を取れば、
ミテコの皇室つぶしは成功です。

日本なくなりますよ!

http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c47

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
21. 中川隆[-11892] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:55:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[84]

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の子だった!?
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の落胤だった!!

雅子=股子の母親は、小和田優美子。
創価学会会員であり、精神病院入院暦もある。

・小和田一族はみんなスリムなのに、
 雅子=股子一人だけデブ。

・小和田一族は、イチオウ高学歴で
 優等生なのに、雅子=股子一人だけ莫迦。

池田大作の女漁りは、超有名でした。
国会議員も都議会議員も総なめだったとか。

女信者の方から大作教祖様に
抱かれたくて群がりました。

女だけでなく、男も女房娘が
大作の御手つきになることを栄誉としました。

大作の手が付けば、
学会での地位が上がるからです。

で、大作と小和田優美子の子がこれ↓です。

股子.gif

大作と股子、よく似てます!

ま、判断はあなた任せです。


皇室 もう一つの秘密

今、皇室の独裁者はミテコ皇后です。
宮内庁は、ミテコと小和田 恆(おわだ ひさし)と
長官の風岡典創価学会員に牛耳られてます。

ミテコも小和田もチョンです。
ミテコの悪辣さに比べれば
股子なんて霞んじゃいます。

そして、ミテコまた不倫の子なんです。
母優美と西武の堤康次郎との。

優美はチョン系シナ人。
堤康次郎またチョンです。

見てこいミテコ.gif

これまた、判断は貴方しだいです。

堤康次郎存命の頃は、雑誌などに
こういう記事を載せると恫喝されたそうです。
ミテコ本人が電話で脅しもしたとか。

股子の後ろにも、
ヤクザと繋がる部落民が居てます。

豚でもない皇室ではありませんか!!

スポンサーリンク



皇室 も一つの秘密

いま、皇室の大問題は、
先日の生前退位です。

生前退位は、盆暗皇太子を即位させ
次いで愛子天皇を実現させようという
ミテコの熱い熱い願望が発信源です。

ところが、この愛子。
明らかに知恵遅れです。

本来なら、養護学校に進むべきでした。
盆暗夫婦もその気でおったのでしたが、
希望した学校に断られたのです。

で、学習院に進学させ、
学習院を愛子の養護学校にしてしまいました。

愛子の知恵遅れに気づいたミテコは
愛子の影子を立てることにしました。

いま、愛子の影子は四人居るといわれています。

写真は、どうやら本命らしい影子と
ホンモノの愛子です。
本命の素性は不明です。

ミテコも明かすわけがありません。
ホンモノの愛子はどうなるんでしょうね。

あいこ.gif

本命が天皇になり、
チョンの婿を取れば、
ミテコの皇室つぶしは成功です。

日本なくなりますよ!

http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c21

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
169. 中川隆[-11891] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:56:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[85]

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の子だった!?
http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

皇室の秘密 雅子=股子は池田大作の落胤だった!!

雅子=股子の母親は、小和田優美子。
創価学会会員であり、精神病院入院暦もある。

・小和田一族はみんなスリムなのに、
 雅子=股子一人だけデブ。

・小和田一族は、イチオウ高学歴で
 優等生なのに、雅子=股子一人だけ莫迦。

池田大作の女漁りは、超有名でした。
国会議員も都議会議員も総なめだったとか。

女信者の方から大作教祖様に
抱かれたくて群がりました。

女だけでなく、男も女房娘が
大作の御手つきになることを栄誉としました。

大作の手が付けば、
学会での地位が上がるからです。

で、大作と小和田優美子の子がこれ↓です。

股子.gif

大作と股子、よく似てます!

ま、判断はあなた任せです。


皇室 もう一つの秘密

今、皇室の独裁者はミテコ皇后です。
宮内庁は、ミテコと小和田 恆(おわだ ひさし)と
長官の風岡典創価学会員に牛耳られてます。

ミテコも小和田もチョンです。
ミテコの悪辣さに比べれば
股子なんて霞んじゃいます。

そして、ミテコまた不倫の子なんです。
母優美と西武の堤康次郎との。

優美はチョン系シナ人。
堤康次郎またチョンです。

見てこいミテコ.gif

これまた、判断は貴方しだいです。

堤康次郎存命の頃は、雑誌などに
こういう記事を載せると恫喝されたそうです。
ミテコ本人が電話で脅しもしたとか。

股子の後ろにも、
ヤクザと繋がる部落民が居てます。

豚でもない皇室ではありませんか!!

スポンサーリンク



皇室 も一つの秘密

いま、皇室の大問題は、
先日の生前退位です。

生前退位は、盆暗皇太子を即位させ
次いで愛子天皇を実現させようという
ミテコの熱い熱い願望が発信源です。

ところが、この愛子。
明らかに知恵遅れです。

本来なら、養護学校に進むべきでした。
盆暗夫婦もその気でおったのでしたが、
希望した学校に断られたのです。

で、学習院に進学させ、
学習院を愛子の養護学校にしてしまいました。

愛子の知恵遅れに気づいたミテコは
愛子の影子を立てることにしました。

いま、愛子の影子は四人居るといわれています。

写真は、どうやら本命らしい影子と
ホンモノの愛子です。
本命の素性は不明です。

ミテコも明かすわけがありません。
ホンモノの愛子はどうなるんでしょうね。

あいこ.gif

本命が天皇になり、
チョンの婿を取れば、
ミテコの皇室つぶしは成功です。

日本なくなりますよ!

http://kumo-tarooo.seesaa.net/article/441488266.html

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c169

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
7. 中川隆[-11896] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:06:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[80]

2008年10月02日
小和田雅子がお妃リストから外された真相
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html

小和田雅子出勤
隠れ創価信者も博士の独り言より。(2007年7月31日)

過去の経歴を隠しておられるようだが、広中和歌子氏は、数学者・広中平祐氏の夫人である。一家は知られた創価学会員であり、広中和歌子氏が池田大作の通訳を務めたと同様に、令嬢もまた池田大作の通訳を務めている。

なぜ、広中氏が民主党(新進党経由)なのか、との脱会者の指摘も聞こえて来たことがあったが、少なくとも、可能性がいよいよ膨らむ「公明党と民主党による連立」が行われる時のパイプ役となるためであろう。その反日勢力の融着のための「のりしろ」として存在している、と認識すれば判りやすい。

---------引用終了----

雅子さんは1986年12月31日東宮御所への御茶会・年越しパーティに、ハーバード教授の広中平祐らと共に招かれている。

上記の事が公然のことであれば、この時すでに東宮職員の中に、創価の介入がありと考察して良いと思う。

雅子と結婚できなければ、死ぬなどと言って、御所を飛び出したとされる記事もあったが、真実はどうだったのか。 

雅子入内計画がスムーズに進行したかに見えていたが一転、暗礁に乗り頓挫したことに固執し、二度目のお妃候補に急浮上したとき、固辞する態度を見せた小和田家だが、母優美子が「雅子不憫説」の弁を見るといささか胡散臭い。

ここで日英協会を含め浩宮との接触をカウントしていく。

エレナ王女のパーティーの出会いからの軌跡をたどる。

------------

@日英協会→1986年11月中旬、英国大使館で浩宮、小和田雅子出席。

A東宮御所
→ 同年12月31日東宮御所パーティに広中教授らと出席

この東宮御所内で御茶会はごく内輪の催しものだった。そういう茶会に両親、妹と共に招かれたのである。また小和田一家と親しい広中平祐ハーバード大学教授と谷口貞一ボストン総領事館の家族も同席。

B当日東宮御所の年越しパーティーに出席、浩宮と顔合わせ

C日英協会→1987年、1・9 皇太子、もちつき大会で小和田雅子と会う
D日英協会 →同年、2月、小和田雅子と会う。
E日英協会→同年 4月上旬にパーティで皇太子、小和田雅子と会う

F日英協会パーティーののち、高円宮邸の夕食会が4月25日、セッティング→小和田雅子を浩宮が出迎え夕食会へ二人で出席。
(この日、英国夫妻が欠席する。それらの理由から、後、高円邸での夕食会の運びとなる)

G東宮御所→小和田雅子を御所へ招く。(このあたりから、浩宮と小和田の急接近が一部マスコミに漏れ始まる。)

H東宮御所→浩宮さまの学友の賀陽正憲と一緒に雅子さんを招き現在の東宮仮御所内にて、夕食を共にする
I12月20日 指差し恫喝事件勃発→1987年12月20日付けの日刊スポーツで、
かなり厳しい言葉を取材のカメラマンに次々発したと報じられた>ソースは河原本


1987年内までに小和田雅子が浩宮と積極的に足を運び会われた回数と小和田雅子のマスコミ対応である。

最初のこの流れから見れば、無理やり小和田雅子を拉致って会っているのか?
小和田は、好奇心から御所へ上がっていると優美子に言っている。

あの指差し恫喝が小和田の本性を知らしめた後、

海外紙は一斉に小和田雅子の留学中の男性遍歴を報じ、マスゴミは報道規定でも持っていたのか無視を決め込んでいた不思議がある。

日本のマスゴミは創価の影響が大きく無視し続けていたとみていいと思う・・・しかし、決定的な事件がおこる。アメリカからの英文怪文書の送付である。

このことに触れず、美智子妃は、小和田家・および雅子のマスコミ対応にお妃としてふさわしくないとして諦め、その後、宮内庁側にある 「怪文書」が送られ無視できなくなった最大の理由のひとつであり宮内庁は小和田雅子をお妃リストから外す。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に
は常に男性の噂がつきまとってきた。

 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ・サン・タイムズ』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」

「シカゴ−」紙の記事と同じ内容で、ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。
お妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミにやはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。これが真相のようである。


宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「お妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子さんのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになったとの、まことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。
この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)

 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証

 ●結婚を誓い合った恋人がいた!?

 しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。

 その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。

「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田さんの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

 また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。おそらくこの頃、彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

----
2度目のお妃候補浮上に対するマスコミへ会見で述べた
小和田恒の「マスコミ報道に傷ついた」発言は、小和田雅子の怪文書に対するものであればとても解り易い。

その後、皇太子は数多にのぼるお妃候補とお見合いするのだが、・・・
一連の流れは以下の通り。

なぜかかしら、小和田雅子が入内したのち、皇后さまや信子様の身が大変な事が起きているのだ。

また紀子妃殿下や秋篠宮さまにも。

「これが雅子のしかいし」でしょうか。


1990年(平成2年)12月10日 路上インタビューを試みたフジ「タイム3」ディレクター勝本晶子氏に対し「涙を流さんばかりに笑い転げた」。
1992年(平成4年)2月13日 日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせ
1992年(平成4年)2月23日 皇太子誕生日記者会見「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」
1992年(平成4年)4月    学習院大学史料館の客員研究員に就任。
1992年(平成4年)8月16日 千代田区五番町の元外務次官柳谷謙介氏宅でひそかに再会、5年の空白期間を忘れて近況を語る。
       柳谷氏本人がテレビで、皇太子をバンに乗せて自宅に連れて行ったと語る(拉致か?)
1992年(平成4年)10月3日 千葉県市川市の宮内庁新浜鴨場でプロポーズ(その後、雅子さんは辞退される)。
1992年(平成4年)11月28日 東宮仮御所で3度目のデート。
1992年(平成4年)12月12日 東宮仮御所で二人きりの時に、雅子さんはプロポーズに対しOKする。
1992年(平成4年)12月25日夜 東宮仮御所に両陛下をお招きして夕食をとられた“後”雅子さんを招き、初めて紹介された。
          実質的にお二人のご婚約が内定。
1992年(平成4年)12月30日 赤坂御所に小和田夫妻を招いて、両陛下がお会いになった。
1993年(平成5年)1月19日 午前8時から開かれた皇室会議によってご結婚が正式に決定。
          同日午後2時45分から東宮仮御所でお二人の記者会見。
1993年(平成5年)6月9日 小和田雅子さん皇太子とご成婚。


1993年(平成5年)10月 美智子さまが皇室内で仕切っているとのマスコミによる女帝報道が流れる。御所内の木を美智子様の指図で切ったという週刊誌での叩き。御所内の動きを知りうる人間からのリークに基づくものか。

-------

現在、雅子さんには、結婚前と同様な噂が囁かれている。単なる中傷だろうか・・・
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c7

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
17. 中川隆[-11895] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:06:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[81]


2008年10月02日
小和田雅子がお妃リストから外された真相
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html

小和田雅子出勤
隠れ創価信者も博士の独り言より。(2007年7月31日)

過去の経歴を隠しておられるようだが、広中和歌子氏は、数学者・広中平祐氏の夫人である。一家は知られた創価学会員であり、広中和歌子氏が池田大作の通訳を務めたと同様に、令嬢もまた池田大作の通訳を務めている。

なぜ、広中氏が民主党(新進党経由)なのか、との脱会者の指摘も聞こえて来たことがあったが、少なくとも、可能性がいよいよ膨らむ「公明党と民主党による連立」が行われる時のパイプ役となるためであろう。その反日勢力の融着のための「のりしろ」として存在している、と認識すれば判りやすい。

---------引用終了----

雅子さんは1986年12月31日東宮御所への御茶会・年越しパーティに、ハーバード教授の広中平祐らと共に招かれている。

上記の事が公然のことであれば、この時すでに東宮職員の中に、創価の介入がありと考察して良いと思う。

雅子と結婚できなければ、死ぬなどと言って、御所を飛び出したとされる記事もあったが、真実はどうだったのか。 

雅子入内計画がスムーズに進行したかに見えていたが一転、暗礁に乗り頓挫したことに固執し、二度目のお妃候補に急浮上したとき、固辞する態度を見せた小和田家だが、母優美子が「雅子不憫説」の弁を見るといささか胡散臭い。

ここで日英協会を含め浩宮との接触をカウントしていく。

エレナ王女のパーティーの出会いからの軌跡をたどる。

------------

@日英協会→1986年11月中旬、英国大使館で浩宮、小和田雅子出席。

A東宮御所
→ 同年12月31日東宮御所パーティに広中教授らと出席

この東宮御所内で御茶会はごく内輪の催しものだった。そういう茶会に両親、妹と共に招かれたのである。また小和田一家と親しい広中平祐ハーバード大学教授と谷口貞一ボストン総領事館の家族も同席。

B当日東宮御所の年越しパーティーに出席、浩宮と顔合わせ

C日英協会→1987年、1・9 皇太子、もちつき大会で小和田雅子と会う
D日英協会 →同年、2月、小和田雅子と会う。
E日英協会→同年 4月上旬にパーティで皇太子、小和田雅子と会う

F日英協会パーティーののち、高円宮邸の夕食会が4月25日、セッティング→小和田雅子を浩宮が出迎え夕食会へ二人で出席。
(この日、英国夫妻が欠席する。それらの理由から、後、高円邸での夕食会の運びとなる)

G東宮御所→小和田雅子を御所へ招く。(このあたりから、浩宮と小和田の急接近が一部マスコミに漏れ始まる。)

H東宮御所→浩宮さまの学友の賀陽正憲と一緒に雅子さんを招き現在の東宮仮御所内にて、夕食を共にする
I12月20日 指差し恫喝事件勃発→1987年12月20日付けの日刊スポーツで、
かなり厳しい言葉を取材のカメラマンに次々発したと報じられた>ソースは河原本


1987年内までに小和田雅子が浩宮と積極的に足を運び会われた回数と小和田雅子のマスコミ対応である。

最初のこの流れから見れば、無理やり小和田雅子を拉致って会っているのか?
小和田は、好奇心から御所へ上がっていると優美子に言っている。

あの指差し恫喝が小和田の本性を知らしめた後、

海外紙は一斉に小和田雅子の留学中の男性遍歴を報じ、マスゴミは報道規定でも持っていたのか無視を決め込んでいた不思議がある。

日本のマスゴミは創価の影響が大きく無視し続けていたとみていいと思う・・・しかし、決定的な事件がおこる。アメリカからの英文怪文書の送付である。

このことに触れず、美智子妃は、小和田家・および雅子のマスコミ対応にお妃としてふさわしくないとして諦め、その後、宮内庁側にある 「怪文書」が送られ無視できなくなった最大の理由のひとつであり宮内庁は小和田雅子をお妃リストから外す。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に
は常に男性の噂がつきまとってきた。

 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ・サン・タイムズ』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」

「シカゴ−」紙の記事と同じ内容で、ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。
お妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミにやはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。これが真相のようである。


宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「お妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子さんのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになったとの、まことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。
この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)

 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証

 ●結婚を誓い合った恋人がいた!?

 しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。

 その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。

「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田さんの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

 また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。おそらくこの頃、彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

----
2度目のお妃候補浮上に対するマスコミへ会見で述べた
小和田恒の「マスコミ報道に傷ついた」発言は、小和田雅子の怪文書に対するものであればとても解り易い。

その後、皇太子は数多にのぼるお妃候補とお見合いするのだが、・・・
一連の流れは以下の通り。

なぜかかしら、小和田雅子が入内したのち、皇后さまや信子様の身が大変な事が起きているのだ。

また紀子妃殿下や秋篠宮さまにも。

「これが雅子のしかいし」でしょうか。


1990年(平成2年)12月10日 路上インタビューを試みたフジ「タイム3」ディレクター勝本晶子氏に対し「涙を流さんばかりに笑い転げた」。
1992年(平成4年)2月13日 日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせ
1992年(平成4年)2月23日 皇太子誕生日記者会見「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」
1992年(平成4年)4月    学習院大学史料館の客員研究員に就任。
1992年(平成4年)8月16日 千代田区五番町の元外務次官柳谷謙介氏宅でひそかに再会、5年の空白期間を忘れて近況を語る。
       柳谷氏本人がテレビで、皇太子をバンに乗せて自宅に連れて行ったと語る(拉致か?)
1992年(平成4年)10月3日 千葉県市川市の宮内庁新浜鴨場でプロポーズ(その後、雅子さんは辞退される)。
1992年(平成4年)11月28日 東宮仮御所で3度目のデート。
1992年(平成4年)12月12日 東宮仮御所で二人きりの時に、雅子さんはプロポーズに対しOKする。
1992年(平成4年)12月25日夜 東宮仮御所に両陛下をお招きして夕食をとられた“後”雅子さんを招き、初めて紹介された。
          実質的にお二人のご婚約が内定。
1992年(平成4年)12月30日 赤坂御所に小和田夫妻を招いて、両陛下がお会いになった。
1993年(平成5年)1月19日 午前8時から開かれた皇室会議によってご結婚が正式に決定。
          同日午後2時45分から東宮仮御所でお二人の記者会見。
1993年(平成5年)6月9日 小和田雅子さん皇太子とご成婚。


1993年(平成5年)10月 美智子さまが皇室内で仕切っているとのマスコミによる女帝報道が流れる。御所内の木を美智子様の指図で切ったという週刊誌での叩き。御所内の動きを知りうる人間からのリークに基づくものか。

-------

現在、雅子さんには、結婚前と同様な噂が囁かれている。単なる中傷だろうか・・・
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c17

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
19. 中川隆[-11894] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:07:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[82]

2008年10月02日
小和田雅子がお妃リストから外された真相
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html

小和田雅子出勤
隠れ創価信者も博士の独り言より。(2007年7月31日)

過去の経歴を隠しておられるようだが、広中和歌子氏は、数学者・広中平祐氏の夫人である。一家は知られた創価学会員であり、広中和歌子氏が池田大作の通訳を務めたと同様に、令嬢もまた池田大作の通訳を務めている。

なぜ、広中氏が民主党(新進党経由)なのか、との脱会者の指摘も聞こえて来たことがあったが、少なくとも、可能性がいよいよ膨らむ「公明党と民主党による連立」が行われる時のパイプ役となるためであろう。その反日勢力の融着のための「のりしろ」として存在している、と認識すれば判りやすい。

---------引用終了----

雅子さんは1986年12月31日東宮御所への御茶会・年越しパーティに、ハーバード教授の広中平祐らと共に招かれている。

上記の事が公然のことであれば、この時すでに東宮職員の中に、創価の介入がありと考察して良いと思う。

雅子と結婚できなければ、死ぬなどと言って、御所を飛び出したとされる記事もあったが、真実はどうだったのか。 

雅子入内計画がスムーズに進行したかに見えていたが一転、暗礁に乗り頓挫したことに固執し、二度目のお妃候補に急浮上したとき、固辞する態度を見せた小和田家だが、母優美子が「雅子不憫説」の弁を見るといささか胡散臭い。

ここで日英協会を含め浩宮との接触をカウントしていく。

エレナ王女のパーティーの出会いからの軌跡をたどる。

------------

@日英協会→1986年11月中旬、英国大使館で浩宮、小和田雅子出席。

A東宮御所
→ 同年12月31日東宮御所パーティに広中教授らと出席

この東宮御所内で御茶会はごく内輪の催しものだった。そういう茶会に両親、妹と共に招かれたのである。また小和田一家と親しい広中平祐ハーバード大学教授と谷口貞一ボストン総領事館の家族も同席。

B当日東宮御所の年越しパーティーに出席、浩宮と顔合わせ

C日英協会→1987年、1・9 皇太子、もちつき大会で小和田雅子と会う
D日英協会 →同年、2月、小和田雅子と会う。
E日英協会→同年 4月上旬にパーティで皇太子、小和田雅子と会う

F日英協会パーティーののち、高円宮邸の夕食会が4月25日、セッティング→小和田雅子を浩宮が出迎え夕食会へ二人で出席。
(この日、英国夫妻が欠席する。それらの理由から、後、高円邸での夕食会の運びとなる)

G東宮御所→小和田雅子を御所へ招く。(このあたりから、浩宮と小和田の急接近が一部マスコミに漏れ始まる。)

H東宮御所→浩宮さまの学友の賀陽正憲と一緒に雅子さんを招き現在の東宮仮御所内にて、夕食を共にする
I12月20日 指差し恫喝事件勃発→1987年12月20日付けの日刊スポーツで、
かなり厳しい言葉を取材のカメラマンに次々発したと報じられた>ソースは河原本


1987年内までに小和田雅子が浩宮と積極的に足を運び会われた回数と小和田雅子のマスコミ対応である。

最初のこの流れから見れば、無理やり小和田雅子を拉致って会っているのか?
小和田は、好奇心から御所へ上がっていると優美子に言っている。

あの指差し恫喝が小和田の本性を知らしめた後、

海外紙は一斉に小和田雅子の留学中の男性遍歴を報じ、マスゴミは報道規定でも持っていたのか無視を決め込んでいた不思議がある。

日本のマスゴミは創価の影響が大きく無視し続けていたとみていいと思う・・・しかし、決定的な事件がおこる。アメリカからの英文怪文書の送付である。

このことに触れず、美智子妃は、小和田家・および雅子のマスコミ対応にお妃としてふさわしくないとして諦め、その後、宮内庁側にある 「怪文書」が送られ無視できなくなった最大の理由のひとつであり宮内庁は小和田雅子をお妃リストから外す。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に
は常に男性の噂がつきまとってきた。

 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ・サン・タイムズ』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」

「シカゴ−」紙の記事と同じ内容で、ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。
お妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミにやはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。これが真相のようである。


宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「お妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子さんのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになったとの、まことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。
この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)

 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証

 ●結婚を誓い合った恋人がいた!?

 しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。

 その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。

「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田さんの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

 また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。おそらくこの頃、彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

----
2度目のお妃候補浮上に対するマスコミへ会見で述べた
小和田恒の「マスコミ報道に傷ついた」発言は、小和田雅子の怪文書に対するものであればとても解り易い。

その後、皇太子は数多にのぼるお妃候補とお見合いするのだが、・・・
一連の流れは以下の通り。

なぜかかしら、小和田雅子が入内したのち、皇后さまや信子様の身が大変な事が起きているのだ。

また紀子妃殿下や秋篠宮さまにも。

「これが雅子のしかいし」でしょうか。


1990年(平成2年)12月10日 路上インタビューを試みたフジ「タイム3」ディレクター勝本晶子氏に対し「涙を流さんばかりに笑い転げた」。
1992年(平成4年)2月13日 日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせ
1992年(平成4年)2月23日 皇太子誕生日記者会見「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」
1992年(平成4年)4月    学習院大学史料館の客員研究員に就任。
1992年(平成4年)8月16日 千代田区五番町の元外務次官柳谷謙介氏宅でひそかに再会、5年の空白期間を忘れて近況を語る。
       柳谷氏本人がテレビで、皇太子をバンに乗せて自宅に連れて行ったと語る(拉致か?)
1992年(平成4年)10月3日 千葉県市川市の宮内庁新浜鴨場でプロポーズ(その後、雅子さんは辞退される)。
1992年(平成4年)11月28日 東宮仮御所で3度目のデート。
1992年(平成4年)12月12日 東宮仮御所で二人きりの時に、雅子さんはプロポーズに対しOKする。
1992年(平成4年)12月25日夜 東宮仮御所に両陛下をお招きして夕食をとられた“後”雅子さんを招き、初めて紹介された。
          実質的にお二人のご婚約が内定。
1992年(平成4年)12月30日 赤坂御所に小和田夫妻を招いて、両陛下がお会いになった。
1993年(平成5年)1月19日 午前8時から開かれた皇室会議によってご結婚が正式に決定。
          同日午後2時45分から東宮仮御所でお二人の記者会見。
1993年(平成5年)6月9日 小和田雅子さん皇太子とご成婚。


1993年(平成5年)10月 美智子さまが皇室内で仕切っているとのマスコミによる女帝報道が流れる。御所内の木を美智子様の指図で切ったという週刊誌での叩き。御所内の動きを知りうる人間からのリークに基づくものか。

-------

現在、雅子さんには、結婚前と同様な噂が囁かれている。単なる中傷だろうか・・・
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c19

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
170. 中川隆[-11893] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:07:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[83]


2008年10月02日
小和田雅子がお妃リストから外された真相
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html

小和田雅子出勤
隠れ創価信者も博士の独り言より。(2007年7月31日)

過去の経歴を隠しておられるようだが、広中和歌子氏は、数学者・広中平祐氏の夫人である。一家は知られた創価学会員であり、広中和歌子氏が池田大作の通訳を務めたと同様に、令嬢もまた池田大作の通訳を務めている。

なぜ、広中氏が民主党(新進党経由)なのか、との脱会者の指摘も聞こえて来たことがあったが、少なくとも、可能性がいよいよ膨らむ「公明党と民主党による連立」が行われる時のパイプ役となるためであろう。その反日勢力の融着のための「のりしろ」として存在している、と認識すれば判りやすい。

---------引用終了----

雅子さんは1986年12月31日東宮御所への御茶会・年越しパーティに、ハーバード教授の広中平祐らと共に招かれている。

上記の事が公然のことであれば、この時すでに東宮職員の中に、創価の介入がありと考察して良いと思う。

雅子と結婚できなければ、死ぬなどと言って、御所を飛び出したとされる記事もあったが、真実はどうだったのか。 

雅子入内計画がスムーズに進行したかに見えていたが一転、暗礁に乗り頓挫したことに固執し、二度目のお妃候補に急浮上したとき、固辞する態度を見せた小和田家だが、母優美子が「雅子不憫説」の弁を見るといささか胡散臭い。

ここで日英協会を含め浩宮との接触をカウントしていく。

エレナ王女のパーティーの出会いからの軌跡をたどる。

------------

@日英協会→1986年11月中旬、英国大使館で浩宮、小和田雅子出席。

A東宮御所
→ 同年12月31日東宮御所パーティに広中教授らと出席

この東宮御所内で御茶会はごく内輪の催しものだった。そういう茶会に両親、妹と共に招かれたのである。また小和田一家と親しい広中平祐ハーバード大学教授と谷口貞一ボストン総領事館の家族も同席。

B当日東宮御所の年越しパーティーに出席、浩宮と顔合わせ

C日英協会→1987年、1・9 皇太子、もちつき大会で小和田雅子と会う
D日英協会 →同年、2月、小和田雅子と会う。
E日英協会→同年 4月上旬にパーティで皇太子、小和田雅子と会う

F日英協会パーティーののち、高円宮邸の夕食会が4月25日、セッティング→小和田雅子を浩宮が出迎え夕食会へ二人で出席。
(この日、英国夫妻が欠席する。それらの理由から、後、高円邸での夕食会の運びとなる)

G東宮御所→小和田雅子を御所へ招く。(このあたりから、浩宮と小和田の急接近が一部マスコミに漏れ始まる。)

H東宮御所→浩宮さまの学友の賀陽正憲と一緒に雅子さんを招き現在の東宮仮御所内にて、夕食を共にする
I12月20日 指差し恫喝事件勃発→1987年12月20日付けの日刊スポーツで、
かなり厳しい言葉を取材のカメラマンに次々発したと報じられた>ソースは河原本


1987年内までに小和田雅子が浩宮と積極的に足を運び会われた回数と小和田雅子のマスコミ対応である。

最初のこの流れから見れば、無理やり小和田雅子を拉致って会っているのか?
小和田は、好奇心から御所へ上がっていると優美子に言っている。

あの指差し恫喝が小和田の本性を知らしめた後、

海外紙は一斉に小和田雅子の留学中の男性遍歴を報じ、マスゴミは報道規定でも持っていたのか無視を決め込んでいた不思議がある。

日本のマスゴミは創価の影響が大きく無視し続けていたとみていいと思う・・・しかし、決定的な事件がおこる。アメリカからの英文怪文書の送付である。

このことに触れず、美智子妃は、小和田家・および雅子のマスコミ対応にお妃としてふさわしくないとして諦め、その後、宮内庁側にある 「怪文書」が送られ無視できなくなった最大の理由のひとつであり宮内庁は小和田雅子をお妃リストから外す。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に
は常に男性の噂がつきまとってきた。

 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ・サン・タイムズ』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」

「シカゴ−」紙の記事と同じ内容で、ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。
お妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミにやはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。これが真相のようである。


宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「お妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子さんのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになったとの、まことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。
この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)

 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証

 ●結婚を誓い合った恋人がいた!?

 しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。

 その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。

「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田さんの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

 また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。おそらくこの頃、彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

----
2度目のお妃候補浮上に対するマスコミへ会見で述べた
小和田恒の「マスコミ報道に傷ついた」発言は、小和田雅子の怪文書に対するものであればとても解り易い。

その後、皇太子は数多にのぼるお妃候補とお見合いするのだが、・・・
一連の流れは以下の通り。

なぜかかしら、小和田雅子が入内したのち、皇后さまや信子様の身が大変な事が起きているのだ。

また紀子妃殿下や秋篠宮さまにも。

「これが雅子のしかいし」でしょうか。


1990年(平成2年)12月10日 路上インタビューを試みたフジ「タイム3」ディレクター勝本晶子氏に対し「涙を流さんばかりに笑い転げた」。
1992年(平成4年)2月13日 日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせ
1992年(平成4年)2月23日 皇太子誕生日記者会見「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」
1992年(平成4年)4月    学習院大学史料館の客員研究員に就任。
1992年(平成4年)8月16日 千代田区五番町の元外務次官柳谷謙介氏宅でひそかに再会、5年の空白期間を忘れて近況を語る。
       柳谷氏本人がテレビで、皇太子をバンに乗せて自宅に連れて行ったと語る(拉致か?)
1992年(平成4年)10月3日 千葉県市川市の宮内庁新浜鴨場でプロポーズ(その後、雅子さんは辞退される)。
1992年(平成4年)11月28日 東宮仮御所で3度目のデート。
1992年(平成4年)12月12日 東宮仮御所で二人きりの時に、雅子さんはプロポーズに対しOKする。
1992年(平成4年)12月25日夜 東宮仮御所に両陛下をお招きして夕食をとられた“後”雅子さんを招き、初めて紹介された。
          実質的にお二人のご婚約が内定。
1992年(平成4年)12月30日 赤坂御所に小和田夫妻を招いて、両陛下がお会いになった。
1993年(平成5年)1月19日 午前8時から開かれた皇室会議によってご結婚が正式に決定。
          同日午後2時45分から東宮仮御所でお二人の記者会見。
1993年(平成5年)6月9日 小和田雅子さん皇太子とご成婚。


1993年(平成5年)10月 美智子さまが皇室内で仕切っているとのマスコミによる女帝報道が流れる。御所内の木を美智子様の指図で切ったという週刊誌での叩き。御所内の動きを知りうる人間からのリークに基づくものか。

-------

現在、雅子さんには、結婚前と同様な噂が囁かれている。単なる中傷だろうか・・・
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c170

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
48. 中川隆[-11892] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:08:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[84]


2008年10月02日
小和田雅子がお妃リストから外された真相
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html

小和田雅子出勤
隠れ創価信者も博士の独り言より。(2007年7月31日)

過去の経歴を隠しておられるようだが、広中和歌子氏は、数学者・広中平祐氏の夫人である。一家は知られた創価学会員であり、広中和歌子氏が池田大作の通訳を務めたと同様に、令嬢もまた池田大作の通訳を務めている。

なぜ、広中氏が民主党(新進党経由)なのか、との脱会者の指摘も聞こえて来たことがあったが、少なくとも、可能性がいよいよ膨らむ「公明党と民主党による連立」が行われる時のパイプ役となるためであろう。その反日勢力の融着のための「のりしろ」として存在している、と認識すれば判りやすい。

---------引用終了----

雅子さんは1986年12月31日東宮御所への御茶会・年越しパーティに、ハーバード教授の広中平祐らと共に招かれている。

上記の事が公然のことであれば、この時すでに東宮職員の中に、創価の介入がありと考察して良いと思う。

雅子と結婚できなければ、死ぬなどと言って、御所を飛び出したとされる記事もあったが、真実はどうだったのか。 

雅子入内計画がスムーズに進行したかに見えていたが一転、暗礁に乗り頓挫したことに固執し、二度目のお妃候補に急浮上したとき、固辞する態度を見せた小和田家だが、母優美子が「雅子不憫説」の弁を見るといささか胡散臭い。

ここで日英協会を含め浩宮との接触をカウントしていく。

エレナ王女のパーティーの出会いからの軌跡をたどる。

------------

@日英協会→1986年11月中旬、英国大使館で浩宮、小和田雅子出席。

A東宮御所
→ 同年12月31日東宮御所パーティに広中教授らと出席

この東宮御所内で御茶会はごく内輪の催しものだった。そういう茶会に両親、妹と共に招かれたのである。また小和田一家と親しい広中平祐ハーバード大学教授と谷口貞一ボストン総領事館の家族も同席。

B当日東宮御所の年越しパーティーに出席、浩宮と顔合わせ

C日英協会→1987年、1・9 皇太子、もちつき大会で小和田雅子と会う
D日英協会 →同年、2月、小和田雅子と会う。
E日英協会→同年 4月上旬にパーティで皇太子、小和田雅子と会う

F日英協会パーティーののち、高円宮邸の夕食会が4月25日、セッティング→小和田雅子を浩宮が出迎え夕食会へ二人で出席。
(この日、英国夫妻が欠席する。それらの理由から、後、高円邸での夕食会の運びとなる)

G東宮御所→小和田雅子を御所へ招く。(このあたりから、浩宮と小和田の急接近が一部マスコミに漏れ始まる。)

H東宮御所→浩宮さまの学友の賀陽正憲と一緒に雅子さんを招き現在の東宮仮御所内にて、夕食を共にする
I12月20日 指差し恫喝事件勃発→1987年12月20日付けの日刊スポーツで、
かなり厳しい言葉を取材のカメラマンに次々発したと報じられた>ソースは河原本


1987年内までに小和田雅子が浩宮と積極的に足を運び会われた回数と小和田雅子のマスコミ対応である。

最初のこの流れから見れば、無理やり小和田雅子を拉致って会っているのか?
小和田は、好奇心から御所へ上がっていると優美子に言っている。

あの指差し恫喝が小和田の本性を知らしめた後、

海外紙は一斉に小和田雅子の留学中の男性遍歴を報じ、マスゴミは報道規定でも持っていたのか無視を決め込んでいた不思議がある。

日本のマスゴミは創価の影響が大きく無視し続けていたとみていいと思う・・・しかし、決定的な事件がおこる。アメリカからの英文怪文書の送付である。

このことに触れず、美智子妃は、小和田家・および雅子のマスコミ対応にお妃としてふさわしくないとして諦め、その後、宮内庁側にある 「怪文書」が送られ無視できなくなった最大の理由のひとつであり宮内庁は小和田雅子をお妃リストから外す。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という女性に
は常に男性の噂がつきまとってきた。

 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ・サン・タイムズ』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」

「シカゴ−」紙の記事と同じ内容で、ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。
お妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミにやはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

曰く「 白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。これが真相のようである。


宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「お妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って雅子さんのハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボツになったとの、まことしやかな話も漏れ伝わっている。

 また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。
この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)

 さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

噂の真相 1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る
“現代の生贄”の検証

 ●結婚を誓い合った恋人がいた!?

 しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。

 その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。

「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田さんの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

 また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。おそらくこの頃、彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

----
2度目のお妃候補浮上に対するマスコミへ会見で述べた
小和田恒の「マスコミ報道に傷ついた」発言は、小和田雅子の怪文書に対するものであればとても解り易い。

その後、皇太子は数多にのぼるお妃候補とお見合いするのだが、・・・
一連の流れは以下の通り。

なぜかかしら、小和田雅子が入内したのち、皇后さまや信子様の身が大変な事が起きているのだ。

また紀子妃殿下や秋篠宮さまにも。

「これが雅子のしかいし」でしょうか。


1990年(平成2年)12月10日 路上インタビューを試みたフジ「タイム3」ディレクター勝本晶子氏に対し「涙を流さんばかりに笑い転げた」。
1992年(平成4年)2月13日 日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせ
1992年(平成4年)2月23日 皇太子誕生日記者会見「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」
1992年(平成4年)4月    学習院大学史料館の客員研究員に就任。
1992年(平成4年)8月16日 千代田区五番町の元外務次官柳谷謙介氏宅でひそかに再会、5年の空白期間を忘れて近況を語る。
       柳谷氏本人がテレビで、皇太子をバンに乗せて自宅に連れて行ったと語る(拉致か?)
1992年(平成4年)10月3日 千葉県市川市の宮内庁新浜鴨場でプロポーズ(その後、雅子さんは辞退される)。
1992年(平成4年)11月28日 東宮仮御所で3度目のデート。
1992年(平成4年)12月12日 東宮仮御所で二人きりの時に、雅子さんはプロポーズに対しOKする。
1992年(平成4年)12月25日夜 東宮仮御所に両陛下をお招きして夕食をとられた“後”雅子さんを招き、初めて紹介された。
          実質的にお二人のご婚約が内定。
1992年(平成4年)12月30日 赤坂御所に小和田夫妻を招いて、両陛下がお会いになった。
1993年(平成5年)1月19日 午前8時から開かれた皇室会議によってご結婚が正式に決定。
          同日午後2時45分から東宮仮御所でお二人の記者会見。
1993年(平成5年)6月9日 小和田雅子さん皇太子とご成婚。


1993年(平成5年)10月 美智子さまが皇室内で仕切っているとのマスコミによる女帝報道が流れる。御所内の木を美智子様の指図で切ったという週刊誌での叩き。御所内の動きを知りうる人間からのリークに基づくものか。

-------

現在、雅子さんには、結婚前と同様な噂が囁かれている。単なる中傷だろうか・・・
http://blog.livedoor.jp/fanny_valentine/archives/51133205.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c48

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
8. 中川隆[-11894] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:18:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[82]

噂の真相1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証

■小和田雅子をめぐる噂の数々

…さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、
小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、
あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、
最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが
確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。
デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。

その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じような
ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。

曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、
やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、
公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、
というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。

時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは
例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。

一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って
雅子さんハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、
イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、
女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。

この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田さんとMさんは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、
噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、
とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

■結婚を誓い合った恋人がいた!?

しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、
小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。
もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。

この何年かというもの、小和田さんの側には常に彼の姿がありましたからね。
かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、
T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)


たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、
裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、
通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、
隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、
実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。

「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、彼女はT君との結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

これが事実なら、小和田雅子には将来を誓い合ったレッキとした恋人がいたということになる。

ここはやはり、当のT氏に真相を聞いてみるしかないだろう。

現在、外務省経済局につとめるT氏は、しかし、本誌が
「雅子さんとあなたが結婚を前提におつきあいされていたとの情報があるんですが」と尋ねると、
まるでその質問を予想していたかのように、「その話ならお話するつもりはありません」とハネつけた。

だが、T氏に直接取材したことのある民放記者はこんな証言をする。
「一度だけT君に『雅子さんと結婚するつもりなのか』と詰めよったことがあるんです。

ところがその時、彼はニコニコ笑っているだけでまったく否定しなかった」
実をいうと、小和田雅子とT氏はまさに宮内庁が再び彼女を検討しはじめた昨年、
正式に結婚しようとしていたのではないかとの見方もある。外務省の同僚の一人はこう語る。

「省内でも昨年の6月頃にそんな話が流れていましたね。

結婚については当初、雅子さん父親・恒さんが反対だったことに加えて、
留学を終えてから雅子さんは本省勤務、T君は英国大使館勤務と離れていたこともあり、
立ち消えになっていたらしい。ところがT君が昨年5月に本省に戻ってきたことで、
再び話が進みはじめ、恒さんも二人のことを許したようだと聞いていたんですが」
その矢先に強引に割込んできたのが、「皇太子妃になってほしい」との宮内庁からの要請だったわけだ。

報道によると、柳谷謙介元外務省次官が宮内庁のメッセンジャーとして
はじめて小和田家にアプローチをこころみたのは昨年6月。
それから8月16日の第1回デートにこぎつけるまで2カ月もの時間を要したのも、
T氏の問題があったからではないか、と推測される。
「とりあえず、恒さんがT氏に結婚話を一旦、白紙に戻すよう説得したと聞いている。

恒さんとしては皇太子妃の要請があった以上、他の結婚話を進めるわけにはいかなかったんでしょう」
(前出・外務省関係者)


しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって
自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。

そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。

ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。

そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。

「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)


つまり、この時天皇及び長官から小和田次官になにがしかの要請があったのではないか、と推測されるのだ。

「小和田さんも政治的野心の強い人ですからね。当初は娘のことを考えてかなり抵抗していたらしいですが、
途中から方針転換したんじゃないですか。

断った時の政治的リアクションを考えれば、最後はやはり受けざるをえないでしょう」(宮内庁関係者)

それにしても、皇太子=宮内庁が一度は候補者リストからはずしていた小和田雅子を再びもち出し、
ここまで強引にコトを進めていった理由はいったい何なのか―。

たしかに小和田雅子はスター性、大衆への訴求力という意味では
新しい皇室イメージのお妃としての条件は十分に満たしている。
しかしかつて宮内庁がクレームをつけた様々な問題は決してクリアされているわけではない。

例えばチッソの問題にしても、彼女の祖父・江頭豊がチッソの社長に就任したのは
水俣病の問題が起きた後であり、責任はないというのが宮内庁の説明。

しかし、その後の補償交渉で強硬姿勢をとり、
患者との数々のトラブルを引き起こした責任者は他ならぬ彼女の祖父その人なのだ。
また、前述した男性問題もある。日本のマスコミはおさえることができたとしても、
もし、海外のマスコミが彼女の過去の男性関係をほじくり返したたらどうするつもりなのか。
「シカゴ・サン・タイムズ」のようなケースが今後、頻発する可能性がないわけではない。
他にも母方の親戚に日共系の歴史学者・江口朴郎がいること、女系の一族であることなど、
従来の保守的で差別的な皇室の体質からすれば、考えられないような相手を妃に選んだことも事実なのだ。

しかし、これはマスコミのいうような「皇太子さまの一途な想いが頭の固い宮内庁を動かした」結果などではない。
皇太子が一途に小和田雅子を想い続けてきたというのは、マスコミと宮内庁が創作した完全な“嘘”である。

それが証拠に、皇太子は小和田雅子と会った後も何人もの女性に触手をのばしている。
例えば89年、当時、学習院大学の文学部長秘書をしていた藤村南欧子という女性を見染め、
足しげく文学部長室に通いつめたこともあった。また88年には天皇の学友の娘である
明石牧子という女性と御所で見合いをし、ゴールイン寸前まで交際が深まったこともあった。

しかし、いずれも相手に拒否されたり、他の問題があったりでまとまらなかったのである。

つまり、小和田雅子の再浮上は「他にタマがなくなった」結果でもあったのだ。
「結局、最終的に残った選択肢は小和田さんと久邇晃子さんしかなかったんです。
久邇さんは話があれば、うけるつもりだったらしいんですが、
何せ旧皇族出身で天皇家とは縁戚関係にあたり、時代に逆行してしまう。

大衆への訴求力も期待できないし、天皇制の衰退を招きかねないと判断された。
これで駄目ならほんとうに皇太子は結婚できないかもしれないというくらい追いつめられていましたから、
宮内庁も小和田さんで強行突破するしかないと最終的に考えたんじゃないですか」(宮内庁担当記者)


ようするに、天皇家存亡の危機を救うために小和田雅子は“生贄”にされた、それが真相と見る他はない。

マスコミはこの新しい夫婦の誕生を「国際化時代に相応しい」「皇室に新風を吹き込む」と手放しで礼賛し、
そこに新しい時代の幕開けを重ねあわそうとしている。
http://kabanehosi.seesaa.net/article/182048880.html

▲△▽▼


question
nei********さん 2008/6/17 01:27:13

雅子様が精神のバランスを崩した理由について質問です。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。

故・奥参事官と交際していたのだが、外務省事務次官 だったお父様との仕事の絡みで、結婚することになったのだが、本当は彼と結婚するはずだったので、殺害がショックで話も出来ないほどに落ち込まれてるのは本当なのでしょうか?


補足
ODA関係の疑惑は話題にもなりませんね。雅子さんのお父さんに問題のあることは、マスコミも知りながら一切報じません。

answer
ton********さん 2008/6/17 22:14:24

奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。

乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。

そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

ただ、奥参事官と結婚話まで進んでいたか否かについては、寡聞にして存じません。


補足について。
新聞・TVではほとんど触れられていない状態ですが、週刊誌や月刊誌では、ほのめかされ始めています。

力関係に、何らかの変化が生じ始めているのかもしれませんね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317197253


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c8

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
18. 中川隆[-11893] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:18:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[83]


噂の真相1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証

■小和田雅子をめぐる噂の数々

…さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、
小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、
あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、
最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが
確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。
デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。

その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じような
ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。

曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、
やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、
公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、
というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。

時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは
例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。

一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って
雅子さんハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、
イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、
女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。

この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田さんとMさんは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、
噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、
とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

■結婚を誓い合った恋人がいた!?

しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、
小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。
もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。

この何年かというもの、小和田さんの側には常に彼の姿がありましたからね。
かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、
T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)


たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、
裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、
通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、
隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、
実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。

「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、彼女はT君との結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

これが事実なら、小和田雅子には将来を誓い合ったレッキとした恋人がいたということになる。

ここはやはり、当のT氏に真相を聞いてみるしかないだろう。

現在、外務省経済局につとめるT氏は、しかし、本誌が
「雅子さんとあなたが結婚を前提におつきあいされていたとの情報があるんですが」と尋ねると、
まるでその質問を予想していたかのように、「その話ならお話するつもりはありません」とハネつけた。

だが、T氏に直接取材したことのある民放記者はこんな証言をする。
「一度だけT君に『雅子さんと結婚するつもりなのか』と詰めよったことがあるんです。

ところがその時、彼はニコニコ笑っているだけでまったく否定しなかった」
実をいうと、小和田雅子とT氏はまさに宮内庁が再び彼女を検討しはじめた昨年、
正式に結婚しようとしていたのではないかとの見方もある。外務省の同僚の一人はこう語る。

「省内でも昨年の6月頃にそんな話が流れていましたね。

結婚については当初、雅子さん父親・恒さんが反対だったことに加えて、
留学を終えてから雅子さんは本省勤務、T君は英国大使館勤務と離れていたこともあり、
立ち消えになっていたらしい。ところがT君が昨年5月に本省に戻ってきたことで、
再び話が進みはじめ、恒さんも二人のことを許したようだと聞いていたんですが」
その矢先に強引に割込んできたのが、「皇太子妃になってほしい」との宮内庁からの要請だったわけだ。

報道によると、柳谷謙介元外務省次官が宮内庁のメッセンジャーとして
はじめて小和田家にアプローチをこころみたのは昨年6月。
それから8月16日の第1回デートにこぎつけるまで2カ月もの時間を要したのも、
T氏の問題があったからではないか、と推測される。
「とりあえず、恒さんがT氏に結婚話を一旦、白紙に戻すよう説得したと聞いている。

恒さんとしては皇太子妃の要請があった以上、他の結婚話を進めるわけにはいかなかったんでしょう」
(前出・外務省関係者)


しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって
自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。

そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。

ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。

そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。

「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)


つまり、この時天皇及び長官から小和田次官になにがしかの要請があったのではないか、と推測されるのだ。

「小和田さんも政治的野心の強い人ですからね。当初は娘のことを考えてかなり抵抗していたらしいですが、
途中から方針転換したんじゃないですか。

断った時の政治的リアクションを考えれば、最後はやはり受けざるをえないでしょう」(宮内庁関係者)

それにしても、皇太子=宮内庁が一度は候補者リストからはずしていた小和田雅子を再びもち出し、
ここまで強引にコトを進めていった理由はいったい何なのか―。

たしかに小和田雅子はスター性、大衆への訴求力という意味では
新しい皇室イメージのお妃としての条件は十分に満たしている。
しかしかつて宮内庁がクレームをつけた様々な問題は決してクリアされているわけではない。

例えばチッソの問題にしても、彼女の祖父・江頭豊がチッソの社長に就任したのは
水俣病の問題が起きた後であり、責任はないというのが宮内庁の説明。

しかし、その後の補償交渉で強硬姿勢をとり、
患者との数々のトラブルを引き起こした責任者は他ならぬ彼女の祖父その人なのだ。
また、前述した男性問題もある。日本のマスコミはおさえることができたとしても、
もし、海外のマスコミが彼女の過去の男性関係をほじくり返したたらどうするつもりなのか。
「シカゴ・サン・タイムズ」のようなケースが今後、頻発する可能性がないわけではない。
他にも母方の親戚に日共系の歴史学者・江口朴郎がいること、女系の一族であることなど、
従来の保守的で差別的な皇室の体質からすれば、考えられないような相手を妃に選んだことも事実なのだ。

しかし、これはマスコミのいうような「皇太子さまの一途な想いが頭の固い宮内庁を動かした」結果などではない。
皇太子が一途に小和田雅子を想い続けてきたというのは、マスコミと宮内庁が創作した完全な“嘘”である。

それが証拠に、皇太子は小和田雅子と会った後も何人もの女性に触手をのばしている。
例えば89年、当時、学習院大学の文学部長秘書をしていた藤村南欧子という女性を見染め、
足しげく文学部長室に通いつめたこともあった。また88年には天皇の学友の娘である
明石牧子という女性と御所で見合いをし、ゴールイン寸前まで交際が深まったこともあった。

しかし、いずれも相手に拒否されたり、他の問題があったりでまとまらなかったのである。

つまり、小和田雅子の再浮上は「他にタマがなくなった」結果でもあったのだ。
「結局、最終的に残った選択肢は小和田さんと久邇晃子さんしかなかったんです。
久邇さんは話があれば、うけるつもりだったらしいんですが、
何せ旧皇族出身で天皇家とは縁戚関係にあたり、時代に逆行してしまう。

大衆への訴求力も期待できないし、天皇制の衰退を招きかねないと判断された。
これで駄目ならほんとうに皇太子は結婚できないかもしれないというくらい追いつめられていましたから、
宮内庁も小和田さんで強行突破するしかないと最終的に考えたんじゃないですか」(宮内庁担当記者)


ようするに、天皇家存亡の危機を救うために小和田雅子は“生贄”にされた、それが真相と見る他はない。

マスコミはこの新しい夫婦の誕生を「国際化時代に相応しい」「皇室に新風を吹き込む」と手放しで礼賛し、
そこに新しい時代の幕開けを重ねあわそうとしている。
http://kabanehosi.seesaa.net/article/182048880.html

▲△▽▼


question
nei********さん 2008/6/17 01:27:13

雅子様が精神のバランスを崩した理由について質問です。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。

故・奥参事官と交際していたのだが、外務省事務次官 だったお父様との仕事の絡みで、結婚することになったのだが、本当は彼と結婚するはずだったので、殺害がショックで話も出来ないほどに落ち込まれてるのは本当なのでしょうか?


補足
ODA関係の疑惑は話題にもなりませんね。雅子さんのお父さんに問題のあることは、マスコミも知りながら一切報じません。

answer
ton********さん 2008/6/17 22:14:24

奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。

乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。

そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

ただ、奥参事官と結婚話まで進んでいたか否かについては、寡聞にして存じません。


補足について。
新聞・TVではほとんど触れられていない状態ですが、週刊誌や月刊誌では、ほのめかされ始めています。

力関係に、何らかの変化が生じ始めているのかもしれませんね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317197253


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c18

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
20. 中川隆[-11892] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:19:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[84]


噂の真相1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証

■小和田雅子をめぐる噂の数々

…さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、
小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、
あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、
最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが
確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。
デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。

その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じような
ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。

曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、
やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、
公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、
というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。

時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは
例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。

一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って
雅子さんハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、
イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、
女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。

この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田さんとMさんは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、
噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、
とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

■結婚を誓い合った恋人がいた!?

しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、
小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。
もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。

この何年かというもの、小和田さんの側には常に彼の姿がありましたからね。
かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、
T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)


たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、
裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、
通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、
隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、
実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。

「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、彼女はT君との結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

これが事実なら、小和田雅子には将来を誓い合ったレッキとした恋人がいたということになる。

ここはやはり、当のT氏に真相を聞いてみるしかないだろう。

現在、外務省経済局につとめるT氏は、しかし、本誌が
「雅子さんとあなたが結婚を前提におつきあいされていたとの情報があるんですが」と尋ねると、
まるでその質問を予想していたかのように、「その話ならお話するつもりはありません」とハネつけた。

だが、T氏に直接取材したことのある民放記者はこんな証言をする。
「一度だけT君に『雅子さんと結婚するつもりなのか』と詰めよったことがあるんです。

ところがその時、彼はニコニコ笑っているだけでまったく否定しなかった」
実をいうと、小和田雅子とT氏はまさに宮内庁が再び彼女を検討しはじめた昨年、
正式に結婚しようとしていたのではないかとの見方もある。外務省の同僚の一人はこう語る。

「省内でも昨年の6月頃にそんな話が流れていましたね。

結婚については当初、雅子さん父親・恒さんが反対だったことに加えて、
留学を終えてから雅子さんは本省勤務、T君は英国大使館勤務と離れていたこともあり、
立ち消えになっていたらしい。ところがT君が昨年5月に本省に戻ってきたことで、
再び話が進みはじめ、恒さんも二人のことを許したようだと聞いていたんですが」
その矢先に強引に割込んできたのが、「皇太子妃になってほしい」との宮内庁からの要請だったわけだ。

報道によると、柳谷謙介元外務省次官が宮内庁のメッセンジャーとして
はじめて小和田家にアプローチをこころみたのは昨年6月。
それから8月16日の第1回デートにこぎつけるまで2カ月もの時間を要したのも、
T氏の問題があったからではないか、と推測される。
「とりあえず、恒さんがT氏に結婚話を一旦、白紙に戻すよう説得したと聞いている。

恒さんとしては皇太子妃の要請があった以上、他の結婚話を進めるわけにはいかなかったんでしょう」
(前出・外務省関係者)


しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって
自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。

そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。

ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。

そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。

「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)


つまり、この時天皇及び長官から小和田次官になにがしかの要請があったのではないか、と推測されるのだ。

「小和田さんも政治的野心の強い人ですからね。当初は娘のことを考えてかなり抵抗していたらしいですが、
途中から方針転換したんじゃないですか。

断った時の政治的リアクションを考えれば、最後はやはり受けざるをえないでしょう」(宮内庁関係者)

それにしても、皇太子=宮内庁が一度は候補者リストからはずしていた小和田雅子を再びもち出し、
ここまで強引にコトを進めていった理由はいったい何なのか―。

たしかに小和田雅子はスター性、大衆への訴求力という意味では
新しい皇室イメージのお妃としての条件は十分に満たしている。
しかしかつて宮内庁がクレームをつけた様々な問題は決してクリアされているわけではない。

例えばチッソの問題にしても、彼女の祖父・江頭豊がチッソの社長に就任したのは
水俣病の問題が起きた後であり、責任はないというのが宮内庁の説明。

しかし、その後の補償交渉で強硬姿勢をとり、
患者との数々のトラブルを引き起こした責任者は他ならぬ彼女の祖父その人なのだ。
また、前述した男性問題もある。日本のマスコミはおさえることができたとしても、
もし、海外のマスコミが彼女の過去の男性関係をほじくり返したたらどうするつもりなのか。
「シカゴ・サン・タイムズ」のようなケースが今後、頻発する可能性がないわけではない。
他にも母方の親戚に日共系の歴史学者・江口朴郎がいること、女系の一族であることなど、
従来の保守的で差別的な皇室の体質からすれば、考えられないような相手を妃に選んだことも事実なのだ。

しかし、これはマスコミのいうような「皇太子さまの一途な想いが頭の固い宮内庁を動かした」結果などではない。
皇太子が一途に小和田雅子を想い続けてきたというのは、マスコミと宮内庁が創作した完全な“嘘”である。

それが証拠に、皇太子は小和田雅子と会った後も何人もの女性に触手をのばしている。
例えば89年、当時、学習院大学の文学部長秘書をしていた藤村南欧子という女性を見染め、
足しげく文学部長室に通いつめたこともあった。また88年には天皇の学友の娘である
明石牧子という女性と御所で見合いをし、ゴールイン寸前まで交際が深まったこともあった。

しかし、いずれも相手に拒否されたり、他の問題があったりでまとまらなかったのである。

つまり、小和田雅子の再浮上は「他にタマがなくなった」結果でもあったのだ。
「結局、最終的に残った選択肢は小和田さんと久邇晃子さんしかなかったんです。
久邇さんは話があれば、うけるつもりだったらしいんですが、
何せ旧皇族出身で天皇家とは縁戚関係にあたり、時代に逆行してしまう。

大衆への訴求力も期待できないし、天皇制の衰退を招きかねないと判断された。
これで駄目ならほんとうに皇太子は結婚できないかもしれないというくらい追いつめられていましたから、
宮内庁も小和田さんで強行突破するしかないと最終的に考えたんじゃないですか」(宮内庁担当記者)


ようするに、天皇家存亡の危機を救うために小和田雅子は“生贄”にされた、それが真相と見る他はない。

マスコミはこの新しい夫婦の誕生を「国際化時代に相応しい」「皇室に新風を吹き込む」と手放しで礼賛し、
そこに新しい時代の幕開けを重ねあわそうとしている。
http://kabanehosi.seesaa.net/article/182048880.html

▲△▽▼


question
nei********さん 2008/6/17 01:27:13

雅子様が精神のバランスを崩した理由について質問です。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。

故・奥参事官と交際していたのだが、外務省事務次官 だったお父様との仕事の絡みで、結婚することになったのだが、本当は彼と結婚するはずだったので、殺害がショックで話も出来ないほどに落ち込まれてるのは本当なのでしょうか?


補足
ODA関係の疑惑は話題にもなりませんね。雅子さんのお父さんに問題のあることは、マスコミも知りながら一切報じません。

answer
ton********さん 2008/6/17 22:14:24

奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。

乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。

そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

ただ、奥参事官と結婚話まで進んでいたか否かについては、寡聞にして存じません。


補足について。
新聞・TVではほとんど触れられていない状態ですが、週刊誌や月刊誌では、ほのめかされ始めています。

力関係に、何らかの変化が生じ始めているのかもしれませんね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317197253


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c20

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
171. 中川隆[-11891] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:19:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[85]


噂の真相1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証

■小和田雅子をめぐる噂の数々

…さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、
小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、
あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、
最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが
確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。
デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。

その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じような
ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。

曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、
やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、
公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、
というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。

時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは
例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。

一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って
雅子さんハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、
イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、
女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。

この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田さんとMさんは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、
噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、
とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

■結婚を誓い合った恋人がいた!?

しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、
小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。
もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。

この何年かというもの、小和田さんの側には常に彼の姿がありましたからね。
かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、
T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)


たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、
裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、
通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、
隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、
実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。

「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、彼女はT君との結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

これが事実なら、小和田雅子には将来を誓い合ったレッキとした恋人がいたということになる。

ここはやはり、当のT氏に真相を聞いてみるしかないだろう。

現在、外務省経済局につとめるT氏は、しかし、本誌が
「雅子さんとあなたが結婚を前提におつきあいされていたとの情報があるんですが」と尋ねると、
まるでその質問を予想していたかのように、「その話ならお話するつもりはありません」とハネつけた。

だが、T氏に直接取材したことのある民放記者はこんな証言をする。
「一度だけT君に『雅子さんと結婚するつもりなのか』と詰めよったことがあるんです。

ところがその時、彼はニコニコ笑っているだけでまったく否定しなかった」
実をいうと、小和田雅子とT氏はまさに宮内庁が再び彼女を検討しはじめた昨年、
正式に結婚しようとしていたのではないかとの見方もある。外務省の同僚の一人はこう語る。

「省内でも昨年の6月頃にそんな話が流れていましたね。

結婚については当初、雅子さん父親・恒さんが反対だったことに加えて、
留学を終えてから雅子さんは本省勤務、T君は英国大使館勤務と離れていたこともあり、
立ち消えになっていたらしい。ところがT君が昨年5月に本省に戻ってきたことで、
再び話が進みはじめ、恒さんも二人のことを許したようだと聞いていたんですが」
その矢先に強引に割込んできたのが、「皇太子妃になってほしい」との宮内庁からの要請だったわけだ。

報道によると、柳谷謙介元外務省次官が宮内庁のメッセンジャーとして
はじめて小和田家にアプローチをこころみたのは昨年6月。
それから8月16日の第1回デートにこぎつけるまで2カ月もの時間を要したのも、
T氏の問題があったからではないか、と推測される。
「とりあえず、恒さんがT氏に結婚話を一旦、白紙に戻すよう説得したと聞いている。

恒さんとしては皇太子妃の要請があった以上、他の結婚話を進めるわけにはいかなかったんでしょう」
(前出・外務省関係者)


しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって
自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。

そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。

ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。

そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。

「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)


つまり、この時天皇及び長官から小和田次官になにがしかの要請があったのではないか、と推測されるのだ。

「小和田さんも政治的野心の強い人ですからね。当初は娘のことを考えてかなり抵抗していたらしいですが、
途中から方針転換したんじゃないですか。

断った時の政治的リアクションを考えれば、最後はやはり受けざるをえないでしょう」(宮内庁関係者)

それにしても、皇太子=宮内庁が一度は候補者リストからはずしていた小和田雅子を再びもち出し、
ここまで強引にコトを進めていった理由はいったい何なのか―。

たしかに小和田雅子はスター性、大衆への訴求力という意味では
新しい皇室イメージのお妃としての条件は十分に満たしている。
しかしかつて宮内庁がクレームをつけた様々な問題は決してクリアされているわけではない。

例えばチッソの問題にしても、彼女の祖父・江頭豊がチッソの社長に就任したのは
水俣病の問題が起きた後であり、責任はないというのが宮内庁の説明。

しかし、その後の補償交渉で強硬姿勢をとり、
患者との数々のトラブルを引き起こした責任者は他ならぬ彼女の祖父その人なのだ。
また、前述した男性問題もある。日本のマスコミはおさえることができたとしても、
もし、海外のマスコミが彼女の過去の男性関係をほじくり返したたらどうするつもりなのか。
「シカゴ・サン・タイムズ」のようなケースが今後、頻発する可能性がないわけではない。
他にも母方の親戚に日共系の歴史学者・江口朴郎がいること、女系の一族であることなど、
従来の保守的で差別的な皇室の体質からすれば、考えられないような相手を妃に選んだことも事実なのだ。

しかし、これはマスコミのいうような「皇太子さまの一途な想いが頭の固い宮内庁を動かした」結果などではない。
皇太子が一途に小和田雅子を想い続けてきたというのは、マスコミと宮内庁が創作した完全な“嘘”である。

それが証拠に、皇太子は小和田雅子と会った後も何人もの女性に触手をのばしている。
例えば89年、当時、学習院大学の文学部長秘書をしていた藤村南欧子という女性を見染め、
足しげく文学部長室に通いつめたこともあった。また88年には天皇の学友の娘である
明石牧子という女性と御所で見合いをし、ゴールイン寸前まで交際が深まったこともあった。

しかし、いずれも相手に拒否されたり、他の問題があったりでまとまらなかったのである。

つまり、小和田雅子の再浮上は「他にタマがなくなった」結果でもあったのだ。
「結局、最終的に残った選択肢は小和田さんと久邇晃子さんしかなかったんです。
久邇さんは話があれば、うけるつもりだったらしいんですが、
何せ旧皇族出身で天皇家とは縁戚関係にあたり、時代に逆行してしまう。

大衆への訴求力も期待できないし、天皇制の衰退を招きかねないと判断された。
これで駄目ならほんとうに皇太子は結婚できないかもしれないというくらい追いつめられていましたから、
宮内庁も小和田さんで強行突破するしかないと最終的に考えたんじゃないですか」(宮内庁担当記者)


ようするに、天皇家存亡の危機を救うために小和田雅子は“生贄”にされた、それが真相と見る他はない。

マスコミはこの新しい夫婦の誕生を「国際化時代に相応しい」「皇室に新風を吹き込む」と手放しで礼賛し、
そこに新しい時代の幕開けを重ねあわそうとしている。
http://kabanehosi.seesaa.net/article/182048880.html

▲△▽▼


question
nei********さん 2008/6/17 01:27:13

雅子様が精神のバランスを崩した理由について質問です。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。

故・奥参事官と交際していたのだが、外務省事務次官 だったお父様との仕事の絡みで、結婚することになったのだが、本当は彼と結婚するはずだったので、殺害がショックで話も出来ないほどに落ち込まれてるのは本当なのでしょうか?


補足
ODA関係の疑惑は話題にもなりませんね。雅子さんのお父さんに問題のあることは、マスコミも知りながら一切報じません。

answer
ton********さん 2008/6/17 22:14:24

奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。

乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。

そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

ただ、奥参事官と結婚話まで進んでいたか否かについては、寡聞にして存じません。


補足について。
新聞・TVではほとんど触れられていない状態ですが、週刊誌や月刊誌では、ほのめかされ始めています。

力関係に、何らかの変化が生じ始めているのかもしれませんね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317197253


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c171

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
49. 中川隆[-11890] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:20:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[86]


噂の真相1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証

■小和田雅子をめぐる噂の数々

…さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、
小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、
あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、
最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが
確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。
デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。

その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じような
ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。

曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、
やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、
公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、
というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。

時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは
例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。

一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って
雅子さんハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、
イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、
女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。

この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田さんとMさんは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、
噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、
とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

■結婚を誓い合った恋人がいた!?

しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、
小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。
もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。

この何年かというもの、小和田さんの側には常に彼の姿がありましたからね。
かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、
T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)


たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、
裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、
通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、
隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、
実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。

「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、彼女はT君との結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

これが事実なら、小和田雅子には将来を誓い合ったレッキとした恋人がいたということになる。

ここはやはり、当のT氏に真相を聞いてみるしかないだろう。

現在、外務省経済局につとめるT氏は、しかし、本誌が
「雅子さんとあなたが結婚を前提におつきあいされていたとの情報があるんですが」と尋ねると、
まるでその質問を予想していたかのように、「その話ならお話するつもりはありません」とハネつけた。

だが、T氏に直接取材したことのある民放記者はこんな証言をする。
「一度だけT君に『雅子さんと結婚するつもりなのか』と詰めよったことがあるんです。

ところがその時、彼はニコニコ笑っているだけでまったく否定しなかった」
実をいうと、小和田雅子とT氏はまさに宮内庁が再び彼女を検討しはじめた昨年、
正式に結婚しようとしていたのではないかとの見方もある。外務省の同僚の一人はこう語る。

「省内でも昨年の6月頃にそんな話が流れていましたね。

結婚については当初、雅子さん父親・恒さんが反対だったことに加えて、
留学を終えてから雅子さんは本省勤務、T君は英国大使館勤務と離れていたこともあり、
立ち消えになっていたらしい。ところがT君が昨年5月に本省に戻ってきたことで、
再び話が進みはじめ、恒さんも二人のことを許したようだと聞いていたんですが」
その矢先に強引に割込んできたのが、「皇太子妃になってほしい」との宮内庁からの要請だったわけだ。

報道によると、柳谷謙介元外務省次官が宮内庁のメッセンジャーとして
はじめて小和田家にアプローチをこころみたのは昨年6月。
それから8月16日の第1回デートにこぎつけるまで2カ月もの時間を要したのも、
T氏の問題があったからではないか、と推測される。
「とりあえず、恒さんがT氏に結婚話を一旦、白紙に戻すよう説得したと聞いている。

恒さんとしては皇太子妃の要請があった以上、他の結婚話を進めるわけにはいかなかったんでしょう」
(前出・外務省関係者)


しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって
自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。

そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。

ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。

そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。

「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)


つまり、この時天皇及び長官から小和田次官になにがしかの要請があったのではないか、と推測されるのだ。

「小和田さんも政治的野心の強い人ですからね。当初は娘のことを考えてかなり抵抗していたらしいですが、
途中から方針転換したんじゃないですか。

断った時の政治的リアクションを考えれば、最後はやはり受けざるをえないでしょう」(宮内庁関係者)

それにしても、皇太子=宮内庁が一度は候補者リストからはずしていた小和田雅子を再びもち出し、
ここまで強引にコトを進めていった理由はいったい何なのか―。

たしかに小和田雅子はスター性、大衆への訴求力という意味では
新しい皇室イメージのお妃としての条件は十分に満たしている。
しかしかつて宮内庁がクレームをつけた様々な問題は決してクリアされているわけではない。

例えばチッソの問題にしても、彼女の祖父・江頭豊がチッソの社長に就任したのは
水俣病の問題が起きた後であり、責任はないというのが宮内庁の説明。

しかし、その後の補償交渉で強硬姿勢をとり、
患者との数々のトラブルを引き起こした責任者は他ならぬ彼女の祖父その人なのだ。
また、前述した男性問題もある。日本のマスコミはおさえることができたとしても、
もし、海外のマスコミが彼女の過去の男性関係をほじくり返したたらどうするつもりなのか。
「シカゴ・サン・タイムズ」のようなケースが今後、頻発する可能性がないわけではない。
他にも母方の親戚に日共系の歴史学者・江口朴郎がいること、女系の一族であることなど、
従来の保守的で差別的な皇室の体質からすれば、考えられないような相手を妃に選んだことも事実なのだ。

しかし、これはマスコミのいうような「皇太子さまの一途な想いが頭の固い宮内庁を動かした」結果などではない。
皇太子が一途に小和田雅子を想い続けてきたというのは、マスコミと宮内庁が創作した完全な“嘘”である。

それが証拠に、皇太子は小和田雅子と会った後も何人もの女性に触手をのばしている。
例えば89年、当時、学習院大学の文学部長秘書をしていた藤村南欧子という女性を見染め、
足しげく文学部長室に通いつめたこともあった。また88年には天皇の学友の娘である
明石牧子という女性と御所で見合いをし、ゴールイン寸前まで交際が深まったこともあった。

しかし、いずれも相手に拒否されたり、他の問題があったりでまとまらなかったのである。

つまり、小和田雅子の再浮上は「他にタマがなくなった」結果でもあったのだ。
「結局、最終的に残った選択肢は小和田さんと久邇晃子さんしかなかったんです。
久邇さんは話があれば、うけるつもりだったらしいんですが、
何せ旧皇族出身で天皇家とは縁戚関係にあたり、時代に逆行してしまう。

大衆への訴求力も期待できないし、天皇制の衰退を招きかねないと判断された。
これで駄目ならほんとうに皇太子は結婚できないかもしれないというくらい追いつめられていましたから、
宮内庁も小和田さんで強行突破するしかないと最終的に考えたんじゃないですか」(宮内庁担当記者)


ようするに、天皇家存亡の危機を救うために小和田雅子は“生贄”にされた、それが真相と見る他はない。

マスコミはこの新しい夫婦の誕生を「国際化時代に相応しい」「皇室に新風を吹き込む」と手放しで礼賛し、
そこに新しい時代の幕開けを重ねあわそうとしている。
http://kabanehosi.seesaa.net/article/182048880.html

▲△▽▼


question
nei********さん 2008/6/17 01:27:13

雅子様が精神のバランスを崩した理由について質問です。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。

故・奥参事官と交際していたのだが、外務省事務次官 だったお父様との仕事の絡みで、結婚することになったのだが、本当は彼と結婚するはずだったので、殺害がショックで話も出来ないほどに落ち込まれてるのは本当なのでしょうか?


補足
ODA関係の疑惑は話題にもなりませんね。雅子さんのお父さんに問題のあることは、マスコミも知りながら一切報じません。

answer
ton********さん 2008/6/17 22:14:24

奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。

乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。

そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

ただ、奥参事官と結婚話まで進んでいたか否かについては、寡聞にして存じません。


補足について。
新聞・TVではほとんど触れられていない状態ですが、週刊誌や月刊誌では、ほのめかされ始めています。

力関係に、何らかの変化が生じ始めているのかもしれませんね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317197253


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c49

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
9. 中川隆[-11889] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:31:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[87]
2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c9

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
21. 中川隆[-11891] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:32:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[85]

2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c21

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
19. 中川隆[-11890] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:33:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[86]
2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c19

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
172. 中川隆[-11889] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:33:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[87]
2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c172

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
50. 中川隆[-11888] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:34:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[88]
2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c50

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
22. 中川隆[-11887] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:34:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[89]
2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c22

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
289. 中川隆[-11886] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:35:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[90]
2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c289

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
35. 中川隆[-11885] koaQ7Jey 2019年2月23日 14:46:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[91]

2010/5/16 「思うこと」
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html
 
宮崎の声を聴きましょう。

江藤拓衆議院議員の国会質問動画も視られます。
民主党側、民主党支持者の霍乱作戦もあって、情報は錯綜しているようです。

宮崎の現場の声で判断しましょう。

左翼が政権を握った年は、天変地変が勃発します。

社会党の村山富市が総理大臣の時は、阪神大震災が起きました。「私の信念に基づいて
自衛隊は派遣しない」と言い張って、死ななくて良い命が7000名近く亡くなりました。

民主党が政権を握ってからも、数々の異変が起きています。大地震も起きるかもしれません。

民主党は左翼は左翼ですが、日本を解体して特亜(特定亜細亜・・中国・韓国・北朝鮮)に乗っ取らせる意図の下に成り立っています。

上層部は在日帰化人集団です。

新人の若い議員達も、ひょっとしたら在日帰化人たちの子供かもしれません。
通名と云う馬鹿な制度の為に日本人と見分けがつきません。

常々書いてきたことですが、日本を乗っ取ろうとする闇の集団は、どちらが表か?搦め手か解りませんが、皇室の乗っ取りと政治の乗っ取りの二手に分かれて攻めてきました。

皇室が乗っ取られても日本は終わります。政治が乗っ取られても日本は消滅します。
「20年後は日本と云う国は存在しない」と、中国の幹部がいいました。

長い長い時間と周到な計画をもって、闇の勢力と反日売国の国会議員や日教組の勢力は暗躍してきました。

悲しいことに、真性日本人でありながら売国反日の議員は沢山いるのです。

それらの集団が、まず皇室に狙いをつけました。

皇太子徳仁さんが軽度の知恵遅れだということは、美智子様のいろいろなお言葉や、皇太子自信のエピソードでもわかります。

例えば

まどの開け閉めも、全開か全閉しか出来ないこと。

イギリス留学のとき、洗濯機に洗剤をひと箱ぶちまけたエピソード。

小学生の成績は、煙突さんとアヒルさんだったこと(美智子様がおっしゃつていらっしゃいました)

中学時代・・「おもうさま赤いお座布団にお点が乗っているよ」

浜尾さんが、「浩宮さまは、何度も反復して覚えてゆきます」

癌で七歳の娘を亡くした母親に、「僕にも七歳の愛子がいます」「寂しいですか?」

これだけの例でも、薄弱だとわかります。ただ、結婚するまでは、両陛下のお導きや、側近たちの擁護で薄弱な面が目立ちませんでした。

この皇太子に狙いをつけて、レーニン信望者であり創価学会信者であり、三代前が半島からと推測され、さらに公害チッソ会長の江頭豊の婿である小和田恒と闇の勢力が、国会の反日売国勢力と外務省の創価学会員たちと組んで、小和田雅子を皇太子に美人局をしました。

これがコールマール疑惑と呼ばれています。

これを隠し撮りしたのではないかと思います。(中国のやり方です・・脅迫に使います)
実際に同衾しなくとも、薄弱の皇太子を騙すくらいは簡単です。

小和田恒は両陛下に会って、脅迫したのでしょう。
昭和天皇も反対をして、両陛下も宮内庁も反対でしたのに、小和田はアメリカのマスコミを動かして結婚は既成事実のようにスクープさせました。

それからの皇太子と雅子の遊び放題、内定費の使い放題、小和田恒にお金を渡すために、皇室の財宝をオークションにかけたりやること成すこと日本を貶める工作の元に、皇室の権威を弱体化させて、この二人が天皇皇后になるのなら、皇室は要らないと国民に思わせるまでに至りました。

小和田雅子は人格障害という生まれつき精神を病んでいます。適応障害は嘘です。
皇太子は小和田雅子と結婚したことによって、雅子から受けるDVの被害者でありいまでは二人精神病と言われるほど小和田のしもべに変貌しました。

両陛下のお悲しみを思うと民草として苦しいです。
でも、今の法律では、天皇陛下には皇太子を廃嫡させる権限を持っていらっしゃいません。皇室会議を開いて、重大な事故を理由に皇太子の位を剥奪は出来るのですが、時の総理大臣と両議院議長も列席します。

左翼政権は、皇太子と雅子が皇室をもっともっとくだくだにして欲しいのですから、なんで廃嫡させるものですか。

かくして天皇陛下の千代田宮内庁とは別組織である、東宮御所の皇太子夫妻側近は、小和田恒の子分で固められ、外務省から来た創価学会員で成り立っています。

天皇陛下も口を出せない別組織ですのに、324000万の内定費を両陛下と共有します。何年か前のオランダ疑惑旅行のように、一億円以上も私的に使われると、両陛下に皺寄せがゆき、両陛下はご静養なども取りやめになられたりします。

遊び事は絶対に取り辞めませんが、皇太子妃としての公的な仕事は完全に拒否しています。あきれ果てたエピソードは山のようにありますが、代表的なエピソードには、赤十字総裁は皇后陛下、副総裁には皇太子妃がなりますが、赤十字から拒否をされて、実質秋篠宮紀子様が副総裁の役をつとめていらっしゃいます。

噂によると「看護婦とはいい学校に行かれない頭の悪い人がなる仕事だ」と言ったそうです。

実際には、看護大学を出た人々は、ハーバードの偽学歴の雅子さんなんぞ敵わない優秀な人々なのです。かくして、赤十字の行事には皇太子妃雅子は何年も出席致しません。

皇太子妃として入内して足掛け17年。皇太子妃としても、小和田雅子と云う女性としても、成し遂げたものは何一つとしてありません。

ここまで無能な人間だとは、闇の勢力も予想外だったことでしょう。

それでも何の色にも染まる皇太子を操り、皇室を貶め、皇室廃止・日本終了も見えてきたのだからそれなりに効果があったのでしょう。

皇太子夫妻に男児が授からず、愛子ちゃんが知恵遅れとして生まれたことも、八百万の神様の劇的な采配がありました。

小和田雅子が、男性遍歴と同棲をしていた事実を箝口令で葬っても、どんなに人工授精をしても着床しない子宮こそが雄弁に物語っています。(堤医師の、どうやっても流してしまうんだよなあとぼやいた声)

愛子ちゃんは確かに皇太子の子ですが、卵子は果たして雅子さんか?産んだのは雅子さんか?妹の礼子か節子が母親なのではないか?大きな疑惑は今も囁かれています。母親としての愛子ちゃんへの愛情が、雅子さんにはかけらも見えないのです。

西尾幹二さんが、雅子さんは「してはならないことをした」と言ったことが、これのことかもしれません。

とまれ、人工授精で愛子ちゃんは生まれて、天皇陛下からさげ渡された「護り刀」を、東宮侍従が受け取り愛子ちゃんの枕元に届ける途中、報道陣が居並ぶ前で東宮侍従が護り刀を落してしまいました。慌てた侍従が今度は護り刀を踏んづけてしまいました。

護り刀は逃げたのだとネットでは言われています。

愛子ちゃんに八百万の神様の守りが無いことがこれで解りますね。

皇太子夫妻は、愛子ちゃんの五歳の祝いであり、皇族として認められるお披露目である、「着袴の儀(ちゃっこのぎ)」も行なっていません。

「着袴の偽」と呼ばれる朝鮮風のピンクと黄色の衣装でごまかしました。

この日から両陛下は「敬宮愛子」と呼ばなくなりました。ただの「愛子」です。皇族の人々にも愛子ちゃんは皇族とは認められていません。

愛子ちゃんが知恵遅れでも、正当な後継者として悠仁ちゃまが生まれても、皇室典範を変えて、長子天皇・愛子女帝の道をなんとかして成立させようと、画策は止みません。

愛子ちゃんを女帝にして、池田大作の血を娶わせれば、池田王朝・朝鮮人王朝が成立します。着々と闇の準備は整えています。

小和田雅子の妹礼子が嫁いだ「池田祐久」は、池田大作の種であると私は睨んでいます。写真が生き写しなのです。

いとこであっても、愛子ちゃんに娶わせれば、池田王朝が成立します。

これらの暗黒の陰謀には、民主党の帰化人たちも、自民党の中の反日売国議員たちも一丸となって暗躍しています。

本当に身震いするほどの悪魔達に日本は絡め取られました。

私が今密かに想像していることは、ひょつとしたら、天皇陛下は、ご自分の125代で皇統を廃止なさるお覚悟かもしれないということです。

なによりも国民を思い、国民の幸せを第一として、日本の安寧を祈られ、世界の平和を祈られる天皇陛下です。

いくら可愛いわが子の徳仁氏であっても、悪魔に魂を売り渡した者を、後継者にはしないだろうと思うのです。

皇太子夫妻が天皇皇后になれば、皇統の歴史に拭いきれない汚点をもたらす事が、一人の国民である私にもはっきり解るからです。

ご自身の意思で皇統を絶つことを全世界に発布なさるのではないかと、その時期を辛抱強く待っていらっしゃるのではないかと、恐れ多くも想像しています。

未曾有の日本の国の危機は、今ここにある危機です。宮崎口蹄疫を見ても解りますね?壊滅的な被害を受けます。

阪神大震災級の大地震が関東におきたとします。

民主党が何をすると思いますか?

何もしません。韓国や中国に軍隊を派遣してもらうかもしれません。

そのまま居座って自衛隊は解散。人民解放軍が日本を共和国に改造します。

皇室が滅んでも日本は終了です。政治が乗っ取られても日本は滅びます。
https://purple.ap.teacup.com/narugami/444.html



▲△▽▼

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男

 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)

 雅子は床上手?

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

▲△▽▼

噂の真相1993年3月号
マスコミが絶対書けない皇太子妃・小和田雅子逆転決定に見る“現代の生贄”の検証

■小和田雅子をめぐる噂の数々

…さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと決定的な理由があった。

それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。

妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、
小和田雅子という女性には常に男性の噂がつきまとってきた。

実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、
あれはデマだったという結論にいつしか落ち着いてしまった」(大手紙・外信部記者)

しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、
最低でも2回はハーバード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが
確認されているというのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。

「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。
デマだとしたら、どうしてあんな記事を載せたのか。

その後の記事取消しもあまりに対応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じような
ハーバード大学留学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。

曰く「白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。

妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコミに、
やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメリカから送りつけられている。

宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、
公にされている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、
というような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。

時期的に見ても、小和田さんをはずしたのは
例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっているのは確実です。

一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長時代のパイプを使って
雅子さんハーバード時代を徹底的に洗い直したという話もある」(宮内庁担当記者)
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学に留学中の際には、
イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフリーカメラマンがツーショットを撮影して、
女性週刊誌に持ち込んだもののボツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

また、91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしている、との噂がかけめぐった。

この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田さんとMさんは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で、
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い役所ですから、
噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」(外務省関係者)
さらに上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るなど、
とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。


■結婚を誓い合った恋人がいた!?

しかし、こうした無責任なデマがとびかう中で、
小和田雅子を取材し続けてきた記者たちが唯一「本物」と口を揃える相手がいる。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。
もちろん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。

この何年かというもの、小和田さんの側には常に彼の姿がありましたからね。
かなり真面目なつきあいという印象でしたし、我々が小和田さんの可能性が薄いと判断したのも、
T君の存在が大きかったため」(女性週刊誌記者)


たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は外交官試験に合格したばかりの86年10月、
裏磐梯へ男5人女5人で一泊二日のグループ旅行に出かけているが、T氏もこれに参加している。

また、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の頃、
通勤電車の中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女のプライべート写真の中にも、
隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が何点か存在する。

そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学するのだが、
実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英しているのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。

「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、彼女はT君との結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

これが事実なら、小和田雅子には将来を誓い合ったレッキとした恋人がいたということになる。

ここはやはり、当のT氏に真相を聞いてみるしかないだろう。

現在、外務省経済局につとめるT氏は、しかし、本誌が
「雅子さんとあなたが結婚を前提におつきあいされていたとの情報があるんですが」と尋ねると、
まるでその質問を予想していたかのように、「その話ならお話するつもりはありません」とハネつけた。

だが、T氏に直接取材したことのある民放記者はこんな証言をする。
「一度だけT君に『雅子さんと結婚するつもりなのか』と詰めよったことがあるんです。

ところがその時、彼はニコニコ笑っているだけでまったく否定しなかった」
実をいうと、小和田雅子とT氏はまさに宮内庁が再び彼女を検討しはじめた昨年、
正式に結婚しようとしていたのではないかとの見方もある。外務省の同僚の一人はこう語る。

「省内でも昨年の6月頃にそんな話が流れていましたね。

結婚については当初、雅子さん父親・恒さんが反対だったことに加えて、
留学を終えてから雅子さんは本省勤務、T君は英国大使館勤務と離れていたこともあり、
立ち消えになっていたらしい。ところがT君が昨年5月に本省に戻ってきたことで、
再び話が進みはじめ、恒さんも二人のことを許したようだと聞いていたんですが」
その矢先に強引に割込んできたのが、「皇太子妃になってほしい」との宮内庁からの要請だったわけだ。

報道によると、柳谷謙介元外務省次官が宮内庁のメッセンジャーとして
はじめて小和田家にアプローチをこころみたのは昨年6月。
それから8月16日の第1回デートにこぎつけるまで2カ月もの時間を要したのも、
T氏の問題があったからではないか、と推測される。
「とりあえず、恒さんがT氏に結婚話を一旦、白紙に戻すよう説得したと聞いている。

恒さんとしては皇太子妃の要請があった以上、他の結婚話を進めるわけにはいかなかったんでしょう」
(前出・外務省関係者)


しかし、もっと決定的だったのは、天皇訪中とのカラミではないかといわれる。
宮内庁から小和田家に働きかけがあった昨年6〜8月といえば、まさに天皇訪中をめぐって
自民党内部でも賛否両論が真っ二つにわれていた時期でもある。

そして訪中を最も積極的に進めていたのが外務省だったことはいうまでもない。
「外務省としては中国政府に約束手形を切っている以上、どうしても訪中を実現させる必要があった。

ところが、“お言葉”問題などをめぐって右派の抵抗が思いのほか強くかなり難航していたんです。

そんな状況で外務省が頼みの綱にしていたのは、天皇自身の意向だったんですね。
もちろん決定権が天皇にあるわけではありませんが、宮内庁に“天皇も行きたがっている”という
ムードをちらつかせてもらえば、少なくとも右派を黙らす材料にはなりますから」(外務省詰記者)
そして、この訪中問題の外務省側の責任者として天皇や宮内庁との折衝にあたっていたのが、
他ならぬ小和田次官だった。

「小和田さんは去年の7〜8月にかけて訪中問題で宮内庁の藤森昭一長官、
そして天皇陛下にも10回近く会っている。
これはちょうど小和田さんがデートを応諾した時期とピッタリ重なるんですね」(外務省関係者)


つまり、この時天皇及び長官から小和田次官になにがしかの要請があったのではないか、と推測されるのだ。

「小和田さんも政治的野心の強い人ですからね。当初は娘のことを考えてかなり抵抗していたらしいですが、
途中から方針転換したんじゃないですか。

断った時の政治的リアクションを考えれば、最後はやはり受けざるをえないでしょう」(宮内庁関係者)

それにしても、皇太子=宮内庁が一度は候補者リストからはずしていた小和田雅子を再びもち出し、
ここまで強引にコトを進めていった理由はいったい何なのか―。

たしかに小和田雅子はスター性、大衆への訴求力という意味では
新しい皇室イメージのお妃としての条件は十分に満たしている。
しかしかつて宮内庁がクレームをつけた様々な問題は決してクリアされているわけではない。

例えばチッソの問題にしても、彼女の祖父・江頭豊がチッソの社長に就任したのは
水俣病の問題が起きた後であり、責任はないというのが宮内庁の説明。

しかし、その後の補償交渉で強硬姿勢をとり、
患者との数々のトラブルを引き起こした責任者は他ならぬ彼女の祖父その人なのだ。
また、前述した男性問題もある。日本のマスコミはおさえることができたとしても、
もし、海外のマスコミが彼女の過去の男性関係をほじくり返したたらどうするつもりなのか。
「シカゴ・サン・タイムズ」のようなケースが今後、頻発する可能性がないわけではない。
他にも母方の親戚に日共系の歴史学者・江口朴郎がいること、女系の一族であることなど、
従来の保守的で差別的な皇室の体質からすれば、考えられないような相手を妃に選んだことも事実なのだ。

しかし、これはマスコミのいうような「皇太子さまの一途な想いが頭の固い宮内庁を動かした」結果などではない。
皇太子が一途に小和田雅子を想い続けてきたというのは、マスコミと宮内庁が創作した完全な“嘘”である。

それが証拠に、皇太子は小和田雅子と会った後も何人もの女性に触手をのばしている。
例えば89年、当時、学習院大学の文学部長秘書をしていた藤村南欧子という女性を見染め、
足しげく文学部長室に通いつめたこともあった。また88年には天皇の学友の娘である
明石牧子という女性と御所で見合いをし、ゴールイン寸前まで交際が深まったこともあった。

しかし、いずれも相手に拒否されたり、他の問題があったりでまとまらなかったのである。

つまり、小和田雅子の再浮上は「他にタマがなくなった」結果でもあったのだ。
「結局、最終的に残った選択肢は小和田さんと久邇晃子さんしかなかったんです。
久邇さんは話があれば、うけるつもりだったらしいんですが、
何せ旧皇族出身で天皇家とは縁戚関係にあたり、時代に逆行してしまう。

大衆への訴求力も期待できないし、天皇制の衰退を招きかねないと判断された。
これで駄目ならほんとうに皇太子は結婚できないかもしれないというくらい追いつめられていましたから、
宮内庁も小和田さんで強行突破するしかないと最終的に考えたんじゃないですか」(宮内庁担当記者)


ようするに、天皇家存亡の危機を救うために小和田雅子は“生贄”にされた、それが真相と見る他はない。

マスコミはこの新しい夫婦の誕生を「国際化時代に相応しい」「皇室に新風を吹き込む」と手放しで礼賛し、
そこに新しい時代の幕開けを重ねあわそうとしている。
http://kabanehosi.seesaa.net/article/182048880.html


▲△▽▼


question
nei********さん 2008/6/17 01:27:13

雅子様が精神のバランスを崩した理由について質問です。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。

故・奥参事官と交際していたのだが、外務省事務次官 だったお父様との仕事の絡みで、結婚することになったのだが、本当は彼と結婚するはずだったので、殺害がショックで話も出来ないほどに落ち込まれてるのは本当なのでしょうか?


補足
ODA関係の疑惑は話題にもなりませんね。雅子さんのお父さんに問題のあることは、マスコミも知りながら一切報じません。


answer
ton********さん 2008/6/17 22:14:24

奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。

乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。

そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

ただ、奥参事官と結婚話まで進んでいたか否かについては、寡聞にして存じません。


補足について。
新聞・TVではほとんど触れられていない状態ですが、週刊誌や月刊誌では、ほのめかされ始めています。

力関係に、何らかの変化が生じ始めているのかもしれませんね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317197253

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c35

[近代史3] グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年)

グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年)


監督 D・W・グリフィス
脚本 アンソニー・ポール・ケリー
原作 ロティ・ブレア・パーカー
撮影 G・W・ビッツァー ヘンドリック・サートフ
公開 1920年9月3日

動画
http://www.youtube.com/watch?v=QaUQORQoFhA
http://www.youtube.com/watch?v=YWGje_Ss7oo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aEw9yuN2aFc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DM08e8ZthhI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=uJQLjZ23C4c&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Jh7frECK9zU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=n9hykmROKU4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hbCrkrkggI0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ToNTYqs9p8M&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=nEqBjtQy5Oc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=r5YqLL7Dy4I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=28Kw0IcLYtE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=en2sVeXpouU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ZnzxputIr-U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Isu3QuwyMZ8&feature=related

▲△▽▼

キャスト

アンナ・ムーア:リリアン・ギッシュ
デイビッド・バートレット:リチャード・バーセルメス
レノックス・サンダースン:ロウエル・シャーマン
地主のバートレット:バー・マッキントッシュ
ノーマ・シアラー(ノンクレジット)


田舎娘アンナ・ムーア(リリアン・ギッシュ)は職を求めて東部に住む親戚、トレモント家を頼るが、プレイボーイのレノックス・サンダースンに騙され、内縁関係を婚姻と騙された挙句、妊娠すると捨てられる。

アンナは子供を生むが、その子は洗礼を受けるまもなく死んでしまう。アンナはその後遠方へ移転し、地主のバートレット家の女中となる。息子のディヴィッド(リチャード・バーセルメス)との間に恋が芽生えるが、自らの過去を忘れられないアンナはディヴィッドの求愛に答えることが出来ないでいた。

サンダースンはバートレット家の近くに住んでおり、サンダースンはバートレット家にアンナの過去を暴露してしまった。厳格なバートレットは、外が猛吹雪であるにも変わらず、アンナを追い出す。アンナは猛吹雪の中をさまよい、力尽きて失神するが、大地に思えたその場所は、凍りついた川の上であった…。

アンナを探していたディヴィッドは、失神したアンナが氷河ともに流れていくさまを見、救出に向かう。アンナが滝つぼに飲まれる寸前、ディヴィッドはアンナを救出する。

バートレットもアンナを赦し、晴れてアンナとディヴィッドは結ばれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93

▲△▽▼

はい、『東への道』、Way Down East。

私はこれを学生の頃観ました。学生の頃観まして、Way Down Eastですか、これで、Eastが東、いう事を頭に染み込ませまして、それでやっとEastが良くわかったなんていう幼稚な観方しましたけれど、この映画はグリフィス監督、『イントレランス』の監督がつくりました。

『イントレランス』をつくって、物凄い、物凄い超大作をつくりまして、本当に借金が山盛りになったんですね。 それであわてて昔のグリフィスに返る。グリフィスはやっぱり愛の映画だというので『散り行く花』をつくりました。 『散り行く花』をつくって、僕の映画は本当はこれだよ、そして『スージーの真心』とか、かわいい、かわいい映画をつくりました。 そうして今度はメロドラマ。「おれはメロドラマがこんなにうまいんだよ」とつくったのが『東への道』ですね、Way Down Eastですね。で、Eastで東だいうことを勉強したんですね。

なんでWay Down Eastいうのか今でもわかりませんけど、これはいかにも奇麗なリリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、あの『散り行く花』のコンビですね。
それにクライトン・ヘイルとか、いろいろ出てますけど、これは『散り行く花』のような夢物語でなくて、本当にある村の豪農の話ですね。

大きな、大きなお屋敷があったんですね、田舎に。

そこに、召使いにかわいい娘がやってきたんですね。

で、そこで一生懸命に働いたんですね。働いて、働いて、みんなにいい娘だな、いい娘だな。そしてその豪農のお家に、リチャード・バーセルメスの扮してる息子がいたんですね。その息子は、本当に立派な心がけのやさしい女だから結婚しようと思ったんですね。

そこへ都会の男が一晩泊りに来たんですね、そこのうちへ。

その男が、その娘は確か子供ができて逃げて来たんだよ、そういうこと言ったので、かたいかたい豪農の家中がびっくりしたんですね。それを聞いて驚いたんですね。

で、リリアン・ギッシュのその娘は、もう私はとってもたまらない言って夜中に逃げていったんですね。どんどん、どんどん、雪の中を逃げたんですね。

そして死のう、死のうと思ったんですね。

逃げて、逃げて、道で倒れたんですね。でも、倒れたの道じゃなかったんですね。
河が氷結して、河が氷で固まっちゃってたんですね。で、雪が積もってたんです。
道かと思って行きながらそこにばったり倒れたんですね。

一方、豪農の家の息子は「そんな娘じゃない、そんな娘じゃない、あの娘は立派な娘だ」、後をどんどんと追っかけてたんですね。

追っかけて追っかけて「どこ行った、どこ行った」、探してほっと見たら、遠くの、あの河の上で倒れてるんですね。

あんな所で倒れてる、死んじゃうじゃないかって、慌てて飛んで降りていって、「おーい、おーい」とつかもうとしたら、朝方でだんだん雪、氷がとけてきて割れて、その女を乗せたまま流れてゆくんですね。

たまったもんじゃない、向こうに行ったら滝がある、あぶない、あぶないとその割れた氷、それをピョンピョン、ピョンピョン、ピョンピョン飛びながら、もう、どんどん河が流れて行く、滝のとこへ行く、滝のとこへ行ったらもう女は死んじゃう、いうところで、パーッと助ける....これが傑作なんですね。

で、グリフィスは、そういう危機一髪がまた好きだったんですね。

『イントレランス』でも、死刑執行の瞬間に助けに行く場面がありますね。
リリアン・ギッシュ、バーセルメスのこの作品はその河、助けるところが凄いですね。
そうして助けて、みんなをあらためて迎えるんですね。

けれど、この映画で一番おもしろいのは、その氷の上ですね。

撮影は、本当に氷結している氷の上でリリアン・ギッシュは寝たんですね。

で、リリアン・ギッシュに後で聞いたら「私、もう1分間ながいこと撮影されたら、死んじゃってた」。片っぽの手は水に浸かってたんですね。

そうして横へ倒れて、本当の氷の上、雪の上ですね、こういう撮影を昔はしたんですね。

そうして本当にキャメラをまわしたんですね。で、リリアン・ギッシュはこの役を演ったんですね。

『東への道』は命がけのリリアン・ギッシュの作品ですね、なにしろ見事な映画でした。

危機一髪を助ける瞬間の怖さ、それはグリフィスのもう大得意なシーンですね。

『東への道』は、メロドラマですけども、いかにも、いかにも、グリフィスの感覚があふれた愛の映画でしたね。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2271.html


▲△▽▼

 内容はメロドラマである。しかも、当時としても古くさいタイプのメロドラマだったようだ。主演したリリアン・ギッシュを含め関係者はグリフィスの見識を疑ったという。

 純粋な女性アンナ(リリアン・ギッシュ)は、女たらしの男に遊ばれ妊娠するも捨てられてしまう。生まれた子供が死んでしまい、身寄りもいないアンナは、過去を隠して田舎の村の農家にお手伝いとして雇われる。農家の息子のデビッド(リチャード・バーセルメス)は、アンナを愛するようになり、アンナの気持ちも同じだった。やがて、アンナの過去がばれて、厳格な清教徒の農家の主人の命令で、アンナは吹雪の中を追い出されてしまう。

 今から見ると、これくらいの過去が(しかも悪いのは女たらしの男である)人生の破滅を呼ぶほどのことではないように思える。だが、問題はそこではなく、不幸な境遇におかれたアンナの苦悩にある。「東への道」は一歩間違えればバカバカしく思えてくるようなストーリーを、そうは思わせずに見事に映像化したという意味で非常に価値のある作品である。思えば、映画の多くはよく考えればバカバカしいものが多い。映画はバカバカしいことに真実味を与えることができるものということもできる。そう考えると、「東への道」は、「映画」の正しい作り方を教えてくれているようにも思える。

 「東への道」の最大の功労者は誰か?この問いに対して、私はリリアン・ギッシュであると答える。「散り行く花」で10代の少女を演じたギッシュは、1年後の「東への道」では20代前半の女性を見事に演じている。「散り行く花」では、ただひたすらに弱い小さな少女に徹していたギッシュは、「東への道」では弱さと強さを併せ持った女性を演じてみせる。

 グリフィス映画に登場する女性たちは弱く、それはグリフィスの理想の女性像を描いているとも言われるが、「東への道」のリリアン・ギッシュ演じるアンナは、弱いだけの女性ではなく強さも見せる。たった1人で産んだ赤ん坊が病気になり、必死に看病し、「洗礼されていない赤ん坊は地獄に落ちる」と言われると、自分の手で洗礼を行う(このシーンの撮影の際、あまりの迫真の演技にグリフィスは撮影中に涙したと言われている)。デビッドに愛を告白されても、アンナは自分の過去のために拒絶する。アンナは決して弱いだけの女性ではない。1人で生きていく覚悟を持った強い女性でもある。

 グリフィスの演出や脚本(当初は別の人物が書いたが、グリフィスはほとんど書き換えてしまったという)は、ギッシュの演技と比べると、映画に貢献していないように思える。スラップスティック・コメディ的な部分が時折あるが、決しておもしろくはない(グリフィスは喜劇が苦手で、バイオグラフ社時代には、喜劇はマック・セネットにまかせていた)。ストーリー上重要な役割を果たすゴシップ好きの女性以外の部分は、必要性が感じられない。ただし、のどかで平穏な村という雰囲気を生み出しているというプラスの部分もある。また、ラストの結婚式の落ちは成功している。

 アンナが流氷に乗って流されるところをデビッドが救出するシーンは、「東への道」で最も有名なシーンだ。ここでの編集は高く評価されているが、今見るとそれほどのハラハラドキドキはない。それよりも、実際にギッシュとバーセルメスが演じているということの方に驚きを感じる。実際に流氷に乗って撮影(氷を爆破して流氷を作ったという)したということを決断したのはグリフィスである。グリフィスの功績は大きいが、それを演じたギッシュとバーセルメスに対して拍手を送りたくなる。流氷の上で、アンナの片手と髪が水に浸かっているが、これはギッシュのアイデアだったという。

 メロドラマの「東への道」を、映画に昇華した最大の功績者はリリアン・ギッシュであろうと思う。リリアン・ギッシュはグリフィスによって雇われ映画役者となり、グリフィスの元で育った。バーセルメスもグリフィス映画で育った。その意味で、最終的にはグリフィスの功績ということはできるだろうが。

 グリフィスはこの後、いくつかのヒット作・成功作を生み出すが、徐々に映画界から忘れられた存在となっていく。その最大の理由は、リリアン・ギッシュ(やリチャード・バーセルメス)のような、物語を映画に昇華できるような役者を失っていったからのように思える。この頃のグリフィスはまだそのことに気づいていなかったのかもしれない(ギッシュの演技で自らが涙してもなお)。

数年後、グリフィスはギッシュを手放してしまう。「イントレランス」の興行的な失敗以降、経済的な自由を手に入れることがなかったグリフィスは、決して自らの思い通りの作品を撮り続けることはできなくなっていた。その状況で、グリフィスは自らの力だけで物語を映画に昇華することは難しくなっていた。「東への道」は、そんなグリフィスの当時の状況を表しているように思える。そう考えると、哀しい映画でもある。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%C5%EC%A4%D8%A4%CE%C6%BB&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

救いようのない薄幸の美少女を、儚くも美しく、そして時にはたくましく演じたリリアン・ギッシュが、本当に素晴らしい。 サイレント期を代表する女優としての“命を懸けた”迫真の演技は、映画の歴史が続く限り、永遠に語り継がれていくことでしょう。

その命を懸けた問題のクライマックスですが…
紆余曲折の果て、なんと―


流氷の上で気絶して、瀑布に飲み込まれようとしているではありませんか!

これ、実際に凍死しかけたそうです。

その甲斐あって、それはもう凄い迫力に満ちたシーンとなっております。

アンナは、もといリリアン・ギッシュは―凍傷を負うほど過酷な状況に追い込まれながらも、自分を見出してくれたグリフィス監督への信頼を支えにして、この映画史に残る“ラスト・ミニッツ・レスキュー”をやり遂げたのでしょう。

その監督への絶大なる信頼と尊敬が、劇中でアンナを助け出そうとするデイビットとの愛へと変換され、この壮大なるメロドラマは完結するのです。
素晴らしき哉、リリアン・ギッシュの女優魂!

http://koushin504.blog36.fc2.com/blog-entry-11.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/267.html

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100258  g検索 koaQ7Jey

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。