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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100259
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[近代史3] グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年) 中川隆
1. 中川隆[-11887] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:02:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[90]
以下 リリアン・ギッシュの人生と出演作を年代順に追ってみる事にします:


リリアン・ギッシュ Lillian Gish

■生年月日 : 1893/10/14
■出身地 : アメリカ/オハイオ州スプリングフィールド
■没年 : 1993/02/27


■アメリカ映画史を語る上で、絶対に欠かせない、惹き込まれるような美しい瞳を持った大女優。本名はLillian Diana de Guiche。母は元女優でドロシー・ギッシュは妹。5歳から母妹と共に舞台にたつ。

12年の時に友人であったメアリー・ピックフォードの紹介でデイヴィッド・W・グリフィスと知り合い、その日の内にカメラ・テストを受けて母妹といっしょに映画デビューする。当時からグリフィスに可愛がられ、悲劇のヒロインとして多くの作品で共作した。

妹との仲の良さも有名で、20年には彼女のために「亭主改造」を監督もした。22年にグリフィスと別れ、25年にMGMと契約。「ラ・ボエーム」や「真紅の文字」で特筆すべき演技を見せた。

しかし時代は肉体的魅力を持つ女優がもてはやされるようになり、次第に作品数が減っていくのだった。30年代からはブロードウェイに新境地を得て『椿姫』や『ハムレット』に出演。映画の方は脇役として幾つかの作品に出演を続けていく。70年アカデミー名誉賞受賞。87年には「八月の鯨」でベティ・デイヴィスと共演して話題を呼んだ。93年心不全で死亡。ロマンスの噂もなく、生涯独身だった。

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=41252


リリアン・ギッシュ自伝    ──映画とグリフィスと私──


幼年時代―旅の始まり
グリフィスとの出会い
映画監督グリフィス
舞台と映画と
映画女優としての出発―バイオグラフ社時代
『国民の創生』
『イントレランス』
『嵐の孤児』そしてグリフィスからの独立
人生の悪夢―デュエルとの法延闘争
本格的舞台女優として[ほか]


                     
 アステアが死に、ガルポが死んだ。そして映画の創生期から今なお大女優として現役でいる奇跡的な存在、1896年生まれのリリアン・ギッシュが天に召される時、一つの神話的時代が完結するだろう。

 クローズ・アップ、フラッシュ・バック、クロス・カット等々、「映画を発明した」と言われる巨人グリフィスは数々の映画的技法を編み出した。それは知識としては知っていたが、近年『イントレランス』をこの目で見るまでこれらの技術があんなにシンプルで効果的なものだとは思いもよらないことだった。

逆光を撮るため反射板を使ったのも彼が最初だが、逆光のなかに浮かび上がる “類い稀な天上的美貌”のリリアン・ギッシュほど美しいショットは他に見たことがない。

 16歳の時から「グリフィス組」の一員となったギッシュは映画的な演技と動きをグリフィスに叩き込まれ、やがて数々のヒロインを演じながら企画から編集まで映画制作のすべてに関わった。69年に書かれたこの本は普通の自伝とはまったく違う。副題がすぺてを示すように、ギッシュは自身のことを語るより、グリフィスの最も身近にいた者、グリフィスを最も理解する者、そしてグリフィスと同じくらい映画を愛し打ち込んだ者として証言することを第一に望んだ。宝石のように貴重なこの記録を貫くギッシュの魂の清らかさ、人格の高潔さといったらグリフィス映画のヒロインそのもので──やはり天上的である。

http://www8.plala.or.jp/milk_honey/LILIAN%20GISH.htm

リリアン・ギッシュ自伝


リリアン・ギッシュは映画の創世記から映画女優としての活動を始めた人ですが、まだ映画とは縁が無く、子役として旅一座の女優だった頃から、メアリー・ピックフォードとは親友だったんですね。エピソードの多くは、『映画の父』D・W・グリフィスと共に『国民の創生』『イントレランス』『散り行く花』等数々の映画史上の残る傑作を生み出していた時期のものですが、印象深いのは、グリフィスがイントレランスの失敗から多額の借金を抱えてしまった為に、小さいプロダクションを抜けて、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)という巨大組織の専属監督になってからの話です。

ある程度自分のやりたいことをやれた以前とは違い、MGMの上層部から毎回厳しい脚本、編集のチェックを受け、自分の望まない形で作品を送り出し続けなければならなくなり、興行的に失敗を重ね、遂には仕事が全く無くなってしまいます。

それでもリリアンが心配してグリフィスに電話を掛けると、彼は「やあ、今ちょうど次に撮る作品の構想を練っていたところだ」などと見栄を張ってしまう。次回作を作る為の金などもうどこからも出ないのに。結局彼は失意のまま脳卒中で亡くなってしまいますが、多額の借金しか残しませんでした。

リリアン・ギッシュの自伝というよりもグリフィスの伝記を読んでいるかの様な構成になっています。事実、グリフィスは生前自伝を書く準備をしており、それは結局完成せず出版されずに終わったのですが、そのためにグリフィスが残していた資料も参考にしながらこの自伝は書かれているそうです。

リリアンの主張は

『MGMがグリフィスを駄目にした』

『MGMはグリフィスに仕事を与えようとすれば出来たのにそれをせず見捨てた』

『グリフィスは余りにも大きな名声を得ていたので、彼にいい仕事を与えたら他の監督の仕事を奪ってしまうからそれを恐れてグリフィスを干した』


など、MGMに対する辛辣なものが目立ちます。 だからMGMのメモリアル映画『ザッツ・エンターテインメント』にリリアンが全く登場しなかったのかという気がします。そう考えればグレタ・ガルボやマルクス兄弟まで出てるのにリリアンが全く登場しなかったことにも納得がいきます(グリフィスと結構似たような境遇のバスター・キートンは一瞬だけ出ている)。

映画の創世記から映画に深く関わってきたリリアンにとって、MGMの近代化された撮影システムは気に入らなかったようです。監督、脚本、編集、撮影、大道具、衣装、メイク…それぞれの分野の専門家が何人もいて、それぞれ自分の仕事以外は何もしなくていい、自分のテリトリー以外のことには全く興味をもつ必要も無い。まるで工業製品の様に映画が作られて行くのに疑問を感じています。

グリフィスと作品を撮っていた頃は大道具や小道具は自分で運んだし、メイクを人からしてもらったことなどなかった。カメラマンがイコール監督だった頃もあった。特にすごいのは『東への道』という映画で、流氷の上で気絶したまま川を流されるというシーンを撮影した時、川に張った氷を爆薬で壊してそれを流し、その上に実際に寝て撮影をした(勿論当時スタントマンなんていう発想は無かったのでリリアン本人が)のですが、極寒の中での撮影だった為にスタッフの数名が肺炎にかかって死んでしまったと言う話。

リリアンは外見によらず体が丈夫で、93歳で最期の映画主演をした後、99歳で亡くなりました。

http://blog.livedoor.jp/teretoumiro/archives/1008014.html


 1912年、メアリー・ピックフォードの旅回り劇団時代の友人が、彼女を映画の中に発見し、メアリーを訪ねてニューヨークへやって来た。その友人の名はリリアン・ギッシュ(1893〜1993)であった。彼女は5歳年下の妹ドロシー(1898〜1968)を連れていた。二人はすぐさまグリフィスに紹介され、映画界に入る。おしとやかなリリアンと、快活なドロシー。最初グリフィスは二人の区別がつかず、リリアンに青の、ドロシーに赤のリボンを着けさせたという。

 姉リリアンは「国民の創世」(1915年)でヒロインを演じ、続く「イントレランス」(1916年)では揺りかごを揺らす女という、各エピソードをつなぐ重要な役柄を演じている。その後も「散り行く花」(1919年)、「東への道」(1920年)、「嵐の孤児」(1921年)などでヒロインを演じ、グリフィスの全盛期を支えた。

これらの作品で彼女が演じたのはいずれも運命に翻弄される薄幸の娘。中でも父親に虐待しされ、無理に笑顔を作って死んでゆく12歳の孤独の少女を演じた「散り行く花」や、男に騙され未婚の母となり、吹雪の中をさまよう娘を演じた「東への道」などがとりわけ印象的である。

 グリフィスと別れてからも、彼女は同じような役柄を演じることが多かった。「真紅の文字」(1926年)では、不義の子を産んだために迫害を受けながらも、相手の男のためにそれを隠し通す針子を、「ラ・ボエーム」(1926年)では芸術家と恋に落ちるが彼の成功のために病気を押して身を隠す娘を演じている。

ここまで不幸な姿を見せつけられると、何だか彼女自身が不幸な星の下に生まれてきたかのような錯覚を起こしてしまう。

 一方、妹ドロシーはと言うと、明るくコミカルなキャラクターでコメディ映画で才能を発揮したとのことであるが、彼女のことはもっぱら姉リリアンと共演したグリフィス映画でしか知らない。

姉妹の競演作としてはまず、オムニバス映画「ホーム・スイート・ホーム」(1913年)の第1話がある。ドロシーが姉、リリアンが妹を演じている。とは言うものの、この映画でのヒロインはリリアンのほうで、ドロシーはあまり印象に残らない。一方、最も著名な共演作は「嵐の孤児」(1921年)であろうか。ここではドロシーが盲目の娘を、リリアンが彼女を支える姉を演じている。彼女らの演じた役はどちらも薄幸の娘。どちらも姉リリアンが演じるのがふさわしいような人物で、二人のキャラクターがダブってしまっている。そこで、僕は第一次世界大戦の参戦プロパガンダ映画「世界の心」(1918年)を姉妹共演の代表作としてあげたい。

リリアンはいつもの通りおしとやかで運命に翻弄される女性を演じ、ドロシーはその名もずばり「お転婆娘」を演じている。そうして二人は一人の男性をめぐって争うのであるが、二人のキャラクターの違い、とりわけドロシーの快活さが見事に発揮されていると言える。
 
 風と運命に翻弄される女を演じた「風」(1928年/詳細は「モラルの幻想」参照)などを最後に、リリアンは1930年代にはもっぱら舞台に活躍の場を移す。「風と共に去りぬ」(1939年)には娼婦ベル・ウォトリング役で出演のオファーをされたが、舞台を優先させたために残念ながら実現しなかった。この頃から映画では主に脇役に回っている。それも、ヒロインを陰で支えるような役柄が多い。「白昼の決闘」(1946年)のジェニファー・ジョーンズ(1919〜)の養母(アカデミー助演女優賞候補)、「許されざる者」(1959年)のオードリー・ヘップバーン(1929〜1993)の母親、「ジェニーの肖像」(1947年)のジェニファー・ジョーンズの教師役がこの時期の代表作であろうか。

サイレント時代の役柄のイメージがあるせいか、どうしても長い年月苦労を重ねてきた、そんな女性に見えてしまう。映画の中でのリリアンはついに浮かばれない人生なのであった。

 名優チャールズ・ロートン(1899〜1962)が唯一監督した映画「狩人の夜」(1955年米)は、リリアンが1919年に主演した「散り行く花」にインスパイアされた作品であるという。ここでリリアンが演じるのは、身寄りのない子供たちの面倒を見る老女。かつての自分のように父親に虐げられる幼い兄妹を助け見守る立場である。「女はみんな愚かだわ。みんな馬鹿よ。」と口癖のように語る姿は、かつての薄幸だった自分への自戒の念が込められているような、そんな印象さえ受けてしまう。
 
 もしもリリアンが、このまま女優としてのキャリアを終えていたとすれば、結局彼女は過去の女優でしかなかっただろう。だが、彼女には女優人生の最後にまだまだ最高のキャリアが待っていた。1987年、91歳となったリリアンはイギリス映画「八月の鯨」に主演。彼女は12歳年下のベティ・デイビス(1908〜89)の妹役を演じている。気難しくわがままな姉を優しくいたわるリリアンは、まさにあの薄幸の少女の数十年後の姿を思わせた。老いながらも女性らしさを忘れないリリアンの姿を見ると、何て理想的な年齢の重ね方であろうかと思わされる。

 1993年2月27日、リリアンは99歳で没す。彼女の人生はまさに映画史そのものをたどった人生であった。彼女には1969年に書かれた「リリアン・ギッシュ自伝」があるが、これは彼女個人のエピソードを極力控え、主にグリフィスとの思い出を中心につづったものであった。そこに描かれたグリフィスへの熱い思いを読んでいると、生涯独身を貫いたリリアンの本当の理由が何であったのか、解るような気がしてくる。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/03ACTRESS.htm

ギッシュは考えられる最も古いアート系のスターであろう。リリアン・ギッシュがそこに座っている。それだけで芸術である。

 ギッシュは5歳で舞台に立っているものの、母親が女優だったという以外に芸能界の接点はなく、素質もなかったのではないだろうか。 若かりし写真を見ても、彼女にスター性があったとは、僕にはとても思えない。ところが、映画ではマジックが起こり、彼女は名優となる。グリフィスという偉大なる監督の力の賜物である。

ギッシュは容姿はありふれているが、目だけが他の人とは違っていた。そこにグリフィスは気づいていた。以前、僕はルネ・ファルコネッティというフランス女優の目を見て、恐怖すら覚えたことがあったが、ギッシュのうつろな瞳にもファルコネッティに似た何かを感じずにはいられなかった。俗っぽく言えば、彼女の目はいつだってワケアリの目だ。

 偶然メアリー・ピックフォードの紹介でグリフィスと出会ったギッシュは、グリフィスにすぐさま気に入られ、彼のメロドラマとスペクタクルの代表作ほとんどに出演する。「国民の創生」(15)、「散り行く花」(19)、「東への道」(20)、「嵐の孤児」(21)などなど。

グリフィスはギッシュのくしゃくしゃの髪にあえて逆光を浴びせ、シルエットを浮かび上がらせて、絵画のような印象的な映像に仕上げた。彼女のそのうつろな表情は、作品をいっそう引き締め、映画を見世物小屋の動く写真から、劇場でみる一級の芸術作品にした。グリフィスが映画の父なら、ギッシュは母だ。映画史上初めて演技を様式化し、そのスタイルを死ぬまで貫いた名優リリアン・ギッシュ。その心は90歳を過ぎた「八月の鯨」(87)でも忘れてはいなかった。

http://cinema-magazine.com/p/1018

1910年代アメリカ〜映画の父、グリフィス(1875年1月22日 - 1948年7月23日)


映画というメディアで、物語を作り上げる基本文法を築き上げたD.W.グリフィス(David Wark Griffith)。 彼の作品「国民の創世(THE BIRTH OF NATION)」は、その後30年に渡って映画の教科書とされた作品であり、 その功績から「映画の父」と称されている。

グリフィスは南北戦争で英雄とされた父の元で1875年に生まれ、役者や作家を目指して青春を過ごす。 芝居の役者や作家として細々と生活していた彼は、映画会社に自分の本を売り込みに行き、 そのまま役者として映画製作に関わり始める。 チャンスが巡って来たのは、1907年の作品「An Eagle's Nest」に役者で出演していた32歳の時、 監督が演出で行き詰まり、代わりにグリフィスが演出を担当、編集も兼ね、そのセンスの良さから 監督業としての経歴が始まる。

丁度、映画業界の黎明期と重なっていたことで、 1908年から1913年迄の五年間、週平均2本半のハイペースで映画を作り続け、 この間に、物語としての映画の構造を確立させ、娯楽としての映画を作り上げるのである。 ヨーロッパの映画を研究しつつ、 豊富な芝居経験を基に無数の作品群を監督する中で、直感的に技術を学んでいく。 その結果、独自の技法を考案したり、過去の未成熟な技法を発達させたりして、「映画の父」と呼ばれるにふさわしい技能を身につけていったのだ。 彼が確立した技法としては、180度ルール(180 degree system)、カメラアングルの全て(ロング・ミドルショット、クローズアップ、ポイント・オブ・ビュウ他)、 編集方法としてのクロス・カッティング等がある。

グリフィスが1915年に作った(制作、監督、脚本)「国民の創世」は、 彼の集大成としての映画であり、それ自体、従来の映画とは一線を画した作品である。 トーマス・ディクソン(Thomas Dixon)の小説の映画化権利を10000ドルで入手したその内容は、 南北戦争における南軍、北軍、それぞれの立場の登場人物を交差的に描いたもの。 技術の結集したこの作品は前代未聞の長編映画(約2時間半)だったため、 映画会社から上映を拒まれる。仕方なく、グリフィスは独立した会社を設立し興業を行った。 結果、製作費も過去最高だったこの作品は、最高の評価を得ることとなり、 それまでの見世物的娯楽の映画を芸術作品に迄高め、観衆の層も広げることなる。 また、アメリカで初めて海外に輸出された映画にもなった。

こうした高い評価を得た作品ではあるが、その後のグリフィスの不幸を象徴するかのように、以降、この作品は汚点としていつまでも残る欠点も含んでいた。 南北戦争の南軍に属していた父の影響から、グリフィスの「国民の創世」には黒人蔑視の表現が有り、 更には、白人至上主義者K.K.K.の誕生を賛美し、彼らを英雄として扱うその構成の為、 芸術性の高さに比例して内容への非難が絶えず、部分的にカットされて上映されていたのである。

翌年に完成された「イントレランス(INTLERANCE)」は、更に芸術性の高い作品ではあったが、 巨大なオープンセットで演じられる莫大な人数の撮影等、製作費を度外視したその規模は、 反対に観衆からは過ぎた物として受け取られ、また、構成も複雑ったことから興業収入は制作費を越えることはなかった。 この財政難を補う為にグリフィスは、以後、芸術性を排除した軽い作品を量産することになる。 こうして、監督としての評価の下落と生活の困窮等から身を崩して行き、映画の父は、1948年にその生涯を終えた。(01.2.17)


グリフィスの映画技法


180度ルール(180 degree system)

撮影現場で被写体に対して境界線を想定し、境界線の片方(360度中180度以内)から撮影するルール。
各数字のカメラからAとBの人物を撮影すると、ルールに従ったカメラ1〜3からの映像はその位置関係がはっきりわかるけれど(Aが左、Bが右)、 境界線を越えたカメラ4からの映像を使うと、位置Aが右に立っているように映り、二人の位置関係がズレる。
こうした技法を駆使することで、グリフィスは、建物の中の部屋の位置関係を表現することに成功した。


ロング・ミドルショット、クローズアップ

左から、ロングショット、ミドルショット、クローズアップの映像。 ロングショットで周りの状況を映し、ミドルショットで登場人物を映す。 クローズアップは、重要な部分を説明する為にあり、この絵では、人物の表情を表している。
グリフィスは、超ロングショットの遠景からクローズアップ迄の流れで、シーンを詳しく説明を試みている。 なお、アップの絵に丸い黒枠があるのは、「国民の創世」の中の表現で、望遠鏡から見た映像のような効果があった。


ポイント・オブ・ビュウ(Point of view)

ポイント・オブ・ビュウはPoint of viewで、英語を直訳すると「視点」。 P.O.V.と略されたりもして日本語でもなじみある言葉だが、 もともと動かない観客の視点から劇場の芝居を撮影していたのが初期の映画なので、 カメラが動いて、カメラの視点がどんどん変わるというのが斬新なアイデアだったのである。

クロス・カッティング

編集技法の一つ。違う場所で同時に起こっている場面を交互に並べる編集で、 緊迫感を高めることができる。 また、時間と空間とを立体的に表現することができるようにもなった。

今でも、追う者と追われる者を表現する場合に頻繁に使われているが、 双方の緊迫した雰囲気を交差させることで、観る側にもその緊迫感が伝わり、 映画表現の幅が広がったことはいう迄もない。その後、エイゼンシュタインらによるクロスカッティングの更なる研究成果により「モンタージュ理論」が完成することになる。


以上のようなルールに基づきながら、崩すことで更なる効果を得ようとする表現方法が現在の映像技法だが、 最初に基本ルールを構築したグリフィスは、やはり「映画の父」なのである。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6721/mohis/a2.html


ミショー [オスカー・ミショー 1884-1951] が利用したグリフィスの手法とは並行編集 (クロスカッティング) である。

並行編集とは、 異なる複数の出来事の 「同時性」 ないしは 「継起性」 をきわだたせるために複数の空間をくりかえし往復する編集法のことである。

この画期的手法はグリフィスの創案にかかるものではないものの、* それを物語映画にふさわしい劇的な映像言語へと高めたのは明らかにグリフィスの功績である (彼はサスペンスを産みだすために、 往復するショットの数を増やし、 切り替えるタイミングを速めた)。

グリフィスがしばしば古典的ハリウッド映画の創始者とみなされるゆえんである。 じっさい彼はミショーの 『我らが門の内にて』 公開の年 (1920年)にも、 『東への道』 Way Down to East において清純可憐なリリアン・ギッシュを凍てつく流氷のうえに横たわらせ、 逆巻く滝壺に呑みこまれる寸前に救出させるという昔ながらの並行編集の極致を披露している。


* 「最初の」 本格的並行編集は1906年の 『無謀なる企て』 The Hundred-to-One Shot (ヴァイタグラフ社) における疾走する車とその目的地とのあいだを往復するものである。 いっぽうグリフィス初の並行編集は、 その2年後 (グリフィスが監督デビューした年) の 『運命のとき』 The Fatal Hour (1908) に見られる。

** 流氷のうえを滝壺へと流されてゆく娘のショット群Aと、 その現場へ救出に駆けつける男のショット群Bとの交互編集。

http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2011/03/post-7270.html

グリフィスが1908年以来磨きをかけてきた並行編集は、*** 12年後の一大メロドラマ 『東への道』 において頂点をきわめ、 勧善懲悪という唯一絶対のプロットとイデオロギーに奉仕する。

いいかえれば並行編集は、 遅くとも1908年にその語法が確立されて以来、 長いあいだただサスペンスと救出の表象のためにだけ利用され、 それ以外のポテンシャルの実験は事実上抛擲されてきた。 それはフランス市民革命以来のメロドラマ的イデオロギー **** を忠実に再現しつつ、 それに奉仕し、 その限界を越えゆくものではなかった。

そこにおいては善人はかならず悪漢/危難から 「あわやというところで救出」 され、 「救ける者」 (正義の味方) と 「救けられる者」 (迫害される弱者) との平行運動は最終的に融解し、 後者は前者と奇跡的な遭遇をはたす。

http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2011/03/post-7270-1.html


ハリウッド・メロドラマの誕生と発展


 大衆小説のメロドラマ的要素、あるいはメロドラマが20世紀になって映画に移入されると、映画が大衆小説の人気を取ることになります。

 サイレント時代には、グリフィスの代表作である『国民の創生(The Birth of a Nation)』(1915)、『散りゆく花』(1919)、『東への道』(1920)、『嵐の孤児』(1922)などが生まれます。グリフィスはアメリカの映画の父と言われると共に、サイレント時代のメロドラマの父でもあります。また、映像技法でも今日に伝わる映画の最初の文法を作った人です。

 『散りゆく花』は父の暴力に死ぬ少女の物語です。リリアン・ギッシュは映画の始まりとともに活躍した女優ですが、幼さの残る少女みたいな顔ときゃしゃな体が、犠牲者であるのにふさわしいキャラクターということになります。『散りゆく花』の中で、リリアン・ギッシュ演じる少女が最後に死ぬ場面を紹介します。メロドラマ映画の最大要素はクローズアップ(close-up)ですが、顔の全面を映すことによって感傷を高めると共に、観客の主人公への感情移入を一層強めることが分かります。少女の父親は非常に残酷で、日常的に娘に暴力を振るっています。最近では少女をレイプをしていたのではないかという論文も出ています。少女は、「いつも悲しそうな顔をしているな、笑っていろ」と父親に怒鳴りつけられたので、父に暴力を振るわれて死ぬ最後の場面でも無理に笑おうとしているのです。

 次の『東への道』でも、悪い男にだまされた清純な若い女性をギッシュが演じていますが、この場合には、ハッピーエンディングが用意されています。好きな人との誤解が最後に解消されて、リチャード・バーセルメスという当時の人気俳優が彼女を助ける場面がこの最後の氷渡りの場面です。

 生きている人間であるギッシュの軟らかい体が硬い氷の上に倒されます。その軟らかさと硬さ。そして、動かなくなっているギッシュの静けさと流れ続け、動き続ける川と滝。映画は動きを見るもので、モーションピクチャーと言われていますが、その典型がここにあります。全体が見えるように、遠くから映すロング・ショットを使っています。氷の白さが際立っています。時間が切迫していることを告げる音楽(メロディー)が流れ、我々聴衆は、バーセルメスが早く行かなければ、ギッシュは流されて滝壺に落ちてしまう、とはらはらしながら見ます。切り返しショットは、グリフィスが非常に拡大したものですが、見るもの(バーセルメス)と見られるもの(ギッシュ)をカメラが交互に写すことによってダイナミズムを発生させるものです。動かないギッシュと走るバーセルメス。静と動のコントラストが感情を高めていきます。これは7分近くある長いシークエンスで、「最後の瞬間の救出」(last minute's rescue)と呼ばれる最も有名な場面ですが、すべてのハッピーエンディング映画の原点といえるでしょう。

http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000276/0/html/section4.htm


渡辺 メロドラマって18世紀の舞台劇が最初でしょ。そのころは舞台で朗読しながら音楽を流すもののことをメロドラマっていってたの。その後、オペラが形態を真似して“泣きのドラマ”につくり変えたのが、今のメロドラマのもとになっているのよね。


宇田川 メロドラマがもてはやされたのは、18〜19世紀までですよね。20世紀になると“メロドラマはもう古い!”ということになって、差別的な表現としてつかわれるようになった。


――メロドラマが映画としてつくられはじめたのはいつごろからですか?


渡辺 D・W・グリフィス監督の『散り行く花』('19)は、涙、涙のメロドラマよね。

宇田川 “映画の父”といわれるグリフィスは、19世紀的演劇やディケンス(英国ヴィクトリア朝を代表する作家)の小説などでつちかったストーリーテリングの感覚を映画に持ち込んだわけだから、“アメリカ映画はすべてメロドラマである”と極論することもできるんじゃないですかね。


――それはつまり?


宇田川 アメリカ映画はグリフィスからはじまっているわけじゃない。そのグリフィスがメロドラマ的な形式を映画にもち込んで、そこからアメリカ映画のつくり方が確立されたわけだから、歴史的に見てもアメリカ映画はメロドラマだといえる。現にハリウッド映画を見てると、そうでしょう。でも、ゴダールの言うように「すべての映画はアメリカ映画である」とすると、映画はすべてメロドラマであるということになる。


渡辺 でも今、メロドラマといったら、波瀾万丈の通俗劇のことを指すでしょう。


宇田川 「低俗」ともいいますね(笑)。舞台の朗読劇から始まって、歌劇、映画と形を変えていき、最終的にいちばん大衆受けするものに落ち着いた。「低俗」、「センチメンタル」、「過剰なドラマツルギー」…。つまりは、お安いドラマに成り下がってしまった、というふうに見られている。でも、演劇のほうでは20世紀後半から、メロドラマという形式を見なおす動きが出てきたらしい。

http://channel.slowtrain.org/movie/wau/wau003/index.html

D・W・グリフィス フレームと分離の法則


 映画の「フレーム」という限界を、偉大な作家はいかなる方策で広げていったのかに関する考察です。


 @椅子

私は映画の中で「椅子」を見た時、思わず「グリフィスだ、」、、と呟いてしまう癖がある。

「許されざる者(60)」でリリアン・ギッシュが、揺り椅子を大きく揺らしながら裁縫をしているシーンを見て「グリフィスだ、、、」と唸るのは当然の反応でもあるし、「エルダー兄弟(65)」のラストでジョン・ウェインが、母の揺り椅子を殊更揺らして通り過ぎた時に、グリフィスへの目配せを感じ取っても何らおかしくはないが、「サイコ」(60)でノーマン・ベイツの「母」が揺り椅子ごと振り向いた瞬間にも矢張り私は「これはどこから見てもグリフィスではないのか、、」と呟かずにはいられないのであり、はたまた「死霊伝説(79)」で椅子に座ったジェフリー・ハンターがリュー・エアーズに心臓発作を起こさせたシーンを見ても「これは完全にグリフィスに違いない、、」と納得してしまう始末である。

人間誰しも一日生きていれば必ずどこかでお世話になるこの「椅子」という映画の小道具。椅子は人間の生活必需品であり、人が座ること、立つこと、という基本動作を美しく描ける作家こそ私は一流だと信じている。


 A「ベニスに死す」

「ベニスに死す」は「椅子の映画」である。映画は最後、海岸でダーク・ボガードが男たちに運ばれて行くショットで終わる。何故ビスコンティは、わざわざこんな面倒くさい演出をしたのだろうか。それはボガードを「椅子」から遠ざけるためだ。この場面の残酷さは、ボガードが「椅子」からどんどん引き離されてゆく瞬間の恐ろしさに尽きているのである。

映画の中でボガードはいったい何度「椅子」に腰掛けたことだろう。浜辺で彼がまずしたことは椅子を持ってこさせることであり、椅子がなければボートのへりや地面そのものが椅子の代わりを果たすことによってボガードの生を保護してゆく。心臓の悪い彼にとって椅子はまさに生命維持装置に匹敵する避難場所であり、安住の地であり、生を満たしてくれる唯一の聖域なのだ。ところが最後その「椅子」からボガードは無残にも引き剥がされ、ゆっくりと遠ざけられ、ロングショットで卑小化させられ、長回しで絶え間なく持続して見つめられる。

なんと残酷無比な演出だろう。ボガードの死は生物学的には心臓麻痺かもしれないが、映画的に見れば紛れもなく、ボガードが「椅子から引き剥がされ」かつ「遠ざかってゆく瞬間瞬間」に持続して訪れたのである。持続する死、これはまさに「ボガードの生殺し」というしかない極めてグロテスクな画面なのだ。だがこんなにも生々しいビスコンティの「椅子」の演出を目にした時にも、矢張り私は懲りもせず「これはひょっとするとグリフィスかも知れない、、、」と呟かずにはいられないのである。

 B椅子とグリフィス

椅子の出てこないグリフィスの映画を私はこれまでに一本しか見たことがない。それは「人類の女性」(1912)という初期の短編で、飢えに苛まれながら砂漠を放浪する三人の女が不寛容にいがみ合いながら、最後はインディアンの遺した赤ん坊を発見し、ただそれだけで人間性を回復し和解するという、いかにもジョン・フォードを連想させる素晴らしい短編である。この場合、場所的設定が砂漠という限定された地帯であるから、椅子が出てこないのは当然といえるだろう。

  C「東への道」

それ以外の作品で、数限りなく出現したグリフィス映画の「椅子」について私が忘れられない瞬間、それは「東への道」(1920)で、私生児として生まれ洗礼を拒否された瀕死のわが子に、母のリリアン・ギッシュがせめて天国へ行かせてやりたいと急いで自ら洗礼するシーンで使われたあの「椅子」である。

ここでリリアン・ギッシュは揺り椅子の上に我が子を寝かせ、床にひざまずき、自らの手で子供に洗礼をしてやっている。このシーンを見た監督のグリフィスは演出をしながら涙を流し、現場で撮影を見ていた赤ん坊の本物の父親は失神してしまったという信じられない逸話が残されている神がかったシーンである(リリアン・ギッシュ自伝269)。
この瞬間を見るたびに私はいつも強く打ちのめされるのであるが、それはいったい何故なのだろう。まずこのシーンではグリフィスについていつも言われるところの「クロスカッティング」なり「クローズアップ」なりという技法ではなく、エイゼンシュテインの言葉を借りるならば「ワンショットの画面」(注Tエイゼンシュテイン全集E68)の中の、「描写」の中身が問題となっている。言わばグリフィスのリアリストとしての観察者の側面が問題となっているのである。

さて、この「東への道」のシーンでは「椅子」という小道具の使い方に秘密があるに違いない。しかし「椅子」という視覚そのものが私に感動をもたらしたとも思えない。矢張りその「椅子」に物語的な「何か」が付け加えられ、それが画面に力を与えているのだ、と考えるべきだろう。ではその「何か」とは、何か。

 Dグリフィスの椅子の法則

ここでまずグリフィス作品の「椅子」の使い方について検討してみよう。グリフィスの作品において椅子は、「彼の信頼」(1911)で黒人奴隷が女主人に自分の椅子を差し出したときのように主人の象徴として使われることもあれば、「ニューヨークの帽子」(1912)のように、夢見る乙女の眠り場所となることもある。「人生であるように」(1910)では恋人同士の逢びき場所として使われ、さらに終盤ではピックフォードが故郷へ帰還し父親と再会する時の場所としても使われているし、「境界州で」(1910)においては怪我人が座らされる場所としても使用されている。さらに椅子は椅子本来の効用以外のものとしても数多く使われてもいる。「国民の創生」(1915)では猿轡を噛まされたリリアン・ギッシュの監禁場所として使われているし、「嵐の孤児」(1921)ではなんと逆さまに置かれた椅子の背中が負傷したダントンの枕代わりに使われたりもしている。「わがままペギー」(1910)においては攻撃や防御の代用品として利用されているし「暗黒の家」(1913では暴漢の隠れ場所として、そして「封印された部屋」(1909)や「ピッグ裏通りの銃士たち」(1912)に至っては、ついに人々の死に場所としての使命を授けられているのである。生きること、死ぬこと、愛すること、事件、事故、そして帰郷、、、グリフィスの作品において椅子はただ座るためのものではなく、人生のあらゆる局面で使われ続けるまさに生活必需品にほかならないのだ。ここまで椅子を多用な用途に使う作家を私は断じて知らない。

そしてこのようなグリフィスの椅子の使い方を良く観察したとき、椅子は、ただ座るもの、殴るもの、隠れるもの、、、等の、独立した小道具として見る時よりも、人と人との「関係」の象徴として見た時の方が遥かに画面は活気付くのである。

例えば上述の作品の中でも、「ニューヨークの帽子」でピックフォードが椅子に座りニューヨーク産の帽子の夢を見た次の瞬間、亡き母からピックフォードの世話を託されたライオネル・バリモアが現われピックフォードに帽子をプレゼントするシーンでは、ピックフォードの座っていた椅子には亡き母との「関係」が暗示されていると見てこそ、あの帽子は「泣き母からのプレゼント」という間接的な感動をもたらすのであるし、それ以外の作品においても「彼の信頼」では主人と使用人との関係が、その他の作品でも「恋人」「父と子」といった関係が多くの場合暗示されているのである。その傾向は他の作品にも顕著に見られる。

庭先の陽光の中でリリアン・ギッシュに顔にタオルをかけられ気持ちよさそうにうたた寝をする「東への道」のバー・マッキントッシュ老人のように、また「暗黒の家」(1913)で、クレア・マクドウェルの奏でる美しいピアノの音色を聴き思わず椅子へ崩れ落ちた精神病患者のチャールズ・ヒル・メイルズのように、男たちは最早ただの「椅子」としてではなく、まるで母の胸に抱かれるような郷愁でもって深々と椅子に体を沈めて心を癒しているのであり、また「イントレランス」(1916)で自然光の差す部屋の中で椅子に座り、揺り籠を揺らし続けるリリアン・ギッシュのあの有名なシーンや、「ホームスイートホーム」(1914)のオープニングで揺り椅子に揺られる母、ジョセフィン・クロウェルのように、女たちもまた見事な母性ぶりで椅子の中にゆったりと納まっているのである。

さらにそこに「子供」が付け加えられると、グリフィスの椅子の持つ関係は「家族」という枠組みの中でより視覚的に顕著に現われ、完成されるだろう。「日光」(1912)でオールドミスを演じたクレア・マクドウェルは、幼女に突然手にキスをされ、放心したように「椅子に崩れ落ちながら」少女を抱き上げて母性に目覚めているし、「ホームスイートホーム」、「エルダーブッシュ峡谷の戦い」(1913)では、生まれて来た赤ん坊たちが、椅子の母や父の膝の上で幸せそうに甘えながら揺り椅子に揺られている姿が何度も目撃されている。ここには子供はショールに巻かれ、椅子に座った母の胸に抱かれながら、ゆらゆらと揺られて育つものであるというヴィクトリア朝的、ないしはグリフィス的メロドラマの親子関係が露呈しているのである。

グリフィスの弟子とも言うべきジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」(1941)で、兄弟が母の元を去る時、母を揺り椅子に座らせ、目を閉じさせ、椅子を揺らしてから去って行ったのも、また、ヘンリー・ハサウァイの「エルダー兄弟」で、ジョン・ウェインが亡き母の揺り椅子を殊更揺らし続けたのも、椅子はただ座るためだけのものではなく、親から子へ、子から孫へという「関係」においてより強く視覚的に暗示されているのである。このような「椅子」を中心とした「母」と「子供」との三者関係をして我々は「グリフィスの椅子の法則」と名づけることにする。

では「東への道」で私を感動させたのは、あの子供が椅子に乗せられ洗礼されたからであろうか。余命いくばくもない子供の洗礼を母の揺り籠で、という母心が画面の上に物語的に露呈しているのは間違いないだろう。

だが私がおぼえた感動は、そのような満たされた幸福な気持ちではない。存在よりも不在、何かが「足りないこと」の醸し出す画面のもたらす逆説的な感動であったはずなのだ。ではあのシーンで「足りないもの」とはいったい何だったのだろう。それは「母」である。


E道具

その理由に入る前に、今度は「椅子」を含めたグリフィスの「道具」一般の使い方に立ち戻って検討してみよう。グリフィスと言えば椅子の他にも動物や帽子、エプロンや手紙など小道具の使い手としても知られている。動物がエイゼンシュテインへ、エプロンと椅子がジョン・フォードへ、そして手紙がルビッチへと受け継がれたことは容易に想像ができるが、その中でも注目したいのは、私自身「分離」と名づけている小道具の「使い方」である。例えば「世界の心」(1917)でリリアン・ギッシュは、戦場へ赴くボビー・ハーロンと写真を交換し、ことあるごとにそれを見てお互いを懐かしみ思い出すというシーンがあり、また「東への道」では、木陰に佇むリリアン・ギッシュの肩にリチャード・バーセルメスの飼っていた鳩がとまり、その鳩とギッシュとがキスをするというシーンがある。ここでの写真や鳩の使い方が「分離」である。男たちの魂が人物から「分離」し、写真や鳩という事物そのものに乗り移り宿ってゆく。女たちはその事物に触れ、抱きしめ、キスをするのである。仕草や状況を駆使しながら、通常の映画一般の小道具を、さらに人間との関係においてもう一段階発展させて使っているのである。

F分離

こうした「分離」の手法は、グリフィス以降の作家たちにも受け継がれている。中でも小津安二郎は、グリフィスの正統的後継者と言うべき「分離」の達人である。例えば「非常線の女」(1933)では、揺れ続けるボクシングのサンドバッグに、それを叩いた田中絹代の情念そのものが「分離」して乗り移っているのだし、「青春の夢いまいずこ」(1932)では、大学の用務員の坂本武が校庭でガマグチを拾い、しめしめと中を開けると何も入ってなく、逆さにして思い切りガマグチを振ったところ、手首に紐でつなげてあった終業ベルを一緒に鳴らしてしまい、大学中が「終業」してしまったという大爆笑のギャグがあるのだが、この場合、ベルの音そのものが、「坂本のいやしい根性」の「分離」として使われているのである。

そもそも小津の場合、例えば「晩春」(1949)で原節子が嫁いだ後、原のいなくなった部屋を映し出すショットが象徴するように、小津のトレードマークともいうべき数々の空舞台の空間それ自体が、そこで生き、生活をしていた人々の魂の「分離」として使われているのであって、そうした点から小津は、グリフィスの「分離」の手法を高度に応用し、濾過し、人間の日常生活そのものの情感へと発展させた「分離」の正当後継者ともいうべき存在なのである。

さらに、ことあるごとにグリフィスを批判したエイゼンシュテインですら、「戦艦ポチョムキン」(1925)の、あの有名なオデッサの階段を落ちて行く乳母車のシーンでは、撃たれた母が倒れて乳母車にぶつかり、その力で乳母車は落下を始めたのであって、落下する乳母車にはまさしく、無力な母の最期の情念が「分離」して込められているのである。

「分離」の手法の意味合いが何となく分かっていただけただろうか。ではもう一度、グリフィスに立ち戻って一つ際立った例をあげてみよう。「嵐の孤児」でリリアン・ギッシュが、悪女から妹(ドロシー・ギッシュ)のショールを奪い返し、そのショールを折りたたみ、赤ん坊をあやすようにゆらゆらと揺らしているシーンである。グリフィス特有の感傷的なシーンではあるが、ここではショールという物質に妹の魂が乗り移っている。ショールがドロシーから「分離」し、そこにドロシーの魂そのものが込められているのである。同じように「見えざる敵」(1912)においては、孤児となったリリアンとドロシーの姉妹が、亡き父の書斎の椅子を指差しながら「ああお父様が、、、」と悲嘆に暮れる場面があるが、ここでは「椅子」が父から「分離」されているのであり、さらに「嵐の孤児」では、リリアン・ギッシュが、妹のひざ掛けのかかった椅子を、まるで妹そのものであるかのように自分の方へ引き寄せてから裁縫をするシーンがある。

こうして繰り返される「分離」の萌芽はすで初期の短編「わがままペギー」において見事に現われている。ここでメアリー・ピックフォードに振られた男は、彼女が去ったあと、彼女が自分に投げつけた椅子の足を名残惜しそうに触り、また彼女の飲んだコップをわざわざ指差しその不在を悲しんでいるのだ。これは露骨なまでに「分離」を身振り手振りで示した印象的なシーンであると言えるだろう。事物が本体から分離され、魂が事物に取り付いてゆく。こうしたグリフィスの、小道具を「分離」させて使う演出は数え上げればきりがないが、そのどれもが、ショールを揺らすあのリリアン・ギッシュのように、異常なまでの露骨さでもって描写され続けているのである。

この「分離」の手法を発見したのがグリフィスかどうかは不明である。しかしそれを洗練させ、映画的に完成させたのはグリフィスであると言って間違いないだろう。そしてこのような実体と魂との「分離」の手法が、のちの映画的手法の発達と共に「鏡」による分離へと、さらにトーキーの出現によって「音」と音源との分離へと受け継がれたことは言うまでもない。

Gどうして分離させるのか

では何故、実体と魂とを「分離」させるのであろうか。ここでまたもうひとつ例を挙げよう。実体と声との分離である。「嵐の孤児」でのあの有名なアパート脇の路地での姉妹の再会シーンだ。アパートの二階でリリアン・ギッシュが椅子に座っていると、外から聞きなれた声の歌が「聞こえてくる」。しかしこの作品はサイレントなので正確には「聞こえてくる」のではなく、リリアン・ギッシュの顔色が変化し、高潮し、スクリーンの外から聞こえる音源を探し求める彼女の姿を見ることで「聞こえてくる」ことが我々に分かるのである。ここではフレームの外のドロシーと、中のドロシーの声とが「分離」されている。この場面の感動の一端がこの「分離」の手法にあることは間違いないだろう。

では何故こうして「分離」されると「感動的」なのであろうか。人間というものは、目の前にいられると煩わしいものだが、いなくなられてみると愛しくなる、そんなメロドラマ的感傷が、不在の悲しみが、分離された道具や声に触れる人物を通じて我々の胸を打つのかもしれない。だがそれ以前に、そもそも映画とは、フレームの中で影が運動する極めて限界のある二次元のメディアである以上、人と物、人と声とを「分離」させ、本体をフレームの外に置いてその存在を我々に想像させるという手法自体、小さなフレームを想像力によって無限に横へ縦へと押し広げる極めて豊かな映画的手法であると言えるのである。同時にそれは我々の想像力を刺激し、働かせ、分離された対象への郷愁をこみ上げさせる。

「音源を捜すと特別の緊張した瞬間が生まれる」(映画の精神203)と、ベラ・バラージュがすでに70年前に指摘しているように、「嵐の孤児」のあのシーンでは、ドロシーの歌声が、ドロシーその人から「分離」されていたからこそ、逆に我々をしてドロシーを「探す」サスペンスと郷愁が生まれ、同時にドロシーを懸命に「探し求める」リリアン・ギッシュの健気な姿に胸を揺すぶられるのである。愛する者を「探す」という行為が如何に美しいことか、映画というメディアが「探す」という行為の感動をよく我々に伝えてくれるのは、我々人間に「肉体」という限界があることが人間をして人間への発見へと駆り立てるのと同様に、映画というメディアそのものに「フレーム」という限界があることと無関係ではないだろう。

「額縁は求心的、スクリーンは遠心的である」とアンドレ・バザンが語っているのも(映画とは何かW175)、また「映像は部分であるから、それを含む全体の支持の上にのみ存在可能であり、また、それを含む全体を予想させる」と浅沼圭司が書いているのも(映画学165)、フレームという限界そのものが、逆に映画というメディアの芸術性と大きく関係していることを示唆するものだろう。メディアそのものの持つ限界を限界として真摯に向き合った作家のみがその限界を想像力によって拡大して行くための技術を編み出して行くのである。そうした中でこの「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ。


Hすべては椅子を中心に

「東への道」のあの洗礼の画面を思い出してみると、本来であれば赤ん坊を膝の上に乗せゆらゆらと椅子を揺らしているはずの母の姿はそこには存在しない。グリフィスはあからさまに「リリアン・ギッシュ」と「椅子」とを「分離」させているのである。
リリアン・ギッシュは、本来であればグリフィスの数々の作品でそうであるように母が子を抱き座っているべき椅子から分離され、床にひざまずいているのだ。このシーンが私の心を動かしたのは、せめて子供を母の揺り籠に乗せて洗礼を、という積極的な画面の力による感動もさることながら、それ以上に、その「椅子」に「母が座っていない」という、「不在」による「分離」の画面のもたらす消極的な力の美しさであったのである。

ここで「分離」されたのは、「母」と「子供」ではなく、「母」と「椅子」であることに注意しなければならない。前述のように「椅子」を中心とした「母」と「子供」との三者関係こそがグリフィスの椅子の法則であるとするならば、ここで結果的に生じた「母」と「子供」との「分離」は、二つの実体を二つに分離しただけの「物理的な分離」にすぎず、フレームの限界論による「想像力による分離」とは無縁だからである。そうではなく、母が「椅子」というグリフィス的家族関係の象徴から「分離」されているからこそ、そして同時に子供が「母から分離された椅子」という負の象徴関係に寝かされているからこそ、様々な寓意が画面の上で衝突し、我々の想像力をかき立てるのだ。すべては「椅子」を中心に展開されているのである。

「わが谷は緑なりき」のあの椅子のシーンでは、子供が「椅子から」分離されているからこそ、たった一人で揺り椅子を揺らし続ける母の姿に、子供を抱いて椅子を揺らした過去の日々への郷愁が込められ、それが画面全体の感動へと導かれるのであるし、「エルダー兄弟」のあの椅子のシーンでは、母と子供双方が「椅子から」分離されているからこそ、さらに長い年月の家族の歴史が暗示され、無人の椅子が揺れるという一見単調な運動が大いなる郷愁を誘い、我々の胸を締め付けるのだ。

I結論 境遇を画面の上へ

では何故リリアン・ギッシュは椅子から「分離」されてしまったのであろうか。それは、彼女がその社会的境遇の貧しさから、母としてではなく、洗礼者として振舞わざるを得なかったからだ。それによって母不在の椅子に乗せられた赤ん坊は、目の前に母がいるにも拘らず、画面の上では「孤児」としての悲しい「境遇」が暗示されるに至るのである。

ここでグリフィスの「分離」の手法の素晴らしさは、たかだか力による物理的な離別ではなく、椅子という小道具を中心とした家族関係の暗示と人物の配置との繊細な演出によって、人間の「境遇」というイメージを、たった「ワンショットの画面」で我々に暗示している点にある。素晴らしい人間観察の力がここにあるのだ。

子供の命は長くない。リリアン・ギッシュはわが子を腕の中で洗礼してやりたい。しかし私生児であるがゆえに子供は洗礼を拒絶されてしまった。だが洗礼をしてやらねば子供は地獄へ行ってしまう。こうして「母」と「洗礼者」との二極の選択を迫られたリリアン・ギッシュの「境遇」が、画面そのものの中で椅子から分離された母として視覚的に衝突し、その結果画面は、母のある子として地獄へ送られるよりも、たとえ「孤児」としてでも天国へ送ってやりたいという、母の心によって美しく悲しく包み込まれてゆくのである。

この場面が、同じ「分離」であっても他の「分離」と一味違うのは、一般の「分離」においては分離された実体はフレームの外側にイメージされるのに対して、この「東への道」の母と椅子との分離は、母は依然としてフレームの中に在りながら、イメージとしてフレームの外へと分離されている点にある。画面の中で正と負との対極が凄まじいメロドラマ的葛藤のなかで衝突し続けている。いったい誰がこのような魔術的演出を映画史において実現できたことだろう。まさにこれは完璧な画面と言うしかないのである。そしてこれこそが視覚による究極の映画的メロドラマなのだ。

Jグリフィスと分離

「東への道」の椅子の場面の素晴らしさは「孤児」という不可視のイメージを、椅子を中心とした可視的関係の演出によって我々に感じさせた点にある。そしてこの「孤児」というテーマは「見えざる的」「エルダーブッシュ峡谷の戦い」「嵐の孤児」に代表される、グリフィスが生涯に亘って描き続けた決定的なテーマに他ならない。同時にこの「孤児」というテーマそれこそが、親や世間からの「分離」を意味するのだ。
グリフィスの多くの作品において家族ははなればなれにされ、別々の空間へと「分離」されている。


★戦争→「境界州で」(1910)「彼の信頼」(1911)「国民の創生」「イントレランス」「世界の心」「アメリカ」(1924)

★災害→「エルダーブッシュ峡谷の戦い」

★事故→「不変の海」、

★裏切り→「牧歌的な乙女」(1910) 「東への道」 「厚化粧したレディ」(1912)

★連れ去り「ドリーの冒険」(1908) 「少女と彼女の信頼」(1912)「散り行く花」(1919)「嵐の孤児」

★死→「ニューヨークの帽子」(1912) 「母のように優しい心」(1913)

★その他「人生であるように」→結婚(1910) 「わがままペギー」→浮気「ピッグ裏通りの銃士たち」→職探し(1912) 「ホームスイートホーム」→複合的


このように、家族や愛する者同士の離別、帰郷、といったメロドラマ的なテーマがグリフィスの根底を形作り、そこから彼の画面を形作る「分離」という技法が考えられたと考えるべきだろう。

そうして「東への道」の「椅子」の画面をもう一度考えてみると、まず「椅子」という可視的な小道具でもって視覚的に母を椅子から「分離」させ、その効果によって「孤児」という不可視のテーマとしての「分離」を我々にイメージさせている。可視的な小道具から不可視の物語をイメージさせる、そのどちらもが「分離」というメロドラマ的な地点へと最終的に集中しているのだ。そこからさらにグリフィスは、平行モンタージュという編集技法によってもう一度空間自体を「分離」するのだから、いやはや、グリフィスは何から何まで「分離」してしまうことの大好きな作家なのである。

Kモンタージュの前に

これまでグリフィス論は「クロスカッティング」なり「平行モンタージュ」なりといった、「空間の分離」としての側面が強調され力説された傾向にあった。しかしこうした「編集」が力を持つのは、グリフィスの画面そのものの持つ力、画面の中で限りなく繰り返される「画面内分離」の視覚的な力があってこそであり、我々はまず、モンタージュという画面連鎖(衝突)効果の形式的誘惑へと走る前に、画面そのものの中身をもう一度徹底的に吟味する(見る)必要があるのではないだろうか。グリフィスの映画の画面は編集以前にすでに「分離」されているのであり、その画面をさらに編集によって分離することで、あらゆる分離がショートし、衝突しながら、作品全体の力を押し上げているのである。


L倫理と視点

私は「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ」と書いた。同時に「分離」という手法は、孤児という分離のテーマを視覚的に画面に乗せる手法であるとともに、フレームという映画の限界に正面から向き合った倫理的な技法でもある。今回ホームページに掲載した「ある子供」の批評で書いたように、また「ピンクパンサー」の批評で指摘したように、そしてこの「サイトの趣旨」で書いたように、映画とは人生そのものであり、その芸術的素晴らしさは作家の「視点」と、人間としての「倫理」の問題とを、映画という限界のあるメディアのなかでいかに戦わせ戯れを生じさせるかに大きく依存しているのではないかと私は考えている。

M最後に

グリフィスの画面は映画を「見る」ことの素晴らしさに満ち足りている。映画を映画学とし、その視覚的部分から解きほぐそうという姿勢を私にもたらしてくれたのは「イントレランス」の画面であった。それは「イントレランス」という映画の視覚的な画面の中に「視点と倫理」との豊かな戯れが限りなく詰まっていたからかもしれない。だからこそ私は、映画を不可視の物語だけで消費するのではなく、一つの芸術作品として、可視的な画面について「見ること」の誘惑に惹きつけられているのである。


注T・エイゼンシュテインには、グリフィスの平行モンタージュをブルジョア的二元論だと批判した「ディケンズ、グリフィス、そして私たち」という有名な論文がある(エイゼンシュテイン全集E163以下)。

「映画の本質はワンショットの画面の中にではなく、画面の相互作用の中に探求されなければならない」(エイゼンシュテイン全集E39)と語るように、エイゼンシュテインにとって映画とはモンタージュであり、ワンショットの画面は断片ではなく細胞であり、それ自体として独立した意味を持つのではなく、モンタージュという画面の衝突によって始めて総合的な意味を持つのである、という考えが根底にある。

私が書いた「グリフィス的分離」論は、ある部分ではそれに同調しながらある部分ではそれに対立するものである。

http://movie.geocities.jp/dwgw1915/newpage27.html


David Wark Griffith


 1875年1月22日、ケンタッキー州クレストウッド生まれ。本名デイヴィッド・ウォーク・グリフィス?。
 父は元南軍大尉で下院議員も勤めたジェイコブ・ウォーク・グリフィス。

 1906年5月14日、女優リンダ・アーヴィドソン・ジョンソンと結婚。

 1907年に自ら執筆した芝居『愚か者と女の子』A Fool and a Girlがニューヨークで上演されるが、失敗し、生活のためやむなく映画界入りを試みる。
 エディソン社で監督のエドウィン・S・ポーターと出会い、俳優として彼の『鷲の巣から救われて』Rescued from an Eagle’s Nest(1908)に主演。その後、バイオグラフ社にストーリーを売り、俳優も続けた。

 1908年6月18日と19日に撮影された短編『ドリーの冒険』The Adventures of Dollieで監督となり、以後バイオグラフ社のほぼすべての作品を演出。

 1908年から13年にかけてバイオグラフ社で500本近い映画を演出した。

 1911年には会社の反対にもかかわらず2巻物『イーノック・アーデン』を監督。4巻物の『アッシリアの遠征』(1914)を最後に、長編映画を撮るためバイオグラフ社を離れる。
 ミューチュアル社のハリー・エイトキンと共に「エポック・プロデューシング・コーポレイション」を設立、12巻の大作『国民の創生』(1915)で空前の成功を収めた。
 続いてさらなる超大作『イントレランス』(1916)を監督するが興行的に失敗した。 

 1919年、当時の世界的大スター、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリンと共同で、新たな配給会社「ユナイテッド・アーティスツ」を設立。
 18日間で完成させたリチャード・バーセルメス、リリアン・ギッシュ主演の『散り行く花』(1919)がユナイト社の第一弾となった。
 法外な製作費を投じて『東への道』(1920)を撮り『国民の創生』をも凌ぐ利益をあげたのに続き、『嵐の孤児』(1921)を監督。いずれもリリアン・ギッシュが主演している。

 1931年公開の『苦闘』The Struggleは批評的にも興行的にも失敗、これが最後の監督作となった。

 1932年に自らの独立プロを解散、1933年にはルイヴィルに転居した。

 1936年にリンダ・アーヴィドソンと離婚、3月2日に女優イヴリン・ボールドウィンと再婚したが、1947年に離婚。

 1948年7月23日、ハリウッドのテンプル病院にて脳溢血のため死去した。(満73歳没)

http://d.hatena.ne.jp/keyword/D%A1%A6W%A1%A6%A5%B0%A5%EA%A5%D5%A5%A3%A5%B9

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/267.html#c1

[昼休み54] 太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する 中川隆
30. 中川隆[-11886] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:18:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[91]

2019年02月23日
太陽光発電の将来 固定買取価格は将来10円以下になる


2019年は14円なので、このペースだとすぐ10円になる


画像引用:https://taiyou-hatsuden.jp/wp-content/uploads/2017/07/4-1-total-purchase-pric.png

最初の固定価格買取が終了

国の太陽光発電政策の転換によって太陽光売電事業が厳しくなり、今後は儲からなくなるという話も出ています。

太陽光発電の2019年問題というのが今年に迫っていて、簡単に説明すると太陽光の固定買取10年の終了を迎えます。

買い取り終了は全員一斉ではなくそれぞれの事業者ごとに10年なので、2009年に「余剰電力買取制度」でスタートした事業者が対象です。




買取価格は2011年から10kW以上が40円、10kW未満も42円と40円で、2010年度までは住宅用48円非住宅用は24円でした。

2012年から固定価格買取制度に移行し、10kW以上40円で20年間、10kW未満は42円で10年間固定買取価格になりました。

なので2019年から2022年までは同制度によって太陽光発電を始めた対象事業が、次々と買い取り終了になります。


余剰電力買取制度と2012年からの固定価格買取制度を比較すると、10kW以上の固定価格買取期間が10年から20年に延長されているのが目を引きます。

2009年からの固定価格買い取り期間中は残り期間と買取価格によって資産価値が発生し、自分で発電しなくても転売可能でした。

そこで空き地に太陽光発電設備を作って転売して大儲けする「太陽光バブル」も発生しました。

問題は太陽光発電は発電そのものは赤字なのに、固定価格で買い取って儲けている点にありました。

太陽光はまだ儲かるか

買取価格は2012年の10kW以上40円、10kW未満42円が最高で翌年から引き下げられて現在は10kW以上18円、10kW未満26円になっています。

買取価格引き下げは今後も続き、最終的に他の発電方式と同じkW10円未満に引き下げられるようです。

買取価格40円の頃は濡れ手に粟の利益が出たが、18円や26円では利益が出にくく、10円程度に下がったら事業化は難しい。


買取価格が引き下げられるのは買取に要する費用を電力価格に転嫁していて、「再生可能エネルギー発電促進賦課金」として電気料金に上乗せされているからです。

2018年の太陽光発電の発電割合は6%から7%で、賦課金の家庭負担は月約750円で年間9000円だった。

平たく言えば太陽光などの発電シェアが1%増えると電気料金が1000円以上上昇しました。


するともし太陽光など自然エネルギーが20%になり買取価格が現在と同じだったら、電気料金は年2万円以上増える計算になります。

買取価格を20円以下に抑えても年1万円の負担増で、買取価格10円以下にするまでこの負担は続きます。

2019年の10kW以上買取価格は14円なので、このペースでは2025年にも10円まで引き下げられそうです。


買取価格40円の頃は日陰だろうが斜面だろうが太陽パネルを設置して利益が出たが、10円ではよほど好条件の立地でしか利益はでません。

太陽光発電に向いた立地は農地や住宅地や商業用地にも向いていて、取得価格が高くなります。

欧米では砂漠や荒れ地がごろごろあるが、日本で空き地は山岳地帯だけで、しかも保水など重要機能があるので、本当は「空き地」ではない。


政府の目標では2030年に再生可能エネルギー比率22%となっていて、約16%の現状から6%から8%増を想定している。

理由は単純に太陽パネルや風力パネルを設置する場所が無いからで、平地の休耕田とかも無限にあるわけではない。
http://www.thutmosev.com/archives/79104638.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html#c30

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
22. 中川隆[-11885] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:28:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[92]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c22

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
20. 中川隆[-11884] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:29:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[93]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c20

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
36. 中川隆[-11883] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:29:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[94]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c36

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
23. 中川隆[-11882] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:30:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[95]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c23

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
51. 中川隆[-11881] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:31:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[96]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c51

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
23. 中川隆[-11880] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:31:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[97]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c23

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
290. 中川隆[-11879] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:32:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[98]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c290

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
173. 中川隆[-11878] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:33:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[99]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0

日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。


何話しているんだ小僧、ちんちくりん。

反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子

これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼

2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男

外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。

ドクターノオのファミリー

余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0

小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。

てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。

麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。

こちらは般若。しかしよく似てる。


皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。

その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。

新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0



http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c173

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
24. 中川隆[-11877] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:53:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[100]

2010年10月 8日
雅子さんという人121

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html

2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html

2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c24

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
21. 中川隆[-11876] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:53:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[101]

2010年10月 8日
雅子さんという人121

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html

2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html

2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c21

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
37. 中川隆[-11875] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:54:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[102]

2010年10月 8日
雅子さんという人121

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html

2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html

2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c37

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
20. 中川隆[-11874] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:55:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[103]

2010年10月 8日
雅子さんという人121

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html

2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html

2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c20

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
21. 中川隆[-11873] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:57:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[104]

2017年05月30日
ハニートラップ 天皇家、日本が危うい。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


日本乗っ取りを企てるスペクターから送られたドクターノオこと雅子
まんまと徳仁をはめることに成功。

もっとも徳仁は、はめられたと言うよりは、はめたかった。
女っけなしで生きてきたから。ちんちくりんだし、仕方ない。

一方の雅子は男経験も豊富、ちんちくりんは溺れた。
また雅子は洗脳にも成功した。


こんなところへ出席しちゃだめだろう。
一般には報道されていない。
外務省はじめ宮内庁、日本の中枢に相当数の学会員がいるという。

何話しているんだ小僧、ちんちくりん。


反日笑顔で写真に納まる洗脳小僧と工作員雅子


これは作りもののようだがこう見られても仕方ない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/12/0


▲△▽▼


2017年05月28日
ハニートラップ はめられた皇太子と騙された国民
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


雅子優秀伝説 

田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
十二単も本当は着たくなかった。
皇室に入内後は悉く自分のやり方を貫く。

ご存じ悪の権化ドクターノオ

黒幕はこの男


外務省時代はただひたすら日本を貶めることに働く
朝鮮人の血を引く。皇室を乗っ取る野望を持つ。
日本国及び日本人の敵。極悪人スペクター。


最近の写真
気色ワルー。


ドクターノオのファミリー


余りにも悍ましい集合写真だ。
テーブルの赤い花は韓国の国花槿。
一家全員が創価学会。

母優美子は殺人鬼江頭豊の娘。双子の妹とアグネスのユ偽フに身を置く。
妹は皇室ゆかりの品をヤフオクに出品、顔が品物に映り込んでばれる。
父親恒は野望実現の為の軍資金稼ぎか、投資に失敗。公金に手をつけ
発覚。軟禁状態に。

ドクターノオこと雅子は嫁ぎ先の祭祀祭礼には一切出ない。
しかし自分の家族とは頻繁に会う。お金は使う。遊びは大いにする。
それも病気故に大目に見ろと。医師も創価学会。
http://fanblogs.jp/togu/archive/8/0


▲△▽▼


2017年05月27日
小僧の女房の評判
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0


小僧の女房と言えば愚妻雅子。そんな雅子の出回っている写真を紹介。


育ちが悪いんだろうね。

平気で人を指差す。


てか、悪の権化ドクターノオ。解るかな。


麻原彰晃みたいだって.jpg

麻原彰晃みたいだって。確かに似てるわ。目がつぶれてて、汚い髪。
陰毛ヘアーとも呼ばれている。


こちらは般若。しかしよく似てる。

皇族の品位も何もない。
やはり、旧皇族、旧公家、旧華族(大名家)からもらえば良かったんだ。
それもこれも親父と高円宮の画策。


それにしても品がないなあ

親がなってないから子供もなってないだって。汚和田、汚ねー。


その親もなっていない。指をさすのは小さい時から。

どんな家なんだ。

汚和田の墓。


新旧混在なんとも不可思議な墓だ。慌てて作ったみたいだ。

新潟に小和田本家があると言う。曰く、そんな家知らないし、分家にもない。
言われているルーツは朝鮮人にほぼ間違いないだろう。

内定前に宮内庁が出自を調べようとした。当然のことだ。これに同和から
抗議が入って出来ずじまい。こんな情報を漏らすこと、横ヤリを入れることの
出来るのは小和田恒本人しかいない。
http://fanblogs.jp/togu/archive/5/0





▲△▽▼

2010年10月 8日
雅子さんという人121
雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html


2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html


2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c21

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
52. 中川隆[-11872] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:57:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[105]

2010年10月 8日
雅子さんという人121
雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html


2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html


2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c52

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
24. 中川隆[-11871] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:58:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[106]

2010年10月 8日
雅子さんという人121

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html


2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html


2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c24

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
291. 中川隆[-11870] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:58:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[107]


2010年10月 8日
雅子さんという人121
雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html


2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html


2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html


http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c291

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
174. 中川隆[-11869] koaQ7Jey 2019年2月23日 16:59:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[108]


2010年10月 8日
雅子さんという人121

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。

同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。

雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html


2010年10月 1日
雅子さんという人118

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html


2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。

外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。

外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。

現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c174

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
53. 中川隆[-11871] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:07:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[106]

礼儀知らずの美智子皇后、海外で赤っ恥 2017-10-18
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6


ご要望により、2015年度記事の再掲です。

多少、手を加えてのリニューアル版です。

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantillas)が決まり。

Privilège du blanc

https://en.wikipedia.org/wiki/Privil%C3%A8ge_du_blanc

Le privilège du blanc ("the privilege of the white") is a French term used for a tradition whereby certain designated Catholic queens and princesses are permitted to wear a white dress and white mantilla during an audience with the Pope.[1] The Italian term is il privilegio del bianco.

Le privilège du blanc(「白の特権」)は、特定のカトリックの女王と王女がローマ教皇に謁見する際、白いドレスと白いマンティージャ(ベール)を着用することを許される、というしきたりを指すフランス語。
イタリア語では、Il privilegio del bianco。

http://lux-arazzi.blogspot.jp/2013/03/luxarazzi-101-privilege-du-blanc.html

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantilla)が基本マナーです。

(余談ですが不倫女にも会われるのですね。離婚も許容?カミーラ大嫌いなので、失礼)

整形反日バカ女優さえ、とりあえず黒。

カトリックの女性王族の中でバチカンが特に認めた方だけは白服、白ベールが許され、これを「白の特権」Le privilège du blancというのだそうです。

現在この特権を有しているのはスペイン王妃、ベルギー王妃、ルクセンブルク大公妃、モナコ大公妃、リヒテンシュタイン公妃だけ。

この特権がない者が白服を着ると、you should be prepared for a media backlash(メディアの激しい反発を覚悟しなければならない)。

“田舎者的無知”皇后の恥ずかしさを知らなかったのは、日本の
国民ばかりかもしれません。

読者さまから皇室は圏外ではないかという疑義が出されたので、コメ欄での回答をほぼそのまま転載しておきます。

イギリスもカトリックではありません。その意味ではこちらも圏外です。
イングランド国教会( Church of England)で、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れています。

オバマ大統領も宗教的出自はムスリムで、ご本人ローマ教皇庁が認めていないプロテスタントです。
これも圏外。同じキリスト教圏内ではありません。同種の宗教内での宗派は異教とのそれより、もっと隔絶したりしています。
国際上のプロトコルに準じる一般常識として、夫人はベールと黒をまとわれたかと思われます。

皇后も敢えて白のタブーを犯す必要はないと思います。ベールまで必要が無いとしても。皇室だからこそ、欧州王室のマナーに準じるべきで、皇后としては常識内のマナーでしょう。ましてカトリック教徒なのだから。

それに、ローマ法王と同格は天皇陛下で、美智子さまは欧州王室的厳密な格でいえば、Emperorの単なる女房です。

・・・・・・・・・・・・・ここまで

読者さまより参考意見

ローマ法王の御前で女性が白服を着用することには特別のルールが存在する以上、たとえ国際プロトコール上同格であっても、配慮すべきではと思います。

あえて白を選ぶ必要があったのか疑問です。

イギリス前首相トニーブレア氏の妻シェリー女史(カトリック教徒)がローマ法王謁見時に白服を着て辛辣な批判を受けました。

以下に英紙デイリーテレグラフの記事を貼ります。

"white outfit, wrong occasion, Cherie"(「白服、この場では間違いでしょう、シェリー」)

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/1516991/White-outfit-wrong-occasion-herie.html

Cherie Blair provoked surprise in the Vatican and the ire of a Roman Catholic MP yesterday by wearing all-white to meet the Pope, a privilege normally reserved for Catholic Queens

(シェリーブレア女史は昨日、本来はカトリックの女王のための特権であるところの、白服で法王に謁見してバチカン周辺が驚きと憤りに包まれた)

記事の論調は一言でいえば分を弁えろというところで

「女王陛下(エリザベス女王)でさえ黒服だったのに彼女はよほど自分を大人物だと思っているらしい」

「カトリックなら謁見時の伝統のことはわかっているはず」

と厳しい意見が載っています。

・・・・・・・ここまで

皇后に注意する者とていない、専横ぶりなのでしょう。
知る者が見れば、猿芝居。

◆皇后陛下のカトリック・ローマ法王ふう?

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/44aa253ae87d35caf6882f3f6a46075b

◆拝啓皇后陛下 ローマ法王が第二次大戦の日本を応援していたのはご存知ですか

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7e0e1335cc576424315990a9918a9cf8

こちらは素肌にサッシュをかけていることと、いい歳して少女趣味ゴテゴテ服への
蔑み視線。

英国皇太子結婚式ご参列

1981年7月29日 チャールズ&ダイアナ挙式 

結婚式に出るのに、白い服、白いベール。人々が愕然とした視線を
浴びせるも、皇后は帽子のデザイナーに「大きな帽子の人たちよりも目立ったわ」とお褒めの言葉。狂ってます。・・・・・と、今やっと言えます。

周囲の呆れた顔。嘲笑。

その時、美智子さま46歳。

皇后の小さな皿帽子は、欧州では髪飾りとしてみなされ、公式の場では非礼です。

その正確なことを報じず、賛美までしていたマスコミの異常さ。GHQ発端の、在日スポンサーと反日電通に支えられたメディアの大嘘。

結婚式では、末席に座らされ「皇太子(当時)の単なる女房」扱いでした。
それは雅子さんも同じ。欧州王室の敬意を得ていません。これも
日本のメディアは伝えません。
皇太子がどれほど、馬鹿扱いされているかも。

(ヘンな髪飾りがずり落ちてる、この方)

喪服に髪飾りをつけて出たのと同じ、とんでもない非礼。
そして場違いの日本式お辞儀。

超反日潘基文と韓昇洙にお辞儀した皇太子の**さかげんと、軌を一にします。

以下、読者さまより投稿文

カソリック教会では、白は清浄無垢を表し、教会での結婚式に於いて、新婦のみが着用する白いウエディングドレスの由来となっています。又、白は復活の色とされ、王族の葬儀に於いて、白い喪服は、亡き王族への感謝を捧げ、復活を願うとされ、カソリック教徒である女王、王妃のみが着用を許されたものとされています。前々ベルギー国王崩御の際に、ファビオラ王妃が白い喪服を召され、多くのベルギー国民の感涙を誘ったとの写真付き記事を、英国の雑誌で読んだ記憶があります。

 白色は比色上、目立つことから、外交儀礼では、晩餐会などの公式行事に於いて、上記の理由もあり、女性王族が控える色となっております。

 皇后陛下は、白色のお召し物をお好きなようで、日赤の名誉総裁としての御臨席にも、白いお召し物を召されています。日本国内の公務、私的なご旅行に召される事は、問題ありませんが、海外での皇室親善、或いは、海外の王族の方を歓迎する晩餐会での白いお召し物は、控えて戴ければなりません。例えば、平成11年(1999年)のルクセンブルグ大公、大公妃歓迎宮中晩餐会では、先のコメントに記しました様に、皇后陛下の白いお召し物を引出させようとの浅はかなお考えでの、他の女性皇族の方々へ、大公妃と同じ色のお召し物を指図されたのは、陰湿な衣装被り以上に、主賓たる大公、大公妃を辱める結果となり、大勢の警察官、宮内庁職員、政府関係者の努力を無にし、親善どころか、ルクセンブルグ大公国と、大公、大公妃に繋がる欧州王室に対する敵対行為となります。

http://cdn-ak.f.sthatena.com/images/fotolife/e/e-vis/20150725/20150725162645.jpg


 やぐるまそう様よりご教示戴いた上記写真で見る限り、大公妃と全く同じ色調の衣装被りをされているのは、皇太子妃のみで、紀子妃殿下、紀宮内親王は、淡いブルー色のお召し物です。写真には写っておりませんが、常陸宮華子妃殿下も同色であったかと考えます。皇太子妃以外の妃殿下、内親王は、外交儀礼に精通されていた秩父宮妃殿下からご薫陶を受けられ、皇后陛下のお指図と云えども、淡い色に合わせられたかと拝察致します。

 チャールズ皇太子、ダイアナ妃のご成婚に、新婦の如きお召し物で出席され、他の王族の顰蹙をかわれた様な皇后陛下と、皇后陛下自ら薫陶された皇太子ご夫妻により、平成の皇后陛下我流皇室親善は、正直申し上げて、限りないマイナス評価です。

 両陛下におかれましては、ベルギー、オランダ王室の王族方の潔い退位と、病魔に冒された稲に鎌を当てられる事、正当なる公務を果たされている秋篠宮殿下への譲位こそ、真剣にご考慮戴きたいと願っております。でなければ、国民が黙ってはおりません。


・・・・・・・ここまで

このいでたち、欧州のマナーから見れば猿芝居でしょう。


「洋服」であり皇室なのだから、洋服に関してはあちらの
プロトコルに準じるべきで、「あたくし流」は許されません。
思えば入内以来子育てに至るまで「あたくし流」。
帽子のかぶり方を直されると、自分でかぶり直し教えてさし上げた
お方を激怒させ「二度とお教えしません」と言われた我の強いお方。

さすが昭和天皇皇后を「あちら」呼ばわり、皇室との縁談を「ストラグル(闘争)」と表現、自分が日記を公開すれば100人が困ると、メディアを使い関係者を恫喝した母親の娘。

雅子さんの背後には、反日小和田恒氏。美智子さんの操縦は正田冨美氏。
雅子さん押し勢力は外務省創価、美智子さんはGHQ、カトリック。
敗戦後の日本に余剰の小麦粉を売りつけたいアメリカ、キリスト教を
日本の精神弱体化、皇室弱体化ツールとして使ったGHQにとっては、
うってつけ100点満点の正田美智子さんでした。

美智子さんの入内以来の歴史は、条件闘争だったのでしょう。
条件闘争と表裏一体だったのが、皇室と日本の伝統壊し。
そう、養蚕や小石丸という一見伝統保持を演出しながら、
実は伝統破壊。
日本という国体も、神々も、そして国民も二の次。

因果はてきめん、**皇太子とごゆっくりさん内親王。そして打ち続く天変地異。
そもそも美智子さん入内の年に伊勢湾台風。

そして今となっては、断言できる、美智子さん雅子さんともに「色」で亭主を骨抜きに。ハニートラップはお二人の得意技。出会いも恋愛も、仕掛けられたフェイクと、解った今。広めるべし、お二人の入内に踊った嘘の数々を。

そして皇后はカトリック教徒ではない、と嘘をついて入内したことを。
入内後もカトリックを捨てず、毎月偽装しながらの聖堂礼拝。
時には四谷の某教会に天皇や皇太子を伴ったことを。

交友のほとんどが、カトリック、プロテスタントと左翼。

自分を批判した浜尾侍従の葬儀には同教会には行かず、皇太子にも行かせず
陰湿な「仕返し」をする女であることを。女性とすらもはや言いたくないのです、まさしく「女」なので。本来は皇后陛下ときちんと、お呼びすべきなのに心がこわばって呼べません。

海外では単なる天皇、皇太子の「女房」扱い。この表記。
雅子さんも同じ扱い。

プリンセスとしての敬称の表記は紀子さま。由緒正しいお血筋だとの判定。欧州で言えばナイトのお家の出なのでOK.

姑が姑なら、嫁も嫁。英国王室専用であったロイヤルブルーをまとって
他国の王子に色目。

姑譲りの衣装ーストーカーは雅子さんの得意技。衣装かぶりは、典型的マナー違反です。

日本では手に入りづらい北朝鮮の花が、嫁ぐ日を祝うように
入内数日前の小和田家の卓上に。メッセージなんですか、
北へ向けた? 創価学会は、北朝鮮系ですが。
小和田家が創価かどうかは知りません。しかし、
小和田氏を軸に外務省内創価勢力と結んでいるのは事実です。

創価学会の婦人部の連中が「雅子さまがご本尊を拝まれているし、皇太子さまも(信心を)お始めになったのよ」と折伏のネタにしていたのも事実。

そして小和田氏を軸に反日国連、反日潘基文と韓昇洙との皇太子の密な交流。
反日国連大学と雅子さんの密着度。中抜きいかがわしい日本ユニセフには、壊国鳩山、反日長者アグネス・チャンの名と共に小和田優美子氏の名。妹礼子氏の関与。
饐えた臭いが立ち上る如き小和田・江頭一族。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234017933688.jpg

美智子様のご成婚パレードでは、沿道に聖歌が沸き起こり、ハレルヤ、ハレルヤ! 雅子さまのパレードでは朝鮮カルト創価の三色旗。狂っていませんか。

愛子さまの飼い犬ユリは朝鮮出自の珍島犬(ちんどけん)という風評。
その風貌から雑種と思って謙虚なことと思っていたのですが、朝鮮の純血種なんでしたか?


(一般には出回っていない画像を台所婆あが持っている不思議。雅子さまの母親の営む雅子さまアゲサイトではないかと言われています)
Mrs Oakley Fisher の台所から ...
http://mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/%E7%9A%87%...
(忍者ツールでブロックされていて、一般には読めません)

スーツのお腹の部分が少々ふっくら、もしかしたらご懐妊?  脂肪の付き始めだよ。欧州でのあだ名がRoyal appetite 食欲妃。 国内では「万年腹ボテ妃」とも。「お握りやデザートにも手を伸ばされていた」www 顔見せ挨拶に来て、お握りパクパク、デザートにも手を出す。紀子さまは、なさらないでしょう。

お肌が幾分浅黒く日焼け  地黒だよ。十二単で白塗りすると粉吹きイモになる。

◆目を背けても、そこにある現実.皇居内の不浄

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d1c884f5d3a6c790a3d819499dfa84

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

この時期の額と目尻の深い皺↓がいったん消えました。どこで、なさったのかと不思議だったのですが、たとえば宮内庁病院に器具だけ持ち込めば簡単ですよね。整形に複雑な医療器具は要りません。目などはその場であっという間。
数日間多少の腫れがあるだけ。瞼の脂肪吸引も簡単。

整形をあげつらっているわけではありません。
何もかも!! 何もかもが嘘なんです。作り物。

全てが偽物、まがい物。

このミズっぽい色気、下品さになぜ、国民は気づかなかったのでしょうね。
和服での所作を心得ぬのは雅子さんも同じ。(近年皇后は身につきましたが)
GHQという巨大勢力に仕込まれ、朝鮮勢力が食い込んだマスコミは賛美一色、ご本人も慈愛を演出。顔をいじって美貌の皇太子妃をプレゼンテーション。

pangpangオーラ全開

得意のブラ見せ、お下品ルック。ゴテゴテと飾る地方巡業ド演歌歌手風味。

今見れば、まごうことなきバカップル。

学習院大学を卒業する学力なく、不要不急の海外訪問をさせ、それを口実に「学業終了」という変な扱いで要するに実質的落第。留年しても単位を取れそうにもないので「学友たちとご一緒でないと困るので」とこれも変な理由で放出。


通常の思考力があれば、「天皇の祖先は朝鮮人」などと発言すれば日韓で
どういう反応が返って来るかも読めるはず。韓国では当然のごとく
「日王の祖先はウリたちの国から」が、定着しています。
李明博に謝罪訪韓したい、友好を願いたいと内閣に無断で親書を渡し
「来るなら土下座する気で来い」と言わせた阿呆さかげん。そのため日本国民に一気に高まった嫌韓。韓国との友好を狙っての親書だったのに、逆効果の
頭の悪さ。韓国という構造的反日を分析もできないお方が、半端なことなさるものではありません。迷惑です。皇后陛下も同じく、感傷的な歌で日韓がどうなるものでもありません。謝罪に行けば、反日が鎮まると? 愚かしいことを。

彼らはなお居丈高になり、日本を叩きお金を要求します。

本当にお二人で、国を損ねるごときことをやらないで頂きたいのです。

天皇陛下は外来種のブルーギルを、皇居のお堀他に放して生態系を狂わせるし。日本中の池に繁殖しているし。これで研究者を擬態されても中身のすっからかんが、バレバレ。

余計なことはしないで、言わないで。最小限の国事行為と、祭祀だけどうぞ。

◆天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか  

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eeee90e4c541367c4b361c4b32a6dc10

天皇陛下は「高卒」(一般的意味での高卒貶めではないので、念のため。中卒で腕の良い鮨職人になっていればそれは立派)

1970年2月20日 マレーシアの王宮にてムアザム副王主催の夕食会。
イスラム圏で肌大幅露出の非常識。後頭部の異常な盛り。

イラン、エチオピア、インド、ネパール訪問の際に1960年。

イランが肌露出ご法度のイスラム圏ですね。写されることを意識した、シナ作り。普通にできないお方。いつも、くねくねと踊っていらっしゃいます。

肌を覆ったら覆ったで、ごてごてと田舎趣味。手はコンスもどきの媚びたシナ作り、普通に毅然と佇めないお方。

バカ息子、溺愛愚母。

美智子さまの脳内では、この方が皇太子に続き継承権2位の天皇陛下。

思考停止保守よ、皇太子に続いてこの方を天皇陛下として仰げるのですか?

国民へのお言葉すら失せますが? 「はじがどごぜばず、ズズッ」で海外にお出まし願えますか?

オカルトに走り過ぎるのは禁物ですが、狐の悪霊体が出現。霊眼の開けた
方はお分かりですね。
化かすのは得意技なのかもしれません。

◆イタリア貴族が語る・実は海外王族から総スカンの皇太子と雅子妃

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ca349b8380c6b4c8119cb0d7a7bafe39 

悪党江頭豊の死去には、記帳所が設けられたのに悠仁さまお誕生には「単なる宮家」ということで、記帳台無し。何かが狂ってます。

https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c53

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
38. 中川隆[-11870] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:07:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[107]


礼儀知らずの美智子皇后、海外で赤っ恥 2017-10-18
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6


ご要望により、2015年度記事の再掲です。

多少、手を加えてのリニューアル版です。

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantillas)が決まり。

Privilège du blanc

https://en.wikipedia.org/wiki/Privil%C3%A8ge_du_blanc

Le privilège du blanc ("the privilege of the white") is a French term used for a tradition whereby certain designated Catholic queens and princesses are permitted to wear a white dress and white mantilla during an audience with the Pope.[1] The Italian term is il privilegio del bianco.

Le privilège du blanc(「白の特権」)は、特定のカトリックの女王と王女がローマ教皇に謁見する際、白いドレスと白いマンティージャ(ベール)を着用することを許される、というしきたりを指すフランス語。
イタリア語では、Il privilegio del bianco。

http://lux-arazzi.blogspot.jp/2013/03/luxarazzi-101-privilege-du-blanc.html

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantilla)が基本マナーです。

(余談ですが不倫女にも会われるのですね。離婚も許容?カミーラ大嫌いなので、失礼)

整形反日バカ女優さえ、とりあえず黒。

カトリックの女性王族の中でバチカンが特に認めた方だけは白服、白ベールが許され、これを「白の特権」Le privilège du blancというのだそうです。

現在この特権を有しているのはスペイン王妃、ベルギー王妃、ルクセンブルク大公妃、モナコ大公妃、リヒテンシュタイン公妃だけ。

この特権がない者が白服を着ると、you should be prepared for a media backlash(メディアの激しい反発を覚悟しなければならない)。

“田舎者的無知”皇后の恥ずかしさを知らなかったのは、日本の
国民ばかりかもしれません。

読者さまから皇室は圏外ではないかという疑義が出されたので、コメ欄での回答をほぼそのまま転載しておきます。

イギリスもカトリックではありません。その意味ではこちらも圏外です。
イングランド国教会( Church of England)で、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れています。

オバマ大統領も宗教的出自はムスリムで、ご本人ローマ教皇庁が認めていないプロテスタントです。
これも圏外。同じキリスト教圏内ではありません。同種の宗教内での宗派は異教とのそれより、もっと隔絶したりしています。
国際上のプロトコルに準じる一般常識として、夫人はベールと黒をまとわれたかと思われます。

皇后も敢えて白のタブーを犯す必要はないと思います。ベールまで必要が無いとしても。皇室だからこそ、欧州王室のマナーに準じるべきで、皇后としては常識内のマナーでしょう。ましてカトリック教徒なのだから。

それに、ローマ法王と同格は天皇陛下で、美智子さまは欧州王室的厳密な格でいえば、Emperorの単なる女房です。

・・・・・・・・・・・・・ここまで

読者さまより参考意見

ローマ法王の御前で女性が白服を着用することには特別のルールが存在する以上、たとえ国際プロトコール上同格であっても、配慮すべきではと思います。

あえて白を選ぶ必要があったのか疑問です。

イギリス前首相トニーブレア氏の妻シェリー女史(カトリック教徒)がローマ法王謁見時に白服を着て辛辣な批判を受けました。

以下に英紙デイリーテレグラフの記事を貼ります。

"white outfit, wrong occasion, Cherie"(「白服、この場では間違いでしょう、シェリー」)

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/1516991/White-outfit-wrong-occasion-herie.html

Cherie Blair provoked surprise in the Vatican and the ire of a Roman Catholic MP yesterday by wearing all-white to meet the Pope, a privilege normally reserved for Catholic Queens

(シェリーブレア女史は昨日、本来はカトリックの女王のための特権であるところの、白服で法王に謁見してバチカン周辺が驚きと憤りに包まれた)

記事の論調は一言でいえば分を弁えろというところで

「女王陛下(エリザベス女王)でさえ黒服だったのに彼女はよほど自分を大人物だと思っているらしい」

「カトリックなら謁見時の伝統のことはわかっているはず」

と厳しい意見が載っています。

・・・・・・・ここまで

皇后に注意する者とていない、専横ぶりなのでしょう。
知る者が見れば、猿芝居。

◆皇后陛下のカトリック・ローマ法王ふう?

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/44aa253ae87d35caf6882f3f6a46075b

◆拝啓皇后陛下 ローマ法王が第二次大戦の日本を応援していたのはご存知ですか

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7e0e1335cc576424315990a9918a9cf8

こちらは素肌にサッシュをかけていることと、いい歳して少女趣味ゴテゴテ服への
蔑み視線。

英国皇太子結婚式ご参列

1981年7月29日 チャールズ&ダイアナ挙式 

結婚式に出るのに、白い服、白いベール。人々が愕然とした視線を
浴びせるも、皇后は帽子のデザイナーに「大きな帽子の人たちよりも目立ったわ」とお褒めの言葉。狂ってます。・・・・・と、今やっと言えます。

周囲の呆れた顔。嘲笑。

その時、美智子さま46歳。

皇后の小さな皿帽子は、欧州では髪飾りとしてみなされ、公式の場では非礼です。

その正確なことを報じず、賛美までしていたマスコミの異常さ。GHQ発端の、在日スポンサーと反日電通に支えられたメディアの大嘘。

結婚式では、末席に座らされ「皇太子(当時)の単なる女房」扱いでした。
それは雅子さんも同じ。欧州王室の敬意を得ていません。これも
日本のメディアは伝えません。
皇太子がどれほど、馬鹿扱いされているかも。

(ヘンな髪飾りがずり落ちてる、この方)

喪服に髪飾りをつけて出たのと同じ、とんでもない非礼。
そして場違いの日本式お辞儀。

超反日潘基文と韓昇洙にお辞儀した皇太子の**さかげんと、軌を一にします。

以下、読者さまより投稿文

カソリック教会では、白は清浄無垢を表し、教会での結婚式に於いて、新婦のみが着用する白いウエディングドレスの由来となっています。又、白は復活の色とされ、王族の葬儀に於いて、白い喪服は、亡き王族への感謝を捧げ、復活を願うとされ、カソリック教徒である女王、王妃のみが着用を許されたものとされています。前々ベルギー国王崩御の際に、ファビオラ王妃が白い喪服を召され、多くのベルギー国民の感涙を誘ったとの写真付き記事を、英国の雑誌で読んだ記憶があります。

 白色は比色上、目立つことから、外交儀礼では、晩餐会などの公式行事に於いて、上記の理由もあり、女性王族が控える色となっております。

 皇后陛下は、白色のお召し物をお好きなようで、日赤の名誉総裁としての御臨席にも、白いお召し物を召されています。日本国内の公務、私的なご旅行に召される事は、問題ありませんが、海外での皇室親善、或いは、海外の王族の方を歓迎する晩餐会での白いお召し物は、控えて戴ければなりません。例えば、平成11年(1999年)のルクセンブルグ大公、大公妃歓迎宮中晩餐会では、先のコメントに記しました様に、皇后陛下の白いお召し物を引出させようとの浅はかなお考えでの、他の女性皇族の方々へ、大公妃と同じ色のお召し物を指図されたのは、陰湿な衣装被り以上に、主賓たる大公、大公妃を辱める結果となり、大勢の警察官、宮内庁職員、政府関係者の努力を無にし、親善どころか、ルクセンブルグ大公国と、大公、大公妃に繋がる欧州王室に対する敵対行為となります。

http://cdn-ak.f.sthatena.com/images/fotolife/e/e-vis/20150725/20150725162645.jpg


 やぐるまそう様よりご教示戴いた上記写真で見る限り、大公妃と全く同じ色調の衣装被りをされているのは、皇太子妃のみで、紀子妃殿下、紀宮内親王は、淡いブルー色のお召し物です。写真には写っておりませんが、常陸宮華子妃殿下も同色であったかと考えます。皇太子妃以外の妃殿下、内親王は、外交儀礼に精通されていた秩父宮妃殿下からご薫陶を受けられ、皇后陛下のお指図と云えども、淡い色に合わせられたかと拝察致します。

 チャールズ皇太子、ダイアナ妃のご成婚に、新婦の如きお召し物で出席され、他の王族の顰蹙をかわれた様な皇后陛下と、皇后陛下自ら薫陶された皇太子ご夫妻により、平成の皇后陛下我流皇室親善は、正直申し上げて、限りないマイナス評価です。

 両陛下におかれましては、ベルギー、オランダ王室の王族方の潔い退位と、病魔に冒された稲に鎌を当てられる事、正当なる公務を果たされている秋篠宮殿下への譲位こそ、真剣にご考慮戴きたいと願っております。でなければ、国民が黙ってはおりません。


・・・・・・・ここまで

このいでたち、欧州のマナーから見れば猿芝居でしょう。


「洋服」であり皇室なのだから、洋服に関してはあちらの
プロトコルに準じるべきで、「あたくし流」は許されません。
思えば入内以来子育てに至るまで「あたくし流」。
帽子のかぶり方を直されると、自分でかぶり直し教えてさし上げた
お方を激怒させ「二度とお教えしません」と言われた我の強いお方。

さすが昭和天皇皇后を「あちら」呼ばわり、皇室との縁談を「ストラグル(闘争)」と表現、自分が日記を公開すれば100人が困ると、メディアを使い関係者を恫喝した母親の娘。

雅子さんの背後には、反日小和田恒氏。美智子さんの操縦は正田冨美氏。
雅子さん押し勢力は外務省創価、美智子さんはGHQ、カトリック。
敗戦後の日本に余剰の小麦粉を売りつけたいアメリカ、キリスト教を
日本の精神弱体化、皇室弱体化ツールとして使ったGHQにとっては、
うってつけ100点満点の正田美智子さんでした。

美智子さんの入内以来の歴史は、条件闘争だったのでしょう。
条件闘争と表裏一体だったのが、皇室と日本の伝統壊し。
そう、養蚕や小石丸という一見伝統保持を演出しながら、
実は伝統破壊。
日本という国体も、神々も、そして国民も二の次。

因果はてきめん、**皇太子とごゆっくりさん内親王。そして打ち続く天変地異。
そもそも美智子さん入内の年に伊勢湾台風。

そして今となっては、断言できる、美智子さん雅子さんともに「色」で亭主を骨抜きに。ハニートラップはお二人の得意技。出会いも恋愛も、仕掛けられたフェイクと、解った今。広めるべし、お二人の入内に踊った嘘の数々を。

そして皇后はカトリック教徒ではない、と嘘をついて入内したことを。
入内後もカトリックを捨てず、毎月偽装しながらの聖堂礼拝。
時には四谷の某教会に天皇や皇太子を伴ったことを。

交友のほとんどが、カトリック、プロテスタントと左翼。

自分を批判した浜尾侍従の葬儀には同教会には行かず、皇太子にも行かせず
陰湿な「仕返し」をする女であることを。女性とすらもはや言いたくないのです、まさしく「女」なので。本来は皇后陛下ときちんと、お呼びすべきなのに心がこわばって呼べません。

海外では単なる天皇、皇太子の「女房」扱い。この表記。
雅子さんも同じ扱い。

プリンセスとしての敬称の表記は紀子さま。由緒正しいお血筋だとの判定。欧州で言えばナイトのお家の出なのでOK.

姑が姑なら、嫁も嫁。英国王室専用であったロイヤルブルーをまとって
他国の王子に色目。

姑譲りの衣装ーストーカーは雅子さんの得意技。衣装かぶりは、典型的マナー違反です。

日本では手に入りづらい北朝鮮の花が、嫁ぐ日を祝うように
入内数日前の小和田家の卓上に。メッセージなんですか、
北へ向けた? 創価学会は、北朝鮮系ですが。
小和田家が創価かどうかは知りません。しかし、
小和田氏を軸に外務省内創価勢力と結んでいるのは事実です。

創価学会の婦人部の連中が「雅子さまがご本尊を拝まれているし、皇太子さまも(信心を)お始めになったのよ」と折伏のネタにしていたのも事実。

そして小和田氏を軸に反日国連、反日潘基文と韓昇洙との皇太子の密な交流。
反日国連大学と雅子さんの密着度。中抜きいかがわしい日本ユニセフには、壊国鳩山、反日長者アグネス・チャンの名と共に小和田優美子氏の名。妹礼子氏の関与。
饐えた臭いが立ち上る如き小和田・江頭一族。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234017933688.jpg

美智子様のご成婚パレードでは、沿道に聖歌が沸き起こり、ハレルヤ、ハレルヤ! 雅子さまのパレードでは朝鮮カルト創価の三色旗。狂っていませんか。

愛子さまの飼い犬ユリは朝鮮出自の珍島犬(ちんどけん)という風評。
その風貌から雑種と思って謙虚なことと思っていたのですが、朝鮮の純血種なんでしたか?


(一般には出回っていない画像を台所婆あが持っている不思議。雅子さまの母親の営む雅子さまアゲサイトではないかと言われています)
Mrs Oakley Fisher の台所から ...
http://mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/%E7%9A%87%...
(忍者ツールでブロックされていて、一般には読めません)

スーツのお腹の部分が少々ふっくら、もしかしたらご懐妊?  脂肪の付き始めだよ。欧州でのあだ名がRoyal appetite 食欲妃。 国内では「万年腹ボテ妃」とも。「お握りやデザートにも手を伸ばされていた」www 顔見せ挨拶に来て、お握りパクパク、デザートにも手を出す。紀子さまは、なさらないでしょう。

お肌が幾分浅黒く日焼け  地黒だよ。十二単で白塗りすると粉吹きイモになる。

◆目を背けても、そこにある現実.皇居内の不浄

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d1c884f5d3a6c790a3d819499dfa84

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

この時期の額と目尻の深い皺↓がいったん消えました。どこで、なさったのかと不思議だったのですが、たとえば宮内庁病院に器具だけ持ち込めば簡単ですよね。整形に複雑な医療器具は要りません。目などはその場であっという間。
数日間多少の腫れがあるだけ。瞼の脂肪吸引も簡単。

整形をあげつらっているわけではありません。
何もかも!! 何もかもが嘘なんです。作り物。

全てが偽物、まがい物。

このミズっぽい色気、下品さになぜ、国民は気づかなかったのでしょうね。
和服での所作を心得ぬのは雅子さんも同じ。(近年皇后は身につきましたが)
GHQという巨大勢力に仕込まれ、朝鮮勢力が食い込んだマスコミは賛美一色、ご本人も慈愛を演出。顔をいじって美貌の皇太子妃をプレゼンテーション。

pangpangオーラ全開

得意のブラ見せ、お下品ルック。ゴテゴテと飾る地方巡業ド演歌歌手風味。

今見れば、まごうことなきバカップル。

学習院大学を卒業する学力なく、不要不急の海外訪問をさせ、それを口実に「学業終了」という変な扱いで要するに実質的落第。留年しても単位を取れそうにもないので「学友たちとご一緒でないと困るので」とこれも変な理由で放出。


通常の思考力があれば、「天皇の祖先は朝鮮人」などと発言すれば日韓で
どういう反応が返って来るかも読めるはず。韓国では当然のごとく
「日王の祖先はウリたちの国から」が、定着しています。
李明博に謝罪訪韓したい、友好を願いたいと内閣に無断で親書を渡し
「来るなら土下座する気で来い」と言わせた阿呆さかげん。そのため日本国民に一気に高まった嫌韓。韓国との友好を狙っての親書だったのに、逆効果の
頭の悪さ。韓国という構造的反日を分析もできないお方が、半端なことなさるものではありません。迷惑です。皇后陛下も同じく、感傷的な歌で日韓がどうなるものでもありません。謝罪に行けば、反日が鎮まると? 愚かしいことを。

彼らはなお居丈高になり、日本を叩きお金を要求します。

本当にお二人で、国を損ねるごときことをやらないで頂きたいのです。

天皇陛下は外来種のブルーギルを、皇居のお堀他に放して生態系を狂わせるし。日本中の池に繁殖しているし。これで研究者を擬態されても中身のすっからかんが、バレバレ。

余計なことはしないで、言わないで。最小限の国事行為と、祭祀だけどうぞ。

◆天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか  

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eeee90e4c541367c4b361c4b32a6dc10

天皇陛下は「高卒」(一般的意味での高卒貶めではないので、念のため。中卒で腕の良い鮨職人になっていればそれは立派)

1970年2月20日 マレーシアの王宮にてムアザム副王主催の夕食会。
イスラム圏で肌大幅露出の非常識。後頭部の異常な盛り。

イラン、エチオピア、インド、ネパール訪問の際に1960年。

イランが肌露出ご法度のイスラム圏ですね。写されることを意識した、シナ作り。普通にできないお方。いつも、くねくねと踊っていらっしゃいます。

肌を覆ったら覆ったで、ごてごてと田舎趣味。手はコンスもどきの媚びたシナ作り、普通に毅然と佇めないお方。

バカ息子、溺愛愚母。

美智子さまの脳内では、この方が皇太子に続き継承権2位の天皇陛下。

思考停止保守よ、皇太子に続いてこの方を天皇陛下として仰げるのですか?

国民へのお言葉すら失せますが? 「はじがどごぜばず、ズズッ」で海外にお出まし願えますか?

オカルトに走り過ぎるのは禁物ですが、狐の悪霊体が出現。霊眼の開けた
方はお分かりですね。
化かすのは得意技なのかもしれません。

◆イタリア貴族が語る・実は海外王族から総スカンの皇太子と雅子妃

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ca349b8380c6b4c8119cb0d7a7bafe39 

悪党江頭豊の死去には、記帳所が設けられたのに悠仁さまお誕生には「単なる宮家」ということで、記帳台無し。何かが狂ってます。

https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c38

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
53. 中川隆[-11869] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:08:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[108]


礼儀知らずの美智子皇后、海外で赤っ恥 2017-10-18
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6


ご要望により、2015年度記事の再掲です。

多少、手を加えてのリニューアル版です。

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantillas)が決まり。

Privilège du blanc

https://en.wikipedia.org/wiki/Privil%C3%A8ge_du_blanc

Le privilège du blanc ("the privilege of the white") is a French term used for a tradition whereby certain designated Catholic queens and princesses are permitted to wear a white dress and white mantilla during an audience with the Pope.[1] The Italian term is il privilegio del bianco.

Le privilège du blanc(「白の特権」)は、特定のカトリックの女王と王女がローマ教皇に謁見する際、白いドレスと白いマンティージャ(ベール)を着用することを許される、というしきたりを指すフランス語。
イタリア語では、Il privilegio del bianco。

http://lux-arazzi.blogspot.jp/2013/03/luxarazzi-101-privilege-du-blanc.html

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantilla)が基本マナーです。

(余談ですが不倫女にも会われるのですね。離婚も許容?カミーラ大嫌いなので、失礼)

整形反日バカ女優さえ、とりあえず黒。

カトリックの女性王族の中でバチカンが特に認めた方だけは白服、白ベールが許され、これを「白の特権」Le privilège du blancというのだそうです。

現在この特権を有しているのはスペイン王妃、ベルギー王妃、ルクセンブルク大公妃、モナコ大公妃、リヒテンシュタイン公妃だけ。

この特権がない者が白服を着ると、you should be prepared for a media backlash(メディアの激しい反発を覚悟しなければならない)。

“田舎者的無知”皇后の恥ずかしさを知らなかったのは、日本の
国民ばかりかもしれません。

読者さまから皇室は圏外ではないかという疑義が出されたので、コメ欄での回答をほぼそのまま転載しておきます。

イギリスもカトリックではありません。その意味ではこちらも圏外です。
イングランド国教会( Church of England)で、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れています。

オバマ大統領も宗教的出自はムスリムで、ご本人ローマ教皇庁が認めていないプロテスタントです。
これも圏外。同じキリスト教圏内ではありません。同種の宗教内での宗派は異教とのそれより、もっと隔絶したりしています。
国際上のプロトコルに準じる一般常識として、夫人はベールと黒をまとわれたかと思われます。

皇后も敢えて白のタブーを犯す必要はないと思います。ベールまで必要が無いとしても。皇室だからこそ、欧州王室のマナーに準じるべきで、皇后としては常識内のマナーでしょう。ましてカトリック教徒なのだから。

それに、ローマ法王と同格は天皇陛下で、美智子さまは欧州王室的厳密な格でいえば、Emperorの単なる女房です。

・・・・・・・・・・・・・ここまで

読者さまより参考意見

ローマ法王の御前で女性が白服を着用することには特別のルールが存在する以上、たとえ国際プロトコール上同格であっても、配慮すべきではと思います。

あえて白を選ぶ必要があったのか疑問です。

イギリス前首相トニーブレア氏の妻シェリー女史(カトリック教徒)がローマ法王謁見時に白服を着て辛辣な批判を受けました。

以下に英紙デイリーテレグラフの記事を貼ります。

"white outfit, wrong occasion, Cherie"(「白服、この場では間違いでしょう、シェリー」)

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/1516991/White-outfit-wrong-occasion-herie.html

Cherie Blair provoked surprise in the Vatican and the ire of a Roman Catholic MP yesterday by wearing all-white to meet the Pope, a privilege normally reserved for Catholic Queens

(シェリーブレア女史は昨日、本来はカトリックの女王のための特権であるところの、白服で法王に謁見してバチカン周辺が驚きと憤りに包まれた)

記事の論調は一言でいえば分を弁えろというところで

「女王陛下(エリザベス女王)でさえ黒服だったのに彼女はよほど自分を大人物だと思っているらしい」

「カトリックなら謁見時の伝統のことはわかっているはず」

と厳しい意見が載っています。

・・・・・・・ここまで

皇后に注意する者とていない、専横ぶりなのでしょう。
知る者が見れば、猿芝居。

◆皇后陛下のカトリック・ローマ法王ふう?

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/44aa253ae87d35caf6882f3f6a46075b

◆拝啓皇后陛下 ローマ法王が第二次大戦の日本を応援していたのはご存知ですか

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7e0e1335cc576424315990a9918a9cf8

こちらは素肌にサッシュをかけていることと、いい歳して少女趣味ゴテゴテ服への
蔑み視線。

英国皇太子結婚式ご参列

1981年7月29日 チャールズ&ダイアナ挙式 

結婚式に出るのに、白い服、白いベール。人々が愕然とした視線を
浴びせるも、皇后は帽子のデザイナーに「大きな帽子の人たちよりも目立ったわ」とお褒めの言葉。狂ってます。・・・・・と、今やっと言えます。

周囲の呆れた顔。嘲笑。

その時、美智子さま46歳。

皇后の小さな皿帽子は、欧州では髪飾りとしてみなされ、公式の場では非礼です。

その正確なことを報じず、賛美までしていたマスコミの異常さ。GHQ発端の、在日スポンサーと反日電通に支えられたメディアの大嘘。

結婚式では、末席に座らされ「皇太子(当時)の単なる女房」扱いでした。
それは雅子さんも同じ。欧州王室の敬意を得ていません。これも
日本のメディアは伝えません。
皇太子がどれほど、馬鹿扱いされているかも。

(ヘンな髪飾りがずり落ちてる、この方)

喪服に髪飾りをつけて出たのと同じ、とんでもない非礼。
そして場違いの日本式お辞儀。

超反日潘基文と韓昇洙にお辞儀した皇太子の**さかげんと、軌を一にします。

以下、読者さまより投稿文

カソリック教会では、白は清浄無垢を表し、教会での結婚式に於いて、新婦のみが着用する白いウエディングドレスの由来となっています。又、白は復活の色とされ、王族の葬儀に於いて、白い喪服は、亡き王族への感謝を捧げ、復活を願うとされ、カソリック教徒である女王、王妃のみが着用を許されたものとされています。前々ベルギー国王崩御の際に、ファビオラ王妃が白い喪服を召され、多くのベルギー国民の感涙を誘ったとの写真付き記事を、英国の雑誌で読んだ記憶があります。

 白色は比色上、目立つことから、外交儀礼では、晩餐会などの公式行事に於いて、上記の理由もあり、女性王族が控える色となっております。

 皇后陛下は、白色のお召し物をお好きなようで、日赤の名誉総裁としての御臨席にも、白いお召し物を召されています。日本国内の公務、私的なご旅行に召される事は、問題ありませんが、海外での皇室親善、或いは、海外の王族の方を歓迎する晩餐会での白いお召し物は、控えて戴ければなりません。例えば、平成11年(1999年)のルクセンブルグ大公、大公妃歓迎宮中晩餐会では、先のコメントに記しました様に、皇后陛下の白いお召し物を引出させようとの浅はかなお考えでの、他の女性皇族の方々へ、大公妃と同じ色のお召し物を指図されたのは、陰湿な衣装被り以上に、主賓たる大公、大公妃を辱める結果となり、大勢の警察官、宮内庁職員、政府関係者の努力を無にし、親善どころか、ルクセンブルグ大公国と、大公、大公妃に繋がる欧州王室に対する敵対行為となります。

http://cdn-ak.f.sthatena.com/images/fotolife/e/e-vis/20150725/20150725162645.jpg


 やぐるまそう様よりご教示戴いた上記写真で見る限り、大公妃と全く同じ色調の衣装被りをされているのは、皇太子妃のみで、紀子妃殿下、紀宮内親王は、淡いブルー色のお召し物です。写真には写っておりませんが、常陸宮華子妃殿下も同色であったかと考えます。皇太子妃以外の妃殿下、内親王は、外交儀礼に精通されていた秩父宮妃殿下からご薫陶を受けられ、皇后陛下のお指図と云えども、淡い色に合わせられたかと拝察致します。

 チャールズ皇太子、ダイアナ妃のご成婚に、新婦の如きお召し物で出席され、他の王族の顰蹙をかわれた様な皇后陛下と、皇后陛下自ら薫陶された皇太子ご夫妻により、平成の皇后陛下我流皇室親善は、正直申し上げて、限りないマイナス評価です。

 両陛下におかれましては、ベルギー、オランダ王室の王族方の潔い退位と、病魔に冒された稲に鎌を当てられる事、正当なる公務を果たされている秋篠宮殿下への譲位こそ、真剣にご考慮戴きたいと願っております。でなければ、国民が黙ってはおりません。


・・・・・・・ここまで

このいでたち、欧州のマナーから見れば猿芝居でしょう。


「洋服」であり皇室なのだから、洋服に関してはあちらの
プロトコルに準じるべきで、「あたくし流」は許されません。
思えば入内以来子育てに至るまで「あたくし流」。
帽子のかぶり方を直されると、自分でかぶり直し教えてさし上げた
お方を激怒させ「二度とお教えしません」と言われた我の強いお方。

さすが昭和天皇皇后を「あちら」呼ばわり、皇室との縁談を「ストラグル(闘争)」と表現、自分が日記を公開すれば100人が困ると、メディアを使い関係者を恫喝した母親の娘。

雅子さんの背後には、反日小和田恒氏。美智子さんの操縦は正田冨美氏。
雅子さん押し勢力は外務省創価、美智子さんはGHQ、カトリック。
敗戦後の日本に余剰の小麦粉を売りつけたいアメリカ、キリスト教を
日本の精神弱体化、皇室弱体化ツールとして使ったGHQにとっては、
うってつけ100点満点の正田美智子さんでした。

美智子さんの入内以来の歴史は、条件闘争だったのでしょう。
条件闘争と表裏一体だったのが、皇室と日本の伝統壊し。
そう、養蚕や小石丸という一見伝統保持を演出しながら、
実は伝統破壊。
日本という国体も、神々も、そして国民も二の次。

因果はてきめん、**皇太子とごゆっくりさん内親王。そして打ち続く天変地異。
そもそも美智子さん入内の年に伊勢湾台風。

そして今となっては、断言できる、美智子さん雅子さんともに「色」で亭主を骨抜きに。ハニートラップはお二人の得意技。出会いも恋愛も、仕掛けられたフェイクと、解った今。広めるべし、お二人の入内に踊った嘘の数々を。

そして皇后はカトリック教徒ではない、と嘘をついて入内したことを。
入内後もカトリックを捨てず、毎月偽装しながらの聖堂礼拝。
時には四谷の某教会に天皇や皇太子を伴ったことを。

交友のほとんどが、カトリック、プロテスタントと左翼。

自分を批判した浜尾侍従の葬儀には同教会には行かず、皇太子にも行かせず
陰湿な「仕返し」をする女であることを。女性とすらもはや言いたくないのです、まさしく「女」なので。本来は皇后陛下ときちんと、お呼びすべきなのに心がこわばって呼べません。

海外では単なる天皇、皇太子の「女房」扱い。この表記。
雅子さんも同じ扱い。

プリンセスとしての敬称の表記は紀子さま。由緒正しいお血筋だとの判定。欧州で言えばナイトのお家の出なのでOK.

姑が姑なら、嫁も嫁。英国王室専用であったロイヤルブルーをまとって
他国の王子に色目。

姑譲りの衣装ーストーカーは雅子さんの得意技。衣装かぶりは、典型的マナー違反です。

日本では手に入りづらい北朝鮮の花が、嫁ぐ日を祝うように
入内数日前の小和田家の卓上に。メッセージなんですか、
北へ向けた? 創価学会は、北朝鮮系ですが。
小和田家が創価かどうかは知りません。しかし、
小和田氏を軸に外務省内創価勢力と結んでいるのは事実です。

創価学会の婦人部の連中が「雅子さまがご本尊を拝まれているし、皇太子さまも(信心を)お始めになったのよ」と折伏のネタにしていたのも事実。

そして小和田氏を軸に反日国連、反日潘基文と韓昇洙との皇太子の密な交流。
反日国連大学と雅子さんの密着度。中抜きいかがわしい日本ユニセフには、壊国鳩山、反日長者アグネス・チャンの名と共に小和田優美子氏の名。妹礼子氏の関与。
饐えた臭いが立ち上る如き小和田・江頭一族。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234017933688.jpg

美智子様のご成婚パレードでは、沿道に聖歌が沸き起こり、ハレルヤ、ハレルヤ! 雅子さまのパレードでは朝鮮カルト創価の三色旗。狂っていませんか。

愛子さまの飼い犬ユリは朝鮮出自の珍島犬(ちんどけん)という風評。
その風貌から雑種と思って謙虚なことと思っていたのですが、朝鮮の純血種なんでしたか?


(一般には出回っていない画像を台所婆あが持っている不思議。雅子さまの母親の営む雅子さまアゲサイトではないかと言われています)
Mrs Oakley Fisher の台所から ...
http://mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/%E7%9A%87%...
(忍者ツールでブロックされていて、一般には読めません)

スーツのお腹の部分が少々ふっくら、もしかしたらご懐妊?  脂肪の付き始めだよ。欧州でのあだ名がRoyal appetite 食欲妃。 国内では「万年腹ボテ妃」とも。「お握りやデザートにも手を伸ばされていた」www 顔見せ挨拶に来て、お握りパクパク、デザートにも手を出す。紀子さまは、なさらないでしょう。

お肌が幾分浅黒く日焼け  地黒だよ。十二単で白塗りすると粉吹きイモになる。

◆目を背けても、そこにある現実.皇居内の不浄

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d1c884f5d3a6c790a3d819499dfa84

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

この時期の額と目尻の深い皺↓がいったん消えました。どこで、なさったのかと不思議だったのですが、たとえば宮内庁病院に器具だけ持ち込めば簡単ですよね。整形に複雑な医療器具は要りません。目などはその場であっという間。
数日間多少の腫れがあるだけ。瞼の脂肪吸引も簡単。

整形をあげつらっているわけではありません。
何もかも!! 何もかもが嘘なんです。作り物。

全てが偽物、まがい物。

このミズっぽい色気、下品さになぜ、国民は気づかなかったのでしょうね。
和服での所作を心得ぬのは雅子さんも同じ。(近年皇后は身につきましたが)
GHQという巨大勢力に仕込まれ、朝鮮勢力が食い込んだマスコミは賛美一色、ご本人も慈愛を演出。顔をいじって美貌の皇太子妃をプレゼンテーション。

pangpangオーラ全開

得意のブラ見せ、お下品ルック。ゴテゴテと飾る地方巡業ド演歌歌手風味。

今見れば、まごうことなきバカップル。

学習院大学を卒業する学力なく、不要不急の海外訪問をさせ、それを口実に「学業終了」という変な扱いで要するに実質的落第。留年しても単位を取れそうにもないので「学友たちとご一緒でないと困るので」とこれも変な理由で放出。


通常の思考力があれば、「天皇の祖先は朝鮮人」などと発言すれば日韓で
どういう反応が返って来るかも読めるはず。韓国では当然のごとく
「日王の祖先はウリたちの国から」が、定着しています。
李明博に謝罪訪韓したい、友好を願いたいと内閣に無断で親書を渡し
「来るなら土下座する気で来い」と言わせた阿呆さかげん。そのため日本国民に一気に高まった嫌韓。韓国との友好を狙っての親書だったのに、逆効果の
頭の悪さ。韓国という構造的反日を分析もできないお方が、半端なことなさるものではありません。迷惑です。皇后陛下も同じく、感傷的な歌で日韓がどうなるものでもありません。謝罪に行けば、反日が鎮まると? 愚かしいことを。

彼らはなお居丈高になり、日本を叩きお金を要求します。

本当にお二人で、国を損ねるごときことをやらないで頂きたいのです。

天皇陛下は外来種のブルーギルを、皇居のお堀他に放して生態系を狂わせるし。日本中の池に繁殖しているし。これで研究者を擬態されても中身のすっからかんが、バレバレ。

余計なことはしないで、言わないで。最小限の国事行為と、祭祀だけどうぞ。

◆天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか  

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eeee90e4c541367c4b361c4b32a6dc10

天皇陛下は「高卒」(一般的意味での高卒貶めではないので、念のため。中卒で腕の良い鮨職人になっていればそれは立派)

1970年2月20日 マレーシアの王宮にてムアザム副王主催の夕食会。
イスラム圏で肌大幅露出の非常識。後頭部の異常な盛り。

イラン、エチオピア、インド、ネパール訪問の際に1960年。

イランが肌露出ご法度のイスラム圏ですね。写されることを意識した、シナ作り。普通にできないお方。いつも、くねくねと踊っていらっしゃいます。

肌を覆ったら覆ったで、ごてごてと田舎趣味。手はコンスもどきの媚びたシナ作り、普通に毅然と佇めないお方。

バカ息子、溺愛愚母。

美智子さまの脳内では、この方が皇太子に続き継承権2位の天皇陛下。

思考停止保守よ、皇太子に続いてこの方を天皇陛下として仰げるのですか?

国民へのお言葉すら失せますが? 「はじがどごぜばず、ズズッ」で海外にお出まし願えますか?

オカルトに走り過ぎるのは禁物ですが、狐の悪霊体が出現。霊眼の開けた
方はお分かりですね。
化かすのは得意技なのかもしれません。

◆イタリア貴族が語る・実は海外王族から総スカンの皇太子と雅子妃

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ca349b8380c6b4c8119cb0d7a7bafe39 

悪党江頭豊の死去には、記帳所が設けられたのに悠仁さまお誕生には「単なる宮家」ということで、記帳台無し。何かが狂ってます。

https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c53

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
175. 中川隆[-11868] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:08:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[109]

礼儀知らずの美智子皇后、海外で赤っ恥 2017-10-18
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6


ご要望により、2015年度記事の再掲です。

多少、手を加えてのリニューアル版です。

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantillas)が決まり。

Privilège du blanc

https://en.wikipedia.org/wiki/Privil%C3%A8ge_du_blanc

Le privilège du blanc ("the privilege of the white") is a French term used for a tradition whereby certain designated Catholic queens and princesses are permitted to wear a white dress and white mantilla during an audience with the Pope.[1] The Italian term is il privilegio del bianco.

Le privilège du blanc(「白の特権」)は、特定のカトリックの女王と王女がローマ教皇に謁見する際、白いドレスと白いマンティージャ(ベール)を着用することを許される、というしきたりを指すフランス語。
イタリア語では、Il privilegio del bianco。

http://lux-arazzi.blogspot.jp/2013/03/luxarazzi-101-privilege-du-blanc.html

ローマ法王に謁見する時は女性は基本が黒服、黒ベール(mantilla)が基本マナーです。

(余談ですが不倫女にも会われるのですね。離婚も許容?カミーラ大嫌いなので、失礼)

整形反日バカ女優さえ、とりあえず黒。

カトリックの女性王族の中でバチカンが特に認めた方だけは白服、白ベールが許され、これを「白の特権」Le privilège du blancというのだそうです。

現在この特権を有しているのはスペイン王妃、ベルギー王妃、ルクセンブルク大公妃、モナコ大公妃、リヒテンシュタイン公妃だけ。

この特権がない者が白服を着ると、you should be prepared for a media backlash(メディアの激しい反発を覚悟しなければならない)。

“田舎者的無知”皇后の恥ずかしさを知らなかったのは、日本の
国民ばかりかもしれません。

読者さまから皇室は圏外ではないかという疑義が出されたので、コメ欄での回答をほぼそのまま転載しておきます。

イギリスもカトリックではありません。その意味ではこちらも圏外です。
イングランド国教会( Church of England)で、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れています。

オバマ大統領も宗教的出自はムスリムで、ご本人ローマ教皇庁が認めていないプロテスタントです。
これも圏外。同じキリスト教圏内ではありません。同種の宗教内での宗派は異教とのそれより、もっと隔絶したりしています。
国際上のプロトコルに準じる一般常識として、夫人はベールと黒をまとわれたかと思われます。

皇后も敢えて白のタブーを犯す必要はないと思います。ベールまで必要が無いとしても。皇室だからこそ、欧州王室のマナーに準じるべきで、皇后としては常識内のマナーでしょう。ましてカトリック教徒なのだから。

それに、ローマ法王と同格は天皇陛下で、美智子さまは欧州王室的厳密な格でいえば、Emperorの単なる女房です。

・・・・・・・・・・・・・ここまで

読者さまより参考意見

ローマ法王の御前で女性が白服を着用することには特別のルールが存在する以上、たとえ国際プロトコール上同格であっても、配慮すべきではと思います。

あえて白を選ぶ必要があったのか疑問です。

イギリス前首相トニーブレア氏の妻シェリー女史(カトリック教徒)がローマ法王謁見時に白服を着て辛辣な批判を受けました。

以下に英紙デイリーテレグラフの記事を貼ります。

"white outfit, wrong occasion, Cherie"(「白服、この場では間違いでしょう、シェリー」)

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/1516991/White-outfit-wrong-occasion-herie.html

Cherie Blair provoked surprise in the Vatican and the ire of a Roman Catholic MP yesterday by wearing all-white to meet the Pope, a privilege normally reserved for Catholic Queens

(シェリーブレア女史は昨日、本来はカトリックの女王のための特権であるところの、白服で法王に謁見してバチカン周辺が驚きと憤りに包まれた)

記事の論調は一言でいえば分を弁えろというところで

「女王陛下(エリザベス女王)でさえ黒服だったのに彼女はよほど自分を大人物だと思っているらしい」

「カトリックなら謁見時の伝統のことはわかっているはず」

と厳しい意見が載っています。

・・・・・・・ここまで

皇后に注意する者とていない、専横ぶりなのでしょう。
知る者が見れば、猿芝居。

◆皇后陛下のカトリック・ローマ法王ふう?

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/44aa253ae87d35caf6882f3f6a46075b

◆拝啓皇后陛下 ローマ法王が第二次大戦の日本を応援していたのはご存知ですか

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7e0e1335cc576424315990a9918a9cf8

こちらは素肌にサッシュをかけていることと、いい歳して少女趣味ゴテゴテ服への
蔑み視線。

英国皇太子結婚式ご参列

1981年7月29日 チャールズ&ダイアナ挙式 

結婚式に出るのに、白い服、白いベール。人々が愕然とした視線を
浴びせるも、皇后は帽子のデザイナーに「大きな帽子の人たちよりも目立ったわ」とお褒めの言葉。狂ってます。・・・・・と、今やっと言えます。

周囲の呆れた顔。嘲笑。

その時、美智子さま46歳。

皇后の小さな皿帽子は、欧州では髪飾りとしてみなされ、公式の場では非礼です。

その正確なことを報じず、賛美までしていたマスコミの異常さ。GHQ発端の、在日スポンサーと反日電通に支えられたメディアの大嘘。

結婚式では、末席に座らされ「皇太子(当時)の単なる女房」扱いでした。
それは雅子さんも同じ。欧州王室の敬意を得ていません。これも
日本のメディアは伝えません。
皇太子がどれほど、馬鹿扱いされているかも。

(ヘンな髪飾りがずり落ちてる、この方)

喪服に髪飾りをつけて出たのと同じ、とんでもない非礼。
そして場違いの日本式お辞儀。

超反日潘基文と韓昇洙にお辞儀した皇太子の**さかげんと、軌を一にします。

以下、読者さまより投稿文

カソリック教会では、白は清浄無垢を表し、教会での結婚式に於いて、新婦のみが着用する白いウエディングドレスの由来となっています。又、白は復活の色とされ、王族の葬儀に於いて、白い喪服は、亡き王族への感謝を捧げ、復活を願うとされ、カソリック教徒である女王、王妃のみが着用を許されたものとされています。前々ベルギー国王崩御の際に、ファビオラ王妃が白い喪服を召され、多くのベルギー国民の感涙を誘ったとの写真付き記事を、英国の雑誌で読んだ記憶があります。

 白色は比色上、目立つことから、外交儀礼では、晩餐会などの公式行事に於いて、上記の理由もあり、女性王族が控える色となっております。

 皇后陛下は、白色のお召し物をお好きなようで、日赤の名誉総裁としての御臨席にも、白いお召し物を召されています。日本国内の公務、私的なご旅行に召される事は、問題ありませんが、海外での皇室親善、或いは、海外の王族の方を歓迎する晩餐会での白いお召し物は、控えて戴ければなりません。例えば、平成11年(1999年)のルクセンブルグ大公、大公妃歓迎宮中晩餐会では、先のコメントに記しました様に、皇后陛下の白いお召し物を引出させようとの浅はかなお考えでの、他の女性皇族の方々へ、大公妃と同じ色のお召し物を指図されたのは、陰湿な衣装被り以上に、主賓たる大公、大公妃を辱める結果となり、大勢の警察官、宮内庁職員、政府関係者の努力を無にし、親善どころか、ルクセンブルグ大公国と、大公、大公妃に繋がる欧州王室に対する敵対行為となります。

http://cdn-ak.f.sthatena.com/images/fotolife/e/e-vis/20150725/20150725162645.jpg


 やぐるまそう様よりご教示戴いた上記写真で見る限り、大公妃と全く同じ色調の衣装被りをされているのは、皇太子妃のみで、紀子妃殿下、紀宮内親王は、淡いブルー色のお召し物です。写真には写っておりませんが、常陸宮華子妃殿下も同色であったかと考えます。皇太子妃以外の妃殿下、内親王は、外交儀礼に精通されていた秩父宮妃殿下からご薫陶を受けられ、皇后陛下のお指図と云えども、淡い色に合わせられたかと拝察致します。

 チャールズ皇太子、ダイアナ妃のご成婚に、新婦の如きお召し物で出席され、他の王族の顰蹙をかわれた様な皇后陛下と、皇后陛下自ら薫陶された皇太子ご夫妻により、平成の皇后陛下我流皇室親善は、正直申し上げて、限りないマイナス評価です。

 両陛下におかれましては、ベルギー、オランダ王室の王族方の潔い退位と、病魔に冒された稲に鎌を当てられる事、正当なる公務を果たされている秋篠宮殿下への譲位こそ、真剣にご考慮戴きたいと願っております。でなければ、国民が黙ってはおりません。


・・・・・・・ここまで

このいでたち、欧州のマナーから見れば猿芝居でしょう。


「洋服」であり皇室なのだから、洋服に関してはあちらの
プロトコルに準じるべきで、「あたくし流」は許されません。
思えば入内以来子育てに至るまで「あたくし流」。
帽子のかぶり方を直されると、自分でかぶり直し教えてさし上げた
お方を激怒させ「二度とお教えしません」と言われた我の強いお方。

さすが昭和天皇皇后を「あちら」呼ばわり、皇室との縁談を「ストラグル(闘争)」と表現、自分が日記を公開すれば100人が困ると、メディアを使い関係者を恫喝した母親の娘。

雅子さんの背後には、反日小和田恒氏。美智子さんの操縦は正田冨美氏。
雅子さん押し勢力は外務省創価、美智子さんはGHQ、カトリック。
敗戦後の日本に余剰の小麦粉を売りつけたいアメリカ、キリスト教を
日本の精神弱体化、皇室弱体化ツールとして使ったGHQにとっては、
うってつけ100点満点の正田美智子さんでした。

美智子さんの入内以来の歴史は、条件闘争だったのでしょう。
条件闘争と表裏一体だったのが、皇室と日本の伝統壊し。
そう、養蚕や小石丸という一見伝統保持を演出しながら、
実は伝統破壊。
日本という国体も、神々も、そして国民も二の次。

因果はてきめん、**皇太子とごゆっくりさん内親王。そして打ち続く天変地異。
そもそも美智子さん入内の年に伊勢湾台風。

そして今となっては、断言できる、美智子さん雅子さんともに「色」で亭主を骨抜きに。ハニートラップはお二人の得意技。出会いも恋愛も、仕掛けられたフェイクと、解った今。広めるべし、お二人の入内に踊った嘘の数々を。

そして皇后はカトリック教徒ではない、と嘘をついて入内したことを。
入内後もカトリックを捨てず、毎月偽装しながらの聖堂礼拝。
時には四谷の某教会に天皇や皇太子を伴ったことを。

交友のほとんどが、カトリック、プロテスタントと左翼。

自分を批判した浜尾侍従の葬儀には同教会には行かず、皇太子にも行かせず
陰湿な「仕返し」をする女であることを。女性とすらもはや言いたくないのです、まさしく「女」なので。本来は皇后陛下ときちんと、お呼びすべきなのに心がこわばって呼べません。

海外では単なる天皇、皇太子の「女房」扱い。この表記。
雅子さんも同じ扱い。

プリンセスとしての敬称の表記は紀子さま。由緒正しいお血筋だとの判定。欧州で言えばナイトのお家の出なのでOK.

姑が姑なら、嫁も嫁。英国王室専用であったロイヤルブルーをまとって
他国の王子に色目。

姑譲りの衣装ーストーカーは雅子さんの得意技。衣装かぶりは、典型的マナー違反です。

日本では手に入りづらい北朝鮮の花が、嫁ぐ日を祝うように
入内数日前の小和田家の卓上に。メッセージなんですか、
北へ向けた? 創価学会は、北朝鮮系ですが。
小和田家が創価かどうかは知りません。しかし、
小和田氏を軸に外務省内創価勢力と結んでいるのは事実です。

創価学会の婦人部の連中が「雅子さまがご本尊を拝まれているし、皇太子さまも(信心を)お始めになったのよ」と折伏のネタにしていたのも事実。

そして小和田氏を軸に反日国連、反日潘基文と韓昇洙との皇太子の密な交流。
反日国連大学と雅子さんの密着度。中抜きいかがわしい日本ユニセフには、壊国鳩山、反日長者アグネス・チャンの名と共に小和田優美子氏の名。妹礼子氏の関与。
饐えた臭いが立ち上る如き小和田・江頭一族。

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1234017933688.jpg

美智子様のご成婚パレードでは、沿道に聖歌が沸き起こり、ハレルヤ、ハレルヤ! 雅子さまのパレードでは朝鮮カルト創価の三色旗。狂っていませんか。

愛子さまの飼い犬ユリは朝鮮出自の珍島犬(ちんどけん)という風評。
その風貌から雑種と思って謙虚なことと思っていたのですが、朝鮮の純血種なんでしたか?


(一般には出回っていない画像を台所婆あが持っている不思議。雅子さまの母親の営む雅子さまアゲサイトではないかと言われています)
Mrs Oakley Fisher の台所から ...
http://mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/%E7%9A%87%...
(忍者ツールでブロックされていて、一般には読めません)

スーツのお腹の部分が少々ふっくら、もしかしたらご懐妊?  脂肪の付き始めだよ。欧州でのあだ名がRoyal appetite 食欲妃。 国内では「万年腹ボテ妃」とも。「お握りやデザートにも手を伸ばされていた」www 顔見せ挨拶に来て、お握りパクパク、デザートにも手を出す。紀子さまは、なさらないでしょう。

お肌が幾分浅黒く日焼け  地黒だよ。十二単で白塗りすると粉吹きイモになる。

◆目を背けても、そこにある現実.皇居内の不浄

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d1c884f5d3a6c790a3d819499dfa84

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

この時期の額と目尻の深い皺↓がいったん消えました。どこで、なさったのかと不思議だったのですが、たとえば宮内庁病院に器具だけ持ち込めば簡単ですよね。整形に複雑な医療器具は要りません。目などはその場であっという間。
数日間多少の腫れがあるだけ。瞼の脂肪吸引も簡単。

整形をあげつらっているわけではありません。
何もかも!! 何もかもが嘘なんです。作り物。

全てが偽物、まがい物。

このミズっぽい色気、下品さになぜ、国民は気づかなかったのでしょうね。
和服での所作を心得ぬのは雅子さんも同じ。(近年皇后は身につきましたが)
GHQという巨大勢力に仕込まれ、朝鮮勢力が食い込んだマスコミは賛美一色、ご本人も慈愛を演出。顔をいじって美貌の皇太子妃をプレゼンテーション。

pangpangオーラ全開

得意のブラ見せ、お下品ルック。ゴテゴテと飾る地方巡業ド演歌歌手風味。

今見れば、まごうことなきバカップル。

学習院大学を卒業する学力なく、不要不急の海外訪問をさせ、それを口実に「学業終了」という変な扱いで要するに実質的落第。留年しても単位を取れそうにもないので「学友たちとご一緒でないと困るので」とこれも変な理由で放出。


通常の思考力があれば、「天皇の祖先は朝鮮人」などと発言すれば日韓で
どういう反応が返って来るかも読めるはず。韓国では当然のごとく
「日王の祖先はウリたちの国から」が、定着しています。
李明博に謝罪訪韓したい、友好を願いたいと内閣に無断で親書を渡し
「来るなら土下座する気で来い」と言わせた阿呆さかげん。そのため日本国民に一気に高まった嫌韓。韓国との友好を狙っての親書だったのに、逆効果の
頭の悪さ。韓国という構造的反日を分析もできないお方が、半端なことなさるものではありません。迷惑です。皇后陛下も同じく、感傷的な歌で日韓がどうなるものでもありません。謝罪に行けば、反日が鎮まると? 愚かしいことを。

彼らはなお居丈高になり、日本を叩きお金を要求します。

本当にお二人で、国を損ねるごときことをやらないで頂きたいのです。

天皇陛下は外来種のブルーギルを、皇居のお堀他に放して生態系を狂わせるし。日本中の池に繁殖しているし。これで研究者を擬態されても中身のすっからかんが、バレバレ。

余計なことはしないで、言わないで。最小限の国事行為と、祭祀だけどうぞ。

◆天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか  

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eeee90e4c541367c4b361c4b32a6dc10

天皇陛下は「高卒」(一般的意味での高卒貶めではないので、念のため。中卒で腕の良い鮨職人になっていればそれは立派)

1970年2月20日 マレーシアの王宮にてムアザム副王主催の夕食会。
イスラム圏で肌大幅露出の非常識。後頭部の異常な盛り。

イラン、エチオピア、インド、ネパール訪問の際に1960年。

イランが肌露出ご法度のイスラム圏ですね。写されることを意識した、シナ作り。普通にできないお方。いつも、くねくねと踊っていらっしゃいます。

肌を覆ったら覆ったで、ごてごてと田舎趣味。手はコンスもどきの媚びたシナ作り、普通に毅然と佇めないお方。

バカ息子、溺愛愚母。

美智子さまの脳内では、この方が皇太子に続き継承権2位の天皇陛下。

思考停止保守よ、皇太子に続いてこの方を天皇陛下として仰げるのですか?

国民へのお言葉すら失せますが? 「はじがどごぜばず、ズズッ」で海外にお出まし願えますか?

オカルトに走り過ぎるのは禁物ですが、狐の悪霊体が出現。霊眼の開けた
方はお分かりですね。
化かすのは得意技なのかもしれません。

◆イタリア貴族が語る・実は海外王族から総スカンの皇太子と雅子妃

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ca349b8380c6b4c8119cb0d7a7bafe39 

悪党江頭豊の死去には、記帳所が設けられたのに悠仁さまお誕生には「単なる宮家」ということで、記帳台無し。何かが狂ってます。

https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/43129a072545bda1566cda185bd56ca6
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c175

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
25. 中川隆[-11870] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:21:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[107]

雅子さんはアメリカのエージェントなのか?


2014年06月20日
皇太子さま スイス訪問中
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。


皇太子さんの海外訪問は必ずマスコミが報道する。
妃を連れていってないし、映像もつまらない。

秋篠宮両殿下の海外訪問はそれはそれは美しい映像ばかりなのに決して報道しない日本のマスゴミ。

午後訪れた民間緊急ヘリ部隊、REGAを視察した時、
出てくるコメントも「山での救助は難しいのでは」とそりゃあ難しいに決まってる、という当たり前の発言。

彼が30年前に訪問したことがあるベルン市内視察たって、ただの観光でしょ。

スイス訪問中の皇太子さま、ベルン市内を視察


NHK News
6月20日 4時17分

スイス訪問の皇太子さま 友好願うスピーチ

 スイスを公式訪問中の皇太子さまは、歓迎行事に臨み、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチをされました。

 皇太子さまは、19日、スイス北西部の町ヌーシャテルの迎賓館に到着されました。
 ヌーシャテルは、150年前に日本を訪れ修好通商条約を結んだ使節団の団長や、ブルカルテール大統領の出身地で、皇太子さまは大統領と握手をして、あいさつを交わされました。

 歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、皇太子さまが儀じょう隊の栄誉礼を受けられました。皇太子さまは、このあと大統領と、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチを交わされました。皇太子さまは、まず英語でスピーチし、両国は長い間、互いの長所を学び助け合ってきたとしたうえで、東日本大震災での支援などに感謝の気持ちを表されました。

 そして、この地方で使われているフランス語で、「国交樹立150周年という歴史の節目において、両国関係が一層発展することを願います」と述べられました。

 続いて、大統領主催の歓迎の昼食会に臨み、出席した人たちと懇談されました。
このあと、皇太子さまは地元の博物館を訪ねられました。

 博物館の前では、合気道を習う子どもたちが日の丸やスイス国旗の小旗を振って歓迎し、皇太子さまは笑顔で声をかけたあと博物館に入られました。

 ここには、150年前、使節団の団長が日本から持ち帰った絵画や写真のほか、修好通商条約の原本なども展示されていて、歴史を研究している皇太子さまは、興味深そうにご覧になっていました。

ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。

ドスこの事件簿より
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

(続きは上記サイトへ)

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。

そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。

雅子ロイヤルブルー
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。

東宮夫妻レストラン

•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動

東宮夫妻レストラン前
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件

店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。

貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。

なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。

お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。

レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。

とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。

そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。

「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」

どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

▲△▽▼

皇太子さまへの御忠言 – 2008/8/1
西尾 幹二 (著)
https://www.amazon.co.jp/皇太子さまへの御忠言-西尾-幹二/dp/4898311245/ref=cm_cr_arp_d_bdcrb_top?ie=UTF8


カスタマーレビュー

アマゾン太郎
雅子さんはアメリカのエージェントなのか?2012年4月23日

ご成婚以来、私は皇太子妃としてふさわしくないひとだと思っていたので、雅子「サマ」とは呼んだことがない。雅子「さん」である。その理由は、日本の文化や精神性を理解していないからで、紀子様は呼べても、彼女をヤマトナデシコとは絶対に呼べないと思っていた。

ハーバード出身の竹中さんと同じように雅子さんもハーバードであり、ハーバードにはアメリカの秘密結社のサークルがあるという。

起こった事実だけをつなぎ合わせてみても、小和田父娘とうらでうごめく官僚のやっていることは、ことごとく天皇制を破壊するための工作であり、皇太子妃候補になったときに、外務省が皇太子の留学先に近い場所へ雅子さんを出張にいかせたことなども含めると、すべて誰かによる計算づくのハニー・トラップのような気がしていた。

皇太子妃のその後の行動をみていても、そのために送り込まれたとしか思えない。皇太子は、婚前、お妃候補になる理想の人について『ブランド物を買いあさるような女性は、ふさわしくないと思っております』等答えていたが、実際雅子さんはブランド物がお好き。そして高級ワインも三ツ星レストランもお好きである。皇太子のお好みではないはずだが、いまだに国の祭祀としての立場よりも自分個人の生活を優先している皇太子の軟弱性にはほとほとあきれるし、こんな男が国の代表だとしたら、国民は誰もついていきたいとは思わないだろう。自分たちのルーツを含めて考えるきっかけになる。皇室で何が起こっているのか、すべての国民はこの本を読むべき。

_____


眼鏡越しの宙
国民の無関心が天皇制を滅ぼす 今そこにある危機2014年1月29日

「日本の外交は、東京裁判を背負ったハンディキャップ外交である」
と国会答弁し、以後の日本外交に甚大な悪影響を与えた
ガチガチの戦後左翼思想の持ち主である小和田恒氏が、
なぜ娘の皇室入りを許したのでしょうか。

この疑問点に立って、雅子妃と皇太子殿下の言動を見るとき、
一見仲むつまじいロイヤルファミリーの裏に
恐ろしい皇室の危機が見えてきます。

敗戦後も天皇制は守られたといいますが、はたしてそうでしょうか。
GHQにより十一宮家の臣籍降下が行われたたった半世紀後に、
男系継承が危ぶまれ、女系天皇が議論される事態となっています。
そして、それに歩調を合わせるかのように、
皇室行事への不参加の容認、皇室での人格否定云々(皇室の「人権」まであと一歩)などの、
皇室の伝統や価値観を否定しかねない発言が、他ならぬ皇太子ご夫妻の口から流布されています。
これらははたして、「新しい皇室」への自然な流れなのでしょうか。

権力を持たず権威しかない天皇制は、
男系継承を続けてきたという歴史的事実と
大多数の国民の尊崇の念の 二つだけでかろうじて維持されているものです。
これを考える時、皇太子殿下と雅子妃の破壊的な影響力が分かるはずです。

皇室の永続性を盲信し、皇室に言挙げするのは不敬だという
思考停止した考えに私は与しません。
日本という国を束ねる天皇制を大切に維持していくためには、
多くの国民が、マスメディアの空疎な議論を排し、
本質的な議論ができるよう、天皇制の本質を学ばねばなりません。
そのために西尾 幹二の著書は大いに参考になります。
特に本書は、実際の皇太子ご夫婦のエピソードを下敷きに、
その問題点を通じて天皇制の本質を考えるというスタイルで大変分かりやすく、
また、皇室の「今そこにある危機」の重大性に気付かせてくれます。

著者の渾身の御忠言を読み、天皇制をどう維持していくべきか
是非私たちも本気で考えましょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c25

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
10. 中川隆[-11869] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:21:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[108]


雅子さんはアメリカのエージェントなのか?


2014年06月20日
皇太子さま スイス訪問中
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。


皇太子さんの海外訪問は必ずマスコミが報道する。
妃を連れていってないし、映像もつまらない。

秋篠宮両殿下の海外訪問はそれはそれは美しい映像ばかりなのに決して報道しない日本のマスゴミ。

午後訪れた民間緊急ヘリ部隊、REGAを視察した時、
出てくるコメントも「山での救助は難しいのでは」とそりゃあ難しいに決まってる、という当たり前の発言。

彼が30年前に訪問したことがあるベルン市内視察たって、ただの観光でしょ。

スイス訪問中の皇太子さま、ベルン市内を視察


NHK News
6月20日 4時17分

スイス訪問の皇太子さま 友好願うスピーチ

 スイスを公式訪問中の皇太子さまは、歓迎行事に臨み、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチをされました。

 皇太子さまは、19日、スイス北西部の町ヌーシャテルの迎賓館に到着されました。
 ヌーシャテルは、150年前に日本を訪れ修好通商条約を結んだ使節団の団長や、ブルカルテール大統領の出身地で、皇太子さまは大統領と握手をして、あいさつを交わされました。

 歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、皇太子さまが儀じょう隊の栄誉礼を受けられました。皇太子さまは、このあと大統領と、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチを交わされました。皇太子さまは、まず英語でスピーチし、両国は長い間、互いの長所を学び助け合ってきたとしたうえで、東日本大震災での支援などに感謝の気持ちを表されました。

 そして、この地方で使われているフランス語で、「国交樹立150周年という歴史の節目において、両国関係が一層発展することを願います」と述べられました。

 続いて、大統領主催の歓迎の昼食会に臨み、出席した人たちと懇談されました。
このあと、皇太子さまは地元の博物館を訪ねられました。

 博物館の前では、合気道を習う子どもたちが日の丸やスイス国旗の小旗を振って歓迎し、皇太子さまは笑顔で声をかけたあと博物館に入られました。

 ここには、150年前、使節団の団長が日本から持ち帰った絵画や写真のほか、修好通商条約の原本なども展示されていて、歴史を研究している皇太子さまは、興味深そうにご覧になっていました。

ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。

ドスこの事件簿より
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

(続きは上記サイトへ)

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。

そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。

雅子ロイヤルブルー
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。

東宮夫妻レストラン

•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動

東宮夫妻レストラン前
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件

店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。

貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。

なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。

お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。

レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。

とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。

そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。

「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」

どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

▲△▽▼

皇太子さまへの御忠言 – 2008/8/1
西尾 幹二 (著)
https://www.amazon.co.jp/皇太子さまへの御忠言-西尾-幹二/dp/4898311245/ref=cm_cr_arp_d_bdcrb_top?ie=UTF8


カスタマーレビュー

アマゾン太郎
雅子さんはアメリカのエージェントなのか?2012年4月23日

ご成婚以来、私は皇太子妃としてふさわしくないひとだと思っていたので、雅子「サマ」とは呼んだことがない。雅子「さん」である。その理由は、日本の文化や精神性を理解していないからで、紀子様は呼べても、彼女をヤマトナデシコとは絶対に呼べないと思っていた。

ハーバード出身の竹中さんと同じように雅子さんもハーバードであり、ハーバードにはアメリカの秘密結社のサークルがあるという。

起こった事実だけをつなぎ合わせてみても、小和田父娘とうらでうごめく官僚のやっていることは、ことごとく天皇制を破壊するための工作であり、皇太子妃候補になったときに、外務省が皇太子の留学先に近い場所へ雅子さんを出張にいかせたことなども含めると、すべて誰かによる計算づくのハニー・トラップのような気がしていた。

皇太子妃のその後の行動をみていても、そのために送り込まれたとしか思えない。皇太子は、婚前、お妃候補になる理想の人について『ブランド物を買いあさるような女性は、ふさわしくないと思っております』等答えていたが、実際雅子さんはブランド物がお好き。そして高級ワインも三ツ星レストランもお好きである。皇太子のお好みではないはずだが、いまだに国の祭祀としての立場よりも自分個人の生活を優先している皇太子の軟弱性にはほとほとあきれるし、こんな男が国の代表だとしたら、国民は誰もついていきたいとは思わないだろう。自分たちのルーツを含めて考えるきっかけになる。皇室で何が起こっているのか、すべての国民はこの本を読むべき。

_____


眼鏡越しの宙
国民の無関心が天皇制を滅ぼす 今そこにある危機2014年1月29日

「日本の外交は、東京裁判を背負ったハンディキャップ外交である」
と国会答弁し、以後の日本外交に甚大な悪影響を与えた
ガチガチの戦後左翼思想の持ち主である小和田恒氏が、
なぜ娘の皇室入りを許したのでしょうか。

この疑問点に立って、雅子妃と皇太子殿下の言動を見るとき、
一見仲むつまじいロイヤルファミリーの裏に
恐ろしい皇室の危機が見えてきます。

敗戦後も天皇制は守られたといいますが、はたしてそうでしょうか。
GHQにより十一宮家の臣籍降下が行われたたった半世紀後に、
男系継承が危ぶまれ、女系天皇が議論される事態となっています。
そして、それに歩調を合わせるかのように、
皇室行事への不参加の容認、皇室での人格否定云々(皇室の「人権」まであと一歩)などの、
皇室の伝統や価値観を否定しかねない発言が、他ならぬ皇太子ご夫妻の口から流布されています。
これらははたして、「新しい皇室」への自然な流れなのでしょうか。

権力を持たず権威しかない天皇制は、
男系継承を続けてきたという歴史的事実と
大多数の国民の尊崇の念の 二つだけでかろうじて維持されているものです。
これを考える時、皇太子殿下と雅子妃の破壊的な影響力が分かるはずです。

皇室の永続性を盲信し、皇室に言挙げするのは不敬だという
思考停止した考えに私は与しません。
日本という国を束ねる天皇制を大切に維持していくためには、
多くの国民が、マスメディアの空疎な議論を排し、
本質的な議論ができるよう、天皇制の本質を学ばねばなりません。
そのために西尾 幹二の著書は大いに参考になります。
特に本書は、実際の皇太子ご夫婦のエピソードを下敷きに、
その問題点を通じて天皇制の本質を考えるというスタイルで大変分かりやすく、
また、皇室の「今そこにある危機」の重大性に気付かせてくれます。

著者の渾身の御忠言を読み、天皇制をどう維持していくべきか
是非私たちも本気で考えましょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c10

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
22. 中川隆[-11868] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:22:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[109]


雅子さんはアメリカのエージェントなのか?


2014年06月20日
皇太子さま スイス訪問中
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。


皇太子さんの海外訪問は必ずマスコミが報道する。
妃を連れていってないし、映像もつまらない。

秋篠宮両殿下の海外訪問はそれはそれは美しい映像ばかりなのに決して報道しない日本のマスゴミ。

午後訪れた民間緊急ヘリ部隊、REGAを視察した時、
出てくるコメントも「山での救助は難しいのでは」とそりゃあ難しいに決まってる、という当たり前の発言。

彼が30年前に訪問したことがあるベルン市内視察たって、ただの観光でしょ。

スイス訪問中の皇太子さま、ベルン市内を視察


NHK News
6月20日 4時17分

スイス訪問の皇太子さま 友好願うスピーチ

 スイスを公式訪問中の皇太子さまは、歓迎行事に臨み、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチをされました。

 皇太子さまは、19日、スイス北西部の町ヌーシャテルの迎賓館に到着されました。
 ヌーシャテルは、150年前に日本を訪れ修好通商条約を結んだ使節団の団長や、ブルカルテール大統領の出身地で、皇太子さまは大統領と握手をして、あいさつを交わされました。

 歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、皇太子さまが儀じょう隊の栄誉礼を受けられました。皇太子さまは、このあと大統領と、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチを交わされました。皇太子さまは、まず英語でスピーチし、両国は長い間、互いの長所を学び助け合ってきたとしたうえで、東日本大震災での支援などに感謝の気持ちを表されました。

 そして、この地方で使われているフランス語で、「国交樹立150周年という歴史の節目において、両国関係が一層発展することを願います」と述べられました。

 続いて、大統領主催の歓迎の昼食会に臨み、出席した人たちと懇談されました。
このあと、皇太子さまは地元の博物館を訪ねられました。

 博物館の前では、合気道を習う子どもたちが日の丸やスイス国旗の小旗を振って歓迎し、皇太子さまは笑顔で声をかけたあと博物館に入られました。

 ここには、150年前、使節団の団長が日本から持ち帰った絵画や写真のほか、修好通商条約の原本なども展示されていて、歴史を研究している皇太子さまは、興味深そうにご覧になっていました。

ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。

ドスこの事件簿より
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

(続きは上記サイトへ)

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。

そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。

雅子ロイヤルブルー
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。

東宮夫妻レストラン

•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動

東宮夫妻レストラン前
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件

店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。

貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。

なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。

お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。

レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。

とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。

そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。

「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」

どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

▲△▽▼

皇太子さまへの御忠言 – 2008/8/1
西尾 幹二 (著)
https://www.amazon.co.jp/皇太子さまへの御忠言-西尾-幹二/dp/4898311245/ref=cm_cr_arp_d_bdcrb_top?ie=UTF8


カスタマーレビュー

アマゾン太郎
雅子さんはアメリカのエージェントなのか?2012年4月23日

ご成婚以来、私は皇太子妃としてふさわしくないひとだと思っていたので、雅子「サマ」とは呼んだことがない。雅子「さん」である。その理由は、日本の文化や精神性を理解していないからで、紀子様は呼べても、彼女をヤマトナデシコとは絶対に呼べないと思っていた。

ハーバード出身の竹中さんと同じように雅子さんもハーバードであり、ハーバードにはアメリカの秘密結社のサークルがあるという。

起こった事実だけをつなぎ合わせてみても、小和田父娘とうらでうごめく官僚のやっていることは、ことごとく天皇制を破壊するための工作であり、皇太子妃候補になったときに、外務省が皇太子の留学先に近い場所へ雅子さんを出張にいかせたことなども含めると、すべて誰かによる計算づくのハニー・トラップのような気がしていた。

皇太子妃のその後の行動をみていても、そのために送り込まれたとしか思えない。皇太子は、婚前、お妃候補になる理想の人について『ブランド物を買いあさるような女性は、ふさわしくないと思っております』等答えていたが、実際雅子さんはブランド物がお好き。そして高級ワインも三ツ星レストランもお好きである。皇太子のお好みではないはずだが、いまだに国の祭祀としての立場よりも自分個人の生活を優先している皇太子の軟弱性にはほとほとあきれるし、こんな男が国の代表だとしたら、国民は誰もついていきたいとは思わないだろう。自分たちのルーツを含めて考えるきっかけになる。皇室で何が起こっているのか、すべての国民はこの本を読むべき。

_____


眼鏡越しの宙
国民の無関心が天皇制を滅ぼす 今そこにある危機2014年1月29日

「日本の外交は、東京裁判を背負ったハンディキャップ外交である」
と国会答弁し、以後の日本外交に甚大な悪影響を与えた
ガチガチの戦後左翼思想の持ち主である小和田恒氏が、
なぜ娘の皇室入りを許したのでしょうか。

この疑問点に立って、雅子妃と皇太子殿下の言動を見るとき、
一見仲むつまじいロイヤルファミリーの裏に
恐ろしい皇室の危機が見えてきます。

敗戦後も天皇制は守られたといいますが、はたしてそうでしょうか。
GHQにより十一宮家の臣籍降下が行われたたった半世紀後に、
男系継承が危ぶまれ、女系天皇が議論される事態となっています。
そして、それに歩調を合わせるかのように、
皇室行事への不参加の容認、皇室での人格否定云々(皇室の「人権」まであと一歩)などの、
皇室の伝統や価値観を否定しかねない発言が、他ならぬ皇太子ご夫妻の口から流布されています。
これらははたして、「新しい皇室」への自然な流れなのでしょうか。

権力を持たず権威しかない天皇制は、
男系継承を続けてきたという歴史的事実と
大多数の国民の尊崇の念の 二つだけでかろうじて維持されているものです。
これを考える時、皇太子殿下と雅子妃の破壊的な影響力が分かるはずです。

皇室の永続性を盲信し、皇室に言挙げするのは不敬だという
思考停止した考えに私は与しません。
日本という国を束ねる天皇制を大切に維持していくためには、
多くの国民が、マスメディアの空疎な議論を排し、
本質的な議論ができるよう、天皇制の本質を学ばねばなりません。
そのために西尾 幹二の著書は大いに参考になります。
特に本書は、実際の皇太子ご夫婦のエピソードを下敷きに、
その問題点を通じて天皇制の本質を考えるというスタイルで大変分かりやすく、
また、皇室の「今そこにある危機」の重大性に気付かせてくれます。

著者の渾身の御忠言を読み、天皇制をどう維持していくべきか
是非私たちも本気で考えましょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c22

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
39. 中川隆[-11867] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:22:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[110]


雅子さんはアメリカのエージェントなのか?


2014年06月20日
皇太子さま スイス訪問中
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。


皇太子さんの海外訪問は必ずマスコミが報道する。
妃を連れていってないし、映像もつまらない。

秋篠宮両殿下の海外訪問はそれはそれは美しい映像ばかりなのに決して報道しない日本のマスゴミ。

午後訪れた民間緊急ヘリ部隊、REGAを視察した時、
出てくるコメントも「山での救助は難しいのでは」とそりゃあ難しいに決まってる、という当たり前の発言。

彼が30年前に訪問したことがあるベルン市内視察たって、ただの観光でしょ。

スイス訪問中の皇太子さま、ベルン市内を視察


NHK News
6月20日 4時17分

スイス訪問の皇太子さま 友好願うスピーチ

 スイスを公式訪問中の皇太子さまは、歓迎行事に臨み、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチをされました。

 皇太子さまは、19日、スイス北西部の町ヌーシャテルの迎賓館に到着されました。
 ヌーシャテルは、150年前に日本を訪れ修好通商条約を結んだ使節団の団長や、ブルカルテール大統領の出身地で、皇太子さまは大統領と握手をして、あいさつを交わされました。

 歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、皇太子さまが儀じょう隊の栄誉礼を受けられました。皇太子さまは、このあと大統領と、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチを交わされました。皇太子さまは、まず英語でスピーチし、両国は長い間、互いの長所を学び助け合ってきたとしたうえで、東日本大震災での支援などに感謝の気持ちを表されました。

 そして、この地方で使われているフランス語で、「国交樹立150周年という歴史の節目において、両国関係が一層発展することを願います」と述べられました。

 続いて、大統領主催の歓迎の昼食会に臨み、出席した人たちと懇談されました。
このあと、皇太子さまは地元の博物館を訪ねられました。

 博物館の前では、合気道を習う子どもたちが日の丸やスイス国旗の小旗を振って歓迎し、皇太子さまは笑顔で声をかけたあと博物館に入られました。

 ここには、150年前、使節団の団長が日本から持ち帰った絵画や写真のほか、修好通商条約の原本なども展示されていて、歴史を研究している皇太子さまは、興味深そうにご覧になっていました。

ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。

ドスこの事件簿より
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

(続きは上記サイトへ)

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。

そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。

雅子ロイヤルブルー
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。

東宮夫妻レストラン

•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動

東宮夫妻レストラン前
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件

店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。

貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。

なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。

お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。

レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。

とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。

そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。

「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」

どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

▲△▽▼

皇太子さまへの御忠言 – 2008/8/1
西尾 幹二 (著)
https://www.amazon.co.jp/皇太子さまへの御忠言-西尾-幹二/dp/4898311245/ref=cm_cr_arp_d_bdcrb_top?ie=UTF8


カスタマーレビュー

アマゾン太郎
雅子さんはアメリカのエージェントなのか?2012年4月23日

ご成婚以来、私は皇太子妃としてふさわしくないひとだと思っていたので、雅子「サマ」とは呼んだことがない。雅子「さん」である。その理由は、日本の文化や精神性を理解していないからで、紀子様は呼べても、彼女をヤマトナデシコとは絶対に呼べないと思っていた。

ハーバード出身の竹中さんと同じように雅子さんもハーバードであり、ハーバードにはアメリカの秘密結社のサークルがあるという。

起こった事実だけをつなぎ合わせてみても、小和田父娘とうらでうごめく官僚のやっていることは、ことごとく天皇制を破壊するための工作であり、皇太子妃候補になったときに、外務省が皇太子の留学先に近い場所へ雅子さんを出張にいかせたことなども含めると、すべて誰かによる計算づくのハニー・トラップのような気がしていた。

皇太子妃のその後の行動をみていても、そのために送り込まれたとしか思えない。皇太子は、婚前、お妃候補になる理想の人について『ブランド物を買いあさるような女性は、ふさわしくないと思っております』等答えていたが、実際雅子さんはブランド物がお好き。そして高級ワインも三ツ星レストランもお好きである。皇太子のお好みではないはずだが、いまだに国の祭祀としての立場よりも自分個人の生活を優先している皇太子の軟弱性にはほとほとあきれるし、こんな男が国の代表だとしたら、国民は誰もついていきたいとは思わないだろう。自分たちのルーツを含めて考えるきっかけになる。皇室で何が起こっているのか、すべての国民はこの本を読むべき。

_____


眼鏡越しの宙
国民の無関心が天皇制を滅ぼす 今そこにある危機2014年1月29日

「日本の外交は、東京裁判を背負ったハンディキャップ外交である」
と国会答弁し、以後の日本外交に甚大な悪影響を与えた
ガチガチの戦後左翼思想の持ち主である小和田恒氏が、
なぜ娘の皇室入りを許したのでしょうか。

この疑問点に立って、雅子妃と皇太子殿下の言動を見るとき、
一見仲むつまじいロイヤルファミリーの裏に
恐ろしい皇室の危機が見えてきます。

敗戦後も天皇制は守られたといいますが、はたしてそうでしょうか。
GHQにより十一宮家の臣籍降下が行われたたった半世紀後に、
男系継承が危ぶまれ、女系天皇が議論される事態となっています。
そして、それに歩調を合わせるかのように、
皇室行事への不参加の容認、皇室での人格否定云々(皇室の「人権」まであと一歩)などの、
皇室の伝統や価値観を否定しかねない発言が、他ならぬ皇太子ご夫妻の口から流布されています。
これらははたして、「新しい皇室」への自然な流れなのでしょうか。

権力を持たず権威しかない天皇制は、
男系継承を続けてきたという歴史的事実と
大多数の国民の尊崇の念の 二つだけでかろうじて維持されているものです。
これを考える時、皇太子殿下と雅子妃の破壊的な影響力が分かるはずです。

皇室の永続性を盲信し、皇室に言挙げするのは不敬だという
思考停止した考えに私は与しません。
日本という国を束ねる天皇制を大切に維持していくためには、
多くの国民が、マスメディアの空疎な議論を排し、
本質的な議論ができるよう、天皇制の本質を学ばねばなりません。
そのために西尾 幹二の著書は大いに参考になります。
特に本書は、実際の皇太子ご夫婦のエピソードを下敷きに、
その問題点を通じて天皇制の本質を考えるというスタイルで大変分かりやすく、
また、皇室の「今そこにある危機」の重大性に気付かせてくれます。

著者の渾身の御忠言を読み、天皇制をどう維持していくべきか
是非私たちも本気で考えましょう。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c39

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
54. 中川隆[-11866] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:23:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[111]


雅子さんはアメリカのエージェントなのか?


2014年06月20日
皇太子さま スイス訪問中
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。


皇太子さんの海外訪問は必ずマスコミが報道する。
妃を連れていってないし、映像もつまらない。

秋篠宮両殿下の海外訪問はそれはそれは美しい映像ばかりなのに決して報道しない日本のマスゴミ。

午後訪れた民間緊急ヘリ部隊、REGAを視察した時、
出てくるコメントも「山での救助は難しいのでは」とそりゃあ難しいに決まってる、という当たり前の発言。

彼が30年前に訪問したことがあるベルン市内視察たって、ただの観光でしょ。

スイス訪問中の皇太子さま、ベルン市内を視察


NHK News
6月20日 4時17分

スイス訪問の皇太子さま 友好願うスピーチ

 スイスを公式訪問中の皇太子さまは、歓迎行事に臨み、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチをされました。

 皇太子さまは、19日、スイス北西部の町ヌーシャテルの迎賓館に到着されました。
 ヌーシャテルは、150年前に日本を訪れ修好通商条約を結んだ使節団の団長や、ブルカルテール大統領の出身地で、皇太子さまは大統領と握手をして、あいさつを交わされました。

 歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、皇太子さまが儀じょう隊の栄誉礼を受けられました。皇太子さまは、このあと大統領と、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチを交わされました。皇太子さまは、まず英語でスピーチし、両国は長い間、互いの長所を学び助け合ってきたとしたうえで、東日本大震災での支援などに感謝の気持ちを表されました。

 そして、この地方で使われているフランス語で、「国交樹立150周年という歴史の節目において、両国関係が一層発展することを願います」と述べられました。

 続いて、大統領主催の歓迎の昼食会に臨み、出席した人たちと懇談されました。
このあと、皇太子さまは地元の博物館を訪ねられました。

 博物館の前では、合気道を習う子どもたちが日の丸やスイス国旗の小旗を振って歓迎し、皇太子さまは笑顔で声をかけたあと博物館に入られました。

 ここには、150年前、使節団の団長が日本から持ち帰った絵画や写真のほか、修好通商条約の原本なども展示されていて、歴史を研究している皇太子さまは、興味深そうにご覧になっていました。

ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。

ドスこの事件簿より
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

(続きは上記サイトへ)

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。

そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。

雅子ロイヤルブルー
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。

東宮夫妻レストラン

•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動

東宮夫妻レストラン前
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件

店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。

貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。

なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。

お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。

レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。

とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。

そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。

「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」

どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

▲△▽▼

皇太子さまへの御忠言 – 2008/8/1
西尾 幹二 (著)
https://www.amazon.co.jp/皇太子さまへの御忠言-西尾-幹二/dp/4898311245/ref=cm_cr_arp_d_bdcrb_top?ie=UTF8


カスタマーレビュー

アマゾン太郎
雅子さんはアメリカのエージェントなのか?2012年4月23日

ご成婚以来、私は皇太子妃としてふさわしくないひとだと思っていたので、雅子「サマ」とは呼んだことがない。雅子「さん」である。その理由は、日本の文化や精神性を理解していないからで、紀子様は呼べても、彼女をヤマトナデシコとは絶対に呼べないと思っていた。

ハーバード出身の竹中さんと同じように雅子さんもハーバードであり、ハーバードにはアメリカの秘密結社のサークルがあるという。

起こった事実だけをつなぎ合わせてみても、小和田父娘とうらでうごめく官僚のやっていることは、ことごとく天皇制を破壊するための工作であり、皇太子妃候補になったときに、外務省が皇太子の留学先に近い場所へ雅子さんを出張にいかせたことなども含めると、すべて誰かによる計算づくのハニー・トラップのような気がしていた。

皇太子妃のその後の行動をみていても、そのために送り込まれたとしか思えない。皇太子は、婚前、お妃候補になる理想の人について『ブランド物を買いあさるような女性は、ふさわしくないと思っております』等答えていたが、実際雅子さんはブランド物がお好き。そして高級ワインも三ツ星レストランもお好きである。皇太子のお好みではないはずだが、いまだに国の祭祀としての立場よりも自分個人の生活を優先している皇太子の軟弱性にはほとほとあきれるし、こんな男が国の代表だとしたら、国民は誰もついていきたいとは思わないだろう。自分たちのルーツを含めて考えるきっかけになる。皇室で何が起こっているのか、すべての国民はこの本を読むべき。

_____


眼鏡越しの宙
国民の無関心が天皇制を滅ぼす 今そこにある危機2014年1月29日

「日本の外交は、東京裁判を背負ったハンディキャップ外交である」
と国会答弁し、以後の日本外交に甚大な悪影響を与えた
ガチガチの戦後左翼思想の持ち主である小和田恒氏が、
なぜ娘の皇室入りを許したのでしょうか。

この疑問点に立って、雅子妃と皇太子殿下の言動を見るとき、
一見仲むつまじいロイヤルファミリーの裏に
恐ろしい皇室の危機が見えてきます。

敗戦後も天皇制は守られたといいますが、はたしてそうでしょうか。
GHQにより十一宮家の臣籍降下が行われたたった半世紀後に、
男系継承が危ぶまれ、女系天皇が議論される事態となっています。
そして、それに歩調を合わせるかのように、
皇室行事への不参加の容認、皇室での人格否定云々(皇室の「人権」まであと一歩)などの、
皇室の伝統や価値観を否定しかねない発言が、他ならぬ皇太子ご夫妻の口から流布されています。
これらははたして、「新しい皇室」への自然な流れなのでしょうか。

権力を持たず権威しかない天皇制は、
男系継承を続けてきたという歴史的事実と
大多数の国民の尊崇の念の 二つだけでかろうじて維持されているものです。
これを考える時、皇太子殿下と雅子妃の破壊的な影響力が分かるはずです。

皇室の永続性を盲信し、皇室に言挙げするのは不敬だという
思考停止した考えに私は与しません。
日本という国を束ねる天皇制を大切に維持していくためには、
多くの国民が、マスメディアの空疎な議論を排し、
本質的な議論ができるよう、天皇制の本質を学ばねばなりません。
そのために西尾 幹二の著書は大いに参考になります。
特に本書は、実際の皇太子ご夫婦のエピソードを下敷きに、
その問題点を通じて天皇制の本質を考えるというスタイルで大変分かりやすく、
また、皇室の「今そこにある危機」の重大性に気付かせてくれます。

著者の渾身の御忠言を読み、天皇制をどう維持していくべきか
是非私たちも本気で考えましょう。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c54

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
176. 中川隆[-11865] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:23:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[112]


雅子さんはアメリカのエージェントなのか?


2014年06月20日
皇太子さま スイス訪問中
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。


皇太子さんの海外訪問は必ずマスコミが報道する。
妃を連れていってないし、映像もつまらない。

秋篠宮両殿下の海外訪問はそれはそれは美しい映像ばかりなのに決して報道しない日本のマスゴミ。

午後訪れた民間緊急ヘリ部隊、REGAを視察した時、
出てくるコメントも「山での救助は難しいのでは」とそりゃあ難しいに決まってる、という当たり前の発言。

彼が30年前に訪問したことがあるベルン市内視察たって、ただの観光でしょ。

スイス訪問中の皇太子さま、ベルン市内を視察


NHK News
6月20日 4時17分

スイス訪問の皇太子さま 友好願うスピーチ

 スイスを公式訪問中の皇太子さまは、歓迎行事に臨み、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチをされました。

 皇太子さまは、19日、スイス北西部の町ヌーシャテルの迎賓館に到着されました。
 ヌーシャテルは、150年前に日本を訪れ修好通商条約を結んだ使節団の団長や、ブルカルテール大統領の出身地で、皇太子さまは大統領と握手をして、あいさつを交わされました。

 歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、皇太子さまが儀じょう隊の栄誉礼を受けられました。皇太子さまは、このあと大統領と、日本とスイスの友好関係の発展を願うスピーチを交わされました。皇太子さまは、まず英語でスピーチし、両国は長い間、互いの長所を学び助け合ってきたとしたうえで、東日本大震災での支援などに感謝の気持ちを表されました。

 そして、この地方で使われているフランス語で、「国交樹立150周年という歴史の節目において、両国関係が一層発展することを願います」と述べられました。

 続いて、大統領主催の歓迎の昼食会に臨み、出席した人たちと懇談されました。
このあと、皇太子さまは地元の博物館を訪ねられました。

 博物館の前では、合気道を習う子どもたちが日の丸やスイス国旗の小旗を振って歓迎し、皇太子さまは笑顔で声をかけたあと博物館に入られました。

 ここには、150年前、使節団の団長が日本から持ち帰った絵画や写真のほか、修好通商条約の原本なども展示されていて、歴史を研究している皇太子さまは、興味深そうにご覧になっていました。

ところで舞台はスイスではないが、同じヨーロッパでのコルマール事件というのをご存じだろうか。

ドスこの事件簿より
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%B3%A5%EB%A5%DE%A1%BC%A5%EB#content_1

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

(続きは上記サイトへ)

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。

そして新婚間もない1999年12月東宮夫妻ベルギーへ出発。

雅子ロイヤルブルー
1999年12月4日、フィリップ王太子結婚式に参列。用意してきた赤い衣装がレッドカーペットと色かぶりするため、土壇場で変更したロイヤルブルー衣装が周囲欧州王族貴族たちから浮きまくり。

東宮夫妻レストラン

•デュルビュイへ100km近い道のりを、グルメ旅行のため鉄道or陸路で長距離移動

東宮夫妻レストラン前
ベルギーのレストランにて食べかけ大皿交換し、記念写真で「Prince Naruhito et son epouse Masako Owada(徳仁皇子と彼の妻小和田雅子)」と記録され貴賎結婚認定される事件

店に掲げられた写真には
「Prince Naruhito et son epouse Masako Owadaですか・・・・
アメリカなどと違って、さすがに古い王室のある国は厳しい。
明らかに雅子を一段見下げた、痛烈な書き方ですね。」

この書き方では「貴賎結婚」扱いです。

貴賎結婚というのは、たとえば王族と平民女性が縁組した場合です。
正式に結婚はできますが、配偶者でありながら平民出の妻には称号は付与されず、
ただの「夫人」つまりSon Epouseというわけ。まさに「皇太子夫人」ですよ。
それだけでなく、その結婚でできた子供には王位・爵位の継承権がありません。
つまり、嫡出子でありながら準庶子扱いです。

貴賎結婚の代表例は、ウィンザー公とシンプソン夫人が有名ですね。
王冠とひきかえに「公夫人」の称号はかろうじて得ましたが、たとえ
お子さんが生まれてもイギリス王位継承権はなく、長く国外追放も同然の暮らし
でした。

なぜなら、
フルコース二人とも別々のメニューを注文したことから始まります。

お互い「おいしいですよ。」と言い合ったまではよかったが
あろうことか、三ツ星レストランで食べかけの皿を
交換し、お互いの食べかけを胃に収めたのでした。

レストラン側は超のつくマナー違反にびっくりぎょうてん、
あわてて新しくつくり直してお出しするも
そういうつもりじゃなかったと作り直しに手をつけなかった。

とんでも行動があったのです。
おかげで人の食べかけ食べちゃった皇太子も
「ハーロイヤルハイネス」の称号を剥奪されましたとさ。ちゃん、ちゃん。
ハーフポーションで全部って頼み方すらできないバカップル。

そして雅子さん、ベルギー王室に日本の皇室のことを愚痴ってしまった。

「これまで外国に行けなかった」とベルギー王家の方に雅子愚痴る→後日、天皇皇后両陛下の耳にも入り、さあ大変・・・」

どこに行っても失態ばかりの雅子さん。今回もスイスに同行しないで恥をさらけ出さずに済み、正解かも。

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

▲△▽▼

皇太子さまへの御忠言 – 2008/8/1
西尾 幹二 (著)
https://www.amazon.co.jp/皇太子さまへの御忠言-西尾-幹二/dp/4898311245/ref=cm_cr_arp_d_bdcrb_top?ie=UTF8


カスタマーレビュー

アマゾン太郎
雅子さんはアメリカのエージェントなのか?2012年4月23日

ご成婚以来、私は皇太子妃としてふさわしくないひとだと思っていたので、雅子「サマ」とは呼んだことがない。雅子「さん」である。その理由は、日本の文化や精神性を理解していないからで、紀子様は呼べても、彼女をヤマトナデシコとは絶対に呼べないと思っていた。

ハーバード出身の竹中さんと同じように雅子さんもハーバードであり、ハーバードにはアメリカの秘密結社のサークルがあるという。

起こった事実だけをつなぎ合わせてみても、小和田父娘とうらでうごめく官僚のやっていることは、ことごとく天皇制を破壊するための工作であり、皇太子妃候補になったときに、外務省が皇太子の留学先に近い場所へ雅子さんを出張にいかせたことなども含めると、すべて誰かによる計算づくのハニー・トラップのような気がしていた。

皇太子妃のその後の行動をみていても、そのために送り込まれたとしか思えない。皇太子は、婚前、お妃候補になる理想の人について『ブランド物を買いあさるような女性は、ふさわしくないと思っております』等答えていたが、実際雅子さんはブランド物がお好き。そして高級ワインも三ツ星レストランもお好きである。皇太子のお好みではないはずだが、いまだに国の祭祀としての立場よりも自分個人の生活を優先している皇太子の軟弱性にはほとほとあきれるし、こんな男が国の代表だとしたら、国民は誰もついていきたいとは思わないだろう。自分たちのルーツを含めて考えるきっかけになる。皇室で何が起こっているのか、すべての国民はこの本を読むべき。

_____


眼鏡越しの宙
国民の無関心が天皇制を滅ぼす 今そこにある危機2014年1月29日

「日本の外交は、東京裁判を背負ったハンディキャップ外交である」
と国会答弁し、以後の日本外交に甚大な悪影響を与えた
ガチガチの戦後左翼思想の持ち主である小和田恒氏が、
なぜ娘の皇室入りを許したのでしょうか。

この疑問点に立って、雅子妃と皇太子殿下の言動を見るとき、
一見仲むつまじいロイヤルファミリーの裏に
恐ろしい皇室の危機が見えてきます。

敗戦後も天皇制は守られたといいますが、はたしてそうでしょうか。
GHQにより十一宮家の臣籍降下が行われたたった半世紀後に、
男系継承が危ぶまれ、女系天皇が議論される事態となっています。
そして、それに歩調を合わせるかのように、
皇室行事への不参加の容認、皇室での人格否定云々(皇室の「人権」まであと一歩)などの、
皇室の伝統や価値観を否定しかねない発言が、他ならぬ皇太子ご夫妻の口から流布されています。
これらははたして、「新しい皇室」への自然な流れなのでしょうか。

権力を持たず権威しかない天皇制は、
男系継承を続けてきたという歴史的事実と
大多数の国民の尊崇の念の 二つだけでかろうじて維持されているものです。
これを考える時、皇太子殿下と雅子妃の破壊的な影響力が分かるはずです。

皇室の永続性を盲信し、皇室に言挙げするのは不敬だという
思考停止した考えに私は与しません。
日本という国を束ねる天皇制を大切に維持していくためには、
多くの国民が、マスメディアの空疎な議論を排し、
本質的な議論ができるよう、天皇制の本質を学ばねばなりません。
そのために西尾 幹二の著書は大いに参考になります。
特に本書は、実際の皇太子ご夫婦のエピソードを下敷きに、
その問題点を通じて天皇制の本質を考えるというスタイルで大変分かりやすく、
また、皇室の「今そこにある危機」の重大性に気付かせてくれます。

著者の渾身の御忠言を読み、天皇制をどう維持していくべきか
是非私たちも本気で考えましょう。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c176

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
26. 中川隆[-11867] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:48:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[110]
アメリカ留学で洗脳されたアメリカの工作員ー。


84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね

214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?

221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている

225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c26

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
19. 中川隆[-11866] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:49:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[111]

アメリカ留学で洗脳されたアメリカの工作員ー。


84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね

214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?

221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている

225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c19

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
22. 中川隆[-11865] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:49:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[112]
アメリカ留学で洗脳されたアメリカの工作員ー。


84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね

214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?

221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている

225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c22

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
40. 中川隆[-11864] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:54:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[113]

アメリカ留学で洗脳されたアメリカの工作員ー。


84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね

214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?

221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている

225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c40

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
55. 中川隆[-11863] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:55:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[114]
アメリカ留学で洗脳されたアメリカの工作員ー。


84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね

214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?

221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている

225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c55

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
177. 中川隆[-11862] koaQ7Jey 2019年2月23日 17:55:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[115]

アメリカ留学で洗脳されたアメリカの工作員ー。


84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60

肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ

東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない

むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな


209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね

アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね

214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0

たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、

ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?

221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0

こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ


1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員


この3つのパターンのどれか


222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0

4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている

225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ


242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな


580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0

通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。

日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。

これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。

尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw

現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
http://2chnull.info/r/newsplus/1293356220/501-600

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c177

[近代史3] 吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった 中川隆
1. 中川隆[-11864] koaQ7Jey 2019年2月23日 20:55:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[113]

ビルマ米軍尋問調書を巡る秦郁彦氏のデタラメ(1)慰安婦高収入説
By satophone, on 2017年7月16日
http://satophone.wpblog.jp/?p=6780


アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号

最近は「米軍の尋問調書」でネット検索すれば、テニアン島での「リー・パクド」の「証言」(→『テニアン島で米軍捕虜となった朝鮮人男性の証言(幻のリー・パクド)』)がヒットするようになったのだが、ここで取り上げるのは、例のビルマのキタムラの尋問調書の話題である。


☆「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」
☆「連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号」


一般に、上記の二つが、分けられずに一つの文書として論じられることも多いのだが、キタムラの尋問調書と言う場合、正確には前者(アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号)を指す。後者(連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号)は、前者と矛盾するようなことが書かれている箇所もあるので、いつかキチンと整理して説明することとしたいのだが、とりあえず、この記事中では主として「尋問調書」の方を取り上げる。


大月書店(1992)

前者の邦訳は、ネットにいろいろと落ちているのだが、今回は吉見義明氏の「従軍慰安婦資料集(1992)」中に収録されている、吉見氏による邦訳が出典である、と明記しているサイトにリンクを貼った。ただし、正確な引用かどうかは調べていないので、参考程度と思って頂きたい。→【邦訳】アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号

秦郁彦氏は、これらのビルマの米軍尋問調書に関連して、以下のようなことを書いている。マジメに反論する気もおきないデタラメと言ってしまえばそれまでなのだが、放置しておくとまた、朝日新聞「誤報」騒動のようなことが起こりかねない。引用にあたっては、林俊嶺氏の「真実を知りたい-NO2」 『「従軍慰安婦」問題 秦郁彦教授の論述に対する疑問』からコピペさせていただいた。一応、関連部分をまとめて引用するが、いつもの秦先生の政治講談で、だいたい分かっていると言う方は、もちろん、読み飛ばしてもらって結構である。

同じく、「真実を知りたい-NO2」の『「日本人捕虜尋問報告 第49号」の資料的価値が高い?』には、尋問の際に朝鮮語ができる人間がいなかったことなど、的確な指摘がなされているので、合わせて参照して頂きたい。


「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争

「奴隷」を安直に使うな

文部省食堂論で、ウェイトレスの労働条件に言及したが、それは吉見氏の言う「軍用性奴隷」なる定義と関わってくる。

くり返すようになるが、彼女たちの労働条件は、当時は合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった。吉見氏は国内の公娼制も「事実上の性奴隷制度だった」(41ページ)と書いているから、必ずしも慰安婦=公娼論に異議を唱えているわけではなさそうだ。

しかし「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」などの諸点で保護条件が劣悪だったと強調している。同じ「奴隷」でも国内の公娼なら国の法的責任は問えないが、慰安婦は条件がより過酷だったから責任が生じるとの主張かともとれる。

だが、彼女たちを、一律に「性奴隷」ときめつけるのは失礼ではあるまいか。最近では欧米ばかりでなくわが国でも、売春婦は数ある職業の一種として認知される傾向があり、「オカネがたまったら普通の結婚をして……」と語るソープランドや援助交際の女性も出てきた。フェミニストたちが主張するコンプレックスやトラウマの後遺症は薄らいでいるようだ。

それはさておき、吉見氏が言うほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか。

米戦時情報局心理作戦班が1944年夏、北ビルマのミチナで逃げおくれて捕虜になった20人の朝鮮人慰安婦と日本人の業者夫婦に尋問した記録がある。珍しいケースだったので、尋問は微に入り細にわたり、米本国の陸軍省などで争って廻し読みされたという。

第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く、吉見編『従軍慰安婦資料集』(1992)に、439ページから464ページまで26ページを使って全訳が掲載されているのも、それゆえであろうが、彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える。

将軍よりも多い高収入で、前借金を1年間で返済して帰国した者もいたし、現在の物価に換算して一千万円以上の大金を家族に送金したり、休日には町へ買い物に出かけたりもしている。「接客を断る権利」も認められていた。

先に吉見氏が挙げた3つの自由はすべて満たされていて、条件は国内の公娼となんら変わらない。ところが吉見論文は、「都会以外での外出は許されず。都会での外出は許可制」だったとか、この米軍記録を「尋問担当者たちの奴隷状態をつかめなかったことを示すもの」(41ページ)と強弁する。都合の悪い資料は受けつけないか、曲解する手法と言われても、しかたがないだろう。

出典:「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争/秦郁彦 『現代史の争点/文春文庫(2001)』所収

論文の初出は、原題「<反論>従軍慰安婦問題で国の法的責任は問えない」「世界」97年5月号で、文中で言及されている、吉見氏の論文は、「世界」97年3月号に掲載された、「歴史資料をどう読むか」である。


私は秦氏のこの文章を読んだのは、発表されてしばらく経ってからなのだが、秦先生、こんなこと書いてたんだと意外に思った。この例は言うまでもなく、日本軍が組織的に女性たちを騙して、集団で南方に慰安婦として「連行」した例だからである。書いてあることが、一言一句正しいとしたら、どう考えても軍の責任は重大である。

女性たちが、他の地域と比較して、「一時的」にでも「贅沢とも言える」生活ができたとして、強制売春の「稼ぎ」の十分の一でもキチンと払われば、その程度の暮らしはできるのだ。理論上の「稼ぎ」が多いのは、信じられない過酷な強制売春の代価だからである。しかもビルマの占領初期は、英軍の物資を分捕ったおかげで、モノがあふれる状態にあった。そのオコボレが彼女たちにも回ってきたと言うことである。


大月書店(1997)

秦氏は、「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」の3つの自由が満たされていたと言うが、すべてにおいて、内地や朝鮮の「公娼」よりも「慰安婦」が置かれた状態が劣悪だったことを、吉見氏はこの秦氏の論文が単行本に収録される前に、キチンと論証している。あえて秦氏が紹介しないだけである。

例えば、吉見氏は軍慰安所での「廃業の自由」に関して、前借を「体を売って稼いだカネ」でしか充当できないと言う、「公娼」はおろか「私娼」でもあり得ない原則が漢口の積慶里慰安所にはあったと言う、「武漢兵站」の著者である山田清吉氏の証言に早くから注目している。私は、山田清吉氏の本を読んでいて、この記述を見つけた時、「うーん、新事実なのではないか」とビックリしたものなのだが、吉見氏によって、とっくに指摘されていたことを知って、さすがだなと思った。

「相手を拒否する自由」というのは、「慰安婦は、接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。」という箇所を指しているのだろう。「調査報告第120号」の方では、憲兵が酔っ払いをつまみ出したと言う話も出てくるので、この種のハナシなのだろうが、遊廓のヤクザまがいの用心棒の役回りを、慰安所で憲兵が勤めていたと言う話に過ぎない。

また、「尋問調書」の本文と照会すれば、「現在の物価に換算して一千万円以上の大金を家族に送金したり」ということが、どこにも書かれていないことが分かるだろう。おそらくこれは、同じビルマ(ミッチーナではない)で「慰安婦」をさせられていた文玉珠さんの証言を意図的に混入させているのである。「彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える」ことを示す記述も見当たらない。しかも、「尋問調書」には、彼女たちが、騙されて連れて来られたと言うことが明記されていることを、完全に秦氏は無視している。つまり、これだけの短い記述の中に、デタラメが腐るほどあるのだ。

「尋問調書」を信用する限り「慰安婦」女性達は一月足らずで「前借金」を返済できたことになる

ただ、今回は数々の氏のデタラメにはあえて目をつぶり、秦氏が吉見氏を批判して言う「都合の悪い資料は受けつけないか、曲解する手法と言われても、しかたがないだろう。」と言う部分について論じたい。吉見氏は、別に資料中で言及されている、軍の慰安所のシステムの客観的記述について、事実ではないと批判しているわけではない。よくネット右翼の諸氏が、『「従軍売春婦」にほかならない』と言う記述を取り上げてハシャいでいるように、「職業的売春婦」に対する偏見が、「尋問調書」中に見られるのは周知のことで、吉見氏はそれについては、批判的であると言うだけの話である。

私ももちろん吉見氏の意見に賛成で、「客観的記述」とされる部分についても、検証が必要な箇所が相当あると思うのだが、秦氏がそれほど「客観性」に信頼を置くのならば、客観的資料として使える部分、つまり資料中で述べられている、軍の慰安所システムに関する客観的記述だけで、どのようなことが分かるか、改めて検証してみようと言う気になった。

結論から言うと、「尋問調書」の中の客観的記述から分かる、動かしがたい事実は二つである。一つは、「慰安婦女性」達が、とんでもない数の兵士の相手をさせられていたこと、もう一つは、「尋問調書」に書かれている「慰安婦」女性達は、ビルマにたどり着いて、1月程度で前借金を返せたと言うことである。

その反面、「慰安婦」女性たちが、とんでもない過酷な強制売春の代価という前提ではあるが、秦氏が言うように、ビルマで「前線にしては優雅とも見える生活」を送れたかと言うと、「尋問調書」の記述からはなんとも言い難い。

慰安所経営者の元には、内地の遊廓と慰安所では、客の数がケタ違いなので、バカバカとカネ(軍票だが)が入ってくる。20人の「慰安婦」女性と経営者の取り分は折半なので、「尋問調書」で証言をしているキタムラは毎月、将軍の月給の20倍稼いでいたことになるわけだ。女性達にカネがキチンと支払われたかというのは、軍の慰安所のシステムの問題ではなく、楼主であったキタムラ個人の性格の問題なのである。キタムラが慰安所の楼主として、例外的に良心的な人間であったとして(もともと食堂の経営者である)「慰安婦」の調達に伴う資金繰り(おそらくは借金)に苦しんでいたら、「慰安婦」に払うカネはとどこおるだろう。調書単独では、キタムラがどれだけの悪人であったのか、軍に利用されただけの人間であったのかは分からないのであるが、これに関しては、続きの記事で言及する予定である。

実際に「尋問調書」の、「徴集」及び「報酬及び生活状態」の部分を、以下に引用する。念のために、原文も転載した。


RECRUITING;

Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for “comfort service” in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this “service” was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.

The majority of the girls were ignorant and uneducated, although a few had been connected with “oldest profession on earth” before. The contract they signed bound them to Army regulations and to war for the “house master ” for a period of from six months to a year depending on the family debt for which they were advanced …

—–

徴集

 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地——シンガポール——における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。

 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。


PAY AND LIVING CONDITIONS;

The “house master” received fifty to sixty per cent of the girls’ gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the “master”. Many “masters” made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

Japanese Prisoner of War Interrogation Report No. 49.

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報酬および生活状態

「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これ は、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食 料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。

アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号


「報酬および生活状態」には、「これは、慰安婦が普通の月で総額1,500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。」とある。どうやら何かの基準を元に推算したと考えられるもので、実際に、「得ていた」かどうかは、はっきりしないのだが、ここでは彼女らが、ひと月に、1,500円程度の稼ぎを得ていたことを前提に話を進める。秦氏が「将軍よりも多い高収入で」あったと書いたのは、この部分を指しているのだろうが、1,500円を女性たちが「稼ぐ」ために、どれだけの兵士を相手にしなければならないのだろうか。

「料金」を下級兵士が利用できるように、慰安所の料金は、低料金で安く定めると言うことが、軍によって行われる。業者が値段を決める余地はない。「尋問調書」は、「報酬および生活状態」の前の部分でキタムラのミッチーナの慰安所の料金の例を挙げている。兵士が午前10〜午後5時までで1円50銭、利用時間は20〜30分。下士官は午後5時〜午後9時で3円、利用時間は30〜40分。将校は午後9時〜午前0時で料金は5円、利用時間は30〜40分で、将校は20円で宿泊も認められていたと言う。

単純に一月30日として、一日50円を売り上げなければ、1,500円にはならない。単純に兵士だけの相手なら、ひと月に千人の兵士の相手をしなければ、1,500円の「稼ぎ」は得られないわけだ。もちろん、一般兵士が慰安所を利用できる時間は限られているので、この計算はアバウトである。実際には、朝から晩まで、割り当ての時間通り一般兵士、下士官、将校の相手を休みなく続けて、将校の泊りも受け入れたら、50円程度にはなる。これを30日続けるわけだ。そんなことは、とても無理だろうと思うのだが、この程度の過酷なハナシは実際には他の慰安所でもザラに例がある。「尋問調書」を「慰安婦」高収入説の根拠として挙げる人は、まず、この殺人的な「客」の多さを事実として認めなければならない。

とりあえず、殺人的な数の人間を相手にして、女性達が月に1,500円を「売り上げ」るとしよう。とすれば、例外なく女性たちは1ケ月程度で、「尋問調書」で言う、二〜三百円(a few hundred yen)程度の前借金(正確には「前渡金」である)を完全に返せてしまう。前借金を返済すれば、自由になれるのなら、苦労して朝鮮から騙して連れてきた女性達を、1ケ月で解放しなければならないのだ。

どういう根拠で、このようなことが言えるかと言うことを、具体的に計算して検証してみるが、その前に、「尋問調書」中にある、「慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。」の前提となる、「それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの」という部分から説明しよう。

「慰安婦」と楼主の「取り分」の比率を細かく軍が決めていた例として、林博史氏の論文、→『マレー半島における日本軍慰安所について(1993)』で紹介している、馬来軍政監が制定した「慰安施設及旅館営業取締規程」の例がある(→実際の規定は、ekesete1さんのブログ『従軍慰安婦資料集(3)慰安所運営規定』)で読める)。

これによると、「稼業婦」の債務残高によって配分の割合が異なり、債務残高が1,500円以上の場合は、雇主が六割以内、稼業婦本人が四割以上、1,500円未満の場合は、雇主五割以内、本人五割以上、無借金の場合は、雇主四割以内、本人六割以上となっている。そして、「稼業婦の配当所得金を以てする前借金返済は毎月其所得の三分の二以上とし残金は稼業婦の自由とす。」とされ、前借金は「雇主」が半分以上のピンハネをした残りの金額から、前借金に充当されるとされる。ほぼ、内地の公娼施設の例に準じて、規定を定めたものと思われる。

同じ南方軍の占領地なので、ビルマにおいても、軍は慰安所の楼主に、この「売り上げ」の配分を守るよう指導していたのだろう。「尋問調書」中の、「契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの」というのは、債務残高と配分比率の関係を指していると考えられる。

参考までに言うと、内地の公娼施設の一人当たりの1日の客数は平均して3人に満たないと言う統計がある。つまり、長期間にわたって少しずつ前借の返済を行わせ、その間、ジワジワと搾取し続けるわけなのであるが、1日当りの客が数十人にも上る慰安所の場合、短期間で前借金は返せるのである。

キタムラの慰安所の例に当てはめてみよう。前借金が二〜三百円なら、1,500円の「稼ぎ」の配分は、「雇主」五割以内、本人五割以上と折半になる。女性たちの取り分は750円だから、その三分の二(500円)以上を前借金の「返済」に充てる「義務」があったので、ひと月も経たずに、全額返済できることになる。もうひとつの「連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号」中では、前借金は三百円から千円とされているが、千円でも、2ケ月もすれば、完済できるのである。秦氏は「前借金を1年間で返済して帰国した者もいたし」と、実際には「尋問調書」に書いていないことを語っているのだが、本来ならば1ケ月か2ケ月で「帰国」できなければならない。

実際には、彼女たちの全員が、とっくに前借金を返し終わっていたと考えられるのだが、一年後にようやく軍が、「前借金を返済したもの」に帰国を「認める」旨の指示を出したことが、「尋問調書」中の、「1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。」と言う文章から分かる。つまり前借金の完済だけでは、「慰安婦」から足抜けする十分条件とはならないのである。

もちろん、一部とは言え、実際に帰国できたかどうかは分からない。1943年の後半には、既に朝鮮からの「慰安婦」新規「調達」は困難になっていたと思われるからだ。

と、次回は、秦氏の言うように、「慰安婦」女性は、「前線にしては優雅とも見える生活に満足」していたのかを検証します。
http://satophone.wpblog.jp/?p=6780

ビルマ米軍尋問調書を巡る秦郁彦氏のデタラメ(2)「慰安婦」の優雅な生活編
By satophone, on 2017年7月28日
http://satophone.wpblog.jp/?p=6669


ビルマ「慰安婦」の優雅な生活?

前回の記事(→『ビルマ米軍尋問調書を巡る秦郁彦氏のデタラメ(1)慰安婦高収入説 』)で言及したとおり、今回は秦氏が言う、彼女らが「彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える」と言う箇所について検証しよう。前回、書いたように、調書中で彼女たちが実際に「満足」していたと証言しているわけではない。あくまで秦氏が「窺える」としているだけである。

今回も前回と同様に、「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号)」から引用する。参考までに言うと、今回は引用しなかった、「連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号」の方には、慰安所の経営者が法外な値段で、贅沢品及び生活用品を彼女たちに売りつけていると言う記述があるだけで、「慰安婦」女性の暮らし向きがよかったことを「窺わせる」ような記述は全く存在しない。気になる方は「美しい壺日記」で邦訳が読めるので、確認して頂きたい(→連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号(1945年11月15日))。

今回の引用文は、前回と同様、こちら(→【邦訳】アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号)からのコピペである。


LIVING AND WORKING CONDITIONS;

In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building) with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business. In Myitkina their food was prepared by and purchased from the “house master” as they received no regular ration from the Japanese Army. They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received “comfort bags” from home.

While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping.

生活および労働の状況

 ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。この点はビルマ生活2年目についてとくにいえることであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。

 彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。

アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号

新ゴーマニズム宣言(3) 特別編 ゴー宣版 従軍慰安婦資料集 1997/4 小林よしのり

「慰安婦」が優雅な生活を送っていた証拠として、しばしば言及される箇所である。「将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし」と言うのは、積慶里慰安所では「写真」まで残っている「運動会」のことなのだろうが(→「慰安婦」女性の写真)、酷使しすぎて死んでしまってはさすがにマズイ、息抜きくらいは必要と考えただけである。演奏会、夕食会に出席したという女性たちの証言も実際に多い。彼女たちは兵隊たちの前でアリランを歌い、将校の宴席で芸を披露したと言うが、こういう「芸者」に準じた役割も、本業の兵士用の「強制売春」をキチンと務めた上で、彼女らに「期待」された役割の一つなのである。

「優雅な生活」と言う秦氏の説を、そのままマンガにしてしまった人に、マンガ家のコンバヤシよしのり氏がいる。朝鮮の田舎から騙されて連れられてきた、売春業の経験者でもない朝鮮人女性が、あっという間に、大量の兵士の相手をさせられる「慰安婦」生活に適応し、ルールを知っているとも思えない野球に興じ、日本髪を結い、洋装店で服を選んでいる。正直、アタマがどうかしていると言うレベルだと思うのだが、間に受けた方々も少なくなかったらしい。クリックすれば拡大するので、ヒマな方は参照して下さい。

そして、同じ「尋問調書」中に、矛盾することが書かれていることはよく知られた話である。「欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。」と書かれている反面、「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」のだとも書かれている。もちろん。秦氏コンバヤシ氏ともに、完全に無視である。


PAY AND LIVING CONDITIONS;

The “house master” received fifty to sixty per cent of the girls’ gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the “master”. Many “masters” made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

報酬および生活状態

 「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

 1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。


この「矛盾」については、いろいろ詮索することも可能だと思うのだが、特にここでは掘り下げない。学術論文ではないのだから、この程度の記述の問題は、当然にあるだろう。尋問者は朝鮮語ができなかったので、すべてキタムラの通訳を通して彼女らの証言は聞き取られたのだとされるが、要するに両方の言い分を、整合性を確認せずにそのまま垂れ流したと言うことだ。ここでは、秦氏が言うような、彼女たちが「満足している様子が窺える」とされる部分は「尋問調書」には書かれていないと確認して頂ければOKである。

ここで、占領初期のビルマでは、英軍から分捕った物資で、兵士もオコボレに預かったと言う証言を紹介しよう。

マネジメント社(2002)

神林政吉兵長(三十三師団步兵二百十五連隊第二大隊第七中隊)

一九四二年(昭和一七年)三月八日、わが部隊はタイから遠い道程を行軍し、英軍が放棄したばかりのラングーンに入城した。我々は、ラングーン郊外のビクトリア湖近くにある校舎に駐留したが、この間は任務も歩哨番も使役もなく、約一〇日間まったく自由な時間を楽しむことができた。私の軍隊生活で、このような天国気分を味わったのは初めてである。糧食は十分あった。ウイスキー、缶詰食、コーヒー、ココア、ミルク、チーズ、コーン・ビーフ、ジャム、タバコなど、私の知らない贅沢品がいっばい配給された。これらはすべて英軍倉庫からの分捕り品だった。

我々は、英国首相の名前から「チャーチルの贈り物」と呼んだり、「配給糧食」と言ったりしていた。この贈り物で毎晩、酒盛りを開き、元気よく歌い、踊り、食べ、そしてたらふく飲み、心の底から楽しんだ。新鮮な野菜が不足していたので、油で揚げたリーキ(西洋ネギ)が出されたときは、本当に旨かったし、美味しいドーナツまで出た。くつろいだ一〇日間が過ぎた後、退却した英軍を追撃するために、北へ前進する命令が出た(P68)。

出典:日本兵のはなし ビルマ戦線−戦場の真実 玉山和夫/ジョン・ナンネリー著(マネジメント社) 2002


「慰安婦」が蓄音機を持っていたと言う話が「尋問調書」に出てくるが、以下のような証言もある。おおかた、慰安所の建物として使った学校に、蓄音機が置いてあったのをそのまま女性たちが使ったと言う類の話だと言うことが分かる。


吉野秀一郎少尉(第十一防疫給水部)

タウンギーでは、部隊長は将校たちが昼食に集まる離れに住み、他の将校たちは庭に大理石の彫刻が点在する快適な煉瓦作りの建物に住んだ。この建物は日本軍が占領したのではなく、一時的に借りていたので改築はできなかったし、注意深く手入れするようにも命じられていた。

嬉しいことに、この家にはビクトリアの蓄音機とクラッシック音楽のレコードの大コレクションがあった。私のルームメート、医師の千葉幹一は音楽ファンで、このレコードの完全なリストを作り、素晴らしく質の高いこのコレクションをよく鑑賞した。私もレコードを集めているクラッシック音楽の熱狂的なファンを幾人か知っているが、このような見事なコレクションを見たことがなかった。このレコードの所有者は優れた趣味を持ち、音楽を深く愛していたに違いない。価値あるこのコレクションを残していったのは、心残りだっただろう。一九四三年一月にメイミョーへ移ったとき、このコレクションを軍政府に移管した。その際、このコレクションの貴重性を強調して、元の所有者に戻すように希望した。もし本人の手元に戻されたのなら、この持ち主は日本人にも同じ趣味の人がいると知って喜んだに違いない。(P138〜139)

出典:日本兵のはなし ビルマ戦線−戦場の真実 玉山和夫/ジョン・ナンネリー著(マネジメント社) 2002


この二つが例外的な話ではないことは、「日本兵のはなし ビルマ戦線−戦場の真実」を読めば分かるので、興味のある方は参照して頂きたい。参考までに言うと、この本にはなぜだか「慰安婦」は登場しないので、「慰安婦」が分捕り品に囲まれた生活を、実際にどう考えていたのかは知る由もない。

雲南・ビルマ最前線における慰安婦たち一死者は語る

ラングーンとミッチーナは違うのではないかと言うなら、この浅野豊美氏の文章を引こう。浅野氏は、「尋問調書」に関連する資料を調査し、「雲南・ビルマ最前線における慰安婦たち一死者は語る/浅野豊美(1999」と言う論文を書いた。浅野氏も「慰安婦」達が、「かなり賛沢とも思える暮らしをしたと語っている」と明記しているが、この点については判断を留保して、ハナシを進めたい。

結局のところ、占領初期は、物資は豊富でハイパーインフレもなく、その「恩恵」を慰安婦女性達が受けていた可能性があると言う話に過ぎないのだ。


この証言によると、そもそもミチナは、ビルマの典型的な普通の街ではない。主要な民族は、シャン族系のビルマ人、インド人、中国人であるが、付近の村はシャン族とカチン族によって占められていて、純粋なビルマ人が「多数を占めたことはそれまで一度もないという。日本軍がミチナを占領した際には、「人食い鬼が来る」といつてほとんどの人が逃げ出したが、暫くすると人々は帰つてくるようになつた。しかし、女性に対する暴行や強姦はなかつた。両者共に、日本軍の占領期間を通じて、1件もそのような事件があったと聞いたことはないと証言している。確かにかなりの略奪は行われたが、それもすぐに取り締まられるようになり、ビルマ独立軍兵士の行った略奪も同様に取り締まりの対象になったという。またイギリス系インド人難民は、収容施設に入れられたものの、よい待遇を受けたという。彼らには肉料理も盛り込んだ配給制度が敷かれた。そうした状況の中、日本軍の将官は、イギリス系インド人の女性達に非常に魅了されるようになり、彼女たちのために社交クラブを作ったという。しかし、出席は義務とはされず、実際そこに出席した女性に乱暴しようというような傾向もなかつたので、将官と女性との間には、数多くの交流が結果として生まれたとも述べられている。そんな風にして、占領第1年目は協力的な雰囲気の下に過ぎ去り、イギリスの軍や民間人から徴発した物資により衣服や食糧の供給もあり、空襲もなかった。日本軍の将兵が村の子供たちと一緒に遊んだりするなど、子供たちに向けられた将兵の愛情は特に印象深かったとも語っている。兵士の平均年齢は25歳であり、故郷の弟、妹達を思い出していたことであろう。

慰安婦達が、かなり賛沢とも思える暮らしをしたと語っているのは、恐らくこうした占領1年目の1942年、朝鮮から到着直後のことではなかったであろうか。運動会がおこなわれたのも、こうしたシャン系ビルマ族の子供たちのためだったとさえいえるかもしれない。

しかし、こうしたのどかな風景は、戦争が長期化するにつれて大きく変わっていった。経済状態についてみると、初期にはヨーロツパ人から徴発したシャツや下着類が安いレートで売られていたり、食糧もたくさんあつたが、戦争が長期化するにつれ日用品は底をついた。新しい製品は、日本から供給されるといっていたにもかかわらず、ミチナには全くやってこなかった。物価は上昇に転じ、1943年10月には、うなぎ上りであつた。ごく少量の物資がラングーンに着いたというが、ミチナでは配給切符を持っていても何も買えなかったという。また日本軍は軍票を大量に発行したことも、インフレに拍車を掛けた。賢明なものは、金や宝石を秘匿するようになったという。

出典:→雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る/浅野豊美(1999)


浅野氏は、「慰安婦」と兵士の「運動会がおこなわれたのも、こうしたシャン系ビルマ族の子供たちのためだったとさえいえるかもしれない」と書いているが、これは相当な違和感がある。兵士と「慰安婦」の運動会が行われたと言うハナシは、結構、例があるのだが、兵士と「売春を強要されている女性」達の運動会に、自分の子供が参加することなど、親が許さないだろう。

だが、他の個所については、ほとんど異論がない。結局のところ、1942年の8月に彼女たちがビルマに到着してから、ある程度の期間はビルマにも物資があふれたが、およそ一年後の1943年10月頃からは、ハイパーインフレ状態に突入する。

今回は言及できなかった、ビルマのハイパーインフレと「慰安婦の収入」の関わりについては、既に(→1943年から1945年にかけてビルマ方面に送られた慰安婦の状況 – 誰かの妄想)でscopedogさんが整理している。ネット右翼氏の痛々しい痙攣コメントと言い、興味深いことが書かれているので、ご一読されたい。

もちろん、こちら(→「東アジアの歴史認識の壁 京都大学経済学研究科東アジア経済研究センター」)の堀和生氏の論文も必読である。

秦氏が語らないビルマ米軍尋問調書のホントの意義

と、今回はここまでなのだが、ビルマの米軍「尋問調書」の重要性は、秦郁彦氏が全く指摘していない部分にこそある。もちろん、キタムラが朝鮮から「慰安婦」候補の女性を買った経緯や、日本軍の「慰安婦」調達の際の直接的な関わり、彼女たちが米軍に捕まった時の状況、十八師団が戦争遂行資源としての慰安所の「効率的活用」のため、詳細に利用日を決めていたことなど、重要な語るべき点は多い。

彼女らは戦闘に赴く前の兵士が、例外なく乱暴で、相手をするのが非常にイヤであったと語っているが、死を覚悟した兵士たちは、「慰安婦」に優しく接したりはしないのである。兵士の無事と戦闘の勝利を祈る朝鮮人「慰安婦」の「美談」など妄想に過ぎないのだ。

というように、書くべきことは多いのだが、今回はあまり指摘されていない例を挙げてみよう。なぜだか当り前のハナシとして受け取られているようだが、この20人の米軍に捕まった元「慰安婦」女性たちは、全員、朝鮮に帰還できたにも関わらず、日本軍「慰安婦」の認定の際に名乗り出ることはなかったのである。

私は韓国語ができないので、元「慰安婦」女性たちの証言は、日本で出ている数冊の邦訳からしか知ることができないのだが、名乗り出ていればなんらかの話題にはなっているだろうから、これは間違いないはずである。

実際の「慰安婦」認定の際に、名乗りでた元「慰安婦」は、例外的に辛酸を舐めた女性たちであり、名乗りでなかった大半の方々は、親による身売りされた例が大半で、「性奴隷」でもなかった、だから名乗りでることができないのだ、と言う文章を読んだことがあるが、これはビックリするくらいのバカげた話、単なる日本人に都合のいい推測である。

同じビルマ戦線に送られた文玉珠さんの証言によると、同じマツモトの慰安所にいた「慰安婦」女性たちは、騙されてビルマに連行されている。つまり完全な不法行為によって「慰安婦」とされたにも関わらず、彼女の慰安所での「同僚」たちは「売春」経験者であることを、世間に知られるのを快く思わない親族によって、名乗りでることを強硬に反対されたのだと言う。結局のところ、マツモトのところにいた「慰安婦」女性たちも、文玉珠さん以外に名乗りでることはなかった。文さん自身、この時期に、友人知人たちから、名乗りでたら交友関係を断ち切ると宣言されている。

韓国社会にとって、強制とはいえ、いかに「売春」経験者が、世間に名乗りでることが難しいかを示すエピソードであるのだが、文さんの例と同様、ミッチナーのキタムラの慰安所にいて、朝鮮に帰還した女性も、同様な事情で名乗ることができなかったのだろうと推測されるのである。

これはまた別の記事にするつもりです。
http://satophone.wpblog.jp/?p=6669


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html#c1

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
23. 中川隆[-11863] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:00:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[114]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c23

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
41. 中川隆[-11862] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:01:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[115]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c41

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
23. 中川隆[-11861] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:02:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[116]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c23

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
56. 中川隆[-11860] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:02:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[117]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c56

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
178. 中川隆[-11859] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:03:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[118]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c178

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
27. 中川隆[-11858] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:04:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[119]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c27

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
11. 中川隆[-11857] koaQ7Jey 2019年2月24日 00:05:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[120]

これは電波が酷過ぎますが、他に書かれていない貴重な情報を含んでいるので転記しておきなす:

2018.04.08
【チーム小和田家】チーム雅子の人生双六
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603

チーム小和田誕生

・朝鮮系勢力(創価、統一教会、総連、関係の深い部落解放同盟)が、正田美智子が皇太子妃になった手法と脚本をまるごとコピーして、朝鮮人皇太子妃を出そうと計画。

・隠れ中韓工作員であった元首相の福田(父)が、当時ブレイクしていた霊能者である藤田少女姫(こととめ)女史に、影響下にある全ての女子の写真をもちこみ、「皇太子妃になれる卦のある子がだれなのか」鑑定を依頼したと推測。あくまで推測。

・藤田女史は、政財界に顧客を多く持ち、岸信介もその一人。安保抗争のおりは「日米安保は成立するが、あなた(岸)は退陣する」という予言を的中させている。

・藤田女史が小和田雅子を鑑定したことは事実であり、鑑定結果は「小和田雅子は皇太子妃になれるが、皇后にはなれない」。

・小和田家の長女が「皇太子妃になれる」予言されていたため、朝鮮系工作員たちが中心になって福田の部下だった小和田の長女・雅子を中心にプロジェクトが発足。

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オリジナルの小和田家と雅子1号

同時に並行して、雅子2号チームが発足

補完するため、工作員によるチームが発足

補欠として、雅子3号チームも発足

チーム小和田「まずは、日本一優秀な家族」を作れ!

・福田家「まさこちゃんを、皇太子妃にするよ」

・「皇太子妃になれる」と、予言はされたものの、小和田雅子の両親の家が両方とも同和であることや、小和田家が隠れ朝鮮という出自に加え、水俣病を放置し、写真家ユージン・スミス氏への暴行や、被害者の方々に対する弾圧などで問題をおこしている江頭豊の孫、という点で、皇太子妃候補になるには難のある小和田雅子。

それを何が何でも「御優秀な遺伝子をもつ日本で一番優秀な女性」として育て上げ、家族もそれににあったものにするため「全員が高学歴、容姿端麗、優秀な遺伝子をもつ小和田家」が捏造される。

父恒を昇進

・まずは、皇太子妃の父親に相応しいように、福田の後押しで、ひたすら、小和田恒を出世させた。

当然、小和田恒も複数いる。肩幅を合わせると顔が違ってくる。

「@=C=D」≠「A=B」≠E≠F ではあるまいか。

・東大法学部卒のエリートがウヨウヨする中で、東大卒とはいえ教育学科卒にすぎない小和田、しかも英国大学の学位も実はとれていない(本人は論文をなくしたと言っている)小和田、しかも、人望のない小和田恒を出世させまくって次官にした。

当然、家系も捏造

※雅子様の家系・3代前から遡れない不思議な家系

・雅子様の家系・部落解放同盟との関係

日本一優秀な女性に相応しい学歴を作れ

・しかし、優良な家庭教師をつけても高学歴を獲得できるとは限りらない(安倍ちゃんがそうでしたし)。

・元首相の福田をはじめとする権力者の押しもあったはずだが、それでも、雅子1号は、学習院も落ちている。

・雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・歴代の雅子はいずれも、ボーダ―ラインだった可能性が高い。雅子1号を含めどの雅子も、学力も徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

※英語も話せない雅子様

※雅子様のご病気

・雅子1号を、アメリカに赴任していた小和田のもとへ転校させたのは、優秀とは言えないが、人並みな成績をとれる雅子にすり替える必要性がでてきたからかもしれない。あくまで推測。

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子1号なのか、雅子2号なのか、雅子3号なのかは知らないが、中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

◇www.asahi.com/national/birth/photo/05.html

東大法学部に学士入学、学友と福島・磐梯高原の宿舎でくつろぐ雅子さま=86年10月

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子1号、父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

皇太子妃候補から皇太子妃内定へ

・一方では、「小和田雅子を皇太子妃にプロジェクト」は進行しており、皇太子妃候補にストーキングや中傷誹謗をおこなって追い払い、皇太子妃候補は雅子と、旧宮家の久邇晃子さんんだけになった。

・何度も候補に挙がるたびに落とされた雅子。反対していた昭和天皇が崩御し、再び、皇太子妃になれそうな気配がでてきた。

・下準備として、江頭のもっている土地に、やっつけで物流倉庫のようなコンクリート御殿をたてて「皇太子妃の実家に相応しい家」を作る。それまでは、小和田家は、外務省職員住宅にしか住んだことがなかった。

・一方、宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

雅子1号オリジナル小和田家チームから、蛇顔の雅子2号チームへ

・しかしどういう事情かはしらないが、徳仁の妻には、週刊誌に「スクープ」されていた雅子1号ではなく、蛇顔の雅子2号がなった。

歯並びが吸血鬼のよう。

雅子2号とセットになっているのが、優美子2号。



雅子の実父は小和田ではなく創価学会の池田会長だとの噂

噂の真偽は微妙だが、少なくとも創価との関係は深そう。ご成婚パレードには、創価の旗が振られ、そして君が代が禁止されるという、異様な日本国皇太子の結婚式となった。

歴代の雅子が、池田家の人々や、池田家の落胤筋でないのかといわれている小室に、妙に似ている不思議。


Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜

国連大学本部ビル前で聞いた話

皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。

(中略)

創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」

(中略)

ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

転載以上

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。

※ドス子さまよりお借りしてます。

※詳細はこちらから、雅子様と創価学会の素敵な関係

愛子さんの誕生

・しかしながら、小和田雅子を、皇太子の妻にするのに成功したものの、かんじんの跡取りが生まれない。人工授精で雅子の誰かが生んだはいいが、親王ではなく内親王だった。

親王の予定だったことは、小和田夫妻の会見で、記者から「女の子でしたよ」と知らされ絶句した様子からわかる。

そして雅子2号チームから、雅子3号チームへ移行

・このころから、雅子2号が消え、雅子4号=3号(おそらくは同一人物)へ。

・メインの優美子も、愛子さん出産後は雅子3号=4号とチームを組んでいるエラ張り優美子3号へ。

・雅子出産に、朝鮮人は大喜び。将来は女性天皇にしようと画策。

愛子様の障がいと悠仁さまの誕生

・しかし、せっかくつくった愛子さんは自閉症。

※愛子様の記録

※愛子様の影武者

※愛子様の真実

・正田美智子チームのスポンサーの西武グループの堤家の没落により、美智子から産児制限をうけていた秋篠宮家が、産婦人科を受診。

・そのすきをついて、紀宮さまも黒田氏と結婚。美智子から逃亡。

・2006年、秋篠宮家の悠仁さまがお生まれに。

龍の雲、彩雲、愛子さん誕生以来、失敗続きだった神事が成功、宮様御手植えのプリンセスキコが開花、黄金のナマズ、など吉祥が続く。

・ちなみに福田(父)の秘書仲間が、福田(子)首相、小和田恒、女性天皇実現のために皇室典範を変えようとした小泉純一郎。

秋篠宮妃ご懐妊のしらせに憮然とする、朝鮮系の小泉。

犯罪者としての馬脚を現す小和田家

・小和田がリーマンショックのあおりを受けて天文学的な借金を作ったという噂が流れる。

・そしてヤフオク事件発生。皇太子夫妻と池田礼子による、皇室財産の横領が疑われれる。

※ヤフオク事件

※ヤフオク事件の背景

※ヤフオク事件と皇室の私物化の問題

・皇太子妃が代々うけついできたティアラなどの宝飾品は消えた。雅子がつけてくるのは贋作ばかり。

※消えたティアラの問題

・ヤケクソになった雅子3号は六本木で遊び、某暴力団組長Gの家がある六本木ヒルズや、G組長の車ともわれる、高級車マイバッハにのって徘徊しているのが確認される。

そして、疑惑の写真が上がる

※掲示板よりお借りしています。

その後、G組が突然解散。G組長はカンボジアへ逃亡。何があったのかは不明。

※雅子様と創価学会と後藤組の素敵な関係

そして、雅子3号から、妙に不潔なスラム雅子4号へ移行

タヌキ顔の六本木雅子3号=4号は消え、妙に不潔なスラム雅子5号に。

頭蓋骨の形も、歯並びも、ご成婚した雅子2号と、スラム雅子5号は別人にみえる。

2号、3号=4号と、歯並びが違う。



・伏見氏のブログに、大阪の檻付きの精神病院に、「雅子の父方の従姉妹」が入院しているとのリークあり。従姉妹ではなく、雅子のだれかではないのか。

傭兵としての双子と小和田チームの解体?

・さらに、「優秀な双子」設定も、家庭教師をつけたからといって、二人とも高学歴になるとは限らない。

・礼子節子の双子も2組あり、似ていない高学歴の双子は、2人とも、あるいは、誰にも似ていない節子が、「優秀な小和田家」を構成するための傭兵ではなかったのかという疑惑がわく。

・設定には「優秀な双子に優秀な夫、優秀な子供たち」の設定があったと思うが、礼子は弁護士と、節子は東大出の医者と結婚したものの、節子はこどもがなく、噂では、礼子の子供は愛子さんと同じだとか、なんとかかんとか、、。

・礼子は、雅子の主治医だった大野医師に診てもらっていたといわれており、やはり精神を病んだ可能性大。

・節子は、夫のDVから逃げ出しコンクリート御殿に引きこもり、廃人同然とかなんとかかんとか。

・小和田恒のスイス監禁をチャンスとして、節子の離婚が成立、元夫はさっさとフリーアナウンサーと再婚。

・この時点で、「チーム小和田」は解体していたとみていいのかも。

そして、スラム雅子5号からイナリ顔の雅子6号へ

・小和田監禁以後にでてくる雅子が、小和田監禁あたりから、冬瓜みたいな頭蓋骨の妙に穢いスラム雅子から、稲荷顔にかわったのではと推測。

一時期の雅子の園遊会逃亡や、雅子と徳仁の生の音声を意地でも聞かせないのは、日本語が話せないからではないのか。

小和田チームの結末

なにかにつけては雅子の静養に便乗し、準皇族を自称する池田礼子

・礼子は自分の子供に◯仁、という名前を付け、雅子の静養に便乗しての皇族気取りも、顰蹙を買うだけだった。

・言動が非日本人すぎて顰蹙を買い、さらには劣化具合がすごすぎて、とてもとても国民に羨望され、尊敬されるような優秀な家系として認識されるのは無理。

・すくなくとも、小和田家をかつての藤原家のような、コンスタンスに皇族の配偶者をだす名家にするのは無理。

・小和田家の連中が、自らが称するように準皇族として扱われるのも無理、

・当初狙っていたであろう、皇族の数が激変したため、それを埋めるために礼子やその子供、節子を当主とする宮家を設立などは、とても無理。

顰蹙を買い続ける小和田家

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

小和田家VS.天皇家 子育て版「文明の衝突」

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。

「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。

妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。日本も皇室も変らなければ」


以上


優美子「日本も皇室も変わらなくては」

この発言は、時期的に見て優美子3号でしょうかね。大切なのは雅子ではなく皇室ではないのか、と、第顰蹙を買いました。

傭兵としての双子

しかし、見れば見るほど、仮に二卵性であったとしても、双子にしては礼子と節子は似てませんね。赤の他人にしか見えません。

読者様の推理通り、この子でしょうか。

「頭脳明晰、高学歴、高身長、眉目秀麗な優秀な家系の優秀な女性が、乞われて皇太子妃になった」

「優秀な遺伝子を持っていたため見込まれ、皇太子妃になった」

これらを、国民に納得させるため、「高学歴の家族」をつくるために雇われたのが、似ていない双子の一人「節子」ではなかったでしょうか。

礼子も節子も、学歴は高かったはず。礼子は期待にそえたものの、もう片方の節子は無理だったので、傭兵をつかったのかもしれません。

学力は大体小学校くらいから、高低がはっきりしますので、集められた子供たちの中で、学力の高い節子、礼子が、「優秀な小和田家」のメンバーとして雇われているのかもしれません。あくまで推測ですが。

複数の雅子、複数の優美子、複数の恒、そして傭兵としての双子。

結局、「チーム小和田家」は、メンバーをやりくりしながら、敷かれたレールを走っていただけでしょう。双子も、TPOにあわせて入れ替わっていた可能性は高そうです。

朝鮮の法則

話しは少しそれますが、韓国は、堤家の利権がある長野五輪をマネして、統一教会利権の平昌へ冬の五輪を誘致しようとしましたが、何度も落選しました。

結局、長野五輪誘致に活躍した看板であった天才スケーターの伊藤みどりに匹敵する看板を作る必要にかられ、所詮は6位入賞がやっとの1.5流の選手である金妍児に、無理やり金メダルを取らせました。

審判の買収、ISUへの接待、ルールを金妍児のために変更し、各国のマスコミも買収し「圧倒的な女王キムヨナ」の印象操作に励みました。そのために国家予算に匹敵するお金をつぎ込んでいます。さらに、五輪委員を陥落させた堤の芸者接待を、模範して真似して妓生接待に励んだのかもしれません。

なんだかんだで、金妍児は金メダルになり、結局平昌へ五輪は誘致できましたが、平昌五輪の結果は散々でした。韓国破産のひと押しになりそうです。

成功者を必死でまねるが、結果はギャグ。何をやってもこうなるんでしょうかね。皇室のっとりもそうなるんでしょう。

女性宮家の当主とその配偶殿下におさまろうとした小室と偽真子の婚約騒動は、まさにギャグでした。

すべては、この人の予言からはじまった

藤田女史の予言「小和田雅子は皇太子妃になれる」

この予言には続きがあり「しかし、雅子さんは、皇后にはなれない」というおまけがついていました。

藤田女史は、ハワイで息子さんの友人だった朝鮮系の男に殺害されるのですが、「皇后になれない」理由と経緯は見えていたのかもしれません。

予言が成就するかどうか、見ものですね。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=17603
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c11

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
1. 中川隆[-11859] koaQ7Jey 2019年2月24日 08:50:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[118]

2019.02.23
美智子さまが「讃美歌」を歌うのは「問題」なのか?
https://rondan.net/16529


Contents

1 『女性自身』(2019.3.5号)の座談会
2 美智子さまが「賛美歌」を歌う
3 「BBの覚醒日記」の攻撃
4 「賛美歌」を歌っても良いのではないか?
5 歴史的に見ても習合は伝統的
6 様々なものと習合することが伝統

『女性自身』(2019.3.5号)の座談会

『女性自身』(2019.3.5号)に載せられた座談会「殿下は『深夜のお散歩』と『柏原芳恵』がお好き」という記事。

皇太子殿下の学友(乃万暢敏氏・竹内尚子氏・小山泰生氏)による座談会で、皇太子殿下のお人柄を忍ばせる面白いエピソードが紹介されています。

たとえば殿下はテニスがお得意とか、カラオケが上手で『氷雨』(佳山明生)が十八番とか云々。

美智子さまが「賛美歌」を歌う

そんなカラオケのエピソードで次のような下りがあります。


乃万 そうやってワイワイやっていると、美智子妃殿下(現在は皇后陛下)がいらっしゃって「私もお仲間に入れていただけますか」とおっしゃることもありました。美智子妃殿下からは、フルーツや、オレンジジュースを差し入れていただいて。
竹内 手作りの笹巻きずしをいただいたこともありました。私、笹を持って帰りました(笑)。
乃万 カラオケの時間になったら「私もじゃあ、ちょっと1曲」とお歌いになったことがございます。
竹内 本当ですか! すごいことですね。——それはどんな曲ですか?
乃万 たしかキリスト教の賛美歌だったと思います。カラオケのセットの中にはない曲ですから、アカペラで歌ってくださいました。


『女性自身』(2019.3.5号)「殿下は『深夜のお散歩』と『柏原芳恵』がお好き」
この一文が一部界隈で問題視されています。つまり「賛美歌」を歌ったというとことが今回焦点であり、換言すれば「神道の頂点にある皇族が、異教の歌を口にしてもいいのか?」ということです。

「BBの覚醒日記」の攻撃

この「讃美歌」を疑問視する声は、具体的には「BBの覚醒日記」という有名な皇室ブログにあります。

美智子さまが「賛美歌」を歌っているとの一文を引用した後、次のように神道とキリスト教の対立性を主張します。


浮世では、ローマ法王の訪日もあり表向き友好関係は保っていますが、厳しい一神教のカトリック(異教徒を許さぬ排他性も持つ。数々の戦争の引き金にもなって来た)と、あらゆる事物と現象に神を見出す神道とは水と油です。

誰がいかなる宗教を奉じるのも自由ですが、こと皇室は神道の祭祀王を頂点に頂く「神道の家」です。それは嫁ぐ時に了承済みのはず。
分かりやすく言えば仮に出雲大社に嫁ぐ女性が、嫁ぎ先でバイブルを読み賛美歌を歌っているようなことです。

信仰を捨てる気がないのであれば、皇室にお入りになるべきではありませんでした。それは雅子妃にも言えます。

BBの覚醒記録「東宮御所で賛美歌を歌う皇后陛下」 
「BBの覚醒日記」さんは、誇大妄想的な記述が多く大変面白いブログです。この後にも、雅子さまが創価学会の信仰を持っていて御本尊に勤行しているのだとか、GHQに端を発する勢力が日本を弱体化させるために美智子さまを皇室に送り込んだとか、香ばしい記述がいっぱい出てきます。

これを信じてしまっている人も多いようなので驚きですが(笑)

「賛美歌」を歌っても良いのではないか?

もともと美智子さまがクリスチャンであった事実はよく知られています。この点はマスコミなどからも執拗に叩かれました。

しかし皇族がキリスト教の歌をうたっても良いのではないでしょうか? さすがに「ミサに出られた」とかなら問題になるかと思いますが(笑)

現在の皇室はキリスト教に対して非常に融和的だと思います。事実、眞子さまも佳子様さまICU(国際基督教大学)に通われていますし、皇室とキリスト教の繫がりは、じつは仏教のとの繋がりよりも強くなっているように思います。しかしこれを非難する声を聞いたことはありません。

原理主義的に言えば、皇族は國學院大学か皇学館大学にしか行けなくなってしいまいます。むしろ、そういう了見の狭い進路こそが今の時代にあっておらず、逆に国民の理解を得られないのではないでしょうか?

確かに歴史を振り返ると、安土桃山・江戸時代ならびに明治期には、新勢力であったキリスト教に対する旧勢力からの反発が強くありました。キリストと天皇の関係をどの様に理解するのかも議論になりました。しかし時代とともに、キリスト教も排他的方針を捨てエキュメニズム(融和)を基調とするようになり、戦後に至っては日本社会に完全に溶け込んでいます。

このようなキリスト教に融和的な態度は、昭和天皇の頃から既にあるようです。つぎのエピソードは有名です。


「ある皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響」と聞いた昭和天皇が美智子さまに「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したというのだ。実はこれらは当時の雑誌が書き立てた噂話で、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと実録は記している。

週刊朝日(2014.11.7号)
歴史的に見ても習合は伝統的

ゆえに「賛美歌をうたっても良い」と私は思います。紛れもなく皇室自身がそれを認めているのですから。これは「習合」の伝統的文化からも裏付けられます。

神道と仏教が分離したのは、明治期の廃仏毀釈からです。それまで両者は習合(融合)しており、お寺の中に神社があるなどしていました。修験道もこの習合によって生まれたものの一つです。明治になる以前は、天皇の葬式は仏式で行われていました。

我々が知る「神道」とは実はかなり新しいものです。そして、現在も皇室は仏教教団の祖師らに対して「大師号」を与えるなど、仏教と密接な関係を持っています。よっていったん習合してしまったものを今更分離することなどできず、廃仏毀釈は失敗、仏教と神道は現在も習合した形で社会に残っています。

様々なものと習合することが伝統

仏教以外にも神道および皇室は様々なものと習合しています。特に中国文化との結びつきは大変強いものがあります。元号は中国の典籍を出典としますし、天皇の即位礼に使う高御座にも「鳳凰」が飾られています。

このように日本の歴史は習合をその伝統としてきましたし、その伝統のなかで神道もはぐくまれてきました。よって異宗教だからという理由だけで排除すること自体が、伝統的・神道的な立場にそぐわないでしょう。

よって美智子さまが「賛美歌」を歌うことは何ら問題ないと考えられます。ましてこれは非公式の私的なカラオケです。もちろん色々な考えがあって良いと思いますので、ぜひ皆さんの声を声を聴かせていただければと思います。

コメント

777 より 2019年2月23日 10:10 PM

「讃美歌」を歌うと無意識がキリスト教に洗脳される事になるので、もう神道の世界には入っていけなくなります。 神道の信者は夢で天照大神を見るのですが、日本人でもキリスト教の信者の夢にはイエスしか出て来ないのは有名な事実です。

無意識では習合は起きません。 日本の仏教は本物の仏教ではなく、無意識では神道に変わっています。

そうすると、「讃美歌」を歌っている人が神道の儀式をやっても、何の意味も無い只の煩瑣な手続きになってしまいます。 だから今の皇族は全員古来の神道の儀式をやりたがらないのですね:

無意識を自覚。自分が何に洗脳されているか一瞬で知る方法

インドの女性は歌が好きだ。インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。

彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。

しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。

声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。

「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。

確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌は「マントラ」と呼ばれていることに気付いた。

宗教ソングの美しい旋律の歌にある世界観に危機感

彼女が歌っていたのは、こちらだ。「ガヤトリ・マントラ」という。ガヤトリ・マントラも同名で別曲がいくつもあるが、この曲が一番美しい。

マントラという言葉は初めて聞く言葉ではない。それは呪文だか呪術だとか、そういうニュアンスで私は覚えていたので、歌までマントラという括りをすることに驚いた。

今となっては彼女がアカペラで歌ったそのマントラがどんなものだったのか旋律が思い出せないのだが、その歌を聞いたときの感情は生々しく思い出すことができる。

美しい歌を聞いたときの感動の震えがそこにあった。そして、ずいぶん後になって私は「これは危険だな」と意識したのだった。美しさに取り込まれてしまいそうなのが分かっていた。

その歌がマントラなのであれば、その歌の先にヒンドゥー教が待っている。人は美しい歌を聞いて感動し、その歌の世界観に浸って自分の心を癒すことができる。

宗教はそういった歌の効用をよく知っていて、それを巧みに使って心を操っていく。

キリスト教徒は賛美歌やゴスペルに涙を流す。

たとえば、「アメイジング・グレイス」や「What A Friend We Have In Jesus」などをじっくり聞いていると、キリスト教徒は涙がとまらなくなるという。

人口に膾炙する美しい旋律(リズム)と、その詩の内容の優しさが加わって心に響くようだ。

インドのマントラも美しい旋律のものがいくつかあって、ガヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)などはよく知られている。

ただ、古い歌にはよくあることだが、ひとことでガヤトリ・マントラと言っても、膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌でもまったく違うように聞こえる。

シヴァ神と、妻パールバティ。ヒンドゥー教お馴染みの世界観。

美しさは無条件に人の心に染み入っていく

ガヤトリ・マントラは様々な歌手が歌っている。たとえば、ドイツ出身の歌手、デヴァ・プレマールの歌うガヤトリ・マントラも私が聞いた上記のものと同一のものだ。

Om bhur bhuvah svaha
tat savitur varenyam
bargo devasya dhimahi
dhiyo yonah prachodayat

彼女はドイツ人だ。なぜドイツ人女性がヒンドゥー語でガヤトリ・マントラを歌っているのか最初は戸惑った。

調べてみると、彼女は子供の頃から父親にマントラを聞かされていたらしく、その影響が強かったようだ。こういった珍しい経歴の人もいる。彼女は歌を通してヒンドゥーに取り込まれていた。

欧米でも、このようなヒーリング的なものを求める人たちにはよく売れているようだ。

人は、このような歌から精神世界や宗教に取り込まれていく。その典型的な例がマントラの旋律にあった。

美しさは無条件に人の心に染み入っていく。

そして何度も何度もそれを繰り返すことによってその歌の世界が自分の感情と同化していく。

そこに宗教的なメッセージがあれば、歌と同時に人はそれをも無意識に受け入れてしまう。歌が美しいゆえに拒絶反応すら起きることがない。

これは一種の巧妙な洗脳とも言える。アメイジング・グレイスやガヤトリ・マントラのような美しい旋律の中に宗教を散りばめて人々を取り込んでいくのである。

皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化

教会や寺院で人々は何をやっているのか。賛美歌を歌っているのではなかったか。

賛美歌は神を讃える歌詞をリズムに載せたものである。それを皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化する。

日本が無神論者のような人が多いのは、仏教が美しい歌を「開発」しなかったからだと私は強く思っている。

念仏は眠気を誘うが宗教心を芽生えさせない。そういう意味で仏教の親玉は他の宗教と比べると知恵が足りなかったのだろう。

ヒンドゥー教もキリスト教も、歌だらけだ。

インド人は幼い頃からマントラを聞いて、歌って、その世界観の中で生きていき、成人する頃には頭の中はその思考から離れられない。

あの真っ青な荒唐無稽な神は私にとっては単なる滑稽なフィクションだが、彼らにはそうではない。それが自分の血肉に染み付いた大切な精神世界なのだ。

同じことがキリスト教にも言える。あの十字架にぶら下がっている死体は、やはり私にとっては滑稽なフィクションだが、彼らはそれを「なんという友、私たちのジーザスよ」と感極まっている。

子供の頃からくり返しくり返しそれを聞いて、それを歌い、それが思考の基盤になっていている。

父親も母親も、そして兄弟も地域社会も、自分のまわりがすべてそのひとつの宗教に染まっている。

そこまで行くと、その宗教を否定することは両親や地域社会や文化をすべて裏切ることになる。

美しい歌があり、心地良い思い出がすでに蓄積されている。だから、いくら荒唐無稽だとしても、その宗教を否定することなどできなくなってしまっている。否定する意味もない。

そして、村ぐるみで、町ぐるみで、国ぐるみで宗教を擁護し、それを認めない者を「自分を否定した」と憎むようになる。たったひとつの美しい旋律の歌が、そのような篤い宗教心の人間を生み出しているのは間違いない。

自分の気に入った歌の世界観が、あなたの世界観

私が感銘を受けたガヤトリ・マントラは、その一曲で私をヒンドゥー教に向かわせる可能性も威力もあった。

美しい旋律の曲が人生を変えるというのは本当だ。自分の気に入った歌を思い出して欲しい。

あなたは無意識にその歌の世界をなぞって生きているはずだ。

それに気がつかなかった人もいるかもしれない。そして、それに気がつくと、恐ろしくなる人もいるかもしれない。

あなたが子供の頃から知っている好きな歌が、あなたを洗脳した歌だ。そして、その歌の世界が、あなたの世界観である。

あなたの自分の世界観は、実はあなたが考えた世界観ではなく、歌で洗脳された世界観だ。

あなたが何に洗脳されたか知る方法は、あなたがどんな歌が好きなのかを思い出すだけでいい。

自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ってからもずっと後まで、意思決定や性格形成に影響を与え続ける。

私がガヤトリ・マントラでヒンドゥーに染まらなかったのは、理由はひとつだ。

私は、タイでタイの美しい歌に聞き惚れ、カンボジアでカンボジアの美しい歌にしっとりとし、インドネシアでやはり美しい歌に心を奪われた。

多くの国の美しい曲が、私をひとつの思考や哲学や宗教や国にとどまらせるのを許さなかった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150205T0253220900.html


https://rondan.net/16529
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c1

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
3. 中川隆[-11858] koaQ7Jey 2019年2月24日 08:56:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[119]

権力者に媚びず、事実を追求するためには皆様のカンパ/寄付が必要です。


 日常生活であろうと政治経済であろうと、情報に基づく判断にしたがい、行動します。そこで支配層は情報を支配し、人びとの行動をコントロールしようとしてきました。

 本ブログでは繰り返し書いてきましたが、権力者は情報を支配するためにあらゆる手段を使います。その中には教育機関、マスメディア、広告会社も含まれ、そうした組織を操るためにアメリカでは第2次世界大戦が終わった直後、モッキンバードと呼ばれるプロジェクトをスタートさせました。

 そのプロジェクトを動かしていたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、フィリップ・グラハムの4人ですが、このうちダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、ヘルムズの母方の祖父は国際決済銀行の初代頭取、グラハムの義理の父は世界銀行の初代総裁。つまり4人とも巨大金融資本の人脈です。

 グラハムはワシントン・ポスト紙の社主でしたが、1963年8月、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺して妻のキャサリンが新聞社を指揮することになります。

 キャサリンが社主の時代に同紙はウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込みますが、その取材で中心になったカール・バーンスタインは大統領辞任から3年後の1977年に新聞社を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いています。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 その記事によりますと、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけての時期にニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員へ架空の肩書きを提供したといいます。

 2014年2月にはフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテが​ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本​を出しました。

 彼によりますと、ドイツを含む多くの国でCIAはジャーナリストを買収、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているといいます。

 その結果、人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっているという危機感を彼は抱き、事実を明るみにだしたそうです。

 しかし、このジャーナリストは2017年1月、56歳のときに心臓発作で死亡しました。出版されたはずの英語版は流通していません。

 アメリカ政府は大量破壊兵器を口実にしてイラクを先制攻撃、ウクライナ、リビア、シリアなどでは国民弾圧という話を広めながら傭兵に侵略させました。使われた傭兵はウクライナがネオ・ナチ、リビアとシリアはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする人びとです。

 侵略後、アメリカ政府の嘘は発覚してきましたが、その後も政府やその宣伝機関である有力メディアを信じている人が少なくありません。そうした状況を打破するためにも事実を伝える必要があると考えています。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201902240001/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c3

[近代史3] グリフィス 散り行く花 (Broken Blossoms) (1919年)


グリフィス 散り行く花 (Broken Blossoms)


監督 D・W・グリフィス
脚本 D・W・グリフィス
原作 トーマス・バーク
撮影 G・W・ビッツァー
公開 1919年5月13日


動画

D. W. Griffith - Broken Blossoms - D・W・グリフィス - 散り行く花(1919) [MultiSub] Full Movie - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xi0U297CO3M
https://www.youtube.com/results?search_query=D.+W.+Griffith+-+Broken+Blossoms+&sp=mAEB

キャスト

ルーシー:リリアン・ギッシュ
中国人青年(イエロウ・マン):リチャード・バーセルメス
バトリング・バロウズ:ドナルド・クリスプ
バロウズのマネージャー:アーサー・ハワード


仏教を広めるため、中国からロンドンに渡った中国人青年チェン・ハンは、しかし厳しい現実に直面し、スラム街で店番をしながら阿片を吸うような生活を送っていた。

同じスラム街で暮らす少女ルーシーは、ボクサーである父親バロウズから日常的に虐待を受けていた。ルーシーは笑うことを知らず、父親から笑顔を要求されると、指で唇の両端を持ち上げるほどであった。

ある日、父親からひどく殴られたルーシーはチェンに助けられ、彼の部屋でつかの間の安らぎを得る。二人の間にはロマンティックな感情が芽生え始めるが、二人のことを聞いた父親は怒り、ルーシーは力ずくで連れ戻されてしまう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A3%E3%82%8A%E8%A1%8C%E3%81%8F%E8%8A%B1

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/268.html

[近代史3] グリフィス 散り行く花 (Broken Blossoms) (1919年) 中川隆
1. 中川隆[-11857] koaQ7Jey 2019年2月24日 12:28:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[120]

散り行く花(BROKEN BLOSSOMS) 1919

絶対的ロリコンのグリフィスが永遠の少女リリアンに、究極の乙女を演じさせる。

ここで彼女の被る苦難は、元プロボクサーの父による虐待。彼の他の大作のヒロインほど大仰な悲運ではないだけに、その逃れられなさは絶望的。名優クリスプがまた、この希代の憎まれ役に入魂の演技を見せるので、観客の誰もがうすうす、死の他に彼女を解放する手段がないことを予感する。

その彼女に想いを寄せるのがバーセルメスの純真な中国商人。本来なら異様な、白人の東洋人への化身も、このバーセルメスにだけは許される。そんな真摯さに溢れた演技で、リリアンと清らかな愛を紡いでいく。後にゴダールによって「勝手にしやがれ」で引用されるラスト・シーンが美しい。瞳は悲しみを湛えているのに、リリアンはその白魚の指で口の端を上向きに歪ませて、最後の微笑を作るのである。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14791

D・W・グリフィス、ディビット・ワーク・グリフィス。アメリカの初期の有名な代表監督ですね。その監督の『散り行く花』、この話しましょうね。

グリフィス、この人は『イントレランス』で一躍有名になりました。凄い、凄いセット、バビルの宮殿なんかもの凄かった。

どうしてこんな凄い映画をつくったか言うと、イタリア映画の『カビリア』という映画を観てびっくり仰天して、それから二年目に『カビリア』に負けないようにというので、凄い、凄いバビルの大宮殿をつくり、そうして、もうこの人は一生払えないぐらいの借金を背負ったんですね。

けれども、あんまり超大作をつくったから、他の会社が嫌がって使わなくなったらいけないので、今度つくったのが、本当のグリフィスらしい映画の『散り行く花』。
今度は小品ですね、小さな作品ですね。けれどグリフィス一生の中で一番の見事な映画は『散り行く花』でしたね、リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス。

ルーシーという、13歳の女の子がいたんですね。その女の子がお父さんに殴る、蹴られる。むちゃくちゃなお父さんですね、義理のお父さんですね。自分がつまんだ女が、外の男とできた子供を放り出していったんですね。
しかたがないからその子供を、ルーシーと言う子供を、このお父っつぁんは犬猫の代わりに使ったんですね。

そうしてお父っつぁんが、帰って来て「メシっ」と言うと、その13歳の女の子が慌てて飯つくつる。ところが怖いから、うつむいて、うつむいて飯出す、すると髪の毛引っぱって、笑え、笑え、Smile,smile,smile、と怒るんですね。そうして子供を殴るんですね、この子は、もういじけきってるんですね。

そのルーシーと言う13歳の女の子が、チェンハンのストアの前でびっくりしたんですね。あんな奇麗な物が、あんまり立派な物が一体あるのかしらんと思って、毎日、毎日、マーケットへ買いに行く帰りにそれを見て、ウィンドウに顔突っ込んでたんですね。

するとチェンハンが、今日もまた、水仙の花、水仙の精、それがやって来る、金髪の少女、青い目の少女、そうして、その水仙の精をじっと見るのが好きだったんですね。
そのうちに、三日、四日、五日、六日、十日、だんだん、だんだん、親しくなって、おいで、おいでと言ったんですね。

行ったらいけないんだけど、あんまり奇麗な物がある。しかもそのオルゴール、支那のオルゴール、チンコン、クリンコン、クリンコロン、クリンコン、サイレントだけどその音が感じるんですね。

そうしてその子は中へ入って行ったの。したら、あれも見なさい、これも見なさい、そこで一晩過ごしたために、その親方が探して探して、とうとうルーシーを見つけて引きずって帰るとこあるんですね。

その時にちょうどチェンハンは、ルーシーにおいしいもの食べさしてやろうと思って市場へ行ってたんですね。その留守に一人の男がやって来て、そのルーシーを引っぱって行くところが怖いんですなあ。

もうルーシーは半分気絶してるんですね。それを引きずって、引きずって、お父っつぁんの前で「おったぞこいつ、この女」。で、お父っつぁんは鞭持って「このやろう、黄色と一緒になりやがって」、鞭でパーッと殴ったんですね。

もう殺されると思ったから、この子はそばの大きな箱の中入って中からせん入れたんですね。

お父っつぁんはヒステリーになって「鞭で開かなかったら、ここに斧があるぞ」って、台所から斧持って来てカーン、カーン、とやるのが、まるで音が聞こえるように怖いんですね。

そして女の子は、中で体、顔中汗いっぱい、よだれが出る、鼻水が出る、震え上がっているうちにパーッと明るくなるんです。破れたんですね、ドアが。

そうして、あーーーっと思ってると、お父っつぁんが首引きずってターッと出して、パーンと投げたんですね。

ルーシーは死んじゃったんですね。さすがにびっくりしたんですね。

その時、表からチェンハンがやって来て、パーン、パーン、二発でお父っつぁんを殺したんですね。

そしてルーシーを抱いて、自分のチェンハンのストアへ連れて帰って奇麗に体拭いてやる。あたまといてやって、中国の服着せて、ろうそく立てて、線香たてて、「水仙の精よ、おまえだけをヨミの国へやらないよ、わしもおまえを守って付いて行く」、言ってベットの下から銃刀出してきて、カーッと突いて、パターッと倒れる。この後追い心中、凄かったですよ。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2166.html

『散りゆく花』は父の暴力に死ぬ少女の物語です。リリアン・ギッシュは映画の始まりとともに活躍した女優ですが、幼さの残る少女みたいな顔ときゃしゃな体が、犠牲者であるのにふさわしいキャラクターということになります。

少女の父親は非常に残酷で、日常的に娘に暴力を振るっています。最近では少女をレイプをしていたのではないかという論文も出ています。

少女は、「いつも悲しそうな顔をしているな、笑っていろ」と父親に怒鳴りつけられたので、父に暴力を振るわれて死ぬ最後の場面でも無理に笑おうとしているのです。

http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000276/0/html/section4.htm

 「散り行く花」には原作があり、原作では中国人青年とルーシーの描写はもっと性的だったというが、映画ではあまり描かれていない。これは、「永遠の処女」を描き続けてきたグリフィスの意向が強いものと思われる。

中国人青年がルーシーに性的な意味合いで思いを寄せていると思わしきシーンは多々ある。

特に、中国人青年がルーシーに近寄るときに極端なクロースアップとなり、ルーシーが怯える。結局中国人青年は何もせずに、「青年の純粋な愛は誰もが認めるところだった」という字幕がわざわざ入る展開は、中国人青年が性的な思いを抑えているということを示しているように思えた。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20090425/1241519543

私が見事だと思うクロース・アップの使い方の1つに、「散り行く花」におけるワン・シーンがある。リチャード・バーセルメス演じる中国人青年が、リリアン・ギッシュ演じる少女ルーシーに近づいていくシーンだ。

ここでは、バーセルメスの顔が超クロース・アップによって捉えられている。この異常なまでのクロース・アップで捉えられた顔は、無表情に近い。しかし一方で、バーセルメスのルーシーに対して性的な思いを抱いており、それを抑えつけていることも感じさせる。

これほど見事に性的な欲望を描いたクロース・アップを私は知らない。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%CA%B8%BB%FA+&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

『散り行く花』

 次にお見せするのはグリフィスの有名なサイレント映画です。これは『チート』とは違い、中国人、アジア人を同情的に描いているとよく言われます。主人公チェン・ファンをリチャード・バーセルメス、相手役ルーシーをリリアン・ギッシュが演じています。この2人の俳優は初期のハリウッドを代表する黄金コンビですが、ここでチェン・ファンはつり目のイエロー・フェイスとして登場します。この映画のメッセージは、平和で優しいアジアに対して暴力的で野蛮なアングロサクソンということで、オリエンタリズムとは逆の構図になっています。しかし、よく見るとその裏にはそれとは異なるものが見え隠れしているのではないかと思います。

「黄色人種と少女」というあからさまな副題がついていますが、悲劇に終わる、優しい中国人と不幸な白人少女のプラトニックラブを描いています。最初の「口上書き」では、これはお涙ちょうだいのメロドラマだと紹介され、身体的暴力も言葉による暴力も戒めるべきだという教訓が示されます。次にターナーの絵を思わせるようなブルーを基調とする詩的な、美しい港の風景が挿入されています。

チェン・ファンの中国とルーシーのイギリスを結ぶのは海なのです。その後に中国が描写される場面では、中国人を実際の中国人たちが演じていることに注意すべきですが、一見するとドキュメンタリーフィルムのようでもあります。平和な中国の穏やかな情景が描き出されており、その中でのよそ者であるアメリカ人水夫たちの、場違いの野蛮さや騒がしさが挿入されています。

 中国人チェン・ファンは、イエロー・フェイスが少し不気味で、人間離れした感じがします。深く仏教を信仰している彼は、仏教の平和のメッセージを届けるために海を渡ってイギリス、ロンドンへ行くことになり、ロンドンが物語の中心舞台になります。しかし、高い志を果たせず彼はライムハウスというスラムに身を落とす状況に陥ります。中国商品店で店番をするのですが、アヘンを吸う退廃的な側面も見られ、平和のメッセージを届けにきた最初の意図とは全く違う生活になっています。アヘン窟ではいろいろな有色人種らが一堂に会しており、白人女性も混じっています。フー・マンチュウもそうでしたが、なぜかアジア人の爪がひょろひょろと長いのも不気味です。

 一方のルーシーは母を亡くし、娼婦たちがたむろしている同じスラムに住んでいます。子だくさんで生活に追われる継母がいますが、ルーシーの面倒など見ていられず、結婚生活にすごく疲れている女性として描かれています。ルーシーには母性的な支えがありません。一番重要なポイントは、ルーシーが血を分けた父親から虐待を受けているということです。父親はボクサーで、非常に強く、ヒーロー的な側面もありますが、子供に虐待をするという暴力的な面を持っているのです。父親はルーシーに笑えと言いますが、笑えない彼女が自分の指で笑いを作る場面は有名です。非常に切ないです。

 死んだ母親からもらったティン・フォイルをお金の代わりにして物を買おうとするルーシーを、チェン・ファンが見かけます。彼は彼女の不幸せな、でも美しい姿に心を奪われます。スラムに咲く一輪の花という感じでしょうか。これが2人の出会いです。父の虐待から逃れてチェン・ファンの店に偶然なだれ込んでしまった彼女を彼が助けます。ここで彼女は初めて本当の優しさに触れます。その喜びが、花が咲き鳥が歌うようにと、詩的に表現されています。彼はルーシー介抱し、中国の服で美しく着飾ります。ここで初めて彼女は指を使わないで自然に笑うことができるのです。

 しかし、2人の関係は父親に告げ口されて、怒った父親はルーシーを連れ戻そうとします。父親がボクシングをしているシーンと、チェン・ファンとルーシーの関係が描かれているシーンが交互に挟み込まれて、テンションを高めています。グリフィスの有名なクロス・カッティングの手法です。

ここでは、隠されているチェン・ファンのルーシーに対する性的な欲望がはっきり出ていることに注意してもらいたいのです。チェン・ファンがルーシーに顔を近づける時、彼女は明らかにおびえた表情を見せています。プラトニックのラブが強調されていますが、実際にはその裏にあるチェン・ファンの性的欲望にルーシーがおびえている様子が見えてしまいます。

 ルーシーを父親に連れ戻され、彼女がいなくなった部屋でチェン・ファンは嘆き悲しみます。そして、父親の部屋ではルーシーがまたひどい虐待を受けるのです。ルーシーは何も悪いことはしていないと言いますが、父親は認めません。

ここでは性的な虐待を暗示させる描写があることに注意してください。

ヒモの部分を持ってぶらぶらと強調させている鞭の柄はどうしても男性器を思い起こさせるし、ルーシーが逃げ込むクローゼットの中に下がっている靴も男性器を象徴すると言われます。ベッドも小道具としては性的なものを連想させます。

 その間チェン・ファンはルーシーを救い出しに行くべく、ピストルを持って彼女の家へと向かいます。しかしながら父親の虐待はやまず、ルーシーは死んでしまうのです。追ってきた彼はルーシーが既に死んでいるの見て、父親をピストルで撃ち殺してしまいます。その後チェン・ファンは彼女の亡きがらを部屋に持ち帰り、その横で自殺するという結末になっています。

 この作品では、平和的なアジアと野蛮で暴力的なアングロサクソンという対立が確かに示されていますが、性的な問題がその背後で暗示しているものに注意したいと思います。父親の性的な虐待が暗示され、チェン・ファンについてもルーシーに対するレイプ願望が見られるのではないでしょうか。ルーシーを中国の人形みたいに着飾ってみせることも、女性を物のように扱うフェティッシュな愛のかたちを示しているようでもあります。

こういったことからチェン・ファンは同情をよぶ男性としてだけではなく、イエロー・フェイスの彼の顔や動作そのものも何か不気味な、危険なものをかもし出しているように、イエロー・ペリル、黄禍的な側面を実は隠し持っていると解釈できるのではないかと思います。

 また、労働者階級におけるスラムという場は、当時のイギリスやアメリカを支えている白人中心主義とか家父長制などが完全に崩壊し、人種が入り乱れて混沌とした状況であり、アヘン窟はまさにその象徴といえます。この作品は、スラムとは怖いところだと、スラムに落ちてはいけないというメッセージも放っているのではないかと思えます。

 この映画では暴力とか性的なニュアンスが強く出ていると思いますが、この作品以降映画とは不道徳でよくないものだという雰囲気がかなり広がっていき、1922年には映画を作る側が、反モラル的な描写を規制していこうという動きに出てきます。以後、性や暴力の描写が規制されますが、それと同時にアジア人と白人とか、白人と黒人といった異人種間の恋愛も、題材として完全に禁止されていくのです。したがって、20年代、30年代にはこれまでのメロドラマに代わって、『フー・マンチュウ』のような冒険活劇とかスパイものなどに限ってアジア人はまだ出てきますが、アジア人と白人のロマンスは姿を消してしまいます。
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000280/0/kouza13/section6.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/268.html#c1

[近代史3] チャップリン キッド The Kid (1921年)

チャップリン キッド The Kid (1921年)

監督 チャーリー・チャップリン
脚本 チャーリー・チャップリン
音楽 チャーリー・チャップリン(1971年サウンド版)
公開 1921年1月21日

上映時間
オリジナル版/68分
1971年サウンド版/53分

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=The+Kid+1921&sp=mAEB
https://www.nicovideo.jp/search/Chaplin%20The%20Kid%E3%80%80(1921%E5%B9%B4)?ref=watch_html5


キャスト

放浪者:チャールズ・チャップリン
捨て子の少年:ジャッキー・クーガン
捨て子の母親:エドナ・パーヴァイアンス
芸術家の男:カール・ミラー
木賃宿の男:アルバート・オースチン
スラム街の看護婦:ネリー・ブライ・ベイカー
興行主、木賃宿の管理人:ヘンリー・バーグマン
自動車泥棒・客・夢の中の悪魔(三役):ジャック・クーガン・シニア
夢の中で放浪者を誘惑する天使:リタ・グレイ
医師:ジュール・ハンフト
芸術家の友人:グランヴィル・レッドモンド
エドナのメイド:メイ・ホワイト
警官:トム・ウィルソン
街の乱暴者:チャールズ・F・ライスナー

慈善病院を出たある婦人(エドナ)は、車の中に自分が産んだ赤ん坊を置き去りにする。一方、放浪者(チャーリー)はその車の持ち主が途中で捨てていった赤ん坊を見つけて可愛そうに思うあまり、育てようか悩んだ挙句、通りがかった警官や乳母車を担いだ余所の婦人ににらまれた末、赤ん坊のそばにあったエドナの置手紙を見たことにより、自分の家でその赤ん坊を育てることにした。

五年後、育ったキッド(ジャッキー)とともに、チャーリーはキッドにいたずらでガラスを割らせる一方でガラスの修理を行い、被害者から修理代をいただき、生計を立てていた。キッドはいたずらで石を投げようとするところを警官に見つかり、石を放り出して逃げていった。

その後慈善活動として子供と親しむようになっていたエドナは偶然成長したキッドと再会し、キッドはエドナからおもちゃをもらう。ある時、キッドは街のいじめっ子に出会い、けんかになるところをチャーリーは見かねてキッドを助けに行こうとするが、いじめっ子の兄がやってきたため、決闘沙汰になる。結局兄は引き下がったが、エドナが熱を出したキッドを担いでチャーリーの元に駆け込む。

呼ばれた医師が見つけた「この子をよろしくお願いします」というエドナの手紙により、キッドが孤児であると発覚すると、孤児院の職員がキッドを孤児院に連れていこうとするが、チャーリーはキッドと組んでこれを拒む。宿屋でチャーリーと泊まったキッドを見た宿主はエドナが新聞に懸賞金付きで投稿したキッドを探し出す旨の記事を見つけ、眠っていたキッドを連れ出した。

キッドがいなくなったことに気づいたチャーリーは必死でキッドを探し出そうとするが、エドナが訪れた警察署で匿われたキッドを保護する一方、チャーリーはキッドを探し疲れて眠りにつき、天使や悪魔、そしてキッドが現れる夢を見た。そして警官に起こされてエドナの邸宅に連れていかれ、キッドとの再会を果たした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%89_(1921%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/269.html

[近代史3] グリフィス 國民の創生 (The Birth of a Nation) (1915年)

國民の創生 The Birth of a Nation


原作:トーマス・ディクスン 『The Clansman』
監督:D・W・グリフィス
脚本:D・W・グリフィス、F・E・ウッズ、トーマス・ディクスン
撮影:G・W・ビッツァー
衣装:ロバート・ゴールドスタイン
伴奏音楽編曲:ジョセフ・カール・ブレイル
公開 1915年3月3日


動画
https://www.youtube.com/results?search_query=The+Birth+of+a+Nation+1915&sp=mAEB
https://www.nicovideo.jp/search/%E3%80%8E%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F%E3%80%8F?ref=watch_html5

▲△▽▼

キャスト

エルシー・ストーンマン:リリアン・ギッシュ
フィル・ストーマン:エルマー・クリフトン
オースティン・ストーンマン:ラルフ・ルイス(英語版)
トッズ・ストーマン:ロバート・ハーロン(英語版)
ベン・キャメロン:ヘンリー・B・ウォルソール(英語版)
フローラ・キャメロン:メエ・マーシュ
マーガレット・キャメロン:ミリアム・クーパー(英語版)
ガス:ウォルター・ロング(英語版)
鍛冶屋のジェフ:ウォーレス・リード
エイブラハム・リンカーン:ジョゼフ・ヘナベリー(英語版)
グラント将軍:ドナルド・クリスプ
リー将軍:ハワード・ゲイ(英語版)
ジョン・ウィルクス・ブース:ラオール・ウォルシュ
南軍の兵士:デイヴィッド・バトラー
KKKの団員:ジョン・フォード
連合兵士:ユージン・パレット(英語版)
ベッシー・ラブ
チャールズ・キング
トム・ウィルソン
エリッヒ・フォン・シュトロハイム


▲△▽▼


序章として、黒人のアメリカへの流入が簡単に描かれている。

字幕の一部。ウッドロウ・ウィルソン大統領の演説が引用される。また字幕の下部には「DG」という、グリフィスのイニシャルが書かれている

第一部では、物語は北部ペンシルベニア州出身のストーンマン家のフィルとタッドが、級友のキャメロン兄弟を南部のサウスカロライナ州ピドモントを訪ねることから始まる。フィル・ストーンマンはキャメロンの妹マーガレットと恋に落ち、マーガレットの兄ベン・キャメロンはフィルの妹エルジーと愛し合うようになる。そこへ南北戦争が始まり、フィルとタッドの兄弟は南部を去って北軍に加わる。激戦のためにベンの2人の弟とタッド・ストーンマンは戦死する。ベンの故郷の街ピドモントは北軍に攻撃され、ベンは負傷し、偶然にもフィル・ストーンマンの俘虜になるが、エルジーの献身的な看護によって一命を取り止める。

エルジー・ストーンマンとその母は、負傷したベンの解放をリンカーンに請願する。また、フィルとエルジーの父親オースティン・ストーンマンは南部に厳罰を科すよう主張するがリンカーンはこれを許さない。業を煮やしたオースティンは、白人と黒人の混血児サイラス・リンチの手を借りて、直接実力行使に出ようとする。その後、リンカーンの暗殺事件が起きて、その勢力を伸ばす。



子供の遊びからKKK団結成のインスピレーションを受けるキャメロン
第二部では、オースティンは娘エルジーを伴い南部のサウスカロライナ州へ移り、キャメロン家の隣に住み、南部への政治工作を始める。解放黒人軍人たちは街でパレードを行い、選挙権を与えられた黒人たちは白人との結婚の自由を法律化する。混血児リンチは政治権力を与えられて、彼のグループと共に南部で、白人たちにとっては目にあまる行為を始める。これに対して、ベン・キャメロンは白人の子供が白い布をかぶり、幽霊の格好をして黒人の子供を怖がらせているのを見てインスピレーションを得て、南部の白人たちとともに「見えざる帝国」すなわち、クー・クラックス・クラン(KKK)を結成し、その指導者の一人となる。その頃、白人の教育を受けて軍人としての地位も得た使用人の黒人のガスは、キャメロンの娘のフローラに求婚する。フローラはこれを拒否して森に逃げ込み、追いつめられて自ら崖に身を投げ死ぬ。これに激怒したキャメロンとKKK団は黒人のガスをリンチし、有罪判決を下してこれを殺す。



黒人の使用人ガスに求婚されたフローラは森の中へと逃げる
このためキャメロンの父がKKK団の幇助の罪に問われる。マーガレット・キャメロンと婚約したフィル・ストーンマンは、キャメロンの父を救い出し、キャメロン夫人やマーガレットや黒人の使用人と共に森の丸太小屋に隠れ、彼らの追っ手の一軍との戦闘準備を整える。一方エルジー・ストーンマンはリンチの元に直接赴き、フィルやキャメロン一家の助命を嘆願する。しかし、リンチは彼らの助命と引き替えにエルジーとの結婚を強要する。この「危機」に、ベンの率いるKKKたちはリンチの本部を襲って、リンチ一味を倒してエルジーを救い出し、丸太小屋で殺されかけているキャメロン一家とフィル・ストーンマンを救い出す。

こうして、KKKの勢力は、「南部の混乱」を収拾し、ベン・キャメロンとエルジー・ストーンマン、フィル・ストーンマンとマーガレット・キャメロンの2組の恋人は晴れて結ばれる。


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製作

本作は1914年夏から撮影が行われ、翌年に完成した。もともとは4万ドルの予算でスタートしたが、グリフィスは11万ドルも予算を使ってしまい、当時では最も予算を使った映画となった。撮影だけでも長い期間がかかったが、編集作業も6週間余りの時間を費やした。

専用の映画音楽も作曲されており、フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用している。その音楽はジョセフ・カール・ブレイル(英語版)が担当し、リヒャルト・ワーグナーの「ワルキューレの騎行」などの曲が使われた。

史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、事実の調査は細かく行い、多くの文献を参考にした。リンカーン暗殺のシーンの撮影では、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらがアメリカのいとこ』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。ちなみにリンカーンが暗殺されるフォード劇場のセットは屋外に作られた。ほかにも衣裳にも凝りに凝り、軍服は当時のものを忠実に再現した。

南北戦争の場面では実際の戦場と似たような場所で撮影され、人のいない戦場場面を隠すために発煙弾が過剰に使われた。

製作にはラオール・ウォルシュ、W・S・ヴァン・ダイク、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ドナルド・クリスプ、ジョン・フォードなど、後に映画監督として大活躍する人たちが助監督やエキストラとして参加している。

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公開

1915年2月8日にロサンゼルスで小説と同じ『The Clansman』の題名で作品を公開させていたが、その1か月後の3月3日には『The Birth of a Nation』へ改題され、ニューヨークのリバティ劇場にてオーケストラの伴奏付きで公開された。入場料は当時としては高額の2ドルだったが、作品は大ヒットして44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。さらに興業収入は全世界で1000万ドル以上を記録し、アメリカだけでも300万ドルを記録したため、物価上昇率も考慮するとアメリカ映画最大の大ヒット映画となった。

本作はホワイトハウスで上映された史上初の映画であり、当時の大統領ウッドロウ・ウィルソンが鑑賞した。

日本公開は1924年で、公開時のタイトルは『国民の創生』であった。現在の一般的な『國民の創生』の表記は、1990年代に同タイトルで発売されたビデオにおいて用いられた表記が一般化したもので、封切当時のパンフレットや1992年ごろまでに出版された書籍においては、すべて『国民の創生』との表記が用いられている。

1921年と1927年には、政治的な観点から短縮ヴァージョンが作られた。1931年にはグリフィスによる監修のもとで再編集と短縮が行われ、オーケストラの音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。ビデオ化製品にはより短縮された125分版も存在するが、現在は無削除の190分版のDVDもアメリカで販売されている。


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評価

ランキング

「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight & Sound』誌発表) 1952年:「映画批評家が選ぶベストテン」第24位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第61位

1998年:「アメリカ映画ベスト100」(AFI発表)第44位
2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第14位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第81位


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人種差別問題

黒人が白人を攻撃するシーン。この作品では黒人は暴力的な人種として描かれ、逆にKKKは英雄として描かれている。

本作は大ヒットすると同時に、人種差別的であるという非難を多く浴びた。この作品では南部の白人の視点で物語られており、後半の南部再編の物語では、現存する人種差別組織クー・クラックス・クランが英雄的に、黒人を悪役として描いている。そのため「南部再編と秩序回復にはKKKの存在が必要不可欠だった」との誤解を与えかねない点で大きな問題があり、上映に際しては反人種差別団体「全米黒人地位向上協会(NAACP)」などが歴史の改竄と人種差別についての観点から、猛抗議と上映禁止運動をさかんに行った。ロサンゼルスでは警察の保護のもとで上映が行われ、シカゴなどの都市では上映が禁止された。そのためこの作品は「アメリカ映画最大の恥」といわれた。後に大統領になったロナルド・レーガンの父は、毎週土曜日、子供たちを映画に連れていったが、人種差別を嫌ったため、子供であるレーガンに、この映画を見せなかったと伝えられる(「レーガン」中公新書)。


黒塗りの白人俳優ウォルター・ロングが黒人のガスを演じた

1952年、ボルティモアで本作のフィルムが焼かれるという抗議行動が行われている。現在でも、本作品の持つ映画史上の意義をはるかに凌駕する差別助長的内容から、積極的な上映は忌避されている。

また、当時のハリウッドには黒人俳優がほとんどおらず、いても差別によって出演が制限されており、白人俳優が顔を黒く塗って愚か者の黒人を演じる(ミンストレル・ショーの流れを汲んでいる)など[1]、全編を通じて人種差別的であるとの批判を公開当時から強く受けている。

上述の、1931年に公開されたサウンド版では、差別的とされるシーンがカットされたが、エルジー役の白人女優リリアン・ギッシュは自伝の中で「結果として、各シーンが脈絡の無いものになった」と酷評している。


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映画技法の特徴

現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。グリフィスは映画芸術の基礎を築いた人物として映画史に記録されているが、バイオグラフ社時代の短編作品から試みていたカメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを、この作品で一気に開花しているのである。

第1に、編集の素晴らしさである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。この作品では一つのシーンを複数のショットで撮ることで、画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。

モンタージュにも工夫を凝らしており、並行モンタージュとも呼ばれるクロスカッティングを駆使していることが一つの特徴であり、黒人たちに襲われる白人たちと救出に向かうKKKのシーンなどでこの技法が用いられ、緊迫感を生み出している。ほかにも複数のショットを総合的に組み立てて全体の出来事を見せるという技法を使って、ストーリーの時間の連続性を保てるだけでなく、迫力やエモーショナルな効果、サスペンス効果を盛り上げることにも成功している。



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ポイントオブビューによる主観の切り替え

第2に、多くの映画技術を使用して表現したことである。上記のクロスカッティング以外にもカットバック、フラッシュバック(物語の現在より過去に起きたシーンを挿入すること)、クローズアップ、パン(カメラを左右に動かすこと)、移動撮影などがグリフィスが本格的に使った技法で、これらの技法を使いこなしてシーンを構成し視覚的効果を上げている。効果的に用いている。

第3にショットの距離である。1シーンをロングショット、ワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのそれぞれ距離の違うショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって迫力のあるシーンを編集できたのである。中にはロングショットと極端なクローズアップを交互に繋ぎ合わせる場面も見られる。

また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。

第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の一部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったものである。

第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、セルゲイ・エイゼンシュテインらが後に多用した方法である。


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公開時のポスター:リンカーン暗殺の場面黒人の主要な登場人物は上記の通り白人の黒塗りであったが、さらに男性がキャメロン家の女中を演じていた。

オースティン・ストーンマンは実在のペンシルベニア州の下院議員をモデルとしている。
D・W・グリフィスはこの作品の製作前に、すでに1巻ものの南北戦争をモデルとしている短編を13本制作していた。

クランスマンの白衣装はロサンゼルスで広告に使われた。
大量の劇場用プリントが1本しか存在しないネガから作られたために、後にプリントを作るたびに画質はどんどん悪くなった。

オリジナルのタイトル"The Clansman"では映画のテーマの広大さに合わないとして改名させられた。

カメラ技師のカール・ブラウンによると、これは恋愛映画になることを予想していた。しかし、プレミア上映の時、ロサンジェルス・フィルハーモニックのフル・オーケストラが劇場に入り、指揮者がタクトを振り上げスコアを演奏し始めたのには、そのような初の試みとあまりの大音響のために文字通り腰を抜かすほど驚いたという。しかもグリフィス自身もいくつかのテーマを鳴らすとき、指揮者に合図を送っていたという。

それぞれの登場人物が伴奏音楽のテーマを持っていた。また、上映劇場の形態によってオルガン用とオーケストラ用のスコアがそれぞれ用意された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/270.html

[近代史3] グリフィス 國民の創生 (The Birth of a Nation) (1915年) 中川隆
1. 中川隆[-11856] koaQ7Jey 2019年2月24日 15:00:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[123]

國民の創生(THE BIRTH OF THE NATION) 1915


トーマス・ディクスンの小説『クランズマン』を翻案し、映画化された。アメリカ映画最初の長編作品でもある。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・アメリカ南部の二つの名家(ペンシルベニア州のストーンマン家とサウスカロライナ州のキャメロン家)に起こる息子の戦死、両家の子供達(リリアン・ギッシュ、ヘンリー・B・ウォルソール)の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカンの暗殺などが、ドキュメンタリー映画を思わせる迫真の映像とともに、白人の視点から描かれる。

史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、エイブラハム・リンカン暗殺のシーンのため、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらがアメリカのいとこ』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。


長編映画でも4巻(約40〜50分)ものが主流であった当時としては前例のない、12巻(上映時間2時間45分)、制作費は6万1千ドル、広告費などを合わせた経費は約11万ドルかかったが、公開するや作品は大ヒットし、ニューヨークでは実に44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。1931年には、音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。

映画技法の特徴 [編集]現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。この映画では、グリフィスが直前まで働いていたバイオグラフ社時代の短編で映画監督としての修業を積み、カメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを次第に身につけてきたのが、一気に開花しているのである。

第1には、場面の動きの見事さである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。

主観の切り替え技法この作品では画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。また1場面をワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって、迫力のあるシーンを編集できたのである。

また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。

第2に、カメラの機能と編集である。明るい場面、暗い場面、鋭角的な場面、ロングショット(遠景)、クローズアップ、パンショット(カメラを左右に動かす)、移動撮影などを多用しているが、1つのカットには1つの事柄のみを含ませてそれらを総合的に組み立て全体の事件を見せるという技法や、1カットの事柄が終わらぬうちに別のカットを入れ込みそれらが統合して新しい意味を生み出すという技法などを用い、エモーショナルな効果やサスペンスを盛り上げることに成功している(モンタージュ効果)。

モンタージュ効果はエドウィン・S・ポーターの『大列車強盗』(1903年)の前例があるが、グリフィスはそれをさらに本格化させており、これらの技法は後にエイゼンシュテインやプドフキンらがモンタージュ理論として体系化された。特にサスペンスが盛り上げる時、クロスカッティング(日本では「カットバック」とも呼ばれる)を多用している。

第3に、フラッシュバックの使用である。フラッシュバックとは、プロットにおいて、映画の物語の現在より過去に起きたアクションやシーンを提示することである。これは、グリフィス自身がすでに以前の作品で試みているが、この作品ではとても効果を上げている。

第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の一部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったもの である。

第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、エイゼンシュタインらが後に多用した方法である。

最後に、専用の映画音楽が作曲されたということである。フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用したのである。

これらは姿・形を変えつつも現代の映画技法に日常のように受け継がれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F


『イントレランス』、『散り行く花』、『東への道』、グリフィスはとっても有名ですね。けれども『國民の創生』は、もっと古いですから、ご存知ない方があるかもしれませんから、ちょっとこの大事なグリフィスの名作の話をしましょうね。

で、『國民の創生』ってなんでしょう?BIRTH OF NATION、『國民の創生』ですね。
これは、どんな話かと申しますと、南北戦争が始まる前に、南のお嬢ちゃんと北の坊ちゃんが仲良かったんですね、仲良かったけれども、南北戦争で二つに別れたんですね、この男女は生き別れになったんですね。

そういうような話なんですけれども、この映画で見事だったのは北軍と南軍の大戦争ですね。もの凄い戦争ですね。これでもしも戦争が激しく、激しく、激しくなったら、アメリカは二つに別れなくちゃならなかったんですね。

さあ、そこでこういう言葉があるんですね、House Divided、二件に別れた家、というような言葉がアメリカにあるんですね。それは南北戦争のことですね。南北戦争がもし燃え上がって、燃え上がって、リンカーンが暗殺されなかったなら、この二つの国が生まれるんですね。

これは見事に治まったことで有名な話なんですけど、そこで初めて『國民の創生』、アメリカいうものが出来たんですけれども、この映画で何が凄かったかいうと、アメリカのこの歴史ですね、いかに、いかに、北軍が南部の黒人達を憎んだか、いうことが見事に出てるんですね。

というのは、グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。それで黒人を随分、随分苛めたんですね。だからこの映画に始めて、K.K.K.というのが出て来るんですね。クー・クラックス・クランとか言うんですね。

これは顔をかくして、白い服を着て、馬に乗って、何か木の棒を持って、ずーっと廻り歩いて黒人見たら殺すんですね。 怖い、怖い連中、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。

黒人はみんな、みんな殴り殺すんですね。黒人の家を焼くんですね。なぜそんなことをするんだろう、いや、黒人はいやなやつだ、黒人は悪いやつだ、顔がブラックでいやだ、そういうような時代があったんですね。

この南軍北軍の物語、この映画の終わり、やっとアメリカが一つになった、アメリカが一つになった、タイトルが『國民の創生』ですね。 というような話なんですけれども、当時、本当にそのころ日本に北軍の唄が流れて来たんですね、“ダンダンダダンダダンダ...”と流れて来たんですね。 私が幼稚園の頃、日本に流れて来たんですね。で、日本の唄になったんですね。“アナタノアーイノ、ツユウケテ、キーノウハージメテ、ワラッテヨ”まあ、そんな唄になったんですね。

よく考えたら「あなたの愛の露受けて、昨日始めて笑ってよ」、いやらしい唄ですね、というような事で、その時分にもうすでに北軍の行進曲が日本に入ったいうこと、それもおもしろいですけど、『國民の創生』は、その時代の話ですよ。
【解説:淀川長治】

http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2270.html

D・W・グリフィス監督による「国民の創生」は、あらゆる意味で映画史に名を残すに足る作品である。その理由はあまりにありすぎて、ここにすべてを書くことがためらわれるくらいだ。

 まず、「国民の創生」が超大作であるという点だ。当時、映画のほとんどはまだ短編が中心だった。イタリアでは1914年に「カビリア」といった作品がすでに長篇として世に出ていた。しかし、ことハリウッドにおいては、まだまだ短編が中心だった。 そんな中、現在私たちが見ることができる「国民の創生」は2時間35分の超大作だ。これは、今の映画と比べても長い。長いということは大したことではないように思えるが、当時の興行においてはこれがかなり賭けであったことは想像できる。当時の他の作品と比べて莫大な製作費をかけたこの作品は、映画館での収益が収入のすべてであった当時において、観客が入らなければ出資者たちを破綻へと導くことになる(後にグリフィスは「イントレランス」(19196)でその憂き目に会う)。

 興行的には「国民の創生」は大ヒットを飛ばした。通常の入場料よりも高い2ドルに設定したという入場料もものともしなかった。「国民の創生」は、アメリカ映画において国民的な大ヒットを初めて飛ばしたという意味でも映画史に名を残すに足る作品といえるだろう。

 これ以降、肥大化していくハリウッドにおいて、これほど監督の名が強く刻印される作品が製作され、そして大成功を収める例は少ない。「国民の創生」にグリフィスは出資もしており、映画はグリフィス一色といってもいいくらいなのだ。唯一の例外は同時代においてはチャップリンくらいだろう。

 映画誕生当初、映画はこじんまりと職人的に製作されていた。その代表例は、トリック映画でおなじみのジョルジュ・メリエスである。そんな状況は変化し、映画は産業として、製品として製作されていくことになる。大会社によって、工場に近い形で映画は製作されていく。グリフィスも(チャップリンも)、当初はひたすら生産される映画作品の部品の1つに過ぎなかったが、徐々に製作者の立場となり、自らの作りたい作品を撮るようになる。そのグリフィスの夢の結実が「国民の創生」であり、続いて製作される「イントレランス」である。両者の間に横たわる最大の違いの1つは、「国民の創生」は興行的に成功したということだ。

 映画が産業へと移行していく過渡期において、1人の人物が映画を製作し、そして大成功を収めたという記念碑的な作品として、「国民の創生」はやはり映画史に名を残すに足る作品といえる。

「国民の創生」は、南北戦争前後の南部を背景として、2部に分かれている。1部は、南北戦争の勃発からリンカーン大統領の暗殺までが描かれる。2部では、実権を握った黒人と、それに反発する白人たちとの間の争いが描かれる。

 1部は戦争の悲惨さがひたすら描かれる。親交の深かった2つの家族は、南北戦争によって敵同士となってしまう。敵となっても、戦場で顔を合わせれば、それはかつての友人に違いはない。2つの家族の兄弟たちは、それぞれ戦死者を出して、ついには1人ずつとなる。帰りを待つ家族の悲しみ。敗色濃い南部側の家では着るものを売り払わなければ生活していけなくなる。何とか生き延びた南部の家の兵士が帰り着くとき、そのボロボロになった心と身体が、荒れ果てた家が、ボロの服を精一杯着飾って迎える妹が、悲しさを助長させる。出征のときの街をあげてのどんちゃん騒ぎの影はどこにも見られない。あるのは、戦争が産んだ悲劇だけである。

 この戦争の悲惨さに加えて、メロドラマも語られる。やがて敵同士となる南北の2人の友人。北の男には妹がいた。南の男は、その妹の写真を見ただけで一目ぼれしてしまい、写真をもらって戦場でも大事にする。やがて、戦場で負傷した南の男が、北軍の医療所に収容されると、そこには夢にまで見た(演出もまさに夢を見ているようにされている)写真の女性がいた。メロドラマは、2部への伏線ともなっている。

 2部では、リンカーン暗殺後に、黒人が権力を握った南部が描かれる。北側の意向により、南部では黒人が議会では多数派を占めるようになり、白人は隅へと追いやられる。黒人はそれを利用して、傍若無人に振舞うようになる。

 戦争によって敵同士となった親交の深かった南北の2つの家は、再び親交を取り戻している。北部の家族は、家長の療養も兼ねて南部の家へと居候することになる。この家長こそ、黒人に実権を持たせるように決定した人物であった。病院で運命の出会いを果たした男女も、ここで再会する。2人の再会によって愛が燃え上がるわけではない。それよりも、描かれるのは、白人と黒人の対立だ。黒人の横暴に耐え切れなくなった南部の家の男は、自警団を結成することを決める。悪名高きKKKだが、この作品では、KKKは白人の命を守る正義の士として描かれている。黒人によって、妹を殺され、家族や愛する女性が黒人に命を狙われたことを知った南部の家の男は、KKKを率いて仲間である白人を救出するのだった。

 「国民の創生」の内容もまた、映画史に名を残すに足るものとなっている。その理由は2部にある。2部の内容は、白人を持ち上げ、黒人をさげすんでいる。そのことは明らかだ。「国民の創生」が公開されたとき、有色人種の団体から猛烈な反対が起こったというし、映画監督への賞であるデビッド・W・グリフィス賞は「国民の創生」における思想の問題において近年別の名称へと変更されている。

 確かに、「国民の創生」における黒人の描かれ方はひどい。ひどすぎるといってもいい。例えば、議会で靴を脱いで机に足を乗せる人物がいたり、密かに酒を飲む人物がいたり、あからさまに好色な人物がいたりという描写は、一方で白人の議員が礼儀正しく座っていることもあり、黒人を人として描いていないとまで言えるだろう。

 この黒人観は、まさにグリフィスによるものだ。グリフィスも、この作品にKKKに参加している人たちと同じように、南部の出身である。しかも、父親は軍人であった。そんな、グリフィスにとって、「国民の創生」における黒人観は当然のものであった。グリフィスはグリフィスの正義を「国民の創生」に注ぎ込んでいる。グリフィスは自らの主張のために、あらゆる配慮をせずにこの作品を作っていることだけは確かだ。

 D・W・グリフィスによる「国民の創生」は、演出ももちろんグリフィスによって行われている。グリフィスといえば、クロース・アップやカット・バックといった技法を完成させた人物(発見した人物ではない)として名高い。そして、「国民の創生」はその完成形としても高く評価されている。

 「国民の創生」においては、その群集処理が高く評価されている。確かに、その長い長い兵士の行列シーンなど、当時評価されていたことはわかる。だが、他にもたくさんの似たようなシーンをみてきた私にとっては、それはさほど心を打つものではなかったというのが正直なところだ。

 また、黒人の襲われる白人たちと、白人たちを救うために馬に乗ってかけつけるKKKの一団のカットバックも、「国民の創生」を語る上で欠かすことのできないものだろう。しかし、このカットバックは見ていてドキドキするほどのものではない。これは、最後には間に合うことを知っているとういことと、KKKをどうしても正しいものとして見ることができないということからくるものだろう。

 だからといって、この作品は今見るとまったく楽しめない作品ということではない。時間を割かれて描かれるリンカーンの暗殺シーンや、黒人に追われて崖へと追い詰められる白人女性のシーンの緊張感はなかなかのもので、グリフィスの演出や編集の確かさを知ることができるだろう。

 また、わざわざ字幕で「本を参考に忠実に再現した」と断るだけあって、リンカーン暗殺の場となる劇場や黒人の議員に選挙された議場などのセットは見事だ。

 役者たちで最も印象深いのリリアン・ギッシュだ。グリフィス一門の中でもすでに古参の1人となっていたギッシュは、少しの表情の変化で感情を見事に表現している。病院のシーンで登場する、ギッシュ演じる看護婦に見とれる兵士は、実際にもギッシュに見とれていた男を起用して急遽挿入した人物なのだという。本筋の展開以外に遊びの部分がほとんどない「国民の創生」において、異色なシーンにはこんな理由があるのだ。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=THE+BIRTH+OF+THE+NATION&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

リリアン・ギッシュの白い肌と銀幕


國民の創生とは、歴史的大作の皮膚を被った実に私的なフィルムである。

 それは何処に現れているか。 リリアン・ギッシュのあの白い肌に、である。

あからさまに他の女優達とは違う聖母性を授かったリリアンは「イントレランス」の時とは違って多種多様な表情を見せてくれる。 リリアンの魅力だけで言うのなら「散り行く花」並のリリアンの表情の多さと悲惨さとそして、決定的なスター性とでも言うようなモノがこの映画には溢れている。


 思い出して欲しい。 クローズアップの決して多くないこの映画で一番クローズアップを受け止めていたのは誰かを。間違ってもそれをヒロインだからなどと言わないで頂きたい。

彼女がヒロインなのは映画の中だけではない。監督と主演女優の境界がない世界でも確実にヒロインのはずだ、それはヒッチコックととあるモナコの王妃との関係に似ているかもしれない。

 決定的な迄の一方通行さ。それが映画の中に類い稀な奇跡を導入している。

 今一度思い出してみれば、リリアンの小鳥とのキスシーンの何とエロチズムに溢れた逆説的に監督からのリリアンのキスシーン拒否とも取れる演出の中に潜むデイヴィッドからのリリアンと恋愛を演じる俳優への嫉妬心が見え隠れしてはいなかっただろうか。

 その後のリリアンがキスを終えて部屋ではしゃぎまわる件はどうだろう。 ベッドの支柱に彼を思い顔を頬を寄せるリリアンに対してキャメラは決して羞恥を隠さずに思い切ったクローズアップを展開する。

 そうしてその後この映画に起こる出来事に対してリリアンは多種多様な演技を見せてその魅力の一辺を垣間見せてくれる事に祝砲をあげよう。

 父にとっての銀幕は5セントの劇場でも夢工場でもなく、間違いなくリリアン・ギッシュのあの白い肌にその果てしない願いをぶつけれる銀幕を見ていた筈だから。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=7799#2

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/270.html#c1

[近代史3] グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年) 中川隆
2. 中川隆[-11855] koaQ7Jey 2019年2月24日 16:06:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[124]
『リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私』筑摩書房 (1990/08)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E8%87%AA%E4%BC%9D%E2%80%95%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A8%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%81%A8%E7%A7%81-%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3-%E3%82%AE%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4480871683/ref=tag_stp_s2_edpp_url


掛け値なしにおもしろい感動的な自伝。映画創世記の人々の意気込みがみごとに描かれている。グリュフィスたちが映画を世界言語とみなし、情熱を傾けていたことがわかる。


_________


110 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2006/06/21(水) 23:16:38 ID:pRdmbFTO [1回発言]

この人のキャラも、リリアンギッシュ自伝とそこに描かれたグリフィス像も大好きなんだけど、まだDVDやビデオで作品にはまれた経験がない、このジレンマ・・・


111 : 無名画座@リバイバル上映中 : : 2006/06/27(火) 14:40:01 ID:/XZHyweE [1回発言]

この人なくして映画なし。

116 : 無名画座@リバイバル上映中 : : 2007/01/01(月) 12:43:19 ID:ZjAJv2AL [2回発言]

とにかく映像が綺麗じゃないと、この人は作品はとっつきづらくて・・・大画面じゃないからなおさらね。 弁士つきとかでもいいけんだど・・・。

15 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 05/01/18 22:04:25 ID:kKpAOxqI [1回発言]
『東への道』のクライマックスはすごいよ!
理論に走ったエイゼンシュタインより、純粋に活動屋だった気がする。


14 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 05/01/06 16:19:04 ID:Sc7Noqor [1回発言]
グリフィスの初期の短編が観てみたいなー。


16 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 05/01/20 16:03:12 ID:h8cv69Af [1回発言]
>>14
ここ数年では、フィルムセンターでは上映したことがあるみたいだけど。BS・CSやDVDなどには出てこないですか?
サイレントでも長編はともかく、短編は放映・ソフト化がしにくいからね。

タヴィアーニ兄弟の「グッドモーニング・バビロン!」では、神格化されたグリフィスの姿が見られますね。

27 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 05/02/03 21:49:14 ID:MhD6yEvL [1回発言]
>>16
バイオグラフ時代の短編は、アメリカ版のボックスセットにDVD二枚組で収録されています。もちろんこれも氷山の一角ですが…

中には当時のグリフィス夫人が主演した作品も入っています。ブランチ・スイートが演じるオールド・ミス(死語)が主役の作品はなかなか鬼気迫るものが
ありますた。

45 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/05/17(火) 20:41:48 ID:/XQIIYzI [1回発言]

[散りゆく花」の極悪親父役の俳優はドナルド・クリスプ、
ジョン・フォードの名作「わが谷は緑なりき」では一転して立派な父親を演じていた。


47 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/05/18(水) 20:22:30 ID:ARt7xzXH [1回発言]
>>45
ドナルド・クリスプは監督もやっており、バスター・キートンに招かれて、
『海底王キートン』の監督をするが、コメディセンスがなくて、キートンを悩ませたらしい。

53 : 無名画座@リバイバル上映中 : : 2005/06/20(月) 23:35:20 ID:wACYaCDr [1回発言]

「散り行く花」撮影時のL・ギッシュは当時世界的に流行したスペイン風邪から
回復したばかりの病み上がり状態だったらしい(自伝より)

56 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/06/21(火) 23:46:15 ID:p8HjqNUr [1回発言]

悲惨すぎる話しだ、ほんとは自分の子じゃないのかもね
久々に散り行く花見たけど。
今じゃこんな映画は作れない、マジで貧乏怖い

65 : ぎっしゅ : 2005/08/20(土) 19:24:36 ID:FKMKw7L3 [1回発言]
>>56さんへ

ルーシーとバロウズの親子関係ですか?

設定の上では、確かルーシーは暴力親父の実の子です。

全長版のフィルムで、遊んだ女の一人が置いていったというシーン(字幕だけだったかな〜?』を見た記憶があります。

グリフィスの映画、風景シーンが美しいですね。まるで絵画のようです。
嵐の孤児のリリアンの美しさが素晴しい…。ほれました。


66 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/09/09(金) 00:51:56 ID:NSPS9sGx [1回発言]

「イントレランス」の戦闘シーンで、本当にエキストラの首が飛んでしまったのには驚いた。

67 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/09/10(土) 12:26:17 ID:m3TGpfp3 [1回発言]
>>66
トリックだよ、トリック

70 : 名無しさん@そうだ選挙に行こう : : 2005/09/11(日) 00:20:52 ID:PgHalr/V [2回発言]
>>67
でもね、トリックだとすると
あの大群衆が全員せーのでストップしないと無理じゃない?

71 : 名無しさん@そうだ選挙に行こう : 2005/09/11(日) 18:31:01 ID:8kwYeW79 [2回発言]
>>70
あのねぇ。。。
あの瞬間、一瞬画面が止まるんだけどね???
イントレランス、ホントに見たことあるの??

リリアン・ギッシュは自伝の中で、

『いつも救急車、看護婦、医師を現場に待機させてはいたけども軽い怪我を除けば、大きな事故が起きたり怪我人が何人も出たりすることは一度もなかった。

この驚くべき安全性もグリフィスの功績だった。何事もきちんと組織立てて仕事を進めていったおかげで、要求されることがわからずに右往左往して騒ぐ人間が一人も出なかったからこそ達成できたのだった』

(鈴木圭介訳)。


・・・と書いているよ!!

81 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/12/17(土) 11:29:02 ID:531l1+fP [2回発言]

配偶者

イーヴリン・ボールドウィン ( 3月2日 1936 - 11月1日 1947) 離婚していました

リンダArvidson nud 5月14日 1906 - 3月2日 1936) (離婚していました)


D.Wグリフィスの欄にこのような記述があるのですが、どういう事でしょうか?

離婚していましたとあるので妻だったのかと思うのですが、離婚した直後に結婚をしているのはおかしいと思いました、何か分かる方お願いします。

D.W.グリフィスの婚約関係ってどんなのですか?

82 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2005/12/17(土) 11:47:20 ID:531l1+fP [2回発言]

Spouse

Evelyn Baldwin (2 March 1936 - 1 November 1947) (divorced)

Linda Arvidson (14 May 1906 - 2 March 1936) (divorced)


IMDBで載っていた情報です。
調べていると最初の妻リンダを次の妻イーヴリンが別れさせたらしいのですが
よく分かってません。

89 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2006/02/05(日) 11:10:59 ID:8qdo5hml [2回発言]

グリフィスの結婚暦は、上記のとおりで正しいと思います。
あくまで私の知識も、『リリアン・ギッシュ自伝』と、メディアファクトリーから
出ていた『グリフィス ハリウッドに巨大な城塞を築いた映像魔術師』だけからですが。。


リンダとの結婚生活は、1911年ごろには事実上破綻しており、別居していた
ようです。

グリフィスは家に戻らずホテル住まい、週7日間映画作成に没頭したとか。

リンダとの正式離婚は欠席裁判の結果だったそうです。その直後、再婚していま
すね。グリフィス、イーブリンがリリアン・ギッシュと一緒に写っている写真も
残っています。

91 : ぎっしゅ : 2006/03/02(木) 21:09:40 ID:7q8V2X5K [1回発言]

グリフィスの自伝は計画されていたようです。『D.Wと狼』という仮題がつけられており、原稿も残されているようですが、出版には至りませんでした。

これは非常に残念だと思います。グリフィス本人しか知らない、映画産業創生期の貴重な情報も多かったでしょうし。

92 : 無名画座@リバイバル上映中 : : 2006/03/02(木) 21:29:49 ID:e2DoMRv3 [1回発言]

「Focus on DW Griffith」って本にグリフィスの短い自伝とかインタビューとかエッセイとか、たくさん載ってるよ。 35年くらい前に出ためちゃくちゃレアな本だけど。


93 : 無名画座@リバイバル上映中 : : 2006/03/03(金) 01:10:06 ID:QfxP9mLj [1回発言]

最初の奥さんのリンダはその後本を出版しましたよ。

96 : ぎっしゅ : 2006/03/04(土) 08:27:31 ID:SH4gAFo1 [1回発言]
>>93さん

リンダ・アーヴィドスンの『When the Movies were Yong』ですね。

1925年頃出版された・・・詳細は分かりません。
この本、今でも入手可能なのでしょうか?
たしか、向後友恵氏の本では参考文献に上がっていました。

98 : 93 : : 2006/03/05(日) 23:56:38 ID:JwBpUdA/ [1回発言]
>>93
私が持っているのはDove Publicationsから1969年に復刊されたペーバーバックです。でもおそらくこれも今は絶版でしょう。
他の本では見たことがない、短編映画のスチール写真がたくさん収録されています。著者名はMrs. D.W. Griffithとなってます。


99 : ぎっしゅ : 2006/03/06(月) 21:16:51 ID:pMrnOc9J [1回発言]
>>93さん
残念ですが日本国内での入手はほぼ不可能でしょうね・・・。
ぜひとも読みたいですが。

>著者名はMrs. D.W. Griffithとなってます。
確かに、原著が出た1925年?当時は、リンダとは法的には夫婦でしたからね。

101 : 無名画座@リバイバル上映中 : : 2006/03/21(火) 19:32:41 ID:GZVsPA4z [1回発言]
http://www.imdb.com/name/nm0049902/
こちらは健在ですか?

102 : 無名画座@リバイバル上映中 : 2006/03/28(火) 10:57:49 ID:P6eUSzKG [1回発言]
>>101
D.Wグリフィスの2番目の妻なんですが生きているみたいですね?
生きている間に貴重な話しとか聞けそうじゃないですか?
どこに住んでいるんですかね?
90歳超えても生きていらっしゃるなんて感激です。

http://logsoku.com/thread/bubble3.2ch.net/kinema/1104201490/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/267.html#c2

[近代史3] チャップリン キッド The Kid (1921年) 中川隆
1. 中川隆[-11854] koaQ7Jey 2019年2月24日 16:08:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[125]

“ロリータ” の起源


 チャップリンがロリータ・コンプレックスだったという事実も、諸君を大いに混乱させる情報であるように思う。しかし、チャップリンのあだ名が「小児科医」であったことはハリウッドでは有名で、最初の妻ミルドレッド・ハリスはなんと16歳だった。

 チャップリンがロリータ・コンプレックスだったことには理由がある。彼には英国での修行時代、結婚を誓い合った踊り子の少女がいた。やがて渡米して若くして成功。彼女との再会を楽しみに帰国すると、その少女は病気で死亡していた。つまり、チャップリンのその後の女性遍歴は、祖国に残し、そして失ったあの少女の面影を見つけるための邂逅の旅だったのである。

 さて、ここでハリウッド最強の小悪魔、リタ・グレイが登場する。本名はリリータ・マクマレーだが、本人は好んでロリータと自称したというから、その小悪魔ぶりが伺える。チャーリーとリタとの出会いは彼女が6つの時。彼が常連の喫茶店でリタの母ナナがウェイトレスをしていたのだ。おしゃまなリタはチャップリンさんと眼が合うとニッコリ笑ってはにかんで見せる。チャーリーが手招きするとリタは隣の席に収まる。そして、ものの5分もしないうちに二人は、ナナが運んできた紅茶とケーキを分け合っていた。

 なんとも微笑ましい光景だが、『ハリウッド・バビロン』の著者ケネス・アンガーは、リタとその一族に差別的である。

「リリータ・マクマレーはメキシコ人を母に、アイルランド系アメリカ人を父に、1908年4月15日に生まれた。育ちはサンセット通りの貧民窟。低家賃のあばら家だ。生意気だが利口ではない、丸顔で額の狭いこの娘は、学校では知恵遅れだった」

 アンガーの言葉を借りれば「知恵遅れ」のこの娘も、『キッド』でチャップリンを誘惑する天使を演じる頃には12歳に成長していた。

「彼は私をいろいろと試したわ。髪を束ねたり、母の服を着せたりしてね。私は老けて見えたの。12なのに16、7に見えたのね。それで彼が私を使おうって」(リタ・グレイ)

 周囲の者からすれば、チャップリンの意図は見え見えだった。彼は衣装合わせを口実に、ロリータの着せ代え人形を楽しんでいたのだ。 コリン・ウィルソン著『世界醜聞劇場』によれば、リタの母ナナは当初からチャップリンの意図を疑っていたらしい。常時彼から警戒の眼を離さなかったという。 しかし、前記アンガーはリタ側に手厳しい。

「娘に毎月小切手が振り込まれるようになると、マクマレー夫人はテーブル拭きの仕事を辞めて娘の『教育』に専念するようになった。ナナはたった1課目だけを何学期もかけて教え込んだ。億万長者と結婚する方法。鈍い娘でも、ようやく覚えるようになっていた」

 やがてリタは、それまでのチャップリン喜劇のヒロイン、エドナ・パービアンスを押し退けて、『黄金狂時代』のヒロインに抜擢される。

「やったやったと踊りまわるリタに、ナナは満足気に眼を細めた。いくら娘の年が若いからといって、休みのときにボスから『手ほどき』してもらえる年にはなっている。チャップリンさんの前でどんな演技をすればよいかは、リタはナナにみっちり仕込まれていた」

 アンガーの記述通りにリタが積極的に攻めたのか、それともチャップリンが一方的に仕掛けたのか、その真相は判らない。いずれにしても『黄金狂時代』に抜擢された時を前後して、二人の間に性交渉があったことは確かである。リタ・グレイの自伝『チャップリンと我が生涯』にはその模様の記述があるが、ほとんどポルノである。

「あの人は器用に私の水着を脱がせると、ひざまずいて私の裸を眺めました。今のこの瞬間まで男の人に見せたことのない部分を、私は本能的に手で覆いました。それからあの人を見つめました。その眼にはいやらしさの影はまったくありません。突然、恥ずかしさが消え、私は手をその場所から外しました。 私、濡れてしまったんです」

「やっぱりだめ。私は頭を横に振り、あの人に回していた手を戻し、両脚をきつく閉じました。できない。そんなことできない」

 結局チャーリーは、この時はおあずけを喰らうことになる。次に訪れたチャンスは車の後部座席においてだった。

「あの人は何も云わずに、私のパンティの中に手を這わせました。私はダメッと囁いたつもりですが、口をキスでふさがれているのでうまく言葉になりません。あの人はズボンを下ろすと、私を膝の上に乗せました」

 しかし、この姿勢では無理だったようだ。結局、チャーリーはリタを自宅に連れ込み、バスルームで念願を遂げる。

「突然、体を貫くような痛みが走りました。声を上げましたが、彼を抱きしめる手は緩めません。次の瞬間、私はあの人を深々と受け入れていました」

 当時リタ・グレイ、15歳であります。 チャップリンは避妊が嫌いだった。リタは妊娠し、『黄金狂時代』の撮影中に倒れる。

「うんざりしたスタッフが見守る中で、リタは何十回目かのタンゴを踊り出した。と、突然、彼女は腹部を押さえて悲鳴をあげた。傍らで見守っていたマクマレー夫人にしてみれば、この『おめでた』は予定の出来事であった。スペイン語で『神さま!』と叫び、失神する演技を披露する番がようやくまわってきたのだ。万事、計画通りに進んでいる。次は弁護士のエドウィン・マクマレーおじさんの出番だ。未成年者との婚前交渉は強姦になることをチャップリンに告知することが彼の役割だった」

 強姦罪を避けるため、リタとの結婚を余儀なくされたチャップリンは、結婚式で友人にこのように語っている。

「刑務所にぶち込まれるよりはましだよ。長続きはしないがね」

 刑務所にぶち込まれた方がましだったのかも知れない。 ビヴァリーヒルズの豪邸に新婚夫婦よりも先に上がり込んだのは、リタの母ナナだった。ナナは新婚旅行にも付き添い、そのままチャップリン邸に住み着いてしまったのである。蜜月の日々もないままに一人また一人とマクマレー一族が居座るようになり、チャップリン邸は事実上マクマレー一族に乗っ取られる。『サーカス』でのハードな撮影を終え、疲労のピークに達した彼を待ち受けていたのは、飲んだくれたマクマレー一族の大サーカスだったというからまさに悪夢。新郎が癇癪を起こしたのも無理もない。マクマレー一族はリタも含めて、その日のうちに追い出される。しかし、チャーリーは一族の呪縛から逃れることはできなかった。翌日、予め準備されていたかのように、リタからの離婚申請書と慰謝料請求書が送付されてきたのである。

恐るべきマクマレー一族  マクマレー一族の計画もいよいよ正念場を迎える。リタ側は100万ドルという法外な慰謝料を請求。弁護士のもとに逃げ込んだ時には、チャップリンはすっかり神経衰弱に陥っていた。彼の邸宅も、愛する撮影所も、彼の財産すべてが差し押さえられてしまったからである。

 ニューヨークで療養し、精神的に落ち着いたチャップリンは、ハリウッドへと舞い戻って愕然とする。二人の結婚生活を暴露する怪文書『リタの不満』が出回っていたのである。この42ページに及ぶ小冊子は三流スキャンダル誌の出版だったが、リタ側が流したことは明白だ。エドおじさんはマスコミを味方にする術をこの時代に早くも熟知していたのである。

「彼はフェラチオという人間性に反する劣悪且つ異常な倒錯行為を彼女に強要した。彼女がこれを拒絶すると。彼は『結婚したら誰でもやることなのだよ』と彼女を説得した」

「フェラチオ」の意味を知るために多くの合衆国市民が生まれて初めてラテン語の辞書を手にした。この法律文書の形態をした猥褻文書の解読のためにラテン語辞書の売り上げが伸びたというが、本当だろうか?。

『リタの不満』には他にも、最初の性交後は二人に正常な夫婦の営みは一度もなかったことが延々と、具体例を挙げて記述されている。この猥褻文書の作者はエドおじさんだが、情報源はナナだ。この姑は夫婦生活の逐一を娘から聞き出し、毎日のようにノートに書き綴っていたのである。

 これにはチャップリンもお手上げだった。やがてリタは慰謝料請求の訴訟を提訴。法廷ではリタ側が完全に主導権を握る。ちなみに、エドおじさんの申し立ては以下の5項目。


◆原告は被告に誘惑された。

◆懐妊が確認された時、被告は原告に堕胎を要求した。

◆被告は原告との結婚を強制されて初めてこれに同意した。

◆離婚を早めるために、被告は原告に対して残虐且つ非人道的行為を計画的に加えた。

◆この申し立ての真偽は、被告の日常会話における不道徳性及び最も神聖な事柄に対する彼の蔑視的言動によって立証される。


 いやはや、エドおじさんは恐喝のプロフェッショナルだ。最後の部分がミソ。つまり、大衆の面前でお前の常日頃の不道徳な言動を暴くぞおと脅迫しているのだ。


白髪になってしまった法廷のチャーリー  


それでもチャップリンは屈しなかった。エドおじさんの不愉快極まりない陳述にも耐えた。エドおじさん曰く、

「被告は原告の道徳的行動を阻害し、社会的品位を貶めるための執拗な努力を続け、『チャタレイ夫人の恋人』のような不道徳な本を読んで聞かせた」

「被告は原告と別居する4ケ月前に、変態的行為をすることで有名な或る若い女性に家に泊まることを薦め、三人で一緒に楽しもうと原告を誘った」

 これは事実だったのかも知れない。あまりにも具体的に過ぎるからだ。しかし、私の意見としては、不道徳だったのはむしろ、夫婦の秘め事を金のために公けにしたリタである。当初はチャップリンに批判的だった世論も、彼に同情し始める。形成逆転を図り、彼が発表した声明が効を奏したようだ。

「私がリタと結婚したのは、彼女を愛していたからです。そして世の中の馬鹿な男たちと同様、つれなくされるとますます好きになりました。今でも愛していると思います。だから、彼女から『愛してはいないが結婚しなければならない』と告げられた時にはショックで自殺さえ考えました」

 風向きがチャップリンに有利になって来たことを察したリタ側は、とっておきの切り札で勝負を賭けてくる。結婚後のチャップリンと親密な関係にあった5人の有名女優を法廷で暴露すると脅してきたのである(この内の3人はエドナ・パービアンスと、ハーストの愛人マリオン・デイヴィス、そして『黄金狂時代』のヒロイン、ジョージア・ヘールだと思われる)。これにはチャップリンも白旗を上げた。かくしてマクマレー一族は62万5千ドルの示談金喝取に成功する。

 裁判を終えたチャップリンは38歳だったが、心労のためにすっかり白髪になっていた。中断していた『サーカス』の撮影を再開するためには髪を染めなければならないほどだった。よほどこたえたのだろう。彼の自伝には、リタについては一言も触れられていない。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_06/m06_1.html


チャップリンは生涯4回結婚した。

29歳の時、16歳のミルドレッド・ハリスと最初の結婚をした。

35歳の時、16歳のリータ・グレイと二回目の結婚をした。

47歳の時、25歳のポーレット・ゴダードと三回目の結婚をしたので、ちょっと病気が治ったかと思ったら、

54歳の時、17歳のウーナ・オニールと4回目の結婚をした。

年の差、実に37歳。


二番目の妻リタとの離婚裁判で、リタは法廷で、まだ16歳の彼女に「おぞましい行為」を強要したと訴えた。

ピューリタンの伝統を守るアメリカはヨーロッパ以上に保守的で、表向きにはそんな行為は存在しないふりをしていた。

しかし、チャップリンのおかげで初めてその存在が公になったのだ。そして裁判では、その行為自体の違法性は認められなかった。 チャップリンがいなければ『ディープスロート』なんてなかったかもしれないのだ。


リタが初めてチャップリンと性的関係を持ったのは、結婚よりも前だったと言われている。それはチャップリンの『キッド』に13歳の彼女が子役で出演した時らしい。『キッド』にリタは「リリータ」という愛称でクレジットされており、チャップリンは彼女をいつも「リリータ」と呼んでいた。


リタの裁判はアメリカ全土を揺るがす大スキャンダルになった。幼い少女に欲望を抱く男の存在が初めて公になったからだ。 『ハリウッド・バビロン』の著者ケネス・アンガーによれば、リリータ騒動を楽しむ人々のなかにロシア生まれの作家ナボコフもいたという。

そしてナボコフは幼い少女に狂恋する中年男を描いた小説のヒロインの名前を、リリータからとってロリータとした。

だからチャップリンがいなければロリという言葉もなかったのだ。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040527


「人生を恐れてはいけないよ。人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんのちょっぴりのお金なのさ」

嗚呼!人々に愛と勇気と笑いを与えつづけた素晴らしき巨匠。
実は、筋金入りのロリコン巨匠でもありました。


「女は12歳から15歳が最も美味しく、
  20歳を過ぎたら男を困らせるだけの存在になる」


巨匠のこの言葉が冗談でもなんでもないことは、結婚歴を垣間見ただけでも一目瞭然。巨匠の結婚歴は4度ですが、そのうち3回が10代の少女との結婚です。

基本的にはどの結婚も永遠の愛を誓うための結婚というよりは、相手が若いので強姦罪を逃れるための結婚だったようで、できちゃった結婚も多数。避妊という言葉を知らぬ巨匠は子だくさん。11人の子供の父親になっています。
母の数は6人・・・。結婚は4回・・・。数字がおかしいですね。

いくらロリコンと言えども、相手は年をとるわけで、いつまでも10代の妻というわけにはいかない・・はずなんですが、巨匠の場合は相手がもうすぐ成人・・っていうところで離婚しちゃうんで、妻は常に10代なんです。

成人女性(と言っても22歳)と結婚も試みたこともありますが、3年で破局。
54歳の時にはまた18歳女子と結婚してます。しかしこれが4度目の正直となり、この後は離婚知らず。しかし、妻に誠実であったかどうかといえばこれまた別問題でして、何かといっちゃぁ問題を起こしたりもみ消したり・・・。

裁判沙汰も多数ありました。出会ったその日に関係しちゃった女優の卵に実子判定の裁判を起こされたり、離婚訴訟のもつれから、日々の変態ぶりを暴露したポルノまがいの訴訟書を提出されてしまったり・・・。世界の喜劇王はまさに男の中の男(?)なのでありました。

http://iku-ko.com/dame/back20.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/269.html#c1

[近代史3] グリフィス 東への道 (WAY DOWN EAST) (1920年) 中川隆
3. 中川隆[-11853] koaQ7Jey 2019年2月24日 16:10:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[126]
リリアン・ギッシュの肖像

1983年、フランス、ドキュメンタリー

      監督 ジャンヌ・モロー
      出演 リリアン・ギッシュ ジャンヌ・モロー


ジャンヌ・モローによるリリアン・ギッシュへのインタビュー映画だが、ギッシュによるD・W・グリフィスの回想が主体なので、結果としてグリフィスについての映画だったという印象が強い。ただし話の端々から彼女の聡明さや物事に対するしっかりした考え方がよく伝わってくる。
ゑぎ


 グリフィスから離れた後の映画については『ホワイト・シスター』、『ラ・ボエーム』、『風』ぐらいしか語られない。例えば『狩人の夜』や『ウエディング』の話なんかも出るかと思っていたのだが。

http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=3449&mid=17134


ジャンヌ・モローが監督し、彼女自身がリリアンにインタビューしたドキュメンタリー映画です。

サイレント映画時代の大スター、リリアン・ギッシュへのインタビューを軸につづられたドキュメンタリー。幼くして舞台役者への道を歩き出した彼女が、映画の世界に入り、数々の名作にかかわってゆく様子を生き生きと語る。

リリアン・ギッシュは1893年生まれなので、この時90歳という事になります。 まったく年齢を感じさせない、とても力強い語り方に驚きました。吸い込まれるような瞳も健在で、彼女の面白い話と瞳にぐんぐん引き込まれました。映画の中でいくつかの彼女の写真も出てくるのですが、一枚一枚いろんな表情を見せてくれるリリアンはとても愛らしかったです。 彼女は繰り返し


「サイレント映画と音楽は世界言語だ。だからこそ、復活を強く望んでいる」


と言っていました。その彼女の強い意思は、彼女がただのお人形のような女優ではなく、知性も勇気も兼ね備えた女性だったんだと感じました。


一生独身で過ごした彼女に、ジャンヌ・モローが

「仮にお子さんがいたとして、何かひとつ与えるとしたら何を?」

と聞いたところ、リリアンは

「好奇心です。」


と答えました。「好奇心があれば、退屈しないから」と。また彼女は


「孤独という個の世界は、残された唯一の贅沢」


と語っていました。私もこんな風に年齢をかさねたいと、思いました。彼女の「旅」の話はとても魅力的で感動的でした。

http://blog.livedoor.jp/calamityjane0221/archives/50532326.html


     

●元気いっぱい

この時でいくつになっているんだろう。画面のアップではさすがに年輪は見え隠れしているけれど、ジャンヌ・モローの問いに答える姿勢はエネルギーにあふれている。 グリフィス監督からのアドバイスは

「映画女優として一人前になるには、10年間は女優を続ける。自分の役だけでなく、映画全体・ストーリーに責任を持つ。朝一番で撮影所に入り夜最後に撮影所から帰る」

というものだったとか。

●笑みの理由は

第一次大戦1919年頃の戦争の悲惨さを語っている時の苦笑とも思える、いや、悲しみを通り越して呆然とした表情が苦笑に見えたのかもしれない表情!。
そんな悲惨さを救えるのは、無声映画や音楽と言った時に見せた笑顔!!。
自分の半生を語っていた彼女であるが、こころに残ったふたつの顔。。。


●敬意

こんなドキュメンタリーを作れたのもジャンヌ・モローの敬意。
リリアン・ギッシュの若々しさに対して、ジャンヌ・モローはちょっとふけていたぞぉー!

リリアン・ギッシュのグリフィス監督のように、ジャンヌ・モローもルイ・マル監督を引き合いに出していたなぁ。

農場を歩くリリアン・ギッシュの後姿で幕を閉じるわけだが、の終わり方がトリュフォーの雰囲気を感じたのは、自分の単なる気のせいかもしれない。。。

「サイレント映画時代の大スター、リリアン・ギッシュへのインタビューを軸につづられたドキュメンタリー。幼くして舞台役者への道を歩き出した彼女が、映画の世界に入り、数々の名作にかかわってゆく様子を生き生きと語る。持ち前の「好奇心」で数々の困難をはねのけてきた彼女の語り口は、いまだ情熱的で力強い。フランスを代表する女優ジャンヌ・モローが監督し、自らインタビューアーとして参加している。」(NHK BSオンラインから)

http://n-ardis.cocolog-nifty.com/n_ardis/2005/12/post_81f8.html


二人の聖女

個人的に大好きな映画である『東への道』に対しては当時から古臭いなんて言われてきた映画なのだが、グリフィスはその脚本を当時最高の値段で買い取った。その脚本をみたリリアンが「何て古臭いストーリーなんだろうと思った」と言っているのが良かった。リリアンでさえ、そう思った話をあそこまで面白くするとは!

彼女が監督した『亭主改造』については「君の言うことであればスタッフもよく聞いただろう」と言われたというのが面白かった。


グリフィスの晩年について、他人から脚本を渡され雇われ仕事をしていてアルコール漬けだった。


「映画を作ったのは彼なのに!」と言うのにはショックだった。


また、ジャンヌ・モローが


「グリフィス監督と離れたとき寂しくなかったか?」


と質問して、リリアンは「いいえ」と答えたが、モローが「私はルイ・マル監督の下で成功してから、他の監督と仕事しているとき、この映画の監督が彼であればいいのにと思った」と言っているのが個人的にルイ・マルが好きなので興味深かった。


___


90才での迫力と記憶力

この種の映画は面白くない事が多いので、リリアンに興味がない人には勧めませんが、期待以上に感動的でした。D・W・グリフィスとの係わりが殆どですが、リリアンの映画に対する情熱が溢れているし、母親への尊敬が強いのが彼女らしいです。

まず、90才のリリアンの話に迫力があるのに驚きますが、記憶力も確かでアメリカ映画黎明期の話がどんどん出てくるのが素晴らしいです。グリフィスの個人的な事を良く説明していますし、「イントレランス」が今ひとつだと思った理由も解りました。

子供の仕事を禁止する法律が出来て、年長に見られなくてはと苦労したので、「今100才に見られれば嬉しい」という彼女も凄いし、「もし子供がいたとすればどう言いますか」とジャンヌ・モローに聞かれて「好奇心でしょう」という返事には感心しました。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=323848#2

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/267.html#c3

[近代史3] グリフィス 散り行く花 (Broken Blossoms) (1919年) 中川隆
2. 中川隆[-11852] koaQ7Jey 2019年2月24日 16:13:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[127]

美少女にしか興味が無かったグリフィス


映画の父 グリフィス(David Wark Griffith)
http://shakaigaku.exblog.jp/i6

Lillian Gish (1893 - 1993)

David Wark Griffith (1875 - 1948)

Linda Arvidson (1884 – 1949) : 1906結婚, 1936 離婚

Evelyn Baldwin (1910–2004) : 1936結婚, 1947離婚


▲△▽▼

アメリカ映画の父のD・W・グリフィスの「散り行く花」は多くの人が言及しているように戦前の最高のロリコン映画だと言っても間違いのないことだと思います。

 リリアン・ギッシュを「イントレランス」からさらにスターダムに押し上げた作品でもあり、私の高校の先輩 淀川長治は「國民の創生」「イントレランス」よりもこの作品をD・W・グリフィスの小品だが一番の見事な映画としています。  

ジャンリック・ゴダールは 「すべての映画はアメリカ映画である」 としてヒロインのリリアン・ギッシュが死ぬ直前に、 それまでも何度も無理やり義父に笑えと強制されてもどうしても笑えず仕方なく指で口元を広げて笑顔を作りだしていたのが、亡くなる前には自らすすんで指で笑いを作って泣き笑いの顔で逝く最高のシーンは、 ゴダールの 「勝手にしやがれ」 のラストでジャン・ポール・ベルモントの最期で引用されています。 

更に、その少し前に、恋人の中国青年の元から家に連れ戻されたリリアン・ギッシュが父から逃れて物置に逃げ込んだところ、、父親が斧でドアを壊していく凄まじい暴力の場面で直ぐに思い浮かぶのはスタンリー・キューブリックの傑作 「シャイニング」でジャック・ニコルソンが斧で同じようにドアを破壊してゆく場面であるに間違いありません。 

その上にサム・ペキンパーの 「わらの犬」 で村の人びとに追い詰められてドアに向けてライフルを構えるダスティン・ホフマンの恐怖の表情こそ、ペキンパーの頭の中には映画の題名から由来する「人間の行動は護身のために焼くわらの犬のようにちっぽけな存在にすぎない」という中国の古い諺よりも、 リリアン・ギッシュのこの「散り行く花」での「恐怖」のイメージの方があったのではないかと勝手に想像したりしてしまいます。

 D・W・グリフィス監督に関しては、 超大作「イントレランス」のセット建設に参加した二人の主人公を描いたタヴィアーニ兄弟が監督したイタリア映画の名作 「グッドモーニング・バビロン」で広く知られるようになりましたが、この監督の晩年は孤独な人生であったようで、 全然関係はないのですが、 同じような孤独な姿が私の大好きなバスター・キートンの晩年と重なってしまいます。
 
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20050621


何と健気で、儚い乙女。演じるは、20歳も半ばの、リリアン嬢。もうそこが凄いね。

ナボコフが「ロリータ」を書かなければ、美少女乙女路線は、リリアンコンプレックスになっていたかもしれない。

指で口の端をにって上げて、息絶えるシーン、これは公開後、幾百千万の(男の)心を捕らえてきたことでしょう。

永遠の乙女のイコン。グリフィス監督はここでサイレントの映画のテクニックを全て完成させた、とは映画史の語るところ。さらに、映画史は付け加える。


クローズアップが出現したのは、同監督がリリアン嬢を可愛らしく撮るために近づいたことによる、と。


なるほどなぁ。……また、この映画の、中国人の描かれ方に、人種差別の事は避けて通れないが、とはいえ、当時の一番進歩的なものではないか、と想像している。


例えば、長澤まさみ嬢の相手役が、日本人韓国人中国人西洋人以外の人種だとしたらどうだろうか。イランでもスーダンでもイヌイットでもいいが、それぐらいのものではあるまいか。また、仏教の浮き世と枯れる運命の花と儚い乙女との組み合わせで生きる脆さを故意に表しているならば、キリスト教を越えて、思想的にも進歩的でありそうだ。


_____________

父子家庭に育った少女は、ボクサーである父親からDV を受けている。

(中川隆 注:今の言葉で言うと、性的虐待ですね)


DVに耐えかねた少女は、ふらふらと家出をするが、ある店の前で気を失い倒れてしまう。 その店の店主は、オタクで内気な青年で、かねてからこの少女をかわいいと思っていた。 そこでのこの状況!

青年は、迷わず気を失った少女を、自室のベッドへと寝かせ、軟禁に成功する。
看病をしながらも、少女の手をさすったりなでたり、と青年は自らの欲望を果たす幸せな毎晩を送る。

青年は、あこがれの少女を前に、ロリコン魂が燃え盛り、さぞかし夢見心地な毎夜だったに違いない。 でもそれは長くは続かなかった。 父親に少女を軟禁していることがばれ、父親が青年の家を訪れる。 そして、父親は娘を自宅へ連れ戻す。
淫らな行為をされたと思った父親は怒りが爆発。 その怒りの矛先は、少女への暴力につながった。

(中川隆 注 : 嫉妬に狂って愛人を殺してしまった という良くあるお話ですね)

父親の暴力により、少女は死に至る。 そこへ現れたオタクの青年。 父親を銃で撃ち殺してしまう。

まるで、某秋葉原無差別殺人事件の様に、衝動的な殺し方。 そして、その直後に、オタクの青年は自殺をしてしまう。 と、現代風に解釈するとこうなる。

http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_4979.html

12歳の少女ルーシー(リリアン・ギッシュ)が父親から受けていたDVとは?


 近親姦にはおおざっぱに言って、「虐待」的な要素と、「お気に入り」的な要素の、両極端の二つの要素があるように思います。
虐待的な要素というのは、言葉の暴力や、肉体的な暴力などを伴いながら、強制的に行なわれる性行為のことです。

もう一方の、お気に入り的な要素というのは、いわゆる「お父さん子」とか言われるような、親子の親密で良好な関係を利用しながら行なわれる性行為のことを言います。

この二つの要素は、それぞれが単独で現われるケースもありますが、二つの要素が複雑に入り混じっているようなケースもたくさんあるのです。

 ではまず最初に、虐待的なケースから書いていきましょう。


これは、いわば家庭内レイプのようなものなのですが、通常のレイプ事件と違う点は、被害者には逃げ場がないということです。通常のレイプ事件というのは、もちろん被害者にとって非常にショックな出来事であり、精神的にも非常に大きなダメージを被るわけですが、それでも被害者には帰る家がありますし、そこには自分の寝室があり、自分のベッドや布団があるのです。しかし、家庭内で発生するレイプの場合には、どこにも安全な逃げ場がないのです。


夜、眠っているときに、父親が勝手に寝室に侵入してきて、脅迫しながら力ずくで強姦したりするのです。そして、通常のレイプと大きく違う点は、被害者は子どもであり、しかも犯人は、自分を育ててくれている実の親なのだということです。つまり、被害者である幼い子どもは、犯人である親と一緒に生活しなければならないのです。まだ幼い子どもは、衣食住のすべてを親に依存しなければなりませんので、このような逃げ場のない状況が、さらに大きなダメージを与えることになるのです。


 さらに、家庭内レイプには、虐待的な行為が含まれてくるのです。

たとえば、父親が幼い娘の膣に、むりやりペニスを挿入しようとして、膣口が裂けてしまったケースの写真を見たことがありますが、いったい、この親はなにを考えているのかと言いたくなるようなことが発生したりするのです。

虐待的な親たちは、こいう唖然とするような非常識きわまりない行為を、性的な衝動に駆られたままに、平気でやってしまうのです。


 虐待は、このような性交を強要するものばかりではありません。幼い子供に対しては、ペニスをマッサージさせたり、フェラチオを強要したり、精液を飲むように言ったりするのです。


もしも、子供が性的なサービスを拒否したりしますと、罵詈雑言を浴びせて、子どもの心をズタズタにしたり、浴室に連れ込んで、頭から小便を浴びせたり、あるいはトイレに連れて行って、泣き叫ぶ子どもの頭を便器の奥へ押し込んで、その上から水を流して溺れそうにさせたりするのです。


ほかにも、肛門にアイスピックを挿入して直腸に穴をあけたり、膣や肛門への異物の挿入、さらに殴る蹴るだけではなくて、裸にして縛って部屋に監禁したり、食事を与えないで放置したり、何回も妊娠させて、そのつど子どもに嘘をつかせて堕胎を繰り返させたりするのです。


このようにして、虐待的なケースでは、子どもの人間としての人格は完全に無視されてしまい、性的なオモチャのように扱われたりするのです。

 こういうケースでは、親は教育という名のもとに、子供のあら探しをすることがよくあります。そして、子どものやることに難癖をつけて、子どもを罰しようとするのです。そして、そのつど罰として性行為を強要して行くのです。


このような親は、あらゆる思考が性行為へと結びついていくのです。

このような虐待的な親の特徴としては、言うことがコロコロと変わったりして、非常に気まぐれなところがあったり、あるいは突然、怒りを爆発させたりするようなところがあるようです。怒りが暴走してしまいますと、親は自分でも感情をコントロールすることができなくなってしまい、場合によっては激怒に駆られて、突然子どもの首を絞めたりするようなこともあるのです。

そして、このようなケースでは、首を絞めている途中で子どもが静かになってから、はっと我に返ったりするのです。まさに、殺人の一歩手前まで行ってしまうのです。このような、親の衝動的な行動というのは、まったく予測不可能な面があるために、子どもはいつどんなことをされるか分からないままに、常に虐待の不安にさらされることになるのです。

 こういう虐待の被害者というのは、言っておきますが、まだ幼い子どもなのです。たとえ、大人がこのようなひどい扱いを受けたとしても、精神的に大きなダメージを被ることになりますが、まだ幼い子どもたちは、大人以上に大きなダメージを被ることになるのです。普通の家庭の子どもであれば、テレビで「ドラエモン」だとか「サザエさん」だとかいう、平和な家族を描いたマンガなどを見て、無邪気に楽しんだりするのでしょうが、

同じ年頃の子供たちの中には、親からフェラチオを要求されたり、むりやり強姦されたり、便器の中に頭を突っ込まれたり、首を絞められて殺されそうになったりしている子供たちがいるのです。


「家族」という閉ざされた扉の奥で、このような虐待行為が行なわれているのです。しかし、それでも、子どもたちは生きていかなければならないのです。どんなにひどい家族であっても、子どもたちはそこで生きていかなければならないのです。その環境の中で、なんとかして生きて行く方法を考えなければならないのです。

 そして、その生きて行くための方法のひとつが、「心を凍らせる」ということです。心が何も感じなくなってしまえば、もう苦しむこともないのです。たとえば、手術のときに麻酔をかけて、痛みの感覚を麻痺させてしまうように、子どもは、自分の心を凍らせて、感情を麻痺させてしまうのです。そうすれば、心をズタズタに切り裂かれたとしても、もう何も感じなくなってしまうのです。なにも感じなくなってしまえば、虐待にも堪えることが出来るのです。

そして、卑劣な親から強姦されるという、こういう忌まわしい出来事は、すべて忘れてしまえばいいのです。心を凍らせて、何も無かったことにしてしまえばいいのです。そうすれば、もうそのことで苦しむこともなくなるのです。このように、心を凍らせてしまうという行為は、激しいショックによって自分が発狂してしまわないようにするための、ひとつの安全装置として作用するのです。

 さて、このような近親姦を犯してしまう親というのは、どんな親なのでしょうか。一般的なイメージとしては精神異常者を思い浮かべるかもしれませんが、実際にはそうではないのです。たしかに、分裂病による精神的な混乱から近親姦に及んだり、知的障害者が近親姦におよぶようなケースもあります。しかし、これらは全体の一部でしかないのです。大部分は、一見普通の人たちなのです。
 
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/3jittai.html


1娘の凜(12) 投稿者:楓 投稿.2008/12/28 04:25:37


昨日私は、仕事でしたが主人と娘は、もう休みでした。 仕事が5時に終わり家に帰ると娘が泣きながら私に抱き付いて来ました。

どうしたのと聞くとパパが口にオチンチンを入れて気持ち悪い物を飲まされたと言いました。

私は、主人に凜に何したんと聞きました。すると何もしてないと言っていますがあきらかに動揺していました。

あんた凜にフェラさせたやろ?凜が泣きながら言っていたわ!

すると主人がゴメンと言って謝りました。私は、凜を連れて実家に帰って来ました。許す事は、出来ません。

まだ七歳の娘にフェラさせた主人とは、もう別れるつもりです。

もしやり直しても今度は、フェラ以上の事をして凜を傷つけるかもしれません。
どう思いますか? 別れた方がいいですよね?

12 投稿者:ひーろー .2009/02/06 18:53:57

ロリコンと結婚したあんたに責任があるんじゃないの?!
自分の身体で満足させれば子供に手をださなくなるよ。

http://www.nanbbs.jp/pc/res/71/BK-4AXI5/index.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/268.html#c2

[近代史3] グリフィス 散り行く花 (Broken Blossoms) (1919年) 中川隆
3. 中川隆[-11851] koaQ7Jey 2019年2月24日 16:18:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[128]

元祖ロリコン女優 メアリー・ピックフォード(1892〜1979)

Mary Pickford - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Mary+Pickford+

あらゆる意味で、メアリー・ピックフォードは世界最初のスターだった。あらゆる意味でというのは、彼女が映画史上初めてビッグネームとして認知された女優であること、初めて稼げるだけ稼いだ女優だということ、「アメリカの恋人」という愛称で親しまれたこと、ダグラス・フェアバンクスという当時最高の男性スターと結婚しスター夫婦と言われたこと、トーキー映画として最初のアカデミー賞を取ったこと、初めて自分で自分をマネージメントしたこと、そして映画会社を設立した最初の女優だということである。

あのリリアン・ギッシュを映画界に誘ったのも彼女であるし、女優業を引退後はプロデューサー業に転向しマルクス兄弟の映画などを製作した。

 僕が初めてメアリー・ピックフォードの映画と出会ったのは「雀」(26)を見てからである。

身長は152センチという低さで、当時は33歳でありながら、12歳くらいの少女の役を演じていたのが印象的だった。

本当に僕は12歳くらいだと信じて疑わなかった。彼女は年相応の役よりも少女役に人気があったが、彼女自身はそういう自分の役柄に嫌気がさしていたらしく、早々と引退している。

http://cinema-magazine.com/p/989


スター女優となったメアリー・ピックフォード(1892〜1979)はグリフィスの門下生であった。彼女は、1909年、15歳の時にグリフィスのもとを訪ね、映画界に入る。同年の「クレモナのバイオリン作り」で初主演。ここでのメアリーの役柄は、2人の若いバイオリン職人の間で揺れ動く可憐な少女であった。

金髪の綺麗な巻き毛を持つ彼女は、身長152センチと小柄で、大人になってからも同様に可憐な少女ばかりを演じ続けてきた。彼女はその人気ぶりから「アメリカの恋人」とまで称されたが、どうやらアメリカというのはロリコンであったようだ。

 メアリーは33歳の時に「雀」(1926年)に主演しているが、そこでも演じた役は12歳の少女。

いくらメアリーが若々しいからといって、さすがに21もの年齢差には無理がありまくりであった。やんちゃな身振りで少女になりきっているのがかえって不気味ですらある。観客の求める少女像と、メアリー本人の年齢のギャップにおそらく彼女自身苦しんでいたのであろうか。1933年、40歳の時に引退した。

 1912年、メアリーの旅回り劇団時代の友人が、彼女を映画の中に発見し、彼女を訪ねてニューヨークへやって来た。その友人の名はリリアン・ギッシュ(1893〜1993)であった。彼女は2歳年下の妹ドロシー(1898〜1968)を連れていた。二人はすぐさまグリフィスに紹介され、映画界に入る。

 リリアンは「国民の創世」(1915年)でヒロインを演じ、続く「イントレランス」(1916年)では揺りかごを揺らす女という、各エピソードをつなぐ重要な役柄を演じている。その後も「散り行く花」(1919年)、「東への道」(1920年)、「嵐の孤児」(1921年)などでヒロインを演じ、グリフィスの全盛期を支えた。

これらの作品で彼女が演じたのはいずれも運命に翻弄される薄幸の娘。中でも父親に虐待しされ、無理に笑顔を作って死んでゆく12歳の孤独の少女を演じた「散り行く花」や、男に騙され未婚の母となり、吹雪の中をさまよう娘を演じた「東への道」などがとりわけ印象的である。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/03ACTRESS.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/268.html#c3

[近代史3] チャップリン キッド The Kid (1921年) 中川隆
2. 中川隆[-11850] koaQ7Jey 2019年2月24日 16:27:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[129]

チャーリー・チャップリンはロマ出身だ。

ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。


チャップリンが貧しい人たちと、虐げられている人たちの中に自分の役柄を置いた根源的な由来が、彼の血がロマ(ジプシー)の出だということで分かったような気がした。

ロマ(ジプシー)は今でも虐げられ、ヨーロッパ全土で差別の対象になっている。

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Flamenco Dance
https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q


2015-06-09
1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html

ヨーロッパは日本のように島国ではないので、様々な民族が国境を越えて行き来する。多くの民族は土着して、その国の「国民」となっていくのだが、中には定住するのを拒絶し、旅の生活を続ける民族も出てくる。

ヨーロッパではその最大勢力が「ロマ」である。単純な強盗や万引きなどの事件には、流れ者の民族であるロマも関わってくることが多い。

もちろんロマの人たちが全員「盗人」ではないが、やはり彼らの一部が強盗・万引き・麻薬売買に関わっているのは否定できず、ありとあらゆる場所で嫌悪されている。

この「ロマ」はヨーロッパに約1000万人いるというのだから、尋常ではない。国を持たず、流浪する民族が1000万人と言えば、さすがに目立つ。

このロマが定住する最大の国がルーマニアなのだが、ルーマニアもひどく貧しい国であり、そんな貧しい国に定住しているロマはどん底の貧しさであると言われている。


人種も、文化も、宗教も、気質もまるで違っている

ロマがルーマニアに200万人近くいて、人口の一割を占めているとは言っても、この1割のロマが受け入れられているというわけではない。

受け入れられているというよりも、やはりルーマニアでも嫌われていて、「泥棒」の代名詞となっている。

ロマが嫌われるのは、4つの理由があるというのは、以前にも書いた。

(ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900


彼らは、人種も、文化も、宗教も、気質も、何もかもヨーロッパとは違っている。時には言葉すらも通じない。

それでいて忽然と現れて、好きなところに「勝手に住み着く」のだから、地域住民から見たらまさに不法侵入者でしかない。しかも、この民族の子供たちは「万引き」をするために他人にまとわりつく。

「ロマの子供たちは学はないが、泥棒の仕方だけは親に学ぶ」

ヨーロッパの多くの国の観光地で、窃盗・万引き・置き引きが毎度のように発生するのは、ロマの子供たちがいるからであると言われている。

彼らはその街や村にやって来ると、そこの原っぱのようなところで誰の許可もなく勝手にキャンプを張る。

そして、ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。

そんな民族が1000万人もいる。だから、ヨーロッパではそれこそ1000年も昔からロマは頭痛の種だった。彼らはヨーロッパ中をさまよい歩き、今もその流浪と独自性で嫌悪と拒絶の対象になっている。


ガラクタにしか見えないものを持ち込み、ゴミも周辺に放り出してゴミ山を作り出す。環境が手に負えなくなったら、ゴミ山を残してさっさと移動していく。これでは地域住民に好かれるわけがない。


文化は受け入れられても、民族は排除されてしまった

ロマはロマの文化がある。彼らは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、流浪の民の文化は一部では崇拝を呼ぶほど信奉者も多い。

彼らは陽気で歌や踊りが大好きだ。その中で、最もよく知られているのはジプシー特有のけたたましい音楽だろう。

女性がスカートをなびかせ、足を踏み鳴らし、激しく踊るその様は見ている者を陶酔すら呼び起こすものである。

このジプシーの文化は、やがてヨーロッパ中の音楽にも取り入れられ、その踊りもまたヨーロッパ人に大きな影響を与えた。特に大きな影響を与えたのはスペインだ。

スペインに流れ着いたジプシーたちが、その土着の音楽と自分たちの音楽を融合させて生まれた独特の音楽は「フラメンコ」と呼ばれるようになった。

フラメンコは15世紀にはすでにスペインで定着していたわけで、その歴史は相当古い。まさに歴史的音楽であると言える。

とは言っても、この「ジプシー」がスペインで受け入れられたというわけではなく、やはり忌避されていたのである。

フラメンコという文化はスペインの文化になったが、皮肉にもそれを伝えた「ロマ」は相変わらず嫌われて、スペインのどこに言っても迫害され続けていた。

ジプシーと言えば、「占い」もまたひとつのビジネスだが、この占いもまたキリスト教徒から見れば「悪魔の業(わざ)」のように見えたわけで、キリスト教徒から見て不吉なものでもあった。

リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。

「黒猫は不吉な存在で、それが目の前を通ると誰かが死ぬ」というようなものだ。


リタ・ヘイワースがジプシーの女を演じた映画『カルメン』でも、ジプシー女性がやたらと独自の因習を信じているのが描かれていた。

Flamenco Dance
https://www.youtube.com/watch?v=xqxJMCQxb_Q


「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っている

ロマの流浪と文化は本当に異質であり、泥棒文化が嫌われ、何度も何度も地域住民と衝突して、今もヨーロッパはロマとどのように折り合いを付けたらいいのか分からないまま、困惑し、嫌い、排除しようとしている。

もっとも、そのロマも流浪する生活を頑なに守る人々が減っており、そのほとんどが定住するようになっているという。

ところが、定住しても独自文化を守ろうとして、地域の教育も無視するので、どこの国でもロマの人々は極貧の生活を強いられているようだ。定住はしたものの、地域と同化したわけではないということである。

ロマを支援する人々は、支援も理解も足りないと訴えるのだが、当のロマ自体が支援も理解も拒絶して自分たちの独自文化の中に引きこもることもあり、問題の解決は容易ではない。

また、地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。

イタリアは、ロマの人たちが公営住宅に入れないように、政府が自らロマ排除に動いていたし、スロバキアでも機動隊を投入してロマのキャンプを叩き潰して追い出した。

ロマが200万人も定住するルーマニアでも、ロマは政府と国民に就職も住居も結婚も一般国民と交わらないように「積極的排除」されている。

ヨーロッパでは「多文化主義」など絵空事であると誰もが知っているのは、誰もがロマの問題を解決できないことを知っているからである。


地域に同化させようと努力するロマや、それを支援する人たちがいる一方で、逆にロマを強制的に排除して国から追い出してしまおうとする動きも巨大だ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html

2010-11-26
ヨーロッパで、ロマ(ジプシー)が凄まじく嫌われる4つの理由
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900

スリランカ・シンハラ系民族の女性に惹かれて付き合っていたことがあるのだが、それが自分の美の概念を根底から変えてしまった。

あっという間にインド・アーリア系の女性の美しさに魅せられ、悩まされ、そして当惑させられ(Bewitched, Bothered and Bewildered)、今でも、世界で一番美しいのはインド女性だと信じて疑わない。

あの瞳、あの笑み、時に甘美で、時に凶暴で、全体的に力強く、視線の強さや、横顔の端正なシルエットは他のどの民族からも受けないインパクトがある。

カルカッタでも、ムンバイでも、そしてスリランカでも、バングラデシュでも、はっとするような女性があちこちに存在する。その美しさに心を揺さぶられる。


ロマが、インド系の民族だというのを知って仰天

だから、アフガニスタンのヘロインがヨーロッパに到達するルートを調べてバルカン半島にまで知識の探究が辿り着いたとき、たまたまロマ(ジプシー)が、インド系の民族だというのを知って仰天した。

子供の頃から、ハイエナはずっとイヌ科の動物だと思っていたのに、実はネコ科のほうだと分かったとき以来の驚きだったかもしれない。

いや、それよりも数倍インパクトが強い。何しろ、ハイエナに恋焦がれたことはないが、インド女性には何度も恋焦がれている。関心の度合いが違う。

ロマ(ジプシー)の存在は私の中では非常に影の薄いものであったが、彼らがインド圏であるというのであれば話は別だ。

アジアは私の最大の関心であり、ましてインド女性は私がもっとも惹かれる民族なのだから、ロマという民族がその血を受け継いでいるのであれば、関心を持たないほうがどうかしている。


ロマ(ジプシー)の少女

今年9月からアジアに流通する麻薬に興味を持って調べていたのだが、トルコからバルカン半島まで入ったところで、関心がロマにそれた。それもまた一興なのかもしれない。

それから急いで数冊の本を買って、時間のあるときに読み耽っているのだが、以前から知っていた何人もの人物が実はロマ(ジプシー)出身だと知ったり、その凄絶な歴史を知ったりして興味深い。

たとえば、ユル・ブリンナーという古い俳優がいたが、彼がロマ(ジプシー)出身だったとは知らなかった。世界ロマ連盟の初代会長がユル・ブリンナーだった。


ユル・ブリンナー

イギリスで「ブレイク・アウェイ」等のヒットを飛ばした女優・歌手のトレイシー・ウルマンという女性もまた母方がロマ出身だったというのも知らなかった。


トレーシー・ウルマン

チャーリー・チャップリンもロマ出身だ。ロマと言えばヨーロッパでは極貧の民族の代表になっているが、チャップリンもまた幼児期を極貧の中で暮らして、その映画もまたコメディにも関わらずそこに流れているのは極貧の描写である。


チャールズ・チャップリン

チャップリンが貧しい人たちと、虐げられている人たちの中に自分の役柄を置いた根源的な由来が、彼の血がロマ(ジプシー)の出だということで分かったような気がした。

ロマ(ジプシー)は今でも虐げられ、ヨーロッパ全土で差別の対象になっている。


ヨーロッパ人が排除したい民族

スイスと言えば、美しいアルプスの山脈と素朴に暮らす人たちの光景が思い浮かぶ。あるいは、時計職人、銀行家というイメージも別にある。

そのどれもが保守的で物静かな感じを受けるのだが、ロマの歴史からスイスを見たとき、スイス人はとても残酷な歴史を隠蔽している民族なのではないかという疑念がふつふつ湧いてくるようなものもある。

たとえば、スイス政府の認定を受け、閣僚も名を連ねる「青少年のために(Pro Juventute)」という組織の十数年にも渡って続けてきた行為などは、私が想像に描いていたスイス人のイメージとは違う。

この団体は、「ロマの子供を両親から引き離し、ロマ民族と文化を殲滅する」というスローガンを抱えて、実際にロマの子供たちを誘拐し、強制収容し、ロマの言葉や文化を一切教えず、暴行や性的虐待を繰り返してきたという。

これが、政府公認だった。誘拐されたのは分かっているだけでも、1,000人を越えており、意味もなく電気ショックを与えていたり、殴りつけていたという。

スイスだけではない。チャウシェスクはロマ民族を毛嫌いしていて、ルーマニア民族優等主義を標榜してロマを迫害・排除に動き、財産や職を取り上げた上で強制隔離してしまった。

ルーマニアではロマ人の隔離された場所をゲットーと呼び捨てていたようだが、ゲットーとはドイツ人がユダヤ人を強制隔離した場所を指す言葉ではなかったか。それと同じ目をロマの人々は味わされていた。

今でもルーマニアではロマ人を差別しており、その差別の内容も一方的で容赦がない。ロマ人に対する、虐待・集団暴行・レイプが今もルーマニアで横行しているという。

では、ゲットーという概念を作り上げたドイツではどうだったのかというと、やはりロマは排除の対象だったようだ。いや、排除ではなく、虐殺の対象だと言うべきだろう。

ナチス・ドイツはドイツ・アーリア人の優等主義を打ち出していて、そこから漏れる民族は片っ端から「強制収容所」に送り込んでいた。ユダヤ人がその最大の被害者だったが、そこにロマ人も含まれていたのである。

アウシュビッツで死んだのはユダヤ人ばかりではなく、ロマ人もまた含まれている。その数は約二万人だと言われており、スイスの「青少年のために(Pro Juventute)」とはケタ違いに被害が大きい。


アウシュビッツのロマの少年少女。アウシュビッツで殺されたのは、ユダヤ人だけではなかった。


迫害される要素をすべて持つロマ(ジプシー)

ヨーロッパのありとあらゆる国で迫害を受けてきたロマだが、どの国の迫害を見ても分かるのは「凄まじく嫌われている」ということだ。

嫌われ、迫害される主な理由が4つほどある。

・流れ者の民族で文化が違う。
・キリスト教徒ではない。
・コーカソイド(白人系)ではない。
・個人主義で、決して地域に同化しない。

要するに彼らは異質であり、異教徒であり、異端だった。地域に同化しない人間というのは得てして目立つ。そして、その非協調性によって排斥される。

宗教が違うというのも、また広い意味で、非協調性だと思われるものがあるだろう。つまり、同化しない人間は地域社会から許しがたい存在である。

おまけに肌の色が違ったら、ますます異端者扱いされる。「他所者だ」と思われて、頭から拒絶されるのである。

ヨーロッパでロマという民族は何か得体の知れないものであり、理解できないものであり、地域の秩序を乱すものだと捉えられた。

まして、彼らは一箇所に定住せず、適当な場所に勝手に泊まり、身なりは汚いことが多く、子供たちは平気で物をたかったり盗んだりする。言葉は通じないことも多いし、動物を引き連れていて不気味な集団なのである。

ロマ(ジプシー)という民族を調べながら、私が思ったのは、ここに迫害の要素がすべて詰まっていることだった。

「文化が違う、宗教が違う、人種(国)が違う、個人主義」というのは、迫害される要素の最大のものだ。

ロマは不幸なことに、そのすべてを兼ね備えてヨーロッパを徘徊している。だから、彼らは今もヨーロッパと共存できていない。

(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


ふと、そのような要素を持つ人間が個人にいることも気がつくが、そういう人は大抵、嫌われ者だ。「他人と違う」というのは、往々にして、そういう悪感情を他人に呼び起こす。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20101126T0324000900


2015-06-12
激しい差別と迫害の中でユダヤ人がサバイバルできた理由
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html

ヨーロッパを流浪する民族「ロマ」は、地域社会に同化せず、独自の文化を頑なに守り続けて今もヨーロッパ社会の底辺をさすらいながら問題を起こしている。

(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html


ところで、ヨーロッパには、このロマと同じく毒蛇のごとく嫌われた流浪の民族もいる。ユダヤ民族である。

ロマが流浪していたのは自らの意思だったが、ユダヤ人が流浪していたのは、国を失ってどこに定住しようとしても排斥されたからだ。

キリスト教社会の中にあって、イエス・キリストを殺した民族として新約聖書に記されたユダヤ人は、キリスト文化が続く限り迫害の対象になる運命だった。

ユダヤ人の流浪は1948年5月14日にイスラエルという国が建国されるまで続いてきた。いや、イスラエルができてもイスラム教徒と激しい闘争を繰り広げ、今もまだ流浪していると言っても過言ではない。


イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿

新約聖書の物語は、イエス・キリストが奇跡を行う前半と、ユダヤ人に売られて十字架に張り付けにされる後半に分かれている。イエス・キリストが戦っていたのはユダヤ人だった。

ユダヤ人はイエス・キリストを告訴し、死刑にしろと叫び、実際に十字架に追いやった「主犯」だった。銀貨30枚でイエス・キリストを売り飛ばしたユダという男もまたユダヤ人だった。

「人類の救済者」という位置付けのイエス・キリストを迫害して死に追いやったのはユダヤ人だと、聖書は繰り返し述べているのである。

新約聖書は、イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿でいっぱいだ。

そのキリスト教がローマ帝国の国教となり、そこからユダヤ人の受難が始まった。ユダヤ人は「イエス・キリストを殺した民族」として、どこに言っても迫害され続けたのである。

ユダヤ人は流浪するしかない民族となった。そして、どこを流浪しても迫害される民族となった。まさに「イエス・キリストの呪い」を受けた民族だったから、キリスト教徒にとってユダヤ人は許すことのできない敵だったのである。

この迫害は1000年以上も続いてきた。19世紀の東ヨーロッパで「ポグロム」という激しいユダヤ人虐殺が行われたが、このポグロムというのは「破壊」という意味のロシア語である。

「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。このユダヤ人排斥は組織的に、そして継続的に行われ、土地を追われたユダヤ人は、新天地を求めてさまよい続けた。

迫害の中で、悠々と屋根の上に登ってバイオリンを弾く英雄は現れなかった。こうしたポグロムの中で、6万人のユダヤ人が殺されたウクライナのリヴィヴ・ポグロムは写真でも記録されている。


ユダヤ人の老人を後ろから蹴り飛ばすウクライナ人。「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。


資産家として成り上がって行くユダヤ人も多かった

ロマと共に迫害されていたユダヤ民族だが、ではユダヤ人が各地で極貧の身であったのかと言えば、実はそうではない。

もちろん、ユダヤ人ゲットーという隔離地に押し込まれて、まともな仕事を与えられない貧困のユダヤ人も多かった。しかし、それでもその地で資産家として成り上がって行くユダヤ人もまた多かったのである。

ユダヤ人がどこかに定住して自由にビジネスできるようになると、彼らは常にその地の民族を圧倒して富裕層になっていく。そして気が付けば、ユダヤ人が彼らを雇って主従関係が逆転するようなことにもなっていった。

ドイツでも18世紀にはユダヤ人のゲットー(隔離地)からロスチャイルドという一族が銀行業によって資産家に成り上がっていく動きがあった。

ウクライナでもユダヤ人はその地域の富裕層として君臨し、ウクライナ人の上に立っていたのである。

このあたりは、流浪しながら窃盗や売春や胡散臭い占いビジネスで底辺を這い回っていたロマ民族とは、まるっきり立場も運命も違っていた。

ロマとユダヤのこの差はどこから生まれていたのか。

それは、まぎれもなく「教育」に対する姿勢であったと言われている。

ユダヤ人は「本の民族」であると言われている。迫害されても、貧困に落ちても、流浪の中の絶望にあっても、彼らは教育と書に対する熱意をまったく失わなかった。

モーセ五書を記した「トーラー」と呼ばれる書を子供の頃から教え、子供たちは旧約聖書を何度も何度も反復してそれを暗唱できるまで鍛え上げられた。

そして、激しい迫害の中で、どのように生きればいいのかを「タルムード」を通して教育されてきた。


ユダヤ人排斥の中で、人前で服を剥ぎ取られたユダヤ人の女性。どこに定住しても、ユダヤ人に対する迫害は止まることはなかった。


「迫害される環境から、いかに生き残るか」の書

ユダヤ人は、国もなければ安住の地もない。常に迫害され、差別され、時には略奪の対象とされて、築いてきたものは一瞬にして破壊された。

彼らは生き延びるために、土地にも財産にも共同体にも頼れなかった。頼れるのはただひとつ、サバイバルするための「頭脳」だけだったのである。

だから、教育は彼らの最大の武器であり、旧約聖書も、トーラーも、タルムードも、「迫害される環境から、いかに生き残るか」について微に細を入れて書かれていた。

ユダヤ人にとって本を読むというのは娯楽ではない。教育とはサバイバルだったのだ。本を読んで学ぶことが、ユダヤ人にとっては殺されるか生き残るかの苛烈な社会の中のサバイバルの指針だったのである。

だから、同じ流浪の民族であっても、ロマ民族と、ユダヤ民族は、その運命はまるで違っていた。

ユダヤ人は、外からふらりとやってきて底辺を這い回るのではなく、その頭脳によっていつしか富裕層に成り上がって現地の民族を支配する立場になっていく。

それが激しい恐怖を生み出し、宗教的な憎しみも加わって、激しい虐殺を生み出す元になっていったのだ。

東ヨーロッパで吹き荒れた「ポグロム」は、1930年代以降は自分たちの上に君臨する豊かなユダヤ人から奪うという歴史的な背景もあった。

異質な民族が自分たちの上に君臨して自分たちを支配することの恐怖も、ユダヤ人に対する過剰な虐殺の原因のひとつであったとしても不思議ではない。

ユダヤ人の武器である「教育」とは、それほどまで凄まじいものであったとも言える。


集団で暴行され、服を脱がされるユダヤ人女性。こうした「ポグロム」の後、ユダヤ人はナチスによる「ホロコースト」で民族虐殺に追いやられていった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html



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チャーリー・チャップリンはジプシー系英国人であった。

喜劇王チャップリンは、その類い希なる才能ゆえに、「もしかしたらユダヤ人じゃないのか?」と囁かれていた。チャップリン本人は「ユダヤ人」という噂を否定していたので、筆者も「たぶん違うんじゃないか」と思っていた。そうしたところ、2010年頃になって、ようやくチャップリンの親戚が認(したた)めた手紙が表に出て来て、彼の母親がジプシー藝人であることが判ったのである。

("The secret letter that claimed Charlie Chaplin was the son of a gypsy queen", Daily Mail, 21 February 2011) チャーリーの母ハンナ・チャップリン(旧姓 / Hannah Hill)は旅藝人の役者で、「リリー・ハーレー(Lily Harley)」という藝名で通っていた。

ところが、息子が3歳の時に夫のチャールズと別れてしまったという。チャーリーは大人になっても母親をいたく慕っており、その優しさを忘れられなかったのか、愛する女性にも亡き母の面影を求めていたらしい。

ただし、母親の素性に関しては固く口を閉ざしていたから、ジプシーの血筋だけは絶対に明かしたくなかったのだろう。「サー(Sir)」の称号をもらった名優が、ジプシーの倅(せがれ)だなんて、恥ずかしくて人に言えないじゃないか。(これは筆者の勝手な推測だが、チャップリンが左翼思想のを持っていたのは、人間を家系や種族で差別する西歐人が赦せなかったからだろう。)


Charlie Chaplin 4Hannah Chaplin 1Charles Chaplin Sr 1
(左: チャーリー・チャップリン / 中央: 母親のハンナ・チャップリン / 右: 父親のチャールズ・チャップリン)

  ちなみに、チャップリンの母親は三人の子宝に恵まれたけど、その人生は悲惨なものだった。二番目の夫チャールズに出逢う前、彼女はシドニー・ホーク(Sydney Hawke)という男に惚れてしまい、一攫千金を夢見る夫に従って南アフリカにまで移住したのだが、その地で亭主から売春を強要されてしまったのだ。恐らく、この商売が原因で、彼女は梅毒に罹ったのだろう。ハンナはこの“碌でなし”との間にシドニーという長男を出産し、二番目の夫であるチャールズとの間に次男のチャーリーをもうけている。

ところが、間もなくチャールズとも離婚。この再婚相手と別れた後、ハンナはレオ・ドライデン(Leo Dryden)という役者と恋に落ち、彼との間に三男のウィーラー・ドライデンを産んだという。しかし、梅毒のせいで精神に異常をきたし、衰弱したハンナはやがて息を引き取る。

後に、恋多きコメディアン、我らがチャーリー・チャップリンが女性と寝るとき、矢鱈と神経質で性病に感染するのを極度に恐れたのは、母親の病気が深く心に刻み込まれていたからだろう。それにしても、有名な喜劇王がベッドに入る前、股間に沃素(ようそ)を塗るなんて、ちょっと哀しくて笑う気になれない。

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2018年03月23日
ララ・クロフトの素性はどこにあるのか? / スウェーデンにおけるジプシー
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html


二番煎じのシリーズ映画
Alicia Vikander 10Alicia Vikander 3
(写真 / 「ララ・クロフト」を演じたアリシア・ヴィキャンデル)

  ハリウッドは新しいネタ不足なのか、やたらとヒット作のシリーズ化やスピン・オフの制作、リメイク版での再稼働で儲けることばかり考えている。ディズニー社は映画『スター・ウォーズ』を3セットの三部作で終わらせず、アニメ化やスピン・オフ作品を展開させ、向こう百年先まで稼ぐつもりだ。マーヴェル・コミックを原作としたヒーロー映画も同じで、キャプテン・アメリカやスーパーマン、アイアンマン、ワンダーウーマン、超人ハルク、マイティー・ソーなどはバラ売りされたり、セット商品として利用され、配給会社のドル箱になっている。

Angelina Jolie 22(左 / アンジェリーナ・ジョリー )
  今年公開された『トゥーム・レイダー / ファーストミッション(Tomb Raider)』も、アンジェリーナ・ジョリー主演でヒットした『ララ・クロフト / トゥーム・レイダー(Lara Croft : Tomb Raider)』の改新版(reboot)である。2001年の第一作と2003年の続編はパラマウントが配給会社となっていたが、同じタイトルでも2018年度版はワーナーブラザーズへと変わっていた。そして主人公の「ララ・クロフト」役もアンジェリーナ・ジョリーから、スウェーデン出身女優のアリシア・ヴィキャンデル(Alicia Vikander)に交替している。同じシリーズでも役者が変わると、批評家と観客の賛否が分かれ、「以前の女優の方が良かった」とか、「今度の役者も中々いい」、「主役が代わっても同じだ」など、意見が様々だ。

Tobey Maguire 6Andrew Garfield 2Tom Holland 1

(左: トビー・マグワイアー / 中央: アンドリュー・ガーフィールド / 右: トム・ホランド )

  シリーズ物で観客の意見が割れるのは珍しくない。例えば、映画『スパイダーマン』では主役のピーター・パーカー役がトビー・マグワイアー(Tobey Maguire)からアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)、トム・ホランド(Tom Holland)に替わっていたし、映画『バットマン』になると、一作ごとに主役が替わっていたのだ。最初は、マイケル・キートン(Michael Keaton)で、次がヴァル・キルマー(Val Kilmer)、三番目がジョージ・クルーニー(George Clooney)で、その後にクリスチャン・ベール(Christian Bale)が起用されて、やっと落ち着いたという感じである。007シリーズは今のところダニエル・クレイグ(Daniel Craig)で続行しそうだ。

Michael Keaton 2Val Kilmer 1George Clooney 1Christian Bale 11

( 左: マイケル・キートン / ウァル・キルマー / ジョージ・クルーニー / 右: クリスチャン・ベール )

  役者を変えて失敗した例も幾つかある。有名なのは『ターミネーター』シリーズだ。アーノルド・シュワルツネッガーがカルフォルニア州知事になってしまったので仕方がないが、第4作目でサム・ワーシントン(Sam Worthington)が「ターミネーター」役になったが、これといったインパクトが無く凡庸な作品となってしまった。そして、第5作目でシュワルツネッガー復帰となった訳だが、残念ながら脚本が殊のほか酷く、見るに堪えない代物だ。筆者も期待を膨らませて劇場に足を運んだが、肩すかしを食らったような気分だった。だいいち、初老のターミネーターなんて冗談みたいな設定である。蛇足だが、「ジョン・コナー」役の交替も酷かった。名作の「T-2」ではエドワード・ファーロング(Edward Furlong)が好評だったのに、続編の「T-3」ではニック・ストール(Nick Stahl)が演じることとなり、ファンは「えぇ〜ぇ、何これ?」と唖然としたものだった。ニックには悪いが、美少年が数年後に劣化したという感じが否めなかった。誰か別の二代目が見つからなかったのか、と疑問に思う。

Arnold Schwarznegger 1Sam Worthington 1Edward Furlong 4Nick Stahl 3

(左: アーノルド・シュワルツネッガー / サム・ワーシントン / エドワード・ファーロング / 右: ニック・ストール )

  その他にも主役を変えて駄目になった作品は多い。例えば、人気TVドラマの『24』である。このシリーズはキーファー・サザーランド(Kiefer Sutherland)が「ジャック・バウアー」を務めるから成り立つ作品なのに、スピン・オフのような『24 Legacy』では、事もあろうに黒人俳優のコリー・ホーキンズ(Corey Hawkins)を主役に抜擢してしまったのだ。制作陣は「ジャック・バウアー」の代理を黒人俳優にしてヒットするとでも思ったのだろうか? 筆者は最初から興味が無かったので観なかったが、案の定、日本でも米国でも人気沸騰とならず、シーズン1で打ち切りだ。まぁ、当然だろう。いくら凄い経歴のキャラクターに設定しようが、アフリカ系の「ジャック・バウアー」なんて、ブロンクスかデトロイトのチンピラ黒人を見ているようで不愉快だ。

Kiefer Sutherland 4Corey Hawkins 1


(左: キーファー・サザーランド / 右: コリー・ホーキンズ)

  脱線したので話を戻す。再始動となった『トゥーム・レイダー』の評価は微妙だ。「スリリングなアクション映画に仕上がっていて良かった」と褒める批評家もたいが、「まるで『インディアナ・ジョーンズ』シリーズの『失われたアーク』みたいだ」と酷評する観客もいたそうだ。筆者も予告編の宣伝映像を観たとき、「あれっ、何かハリソン・フォードのインディアナ・ジョーンズをパクった映画みたいじゃないか ?」と思ったものである。映画のストーリーは、主人公のララ・クロフトが亡き父の残したプロジェクトを引き継ぐという内容だ。彼女の父リチャード・クロフトは日本近海に浮かぶ「ヤマタイ島」を探っていた。(映画の中でララが広げた地図によると、「ヤマタイ島」は四国の近くにある。だが、日本人の我々には馴染みがない、というより聞いたことがない。) このミステリアスな島には、「ヒミコ」の墓があり、その石棺の中には世界を変える不思議な魔力が秘められているという。リチャードはこの謎を追っている途中で亡くなってしまったのだ。

  リチャードの娘ララは「クロフト・ホールディングズ」ビルを訪れ、父のビジネス・パートナーであるアナ・ミラーに会う。ララは父が遺した「カラクリ(karakuri)」という仕掛け箱を渡され、ルービック・キューブのように捻っていると、偶然その箱から写真と鍵を手にすることが出来たのである。彼女は「エンデュアランス」号の船長ルー・レン(Daniel Wu)を連れ、「ヤマタイ島」を目指す。(ここでも“やはり”人種的配慮を示し、アジア系男優をセッティングして、マイノリティー観客にアピールだ。本当に、イヤらしい胡麻スリである。) 彼女を待ち構えていたのは「トリニティー」という組織と、悪党のマティアス・ヴォーゲル(Walton Goggins)であった。驚いたことに、父のリチャードは生きていた。ヴォーゲルは捕まえたララにヒミコの墓暴きを命じる。しかし、日本の女王が眠る棺の中には、財宝といった素晴らしいものではなく、人間を一瞬にして殺してしまう恐ろしいウィルスだった。このウィルスを拡散させぬために、リチャードは自らの命と共に爆薬で破壊してしまうのだ。

Daniel Wu 2Harrison Ford 3

(左: ダニエル・ウー / 右: ハリソン・フォード)

  ララが墓の洞窟に侵入して色々な罠や仕掛けをかいくぐるシーンは、ハリソン・フォードが演じたインディアナ・ジョーンズとソックリだ。コンピューター・グラフィックスを駆使して豪華にしているが、肝心の脚本が凡庸なので、あまり感心するようなオリジナルティーは無い。「お決まり」のスリルと派手なアクションで画面を飾っているだけ。これならアメリカ人の観客が「なぁ〜んだ、この程度か !」と呆れてしまうのも無理はない。(もっとも、アメリカ人の観客はこういった単純明快なアクション映画が好きなので、もしかしたら続編も有り得る。) 映画の質はさておき、ヴィキャンデルの評価は高く、まあまあの好感度を得ている。アンジェリーナ・ジョリーほどのセクシーさを持っていないが、クラシカル・バレーをやっていただけのことはあって、均整の取れた肉体を持っていて素晴らしい。以外と「ララ・クロフト」役に合っているのかも知れない。

Alicia Vikander 14Alicia Vikander 12


(写真 / 地肌のアリシア・ヴィキャンデル)

  でも、一つだけ気になることがある。アリシア・ヴィキャンデルはスウェーデン出身なのに、どうも北歐人に見えない。どちらかというと南米に住むヨーロッパ系女優みたいだ。筆者は最初に彼女を目にしたとき、「あれっ、ペルーかブラジル出身のヨーロッパ系モデルかな?」と思ったほどである。彼女自身が認めている通り、その皮膚はユリのように白い肌というより、ちょっと日焼けした感じの小麦色であった。映画やドラマに出演しているときは、白粉を塗って色白にしているという。彼女の両親は共にスウェーデン人である。母親のマリアは女優で、父親のスヴァンテは精神科医であるそうだ。マリアの家系にはバルト系フィン人やドイツ人がいても基本的にはスウェーデン人であったし、スヴァンテの家系も代々スウェーデン人であるという。アリシアは対談番組の中で、どうして自分の肌が小麦色なのか不思議であると語っていた。彼女は「スウェーデン人がみんな色白なんて単なる先入観だわ」と述べていたが、たぶんそれは事実だろう。

異民族の血が混じっていたスウェーデン人

  人間の遺伝子というのは複雑怪奇で、生まれてきた子供は基本的に両親の面影を宿すが、祖父母の肉体を再現する場合もある。いわゆる「隔世遺伝」というのがあるから、両親とはちょっと違った容姿を持つ赤ん坊が生まれてしまうケースが稀にあるらしい。とりわけ、米国オハイオ州で生まれた双子のケースは刮目に値する。男の子のガブリエル(Ghabriael)は青い目と金髪を持って生まれたのに、女の子のトリニティー(Trinity)はくすんだ色の肌に、黒い瞳と黒い縮れ毛を持っていた。彼らの両親は異人種カップルで、父のチャールズ・カニンガム(Charles Cunningham)は黒人。一方、母のクリスティー(Khristi Cunningham)は白人女性だ。ただし、息子のガブリエルは白人でも顔附きはアフリカ人に近く、その金髪は縮れている。ABCテレビがこの家族を取材し、報道番組で支那系局員のジュージュー・チャンが紹介していた。この番組はいかにも極左放送局が作ったという内容で、人種平等のイデオロギーに凝り固まっている。

Cunningham, Ghabriael 1Cunningham, Trinity 1Cunningham twins

(左: ガブリエル・カニンガム / 中央: トリニティー・カニンガム / 右: 二人で一緒に撮影された写真 )

  もっと驚くのは、1955年に南アフリカで生まれたサンドラ・ラング(Sandra Laing)のケースである。彼女の父アブラハム・ラング(Abraham Laing)と母サニー(Sannie Laing)は共に白人で、彼女の弟はややくすんだ肌ではあるが「白人」と見なされたので差別されずに済んだ。興味深いことに、サンドラの祖父母や曾祖父母も白人であったのだ。ところが、彼女だけ黒人の肉体に生まれてしまったのである。サンドラの先祖に黒人はいないとの話だったが、もしかしたらムラート(mulatto / 白人と黒人との混血児)がいたのかも知れない。アフリカ系混血児と結婚する白人は、セックスで自分の容貌が変形・変色する訳じゃないから以外と無頓着だが、妊婦から生まれてくる赤ん坊には黒人の遺伝子が優性となる可能性が高いのだ。たとえ息子や娘に浅黒い子供が生まれなくても、孫や曾孫の代に黒い子供が誕生する虞(おそれ)がある。それにしても、数世代を経て黒人の遺伝子が子孫に現れてくるんだから、肉体を形成する塩基配列とは不思議なものだ。

Sandra Laing & her motherSandra Laing & brother & motherAbraham Laing 1


(左: サンドラ・ラングと母親のサニー / 中央: 母と弟と一緒に写っている幼い時のサンドラ / 右: 父親のアブラハム・ラング)

  アリシア・ヴィキャンデルは自分の血統について詳しくは知らない、と語っていたが、もしかしたら祖先の誰かに有色人種、もしくは非北歐系の混血児がいたのかも知れない。筆者は彼女のケースについて何も言えないが、スウェーデン国民の中にはジプシーの血が混ざっている人がいるので、数世代を経てアジア人的容貌を持つ人が現れたりする。つまり白人なんだけど、骨格とか人相、皮膚の点で北歐人らしからぬ人が居るということだ。日本人でもちょっとアフリカ人的な容貌を持つ人がいて、髪が太くて縮れていたりする。また、ある人はタイ人とかベトナム人みたいな顔附きなりで、友達からアジア系混血児と誤解されて憤慨したりすることもあるらしい。最近は、フィリピン人とかタイ人の母親を持つ幼稚園児が増えたので、従来の日本人とは違った子供が珍しくない。

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(写真 / ヨーロッパにやって来るジプシーたち )

  北歐人らしからぬ国民がなぜいるのか、という謎を解く鍵がスカンジナヴィアの歴史にある。実は、1512年頃にジプシーがスカンジナヴィア半島にやって来たのだ。スウェーデンの年代記『En Swensk Cröneka』によれば、大天使の聖ミカエルを祝う9月29日にエジプトの方から旅行者の一団が上陸し、彼らはアントニウス伯爵に伴う取り巻き連中であった。古文書の中では、「放浪者(zigeunae)」とか「タタール(tattare)」と呼ばれているが、要するにジプシーのことだ。人権屋が「ロマ」と呼ぶ浮浪者どもは、オリエントからやって来た野蛮人のように見えたから、誤って「タタール」と呼ばれてしまったのだろう。ジプシーの民族的起源は定かではないが、ある学説によるとインドから各地に散らばった流浪民らしい。現在、ジプシーはフランスとかブリテンにも住んでいるけど、元々はバルカン半島やアナトリア地方をうろついていた人々である。随行者としてスウェーデンにやって来たジプシーだが、現地人からは歓迎されなかったようで、1637年7月28日の勅令で、「タタール」の追放が決まったそうだ。そして、1914年から1954年の間、ジプシーのスウェーデン入国は禁止されていたのである。

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(左: 北歐系の女性 / 中央: ゲルマン人の子供 / 右: スカンジナヴィア系の男性 )

  ナチス・ドイツによる対ジプシー政策は悪名高いが、スウェーデンにも人種や民族に関する暗い過去がある。日本ではほとんど知られていないのだが、スウェーデン政府はジプシー達の個人情報を“こっそり”集め、違法なデータベースを作っていたのだ。この機密ファイルは2013年、スウェーデンの報道機関にリークされ、一般国民に知られるようになった。人種を基本にした最大のジプシー登録ファイルには、4029名の個人情報が記載され、そのうちの842名が10代の少年達で、52名が赤ん坊であったという。(Mattias Gardnell, "Sweden's dirty little secret", Open Democracy, 9 October 2013) 発覚当初、スウェーデンの警察当局はファイルの存在を否定したが、このデータベースの作成は通常行われる情報収集の一環であると、仄めかしたそうだ。まぁ、手癖の悪いジプシーによる犯罪は結構多いから、警察としては防犯対策と犯罪捜査を兼ねた極秘資料であったのだろう。

  ジプシーの入国が禁止されていた1920年代に、政府当局は残存していたジプシー達をどう扱うべきか頭を悩ませていたらしく、治安担当者はジプシーとスウェーデン人を統合することは無理と考え、彼らを「解決不可能な問題」と見なしていたそうだ。それゆえ、この問題を解決できるのはただ一つ、彼らをスウェーデンから追い出すことであった。政府当局者はジプシーの国内移住に制限を設け、勝手気ままに放浪できぬようにすることで、彼らがスウェーデンを“自主的”に去るよう仕向けたのである。ジプシーは自由を奪われることが嫌いで、好きな時に好きな事をする性分だから、スウェーデンが「居心地の悪い土地」になれば、自然と居なくなるという訳だ。

  それでも、国を去らずに居坐る者がいたので、スウェーデン政府は個別にジプシーを尋問し、一人一人に「Zナンバー」を割り振り、彼らの性格を詳しくファイルに書き留めたのである。例えば、Aというジプシーは「狡賢い」とか、「怠惰である」、「暴力的だ」などと記載したそうだ。ところが、このプロファイリングは単なる人別帳に留まらなかったから問題になった。というのも、当時は「優生学」が全盛期の時代だ。歐米諸国では何処でも健全な社会を目指していたから、少しでも社会の負担となる犯罪者や精神異常者、福祉依存者、厄介者を減らそうとしていた。その一環として「断種」という手段もあったのだ。学会では悪質な性格は遺伝すると考えられていたので、その「悪循環」を断ち切るためにも、あるタイプの女性たちに不妊手術を施していたのである。

Sweden women 2Gypsies 5


(左: スウェーデン人の女性たち / 右: ジプシーの親子)

  スウェーデン政府はジプシーを劣等民族と見なしていたので、彼らの悪質な特性が広まらぬよう、つまり彼らがスウェーデン社会で繁殖しないよう、ジプシー女性を掻き集め、「断種」に同意するよう強制したのだ。もし、彼女達が拒否すれば、その子供を取り上げて引き離すぞ、と脅したらしい。「Zファイル」に登録された賤民は、「国民」に属さなかったから、当然、スウェーデン国民の権利も無かった。1960年代半ばまで、ジプシーたちは完全な公民権を持たず、投票権も無かったらしい。参政権というのは正式な国家の成員に対して付与される特権だから、浮浪者のジプシーに渡すなど狂気の沙汰だ。現在では各方面から糾弾されているが、スウェーデン政府の方針は間違っていないと思う。

  しかし、人権団体や左翼活動家にとっては許しがたい暴挙だ。とりわけ、この「Z登録書」が非難されるのは、ナチスによるユダヤ人認定と似ていたからだろう。少なくとも1996年まで、「Zファイル」に登録されたジプシーは、血統的に「完全」「半分」「4分の1」と分類されていたそうだ。さらに、この登録書にはジプシーの評価も記されていたそうで、「単純な性格だが、まあまあ良い」とか「陽気だが、大した知能は無い」、「暗愚である」「知恵遅れ」といった観察結果が附け加えられていたという。でも、こうした人物評定は如何にも北歐のヨーロッパ人らしく、厳格なゲルマン人の精神科医とか文化人類学者、ないしは動物学者の鑑定を偲ばせる。歴史に無知なアメリカ人だと、正義漢ぶって高飛車に非難するが、第二次大戦前はアメリカ人も似たようなもので、優生学がアカデミック界で流行っており、断種強制も珍しくなかった。優生学や人類学に関する米国史を述べると長くなるので割愛するが、アメリカ人はドイツ人を糾弾できるほど清廉ではなかった。人種差別に関しては似たり寄ったりである。

ジプシーの母を持っていた喜劇王

  同種族が多数派の日本だと、「ジプシー」と聞いても、いまいちピンとこない。せいぜい、音楽や映画で耳にする程度なんじゃないか。例えば、日本の人気ロック・バンド「アンセム」が奏でる名曲「Gypsy Ways」とか、英国の「ディープ・パープル(Deep Purple)」でお馴染みの曲「The Gypsy」とかである。筆者はジプシーに関して二つ挙げたい。一つは子供の頃に観たアラン・ドロンの映画『ル・ジタン(Le Gitan)』である。日本ではあまり話題とならなかったが、ドロンがジプシーの血を引く犯罪者を演じており、世間から蔑まれる「よそ者」が妙に似合っていたのを覚えている。たぶん、ドロンにも人に隠しておきたい過去があったから、警察に追われる犯罪者で流浪民の「ジタン」を上手く演じることが出来たのだろう。単なる子供に過ぎなかった筆者だが、アラン・ドロンの哀愁を帯びた表情が印象的で、今でも記憶に残っている。

Alain Delon 523Alain Delon Le Gitan 1

(右: 私生活でのアラン・ドロン / 右: 「ル・ジタン」に出演したアラン・ドロン)

  もう一つは、チャーリー・チャップリンがジプシー系英国人であったことだ。喜劇王チャップリンは、その類い希なる才能ゆえに、「もしかしたらユダヤ人じゃないのか?」と囁かれていた。チャップリン本人は「ユダヤ人」という噂を否定していたので、筆者も「たぶん違うんじゃないか」と思っていた。そうしたところ、2010年頃になって、ようやくチャップリンの親戚が認(したた)めた手紙が表に出て来て、彼の母親がジプシー藝人であることが判ったのである。("The secret letter that claimed Charlie Chaplin was the son of a gypsy queen", Daily Mail, 21 February 2011) チャーリーの母ハンナ・チャップリン(旧姓 / Hannah Hill)は旅藝人の役者で、「リリー・ハーレー(Lily Harley)」という藝名で通っていた。ところが、息子が3歳の時に夫のチャールズと別れてしまったという。チャーリーは大人になっても母親をいたく慕っており、その優しさを忘れられなかったのか、愛する女性にも亡き母の面影を求めていたらしい。ただし、母親の素性に関しては固く口を閉ざしていたから、ジプシーの血筋だけは絶対に明かしたくなかったのだろう。「サー(Sir)」の称号をもらった名優が、ジプシーの倅(せがれ)だなんて、恥ずかしくて人に言えないじゃないか。(これは筆者の勝手な推測だが、チャップリンが左翼思想のを持っていたのは、人間を家系や種族で差別する西歐人が赦せなかったからだろう。)

Charlie Chaplin 4Hannah Chaplin 1Charles Chaplin Sr 1

(左: チャーリー・チャップリン / 中央: 母親のハンナ・チャップリン / 右: 父親のチャールズ・チャップリン)

  ちなみに、チャップリンの母親は三人の子宝に恵まれたけど、その人生は悲惨なものだった。二番目の夫チャールズに出逢う前、彼女はシドニー・ホーク(Sydney Hawke)という男に惚れてしまい、一攫千金を夢見る夫に従って南アフリカにまで移住したのだが、その地で亭主から売春を強要されてしまったのだ。恐らく、この商売が原因で、彼女は梅毒に罹ったのだろう。ハンナはこの“碌でなし”との間にシドニーという長男を出産し、二番目の夫であるチャールズとの間に次男のチャーリーをもうけている。ところが、間もなくチャールズとも離婚。この再婚相手と別れた後、ハンナはレオ・ドライデン(Leo Dryden)という役者と恋に落ち、彼との間に三男のウィーラー・ドライデンを産んだという。しかし、梅毒のせいで精神に異常をきたし、衰弱したハンナはやがて息を引き取る。後に、恋多きコメディアン、我らがチャーリー・チャップリンが女性と寝るとき、矢鱈と神経質で性病に感染するのを極度に恐れたのは、母親の病気が深く心に刻み込まれていたからだろう。それにしても、有名な喜劇王がベッドに入る前、股間に沃素(ようそ)を塗るなんて、ちょっと哀しくて笑う気になれない。

  人間の種類を区別する際に、どれが良くてどれが悪いと決める基準は無い。アフリカの部落では黒人が普通で、たまにアルビノ(突然変異で肌が白い子供)が生まれたりするけど、大半はアフリカ人の容姿を素晴らしいと思っている。この大陸を侵略するヨーロッパ人なんか白い悪魔に過ぎない。一方、ゲルマン種族が住む北歐では白い肌の人間が普通で、アフリカ人と違った容姿の者が美しいと評されている。北歐人は黒い縮れ毛よりも、ゆるやかに波打つ栗色の毛や直毛の金髪を尊ぶ。鼻の形もユダヤ人のような鉤鼻とか、アフリカ人のような獅子鼻を嫌い、鼻孔が狭く筋の通った細い鼻を良しとする。日本のテレビや雑誌は理想的なアーリア人を採用するが、白人の中にも様々なタイプがいるから、全員が美男美女という訳ではない。各民族はそれぞれ独特の美意識を持っているので、「ミス・ユニバース」や「ミス・インターナショナル」みたいに世界基準を設けようとするのが、そもそもの間違いの素である。

  スウェーデンの世論は「Zファイル」を糾弾するが、ジプシーに関する議論が白熱することを望まない人々が居ることも確かだ。なぜなら、スウェーデンにはジプシーの血統であることを恥じる人々がいるので、自分の祖先を他人に知られたら一大事。就職や結婚、住宅購入の際にどんなトラブルが起きるか分からない。もし、「Zファイル」の情報が世間の注目を浴びれば、隠していた個人の秘密が“ひょんな事”でバレる恐れもある。人権屋とか大学教授は「民族差別はけしからん !」と大騒ぎするが、一般人は綺麗事で暮らしていないから、やはり穢らわしい血筋を隠そうとするし、理屈はどうあれ内緒にしようとするのは人情だ。日本でも朝鮮人の家系を恥じる在日鮮人や帰化鮮人がいて、1980年代くらいまでは必死に隠そうとする人が多かった。現在では朝鮮人の出自を明らかにする人が増えたけど、できれば闇に葬りたいと願う人もいるはずだ。

kids in thai 2Filipino children 3
(左: タイ人の子供たち / 右: フィリピン人の子供たち)

  最近の日本では多民族共生とか国際化時代と叫んで、大いにアジア人やアフリカ人との結婚を祝福しているが、本当に問題が無いのか日本人はよく考えるべきだ。例えば、黒人と結婚する日本人女性も増えたが、彼女達は子供や孫の感情を考えたことがあるのか? 確かに、アフリカ人留学生とか米軍の黒人兵と恋に落ち、結婚をして妊娠するけど、生まれてくる赤ん坊は母親と違った人種になるし、通常は黒人の遺伝子が優性となる。また、もしも、実家の両親が生まれたての初孫を見れば、「えっ、この子が?!」と驚きの表情となるだろう。自分の娘が産んだ子供とは思えないから、かなりのショックを受けるはずだ。祖父母としては動揺を隠せない。なぜなら、たとえ自分達が納得したとしても、隣人や友人、後輩、同僚といった第三者がどう思うのか不安だからだ。表面上、笑顔で孫を受け容れてくれたとしても、他人が心の奥底でどう受け止めるのか判らない。詮索好きな近所のオバちゃんたちは、ファミレスか病院の待合室に集まり、あれこれ陰口を叩くから、やはり世間の目が気になる。

Mixed race family 1Mixed Race 5
(左: 白人と黒人のカップルとその子供 / 右: 混血児の子供)

  悲劇はまだ続く。こうした混血児が物心をつく年齢になれば、周りの子供と自分が肉体的に違う、と厭でも気付くだろう。その時、日本人の姿をした母親は、どのように子供と向き合うのか? もし、幼稚園や小学校で馬鹿にされた息子が、「ママ、どうしてボクだけみんなと違うの?」とか、お洒落に目覚めた娘が「私、パパみたいな顔じゃイヤだ。ママみたいになりたい !」と泣き出したら、出産した責任のある母親は何と答えるのか? 「そんなの気にするんじゃない !」とか、「差別する友達の方が悪いのよ !」と言い聞かせても無駄である。たとえ幼くても子供は現実を解っている。恋愛時代には気付かなかった重大事項を、育児になって気付く日本人女性は少なくない。日本人は自分がしっかりすれば、困難を克服できると信じる傾向がある。だが、遺伝子だけは自分の努力ではどうにもならない。自分の容姿に劣等感を持つ娘が、その腹癒せに学校でグレ出したら、母親は通常通りに叱る事ができるのか? もし母親から怒られた娘が、「じゃあ、日本人の体にしてちょうだい !」と反撃したら、普通の日本人女性は言葉を失ってしまうだろう。

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(左: アフリカ人の少女たち / 右: 黒人と朝鮮人の家族)

  一般の日本人は我が子を可愛がり、その子の将来を考えて一生懸命に働く。しかし、黒人と結婚した場合の悲劇は考えない。浅黒く生まれた息子や娘から責められるのは辛いものである。が、その孫からも責められればもっと辛いだろう。もし、アフリカ人の形質を受け継いだ孫から「お婆ちゃんが黒いお爺ちゃんと結婚したからだ !」と責められたとき、日本人の祖母はどう答えるのか? 「あたしゃ知らないよ !」と逃げる手もあるだろう。だが、大抵の祖母は「済まないねぇ。赦しておくれ」としか言えないんじゃないか。優生学を学校で習わなかった日本人は、結婚するとき「子孫への配慮」など考えない。相手がどんな素性・容姿であれ、惚れたから夫婦(めおと)になる、というのが一般人の行動パターンだ。教科書では「人種平等」とか「人類兄弟」、「多民族共生」と書いてあるから、多数派の国民はそれを鵜呑みにしてしまうが、現実社会は違うぞ。他人事なら仙人ヅラできるけど、自分の事となれば大変だ。

  最近のテレビ局は、異常なほど外国人をバラエティー番組に招いて喋らせたり、日本に暮らすアジア人やアフリカ人を取材し、無防備な視聴者をターゲットにして東南アジア人や北アフリカ人、南米人などに親しみを持つよう刷り込んでいる。つまり、「今や、様々な外国人があなたのご近所に住んでいるんですよ」と言いたい訳だ。伝統的な日本社会をぶっ壊したい左翼制作者は、内部から徐々に、しかも着実に破壊しようと企む。同質的な素晴らしい共同体を崩壊させるには、日本人の質を変えてしまうことが最も合理的である。手間暇掛けて日系人に反日思想を植え付けるより、最初から“日本人ではない”外国人の子供を増やす方がたやすい。ある個人の肉体に、アジア人やアフリカ人の遺伝子が50%含まれ、次の世代で75%に上昇し、三世代目で87%くらいまで増加したら、もう自分が日系日本人であるとの意識は無くなるだろう。こうした「日本国民」は単なる「島民」に過ぎない。やがて日本は「よそ者」が群がる雑居ビルとなるから、国民同士の連帯は消え失せ、天皇陛下も江戸城に住む「知らない外人」となってしまうだろう。

  アリシア・ヴィキャンデルの話からだいぶ逸れてしまったけど、我々は今「静かな」変質の時代に生きているというこだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68707220.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/269.html#c2

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
240. 中川隆[-11849] koaQ7Jey 2019年2月25日 06:37:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[130]

千葉県で育った子供がみんな人生に失敗する理由


親にかけられた「呪いの言葉」。この呪いを解くにはどうすればいいのか?
http://tyeko2.hatenablog.com/entry/2017/05/29/013955

小さな子供にとって「親」が唯一絶対の存在だ。ある時期まで親は「神」であると言っても過言ではない。親がいなければ子供は生きていけない。

そのため、両親が間違った教育や愛情や環境で子供に接し続けた場合、子供はその親から大きな精神的ダメージを受け続け、そのダメージを大人になっても引きずることになる。

たとえば、親が子供に「お前は何をやっても駄目だな」とか「お前はクラスの中で、兄弟の中で、一番駄目な子だ」と他人と比較して子供に「駄目だ」と言い続ける親は決して珍しくない。そういった言葉を子供は真に受けて育つとどうなるのか。

「自分は何をやっても駄目だ」という暗示が強烈にかかる。大人になるとそれが自分の思考の中に組み込まれて外れなくなる。そして、本当に駄目になっていくのだ。

肉体や心に障害があるわけでもなく、知能もそれなりに備わっているにも関わらず、自己評価がかなり低い女性を時々アンダーグラウンドで見かける。

話をよく聞くと、その女性よりも、むしろ親に問題があったのではないかと思わせるケースは多い。いったん、子供の頃に間違った暗示を親から受けると、それが子供の一生を貫く暗示となっていくのだ。

「暗示をかけられる」というのは、本人が気付いていない分だけ危険だ。(鈴木傾城)

親が子供にかけた呪文(Spell)

頭が良くて、器用で、才能があるのに、本人の自信だけが欠落している人を見かけたことがないだろうか。

そうした傾向がある人は、すべてがそうだというわけではないが、子供の頃に「お前は駄目な子だ」という暗示をかけられて、それが大人になってもずっと続いている可能性がある。

本人はそれが自分の「性格」だと思っている。そのため、自分の心理を分析したり過去を振り返ることはない。

しかし、熟練した心理学者やセラピストがそうなった原因を客観的に調べていくと、幼少期の本人でさえも忘れていた記憶に辿り着く。その記憶が棘のように突き刺さっており、それが心を縛りつけていたということが分かってくる。

暗示は「言葉」で行われる。だから、本人の心を縛りつけているのも「言葉」である。「お前は駄目な子だ」という言葉が、深く強烈な暗示となって本人の心に突き刺さったまま離れない。

英語の世界では”Spell on you(スペル・オン・ユー)”という言い回しがある。直訳すると「言葉をあなたに置く」となるのだが、意味するところは「お前に呪文をかける」というものだ。

この呪文(Spell)は「恋の呪文」みたいな他愛のない意味でも使われる。”I Put A Spell On You”という古い歌では「お前に恋の呪文をかける」という意味で使われている。

しかし、この他愛のないものとは別に、悪意ある呪文(Spell)もある。「お前は駄目な子だ」というのは、まさに親が子供にかけた悪意ある呪文なのである。

子供の頃に受けた心理的ダメージは、大人になれば消えて然るべきなのだが、あまりにも大きなダメージはそのまま取り込まれて性格になってしまう。「親」という唯一絶対の存在が「お前は駄目だ」というのだから、子供は無防備にそれを受け入れて「自分だ駄目なのだ」と信じる。

それは「本当にそうなのか」と分析されることもない。ただ、そのまま素直に信じてしまう。そして、大人になって本人は「なぜ、自分はこんなに自信がないのか?」と苦しむようになっていく。

「人間関係がうまくいくのはおかしい」と考える

本当は「駄目」どころか、非常に多彩な才能と魅力を持っているのに、自分だけが肯定的な評価ができない人がいる。他人が賞賛しても、それを「いや、本当は駄目なのです」と自分から否定する。

あまりに褒められると、逆に不安になって成功をぶち壊してしまったりすることもあるので、それは謙遜ではないというのが分かる。成功を自ら壊す。そして、「やはり駄目だったではないか」と納得するのだ。

そして、それが積み重なることによって「駄目な自分」が強化される。この「自分は何をやっても駄目だ」という心理は、子供の頃に「呪いの言葉」としてかけられたまま育つと、成功を自ら破壊する言動になっていく。

まさに悪意ある呪文(Spell)である。その呪文は、ありとあらゆる重要な場面に芽を出して、その人の人生を駄目にしてしまう。人間関係ですらも、無意識に破壊してしまわずにはいられない。

「自分は駄目な人間だから、人間関係がうまくいくのはおかしい」と考えるからだ。良好な人間関係が築けるようになると、逆に人間関係をわざと壊すような態度や言葉をしてしまう。

意識してそれをやっているというよりも、無意識の間に相手を怒らせたり困らせたりしてしまう。それで、相手が我慢したら人間関係が壊れなかったと思って安堵するのだが、逆に壊れても安堵する。

なぜ人間関係が壊れても安堵するのかというと、「ほら、やはり駄目だったではないか」と納得するからだ。自分は何をやっても駄目だという証明ができて安堵するのである。

しかし、そうやって片っ端から人間関係を壊していくと、最後には何も残らない。そうなると、ますます「駄目な自分」という暗示が強化されて、より駄目になっていく。

頭が良くて、器用で、才能があるのに、あまりにも自己否定が強すぎてすべてをぶち壊す人というのは、そういった心理状態に無意識に陥っていると見ていい。

こうした性格の女性は、夜の世界にはたくさんいる。本人も気が付いていないのだが、暗示がかかったまま大人になっているのだ。美しく、頭の回転は良く、魅力もある。しかし、それを褒めると激しく否定し、会話のやりとりでも、わざと怒らせるようなことを言って相手を試す。

そんな女性がひとりふたりでなく大勢いる。本人が態度を改めない限り、人間関係は好転することはない。「呪い」が解けていない。

「呪い」を解くにはどうすればいいのか

人は誰でも自分にかけられた「呪い」には気付かない。自分の感情がどこから生まれ、なぜそのように感じるようになったのか、自分の心理を冷静かつ客観的に分析できる人はほとんどいない。

他人を分析できても、自分はあまりにも近すぎて分析できないのである。

だから、「自分は何をやっても駄目だ」という呪いを子供の頃にかけられて自己否定が強くなってしまった人は、独力でそれに気付くことはないし、薄々と気付いたとしても今さら性格を変えることはできない。

「何をやっても駄目だ」というのを成就させるのが人生になっているので、やがて自分の持っている長所や利点ですらも掻き消そうとすることもある。

アルコール依存になったり、ドラッグ依存になったり、他人に嫌悪されるようなタトゥーを入れたり、リストカットしたりして自傷することもある。過食や拒食に入ることもある。そうやって「駄目な自分」をとことん成就させていく。

本当は駄目ではないのに、親にかけられた「呪い」を自分で実現しようとするのである。これは紛れもなく自滅志向であり、自己破壊である。子供の頃に親から得た呪いというのは、それほどまで強いものがある。

この「呪い」を解くにはどうすればいいのか。

唯一の解決方法は「呪い」の言葉の自覚だ。もし、自分の中に「成功をぶち壊す」ような衝動や心理があるのなら、それはどこから生まれて来たのか自問自答する必要がある。そして、どの「呪いの言葉」が自分に大きな暗示をかけているのかを探る必要がある。

自分に「呪い」をかけている言葉の正体が分かれば、後はその言葉を丁寧に、客観的に否定していく。それは客観性がない言葉であることを知ると、「親が間違っていた」と考えることもできるようになる。

呪いの言葉を意識し、それを否定することで、長らく自分を苦しめていた「呪い」は解ける。しかし、そこまで至る人はいるのだろうか。恐らく、自分の過去を潜り込んで行ける人はほとんどいない。そのため、子供の頃にかけられた間違った暗示は、ずっとその人の人生を支配する可能性が高い。(written by 鈴木傾城)

自分に「呪い」をかけている言葉の正体が分かれば、後はその言葉を丁寧に、客観的に否定していく。それは客観性がない言葉であることを知ると、「親が間違っていた」と考えることもできるようになる。
http://tyeko2.hatenablog.com/entry/2017/05/29/013955
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c240

[近代史3] 神道の事を単なる儀式であって宗教ではないと思っている天皇一族には理解できない神道の世界 中川隆
2. 中川隆[-11848] koaQ7Jey 2019年2月25日 06:45:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[131]

続き

777 より:2019年2月24日 9:34 PM


宗教でも儀式でも祭りや能・歌舞伎等の伝統文芸でも神社仏閣の建物でも老舗旅館でもみんな同じだけど

古来伝わって来たものを一切変えないで後代に伝えるのが一番大事な任務なんですね。

改革とか改良は伝統を壊すだけでプラスになる事は何もない

変わらない事自体に価値が有るというものが有るのです。

天皇一族はそういう基本が全く理解できていない。

だから新嘗祭は金を掛けないでやった方がいいとかいうアホ発言を平気でする知恵遅れまで出て来たのです。

新嘗祭の儀式で少しでも手を抜いたら、それで今迄伝えられてきた伝統が永遠に失われてしまうという事がわからないんですね。

讃美歌を歌いたかったらキリスト教関係の家に嫁げばいいので、わざわざ神の家系に入って来て、神霊を滅ぼそうというのが逝かれているんだ。


____


匿名 より:2019年2月24日 10:55 PM


1900年代初頭から皇室とキリスト教は深い関係にあります。
神輿やら儀式やらでユダヤ教の影響を色濃く受けていると思われる神道の頂点である天皇とその皇室が、
ユダヤ教の子孫とも言えるキリスト教と深い関係にあるのはとても興味が湧きますね。

皇后の信仰は自由です。きっとクリスチャンなのでしょうが、
それが今の天皇制の文化を壊すことには繋がらないと思います。
何より今の天皇皇后両陛下のあの優しさに溢れた、国民に愛される夫婦となったのは、少なからず皇后様の信仰も関係しているのでしょう。


___


777 より: 2019年2月25日 6:16 AM

>何より今の天皇皇后両陛下のあの優しさに溢れた、国民に愛される夫婦となったのは、少なからず皇后様の信仰も関係しているのでしょう。

それは一般大衆向けの演技だよ
美智子の本当の姿は

昭和天皇が崩御されると、
すぐに、
“災害のあった時には、国民がテントを張れるように..。”
と天皇が丹精込めた昭和の森を伐採。

更地にして、56億円で宮殿を建てる。

バレて非難されると、
“失語症”になったと嘘ついて引きこもり。

香淳皇太后への復讐。
御所にPC70台配備。
秋篠宮家に10年間の産児制限。
悠仁様誕生祝に、暗殺示唆するベビーシューズ片方。
朝鮮飾りの皿帽子。
法王に見立てたマント服。
祭祀の簡素化、廃止。
天皇と並んで歩く。或いは前を。
マスゴミ使っての、アテクシ上げ。

夫が天皇になって、真っ先にしたこと

1 皇太后への苛め

香淳皇太后つきの信頼あつい女官長を解雇したこと。さらに、皇太后が寂しくて、外部に電話をかけていたら、入江に電話を取り上げさせ、孤立させたこと。皇太后が、骨折したのにも関わらず放置。それが原因で、歩行不能になり、認知症が進んだこと。

明仁天皇、美智子皇后、ともに、見舞いにもいかず吹上御所に放置したこと。

さらに、認知症のすすんだお姿のお写真を、マスコミに掲載させたこと。

美智子さんが、入内いらい、美智子さんからの、数多くの暴言、暴走、無礼に耐え続けた皇太后にたいするしうちは、まさに鬼ですね。

無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:43 id:sl3pxlSw No.2028474
>「皇太后は十分なお世話をされていないのではないかって声に反論してみせなきゃならなかったんですもの」

実際世話なんて全部女官任せだし、その女官だって熱心にお世話した人はミテコの逆鱗にふれて首よ。
良子様が下で失敗するとみんなで手を叩いて笑いものにしたそうじゃないの。
そんな人間だけを周囲に就けて、風呂にもろくにいれずおむつもろくに変えず、
冷暖房も効いていない部屋に一人でほうりだしていたのよ。
美智子はそんな女だよ、悪魔なんだよ。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:47 id:FUlSzL5Q No.2028483
>良子様が下で失敗するとみんなで手を叩いて笑いものにしたそうじゃないの

それどこの情報なんですか?

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:51 id:sl3pxlSw No.2028504
ネットです。

トイレットペーパーをお尻に挟んだまま2メートルぐらい引きずって歩いていたのを
女官らが取り囲んで指さして大笑いした、と。
あまりにも具体的だったので嘘ではないとおもいました。

同じところだったと思うけど、豆におむつを替えていた看護師かだれかが「そんなに変える必要はない」と言われていたので首になったとか
あと、ミテコが日当たりの強い部屋に車いすで連れて行って冷蔵を入れずに放置していたとか。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:55 id:MXIe1Tfg No.2028512
それが本当なら
もはや人間じゃないね…
悪魔だ
ひどすぎる

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:55 id:sl3pxlSw No.2028514
私は全部信じます。内容が具体的なので。

皇族からいじめられたとミテコが騒ぎまくったことには具体性が全くない。
1・飛行場で無視された

2・割烹着としらずエプロンだった

3・手袋が短かった

具体的虐めの内容はたったこれだけです。
これだけを延々と繰り返している。
比較してミテコの良子様いじめの噂はバリエーションに富んでいてリアルです。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:59 id:EABGt.RY No.2028522
酷い。
美智子は悪魔だ。
地獄の業火で美智子そっくりの鬼に焼かれるんだ。何万年もね。
神様はずっと観ている。
絶対に逃げられない。

… 無題 Name 名無し 17/06/08(木)23:59 id:XErIixrE No.2028523
虐待やん…

… 無題 Name 名無し 17/06/09(金)00:01 id:mIA.Q1bo No.2028530
93年の時点で、明仁がいくら慰問しても母親への冷たさで、
心打たれないと週刊誌の読者の声があった

当時からみんな気づいていたのに、美智子の演技で批判を封じたんだ

… 無題 Name 名無し 17/06/09(金)00:04 id:hSpV7MVI No.2028545
あの猫なで声も演技?
そういえば、この前の園遊会では地声で喋ってたよね

… 無題 Name 名無し 17/06/09(金)00:08 id:bhs.vgbc No.2028551
美智子さんの偽善は自意識過剰の写真で分かりますよね。
昔から多くの人が気が付いていたと思いますよ。

https://rondan.net/16529
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/124.html#c2

[近代史3] 従軍慰安婦は売春婦として認可されない 13才、14才から働き始めているので売春婦では有り得ない 中川隆
2. 中川隆[-11847] koaQ7Jey 2019年2月25日 06:49:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[132]

2017-05-29
公文書等の記録から見る従軍慰安婦の年齢分布(更新)
http://tyeko2.hatenablog.com/entry/2017/05/29/013955

公文書等、記録上年齢がわかる121人分のデータから作成。
20歳未満の未成年率は75.2%(91人)。
平均年齢は18.3歳。

f:id:tyeko2:20170529013932p:plain


「証言-強制的に連行された朝鮮人従軍慰安婦達」については、戦後ずいぶん経ってから挺対協が調査した元慰安婦らの年齢であるため、連行当時に比較的高齢だった慰安婦は調査時には他界していた可能性などが否定できず、全体として若年に偏っている可能性がある。
「心理作戦班日本人捕虜尋問報告四九号」と「フィリピン パナイ島イロイロ慰安所 検梅成績に関する件 1942」については戦争当時の公文書であるため、少なくとも特定の慰安所にいた慰安婦らの年齢構成を考察することは可能だと考える。

「証言-強制的に連行された朝鮮人従軍慰安婦達」について、年齢が12〜13歳となっているような場合は、12歳と13歳でそれぞれ0.5人としてカウントした。また、満年齢がわかっている場合は満年齢を、証言者の内容とは別に聞き取り者の意見としての年齢が記載されている場合は聞き取り者の年齢を採用した。


参考資料

「心理作戦班日本人捕虜尋問報告四九号」にある慰安婦らの連行時点での年齢
フィリピン パナイ島イロイロ慰安所 検梅成績に関する件 1942
「証言-強制的に連行された朝鮮人従軍慰安婦達」


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/137.html#c2

[リバイバル3] アメリカの有名大学では金で合格を買える 中川隆
3. 中川隆[-11846] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:04:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[133]

皇后になる雅子様の優秀伝説 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

詳細は


美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html


柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/933.html#c3

[近代史3] ヴィクトル・シェストレム 風 The Wind (1929年)


ヴィクトル・シェストレム 風 The Wind (1929年)

監督 ヴィクトル・シェストレム
原作:ドロシー・スカーボロ
脚本 フランシス・マリオン
撮影 ジョン・アーノルド
公開 1929年11月


動画
https://vimeo.com/122341653
https://vimeo.com/235370424


▲△▽▼


キャスト

レティ:リリアン・ギッシュ
ライジ:ラース・ハンソン
ロディ:モンタギュー・ラヴ
コーラ:ドロシー・カミング
ビバリー:エドワード・アール

バージニア州生まれのうら若き乙女・レティは、テキサス州に住む従兄のビバリーを頼り、砂嵐の吹き荒れる大平原の中にあるビバリーの家で暮らすようになる。ビバリーの子供達はすぐレティになつくが、彼の妻コーラは若く美しいレティに嫉妬し、いじめるようになる。

コーラのいじめに耐えかねたレティはビバリーの家を出、近所に住むがさつ者のカウボーイ・ライジと結婚することを決意する。しかしレティには、ライジの愛を受け入れるだけの心の準備がなかったため、二人の関係はぎくしゃくしたものとなってしまう。 レティのヴァージニアへの思慕が日に日に募るのをみたライジは、レティをヴァージニアへ帰すための資金を稼ぐべく、仲間と共に家を空ける。

猛烈な風にレティの神経が痛めつけられる中、かつてレティを誑かそうとした好色漢ロディが現れ、レティに襲い掛かる。レティは砂嵐を起こすという伝説の幽霊馬の幻を見ながら、失神する。

翌朝、レティは昨夜の出来事を思い出し、ロディを射殺してしまう。遺体を砂の中に埋めたものの、やむことの無い風は容赦なく砂を吹き飛ばし、埋めたはずのロディの遺体が徐々にあらわになり、レティは気も狂わんばかり。そこへライジが帰宅し、昨夜からの出来事は幻であったことにレティは初めて気付き、同時に夫・ライジへの真実の愛に気付くのであった。レティは、風が吹き荒れるこの地にライジと共に住み続けることを決心し、映画は幕を閉じる。

▲△▽▼


本作は、原作を読んだリリアン・ギッシュ自身が強く映画化を希望し、MGMのボーイ・ワンダーとよばれたアーヴィング・タルバーグらに製作をもちかけ、自らの主導により撮影を進めた。

リリアン・ギッシュは後年、

『この作品の撮影は、女優としての最悪の経験。8台のプロペラ飛行機で砂を吹き付けられ、嵐の効果を出すための硫黄の燃えさしが飛び交う中、目を開けている必要があった』

と語っているほど撮影は困難を極めた。暑さのあまり、フィルム表面の乳剤が溶け出したほどであった。
サイレント映画末期に作成された作品であるため、部分的にサウンド(人の声など)が同調された。

本来は、レティがロディを射殺して発狂、砂の嵐の中に消えていくはずであったが、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー首脳陣が反対し、ハッピーエンドに変えさせた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

▲△▽▼


 「風」(1928年米)は「真紅の文字」と同様ギッシュとハンソンが共演している。従兄を頼って風が激しく吹き荒ぶテキサスの荒野にやってきた孤独な娘レティ(リリアン・ギッシュ)が主人公である。

彼女は、カウボーイのライジ(ラース・ハンソン)と愛の無い結婚をする。レティを愛するライジは、彼女の愛は求めず、望郷の念にかられた彼女のために故郷への旅費を稼ごうとするのであった。毎日のように吹き荒れる風と砂嵐に、次第にレティは精神を病んでいく。やがて、かつて彼女を捨てた男がレティの前に現れる。彼女は男を銃で撃ち、死体を砂に埋める…。

風と異性への恐怖心を抱くヒロインが、男を撃つことで恐怖を克服し、同時に愛を確認するというストーリーは、必ずしも教訓性が高いとは言えないが、試練を受ける主人公と言う点において、他のシェーストレーム作品に通じるものがある。それにしても、かつて好意を寄せていた男に言い寄られると、相手を殺し、嫌っていた男から別れを告げられると「愛している」という女。女心はわからないものだ。

 この映画は題名が示す通り、全編に渡って不気味なほど激しく風が吹く。言ってみれば“風”そのものが主人公であるのだ。当然サイレントであるから、音は聞こえない。だが、そのすさまじさは音が無くても聞こえてくるかのようである。もっとも、少々大げさだとは思えなくもない。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/20SWEDEN.htm


The Wind presented by Lilian Gish
http://www.youtube.com/watch?v=62lsVChiUKU&feature=related


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/271.html

[近代史3] 天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか? 中川隆
42. 中川隆[-11845] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:58:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[134]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html#c42

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
24. 中川隆[-11844] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:58:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[135]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c24

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
28. 中川隆[-11843] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:59:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[136]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c28

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
57. 中川隆[-11842] koaQ7Jey 2019年2月25日 10:59:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[137]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c57

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
179. 中川隆[-11841] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:00:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[138]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c179

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
12. 中川隆[-11840] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:14:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[139]

雅子様の優秀伝説 まとめ 


雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c12

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
22. 中川隆[-11842] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:22:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[137]
混迷の北方領土問題 木村汎氏が警戒する「1島マイナスα」 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/873.html

2019/02/25 日刊ゲンダイ


北大名誉教授の木村汎氏(C)日刊ゲンダイ

 安倍首相が「戦後外交の総決算」と意気込む北方領土問題は混迷を極めている。2016年5月に「新たなアプローチ」と称してロシアのプーチン大統領に経済協力を提案するも、状況は進展せず、昨年9月に「前提条件なしで平和条約締結」を押し込まれた。その結果、日ロ交渉の基礎は1956年の日ソ共同宣言まで後退。4島返還を目指してきた従来の政府方針の大転換を招いた。着地点は「2島プラスα」なのか、「2島ポッキリ」なのか。あるいはロシア研究の第一人者が警戒する「1島マイナスα」なのか。

  ――17日に日ロ外相会談が行われました。昨年12月の首脳会談で外相を平和条約締結の交渉責任者としてから2回目ですが、協議は平行線。ラブロフ外相は北方領土のロシア主権を含む第2次世界大戦の結果を認めるよう求める主張を曲げませんでした。

 平和条約締結交渉の年内進展はないでしょう。安倍首相は6月に大阪で開催されるG20首脳会議のタイミングで条約締結の大筋合意を狙っているようですが、じらし作戦を取るロシアは乗ってこない。そもそも、昨年11月のシンガポールでの首脳会談で56年宣言を基礎とする交渉に合意したのが大ポカだった。許されない大ポカです。

  ――4島返還を目指す政府方針から一転、歯舞群島と色丹島の2島引き渡しに議論は引き戻された。

 プーチン大統領が「前提条件なしで平和条約締結」と言いだした時に、安倍首相は「冗談が過ぎる、話にならない」とバーンと反論すべきでした。ところが、安倍首相は「平和条約締結」という言葉尻を利用し、日本側としては交渉を前進させたかのように56年宣言まで譲歩した。2島引き渡しでよしとするのであれば、60年前の鳩山一郎政権時代に平和条約は締結できたのです。当時の日本はソ連に対して非常に弱い立場だった。シベリアに約60万人が抑留され、常任理事国のソ連の反対で国連に加盟できず、日ソの経済力は雲泥の差でした。日本が一番苦しかった時代にさえのまなかった条件に立ち返るべきではないのです。

■「戦後1ミリも動かなかった」は嘘

  ――現在とは状況が違う。

 安倍首相は歴代首相が絶壁に爪を立てるような思いで積み重ねてきた苦労を一挙に台無しにしてしまった。ロシアは北方4島の帰属問題解決が日ロ交渉のテーマだと認めていた。細川護煕首相とエリツィン大統領による93年の東京宣言、森喜朗首相とプーチン大統領による01年のイルクーツク声明でハッキリしています。安倍首相は「北方領土問題は戦後1ミリも動かなかった」と言いますが、事実に反します。

  ――なぜ安倍首相は日本の主張を反映した東京宣言とイルクーツク声明に目をつぶるのでしょう?

「国際法で通用するのは両国議会が批准した56年宣言だけ」と主張するプーチン大統領の詭弁に反論せず、それをうのみにしたからです。現代の国際法の通説とは異なります。批准の有無は以前ほど重要視されていません。グローバル化が進んで世界の首脳は国内外で毎日のようにトップ会談に臨み、さまざまな文書に署名している。すべてを議会で批准するのは現実的に難しくなったためです。日本の例でいえば、沖縄返還につながった69年の佐藤=ニクソン共同声明も、中国との国交を正常化させた72年の日中共同声明も批准されていません。ロシアもソ連時代の75年に欧米諸国34カ国と調印したヘルシンキ宣言を批准していない。欧州諸国と国境不可侵で合意した非常に重要な協定にもかかわらず、です。安倍首相の国際法不勉強がプーチン大統領の詭弁を認める結果を招いた。

  ――安倍首相は「交渉の経過はつまびらかにできない」と逃げ、方針転換について説明しません。

 交渉中に細かな過程までオープンにするべきではありませんが、根本原則の変更を主権者である国民に何ら説明しないのは道理が通りません。安倍首相はシンガポール会談以降、「北方4島の帰属の問題」を「領土問題」とぼやかし、「固有の領土」を「主権を有する島々」と言い換えている。今月7日の北方領土返還要求全国大会でのスピーチでも、昨年まで「4島の帰属の問題」としていたのを「領土問題」とごまかした。

  ――時事通信の世論調査(8〜11日実施)では、日ロ交渉の主導権を握るのは「ロシア」との回答が70.0%を占めました。世論の懸念に耳を貸さず、なぜ安倍首相は突き進むのでしょうか。

 自己顕示欲でしょう。それに、間違った使命感。安倍首相は「私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と述べますが、思い上がりでしょう。北方領土問題は日本が戦後70年以上、一貫して追求し続けてきた問題です。安倍首相の任期は残り2年半で、プーチン大統領は5年。持ち時間が短い方が交渉期限を区切るのは戦術的にも実に拙いやり方。相手によって当然、足元を見られます。

■禁じ手の「テタテ」で60年前にも河野農相が大失敗

  ――安倍首相はプーチン大統領との「個人的な信頼関係」をテコに交渉を加速させると前のめりで、通訳のみを同席させる一対一の会談(テタテ)を繰り返しています。

 国際法上の交渉研究ではテタテは禁じ手、タブーといわれています。60年前にも日本はテタテで大失敗した。鳩山政権時代の河野一郎農相がモスクワに乗り込み、通訳を連れずにブルガーニン首相とサシで会談したのですが、ロシア側の通訳のみを介した結果、平和条約交渉と漁業権交渉をリンクさせられてしまった。安倍首相が参勤交代のようにロシアに通うのもマイナス。相手の陣地の赴く「アウェー」交渉は「ホーム」に比べて不利になる。

  ――それでも官邸周辺からは「2島プラスα」という楽観論が聞こえてきます。

 論理的にあり得ません。このままいけば、「2島ポッキリ」か「2島マイナスα」です。56年宣言を基礎とすれば、平和条約締結後に2島が日本に引き渡される。その後のロシアは果たして「国後島と択捉島は協議次第で返しましょう」と言うでしょうか? 「α」は何を指すのでしょうか? 国後、択捉両島の共同経済開発です。資金や技術を提供するのは日本です。つまり、ロシア主権下で日本の持ち出し。「マイナスα」なのは明らかです。極論を言えば、「1島マイナスα」すらあり得るでしょう。

  ――1島ですか? 引き渡されるのは住民のいない歯舞群島だけだと?

 56年宣言は2島の引き渡し期限も明記していないとプーチン大統領は主張するでしょう。引き渡しは50年後かもしれないし、99年後かもしれない。移住促進策の成果もあり、色丹島には約3000人の住民が暮らし、返還反対運動を展開している。一方、岩礁の歯舞群島には国境警備隊が配備されているだけですから。


プーチン大統領から平和条約を持ち出され。安倍首相はニタニタ応じた(代表撮影・共同)


大幅譲歩は欧米や中韓との関係悪化を招く

 ――現時点で日本は平和条約を締結する必要性はどれほどあるのでしょうか。

 まったくありません。戦争状態を終結させ、外交関係を回復した56年宣言は、領土問題を除くと平和条約と遜色ない。平和条約をのどから手が出るほど欲しているのはロシアの方です。背景には大国化する中国へのコンプレックスや牽制、クリミア併合に端を発した国際社会による経済制裁を突破したいとの狙いがあります。

  ――日本にはマイナス作用に?

 領土問題で譲歩した平和条約締結は、尖閣諸島や竹島を巡る中国や韓国とのさらなる摩擦を誘因するでしょう。対米関係にも影を落としかねない。プーチン大統領が返還後の北方領土に在日米軍が展開する懸念を指摘すると、安倍首相は「在日米軍はロシアにとって敵対的なものではない」などと述べ、日米安保条約の適用外を示唆した。安保条約の適用範囲を勝手に伸び縮みさせる行動を米国が許すでしょうか。尖閣を狙う中国にも付け入られてしまう。欧州にも呆れられる。彼らはロシアの資源エネルギーに依存せねばならない苦しい状況ですら、国際正義の旗の下、制裁を実施している。翻ってロシアは中国を牽制し、日米関係にくさびを打ち込み、欧州を出し抜く好機と見なしている。

  ――ロシアにしかメリットがない。

 日本はロシアを突き放すべきです。安倍首相が「次期首相に後を継ぐ」とキッパリ伝えて時間軸を広げない限り、日本側には展望がない。誰が後継になるにせよ、ポスト安倍政権は苦労します。ここまで日本の要求水準を下げてしまったら、もう一度引き上げるのは至難の業でしょう。

 (聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)

▽きむら・ひろし 1936年生まれ。京大法学部卒、米コロンビア大Ph.D.取得。北大スラブ研究センター、国際日本文化研究センター、拓大教授を経て現職。近著に3部作の完結編「プーチン 外交的考察」。「プーチンとロシア人」など著書多数。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c22

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
24. 中川隆[-11841] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:28:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[138]

雅子様の優秀伝説 まとめ 

雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c24

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
25. 中川隆[-11840] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:28:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[139]
雅子様の優秀伝説 まとめ 

雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c25

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
292. 中川隆[-11839] koaQ7Jey 2019年2月25日 11:29:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[140]
雅子様の優秀伝説 まとめ 

雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:


田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。

アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。

中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。

それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。

東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。

華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。

職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。

職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。

雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。

・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。

英語も話せない雅子様

・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。

・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。

・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。

・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。

・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。

・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。

・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。

・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。

・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。

マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始

・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。

・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。

・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。

・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。

・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。

・有名人のおっかけもしていたらしい。

雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。

本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。

・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。

雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。

宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。

・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。

・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。

お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?

誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?

要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い

しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c292

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
15. 中川隆[-11838] koaQ7Jey 2019年2月25日 12:34:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[141]

アイヌ民族と沖縄民はDNAが近い・「縄文系の血を残す」・・説は本当か? 2013-11-01
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101


一年前の新聞にあった記事です。

           ・・・・・

2012年11月1日読売新聞

「アイヌ民族DNA、沖縄に近い・・関東と比較」


北海道のアイヌ民族は地理的に近い関東よりも、沖縄の人たちと遺伝的に近いことがDNA解析から証明されたとする研究成果を、東京大学や国立遺伝学研究所などでつくる「日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム」がまとめた。

北海道と沖縄では、日本列島に古くから住んでいた縄文人と渡来の弥生人の混血が一部にとどまり、縄文系の人々が残ったとする「二重構造説」を裏付ける成果という。

研究チームはアイヌ民族36人と、3世代以上続く沖縄出身者35人の遺伝情報を詳細に調べた。

DNAのわずか一文字の違いを約60万か所にわたって分析。すでにデータとしてそろっている関東に住む243人と比較し、アイヌ民族は沖縄出身者により近いことを確認した。

こうした傾向はこれまでも示されていたが、データが少なく、結論は出ていなかった。

日本の南北に離れた二つの集団が近い血統だという説は、ドイツ人研究者が顔の特徴などから1911年に発表した。

研究チームの斎藤成也・国立遺伝学研究所教授は「101年を経て、遺伝情報のレベルで最終的に証明できた」と話した。


                     ・・・・・


上にご紹介した新聞記事を読み、「稲作渡来民・「日本人」成立の謎に迫る」という池橋宏氏の本を読んでみました。

                     *****


                   (引用ここから)


稲作渡来民の前に、日本ではどのような言語が話されていたのだろうか。

小泉保は、日本語の古い形を考えるには、日本語と琉球語が、近隣のどの言語より近い関係にあるということが基礎であると考えた。

それに比べると、朝鮮語と日本語では共通の語彙と考えられるものは案外少ない。

アイヌ語と日本語の同系性の証明もむずかしいようである。

さて、東北方言の北側にアイヌ語があり、列島の南には南九州の方言を挟んで琉球語が分布している。

中部、近畿と北九州地域はいろいろの点で共通性があって、北の東北言語と南の方言との間に広がっている。

大局的にみると、中央部に一つの言語が分布し、その両側に古くからの言語が分布している。

この見方から見ると、東北言語がおそらく縄文後期の発音の形を良く保持していると判断される。

また鳥取県西部で話されている「雲伯(うんぱく)方言」は、東北言語と音韻上非常に良く似ている。

小泉氏によると、これらの方言は同系であり、裏日本縄文語とでも呼ばれる言語からきているものと結論している。

それは東北から山陰地方まで連続していたと考えられる。


稲作渡来民たちは、もともと中国の春秋時代から戦国時代に、呉とか越とよばれていた地域の住民であり、不完全な渡航手段によって、小さい集団として朝鮮半島にまで移動して、一部は定着し、さらにその一部は日本列島の北九州あるいは山陰にまで渡ったと考えられる。

渡来民の波が強くおしよせた地域では、縄文人の体質的な特徴はほとんど失われてしまった。

彼らのもたらした農耕は、圧倒的に高い人口増加率を支えたのである。

「倭(わ)」と称された集団が朝鮮半島の南部から九州におよぶ稲作渡来民であっただろうと考察したが、今日その痕跡は言語にはない。

一方、7世紀前後の古代の日本語には、朝鮮語の語彙が多少は入っているとしても、対応のたどれるような言語は少ない。

結局、今日でも日本語は基本的に「縄文語」であるとみてよい。

すなわち言語の基本的な点では、稲作渡来民は日本語に大きな影響を与えなかったのである。
渡来民は縄文語に同化されたのである。


縄文人が近隣のアジアの古代人とは似ていないのと同様に、日本語の系統をアジアの近隣の言語の中に求めることは、今となっては非常にむずかしい。

また、稲作渡来民が日本語の形成に与えた影響については、けっきょくのところ、日本列島で使われている言語は縄文時代から根本的には変化していない。

ただ母音が現在の東北方言に似たものから変わり、無アクセントから、関西方言のようにアクセントに敏感な方言などが分化した。

この後の変化には渡来人の「声調」が影響したとみられる。

さらに日本語は漢語に日本語の読み方(訓)をあてて、その豊富な語彙や概念を導入し、文明を支える言語に発展した。

訓読と並行してカナ文字が生まれた。

それには、4世紀ごろから渡来した人々が、故地で朝鮮語と漢語の対比から経験したことが役立っている。

                 (引用ここまで)

                   *****

新聞記事を読むと、アイヌと沖縄の遺伝的な関係が明らかにされたということです。

縄文文化を築いた人々の子孫は、彼ら2者であるということになります。

一方、上記の本によると、日本語と琉球語はもっともよく似ているが、日本語とアイヌ語に近親性はないということです。

筆者によれば、日本語の北限は東北で、渡来系の影響の強い関西の周辺に、縄文系の影響の強い東北・南九州が残っている、という形になります。

アイヌ文化、沖縄文化、日本文化の理解は、本当に難しいと思いました。
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c15

[近代史3] 遥かなる縄文の記憶〜科学の目で見た縄文〜 中川隆
16. 中川隆[-11837] koaQ7Jey 2019年2月25日 12:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[142]


東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8

朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。

小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。

https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/941b806ea44637d99bde4969c991b1c8
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/223.html#c16

[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
21. 中川隆[-11836] koaQ7Jey 2019年2月25日 18:19:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[143]
加入者増加の医療保険 貯金が「100万円」あれば必要ない?(マネーポスト)
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/270.html

マネーポストWEB 2/25(月) 17:00配信 女性セブン2019年3月7日号


医療保険の契約件数は伸びている


 いくつもの医療保険に入り、万が一の疾病リスクに備えようとする人は多い。医療保険の契約件数は今や3677万件にのぼり、生命保険文化センターによると、医療保険に加入する世帯は8割を超え、がん保険やがん特約の加入率も6割を超える。もしもの時に、公的医療保険制度だけでは「まかなえない」と考える人も半数以上と多く、医療保険・がん保険に加入する人は年々増えるばかりだ。

 医療保険への加入者はなぜこんなに増えているのか。保険に詳しいファイナンシャルプランナーの長尾義弘さんが解説する。

「保険は、かつては死亡保険(生命保険)が主流で、病気やけがへの保障は、死亡保障を補う“特約”に過ぎなかった。しかし、寿命が年々延びているので、『生きている間のリスク』に備えた方がいいという需要が掘り起こされ、『死亡保障』よりも『生存保障』を求めるニーズが高まったのです」

 単身者の増加や少子高齢化で死亡保険が売れなくなったことで、保険会社は販売戦略を転換。医療保険を主力商品として大々的に宣伝するようになった。そうして加入者のニーズを追求した結果、「入院日数分の給付金+手術給付金」が支払われる、今では定型ともいえる医療保険が主流になった。

 ところが、そうした医療保険は、実は欧米ではあまり見られない、日本独特の商品でもある。『「保険のプロ」が生命保険に入らないもっともな理由』など、保険に関する多数の著書がある後田亨さんが話す。

「テレビCMなどの影響でしょうか、民間の保険に入っていないと、いざという時に何の保障もないと認識している人がいます。しかし、それは大きな誤解です。そもそも日本人は、世界的にも医療費の国民負担が軽く、手厚い社会保障に守られていることを知ってほしい。

原則、全国民が加入する健康保険は、医療費の自己負担は3割(75才以上の後期高齢者は1割)で済み、『高額療養費制度』という優れた制度もあります。その保障内容を知れば、民間の保険は必須とは考えにくいはずです」

 高額療養費制度とは、一定額以上の医療費がかかった場合、限度額を超えた分の費用が払い戻されるというもの。その制度のおかげで、たとえ医療費が月に100万円かかったとしても、平均的な収入の世帯(月収28万〜50万円)であれば、最終的な自己負担額は月8万7430円で済む。

「どんなに高額でも月の上限が決められているため、わざわざ高いお金を払って医療保険に入る必要はありません。万が一に備えるとしても、貯金が100万円もあれば充分です」(後田さん)

 表は疾病別に発症から完治まで(がんの治療のみ)の治療費の自己負担額を算出したもの。たとえば胃がんのステージIの治療費の場合、3割負担なら5年間で約48万円のところ、高額療養費制度を適用すれば約22万円ほどの自己負担で済む。

 また、そもそも最近は入院日数が短期化している。がんの平均入院日数は年々減少し、今や20日前後で退院できることがほとんどだ。長尾さんが自身の体験を話す。

「最近は長期入院が少なくなり、入院をしても高額な負担になることが少ない。そのため、高額療養費制度を活用すれば、差額ベッド代を含めた自己負担額はせいぜい10万〜20万円ほどです。実際、私自身が2週間入院した時も、医療費総額114万円に対し、最終的な自己負担額は14万円で済みました」


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c21

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
29. 中川隆[-11835] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[144]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c29

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
25. 中川隆[-11834] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:08:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[145]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c25

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
58. 中川隆[-11833] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:09:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[146]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c58

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
293. 中川隆[-11832] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:09:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[147]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c293

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
26. 中川隆[-11831] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:10:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[148]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c26

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
25. 中川隆[-11830] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:10:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[149]
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
 
高円宮憲仁親王とワールドメイト

ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。

新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。

知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………

F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。

同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。

F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。

高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07

紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。


高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。

高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。

高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。

呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)

このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16


高円宮憲仁親王と久子妃


1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。

三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。

憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。

雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用

入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。

・・中略・・

話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用


キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。

が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。


四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。

「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。

だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。

 ・・中略・・

高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。

雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。


参考サイト

ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2


1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。


小和田、高円宮、外務省、創価学会

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt


ある皇室記者

昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。

秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと

高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言

秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。

新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。


(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。

なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。


皇室関係者

紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま

雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。


故人と交流のあった人間

高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。


M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。

K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。

H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。

ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。


小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。

森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。

率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。


皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・


謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死

2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。

直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。

あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。

(コメント)

今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。

故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。

高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。

生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。


高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c25

[近代史02] タイは天国に二番目に近い国 3 _ 鴨ネギにされる日本人 中川隆
63. 中川隆[-11829] koaQ7Jey 2019年2月26日 08:52:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[150]

◆タイで続出する詐欺。そんな中で「うまく立ち回る」私なりの方法とは?2019.02.26

最近、プレジデント・オンラインに興味深い記事が載っている。「タイで高級レストランを経営する」という投資話に出資させて、その金を毟り取っていく手口で100件以上もの被害が出ているというのだ。手口はこのようなものだ。

(1)タイで大成功した起業家のセミナーが開かれる。
(2)タイの高級レストランが流行っていると説明される。
(3)タイのレストラン投資を持ちかける。
(4)出資する。
(5)その金をとことん毟られる。
(6)潰されて逃げられる。

タイを舞台にして、日本人のカネを日本人が毟り取る。この手口がタイにいる日本人の詐欺師たちに共有されていて、似たような手口がカンボジアでも使われていると記事には書かれている。

この手口で3000万円も被害に遭った高齢の男性は首を吊って自殺した。

この詐欺手口のうまいところは、最初から狙いすました詐欺であるにも関わらず、「単なる事業の失敗」で説明されて逃れられる点である。実際、「事業の失敗」を演出するために安普請のレストランを作っているのが巧妙だ。

この話を読んで、私は苦笑いしながら思い出すものがあった。「出資話」と言えば、私もまた胡散臭いビジネスを持ちかけられた経験が何度もある。
https://blackasia.net/?p=11762
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/379.html#c63

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
172. 中川隆[-11828] koaQ7Jey 2019年2月26日 09:12:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[151]
アイヌ民族と沖縄民はDNAが近い・「縄文系の血を残す」・・説は本当か? 2013-11-01
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101

一年前の新聞にあった記事です。

           ・・・・・

2012年11月1日読売新聞

「アイヌ民族DNA、沖縄に近い・・関東と比較」


北海道のアイヌ民族は地理的に近い関東よりも、沖縄の人たちと遺伝的に近いことがDNA解析から証明されたとする研究成果を、東京大学や国立遺伝学研究所などでつくる「日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム」がまとめた。

北海道と沖縄では、日本列島に古くから住んでいた縄文人と渡来の弥生人の混血が一部にとどまり、縄文系の人々が残ったとする「二重構造説」を裏付ける成果という。

研究チームはアイヌ民族36人と、3世代以上続く沖縄出身者35人の遺伝情報を詳細に調べた。

DNAのわずか一文字の違いを約60万か所にわたって分析。すでにデータとしてそろっている関東に住む243人と比較し、アイヌ民族は沖縄出身者により近いことを確認した。

こうした傾向はこれまでも示されていたが、データが少なく、結論は出ていなかった。

日本の南北に離れた二つの集団が近い血統だという説は、ドイツ人研究者が顔の特徴などから1911年に発表した。

研究チームの斎藤成也・国立遺伝学研究所教授は「101年を経て、遺伝情報のレベルで最終的に証明できた」と話した。


                     ・・・・・


上にご紹介した新聞記事を読み、「稲作渡来民・「日本人」成立の謎に迫る」という池橋宏氏の本を読んでみました。

                     *****


                   (引用ここから)


稲作渡来民の前に、日本ではどのような言語が話されていたのだろうか。

小泉保は、日本語の古い形を考えるには、日本語と琉球語が、近隣のどの言語より近い関係にあるということが基礎であると考えた。

それに比べると、朝鮮語と日本語では共通の語彙と考えられるものは案外少ない。

アイヌ語と日本語の同系性の証明もむずかしいようである。

さて、東北方言の北側にアイヌ語があり、列島の南には南九州の方言を挟んで琉球語が分布している。

中部、近畿と北九州地域はいろいろの点で共通性があって、北の東北言語と南の方言との間に広がっている。

大局的にみると、中央部に一つの言語が分布し、その両側に古くからの言語が分布している。

この見方から見ると、東北言語がおそらく縄文後期の発音の形を良く保持していると判断される。

また鳥取県西部で話されている「雲伯(うんぱく)方言」は、東北言語と音韻上非常に良く似ている。

小泉氏によると、これらの方言は同系であり、裏日本縄文語とでも呼ばれる言語からきているものと結論している。

それは東北から山陰地方まで連続していたと考えられる。


稲作渡来民たちは、もともと中国の春秋時代から戦国時代に、呉とか越とよばれていた地域の住民であり、不完全な渡航手段によって、小さい集団として朝鮮半島にまで移動して、一部は定着し、さらにその一部は日本列島の北九州あるいは山陰にまで渡ったと考えられる。

渡来民の波が強くおしよせた地域では、縄文人の体質的な特徴はほとんど失われてしまった。

彼らのもたらした農耕は、圧倒的に高い人口増加率を支えたのである。

「倭(わ)」と称された集団が朝鮮半島の南部から九州におよぶ稲作渡来民であっただろうと考察したが、今日その痕跡は言語にはない。

一方、7世紀前後の古代の日本語には、朝鮮語の語彙が多少は入っているとしても、対応のたどれるような言語は少ない。

結局、今日でも日本語は基本的に「縄文語」であるとみてよい。

すなわち言語の基本的な点では、稲作渡来民は日本語に大きな影響を与えなかったのである。
渡来民は縄文語に同化されたのである。


縄文人が近隣のアジアの古代人とは似ていないのと同様に、日本語の系統をアジアの近隣の言語の中に求めることは、今となっては非常にむずかしい。

また、稲作渡来民が日本語の形成に与えた影響については、けっきょくのところ、日本列島で使われている言語は縄文時代から根本的には変化していない。

ただ母音が現在の東北方言に似たものから変わり、無アクセントから、関西方言のようにアクセントに敏感な方言などが分化した。

この後の変化には渡来人の「声調」が影響したとみられる。

さらに日本語は漢語に日本語の読み方(訓)をあてて、その豊富な語彙や概念を導入し、文明を支える言語に発展した。

訓読と並行してカナ文字が生まれた。

それには、4世紀ごろから渡来した人々が、故地で朝鮮語と漢語の対比から経験したことが役立っている。

                 (引用ここまで)

                   *****

新聞記事を読むと、アイヌと沖縄の遺伝的な関係が明らかにされたということです。

縄文文化を築いた人々の子孫は、彼ら2者であるということになります。

一方、上記の本によると、日本語と琉球語はもっともよく似ているが、日本語とアイヌ語に近親性はないということです。

筆者によれば、日本語の北限は東北で、渡来系の影響の強い関西の周辺に、縄文系の影響の強い東北・南九州が残っている、という形になります。

アイヌ文化、沖縄文化、日本文化の理解は、本当に難しいと思いました。
https://blog.goo.ne.jp/blue77341/d/20131101


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東北と関東の縄文人は系統が別・・DNAを読む 2014-04-30
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朝日新聞「日曜版」・「日本人の起源」2011・05・01の記事です。

前にご紹介したマレーシアのニア洞窟探訪の記事の続きです。

             ・・・・・

「骨をよむ手がかりはDNA」


マレーシアから東京に戻った私は、国立科学博物館を訪ねた。

篠田謙一の研究室に向かう。

積み重ねられている大きなプラスチックのケースの中味は、江戸時代の人骨だという。


篠田のもとには、全国からさまざまな人骨が集まってくる。

沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)の旧石器人。

富山市の小竹貝塚の縄文人。

東京・谷中の徳川家の墓地に埋葬されていた将軍の側室や子どもたち。


「私はよく“骨を読む”と言います。

骨からは、実にたくさんのことがわかる。

形態からは当時の人たちの姿形や生活習慣を、DNAからは彼らのルーツを読み取ることができますから」。

篠田はこのうち、古い人骨のDNAを調べる国内では数少ない研究者だ。

わずかでもDNAが残っていれば、それを手がかりに日本人の起源を探ることができる。

ここ20年ほどで急速に進んだ分野ゆえに、学会に大きな一石を投じることもある。


たとえば、縄文土器などの文化をもつ縄文人について、かつては「南方からやって来たほぼ均質な集団」というのが定説だった。

全国で出土した骨を元に、縄文人の顔つきを探ると、上下に短く幅が広いとか、彫りが深いといった共通の特徴があったからだ。


ところが、縄文人のDNAには別のストーリーが秘められていた。

2006年、篠田や山梨大教授らは北海道の縄文遺跡から出土した54体の骨のミトコンドリアDNAを分析。

その特徴をもとにグループ分けし、関東の縄文人のデータと比べてみた。


北海道の縄文人の6割を占める最大のグループは、関東では見られないものだった。

このグループはサハリンなど、現在の極東ロシアの先住民に目立つ。

2番目と3案目に多いグループも、カムチャッカ半島などの先住民に多い。

東北の縄文人も北海道と似たグループ構成だった。


対照的に関東の縄文人のミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアの島々、中央アジア、朝鮮半島に住む現代人の特徴があった。


「北海道・東北と関東では違いが大きく、同じ縄文人とくくるのがためらわれるほどだ」と篠田は言う。

縄文人は「均質な集団」ではなく、日本列島の北と南でルーツが違っていた。

浮かびあがるのは、そんなストーリ―だ。


縄文時代、様々な人々がいろいろなルートで日本列島に入ってきたらしい。

アフリカから東南アジア、そして日本列島へ。

日本人の「祖先」のはるかな旅路の詳細は、骨の形や遺物を調べるだけではなかなか見えてこない。

いま、DNAを手がかりに、「祖先」の足跡が次第に明らかになりつつある。

篠田は言う。「私たちは、どこから来た何者なのか。それを知ることで、自分達がどこへ向かおうとしているかを確かめたい」


                       ・・・・・

{}「トヤマ・ジャストナウ・2014・02・05 小竹貝塚」

富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所は、日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(富山市呉羽町北・呉羽昭和町地内)の調査結果を発表した。

出土した人骨は91体。縄文時代前期の人骨が見つかった国内の遺跡の中では最多。

DNA鑑定で、南方系と北方系の異なる起源を持つ人たちが一緒に暮らしていたことがわかった。

多くの遺物によって、縄文人のルーツや生活ぶりを探る、大きな手がかりに!


小竹貝塚(おだけかいづか)は富山県のほぼ中央部、呉羽丘陵と射水平野との接点に位置する。

北陸新幹線建設に先立ち、平成21・22年度に発掘調査が行われ、大規模な貝塚とともに、埋葬人骨や竪穴住居などが出土している。

貝殻のカルシウム成分によって、土壌がアルカリ性を保ち、通常の遺跡では酸性土壌で腐ったり、溶けてなくなったりしてしまうような骨、木器などが残る。

古の人たちの暮らしぶりを伝えるタイムカプセルといってもいいようだ。


小竹貝塚は、約6,750〜5,530年前の縄文時代前期の貝塚で、約1,220年間にわたって形成された。

遺跡範囲は東西約150m、南北約200m。

埋葬人骨(墓域)、貝層(廃棄域)、板敷遺構(生産・加工域)、竪穴住居(居住域)の区域分けがされていた。

貝層では、ヤマトシジミを主とする貝が最大で約2m堆積していた。


墓地として使用されていた貝塚で見つかった人骨は91体と、他に例を見ない数だ。

そのうち、男性は35体、女性は18体で、残りは性別不明だった。

死亡時の年齢をみると、10代後半から20代の若い男性、生まれたばかりの子どもが多く、厳しい生活環境だったことをうかがわせる。

身長を推定できる人骨は男性22体、女性7体あり、男性では165cm以上の、当時としては高身長の人もいれば、154cm前後の低身長の人もいた。

女性の平均身長は、縄文時代後・晩期の平均推定身長と同じ148cmだった。

 国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。

一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。

人骨のさらなる研究により、縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。


小竹貝塚からは、埋葬されたとみられるイヌが21体見つかり、縄文人の墓のそばに丁寧に葬られていた。

狩猟犬、愛玩犬として縄文人と一緒に生活し、丁寧に扱われていたことを示している。

現代のようにペットとしてイヌを可愛がっていたとは驚き。愛犬と仲良く暮らす縄文人の様子が目に浮かんできそうだ。


縄文土器・土製品は約13トン分が出土。

関東地方や近畿地方、東北地方で作られたとみられる土器があり、他地域との交流を物語っている。

石器は約10,000点出土しており、糸魚川周辺で採取されたとみられるヒスイを使った作りかけのペンダントが発見されている。

縄文時代前期のヒスイ製品としては国内で最古級だ。

骨角貝製品(こっかくかいせいひん)では、釣針、刺突具(しとつぐ)、針、装身具など約2,300点が出土。

装身具の中には、九州や伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハという貝で作られた貝輪1点が見つかった。

太平洋沿岸の縄文遺跡では見つかっているが、日本海側では初めて。

ブレスレットとして、現代人が身に付けてもいいほど、素敵なデザインだ。

縄文時代にすでに釣針や針、ブレスレットやイヤリングが作られていたとは驚き。形も現代のものと大差ない。

タイの歯が象嵌(ぞうがん)された漆製品もあり、縄文人の工芸の技を垣間見ることができる。

当時の女性たちもお洒落をしていたと思うと、親近感も湧いてくる。


富山県文化振興財団 埋蔵文化財調査事務所では、

「小竹貝塚では、南方系と北方系にルーツを持つ人たちが一緒に暮らしていたことがDNA分析から明らかになった。日本海側の真ん中に位置するからだろうか。縄文人を語るうえで欠くことのできない重要な遺跡だ。
また、広範囲の地域との交流を物語る品々が出土した。日本海側の他の地域の遺物と比較し、小竹貝塚の特徴をより調べていきたい」

と話している。


wikipedia「白保竿根田原洞穴遺跡」より

白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、沖縄県石垣市(八重山列島石垣島)にある旧石器時代から断続的に続く複合遺跡である。

新石垣空港建設前まで、同地はゴルフ場内にあたり盛土されていたため、地下にこのような洞穴があることは、把握されていなかった。

長大な洞穴の洞口が最初に見つかった、白保側(現在の遺跡の場所よりも北側)の小字名がそのまま遺跡名として利用されている現状がある。

白保竿根田原洞穴遺跡は2007年に新石垣空港予定地で見つかった遺跡で、NPO法人沖縄鍾乳洞協会によって、洞穴内から人間の頭、脚、腕などの骨9点が発見された。

このうち、状態のよい6点について同協会、沖縄県立埋蔵文化財センター、 琉球大学、東京大学等の専門家チームが放射性炭素年代測定を行ったところ、

そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものと確認された。

さらに国立科学博物館が、これらの人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち、2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

これまで、直接測定による日本国内最古の人骨は、静岡県浜北区の根堅洞窟で発見された浜北人の約1万4千年前であった。

なお、人骨そのものではなく、周辺の炭化物などから測定した日本国内最古の人骨は沖縄県那覇市山下町第一洞穴で1968年に発見された山下町洞穴人の約3万2千年前のものである。

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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c172

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
182. 中川隆[-11827] koaQ7Jey 2019年2月26日 09:46:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[152]

ジョン・ウェインに激怒する黒人 / 率直に語りすぎた白人俳優
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68755498.html

  ジョン・ウェイン言えば、ハリウッド・スターの中でも超有名で、アメリカを象徴する代表的人物だ。日本の映画ファンなら、『赤い河』とか『黄色いリボン』『駅馬車』『勇気ある追跡』『アパッチ砦』『アラモ』などを想い出すんじゃないか。ジョン・ウェインには数々の作品があるけど、やはりカウボーイとしての役柄が似合っており、陽気で気さくなアメリカ人というイメージがある。たとえ、西部劇を離れても、彼の男らしさは変わらず、嵌まり役といったら軍人しかない。したがって、いくら役者とはいえ、民間企業に勤める“しがない”サラリーマンとか、うだつの上がらない公務員なんてキャラクターは企画段階でボツ。

John Wayne 7(左 / 『クリーン・ベレー』でのジョン・ウェイン)
  アクション俳優のシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツネッガーと同じく、ジョン・ウェインも勇敢な軍人を演じればピカイチだ。1968年に公開された『グリーン・ベレー(The Green Berets)』では、陸軍特殊部隊を率いるマイク・カービー大佐を演じていた。彼はこの作品で主演の他、自ら監督を務めていたが、制作の目的にはベトナム戦争で落ち込んでいるアメリカ社会を励ます意図もあったらしい。ちなみに、この映画の設定には無茶なところがあった。ウェインはベトナムに派遣される特殊部隊の指揮官を演じていたが、通常、「大佐」級の軍人が小隊を率いることはない。一般的に、特殊部隊を任されるのは大尉か中尉くらいで、あとは熟練のスナイパーやベテランの曹長などで構成されるのが普通である。しかし、ウェインが演じる軍人は大佐じゃないと“しっくり”こない。脳天気な日本人だと、政治家を選ぶ際、東大法学部卒とか元財務省官僚に目を留め、「わぁ、すごい経歴だなぁ〜」と思って指導者に選んでしまうが、アメリカの一般人は、試験秀才とか上級役人なんかは崇めない。頼りがいのある陸軍や海兵隊の大佐の方を選んでしまう。やはり、民衆を束ねるリーダーにはカリスマが必要で、不測の事態に対応できる能力はもちろんのこと、即座に正しい判断を下し、責任を持って実行できる人物でないと駄目だ。予め答えが分かっている問題に正解できるから「エリート」なんて思うのは日本人くらい。霞ヶ関の高級官僚を見てみろ。「責任最小、権限最大」がモットーになっている。(どこの役所でも同じで、責任はボンクラ大臣に丸投げなんだから。)

  ついでに言うと、元ハリウッド俳優で後に合衆国大統領になるロナルド・レーガンが憧れていたのは、このジョン・ウェインだった。大統領になったレーガンは、休暇になるとよく牧場へ赴き、愛馬に乗って楽しんでいたが、それはアメリカ国民に向けて、自身のカウボーイ姿を植え付けるためでもあった。アメリカの大衆は宮澤喜一のような気取ったインテリが大嫌い。彼らは気さくなんだけど威厳のある軍人とか、ガッツと人徳のあるアメフト選手などを好む。やはり、一国の指導者は堂々とした風格の持ち主でなきゃ。鳩山由紀夫みたいな宇宙人とか、サラリーマン風の福田康夫などは論外。また、ダチョウ倶楽部の上島竜平かと見間違う野田佳彦でも恥ずかしい。翻って、反共主義のレーガン大統領は、強大な軍事力を背景にしてソ連を叩き潰そうとしたカウボーイ。西部開拓時代を連想させる手法に、保守派の国民は大喜びだった。大統領職には武力を以て悪党を退治する英雄が相応しい。猪みたいに直進一本槍の森喜朗じゃ馬鹿の一つ覚えだ。小泉純一郎に至っては、アメリカの石油業界に土下座して、「どうかひとつ、息子の進次郎を総理大臣にしてやって下さい!」と揉み手すり手なんだから、老醜としか言い様がない。

John Wayne & Roanld Reagan 1Ronald Reagan 321


(左: ロナルド・レーガンとジョン・ウェイン / 右: 乗馬を楽しむレーガン大統領)

  脱線したので話を戻す。最近、脚本家で写真家のマット・ウィリアムズ(Matt Williams)が、1971年に発売された『プレイボーイ』誌でジョン・ウェインのインタビュー記事に目を附け、その暴言を自身のツイッターに載せたという。すると、この“再発見”を耳にした一般人は大騒ぎ。何しろ、ジョン・ウェインが亡くなって40年以上も経つから、若いアメリカ人は西部劇で活躍した名優くらいにしか思っていなかったのだ。でも、記事を読んだ一般人は目を疑うほど驚いた。「まさか、あの有名俳優が・・・」と大ショック。この騒動は瞬く間にマスコミに流れ、左翼メディアの「ワシントン・ポスト」紙や、黒人向けウェッブサイト・ニューズの「グリオ(The Grio)」が取り上げる事になった。

  現在の高校生や大学生だと、ジョン・ウェインは既に「過去の役者」となっているから、「誰それ?」と尋ねる人の為にちょっとだけ紹介したい。ジョン・ウェインというのは藝名で、本名はマリオン・ミッチェル・モリソン(Marion Mitchell Morrison)。綽名は「デューク(Duke)」で、これは彼が飼っていた愛犬「デューク」から由来しているという。近所の人々はマリオンがいつも連れて歩くペットの方を「リトル・デューク」と呼び、飼い主の方を「ビッグ・デューク」と名づけたそうだ。成長したマリオンは海軍兵学校を目指すが、不合格となって、大学に進学する。だが、怪我のせいでスポーツを断念し、役者の道を選んだそうである。勇敢な保安官や軍人を演じて好評を得たウェインには、やはり愛国者の血が流れていた。彼の祖父は南北戦争を戦ったアメリカ人で、孫のマリオンが海軍士官を目指したのも、こうした家系の影響があったのかも知れない。健全な両親に育てられたマリオンは、普通の善良な青年に育ち、母親の信仰を受け継いでプレスビテリアン教会(長老派のキリスト教宗派)に通っていたという。

John Wayne 12John Wayne 11John Wayne 4


(左: 学生時代のジョン・ウェイン / 中央: デビュー当時の写真 / 右: 西部劇のウェイン )

Joseph McCarthy 002(左 / ジョゼフ・マッカーシー )
  今の日本人やアメリカ人からすると「えっ!」と驚いてしまうだろうが、ジョン・ウェインは意外にも反共主義者で、“極右”組織と評される「ジョン・バーチ協会(John Birch Society)」に属していた。「ジョン・バーチ協会」と言えば、日本では怪しげな政治団体と見られがちだが、米ソ対立が激しかった1950年代から60年代のアメリカでは反共主義の民間団体に属する人は珍しくなかった。歐米や日本で反共主義団体の評判が悪いのは、マスメディアが容共の左翼に牛耳られていたからだ。つくづく嫌になってしまうが、ハリウッドや全米テレビ局には、ピンクや深紅の左翼ユダヤ人がゴマンといたのに、それを暴く映画や特番はほぼ皆無。反米活動家と見なされた映画監督は、まるで魔女裁判の犠牲者みたいになっている。ところが、「赤狩り」を行う保守派に対しては容赦がない。電柱のような鉄槌が下され、自由社会の擁護者は極右扱いだ。「反共」の代表格たるジョゼフ・マッカーシー上院議員は、悪魔の権化か閻魔大王。一旦、学術書で有罪が決まれば、その判決を覆すのは至難の業で、事実、未だにその汚名は払拭されず、妄想に取り憑かれた狂人といった具合だ。しかし、今となってはヴェノナ文書が公開され、マッカーシー上院議員の批判が正しかったと証明されている。一方、マッカーシズムを糾弾していた学者は知らぬ顔。何事も無かったかのように平然としており、過去の言論は総て闇に葬っているんだから本当にズルい。

Midnight cowboy Dustin Hoffman & Jon Voight 2Easy Rider 32


(左: 『ミッドナイト・カエボーイ』に出たダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト / 右: 『イージー・ライダ』のデニス・ホッパーとピーター・フォンダ)

  『プレイボーイ』誌のインタビューで、リチャード・ウォーレン・ルイス(Richard Warren Lewis)の質問に対し、ジョン・ウェインはどう答えたのか? 例えば、1960年代に公開された映画『イージー・ライダー(Easy Rider)』や『ミッドナイト・カウボーイ(Midnight Cowboy)』について訊かれると、ウェインは否定的な反応を示したらしい。「君はミッドナイト・カウボーイの中に出てくる男二人の素晴らしい愛について、 つまり、オカマ野郎(faggot)どものストーリーについて訊きたいのかい?」 ウェインが男性の同性愛者に対する侮蔑語を口にしたことからも分かるように、彼はこの変態作品を嫌っていたという。(Stephanie Nolasco, "John Wayne's family responds to actor's controversial 1971 interview with Playboy", Fox News February 21, 2019.)

  ちなみに、『ミッドナイト・カウボーイ』では、ジョン・ヴォイトがテキサスからやって来たカウボーイの「ジョー」を演じ、ダスティン・ホフマンがチンケな詐欺師「リッツォ」を演じていた。おぞましいのは、所持金を騙し取られたジョーが、金に困って男娼に身を堕とし、心ならずも客からのオーラルセックスに応じたことだ。ベトナム戦争が泥沼化した1960年代後半から70年代にかけて、アメリカの社会道徳は一気に崩れ、敬虔な生活が馬鹿にされ、ふしだらな生活が容認されるようになった。ハリウッドの左翼制作者たちは、陽気で実直なアメリカ人というキャラクターを徐々に捨て始め、その代わり、暴力シーンが満載のヴァイオレンス映画とか、フラワー・チルドレンが出てくる頽廃映画を作るようになった。また、男女の性描写もあからさまになり、フリーセックスに溺れる若者とか、結婚を望まないフェミニストなどが銀幕に登場し、それを左翼監督が“クール”に描いたから、敬虔なアメリカ人は眉を顰めた。アメリカの映像作品によく「PG-13(13歳以下の観客には親の同伴を必要とする)」「NC-17(17歳以下の観客は入場禁止)」といった規制があるのは、未だに西歐的倫理基準が息づいているからだろう。

黒人に対して赦しを乞わない !

  西部劇映画で有名になったウェインだから、当然、インディアンに関する質問も出ていた。ルイスは原住民に対しどんな感情を抱いているのかを尋ねたという。すると、ウェインは次のように答えた。

  私は彼らから土地を取り上げたことについて間違っているとは思わないね。いわゆる、我々が彼らから土地を奪ったという話だが、それは生存競争に過ぎない。新しい土地を必要とする人々が大勢いて、インディアンは身勝手にも自分達だけのものにしようとしていた・・・・そうだなぁ、確かに不平等はあっただろう。もし、これらの不平等が今生きているインディアンに影響を与えているとしたら、彼らには裁判に訴える権利があると思うよ。しかし、この国で100年前に起こった事を以て、現在の我々が責められるべきとは思わんがね。

  こうした見解には様々な反応が予想できる。白人に土地を奪われたと叫ぶインディアンの末裔がこの話を聞けば、「ふざけるんじゃない! 身勝手なのはどっちだ! お前ら白人が腕尽くで奪ったんじゃないか! まったく、盗っ人猛々しいぞ!」と憤慨するだろう。一方、戦国時代と帝国主義時代を経験した日本人だと、「戦って負けたんだから仕方ないんじゃないか」と思えてくる。なるほど、昔ながらに暮らしていたインディアンからすれば、先祖伝来の土地にいきなりヨーロッパ人が現れ、勝手に境界線を引き、「所有権」なるものを主張したんだから、「何だ、それ!」と反撥するのも無理はない。いくら土地取引の契約を結んだといっても、インディアンは好意で土地を貸しただけだ。未来永劫、自分の土地を割譲した訳ではない。だから、インディアンたちは征服者たちを憎んだ。実際、彼らはイギリス人を殺したし、フランス人と手を組んで反撃を企てることもあった。今のインディアンは一方的な被害者を演じているが、彼らの祖先は無抵抗のまま殺戮されたんじゃない。戦闘で白人を捕まえれば首を切ったり、問答無用で頭皮を剝いだりと、思いっきり復讐を果たしたこともあるのだ。

  日本の高校生はあまり知らないけど、俗に「フィリップ王の戦争(King Philip's War / 1675〜76)」と呼ばれる「メタコム酋長の叛乱(Metacom's Rebellion)」があった。ワンパノアグ族がイギリス人の村を襲撃し、家屋を焼いたり家畜を不具にしたこともあったという。中でも、マスケット銃を撃ちまくって白人を虐殺した話は有名だ。ここで刮目すべきは、キリスト教に改宗していたインディアンが劣勢だったイギリス人を助け、彼らに反撃の方法を教えてやったというエピソードだ。一方的にインディアンが皆殺しにされたという話は、巷に漂う都市伝説の類いである。白人をやっつけるインディアンの英雄譚には一種の爽快感があるが、仲間割れという欠点も見逃すことはできない。ピークウォット族やモヒカン族はワンパノアグ族と団結せず、一致協力してイギリス人入植者を撃退することはなかった。したがって、一口に原住民といっても、部族や個人を見渡せば事情は様々で、彼らは一枚岩ということではなかったようだ。インディアンは日本人のように臥薪嘗胆で西歐化を図り、力を貯めて乾坤一擲、西歐列強を撥ね除けようとしなかった。この点、昔の日本人は本当に賢かったと言えるしんじゃないか。もし、幕府と薩長で内乱を続け、英仏からの資金や武力に頼っていたら、簡単に西歐諸国の植民地となっていただろう。

  インディアンの末裔が白人に文句を垂れるのは勝手だが、それならアメリカ国籍を捨て去り、合衆国からの保護を一切受けないと宣言すべきだ。先祖を殺した敵に税金を払い、医療や教育、住宅、治安維持といった社会福祉を受けながら、白人征服者に「反省」を求めるなんて滑稽だ。インディアンの末裔はさっさと西歐文明から離脱し、伝統的な部族社会に戻るべきだろう。病気になっても緊急治療室に行かず、呪い師のもとで治してもらえばいい。だいたい、白人が建てた学校へ通って、憎い相手の言語(英語)を学ぶなんて馬鹿げている。出身部族の言葉を学ぶのが先なんじゃないか。また、クーラーやウォシュレットなんかも厳禁だ。夏が暑いのは当然。家電製品は白人の発明だから拒否すべし。大便は野原で済ませろ。ガスや灯油も白人が持ってくるエネルギーだから駄目。燃料は薪のみで、サマー・キャンプみたいな日常にすればよい。ただ、こうした前近代的な生活に、若い原住民が耐えられるのかどうか、は別の問題である。

  ルイスによる質問で、一番アフリカ系アメリカ人を激昂させ、論争を巻き起こしたのは、黒人に対するウェインの見解である。インタヴューアーのルイスは、黒人極左のアンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)や人種差別について質問した。ウェインは黒人が白人に恨みを抱き、不満をぶつけたいという感情には理解を示していた。「しかし、だからといって我々が急に跪き、何事においても黒人の指導を仰ぐ、といった事はない」とウェインは釘を刺す。

  私は黒人が責任感を持つように教育されるまで、白人の優越性(white supremacy)を信じたいね。私は無責任な人々に判断力が求められる指導的地位を与えたくないし、そうした権威を与えることにも賛成しないなぁ。

  ウェインは黒人がリーダーの資質に欠けること、そして、責任ある地位に就くには教育が足りない、といったことを述べていた。特に、彼は劣った黒人に下駄を履かせて大学に入れてやる制度に反対だった。何しろ、白人と同じ試験を受けて学力が足りないと判明したのに、「有色人種だから」という理由で優先的に入学を認める制度なんだから、不正の合法化と言えるんじゃないか。確かに、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)は何割かの黒人に知識を与え、就職への道を与える事はできた。しかし、その一方で黒人全般の評価を下げることにもなっていたのだ。いくら黒人が「俺はハーバード大卒なんだぞ!」とか、「奨学金を貰って、プリンストンやダートマスの大学院に通ったんだ!」と自慢しても、白人は「まぁ、黒人だから特別扱いにしてもらったんだろう」と小馬鹿にする。実際、バラク・オバマは“これ”といった業績も無いのに、権威ある「ハーバード・ロー・レビュー」誌の統轄者になれた。一方、集英社や小学館はハーバード大学ほど甘くはない。日本の出版社と一般読者は実力主義の信奉者だから、いくら黒人の漫画家でも「週刊ジャンプ」の看板作者にはしないし、人気投票で一番にすることもない。たとえ、投票葉書を捏造しても、単行本の売れ行きやアニメ化の話で躓くから、すぐ嘘がバレる。

Obama 21black children in Indiana 4


(左: 学生時代のバラク・オバマ / 右: 講義を受ける黒人学生たち)

  ルイスは更に厳しい質問を浴びせかけた。すなわち、ウェインが黒人奴隷をどう考えているのかを尋ねたのだ。そこで、ウェインが率直に答える。

  私は5世代や10世代前に彼らが奴隷だったという事実に関し、罪悪感を覚えることはない。だからといって、奴隷制を見逃すというか、赦す訳じゃないからね。それは人生にある現実なんだ。例えば、身体障碍を抱えた子供が、金属製の器具を身につけている状態なら、友達と一緒にフットボールを楽しむ事はできないよね。現在の白人と競争できる黒人は、白人よりもマシな厚遇を受けているんだ。もし、アメリカより素晴らしい権利を得ている黒人がいたら、どこの国なのかぜひ教えてもらいたいものだ。

  もう、こんな発言を耳にしたら、黒人の活動家や大学教授は激怒するだろう。ウェインが述べていたことは、黒人に対する虐待は過去の話で、現在の我々には関係無いという趣旨だ。しかも、白人が教育と機会を与えてやったから、少しはマシな黒人が増えたのであって、白人が一方的に非難されるのは心外だと語っていたのである。ウェインの意見は人種によって評価がまちまちだし、彼と黒人のどちらが正しいのか、判断を下すのは日本人でも難しい。黒人の恨みは理性を越えた感情にある。いくら白人が正論を吐いたとて、絶対に受け容れることはできない。なぜなら、劣等民族の悔しさは言葉で治療することができないからだ。これは日本人を恨む朝鮮人と同じで、いくら言葉で謝っても、因縁をつけてくる民族の心は晴れない。朝鮮人が日本人を奴隷にし、男は縛り首で、女は強姦という復讐を果たせばスッキリするだろう。しかし、普通の日本人なら、こんな仕打ちに耐えられまい。必ずや抵抗するはずだ。

自分の祖先を恨めない黒人

  黒人が白人を赦せないのは、白人の残虐性もさることながら、黒人が持つ自らの「惨めさ」に原因があるのだ。アメリカの黒人は奴隷船でアフリカ人を連れてきた白人を憎む。だが、その奴隷商人はアフリカの有力部族から「黒い捕虜」を購入したのだ。ポルトガルやスペイン、ブリテンの白人が各地の村を襲って黒人を拉致するなんて無理。そもそも、西歐人が密林を掻き分けて侵攻したというのは嘘で、大抵は紛争に勝った黒人部族が敗者を捕虜にして、取引を持ち掛ける白人に転売したというのが実態である。事実、カリブ海の黒人たちは、輸出先のナイジェリアやガーナを恨んでいる。例えば、ナイジェリアで人権活動に励む黒人左翼は、部族の酋長ならびにその子孫を責め立て、奴隷制の後遺症に苦しむ黒人に謝るよう求めていた。(David Smith, "African chiefs urged to apologise for slave trade", The Guardian, 18 November 2009.) しかし、当のアフリカ人には「人権」という概念は更々無い。そんな言葉を聞いたって馬耳東風。「権利(rights)」と聞いても「右手」を差し出す程度。象牙の方がお金になる。もし、「有罪」とされた部族の首長に「賠償として牛30頭、豚40匹、鶏70羽を出せ!」と要求すれば、「何で俺が貴重な財産を差し出さなきゃならないんだ!」と激昂して棍棒を振り上げるだろう。アフリカの黒人はウェインと同じく、「遙か昔になされた罪を現在の者が償う義務は無い!」と撥ね付けるだけだ。我々にとって興味深いのは、「こうしたアフリカ人を見たアフリカ系アメリカ人はどう思うのか?」という点である。

Marcus Garvey 13(左 / マーカス・ガーヴェイ)
  もう一つ、アメリカ黒人の怒りには別の要因がある。アフリカ系国民の地位向上を訴え、白人批判を展開する赤い黒人は、現在の白人に賠償を求めても、彼らの祖先が選んだ「決断」には触れようとはしない。なぜなら、白人から解放された元黒人奴隷は故郷に帰ることを拒み、白人国家に留まる事を選んてしまったからだ。(その結果、黒人の子孫は精神が妙に歪んでいる。) 以前、当ブログでも紹介したが、「黒いモーゼ」と呼ばれるマーカス・ガーヴェイ(Marcus Mosiah Garvey, Jr.)は、白人国家のアメリカで黒人は幸せにならないと考え、黒人はアフリカに戻るべきだと訴えた。このジャマイカ人救世主は、アフリカに作られたリベリアに赴き、黒人による国家を創設しようと夢見たが、肝心の黒人たちは興味を示さなかった。ガーヴェイは「ブラック・スター・ライン」社まで創設し、渡航手段を持たない黒人を助けてやろうとしたのに、彼の同胞は故郷での悲惨な生活を予想し、豊かなアメリカに住み続けることを選んだ。

  現在の黒人はあれこれ不満を漏らすが、彼らの祖先は差別よりも貧乏を恐れていた。これは情けない現実だが、一旦、高度な文明に触れた劣等種族は、いくら差別されようが、その豊かさに魅了され、ちょっとした“おこぼれ”でもいいから「華やかな生活に与りたい!」と願ってしまうのだ。確かに、異人種の国で差別されることは苦痛だ。しかし、アフリカに還って貧乏生活を味わうよりマシである。アフリカにはゾっとするような原始的生活しかない。電気・水道・医療が存在しないばかりか、「明日への希望」さえ無いのだ。アメリカには立派な建築物が聳え立ち、煌びやかな衣装を身に纏った貴婦人がいる。今は無理でも子供や曾孫の代には、「人並みの暮らしが出来るんじゃないか」と淡い希望を抱く黒人もいたはずだ。アメリカは西歐人の天下であっても、一応、公衆衛生が行き渡っていたから、黒人でも多少はその恩恵に浴することもできた。簡単な治療といえども、病気への恐怖が軽減されていたし、黒人でも医学を学ぶこともできたから、アフリカよりマシである。映画では残虐な扱いをする白人ばかりが出てくるが、中には黒人に温情をかける白人もいたから、強制収容所みたいな暮らしを想像するのは間違いだ。農園で働く黒人は御主人様の情けを求めたし、黒人を雇う白人にも“まともな”経営者がいたらしい。

  奴隷制度を持たなかった日本人から見れば、アメリカ白人の黒人搾取は残酷に思えてしまうだろう。だが、世界史を眺めてみれば、奴隷制なんて珍しくもないし、「同胞を奴隷にしなかった西歐人はまだ“上等”なんじゃないか」と思えてくる。アジア大陸の民族にとって異邦人を差別するのは当り前だし、戦争捕虜の虐待・拷問は普通で、奴隷貿易なんか単なる商売だ。インドに行けばカースト制度があるし、アフリカでは狂気に満ちた部族闘争が絶えない。ルワンダでの虐殺劇を想い出せばわかるじゃないか。敵を捕まえて足首を切断するんだから、人権も正義もあったものではない。鳥や豚じゃあるまいし、鉈(なた)で人間の手足をぶった切るなんて鬼畜と同じ。しかし、これとて支那人に比べたら可愛いものだ。支那人の殺戮といったら日本人の想像を遙かに超えており、戦争となれば殺人や掠奪、放火は当り前。数十万人規模の虐殺なんか幾らでもある。人間を捕らえてバーベキューにするくらい朝飯前というか、ちょっとした“お祭り”といった感じである。

Slavery in Africa 3Slavery in Arabia 13


( 左: アフリカ人の奴隷 / 右: 白人奴隷を売買するムスリム商人の絵)

  アメリカの黒人が憤りを持ち続けるのは分かるけど、それならアフリカに移住して、立派な黒人国家を建てるべきなんじゃないか。それに、白人を糾弾する黒人は、リベラル派の左翼分子やユダヤ人に裏で操られている場合が多い。当ブログで以前も紹介したが、ユダヤ人左翼は黒人の公民権活動家に近づき、法的アドヴァイスを与えたり、こっそりと資金を提供したりと、様々な支援を送り、「共通の敵」に戦いを仕掛けていた。また、革命家の白人極左にとって、怒れる黒人は「便利な馬鹿」となっていた。憎い資本家を抹殺し、伝統的社会を転覆させるには、「社会正義」を振りかざす尖兵、あるいは何も考えない鉄砲玉、すなわち「捨て駒」や「消耗品」が必要なのだ。日本人の保守派でも、こうした構造を判っていない者が多く、単純な保守派は黒人に加勢して「そうだ、白人はけしからん!」と憤慨する。だが、西歐諸国と絶縁した日本がどのような運命を辿るのかは考えない。他方、アメリカの大学で西洋批判を展開するユダヤ人は、お金を払わないのに協力してくれる、海外のボランティア馬鹿に感謝し、左翼連携を持ちかけよとする。日本人はユダヤ人のプロパガンダに弱いから、簡単に引っ掛かるだろう。

  とにかく、ジョン・ウェインの意見に反撥するアメリカ人は大勢いると思うが、1970年代初頭のアメリカを考えれば、彼の歴史観に不思議なところは無い。もし、マズいところがあるとすれば、それは彼が率直に答えを述べた点にある。黒人は白人全般を非難するが、アメリカの白人には東歐系とか南歐系が含まれているし、たとえ西歐系国民に絞ったとしても、誰が奴隷所有者の子孫なのか特定は難しい。それに、今日では入植者の子孫とかアングロ・サクソン系の数が激減しているから益々困難だ。彼らの末裔は様々な人種と混淆しているから、仮に奴隷所有者の財産を受け継ぐ者を探し出したとしても、どれほどの賠償金を獲得できるのか分からない。民衆党の極左議員であるカマラ・ハリスやエリザベス・ウォーレンは、奴隷制に関する賠償を払うべし、と主張していたが、具体的にどうやって償うつもりなのかを述べていなかった。(Lisa Eustachewich, "Kamala Harris , Elizabeth Warren both support reparations for slavery", New York Post, Febraury 22, 2019.)

Kamala Harris 11Elizabeth Warren 114


(左: カマラ・ハリス / 右: エリザベス・ウォーレン )

  ハリスとウォーレンは勇ましい持論を口にしていたが、こんなのは単なる人気取りだ。第一、議会が承認しないし、大半のアメリカ人も大反対となるだろう。考えてもみよ。奴隷所有者の子孫じゃないのに、「白人だから」という理由で資産をむしり取られる白人は黙って税金を差し出すのか? 結局、ハリスとウォーレンは黒人有権者にアピールしただけ。彼女たちが何を言おうが、アメリカの黒人は惨めなままだ。奴隷として搾取され、解放されてもほったらかし。たとえ、白人並に扱われるようになっても、黒人票を狙う政治家に利用されている。奴隷の子孫は差別意識をひた隠しにする白人を怨むが、かといって白人のいない黒人だらけの社会をつくると、不正や腐敗がはびこり、貧乏と悲劇が織り混ざったスラム街になってしまう。最終的に、「白人様、戻ってきて !」と懇願するか、白人の居住区に潜り込むのがオチだろう。何てことはない、白人に寄り添って暮らすことが黒人の幸せになっているのだ。ちょっと賢い日本人なら、「哀しいけど、これが現実なのよねぇ〜」と云いたくなる。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68755498.html 
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c182

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
234. 中川隆[-11826] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:16:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[153]
一国のGDPを超越する超巨大企業が台頭…今という時代がヤバい理由(週刊ダイヤモンド)
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/286.html

2019.2.26 週刊ダイヤモンド編集部 


『週刊ダイヤモンド』3月2日号の第1特集は「今が全部ヤバい理由」です。地球規模の影響力を手に入れた超国家企業、魔力を失った市場の守り神、エゴむき出しの国家――。リーマンショックから10年が過ぎた今、中でも、GAFAと呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンなどの米巨大IT企業は、世界中の個人や企業の生殺与奪の権を握っています。彼らは軍隊こそ持たないものの、その影響力は絶大です。そんな“今”という時代のヤバさを、「10年」と「1万3000年」という二つの時間軸で読み解いていきます。(本記事は特集からの抜粋です)

 “ベルギーのGDP(国内総生産)”がたった数ヵ月で吹っ飛んだ。

 2019年1月2日、アップルのティム・クックCEOは18年10〜12月期の売り上げが予想を下回ると発表。これを受け、アップルの株価が急落し、日本など各国の株式市場も連動し急落した。いわゆる、「アップルショック」だ。

 実際には18年の8月ごろから中国市場での不振が指摘され、株価は下落傾向にあった。クックCEOの発表はその懸念にトドメを刺したのだ。8月末から1月初旬までのおよそ4ヵ月で失った時価総額は4630億ドルと莫大だ。

 この4630億ドルという金額はなんと、ベルギーのGDPと同水準。それが吹っ飛んだのだ。

 今、アップルに加えて、グーグル、フェイスブック、アマゾンの4社はGAFAと呼ばれている。いずれも、世界中の人々の生活をがらりと変えてきた企業だけに時価総額は莫大で、合計3兆ドル近くで推移している。

 GAFAはどれだけすごいのだろうか。例えば、アップルのフリーキャッシュフローはスリランカのGDPより多い(下図参照)。グーグルのスマホ向けOS「アンドロイド」は20億のデバイスに入っている。また、フェイスブックのユーザーは22億人で、中国と米国と日本の人口の合計18億人を上回る。

 まさに、GAFAは世界中の人から愛されるスーパーヒーローのような企業なのだ。

 しかし、光があるところには影がある。子供向けの特撮番組の最後では、必ず悪い怪獣を巨大ロボットがやっつけてくれる。テレビでは毎度、ハッピーエンドとなるわけだが、現実に巨大怪獣と巨大ロボットが戦えば、人も踏まれるし、街は破壊され尽くすだろう。

 GAFAはまさしく巨大ロボットのような存在だ。幸せを運ぶ一方で、破滅ももたらしてきた。そして、今や国さえも凌駕する超国家企業となったのだ。

 1961年、米国のアイゼンハワー大統領は「軍産複合体の不当な影響力を排除せよ」と、軍需産業の危険性に警鐘を鳴らした。巨大企業への警戒は今に始まったことではない。

個人と企業の生殺与奪の権を握る
まるで“神”

 ところが、2010年代に入ってからの超国家企業の恐ろしさは、人類が初めて経験する代物だ。

 軍産複合体や資源メジャーなどの大企業は、あなたの好物を知っていたり、恋人との写真を“のぞき見”したりはしなかった。

 だが、今や世界中の人はGAFAなしでは生活を送れなくなっている。もちろん、ただ大きいだけなら人気の証しであって、何の問題もない。しかし、“巨大ロボット”の負の側面はすごい。

 何を食べ、どこに行き、どんな本が好きなのか。検索を通じて数十億人の情報がグーグルに筒抜けだ。また、同じくフェイスブックは子供の写真、誕生日や好きな映画まで……22億人分も把握しているのだ。つまり、冒頭で挙げたGAFAの「すごさ」はそのまま「怖さ」になるのだ。

 個人情報を握るだけではない。各社はまるで、神のように世界中の人の運命を決めてしまう。グーグルが検索のアルゴリズムを一度変えれば、多くの人々や企業が右往左往する。それまで検索上位に表示されていたおかげで潤っていた企業が検索結果の2ページ目に表示されるようになれば、一転して倒産の憂き目に遭いかねない。

 実際、米国の百貨店J.C.ペニーは自社のサイトへ偽のリンクをたくさん張ることで、検索上位に表示されるような“インチキ”をしていた。11年にそれが報道されると、グーグルは検索結果を2ページ目以降に追いやり、J.C.ペニーは大打撃を受けた。

 あるいは、理由も分からずに、フェイスブックのアカウントが突然停止され、アップしていた家族の写真を二度と見ることができなくなるようなこともあり得る。

 すでにアマゾンはリアルの小売業者を次々と破滅に追い込んでいるし、アマゾンが今後死に追い込む候補の会社約60社の候補すら存在する(前ページの図参照)。

 日本ではある日突然、アマゾンが雑誌を合計2000円以上購入しなければ発送しない「あわせ買い」の対象にしたために、出版業界は大打撃を受けた。

 GAFAはもはやグローバルなルールメーカーであり、規制当局でもあり、まるで“神”のようだ。

 また、GAFAなど超国家企業の特徴的なところは、自身がイノベーションの申し子のような存在であるのに、イノベーションの芽を摘んでしまうことだ。GAFAのライバルになりそうなサービスが登場すると、企業ごと買収してつぶしてしまうことは珍しくない。

 例えば、フェイスブックは近年、Q&Aアプリやフィットネス関連サービス、ビデオ広告、音声操作関連など複数の企業を買収した後、その事業を廃止している。

 さらに恐ろしいのはフェイスブックなどのソーシャルメディアに広がるフェイクニュースだ。

 16年の米大統領選挙に際して、ヒラリー・クリントン陣営に関係する男性の民主党幹部が、ワシントンのピザ店の奥で児童買春を行っているというフェイクニュースがソーシャルメディア上で一気に拡散した。このニュースを真に受けた男性は、ライフルを持ってピザ店を襲撃し逮捕された。

 他にもソーシャルメディアにはフェイクニュースがあふれ、米国の大統領選を混乱させた。背後にはロシアの影もちらついている。

 このフェイクニュースの事例は個人にとってだけではなく、国家にとっても超国家企業が危うい存在であることを示している。

『ホモ・デウス』ではサイバースペースが民主的につくられていないという、根源的な問題点を指摘している。インターネットの設計は「主権や国境、プライバシー、セキュリティーのような従来の政治的な問題に関連しているにもかかわらず、民主的な政治プロセスを通して行われなかった。あなたはサイバースペースの形態について投票などしただろうか?」と。

 実際、英国の議会はフェイスブックがフェイクニュースへの対策を怠り、ロシアによる外国選挙への介入の隠蔽を試みたと指摘。「自社が法に勝るとか法を超越していると考えて、デジタルギャングのように振る舞うことは許されない」と強く批判している。

 何より国家にとって腹立たしいのは、超国家企業が国家運営の源泉である税を巧みに逃れようとすることだろう。多くの企業はより税率の低い国に利益を移し、負担を減らそうとしている。日本でもグーグルがシンガポールに利益を移したとして国税局から申告漏れを指摘されているし、アマゾンが売上高の規模に比べて少ない法人税しか支払っていないことは頻繁に話題になる。同様に欧州でも税回避は長年問題視されている。

中世に逆戻り
一部に富が集中し他は農奴になる?

 超国家企業の“横暴”に、国家の側も反撃に出ている。

 6月に大阪で開催されるG20でも超国家企業対策は大きなトピックになる(文末の「ニュースの全体像」参照)。

 個人情報の保護などの規則を定めたEUの「GDPR」は、超国家企業を縛るというのが、大きな目的だとされている。

 とはいっても、事はそう簡単には運ばない。忘れてはいけないのは、GAFAの怖さはこれ以上ない便利さや楽しさと表裏一体なことだ。

 あなたは「なんとなく不気味」というだけで、超国家企業のサービスを手放すことができるだろうか。そもそも、規制しようにも政治の意思決定は超国家企業のスピードに追い付いていない。

 ただし、このままいくと待っているのは中世のような世界観かもしれない。『the four GAFA』の最後の章のタイトルは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」だ。

 少数精鋭の超国家企業が次々と世界の中小企業をつぶしたりイノベーションの芽を摘んだりして、税も払わずに拡大していくのなら、富が一部のエリートに集中する可能性がある。それはあたかも多くの人が中世の農奴に戻るような搾取構造というわけだ。

 同書では、GAFAの従業員は合計41万人だが、4社の時価総額は人口6700万人のフランスのGDPに匹敵するとしている。さらには、iPhoneの発売により、米モトローラとフィンランドのノキアが大打撃を受け、両方で10万人の雇用が削減された。絶頂期にはフィンランドのGDPの30%を担い、国家の法人税のほぼ4分の1を支払っていたノキアの凋落によってフィンランド経済全体が落ち込んだとも紹介。

「この調子だとアメリカは300万人の領主と3億人の農奴の国となる」と締めくくる。

 少し話がそれるが、巨大ロボットが怪獣と戦う人気ハリウッド映画「パシフィック・リム」の製作会社を中国企業が16年に買収した。するとその続編では、舞台が中国となり不自然なほど中国人が活躍する内容になっていた。

 映画のようにスムーズにはいかないかもしれないが、仮にGAFAの支配の力学が変化する可能性があるとしたら、中国のIT企業という“巨大ロボ”がその座を奪うことだろう。しかし、それが世界の救世主になるとは限らない。少なくとも前述の映画の続編は、ファンからはかなり不評だった。

【今さら聞けない! ニュースの全体像】
GAFA vs 国家の規制の行く末


フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEO Photo:Bloomberg/gettyimages

 本文でも紹介したが、情報と税に関してGAFAは多くの国家をいら立たせている。ただし、むやみに規制すれば経済にも影響を及ぼす。そのため米国政府のGAFAを規制するモチベーションは低いかもしれない。

 しかし、米国以外の国家はGAFAに対して強い態度で臨んでいる。

 実際、EU(欧州連合)で施行されたGDPR(一般データ保護規則)はGAFAが個人情報を握ることへの対策だ。企業が個人情報の保護などのルールに違反した場合、2000万ユーロか世界売上高の4%のいずれか金額の大きい方という、とてつもない制裁金が科される。

 また、納税に関しては2019年1月末にOECD(経済協力開発機構)が、デジタル課税に関しての論点をまとめた。そこでは、企業が本社でなくとも恒久的な拠点などを設置した場合にその国で得た利益に課税するという原則や、国際的企業の利益の国家間での配分ルールの見直しが盛り込まれた。

 そして、OECDでの議論を受けるのが、6月に大阪で開催されるG20(20カ国・地域)首脳会議とみられている。ただし、すんなりまとまるとも思えず、エゴがぶつかり合う可能性が高い。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c234

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
30. 中川隆[-11825] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:29:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[154]

日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?


アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。

つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:

小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1

______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c30

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
59. 中川隆[-11824] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:34:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[155]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c59

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
294. 中川隆[-11823] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:35:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[156]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c294

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
27. 中川隆[-11822] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:35:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[157]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


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官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c27

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
180. 中川隆[-11821] koaQ7Jey 2019年2月26日 10:36:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[158]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?

アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


______


官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c180

[近代史3] ファーウェイは MI6? 中川隆
1. 中川隆[-11823] koaQ7Jey 2019年2月26日 11:28:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[156]

2019.02.25
ファーウェイ 尻尾を出したイギリス=中国 将来のイギリス主導のNWO
https://golden-tamatama.com/blog-entry-huawei-chaina-english-nwo.html


さて、以前から原田武夫さんも指摘してた通り。

イギリスが尻尾を出しますたね。
イギリスはファーウェイ包囲網から離脱するそうようですよ。
なんて分かりやすい動きでしょうか。

ファーウェイは女王陛下のスパイ。MI6が作ったのだから排除できませんよね。

イギリスとドイツはファーウェイ製品は排除せずに採用するようです。

ぉー。
これは鋭いことを書いている。
英中の裏にはあの李嘉誠がいるとか。

ちなみに今週27日〜28日は全世界が注目する重要イベント。
米朝首脳会談がありますね。

金正恩さんは中国を経由してベトナムのハノイに行くそうです。

もう金正恩さんはベトナムに向けて出発したとか。

ちなみに金正恩さんはなぜ中国はフリーパスなのでしょうか。
金正恩さんを保護してるのは中国だからですね。

で、ずーっと前から書いてる話。

その昔、あの中国の李鵬首相が言った言葉。
将来、日本なんて消えて無くなるよ。

これは都市伝説のように語られてますが、そうではなく。
ちゃんと実際に国会の議事録にも記録されてる発言です。


1993年、日本について、オーストラリア首相であったポール・キーティングが訪中した時に、「日本は取るに足るほどの国ではない。40年後には地上から消えていく国となろう。あるいは「30年もしたら日本は大体つぶれるだろう」といった内容の発言をしたとされている。


参議院議員笠原潤一は「・・この前、ちょうどAPECを控えて、我が自民党で御承知のようにAPECの問題でアメリカとオーストラリアに行ってもらったんです。そのときに、オーストラリアのキーティング首相がこう言ったんです。中国の李鵬さんと会ったらどう言ったかといいますと、日本とのいろんな話をしたら、いや日本という国は四十年後にはなくなってしまうかもわからぬと、そう言ったというんです。これはうそじゃありません、これはほかの先生みんな行って言っているんですから。それくらい軽視されているわけです、ある意味では。」

参議院 (1996年11月8日). “参議院会議録情報 第134回国会 国際問題に関する調査会 第2号” (日本語).

1993年から30年後に日本は潰れると言ってるので2023年に日本は潰れる。
2033年には消えてなくなる。

ちなみにあのジャック・アタリ氏も日本は消滅してる最中だと言ってます。

これは中国の背後にいるイギリスがそういう計画を立ててるからなのですた。

このブログでは散々書いてることですが。
世界支配者層は、新世界秩序(New World Order)計画に沿って動いてるのですね。
世界統一政府に向けて動いてる。

これはNWO計画マップです。


世界統一に向けて、まずヨーロッパをEUで統一する。
東南アジアの国々は東南アジア諸国連合を作る。

小さな国々をまとめて徐々にブロックを作っていく。

最終的には北アメリカと南アメリカが一つのブロックNAU。
ヨーロッパブロックEU、アジアブロックAU、アフリカブロックAFU。
4つのブロックにしたい。

中国の一帯一路計画などはこの一環なのですね。

なので将来的に日本は潰れ中国に飲み込まれる。
これはイギリスが主導するNWOの方向性なのです。

こっちのNWOは東アジアの中心地として韓国にする方向で動いているのです。

だから国連の事務総長などには韓国人を当ててたのですね。

その当時、なんで国連事務総長に韓国人がなるの?
唐突な人選に不思議に思った人もいるんじゃないでしょうか。

これは第8代国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)さん

在任期間2007年1月1日 〜2016年12月31日

いわば将来の練習だったのですね。

とにかくイギリス主導の新世界秩序=NWO。
それは日本をぶっ潰して中国に組み入れる。
将来的に東アジアをひとつの国にする計画なのですた。

だから中国の金融はアントファイナンシャルで統一され。

2012年のロンドンオリンピックのマスコットキャラと似てるのですた。
olympic-2012-mascots.jpg
11006mascotbreakdownric.jpg
まぁ、近々日本がぶっ潰れる。
そういうイベントが起きるでしょう。

日本に元気でいられるとアジアユニオンに統合できないからです。
日本は是がひでもぶっ潰す。

頃合い的にはとっても良い時期かと思ってます。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-huawei-chaina-english-nwo.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/196.html#c1

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
20. 中川隆[-11822] koaQ7Jey 2019年2月26日 12:22:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[158]
日本人は GHQ に自虐史観・反日思想を持つ様に洗脳されたのか?


アホ右翼の日本の庶民が直接「GHQ に洗脳された」という主張には無理があります。
GHQ はもっと巧妙なやり方っで日本人を洗脳したのです。


つまり、まず皇族とマスコミと日本の官僚を洗脳して、彼らを通して日本の庶民も間接的に洗脳したのです。

日本人は皇族のファンばかりだから、皇族が護憲で何時も平和、平和と唱えていれば日本の庶民も護憲になってしまうのです。

具体的には、GHQ はこういう手口で日本人を洗脳して羊より従順にしたのです:


小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

  下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

・・・・・ここまで

南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。

さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。

大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。

母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1


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官僚と皇族に自虐史観を植え付ければ、皇族大好きな日本の一般庶民も全員自虐史観を持つ様になるのですね。

アメリカの支配層は賢いです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c20

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