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2015年8月15日00時01分 〜
記事 [政治・選挙・NHK190] 最悪だった安倍首相の戦後70年談話 憲法黙殺。植民地支配・侵略したとも詫びるとも言わず、他人事。
最悪だった安倍首相の戦後70年談話 憲法黙殺。植民地支配・侵略したとも詫びるとも言わず、他人事。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/90d7175dbddae46b62efcc23fb4fe767
2015年08月14日 Everyone says I love you !



 私も固唾をのんで生で見ていたのですが、とにかくダラダラと長かった安倍首相の戦後70年談話。


 2015年8月14日午後6時から記者会見が始まったのですが、安倍首相がやたら左右を見まわして見えを切るのですが、いつ談話を発表するのかなと思っていたら、演説みたいな、雑談みたいなのが談話そのものだったみたいで驚きました。


 一番驚いたのは、戦後70年談話なのに、一回も日本国憲法の話が出なかったことです。


 憲法のけの字も言いません。


 憲法に関することと言ったら、


「アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。」


 それ、明治時代の大日本帝国憲法の話やん。


 戦後日本が作った憲法の話を、憲法が全く存在しないかのようにしない。いかに、安倍首相が憲法を敵視しているかがよくわかりました。


 日本国憲法の三大原理とされる「基本的人権の保障」、「国民主権」、そして今問題になっている「平和主義」はすべて戦前の日本に対する反省の上に立って樹立されたものです。


 そこに全く触れないのでは、いくら戦前の日本の行為を反省するふりをして見せても、反省する気なんてないのは明らかです。


 憲法という言葉を一回も使わないのですから、まさに、憲法蹂躙、人権無視の安倍首相の面目躍如でした。




右見たり左見たり、見えを切ったり手をかざしたり、演技が過剰!


 次に驚いたのが、戦前の日本の加害行為について、主語が日本じゃなくて、被害者の人々や国々だったことです。


 たとえば、


「戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。」


っていうのですが、斃したのは大日本帝国なんですよ。人々が勝手に斃れたのと違いますよ。


 日本の首相として、日本国の戦後70年談話を発表しているんですから、日本がどうしたのか、それを話してくださいよ。


 そういう目で見ると、日本の戦争で犠牲になった人に降れた次の部分なんて、徹底しています。


「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」


 命が勝手に失われたんじゃないですよ。日本と日本の起こした戦争が奪ったんです!


 ひとりでに犠牲になったんじゃないですよ。傷つけられた女性たちが自然発生したんじゃないですよ。


 日本と日本の起こした戦争が踏みにじったんです!


 なんで、なにもかもが他人事なんですか!


 日本がしたことなんだから、日本の首相なんだから、我がごととして語れ!



 そして、戦前の日本が植民地支配したとも、侵略したとも言いません。


 植民地という言葉は3か所出てくるんですが


「圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」


「しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。」


 これ、日本の話じゃなくて、ヨーロッパの下植民支配やん。日本の戦後70年とどういう関係があるの?他人の植民地支配にだけ触れて、自慢と言い訳。


 そして、もう一つ植民地という言葉を使ったのが


「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」


 いやいやいや、自分たち日本が朝鮮半島や台湾などを植民地支配したんでしょ!


 それを反省するどころか、結局、一言も触れないで、何が植民地支配から永遠に決別し、ですか。



 侵略という言葉についてはこうです。


「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」


 これだけです。


 日本が中国などを侵略したとは一言も言いません。


 反省とお詫びについても


「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。」


 いやだから、それらの国々が先の大戦で苦難を受けたのは、日本が侵略したり植民地にしたからなんだってば!


 なんで、歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、って天災に遭った国にお見舞いでもいうような口ぶりなの?



 しかも、安倍首相は、我が国が痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました、だとか


「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」


と言うだけで、安倍首相自身は痛切に反省するとも、お詫びするとも言わないのです。徹頭徹尾、他人事です。


 反省したりお詫びしたりする、こうした歴代内閣の立場が揺るぎないんだったら、自分も痛切に反省してお詫びしますって一言言えばいいじゃん!


 なんで、それが言えないの?


 僕たち一家は悪いことをしました、お父さん、お母さんも痛切な反省をしてお詫びしてきました、こうしたうちの一家の立場は今後も揺るぎないものです、って言ったら、子供も反省して謝ったことになりますか?


 ならないでしょう!



 日本が何か悪いことをしたと、日本が主語になっている部分は次の所だけ。


「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。」


 物凄く抽象的だと思いません?


 取り返しのつかないことをしたのは日本だという意識に欠けていて、歴史とは、なんて言っちゃってるし。


 そして、最悪なのは。


 徹頭徹尾、自分も謝ると言わない上に


「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」


と言い切ったことです。


 これには驚きました。


 あなたも戦後生まれだから謝罪しないということなの?


 戦争や侵略や植民地支配は国がしたことだから、今の我々国民が個人として関わっていなくても、国として相手国や国民に謝るのですよ。自分が戦争に行ったから謝るんじゃないですよ。


 子孫に謝り続ける宿命を背負わせたらいけないと思って、今日の節目のこの日も謝らなかったんですか。 


 あなたがここでちゃんと謝れば、私たちの子孫は謝らなくて済むようになっていくのに、中途半端なことをするからかえっていつまでも謝ることになるんでしょうが。



 ここまでひどい戦後談話。やっぱり、安倍首相に談話なんて出させたらいけなかった。


 この首相談話を生放送していた肝心のNHKが、安倍首相が歴代首相の談話を承継した、承継したとニュースを流しているんですが、承継されたはずの村山元首相が記者会見を開いて


「(村山談話を)否定もしていないし、踏襲もしていない。出す必要はなかった」


「焦点がぼけて、さっぱり何を言いたかったのか分からない」


「何をおわびしたのか不明確だ」


「『植民地支配』『侵略』『おわび』という言葉は入っているが、日本がやってきたことに対して不明確だ」


「『植民地支配』とか『侵略』という村山談話のキーワードを薄めたい、という気持ちだったのだろう」


「村山談話とはだいぶ中身が違うな、という印象は与えると思う」


とこき下ろしているのは当然です。



 また、フランスのル・モンド紙が


「安倍総理大臣個人として、過去の侵略や植民地支配に対する謝罪を一切行っていない」

「安倍総理大臣は『痛切な反省』ということばを使って、歴代内閣の立場は今後も揺るがないと表明した一方で、戦争を経験していない子どもや孫という今を生きる世代は責任を負わなくてもよいと語った」

と切って捨てているのが本質をついています。

 いやあ、ひどかった。ほんとにひどい総理大臣を選んでしまった。



村山談話


「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。


 私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」


なんでこれだけのことが言えないのか、抵抗するのか、全く理解できません。


はあ、しかし、戦後最悪の首相談話だけど、安倍首相だったらありえた想定された中ではマシなほうだから、救われるような救われないような。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/648.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」―戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」SEALDs長棟さん
「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」――戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」〜SEALDs長棟はなみさん、終戦の日前夜、国会前スピーチ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258004
2015.08.15 IWJ Independent Web Journal


 「先の戦争は間違っていました。私は日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないという意思と責任を、たくさんの命から受け継いだのです」


 恵泉女学園大学3年生、SEALDsの長棟はなみさん(21)は広島県の隣県、山口県で育った。広島原爆の日(8月6日)には毎年、遠くから流れてくるサイレンを聞き、母と一緒に手を合わせたという。


 『火垂るの墓』を観て泣いた。『はだしのゲン』は夢に出るほど読んだ。学校では憲法を覚えさせられ、授業では戦争の悲惨さを学んだ。戦争経験者からも直接話を聞いた。


 空襲から逃げ惑った人。日本兵として人を刀で斬った人。自分の母親と弟の首を、自分の手で締めて殺した人。ピカドンを見て片目を失くした人。慰安婦にされた人――。


 彼らは言った。「二度と繰り返さない。そのために私は語るのだ」。


 はなみさんは「戦争は想像するしかありません。しかし、知っている。あの戦争の痛みを、悲しみを、苦しみを、多くの戦争を体験した世代から受け継いだのです」と述べ、「私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました」と胸を張る。


 「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」


 以下、はなみさんのスピーチ動画とスピーチ全文を掲載する。
(原佑介)


【スピーチ全文掲載】「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」――戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」〜SEALDs長棟はなみさん、終戦の日前夜、国会前スピーチ


■恵泉女学園大学3年生・長棟はなみさんスピーチ全文



 「こんばんは。恵泉女学園大学3年の長棟はなみといいます。よろしくお願いします。


 夏がくるたび、この国は戦争の臭いがして、光り輝く夏は、少し陰りを帯びるような気がしていました。


 私が小さい頃、広島に近い山口県に住んでいたので、なおさらだったのかもしれません。


 8月6日、毎年同じ日、同じ時間に乗る、遠くから聞こえるサイレンをお母さんと一緒に手を合わせて聞きました。そして、『ああ、今年も夏が来たなぁ』と毎年感じていました。


 『火垂るの墓』を姉弟で泣きながら観たり、『はだしのゲン』を夢に出るほど読んだり、学校では、毎年戦争の授業があって、戦争の話を聞きました。何もわからず、ただ恐ろしく、しかし耳を背けることのできないその話を、クラスメイトと静かに聞きました。


 嫌がりながら日本国憲法を覚えたり、9条のプリントだけなぜか配られたり。戦争は理不尽なもの、あってはならないもの。だから今、私は戦争の中にいないんだと、幼い頃から学んできたように感じます。


 高校生になってから、これまで間接的に聞いていた話から、実際に戦争を経験された方々からお話を聞く機会ができました。


 空襲から逃げ惑った人。日本兵として人を刀で斬った人。守るために自分の母親と弟の首を、自分の手で締めて殺した人。雨のように降り注ぐ砲弾の中を逃げた人。ピカドンを見て片目を失くした人。慰安婦にされた人――。


 壮絶な話でした。言葉が出なかったのを覚えています。想像もできない事実でした。彼らは言いました。


 『二度と繰り返さない。そのために私は語るのだ』と。


 今回、この“戦争法案”が話題になったとき、多くの政治に関心のない、戦争を知らない若い世代が『戦争は嫌だ』と言いました。なぜかと考えると、戦争を間接的に学び、戦争を知っているつもりだからです。私を含めた彼らは、戦争というものを想像するしかありません。


 しかし、知っているのです。


 あの戦争の痛みを、悲しみを、苦しみを、多くの戦争を体験した世代から受け継いだのです。


 この国は法律が現状に合っていないなど、問題はたくさんあります。しかし、日本国憲法、特に憲法9条と、それによる平和を誇り、しっかりと教育してきたと私は思っています。


 私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました。


 私はそんな国と学校を誇りに思っているし、これからもそうありたい。70年間、戦争をしなかった。他の国の人に対し、直接銃口を向けなかった。ひとりも殺さなかったという事実が、この国を守っている。そのことを誇りに思うべきです。


 しかし今、どこかの国に攻められる、という可能性を、目をそらさずに考えなければいけないのかもしれない。愛するものを守るために、どこかの国を攻めるという可能性を、目をそらさずに考えなければならないのかもしれない。


 しかしまず、他国から日本が直接攻撃されていないにも関わらず、武力行使ができるというのは違うんじゃないでしょうか。なぜ他国の戦争に日本が参加するのでしょうか。何より、70年前の戦争で、多くの命が失われたことを忘れてはなりません。


 抑止力は機能しないでしょう。憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を呼び、取り返しのつかない大きな事態になることを、忘れてはならないのです。


 どうか、誰かは言う、『綺麗事』『理想』をここで叫ばせてほしい。


 戦争はしたくない。


 人を殺したくない。


 殺されたくない。


 武力ではなく、対話を。


 この叫びが綺麗事であってたまるか。明日は終戦から70年目の日です。終戦の前に亡くなったたくさんの命。終戦を迎えたにも関わらず、失われたたくさんの命。戦争を生き抜いて、私たちに命を受け継いでくれた命。そして私たちの命があります。


 先の戦争は間違っていました。私は日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないという意思と責任を、たくさんの命から受け継いだのです。


 二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ。


 嘘っぱちの言葉なんていりません。どうか国民ひとりひとりの命を心から考えてください。いや、一緒に考えてください。


 私は私の言葉を語ります。言葉が足らずとも、若くとも。


 私は、現政権と安全保障関連法案に、断固反対します」



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/649.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 従軍作家・火野葦平が軍に批判的な証言



従軍作家・火野葦平が軍に批判的な証言



日中戦争に従軍した体験を基にした小説「麦と兵隊」などで知られる作家の火野葦平が、終戦から3か月後にアメリカの調査団から聞き取りを受け、軍に批判的な証言をしていたことが分かりました。
専門家は、軍の立場に近かったとされる火野の当時の心情をうかがう貴重な資料だとしています。
日本への空襲の影響などを調べるアメリカの調査団は、戦後まもなく全国各地の市民など4000人以上を対象に聞き取り調査を行い、当時の記録の写しが東京の国立国会図書館に残されています。
火野葦平に対する調査の記録は、山口県下関市の高校教諭が6年前に見つけ、昭和20年11月に福岡市で行われた聞き取りの結果が、日本語で6枚、英訳で5枚にまとめられています。
この中で火野は、太平洋戦争中の昭和19年以降、当時の日本軍の兵士が日本の本土で民間人の財産を強奪したり女性に乱暴したりするなど規律が乱れていたと証言しています。
そのうえで、「軍人の腐敗を見て戦争には勝てないと思った。もし勝つにしてもこのままでは勝ってもらいたくなかった」と軍を批判することばを述べています。
火野は、日中戦争に従軍した体験を基にした小説「麦と兵隊」など「兵隊三部作」と呼ばれる作品を発表し、太平洋戦争でも旧陸軍の報道部の一員として海外での作戦に従軍しました。
記録は、当時、軍の立場に近かったとされる火野が軍に批判的な考えをもっていたことをうかがわせる資料として注目されています。
火野の文学と戦争との関わりを研究している関西大学の増田周子教授は、「戦後すぐの火野の気持ちを赤裸々につづった非常に貴重な資料だ」と話しています。

<参照>




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/650.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相の戦後70年談話は本当に「お詫び」があったのか? 山谷えり子と語っていた談話への本音(リテラ)
                 衆議院議員 安倍晋三 公式サイトより


安倍首相の戦後70年談話は本当に「お詫び」があったのか? 山谷えり子と語っていた談話への本音
http://lite-ra.com/2015/08/post-1390.html
2015.08.14. リテラ


 ついに注目されていた安倍首相による戦後70年談話が発表された。当初は強気だった安倍首相も、安保法制に対する世間の“反安倍”の風向きには耐えられず、村山談話を引き継ぐように「植民地支配」「侵略」「お詫び」「反省」という文言を入れた。

 だが、だらだらと長い談話ゆえに誤魔化されそうになるが、それらの重要キーワードは、ただ散りばめられただけにすぎない。

 たとえば、「侵略」について。安倍談話は「事変、侵略、戦争」とひとまとめにし、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」と言った。これでは、これまでの談話を紹介しただけで、安倍首相自身は「お詫び」の言葉を口にしていない。「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と表明した村山談話と比較するまでもなく、結局、何も謝っていないのだ。

 現に、談話発表後の質疑応答では、東京新聞の記者が2009年に月刊誌で行われた対談で安倍首相が語った「村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになった、まさに踏み絵だ」「村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない」という発言を突きつけ、「その発言と今回の談話の整合性を説明してください」と質問した。これに対して安倍首相は「村山談話は全体として引き継ぐとこれまでも繰り返し申し上げてきた通り」と、答えになっていない答えを返した。

 この記者が引用した安倍首相の発言とは、「正論」(産業経済新聞社)09年2月号の山谷えり子との対談だ。じつはこのとき、安倍首相はこうも語っている。

「侵略という言葉にしても、いつの間にか政府見解として定着してしまいましたが、実は村山談話以前、政府は侵略という言葉を使っていないんですね」
「村山談話があまりにも一方的なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いもありました」

「侵略」という言葉を使うのは偏っている、つまり「侵略」行為を安倍首相は認めていないのだ。そのため、安倍首相は「村山談話に換わる安倍談話を出そうとしたのだが…」と言うが、98年に中国の江沢民国家主席が来日した際に発表された日中共同宣言に“日本は村山談話を遵守する”という文言が組み込まれており、「一方的に反故にすることは国際信義上出来なかった」(安倍氏)。そして、山谷氏に対して、そのときの悔しさをこう吐露している。

「結局、私は内閣総理大臣として、村山談話の継承を表明しなくてはなりませんでした。(中略)戦後レジームからの脱却がいかに困難であるか、改めて実感しましたね」

「表明しなくてはなりませんでした」という言葉の遣い方からも滲んでいるように、安倍首相にとっては村山談話を引き継ぐのは屈辱以外の何物でもなく、前述したように安保法制強行採決で決定的となった“独断政治”のイメージを少しでも和らげようと、今回も仕方なく、建前上は談話の引き継ぎというかたちを取ったのだ。

 では、安倍首相の“本音の70年談話”とはどんなものなのか。その片鱗は、じつは今回の談話にも表れている。

 たとえば、戦争に突き進んだ原因について。村山談話では「国策を誤り」と表現したが、今回の安倍談話は「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去」などと言い訳がましく説明している。挙げ句、安倍首相は「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と言い出した。

 当時、日本に吹き荒れていた「脱亜入欧」の熱狂を無視しただけでなく、「勇気づけた」などと正当化し、日露戦争後に朝鮮半島や満州への侵略を進めていった事実にはふれない……。事実、談話発表後の質疑応答では、「侵略と評価される行為もあった」「日本の過去の行いが侵略に当てはまるかは歴史家に委ねる」と曖昧な言い回しを使っているように、やはり安倍首相本人としては侵略を認める気はないらしい。

 そのことを裏付けるように、2006年10月6日の衆院予算委では、侵略戦争について“国際的な定義は確立されていなかった”と、否定するような発言を行っている。

「当時も、私は、さきの大戦において多くのつめ跡をアジアの地域に残した、このように考えていたわけでございます。そして、日本人を塗炭の苦しみの中に落とした、こういう認識を持っていたわけでございます。しかし、その中で、いわゆる侵略戦争ということについては、これは国際的な定義として確立されていないという疑問を持っていたような気がするわけでございます」

 安倍首相の歴史観は、従軍慰安婦をめぐる問題でも如実に見てとれる。今回の談話では従軍慰安婦という言い回しをせず、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」と具体的な謝罪を避けている。

 それもそのはずで、安倍首相は第一次内閣で河野談話を否定し、従軍慰安婦の強制の証拠はないという閣議決定を行っている。これにアメリカが反発し、日本政府に慰安婦への謝罪を求めたアメリカ議会の決議案が出されたが、安倍首相は決議案を07年3月6日の参院予算委で「事実の誤認等を含むものもある」と批判。加えて、「非生産的な議論についてはそれを今拡散させることについてはいかがなものかと、このように考えているところでございます」とさえ言っている。

 慰安婦問題は「非生産的な議論」である。──さすがは安倍首相、アメリカのワシントン・ポストに掲載された“慰安婦に強制の事実はない”と訴える意見広告「THE FACTS」に、賛同人として名を連ねただけのことはある。無論、この広告はアメリカの反発に油を注いだだけで、トム・ラントス外交委員長に「慰安婦制度の中で生き残った人々を中傷するものだ」と猛批判されている。

 しかも、安倍首相は、官邸記者クラブのキャップとのオフレコの懇親会の場で「慰安婦問題は3億円あれば解決できる」と豪語したという(講談社「週刊現代」7月4日号)。一貫して安倍首相は慰安婦の強制性を認めず、その態度に韓国をはじめとする国々の被害女性たちは胸を痛めているが、安倍首相はそうした痛みには目も向けず、“どうせ金目的なんだろ?”と片づけているのだ。今回、慰安婦と明言せず、抽象的に「女性」と表現したのは、安倍首相自身の“信念”を曲げたくはないがゆえの選択だったのだろう。

 植民地化は当時の世界の流れだったと言い、侵略戦争とは認めず、謝罪も反省も主語を曖昧にする。──この談話のどこが、村山談話を継承したといえるのか。

 そして、もっともひっかかった一文は、これだ。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 この一文は、子どもを主語にしながら“戦争に関わりのないオレがなぜ謝らなくてはいけない?”という安倍首相の本心を代弁しているかのようだ。一読してみただけでもわかるように、談話は巧妙に責任を逃れ、主体も有耶無耶である。

 安倍首相がふんわりと反省モードを見せても、それはたんなる二枚舌。今回、談話を通じてしおらしさを演出してみたのかもしれないが、安倍首相の目的は安保法制による“戦争できる国づくり”に邁進することだという本質を、見誤ってはいけない。

(水井多賀子)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/651.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 村山談話は中国と韓国に正面から向き合った談話だったが、安倍談話は日本会議など日本国内のナショナリストを意識した談話















http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/652.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年を迎えて(談話)  生活の党と山本太郎となかまたち 代表 小沢一郎
戦後70年を迎えて(談話)
http://www.seikatsu1.jp/activity/declaration/20150815.html
2015年8月15日 生活の党と山本太郎となかまたち


生活の党と山本太郎となかまたち
代表 小沢一郎

戦後70年という節目を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

戦後70年を迎えた今も、日本は政治、経済、社会のあらゆる面において、まだ戦後を脱し切れていません。これは「戦後」の前提となる「戦前」、特に昭和史についての検証と認識が全くなされないまま今日に至っているからだと思います。

私たちは戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだと思います。その上で、将来に向けてアジアの国々がお互いに力を合わせてやっていこうと呼びかけていくべきです。歴史ときちんと正面から向き合おうとしないから、世界各国、特に隣国の中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返されることになるのです。

私は愛国者の一人だと自認していますが、軍事裁判という形を取って懲罰を科す手法がよいかどうかは別として、日本の戦争指導者たちがアジアの隣人に大変な苦痛と被害を与え、また自国民の多くの命と多大な財産を失わせたのは紛れもない事実です。連合国側に裁かれるまでもなく、あんなばかげた戦争を指導した当時の政治家や軍人たちは、自ら責任を取るのが当たり前です。

指導者たる者は、指揮を誤った時には自ら潔く責任を取らなければいけません。日本は8月15日を終戦記念日と言い続けてきましたが、事実は敗戦記念日です。誰も責任を取らないまやかしのナショナリズムではなく、70年前の「敗戦」をしっかりと受け止めて戦後をスタートさせ、新しい国づくりをしていかないと、日本はまた同じ過ちを繰り返すことになります。

日本は戦後、アメリカ占領軍の下で形の上での民主主義が導入されました。そして、アメリカから与えられるままに、全てを惰性で曖昧なままにして70年間を過ごしてきました。

国民一人ひとりが第二次世界大戦を自分の問題として捉えず、自らの意思で戦前の日本に向き合い、検証し、考え、そして民主主義とは何かという結論を導き出す作業を怠ってきたのです。その結果、戦後70年を迎えても、日本は依然として民主主義を本当に理解している国になれないでいます。

昭和の初めには大飢饉があり、農村では身売りしなくては家族が生活できないという現象が日本のあちこちで見られました。また、貧しい農村の人たちは徴兵制で兵役に就きました。

そうした世の中で、「財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし♪」と『昭和維新の歌』で唄われたように、「日本の世の中はおかしい。誰も国のことを考えていない」と青年将校が決起して5.15事件や2.26事件という軍事的クーデターが起きたのです。

更に日本の経済的困窮に拍車をかけたのが、1929年のウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌でした。結局、これに日本は対処できず、軍事的な拡大で戦争景気をあおるしか方法がなく、最終的により大きな悲劇へと突入していきました。

私は5.15事件や2.26事件を政治的に肯定するつもりは全くありませんが、今の社会構造は当時と非常に似てきていると思います。現在はまだ非正規社員でも何とか食べていけますが、ひとたび世界規模の経済恐慌に襲われたら、国民は相当混乱に陥るはずです。

そういう時でも、日本人が自立していて、日本に本当の民主主義がきちんと根付いていれば、皆で知恵を出して合って、何とか困難な状況を解決していく方策を思いつくでしょう。しかし、民主主義の土壌がなければ、5.15事件や2.26事件の時のように、「今の政党政治はだめだ」「民主主義は無力だ」ということで、国民が極端な行動に走ることもあるかもしれません。私は戦後70年の節目の今年こそ、国民一人ひとりが本当に民主主義を身につけるべき年ではないかと思っています。

そして、日本に議会制民主主義を定着させ、国民が一人ひとり自分の頭で考え、投票し、自分たちの政権をつくる。自分たちが選んだ政権がおかしいとなれば、もう一方の政権を選び直す。そういう仕組みを確立する中で、政党も国民もお互いに力を合わせていけば、今後どんなことが起きようとも、日本はそれを乗り越えていくことができると思います。

私は特に最近、一日も早くそういう日本にしなければ危ないと強い危機感を抱いています。戦後70年を機に日本に本当の民主主義を根付かせ、アジアの範となるような国になることに、国民の皆さまと一緒に全力で取り組んで参りたいと思います。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/653.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 戦争ババア 桜井よしこをやっつけろ!!!!
櫻井よしこが「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」を設立した。安倍御用メディアNHKが大々的に伝えているぞ。まさに体制翼賛文化人団体の再来だ。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150813/k10010188811000.html

しかし、平和安全って?? このババアはきしょい極右おやじどもとチーム桜井とか結成して、そこまで言って委員会等で危険思想を撒き散らしている。

だが、このばばあは戦争を何も知らないハワイで大学を出たお譲ちゃんで、オーストラリア人の男と離婚したりと、超日本極右主義者である背景にはかなり歪んだ人種的コンプレックスがありそうだ。桜井は平和を訴え続ける吉永小百合となんて違う黒いババアだろうか。

こういうのは、金美麗とか石平とか帰化した外人とかにも見られるけど、連中は過剰適応の外国人だ。だが、桜井は中途半端に海外体験をして強固な民族国家主義者になった例だ。曽野綾子もそうだが、中途半端に西洋個人主義をかじった人間がファシストになるという典型だ。

桜井が危険なのは、このような狭い個人的偏見で国家の行方を左右しうる今や保守右翼論壇の中心人物になったという事実だ。

不細工できもいおじさんの右翼文化人に比べてかつて、今日のニュースで美人キャスターを務めた桜井はその見た目や礼儀正しさ、バイリンガルの国際人という点で国民の彼女に対するイメージはかなりいい。曽野綾子もそのむかし、保守論壇のマドンナとかいわれていたが、きれいなバラにはとげがあるを地でいったような冷血女たちだ。

それだけ、マスコミで活動していては危険だというわけだ。普通のおじさんおばさんだとあの外見やイメージから、危険な極右思想の電波等だなんて、露にも思わないだろう。

しかし、言っていることは

憲法改悪
ただし、安倍の解釈改憲はあり。矛盾している。
修身復活。
明治憲法復活。
日本軍復活。
人権条項削除。
個人主義反対。
中韓攻撃
言論封殺

ようするに全体主義、ファシズムの全てを綱領化したばばあだ。

こんな危険な女をマスコミがちやほやしてるのは、大通りで、刃物を振り回す錯乱ババアを実況中継で盛り上げているようなもんだ。


長くなったが、これでみなさんもこのばばあが他の右翼文化人の100人分の影響力と危険性を持っていることがわかるだろう。

このばばあの焚きつけで、若い人たちが戦争で死ぬような状況が現実化しつつあるのだ。

そのときもこのばばあは頬かむりをするどころか、どうどうと個人の命など国家にとっては鴻毛のようなものだと言い放つだろう。

よって、ここに曽野綾子に次いで、真性ファシストの認定を桜井にいたします。

最後にこのファシストばばあとは間逆の小男の自由の演説を聞いてもらおう。その名は独裁者を演じたチャールズ・チャップリンだ。

https://www.youtube.com/watch?v=0bOLrMGKkfk

Fight for liberty.fight for yoshiko sakurai!!
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/654.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 国会周辺の抗議活動に対する警察の過剰警備に抗議する申入書 | 官邸前見守り弁護団
官邸前見守り弁護団
毎週末首相官邸前で繰り広げられる抗議行動に興味と関心を共有した弁護士有志による,「官邸前見守り弁護団」です。
主催者とは(連絡を取っていますが)別個です。とにかく弁護士がその場に沢山いること,共通腕章でそれが視認されること,相互に情報交換し緩やかに連携することで,トラブルの未然防止,過剰警備への牽制,万が一の際の逮捕者支援、証拠保全などを心がけています。8月2日,過剰警備に対する声明を公表しました。


国会周辺の抗議活動に対する警察の過剰警備に抗議する申入書
2015.08.14 Friday|15:58

警視庁警視総監 殿

国会周辺の抗議活動に対する警察の過剰警備に抗議する申入書

はじめに
 私たちは、本年7月24日に国会周辺でデモを主催した「安倍政権NO!☆実行委員会」と、国会周辺の抗議デモを継続的に見守っている有志の弁護士で構成される「官邸前見守り弁護団」である。前者は、2012年から継続的に官邸前で抗議を行っている「首都圏反原発連合」や安保法制に反対する学生で構成される「SEALDs-自由と民主主義のための学生緊急行動」等が含まれている。
現政権が所謂「安全保障関連法案」を国会に提出したことを契機に、現在、国会周辺及び首相官邸前周辺(以下、「国会周辺」という)においては、同法案に反対する市民の抗議活動(以下、「本件抗議活動」という。)が多数に参加者を得て活発に行われている。これに対し、警察は警備体制を強化しているが、その警備は過剰であり、憲法が保障する表現の自由を不当に制約しかねないものとなっていることから、次のとおり申し入れる。

申入の趣旨
1 国会、官邸周辺の警備については、抗議活動等に参加する市民の表現の自由の不当な制約に当たらぬよう必要最小限度の規制に限定されたい。
2 必要な規制を行う場合には、集会の主催者に事前に警備計画を示して了解を得るものとし、当該計画は現場の全ての警察官に周知徹底されたい。
3 抗議参加者に対するビデオ・写真による撮影は、絶対に行わぬよう、徹底されたい。


申入の理由
1 国会周辺の警備が過剰であり、憲法の保障する表現の自由を不当に制約する者であること
(1) 本件抗議活動は、安保関連法案に反対抗議する活動であり、とりわけ同法案が衆議院を通過した7月15日頃からは参加者の人数も数万人に及ぶ等、大規模な国民運動となっている。
  憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。民主主義と国民の権利は、「国民の不断の努力によつて保持しなければならない」(同12条)のであり、表現の自由はその最後の手段である。表現の自由は民主主義の生命線であって、専制政治に対する最後の防波堤であるから、国政上最大限の尊重を必要とする。とりわけ、本件で問題となる安保法制は全ての国民の生命に関わる問題であるから、国民がデモや集会により自らの意見を表明する権利を有するのは当然であり、本件抗議活動も憲法上「表現の自由」として保障され最大限度尊重されなければならない。
また、警察活動については、基本的人権の擁護のために、比例原則の適用が憲法13条から導かれる憲法上の原則として認められる。比例原則は、権利・自由を制限する権力活動において、その権力活動が濫用にわたることを防止し、その限界を設定するために認められた原則であり、立憲主義の重要な要素をなす。この比例原則の適用にあたっては、当該権利・自由の制限について、@目的が正当なものであるか、A目的達成のために規制手段が必要なものであるか、B規制によって得られる利益とこれによって侵害される権利・利益が均衡しているかが常に吟味されなければならない。
本件で警察による警備活動の根拠法としては警察法第2条がある。同条1項は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」と定める。他方、同条2項は、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない。」と定めているから、参加者や歩行者の安全のために本件抗議活動に対して規制を行うことが許されるとしても、その規制は国民の生命身体の保護のために必要最小限度のものでなければならず、これを越える規制は憲法21条1項、同13条(比例原則)、及び警察法2条2項に違反して、違憲・違法である。
  なお、国会周辺における抗議活動は、2012年4月頃から、「脱原発」「秘密保護法」等のテーマで様々な団体が2012年頃から引き続き行ってきた。それらの抗議活動は所轄の警察署に相談しながら整然と行われており、これまで一定の秩序が保たれてきた。今回の規制の適否を判断するにあたっても、これまで3年間に保たれてきた既存の状態を一種の慣習法として尊重すべきである。
(2) この観点からみた場合、本件抗議活動に対する警備とその規制は、以下にみるとおり明らかに過剰であり、2012年以来行われてきた規制をも著しく上回るものであるから、必要最小限度の規制とはいえない。
@ すなわち、警察は、抗議エリアとなった国会正門前交差点周辺の歩道と車道の間に「鉄柵」をもうけ、歩道上で抗議する参加者を「檻」の中に囲った。「鉄柵」には警察官が何重にも並んで参加者を威圧した。仮に「鉄柵」は参加者が車道に出ないようにする趣旨だとしても、鉄柵の使用は参加者を「檻」に閉じ込め、威嚇するものであり、参加者の表現行為を著しく制限・制圧するものである。
  鉄柵については、2012年8月にも有志弁護士によって抗議の対象になっている。本件においても、その必要性が疑わしい。
A また、歩道の内側にはカラーコーンにより「通路」が設けられた。7月15日の段階で警察官は歩道と車道の間に設けられた鉄柵の外にいたが、16日には「通路の確保のため」と称して鉄柵の内側に並び、参加者を威嚇した。2012年以来行われてきた抗議においても、歩道内に警察官が並ぶということはなかった。これは明らかな過剰な警備である。
  7月17日と24日には、参加者の列を輪切りにするように鉄柵をもうけられた。これは参加者をそれ以上国会に近づけないための措置と思われるが、抗議スペースを狭くして参加者を圧迫する過剰警備であり、その後主催者側の抗議で撤廃されたことからも明らかであるとおり、何の必要性、合理性もないものである。
  さらに、7月24日には、「通路確保のため」と称して鉄柵の内側に、さらに鉄柵で囲まれた「スペース」を作った。これは、抗議スペースを狭くし、参加者を圧迫するものであり、何の合理性もない明らかな過剰警備であった。
B 国会正門前交差点の横断歩道は、毎回抗議が始まると同時に鉄柵で閉鎖された。このため、国会正門前交差点南庭側には横断歩道の周辺に鉄柵でスペースを作り、横断歩道には近寄ることもできなくなった。財務省上交差点から国会正門前交差点北庭に向かうルートが閉ざされ、財務省坂上から国会にむかう人は「国会前交差点」方向に迂回することを余儀なくされた。また、国会正門前北庭から南庭への横断も規制され、北庭の歩道に人が溢れて危険な状態になった。
  2012年来行われてきた抗議等の活動においても、国会正門前交差点の横断歩道はしばしば閉鎖された。しかし、それは歩道に人が溢れ危険が増した場合に限定されており、人が少なくなれば直ちに解除された。抗議中一律に歩道を閉鎖することには合理性がなく、過剰な規制である。
C さらに、7月24日には、国会前交差点南庭側から北庭側に渡る横断歩道が20分間ほど閉鎖され、財務省上交差点から来た人々が困惑するという場面があった。人々はいらだちを警察官にぶつけたため、一触即発となって小競り合いが生じた。その結果、同日にはこの付近で逮捕者も出ている。
主催者側の抗議でこの閉鎖が解消されると、警察官らは、今度は有楽町線桜田門駅から国会北庭側に向かうルートを閉鎖し、駅から国会に向かう人々に対して憲政会館方向への迂回を命じた。これに対し、主催者側が国会正門方向への誘導を試みたため大混乱が生じた。ここでは、警察が空きスペースがあるにもかかわらず反対方向に誘導するため、多くの参加者は「ニセの誘導をされた」「嘘をつかれた」と認識しており、それゆえに混乱が深刻なものになったのである。
  国会前交差点が閉鎖されるという事態は2012年以来一度もなかった。この際、横断歩道北庭側には十分なスペースがあり、歩道を閉鎖する必要性は乏しかった。このことは主催者側の抗議によって撤廃されたことからしても明らかで、異常かつ非常識な過剰規制であった。
  また、国会正門方向にも十分な空きスペースがあったことから、有楽町線桜田門駅から国会に向かうルートを閉鎖したり、憲政会館方向への迂回を命じる必要もなかった。警察が、そのような規制をし、主催者側が国会正門方向への誘導を試みたためかえって大混乱が生じ、危険が広がったのである。このようなことがないように、実際にスペースがない場合をのぞいて参加者に無駄な遠回りを強いることのないようにするべきである。
(3) そもそも、現場の状況からは、歩道の中の鉄柵などは通路を異常に狭くしており、歩行する参加者が鉄柵に当たり怪我をする可能性も多いにあるし、不必要な、あるいは誤った誘導により、多数の集会参加者が混乱かつ苛立ち、人の流れを妨げ、狭い場所に大勢の参加者が押し込められるなどしており、むしろ警備により危険な状態が作出されているのである。このような警備は、参加者の身体の安全に資していないのであるから、警察法2条の個人の身体の保護目的からも逸脱している。このように、警察法の趣旨に反する行き過ぎた規制は、参加者らからは、集会たる表現行為を抑圧しようという意図に基づくものではないかとの疑念すら上がっており、警察の中立性を毀損する結果を招いている。
(4) なお、警察は過剰な警備を行う一方で、要保護者に対する必要な保護には欠くところがあった。
  24日、国会前南庭側に4名の視覚障害者が永田町方面に帰るためスタッフが警察に誘導を依頼する場面があった。この場合、視覚障害者については規制を解くべきであったが、そのような対応はなされなかった。
(5) なお、日本弁護士連合会は、本年3月11日、警察がデモ行進を分断させる措置をとり,更には,デモ行進について,その周囲を取り巻く等のいわゆるサンドイッチ規制が行われた事例で人権救済が申し立てられた事案(日弁連総第117号)について「このような状態の中で,デモ行進が分断され,また参加者と沿道の公衆の分断が図られ,沿道の公衆にはデモ行進の主張が十分に伝わらず,また,そのものものしい警備によって,沿道の公衆には本件デモに対する畏怖心や警戒心すら抱かせるおそれがあった。更には,デモ参加者が集団から離脱することさえも困難な状況となったと判断できる。」「前記認定のような規制行動をとることは,デモ参加者以外の者の通行の安全の確保等という警備の目的との関係において,著しく均衡を欠いていると判断でき,本件警備は過剰であった。したがって,本件警備は過剰であり,憲法上の立憲主義の要請としての比例原則に著しく反し,申立人らの表現の自由を侵害したと判断せざるをえない」と判断していることも参照されるべきである。
(6) 以上のとおり、本件抗議活動に対する規制は、2012年以来行われてきた規制と比較しても著しく過剰であり、一部の規制は抗議によって撤廃されたことからからも明らかであるとおり、必要最小限度とはいえないものである。そればかりか、過剰な規制によって多数の集会参加者が混乱し、かえって人の流れを妨げ、危険な状態が作出されるに至ってすらいる。そうすると、本件抗議活動に対する規制は、憲法21条1項、警察法2条2項に違反して、違憲・違法であった。
  そこで、申入の趣旨第1のとおり、国会、官邸周辺の警備については、抗議活動等に参加する市民の表現の自由の不当な制約に当たらぬよう必要最小限度の規制に限定するよう、申し入れるものである。

2 必要な規制については事前に主催者側に提示して了承を得るとともに、警察官らに周知徹底させる必要があること
(1) 本件抗議は数万人規模の人々が参加しており、時間帯も夜に及ぶことから、雑踏による混乱、多くの人々が集中することによる群集事故・雑踏事故を防ぐ必要性があることは否定しない。しかし、本件の問題は、そのような雑踏警備であっても、その規制内容が主催者側の同意なく一方的に行われるため、参加者の反発を招き、かえって混乱を引き起こしていることである。
(2) 例えば、7月24日に国会前交差点南庭側が封鎖された際、現場には30名ほどの参加者とほぼ同数の警察官が相対していたが、財務省坂交差点から誘導されてきた参加者らは警察の対応に苛立っており、先に進もうとする参加者を力ずくで止めようとする警察官との間で、双方体を押し合う小競り合いが発生していた。参加者が苛立つ原因は、横断歩道反対側には十分なスペースがあり、規制は不要でないかと思われることや、警察の規制が事前に知らされておらず、かつ警察官が威圧的な態度で一方的に規制を命じることに反発したためである。警察官の中には、指揮棒と称する白い警棒用のものを(犬を追い回すように)振り回して参加者を挑発する者もおり、その態度は混乱に拍車をかけていた。
  また、この直後、警察官が、有楽町線桜田門駅から国会正門方向に向かう人々に対して憲政会館方向への迂回を命じると、主催者側が、逆に、国会正門方面への誘導を試みたため混乱に拍車がかかった。
  このような混乱を避けるためには、前記のとおり参加者に無駄な遠回りを強いることのないようにするべきことに加え、警察が事前に規制内容を主催者側に通知し同意を得ておくこと、参加者の誘導はできるだけ雑踏警備を行う警察ではなく、抗議活動を運営している主催者側に委ねることである。実際、17日には主催者側が国会正門前歩道の通路確保を行い、参加者の協力を円滑に得ることができた例がある。
(3) さらに、規制については警備に参加する警察官らに周知徹底させ、現場判断で勝手な規制を設けないことも重要である。
  既に述べたとおり、7月17日と24日には、警察は、参加者の列の間に鉄柵をもうけて区切ったが、主催者側の抗議で撤廃された。また、上記のとおり、7月24日には、「国会前」交差点南庭側から北庭側に渡る横断歩道が閉鎖されたが、主催者側の抗議で20分ほどで解消されている。これらの抗議について、現場の警察官らは、「上の指示だ」と説明していたが、その後「上の指示」で解消されているのであるから、現場の判断で勝手に行われた規制であるか、そうでなければ、警備担当者の指揮命令系統が混乱している可能性がある。
  そこで、このような混乱を防ぐためには、警視庁及び所轄警察署において主催者側と規制内容を打ち合わせし、これを警察官らにも周知徹底し、現場の判断でむやみに変更しないことが必要なのである。
(4) 以上のとおりであるから、申入の趣旨第2のとおり、必要な規制を行う場合には、集会の主催者に事前に規制計画を示して了解を得るものとし、当該計画は現場の全ての警察官に周知徹底するよう、申し入れるものである。

3 抗議参加者に対するビデオ・写真による撮影は肖像権・人格権の侵害であること
(1) 本件抗議活動に対して、警察当局が、参加者をカメラやビデオで撮影している場面が何度も目撃されている。
  しかし、前記のとおり、本件抗議に対する警備の根拠が2条1項にあり、その目的が国民の生命身体の安全保護にある以上、参加者への撮影行為は全く不要であり、同条2項に違反する。
(2) また、最高裁昭和44年12月24日判決は「警察官による個人の容ぼう等の写真撮影は、現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、証拠保全の必要性および緊急性があり、その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行われるとき」は違法でないとするから、この要件に照らせば、本件では、かかる撮影自体が違法であるというほかない。
(3) さらに、警察によるビデオ撮影は、その行為によって、本件官邸前抗議行動に参加する者に対し、威圧的効果を持つものであって、表現の自由に対する侵害としての意味も有する。とりわけ、本件抗議活動には、大学生やそれ以下の若い人たちが多く参加しているところ、学生については、「デモの参加は就職に影響するのではないか」等の疑わしい情報が出回っている(朝日新聞朝刊本年7月30日記事参照)。これらの事情に照らせば、警察による個人情報の収集(個人の容貌の撮影)はデモや集会への参加それ自体への障害になり、国民の権利行使の妨げとなる。
(4) 加えて、写真等撮影をする公安担当者の中には、写真撮影をやめるように申し入れた弁護士に対し、「なぜ写真撮影をしてはダメなのだ」、「法的根拠を示せ」などと言い放つ、上記最高裁判例を知らない者すらいるのであって、驚愕すべき事態である。そして、何度注意しても、それでも主催者たちが多く集まるメインステージに向けて、しつこく撮影している者もおり、集会主催者に対し、このような集会をすべきでないと威嚇するつもりか、あるいは、それらの者に対し違法な身辺調査をする目的があるとしか思えないものすらある。
(5) 以上のとおりであるから、申入の趣旨第3のとおり、抗議参加者に対するビデオ・写真による撮影は肖像権・人格権の侵害であるから、絶対に行わぬよう、申し入れるものである。

以上

2015年8月14日
安倍政権NO!☆実行委員会
官邸前見守り弁護団
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/655.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 再び破滅の道を進むのか 野坂昭如 大阪日日新聞






「それにしても今の日本。今日あるが如く明日もあると思い込み、すべて人任せ、一方で自ら戦争を迎え入れようとしている」

「戦後70年はぼくにとって意味はない。少なくとも、ぼくにとって区切りでも何でもない。毎年この季節になると、日本人は突如、かつての戦争について何かと喋り出す。その数日、反戦の気持ちを新たにすれば、それでこと足れりとでも思うかもしれない」

「気がつけば、かつて大日本帝国が急速に軍国化の一途をたどった時と同じ、世間がぼんやりしているうち、安保法案が衆院を通過、国民に説明不足といいながら、破滅への道を突っ走っている」

「戦争に負けたからこそ頑張れたとも言える。〈不戦の誓い〉をもつ国だからこそ、豊かになった。憲法9条を変えてはいけない。憲法9条は日本を守る」

「言っておく。国は国民の生命、財産について保障などしない。国が守るのは、国家、国体である。かつて愚鈍なリーダーの下、大日本帝国は崩壊していった。戦後70年、今再び日本は破滅に向かって突き進んでいる。安保法制は、戦争に近づく。血を流すことになる。世間はそれを承知なのか」

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/656.html
記事 [政治・選挙・NHK190] ストレスから不信感強め…安倍首相と菅官房長官に“亀裂”か(日刊ゲンダイ)
             安倍首相(左)と菅官房長官(C)日刊ゲンダイ


ストレスから不信感強め…安倍首相と菅官房長官に“亀裂”か
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162741
2015年8月15日 日刊ゲンダイ


 体調悪化が深刻なのか、ストレスが原因なのか――。安倍首相の異様な行動に政界がザワついている。わずか半月間に、3回も地元の山口県に帰り、しかも感極まった様子で挨拶している。異変が起きているのは間違いないらしい。

 安倍首相は夏休み中の12、13日の2日間、地元で過ごした。お国入りは、この夏3回目。総理大臣が短期間に何度も選挙区に帰るのは異例のことだ。

 しかも、支持者を前に「2018年まで総理をつづける」と強気の続投宣言をする一方、「2007年に総理を辞職した後、『ガンバレ』と声をかけてもらい、涙が出るほどうれしかった」と感極まった様子でスピーチしている。声を詰まらせて挨拶をするのは初めてだという。

 周囲は「総理は弱気になっているのではないか」「体調が悪いのではないか」「感情の起伏が激しい」と感じたらしい。

 自民党関係者がこう言う。

「安倍さんが疲れ切っているのは確かです。安保法案を提出した後、どこへ行っても批判される。最近はネット上でも罵倒されている。選挙区が最後のよりどころなのでしょう。いつ帰っても温かく迎えてくれますからね。いま、安倍首相が一番不安に感じていることは、総裁選に対抗馬が立つことです。選挙になっても再選されることは確実ですが、大量の“安倍批判票”が対立候補に流れることを警戒している。さすがに安倍さんも自分の人気が急落していることに気づいている。それを突きつけられたくない。地元で“続投宣言”したのは、俺はあと3年やるぞ、逆らったら干すぞ、という脅しでしょう。どうしても無投票再選にしたい。しかし、国会会期中に続投宣言するのは前代未聞です」

 ストレスで感情のコントロールが利かないのか、政権を支えてきた菅義偉官房長官への不信感も強めているらしい。

「もともと、菅さんは、安倍さんの“取り巻き連中”からねたまれ、悪口を言いふらされていた。安倍首相も順風満帆の時は、悪口を聞き流し、信頼して任せていたが、逆風になり不信感を抱きはじめているといいます。大きかったのは、安保法案の衆院採決の時、“維新の党”を取り込めなかったことです。維新対策は菅さんがひとりでやっていましたからね。首相は『菅長官に任したのにダメだった』と不満に思っているようです。これまで政権を支えてきた菅さんも『トラブルシューティングに疲れた』と漏らしている。周囲は、2人の間に亀裂というか、隙間風が吹いているとみている。秋の内閣改造では、菅さんが官房長官から外れるという声もある。しかし、菅さんが閣外に去ったら、内閣はガタガタになりますよ」(政界関係者)

 政権を放り出した8年前も、安倍首相は強気と弱気が交錯し、結局、体を壊して辞めている。あの時とソックリの状況になりはじめている。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/657.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安保法制賛成派が決起も…彼らの主張を小林節氏が一刀両断(日刊ゲンダイ)
             安倍親衛隊が集結(左)、小林節氏(C)日刊ゲンダイ


安保法制賛成派が決起も…彼らの主張を小林節氏が一刀両断
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162740
2015年8月15日 日刊ゲンダイ


 国民の反対運動に慌てたのか、安保法制を支持する大学教授らが13日、都内で会見した。

 ジャーナリストの桜井よしこ氏らが呼びかけ人となり、「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」を設立。声明文を発表した。

 呼びかけ人は計30人で、桜井氏の他に憲法学者の西修・駒大名誉教授、田久保忠衛・杏林大名誉教授ら、安倍シンパのメンメンが名を連ねた。賛同者は300人超だが、元制服組が目立つ程度で、有名人は一握りもいなかった。200人以上の憲法学者、全国52の弁護士会が「違憲」と判断したことを考えると、数の迫力では見劣りするものだった。

 声明文には〈今、わが国周辺の安全保障環境は激変しつつある〉とある。〈(オバマ政権が)一昨年九月に『米国はもはや世界の警察ではない』〉と宣言したことをきっかけに、中国が南シナ海の岩礁埋め立てや東シナ海のガス田敷設に乗り出している現状が書かれていた。桜井氏は冒頭の挨拶でこう話した。

「一部のメディアや野党議員は、安保法制を『戦争法案』と呼んであおり立て、『徴兵制に行きつく』などと根拠のないことを言っている。このような感情的な議論は異常です。安保法制は戦争を抑止し、平和を実現するために必要なのです」

 これをバッサリ切り捨てたのが、小林節・慶大名誉教授だ。

「中国の軍事力が膨張しているのは事実です。だとしたら、自衛隊を海外派兵するより、専守防衛で自国の周りを固めることが重要なのではないですか。違うというなら、堂々と議論して、憲法を改正すればいい。そうすれば、自衛隊も堂々と活動ができるんじゃないですか。国民は権力を監視する必要があるんです。その権力者が勝手をやろうとしているから、学者は心配しているんです。他に手段がない、必要最小限度だとして、ホルムズ海峡にまで機雷掃海に行くんでしょ? こんな雑でぶっ飛んだ解釈ができるなら、現行憲法ではあり得ない徴兵制についても公共のため、国の存立のために必要だと言い出しかねない。時の権力者が勝手に何でもできるのであれば、それは専制政治です。実際、与党は数の力で法案を通した。法的安定性を軽視している。これは戦争法案だと心配の声が上がるのは当然です」

 賛成派の主張は到底、納得できない。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/658.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 終戦記念日で与野党談話[時事通信]
終戦記念日で与野党談話
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015081500020

 与野党が15日の終戦記念日に当たって談話を発表した。要旨は次の通り。

 【自民】わが国は戦後70年間、世界の平和と安定に大きく貢献してきた。この歩みは決して変わらない。積極的平和主義の下、不断の努力を続ける。平和安全法制が国会で審議中だが、国民の理解が深まるよう丁寧に進める。

 【民主】安倍政権は国の在り方を大きく変えようとしている。集団的自衛権の行使容認の政府案を廃案に追い込む。民主党は先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的な国を目指す。

 【維新】日米同盟を安全保障の基盤とし、世界の平和と経済発展に寄与するため自らにできる最大限の貢献を続けた結果、世界中から高く評価されるソフトパワーを培った。この信頼を失うことがあってはならない。

 【公明】平和実現には粘り強い外交努力と隙間のない安全保障の備えが不可欠だ。平和安全法制の目的は紛争を未然に防止し、戦争を起こさせない仕組みをつくることにあり、憲法の平和主義、専守防衛を堅持する。

 【共産】安倍政権は戦後70年の平和の歩みを断ち切り、歴代内閣の憲法解釈を覆し、海外で戦争をする国につくりかえようとしている。憲法破壊の暴走だ。戦争法案の廃案に全力を挙げる。

 【次世代】南シナ海や東シナ海で中国による「侵略」が顕著だ。今こそ自主憲法を制定し、自分の国は自分で守る体制を整備し、同盟国・友好国との安全保障体制を構築すべきだ。

 【社民】安倍政権は「戦争法案」を今国会で成立させようとしている。憲法解釈をねじ曲げて「戦争できる国」に突き進む安倍独裁政治を断じて許すわけにはいかない。

 【生活】戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正す。歴史に正面から向き合おうとしないから、中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返される。

 【改革】戦後70年の節目の日に深く思いを致し、決意新たにこれからも平和国家として国民の幸福を守り、世界の繁栄に貢献するよう努力する。

[時事通信 2015/8/15]
※読みやすくするため改行を加えています
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/659.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「魂」の抜けた談話 ”70年談話”、不要と再三忠告したのに…(世相を斬る あいば達也)
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/4cad4aabf8c336968c928875a76a934e
2015年08月15日

あぁ、やっぱり出してしまったね。ずらずらと歴史的経緯なんぞ、どこの誰も聞いてないのに……。このアベシンゾウってのは、出たがりなんだね。無理やりテレビ番組を組ませたり、保守系資本構成のニコニコなんたらに出まくったり、BS番組には、圧力だか、機密費だか知らないが、行使して、滔々とおバカな持論を展開する。その総まとめが、昨日の70年談話。まあ、こういう手法で逃げ切ろうと云う思考そのものが、アベシンゾウ政権らしいと言えば、たしかに、この政権らしい。

伝聞を並べ立て、他人がアア言った、コウ言った。オマエはどう思うのだ?記者クラブの仕込みQ&Aじゃあ、まともな質問すら期待できない。この男の体質、資質すべてが露呈した、シンボリックな談話だとも言える。所謂、テクニックに走り、本末転倒した、魂抜きの談話と云うことだ。これじゃ、余程上手な「意訳」でもない限り、世界の人々を納得させる言葉にはならないし、ましてアジアの人々へのメッセージにもならない。筆者から見ると、上手に出来た司馬遼太郎紛いの歴史歪曲本なのだが、アベシンゾウと云う人間を具現化した、見事な歪曲謝罪文である。

流石に、世界のマスメディアは、アベシンゾウ談話が、イカサマ談話だと論破している。一番、評価しているメディアは、すべて国内の記者クラブメディアだ。これが、日本人として最も恥ずかしい。この作文を作った人間は、どうやってアベシンゾウの本心を言外に含ませるか、苦労したのだろう。結果的に歴史認識を間違い、自己認識まで間違った。ただ、「巧言令色鮮し仁」な声明文等に馴染んでしまったアベシンゾウは違和感なしにヘラヘラ語った。厭々読んでいると云うより、名文だと自負しているのだから手におえない。何を詫びたのか皆目見当もつかない。村山元首相が、俺の意など継承していないとお冠である。

≪ 70年談話:村山元首相が批判 談話継承の認識「ない」

村山富市元首相は14日、大分市で記者会見し、安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について「何のためにおわびの言葉を使ったのか、矮小(わい しょう)化されて不明確になった。植民地支配や侵略などの言葉をできるだけ薄めた(筆者注:普遍的なものに置きかえた)ものだ」と批判した。村山談話が継承されたという認識は「ない」と述べた。

 村山氏は「長々と言葉に配慮し、苦労して作った文章だというのが第一印象。しかし最後は焦点がぼけ、何を言いたかったかさっぱり分からない」と述べた。

 一方、安倍談話が「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした点については「(政府の姿勢を)はっきりさせれば謝る必要はない。 安倍首相が最初から(村山談話を)継承すると言えば、それで済んだ。本来なら談話を出す必要はなかった」と反論した。 ≫(毎日新聞:佐野格)

世界のメディアも、アベシンゾウが仰々しく騒ぎ立てていた「70年談話」を注意深くウォッチしていたようだ。日本のマスメディアの数倍、冷静に談話の内容を分析している。概して、批判的とまでは言えないが斜に眺められている。しかし、注目を集めたフレーズが“将来の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない”であった点はかなりの問題になるだろう。“日本は、もう謝るのに飽き飽きしたし、盛りだくさん沢山詫びたので、今回限りにするからね。” そう表明した70年安倍談話だった。

*だから、オマエは出すなって、言っただろう。嫌アベの筆者でも、たまには塩を送っているのに、聞きもしない。当たり前だが……(笑)。ただ、中韓両国は、アベの70年談話に関して、ぼろくそに批判していないところも、注目に値する。あまりにも、日中韓のいがみ合うが度を越して、二進も三進も行かなくなる一歩手前で、踏みとどまる意志が働いた感じもないことはない。ロシアのニュースは、一日遅れでしか解釈記事を示さないので、 常に一日遅れる。当局の承認印でも貰う為か、単に興味がないか、どちらかだ。

★「近隣諸国が要求していたような安倍首相自身の言葉による率直な謝罪は避けた」 (WSJ)

★「首相の支持母体・国家主義者たちと、世界の論調とのバランスに苦慮した」 (WP)

★「安倍首相が過去の「村山や小泉談話」を念頭に“繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた”と述べたことに関して、“彼自身の新しいおわびは表明しなかった”次の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とする一方、「謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任がある」と強調した。 (ロイター)

★「過去の政権の謝罪を支持したものの、独自の新たな謝罪は示さなかった」、「中国と韓国の怒りを買わないようにすると同時に、度重なる謝罪の要求にいら立ちを感じている国内のナショナリスティックな声にも配慮する必要があった」 (BBC)

★「第2次世界大戦に対する「痛切な反省」を表明し、歴代内閣の謝罪の立場が揺るぎないものと語った一方で、“将来の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない”に注目」 (AFP)

★「安倍総理大臣が過去のおわびに言及した。将来の世代は謝罪をし続ける必要はないと付け加えた」 
 (新華社電速報)

★「「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段として二度と用いてはならない」、「植民地支配から永遠に訣別」など第三者的な口調を用いた」 (人民網・新華社)

★「安倍談話 村山・小泉談話より後退=「過去形」のおわび」 (朝鮮日報)

★「世代が謝罪を続ける「宿命を背負わせてはならない」とも述べた」 (ブルームバーグ)

★「安倍首相は自らの反省謝罪の弁は語らなかった(直訳)」「しかし、安倍首相は、日本が謝罪することができる回数に制限があるとつけ加えました(直訳するとW)」 (NYT)


注:直訳故に、一部不正確な部分があるかもしれないので、原文等々で確認は各自にてよろしく。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/660.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍政権の「裏番長」がついに動いた! 野田聖子の総裁選出馬を阻んだ二階俊博総務会長の「血判状」(現代ビジネス)

安倍政権の「裏番長」がついに動いた! 野田聖子の総裁選出馬を阻んだ二階俊博総務会長の「血判状
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44756
2015年08月15日(土) 歳川 隆雄「ニュースの深層」 現代ビジネス


■32名の毛筆署名

やはりと言うべきか、さすがと言うべきか、自民党の二階俊博総務会長が先手を打ってきた――。

8月10日のことである。その前日から埼玉県・秩父市で二階派(志帥会)の研修会が開催されていたのだが、この場で、9月下旬に予定される自民党総裁選に向けての同派の対応は二階会長に一任された。

そしてその日の午後、河村建夫会長代理(元官房長官)は院内で安倍晋三首相(総裁)に会い、総裁選で安倍首相の3選を支持する「推薦状」を手渡したのだ。

「推薦状」には、二階派に所属する衆参院議員34人のうち、二階氏と伊吹文明前衆院議長を除く32人の毛筆署名があった。巻紙に署名というと、何やら血判状を思い起すほど時代がかった印象があるが、派閥の名称からして当然の所作だったのだろう。

それはともかく、二階派の「安倍支持」表明が党内にもたらしたインパクトは強烈なものだった。それに先立つ7月26〜27日、安倍首相の出身派閥で党内最大の細田派(清和会・95人)は長野県軽沢町で研修会を開いた。当然、安倍首相支持を決めている。と同時に、細田博之会長(幹事長代行)は、総裁選後に行われる内閣改造・党役員人事を念頭に、総裁派閥に見合った人事をして欲しいと語り、首相の人事方針に注文をつけた。

肝心なのは、二階派の「安倍支持」がどのような意味を持つのかである。総裁選出馬に秘めた意欲をもつとされる野田聖子前総務会長の前に大きく立ちはだかる障害となったのだ。改めて指摘するまでもなく、総裁選出馬には20人の推薦が必要である。

一貫して野田氏に出馬を促してきた古賀誠元幹事長は今なお岸田派(宏池会・45人)名誉会長だが、非議員である。衆参院議員の中で半ば公然と野田氏擁立に動いているのは、浜田靖一元防衛相(現衆院安保法制特別委員長)と小此木八郎国対委員長代理の2人である。両氏は共に無派閥であり、野田氏もまた無派閥である。

名簿上、安倍首相、高村正彦副総裁、谷垣禎一幹事長、二階総務会長、甘利明経済財政・経済再生相、菅義偉官房長官、塩崎恭久厚生労働相、高市早苗総務相ら政府・自民党の要職にある者は「無派閥」とされるが、実質的には出身派閥扱いである。

それでだけではない。石破茂地方創生相も無派閥にされているが、鴨下一郎元環境相、小池百合子元防衛相らと共に石破グループ(さわらび会・約30人)を形成している。谷垣幹事長もまた実際には谷垣グループ(有隣会・約16人)を率いており、そこには中谷元・防衛相、遠藤利明五輪相、川崎二郎元厚生労働相らが名を連ねている。

つまり、純粋な無派閥議員というのは、その殆どが当選回数3回以下の若手であり、当選4〜6回の中堅議員などは何らかの「色」が付いていると見られているのだ。であれば、野田女史が期待をかける若手の衆参院議員は、安倍政権(総裁)下での2012年12月衆院選・14年12月衆院選、13年7月参院選で当選した「安倍チルドレン」が過半であって、「野田支持(擁立)」に回るとは思えない。

そこで野田氏が支援(推薦)を密かに期待していたのは、政治的立ち位置が比較的リベラルな岸田派や二階派に属する人たちであった。が、二階派の「安倍支持」表明で見果てぬ夢となった。岸田派には「ハト派」「親中派」「護憲派」が多く、党内では長くにわたってリベラル系集団と見られてきた。

ところが、領袖の岸田文雄外相が安倍外交を担う中心閣僚であり、10月初旬に行われる内閣改造で続投が確実視されている。同派閥からも推薦人が期待できないとなれば、いよいよもって野田氏の総裁選出馬は難しくなる。

二階氏は野田氏の安倍首相への挑戦の芽を事前に摘んだのである。同氏には“前科”がある。第1次安倍内閣下の2007年7月参院選で自民党が民主党に敗れたとき、閣内では当時の麻生太郎外相、そして党執行部では二階国対委員長が真っ先に安倍首相は引責辞任する必要がないと言明したのだ。安倍首相はこうしたことを絶対に忘れない。今後、二階氏の存在感はますます大きなものになるだろう。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/661.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 東京五輪のエンブレム、正式にベルギーのデザイナーが提訴!佐野研二郎氏「部下がデザインをトレースした。教育が不十分だった」
東京五輪のエンブレム、正式にベルギーのデザイナーが提訴!佐野研二郎氏「部下がデザインをトレースした。教育が不十分だった」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7591.html
2015.08.15 01:22 真実を探すブログ



☆五輪エンブレム ベルギーのデザイナーが提訴
URL http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150814/k10010190151000.html
引用:
2020年東京オリンピックのエンブレムを巡って自分が作ったロゴマークに似ていると主張しているベルギーのデザイナーが、IOC=国際オリンピック委員会に対しエンブレムの使用の差し止めを求める訴えをベルギーの裁判所に起こしました。
:引用終了


☆佐野研二郎 ホームページ
URL http://www.mr-design.jp/
引用:


何ら言い訳にはなりませんが、今回の事態は、社内での連絡体制が上手く機能しておらず、私自身のプロとしての甘さ、そしてスタッフ教育が不十分だったことに起因するものと認識しております。
当然のことながら、代表である私自身としても然るべき責任は痛感しており、このような結果を招いてしまったことを厳しく受け止めております。
:引用終了


東京五輪エンブレム問題 ベルギーの劇場が提訴(15/08/14)


以下、ネットの反応
















遂に正式な提訴が始まりましたね・・・。佐野研二郎氏は「過去を含めて盗作はしたことがない」等と言っていましたが、サントリーのトートバッグの件では盗作を認めています。こうなると、東京オリンピックのエンブレムの件もとても怪しいです。


ホームページ上では、「スタッフが勝手にやった」という旨の文章が掲載されていますが、私は信用することが出来ません。トートバッグで盗作や著作権違反が指摘されているデザインは10を超えており、その全てに気が付かなったというのは無理があると思います。


そもそも、佐野研二郎氏はそんなに大量のスタッフを使っているのでしょうか?デザインのお手伝いさんは居るでしょうが、デザインの基本的な構図などは本人がするはずです。全てのデザインを一からスタッフにやらせているのだとすれば、それはそれで問題があると言えます。裁判は8月22日から開始されるようなので、判決の行方に大注目です。




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/662.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安保法案の欠陥を衝く/倉持麟太郎 <第5回>米軍の兵站を担う後方支援活動も「違憲」である(日刊ゲンダイ)
             15年4月の日米防衛相会談(C)AP


安保法案の欠陥を衝く/倉持麟太郎 <第5回>米軍の兵站を担う後方支援活動も「違憲」である
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162739
2015年8月15日 日刊ゲンダイ


 今回の安保法制について、私は「違憲3点セット」という分類をしている。(1)集団的自衛権の違憲(2)後方支援の違憲(3)自衛隊の武器使用の違憲をあわせて、違憲の“3点セット”である。

 このうち集団的自衛権の違憲については、国民の中でもある程度認識が広がっていると感じている。「我が国」を防衛すする個別的自衛権しか認められなかった日本国憲法において、いわば集団的“他衛権”たる他国防衛を認めるのは、違憲であることは、今年6月4日に憲法学者3人が本安保法制に「違憲」を突きつけたことも相まって、集団的自衛権の違憲は定着しつつある。

 今回から論じたいのは、後方支援の違憲性である。

 今回の法改正において、いわゆる周辺事態法が重要影響事態安全確保法に改正され、新たに「重要影響事態」という概念が創設された。我が国への直接の武力攻撃はないが、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」を「重要影響事態」と呼び(つまり有事でなく平時)、この場合に、米軍等への「後方支援活動」を行えることになっている。

 前回まで見てきたとおり、集団的自衛権行使の場面である「存立危機事態」には立法事実はなく、ホルムズ海峡や日本海有事での存立危機事態認定は可能性が低い。しかし、この重要影響事態での後方支援は、兵站活動として、「アーミテージリポート」でアメリカから求められていたもので、今年4月の“新”日米ガイドラインにも追記されたミッションである。すなわち、アメリカが求めているのは存立危機事態防衛ではなく、重要影響事態における後方支援たる「兵站」活動となる。

 アメリカは日本の兵站活動を前提に軍事費の削減予算をたて、全世界で展開する米軍の武力行使の兵站の肩代わりを日本に望んでいる。そのために、本改正法案は「周辺事態法」から地理的な制限を取っ払い、世界中でアメリカの兵站活動ができる建て付けとなっている。

 具体的に、この「重要影響事態」における「後方支援活動」では、兵員の輸送等の役務提供、さらに本改正によって、発艦直前の戦闘機への給油活動、弾薬の提供を含む物品提供が行われることとなった。

 ここで強調したいのは、後方支援が行われる「重要影響事態」については、存立危機事態の新3要件のような「要件」が存在せず、かなり曖昧な「総合判断」による認定で、派遣が可能という点だ。

 しかも、重要影響事態は、存立危機事態及びPKOでの自衛隊派遣と両立するため、認定の緩い後方支援で自衛隊を派遣し、その後に存立危機事態へ発展するということも考えられる。「後方支援」という牧歌的な響きに包まれて、「全世界アメリカ支援法案」となっている現実を見過ごしてはならない。

▽くらもち・りんたろう 1983年生まれ。慶大法を経て中大法科大学院卒。安保法案に反対する若手の論客として知られ、衆院特別委にも参考人として呼ばれた。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/663.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 小林よしのり氏が斬る! 日本の進路を誤らせる「エセ保守」の深刻(ダイヤモンド)
小林よしのり氏が斬る! 日本の進路を誤らせる「エセ保守」の深刻
http://diamond.jp/articles/-/76641
2015年8月15日 週刊ダイヤモンド編集部


中国、韓国との間に立ちはだかるのが、歴史認識問題だ。歴史認識を巡る相克を乗り越えるには、どうしたらいいのか。言論界でも活躍する漫画家の小林よしのり氏が、現在の日本人が持つ思想的背景にはどんな歴史観が根付いているのか、また日本人はこれからどんな国家観を持つべきかを聞いた。(インタビュー・構成/『週刊ダイヤモンド』論説委員 原 英次郎)


■1970年代に入ると日本に「加害者史観」が出てきた


――小林さんは日本人の歴史認識について、どう捉えていますか。



自分からお金を出して米軍基地を置いている国は、日本と韓国とクウェートだけである


 わしが物心ついたときは、まだ戦争体験者が生きていた。テレビで見た『怪傑ハリマオ』のオープニングは、欧米人がアジア人を奴隷のようにムチ打って働かせているところに、ハリマオが拳銃を撃って欧米人をやっつけるところから始まる。


『0戦はやと』『ゼロ戦レッド』などの戦争漫画があったり、戦艦大和がグラビアになったりと、戦争体験者が大人になって物づくりをしていた頃だったので、戦争の感覚がテレビや漫画にあった。戦争に対する罪悪感がなかった。その後、原爆とか戦争被害者という部分が強調されるようになり、「戦争はよくない」と唱える声が増えて行った。


 1970年代くらいになると、本田勝一の『中国の旅』などの影響で、日本人がどれだけ残酷なことをしたかという「加害者史観」が出てきた。人間の残虐さがどこまでやれるのか、のぞき見主義も手伝って、事実かどうか検証できない話もあるのに、世間はそうした加害者史観をすぐに丸ごと信じてしまった。



こばやし・よしのり
1953年生まれ。75年、大学在学中に描いた『東大一直線』でデビュー。90年代に『おぼっちゃまくん』が大ヒットし、思想・哲学の領域に踏み込んだ『ゴーマニズム宣言』もヒット。現在、本格的な戦争漫画『卑怯者の島』が発売中。


「こんなに好戦的な漫画を載せていいのか」とPTAが怒り始め、冒険活劇モノとしての戦争漫画がなくなって行った。代わりに、ガンダム、エヴァンゲリオンなどのロボット漫画に移行し、戦争に対する現実感は失われていった。戦争を扱ったドラマや映画はつくられても、「戦争は悲惨だ」「暗くて見る気がしない」という時代になり、子どもや若い人たちはどんどん戦争から遠ざかっていった。


――小林さんはいわゆる「自虐史観」に批判的でしたが、最近は右翼的なものにも批判的ですね。


 わしが1990年代に『戦争論』を描いたころは、「自虐史観」「加害者史観」が世の主流だった。加害者史観が徹底的にエスカレートしていって、慰安婦問題なども出てくる。慰安婦を強制連行したという吉田清治の話は、まったくフィクションなのに、歴史の教科書に載りそうだというので、それはおかしいと、わしも「新しい歴史教科書をつくる会」の創設メンバーに参加した。


 当時は、すでに自虐史観が浸透し切っていたから、若い人は戦争に行った自分の祖父たちに、「中国で虐殺してきたんだ」「なんて悪い人なんだ」と軽蔑感が芽生え、尊敬しない。祖父たちも、自分がどんな目で見られるかわからないから戦争の話ができない。世代が完全に分断されていた。


 そこで『戦争論』を読むと、若い人たちはものすごく生々しく感じ、戦争を戦った日本軍の感覚にショックを受ける。「自分のじいちゃんは悪い奴じゃなかったんじゃないの」ということで、初めて祖父の戦争体験を聞こうという気持ちになり、両方の世代からどんどん感謝の手紙が寄せられた。


 子どもの世代からは、「祖父が大嫌いで話も聞きたくなかったが、祖父の言うことが分かるようになった」という声が出た。また祖父母の世代からは、「漫画を読んだこともなかったのに、初めて『戦争論』で漫画を読んで、こんなこと描いてくれる人がいるのか、と感激した」という声が出た。つまり、両方の世代を繋げちゃったんだ。


■自虐史観を葬ったと思ったら今度は「エセ保守」が出て来た


 自虐史観を一応は葬ったけれども、今度はそこからネットの時代が本格化する。たとえば、ネットの中の情報だけを集めた韓国を嫌う漫画が出てくる。在日朝鮮人に対する差別、排外主義が生まれてくる。自民党の議員までが、ネットで情報を仕入れるという状態になってくる。


 つまり日本人というのは、船にたとえたら片方に寄ってしまう傾向がある。みんなが左舷に行ったので、沈没しないようにわしは右舷に行った。そうするとみんな右舷にやってきて、また傾いたので、今度はわしが「おかしいよ」と真中に行くと、右に行った奴がわしのことを左翼と呼ぶんだね。なかなか真ん中では止まらない。


 ただ、社会が右傾化していると言っても、これ自体も本当は怪しい。実を言うと、国会で審議している安保法制も完全な「従米化」を意味している。アメリカに従うことが最大の目的。だから安保法制に正確なレッテルを貼ると、「戦争法案」ではなくて「従米法案」。もともとこの法案を夏までに通すとアメリカで約束してきた話で、これ自体が本当は国会を無視したとんでもない問題だ。


 保守というのは、伝統と歴史を大切にする。伝統は歴史の中で先祖の知恵が集積され、醸成されて残ったバランス感覚だ。だから、歴史そのものを、知識として知らなければならない。歴史と伝統を損なったら保守ではない。


 だから自民党の勉強会の場で、権力者が「俺たちに批判的な新聞は潰せ」と言ってしまうことは、バランス感覚を欠いた人たちで、憲法とは何か、立憲主義とは何かも知らない無知な政治家だ。我々国民の側は言論の自由を行使する「権利」を持っており、権力の側は言論の自由を守る「義務」を負っている。憲法の内容に不満があっても、立憲主義は絶対に守らなければならないもの。自民党はバランス感覚を失しており、政治は劣化している。


 なぜ劣化したのかと言えば、ネットの影響がものすごく大きい。簡単に情報を仕入れて、何か知った気になる。ネットに載った情報を鵜呑みにして、安倍首相の秘書がネットに書いてあることをそのままフェイスブックに書いて、当事者から抗議されたこともあった。ネットに影響されているのは若い世代だけではなく、自民党議員も同じ。


 ネットの情報は、嘘、インチキだらけなのに、確認もせずそのまま信じる人間がいる。沖縄の新聞を読んだこともないのに、「沖縄の新聞を潰せ」と言う。一部の人が劣化してオジサン的な暴言を吐くと思われているが、それは違う。いまや知識人から政権にいる政治家までもが、真偽が定かではないデタラメな情報によって、暴言を吐いているという状態だ。


■日中・日韓関係を何とかせよ 従米から脱し本当の主権回復を


――歴史認識を巡る中国、韓国との対立は、和解とはいかなくても、果たして何とかなるのでしょうか。


 これ、絶対に何とかしなければいけない話で、最終的には戦争すればいいとう話ではない。商業的な観点で見て売れるからと言って、反中、反韓感情ばかりを煽る今の状態は全く健全ではない。


 もちろん、韓国においても、中国においても、時の政権が生き残るために自国のナショナリズムを煽り、反日カードを自国内に向かって使う、つまり、国内の政治問題にするという側面はある。そうだとしても、韓国は日本に併合され、中国は日本に侵略されて、いたくプライドが傷ついているということも、同時に認めなければならない。


 たとえば、イギリスのように自国から遠い場所にあるアフリカの現地に指導者を立てて、搾取する間接統治の方式ならば、それほど恨みが残らなかったと思う。ところが日本と中国、韓国は、近接した地域であり、文化もかなり入ってきたりして、お互いに影響しあってきた。そういう国を併合したり、侵略したりすると、近親憎悪的に恨みが残る。しかも日本は直接統治してしまったから、中国や韓国の人にとってみたら、より一層屈辱的に感じるだろう。


 では、それをどう手当てするのかを考えると、ある意味、村山談話的な謝罪も仕方がないということを、そろそろ日本の保守の側も大人になって、考えないといけない。わしはそういう気がしている。だから、わしは今や村山談話にそんなに否定的ではなくなった。


■日本に真の外交主権はない 改憲して自衛隊を軍隊と認めよ


――小林さんがお考えになる、本当に独立した日本とは……。


 外交主権を持つこと。だって「この戦争したくない」と言えなければどうしようもない。たとえば、安倍首相も自民党もいまだにイラク戦争を否定できない。わしはイラク戦争に反対と言い続けて、保守の側からバッシングされたが、これから先も同様なことはあり得る。「イラク戦争は間違っていました」と言うと、アメリカが間違ったことを命令してくることもあるという話になるから、そこを曖昧にしておきたいわけだ。


 わしが言いたいのは、日本には本当の主権はないということで、ここが一番の問題。国家の体を成していない。自分で決められない。だから沖縄の基地の問題も解決できない。自分からお金を出して米軍基地を置いている国は、日本と韓国とクウェートしかない。フィリピンにしろ、他国はみな米国がお金を出して基地を置いている。


 主権を回復するためには、自分の国は自分で守る。憲法を改正して、自衛隊は軍隊だと認める。そうしても、軍事費は言われているほどは増えない。沖縄に駐留している米軍に使っている思いやり予算が必要なくなるからだ。今のように自衛隊をあいまいな存在にしておく方が、国際法的にはよほど危ない。


 国際法上、軍隊はネガティブ・リスト(原則として規制がない中で、例外として禁止すること)だ。たとえば「捕虜は虐待してはいけない」と決められているが、自衛隊は軍隊ではないから、捕虜として相手国に扱われるのか。また、自衛隊員が誤って民間人を殺してしまった場合、軍隊は敵を殺すことが認められているが、自衛隊には軍法会議がないため、国内法の殺人罪に問われる局面も出てくるのではないか。


 自衛隊はポジティブ・リストでできることだけを書いていくので、ネガティブ・リストで動く米軍と一体になって戦場に行くのは無理がある。国際法上規定があやふやなままの状態でどんどん外に出て行くのは、自衛隊員にとっても危険すぎる。


 ベトナム戦争でも、アフガン・イラク戦争でもアメリカは負けた。侵略して負けたわけだ。軍事大国が軍事小国に勝つことはない。軍事大国は、軍事力に経済をかけすぎて、疲弊していく。日本はそんなアメリカについて行かないように、憲法を改正して、「侵略戦争はしない」「外国の軍事基地は置かない」と憲法に書くべきだ。


 実際に日本が戦争する可能性があるとしたら、北朝鮮しかない。中国とは外交でうまくやることに全力を注ぐ。基本的には竹島も尖閣もそこで意地を張り通すよりも、どこかで「棚上げ状態にできませんか」という提案をする。共同開発とか共同観光地とか、国家という枠組みを非常に曖昧にするような解決方法を探る。そういう外交的な発想があってもいいではないか。


 安保法案の議論の際、昔とは国際安全環境が変わったと強調されていたが、それは恐怖を煽ってでっち上げているプロパガンダだ。スプラトリー諸島に中国が軍島をつくっているのは、フィリピン、インドネシア、ベトナムなど東南アジアの国々にしてみれば脅威だが、日本の存立危機にはつながらない。シーレーンのことを持ち出す人もいるが、万が一シーレーンが封鎖されたらそれは宣戦布告に当たる。


■そもそも中国にとって日本と戦争をするメリットはない


 果たして、そこまでのことを中国はやるのか? そもそも日本と戦争をするメリットがない。日本は東南アジアの国と中国への共同監視体制をとればいい。日本の存立危機と関係ないところで集団的自衛権を行使して攻撃したら、それこそ戦争だ。


 また、中国や北朝鮮が核兵器を保有しているから、日本も核武装して抑止力を持った方がいいのではないかという意見もある。北朝鮮に対しては抑止力になるかもしれないが、中国に対しては抑止力にならない。日本人は、冷戦時代から核の脅威という緊張感の中でずっと耐えて生きてきた。核を持たずとも、国民全員が「絶対に侵略は許さない」と思っているだけでいい。これが最大の抑止力になる。


――小林さんのお話は、自民党の右翼の人から見るとすごく左翼的に聞こえそうですが、小林さんは左翼とはどう違うのですか?


 自衛隊を軍隊にすると言っているところが、一番違う。軍隊にして日本に主権を取り戻す。左翼の人たちが言っているのは、日米安保を前提にした平和主義であって、米国依存。安保反対と主張しても、安保が破棄されることがない前提で、沖縄の基地に反対する。保守も左翼も親に守ってもらっているニートみたいなものだ。親が見えているか、見えてないかの差ではないか。


 あくまでも自国は自国の軍隊で守るのが基本。日本が米国から主権を取り戻し自立した上で、部分的に安保を結ぶのであればいいが、今のように米国に依存し切って言いなりになっている日本は「奴隷国家」であって、真の独立国ではない。米国が日本の自立を認めないのならば、世界に訴えればいい。日本は、正当なことを言い続けなければならない。




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/664.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 政界地獄耳 官邸が知らない日米合同訓練(日刊スポーツ)
政界地獄耳 官邸が知らない日米合同訓練
http://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1523214.html
2015年8月15日10時0分 日刊スポーツ


 ★12日の官房長官・菅義偉と沖縄県知事・翁長雄志による会談直前、米陸軍ヘリMH60通称ブラックホークの墜落事故が発生した。会談冒頭、翁長は「官房長官をお迎えしようと思ったら、2時間ほど前にヘリコプターが墜落して」と皮肉交じりに沖縄の現実を突きつけた。菅は会談後、記者団に「事故は極めて遺憾であって米側に対して迅速な情報提供と原因究明、そして再発防止策を政府として申し入れたと報告を受けている」と言うのがやっと。

 ★しかし、現実はそのヘリには陸上自衛隊員が同乗していた。直後の防衛省の説明は「研修の一環として搭乗していた」、その後は「研修で米軍の活動内容を確認していただけ」になる。ワシントン時間12日、オディエルノ米陸軍参謀総長は米国防総省で記者会見し、「いくつかの国との特殊作戦部隊の訓練中だった」と認め、「同盟国同士で協力することが大事だ」と述べている。防衛省も事故機に搭乗していた陸自隊員2人は07年3月に編成された防衛相直轄のエリート特殊部隊「中央即応集団」(CRF)の40歳と33歳の2等陸曹、事故機は船を制圧する想定で米特別作戦部隊が海上演習を自衛隊に実演していたと認めた。事実上の日米合同作戦が日米ガイドラインでいう「平素からの協力」の名のもとに頻繁に実施されていることを裏付ける。

 ★となると、菅の説明は全く知らなかったか、防衛省が報告を上げていなかったことになる。問題は既に一体化した共同訓練を行いながら、沖縄県どころか官邸も何も知らされないところで軍同士は“同盟”を深めているということだ。シビリアンコントロールもないものだ。集団的自衛権の解釈変更どころか、一体化が常態化している。本来なら防衛省、防衛省関係幹部らの処分が必要だが、官房長官が何も知らないなら安全保障もないものだ。14日、首相・安倍晋三は戦後70年談話を閣議決定し発表した。しかし、その実態は伴っていない。(K)※敬称略



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/665.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相70年談話「おわび」言及もあいまい[日刊スポーツ]
安倍首相70年談話「おわび」言及もあいまい
http://www.nikkansports.com/general/news/1523213.html

 安倍晋三首相は14日、官邸で会見し、戦後70年談話を発表した。村山、小泉談話が言及し、首相が当初言及することに消極的とされた「痛切な反省」「おわび」の言葉に触れ、「こうした歴代内閣の立場は今後とも揺るぎない」と強調する一方で、自身の思いは明確に示しておらず、あいまいな意思表明に終わった。

 首相がおわびや痛切な反省に触れたのは、持論を前面に押し出せば、国内外の反発を招くとの考えがあったとみられる。

 ただ、村山富市元首相は95年の村山談話で、「私は」と自らの意思を明確にして、反省やおわびを述べたのに対し、首相は「我が国は先の大戦の経緯について、繰り返し痛切な反省と心からのおわびを表明してきた」と、歴代内閣の立場を引用する形で強調した。

 さらに「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも述べ、おわびを将来も続けることにくぎを刺した。今回を、一定の「区切り」にしたいと受け取られかねない発言だった。

 首相周辺は、おわびを盛り込むことに否定的な意見が多かったが、与党公明党は明記を求めたとされる。首相がおわびに触れたのは「苦渋の決断」とも、「妥協の産物」ともいわれている。「痛切な反省」「おわび」「侵略」「植民地支配」という注目のキーワードはすべて入ったが、「侵略」はただ言葉に触れただけ。首相は「政治は歴史に謙虚でなければならない」と強調したが、「大味」な印象は否めなかった。

 それでも談話は約4000字に上り、村山談話の約3倍の分量。首相は14日夜のNHK番組で「より多くの国民に賛同してもらえる内容にしたかったので、長くなった」と話した。

[日刊スポーツ 2015/8/15]
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/666.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍談話の真の評価は今後の安倍首相の政策次第だ  天木直人(新党憲法9条)
安倍談話の真の評価は今後の安倍首相の政策次第だ
http://new-party-9.net/archives/2490
天木直人のブログ 新党憲法9条


 ついに安倍談話が閣議決定され、発表された。

 それをどう評価するか。

 結論からいえばすべては今後の安倍首相の言動にかかっているという
ことだ。

 安倍首相に批判的な者たちにとって、今度の安倍談話を批判する事は
簡単だ。

 私もその一人である。

 この安倍談話にはいくらでも批判できる要素は満載だ。

 しかし、安倍首相の側に立って見れば、内外の批判を避けるために苦
慮した結果の、最善の談話だという事になる。

 どちらが正しいかなどと言いあっても不毛である。

 そもそも村山談話を見直すと言い出した安倍首相の本心は村山談話の
否定であった。

 それが内外の思わぬ反発、とりわけ米国の反対にあって出来なくなっ
た。

 その時点で談話を出す事を取り止めればよかったものを、愚かな安倍
首相は出すと言い張ってみずから首を絞めてしまった。

 そこから今日までの無用な迷走が続いた。

 その迷走につきあって、私も安倍談話についての予測に迷走した。

 あるいは牽制し、あるいは助言をした。

 しかしすべてが終わった。

 そしてすべてはこれから始まるのである。

 安倍首相には、個人的信念を曲げてまでこのような中途半端な談話を
出したという無念さと引き換えに、最悪の事態を乗り越えようとするだ
ろう。

 安倍首相に批判的な立場からは、中途半端な談話を出されたことに
よって、安倍批判がやりにくくなる。

 その一方で、村山談話を踏襲するという言質をとったことで、今後の
反転攻勢のきっかけを確保した事になる。

 つまりこの安倍談話は、これまでの安倍政権と、反安倍政権の政治的
攻防をそのまま継続させるのである。

 私が安倍談話の評価は今後の安倍首相の言動、すなわち政策にかかっ
ていると言う理由はここにある。

 安倍談話は一方において安倍首相のこれからの政策を縛る事になる。

 もしこの安倍談話で述べた事に反する言動を、安倍首相はもとより、
安倍側近が繰り返すなら、そして、それを安倍首相が許すなら、たちど
ころに安倍談話が雲散霧消し、安倍首相の政治生命は終わる。

 その一方で、この安倍談話は安倍首相を批判する側を牽制する。

 批判するしか能のない安倍批判者たちもまた決して国民の共感は得られない。

 そして、やはり安倍談話の評価は、国際政治の動向によって大きく左
右されることになる。

 この談話を国際社会がどう評価するか。

 とくに米国、中国、韓国がどう評価するか。

 彼らもまた慎重に検討しているに違いない。

 これも国内の評価同様に、今後の安倍首相の言動に大きく左右される
ことになる。

 今後の安倍首相の政策によって、中国や韓国との首脳会談が実現し、
米国がそれを歓迎するような事になれば安倍首相の勝利だ。

 その一方で、これまでどおりの政策を安倍首相が続けるなら、中国や
韓国との関係が改善されず、米国がいらだつ。

 安倍首相の指導力はたちどころに失せる。

 以上、要するに安倍談話をめぐって息の長い国内外の攻防が続くと
いうことだ。

 私が安倍首相なら、これまでのあらゆる政策について軌道修正を行う
だろう。

 それは何もすべての政策が間違いだったという全面降伏する必要はない。

 少しでも内外の声に耳を傾ければいいのだ。

 果たしてこれからの安倍首相にその弾力性が見られるか。

 注目すべきはそこである(了)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/667.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 3閣僚が靖国参拝=安倍首相は玉串料奉納[時事通信/産経ニュース]
3閣僚が靖国参拝=安倍首相は玉串料奉納
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015081500045

 有村治子少子化担当相は終戦記念日の15日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。これに続き、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長も参拝。一方、安倍晋三首相は参拝を見送り、自民党の萩生田光一総裁特別補佐を通じ、私費で玉串料を奉納した。首相の玉串料奉納は3年連続。
 萩生田氏は同神社で記者団に、「(2013年12月に)首相は心静かに参拝したが、政治問題化、外交問題化した。総合的に判断して参拝を見送った」と説明。また、首相から「ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない」との伝言があったことを明らかにした。
 自民党の稲田朋美政調会長も同日、自身が会長を務める同党有志議員の「伝統と創造の会」のメンバーとともに靖国を参拝。政務三役では、小泉進次郎内閣府政務官が同日午前に参拝した。
 首相は15日午前、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花。この後、政府主催の全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べる。

[時事通信 2015/8/15]

 ◇

首相、靖国神社に玉串料奉納 党総裁名、私費で
http://www.sankei.com/politics/news/150815/plt1508150014-n1.html

 安倍晋三首相は15日午前、東京・九段北の靖国神社に、自民党の萩生田光一総裁特別補佐を通じ、党総裁として玉串料を私費で奉納した。萩生田氏は参拝後、記者団に「首相は総合的に判断して参拝を見送った」と説明した。また、首相が玉串料の奉納に関し「ご英霊に対する感謝の気持ちと靖国への思いは変わらない」と話していたことも明らかにした。

[産経ニュース 2015/8/15]
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/668.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 北方領土で日本の抗議拒絶=「大戦の結果無視」−ロシア 時事通信 北方領土はロシア固有の領土でありロシアを全面的に支持する
 【モスクワ時事】ロシア外務省は14日、声明を出し、トルトネフ副首相による北方領土の択捉島訪問に対する日本政府の抗議を拒絶した上で、「日本は第2次大戦の結果を無視している」と非難した。

 声明は、日本の抗議を「受け入れられない」と一蹴。「政府要人の(北方領土)訪問に際して日本の立場を考慮するつもりはなく、今後も続けられる」と強調した。

 副首相は13日、ロシア政府主催の愛国集会「全ロシア青年教育フォーラム」に合わせて択捉島を訪問した。日本側は「政府の立場と相いれず、日本国民の感情を傷つける」とロシア側に抗議していた。 

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2015081500022

ロシアを全面的に支持する。サンフランシスコ講和条約で北方四島を含む千島列島の領有権を日本は放棄しており、日本がいまさら領有権を主張すること自体、やくざ並みの言いがかりに過ぎない。

北方四島を含む千島列島の領有権は対日戦を戦って勝利したロシアにあるのは当然である。  

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/669.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年の検証H 全編を貫くたぶらかしの安倍談話(生き生き箕面通信)
http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/ce024cc815edea808fbad59417f7081f
2015-08-15 09:02:33

 今回の安倍談話の本音を要約すれば、「皆さんの望む言葉は全部入れましたよ。だけど、私はそれとは関係なく“戦争法案”をやりますよ。謝罪は今回もしませんでしたが、今後もしませんよ」ということになりましょうか。なにしろこの男、言うことは、「耳触りのいい言葉を連ねるが、やることはそれとはまったく逆だよ」と、現行不一致の名人です。

 ただ一か所、言行一致の文言があります。「子ども達に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりです。自分が謝罪したくないのを、「子どもたちに謝罪の宿命を背負わせてはならない」と、見事にすりかえました 。

 驚くことに、安倍談話は、「無責任の体系」で貫かれています。本文中に「責任」の文字が使われているのは、次の3か所です。「過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」「アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります」「核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」。ここで使われる「責任」は、どの国のどの指導者でも当たり前のことで、言わずもがなのことです。

 安倍談話で明らかにしなければならない「責任」は、ずばり「戦争責任」のはずです。ところが、為政者の戦争責任に関連するくだりは実に巧妙に避けています。たしかに、多くの言葉を費やして過去の戦争に触れました。多くの人を犠牲にし、傷つけたことを認めた言葉もあります。しかし、そこからは、まるで他人ごとのようなニュアンスがたちのぼってき、とても反省とお詫び、あるいは「真面目な責任」というものは感じられません。

 戦時中の軍部主導体制が天皇を含め、丸山真男がいうところの「無責任の体系」でしたが、安倍談話も見事に「無責任の体系」で貫かれています。

  前半の部分に、「満州事変、そして国際連盟からの脱退」と、先の大戦の経過に触れた個所がありますが、その後はいきなり、「そして七十年前。日本は、敗戦しました」と、羅列するだけです。戦争責任への言及は一切なし。あるのは、「国内外にたおれた すべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」という、得意のフレーズです。こういっては、犠牲になった人々に失礼になるかもしれませんが、お涙ちょうだいの噴飯ものなのです。

 自分の祖父、岸信介氏は、満州事変の起きたその満州で植民地経営の責任者であり、地元の人々を搾取する当事者だったのです。

 後半では、やたら上から目線のお説教調が目立ちます。「私たちは、心に留めなければなりません」「私たちは、思いを致さなければなりません」などです。

 締めの部分では、「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と、“崇高な決意”をしてみせました。足元の国会では、戦争法案の成立に余念がないにもかかわらずです。言ってることとやることがどんなに食い違っていても平気です。カエルの面にしょんべんなのです。

 朝日新聞は本日の社説で、「何のために出したのか」と問いました。分かり切ったことです。アベの、アベによる、アベのための談話。つまり自己満足だけのための談話にすぎない。全編、たぶらかしの談話。戦後70年の総括と検証をすべきはずのものなのに、こんなくだらないものならわざわざ出す意味は全くありませんよね。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/670.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 歴史修正主義の持論テンコモリよりは、このくらいインパクトのない談話に落ち着いたのは皮肉をこめて評価したい。
http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-1784.html
2015年8月15日 


歴史修正主義の持論テンコモリよりは、このくらいインパクトのない談話に落ち着いたのは皮肉をこめて評価したい。でも、だったら緊張感煽るような大騒ぎしなけりゃいいのに。やっぱり、この男の存在自体が「存立危機事態」ってことです。


 あっにもいい顔、こっちにもいい顔、右往左往しているうちに、誰が誰に向かって何を言いたいのかまったく不明瞭になっちまったってのが、昨日のレレレのシンゾーの戦後70年談話を聞いての感想だ。正直なところ、あんな内容だったらわざわざ談話を出す必要はありません。しかも、「同じ言葉を入れるなら、コピーして名前だけ書き換えればいい」って村山談話を否定するようなこと言って、いたずらに中国や韓国を刺激しちゃったあげくのこの談話だもんね。

 そういう平素の言動や行動があるから、「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」って言ったって、ホンマかいなって懐疑的に受け取られちゃうんですね。もっとも歴史修正主義者としての持論テンコモリの談話出されるよりは、このくらいインパクトのない、一般論満載の談話に落ち着いたってこと自体は評価してもいいかもね。って、皮肉ですよ、これ。

 それでも、談話には「らしいなあ」って表現が随所にちりばめられていて、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」なんて冒頭のくだりは、新日鉄住金/八幡製鉄所を視察した時の「(西欧)列強が競う中で、日本は何とか植民地にされないように、列強に伍(ご)して、という当時の明治人の気概をその風景から感じた」なんて発言に重なります。

 さらに、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」ってのは、まさにレレレのシンゾーが言いたくてウズウズしてたことなんだよね。朝日新聞の記者が「そこは被害を受けた側に言ってもらうこと」ってツイートしてたがまさに通り。

 今年の1月、アウシュビッツ強制収容所の解放70年を前にドイツのメルケル首相は、「若者が、わが国の歴史の最も暗い一章と向き合っている。彼らは過去が現在に語りかけてくる警告を知っており、記憶にとどめることの重要性も知っている」と演説した。これに比べれば、レレレのシンゾーの「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」ってのは、「お詫び、お詫びって、もういいかげんにしてくれよ」って心情の吐露みたいなもんで、「世代を超えて、過去の歴史に正面から向き合わなければなりません」ってくだりとはまったく裏腹なんだね。

 談話全体に流れるのは、あくまでも他人事という空虚感。主語がよくわかんないし、結局のところ自分では「お詫び」してないんだね。「これまで謝罪してきたし、それは認めるけど、これからは謝罪は必要ない」って言ってるようなもんです。

・安倍首相70年談話 「反省・おわび」継承 「日本の侵略」明示せず
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015081590070255.html

 重箱の隅をつつきだすときりがないんだが、今回の談話でひとつ意味があるとすれば、空疎ではあるけれどとりあえず「不戦の誓い」を言い方を変えて何度も繰り返しているわけで、それはレレレのシンゾーから言質をとったってことにもなるんだね。だから、これからの安保法制=戦争法案を軸にしたアメリカとの一体化に対しては、この談話の文言を盾に攻め立てるってことも大いに期待できるってことです。今回の戦後70年談話が、逆にレレレのシンゾーを縛ることにもなりますからね。そのうち、「談話なんか出すんじゃなかった」ってお腹痛くなって退陣ってことになってくれたら、こんなにめでたいことはないと妄想する土曜の朝であった。

・70年談話:安倍晋三首相談話全文
 http://mainichi.jp/feature/news/20150814mog00m010009000c.html



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/671.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 終戦の日、各政党の声明、談話〜平和主義、安保法制への姿勢はいかに?(日本がアブナイ!)
http://mewrun7.exblog.jp/23563907/
2015年 08月 15日

 今日、8月15日、70回目の終戦記念日を迎えた。(・・)
 
 ここには、各党が発表した声明、談話をアップしておく。(自民党、民主党、維新の党は全文。他の党は新聞記事より要旨を。>

☆ 自民党

『終戦記念日にあたって 党声明 
平成27年8月15日 自由民主党

本日、70回目の終戦記念日を迎えました。先の大戦で犠牲となられたわが国並びに全ての国の英霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、二度とわが国は戦争への道を歩まないと強く決意いたします。

わが国は、戦後70年間、平和外交努力を進め、国際社会の一員として世界の平和と安定に大きく貢献してまいりました。この歩みはこれからも決して変わることなく、今後も国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、アジア太平洋地域をはじめ世界の平和と安定のために、不断の努力を続けていかなければなりません。

また、国際情勢が複雑に変化する中、平素からの備えを万全にし、国民の命と幸せな暮らしを守り抜かねばなりません。現在、そのための切れ目のない平和安全法制が国会で審議中ですが、国民のご理解が深まるよう、丁寧に進めてまいります。

わが党は、平和と自由を愛する国民政党として、先人が築かれた「平和国家日本」を次の世代に引き継いでいくとともに、わが国が世界から信頼される国家であり続けるために、全力を尽くしてまいります。』

* * * * *

☆ 民主党

『代表談話】70回目の終戦の日にあたって
民主党代表 岡田克也

 70回目の終戦の日にあたり、国内外すべての犠牲者に心から哀悼の念を捧げます。

 戦前の植民地支配と侵略、300万余の国民の命を奪った無謀な戦争、その重い教訓と深い反省に基づき、戦後の日本は、憲法の平和主義のもと、平和で豊かな民主主義国家をつくり上げました。同時に、経済協力、人道支援、PKOなど、国際社会の平和と安定にも大きく貢献してきました。戦後70年の日本の歩みは、国際的にも歴史的にも誇るべきものであったと考えます。

 しかし、安倍政権は、その戦後70年の日本の歩みを支えた「国のあり方」を大きく変えようとしています。

 その1つは、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認です。憲法の根幹である平和主義を大きく変容しかねない安全保障関連法案を、国民の大半が政府の説明が不十分と指摘するなかで推し進めていることに強い憤りを感じています。民主党は、国民の皆さんのご心配や怒りの声を背に、政府案を廃案に追い込むために全力を挙げる決意です。

 もう1つは、歴史認識、アジア諸国との和解の問題です。安倍総理の戦後70年談話には、日本が植民地支配、侵略を行ったという明確な認識は記されていません。さらに談話発表の記者会見において安倍総理は、日本の行為が侵略にあたるかは後世の歴史家が判断するものと述べています。これは、歴代内閣が積み重ねてきたアジア諸国との信頼関係を揺るがしかねないものです。また談話では、子や孫の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないと記していますが、安倍総理は自身の言動こそが、これまでもアジア諸国に不信と不安をもたらしてきたことをあらためて反省すべきです。

 民主党は、植民地支配と侵略の事実を認め、痛切な反省と心からのおわびを表明した村山談話・小泉談話の歴史認識を評価し、継承しています。和解のために先人たちが重ねてこられた努力を無にすることなく、歴史の事実を直視し、自らの過ちを率直に省みる謙虚な姿勢で、アジアの国々との信頼関係に基づく外交を前に進めていくべきです。

 戦後70年を迎えたいま、日本は大きな岐路に直面しています。安倍自民党政権が目指しているのは、その憲法改正草案に明記しているように、集団的自衛権を制約なく行使し、普通に海外で武力行使できる国です。これに対し、民主党が目指す日本は、先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的である国です。これからも日本は、憲法の根幹である平和主義を基軸とした外交・安全保障政策を展開するとともに、アジアの国々との和解を進めることが重要であると考えます。ぜひ私たちの危機感と覚悟を共有していただき、どちらの道を選択するのか、国民の皆さんにもお考えいただきたいと思います。 以上』

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

☆ 維新の党

『戦後70年の「終戦の日」にあたって

平成27年8月15日 維新の党代表 松野頼久

なぜ、止められなかったのか。

なぜ、もっと早く引き返せなかったのか。

これを考える事が、戦後70年、今を生きる私達にとって、戦火に倒れたわが国の先人達、そして侵略により多大な損害と苦痛を被ったアジアをはじめ海外の国々の方々に対する、責任の果たし方であると思います。

先の戦争において亡くなったわが国の軍人・軍属約230万人。その6割にあたる約140万人が戦死ではなく兵站・補給の失敗による餓死や病死だったとも言われます。原爆の投下や東京をはじめとする空襲、住民の3人に1人が犠牲になったとも言われる沖縄戦。悲惨としか言いようのないそれらの犠牲を経てやっと8月15日の終戦を迎える事ができたのです。

間違った戦争指導と、兵士や国民、戦地の方々の生命を顧みない戦争継続は、当時の国家指導者の下した判断によるものであり、とりわけ政治家は、いつの時代にあっても、同じ過ちを繰り返さない重い責任を有しています。一部の国家指導者の思い込みや統制を欠いた現場の独走により国家国民を危機に陥れる事は、二度とあってはなりません。

その誓いのもと、戦後70年、わが国は一貫して平和国家として歩んできました。日米同盟を安全保障の基盤として、専守防衛のための必要最小限度の実力組織として自衛隊を保持し、世界の平和と経済発展に寄与するため、自らにできる最大限の貢献を続けてきた結果、世界中の国々から高く評価されるソフトパワーを培ってきました。

この信頼を失う事があってはならない。安保法制が議論されている今だからこそ、決意を新たにしたいと思います。

世界では、狂信や憎悪に基づくテロがはびこり、穏やかな暮らしを望む多くの人々が、自由を奪われ、生命の危険にさらされています。わが国は自らを守ると同時に、憲法前文の思想に照らして、世界から紛争やテロ、政治的抑圧を根絶していく責任から目を逸らす事はできないと、合わせて強調しておきたいと思います。』

<公明まで載せてあげようかと思ったら、15日7時の時点で、HPに載っていなかった。^^;>

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終戦記念日で与野党談話
時事通信 8月15日(土)

 与野党が15日の終戦記念日に当たって談話を発表した。
 要旨は次の通り。

 【自民】わが国は戦後70年間、世界の平和と安定に大きく貢献してきた。この歩みは決して変わらない。積極的平和主義の下、不断の努力を続ける。平和安全法制が国会で審議中だが、国民の理解が深まるよう丁寧に進める。

 【民主】安倍政権は国の在り方を大きく変えようとしている。集団的自衛権の行使容認の政府案を廃案に追い込む。民主党は先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的な国を目指す。

 【維新】日米同盟を安全保障の基盤とし、世界の平和と経済発展に寄与するため自らにできる最大限の貢献を続けた結果、世界中から高く評価されるソフトパワーを培った。この信頼を失うことがあってはならない。

 【公明】平和実現には粘り強い外交努力と隙間のない安全保障の備えが不可欠だ。平和安全法制の目的は紛争を未然に防止し、戦争を起こさせない仕組みをつくることにあり、憲法の平和主義、専守防衛を堅持する。

 【共産】安倍政権は戦後70年の平和の歩みを断ち切り、歴代内閣の憲法解釈を覆し、海外で戦争をする国につくりかえようとしている。憲法破壊の暴走だ。戦争法案の廃案に全力を挙げる。

 【次世代】南シナ海や東シナ海で中国による「侵略」が顕著だ。今こそ自主憲法を制定し、自分の国は自分で守る体制を整備し、同盟国・友好国との安全保障体制を構築すべきだ。

 【社民】安倍政権は「戦争法案」を今国会で成立させようとしている。憲法解釈をねじ曲げて「戦争できる国」に突き進む安倍独裁政治を断じて許すわけにはいかない。

 【生活】戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正す。歴史に正面から向き合おうとしないから、中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返される。

 【改革】戦後70年の節目の日に深く思いを致し、決意新たにこれからも平和国家として国民の幸福を守り、世界の繁栄に貢献するよう努力する。 

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

終戦の日、各党が談話発表 安保法案への賛否にも言及
朝日新聞デジタル 8月15日(土)

 与野党は15日、戦後70年の終戦の日にあわせて談話を発表した。多くの政党が戦後の日本が平和国家として歩んできたことを評価。また、参院で審議中の安全保障関連法案の賛否について触れているのが特徴だ。

 自民は「国際情勢が複雑に変化する中、国民の命と幸せな暮らしを守り抜かなければならない」と安保関連法案の必要性について強調。今後国会審議などを通じて「国民の理解が深まるよう、丁寧に進めていく」と訴えた。

 また公明も「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増し、紛争を未然に防止し、戦争を起こさせない仕組みをつくることにある」と、法案の早期成立が必要との考えを改めて表明した。

 一方、法案の廃案を目指す民主は、安倍政権について「戦後の日本の歩みを支えた『国のあり方』を大きく変えようとしている」と指摘。「民主が目指す日本は、先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的である国だ」とした。

 維新は「戦後70年、わが国は一貫して平和国家として歩んできた。この信頼を失うことがあってはならない。安保法制が議論されている今だからこそ、決意を新たにしている」と訴えた。

 共産は「安倍政権は平和の歩みを断ち切り、戦争法案を強行し、日本を米とともに『海外で戦争をする国』につくりかえようとしている」と批判。社民も「憲法解釈をねじ曲げて『戦争できる国』に突き進む、安倍独裁政治を断じて許すわけにはいかない」と訴えた。

 次世代は北朝鮮の核開発や中国による南シナ海などへ進出を指摘し、「『協働防衛』という新たな理念に基づいて同盟国・友好国との安全保障体制を構築するべきだ」とした。

 生活の党と山本太郎となかまたちは「戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだ」とし、新党改革は「平和国家として国民の幸福を守り、世界の繁栄に貢献するよう努力する」との談話を出した。

」」」」」」」」」」」」」

終戦記念日、与野党が談話や声明

読売新聞 8月15日(土)

 与野党は15日の終戦記念日にあたり、談話や声明を発表した。

 各党とも平和主義の重要性を強調しつつ、安全保障関連法案について言及した。

 自民党は「平素からの備えを万全にし、国民の命と幸せな暮らしを守り抜かなければならない」として関連法案の必要性を強調、「国民の理解が深まるよう丁寧に進めていく」と決意を記した。公明党は法案について「憲法の平和主義、専守防衛を堅持している」とした。

 民主党は、法案を「戦後70年の国のあり方を、安倍政権は大きく変えようとしている」と批判し、「平和主義を基軸とした外交・安全保障を展開すべきだ」と強調した。

 維新の党は、日本が戦後国際社会に対して行った貢献を指摘した上で、「信頼を失うことがあってはならない」とした。

 共産党は「戦争の惨禍と反省を踏まえて、日本国民が得た世界に誇る宝、憲法9条を守り抜く」と強調。社民党は「首相の『未来志向』の行く末が『戦争できる国』では、国際社会からも信用されるはずがない」と批判した。

 生活の党は「歴史と正面から向き合おうとしないから、中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返される」と、戦争責任を検証する必要性を指摘した。次世代の党は「我が国はもはや一国平和主義に安住することは許されなくなっている」として、米国などとの関係強化を訴えた。新党改革は平和国家としての立場を堅持する姿勢を強調した。』

                THANKS



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/672.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相談話、「積極的平和主義」とは「1984」の「戦争は平和」の世界。 安保法案で違憲の政権が「法の支配を重んじ」だと
安倍首相談話、「積極的平和主義」とは「1984」の「戦争は平和」の世界。安保法案で違憲の政権が「法の支配を重んじ」だと!ー(孫崎享氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sn8rd3
14th Aug 2015 市村 悦延 · @hellotomhanks


14日、安倍首相は談話を発表した。

「侵略」という表現を盛り込まないとか、「慰安婦問題」を避けるとか。

村山・河野談話を継承しないとかさまざまなことが言われたが、

多くのものは、表現が異なるにせよ、盛り込まれている。

・戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、

忘れてはなりません。

(別の箇所)戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、

この胸に刻み続けます。

・何の罪もない人々に、

計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。。。。事変、侵略、戦争。

いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、

もう二度と用いてはならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、

我が国は、そう誓いました。

・自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、

ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。

七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、

私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります

・我が国は、先の大戦における行いについて、

繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。

その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ

東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が

歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、

戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 そして将来に向けて次を述べている。

・法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。

この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。

我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、

その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、

世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 部分的に「そしてその先の世代の子どもたちに、

謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、

過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。

謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」が

相反することを示唆しているが、後者に重点があれば共用できるであろう。

 将来に関して語るとしているが、その部分は多くない。

 この中で気になる点は次である。

 今回も「積極的平和主義」をうたった。

 この言葉は「平和という目的を」「平和的手段を積極的に活用する手段」とみられる。

 しかしそうではない。

 「平和という目的を」、

これまで利用しなかった「武力行使」という手段をもちるという積極手段で

達成することを意図している。

 ジョージ・オーエルが、

「戦争は平和だ」を全体主義的国家のスローガンとして取り上げているが、まさにそうだ。

 しかし、イラク戦争、アフガニスタン戦争、シリア攻撃などをみれば

武力は対象地域と世界全体の不安定に貢献することを理解すべきだ。

 渡辺謙氏の発言こそ、今国民が噛みしめる言葉ではないか。

渡辺謙 @harryken311 · 8月1日  東京都 世田谷区

一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。

どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!

複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも

最大の抑止力は友人であることだと思う。

その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても。

 また、法を守るというセリフはどこから出てくるのか。

 長谷部早稲田大学教授の表現によれば、

「憲法学者の約95%が違憲とみなしている」、

そして過去の内閣法制局長官、大森氏や宮崎氏が違憲といっている

集団的自衛権関連法案を強引に進めようとしている安倍政権から、

「法の支配を重んじ」という言葉が、どこから出てくるのか。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/673.html

記事 [政治・選挙・NHK190] この安倍談話は形的に「村山談話」を継承しているように見えるが、実質上、村山談話の「精神」を完全に葬り去った。

石平太郎
‏@liyonyon
村山富市氏が今夜の安倍談話にかんし、「(自分の談話が)引き継がれた印象ない」とのコメントを出した。実はこのコメントこそは、今日の安倍談話にたいする最高の「評価」ではないか。この安倍談話は形的に「村山談話」を継承しているように見えるが、実質上、村山談話の「精神」を完全に葬り去った

https://twitter.com/liyonyon/status/632191252331524097

石平太郎
‏@liyonyon
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という安倍談話の肝心な一言に対して、今のところ、中韓も日本の左翼も直接に批判していない。あまりにも見事な正論なので、彼らですら批判できないのだ。安倍首相の「脱お詫び宣言」は日本の完勝だ!

https://twitter.com/liyonyon/status/632311175221407744

・・・・

2000件のRTが安倍首相談話への評価を示しています。
「中指を立てる人たち」が発狂しそうですね。

誤報を一言も国民に謝罪しない朝日新聞が社説で発狂してますが、お笑いです。

マスコミや周囲に「手足を縛られた」中で立派な談話、お疲れ様でした。


☆彡

<談話全文>

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、
心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その
危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。

アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。
日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化に
ブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、
新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、
経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、
外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、
その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした
「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、
永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、
戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、
亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などに
よって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、
太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、
犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しの
つかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と
用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界に
しなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、
法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての
歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを
表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、
台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、
その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを
味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力と
なった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び
祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、
長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、
それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、
我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の
気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、
私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければ
なりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、
先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当に
たくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、
より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、
我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。
この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、
核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、
この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、
我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、
途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床
ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、
力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、
我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を
共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に
貢献してまいります。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。
その決意であります。

平成二十七年八月十四日

内閣総理大臣 安倍晋三


☆彡

■孫向文 ‏@sun_koubun 12時間12時間前
この番組に中韓の留学生に聞いても安倍談話に讃賞「謝罪はいらない、仲良くしたい」。僕と同じ考え方です。


■孫向文 ‏@sun_koubun 11時間11時間前
中韓の留学生が安倍談話に納得 vs 日本の大学生が納得いかない(情報操作)という滑稽はなんですか?


■高須克弥 ‏@katsuyatakasu 13時間13時間前 東京都 千代田区
高須克弥さんがリツイートしました 菅野完
若者は安倍晋三さんの談話を知って目覚めてくれました(^O^)☀🎵もう大丈夫です。なう

■石井孝明
‏@ishiitakaaki
変な社説だなあ。我々は彼らが慰安婦誤報の責任から現時点でしらばっくれてる現実を見てるのに、責任とか言われると吹き出しますよ。彼らは、1950年代に先祖返りして未来も語れないでしょ

RT戦後70年の安倍談話―何のために出したのか:朝日 http://www.asahi.com/articles/ASH8G3FRVH8GUSPT001.html


■佐々木俊尚
‏@sasakitoshinao
日本がなぜ戦争に突っ走ったのかという歴史認識を踏まえ、「お詫び」も踏襲した上で、国際秩序にどう向き合うかまで踏み込む。全体に良く練られた巧みな文章だと思う。今後の平和議論のベースとなる文章だ。/戦後70年 安倍首相談話の全文 http://s.nikkei.com/1LcQ1B9

■崔碩栄
‏@Che_SYoung
談話一日後。
韓国言論はもちろんぶつぶつ不満を漏らしてるけど、snsでは「これくらいでいいじゃん?」と納得の人も少なくない。言論は世論をリードしようとするが、必ず一致はしない。でも韓国人以上に談話に反発する日本人がいるのも面白い現象。現地住民より騒ぐ外部勢力って感じ。


■玉井克哉(Katsuya TAMAI)
‏@tamai1961
良記事。「安倍がナショナリストなのかプラグマティックな戦略家なのかという議論は、当初からあった。今回の談話は、後者であることを明確に示している」。 @spearsden: 安倍談話分析、CISIマイケル・グリーン氏 http://csis.org/publication/prime-minister-shinzo-abes-august-14-statement-70th-anniversary-end-second-world-war


■ながし ‏@Pnagashi 4時間4時間前
「黒猫亭さんによる「安倍総理の戦争談話」の凄さの解説。」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/860806


■ねこロンドン ‏@nekorondene 5時間5時間前
「日本はすべての国の模範」、米が戦後70年談話歓迎   安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について、米国家安全保障会議(NSC)は14日、歓迎する意向を表明した。Reuters http://bit.ly/1Nvmgck


■在日三世 ‏@3korean 11時間11時間前
在日三世さんがリツイートしました news23
左翼の唾がべっとりとついた学生をかき集め「私たちの戦後70年談話」を発表し、悦に入っていたけど。実に気持ち悪かったです。TBSが行う連日の安倍政権ネガキャン、そんな事よりTBSに対しての国民の信用度を調査し、特集を組なさい。己を知れ

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/674.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 緊急集会 『ぶっ壊せ!アベ安保法制』のお知らせ(かっちの言い分)
http://31634308.at.webry.info/201508/article_13.html
2015/08/15 08:55

安保法制廃案全国100万人デモに先立ち、「ぶっ壊せ!アベ安
保法制」実行委員会は、小沢一郎氏を招き新ガイドラインや集団
的自衛権の違憲性などについて、タウンミーティングを行います。

 場 所 憲政記念館 東京都千代田区永田町1-1-1
 日 時 8月26日 (水) 午後3時30分 開場
               〃 4時00分 開会
               〃 6時00分 終了
入場料 無 料

※事前申し込みは不用です。
 万障お繰り合わせの上、ご家族・お仲間をお誘いいただきます
 ようお願い申し上げます。               

 実行委員会
 共同代表: 二見 伸明(元公明党副委員長)
       平野 貞夫(元自由党副幹事長)
 統括事務局:日本一新の会事務局

 参加団体(順不同)世 話 人
 プロジェクト猪: 梅沢 直
 主権者フォーラム:広部 敏政
 日本一新の会:  大島 楯臣
 オリーブ神奈川: 渡邊 昌司
 オリーブ千葉:  井上 雅之


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/675.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 日本国は大日本帝国の「社名変更」なのか?(反戦な家づくり)
日本国は大日本帝国の「社名変更」なのか?
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1412.html
2015-08-15 反戦な家づくり


日本国憲法をもつ現在の日本国と、70年前の今日に敗戦した大日本帝国は、同じ国なのか? それとも違う国なのか?
誰か、明確に答えられる人はいるだろうか?


企業に例えて言うと、
@りそな銀行
A日本航空
Bライブドア


のどのパターンなのか、ということ。


@りそな銀行は、破綻処理もせずに延命させたので、いわゆる「実質国有化」になった2003年以前と以降は、全く同じ会社である。


A日本航空は、2010年に会社更生法を適用し取締役は辞任している。が、更正法は会社の「再生」をはかるものであり、人的にも子会社の社長がCOOに就任するなど、同じ会社と言うことができる。


Bライブドアは、堀江の2代目と、現在のLINE傘下の3代目は、人的にも組織的にもまった別物だ。ライブドアという名は、ブランド名として残っているに過ぎない。


こうして分類してみると、日本の1945年の前と後は、かなり不完全なA日航パターンだったと言える。役員の全員辞任もしていないし、一度辞任したものが大臣や総理として復活しているのだから、限りなく延命措置に近い破綻処理だっといえる。


その一番の証拠が、ここに明記されている



そう、日本国憲法の御名御璽である。


社長は替わったかもしれないが、会長は名誉会長としてそのまま在籍し、新憲法はその名誉会長の名前で発布されたのである。
役員の一部は処分し、社名変更して定款や就業規則は書き換えたけれども、「同じ国」なのである。


国家の定義を「国土、国民、統治権」とするならば、国土は植民地を返しただけでほぼ同じ、国民も同様。そこに、統治権の継承があれば、日本国と大日本帝国は「同じ国」だということになる。


■■


ここが、戦後日本にしかけられた罠なのである。


安倍晋三が70年談話の中で、「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言ったことが、問題になっている。


産経新聞などは大喜びしているが、「もう謝罪しないという意味か」」という批判も多い。
私は、産経の主張に与するわけではないが、このことば自体は間違っていないと思う。
問題は、ではそのために何をするのか だ。


産経は、1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説を引き合いに出している。いわゆる「荒れ野の40年」である。
(「荒れ野の40年 全文 http://r.binb.jp/epm/e1_6434_07022015122740/ )
産経が言いたいことは、ドイツだって謝罪していないんだから日本も謝罪する必要は無い ということ。


「自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません」
「ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません」
という部分を引用した産経は、その直後の文言を見ていないのだろうか。


ヴァイツゼッカーはその後にこう言っている。


「しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。」


「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。 」


過去に対する責任はある。それは、目を閉ざさず心に刻むことだ。
ごめんなさいという口先の謝罪ではなく、過去を引き受けることこそが、責任の取り方だ、と言っているのだ。


もちろん、戦後のドイツにおいてナチス時代の大臣が閣僚に復活することはあり得ないし、党員だったというだけで大スキャンダルになる。
ナチスドイツとの決別を徹底してきたし、それを外交的にもアピールしてきた。


安倍晋三が「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのならば、せめてドイツ程度のことはやれ、ということだ。
自分の祖父を戦犯として弾劾するくらいのことは、最低限やってから言え ということだ。


そして、安倍談話を批判する人たちも、「謝ってないじゃんか」というだけでなく、「口先の謝罪ではない責任の取り方」を真剣に考えるべきだ。
それは、まさに目を閉ざさず心に刻むことであり、なによりも、大日本帝国からの決別だ。
社名変更ではない、新しい日本をどうやって作るのか。
日本の文化はその多様性ごと継承しつつ、国家権力としては生まれ変わる。そのためにどうしたらいいのか。


この道筋を諦めないことが、唯一「過去に責任を負う」ということではないだろうか。


  2015年8月15日
  敗戦70年目にして、大日本帝国からも占領軍からも自立できていない日本にて




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/676.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 日本人は天皇制軍国主義支配に「喜んで協力」したという事実 本日は日本国民が天皇制軍国主義支配から解放された「解放記念日」
本日、8月15日は日本国民が天皇制軍国主義支配から解放された「解放記念日」である。だがしかし、日本国民の間に今日の日を天皇制軍国主義支配のくびきから解放された「解放記念日」として祝おうとする機運は皆無である。

これはなぜか。

それはアジア太平洋戦争においてほとんどすべての日本国民が天皇制軍国主義支配に「喜んで協力した」事実が存在するからにほかならない。日本国民は強制されて、いやいやながら協力したのではまったくない。日本国民は「天皇の赤子」とおだてられ、天皇を頂点にいただく軍国主義支配体制の維持強化に「喜んで協力」したのである。

日本人の間には、そうした「後ろめたい事実」があることを知っているからこそ、「解放記念日」などという発想がそもそも成り立たないのである。さらにまた日本のすべてのマスメディアは、戦時中が天皇制軍国主義支配下にあったという基本的な事実さえ完全に隠蔽している。

それが一転、戦争に敗北したと分かると、それまでの天皇制軍国主義支配に「強制されてではなく喜んで協力した事実」はなかったことにされてしまった。日本が植民地にした満州ではそこで暮らしていた人々の豊かな土地を取り上げて約30万人の日本人が移住した。そのほか中国各地の主要都市にも多くの日本人が移住し、現地の中国人達を召使いなどとしてこき使った。日本人は現地の人々を二等国民として差別し、それがあらゆる行動のはしばしに現れたのである。同じ小学校に通った現地の同級生を日本人の小学生は「友達」だと思ったが、友達とされた現地の少年の思いは違った。武力侵攻のもとで今は反抗できないからおとなしくしているしかないがそのうちきっと復讐してやると。

ひどい目に遭わされた現地の人たちが強い憎悪を抱くのは当然であるが、そのことにさえ日本人はまったくの「無頓着」であった。これが「主人と奴隷」の関係である。主人にとって奴隷の「憎悪」は存在しないことになっているのだから。敗戦で自分たちが現地の人たちから予想もしなかった迫害を受けて、それまでの自分たちの行ないがいかに現地の人たちの恨みを買う行為であったかということにはじめて気がつく有り様であった。現地の人々の怒りは当然といえば当然である。

天皇制軍国主義支配のもとでアジア侵略に喜んで協力を惜しまなかった日本国民一人一人には戦争責任がある。アジア侵略の事実を知らなかったから責任はないという言い逃れは通用しない。そしてもちろん言うまでもなく最大の戦争責任は、天皇制軍国主義支配の頂点に君臨し続けた裕仁天皇にあることは明白である。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/677.html

記事 [政治・選挙・NHK190] あえて総理談話を出す必要はない。(日々雑感)
http://okitahidehito.blog.fc2.com/blog-entry-5031.html
2015/08/15 06:17

<「談話は出す必要がなかった」。14日、安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について、記者会見した村山富市元首相(91)から批判の言葉が次々と発せられた。「何を言いたかったのか」「中身について評価するところはない」。20年前の首相当時、戦後50年に際して談話を発表した村山氏。「各国から評価された」という自負がある村山氏にとっては、許容できないものに映ったようだ>(以上「朝日新聞」より引用)

 村山氏が安倍談話を批判しているが、そもそも村山氏が村山談話を出す必要があったのだろうか。それまで日本は先の大戦で戦場となった各国と平和裡に国際条約を締結して戦後国際関係を構築してきていた。

 中・韓に対しても日本政府は先の大戦と大戦に到る関係を清算し、それ以後各国に対して経済支援やODAなどを通してあらゆる援助を惜しみなく続けてきた。そうした平和外交をブチ壊したのが村山談話だ。

 過ぎたるは及ばざるが如しという。援助も度を過ぎると各国は「有り難い」と思うよりも、戦前・戦中の「日本の蛮行」に対する償いとして受け取る当然の権利だ、いやまだまだ少なすぎる、もっと寄越せ、もっと謝罪しろ、という態度に変化してきた。まさしく、過ぎたるは及ばざるが如しだ。

 侵略という言葉に対しては、日本だけが「侵略」したのではない。欧米列強も激しく「侵略」していた。それも自国の防衛とは甚だしく関わりのないアフリカやアジアに軍隊を送って現地住民を殺害し、現地住民の人権を侵害する植民地経営を行った。

 しかし日本は日本の防衛と深く関わりのある周辺地域を「併合」したに過ぎない。カリフォルニア州の一部を「租借地」として奪い取って軍隊を駐留したのでもなければ、シリアやマルタ島を占領して要塞化したのでもない。日本はまさしく欧米列強の帝国主義と対峙して日本の防衛のために海外へ軍隊を派兵したに過ぎない。

 対・中国に関しても、清国が倒れた後の無政府状態の中国に欧米列強が大挙して蚕食している状態で、東北部を満州国として独立させて欧米列強の侵食する緩衝地帯に仕立てようとしていたに過ぎない。

 歴史の中から日本だけを取り上げて「謝罪」するのはやめるべきだ。当時の国際社会がいかなるものであったのか、日本に迫る欧米列強の軍事的脅威に対して、いかに当時の日本の先人たちが身に迫る危機感から「富国強兵」に総力を上げざるを得なかったかを考えるべきだ。

 欧米列強が先の大戦前と大戦以後に植民地を手放すまでの期間に関して、真摯に現地住民に対する人権蹂躙と資源収奪に関して「反省」と「謝罪」を表明するなら、日本の村山談話は合理性を持つかもしれない。しかし、そうした素振りの欠片もないにも拘らず、日本が敢えて村山総理談話なるモノを発表して謝罪するとは欧米列強からすれば歴史を逆行させる噴飯モノに映った事だろう。

 村山氏は村山談話を出して国際的に「評価された」と自画自賛しているが、飛んでもないことだ。国際的に非常識なことを仕出かしたピエロを見る目で拍手したに過ぎない。日本の外交音痴を愛でていたに過ぎない。

 日本は村山談話により戦後50年間、先人たちが辛苦の末に大戦の傷跡を癒し、忌々しい記憶に蓋をしてきた労苦を水泡に帰す愚行を行ったに過ぎない。それを踏襲するだの受け継ぐだのということは過去の記憶箱をひっくり返すことに他ならない。

 スペインはインカ文明を破壊して地上から永遠に消し去ったことをペルーやボリビアなどのインカの子孫たちに謝罪しただろうか。1000万人ものアフリカ原住民を奴隷として使役したことに関して、米国政府はアフリカ西海岸諸国に対して謝罪しただろうか。

 歴史とはそうしたことだ。蒸し返して謝罪するのは心地良いかも知れない。事実、村山氏は「ワシの談話は世界から歓迎された」と得々として述べている。それによりそれ以後の日本がどれほど批判され謝罪を求められてきたかを見ないで、まだ「謝罪しろ」と言うとは、村山氏は真の国際関係が何も解っていないと批判するしかない。「謝罪」すべきは歴史に対してであり、現実に生き延びている人たちとは未来の協力関係を誓うべきだ。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/678.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍晋三首相「談話」は、韓国に政治・軍事関係で「関心を持たず・関わらず・介入せず」を貫く意志表示(板垣 英憲)
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/b9beff190c65bcd687c5a433edbaba39
2015年08月15日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
 
◆安倍晋三首相が8月14日午後5時、「戦後70年談話」を閣議決定、6時から首相官邸で記者会見した。

 しかし、河野洋平談話(1993年8月4日)、村山富市談話(1995年8月15日=戦後50周年談話)、小泉純一郎談話(2005年8月15日=戦後60周年談話)に比べて、約3倍の長文だった。このため、スッキリ感はなく、安倍晋三首相の国会答弁と同じく「多言にして、意味不明」の結果、訴える力は弱く、すべてが言い訳っぽく、「一体何が言いたいんだ」という欲求不満だけが残った。聞くところによると、米国オバマ政権に事前チェックを入れてもらったと言い、これでは、安倍晋三首相が掲げてきた「戦後レジームからの脱却」(米ソ英3国の連合国首脳のヤルタ会談とポツダム会談で決められた敗戦後の日本の在り方を維持・継続することをやめること)どころか、「戦後レジームの強化」を強烈に印象づけた。安倍晋三首相が、いかに米国の「忠犬ポチ公」であるかを実証した。

◆そもそも大日本帝国は明治維新以降、福沢諭吉翁(1835年1月10日〜1901年2月3日)が説いた「脱亜入欧」を徹底すべきであった。福沢諭吉翁の弟子・金玉均(1851年2月23日〜1894年3月28日)は、李氏朝鮮後期の開明派の政治家。朝鮮の近代化を目指し、日本・中国と同盟し3国でアジアの衰運を挽回するべきだという「三和主義」を唱えた。日本公使・竹添進一郎の協力も得て閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こすも清の介入で失敗。上海で閔妃の刺客洪鐘宇にピストルで暗殺され、遺体は清国軍艦咸靖号で朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された。これを聞いた福澤諭吉翁は、嘆き悲しみ、ついに、「脱亜入欧」を決意した。

◆日本は、桂太郎首相が内乱に手を焼いていた米国タフト国務長官(後の大統領)に依頼され、「韓国併合」を密約する。米国は、南下政策を進めていたロシア帝国に手が回らず、日本に助力を求めたのである。日本民族も朝鮮・韓国民も、この原点を忘れてはならない。福澤諭吉翁が生きていたなら、絶対に「韓国併合」に反対したであろう。

 大日本帝国が、朝鮮・韓国、中国との関係で守るべきだったのは、政治・軍事関係で「関心を持たず・関わらず・介入せず」(筑波大学大学院の古田博司教授は、とくに韓国について「非韓3原則」=韓国を助けるな・教えるな・関わるな)であった。大日本帝国は、この原則に反する国策を実行してきたのが、大きな間違いであった。

 従って、安倍晋三首相の「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」という反省談話は、ある意味で、今後の政治・軍事関係で「関心を持たず・関わらず・介入せず」という原則を守っていくという明白な意志表示でもある。現在「休戦中」の朝鮮戦争が「第2次朝鮮戦争が勃発」しても、「日本は、アンタッチャブル」でいくということを意味している。

 ただし、安倍晋三首相の談話で評価できるのは、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という行である。これからがいかに「人生100年時代」であるとは言っても、「2025年8月15日=80周年談話」「2035年8月15日=90周年談話」「2045年8月15日=100周年談話」は、もう止めた方がよい。

【参考引用】 
 産経ニュースは8月14日午後6時3分、「戦後70年談話 首相談話全文」を以下の通り配信した。
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html

 戦後70年の安倍首相談話の全文は以下のとおり。

◇終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣 安倍晋三

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/679.html

記事 [政治・選挙・NHK190] コミケでTPP著作権問題を考える(上手いコスプレは逮捕?!)
 コスプレや二次創作が刑事罰になる?!自由な表現活動の委縮が懸念される「コミックマーケット」会場で、シンポジウムが行われた。

-------------------------(引用此処から)

コミケでTPP著作権問題を考える
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150814/k10010190231000.html
8月14日 21時19分

コミケでTPP著作権問題を考える
TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉では、海賊版などへの対策として、著作権の侵害があった場合に被害者が告訴しなくても罪に問えるようにする「非親告罪」などについて議論されています。
この影響を最も受けるとみられているのが、人気漫画の二次創作などを制作している同人誌です。14日、日本最大の同人誌の展示即売会「コミックマーケット」の会場で、漫画家や同人誌の作家、ファンなどが集まって討論会が行われました。
日本では、漫画やアニメなどの原作をアレンジして新たな作品を制作する「二次創作」と呼ばれる動きが盛んで、こうした作品を集めた同人誌が出版され、ファンの間で人気を集めています。「二次創作」を行う場合、原則として、原作者などの許可が必要ですが、これまで多くの場合、販売の規模が小さいなどとして黙認されてきました。しかし、著作権の「非親告罪」が法律に明記されると、第三者の通報だけで罪に問われる可能性が出てきます。
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こうしたなか、14日、東京ビッグサイトで開かれている「コミックマーケット」の会場で、漫画家や弁護士などが「非親告罪」などの問題に、今後、どう対応していくべきかなどを話し合う討論会が行われました。

この中で、漫画家の赤松健さんは「私の作品を基にした同人誌の中には、相当、原作を読み込まないと、ここまで到達しないだろうと感じられるレベルの高いものもあり、そうした作品に出会うと、とてもうれしくなる。非親告罪化されてしまうと、こうした二次創作の活動が萎縮してしまうのではないかと危惧している」と懸念を示しました。
また、著作権に詳しい弁護士の中川隆太郎さんは「仮に非親告罪を受け入れるとしても、どのレベルまでなら著作権の侵害に当たらないのか、明確なルールや原作者が確認できる制度を設けるべきだ」と話していました。

討論会には同人誌のファンなどおよそ200人が参加しました。ファンの1人は「海外からの圧力で二次創作ができないということにならないよう、政府はしっかり交渉してほしいし、交渉の行方にも注目していきたい」と話していました。
また、同人誌を作っているという男性は「原作者が私たちの活動を温かく見守ってくれたことで二次創作が成り立ってきたことを改めて感じたので、これからも原作者とのよい関係を続けていくことが大切だと思った」と話していました。

ーーーーーーーーーーーーー(引用此処まで)
 他に荻野稔・太田区議、コミケ主催者側から松 智裕氏も参加。さらに参議の山田太郎氏も『乱入』して国への働きかけを訴えていた。

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/680.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 日本の世論は「平和主義」が主流・・・「右寄り」ばかりに注目するな!=中国メディア | サーチナニュース
サーチナニュース
2015-08-15 06:51
日本の世論は「平和主義」が主流・・・「右寄り」ばかりに注目するな!=中国メディア
http://news.searchina.net/id/1585342?page=1


 中国国営メディア・中国新聞社は12日、日本の歴史認識問題を論じるうえで、一部の右翼政治家に意識を集中させるのではなく、日本の民間では依然として平和主義が主流の考え方になっていることを認識すべきだとする香港・明報の12日付報道を伝えた。

 記事は、戦後70年が経過した日本による戦争の歴史への認識について、「多角的な視点から理解し、観察する必要がある」と解説。過去10年の資料を見る限り、日本の民間では総じて「日中戦争は侵略戦争である」と認めているとし、2006年に日本メディアが実施した調査では「日中戦争と太平洋戦争は侵略戦争である」、「日中戦争のみが侵略戦争である」との回答がそれぞれ34%を占めたこと、今年7月の調査でも「先の戦争は侵略戦争だった」との回答が49%で、「自衛戦争だった」の9%を大きく引き離したことを紹介した。

 その一方、多くの学者が指摘しているとおり、戦後「半独立」の状態が続いてる日本の社会全体が1990年以降、戦後の陰影から脱却し、政治的な意志の独立を実現することを渇望してきたと主張。その証左として、01年から05年に日本の大手新聞社が実施した世論調査で、首相の靖国神社参拝に反対する声が参拝支持の声をいずれも上回った一方で、「外国政府による靖国問題の抗議を支持するか」との質問になると「外国の圧力によって参拝を取りやめるべきでない」との認識が多くなったことを紹介。「これは、独立した意志を他国から尊重してもらうことを渇望している心理を表すもので、必ずしも侵略の歴史を否定することとは関係があるわけではない」と論じた。

 記事はまた、日本国内では右派の保守的な歴史認識に対して批判的な立場を取る知識人も立ち上がっているとし、「米国が日本人の欧米崇拝意識を巧みに利用して、日本を反共の防御線にした」の見地から、「今の日本に必要なのは、安倍式の戦後体制脱却ではなく、『米国従属体制』に別れを告げる民主革命だ」と論じる専門家がいることを紹介した。

 さらに、民間レベルでは最近安保法案に対する反対の声が強まっていることを挙げ、「日本の平和主義の根底が、先の大戦に対する反省と原子爆弾を落とされた痛ましい記憶から成り立っていることが分かる」と評論。日本の市民はもはや戦前のように黙っていたりはせず、政府による軍事政策の動向に対して強く警戒しているのだとした。

 記事は最後に「国内外の中国人コミュニティは、日本の歴史認識の多源性を認識し、日本国内のリベラリストとの交流を強化する必要がある。日本を1つの側面から見ないようにし、未来の日中和解に向けた知恵を練るのだ」と締めくくった。(編集担当:今関忠馬)
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/681.html
記事 [政治・選挙・NHK190] <コミケとTPP>著作権の「法定賠償金」導入されたら「恐くて同人活動できない」 (誰が得するのか?)
 コミケ会場でのシンポジウム。椅子が足りなくなっていたので200人以上いたろうか。問題だけに、参加者も鋭い質問を繰り出し、レベルを感じさせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用此処から)

http://www.bengo4.com/houmu/17/1263/n_3563/

<コミケとTPP>著作権の「法定賠償金」導入されたら「恐くて同人活動できない」

「コミックマーケット88」の初日、TPPとコミケについて意見を交わしたパネリストたち
東京ビッグサイトで8月14日から始まった国内最大の同人誌即売会「コミックマーケット88」。約18万人が訪れた初日、会場の一角では、「TPPとコミケ」をテーマにしたシンポジウムが開かれた。漫画家の赤松健さんや中川隆太郎弁護士ら、同人活動や著作権制度に詳しい論客たちが、TPP(環太平洋連携協定)が2次創作などに与える影響について語り合った。

TPPと同人活動の関係については「著作権侵害の非親告罪化」が、大きな注目を集めている。だが、この日のシンポジウムでは、TPPで導入されるかもしれない「法定賠償金制度」について、パネリストたちが相次いで「恐怖」を表明した。

「法定賠償金制度」が導入されると、著作権者に訴えられた場合、実際の被害額よりも多い懲罰的な賠償金額が認められる可能性が出てくる。TPPの交渉は秘密裏に行われているため、公的情報はないが、これまでのリーク文書などによると、法定賠償金の導入にはどの国も反対していないとみられている。

●アメリカでは、1作品あたり最高15万ドル(約1860万円)
シンポジウムでは、中川弁護士がこの制度の内容と問題点を、次のように解説した。

「リークによると、著作権侵害について、あらかじめ決められた金額の『法定賠償金』、あるいは『懲罰的賠償金』のどちらか、もしくは両方を入れなさいという決まりになっています。

金額についても、将来の侵害を防止する観点から、『被害を十分に補償するに足りる金額にしなければならない』とされています」

実際の損害よりも多い賠償金が認められるとして、それはどれぐらいの金額なのだろうか。

中川弁護士は「賠償金の額は、国内法をどういう法律にするか次第」としつつも、「仮にアメリカと同じ基準だったら、故意侵害の場合、1作品あたり最高で15万ドル(約1860万円)です。つまり、本当に作家が怒って訴えると、100万円単位の賠償が理論上はあり得ることになります」と解説した。

この額を聞いた赤松さんは「そんなになると、恐くて(同人活動を)やらないですよ。誰も・・・」と絶句していた。

この日のシンポでは「作家としては、同人活動をするファンをなかなか訴えにくいものだ」という意見も出ていたが、作家でコミックマーケット準備会のメンバーでもある松智洋さんは「作家本人が訴えなかったとしても、(著作権を相続した)遺族の方とか、作品に関係がなくなってくると恐いですね・・・」と話していた。

TPP条約の交渉は大詰めを迎えているとされるが、このまま決着するかどうかは、まだ予断を許さない状況だ。

中川弁護士は「神は細部に宿るといいますが、TPPにどういう条文が書き込まれるかはまだわかりません。TPP交渉はここからが勝負です。引き続き関心をもってください」と聴衆に呼びかけていた。

(弁護士ドットコムニュース)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用此処まで)

 今回は出なかったが、警察による恣意的逮捕につながる可能性もあるのでないか。「児童ポルノ単純所持逮捕」とならび注視すべき課題ではないか。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/682.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相、アジアへの加害責任に触れず 戦没者追悼式(朝日新聞)
全国戦没者追悼式に参列する天皇、皇后両陛下=15日午前11時52分、東京都千代田区の日本武道館、西畑志朗撮影


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150815-00000036-asahi-pol
朝日新聞デジタル 8月15日(土)12時30分配信


 戦後70年の終戦の日となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、約310万人の戦没者を悼んだ。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」とする一方、アジア諸国への加害責任には今年も触れなかった。正午の黙禱(もくとう)に続き、天皇陛下は「おことば」で「さきの大戦に対する深い反省」と述べた。

 追悼式には全国の遺族約5500人らが参列した。

 安倍首相は式辞で「平和と繁栄を享受しているのは、皆様の尊い犠牲の上にのみあり得たものだということを片時も忘れません」と、哀悼の意を表明。その上で「歴史を直視して、常に謙抑を忘れません」とする歴史認識を示した。

 首相の式辞では1993年の細川護熙氏以降、アジア諸国への「深い反省」と「哀悼の意」などを表明し、加害責任に言及することを踏襲してきた。だが、安倍首相は3年続けて加害責任への言及を避けた。歴代首相が使った「不戦の誓い」にも触れなかったものの、「戦後70年にあたり、戦争の惨禍を決して繰り返さない、そのことをお誓いいたします」と語った。

 天皇陛下が追悼式での「おことば」で「深い反省」の表現を使うのは初めて。「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました」とし、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願う」と述べた。

 遺族の参列予定者数はピークの85年(7056人)から減少傾向にあるが、今年は昨年の4765人より約15%増えた。「戦後生まれ」は前年より4・8ポイント増の20・1%(1109人)で、初めて2割を超えた。一方、戦没者の「妻」は14人で、「父母」は5年連続でいなかった。

 厚生労働省は国費負担で参列する遺族の都道府県枠をこれまでの各50人から各55人に拡大。今回から18歳未満の「青少年代表」による献花が行われ、9〜17歳の6人が選ばれた。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/683.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <終戦の日>天皇陛下「深い反省」…全国戦没者追悼式(毎日新聞) <終戦の日>天皇陛下おことば全文
全国戦没者追悼式でお言葉を述べる天皇、皇后両陛下=東京都千代田区で2015年8月15日午後0時3分、喜屋武真之介撮影


<終戦の日>天皇陛下「深い反省」…全国戦没者追悼式
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150815-00000019-mai-soci
毎日新聞 8月15日(土)12時8分配信


 70回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら約7000人が参列した。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と不戦を誓った。天皇陛下は、おことばで「さきの大戦に対する深い反省」に戦没者追悼式で初めて言及された。

 安倍首相は、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や「哀悼の意」「深い反省」には一昨年、昨年に続いて触れず、世界の国や地域の繁栄のために歩んできた戦後日本の姿を強調。「今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いていく」と述べた。

 正午の1分間の黙とうの後、天皇陛下は、日本が「国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識」に支えられ平和と繁栄を築いたと述べ、初めて「さきの大戦に対する深い反省」を語り、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べた。続いて、遺族代表らが追悼の辞を述べ、その後の献花には9歳から17歳の遺族6人が青少年代表として初めて参加した。

 14日に閣議決定した戦後70年の首相談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と述べたうえで、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」としている。

 1937年7月に始まる日中戦争と41年12月開戦の太平洋戦争の戦没者は軍人・軍属約230万人と民間人約80万人の計約310万人と推定されている。厚生労働省によると、参列を予定する遺族のうち戦争を直接知らない戦後生まれは1109人(20.1%)と初めて2割を超えた。一方で戦没者の妻は14人と過去最少で、遺族の世代交代が進んでいることを印象づけた。【古関俊樹】


             ◇

<終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150815-00000018-mai-soci
毎日新聞 8月15日(土)12時8分配信

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/684.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「深い反省」、異例のお言葉=天皇陛下、昨年までは定型−全国戦没者追悼式(時事通信)
「「深い反省」、異例のお言葉=天皇陛下、昨年までは定型−全国戦没者追悼式
2015年8月15日(土)12時12分配信 時事通信

 天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式の「お言葉」で、先の大戦に対する「深い反省」という表現を盛り込まれた。陛下が戦没者追悼式でこうした表現を使ったことはなく、戦後70年の節目の式で、異例と言える内容となった。
 戦没者追悼式のお言葉は、戦後50年の1995年に「歴史を顧み」との文言が加わって以降、昨年までは毎年、ほぼ定型化していた。今年は「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に」という文言が加わり、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと述べた。
 さらに、「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた」国民の努力と、「平和の存続を切望する国民の意識」に支えられ、日本は平和と繁栄を築いてきたと語った。」
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-2015081500174/1.htm
 
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/685.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相の歴史修正主義を、赤川次郎と高橋源一郎が痛烈批判「国家サイズのモンスターペアレンツ」「安倍首相にとって命は数字…
             赤川次郎『三毛猫ホームズの推理』光文社/高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』講談社


安倍首相の歴史修正主義を、赤川次郎と高橋源一郎が痛烈批判「国家サイズのモンスターペアレンツ」「安倍首相にとって命は数字に過ぎない」
http://lite-ra.com/2015/08/post-1392.html
2015.08.15. リテラ


 昨晩、安倍首相が戦後70年談話を発表した。しかし、本サイトでもすでに指摘しているように、その内容は巧妙に謝罪を避け、過去の歴史から目を背け、さらには「積極的平和主義」という名の新たな戦争を肯定するものだった。

 こうした歴史修正に対し、わたしたちはどのように抗えばいいのか。そのヒントとなる、ある作家ふたりの言葉がある。その作家とは、赤川次郎氏と高橋源一郎氏だ。

 ふたりの対談は、以前、本サイトでも紹介した「すばる」(集英社)8月号に掲載されたもの。赤川氏は日本を代表する人気ミステリー作家であり、かたや高橋氏はポストモダン文学の旗手と呼ばれた純文学作家……なんとも意外な組み合わせだが、じつはこのふたり、不思議な縁がある。


 というのも、赤川氏の父親は、満州に渡り、満州映画協会(満映)に勤めていた。この満映を率いていたのは陸軍軍人の甘粕正彦。アナキストの大杉栄と内縁の妻で婦人解放運動家の伊藤野枝、大杉の甥の3名が憲兵隊によって殺害された「甘粕事件」の首謀者とされる人物だ。赤川氏の父は甘粕大尉の側近だったが、なんと甘粕大尉は高橋氏の大叔父にあたるというのだ。

 ふたりは戦後生まれのいわゆる“戦争を知らない世代”ではあるが、飛び出す話を読んでいると、戦争とはつい最近の話なのだという思いが強くなる。たとえば、高橋氏の母親は広島への原爆投下の日に広島へ行く予定だったが、「二人手前で切符が売り切れ」た。そのため母親からは「あと二枚切符があったら、おまえいてへんで」と言われるらしい。さらに、呉の軍港に軍事奉仕にも出ており、「人間魚雷みたいなのを作らされていた」という話もずっと聞かされていたという。

 他方、赤川氏は、父親から聞いた話として、甘粕大尉が甘粕事件で刑務所に入れられたことを「軍部に裏切られたとものすごく怒っていた」ことや、彼が「中国人だろうが日本人だろうが、同じ仕事をしたやつには同じ給料」を支払うなど平等に扱っていたために「終戦を迎えたときに、うちの両親は周りの中国人にすごく親切にされ」たという話を披露。「(きょうだいのなかで)僕だけが内地生まれ。(中略)内地なんて言うと、いかにもという感じですけど(笑)」と赤川氏は語っているが、戦争を体験していない世代とはいえ、「体験として直接聞いている」(赤川氏)のだ。

「高橋 父親が本当にしみじみと言っていました。国は最後に国民を裏切る、だから国は信じたらあかんでって。思想としてはうちの父親はすごい右翼なのに、国は信じられない。その辺りはわりとはっきりしていましたね。
赤川 右翼でも国を信じられない。そう、戦争を体験した昔の人はみんなそうですよね。」

 もっとも身近な肉親が体験した戦争。そのためか、ふたりの話に“戦争ファンタジー”が入ることはない。逆に、“戦争法案”をつくり、通そうとする安倍首相のような“自分よりも年下の指導者たち”に、高橋氏は「彼らは上の世代からどういう話を聞いてきたんだろうねと思ってしまいます」と言う。

「僕たちが見聞きした話って、情報ではないと思うんです。僕たちは戦争に行った人たちの話をダイレクトに浴びて育ったわけで、それは「資料」でも「情報」でもない。戦争に対する態度とか、こういうものがあったという「物語」として、戦争の歴史を受け取っているんです。
 ところが最近、従軍慰安婦問題にしても、ものすごく細かい情報を集めて、この資料にはこう書いてあるから慰安婦問題はなかったという言い方が、増えてきていると思いませんか。これは右翼と言われる人たちも同じで、全部資料に頼るでしょう」(高橋氏)

 この高橋氏の言葉に対し、赤川氏も「私たちは物語を聞いているわけです。その物語は、ちゃんと人間が生きている話です」と同意する。

「でも、安倍さんたちが言うのは「数字」なんですよ。南京大虐殺だって三十万人も死ぬわけがないだろうというね。じゃあ十万人ならいいのかっていう話になりますよね。あの人たちにとっては、人の命は数字にすぎないんです」(赤川氏)

 数字にこだわるのは、戦争の問題だけではない。株価、人口といったように、経済の問題でも“全部数値にならないと証明されたことにならない”。そのような空気によって、当事者たちの「物語」は、「数」の論理でかき消されようとしている──。

 安倍首相が発表した戦後70年談話でも、結局、従軍慰安婦は「女性」と括られ、植民地支配も侵略も村山談話を引用しただけで、現在の首相としての考えを明らかにしなかった。そこには、“裏付ける資料がないから”という安倍首相の主張が見え隠れするようだった。安倍首相が談話のなかで無視しているもの、それこそが当事者たちの「声」であり、生きた「物語」だろう。

「僕は「論壇時評」でも書いたんです。紙の資料に頼りながらそこから発せられる「単なる売春婦」とか「殺されたと言ってもたかだか数千で大虐殺とは言えない」とか、「強制はなかった」という物言いに、すごく強い違和感があると。赤川さんがおっしゃったように、資料の中では単なる数に過ぎなくても、一人一人異なった運命を持った「当事者」がそこにはいたわけですよね」
「慰安婦のことも、あれだけ多くの、実際に体験した兵士の証言や、目撃した当時の外国人の証言もあるのに、それでもなかったと言う。人数の問題にしてしまえば無視できるだろうというような……。いつから日本人って、こんなに情けなくなっちゃったんでしょうね」(高橋氏)

 歴史を修正することは「愛国」ではない、むしろ愛がわかっていないのだ──。そう指摘する高橋氏と赤川氏は、現状の日本を「国家サイズのモンスターペアレンツ」と表現する。「あいつは敵でこいつは味方」と単純に切り分け、「わかりやすさ」を求める、それが安倍政権の姿だと。

 しかし、戦争の「当事者」たちが鬼籍に入っていくなか、こうした歴史修正にどうすれば抗うことができるのか。高橋氏はこの問題を前にして、現在の“戦争作品”を手がけた若い世代の作家たちの名を挙げる。前々回に芥川賞にノミネートされた、ニューギニアの野戦病院を舞台にした戦争小説『指の骨』(新潮社)の高橋弘希と、沖縄のひめゆり部隊に着想を得たマンガ『cocoon』(秋田書店)の今日マチ子、それを舞台化した藤田貴大だ。

 この3人は全員30代だが、高橋氏いわく「自分が七〇年前に戦場にいたらこんなふうに感じただろう」と、同じことを言うのだと述べている。そして、「彼らが戦場を描写するのは、ある意味必然なのかもしれない」と言う。彼らは、就活、格差、貧困という社会のなかで、「物としての砲弾は飛んでいないけれど、ぼーっとしていると後ろから撃たれて死んでしまう」という「戦場感を持っている」のではないかと高橋氏は説明するのだ。「豊かな経済の恩恵を受けてきた」団塊の世代よりも、いまの20・30代のほうが「戦争中の人たちの感覚をダイレクトにわかる」のではないか、と。

「僕は、そういうことが、来るべき社会を変えていく礎の一つになるんじゃないかという気がしているんです」
「親から受け継いだ戦後生まれの我々の記憶は、たぶんそういう若い人へのサポートで継承されていくのかなと思います」(高橋氏)

 これは、この社会のかすかな希望だ。70年前を生きた人たちを想像すること。声に耳を傾けること。70年前のきょうという日と70年後のきょうが、どんなふうに繋がりあっているのかを考えること。「数」を絶対視したり、敵と味方に分ける「わかりやすい」論理にかどわかされないこと。それは、わたしたちが生み出すことのできる希望となるはずだ。

(水井多賀子)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/686.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「ご都合主義」ここに極まる!?“修正主義者”の70年談話(JanJanの復活を待つ〜市民記者のページ)
「ご都合主義」ここに極まる!?“修正主義者”の70年談話  成瀬 裕史
http://shiminkisha.wiki.fc2.com/
2015-08-15 JanJanの復活を待つ〜市民記者のページ


 戦後70年、せっかくの節目の終戦記念日・8月15日の紙面が、中身のない「首相談話」に占領されてしまった。


 結局、談話を要約すると、

「富国強兵策が日本の独立を守りアジア・アフリカの人々を勇気付けた」
⇒日本は悪くない

「世界恐慌後の欧米の経済ブロック化が日本を孤立化し、力の行使に」
⇒悪いのは欧米

「我が国は、先の大戦への反省とお詫びの気持ちを表明してきました」
⇒主語は「我が国」、しかも過去形

「残留孤児を育ててくれた中国人、戦後日本を訪れ慰霊を続ける連合国元捕虜の寛容に思いを致し」
「我が国は、和解に尽力頂いた全ての国々・人々に感謝」
⇒相手の寛容に感謝を表するだけ?

「戦争に何の関係もない(?)子孫や先の世代に、謝罪を続ける義務を負わせてはならない」
⇒ならば、そのための「けじめ」は?

「日本人は、過去の歴史に真正面から向き合い、謙虚な気持ちで過去を受け継ぐ責任」
「戦後復興は、旧敵国の恩讐を越えた善意と支援のおかげ」
⇒「戦後支援への感謝」だけでは歴史に向き合っていない

「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、胸に刻み続けます」
「だからこそ、いかなる紛争も法の支配を尊重し力を行使せず、平和的・外交的解決の原則を堅守」
⇒法の支配を尊重せず(?)武力協力を可能とする「安保法案」とは?

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」
「だからこそ、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で公正で開かれた国際経済システムを発展」
⇒中国に対抗し、米国・グローバル企業の恣意に左右されるTPPとは?

「私たちは、国際秩序(米国)への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます」
「だからこそ、自由、民主主義、人権といった基本的価値(米国の価値?)を揺るぎないものとして堅持し、
その価値を共有する国々(米国同盟諸国?)と手を携えて、
「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界(米国)の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」
⇒結局、米国への「忠節宣言」談話ですか…


 結局のところ、「過去を、この胸に刻み続けます」と言いながら、今、自らの政権がやろうとしている、
「安保法案」による国外での自衛隊の「力の行使」、
「TPP」による米国が中心となった「経済のブロック化」、
「積極的平和主義」の名の下の米国軍への「血の貢献」、
を“正当化”しているだけではないのだろうか…?


「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」
「我が国は、そう誓いました」

「法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました」
「私たちは、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」


だったら何故、“違憲”といわれても「法の支配」を軽んじ、
「集団的自衛権行使」の名の下、国際紛争を解決する手段として、自衛隊に「弾薬の輸送」という武力行使を認める
安保法案という名の「戦争法案」を、
「積極的平和主義」という“詭弁”を使って、
「強行採決」までして成立させようというのか…?


 私は、この「談話」を表明した方の頭の中・ロジックを、
到底、理解することが出来ないのであるが…。


 ましてや、過去に対する「過ちの認識」と「お詫び」を求める相手に対し、
「寛容に対する感謝」を言い募って済むと思う認識を…。

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/687.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 天皇陛下が「深い反省」を戦没者追悼式で初めて言及!安倍首相は不戦の誓いに留まる!陛下「国民の意識に支えられた」
天皇陛下が「深い反省」を戦没者追悼式で初めて言及!安倍首相は不戦の誓いに留まる!陛下「国民の意識に支えられた」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7597.html
2015.08.15 13:08 真実を探すブログ



☆<終戦の日>天皇陛下「深い反省」…全国戦没者追悼式
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150815-00000019-mai-soci
引用:
 70回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら約7000人が参列した。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と不戦を誓った。天皇陛下は、おことばで「さきの大戦に対する深い反省」に戦没者追悼式で初めて言及された。


 安倍首相は、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者への加害責任や「哀悼の意」「深い反省」には一昨年、昨年に続いて触れず、世界の国や地域の繁栄のために歩んできた戦後日本の姿を強調。「今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いていく」と述べた。


 正午の1分間の黙とうの後、天皇陛下は、日本が「国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識」に支えられ平和と繁栄を築いたと述べ、初めて「さきの大戦に対する深い反省」を語り、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べた。続いて、遺族代表らが追悼の辞を述べ、その後の献花には9歳から17歳の遺族6人が青少年代表として初めて参加した。


 14日に閣議決定した戦後70年の首相談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と述べたうえで、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」としている。


 1937年7月に始まる日中戦争と41年12月開戦の太平洋戦争の戦没者は軍人・軍属約230万人と民間人約80万人の計約310万人と推定されている。厚生労働省によると、参列を予定する遺族のうち戦争を直接知らない戦後生まれは1109人(20.1%)と初めて2割を超えた。一方で戦没者の妻は14人と過去最少で、遺族の世代交代が進んでいることを印象づけた。【古関俊樹】
:引用終了


「終戦の日」70回目迎える、戦没者追悼式


以下、ネットの反応










安倍首相は不戦の誓いがメインでしたが、天皇陛下の言葉は明らかに日本国民と平和を重視している内容でした。やはり、言葉の重みと内容があり、陛下の言葉の方が私は納得が出来ると感じています。
これから戦後70周年関連の行事が複数あるので、その中で新たな発言や宣言があるかもしれません。今日は要人たちの発言と行動から目が離せない日だと言えるでしょう。


             ◇


「深い反省」、異例のお言葉=天皇陛下、昨年までは定型−全国戦没者追悼式
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015081500174
2015/08/15-12:12 時事通信


 天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式の「お言葉」で、先の大戦に対する「深い反省」という表現を盛り込まれた。陛下が戦没者追悼式でこうした表現を使ったことはなく、戦後70年の節目の式で、異例と言える内容となった。


 戦没者追悼式のお言葉は、戦後50年の1995年に「歴史を顧み」との文言が加わって以降、昨年までは毎年、ほぼ定型化していた。今年は「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に」という文言が加わり、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと述べた。


 さらに、「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた」国民の努力と、「平和の存続を切望する国民の意識」に支えられ、日本は平和と繁栄を築いてきたと語った。


天皇陛下「さきの大戦に深い反省」 戦没者追悼式で言及
http://www.asahi.com/articles/ASH8G7JKDH8GUTIL04N.html
2015年8月15日12時40分 朝日新聞



全国戦没者追悼式でおことばを述べる天皇、皇后両陛下=15日午後0時1分、東京都千代田区の日本武道館、西畑志朗撮影


 天皇陛下は即位後、毎年欠かさずに全国戦没者追悼式に出席して「おことば」を述べてきた。例年大きな変化はなかったが、今年は「さきの大戦に対する深い反省」を始め、新しい表現が盛り込まれた。


 「戦争による荒廃からの復興」


 「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」


 「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき」


 いずれも同式典では初めての言及で、宮内庁関係者によると、ご自身によって直前まで練り上げられた。


 戦後70年にあたり、天皇陛下は皇后さまと戦没者慰霊を続けてきた。昨年は沖縄、長崎、広島を訪れ、今年4月には太平洋戦争の激戦地・パラオに渡った。「戦争が次第に忘れられていくという、陛下には焦りにも近い気持ちがあるのでは」。そんな思いが今回のおことばに表れたのだろう、と側近はみる。


 天皇陛下は、皇太子時代から会見や式典で平和への思いを語ってきた。天皇陛下の学友は「昔からぶれることなく、率直な思いをおことばにしてきた」と言う。戦後70年の節目にあたり、一貫した陛下の言動は存在感を増している。(島康彦)


天皇陛下のおことば全文 戦没者追悼式
http://www.asahi.com/articles/ASH8G6DBPH8GUTIL03Q.html
2015年8月15日12時41分 朝日新聞


 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。


 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。


 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。












http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/688.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「天子様(天皇陛下)」は屁をするか」論争。  天子様の赤子。
 小学校3〜4年の頃、多分、どこでもあった口論だったと思いますが.....。
 つまり、天子様(天皇陛下)が神様だとすれば、私共下々(しもじも)がやるような下卑た仕草はやらない筈だ、と云うのが論争?の土台でしたネ。
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 天子様(天皇陛下)は神である---これは絶対的な認識でした。
 従って、神様である天子様は「屁」などしない。天子様が人間の姿をしているのは、臣民に分り易いように神が作り給うた仮の姿。人間であって人間ではない存在なのだ。------。
 この論は、子供であっても、多少は天下国家に気を使い、それなりに身につけた論理に従って主張をしたのだと思いますが...。
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 一方、ノーテンキな子供達は、天子様は神とは云え、それは単なる人間同士の約束事だから、人間である事には変わりはない。従って、屁もすれば糞も垂れて当然である。
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 まあ、まとめて云えば、両者の主張はそんな骨子だったと思います。
 加えて云えば、---そんな事はどうでもよい。考えない方が妥当だ----この立場は女子生徒に多かった主張のようでした。

 私はどうだったか、勿論、「屁などブウブウしていて、糞もドカドカ垂れている。」と云う極論を主張していましたよ。
 子供の論争ですから、文字通り、首に青筋をたてキーキー声を張り上げ、お互いモーレツに頑張り合っていましたね。
.
 ------当時はそんな時代でした。然し、この論争は子供であったからこそ出来たのであって、並みの大人達には当然ながら許される論争ではなかったと思います。論争したとしたら不敬罪で逮捕され牢獄にブチ込まれたでしょう。
 そんな意味では、小学校時代の少年には、あからさまに人間の仮面を剥ぐ点に於いて、衒いもなく分別もないだけ赤裸々な形で見通す眼力があり、それだけに正鵠を得た見識?があるのではないかと思いますね。常識に捕われない天真爛漫な考えが漲っていると思いますよ。
 仇疎かに出来ませんね。
.
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 因に、天皇陛下は「天子様」の呼称で通りました。ちょっと改まった大人の言葉には「上御一人(かみごいちにん)」これが多かったようです。
 皇居は当時は「宮城(きゅうじょう)」と呼ばれていましたね。「宮城に住んでおられる天皇陛下におかせられましては。」---一般的には、これでOKだったと思いますが、当時の新聞などを眺めてみると「畏きあたりにおかせられては、」と、間接的な表現が多く見られます。ダイレクトな表現は避けたいとする心理があったのでしょうか。

 思うに、これだけ神格化された統治者は、世界広しと云えども日本だけであったような気がします。当時のドイツやイタリ、更にソビエトなどの独裁国家に於いても「神様」までは至っていません。まして作今の〇〇国だのの「将軍様」程度の呼び名では、足下にも及びませんね。

 当時の日本は、現在の〇〇国だのXX国だのに似ているとは思いません。思うとしたら「オーム真理教」ですよ。それくらいの常識を外れたバカバカしいパワーがありました。但し、そのオームとも違っている点は、教祖様が直接前面に出て来る事がなく、すべてまわりの人間共が「神様」を隠れ蓑にして、意図的に超現実的な政治を行なったと云う点です。教祖様はその頂点に乗っかって鎮座ましましていたようです。
 -----それにしても、日本人には、どこか、そんな虚構によって作り上げられた奇妙な政治を許してしまう風土があるのではないか、と思いたくなる時が確かにあります。
 いくら「神様」と呼ばれようと、人間である限り下卑た仕草はやらざるを得ないのです。それを忘れたら再び「屁」の論争が始まります。そんな論争を繰り返しては本当にバカバカしい限りです。


http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/Tensi-sama.html
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/689.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 大山鳴動鼠零匹 安倍談話と戦争法案の矛盾(植草一秀の『知られざる真実』)
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-b349.html
2015年8月15日

敗戦から70年の時間が経過した。

しかし、8月15日は昭和天皇による「大東亜戦争終結ノ詔書」朗読音声が放送された(玉音放送)日であって戦争が終結した日ではない。

日本がポツダム宣言を受諾して降伏することを決定したことが公表されただけである。

日本が降伏文書に署名したのは9月2日であり、戦争終結は9月2日とするのが正しい。

敗戦の日は9月2日とするのが正しい。

重要な歴史期日が粉飾されることは望ましいことではない。

敗戦70年に際して、安倍首相が談話を発表した。

閣議決定せず、首相談話として発表することが検討されたが、閣内不一致の批判を受ける可能性が高いことから、閣議決定する道が選ばれた。

「侵略」、「植民地支配」、「反省」、「おわび」

の言葉が盛り込まれたが、安倍首相の言葉として表出されるものにならなかった。

日本の過去の歴史を直視し、事実を認め、その事実に対する態度を示すものでなかった。

この意味での談話はすでに20年前に、村山富市首相にが発表している。

村山談話では、日本の過去の行為として

侵略

植民地支配

を認め、

このことについて、

痛切な反省

心からのお詫び

を述べたものである。

この村山談話によって、日本の戦争責任についての言及は総括されたのである。

安倍首相は村山談話を否定するために70年のこの年に談話を発表する意向を示したのだと考えられる。

村山富市元首相は

「村山談話を継承する」なら、基本的な事項を省くことはおかしいが、安倍氏は本音では、「侵略」や「反省」、「おわび」を認めたくないという心理をもっているのではないか」

との疑念を示していた。

ところが、安倍政権が戦争法案を推進するなどの暴走を繰り広げるなかで内閣支持率が急落し、いよいよ赤信号が灯る20%台に突入する様相が示されている。

安倍首相は当初の意向を撤回さざるを得ないところに追い込まれた。

安倍政権を支えているのは公明党である。

公明党は村山談話を継承する表現を盛り込まなければ談話を了承しない方針を明示した。

安倍首相は閣議決定ではなく首相個人の談話発表で意向を貫くことを検討したが、談話発表後に閣内不一致を追及されることは必定である。

公明党の連立離脱という事態さえ想定しなければならなくなる。

それは、安倍政権崩壊を意味することだ。

結局、追い込まれた安倍政権が、村山談話の四つのキーワードをそのまま用いるところにまで追い込まれたのである。

しかし、安倍談話は四つのキーワードを盛り込んだとはいえ、その言葉は安倍首相の認識、心を表現するものになっていない。

第三者が心も込めず、状況を記述するだけのもので、まったく意味のない談話になったと言える。

大山鳴動してネズミ一匹も出ず、ということになった。

安倍談話の最大の問題は、

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」

と述べておきながら、国際紛争を解決する手段として武力を行使する集団的自衛権の行使を容認する戦争法案を推進していることである。

こうした二枚舌、二律背反、言行不一致が、国民の不信感を増幅させているのである。

敗戦から70年を迎えるいま、日本がまずやるべきことは、戦争推進の戦争法案を完全廃案に追い込むことである。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/690.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 支持率さらに下落必至…安倍首相「戦後70年談話」の大誤算(日刊ゲンダイ)
             支持率さらに下落必至(C)日刊ゲンダイ


支持率さらに下落必至…安倍首相「戦後70年談話」の大誤算
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162774
2015年8月15日 日刊ゲンダイ


 国民の支持率回復という観点では、今回の「70年談話」は大失敗だったんじゃないか。

 スッタモンダの末、焦点だった4つのキーワード、「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」は全て盛り込まれた。とはいっても、いずれも過去の談話などからの“引用”という間接表現で、自分の言葉ではない。「村山首相談話を継承し発展させる会」の藤田高景理事長は、「4つの言葉を無理やり入れた姑息な作文」と言ったが、安保法案と同じで、ごまかしと逃げの談話だった。

 一方で、安倍応援団の右派にとっても不満が残る内容だった。4つの言葉が入ったうえ、「歴代内閣の立場は今後もゆるぎない」と表明して過去の談話を“引き継いだ”からだ。

「左派と右派の両方にとって、物足りない談話でした。安倍首相は本当は、談話で、『侵略を含めた歴史観を変えたい』と考えていたわけで、特に右派はそれを支持していた。しかし、安保法案で批判を浴びる中、いろんなことに気を使い過ぎて、文章のテクニックに走った結果、メッセージがぼけてしまいました」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

 安倍首相にとって痛いのは応援団の右派の離反だ。明治の産業革命遺産を「世界遺産」に登録する際に、「韓国に強制労働を認めさせられた」として右派から猛批判を浴びたことがトラウマになっている。70年談話をめぐっても、「おわび」を盛り込むことが事前に報じられていたからか、14日には、右翼の街宣車が大音量で自民党本部前に押し掛けていた。

 もっとも、そうした懸念があるため、談話には右派向けの配慮もあった。「子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりだ。

 会見の質疑応答で、“身内”の産経新聞記者がわざわざこの部分を質問し、安倍首相が再び強調するというやりとりがあったのが象徴的だ。

 政治評論家の野上忠興氏はこう言う。

「どっちつかずの内容のうえ、それでも右派に気を使わざるを得ない。支持率が急落し、心身ともに追い込まれている今の安倍首相の苦境が、談話によく表れていますよ。支持率はさらに下落するでしょう。歴史に名を残したいと格好をつけた結果、自ら墓穴を掘りました」

 70年談話なんて出さなきゃよかったのに、ホント、バカな首相だ。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/691.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 記事更新:3閣僚が靖国参拝=安倍首相は玉串料奉納[時事通信]
3閣僚が靖国参拝=安倍首相は玉串料奉納
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015081500148

 高市早苗総務相と山谷えり子国家公安委員長、有村治子少子化担当相の3閣僚は終戦記念日の15日、東京・九段北の靖国神社を相次いで参拝した。一方、安倍晋三首相は参拝を見送り、自民党の萩生田光一総裁特別補佐を通じ、私費で玉串料を奉納した。首相の玉串料奉納は3年連続。中国や韓国の反発を招きそうだ。
 高市氏は参拝後、記者団に対し、「国策に殉じた方々に尊崇の念を持って感謝の誠をささげてきた。どのように慰霊するかは外交問題になるべき事柄ではない」と語った。有村氏は「世界の平和と安全をつくり出していけるように、との思いで参拝した」と述べた。
 萩生田氏は同神社で記者団に、「(2013年12月に)首相は心静かに参拝したが、政治問題化、外交問題化した。総合的に判断して参拝を見送った」と説明。また、首相から「ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない」との伝言があったことを明らかにした。

 一方、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)も同日、集団で参拝し、自民、民主、維新の党などから60人以上が参加した。自民党の稲田朋美政調会長も、自身が会長を務める「伝統と創造の会」の所属議員とともに参拝。小泉進次郎内閣府政務官も個別に参拝した。 
 首相は15日午前、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花。この後、政府主催の全国戦没者追悼式に参列し、式辞を述べた。

[時事通信 2015/8/15]
※先に投稿された記事が更新されたものです
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/692.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 安倍首相式辞=全国戦没者追悼式[時事通信]
安倍首相式辞=全国戦没者追悼式
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015081500171

 15日の全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞全文は次の通り。
 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
 遠い戦場に、倒れられたみ霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に命を落とされたみ霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。
 皆さまの子、孫たちは皆さまの祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆さまの尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、私たちは、片時も忘れません。
 70年という月日は、短いものではありませんでした。平和を重んじ、戦争を憎んで、堅く身を持してまいりました。戦後間もない頃から、世界をより良い場に変えるため、各国・各地域の繁栄の、せめて一助たらんとして、孜々(しし)たる歩みを続けてまいりました。そのことを、皆さまは見守ってきてくださったことでしょう。
 同じ道を、歩んでまいります。歴史を直視し、常に謙抑を忘れません。私たちの今日あるは、あまたなる人々の善意のゆえでもあることに、感謝の念を、日々新たにいたします。
 戦後70年に当たり、戦争の惨禍を決して繰り返さない、そして、今を生きる世代、あすを生きる世代のために、国の未来を切り開いていく、そのことをお誓いいたします。
 終わりにいま一度、戦没者のみ霊に平安を、ご遺族の皆さまには、末永いご健勝をお祈りし、式辞と致します。

[時事通信 2015/8/15]

http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/693.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「安倍がいう平和っておかしいんじゃない?」〜8.14シールズ「国会前抗議」レポート(レイバーネット日本)
「安倍がいう平和っておかしいんじゃない?」〜8.14シールズ「国会前抗議」レポート
http://www.labornetjp.org/news/2015/0814kinosita
2015-08-15 13:30:44 木下昌明 レイバーネット日本



 8月14日夜、官邸前では川内原発の強引な再稼働に大勢の人々は行列をなし、怒りのシュプレヒコールの声を上げていた。しかし、女性がスピーチに立ったとき、突然、土砂降りの雨がふりはじめた。参加者は慣れたものでいっせいに傘をひらいた。が、一時休止となりどっと地下鉄の入口に押しよせた。



 国会正門前では、学生のシールズによる戦争法案反対の集会がはじまろうとしていたが、すでに歩道は人々であふれていた。この時パラついていた雨もやんだ。この日、安倍の談話があり、隣にいた報道の若い女性のスマホをのぞきみると、村山元首相が「何をおわびしているのかわからない」という文字がみえた。



 抗議がはじまると、いつも戦争法案一本やりなのにこの日は、原発再稼働反対のコールを折りこんで二つは一つの問題と訴えていた。



 リーダーの奥田愛基さんは、安倍の談話について語った。「安倍は平和が大事だと言っているが、最後に『積極的平和主義で日本は歩んでいかなければいけない』と結んでいる。これは集団的自衛権のことでしょう。ちょっとおかしいんじゃないか」と言葉の矛盾を痛烈に批判した。



 また沖縄からきた女子大生は沖縄の戦後をふりかえりながら「戦争法案」反対でしめくくった。もう一人の女子大生は「戦争はしたくない、人を殺したくない、殺されたくない。武力ではなく対話を。この叫びがきれいごとであってたまるか!」と訴えた。このあと圧巻のリレーコールがつづき、最後に奥田さんが涙声で、元特攻隊からの学生への励ましをよんで、祖父の時代からの戦争に巻きこまれた自らの歴史をふりかえって「戦争反対」と結んだ。



 この日の参加者は主催者発表8000人。帰り道、経産省前テントひろばに寄った。看板には「1434日」とかかれていた。たたかいはつづく。



→動画(奥田スピーチ 13分)
シールズ「戦争法案反対!国会前抗議」2015.8.14

※長棟はなみさんのスピーチに続いて奥田愛基さんのスピーチです。


関連記事
「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」―戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」SEALDs長棟さん
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/649.html




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/694.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 謝罪マニアに告ぐ 「敗戦国」から脱却せよ 阿比留瑠比[産経ニュース]
【メガプレミアム】
謝罪マニアに告ぐ 「敗戦国」から脱却せよ 阿比留瑠比
http://www.sankei.com/politics/news/150815/plt1508150001-n1.html

 「もはや戦後ではない」

 経済企画庁(現内閣府)が経済白書にこう記述したのは昭和31年、今から60年近く前の話である。当時の鳩山一郎首相の孫で、ルーピー(クルクルパー)と呼ばれた鳩山由紀夫元首相が政界を引退してからも、すでに随分たつ気がする。

 昭和60年の施政方針演説で中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」を訴えてからも、はや30年が経過した。あの時代を象徴したこの言葉も、もうあまり思い出されることもなくなった。

 それなのに、日本はいまだに「戦後」という堅牢な枠に閉じ込められたままだ。今年はメディアや国会で「戦後70年」が強調されており、戦勝国はお祭り気分ではしゃいでいるが、筆者はこの言葉を使うこと自体に抵抗を覚える。

 なぜなら70年と言えば、人が生まれて学校へ通い、社会に出て年金受給者となる時間をさらに上回る長い歳月なのである。にもかかわらず「戦後」はいつまでたっても終わらず、日本はいつまでたっても内外で敗戦国、敵国の扱いに甘んじている。

 なんと非生産的で退嬰的な現状だろうか。もちろん、中国や韓国のように、建国の経緯から日本を執拗に悪者にし続けなければ正統性が保てない国もあるが、どうしてそんな相手国の勝手な事情にこっちが付き合わなくてはならないのか。

 やはり、安倍晋三首相が第1次政権時代に掲げた「戦後レジームからの脱却」が必要である。これからの日本を背負う世代は、偽善と自己愛に満ちた内向きの反省と自虐の中に閉じ籠もることはやめ、国際社会で自国に自信と誇りを抱き、堂々と前を向いてほしい。

■またぞろ蠢く謝罪マニアの面々

 今年は、日本が新しい時代を前向きに生きるための第一歩にしたい。そして、今度こそ本当に、高らかに「もはや戦後ではない」と内外に宣言しなければならない。

 ところが、左派メディアも野党も相変わらず思考停止し、「過去」に拘泥している。安倍首相が今夏に出す戦後70年談話について、戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の踏襲を求め、「植民地支配と侵略」や「心からのお詫び」などの文言をそのまま使うべきだと感情的に主張している。

 揚げ句、戦後70年談話に関する有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理(国際大学長)までが3月のシンポジウムで「安倍首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と言い出す始末だ。

 さながら啓蟄前後から、日本中の謝罪マニアが土中から這い出て一斉に踊り出したかのようで、かまびすしいことこの上ない。

「こうなったら、談話では『侵略』『植民地支配』などのいわゆるキーワードは使わずに、いっそ修辞を凝らした『文学』にしてやろうかと思っている」

 政府高官は周囲にこう話している。例えば安倍首相は平成26年7月にオーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった先の大戦にかかわる「謝罪」という言葉は採用しなかった。その代わり、次のように深い哀悼を示すにとどめた。

「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。(中略)私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」

 その結果、明確な謝罪などしなくても、安倍首相の演説はオーストラリア議会に受け入れられ、大きな拍手を受けたのである。何も特定のキーワードにこだわる必要はなく、全体としてどういうメッセージを伝えるかが大事なのだ。

 ちなみに安倍首相は、終戦の日である8月15日の全国戦没者追悼式での式辞でも、近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする「反省」を踏襲していない。オートマチックに前例通りにあいさつするより、よほど意を尽くしたと言えるのではないか。

 また、政府高官は北岡氏の「侵略」発言についてもこう突き放している。

 「まあ、北岡発言は関係ない。自分で『侵略した』なんて言う国は日本しかない。だって果たして日本は英国を侵略したのか。何で当時、オランダがインドネシアにいたのか。日本が侵略したというのなら、欧米中が侵略していたということになる」

■侵略という言葉にこだわる愚

 そもそも、「侵略」という言葉に明確な定義はない。意味があやふやな政治的な言葉が、どうして70年談話の必須キーワードであるかのようにすり替えられたのか。

 安倍首相が国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁すると、メディアや野党は「侵略否定だ」「村山談話の否定だ」などとまるで大失言・暴言であるかのように騒ぎ立てた。だが、当の村山富市元首相自身が首相時代の平成7年10月の衆院予算委員会で、次のように答弁しているのである。

 「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」

 麻生太郎内閣時代の平成21年4月の衆院決算行政監視委員会では、外務省の小原雅博大臣官房参事官(当時)もこう答弁した。

 「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」

 さらに民主党の野田佳彦内閣時代の平成24年8月の参院外交防衛委員会では、玄葉光一郎外相もこう指摘した。

 「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だから、なかなか明確な定義というものができないのかなと」

 つまり、安倍首相は従来の政府見解を答弁しただけだったのに、内外のメディアなどから異様なバッシングを受けたのである。この問題をめぐっては、岸田文雄外相も4月1日の参院予算委員会でこう述べた。

 「植民地支配と侵略の定義についてはさまざまな議論があり、明確な答弁を行うことは困難だ」

 ところが、これまでさんざん安倍首相の答弁を批判してきた多くのメディアは、この岸田発言に関しては取り上げなかった。これまでの安倍首相批判記事との整合性がとれなくなるので、一斉に「報道しない自由」を行使して逃げたのだろう。

 この侵略の定義をめぐっては、伊藤隆・東大名誉教授が最近、鋭い指摘をしていたので、他誌(隔月刊「歴史通」5月号)ではあるが紹介したい。インタビュー記事の中で伊藤氏はこう述べている。

 「侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国家とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がないというのが、ぼくの結論です」

 なるほど納得できる。一方、この程度の抽象的な内容しかない「侵略」言葉をさも事の本質、一大事であるかのように書き立ててきた記者や論説委員は、自分の頭でものを考えたり、事実関係を調べたりしたことはあるのだろうかと疑問に思う。

 いずれにしろ、安倍首相はこんな言葉は重視していないし、戦後70年談話で使うこともないはずである。

■中韓に好餌与える談話と訣別せよ

 植民地支配、侵略、お詫び……などの言葉にこだわり、それらを使えば使うほど日本は「戦後」にからめ取られ、戦勝国と敗戦国という枠組みは固定化されていく。日本にとって有害無益であり、戦勝国を偽装する中国や韓国を喜ばすばかりだ。

 そしてその枠組みの半永久的な固定化について、意識してか無意識にか日本の左派メディアが率先して尖兵の役割を果たしている。彼らは左派言論が全盛で何を言っても書いても許された「戦後」によほど愛着が強く、もはや幻となりつつある戦後のぬるま湯にまだ浸かっていたいようだ。

 そんな彼らより、安倍首相の前述のオーストラリア訪問時での共同記者会見で、次のように訴えたアボット首相の方がよほど客観的かつ建設的だ。

「日本にフェア・ゴー(オーストラリアの公平精神)を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。70年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、日本は法の支配の下で行動をとってきた。『日本にフェア・ゴーを』とは『日本を公平に見てください』ということだ」

 韓国の朴槿恵大統領が、2年前の3月の演説で言い放った「加害者と被害者という立場は千年の時が流れても変わらない」というセリフとでは月とすっぽんである。どちらが日本の友邦としてよりふさわしいかは、いまさら言うまでもない。

 韓国は「戦後」どころではなく、千年だってさかのぼって謝罪しろと主張しているわけだ。だが、そんなことを言えば、日本は元と高麗の連合軍による元寇の被害者である。

 長崎県の離島、対馬や壱岐の住民は元寇で虐殺され、女性は手に穴をあけてそこに縄を通しつながれ拉致された。

 このときの元・高麗連合軍の残虐非道さは、言うことを聞かない子供を脅かす文句「ムクリコクリ(蒙古・高句麗)が来るぞ」となって記憶されている。

 しかも、歴史作家で徳島文理大学大学院教授の八幡和郎氏によると、高麗は「現実の来襲のときにはむしろ(元を)けしかけたのだし、主力でもあった」(「誤解だらけの韓国史の真実」)とされる。

 だから朴氏のセリフが仮に普遍的で正しいものだというのなら、日本人はいまだに韓国をうらんでいて当然だということになる。2度目の元寇である弘安の役からは、まだ734年しかたっていないからだ。本当に日本は隣国に恵まれていない。

 韓国のありようは、反面教師としてわれわれ日本人に、過去にばかり目を向けることの愚かしさ、無意味さを教えてくれる。

 歴史を学ぶのはそれを教訓として、あるいは未来をよりよいものにするヒントとして活かすためであり、決して過去の歴史に閉じ籠もるためではない。また、どこかの国に永遠にわび続けるためではないのも当然だ。

 そもそも、事実関係に基づかない贖罪意識や、国際関係全体の動向に目を向けない局地的・例外的な謝罪外交にどんなメリットがあるというのか。

 安倍首相による戦後70年談話は、いたずらに感傷的に自虐的に過去を振り返ることで、中国や韓国の思うつぼにはまってきたこれまでの日本と決別する内容であってほしい。

■新しく生まれ変わる好機に

 昨年は、戦後レジーム派の拠り所である朝日新聞が慰安婦問題をめぐる一連の誤報、虚報について初めて認めて謝罪した。

 ありのままの現実を直視せずに、連合国軍総司令部(GHQ)製の憲法前文をはじめとする非現実的な観念とイデオロギーに従って言論界を歪めてきた彼らの堤防が、ようやく決壊を始めた記念すべき年だった。

 だからこそ朝日の凋落に焦り、脅える戦後レジーム派は、今も彼らが黄金時代を過ごした「戦後」にすがっている。

 「私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは『決して過ちを繰り返さない』ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」

 これは平成19年の全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長(当時)が述べた式辞である。明らかに安倍首相(同)が提唱した「戦後レジームからの脱却」を当てこすっている。その河野氏も今や、ろくな根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話の虚構性が明らかになったことや、関連して自身が多くの嘘や誤魔化しを語り続けてきたことが白日の下にさらされ、一部のメディアにしか登場しなくなった。

 彼らは、憲法、その解釈、安全保障体制から児童・生徒の教育方針、官公労のあり方まで、前例墨守を金科玉条にしている。だからこそ、彼らの最後の砦であり居心地のいい住み処であった「戦後」は超克されなければならない。

 「日本の戦後70年については、かなり陰徳を積んだ70年だったのではないか」

 「日本が歩んできた70年の道のりをもう一度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこう」

 安倍首相は4月2日の「二十一世紀構想懇談会」第3回会合で、こう発言した。戦後70年を系統立てて振り返り、その道程と意義を再確認することを通じ、日本の将来を担う若者や子供たちのためにも「戦後」ではない「新しい時代」をつくっていきたい。

 今年は、戦勝国のお祭りの年である。だが、敗戦国である日本にとっても、新たに生まれ変わるチャンスの年でもあると思う。

 過去しか見ない人たちと、あるべき未来を見据えた人たちのどちらが国益に沿うかは論を俟たない。未来は、過去を懐かしむ人のためにあるのではない。これからを生きる人のものである。

※この記事は月刊正論6月号から転載しました。(6月21日掲載)

[産経ニュース 2015/8/15]
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/695.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 極右・公明党に変化なし<本澤二郎の「日本の風景」(2086) <公明70年談話・中国脅威論で戦争法正当化>
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52112738.html
2015年08月15日 「ジャーナリスト同盟」通信

<中国の学者も驚く>

 戦後70年の安倍談話に対して、評価したのは米国の戦争屋のみ、英国BBCやフランスの「ル・モンド」など手厳しい分析をして、さらなる日本と中韓の関係悪化を指摘した。安倍のずる賢い表現を国際社会は、見事に射抜いた。むろん、韓国も中国も鋭く分析、安倍の不誠実な発言をこき下ろしている。安倍70年談話は戦後最悪の評価を得てしまった。8・15各党の70年談話では、公明党のそれも中国の日本通の間などで槍玉に上がった。極右・公明党を、露呈する内容だったからである。それは、創価学会や創価大学の怒りを、ハナから無視するものだった。

<公明70年談話・中国脅威論で戦争法正当化>

 各党は戦後の平和国家の歩みを、まるで自分の成果のように評価した。とんでもない勘違いをしている。平和憲法・9条のなせるワザである。9条が存在しなければ、日本も米戦争屋の餌食になって朝鮮戦争・ベトナム戦争に加担させられていた。全て9条の一大成果である。
 問題は、戦争法について公明党は「国際情勢の複雑な変化」を強く指摘することで、その必要性を訴えて、極右・自民党に右倣えした。公明党はとうの昔に中道政党を放り投げて、自民党と同じ極右政党に成り下がっていたのである。改めて、そのことを内外に誇示した。
 自公のいう国際情勢の変化とは、日本の極右が作り上げた中国脅威論である。中国を仮想敵とすることで、戦争法を正当化しようとする、実にこすからい創造した国際情勢論である。
 中国の専門家が驚くのも当然であろう。公明党は、かなり早い時点、おそらく3年ぐらい前から池田平和主義を放棄、安倍の国粋主義に染まってしまっていたのだろう。
 このことに気付かなかった創価学会本部の中枢も、かなり腐敗していた証拠であろう。

<SGIは友好拡大を約束>

 数ヶ月前、池田氏が主導するSGIは、北京を訪問して「従来通り日中友好に力を尽くす」と公約している。人民日報と聖教新聞が報道している。
 公明党はこれに砂をかけ、足蹴にしているのである。公明党の裏切りはとどまるところがない。池田理念を放棄するどころか、それに敵対しているのである。それが70年談話で、改めて内外に誇示して見せたものだ。
 太田も山口・北側・井上らは、本当に悪党・腐敗した権力亡者・売国奴ではないだろうか。一体、何様だと考えているのであろうか。婦人部が手を抜けば、たちどころに議員バッジはなくなり、ただの人でしかない。
 池田氏を裏切った、彼らへの代償が何なのか、創価学会と創価大学の有志は、調査して公表してもらいたい。2014年4月28日、やくざの慰安婦にされて、非業の死を遂げた、戦争遺児の最期の怒りを、断じて無駄にしてほしくない。

<池田理念を放棄した公明党>

 中国脅威論を口実にした戦争法は、どう考えてもおかしい。憲法は絶対的平和主義を、日本政府に強要している。国際問題は外交で処理するものである。外交力で処理する。国際協調主義が日本国憲法の立場である。これが70年の平和を維持できた原因である。

 池田氏の平和主義も日中友好も、実は9条理念に従っているものである。日本国民もまた、これに同調する理由である。周恩来が病床に池田氏を招いて、永遠の友好を、共に誓いあった理由であろう。拙著「大中国の真実」(データハウス)においても紹介しておいた。
 公明党は、この理念を放棄して、国粋主義に呑み込まれてしまった。いまや反省・謝罪をすることが出来ない。ことほど地獄への道に踏み込んでしまったのであろう。これでは、池田氏の人間革命が泣こうというものだ。

<婦人部・創価大学生の蜂起>

 改めて創価学会婦人部の、さらなる決起を促そうと思う。木更津の戦争遺児は、やくざの手に落ちた。しかし、婦人部の多くは健在であろう。信濃町の腐った幹部から自己批判させる。無理なら追放・除名にすればいい。

 公明党からの不浄な金を懐に入れた幹部は、簡単に特定できるであろう。純粋無垢な学生は、恐れることはない。池田理念放棄の公明党本部・公明新聞に乗り込んで、犯人をつるし上げるのである。
 反省しないものは、排除するしかない。たかだか10人の女性の怒りの「サイレントデモ」に20人の警視庁の機動隊員を派遣要請をかける今の公明党である。こんな悪辣な人物は、自民党にもいなかった。
 裏切り者を退治して日本国民とアジア諸国民に希望の光を差し伸べてほしい。心からの期待である。

2015年8月15日記(政治評論家・日本記者クラブ会員・武漢大学客員教授)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/696.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 森村誠一氏 「安倍総理は戦争文化から何も学んでいない」(NEWS ポストセブン)
森村誠一氏 「安倍総理は戦争文化から何も学んでいない」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150815-00000012-pseven-soci
NEWS ポストセブン 8月15日(土)16時6分配信


 作家・森村誠一さん(82才)の原点は、70年前の8月14日深夜の熊谷空襲にある。生まれ育った埼玉県熊谷市の街が一夜にして焼け野原、近くの川に浮かんでいた見知った顔の死体の山…当時、小学6年生だった彼が目にした光景はあまりにも衝撃的だった。一日たりとも忘れていないあの日の出来事――

 戦後、森村さんはホテルマンを経て、念願の作家となり、ジャンルを問わず健筆を振るってきた。累計発行部数は1億4000万部を超える。

「読書、そして表現の自由がないなかで育ったので、これもあれも書きたいと、欲張りなのです」(森村さん、以下「」内同)

 1981年には、ノンフィクション『悪魔の飽食』を上梓した。日本陸軍第七三一部隊の凶悪な実態を赤裸々に描いた。

 同部隊は、満州(現・中国東北部)で細菌戦を目的にした捕虜への人体実験を行った。同書によると、凍傷実験ではこんなことが行われていた。

《酷寒の戸外へ連れ出し、冷水の入った桶に両手を入れさせ、それから手を出させて、濡れ手のまま、長時間寒気に立たせました》

《小さな棒をもって凍傷にかかった手を、小板をたたくような音が出るまでたたき続けました》(いずれも『新版 悪魔の飽食』(角川文庫)より)

「戦争は、人間を狂わせます。一般の人たちが悪魔の所業をためらいなくできてしまう。この七三一部隊の隊員は、私たちと同じ人間です。もともと人体実験をしたかった人はいないはず。戦争が人を洗脳し、非人間化していくんです」

 森村さんは、子供の頃の実体験からそのことを学び、取材・執筆を通じて訴え続けている。

「戦争によって得られるものがあるとすれば、それは戦争文化です。勝っても負けても絶対に行うべきではないということを学べます。安倍晋三総理は、多大な犠牲を払って得た戦争文化から何も学んでいない。

 そして、今は戦争を美化する若い世代が多い。その人たちに言いたいのは、『戦争が始まったら、あなたがいちばん最初に死ぬ』ということ。戦場行きを拒否すれば、非国民として人生を破壊される。今の日本は70年前と同じにおいがしています」

※女性セブン2015年8月20・27日号



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/697.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 適菜収内閣総理大臣談話(いわゆる適菜談話)

適菜収内閣総理大臣談話(いわゆる適菜談話)
http://politas.jp/features/8/article/428
2015年8月14日 適菜収 (作家・哲学者) ポリタス


先の大戦が終わりを告げてから、70年の歳月が流れました。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは「過去のあやまち」を2度と繰り返すことのないよう、歴史を直視し、真摯に反省し、若い世代に語り伝えていかなければなりません。

「過去のあやまち」の最大のものは、この20年間吹き荒れた「構造改革路線」「民主化路線」です。

政府は、特に近現代の研究を支援し、世の中が大きく歪んできた原因を究明すべくひき続き誠実に対応してまいります。

とはいえ、もう、やってしまったことは仕方がないから、ここらあたりで全部ストップさせる。

そして順を追って、元の状態に戻していこうと思います。

まずは、ポピュリズムの温床となる小選挙区比例代表並立制を中選挙区に戻す。党中央に権限が集中する政治資金規正法も1994年より前の形に戻す。郵政事業も国営に戻す。労働者派遣法の規制は強化し、構造改革特区は廃止します。司法に民意を持ち込む裁判員制度ももちろん廃止。参院は時間をかけて非民選にします。こちらは改憲が必要ですが、それが本来の上院の姿ですから。

道州制、一院制、首相公選制、移民政策、TPP、農協の解体、配偶者控除の廃止、消費税増税などの方向も、全部キャンセルします。

結局、「改革」「民主化」の大合唱の中で、国の形が大きく歪んできた。

それでロクでもないことになっちゃった。

今、必要なのは「改革幻想」からの決別です。

自民党はかつては保守政党の側面もあったが、今は完全にふわっとした空気に支持される革新政党になってしまった。だから、55年体制と派閥の復活により、もう少し落ち着いた政治を取り戻すために、政界再編を進めます。

いま、戦後70周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、国民を存亡の危機に陥れました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、国民の皆様に心からのお詫びの気持ちを表明いたします。


著者プロフィール
適菜収
てきな・おさむ
作家・哲学者
1975年生まれ。作家。哲学者。著書にニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語に訳した『キリスト教は邪教です!』をはじめ、『ゲーテの警告』『ニー チェの警鐘』『日本をダメにしたB層の研究』『日本を救うC層の研究』、呉智英 との共著に『愚民文明の暴走』(いずれも講談社)など多数」



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/698.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 日本の戦争責任。日本はアジア諸国を侵略し、植民地支配した。未来への責任は今の私たちが担っている。
日本の戦争責任。日本はアジア諸国を侵略し、植民地支配した。未来への責任は今の私たちが担っている。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/41a72d02df786eb114ee5bdc69eb9458
2015年08月15日 Everyone says I love you !



 今日は、日本がアジア太平洋戦争での敗戦を認めて、70年目の「終戦記念日」です(完全に敗戦したのに、まだ終戦と言いたがるところが未練がましい我が国なのです)。


 日本は、冒頭の地図のように、朝鮮半島や台湾などを植民地にして支配しました。朝鮮は実に36年物長きにわたって大日本帝国に植民地にされました。


 また、日本は中国大陸や東南アジア、太平洋の島々などをこれだけ侵略しました。日本列島の何十倍も版図を広げているのに、日本が、どこの国を侵略したと言えない安倍首相は、この状態をなんと認識しているの?


 日本軍の進出?




 この戦争を可能にするために、日本人や植民地支配された朝鮮半島などの方々、侵略された国々の方々の命と平和と人権は踏みにじられました。


 日本が起こした侵略戦争の中で、日本は1000万人単位のアジアやアメリカやオーストラリアなどの方々を殺し、300万人近い日本人も殺されました。


 日本人は沖縄戦や原爆投下や大空襲などなどで、たくさんの方々亡くなったのですが、戦死者の6割は餓死だったそうです。恐ろしいことです。


 でも、国で言えば日本は加害国です。アジア太平洋戦争という侵略戦争の中で、日本人の犠牲だけ強調するのはお門違いです。








日本軍が行なった残虐行為のひどい画像など山のようにあるのですがここには出せません。ご自身で探してみてください。




 70年前の今日、昭和天皇がラジオで、連合国が大日本帝国に無条件降伏を求めたポツダム宣言を受諾することを放送したのですが、このいわゆる「玉音放送」を聞いてみると、安倍首相の戦後70年談話さながら、言い訳ばかりで、日本人にも相手国民にも、ちっとも謝っていないのには驚きます。


 現代語訳でいうと


「そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。


先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。」


なんて言っちゃってます。


昭和天皇の玉音放送 高音質バージョン


 いやいやいや。


 あなたが開戦の決断をして、命令したんでしょうが。


 中国への侵略も、真珠湾攻撃によるアメリカへの開戦も、昭和天皇はちゃんと東条英機首相などから内奏=報告を受けて、決断しています。


 だって、戦前の大日本帝国憲法では、天皇は統治権を総攬(全部持つ)していて、総理大臣に特別な権限はなく、各大臣は天皇の政治を補弼(ほひつ。補い、助けること)するに過ぎず、統帥権(軍隊を指揮する権限)も宣戦布告する権限も戦争を終える権限も天皇が一手に持っていたのですから。


 最近、昭和天皇は開戦だけは嫌々決断して、終戦は必死に「聖断」したみたいな、都合のいい映画ができましたが、全くナンセンスです。


 実質的には権限がなかったから天皇に戦争責任がないなんて人がいますが、A級戦犯として処刑された歴代首相や閣僚たちは会社で言えば雇われ経営者です。大日本帝国のオーナーであり、最高責任者である天皇だけ、戦争責任がないだなんてことありえないでしょう。


 連合国の中でもオーストラリアやソ連など、天皇の戦争責任を追及し、処刑すべきだと主張した国はたくさんあったのですが、アメリカが日本の占領政策を円滑に進めるために、天皇制を存続させることに決めたのです。




「玉音放送」を聴く日本の人々。いかに絶対的天皇制の下でマインドコントロールされていたかがわかる。




 もちろん、日本の戦争責任は天皇だけにあるのではなく、閣僚や軍部の戦争責任は重大です。戦争したのは軍隊なんですから。


 また、マスコミも大政翼賛会化して戦争遂行を可能にしましたし、なにより、日本人のほとんどが戦争を支持したのですから、そのことを深く反省しなければいけないのは当然です。


 一億総懺悔(ざんげ)といって、戦争責任のありかをあいまいにしてしまうのは良くないのですが、一般国民はただの戦争の犠牲者かと言えばそれは全然違います。


 それにしても第二次大戦前の日本では、国民の表現の自由などが保障されず、情報も統制され、国民が戦争に反対することが非常に困難だったことは否めません。


 しかし、今の日本は違いますよ!


 まだまだ不十分とはいえ、報道の自由があり、表現の自由が保障され、私たちは知りたいことを知り、考えたいことを考えて、言いたいことが言える社会を作ってきました。


 もし、次の戦争を起こしたら、今度こそ、私たちは戦争の責任を一片たりとも他人のせいにはできません。安倍首相たちが戦争法案を作ってしまったから悪いんだ、などと、為政者だけの責任にはできませんよ。


 戦後80年談話、100年談話は、真に日本に暮らすすべての人を代表していると言える素晴らしい内閣総理大臣が、真摯に過去と向き合い、高らかに日本の平和と真の貢献を謳い上げる。


 そんな未来を創るのは、今この時。そして、私たち自身です。



侵略戦争―歴史事実と歴史認識 (ちくま新書)
纐纈 厚 (著)
筑摩書房
日清戦争から十五年戦争にいたるまで、日本を貫いてきた侵略思想とは何だったのか。明治期、西欧に対抗するべく強大国家=覇権国家を建設する過程で形成された帝国主義は、なぜ南京大虐殺や慰安所設置に代表される暴虐を生み出したのか。歴史事実の実証を通じて、自己本位の侵略思想が再生産される構造と体質を明らかにするとともに、歴史認識の共有による「平和的共存関係」への道を探る。



天皇の戦争責任 (同時代ライブラリー)
井上清 著
岩波書店
アジア諸国から天皇の戦争責任を問う声は厳しいが,私たちはそれに目をつぶりがちである.本書は「大東亜戦争」における昭和天皇の役割を歴史的に解明し責任の所在を明らかにした,この問題を考えるための必読書である.


素晴らしい社会を一緒に創りましょうよ。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/699.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <終戦の日> 天皇陛下、アベシンゾーに苦言(田中隆作ジャーナル)
【終戦の日】 天皇陛下、アベシンゾーに苦言
http://tanakaryusaku.jp/2015/08/00011765
2015年8月15日 17:12 田中隆作ジャーナル



車椅子の女性(86歳・広島在住)の兄はインドネシアのスラバヤで戦病死した。=15日、靖国神社 写真:筆者=


 70回目の終戦の日を迎えた靖国神社は、あの日と同じように強い陽ざしが照りつけ、境内を蝉しぐれが包んだ。


 「俺たちの死は何だったのか?」246万柱の英霊が地底から呻き声をあげているようでならなかった。


 先の戦争の反省に立つ憲法第9条が、オツムの弱い首相の解釈で勝手に変えられようとしているからだ。英霊たちは安んじて眠れたものではない。


 戦争への戒めが風化する一方で、遺族の高齢化は進む。終戦時(1945年)にゼロ歳だった人でさえ70歳だ。


 戦地に赴いた元兵士、兄や父を戦争で失った遺族を、靖国の境内で探し出すのは年々難しくなっている。



今年も会えた。中野学校出身の元陸軍情報部員は再来月90歳となる。人出の多さに「お正月の明治神宮みたいだ」と残念がった。=15日、靖国神社 写真:筆者=


 両手に杖を持ち家族に支えられながら参集殿に向かっているのは、元陸軍大尉という96歳の男性だ。


 男性は激戦地ビルマで大勢の部下を失った。「部下への感謝と慰霊に(靖国には)毎年来ている」と話す。問わず語りで、こちらの質問に対して明瞭な答えは返ってこない。


 千葉県から足を運んだという86歳の男性はすっかり腰が曲がっている。戦時中は山形に疎開していた。


 きょうは16歳で志願した同級生を弔いに来た。


 「友人は戦地に赴く前に(自分の疎開先の山形まで)会いに来てくれたが、中国で戦死した」。参拝を終えると、金色の菊が飾られた神門に深々とお辞儀をして靖国を後にした。



天皇皇后両陛下。=2013年4月、半蔵門付近で 取材班撮影=


 天皇陛下は靖国神社と隣り合う日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式で「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い・・・」と述べられた。


 宮内庁によれば、“さきの大戦に対する深い反省”という陛下のお言葉は、戦没者追悼式では「今まで使ったことがない」という。


 天皇陛下は新年のお言葉でも「満州事変に始まる戦争の歴史に学び、今後の日本の在り方を考えていくことが今きわめて大切」と述べられていた。


 年頭、そして8月15日、陛下は戦争に前のめりになるアベシンゾーに苦言を呈したのである。


             ◇


天皇陛下 追悼のおことば 全国戦没者追悼式(15/08/15)


天皇陛下のおことば全文 戦没者追悼式
http://www.asahi.com/articles/ASH8G6DBPH8GUTIL03Q.html
2015年8月15日12時41分 朝日新聞


 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。


 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。


 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。





http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/700.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀への怒りを詠んだ未発表の歌が…それでも参拝する安倍内閣は“逆賊の集団”か!?(リテラ)
                     『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(朝日新聞社)


昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀への怒りを詠んだ未発表の歌が…それでも参拝する安倍内閣は“逆賊の集団”か!?
http://lite-ra.com/2015/08/post-1393.html
2015.08.15. リテラ


 終戦記念日の8月15日、またぞろ恒例の閣僚による靖国参拝が実施された。予想通り、高市早苗総務相に有村治子少子化担当相、次期総理説も出ている稲田朋美自民党政調会長も参拝した。安倍首相も本人の参拝こそ見送ったが、例の言論弾圧の先兵・萩生田光一首相特別補佐を名代にたてて、玉串料をおさめた。

 しかし、この底の浅い歴史修正主義者たちは、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀を嘆いたこんな歌を詠んだことを知っているのだろうか。

〈靖国の名にそむきまつれる神々を思へばうれひのふかくもあるか〉

「靖国の名にそむきまつれる」というのはかなり激烈な表現だが、実はこの歌は正式には発表されていない。その存在を明らかにしたのは、朝日新聞の元宮内庁担当記者・岩井克己氏だ。

 岩井氏は記者時代、「皇太子ご夫妻訪韓延期」「礼宮さま婚約」「雅子さま懐妊」など、数々のスクープを手がけた一方、皇室への深い造詣と該博な歴史の知識でも知られている元皇室記者だ。とくに昭和天皇の側近中の側近である徳川義寛侍従長(当時)から厚い信頼を受け、徳川の死後、その生前の証言をまとめた聞き書き『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(朝日新聞社/1997年)を出版している。

 岩井氏は現在、月刊情報誌「選択」(選択出版)で、「皇室の風」という連載をもっているのだが、今から2年半前の2013年2月号で徳川侍従長とのこんなエピソードを公開して、上記の歌を紹介したのだ。

〈筆者は聞き書きの最中、生前の徳川から御製集(天皇の短歌や詩作集)『おほうなばら』を数日間貸してもらったことがある。ページをめくっていると、小さな短冊がはさんであるのに気づいた。鉛筆の走り書きである。後日尋ねると「発表をとりやめた歌です」と答えた。「これこそが昭和天皇の元の御製に違いない」と思った。〉

 岩井氏の指摘はかなり信憑性の高いものだ。周知のように、1978年、靖国神社が松平永芳宮司の手でA級戦犯合祀を行って以来、昭和天皇は靖国参拝を取りやめ、亡くなるまで一度も行っていない。

 そして、2006年、日経新聞が元宮内庁長官・富田朝彦が遺した1988年4月28日のメモに、昭和天皇のこんな言葉が記されていることをスクープした。

〈私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉

 昭和天皇は、明らかに靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感をもっており、それが参拝拒否の原因だった。

 また、昭和天皇には、発表された御製(天皇の短歌や詩作)のなかにも、靖国神社のA級戦犯合祀を憂えた歌がある。1986年8月15日に詠まれたもので、1990年に出版された御製集『おほうなばら』(読売新聞社)に採録された歌だ。

〈この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし〉 

 この歌については、天皇の歌の相談役をつとめていた歌人・岡野弘彦が『昭和天皇御製 四季の歌』(同朋舎メディアプラン)の解説のなかで、当時、徳川からこんな説明を受けたことを紹介している。

「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社に合祀せよという意見が起こってきたとき、お上はそのことに反対の考えを持っていられました。その理由は二つあって、一つは国のために戦に臨んで、戦死した人々のみ魂を鎮める神社であるのに、その性格が変るとお思いになっていること。もう一つはあの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとお考えなのです。ただ、それをあまりはっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲にしていただいたのです」

 つまり、冒頭で紹介した未発表の〈靖国の名にそむき…〉という歌は、1990年に発表され、徳川が「婉曲にしていただいた」と語った御製〈この年のこの日にも…〉の元歌だった可能性が非常に高いのだ。発表された御製でも不快感は十分伝わってくるが、昭和天皇のA級戦犯合祀への怒りはもっと激しかったといえるだろう。

 徳川は岩井氏による聞き書き『侍従長の遺言』でも、〈合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものに整えさせていただいた。(中略)それなのに合祀賛成派の人たちは都合のよいように曲解した〉と批判していた。つまり、徳川は昭和天皇の真意をねじ曲げるA級戦犯擁護派を牽制するために、元歌をあえて岩井氏に託した、ということなのかもしれない。

 しかし、これだけの事実があっても、安倍政権の歴史修正主義者たちは今も、昭和天皇がA級戦犯合祀に怒っていたという事実から目を背け、靖国参拝を続けている。そして、安倍政権をバックアップする右派メディアは昭和天皇の不快感を示した富田メモをでっちあげだと言い張り、発表された御製についても、A級参拝でなく、靖国参拝反対の動きへの不快感を示されたものだなどという嘘をふりまいている。とにかくA級戦犯を擁護したくてたまらないのだ。

 だが、彼らはA級戦犯合祀を肯定することがイコール天皇否定につながることをわかっているのだろうか。この倒錯を指摘したのは、昨日も本サイトで紹介した保阪正康氏の『安倍首相の「歴史観」を問う』(講談社)だ。

 保阪氏によると、松平永芳宮司(当時)がA級戦犯の靖国神社合祀を押し切った背景にあるのは、太平洋戦争が終わったのは軍事的には1945(昭和20)年8月15日だが、政治的に終わったのは1952(昭和27)年4月28日、つまりサンフランシスコ講和条約発効の日であるという認識だ。

 つまり、松平は占領期の6年8カ月を太平洋戦争の「政治の戦争」であり、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯を「政治の戦争」による戦死だと見なす。だから、靖国神社に合祀したという理屈なのだ。

 しかし、占領期をアメリカ中心の連合国との政治的戦争だったとすると、GHQを受け入れた吉田茂元首相は“敵国アメリカ”の傀儡政権であり、昭和天皇も戦勝国に屈服した“傀儡天皇”として、糾弾される存在になってしまう。

 まったく現実が見えていない妄想的な歴史認識だが、しかし、靖国参拝にこだわり、日本国憲法を「占領憲法」「押しつけ憲法」とする安倍首相たちの姿勢は、この松平宮司の歴史観の延長線上にある。彼らは、占領期を屈辱と感じ、それを受け入れた昭和天皇を心の底では傀儡とみなしているということだろう。

 これで、「天皇中心の国家をつくる」などと標榜しているのだから唖然とするが、ようは連中の考え方は、自分たちの戦争推進、侵略肯定、国民の人権制限への欲望を天皇という存在を借りて正当化しようとしているだけなのである。だから、自分たちの欲望を否定する天皇の存在などは平気で無視することができる──。

 そういう意味では、安倍政権に群がる連中はまさに戦前の軍部と同じ、もはや「保守」ですらないのかもしれない。

(エンジョウトオル)


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/701.html

記事 [政治・選挙・NHK190] マザコン首相は母の存命中に日本を戦争のできる国にしたい | カレイドスコープ
カレイドスコープ
Sat.2015.08.15

マザコン首相は母の存命中に日本を戦争のできる国にしたい
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3760.html



統一教会の教祖・文鮮明と固い握手を交わす晋三の祖父・岸信介。
安倍晋三の母・洋子は岸信介の長女。
洋子の夫は、半島ルーツの安倍晋太郎。

安倍首相と山口組と統一教会と北朝鮮。全ては裏で一つにつながっている。

心霊朝鮮カルト、核への異常な愛情、母の血脈へのおぞましき執着が安倍晋三というモンスターを生み出した

安倍晋三の「戦後70年談話」の一部始終を見て、吐き気を催した。

いつものことだが、相変わらずお抱えの振付師が振り付けた、うっとおしい身振り手振りだけが残像として目の奥に焼き付いている。

ゴーストライター(おそらく寿司トモつながりのブンヤ上がり)が書いた無機質な駄文を、するりと両腕からすり抜けてしまうような空気だけの誠意を伴って、懸命に己のパフォーマンスに酔いしれる晋三の表情は、世界一痛々しい男のそれにしか映らない。

自分の感情もないし、自分の言葉の一つもなかった。

彼の所作を見ていると、彼のスタイリスト、メイク担当、振付師たちが気ぜわしく動く裏舞台のイメージだけが浮かんでくる。

おそらく彼の生涯は、イミテーションのままで終わるのだろうと思った。一瞬でさえ、人として、男として生きることのないまま人生の幕を閉じるのだろうと。

安倍晋三から、彼の魂を抜き取ったのは、いったい誰だろうと考えた。

【全文公開】細川・羽田・村山・鳩山・菅元総理が安倍総理に苦言「あまりにも唯我独尊」――法案の「廃案」、総理「辞職」をも求めた5人の提言
を読んで合点がいった。

5人の元総理のどれも納得のいく提言だが、最後に掲載されている菅直人元総理の提言に、それは書かれている。

安倍総理は小さいころから父祖であった岸信介元総理を尊敬し、岸総理がやって来たことはすべて正しいと母親から教えられてきている。
祖父を尊敬することは、一般的には決して悪いことではない。ほほえましいことである。
しかし、政治家として祖父である岸信介元総理がやったことすべてが正しいと思いこむことは問題だ。




安倍晋三を岸信介のイミテーションとして育てたのは母・洋子である。

本当のことを言えば、菅直人元首相の提言を借りるまでもなく、それが誰だか分かっている。
温情から、今まで書かなかっただけである。

ただ、この安倍の談話を見て、人としての感情がまったく感じられない。
このマザコン男は、大量の日本人を殺すだろう、と確信した。

もちろん、マスコミの連中は、とっくに知っているはずである。政界では、母・洋子は「ゴッドマザー」と呼ばれているが、そう言い出したのは、大マスコミの今では古参となった記者連中だからだ。

洋子は、「慧光塾」という心霊がかった朝鮮カルトにのめり込んだことがあった。晋三も当然、それに引き込まれて“ご託宣”で組閣までやるようになった。



晋三は、事を決する時は結局、母・洋子に助言を求める。
異様なほど、自宅に帰り母親の部屋に入りびたり。
晋三にとって、母・洋子を失うことは羅針盤を失うことに等しいのだ。

公邸に住まないで自宅から官邸に通っているのは、幽霊が出るという噂のせいばかりでなく、母・洋子と離れたくないからだ。



朝鮮心霊カルト「慧光塾」の関係者は、こう証言している。
「参院選大敗直後、母・洋子さんが、教祖に閣僚候補に関して“お告げ”を言ってもらったのです」。

母・洋子は、安倍晋三に亡き父の面影を見続けている。
洋子の執念は、父・信介が果たせなかった野望を、溺愛の息子・晋三に託すことだった。

すでに洋子は86歳。時間がない。焦る晋三。

その焦りと、母・洋子のゆがんだ愛情が、多くの国民を死の淵に立たせようとしているのだ。

ここに、安倍晋三の叔父の証言に基づいた記事がある。

「安倍首相を形成した母・洋子の執念。マザコンを作り上げた一般人に理解できない血脈の濃さとは」から一部抜粋

安倍晋三の叔父(父・晋太郎の異父弟)にあたる故・西村正雄氏(みずほ銀行の前身、元日本興業銀行頭取)は、甥(おい)っ子である晋三の歴史観や戦争観を正面から批判し「偏狭なナショナリストと離れろ」と警鐘を鳴らし続けた肉親である。

西村正雄氏は、亡くなる直前(第1次安倍内閣が成立する前)、「晋三はしっかりとした自分の考えがない。戦争への実感や歴史に対する理解が欠けている」と苦言を呈していた。

わざわざ晋三に長文の手紙も送っていた。肉親のひとりとして心から心配してのことだった。



安倍晋三には、まったく人としての感情がない。

こんなサイコが世の中に生み出されてしまった原因は、母・洋子と冷酷な因子を持って生まれた晋三との“ベストマッチング”だ。

心霊カルトにのめり込む母親と、自分の思考を持たず、他人に決断を任せるしかない愚鈍な男が、この日本を本当に滅ぼすのである。

そして、この本物の狂人にぶらさがって、一切口をつぐんでしまった自民党と公明党の犯罪議員ども。たったの一人も正論を吐き、正面切って反対する議員がいないという異常な自民党という政党。

彼らは二度と国政の場に戻ることはないだろう。国民から全員落選という制裁を受けなければならない。

安倍晋三は、身内の多くの自民党議員たちから、「なぜ、そんなに急ぐのだ」と言われてきた。晋三は、一度も、その理由について答えていない。

今、私が代弁しよう。

母・洋子が生きている間に、日本の若者を戦場に自由に駆り出すことができる法律を成立させ、“世界貢献することができる”よう憲法を改正(悪)するためである。

しかし、母・洋子も晋三も、重大なことに気がついていない。
祖父の岸信介がA級戦犯になったときの絶望感が、いかばかりだったのか、ということを。

それで、母・洋子が死んでしまったら・・・そして、晋三が精神のバランスを崩してしまったら(今でも晋三の精神の異常さは明らか)・・・このサイコパスに何が起こる?

岸信介の遺伝子に隠された米帝への復讐心が時を経て一気に発現するのだ。それを受け継いでいる晋三は、アメリカに向かって牙を剥くだろう。

私は、安倍晋三が第一次安倍内閣の組閣前後に国会で演説した時、「私は今権力の頂点に居る」と発言したのを見て仰天したことを覚えている。だから、この動画を何度となく引用してきた。

これは立憲主義を真っ向から否定している絵である。
マスコミは、このとき問題視しなかった。彼は本気で言っているのだ。

マスコミは隠してきたようだが、彼には精神の病で通院歴があると永田町では言われているそうな。

根本的な問題は、集団的自衛権の行使を巡る安保法制ではない。
「ワタチは日本国憲法より上にいる存在である」と晋三が言っているのに、さして気に留めないマスコミの鈍感さと国民の愚鈍さである。

無知は自分を殺すのである。この国の国民は、無知ばかりだ。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/702.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 日本は凄まじい知性劣化の暗雲に覆われている | カレイドスコープ
カレイドスコープ
Sat.2015.08.15

日本は凄まじい知性劣化の暗雲に覆われている
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3761.html


安倍70年談話の中の「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」云々の文言が、安倍の言う「未来志向」だなどと、ふざけんじゃない!と、猛烈な反論のツイートが怒濤のように押し寄せている。

安倍晋三は、国民に自分と同じ白痴になーれ、と言っている

「謝罪を続ける宿命を背負わせて・・・」このフレーズについて、報道ステーションの古館キャスターが、やはり取り上げた。彼なら、そうすると思っていた。

確かに、この部分だけが、まるでハイライトされたように、他の言葉から浮きあがっていた。ここに安倍晋三という男の狡猾さがにじみ出ている。

まず、「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という言葉自体が間違っている。
だから、本来であれば(まともな国民であれば)ツイートするまでもない、ということになる。

「宿命」を「運命」とするなら、まだ意味が通るものの、「宿命」は、そもそも変えようがないものだから、これを談話の中に盛り込むこと自体が知性の欠如と言わざるを得ない。

いったいゴーストライターは誰なの知りたい。国民からの罵倒を免れない人物である。

まず、日本という国に、この時代、オギャーと生まれることは宿命である。(霊的に言えば、それ自体も自分が選択して生まれてきたのだが)
とにかく、オギャーと外界に飛び出したその瞬間に運命が紡がれる。

変えることができない宿命のことは、信仰などによって変えるしかない。ただし、本人が、「変わった」と思い込むことができれば、それでよし、ということである。信仰は、そのためにある。

私たちが、取りかかっているのは運命である。個人の運命、日本人としての集団の運命・・・

大人がやらなければならないのは、これから生まれて来る、まだ見ぬ子供たちに過酷な運命を背負わせないようにするための作業である。

そして、私たちが、どう自由を守るために闘ったのかという記憶を受け渡すことである。これが断絶されたとき、独裁国家の中の「見ざる言わざる聞かざる」の文盲奴隷となる。

それには言論の自由が絶対的な必要条件である。

安倍晋三の、「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」というのは、事実を歪曲し、ときには情報を捏造し、真実を封印することによって、そうしよう、と言っているのである。

これは情報の遮断である。安倍の言う通りやれば、次の世代は馬鹿しかいなくなる。

すでに生まれている子供、大人は、否が応でも、現実という運命をすでに背負わされている。「そんなの嫌だ」といくら叫んでも、すでにその運命の中にいるのだから、受け入れざるを得なくなっている。

安倍晋三が「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせないようにする」という意味は、歴史修正主義によって、「なかったことに」改ざんすることをいう。
それはペテンである。

安倍晋三という超絶白痴の最低のペテン師は、国民にもペテンを共有させ、「なかったことにしよう!」と言っているのである。

高市早苗という、知性の欠片もないどうしようもない議員が、国会議員になりたての頃、「私は生まれていない頃のことに責任はない」、つまり戦争責任はないと公言した。

戦争によって行われた人間の狂気による残虐行為の数々を、なかったことにして、果たして何が解決するというのか。

重要なことは、運命から逃げることを止めて、逆に、その運命から学び、その運命を変えようとする努力そのものである。

もっと分かりやすく言えば、運命が変わったとか、安倍の言う宿命がなくなったとか(そんなことあり得ないが)、結果は誰にも分からないのだ。

であれば、結果を求めるより、それを変えようとする努力と過程こそが重要なのである。そこには持続的な情熱と明瞭な才気、未来への希望が必要だ。

安倍は、それを放棄してしまえ、と言っている。分かるか?

もちろん、そこから希望は生まれない。いかにも、なんでも垂れ流しの晋三らしい考え方だ。

問題は、オギャーと外界に飛び出したその瞬間に背負うことになる運命が、耐えられないほどの苦痛であってはならない、ということである。
その苦痛を少しでも減らしておくことが、この国にすでに生まれている者が背負っている運命である。

安倍晋三は、今までも、これからも「常に逃げてきたし、逃げようとしている」。徹底して、「逃げる」、「逃げる」。
この70年談話も、それで埋め尽くされている。

民度とは、この運命とどう向き合うか、その態度・構えによって決まる。

民主主義を言いたいなら、まず今までのことを理解しなければならない。
それさえ理解できないのであれば、そもそも民主主義を言う資格がないどころか、トンチンカンなことを言って、他人を惑わすだけだろう。

だから、私の目には、バカッターたちのカラ騒ぎに見える。あんなものは知性の劣化でさえない。感情の劣化だ。だから、それ以下になると、獣(けだもの)と同じレベルになる。

このままでは、戦争に突入するだろう。

今になって嘆き、騒いでも手遅れの様相になって来た。相手は精神異常者たちである。

こんなことなら、なぜ2年前に気が付かなかったのか。
情報がなかったなどと言わせない。私は、今の日本の状況、そっくりのことを何度も何度も書いている。私だけでなく、何人かのブロガーも書いているのだ。

知らなかったのではなく、無関心だったのである。だから目に留まらなかったのだ。
無関心は、他人への冷酷さから来る。

今、その冷酷さが、ブーメランにように自分めがけて襲いかかろうとしているに過ぎない。

硫黄島の噴火は何を暗示しているのだろうー首都圏の大揺れか

安倍晋三の口癖は、「英霊に尊崇の念を抱いて」だ。何度聞かされたことか。
安倍は2013年4月、硫黄島を訪れて日本兵の遺骨収集に拍車をかけるよう指示した。

突撃命令を与えず、B29大型爆撃機が日本本土空襲のための滑走路建設を遅らせるために部下に玉砕することを命じた。

硫黄島は、火山島で水がない。どこも40度の高温の島だ。
そこで玉砕することは、即身成仏するより数段、辛いことだったろう。

それを指揮した栗林忠道陸軍大将の孫が、自民党の現職国会議員の新藤義孝である。

新藤は、憲法改正、集団的自衛権の行使に賛成、秘密保護法に賛成の立場。
その上、あの犯罪的な言論活動を繰り返しているネット暴徒「自民党インターネットサポータークラブ」を設立した男である。

硫黄島が、ここにきて、とうとう小規模噴火をするようになった。

この政権に対する2万人以上の英霊の怒りが噴出しているのである。

そして、それは、数日以内に、首都圏を揺るがすだろう。

桜島にも大噴火の前触れが。
川内原発が電源喪失しても、この様子では、立地住民である薩摩川内市の住民は避難さえできないだろう。

まっとうな目から見れば、川内原発の新たな事故は、すでに予知されている。それは、必ず起こるだろう。

まったく、やるせないほどの白痴たちである。たった26億円の経済効果のために、被曝を買って出るのだから。
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/703.html
記事 [政治・選挙・NHK190] 戦後70年談話 中国に配慮、韓国ほぼ“無視” 記述に濃淡、背景は…(ZAKZAK)
中国をより配慮した70年談話を発表した安倍首相。韓国の朴槿恵大統領は“無視”された格好だ


http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20150815/plt1508151830004-n1.htm
2015.08.15


 安倍晋三首相が14日に発表した戦後70年談話には、「侵略」「植民地支配」「おわび」「反省」のキーワードが盛り込まれ、中国や韓国に一定の配慮を示した格好となった。ただし、両国に対する書きぶりには微妙な濃淡がある。中国を念頭に置いた表現が頻繁に登場する半面、韓国に対してはほぼ“無視”ともとれる記述なのだ。慰安婦問題などに固執する朴槿恵(パク・クネ)大統領を突き放したともいえそうだ。

 「アジアの国々をはじめ、多くの国々と共に未来への夢を紡ぎ出すための基盤にしたい」

 安倍首相は、談話を発表した14日の記者会見でこう強調した。

 談話発表を受け、オバマ米政権は同日、第2次大戦に対する反省と歴代政権の談話継承が表明されたことを「歓迎する」との声明を発表した。

 米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は声明で「日本が世界の平和と繁栄への貢献を進める意思」を確認したとの見解を示し、「70年間、平和と民主主義、法の支配に取り組んできた実績はあらゆる国の模範だ」と評価した。

 談話の中身を詳細に見ていくと、中国への強い配慮がにじんでいることが分かる。

 首相談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告書では、委員の多数意見として「満州事変以降、大陸への侵略を拡大」と明記されたが、談話でも「満州事変」という固有名詞に言及した上で、その後の日本が「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」とした。

 さらに「中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ」「戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さん」といった記述も続いた。

 一方、韓国を念頭に置いたとみられる表現は、これほど手厚くはない。

 「植民地支配から永遠に訣別し」と明記したものの、「日韓併合」などの歴史的事象への言及はなかった。「韓国」という固有名詞も、「東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史」というフレーズの中で登場する程度だ。

 安倍首相は今年2月の施政方針演説でも、中国と韓国への対応にくっきりと濃淡をつけている。

 中国には、昨年1月の施政方針演説では使わなかった「友好」という言葉を昨秋の所信表明演説に続き用いたのに対し、韓国に関しては、「基本的な価値や利益を共有する」として列挙した国々にあえて含めなかった。

 背景には、日韓間で解決済みの慰安婦問題に固執し、2国間関係の進展に背を向ける韓国への不信感がある。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領は15日、日本による朝鮮半島統治の解放から70年を記念する「光復節」の式典で演説。安倍談話について、「物足りない部分が少なくないのは事実だ」と指摘する一方で、「日本の歴代内閣の立場が今後も揺るぎないものであると、国際社会に明らかにしたことを注目する」と述べた。

 韓国メディアは70年談話について、植民地支配と侵略に触れたが日本の行為と明示せず、おわびも過去に行ったと表明しただけだ、と酷評した。朝鮮日報(電子版)は、首相が先の大戦の行いに「繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」としたことについて「今までそうやってきた、というだけ」と伝えた。ソウル新聞は15日付早版の1面トップで「誠意のない“過去形の謝罪”」と見出しを付けた。

 一方、「反省とおわびなどに言及したという点で意味のある談話だ」(与党セヌリ党報道官)と評価する向きもあり、70年談話は韓国内の意見を揺さぶる一定の効果も上げている。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/704.html

記事 [政治・選挙・NHK190] お粗末にして仰々しい70年談話(永田町徒然草)
お粗末にして仰々しい70年談話
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1708
15年08月15日 永田町徒然草


8月15日の終戦記念日は、ほとんど暑い日が多い。昭和20年のその日も暑かったという。この日は、先の戦争で命を落とした人々に想いを致し、その冥福を祈り、平和を祈念する日である。多くの日本人がごく自然にそのようにしてきた。私もいつも特別な日として過ごしてきた。ところが、今年は違った。昨日の安倍首相の戦後70年談話を多くの人々がどのように評価しするのか、また関係諸国からどのような反応があるのか、それを確かめるのに忙しかった。

そもそも私の作業は、昨晩から始まった。まずは、昨日の午後6時から始まったテレビの記者会見を見て、何かおかしいぞと思った。安倍首相が焦点の定まらない、宙を仰いだような表情で、訳の分からないことを長々と喋っている。一体何が始まったのかと多くの人々が感じたと思う。確かプロンプターが左右にあった。安倍首相はプロンプターに映っている70年談話を読んでいたのだ。

4000字を超えるような談話(声明文)を何も諳(そらん)じる必要はない。一語一句が大切なのだから、心を込め、抑揚をつけてチャンと朗読すればよいのだ。その朗読を終えてから、国民に向かって言いたいことがあれば、説得力ある言葉と表現で語ればよいのである。プロンプターはそういう時に使うものだ。そうすればあの宙を仰いだような不自然な表情を国民に見せることはなかったのに…。

私は何を言っているのか分からなかったのでパソコンをみたら、既に70年談話の全文が載っているではないか。安倍首相はプロンプターに映っている70年談話をできるできるだけ説得力があるように読もうとしていたのだ。読み難いところがあったのだろう、目が宙に浮かんだり不自然な表情になってしまうのだ。4000字の談話を諳んじたからといって誰も安倍首相は頭がいい、などと言わない。格好いいとも思わない。周りにはいろいろな人物がいるようだが、今回の演出は一体誰なのだ。

さて70年談話の中味だが、私の評価はゼロ点である。その理由は、安倍首相が長々と述べた不幸な戦争や歴史をすべて踏まえて、わが国の憲法前文と9条は制定されたのだ。そのことを確認することが一番大切だし、諸外国に対しても重みのある談話となる。しかし、安倍首相はそこを認める気が全くないのであるからしょうがないないのだ。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

これは70年談話の結びの部分でる。積極的平和主義にわざわざカギ括弧が付けらている。積極的平和主義などという用語は、安倍首相が使う浅はかな政治用語に過ぎない。その積極的平和主義に基づいて、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を行い、そして多くの国民が反対している安保関連法案を国会に提出したのだ。安保関連法案は何としても成立させるぞと内外に言うために仰々しい70年談話をわざわざ出したのだ。何ともお粗末な話ではないか。

今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/705.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <岩上安身のニュースのトリセツ>安倍談話はやはり村山談話の否定だった!浮かび上がる「積極的平和主義」と「TPP」の正体
【岩上安身のニュースのトリセツ】安倍談話はやはり村山談話の否定だった!浮かび上がる「積極的平和主義」と「TPP」の正体 〜単なる米国の「属国宣言」に過ぎないという本質と本音
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258098
2015.08.15 IWJ Independent Web Journal


 やはりと言うべきか、安倍総理は村山談話を継承したとはいえない、シロモノとなった。


 2015年8月14日、安倍政権は「戦後70年談話」を閣議決定した。村山談話にある「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」という4つのキーワードが盛り込まれるかどうかが焦点と事前に報じられていたなか、確かに安倍談話は、その全ての言葉を盛り込みはした。


 しかし、この談話をつぶさに読み解くと、4つの言葉は確かに盛り込まれているものの、その意味合いは、村山談話を「全体として」どころか「一部」ですら引き継いでいない事が分かる。



▲会見で記者の質問に答える安倍総理


・首相官邸HP 安倍総理「戦後70年談話」全文
 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
 ・


 談話には「先の大戦への深い悔悟の念」「戦後70年にあたり、国内外に倒れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに永劫の哀悼の誠を捧げます」といったような、一見すると、過去の日本の行いに対する謝罪とお詫びが書かれているように見える。


 しかしこれらの文章には、共通する特徴がある。それは、「誰」が「誰」に対して、その行いをし、具体的に「何」をし、「誰」が「何」に対して頭を垂れているのか、という「主体」や「客体」が、徹頭徹尾、曖昧にぼかされているのだ。


 例えば、「先の大戦のへの深い悔悟(※)」。これが「先の侵略戦争と植民地支配への深い悔悟」という文言であれば、過去の日本が行った、侵略戦争と植民地支配への、深い悔悟、ということであって、「悔悟」という言葉の意味が、クリアになる。村山談話の「反省」という言葉を、「悔悟」へと表現は変えながらも引き継いだのだということになる。


(※)「悔悟」とは、今までのことを悪かったとさとり、悔いることを指す。


 だが、「大戦への悔悟」であれば、誰がその大戦を始めたのかが曖昧になり、日本の侵略から始まった戦争への悔悟、日本の戦争責任というニュアンスは、うやむやにぼかされてしまう。安倍総理のいう「悔悟」とは、侵略戦争と植民地支配への「悔悟」をダイレクトに指すものではない。


 たしかにやたらに言葉数は多い。感情にことさらに訴えようとする表現も鼻につくほど目立つ。だが、その大戦の被害者の苦しみは、主語をぼかされてはいるものの、多くは日本人の犠牲と読めるのだ。


 「日本の過去の行いを侵略や植民地支配であるというニュアンスは、なるべく薄め、今の我々には謝罪は必要ない」という意識が、文章のそこかしこから滲んでいるのがみてとれる。その一つの証拠に、談話に出てくる「植民地支配」は、「西洋諸国が行ったもの」という意味合いでしか登場しない。


 そして極めつけは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という一文が唐突に登場する点だ。


 これは、許されない一文である。もし仮にそう思うのであれば、安倍総理の世代が、ぐだぐだと歴史修正主義的な発言や行動を重ねることなく、潔く、過去の侵略戦争と植民地支配について徹底的に詫びきって、次世代にバトンタッチしていくべきである。


 中韓との間のわだかまりを蒸し返し、再生産しているのは、大衆的なナショナリズムを刺激し、それを権力掌握のために政治利用してきた安倍総理はその同類のエセ保守・エセ愛国政治家たちに他ならない。彼らのせいで、後続世代はまた、居心地の悪い思いをしなくてはならないのである。


 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」——。


 これは、村山談話の肝の部分である。簡潔にして、明快に、シンプルに、過去の日本の加害の歴史をふまえ、謝罪と反省を述べている。日本人であろうと中国人であろうと韓国人であろうと、実直なものだと感じるだろう。しかし安倍談話は、村山談話の倍以上の文量と費やしながら、村山談話にあったシンプルにして誠実な反省とお詫びを踏襲していない。のらくらとした、誠も実もない、贅言ばかりである。


・外務省 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)(全文)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
 ・


 安倍談話は文言を可能な限り曖昧にすることで、村山談話を継承するのではなく「上書き」したものとなった、と言うしかない。


 犠牲者に思いをいたす、と言いながら、その目線はもっぱら自国の被害である。日本の死者については300万人と具体的な数字に触れているものの、アジア全体で2000万人とも言われる死者数には触れていない。これは日本軍が侵略戦争によってもたらした被害である。なぜ、日本人の犠牲者数にふれながら、侵略された側の犠牲者数に言及しないのか。


 また、植民地支配のお詫びも直接的にはない。それどころか、朝鮮、満州の支配を巡って争った日露戦争を輝かしい歴史であるかのように自画自賛。しかし、日清・日露と連続して国土である朝鮮半島を戦場にされ、戦禍に巻き込まれて、日本人、清国人、ロシア人以上に市民に犠牲者を出した朝鮮・韓国人への配慮は微塵もない。


 この日露戦争の勝利から5年後、日本は満を持して韓国を併合した。すでに朝鮮半島に進出し、植民地支配を開始していたが、それを完成させたのが、日露戦争だった。そうした歴史理解が、この談話のどこにこめられているのだろうか。


【関連記事】
2015/08/03 日中の軍事バランスは核兵器を含めて1対100!? 「真珠湾攻撃の時と同様、戦争にはなり得ない」岩上安身のインタビューで孫崎享氏が「日米開戦の正体」を暴く!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/256172

 もし、安倍総理に、真の歴史理解と、真摯な植民地支配への反省なり悔悟があるなら、日露戦争を手放しで賞賛したりはしないはずである。「輝ける明治」といった、通俗的で、誤った歴史観が、安倍総理の脳裡にべっとり染みついていることがよくわかる。


 そもそも、この日露戦争の勝利が、国家財政を逼迫させ、軍部の増長とその結果として満州事変を引き起こし、泥沼の日中戦争へと、まごうかたない本格的な中国大陸への侵略戦争へのめり込んでゆく遠因となったのだ。そういう歴史理解もまったく示されていない。


 満州事変への国際的な非難に耳を貸さず、満州国という傀儡国家の建国の強行が国際的孤立を招き、そのせいで英米との決定的対立に至り、太平洋戦争とその破滅的敗戦にまでつながっていく歴史の正確な理解に、おそろしく乏しい。


 侵略を侵略と定義できず、植民地支配を植民地支配と定義した上での率直なお詫びがなければ、中国や韓国とのしこりは今後もずっと続くことになるだろう。


 どう言い繕っても、侵略と植民地支配の歴史的事実もその定義も変えようがない。変えようがないものをごまかそうとするから、曖昧で、不快なものとなっている。


 また、戦前の体制への美化と戦後レジームわけても戦後憲法への侮蔑が甚だしい安倍総理の日頃の言動から、想像のついたことではあるが、戦前の日本をアジアで初の立憲政治を打ち立てたと自画自賛している。


 しかしこれは、欽定憲法という半端なものであったことには触れていない。明治憲法は真の近代立憲主義と呼べるような憲法ではなく、国民主権ではなく天皇主権であり、国民は臣民でしかなくて、国家に永遠に従属するものとされ、基本的人権は著しく制限されていた。


 こういう半端な明治憲法体制が、侵略戦争を生み出す揺籠となったという洞察もない。逆に、立憲主義を明確にし、国民主権、基本的人権、平和主義を明記した、戦後憲法に対しては、その価値について一言の言及もない。


 安倍晋三という政治家のキャリアを振り返ってみれば、常にこれまで、戦後の体制を美化し、逆に戦後憲法については散々に貶め、9条については「禁治産者」とまで罵り、自民党の改憲草案を掲げて、近代憲法の基本原理である立憲主義を根底から覆すことを目論んでいる。この点も忘れてはならないし、この70年談話のそこかしこに散りばめられた美辞麗句に誤魔化されてはならないだろう。


 またこの談話は、後半部分で、がらりとそのテイストを変える。そしてここに、安倍政権の「本音」と、この談話の真の目的が現れるのだ。


 談話は、「日本が戦争に突き進み、戦争に負けてしまった原因」を、「欧米列強の国際秩序への挑戦者となってしまったからだ」と定義付ける。


 つまり、欧米の強者が形成する「国際秩序」に歯向かったことが失敗だったのであり、「その反省をふまえて」、これからは「国際秩序」(つまりはヘゲモニーを握る米国の意向)に従い続ける、と宣言されて締めくくられているのだ。そのために、日本が歩むべき道は、TPPであり、集団的自衛権の行使や安保法制などを含めた「積極的平和主義」の達成である、と結論付けている。


 この談話は、日本は米国の属国として、米国のためにTPPを推進し、集団的自衛権を行使します、と言っているに過ぎないのだ。


 安倍談話は、一見するともっともらしい言葉を並べているので、ともすれば騙されたり、誤魔化されたりするようにできている。しかし、細かく丹念に読み解いていくと、前述のような「単なる属国宣言」という本質と本音がはっきりと浮かび上がる。


 以下、この安倍談話の全文を引用しながら、その一つひとつの嘘やごまかし、矛盾点や問題点を解き明かしていきたい。
(岩上安身)


■「戦後70年」安倍談話・全文解説


内閣総理大臣談話


 終戦70年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。


 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。





 安倍談話はまず、当時の世界情勢において、西洋諸国の「植民地支配の波」が押し寄せていたことに触れる。そのうえで、日本が立憲政治を打ち立て、日露戦争によって彼らの「植民地支配」からの脱却を成し遂げる契機になったと、いきなり自画自賛する。


 村山談話が、「今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります」という書き出しで始まるのとは対照的だ。


 談話でまず最初に現れる「植民地支配」という言葉は、日本によるアジア諸国へのそれではなく、西洋諸国によるものであり、日本もその支配に抗った立場である、という文脈で使われている。我々は白人の支配に抗い、アジアの解放者として戦ったのだ、という、欧米列強の帝国主義をすぐさま真似て、「脱亜入欧」のスローガンのもと、同じアジアでありながら、アジアを侵略する側に立ち回ったことは巧妙に忘却されている。


 「多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と賞賛する日露戦争は、先述したとおり、そもそも朝鮮半島や満州の支配と利権をめぐる争いである。そうした事への言及はなく、またこの戦争が後の太平洋戦争までつながっていったという歴史を、安倍総理が理解していないことを端的に表していると言える。


 また、立憲主義に対する理解の乏しさも露呈している。「アジアで最初に立憲政治を打ち立て」とするが、アジア最初の近代憲法とされる、大日本帝国憲法は、「日本国民は天皇の名の下に、(政府の決定に)従う」ことを定めた、半端な欽定憲法(※)だった。


(※)「欽定憲法」とは、君主主権に基づき君主がもっぱら自己の意思によって制定した憲法のことを指す。


 「国家が国民を縛る」大日本帝国憲法を評価し、逆に「国民が憲法によって国家の暴走を縛る」という近代立憲主義をまさに具現化した戦後の日本国憲法を、安倍総理はこれまで「押しつけ憲法」などと否定し続けてきた。さらには、自民党改憲草案という、立憲主義を根底から覆し、国家権力が国民に対して上から命じる反動的な憲法草案を用意している。


 大日本国憲法のもと、国民が臣民として国家への忠誠を厳しく義務付けられ、国民総動員を可能とし、その結果として無謀な侵略戦争が可能となったことへの、根本的な反省が見られない。「国家が国民を縛る」体制を再び構築しようというこのあからさまな改憲への動きは、戦争遂行可能な体制への再建の思惑があるのだと疑わざるをえず、最大限の注意を払わなければならない。


 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。


 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。


 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。


 そして70年前。日本は、敗戦しました。





 ここまでが、安倍総理なりの「日本が先の大戦を引き起こしてしまった経緯」の説明である。注目すべきは、第一次大戦の戦死者数をあげているにも関わらず、第二次大戦での戦死者数には触れていない点だ。


 談話の次のパートで、日本人の同胞300万人の命が失われた、と数の明記があるものの、この談話では最後まで「日本の侵略行為によるアジア人、外国人の死者数」は書かれない。これも先述した通りである。


 また第二次大戦の理由として「欧米諸国による経済のブロック化」という言葉が出てくる(この言葉は談話の後半でも出てくるので、頭にとどめて読み進めていただきたい)。第二次大戦の原因として明記されているのは、後にも先にもこの一点のみである。


 しかし、先の大戦の原因はこれだけではない。日本においては、日露戦争の戦費調達のための「借金」が、国内の財政を危機的なまでに逼迫させ、その補填と、軍部が満州事変以降、軍事費の増大を要求し続け、財政がさらに圧迫され、困窮する農村、都市のスラム住民への救済や福祉にあてられず、重税による国民の不満の矛先として、植民地政策を進めた、いわゆる「軍事ファシズム化」があったことを忘れてはならない。


 村山談話で、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ…」と表現される点だ。さらに村山談話では、今後の反省として「独善的なナショナリズムを排し…」という言葉にも表されている部分だ。


 しかし安倍談話は、先の大戦に突き進んでしまった原因を、欧米の経済ブロック化のみに矮小化させ、あくまでも「被害者」であるという立場を匂わせる。そして村山談話の「国策を誤り」「独善的なナショナリズム」という、過去の日本を批判する言葉は、姿を消した。


 そうした被害者意識、根底にある「我々は悪くない」という思想の最たるものが、満州事変のくだりである。


 満州事変は、こうした独善的なナショナリズムを台頭させ、軍部の暴走を黙認し、何の戦略性もないままに大陸侵略に手を染めてしまった、いわば「国策の誤り」の代表例である。


 政治的な発言を極力控えなければならない立場の天皇陛下ですら、今年の新年の挨拶で、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」と警鐘を鳴らしている。


・宮内庁 天皇陛下のご感想(新年に当たり)
 http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html
 ・
 その満州事変を、安倍談話は「国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』」と評したのだ。あくまで、受け身の側。「新しい国際秩序」という「壮絶な犠牲を孕むもの」への「挑戦」だった、と美化しているのだ。


 そしてその挑戦は、国策を誤ったものではなく、「世界の大勢を見失っていった」結果、「進むべき針路を誤った」結果だと、いわば「戦略ミス」という認識なのだ。


 では、安倍総理の言う「進むべき針路」とはどういうものなのか。それは、2度目に「経済のブロック化」という言葉が出てくる、談話後半で示される。


 戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。


 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。


 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。





 「深く頭を垂れ、痛惜の念を表す」と、ここへきて初めて、謝罪らしき文言が出てくる。しかし注意すべきは、「誰」が行った「何」に対しての頭を垂れるのかが、はっきりと明記されていないことだ。主語(主体)も不明で、目的語(行為の対象、客体)も曖昧で、行為そのものもぼかされていることだ。これでは、責任の所在が判然としない。


 そのあとに、300万人の日本人同胞の命が無惨にも失われたこと、そして、中国、東南アジア、太平洋の島々の犠牲に言及しているが、ここでも、ただ「そういうことがあった」と、まるで他人事のようにただ事実を列挙しているに過ぎない。具体性もない。そうした犠牲を生んでしまった「主体」が何なのか、一切書かれていないのだ。


 ここでも「あの戦争は仕方なかったのだ」という免責の意識が透けて見える。それは、直接戦火をまみえていないものの、日本の植民地支配を強いられた朝鮮半島についての言及が一切ないことからもうかがえる。この点も、過去の侵略と植民支配すべてを謝罪している村山談話を継承しているとはとても言いがたい。


 また「慰安婦」を意識して盛り込まれたであろう「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」という文言も、曖昧さ故に、これが慰安婦を指すのか、戦争によって傷ついた女性全般を指すのか、いかようにも解釈できるようになっている。しかも、同様に「ただそういう女性たちがいた」という姿勢で書かれているに過ぎない。


 そして、段落を変えてやっと「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」という、「加害主体(日本)」の「行為」が明記される。明確に主体を「日本」と明記して書かれているのは、驚くべきことに、談話全体を通じて、この一文だけである。本来、ここに書かれた戦争の惨禍は、そのほとんどが日本の侵略によって引き起こされたものであるにもかかわらず、である。


 しかしこの文章もおかしい。「何の罪もない人々」が誰を指すのか。アジアの人々と、限定されていないので、日本人や日本の兵士も含まれているとも読める。「損害と苦痛」が何を指すのか、具体的なことは何一つ書かれていない。


 そのうえ、この加害の「事実」について触れたくだりで、安倍総理は、謝罪やお詫びの言葉を紡くわことなく、「ただただ言葉を失って」しまうのだ。謝罪すべき、そのタイミングで、言葉を飲み込み、結局、自らは直接的な謝罪は行わない。徹底して避け、間接的な引用にとどまる。


 その次に続く「断腸の念」も、「どうしようもなく悲しく残念な心持ち」という意味である。そこに「申し訳ない」という意味は一切込められていない。過去の日本の行為について、「絶対に自分では謝りたくない」という安倍総理の強い意志が感じられる。


 この安倍総理の「信念」は、このあとも、談話全体を通して貫かれている。


 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。


 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。


 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。


 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。





 侵略した相手国の、罪なき一般市民を含めた犠牲者を指して、「尊い犠牲」という表現はふさわしいだろうか。日本兵に殺されたり、犯されたりした中国人の犠牲は、尊いと表現すべきものか? しかもその上に現在の平和があり、戦後日本の原点がある、という。これは、「尊い犠牲」が侵略の犠牲者を指すと解せば、無神経極まりないものとなるだろう。


 やはり、ここは、「尊い犠牲」というのは、日本軍の兵士や日本の市民を指すと解すべきであろう。そうなると「尊い」という表現がまた、引っかかる。肯定すべき「正戦」を戦い、倒れた、という前提でなければ、「尊い」という言葉は出てこないはずだ。否定すべき侵略戦争を、嫌々ながら駆り出されて戦わされたのだとしたら、当時の日本の国家、支配体制、すなわち国体による、「無残な犠牲」と表現すべきものである。


 安倍談話を通じて、ぼかされて、誤魔化されているのは、戦争の犠牲を払ったのが、日本なのか、アジア諸国なのか、判然としないようなヨコ方向への曖昧さだけでない。戦前・戦中の日本国民(当時であれば臣民・皇民)と日本国家のタテ方向の関係においても、曖昧にされているのである。


 日本の国家と国民の関係は、わざとだろうが、これも曖昧にされている。日本人が払った犠牲について感情に訴えようと言葉を尽くしているが、国民に犠牲を強いた主体が大日本帝国という国家であることには、まったく言及がないし、その責任も問おうとしていない。


 国家は、国民に無残な犠牲を強いた。犯罪的な侵略戦争に駆り出して塗炭の苦しみを味わせた国家体制、すなわち国体には、重大な責任があるのである。そうした責任にはまるでふれず、「我が国」と安倍総理が語る時、国家は馴れ馴れしくも国民と一体化してしまっている。


 なるほど、ポツダム宣言をつまびらかに読んでいないととぼけるわけである。


 ポツダム宣言では、侵略戦争の主体である日本という国家と、日本国民は、峻別されており、日本国民もまた、日本の帝国主義の犠牲者であるとされている。


 そうした峻別は、安倍談話の中にはまったく見られない。国家の側に立つ人間が、国民に対して、気味の悪いほどの馴れ馴れしさである。加害国と被害国の峻別が曖昧にぼかされているのが、ヨコ方向のぼかし、ごまかしだとすれば、国家と国民の関係も、タテ方向にも、ぼかし、ごまかされている。国家の責任を問われるのが都合が悪いからに他ならない。


 こうして文章上の明確な「謝罪」「お詫び」も「反省」もないままに、談話は次のフェーズ、「決意」に移る。


 ここで初めて「侵略」という言葉が出てくるが、もちろんこれ以前もこれ以後も、この「侵略」が「日本が行った」ものを指すかどうかは言及されない。そして、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」というフレーズも同様に、その「主体」が明記されていない。


 さらに「植民地支配から永遠に訣別し…」という一節で、再び「植民地支配」という言葉が出てくるが、これも「主体」が曖昧だ。むしろ、この文章では、まるで日本もその植民地支配の被害者であるかのような表現となっている。


 ここまでを通じて、この談話における「植民地支配」とは、西洋諸国が行ったものであり、「民族の自決の権利」とは、第一次大戦を経て世界に広がったもの、という定義付けしかされていない。


 日本が「植民地支配」を行い、アジア諸国の「民族自決の権利」を侵害した、という事は徹頭徹尾、否定されているのだ。


 そうした意識は、「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」という一文にも、いやらしく込められている。ここで使われる「悔悟」とは、「自分のした事を悪かったとさとり,後悔し改めようとすること」という意味だ。この言葉自体には、痛烈な反省とお詫びの念が込められていると解釈できる。しかし、この一文は「我が国は」という主語が、なぜか最初の「悔悟の念」ではなく、「そう誓いました」にかかっている。


 「深い悔悟の念」を抱いているのは「我が国」なのか、世界なのか。意図的に「主体」をはっきりさせない曖昧な文体が用いられている。


 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。


 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。





 ここで、やっと「我が国」が先の大戦で行った、「行い」について、「痛切な反省と心からのお詫び」という、明確な謝罪の文言が出てくる。しかしこの一文は「…という気持ちを表明『してきた』」という、過去形で閉じられる。つまり、これは現在の日本国総理である安倍総理(当人は常々、日本の最高指導者であることを自負する)の現在の思いでも、言葉でもないのだ。単なる引用なのである。


 過去に行われた、「痛切な反省とおわび」を述べた歴代内閣の立場は、揺るぎない、というが、これもまた、当事者としての言葉ではない。またしても、かたくなに「現政権」「私(安倍総理)」は「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明しないのだ。自分を主語とした、自分の思いとして語った言葉ではないのである。安倍総理個人の本心は、どこかに保存されていることが、暗示されている。


 このパートで、やっと「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」という懸念された4つのキーワードが出揃うのだが、そのすべてが、村山談話とはまったく違った意味合いで使用されているのが分かるだろう。


 村山富市元総理は、この安倍談話発表を受けて、14日に大分市で会見を開き、「何のためにおわびの言葉を使ったのか、矮小化されて不明確になった」「最後は焦点がぼけ、何を言いたかったかさっぱり分からない」と痛烈に批判。村山談話が継承されたという認識は「ない」と断じた。


 単なるアリバイとして、キーワードをピースの一つとして配置しただけであり、「植民地支配」も「侵略」も、日本という国家が、日本国民とアジアの諸国民への多大な犠牲の上に強行したものであるとは直接的に認めない。それに対する「痛切な反省」も「お詫び」も、被害当事国を明確にした上で行うことはしない。醜悪な霞ヶ関文学によって、肝心なことはことごとく曖昧にされてしまった。


 そして、この戦略的曖昧さの陰に、戦後憲法の果たしてきた役割を認めず、唾棄し、脱却すべき戦後レジームであるとして、解釈改憲による憲法クーデターや、米軍と一体化して武力行使を世界のどこでも可能とする集団的自衛権の行使、そして立憲主義を転倒させる明文改憲への野心が、隠されたのである。


 ここからは安倍総理の言う「未来志向」の談話が続く。


 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。


 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。


 戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた3000人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。


 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。


 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。


 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦70年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。





 ここでは、戦後の、旧敵国の人々の、戦後における「寛容」に心からの感謝を述べている。この点は、確かに「未来志向の談話」に相応しいかもしれない。しかし繰り返すが、この「寛容」への「感謝」は、自国の加害の歴史に直接的に触れ、自らまず、謝罪の意を示して初めて、他者の寛容の価値が浮き彫りとなるのであり、そうしてはじめて、未来志向であると言えるのではないだろうか。


 自国の加害の歴史からは目を背け、歴代政権がこれまで謝罪してきたことのみを強調し、自身はかたくなに謝罪しない。そのうえで「許してくれてありがとう。これからは恨みっこなし」と言われて、通用するわけがない。


 米国、英国、オランダ、豪州、といった、連合国の名前は列挙し、その元捕虜の寛容(その多くが、日本軍による虐待があったこと、性的な虐待や性奴隷化があったことも告発している)に感謝するが、踏みにじったアジアや西太平洋の国々の名前は掲げない。この落差も異様である。強者に媚び、弱者には名前をあげて率直な謝罪は表明しない。細かいことだが、細部に中韓への微妙な距離感をあらわす姑息な計算が感じられる。


 ごまかしつつも、何となく謝罪の雰囲気を漂わせてきた前半を、続く段落が、すべてを台無しにする。


 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。




 何の脈絡もなく、文脈上の前後のつながりも一切なく、「私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という一文が唐突に現れる。


 これは、安倍総理の秘蔵っ子である稲田朋美・自民党政調会長が11日のBSフジの番組で、安倍談話については「謝罪を続けるのは違う」と述べ、「おわび」の文言は明記すべきでないとの認識を示したことと、リンクしている。


 「もう謝罪は十分だ、必要ない」というのが、安倍総理の本音であり、この談話を通してもっとも訴えたかったのは、この「謝罪は不要」という点ではなかっただろうか。おそらく、今回、あえて談話を出そうとした目的が、この「もう謝罪は不要」という宣言を発することだったのであろうと推察される。


 百歩譲って、「もう謝罪は必要ない」と言うのであれば、この談話できっちりと過去の日本の加害の歴史と向き合い、最大限のお詫びと痛烈な反省を明記したうえで、「謝罪はこれでひと区切りにする。これからは未来志向の関係を構築していく」と言えば、まだ潔いだろう。


 もちろんその場合であっても、加害の歴史から目をそらしていくことは決して許されない。歴史の研究もまだまだ進んでいくし、今後の国民の教育においても、この愚かで無残な犠牲を出した戦争について、その原因と日本の責任とを教え続けていく必要もある。そうしたことを切り上げていい訳はない。


 しかしこの談話では、過去の歴史と向き合うのは、これで区切りをつけて切り上げたい、という安倍総理の「過去の加害の歴史を認めたくない」「祖父である岸信介が関与した行いを侵略や植民地支配とは認めたくないし」という、都合の悪い歴史から一刻も早く目をそらしたい、というエゴが表出しているように見える。


 だからこ唐突に現れた一文は、見過ごせない。これからの世代に「謝罪は必要ない」というメッセージだけが、この70年談話のなかから一人歩きしてゆく懸念はぬぐえない。もちろん、その謝罪の根拠となる「反省すべき侵略戦争の歴史的事実」について、深く気に病む必要も、深く学ぶ必要もない、ということになってくる。これからの世代の意識に大きく影響を与えかねない無責任なメッセージである。


 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。


 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。





 そしてここからは、米議会演説でもかいま見せた、安倍総理の媚米的な属国姿勢が顔を覗かせる。「恩讐を越えて、善意と支援」などと、米国やオーストラリアなどを名指しでヨイショを始めるのだ。


 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。




 この「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである」というフレーズは、安倍総理が国会や米議会演説など、あらゆる場所で、集団的自衛権の行使容認や安保法制を含めた「積極的平和主義」の必要性を説くときに用いてきたものだ。


 それは同時に、中国の南シナ海や東シナ海での動き、ロシアによるクリミア併合を「力による現状変更」と決めつけ、それを批判する意味合いでもしばしば使われてきた


 私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。




 これも、何の脈絡もなく登場する女性の人権への言及。「20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去」というのは、またも「慰安婦」を解釈可能なように配置された文言だと思われるが、これもまた、明確に「慰安婦」を指すのかは限定されない曖昧な文言であり、その加害主体は明記されず、だからこそ「この胸に刻み続けます」というだけで、お詫びや反省の文字はない。


 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。




 そしてここで再び、「経済ブロック化」という言葉が登場する。「先の大戦の原因となった」と定義づけられた「経済ブロック化」を悪玉視したうえで、「自由で、公正で、開かれた国際経済システム」、つまり「グローバリズム」を対極にある善玉だと定義付け、これからの日本の進むべき道だ、と誘導している。


 この段落は、端的に「TPP」のことを書いている。安倍総理は今年4月に米議会で行った演説で、TPPについてこう語っている。


 「日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません」


 「米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です」


 米議会演説では、この文章の帰結として、「その営為こそが、TPPにほかならない」のであり、そうした「永続的な『平和と繁栄の地域』」を米国とつくりあげなければならない、と結んでいるのだ。


 結局、この談話は最終的に、「過去の日本の侵略や植民地支配への痛烈な反省とお詫び」を再確認するのではなく、「米国の属国としてこれから歩んで行く日本」を再確認するものだったのである。先の米議会演説の単なる焼き直しに過ぎないことが、ここで明らかになった。


 TPPの問題は、集団的自衛権の問題とセットにして、真剣に多角的な検討がなされなければならない。TPPは、自由貿易協定であるという触れ込みだが、他方で、排他的な経済ブロックの形成でもある。そして、実際に安倍総理自身、米議会演説で、このTPPは、安全保保証にも関わると断言しているのだ。もちろん、念頭に置いているのは、中国の存在である。


 成長するアジアの国々のダイナミズムを取り込み、自らの成長につなげていくというならば、中国やインド、ロシアなどのBRICs諸国を排除して経済ブロックを形成するのは、本末転倒であるはずだが、そうしたら矛盾は、いっこうに気に止められず、まともな議論の対象にもならない。


 日本の国益に資する経済合理性から、TPP参加が選択されているわけではないことは、明らかである。米国から執拗に求められ、米国への忠誠を示すために、仕方なく入らざるを得ないのだが、それを国民に対して正確に説明することができない。


 そして、極めつけは次の段落である。


 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。


 「国際秩序への挑戦者となってしまった」というのは、前半の満州事変のくだりで用いられた、「日本が戦争に突き進み、戦争に負けてしまった原因」として定義付けられた言葉だ。


 つまり、欧米の強者が形成する「国際秩序」に歯向かったことは失敗だった、と反省し、戦後70年も、そしてこれからも、「国際秩序」に、つまりはヘゲモニーを握る米国の意向に従い続ける、と宣言されて締めくくられているのだ。


 「自由、民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々」とは、米国だけではなく、イスラエルも含まれることも留意しておかなければならない。


 2014年5月にイスラエルのネタニヤフ首相が来日した際、「自由や民主主義といった価値を共有するイスラエルと協力していく」旨を述べ、その意味で「『積極的平和主義』の立場から、地域・国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献していく」と語っているのである。


・【IWJ特報157・158号】イスラエル>アメリカ>日本、倒錯した偏愛の同盟 〜「価値観を共有する」 虐殺に加担する日本
 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/155298
 ・
 果たして、ガザで、パレスチナの人々を包囲し続け、絶え間ない暴力で命を奪い続けているイスラエルを、自由や民主主義や人権などで、価値を共有できる相手であると、お世辞にも言えるものだろうか。


 ここからはっきりと分かることは、安倍総理が掲げる「積極的平和主義」とは、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に登場する全体主義国家が用いる「戦争は平和である」というスローガン同様、語義矛盾であって、つまりは米国の属国として、米国やイスラエルなどのために集団的自衛権を行使して一緒に地球のあちこちで武力行使をします、という話に過ぎないということだ。


 私が今年の7月にインタビューした、小林節・慶応大名誉教授は、今の自民党、安倍政権を牛耳る極右組織「日本会議」(※)について、以下のように証言した。


 「彼らに共通する思いは、第二次大戦で敗けたことを受け入れ難い、だから、その前の日本に戻したいというもの。日本が軍事五大国だったときのように、米国とともに世界に進軍したいという思いを共有する人々の集まりだ」


 「彼らは欧米とやり合うことはもうありません。今度は、欧米と一緒になって弱いものを叩く、という側につくのではないでしょうか」


(※)「日本会議」とは、日本最大の右翼組織と知られ、国会議員の4割(約280人/717人)、安倍政権の閣僚ポストの8割(15人/19人)が所属している極右団体。「愛国者教育」「改憲」「有事法制整備」など、今の安倍政権が進めている政策のほとんどを提言している。今、安倍政権の極右政策、歴史修正主義の「黒幕」として、海外メディアから熱い注目を集めている。


・安保法制「予定通り」の衆院突破 小林節氏が岩上安身のインタビューで「共産党を入れた野党連立」を提言!自民党を牛耳る日本会議は「おかしな人たち」
 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253214
 ・
 まさに今回の安倍談話、そして集団的自衛権の行使容認や安保法制、武器輸出三原則の緩和などを含めた「積極的平和主義」は、この日本会議の勝手な思惑を体現したに過ぎないものだということが、今回の安倍談話を読み解くことで明確に見えてきた。


 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。


平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣  安倍 晋三





 最後に安倍総理が「終戦80年、90年、さらには100年」という数字を出してきたのは、自身が「戦後70年」という、節目でも何でもない中途半端な年に談話を出したことを正当化するためだろうか。さも10年ごとに談話を出すのが当然とでも言いたげである。


 しかし談話とは本来、「継承する」のであれば「継承する」と一言いえば良いだけだ。今回の安倍談話のように、10年ごとに解釈が変更されたのでは、国民はたまったものではない。安倍総理は今回の談話で、そうした悪例をまた一つ増やしたことになる。


 この70年談話が、日本国総理の名前で出されたことで、あたかも日本国民の総意であるかのように受け取られることを、強く懸念する。


 私は、この安倍談話を承認しない。


 日本国民の一人として、賛同の署名もしない。


 私が国民の一人として継承すべきと考えるのは、村山談話であって、安倍談話はそこからの逸脱とみる。


 日本の平和主義が脅かされる懸念があり、集団的自衛権自衛権行使とともに、米国に追従しての「積極的平和主義」路線を、認めないことを、改めてここに表明しておく。
(岩上安身)




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/706.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 無抵抗の捕虜を切り殺し、仲間の面前で敗残兵の首を切る…火野葦平が戦場で綴った日本軍の狂気(リテラ)
                   『戦後70年を読み直す 戦争と文学スペシャル』(集英社)


無抵抗の捕虜を切り殺し、仲間の面前で敗残兵の首を切る…火野葦平が戦場で綴った日本軍の狂気
http://lite-ra.com/2015/08/post-1394.html
2015.08.15. リテラ


 国民の声を無視した状態で安保法制を強行に進め、安倍政権は、戦後70年の節目にも関わらず着々と日本を“戦争ができる国”に変えようとしている。

 そんな政権の動きに快哉を叫ぶネトウヨが後を絶たない。“戦争”という行為を、まるで“英雄譚”のように語り、「武力を自由に使えるようになった今、ようやく日本は独立国家になれた」とのたまう輩まで登場してきた始末。しかし、“戦争”というのは、本当にそんなに格好よく、綺麗事として語れるようなものなのだろうか。

 つい最近出版された『戦後70年を読み直す 戦争と文学スペシャル』(集英社)には、そんな“戦争”を美化する彼らに是非とも読んでほしいテキストが掲載されている。

 そのテキストとは、作家・火野葦平の「従軍手帖」。火野は、1937年に招集されるが、従軍中に『糞尿譚』で芥川賞を受賞。陣中で授与を受け、それを契機に報道部へ転属となった。

 以後は、報道班員として戦争の状況を記録し続け、戦地にて書き上げた『麦と兵隊』はベストセラーとなっている。彼の作品は戦意高揚に寄与し、「兵隊作家」として国民の人気を得るが、終戦後は戦地で見てきた悲惨な状況を鑑み、先の大戦に対する戦争責任について言及するようになっていった。

 今回取り上げる「従軍手帖」は、戦争中、火野が肌身離さず書き記していた記録帳。そこには作戦の概要、兵を率いる上長から受けた戦況報告といったことから、戦地での生活のなかで思ったちょっとした所感まで、ありとあらゆることがメモされている。

 本稿では、『戦後70年を読み直す 戦争と文学スペシャル』に収録されている、広東作戦(38年10月〜39年1月)の日誌を紹介する。これを読んでも、“戦争”は格好いいものだと思えるだろうか。

 それでは、「従軍手帖」を読んでいきたい。戦中を振り返るときによく指摘されるのが、補給路について考慮せず軍上層部が命令した無謀な行軍によってもたらされた兵の疲弊であるが、火野のメモにも、その疲労の様子が随所に記されている。

〈足も身体もいたく、へとへとになり、装具をとき、のびてしまつた〉
〈兵隊皆、足をぴつこひき、引きずつてゐる〉
〈いたくて身体がうごかない。足はめちやだ〉
〈命令受領の後で、食料の欠乏に付、モミガラをする講習を初めてゐる〉

 さらに、外地の環境に晒されることで風土病の恐怖にも晒された。

〈夜明とともに、がんがん照りつける暑さになる。兵隊何人もたほれる。やりきれない。隊列はばらばらである(コレラが多いからゼツタイに水のむな)〉
〈蚊がとんでゐる。食はれた。マラリアだから気をつけんといかん〉
〈マラリヤ蚊だとおどされ、塩酸キニーネを一粒づつのんでねる〉
〈ここの水をのんで兵隊が二人死んだといふ〉

 こんな状態であるから、戦う前から彼らはもうすでに消耗しきっていた。広東作戦はわずか10日余りで日本軍の勝利に終わった戦いなのだが、そんな有利に進んだ戦いにも関わらず、以下の文に見られるような消耗が兵士たちを襲っているのである。

〈歩きながら思つた。いつたい誰が戦はうとしてゐるのだ、皆、へとへとに行軍に疲れ、歩くのがせいいつぱいで戦ひどころではないやうに見える。敵に出会つても、ろくにいくさも出来さうにない。しかも、どんどん敵はげきたいされ、どんどん各要所が陥落する。やつぱり、へとへとになつた兵隊がそれをやつてゐるのだ。何か、すさまじくおそろしいやうなものがある〉

 ここまで銃弾が飛び交う、いわゆる“戦闘”についての描写は一切引いていないのだが、それでも“戦争”の過酷さは余りあるほど伝わってくる。ここから実際の戦闘に関する描写を引用するが、その凄惨さは筆舌に尽くしがたい。

〈敵は手榴弾を持つて出て来ては、ボカンボカン投げて、引つこむ、危くて寄りつけなかつたです、出て来んのでガスでくすべたところがやつと出て来ました。五十人から居ました。中に十一人ほど死んでゐましたが、自殺したらしく思はれました〉
〈頭をうたれた兵隊(田中勲上等兵)遂に戦士。(中略)サイゴダ、ミヅヲノマセテクレ〉
〈「敵まつ黒になつて、どんどん逃げよる、あんなのを初めて見た、」と前線から引つかへして来た兵隊云つてゐる。(テキガフシヨウ者をカツイデイタガシマイニハホツタラカシタ由)〉

 頭を撃たれた兵士が死の直前「最後だ、水を飲ませてくれ」と言うくだりには言葉を失ってしまう……。ここまで読んでいてもかなりつらいものがあるが、この広東作戦に関する「従軍手帖」で最も凄惨なのは、日本軍が現地の敗残兵と捕虜に対して行なった仕打ちであった。

〈捕虜がならんでゐる。(中略)眼の上がはれ、血がにじんでゐる。ついてゐる兵隊が、「こいつは一つづつ叩かんと、やかましかとです」といつてゐる〉
〈兵隊が捕虜をつれてゐる。向ふの方では叩き切つてゐる〉

 無抵抗な捕虜を血がにじむほど激しく殴ったり、さらに切り殺すとは……。しかし、敗残兵に対して行なった仕打ちはさらに凄惨だ。当時の日本軍には、まるでゲームのように人を殺す“狂気”が満ちていた。

〈附近の森の中を敗惨兵狩り。いくらでもゐる。皆殺す。段列長の曹長、刀をふり、活発に指揮してゐる。敗惨兵を左手に拳銃をもち、右手に刀を抜いて斬る。まだ居るぞ、やれ、と森を探させる。居る、居る、多多有、と兵隊を追ひ出す。曹長刀をふり、大得意である。つまらない兵隊だと思つた。色々遺棄品がある。曹長の斬つた支那兵は女房の写真をがま口にはさんでゐた〉
〈前方の銃声絶え出発。又長いこと止る。敗惨兵のうろうろしてゐるのをこつちからポンポン射つ。なかなかあたらぬ。もの好きなのが、わざわざ出かけ、遂に二人の敗惨兵を引きつれ、意気揚々と引き上げて来た。皆のゐる前で首を切る。いやな気がした〉

 従軍手帖も軍の検閲の対象となる。それにも関わらず、〈つまらない兵隊だと思つた〉〈いやな気がした〉といった表現を使った火野。それだけ耐え難い光景だったのだろう。

 安倍首相と、そのまわりの人々は、もう一度こんなつらい思いをする時代に戻したいのだろうか。

 最後に、火野が戦地で雑誌「キング」を読んだときの感想の部分を引いてみたい。そこには、たまたま見かけた雑誌の口絵から、わが子に思いを馳せる火野の姿があった。

〈キング七月号の口絵写真に、子供が柿をちぎつてゐる非常にいい写真がある。(中略)女の子は美絵子に、男の子は英気に実に似てゐる〉

 いくら安倍が歴史を修正し、過去への反省から目をそらし、巧妙に謝罪を避けようとも、先の戦争で行なわれたことを雄弁に語るテキストがこうして存在する。

 彼はそれから目を背けるべきではないし、我々は、過去の歴史を書き換え、もう一度戦争に突入させようとする国のトップに対し、このようなテキストを突きつけてアンチテーゼを唱え続けなくてはならない。

(田中 教)



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/707.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 「日本が安倍政権の下でいままた「国際秩序への挑戦者」になることを世界中が懸念しているとぼくは思う」
「日本が安倍政権の下でいままた「国際秩序への挑戦者」になることを世界中が懸念しているとぼくは思う」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18109.html
2015/8/16 晴耕雨読


toriiyoshiki氏のツイートより。https://twitter.com/toriiyoshiki

「朝鮮併合」が「植民地支配」ではないと考えている人がいるのは驚きだが、そういう人たちが安倍さんのコアな支持層なんだろう。

ま、国際的に「歴史修正主義者」の一言でオシマイになる類の話だが、安倍さんとしてはまさかそんな非常識なことを表立って言えるはずがない(言ったら世界中から袋叩き)。

歴史修正主義は中韓はもとより欧米も絶対に許さない。

しかし、安倍さんとしては、自身の本音はそちらだし、支持層に目配りもしなきゃなんないし…で、ああいう文面になったんだなと妙に納得をしてしまう。

このアメリカのある意味で歯が浮くような談話に対する評価も、一方で、暴走しかねない安倍政権に対する牽制の意味があるのは一目瞭然だと思う。

「評価」とは裏腹の強い懸念、日本政府に対するメッセージが読み取れる。http://bit.ly/1JiFB2w

ま、事前にアメリカから安倍政権に対して「強い懸念」が伝えられており、その意を受けてああした文面になっただろうことも容易に想像がつくのだが。

日本が安倍政権の下でいままた「国際秩序への挑戦者」になることを世界中が懸念しているとぼくは思う。

そのヨミは、たぶん間違っていないという自信がある。

NHK・BSで「日本のいちばん長い日」(岡本喜八版)を観た。

3回目か4回目だと思うが、今までで一番面白く感じたのは「昭和20年8月15日」が現在の政治状況のなかでアクチュアリティを持っているからだろう。

劇中、志村喬の台詞にあるように「大日本帝国の葬式」をめぐる葛藤と混乱のドラマ。

日本人が「敗戦」を受け入れるまでの混乱劇のなかで縁の下の力持ちとして活躍する迫水内閣書記官長を演じるのは、最近亡くなったばかりの加藤武さんである。

戦後70年談話に触れて一夜、TLを眺めると安倍シンパと思しき有象無象が沸き出していて、ちょっとした壮観である。

なかには、北朝鮮に配慮して樺太からの引き揚げを認めなかったという時制を無視した珍説も出現して失笑。

ま、安倍さんからしてポツダム宣言の受諾後に原爆投下と語る歴史音痴だからw
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http://bit.ly/1JiFB2w

International | 2015年 08月 15日 02:34 JST

「日本はすべての国の模範」、米が戦後70年談話歓迎

 8月14日、戦後70年談話について、米国家安全保障会議は歓迎する意向を表

[ワシントン 14日 ロイター] - 安倍晋三首相が発表した戦後70年談話について、米国家安全保障会議(NSC)は14日、歓迎する意向を表明した。

ネッド・プライス報道官は「戦後70年間、日本は平和や民主主義、法の支配に対する揺るぎない献身を行動で示しており、すべての国の模範だ」とした上で、世界の平和と繁栄への貢献を首相が約束したことを評価。「安倍首相が、大戦中に日本が引き起こした苦しみに対して痛惜の念を示したことや、歴代内閣の立場を踏襲したことを歓迎する」と述べた。



http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/708.html

記事 [政治・選挙・NHK190] <悲報>安倍首相、自分の70周年談話を自画自賛!「良かったでしょ」
【悲報】安倍首相、自分の70周年談話を自画自賛!「良かったでしょ」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7601.html
2015.08.15 22:00 真実を探すブログ



☆安倍首相、70年談話を自賛「良かったでしょ」
URL https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=128736
引用:
 安倍晋三首相は14日夜、自民党の高村正彦副総裁と東京都内のホテルで会食し、発表したばかりの戦後70年談話について「良かったでしょ」と自賛した。高村氏も「良かったですね」と応じた。菅義偉官房長官も同席した。


 談話の書きぶりをめぐり、首相は高村氏や谷垣禎一幹事長、公明党の山口那津男代表らと事前調整していた。(共同通信)
:引用終了


安倍首相、戦後70年談話を発表


(全録)安倍首相、「戦後70年談話」について記者会見(15/08/14)


光復節で韓国大統領、総理の戦後70年談話を“評価”(15/08/15)


小物臭が半端無いですね!安倍首相に付き合わされている閣僚にも同情しますが、ここまで分り易いと逆に演技のように思ってしまいます(苦笑)。
まあ、当初の予想よりは良い談話でしたが、マイナス100がプラスマイナスゼロになった程度の評価です。主語がハッキリとしないという問題もありますし、談話の内容はもう少しどうにかして欲しかったと感じています。










http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/709.html

記事 [政治・選挙・NHK190] 残念な『安倍談話』、 世界の動きの中で また「宙に浮く」ような外交的孤立を演じそうだ。 海外メディアが「天皇陛下は安倍…
残念な『安倍談話』、 世界の動きの中で また「宙に浮く」ような外交的孤立を演じそうだ。 海外メディアが「天皇陛下は安倍と違う」「安倍と違って反対している国民がいる」と報道していることが救い。
http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1508.html
2015.08.15 リュウマの独り言


イギリスのネットでの話題は 「VJ Day」 が トップなのだそうだ。 BBCのトップニュースも 日本の「安倍首相の談話」だったそうなのだが … 非常に高い関心を持って迎えられたわけだが。 BBCは ニュースで この戦争について次のように伝えている。 このニュースと 『安倍談話』は 整合性があるだろうか。 日本の言い分は あまりにも「日本の事しか見ていない。」、そうとらえられても致し方ない。


                                          BBC News Japan @bbcnewsjapan
第2次世界大戦中、東南アジア各地や日本国内で日本軍の捕虜として収容された英国軍人は約5万人。飢えて酷使され、4分の1は死亡し、生き延びた人たちは心身に傷を抱えて解放されました。8月15日にはロンドンで記念式典が行われます。-- そしてその傷の痛みは 今も続いています。と書かれている。 --



チェルシー王立病院のホームページのトップを飾る 「対日戦争 勝利を祝う当時の写真」


                                                 kazukazu88 @kazukazu881
ファイナンシャル・タイムズは、安倍談話に厳しい。『安倍は過去の謝罪をナショナリズムで包んだ』と。「安倍は歴史の日本の解釈は固定されておらず、国が永遠に謝り続けるつもりはないと彼の右翼の支持者にシグナルを送った」とも書いている。



写真は kazukazu88から


 アメリカ国防総省のホームページには この写真が掲げられている。 そういう国際社会の中で 「総理談話」が 国民と 世界各国へのメッセージとして出された。 こういう点をマスコミはしっかりと心に留めたうえで 報道にあたるべきだろう。 当然、 『戦勝記念日』を大規模に国家の予算を使って祝うからには、それなりの理由 (日本の不条理) が必要である。 これらの国では 日本のように国民が「御上」のしたい放題を許さないのであるから …



写真は U.S. Dept of Defense(米国防省) から


 この写真が何を意味するものか、「アメリカ国民」のすべてが知っているほど 有名らしい。 このブログでも 何度か使ってきた。 日本政府が頼りとする 『米国政府』の感覚が理解されるだろう。 本来 「靖国参拝」どころの話ではないのだが、 まだ閣僚の中に 参拝するものがいる。 -- これが世界標準の考え方、ということになる。


 ただ、 日本の中に 「こういう安倍政権」に反対する若者たちがいることが、 第二次大戦時の日本と違うところだ。 そこが世界にとっても『救い』であるので、 彼らの動きが 日本のマスコミが無視する中、 海外で大きく報道された。 



毎日新聞写真部のツイートから


 ウォールストリートジャーナルが 安倍談話を次のように簡潔にまとめている。 談話自体が、訳の分からぬ (主語、修飾語の関係など) 文体で どちらとも取れる不可思議な文章なので、 この程度にはっきりと言ってくれた方が 我々『愚民』にもわかりやすい。 まあ、それはともかく、 これで世界が納得してくれるのだろうか。 少なくとも、外交面で大きな前進は期待しない方がよいだろう。


                                      2015 年 8 月 15 日 ウォールストリートジャーナル
安倍晋三首相は14日、戦後70年の談話を発表した。この中で首相は日本の戦時の歴史について「哀悼の誠」と「痛惜の念」を表明した。また、これまで日本の保守派が頻繁に強調してきた数々の主張も取り入れた。


 以下に安倍談話に盛り込まれた5つのメッセージをまとめた。


 1. 日本は窮地に追い詰められていた


 安倍首相は談話の冒頭、1930年代に「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」とし、「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」と述べた。


 2. 日本も多大な苦痛を受けた


 安倍首相は日本軍が海外で与えた苦痛の詳細に触れる前に「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました」と述べ、東京空爆や広島と長崎での原爆投下、沖縄における地上戦などによって「たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました」と話した。


 3. 日本の兵士も英雄だった


 安倍首相は「戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実」を「心に留めなければなりません」と訴えた。帰還した兵士のおかげで日本の戦後の発展があると讃えることで、軍人に対するイメージ回復と国内の認識修復を図った。


 4. 日本軍と「慰安婦」


 安倍首相をはじめとする日本の保守派は、「慰安婦」はほとんどの場合が日本軍が強制的に連行・拘束した女性ではなく、商業的に身売りされた単なる売春婦だったとの見解を示している。首相はこの日の談話で「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」と述べたが、日本軍の責任には触れなかった。


 5. 日本は十分謝罪した


 安倍首相は「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張した。                                                   (引用終り)


 あまりにも 日本中心の見方で 世界の共感を得ることはできないだろうと思う。 皆さんはどうだろう。 私も hi everyoneさんと 同意見である。


                                              hi everyone★ @hieveryone0
海外メディアで「天皇陛下は安倍と違う」「安倍と違って反対している国民がいる」と報道されているのは大変良いことだと自分は思う。




http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/710.html

   

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