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2020年2月28日時分 〜
コメント [カルト24] 千葉市・小中全休、北海道・休校要請。ソロス百合子も休校要請をしなければ、無検査感染が爆発するから即刻すべきである。 ポスト米英時代
6. 2020年2月28日 00:00:55 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[150]

>5さん  東北には 中国人観光客が行く 観光地は なかったのですか?
     やはり 311の 放射さんのせい??

http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/877.html#c6
コメント [原発・フッ素52] 女川原発2号機 6年かけ審査 どこがポイント?(基準クリアというけれど) 戦争とはこういう物
2. 2020年2月28日 00:03:21 : gDuJsjuxdc : LlJvaVVYTFJESUE=[717]
■想定される最大の地震の揺れを震災前の580ガルから1000ガルとした

 ・・・けど・・・こんなのあるよ

 『最大加速度でギネス認定 08年の岩手・宮城内陸地震

  ・・・2011/1/12付』

 死者・不明者23人を出した2008年の岩手・宮城内陸地震で、

 震源断層の真上で観測された、最大加速度4022ガルが、

 史上最大としてギネス記録に認定された』

 女川原発のある宮城での地震の揺れ記録が

 4000なのに1000ガルで設備の健全性をチェックし

 大丈夫だから 原発稼働を許可するって言ってるんだが

 普通は 最低 実績記録値の1.5倍の値でも安全性が

 担保される強度を有するものをもって

 安全だと言えるのだが・・・!

 実績荷重の1/4で強度確認して・・・安全だと・・・?

 バカ・・・か…でアル!



http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/529.html#c2

記事 [経世済民134] ニトリとヤマダ、全面戦争へ…お互いの業態を浸食、ニトリに大手アパレル買収観測も(Business Journal)
ニトリとヤマダ、全面戦争へ…お互いの業態を浸食、ニトリに大手アパレル買収観測も
https://biz-journal.jp/2020/02/post_143586.html
2020.02.26 文=編集部 Business Journal


ニトリの店舗


 ヤマダ電機は大塚家具に43億7400万円を出資し、51.74%の株式を握り、昨年末に同社を子会社にした。大塚家具は創業者の大塚勝久氏と長女の久美子氏の対立でブランドが毀損。2016年からは赤字が続き、19年第3四半期(1〜9月)決算は惨憺たる結果となった。売上高は前年同期比23.2%減の210億300万円。営業損益は29億1800万円の赤字(前年同期は48億6300万円の赤字)、純損益は30億6200円の赤字(同30億5300万円の赤字)に沈んだ。売上高は5年連続の減収、営業赤字も6年連続となり、浮上の兆しはまったく見えない。確かに、一部店舗の閉店などで販管費が減り、営業赤字幅は縮小した。だが、同時に売上も減り、完全に負のスパイラルに陥っている。

 それではなぜ、ヤマダは大塚家具を買収したのか。ヤマダの狙いは、住宅事業の補完だ。11年、注文住宅のエス・バイ・エル(現ヤマダホームズ)を買収し、住宅事業に進出した。12年、住宅機器のハウステックを買収。リフォームを非家電事業の柱に据えた。

 ところが、家電量販店のビジネスモデルのまま、リフォームも安売り路線で突っ走った。大量受注したものの、施工業者の人手不足で施工が追いつかず、利幅は急激に縮小。住宅事業の要(かなめ)となるヤマダ・エスバイエルホームが営業損益、経常損益、当期純損益で黒字だったのは16年2月期のみ。それ以外は13年2月期から赤字が続く。

 ヤマダがエス・バイ・エルを買収して、15年、ヤマダ・エスバイエルホームに社名を変更。さらに18年10月、ヤマダホームズに変更して、「エス・バイ・エル」の名前を消した。ヤマダは17年6月、創業の地の群馬県前橋市で「インテリアリフォームYAMADA前橋店」をオープンしたのを皮切りに、住宅やリフォームを中心に家具や雑貨、家電製品を融合した新業態店「家電住まいる館」を展開している。

 オーナーの山田昇会長は、トップに三嶋恒夫氏をスカウトした。三嶋氏は、北陸の家電量販店「100満ボルト」を運営するサンキュー(福井市、現エディオングループ)出身。サンキューのリフォーム事業の立ち上げ、エディオン傘下に入った後もリフォーム事業の拡大を担った。住宅リフォーム事業の実績を買われ、17年にヤマダに副社長として移籍。1年後の18年6月、ヤマダの社長に抜擢された。

 家電量販店が住宅事業に参入するというのは昔からよくある話。家をリフォームしたら、家電も買ってくれる、という発想だが、「家具も家電も耐久消費財。相反関係にある」ともいわれ、シナジー効果は薄いとされている。

 ヤマダは大塚家具を子会社にして、家具に本格的に進出する。20年2月、ヤマダの東京都内などの4店舗を改装してオープンした。ソファなどの家具とテレビや白物家電を組み合わせて展示を始めた。

 だが、家具・インテリア雑貨はニトリホールディングスの牙城だ。当然、ニトリも対ヤマダ戦略を練る。ヤマダが先行するリフォーム事業に進出した。17年5月、中古住宅販売のカチタス(東証一部に再上場)に33.9%出資して、筆頭株主になった。カチタスは買い取った戸建ての中古住宅をリフォームし、再び販売する中古住宅の再生事業を手掛けている。

■ニトリ、都心最大の店舗で生活家電を販売

 家電の王者・ヤマダ電機と家具の帝王・ニトリHDは、ここへきて業態が急接近してきた。山田昇氏と似鳥昭雄氏。2人のカリスマ創業者のガチンコ勝負が今後、展開されることになる。

 ニトリHDの似鳥昭雄会長兼CEOは17年6月、ヤマダ電機が新業態の店で家具販売に進出することについて、「家具業界にとって異業種の参入は好ましいことだ。それだけお客様にとって選択肢が増えることであり、お互いに切磋琢磨していきたい」と語った。東京・渋谷にオープンした「ニトリ渋谷公園通り店」のオープンの記者会見で、記者団の質問に、こう答えた。同店は地上9階建てのビルを借り、店舗面積は約5000平方メートル。都心部の最大の店舗で掃除機や炊飯器など生活家電を扱う。

 似鳥氏は「ホームファッションを販売するにあたって(ヤマダから)相談はなかった。うちも小物家電を扱っており、小物家電をやる時に挨拶に行っていない」と静かな闘志を燃やす。20年1月に入り、ニトリのテレビコマーシャルに大きな変化がみられた。家電シリーズをきちんと告知するようになった。

 さらに、似鳥氏は家具の製造小売業(SPA)のノウハウを応用できるアパレルに参入した。大手アパレルのM&Aも視野に入れているといわれる。「40期連続増収増益」の切り札の一つがアパレルになる。オンワードホールディングス、三陽商会などが候補として取り沙汰されている。三陽商会は米シカゴに本拠を置くRMBキャピタルから「身売り」を迫られている。RMBは米ブルームバークに「アクティビスト(物言う株主)」と書かれた投資ファンドだ。レナウンは中国資本が過半の株式を保有しているが、「レナウンから逃げたがっている」(関係者)との情報もある。そしてヤマダの次の一手にも関心が集まる。

(文=編集部)




http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/210.html

コメント [経世済民134] ニトリとヤマダ、全面戦争へ…お互いの業態を浸食、ニトリに大手アパレル買収観測も(Business Journal) 赤かぶ
1. 赤かぶ[60620] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:07:19 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11910]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/210.html#c1
コメント [経世済民134] ニトリとヤマダ、全面戦争へ…お互いの業態を浸食、ニトリに大手アパレル買収観測も(Business Journal) 赤かぶ
2. 赤かぶ[60621] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:08:01 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11911]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/210.html#c2
コメント [経世済民134] ニトリとヤマダ、全面戦争へ…お互いの業態を浸食、ニトリに大手アパレル買収観測も(Business Journal) 赤かぶ
3. 赤かぶ[60622] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:08:31 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11912]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/210.html#c3
コメント [国際28] 米国でサンダース人気が続くが、支配層は逆襲の準備をしているはず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
38. 2020年2月28日 00:08:43 : E3qKxJkwdG : MDJVSFh6Sm1aS3M=[-236]
また、下記記事ではこのような記述も。

【2020米大統領選】「高齢白人男性」同士の争いを懸念する民主党の支持者たち
<最大の懸念は、有権者の関心が高い気候変動や女性・マイノリティの人権、
それにAIが職を奪う未来には想像が及ばないこと>
https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2019/05/2020-2.php

>今回の大統領選で民主党候補の選挙集会に参加したニューハンプシャー州の
>有権者の大部分が切実な問題として捉えているのは、
>「気候変動」「人権」「公平な選挙」「収入格差」
>「雇用」といったものだ。

>若者たちは、自分たちの将来に影響がある気候変動問題とAIが
>職を奪うことで困難になる雇用問題、トランプ政権下で
>脅かされるようになったLGBTQ、女性、移民、
>有色人種の人権問題に特に関心があるようだ。

>「高齢の白人男性」が懸念されるのは、これら3つの問題を
>自分のこととして捉えにくいことだ。彼らは生きている間には
>気候変動の悪影響をさほど受けないし、最新のテクノロジーや
>経済を理解していない(しようとしない)ので
>AIが職を奪う未来も想像できない。そして、
>人種や性のマイノリティ問題は他人事だ。

別の記事。

>多くのメディアが報じているが、保守系のFOXニュースのある
>司会者が「我々の子供じゃない」と本音を漏らしているし、
>それに眉もひそめないアメリカ人が実はかなりいる。

「アメリカ人」という大きな主語なら
「若者」も当然の如く含まれているのだよな?
にも拘らず上記では「若者たちは」という大きな主語で
「危機感を抱いている」等と書き連ねている。

>分断したアメリカを統一させたい、という渇望は、
>特に若手候補のイベントで強く感じる。

であるなら大きな主語を使うのを止めるべき。
渡辺もそう。記事毎に何が言いたいのか不明。
それぞれ関心事が異なるのだから纏めることは不可能。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/389.html#c38

コメント [カルト24] 板垣・10日で収束しなければ五輪中止と退陣。自公は石破か岸田か腹を決めておく事である。 ポスト米英時代
3. 2020年2月28日 00:09:31 : GALXh0Kq96 : ekQ0bTJkL2FocXM=[17]
○○に退陣
そんなヌルいデマ、もう聞き飽きたぞ〜
どうせデマを流すなら、せめて「李晋三逮捕」にしろってのwww
まあ、「閉鎖された武漢から邦人を帰国させた」
これだけでも、十分に外患誘致罪の疑いがあるだろ?
どうよ?検察さんw

http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/855.html#c3
コメント [国際28] 米国でサンダース人気が続くが、支配層は逆襲の準備をしているはず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
39. 2020年2月28日 00:14:15 : E3qKxJkwdG : MDJVSFh6Sm1aS3M=[-235]
この渡辺という女の特徴は主に「女」と「若者」に
焦点を当てていること。
あと、矢鱈と「大きな主語」と「抽象」が多い。
この大きなカテゴライズ(単純化)こそが
分断の最たる原因だろう。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/389.html#c39
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
38. 2020年2月28日 00:14:30 : TRts6DoSkU : RmVZSTdVQXIwSkU=[2]
三月の高校は進級にかかわる学年末試験、成績処理、入試業務、来年度のカリキュラム作成などでただでさえ多忙を極める。それをこなして4月からの新年度がようやくはじめられる。一年以上前からすでに予定はすべて細々と組まれている。
それをいきなり上から全国一律に規制すれば、現場はめちゃくちゃになる。一律ではなく、いつ・どれだけ休校にするのか、それぞれの高校現場の実情に合わせてその学校が休校にするなら、まだ分かる。今度の騒ぎで3月2日の卒業式を縮小することだけでも、急遽あわてて、1、2年生の保護者にきちんと文書とメールで通知を出している。いかにいわんやだ。
医療にしても教育にしても、現場をまったく知らない者の思いつきの猿知恵、入れ知恵によって、どれだけ周りが振り回されるか。裸の大将に周りが忖度しすぎて、本人が自分が何をしようとしているのかさえ知らない。だれがこんなバカを総裁に選ぶ政党に票をいれたんだ。日本は自滅するぞ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c38
記事 [番外地7] ドストエフスキーの貧困生活
ドストエフスキーの貧困生活【作家貧乏列伝#1】
https://pdmagazine.jp/trend/binbo-dostoevsky/


『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』などの傑作を残した文豪・ドストエフスキーはギャンブルにはまって借金生活を送るロクデナシだった?? 新連載、【作家貧乏列伝】第1回は、そんなドストエフスキーの貧乏生活に迫ります!



文学史にその名を残した大作家たちは、誰もが華々しい生活を送っていたわけではありませんでした。むしろ、作家としての成功を手にする前には、金銭的に苦しい生活を強いられていたケースの方が圧倒的に多いと言えるでしょう。
P+D MAGAZINEの新連載企画となる「作家貧乏列伝」は、そんな文学者たちの苦しいお財布事情について伝記的に振り返ります。その第一回となる今回は、ロシアを代表する文豪であり、世界規模で多大な影響を及ぼしている小説家、フョードル・ドストエフスキーを特集!

人間存在の根本問題を重厚な文章で描いたドストエフスキーの作品は今もなお多くの支持を獲得しており、ノルウェー・ブック・クラブが選ぶ「世界最高の100冊」には『カラマーゾフの兄弟』、『罪と罰』、『悪霊』、『白痴』の4冊が選出されています。

そんな大文豪として名高いドストエフスキーですが、その作品執筆の背景には、自身の持つ「浪費癖、賭博癖」と、それらがもたらした「破綻した生活」が強く関係していることが知られています。今回は波乱の人生をおくったドストエフスキーの貧乏エピソードを、彼の作品とともに紹介します。

年収500万円なのに借金は800万円?ドストエフスキーの呆れた浪費癖。

ドストエフスキーは1821年、モスクワに生まれました。父親は医者、母親は商人の娘でしたが、子供は兄、ドストエフスキー、弟、妹3人と8人家族であったために裕福な家庭とは言えなかったようです。

ドストエフスキーは両親の死を経て工兵学校へ入学します。22歳で工兵学校を卒業し、少尉として製図局で働くようになった彼は、父親の残した領地からなる収入と製図局の給料を足した額、およそ5,000ルーブルほどを年収として得ていました。19世紀当時の1ルーブルは現在の日本円でおよそ1,000円。年収500万円といえばかなり裕福な暮らしができそうなものですが、ドストエフスキーの生活が困窮していた理由は、彼の持つ浪費癖にありました。

よく知られているように、ドストエフスキイには医しがたい[引用者註:病的な、の意]賭博癖や浪費癖がありました。この浪費癖はすでに兄ミハイルとの往復書簡にもでてきまして、金がはいるとまず前の借金を払い、残りの金をすぐ使ってしまって、いくら金があっても足らないという具合でした。妹ワルワーラの夫カレーピンは、父の死後、ドストエフスキイ兄弟の後見人となって田舎の領地から上る収入を毎月送っており、ドストエフスキイには年千ルーブリ送っていましたが、その送金が着いたその日にもう一文もなくなっているということがありました。

『ドストエフスキイ その生涯と作品』より

十分な収入があるにも関わらず、送金を受けた日には一文無し……ドストエフスキーの浪費癖は酷いものでしたが、彼の父親は真逆でした。私的な患者を抱える医者であったものの、妻が子どもたちと田舎へ出かける際には、衣類や家具が盗まれないか不安にかられるあまり「ようく思いだしていちいち書いておよこし」と頼んでいます。貧乏を極端に恐れる父親を反面教師として、ドストエフスキーの金銭感覚はおかしくなっていったのかもしれません。

浪費癖とは別に、ドストエフスキーのお人好しで気前のいい、考え無しの性格もまた、貧しい生活を招く原因となっていました。誰かにご馳走を振る舞う、知り合った人のいい鴨にされて金を貸す、博打で片っ端から金をする……彼の生活態度はだらしなく、挙げ句の果てには急に退職をしてしまいます。

「つとめはじゃがいものようにあきあきしました」、「食いぶちくらいはすぐに見つけます。猛烈な勢いで仕事をしますからね。いまやわたしは自由の身です」と兄への手紙で堂々と宣言していますが、あては全くありませんでした。むしろ、「さて、さしあたり何をするか、それが問題です。8,000ルーブルからの借金があるのですからね。」と、今の日本円に置き換えて800万円の借金を抱えている状況で考え無しに仕事を辞めたドストエフスキーに舞い込む仕事など、当然ながらありませんでした。



ギャンブル、愛人……“泥沼作家”ドストエフスキーの生活

ドストエフスキーがだらしないのは金銭面だけではありません。女性関係においても同様でした。最初の妻、マリアは既婚者でしたが、ドストエフスキーはマリアの息子の家庭教師になったことをきっかけに近づこうとします。マリアの夫が亡くなった後に2人は結婚しますが、結核を患っていたマリアはドストエフスキーと離れて療養することを余儀なくされるのでした。

その一方、ドストエフスキーは愛人のスースロワとともに二度目の外国旅行に旅立とうとしていました。しかし借金の手続きや雑誌編集の仕事などにより彼女と出発できなかったドストエフスキーは、パリで落ち合うことを約束します。

しかしここで、ドストエフスキーの賭博癖が悪い方向へ働いてしまいます。パリへと向かう道中、ドイツのヴィースバーデン滞在中にルーレットへのめり込んだドストエフスキーは4日間もの時間を費やします。

博打に興じるドストエフスキーをよそに、スースロワは単身パリに向かい、現地で新しい恋人を見つけました。ドストエフスキーがようやくパリに到着した頃には、すでにスースロワはその新しい恋人から棄てられていましたが、ドストエスフスキーは彼女と恋愛関係に戻るのではなく、似た者同士の「兄妹」として振る舞うことになったといいます。

そしてこの後、まったく懲りないドストエフスキーはドイツのバーデン=バーデンで賭博に耽ります。ここで負けに負けた彼は、持っていた時計をも売り飛ばし、スースロワとホテルで請求書が来ないかと絶えずビクビクしながら過ごさなければいけないほどでした。

もはや自虐小説!? 『賭博者』あらすじ

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4102010084

なんとか家族や出版社からの借金で窮地を脱した2人は、この旅行を終えて別れることになります。この時の経験をもとにドストエフスキーが書いた作品は、その名も『賭博者』。ドイツの架空の街、ルーレテンブルクを舞台に、ロシアの将軍の家庭教師である主人公アレクセイがルーレットにより身を滅ぼしていく物語です。アレクセイはドストエフスキーが、将軍の義理の娘でアレクセイが思いを寄せるポリーナはスースロワが、フランス人公爵でステレオタイプな鼻つまみ者のデ・グリューはスースロワがパリで作って棄てられた恋人のサルバトールが、それぞれ投影されているのです。

デ・グリューが金の力でポリーナの心を自分に向けようとしていることを知ったアレクセイは、「そんな金なんて叩き返してしまえ」と所持金を持ってルーレットに挑みます。神でも味方につけたかのように勝ったアレクセイは20万フランもの大金を得ますが、ポリーナからは愛憎入り混じった言葉を投げつけられて終わるのでした。加えてルーレットで得た大金も娼婦のブランシュに根こそぎ搾り取られ、ギャンブラーとして身を落としていきます。

当初大勝ちするものの、そこからアレクセイが転落していく様子をドストエフスキーはえげつないままに描いています。「次はもっとうまくやる」、「次こそは取り返す」といった負の連鎖を生み出す思考法は、賭博依存症のドストエフスキーだからこそリアルに描けたものだったのです。

起死回生の一作、『罪と罰』を生み出した窮地

借金の返済に追われたドストエフスキーは、悪質な出版業者であるステロフスキーとの間にとんでもない契約を結びました。その契約内容とは、金を貸すかわりに期限までに新作の長編小説を書かなければ違約金を支払うほか、ドストエフスキーの持つ著作権を永久的に譲渡するというもの。借金がある以上、ひどい条件であっても呑むしかなかったドストエフスキーの生活は、ますます困難なものとなっていきます。

なんとかステロフスキーから借りた金も例によってルーレットであらかた溶かし、堕ちるところまで堕ちたドストエフスキーは『罪と罰』を書き始めます。この『罪と罰』は、頭脳明晰ではあるが貧しい主人公、ラスコーリニコフが強欲非道な高利貸しの老婆と目撃された老婆の妹まで殺してしまうことで罪の意識に苦しめられる物語です。1人の貧乏な青年を主軸に「正義のためであれば人を殺す権利はあるのだろうか」、「正義とはなにか」という重厚かつ普遍的な問題を描いた『罪と罰』は、一気にドストエフスキーの評価を高めました。

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4102010211

『罪と罰』では好評を博したものの、ステロフスキーの契約ではもう1本長編小説を書く必要がありました。しかし『罪と罰』の執筆により時間もなくなり、精神的にも追い詰められていたドストエフスキーは口述筆記にて『賭博者』を完成させます。このときに筆記を担当したのは、速記学校に通う20歳の女学生、アンナでした。

なんとか『賭博者』の原稿を完成させ、窮地を脱したドストエフスキーはアンナへプロポーズします。2人は25歳も離れていましたが、同世代の青年にはない才能に惹かれたアンナはプロポーズを受け、結ばれます。

2人の結婚生活は幸せなものではありませんでした。ドストエフスキーは持病のてんかん発作を起こし、すぐにでも払わなければいけない借金のために生活は困窮。アンナは嫁入り道具全てを質入れし、ドストエフスキーに外国での治療を受けさせようと旅立つ決意をします。

ドストエフスキーの親族とも不仲だったアンナはようやく平穏な生活を手にいれましたが、ドストエフスキーはそんな生活に飽き飽きし、ルーレットでまたもや有り金全てを失います。海外を転々とする生活は4年にも及び、その間に何度もドストエフスキーは賭博に溺れましたが、1871年にサンクトペテルブルクに戻った頃から生活がようやく好転します。

その理由はドストエフスキーが編集を引き受けた雑誌で書いたエッセイ、『作家の日記』や回想が人気になったほか、妻アンナがドストエフスキーの著作集を自ら出版したことで経済的に安定したことにあります。ギャンブル癖のあるドストエフスキーが困窮生活から抜け出した背景には、“できすぎた妻”であるアンナの支えがあったのです。


“生活破綻者”の文学

日本文学においても『罪と罰』の設定を借りて作品を書いた江戸川乱歩、『カラマーゾフの兄弟』に登場する挿話に着想を得て「蜘蛛の糸」を書いたと言われている芥川龍之介など、ドストエフスキーの影響は計り知れません。文学史で大きな存在ではあるものの、彼自身は波乱の人生のなかで人間を深く見つめなおした作品を多く残しています。そんなドストエフスキーの洞察力を育んだのは、自らの浪費癖と賭博癖が招いた破綻であったと考えると、作家稼業の独特なカルマを感じさせますね。

さて、続く「作家貧乏列伝」第2回では、明治の女流作家、樋口一葉を特集します。今では5千円札にその顔が刷られている一葉の貧困生活とは一体どんなものだったのでしょうか?

https://pdmagazine.jp/trend/binbo-dostoevsky/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/504.html

コメント [国際28] 米国でサンダース人気が続くが、支配層は逆襲の準備をしているはず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
40. 2020年2月28日 00:16:06 : 35x1R8qQXE : dEZtR0pGOGgwWWM=[1]
この渡辺という女の特徴は主に「女」と「若者」に焦点を当てていること。あと、矢鱈と「大きな主語」と「抽象表現」が多い。この大きなカテゴライズ(単純化)こそが分断の最たる原因だろう。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/389.html#c40
コメント [近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
3. 2020年2月28日 00:17:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[84]

ドストエフスキーの貧困生活
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/504.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c3
コメント [カルト24] 百田ハゲがスシロー攻撃、ナツオがアベカイダを罵倒。ゴミとクズの団結がコロナ恐怖の前に綻び始めたようである。 ポスト米英時代
20. 2020年2月28日 00:18:40 : Y6pU2n9EsM : bUtVdWladVdtWHc=[3]
日本国民大量虐殺アジェンダの下手人、安倍と二階を即刻、武漢に送り込み、武漢の新型焼却炉で焼却処分せよ。
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/853.html#c20
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
39. 2020年2月28日 00:19:38 : GALXh0Kq96 : ekQ0bTJkL2FocXM=[18]
ボクちん今ピンチなんだお
オマエラ国民、全員ボクちんに付き合えよ

こんな感じだろうな、李晋三は
違うか?李晋三秘書官の今井尚哉www
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK269] クルーズ船乗客の死亡は安倍政権の人災だ!「船内感染は留め置いた5日以前」という厚労省の言い訳の嘘(リテラ) 赤かぶ
37. 投稿のあんちゃん[610] k4qNZYLMgqCC8YK_guGC8Q 2020年2月28日 00:20:37 : ec5C2vDjSU : blZtalNOcWhTRmc=[252]

 優雅な旅行をしようと思ってクルーズ船に乗ったら、37人以上もの人間が重症の肺炎になり、そのうちの何人かは命を無くす結果になるなんて思ってもいなかっただろう。

 コロナウィルスが悪いのか、香港で降りた感染者が悪いのか、日本政府(厚生労働省の官僚)の考え方が悪いのか、あるいは医療関係者(感染症対策医療チーム)の考え方が悪いのか。

 香港で降りた感染者のみが感染源ではないという話もある。どのように感染が広がっていったのか、今後しっかりした検証をしてもらいたいものである。日本の悪習慣である有耶無耶で終わらすものではない。その反省は未来に生かすことができるものであろう。


http://www.asyura2.com/20/senkyo269/msg/818.html#c37

コメント [政治・選挙・NHK270] https://memomemokun.hatenablog.jp/entry/2020/02/27/234519 地震くん
1. 地震くん[17] km6Qa4KtgvE 2020年2月28日 00:24:56 : giycMKOynY : eDFEb2VoNTNqUkU=[1]
すみません、タイトルを入れ間違っちゃいました。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/167.html#c1
コメント [番外地7] ドストエフスキーの貧困生活 中川隆
1. 中川隆[-13429] koaQ7Jey 2020年2月28日 00:28:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[85]

ドストエフスキー
http://aoitori-center.com/tenkan/dostoyevski.html


◦誕生、幼年時代
◦作家デビュー
◦ペトラシェーフスキー事件
◦処刑劇
◦ロシアの政治と宗教
◦暴力革命
◦ロシア正教
◦ベリンスキーと無神論
◦ドストエフスキーの改心
◦シベリア以降
◦最初の妻マリア
◦雑誌「時代」
◦愛人
◦妻と兄の死
◦成就せぬ愛
◦「罪と罰」
◦第2の妻アンナ
◦海外生活
◦「白痴」、娘の死、「悪霊」
◦帰郷
◦「カラマーゾフの兄弟」と最後の栄光
◦死
◦ドストエフスキーのてんかん発作
◦発症
◦発作症状
◦シベリア流刑後のてんかん発作
◦発作頻度、発作時刻
◦発作後症状
◦19世紀ヨーロッパの臨床神経学
◦臭化カリウム(ブロム)
◦ブロム中毒
◦鑑別判断
◦アンリ・ガストーの全般てんかん説
◦素因性全般てんかん説の根拠
◦恍惚前兆
◦創造された恍惚前兆?
◦恍惚前兆以外の前兆
◦発作前駆症状
◦全般てんかんと部分てんかん(側頭葉てんかん)
◦家族発生
◦旺盛な性欲
◦てんかんを乗り越えて
◦てんかん気質
◦人間観察の天才
◦てんかんからの自由
◦参考図書・引用文献

「大多数のものは、癲癇発作に襲われた人を見て、神秘的なあるものを含んだ、激しく耐え難い恐怖を抱くものである」

ドストエフスキー「白痴」米川正夫訳

「そう、わたしは「倒れ病」にかかっている。これは、12年前、人生のうちでももっとも最悪の時期に、不幸にも背負うことになった病だ。しかし、病気を恥じる必要などない。それに、倒れ病といえども活動を止めることはできないのだ」

誕生、幼年時代


 ドストエフスキーは、ご存じのように、19世紀ロシアの小説家です。

 生まれたのは1821年11月11日。この年、ナポレオンがセントヘレナ島で死に、ヨーロッパは政治的反動期を迎えていました。一方、同じ年にフローベール、ボードレールなど新たな文学の担い手も誕生しており、7年後にはトルストイも生まれています。

 父親は医者でした。司祭の子として生まれた父親は、ナポレオン戦争に従軍したのち、施療病院の医師となり、八等官の官位を獲得しました。ピョートル大帝が定めた官位では八等官以上が貴族に準ずることになっていますから、ドストエフスキー一家も貴族階級ということになります。

 母親は裕福な商人の娘でした。

 上には1歳ちがいの兄ミハイルがおり、ドストエフスキーにつづいて弟1人、妹3人が生まれています。

 子沢山の8人家族ですから、子供時代、ドストエフスキー一家は貧乏だったいう伝説もあるようです。しかし、ドストエフスキーは思春期に名門寄宿学校で教育をうけていますし、父の死後、その遺産によってある程度の年金ももらえるようになっています。家庭が貧乏だったとは思えません。少年時代の「貧乏伝説」はドフトエフスキーが成人してからの借金生活の類推から生まれたのかもしれません。しかし、ドストエフスキーの幼年時代における「貧乏伝説」誕生には、奇人だった父親も一役買っていた可能性があります。

 貴族に列せられた父親は、別荘にでかけていった妻に「あわれな、よるべないわたしを忘れないでおくれ」と詠嘆調で手紙を書きはじめながら、そのあとで、召使いが身の回り品をくすねてしまわないか心配になり、一転「書いておよこし…….おまえのドレスや胸飾り、ナイトキャップなどで残していったものはないか、それから納戸においてあるようなものについても、ようく思い出していちいち書いておよこし。ワシリーサにごまかされないかと心配だから」と、くどくど書くような人間でした(コンスタンチン・モチューリスキー著 松下裕・松下恭子訳「評伝ドストエフスキー」)。「ああ、なんと残念なことだろう…….手元不如意のためにおまえの名の日のために何にも贈ってやれないとは。わたしの心は悲嘆にくれている」などとも妻に書き送っていますが、貧乏という強迫観念におそわれていただけのことで、妻にプレゼントを何も買えないほど窮乏していたわけではありません。

 父親は、妻の死後、仕事を辞め、自分の地所の村にひきこもります。そして、飲んだくれ、本来の性格にいよいよ磨きがかかります。農民を虐待する「けだもののような」人間になって、あげくのはてに、積年の恨みが爆発した農民たちによって殺害されます。ドフトエフスキーが18歳のときのことです。

 父親のこの病的なまでの吝嗇癖はドフトエフスキーの妹に受け継がれます。妹は夫の死後、莫大な遺産を手にしたにもかかわらず、召使いを雇う出費を嫌い、一人暮らしを続けました。そして、その噂を聞きつつけた強盗に殺害されます。しかし、ドストエフスキーには父親の吝嗇癖が正反対に遺伝してしまったようです。成人してからドフトエフスキーは金銭に関する無能ぶりを大いに発揮することになります。

 この父親のもとへの来客は少なく、他の家族との交流はほとんどありませんでした。そのうえ、14歳で寄宿学校にはいるまで、教育は家庭内でおこなわれました。初等教育は聖書物語などをもちいた母親による読み書きの授業で始まり、その後、家庭教師によって引き継がれました。ただし、ラテン語教育だけは父親によってなされました。こうした教育環境の中、当然、級友もいませんから、ドストエフスキーは兄弟以外の同年輩の子どもと遊ぶ機会がほとんどなかったようです。

 実際、幼年時代を回顧した「作家の日記」の文章に現れるのは、同年代の子どもではなく、父親の所有する地所で出会った無知ながら宗教心に富み心優しかった農奴です(作家の日記 1976年2月 2 百姓マレイ米川正夫訳)。「狼がくる」と脅える幼いドストエフスキーに対し、農奴のマレイが「なにをいうのだね、なにを?どこに狼がいるもんかね、そら耳だよ、ほんに!」と励ましてくれたというのです。百姓外套にしがみつくドストエフキーの頬を撫でて「さあ、キリストさまがついてござらっしゃる。十字切るだよ」とマレイが優しく諭してくれたことが「作家の日記」の中で印象深く回顧されています。

 14歳の年、ドストエフスキーは名高い教授陣が名を連ねる名門寄宿学校に入学します。そして、母親が死んだ16歳の年、ペテルブルグの寄宿学校に移り、翌年、工兵学校の試験に合格、22歳の年まで工兵学校の寮で過ごします。ただし、シラーをはじめとするロマン派西欧文学に耽溺し「人間は謎です。それを説きあかさねばなりません」と兄に書き送っていた文学少年は、工兵学校にとって相当場違いな生徒だったようです。

作家デビュー


 22歳で工兵学校を卒業し、少尉に任官、製図局で働くようになります。父親の残した領地からの収入と製図局の給料を足すと、年収は5000ルーブルにのぼり、充分豊かな生活ができる収入が保証されていました(江川卓氏の試算よると当時のロシアの1ルーブルは現在の日本の1000円前後に相当し、したがって、当時のドフトエフスキーには500万円の年収があったことになります(江川卓 謎とき『白痴』新潮選書))。

ところが、ここで、ドストエフスキーは経済観念のなさを露呈、それは、この後、長年にわたって、彼を苦しめることになります。ばくちで金をすってしまう一方で、得体の知れない人間たちにかもにされ、瞬く間に高利貸しから多額の借金をする羽目に陥ります。そして、何ヶ月も文無しで過ごす生活を余儀なくされました。それでいながら、製図局勤務に辟易し、一年で退職してしまいます。文学に専念したい一心の行動でした。しかし、かといって、文学で身を立てられる見込みがあったわけではありません。

ただ一つの希望は、ゴーゴリの小説にヒントを得た貧しい官僚と薄幸の少女との交流を描いた小説「貧しき人々」でした。推敲に推敲を重ねた小説は、24歳の年に完成します。ドストエフスキーは詩人ネクラーソフのもとにその草稿をもちこみました。そして、この小説を読んで熱狂したネクラーソフが当時の指導的文芸評論家ベリンスキーに「貧しき人々」を紹介します。ベリンスキーはドストエフスキーの処女小説に最大級の讃辞を送ります。「芸術家としてのあなたに対して真実がひらかれ、高らかに告げられたのです…….どうかその天賦の才を重んじ、つねにそれに忠実であってください。そうすればあなたは大作家になるでしょう」とドストエフスキーに熱狂的に語って、ベリンスキーはこの小説を激賞しました。

ペトラシェーフスキー事件


 このようにして、ドストエフスキーは作家として華々しいデビューを飾ります。しかし、指導的評論家に派手にもち上げられ有頂天になったのもつかの間、ネクラーソフやツルゲーネフたちにその天狗ぶりを揶揄され、ベリンスキーの文学サークル内でドストエフスキーはしだいに孤立していきました。その上、勢い込んで書いた第2作「分身」をベリンスキーに冗長とけなされ、猜疑心を募らせます。結局、一年ほどでベリンスキー、ネクラーソフらと袂を分かち、なんども前借りを頼み込んでいたクラエフスキーが運営している「祖国雑誌」に「白夜」などの小説を発表することになります。そして、その一方で、若い外務省官吏ペトラシェーフスキーが主宰するサークルにも出入りするようになりました。

 ペトラシェーフスキーの家には毎週金曜日に社会主義者が集まっていました。社会主義といっても、このサークルの人々が信奉していたのはフランスのフーリエが提唱した空想的(ユートピア的)社会主義で「この上もなく明るい、天国のように道徳的な光を帯びたもの」でした(「作家の日記」16 現代的欺瞞の一つ 米川正夫訳)。この社会主義は「キリスト教と同一視されて、単に時代と文明に応じて訂正され、改良されたものにほかな」らず、「この上もなく神聖な道徳的なものと思われたばかりか、何よりも一般人類的なもの、例外なく全人類のために与えられた未来の掟」と考えられていたのです。ロマンチックな人道主義的小説「貧しき人々」を書いたドストエフスキーが、そのような社会主義に心を傾けていったのは自然のことでした。

 しかし、専制政治によって硬直化した当時のロシアにおいて社会主義の理想を実現することはどうみても不可能でした。その閉塞状況を打ち破ろうとすると、最終的には暴力革命しかないということになります。しかし、ペトラシェーフスキーは平和的な宣伝活動によって大衆に影響を及ぼしていくことでこと足れりと考えており、暴力による変革など夢にも考えていませんでした。ドストエフスキーはしだいにそうした生ぬるい態度に不満を感じるようになったようです。ペトラシェーフスキー・サークルの急進派であるドゥーロフたちのグループに引き寄せられていったのです。

 ドゥーロフ・グループの中心人物はのちにドストエフスキーの小説「悪霊」の主人公スタヴローギンのモデルになったとされるスペシネフでした。裕福な家庭に育ったスペシネフは70歳の伯爵老夫人でさえ彼に恋したというほどの美青年で、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」に影響を受け、原始キリスト教に範をとった秘密結社結成を夢見ていました。ドゥーロフたちの目標は民衆の反乱を準備することでした。そして、その手始めとして秘密印刷所建設を開始します。これは、秘密警察を使ってまで体制護持に狂奔していた当時の専制ロシアにあっては、死刑を免れない、危険な企みでした。このため、ドゥーロフ・グループの入会規約には秘密保持のために「裏切りには死を」という条項さえ入れられていました。

 ペトラシェーフスキーの集会には当局のスパイとしてアントネルリという男が潜入していました。ある時、この政府の密偵はドストエフスキーが朗読したベリンスキーの手紙にペトラシェーフスキーのサークルの面々が熱狂する場面を目撃します。ドストエフスキーが「ロシア国民には宗教はない」と読み進んだところで、割れるような拍手が起きたのです。このときドストエフスキーが朗読した手紙というのは宗教に回帰しようとするゴーゴリをベリンスキーが非難したもので、当局からみれば「ロシア正教に対する不適な表現に充ちて」いました。そして、その一週間後、1849年4月23日未明、ペトラシェーフスキーのサロンに出入りしていたドストエフスキーたち34名が逮捕され、ペトロパヴロフスク要塞に収容されます。最終的に23名が起訴され、ドストエフスキーもその中に入っていました。ドストエフスキーの罪状は「悪逆なる企画に参加し、ロシア正教と最高政権に対して不適なる表現に充ちたる、文学者ベリンスキーの書簡を普及し、多くの同士とともに手刷器械の方法によりて、反政府的文書の頒布を企てた」ことでした。

処刑劇


 1849年12月22日、ドストエフスキーたちはペトロパヴロフスク要塞から死刑台の待つ処刑場に連れ出されます。

 「今日、12月22日、ぼくらはセミョーノフスキイ連隊の練兵場へ引かれていきました。そこで僕ら一同は死刑の宣告を読み上げられ、十字架に接吻させられ、頭の上で剣が折られ、ぼくらは死装束(白いシャツ)を着せられました。それから、3人のものが刑の執行のため、柱のそばに立たされました。3人ずつ呼びだされるのですから、したがってぼくは2番目の番にあたっており、余命一分以上もなかったわけです。兄さん、ぼくはあなたをはじめ、あなたの家族全部を思い起こしました。が、最後の瞬間はあなただけ、ただあなた1人だけがぼくの心に残りました。その時はじめて、なつかしい兄さん、ぼくがどんなにあなたを愛しているかを思い知りました!それからなお、そばにいたプレシュチェーエフとドゥーロフを抱きしめて、告別する暇がありました。

 とどのつまり、退却命令の太鼓が鳴ったと思うと、柱に縛り付けられた連中が連れ戻されて、皇帝陛下がわれわれに生命を与えてくださる旨が読み上げられました。それから本当の宣告が下ったわけです。(1849年12月12日、兄ミハイルへの手紙)」

 「本当の宣告」は、死刑ではなく、シベリアへの流刑でした。死刑から流刑に減刑されたのはドゥーロフ・グループの計画の全貌が漏洩しなかったおかげでした。しかし、最初に柱に縛り付けられ兵士たちに銃を突きつけられた三人のうち一人は「退却命令の太鼓」の合図も間に合わず、発狂しました。

 20年後、ドストエフスキーは小説「白痴」でこの場面を再現しています。

 この男はあるとき他の数名のものと一緒に処刑台にのぼらされました、国事犯のかどで銃殺刑の宣告を読み上げられたのです。ところが、それから20分ばかりたって特赦の勅令が読み上げられ、罪一等を減じられました。けれど、この二つの宣告のあいだの20分、少なくとも15分というもの、その人は自分が幾分かののちにはぽかりと死んでしまうものと信じて疑わなかったのです…….その人は…….この数分かの出来事はけっしてけっして忘れはしない、といっていました。群衆や兵隊に取りまかれた処刑台から、二十歩ばかり離れたところに、柱が三本立ててあったそうです…….まず三人のものを引っ張っていって柱へしばりつけ、死刑服を着せ、それから銃の見えないように、白い頭巾を目の上までかぶせました。次ぎにおのおのの柱の前に数人ずつの兵士が整列しました。ぼくの知人は八番目に立っていましたから、したがって三度目に柱の方へ呼び出されることになっていたわけです。一人の僧が十字架を手にしてひとりひとり回って歩きました…….刑場からほど遠からぬところに教会堂があって、その金色の屋根の頂きが明らかな日光に輝いていたそうです。かれはおそろしいほど執拗にこの屋根と、屋根に反して輝く日光をながめていて、その光線から目を離すことができなかったと申します。この光線こそ自分の新しい自然である、いま幾分かたったら、何らかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、という気持ちがしたそうです…….今にも到来すべき新しい未知の世界と、それにたいする嫌悪の念は、じつに恐ろしいものでしたけれど、当人にいわせると、このときもっと苦しかったのは、絶え間なく浮かんでくる一つの想念だったそうです、????『もし死ななかったらどうだろう?もし命を取り止めたらどうだろう?それは無限だ!しかも、その無限の時がすっかりおれのものになるんだ!そうしたら、おれは一つ一つの瞬間を百年に延ばして、一物たりともいたずらに失わないようにする。そして、おのおのの瞬間をいちいち算盤で勘定して、どんなものだって空費しやしない』この想念がしまいには激しい憤怒の情に変わって、もう片時も早く撃ち殺してもらいたい気持ちになったそうです」

 死刑執行直前の赦免、という、人を発狂に追いやるような劇のシナリオを書いたのは当時のロシア皇帝、ニコライ一世でした。皇帝自ら、死刑執行の規模、囚徒たちと司祭の服、太鼓の打ち方、監獄から刑場への通路、剣の折り方、足かせのはめかたまで細々と指示し、しかも、3度も変更しました。

 専制君主の冷酷な気まぐれは、しかし、結果的に、ベリンスキーが予言した大作家ドストエフスキーを誕生させることになります。兄の手紙の中でドストエフスキーは次のように書いています。

 「…….ぼくはきょう45分ものあいだ死と直面し…….最後の一刹那まで押しつめられたのです。ところが、今もういちど生きているのですからね!

 …….過去をふり返って見て、どれだけ時が浪費され、迷いと、過失と、安逸と、無能な生活ぶりの中に過ごされたか、自分がいかに時を貴ぶことを知らなかったか、幾たび自分の心情と精神に悖ることをしたか、そのことを考えると、われながら心臓に血のにじむ思いです。生活は天の賜物です、生活は幸福です、一つ一つの瞬間は永遠の幸福となりうるのです。Si jemesse savait ! (もし青春が知識を持っていたら)いま生活を一変するにあたって、ぼくは新しい形に生まれ変わりますよ、兄上!誓っていいますが、ぼくは希望を失いません、自分の精神と心情を純なままに保ちます。ぼくはいい方に更正します」

 死の一歩手前まで押しやられた体験と、その後の4年間の極限状態ともいうべきシベリアの監獄体験が血肉化し、巨大傑作小説群が生み出されることになります。

「ロシアの政治と宗教


 ただ、この前後のドストエフスキーの行動、心情を理解するためには19世紀のロシアについてある程度承知しておく必要があるかもしれません。

 ロシアはヨーロッパの辺境に位置します。その地理的条件が政治的にも宗教的にも文化的にもロシアをヨーロッパの僻村にしてきました。

 ヨーロッパの僻村といっても、ユーラシア大陸全体からみればロシアは辺境国家ではありません。しかし、ウラル山脈の向こうにはシベリアという不毛の寒冷大地が広がり、ロシア人が毛皮を求めて分け入るまで、文明の香りはなきに等しい状態でした。シベリアの南にはアジア文明圏がひろがっていますが、隣接する草原地帯には遊牧民が駆け回っていて、文明の香どころか、逆に、この遊牧民たちがしばしばロシアを破壊しにやってきました。13世紀、農業革命によって中世ヨーロッパが近代ヨーロッパへと抜け出すきっかけをつかんだ頃、ロシアはジンギスカンが創設したモンゴル軍団に蹂躙されます。都市を破壊され、約250年間、「タタールの軛」と呼ばれたモンゴル(キプチャク・ハーン国)の間接支配下におかれます。この間、ルネッサンスも宗教改革もロシアにとって無縁のものでした。

 もともと、ロシアには細々と焼き畑農業や牧畜を営むスラブ民族が点々と群れをなしていただけでした。そこへ、9世紀にスカンジナビア半島からノルマン人がやってきて、従来から居住していたスラブ民族の支配者となります。このノルマン人というのは、武装した船で川を遡ってきたというのですから、おそらくヴァイキングの類でしょう。ちなみに、ロシアという言葉はノルマン人を意味するルースというギリシャ語から派生したものです。

 当然ながら、このヴァイキングあがりの支配者と従来からの居住民との間に共通の文化的基盤はありませんでした。スラブ人と支配者を結びつけるものは何もなかったのです。国家が形成された時点では、支配者の軍事力と住民からの収奪がかろうじて国家を形成させていたにすぎません。「剣にまさる法はなかった」のです。

 この誕生時の国家構造がロシアという国を運命づけました。強権体質の支配階級と、内心はともかく、無言でそれに従う無数の農民。この2層構造は近代社会誕生に必須な階層間の流動性、中間階級の誕生を阻害し、ロシアを近代化に不向きな国家へと硬直化させました。

 圧倒的多数の農民にたいし支配層は力と宗教的権威づけで対応するしかありませんでした。そして、モンゴル支配がロシアのそうした強権政治体制をさらに強固にしました。モンゴルからの独立という旗印の下、絶対的権力が許容されたからです。それに、モンゴルの支配機構そのものもロシアを専制政治体制に傾斜させる要因となったかもしれません。

 9世紀頃ロシアにいくつかの小国家が形成されはじめたときには、ロシアの森林地帯から草原地帯(ステップ)に抜け出る位置にあるドニエプル川沿いの交通の要所、ウクライナのキエフが栄えていました。しかし、その後、内紛などでキエフは衰え、独立の機運が盛り上がったころにはモスクワ公国が優勢となって、その力によって15世紀にモンゴルの支配を脱します。

 しかし、モスクワ公国が主導権を握った当時のロシアは、その後のロシアからは想像もつかないほどの小国でした。ポーランドやスウェーデンといった当時の「大国」にその存在を左右されかねない状態だったのです。そうした弱小国家が巨大国家への道を歩み始めたのは16世紀初頭、イワン三世の時代といわれています。そして、その後、ロシア帝国は20世紀初頭の滅亡のときまで絶え間なく武力によって周辺地域を征服し、膨張していきます。このこともまた、ロシアで専制政治が継続する要因になりました。新たに獲得した領地の居住民を支配するにあたって強圧的専制政治は「便利」で「効率的」な制度だったからです。当然、ロシア専制政治のもとでは、国家創成時同様、支配者と新たな被支配者の間には国民としての共通基盤は存在しえませんでした。

 こうして、西欧諸国では中産階級が力を得て絶対王政から立憲君主制、民主制へと移行していった時代に、ヨーロッパの僻村、ロシアでは、専制君主、皇帝(ツァーリ)1人に権力が集中していきました。国家の発展がツァーリの領土と権力の拡大を意味するという奇妙でいびつな国家体制が20世紀初頭まで続いたのです。

 しかし、この専制君主の立場は、ときとして、きわめて危ういものになりかねませんでした。貴族階級に操られたり、暗殺されたりする危険性があったのです。集中する絶対権力と、疑心暗鬼、これがロシア専制君主の属性となります。そのためでしょう、この専制国家においては、傑出した能力を有するツァーリでも、どこかしら奇怪な面をさらけだすことがありました。

 貴族を押さえ、ロシアの統一を確固たるものとし、ヨーロッパへの窓口を開いたと謳われるイワン雷帝は、ペルシャから送られてきた象がツァーリたる自分の前で跪かなかったことに激怒、即座に象を殺させました。西ヨーロッパ文明を取り入れ、神政的専制国家ロシアを近代化させようと努めた多芸の持ち主ピョートル大帝は、ブールハーフェの外科教室において解剖を見学したさい、屍体が切り刻まれる光景に胸をむかつかせている側近貴族たちに、屍体の腱をかみ切ってくるように命令しています(「ロシア」ロバート・ウォーレス著、タイムライフ ブック)。かれの機嫌を損ねて、鼻に釘抜きを突っ込まれ、鼻の穴を引き裂かれた人間もいます。超一流の文筆家で、「啓蒙主義者」を自称し、ヴォルテールやグリムと文通していたエカチェリーナ女帝は、夫ピョートル三世暗殺の黒幕ではないかとの噂が絶えませんでした。夫の死後、エカチェリーナは独身を通しましたが、その間、ポチョムキンをはじめとして12人の情夫をとっかえひっかえし、それは60歳を過ぎても止みませんでした。11番目の情夫の妻は、ちょっとした失言で女帝の不興を買い、夫の前で裸にされ、むち打たれています。

 一方、ロシア近代化の巨大な壁となって立ちはだかった農奴制も「有能な」専制君主のもとで促進されることになりました。農民を土地に縛り付ける奴隷的強制労働は古代から中世にかけて、さまざまな国に存在していたようです。しかし、近代にはいると、ほとんどの国ではなくなっていきました。ところが、農業労働力が圧倒的に足らなかったロシアでは、土地に農民を縛り付けておくことが農業生産にとって必須条件であったため、奴隷的農民、農奴が17世紀に入って逆に増加しました。

 農奴制が完全にロシアに根を下ろしてしまうきっかけをつくったのは、皮肉なことに、ロシアの近代化を強引に推し進めようとしたピョートル大帝でした。かれは人頭税と兵役の義務化を制定しましたが、その際、義務化と引き替えに、領主の農奴に対する法的権利の強化を認めてしまったのです。このため、農奴は人頭税の財源として土地に縛り付けられ、売り買いの対象になってしまいました。さらに、「啓蒙君主」エカチェリーナの治世は「貴族には天国、農民には地獄」をもたらしたと評されています。貴族の特権をふやし、領主の権限を強め、農奴の権利を奪ったのです。きっかけは在位11年目に起きたロシア史上最大の農奴の反乱「ブガチョフの乱」でした。この反乱をうけて、エカチェリーナは「改革」に着手します。地方の治安維持のために、行政、司法、警察権をすべて地方の貴族(地主)に一任することにしたのです。この結果、領主は殺すこと以外なら農奴になにをしてもいいということになりました。こうして、農奴は完全な奴隷状態におかれたのです。その悲惨な状況を報告した「ロシア解放思想の父」ラジーシチェフはシベリアに追放されました。

 このように、ロシア近代化の父と啓蒙君主の母の元で、農奴制は「完成」され、ロシアという国家は近代化と逆行する社会構造へと硬直化していったのです。

暴力革命


 西欧の文明を取り入れてロシアを近代化させるにあたって、ピョートルは2つの方策を用いました。一つは、オランダ、フランスなどヨーロッパ「先進国」の人間をロシアに連れてくることです。これは、手っ取り早い効果が期待できますし、好条件につられ、西欧からさまざまな技術を携えた人間がロシアに移住、サンクトペテルブルクやモスクワには外国人街ができました。もう一つの近代化策は、ロシア人自身、とくに 若いロシア人にヨーロッパ文明の技術を学ばせることでした。多くの貴族の子弟が西欧文明を学び、フランス語は公用語に近いものとさえなりました。しかし、そうした西欧文明は上層階級に共有されただけで、食べるだけで精一杯の大多数の農奴にとってはあずかり知らぬものでした。こうして、キリスト教を別にすると、二つの階層の文化的基盤はさらに引き裂かれることなりました。

 さらに、先進的な西欧文明に学んだ貴族の子弟たちの間で、専制国家ロシアにとって不都合な考えも芽生えてきました。

 ピョートルはロシアの若者がヨーロッパ文明の技術面のみを習得してくれることを期待していたはずです。しかし、事はそんなに都合よく運びませんでした。若者の多くは、近代化技術を学ぶ過程において、必然的に近代西欧思想にも触れ、そうした思想から自国を見つめ直すようになったのです。その結果、西欧諸国の自由主義に触れた一部の若者たちは、専制政治に変革を求めるようになります。しかし、それに対し、ロシア政府は強圧的な弾圧でのぞみました。そのことが、正義感に燃える若者たちの怒りにさらに油を注ぎ、暴発を引き起こしました。

 その最初の例が、1825年12月14日、皇帝アレキサンドル一世の急逝直後におきたデカブリスト(12月党員)事件です。事件を主導したのはロシア軍の将校たちで、そのほとんどが貴族の子弟でした。かれらはナポレオンを追撃してパリに入った際、革命によって絶対王政の軛を脱し、自由を謳歌するパリ市民を目の当たりにしました。そして、自由を扼殺している自国の専制政治と引き比べ慄然とします。帰国後、かれらは専制政治打倒、立憲君主制樹立、農奴解放を目指した秘密結社を結成、アレキサンドル一世の急逝によって生じた政治的空白を狙って、軍事的クーデターを企てます。しかし、この試みは失敗に終わり、クーデターを主導したペステリ以下5名が死刑、100名以上がシベリア流刑などの刑に処せられました。シベリア流刑になったデカブリストの妻たちの一部は夫を追うようにして流刑地で居住することを決心します。ロシア専制体制打倒を希求する人々にとってデカブリストとその妻たちは殉教者的存在となりました。

 デカブリスト事件後、激しい反動の嵐が襲います。

 アレキサンドル一世のあと皇帝となったニコライ一世は、勤勉で有能な人物でした。しかし、自らの皇帝就任に際してクーデターを経験したこの専制君主は、厳重な検閲制度と監視制度によって国民の思想を強圧的に統一しようとしました。皇帝直属の政治警察、第3部を創設、危険人物、危険集団を監視させたのです。

 そのような状況にあって、政治的発言を封じられた誠実な若者たちに残された道は文学でした。ドストエフスキーを激賞したベリンスキーもモスクワ大学在学中に発表したドラマが専制政治批判と指弾されて大学中退のやむなきにいたり、唯一の発言の道を文芸批評にみつけた社会主義者でした。ベリンスキーのあとにはチェルヌイシェーフスキイ、ドヴロリュウボフ、ピイサレフといった苦行僧のような著述家が続きます。一方、プーシキンを筆頭とする詩人や小説家など文学者たちも、先進西欧諸国からの最新思想によって心に描いたあるべき祖国の姿と専政政治によって窒息寸前の前近代的自国の狭間にあって絶望するしかありませんでした。かれらの作品はその絶望を吐露したものというみかたもできます。共通の文化基盤を持たない支配階級と農民(農奴)階級にはさまれ、のたうち回る文学者たち知識人はインテリゲンツィアと呼ばれるようになりました。ドストエフスキーもその一人で、かれの文学はこうした異様な環境の中から生まれでました。整然として、一見、穏健とも見えるツルゲーネフやトルストイの小説も例外ではありません。アナーキスト的絶望がその底に秘められていて、その叫びとでもいうべきものが、世界中を驚かせた傑作群に結実したのです。

 しかし、1870年代にはいると、言論だけではなにも変わらない現状に飽き足らなくなった若者たちが行動を求めて農村に向かいます。「人民の中に(ナロードニキ)」と呼ばれる運動です。しかし、前にも申しましたように、知識人階級の若者と農民の間には教養、宗教、思想の面において埋めることのできない断絶がありました。かんじんの農民の理解が得られず、挫折します。

 残された方法は実力行使による体制変革でした。皇帝独裁体制を手っ取り早く打ち倒す方法は明らかです。皇帝を抹殺すればいいのです。絶対的権力を握っている頂点が消失すれば、「上部構造」はもろくも崩れ去るでしょう。こうして、列車爆発、冬宮食堂爆破など、執拗に、何度も、皇帝暗殺が企てられましたが、ことごとく失敗に終わりました。しかし、10回以上失敗を繰り返した後、1881年3月1日、ついに、アレキサンドル2世が自爆テロによって暗殺されます。

 しかし、皇帝暗殺によっても専制政治は消滅しませんでした。それどころか、デカブリスト事件後同様、当局の激しい締め付けが始まります。しかし、それにもかかわらず、革命の試みはあとを絶ちませんでした。そして、ご存じのように、第一次世界大戦のさなか、レーニンたちが主導した共産党革命によってロシア帝国は最終的に消滅します。

ロシア正教


 19世紀ロシアとドストエフスキーについて考える場合、もうひとつ、宗教のことも考えておく必要があります。

 ロシアではキリスト教が専制政治を支える主柱の一つでした。ただし、キリスト教といっても、ロシア人が信奉してきたのは、西欧諸国にひろまっていたカトリックではありませんし、ましてや、プロテスタントでもありません。10世紀末にキエフ・ロシアのウラジーミル大公が洗礼を受けて以来、ロシアのキリスト教はビザンツ帝国の流れをくむ東方正教会でした。

 15世紀、モスクワ公国をはじめとするロシア諸国がモンゴルによるタタールの軛から自らを解き放って独立した頃、ビザンツ帝国が崩壊します。モスクワ大公、イワン3世は最後のビザンツ皇帝の姪を妻に迎え、一方、オスマントルコから逃げ出した東方正教会の聖職者たちが、同一宗派ということでロシアにながれこみ、国家の保護のもとにおかれました。その後、モスクワはローマ、コンスタンチノープルにつぐ「第3のローマ」だと主張する聖職者が出現、モスクワ公国の王はツァーリ(Czar (古代ローマ皇帝Caesarに由来))を自称するようになります。

 しかし、「国家宗教」ロシア正教会は御用宗教としての権力、財力は与えられていましたが、逆にそのせいもあって、保守的で、自己変革能力に欠けていました。人々の尊崇を集める宗教家を輩出することはありましたが、フランチェスコ、ルター、ザビエル、あるいは、日本でいうと、一遍、親鸞、明恵といった革新的な宗教家を生み出す力をほとんどもち合わせていませんでした。

 唯一、17世紀半ばに総主教になったニコンが、制度改革を行おうとしましたが、聖職者や民衆の頑強な抵抗にあいます。そのうえ、ニコンは総主教の地位を皇帝よりも上位におこうとして、皇帝に総主教の座をとりあげられ、改革は挫折します。ただし、ニコンの制度改革による儀式上の変更はある程度継続されました。

 ロシア正教では、ビザンツ伝来の神々しい宗教儀式が信者に神を体感させ、儀式が信仰そのものという一面がありました。事実、ウラジーミル大公がカトリックやイスラムではなくビザンツの東方正教会を信仰するようになったきっかけも、キリスト教やイスラム教の調査に向かった使者がビザンツの荘厳な宗教儀式に感銘をうけて、大公にギリシャ正教の採用を勧告したせいといわれています。このため、農民やコサックらの下層民や一部の聖職者は儀式上の変革の継続に憤激、その中から分離派(ラスコールニキ)(別名、古儀式派)がうまれます。激しい弾圧にも屈せずラスコールニキは、自らをむち打つ鞭身派、去勢術を施す去勢派といったような極端な戒律の分派までも生みだしながら、その後何百年にもわたってロシア国内でさまざまな抵抗を続けます。ドストエフスキーが「罪と罰」の反社会的主人公に分離派をもじってラスコオルニコフの名前をつけていることはよく知られています。この分離派による「反宗教改革」がロシア宗教史上の唯一の光明といえるかもしれません。しかし、乱暴な言い方をすれば、表面上、ロシアは「神と同等の」皇帝のもと、宗教によって多大な恩恵を被っている御用聖職者、「無知蒙昧で信心深い」圧倒的多数の下層民で埋め尽くされていたことになります。この宗教的不毛地帯において「無神論」が19世紀ロシアの心ある知識人に侵食したのも無理からぬことでした。

ベリンスキーと無神論


 ドストエフスキーの出世作「貧しき人々」を激賞したベリンスキーからして、無神論者の筆頭でした。前に触れたように、ベリンスキーは専制君主制と農奴制からなるロシア社会の変革を熱望する社会主義者でした。しかし、デカブリスト事件後、官警の厳しい監視のもとでその真情を吐露するには文芸批評しか道がないというそれだけの理由で批評家の道を選んだ人でした。ベリンスキーはマルクスたちの「われらはまず第1に無神論的団体である」というインターナショナルの宣言を字句通り受け入れ、ドストエフスキーにはじめてあったときも「いきなり無神論から話をはじめ」ました。ベリンスキーは「一切の根底が精神的要素であるということを知っていた…….しかし、一個の社会主義者として、何よりもまっさきにキリスト教をその台座から引きずり落とさねばならなかった。革命が必ず無神論から始まらなければないのを知っていた」のです。また、あるとき、ドスエフスキーに向かってベリンスキーは「社会がこんなにも陋劣な組織になっていて、どうしても悪事をはたらかざるを得ないようになっているのに、経済的にいって、悪事にまきこまざるをえないのに、人間の罪悪を数えたてて、さまざまな義務を負わしたり、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、などと要求するのは不可能です」と主張したそうです。

 そして、同席していた友人にむかってベリンスキーは「ぼくはこの人をみると、涙ぐましい気がするくらいなんですよ」と揶揄するかのようにドストエルスキーを評したそうです。「いつもぼくがこんなふうにキリストの名を口にするたびに、この人は顔色をすっかり変えて、まるで泣き出さないばかりなんですからね」

ドストエフスキーの改心


 以上は、ドストエフスキーが1873年に当時を回顧して書いたものの引用です(「昔の人々 作家の日記1873年、 米川正夫訳」)。ベリンスキーと袂を分かったものの、当時の知識人同様、ドストエフスキーも「神を捨て」ます。

 しかし、この文章のあとには、シベリア流刑の途上においてナターリャ・フォンヴィージン夫人から福音書を贈られたという記述が続きます。フォンヴィージン夫人はデカブリストの一員としてシベリア流刑の身となった夫に付き従って25年間シベリアで過ごした女性で、その福音書はシベリアのオムスク要塞の獄中でドストエフスキーが唯一読むことを許される本となりました。当然、ドストエフスキーは聖書を隅から隅まで何度も読み返しました。このフォンヴィージン夫人にドストエフスキーは出獄後、手紙を書いています。

 「…….自分の苦しみ抜いたもの、堪え忍んだもの、人から奪われたものを掛けて見て、本当の重みを知るのです…….そうした瞬間には『枯れかかった葉』のように、信仰を渇望し、かつそれを見いだすものです。それはつまり、不幸の中にこそ真理が顕れるからです…….わたしは世紀の子です…….不信と懐疑の子です…….(しかし)神様は時として、完全に平安な瞬間を授けてくださいます。そういう時、わたしは自分でも愛しますし、人にも愛されているのを発見します…….もしもだれかがわたしに向かって、キリストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう」

 「死の家の記録」の中で主人公は自分の過去を徹底的に見直したと語っています。これは、シベリアの監獄でのドストエフスキーの生活をそのまま反映しているものと推測されます。死の手前にまで行った処刑劇とシベリアの監獄体験をきっかけとして、ドストエフスキーは正義実現のためには手段を選ばないという、デカブリストに始まってロシア革命にまで延々とつながっていく流れの危険性を徐々に認識するようになります。それは「男たちや女たちに、別の男や女たちのことを神だの蛇蝎だのとみなすよう、そそのかす」(イーグルトン著大橋洋一訳「イデオロギーとは何か」 平凡社ライブラリー)正義主義(イデオロギー)が有する危険性の認識だったのでしょう。「人間が何らかの重大な理由で争い殺しあうとき、たとえばその理由というのが生存そのものにかかわるものであれば、それは理解できないわけではない。ところが人間が、どういう筋道をへて、観念などという、どうみても抽象的なものの名において争い殺し合うようになるのか、これを理解するのはかなり難しい」とイーグルトンは書いています。しかし「観念とは、男たちや女たちが、それなくしては生きられないもの、時には、そのために命をかけるもの」です。実際、ドストエフキー自身、あの処刑劇において死刑宣告に臨んでも「われわれが告発される原因になった事柄、われわれの精神を支配していた思想や観念は、悔悟を要しないものと思われたのみならず、むしろなにか自分たちを浄化する殉教的なもののように感じ」られたと回想しています(「作家の日記」16 現代的欺瞞の一つ 米川正夫訳)。「その気持ちは長く続」き、「流刑の幾年間も、苦痛も、われわれの意志を砕きはしなかった」というのです。

 しかし「なにかしらある別のものがわれわれの見解、われわれの信念、われわれの心情を一変させ」ます。この「あるもの」というのは「民衆との端的な接触」「共通の不幸の中における彼らとの同胞としての結合」だったとドストエフスキーは説明しています。「国民的根本へ復帰し、ロシアの魂を認識し、国民精神を悟」ったというのです。ロシアの魂を語りながら、ドストエフスキーは少年時代の父の地所で出会った心優しい農奴を思い出していたのかもしれません。あるいは、シベリア流刑中に出会った「神の横に座すべき」心美しい犯罪者たちのことを思い浮かべていたのかもしれません。

 しかし、かれのこの説明にはいまひとつ曖昧なところもあります。そのように述べながら、あとになって「わたしの信念の更正の歴史を語ることは、はなはだ困難である」と述懐しているからです。出獄後、ドストエフスキーは3回、ドイツ、フランス、イギリス、スイス、イタリアなど「先進的」西欧諸国を見て回り、どうやら、相当に失望したようです。産業革命を成し遂げた西欧式合理主義は人類を破滅に追いやるかもしれない、むしろ、無垢なロシアこそが人類を救うのだと後年かれは主張するようになります。しかし、そこに至る過程は、彼自身にとっても、曰くいいがたいものだったようです。

 いずれにしろ、社会正義実現のために文字通り命をかけ、死の淵をのぞき込みながら生還したのち、ドストエフスキーは多種雑多な「犯罪者」が交錯する牢獄を体験し、徐々に正義主義の不毛性を認識するようになります。そして「キリストの名を口にするたびに、顔色をすっかり変えて、まるで泣き出さないばかり」だったドストエフスキーは、キリストに回帰し、最後は「カラマーゾフの兄弟」の高みへと到達します。


シベリア以降


 受刑者たちがひしめく劣悪な環境のオムスク監獄でドストエフスキーはプライベートな時間を完全に奪われて4年間を過ごしました。受刑者の中にはもちろん箸にも棒にもかからぬ極悪非道な人間もいましたが、一方では、殺人、強盗などの罪で受刑しているにもかかわらず、勇気、寛容、思いやりに満ちた「神の隣の座を占めてもおかしくない」人間が少なからずいました。世の常識的な道徳律を適用し得ない世界があることをドストエフスキーは身をもって体験しました。そして、そうした「善悪の彼岸」が監獄外の世界にもありえることを後に小説で表現することになります。

 1854年2月15日、33歳の年、ドストエフスキーは出獄し、第七シベリア歩兵大隊に配属され、キルギス平原に近い人口5千の街セミパラチンスクで一兵士として兵役に服すことになります。待ちに待った、解放の日でした。死刑を免れた感激の中で「どれだけ時が浪費され、迷いと、過失と、安逸と、無能な生活ぶりの中に過ごされたか、自分がいかに時を貴ぶことを知らなかったか、幾たび自分の心情と精神に悖ることをしたか、そのことを考えると、われながら心臓に血のにじむ思いです」と兄に書き送ったドストエフスキーです、「ひとときも時間を無駄にしまい」と誓っていたに違いありません。まだ兵役が残っていたので、文学に没頭できる環境にはありませんでしたが、それでも、創造意欲は燃えさかっていたはずです。すぐに傑作小説が生まれでてもおかしくありませんでした。

 しかし、事はそううまく運びませんでした。

 エパンチン将軍夫人と3人の姉妹の前で銃殺刑が直前になって免除になった例の男の話をムイシュキン公爵がする「白痴」の1場面で、長女のアレキサンドラが「そのかたは減刑になったのでしょう、つまり、その『無限の生活』を恵まれたのでしょう。で、それから後、その莫大な富をどうなさったのでしょう」と尋ねるところがあります。これに対し、ムイシュキンは「まるっきり違った生活をして、多くの瞬間を空費したそうです」とあっけらかんと答えています。ドストエフスキーも同様に、出獄後しばらく「多くの瞬間を空費」することになります。

最初の妻マリア


 多くの瞬間を空費することになった最初の原因は、マリヤ・ドミートリエヴナという名の人妻でした。ドストエフスキーの友人だったセミパラチンスク地区検事ヴランゲリ男爵によれば、マリアは「中背のちょっとかわいいブロンドで、とても痩せており、情熱的で興奮しやす」い女性でした。夫のイサーエフはアルコール中毒で、マリアは不幸な結婚生活を送っていました。同情心もあったのでしょう、逆上したかのようにドストエスキーはマリアに入れ込んでしまいます。マリアのほうは、どうやら、さほどのぼせてはいなかったようですが、そんなことはおかまいなしに、ドストエフスキーはマリアの息子の家庭教師をかってでて、イサーエフ家に一日中入り浸るようになります。やがて、イサーエフはセミパラチンスクから600キロも離れたクズネーツクに職をみつけ、一家は引っ越すことになります。マリアに会えなくなると知ったドストエフスキーは気が動転、絶望のどん底に落ちこみます。つねにドストエフスキーへの援助を惜しまなかったヴランケリは、イサーエフ一家が旅立つ日、とびきり上等のシャンペンをイサーエフにふるまって前後不覚になるまで酔わせ、不倫の恋人たちに別れの舞台をつくってやりました。

 まもなく、イサーエフは酒がもとで死にます。チャンス到来とドストエフキーは心躍らせます。ところが、マリアからは年若い教師に求愛されているという神経を逆なでするような手紙が届き、ドストエフスキーは再び半狂乱に陥ります。ヴランゲリたちに頼み込んで、マリアへの年金が国庫から早く出るよう斡旋してもらい、マリアの息子、パーヴェルが士官候補隊に特待生として入隊できるように手配します。うまい具合に、ちょうどこの頃、ヴランゲリたちの運動が功を奏して、ドストエフスキーは一兵卒から将校待遇に昇進します。こうしたことが効いたのかどうか、よくはわかりませんが、ともかくも、マリアの心はドストエフスキーに傾き、1856年2月6日、二人は結婚します。

 しかし、マリアにとって、この結婚はどうやらあまり気乗りのしないものだったようです。結婚直後、ドストエフスキーがてんかん発作を起こしたこともあってか、新婚早々、マリアの気持ちはドストエフスキーを離れていきました。ドストエフスキーも同じでした。「情熱が反省に変わり、反省が幻滅に変わって(E.H.カー)」いきました。マリアはイサーエフとの間にパーヴェルを生んでいますし、ドストエフスキーも2番目の妻との間にはたくさんの子どもを授かっています。しかし、マリアとドストエフスキーの間には子供は生まれませんでした。やがて、結婚前から罹患していたマリアの結核が悪化、マリアは臥床生活を余儀なくされます。こうして、マリアが死ぬ日まで、不幸な結婚生活が続くことになります。


雑誌「時代」


 しかし、ともかくも家庭を持つことである程度の落ち着きを取り戻したドストエフスキーは執筆活動を再開します。まずは、中編小説「スチェパンチコヴォ村とその住人」「叔父様の夢」を発表しましたが、この2編はドストエフスキー自身にとっても意に満たない不満な出来だったようです。実際、世評もさほどのことはありませんでした。しかし、皇帝に嘆願書まで書き、ついに、待ちのぞんでいたペテルブルグへの帰還が実現すると、オムスク監獄出獄直後から書きためていたノートに基づいて「死の家の記録」の執筆を開始します。当初「死の家の記録」は「ロシア世界」誌で連載が開始されましたが、のちに、兄ミハイルとはじめた雑誌「時代(ヴレミャ)」に転載され、成功を収めます。オムスク監獄の徒刑囚の生活を淡々とつづったもので、ドストエフスキーを否定的にみていたトルストイもこの作品だけは絶賛、ツルゲーネフに至ってはドストエフスキーをダンテに比肩するほどの称えようでした。

 雑誌「時代」は、文学への思いを断ち切れずにいた兄のミハイルが、弟の執筆活動再開にあわせ、煙草工場の事業をなげうって創刊した雑誌でした。ミハイルが雑誌を運営し、ドストエフスキーが編集長の役目を引きうけました。「死の家の記録」以外にもドストエフスキーは「虐げられし人々」を連載、さらに、文学評論、政治評論も執筆し、雑誌寄稿者との交渉にも当たりました。ドストエフスキーの働きが功を奏したのか、「時代」はうなぎ登りに部数を増やし、経費を差し引いても毎号、相当な黒字を残すようになりました。

 この間、1862年6月から8月まで2か月間、40歳になったドストエフスキーはドイツ、フランス、イギリス、イタリアを回ってすごし、その年の冬「冬に記す夏の印象」という西欧旅行記も「時代」に連載しています。ただし、これら西欧諸国にあまりいい印象を受けなかったことは前にお話ししたとおりです。

 しかし、「先進的」西欧諸国に失望したのはひとりドストエフスキーだけではありませんでした。

 1840年代、ドストエフスキーがペトラシェーフスキー事件に連座した頃、フランスをはじめとする西欧諸国では革命的情熱が燃えさかり、ロシアの知識人たちにとっては憧憬の的でした。しかし、1948年、パリをはじめとして多くの国で革命が起きたものの、その後、ルイ・ナポレオンの統治に象徴されるように、さまざまな反動の嵐が押し寄せます。そうした西欧諸国の実情に幻滅したロシア知識人の一部は、180度方向を転換、ロシアそのものに価値を見出すようになります。いわゆるスラブ主義です。しかし、一方で、西欧風自由主義を以前と変わらず信奉する西欧主義も残存しました。クリミア戦争の敗北で、失意の中、厳格な専制君主ニコライ一世が亡くなり、穏健派と噂のアレキサンドル二世が皇帝に即位すると、当局の思想統制もゆるみ、農奴解放の噂が流れるようになります。ペテルブルクにドストエフスキーが戻ってきたのはちょうどその頃で、言論界はスラブ主義と西欧主義に二分され、開放感に充ちあふれ、沸き立っていました。

 そうした中、雑誌「時代」はスラブ主義、西欧主義のいずれにも与しないことを宣言します。中道路線を旗印に掲げたのです。当初、この旗印は人々に新鮮な印象を与えました。しかし、二つの政治的勢力が激しくつばぜり合いを繰り返す中での中立表明は危険です。日和見主義と蔑視され、両陣営からの攻撃の矢面に立たされかねないからです。実際、この曖昧な政治的姿勢が遠因となって、順風満帆とみえていた「時代」は突然、発行停止命令をくらってしまいます。

 発行停止の直接の原因は1863年春に起きたポーランド反乱でした。かつての大国ポーランドは18世紀後半に分割され、その大半はロシアが支配するところとなりました。しかし、昔日の栄光を知るポーランド人の間にはロシア支配への憤懣が鬱積、その怒りがいつ噴出してもおかしくない状態にありました。そうした中、1863年1月にポーランドで反乱が始まります。しかし、ロシアによる徹底的な弾圧によって、秋までに反乱は終熄しました。スラブ主義者も西欧主義者もこの微妙な問題には口をつぐみ、雑誌「時代」も慎重な態度をとっていました。

 そのような時、ストラーホフの「致命的な問題」という論説が「時代」に掲載されます。ポーランドの文学的成果を称揚し、ロシアはポーランドと鉄砲や大砲ではなく芸術を武器として戦うべきだという趣旨の論文でした。一見もっともらしい穏健な論文で、当局の検閲もなんなく通りました。ところが、発刊後、右翼雑誌からロシア文化に対するポーランド文化の優位性を主張するものだとして激しい攻撃にさらされます。そのうち、当局も、これを無視できなくなり、結局、皇帝の裁可の下、「時代」に発行停止命令が下ります。ドストエフスキーたちの弁明は却下されました。スラブ主義陣営からも西欧主義陣営からも「中立派」雑誌「時代」を擁護する意見はでませんでした。

 景品つき煙草という奇抜な商法で得た金をすべて雑誌「時代」につぎ込んでいた兄のミハイルは、全財産を失い、ドストエフスキーは定収入の道を閉ざされることになりました。

愛人


 ところが、「時代」廃刊騒ぎのさなか、ドストエフスキーは愛人と連れ立って2度目の外国旅行に旅立とうとしていました。


アポリナーリヤ(ポリーナ)・
スースロワ

 1861年、「時代」にアポリナーリヤ(ポリーナ)・スースロワという女子大生の短編が掲載されていましたが、2度目の外国旅行に同行する予定だったのは、このスースロワでした。

 スースロワの父親はもともと農奴でした。しかし、強靱な意志、人並みはずれた能力で農奴の身分を脱し、手広く企業を営むようになった相当なやり手でした。そして、築き上げた資産で娘たちに高等教育を受けさせました。そのかいあって、ポリーナの妹ナデージダはロシア史上最初の女性医師となっています。一方、姉のポリーナのほうは、妹のような栄光とは無縁でしたが、アレキサンドル二世時代の開放感に充ちた空気に鋭敏に反応し、自由奔放に生きる「新しいタイプ」の女性でした。しかも、父親からは鋼鉄のような性格を譲り受けていました。のちにポリーナと結婚したローザノフは彼女のことを「異常なまでの集中力、決断力を持つ女性」と評しています(ドリーニン編 中村健之助訳 「スースロワの日記」みすず書房)。「気性は完全にロシア女でしたが、ロシア女はロシア女でも、分離派の”無僧派”の女でした。いや”鞭身派の聖母”といった方がいいでしょう」とも書いています。ローザノフはのちにドストエフスキーの伝記も書いた文学者でしたが、結婚後数年して、男を作ったスースロワに逃げられてしまいます。復縁を哀願するローザノフにスースロワは「何千という夫があなたのような立場に立たされますが、吠えたりはしませんよ、人間は犬ではないのですからね」とすげなく答えています。

 当初、ドストエフスキーはこのスースロワと一緒にペテルブルグを出発して1863年の夏の間フランス、イタリアを旅する予定でした。しかし、妻マリアの転地療養の手配、借金の手続き、旅券更新に手間取って、その間に愛人は先にパリへ旅立ってしまいます。ドストエフスキーはポリーナに一ヶ月以上も遅れて出発しました。にもかかわらず、途中、ヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレット賭博に4日間を費やします。ようやくパリに着いたドストエフスキーを待っていたのは「あなたは来るのが少し遅すぎた」というポリーナの言葉でした。ポリーナはパリで新たにスペイン人の恋人を作っていたのです。しかし、ドストエフスキーがパリに着いた頃、そのスペイン人の恋人はポリーナに飽きがきていたようで、病気を理由にポリーナと会おうとしなくなっていました。愛人に捨てられかかったドストエフスキーと新たな恋人に捨てられたポリーナは「兄と妹」という関係を保つことを条件にイタリアに出発します。しかし、途中、二人はまたもヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレットで有り金すべてをまきあげられてしまいます。ミハイルをはじめとする親戚、出版社からかきあつめた借金でようやくヴィースバーデンを出立、ジュネーブ、トリノ、ジェノア、ローマ、ナポリと南欧各地を転々とします。そして、10月になってようやく二人は別れることになり、この奇怪な情事旅行は終幕をむかえます。この2ヶ月間で、ドストエフスキーのポリーナに対する情熱はかなり冷めたようです。しかし、の後もしばらくはポリーナとの関係が続き、2番目の妻アンナと結婚してからもドストエフスキーはポリーナと手紙をやりとりしています。そして、この「鞭身派の聖母」は「賭博者」「白痴」などかれのさまざまな小説に出没することになります。


妻と兄の死


 10月にロシアに戻ると、結核の末期症状を示して蒼白く痩せ細ったマリアが待っていました。マリアはすぐに死の床に伏すことになります。結婚後、自分を愛することのなかった妻をドストエフスキーは冬の間中、献身的に看病しました。しかし、自身、ひどいてんかん発作におそわれ、痔にも悩まされます。その間、兄のミハイルは懸命の努力で新たな雑誌「世紀(エボーハ)」の発刊にこぎ着けます。ドストエフスキーは「地下生活者の手記」を「世紀」のために執筆します。ドストエフスキー的世界の始まりをつげるとされるこの異様な手記の第一部は「わたしは病的な人間だ…….」という言葉で始まり、「いま雪が降っている、べたべた濡れた、黄いろい、濁ったような奴だ、昨日もやはり降ったし、二、三日まえもやっぱり降った」という情景描写で終わります。おそらく、てんかん発作を繰り返す中、憔悴しきって呪いの言葉を吐き散らす妻を看病していた暗澹たるモスクワの一冬がそこに反映しているのでしょう。

 1964年4月16日、妻のマリアは息をひきとります。

 追い打ちをかけるように、3か月後の7月10日、数日病の床に伏せっていた兄のミハイルが思いもかけず死んでしまいます。セミョーノフスキイ連隊の練兵場で死刑を宣告されたとき「兄さん、ぼくはあなたをはじめ、あなたの家族全部を思い起こしました。が、最後の瞬間はあなただけ、ただあなた1人だけがぼくの心に残りました」と書いているドストエフスキーです、生きる気力もなくなるほどの打撃を受けます。しかし、愛する兄は、未亡人と四人の子ども、二万ルーブル以上の借金、そして、愛人とミハイルによって認知された子どもまで残していました。この未亡人と情婦と遺児たちを路頭に迷わせないようにする責務がドストエフスキーの肩にのしかかりました。兄の借金に関しては、ドストエフスキーが背負うべき法的責務はありませんでした。しかし、兄の名誉を重んじて、これも引きうけることを決断します。

 とりあえずは兄の唯一の遺産ともいうべき「世紀」の発刊継続に力を注ぎました。しかし、発刊が遅れに遅れ、読者が離れていきき、結局、廃刊の憂き目にあいます。

 これほどの不幸、不運に見舞われても、ドストエフスキーは挫けませんでした。この頃、ヴランゲリへの手紙の中でドストエフスキーは「こうして、ぼくはとつぜんたった一人になり…….全生活が真っ二つに割れてしまったのです…….にもかかわらず、ぼくは始終たったいま生活を始めようとしているような気がします。おかしいでしょう、ね?猫のような生活力!」と書いています。これ以降も、しばらく、かれは「猫のような生活力」で窮地を何度も乗り越えることになります。

成就せぬ愛


 失意のどん底にあったドストエフスキーは、この間、寂しさを紛らしたかったのでしょうか、さらに、二人の女性と成就せぬ恋愛事件を起こしています。

 一人はアンナ・コルヴィン・クリューコフスカヤという20歳の女性です。アンナは裕福な家庭の長女でしたが、良家の娘らしからぬ情熱と行動力を兼ね備えていました。騎士小説に耽溺し、女優になることを夢見ていたアンナは「世紀」に短編小説を投稿します。廃刊寸前の「世紀」は掲載原稿が払底していたためにこの素人小説を掲載しました。ところが、これが厳格な父親の知るところとなり、アンナの家庭に大騒動を巻き起こします。しかし、なんとか父親への説得に成功、アンナの家族はドストエフスキーと面会します。そして、やがて、ドストエフキーはアンナに強く魅かれ、求婚し、拒絶されます。アンナは妹に「ドストエフスキーの妻となるべき女性は、自身をすべて彼に捧げ、彼以外のことはなにも考えない人間でないと駄目」だと話したそうです。アンナは人間観察に相当たけていたようです。幸いなことに、ドストエフスキーはそのような奇跡的女性にまもなく遭遇することになります。

 このアンナとのエピソードがあった前後、ドストエフスキーはマルタ・ブラウンというもう1人の女性と関係をもっています。マルタの出自についてはよくわかっていません。しかし、おそらく、アンナとは正反対の家庭の出だったようです。若い頃、オーストリア、プロシャ、スイス、イタリア、スペイン、フランス、ベルギー、オランダをハンガリー人やイギリス人の男たちと連れだって放浪し、人生の「さまざまな印象を味」わい、最後は、一文無しでイギリスにたどりつきます。イギリスでは、路上で寝泊まりし、犯罪者とつきあったりしていましたが、親切なメソジスト派の牧師に救い出され、ボルチモア出身の水夫ブラウンと結婚します。しかし、イギリスを逃げださざるを得ない事情が生じ、ブラウンと別れ、ペテルブルグに戻り、「世紀」に投稿していたアルコール中毒文士ゴルスキーの情婦となります。そして、ゴルスキーの紹介で「世紀」の英文翻訳者として雇われ、ドストエフスキーと関係が生じます。ドストエフスキーは彼女にどうやら結婚を申しでたようです。それに対するマルタのあからさまな返事が残されています。

 「…….わたくしは肉体的の関係で、あなたを満足させることができるでしょうか、私たちの間に精神的な調和が実現するでしょうか?…….たとい一瞬なりと、それともしばらくのあいだ、友情と好意を授けてくださいましたことについて、わたくしは永久に感謝します…….あなたがわたくしの堕落した面をおさげすみにならず、わたくしというものを、わたくしが自分で考えている以上に、高く評価してくださったことを、物質上の利益よりもずっとありがたく存じています」

 「白痴」のナターシャを連想させるこのマルタとの関係がいつまで続いたのか不明です。また、ムイシュキン公爵とナターシャ同様、ドストエフスキーとマルタが同棲していたのかどうかもわかりません。

「罪と罰」


 この恋愛事件の間にドストエフスキーの経済状況は悪化の一途をたどります。亡兄の家族と義理の息子パーヴェルを養わなければなりませんでしたし、「世紀」の債権者たちはこんどこそ債務者監獄に放り込むと息巻いていました。せっぱ詰まったドストエフスキーは、危険を承知で、悪徳出版業者ステルロフスキーから三千ルーブル借金します。借用条件は、それまでに書いた著作のすべての出版権を譲渡するというものでした。そのうえ、1年先の1866年12月1日までに新作小説の原稿を手渡さなければ、将来書かれる本のすべての著作権もステルロフスキーに握られるということになっていました。「屈辱的な「奴隷的契約」でしたが、債務監獄に放り込まれる危機に直面していたドストエフスキーはこの条件を呑んで当座をしのぐしかありませんでした。

 「奴隷的」契約で借りた三千ルーブルでしたが、そのほとんどは借金返済にあっという間に消えてしまいました。なんとか残ったわずか百七十五ルーブルを懐にドストエフスキーは債権者を逃れるように1865年夏、ヴィースバーデンに逃げだします。ところが、例によってルーレットで有り金巻き上げられます。ヴランゲリ、出版社など思いつくすべての伝手に無心の手紙を書きましたが、すぐには、どこからも返事が来ません。そこへ、スースロワがやってきます。彼女への未練を断ち切れず、ドストエフスキーはヴィースバーデンで落ち合う約束をしていたのです。ところが、彼女もさして持ち合わせがありません。二人の宿代・食事代も払えず、かといって、ロシアに帰る旅費も捻出できない状態の中、ようやく、手紙で借金を頼みこんでいた一人、ツルゲーネフからお金が届きます。その金でスースロワはパリに旅立ちました。しかし、ドストエフスキーは宿賃も満足に払えない状態でとり残されます。安宿では「働かざる者食うべからず」と食事の提供を拒否され、何日も満足に食事もとれない状態が続き、質入れでなんとか食いつなぎました。

 この絶望的な状況のさなか、ドストエフスキーは高利貸しの老婆を殺そうとする青年の話を書き始めます。この青年は「極度の貧窮の中で暮らしているのですが、つい軽率で、観念のぐらついているために、いま空中に瀰漫(びまん)している、ある種の奇怪な、『未完成の』思想に深入りして、一挙にしておのれの忌まわしい状態から抜け出ようと決心します」しかし「解決することのできない問題が殺人者の前に立ち塞がり、夢にも想像しなかったような、思いがけない感情が、彼の心を苦しめるのです。神の真理、地上の掟が勝ちを制して、彼はついに、自首せざるを得なくなります」

 ロウソクの灯りにも事欠く安宿の一室でこの小説を書いているうちに、ようやく、ヴランゲリから送金が届き、ドストエフスキーはヴランゲリの勤務先、コペンハーゲンに向かいます。その後、ペテルブルグに戻りますが、全面的に書き直されながらもこの小説は書き継がれ、1866年1月号の「ロシア報知」に掲載されます。「罪と罰」という題名のこの小説は読者の圧倒的支持を受け、ドストエフスキーはロシアを代表する作家の一人とみなされるようになります。

第2の妻アンナ


 「罪と罰」は大成功でした。しかし、ステルロフスキーと契約した12月1日という締め切り期日が目前に迫ってきていました。新たな小説の腹案はほぼできあがっていましたが、「罪と罰」の執筆に時間をとられ、10月に入っても約束の小説は一行も書かれていませんでした。追いつめられたドストエフスキーは友人の勧めにしたがい、速記者を雇い、口述筆記によって新たな小説を1カ月で仕上げようともくろみます。速記者としてやって来たのは、速記学校に通う20歳になったばかりの女性、アンナ・グリゴ−リエブナでした。

 アンナの父親は「市会か役所かにつとめて」いたということですから役人だったのでしょう(「回想のドストエフスキー アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳 みすず書房」。41歳の時、13歳年下のアンナの母親と結婚したこの父親は「貧しき人々」を書いたドストエフスキーを天才と激賞、シベリアからのドストエフスキーの「奇跡的復帰」に驚喜し、娘に「ドストエフスキー熱」を吹き込んでいました。おかげで、アンナは雑誌「時代」に掲載された最新作「死の家の記録」「虐げられし人々」や「ロシア報知」掲載の「罪と罰」を夢中になって読んでいました。ところが、父親はアンナがドストエフスキーと出会う半年前に死んでしまいます。アンナにとっては「生まれて初めてであった大きな不幸」で「来る日も来る日も父の墓地のあるポリシャーヤ・オフタに行って泣きくらしたが、それでもこの悲しい出来事をあきらめきれ」ませんでした。

 アンナがドストエフスキーの口述筆記の仕事を紹介されたのは、こういうときでした。

 最初のうちはアンナもドストエフスキーもお互い、あまりいい印象をもちませんでした。しかし、口述筆記によって新たな小説「賭博者」の原稿が期日までに間に合うかもしれないという希望がみえてくると、二人はうち解けて話すようになります。そして、たがいに惹かれ始めます。

 「賭博者」は約束の期日前に仕上がり、「送付証明書」つきで草稿はステルロフスキーのもとに送られました。こうして、ドストエフスキーは窮地を脱します。

 一息ついたところで、ドストエフスキーは空想の小説の筋を語って遠回しにアンナに求婚の思いをほのめかしました。拒絶されるのは覚悟の上だったでしょう。ところが、奇跡がおこります。同世代の青年の空虚な会話よりも天才の言葉に魅了されていたアンナが結婚を承諾したのです。

 1867年2月15日、イズマイロフスキー寺院で二人は結婚式を挙げました。

 しかし、新婚生活はアンナにとって苦痛に満ちたものでした。まず、10日間「シャンパン漬け」になっていたドストエフスキーが立て続けに2度、てんかん発作を起こします。さらに、ドストエフスキーの兄嫁や義理の息子パーヴェルとの軋轢が激しくなります。ドストエフスキーにぶら下がるように生活していた二人にとってアンナは自分たちの生活を脅かす邪魔者でしかありませんでした。かれらは結婚に猛反対し、結婚後もアンナを敵視していました。何とか二人を離婚させるべく策略をめぐらしていました。少なくともアンナにはそうとしかみえませんでした。ことあるごとに彼女の神経をいらだたせたのです。とくに、新婚夫婦と同居していたアンナとほぼ同い年のパーヴェルはアンナにとって耐え難い存在でした。夫をかれらから引き剥がすため、アンナは拝み倒すようにドストエフスキーを説得、嫁入り道具を質に入れた金で外国旅行に旅立つことを了承させます。結婚式の2か月後のことです。兄嫁やパーヴェルの強硬な反対を押し切って、二人はベルリンに旅立ちます。

海外生活


 ベルリンを経由して、かれらは、まず、ドレスデンに腰を落ち着けました。ここでアンナは結婚式以来はじめて「敵意の輪」から解放され、心の平安を得ます。しかし、ドストエフスキーはすぐに平穏無為の生活に飽きてしまいました。一攫千金と興奮を求めて、若い妻をドレスデンに残し、ホンブルグにルーレットにでかけていってしまいました。そして、有り金すべてをすってしまいます。何度も金の催促の手紙を書いてよこした挙げ句、8日たって、ようやく、ドストエフスキーはドレスデンに戻ってきました。寛容な若妻はそのことをまったく責めませんでした。

 その後、スイスに向かうはずでしたが、予定を変更して、こんどはアンナと連れ立ってヴィースバーデンによります。ドストエフスキーとしては、ベリンスキーについて書いた原稿料を元手に今度こそルーレットで「窮地を脱する」つもりでした。しかし、もちろん、さらなる窮地に追い込まれることになります。ホテルにアンナをおいて賭博場にでかけていっては、よろよろしながら舞い戻ってきて「しょげかえり、むせび泣き、自分のせいでおまえをこんなに苦しめてすまないとひざまずき許しを請」うということがいつ果てるともなく繰り返されます。結婚の時ドストエフスキーがアンナに贈ったブローチとダイヤとルビーのついた耳飾りも含め、ありとあらゆるものが質に入れられ、その多くは二度と帰ってきませんでした。宿屋の女主人や小口の債権者に嫌みを言われながら、アンナは質草によってひねり出したなけなしの金を夫に渡し続けました。しかも、この困窮のさなか、ドストエフスキーは義理の息子パーヴェルや兄嫁への送金だけは欠かさず、アンナの神経をいらだたせました。

 よくもまあ、これで、離婚に至らなかったものです。

 しかも、アンナへの打撃はてんかん発作、親族とのいざこざ、賭博、借金だけではありませんでした。前にも述べたように、ドストエフスキーはアンナとの結婚後もスースロワと文通を続けていました。そのくせ、てんかん発作とたいして変わらない嫉妬の発作を爆発させることもありました。新婚当初、モスクワにいるドストエフスキーの妹夫婦の家でアンナはカルタ遊びに興じたことがありました。隣の席にはサーシャ・イワノフという機知に富んだ愉快な青年が座っていて、アンナは「彼とおしゃべりをしたり笑ったりし」ました。ところが、これをみてドストエフスキーはだんだん不機嫌になっていきます。帰り道では一言も喋ろうとしませんでした。そして、ホテルに一室に戻ると形相を変え、アンナが「思いやりのないコケットで…….夫を苦しめるためにだけ男とたわむれていた」と叫び始めたのです。

 再婚後のドストエフスキーの行動をみると、なぜ、ドストエフスキーが一回目の結婚生活に失敗し、その後も、スースロワやアンナたちとの恋が成就しなかったのか、その理由の一端が窺えるような気がします。よほど心の広い女性でもこんなことには耐えきれないでしょう。ところが、この幼い妻の心のうちには不思議な信念が芽生えていたのです。

 「…….わたしはフョードル・ミハイロヴィッチを限りなく愛していましたが、その愛は、同年輩の男女にみられるような肉体的なものではなくて、純粋に精神的な、観念的なものでした。むしろ、才能のある、高い精神性を持った人物に対する崇拝、賛美といったほうがいいかもしれません。これほど辛い思いをし、一度も喜びと幸福な目にあったことのない人、全生活を捧げつくしてきた身内のものから当然やさしさと思いやりで報われるべきところを打ち捨てられたままのこの人にたいして、わたしの心は憐れみでいっぱいでした。生涯の道づれになり、苦労を分かちあい、生活の負担を軽くし、幸せにしてあげたいという夢想がわたしをとらえてはなしませんでした。フョードル・ミハイロヴィッチは、わたしの神、わたしの偶像となり、わたしは生涯彼に仕えるつもりでした」

 これは、海外旅行にでかける前の心境をアンナが述懐したものですが、「ドストエフスキー教」とでも呼ぶべきこのアンナの母性的信仰はその後も揺らぐことはありませんでした。賭博についても、夫の精神安定のための必要悪とみなし、「気晴らし」に行ってくるようすすめることもあったぐらいでした。

 二人は、ヴィースバーデンで「嵐のような」5週間を過ごした後、ジュネーブに落ち着き、その後、イタリアを回って、1871年、再び、ドレスデンに舞い戻ってきます。長年の外国生活で自分の才能が枯渇し、破滅に瀕していると気落ちするドストエフスキーにアンナは「運試し」を勧めます。妻のあきらめのまじった勧めによって、夫は喜び勇んでヴィースバーデンにでかけます。しかし、もちろん、賭博は惨めな結果に終わります。ドレスデンにいるアンナのもとに「お前の送ってくれた30ターレルを、そっくり負けたのだ」といつもながらの夫の手紙が届きます。「こんどこそこの妄想も永久に終わりをつげた。わたしは以前にもお前に当てて、永久に終わりをつげたと書いたが、今これを書きながら感じているような気持ちは、これまでかつて覚えたことがない。おお、今度こそわたしはあの悪夢に別れを告げた。もし今この瞬間、お前のことを案じる不安さえなかったら、わたしは神に祝福したいくらいだ。とんだ災難ではあったが、とにかく万事おさまったわけだからね…….今度こそわたしの両の手を解かれた思いだ。わたしは賭博で両手を縛られていたが、これからは仕事のことを考えて、これまでのように、夜っぴいてばくちのことなど空想しない」と、あいかわらずの、いいわけ混じりの虚しい誓いが書き連ねてありました。もちろん、アンナは真に受けなかったでしょう。

 ところが、奇跡が起きます。

 本当に、ドストエフスキーは賭博から足を洗ったのです。

 そして、これ以降、アンナは孫悟空を操るお釈迦様のように夫を「操る」ことができるようになります。ドストエフスキーのほうも、そこらあたりに数多転がっている亭主族のように、喜んで妻に操られるようになります。平安に満ちた家庭生活にどっぷり浸かることになったのです。後年、アンナに書き送った手紙の中でドストエフスキーは彼女が「いかなる女性にも勝り」「女王となって全王国を与えられて」も見事に取り仕切るだろうと大まじめで賞賛しています。

 話が前後しますが、ヴィースバーデンでの「嵐のような」5週間のあとバーゼルを経由してジュネーブに着いたドストエフスキーたちはユーゴー、ミル、ゲルツェン、バク−ニンたちが出席している「国際平和会議」に「ぶつかり」ました。「平和と自由」という旗印の下に開かれた国際会議で、自らが属する国の政体に反対しているということが唯一の参加資格という不思議な会合でした。ドストエフスキーは第2回会議に出席し、その印象をマイコフや姪のソーニャに罵詈雑言とともに書き送っています。「本の中でなく現実にはじめてお目にかかった社会主義者、革命家の五千の聴衆を前にした演壇上のほらふき、これは筆紙の及ぶところではありません!…….滑稽さ、薄弱さ、無意味さ、不一致、自己撞着、????これらは想像もできないくらいです!しかも、こうしたやくざな連中が、不幸な労働者たちを動揺させているのです!これは寂しいことです。彼らは手始めとして、地上の平和を獲得するためには、キリスト教を撲滅しなければならぬ、大きな国家をなくして、小さな国を作らなくてはならぬ、いっさいの資本を没収して、すべてを命令によって共有のものにすべし、等々を主張しています。これらはみんななんの証明もなく、20年も前から棒暗記したものが、そのまま残っているのです。が、おもなものは火と剣です。そして、すべてが滅ぼされたあとで、彼らの意見によれば、その時はじめて平和が訪れるというわけです。しかし、もうたくさんです」

「白痴」、娘の死、「悪霊」


 ジュネーブに着くと、前借りするたびごとにマイコフに空約束していた小説をこんどこそ書かなくてはならなくなります。「完全に美しい人間」ムイシュキン公爵を主人公とした異様な恋愛小説「白痴」の執筆がこうして開始されます。この頃、ドストエフスキーには望郷の念が押さえ切れないほど高まっていました。それを反映してか、小説は、てんかん治療を終えてスイスから戻ってくるムイシュキン公爵の描写から始まります。

 この間に、最初の娘、ソーニャが生まれます。赤ん坊のうぶ声が聞こえると、我をわすれ、ドストエフスキーは掛け金のかかった産室のドアに体当たりをかませました。助産婦は「ながい間この仕事をしてきたが、これほど興奮してとりみだした父親をみたことがない」と呆れかえりました。しかし、ソーニャは生後3か月に肺炎で死んでしまいます。マイコフ宛にドストエフスキーは悲痛な手紙を書き残しています。「あと2時間で死んでしまうとは夢にも知りませんでしたので、新聞を読みにでかけようとすると、彼女は小さな目でわたしを追い、じっとわたしを見つめたのです。今でもそれが目に焼きついて、いっそうありありと見えてきます。たとえ次の子が生まれるとしても、かわいがることができるどうか…….わたしはソーニャがほしい。あの子はもういない、自分はあの子にめぐり会うことができない。このことが納得できないのです」

 ソーニャの思い出の残るジュネーブは耐え難く、二人は同じジュネーブ湖畔の街ヴヴェーに移り住みます。その後、ミラノをとおってフィレンツェに腰を落ち着け、ここで「白痴」を完成させます。そして、ヴェニス、プラハに寄って、再び、ドレスデンに戻ってきます。ドレスデン滞在中、次女のリューボチカが誕生します。幸いなことに、この子は丈夫でした。ようやく、彼らの家庭は幸福で輝くようになります。妻に裏切られた男を喜劇風に描いた小説「永遠の夫」はそのような生活の中で執筆されました。

 ちょうど、この頃、モスクワ大学農学部にかよっているアンナの弟スニートキンがドレスデンにやってきました。スニートキンは、農学部で地下革命運動の蠢動があること、その運動にかかわっている友人の一人にイワノフという学生がいることをドストエフスキーに話してきかせました。ところが、その数ヶ月後、そのイワノフがモスクワ大学の裏庭の池に死体となって浮いているのを発見されます。過激な無政府主義者バクーニンとも関係のあるネチャーエフという学生が革命組織を大学に結成、その組織の一員であったイワノフを「密告と裏切り」の恐れがあるという嫌疑をかけ、他の学生をそそのかせ、殺させたのでした。ドストエフスキーはこの事件をヒントに、革命運動を痛烈に皮肉った小説「悪霊」を執筆します。

帰郷


 1871年夏、ようやく、夫婦はペテルブルグに戻ります。そして、すぐに長男が生まれました。相変わらず、借金だらけでしたが、アンナの才覚で、ドストエフスキーはしだいに経済的困窮から抜けだします。

 ちょうど、ネチャーエフの裁判が始まったこともあって「悪霊」は大変な評判を呼びました。アンナはこの「悪霊」を自費出版することをもくろみ、うまく成功を収めます。刷るそばから「悪霊」は売れていったのです。これ以後、アンナは同じ方法で夫の作品を自費出版し、安定した収入を確保することに成功します。

 一方、ドストエフスキーはメチュチェルスキー公爵という自称政治評論家が発行している雑誌「市民」の編集長の職につきます。給料は月250ルーブルで、執筆原稿にはさらに原稿料が支払われることになっていました。編集長就任後、彼はこの雑誌に社会政治評論を主体とするエッセイ「作家の日記」の連載を開始します。しかし、辛抱を強いられる編集長の職にしだいにドストエフスキーは耐えられなくなります。その上、メチュチェルスキー公爵とも意見が合わなくなり、結局、編集長の職を辞します。しかし、「作家の日記」は好評でしたので、アンナはこのエッセイを独立雑誌の形で定期的に発行することにしました。アンナに尻を叩かれながらドストエフスキーは奇跡的な勤勉さで規則正しく「作家の日記」を書き継ぎました。執筆内容が対トルコ戦争のさなかの愛国的雰囲気にマッチしたこともあって、この私的定期刊行物は部数を増やしていきました。印刷代以外、売上代金はすべて手元に残り、小説同様、「作家の日記」も相当の利益をもたらしました。こうして、彼の経済的基盤は徐々に安定していきました。これも、ネクラーソフが驚いたように、ドストエフスキーがアンナの「いいなり」になったおかげでした。

 末の息子アレキセイ(アリョーシャ)が3歳の時けいれん重積で亡くなるという不幸はありましたが、ロシア帰還後は、それ以前のことが嘘のように、平穏無事に時間が過ぎていきました。

 そうした中、彼の名声はしだいに高まっていきました。シベリア流刑の苦難を乗り越え、名作「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」を書き、いままた、「作家の日記」に時事的意見を忌憚なく述べるかれは「人生の教師」とみなされるようになりました。崇拝者たちが次から次へと家を訪れてきました。悩みを抱えてドストエフスキーの助言を求める手紙も数多く舞い込みました。そして、ドストエフスキーはそれらにいちいち懇切丁寧に返答の手紙を書き送りました。さらに、慈善事業の一環として自作を朗読するよう依頼されることもしばしばでした。そうした中、皇太子(のちの皇帝アレキサンドル三世)の家庭教師ポベドノスツェフ、皇帝の甥、コンスタンチーノヴィッチ大公などの要人たちとも知り合いになりました。しかし、「貧しき人々」で鮮烈なデビューをした青年時代と異なり、これらの栄光にのぼせることもありませんでした。

「カラマーゾフの兄弟」と最後の栄光


 一方、この頃、哲学者ソロヴィヨーフと知り合いになっています。ソロヴィヨーフはアンナと同世代のい哲学者で、無神論を容認する西欧諸国を糾弾、ロシアの歴史的使命は宗教的使命だと主張していました。ドストエフスキーはこの哲学者の連続講義を聴講、かれと連れだってオプチナ・プスティン修道院を訪れるほどに親密な仲になります。この修道院は歴代、有徳の長老を輩出して国民の尊崇を集め、あたかも巡礼のように多くの信者が全国から訪れてきていました。その「巡礼」の中にはゴーゴリやトルストイの姿がみられたこともあります。当時は、アンヴローシ神父が民衆の崇拝を一身に集めていました。ドストエフスキーとソロヴィヨーフもこの神父を訪ね、うまい具合にこの伝説的長老と語り合うことができました。この「巡礼」後、ドストエフスキーは新しい小説にとりかかります。父親殺しを軸として展開されるその壮大な宗教的叙事詩「カラマーゾフの兄弟」にはアンヴローシ神父がゾシマ長老として登場します。

 朗読はロシア文学において重要な位置を占めていました。意外かもしれませんが、ドストエフスキーは朗読の名人でした。朗読のみならず、人に語って聞かせることが得意で、かれの演説は人々を魅了しました。この得意技が彼の晩年をいちだんと輝かせることになります。死の前年の1880年6月8日、ドストエフスキーはロシア文学愛好者協会の記念大会でプーシキンについての演説をおこない、聴衆を熱狂させたのです。「真のロシア人なることは、ヨーロッパの矛盾に最終的な和解をもたらし、全人間的なおのれの魂の中に、ヨ−ロッパの悩みの捌け口をさし示し、同胞的な愛をもってすべての同胞をその中に収め入れ、すべての民族を、キリストの福音に示された掟によって完全に同胞として結合さす偉大な一般調和の言葉を発することを意味するのである!」とドストエフスキーは説きました。聴衆の熱狂ぶりは後々まで語り継がれるほど激烈なものでした。会場内は収拾がつかない混乱状態に陥り、気まずい仲にあったツルゲーネフでさえ昂奮してドスエフスキーの方に駆け寄ってきたほどでした。かれはこの発言が「有頂天な、誇張した、幻想的なものに聞こえるかもしれない」ことを自覚していました。しかし、演説内容が印刷され、それを読んだグラドーフスキーたちに、おめでたい楽観主義と揶揄されると、やはり、頭にきて、猛然と反論します。かれは、正義を掲げて無数の人間をギロチン台に追いやった「先進的」ヨーロッパ文明に危惧を表明します。「自由、平等、同胞愛、と書いてみたところでなんの意味があろう?…….この三つの言葉の上に、さらに第四の、しからんずんば死(という言葉)をつけ加えなければならない…….同胞的団結という「公民的制度」を獲得するために、同胞の首をちょん切りにでかけるのだ」と警告しました。そして、「総決算が行われる」にちがいないと予言します。「政治上の諸問題は、必ずや大がかりの、決定的な、総勘定的性質を帯びた、政治的戦争を招来しなければやまない。このあらゆるものを巻き込んでしまう戦争は、現世紀、おそらくはこの十年間に勃発するに相違ない」とまで断言したのです。第一次世界大戦は、この演説が行われた24年後に「勃発」します。また、ヒトラー、スターリン、毛沢東、クメール・ルージュなどの所業にみられるごとく、20世紀が「正義」の名の下に「同胞の首をちょん切」る大量殺戮の世紀であったことはご存じの通りです。


 悲劇的終末によって生涯を閉じた19世紀ロシアの文学者は少なくありません。

 些細な口論から決闘し、雷雨の中、銃弾を受けて26歳の生涯を閉じたレールモントフ、妻の浮気に端を発した決闘によって37歳の若さで死んだプーシキン、鬱病の中、断食を強いられ、42歳で餓死したゴーゴリ、家出同然にでた巡礼の旅の途上、名もないちいさな停車場で82歳の生涯を閉じたトルストイ。

 しかし、波乱に満ちた生涯とは裏腹に、ドストエフスキーは安らかに「畳の上」で死を迎えました。

 死因は生涯彼を苦しめたてんかんとは無関係で、肺出血でした。

 ペテルスグブルグに戻ってきて数年たった頃、ドストエフスキーは気管支炎と診断され、毎夏、ドイツのエムス鉱泉で療養するようになります。エムスからアンナに宛てた手紙の中には「痙攣性の咳」のことがしばしばでてきます。しかし、その後、肺気腫の合併を主治医から告げられます。長年にわたって気管支炎を繰り返していると、末梢細気管支壁と肺胞壁が破壊され、空気の通り道と肺胞が異常に拡大することがあります。これが肺気腫で、うまく呼吸ができなくなります。アンナの回想録にはドストエフスキーが相当数のたばこを吸っていたことが書かれていますから、過度の喫煙が原因で肺気腫にまで悪化したのかもしれません。ただし、当時のことですから、レントゲン写真で診断できたわけではありません。シベリアにおける重労働で珪肺に罹患していた可能性、肺ガンに冒されていた可能性もないとはいえません。いずれにしても、しばしば襲う呼吸困難から、かれは死期が近いことを予感するようになります。

 死の数日前、ドストエフスキーは喀血します。病変が血管に及び、破れた血管から血液が流れ出たのです。喀血後、いったんは小康状態を得、主治医も肺の血管を「血液の糊」が蔽ったので大丈夫だろうと請けあいます。しかし、結局、喀血が再発、呼吸状態が悪化します。

 1881年1月28日、死の当日の朝、目覚めたドストエフスキーは妻のアンナに「今日は死ぬだろうな」と力なく呟きました。そして、聖書占いをしました(「ドストエフスキー」江川卓 岩波新書)。聖書を適当にめくり、開かれたページの最初に現れたイエスの言葉で運勢を占うのです。力ない手で開かれたページはマタイ福音書3章14節から始まっていました。イエスがヨハネの洗礼をうける場面です。

 「14ヨハネ、イエスを止めて言いけるは、われこそ汝より洗礼を受くべきなるに、なんぞ汝の我に来たれるや?15されどイエス、答えて彼に言う、いまはとどむるなかれ、けだしわれら…….」

 ここまで聞いて、ドストエフスキーはアンナが聖書を読むのを制し、つぶやきました。

 「いまはとどむるなかれ…….つまり、わたしは死ぬということだ」

 このとき使われた聖書はシベリア流刑途上ヴィージナ夫人から贈られ、オムスク監獄の枕元でドストエフスキーと寝起きをともにした1823年版ロシア語訳聖書でした。自分のほうこそイエスの洗礼を受けるべきであるのに、イエスに洗礼など施せないと逡巡するヨハネに、いまはともかくも洗礼を施して欲しい、とイエスが頼んでいる場面です。しかし、ロシア語訳聖書のこの箇所は誤訳だったと江川卓氏は指摘しています。イエスの言葉「いまはとどむるなかれ」は、正しくは、「まあ、いまはそんなことをいわずに」とでも訳すべきだったというのです。実際、のちのロシア語訳ではそのように訂正されたそうです*。しかし、このときのドストエフスキーはそんなことを知るよしもありません。そして、午後8時過ぎ、呼吸状態が悪化して意識を失い、誤訳されたイエスの言葉に黙って従うかのように、永眠しました。59歳でした。

* ただし、日本語の聖書でも、たとえば、フランシスコ会聖書研究所訳註版「新約聖書」などでは「今は、止めないで下さい」となっています。しかし、英語では“Allow it now”ですから、これはたしかに「いまはとどむるなかれ」ではなく「いまだけは許されよ」ということになるでしょう。

ドストエフスキーのてんかん発作


 ドストエフスキーの生涯を見渡したとき、何よりも驚かされるのは、その恐るべき生命力、精神力です。ペトラシェーフスキー事件では、処刑劇と監獄生活によって、多くの仲間が発狂したり廃人同然になったりしています。しかし、ドストエフスキーはそれらを乗り越え、出獄後、旺盛な執筆活動を開始します。しかも、その執筆活動は、借金の返済に追われ、ルーレットに狂い、錯綜する女性関係をくぐり抜けていく中でおこなわれました。さらに、てんかん発作によってその生活は何度となく寸断されました。にもかかわらず、膨大な量の傑作小説群、評論、日記、手紙を書き残したのです。ドストエフスキー自身もこのねばり強い「猫のような生活力」を誇っていたことは以前述べたとおりです。

発症


 そのドストエフスキーのてんかん発作です。

 ドストエフスキーのてんかん発症時期に関してはさまざまな説がありますが、目撃者によってはっきり記載されているのは、1846年、ドストエフスキー25歳の年です。前年、ベリンスキーによって激賞された小説「貧しき人々」が「ペテルブルグ文集」に掲載され、小説家として彼の名前が一般にも知られるようになった頃です。

 目撃者は友人作家グリゴローヴィッチです。

 「ある時連れだってトロイツキー横町を通りかかると、葬列に出くわした。彼はくるりと引き返そうとしたが、私たちが何歩も行かぬうちに、たちまち発作を起こした。発作はあまりにもひどかったので、とおりがかりの人の手を借りて、最寄りの牛乳店へ運ばなければならなかった。意識はようやく回復したが、こういう発作のあとでは、いつもうちひしがれたようになって、いつも二日か三日は続くのだった」(「文学的回想録」(コンスタンチン・モチューリスキー著松下裕・松下恭子訳「評伝ドストエフスキー」から引用))。

 グリゴローヴィッチは、この文章の直前に「根をつめた仕事と、閉じこもって座り続けていることが、かれの健康にきわめて悪く影響した。それは、まだ若い頃、学校時分に何度かおそわれた病気も悪化させた。めずらしく二人で散歩しているとき、何度か発作が起こった」(同上)とも書いています。グリゴローヴィッチはドストエフスキーと工兵学校の同窓ですから、この25歳の時の記載以前、工兵学校にいた16歳から22歳の間にすでにてんかん発作があったのかもしれません。しかし、10代後半にドフトエフスキーがてんかんを発症していたのかどうか、これ以上究明する手だてはありません。このため、ドストエフスキーのてんかん発症年齢を正確に確定することはできません。しかし、いずれにしても、ドストエフスキーが思春期から青年期にかけててんかん発作を経験していたことだけはたしかです。

 さらには、7歳の時、最初のてんかん発作があったと書いている伝記作家もいます。しかし、この「7歳発症説」の根拠はよくわかりません。

 ドストエフスキーの最初の伝記を書いたミラーは「ドストエフスキーの病気と少年時代に両親に起きたきわめて不愉快な事件を結びつけることは伝説と化していた。このことはドストエフスキーの家族から直接聞いたことで、充分信頼がおけるのであるが、具体的にそれが何をさすのかをここで公表することはできない」と書いているそうです。原著を確認できないので、詳細は不明ですが、この「伝説」はもう一人の伝記作家グロスマンも2番目の妻アンナから直接聞いているとのことです。彼女も、やはり伝説の具体的中身を公表することを拒んだそうです。

 もしかしたら、この不愉快な事件というのは父親殺害事件のことかもしれません。しかし、もしそうだとすれば、ミラーのいう「少年時代」というのはドストエフスキー18歳の時のこととなり、7歳てんかん発症説とは無関係ということになります。18歳の時、はじめててんかん発作が起きということであれば、これは、グリゴローヴィッチの記載とほぼ一致します。

 一方、ミラーが書いているように父親の殺害事件がてんかん発症の原因となったという根強い伝説説あるようです。たしかに、父親の殺害事件のショックがてんかん発作の誘因となったことはあるかもしれません。しかし、それがてんかん発症の病因になることは、もちろん、ありません。ヒステリーなどの神経症とちがい、心因性の負荷が脳に繰り返し異常放電を引き起こす機能異常をもたらすことはないからです。

 ドストエフスキーのてんかん発症年齢がはっきりしないのはドストエフスキー自身にも原因がありそうです。はっきりした「痙攣性」発作が何度もみられるようになるまで、かれは自分の発作をてんかん発作と認めようとしなかったからです。ドストエフスキーが自分の病気をてんかんと渋々ながらも認めたのはずいぶん後になってからです。第7シベリア旅団の軍医エルマコフ大佐はドストエフキーが1850年(29歳の時)に「はじめて」てんかん発作を起こしたと書いていますが、これはドストエフスキーから聞いた病歴を基にした記載だろうと思われます。また、ソフィア・コバレフスカヤも流刑が終わりに近づいた頃、最初のてんかん発作があった、とドストエフスキー本人から聞いているようです。さらに、オムスクの軍病院の医師トロイキーもドストエフスキーがシベリアでてんかん発作を発症したと言っています。いずれもグリゴローヴィッチの記載年齢よりずっとのちの発症ということになります。

 しかし、その30歳前半の時点でも、ドストエフスキーがてんかんの診断を受け入れていたかどうか怪しいのです。

 ドストエフスキーのてんかんの診断が公式な記録に残っているのは36歳の時、最初の結婚直後です。激しい発作を何回も繰り返し、その時診察したエルマコフ大佐は「まぎれもないてんかん」と診断しました。それまでかかった「すべて」の医者は、単なる神経性の発作だから暮らし向きが変われば発作もおさまるだろうと請け合ってくれていたのに、どうしたことだ、てんかんと分かっていれば結婚などしなかったのに、とドストエフスキーは兄への手紙で愚痴っています。一生を通じて、てんかんが軽快することがなかったため無理もないですが、ドストエフスキーは、どの医者にも不信感を抱き、何人もの医者を渡り歩いています。心の安静を保つためにこのときまで、てんかんではないといってくれる医者を捜し求め、いろいろな医者にかかっていたのかもしれません。

発作症状


 グリゴローヴィッチがドストエフスキーのてんかん発作を記載している25歳の年、もう1人の友人がドストエフスキーの発作を目撃しています。知人宅のパーティーで、突然、奇妙な顔つきをして恐怖に襲われたような目つきになった、というのです。そうした状態が数分続いた後、かれは虚ろな声で「俺は今どこにいるんだ」と呟き、外気を求めるように窓に駆け寄りました。窓台に座ったドストエフスキーの顔はゆがみ、頭は一方に傾き、身体全体がふるえはじめました。知人がびしょ濡れになるまで冷水で冷やしましたが、ちんと意識を回復しないまま、ドストエフスキーは通りにかけだしていきました。

 同じ年、1846年にドストエフスキーは医師ヤノスキーの診察を受けています。

 ヤノスキーは、1847年から1849年の3年間に3回ドストエフスキーの発作を目撃しています。

 一回目は1847年7月、場所は聖イザーク通りです。ドストエフスキーは帽子もかぶらず、通りがかりの役人の腕を握りしめていました。コートとチョッキのボタンは外れたままで、アスコットタイも緩んでいました。「死にそうだ」と叫びながらドストエフスキーはヤノスキーの助けを求めました。心拍数が100を越え、頻脈になっていました。やがて、投げ出すように頭を後屈させ、けいれん様の震えが始まりました。ヤノスキーはドストエフスキーを家に連れ帰り、瀉血を施しました。

 翌年、こんどは睡眠中にけいれんを起こします。ベリンスキーの死で精神的に不安定になっていたドストエフスキーに頼まれ、ヤノスキーはドストエフスキーの隣りの部屋で寝てあげました。すると、夜中の3時、イビキのような激しい呼吸音が隣室から聞こえてきました。みると、ドストエフスキーが仰向けに倒れ、目を見開き、口から泡を吹き、舌を突き出し、けいれんしていました。

 さらに、翌年の初春の夜更け、発作が起こりそうだと助けを求め、ドストエフスキーがヤノフスキーのところにやってきました。

 ヤノフスキーはドストエフスキーにはこのような「軽い発作」も数多くみられたと書き残しています。

 ドストエフスキーがてんかん発作を繰り返し起こしていることは、もちろん、ヤノフスキーはわかっていたはずです。そして、おそらく、そのことをドストエフスキーに告げていたでしょう。しかし、ドストエフスキーはその診断に納得しなかったようです。当時、かれは自分の発作を「微風をともなう発作coups de sang par rafales」と呼んでいました。ラテン語のaura(前兆)はもともと微風を意味しますから、かれの この表現は意味深長です。しかし、医学書を読みあさって、ある程度医学知識があったはずのドストエフスキーですが、当時は、てんかんという言葉を一度も使っていません。ですから、20歳代半ばの時点では、てんかんと認識していなかった(もしくは、認識したくなかった)と思われます。しかし、1857年、36歳の年にウランゲル男爵に宛てた手紙でドストエフスキーはヤノフスキーがドストエフスキーの病気が真性てんかんだと診断したと書いています。ですから、いずれかの時点で、ドストエフスキーはヤノフスキーの診断を受け入れるようになったものと思われます。

シベリア流刑後のてんかん発作


 秘密警察に逮捕されてペトロバーヴロフスカヤ要塞監獄に監禁され、その後シベリアの流刑地オムスクの監獄に収容されていたため、ヤノフスキーが書いている3年間の発作以降、しばらく、ドストエフスキーの発作についての情報は途切れます。ただ、オムスクの要塞監獄で何度も発作を起こしたことだけはたしかなようです。

 吹雪に埋まったオムスクの街の救助に囚人たちがかり出された日のことをドストエフスキーと同じ獄舎にいたポーランド人政治犯トカルジェーフスキーが手記に書き残しています(米山正夫 「ドストエーフスキイ研究 生涯」河出書房新社)。「人力を越える苦しい昼間の労働でへとへとになって」帰ってきてから、突然、ドストエフスキーが「目の前が暗くなった、力が出ない」と訴えたあと、床に倒れ、前後不覚に陥ったというのです。ただし、その後、ドストエフスキーは肺炎で監獄付属病院に入れられたということですから、このエピソードがてんかん発作によるものか、肺炎にともなう呼吸障害や発熱に起因する意識障害かはわかりません。

 てんかん発作の詳細な記録が再び現れるのは約10年後の1857年、最初の結婚を未亡人マリヤ・ドミートリエヴナとした年です。先ほども申しましたように、結婚後ドストエフスキーはひどい発作を繰り返し、第7シベリア旅団の軍医エルマコフ大佐に診てもらっています。この軍医による12月16日付の公式記録には次のうに記されており、これが、ドストエフスキーのてんかんを記載した最初の公式文書です。

 「35歳前後の中肉中背の男性。1850年(29歳)にはじめててんかん発作におそわれた。発作は、突然の叫声、意識消失、四肢と顔面の痙攣からなり、唇から泡を吹く。いびき様の呼吸がみられ、微弱化した頻脈をみとめる。発作持続は15分で、その後、ぐったりする。1853(32歳)年に再び発作がみられ、その後は月末になるとみられるようになった」

 6年後、友人のストラーホフもドストエフスキーの発作を目撃しています。

 「一瞬、言葉を探し求め、何かを要求するかのように彼は動きを止めた。わたしは彼に注目した。何かとてつもないことでも喋りはじめるのではないかと期待したのだ。しかし、半ば開いた口から飛び出てきたのは奇妙な雑音めいた音声だった。彼は意識を失って部屋の真ん中で倒れた…….身体を硬直させ、けいれんし口から泡を吹いた」

 最初の結婚から10年後、アンナ・グリゴーリエヴナと2度目の結婚をした直後、またもや、発作が頻発します。

 「…….フョードル・ミハイロヴィッチは殊のほか元気で、姉とたのしそうに何か話していた。すると突然、何か言いかけて、真っ青になったかと思うと、ソファから身体を浮かすようにして私の方にもたれかけてきた。すっかり変わってしまったその顔つきをみて、私はぎょっとした。急に、おそろしい、人間のものとは思われぬ叫びが、というより悲鳴がひびきわたって、彼は前にたおれはじめた…….私は彼の肩を抱きかかえ、力を込めて長椅子に掛けさせた。だが無感覚になった体は長椅子からずりおちて、私の力ではどうしようもなかった…….少しずつ、けいれんがおさまると、彼は意識をとりもどしはじめた。だが、初めのうち、自分がどこにいるのかわからず、口もきけなかった。たえず何か言おうとしたが、ろれつがまわらず、何を言っているのか聞き取れなかった。(「回想のドストエフスキー」アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳)」

 このときは、数時間後に再び発作が起きています。

発作頻度、発作時刻


 その後も、肺出血で死亡する直前までドストエフスキーは少なくとも35年間、途切れることなくてんかん発作を起こしました。この間、「虐げられし人々」を執筆していた1861年には、けいれん重積とみまがう長い痙攣を経験していますし、「悪霊」を執筆していた50歳前後には相当頻繁に発作がみられたようです。ストラーホフによれば、ドストエフスキーのてんかん発作は週2回起きることもあれば、4カ月間発作がないときもあったということです。平均すると月に一回程度の頻度になります。しかし、まれには、再婚当時のように日に2回頻発することもあったわけです。

 寝ているときよりも起きているときのほうが他人に目撃されやすいので、記録に残っているドストエフスキーの発作症状はほとんどが覚醒時のものです。しかし、実際には睡眠時の発作のほうが圧倒的に多かったようです。このことはアンナも書いていますし、ドストエフスキー本人も1869年9月14日の日記に「ほとんどすべての発作はベッドに横たわっているときに起きる。睡眠の前半部分で、だいたい朝4時前後だ」と書いています。アンリ・ガストーは5年間におきた26回の発作を検討しています。それによれば、26回中25回の発作は夜に起きていました。この25回の夜間発作のうち23回は寝入ってから30分から4時間たった睡眠中に起き、睡眠途中に目を覚まして発作が起きたのは2回だけでした。ただし、睡眠中の発作といっても、ドストエフスキーは夜中遅くまで仕事をして、寝入るのは夜明けの4時から5時ということがよくありましたから、本人が書いているように発作自体は早朝に起きていたことになります。

発作後症状


 てんかん発作は発作後もドストエフスキーを苦しめました。

 発作が終わると、眠ってしまうことが多かったようです。しかし、睡眠に至らず、中途半端に意識が戻ってしまって、発作後自動症と呼ばれるおかしな動作を繰り返すこともありました。発作がおさまったのち、知らないうちに、たばこの葉を紙で丸めて紙巻きたばこを作っていたことがある、と自ら書いています。25歳で発作が起きたとき、人を振り切って駈けだしたというのも、いわゆる遁走発作だったのかもしれませんが、発作後自動症だった可能性もあります。

 充分意識が戻ってからも、頭が働かず、何日もぼんやりと過ごすことがありました。グリゴローヴィッチもいっているように「発作のあとでは、いつもうちひしがれたようになって」、そういう状態は「いつも二日か三日は続」き、まともな状態に戻るのに最低一週間ぐらいはかかったようです。2番目の妻アンナも新婚直後の発作のあとで「発作の後でいつも続く押しつぶされるような憂愁が、その時は一週間にもわたったのである」と書いています。そして「『自分に一番親しい人を亡くしたような、誰かを埋葬したような気分だ』これはかれがその容態を説明するのに用いた言葉である」と補足しています。ひどいときには発作後1カ月ぐらい原稿が一行も書けないときもあったようです。そのために、雑誌編集者に原稿の遅れを弁解しなければならないこともありました。

 記憶減退も彼を苦しめました。

 てんかん発作がなかった頃は、見たもの、聞いたもの、読んだものを、すべて、どんな些細なことでも、詳細に思い出すことができたのに、てんかん発作が起きるようになってからは、ありとあらゆることを忘れ、よく見知っているはずの人のことさえ忘れてしまうようになった、とかれは愚痴っています。

 ロシアの天才ピアニスト、スヴィアトゥラフ・リヒテルは演奏旅行で訪れた街で紹介された人物の名前をすべて覚えていたそうです。街の名前を聞くとそうした名前が「数珠つなぎになって思いだされ、息苦しくなってしまう」とあるドキュメンタリー番組で語っています。ドストエフスキーもリヒテル同様、そのような異様な記憶力を若い頃はもっていたのかもしれません。しかし、その抜群の記憶力も、てんかん発作を繰り返すうちに減退していったようです。発作頻度が高かった「悪霊」執筆時はとくにこれがひどく、自分が作り出した登場人物の名前さえ忘れてしまって、最初から読み直さなければならないほどでした。アンナとの婚約当時も「虐げられし人々」の登場人物のことをアンナが1人1人論評したのに対し、ドストエフスキーは「よく覚えていない」と答えています。「罪と罰」と「賭博者」を脱稿し終えた直後のことで、この2作に異常な集中をしたあとだったせいかもしれませんが、それにしても、数年前に書いた小説の人物のことを忘れてしまっているのは、ちょっと異常です。

19世紀ヨーロッパ臨床神経学


 てんかんに対しドストエフスキーがどんな治療をうけていたのか、記録が残っておらず、よくわかりません。おそらく、さまざまな「治療」をうけていたでしょう。しかし、かれが生きていた時代、効果的な抗てんかん薬はブロムに以外なく、発作を消失させる方法は皆無に近い状態でした。ですから、かれがうけた「治療」の大半は効果を示さなかったはずです。「治療」について記録が残っていないのはそのせいもあるかもしれません。

 ドストエフスキーが受けたであろうてんかん「治療」を推測するためには、当時の医学状況を概観しておく必要がありそうです。

 かれが生きていた十九世紀は、てんかんも含む神経疾患への理解が深まり、臨床神経学が先進西欧諸国において花開いた時代でした。

 フランスではドゥシャンヌが電流によって筋肉が収縮することを発見、電気神経生理学の開拓者となりました。かれは進行性筋ジストロフィー(ドゥシャンヌ型進行性筋ジストロフィー)にその名をとどめています。また、シャルコーも鋭い臨床観察によって筋萎縮性側索硬化症をはじめとするさまざまな神経疾患について業績を残し、その臨床講義集「神経系疾患講義」は後々まで世界中の臨床神経科医のバイブルとなりました。かれが勤めていたパリのサルペトリエール病院は臨床神経学のメッカとなり、マリー、バビンスキーなど名だたる臨床神経学者がシャルコーの後に続いています。オーストリアのジークムント・フロイトもシャルコーのもとで研鑽を積み、催眠術のヒステリー治療への応用を学び、これがのちに精神分析学へと開花することになります。また、ドストエフスキーと同時代、パリには「医学臨床講義集」の著者として有名な卓抜な臨床家トルーソーもいて、彼の名前は低カルシウムの患者にみられる特徴的な手の症状、トルーソー徴候に残っています。一方、ドイツにはロンベルグ徴候(脊髄病変の有無を調べる神経徴候で、もともとは晩期梅毒合併症である脊髄癆の診断に用いられました)に名が残るロンベルグ、電気神経生理学の大家エルブ、膝蓋腱反射の有用性に着目した慧眼の精神科医ウェストファールらがいました。

 しかし、ドストエフキーが活躍した19世紀後半、近代てんかん学の基礎を築いたのはイギリスのジャクソンとガワーズでした。

 ロンドン病院のジャクソンは失語症の研究を通して臨床症状と大脳局在との関連に注目するようになります。そして、てんかん発作も大脳局在論で説明可能であると確信「てんかんとは灰白質の偶発的、突発的、過剰性、急速性、局在性発射に名づけられたものである」という、近代てんかん学の扉を開く定義を提唱します。一方、筋ジストロフィーの患者さんにみられる、膝に手をおいて立ち上がろうとする徴候、ガワーズ徴候で有名なガワーズは、筋疾患のみならず、てんかんについても多くの業績を残し、1881年に出版された「てんかん及びの他の慢性痙攣性疾患」は後々までてんかん学の分野で大きな影響を与えました。

臭化カリウム(ブロム)


 このようにてんかんの病態に関する理解は、この時期、飛躍的に深まっていました。しかし、治療にかんしては旧態依然たる状態が続いていました。一般に、病態解明から有効な治療法に至る道は険しく、その開発には長い年月と「僥倖」を要します。そのことは、たとえば、パスツールやコッホが細菌学を創始してからペニシリンの発見までに半世紀以上かかり、しかも、培養実験の失敗がペニシリン発見のきっかけになったことからもお分かり頂けると思います。

 てんかんも同様でした。

 18世紀初頭、サルペトリエール病院で近代精神医学の基礎をうち建てたエスキロールは30名のてんかん患者にさまざまな治療を試み、その有効性を報告しています。その治療とは瀉血、下剤投与、入浴、焼灼術、そしてさまざまな薬物療法でした。どの治療によっても、数週間から数ヶ月、発作が消失しましたが、最終的にはいずれの「治療」によって場合も発作が再発、持続的な効果がみられた治療法は一つもありませんでした。発作が止まったといっても、おそらくは、暗示効果、いまでいうPlacebo(偽薬)効果が少なからず寄与していたのでしょう。そして、エスキロールがおこなった「治療」の中で、現在もてんかんの治療として行われているものはありません。

 ドフトエフスキーが40代半ばであった1866年、てんかんの「薬物療法」に失望したある著明なアメリカ人医学者は、てんかん罹患者には「自然治癒力」に縋りつくよう説得するしかないと書いています(Friedlander WJ The History of Modern Epilepsy)。

 ところが、1857年、ロンドンではてんかん治療の流れを大きく変える発表が行われていました。ある医師がアンチモン、ジギタリス、硝酸銀で治療した52名のてんかん患者の治療成績を発表した際、これに対するコメントとして、産婦人科医のチャールズ・ロコックが驚くべき治療成績を報告したのです。月経期に増悪するヒステリー性てんかん女性15名に臭化カリウム(臭化カリウムは英語でBromideといい、日本ではブロムと呼ばれることも多いので、以下、これに従います)を投与し、14名でうまく発作をコントロールできたというのです。

 ただし、ロコックは抗てんかん作用を期待してブロムを使ったわけではありません。当時、どういうわけか、セックスとてんかんの間に強い関連があると信じられていました。とくに、マスターベーション、オナニーなどの自慰行為はてんかんを含めた精神疾患の重要な原因の一つとみなされていました。自慰行為によって血液が脳に貯まり鬱血する(もしくは、逆に、血液が脳から流れて虚血になる)のがいけないというのです。このため、てんかんを含めた精神疾患の治療として去勢術や割礼までもが大まじめに議論され、実際におこなわれていたのです。シーヴキングへのコメントの際にもロコックは、オナニーがしばしばてんかんの原因となっており、そうした症例は増加傾向にあるにもかかわらず見過ごされていると「警告」しています。

 そこで、「性欲抑制剤」ブロムを使ってみたのです。

 ロコックがブロムを使う「根拠」となったのは、ブロム10粒を1日3回服用して一時的に不能になった男性がいるというドイツからの報告でした。この論文を読んで、月経期にヒステリーてんかんの発作を起こす女性にブロムを投与して性欲を減退できれば、てんかん発作を押さえられるかもしれないとロコックは考えました。そして、臭化カリウムを試み、性欲とはまったく無関係の驚くべき抗てんかん作用を発見したわけです。ペニシリンの例にみられるように、医学も含めた科学の歴史においては、偶然が新発見に重要な役割を果たすことがあります。スコットはこれを「カジノ要因」と呼んでいますが、ブロムの抗てんかん作用の発見は、その典型例でした(D.F. Scott The history of epileptic therapy)。「理由づけは間違っていても結果は正しかった」のです。

 ロコックはその後ブロムとてんかんについての論文は書いていません。しかし、1861年にラドクリフが出版した痙攣に関する書物には「てんかんをもつ人々はロコック卿の名前を感謝の気持ちをもって思いだすべきだ」と書かれています。ラドクリフはロコック同様、ブロムをてんかん患者に試み、従来の「治療薬」とは雲泥の差の抗てんかん作用を確認したのです。その後、ブロムはイギリスの医学界において徐々に使われるようになりました。ジャクソンのてんかんに関する業績にもブロム治療の経験が相当寄与しているといわれています。ドストエフスキーが死んだ1881年に出版されたガワーズの「てんかん及びその他の慢性痙攣性疾患」には、ブロムが従来のてんかん治療法を駆逐したと記されています。

 しかし、どうやら、イギリス以外の国でブロム治療が一般的になるのはこのガワーズの書物出版以降のことのようです。フランスでもブロムの効果が一般に認識されるようになったようで、1888年冬、画家のゴッホが前後不覚に陥り、みずからの耳朶を切り落としてアルルの病院に担ぎ込まれたときには、「てんかん」の診断のもと、主治医のフェリックス・レーがブロムを処方しています。

 しかし、ブロムの効果が世界中の国々で知られるようになるまでには、いまでは考えられないぐらいの時間を要しました。そのことは、さきほどのアメリカの医学者の嘆きからも推し量ることが出来ます。残念ながら、ドストエフスキーが生きている時代、ブロムによるてんかん治療はロシアでは一般的ではなかったようです。ですから、ドストエフスキーはブロムの恩恵を受けることはできなかったのです。ドストエフスキーは「ブロム以前」のてんかん治療を受けざるをえませんでした。

 それがどんなものであったのか、よくわかりません。ヤノフスキーによって瀉血を施されていたことは、前に述べたとおりです。さすがに、去勢術は受けていなかったでしょうが、割礼はどうなのでしょう。下剤、アンチモン、ジギタリス、硝酸銀などは勧められて飲んだかもしれません。また、夏になると毎年のようにドイツのエムス鉱泉で療養していたのも、一つには、「てんかん治療」としての入浴を勧められたのかもしれません。

 しかし、ことごとく発作抑制には無力で、おそらく、そのたびにドストエフスキーは失望したことでしょう。

 ロシアが好きで、海外旅行に出るとすぐに望郷の念に駆られていたドストエフスキーが3度も西欧諸国に旅立った目的の一つも「てんかん治療」だったようです。どういうわけか、ロシアで頻発していたてんかん発作が、海外旅行にでると、ウソのように頻度を減じたからです(海外生活の緊張がてんかん発作を起こしにくくしたのかもしれません。ちなみに、「白痴」の主人公ムイシュキン公爵も「国外の」スイスでてんかんが「軽快」してロシアに戻って来るという設定になっています。また、海外旅行の際には、ドイツやフランスで名だたる医者にかかろうともしています。スースロワとの旅行を計画していた1863年6月17日、ツルゲーネフにあてた手紙でドストエフスキーは次のように書いています。「小生は癲癇を病んでいまして、それがしだいに募っていくので、絶望に陥っているくらいです。どうかすると発作のあとで、二週間も三週間も、ご想像できないような憂愁におそわれるのです!実のところ、小生はできるだけ近いうちに、ベルリンとパリに向けて出発します。それはただただ癲癇の専門医の診察を受けるためなのです(パリではトルーソー、ベルリンではロンベルグ)。ロシアには専門医がおりません。小生は当地の医者たちから、互いに矛盾撞着した診断を与えられるので、彼らに対してまったく信頼を失ったほどです」

 ドストエフスキーが臨床神経学史上の巨人たちの診察を受けることができたかどうか、わかりません。しかし、もし、受診できたとしても、有効な抗てんかん薬のないこの時代、ドストエフスキーが医者に対する不信を払拭することはなかったでしょう。実際、ある時期を境に、ドストエフスキーはてんかんを不治の病と達観、てんかんに関しては、いかなる医者にもかからなくなってしまったようです。

ブロム中毒


 さらに、万が一、ブロムが手に入ったとしても、それで、ドストエフスキーが満足したかどうかもわかりません。

 ブロムはあまりにも副作用が強いからです。

 ロコックの報告から13年後の1874年の時点で、すでにウイリアム・ハモンドはブロム中毒Broismを報告してり、「この男性の患者の姿形はとんでもないことになっている。首には巨大な膿瘍がみられ、まったくひどい状態にある。しかし、それでも、てんかん発作よりはましだ」とのべています。ブロム中毒は加齢ともに増えることが知られていますから、もし服用していればドストエフスキーがブロムの副作用に悩まされた可能性は高かったと思われます。ブロムは血液の濃度がある一定水準を超えると副作用が多発することが知られています。このため、今は血液濃度を指標に慎重に服用して頂いていますが、当時は血液濃度を測定する技術がまだありません。ドストエフスキーが副作用を訴えたところで、「てんかん発作よりはまし」と服用することを勧められたことでしょう。「怒りの閾値」が低かったドストエフスキーのこと、激怒し、すぐ服用をやめてしまったかもしれません。

 気力喪失、易疲労性、集中力低下、食欲減退、集中力や記憶力の低下などはブロムの副作用として「まだ軽い」ほうで、ひどくなると、落ち着きをなくし、ひどい頭痛に襲われ、眠れなくなります。周りの状況がわからなくなって、鬱状態となり、記憶力が失われ、幻覚に悩まされ、痴呆状態になることもあります。これに加えハモンドがいうようなニキビ、膿瘍などの皮膚の症状が顔を中心に全身に現れ、粘膜は乾き、舌はカサカサになって舌苔がべっとりと付き、腸閉塞をきたすようなひどい便秘になることもあります。

 これほどひどい副作用があるために、20世紀前半、より副作用の少ないフェノバルビタール、フェニトインなどの抗てんかん薬が商品化されると、ブロムはほとんど使われなくなります。実際、フェノバルビタールの有効性が報告された1912年当時、「てんかんを治癒させる薬を見つけだす試みは破綻した。てんかんの治療を求めて患者がやってくると医者は無力感に苛まされる」と書いている研究者もいるぐらいです。てんかん発作抑制にある程度有効であっても、その副作用ゆえに、ブロムが「実用的」ではないという認識がフェノバルビタール登場以前に広まっていたことが窺われます。しかし、最近になって、ブロムはわずかに見直されています。これは、先ほど述べたように、血中濃度をモニターしながら比較的安全に使えるようになってきたからです。現存のてんかん薬では押さえきれないてんかん発作、とくに、重症乳児ミオクロニーてんかんといった悪性難治てんかんの全身痙攣コントロールのために、まれに使用されることがあります。さらに、フェノバルビタールなどの通常の抗てんかん薬ではひどい副作用がでる間歇性ポルフィリアがある患者さんのてんかん発作に対しては唯一安全な抗てんかん薬です。

鑑別診断


 薬で8割近くが発作をコントロールできるということもあって、現在、てんかん外来にみえる患者さんで、ドストエフスキーほどたくさんの詳細な(そして、抗てんかん薬で修飾されていない「純粋な」)発作症状を聴取できる機会はそれほど多くありません。

 これほど多くの詳細な病歴が得られれば、ドストエフスキーがてんかんだと確信をもって診断できます。記録に残っている症状はてんかん発作以外考えられませんし、てんかん発作と考えて、臨床上、何の矛盾もないからです。ドストエフスキーは脳波検査が可能となる前の19世紀の人間ですから脳波所見は不明です。しかし、前にも述べましたように、脳波は補助診断にすぎません。これだけ病歴上の証拠がそろえば、ドストエフスキーがてんかんを有していたのは確定的といっていいでしょう。

 (ただし、ドストエススキーはてんかんなどではなかったと主張する人もいます。その代表格は、精神分析の創始者フロイトです。ドフトエフスキーはてんかんではなくヒステリーを有していたのだというのが、かれの診たてです。てんかん発作とみえるものは、エディプス・コンプレックスに基づく自己懲罰の現れにすぎない、というのです。「ドストエフスキーは自分がてんかんだといっており、他人からもそうみられていた。意識消失、筋硬直と、それに続く、虚脱がみられる激しい発作を起こしたからである。しかし、かれのてんかん発作は神経症の一症状にすぎず、診断としては、「ヒステリー・てんかん」というヒステリーの中でも重篤な一病型の可能性が高い」とフロイトは主張しました。シェテファン・ツヴァイクへの手紙の中で「てんかんは精神的素性とは無関係の器質性脳疾患であり、通常、知的退行、知的崩壊を伴うものです」と書いていますから、フランスに留学したフロイトにとっても、てんかんの概念はその程度のものだったのかもしれません。もちろん、現在ではまったく受け入れがたいい説です)

 てんかん発作があったのは間違いないとして、つぎに問題となるのは、ドストエフスキーがどんな発作型をもっていて、どのようなてんかんを有していたか(つまり、どのような原因(病因)によるどのようなてんかん発作がみられていたのか)という点です。

 発作型は、前に述べましたように、部分発作および部分発作の二次性全般化を考えるのが一番自然です。

 上に述べた、妻、友人、医師による発作の記録はドストエフスキーが運動性痙攣発作(たぶん強直間代発作でしょうが、運動症状が主体の複雑部分発作で終わることもあったかもしれません)がみられていたこと、しかし、覚醒時に発作がおきた場合には何らかの症状(前兆)が運動性痙攣発作に先行していたことを示しています。実際、ドストエフスキーが自分の発作を「微風をともなう発作coups de sang par rafales」と呼んでいたことは前に述べたとおりです。前兆だけで終わるような発作もあったのかもしれません。前兆は単純部分発作ですから、ドストエフスキーには単純部分発作から強直間代発作(もしくは複雑部分発作)に進展する発作がみられていたと推定されます。

アンリ・ガストーの全般てんかん説


 ところが、ドストエフスキーのてんかん発作は部分発作ではなく全般発作だったと主張した人がいます。

 現代てんかん学の枠組みを作るに当たって大きな足跡を残したフランスのてんかん学の大家、アンリ・ガストーです。

 1978年のエピレプシア誌にガストーは「てんかん症候学とてんかん予後論にかんするフョードル・ドストエフスキーの意図せざる寄与」という論文を発表してドストエフスキーのてんかんについて論じ「ドストエフスキー全般てんかん説」を展開したのです。しかし、その後、1983年、同じエピレプシア誌でオランダのヴォスクイルがガストーの説に疑問を呈しました。そこで、その一年後、ガストーはヴォスクイルの疑問にも答える意味も兼ねて、ドストエフスキーのてんかんに関する論文を再びエピレプシア誌に発表しました。

 以下に、ガストーの主張のあらまし、そして、それに対してヴォスクイルが提議した論点をみてみましょう。

素因性全般てんかん説の根拠


 ドストエフスキーが死んでから一世紀の間に、このロシアの作家のてんかんについて無数の論文が書かれたが、かいつまんでいうとそれは次のようになる、とガストーはまず述べます。

 ドストエフスキーは側頭葉病変に起因する器質性てんかんに罹患していたと推定され、その発作には至福感と恍惚感からなる独特な前兆が先行していた。てんかん発作はこの傑出したてんかん患者の思想、感情、文学作品に多大な影響を与えたと考えられる。ドストエフスキーはキリストをモデルとした充足感と愛につつまれた世界を熱望しており、その著作には普遍的人類愛が表現されている。一生を通して、毎月、発作がはじまる際、恍惚発作がかれに天国への扉を開いてみせていたことが、おそらく、その一因であろう。

 自分もこうした推定をそれまで信じてきた、いや、それどころか、こうした考え方の形成に自らかかわってきさえした、とガストーは述べます。そして、これは間違いだった、と自らを断罪します。ドストエフスキーは側頭葉病変に起因する器質性てんかんではなく、素因性の全般てんかん(特発性全般てんかんに罹患していたというのです。そして、ドストエフスキーの天才は生来のものであり、てんかんゆえにその天性が磨かれたわけではない、てんかんがあったにもかかわらず、才能を発揮したとみるべきだと主張します。

 ガストーは、ドストエフスキーのてんかんを素因性全般てんかんと考える根拠をいくつもあげています。

 ひとつは、有名な「恍惚前兆」にかんするものです。恍惚前兆はドストエフスキー部分発作説の根拠とされていましたが、ガストーは恍惚前兆の存在そのものに疑問を呈しています。恍惚前兆はドストエフスキーの創作にすぎず、そのてんかん発作は部分発作から全身痙攣に二次性全般化していたわけではないというのです。一方、素因性てんかんである証拠として、ドストエフスキーには脳の器質性病変を疑わせる神経学的異常や精神症状がみられなかったこと、息子がてんかんで死亡しており、家族性素因が疑われることが挙げられています。

恍惚前兆


 以上の中でもっとも力をこめて書かれているのが、ドストエフスキー部分発作説の根拠となる恍惚前兆についてです。ドストエフスキーのてんかん発作には恍惚前兆などもともと存在していなかった、というのがガストーの主張です。

 まず、ガストーが槍玉に挙げている「伝説的な」恍惚前兆についてみてみましょう。

 前兆とはてんかん発作直前にみられる発作の先駆けともいうべき症状で、これが感じられるときにはすでに脳内のいずれかで異常電流が流れており、単純部分発作の一種であることは以前説明しました。

 前兆は、身体の違和感とか、胃からこみ上げてくるような吐き気など、不快感を伴うものがほとんどです。しかし、恍惚前兆はこれとは逆で、快感を呼び起こすような前駆症状です。従来、ドストエフスキーの発作にはこの恍惚前兆が先行していたと信じられてきました。

 その証拠とされたのが小説「白痴」の中で主人公ムイシュキン伯爵がおこすてんかん発作です。

 「…….何かしらあるものが彼の眼前に展開した。異常な内部の光が彼の魂を照らしたのである。こうした瞬間がおそらく半秒くらいも続いたろう。けれども、自分の胸の底からおのずとほとばしりでた痛ましい悲鳴の最初の響きを、彼は意識的にはっきり覚えている。それはいかなる力もってしても、止めることのできないような叫びであった。続いて瞬間に意識は消え、真の暗黒がおそったのである…….

 …….癲癇の発作…….の瞬間にはふいに顔、ことに目つきがものすごく歪む、そして痙攣が顔と全身の筋肉を走って、恐ろしい…….悲鳴が胸の奥のそこからほとばしり出る…….誰か別の人間がいて、それが発した声のようにさえ思われる…….」

 (ドストエフスキー「白痴」 米川正夫訳)

 てんかん発作を起こす直前のこの「異常な内部の光」について、ムイシュキン公爵は詳細にわたって追想します。

 「…….憂愁と精神的暗黒と圧迫を破って、ふいに脳髄がぱっと焔でもあげるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。生の直覚や自己意識はほとんど十倍の力を増してくる。が、それはほんの一転瞬の間で、たちまち稲妻のごとくすぎてしまうのだ。そのあいだ、知恵と情緒は異常な光をもって照らし出され、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、諧調に満ちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境に忽然と溶け込んでしまうかのように思われる。しかし、この瞬間、この光輝は、発作が始まる最後の一秒…….の予感にすぎない…….」

 これが恍惚前兆といわれているものです。そして、この迫真的描写は実際にこの前兆を体験したものにしかなしえないだろうと考えられてきました。つまり、ドストエフスキーの前兆そのものだろうと推定されてきたのです。

 この一瞬の間に過ぎ去る「光輝」について公爵は次のように分析します。

 「感覚のこの一刹那が、健全なときに思い出して仔細に点検してみても、いぜんとして至純な諧調であり、美であって、しかも今まで聞くことは愚か、考えることさえなかったような充溢の中庸と和解し、至純な生の総和に合流しえたという、祈祷の心持ちに似た法悦境を与えてくれるならば、病的であろうとアブノーマルであろうと、少しも問題にならない!…….もしその一刹那に、つまり、発作前、意識の残っている最後の瞬間に、『ああ、この一瞬間のためには一生涯を投げ出しても惜しくはない!』とはっきり意識的にいういとまがあるとすれば、もちろん、この一刹那それ自体が全生涯に値するのである」

 そして、ロゴージンに次のように語ります。

 「この一刹那に、ぼくはあの時はもはやなかるべしという警抜な言葉が、なんだかわかってくるような気がした…….あの癲癇もちのマホメットが引っくりかえした水瓶から、まだ水の流れ出さぬさきに、すべてのアラーの神の棲家を見つくしたというが、おそらくこれがその瞬間なのだろう」

 似たような記述が「悪霊」にもみられます。

 「よる寝ない習慣をやめなきゃ駄目だよ」と諭すシャートフに対しキリーロフは次のように答えます。

 「ある数秒間があるのだ、――――それは一度に五秒か、六秒しか続かないが、そのとき忽然として、完全に獲得されたる永久調和の存在を、直感するのだ……それは論駁の余地のないほど明白な心持ちなんだ。まるで、とつぜん全宇宙を直感して、『しかり、そは正し』といった…….有頂天の歓喜ではなく、ただ何とはない静かな喜悦なのだ…….もし十秒以上続いたら、魂はもう持ちきれなくて、消滅してしまわなければならない…….ぼくはこの五秒間に一つの生を生きるのだ。そのためには、一生を投げ出しても惜しくない。それだけの価値があるんだからね…….」

 「きみ、癲癇の持病はないのかい?」というシャートフの問にキリーロフは「ない」と答えます。

 しかし、シャートフは忠告します。「じゃ、今に起きるよ。気をつけたまえ…….癲癇はちょうどそんな具合に始まっていくって、ぼく、人から聞いたことがあるよ。ぼくはある癲癇もちから、発作の前の感覚を詳しく話してもらったが、いまきみのいったのと寸分ちがわない。その男もやはり五秒間と、はっきり区切ったよ。そして、それ以上は持ちきれないといったっけ。きみ、マホメットが甕から水の流れ出てしまわないうちに馬に乗って天国を一周した話を思い出して見たまえ。甕―――これがつまりその五秒間なんだ。君の永久調和にそっくりじゃないか。しかも、マホメットは癲癇持ちだったんだからね。気をつけたまえ、キリーロフ、癲癇だよ」(以上、米川正夫訳『悪霊』)。

 小説だけではありません。ドストエフスキーの思い出を書き綴ったストラーホフとソフィア・コバレフスカヤもドストエフスキーの恍惚前兆について触れています。

 まず、ストラーホフですが、かれはドストエフスキーの死後2年目に出版した「回顧録」に次のように書いています。

 「フョードル・ミハイロヴィチは発作前の高揚した気分について何度かわたしに話してくれたことがある。『ほんの一瞬、わたしは至福に満たされることが何度かあった。それは、普通の時には想像もつかない、それを経験した人間にしか想像もできないようなものだ。そういうとき、わたしは自己や全宇宙との永遠なる調和を直覚する。全知覚はおそろしく鮮明となり、その心地よさはたとえようもない。その数秒間の至福の時を十年間の人生、いや全生涯と取り替えてもいいという人間だっているかもしれない』と」

 ソフィア・コバレフスカヤはドストエフスキーが彼女と彼女の姉に語って聞かせた「最初」の発作の模様を「こども時代の思い出」に書き残しています。それは、シベリア流刑中の復活祭イブの夜、思いがけず親友が尋ねてきて、ドストエフスキーがこの友人と夜遅くまで神について語り合っていたとき起こります。突然、ドストエフスキーが「神は存在する、まさしく存在するのだ!」と叫んだというのです。近くの教会から深夜のミサを告げる鐘が鳴り始めたときのことでした。ドストエフスキーは語り続けました。「あたりの空気が巨大な音響につつまれ、私は動こうとしたが、その時、天国が地上に舞い降り、私を呑みこんでしまうのを感じた。本当に私は「神」に触れたのだ。神が私のところにやってきたのだ。『然り、神は存在する』と私は叫んだ。しかし、それ以外のことは何も覚えていない。われわれてんかんもちが発作前数秒間に感じる幸福をあなた達のような健康人は想像することもできまい。コーランの中でマホメットは、天国を見、天国に行ってきたといっている。みずからを賢人とうぬぼれている間抜けな連中はマホメットを嘘つき、いかさま師と信じて疑わない。しかし、違うのだ、断じてかれは嘘つきなどではない、かれはてんかん発作の間に実際に天国に行ってきたのだ。私同様、かれもこの病の犠牲者だったのだ。この至福の状態がいったいどのぐらい続くのか、数秒か、数時間か、数ヶ月か、それはわからない。しかし、信じ給え、人生が与えてくれるはずのすべての歓びを提供されても、わたしは、この至福の状態と交換しようとは思わないだろう」

 似たようなことを、ドストエフスキーはウランゲル男爵にも話しているそうです。

創造された恍惚前兆?


 しかし、ガストーは「恍惚前兆」はドストエフスキーの創作にすぎず、元来、そうした前兆などは医学的にありえないと主張します。

 その根拠として、自らのてんかん発作について日記にこと細かに記していたドストエフスキーが恍惚発作についてはなにも書き残していないこと、ストラーホフとソフィア以外の友人や妻のアンナが「恍惚前兆」についてなにも述べていないことを挙げています。さらに、ガストー自らの臨床経験をふり返ってみても、「恍惚前兆」があるてんかん患者に出会ったことがない点をつけ加えます。

 たしかに、恍惚前兆については、日記や手記にドストエフスキーは何も書いていないようです。また、ドストエフスキーが過去の女性関係も含め甘えかかるように何ごとも話し、相談していた愛妻アンナも「思い出」の中で恍惚前兆についてまったく触れていません。にもかかわらず、ストラーホフとソフィアだけが「恍惚前兆」について書き残しているというのはたしかに奇異な感じがします。

 ガストーがこの論文を書くきっかけとなったのはカトー(Jacques Cateau)が書いたドストエフスキー伝だったそうです。その中でカトーはストラーホフとソフィアがまったく違う時期(シベリア時代以降とシベリア時代)に起きたドストエフスキーの恍惚前兆について記しているにもかかわらず、内容が極似していることを指摘しているそうです。すなわち、ストラーホフの語った発作は、復活祭前夜、10時をすぎた夜遅く、大変重要な抽象的な話題について熱気を帯びた会話の最中に起きたことになっていますが、ソフィアが語る発作も、復活祭前の夜、古い友人と文学や哲学について話しているときに起きていて、発作内容のみならず、周りの状況も似ているというのです。そこから、ガストーはストラーホフの手記からかなり遅れて発表されたソフィアの手記はストラーホフの手記をそのまま転用したのではないかと疑念を呈します。

 さらに、ドストエフスキーが語ったとストラーホフが書いている「恍惚前兆」の内容が「白痴」や「悪霊」の文章の引き写しにすぎない可能性をガストーは指摘します。実際には、ドストエフスキーは恍惚前兆についてストラーホフに語ったことなどなかったのではないか、いうのです。では、「白痴」や「悪霊」にみられる「恍惚前兆」は何かというと、おそらく、それは、あとで述べる発作前駆症状からドストエフスキーが創造したものにすぎず、発作直前にかれが単純部分発作としての「恍惚前兆」を体験していたわけではないというのです。

 たしかにそういわれてみますと、「白痴」「悪霊」の記述とストラーホフやソフィアの手記の話はよく似ています。

 ガストーがいうように、ドストエフスキー本人から何も聞いていないにもかかわらず、ストラーホフが「白痴」や「悪霊」から、あたかも、ドストエフスキーが恍惚前兆をもっていたかのように書いたかどうかはわかりません。しかし、二つの小説に繰り返し書いているぐらいですから、この恍惚前兆のことをドストエフスキーがストラーホフなどの友人、知人に「お得意の話」として繰り返し話していた可能性はあるかもしれません。問題は、それをドストエフスキー自身の経験として話していたかどうかです。ストラーホフはきっとそれを実話として受け取ったのでしょう。しかし、日記に何も書き残していない、アンナも知らないとなると、ドストエフスキーとしては、自分が創造した「一般論」を語っただけだったのかもしれません。身近に暮らしていたアンナはそれがドストエフスキーの実体験か創作かの区別はついたでしょう。しかし、ストラーホフはそれをドストエフスキー本人の実体験ととってしまったのかもしれません。

 ガストーの説も私の説明も、証拠のない、仮説にすぎません。しかし、少なくともガストーに関していえば、いささか強引なこの仮説には、かれの豊富な臨床経験の裏付けがあります。

 みずからの35年にわたるてんかん診療経験をふりかえって、ガストーは「恍惚前兆」をもったてんかん患者などは一人もいなかったと指摘します。つまり、医学的にみて、「恍惚前兆」の存在そのものに大いなる疑念があるというのです。

 同じことをヴォスクイルも書いています。

 かれはオランダ中のてんかん学者に恍惚前兆を有する患者を経験したことがあるどうか聞いて回ったそうです。しかし、恍惚前兆を経験している医師は一人もいなかったというのです。

 かくして、「恍惚前兆」は側頭葉てんかんの代表的前兆のように信じられてきましたが、それは、ドストエフスキーの創造力、筆力に幻惑されたにすぎず、そのような前兆をもつ患者は皆無に等しい、とガストーは主張するのです。実際、そういわれてみると「恍惚前兆」はドストエフスキーの恐るべき創作力が生み出された幻にすぎないという気がしてきます。

 ドストエフスキーの恐るべき創作力といえば、わたしにも似たような経験があります。

 はじめてドストエフスキーの恍惚発作について知ったのは故和田豊治先生の「臨床てんかん学」においてでした。しかし、それを読んで以後、20年以上にわたっててんかんの患者さんを診てきていますが、恍惚前兆を訴える方に遭遇したことは一度もありません。ただ、それは、小児科医としてこどものてんかんだけを診ているためで、成人の側頭葉てんかんなどでは恍惚前兆が結構あるのだろうと漠然と思ってきました。ところが、ガストーの論文を読んで、おやおやと思い、念のため、もう一度、和田先生の本を読み返してみました。すると、てんかんの前兆として躁状態に近い喜悦や歓喜(pleasure)といった感情状態がもたらされうることはむしろ稀である」と和田先生はコメントされていました。しかし、このコメントを読み返すまで、この文章のことは完全に忘れていました。和田先生のこのコメントのあとに、「白痴」の本文が引用されていたのですが、どうやら、「諧調に満ちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境」という文章があまりに強烈だったために、和田先生の「むしろ稀である」というコメントのほうはきれいさっぱり記憶から吹き飛んでしまっていたようです。

 このように、恍惚前兆はめったにみられません。

 しかし、全くないというわけでもないのです。

 その証拠として、ヴォスクイルはボローニャ大学のグループが報告した恍惚発作をともなう側頭葉てんかんの一例を挙げています。報告されている症例は30才男性で、てんかん発症は13才、発作としては動作の停止と意識の混濁からなる複雑部分発作がみられています。そして、そうした発作の前にこの男性は「言葉で言い表せぬ歓び」を感じとっていました。その歓びは、彼が愛してやまない音楽を聴いているときにわき起こる歓びに匹敵するものでした(セックスの最中に発作が起きたときの経験から、この歓びが性的快感とは別物だともこの男性は断言しています)。この発作が始まると不愉快な感情、思いは消え去り、この男性は至福感に包まれます。その「恍惚前兆」の最中に脳波が記録されました。複雑部分発作のときによく見られる、脳波の平坦化とそれに続く律動波が認められ、まぎれもないてんかん発作であることが確認されました。このボローニャからの報告以外にも発作時脳波は記録されていませんが、いくつか「恍惚前兆」の報告がなされています。

 このように、たしかに「恍惚前兆」は稀かもしれません。しかし、全くないとはいえないのです。

恍惚前兆以外の前兆


 さらに、もし、恍惚前兆がドストエフスキーの創作にすぎなかったとしても、それによって、ドストエフスキーが部分てんかんをもっていなかったということにはならない、とヴォスクイルは指摘します。友人、妻、主治医が目撃し、書き残した覚醒時の発作の記録からは、恍惚前兆ではないにしてもドストエフスキーの発作に何らかの前兆、すなわち、部分発作が先行していたことが推測されるからです。

 「彼はくるりと引き返そうとしたが、私たちが何歩も行かぬうちに、たちまち発作を起こした」

 「突然、ドストエフスキーは奇妙な顔つきをして恐怖に襲われたような目つきになった。そうした状態が数分間続いた後、虚ろな声でかれは「俺は今どこにいるんだ」と呟き、外気を求めるように窓に駆け寄った」

 「『死にそうだ』と叫びながらドストエフスキーはヤノスキーの助けを求め…….やがて、投げ出すように頭を後屈させ、けいれん様の震えが始まった」

 「一瞬、言葉を探し求め、何かを要求するかのように彼は動きを止めた。わたしは彼に注目した。何かとてつもないことでも喋ってくれるのではないかと期待したのだ。しかし、半ば開いた口から飛び出てきたのは奇妙な耳障りな音だった」

 「突然、何か言いかけて、真っ青になったかと思うと、ソファから身体を浮かすようにして私の方にもたれかけてきた。すっかり変わってしまったその顔つきをみて私はぎょっとした。急に、おそろしい、人間のものとも思われぬ叫びが、というより悲鳴がひびきわたって、彼は前にたおれはじめた」

 以上の記載によって、覚醒時の発作では、痙攣発作がおこる前、発作が来ることを感じとったかのようにドストエフスキーが「くるりと引き返そうとし」たり、「恐怖に襲われたような目つきになった」り、「言葉を探し求め、何かを要求するかのように…….動きを止めた」り「何かを言いかけた」りしていたことがわかります。このことは、恍惚前兆ではないにしても、何らかの発作を予感させる症状、すなわち前兆(部分発作)が痙攣発作に先行していたことを示唆しています。やはり、ヴォスクイルが主張するように、ドストエフスキーのてんかん発作は部分発作と考えたほうがよさそうです。

発作前駆症状


 ガストーが指摘しているように、ドストエフスキーは発作前駆症状も経験していたようです。

 てんかんの患者さんの一部には、発作の数日前、あるいは、数時間前から、発作を起こすのではないかと思わせる行動異常が出現することがあります。理由もないのに、妙にそわそわしたり、怒りっぽくなったり乱暴になったりするのです。発作がくることを患者さん自身が自覚している場合もありますし、「今日か明日ぐらいが怪しい」などと予測される保護者の方もいます。発作を予告するような(しかし、発作の直前にみられるものではない)こうした症状を発作前駆症状と呼びます。てんかんの患者さんの一割程度にみられるといわれています。本人は頭痛、不安、苛立ち、気分の落ち込みなどを感じているようですが、はっきりしません。しかし、前兆同様、「言葉に言い表しがたい、なんともおかしな気分」であることがどうやら多いようです。

 ドストエフスキーは小説「白痴」のなかで、その「言葉に表しがたい」発作前駆症状と思われるムイシュキン公爵の行動、心理を書き記しています。

 第二編の5、ムイシュキン公爵が「恍惚前兆」に引き続いて痙攣で倒れる日のことです。

 この日、公爵は一番列車に乗って半年ぶりにモスクワからペテルブルグに戻ってきて、レーベジェフの家を訪ずれ、ナスターシャの安否を尋ねます。そして、ラゴージンの家に寄って彼としばらく話をします。その後、ナスターシャに会おうとしてレーベジェフの義妹の家を訪ねますが、不在を告げられます。仕方なく、宿に戻ったところでラゴージンに殺されかかり、ちょうどその時、てんかん発作を起こします。

 その日の朝、ペテルブルグの停車場で公爵は「だれかの怪しい燃えるような二つの目が、列車で到着した人々を取り囲む群衆の中に、突如ちらりとひらめいたように」感じます。これは、公爵をつけ狙うラゴージンの目ですが、「沈み込んでふさぎがち」にもかかわらず、群衆の中に埋没しているはずのわずかな視線に気づいており、公爵の神経が妙にとぎすまされていることを暗示しています。また、レーベジェフの家では「頭痛」を訴え、別荘地での静養をレーベジェフに薦められます。さらに、ペテルブルグ駅での「二つの目」のことをラゴージンに話し、「へえ!いってえだれの目だっただんろう?」としらばっくれるラゴージンに「人込みの中だったから、ただそんな気がしたばかりかもしれないよ…….ぼくはなんだかしだいに、5年前よく発作がおこってたときと、同じような心持ちになって行くみたいだ」と公爵はつぶやきます。

 しかし、明らかにおかしくなるのは、ラゴージンと別れて、夕方6時頃、別荘地行きの列車に乗り込むあたりからです。

 いったんは座席に座ったものの、公爵は「切符を床へたたきつけ」停車場を出ます。そして「自分がことに病的な気持ちにとらえられているのを感じ」ます。それは「以前病気の激しかったとき、発作の襲おうとするまぎわによく経験したのと、ほとんど同じ気持ち」でした。「こうした発作の起こりそうなときの彼は、自分でも知っていたが、おそろしくぼんやりしてしまって、よくよく注意を緊張させて見ないことには、人の顔やその他のものを一緒くたにして、間違えることが多かった」のです。自分を刺し殺すかもしれない象牙の柄のナイフ、つけ狙うラゴージンの二つの目、ある宿屋での殺人事件など、さまざまな想念が公爵の頭の中で走馬燈のように駆け巡ります。その一方で、例の恍惚前兆のことにも思いを凝らそうとしますが(このあたり、ドストエフスキーは、発作前駆症状と前兆とをはっきり区別せず書いており、このことが、先ほど述べた、ガストーの「恍惚発作」創造説の根拠になっているわけです)またも、象牙の柄のナイフに思考の矛先が戻ってきます。やがて、公爵は「どうかするとすべてのものが混沌として、でたらめで、醜陋をきわめることがある」と感じながらナスターシャを尋ねてペテルブルグ区にやってきます。そして、「病気は再発しかかって」いて、それは「疑うまでもない」という確信に至ります。ナスターシャは不在で、ムイシュキンは仕方なく宿に帰ります。そして、宿の階段をのぼって踊り場にさしかかったとき、ロゴージンが襲いかかってきます。「ロゴージンの目はぎらぎら輝き、物狂おしい薄笑いに歪んで」いて、「右手があがって、なにやらその中できらりと光」りますが「公爵はその手を押しとどめようとも」しません。そして、このときてんかん発作が始まり、驚いたロゴージンは逃げ去ります。

 ここに至るまでに、さまざまに揺れ動く公爵の心理とそれにともなう行動がみごとに活写されています。しかし、そのすばらしさは、全文を引き写してこないとわかって頂けないでしょう。まことに小林秀雄が言うように「引用は断念しなければならない。引用しようと思えば一章全体の語句が鎖につながれている様に起きあがってくる」のです。しかし、発作前駆症状を実感しうる得難い一章であることはたしかです。

 また、「カラマーゾフの兄弟」には、てんかん発作は前もって予言できないことを知っているんだ、ごまかすな、とイワンがスメルジャコフに詰問する場面が出てきます。これに対し、スメルジャコフは、発作の日時は予言できないが、その予感だけは決まってある、と答えています。これも、また、ドストエフスキーのてんかんに発作前駆症状がみられていたことを暗示しています。

 この前駆症状というのは前兆と一応区別されて考えられています。発作そのもの、すなわち、脳内の突発性異常電流に基づく症状ではないとされています。しかし、本当にそうなのか、よくわかりません。前兆と異なり、前駆症状は捉えどころのない症状なので、医学的研究の対象となりにくく、十分な検討がなされていないからです。てんかん外科手術前の検査として、脳の表面や深部に電極を設置して脳波を記録すると、本人も自覚していない脳波上だけの「てんかん発作」が頻発している場合があります。もしかしたら、一部の患者さんでは、臨床症状を伴わないそうした「潜伏てんかん発作」の積み重ねが気分の変動などに現れているのかもしれません。しかし、実際にはよくわかっていません。ただ、部分発作のある患者さんに多いという報告だけはなされています。ですから、発作前駆症状をこれほど見事に描き出しているということもドストエフスキー「部分てんかん説」の根拠となりえるかもしれません。

全般てんかんと部分てんかん(側頭葉てんかん)


 以上から、ドストエフスキーのてんかん発作が部分発作であることを否定するガストーの議論はかなり強引なものだということがわかっていただけたかと思います。しかし、ガストーはこれ以外についても論を進めてドストエフスキーの素因性全般てんかん説を展開しているので、それについてもみてみたいと思います。


図4 大脳の側面像

フリー百科事典『ウィキペディア』より

 ただし、その前に、ガストーがなぜ全般てんかんにこだわるのか、また、側頭葉てんかんとは何かについて少し補足しておくべきかもしれません。

 大脳半球は大きな脳溝を境として前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つに区分されます。側頭葉は頭頂葉の下方に前頭葉と後頭葉に挟まれるようにして側頭骨に包まれています。ただし、側頭葉は脳の内側へ入り込んでおり、この部分も側頭葉に含まれます。側頭骨に接し、外側に位置する側頭葉を外側側頭葉、内側に入り込んだ側頭葉を内側側頭葉といっています。内側側頭葉は系統発生上古い皮質で、組織学的にも外側側頭葉とは異なっています。

 側頭葉は他の脳葉同様、数え切れないほどたくさんの機能にかかわっているものと推定されますが、外界信号の統合処理に関与し、外界刺激を認識し、過去の記憶と照らし合わせてその意味を判別することが外側側頭葉の主要機能の一つと考えられています。一方、内側側頭葉は他の部位の神経細胞群(内側側頭葉の海馬、扁桃核を含め辺縁系と呼ばれています)とともに記憶に関与し、また、種の保存に必要な情動や自律神経機能を統合する役割も果たしていると考えられています。


内側側頭葉てんかんのMRIとポジトロンCT

右上は脳の正中線における矢状断で、この図で橙色の垂直線で撮影した冠状断が左下図、30°ほど前方に傾けて撮像したものが右上図。この右上図で下方両側に房のように突き出ているものが側頭葉である。左下図で内側に灰色の塊のようなものがみえるのが内側側頭葉の海馬で、右に比べ左の海馬が小さいのがわかる(矢印;海馬萎縮)。ポジトロンCTでも右海馬は索状に黄色く写っているのに、左海馬には黄色のものはみられない。これは、右海馬でエネルギー源の糖の取り込みが低下していることを示している。

 側頭葉てんかんとは、側頭葉に発作焦点があり、側頭葉起源のてんかん発作が繰り返し起きる病態をいいます(同様に、発作焦点の部位によって、前頭葉てんかん、頭頂葉てんかん、後頭葉てんかんが区別されます)当然の事ながら、側頭葉てんかんでは発作時、そして、発作間欠時にも、側頭葉の機能を反映した症状がみられます。

 内側側頭葉にある海馬、扁桃体といった辺縁系組織は痙攣閾値が低く、発作焦点を形成しやすくなっています。さらに、外側側頭葉に始まったてんかん発射は急速に内側側頭葉に伝播、内側側頭葉で発作が励起されて、発作が遷延し、他の脳葉にまで異常放電が拡大していくこともあります。このため、内側側頭葉、とくに辺縁系組織は「てんかん発作のペースメーカー」とさえ呼ばれています。

 大脳半球4つの脳葉のうちもっとも大きいのは前頭葉で、脳表の約3分の1を占めます。したがって、もし、てんかん焦点になる可能性がどの脳葉でも同一であれば、面積比からいって、前頭葉てんかんがもっとも多くなるだろうことが予測されます。事実、小児の部分てんかん(症候性もしくは潜因性局在関連てんかん)では、前頭葉てんかんがもっとも多いといわれています。ところが、成人に達すると、側頭葉てんかんが前頭葉てんかんを抜いて部分てんかん、とくに、難治性部分てんかんのトップに躍り出ます。おそらく、それは、辺縁系内側側頭葉のてんかん発作への閾値が低いためだと思われます。このため、成人では、部分てんかん、とくに、難治性部分てんかんといえば側頭葉てんかんというイメージができあがっています。成人てんかんで側頭葉てんかんが何よりも問題とされるのは、こうした理由からです。

 側頭葉てんかんの病因としては腫瘍、先天性形成異常、瘢痕組織などさまざまですが、詳細は省きます。ただし、海馬の神経細胞が脱落する側頭葉内側硬化という病態があって、難治性側頭葉てんかんの病因のかなりの部分を占めており、しかも、外科治療によって劇的によくなる、ということは頭の片隅に入れておいてください。


小児症候性局在関連てんかん発作消失の経時的変化

側頭葉てんかんは、前頭葉てんかんに比べ、発作消失率が低く、このことが、成人で側頭葉てんかんが主要な難治てんかんとなっていく要因の一つと考えられる。

 側頭葉てんかんの代表的症状は、「胃からこみ上げてくるような」異常感覚を感じた後、意識が消失、目がうつろとなり、口をもぐもぐさせたり、手に持っているものを弄んだりといった自動症に至る、というものです。そして、ときとして、全身痙攣に至ることもあります。こうした発作症状の移り変わりは、前兆(単純部分発作)から複雑部分発作、そして、最終的に二次性全般化発作に至る過程を反映しています。前兆としては、先に述べた、上行性上腹部異常感覚以外にも、恐怖感、異常嗅覚、異常味覚、既視感、幻聴、幻視、めまいなどがあります。そして、きわめてまれですが、先ほど述べたように、恍惚発作のような至福感、性的興奮が発作に先行することがあります。

家族発生


 さて、それでは、つぎに、家族性発生についてみてみましょう。

 たしかに、ドストエフスキーの次男アレキセイはてんかん発作重積を疑われる状態で死亡しています。アンナによると、ドストエフスキーはこのアレキセイを溺愛していたようで、自分のてんかんが最愛の次男に遺伝し、死に至らしめたのではないかという自責の念に相当苦しめられたようです。しかし、ドストエフスキーの思いは思いとして、次男にてんかんがあるというだけで、ドストエフスキーのてんかんは家族発症の特発性てんかんであるというのはちょっと乱暴です。アレキセイのてんかん発作重積の原因が脳炎や脳梗塞などの重篤な中枢神経疾患だった可能性もありますし、だいいち、てんかん発症者はアレキセイだけで、次男以外にてんかんの血縁者はいません。てんかんの頻度を考えると、親族にたった1人しかいないのに、ドストエフスキーのてんかんが家族性発症だとはとてもいえません。

 また、ドストエフスキーのてんかんが家族発症の素因性特発てんかんだったとしても、だからといってガストーが言うようにドストエフスキーのてんかんが部分てんかんではなかったということにはなりません。

 最近、成人においても、家族発症性の遺伝性部分てんかんの存在が知られるようになってきているからです。その中には家族発症性遺伝性側頭葉てんかんも含まれています。家族性発症の側頭葉てんかんにはいろいろな臨床特性のものが報告されていて、12番染色体長腕をはじめとしてさまざまな原因遺伝子座が同定されているものもあります。そうした家族性側頭葉てんかんのうち、最初に報告された家系は、発症が10代から若年成人期とされています。もちろん、今となっては証明のしようがありませんが、ドストエフスキーがこのタイプの側頭葉てんかんを有していた可能性だってありうるわけです。

 一方、複雑部分発作の自動症の中には、遁走発作という、駈けだしていってしまうようなものもあります。25歳の時、知人宅のパーティーで起きたというドストエフスキー発作もそうしたものの一つだったかもしれません。奇妙な顔つきをして恐怖に襲われたような目つきになり、虚ろな声で「俺は今どこにいるんだ」と呟き、外気を求めるように窓に駆け寄ったという、例の発作です。窓台に座ったかれの顔はゆがみ、頭は一方に傾き、身体全体がふるえはじめ、びしょ濡れになるまで冷水をかけられたドストエフスキーは充分意識を回復しないまま通りにかけだしていっています。ただし、これは、前にも言いましたように、発作後自動症だった可能性もあります。

 発作のないときにも、側頭葉てんかんでは、さまざまな行動異常、精神神経症状が認められることがあります。行動異常としては多動、衝動的行動、注意散漫、暴力行為などがみられ、精神症状としては記憶力減退、易怒性、統合失調様症状などがあり、また、男性の場合、高率に性的無関心がみられるといわれています。

 ガストーが側頭葉てんかんといっている場合、以上のような病像を念頭に置いていたのだとご承知おきください。

 側頭葉てんかんのような部分てんかんは、脳に何らかの問題があるために発症し、てんかんの素因は余り関係がないとガストーがこの論文を書いた時点では考えられていました。脳に何らかの異常があり、このため、知能障害、精神障害の合併率も高いというのが、てんかん専門家の間では「常識」でした。これに対し、全般性てんかんには遺伝が関与し、大きな異常がない脳に生ずると思われていました。つまり、ドストエフスキーのように、傑作小説をいくつも書き残した高度な知性には部分てんかんよりも全般てんかんがふさわしいというのが、当時の支配的仮説だったのです。

 当然、ガストーもこの図式の中で論じています。

 しかし、部分てんかんが何らかの脳病変に起因するという説は成人てんかんではともかく、小児てんかんには当てはまらないことが、その後、わかってきました。小児には機能性部分てんかんと呼ばれる、遺伝性が高く、脳の「キズ」とは無関係の部分てんかんの症例が相当数いることがわかってきたのです。事実、ガストーもその後、後頭葉発作を特徴とするそうした「良性」小児部分てんかんを報告することになります。部分てんかんだからといって脳に病変があるとは限らないのです。

旺盛な性欲


 性欲の減退がないことも側頭葉てんかんにしてはおかしい、とガストーは論じています。

 たしかに、てんかん発症後もドストエフスキーの性欲が旺盛だったのは事実です。46歳でアンナと2度目の結婚をした後、8年間にソフィア、リュボフ(エーメ)、フョオドル、アレキセイと2男2女が生まれていますし、1876年、55歳の年のアンナへの手紙の中でも

 「だれがお前みたいにわたしをあまやかしてくれるだろう、だれがわたしと一心同体に融け合うだろう?それに、あの点についても私たちのひみつはみんな共通なんだからね。それだもの、どうしてわたしはお前の原子の一つ一つをあがめていつもするようにおまえ全体を飽くことなく接吻せずにいられよう?なにしろお前は、あの点でどんなに素晴らしい女房なのか、自分でも、合点がいかないくらいだ。しかし、帰ってからなにもかも証明してみせる。まあ、わたしが情欲の強い男だとしても(たとえ情欲が強い男であろうとも)それがこれほど飽くことを知らず女性を愛することできるということを、いったいお前は考えないのかね。それはわたしがもう千たびもお前に証明したじゃないか。が、こんど帰ったら、わたしはお前を食べてしまいそうだ」

 と、何ともコメントのしようのないことを書いています(この文章のすぐあとに「ねえ、この手紙はだれも読みはしないし、お前もまただれにも見せなどしないからね」などという文章が続いていますが、どうも、ドストエフスキーは後世の文学史家の執念深さを見誤ったようです)。

 前にも述べたように、たしかに、側頭葉てんかんの患者さんでは性欲減退がよくみられます。しかし、よくみられるといっても、せいぜい側頭葉てんかんの患者さんの3分の1程度です。性欲減退がみられない側頭葉てんかんはいくらでもあります。「情欲が強い」からといって、側頭葉てんかんではないと結論するのは、これも、いささか乱暴です。

てんかんを乗り越えて


 これ以外にも、ガストーは、ドストエフスキーが部分てんかんではない理由として、器質性脳疾患を疑わせる症状がみられないこと、睡眠発作が主体であること、つねに痙攣性発作がみられていたことなどを挙げていますが、長くなりますので、これ以上詳しくは述べません。しかし、ヴォスクイルはそうしたことも含め、ドストエフスキーが2次性全般化痙攣をともなう複雑部分発作を有していなかった断言することはできないと指摘しています。

 ヴォスクイルの論文がでた翌年、ガストーは再びエピレプシア誌にドストエフスキーのてんかんについて再論しています。その論文では素因性全般てんかん説が後退し、ドストエフスキーのてんかんは全般てんかんとも部分てんかんともどっちともいえないという曖昧な結論で終わっています。

 結論だけみれば、後から書かれた論文の方が医学的には正しいということになります。

 しかし、論文としてみるならば、じつは、最初の論文の方が圧倒的に優れています。最初の論文は医学論文としては例外的なほど情熱に溢れ、迫力があり、アンリ・ガストーという人がてんかん学の世界で敬愛されていた理由が今さらながらに納得できる論文です。

 医学を含めた自然科学は「正しい」知識を積み重ねて発展していきます。そして、正誤の判断だけを指標にすれば、後世の人間はどんな凡人であっても自然科学史上の偉人たちをいとも容易に弾劾できてしまいます。ガストーの論文も「医学的正しさ」を金科玉条にすれば、あとの方が正しいという、ある意味で当たり前な、つまらない結論に行き着いてしまいます。しかし、ガストーの最初の論文はそういう観点だけではみるべきではない例外的な医学論文ではないかと思われます。

 ガストーの最初の論文における真の結論は、じつは、「ドストエフスキーの天才は生来のものであり、てんかんゆえにその天性が磨かれたわけではない、てんかんがあったにもかかわらず、才能を発揮したのだ」いうものです。全般てんかん説はその結論へ至る条件の一つにすぎません。しかし、どうやら、この結論を証明しようとする熱い想いが、論理をやや強引におしすすめることになったようです。そうまでして、このことを証明しようとした裏には、ドストエフスキーとてんかんの関係についての通説をなんとしてでも覆したいというガストーの強い欲求がみてとれます。通説とは、もう一度確認しておきますと、

 ドストエフスキーは側頭葉病変に起因する器質性てんかんに罹患していたと推定され、その発作には至福感と恍惚感からなる独特な前兆が先行していた。てんかん発作はこの傑出したてんかん患者の思想、感情、文学作品に多大な影響を与えたと考えられる。ドストエフスキーはキリストをモデルとした充足感と愛につつまれた世界を熱望しており、その著作には普遍的人類愛が表現されている。一生を通して、毎月、発作がはじまる際、恍惚発作がかれに天国への扉を開いてみせていたことが、おそらく、その一因であろう。

 というものです。こんなことを主張する人間は、ドストエフスキーの生涯とその作品を通観しながら、てんかんの影響というものをドストエフスキー本来の才能によって創造された芸術と区別すらできないのだ、とガストーはきめつけています。「てんかんゆえに」ではない、「てんかんにもかかわらず」才能を発揮したのだ、ドストエフスキーはてんかんに打ち勝ち、てんかんを乗り越えたのだ、というのです。

 いかにももっともらしいことを、と思われる方もみえるかもしれません。しかし、ガストーが思いつきでこんなことを主張したとは考えられません。この言葉は、むしろ、経験豊かな臨床医としてのガストーの実感だったように思われます。

 ガストーという人は、南フランスのマルセーユで長年にわたり膨大な数のてんかん患者を診察し、深い洞察力でてんかんという病をみつめ、てんかんにかんする数多くの記念碑的論文を書いた人です。現在も世界中で使われている国際てんかん分類、てんかん発作分類作成にあたって主導的役割を果たし、現代てんかん学の父と呼んでもいいような人です。そんな人がそれまでの自らの発言を否定してまで「思いつき」で「いかにももっともらしいこと」を書くとは、ちょっと、考えにくいのです。

 ヴォスクイルに対する論文を書く前にガストーは手紙や手記も含めたドストエフスキーの全著作をすべて読み直したと記しています。これは、ドストエフスキーに加え、ゴッホ、フローベールといったてんかんをもった天才的芸術家たちについて講演するための準備だったようですが、全著作を読み直したあともドストエフスキーとてんかんとの関係にかんするガストーの信念は崩れていません。難治てんかんに罹患しつつもドストエフスキーは天才的芸術をうみだしたが、その天才的芸術はてんかんとは無関係に生まれでたというのです。

 そのことをいうために、ガストーがやや強引にドストエフスキー素因性全般てんかん説を言い出した可能性があることについては、上に述べました。素因性全般てんかんであれば、側頭葉てんかんと異なり、知的退行、精神症状を合併することは通常ありません。もちろん、側頭葉てんかん(症候性部分てんかん)であっても、必ずしも、全例が知的退行や精神異常をきたすわけではありません。しかし、ドストエフスキーのように頻回に発作が起きる側頭葉てんかんではそうした合併症の出現頻度が高くなります。薬をどれだけ使っても発作が頻回に起き、知的に荒廃し、問題行動を起こす側頭葉てんかん症例を数限りなくガストーは経験したはずです。ですから、どうあっても、そんなことが考えられない素因性全般てんかんでなければならなかったのです。

 しかし、まさかとは思いますが、ガストーは錯覚に陥っていたのかもしれません。

 いうまでもありませんが、ドストエフスキーの時代においては、頻回に発作がみられていたとしても、だから難治てんかんだったということにはなりません。当時は、ブロムが一部の限られた地域で使用されるようになっただけで、めぼしい抗てんかん薬はまだなかったことは以前お話したとおりです。抗てんかん薬による治療を受けていなかったのですから、当然、ドストエフスキーのてんかんは「難治」てんかんということにはなりません。部分てんかんでもなんの不都合もないのです。

 ガストーがドストエフスキーの全著作を読み通したのは、もちろん、この天才作家のてんかんについて医学的に論考するためだったでしょう。しかし、もしかしたら、ガストーは医学的興味だけでドストエフスキーの全著作を読了することはできなかったのかもしれません。ドストエフスキーの著作に現れる多彩で複雑な世界、世界中の読者を魅了してきたドストエフスキーの文章、それらにガストーはのめり込んでいったのではないかと思われます。そして、そうした読書体験を長年診てきたてんかん患者に関する臨床経験と照らし合わせたのでしょう。てんかんが人間にいかなる影響を及ぼすものか、そのさまざまな様相をガストーは数限りなく目撃してきたはずです。そうした臨床経験とドストエフスキーの残した著作を虚心坦懐に引き比べても、確信は揺らがなかったのです。「てんかんゆえに」ではない「てんかんにもかかわらず」なのだ、ドストエフスキーはてんかんを乗り越えたのだ、と。

 そして、そのことは、てんかんという「敵」に対するドストエフキー自身の信念でもありました。この文章のはじめに引用しましたように、1865年12月、「罪と罰」を執筆中、かれは次のようにノートに書き留めています。

 「しかし、病気を恥じる必要などない。それに、倒れ病といえども活動を止めることはできないのだ」

てんかん気質


 もちろん、てんかんがドストエフスキーになんの影響を及ぼさなかったというわけではありません。ドストエフスキーがてんかんという病に終生悩まされていたことは前に述べたとおりです。しかし、てんかんがかれの思想や作品に本質的な影響を及ぼしたか否かの疑問に答えるのは容易ではありません。検証は不可能で、推測によってしか議論できません。

 ところが、ドストエフスキーという沃野をてんかんという鋤で掘り返してみたいという誘惑を断ち切れない人間が後を絶ちませんでした。ガストーが紹介している「恍惚発作がドストエフスキーに天国への扉を開いてみせ、そのことがかれの思想、感情、文学作品に多大な影響を与え、普遍的人類愛の表明に至らせた」という説は、論理の組み立てがあまりに粗雑で、さすがに、いま、これを鵜呑みにし、信じる人は少ないでしょう。しかし、もっと巧妙に、ドストエフスキーに対するてんかんの「絶対的影響」がもっともらしく論じられることがあります。

 その場合、よくもちだされるのが「てんかん気質」です。

 てんかん気質というのは、てんかんをもっている人に共通してみられるとされる性格、特徴のことです。てんかんをもつ人間は躁鬱的で、生真面目である一方、性的に歪みがみられ、怒りっぽく、すぐに敵意を剥きだしにし、攻撃的、偏執狂的、感情的な側面もあるとされています。また、哲学的、宿命論的で宗教に傾斜しがちであり、強迫的で罪悪感が強いかたわら、説教的になることもあるというのです。さらに、受動的、依存的で、迂遠、粘着質で、延々と文章を書き連ねる書字過多(hypergraphia)がみられるという説もあります。そして、これをドストエフスキーに当てはめてみると、ドストエフスキー本人のみならず、その文章、小説の登場人物、筋立てにもこうした特徴が当てはまると「てんかん気質論者」は主張します。てんかんがドストエフスキーを支配し、ドストエフスキー本人の性格、生活態度、その文章、その作品の登場人物にまで「てんかん的特徴」が浸透しているというのです。

 たしかに、ドストエフスキーは「躁鬱的」な側面があったようですし、作家デビューを果たした頃は「怒りっぽく」「すぐに敵意を剥きだしにし」「攻撃的」「偏執狂的」「感情的」だったために文学者仲間から孤立してしまいました。そして、そういった性格は、ある意味で、死の直前まで変わることはなかったようです。また、ドスエフスキーの文章は、同じロシアの文豪チェホフなどにくらべ、簡潔性に欠ける面があります。もちろん、翻訳でしかわかりませんが、ドストエフスキーの文章はくどくどしく、だらだらとどこまでも続き「迂遠」「粘着質」「書字過多」と評されてもいたしかたない面があるようにみえます。加えて、その小説やエッセイに「哲学的」「宿命論的」「宗教的」なものが多く含まれていることはご存じのとおりです。さらに、小説の登場人物も、地下室の住人、ラスコールニコフ、スタヴローギン、フョードル・カラマーゾフなど偏執狂的、強迫的、攻撃的人間に事欠きません。ドストエフスキーの小説にはてんかんをもつ人間が現れますが、それだけではなく、登場人物全員に、特有の、共通の性格が刻印されているようにみえます。ドストエフスキー本人も含め、たしかに「ドストエフスキー的世界」は「てんかん気質」に満ち溢れています。

 てんかん特有の性格、気質がみられるということは古代ギリシャ時代からいわれてきました。そして、ドストエフスキーが活躍した19世紀半ばには、フランスのてんかん学の大家、モレルが「てんかん気質」を盛んに論じていました。興奮性と易怒性がてんかんを有する人間の際だった特徴だというのです。ちょっとしたことで「てんかん性の怒り」を爆発させ、それが1-2時間続くことがあり、しかも、日に何度も何度も繰り返すことがあるとモレルは書いています。さらに、てんかんを有する人間は宗教的なものに傾斜しやすいとも指摘しています。

 その後、てんかん気質論はドイツでも盛んにいわれるようになります。ドイツの精神科医シュナイダーは1933年初版の精神病理学の概説書に「大抵の癲癇患者は時のたつにつれて一定の様式の精神的変化を起こす。変化は知性の領域にも人格の領域にも起こる。迂遠な、杓子定規な、信心に凝った、涙脆い、蔭日向の多い性質、精神的視界の狭窄、饒舌な愚直性、粘着性、自己の状態に対する不可解な多幸性などがかかる状態の性格特徴としてよくみられる。記憶の著しい障碍も、重い癲癇痴呆に陥ったものに見られる」と書いています(クルト・シュナイダー著、西丸四方訳「臨床精神病理学序説」みすず書房)。

 しかし、その後、てんかん気質論は一旦下火になります。

 なぜかといいますと、てんかんはさまざまな疾患の集まりであって、てんかん発作を(それも、さまざまな発作型の発作)もっているというだけで、同じ「性格」を共有することなどあり得ないと考えられるようになったからです。もともと、19世紀から20世紀初頭に盛んに論じられたてんかん気質論というのは主として精神病院に入院しているてんかん患者の観察からひきだされたものでした。精神病院への入院、隔離を要するようなてんかん患者は、たいてい、ひどいてんかん発作があり、重篤な精神症状を合併しています。てんかん気質論はそうした一部の特殊な患者を対象として組み立てられたものだったのです。しかも、こうした患者たちの「気質」は精神病院という特異な環境に閉じ込められたことによってつくりだされた可能性も考慮する必要があります。てんかん気質は永遠にとらわれの身となったための心理的帰結だと評した研究者もいるくらいです。たしかに、そのような環境下では、興奮性、易怒性がみられても当然かもしれません。

 しかし、20世紀に入ってフェノバルビタール、フェニトインといった抗てんかん薬が登場し、ある程度、てんかん発作が抑制されるようになると、精神病院に監禁されるてんかん患者の数は減り、逆に、自宅から外来に通ってくるてんかん患者が増えます。すると、てんかん気質を有さないてんかん患者が少なくないことにいやでも気づかされます。こうして、「てんかん気質」論は影をひそめました。

 ところが、20世紀半ば、一旦下火になった「てんかん気質」論議が再び活発になります。それは、側頭葉てんかん、とくに、先ほど少し触れた、内側側頭葉硬化に起因する側頭葉てんかんが注目されるようになり、このてんかんには紛れもなく特有な性格、「内側側頭葉てんかん性格」とでも呼ぶべきものが存在するという報告が相次いだからです。実をいいますと、上に列挙した「てんかん気質」はこの内側側頭葉てんかんに特有とされた「気質」です。ガストーが引用している「ドストエフスキー側頭葉てんかん罹患説」も、この「内側側頭葉てんかん性格」が盛んに議論されていた頃でてきました。そして、「てんかん性格」も含め内側側頭葉てんかんの種々相について精力的に探求した研究者の一人がガストーでした。「ドストエフスキー部分てんかん説」の形成にみずから関わってきたとかれが言っているのはこのことをさしているものと思われます。

 しかし、やがて「内側側頭葉てんかん性格説」も下火となります。さまざまな研究が行われましたが、内側頭葉てんかん患者ほとんどが「てんかん気質」を有しているという明確な結果がでなかったのです。いまに至るも「内側側頭葉てんかん」に特有な性格様式があるかどうかにかんしては結論がでていません。

 結局のところ、てんかん気質論というのは血液型性格論とたいして変わらない議論だったといえるかもしれません。根拠が薄弱で、言葉の遊びにすぎない報告も少なくなかったのです。てんかん、とくに、内側側頭葉てんかんの人の中に、うえにあげたような「てんかん気質」の方はたしかにいます。しかし、そうでない人もたくさんいます。逆に、てんかんをもたない「てんかん気質」の人間もたくさんいるのです。ベンソンは現存するてんかん専門家のほとんどはその存在を否定しており、てんかん性格を論じる試みそのものに反対する学者もいると記していますが、それも当然かもしれません(Benson F & Hermann B Personal Disorder : In Engel J & Pedley A eds. Epilepsy: A complehensive textbook。pp 2065-9, 1997)。

人間観察の天才


 このように「てんかん気質」が存在するかどうかさえ怪しいのですが、ドストエフスキーをてんかん気質で論じる場合、さらなる問題があります。それは、ドストエフスキーの人生と作品をてんかん気質という一点でのんきに規定してしまってもいいのかという疑問です。「てんかん気質論」はドストエフスキーがてんかんというものから逃れられなかったという視点で論じています。しかし、そんな視点がはたして正しいのか、という議論も当然あってしかるべきでしょう。がストーが主張しているのもそのことです。そして、これは、ドストエフスキーのみならず、てんかんをもつ人すべてについていえることです。「てんかん性格を論じる試みそのものに反対する学者もいる」とベンソンが書いているのも、そのあたりの事情も反映しています。

 しかし、ここでは、ドストエフスキーに限定して考えてみましょう。

 てんかん気質論は、一見、ドストエフキーとその芸術に当てはまるようにみえます。しかし、ドストエフスキーとその作品は、それをすべてはねのけてしまっているという見方も同時に可能です。

 まず、なによりも、ドストエフスキーは自己も含めた人間観察の深さにおいて、余人の追従を許さぬ天才だったことを思い起こす必要があります。長年にわたってドストエフスキーについて論じた文学批評家、小林秀雄は同じ文学批評家の中村光夫らとの対談で次のようにいっています。

小林

 ドストエフスキーという作家の感受性というものは、独特のもので、あんな人はめったにないのだが、目がじかに人間にいくんだよ。人間以外にまったく興味を持っていない…….美術展覧会評なんてみればよくわかる。絵なんか一つも論じてない。描いてあるものを論じている。だからあれは絵なんてものに全然興味がないんですよ。音楽論というものもないでしょう。僕はチャイコフスキイのことがどこかにあるだろうと思ってずいぶん探した。ありゃしないのだ…….

中村

 小説家だね。

小林

 小説家というものはそれでなきゃいけないんですよ。ああいう人からみればたいていの小説家は気取り屋で、人間に興味をもっていないよ。人間にあるだけの興味をもつということが小説の根本なんだね。

 小林秀雄は「天才は努力する才だといわれるが、誤解を招きやすい言葉だ。努力なら凡人でもするからだ」という意味のこともたしかどこかで書いていたはずです。天才と凡人は努力の内容が違うということなのでしょう。たしかに、天才は恐るべき集中力で、魅入られたように、延々と努力を続けるようです。同じ努力といっても、質も量も違い、凡人からみると、努力を発明しているようにさえみえます

 小さい頃、電車に乗ると、きまって、疾走する電車の中から線路脇の標識の字を目をこらし読みあてる遊びをしていた、と大リーガーのイチローが語っていたことがあります。「そんなつもりはなかったけど、今考えると、動態視力の訓練になっていたかもしれない」とつけ加えながら。

 酒を飲みに行っても漫才のネタを紙に書き留めていたら、相方に、こんなところでまで、そんなことをすることはないだろう、と「たけし」はいわれたそうです。しかし、漫才をやっているんだから、四六時中漫才のことを考えていて当たり前だし、どんなところでも、これはというネタがみつかれば、書き留めずにはいられなかった、と「たけし」はふり返っています。

 あるオーケストラのコンサートマスターを務めるバイオリニストがいっていました。練習、コンサート、レッスンとバイオリンを半日も弾いていると、バイオリンの音を聞くのもイヤになって、その日は絶対にバイオリンを手にしない、と。しかし、ソ連の巨匠バイオリニスト、オイストラッフは、プラハで開かれた音楽祭において、夜、コンサートを終えて友人音楽家の別邸にやってきたと思ったら、他の客が夜明け近くまで談笑している間、ずっと上機嫌でバイオリンを弾き続けたそうです。

 現代医学は機能障害をきたした脳の病態については、ある程度、解明することができます。しかし、脳機能障害のない人間において能力に差が出る理由をきちんと説明することはできません。天才と凡人の脳は「医学的」に差がありません。ポジトロンCTのような機能画像検査によってさまざまな能力の違いをある程度窺い知ることはできます。しかし、現在のところ、脳病変が何もない人間における能力の差は「誤差範囲」でしかありません。あまりに常識的な説明で申し訳ないのですが、この「誤差範囲」内で差が出るとしたら、1人の人間がある一つの物事にどれだけ集中し、そのことに時間を配分できるかによる、と考えるしかありません。少なくとも、それが、「天才」を成り立たせる条件の一つです。

 ドストエフスキーは人間のあらゆる面を四六時中考え続けた天才だったようです。だからこそ、フロイトの深層心理学出現以前に深層心理を小説のなかで自在に扱うことが出来たのでしょう。前にも申しましたように、ドストエフスキーはシベリア流刑中、自己の過去のすべてを洗いざらい点検し直したといっています。そんな人間ですから、おそらく、てんかんが自分に及ぼすさまざまな影響についても考えていたはずです。

 かれが生きていた当時、てんかん気質といった概念が一部のてんかん学者の間で話題になっていましたが、おそらく、ドストエフキーはそれについて何も知らなかったと思われます。ですから、まさか、そのような概念で自分の文学が総括されるとは想像もしていなかったでしょう。しかし、青年期以降、一生を通じ、数ヶ月に一回は必ず襲ってきて、「異常な内部の光」で自分の「魂を照らし」だしたてんかん発作です。それが自分にもたらすものについて思いを巡らすことは何度もあったでしょう。少なくとも、無意識のうちにでも、てんかんがみずからの文学に及ぼしている影響を感じとっていた可能性はあります。そして、そうしたなかで、小説を構想し、執筆していたはずです。いまさら、みずからの作品やその登場人物にてんかん性格があるといわれても驚きはしなかったかもしれません。

 「白痴」の主人公はキリストをモデルとした純粋無垢なムイシュキン公爵です。しかし、作品の構想段階では、強烈な情欲を有し、強欲で、自尊心が強く、そのくせ、屈辱の中に快感をみいだす、ムイシュキン公爵とは正反対の異常性格の男が主人公として設定されていました。ムイシュキン公爵同様、てんかんがあり、しかし、そのために、白痴と母親から蔑まされている人間が想定されていたのです。のちに「カラマーゾフの兄弟」で登場するスメルジャコフのような人物が念頭にあったのかもしれません。しかし、結局、ドストエフスキーは「もっとも美しい人間」キリスト公爵を主人公に据え、この醜悪な人間像を捨てさります。なぜドストエフスキーがそのような選択をしたのかについては、いろいろ憶測がなされているようです。しかし、それはともかくとして、このことは、同じてんかんを有していても「純粋無垢な人間」から「醜悪な人間」までいかなる人間類型もあり得ることをドストエフスキーが本能的に悟っていたことを示唆しています。てんかんを持つ人間を「てんかん性格」という観点でしかみられない研究者に比べ、医学的にも、ドストエフスキーのほうが正しいのです。

てんかんからの自由


 てんかんの歴史にかんする名著「倒れ病」を書いた医学史家のテムキンは、ドストエフスキーが1880年代に西欧諸国で注目集めるようになったとき、人々は、まず、なによりも、病的世界に否応なく引きずり込むかれの小説の恐るべき吸引力に強い印象を受けた、と書いています。そして、もしかしたら、そのことが端緒となって、人々がドストエフスキーの小説にてんかんの世界を観ようとするようになったのかもしれません。しかし、「たしかにドストエフスキーはてんかんだったかもしれないが、その小説はかれの知性、気質、想像力すべてがあわさって生まれでたものだ」とテムキンは指摘します。その小説世界には、病気体験に加え、病気以外の個人的体験、そしてかれの創造力が分かちがたく織り混ざっているというのです。「巨大小説群がドストエフスキーという特異なてんかん患者によって創りだされた産物であることは事実だ、しかし、だからといって、ドストエフスキーの世界を単純にてんかんの世界とみなすわけにはいかない」とテムキンはコメントしています。

 ムイシュキン公爵が五年ぶりに発作を起こす日のエピソードですが、これについて小林秀雄は「『白痴』を愛読した人なら、恐らく誰でもムイシュキンの発作に伴う錯乱的心理を扱ったこの驚くべき一章を忘れることはできない」と前置きして、これは「心理分析上の鬼才を縦横に発揮した場面」と評しています。このような場面を描いたがゆえにドストエフスキーは「内的独白を語り或いは意識の流れを描く」という「心理的手法の創始者」とみなされているようですが、この一節の描写は「心理小説の驚くべき発達に伍して尚比類ないものを有して」いると小林秀雄は激賞しています。

 この場面がドストエフスキーみずからの発作前駆症状体験を反映したものである可能性があることは以前述べました。ですから、みようと思えば、ここにドストエフキーにたいするてんかんの「支配的影響力」をみることができるわけです。しかし、この一節を通読すれば、ドストエフスキーがてんかんに引きずり回されていないことは明らかです。むしろ、自らのてんかん体験を異様な智力と忍耐力によって分析統合し、「心理分析上の鬼才を縦横に発揮した場面」へと結実させています。

 いうまでもありませんが、こうした事情は、てんかんに限ったことではありません。

 死刑執行劇、監獄、賭博、借金、異様な恋愛関係。てんかん以外のこうした苦難の体験をドストエフスキーは自らの創作の中に昇華させていきました。たとえば、借金経験がかれの小説を支配しているという人はいないでしょう。まったく逆で、かれの恐るべき咀嚼力によって借金経験がかみ砕かれ、消化され、「罪と罰」にみられるように、悪夢に似たかれの小説にリアリティーを与えています。また、賭博にあれほど狂いながら、小説「賭博者」では呵責なきまでに賭博者の情動を抉りだしています。

 てんかんについても同じことがいえます。それは、この発作前駆症状を描いた一章だけでも、充分に読み取ることができます。ドストエフスキーが生み出したものは、てんかん気質といった概念など弾き飛ばしてしまっています。

 たしかに、ガストーがいうようにドストエフスキーはてんかんを乗り越えたのです。ドストエフスキー本人が宣言しているように「倒れ病といえども活動を止めることはできな」かったのです。

 そして、ドストエフスキーは、そのように乗り越えていくことが「自由」を得る唯一の道だとも考えていたようです。

 「作家の日記」の中で、ドストエフスキーは次のように書いています。

 「現今の世態においては、自由を放縦の意味に解している。けれど、真の自由はただおのれ自身と、自己の意志の克服にのみ存するのであって、かくすれば、ついには広い精神的状態に達して、いついかなる瞬間にも、おのれ自身にたいして真の主人公となり得るのである。意欲の放縦は、単におのれを奴隷状態に導くにすぎない」(「作家の日記」1877年2月 第2章 4 問題のロシア的解決。米川正夫訳)

 この信念はどうやら、キリスト教からドストエフスキーが生み育てたものだったようです。同じ「作家の日記」の中でかれは次のように説きます。「『社会組織がこんなに忌まわしくできている以上、手に刃をもたないでは、そこから抜け出すことはできない』これこそ環境説の唱えるところで、キリスト教とは正反対である。キリスト教は環境の圧迫を十分に認めて、罪人に憐憫を声明しながら、しかも、環境に対する戦いを人間の道徳的義務とする、そして、どの辺で環境がおわり、どこから義務が始まるかという境界を人間に示すのである。人間に義務責任を付与しながらキリスト教はそれによって人間の自由をも認めているのである」(「作家の日記」1873年 2 環境 米川正夫訳)。

 てんかんという環境と戦うことで、ドストエフスキーはてんかんから自由を得ました。てんかんに関しても「おのれ自身にたいして真の主人公」だったのです。万が一、治療によっててんかん発作がなくなることがあったとしても、もしかしたら、ドストエフスキーにとって、それはてんかんからの真の自由を意味しなかったかもしれません。てんかん発作が薬によって消失しても、それは、本人の努力とは無関係に起きた一現象にすぎないからです。自由とは何の関係もありません。ある時点で、ドストエフスキーが己のてんかんを不治の病と見定めるようになったことは以前述べました。しかし、そのことは、かれがてんかんに対して白旗を掲げたことを意味しませんでした。繰り返しになりますが、たとえば、そのことは、発作前駆症状を描いた一章を読めば明らかでしょう。

参考図書・引用文献


ドストエフスキー著 米川正夫訳 ドストエフスキー全集1〜20,別巻 河出書房新社

アンナ・ドストエフスカヤ 松下裕訳「回想のドストエフスキー1,2」みすず書房

ドリーニン編 中村健之助訳「スースロワの日記」みすず書房

コンスタンチン・モチューリスキー著 松下裕・松下恭子訳「評伝ドストエフスキー」筑摩書房

E・H・カー著 松村達雄訳「ドストエフスキー」筑摩叢書

アンリ・トロワイヤ著 村上香住子訳「ドストエフスキー伝」中公文庫

加賀乙彦著「ドストエフスキイ」中公文庫

亀山郁夫著「ドストエフスキー 謎とちから」文春新書

中村健之介著「永遠のドストエフスキー 病という才能」中公新書

江川卓著「謎解き『白痴』」新潮選書

江川卓著「ドストエフスキー」岩波新書

小林秀雄著「ドストエフスキイの生活」新潮文庫小林秀雄対談集III「文学と人生について」文春文庫

小林秀雄 全作品5「罪と罰について」新潮社

和田春樹編 「ロシア史」 山川出版社

ロバート・ウォーレス著 鳥山成人監修「ライフ 人間世界史16 ロシア Rise of Russia」タイムライフ インターナショナル

J. M. ロバーツ著 鈴木董監修「世界の歴史6 近代ヨーロッパ文明の成立」創元社

司馬遼太郎「ロシアについて 北方の原型」文藝春秋

大野真弓責任編集「世界の歴史8 絶対君主と人民」中公文庫

今井宏著 「世界の歴史13 絶対君主の時代」河出書房新社

松田道雄著 「世界の歴史22 ロシアの革命」河出書房新社

イーグルトン著 大橋洋一訳「イデオロギーとは何か」 平凡社ライブラリー

和田豊治著 「臨床てんかん学」金原出版

クルト・シュナイダー著、西丸四方訳「臨床精神病理学序説」みすず書房

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Hughes JR. (2005) The idiosyncratic aspects of the epilepasy of Fyodor Dostoevsky. Epilep Behav 7:531-8

Taylor DC. (2007) Whatever happened to the "epileptic prodrome" Epilep Behav 11:251-2

Temkin O. The falling sickness (2nd Ed, Revised): A history of epilepsy from the Greeks to the Greeks to the beginnings of modern neurology., The John Hopkins University Press, Baltimore

Scott DF (1993) “The history of epileptic therapy: an account of how medication was developed” Parthenon Publishing Group, Lancs.

Voskuil PHA. (1983) The epilepsy of Fyodor Mikhailovitch Dostevsky (1821-1881). Epilepsia 24:658-67


http://aoitori-center.com/tenkan/dostoyevski.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/504.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
40. 2020年2月28日 00:29:04 : VQruHLtwBE : QjREc0hubDdrdUU=[19]

学校現場や数多の自動や教員や父母の群れを、自分の後援会関係者や公文書さえ無理やり破棄し改善した財務省と勘違いしてないか?

あるいはトンデモナイ値引きや参加者を隠してくれるホテルニューオータニと混同してないか?

俺が一言言えばどんな奇天烈でアクロバティックな曲芸も公務員はしてくれると思ってないか?

学校教育が、少なくとも文科省から指導されている教科プログラムを舐めてないか?

ああ分かった、この総理大臣は学校教育を受けてないんだ。そもそも。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c40

コメント [政治・選挙・NHK270] 丸投げの安倍政権 新型コロナ基本方針は“国は何もしない” 「病院に行くな」のデタラメ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
39. 2020年2月28日 00:30:06 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[4520]
極右団体が怒る安倍の靖国不参拝とこの記事が言う「国は何もしない、病院に行くな」は実質同じことを指している。統一教会は日本の宗教ではないしそのメンバーが大半を占める内閣が日本国民のことをここ一番で守ろうとするはずもない。コロナ騒ぎで既知であったその事実がより説得力を持って面前に浮かび上がってきた。野党は倒閣のためにこれを生かすべきだろう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/148.html#c39
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
41. 増税反対[1794] kZ2QxZS9kc4 2020年2月28日 00:30:15 : 0YMjcsCkAo : eUFWTjNoRHM2RnM=[42]
政府もマスコミも阿修羅の書き込みも、寄ってたかってコロナの脅威を煽りまくっ

ているが、その成れの果てが無意味な全小中学校の休校だ。

 子供はもちろん、親も先生も業者も全てが大迷惑を被る事になる。

ほんとバカじゃないのかこの国は。未だに感染者で発症した人数は微々たるものだ

し、その殆どは治癒している。インフルエンザと比べても特段恐れる要素は

見つからず、インフルのように爆発的な感染拡大の兆候すらない。


 政府の対策は褒められたものでは無いが、どうして日本中でコロナの恐怖を

煽りまくるのか理解に苦しむ。

 インフルと同じように発症した患者は病院で治療し治すか、自宅で療養して

もらえばいい話で、何人もの患者が出た場合には、小中学校の学級なり学校閉鎖を

すればいい。

 自粛中止延期によって日本中の飲食店小売店が売り上げの激減に

見舞われている事を、もう少し冷静になって考えないと、本当に取り返しのつかな

い事になると思いますよ・・・経営に対する悪影響は消費税増税の比じゃ無い

事くらい、理解できますよね・・・

https://covid19-jp.com/

 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c41

コメント [国際28] 米国でサンダース人気が続くが、支配層は逆襲の準備をしているはず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
41. 2020年2月28日 00:32:03 : EajBt52zE2 : VWZ3ZloxY1NZRGM=[12]
個人的にはサンダース派(中道以外なら誰でも良い性別も問わない、正にこれがリベラルだ)だが従来の社会を見下している共和党員でないなら最悪トランプでも良い。共に熱狂的な支持者はメディアによって作られてきた主流派(笑)とは異なり、日頃から自分達が抑圧されてきた、と感じる人々だからだ。

ネット社会になったことも大きいだろう。今後、社会に何も示せない中道派は居場所が無くなる。いやあるにはある。渡辺の言うように経済的奴隷は中道派を支持する。とはいえアメリカは日本と同様に中間層が減り続けた事実がある。経済はそのままでも何も示せない中道には右からも左からも攻撃されるだろう。いや、右派政権・左派政権で何某か施行されて、中道がそのままにするなら、右にも左にも都合が良い部分もあるか。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/389.html#c41

記事 [お知らせ・管理21] 管理人様へ 削除依頼

大変申し訳ありません。
投稿を失敗してしまいました。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/167.html

タイトルに間違って記事ページのアドレス(URL)を入力してしまいました。

記事タイトルは「新型コロナウイルス検査拒否の日本だけ死亡率急上昇で日本の信用が失墜する予感!」とする予定だったのですが

大変申し訳ありませんが、削除をもしくは、可能なら記事タイトルの変更をお願い致します。


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/582.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
17. 2020年2月28日 00:33:49 : gDuJsjuxdc : LlJvaVVYTFJESUE=[718]
■『安倍首相が

   疑惑の大手IT社長と会食・・・』

 ・・・いつもの

 『男たちの悪巧み』・・・デス!



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
42. 憂国の青年将校[3] l0qNkYLMkMKUTo@rjVo 2020年2月28日 00:34:27 : dsItIM4jdM : azJVLmNqdERtSmc=[1]
ロイターから安倍首相のリーダーとしての姿がみえないと報道があってからのいきなりの休校要請発言、北海道知事も初めの情報小出しを札幌市長や和歌山県知事等の情報開示と比べいかがなものかと批判され道内の感染が更に増え続け焦って休校要請とは...。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c42
コメント [原発・フッ素52] 関電・高浜原発4号機、“アキレス腱”の蒸気発生器に損傷 (BLOGOS)  魑魅魍魎男
11. 2020年2月28日 00:38:04 : 8ST4oQoXG2 : SkxUSFppbmRXTW8=[7]
>>10.

>こんな数字、ありえない数字だ。こんなもん、動かして30分で壊れるわ ! ! !

蒸気圧力の単位理解してますか?gってのは飾りじゃないよ

1.0kg/cm2G=98Kps=98000Ps

175Kg/cm2Gだと98000×175=17150000Ps
大気圧にすると最高使用圧力は
17150000÷101325=169気圧

在り得ない数字ですかね?


http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/526.html#c11

コメント [国際28] 米国でサンダース人気が続くが、支配層は逆襲の準備をしているはず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
42. 2020年2月28日 00:38:59 : BeaD9ZP45A : WjA4dFB0bE95U3c=[32]
【2020米大統領選】「高齢白人男性」同士の争いを懸念する民主党の支持者たち
<最大の懸念は、有権者の関心が高い気候変動や女性・マイノリティの人権、
それにAIが職を奪う未来には想像が及ばないこと>
https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2019/05/2020-2.php

「今回の大統領選で民主党候補の選挙集会に参加したニューハンプシャー州の有権者の大部分が切実な問題として捉えているのは、「気候変動」「人権」「公平な選挙」「収入格差」「雇用」といったものだ。若者たちは、自分たちの将来に影響がある気候変動問題とAIが職を奪うことで困難になる雇用問題、トランプ政権下で脅かされるようになったLGBTQ、女性、移民、有色人種の人権問題に特に関心があるようだ。」

それに中道が答えを出せるとは思わないが。「若者たち」という大きな主語からして気に食わないがともかく全般的には「大きな政府」ではないか。この記述一点だけなら確実に見え隠れしているのが「行き過ぎた自由の修正」と「行き過ぎた資本主義の修正」。自由と自己責任のマッチングは即ち【弱肉強食社会】の何物でもない。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/389.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK270] <赤旗がスクープ!>「桜を見る会」マルチ商法社長の招待は昭恵夫人の事業への資金提供の見返りだった! 30人以上の資金提供者… 赤かぶ
32. 2020年2月28日 00:40:13 : 4ImPab2nyM : Sk9RbHRHUEZlVjY=[228]
資金提供者は、悪質マルチ商法社長…、
お礼に桜見る会(買収)に招待。
アベビジネスの汚さが、また一つバレましたな。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/160.html#c32

コメント [原発・フッ素52] いい加減な感染防止策 ひたすら隠蔽とごまかしを繰り返す日本政府 事態は悪化の一方 福島原発事故と全く同じ  魑魅魍魎男
70. 2020年2月28日 00:45:19 : 8ST4oQoXG2 : SkxUSFppbmRXTW8=[8]
クルーズ船はどの国がやっても無理

日本じゃないからね、航空機と船は船籍国の領土だから?
イギリス船籍だからイギリスにお伺い建てる必要が有るのだね
基本的に上陸させない選択肢しかない訳
入港を断ることもできたのよだけど受け入れただけましだと思わんと

それより、中国人が武漢で発生後、封鎖前に出た観光客が日本に押し寄せていた
訳だから日本で感染者がいない方が不思議だね。
当時は中国が疫病の発生を認めてないし発表もしてないものね
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/519.html#c70

コメント [政治・選挙・NHK270] https://memomemokun.hatenablog.jp/entry/2020/02/27/234519 地震くん
2. 日高見連邦共和国[18633] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 00:49:18 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[15]
どんまい!
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/167.html#c2
コメント [原発・フッ素52] 女川2号機が正式合格 東北の原発初 規制委決定(ひびや地盤の問題は?) 戦争とはこういう物
1. 2020年2月28日 00:49:35 : 8ST4oQoXG2 : SkxUSFppbmRXTW8=[9]
で何が問題?

M9.0の地震と想定外の津波を耐え抜いた原発だけど。
福島以上に揺れたはずだけど、震源に近いからね
避難民を300名も受け入れたんだけど?危険なら受け入れないよね

君みたいなドアふぉには構造クラックと収縮クラックの見分けが
つくとは思えんがね。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/528.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 日高見連邦共和国[18634] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 00:50:59 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[16]
やること、なすこと、すべてが胡散臭い夫婦だよっ!!
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相はもう独裁者。法律も閣議で変更。閣議が国権最高機関。(かっちの言い分) 一平民
1. 日高見連邦共和国[18635] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 00:51:53 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[17]
そうだ!そうだ!!

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/164.html#c1
コメント [原発・フッ素52] 女川原発2号機 6年かけ審査 どこがポイント?(基準クリアというけれど) 戦争とはこういう物
3. 2020年2月28日 00:53:05 : 8ST4oQoXG2 : SkxUSFppbmRXTW8=[10]
そもそも、堤防と施設は違うけど

堤防は施設の外周にあるんだね、
施設は岩盤まで掘り下げて耐震コンクリートを敷いた上にあるから

意味が違うわな

http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/529.html#c3

コメント [国際28] 米国でサンダース人気が続くが、支配層は逆襲の準備をしているはず(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
43. 2020年2月28日 00:54:37 : ufrEL4tJhV : QWVzb09pMFcxZ2c=[49]
中道派と言うと煮え切らない優柔不断なウジウジした
人間というイメージと社会を徹底的に見下しきった
人間モドキのリバタリアンというイメージしかない。

人手不足社会ならともかく人手不足ではない社会では
AI浸透による雇用危機は深刻。ウォーレンの解釈は
流石に馬鹿すぎ。AI(IT)の最大の強みは
少人数で構築できるということ。多くの人間が
携わる必要がない。というか高度産業なので
多くの人間は携われない。だから
アメリカのIT企業の利益率が半端なく高い。
一般的なコストというのは要は=人件費だから。
人件費を削減していけばいくほど高効率となり
投資家が期待を込めて企業に投資していく、という流れ。
だから資本主義の行き付く先は既に明らかなのだよ。


環境問題「戦争」で日本がガラパゴス化している現実
ピンとがズレている日本の環境問題への取り組み
2020.2.24(月)
加谷 珪一
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59430

こういう馬鹿も居たが、AIのコストが低くなる度に
発展途上国での雇用不安が増大する。
そういう国というのは若者世代が
人口の5割〜8割を占めているからな。
http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/389.html#c43

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
1. 赤かぶ[60623] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:56:59 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11913]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
2. 赤かぶ[60624] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:57:32 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11914]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c2
記事 [近代史4] 長野 白骨温泉 小梨の湯 笹屋

長野 白骨温泉 小梨の湯 笹屋

白骨温泉 小梨の湯 笹屋 公式HP
http://konashinoyu.com/

日本秘湯を守る会 公式Webサイト|白骨温泉 小梨の湯 笹屋のご紹介・宿泊予約
https://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_pg01.html?yc=nk136

白骨温泉 小梨の湯 笹屋 - ニフティ温泉
https://onsen.nifty.com/kamikouchi-onsen/onsen005833/

白骨温泉 小梨の湯笹屋 - 秘境温泉 神秘の湯
開放感溢れる内湯が贅沢!神秘の青い自家源泉も魅力
https://hikyou.jp/report/dayuse/50585/

『白骨温泉 小梨の湯 笹屋  白濁の湯に癒される旅』白骨温泉(長野県)の旅行記・ブログ by ひろかなさん【フォートラベル】
https://4travel.jp/travelogue/10883155

白骨温泉 小梨の湯 笹屋 宿泊 ★★★+ 秘湯宿.com
http://www.秘湯宿.com/nihon-hitowo-mamorukai/nagano-shirahone-onsen-sasaya1-room/
http://www.秘湯宿.com/nihon-hitowo-mamorukai/nagano-shirahone-onsen-sasaya2-meal/
http://www.秘湯宿.com/nihon-hitowo-mamorukai/nagano-shirahone-onsen-sasaya3-bath/


vol.2/白骨温泉 小梨の湯 笹屋・加藤 二三子 温泉達人コレクション
http://onsen-c.com/2016/12/25/katofumiko/
http://onsen-c.com/2016/12/25/katofumiko/2/


▲△▽▼

白骨温泉 小梨の湯 笹屋
長野県 松本市 安曇 白骨4182-1
電話 0263-93-2132

笹屋では「日帰り入浴」をお受けしております。
ご利用いただけない日もございますのであらかじめお電話(TEL:0263-93-2132)にてご確認くださいますようお願いいたします。

【日帰り入浴でのご利用について】

ご利用時間
◆貸切露天風呂 11:00〜14:00
※30分の貸切です。

◆内湯風呂 11:00〜14:00

入浴料 各600円(税込)

アクセス
電車・バス・車
松本電鉄上高地線 新島々駅よりバスで1時間
長野自動車道 松本IC〜国道158号経由で約1時間

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B0%8F%E6%A2%A8%E3%81%AE%E6%B9%AF+%E7%AC%B9%E5%B1%8B/@36.146771,137.626673,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x5c1e527128a60bac?sa=X&hl=ja&ved=2ahUKEwj-8PeGjPLnAhWGZt4KHdvYBNUQ_BIwC3oECBsQCA

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/339.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
3. 赤かぶ[60625] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:58:35 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11915]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
4. 赤かぶ[60626] kNSCqYLU 2020年2月28日 00:59:35 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11916]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
43. 赤かぶ[60627] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:02:48 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11917]

【報ステ】全国の小中高に休校要請 新型コロナ対策(20/02/27)


安倍総理は27日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためとして、全国の小中学校および高校、特別支援学校について、来月2日から春休みまで臨時休校にするよう要請した。

また、卒業式や入試を実施する場合、感染防止の措置を取ったうえで、必要最低限の人数に限って行うよう求めた。保育所や幼稚園、学童保育は対象に含まれていない。

今回の要請は、全国1300万人以上の小中高生と、その家族や関係者に大きな影響を及ぼすことになる。

突然の要請に対し、自治体の反応は様々で、東京都の小池知事は「もっと早く出してもよかった」と指摘。

27日夕方に独自の臨時休校措置を決めた千葉市の熊谷市長は「医療関係者など社会を支えている職種の親はどうするのか。社会が崩壊しかねない」としている。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c43
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
44. 2020年2月28日 01:05:05 : 4ImPab2nyM : Sk9RbHRHUEZlVjY=[229]
小中高学校が休業(休校)は大混乱になるね。
閣議決定かな。キチガイ(独裁)の命令だな。
自民党はダメだなあ。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c44
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
5. 赤かぶ[60628] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:11:07 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11918]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
6. 赤かぶ[60629] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:12:34 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11919]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣が検査を忌避する「特殊な事情」(植草一秀の『知られざる真実』)  赤かぶ
66. 2020年2月28日 01:15:00 : iYPr8e7Q4k : bDBicXZLY1puTU0=[23]
安倍晋三政権の後手後手後手のおかげで、これから日本での感染者、死者が爆発的に増えるだろう。学校は休校にして、大規模イベントを中止しても、大都市の朝夕のラッシュなどで感染が拡大してゆく。ネトウヨが嫌いな中国や韓国からの全面入国禁止もしていないのでは、ビールスを常時輸入している状態。恐ろしや、愚鈍な安倍政権。

原発事故当時の菅直人政権のほうがまだましだった。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/134.html#c66

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相がコロナ対応の説明から逃げまくり「パフォーマンスに意味ない」と正当化! 支援策打ち出す韓国・文在寅大統領との決定… 赤かぶ
75. 日高見連邦共和国[18636] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 01:17:38 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[18]
>>54>>61 酢

お、ワンパターン君に新しい語彙が増えた?『ランサーズ』ってなによ!(笑)

>>56 酢
>大統領選のテレビ討論なら

『小選挙区でのTV討論』、『首相公選でのTV討論』、やろうと思えば、なんぼでも出来る。

それは“選挙制度(大統領制の特性)”の話じゃねーだろ!・・・って言われてるの、分からね?

>>63 酢

>>51
>テレビ討論があるから『大統領制推し』だって。バカ丸出し、ち●ぽ丸被りだネ!(爆笑)
 オマ、恥ずかしいから『二重反転』する包皮に包まって、外に出て来んな!チコー臭ェ!

・・・と私に言われて、図星突かれて(爆笑)悔しかったモンだからってサ、

>日高昆布は短小で早漏、さらに皮被りで女を十二分に満足させたことがないのか…

と、ほぼ言われたことを“オウム返し”ってのは、皮余りにも程がなく、能もない。(笑)

ホーケーとは、オマエの“羞恥心の在り方”と、その発言の“臭さ”の隠喩であって
私の『お悩み相談』なんかじゃない。ってか、『女を十二分に満足させたことがない』
ってその“告白”こそ発言者の劣等感の現れだって、読むひと皆が苦笑してるんだが?

いいかい?言葉を巧みに操るのは、女性を口説くのと本質的変わらないテクニックだし
こういう掲示板の事での応酬でさえ“酸っぱさ丸出し”ではリアルの性生活の貧弱さが
窺い知れる訳だが、いやそれ以前に、この『酢』氏は高齢童貞って線も濃厚か。(笑)

いや、オマエの(股間の)名誉のために言い直しておこう。『素人童貞』、ほぼ同定!
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/142.html#c75

コメント [カルト24] 百田ハゲがスシロー攻撃、ナツオがアベカイダを罵倒。ゴミとクズの団結がコロナ恐怖の前に綻び始めたようである。 ポスト米英時代
21. 2020年2月28日 01:19:34 : qvfUrlHaAM : VnVPQjN3NTNDL1E=[25]
マスクは不織布で簡単に作れます。
布とゴムさえあれば切るだけ。
好きなだけ何重にも出来る。

ところで、欧州諸国の政府は殆どマスクの着用を奨励していません。
専門家は、意味が無いとさえ言っています。

無意味でも、皆でやれば問題無い?

感染しているかしていないのか確かではないらしいので、
大事なのは重症化させないことでしょう。

クシャミをしたら鼻を洗浄、咳をしたらウガイ、
風邪気味と感じたら熱燗1本で消毒すれば、重症化は防げます。
ハーブ・ティーや温かい味噌汁も効果あり。
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/853.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
45. 2020年2月28日 01:19:47 : iYPr8e7Q4k : bDBicXZLY1puTU0=[24]
こんな馬鹿に長期政権を許している国民は大馬鹿だ。そのつけはこれからどっと払わねばならない。馬鹿を組織のトップに据えるとどうなるか、日本人はこれから身に染みて経験する。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c45
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
7. 2020年2月28日 01:20:24 : UhwjkORHRo : aHpmdmc3VmQwNGs=[2]
この慌てぶり、何を隠しているのだろう?

トランプから大目玉でも喰らったか?

消費税増税による経済悪化を隠すための理由作りに励んでいるだけか?

新型コロナに便乗して混乱を起こしてでも隠したい何かは、一体?
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c7

記事 [近代史4] 長野 安曇野 中房温泉
長野 安曇野 中房温泉


中房温泉 公式Webサイト
https://www.nakabusa.com/

日本秘湯を守る会 公式Webサイト|中房温泉のご紹介・宿泊予約
https://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_pg01.html?yc=nn144

中房温泉(なかぶさおんせん) - 安曇野|ニフティ温泉
https://onsen.nifty.com/adumino-onsen/onsen006121/

中房温泉 - 秘境温泉 神秘の湯
長野の大秘境に湧く豊富な源泉を大自然の露天で味わう
https://hikyou.jp/report/stay/56557/

14種類の湯船がある北アルプス中房温泉旅館!
その中でも必ず入って欲しい湯船ベスト4!!
長野県 LINEトラベルjp 旅行ガイド
https://www.travel.co.jp/guide/article/2297/

中房温泉 宿泊 & 日帰り入浴 ★★★★ 秘湯宿.com
http://www.秘湯宿.com/nihon-hitowo-mamorukai/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E5%AE%89%E6%9B%87%E9%87%8E%E5%B8%82%E3%80%80%E3%80%8C%E4%B8%AD%E6%88%BF%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%80%8D/

▲△▽▼

「中房温泉」は標高1,462m、北アルプス燕岳登山口にある山奥の一軒宿です。
燕岳登山の前泊利用者が大半ですが、温泉を目当てに泊まりに来る人は連泊する人も多く、しかもその人たちはかなりの温泉通です。

「中房温泉」がマニア受けするポイントは・・・

•源泉数は何と日本一!敷地内のあちこちから源泉の湯けむりが上がっています
•源泉温度が94.7度であるにもかかわらず、水冷式・空冷式という方法で一切加水していないこだわり
•全て敷地内での自然湧出
•ほのかに硫黄の香りが漂うヌルスベの湯
•内湯、露天風呂からプール、蒸し風呂、地熱蒸しまでバラエティに富んだお風呂
•裏山で地熱蒸し料理ができる

ということにあります。
お風呂の数は16種類!その多くが混浴です。
中には徒歩10分近く歩かなければならない野天風呂もあったりと、見て回るだけでも大変。
「中房温泉」は、まさに「温泉テーマパーク」と言える宿です。
http://www.秘湯宿.com/nihon-hitowo-mamorukai/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E5%AE%89%E6%9B%87%E9%87%8E%E5%B8%82%E3%80%80%E3%80%8C%E4%B8%AD%E6%88%BF%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%80%8D/


▲△▽▼


中房温泉
長野県 安曇野市 穂高有明7226
電話 0263-77-1488

【日帰り入浴】
営業時間:9:30〜16:00
営業期間 期間営業 (4月下旬 〜 11月下旬)
料金:大人・小人700円
*日帰り専用露天風呂「湯原の湯」(男女別)のみ利用可能
貸切風呂 2,000円/40分

アクセス
電車・バス・車
JR大糸線 穂高駅より中房温泉行きバス利用50分
豊科ICよりR147(北穂高、有明、宮城)経由、中房温泉へ
駐車場 40台

地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%AD%E6%88%BF%E6%B8%A9%E6%B3%89/@36.3942214,137.7466455,15z/data=!4m8!3m7!1s0x0:0xd49cb454ccd296d0!5m2!4m1!1i2!8m2!3d36.3942214!4d137.7466455?hl=ja
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/340.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
8. 赤かぶ[60630] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:21:58 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11920]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
46. 2020年2月28日 01:24:04 : G3hCBkjfvA : bTBZN29mbC5jd3M=[45]
なにより起きる負担とその対処を常に無視してるのが素晴らしいね。
仕事を休め。企業にも社員にも何も補助もしないから自己責任で。
学校安め。単位や式、試験とかあるけど全部自己負担で。
国内のあらゆる対象に自粛という圧をかけるが全力で国や政権を担うものとしての負担は避けるし自己責任なんて取る気はない。
国民軽視先進国の国民とか近代じゃレアだぜwサイコーだろ。
民主のぼんくらですらできなかった偉業ですよ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c46
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相がコロナ対応の説明から逃げまくり「パフォーマンスに意味ない」と正当化! 支援策打ち出す韓国・文在寅大統領との決定… 赤かぶ
76. 日高見連邦共和国[18637] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 01:24:21 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[19]
>>64 『地下爺』さん

了解ー!現状の『議員内閣制』の基盤の上での“改良”って方向の『首相公選制』ですね。

極めて穏健で“現実的”なお考えでしょう。私の考えは、もっと過激で奇抜ですが。(笑)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/142.html#c76

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相がコロナ対応の説明から逃げまくり「パフォーマンスに意味ない」と正当化! 支援策打ち出す韓国・文在寅大統領との決定… 赤かぶ
77. 日高見連邦共和国[18638] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 01:27:35 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[20]
>>49

>>52 へのレス、ヨロシク!逃げんなよ?(笑)

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/142.html#c77

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 2020年2月28日 01:31:17 : NsdVQlotUg : VE4yZHY0L1ZuMFk=[127]
米重 克洋@kyoneshige 2月26日
ランサーズ社長が首相と会食した結果、ランサーズが「ネット工作会社」として
炎上。トレンド入りも。しかしランサーズは単なるクラウドソーシング大手で、
その場に政治絡みの仕事依頼を出している人がいるだけ。ほぼ
作り話みたいなイチャモンをまあまあな有名人が投稿、
炎上させるのはどういう了見か。
https://twitter.com/kyoneshige/status/1232463618517528581

ランサーズで検索したら「話題のツイート」に
このような呟きがあったので載せておく。
反論があるなら上記の人にどうぞ。
自分は静観しておく。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相がコロナ対応の説明から逃げまくり「パフォーマンスに意味ない」と正当化! 支援策打ち出す韓国・文在寅大統領との決定… 赤かぶ
78. 日高見連邦共和国[18639] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 01:31:21 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[21]
75です。ちと誤記訂正。

×(誤):こういう掲示板の事での応酬で ⇒○(生):こういう掲示板の言葉の応酬で

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/142.html#c78

コメント [政治・選挙・NHK270] イタリアの新型コロナウィルスに対する対応と日本政府の対応との差は何だ。(日々雑感) 笑坊
5. 2020年2月28日 01:33:26 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[236]
「医療大国ニッポン」のブランドを守り「日本すごい」と言われつづけたくて、大きく道を踏み外してしまった。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/157.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
47. 2020年2月28日 01:35:05 : oqvFvXFKj2 : MHhsMVhURndEZ2s=[7]
>>4
>臨時休業にしたら、共働きの家はどうする?
>子どもを一人にするの?
心配ご無用!
行き場がなくなって、親は出勤、家で一人になっている子どもは、親の「ネグレクト」として、児童相談所が「保護」してあげます!!

”さあ、これで年度の拉致ノルマはきっちり達成、一時保護予算消化できるぞ!!”
腕が鳴る、全国の児相にいる児童拉致司w
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c47

コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
1. 赤かぶ[60631] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:36:28 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11921]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
20. 2020年2月28日 01:38:59 : NsdVQlotUg : VE4yZHY0L1ZuMFk=[128]
>ほぼ作り話みたいなイチャモンをまあまあな有名人が投稿、
>炎上させるのはどういう了見か。

まあでも勝手に疑ってきたのではなく
疑われるようなことばかりしてきた過去はある。
それと「真実」とは別だがね。
ネット右翼にも左翼に言いたいことはあるのだろう。
そのネット右翼が何か左翼の問題点を論うとして
それが例えデマだとしても「疑われるようなこと
ばかりをしてきたのは向こう側だ」という
論を張るのだろう。

その意味では、どっちもどっち。
どっちもどっちではポイント稼げないがね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. 2020年2月28日 01:40:45 : 2u5vEytMHc : NldhOVBOeVpkQjI=[2]
なーるほど、

多摩散人とか、おじゃま一郎とか、

ランサーズの書き込みバイトなんだろうな。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c21

コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
2. 赤かぶ[60632] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:40:58 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11922]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
3. 赤かぶ[60633] kNSCqYLU 2020年2月28日 01:41:34 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11923]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] 陸連のトップはバカの集まりか!! 東京マラソン「大規模イベントに当たらない」 日本陸連、予定通り開催 怪傑
1. 2020年2月28日 01:42:29 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[237]
沿道の応援、自粛できるのか。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/169.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相がコロナ対応の説明から逃げまくり「パフォーマンスに意味ない」と正当化! 支援策打ち出す韓国・文在寅大統領との決定… 赤かぶ
79. 日高見連邦共和国[18640] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2020年2月28日 01:43:29 : xQhalyFekA : ZnBEeUF1NWJkeS4=[22]
>>49

オマエの腐れた言い方への“ツッコミ”は、まだ前半!『後半戦』もあるから、まず>>52 へ答えてね〜。

とりあえず、>>52 への“反論”にはもう“反論”しないから、気張らず怖がらず持論を展開するが宜し。

私にとってもはむしろ、>>49 のまだツッコンでない“後半部”こそがオマエに問い質したい本命だから。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/142.html#c79

コメント [カルト24] 朝日・大阪・幼小中校休校、白鴎教授・感染は万単位。全国でやらねば無意味、大人も半分在宅にさせて満員電車を無くさねば危険… ポスト米英時代
2. 2020年2月28日 01:47:57 : 4TH0EJQXCc : aXUvOG1FaTlOSEU=[8]
小生自身現在まで継続する体調の異変「胸の痛み」症状を自覚したたのが昨年12月

安藤優子と聞くと発生していない地震が発生したと興奮して実況した一件が記憶に

強く残っているがFNNの診察した医師罹患した医師ら報告している一般の肺炎

は「片肺」が多いが「新型コロナウイルス肺炎」は「両肺」に発症という情報には

信憑性を感じる

感染していながら発症しない期間が2週間以上で初期の自覚症状が風邪でその時点

で既に「肺炎」が発症している可能性もあるようで

小生の「胸の痛み」が「新型コロナウイルス肺炎」感染によるものなのか

もしも陽性であるとすれば「高い発熱」を伴わない老人性肺炎の症状に近い肺炎が

広まっているということになるのかも

武漢の生物化学兵器研究所施設や生鮮市場からのウイルス拡散という話は

真相を闇に葬る為のフェイクの疑いが濃厚

昨年から既に「テロ」の仕込が開始されていたと判断すべき

アビガンですべてが解決するという主張を展開しているコシミズ氏のブログの

コメントで知ったのだがこのクスリの特許には富士フィルムの他にフランスの企業

が関与しているらしい

株価の上昇で利益を得た人士は誰なのか

当初竹中や安倍を思い浮かべていたが麻生も加えるべきか


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200227-00010020-fnnprimev-soci

2/27(木) 20:55配信

FNN.jpプライムオンライン
「両肺に起きる急激な異変に注意…」新型コロナ感染者を診察した医師3人を独自取材!大きな2つの特異性とは?



http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/888.html#c2

コメント [カルト24] 経団連は、小中校全休校を受けて、月水金日組と火木土日組の二組に分けて、週休三日で回す事である。 ポスト米英時代
1. 2020年2月28日 01:57:23 : ErNIDpsWMX : bDRsQ1h3Qm05bjY=[1]
化粧品屋が社会貢献していないとは言いませんが、それはもちろん社会貢献してますけど
その利益率は、知りませんけど、とんでもない利益率にちがいなく
タバコ、洋酒は人民に淘汰されましたけど、洋酒屋の役員が小泉内閣の閣僚になりましたが
タバコ、洋酒、化粧品は広告屋と一心同体である。切っても切れない縁なのです
だから電通と資生堂が通じているなんて当たり前です どのスレかわからなくなったのでここに書きました
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/896.html#c1
記事 [昼休み54] アベシンゾーGJ! 実質的自宅学習推奨に義務教育利権崩壊の危機!日教組と文部省なみだ目!
アベシンゾーGJ! 実質的自宅学習推奨に義務教育利権崩壊の危機!日教組と文部省なみだ目!

全国の小中学校・高校に臨時休校要請へ 来月2日から 首相表明

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍総理大臣は27日午後6時すぎから開かれた政府の対策本部で、3月2日から全国すべての小学校 中学校、それに高校などについて、春休みまで臨時休校とするよう要請する考えを示しました。

政府は27日午後6時すぎ、総理大臣官邸で新型コロナウイルスの対策本部を開きました。

この中で安倍総理大臣は、北海道や千葉県市川市で小中学校などの臨時休校の措置が取られていることに触れたうえで「各地域で子どもたちへの感染拡大を防止する努力がなされているが、ここ1、2週間が極めて重要な時期だ」と述べました。

そのうえで「何よりも、子どもたちの健康・安全を第一に考え、多くの子どもたちや教員が日常的に長時間集まることによる大規模な感染リスクにあらかじめ備える」と述べ、来月2日から全国すべての小学校 中学校、それに高校、特別支援学校について、春休みまで臨時休校とするよう要請する考えを示しました。

2020年2月27日 18時44分
h ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200227/k10012304751000.html?utm_int=all_contents_just-in_001


そもそも教師なんぞほとんどがパヨクか左翼なんでこんな連中は自宅学習産業に淘汰されちまえばええ。(爆wwwwww
そして何のやくにもたたない体育教師なんぞいらん。(爆wwwwwwww

中國のガキですらホームスタディしてますやん。(爆wwwww

匿名 さんのコメント...

China Builds Cloud Learning Platform To Facilitate Locked ...
The Academia Mag-1 hour ago
Chinese government has launched an online cloud-based education platform to facilitate Chinese students under lock-down in corona-hit areas. ... Educational institutes are going to remain closed to limit the spread of the new virus. ... of three major telecom companies of China (China Mobile, China Unicom and China Telecom) and tech affiliates such as Baidu, Alibaba and Huawei.
2020年2月27日 22:05
Unknown さんのコメント...

昔は、意志強固な親が、都会離れ、学校教育からわが子を離脱させたが、
今は、コロナのせいで義務教育崩壊の危機……ラッキー

いつまで続くかわからないが
家庭での教育でほとんどの基礎能力は身に着くよ
それ以上に親子とも毎日が楽しい

これを経験したら、イヤなことやりたいことやるべきことの違いが分かり
今後の人生の核になるかな。期待する。
2020年2月27日 22:19
匿名 さんのコメント...

不登校問題一気に解決じゃないですかーヤダーw
おつむの足りない年寄りに特攻かまされないように
ガキどもはおもてで遊ぶ時は車に注意するんだぞー
2020年2月27日 23:11
匿名 さんのコメント...

あとで学力検査の経年結果が出て
R2自宅学習組に学力の問題はてでいない、なんつー結果で(ry

50年前と同じ教科書で同じ内容で同じプリントでテストしてるんだから
怠惰もいいとこ
2020年2月27日 23:20
匿名 さんのコメント...

文科省ごと全部崩壊でいいよね
理系の実験装置必要な学問以外は
通信教材・ネット教材で何とでもなるし割と安いし
仕事で必要な資格なんかもそんなんで十分取れる
2020年2月28日 0:10

h ttps://tokumei10.blogspot.com/2020/02/gj_65.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/743.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 2020年2月28日 01:58:08 : 1MIqSkh9yo : V1cyMjN0WExySWM=[16]
ランサーズは日刊ゲンダイやキャリコネや
まぐまぐを訴えたらどうか。

世論操作か。安倍首相とクラウドソーシング企業のただならぬ関係
https://www.mag2.com/p/news/441896
2020.02.26 MAG2NEWS編集部 NK まぐまぐニュース

クラウドソーシングで保守系コメントの書き込み発注、
1件30円 「テレビや新聞の偏向報道が許せない方」に依頼
https://news.careerconnection.jp/?p=41044

水色でも藍色でもない青@c80_m10
ランサーズを「ネット工作会社」と認定するのはさすがに
デマだが、仕事依頼内容のフィルタリングがあまりに杜撰で
「差別扇動」「政権の擁護」の案件まで載せていたのは事実。
かつ、この渦中にたかがクラウドソーシングの会社のトップと
首相がわざわざ会食することの不自然さを感じるのは当然。

米重 克洋@kyoneshige 2月26日
返信先: @kyoneshigeさん
例えて言えば「Google検索で詐欺会社のWebサイトが
引っかかるから、Googleは詐欺をしている」みたいな
ロジックで、非常に低レベル。

米重 克洋@kyoneshige 2月27日
返信先: @kyoneshigeさん
良い動画だった。8分過ぎからの結論など、100%同意。>
ランサーズ炎上、首相との関係は?憶測で批判するネット民たち

▼チャンネルについて このチャンネルでは、話題のニュースや
時事問題などをわかりやすく解説しています。速報や
リアルタイムの情報を知りたい方は、
ぜひチャンネル登録をお願いします。
https://www.youtube.com/channel/UCOccLQ-VBfkSHGElLe9n3DQ?sub_confirma...

𝒦𝒶𝓂𝒾𝓈𝒽𝒾𝓀𝒾@kami_shiki 2月26日
返信先: @kyoneshigeさん, @nikoykyさん
あの界隈、もはや「敵の味方は敵」どころじゃないですね
「敵に明確に敵対表明しない奴は敵」までイッてる感

KaSuehiro@KaSuehiro 2月26日
返信先: @kyoneshigeさん
ニュース速報配信や世論調査を行っている人が、与党側が
有利になる世論操作を組織的に依頼しているという事態に
対して、それを単なる一つの仕事に過ぎないという
職業倫理の欠如はどうしたものなのだろうね。
____________________________
ふむふむ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c22

コメント [カルト24] 経団連は、小中校全休校を受けて、月水金日組と火木土日組の二組に分けて、週休三日で回す事である。 ポスト米英時代
2. 2020年2月28日 02:04:14 : ErNIDpsWMX : bDRsQ1h3Qm05bjY=[2]
もういっこ忘れてた 謝罪しないのは安倍総理だけではありません
先に謝罪しなかったのは小泉進次郎環境大臣様です
「反省はするが謝罪はしない」「反省がみえない自分を反省したい」の名言を残した
小泉大臣の専売特許を安倍はパクるな

このように総理も閣僚も、辞任しないどころか謝罪すらしない、特殊内閣なのである
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/896.html#c2

コメント [カルト24] アベカイダは、石破か小沢元幹事長を臨時代理に指名して、緊急入院するのが首相としての最高の仕事である。 ポスト米英時代
6. 2020年2月28日 02:05:37 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[151]

小沢一郎(事務所)さんがTBS NEWSをリツイートしました

個別の不適切事例の把握などという悠長なことではなく、一刻も早く、まともな検査体制を。
現状全然機能していない。既に死亡後の検査で感染が判明するような事例も出てきている。 命がかかっている。この期に及んで、まだわからないのか


http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/895.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
23. 2020年2月28日 02:08:44 : i2qOvptyhs : RDR1VEY4UkVwUzI=[22]
https://www.youtube.com/watch?v=NkmlPtYDdLg

この動画に同調するとして「組織的」と
記すのは早計。ただYoutuberに
安易に同調するのも危険かな。

メンタリストDaiGoの年収が18億円になる令和時代…
TVに出ないタレントが稼ぎ出す時代へ
https://news.yahoo.co.jp/byline/kandatoshiaki/20191010-00146170/

個人的に今まで合計で1度2度しか見てない
メンタリストのネット動画。上記記事には
このようなコメントがあった。名前は伏せる。

>** **
>YouTubeでは、再生回数稼ぎで、安易に、N国を何度も取り上げ、
>問題は起きても、擁護を繰り返し、
>実質、支持してきた、DaiGo氏は、余りに、責任が大きいね。
>身勝手な法解釈で犯罪行為を繰り返す、立花とともに、
>猛省が必要だ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c23

コメント [近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
4. 中川隆[-13426] koaQ7Jey 2020年2月28日 02:09:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[88]

●ドストエフスキーのいる現代ロシア文学 望月哲男
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/mochizuki-no76.html


目次


はじめに


I ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から
1. 評論の事例から
2. 文学研究の事例から
II ドストエフスキー文学の現代的展開
1. ドストエフスキー・テーマの変奏
a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986)
b)ポスト全体主義の地下室:V.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998)
c)宗教と生命のテーマ:Ch.アイトマートフ『処刑台』(1986)
d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997)
2. ドストエフスキー論のある現代文学
a)反ユダヤ主義批判:F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990)
b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996)
c)文学の呪縛:V.ピエツフ『新モスクワ哲学』(1989)
d)寸鉄詩的批判:D.プリゴフ「文学と芸術の諸法則」;V.シャラーモフ「赤十字」
3. 加工されるイメージ
a)ナンセンス小説風ドストエフスキー:V.ナルビコワ『第一人物の場と第二人物の場』(1989)
b)ジャンキー・ノヴェル風ドストエフスキー:A.ヴィトゥフノフスカヤ『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)
c)ヴァーチャル・リアリティ版ドストエフスキー:V.ペレーヴィン『チャパーエフとプストタ』(1996)
d)テキスト自壊型ドストエフスキー:V.ソローキン『ドストエフスキー・トリップ』(1997);『青脂』
(1999)


むすび

はじめに


 本稿のテーマは、19世紀文学の現代的な意味や応用可能性という問題と関係する。筆者の目的は、今日のロシア文学作品中で19世紀作家ドストエフスキー(1821-1881)に関連するモチーフが利用されているケースをいくつか取り上げ、大まかな類型に分けながら、それぞれの場合にドストエフスキー・イメージが果たしている役割や意味を考えることである。筆者はこの作業がドストエフスキー文学の理解の拡大に役立つと同時に、現代ロシア人の自己表現の特徴を考える材料ともなると考えるが、それは次のようなことを根拠としている。

 現代ロシアの文学作品には、ドストエフスキーとその文学への直接・間接の言及を含むものが少なからずみられる。ドストエフスキー作品の主題、状況設定、人物像などの明示的・暗示的応用、ドストエフスキーを意識した作中論議、文体や表現手法面での模倣やパロディ、などといったものである。

 このような要素がそれぞれの作品中で果たしている役割はまちまちである。すなわちドストエフスキーに関連した部分が、作品の主題設定や構成の本質的部分に関わっていると思われる場合がある一方で、この作家への言及が唐突で不自然な印象を与える場合もある。

またそれぞれの作家の言及から推測されるドストエフスキー解釈の姿勢にも、対象を総合的に捉えようとする生真面目なものから、一面に偏った恣意的なもの、あるいは明らかに揶揄や遊戯を目指しているものまで、様々なものがある。すなわち古典を受容し応用する動機や姿勢の個別差が、そこに自然に反映されているのであって、ドストエフスキーへの言及が必ずしも彼への積極的関心から生じているわけではない。

 しかしそのような個別的差異があるからこそかえってわれわれは、現代作家の自己表現においてドストエフスキーがもっている特殊な意味を意識することになる。そもそも古典の応用という行為は、現代文化の自己認識と密接に連動した行為である。現代作家の個人的文化史地図というものを想定するならば、そこでは古典作家の位置づけが相対的に地図の作者の位置を指し示すことになろう。古典作家に触れる手つきが、そのまま現代人の自意識の表現なのだ。ただし人は漠然と古典を自作に利用したりはしない。自己表現の題材は、意識的にせよ無意識にせよ、選ばれている。文化論の表面にしばしば登場する歴史上の人物や事項は、過去を介しての現在認識というフィードバック作業にとって、有意義でかつ無視できない要素を供えているとみなすのが妥当だろう。文体模写やパロディの対象選択にもまったく同じことが言える。ドストエフスキーのイメージが現代文学に頻出するとするならば、現代の文学的自己表現にとってこの作家がそれだけ広い応用可能性を持つことを意味する。くりかえしになるが、この選択には必ずしも対象への積極的関与は前提とされない。共感や理解のみではなく、反感や揶揄、これみよがしの蔑視を含んだ言及の中にも、われわれは一定の対象への強迫的なこだわりを感じとり、文化の下意識のようなものを読みとるのではないだろうか。ソ連文化論におけるスターリンの神話的地位を思い起こせば足りよう。

 実際ドストエフスキーの名前は、一連の定型化したイメージ群と強く結びついている。表層にあるのは、例えば彼の数奇な人生のエピソード群(流刑、病気、賭博、外国流浪・・・・・・)、作品中のユニークな人物や事物のイメージ(例えば「斧」「老婆」「白痴」といった語はドストエフスキー連想語である)、奇怪な事件と普遍的人間論や社会論を組み合わせた物語構成、濃密な文体が生み出す非日常的な時間・空間感覚、といったものである。そしてその背後には、ある独特な文化論のパラダイムが開けている。その中心をなす系列が、ロシアと西欧(あるいはアジア)、ロシア人とユダヤ人(あるいはドイツ人、ムスリム・・・・・・)、ロシア正教とカトリシズム(あるいはプロテスタンティズム)、キリスト教的な自由論と科学的決定論等々といった、ロシア的なものを一方に据えた対比や択一のパラダイムである。

またエゴイズムと博愛衝動、劣等感と優越感、ショーヴィニズムと民族融和思想といった対立概念の処理の手続きも、矛盾物の対話的共存とも、詭弁的な意味の転倒や組み替えとも見なせるような、独自の論理に従っている。

 このような問題のパラダイムや論理自体は、ある程度ロシア近代に普遍的なものであったにも関わらず、しばしば象徴的にこの作家の名前と結びつき、「ドストエフスキー的問題」「ドストエフスキー的論理」とさえ見なされている。ドストエフスキーの名前はこうした観念連想をともなった、いわばロシア文化論上のビッグ・ネームなので、ロシア作家が彼の名や文章にナイーヴで偶然的な態度で言及することは、想像しがたい。ドストエフスキーの主題を自己流に展開し直したり、彼の作品のパロディを書いたりするとき、作家たちはドストエフスキー作品が一種代表的な形で表現しているロシア文学の特殊な社会的機能や、この作者の民族観・人間観を含めた全体について、なんらかの態度を表明しているとみて、あながち間違いではないだろう。

 没後120年の間に、ドストエフスキーは何度かロシア文化論の熱い話題となってきた。

前世紀末にはウラジーミル・ソロヴィヨフ、ワシーリー・ローザノフ、ドミートリー・メレシコフスキー、アキーム・ヴォルインスキー、レフ・シェストフらが、ドストエフスキーの宗教観や審美・倫理観を論ずることで、時代精神を表現しようとした。1920年代後半には、彼の名前はプチ・ブルジョアジー式の歪んだ人間観と結びつけられ、批判や風刺の素材となった。70年代には、再発見されたミハイル・バフチンの理論が、ドストエフスキーにおけるイデオロギーと創作原理の位置関係を逆転して見せ、彼の名はポリフォニックなタイプの思想表現の代名詞となった。この時代にはまた、ソ連 国内のネオ・スラブ主義や新土地主義といった思潮との関連で、ドストエフスキーの思想が語られ直すようにもなった。そしてこの世紀末、ドストエフスキーはソ連後の新しい思想文脈で、あらためて文化意識の表現媒体となったようにみえる。例えば90年代半ばに発足した二大文学賞のひとつでロシア資本による「アンチ・ブッカー賞」が、96年以降その長編小説部門を「カラマーゾフの兄弟賞」と名づけるようになったのも、(トルストイその他を差し置いて)この作家をロシア的小説家の代表として名指すという、文化意識の選択的表現なのである。そうだとすれば、文学作品中のドストエフスキー・イメージを拾い集める作業は、現代ロシア文化論のフィールド・ワークとしての意味をも持つだろう――これが筆者の仮説である。


I 現代ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から

 ドストエフスキーの登場する文学作品を具体的にみる前に、ドストエフスキーがどのような意味で現代文芸の関心対象となるのかという背景的問題を、90年代の文芸評論と文学研究を材料に、例示的に検討してみたい。

1.評論の事例から

 資料のひとつは、雑誌『ズナーミャ』1990年7号所収の「ドストエフスキーと21世紀前夜」と題する誌上対談1。これは政治思想家・ドストエフスキー研究家で、ゴルバチョフ時代に大統領顧問も勤めたユーリー・カリャーキンの同名の著書2を記念したものである。

ちなみにカリャーキンの本はソ連後期を通じて書かれてきた論文を集めたもので、中心主題のひとつがドストエフスキーを通じてみたスターリニズムおよびテロリズムの問題。人間の自己欺瞞はどこに発生するか、目的は行為を正当化するか、倫理的な価値は何によって保証されるかといった一連の問いが、ドストエフスキーを介してマルクス主義から形而上学へと「転向」したこの著者の立場から検討されている。文学を倫理学・政治学の書として読み抜いたカリャーキンの論考をまくらにしたこの誌上対談は、ドストエフスキーに対するかなり多様な受容や評価のあり方を垣間みせてくれる。

例えばイーゴリ・ヴィノグラードフにとって、ドストエフスキーの意義は(トルストイと同じく)近代における信仰喪失が生む諸問題を先鋭に描いたところにある。ソ連という非宗教社会の経験を経た今日のロシア人は、あらためて善・良心・名誉・慈悲といった人間的な価値を、宗教によらず保つことができるかという問いの前にたたされている。この点でドストエフスキー文学は、ロシア社会にきわめてアクチュアルな意味を持つというのである。

 『悪霊』の研究者リュドミラ・サラスキナは、社会主義革命を含む20世紀政治史に対するドストエフスキーの予見性を強調している。ロシアの革命家たちは何者だったか?『悪霊』で戯画化されたような悪魔的犯罪者や陰謀家だったのか、それとも高潔な者たちだったのか?――そう彼女は問う。マクシム・ゴーリキーの『勤労者への呼びかけ』(1917.11.10)を引用しながら彼女が主張するところによれば、レーニン派は『悪霊』のモデルとなったネチャーエフ・グループの意図したところと同じく、陰謀的手段で革命を遂行し、労働者階級を貶め、大量虐殺や不当逮捕を遂行した。ドストエフスキーはこの歴史の歩みを正確に予見していたのである。
 レニングラード封鎖史に強い関心を持つ作家アレシ・アダモーヴィチにとって、ドストエフスキーは苦悩や残酷さへの態度という視角から人間性の深奥を描き出そうとした作家である。革命と大戦を通じて想像を絶する歴史の暗黒を経験してきたロシア人の心は、苦悩に関するドストエフスキー的認識の中に、復活への方途を学ぶことができるだろうというのである。

 一方でドストエフスキーの限界性を、現代にとって警戒すべき問題として指摘する立場もある。

 アレクシス・クリモフにとって、ドストエフスキーはひたすら人間性の破壊的・消極的な側面を探求した作家であった。屈辱に快楽を見出し、自ら破滅を選択するような「地下室の精神」の持ち主は、自己救済の道を自分で閉ざしている。そうしたドストエフスキーの文学は、現代人に救いをもたらさないというのだ。
 ミハイル・ヴォリケンシテインやカレン・ステパニャンは、ドストエフスキーからそれぞれ大きな歴史的教訓を引き出しつつ、彼のイデオロギー性を批判している。前者によれば、ドストエフスキーは普遍人類的博愛の理念を説く一方で、自らはナショナリストで排外主義者であるという矛盾から抜け出られなかった。また後者は、ドストエフスキーが身内と余所者の論理に強くとらわれていたことを指摘する。スラブ対非スラブ、ロシア正教対イスラム(カトリック・・・・・・)といった相互排除の論理の中で、侵略が救済と、革命が解放と呼びかえられ、戦いが永遠に回避されないメカニズムが継承される。ドストエフスキーはこうした意味で、現代にも共通するナショナリズムの病を明示してくれる反面教師なのである。

 現代のドストエフスキー受容のあり方自体を批評する、メタ・文学論的言説もここには含まれている。

 文芸学者ヴャチェスラフ・イワノフは、ドストエフスキーをイデオロギー的評価から解放し、文学として捉え直すことを提唱している。彼によれば、そもそもロシア文学は、哲学、法的規範論、現代史論といったような、文学以外のジャンルの役割を担いすぎてきた。

ドフトエフスキーにはもちろん哲学者や宗教家の素養があったが、彼の真骨頂はあくまでも文学作品を描いたところにあるというのだ。こうした批判は、もちろんフォルマリストやバフチンの文学観に通じると同時に、ワレリー・ポドロガ、ミハイル・ヤンポリスキーら現代の「余白の哲学」派による、ロシアにおける文学言説の権威主義的機能への批判とも共通している。

 またドミートリー・ウルノフは現代の定型化された、通俗的ドストエフスキー解釈が、実は無知や思いこみに立脚した虚像であることを、いくつかの例をあげて指摘している。

彼によればドストエフスキーは「われわれとはちがうばかりか、時にはまったく反対のことを言っている」のである。

 ドストエフスキーへの現代的関心の一端を伺わせるこのような議論は、多かれ少なかれペレストロイカ以降の思想環境の変化と連動している。例えば、カリャーキンのソ連期の著作においてはスターリン批判やジダーノフ批判の文脈で行われていたドストエフスキーの政治観の祖述が、今日では革命とソ連史全体の批判を背景としているが、これは政治思想上の環境変化が文学論に反映した例である。

 ただし現代的ドストエフスキー受容の特徴は、そうした部分をみるだけでは把握できない(スターリン批判であれ革命批判であれ、文学に政治的メッセージを読む関心のあり方としては変わりがないとも言える)。今日のドストエフスキー受容の特徴は、規範的で教科書的な解釈の枠が失われ、様々な枠組み、態度、方法による多元的なドストエフスキー理解が文化論の場に持ち込まれるという、その状況自体にあるのだ。

2.文学研究の事例から

文芸学におけるドストエフスキー論のジャンルでも、以下に例示するような複数のアプローチによる研究が同時に展開されている。

 a)テキストをめぐる環境整備:旧正字法とコンコーダンス

 ドストエフスキーの定本を目指したソ連科学アカデミーによる30巻全集が1990年に完結したが、ソ連崩壊後これに対抗する形で、1917年までの(ドストエフスキー時代の)旧正字法による『ドストエフスキー全集定本』がペトロザヴォツク大学のウラジーミル・ザハーロフの編集で出版されはじめた3。文学作品はそもそもそれが書かれたときの言語で存在すべきであり、文学の受容も文学論もそれを前提とすべきである、というのが編者の率直な主張であるが、これも一面で文化規範の揺れが生んだ新しい文芸意識の所産と言えるかも知れない。ザハーロフはまたドストエフスキーの全作品コンコーダンスも公開している。

 b)歴史の中のドストエフスキー像:アルヒーフ、帝政、物語

 ドストエフスキーの伝記研究家イーゴリ・ヴォルギンは『ロシアに生まれて:資料にみるドストエフスキーと同時代人』(1991)5で、ドストエフスキーの家系と関連人物からなる物語を、中世の大リトワ公国から1840年代にかけての大きなスパンで記述している。

また『権力のメタモルフォーゼ:18−19世紀におけるロシア皇帝暗殺の試み』(1994)6では、1849年のペトラシェフスキー事件を主な接点に、皇帝対インテリゲンツィアの対抗図式の中にドストエフスキーを位置づけようとしている。前出のリュドミラ・サラスキナも、ペトラシェフスキー事件の関連人物(特にニコライ・スペシネフ)および小説『悪霊』に描かれた1860年代の政治的人物(特にセルゲイ・ネチャーエフ)を中心素材として、ロシア政治史の中における人間ドストエフスキーを描き出そうとしている(『悪霊:警告の小説』(1990)、『ドストエフスキー:デーモンたちの超克』(1996))。

ヴォルギンとサラスキナの見解はある点で対立しているが、共通するのはアーカイヴ資料や外国のドストエフスキー研究を積極的に利用する態度、帝政ロシアとは何だったかという関心、そしてドストエフスキー史を物語として成立させようという伝記作者としての野心である。彼らの仕事はある意味で、ペレストロイカ以降の「歴史の復権」運動や、ロシア人の精神的ルーツ探しのムードと連動している。

 c)キリスト教の視点

 先述のザハーロフや文芸評論家カレン・ステパニャン、若い世代のタチアーナ・カサトキナなどが中心となって、ドストエフスキー文学とキリスト教文化(福音書、ロシア正教、イコン等々)の研究が盛んに行われている。ザハーロフ編『18−20世紀ロシア文学における福音書テキスト』(1994,1998)、ステパニャン編『20世紀末のドストエフスキー』(1996)、カサトキナ『ドストエフスキーの性格学』(1996)、A.ストリジョフ編『ドストエフスキーと正教』(1997)などがその例である8。この問題に関する関心や考察態度も様々で、例えばストリジョフの本に収録されたウラジーミル・マリャーギンの論文9は、ドストエフスキーが信仰の必要性を正しく説きながら、正教の具体相(例えば長老制度や修道生活)の認識においても、また理念の解釈においても誤りをおかしているという、かつてのコンスタンチン・レオンチェフのドストエフスキー批判を追認する内容である(ただし彼はこれをドストエフスキーの問題というよりは、19世紀宗教精神の弛緩の故と捉えている)。一方カサトキナは、例えばドストエフスキーの主要長編のエピローグを、それぞれの主題に捧げられたシンボリックな宗教画(「言葉のイコン」)と見なすというような、宗教論の芸術手法論への展開を試みている10。ミハイル・バフチンのポリフォニー文学論とキリスト教思想の関係に関する関心も潜在的に高い。

いずれにせよこの領域での議論はソ連時代を通じてないがしろにされてきたものであり、ロシアの読者・研究者は今あらためて革命前の議論を継続する位置に立ったのである。


d)新しい文化学の応用:精神分析、受容理論、エロスフロイト的精神分析学の方法をロシア精神文化史に応用するイーゴリ・スミルノフは、ドストエフスキーの時代のリアリズム文学を、エディプス・コンプレクスの問題に捧げられた文学と性格づけている。すなわち父(世代)と子(世代)の葛藤への様々な対応の形が、文学としてモデル化されているというのだ。社会的なテーマ設定としては、エディプス・コンプレクスの文学は、ニヒリズム文学と反ニヒリズム文学に類型化される。前者が宗教・国家・家庭といった権威の生成システムを否定するのに対し、後者はそれらを共同体の条件として擁護するのだ。しかるにドストエフスキーの文学は第三のカテゴリーを形成すると、スミルノフは考える。『悪霊』にみられるように、彼はニヒリストの論理を破産に追い込むと同時に、社会秩序の代弁者をも戯画化してしまう。彼の文学は、社会モデルの自己批判、文学の自己批判を含んだ「ポスト文学」だというのがスミルノフの論旨である(『プシホディアフロノロギカ:ロマン主義から現代までのロシア文学の精神史』1994)。


少しちがったスタンスの「心理詩学」をかかげるエフィーム・エトキンドは、文学を人間の合理的部分と非合理な部分の関係論として捉え、虚偽の持つ表現性と真実の訥弁性という背理のレベルで、ドストエフスキーの小説『白痴』を読解している(『<内的人間>と外的言語』1998)。これらもまたソ連文芸の公式路線から排除されてきた方法のドストエフスキーへの応用である。

 文化学者ヴァレリー・ポドロガやミハイル・ヤンポリスキーは、読書を身体的コミュニケーションと捉える現代的受容理論の立場から、ドストエフスキー作品を性格づけている。

彼らによればドストエフスキーの作品では、主人公たちの身体と精神のバランスが壊れているうえに、個別的な身体の輪郭も曖昧で、あたかも主人公たちが集合的に一定の精神状態を表現しているかのようである。そこには読者が日常的な身体感覚で追体験できるような三次元空間の代わりに、複数の時間帯が混在し、存在と非存在、瞬間と永遠が接するような時空間(ミハイル・バフチンのいう「ソブイチエ=共存・事件」空間)が開けている。

 読者の作業は特殊な叙述のリズムに沿って、この境界の世界を体感していくことである(V.ポドロガ「皮膚のない人間」1994、M.ヤンポリスキー「痙攣する身体:ゴーゴリとドストエフスキー」1996)。これも新しいアプローチの応用であると同時に、ようやく自国で全面的に展開されようとしているバフチン理論への、多少屈折した応援演説のようにみえる。

 最後に言及するG.レヴィントンは、ドストエフスキー文学の民衆フォークロア的要素に注意を促している。彼によればドストエフスキーとフォークロアの研究は、従来宗教歌や伝説といった「上品な」ジャンルに限られていて、より大衆的で下品なジャンル(エロチシズム、スカトロジーを含む諺やチャストゥーシカの類)にはおよんでいない。しかしこのジャンルは文化研究の重要な領域であり、記述文学への影響も無視できない。M.バフチンのいうカーニヴァル文学のジャンルも、これと深い関係を持っているのであって、ドストエフスキーのそうした側面もより研究されるべきなのである(G.レヴィントン「ドストエフスキーとフォークロアの<下品な>ジャンル」1996)。彼のこの論には、1975年にドストエフスキー記念館での会議で報告して公式筋の酷評を受けたものという自注がついているが、ここにも規範の崩壊のしるしを読みとることができる。

 作家の創作の生理的部分に着目するこうした視点との関連で、ドストエフスキーの病的で好色な側面の記述を含む同時代人の回想の類が出版されていることもつけ加えておきたい15。また自殺に関する思想史という一般的文脈のなかで、ドストエフスキーの自殺観を整理したG.チハルチシヴィリの仕事も、広い意味での彼の文化史的意味の再評価といえるだろう。


 社会評論と文学研究の両世界に取材した以上のサンプルは、網羅的というにはほど遠いが、現代版ドストエフスキー受容の「愉快な雑居性」(バフチン)を伺うには十分であろう。

こうした雰囲気がそのまま、文学作品における様々な「ドストエフスキー・ゲーム」の背景となっているのである。


II ドストエフスキー文学の現代的展開


 以下ドストエフスキー・イメージの応用を含む現代文学の実例を観察するに際して、主として作者の姿勢に応じて対象を3つのグループに分ける。すなわち、ドストエフスキーのテーマの積極的展開を含むもの、ドストエフスキー批判やドストエフスキー論自体を文学化したもの、文体模写やパロディを主な動機としたもの、の3グループである。これらのカテゴリーは必ずしも相互排除的ではなく、むしろ大まかなアクセントの差にすぎないが、実際の検討には便利な作業枠を提供すると思う。

 分析に際しては、何かの一般原則に照らして個別ケースを検討するのではなく、作家個々の論理を推測する作業を重視した。すなわちそれぞれの「引用者」がドストエフスキーに見いだしている応用可能性や問題性とは何か、彼はドストエフスキーの何を取り何を捨てたか、ドストエフスキー・イメージは彼の作品に何をもたらしているか、といった問いが本論の中心関心である。それらを集積してドストエフスキー(あるいは19世紀文学)の現代的意味といった一般論に展開する作業は、課題として残されている。

 なお対象の選択原理は体系的であるよりは経験的であり、「現代」という概念の枠も明確にしていない。ただし本論の作業は、主としてソ連後の文芸に関するこの数年間の共同研究を背景にしているので、資料もおおよそペレストロイカ以降の作品が選ばれている。その結果、広義の現代ドストエフスキー・イメージ論に欠かせないヴェネディクト・エロフェーエフ、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、サーシャ・ソコロフなどのソ連末期の作品が大半漏れ落ちているが、それらを補完して論の枠を広げていくことも、近い将来の課題としたい。


1.ドストエフスキー・テーマの変奏

 ドストエフスキーに特徴的なテーマを現代風に展開した作品をまず検討したい。例示されるのは、地下室人のテーマ、宗教および生命のテーマ、ロシア論のテーマである。

 a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986)17
ドストエフスキーの男性主人公の一定型として、『地下室の手記』(1864)の主人公を代表例とする、いわゆる「地下室人」のタイプがある。一種の幻滅したロマンチストで、知性や想像力に恵まれながら、現実への適応性や生活意欲を欠き、世間から孤立した生活をしている。彼の存在は様々な意味で宙ぶらりんである。近代文明人の不幸な自意識を身につけた彼は、ルソー的な自然人の理想に従えないと同時に、契約社会における経済的人間(技術的人間・政治的人間)のあり方にも反発する。伝統的信仰生活をとうに逸脱しながら、自然科学や功利主義的社会論の説く人間観には違和感を覚える。世間のエリートやたくましい生活者を鈍感な俗物と軽蔑しながら、彼らに羨望に近いものを覚えている。

 地下室人は、その言説もアイロニーに満ちている。すなわち自意識の前提となる自己の特権化・彼我の差異化の意志(私は彼らとは違う、私は独立独歩だ・・・・・・)と、自意識自体の対話的本性の認識(私は誰かを意識した発話の中で自己を発見する、私は常に内なる発話者、聞き手、対象といった複数の私に分裂する)とが、彼の発言の中で葛藤を起こしている。彼らの多くは、近代的人間の不合理な運命――理想に照らした自己の不完全さを認識する知性を持ちながら、その不完全性を克服する能力を持たない状態――を、個人的な屈辱と感じている。このようないくつかの要因から、地下室人の発言は、他者を斬る刀でまず自らが傷つくような自虐性を持っている。

 地下室人は思想的な人間であり、彼の思索は彼一個の運命を越えた、普遍的な問題としての広がりを持つ(逆に言えば、彼の思想は彼個人の運命の改善に対して無力である)。ドストエフスキーの作品では、地下室人はしばしば聖なる女性、子供、キリスト的人間といった反対イメージとのペアで現れる。

 しかし地下室人の属性をこのような形で網羅的に名指すことは、おそらく不可能である。地下室人は文字通り近代社会に対する下部や外部からの反省的視点を人格化したものとして、尽きせぬ文化論上の可能性を持っているからだ。したがってこのアイロニカルな形象の中に何を見いだすかということが、それぞれの時代や個人の自己表現となりうる。ちなみにドストエフスキー自身は、このようなタイプを19世紀ロシア知識人のうちに実在する、両面価値を持った人間像ととらえていた。彼は小説の中でその批判者としての機能を利用する一方で、こうした偏った人格の精神的な調和の回復をテーマとして意識していた。一方ドストエフスキーの「残酷な才能」、「病的人間観」を批判したニコライ・ミハイロフスキーやマクシム・ゴーリキーは、これを近代ブルジョア社会の病理を背負った、作者自身の精神の表象として論じた。さらに、たとえば今世紀のフロイト派は地下室人のルサンチマンの心理的メカニズムに、実存主義者は存在と意識の乖離に、ミハイル・バフチンは彼らの発話の対話的構造に、それぞれ注目したのである。

 現代ロシア文学におけるこのタイプのヴァリエーションとして、まずユーリー・マムレーエフ(1931-)の小説の主人公を観察してみたい。

 亡命作家マムレーエフは、人間の奇怪な想像力、とりわけ死・暴力・狂気といったものへの両義的な関心を突き詰めて描写する点で、ゴーゴリ風の怪異談やドストエフスキーのゴシック・ロマンス的側面を受け継ぐ表現者と見なされている。たとえば亡命先のアメリカでのデビュー作『地獄の空』(1980)には、死んでいく人間の魂の状態をのぞき込もうとして次々と殺人を犯す人物が登場する。インド哲学やオカルティズムを背景とした生命輪廻のイメージと、個々の存在の局面を脱し得ない人間の認識の限界性との落差が、彼の小説をグロテスクな悲喜劇にしている。世間から孤立して一種の哲学的実験空間に入り込んでいく彼の主人公たちは、総じて「地下室人」の仲間だといえよう。

 短編『ある個人主義者の手帳』は、文体までドストエフスキーを連想させるものである。

主人公の手帳の冒頭は、次のような『地下室の手記』風文体で始まる。

 やはり私はいやらしい奴だ。そしてなおさらいやらしいことに、そう書きながら満足している。つまりろくでなしの、ボケ老人の、耳を引っ張るぐらいじゃ足りないのと、さんざん自分の悪口を言いながら、それでも愛しているのだ! しかもその愛し方といったら! この世のものとは思えぬような愛し方なのだ。P.117

 彼が世間から孤立している動機も、ドストエフスキーの地下室人の「良識人」批判を忍ばせる。 


 
 断っておくが、この世で私が一番我慢できないのは、地上の人間の90パーセントを占めている凡人たちだ。誓って言うが、どんな殺人者だろうと変質者だろうとアルコール中毒だろうと、平凡人に較べれば、ましで高尚な存在なのだ・・・・・・。殺人者なら、例えば心に後悔の念やら恐怖やらを抱えていて、額には感覚の高ぶりから汗を浮かべていたりするものだが、凡人の場合にはそんなものの影さえない。凡人はただの喋る機械であり、精神性がなく、病的に鈍感で、しかもそれが良識人の証明と見なされているのだ。P.119


 この人物のもう一つの特徴をなすのは、ドストエフスキーの別種の地下室人――『白痴』のイッポリートや掌編『宣告』の主人公など自殺志願者たち――に通じる、死への恐怖と死すべき人間の運命に感じる屈辱感である。

 私は自分自身病的に、震えがくるほどに死を恐れており、自分がやがて膿みただれて死にゆく身であること、たとえ理論上といえども、いつ何時死ぬかもしれぬ身であることに対して、造物主自らわが身の前に跪いて謝ってもらわねばと感じているものである。P.125

 ドストエフスキーの主人公が、娼婦や貧しい孤児といった「聖なる弱者」や「聖なる子供」を相手に経験することになる他者との限定的交流実験を、この「個人主義者」は若い女性を相手に行う。彼は「適度に悪魔的で、詩的で、夢遊病を患っていた」「きわめてハイレベルの処女」と結婚してアパートに閉じこもり、人々への嫌悪、死への恐怖、性の快楽を強制的に共有することによって、一種逃避的な「他者との融合」を試みるのである。以下は死のイメージと性衝動(タナトスとエロス)が耽美的な結合を見せている例である。

 「絡み合うんだ、絡み合うんだ」私は彼女の耳にわめいた。性交時の高まりゆく叫び声の中で、私は彼女に人生のすべてを垣間みさせた。死を運命づけられた脆い生、まるで精液のように、一時高揚し、甘い肉の快楽にしがみつきながら、ついには落下して無に帰してしまう、忌まわしい老人のような生の姿を。私は彼女に理解させようとした。肉欲の汗は死の前の汗であり、性交の果ての疲弊した姿は、人生の終わりのシンボルであって、人生とはまさに射精と同じように、忌まわしくもいとおしいもの、速やかな破滅を約束されたものであると。P.124


 しかし自己の主観的世界感覚を相手と共有しようとするこの強引な試みは、相手が別個の主観の持ち主であるという当然な理由によって、簡単に破綻してしまう。こうした展開において、この小説はきわめて「哲学的」な図式性を持っている。

 自分の外に自分を見ることが私には実に快かったが、同時にその自分の「自我」の塊を食べてしまいたい、自分の体に取り込みたいとも思うのであった。しかしその時、われわれの関係のドラマの最後の一幕が始まった。つまり彼女を自分の中に取り込み、自分のものにしようとすればするほど、私はなにかしら自分には貫き通せぬほど硬いもの、他人の精神の核のようなものに突き当たってしまうことに気がついたのだった。

それはなにやら敵意をもった、弾力のある「非私」であり、私はそれにはねのけられて自分の中へと退散したのであった。P.127


 マムレーエフの脆き独裁者・個人主義者の精神は、この後一直線に内向し、病的になっていく。『白痴』のイッポリートや『カラマーゾフの兄弟』のイワンに現れたような、悪魔的な分身が彼の元を訪れ、唯我論の思想を説き始める。さらに彼は、死への恐怖とは裏腹の、死に対するただならぬ興味に惹かれて、墓地を訪れて暮らすようになっていく。次のような描写は、三文文士の墓地での幻想体験を描いたドストエフスキーの短編「ボボーク」や、注15にあげたオポチーニンの回想にあるドストエフスキーの口述の物語(墓地に通って若い女性の死体に口づけする役人の話)を連想させる。


 墓穴に至るまでの比類なく神秘的な埋葬行進の道を、私はなにか病的なまでに親しい自分の道のように感じた。それはこの世と死後の世界のどこか中間にあって、魂はもう離れようとしているが、まだ離れきってはいないのだ。魂はこの世の夢や叫びや泣き声や幻と別れ切れていない。そしてこの世が今別れの時にあたって、何か別の、非現実的な意味をもちはじめたのだ。(中略)

 死体が穴の側に置かれると私は何よりも真っ先にその顔をのぞき込もうと勤めた。

すると時として、荘厳な劇的なものとは反対に、心の中に笑い上戸の愚者のような力がわき起こってきた。突然死人の顔に唾を吐きかけたくなったり、死者が今にも起きあがって、駆けてくるのではというようなばかげた予感がしたりした。私はそんなとき目をじっと閉じて、また開いてみた。ひょっとして本当に駆け出したら?(中略)

 私は故人の冷たく固まった容貌をじっと見つめた。もしもずっと、気が狂うほど長い間その顔を見つめていたら、きっとその動かぬ悪夢のような、死んだ仮面をはぎ取って、その背後に生の秘密を、自分自身の秘密を見出すことができるように思えたのだ。
(中略)

 エクスタシーも何度か経験した。つまりぼうっとして正体を失った私が、もはや自分の世界の仕切りを越えて、みんなを突き飛ばしながらもぐり込んで、死者たちとキスをしようとするのだ。そんなとき一人の老人が私にオーバーシューズを落としてくれた。P.138-139

 マムレーエフの作品は、鈍感な良識人への反発、死すべき運命への屈辱感、唯我主義的感性といった主人公の心理的造形、エロスとタナトスの結び付け方といった諸点で、ドストエフスキーの世界に近いところが多い。奇人の手記を局外者が読むという物語枠の設定も、19世紀好みである。

 ただし両者の地下室人の位置づけは、いささか食い違っている。

 ドストエフスキーの地下室人は、アイロニカルな個性として自己完結する以前に、一定の社会的機能を背負っている。すなわち高邁な理想を失い、功利主義的な原理に沿って浅薄に固まりかけている近代社会の「良識」に、疑問を投げかける機能である。彼は積極的な属性を何一つ持たないが故に、自己を笑いながら他者をも笑うことのできる批判的な道化である。先述のようにドストエフスキーの小説は、この両義的機能を持った道化を、聖なる女性・子供・キリストといったイメージを媒介として積極的な人格として完成させる、という構想の中で理解することができる。

 一方マムレーエフの地下室人は、そうした社会的な機能をはぎ取られた、いわば純粋な地下生活の実践者である。彼は世の良識人を鈍感と批判するが、それは彼の死への感受性や独自の美学を、彼らが理解しないからにすぎない。たとえばイッポリートやスタヴローギン、イワン・カラマーゾフといったしたたかな「神の摂理の批判者」たちにさえドストエフスキーが与えた留保や疑念――もしかしたら自分の知覚を越えたところで何かの調和原理が働いているかもしれないという形で、彼らの批判を認識論的に相対化してしまう疑念――が、マムレーエフの主人公には与えられていない。同様にこの主人公には、結局人格としての他者から隔絶している。ラスコーリニコフに対するソーニャのように、地下室人の主観的物語を別の論理で読み解いてしまうような他者との接触が、彼には恐怖なのだ。

この物語を怪談として読むなら、一つの山場は、自我の拡大幻想の餌として利用した妻がもう一つの自我の主体だと、彼が気づくシーンであろう。

 マムレーエフの描く地下室人の世界はいわば純粋な荒廃であり、ドストエフスキーとの比較を媒介にすることで、その本質が鮮明に浮かび上がってくる。それは共同体、母性原理といった、個を結んで集団となす概念が全く効力を失った世界での、肥大した不安を抱えた自我のイメージである。


 b)V.S.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998)

 ドストエフスキーの地下室人は内省の人であるばかりか行為の人でもあり、何かの事件を契機にその思想と人生への態度を試みられる。たとえば『罪と罰』のラスコーリニコフは、殺人を犯すことで複雑な問題群に直面する。すなわち、いわゆる凡人と非凡人に関する彼の思想は正しかったか否か、その論理に基づいて行った行為は適切であったか否かといった、犯行の正当性をめぐる一連の問題と並行して、親族や警察といった他者に犯行を隠すべきか告白すべきか、犯罪者に正常なコミュニケーションは可能かといった、発話行為をめぐる倫理や心理の問題が発生するのである。

 題名もドストエフスキー(およびレールモントフ)の作品を連想させるウラジーミル・マカーニン(1937-)の小説『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』の主人公は、ソ連全体主義社会の地下世界出身者だが、彼の経験はそうしたラスコーリニコフ的問題の現代版というべきものを含んでいる。

 主人公は90年代モスクワの地下室人――すなわちソ連期からのアングラ作家で、ソ連後の時代にも出版して世に出ることをかたくなに否む54歳の男性である。かつて出版社訪問をしながら、ついに121回目に掲載を拒絶されたとき、彼は手元の原稿をすべてピローグの包み紙に提供してしまった。現在の彼はもっぱら頭の中で創作するばかりで、彼がどんなタイプの作家なのかは、読者には不明である。

 現代の地下室人は経済的問題にさらされていて、この人物も妻子と別れたまま、タイプライター一つを抱えて巨大なアパートの留守宅を時限付き管理人として転々と住み暮らすという、綱渡り生活を強いられている。その環境の中で、彼は廊下を歩き回って他人のドアの向こう側を推測したり、夜中に女性を訪問したりといった、ドストエフスキーの地下室人にはない生態をも身につけているのである。

 この人物の「地下生活」の意味は揺らいでいる。本来主人公にとって、アンダーグラウンドとはソ連後期の良心的知識人が強いられたライフスタイルもしくは精神態度の一つであり、しかもソ連社会に必須な構成要素でさえあった。個人が超自我と下意識を必要とするように、社会も公的部分とアングラ的部分を必要とするという論理である。しかしそのような意識は、社会の変動と無縁ではいられない。次のような内省は、ソ連後の非体制派知識人にとっての自己正当化の複雑さを反映している。

私の人生は失敗ではないと知り、信じたかった。そして何か特別の目的と至上の配慮によって、いま(現在このロシアで)私のような人間が、評価も名声も得ることなく、しかもテキストを生産する力を持って生きていることが必要とされているのだと、信じる必要があったのだ。アンダーグラウンド。言葉無しで生きてみること。他の連中はそうして生きている。沈黙者として生きることがリスクかリスクでないか――それが問題だった。そして私は最初の一人だった。私は自分の無名性を敗北ではなく、引き分けでもなく、勝利として受け止めた。私の自我がテキストを凌駕したのだと。

 そしてゴルバチョフ改革の後でアングラの連中が地下のあちこちから飛び出してきて、まるで急に我に返ったように昼の光の中での名声をひっつかみ、奪い取ろうとし始めたとき(そしてその名声の奴隷となり、過去の傷痍軍人のようなものとなっていったとき)、私は私のまま残った。私にはなにも埋め合わせるべきものはなかった。次々と本を出したり、何かの地位を占めたり、雑誌の編集をしたりするのは、ただの誘惑であり、そして次には俗悪な振る舞いとなった。書かざる私の「私」は、それ自身の人生を獲得した。拒絶の瞬間に神が私に多くのものを恵み、そのままでいるすべを与えてくれたのだ。3:136


 主人公の言う「沈黙」や「拒絶」の意味を読みとるのは意外に難しい。メディアを支配する<全体主義的公式文化>対自由で主体的な<地下文化>というソ連時代の対立構造が崩れ、非体制的であることの自明の意味も失われた。主人公の仲間たちはいまやあらためて、出版か沈黙か、文化の表面に出るか地下にとどまるかの選択を迫られている。そしてすでに社会主義時代に作品発表の努力を放棄したこの人物は、ペレストロイカの時代にもその姿勢を貫こうとしているように見える。彼が抱えているタイプライターは、あたかも禁煙者にとってのパイプのように、何を放棄したかを示す記号なのである。その選択の根拠が、ここではあたかも倫理的なもの、良心の問題(俗悪さの拒否)であるかのように語られているのだが、なぜ作家や編集者の地位に納まることが限定的に俗悪さのみを意味することになるのかは、じつは経験的にしか説明されていない。彼の選択は柔軟で主体的なものというよりは、むしろ定型的で受動的なものにさえ見える。つまり沈黙や無名性という概念が、すべてを超越する精神の純粋さを示す指標として、この人物の選択を支配しているようなのだ。従って彼の選択を社会倫理的に説明するだけでなく、心理的なレベルで説明することも大いに可能であろう。たとえば彼のうちには、官憲の暴力で精神障害を被った弟との関係や、何度も出版を拒否する編集者たちとのつきあいなどから生じた一連のトラウマがあり、それがいわば地下室症候群とでも言うべき症状に結びついたあげく、あらゆる社会的・積極的選択の意味をその都度覆してしまうのだ、というように。いずれにせよ彼の行動は、彼の意識的な説明からだけでは理解できない。彼は地下室的な生活を選んでいるというよりは、むしろ選ばされている。彼の倫理的な議論はドストエフスキーの主人公の皮肉な饒舌の前では奇妙なほどナイーヴであるが、にもかかわらず両主人公は、彼らの存在の客観的様態とその主観的(主体的)動機付けとの間の乖離という点で、共通性を持っている。

 これが小説の前提である。

 物語のプロセスで、この地下室人も否応なく現実の他者世界との関係を強いられる。その関係の中心をなすのが、二つの殺人事件である。主人公はコーカサス・マフィアとのトラブルから、偶然に相手の一人を殺し、次にはソ連期からの国家保安部のスパイを、計画的に暗殺するのである。ラスコーリニコフの場合と同じく、殺人は主人公に、責任の所在、罪意識への対応、他者への態度といった一連の問題を投げかける。そしておもしろいことに、この文学的人物は、そうした問いをドストエフスキーの小説のコンテクストで受け止めるのである。

「殺人を犯すと、人は殺人自体にとらわれるのではなく、本や映画やテレビで殺人について読んだり見たりしてきたすべてのことにとらわれるようになるものだ」(1-92)と主人公は考える。とりわけ文学は、経験の意味を判断する媒介物として、非常な影響力を彼に発揮する。たとえば「殺すなかれ」という命題は、(『山上の垂訓』などではなく)ドストエフスキー文学を通じてロシア精神を呪縛していると、彼は述懐する。


 私は「殺すな」について考えてきた。テーマは(時代で言えば)もちろん19世紀のこと・・・・・・それから、文学の(文学による)警告のこと・・・・・・それからかのフョードル・ミハイロヴィチ(ドストエフスキー:訳者)のこと――この人物抜きではどうしようもない。本当の道徳思想の香りが漂ってくるのは、どうしてもこのあたりしかない。そしてドストエフスキーのいわゆる「殺人者は自らを滅ぼす」という思想は、ほとんど絶対命題のようなものになっている。古典でありカノンなのだ(ロシア人にとっての文学は、いまだに巨大な自己暗示である)。「殺人を犯すなかれ」という立派な、根本的な教訓――例えばドストエフスキーの小説は、いまだにわれわれにとって生きている。しかしそれはすでに思想として、エネルギッシュに表現された芸術的抽象概念として生きているのだ。過去の天才的な言葉(そして当時としては無条件に先見的な言葉)の中に、すでに来るべきタブーが見えかくれしている。1:101

 ロシア文学はこのように強力な倫理的呪縛力を持つ「一大ウイルス」であり、ドストエフスキーの作品はその代表である。しかし同時に、彼の論理によれば、文学ウイルスのメッセージは時代ごとに変化する。たとえばドストエフスキーから20年ほどさかのぼったプーシキンの時代には、殺人(決闘)は名誉を守る手段として文化的に正当化されていたのだ。タブーは一定ではない。だから主人公は、文学同士を対立させることで、罪意識を回避することさえできる。

 背中を刺されてベンチに坐っているカフカス人の姿は、相変わらず私の目に映っていた。それは当たり前だ。しかしそのベンチも血痕も、それ自体は呵責を促す物ではなかった。ましては殺人への呵責を。これは計画殺人ではなくむしろ決闘であり、われわれはともにナイフを抜いたからだ。しかも相手のほうが先に私を殴り、斬ってきた(及び発砲した)のだから。つまり私は正当に勝ったのだ。だから時がたってどんなことを言われようとかまわない。あるいはたとえいわゆるロシア文学が、今まさに私の耳元でなにを叫び、わめこうと。だがいったいロシア文学はなにを叫ぶのだろう。

例えば19世紀のどちらの半分の声で叫ぶのか。決闘好きの前半世紀か、それとも懺悔好きの後半世紀か。まさにそんな風に私は問題に対して反対からの問題を投げかけ、時間を分割することで自分を正当化した。1:101-102


 当然ながら、文学と実人生の非同一性という自明の命題も、彼の遁辞のネタとなる。

 ドストエフスキーも言葉でわれわれを説得しただけだ。だがF.M.(ドストエフスキー:訳者)が最後の言葉を発して自己の勝利を誇示したとき、すぐさま明らかになったのは、彼が説得した相手は誰か関係ない人間で、私ではなかったということだ。つまり単に内部で、自分のテキストの領域で、読んでいる私を説得しただけだ。テキストの中でということは、私の「我」の中ではないのだから。1:102


 しかしこの主人公は、論理とも倫理とも違う心理的な面で、苦しい状態に追いつめられていく。すなわちまたもやラスコーリニコフと同じように、すべてを沈黙のうちに隠し通すという至上命題と、告白への衝動との間で引き裂かれるのである。

 それはわがプロットの展開をめぐる小さな、しかし大事な心理的発見であった。つまり私を(私の心を)いま圧迫しているものは、良心というよりは喋らないでいるという状態なのだと、ふとそう思ったのである。その通り、いまの私を苦しめるのは良心の呵責ではない(それは概して弱い)。沈黙していることが苦しいのだ。目の前に一枚の紙もなく、一人の聞き手もいないことが。(中略)そんな風に考えながら私は寝込んだ。何か心が知らせたのだろうか。当面私には謎だった。考えが及ばないのだ。そんなおしゃべりな、危険なやり方でも、この私を言葉へと回帰させたいという心のメッセージなのか。もし目の前に聾で唖の女がいたら、私はもうとっくに相手に話し、懺悔していただろう。3:75


 こうして主人公は皮肉な状態に陥っていく。すなわち地下室人の反対陣営である世の管理者たち(刑事や精神科医)が、罠にかけたり薬物を用いたりして彼の言葉を要求するのに対し、彼自身が告白の相手に選ぼうとした同じアンダーグラウンドの弱者たちは、彼の言葉を受け入れる用意がない。木賃宿暮らしの女性フルート奏者ナータ(この人物はドストエフスキーの聖なる女性=弱者を連想させる)は、精神薄弱気味で長い話を理解する能力がないし、顔見知りの若い娼婦は、あまりにも屈託がなくてとりつく島がない。「ラスコーリニコフとソーニャの関係のようなものは、薬にするほどもないのだ。だから彼女のうち明け話を聞いたり、彼女に向かってうち明けたりするなんてことは、考えることさえできない。それはまるで一緒に寝ながらソ連の宇宙飛行士のマーチを歌うのと同じくらい場違いなのだ」(1:104)――そう主人公は考える。この後彼は精神と肉体をやみ、死の瀬戸際までいくのだが、いわば倫理問題において19世紀文学を相対化しようとした彼が、この問題では現実によって自らの文学性を笑われることになるのである。

 この小説は結局、沈黙者として生きようとした地下室人が、現実的経験を文学的レベルで解釈・消化し、乗り越えようとしたあげく、他者とのコミュニケーションの喪失に足をすくわれるという、皮肉なテーマ構造を持つ。最後に彼は、同じく無名作家の友人や精神障害を持つアングラ画家の弟との交流の中で、再び言葉への信頼を取り戻すのだが、地下室人のコミュニケーション体験をめぐるこの物語は、マムレーエフのものよりも読者の受容に向けて開かれた印象を与える。それは作者が地下室人を悲劇化することなく、文学と社会状況の両面から彼を相対化し、その弱さや矛盾、道化的側面を描くことに成功しているからである。


 c)宗教と生命のテーマ: Ch.T.アイトマートフ『処刑台』(1986)

ドストエフスキーの小説は、特殊個人的な問題と普遍人類的な問題とをダイナミックに関係づける点で、悲劇や哲学的対話のジャンルとの類縁性が指摘されてきた。これはすなわち、主人公一個の限られた経験のうちに、生命や人類の未来といった大規模な問いにふさわしい時空間が開けていることを意味するが、ドストエフスキー文学のそうした側面を意識した現代作品も散見される。

 上述のマカーニンも、中編『抜け穴』(1991)20の中で、ドストエフスキーの言葉のシンボリックな使用により、一種運命的な選択の場を小説中に導入していた。すなわち、この近未来アンチ・ユートピア小説の主人公が不思議な抜け穴を通って訪れる地下世界のホールで、たまたま「未来への姿勢」という意識調査が行われているのだが、そこでは絶望した人々が投げ捨てるアンケート用紙が、主人公の目の前に堆くたまっていく。主人公はそれを、「未来への入場券の返却」というメッセージと受け止めるのだが、これはむろん『カラマーゾフの兄弟』のイワンが、幼児の苦しみのような不条理を前提とした未来の調和を拒絶する態度表明として用いた表現の応用である。

このような大きな問いに開かれた小説構成を持ち味とする現代作家の一人が、チンギス・アイトマートフ(1928-)である。86年に出版された長編『処刑台』は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』中の「大審問官」の章や、ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』などの系列に属す、キリストの試練物語の変奏という要素を持っている。

 この小説には三組の主役たちがいる。中央アジアのモユンクムィ・ステップを流浪するオオカミの家族、ジャーナリストを目指す元神学生のアヴジイ、キルギスの熱心な牧羊家ボストンの一家である。このうち第二のアヴジイの物語が、ドストエフスキーのテーマと深く関わっている。ソ連末期の神学生アヴジイは、教会のキリスト教がもつ社会的な意味に疑問を覚え、ジャーナリストとして直接世の悪と戦おうとする。彼は中央アジアとバルトを結ぶ麻薬密輸団の存在を知り、大麻採取グループに潜入するが、道中自前のキリスト教を振りかざして説教するために、半殺しの目にあってしまう。書き上げたルポルタージュも結局握りつぶされた彼は、女性環境学者と結婚しようと再度赴いた中央アジアで、食肉生産ノルマ補填のため野生カモシカを大量捕獲するグループに雇われたあげく、再度リンチを受けて十字架刑のような死に方をする。

 麻薬、宗教、環境破壊などソ連期の禁忌テーマを積極的に盛り込んだ点で、ペレストロイカ期の告発文学の先鋒と見なされたこの小説には、イエス・キリストのエピソード以外にも、ドストエフスキーの小説を下敷きにしたと思える要素が多い。
 たとえば教会の教条主義を批判するアヴジイの論理には、主体的人間の視点から伝統的な神のイメージを修正しようとする意図が見えるが、ここにはイワン・カラマーゾフ流のヒューマニズムに立脚した摂理批判(弱者の苦悩は将来の世界調和によってはあがなわれないという思想)、およびラスコーリニコフや『悪霊』のキリーロフのいわゆる「人神」思想(人間がその神的資質によって神に成り代わるという思想)の反映を見いだすことができる(もちろん今世紀の建神主義等も媒介項として考えられる)。地上の人間の知的能力が発展するにつれて神の概念も発展すべきであると考える彼は、伝統的な民族・民衆の宗教がすでに役割を終えたと感じ取り、現代社会の需要に合致した神の理念を備えた、現代の宗教を追求する必要があると主張するのである。

 私たち自身から生じているものを天上の力のせいにしてはいけません――そう主人公は神父の一人に語りかける。――もしも被造物である私たちが、善の力と悪の力という両極の力を同時に身に備えることを神が避け得たとするならば、神は何のために私たちをこれほど不完全なものとして作る必要があったのでしょうか。私たちをかくも疑心と欠点だらけの者、神ご自身に対するにさえ狡知をもってするような者に、作る必要がどこにあったのか。あなた様は教理が絶対的なものであり、世界と私たちの精神の本質がそこに最終的に把捉されていると、断固主張されています。しかしそれは不合理です。果たしてキリスト教2000年の歴史において、私たちはほとんど聖書以前の時代に述べられた事柄に、一言も付け加えることができなかったというのでしょうか。あなたは真理を独占するために戦っておられる。しかしそれは控えめにみても自己欺瞞です。なぜならたとえ神の教えだろうと、真理を究極まで認識し尽くしたといえる教えなどあり得ないからです。もしそうだとしたら、そんなものは死んだ教えではありませんか。P.81


 この神学生は、宗教的新思想のほかにキリスト幻想にもとりつかれていて、麻薬団や密猟団での奇怪な体験のプロセスに、イエスの放浪とゴルゴダのイメージがつきまとう。実際、作中には彼の幻想の形で、ブルガーコフの小説を連想させるピラトとイエスの最後の対話シーンが登場するが、そこにはドストエフスキーが描いた中世の異端審問官と復活したキリストの対面シーンも、潜在イメージとして包含されている。ただし沈黙を通すドストエフスキーのイエスと違って、アイトマートフのイエスは雄弁に自らの思想を語る。しかも彼の説く神のイメージには、主人公自身の抱く理性的人間神の要素が混入している。つまりアイトマートフのキリストは、主人公の思想を別の側から代弁しているのだ。

 創造主は私たちに理性というこの世で最高の恵みを授けられた。そして理性によって生きる自由を与えられた。この神の恵みをいかに使うか――そこに人間の歴史の眼目があるのです。総督よ、まさかあなたは人間の存在の意味が自己の精神をみずから完成させることにあるということを否定なさりはすまい。それ以上の目的は世にないのですから。輝かしい精神の完成に向かって、一日一日と無限の階段を上っていくこと――そこにこそ理性的存在の美しさがあるのです。(中略)
 神の御心は、いつかある日あたかも青天の霹靂のように神の子が復活し、諸国民に裁きを下すために天から下ってくるということではありません。目的は全く同じでも、事情は正反対なのです。この私が、つまりこの町を通ってゴルゴダに至るまでの距離しか余命のないこの私が、復活再臨するというのではなく、あなた方人間たちが、キリストのうちで、気高き正義のうちで、生きるために来臨する、つまりあなた方が、この先数え切れぬほどの世代の果てに、私の元へやってくるのです。そしてそれが私の再臨となる。言い換えれば、私は人々のうちにあって自らの苦悩を通じて自らの元へ戻る。つまり人々のうちで人々の元へと戻るのです。P.150-151


 この小説のイエスは、神と人とを連続したカテゴリーとしてとらえている。彼によれば「総体としての人類は地上における神の似姿」なのだ。

 一方この幻想の対話の相手であるピラトの発言も、同じくドストエフスキーの大審問官の思想を想起させる。主体性を欠いた弱い存在である人類は、自由で自発的な愛の原理によって生きるよりも、奇跡、神秘、権威によって支配されることを望んでいると、大審問官は説くが、次のような箇所はそうした思想のパラフレーズと見なせるだろう。

 確かにおまえの洞察は鋭い。だが、おまえはあまりにも思い上がっていはしまいか。広場の群衆の卑しい本性を忘れ、人間の信仰に強い期待をかけすぎてはいまいか。おまえはもうじき市壁の外でこのことを思い知らされるだろう。(中略)カエサル無しには世界は成り立たず、ある者の支配と他の者の服従は存在かなわぬ。故におまえが思いついた別の秩序を新しい歴史として押しつけようとつとめても無駄である。カエサルにはカエサルの神々がいる――カエサルは連綿と続く「明日」の永遠性の中で一定の境界を失い、空気のようにすべての者に平等に属するような、おまえの抽象的な神、明日という神を認めない。なぜなら平等に与えることのできるものはすべて、何でもないか、価値がないか、下らないものに決まっているからだ。(中略)おまえがどんな予言をしようと、おまえの努力は無駄である。権力によって治められる世界はほかの形を取り得ないのだから。世界はより強い者が権力を握るという従来のあり方を今後もとり続けるであろう。今後も強者が世界を支配するであろう。P.153-154


 未来に向けた人類の成長・完成の思想を説くイエスと、現在の秩序の論理を擁護するピラトの対立の構図は、アヴジイの物語だけでなく小説全体の構想の雛形となっている。オオカミの家族の物語でも、牧羊家ボストンの物語でも、個のイニシアティヴによる生命の積極的展開や競争的共存の思想が、権力のもとでの保身や異分子排除の論理と対立し、敗れていくのである。それがソ連末期の現実だと作者は言いたいようだ。

 近代ロシア文学の記憶は、いわば福音書的なモチーフを現代の物語に応用する際の媒介イメージを提供している。牧羊家ボストンの人物像がトルストイの小説から農村派文学にまで現れる「誠実な農民」のイメージに連なっているとすれば、アヴジイはドストエフスキーのムイシキン公爵からヴェネディクト・エロフェーエフやサーシャ・ソコロフらの主人公たちに通じる、「聖なる愚者」、「弱き義人」のイメージと重なっている。この後者――聖愚――のイメージの中に、アイトマートフはドストエフスキー的キリスト教のヒューマニズム的側面とキリスト崇拝の要素を選択的に取り入れた。だからアヴジイの物語は、たとえばゾシマ長老を欠いたアリョーシャ・カラマーゾフの話といったものを連想させる。

ただしマムレーエフの場合と同様、テーマの類似はその処理の差を際だたせている。アイトマートフ版ドストエフスキーが与える違和感は、主人公たちがすでにある思想を持った(あるいはプログラミングされた)信念の人として登場することである。あたかもオオカミの母親が(人間語で言うところの)母性本能・種族維持本能を脳神経に組み込まれて、それに反する行動ができないのと同じように、アイトマートフの人間たちも、信念に矛盾する行動ができない。ドストエフスキーの小説を開かれたものとしていた、思想の不完結性、人間と思想の関係の決定不能性、およびそれ故のダイナミズムが払拭され、かわりにある信念の人の冒険が悲劇的な色調で描かれる。小説は一面で思想による現実の批判、他面で思想の諸側面の展開という機能を果たしているが、思想自体の正当性や整合性が試みられる機会は欠落している。1990年の『カッサンドラの烙印』で、アイトマートフは新しい進化の方向選択の理念(賢明なる優生学)を唱道して敗北する「宇宙修道士」の物語を書いたが、思想のニュアンスの差にも関わらず、そこでも一つの思想の悲劇的絶対化が行われているのである。

 アイトマートフは、小説ジャンルに近代以前の叙事詩の要素を持ち込むのを持ち味とした作家である。『一世紀より長い一日』(1980)のような作品では、リアリズム小説的な要素と叙事詩的要素との対抗が、近代的なものと伝統的なもの、ソ連的なものと民族的なものといった対立を表現する装置として、見事に機能している。たとえばカザフの物語詩やそのバリエーション(記憶を奪われた捕虜マンクールトのエレジーなど)が現代社会の事件や状況(宇宙開発基地に先祖の墓地を奪われた民族の状況など)と拮抗する、神話的空間をなしていた。『処刑台』では民族のエポスに代わって、福音書やドストエフスキーの小説のモチーフが物語の神話的ベースとして利用されているのだが、それは作品を重層化する機能を十分に果たしていないようにみえる。それはおそらく作者が古典を作品に取り込む過程で、対象の多義的な陰影を省略し、自分の思想に引きつけたいくつかの単純なメッセージに還元してしまったからである。その結果ドストエフスキーのモチーフも、作品の神話素と言うよりは、むしろ書き割りのようなものと化してしまったのである。


 d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997)21

 ミハイル・バフチンはドストエフスキーの主人公の言葉の分析に際して、文が直接の指示内容以外に含んでいる発話者の意識に関するメッセージに、とりわけ注目している。たとえば「隠された論争や対話」と彼が呼ぶ種類の言表においては、表面に言及されない他人の言葉を相手にした葛藤が、ほのめかしや留保を含んだ、屈折した表情を発言に与えている。そのような言葉は、いわば想像上の他者の問いや糾弾を先取りしたうえでの、応答や釈明なのである。これは前出の地下室人タイプの発話にとりわけ顕著な特徴であるが、時としてナレーションの言葉にも、あるいはドストエフスキー自身による評論の言葉にも、類似の兆候を見いだすことができる。

 バフチンはこのような現象を、人間の意識と思想の対話的性格に関するドストエフスキーの認識に帰している。彼の考えによれば、ドストエフスキーの主人公は社会的なタイプや心理学的性格の観点からは定義しきれない、世界と自分をみる視点や意識として設計されている。この意識は自己認識に向けて無限の運動を行う。すなわちそれは外部世界との相互作用を通じて自己を知ろうとしながら、自分に対する外部からの定義を裏切ろうとする。そして同時に自分が自らに与えた定義やイメージまで、常に相対化してしまうのである。「自己」とは既存のものでなく、こうした運動の中で絶えず新しく認識し直されていく、非完結の存在なのだ。

 このことはドストエフスキーの思想の扱いにも直接関係する。バフチンによれば万人共通の意識のあり方を前提として単一の普遍的な真理を求めるたぐいの形而上学を、ドストエフスキーは否定した。彼が思想の名で意味するものは、特定の意識の視野に写った真実、およびそれらの相互関係の叙述である。すなわち思想とは、意識同士の相互主観的、対話的な関係の中で発せられる問いと応答からなっていて、そこには個人の肉声の調子や彼の他者への顧慮のあり方が、すべて含まれている。そして意識が完結しないものである以上思想も完結しない。自己について無限の発話が可能であるように、思想についても最終的な定義は存在しないのである。22

 思想家ドミートリー・ガルコフスキー(1960-)は、このようなバフチンのドストエフスキー解釈をきわめて積極的に受け取りながら、それをドストエフスキーの個人的特徴と言うよりは、もっと一般的な文脈でとらえ直そうとしている。すなわち彼は上記のようなドストエフスキー風の思想表現のあり方を、ロシア人によるロシア論の必然的な形式と考えるのである。

 彼の『果てしない袋小路』は、その風変わりな形式の故に思想的エッセイとも文芸評論とも特異な小説とも読める作品だが、そこで彼はドストエフスキー、ワシーリー・ローザノフ、ウラジーミル・ナボコフを中心主題としたユニークなロシア文化論を展開している。

ただしそれは、ロシアにおけるロシア文化論の特殊な意味、論者の心理、適切な議論形式のあり方等々、ロシア文化論というジャンルの背景・方法・意味・機能に関する様々な考察や思考実験を含んでいる点で、メタ・ロシア文化論と呼ぶべきものである。

 ガルコフスキーの論理では、ロシア文化にはそもそも合理的な自己表現はふさわしくない。ロシア人はまず民族の中心的神話を持たず、また文化の輪郭や境界も曖昧である。しかもロシアでは言語(ロシア語)自体が、論理性や哲学的機能を欠いている。

 ロシア語。ロシア語がどの程度まで哲学システムの構築材料となるか。答は簡単。ゼロ程度だ。ロシア語とは根本的に「非哲学」言語だ。ロシア語は虚の言葉だ。ロシア語は絶えず分裂し、「両義的になり」、一つの形から別の形へととりとめもなく流れ込み、虚のイメージを与えるのだ。G.1-222

 「発せられた思想は嘘となる」はすでに碑銘ものの金言である。ところでこの真理の私家版として「ロシア語で発せられた思想は不合理である」と言ってもいいであろう。なぜなら本来合理的な思想でも、ロシア人の口に上ると不合理なニュアンスを帯びてしまうのだから。G.1-224


 さらにロシア人の精神が、中心に空虚を抱え込んでいる。

 ロシア精神は本来おとなしく黙しがちで、不定型な精神である。それは完全な空虚、虚ろな穴だ。そもそもロシア自体が不毛なのだ・・・・・・。
 しかし――とガルコフスキーは自分の命題をドストエフスキー風の逆説で展開する。

――その空虚さが恐るべき感受性を生み、認知された素材を驚くべき、信じがたいほどの明察の光で照らし出すことができるのだ。G.1-229


 「ロシア人は自分を完全な本物ではないと思っている」(G.2-14)とガルコフスキーは書くが、それならば自らの精神の曖昧さや虚ろさを自覚したロシア人が、曖昧なロシア語を用いて、曖昧なロシアを語るには、果たしてどのような態度が可能か。ガルコフスキーによればその見本がこの書の主題であるローザノフおよびドストエフスキーの方法なのである。

 「ローザノフは一生涯柔らかな空虚の中で、ロシア文化の壁の在処を手探りしていた」という詩人マンデリシタムの言葉を受けて、ガルコフスキーは書いている。

 柔らかな空虚の中で堅い基盤を求めて手探りしている思想家の像――これはすでにシンボルの域を超えている。これはローザノフの本質であり、ひいてはローザノフ自身に対する必須の態度でもあるのだ。G.2-5


 ローザノフの態度とは、具体的にはこの20世紀初期の思想家の作品を貫くアフォリズム文体を示す。すなわち「蜂蜜」のように不定型なロシアという素材を、小さな断片に分けてアフォリズム的に描写し、さらにそれぞれのアフォリズムに必要な注釈、逸脱、変奏を加えていく手法であった。

 作者にとって論理的に一貫し、自足したロシア論は、すでにロシア論ではない。曖昧なものを曖昧にとらえて破綻しない方法、あるいは最初から自己矛盾や破綻をプログラムしたローザノフの方法こそが、ロシアへの言語的対応として模範とするにふさわしい。そして絶えず留保、補足、例証や反証を必要とするアフォリズムの迷路に入り込んでいく中で、ロシア人はロシアのみか自分自身をも表現することができるというのである。

 限界性を自在さと読み替えるようなこうした独特な評価を、作者はローザノフのほかにドストエフスキーにも与えている。

 ドストエフスキーとローザノフ――彼らはおそらく唯一自由なロシアの思想家たちである。まさにその自由さの代償として、彼らの思考は民族的なイデエによって厳しく規定されていたのだ。すなわち彼らを通してルーシ(ロシアの古称:訳者)が自己現したのである。G.1-241

 ドストエフスキーはいまだ自国の哲学をもたない国に生まれた哲学者である。ただしその国には自前の文学があった。だからドストエフスキーは自分の哲学を小説の形で表現した。これは悲劇であると同時に幸福でもある。というのも、このユニークな場合には、内部の精神世界とその言語表現との間に分裂が生まれなかったからである。

ドストエフスキーは自由で、その哲学の才能はロシア文学の広い懐の中で展開された。

ドストエフスキーの口を借りて、ロシア的なタイプの考え方が自己表現した。すなわち発作的でとぎれとぎれでありながら、同時にしつこくていつまでも言い訳したりつけ加えたりといったタイプの考え方である。G.1-240


 ガルコフスキーはドストエフスキー流の人間論やロシア論の本質的特徴を捉えているだけでなく、そうしたものを自己流に利用・応用している。きまじめながらポストモダン派の世代に属す彼は、すでに(たとえばソルジェニーツィンのように)ロシアの「実体」や「精神」そのものを、直接に論ずる姿勢を貫くことができない。一つにはすでにロシア論やロシアイメージの膨大な集積が目の前にあり、言われるべきことは言い尽くされているからである。また一つには、ロシア人たる自己がロシア人を対象化して語ることの限界(自己言及のアイロニー)を自覚させられているからである。彼はこうした限定された立場を意識し、許された範囲のゲームを行おうとしている。それはロシア論の集積のうえにある現代の自己の立場から、ロシア論自体について語ること、具体的には様々なロシア論の視点や文体を比較検討し、自分の声に乗せてその可能性を試してみることである。メタ・ロシア論は、彼が選んだ方法と言うよりも、彼に強いられたフィールドなのである。
 実際彼は一見自前の断定的な口調の中に複数の他者の文体を取り込みながら、対象を対象自身の言葉で語ってみせる。またあるところでは、文体自体が議論の内容を模倣している。次の文章は、ロシア人の地下室人的側面を、地下室人的な言葉で語っている例である。

 ロシア文化には沈黙の才はあるが、物事を伏せておく才はない。ロシア人は適当なときに話を止めるすべを知らず、全部話してしまおうとし始めるのだ。この次第は『地下室の手記』に見事に描写されている。(中略)途中で話を止めるすべを知らぬロシア人は、いったん喋りはじめると最後までいってしまい、そしてその言葉の洪水が、ついにはへとへとになって自壊するまで続くのである。(中略)これは全て罪悪感の具体的発露である。それも自己に向けられた罪悪感、つまり単なる弁明でなく弁解であっ、それが例の『内部に終点を持たぬ発話』、何でも口から出してしまう発話の原因となり、それが「退化」と呼ぶべきか、弁明の破壊的な力を自己自身に伝える作業となり、いわば弁明の内に閉じこもることとなって、それが恐らく、少なくとも他人の意識にとっては、人格の消滅となる(これは思想的模倣の一種である)。ロシア人の『自己』の不幸な性格がここから理解できる。弁解するとき、ロシア人は常に自分の世界のもっとも弱い、病んだ部分を取りあげる。しかも自分が考えていることをではなく、他人が(恐らく)自分について考えているであろうことを話題にする。それもその『他人』にそう思ってほしくないがためなのである。(中略)自我という回転する漏斗が、自己弁明の空虚が、絶えずロシア人を吸い込んできたのだ。G.2-5


 ここでは、自虐とも自己陶酔ともみえるロシア人の際限ない弁明衝動の説明が、空虚を動力として回転し続ける漏斗のような、果てしない文体をまとっている。このような形式と内容の対応は、実は文体だけでなくこの作品のコンセプト全体についてもいえる。『果てしない袋小路』(本稿でG.2 と呼んだもの)は、本来この作者がローザノフらを論じた同名の評論(本稿のG.1)への注釈書という体裁をとっている。ただしもとの評論(『コンチネント』誌所収)は書物としての『果てしない袋小路』には収録されていないので、大半の読者は目に見えぬ評論への言及と向かい合うことになる。しかもこの注釈書は、量にしてもとの評論(雑誌版で90ページ弱)の十数倍にもふくれあがっていて、約700ページ、949項の注を盛った百科事典の一巻のような形をしているのだ。注は内容的にももとのテキストを逸脱して広がり、注への注、さらにその注という風に分岐している。そしてこの密林のような総体の中には、ロシア思想論・文化論だけではなく、作者とその地下室人のような父親との関係を中心とした、インチームなロシア人の自己の物語までが展開されているのである。

 この特異な<注・小説>は、その形式自体がいくつもの点で現代ロシア人たる作者の自意識を表現している。すなわちそれは求心力の不在(まとまりのなさ)、非論理性、形式感覚の喪失、自虐性と自己顕示の混在、そうした矛盾のただ中にある独特の美的快楽や陶酔、等々といった点で、筆者の意識するロシア人の性格を表現している。そして同時に自己言及の逆接性、思考の非完結性、形而上学の不可能性といった、現代哲学の認識をも模倣している。作者の論理を敷衍すれば、おそらくロシアは近代に遅れてきた分だけ近代を早く脱したという、ポストモダン派の言説に近づいていくだろう。ドストエフスキーは、非合理や無秩序といったマイナス価値を自在さというプラス価値に変質させるような、ロシア近代の知恵の代表例として、この作家の自己表現の中心部分に取り込まれているのである。


2.ドストエフスキー論のある現代文学

 ドストエフスキーへの批判は評価と同じほど長い歴史を持つもので、論点も少なくない。

ツルゲーネフやストラーホフなど個人的関わりがあった者たちがほのめかしていた人格的問題(猜疑心、名誉心、予言者気取り、果ては性的嗜好の偏り等々)、ミハイロフスキー、レオンチエフ、ゴーリキーなどがいろいろな角度から指摘した彼の文学の倫理・思想上の問題点(プチ・ブルジョア的価値観、宗教上の修正主義、人間観のグロテスクな偏向等々)、最初の評価者ベリンスキーからナボコフまでがしばしば指摘してきた、創作作法の欠点(冗長さ、バランスの悪さ、大衆文学的通俗性等々)といったものが、代表的論点として例示される。

 ジャーナリストでもあったドストエフスキーには、もちろんそのイデオロギーや政治的立場への批判もついて回る。実際彼の民族主義的偏見もしくはショーヴィニズム(反ユダヤ、反ポーランド、反イスラム、反ドイツ・・・・・・)の要素をどのように批判するか、あるいはどのような手続きで理解するかという議論は、学界でも時としてうねりのような高まりを見せる。

 90年代ロシアでも、このようなドストエフスキーの問題点、とりわけ反ユダヤ主義の側面を取り上げ、ドストエフスキーに関する議論を文学化した作品が発表されている。以下現代の文学的ドストエフスキー批判の展開ぶりを検討してみたい。


a)反ユダヤ主義批判: F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990)23
フリードリヒ・ゴーレンシテイン(1932-)の戯曲『ドストエフスキー論争』は、実は1973年に書かれていた作品で、ペレストロイカ後のソ連で初めて出版されたものである。

作者は粛正された父を持つユダヤ系の映画脚本家・小説家。『惑星ソラリス』(A.タルコフスキー)『愛の奴隷』(N.ミハルコフ)等の脚本を手がけ、79年に非公式文集『メトローポリ』の出版に参加した後、亡命している。

 『ドストエフスキー論争』は、エデムスキーといういかにもユダヤ人らしい姓を持った文学研究者が書いた「ドストエフスキーの無神論」という問題論文の採否をめぐって、作家同盟の編集部で行われる議論を戯曲化したもの。配役にもせりふ回しにも、上演用の配慮がなされているとはいえない、いわゆる「読むための戯曲」のように感じられる。

 論争の参加者は、主人公の文学研究者以外に編集者、作家、学者など十数名におよび、思想傾向も、反スターリニズムの農村派シンパサイザー、反ユダヤ主義のナショナリスト、その逆の反ロシア主義者など、多彩である。作品の所々に暗示されている事柄から判断して、出来事は執筆と同時期、すなわち70年代初期を背景にしているようだ。この時代、ドストエフスキーを含めた革命前文学の研究・評価において、すでにスターリン時代のような露骨なイデオロギー的規制は弱まっていて、様々な解釈基準や方法論の導入が可能になりつつあった。しかしそれだけに、古典の解釈が個々人の思想的な立場の表現としての意味合いを強く持ち、19世紀作家の評価をめぐって、イデオロギー上の「アヴァンチュリスト」対保守主義者が対立するという場面も、珍しくはなかった。先にふれたようにドストエフスキーはこの時期、一種の文化的復古主義やロシア民族主義のムードにも影響されて、比較的によく読まれ、生誕150周年を一つの契機として新しい科学アカデミー版の全集も編まれ始めていた。しかしそれゆえに個々の解釈の持つ論争的意味も大きく、たとえば「西側の」「ブルジョア式心理学」や「構造主義」といった文学研究の方法に対する態度、あるいはこの作家の宗教観、社会主義観、民族意識といったイデオロギー的要素の扱い方が、論者の自己主張の指標となっていた。――それがこの作品の大まかな背景状況である。

 論文の著者エデムスキーは、ドストエフスキーを良心的ロシア知識人のモデルとして、あるいは19世紀ロシア作家の代表者として崇拝する風潮に反対する、ドストエフスキー批判者の立場から立論している。

 今日ではドストエフスキーの体が、偉大なる19世紀ロシア文学の全身を隠してしまっている。19世紀文学を自分に取り込むのでも、冠のようにその頂を飾るのでもなく、まさに影のように覆い隠しているのだ。トルストイも彼の陰に隠れてしまったし、プーシキンはなおさらだ。チェーホフだけが一見意外なことに、かろうじて影から逃れ、彼と並び立っている。(中略)それどころか最悪なことに、19世紀ロシア文学のすべてが、今日ではドストエフスキーの視点から、ドストエフスキーを介して理解されているのだ。これはわが国でも外国でも同様である。P.19


 こうした意見とそれをめぐる議論の詳しい検討は省略するが、エデムスキーのドストエフスキー批判の主な論点と論理の骨子のみを列挙すれば、おおむね以下のような矛盾をはらんだ多彩なリストになる。

ア)男性原理批判:ドストエフスキーは男性原理中心の作家で、女性原理を理解していない。両性の原理の尊重から「愛」のモチーフが生まれるのに対して、単性原理は「自由」の概念を絶対化する。ドストエフスキーは自由を人間存在の最重要問題とし、自由との関連で犯罪のテーマを作品の中心に据えた。自由追求の志向が、(信仰=自発的自由の委託につながらず)「不死がなければすべては許されている」というイワン・カラマーゾフの思想につながるとき、20世紀的な殺人の肯定が帰結される。

イ) 宗教上の修正主義批判:ドストエフスキーは宗教の解釈に科学的な論理や方法を持ち込んでいる。神によって生きる代わりに、神を解釈しようとしている。従ってアインシュタインやフロイトとは通じ合うが、本来の宗教的神秘からは外れている。

ウ) キリスト解釈批判:ドストエフスキーはイエス・キリストの個性には共感したが、キリストの教えには従おうとしなかった。総じて彼の教義論は浅薄である。

エ) 民族的宗教の批判:ドストエフスキーにおいてはキリスト教観がロシア民族論と結びつき、自国民の属性や使命を説明する原理として用いられている。彼にとって世界とはロシアであり、人間の苦悩とはロシア人の苦悩である。『山上の垂訓』の普遍人類的な意味が恣意的に読み替えられている。

オ) ジャーナリスト的側面の批判:民族主義のイデオローグであったドストエフスキーが真価を発揮したのは、小説家としてよりもジャーナリストとしてであった。

カ)仏教的要素(!)批判:ドストエフスキーがキリスト・イメージの表象として描いた『白痴』のムイシキン公爵は、実はキリストに似ていない。キリストにとって人間的なものがすべて無縁でないのに対し、ムイシキンは人間的なものからの自由(解脱?)を求めている。

キ) 革命批判の批判:ドストエフスキーは革命勢力の批判にも失敗している。『悪霊』に書かれているのは、国家と革命勢力の戦いではなく、民族主義的無神論と社会主義的無神論という、二つの革命勢力の争いである。

ク) 女性観批判:女性はドストエフスキーにとって総合的人格ではなく、情欲か憐憫かのいずれかを喚起する偏った存在としてイメージされている。そこに生ずる愛
には、破滅が約束されている。

ケ) 20世紀への反面教師性:ドストエフスキーは神なくして生まれてきた。そこに彼の現代性があり、20世紀の精神が彼に惹かれている根拠がある。ドストエフ
スキーの誘惑は、現代の精神病の一つである。


 このような一連の批判と、それをめぐる議論の後、この異端の文学研究者の労作に出版不可の判定が下される。戯曲の最後に作者は、怒れるエデムスキーの呪詛のような言葉を付け加えている。

 (西欧によってさんざん見当違いにもてはやされたあげく:訳者)ドストエフスキーは全世界的な予言者、新時代の意識のイデオローグとして戻ってきた。それはどんな精神の実験にもころりと参ってしまうような、半アジア人の若年層には、きわめて危険なイデオローグである。皆に共通する指導的理念を信じない者は、自分の手で理念を量産するようになる。そして自分の手で作るものだから、自分ではそれが尊重できない。何の神秘もない、ただの作り物だからだ。ドストエフスキーは生の理念も死の理念も尊重しなかったし、本当に身近に感じていた「ロシア」の理念のような本物の理念でさえ、尊重していなかった。彼はそれを形而上学的に理解しただけなのだ。(中略)

20世紀は科学の世紀であるばかりか、意外なことに民族主義の世紀であった。

科学と民族主義という前代未聞の組み合わせのせいで、文化は成熟した力を失い、解体された。一貫した進歩の道を奪われた文化は、誘惑に負けやすい。とりわけ悲惨な時代における危険な誘惑の一つは、苦悩を通じて幸福を得ようという誘惑である。それこそが、とりわけ「世界的」小説群を書いていた時期の、ドストエフスキーの創作精神の眼目だった。(中略)

ドストエフスキーは20世紀文化の支配者である精神分析学の「ブーム」によって持ち上げられた。ゴーゴリやツルゲーネフに学ぶより、ドストエフスキーの方が楽だし、まねもしやすい。彼の思想に誘惑されるのはおもしろく、また自尊心も満足させてくれる。みんな完全な人間ではないから。ドストエフスキーとは、多くのものを得ながらただ一つのもの、神聖なるものを失った文化の頂点をなす存在である。その失われたものとは、保守的で、ダイナミズムや流動性に欠け、反逆者の視点から見れば滑稽なものでさえあるのだが・・・・・しかしそうしたものを欠いた文化は、遅かれ早かれ自滅を約束されているのだ。P.50


 エデムスキーの議論には、先に瞥見した90年代のドストエフスキー論議につながる観点も含まれている。たとえば宗教の危機の時代の作家としての彼の現代的な意味、そのキリスト観とキリスト教観の正当性、民族主義的側面への関心など。しかしそうした問題を論ずるエデムスキーの態度は、学問的な公平さや冷静さを離れて、きわめて断定的・主観的・択一的であるし、論点同士の整合性にも怪しいところがある。彼の論点のすべてを備えた(そしてそれ以外の積極的資質を欠いた)個人としての作家を想像するのはいささか難しい。あたかも彼にとってドストエフスキーは、単なる研究対象の域を遙かに越えた、一種の強迫観念として存在しているかのようだ。同じことは彼の説を擁護したり批判したりする他の登場人物たちについてもいえる。ドストエフスキーは人々の思想的な格闘の場に、一つの人格としてではなく、悪魔もしくは神のごときものとして君臨しているかのようである。

 ゴーレンシテインの作品は、ドストエフスキー論を媒介として、ソ連ユダヤ人という「内側にいる外部者」の目が、70年代ソ連知識階層の思想的雰囲気に感じた違和感や危機感をも表現している。そして同時に、こうした対立の様相自体が隠蔽された心理的閉塞状態の中で、古典作家の定型イメージがグロテスクに肥大していく様も、そこに反映されているのである。


b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996)24

 ユーリー・クワルディン(1946-)の小説『戦場はドストエフスキー』の設定には、ゴーレンシテインの戯曲との共通点が多い。すなわちここでも文学者同士の議論が描かれ、そこでドストエフスキー批判が展開される。ただしゴーレンシテインの議論が多人数での討論会であったのに対し、ここで行われるのは二人の主人公の間のダイアローグである。それも一因して、議論は文学論や思想論のレベルを逸脱した、より個人的、人間的な要素を含んで広がっていく。

 議論の主体の設定にも、皮肉なひねりが感じられる。ドストエフスキー批判者の役を務めるのは、この作品でもユダヤ人学者なのだが、ただし彼は青年時代からエリートコースを歩んでアカデミー会員の地位に上り詰めた学会の大立て者である。これに対してドストエフスキーの専門研究者として彼の擁護役に回るのが、ソ連後の学界で路頭に迷いかけている無名のロシア人学者なのだ。あたかもフェミニズムやポストコロニアル思想が支配するアメリカ文学界のような強者と弱者の逆転現象が、ロシアでも起こっているかのようである。

 舞台はアカデミー会員の文学者ダヴィドソンが住む大きなフラット。現代の経済危機で収入の道を絶たれたある研究所の学者エゴーロフが、この学界の権威を訪れ、研究助成金申請の推薦者となってくれるよう依頼する。現代文芸学理論の用語を散りばめた滑稽な文学談議を通じて、エゴーロフはこの大学者の関心を得ることに成功するかに見えるが、本題に入ったところでひとつの難題が持ち上がる。すなわち彼の研究テーマが「ドストエフスキーの予言性」であるのに対して、ユダヤ人のダヴィドソンは大のドストエフスキー嫌いなのである。

 ダヴィドソンのドストエフスキー批判は、先に見たゴーレンシテインの主人公の論点と幾分重なりながら、きわめて感情的反発をも含む形で、多岐にわたって展開されている。

 彼によれば、ドストエフスキーはまず自らの思想を客観視する冷静さやユーモアを欠いた真面目人間で、たとえばキリスト神人説に傾倒するあまり、キリストを文学上の人物として検討するゆとりを持たなかった。それが彼の文学を浅いものにしている。またドストエフスキーは作家というよりも、国家に無益な政策提言をするようなジャーナリストであった。彼は人間の行動の動機を美しくカモフラージュしてくれるイデオロギーの魅力にとりつかれ、「スポンジのようにイデオロギーに浸っていた」(p.20)。さらにドストエフスキーは収入のために書くプロレタリア作家であり、その様な文学の横行は国家の貧困を反映している。その調和や節度を欠いた書きぶりも、原稿料への打算と精神的アンバランスのしからしむるところで、「チェーホフの手で編集したいくらい」(p.23)である。またドストエフスキーにとって女性とは単なる性愛の対象に過ぎなかった・・・・・・。

 取り留めもなく羅列されるこのような批判の後に、ついに核心にあたるものが登場する。ダヴィドソンの議論の矛先は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義に向けられているのである。

『ヴレーミャ』『エポーハ』という雑誌や『グラジダニン』という新聞で、ドストエフスキーは西欧派とスラブ派の中間に陣を張ろうとした。つまり今の言葉で言えば、中間派(ツェントリスト)を目指したのだ。(中略)

そもそも、スラブ派と西欧派の論争は結局のところ、今でも同じだが、ユダヤ人への態度という明々白々な問題に帰着するのだ。(中略)ユダヤ人への態度は、キリスト教的とは言わないまでも、せめて寛容なものでなくてはならないということを、ドストエフスキーは理性では理解していた。しかしもちろん実際には第一カテゴリーの人間すなわち極右スラブ派に同調し、ユダヤ人を憎んだのだ。P.30


 ドストエフスキーの書簡集を開きながら、彼はこの作家がユダヤ人を「ジュー」と呼び、ユダヤ人がロシアのジャーナリズム、思想、経済界に勢力を張って「国家の中の国家」を形成し、社会主義運動を広め、非ユダヤ人への陰謀をたくらんでいることへの警戒を表明した箇所を引用してみせる。この意味で彼にとってのドストエフスキーは特殊な存在ではなく、ロシア民族主義の矛盾した心理構造を代表する存在に過ぎない。

 偉大なるロシア人は偉大なるユダヤ人から書物(聖書)を借用し、それに馴染み、自分のものとしてしまった。そしてその後、ユダヤ人をジューと呼んで呪うようになったのだ!興味深い変わり身ではないかね! またこれはどうだ――共産主義を考え出したのはユダヤ人(マルクス:訳者)だ。そしてロシアがこの思いつきを実行した。

すると結論として、共産主義者はユダヤ人崇拝者ということになるな?――それじゃ、スターリンの反ユダヤ政策はどこからきたのだ?謎だろう?哀れなユダヤ人から思想だけ取り上げておいて、その民族を呪うんだからな! P.31-32

 ダヴィドソンによれば、ドストエフスキーは登場人物をマリオネットのように操りながら、ひたすらこうした自らの思想をモノローグ的に述べただけであり、ミハイル・バフチンの言うポリフォニー文学という定義は、まったく見当はずれなのである。

 バフチンの定義なんて忘れなさい・・・・・・バフチンはドストエフスキーをちっとも分かっていない。ポリフォニーはチェーホフのもので、ドストエフスキーはモノローグ作家だ!・・・・・・彼の登場人物は人間じゃなくて操り人形だ。ドストエフスキーが彼らの後ろで糸をひき、今度はこの人形、次はあの人形と、作者の思想を伝えさせているのだ。
 (中略)

声たちのざわめきはやがてひとつの声、作者の声にまとまっていく。そうなるともう文学的仕掛けなど糞くらえで、作品を新聞記事のように読むしかない。そこですべてがはっきりする。ドストエフスキーは新聞記事として読むべきなのだ。例えば今の『文学新聞』のようにね。まったくドストエフスキーと同じで、文学を除けばすべてについて書いてあるから。P.35-36


 クワルディンの主人公のドストエフスキー批判は、ゴーレンシテインのものに劣らず矛盾に満ちている。彼にとってドストエフスキーの文学は、まじめなイデオロギーの表現であると同時にポストモダニズム的なゲームであり、執筆狂の書き流しかと思えば原稿料をねらっての水増し文である。

 さて、こうした多面的で一貫性を欠いたドストエフスキー批判が、この作品でどのような意味を持っているのかは、あくまでも判然としない。例えば貧しい家に私生児として生まれながら「生来の怠惰の故に」偶然文学の道に紛れ込んだエゴーロフという毛並みの悪い文学者が、俗っぽさをむき出しにしながら「ドストエフスキーを愛せるのは、自ら苦しんでいる者だけなのだ」と独白する様子は、それなりにダヴィドソンの怪気炎と拮抗している様に見える。エゴーロフの態度の根底にあるのは、きわめて素朴故に否定しがたい、作家の言葉に対する絶対の信頼感である。

エゴーロフはみんなが互いに寛容な態度をとり、軽率な過ちや侮辱を許し合い、他人の良い面のみを見いだして、それを会話でも強調するような、そんなことを望んでいたのだ。ドストエフスキーはなんとすばらしい人間だったことか。なぜダヴィッドソンはそれを理解しようとしないのか。ドストエフスキーはどの作品でも、人間に対する善良な態度について、キリスト教的な態度について語っている。その際、彼がもっとも大事にしたのは道徳の問題であった。道徳性だけが、彼の重要な関心事であった。

彼が常に<肯定>と<否定>を、善と悪を対決させていたのも、そうした例を通じて、善の優位を導くためであった。もしもドストエフスキーの作品のこうした面に気づかないとしたら、人生のことも何一つ気づかず、理解しないということになるだろう。
P.45


 一方で作中に紹介されるダヴィドソンの出自も、彼の思想を相対化してしまう意味あいを持っている。このアカデミー会員は、実は20年代からの古参党幹部の息子であった。

彼は幼時からエリートコースを歩みながら、スターリン時代には社会主義リアリズムを、ペレストロイカ期にはモダニズムやポストモダニズムを論じることで、常に学会の指導者の地位を保ち続けてきた、ソ連的変身術の達人なのである。おまけにこの人物は(彼の論じるドストエフスキーのごとく)性欲の権化のような人物で、定例の曜日に美人学生を自宅に招いて、あやしげな指導をしている(ちょうどこの日がその曜日で、主人公たちの談話は、女子学生の訪問で中断されるのである)。
 この奇怪な物語は、あたかもドストエフスキーの短編『いやなはなし』(1862)のような、やるせない結末を迎える。ダヴィドソンは結局エゴーロフの研究を基金に推薦することを拒絶するのだが、それに代えて別の提案をする。すなわちドストエフスキーの代わりに自分ダヴィドソンを研究対象とするならば、相手に月額1500ドルの助成金を保証しよう、ただしその見返りとして、自分に助成金の20パーセントをよこせと持ちかけるのである。こうしてドストエフスキー嫌いの毛並みの良い俗物と、ドストエフスキー好きの毛並みの悪い俗物とが、経済的なベースで手を握り、物語は大団円を迎える。つまりこの小説では、ドストエフスキーの反ユダヤ主義への批判が、いつの間にかユダヤ人学者の俗物性への批判と入れ替わっているのである。

 ゴーレンシテインとクワルディンの作品は、ドストエフスキー評価という窓口から、この20年間におけるロシア文学世界の変化を垣間見させてくれる。すなわち前者の作品でドストエフスキーをめぐる言説がはらんでいたイデオロギー的緊張が、後者においてはすっかり失われている。親ドストエフスキーも反ドストエフスキーも含めて、ここでは全ての言説の真の動機は個人的嗜好や利害である。ユダヤ人としての視点も、個人が隠蔽したり強調したりできる、選択的立場であるかのようだ。そうした意味で、ここでもあらゆる発言は自己言及的であり、対象を性格づけると同時に発話者自身を描写している。打算的で節操のない好色漢としてのドストエフスキー像は、じつは論者であるダヴィドソンの
自己の投影なのである。


c)文学の呪縛: V.ピエツフ『新モスクワ哲学』(1989)25

 前出のマカーニンの小説『アンダーグラウンド・・・・・・』には、殺人という行為が文学作品の記憶を介して初めて理解されるという、一種の事実とフィクションの転倒関係がほのめかされていた。こうしたことを、個人的経験論でも文学一般論でもなく、ロシア文学とロシア人読者の間の特殊な関係に帰す立場がある。文学作品の社会的な機能――世界の情報を伝え、空間や時間の観念を均一化し、宗教・思想・科学などを流布し、歴史や現実の事件の解釈を提供し、人々の行為に影響を与える、といった働き――は、本来小説(ノヴェラ)の本質に組み込まれていたものだが、近代ロシアの政治・社会状況の中で、文学のそうした側面がとりわけ涵養された。すなわちロシア文学は、人々に世界を教え、行動規範を説く教師のように、ロシア社会に君臨してきたというのである。

この種の事柄は心情的なイメージを背負っているので、真実性を論じることは意外に難しい。しかし現実として、たとえば言論の自由が抑圧されていた19世紀ロシア(あるいは20世紀ソ連)では、かろうじて文学が社会問題を表現し思想を語る媒体として機能していた、というようなロシア文学史の記述を、多くの人は抵抗なく受け入れてきた。これに逆の評価を与えれば、ロシアには事実の代わりに言葉や観念が、現実の代わりに文学があったという、ミハイル・エプシテイン流のロシア=シミュレーション社会論となる。ドストエフスキーの文学は、しばしばその種の議論の強力な例証として言及されてきた。

 ヴャチェスラフ・ピエツフ(1946-)は、小説『新モスクワ哲学』において、このような疑似現実体験の生産装置としてのロシア文学論、とりわけドストエフスキー論を、物語の輪郭として配置するという、風変わりな実験をしている。以下はこの小説の序文である。

 驚くべきことだが、ロシアの人間はずいぶん昔から母国の言葉の支配下に、あるいはくびきの下におかれてきた。例えばオランダ人はキェルケゴールを百年もの間読まずに放っておいたし、フランス人にとってのスタンダールも、死ぬまではお呼びではなかった。ところがわが国では、サラトフ県の何とかいう坊主の息子上がりの教師(19世紀作家・思想家チェルヌィシェフスキー:訳者)が、国民の将来のためには(板に打ちつけた:訳者)釘のうえで眠る方法を修得したらいい、といったことを書くと、もう国民の半数が釘のうえで寝はじめる始末なのだ。文学の言葉へのそうした服従的態度は二重の意味で驚くべきである。なぜなら、子供か狂人ででもない限りみんなよく知っているように、そうした言葉自体の陰に隠れているのは、単に生命のない現実の反映、模型に過ぎないからである。いや模型ならまだましなほうだ。悪くすると人々はひょいと腰を下ろしてありとあらゆるデタラメ話を作り出す。そしてその人生ごっこに我を忘れ、実在したこともない男や女に、前代未聞の行動をさせ、おまけにそのデタラメを実話だとふれこんで、罪もない何百万の人々を事実上誤った道に誘い込む。しかもその際、何か超人的な特権が自分にあるかのようにふるまうのだ。というのも、よく「彼は考え込んだ」とか「彼の頭にこんな考えが浮かんだ」などと書いてあるが、ある人間がどんなことを考え込んだか、どんな考えが彼の頭に浮かんだかなんてことが、いったい誰に用があるっていうんだろう!

 またあるとき本を開いてみると、実際こんなことが書いてある。「七月のはじめ、途方もなく暑い時分の夕暮れ時、一人の青年が借家人から又借りしているS横町の小部屋から通りに出て、なんとなく思いきりわるそうにのろのろと、K橋のほうに足を向けた・・・・・・」(『罪と罰』冒頭:訳者)これを読むと、つい考えてしまうだろう。そもそも、暑い七月も、青年が小部屋から出ていった夕暮れ時も、S横町も、青年自身も、何も存在せず、これはただある作家が自らの悪夢から逃れ、さらにはバタつきパンの一片を手に入れようとして、考え出したことなのだと。いやもし仮に、例えば暑い七月はあった、恐らくはS横町もあった、そして住人から又借りされた小部屋もあったとしても、この青年なるものは影もかたちもなかったのだ。いや百歩譲って、この青年が存在したとしても、彼は決して夕刻にアパートの敷地を出て決められた場所に向かうことはなかった。いやもし仮に向かったとしても、「何となく思いきり悪そうに」ではなくて、反対にドイツ風の足どりで出かけたのだし、それも小部屋からでも、夕刻でも、七月のはじめでもなく、きっとイズマイロフスキー連隊のアパートから九月三〇日の早朝に出かけたんだと。

 一番面白いのは、なぜかこの種の洞察が原寸大の大きさで得られることはなく、われわれはあたかもかつて先祖たちが最後の審判の日を信じていたように、無条件で文学を信じている、ということだ。あるいはこの文化現象は、わが国の文学が福音書的文学だからということで説明されるかもしれない。しかし一面では別様の原因も考えられる。つまり書いてあることがそのまま起こったのだと。つまり本当に暑い七月があって、夕刻も、青年もそのままで、まさに彼が「思いきり悪そうに」敷地を出ていったのだ。たとえそれが前世紀の六〇年代ではなかったとしても、前前世紀の四〇年代とか、あるいはボリス・ゴドゥノフの時代とか、はたまた二年前だとか。なぜならば人類はかくも長いあいだ、豊かでかつ多様な形で生存してきたのだから、たとえ文学者がどんな突飛な、悪夢のようなシチュエーションを考え出そうとしても、人間が実際に一度も経験したことがないことなど考えつくことはできないのだ。如何なる幻想もやがては現実となり、如何なる原因もそれなりの結果に結びつき、如何なる子音と母音の組み合わせも、必ずや人類のいずれかの言葉で何事かを意味するものとなる。

ことほど左様に、如何なる芸術的な思いつきも必ずや現実のシチュエーションや出来事と呼応したあげく、ついには現実の出来事と受け止められる定めなのである。問題はまさに、すべてが実在したというその点にある。エヴゲーニー・オネーギンとタチアーナ・ラーリナも、アカーキー・アカーキエヴィチと彼の不運な外套も、レビャートキン大尉とその突飛な詩句も、かの頑固一徹居士も――確かにこういう連中は、実は別の名前を持ち、別の状況におかれて、住む時代も場所も別だったのだが、そんなことは相対的に無意味である。大事なのは別のこと、つまりむしろ文学こそがいわば生活の根っこ、もしくは生活そのものであって、ただちょっと水平方向にずらしてあるだけだということなのだ。だからこそ、わが国では実生活の向かう方向に文学が向かうということも、また反面で、文学が向かう方向に実生活が向かうということも、はたまた実生活に沿って文学が書かれるばかりでなく、ある点でいえば文学に沿って実生活が営まれているということも、さらに文学の精神的呪縛力が強いあまりに、きわめて良識的な人間さえ、ある種のロマンチックなケースにおいては、ふと「アリョーシャ・カラマーゾフならそんなことはしなかっただろう」などと考えかねないことも、どれもこれも決して少しも驚くべきことではないのである。だからある種のロマンチックなケースでわれわれがつい神聖なるトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフの作品を参照するとしても、そこに恥じるべきことはなにもない。なぜなら彼らはフィクションではなくて、ほぼ作品のまま現実に存在したロシア生活の司祭、つまり見習うべき手本に従って苦悩し、思考した存在だからである。つまりすべて現実だったということが大切なのだ。例えば次のような一節は、いかにも比類なくおぞましいものに見える。「老婆は叫び声をあげたが、しかしそれもごく弱々しい声であり、かろうじて両手を頭のほうにあげたかとおもうと、そのままへなへなと床にしりもちをついた。・・・・・・倒したコップの水のように血がほとばしり、体は仰向けに倒れた。・・・・・・彼女はもう事切れていた。目は飛び出さんばかりにむき出され、額から顔全体がしわくちゃで、痙攣に歪んでいた。・・・・・・頭蓋骨は粉々になり、少し脇にずれている・・・・・・」
(『罪と罰』老婆殺害の場面:訳者)しかしこのようなシーンが、まったくこの描写通りのディテールをともなって、実際に何度も繰り返されてきたばかりか、つい最近もまたぞろ繰り返されたのである。確かにこの最近のケースはこれほど残虐ではなかった。被害者の老婆は現代の素材とスタイルの暗いまだら縞のコートを着て、耳あてのついた滑稽な毛の帽子を被り、「さらば青春」の名でお馴染みのゴムとフェルトのオーバーシューズをはいて、ポクロフスキー並木道の取っつきにあるベンチに、目を閉じて腹に両手をあてた恰好でちょこんと座っていた。なんといっても二〇世紀最後の四半期の風俗が、古典的なシーンをも甘く修正したのである。P.54-55


 文学と現実の関係をめぐるこの饒舌な序文は、いわば引き延ばされた逆説、文章として展開された反語法である。すなわちロシア文学の現実支配力の暴露・告発に始まり、文学のリアリティ構築のメカニズム分析、ロシアにおける文学の「福音書」的性格の指摘へと進んだ議論が、最後には文学とは「ちょっと水平方向にずらされた(=シンボライズされた)」実生活であり、文学と現実は連動するのであって、人が文学に沿って行動したり、文学に書かれたことが実現したりするのは当然であるという、文学の現実支配力の肯定に終わっているのである。

 告発者が弁護人と裁判官をかねたような、この見せかけの文学批判においては、ガルコフスキーの作品に似て、内容とスタイルが一致している。すなわち文学の呪縛力を論ずる言説が、いかにも文学的観念連想の世界に閉じこめられた人のような、果てしない袋小路風の文体をまとっているのだ。

 この序文と小説本体との関係もアイロニカルである。物語はある共同住宅を舞台とした失踪・殺人事件を、二人の主人公がアームチェア・デテクティヴ風に推理・捜査するというもので、この序文の議論とも、小説のタイトルが意味する新しいモスクワの哲学とも、とりわけ関連した印象はない。従って小説におけるこの序文の位置づけは、ローレンス・スターンやニコライ・ゴーゴリ風の真面目くさった冗談、人を煙に巻くためのペダントリー、物語を遅延させるための遠回りといったものとの類推で理解される。つまりこの序文のうちで作品の物語部分にとって必要なメッセージは、最後の数行に書かれたある老婆の死という事件に尽きていて、それ以前の部分(ロシア文学の呪縛力への驚きに始まって、『罪と罰』の老婆殺しのシーンに至る部分)は、「ある老婆の死」という発端のシチュエーションを導くための回りくどい「枕詞」なのである。

 ちなみにこの小説は序文ばかりか後書きめいたものも備えていて、そこにまた物語本体に場所を譲っていた前書きの議論の尻尾のごときものが顔を出す。そしてそれはもう、完全な文学肯定・文学賛歌となっている。

 (主人公ベロツヴェートフの:訳注)考えは次の点に落ちついた。つまり人類精神の発展プロセスにおいて、文学は遺伝子にも比すべき重要な意義を担ってきた。なぜならば文学とは人類の精神的経験が集約されたものであり、その意味で人類という理性的な存在の遺伝子コードに付加された本質的な書き込みなのである。だから文学がなければ人間は本当の意味で人間にはなり得ない。つまり先祖の血とともに世代から世代へと受け継がれていくものがあると同時に、書物によってのみ受け継がれていくものもあるのだ。まさにこの結果として、人々は文学を顧慮しながら生きるべく義務づけられている。ちょうどキリスト教徒が「我らが父」を顧慮するように・・・・・・。P.124


 

 つまりこの小説は一種の枠物語で、ここに引用した頭と尻尾の部分は、本文とは別次元の「小説ジャンルに関するメタ・言説」として切り離して考えることができる。そしてそのことは逆の可能性をも示唆している。つまり序文と末尾に分担された、いかにも屈折した文学批判/文学賛美こそが、この作品の本体すなわち「新モスクワ哲学」であって、探偵気取りの人物たちの経験を書いたストーリー部分は、他の何かと代替も可能な、イラストレーションに当たるのかもしれない。本当の主人公は文学――というわけである。

 いずれにせよわれわれに興味深いのは、ロシアにおける文学の心理的・倫理的呪縛力や文学と現実の相似性というテーマが、マカーニンの場合と同様に、ここでもドストエフスキー文学(とりわけ『罪と罰』)を素材として展開されていることである。順序としてはピエツフの作品が10年ほど早いので、ピエツフ――マカーニンという影響関係も考えられなくはない。しかし問題はおそらく個人的な影響関係ではなく、すでに長いことロシア人一般に共有されているドストエフスキー・イメージのステロタイプであろう。少なくともシンボリズムの時代には形成されていたと思われる紋切り型イメージによれば、たとえばラスコーリニコフは思想とプライドのために罪を犯すインテリ、彼に殺される老婆は卑俗な現実原則の代弁者、ポルフィーリーは人間を知悉した心理分析家、マルメラードフは寄る辺のない酔いどれ・・・・・・ということになる。あらゆるステロタイプと同様に、これらはオリジナルの人物像の一面をわかりやすく切り取っているせいで、非常に強固なイメージとして人々の心に染みついている。そしてドストエフスキー自身には、こうしたイメージ群を駆使して近代ロシア社会の葛藤を描いたリアリスト、ロシアの進むべき道の探求者、さらにロシアの未来を文学的に洞察した予言者、といったイメージが与えられるのである。

 このような紋切り型の人間群像は、簡単に実生活のシチュエーションに適用することができる。従って文学と現実の相似性、文学の現実への影響力といったテーマの展開にドストエフスキーを利用するのは、きわめて自然なことだ。この作家はつまり、そうした議論に好適な、できあいのコンテクストを丸ごと提供してくれるのである。これを逆からみれば、ドストエフスキーをネタに文学と現実の関係を語るということ自体が、とうに紋切り型であり、新しいインパクトを与えにくいということにもなる。

 おそらくこの作品の作者は(後に言及するパロディ作者たちと同様)そのような事情を十分ふまえたうえで、あえて「ちょっと水平方向にずらした」言及の遊びを行っている。

それがこの序文の、循環論法めいた奇妙な論理構成であり、最後に登場する被害者の老婆の滑稽な現代風の服装なのである。


d)寸鉄詩風批判:ドミートリー・プリゴフ「文学と芸術の諸法則」(『D.プリゴフ:

1975-1989 の作品集』1997)26ヴァルラーム・シャラーモフ「赤十字」(『コルィマ物語』1959)27


 ステロタイプの集積の頂点に形成されるのが神話であるが、主としてシンボリズム時代の思想家たちが作り上げた神話的なドストエフスキー像――たとえば天上の原理と地上の原理の和解を求めて苦悩する思想の巨人のイメージ――は、そのまま現代の文脈に移されると違和感をもたらす。前出のユーリー・カリャーキンの書物『ドストエフスキーと21世紀前夜』にも、そのような感慨をもたらすドストエフスキー像の巨大化・神秘化作用が働いているようだ。また一方でそのような神話を真っ向から批判する議論――たとえば先に見たゴーレンシテインやクワルディンの主人公たちの議論――にも、ともすると文学のメッセージを逆方向に単純化し、別の極端なイメージ(「ショーヴィニズムの権化」「悪趣味なジャーナリスト」等々)を生産するきらいがある。こうしたケースで認識のバランス回復に役立つものの一つは、寸鉄詩やアネクドート等の、軽やかなからかいやユーモアをベースにした批判である。

 詩人ドミートリー・プリゴフ( 1940−)の作品にその例がある。

レールモントフは人生に苦しむあまり
人生を愛する力がなかった
シェストフは書物に苦しむあまり
書物を嫌う力がなかった
ドストエフスキーは神に苦しむあまり
愛するすべを知らなかった
俺は国家のことに苦しみながら
真面目に愛そうとしてきた
ただ俺がとびきり苦しむものだから
誰も俺を愛そうとしない(プリゴフp.106)

           *****

ドストエフスキーはプーシキンをたたえて言った
「飛んでいけ、小鳥よ、あの地平線めがけて
その後どうするかは、私が教えよう
二人で楽しく流刑地で暮らすため」


プーシキンは答える。「近寄るな、畜生め!
詩人は自由なもの! 恥辱とは無縁さ!
君のような退屈な苦悩などまっぴらだ!

は高木美菜子訳、ヴァルラーム・シャラーモフ『極北コルイマ物語』(朝日新聞社、1999)を利用した。

詩人は神がお好みの場所に、憩わせてくれるのさ!」(プリゴフp.107)


 前者では苦悩と愛のアイロニーという文脈でドストエフスキーの苦悩者ぶりがからかわれ、後者では散文作家ドストエフスキーの地上的・政治的な精神が、自由な詩人の立場から批判されている。もちろん「苦悩する地上人」も「自由な詩人」も、ともにステロタイプにすぎない。ただこのコンセプチュアリズムの詩人は、紋切り型の概念同士を単純にぶつけることによって、ある意味でゴーレンシテイン風の批判よりも効果的なイメージ転換を成し遂げている。それはおそらく紋切り型イメージから深刻さを払いのける手つきの背後に、自分自身をも笑っている道化的詩人の姿が見えるからである。

 これとは全く違う意味ではあるが、次のようなヴァルラーム・シャラーモフ(1907-82)の寸鉄言も、長々しい議論に劣らぬ批判力を発揮している。

 ドストエフスキーは『死の家の記録』で、大きな子供のようにふるまう人びと、芝居に夢中になり、怒りを見せずに子供のように言い争う不幸な人びとのふるまいに感動している。ドストエフスキーは本物のやくざ世界の人間に会ったこともなければ、知り合ったこともないのだ。このやくざ世界を描くとなれば、ドストエフスキーは同情の言葉など使わないはずだ。(シャラーモフp.14)


 17年をソ連のラーゲリで過ごしたこの作家はおそらく、19世紀にシベリアの監獄で4年間を過ごしたドストエフスキーを批判することに、とりわけ関心があるわけではない。

ただ彼は自らの体験を語るに際して、ドストエフスキーの描く民衆像は参考にならないと言っているだけだ。そしてそれが、流刑地で本当のナロード(人民)を発見したと感じたドストエフスキーの陥ったロマンチックな錯誤を、端的に暴く結果になっている。つまり神話の向こう側にあるドストエフスキーの人間像に迫っているのである。


3.加工されるイメージ

最後に扱うのは、意識的な加工や改変を施されたドストエフスキー・イメージを含む文学作品である。つまり広義の文体模写やパロディの手法によって生み出された、もう一人のドストエフスキー、新しい『罪と罰』、似て非なるドストエフスキー風文体といった、一連の「もじり」が、作品の中で大小さまざまな役割を果たしているケースである。

 パロディの意味や効果は、作家自身の構想や技量に応じてまちまちである。しかしドストエフスキー自身が先輩作家ゴーゴリをモデルに行ったような文体模写やパロディは、先行文学を批判的に受容する手続きとして、あるいは文化的権威や時代のモードに対する自己主張の方法として、普遍的かつきわめて有効なものである。したがってパロディ文学の出来栄えは、古典文学の現代的な意味やインパクトを伺ううえでも、現代作家の文化的自意識をみるうえでも、大切なポイントであろう。

 ここに言及する例は4点だけであるが、もじりの姿勢や方法において皆異なっている。

それぞれを仮に名付ければ、

a)ナンセンス小説版、
b)ジャンキー・ノヴェル風、
c)バーチャル・リアリティ版、
d)テキスト自壊型ドストエフスキー、

といったところである。それぞれの作家の決して一義的でないドストエフスキー観を見分けるために、以下では主として次のような点に注目したい。すなわち、

1)それぞれの文体模写の動機付けは何か、

2)それは作品にどのような効果を及ぼしているか、

3)それぞれの作家はドストエフスキーの文体のどのような側面に関心を持っているか、

4)ドストエフスキーの文学はロシア文化のどのような側面を表象するものとして受け止められているか。


 なお模写もパロディも、直接的には文章自体を対象としている。すなわちその出来栄えは、作家の発想や構想自体の質もさることながら、改編された文章がオリジナルの文章の記憶との対比において醸し出す、既視感、違和感、不気味な驚きといった効果に帰す部分がきわめて大きい。従って以下の言及においても、必要に応じて関連テキストを付す。


a) ナンセンス小説風ドストエフスキー:V.ナルビコワ『第一人物の場と第二人物の場』
(1989)28

 最初の作品は名前遊びの例。個人にまつわる情報やイメージを究極に圧縮した記号が固有名詞である。夏目漱石は明治期の知識人であり、開化時代の余計者を描き、神経を病み・・・・・・といった無数の情報の集合だが、一言で表現するなら「夏目漱石」というに尽きる。この圧縮された情報記号の一部を改変すると、名前のパロディあるいは名前の仮面(八目漱石、夏目宝石・・・・・・)が生まれる。名前の仮面は瞬時に多重の効果をもたらす。すなわちオリジナルのイメージを喚起しつつ、そのイメージを何らかの方向に向けて換骨奪胎し、同時に作品のコンテクストを多元化する。すなわち言葉遊び、下世話なユーモア、権威の嘲弄、現実風刺といったものを広く許容する、開放的な非日常空間(バフチン的に言えばカーニヴァル的な世界)を生み出すのである。

 ドストエフスキー自身この手のことが好きで、実在の人物に似た名前の考案(シチェドロダーロフ←シチェドリン、カラマーゾフ←カラコーゾフ)、イニシャルや語尾だけによるモデルのほのめかし(――ボフ氏=ドブロリューボフ、批評家B=ベリンスキー)、地口的な固有名詞の言い換え(雑誌『ゴーロス(声)』→『ヴォーロス(毛)』)といった、フォークロアや子供の言葉遊びにも似た固有名詞の遊戯を、小説でも評論でも試みている。ある種の場合には、これは相手に直接言及することをはばかるという礼儀上の、あるいは政治的な身振りであったが、大半は相手に対する悪意の間接的な表現であった。

 ドストエフスキー自身もこの手の遊戯のネタになった。たとえば前出のサラスキナによれば、1920年代末のソ連で、二人組のユーモア作家イリヤー・イリフとエヴゲーニー・ペトロフが、「F.トルストエフスキー」というペンネームで『千一の昼、もしくは新シェヘラザード』と題する40ほどのエッセイを書き、プチブル的俗物や旧体制の残滓を攻撃してみせた。また二人はこれと前後して、ドストエフスキーの主人公をもじった人物が登場する、悪趣味なユーモア物語を書いていた。

 ドストエフスキーはなにかとこの手のプリミティヴなゲームに縁があったのである。

 ドストエフスキーとトルストイという19世紀文学の二大巨匠の仮面を風変わりな恋愛小説の主人公たちに与えたのが、ヴァレリヤ・ナルビコワ(1958-)である。ドドストエフスキーとトエスチルストイという奇抜な名の主人公たちが登場する彼女の小説『第一人物の場と第二人物の場』(1989)は、次のように始まっている。

これは不合理(イラショナル)だね。
でも私の名前イッラよ。
の字が二つ入っているのかい。
イッラはイッラよ。
君に敬意を表してイラショナルっていうときも大文字で書きたい気分だね。

時計はシンメトリーで十時十分だった。酔っ払いが橇の刃で引き裂かれて死んだので、シャベルをもった子どもたちがその埋葬をしているところ。近所のアパートではロッシーニの『シンデレラ』をかけていた。

あなた本当にそんな年?――イッラが聞いた――ドドストエフスキーなんて苗字、なんだか先史時代みたいね。
名前のほうで呼んでくれてもかまわないよ。
どんな名前?
彼は言った。
そんな名前なら呼ばない方がましだわ
車庫はエレベーターでできているが、それは・・・・・・だから。電車道を最終電車が通過し、それから汽車が走っていく。
汽車が走ってる――イッラが窓をさす。
よくあることさ――ドドストエフスキーが答える。
汽車だわ――彼女は繰り返す。そして列車が完全に通り過ぎるまで、彼女はその怪物を見つめていた。

なぜだか汽車がいるのよね――彼女は三度目に言う。
彼女が寝かせてくれと言うので、彼は枕をもってきてやり、彼女がベッド全体を占領した。そして彼もベッド全体を占領した。
わたしたち友だちなのに――彼女は当惑する。P.9


こうして知り合い、同棲するようになった二人のもとに、ドドストエフスキーの友人トエスチルストイが訪ねてきて、そのまま住み着いてしまう。やがてヒロイン・イッラとトエスチルストイの間にも恋愛関係が生じ、部屋組と台所組に分かれた奇妙な共同生活が始まる。

 彼らは二つのカップルに別れた。イッラとドドストエフスキーが部屋に、イッラとトエスチルストイが台所に。つまり彼らは結局四人というわけだ。けれども台所に集まってみると、また三人になってしまう。P.35


 イッラにとって恋人ナンバーワンはあくまでもドドストエフスキーで、トエスチルストイは二番手なのだが、不思議な経緯で彼女はトエスチルストイの方と結婚してしまうので、一番手と二番手の間の心理的テリトリー関係が微妙になる。これが小説の変わったタイトルの由来である。この意外なほどに古めかしい面を持つ心理的葛藤は、結局作品の最後近くまで続くのだが、作者はそれまでの過程で固有名詞を使ったナンセンス風言葉遊びを十分楽しんでいる。

 イッラはドドストエフスキーを愛していない振りをし、ドドストエフスキーはイッラを愛していない振りをし、イッラはトエスチルストイを愛している振りをし、トエスチルストイは気分が悪い振りをし、イッラは上機嫌の振りをし、ドドストエフスキーは気分が良くても悪い振りをし、仕舞いには周囲の雰囲気に関わらぬ一定のポーズができあがっていった。P.42


 ある部分では、ドドストエフスキーの名はさらに縮められてドド(Dodo)となり、トエスチルストイはT.e.と略称されるが、後者はロシア語のト・エスチすなわち「つまり/端的に言えば」の略号と同一になる。

 この家庭内三角関係の果てに、ドストエフスキーがトエスチルストイを殺害し、追われる身となった彼とイッラはかろうじて空中に飛び上がって難を逃れる、という展開になる。クライマックスの殺害シーンは、次のようなシュール・レアリスティクなどたばた劇風の描写を与えられている。

 トエスチルストイはすぐに帰ってきた。彼はそのまま台所に入って、そこから聞いた「彼女はここにいたのか?」

「彼女はここにいた。それが?」ドドストエフスキーは言った。トエスチルストイは台所を出てトイレに向かった。ドドストエフスキーはそれに気がついて、行く手を遮った。トエスチルストイは膀胱も胃袋もいっぱいだったので、ゆっくりと動いていた。二人がぶつかったとき、ドドストエフスキーは相手の喉をつかもうとしたが、トエスチルストイはすばやく身を丸めた。彼の背筋は非常に強く、ドドストエフスキーはどうしてもその丸まった体を開けなかった。そこで彼は球になった体を風呂場まで転がしていって、片足で押さえつけながらバスタブに水を溜めた。水がたまって彼がその中にトエスチルストイを投げ込むと、相手はすぐに水中で体を伸ばした。今にもイッラが戻ってくるかと心配だったので、ドドストエフスキーは一刻も早く済ませてしまいたかった。トエスチルストイは水中では球になれなかったので、ドドストエフスキーにとってもう処理は難しくなかった。彼が相手の首を締めると、トエスチルストイは「はなせ、馬鹿野郎」と言い、ドドストエフスキーは「馬鹿野郎はお前だ」と言い、トエスチルストイは何も言い返さず、そこでドドストエフスキーはもう自分が相手を窒息死させたことを知った。彼は相手の体をきわめて慎重に解体したが、それは膀胱を傷つけたくなかったからだ。内臓が尿にまみれることを警戒したのだが、どうやらイッラの帰宅前に全部片づけて、ビニール袋にしまうことができた。彼が鍋を火にかけたとき、イッラがドアベルをならした。台所に入ってくると彼女は鍋の蓋をあけてたずねた。「これ何?」はじめ彼女はそれが若鶏だと思ったのだが、しかしじっと見たあげくそれがなんだか理解した。「なんであなたハリネズミを殺したの?」「食べるのさ」彼は答える。「どうして?食べ物がないって言うの? マカロニならいっぱいあるでしょう」「こいつは珍味なのさ」ドドストエフスキーは言った。二人は煮こごりを食べた。たいそうおいしかったが、ドドストエフスキーにはどうしても少し尿の臭いがするような気がした。もちろんそんなはずはないのだが。P.61-62(テキストA参照)


 ちなみにこのシーンは、ロシア版ナンセンス文学の代表者ダニール・ハルムスの、次のようなロシア文学者遊びを連想させる。

ゴーゴリ: (袖から舞台へと倒れ込み、そのままじっとしている)
プーシキン: (登場してゴーゴリの体に躓いて転ぶ)くそ!いやはや、ゴーゴリに躓いた!
ゴーゴリ: (立ち上がって)なんてことだ!おちおち休んでもいられない(歩き出してプーシキンに躓いて転ぶ)いやはや、プーシキンに躓くなんて!
プーシキン: (立ち上がって)一分間も休めやしない!(歩き出してゴーゴリに躓い
て転ぶ)くそ!あれ、またゴーゴリか!(以下同様なことが4回繰り返される)30


 ナルビコワの作品におけるオリジナル人物とパロディの関係は、少し複雑である。男性主人公たちが19世紀作家たちを連想させる要素は、名前以外にあまり多くない。強いて言えば両者とも書物の蒐集家で、はっきりした趣味傾向を持っている。ドドストエフスキーにはファンタジーや宗教的なものへの関心が、トエスチルストイにはエロチシズムや即物的な世界への関心が優勢であるように見える。たとえばドドストエフスキーが旧約聖書と新約聖書の比較論を展開するのに対し、トエスチルストイは、女性の胸は成人男性の掌に収まるのをよしとする、といった俗物的な意見を披瀝する。これは霊的作家ドストエフスキー対地上的作家トルストイというシンボリストの観念と、どこか関連しているように見える。

 モデルとパロディが思想レベルで重なり合うのは、ドドストエフスキーが福音書批判をするところである。

つまり仮に努力すれば、「盗むなかれ」、「殺すなかれ」、「親を愛せ」、「みだりに姦淫するな」、という教えは守ることができる。しかしどんなにがんばっても、結局隣人を自らのごとく愛するのは無理なのだ。P.50


 地上的人間にとっての隣人愛の困難さの認識は、空想的社会主義の博愛の理念に惹かれていた1840年代のロマンチックなドストエフスキーと、60年以降の宗教的ドストエフスキーを隔てるポイントの一つである。もちろんこれは、ナルビコワが下世話に展開しているテーマとも関連している。つまりこの作品によれば、隣人どころか同居人を愛することが大問題なのだ。

 しかしこの種の類似要素がオリジナルとパロディを近づけるわけではないし、かといって両者を対立させるわけでもない。両者の共通点も差異も、テキストの大部分を占めるグロテスクやナンセンスの雰囲気に飲み込まれてしまっている。総じてこの作品の構成原理は、一致・調和でも反対・対立でもなく、無関係なものの共存である。つまり意外なイメージ結合、語と語、文と文の間の論理的・心理的関係の不在、言葉と行為の裏腹さといった、アンバランスな関係性の生むエネルギーが、作品を支配しているのである。ドドストエフスキーやトエスチルストイという名前自体の中でも、オリジナル・イメージへの連想と単なる軽薄な音の遊び、意味と無意味が戦っているのであって、作者は主人公たちが確固たるイメージを獲得しようとするたびに、軽やかな言葉遊びでそれを突き崩していく。たとえばイッラがドドストエフスキーという名前を「先史時代みたい」というのは、おそらく単に「〜以前」を示すロシア語の接頭辞「ド」が二つも入っているからにすぎない。

 古典作家の名前遊びがここで果たしている役割の一つは、ある古い恋愛物語のパターンを現代風に再利用しようとする作家の姿勢を、シンボリックに表示することである。実際、第一の人物(恋人・夫)と第二の人物(その友人)が一人の女性をめぐって対立するという設定は、ヨーロッパ文芸(小説、演劇その他)の月並みテーマであり、『白痴』や『アンナ・カレーニナ』の作者たちも、このジャンルのロシアでの代表者に混じっている(この意味で二人のオリジナル作家の選択は、偶然とは思えない)。このいわば永遠の(=手垢にまみれた)題材を改めて作品に用いるには、ジャンルの伝統を意識したうえでの大いなる自己主張が必要とされるだろう(さもないと作品は安価なテレビドラマ風の反復になってしまう)。つまり現代版三角関係小説には、古典の思い切ったリメイクやパロディの意識が必要とされるのである。

 ナルビコワはいくつかの点でこれを行っている。彼女はまず女性自身の論理や欲望を、物語に大幅に導入した。女性は単なる愛情の対象ではなく、自ら選択し、恋愛ゲームを作っていく主人公である。作者はさらに物語を首都のアパートの一室に封じ込め、愛のテーマを食事や排泄の話題と等価の、ほとんど生理現象のようなものに変貌させた。そして同時に19世紀小説が内包していた倫理的・心理的テーマ設定――トルストイにおける愛と貞節、性愛と母性愛の対立といった問題設定、ドストエフスキーにおける嫉妬や他者の欲望の模倣、エゴイズムと自己犠牲の論理の対立といったテーマ群――を、きわめて希薄なものにしてしまった。マルキ・ド・サドの名前が作中で言及されるのも、恋愛をセンチメンタリズムから解放し、快楽と哲学の問題として扱おうという意志表示に見える。ジャンルの内部改造と言うべきこの一連の手続きの中に、ナンセンスな言葉遊びや名前の仮面の遊びも混じっている。つまりナスターシャ・フィリッポヴナやアンナ・カレーニナの軽薄な複製づくりに、それも一役買っているのだ。

 従って、冒頭にでてくるイッラの名前がイラショナル(=不合理・ナンセンス)な小説構成を暗示するのと同じことを、主人公たちの名前も行っているとみるのが当然かもしれない。つまりこれは「ドストエフスキー以前」の小説のようなプリミティヴな迫力を持って、トルストイ的テーマを「端的に要約してしまう(=ト・エスチ)」ような、身も蓋もない恋愛小説なのである。


b)ジャンキー・ノヴェル風ドストエフスキー:ヴィトゥフノフスカヤ『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)31


 ナルビコワ風の日常性の中のナンセンスを遙かに逸脱して、幻想もしくは妄想の世界に導入されたドストエフスキー――アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ(1973-)の小説『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)は、そのようなものを連想させる。
 舞台は「全世界中国」の毛沢東に支配された「分離モスクワ」。独裁政権のもとで堕胎が禁じられ、文学が死に、魚が絶滅させられている(魚は即物的に殺されるばかりか、イデオロギー的にも有害物と見なされ、魚という語の使用も犯罪である)。

 主な登場人物は、地下室人タイプの猫背の技師、彼が非合法に飼っているロシア文学に造詣の深い片目の小魚、それに技師の母親である。論理的に再話しにくいこの物語を、ドストエフスキー・イメージを手がかりにたどると、おおむね以下のようになる(ドストエフスキーを中心とした主な文学的連想を【】中に指摘する。なおこの作品のグラフィックな印字面についてテキストB−1を参照)。

 独裁体制下のモスクワに住む技師が、反国家的意志の象徴のような小魚を瓶に入れて飼育し、相手の好物である羊チーズ、毛髪、トルストイ全集第3巻を与えている。【地下室人的な孤独な思想営為の比喩か?】彼は魚を「ロシア文学の唯一の貯蔵庫」「わが秘密の花嫁」「ロシア・マゾヒズムの内縁の妻」などと名付けている。

 ある時彼の母親がトイレに隠された秘密の瓶を発見、自らの頭髪をそり落として餌として与える。するとひょうきんな片目の小魚が、「おまえはロシア文学最後の金貸しの老婆だ」と言う。【『罪と罰』風のテーマ設定への暗示】

 やがて息子の身を案じた母親が、瓶を壁に投げて魚を殺害しようとすると、息子が反発する。

 「あんたは俺の母親じゃない。独裁者の禿頭の走狗だ。あんたを殺してやる、殺してやる!そして金も奪ってやる。それが俺の罰だ。つまり心の浄さで身を立てることができないのだ。不自由で、しかも抵抗しようとしない俺は、汚れた、卑劣な人間だ(これは無意味な客観論だが、たとえ自分を正当化できたところで、下劣なことに変わりはない)。だから俺は実際の行動においても下劣な人間になってやる。一目瞭然、どんな哲学も不要なように」

 そして彼は母親を斧で惨殺した。P.14-15【ラスコーリニコフとは逆方向の、しかし同じく自尊心と劣等感の葛藤を含んだ犯罪。ラスコーリニコフの老婆殺しのイメージに重なる斧による惨殺】


 すると意外にも死にゆく母親の頭に、波打つ長い黒髪が生えてくる。瀕死の母親は、ロシア文学と、殺された魚たちと、いずれ息子を通じて実現されるべき反中国革命の名において、自分の髪を将来に備えて保存せよと命じる。

 その後彼女は変身する。

そう彼女は言った。
そして顔を変えた。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー登場。
ただし体は女で、髪は長い巻き毛。P.16【ドストエフスキー本人の出現。『分身』のモチーフ応用?】


 息子は母の遺志を受け止め、罪意識に陥る代わりに革命への使命感をはぐくむ。
 一方、この技師の物語を離れて、アメリカの学者ジークムント・フォード【精神医学者フロイトを連想させる名前】の視点から、ロシアにおける「中国のくびき」のマゾヒスティックな心理構造が分析される。それによれば本物の中国人はすでに大半が死に絶えており、ドイツの精神病院で治療中の、わずか二名を残すのみである。従ってモスクワを支配している中国人とは、中国人の振りをするロシア人か、もしくは架空の存在にすぎない。つまり毛沢東の独裁政権下に苦しむモスクワというのは、ロシア人自身による自虐的な演出なのである。

 物語の最後の方で、この仮説に落ちが付く。実はドイツの精神病院でヒトラーとエヴァ・ブラウンを装っていた二人の中国人というのが、公的には死んだと思われていた毛沢東と主人公の技師自身の父親で、二人はモスクワを裏から操りながら、権力意識を満たしていたというのである。

 この荒唐無稽な筋を背景に、さらにいくつかドストエフスキー・イメージの展開がみられる。

 母親殺しの後、主人公は自らの子を宿した女ナスチャと結婚することになるが、彼には相手と交わった記憶がない。【ナスチャ=ナスターシャは、『白痴』のヒロインをと同名である。彼女にはドストエフスキーの聖痴愚(ユロージヴァヤ)に似た行動や感情表現の特異性が感じられる】主人公は妻に欲望を感じぬまま、かつて「わが秘密の花嫁」と名付けたペットの魚のことを思い浮かべつつ、彼女を抱く。やがて妻は口から魚の子供を生む。【この一連の経緯は、魚にたとえられることのあるイエス・キリストの誕生物語を連想させる】

 物語の少し先で、読者は主人公が殺した母の体に宿ったドストエフスキーが、実は生きていることを知らされる。このドストエフスキーは、身体損傷と他人に成り代わった罪、ホモセクシュアリズム宣伝の罪、魚を飼育した罪により、300年の刑期を得て入獄していたのである。自分の知らぬ間に身代わりとなって母親殺しや魚飼育の罪をかぶった形になっているこの存在に対して、主人公は深い劣等感を覚える。

 彼は天才なのに俺は悪人。

 彼は英雄なのに俺は自分のヒロイズムを実証するために革命を待っているような人間だ。(中略)彼にしてやられた後では、俺はもう自分の使命に値しない。俺は我が身一個の確立を考える人間に成り下がってしまった。つまり使命を通じて自分を確立しようとしたんだ。P.40


 しかしドストエフスキーを意識した内省の中で、賛美と劣等感が、批判や攻撃へと転換されていく。

 あいつは卑劣なやくざものだ。まれにみる人非人だ。

 第一あいつは性転換したいという動機から、俺のママの体を自分の体に変えてしまった(つまり一種のホモセクシュアリズムか、それに類した強迫的なものがそこにあったのだ)。

 第二にあいつは金がほしくて俺の所へ来た。117ルーブリが必要だったのだ。もちろん俺だって、ただでくれてやろうという気はなかった。だが人間の苦しみを黙ってみてはいられない。俺はほだされやすい人間で、そこを見抜かれたのだ。
 上告して死刑に変えてもらうという手だって、あいつは事前に計算済みだった。つまり高潔さのかけらもない、天才的にずるがしこい人間なのだ。(中略)
 金が必要だったのはカード賭博をやるためだ。どうしても直らない病気なのさ。【ドストエフスキーの賭博癖への言及】(中略)

 ところでロシア文学は救うに値するだろうか?P.41(テキストB−2参照)


 主人公とドストエフスキーの対決は、ドストエフスキー文学の遍在的テーマである子と父の葛藤を思い起こさせる。『未成年』に典型的に現れる父親コンプレクスの諸相――父親の偉大さへのあこがれと劣等感、父の崇高さの背後に隠れた卑俗さ、狡猾さや性的だらしなさへの反発、母親や異性をめぐるライバル意識など――が、ここに正確になぞられている。

 一方、もう一人の「父親」像、すなわちドイツの精神病院にいるモスクワ政治の黒幕は、同じドストエフスキーの「大審問官」を彷彿とさせる。主人公はこの人物の内に、人民の恐怖感を利用したヴァーチャルな独裁の論理を発見するのである。

 そして彼はすべてを理解した。狂気は去り、父の裏切りも、様々な幻覚も理解した。

この幻覚に自分は一生だまされてきたのだし、国民もその巨大な妄想の犠牲になったのだ。

 そうして主人のいない奴隷制、独裁者のいない独裁政治が成立していった。人々は幻を信じて苦しみながら死に絶えていき、すべてが嘘になったのだ。P.51


 アメリカ人のジークムント・フォードが最後の中国人を殺害するのと同時に、主人公は父たちによる虚の独裁幻想からさめるのだが、しかし同時に自分の認識を表現・伝達する言葉の不在を感じて、実存のアイロニーや孤立の感覚に陥っていく。彼は結局思想的な自殺を果たすことになる。

そこで技師は死を望んだ。なぜならすべては良きものだったのに、誰もそれを知らなかったから。そして皆が苦しんでいたから。P.52【『悪霊』のキリーロフ等に似た、先覚者としての自殺モチーフ】


 作品全体の結末も憂鬱なもので、支配者を突然失った人々は、自由の不安や空虚さを感じて、再び隷属の相手を求めるのである。

 そのとき彼らは自分のために作り出した。毛沢東と奴隷制を、国家と恐怖を、隷従の倒錯した魅力と抗議が弾圧されるときの微妙な喜びを。彼らはそのとき自分用に作り出した。マクロ・セックスとマクロ・ポリティクスを、ロシア文学の起源とその終焉を、魚のシンボルと魚の絶滅を、全世界の祈りと猫背の技師についての恐ろしいお話を。P.55


 自身麻薬所持や販売容疑で90年代に2度逮捕・投獄されたことがあるヴィトゥフノフスカヤの作品には、まるで麻薬常用者の夢のように説明しがたいところがある。魚・毛髪・文学全集といった意外な組み合わせ、殺された老婆がドストエフスキーに、若妻が母親に変身するような予測のつかない展開、随所にでてくる魚のイメージの多義性――これらはおそらく夢のシンボル学の類を媒介にして読みとられるべき謎であろう。

 ただしわれわれのテーマであるドストエフスキーも、決してこの種の不合理な世界と無縁ではない。夢見を信じ、また様々な幻覚、持病のてんかん時の離人感覚や法悦感覚、根拠のない罪障感といったものを味わっていた彼は、現実原則と違う夢の論理を認めて、『白痴』などの作品に応用している。従ってこの面でもこの作者とドストエフスキーの親和性のようなものを想定することができる。

接的な関係が想定される。とりわけここにみられるエディプス・コンプレクスのモチーフの多元的展開、すなわち個人・家族のレベルから国家レベルに至るまで、権威に対する反抗と隷属願望という背反的心理を人間行動の中に暴いていく視点は、まさにドストエフスキーのものである。

 すなわちこの奇妙な小説には、テーマの骨格の部分にも、イメージ選択や結合の原理にも、ドストエフスキー的なものが横溢している。ただしそれら個々の要素が有機的に結びついて一つの物語を作るのではなく、むしろあらゆる物語原則の虚構性、政治的作為性が強調される結果になっている。その意味で作品に遍在する「ロシア文学復活」のメッセージは、アイロニカルなものとして受け止めるべきだろう。

 技師は我に返って目を開き、その時が来たのを知った。どんな代価が支払われたのか考えもしなかったが、使命が成就したことを理解したのだ。

「毛をくれ!」無声映画の行進曲と機関車の汽笛のような音を通して、小魚が叫んだ。

 なぜなら、まるで死をひさぐ売春婦のような、不作法なロシア文学が復活したので、映画もその他の芸術も、すべて耳と口を失ってしまったからだ。P.48-49


 所々に(空虚/ナンセンスだ)という言葉を配したこの自己言及的な小説、文学的文学破壊作品は、片目の魚とロシア文学最後の金貸しの老婆が哄笑し合うシーンで終わっている。


 c)ヴァーチャル・リアリティ版ドストエフスキー:V.ペレーヴィン『チャパーエフとプストタ』(1996)32

 ヴィクトル・ペレーヴィン(1964-)は、サイエンス・フィクションの世界から出てきた作家で、複数の時空間や複数の主観の関係をアレンジしながら、哲学的ファンタジーと風刺や文明論が一緒になったような小説を書いてきた。

 彼の長編『チャパーエフとプストタ』も、同じく多重のテーマ構成をしている。そこで作者は、革命期と90年代のロシアに暮らす二つの別個の自我を持った精神分裂病患者という主人公像を設定し、ロシアが20世紀の始めと終わりに経験した破壊や混乱の諸相を、この人物の経験として並行的に描いた。そのような設定によって、人間主体の危うさや現実と夢の相対性に関する哲学的・宗教的思考実験と、ロシア・ソ連文明論とを、一つの物語の中で合体させたのである。なおこの作品の主人公名ピョートル・プストタも固有名詞遊びの例で、名のピョートルはペテルブルグの建設者でロシア西欧化改革の主導者である大帝からソ連版アネクドート(チャアパーエフ・アネクドート)の主人公まで、多重の連想を含む。姓のプストタは「空虚」「無」「ナンセンス」の意味で、仏教や実存哲学を含む作品のテーマ構成を暗示すると同時に、荒唐無稽なファンタジー小説としてのジャンル意識を宣言している。

 コピーライター的なセンスに長けたペレーヴィンは、両時代ロシアの同一性と差異を効果的に表出するために、様々な小道具や仕掛けを用いている。すなわちレーニンからアーノルド・シュワルツェネッガーにいたる人気者の名前、内戦から93年のロシア議会ビル砲撃にいたる歴史的事件、文学キャバレー、テレビドラマ、歌などの風俗、仏教思想、西洋哲学、精神分析学、アネクドートなど現象の説明原理、といったものである。作者はこれらを巧みに利用しながら、二つのロシアのいずれをも「本当の現実」として絶対化せず、すべてが書き割りであるかのような仮想現実感を生むことに成功している。おそらく作者によれば、実体がない故に何にでもなり得る空虚――それがロシアなのだ。

 ドストエフスキー・イメージは、1918年冬のモスクワのシーンに登場する。主人公の過去の半身であるペテルブルグの詩人プストタは、非常時委員会(Ch.K.)に追われてやってきたモスクワで旧友と再会するが、この友人もまた非常時委員会の手先だったとわかって、相手を殺害してしまう。この後主人公は殺した友人になりすまして文芸キャバレーに教宣活動に行き、さらにチャパーエフ(同じくアネクドートの主人公名を借りた遊び)と名乗る赤軍将校にスカウトされて、中央アジアに遠征することになるのだが、この経緯のいくつかのシーンに『罪と罰』のモチーフが応用されている。

 一つは友人殺しのシーン。アパートの一室で銃を持った相手をかろうじて絞殺した主人公は、ラスコーリニコフの殺人を追体験しているような錯覚に陥る。

 彼(主人公が殺す友人フォン・エルネン:訳者)が静かになっても、私は長い間その喉を放すのをためらっていた。両手はほとんど言うことを聞かない。きちんと息をするために、私は呼吸の練習をはじめた。これは変な効果を及ぼした。軽いヒステリーが起こったのだ。私は突然、この光景を脇から見始めた。つまり誰かさんが死んだばかりの友人の体にまたがって、ヨギのラマチャラカが『イシス』に紹介した呼吸法で一所懸命に呼吸している図だ。私は立ち上がった。するとすぐに、自分がたったいま殺人を犯したのだという認識が襲いかかってきた。

 もちろん権力を信用しきれない人間がすべてそうするように、私はいつもリボルバーを携帯していて、二日前にも平気で使用したばかりであったが、しかしこの現場は何かしら独特な感じで、いわば暗黒のドストエフスキー的雰囲気といったものが漂っていた。空っぽの部屋、英国の外套でくるまれた死体、敵のいる世界へのドア、そしてひょっとしたらすでに暇な連中が、そのドアめがけて歩いてくるところかもしれない・・・・・・。私は意志の力でそうした考えを追い払った。ドストエフスキー的な雰囲気なるものは、もちろんこの死体にも弾丸の貫通痕のついたドアにもあるわけではなく、私自身の内に、自分のものでないような後悔の念があれこれ形を変えていくのに驚いている私の意識の中にあるのだ。

 階段に面したドアを少し開けて、私は何秒間か耳を澄ませた。なにも聞こえなかった。なに、仮にピストルを何発かぶっ放したって、誰の注意も惹かないだろう――私はそう思った。4:33


 これはインテリによる殺人行為が自動的にラスコーリニコフの老婆殺しを想起させるという、おなじみの観念連想の応用である。人気の絶えたアパートの部屋、階段の足音に耳を澄ますといった細部のシンボリックな利用もなされている。だがもっと興味深いのは、出来事が文学的連想を呼び覚ますと同時に、文学の記憶が出来事の認識枠を作るというピエツフやマカーニン流の理解が、ここでも確認されていることである。さかのぼって付け加えれば、ラスコーリニコフの犯罪自体が、すでにシーザー、ナポレオン、バルザックの主人公などに関する文化的記憶をふまえた行為だったのである。

 なおこの後で主人公が友人の所持品を物色するシーン、また少し先でチャパーエフが唐突に主人公の部屋に出現するシーンも、ラスコーリニコフの物語へのアリュージョンを含んでいる。後者の場合には、犯人の正体を見抜いたポルフィーリー予審判事や地主スヴィドリガイロフの役を、赤軍将校チャパーエフが演じているのである。

 次のシーンでは、ドストエフスキー作品のイメージに、より手の込んだ細工が施されている。主人公が二人のバルチック艦隊の水兵を従えて教宣活動に赴いた<オルゴール式タバコ入れ>という退廃的な文芸キャバレーには、ワレリー・ブリューソフ、アレクセイ・トルストイ等当時の文人がいて、「エゴ・へそ派ポストリアリズム劇」といった、未来派をもじったような出し物が演じられている。ここでの会話から、主人公自身が『レビャートキン大尉の詩』『我の王国の歌』といった、ドストエフスキーを連想させる詩集の作者だということも明らかになる。そしてこのキャバレーの演目の一つが、同じく『罪と罰』をもじった小悲劇『ラスコーリニコフとマルメラードフ』というものである。

それはおおむね次のように描写されている。

 マルメラードフィ(ママ)という名札のそばに立ち止まった俳優が、ゆっくりと片手をあげて歌うような調子で語りだした。

 「私はマルメラードフ。ここだけのはなしだが/私にはもう行くべき所がない/この世を長いことさまよった/前途に灯は見えなかった/その目つきからすると/あなたにも虐げられた民衆は無縁ではないご様子/ひとつ乾杯といきますか。お注ぎしましょう」

 「いやいらない」

 斧をもった俳優が同じく歌うように、ただし低音で答える。話しながら彼は片手をあげて、それをマルメラードフの方に突き出す。相手は急いで自分に一杯注ぐと、酒をマスクの穴にこぼし、先を続けた。

 「お好きなように。あなたに乾杯。こうしてみると/あなたのお顔は謎めいた栄光に満ちている/美しい口は笑みをたたえて黙したまま/額は青白く、両手は血まみれ/でも私にはもうないのです/じっと動かぬ面の皮の背後に/傲慢な力で空虚の花を開かせ/神に似たものにならんとする理由が/おわかりですか?」

 「たぶん」

 「さて、そんな理由もないとすると、おわかりでしょうが/毎朝、雪に血を滴らせるような/斧でうなじを殴られるような、そんな気がするのですよ。わかりますか/それが、若いお方」

 「わかります」
 「心を見たいとは思いません/そこは靴の中のように真っ暗でしょうから/まるで狭くて寒い物置に/女たちの死体が入っているみたいに。怖いでしょう?」
 「はあ。何が言いたいんですか?話の主旨は」
 「いきなり主旨ですか」
 「すぐに言うんです」
 「でも、まずリキュールを一杯どうですか?」
 「あなたはまるで床屋みたいにうんざりさせる人だ。ぼくはいきますよ」
 「若い方、おこっちゃあいけません」
 「無意味な話をしているのがいやなんです/それとも説明する気になったんですか?/何が言いたいんですか?」
 「斧を売って下さい・・・・・・」(中略)
 「・・・・・・なんだって?なぜ?」
 「仕事用です/存在の一側面のシンボルというやつで/もしご自分も使うなら、別のを盗んだらいかがです/盗んだやつの方が都合がいいでしょう?」
 「ふーん・・・・・・なんのことかな?/ひょっとしてあなた、あそこにいたんですか?あの衝立の陰に、そうでしょう?」
 「それはちょっと軽率ですね/斧をもってはいらっしゃるが。でも若い人はいつも/本質も原因も有限のものの中に見ようとする/笑ったり愛したりと単純なことが好きで/肩に下げたわっかを優しくいじっている/いくら欲しいですか?」
 「ひとつ聞きますが/あなたにとってこれがなんになるのです?」
 「最初から言っているでしょう/力、希望、グラーリ、エグレゴール/永遠/輝き/月の満ち欠け/刃/若さ・・・・・・斧を下さい」
 「ぼくには分からない。でもどうぞ」
 「ほうほう・・・・・・光っていますな、まるで岩間の火のように/おいくらです?」
 「お好きに」
 「高いですか?」
 「10か・・・・・・15か・・・・・・えい、泥棒め/だがどうも問題はその/金じゃない。何かが変わってしまう・・・・・・もう/まるで倒れかかってくるようだ・・・・・・もうつかまってしまった・・・・・・そして風が/裂けた心に冷たく吹き付ける/あなたは誰だ?ぼくの神か、仮面をつけて!/あなたの目はふたつの黄色い星のようだ/なんて愚劣なんだ!仮面をとれ!」

 マルメラードフは長い恐ろしいポーズを決める。
 「仮面をとれ!」
 ・・・・・・マルメラードフはぱっと仮面をとる。それと同時に仮面にくっついていたキトーンが体から外れて、レースのパンタロンにブラジャーを着けた女性の姿が現れる。

 女性はネズミ編みのお下げがついた銀髪のカツラをかぶっている。
「ひゃあ・・・・・・婆さんだ・・・・・・しかも僕は素手だ」

 ほとんど聞き取れぬような声でそう言うと、ラスコーリニコフは底高の靴をはいた高さから床に崩れ落ちる。

 次に起こったことは私(主人公=訳注)を青ざめさせた。舞台には二人のバイオリン弾きが駆け上がって、狂ったようにジプシー音楽風のモチーフを演奏し始めた(またブロークか、と私は思った)。一方女マルメラードフは倒れたラスコーリニコフの体に自分のキトーンを投げかけ、その胸にひょいとまたがると、レースの服の尻をむやみにくねくね動かしながら、相手の首を絞めにかかったのだ。

 一瞬私はこの出来事がとんでもない陰謀の所産で、居合わせた全員が私の方を見ているような気がした。(中略)

 ラスコーリニコフを絞め殺すと、カツラの女は舞台の端に駆け寄り、二人のバイオリニストが奏でる狂ったような調べに合わせて、むき出しの足を天井に振り上げ、斧を振りながら踊り出した。この芝居の間じっと立ちつくしていた四人の黒マントが、キトーンにくるまれたラスコーリニコフの体を抱えると、舞台の外に運んでいく。『ハムレット』の剽窃だなという考えが、ふとひらめいた。あの芝居の最後にも、死んだ王子を運ぶ役の4人の隊長というのが出てくるのだ。おかしなことにそう考えると私はすぐに正気づいた。これは自分への陰謀ではないと理解したのだ。だいたいがこんなことを急に仕組むなんて誰にもできまい。これはありふれた、神秘的挑発というやつだ。4:38-40(テキストC参照)


 ある種の軽みと抑制を持ったペレーヴィンの文章は、状況を明晰に伝えていて、時間や空間の表現にも人間内面の描写にも、曖昧なところがない。その限りで彼はリアリストである。しかしこの単純でリアルな作中劇は、込み入った役割を果たしている。

 まずこの仮面劇は、文芸キャバレーの空間全体とともに、革命直後のロシアを覆っていた文化的混沌の一側面を表現している。退廃・爛熟と実験や文化革新が同居しているようなこの空間は、街路を横行する田舎出の兵士たちの世界と鋭く対立しており、その緊張が作品の奥行きを生んでいる。

 次にこのシーンは、主人公自身が感じ取るように、彼が直前に犯した殺人行為をシンボリックに再現している。主人公は劇中のラスコーリニコフである。ただし彼の立場は、ここでも夢の文法を思わせる置換、転倒、変身といった手法によって、変奏されている。意味作用の中心はマルメラードフの遂げる一連の変身で、この未来を失った行き場のない酔漢が、ラスコーリニコフを追いつめて武器を奪う脅迫者となり、最後に金貸しの老婆に変身して彼を殺す。弱者から強者へのこの変身は、社会論的に見ればルンペン・プロレタリアートが搾取者や権力者に成り代わる構図で、ブルガーコフの『犬の心臓』におけるプロレタリア革命の戯画とも共通したところがある。一方ラスコーリニコフ/プストタの立場に即していえば、これはナイーヴなインテリが、状況から裏切られる図といえるだろう。とりわけ最後の、殺人者と被害者の立場の逆転は、理論家の行為不能性を意味し、現実原則への挑戦が実は現実逃避にすぎないというメッセージとも受け取れるが、これはドストエフスキー作品の理解としても正当であろう。ドストエフスキー自身、ラスコーリニコフの夢の中に、殺しても死なない老婆の哄笑を描いているし、また前出のヴィトゥフノフスカヤも同じイメージを用いている。理想主義をうち砕く現実原則のシンボルとしての「死なない老婆」のイメージ、いわばロシア文学の悪夢が、主人公の出口なき状況のシンボルとしてここに導入されているのである。

 このような意味作用と同時に、この作中劇のシーンは、小説の構造モデルとしての機能も果たしている。この機能は二つのレベルで展開されている。第一のレベルでは、劇中の「変身」という現象自体が意味を持つ。マルメラードフの変身は、主人公と状況の関係変化を意味する以前に、主人公のアイデンティティの揺らぎ自体を模倣していると考えることができる。逃亡詩人から政治将校へと行き当たりばったりに変化する彼の社会的アイデンティティの怪しさが一方にあり、他方には20世紀の両端にまたがった彼の個人的アイデンティティの本質的な亀裂がある。彼の生活は余儀なき変身と新しい自己発見の連続である。そして主人公以外にも、チャパーエフをはじめとした登場人物の多くが、正体不明なのだ。変身するマルメラードフ像は、この先作品中で展開される特殊な「人格」概念へのイントロダクションなのである。

 また別のレベルで、このシーンにおける舞台と客席の関係が、小説の構造モデルを提供している。主人公はある意味で典型的な観劇をする。つまり最初は心理的距離と非常な違和感を持ってこの舞台を眺め、やがて舞台上に自分の行為への当てこすりを見いだして、現実のことのように戦慄し、後にそれが劇にすぎないと確信して安心する。いわばこの不安定な人物は、架空世界を相対化することで、かろうじて現実の現実性を納得することができた。しかしこの後の展開は、この認識自体が一時的なものでしかないことを証明してしまう。つまりやがて出現するチャパーエフは、ヨガの秘法や老荘的な空の論理を駆使して、現実世界を幻想的なものにしてしまうし、夢として現れる主人公のもう一つの自我が、さらにすべてを相対化してしまうからである。マルメラードフの劇は、寄る辺ない主人公に確かな現実を提供するとみせて、実はこの無限の現実否定プロセスの基本モデルを経験させているのである。

 人格の相対性と現実の相対性という二重の不確実性の表象として、『分身』の作者ドストエフスキーのイメージを利用することは、非常に適切な選択と思える。

 様々なジャンルの作品から必要なだけのイメージや情報を拾い上げて自作にちりばめることに長けたペレーヴィンは、ドストエフスキーに対しても同じことをしている。ラスコーリニコフの物語から殺人後の知覚のモデルパターン、および加害者と犠牲者、弱者と強者、現実と虚構の相対性に関する潜在的メッセージをくみ取る一方で、彼は罪意識をはじめとしてドストエフスキーの主人公の心中に生ずる様々な出来事を無視している。殺人は作品の第2章以降の主人公に、何のトラウマも残さないのである。しかしこのような割り切り方が、逆にオリジナルのある一面を自在に展開し、利用することを可能にしているといえるだろう。ドストエフスキーはこの作家にとって、いくらでも展開可能な矛盾、逆説、不安を豊かに備えた、魅力的な加工材料の一つなのである。

 ちなみにペレーヴィンの近作『ジェネレーションP』(1999)では、ロシア的理念の唱道者としてのドストエフスキー・イメージが、アネクドートのような形で利用されている。

ロシアのイメージ・コピーを作れという注文に窮したコピーライターが、こっくりさんの道具でドストエフスキーの霊を呼び出すのだが、自動筆記具はあたかも多方向に同一の力で引っ張られているかのように、ふるえる線を記すのみ。主人公はこれに失望しながら、しかしロシアの理念はきわめて先験的なものだから、これが唯一可能な表現法かもしれないと考えて納得するのである。33これもまた本人不在のまま一つの方向にデフォルメされた、秀逸なドストエフスキー・イメージと言えるだろう。


 d)文体模倣と自壊:V.ソローキン『ドストエフスキー・トリップ』(1997)34『青脂』(1999)35

 ウラジーミル・ソローキン(1955-)の場合、他者の作品に対する態度はさらに独特である。

他の作家の主題、人物像、事件、状況設定等々を借用して自分の構想に役立てるという作業は、彼には本質的なことではない。彼にとって大事なのは、そうした要素を盛る器としての、他者の文体を利用することである。いろいろな文章のリズム、スピード、質感、語彙といったものを、彼は絵画的にと言えるほど巧妙に模倣することができる。そればかりでなく、それぞれの文体が持つ潜在的な可能性をとらえたうえで、オリジナルとは別の方向に発展させたり、性質の異なった文体同士を隣接させて新しい効果を生み出したりといった加工作業も、彼の本領である。自前の文体を持たず、文化とも社会とも距離をおいた、外部の観察者のような関係を保とうとするコンセプチュアリストとしての意志が、この種の作業を支えている。いわばソローキンの文体とは、他者の文体を利用する手つきのことである。

 小説『ノルマ』(1994)において、彼は社会主義リアリズム小説風、ソ連のスローガン風、形容詞活用辞典風、イワン・ブーニン風、猥歌風・・・・・・といった多様な文体による小作品群をグラフィックな効果付きで配列し、20世紀ロシア文字文化の展示館のような空間を作ってみせた。一方『ロマン』(1994)では、19世紀長編小説風の流麗で息の長い文体で書きあげた恋愛物語を、ある種の経文やラップの歌詞のような単文の羅列によるスプラッタ小説に変貌させ、物語文学の終焉を表現した36。いずれの場合にも彼は、小説の物語的内容と形式の組み合わせを、自在に変化させている。このような作業の裏に推測される心理は、二律背反的なものである。すなわち文学作品を単なる「記号で覆われた紙」もしくは「死んだ世界」と呼ぶようなポストモダニスト的シニシズムと、文体の調合に美的快楽を覚える職人的な嗜好、いわば文学の権威剥奪や脱神話化のパトスと文学へのマニアックな愛情とが、彼の内に同居しているのである。

 文体模写をベースにしたソローキンの創作には明白な傾向があって、それが彼の作品を反社会的なものにしている。それはつまり、良識が文学の外に排除しようとするもの――暴力、差別、拷問、排泄趣味(スカトロジー)、加虐趣味(サディズム)、被虐趣味(マゾヒズム)、死体愛玩(ネクロフィリア)等々――を多様に表現しようとする志向である。正統的で上品な文学の下部に穴をうがって、卑猥語や差別表現に満ちた下品なポルノグラフィーを埋め込むような作業に、彼は大きな情熱を傾ける。もちろんここには正統派文学の規範的人間観を批判してマージナルなものを復権しようとする、アングラ文学の一般的意志が反映しているが、しかしそれがすべてではない。むしろそこには、精神と身体の下部構造にてらして、倫理の彼岸に生の充足感を得るような、作者自身の心理傾向が反映されている。これは彼の文学を、一方でマムレーエフ的な地下室人の世界に近づけ、他方でラブレー風の豊穣な無秩序世界に似せている。彼の創作はある意味で、そのような反社会的欲求に表現を与え、不安解消や快楽充足の役を引き受けてくれる、慰安装置でもある。

 作品への態度と同じく、読者への彼の態度も単純ではない。ソローキンにとって文学とは基本的に作家の創作行為に尽きるものであって、何らかの読者を想定して、彼らのために書かれるものではない。つまり作家にとって読者は存在しないし、従って文学行為に社会的な意味での倫理規範はいらない。しかし(一見詭弁的ではあるが)作者の創作行為とは別個に、作品と読者の関係が存在する。しかもそれはきわめて一方的な関係である。すなわち文学作品は、あたかも読む者の意識下の世界に働きかけながら、特定のリアリティ感覚や論理を強引に押しつけるような、「全体主義的暴力装置」だというのである。もちろん読者側のマゾヒズムを前提にすれば、文学は読者にとっても願望充足装置ということになる。いずれにせよ彼は(作者にとっての)文学行為の目的と(読者に対する)文学の作用とを、全く切り離して考えている。そしてここにもまた、19世紀以降のリアリズム文芸における作者=読者関係の単純さに対する一般的な反省と、この作家特有の願望充足装置としての文学観とが入り交じっているのである。

 従ってソローキンが文学を麻薬にたとえるとき、その麻薬の効果・作用として少なくとも3レベルの意味の可能性が含まれている。すなわち、

1)テキストの加工や調合作業が作家に与える美的快楽、
2)創作行為が提供する反社会的願望充足の快楽、
3)作品が読者を支配し操縦してしまう催眠術的作用、

である。

 戯曲『ドストエフスキー・トリップ』において、ソローキンは『白痴』を素材に文学の麻薬性というテーマに取り組んでいるが、その作業はまさに上記の複数のレベルにわたって展開されている。そこではまず小説の読者が文字通り文学世界に入り込み、主人公たちの心理的コンプレクスや潜在的願望を狂ったように演じてみせる。【上記1のテキスト加工の快楽、および3の催眠術的読者操縦作用の描出】そしてその恍惚夢(トリップ)の果てに彼らは自己制御力を失い、意識下に隠されていた自らの心理的外傷(トラウマ)を告白し始める。

【3の作用の強調】そしてこの文体とテーマ上の遊びの上に、古典をどたばた喜劇や下品なポルノグラフィーに変貌させる快楽【上記2の願望充足作用】に酔う作者の姿が二重写しになっているのである。

 この作品を読む(観る)者は、まず比喩の実体化という約束事を受入れなければならない。つまりこの作品世界では、文学作品が本として読まれるのではなく、クスリとして売られているのである。

 地味な作りの部屋の中、七人の薬物中毒の男女が苛立ちながらバイニンを待っている−−そんなシーンで舞台が始まる。だがすぐに明らかになるのは、彼らの必要としているのが通常の薬物ではなく、文学作品だということである。

 所在ないままに交わされる会話によると、この世界ではセリーヌ、クロソウスキ、ベケットといったのが強くてハイなクスリで、フロベール、モーパッサン、スタンダールなどが口直しに使われる弱いやつらしい。ジュネーヴにはカフカ、ジョイスで始めてトーマス・マンやトルストイで抜けるコースもあるらしいが、トルストイはどうもボーヴォワール顔負けのひどい代物のようだ・・・・・・。

 そこへようやく作家の名前のついた瓶をたくさん抱えたバイニンが到着、一連のやりとりの後、彼らに七人で集団トリップできるドストエフスキーを薦める。こうして一同が錠剤を含んで始まるのがドストエフスキー・トリップである。

 現れるのは『白痴』のナスターシャ・フィリッポヴナの家での夜会場面。男女の「演ずる」ナスターシャ、ムィシキン公爵、ガーニャ、その妹ワルワーラ、レーベジェフ、イッポリートが、原作のシーン割りを無視して集っている(トーツキー、エパンチン将軍などは省略されている)。ナスターシャが公爵の忠告でガーニャの求婚を断り、続いて十万ルーブリの現金を持ったラゴージンが登場。やがて貧乏公爵ムイシキンが大金持ちになることが明らかになり、ナスターシャをめぐる馴染みの三角関係が現出する。ナスターシャはラゴージンの女たることを選び、ことのついでに十万ルーブリを暖炉に捨ててガーニャに手でつかみ出せと命ずる・・・・・・。

ナスターシャ:じゃあ、お聞きなさい、ガーニャ。最後にもう一度お前さんの性根を見てみたいの。三カ月も私を苦しめてくれたんだから、今度はこちらの番よ。この包みが見える?十万ルーブリ入ってるわ。これを今この暖炉に、火の中に投げ込むの!

そうして全体に火が回ったら、すぐに暖炉に手を突っ込みなさい。ただし手袋はしないで、むき出しの手でね。そうして火の中から包みを引っぱり出してごらん!見事取り出せたらあんたのものよ!十万そっくりね!みんなが証人だわ、この包みはあんたのものだって。私はあんたの性根をとっくり見せてもらうわ。あんたが私の金を取ろうと火の中に手を突っ込むのを見物しながらね!もし手をつっこまなけりゃ、そのまま燃えてしまうのよ。他の人は手を出しちゃ駄目!私のお金なんだからね!私のお金だろう、ロゴージン?

 ロゴージン:ああ、お前さんのだ!お前さんのだぜ、女王様!

ナスターシャ:そう、じゃあみんなどいとくれ。邪魔はなし。レーベジェフ、火を
ちゃんと起こして!

 レーベジェフ:ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が動きませんよ。
ナスターシャは暖炉の火掻き棒をつかみ、中のおきをかき立てたててから、包みを投げ込んだ。

 イッポリート:この女を縛るんだ!やめさせろ!
 ヴァーリャ:だめ、だめ、だめ!ガーリャ、はやく!
 レーベジェフ:(ナスターシャの前に跪く)ご主人様!女王様!全能の女神様!十万ですよ、十万!わたしに暖炉へ入れと命令して下さい。丸ごと入って見せましょう、この白髪頭をそっくり突っ込みましょう!足なえの病弱な妻がいて、子供は十三人――それもみんな孤児で、先週父親を葬ったばっかしで、腹を減らしているんですよ!
(暖炉に入ろうとする)

 ナスターシャ:(レーベジェフを足で蹴りつけて)おどき!ガーニャ、何を突っ立ってるの?恥ずかしがってる場合じゃないわ!手を突っ込みなさい!運をつかむのよ!
ガーニャは火のついた包みを呆然と見ている。(後略)p.25-26


 ソローキンの文体模写は5段階ほどに分かれているが、上に引用した部分までのところは、登場人物やシーンの多少の省略をのぞいて『白痴』の文体と内容をほとんど忠実になぞっており、ドストエフスキー特有の集合場面の雰囲気も再現されている。

 次の短い段階では、文体はそのままだが、発言者のメッセージがパターン化し、滑稽な要素が増幅される。この段階の最後には、すでに対話が独白の羅列へと変化している。

イッポリート:あの女を縛ってくれ、お願いだ、縛り付けてくれ!
ヴァーリャ:私もう死ぬわ!ああ、何で私たちがこんな目に!
レーベジェフ:手を出せ、手を突っ込むんだ、口ばっかりのろくでなし!燃えちまう、燃えちまう!
ガーニャ:ああ、いや、いや、いや!
ナスターシャ:燃えてる!燃えてる!燃えてる!
ロゴージン:好きだ!愛してるぜ、女王様!
イッポリート:死だ!死だ!
ヴァーリャ:兄さんを助けてあげて!助けてあげて!
レーベジェフ:この私なら歯でくわえてつかみだしましょう。跪いて、泥の中でも這いましょう。
ムイシキン公爵:ああ、なんて不幸な人たちなんだ!
レーベジェフ:跪いて!泥の中を!イモ虫のように這ってやる!
ナスターシャ:燃えてる!ぜんぶ燃えてる!ぜんぶ燃えてる!(中略)
イッポリート:みんな平気なんですね、ぼくがじきに死んでも!残酷な、冷たい人
たちだ!本当に死期が近いんですよ!2週間と言われたんです!
ナスターシャ:全部燃えるがいい!世界中の金が燃えてしまえばいい!ルーブリもドルもフランもマルクも円もシェリングも、みんな燃えるがいい!
ロゴージン:好きだ、お前が好きだ!お前の中には、世界中の女たちがいる!俺は彼女たちを感じる!俺は彼女たちを知っている!俺は彼女たちが欲しい!
 ヴァーリャ:妹の愛!純粋な、神聖な、妹の愛!それは無私の愛!売ることも買うこともできぬ愛!この世の何よりも貴重な愛!永遠の、果てしない愛!
 公爵:苦悩と痛み!世界の痛み!これこそわれわれを救ってくれるものだ!ほら、聞こえるでしょう、孤児や貧しき者の痛みが!虐げられ、辱められた者たちの痛みが!
p.27-28


各人物が物語の文脈を離れて夢を語り始める次の段階では、反復、列序、漸層といったレトリック効果が最大級に高まり、同時に卑猥語の類も混入する。各人の発言は、意味が単純化される一方で長くくどくなり、全体にヒステリックでグロテスクなイメージが誇張される。

 ガーニャ:俺は大変な金を稼いでやる!百万の百万倍、十億の十億倍稼いでやる!
 ナスターシャ:お金を全部焼いてやる!金庫も銀行も全部!世界中の造幣局も全部!
 ガーニャ:エヴェレストの頂上に城を建てるんだ!氷と雲しかないところに!世界中で一番高価な城だ!基礎はプラチナ!壁はダイヤモンドとエメラルド!屋根は金とルビー!毎朝俺は軟玉のテラスに出て、眼下の人々に宝石をばらまいてやるんだ!下の連中は宝石を拾いながら叫ぶだろう。「栄えあれ、ガーニャ・イヴォルギン、世界一の大金持ち!」

 ロゴージン:俺は世界中の女が欲しい!俺は女たちを感じる!一人一人を知って、愛している!俺はみんなをはらませなければならない!それが俺の人生の目的だ!俺の神々しいペニスが闇の中で光っている!俺の精液は、溶岩のように煮えたぎっている!世界中の女の分があるぞ!女を連れてこい!全員はらませてやる!全員だ!全員だ!

 ナスターシャ:私は素晴らしい完璧な自動車を作るわ!鋼鉄の巨人のように地球上を闊歩して、放火して回るの!走っていっては火をつけるの!自分で運転するのよ!町も村も燃やしてやる!森も野原も!川も山も!

 公爵:ぼくの肉体には3265150 本の神経がある!その1本1本にバイオリンの弦を結ばせるんだ!その3265150 本のバイオリンの弦がぼくの体から四方八方に伸びていく!そして3265150 本のバイオリンの弓を持った3265150 人の孤児たちが、ぼくの弦をこするんだ!ああ、それこそが世界の痛みだ!それが苦悩の音楽だ!ああ、子どもたちの痩せた腕!ああ、ぴんと張ったぼくの神経!すべての孤児と不遇な者たち、すべて虐げられ辱められた者たちよ、ぼくの体で演奏するがいい!そしてみんなの痛みを、ぼくの痛みとするがいい!

 ヴァーリャ:私は「妹の愛」という名の素敵な飛行船を空に浮かべるわ!銀色で透き通っていて、空気みたいに軽くてダイヤモンドみたいに硬いの!その飛行船に乗って、下劣で醜悪な地上から空へと飛んで、全世界に向かって叫ぶの。「愛すべき妹たち!汚れなき妹たち!無私の妹の愛を失わない妹たち!ここにおいでなさい!あなた達を悪の世から善と光の世に連れて行くから!」すると妹たちは船の下に集まる。私が銀の梯子を下ろしてあげると、みんな上ってくるの!

 レーベジェフ:私は巨大な鋼鉄の豚になる!前足はもぐらの足!もっぱら地面の下に住み、夜中だけ地上に這いあがっては、世の不浄なものをむさぼるのだ!地中に一大トンネル網を作る。夜にはゴミ箱のゴミを喰い、下水を飲む!すると私の鋼鉄の皮膚の下に、重たい鉛の脂身がたまるだろう!そしてただ舌だけが、人間の、優しい、ピンクの、湿った舌のまま残るだろう!昼間は、不浄物を消化しながら、舌べろだけを地上に突き出して、伯爵や公爵、侯爵や男爵の靴底を舐めるんだ!
 イッポリート:ぼくは死を出し抜いてやる!世界最良の医師たちを雇って、新しいぼくを作らせるんだ!新しい、永遠のイッポリートを!それは巨大なプロジェクトになるだろう!28 人のアカデミー会員・ノーベル賞受賞者が指導する165 の研究所がこれに従事するのだ!ぼくの朽ちゆく肉体に残された2週間という時間で、彼らは新たなる永遠のイッポリート・テレンチエフの身体を準備するんだ!素材はもっとも丈夫で耐久性のあるものだ!太陽のように輝く身体ができる!強くて若い身体ができる!

その身体からは四方八方に歓喜とオプチミズムの光が流れる!そしてぼくの古い肉体が死の苦しみにのたうっているとき、世界最高の神経外科医がぼくの掛け替えのない脳を古い体から抜き取って、新しい体にはめ込むのだ!するとぼくは立ち上がり、強い新しい腕でイッポリート・テレンチエフの古い肉体をつかみ、笑いながら死の婆さんの口に放り込んでやるのだ!そして死の黄色の歯がぼくの古い肉体を噛みはじめたら、若い、永遠のぼくは、笑いながら死の目のない顔に唾を吐きかけてやる!あはあは笑いながら唾を吐きかけてやるんだ!p.29-31(テキストD参照)


 各自が狂ったように演じてみせるこの願望夢は、やがてファルスから悪夢へと変わる。

宝石が底をついたガーニャは城のダイヤの壁を取り崩す羽目になり、ワルワーラの『妹の愛』号は世の妹たちの重みでタラップが壊れてしまう。レーベジェフは放射性廃棄物に悩まされ、イッポリートの人造の肉体からは筋肉が剥離していく。ナスターシャもナパームの不足と放射器の故障に見舞われ、ラゴージンはヨーロッパの女性の半数と関係したところでインポテンツになる。公爵は孤児たちがでたらめにかきむしる弦の音に苛まれる。

 この部分(引用略)では漸降(デグラデーション)の修辞が用いられ、再び文が単純化していく。

 の混乱のあげく、皆は役柄を捨てて自身の心的トラウマの記憶を語り始める。通学の電車で性的いたずらをされた少年、猟犬を死なせて父親に裸の尻を打たれた少年、隣人の男色シーンを目撃した少女、ポリオの後遺症の脚を笑われた少年、瀕死の祖父の体をもてあそび続けた少女、母親との近親相姦にふけった少年、ナチス包囲下の町で死人の尻の肉を集めてカツレツとして売っていた双子の兄弟・・・・・・。この部分はすでにドストエフスキーのテキストを完全に逸脱して、社会主義リアリズム風ポルノグラフィーとでもいうべき別の文体世界になっている。

 この回想の後、一同はすっかり虚脱状態に陥ってばたばたと倒れていく、という展開になるのだが、このような計算された枠組みの中で、ソローキンはドストエフスキーの文体が本質的に備えているある特異な機能を誇張的に再現している。それは一種の言葉の魔術的作用――感情、思想、欲望を表出する言葉が、いつしか話者のコントロールを逸脱してそれ自体の論理で発展していき、ついには話者のアイデンティティを狂わせてしまう作用――を描出する機能である。ドストエフスキー文学の呪縛力は、作者の思想とかリアリストとしての才能とかにあるのではなく、このような文体自体の麻薬的作用にある――そうソローキンは言っているようだ。そしてそのような手続きを介して、彼は自分とは別の次元にいるはずの読者(麻薬中毒者)の姿をも、作品の中に描き出したのである。


 ソローキンのもう一つの作品『青脂』では、荒唐無稽な動機付けによって作中に組み込まれたエピソードとして、ドストエフスキーのパロディが登場する。

 2068年のシベリア。核の冬を経た後らしい荒涼とした世界で、ロシア政府派遣の諸民族混成学術チームが、青脂(goluboe salo=水色の脂身)と呼ばれる<ゼロ・エントロピー物質>を開発している。青脂はこの世界のエネルギー開発に不可欠な物質らしいが、自然状態では存在せず、なぜかロシア有名作家たちのクローン(複製人間)が文学作品を執筆した後、その体内に蓄積されるのを採取するしかない。つまりチームの仕事は、何年かがかりで開発してきた7体のクローン作家たち(ドストエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、トルストイ4号:号数は世代を示す)に、好適な環境で執筆を促し、青脂を蓄積させることなのである。

 この後ストーリーは、20世紀と21世紀の両方にまたがる青脂をめぐっての一大スペクタクルに発展するのだが、本論にとって大事なのは、上記のような設定によって、作者がロシア作家たちのパロディを存分に展開する動機付けがなされているということである。

ただしこのパロディ・ゲームには一つの制約がある。すなわちクローン作家の出来栄えは完璧ではなく、作家ごとに精度のムラがあるということである。たとえばトルストイ4号は73%、ナボコフ7号は89%という風に。従ってここに導入されるのは、完璧なパロディではなく、各個体の精度に応じた不完全なパロディということになる。

 このような前提で導入されるドストエフスキー2号の作品は以下のように始まる。


ドストエフスキー2著
『レシェートフスキー伯爵』

 七月も末のある日の真昼の二時過ぎ、とほうもなく雨模様が続き、夏らしくなく冷え冷えした頃合、道中の泥でさんざんに汚れた幌馬車が、一対の見てくれの悪い馬に曳かれてA橋を駆け抜け、G通りの三階建ての灰色の家の車寄せの脇にとまったが、その様子は全体がとほうもなくどうもあんまりで、そのニワトリのコトバときたらニワトリのコトバときたらもうまったく良からざるものだった。

 馬車からは二人のがっしりとした体躯の紳士が出てきたが、その服装はしかしもはや夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった。一人はステパン・イリッチ・コストマーロフ、特殊任務を課された政府のさる局の参議官で、短い羊革の外套を着込み、もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビで腰のところを締めていたが、もう一人の、若死にした将軍の裕福な遺産相続人でそれゆえ定職をもたないセルゲイ・セルゲーヴィチ・ヴォスクレセンスキーの体には、広場で演技しているヴェネツィアのアルルカン風の細いまだら絹が巻き付けられていて、あの頃彼は自分のを見せつける光栄を得たのだが、彼女ときたらもうまったく下劣な売女であった。

 その姿を一目見ただけでこちらがなにやら突然に圧倒され感動させられてしまい、胸が締めつけられて訳もなく涙が流れ出してくるようなタイプの人がいるものだが、それはもし人間にある性向がある場合にはひどく残念なことになるが、それがどんな性向なのかはご自分で考えてみて欲しいわけで、まったくこの役立たずが。

 ちょうどその様な印象をコストマーロフとヴォスクレセンスキーはその出現によって数少ない通行人たちに与えた。二人の平民、つまり学生と初老の女性ははっと立ち止まったが、それはまるで地面に打ち込まれた柱、柱、柱、柱です、柱みたいで、そう一里塚みたいで、興奮を隠し切れぬ様でこの驚くべき二人連れが玄関につくところまでずっと目で追っていた。この三階建ての家はドミートリー・アレクサンドロヴィチ・レシェートフスキーの持ち物で、よく火曜日ごとにあるいは木曜日ごとに、まるでミツバチが巣に通うように、そうまさにすばしこい働き者のミツバチが、新しい巧みに加工された巣に通うように、といっても蜂の巣には様々な構造のものがあって、丸太くり貫き型、お家型、立木くり貫き型、さらに土ミツバチまでいるのでございますが、そんな風にペテルブルグの社交界人士はこの家に引き寄せられあそばすわけです。しかしこの日は水曜日であったため、この訪問者を出迎えたのは金モールの刺繍をしたお仕着せの玄関番ではなく、びっこのコサック、ミーシカで、これは伯爵の忠実な伝令兵としてともにトルコ遠征を経験し、伯爵のサンチョ・パンサまがいの存在となったのであるが、しかしこれは全くの破局であり、彼のおかれた立場は想像しがたいもので、その地位からいって腹蔵のない側近、あるいは単にいやらしい人間、つまりロシア語でいう卑劣漢となるべき必然性はまったくなかった。P.32-33(テキストE参照)


 ソローキンによるドストエフスキーの文体のもじり具合は、このテキストを『罪と罰』や『白痴』の冒頭と比較するとわかる。すなわちドストエフスキー特有の語彙や言い回し(3回使われる「とほうもなく」、

「A橋を駆け抜け、G通りの・・・・・・」、

「夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった」)、

特徴的な構文(「七月も末のある日の真昼の二時過ぎ・・・・・・」「二人の紳士が・・・・・・、一人は・・・・・・、もう一人の・・・・・・」)が、ここで巧みに借用されている。また三段落の「その姿を一目見ただけで・・・・・・」の文における関係代名詞節の用法、最終段落の「この三階建ての家は・・・・・・」という文脈を逸脱する比喩の長たらしさも、ゴーゴリの影響下にあった初期ドストエフスキー風である。そしてその一方で、(クローンの不完全さに動機づけられた)無意味な繰り返し、舌足らず、意味不明の言葉、文の結構の乱れといったものが描き込まれている(「もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビ」、「柱、柱、柱、柱です」、「といっても蜂の巣には様々な構造のものがあって・・・・・・」等々)。

 もちろん文体のもじりと並行して大きな枠組みレベルでのパロディが進行しているわけで、二人の異なったタイプの男性が女性問題を抱えている貴族の屋敷を訪れるという設定は、『白痴』そのものである。『白痴』の模倣はこの後しばらく継続され、またもやナスターシャ・フィリッポヴナの夜会を連想させるような、衆人の中で高慢な女性にやりこめられる男たちの話が描かれるのだが、しかしエピソードの最後はきわめてユニークである。つまり結末の見えない口論を続ける男女の前に、突然二人のドイツ人技師が奇妙な機械を伴って現れ、さらにガリバー物語のリリパット族のような小さな人間が登場する。そして一同に向かって「さあ、体を縫い合わせて一緒になりましょう」と呼びかけるのである。

しばしのためらいの後、主人公の伯爵は二名の男女とともに「縫い合わされる」ことを選び、三人で暮らすためにスイスへと去っていく。

 これはむろんギリシャ悲劇の収束装置であるデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)のソローキン版であるが、同時にドストエフスキーの葛藤処理・場面転換法をも戯画的に模倣している。すなわちこの機械は、ナスターシャ・フィリッポヴナのもとへ大金を持って駆けつけ、状況を一変してしまうラゴージンや、貧乏公爵から急に金持ちの遺産相続者に変身するムイシキンの代役でもあるのだ。さらに付け加えれば、世間を離れて三人で暮らす夢自体も、ドストエフスキーの模倣である。

 ソローキンもペレーヴィンと同じくドストエフスキーの内で自らに必要な側面を選択的に利用している。彼の場合その側面とは、われわれが文体という名前で呼んできたもの、すなわち言語表現の形式面に現れた作者の思想や世界感覚である。しかし文体模写やパロディという言葉の響き以上に、ソローキンの加工はドストエフスキーの登場人物の奇妙な情熱や、彼らの言葉と思想がはらむ生産的な矛盾や葛藤を、インパクトのある形で表現する結果になっている。そしてそこに、ソローキンという作家自身の文学に対するアンビヴァレントな感情も映し出されている。これはおそらく、メディアこそメッセージであり、文体こそ作家の思想の本質であるという、古い逆説の一つの証明であろう。


 以上この章で検討した文体模写の諸例は、いわゆるポストモダニズム的インター・テクスチュアリティの認識に裏付けられている。つまり、テキストはほかのテキストとの相互関係の中にのみ存在すること、独創的な文体が存在するのではなく、文体への独創的な態度が存在するのであること、すべてのテキストは作者の文学への態度を示すメタテキストでもあること、などについての認識である。こうした意味で、現代ロシア作家にとってのドストエフスキーのテキストも、無数の他者のテキストのひとつにすぎず、それに何らかの特権的な意味を与える根拠はない。
 しかし同時に彼の文学はいくつかの点で、現代的な文体模写にとって格別豊かな可能性を持つ素材となっているように観察される。まず注目すべきは、彼の創作様式が、その多面的で多義的な世界観を反映した、きわめてダイナミックなものだということである。これは彼の文学に矛盾をはらんだ多様な解釈の可能性を与え、ひいては様々な方向への応用や展開の意欲をそそる結果となっている。実際、ここに見た作家たちはそれぞれ、ドストエフスキーの文体(つまり世界把握と描写の論理)の異なった側面に注目している。たとえばペレーヴィンは何らかの破局の予感を含んだ世界の相対性の感覚――現実と幻想、舞台と客席、時間と空間等々の相対性――の表現に関心を寄せ、ソローキンはむしろドストエフスキーに独特な言葉の様態――種々な思想的・感情的要因をひとつの文学的時空に圧縮することにより、作中人物にも読者にも意想外な自己発現や自己発見を促してしまうような、彼の文体のメカニズム――に興味を示している。

 そしてその際以下の三つのことが観察される

a)作家たちは概してドストエフスキーの文体の、正反対の評価を許容するような矛盾を含む側面に関心を寄せている。いわばドストエフスキーの文学のうちもっとも問題の多い要素こそが、現代作家の文体加工にとってもっとも有意義で生産的素材なのである。


b)作家たちはドストエフスキーの文体を、単に彼個人に関わる現象としてではなく、ロシア的メンタリティの特性の表象と受け止めている。ドストエフスキーの文体模写は、いわばロシア人のロシア性(ルスコスチ)の端的な表現に利用されている。

c)多くの作家にとってドストエフスキーの文学は、ロシア社会における文学の特殊な地位を典型的に示すものである。「文学中心主義」の概念で表される諸現象――文芸が人々に現実の見方を教え、彼らの行為に影響を与え、自己表現の方法を提供し、ひいては現実に変わる疑似現実を提供する、といった作用――が、この章で見た作家たちだけではなく、ガルコフスキー、マカーニンといった多くの作家によって、ドストエフスキー文学との関連で問題にされている。彼の作品の文体模写は、いわばロシア的文学中心主義の非常に自意識的な実演行為である。


むすび


 以上、現代ロシアの文学作品におけるドストエフスキー・イメージのうち、有意味だと思われるケースを拾いあげてみた。古典作家やその作品が意味のある形で現代作品の中に登場するという現象が、あまり一般的なものとは言えない以上、ドストエフスキーが現代作家の自己表現に特殊な意味を持つという本論の仮説は、ある程度確かめられたと思う。

 本論の作業は、それぞれの作品や作家個人にとってのドストエフスキー・イメージの意味役割を検討することを中心とした。その際、各作家がドストエフスキーを全体としてどう評価しているかということよりも、どのような点に自らの創作にとっての応用可能性や生産性を見いだしているかに注目しようとした。結果として得られた図柄は、かなりの個別差を含んでいる。しかし差異を前提とした上での条件付きの一般化を行うならば、以下のことが言えそうである。

 a)ドストエフスキーと彼の作品に関しては、久しく紋切り型のイメージ群が定着している。従って現代作家がドストエフスキーを扱う場合、それが定型イメージの二次加工、三次加工であるという意識と、そのための方法論を持つことが前提となる。

 b)文学の二次的利用一般に言えることだが、しばしばオリジナルの整合的で積極的な側面よりも、矛盾や多義性をはらんだ側面の方が、利用者・加工者にとって生産的である。

そうした側面の代表例が、人格としての地下室人、現象としての人格分裂や幻想、思想としてのロシアの理念である。

 c)ドストエフスキーの文体は、今日でも魅力的な利用・加工素材である。なかでも優れた文体模写は、ガルコフスキー流のロシア論への積極的展開のケースも、ソローキン流のパロディ風デフォルメのケースも、必ず自己言及的な形式と内容の相応という側面を持つ。

 d)ドストエフスキーの創作は、ロシアにおける文学の呪縛、文学と現実の密な関係性のシンボルのように見なされている。ある者は文学による現実社会のシミュレーションや思想的実験の例として、またある者は文学の読者への感化力・影響力の例として、ドストエフスキー文学に言及している。

 e)上のすべてと関連して、ドストエフスキーへの言及は、言及する者たちのロシア作家(ロシア語作家)としての自意識と、密に関係している。マカーニン、ガルコフスキー、アイトマートフ、ピエツフ、ヴィトゥフノフスカヤ、ソローキンといったきわめて異なった作家たちが、ロシア文学やロシア語の問題、あるいはロシアの思想や文化の問題を、ドストエフスキーの人格や文学の問題と重ね合わせてイメージしている。そこには自己へのこだわりと同質の要素があり、ドストエフスキーへの言及は常に幾分か自己弁明、自己韜晦、自己嫌悪、自己賛美といった心理作用を伴っていると感じられる。

 もちろん、本論の作業は分析対象の数も分析手法も限られており、ここで得られた認識はさらに修正・補完されるべきである。またこのような認識を総合して、現代文化におけるドストエフスキーの意味、あるいはロシア社会における文学的伝統の役割といった、一般的な議論に展開していくことの必要性や意義は、論者の視野にも入っている。しかし創作が基本的に個人の作業であること、そして作家は社会的人間としての理念や生き方に沿ってではなく、作品の作者の立場から創作の題材を選択するものであることをふまえると、個々の作品から文芸一般論へ、さらに社会論へと展開するには慎重な方法論の検討が必要であろう。

 それらを今後の課題としたい。


 【付記:この文章を書いた後、筆者はここにあげたものと並べて検討すべきいくつかの文学作品に出会った。そこには1870年代の雰囲気再現にドストエフスキーのテキストを利用したボリス・アクーニンの歴史推理小説、フョードル・ミハイロフなる作者が現代モスクワを舞台に描いた『白痴』のリメイク37のほか、セルゲイ・ボルマット、ミハイル・イワノフ、エゴール・ラードフ、アレクセイ・スラポフスキー、ワレリー・ザロトゥーハ、ミハイル・シシキンなどの作品が含まれている。またトルストイやチェーホフら古典作品の続編やヴァリアントを書くブームについても、同じ枠組みの中で論じることができるだろう。従って、本稿はまだまだ大きな改訂の余地を残している。】

http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/mochizuki-no76.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK270] 新型コロナウイルスーーー首相の大罪 青木
32. 天笑[20] k1aPzg 2020年2月28日 02:10:59 : mPjCgSdZeo : RThEenhWcjR2Zms=[1]
初めは災害でも無かったクルーズ船に駆り出された防疫が専門で無い、自然災害発生後の医療支援チームDMAT、神奈川県知事が厚労省に不満爆発。クルーズの患者さんの病院受け入れ交渉を、国でなく神奈川県がやっていると。自治体任せ、国も自衛隊も動かない。政府による人災、クルーズ船の悲劇。他人事のような加藤大臣、クルーズ船に逃げ込んだ大坪女史







http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/158.html#c32
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
24. 2020年2月28日 02:19:45 : RqK3kUgUYs : MHFPc1JSZm1uVUU=[20]
𝒦𝒶𝓂𝒾𝓈𝒽𝒾𝓀𝒾@kami_shiki 2月26日
返信先: @kyoneshigeさん, @nikoykyさん
あの界隈、もはや「敵の味方は敵」どころじゃないですね
「敵に明確に敵対表明しない奴は敵」までイッてる感
______________________

ログを見てから判断するべきだがこれはネット右翼に
同調しがちな冷笑系かな。普段は政治主張はしないが
ポリコネ、フェミ、リベラル、に反応しがちな人とか。
それだと大体政治的傾向は見えてくる。

「アイツも」と言うと桜を見る会問題で民主党を持ち出した
ネット右翼の「民主党も!」と同じになるのだが
右のデマ吐きなら左のデマ吐きがいる。
飽く迄も中立を期すならそのような態度を取るべきかな。
「右翼 デマ」「左翼 デマ」で検索すれば
山ほど出てくるし。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c24

コメント [政治・選挙・NHK270] 世論操作か。安倍首相とクラウドソーシング企業のただならぬ関係(まぐまぐニュース) 赤かぶ
28. 2020年2月28日 02:24:17 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[1052]
   経済産業省官僚群の活躍の成果なのか国民も知らない内に内閣府が結成され、国家戦略特区構想を起ち上げ、内閣府ワーキンググループと自称しつつ霞が関の許認可権を岩盤規制と断定、首相にドリルを持たせ「岩盤規制を破壊する」旨宣言させ、第一号事案として、総理夫人に経済産業官僚が随伴した形で、森友幼稚園が小学校建設にも尽力すべく園長だった籠池氏を交渉役として自治体に乗り込ませた、驚くべき仕事師内閣振りであった。後に自治体との交渉役であった籠池氏のみ詐欺犯として有罪となったが、籠池氏が有罪となった以上、官邸ワーキンググループは共犯だったとも言えるのではないか。
   映画「新聞記者」では、内閣調査室が内偵を専門としている構図が描かれていたが、もし内調が仕事を丸投げするとすれば、このような事業者ではないのか。内偵では無くともメディアに露出したりネットで意図的に世論を攪乱する点では同様だろう。ランサーズという会社が、例えば元経済産業官僚によって起業されたかどうかは不明だが、何らかの関連は無いのか。何故なら、発想からしてどうも経済産業省や電通絡みの内閣府臭ふんぷんであるからだ。
   いずれにしても、例えば改憲時の与党安倍内閣による広告宣伝は、当然ながらこうしたクラウドソーシング事業者にも丸投げするだろう。そういう意味でも首相と懇意らしきランサーズの前身は、議会が徹底的に調べる必要があると思う。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/162.html#c28
コメント [原発・フッ素52] 玄海原発の変電所で ぼや (NHK 佐賀)  魑魅魍魎男
7. 2020年2月28日 02:26:50 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[-2746]

3.11の後に放射能を避けて関東から引っ越してきた人が何人かいるんだけど、揃いも揃ってちょっとアレな人達だった。

何を書いても構いませんので@生活板84
976: 20/02/22(土)18:02:30 ID:Vr.nm.L1

私数年前まで福岡市の近郊に住んでたけど
3.11の後に関東から放射能を避けて引っ越してきた人を何人か知ってる
最初は被災した東北の方かと思ってたけどなぜか引っ越してきたのは揃いも揃って

・元の家は首都圏で具体的被害は受けてない
・旦那は置いて母と子だけで避難
・誰も聞いてないのに「放射能を避けるために引っ越してきました」と語りだす

この三点セットの人ばかりだった
単に私が当時乳児持ちで接するのが同じような子持ちママばかりになってたのもあるし
首都圏の方は震災の時、停電になったりで大変な思いされたと思うけど
児童館で子育てトークしてる人たちの間に割り込んできて
「私関東から自主避難してきたんです!」とまくしたてるから
失礼だけど自主避難の人ってちょっとアレだよね…と避けられてた
しかも私の住んでたエリアってお洒落な店が沢山あって移住に人気の土地だけど
直線距離で言えば玄〇原発がかなり近い
原発は危険だ廃止すべきだって力説する自主避難のママさんに地元のママさんが
「それならこんな原発のすぐ傍に越してこなきゃいいのに」と突っ込んだら
こいつ何言ってんだ?て顔をする
どうも自主避難ママさんは地理を把握してないみたいだから
私たちの住むは所と原発の直線距離がものすごく近いことを説明したら
眉間に皺寄せてくちびる噛み締めてすごい顔してたから
本当に気付かないまま引っ越してきたんだと思う
九州の人は放射能に対する知識がなさすぎる!こんな被害が出てるんだから!と
そのママさんが熱心に語ってた内容も、ネットで
「こんなでたらめ情報が流されてるのは良くない」と指摘されてたものが多くて
特に専門的な勉強をしてるわけでも具体的な検証や考察もしてないのに
ネットで見た話を鵜呑みにして上から目線と大声で語る人って怖いなと思った

最近、同じような調子でコロナにはこれが有効とかこうしなきゃダメとか
色々語るママさんが近所にいるんだけど
同じご近所の看護師さんから「なにそのデタラメ情報?誰がそんなこと言ってるの?」と
びっくりされると露骨に不機嫌な顔をしてるの見てふと自主避難ママさんたちを思い出した
とっても失礼な言い方になるけど、声の大きい馬鹿って厄介だよね
なんの知識も技術もないのにとにかく声だけが強気で大きいから目立って
また何も知らない人がそれを鵜呑みにしていく悪循環になってると思う
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/329.html#c7

記事 [原発・フッ素52] 福島第一2号機使用済燃料プール漏えい水から58万8千ベクレル/Lの放射性セシウム検出 

「福島第一原子力発電所 2号機廃棄物処理建屋内の配管からの水の滴下について(続報)」
(東電 2020/2/26)
http://www.tepco.co.jp/press/mail/2020/1532289_9002.html

2号機廃棄物処理建屋1階にある配管からの水の滴下について、その後の状況をお知らせします。

 現場確認の結果、使用済燃料プール冷却系配管への消防ホース接続用のカプラ部(末端の配管口)からの漏えいであることを確認しました。

 漏えいした水は使用済燃料プールの系統水であり、至近における分析結果は以下の通りです。
 ・セシウム134:約1.8×10^4(Bq/L)
 ・セシウム137:約5.7×10^5(Bq/L)
 ・試料採取日 :2020年1月15日

 漏えい範囲は約30cm×約1m×深さ約1mmであり、漏えいした水については拭き取りを実施しました。

 なお、当該カプラ部の上流側に設置されている弁の増し締めを行い、滴下は2分に1滴程度に減少しています。また、当該カプラ部について袋養生を実施し、下部に受けを設置しております。

------(引用ここまで)-----------------------------------

使用済燃料プールの系統水から、セシウム134/137合算で58万8千ベクレル/Lもの
高い汚染が見つかったということです。

例によって他の核種は公表しませんが、ひょっとしたらヨウ素131も検出されているかも
知れません。

なぜこんなに高い汚染が使用済燃料プールの漏えい水から見つかるのかよくわかりません。

浄化装置が全く働いていないということでしょうか。

いずれにせよ、この事実一つからも廃炉は遠い遠い先の話であることは明らかです。


(関連情報)

「福島原発2号機最上階 高い放射線量 立ち入りできない状況」 (NHK 2020/2/4)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200204/k10012272141000.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/530.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
25. 2020年2月28日 02:28:43 : tdkIA0Bu5A : c3FTTTFNMUlHYy4=[83]
>それだと大体政治的傾向は見えてくる。

一見正論を述べていても特定問題に
主眼を置いていると立ち位置が分かり易い。
人によってフィールド=領域が異なるので
偏るのは致し方ないが単に腐すだけのような
発言も見受けられる。性格に起因か。

メディア関係者を自負するなら右でも左でも
中間でも具に観察していくべきだが
右しか観察しない人(右にしか指摘しない人)、
左しか観察しない人(左にしか指摘しない人)、
中立を装い全体を見下す人、とかが居る。

まあ人間は欠陥だから仕様がないけど。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
48. 2020年2月28日 02:33:13 : QUIzga5GDg : VmRlcHcucWpmZHM=[-1289]
transimpex_ochd(スコットランド・ケール語で8です)で投稿しています。

President Trump's address 施設があるのは、、イリノイ州ではなく

インディアナ州の間違いでした。

ずーと気になって頭に残ってました。

(先程 起きたのですが)

専門家と強力な繋がりのある国 リストにのっている国 UK、、以下6−7ヵ国

の名前がありましたが、、(日本はありませんでした)

という事で、、訂正しておきます。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c48

コメント [カルト24] アベカイダは、石破か小沢元幹事長を臨時代理に指名して、緊急入院するのが首相としての最高の仕事である。 ポスト米英時代
7. 2020年2月28日 02:34:39 : NWQWeSISpM : STJOcEVQOXhyVDI=[152]

★ポスト先生・・・もう これしかないですね
『 「政治家、官僚」 を 横田基地経由で グアンタナモ収容施設に 送致 』
良心派の在日米群有志と じ栄隊の良心派に期待します!


http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/895.html#c7
コメント [原発・フッ素52] 福島第一2号機使用済燃料プール漏えい水から58万8千ベクレル/Lの放射性セシウム検出  魑魅魍魎男
1. 2020年2月28日 02:34:40 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[2353]
https://twitter.com/namiekuwabara/status/1232887875315781633
(桑ちゃん)
何だ!2号機使用済み燃料プール水のセシウム濃度こんなに高いのか!
浄化設備働いてないのか、燃料棒破損で漏れてるかだけど高すぎないかい。
セシウム以外は測定しないのか?セシウムだけでこの濃度だと
他の物でも相当高いものが存在するね。http://tepco.co.jp/press/mail/202
午後8:39 ・ 2020年2月26日
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/530.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
1. 赤かぶ[60634] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:35:49 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11924]

新型肺炎懸念も「穏やかな回復」維持 月例経済報告
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200220-00000570-san-bus_all
2/20(木) 17:48配信 産経新聞


月例経済報告等に関する関係閣僚会議に臨む安倍晋三首相(手前から2人目)=20日午後、首相官邸(春名中撮影)

 政府は20日、2月の月例経済報告を発表し、景気は「緩やかに回復している」との基調判断を維持した。雇用や所得環境が底堅いとみている。ただ、先行きの懸念として「新型コロナウイルス感染症が内外経済に与える影響に十分注意する必要がある」とした。一方で懸念材料として前回あった「消費税率引き上げ後の消費者マインドの動向」との表現は削除した。

 月例報告では、中国経済の減速などを背景に「輸出が弱含むなかで、製造業を中心に弱さが一段と増した状態が続いている」とした。輸出の先行きは、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う海外経済の「下振れリスクに十分注意する必要がある」と指摘した。

 輸入は中国や欧州連合(EU)からが弱含んでいるとして、前回の「おおむね横ばい」から「このところ弱含んでいる」に判断を下方修正した。輸入の先行きも、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う供給制約に懸念を示した。

 一方、人手不足などを背景に、雇用情勢は「改善している」との判断を据え置いた。雇用者所得も緩やかに増加しているとした。

 また、個人消費は、昨年10〜12月期に消費税増税時の駆け込み需要の反動減があったものの、前回の消費税増税時(2014年4月)よりは小さいとして「持ち直している」との表現を維持した。

 先行きの懸念材料から消費税増税後の消費者心理の動向が削除されたことについて、内閣府の担当者は「消費税増税の影響が無くなったわけではないが、コロナウイルスの感染など他の(懸念)要因が強くなった」と説明している。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] https://memomemokun.hatenablog.jp/entry/2020/02/27/234519 地震くん
3. 2020年2月28日 02:36:30 : BxEOtY3tNQ : bGRzYm5GSE9FVWs=[9]
孤独死ならノーカウント。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/167.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
2. 赤かぶ[60635] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:36:54 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11925]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
3. 赤かぶ[60636] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:37:30 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11926]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
4. 赤かぶ[60637] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:38:05 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11927]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
5. 赤かぶ[60638] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:38:32 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11928]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
6. 赤かぶ[60639] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:39:17 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11929]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
7. 赤かぶ[60640] kNSCqYLU 2020年2月28日 02:40:07 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11930]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
9. 2020年2月28日 02:41:21 : G3hCBkjfvA : bTBZN29mbC5jd3M=[46]
身内でも取り巻きでもない集金装置に安倍様が金出すとか奇跡だぞ喜べ。
現政権の日本国で判断した日本人の命の値段が100円が妥当だと思っただけだ。
嫌なら政権交代でもさせたらいいんじゃね。今までも機会はありましたぜ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相はもう独裁者。法律も閣議で変更。閣議が国権最高機関。(かっちの言い分) 一平民
2. 2020年2月28日 02:41:54 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[238]
コロナウィルスは国民に犠牲にしつつ、他方で、アべ政権への鉄槌になるのだろうか。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/164.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
26. 2020年2月28日 02:43:14 : 0z21e3WBUs : MGVrUWo1bi9ITTI=[5]
個人的には左寄りの中間(中道思想ではない)
阿修羅はよく利用するが納得出来ない記事も
多い。他方で右翼記事に同意するかというのも
あまりない。それ以前に殆ど見ていない。

日刊ゲンダイは所詮タブロイドなので
記事も控えた方が良いかもな。
矢鱈と記事が作成されるが
粗製乱造のように思えなくもない。

朝日、毎日、を基本に最近では朝日、毎日よりも
冒険してそうな(=リスクあり)
東京新聞でスレッド構成した方が良さげ。

間違ってはならないのはタブロイドがどの立場を
取ろうとも所詮は「ビジネス」だということ。

タブロイドは西村博之的な感覚を持ってそう。

「粗製乱造して訴えられようがとにかく
情緒的な記事を連発して儲けた方が御得」とかね。
まとめサイトもそういう思考だろう。

以下、西村の合理という名の犯罪者的思考。

大家に無断でAirbnbのお小遣い稼ぎ、罰金5000ユーロ(約63万円)

先日、4月6日にフランスの裁判所で、大家に無断で借主が
Airbnbを始めたことに対して、大家に5000ユーロ(約63万円)
支払う判決が出たようです。
また、大家に裁判費用の2500ユーロ(約31万円)も
支払う命令も出ています。

中略

ただ、3年間、毎月4000ユーロ稼いでいて、罰金が
5000ユーロで済むってのは、わりと
お得なんじゃないかなぁ、とも思ったりします。
https://blogos.com/article/172299/
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK270] 作家・中村文則氏 国民の命にまで…安倍政権はもう限界だ 怯むなANAホテル!ウソと詭弁を終わらせろ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
42. 2020年2月28日 02:48:20 : jd5yYjOSkt : V2tWdjd0NkQ1M2M=[255]
しまいには気の毒になるほど、連日、容赦なくスキャンダル政治家を吊し上げてた
「ザ・ワイド」(日テレ 草野仁)が懐かしい。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/141.html#c42
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
10. 2020年2月28日 02:50:55 : c6Fktw7eas : dzhhZlBDeFNxRm8=[20]
地方では3月に公立高校の入試があるところが多い。直前になってどうするつもりだ。子供のいないバカの独断専行。これでもまだバカを支持するのか。右翼の岩盤支持層は。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c10
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
27. 2020年2月28日 02:52:59 : 0z21e3WBUs : MGVrUWo1bi9ITTI=[6]
>中立を装い全体を見下す人、とかが居る。

追記。

中間を装い最終的に何時も右だけを擁護/非難する人。
中間を装い最終的に何時も左だけを擁護/非難する人。

言葉の順番も結構大事。

最初に非難して最後に擁護するのか。
「許されないと思います、しかし、でも、」

最初に擁護して最後に非難するのか。
「事情は分かりますが、しかし、でも、」

締め括り方で印象も変わる。面白いよね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK270] 黒川に検察の威信と正義貫く覚悟あるか/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
23. 2020年2月28日 02:55:13 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[1053]
   枝野氏の論は真っ当だ。確かにこのままでは優秀な人間は検察官や検事になろうとしないだろう。だが、そもそも司法試験に受かり、司法研修所で研修を受ける時点で既に、権力に都合の良い者を判事や検事にすべく法務省事務総局が意図していると言える。例えば親が住民運動をやっていたり共産党系の青法協に入っていたり、要は国民目線で活動する可能性の有る研修生は、教官が検事判事には推奨せず弁護士になるよう肩叩きしているのである。近時は研修を終えて判事や検事になることを拒否する研修生を任官拒否と報道する向きがあるが、そもそも任官拒否とは、研修所の方が判事検事になりたい研修生を先に述べたような理由で拒否、判事検事への任官を認めない研修所の特異なシステムを指していたのである。
  司法研修所では憲法も労働法も俎上には昇らないと聞いたが、現在も同様なのだろうか。だとすると、時の内閣が国民を前に他国のように護憲を宣誓する仕組みが無い分、司法までもが堂々と護憲精神を唾棄していると言えるだろう。
  優秀とは誰から見た場合かにもよるが、納税者の血税を以て全ての政策が担われる租税主義である以上は出資者である納税者の意思の反映が不可欠だが、自民党の場合には納税者目線では無く財界目線で公金を流す故に大勢となっている場合、国民納税者から見て優秀な者は先述の通り、研修所で既に任官拒否され淘汰されることで、なりたくとも検察官や判事にはなれないのが実態であり、これは租税主義、法治主義を採用する日本国にとって非常に重大な問題だと思う。
  
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/139.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相が疑惑の大手IT社長と会食で「世論操作か」の声(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 2020年2月28日 02:57:01 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[239]
もう。この体たらくでは、右のデマ切り捨て、左のデマに偏向して追従してもかまわない。自分と身辺の命を守るためには、当座はそれを正義と見做すことにする。個人的には。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/166.html#c28
コメント [政治・選挙・NHK270] https://memomemokun.hatenablog.jp/entry/2020/02/27/234519 地震くん
4. 2020年2月28日 03:04:43 : qYF2tdkGxo : dk5qaXdQNmtGR28=[15]
>3
そうなるのも怖いですね。

現在の日本は独身者も多く、またお年寄りの一人暮らしもかつてに比べ格段に多い。
しかも貧困率も高い。

そういう事も含め、安倍や省庁の未必の故意なのでは、と思うと風邪じゃなくとも悪寒が走る…
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/167.html#c4

記事 [原発・フッ素52] IAEA事務局長 「福島第一の水の処分 モニタリングの用意」 (NHK) 

「IAEA事務局長 『福島第一の水の処分 モニタリングの用意』」
(NHK 2020/2/27)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200227/k10012304001000.html

IAEA=国際原子力機関のグロッシ事務局長は、東京電力福島第一原子力発電所にたまり続けている放射性物質のトリチウムなどを含んだ水の処分について、地元や韓国から反対の声が上がっていることに対応するため、IAEAとしてモニタリングを行う用意があると日本政府に伝えたことを明らかにしました。

就任後初めて日本を訪問しているIAEAのトップ、グロッシ事務局長は27日、都内でNHKの単独インタビューに応じました。

福島第一原発ではトリチウムなどの放射性物質を含んだ水がたまり続けていて、これを基準以下に薄めるなどして海か大気に放出する方法が検討されていますが、漁業関係者などから風評被害懸念する声が上がっているほか、韓国も反対して日本を批判しています。

これについてグロッシ事務局長は、「IAEAの専門家が分析したが、確固たる科学的な方法に基づいたやり方だ。現実的には海への放出がより一般的だ」と述べて、科学的な観点からは問題ないという認識を示しました。

さらにグロッシ氏は、日本政府がことし中にも処分方法を決めるだろうとしたうえで、「IAEAは放出した水をモニターし公表するという支援ができると、安倍総理大臣などに話した。IAEAがモニターすれば、日本国民や周辺国、国際社会も、環境に影響が出ているかどうか確認できるだろう」と述べ、地元や韓国などの懸念に対応するため、日本と協力していく姿勢を示しました。

------(引用ここまで)------------------------------------

浄化したはずの汚染水の8割以上から、放出基準値の最大2万倍もの汚染が
見つかっています。

原子力推進の総本山・IAEAのモニタリングなど、いったい誰が信用するのでしょう。
最初から結論が決まっているようなものです。

やるのなら中立な立場の第三者に測定をしてもらうべきで、
海洋に放出してはならないレベルの汚染がすぐに検出されるでしょう。


(関連情報)

「汚染水、浄化後も基準2万倍の放射性物質 福島第一原発」  (阿修羅・赤かぶ 2018/9/28)
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/362.html

「福島第一・汚染水タンク増設の敷地がないは大ウソ 広大な7、8号機建設予定地、
中間貯蔵施設予定地がある」 (拙稿 2019/10/30)
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/220.html

「更田・原子力規制委員長「処理水は、稼働中の原発が放出するトリチウム水と違う」と明言 
参院・予算委員会」 (拙稿 2019/10/29)
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/216.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/531.html

コメント [政治・選挙・NHK270] 新型コロナウイルスーーー首相の大罪 青木
33. 2020年2月28日 03:13:17 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[240]
さて、ここまで、ランサーズは混じっているだろうか。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/158.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK270] 河野太郎よ、黙って座ってるのも大臣の仕事だよ!おまえは質疑の間よく寝てる。「3年寝太郎」っておまえのことか! gataro
4. 2020年2月28日 03:16:29 : FIVQxYBzws : Y3FTOUxFRHJIdnM=[27]
質問の事前通告があると、大臣に緊張感が生まれないのはもっともだ。
質問は事前通告なしで、ガチンコ勝負するようにしたら良い。
答弁席にパソコンをつないで大臣自らがその場で調べてその場で答えるようにすれば、隠蔽や改竄が少なくなる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/161.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] 陸連のトップはバカの集まりか!! 東京マラソン「大規模イベントに当たらない」 日本陸連、予定通り開催 怪傑
2. 2020年2月28日 03:19:30 : FIVQxYBzws : Y3FTOUxFRHJIdnM=[28]
陸連のトップはカネの亡者の集まりなのだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/169.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK270] <赤旗がスクープ!>「桜を見る会」マルチ商法社長の招待は昭恵夫人の事業への資金提供の見返りだった! 30人以上の資金提供者… 赤かぶ
33. 2020年2月28日 03:20:30 : qYF2tdkGxo : dk5qaXdQNmtGR28=[16]
昭恵サンのkーUZUハウスに渦巻く
禍々しい黒い屑の渦…
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/160.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK270] 政府はイベントや集会を強く中止勧告すべきだ。(日々雑感) 笑坊
6. 2020年2月28日 03:24:37 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[241]
自民党は国民には秘密で自分たちだけ、貴重な予防薬を使用してるから、集会ができるのではないでしょうか。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/151.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK270] 新型コロナ、隠蔽疑惑の政府にJOCが"反旗"(jbpress)検査件数が異常に少なく国家ぐるみで感染者の数を過少報告 てんさい(い)
30. 天然理心的飛影[29] k1aRUpedkFOTSZTyiWU 2020年2月28日 03:43:05 : Ail3jk9Btk : aDU0SUREMmdWQS4=[123]
石原慎太郎と大衆的石原慎太郎信者をみんなで甘く診てたってところだな。

コロナに関して私にして深くは言えないわけだが、東京五輪開催が地球人類的虐殺の動機に当たるのは間違いないようだね。

何故阿修羅民は狙撃準備も無く空言を言い過ぎたか?だ。

文系理系、それは霊的退化ですね?死にますよ。まじで大量に。
私は命を懸けて自民党絶滅と風水哲学創世をやってやる。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/150.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK270] 首相官邸では、ここ1〜2週間でコロナが収まらなかったら、東京オリンピックは中止となり、その責任をとって安倍晋三首相は退… 笑坊
23. 2020年2月28日 03:44:55 : knKwi1frIE : RTJ2Y3ZoZTYwZkE=[242]
ここ数日、レトルトやインスタントばかりで、半分、籠城のような生活をしてたら、苛立ちやむかつきが増幅して、激しい怒りが沸いてきた。怒りの矛先は、まぎれもなく安倍政権で、他の政党、外国には特に感情はない。自分は食い物で感情が左右される正確らしい。もし、飢えたら発狂するかもしれない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/131.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
4. 2020年2月28日 03:55:30 : v8UAwomnsA : eTlaYTJDbXRBQjI=[45]
(文=青木泰/環境ジャーナリスト)←この人、相当に
肩入れしていて籠池自体の発言にのめり込んでいるが↓
https://biz-journal.jp/2019/06/post_28309.html

之はどう思うのか。↓

「不正」は本当にあるのか?安田浩一が見た、開票作業のウラ側

結論から記そう。陰謀論者が指摘する「上毛実業」と、
ムサシの持ち株会社である「上毛実業」は、まったく
別の会社である。登記を確認したところ、前者の
「上毛実業」は確かに1912年創業で、現在は「価値開発」と
社名を変更してホテル事業をおこなっている。だが、
単に元の社名が同じというだけで、ムサシとは何の接点もない。

当の「価値開発」にも当たってみたが、担当者は「何のことだか
さっぱりわからない。ムサシなる企業とはわずかなつながりも
ありません」と当惑した声を漏らすばかりだった。前述した籠池発言
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68937?page=2)も、
まったくのデタラメということだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68938
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
1. 赤かぶ[60641] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:03:25 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11931]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
2. 赤かぶ[60642] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:04:10 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11932]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
3. 赤かぶ[60643] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:05:13 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11933]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
4. 赤かぶ[60644] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:06:14 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11934]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
5. 2020年2月28日 04:07:11 : v8UAwomnsA : eTlaYTJDbXRBQjI=[46]
あとこれも。下記の人(相澤冬樹)は相当肩入れしているが
この記述自体の事実は消えない。↓

この裁判で問われている事件は大きく2つ。1つは
小学校建設の工事代金を水増しして国の補助金
約5600万円をだまし取ったとされる件。
もう1つは幼稚園の運営にあたり教員数などを
水増しして大阪府・市の補助金約1億2000万円を
だまし取ったとされる件だ。このうち校舎建設の
補助金について夫妻は、設計業者と建設業者が
主導したことで自分たちはよく知らないと2人とも
無罪を主張。自分たちだけ立件して業者を罪に
問わなかったのは国策捜査に協力させる
事実上の司法取引だと非難している。

ところが幼稚園の補助金については、夫の泰典前理事長は
一部について不正受給を認めている。その上で
全額不正ではないと金額を争っている。だから
完全無罪はありえない。注目はどこまでが
不正と認定されるか? それが、実刑か、
執行猶予がついて刑務所に入らずにすむかを左右する。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269163

「青木泰」でGoogle検索すると一番上に出てくるのがIWJ。
ページ一番下はこれ↓

青木泰に関連する検索キーワード
青木泰 プロフィール
青木泰 左翼

泰典被告に実刑判決もまだ終わらない!籠池劇場
N国党・立花氏と青汁王子の強力援軍参戦
https://article.auone.jp/detail/1/5/9/103_9_r_20200220_1582185864376808

左翼と言えど海外企業に道を開く水道民営化、
種子法廃止、TPP反対、と保守の側面も
多分にあるので何が左翼で何が右翼か定義自体が
破綻しているような気がしなくもないが
ともかく関わる人間自体が相当きな臭くなっている。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK270] 青木理氏「無知」と「無恥」に蝕まれる憲政史上最愚の政権 怯むなANAホテル!ウソと詭弁を終わらせろ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
38. 2020年2月28日 04:07:47 : qYF2tdkGxo : dk5qaXdQNmtGR28=[17]
>36
確かにそういう面はあるかもね。
ただ、日本人の恐らく80%近くが英語の読み書き聞き話す、のいずれも出来ない。
だから当然英語のニュース紙なんて読めないしニュース番組も観ない(わざわざネットの翻訳機能駆使したり字幕や同時通訳が入るBBCやCNNを好んで観るなどしない限り…それでもアベイラブルソースは限られてるけど)。

だから井の中の蛙として、楽勝でコントロールできるとほくそ笑んでるわけだ。
全部でなくとも読み書き聞き話す、のいずれかが出来る官僚の割合は一般国民に比べても多い訳で。

逆にいうと、恐らく世界中の人口の3分の1以上は一定程度英語が出来る。
40代以下は特に。
嘘だと思う?

中国は文法の類似性やL-R発音が区別出来る事から英語はマスターしやすいし。
韓国は近年アメリカ等への留学が盛んだし。k-pop聞けば分かるよ。ほぼネイティブ発音な英語ソングで埋め尽くされてる。
インドなんて、英国領だった事もある位で、それこそエリート向け連邦公用語であるヒンディ語除けば、多々ある母国語に対しての唯一の国内共通語と言っていい。

だから、その中でちょっと英語が出来るってだけでエリートヅラして一般の日本人を下に見てる上級国民連中も、
世界標準から観たら随分とオソマツで下等な連中に過ぎない。

世界で日本人として尊敬されるのは、今何故か淘汰されようとしているハイテク技術者や、伝統職人やアーティスト位で、決して英語ペラペラの日本人ではないのにね。

てか、未だに日本の技術力は世界一だなんて、ガラパゴスTV観て信じてる人が多いし。

ただ、一般の人ももう少し英語に関心持ててれば、というか関心持てるような教育がなされていれば、とっくに革命やクーデターは起きてただろうね。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/155.html#c38

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
5. 2020年2月28日 04:24:43 : AdNBAAykfs : blkwak90cElxUS4=[14]
マスコミも悪い。
当初陽性患者数のみ発表し、「陽性患者数=感染者数」という錯覚を流布しようとしていた。私も騙されかかった一人だったが、ふと検査件数を調べ、まさにその少なさにわが目を疑い、愕然とした。

その時、検査件数を発表していたマスコミを私は知らない。

検査件数、その内の陽性、陰性件数、更に言えば検査要請件数を調べ、発表しなければ嘘だろう。
検査要請件数はまだ未公表のようだから、国、自治体にその公表を迫らなくてはいけない。

国民ももういいかげん政府、マスコミの錯覚コントロールに怒るべきだろう。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相がコロナ対応の説明から逃げまくり「パフォーマンスに意味ない」と正当化! 支援策打ち出す韓国・文在寅大統領との決定… 赤かぶ
80. 前河[3807] kU@JzQ 2020年2月28日 04:24:52 : gL0zQkpwJ2 : TTBWVmhLcVZla0E=[120]
>だいたい、「パフォーマンスには意味がない」って、安倍首相こそ、パフォーマンスばかりやってきたんじゃなかったのか。

コイツの「特異の常套手段」。コイツの詭弁は数種類しかないのでパターンが決まっている。

自分のマイナスの特長を逆手に取って真逆な事を言うのはその内のひとつだね。

ちょっと前に黒岩議員だったか?に嘘つき呼ばわりしたな。あれも同じ。

★自分の欠点をあえて敵に当てはめたり、自分はそうではないと言い切る人格障害=「真逆論法」は「ご飯論法」に並ぶ幼児性の表れ=悪質性の例⬇

@自分が嘘つき➡野党議員を嘘つき呼ばわり

A自分がレッテル貼り➡野党議員に対し「そういうレッテル貼りはやめた方がいい」と発言

B「安倍政権は悪夢」とネット上などで言われていた➡「悪夢の民主党政権」と発言

C自分がパフォーマンスばかりやって来た➡「パフォーマンスには意味がない」と発言


Dコロナウィルス対策は完全に後手後手に回ってる➡「後手後手にならないよう…」と白々しく平然と言える

もう政治的防衛本能・防衛策と人格障害が混ざりあってぐちゃぐちゃになっている。

尋常ではない嫌らしくも見苦しい感性だな。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/142.html#c80

コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
6. 2020年2月28日 04:25:09 : v7bwlkoeBY : OUhLMDJhSk5CVFE=[1]
安倍の答弁の出鱈目具合から「信用出来ない」と言う
人が居るけど籠池のムサシ発言が出鱈目ならば
籠池の発言も「信用出来ない」という解が
得られるのではないだろうか。
それとも安倍は信用出来ないが籠池は
信用出来るということだろうか。
それなら相応の論理が必要になる。

ともあれ上告はするらしいので裁判所が
棄却しない限り再び裁判は開始される。
高裁判断が最終決着なのか、
それとも最高裁まで行くのか。

此方の注目具合で裁判の判決にも影響するのか否か。
仮にも影響するなら其れは良いことなのか
悪いことなのか。個人的には静観するほかない。
ただ一方の側から記事を投稿されまくるのも
アレなので右翼サイトは別にして
ちょくちょく別記事(別視点)を
引用しながら挟んでいく。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣が検査を忌避する「特殊な事情」(植草一秀の『知られざる真実』)  赤かぶ
67. 罵愚[8331] lGyL8A 2020年2月28日 04:41:44 : l4Mb7amHUg : OFd6c1EvZ1Fra0k=[46]
>>59 クライシスさん
>天皇家も縄文人から日本を奪い取ったのである。

 それを言い出したらきりがない。西欧の王室も支那の歴代王朝も、すべて同じだな。もっというとね、民主主義って呼ぶ政治理念にだって倫理的正当性はない。王政を否定する屁理屈にすぎない。
 とりわけ、日本の平和憲法こそがアメリカに押しつけられた占領地憲法だよ。あなたの理屈によれば、まずは、日本の国家主権は天皇家に返却するべきってことになる。

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/134.html#c67

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
6. 2020年2月28日 04:43:34 : v7bwlkoeBY : OUhLMDJhSk5CVFE=[2]
>検査を増やさないのは、どうしてなのか。
>医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が言う。

>「検査希望者がたらい回しされたり、断られるケースが
>相次いでいます。加藤大臣の説明のような委託先の
>問題ではありません。国にやる気がないのです。
>厚労省傘下の国立感染症研究所と各地の保健所が
>検査の委託先をコントロールし、重症者だけしか
>受け付けないなど検査に高いハードルを課しています。
>まず、陽性者の実数を増やしたくない
>官邸の意向がある。また、感染研など厚労省側も
>ウイルス検査の“ピンハネ利権”を維持したい。
>だから、民間を検査ビジネスに参入させ、
>野放しにさせたくないのです」

↑は日刊ゲンダイの見解ではないが下は日刊ゲンダイの解↓

コロナ拡大は安倍政権の人災 国立感染研大リストラの大罪
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/268991

病院に行っても特効薬が無いので
治るものでもないのだろう?なら無理に病院に行くことで
院内に感染を広めるよりか自宅待機を推奨するのが
合理的。幾ら検査したところで無駄ではないか。
知らないことで不安は増大していくが
コロナだと判明した所で何もすることはない。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
7. 2020年2月28日 04:49:18 : v7bwlkoeBY : OUhLMDJhSk5CVFE=[3]
逆に言えば韓国は検査推奨=病院受診推奨しているのだろう。
病人が街中を歩き回り菌を振り撒いているのと同じこと。
とは言え病気はコロナだけにも限らない。

癌は一般的には自覚症状がないとされるが
自覚症状がある危険な病もあるだろう。
であるならば治療(診断)の遅れがそのまま
リスク拡大に繋がるので何らかの症状が出れば
取り敢えず病院で診てもらうのが筋。
その為の病院でもあるだろう。

書いていて思ったがどうとでも言える問題。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
8. 2020年2月28日 04:50:37 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[534]
もう五輪は延期のみにかけて、どんどん検査して当初は膨大な感染者数になろうとも実態を公表するべきだ。
その後感染者数の収束が見えてきたら本当の押さえ込みや感染拡大が抑えられたと言うことだろ
感染者数をいかに少なく見せようとしても、肺炎患者の増大や肺炎での死者数が増大すれば世界中に隠匿政治が暴露される
今回は腹が痛くなったと逃げるだけでは済まないだろ
国内はもちろん国外からも訴訟を起こされて、裁判所がパンクするのではないのか?
もちろん責任者はあの人
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c8
記事 [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ)
 

 


愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/269581
2020/02/26 日刊ゲンダイ


大浴場から三河湾を望む(冨士見荘のHPから)

 とうとう新型コロナウイルス禍による倒産が発生してしまった。愛知県蒲郡市の西浦温泉にある1956年創業の老舗旅館「冨士見荘」が廃業することになった。

 冨士見荘は業績不振により、2013年8月に資金ショートが表面化したが、近年、中国人ツアーに注力し、盛り返していた。40室の客室はほとんどが中国人で満室だった。しかし、新型コロナの影響で中国からの団体ツアーのキャンセルが相次ぎ、倒産に追い込まれた。

 愛知県は外国人宿泊者のうち中国人比率が49.3%と、全国平均の26.5%を大きく上回る。愛知、静岡、岐阜など中部国際空港周辺には中国人客をアテにした宿泊施設も多く、新型コロナによる相次ぐキャンセルに悲鳴が上がっている。東京商工リサーチ情報本部長の友田信男氏が言う。

「今回の倒産劇は、愛知の一旅館の話ではありません。中国人観光客は北海道から沖縄まで訪問していました。旅館に限らず、お土産屋、観光バス、旅行会社など観光業は、全国各地での倒産が想定されます。そのうえ、日本人客の需要にも期待はできない。昨年10月の消費増税で消費マインドが冷え込んでいる上、しばらくは、新型コロナで外出を控えるからです。インバウンドや国内需要の激減は、飲食店や小売りにも影響が出るでしょう」

 中国経済は依然、マヒ状態に陥っている。工場の本格稼働も進まない。部品を納入する中小企業の資金繰りが厳しくなれば、製造業での倒産ラッシュも現実味を帯びる。

「倒産や長期の休業で、雇用されている人の収入も不安定になる。ますます消費は低迷するという悪循環に陥ります」(友田信男氏)

始まった日本売り

 はやくも海外投資家は日本に見切りをつけ始めている。これまで日本円は安全資産とされてきたが、新型コロナの騒動では、むしろ円安が進行している。12月の日銀短観によると、19年度下期の大企業製造業の想定為替レートは1ドル=106.90円だが、先週、10カ月ぶりに112円台をつけた。東京市場も急落している。

「消費増税、GDPマイナス成長に加えて、新型コロナウイルスの感染拡大と日本政府のまずい対応から、海外投資家は日本を“危ない国”と見るようになっています。円資産の保持に不安を感じる投資家が円売りを進めているのです」(兜町関係者)

 新型コロナがアベノミクスにトドメを刺すのか。







http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html

コメント [政治・選挙・NHK270] この期に及んでも政府は「景気は穏やかな回復」現実逃避をするな!と言いたい(まるこ姫の独り言) 赤かぶ
8. 2020年2月28日 04:53:36 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[535]
虚構経済が暴露される良い機会かも
プラスチックにメッキしても所詮金属ではない
戦おうにも弾がない
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/171.html#c8
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[60645] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:55:05 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11935]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK270] 森友・籠池夫妻に不当判決…検察が勝手にストーリー創作、村木厚子氏・証拠捏造事件と同じ(Business Journal) 赤かぶ
7. 2020年2月28日 04:55:11 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[536]
まだ言えないことがあるなら証拠出して暴露しないと幽閉されると思う
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/170.html#c7
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[60646] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:55:46 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11936]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c2
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[60647] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:56:17 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11937]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c3
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[60648] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:56:54 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11938]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣が検査を忌避する「特殊な事情」(植草一秀の『知られざる真実』)  赤かぶ
68. 罵愚[8332] lGyL8A 2020年2月28日 04:57:27 : l4Mb7amHUg : OFd6c1EvZ1Fra0k=[47]
>>66
>原発事故当時の菅直人政権のほうがまだましだった。

 にもかかわらず…全国の小中学校の一か月閉鎖という暴挙にもかかわらず…安倍政権への批判こそあるものの、空き缶、ハトポッポ、野ブタに立ち戻ろうなんて意見はどこにもない。わずかに、山本ヒットラーに“ハイルヒットラー”の掛け声だけだ。
 危機の本態は安倍の狂態ではなくって、安倍に代われる政権の不在だな。それがわかっていながら“ええじゃないか”を乱舞する ★阿修羅♪のオタマジャクシたちだ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/134.html#c68

コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[60649] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:57:29 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11939]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
9. 2020年2月28日 04:57:52 : v7bwlkoeBY : OUhLMDJhSk5CVFE=[4]
安易に病院に行きなさいとも言えず
安易に病院に行くなとも言えない。※1

前者は全体の権利問題であり
後者は個人の権利問題。

対応は後手に回りそもそも閣僚が新年会とか
書道展とかで欠席しており全体的に
危機管理意識に欠けておりそこは
猛批判されるべきだが安倍の思惑は知らない。
こと上記問題(※1)に限っては
答えはあるのだろうか。

少々逸れるが中絶問題を思い出した。
女の権利か、生命の権利か。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c9

コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 赤かぶ[60650] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:58:03 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11940]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c6
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 赤かぶ[60651] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:58:50 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11941]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
11. 2020年2月28日 04:59:17 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[537]
役に立たないと言われているイージスアショア導入キャンセル
無駄な武器購入もキャンセル
コロナ対策に予算を増やす財源がないなら、無駄を削るしかない
武器購入は国会での承諾もなく即断するくせに、コロナ対策に予算を最大限入れられないケチな野郎だ
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c11
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 赤かぶ[60652] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:59:25 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11942]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c8
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 赤かぶ[60653] kNSCqYLU 2020年2月28日 04:59:57 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11943]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c9
記事 [国際28] WHO「世界は今回の件で中国に借りが出来た。彼らは人を生かす方法を知っている」
ブルース・エールワード博士


WHO「世界が中国に借金をした…彼らは人を生かす方法を知っている」


世界保健機関(WHO)が世界各国の新型コロナウィルス感染症(コロナ19)対応体系を指摘し、「中国に学ばなければならない」と話した。
このような主張をした人物は、今月9日、WHO国際専門家チームを率いて中国を訪問したブルース・エールワード博士だ。
彼は25日(現地時間)、スイス・ジュネーブのWHO本部で行ったメディア向けブリーフィングで、「我々が明日にでもコロナ19に直面するものと考え、早急に、より大きな規模で管理する準備ができていなければならない」とし、「もし、そのように考えていないのであれば、思考の転換が必要だ」と話した。
それ共に言及したのが「中国政府の攻撃的な対応措置」で、世界各国が中国の姿勢を学ばなければならないと付け加えた。彼は、「我がチームは中国がコロナ19の発病進路を変えたということに全会一致で意見を集めた」とし、「急増した発病は安定化し、早く減少した」と述べた。
さらに、「中国はコロナ19から人をどのように生かすかその方法を知っている」とし、「すべての人たちが責任感を持っていた」と評価した。それだけでなく、中国当局の地域別措置や医療陣の動員、地域間連帯結束力を強調し、称賛した。
これに先立ちエールワード博士は前日、中国北京で開かれた記者会見でも「中国の措置のおかげで新規確診者が減少している」とし、「世界が中国に借金をした」と主張したことがある。


ムンジヨン記者jymoon@kmib.co.kr
記事入力2020.02.26。午前5:06
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=001&oid=005&aid=0001292269

http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/404.html

コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 赤かぶ[60654] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:00:43 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11944]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c10
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 赤かぶ[60655] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:01:28 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11945]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c11
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. 赤かぶ[60656] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:02:10 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11946]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c12
コメント [経世済民134] 愛知県の老舗旅館が廃業 新型コロナ「倒産ラッシュ」の足音(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
13. 赤かぶ[60657] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:02:52 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11947]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/211.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相はもう独裁者。法律も閣議で変更。閣議が国権最高機関。(かっちの言い分) 一平民
3. 2020年2月28日 05:04:45 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[538]
コロナ対策の不手際で死亡させられた人たちが増加して恨みを買うだろう
まさか社会保障費の削減対策として、年配者が亡くなるのを待っているのか?

http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/164.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
49. 弘前の押忍くま[19] jU@RT4LMiZ@URYKtgtw 2020年2月28日 05:10:34 : E9HaOajlSr : WlU4R3o1QVpENEU=[1]
緊急事態条項発令だなぁ〜
新型コロナ? 俺は30年前にコロナに乗ってたなぁ
森下自然医学を勉強しろ!
バカ騒ぎが見えてくるから
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c49
記事 [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ)



新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/269608
2020/02/27 日刊ゲンダイ


中国人キャンセルは40万人?(C)日刊ゲンダイ

 次々に新たな場所に飛び火し、感染を拡大させている新型コロナウイルス。日本経済に深刻な影響を与えつつある中、私が注目したのは、これまでインバウンド需要で訪日観光客が急増してきた旅館・ホテル業界だ。

 日本旅行業協会は新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大により、中国からの訪日団体旅行客のキャンセルが3月末までに40万人に上る可能性があることを明らかにした。

 中国人の団体旅行客が訪日する場合、観光ビザが必要となるため日本の旅行会社が身元保証人となり身元保証書を作る。3月末までのツアーで40万人がこの身元保証書を申請したが、中国政府による海外への団体旅行禁止措置が今後も続くとみられることから40万人がキャンセルとなる見込みだ。

 そのため国内の旅館・ホテルの宿泊キャンセルが急増。特に中国人の宿泊客を中心とする施設は危機的経営状況に追い込まれている。関西の大手ホテルの支配人が困惑した様子で言う。

 次々に新たな場所に飛び火し、感染を拡大させている新型コロナウイルス。日本経済に深刻な影響を与えつつある中、私が注目したのは、これまでインバウンド需要で訪日観光客が急増してきた旅館・ホテル業界だ。

 日本旅行業協会は新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大により、中国からの訪日団体旅行客のキャンセルが3月末までに40万人に上る可能性があることを明らかにした。

 中国人の団体旅行客が訪日する場合、観光ビザが必要となるため日本の旅行会社が身元保証人となり身元保証書を作る。3月末までのツアーで40万人がこの身元保証書を申請したが、中国政府による海外への団体旅行禁止措置が今後も続くとみられることから40万人がキャンセルとなる見込みだ。

 そのため国内の旅館・ホテルの宿泊キャンセルが急増。特に中国人の宿泊客を中心とする施設は危機的経営状況に追い込まれている。関西の大手ホテルの支配人が困惑した様子で言う。

 先の関西の大手ホテルでも、中国人客だけではなく日本人の宿泊客のキャンセルも増えてきているという。関西以外にも旅行者の予約キャンセルは静岡県で約10万人、山梨県では3万人超えと全国に広がっている。まさに観光業にとって死活問題になってきているのだ。

 観光庁は2月17日から旅行業者らの相談や要望に対応する特別相談窓口を設置した。また、政府は緊急対策として総額153億円の対応策の実施を決めた。日本政策金融公庫の貸し付け、信用保証協会のセーフティネット保証も動きだした。観光業は中小企業や小規模事業者による経営が多い。政府の対応次第で今後の日本経済は大きく左右されることになる。

(ジャーナリスト・木野活明)








http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
10. 2020年2月28日 05:16:09 : QAiADQMylg : aHpjejhicUR3Mm8=[97]
病院に入院している重症患者は
診察室と個室・大部屋の階層が異なると言えど
コロナ患者は病院には来てもらいたくない、
と思っているのではないだろうか。
そういう人にとってはインフルや風邪も脅威だが
そこにもう一つの脅威(コロナ)が加わるなら
拒否したい気持ちもあるのだろう。
今のところ特効薬もない。
病院患者を最優先にすべきなら行くべきではない。

他方でコロナか否かも分からないのでは
病院に行くな、は個人の権利侵害。コロナと
判明した所で何もすることはないと思うが
先にも言ったように別の病気である可能性もある。
親父は肺癌らしいが何か月も咳をしていた。
熱も気怠さも無かったようだがね。
↓下記は関係ないこと。

痰を採取して培養させたにも拘らず市民病院では
判別出来ない(多分、癌だと思います)
↑癌専門病院への紹介状+インフルエンザに
罹ったことで本格的検査が1月半も伸びた。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c10

コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[60658] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:17:07 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11948]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c1
コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[60659] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:17:49 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11949]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c2
コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[60660] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:18:26 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11950]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c3
コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[60661] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:19:27 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11951]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c4
コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 赤かぶ[60662] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:21:15 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11952]


http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
11. 赤かぶ[60663] kNSCqYLU 2020年2月28日 05:22:40 : LSw33cvQOo : MmV2aDVmVG9pMi4=[11953]


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍内閣が検査を忌避する「特殊な事情」(植草一秀の『知られざる真実』)  赤かぶ
69. 罵愚[8333] lGyL8A 2020年2月28日 05:45:50 : l4Mb7amHUg : OFd6c1EvZ1Fra0k=[48]
 いまだに「民主主義こそが理想の政治形態だ」なんて、おとぎ話を信じている★阿修羅♪のオタマジャクシや、東西冷戦時代の観念論から卒業できない★阿修羅♪のゆでガエルに、こんな話をしても、はじまらないのだが…こんな視点もあるよって紹介をしてあげる。
https://www.youtube.com/watch?v=Hvu-NzxtS44
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/134.html#c69
コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相はもう独裁者。法律も閣議で変更。閣議が国権最高機関。(かっちの言い分) 一平民
4. 2020年2月28日 05:54:31 : rDXApDQSrc : WU1kSC9sOU03VUk=[2]
国家公務員法の場合「職員は定年になったら、その年の年度末に退職する」ことになっているが、検察庁法の場合「検察官は63歳になったら退職する」とある。つまり検察官にとって63歳は「定年」ではなく「退職年齢」だ。だから「定年延長」なんてものは適用できないんだよね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/164.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] 作家・中村文則氏 国民の命にまで…安倍政権はもう限界だ 怯むなANAホテル!ウソと詭弁を終わらせろ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
43. 2020年2月28日 06:14:30 : ATjTyCYFps : Mk4wUE1zVkdqeHM=[9]
>>39
ドサマギに安倍寛と安倍晋太郎を正当化してんじゃねぇよ
安倍晋三を生み出した、という一点で、こいつらの功績なんて跡形もなく無に帰すわ
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/141.html#c43
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
50. 2020年2月28日 06:27:12 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[539]
他党の責任に出来ないから今後の責任追及から逃げられない
今回もコロナウイルス対策関連の資料提出を拒んだり、改竄、廃棄したら今までの悪巧み認めたようになるから大変だよね
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c50
コメント [経世済民134] HISの某ツアーが最悪だった…バンにぎゅうぎゅう詰め、ガイドが客に「席譲り合え」(Business Journal) 赤かぶ
11. 空虚[3280] i_OLlQ 2020年2月28日 06:27:15 : 1w8KmgvyaM : UmE3dWJxU3VSaEk=[1]
ダイヤモンドプリンセス HISカジノ・ラスベガスツアー 横浜港 中国肺炎 小公女セーラw できすぎてるぜw 現実は、諸説より奇なりだわな。

世界同時株安激震 基軸通貨危機 ガラガラぽん ってか。オカルトは退屈させてはくれんな・・・。
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/201.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
12. 2020年2月28日 06:28:05 : dgSccV0eKQ : Li4ySExpdEgzSFU=[2]

ワシントンもニューヨークでもイタリアもホンコンも一斉休校やってる。やらされている。安倍はここまで頑張ったほうだ。公立だけで私立はお願いの形式的措置。感染症学会がカネ要求している。恐喝だな。厚労省職員を感染者に仕立てたり加藤大臣まで感染隔離するぞと恫喝している。WHOとCDCからトランプは去年予算53%削減したのは権限剥奪の狙いだった。そのことが今回のコロナにつるながっている。仕返しの偽旗だ。トランプは偽コロナを屁とも思っていない。加藤大臣はうまく感染症学会内部のヤクザをかわしている。商業メディアは爪の垢でも。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c12

コメント [カルト24] 経団連は、小中校全休校を受けて、月水金日組と火木土日組の二組に分けて、週休三日で回す事である。 ポスト米英時代
3. 2020年2月28日 06:29:53 : Dk7rlFyJ5E : dHZqQXhaazlSUEk=[1]

見方1
流れを変えたのは、中曾根だ。こいつが逮捕されなかったから、今のめちゃくちゃな日本が在る。

見方2 
物事の本質は発生にあり。
岸だよ! 吉田だよ!
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/896.html#c3

コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2020年2月28日 06:31:34 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[181]
 
 いわゆる 安倍政権での方針 インバウンドを高めることに対する政策において

 旅館・ホテルを 守るのか?見殺しにするのか? という問題に突き当たるよね〜〜

 ===

 数カ月続く インバウンドの減少に対して それは 全て 民間の責任 個人責任とするのか?

 インバウンドが増えれば 安倍政権の「手柄」で インバウンドが下がるのは 民間の責任なら

 それはないでしょう って言いたいよね
 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c6

コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2020年2月28日 06:38:50 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[182]

 結局 スローダウンできる国家 って問題なのだろうね〜〜

 コンピュータが 仕事が少ない時に 省電力モードに入って 寝ているわけだが

 ひとたび 仕事が入れば 一瞬にして フル稼働モードに 戻すことができる

 「休止モード」が 存在できる 社会システムの構築が 必要なのだと 想うな〜〜
 
 ===

 新型コロナが 突き付けた 課題は 大きいよね! 

 無能政府が 旅館・ホテルの 倒産を 何もしないで 見過ごしてしまうのだろうけど
 
 我々は そこも見ておかなければな〜〜 って思うよね〜〜
 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c7

コメント [経世済民134] NYダウ連日の急落 879ドル安、新型コロナ警戒一段と(日経新聞) 赤かぶ
10. 2020年2月28日 06:41:41 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[1294]
  「せっかく絶好調だったのにコロナのセイで悔シー憎イ」とかズッコケの口実出来てよかったじゃないかw(by一般庶民)  ;ドッチにしろラブ注入も暴発遅らせているだけでそろそろ限界w  ヨリ
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/206.html#c10
コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2020年2月28日 06:49:55 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[183]

 20世紀の国家は スローダウンできない国家 なのだと思う

 「こま鼠のように回り続けないと倒れてしまう国家」だったのだ

 それが 資本主義の本質で 高速回転できるものだけが 生存できる社会なのだった

 ===

 南国の豊かな 果物で満たされた国では 仕事をする必要はなかった

 ただ単に それを食べて生きていくだけでよかった時代があったのだ

 究極のスローダウンできる国家だったのだが 今や 人口が増えすぎて

 何もしないで 生き延びることができない時代になってしまった
 
 ===

 新型ウイルスによって いきなり「スローダウンしなさい」と言われているのが
 
 今 現在なのだ

 ここは 一つ 新たな課題として 哲学的に 回答を出す必要があるよね〜〜
 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c8

コメント [カルト24] 経団連は、小中校全休校を受けて、月水金日組と火木土日組の二組に分けて、週休三日で回す事である。 ポスト米英時代
4. 2020年2月28日 06:50:12 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[1295]
  御意  当事者意識のない無能ゴテゴテ内閣は無給無休日の月月火水木金金でおk、つか危機管理出来る臨時救国政権が即カンヨー、マジ任せられないと改めて判明!;一体どこへ向かっているのかクルーが狂っているとしか、  ヨリ
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/896.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
51. 2020年2月28日 06:55:38 : YvuFO3gW5k : Wi4wNmJxMmcubGs=[23]
こんな危機にぶち当たって気の毒です。平時なら、国民の税金をどうやって楽に自分達の懐に入れるか、悪知恵を絞っていれば良いだけでしたのに。危機管理能力などは皆無なので、右往左往するしかない。早く辞めていれば良かったですね。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c51
コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
52. 地下爺[10029] km6Jupbq 2020年2月28日 06:59:25 : ErXzChr1Dk : endXNXZiMGtZY28=[591]

  晋三ぼっちゃまは 我が国の Reader なのは 間違いの無いことですが
                ↑

  漢字が 書けない 感じが 読めない のは どうしょうもないことかも

  しれません 。。。



http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c52

コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 2020年2月28日 07:07:38 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[184]

 ここで 一つ スローダウンと 対極にある 超高速経済(HFT)ハイ・フレクエンイー・トレードだが

 わずか 3%の株価が下がる(1000ドル)ことで 100兆円損する銀行と
 
 100兆円儲かる銀行とがあって JPモルガンは その負け組銀行だ

 これは 昨年の9月から顕在化してきている アメリカでの 大問題なのだ
 
 JPモルガンが 倒産するだけで リーマンショックよりも 大きな不況が出現する

 今の 経済システムでは HFTで 勝利しなければ 生き残れない 仕組みなのだ
 
 ===

 日本では 日産やマツダ・本田などの 自動車産業で 振り落とされようとしている現実がある

 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c9

コメント [カルト24] 朝日・大阪・幼小中校休校、白鴎教授・感染は万単位。全国でやらねば無意味、大人も半分在宅にさせて満員電車を無くさねば危険… ポスト米英時代
3. 2020年2月28日 07:11:33 : boNCDhCLlI : WENTY0FCQVNmeWM=[1]
2チャンよりネット言論の自由、珠玉の数々
1.宴会への疾きこと風の如く
被害に静かなこと林の如く
焼肉焼くこと火の如く
対策に動かざること山の如し

これは安倍ちゃん風林火山だね                2.コロナ対策
政府も初動から不思議な動きしてたしな
今現在でも
クビかしげてる国民多いだろう   3.消費税とコロナで日本経済にとどめをさした安倍ちゃん
今日もフグが美味い      4.GDPの中身は個人消費だからコロナじゃなくて消費税じゃねーか
社会保障のためとかいって消費税で庶民から生活できなくなるまで奪い取って、それをお仲間の金持ち大企業に全部ばらまいちまったんじゃねえか
------------------------------
http://www.asyura2.com/20/cult24/msg/888.html#c3

コメント [経世済民134] 新型コロナでキャンセル急増 旅館ホテル経営は危機的状態 中国人キャンセルは40万人?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2020年2月28日 07:11:38 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[185]

 高速回転で 消耗する 焦土作戦は アメリカに任せておいて

 日本は スローダウンできる国家を目指すべきだと いいたいよね〜〜

 ===

 アメリカでは 病気になっても 医者にかかれないのだが

 日本でも 複雑な仕組みによって 新型コロナウイルスの検査も受けられない 「難民」が出現した
 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/212.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
12. 2020年2月28日 07:18:26 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[186]

 「医療難民」だよね〜〜  安倍政権が 作った 酷民政策だ〜〜〜
 
 アメリカにしかなかった 医療難民が 日本でも 現実となった

 ===

 国力が 曲がりまわって 酷力となる by それが 自民党政治なのだろう

 アメリカばかり見ている政治は アメリカの悪い点まで 引き寄せる
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK270] 陸連のトップはバカの集まりか!! 東京マラソン「大規模イベントに当たらない」 日本陸連、予定通り開催 怪傑
3. 2020年2月28日 07:18:53 : DEqAqDwXeQ : T3NDZzMuYUYwMWc=[52]
⇒《政治家が絡んでるのなら、辞任だけじゃ済まされないだろうな。》

評議委員会議長 中曽根弘文 参議院議員
理事 河野太郎 衆議院議員
(顧問 河野洋平)
https://www.jaaf.or.jp/about/rikuren/meibo/

絡んでます。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/169.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK270] 新型コロナウイルスーーー首相の大罪 青木
34. 2020年2月28日 07:20:46 : GFsfou7tgE : emR4RHcwVDZaT0E=[6]
>>5

ハイハイ。

世知辛くなると、俄然元気になるコシミズウィルス。

今日も免疫のないバカサヨ(商売相手)を探してうろつきまわる。

大体、リチャード・コシミズ自体が、

日刊ゲンダイ記事を平然と捏造して自著に忍び込ませるようなプロ詐欺師。

ちと頭の弱い(籠池先生や、↑の「命を〜」など)人ほどすぐ騙される。

安倍の批判なんかする資格なし。

そもそも、「ムサシ」とか、そんな百発百中の必殺兵器があるなら、

河井アンリの一選挙に1億5千万も特別待遇する必要なし。

話がデカすぎて、ちょっと考えれば、ウソとすぐわかるというやつ。
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/158.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
13. 地下爺[10030] km6Jupbq 2020年2月28日 07:23:01 : ErXzChr1Dk : endXNXZiMGtZY28=[592]
>■韓国は1兆3738億円の補正予算が報道される中、日本は153億円のまま

  この153億円という数字がいかに少ないか。それは他国の対策費と比較すれば
  一目瞭然だ。現段階で報道されている数字をまとめてみよう。

     中国 約1兆500億円
     香港 約4000億円規模の基金設立
     シンガポール 約5000億円
     台湾 約2200億円(上限) 
     米国 約2700億円(補正予算を議会に要請)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  日本は 自民+公明+維新+希望+他 が 治める 自由民主(ブルジョワ)主義国です。


  つまり 何があっても 「自己責任」 てことです!!


  そして 貧乏人が 飢えて死ぬのも 「自己責任」 てこと 。。。

 


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK270] <「休校」を読み間違い、大混乱!>安倍首相「全国すべての小中高校、特別支援学校に臨時休業要請します」 赤かぶ
53. 2020年2月28日 07:25:04 : gw12fR4xn2 : N3lzQlMzZE5odS4=[3]
教員の母 「聞いてない!!! 残った授業は?? 通知表は??」

安倍晋三 「そんなことはどうでもいいんです。私を見なさい。
     漢字が読めない馬鹿でも狂っていても総理大臣をながくやれる国です。
     検察は犯罪をやっても見逃し官僚たちは嘘、ゴマカシ、改ざんを
     やってくれます。大マスコミは私のために大衆操作に協力して
     くれます。常識は通用しない国なのです」
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/163.html#c53

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
13. 2020年2月28日 07:25:18 : Aoscx7fjFI : UmE1ZUt0dHhka2c=[187]

 最近 スローダウンできる国家を主張している 愛だが

 オリンピックは

 1. 止めてしまう
 2. 3カ月遅らす
 3. 1年遅らす

 冷静に考えてみれば スローダウンの方法は いくらでもありそうだ
 
 
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c13

コメント [国際28] 新型コロナウイルス最大の脅威は中国政府の隠蔽工作(ニューズウィーク) 赤かぶ
4. 2020年2月28日 07:26:00 : dgSccV0eKQ : Li4ySExpdEgzSFU=[3]

WHO協力金とCDC予算をトランプは昨年53%削減した。憲章に保証された権限を悪用させないためだ。コロナがガセ芝居とトランプは見透かしている。市中感染や地域封鎖をほのめかしてCDCは85億ドルふっかけているがトランプは通常予算しか出すつもりない。地球温暖化サギと同等視して「インフルエンザ以下の些細な風邪。春には忘れている」といっている。イタリア首相やスペイン保健相もコロナに懐疑的発言し出した。WHOがパンデミック宣言できない理由は世銀資金を引き出す正当な理由がないからである。しかも世銀からもトランプは出資をとめている。ハザールはせいぜい日本を脅して巻き上げることしかない。トランプに外堀をうめられた。世界中があと1~2週間、1ヶ月でコンセンサスのようだ。


http://www.asyura2.com/19/kokusai28/msg/403.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK270] <ふざけるな>少なすぎる新型コロナ検査数 実態を小さく見せたい政権の陽性隠し 韓国並み実施なら感染者5000人(日刊ゲ… 赤かぶ
14. 2020年2月28日 07:27:49 : 6mi3nmhToc : eXc0Yjd3SE5mRnc=[171]

  桜を見る会や、当ウイルス対策で、国民が国会前でデモを

  起こしかねないので、それの予防対策もあるのでは。

  何とも、悪知恵だけは、一人前に働く男だ。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/172.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK270] 安倍首相の独断“休校要請”に非難殺到! 親に負担押し付けの一方、コロナ対策費は足りてると153億円のまま! 韓国は1兆円以上… 赤かぶ
14. 2020年2月28日 07:29:18 : zpD5t51UAE : cXBzSDZqbXk2WFE=[127]

「首相のリーダーシップ」をいかに演出するか?

全てがこの一点で決められている。関係団体との調整要不要、経済への影響度、国民

生活の混乱、タイミングなどで判断した。つまり大して影響がなくリーダーシップを

見せられる、それ行け! 

通達では「小中高の休業。。。」と言っていたぞ。「休校」の誤読だな。


演技・演出政治はもう止めないと。。。


http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/168.html#c14

   

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