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ディープ世界への入り口 _ 箱根湯本 平賀敬美術館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/297.html
投稿者 中川隆 日時 2012 年 7 月 28 日 21:50:28: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 箱根の日帰り温泉 _ 箱根湯本温泉 大和館(大和旅館) 投稿者 中川隆 日時 2012 年 7 月 22 日 22:24:05)


箱根湯本温泉「平賀敬美術館」
http://www.hiraga-key-museum.com/kasisitu.html  
     
神奈川県足柄下郡箱根町湯本613 
電話0460−85−8327 


河村悟 「平賀敬美術館」で語る!
http://www.youtube.com/watch?v=18Wi-5l2PAo

雲龍 「平賀敬美術館」で演奏!
http://www.youtube.com/watch?v=L4IW9xS-HcQ

新美康明 「平賀敬美術館」で地唄舞を語る!
http://www.youtube.com/watch?v=z-is-NV9vAk

飯岡 直樹 ( Naoki Iioka ) 地唄舞 「平賀敬美術館」で舞う!
http://www.youtube.com/watch?v=mEAXMRikPEk
http://www.youtube.com/watch?v=nHW4o8UIfWc
http://www.youtube.com/watch?v=4-0-lU6KvZY

箱根湯本駅から国道一号線を塔の沢方面(小田原とは反対方面)に歩き、温泉通り入り口を左に入る。橋を渡り「はつはな」を越え、突き当たりを右に。看板があるので、その指示に遵う。徒歩7分。

アルカリ性単純温泉 42.4℃、pH=8.9、湧出量不明、成分総計=0.545g/kg
Na^+=145mg/kg、Ca^2+=28.2、Cl^-=135、SO_4^2-=142、HCO_3^-=29.9、メタけい酸=45.3、メタほう酸=4.95 
<H17.5.10分析> (源泉名:福住湧泉(湯本第3号))

<温泉利用掲示> 100%天然温泉かけ流し


【設備】内湯 
     
【営業時間】11時から17時   水・木定休
 
【入浴料】 貸切入浴(40分) 1100円(入館料は別途600円必要)1日8組

水・木曜日 座敷・浴室貸切(5名〜10名 4時間) 1名 2000円


地図
http://map.goo.ne.jp/map.php?blog=1&from=gooblogparts&MAP=E139.6.7.400N35.13.39.100&ZM=11
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&lr=lang_ja&um=1&ie=UTF-8&q=%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%95%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8&fb=1&gl=jp&hq=%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%95%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8&hnear=%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%95%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8&cid=0,0,9878802024816039602&sa=X&ei=aEUNUK7tEonGmAXy5fSLCg&ved=0CIwBEPwSMAA

      /⌒X⌒ヾ%ヽ     ,. -  ,.-----‐'      \
    /⌒X ,.二、ヽ爻ハ  /  / (_二二 _/ ̄_     ヽ
/⌒X不ヽソノ{ 仄 } } 厂}人/ //        〈_/´     ̄`ヽ '.
,.二、{弋ソ,.二弋辷ンノノ-‐〈 /  {    ヽ     i  |      ハ
{ 仄 }} 八 仄} `辷ン八うY } :|  八  、   \ ヽ.!   レ-、ヽヽ ∧
_‐<>< 辷ン 仄ィ介=≦ミ、N   \ \   }_  |:i  |'^ヽ|i :! :!:!∧
、Y/ ,.二、`Y_ノ-=彡'´`ー'´^ミ!、  i :ト、\x<_\ |:| i :!} } !| | :|:レ'
ノ( { 仄 }}八 《《 _,. -=≠  ,.ィ=ミ茫N  `´ィ芹rt刈:! | !'´ 爪 !ハト!
⌒ヽ 辷ン{ } }}}´_,.ィ伝ミヾ {以刈ゞヽ   `¨´ | | | 「´i | N:|
Y 二 ヽ 人ノノノハ ゞ┴'   、` }   }         ! ! !八 |从八
{ 仄} }} ノミ辷彡'}      ,. '  从 ヽ'_       !:/:/レ人< ヽ
弋辷ン乂}{ミ辷彡'}    _,. - /辷`ヽ  `    //://  ̄`ヽ
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 /             \     /  /                     }


1. 箱根を代表する古湯 湯本福住の横穴湧泉

箱根を代表する古湯、湯本福住の横穴湧泉は、従来「萬翠楼 福住」(日帰り不可)のみで入れましたが、3年ほど前からここ「平賀敬美術館」でも入れるようになりました。

湯本湯場地区、福住の向かい「住吉旅館」脇の路地を奥に入ったところにあるこのこぢんまりとした美術館は、独特な作風で知られる画家・平賀敬氏の晩年の邸宅を美術館として開放するものです。

 
【写真 上(左)】 玄関
【写真 下(右)】 浴室扉の銘板

この建物はもともと「萬翠楼 福住」の別荘として明治後期に建てられ、井上馨、犬養毅、近衛文麿など明治の元勲が逗留した由緒あるもので、国の登録有形文化財に指定されています。 一見重厚な和風建築ですが、構えは西欧式コの字型のシンメトリになっています。 玄関で料金を払って館内へ。館内廊下には平賀敬氏の作品がところせましと展示されています。

 
【写真 上(左)】 脱衣所
【写真 下(右)】 浴場

ふたつある浴場のうち奥のひとつのみ使用しているようで、原則45分1組(1〜3名)の貸切制、週末など事前予約したほうがベターかと。
廊下の奥右手に浴室。扉のうえには「室浴號弐第」という渋い銘板が掲げられています。浴場入口にタオルがおいてあり自由につかえます。

 
【写真 上(左)】 照明と天井
【写真 下(右)】 鉄格子の窓


扉をあけるとすばらしい浴場が展開します。 入ってすぐよこが脱衣所。数段ひくく浴槽と寝湯スペース。

崖下にしつらわれた浴場は全体に暗く、橙色のまるい照明がぼんやりと場内を照らしています。 要人が多く入浴したためか、窓には外敵侵入防止用の鉄格子がはめられています。

木組みで湯気抜きのある高い天井、職人芸のタイル床と豪奢な総大理石の浴槽(2人)の対比が見事。 レトロな風情は、関東近県では湯ヶ野温泉「福田家」の榧風呂と双璧では?

【写真 上(左)】 浴槽と寝湯 
【写真 下(右)】 寝湯の陶枕


竹筒のなかの塩ビパイプから、熱めのお湯が16L/minほどしずかに注がれ、全量をオーバーフローのかけ流し。

浴槽よこに白磁染付の陶枕がおいてあり、ここに寝そべるとあふれたお湯で寝湯を楽しめます。これがあの福住横穴湧泉ですから贅沢なものです。

カラン2(出ず)、シャワー・シャンプー・ドライヤーなし。平日(連休)13時で貸切。前後の入浴客はいないようでした。

 
【写真 上(左)】 浴槽1
【写真 下(右)】 浴槽2


さて、注目のお湯です。 ほぼ適温のお湯は無色透明で浮遊物ほとんどなし。明瞭な芒硝味と微塩味にわずかながらアルミニウム系?の収斂味がまじります。
はっきりとした石膏芒硝系の湯の香が湯面からも立ちのぼります。

ヌルすべとキシキシと弱いとろみが絶妙にブレンドされた湯ざわりで、やわらかさはさほど感じられないもののなぜか入っていてほっとするお湯です。
硫酸塩成分を含み、湯中の指先が青白く発光しています。

 
【写真 上(左)】 湯口
【写真 下(右)】 かけ流しの掲示


ほどよく温もりますがほてりはほとんどなく、浴後に爽快感が出てまたぞろ入りたくなるあと曳き系のお湯は格調高くやっぱり名湯。 泉質は異なりますが、なぜか姥子「秀明館」を思い起こしました。

じつはここの前にそぐそばの「住吉旅館」に入りましたが、そこの湯場惣湯系のお湯(湯本第7号・9号、41号)とは微妙にニュアンスがちがうような気もしました。

神奈川県温泉地学研究所資料によると福住横穴湧泉(湯本第3号源泉)の泉源は「平賀敬美術館」の周辺になっています。 福住の使用源泉が湯本第3号かどうかわかりませんが、もしそうだとすると、ここは福住より泉源に近いところで横穴湧泉に入れる浴場ということになります。

 
【写真 上(左)】 休憩所
【写真 下(右)】 お茶菓子(無料)もお洒落


料金1,500円は痛いですが、お湯といい、浴場の雰囲気といい、温泉好きならいちどは入る価値があるのでは。

なお、Pは建物前に1.2台分しかないので、湯本のPに停めて散策がてら歩いていったほうがいいかもしれません。
〔 2008年5月8日レポ 〕
http://blog.goo.ne.jp/akizzz1/e/511abc1778834624dd62b3bf003daaf4


箱根(湯本) 「平賀敬美術館 」 (箱根湯本「一」の湯)

投稿者:劉邦(淨潤) 投稿日:2009年11月20日(金)20時04分59秒
 


動機/或る日、弟が来訪。
上胸部と骨盤から見るからに彼にとっては良き温泉を堪能した状態。
伺うまでもなく、箱根で良い温泉を見つけたと言う。それがここ。

その美術館はあの辺りではないか、と聞くと、そうだ、との事。   1年半前位から鼻を利かせ、あそこら辺に良い湯があるのではと思っていた所である。

なるほど、ならば良い泉質に違いない、と思いながらも、あの辺りの泉質を体が求めない時期があり縁無かったが、福住楼の桜弐の部屋を調べにいった帰り、偶然のように時間が出来たので伺った。

宿の簡単な説明〜接待/画家、平賀敬に対しては、幼少の頃からその絵は知っており、また箱根に行った折りに時折り湧き水の水出しコーヒーを飲みに行く喫茶店ユトリロには彼の絵が沢山あるので既知であったが、この場所が萬翠楼福住の別荘として、井上馨や犬養毅、近衛文麿などの元老や重臣らが逗留していた事は知らなかった。2003年に登録有形文化財に指定されたと言う。

2005年11月にオープンと伺い、やはり、と思う。(その頃より、ここが妙に氣になっていたからである。)

氣に誘われるまま足が向い、玄関を開けると奥の絵は別として風情あり、右側に呼び鈴。まるで日光澤温泉のよう。

旧知の方を迎える如くに、奥様が出迎えてくれる。

野口整体で言う4種(1種も若干入っている)体癖の頸椎2番右転移状況は、夫婦の場合、主人に添っていた方の特徴であるが、それ故、大変美人なお顔の背に、そのご苦労も忍ばれるが、72歳と伺った時は驚きであった。(体は60台中頃であったが、表の顔は60台前半であったからだ。)
            
気に入られたらしく、早く風呂に入りたかったのであるが話しが切れない。  そう、客を部屋に入れ、そこで故人のビデオをかけるなどは、先の体癖のなせる業であるが、鎌倉龍口寺の太母さん(本名、菊地リョウジュ)宅に伺った時以来であった。

1時間半程たち、奥様の頸椎2番がやや緩んだ頃、互いに言い出し入浴となった。


客室/◎
風呂/◎ 内湯 男1女1
湯質/◎
源泉100%掛け流し(消毒&循環&加水&加温無し)

(以下、風呂場の着替え場所に掲げてあった「温泉分析書」を書き写したものを記載する。)

    ・泉名→福住湧泉。
   ・台帳番号→湯本第3号。
   ・源泉温度→42、4度。
   ・pH.→8,9。
   ・泉質→ アルカリ性単純温泉。(弱アルカリ性低張性高温泉。)
   ・陽イオン→ リチウムイオン0,01、ナトリウムイオン145、カリウムイオン1,57、カルシウムイオン28,2、マグネシウムイオン0,27、ストロンチウムイオン0,05、第一鉄イオン0,05、アルミニウムイオン0,02。
   ・陰イオン→ 水酸イオン0,14、フッ素イオン0,28、塩素イオン135、臭素イオン0,3、硫酸イオン142、炭酸水素イオン29,9、炭酸イオン1,82、硝酸イオン1,37、メタケイ酸イオン7,09、メタホウ酸イオン2,42。

   ・遊離物質→メタケイ酸45,3、メタホウ酸4,95、遊離二酸化炭素0,06。
   ・微量成分→総砒素0,136。
   (なお、全て0、00のものは省略。平成17年5月10日。)



  いやいや、中々の湯であった。

  入る直前、このように寝湯も出来る、とか、このように後ろに足を伸ばすと背が伸び、そして腹部のグル音が出るなど、様々な事を伺っていたが、   その数時間前に、福住楼の泉質を味わったところでもあり、湯に触れた途端に、「基本的に同泉質なのだが、違う部分が、大きく言えば二つある」ことを覚える。

  奥様薦める寝湯の時に背部のみ流れる泉質でほぼ確かめ、湯に入り、更に確かめる。 寝湯の時の最初の印象は、福住楼よりは萬翠楼福住、あるいは豊栄荘に通ずるものがある。

  湯船の時にも同感であるが、とにかく「温泉は生ビールのようなもの」という譬え宜しく、アストラルを触発する、しかも純粋なダイナミズムがあり、同様の泉質でこの勢いは良き時の福住楼との共通項がある。

 いやいや中々の湯であった…と冒頭の言葉に戻ってしまう。

 単純泉で、しかも日帰り入浴で、ここまで感動したのは、箱根では増富旅館のままね湯以上であるが、なぜか湯河原の中屋旅館(上野屋の脇)での感動を思い出す。

 奥様によると、源泉は、萬翠楼福住と全く同じだとの事に納得。

 ただ、萬翠楼福住よりも温度と泉質が…と言おうと思うところに


 「萬翠楼福住に行ったことがあるなら、あそこはぬるいでしょ?」

 「然り。しかし、そのぬるさも有効には使ってはいるが…」

との言葉を言うまでもなく、ここが同じ源泉からすぐに引かれている説明を受ける。
(この説明は、弟者からも聞いた事があるような。しかし萬翠楼福住の源泉とまでは聞いていなかったと思う。)


 湯の淡白さと特徴は萬翠楼福住や豊栄荘であるが、ともかく、清冷な湯である。 入ると肉体そして「からだ(=内体=感覚的身体=潜在意識)」が気体化するが、源泉の確かな湯力があるのは、同じ湯質では弥栄湯に似る。

 浴後、奥様に、この近辺の湯の特徴、とここの湯の違いを述べる。

 (どうも、奥様は、ここの湯が箱根一と思っているらしいが、秀名館もある故、そこまではいかないが、この近辺ではとにかく一番で「湯本一」とは断言出来よう。)

 話を戻すが、ここは萬翠楼福住と同じ源泉であると言われるが、源泉に近いので、湯温も、加温せずに丁度良く、しかも、様々な「生きているもの」が、皮膚を通して訪れる実感がある。

 たかが数十mの違いがあるだけなのに、これだけの違いがあるということは、温泉の成分の中には、すぐに死んでしまうものがある、という反証であろう。

 ちなみに、奥様は毎日、ここの湯を飲むと言う。数時間前に飲んだ福住楼とも異なる美味がある。  その後、裏の湧き水も飲ませてもらうが、これまた福住楼でも味わえる湯と裏の湧き水との違いであるが、ここの湧き水は非常に美味であった。

 その足で、ユトリロに行き(私がその喫茶店によく行くことでもユトリロとご主人の繋がりの話など盛り上がってしまったのであるが)、そこでも湧き水(そこの水は湧き水で有名と言われた)なのだが、味が異なる。

  奥様の美しさは、この湯と飲泉、そして湧き水にも起因すると思う。


  なお、奥様に聞かれたので、この絵が良い、風呂場のあのビー玉の飾りつけは、まあ良い、など忌憚なく言ったところ、悉く、「実は…」と言われた。

  「実は、この絵が主人は…」「あのビー玉の作家は実は…」etc.。

  恩師の麻原雄師が、濱田庄司の家に言った時に、ずらりと並んだ作品の中から、「この中から好きなものを選びなさい」と言われた事を思い出す。

  先生(麻原先生)は、とにかく一番気に入ったものを選び、そして、その事で濱田氏に認められるのであるが、「潤ちゃん。あれが僕の美術評論家になって良いのだ、という自信を得た出来事だったのですよ。」と言っていた。

  小学時代の事であったが、先生の中で人生一番のターニングポイントであったことを知った。


  偶然にも、今回は逆の形になり、結局、その後の時間も合わせて2時間近くお付き合いしたが、私が選んだものが、偶々に合っていた、というのも、この場でも何度も思い出した麻原先生の韻なのかもしれない、と思っている。

  そう言えば、「湯はどうでしたか?」と聞かれた時には、

 「ご主人の絵と全く異なる湯質です。その理由は…」と答えたことを思い出した。


  ちなみに私は、平賀氏の絵は嫌いである。見事な才能があるとは感ずるが、そこに、絵描き(あるいは美術(音楽)評論家)がよくある生への屈折の証の表現こそ生であるという姿を見るからである。

  私はエロスとタナトスという言葉の意味を麻原先生より教わったが、それは、身体的な生と死とは異なり、言語化され、それ故に擬態化される響きがある。

  本来ある性と死とは異なる、ということを、特に平賀氏や美術関係の方々には敢えて言っておこう。 それは、どなたでも頸椎2番(あるいは腰椎1番)を触れれば、「確証」できる。(それは尊愛するY先生にこそ申し上げたい。)

  「この絵はどうですか?」と奥様に提示された絵(菩薩如来)でも、私の感覚では、そこには血が混じっていた。


  帰り際、「お世話になりました」、と玄関先で言い、そこでまた、というドラマがあるのだが、合計2時間の湯旅は、私をして、過去の縁があるとするなら(注/縁は未来よりしか生じない。この事については苫米地さんも同様な事を言っているが基本的には賛同である。)、と思いたいかの如くの未来へ繋ぐ、ご縁であった。


 靴紐を結んだのに、脱いだところ、「こんなに話を分かって下さって…」と、様々なものを戴く。  その一つが絵はがきであったが、その中から自由に選んで良い、と言われ、「これか、これ」と選ぶが、奥様が驚く。

 それまた、麻原先生の濱田庄司の如くであった。 奥様は目を見開き、最後も

「ここにいらっしゃる方々は、○さんも、○さんも、すべて、ここに来ると…なぜか運が開かれてしまうのです。」

と仰っていた。 そんな事はどうでも良い。

 ただ、こうして今日、ここに書くことによって、氣は伝染するので、皆さまに、奥様の氣が、繫がったら、あるいは、この時点での様々な氣が繫がったら、と思うだけである。

 ともあれ、ここの湯は、先述したように、湯本のこの近辺であるような身体が気体化される湯であり、また勢いがある。

 (人付き(単に湯のみを味わえないという意)なのは、ままねの湯同様であるが、福住楼の湯と三者比べたし。その時には、崇高なる湯本の湯の醍醐味を味わえると思う。)



総合評価/○
 (皆にとっては◎以上であろう。私は個人的な繋がりが出来たための評価である。)

今後/△◎
    (箱根で温泉に行き、口直しにきちっと、と思う時に訪れたい。)

お薦め度/◎
  (湯は、箱根湯本なら3重マル以上になるだろう。
   なお、ここは運を開きたい方にも良い。特に芸術的な運を開くには確実。その理由は上記には書かなかったが確かである。)

評価日時/2007年(4月か?)
http://8003.teacup.com/joho1/bbs/305

ここは前からお邪魔したかったところ・・
美術館に温泉とは話題性も十分あるし・・

 で、早速お邪魔・・

 お迎えいただいたのは、なんとまぁ上品なご婦人で・・恐らくこちら平賀敬さんの御夫人やと思いまする・・

 京都出身だそうでなんやらハンナリ・・

 早速浴室へご案内いただきましたが・・

 「昔は3浴室あった」だそうですが、男女別に入浴とかすると「他の旅館と変わりない」っちゅうことで、2浴室を潰して一つにして、おまけに湯口も一つにした・・とのこと・・

 よってそこそこのかけ流し・・

 お湯はまったくクセがなく、しかも小生にも適温な状況でゆっくりしましたが、浴後の汗が止まらんのはまいった・・

 その浴後は広間でちと休憩したんですが、「お茶がよろしい、お水がよろしい」っちゅうことで、小生この噴出す汗のため、お水を要求・・
 「山水」とのことでしたが、これがまた「うまい」・・

 その間、テレビをつけて「平賀敬」氏のビデオをさりげなく「鑑賞せよ」・・とのこと・・

 多感な時期を浅草で過ごした敬氏は進駐軍とパンパンに愛されたこともあり、それを通じた人間愛を表現されたのかと感服仕りました・・

 冬になると皆さん凍結なんぞで「あんまし、きはりませんねん」とのことなんで、どうぞお立ち寄りくださりませ・・
http://tenspa.dee.cc/kana-yumotohiraga.htm

画家・平賀敬の晩年の住まいが美術館として2005年11月から一般開放されている。切り盛りしているのは夫人の幸さん。もともとは老舗旅館「萬翠楼福住」の別荘で、井上馨、犬養毅といった要人が宿泊したこともある建物。そのお風呂に別料金で入ることができる。

 浴室は第一浴場と第二浴場の2つあるが、私が行ったときに使っていたお風呂は奥にある第二浴場のみ。ちょうど誰も入っていなかったため、まずお風呂に入れてもらう。ドアを開けると、手前が脱衣スペースで、階段1段分下が浴場になっている。要するに脱衣所と浴場一体型。壁にはちゃんと成分表が掲示してある。

 フェイスタオルを2枚貸してくれるのはトド用。なんと、ここのお風呂は床にヒタヒタとあふれる湯の上にゴロンと寝るための石の枕があるのだ(上の写真で左側の洗面器が立てかけておいてあるところ)。その石にタオルをかけて使ってくださいということなのだ。うぅ、こんなところでトドになれるなんて思っていなかった。

 さすが由緒ある風呂(といっても明治時代のままのわけないか…)、浴槽は私のような素人にも一目でそれと分かる大理石(ホワイトマーブル)。浴室の床も大理石をはめ込んだおしゃれなデザインだ。窓の外は石垣。このあたり(家の裏手)で源泉が湧いていいそうだ。

 浴槽は家のお風呂よりも少し大きい程度。お湯は無色透明で浴槽内で41度程度。浴感はそれほどない。上から竹のカバーをかぶせた湯口(中をのぞいたら塩ビだった)からはお湯がチョロチョロと注がれている。いや、チョロチョロという語感よりも少し多めかな。この投入分があふれて大理石の床をヒタヒタと漂っているのだ。

 しばらく湯につかり、『よ〜し、次はトドになるぞ』と横になったあとで気がついた。浴槽のお湯は縁よりもかなり下にある。私が入って体積分のお湯があふれてしまったのだから、しばらく待たなくちゃいけないってことを。手桶で体に湯をかけながら、ヒタヒタとあふれてくるのを待つ。そのうち、浴槽から少しずつ湯があふれ始めると、なんともいい具合。このところ疲れがたまっていることもあり、もう少しで寝てしまいそうになった。

 湯あがりには山の湧き水とおまんじゅうをいただき、平賀敬を紹介したテレビ報道の録画を見て、ゆっくりと絵を鑑賞させていただいた。最近は有名になってきているようで、平日だというのにコンスタントに訪問客が来ていた。幸夫人はとても感じのよいホスピタリティあふれる方なのだが、ゆっくりお話できなかったのがちょっと残念。隠れ家的なところだが、だんだんと認知度が高まっている様子だ。(2008年2月)
http://www.rakuda-j.net/onsen/kanagawa/hiraga.htm

箱根湯本の駅から歩くと、10分程度の場所に、私が以前立ち寄り入浴をした事のある大和旅館があります。今回は、そのすぐ近くにある住吉旅館に立ち寄ろうと思い、辿り
ついてみると、玄関先に張り紙がありました。なになに、

閉館しました!?

えええぇ!?
ご近所の方のお話しを聞くと、お宿を閉じてから1年ほど経つとの事です。
うーん残念。気になっていたんだけれどもなぁ。

肩を落としていたら、この日一緒に湯めぐりをした友人のG氏が、この近くに美術館内にある珍しい温泉があると、紹介してくれました。それがここ、洋画家である平賀敬の美術館です。住吉旅館からだと、すぐ数軒先の場所にあります。かなり奥まった場所で、閑静と言えば閑静ですが、目立たない場所にありました。こんな所に温泉があるなんて、ちょっと意外です。

さて、その平賀敬美術館、元々は平賀敬氏が住居として使用していた建物をそのままに使っているので、看板が無ければ民家そのものです。知っている人のみが訪れる隠れ家的な美術館です。まして、温泉ともなれば、一応入り口の看板には温泉入浴が出来る事も書かれているものの、殆どの人が気付かないのでは無いでしょうか。

中に入ると、平賀敬の奥様が出てこられました。入浴をお願いすると、快くOKとの事。美術館の入館料が500円、それに入浴料が加わり、合計1500円です。立ち寄り温泉としては、ちょっと痛い出費です。一瞬躊躇いましたが、ここまで来て引き返すのもどうかとなり、利用させて頂きました。

館内は平賀敬氏の美術品が所狭しと並べられており、おもわずひとつひとつ、じっくりと見とれてしまいます。どれもが価値ある逸品ばかり、手を伸ばせばすぐ届くところにいあるのが、一種不思議な感じです。奥様に館内を軽くご案内頂いてから、お風呂へ向かいました。

そのお風呂。ドアを開けると、小ぢんまりした脱衣所があり、その奥に浴室が続いています。脱衣所と浴室を遮るものは何も無く、野沢の共同浴場みたいです。小さい湯船が浴室の一角に鎮座しています。湯船と浴室の床と壁面の一部は、美しい大理石で彩られています。奥様のお話によると、この大理石は、平賀敬氏がスペインからわざわざ取り寄せたのだそうで完成から長い時間を経たであろう浴室ですが、全く古臭さを感じません。まるで浴室全体がアンティーク作品のような、見事な気品が漂っています。

その美しい湯船には、これまた美しい、透明なお湯が張られていました。無色ですが、光の加減か、ほんのりと青味を帯びて見えます。湯口からはお湯が静かに注がれており、注がれた分のお湯が、しっかりと湯船から溢れています。一見すると、湯船が空っぽなのではないかと思われるほどに澄んでいます。

さて、そのお湯。少し温めで、40度程度でしょうか。殆ど癖の無い単純温泉です。お湯からはごく僅かですが石膏系の温泉臭がします。入った直後の肌触りは少しツルツルですが、体が馴染んでくると、サラサラした感触が強くなってきます。

お湯の鮮度は、言うまでもありませんが、抜群です。奥様曰く、私たちが一番風呂だそうです。当然ながら、お湯は掛け流しです。無粋な塩素臭も一切しません。浴室の雰囲気と相まって、実に気持ちが良いお湯です。

改めて浴室や湯船を見てみると、その造りの良さが良く分かります。排水口ひとつを取っても、とても凝っていて美しい造りをしています。トド寝用に枕が置かれているのですが、この枕も陶器で出来ています。いつも桶をひっくり返して枕にしている私からすると、実に贅沢な代物です。

この日は、珍しく箱根で湯めぐりをすると言う事もあり、色々と立ち寄ってみたいと思っていましたが、その後の行程など頭の中から飛んでしまい、時間を気にする事無くゆっくりと湯浴みを楽しむ事が出来ました。

浴後、奥様にご挨拶をして、帰ろうとすると、休んでいって下さいと居間に通されました。そこでお水を頂いたのですが、さすが美術館、お水を出して頂いた器も気品に満ちています。いつもペットボトルを垂直に立ててがぶ飲みしている自分自身を振り返ると、少し恥ずかしくなってしまいます。

そこで奥様と少しお話しもする事が出来たのですが、その中でも、奥様が仰った

「平賀敬と一緒になって、大変な事も多かったけど、お陰でとても楽しい人生を過ごせました。」

と言う言葉が、強く印象に残りました。私も紅鮭と結婚し、これから先長い間一緒に暮らして行くわけなのですが、50年後、自分も同じ台詞を紅鮭が言ってもらえるだろうか・・・
2010-2/5
http://jake.cc/onsen/kanagawa/hakoneyumoto-hiragakei/hakoneyumoto-hiragakei.html


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2. 平賀敬美術館はディープ世界への入り口?


箱根湯本記 新発見箱根湯本散策


行き先も定めないで出て来た。兎も角、強羅迄行ってみようと乗ったバスが箱根湯本を通り掛る。バスが止まった丁度左手にあの蕎麦屋が垣間見えた。あそこの蕎麦が急に食べたくなって慌てて降りる。早川を渡ると涼風が吹き抜ける。

橋に袂の蕎麦屋、何時来ても人が並んで待っているのに今日は人が居ない。本日休業とある。引き返そうとしたら新館は営業中と案内表示がある。地図を見るとちょっと離れたところ、直ぐ近所だ。「此処の蕎麦は此処の店で食べるのが美味しい」と頑に思い込んでいたが、時間の余裕も有るしと歩き出す。

湯本に来ても何時も其の蕎麦屋までで、その先へ足を踏み入れた事は無い。湯本と言えば喧噪の温泉町と言う先入観で凝り固まっている。湯本を歩くのはくだんの蕎麦を食べる時だけなのだ。

其の新館の方向へ歩き出すと、古い町並みが残る路地が連なる。中々の風情だ。曲がろうとした角に、いかにも照れ臭そうな美術館のちいさな看板が目につく。湯本にもこんな道が有ったか思う様な閑静な道を辿る、と言っても5分くらいか。見過ごす様な平屋建ての古い建物、

こんな表示が有る。これが「平賀敬美術館」だった。

狭い玄関に女性様の靴が縦横に並んでいる、10人くらいの先客が有る様だ。一瞬戻りかけたが、折角玄関迄来てることに勿体無さを感じる。

上がり場に取っ手の付いた大きな鐘ガ置いてある、呼び鈴代わりなのだろう。鐘を振ると「カーン」と大きな音がした。しかし、誰も出て来ない。入館料を手にして入館料の置き場を探してオロオロしてると、奥から60がらみの上品な女性が出て来た。其の女性が前で立って横向きになって案内する。

10畳くらいの部屋が二つ連なり、床の間、壁の四方八方に作品が展示してある。居心地の良い籐椅子に座ると温泉まんじゅうとお茶が出て来た。10人くらいの先客はビデオを観ている、NHKで放映された平賀敬の作品紹介らしい。先客達が戻って行くと静寂が訪れる。

ぐるっと見回すと、一見、奇抜な作品が多い。
廊下の両側も作品が並んでいる。一歩歩くと廊下が軋む。

好感を持てたのは、如何にも閑静な環境、如何にも飾らない陳列の仕方、案内人の仕草、佇まいもだ。案内人は平賀敬(1636〜2000)の未亡人だそうだ。

小さいと言っても100点は有るであろう作品、そして数々の置物の蒐集品、これをたったお一人で管理しているのだから大変だ。どうみても自由奔放な平賀敦、そして他界して12年、そんな苦労が顔に表れていない。とっても笑顔が良いのだ。

礼を述べて靴を半分は来かけると女主人が、

「殿様のお風呂を見て行きませんか」

もう一度靴を脱いで女主人の後に付く。


廊下の扉を開くといきなり相応な風呂場が飛び込んでくる。こんこんとお湯が流れ落ち、湯気が立ち上っている。天井も見上げるほど高い。


「直ぐうしろに源泉が有ってこの建物が出来てから107年間このお湯は一度も止まった事が無いのです」

「窓ガラスの外には鉄格子が嵌められています」

「暴漢の侵入を防ぐ為です」


井上馨、犬養毅、近衛文麿達が定宿にしていた名残だ。戦後に平賀敬が買い取り晩年の住処としたのだ。女主人を写真に収めて平賀敬美術館を後にする。

須雲川と言う川に架かった橋を渡る。この辺りで須雲川が早川に直角に流れ込んでいる、須雲川と早川の合流点なのだ。

須雲川に沿って少し行くと例の蕎麦屋の新館があった。殆ど待たないで座れた。
本館の小さな椅子に較べると新館の椅子は多少大きくなっている。本館で隣の人とお尻がくっ付かんばかりに座ったのが懐かしい。それにしても名声とは恐ろしい。箱根湯本の蕎麦と言えば此処、其の名は全国の蕎麦好きに知れ渡っている。みな、並んで待つのを覚悟して押し掛けるのだ。

注文してからしまったと思う。やはり蕎麦の味を味会うには冷たい笊蕎麦なのだ。違う物を注文してしまった。それでも一味美味しい。
新館は少しゆとりの有る座り心地に成ったが、本館が明治大正の蕎麦屋ならば新館は平成の蕎麦屋だ。同じ経営者なのに不思議な物だ。蕎麦だけが蕎麦の味ではないのだ。

勘定払って外へ出ると沢山の人が待っている。新館では待合所が完備している。それにしても、名声とは恐ろしい。


湯本駅への途中、ユトリロと言う喫茶店に入る。平賀敬美術館の女主人に、
「ユトリロにも主人の作品があります」と紹介されたのだ。

この喫茶店も当りだった。兎も角高い天井が気に入った。

ユトリロの原画、平賀敬の作品、その他、壺や彫刻などの蒐集品は半端ではない。多分、先代か先先代に道楽者が居たのだろう。少なくも半世紀は経っているであろう。ふっと気が付くと珈琲も美味しい。

カップも気が利いている、ルクセンブルク製かもしれない。
http://www11.tok2.com/home/awa/20120626hiraga/

画廊喫茶ユトリロ
http://www.utrillo-v.com/utrillo/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14008089/dtlrvwlst/
http://blog.goo.ne.jp/blue-three3/e/898222e33c6dd6748504fc9f9a002fbe


はつ花そば
http://www.hatsuhana.co.jp/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14002450/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14007778/


2009年 11月 10日
お風呂の方は去年の4月に開放に踏み切ったそうです。美術館で純生源泉かけ流しに入られる、しかも築100年余の指定文化財の中で、と聞けば、興味を覚える方もいらっしゃるかも知れません。写真はビスマルクの兜を模したもの。1905年、日本が「坂の上の雲」を目指して駆け上り、戦勝に沸いた年に建てられました。

一見和風の平屋でしょう?でも造りは洋風なんです。コの字型に玄関が窪まった造りになっている。その昔、政府要人が逗留したそうですが、外敵の侵入対策です。

館内には2000年11月13日に没した平賀敬さんの作品が展示されています。「誰もが描かない独自の世界を作り上げたパイオニア」とは幸夫人の評。

蔵を改装したギャラリーも。
風呂場にはお花。

風呂場は3つ、御付の警備用と女中用と要人用。現在使われているのは最後の言うなれば「殿様風呂」。スペイン産の大理石を贅沢に使った浴室はどこかモダーンで素敵です。外敵を防ぐため窓には鉄格子。

かけ流しの浴槽の脇に仰向けに寝そべることを「トドる」と言うのですが、そのための陶器製の枕も用意されています。この百年の年月を経た大理石の肌触りがとてもいいのですよ。時間制限有の貸切利用が原則ですが、他にお客がいなければ大広間でごろんと休憩をとりながら何度か入って貰っても構わないとのお話でした。

お湯は箱根を代表する古湯になるのでしょうね、すぐ裏で自然湧出している福住横穴湧泉で、2人が定員の湯船に44度のものが8L/minほど注がれ、湯船で42度になっていました。ちょっとつるっとしキシ付もある温泉は刺激なく柔らかな肌触り。僅かに芒硝の感じられる温泉はお肌潤いタイプですね。お湯は毎日換水どころかちょっと汚れを発見したらすぐに湯抜きしちゃって入れ換えるそうです。

浴室の天井近くには仏様?観音様?

湯上りには着物姿がビシっと決まった京都育ちでパリにも長いこと居た幸さんにお話を伺えば、何か面白いことが聞けるかも知れません。お嬢様育ちなんでしょうか、俗世間的なあれこれは下手っぴだそうで。

因みに周辺の料理屋ですと「麦師」(パン)と「友栄」(鰻重)の評判がとてもいいように思います。
http://okazaki001.exblog.jp/10439936/


こだわりのパン工房 足柄麦神
http://www.benoiton.net/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14011267/dtlrvwlst/4015001/


うなぎ亭友栄
http://www15.ocn.ne.jp/~tomoei/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14001626/dtlrvwlst/3403735/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14001626/

箱根湯本 (2001.06.26 O.A)  平賀 幸さん

ある意味この番組のロケで、一番印象深かったのが、平賀 幸さんとの出合い。
2000年11月に癌で亡くなった御主人、平賀 敬さんは、湯本をこよなく愛した有名な画家でした。

幸さんが住む家は、「萬翠楼 福住」という旅館の別館にあたり、
歴史的な人物が代々別荘にしていた場所。
その佇まいにはなんとも言えない趣が・・・。

そして、箱根湯本というだけあって、家の中にも温泉がひかれている。
家の中に温泉!羨ましいなぁ。

幸さんに案内してもらったのは、生前 敬さんがよく訪れていた場所。
敬さんがどんなにこの町を愛していたか、
どんなにこの町に愛されていたかがよくわかるエピソードがたくさんありました。

和菓子屋「菜の花」の看板には敬さんの文字が。
(ここの温泉まんじゅうは超オススメ!
こんなに美味しい温泉まんじゅうには初めて出会ったよ!
どうやら蒸かし方に秘密があるらしい。)

その他にも、町の至る所で敬さんの文字に出会うことができます。

喫茶「ユトリロ」には、敬さんの作品がいっぱい。

そして「山そば」というお蕎麦屋さんに敬さんは入り浸っていたといいます。
湯本には蕎麦屋が多いのですが、ここは地元の人たちが毎晩のように集まるお店。
味も確かです。


平賀 敬さんという人に逢ってみたかったなぁ〜
そんなことを感じずにはいられないロケでした。
そして、幸さんの優しさ。明るさ。

魅力溢れるそのパワーの源にはなにがあるのか…
「なんとかなるさ」という精神に、元気づけられた一日でした。
http://www.mikasuzuki.com/works/report/whatsNew.html


和菓子 菜の花
http://www.nanohana.co.jp/
http://www.nanohana.co.jp/200910NAN/kashi.html
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14005175/


山そば
http://www.yamasoba.com/
http://tabelog.com/kanagawa/A1410/A141001/14008522/

箱根でも有名な大型ホテルが多い湯本地区の中に、美術館があります。美術館といっても、いろいろな作家の作品をコレクションした所ではありません。 そこは、『平賀敬美術館』。その名の通り平賀敬(2000年没)の作品が展示してあります。

建物は旅館の別荘だった築100年以上の日本家屋で、井上馨、犬養毅らが逗留しました。平賀敬本人も晩年はここで過ごしてます。(2003年に国の登録有形文化財に指定。)   

 さて、ここはもちろん美術館なのですが・・・
 入浴することもできるのです。 入口にもちゃんと入浴可能の案内があります。
   

  呼び鈴のベルを鳴らし。。。しばらく待っていると、品の良い年配の女性が迎えてくれます。 このお洒落な着物を着た女性は平賀敬の奥様、幸さんでいらっしゃいます。先に美術館を見せていただくことにして、案内していただきました。

  箱根や小田原に店舗のある人気のお店『菜の花』のおまんじゅうとお茶をいただきながら、ビデオを見つつ、絵の説明を丁寧にしていただきました。

  とてもユーモラスでエロチックな画風は、賞をとってヨーロッパへ海外へ留学した後の画風でその前はモノクロ調の色を押さえた抽象画を描いていたようです。

  ヨーロッパ留学でパリのムーランルージュなどの夜の世界に影響を受け、男と女を独特の表現で鮮やかにユーモアに描き海外でも人気を博したとのこと。ゆっくりと絵を鑑賞したあとは、貸切で温泉を楽しみます

浴室へ向かう前に、

『1枚は寝湯に使ってくださいね』

とタオルを2枚貸していただきました。浴室には、脱衣スペースの奥に1人ではいるのにちょうど良いこじんまりとした浴槽。100%源泉掛け流しのお湯は無色透明だけれど、柔らかくよく温まる良質のお湯。なんでもポンプでくみ上げずに供給しているので空気にも触れず新鮮なままなのだとか。

 
 そして、浴槽の手前に石の枕がありここにタオルを敷いて寝るととっても気持ちがいい!

 ちょうど浴槽から溢れたお湯がさらさらと石の床の上を流れていくので暖かいのです。 浴槽でゆっくり浸かった後に、寝湯をして休憩を何度か繰返すと極楽気分〜♪

 お風呂上りにも、冷たい湧水でもてなしていただきました。
 客はワタシひとり。。。緑が涼しげな庭を眺めながら、温泉や建物のことをいろいろとお話いただき、まったり。

 それまでは、知る人ぞ知る。。。という温泉でしたが、箱根随一の素晴らしいお湯だからと知人のススメもあって去年から一般開放されたそうです。

 温泉の話題に食いつくワタシを見てか、奥様に

『温泉マニアなの?』

とたずねられワタシは

『は、はぁ・・・。そんなものですかね。』

としか答えられませんでした(笑)

 さらに、最後には車に積んであったペットボトルに湧き水をいただきました。
 (早速、ご飯を炊くのに使いましたが美味しかったですよ♪)

 迎え入れてくださる奥様のもてなしを楽しみに来られる方もいるのではないかな。。。
 そんな、美術館・温泉だけではない魅力がここにはあると思います。
2007/7/28(土) 午後 10:01
http://blogs.yahoo.co.jp/yuyunet717/51033226.html↵

平賀画伯が晩年まで過ごした住居がそのまま美術館として使われている訳ですが、この建物が国の有形文化財に指定されてます。明治後期の建造で、湯本の名旅館 萬翠楼福住の別荘として戦前までは、井上馨 犬養毅 近衛文麿など、歴代首相が逗留したそうです。

戦後、政府から萬翠楼福住に戻されて、長らく空家状態だったのを立教大学の学友だった、福住の社長の好意で、アトリエ兼住居として借り受けたそうです。


美術館の庭園
女将の話では、設計は三条実美がしたそうです。

歴代首相の入った温泉に浸かれるのは格別です
http://www.geocities.jp/yusaonsen/kanagawayumotohiragakei.html

実は先週末のもう一つの目的は、箱根湯本の奥まったところにひっそりと存在する、異端の画家平賀敬さん(1936-2001)のアトリエであり、住まいでもあった美術館を訪れることであった。

この建物は明治時代に旅館の別荘として建てられ、犬養毅や近衛文麿などの要人たちが逗留したことで知られている。 敬さんはもともとは大磯に住んでいて、同じく大磯で彫金作家として活躍していた知人に紹介されたのが、そもそものなれそめだったのである。 なれそめといってもそう何度もお会いしたわけではないが、お邪魔するといつも何人かの客人と酒宴の最中で、私も招かれるままに図々しく飲み食いしていたのであった。 このように、いつ絵を描いているんだろうと思うほど、敬さんは四六時中酒席の真ん中に陣取っているように見えたのである。

その平賀敬さんがこの箱根湯本に移ってからは、私もなにかと多忙になり、東京での個展でそれもたまにお会いするのが精々の状況になったのだが、2001年、突然の訃報を知ったのである。あれから10年。しかも11月13日が命日だったから、 なんとかこの11月中に訪れたいものだと切望していたのである。

冒頭に異端の画家と書いたが、無頼な生き方と相まって作品そのものがエロティシズムに充ち、なおかつ立教大学経済学部卒という外れたところからの画壇への登場は、美術界は言うに及ばず一般的にも興味半分の話題を集めたものであった。

現在この美術館は幸夫人が敬さんの作品を守りながら運営なさっている。この敬さんが大好きだった座敷に招じられると、美味しいお茶とお饅頭が出されて、部屋に飾られた絵を見たり庭を眺めたり、ゆったりとした時間を楽しむことが出来る。また有名旅館の別荘だったというだけあって、良質な温泉を引いたかけ流しの浴室もあり、入湯料を払えばその由緒あるお湯に浸ることが可能である。

蔵が大作ばかりを展示するスペースになっているが、その入り口には巨大な柱時計とともに、澁澤龍彦好みの奇怪な人形が出迎えてくれる。

平賀敬さんの作品には当然、好き嫌いが大きく分かれるし、PTA的な判断で見るならこれは断じて許せない世界に違いないだろうが、それは私が云々することではない。多少とも興味を持たれた方は、湯本散策の傍らにでも訪れてみてはいかがだろうか。今も着物姿が良く似合う幸夫人に招じ入れられて、不思議な世界に浸るのも極上なひと時だと思うが。
2011年11月23日 16:00
http://nantei1943.blog129.fc2.com/blog-entry-457.html


2012/04/13夜桜と平賀敬美術館

午前と午後にある程度時間があったので、どこへ行こうかいろいろ考えました。

午後はガラスの森美術館や星の王子様ミュージアム。
午前は…2つ気になる場所があったのですが、ベゴニア園…閉園したんだそうな

というわけで、もう一つの候補「平賀敬美術館」へ。

失礼ながら美術の知識に乏しいため、存じ上げませんでした。
しかし、何故か気になってしまったのです。
伺うと、とても素敵な日本家屋がありました!

ご本人はもう他界されているのですが、ご婦人がいらっしゃいました。
最初はテレビで放送されたものを見せて下さり、その後ご婦人が作品一つ一つを非常に丁寧に解説して回って下さいました。

とても個性的な作風で、人によっては好き嫌いがあるかも知れません。
ご本人もとても遊んで出歩くのが好きだったらしく、家を空ける事もよくあったと、ご婦人談。

それも作風に表れているのか、裸婦などもたくさん登場します。
しかし…登場人物の目に最大の特徴があるように僕は感じました。
どんな派手な作品でも、目だけは決して笑っていない。むしろ冷めた目というか、心の奥底と表面とがあべこべなのです。

そしてなんと言っても、ご夫人がまた素晴らしい。
第6感が鋭い方とでも言いますか。芸術家を支えた人間に共通する部分だと思いますが、他人には理解出来ないであろう全てを共感し受け入れ、愛したのだと感じました。

「貴方はどうしてここにいらっしゃったの?美術をされている方?」

僕「色々考えたのですが、何故か気になってしまったんです。
  音楽はしますが、美術は全くやったことがありません」

「そう…でもここを選んでやって来られた。導かれたのでしょう。
 必ず意味があってのことです」

そう仰られ、その後のお話しを伺ううちに鳥肌が立ちました

なんと美術大学は出ていないんだそうです。池袋に住み、立教大学へ通いながら、自分で研鑽を積んだと。それこそ手のスケッチだけで物凄く分厚い束になるくらい徹底的に追及されていましたが。

日本で受賞はしたことがあっても、日本人に受け入れられることは無かった。日本の美大へ行く事もせずフランスに渡り、フランス人にとてもよく受け入れられたんだそうです。

「むしろ日本の美大や芸大なんかに行っていたら、彼の個性が全て消されて潰されて終わっていたでしょう。そういうところも全て意味があったのだと思います。フランスはとても住み心地が良かった」

危うく泣きそうになりました

とりあえず世間に認知されやすくするためだけにでも、日本の音大を出といた方がいいんじゃないのー?なんて友人に言われて悩んだ事もあります。しかし当時の先生は
「よほど理解のある人に師事しないとあなたの個性もなにもかもが潰されて終わるだけでしょう」
と難色を示しました。そして今は何も見えない状態で、ただしかし目の前にある弾きたい作品達に黙々と向かっている日々です。まだ光は見えません。そのうち留学をするかもしれませんが、留学が目的ではないので、師事したい先生が見つかれば行くと思います。

そんな混沌とした釈然としないこの何年もの期間。それも全て無駄では無かったと思える時が来るのかもしれません。

ご夫人が仰られた事と、僕のこれまでの事、先生が仰られた事、ピッと重なる部分を感じ、涙が出そうになってしまいました。

「また是非いらっしゃいね。今度は彼女でも連れてらっしゃい」

とおまけの(余計な?笑)言葉で温かく見送って頂きました。いつか
「そんな時代もあったんだねー」
と笑って話せる日が来るのでしょうか。苦しくても継続が大切なんだと思います。中島みゆきさんの歌のような締めですね(笑)
http://medicalpianist.blog.fc2.com/blog-entry-66.html


中島みゆきの「時代」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13500318

温かくお迎えしてくれる美術館のご夫人は、平賀敬美術館の平賀幸さんです!

平賀幸さん(第7回シェル美術賞展第3席受賞作品「雨」の前で)
平賀幸さん(廊下に展示された「魚眠館異聞」の前で)

井上馨や近衛文麿、犬養毅も入った源泉かけ流しの温泉!

今号でご紹介する「神奈川の人」のコーナーは、箱根湯本にある平賀敬美術館の平賀幸さんです。幸さんは、その独特な画風で世界を魅了した画家・平賀敬さんの奥さまです。

 平賀敬美術館は、平賀敬氏の作品を展示している美術館。平賀敬氏が晩年を過ごした邸宅をそのまま生かして、美術館として公開されています。建物は歴史的に見ても価値の高いもの。寛永2年(1625年)創業の名旅館・萬翠楼福住の別荘として明治後期に建造され、井上馨、犬養毅、近衛文麿などの元老・重臣たちが逗留しました。時の太政大臣・三條実美がこの建物を建てたと言われ、近衛文麿とケ小平がここで極秘に会談し、終戦を決めたと言われているそうです。平成15年には、国の登録有形文化財に指定されています。

 その昔、ここでは盛んに宴も催され、邸宅内に小川が流れていて、杯が流れる間に和歌を読むという「曲水の宴」も行われていました。また森鴎外が「青年」を執筆したのも、この場所だと言われています。今でも俳句や短歌、読書会などの活動にこの場所を貸しているそうです。時の政界の要人や文豪が逗留していたということで、「当時の偉人たちのパワーを感じられる場所」と幸さんはおっしゃいます。「箱根湯本の歴史を少しでも残して、広く知ってもらいたいので、私は箱根湯本の“ささやかな発光体”になればいいなあ」とおっしゃる幸さんです。

 幸さんご本人は、実は人形作りが好きで「もっと自由に活動もしたかった」ともおっしゃっています。しかし、「敬さんが亡くなってもこの作品や歴史を残していく宿命が私にはある」と、何度もおっしゃいます。敬氏とともに過ごしたフランスでの生活で感じたことは、フランス人は貧しい身なりをしている人でも、悲壮感が感じられなくて楽しそうに生きている、そんな姿に魅かれたそうです。すべての出来事に対してポジティブにとらえ、実に軽やかに生きていらっしゃるようにお見受け致しました!

 この美術館に入ると、みなさんにお茶菓子とお茶が振舞われます。また井上馨や近衛文麿、犬養毅も入ったというとても由緒ある、湯本で一番源泉に近いかけ流しの温泉もあります。この美術館に来た方はみなさん、「田舎の実家に来たようで落ち着きます」と言われるそうです。それは、お迎えする幸さんの人柄があるからこそだと思いました。取材に訪れたかなたび君1号は、すっかり長居をしてしまいました。みなさんもぜひ、幸さんに会いに訪れてみて下さい。
2011年09月08日(木)
http://kanatabi.pref.kanagawa-kanko.jp/2011/report2/report_04_2011_0908.html

2007-01-06 23:18:48
平賀敬美術館にて

先頃、1年ぶりに箱根の平賀敬美術館に行った。「正月の松飾りを作るのを手伝ってくれ」という絵描きの平賀太郎さんの誘いだった。祖母の死で少々落ち込んでいた僕は、はやく箱根に行きたくてしようがなかった。

あの現実世界と分離された異空間である平賀邸にまた行けるのか、そして敬氏の奥様、幸さんに会えると思うと、とてもわくわくした。

銀座で呑んだ後だったので、ロマンスカーはもうとっくに無い時間で、新幹線も間に合うかどうかというような状態だった。銀座から太郎さんとふたりでタクシーに乗り、東京駅へ。近くなのにタクシーで行くなんて贅沢。

「(確実に間に合う為の)安心を買うんだ」

という太郎さんの言葉がおかしかった。 箱根湯本に降りて、平賀邸までは5分くらい。橋を渡って平賀邸への坂道を登っていく時、僕達の前を黒い塊がタッタカと横切って行った。

猫?犬?あれ?
あのシルエットは!なんとイノシシだった。今年はイノシシ年。「縁起がいいねえ」と太郎さん。

平賀邸に着くと、幸さんとお客さんがふたりで呑んでいた。お客さんは立教大学の教授の阿部珠理先生。ネイティブ・アメリカンの精神世界の本などを出されている。 僕はそんなに詳しくはないけど、ネイティブ・アメリカンというと音楽家のぢN君に教えてもらった影響で、ホピ族には関心があった。ホピ族の話をすると

「ホピはがんばってるね」

と珠理先生。スネーク・ダンスという神聖な儀式があるが、部族以外の者には絶対見せないのだ。だから写真の文献なども殆ど無い。 その儀式の時の格好は彼らが作るカチーナ人形で観る事ができる。そのデザインがぶっ飛んでいてかっこいいのだ。

Hopi Indians Dance for Theodore Roosevelt at [Walpi, Ariz.] 1913
http://www.youtube.com/watch?v=mfmPGcyV7lM

珠理先生は、一見さばさばしていて、幸さんの言うところの「男っぽい」感じがするが、僕にはなにか色っぽい人に感じた。 珠理先生が寝るので、僕と太郎さんは仏壇のある茶の間に移ってまた呑んだ。

そこに幸さんがピザトーストを焼いてきてくれてそれをつまみに。
幸さんはあいかわらず、かわいい。こんなかわいらしさを持った大人に僕は会った事がない。話す言葉、仕草、表情、そのひとつひとつにスコーンッと抜けたような透明感がある。

平賀敬美術館がオープンしてからもリピーターが増え、人々が何度も足を運びたくなるのは平賀敬の作品と同じくらいこの幸さんに会いたくて来る人が多いからに違いない。今では「平賀幸美術館」なんて呼ばれているみたい。

次の日は、起きて朝食を頂き、邸の裏の竹林に太郎さんと向かう。切れの悪い錆びた鋸でなるべく太い竹を選んで倒す。けっこう重労働だ。去年は太郎さんひとりでやってたって言うんだからすごいもんだ。

あ。そうか。去年懲りて、今年は僕を呼んだんだな。
松飾りの作り方は誰に教わったでなく、見よう見まねらしい。
太郎さんらしい。

僕は松飾りを作るなんて初めての事で、竹を斜めにカットする事ひとつ取っても、割った時に竹の節のところにある形が下に膨らんでなければならない事も初めて知った。そうすれば飾った時に笑った口の形に似るからだ。

反対にしたらへの字口。縁起悪いものね。

僕達が松飾り作っている間、幸さんは着物に着替えて仕事モードへ。帯の柄は鳥獣戯画。うーん。なんとかっこよろしい。

今回は太郎さんの計画通り、竹から伸びる枝も切り落とさずに残して、松を付けて、なかなかかっこいい飾りができた。

松飾りを作った後は、お楽しみの風呂。平賀邸のお風呂は温泉なのだ。このお風呂に入れる事もここに来るひとつの、いや、かなりの%をしめて楽しみ。

冷え切った身体が芯から温まる。
幸せ。

その後、現在の敬美術館の展示作品の模様変えの為に平塚美術館にコレクションされている敬作品を受け取りに。館員の方に案内されて、美術館の裏口から入り、コレクションが保管されてる部屋へ。さすが厳重になっていて、扉も分厚く、重く、デカい。しかもルパンが忍び込む銀行のロックみたいな丸い回転式のカギがついていて、なんか妙に興奮した。

100号の90年代の作品2枚をお借りして邸へ戻る。 作品を入れ替え、しばし鑑賞。

平賀敬の作品を観てるとヘンな気持ちになる。
エロティックな画題だからか?それだけではないみたいだ。
観る者のこころを掴んで離さないあの色。
快楽的であるのに、どこか悲しい気持ちになる静けさ。
常に相反する事、物、者が画面の中に秘密のように隠されお互い絡みあっているような。

自分が絵を描く時もなんかわからないけど興奮してきてものすごいエロティックな気持ちになえる事があるけど、平賀敬の作品は観ているだけで僕を狂わす。
ひとりで観てたからいいようなものの、となりの女の子でもいたら、襲っちゃうかもしれないなあ。
そんなキケンな作品だ。

松飾りは最後に幸さんが梅を飾る、という事だったが、それは残念ながら完成を見る前に帰って来てしまったので実物を見る事はできなかった。

今回は、久しぶりに平賀敬美術館に来たので、僕は欲しいものがあった。平賀敬の画集である。平塚美術館でやった展覧会のカタログである「アヴァンギャルド戯作画展」と牧神画廊が出している「巴里無頼」。

どちらも購入したいと幸さんに言ったら「よく手伝ってくれたから」と2冊ともプレゼントしてくれた。

箱根に来て過ごし、幸さんに会ったことで身もココロも休まったのはこちらなのに、申し訳なかったが、宝物になるべく画集が手に入った事、幸さんからの気持ちが、すごく嬉しかった。

つかの間の異空間を味わって太郎さんと夜の東京へ。新宿の思い出横丁の僕たちのお気に入りの店に行き、太郎さんとまた呑んだ。久しぶりにゆっくり太郎さんと話ができてよかった。またたくさん絵を描こうという気持ちにもなった。できる事なら太郎さんとグループ展でもやりたいなあ。

ああ、また行きたいな。平賀敬美術館。
http://ameblo.jp/snyfunk/entry-10022953271.html

今のうちに必ず行っておくべき!平賀敬美術館
2011 年 12 月 28 日

箱根湯本にある平賀敬美術館。駅から徒歩10分ていど。
とにかくこの美術館は、もてなされます。とことんもてなされます。
そして今のうちに必ず行っておくべき理由は5つあります。
 

■ポイント1:平賀敬の奥さんである平賀幸さんがお出迎え。

記帳をしたら、いきなり居間にとおされ、おまんじゅうとお茶が出される。え?え?

しばし平賀敬のNHK特集を見させられる。平賀敬は花見なんてくだらないけど楽しいとか、庶民に近い感覚で絵を描いているみたい。
あと、池袋時代のボロアパートのらくがきがなんだかよく描けていて、それを安い絵の具でキャンバスに描いた。そしたら入賞した。とか、親近感がある。
この人好きかも。
あと作品にある手はモデルではなく浮世絵を参考に描いているそうで。モデルは繊細なポーズができないからだそうで。

NHK特集を見終わる。あれ、管理人さんいなくなっているけど。。。どうすればいいの?不安になるけど気にしない。

 
 

■ポイント2:平賀敬の作品を間近で見られる

廊下には平賀敬の作品がびっちり展示されている。こんな感じ↓

廊下の奥にある倉に行く。。。途中のアレにびっくりするけど、アレは行ってからのお楽しみということで。。。
倉にでかい作品がいくつか。。。なんというか、、、よいですね。 
 

■ポイント3:平賀敬の家族が案内してくれる

奥さんの幸さんもそうなんですが、この美術館は平賀敬のご家族が管理しております。
平賀敬の息子が運良く帰郷していたようで、息子さんから作品を解説してもらった。(正確には解説してもらっている他のお客さんに混じって聞いていました。)
出展に間に合わないときは、作品制作をよく手伝っていたそうです。自分自身のサインをこっそり絵の中に入れたりして。。。

 
 

■ポイント4:温泉に入ることができる

お風呂を案内される。
源泉を直にひいているそうだ。お肌がつるつるになるらしい。腰痛も治るらしい。今度来たら入ろうと思いました。
 
 

■ポイント5:幸さんにとにかく元気をもらえる

画集をこっそり販売していたので、買う。今はネットでもなかなか手に入らないのでラッキーでした。
そしたら、幸さんから「一」って書いてあるはちまきももらった。えいっ!て念を入れて書いたらしい。あと、ポストカードももらった。

絵をやっているって言ったら一番になれって激励された。こんな初対面の人に対して、こんなにも良くしてもらい、まったく親切だ。幸さんは。
かなり元気をもらいました。
世の中には「この人に会うとなんだかハッピーになるなぁ」っていうステキ人がたまにおりますが、平賀幸さんはまさにその中の一人だと思います。

僕はとにかくこの美術館がこのままずっとずっと続いてほしいと願っています。
誰でもこころよく受け入れて、我が子のように接してくれる幸さんがとってもステキです。ほんとにずっと続いてほしい。。。
http://hayatomo.com/2011/12/28/872


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3. 何故か全然ディープではなかったアヴァンギャルド絵師の平賀敬

平賀敬アート
http://blogs.yahoo.co.jp/sepia46492001/62974418.html 
http://srats.exblog.jp/18103082/ 
http://bunkyo-art.co.jp/artists/KeiHiraga.html
http://bunkyo-art.co.jp/artists/KeiHiraga-J2.html
http://plginrt-project.com/adb/?p=898


平賀敬 1936年〜2000年
出身地 東京都

1936年東京都に生まれる。幼少時を盛岡ですごし、料亭であった彼の家の壁に掛っていた万鉄五郎や松本竣介の絵に衝撃を受けた。1956年、第1回アジア青年美術家展に出品、57年に立教大学経済学部を卒業する。

1963年には第7回シェル美術賞で3等賞を、64年には第3回国際青年美術家展で大賞を受ける。1965年から74年まで渡欧し、主にフランスで過ごす。その間、1968年スウェーデンの国際エロチック美術展、79年にはサンパウロ・ビエンナーレ展、72年と74年にはパリ国立近代美術館でのサロン・デ・ボザール展に出品、また67年にはル・フラン賞展で二席になる。

帰国後、1974年から81年まで、東京のフマギャラリーで毎年個展を開く。浮世絵の模写を基本にしたデッサン力で、細部を丁寧に描きながら表現される、彼の個性的な「日本」は、エロチックであり、また諧謔的でもある。彼の絵を見る者は、しびれるような頭で人間の存在の奇妙さを感じることだろう。
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_detail.php?pno=1&no=10071


小磯夜桜 1986年
http://www.hiraga-key-museum.com/works%2007.html


東京で生まれ盛岡で育った平賀敬は、子供のころ、家にあった油絵を見て、子供心にこの世の中が単純でないことを感じたと言う。こんな昔のエピソードにうなずけるところを、彼の作品は持っている。

降るような夜桜の下で、酒宴をはる人々がいる。花びら一枚一枚を細密に描いた桜の華麗さに対し、身なりは神士淑女とも言える人々は、仮面に似た無表情さである。しかも酔態はみだれている。

ある文学者は、彼の作品に、「遊楽のさなかの孤独」を読み込んでいるが、確かにここには、単純でない人間模様が秘められている。十年近いフランス留学の経験を持つ平賀は、浮世絵を数多くスケッチして学ぶなど、日本の伝統的な形やモチーフも自分の作品の中に溶かし込んでいる。

「小磯夜桜」は、そんな彼の造形的な追求と現代の人間存在の追求とが合致したところで生み出された作品と言える。
(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年04月26日掲載)
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_detail.php?pno=2&no=1100077000


この作品に描かれているのは、夜桜見物の宴です。ところが、描かれている男たちはハデなスーツ、ネクタイに身を包み、女たちは肌もあらわにみだらなポーズで登場します。たとえ酒の席であっても、日本では考えられないような光景でしょう。そういえば、描かれた男女の顔も、ヒヒのような無国籍風の風ぼうで、不機嫌そうな表情をしています。
 作者の平賀敬は『窓I』という作品で、1964年の第3回国際青年美術家展で大賞(パリ留学賞)を受賞し、翌年、これによって渡仏します。渡仏後も、批評家ガシオ・タラボの企画した「フィギュラシオン・ナラティーブ展(物語的具象展)」に選ばれ、注目を浴びたのをはじめ、パリを拠点にヨーロッパ各地の個展・グループ展やサンパウロ・ビエンナーレなどに出品したのです。そして、画廊から得た収入で、彼は友人と連れだって夜の街へと繰り出したということです。1974年に彼は帰国しますが、帰国後も数年はパリでの生活をモチーフとした作品を発表し続けました。

 80年代に入ると、平賀の作品には、花見、海水浴、茶の湯といった身近なイメージがあらわれます。ただし『小磯夜桜』と同様、登場するのは無国籍風の男女なのです。彼は評論家ヨシダヨシエとの対談で、彼の画中の人物について、次のように語っています。

 「いわゆるね、視姦しているんじゃなくてね、他の奴がやっちゃっていることを、眺めてるっていうか」

 この傍観者の視点は『窓I』のころから続いているものです。ただし、団地の窓から見えるさまざまな風景に興味を感じていた当時から現在の視点はさらに深まったものとなっています。らんちき騒ぎの中へ酒を飲んでいる男の姿にパリでの彼の生活をだぶらせることは難しくありません。しかしまた、それをさめた気持ちの傍観者として描き、傍観している現在の平賀もいるのです。快楽におぼれるのは人間の性ですが、その姿は面白くも哀しく見えるものです。しかし、彼はさめながらも、そうした人間にひかれ続けているのです。

 この作品の魅力は残念ながら白黒の図版では十分に伝わりません。派手な色彩でみだらな光景ながら、決して下品ではない平賀の世界をぜひ実際にご覧ください。
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/text/yomi/1100077_1.html

平賀敬さんが亡くなって、もう10年だなんて  池田香代子
2010年11月16日02:23

11月13日は、現代の絵師、アヴァンギャルド戯画家の平賀敬さんが亡くなって10年目のお命日でした。それを記念して(?)、敬さんが暮らしたお宅をちょっと改造した箱根湯本の平賀敬美術館で、展覧会があるという。初日はもちろんオープニング・パーティです。

駅前通りを左に折れ、川を渡って小道を急ぐと、とっぷりと暮れた中、見慣れた平屋の窓という窓からは、あたたかい色の光とさんざめく人の声がこぼれていました。玄関を埋めて外まではみ出る脱ぎ捨てられたおびただしい靴、靴、靴。二間ぶち抜きの広間はすでに落花狼藉の気配です。やっぱりね、敬さんの会だものね、どこか敬さんの絵のようになるのです。秋山祐徳太子さんが仁王立ちになって、甲高い声でなにやら指図しています。廊下の隅にようやく居場所を見つけ、スズキコージさんと美濃瓢吾君の背中をつんつんとつつきます。知っている人知らない人、おかまいなしになつかしみ、笑い、食べ、飲む。

敬さんのお葬式の時もこんなでした。敬さんが亡くなった、お通夜は今夜、と電話が来て、息子に「どうしよう」と言ったら、「行こう、行くしかないよ」と車を出してくれました。お葬式風の飾りつけはあったのか、なかったのか、忘れました。とにかく敬さんのお棺が座敷のまん中にあって、人がびっしりと詰めかけ、わいわいとお酒を飲んでいました。敬さんと幸さんの一人息子で、やはり画家の太郎さんと弟子の美濃君が、お棺の頭のあたりに座り込み、いっしんに筆を走らせています。敬さんの死に顔を描いていたのです。できあがると、幸さんは太郎さんの絵にいつまでも頬ずりしていました。美濃君の絵には、ちらりと一瞥をくれただけ。それはそうです。美濃君のデフォルメが過ぎた敬さんの顔に、幸さんが満足するわけはありません。美濃君はいつものように、へらへら笑いながら首を傾げて頭を掻いていました。酔っぱらった祐徳さんが突然涙声をはりあげて、

「敬さんよう、敬さんには悪いけど、生きてるって、いいもんだよ!」。

何度も繰り返します。あまりの正直さ、あまりの悲しみの深さに、笑ったらいいのか泣いたらいいのか、わけがわからなくなりました。

あれから10年、ごった返す座敷の、床の間を背にしたあたりに、お酒が回って鼻を赤くした和服の敬さんがあぐらをかいているような錯覚に陥ります。種村先生もどこかにおられるはず……。それにしても、この人たちはいったいどういう人たちなのだろう。谷川晃一さんや吉野辰海さんといった作家さんたちは分かるけど、若い人たちもけっこう大勢います。中には、大学で教えている田中信太郎さんが連れてきたゼミの一群もいることはわかりましたが、それにしても雑多な若者たち、そして壮年老年の女性や男性。敬さんのことをまったく知らないという若者も、楽しそうにおしゃべりしていました。


平賀敬「夫婦団欒」

この家で、敬さんによく遊んでいただいたものです。明治の元勲が出入りしたこの別荘に、山縣有朋のお供でやってきた森鴎外が控えていた玄関脇の四畳半でこたつにあたっていると、奥からはげの井筒親方がぬっと現れたりしました。敬さんと花札遊びをしていたのです。長い廊下を、体をぶつけあいながら走るたくさんのパグ犬を、ちいさかった子どもたちが追いかけ回しました。敬さんはよく、橋のたもとのはつ花という蕎麦屋に連れていってくれました。湯本の町で、敬さんはみんなに愛されていました。芸者さんたちのカラオケの先生でした。敬さんの歌は洒脱で、腰をちょっと振りながら、シャンソンでも演歌でも、敬さん流に歌いこなしてしまうのでした。

でも、この家に来るのは気が重かった。幸さんのおもてなしといい、源泉掛け流しの極上のお風呂(刺客を恐れて窓には鉄の格子が入り、脱衣場には祐徳さんの作品、「男爵」が飾ってある)といい、とても来たいけれど、気が重かった。「そろそろ失礼します」と言うのがつらいのです。それで、ここに来たが最後、1週間い続ける人たちもたくさんいたのでした。誰にとっても、帰ると言われた敬さんが、しゅんとして肩を落とすのを見るほどつらい瞬間はありません。けれどややあって、敬さんは「よし、わかった」と、自分に言い聞かせるようにうなずく。そして幸さんに、「おーい、はつ花に行ってくる」と声をかけて、いっしょにしばし別れの蕎麦をたぐるのです。もちろん、敬さんはお酒を飲みます。昼でも夜でも、朝でも。

幸さん、このあいだはお疲れさまでした。私は二次会には行きませんでしたが、あれから何人が戻ってきて泊まったのでしょう。ほんとにいつまでも世話の焼ける「敬さんの仲間たち」です。そんな不心得者たちに、幸さんは古布を継ぎ合わせたお手製のすてきなどてらを一人ひとり着せかけ、やさしく寝かしつけたことでしょう。

座敷に飾ってあったあの女物のどてらは、ここで温泉座談会をやったときに私が着せていただいたものではありませんか? あの時の顔ぶれは、種村先生、池内紀先生、そして敬さんと私の4人でした。そのうちのおふたりまでが、もうこの世の人ではないのですね。

このあいだうかがった時、幸さんは美術館に来ていたお客さんに、座談会が載った雑誌をさっと持ち出して、「この人よ」。あれはやめてくださいませんか。あの時、私は編集者に騙されたのです。敬さんのお宅でやるただの座談会だと聞かされ、大学の恩師が2人まで、当時の温泉ブームの先達としてお出になるとあってはお断りするわけにもいかないと引き受けたら、前日になって編集者から電話がかかり、「いちおう水着のご用意を」。近所の旅館の露天風呂を借り切っての、混浴シーン(!)の撮影もあったのでした。その写真が雑誌には載っているわけで……。
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51500415.html


箱根湯本の温泉街をぶらついているとき、偶然、この美術館をみつけた。早川にかかる橋を渡り、蕎麦屋の名店”はつはな”を横をみて、さらに小路に入ったところに平賀敬美術館はある。木造建築の日本家屋だが、いかにも由緒ありげな建物だ。それもそのはず、”明治後期に建築され、井上馨、犬飼毅、近衛文麿などが逗留した。2003年に国の登録有形文化財に指定”との案内プレートが入り口にあった。

玄関に入ると、70代と思われる、和装のうつくしい女性が現れた。まるで中原淳一の”ひまわり”とか”それいゆ”に出てくる美少女がそのまま年を重ねたような美貌だった。この方が故平賀敬画伯の奥さんで、美術品の案内をしてくださる。はじめ、画伯のインタビュー番組をビデオでみることのできる和室に案内される。ぼくには、はじめての画家だから、とても参考になる。1936年に東京に生まれ、立教の経済を出て、画家になったそうだ。64年に国際青年美術家展で大賞をとり、その後、パリのモンパルナス等で活躍。奥さんは帰りたくなかったそうだが、10年ほどで帰国、大磯にアトリエをもち活動する。ざっと、こんな経歴をもつ。

さて、美術品だが、その和室の壁や廊下にも展示されているが、蔵に主な作品を置いてある。奥さんが、この絵は、私の一番好きな絵、私をイメージして描いてくれたの、という。ほら、裸の女性がみんな、ほかの絵に比べるとおだやかで、やさしいでしょ、あの青い顔した男が主人、とうれしそうに説明してくださる。明るい色彩、ちょっぴりエロチックで、どことなくおかしい(ユーモア)、マンガ的、そんな画風である。

ぼくと同じ、落語フアンでもあり、志ん生が大好きで、パリでもよくテープを聞いていたという。志ん生の吉原の廓噺しを題材とした絵もいくつかあるとのこと。それと子供のころ(戦後)娼婦に可愛がられたこともあり、彼女らに親近感をもち、彼の絵によく”出演”している。一方、世の中、つまらねえ、とも思っていたそうで、坂口安吾のフアンでもあったから、彼の絵は、志ん生と安吾をかきまぜて、平賀のエレキテル(笑)でびびっと描き上げたというところだろうか。笑いと涙が共存するような、不思議な雰囲気をもつ絵である。

十分、楽しんで帰ろうとしたら、奥さんが、湯本駅近くの、画廊喫茶ゆとりろに寄ってごらんなさい、平賀の絵が飾ってありますから、とおっしゃった。また、そこで平賀作品を楽しんだのはいうまでもない。
2011-10-14 10:03:15
http://blog.goo.ne.jp/marbo0324/e/593a295671b25fb9e438a59e88f16b35

箱根湯本駅から国道を曲がった温泉街の奥に何気なくあるその美術館は、美術館というより民家。民家というより旧家。椎名林檎の『百色眼鏡』の世界か、ジブリの『千と千尋の神隠し』の世界か。さあ、想像してみて。

靴を脱いであがると平賀敬の奥様が出迎えてくれる。着物にレースの手袋というハイカラ?な出で立ち。奥様が一枚一枚作品を説明してくれる。

平賀敬は1936年生まれの前衛画家である。(前衛という言葉は本当にキケンだなあ。) 30歳で渡欧していて、長いこと住んだパリの影響をものすごく受けている。だからピカソっぽい画もあるし、娼婦がほとんどの画に出てくるのだが、ガーターにハイヒールにどでかいワイングラスを持っている。登場人物たちの顔は一風変っていて、鼻が細く尖り目が切れ長なのだが、能面に手本を得ているらしい。色彩ときたら・・・、だから、画像なんてのっけないよーんだ。

「古典落語、とりわけ古今亭志ん生の熱烈なファンであります。長いヨーロッパ生活の間、日本から送ってもらった志ん生のテープを、夜中、ひとりブドー酒など飲みながら聴いていたものです。

帰国して何年たっても、でっちあげる絵は、自分が長年住んでいた、俗悪の華咲き乱れるピガールの怪しげな場所で眺めた男女のたたずまいばかりで、少々自分でもヘキエキしておりました。 何か日本的なるものの中に<ピガール>を表現できないものかと考えていたところへ、志ん生の廓ばなしの傑作があることに気がついたわけです。(中略)

お陰で、これらの作品を作りあげたことによって、長年つきまとって離れなかった<パリ>という化物から解放されることができました。

これからはわが内なる<日本>を、(酒で濁った目とはいえ)しっかりと見つめて広重、北斎の足の裏にも及ばぬことは承知のうえ、私的「新日本百景」なるものを作り続けることに専念したいと思っております。」
(宮城県美術館/「現代日本の美術」展カタログ文章より)


(全くの余談。こういう文章って丁寧語だけどまったくもって丁寧じゃないよね。解るよ、うん、解るけどさ)

この「日本的」というもの。

我々は日本に生まれそこにアイデンティティを見つけ出そうとする。日本は究極の母である。その考えこそが「お化け」なのだと思うのだが、我々はどうやって日本から「解放され」よう。私は日本人の体を持ってる。私は日本人の脳を持ってる。それがアイデンティティなんて古いように思う。でもアイデンティティってどうしても無視できない。

私は外国人の役を演じるのが嫌だった。だってネイティブが演じるのに敵うわけがないから。それなら、例えばシェイクスピアの芝居に出てくる様々な西洋人たちをどう演じたらいいのだろう。ずーっと昔の蜷川マクベスのように舞台を戦国時代に置き換えるか?そしたら賞とか取っちゃうわけ。日本的なるものにシェイクスピアの素晴らしさを表現する?いや、もう古い。旧い。

最高の理想は、人種とか、そして、アイデンティティを超えて、観客と演じ手が“ひとつ”になっちゃうこと。「日本的」とか分類されない舞台を作ること。「なんともいえない」、鮭スペアレの目標はいつもこれに行き着いてしまう。

それにしても、平賀敬の描く満開の桜は美しい。「あー、文句ナシにもう綺麗!!」と思える作品、結局はこれなんですね。もう3月も終わりに近づき、東京の満開の桜並木を仰ぎながら、平賀敬氏のことを思い浮かべる。素敵な画家と桜に乾杯!あー、日本人に生まれてよかった、なんて。
http://www.geocities.jp/syake_speare/nantoka/nantoka07.html

オトナの世界、例えば頽廃だとか淫靡だとか、そういったキーワードを体現していて
しかしどこかユーモラスで哀しい、一度見たら忘れられない独特の人物画、
それが僕にとっての平賀敬。

以前から存在は知っていたけど、傍まで行きながら訪問する事の無かった平賀敬美術館。 今回は、思い切って訪問してみた。

箱根湯本は、車で行った場合駐車スペースに困る人も多いのではないだろうか?
付近のホテルの駐車場に無理矢理停めようとしては、みつかったり(笑)

しかし、箱根通はちょっとした裏にある駐車スペースを知っている。
この美術館はまさにそんな湯本の駐車スペースの穴場?の先にある。

美術館の類は、近代建築だ、というアタマがある人には新鮮な驚きを与えてくれるだろう。 この美術館に至る道に併行して小さなクリークがあり、そのチョロチョロ流れる水の音と、木のトンネルが作り出す木漏れ日とその樹々の影の揺らめき、そして山の風が、心地良い涼感を与えてくれる。
そんな坂道を、ラバーソールで踏みしめながらゆっくり上っていくとこの建物の正面に到達する。風も無いのにふぐりをブラブラさせている狸の置物が出迎えてくれる玄関で、 大きな音のする呼び鈴をカランコロンと鳴らすのだ。

室内は本当に普通の日本家屋。
元々ここは、寛永2年(1625年)創業の名門旅館、萬翠楼福住の別荘として建てられたとの事。なかなか立派な作りである。

そして玄関ホールの右手に既に大きな作品が飾ってあり、その迫力に圧倒される。 しかし、更に一歩踏み込むと、廊下の両脇の壁に、所狭しと平賀の作品が展示されている。

作品は、どれも独特の顔つきの男女で、女性は肌も露わにしている姿が多いのだが、 ピカソの「アビニョンの娘たち」に描かれているようなアフリカ彫刻をも髣髴とさせるような、どこか不気味で、僕的にはセクシーではない女性が描かれている。
玄関を入って右奥には、蔵が残されていて、その蔵の中もこのような形で彼の作品が展示されている。

作品の多くに、舞い散る桜の花弁がモチーフに使われている。
とても華やかな印象を受ける。
例えば、この絵の海?の波立つ水面の表現に日本画の影響を見て取るのも楽しいかも知れない。

描かれる男性は皆顔が蒼白で、皺だらけ。そしてメガネをかけている。
皆、無表情で疲労がドレスアップして人間の姿を纏っているようにも見える。

女たちは、例外なくセクシーな衣装に、不気味な、感情の全くない顔。この美術館の奥には貸し切り温泉もついていて、入浴できるようになっているのだが、今回それはパスした。しかし、それってどんな美術館だ?(笑)

ということで、ちょっとユニークで、時空を超越したこの【平賀敬美術館】お勧めである。
http://exj.dtiblog.com/?mode=m&no=568

2011.09.09
平賀敬といえば、パリのいかがわしいエロ賑やかなムーランルージュの街で創作活動をしていた画家であります。 その彼が最後を過ごしたのが箱根湯本の滝通りにある日本家屋です。 そこが個人美術館になっているのです。

なかなか、わたしの仕事の休みの日は平賀さんもお休みで、縁がない。 縁がないなりに、でも、近くまできたので足を運んでみたのです。

お家の玄関、開けっぱなし。 クリーニングの、洗濯物の山。

小さい声で「すいません」と声をかけてみたところ、さらに小さな声でご婦人が「なんでしょう」と答えてくださり、中に入れてくださったのです。 しかも、天然水とお茶とお菓子のサービス。 それらを頂きながら、NHKの番組の録画を見て、平賀敬について少し学ぶことができるというありがたい展開。

このご婦人は平賀敬氏の奥さまなのです。色の白い小柄な綺麗な方です。ちょっと、上手く言えないけれどやっぱり少し、風変わりな感じは否めません。 普段は着物でお出迎えしてくださるそうです。

「今日はこんな恰好で、お手伝いさんもいないから、行き届かなくてごめんなさいね」

などといいつつ、定休日に押しかけてきたわたしに嫌な顔をせずに、いろいろ教えてくださいました。

平賀敬の絵はエロいし、グロいです。しかしながら、常に華やかな色彩の中に、死の匂いがするのが、興味深いのです。平賀敬は当然のように

「死を考えないなんて、どうかしている」

と言います。わたしも、そう思うのです。 死ぬ生きるの話は、余りすべきではありませんが、人は必ず死ぬのです。 それを怯えたり、心待ちにしてみたり、時に目をそむけてみたりするのがフツーの話なのです。 それが、描かれていて面白いのです。

たぶん。 わからないけれど。
そして、人って子供の時のことは忘れないようにできているのでしょうか。
例えばこの絵を見ると分かりやすいかな。

平賀敬は東京生れですが幼少期は地方で過ごしており、なおかつ芸者さん達に囲まれた生活をしていたのです。子供の時に見た女性の絵が、そこにはあります。

乳首のすぐ上まで、おしろいで真っ白にして着物を羽織る芸者さんの、ピンク色の肌が余計になまめかしく。

女性の乳首の上まで真っ白に塗られているのは、そのころの女性の姿がいろんな作品に反映されているのです。

それがどうした。 といわれれば、どうもしません。
しませんが、わたしはとてもこういう「何かに捕らわれている」という感覚がとても好きです。

大きな時計と人形の先には、禁断の花見の世界が広がっておりました。
華やかなほど、淋しくておろかしい、花見。

是非足を運んでみてください。
ご案内してもよろしくてよ? と、またあの奥さまの淹れるお茶が飲みたいなーと思う真夜中。

みなさま、よい夢を。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:VP2QHJyvmPUJ:izumiakane.m.doorblog.jp/article/51738483%3Fguid%3DON+%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%95%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8&cd=50&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

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4. 何故、平賀敬はディープ世界に入れなかったのか?

1)これが本物のディープ世界の住人 

@ フィンセント・ファン・ゴッホ  「パリのクリシー通り」


1885年末に父親を亡くしたゴッホはベルギーのアントワープに移住します。翌1886年には、弟のテオが暮らしていたパリのモンマルトルに拠点を移します。ゴッホはここでゴーギャンやロートレックと知り合います。
 
 「パリのクリシー通り」は、ゴッホが1886〜1887年にかけて描いた作品です。

 ゴッホが暮らしていたモンマルトルのクリシー通りの景色を描いています。 
 ゴッホはこの時期に27点の自画像を描いています。彼はモデルを雇うお金がなかったので自画像を多く描いたそうです。同じ時期に描かれた作品と思えないほどタッチや色使いが異なっていて、彼がいろいろな技法を試していたことが分かります。

 さらに、ゴッホはパリで暮らしていた1887年に浮世絵を模写した「花魁」という作品を描いています。 1867年のパリ万博に日本が初めて参加して以来、ヨーロッパでは日本ブームが興っていました。ゴッホは、パリに来る前に暮らしていたアントワープで浮世絵を目にして強い憧れを抱きました。
 
 ゴッホは画商をしていた弟のテオと一緒に浮世絵を収集して、それらを油絵で模写しました。この作品は、パリで刊行された雑誌の表紙を飾っていた渓斎英泉(けいさいえいせん)の作品を模写したものです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~k-ue/travel/benelux_201004/20100418-1.htm

詳細は

まともな人間に芸術は理解できない _ ゴッホは何故ゴッホになれたのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/481.html


        /          イf它メミー-   < _  く ̄\
         ィ⌒´/ ̄廴   / {い辷彡ク―- 、 \\  _〕 \ヽ
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     ヽ|′  ノ  /ヽィl   ′| l|   l| |l  | |ト、  | l | l〈″ ::.::.::. 〈|
      lノ     ´ ̄ 川  l| |||」|   l|`T 7 ハT | l | | | ::.::.::.::.::.::| |
      ⊥∠ ̄`ー-<⌒ 川  |l kヘ 八   | |/,,斗=ミk j | ! | ::.::.::.::.::. | |
    \::.::.:-‐''´ ̄ ヽノ川  |l_|孑テミ\ | l〃 弋ヅ゙} ' 从 |::.::.::.::.::.::.| |\
      ヽ ::.::.::.::.::.::.::..\ノ|  lヘド _ゞソ       ̄ / /|_j::.::.::.::.::.::.| |\ ヽー- 、
       ヽ ::.::.::.::.::.::.::.: >ヘ l 八     、       / /l |´::.::.::.::ー―{  、  ̄ ヽヽ
          \::.::.::.:: /..:::..\{  ヽ     __,、   イ l| |\::.:..\::.「::.弋_ \ \ }ノ
           〉、::.:〃.::.::.::.::|〔_ト   ト   ` ̄  /┼ノ |::.::.ヽ::.::.ヽ|::.::.: ノヽ l\ ヽ
         / ハh ::.::.::.:: j  |  |├]>  <__/l/  ; ::.::.::.::.::.::.::.: /   '.| ヽ ゛、
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       / / ハ」 ::.:://..::.::. ' 〃   〃 || || ヽV  ′ヽ ::.::.::.::.::.::. 〉 l || \ ノノ
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      ´ / /   / `7⌒ヽ/ | ノ|ー- _ ̄   ̄イ ;′.:´   \:.ヽ{i:i:i:i:ト--<ハ  }
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   { {   イ:i:i:i:i:i:i/:i:i':i:i:/ .::.::.::|\ \_ノ)  :.            |::.::.::.::l:i:i:i:i:i:i:{:i:}i:i:i:ト、
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       人{  ヽ′       〔 ̄::.::.::二 ィ::]{≫==≪}[::.r―‐::.::.:|
                    ヽ::.::.::.:ニ=::]{≫=≪}[::.::.ー‐.::.::/

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A ヘンリー・ミラー『クリシーの静かな日々』
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%9D%99%E3%81%8B%E3%81%AA%E6%97%A5%E3%80%85-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4891765127/ref=sr_1_11?s=books&ie=UTF8&qid=1343458279&sr=1-11


Movie Jens Jorgen Thorsen Stille Dage I Clichy Quiet Days In Clichy1970 Dvdrip
http://xhamster.com/movies/912142/quiet_days_in_clichy_sex_scenes_uncut.html
http://www.youtube.com/watch?v=zME4ek_gL0o

 ヘンリー・ミラーは性的に放縦だっただけでなく、ヴァイタリティに満ち、そして事実立派ないち物の持ち主だったらしい。また、セックスも上手かったようである。それに、彼自身セックスを宗教的な行ないに等しいものと考えていたようだ。 2日前のこのヘンリー・ミラーに関する論考で、ボクはアナイス・ニンの日記を引用したが、そこにアナイスが

「彼は……仏教のお坊さんの感じだ」

と書いたこともあながちウソではないようだ。ヘンリーは書いている。

 「ロレンスはその論文の一つで、宗教的と性的という二つの優れた存在の仕方があることを示し、宗教的であるのは性的であるのよりも上であると言っている。彼によれば、性的な存在の仕方は小乗の道なのであるが、私は常に道は一つであり、それは救いではなくて悟達に導くものと考えてきた。」
(「性の世界」)

 とすれば、そのような認識をヘンリー・ミラーが明確にしている訳ではないにせよ、このような考え方はほぼタントラの思考法と近似しているとは言えるだろう。御仏がダキニ(神妃)と合体している図象がチベット仏教にあるが、あのような心境と言えばいいだろうか。ヘンリー・ミラーはいわば「性の求道者」で、自身もそのことに自覚的だった。

 巴里での生活の2年目あたりにヘンリーは、「クリシーの静かな日々」の中で、カールとして登場する作家志望の男とアパルトマン(事実はホテル)をシェアして住んでいる。この人物は、のちに『わが友ヘンリー・ミラー』を書いたA・ペルレスであり、彫刻家オシップ・ザッキンへの山のような借金に苦しんでいたヘンリーは、転がり込むようにしてペルレスの好意に甘んじる。 「クリシーの静かな日々」という中編は、この時代のエピソードを書いたものだ。

 おそらく妻ジューンからの送金で久方ぶりの小金を手にした主人公が、カフェで出会った貴婦人のような娼婦に有り金を巻き上げられて(同情してひと夜を共にした対価としてすべて差し出すのだ)、ひもじい思いをして部屋へ帰るとカールは14歳のまだ年端もゆかぬ小娘コレットを引っぱり込んでおり、そこから奇妙な三人の共同生活が始まる。

さらに、ピストルをバッグにしのばせた夢遊病者のおんなのエピソード、ハンブルグでの三人の娼婦との話、などなど。ミラーがおそらく辛苦をともにして生涯の親友となるカールことペルレスとの性的な冒険の一部始終が語られた作品だ。

 ふたたび、アナイスの日記から。

 「彼の生活。
底辺、下層社会。暴力、非情、金の無心、遊蕩。

何という動物じみた生命の奔流。
彼の言語、わたしのまるで知らない世界の描写。

ブルックリンの街並み。ブロードウェイ。グリニッジ・ヴィレッジ。
貧困。無学な人びとやあらゆる種類の人間とのつき合い。」

 このアナイスの日記のヘンリー・ミラーに関する記述のある箇所を抜き出して作られた『ヘンリー&ジューン』という本がある。この日記をもとにして1990年「私が愛した男と女/ヘンリー&ジューン」という映画が製作されている。この映画についてはあらためて書こう。
http://angura.blogzine.jp/fugue/2008/03/post_1cdf.html


ヘンリー・ミラーの全作品は、暖かな家庭、信頼感のある職場、秩序だった社会、というものへの否定に裏打ちされています。呪詛ではありません。憎しみでもない。慇懃無礼な無関心、冷たい侮蔑と言ったらよいでしょうか。

『北回帰線』の中に、ミラーが仏米親善協定の一環としてディジョンの高校の英語教師に赴任する時のことが書かれていますが、彼はそこで働く「胸くそ悪くなる」フランス人教師たちに遠慮のない嘲笑を浴びせています。

「彼らは、この世の中を機械技師、建築家、歯医者、薬剤師、教師等々でもってつくりあげているといったふうな味気ない人間の範疇に属していた。ことばのあらゆる意味で零(ゼロ)であり、立派な、あるいは哀れむべき市民の中核をなす無に等しい連中だった。ダンテが地獄の門に引き渡した無関心な人間の仲間なのだ。まるでかさぶたの皮である」(大久保康雄訳)

そして彼は任が解かれるや否や校長にも誰一人にもあいさつせず駅に向って走って、パリ行きの列車に乗ってしまうのです。

また、『クリシーの静かな日々』の中で、友人カールとルクセンブルクに遊びに行ったときのことを思い出しましょう。その国で三日間、二人は楽しい音楽と美味な食事を堪能します。ルクセンブルクは、繁栄した美しい国で、人々の性格は善良で同情心が厚く、規則正しく、親切で寛大でした。

「しかし、どういうわけか、この土地にはある種の腐敗した臭いがあった」

とミラーは書いています。

「ここでは、人々は牛や羊が存在するようにしか存在していない」

そして、

「この豊かな土地で暮らすよりも、パリでシラミのように死ぬほうがましだ」

「この健康な土地でのんびり過ごすより、パリで淋病をもらおう」

と決心して、カールと一緒にパリに舞い戻ってしまいます。

だからこそ、ヘンリー・ミラーは、私にとって、時を置いて何度でも読むに値する作家なのです。それは精神の健康になくてはならないものなのです。生活のために働くということは何と愚劣なことでしょう。そこで結ぶ人間関係の腐臭に似た臭い、無意味な、くそ真面目な会話、笑いと嬌声と優しさの裏に隠された傲慢さと浅薄さ、卑猥な言葉を投げつけてポケットに手を入れて立ち去りたい時、そういう時に、ミラーの本はまさに『コリント書』のように『伝道の書』のように不朽の光を放ちます。

『北回帰線』は、ヘンリー・ミラーを世に出した本であり、また彼の最高傑作といってよいでしょう。私は、ミシュランの地図帳を傍らにしてこの書を読みます。ミラーが几帳面に記している小さな通りのほとんどが、80年経った現在でも残っているのは驚くべきことです。

「このホテル、私たちの泊まったホテルじゃない?」

とミラーの短編『マックス』を読んでいた妻が声を出しました。貧乏なユダヤ人の友人マックスが泊まっていたホテルはサン・ミッシェル広場近くのアルプ通りにあります。短いアルプ通りで古いホテルといえば私たちが今年の春に泊まったホテルしかありません。しかも、最上階の6階(日本では7階)の一番安い部屋とはまさに私たちの部屋だったではありませんか。ミラーが書いている窓からの眺めもまさにそのとおりです。ミラーは友人マックスに、いかにこのホテルが古いパリの中でも古い由緒ある場所にあるか、14世紀に建てられたサン・セヴラン教会のあるこの地区はかつてダンテやダ・ヴィンチも馴れ親しんだ地区なのだ、と熱心に説明します。しかし、人生に疲れ切ったマックスは、何の興味も持ちません。彼は自分の部屋と、クリシーのミラーの部屋とをいつでも交換してやる、というのです。

ミラーは、マックスを一人残して、サン・ジャック通りを天文台のほうに歩いていきます。すると、崩れかかった壁の近くに一人の売春婦が、いかにも気がのらない様子で立っています。あきらめきっているのか、こちらに合図すら送りません。その足元には、ごみ、空き缶、古新聞、吸殻が散らかっています。パリの風景とはそのようなものです。

『北回帰線』は、ミラーの友人たちについての話、哲学的な独白、食事と宿を求めてパリの街を放浪するあてどない記録です。思いつくがままに書き出されたように見える文章の脈絡のない集積は、しかし、細心に組み立てられ、何度も書き直され、書物という形にできあがったことが奇跡ともいえるものです。すばらしいエッセイ『性の世界』の中で、彼はつぎのように書いています。

「・・・私たち人間の生活のめまぐるしい有為転変は、永遠にえたいの知れない謎として残る。人生の断片がたとえ限られた数のものであっても、そのすべてを結びつけ、一つの物語にすることは不可能である。人は、その切れ切れのエピソードにとどまるほかはない。

唯一私の興味をそそるものは、実際の生活を包み込む、こうした未知なるものが放つオーラである。私が現実に自分の身に起きた出来事、人間関係、あるいは日常の些細なことを書くのは、こうした暗闇に閉ざされた秘密の領域が、私たちを取り巻いていることを読者に知らせるためである」(菅原聖喜訳)

このように難解とも深遠とも退屈ともいえる『北回帰線』は、私にとってはスタンダールの『アンリ・ブリュラールの生涯』やマイリンクの『ゴーレム』のように、私と同じ気持ちで読まれることは絶対にないであろうと信じている書物と同じく、それは簡単には推奨できかねる書物です。その代わりに私は、多くの人々に感嘆されるであろう彼の短編
『クリシーの静かな日々』(水声社・ヘンリー・ミラー・コレクション4・小林美智代訳)について紹介したいと思います。

この作品は、『北回帰線』から十年後、『北回帰線』中の小さな挿話をひとつのまとまりある物語に展開したものです。当時、金に困っていたミラーは、ある好事家からの注文に応じてポルノグラフィーとしてこの小説を書きました。そのために、独特の饒舌な独白めいた文章は簡潔に刈り取られ、『北回帰線』での猥雑な言葉の洪水が、ここでは即物的な性描写となって描かれています。

簡単にあらすじを辿ってみましょう。

書き出しはいつものように素晴らしい。パリはクリシー広場の夕暮れ、久しぶりに二、三百フランのまとまった金が入った「わたし」は街の灯に誘われるように外へ出て行きます。行きつけのカフェ・ヴェプレールに立ち寄ると、店の奥のテーブルに誰かを待っているような上品な若い女性が座っています。

この店は娼婦の溜まり場で、店先のテラス席では彼女たちが客待ちをしているのですが、どうもその若い女性は娼婦とは違うように見えました。馴染みのギャルソンに聞いても知らないとのこと。思い切って、女性の卓に行き、話しかけてみると、何と商売女で、この辺では顔を知られたくないのだと答えました。

「わたし」は女の魅惑的な表情に心を奪われ、すぐにも彼女を抱きたいと思います。女の話すフランス語は美しく、聞いているだけで楽しくなりました。

「女は一語一語を明瞭に発音し、俗語や方言はほとんど話さなかった。充分にはっきりした音声で、ゆったりとした速さで、言葉が女の口から出てきた。まるで音や意味を急速に変える空間に言葉を投げ出す前に、それを舌のうえで転がしているかのようだった。女のものうげな様子はなまめかしいもので、話す言葉は柔らかな羽毛をまとっていた。それがわたしの耳には綿毛の球となって流れ込んできた。女の体はこの世の荷を積んで重々しかったが、咽喉から出てくる声の響きは、穢れのない鐘の音色のようだった」

「女がわたしのあそこに手をおくと、訓練されたアザラシのように、それは女のやさしい愛撫に答えて、喜びに満ちて立ち上がった」

「わたし」と女は店の外に出、女の知っているホテルに急ぎます。その部屋での描写もすばらしい。

「部屋は鳥の巣のようにくつろいだ感じだった。わたしは少しのあいだ、石鹸とタオルが運ばれてくるのを待ち、メイドにチップを渡し、そのあとドアに鍵をかけた。女はすでに帽子と毛皮の襟巻きをとり、窓のところでわたしを抱擁しようと待っていた。

なんてあたたかで豊満な肉体だろう! 
手をふれたら、とたんにはじけてしまいそうだ。・・・

わたしは立ち上がって、ふたたび女を抱きしめ、起伏にとんだ肉体のくぼみにゆっくりと手をはわせた。女はわたしの抱擁をすりぬけ、腕の長さだけわたしから離れたところに立ち、なにかだまされた気分になっていないかと、はにかんだ様子で訊いた。

『だまされたって?』

わたしは言葉を繰り返した。

『どういうことかな?』

『あたし、ちょっと太りすぎているんじゃないかと思って』

女は視線を落として、へそのあたりを見ながら言った。

『太りすぎているなんて。きみは素晴らしいよ。ルノワールの絵のようだ』」

そして二人はベッドに入ります。

「わたしは着ているものをすばやく脱ぎ、エチケットから愛棒を洗って、シーツのあいだにもぐりこんだ。ビデはベッドのすぐそばにあった。女は洗浄がすむと、使い古した薄いタオルであそこを拭きはじめた。

わたしは女のほうに体を傾けて、そのくしゃくしゃに乱れた茂みをひっつかんだ。そこはまだすこし濡れていた。女はわたしをベッドに押しもどし、かがみこんで、すばやくそのあたたかい赤い唇でわたしの愛棒をくわえこんだ。わたしは女のあそこが潤うように、そこに指を一本すべりこませた。それから女を上にのせ、深々とわたしの愛棒を押し込んだ。女のあそこは、手袋のようにぴたりと吸いつく類のものだった。その巧みな筋肉の収縮に、わたしはすぐ夢中になった。

その間じゅうずっと、女はわたしの首やわきの下、耳たぶを舐めていた。わたしは腰をゆらしながら、両手で女の腰をつかみ、あげたりおろしたりした。ついにうめき声をあげて、女はわたしにしなだれかかった。わたしは女を仰向けに寝かせ、自分の肩に女の脚をかけ、腰を動かし、音をたてて攻め立てた。これ以上は我慢できないと思ったとき、庭の散水ホースから水がでるように、一気に放出した。体を離したときには、女の中に入れたときよりも、いっそう大きく勃起しているように見えた」

「いっそう大きく勃起しているように見えた」という表現の持つリアリティはどうでしょうか。女の魅力ゆえに高まった情感が余すところなく描かれています。


比較のために、現代の日本の小説を覗いてみましょう。女の20歳の誕生日に、二人だけで祝った後、帰りそびれて男は女の部屋に泊まります。


「僕は部屋の電気を消し、ゆっくりとやさしく彼女の服を脱がせ、自分の服も脱いだ。そして抱き合った。暖かい雨の夜で、我々は裸のままでも寒さを感じなかった。僕と直子は暗闇の中で無言のままお互いの体をさぐりあった。僕は彼女にくちづけし、乳房をやわらかく手で包んだ。直子は僕の固くなったペニスを握った。

彼女のヴァギナはあたたかく濡れて僕を求めていた。それでも僕が中に入ると彼女はひどく痛がった。はじめてなのかと訊くと、直子は肯いた。それで僕はちょっとわけがわからなくなってしまった。僕はずっとキズキと直子が寝ていたと思っていたからだ。

僕はペニスをいちばん奥まで入れて、そのまま動かさずにじっとして、彼女を長いあいだ抱きしめていた。そして彼女が落ちつきを見せるとゆっくりと動かし、長い時間をかけて射精した。最後には直子は僕の体をしっかり抱きしめて声をあげた。僕がそれまでに聞いたオルガズムの声の中でいちばん哀し気な声だった」
(村上春樹『ノルウェイの森』講談社文庫)

これはこれで一つの世界を作っているとはいうものの、「僕」という人間は大脳皮質を持っているのだろうかと疑わせます。興奮もせずに性器が固くなり、大過なくセックスを成就しなければという気持ちだけで腰を動かしているのでは女も哀し気な声を出すはずです。

「体を離したときには、直子の中に入れたときよりも、いっそう勃起しているように見えた」という一文を最後に継ぎ足せば、愛と真実は一気に神秘の領域に高まったでしょうが、それでは「僕」の世界が崩壊してしまうかも知れません。

いずれにせよ、前者が日曜の昼にテラスで食べる美味なブランチとすれば、後者は通夜の席でつまむ寿司のように味気ない記述となっています。


さて、「わたし」と女がベッドでくつろいでいると、突然女が

「困ってるの。すごく困ってるの。助けてくれる?」

と言い出しました。

「わたし」は「もちろんだよ、どうしたの?」と訊くと、

「まとまったお金がいるの」とあっさりと答えました。

「わけは言えないけど、うそじゃないわ、どうしてもいるの」

それを聞くと「わたし」は椅子にかけてあったズボンを引き寄せ、ポケットからアメリカから送金されてきたばかりの二、三百フランの札と小銭をすべてあげてしまいます。

「有り金ぜんぶあげるよ。こうするのが一番いい」。

むろん、女は感激して、再度二人はベッドの上で抱き合います。

「ふたたび女は股のあいだから手をのばしてわたしを迎え入れ、今度はさっきよりもさらに背中を曲げて、まるでわたしの愛棒をワナで捕らえるかのように腰を高くつき出した。背骨の真中から、ふたたびいきそうになるのを感じた。

わたしは膝をすこし曲げて、さらに一、二度、突き上げた。それから発射! 
流星花火のように炸裂した」

二人はホテルを出て、しばらく歩いた後、別れ際に女の名を聞くと「ニース」と答えました。

「わたしは女と別れて歩きながら、何度も繰りかえしてその名前をつぶやいた。これまで、そういう名で呼ばれる女がいるなんて、聞いたことがなかった。それは高価な宝石の名前のようだった」

ところで、この物語の核というべき箇所はその直後に訪れます。ニースと別れてクリシー広場まで帰り着くと、「わたし」はひどく空腹であることに気づきます。レストランの前に立って、おいしそうなメニューを見るのですが、ポケットには1銭もありません。家の戸棚の中に何かあるか確かめようと、歩調を速めました。

しかし、家に帰って、台所に飛び込むと、パンのかけらさえありません。空き瓶でもあれば現金にかえられるのに一本も見当たりません。よく食べに行く小さなレストランに行って、つけで食べさせてもらおうと決心して、外へ飛び出しました。が、そのレストランの前まで行くと、急に気後れしてそのまま通りすぎてしまいます。

なにか奇跡が起こって、知っている人に会わないかと思いながら一時間ほどあてもなくぶらつきました。近くに住む何年も会っていないロシア人の友人を思い出しましが、いきなり踏み込んで施しものを乞うなんてできません。そうだ、レコードでも持参して、その代わりパンでももらおうと再び家に戻りますが、もう真夜中が迫っていることを知り、愕然とします。

「わたしは完全に打ちのめされた。これ以上、食べ物を探しにでかけるのは無駄だ」

と決めて、戸棚の中のくず入れの缶をあさります。その底からパンの皮を拾い上げ、注意深く汚い部分をこすり落として、水に濡らして、ゆっくりと噛みしめました。すると、「わたし」の顔に微笑みが浮かび、どんどんそれが広がっていきました。明日の朝、一番にレコードを売って、そのお金で10フランの食事をしよう。

するとニースの顔が浮かびます。ニースはいい女だった、おそらくあの大金は病気の母親の薬を買うためでなく、ヒモの男の洋服や借金にあてるものだろう。それでも、ニースと豪華な食事をし、トゥーレーズまで行けたらどんなに楽しいだろう。なんといっても夢見ることだけは自由なのだから・・・

パンの皮を食べてしまうと、またたまらない空腹感が襲ってきました。食器棚の隅に腐ったロックフォール・チーズが一切れありました。ああ、あとパンが一切れあったら! 「くそ!」とつぶやくと、突然「わたし」は声を出して笑い始めます。あまりにもヒステリックに笑いはじめたので、それを止めることはできません。

「どんなことを考えようとも、どんな恐ろしいことを考えようとも、その笑いはとまらなかった。それというのも、ほんの一切れのパンの皮がなかったせいだ!すべては家のなかに余分のパンの皮がなかったことがいけなかったのだ」

この窮乏の幸福感は、物語の最後にもう一度訪れます。

「わたし」と友人カールは、ハンドバッグにピストルを入れた精神病の女を部屋に泊めたために、危険を感じてルクセンブルクまで出奔します。しかし、ルクセンブルクの「健康」的な生活に嫌気がさして、

「梅毒にかかっていても、フランス人は偉大な国民だ」

という悟りを得て、性欲をもてあませたままパリに戻ってきます。直ちに、三人の女を入れた五人で部屋に帰り、乱痴気騒ぎの末に、皆が帰ってしまった翌朝、「わたし」が一人散らかった部屋で目覚めたところで最後の場面が始まります。

「また、空腹になった。わたしは起き上がってサンドイッチの残りを探した。テーブルにはひとかけらもなかった。わたしは小便しようと思って放心状態でバスルームに行った。そこには二切れのパンと、チーズが数片と、つぶれたオリーブがいくつか散らばっていた」

「わたしはパンを一切れ拾い上げて、食べられるかどうか調べた。誰かが怒って足で踏みつけたものだ。すこしカラシがついていた。しかし、ほんとうにカラシだろうか。別のも調べてみよう。濡れてはいるが。さっきのよりきれいなのを拾い上げて、その上にチーズを一切れのせた。ぜんぜんまずくなかった。病原菌は、空腹な人間やとりつかれた人間に危害をくわえることはない。それを証明するために、わたしはそのパンで尻をふいた。それからそのパンを飲み込んだ!」

そして、「わたし」はゴロアーズの吸殻を拾って火をつけ、深々と吸い込みます。

「さて、わたしは今、なにを考えていたのだろう。わたしは台所のテーブルの前に座って、両足をテーブルの上にのせた。・・・思い描くことも考えることもできなかった。あまりにも無条件にすばらしさを感じていた」

この幸福感は、

「ぼくは金がない。資力もない。希望もない。ぼくはこの世でいちばん幸福な人間だ」

という『北回帰線』の最初のページに書かれてある言葉と符合します。 自分自身がすべてなのです。他人の幸福などどうでもいい。といってエゴイストというわけではありません。スタンダールの「エゴチスム」という概念とそれはよく似ています。

ミラーのこの「エゴチスム」がもっともよく表れるのは、女性にたいする態度でしょう。ミラーにとって、女性は、全く彼女たちでしかできないやり方で、よろこびを与えてくれるものです。これに対峙するのがアメリカの男たちで、彼らは女性を性の対象としてしか見ていず、彼らが自分を解放できるのは、女性の体以外のあらゆるものに意識的に目をつぶることによってでしかない、とミラーは言っています。そのために、アメリカの男は、立派な女性を娼婦のように扱ったり、逆に正真正銘のあばずれを天使のようにもてなしてしまうのだそうです。

 ミラーによれば、女性は常に気前よく自らを与えてくれる存在です。

「きっかけさえあれば、彼女たちは、いつだって、自分の恋する男に身も心も捧げつくすつもりなのだ」

娼婦でさえ、男性がひねくれた心でなく接すれば、信じられないほどのものを与えてくれるのです。『クリシーの静かな日々』に出てくるニースは、ミラーの描く娼婦たちの中でも際立って魅惑的です。「わたし」はカフェ・ヴェルプールで時々ニースと会い、セーヌ河畔を散歩したり、電車にのって近場の森に行ったりします。

「おいしい食事と、楽しい会話と、すばらしいセックスとーこれ以上の一日の過ごし方があるだろうか。彼女には良心を蝕む虫も、捨て去ることのできない心配事もなかった。潮の流れのままに漂う、それだけだった。

ニースは子供を産まないだろうし、社会の福祉に貢献することもないだろう。だが、どこへいっても、人生をより安らかな、より魅惑的な、より楽しいものにするだろう。これは決してくだらないことではない。彼女と会うたびに、いつもわたしは、すばらしい一日を送ったという気になった。わたしも同じように、安らかで自然に人生を送ることができたら、どんなにいいだろうと思った」

 これが、「幸福に恋する男」ヘンリー・ミラーの願うことのすべてなのです。1976年にBuchet-Chastel社から出したフランス語のエッセイ集『Je suis pas plus con qun’un autre』(愚か者ではないけれど)という表題は、なんとよくミラー自身を表しているではありませんか。
http://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2009/10/post-3958.html


どうやら、平賀敬とゴッホやヘンリー・ミラーの本質的な違いは宗教性にある様ですね。神を見た事のない常識人 平賀敬が生活様式だけ彼らの真似をしたところで、本物のディープ世界には入れないという事でしょうか。

           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
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       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
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    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
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{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
      , -‐'´/ハ 、 { |lヽ、      ∠ニ-V リ / /  ∨
  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
| ハ  |! j/ ./::`:::::、                        .:::r::、::.ヽ レ'  |
   ヽヽヽ .、 i   : : : : : : : : : : : : u: :/   、: 。: : . . .  . : : : : : ': : : :|    k   
    ヽヽヽヽ、ヽυ : : : : : : : : : : :, :'´: : : : : :ヽ : : : : : j : : : : : : : : : : :,'r;;=;;、  \
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        ヽヽ  ト、 `` フ                 : :ヽ-く ,'  ヽ、  __    _,(,,,,,,,,,..--
: : : : : .     ヽ、|!: :`‐‐': : :                。 : : : :\ u  ,,,ι- ''"´´
: : : : : : : .      ,,,.. -- ーー-、 __             : : :,, -‐''´

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2) 常識人 平賀敬に一番近いのは映画「並木道」の主人公


「並木道」監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ(1960年)
出演:ジャン=ピエール・レオー、モニク・ブリエンヌ 他
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%A6%E6%9C%A8%E9%81%93-DVD-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8/dp/B0000V4Q1I


パリのピガール(モンマルトル)

ジョルジュ(ジャン・ピエール・レオー)はアパートの屋根裏部屋に住んでいた。彼の父は表通りでカフェを経営し、ジョルジュは継母との折合いが悪く、家を出て気楽な一人暮しを楽しんでいた。

アパートにはいろいろな人が住んでいた。キャバレーのストリッパー・ジェニー(マガリ・ノエル)は彼の憧れの的だった。ほかに絵描きのピトル(ジャック・デュビー)、得体の知れぬ男ロザンタル、ジョルジュがいつも食事のことで世話になっているイタリア人の娘マリエッタ(モニーク・ブリエンヌ)など。
http://movie.goo.ne.jp/movies/p13051/story.html


パリのモンマルトル。親との喧嘩を機に家を飛び出した少年・ジョルジュは、古びたアパートで出会ったさまざまな人々に感化され、本来の自分を取り戻していく。

監督は名匠ジュリアン・デュヴィヴィエ。主人公を演じるのは「大人は判ってくれない」で鮮烈なデビューを果たしたジャン=ピエール・レオ。

主人公は、継母との折り合いが悪く家を飛び出して、一人暮らしをしているジョルジュ。彼が住むアパートでは、ストリッパーのジェニーや絵描きのピトル、時々食事の世話をしてくれるイタリア系家族などが住んでいます。ジョルジュは色っぽいジェニーに憧れていたのですが、ジョルジュが知り合いの元ボクサーを部屋に泊めたことをきっかけに、ジェニーと元ボクサーが同棲を始めてしまいます……。

元ボクサーに裏切られた思いでいっぱいのジョルジュは復讐を誓うのですが、力で彼にかなうはずはありません。年上の女性への憧れ、大人の裏切り、父と子の葛藤、新たな恋……などを通して、大人と子供の世界の落差に傷つきながらも、たくましく生きていこうとする少年の姿を、ジャン=ピエール・レオが等身大でリアルに演じています。
http://french.rose.ne.jp/film/2005/10_22.html

青春モノといったら、ジャン=ピエール・レオーですね!

彼の薄い唇のへのじ口な感じは、 青年の繊細さを思わせてくれます。この映画、男の誇りについて考えてしまいました。 どんな状況でも誇りを失わないレオーは貧乏しても盗みをしても、「男」です。

女は男の誇り高さに弱い。

元ボクサーだった男が祭りのイベントでかつての敵と戦った。 イカサマされて負けちゃうけど、試合後に相手をボコボコにする。 その姿を見たダンサーが男に惚れて、二人は恋人どうしに。

しかし元ボクサーはその後ジムにも行かず、働かずの生活。

女は男に「出てって!」というが「やっぱり行かないで」とすがる。
歳をとりつつあるダンサーには、男の存在が彼女の誇りとなってるのだ。

レオーは誇りを失わない。
デート費用の金策にまわるが、お金の前には彼が嫌う人が立ちはだかる。
父親に金を借りに行ったシーンで、 レジ前に継母が座っている姿は、まったく見事に疎ましい。

ホモの芸術家に頼まれたヌードモデルの仕事も下半身は決して脱がなかった!

ところが彼の恋人マリエッタは、レオーが金策してると知らず待ちぼうけを食わされて別の男とデートしてしまう。 それを影からみるレオー。 が、彼女が守るべき唇を、その男に許すのを見たときレオーは怒り狂うのだった。

しかししかし、決して悲劇に終わらない。
レオーは駆けつけた父によって誇りを取り戻し微笑む。
希望を見せて終わってくれるあたり、監督の優しさを感じた。
http://takabisya.jugem.jp/?cid=5


パリのピガール広場と聞いて、苦い経験を思い出す人も少なくなかろう。モンマルトルの丘のふもとに横たわるピガール広場からクリシー通りにかけては、夜の歓楽街、いわゆる風俗の店が立ち並ぶ夜のスポットでもある。と言って、新宿の歌舞伎町ほどの大規模なものではないので、日本人からすれば、驚くに値しない。

しかしながら、物価の高いパリのこと、うっかりポツタクリ屋の店に入ってしまい、マドモアゼルの熱き手を握りながら飲んでしまったワインの請求書に驚き、後になって「俺は、世界一値段の高いワインを飲んだことがあるぞ。」とひとり自慢しなければならなくなってしまうことがあるので、ご用心。

さて、ここで紹介する写真は、1960年作のジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ピエール・レオ主演の仏映画「並木道」(BOULEVARD)の舞台ともなったピガール広場の写真である。


写真1.
ジャン・ピエール・レオ演じるジョジョのアパルトメントから眺められるピガール広場がこの映画のファーストシーンとして現れる。47年前の映画に出てくる光景に出くわした感激。昔と変わらない。


写真2.
ジョジョが好きになる年上のストリッパーであるジェニー(マガリ・ノエル)が働いている劇場が、広場中央に位置するこの「FOLIES PIGALLE」である。さすがパリのこと、47年前の映画に出ていた劇場が、その名前を変えずに今も存在する。映画は、ジェニーが仕事を終えたところから始まり、この劇場の玄関から出てくる彼女をジョジョがアパルトメントの屋根の上から見守っている。
この劇場が今もストリップ劇場かどうかは不明だが、劇場名が同じであることに感激。


写真3.ジェニーは向かって左側に進み、現在、ストリップ劇場である「LE THEATRE」とその隣の薬屋(十字の印のある店)を過ぎ、薬屋隣のパン屋で夜食のサンドイッチを口にする。残念ながらこのパン屋はなかったが、薬屋は今も健在であることにまたもや感激。


写真4.
現在ストリップ劇場の「LE THEATRE」と薬屋(十字の印のある店)。
このストリップ劇場を通ったとき、日本語で客引きをやっていた。


写真5.
ピガール広場の中央には、映画に出ていた噴水が当然のごとく今もある。


写真6.
パン屋があった位置は、薬屋の左隣で、両となりの建物にはさまれていたところである。ジェニーは、このパン屋で恋人となるボクサーと映画の冒頭で出会うが、どことなくコミカルなタッチで映画は展開して行く。

映画に出てくる当時と同じ光景のピガール広場を見ることができ感激したが、中学生の頃にテレビの深夜番組で放映されたこの映画と出合えたことにも感激した。私がパリと言う街に興味を感じるようになったのは、実に、中学生の時、この映画を見てからである。また、この映画のタイトルバックに流れるシャンソンの主題歌がパリの魅力を伝え、そのほのぼのとした歌い方がフランス語への興味を私に誘った次第である。私のフランス語との出会いは、まさにこの映画から始まる。私にとって、そんな記念するべき映画がこの「並木道」である。
http://blogs.yahoo.co.jp/boitepostale2006/28008411.html

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            )人ミ、.弋トミ、  、    / {ノ /〃/ノノイ / /
               jノ} ノ代_   、.. .-乂 弋 ( {! λ(__:( / /
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3) 二流画家ばかり屯していた平賀敬が行った頃のモンマルトル


第19回はモンマルトルのサクレクール寺院と似顔絵画家のテルトル広場です。
2011.10.26(水)昼

サクレ・クール寺院の周辺を往き来していろいろなアングルで写真を撮ったり、風景をながめたり、正面の階段を昇り下りしたりして思う存分モンマルトルを楽しんだ。

いったん寺院の前を離れ、西側にある似顔絵画家で有名なテルトル広場へ行ってみた。周辺のレストラン、カフェなども昼食時で賑わっており、画商の店先の様子や似顔絵作成中の姿などを写真に収めた。

そのあとは再び寺院の前へ戻り、正面の坂を下って見納めのサクレ・クール寺院を写した。

ブランシュ広場の周りは風紀が悪くあまり健全な場所ではない。尤もモンマルトルらしいと言えばそうなのだが・・・近くにはモンマルトル墓地、ムーランルージュがある。

似顔絵画家で有名なテルトル広場へ向かいます。

レストラン・ビストロ Le Deli's
ビストロは酒場風レストランで、比較的手軽です。

ダンボール箱の上で白黒の円板を裏返して当てさせるインチキ賭博
周囲は桜満開です。意味分かるね。

似顔絵画家たち

似顔絵画家と交渉する?子連れのマダム

このあたりが似顔絵画家や画商が店を連ねているテルトル広場Place du Tertreです。

テルトル広場の画商をのぞく観光客? 

絵は多彩な色使いで一見綺麗に見えますが軽薄でとても買う気はしません。

セーヌ川沿いの古本屋(ブキニスト)のほうが気の利いたのがあるように思います。好みの問題なので見る人によりますね。
http://4travel.jp/overseas/area/europe/france-ile_de_france/paris/travelogue/10648856/


「ムーラン・ルージュ」「ラパン・アジル」「洗濯船」……

パリ北部に位置するモンマルトル界隈には、マネやルノワール、ピカソ、ロートレック、モディリアーニといった19世紀末を生きた芸術家たちが愛した酒場やアトリエが今も残ります。パリ爛熟の時代の面影を探して、モンマルトルの小道を散策してみませんか。

▲ルノワールらのアトリエ跡に建てられたモンマルトル美術館。

 フランスの近代絵画に画期的な一歩を記した印象派の画家たちは、モンマルトルに集いました。この地が多くの芸術家を引き寄せるようになったのは1870年代からといわれ、マネ(Éduard Manet)を中心にドガ(Edgar Degas)、ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)、セザンヌ(Paul Cézanne)、モネ(Claude Monet)などが当時クリッシー通りにあった「カフェ・ゲルボワ(LE CAFE GUERBOIS)」にたむろし、モンマルトルの丘のふもとのピガール通りにあった「ヌーヴェル・アテーヌ(NOUVELLE-ATHENES)」も印象派の画家が常連となっていました。

ゴッホ(Vincent van Gogh)も弟のテオとモンマルトルに住んでいたこともありました。19世紀末になるとロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)が「ムーラン・ルージュ」や「シャ・ノワール」といったピガール街のキャバレーを描写した作品を多く残します。ここは文字通り、パリの芸術の最先端を感じさせてくれる場所だったのです。


▲19世紀後半のモンマルトルの賑わいを描いた ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』1876年 オルセー美術館蔵


▲モンマルトルに移り住んで間もない、ピカソ。1904年

 1900年に万博が開催されると、パリは世界に近代都市としてのイメージを誇示することに成功し、芸術の分野においても注目を集めます。そしてこの時代、絵を学ぼうと外国からパリにやってきたアーティストの卵たちがモンマルトルを目指しました。

20 世紀初頭にスペインからパリにやってきたピカソ(Pablo Picasso)は1904年から5年間、エミール・グードー広場にある「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」と呼ばれる集合アトリエに住んでいました。オリジナルの建物は残念ながら1970年の火災で消失しましたが、建て直されて現在もアーティストのアトリエとなっています。ここにはオランダ人のヴァン・ドンゲン(Kees van Dongen)や詩人のマックス・ジャコブ(Max Jacob)もいました。ピカソはここでアンリ・ルソー(Henri Rousseau)を囲むパーティーを開いたこともあります。

また後にピカソとキュビスムを発表するブラック(Georges Braque)も近くに住んでいました。彼らのたまり場だったのが、現在もシャンソン酒場として有名な「ラパン・アジル」です。モンマルトルの丘に住むアーティストの誰もが顔を出したと言われ、1906年にパリに出てきて2年ほどモンマルトルに住んだモディリアーニ(Amedeo Modigliani)もここで女性とデートしたことがあるとか。
http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0705/special03-02.html

19世紀半ば、ヨハン・ヨンキントやカミーユ・ピサロといった芸術家たちがパリ大改造で整備されてしまった市内を離れ、まだ絵になる農村風景の残っていたモンマルトルに居を移すようになった。安いアパートやアトリエ、スケッチのできる屋外風景を求める画家達が後に続き、19世紀末の世紀末芸術の時代にはモンマルトルはパリ左岸のモンパルナスに対抗する芸術家の集まる街へと変貌した。

パブロ・ピカソ(1904年から1909年までの間)、アメデオ・モディリアーニ、ほか貧乏な画家達がモンマルトルの「洗濯船(Le Bateau-Lavoir)」と呼ばれる安アパートに住み、アトリエを構え制作活動を行った。ギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスらも出入りし議論する活発な芸術活動の拠点となったが、1914年以後は多くはモンパルナスなどへ移転した。

ナビ派などの芸術集団がモンマルトルで組まれ、ほかに様々な美術家、詩人、劇作家、小説家などが生活・制作した。代表的な人物には、


フィンセント・ファン・ゴッホ、
ピエール・ブリソー、
アルフレッド・ジャリ、
ジャック・ヴィヨン、
レイモン・デュシャン=ヴィヨン、
アンリ・マティス、
アンドレ・ドラン、
シュザンヌ・ヴァラドン、
ピエール=オーギュスト・ルノワール、
エドガー・ドガ、
モーリス・ユトリロ、
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、
テオフィル・アレクサンドル・スタンラン


らがいる。彼らはモンマルトルを制作の場にしたほか、モンマルトルの風景を描いた作品も制作した。モンマルトルのボヘミアン芸術家の最後の人物といえるのが1975年に亡くなったジェン・ポール(Gen Paul)であろう。彼はモンマルトルに生まれ、ユトリロの友人だった。ラウル・デュフィに多くを負う書道のような表現主義的な筆致のリトグラフには、絵になるモンマルトルの記憶を残したものもある。

1965年にリリースされフランス国内で人気を博したシャルル・アズナブールの『ラ・ボエーム(La bohème)』という曲は、彼の若い頃のモンマルトルでの思い出を歌ったものである。彼の親もモンマルトルに流れてきたアルメニア人であったが、彼はこの曲を、モンマルトルがボヘミアンたちの根城だった最後の日々への別れの歌であると述べている。

モンマルトルは第一次世界大戦の直前あたりから急速に観光地化・高級住宅地化(ジェントリフィケーション)が進み、地価高騰と混雑を嫌った芸術家たちはモンパルナスに移っていった。

モンマルトルの現在

日夜、多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、キャバレー・ラパン・アジル、ムーラン・ルージュ、ピカソらのアトリエ、ユトリロの描いた風景を訪ねて歩いている。

モンマルトルの西南麓のピガール地区はパリ随一の猥雑な歓楽街・風俗街で、風俗店やビデオ店、アダルトショップなどが並んでいることでパリ市民には有名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB


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         }    ヽ   |         ',      ,
         |      ‘, !          l、        , i
         {     } | ム         j!ム      {
、            マ{ ', } ト、} { i         jヽム       ',`ヽ、
 \        `ゝ}ハ、ヽ |             /  }  ,     } つ`マ
   `ヽ、       ヽ.   {        , '     ',    ',`  ̄´

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4) 大画家に倣ってピガールに通いつめた平賀敬だったが… 


@ ピガールはその頃は既に御上りさん向けボッタクリ風俗街になっていた 


ピガール界隈
http://www.google.co.jp/search?q=PIGALLE&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=XFwRUIeeGOX4mAWSpYGQAQ&ved=0CF4QsAQ&biw=1034&bih=892

MOULIN ROUGE Video clip of the Feerie Show
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=aXKYjmU5NnA&feature=endscreen


Museo do sexo em Paris - PIGALLE
http://www.youtube.com/watch?v=2H-4z52-P6o
http://www.youtube.com/watch?v=4FMUBX9xu3I&feature=related

Pigalle - La Nuit (1990)
http://www.youtube.com/watch?v=gG84GYk7I4w

DIABOLIKA + LES FOLIES DE PIGALLE @ COCORICO'
http://www.youtube.com/watch?v=mBr7fEnmWsM&feature=relmfu

Musée de l'érotisme Paris Pigalle
http://www.youtube.com/watch?v=Mybj6fT_1xU
http://www.youtube.com/watch?v=lsLhn3UTIJI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=e4Xk5tIhNA4&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=6DwAyCumNdg&feature=relmfu


モンマルトルのクリシー通りはライブショーなどのポン引きが多く、ほとんど新宿歌舞伎町の世界である。かなり大きな通りなのだが、ポルノショップなどがズラッと並んでいるのだった。

ロートレックやルノアールが描いたムーラン・ルージュの前も通ってみたが、 当時とはおよそかけ離れた雰囲気になってしまっているのだろう。

ピガール広場あたりでアラブ系のしつこい客引きにつきまとわれた。
いくら追い払っても手を出してつきまとって来るので、いいかげん頭に来て怒鳴り散らして追い払ったが、そのとき胸ポケットに入れていた財布とパスポートを抜かれてしまった。やつはスリのプロだったのだ。
http://shizuku.or.tv/paris1990.10.html

【パリ】クリシー通りのぼったくりバー

シャルル・ドゴール空港からパリのサクレクール寺院の近く着きました。日本で予約していたホテルに入り、チェックイン完了です。長時間の飛行の後、空港からホテルの移動もあり、疲れていたので少し休みます。でもホテルにいてもしょうがないので、街を歩くことにしました。時間は昼3時頃です。

クリシー通りをピガールからムーランルージュ方面に歩いて行くと、いくつかバーがありました。ある店の前を通った時、店の入り口の入場料を払う窓口からおばさんが呼びかけてきました。料金を聞くと、まだ早い時間なので通常より安くしてくれるとのことです。ヨーロッパには何度か行っていてバーにも何度か入ったことがあるのでまあ入ってみるかと思い、おばさんに2ユーロを払い店に入ります。

席に着くと女の子が横に座りました。ちょっと色黒ですが目が大きくて体も細くて、まあかわいい子です。何を飲むか聞かれ、ビールの値段を聞くと、1杯「エイティーンユーロ」とのこと。

「エイティーン」と「エイティー」のあいだっぽい言い方をするので、「エイティーン・ユーロ?」と聞くと「イエス。エイティーン」と答えます。でも、なんか「エイティー」っぽい気もする。。

念のため何回か確認し、指で「18」を示し確認するとうなずいたのでビールを注文します。すぐに50代後半ぐらいのおじさんがビールを持ってきてくれました。年はとっていますが鋭い目をしています。


ビールを飲みながらしばらく女の子と話していると、ドリンクが欲しいとのこと。いくらと聞くと「フリー」とのこと。。。でも「フィー」っぽい発音。。

このときも「フリー」か?「0ユーロ」か?と何回か確認しました。
女の子がうなずいたので「OK」と言って女の子のドリンクをたのみます。

しばらく一緒にの飲み、女の子がステージで踊って見せてくれたり、隣に座ってTKの手をおっぱいに持っていって触らせてくれたりして、楽しく過ごします。

1時間ぐらいたったので帰ろうと思いチェックしてもらいます。TKはビールを3杯、女の子もドリンクを2杯飲みました。

おじさんが来てレシートを見ながら料金を読み上げます。

「4800ユーロ」とのことです・・・Ha?
「4800ユーロ」といえば、1ユーロ160円なので、7万6千円!!!
やられた・・・


1分ほど、払うかどうしようか考えて、以前本で読んだ手を使うしかないと思いました。そうです「逃げる」しかないです。こんなとき一人だと自由です。

リュックを持ち立ち上がります。するとおじさんが座れというジェスチャーで手をこちらに出してきた。体には触れてきませんでしたが、つかまれるのかと思い、思わず手を振り払おうと、ベストキッドのように下から上へ手を動かします。

すると、おじさんは手を出されると思ったのか少しひるんだ感じがしました。そのチャンスを逃さず出口へ走り外へ出ます。追いかけてくるか確認するために、出口のドアを閉める時に後ろを振り返り店の中を見ると、おじさんが中からこちらを見ており、目が会うと「ユー、クレイジー!」と言われました。

ドアを閉めて、誰か追いかけてくると嫌なので、観光客の間をすり抜けながら数分走って、店から離れたところに移動しました。後ろ見ても誰も追いかけてきていないようです。。逃げられてよかった。。。

結局人生発の無銭飲食をしてしまいました。
この写真のあたりのTKがいる側の店がその店です。
このあたりはバーやSEX SHOPが結構あります。
少し歩くとムーランルージュもあります。
http://blog.livedoor.jp/tenkikids/archives/6352094.html

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 A 映画ピガール(原題:Pigalle)

1994年フランス 
監督・脚本カリム・ドリディ 
出演ヴェラ・ブリオル/フランシス・ルノー/レイモン・ジル/フィリップ・アンブロジーニ/ブランカ・リ/ジャン=クロード・グルニエ

 フィフィ(ルノー)は、ピガールの歓楽街を根城にするチンピラ青年。性転換者のディヴィエンヌ(リ)と同棲中の彼は、覗き部屋のストリッパー、ヴェラ(ブリオル)とも、親友とも恋人ともつかない関係にある。

ヴェラは、帝王(グルニエ)が仕切るストリップ・バーのオーディションを受けるが、ギャラの安さに激怒。再び覗き部屋の仕事に戻っていった。

 フィフィとふたりで故郷のスペインで暮らす夢を持つディヴィエンヌは、新興勢力のマルフェ(アンブロジーニ)の下で麻薬の商売を始めていた。が、マルフェに裏切りを気づかれた彼女は、あっけなく殺されてしまう。

 愛する人をなくし、行き場をなくしたフィフィは、ドラッグクィーンのフェルナンド(ジル)のもとに転がり込んだ。

フェルナンドの留守中、ヴェラを連れ込んで強引にアナルセックスを強要するフィフィ。傷ついて帰宅したヴェラを待ち受けていたのは、ヒモのイエスの切断された首だった。

ディヴィエンヌとイエス――ふたりの死をめぐって、ピガールの抗争と復讐の火蓋が切って落とされる。

YAZAKI ★☆(98/08/03 TCC試写室)

ピガールは、モンマルトルの丘の下に広がる夜の一大歓楽街。

フレンチカンカンで有名なムーラン・ルージュがあるあたり、ヘンリー・ミラーの「クリシーの静かな日々」の舞台になったところといえば、なんとなく想像がつく?
日本でいえば、新宿の歌舞伎町って感じか。

そこにカメラを持ち込み、オール・ロケーションで撮影したというのが、この映画の最大の売り。確かに、コカコーラの看板が立つビルの屋上にいるフィフィとヴェラを遠景で捉えたショットとか、シネマヴェリテ・スタイルの映像はなかなか新鮮であります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ux4t-smz/9806/mhr9808d.html

1998/08/03 TCC試写室

パリ下町の歓楽街ピガール地区で長期ロケしたドラマ。
描写のディテールがすごく面白い。by K. Hattori


 パリ下町の歓楽街ピガール地区を舞台に、ヤクザやヌードダンサーやゲイやカッパライやヒモなど、町に暮らす雑多な人々が織り成すスリリングなドラマ。ピガールの様子は、新宿歌舞伎町に近いのかな。クラブやキャバレー、ナイトクラブ、ポルノショップなどが立ち並ぶ、パリでももっとも猥雑な地域です。

映画の主人公は、ゲイのちんぴらフィフィと、ヌードダンサーのヴェラ。フィフィはドラッグクイーンのディヴェンヌに養われてヒモのような暮らしをし、ヴェラはヒモのイエス(ジプシーとも呼ばれている)と暮らしている。

ひっそりと自分たちの生活を守っていたふたりだが、やがてピガールの中で行われているヤクザ同士の勢力抗争の中に、否応無しに巻き込まれて行く。

 映画はほとんどがピガール地区で撮影され、地区で暮らす人々も多数登場している。この映画は完全なフィクションですが、撮影は実際の町の中に俳優たちを配置し、ドキュメンタリーを撮るような手法で行われているのです。

ヴェラ役のヴェラ・ブリオルは、一般客もいる覗き部屋でヌードダンサーを演じきり、常連客たちからも大好評だったとか。屋外風景をロケ撮影することは映画ではよくありますが、この映画は監督以下のスタッフとキャストがピガール地区に3ヶ月暮らし、ピガールの空気を呼吸し、雑踏のざわめきを聞きながら撮影したものです。観光客が絶対に踏み込めない薄暗い路地裏や、怪しげな人物たちがたむろする室内にもカメラがどんどん入って行く。これはなかなか迫力がありました。

 物語は一応あるのですが、それよりエピソードを彩るディテールに目を奪われて、ちっとも退屈しない。弟分のアラブ系少年にフィフィが「アラブ野郎」と悪態をつくと、近くを歩いていたアラブ系の人たちが「おいおい、お前は失礼なやつだ。この子に謝れ」とゾロゾロでてくる場面などは、現在のパリがいかに多民族都市になっているかがよくわかる場面です。

キャバレーの経営をしている中年のゲイが、ダンサーたちに何度もダメだししているシーンも面白かった。場末の小さなステージとはいえ、彼らにとってそこはプロとしての仕事を見せる神聖な場所なんでしょうね。このシーンがあるから、彼がフィフィと生活するためなら店を売ってもいいと言う場面が生きてくる。雑多な印象がありますが、いい脚本です。
http://www.eiga-kawaraban.com/98/98080301.html

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B ピガールよりは歌舞伎町の方が遥かにディープ


ピガール界隈

ピガールはパリ随一の歓楽街です。

通りを歩くとsexialなお店が軒を連ねていて、日中にもかかわらず、私たちみたいな中年カップルにさえ呼び込みが声をかけてきます。

いったい、何のお店だったんでしょう?
夜になると着飾った女性(男性の場合もあり)が通りに立ち並び、がらりと雰囲気が変わるそうです。夜のピガールも見てみたかったのですが、主人に却下されてしまいました…

フレンチカンカンで有名な"ムーラン・ルージュ"

昼間明るいうちに見るとちょっと冴えないですね・・・
ちょうど、モンマルトルをぐるりと廻る"プチトラン"が止まっていました。

夜の世界の人たちを描き続けたトゥルーズ ロートレックはムーランルージュの踊り子や客をモチーフにした作品をたくさん描いています。

学生時代、ロートレック様に心酔していて、自分の部屋にたくさんポスターを貼っていた時代がありました…(-_-;

"ムーラン・ルージュのラ・グリュ" ( "ラ・グリュ"と言うのは踊り子の名前です )

”ジャンヌ・アヴリル” これも踊り子の名前

↓ 下からのライトに照らされた右端の女性、インパクトありますね。
後ろ向きに座っている女性は、映画「ムーラン・ルージュ」でニコール・キッドマンのモデルになったそうですよ。ニコール自身がわざわざシカゴ博物館までこの絵を見に行ったとか…

手前の横向きシルクハットの男性がロートレック自身です。
キャバレーですから昼間はあいていませんが、入口を覗くとセクスィーな写真がいっぱい!

キャッ、ハズカシ〜!            
ボンゾも思わずフレンチカンカン♪

ムーランルージュの裏手にある"カフェ・ドゥ・ムーラン"は″アメリ″が働いていたレストランとしてロケに使われた場所です。

このレストランは映画でも本名で登場しています。
お店の中にアメリの写真がしっかり飾ってありました。

サクレクールの裏通りからピガールまで歩いて来ましたが、モンマルトル界隈はディープなパリって雰囲気で面白かった〜!
http://bonzoblog.exblog.jp/11198620/

「カルティエ・男娼」の巻

 ウチのすぐ足元はピガール。ピガールと言えば「パリの歌舞伎町」。

ピンクなネオンにポン引きの町です。そんなピガールのすぐ上は、映画「アメリ」で有名になったアベス地区があり、ウチはちょうどその二つの地域の真ん中あたりに位置してます。  

 アベス地区から上は地価高騰の嵐が吹き荒れる場所になってきたのに対し、ピガールは依然としてポン引きがうろつく町。しかしそれは良く言えば「人間の欲望と生活感あふれる場所」なのです。ピガールあたりをうろつくと、生きてるな〜って気がする。って言うとヘンだけど。なんだか、雑草とかコケとか見て嬉しくなる時の気分にも似てます。
あ、ちょっと違うかも。。。  

 そんなピガール界隈にあって、あることを発見しました。それは、ピガール駅を境にして、丘の上に向かう場所には女装した男の娼婦、下に向かう場所には女の娼婦がいること。なんでこうなってるの?とフランス人の友達に聞いてみたところ、「間違えないようにするためにね」って冗談げな笑いを浮かべて答えてくれました。  

 女装した男の娼婦。。。ウチの近くのこの男娼地区(笑)にいるお姉さんたちは、ハッキリ言って岩のような顔に、山のような体をしてます。どう考えても、真夜中でだって間違えはしない。いくら化粧してても、絶対に間違えない。泥酔してたって「きれーなおねーさん」とは思わない。そんな様相なのです。
 
 しかし、ピガールから下ると、怪しげな形の窓をしたバーが連なる通りがあり、中をちょっと覗くと、きれーなお姉さんたちがミニスカートからすらりと伸びたきれいな足を出してバーカウンターに座っているのです。

「お兄さん、ちょっと寄ってらっしゃいよ」ってな感じにね。

あぁ、数十メートルと離れていないこの二つの地域で、こうも違うものかとつくづく思う。で、なんでウチの近くが男娼エリアなのか‥‥。どうせなら、きれいなお姉さんを見てるほうがいいに決まってる。女のわたしでさえそう思う。  

 それなのに、よりによって、ウチの玄関に通じる通りの入り口にはいつもその「たくましいお姉さん」が立って、お仕事をしているのでした。

これも仕方ない、ご近所さんってことで、まぁ挨拶でもしようかな、と思って最初のうちは「ボンジュール」って何度か言ってみたんだけど、無理でした。毎回、無視。わたしが通るたびに、しれっとして反対の方向を向く。我が夫には、2度ほど満面の笑みで「ボンジュール!」と返事をしたらしいんだけど、わたしと一緒に歩いているのを見られて以来、無視されてるとか。(コイツは客にはならんな、と判断されたと思われる。)  

 アベス駅の前に立つ教会の入り口の頭上にはかわいらしい天使の像があり、中のデザインもとてもかわいくて、女性好みな教会。しかし、その真裏では3人の男娼がいつも立っているのでした。教会の裏は、天国ってことか‥?いや、あれは天国ではなく地獄かもしれない。あんな岩みたいな顔の‥‥(苦笑)
 
 とっても興味ある点は、

「男娼って一体どういうサービスをしてくれるのか?
平均的な値段はいくらぐらいなのか?」

ってことで、知りたいんだけど、女であるワタシにはどうにもできず。普通の男、しかも若い子とかを誘ってるところを見ると、ホモ相手の商売ではなく真剣にヘテロの男性を相手にしている様子。そこがまた妖しい感じがして、一体何をしてくれるのか?いくらなのか?と気になって気になって。  

 パリにお越しの男性諸君。一度試して、報告してください。女性の娼婦よりも安いんじゃないかって気がします。
さぁさぁ、勇気を出して!(笑)


ピガール周辺

これは、ピガールからクリシーに向けて歩いた時に見える昼間の景色。見てのとおり、S●Xの文字だらけ。この通りのこういった店は、映画をよーく注意して見てると時々ちらほらと出てます。

「アメリ」ではメパラス・ビデオモという店が登場していたし、「ファム・ファタル」ではこのすぐ近くのエロショップ2階の部屋を外側から映すというショットで登場していた。「結婚7年目」にもこのへんのエロショップが舞台になっていた。
 
 大通りの中央がバリケードで囲まれているのは、そこが緑あふれる遊歩道として改造されつつあるからなのです。もうクリシー付近は工事が終わり、まるで都会のオアシスのようにきれいになってます。(ピガール周辺は目下工事中で、騒音激しい時期です。)

エロ・ショップ

これがこのあたりで典型的な店。中が一体どうなっているのかは‥‥映画で見るとおりなんだと思う。CABINEと書いてあるのはエロ・ビデオを見る小部屋のことかなって思うんだけど。そうそう、「La Pianiste」というものすごくヘンなフランス映画があったけど(ほぼ同時期に公開された le pianist と混同しないように)、あの映画の中で女ピアノ教師がエロ・ビデオを観ていたなぁ。
 
 テキトーにパチリと撮った写真だけど、若い男の子たちがちょっと楽しそうにウインドーを見てる姿がなかなかかわいい一枚。(笑)

ピガール、クリシー
メトロの駅ピガールとクリシーのちょうど中間にあたる場所に、ムーラン・ルージュがある。その斜め向かいがこのMONOPRIX(モノプリ)という大手スーパー。こんな超健全な店も、エロ・ショップに囲まれて平然としている。モノプリっていい商品を売ってる店なので、決してチープな店ではないのに。ある意味すごいね。

正式にはエロチック・ミュージアムという名前ですが、省略してエロ美術館にしておきます。ここでは全世界から集められたエロスを題材にした美術作品が陳列されているらしい。この写真では見えないけれど、中央の大きなウインドウにその作品のいくつかが展示してあり、あまりにエロ・グロなので写すのは控えました。  
 日本からは多分、江戸時代の春画なんかが展示されてるんじゃないかな?って感じです。  
以前友達に「秘宝館って知ってる?」と聞かれたことがあったけど、ここもある意味メ秘宝館モなんだろうなぁと思う。
http://karufu.net/room/france/syufu/zare003.html


西洋人はすぐにロリとかアナルとかゲイの方向に行ってしまうので全然エロくないんですよね。 モデルは欧米人の方が日本人よりずっと綺麗なんだけど、エロさは日本女性の方が数等上。

ポルノで一番ディープなのも日本製

日本製AV が欧米のAVより遥かに人気が有る理由が良くわかります。

平賀敬先生は努力する方向も手本も完全に間違えたんですね。


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5. 西洋文化がディープでなくなった理由


1) タルコフスキー アンドレイ・ルブリョフ


tarkovsky Andrey Rublev
http://www.youtube.com/watch?v=EjEkUPXdceI&feature=results_video&playnext=1&list=PL2354BE862810ED06


アンドレイ・ルブリョフはキリスト教のあり方に疑問を持ちます。先輩画家からは、愚かな人間たちなどどうでもいいじゃないか、画は神のために描くものだと諭されます。先輩画家は、愚かな人間たちの上にはもうすぐ最後の審判が下るぞと言います。しかし、アンドレイ・ルブリョフは先輩画家の言葉に納得ができないのです。アンドレイ・ルブリョフはモスクワ大公から依頼された修道院の壁画「最後の審判」を描くことができません。


そんなある晩、アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りに迷い込みます。すでにキリスト教化していたロシアでは、アニミズム信仰を持つ人びとが異教徒と呼ばれて、教化の対象になっていました。森の奥から響くざわめきを聞きつけたアンドレイ・ルブリョフは好奇心に勝てずにひとりで奥へ奥へと進んでいきます。

裸の女たちが松明を持って川に飛び込んでいました。アンドレイ・ルブリョフは異教徒の祭りを垣間見ます。

小屋の中では、ひとりの女がはしごをのぼっては飛び降りてを繰り返しています。女が飛ぶごとに着物がはだけて女の裸体がちらつきます。

アンドレイ・ルブリョフがそんな光景に見とれていると、男たちに「黒い悪魔がいたぞ」とつかまって小屋の中にひきずりこまれて縛られてしまいます。アンドレイ・ルブリョフは、

「何をする、やめてくれ、お前たちは、最後の審判が恐ろしくないのか」

などと口にします。

小屋の中にはアンドレイ・ルブリョフと女が残りました。翌朝、アンドレイ・ルブリョフはうしろめたそうな顔をして村をあとにしました。全裸の女がうるんだ瞳でアンドレイ・ルブリョフのうしろ姿を見送ります。


異教の女マルファとの会話

マルファ
なぜあなたは頭を下にしたいの?
気分がもっと悪くなるのに。
なぜあなたは天の火でわたしたちを脅すの? (ルブリョフが「最後の審判」を口にしたことへの反感)


ルブリョフ
裸になって君たちがしようとしていることは罪なのだ。


マルファ
何の罪ですって?
今夜は愛しあうための夜なの。
愛しあうのは罪なの?


ルブリョフ
こんなふうに人を縛り上げるのは愛なのか?


マルファ
あなたが他の修道士をよぶかもしれないからよ。
あなたの忠実さをわたしたちが受け入れることを強制しようとする人たちよ。
あなたは恐怖の中で生きることが容易なことだと思っているの?


ルブリョフ
君は恐怖のなかで生きている、なぜなら君が知っているのは愛ではなくて獣欲なのだ。
魂のない肉欲、しかし愛は兄弟愛のようであるべきだ。


マルファ
すべての愛は同じではないの?
ただの愛なのよ。


マルファはルブリョフに近づきキスをする。
 
http://foonenbo.asablo.jp/blog/2010/03/21/4962351

                                           ,. -―._====>ミ'ヽ、
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                                         //x‐''"´ ァ‐''"´_二ニ-――=-ミ、
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                                 _z=/ :////=,/ // ̄/フTメ==、_,.イ´   _,. -‐
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                                  レ'/ Y :/ /イ:/´。``':ミテメミト/ /   u  ,.ィ
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                    ,. -‐''"´  ``ヽ         /(ノ7            ,; :::::::::::..  / xく l!ノ
               ,. '"           \ ,.-‐=ァ==ァ':l/'.    __  、   ::::::::::o'´xェ;-‐''" l!/
            ,,. '"      _,.          Y  ./ ,.ィ/.とノ     ヾヽ.ヽ    ::::::::::ヾヾミメ,_,.ノl!_
           ,. '"    u  /         ヽ、(   {:l/ ./l      、 ヾ,、}    ::::::::::::.Yi芽.l-‐|
        ,. '"  _,.っ,,.__o゚ノ            ヽ`゙'ー--‐'".:::::l         ノ'       ::::::::ノ'"}lメ! ,レ
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2) 性を敵視するキリスト教


日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号
http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html


 1966年、イニス・ベアグ島のアイルランド系の島民に関する人類学的研究によって、島民の性生活において、19世紀のキリスト教の父権的パターンをもつ小型の文化が続いていることが明らかとなった。

女性はオルガスムを経験しなかった。女性はセックスを享受するよりも耐えるように訓練されていた。男性はいつも数秒で果てた。節度というものが抗しがたく両性の心を占めていた。

夫も妻も相手の裸体を見たことはない。前戯は寝巻の上から乱暴になでまわすだけであった。正常位Venus Observa以外の体位はとらなかった。

婚前交渉は事実上行なわれなかった。というのは若いカップルが2人だけになることはなかったから。旧式のデート方法である「散歩」さえも許されなかった。若者は性に関する知識はいっさい与えられなかった。結婚してから「成行きにまかせればいい」と島民は悪びれずに語った。

 男たちはしばしば小船に乗って海に出るが、泳ぐために人前で服を脱ぐのがいやで泳ぎを学ばなかった。「海水浴」というのは、服を着たまま海中を歩くことを意味した。海水浴をする男女は厳しく分けられた。男性は病気になったり負傷しても、本土の病院に行くよりも死を選んだのであった、というのは病院に行けば看護婦の目に自分たちの身体をさらすことになると考えたからである。

 イニス・ベアグ島ではイヌでさえも、陰部をなめたり、他の「卑猥な」振舞いをすると答で打たれた。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/sex.html

「キリスト教中世」は、「性的快楽は全て、男女を問わず、悪だ」と考えた。


「肉には善きことは何もない。神を恐れる者は、禁欲せねばならぬ」(聖クレメンス)。

「生殖を目的としないセックスは全て悪魔の仕業だ」(聖アウグスティヌス)。


これが、数百年にわたってキリスト教の「結婚道徳」の礎(いしずえ)となった。
十九世紀には、「女性の性」への敵意は、一種の歴史的集団ヒステリーにまで高まっていた。

「女性にオルガスムスがあるなどと考えるだけでも精神病者の妄想である。そんなものはありえない」(当時の精神科医の話)

「女性に性的な感覚があるなどという主張は、汚らわしい中傷だ」(当時のイギリスの権威、ウィリアム・アクトン)。
http://www.porsonale.co.jp/semi_i194.htm#1


キリスト教会が、女性は性的快感を覚えてはならず、子を産むためにのみ性交をすべきであると教えたために、成長期にある男子も女子も、できるかぎり女性の性的能力については知らされないようにされた。

医者でさえも、貞節な女性には陰核がないと信ずるようになった。

 中世以来、貞節な女性はその裸身を男性に、そして夫にさえもめったに見せることはなかった。

そのため、暗闇でごそごそと女体をまさぐっていた男性が、女体がどういう構造になっているかまったく知らなかったとしても、それは驚くにあたらないことであった。

信心の深い夫婦は頭巾のついたシュミーズを着ていた。それは前面に小さな穴の開いているたっぷりとしたナイトガウンで、肉体の接触は最小限で妊娠させることができるものであった。

 1593年の魔女裁判で、審問官(既婚者)は初めて陰核を見つけ、それを悪魔の乳首と思い、魔女の有罪を確証するものだとした。

陰核は「小さなこぶで、いわば、乳首のように突き出ていて、長さは半インチ」であった。

審問官は

「初めて陰核というものを見たが、それが見るのもいやらしい秘所に隣接しているために、誰にも見せないつもりであった。しかし結局、そのようなまことに珍しいものを隠しておくことができなくなって」、

彼はまわりにいる人々にそれを見せた。人々もそのようなものは見たことがなかった。魔女は有罪と宣告された。


 西欧社会は、たしかに、男根については熟知していて、男根崇拝はキリスト教時代になってもなくならなかった。Phallus Worship. しかし、陰核のことは忘れられていた。

 「人生のそもそもの始まりから、私たちはみな、主要な男性生殖器は男根であり、女性性器で主要なのは膣であると教わる。そしてそれらによって男であるか女であるかがはっきりわかるし、男女の違いが現れるものと考えられている……これは嘘である……女性の性的快感を考える場合、こうした定義があてはまらない場合が多い。

もし女性性器の目的が女性に快感を与えることであると思うならば、女性が性欲をはっきり自覚するのは別の器官によるし、それに集中する。幼児のころから、主要な男性性器は男根で、女性のは陰核であると、すべての者が教わるとよい」。


 19世紀の医学の権威者たちは、女性の性的能力を女性たちに気づかせまいと心を配ったようであった。男の子と同様に、自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女の子は、医学的に問題のある子だけだとみなされた。

そういう女の子は、しばしば、陰核を切り取られたり焼灼されたりして「治療」され、「矯正」され、

あるいはまた、

「小さな貞操帯をはめられて、陰唇を縫い合わせて陰核に手がいかないようにされ、卵巣を外科手術で切除されて去勢されたりもした。

しかし医学的文献を見ても、自慰をやめさせるために男根を切断したり、睾丸を外科手術で切り取ったりしたということは、どこにも書いてない」 。

 アメリカで、自慰行為をやめさせるために陰核摘出をした記録の最後のものは、1948年のものであった。5歳の女の子であった 。

 カトリック教会は、1976年、自慰行為を「重大な道徳的退廃」だとしたが、それは、女性が自慰行為によってオルガスムに達することができることを恐れたこともあったのかもしれない。男性と同様に、自慰行為によって女性がオルガスムに達することは、今ではよく知られていることである 。ヴィクトリア朝時代、聖職者や医者たちは、「女性の性的能力を全面的に抑圧することが、女性を飼いならすのに決定的なことである」と思っていた。

アイザック・ブラウン・ベイカー博士のような指導的な権威者たちも陰核摘出を数多く行って、女性の神経衰弱、ヒステリー、強硬症、狂気、女性痴呆症、その他性的欲求不満の徴候を示す数々のふれこみ文句で言われている症例を治療しようとした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/clitoris.html


マッサージ機の歴史


テーマ:芸能・エンターテイメント 「松島・町山の未公開映画」というマイナー番組。オセロの松島さんと、アメリカ評論家(?)の町山さんがアメリカ社会の事実をお届けするという番組。

今日はとても面白かった、町山氏の解説がね(笑)

そもそもヨーロッパでは、キリスト教の教えにより、女性にとって陰核刺激をすることは低俗なことであり、挿入快楽によって主人と同時絶頂が理想とされた。その考えは今も根強いとも言われる。

18世紀後半ビクトリア朝のイギリスでは、女性は束縛された。女性はきれいな言葉を使い、働いたらだめだし、さまざまな権利も保障されない。女性たちは当然、ストレスがたまり、欲求不満でイライラするようになる。

これは、当然の結果だ。にもかかわらず、当時イギリスでは、これを女性がかかる「ヒステリー」という病気だと断定した。

実際、束縛された女性たちはイライラがつのり、医師のところにどんどん行くようになる。

医師は、これに対してどういう治療をしたかというと、陰核刺激だった(爆笑)
女性たちは、医師による陰核刺激で絶頂に達し、すっきりして家に帰るわけである(爆笑)

夫たちも、別にその陰核刺激は、ヨーロッパでは性行為ではないという概念であるし、治療行為なので気にしないし、何せ妻がすっきりしてイライラがおさまるのだから、悪くはない。

さらに、女性たちは病院に通った(爆笑)

すると、今度は医師たちの指が疲れるわけである(笑)

そこで、バイブレーターというものが発明され医師たちに愛用された。その後、バイブレーターを肩などに当てても気持ちがいいということで、電動マッサージ機として発売されることになった。 つまり、電マで陰核刺激することは、バイブレーターに転用したということではなく、本来の使い方だったというわけである。

番組の本題は、アメリカで女性用バイアグラを政府が認可するか、しないかという話の前半であった。

アメリカでは女性が挿入絶頂しないのはなんと病気(FSD)だと今、半ば定義づけられており、政府がお墨付きで病気だと断定するか、しないかという段階だという恐ろしい話なのである。

病気じゃないものを病気だといわれると、昔のイギリスのような無知なアメリカの主婦たちが、その女性用バイアグラを買っていき、製薬会社はボロ儲けという構図なのである。

アメリカは性教育が発達していると思われる人が多いかもしれないが、実際は逆。 これはアメリカの最重要問題の人工中絶の是非の問題にもからんでくる。

アメリカの少し内陸部になると、ものすごく保守的で古いキリスト教義が根強く、人工中絶は禁止だし、性教育で生徒には、いまだに婚前交渉はだめであり、結婚後も避妊はだめだと教える。そういう土壌の中、保守的な女性たちにFSDは病気だと製薬会社が政府とつるんで教え込み、儲けようとしているのである。


加筆・・・・

翌週。結局、ホルモンを使った薬は今回は認可を阻止することができた。しかし時間の問題だという。そして一足先に、EUで認可されたそうである。 これについて、町山氏が松島さんに言う。2週にわたって、見てきたが、一回も「愛情」という言葉が使われなかったよね、と。

アメリカは、女性が絶頂に達しないのは病気であるとし、薬で絶頂に達せようとしたり、手術までしようとしたり異常としか言えない。

仮に、薬を飲んだり、貼ったり、したら快楽が増し絶頂に達するというのであれば、好きでもない男でもどんな男に対しても絶頂に達するということになる。それはおかしいことだ。女性はまず愛情があるからこそである。手を触られただけでも、大好きな人であれば、ドキっとするものであり、それは、科学だとか薬だとかの話ではない。

一切、そういう愛情というものを度外視して、ただ絶頂しないのは病気であり薬で解決させようとするのは、機械的であり、まったく、日本では理解できないものだ。 本当に、「愛」という言葉が1度も聞かれず、ただ絶頂に達することについてだけ議論しているという完全に異常、異様なVTRだった。
http://ameblo.jp/winterorange/entry-10691576426.html

かってヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女がマスターベーションを行う習慣をやめさせようとする時代がありました。19世紀には、特に女性のクリトリスは性的快感を与える以外には何の役にも立たず生殖出産には全く不要であるとして、クリの切除が合法化され、奨励されていました。

当時の高名なある医者は、オナニー(マスターベーション)の習慣をもつ多数の少女のクリトリスを、焼きごてで焼きつぶして、オナニーと言う病気、を治療したと明言しています。
http://mas.fromc.com/life-partner/danjyo~tame/kuritorisupenisu.htm


中世ヨーロッパのキリスト教国などでは、若い男女のマスターベーション、オナニーは禁止されていました。

今でもクリスチャンにはオナニーを悪魔の誘惑に負けることだといって、慎む人たちがいます。その中でも女性のクリトリスは性的快感を得ること以外に役には立たないという認識があり、こんなものは子供を作る際にも不要だ!ということで、クリトリスの切除が、奨励されていました。

「イタイ!!」

慢性的にオナニーの習慣を持つ少女に関しては、病気だと診断し、クリトリスを焼きつぶしたりしてオナニー癖を治したりしたそうです。

魔女裁判とも密接な関係があり貞淑な女性には性欲の象徴であるクリトリスがないものだという考えが浸透し、クリトリスがあると魔女扱いされたりしました。当時はオンナは、オトコの欲望、好奇心の対象物でしかなく、自らセックスの楽しむを得ることは許されてなかったのです。
http://htsx.blog.so-net.ne.jp/index/4

クリトリス切除はマスターベーションを防ぐ方法の一つだと考えられていたが、アメリカではコーンフレーク王のJ.H.ケロッグがまた別の治療法を考えだした。女の子が自分で楽しむのをやめようとしなければ、「純粋な石炭酸」をクリトリスに塗ればいいと提唱したのである。
http://diary.mrmt.net/2745


X線の最初に知られていた治療上の機能は女性のクリトリスを照射し、焼灼・破壊することだった。

1860年代からは clitoridectomyのための方法によって、取って代わられた。
http://www.brandbihar.com/japanese/women/history_female_sexuality.html

949. 名無し調教中。 [sage] 2006/12/07(木) 01:03:00 ID:m7yYpyRH

ヨーロッパじゃ一時期 オナニーに対して過剰な措置を取っていた時期があるよ。
ペニスにつけるアンチマスターベーションデバイスが売られたり、就寝時に子供の手を縛って性器に触れなくするとか。

953. 名無し調教中。 2006/12/07(木) 10:32:14 ID:XN5tKFeY

まあ、マスターベーションは精神病、特にヒステリーの原因と考えられた時代があってな。そのころは、クリトリス切除をマジで推進する医者が欧州にもいたんだと。精神に変調をきたした女から子宮摘出とかやってた時代だ。

954. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 03:10:57 ID:gQmoBRBp

マスターベーション禁忌は聖書にも記載されているから、敬虔なキリスト教徒なら嫌うだろう。 逆に近代に入ってからの性感帯信仰が異常とも言える。

女子割礼反対の根拠ともされるが、クリトリスが女性の体にとって本当に欠かせないものかどうか怪しいな。

一つだけはっきりしていることは、どの社会でも女の性器に自由はあまり無いということ。男根のように放置されることはまず無い。 生理や出産など常にケアと点検が欠かせないからね。

955. 名無し調教中。 2006/12/08(金) 10:15:03 ID:NURGfebo

うんにゃ、聖書にオナニーしちゃいかんって記述はない。オナンが罰せられたのは姦淫の罪でだな。妊娠を目的にしないセックスをしちゃいかんというタブーならあった。

マスターベーションがタブーになったのはキリスト教とストア派が融合した結果、「肉なるものはずべて悪」って思想ができた時代だと思う。

意外に思うかもしれないが、イスラム世界のハレムでは女たちの同性愛と自慰が性的コンディションを高めるために容認というより奨励されていた。もっとも、子種を植える畑を耕しておくという意味においてだけど。
http://pink.nihongodeok.net/thread/pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1107523811/


「陰核切除」 

女子に対する「割礼」のことで、陰核を幼いうちに切り取ってしまうこと。


「陰核切除」の目的は、女性器性感を鈍化させることによる浮気封じにある。つまり男上位主義に基づく男の身勝手から出た発想で、女から性的快楽を奪うことにつながる。モハメツトは教典『口伝律(スンナト)』で、割礼は男のための儀式だが女にとっても名誉なこと、と言っている。しかし女の割礼を神聖な行事とするイスラム教の割礼儀式、ことに陰核切除は、中東やアフリカの一部に見られる残酷な弊習にすぎない。

従来、たいていの陰核切除手術で、施術者は少女を押さえつけ、麻酔も施さずにクリトリスを擦って勃起させ、その頂点で切り落とす。女の子は痛みに悲鳴を上げ、予後ケアーも不備なため、命を落とす者も珍しくなかった。

一八七〇年頃ヨーロッパで女のオナニー有害説が流布し、その影響もあってクリトリス切除が流行した。この傾向はアメリカにも飛び火し、一八九〇年代女たち(多くはプロスティテュートだが)は骨盤矯正という名目の手術を受け、その流行に乗ったことを証明するべく手術跡を見せ合ったという。
http://mistererog.seesaa.net/article/174587783.html

要するに、パリのピガールの様な解放的(?)性文化はキリスト教禁欲主義に対する反動として出てきたものなので、西洋人にとってはキリスト教文化を否定するのと同じ意味を持っていたのです。

一方、日本やポリネシアでは最初から性に対するタブーが全く無いので、歌舞伎町文化自体が極フツーの伝統的習俗なんですね。男色、幼児姦、近親相姦、義父や義兄との乱交も日本古来の伝統ですし。しかも罪悪感は完全にゼロだしwwwwwww

平賀敬は日本文化自体を良く知らなかったのでピガールがアヴァンギャルドな先進文化だと誤解してしまったのです。


詳細は

まともな人間に芸術は理解できない _ ゴッホは何故ゴッホになれたのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/481.html

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html

サルはなぜサルか 1 _ 黒澤明 『羅生門』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/397.html

幽玄の世界 _ モナリザは何故書き換えられたのか? (未完)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/199.html

まあ何れにしろ、平賀敬美術館で一番ディープなのは平賀敬先生の絵ではなく奥さんと横穴湧泉でしょうね。

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6. ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか?

『楽園への道』

  「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。

「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。二人は、祖母と孫の間柄でした。

41歳で亡くなったフローラの短い人生を象徴するのは、彼女を絶えず襲う膀胱と子宮の痛み、そして心臓の近くに食い込んだ銃弾でした。原因は、夫であった版画家のアンドレ・シャザル。ペルー人の父親の死後、貧困な生活の中で母親から無理強いされた結婚。「夫と暮らしたあのぞっとする4年間に、一度として愛の営みをしたことがなかった。毎晩、交尾した。いや、交尾させられたのだ」。この下腹部の痛みは、結婚以来続いています。胸の銃弾は、フローラが裕福な叔父のいるペルー(夫からの逃亡先)からフランスに戻り、自らの半生を書いた自伝で成功を収めたときシャザルに撃たれ、手術後心臓近くに残ったものです。

 アリーヌは、シャザルとの間のフローラの3番目の子供。アリーヌは、シャザルに3度誘拐され、強姦されます。フローラはシャザルを告訴し、その争いの中で、シャザルに撃たれたのです。不幸な娘アリーヌは、ジャーナリストのクロヴィス・ゴーギャンと結婚し、ポールを生みます。1848年の革命後、クロヴィスは家族を伴って、新天地を求めてペルーに向かいます。しかし旅の途中で病死し、アリーヌは二人の子供とともにペルーへ。ペルーでは、裕福な祖父の弟に歓迎され、アリーヌも子供たちも、生まれて初めて幸福な日々を送ります。ポール・ゴーギャンが、南の地に「楽園」をイメージするのは、このときの体験によるものです。

 ポール・ゴーギャンは1891年6月、タヒチに到着します。43歳のときです。93年に一度フランスへ帰りますが、95年再びタヒチへと戻ります。1901年9月にタヒチから更に「未開」の地マルキーズ諸島に移り、03年に55歳で亡くなるまでその地に住み続けました。

 タヒチでの最初の妻テハッアマナをモデルに描いたのが『マナオ・トゥパパウ(死霊がみている)』。裸でうつ伏せになったハッアマナがトゥパパウ(死霊)に怯えている。ヨーロッパがなくしてしまった幻想的な経験に、ゴーギャンは興奮に震えます。

 『パペ・モエ(神秘の水)』。樵の少年と彫刻の素材を探しに、山に入っていきます。冷たい水の中に入り、少年が身体を寄せてきます。「青碧色の空間、鳥のさえずりもなく、聞こえるのは岩に当たるせせらぎの音だけで、静寂と安らかさ、解放感が、ここはまさしく地上の楽園にちがいないとポールに思わせた。またもやペニスが硬くなって、かつてないほどの欲望に気が遠くなりそうだった」。ゴーギャンは、マフー(両性具有者)に、偉大な異教文明ならではの自然さを感じます。著者バルガス・リョサのホモ・セクシャルなシーンは、ここでも美しい。

ゴーギャンは主張します。「美術は、肌の白い均整の取れた男女というギリシャ人によって作り出された西洋の美の原型から、不均衡で非対称、原始民族の大胆な美意識の価値観に取って代わられるべきで、ヨーロッパに比べると原始民族たちの美の原型は、より独創的で多様性に富んでいて猥雑である。・・・

原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾ること、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している」と。


 盲目の老婆のエピソードは、ゴーギャンの立ち居場所を示唆して、興味深い。ゴーギャン自身も、極度に視力を衰えさせています。ボロを身にまとった老婆が、どこからともなく現われます。杖で左右をせわしく叩きながら、ゴーギャンのもとにきました。

「ポールが口を開く前に老婆は彼の気配を感じて手を上げ、ポールの裸の胸にさわった。老婆はゆっくりと両腕、両肩、臍へと手でさぐっていった。それからポールのパレオを開いて、腹をなで、睾丸とペニスをつかんだ。検査をしているかのように、彼女はつかんだまま考えていた。

それから表情を曇らせると、彼女は胸糞が悪そうに叫んだ。「ポパアか」・・・
マオリの人々はヨーロッパ人の男をそう呼ぶのだった。」

ポリネシアに「楽園」を夢見てきたゴーギャンの、挫折の場面です。セックスによって原始にアプローチし、そしてセックスによって原始から挫折するゴーギャン。1903年、ひどい悪臭を漂わせながら、死んでいきました。

そして、最も忌み嫌い反抗し続けたカトリック司教の決めた場所に埋葬されました。 墓碑銘としての司教の手紙には、次のように書かれていました。

「この島において最近、記すに足ることはひとつ、ポール・ゴーギャンという男の突然の死だが、彼は評判高い芸術家であったが神の敵であり、そしてこの地における品位あるものことごとくの敵であった」
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/01/post_937b.html


ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

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1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。

http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html


 ▼ゴーギャンは何故タヒチへ向かったのか?/金丸好良(自由文筆家)▼

「僕は、ゴーギャンで初めてタヒチを知ったんです。そこで、ゴーギャンが、いかにイカレた芸術家だったのかを話したいと思います。はっきり言ってこの人ヤバイ!フランスからタヒチまでなんて、むちゃくちゃ遠いんです。当時で10週間。70日ですよ。こんなに遠いのに何故行ったのか? じつは、出生に関係があるんです。

ゴーギャンは、1才から7才までペルーに住むことになり、黒人の召使いがいるボンボン生活。友達は、中国人の女の子。これもカギを説く1つです。子供の頃の経験は、のちの人間形成に影響すると言いますから。彼のタヒチ体験の基礎は南米のペルーにあるのです。ここがポイント!

フランスに戻ると協調性のない放浪癖のあるちょっと変わった子供で、馴染めなかった。義務教育が終わると、ゴーギャンは見習い水夫に。海への憧れが強かったんですね。彼は何を求めていたのか?『楽園(パラダイス)』です。彼にとって、幼少時代のペルーの生活がまさに楽園だったんです。ゴーギャンは、一生この『楽園』を探し続けるのです…」
http://www.peaceboat.org/cruise/report/32nd/apr/0420/index.shtml

わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。

ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。

〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891)

〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01521.html

『ゴーギャン オヴィリ』
一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。

ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。

もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。

ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)

これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。

中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)

ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。
http://www.msz.co.jp/news/topics/01521.html


ピトケアン島の出来事

 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。

 副航海長フレッチャー・クリスチャンに指揮された反乱水夫たちは艦長のブライを拘束、ブライは艦長派と目された乗組員とともに小型のボートに乗せられて茫洋たる太平洋に放り出された。反乱者たちは、ブライたちは死んだだろうと思っただろうが、艦長たちは奇跡的に小型ボートではるか3700マイル離れたオランダ領のインドネシアまで航海することに成功した。遠く離れた南太平洋上のこととはいえ、イギリス海軍が反乱者たちをそのままにしておくわけがない。追手が差し向けられ、クリスチャン一味の捜索が行われた。追跡部隊はバウンティ号の航海の目的地であったタヒチ島に残っていた乗組員たちを拘束することには成功したが(うち、3名が絞首刑となった)、バウンティ号とともに太平洋に消えた残りの者たちの行方は杳として知れなかった。

 バウンティ号と反乱者の一党の行方がわかったのは、それから約20年後の事である。アメリカの捕鯨船が、名前は付いているが上陸されたことのない島、ピトケアン島に立ち寄ったところ、バウンティ号の乗組員とその子孫たちを発見したのである。クリスチャンたちは、タヒチの女性と男性を連れて発見されにくいピトケアン島に逃げ込んでいた。

 しかし、反乱者たちは、女性と酒が原因で同士討ちを演じ、アメリカの捕鯨船に発見された時に反乱のメンバーで生き残っていたのは水兵のジョン・アダムス一人だけであった。ジョン・アダムスは敬虔なキリスト教徒となっており、ピトケアン島は白人とタヒチ女性の混血からなる一種のキリスト教の桃源郷となっていた。

 この軍艦バウンティ号の反乱は日本ではそれほど知られていないが、西洋ではかなりメジャーな事件で、海洋の事件としてはタイタニック号の遭難に匹敵するほどの知名度を誇るといい、欧米では多数の研究や小説があり、戦前から何度か映画化もされている。また、バウンティ号の復元船も作られているという。

 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。これは牧歌的で、敬虔なキリスト教徒たちの住む島である、というピトケアン島のイメージを著しく損なうものであり、刑事事件にも発展した。その経緯は、インターネットのフリー百科事典の「ウィキペディア」にも詳しく記述されている。

「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(英語)
「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(日本語)

 ピトケアン島の男性たちの擁護として、ピトケアン島に移り住んだ反乱者たちはタヒチの女性を妻としており、反乱当時のタヒチの習慣はかなり性的に自由なものであったから、それを現代の基準で裁くのは酷ではないか、というものがある。
 たしかに、タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。

男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」
 
 また、有名なイギリス人のキャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。

 と、ここまでは割合に知られたタヒチの性習慣である。では、もう一方の当事者、18世紀末のイギリスはどうだったのだろう。

 18世紀のイギリスは、当時としては珍しく、晩婚の世界であったことが知られている。男子の場合は二十代後半、女子の場合でも二十五歳以上で結婚、というのが普通であったらしい。ほとんど現代と変わらないくらいの結婚年齢である。ただ、晩婚である事情は現代とはずいぶん違う。長期の奉公人制度や、結婚生活を維持するための経済力をつけることが難しいために、やむを得ず結婚が遅れていたというのが実情らしい。貴族やジェントルマンに生まれても、長男でないと同じような境遇であった。

 結果、血気盛んな若者たちが思春期から10年以上独身生活を余儀なくさせられることになる。近代のイギリスの勢力の拡大は、これらリビドーを持て余した青年たちのエネルギーによってもたらされたとする見解があるほどだ。

 平均的な結婚年齢はともかくとして、実際にはどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」

 つまり、タヒチだけでなくイギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。

 当時の水兵というのは社会的な身分が低く、監獄に行くよりは船に乗る、という手合いまでいたという。彼らは、たとえイギリスに戻ったとしても結婚をすることは容易ではなく、仮にできたとしても極貧のなかで生活しなくてはならないことは目に見えていた。

 それが、タヒチに来て見ると、本来は結婚相手にしたい十代の女性がいて、生活も安楽である。このままここに残りたい、と思っても不思議はない。実際、タヒチへの航海では、水兵の脱走というのはよくあった。これで水兵たちに同情的な幹部がいたら、反乱になるのはある意味では必然であった。

 艦長のブライは反乱の原因について、

「わたしはただ、反乱者どもがタヒチ人のところでイギリスよりもいい暮らしができるだろうと確信し、それが女性たちとの関係にむすびついて、全体の行動の基本的な動機となったにちがいないと推測するのみである。

(I can only conjecture that the mutineers had assured themselves of a more happy life among the Otaheiteans , than they could possibly have in England; which, joined to some female connections, have most probably been the principle cause of the whole transaction.)(William Bligh & Edward Christian The Bounty Mutiny(2001)11.)」と書いている。

 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。
(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」


 
 キャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


究極のSEX ポリネシアン セックス

ポリネシアン セックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスの奥義を指す。

ポリネシア/ギリシャ語「多くの島々」と言う意味のポリネシアはハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ1辺が約8000キロの三角の内側の島々、イースター島をさす。ミクロネシアは太平洋中西部の諸島群で、カロリン諸島、マーシャル諸島などがある


「エロスと精気」

これは男性上位の力を誇示するようなアクロバットな性技ではなく、ゆっくりとした時間の中でお互いの命の声を聞きながら行う静かな愛の形です。

実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。性交するときは、前戯と愛撫を少なくとも1時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。挿入したのちは、男女は最低30分は身動きせず抱き合って、それから前後運動を始める。

オルガスムがあったのちも、長時間性器を結合させたまま抱き合っている。35分ほどこの抱擁を続けていると、全身においてオルガスムの快感の波が次々と押し寄てくるのを感じ初めることだろう。あなたが男性であれば、射精をしないまま相手と一体になって全身が突然さざ波のように震えるだろう。そうなれば、体を離さずに震え没入し、震えそのものになるべきだ。その時、2人の体のエネルギーが完全に融合している実感をもつであろう。

男性に勃起力がなくなるような感じになった時、女性に性感がなくなるとき、そのときだけ動きが必要になる。その場合でも、興奮の波は非常に高い所にだけ置いておき、ただし、頂点まで昇らせてオルガスムとして爆発させるのではなく、心をおだやかにしてエネルギーのなかに身をまかせるのである。つまり、挿入後に萎えてしまいそうになった時、それを防ぐ為のみ、うごかしてもいいということだ。しかし、そのまま動きに没頭するのではなく、射精に達する前に再び動きを止めて、抱擁を続る。

男女はベットにそれぞれ楽な感じに寝る。2人の上半身は離しておき、骨盤の部分はくっつけ合う。女性は仰向けになり、男性は体の右側をベットにつけて身を起こす。足はお互の体にからませる。男性は左足は女性の足の間に割って入り、女性の左足は男性の腰の左に乗せる。互いに相手の負担をかけることなく、くつろげる姿勢であるとこが重要だと言う。そうして、身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。
http://rena-i.jp/porisex.htm

「ゴーギャン」
南太平洋、フランス領ポリネシア。 タヒチ。

とあるホテルの5つの簡単な決まり事。

1つ、ゆっくり動きなさい。
2つ、気持ちをリラックスさせなさい。
3つ、家に置いてきたペットのことは忘れなさい。
4つ、お堅い話も忘れなさい。
5つ、バターの値段を考えるなんてもってのほか。

この島では、日が昇ったら起き、
お腹がすいたら食べ、
眠くなったら眠るのです。

何もしないで、ただボーッと海を眺めて過ごす。
それが、一番の贅沢。

今日の一枚は、そんなタヒチで描かれました。
といっても、今あるのはアメリカですが・・・。

場所は雪のニューヨーク州、
オルブライド・ノックス・アートギャラリー。

二人の慈善家によって集められた名画の数々・・・。
でも、お目当てはこの先。急いではいけません、ゆっくりと。
そう、この絵が「今日の一枚」です。

「マナオ・トゥパパウ」

ポール・ゴーギャンの作品。

そのポール・ゴーギャンは、
タヒチといえば名前があがる後期印象派の巨匠。

セザンヌを学び、ジャポニズムに走った元日曜画家。

ゴッホとの共同生活でも、自我の強さから喧嘩別れ。
傲慢とわがままを芸術の糧としたポール・ゴーギャン。
パリに失望し、やってきたのがタヒチ。
求めたものは汚れのない原始。

そして、タヒチの女性をモチーフとする
数多くの絵を生んだのです。
強烈な色彩と大胆な構図。
ゴーギャンのタヒチ。

そんな作品のなかで、異彩を放っているのが、
この「マナオ・トゥパパウ」です。

大きく見開かれた少女の目。
凍り付いた視線。
背後にうずくまる不気味な影は?

ゴーギャンが南海の楽園で見つけた原始とは、いったい何だったのか。

南緯17度、西経149度。
1年間の平均気温は25度前後。
タヒチは今でもよく、南海の楽園と呼ばれています。

パペーテはタヒチを訪れた人が必ず立ち寄るフランス領ポリネシア唯一の都会。

ゴーギャンが植民地のタヒチを訪れたのは1891年、43才のとき。
フランスの港を出てから実に2ヶ月の船旅でした。
当時、パペーテの人口はおよそ3000人。
その一割にも満たないフランス人が、タヒチの政治、経済を仕切っていました。
その頂点に君臨するのが、フランス本国から任命された総督です。
当時はカリブ海出身のラカスカードという男。



総督

「タヒチについたゴーギャンが私に会いに来た。
私は快く彼を迎えた。

ようこそゴーギャン君、総督のラカスカードだ。座りたまえ。
このパペーテには教会から病院、カフェーまで揃っておる。
私の自慢の町だ。
パリから来た君でも困ることはないよ。
そうそう、芸術特使の君にぜひ、肖像画を描いてもらいたいというものがおるそうだ。
まずはいい絵を描いてくれたまえ。

おや、何か不満でもあるのかね?」

ゴーギャンは、話の途中で席を立ってしまった。 いったい、何が気にくわないというのだ。

パペーテの街角で、ゴーギャンが見たもの。
それはパリと同じ喧騒、そして香水の匂い。
自分が求めた原始の楽園は、そこにはなかったのです。
失望、そしてこみ上げる怒りに似た感情。

そもそもの発端は2年前。
パリではエッフェル塔が完成。
万国博覧会が開かれました。 鉄が支配する新しい文明の幕開け。
しかし、ゴーギャンが惹かれたのは、同時に開設されていた植民地パビリオンでした。
東洋の神秘、ポリネシアの原始的な荒々しい文化。
パリの文明社会で暮らすゴーギャン。
彼の目に、それは地上の楽園に見えました。

そこでゴーギャンは考えました。
「なんとしてもタヒチへ行こう」と。
あらゆるコネを利用し、海をわたろうとします。
金がかからず、絵が自由に描ける地位・・・
それが芸術特使というフランス本国からもらった肩書き。


ゴーギャンがパリで思い描いた地上の楽園、タヒチ。

そこでは昔からの人々は原始の神々を崇め、ともに暮らしていました。
すべての物、すべての現象に神が宿る、そう考えられていたのです。
神話と伝説の国、ポリネシア・・・。
しかし、ゴーギャンが訪れた時はもはや過去の話。
文明によって古い信仰は捨てられ、神を祀る祭壇もすでに廃墟と化していたのです。

ポリネシア・ダンス。
体で表現する原始の言葉。
かろうじて人々の心に受け継がれてきたタヒチの神秘。

これは、豊かな実りを願い、神に祈るダンス。
戦いの前に踊り、神への誓いをたてるダンス。
分明に支配されたタヒチ、そこに残された原始の息吹。



総督
「きのう、ゴーギャンが挨拶にきたよ。 ひどく打ちのめされているようだったが、パペーテを出るというんだ。 ヨーロッパから遠ざかりたいとか、原始的で汚れのない原住民と一緒に暮らすんだとかいってた。 ほんとうに、パペーテを出て芸術活動ができると考えているのか? まあいい。じきに帰ってくるさ。」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao1.htm



<原始のイヴ>

パペーテを逃れ、ゴーギャンが落ち着いた先はマタイエア。
島の反対側、南へ40キロほど行った海辺の村。

そこで彼が見たものは・・・

素朴で原始的な暮らし。
骨太で力強い人々。
奔放に生きる女たち。

ヨーロッパ的美の基準には当てはまらないものたち。
しかし、ゴーギャンはそこに原始の美を発見したのです。
パペーテでは決して見られなかった、手つかずの美しさ。

イア・オラナ・マリア。

タヒチの聖母子像。

着ているものは民族衣装のパレオ。
がっしりしたタヒチの聖母マリア。
そして褐色のイエス・キリスト。

聖母子像の横に描かれたのは仏教徒のポーズをしたタヒチの女と、 青と黄色の翼を持った天使。

イア・オラナ・・・それはタヒチの出会いの挨拶。

副館長
「ゴーギャンの色使いはとても鮮やかで、ほとんど原色をつかった美しい色彩 で描かれています。
そして、タヒチの光をふんだんに取り入れました。
その光はポリネシアの人々に対する愛情と、尊敬の気持ちから描かれたんです。」

原始の楽園、マタイエア。

人々は神を畏れ、自然とともに生きる。
何もしなくていい、何も考えなくていい、ゴーギャン、至福のひと時。

マタイエアの人々にふれ、ゴーギャンが感じたのは、自分が求めつづけてきた原始のタヒチ。

創作意欲をかき立てられるゴーギャン、目指したのはシンプルな芸術。

細かい技法を捨て、自分が感じたことだけをおおらかに描く。

そのためには、原住民とだけ付き合い、原始の心で見ること。
それが真の芸術へたどり着く道、そう考えてきました。

しかし、その絵はほとんど売れません。

総督
「赤い水やら黄色い砂。ひどい色使いだ あれじゃ売れなくて当然だ。 しかし、この絵はどこか違うな・・・。」

原始の村マタイエアでも、文明から逃れることはできませんでした。
好みの食料品や絵の具があるのはパペーテだけ。
金・・・文明人のゴーギャンに必要なのは経済的な裏づけだったのです。
絵を買ってくれる人もいないタヒチ・・・
待っていたのは貧困。

そこで、ゴーギャンは総督のもとへ。
もっと小さな島の役人にしてもらおう。
そうすれば、金と新しい絵のモチーフ、両方が手に入ると考えたのです。

総督
「そんなわがままを話、通用するわけがない。

フン、金が欲しい? 島の役人に採用しろだと?
冗談じゃない、矛盾だらけじゃないか
ゴーギャンの求めているのは、原始の生活ではなかったのか!
なんて傲慢で、身勝手なやつだ!」

総督に冷たくされたゴーギャンは、自分の身勝手を棚に上げ、子供じみた反抗にでます。

やったことは、風刺画。
総督を猿に見立て、痛烈にからかったのです。

それは原始に翻弄される文明人の哀れでもありました。

貧困のため、絵を描く意欲も失せたゴーギャンは、気分転換をかねて、探検旅行に出かけます。

行く先は島の東側、文明から最も遠い土地。
やがてゴーギャンの行く先に現れたのは、山あいの小さな村でした。
その一軒で声をかけられます。

白人は神の使い、そう信じる村人は自分の娘を妻にと勧めるのです。
そして、運命の出会い。

「マナオ・トゥパパウ」に描かれた少女。

少女の名はテハアマナ。愛称テフラ、13歳。
タヒチでであった原始のイヴ。

テフラに一目で惚れたゴーギャン。


彼はその場でテフラと結婚し、一緒に暮らし始めます。
日の光を浴びて、黄金色に輝くテフラの肌。
ついに出会った原始のイヴ、テフラとの生活がゴーギャンの見方を変えました。

文明に毒されたタヒチは今、探し求めた原始の楽園に生まれ変わったのです。

ゴーギャンによって残された原始のイヴの肖像・・・

ゴーギャンの夢、

画家が愛してやまなかった少女・・・。

総督
「原始のイヴだって?なにを大げさな。
ただの島の娘じゃないか。
それにしても、あの絵の娘は何かに怯えているのかね?
しかも、後ろにうずくまっているあの不気味なものは何だ。
アッ、これは!」

青い海と珊瑚礁。
そして険しくそびえる山々。
さまざまな顔をもつタヒチ。

一歩奥へ入ると、そこはすでに伝説と神話の世界です。

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao2.htm

<タブー>
タヒチにはタブーがある。
死者を葬った場所は避けるように。
うつろな木の陰に横たわらないように。
もしタブーを破ることがあれば、やつが現れるだろう。

やつは寝ているものに飛びついて、首を絞め、時には髪を引き抜き、死に至らしめることがある。その名を決して口にしてはならない。

いまもタヒチに伝わるという、タブーの正体とは何か。


女1
「そうだねえ、この土地のタブーといったら幽霊のことだよ。」

女2
「子供のころに見たことがあるわ。
しろ〜くて、お化けみたいな姿をしているのよ。
本当に恐かったわ。」


「トゥパパウって幽霊さ、こんな感じのやつ・・・
ひとに取り付くと目が大きくなって、下がこんなに長くなるんだ。」

マナオとは「思う」「考える」という意味のタヒチ語。
マナオ・トゥパパウというタイトルには、トゥパパウ、つまり死霊が見ている、という意味がこめられていたのです。

総督
「トゥパパウについては、私も調査員を派遣した。
報告によると、トゥパパウの都は森の闇に包まれた山奥の奥にあるそうなんだ。
そこでトゥパパウは数を増やし、死んだ人間の魂を食らうという。

フン、もうすぐ20世紀だというのに、タヒチにはまだ下らん迷信が残っているのか。」


学芸員
「確かにトゥパパウの伝説は残っているようです。
トゥパパウとは死んだ人の霊のことで、夜の闇をさまよい歩くと考えられていました。
そのため、タヒチの人たちは闇を怖がって、寝ているときも明かりを絶やしません。
もし部屋の明かりを消してしまうと、トゥパパウが家の中に入ってきて、
寝ている間に悪さをすると信じられていたからです。」


ある日、ゴーギャンは帰り道を急いでいました。
切れかかった灯油を町へ買出しに行った帰りです。
夜中の1時、あたりは完全な闇。

夜空の月も雲に隠れていきます。

テフラの待つ小屋は闇に包まれていました。
いやな予感がしたゴーギャンは急いで部屋の中へ。
すると・・・そこは原始の闇。

思わずマッチをすったゴーギャン。
そして彼の目に映ったものは・・・
ベッドに横たわり凍り付いたようなテフラ。
うつろに見開かれたテフラの目。

タヒチの人にとって、闇はトゥパパウのすみか。
テフラには夜の闇は恐怖そのものでした。
そして、恐怖に射抜かれたように身を固くするテフラの背後に、ゴーギャンははっきり見たのです。

『私が見るものは、ただ恐怖だけでした。
それは絶え間ない恐怖である。
私のトゥパパウを発見して、私は完全に心ひかれ、 それを絵のモチーフにした』

ゴーギャンはテフラを通して、はじめて本当の原始を理解したのです。

テフラ、原始に住むイヴ。

タヒチにきて三度目の夏・・・。


総督
「ああ。おめでとう、ゴーギャン君。
君にも私にもいい知らせだ。
本国から君を送り返すように言ってきたんだ。

ここを見たまえ、資産状態が配慮に値する困窮の画家を送還すること。フランスの船で。
ただし、一番安い船に、乗せるようにと書いてある。
ともあれ、これで我らが芸術特使さまの任務も完了というわけだ。
ごきげんよう、ゴーギャン君。」



1893年7月。
ゴーギャンは本国フランスへの帰路につきます。
テフラと出会った後も、ゴーギャンの生活は決して理想のものではありませんでした。
極度の貧困、そして重なる疲労。
逃れられない文明の影。
結局、彼は逃げ出すようにタヒチを後にするしかなかったのです。

パリに帰ったゴーギャンは、このマナオ・トゥパパウに他の絵の倍以上の値段をつけたといいます。

タヒチにきたらゆっくりと動くこと。
日々の暮らしは忘れ、リラックスしましょう。

でも、夜は明かりを絶やさないように。
もし暗くしたら、闇の中からあなたをみつめる死霊と出会うことになるかもしれませんから・・・

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao4.htm


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     |       l::        ゙゙"       |:          |
   @゙!         |::              !::        ノ


Teha'amana (マナを与える者の意)


ゴーギャンがタヒチで見出したものは何であったのか?

『ノアノア』連作版画


タヒチからフランスへ帰郷したゴーギャンは、母国のタヒチへの理解の乏しさに、絶望します。そんな母国フランスへ、タヒチの生活のすばらしさを伝えるために制作したファンタジー小説、『ノアノア』の挿し絵に使用されていた作品のいくつかを、紹介したいと思います。

ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)

教科書などでも有名な作品、『かぐわしき大地』を左右反転させた作品です。版画になり、白黒はっきりさせたものになったことで、主人公であるエヴァの表情の濃淡が、よりくっきりとしていることが印象的です。。

また、エヴァをそそのかすトカゲが、顔よりも大きく、この版画の中心に描かれていることも、気になりますね。


テ・アトゥア(神々)
マオリ族(ニュージーランドのポリネシア系先住民)の古代神話より。


中央に鎮座するのは、主神タアアロア。右側には再生の力を持つ月の女神ヒナ。左側には、大地の男神であり死の象徴であるテファトゥとヒナの対話の場面が描かれています。

これらの神々は、ゴーギャンの作品の中ではたくさん登場する、重要な役割を果たしているものです。

再生の神と、死の神が、ふたり同時に何を話しているのか、(しかも、僕が見る限りふたりは、とても官能的に話をしているように感じます。。)気になるところですね。。

マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

テ・ポ(夜)


このふたつの作品のは、「死霊に怯える女性」という同一の主題を描き出しています。


『マナオ・トゥパパウ』の女性の姿勢は、ペルーのミイラの体勢を源泉に持っています。つまり、人間の死んだ後の存在であるミイラと、同じ体勢を取っている、ということです。

しかし、死の象徴とも思えるこの作品は、見ようによっては胎児のようにも見えます。

相反するふたつのもの、つまり、生と死を一体化したふたつの境界線が揺らぐ、タヒチの夜の神秘を描き出しているようです。ふたつの相反するものを、ひとつのものの中に融合させる、ということは、人類の大きなテーマであると感じました。

また、『テ・ポ』の方は、ゴーギャンがタヒチでできた愛人、テハアマナが、夜、明かりの消えた部屋で、死霊に怯えている姿を描いた作品です。

タヒチの人々にとって夜は、霊魂が活動する、死と隣り合わせの世界にほかなりませんでした。真ん中に横たわる女性の後ろには、様々な死霊たちがこちらに目を向けています。。

このことから考えると、ゴーギャンの描く夕方の世界は、現代の我々が考えるような、単なる美しい夕焼けではなく、これから迎える夜=死霊の世界を思わせるような、ある種、最も境界線の薄れた世界を題材にしている作品であることが分かります。。

http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=83


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』後、自殺未遂を経てゴーギャンが描いた作品のうち、気になった作品をいくつか。。

テ・ハペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)
1898年 油彩・キャンパス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin128.html


『我々は〜』の関連作品です。
 

時刻は夕方、死霊が闊歩する夜が、すぐそばまで迫ってきています。

手前の4人の女性の表情は、逆光ではっきりとわかりません。微笑を浮かべているようにも感じるし、背後から迫りくる夜に、怯えているようにも感じます。。

川を挟んだ奥には、子供と手をつないだ(? 暗いので、はっきりそうとは言い切れませんが・・・)頭巾を被り、服を着た女性と、再生の女神ヒナが描かれています。その足もとには、ゴーギャンノ化身である黒い犬らしき影が、闇に紛れるようにひっそりといます。

川を境に、生と死が対照的に描かれているようです。一度死を決意し、なお生き長らえた画家の心境は、どういったものだったのでしょうか・・・?

ゴーギャンの作品にはめずらしく、奥行きがあり、見ているとからだが、絵画の中に引きずり込まれそうになる作品です。
http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=89


我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
 (D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

複製画
http://www.meiga-koubou.com/item/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%80%8E%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85/


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」との哲学的思惟を迫る、しかも139×375cmという壁画のような大作を目の前にしますと、しばらくめまいのような感覚に襲われます。全裸と腰布だけの女たちが、地面の上に坐って、こちらを見ています。
画面右側には、岩の上に赤ん坊が寝ており、逆の左端には、煤のように黒ずんだ老婆が、やはりこちらを凝視しています。画面中央では男が果物をもいでおり、その足下で、少女が果物を食べています。人びとの近くには、犬と猫と山羊と鳥とが、人間たちと同様に、無表情に地面に伏せています。画面後方には、まず両手を広げた女神像があり、そして体全体を覆うような長衣を着た女たちが、右側に向かって歩いています。背景では、幻想的な樹木が、奇怪な枝を広げています。

 この絵から、アダムとイヴの禁断の実と楽園追放の旧約聖書の物語を連想することは、さほど難しいことではありません。しかし、あの禁断の果実を採ったのは、イヴではなかったか。ゴーギャンのイヴは、どうみても女ではない。マリオ・バルガス・リョサは、『楽園の道』で、果物を採る人物の腰布のふくらみを「立派な睾丸と固くなったペニス」のようだとすら表現しています。楽園追放を暗示する赤い長衣を着たふたりは、アダムとイヴのように男・女ではなく女・女であり、またキリスト教絵画にある悲嘆にくれるふたりではなく、何やら真剣に語り合っています。キリスト教の世界から題材を借りながらも、内容は別の世界を表現しています。

 左端の老婆は、観者を凝視しながら、何を訴えているのでしょうか。ゴーギャンは、フランスの博物館で見たペルーのミイラから、この人物像を創作したということです。ペルーは、ゴーギャンが幼少期を過ごしたところ。死にいく老婆は最早、生きることをあきらめ、大地に返っていくことを、我々に告げているのかもしれません。

 美術館滞在中の大半を、この大作の前にたたずんで過ごしたのですが、時間が経つにつれてこの死にいく老婆の視線が、気になって仕方がありませんでした。「我々はどこへ行くのか?」。老婆の沈黙は、この答えのない問い掛けなのかもしれません。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2009/07/post.html


“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか” はイエスが語った言葉


ヨハネ傳福音書 第8章


8:1イエス、オリブ山にゆき給ふ。

8:2夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

8:3ここに學者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、眞中に立ててイエスに言ふ、

8:4『師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。

8:5モーセは律法に、斯かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言ふか』

8:6かく云へるは、イエスを試みて、訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書き給ふ。

8:7かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』と言ひ、

8:8また身を屈めて地に物書きたまふ。

8:9彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。

8:10イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言ひ給ふ『をんなよ、汝を訴へたる者どもは何處にをるぞ、汝を罪する者なきか』

8:11女いふ『主よ、誰もなし』イエス言ひ給ふ『われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』]

8:12かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』

8:13パリサイ人ら言ふ『なんぢは己につきて證す、なんぢの證は眞ならず』

8:14イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、


我は何處より來り何處に往くを知る故なり。

汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、


8:15なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/john.xml

ゴーギャンが取り上げた “我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず”というのは罪の女の話の総括としてイエスが語った言葉なのです。即ち、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の砂漠の遊牧・牧畜民の文化では女性や恋愛・性行動を敵視し、

女児がオナニーした → オナニーできない様に女児の陰核を切除する

少女が強姦された → 男を無意識に誘惑しない様に少女を石打の刑にする

妻が夫に売春を強制された → 夫に同じ過ちを繰り返させない様に妻を石打の刑にする

女性が恋愛・不倫した → 男を惑わせない様に女性を石打の刑や火炙りにする


によって対処する伝統だったのです。 イエスが否定しようとしたのはこういうユダヤ教の伝統だったのですが、キリスト教ではイエスの教えを完全に無視し、ユダヤ教の悪しき伝統をそっくりそのまま教義として残したのですね。

まあ、パレスチナの様な砂漠地帯では人口が増えると みんな食べていけなくなるので仕方無いのですが。

_____________

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は


「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。


ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するようになるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm

ダニエル・ド・モンフレエ宛て(1898年2月,タヒチ)

「…あなたに言っておかなければならないが,私は12月に死ぬつもりだった。それで,死ぬ前に,常に頭にあった大作を描こうと思った。1か月の間ずっと昼夜通して途方もない情熱で描き続けた。…これは,高さ1.7メートル,横4.5メートルの絵だ。…

右下に,眠っている赤ん坊と,うずくまる3人の女性。紫色の服を着た2人の人間がお互いの考えを打ち明けている。

わざと大きくして遠近法を無視して描いた人物は,うずくまり,腕を上にあげ,自分たちの運命を考えている2人を眺めて驚いている。

中央の人物は,果物を摘んでいる。一人の子どもの傍には,2匹の猫がいる。そして白い牡ヤギ。

偶像は,神秘的に律動的に両腕をあげ,彼岸を指し示すかのようだ。うずくまった人物は,偶像に耳を傾けているように見える。
最後に,死に近い老婆は,自らの運命を甘受しあきらめているかのようだ。…その足元に,足でとかげをつかむ1羽の白い未知の鳥がいるが,空疎な言葉の無用さを物語っている。…」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf

ゴーギャン自身が友人モンフレエ宛ての手紙43)の中で記しているように,面右端と左端には人間の生と死を表すかのように赤ん坊と老婆が描かれている。画面中央には,果実をもぎ取ろうとする青年の姿があり,傍らには地面に座り込んで果実を食べる子供がいる。その他タヒチ女性が配置され,ヤギや犬,鳥といった動物,そして古代の神とされる偶像が描かれている。ゴーギャン当人は,大作であり日頃から温めてきた題材としながらも,作品の意図や描かれた個々の対象の意味について十分な説明をしていない。

先行研究では,まず作品タイトル《我々は…》の出典元の確認が試みられている。

ルークメーカーは,ゴーギャンのブルターニュ時代の肖像画に見出されるトマス・カーライル著の『衣装哲学』に,
O Whence─ OhHeaven, Whither?(仏語訳ではMaisd’oùvenouns nous? O Dieu,oùallonsnous?)という題名と対応する一文が見られると指摘している。また,フィールドもカトリックの秘儀を研究した書物に,作品タイトルと一致する文面があるとしている。作品内におけるモティーフと典拠元の関係においては,タヒチ時代の自身の作品からの転用だけでなく,ブルターニュ時代の作品にその始まりを見出せるものがある。

左の右手をついて横座りする女性のポーズは,1889年の《海藻を集める者たち》の女性のポーズを反転させたものである。また,左端の顔を手で押さえてうずくまる老婆の姿も,ブルターニュ時代からゴーギャンが作品に使用していたポーズであり,ペルーのミイラ像にその根拠を見出せる。タヒチ時代の作品から引用された女性像においても,ジャワ島のボロブドゥール寺院のレリーフやエジプトの壁画にその原型がある。

以上から考えられることは,タイトルから想起されるキリスト教的視点と,実際のモティーフから現れる西洋,非西洋を越えた広い視点との間に距離が生じるということである。ここで作品を改めて考察すると,《我々は…》には,我々が希求し模索しながらも到達し得ない人間存在が描かれていると言えないだろうか。ブルターニュ,タヒチ,あるいはジャワ島やエジプトといった特定の場所や人々ではなく,人間そのものへの強い憧憬がここには存在する。それぞれのモティーフは,断片的表象にも関わらず作品全体において調和をなしている。そして,そうしたモティーフの背景に存在するキリスト教やタヒチにおける信仰などの民俗信仰は,人間の祈りというレベルにおいて等価のものとみなされる。

作品タイトル《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》は,人間にとっての至上命題である。つ
まりこの絵画には,ゴーギャンがブルターニュにおいて感じたnostalgia故の人間存在そのものへの希求が見られるのである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf


後期印象派の代表する巨匠にして総合主義の創始者ポール・ゴーギャンの画業における集大成的な傑作『我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか』。

1895年9月から1903年5月まで滞在した、所謂、第2次タヒチ滞在期に制作された作品の中で最高傑作のひとつとして広く認められる本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。完成後、1898年7月にパリへと送られ、金銭的な成功(高値で売却)には至らなかったものの、当時の象徴主義者や批評家らから高い評価を受けた本作の解釈については諸説唱えられているが、

画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物(旧約聖書に記される最初の女性エヴァが禁断の果実を取る姿を模したとも考えられている)が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には(人間の生から死)の経過を表現したとする説が採用されている。

また老婆の先に描かれる白い鳥の解釈についても、言葉では理解されない(又は言葉を超えた、言葉の虚しさ)を意味する(神秘の象徴)とする説など批評家や研究者たちから様々な説が唱えられている。

画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。

さらに本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。本作に示される、強烈な原色的色彩と単純化・平面化した人体表現、光と闇が交錯する独特の世界観はゴーギャンの絵画世界そのものであり、その哲学的な様相と共に、画家の抱く思想や心理的精神性を観る者へ強く訴え、問いかけるようである。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html


「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。

死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2009/07/post-8a2a.html


この絵でゴーギャンは人の一生を一画面に表現しようとしています。「生まれて、生きて、死ぬ」生き物なら当たり前なことを描いているのです。 そしてこの絵には海が上の方に少し描かれています。

右上には朝の海が描かれ、地球の誕生を意味し、左の海には夜の海が描かれ、地球の終わりを意味しているのでしょうか。

この絵に描かれている人物はほとんどが女性です。犬や猫、鳥なども描かれています。それぞれに意味づけをしていますがどうなんでしょうか?

右の子どもは誕生でしょうし、中央のリンゴを取ろうとしている女性はイブ(エバ)を意味し快楽と苦痛を表現し、左の頭を抱えている女性は死を意味しています。

画面全体は暗いのですが、右側の女性には光が当たっていて、左側は暗い。

背景は右も左も暗く描かれ、ゴーギャンにとっては「この世は真っ暗闇だ」まではいかず、「暗闇」だくらいなのでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/60035012.html

19世紀以降、ポリネシア人はキリスト教に改宗していますが、ブルターニュ地方のキリスト教の場合と全く同じで、外観はキリスト教の衣装を纏っていても、その中身は古来のアニミズムそのものだったのですね。

ゴーギャンが描くアダムとイブやマリアも聖書から題材を選んでいますが、その意味する事はキリスト教の教えとは全く異なる物なのです。

“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか”で知恵の木の実を採るのは男ですし、

エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つのです。:


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。
あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。
おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、

「排尿をガマンできない人間」、

「性器を持たない人間」、

「よろよろして立ち上がることができない人間」


など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967

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(参考) これが本当のディープ世界


西洋の達人が悟れない理由 _ 失楽園
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html

いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは…
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html

他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html

日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

小泉先生は真性のS? (“削除コメント表示切り替え” を押して下さい)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/305.html

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/538.html

旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?(未完)
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/348.html


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コメント
 
01. 2012年9月15日 17:07:45 : HNPlrBDYLM

Emmanuelle(エマニエル夫人)− Pierre Bachelet
http://www.youtube.com/watch?v=IIjzozfHSZc

なぜフランス人とドイツ人は性的タブーを破り捨てたいのか?

イタリア人やスペイン人は、全般的に女性好きにも関わらず、あまり幼児性愛には関心がないように見受けられる。彼らは幼女ではなく、「女性」にぞっこんだ。陽気であけっぴろげだ。

しかし、北欧あたりの男たちが幼児性愛に関心があるようで、フランス・ドイツあたりの男がどうも他と違う。

特にフランス人が性的に不思議な感覚を持っているように見える。ディープキスは昔はフレンチ・キスと言われた。フランス人が好んでいたキスだったからだ。

フェラチオはフランス人がする変態行為だと言われていた。他の民族でそれは一般的ではなかった。フランスの性的な放縦さは突出していた。

また、ドイツも奇妙な性の探求で有名な民族だ。どうも、フランス人やドイツ人は性的に何か深いものを隠し持っている。

性に関して何かタブーを破ろうとする負のエネルギー

フランスと言えば、子供が怖がるほどに精巧に作られた「フランス人形」が伝統にある。

実はフランス人形を量産化させたのがドイツ人形で、やはりとても精巧で薄気味悪い感じがする。人形なのにリアルすぎるのである。

あれを見ても何か子供のためではないような、退廃的なものを感じてしまう人は多く、実際にロリコン気質のある男たちがそれをコレクションしていることで有名だった。

フランス人やドイツ人はロリコン気質があるのだろうか。実はあるかもしれない。アジアやアフリカで、ロリコン狂いをしているのはフランス人やドイツ人が多い。

彼らがその旧植民地をさまよってやっていることを見ていると、どうもロリコンだけでなく、セックス全体のタブーをあえて冒したいという意識すらも感じる。

どうもフランス人(と、ドイツ人)は性に関して何かタブーを破ろうとする負のエネルギーがあるように思えて仕方がない。

アジアの闇の中で、誰がどこにいたのかを後々よく考えてみれば、どうもそういう疑念が浮かんでしまう。

そこでふと思ったのが、「サディスト」の元祖マルキ・ド・サドのことだ。

サドは今でもその名を知らない者はない。未亡人を暴行したり、娼婦を虐待したりして刑務所と精神病院に放りこまれたが、そこで壮大な暴力小説を書いて、それが歴史に残った。

『ソドム百二十日』『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』『悪徳の栄え』などを読むと分かるが、そこには暴力と反体制にまみれた描写が執拗に続き、そのあらゆる不品行と堕落には陶酔さえ感じる。

サドはフランス人だった。


人形なのに、どこか精巧すぎて気味が悪いフランス・ドイツ人形。

堅苦しい社会をぶち壊したいという自由への欲求

また1970年にエマニエル夫人という映画が公開されて、そこから女性たちの性的概念の「パラダイムシフト」が起きた。

原作者は「タイ・バンコク生まれ」の女性エマニュエル・アルサンだった。

ジュスト・ジャカン監督シルビア・クリステルの映画は大ヒットして1970年代は、その亜流で映画が埋め尽くされた(この亜流のひとつである「ブラック・エマニエル」の主演女優はインドネシア人だった)。

私がエマニエル夫人を見たのはずっとあとの話だが、あの映画を見てもエマニエルの「哲学」がよく分からず、しかたがないから原作を買って読んでやっと何が言いたいのか理解した。

フランス文学はどれもそうだが、自己客観視と哲学に溢れている。この小説もまたそうだった。

もうこの小説を顧みる人もいないが、その根底を貫く哲学が「反処女(アンチ・バージン)」の概念だったのだ。

これはもちろん、キリスト教の強烈なアンチテーゼである。

私は今でもこのアンチテーゼを持ち出したエマニュエル・アルサンという女性に惚れている(シルビア・クリステルに惚れているわけではない)。

このエマニュエル・アルサンもまたフランス人だった。

フランス人であるサドもエマニュエル・アルサンも、その強烈な性的反逆を提示したのだが、この両者に共通するのが「反キリスト」の概念だ。

反キリストとは何か。表面を見ると、キリストや聖書に反対する立場のことを指す。

しかし、堅苦しい社会をぶち壊したいという「自由への欲求」でもあったのである。

宗教の堅苦しい枠から抜け出して、規定された常識に縛られず、自分の感覚のままに生きていきたいという欲求だ。

貞操や、常識や、文化に縛られたくない。自由に人を好きになり、自由にセックスを楽しみ、自由に振る舞いたい。

それは宗教に反しているのであれば、自分は自由のために「反キリスト」になりたい。そういう感覚が、「タブーを破りたい」というエネルギーにつながっていく。


映画「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル。この映画が全世界の女性を性道徳から解放した。

ロリータも原作がドイツで、出版がフランスだった

1962年の映画「ロリータ」より。ドイツの原本にロシア系アメリカ人が着想を得てフランスの出版社が世に出して、これが映画化された。



そう考えると、フランス人やドイツ人が秘かに惹かれている幼児性愛(ペドフィリア)もまた、タブーを破る反キリスト的な行為であることが見えてくる。

ところで、幼児性愛のことをロリータ・コンプレックスと言うこともある。このロリータは小説「ロリータ」から取られた言葉だ。

この小説を書いたのはロシア系アメリカ人ウラジーミル・ナボコフなのだが、あちこちの出版社に断られて、最終的に出版の許可を出したのはフランスの出版社だった(ここにも「反キリスト」的なフランスが登場する)。

そして、このロリータには後日談があるのだが、この小説の原作がまた存在していて、こちらを書いたのがドイツ人ハインツ・フォン・リヒベルクだったという話だ(今度はドイツ人が出てくる)。

反キリストのニーチェもドイツ、サドの対極にあるマゾ(マゾッホ)はオーストリア(ドイツ圏)。ロリータも原作がドイツで、出版がフランス。

厳格なキリスト教がこの地域に根づいた反動なのだろうが、性的に逸脱したすべての概念もまたこの地域から生まれている。

彼らの中の反キリスト感情と、後進国で彼らが秘かに行なっているロリコン犯罪……。

ずっと心に引っかかっているのがフランス人・ドイツ人の、陰湿な性の探求だ。

彼らの中にある反キリスト、反道徳。もう彼らにはキリストは負担になっているのだろう。だから、そこに性のタブーを覆したいという欲求が見える。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120912T0004430900.html


02. 2012年9月27日 19:41:15 : HNPlrBDYLM

欧米のポルノは何故日本の AV に敵わないのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/325.html


03. 2012年10月25日 00:22:38 : HNPlrBDYLM



シルビア・クリステル死去。エマニエル夫人で一世風靡した女優 2012-10-18

シルビア・クリステルが死んだ。2012年10月18日、60歳だった。癌を患い、2012年7月には脳卒中を起こして寝たきりになっていた。それから3ヶ月で亡くなっているので、最期は意識もなかったのかもしれない。全世界の女性の性意識を転換させた女性の静かな死だった。

シルビア・クリステルという女優は、多くの映画で人々に感銘を与えた女優ではなかった。50本近くの映画に出ていたが、ただひとつ「エマニエル夫人」の3部作のみで人々の記憶に残った。最初から最後までエマニエルの呪縛から逃れることができなかったという言い方もできる。しかし、いろいろなインタビューを読むと、彼女はむしろそれを誇りにしていたようだ。

「エマニエル夫人」が、彼女の人生の使命だったのだ。


女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ

「エマニエル夫人」は特異な映画だ。原作も駄作、映画自体もそれほどよくできた映画でもない。映画史から見ると、「エマニエル夫人」はキワモノであり、賞を与えるほどの名作でもなく、大金をかけた大作でもない。

しかし、シルビア・クリステルが映画の中で見せた瑞々しい肉体は、そのすべてを吹き飛ばし、全世界の女性にアピールした。時代が求めているものを、彼女は表現していたのだ。

1970年代はヒッピー・ムーブメントの時代であり、これは時代を縛っていた様々な既成概念を壊す動きだった。この打ち壊すべく既成概念のひとつに「女性の貞操観念」があった。

「女性はもっと権利を主張すべきだ」
「女性は自らを解放すべきだ」
「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」


ウーマンリブの概念が生まれたのもこの頃だし、女性の社会進出が求められたのもこの頃だし、フェミニズムという思想が生まれたのもこの1970年代だった。この中で、「女性はもっと奔放に性を楽しむべきだ」という部分の起爆剤になったのが、シルビア・クリステルの「エマニエル夫人」だったのである。

1970年代の女性たちはこの映画で、シルビア・クリステルに導かれるように「性を謳歌する」道を歩み始めた。だから、この映画は「映画」として重要なのではない。「社会史」として重要なものだったのだ。


最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか

エマニエル夫人は、ただの映画でも、ただのポルノでもなかった。時代が求めているものを表現したものだった。巧みな宣伝と、シルビア・クリステルの美しさと、映画全編に流れる美しい音楽すべてが相乗効果を発揮していたとも言える。

彼女のあとにも様々な女性がエマニエルを演じたし、エマニエルの亜流もまたたくさん作られた。しかし、そのどれもが興行的に失敗しているし、歴史の風雪を乗り越えることもできなかった。 実は、エマニエル夫人も「エマニエル夫人」「続エマニエル夫人」「さよならエマニエル夫人」と立て続けに作られたが、強い影響力を持って覚えられたのは、最初の「エマニエル夫人」だけだった。

なぜなのか。

実は、原作をなぞって作られた最初の映画には、美しさの裏に大きな「毒」が仕掛けられていたからだ。その「毒」は、原作を読んだ人間だけが知っているものだ。その「毒」を表現していたのが、まさに最初の一本だったのである。「続エマニエル夫人」と「さよならエマニエル夫人」は、ただヒットに釣られて作られた映画であり、原作の持つ「毒」はそこに表現されていない。


いったい、この最初の映画に仕組まれていた「毒」とは何だったのか。それは、実はブラックアジアで答えを書いた。ブラックアジアの会員の方は、その「毒」をもう一度確認してみて欲しい。


伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?

エマニエル夫人。汚れて「いない」と感じるのは恐ろしいわ

本当のエマニエル夫人の裏にあるものを知らなければ、何があったのか、何も分かっていないのと同じだ。答えはこの図が示しているものだ。

女性の肉体は世の中を変える力がある

多くの人たちは映画「エマニエル夫人」の奇妙な物語の裏側に何が隠されているのか、その意図を知ることもないし、見ることもない。ただ、シルビア・クリステル演じるエマニエル夫人が、性的に解放されていくという部分のみに目を奪われてしまっている。

しかし、エマニエル夫人を取り巻く男たちの言動はとても奇妙で、異様な哲学を持っている。その哲学は、現代になってもまだ実現していない先進性を持ったものである。そして、その一見、奇妙に見える哲学の裏側にあるのが、「毒」だったのだ。

「伝説の映画『エマニエル夫人』に仕掛けられていたものとは?」で示したフランス版の奇妙なイラストは、ひとつのサブリミナルになっていた。

しかし、そういった毒を毒と感じさせなかったのが、シルビア・クリステルという美しい女性の肉体だった。

毒のあるリンゴであっても、とても美しければ食べてみたくなる。時代は毒リンゴを求めていて、だからエマニエル夫人はその象徴となった。

女性の肉体は世の中を変える力がある。

これは、常にブラックアジアのひとつのテーマでもある。今、インドで「女性の肉体が世の中を変える」動きが加速していることも書いた。

エジプトでも起きている。(アリア・マフディ。あっさりと裸をさらしてイスラムに反抗 )

1970年代に、シルビア・クリステルが示したのがまさに、これだった。

「女性の肉体は世の中を変える力がある」
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121019T0049500900.html


04. 2013年6月30日 07:16:56 : W18zBTaIM6

箱根湯本温泉 平賀敬美術館 2013年05月10日


たまには我が家から気軽に行ける箱根で湯浴みするのも良かろうと考え、自宅の最寄り駅から小田急のロマンスカーに乗って、箱根湯本の温泉をハシゴすることにしました。

1軒目は湯本の温泉街の外縁部に位置しており、温泉ファンからの評価が非常に高い「平賀敬美術館」です。

こちらは老舗旅館「萬翠楼福住」の別館として明治後期に建れられた平屋の木造家屋でして、かつては井上馨・山形有朋・犬養毅・近衛文麿など日本近代史の名だたる面々が逗留しており、近年は洋画家の平賀敬(1936-2000)が晩年に邸宅とし、氏の没後は氏の作品を収蔵展示する美術館として今に至っています。なお2003年に国の登録有形文化財に指定されております。


 
コの字形の建物の奥まったところに玄関があり、上がり框に置かれていたベルを軽く鳴らすと、お手伝いさんの女性が出てきてくださいました。玄関の右手の廊下には所狭しと平賀敬の作品が展示されており、廊下の奥でつながっている蔵もギャラリーとして公開されています。

一方、その反対側である左側には浴室や居住スペースなどが配されており、廊下に面して浴室が複数設けられています。後ほど平賀敬の奥様である幸さんとお話させていただきましたが、幸さん曰く、


一番大きな「第二号浴室」は「殿様風呂、武官用」、

その手前の小さな「第一号浴室」は「女中風呂」なんだそうです。


今回は運がよいことに先客も予約も無かったために、「第二号浴室」つまり「殿様風呂」を利用させていただくことになりました。


 
浴室入口の立枠には「100%天然温泉かけ流し」と書かれた札が提げられています。鴨居に貼り付けてあった「第弐號浴室」の札は昔からのものなのでしょうか。とても良い雰囲気ですね。


 
室内は脱衣室と浴室が一体となっている造りで、浴槽も、床も、側壁下部も、水回りは大理石に覆われており、殿様がひっそりと入るにふさわしい高貴で落ち着いた佇まいです。歴史に名を連ねている錚々たる面々がここで汗を流して寛いだのかと、いにしえの光景を想像すると感慨もひとしおです。殿様とは正反対の私如き下賤の草民が、このような高尚な施設を利用できる機会に与れるのですから、有難い世の中になったものですね。


 
壁には椿が活けられ、また壁飾りもさりげなく提げられています。


 
窓の外側では鉄格子が浴室を守っていました。この格子は不審者の侵入を防ぐためのものなんだとか。

昔の建物らしく室内の明るさは控えめでして、目の前に聳える山の斜面から擦りガラスを通して柔らかい外光が入ってくるほかは、窓上に取り付けられている丸い白熱灯が優しく淡い暖色系の灯りを照らしているばかりです。

天井を見上げると、湯気抜きの模様も実に繊細。


 
浴槽は象牙色の総大理石で2人サイズです。槽に体を沈めて肌が大理石に触れた時の優しく柔らかい感触がなんとも言えません。その浴槽には清らかに澄んだ横穴湧泉のお湯が塩ビのパイプからトポトポと落とされていました。以前は槽内の穴から供給されていたそうですが、幸さんによれば、長年の使用により配管内にスケールが詰まってしまったため、現状のように新たに配管を設置しなおしたそうです。

お湯は完全掛け流しで加温加水循環消毒一切無く、浴槽の縁から常時静かにオーバーフローしています。源泉投入量は多くありませんが、槽の大きさには見合っており、私が入ることによってお湯が溢れ出た湯船は一旦は嵩が減ったものの、ものの数分で回復しました。

数日続いた雨の影響でこの日の湧出温度は普段よりちょっと下がっていたそうですが、それでも41〜2℃はあり、一滴も加水すること無く源泉そのまんまで入浴することができました。お湯は無色澄明、はっきりとした芒硝味のほか石膏味も少々含まれており、アルカリ性単純泉によく見られる微収斂も感じられました。また芒硝や石膏の香りがふんわりと漂い、ミシン油のような芳香も微かにあったような気がします。

お湯に体を沈めると全身が綿のクッションに包まれているかのようなフワっとした軽やかな感覚に覆われ、また肌の表面を滑るツルスベ感もとても強く、硫酸塩泉的な弱い引っかかりも混在しているものの、ツルスベ感がそれを圧倒していました。しかも、そのようなお湯からの浴感に大理石ならではの感触も加味されるので、湯船に浸かっている時に感じられる上品さは他では決して味わえません。私の貧相なボキャブラリーでは感触の素晴らしさが微塵も伝えられないのが悔しいところです。


 
浴槽の手前には広く取られたスペースも大理石敷きでして、不規則に割られた石を敷き、その目地に桃色の砂利を埋めこんで、見事なまでに美しい模様を作り出しているのです。この床を見るだけでもうっとり見惚れるのですが、幸さん曰く、

夏になればこの床の上にすっぽんぽんで寝転び、オーバーフローするお湯を背中で受けながら、磁器の枕に頭を載せて所謂トドを楽しむと最高に気持ち良いんだそうです。

この染付磁器の枕も美術館に収蔵されていてもおかしくなさそうな美しい物ですが、貴重だからといってショーケースに展示したら死に体と化してしまいますから、現役で使用し続けることにこそ意義があるんですね。


 
いつまでも入り続けていたかったのですが、一人でいつまでも占領するわけにはいきませんので、1時間ほどでお風呂から上がり、その後はお座敷に移動して休憩させていただきました。訪問した日はちょうど箱根界隈で桜が咲きはじめた頃だったのですが、広縁越しに望む庭園では今が盛りと新緑が萌えていました。

お座敷にも作品がたくさん展示されており、氏の作品に囲まれながら卓の前に座って、DVDを観ながら厚手のガラス瓶に入った山の清冽な清水とおまんじゅうをいただきます。そのDVDは元NHKの山根基世アナウンサーが平賀敬氏をインタビューしている30分ほどの番組でして、氏の経歴や世界観を短時間で理解するにはもってこいの内容でした。

京言葉まじりの幸さんから伺った話によると、こちらに引いている源泉「横穴湧泉」は他の源泉と違ってボーリングやポンプアップすることなく、横穴から自然湧出しているんだそうでして、直接飲むことができ、わざわざ車で汲みに来る人もいるんだそうです。

歴史ある箱根湯本の風情や趣きを身近に体感できるこちらの美術館は、作品をじっくり鑑賞しながらゆっくりと過ごして心を潤すのがまっとうな利用方法なのかもしれず、温泉入浴を目当てで唐突に訪れる私のような客は無粋の骨頂なのかもしれませんが、そんな私如き人間すらも歓迎してくださる幸さんのおもてなしがとても嬉しく、浴場や源泉が素晴らしさも相俟って、こちらに滞在している僅かな時間は現世の憂さをすっかり忘却することができました。湯本を訪れたら足を運ぶことをおすすめします。


福住湧泉(湯本第3号)
アルカリ性単純温泉 42.4℃ pH8.9 蒸発残留物0.543g/kg 成分総計0.545g/kg
Na+:145mg, Ca++:28.2mg,
Cl-:135mg, SO4--:142mg, HCO3-:29.9mg,
H2SiO3:45.3mg,
http://blog.goo.ne.jp/onsen_shouyou/e/e58c8ed888212d9a9a722f4b32839888


05. 2013年6月30日 14:00:10 : W18zBTaIM6

平賀敬モノクロームの世界
http://www.youtube.com/watch?v=xxh0-1s9Syk


伊藤浩子2013平賀敬美術館
http://www.youtube.com/watch?v=SGOWeSirQTQ

メルティング・ポットの世界 平賀敬美術館 伊藤浩子アコーディオン
http://www.youtube.com/watch?v=RVCjJYAkAHM


06. 2013年6月30日 14:06:20 : W18zBTaIM6

平賀敬美術館 浴室動画
http://www.youtube.com/watch?v=Eab71z4cNSU&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=6rDG5cGbL0g&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=o4OLgDFr5rQ&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=R2DtO8w2SYY&feature=player_embedded


平賀敬美術館

入湯日:2009年?、2013年3月10日(日)
料金:1700円(入館料600円+入浴料1100円)
時間:10:00〜17:00

 強羅から下って来て、箱根湯本で下車。数年前に1度入浴した平賀敬美術館を再訪し、写真撮影に臨むためである。初入湯日の記録をしていなかったためそれは不明。たぶん2009年頃。

 箱根湯本駅から歩くこと数分。当該美術館敷地前にこの看板あり。前回はあったかなあ?

 建物全景と玄関前。

 玄関を開け、「こんにちは〜」と何度呼ぶも反応なし。玄関先にでかい鐘が置いてあったので、それも鳴らす。でかい音(驚)。しかし無反応。ひょっとして留守か?

ちょっと失礼して上がり、中へ入って再び呼ぶ。しかし同じく無反応。しかたなく一旦外へ出て周辺の写真撮影を行い、再び玄関前に来たら館主が洗濯物を干していた。目が合ったので、入浴を乞う。再訪の旨を告げると、

「まだ誰も入っていないうちに先に入浴を」

と勧められた。料金が前回よりも200円上昇。入湯税も含め入浴料は1100円に、入館料も600円へと変わっていた。

 浴室前に掲げてあった注意書き。

 美しい浴室…。静寂の中、湯の流れ出る音のみが耳に入ってくる。日帰り入浴としては高い料金だが、貸切でこの湯と浴室を楽しめるのだから、自分は十分満足である。


 陶器の枕。ここで寝転がって寝湯を楽しむことができる。

 天井も結構高くて開放感がある。


 帰り時間の都合があったので若干せかせかしていたが、時間を気にしなければ1時間くらいはじっと楽しんでいたい湯だ。風呂から上がって館主に挨拶をして帰ろうと思ったが、「お茶を」とのことで居間に通され(前回同様)冷たいお水を戴いた。次の入浴を待つカップルが平賀敬氏が出演しているVTRを観ていた。時間があれば、もっとゆっくりして平賀敬氏の作品を鑑賞して帰るのだが、とにかく時間がなかったので、館主がカップルを浴室へ案内した隙にお暇させて頂いた。芳名録の余白部分に「また来ます」と記して、失礼した。
 
 いずれまた2時間くらいの時間を取って再々訪します。
http://anchanspa.exblog.jp/19932935



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