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日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第2章 嵌められた日本〜張作霖事件
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/381.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 11 日 17:36:16: 8rnauVNerwl2s
 

(回答先: 日本を操る赤い糸〜田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等 第1章 日本悪玉説のもと、『田中上奏文』 投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 8 月 11 日 17:32:34)


「ほそかわ・かずひこの<オピニオン・サイト>」から
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm

第2章 嵌められた日本〜張作霖事件

 張作霖事件は、なぞの多い事件です。東京裁判において、パル判事は、この事件について「神秘の幕に覆われたまま」と記しました。
この事件について述べるには、ユン・チアンとジョン・ハリディの共著『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)に拠らなければならなりません。この本は、多くの点で衝撃的な本です。

◆爆殺は、ソ連GRUの工作か?

 『マオ』は、新しい膨大な資料や多数のインタビューをもとに、20世紀屈指の指導者・毛沢東の知られざる実像を描いています。共産党の支配下で、中国は7千万人もの犠牲者が出ているといわれます。その惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものでした。本書は、毛の悪行は、スターリンやヒトラーを上回るものであることを、圧倒的な説得力で明らかにしています。

 毛沢東の死後、彼の目指した超大国化、軍事大国化の道を中国共産党は、歩み続けました。そして、21世紀の今日、共産中国は日本への脅威となり、アジアへの、また世界への脅威となっています。憎悪と謀略の反日思想によって。また、核ミサイルの開発、原子力潜水艦の配備、自然破壊、食料不足、エネルギー争奪、エイズの蔓延等によって。
 こうした共産中国の由来と将来を認識する上で、『マオ』は必読の書と言っても過言ではありません。

 それと同時に、『マオ』には、別の価値もあります。それは、本書が、20世紀の世界史の見方に転換を迫る本でもあるからです。
 本書には、東京裁判史観すなわちわが国の指導者を一方的に断罪した東京裁判で作り上げられた歴史観を覆すような記述が、随所に出てきます。京都大学教授の中西輝政氏は、平成18年3月号の雑誌『正論』と『諸君!』で本書を紹介し、「これまでの東アジア現代史や戦前の日中関係史に関して、文字通り根底を揺るがすような数多くの新発見が盛り込まれて」いる、「この本に書かれていることが事実であるならば、20世紀の国際関係史は根本的に再検討されなければならない」と述べています。

 その新発見の一つとして、昭和3年(1928)6月の張作霖爆殺事件があります。この事件は、従来、日本の関東軍の謀略だったと言われてきましたが、『マオ』は旧ソ連のGRU(ソ連赤軍参謀本部情報総局)の工作であった、としています。
 もしそれが事実であれば、非常に大きな意味を持つのです。わが国は、戦後の東京裁判で、昭和3年以降の出来事について裁かれました。その出来事の起点とされたのが、張作霖爆殺事件なのです。
 東京裁判において、米国・旧ソ連・中国などの連合国は、日本を裁くうえで、『田中上奏文』を重要な根拠としました。冒頭陳述において、キーナン主席検事は、日本は昭和3年以来、「世界征服」の共同謀議による侵略戦争を行ったと述べました。東アジア、太平洋、インド洋、あるいはこれと国境を接している、あらゆる諸国の軍事的、政治的、経済的支配の獲得、そして最後には、世界支配獲得の目的をもって宣戦をし、侵略戦争を行い、そのための共同謀議を組織し、実行したというのです。

 なぜ昭和3年以来なのでしょうか。この年に、張作霖爆殺事件が起こったからです。そして、『田中上奏文』が日本による計画的な中国侵略の始まりをこの事件としているからです。だから、張作霖の爆殺が、本当に日本の関東軍によるものだったのかどうかは、東京裁判の判決全体にかかわるほどに、重要なポイントなのです。
 『田中上奏文』が偽書であることは、既に国際的に明らかになっています。東京裁判の当時でさえその疑いがあり、原告側は証拠資料として提出しなかったのでした。それでいて、日本を一方的に悪者に仕立てるために、この文書の筋書きだけを利用したのです。『田中上奏文』については、第1章に書いたように、最近、ソ連GPUによって捏造されたものという新説が出ています。偽書を中国語や英語に直し、謀略宣伝が行われた可能性が高いと思います。

 では、張作霖爆殺事件の方はどうなのでしょうか。張作霖は、中国奉天派の軍閥でした。東北三省の実権を握り、大元帥となって北京政府を操りましたが、北伐軍に敗れ、奉天への退去の途中で、列車を爆発されて死亡しました。それが満洲の占領を企図する関東軍の謀略によるものではないか、という嫌疑がかかりました。
 時の首相・田中義一は、昭和天皇に対して、責任者を厳しく処分すると奏上しました。真相究明に1年もの時間がかかった後、白川陸軍大臣が、実は関東軍の仕業ではなかったようだとの内奏を行いました。実行者と目されたのは関東軍参謀の河本大作大佐でした。しかし、陸軍は河本を軍法会議にかけることなく、行政処分にしたと報告がされました。従来、この処置は、陸軍が真相を隠し、事件の揉み消し工作をしたものと理解されてきました。

 ところが、『マオ』は、次のように記しています。
 「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」と。
 一瞬、「トンでも本」「際物」の類かと思われる人が多いでしょうしかし、本書の凄いところは、細部まで徹底的な資料研究に基づいて記述している点にあるのです。

◆スターリンの指令で日本の仕業に見せかける

『マオ』には、膨大な「注」と「参考文献」がついていますが、日本語版ではこれらが省かれています。希望者は、インターネット・サイトからダウンロードできるという方式になっています。

 本書は、張作霖爆殺事件は、スターリンの命令にもとづいて、GRUのナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだと書いています(上巻 P301)。この記述に注目した中西輝政教授は、この件(くだり)の注釈に注意を促しています。資料をダウンロードしてみると、注釈には次のように書かれています。
 「Kolpakidi & Prokhorov 2000,vol.1, pp.182-3(from GRU sources); key role also played by Sorge’s predecessor, Salnin. indirect confirmation of this is a photograph of the Old Marshal’s bombed train in Vinarov’s book (opposite P.337)captioned: ‘photograph by the author’」
 よほど時間がなかったのか、和訳する意思がないのか、英文のままです。

 中西氏は、この張作霖事件の注釈の重要性を感得し、次のように書いています。
 「該当の注を見ると、その典拠として、アレクサンドル・コリパキディとドミトリー・プロコロフの『GRU帝国』(未邦訳)第1巻182−3頁、が挙げられており、同時にエイティンゴンと共に張作霖の爆殺に『主要な役割を果たしたのは、ゾルゲの前任者であったサルーニンであった』と書かれている。つまり典拠は2000年に刊行されたロシア語の2次資料であるが、それはGRUの公文書に依拠して書かれた本だということである。
 そして従来ごく一部で噂されていたことだが、イワン・ヴィナロフのブルガリア語の本(『秘密戦の戦士』)に掲げられている張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真のキャプションに、『著者自らが撮影』とあるのが、爆殺の手を下したのは日本軍ではなくGRUだという、もう一つの間接的根拠だというチアンとハリディによる詳しい記述もある」と。(月刊『諸君!』平成18年3月号)

 中西氏の慧眼が見抜いたように、この注釈は非常に重要なことを述べていあます。張作霖爆殺の実行者は、日本陸軍ではなく、旧ソ連のGRUである、それが、なんとソ連の公文書に書かれているというのです。
 文中に出てくるゾルゲとは、ゾルゲ事件で有名なリヒャルト・ゾルゲであす。(註1) ゾルゲは従来、単なるコミンテルンの工作員とみなされてきました。しかし、近年の研究で、ゾルゲはGRUの極秘の諜報員となって、昭和4年(1929)に中国に行ったことが、明らかになっているといいます。
 張作霖爆殺事件は、ゾルゲが中国に赴く前年の出来事です。事件当時、中国にいた彼の前任者が、サルーニンでした。このGRUの大物スパイが、張作霖の爆殺に「主要な役割を果たした」というのです。そして、ヴィナロフが自著に、張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真を載せ、その絵解きに「著者自らが撮影」と書いているというのです。
 実はヴィナロフは、張作霖の乗った列車の隣の車両に乗っていました。そして、爆破直後に現場の写真を撮っているのです。彼はブルガリア人で、1920年代、ゾルゲが上海で活動していた頃、彼と接触していたGRUの工作員の一人です。その後、1940年代にはブルガリアの諜報機関の長となりました。ヴィナロフは、スターリンの指令を受けたエイティンゴンの計画の下、サルーニンの指示に従って、張作霖の爆殺に関わったと考えられます。

 『マオ』を書いたチアンの夫ハリディはロシア語に堪能であり、本書の著述において、旧ソ連の公文書等の文献を調査し、それが本書に強力な論証力を与えていると思われます。

 もし『マオ』の記述通りであれば、張作霖を爆殺したのは日本軍でなかったことになります。旧ソ連の赤軍参謀本部情報総局の謀略だった、それを日本軍の仕業に見せかけたということになります。
 旧ソ連にとって、張作霖の爆殺を行い、それを日本軍の仕業にみせかけることは、どういう目的と利益があったのでしょうか。それは、結果として成功したと言えるものだったのでしょうか。
 従来、張作霖事件は、関東軍参謀の河本大佐が列車を爆破し、国民党便衣隊の陰謀に偽装したといわれてきました。『マオ』の伝える新発見と、このことはどのように関係するのか、『マオ』は何も触れていません。河本とコミンテルンまたGRUの間に、何か関係はないのでしょうか。日本陸軍は、河本の背後に、第3国の存在を感知してはいなかったのでしょうか。
 今後の研究によって詳細が明らかにされていくことに期待したいと思います。


(1)ゾルゲについては、第6章をご参照下さい。

◆ドミトリー・プロコロフは語る

 張作霖事件の見直しは、ロシアからはじまっています。東京裁判で、パル判事が「神秘の幕に覆われたまま」と記した、なぞめいた事件の見直しが。

 月刊『正論』平成18年4月号は、『GRU帝国』の著者の一人、ドミトリー・プロコロフにインタビューを行った記事を載せました。「『張作霖爆殺はソ連の謀略』と断言するこれだけの根拠」という記事です。インタビュアーは、産経新聞モスクワ支局長・内藤泰朗氏です。(註 人名の表記については、この記事はプロホロフ、サルヌイン、エイチンゴンとしているが、統一のため前述にならう)
 この記事によると、プロコロフは、「ソ連・ロシアの特務機関の活動を専門分野とする歴史研究家」です。
 プロコロフは、内藤氏に対し、自分は旧ソ連共産党や特務機関に保管されたこれまで未公開の秘密文書を根拠としているわけではないと断ったうえで、ソ連時代に出版された軍指導部の追想録やインタビュー記事、ソ連崩壊後に公開された公文書などを総合した結果、「張作霖の爆殺は、ソ連の特務機関が行ったのはほぼ間違いない」と断定したといいます。
 以下、このインタビューで、プロコロフが語った内容を要約して記したいと思います。

 張作霖は大正13年(1924)に、ソ連と中国東北鉄道条約を締結し、鉄道の共同経営を行った。しかし、張は鉄道使用代金の未払いを続け、その額が膨らんでいた。大正15年(1926)、ソ連がこれに抗議して、鉄道の使用禁止を通達した。張作霖軍はこれに反発し、鉄道を実力で占拠して、実権を握った。
 こうした張の反ソ的な姿勢に対し、スターリンのソ連政府は、張作霖の暗殺を、軍特務機関のフリストフォル・サルーニンに命じた。サルーニンは暗殺計画を立案し、特務機関のレオニード・ブルラコフが協力した。
 彼らは、同年9月、奉天にある張作霖の宮殿に地雷を敷設して、爆殺する計画を立てた。しかし、張作霖の特務機関にブルラコフらが逮捕され、第1回目の暗殺計画は、失敗に終わった。 
 その後、張作霖は、モスクワに対してあからさまな敵対的行動に出始めた。昭和2年(1927)4月には、北京のソ連総領事館に強制捜査を行い、暗号表や工作員リスト、モスクワからの指示書等を押収した。中国共産党に対しても、共産党員を多数逮捕するなど、共産主義に対する弾圧を行った。また、亡命ロシア人や土匪部隊を仕向けて、ソ連領を侵犯させるなどしていた。
 その一方、張作霖は、昭和3年(1928)、日本側と交渉を始め、日本政府の支持を得て、中国東北部に反共・反ソの独立した満洲共和国を創設しようと画策した。この動きは、ソ連合同国家保安部の諜報員、ナウム・エイティンゴンがモスクワに知らせた。

 クレムリンには、日本と張作霖の交渉は、ソ連の極東方面の国境に対する直接的な脅威であると映った。スターリンは再び、張作霖の暗殺を実行に移す決定を下した。暗殺計画の立案とその実行には、エイティンゴンとサルーニンが任命された。
 サルーニンは、昭和2年(1927)から上海で非合法工作員のとりまとめ役を行っていたが、満洲においてもロシア人や中国人の工作員を多く抱えていた。暗殺の疑惑が、日本に向けられるよう仕向けることが重要だった。

 昭和3年(1928)6月4日夜、張作霖が北京から奉天に向かう列車は、奉天郊外で爆破された。重症を負った張は、その後、死亡した。

 しかしながら、張作霖の暗殺は、ソ連政府の望んだような結果をもたらさなかった。父の後を継ぐ張学良は、蒋介石と協力し、南京政府を承認した。また、張の軍はソ連軍と武力衝突した。一方、日本は、張作霖の死後、中国北部地方の支配力を失った。しかし、昭和6年(1931)、関東軍が満洲事変を起こし、翌7年、満洲国を建設した。これによって、ソ連は、東北三省での立脚地を失った。

 東京裁判では、元陸軍省兵務局長の田中隆吉が証言した。「河本大佐の計画で実行された」「爆破を行ったのは、京城工兵第20連隊の一部の将校と下士官十数名」「使った爆薬は、工兵隊のダイナマイト200個」などと証言した。
 しかし、日本では、東京裁判後の1940年代後半、日本には張作霖を暗殺する理由がまったくなく、暗殺には関与していないという声があがった。田中隆吉は、敗戦後、ソ連に抑留されていた際、ソ連国家保安省に取り込まれ、裁判ではソ連側に都合のいいように準備され、翻訳された文書をそのまま証言させられていた。

 以上が、プロコロフがインタビューで語った内容の要約です。
 インタビューの最後で、プロコロフは、次のように語ったといいます。
 「当時の中華民国は、北京に軍政府を組織していた張作霖が代表しており、日本の満洲での租借権益も張作霖を通じて維持されていた。その頃の日本の方針は、満洲の張作霖政権を育成、援助し、日本の満洲権益を守らせることだった。関東軍の暴走では説明しづらいものがあるのだ。どう考えても、日本が張作霖暗殺に手を染める理由は、ソ連以上にはない」と。

 プロコロフの談に対し、彼の著書『GRU帝国』から、若干の記述を補っておきたいと思います。
 昭和2〜3年(1927-28)当時、GRUの中国における活動の中心は上海にありました。その組織には表の合法機関とは別に、非合法の諜報組織がありました。後者は昭和2年に着任したサルヌインが長をしていました。サルーニンの部下に、ヴィナロフがいたのです。
 『マオ』は、ヴィナロフが、張作霖の爆殺された列車の写真を「自分が撮った」というキャプション付きで自著『秘密戦の戦士』に掲げていることをもって、張作霖爆殺はGRUの仕業という間接的証拠としています。ヴィナロフはサルーニンの部下であったことが、重要です。
 また、エンティンゴンは、張作霖暗殺計画の遂行のために、GRU本部からサルーニンのもとへ差し向けられていた諜報部員でした。GRUが張作霖暗殺に力を入れていたことがわかります。

 プロコロフの説は衝撃的です。とはいえ、どの程度の妥当性を持つのか、次にその検討を行いたいと思います。

◆ゆらぐ定説、深まるなぞ

張作霖爆殺事件は日本軍の仕業というのが定説でした。その定説が揺らぎだしている。定説は東京裁判でつくられたものです。
 この「満洲某重大事件」とされた事件の詳細は、東京裁判の時まで、国民には知らされていませんでした。東京裁判で検察側証人として立った田中隆吉が、突如この事件について証言しました。田中は、関東軍の元参謀でした。田中は「河本大佐の計画で実行された」「そのことを河本自身から聞いた」「これが事実だ」と断定しました。田中は実行の詳細を述べたが、弁護側は多くの資料を却下されたり、未提出に終わったりしたために、十分事実を争うことができなかったのです。

 田中が証人として現れたとき、日本人の被告や傍聴席から驚きの声が上がったと伝えられます。田中は「日本のユダ」と呼ばれました。田中自身、いわゆる「A級戦犯」として、連合国から訴追されてもおかしくない過去を持っていました。実は田中は、検事団から免責の約束を取り付けた上で、軍上層部の機密事項をまことしやかに次々と述べたのでした。
 月刊『正論』が掲載したプロコロフの談によると、田中は戦後抑留されたソ連で、国家保安省に取り込まれて、ソ連に都合のいいように証言させられたといいます。私は、田中自身が、祖国への裏切り、または同胞を責める意思をもって偽証したのではないか、という疑いを抱かざるを得ません。

 次に、プロコロフ説の検討を行いたいと思います。

 拓殖大学客員教授の藤岡信勝氏は、張作霖事件にいろいろ疑問を抱いてきた学者の一人です。氏が『正論』平成18年4月号に書いたものによると、田中義一を首相とする日本政府は、「張作霖を支援して満洲支配の支柱にしようとしていた」。北京で勢力を張っていた「張作霖を満洲に引き上げさせたのも、蒋介石の北伐軍から張作霖を守り彼を温存するためだった。爆破は、その帰満の途上で起こったのだ」。だから「日本にとって彼を殺害して得られる利益は何もない」。しかし、日本軍の実行行為は、詳細まで明らかにされている。プロコロフの主張には、この暗殺の実行の詳細がない。
そこで、藤岡氏は、「論理的には次のどれかが真実であるということになろう」と言います。

@ソ連の特務機関が行ったという情報そのものがガセネタである場合。
 例えば、二回目の暗殺計画は、実行する前に関東軍が同じ事を実行したので、自分たちがやったように報告したなど。
Aプロホロフの情報が正しく、河本以下の証言がすべて作り話である場合。
B河本以下の関東軍軍人が丸ごとソ連の特務機関の配下、または影響下にあった場合。

 以上の三つです。藤岡氏は、今後の研究によってどうなるか、余談を許さないと言っています。

 中西輝政氏は、『諸君!』平成18年4月号で『GRU帝国』のロシア語の原書を検討した結果を記し、その上で、「重要な疑問の一つ」として、次のことを挙げています。「張作霖爆殺の直後から、日本政府や軍関係者が自ら『関東軍がやったのだ』と思ったほどの偽装工作が、一体どのようにして可能だったのか」。同書は、その具体的な手法については触れていません。河本大佐は、戦前から「自らやった」と公言していました。
 中西氏は、もし『GRU帝国』の叙述が本当だったとすると、可能性は二つしかないといいます。

C河本が、事件が実はGRUの謀略だったことを知らず、ある種の「パーセプション操作」による作られた擬似状況(バーチャル・リアリティ)の中で「自らやった」と思い込んでいた場合。
D河本が「日本に忠実」ではなかった場合。

 以上の二つです。

 中西氏のCは、藤岡氏のAと若干似ていますが、Cは思い込みであるのに対し、Aは虚偽である点が違います。Cの思い込みは、「『パーセプション操作』による作られた擬似状況(バーチャル・リアリティ)の中で」と中西氏が書いているように、ある種の「洗脳」の結果という可能性が含意されているでしょう。これに対し、Aは、何らかの目的をもって意図的にウソをついている可能性が含意されているでしょう。
 中西氏のDは示唆的な表現ですが、藤岡氏のBと同じ可能性を想定したものと思います。つまり、河本らがソ連またはGRUと何らかの関係があった場合です。
 CとDの違いは、Cは「洗脳」による思い込みであり、Dは祖国に対する裏切りです。中西氏は、「いずれにせよ、この問題は、戦前の日本陸軍の内部にGRUないしソ連・コミンテルン系の工作網がどのくらい浸透していたか、という昭和戦争史全体と諜報史に関わる大テーマにも絡んでくる」と述べています。

◆日米を戦わせて、革命を醸成

次に、私の考察を述べたいと思います。
プロコロフによって、ソ連のGRUが張作霖暗殺を計画していたことは明らかになりました。一度目の宮殿爆破は失敗しました。続いて、二回目が計画されていました。そして、張作霖は列車ごと爆殺されました。しかし、爆殺の実行については、プロコロフはGRUによることを論証し得ていません。

 私が考えるに、張作霖爆殺には、
(ア)関東軍の一部が実行した。
(イ)GRUが実行した。
(ウ)実行にGRUと関東軍の両方が関与した。
の三つの可能性があります。
 これまでの歴史研究は、(ア)を通説として疑わない者と、その通説に疑問を抱く者とに分かれていました。そこに今回、大きな見直しが必要となったわけです。

 (ア)については、今後、次のように理解されるでしょう。GRUと関東軍には、別々に暗殺計画があった。GRUは、日本軍が先にやったので、自らの計画を実行するまでもなく、同じ結果を得たことになる。日本政府には、張作霖を暗殺する動機はない。暗殺は、国益に反する。しかし、関東軍の一部は、政府の対中政策に反抗して勝手な行動を行った、と。

 (イ)は、今回新たに生じた可能性です。ソ連が張作霖を暗殺する目的は、対日・対中政策を有利に進めることです。しかし、河本大佐は爆殺を自ら計画したと言い、実行の詳細を述べています。実際にはGRUがやったのに、そのことを全く知らずに自分たちがやったと思い込んでいたという場合です。もっとも、すべて作り話だったならば、戦前の陸軍内部で調査する過程で、一部または全部が虚偽と見抜かれたでしょう。

 (ウ)の場合、GRUは関東軍に工作を行い、河本大佐またはその上司のレベルにスパイを獲得していた、このスパイがGRUの指示を受けながら実行したと考えられます。この場合、河本の証言は、日本軍の仕業に見せかけるというスターリンの謀略のもと、その指示に従って行われたことになるでしょう。関東軍の内部に、共産主義に幻想を抱き、ソ連と提携して満洲で行動を起こすような動きがあったのかもしれません。

 私は、これらのうち、(イ)の可能性は非常に低いと思います。これに対し、(ア)は、上記のように通説を修正すれば、あり得ると思います。この場合、張作霖爆殺事件は、日本政府の計画・指示ではなく、関東軍一部の独断専横である。満洲事変の前例となります。陸軍が徹底的な調査と処分を行わなかったことが、その後の関東軍の暴走を許したことになるでしょう。
 いかにスターリンの謀略があったにせよ、日本人が一致団結していれば、その仕掛けに乗せられずに、進むことが出来たはずです。国内に精神的な乱れがあると、他につけこまれるのです。
 (ウ)については、今のところ可能性があるというだけです。今後、旧ソ連の機密文書がどの程度、公開されるかわかりませんが、引き続き専門家には、この可能性も視野に入れて研究を深めてほしいと思います。

 今後の専門家の研究において、是非お願いしたいのは、『田中上奏文』と張作霖爆殺事件の関係の再検証です。
 ソ連による『田中上奏文』の捏造と張作霖の暗殺計画は、別々の事柄ではなく、もともと一つの意思のもとに進められたのではないでしょうか。そこには、スターリンの対日政策及び東アジア政策、つまり日本と東アジアの共産化という革命戦略があったと思われます。

 スターリンは大正11年(1922)4月にソ連の共産党中央委員会書記長に就任しました。レーニンはこの年、病に倒れ、大正13年(1924)1月に死亡しています。レーニンの後継者と目されたスターリンは、ソ連だけで社会主義の建設を行う一国社会主義の理論を掲げて、西欧での革命の追求を続けるトロツキーと争いました。共産党内で権力を自らに集中したスターリンは、トロツキーへの優勢を固め、昭和4年(1929)にトロツキーを国外に追放しました。スターリンは、ソ連の最初の5ヵ年計画を、昭和3年(1928)に開始しました。これは、工業化と農村の集団化を強力に進めるものでした。

 『田中上奏文』が捏造され、張作霖の暗殺が計画・実行された1920年代後半とは、スターリンがソ連で権力を掌握し、独裁者として辣腕を振るうようになっていった時期です。
 ソ連は、革命前のロシアの時代から、東アジアへの進出に力を注ぎ、中国の東北部に触手を伸ばしていました。ここで利害が衝突したのが日本であり、張作霖でした。
 スターリンは、日露戦争でロシアが日本に敗れたことに、復讐心を持っていました。また、日本の天皇をロシアのツアーと同じような存在と誤解し、皇室制度を打倒して日本を共産化し、自らの支配下に納めようと考えていました。そして、かなり早くから、日米を戦わせ、日本が消耗し弱ったところで、共産革命を起こすという戦略を抱いていたのではないでしょうか。その一環として、『田中上奏文』の捏造と張作霖の暗殺計画が進められたとも考えられます。

 ソ連は、日本の首相による天皇への上奏文を捏造し、日本が中国の征服と世界の支配を目指しているという虚偽を宣伝しました。そして、東京裁判では、その計画の第一歩が、張作霖の爆殺だったと思わせようとしたのでしょう。
 客観的に見れば、昭和6年(1931)の満洲事変を起点にしてもよかっただろうと思います。なぜ張作霖爆殺事件からなのでしょうか。ソ連にはその事件からとしなければならない理由があったはずです。それと同時に、『田中上奏文』の捏造と張作霖の暗殺工作があったことを、日本にも他の連合国にも知られてはならなかったのでしょう。だから、関東軍参謀だった田中隆吉を取り込み、法廷で偽証させる必要があったのではないでしょうか。それは、日本の指導者を裁くためであると同時に、アメリカを欺くためでもあったのではないかと思います。
 なぜなら、スターリンは、アメリカに巧妙な諜報工作を行い、日本と戦わせようと画策していたのです。そのことをアメリカに知られないようにしなければならなかったからでしょう。

戦後の多くの日本人は、東京裁判が描いた歴史観を正しいものと思わされてきました。今も小泉首相をはじめ、多くの政治家・学者・有識者は、東京史観の呪縛を抜け出ていません。
東京裁判において、日本の計画的な世界侵略というストーリーが捏造されました。その過程で、『田中上奏文』が利用されたと前述しました。『田中上奏文』の捏造には、中国人が関わったことが明らかになっており、その背後で旧ソ連の共産党や国際的な共産主義組織が暗躍したと考えられます。
 その『田中上奏文』が日本の侵略計画実行の第1弾とするのが、張作霖爆殺事件です。この事件が旧ソ連の諜報組織によるものだったとしたら、わが国は、謀略文書と謀略事件によって見事に嵌められ、東京裁判において、世界の悪者に仕立て上げられたことになります。
 東京裁判では、旧ソ連・中国・国際共産主義に不利になるようなことは、一切取り上げられていません。まだまだ、歴史の闇の中に隠されていることが、多数あるでしょう。今後の研究の進展に期待したいと思います。
(ページの頭へ)

参考資料
・ユン・チアン+ジョン・ハリディ共著『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)
・中西輝政著『「形なき侵略戦」が見えないこの国に未来はあるか』(月刊『正論』平成18年3月号)
・同上『暴かれた現代史――『マオ』と『ミトローヒン文書』の衝撃』(月刊『諸君!』平成18年3月号)
・ 同上『崩れる「東京裁判」史観の根拠』(月刊『諸君!』平成18年4月号)
・ドミトリー・プロコロフ談『「張作霖爆殺はソ連の謀略」と断言するこれだけの根拠』(月刊『正論』平成18年4月号)
・藤岡信勝著『同 解説』(月刊『正論』平成18年4月号)


※第二次世界大戦と日本の戦前戦後政治、日本のスパイ勢力と左翼

 

 

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