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日本のフツーの男はみんなロリコンだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 22 日 06:09:20: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 現代の派遣社員? 江戸時代、女性の隠れた人気職業は「妾」だった! 投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 20 日 15:33:11)


日本のフツーの男はみんなロリコンだった

今、日本で大人気のロリコン向け子供型ラブドール


1) 日本製


make pure 
http://makepure-world.o.oo7.jp/
http://www.makepure.com/

TROTTLA
http://www.trottla.net/

Project LEVEL-D
http://www.level-d.net/index.html

Apricot
http://www.apricot-doll.com/


▲△▽▼


2) 中国製


Catdoll HP
https://catdoll.shop/

amazon.co.jp catdoll
https://www.amazon.co.jp/s?ie=UTF8&me=A2QJKNA2WLY8R1&page=1
https://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=catdoll&index=aps&jp-ad-ap=0&tag=googhydr-22&ref=pd_sl_55h2uh50wx_e&adgrpid=53011966533&hvpone=&hvptwo=&hvadid=259404783533&hvpos=1t1&hvnetw=g&hvrand=3833618733464190730&hvqmt=e&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=20638&hvtargid=kwd-348309545250


▲△▽▼


KUMA Doll
https://www.kuma-doll.com/100-128cm-c28838.html


▲△▽▼


ベルドール東京 (Dollhouse168 正規代理店)
https://belledoll.tokyo/


▲△▽▼


アルテトキオ
http://www.artetokio.com/products/index.html


▲△▽▼


PERFECT BODY (Doll4Ever同等品)
https://www.perfect-body.info/introduction/121.html


▲△▽▼


ミクロメイド (国産素材ミクロン60使用, WM工場に OEM委託)
https://www.real-lovedoll.jp/123cm.html
https://www.real-lovedoll.jp/133cm.html


▲△▽▼


628名無しさん@ピンキー2018/09/22(土) 17:33:40.49ID:???


cat 136mila
asia tone

http://r2.upup.be/d/37vZkmYJ1a
http://r2.upup.be/d/Z4QdqnCbfg
http://r2.upup.be/d/pKvDkSfqBH


本物っぽさを追求

Milaちゃんグレードアップ
どうも微妙な顔だと思って居たら、原因はMilaちゃんの目頭の膜が大きめ
なせいで目がどこから始まってるのか判りにくくて目が変に見えてしまっている
為と思われたので、目蓋上内側の睫毛の黒ラインを目頭まで延長してみました

かなりまともになりました

あと恥じらいか興奮どっちでも良いように思い切り顔を紅潮させてみました


▲△▽▼


676 名前:名無しさん@ピンキー 2018/09/23(日) 10:27:10.81 ID:???

JS1-JS3 ペド
JS4-JC2 ロリコン
JC3-JK 一般人


_____


日本人の子供の年齢別平均身長・成長曲線(女児・女子)
https://www.suku-noppo.jp/data/average_height_girl.html


日本人女性の年齢別の平均身長

1歳  77.4cm
2歳  85.8cm
3歳  96.2cm
4歳  103.7cm
5歳  107.8cm
6歳  114.4cm
7歳  119.3cm
8歳  125.7cm
9歳  133.7cm
10歳 139.3cm
11歳 146.8cm
12歳 150.8cm
13歳 155.2cm
15歳 155.8cm
16歳 158.7cm
17歳 156.1cm
18歳 157.3cm
19歳 155.9cm
20歳 158.3cm
21歳 158.5cm
22歳 156.1cm
23歳 157.4cm
24歳 157.9cm
25歳 159.6cm
https://cleopatra-nose.com/average-height/


▲△▽▼


ラブドール@bbspink掲示板
https://mercury.bbspink.com/lovedoll/

アマゾンでラブドール ©bbspink.com
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB+20%E4%BD%93%E7%9B%AE+&lr=lang_ja&rlz=&gws_rd=ssl


ラブドール ロリ系総合 ©bbspink.com
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%AD%E3%83%AA%E7%B3%BB%E7%B7%8F%E5%90%88&lr=lang_ja&rlz=&gws_rd=ssl

 

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コメント
1. 中川隆[-13620] koaQ7Jey 2018年12月22日 06:24:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

最近は日本の大人も幼児化してきた


親が高齢化して、ひきこもった子供の面倒を見ることができなくなっている2018.12.22
https://blackasia.net/?p=10639


「8050問題が深刻化している」と、現場から声が上がるようになっている。8050問題とは何か。それは「80代の高齢化した親と50代のひきこもりの子供の共に困窮化し、共倒れになる問題」を指す。

1990年のバブル崩壊後、この頃の若年層は未曾有の就職氷河期にさらされ、うまく仕事を見つけることができなかった。(ダークネス:1971年〜1974年生まれは、自分たちは過酷な時代に生きる世代だと認識せよ)

彼らの一部は仕事をするのをあきらめて、そのまま「ひきこもり」となっていった。そして、30代や40代になっても彼らは依然としてひきこもったままだった。そのひきこもった子供を親が面倒を見ていた。

しかし今、その親も高齢化して貯金も使い果たし、親子共に困窮化し、共倒れになりそうになっているのである。

これが「8050問題」と言われている。「7040問題」と言われることもある。これも構造的には同じで「高齢になった70代の親とひきこもる40代の子供」の困窮の問題だ。

本来であれば子供が親の面倒を見なければならないはずなのだが、ひきこもる子供は何もしない。最後の最後まで親に依存したままだ。そして、次々と事件が起きるのである。(鈴木傾城)


完全に「生活無能力者」になった子供たち

兵庫県明石市二見町で、76歳の母親が49歳の長男に殴り殺された事件があった。この長男は仕事もしないで家の中でぶらぶらして過ごし、母親の年金に寄生して生きていた男だった。

早い話がこの男も「ひきこもり」だった。働こうとせず、自立しようともせず、ただ老いた母親にすがっていた。それならば母親に恐縮して大人しくしているべきだが、それもない。母親を奴隷か家政婦のように思っていた。

この49歳の働かない息子は「食事を作らなかったので腹が立った」ので、76歳の母親の顔を拳で殴った。

働かないでぶらぶらしている息子が食べさせてもらっている母親を殴るのだから、頭がどうかしている。結局、それが元で母親は死亡した。

ところで、その1ヶ月前にはよく似たような事件があった。

奈良県香芝市で起きた事件だったが、81歳の母親の年金に寄生して生きていた55歳の男が、死体遺棄の疑いで逮捕されていたのである。

81歳の母親が台所で倒れて死んだのだが、55歳の無職の息子はそれをそのまま5日間放置して暮らしていた。

この男も完全にひきこもって母親に食べさせてもらっている子供だった。55歳にもなってずっと無職で社会から縁が切れていた。そして、死んだ母親をどうしたらいいか分からずに5日間も放置していたのだった。異常極まりない。

この55歳の男は、あまりに長いひきこもりで完全に「生活無能力者」になっていたことが分かる。実は、何をどうしたらいいのか分からずに逃げたという事件は大阪市西淀川区でも起きていた。

81歳の母親が布団の中で死んでいたのだが、無職の51歳の男は「どうしたらいいのか分からなかった。動転した」として、放置したまま逃げていた。

これが「8050問題」である。完全に「生活無能力者」になった子供たちの姿がここにあるのが見えてくるはずだ。


気が付けばひきこもりになっていった

日本は1990年のバブル崩壊を経て、急速に就職口が減っていったのだが、それが深刻化したのが2000年代に入ってからである。

企業は正社員として若者を採用するのをやめて、どんどん非正規雇用を増やしていった。それによって若者たちは安い給料で時期が悪ければすぐに見捨てられる「使い捨て要員」にされてしまった。

最初から仕事が見付からないまま、親に面倒を見てもらうしかない若者がまずひきこもり化し、次に非正規雇用で働いていて契約が切れて新しい職場が見付からない若者がひきこもりになっていった。

日本経済はバブル崩壊の痛手から抜け出せず、2006年以後は政治の混乱も重なってますます若者を追い詰めることになった。

不幸だったのは、この混乱をさらに加速させる民主党が2009年から2012年まで政権を取ったことだ。日本史上、類を見ないまでの無能政党と言われた民主党は、異常な円高を放置して日本企業が破滅していくのを知らん顔をして見ていた。

そのため、雇用環境はさらに悪化して、若者の貧困は決定的になってしまったのである。最初は正社員になれれば何とか勝ち組だと言われていたが、やがてその正社員ですらもリストラで放り出される時代が到来した。

そんな厳しい社会の中で、次の仕事が見付からない若年層も中高年も次第に心を病んでいき、気が付けば一部がひきこもりになっていったのだ。

20代のうちに生活を成り立たせる仕事や収入を得ることができず、そのまま親に依存したまま30代を迎えた人たちが40代に入った。この頃から親の高齢化と重なって「7040問題」となり、それがより進んで「8050問題」になっている。


依存して生きる方法は正しいのかどうか

ひきこもりになって社会の接点を失うと、年齢がいけばいくほど社会復帰は難しくなる。まったく働いたことのないまま30代や40代になった無経験・無資格の人間を雇う企業はなかなかない。50代に突入したら、ほぼ絶望的だ。

そのため、ひきこもりになった子供が親が高齢化したからと言って何かが変わるわけではない。仕事を探すこともないまま、親が死んでしまうまで親の家の一室にひきこもっているのだ。

こうした環境にいる40代、50代のひきこもりが少なくとも60万人から100万人の規模で存在する。

親としては厳しい社会に叩きのめされている我が息子を必死で守ってきたと考えているのかもしれないが、結局は何もできない子供になって行き着く先は「親子共倒れ」の世界なのである。

親は子供を突き放すべきだった。本当に子供を愛し、子供を守りたいと思っているのであれば、子供を自立させる以外に方法はない。

本当に子供のことを思っている親は、恐らく親を頼ってくる子供を突き放す。それは非情に見えるかもしれない。しかし、その非情は大きな目で見ると正しいことだ。

寄生させないというのは、親にとっても子供にとっても正しいことなのである。人はいずれ自立して生きていかなければならないのだから。

8050問題はいずれは親の死によって、また次の問題となる。それはひきこもったまま生活無能力者となった人間をどうするか、という問題だ。

彼らは自分で生きることができない。ひとりで何もできない。そのため、結局は私たちの税金で彼らを養い、死ぬまで面倒を見ることになる。子供を自立させなかった親の後を継いで……。(written by 鈴木傾城)
https://blackasia.net/?p=10639

2. 中川隆[-13619] koaQ7Jey 2018年12月22日 06:33:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

小学生へのいけない妄想 - 先生のいけないラブドール 2018/04/15
http://sense98.blog.fc2.com/blog-entry-26.html


ドール所有のいいところは、禁断の妄想を実現できることでしょうか。
自分は女子高生は好きですが、基本ロリコンではないので、小学生自体にはチンチンは勃たないのですが、一度こういうのをやってみたかったので、やってみました。

本当は、165cmドールとかではなくて、それなりの大きさのドールのほうがいいのでしょうけど。

小学生は、禁断という意味では最強ですからね…。

これって、ロリコンの人相手だとヤバいかも…。くれぐれも、犯罪に走らないようにお願いします(笑)。


小学生、拉致。
http://sense98.blog.fc2.com/blog-entry-26.html


____


Hanidoll 100cm のお迎え - 先生のいけないラブドール 2018/04/25
http://sense98.blog.fc2.com/blog-entry-28.html


ブログ仲間のお迎えラッシュに刺激されたか、自らの前回のロリ妄想記事に興奮したか、

ワタクシも我慢できず、いきなりAmazonでポチってしまいました…(苦笑)。

「Banidoll セックス人形ロリシリコーン膣口肛門平らな胸 sex doll ヘッド男性用愛の人形 100cm 」というブツ。

送料込み、35,600円で、なんと、翌日届いてしまいました。


大型ドール所有者からすると、梱包もかなり小さいですね〜。


Banidollといっても、Hanidoll系のようです。


私はセッカチなタイプなので、我慢できずに、全身をだして急いでウィッグをつけます。


やはり、165cmドールと、100cmドールでは、最大と最小の違いがありますね〜。

http://sense98.blog.fc2.com/img/IMG_3959.jpg/
http://sense98.blog.fc2.com/img/IMG_3963.jpg/


165cmドールを買った理由は、できるだけ「リアル」な成人女性と、本番行為をしたかったからですけど、

100cmドールも貧乳の「リアル」タイプです。

これで狙っているのは、「母娘」ですね…。

母娘を裸にして、リアルでは絶対やってはいけないような、禁断の行為をしています(汗)。

ドールを使って、いくらでも、禁断的な妄想ができるのがいいですね〜。

といっても、今持ってる服が、女子高生の制服しかないのだった(--)

お母さん向けの服と、女の子用の服を調達しなければなりませんなぁ。

ちなみに、100cmドールにも挿入行為をしてみましたが、本番用には正直かなりイマイチですね〜。

今の、165cmのチュチュの抱き具合、挿入本番行為がものすごくよいですからね〜。

100cmドールは、穴も小さいし、足もあまり開かないし、なによりも小さすぎて女体の上にのって腰を振る、セックスというのが、そもそもやりにくいですからね…。

まあ、セックス自体は、自分は大人の女性の女体をしっかり抱くのがいいし、やはり大きな乳や尻がないと興奮しません。

子供のドールは、お母さんと性行為しつつ、脇に置きながら、触ったりなめたりして、妄想用に、いろいろやってます。今のところ。

今の課題としては、ウィッグですね〜、頭が小さくてなかなか合わない。子供用のってあるのかな…。
http://sense98.blog.fc2.com/blog-entry-28.html


851 名前:名無しさん@ピンキー 2018/11/02(金) 09:35:15.44 ID:???

おまえらどうせオリエントのやすらぎの桜樹志乃と、CAT108を並べて、
ニッセンで買った親子ペアルックの服を着せた状態で、母子相姦プレイして、

今日は娘の中に出すぞ!とか母親ドールに叫びながら射精してるんだろ?


どうやって育ったらそんな発想になるわけ?
世間さまに申しわけなくないの?
カーチャン泣いてるよ?
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/lovedoll/1539783192/l50


▲△▽▼

監護者性交罪で懲役6年 養女にみだらな行為 千葉地裁で初判決
10/19(金) 11:56配信 千葉日報オンライン

 配偶者の子ども(養女)にみだらな行為をしたとして、監護者性交罪に問われた千葉県内に住む40代のトラック運転手の男に千葉地裁は18日、懲役6年(求刑懲役7年)の実刑判決を言い渡した。同罪は昨年7月に施行され、親など監護者が18歳未満にみだらな行為をすれば、暴行や脅迫がなくても罰することができる。同罪の判決は県内で初めて。

 判決によると、養女=当時高校1年(16)=が18歳未満と知りながら今年2〜3月、コンビニ駐車場に止めたトラックの後部座席や自宅で、監護者の立場に乗じてみだらな行為をした。

 楡井英夫裁判長は判決理由で「養女の家族関係を壊したくないとの心情につけ込むなどした卑劣で悪質な犯行で、心身の健全な育成に大きな悪影響を与えた。小学校高学年の頃から繰り返し行為に及んでおり、強い非難に値する」とした。

 公判は被害者保護を理由に、被告人の氏名などを伏せて審理された。


▲△▽▼


親子丼な関係


151 : なまえを挿れて。: 2006/07/15(土) 23:33:53 ID:???

お袋の再婚相手が姉と妹に手を出していた
俺は知ってたけど何も出来なかった
姉にやめてほしい、と言った時に、頭撫でられて、
『貴方は何も心配しなくていいの 』
って言われた

ほぼ毎日親子丼を見てた中高だった

今はもう姉も妹も結婚して幸せに暮らしてるよ
でも家に帰るとリビングで姉が突かれているのを見るのは正直辛かった
何度玄関でUターンして時間つぶししたことか

本人達は一応隠れているつもりだったと思う
俺のいるところでいきなり始めたりする事はなかった
姉は一家を守る意識が強かったから、母親のために身体を投げ出しているつもりだったんだろう

妹の奴はもっと気楽みたいだったけど


俺が12歳のとき親父がなくなって その時姉が14歳、妹が10歳だった
母親は確かその時は40歳だったはず

親父がなくなってすぐに、母親が寂しかったのか男を連れ込んできて
というか、付け込まれたんだろうけど
男は見るからに女にだらしなさそうだったけど
外見は自営業で資産もあって確かに生活には心配しなくて済む気がした

俺の想像では既にこの時姉を狙ってたんだろう
覚えているのはしきりに姉に触ろうとしていて母親も止めなかった
姉もその辺の事情は理解していて恐らくこの男が自分目当てであることも良く分かってて、俺と妹のために我慢してたんだと思う
その過程で姉は俺の知る限りでは高校の時には既にセックスしていたということ

ちなみにこの時から母親はあまり家事をしなくなって姉が全て肩代わりしていた
姉は料理はバリエーションは少なかったが非常にうまく
いつも姉にジャガイモを揚げたおやつを作って貰っていたのを覚えている
あとホットケーキとか

それでも学校に行くときに今日はお父さんの会社に寄ってくるからと言われたときはいつも寂しくて会社から家の帰り道で妹と一緒に姉を待ってた事もあった
当然その時は姉は男とセックスして帰ってくるから制服のスカートは乱れているし、見るからに疲れていたのに俺たちを連れて、欲しいものをいくつか買ってくれたりした

セックスした時に多少お小遣いを貰っていたんだろう
すごく嫌そうにお金を扱ってたのが記憶に残ってる


でも妹に初潮が来て男が手を出すようになってから家ですることも多くなって
土曜日に学校から帰って来たときに母親の部屋から母姉妹の3人のあえぎ声とか聞こえるようになって、良くそのまま近くの漫画喫茶で夜まで過ごした

家では母と妹が男にのめり込んで俺は孤独感をすごく感じていたんだけど
姉はずっと俺の事を気にかけてくれていた

俺が18歳の夏、男が胃がんであることが分かって1年後死亡した
その時姉を支えてくれていたのが今の義兄で、俺と妹の学費も全部何とかしてくれた

男の会社の社員だったんだけど男とは全く違う人種ではじめて姉が甘えられた人だと思う

その後姉は最高の人生を過ごしていると俺は思ってる
今まで俺たちを支えてくれたぶん義兄には思い切り甘えているようで
まるで高校生に戻ったかのように甘えた生活をしていて、これが本当にあのしっかりした姉なのかと衝撃でもある


俺が親子を抱くのが許せないのは
母親が娘に嫉妬して男の前では母親を演じようとするけど
男のいないところでは恋敵になって露骨に姉に冷たくしていた

俺は姉に懐いていたので母親は妹ばかり可愛がっていた
妹を男に抱かせたのも母親で、姉にばかり男の愛情が行くのが許せなくて
でも自分の身体に魅力がないこともわかっていて妹を使ったんだと思う

親子が同じ男と関係すると家は崩壊するよね


162 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 15:15:43 ID:???

何か母親が女に戻った時点で全てが狂った様に見えるね。
もちろん一番糞なのはそのオヤジだけどさ。

ところで、男のあなたに対する態度はどうだったの?
母子の体が欲しくて貪ってただけで息子は一切無視とか?


164 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 16:16:21 ID:???
>>162
俺は殆ど無視されてたというか相手にしてもらえなかった
俺自身も避けてたし殆ど話をした記憶が無い
多分姉が守ってくれてたんだと思ってる

男は姉の身体にはまっていたようだったから、妹とセックスできるようになっても姉を手放さなかったし、妹に酷い事を言われても姉は気にしていなかった


165 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 17:42:58 ID:???

姉が守ってくれなかったら、虐待されていてもおかしく無かったと。
そういう事?
それにしても妹は、その状況が異常だと思ってなかったのかな?


166 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 18:42:40 ID:???
>>165
自分では姉がいなかったから虐待されてたと思ってる
妹は男の性癖を良く理解していて自分を男が一番求めているということを理解していたのだと思う
でも結局は姉の方を気に入ってたんじゃないかと思う
妹は男をうまく利用してたと思ってる


167 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 19:14:14 ID:???

感動的な話だな。

しかし、もしかしたら、>>166は、今の姉の姿(義兄にメロメロになっている)を見るほうが、つらいのかもしれんな。
>>166にとっては、最高の女性であった姉が身も心も寝取られてるってことだものな。
まあ、お姉さんの幸福はいいことだよ。


168 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 20:11:11 ID:e//uct6c [2/2回発言]
>>167
姉が詰まらない男だったら辛かったかもしれないが
今の義兄は姉を預けるに値する男だからな
間違いなく姉を幸せに出来る男の1人であることは間違いない
だから許せる面はある


169 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 22:02:49 ID:???
>>168
今、何歳?


170 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 22:49:15 ID:???
>>169
24歳になります


171 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 23:11:00 ID:???
>>170
姉と妹は結婚したといってたけど
君は?後、母親はどうしてんの?


172 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 23:18:11 ID:???
>>171
俺は独身で一人で住んでいます
母は一人で住んでいますが近くで姉が面倒を見ています


173 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 23:33:35 ID:4rcXLNzV [1/1回発言] >>172
母姉妹が同じ部屋でよがり泣かされていたこともあった、って書いてあるが
姉さんは、それでも、義父のセックスで絶頂を教えこまれてはいたのかな?


174 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 23:39:54 ID:???

エグイ事聞くなよ・・・
演技か何かだろ?


176 : なまえを挿れて。: 2006/07/16(日) 23:50:58 ID:???
>>174
でも快感を教え込まれていたと考えるのが普通だろ
女癖悪い男ということはそれなりのテクは持っていたと考えるべき
だからこそ母親もセックスの虜になったのだろう?
そのテクを以ってすれば高校生のガキなど一撃だろう


183 : 151 : 2006/07/17(月) 00:46:51 ID:???
>>173
正直言うと、母親はしらないが妹は完全にはまってた
妹は自分から抱かれに行ってたりもしたからね
姉もやっぱりセックスそのものは快感だったはず
部屋越しに「もっときつくして」とか言ってるのは何回か聞いたことがある


184 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 01:04:27 ID:???

>家に帰るとリビングで姉が突かれている

初めて姉が男にセックスされているといのを知ったのがこの時なんだけど
土曜日に家に帰ったら鍵が掛かっていて、しかたないから勝手口から入ったら、それこそセックスしている声が聞こえて
母親かと思ってそーっとリビングに行ったら制服姿の姉だった

スカートだけめくられて椅子に手をつかされてされていたのを覚えている
妙に制服の紺色と姉の尻の白さが印象に残った
そのままバックして外に出て時間を潰したけど、姉のうっ、うっという声と男の姉を蔑むような言葉が長い間忘れられなかった


185 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 01:51:32 ID:???

それにしても酷い男だわ。
姉に体目当てで接近して手を出しながら蔑む言葉を浴びせるなんてな。


186 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 02:03:00 ID:???
>>185
>蔑む言葉を浴びせるなんてな。

ええか、ええか、ええのんか〜〜
このエロ娘〜〜〜ええかぁ、出すデ〜〜〜


187 : 151 : 2006/07/17(月) 02:14:16 ID:???
>>181
それについては母親の方がエグいことになってました
母親は姉を徹底的に苛めてましたし、言う事を聞く妹を可愛がってました
姉に懐いている俺についても冷たかった

姉もほとんどは我慢していたけど、時々本当に怒ってたけど、それを薄ら笑い浮かべながら見てる男の姿が気持ち悪かった。見ている方からしてみるとゾッとするような笑いだった


188 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 02:23:55 ID:???

妹は何歳ぐらいでお相手を?


189 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 02:25:20 ID:???

初潮が来たら母親が差し出したって言ってたから
11とか12とかじゃないの?


199 : 151 : 2006/07/17(月) 11:59:22 ID:???
>>188
多分小学校6年のときじゃないかと思ってますが


190 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 02:34:54 ID:???
>>189
ということはアレかね
12歳と16歳と42歳の3人を並べて尻から犯してたと
そういうことかね!!

許せんな


199 : 151 : 2006/07/17(月) 11:59:22 ID:???
>>190
そういうこと
第三者だとうらやましいけど見てる家族は地獄だよ


192 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 02:42:09 ID:???

お姉さんと妹さんの制服はセーラー?ブレザー?


199 : 151 : 2006/07/17(月) 11:59:22 ID:???
>>192
姉も妹も中学はセーラーでした
姉は高校はセーラー、妹は茶色っぽいブレザーでした
男はやっぱりロリコンなんだと思いますが家でも制服を着させている事が多かったかな


193 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 03:05:27 ID:???

ロリなのか熟女好きなのかJK好きなのか・・・・意味不明


194 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 06:41:05 ID:???

よくある
どちらも美味いことには変わりないってやつか。


199 : 151 : 2006/07/17(月) 11:59:22 ID:???
>>193
俺は基本的にはロリコンだったんじゃないかと思ってる


200 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 12:37:41 ID:???

姉とか妹とかのセックスシーンって普通に見てたのか?


195 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 09:39:38 ID:???
>>160によると4P(母+姉+妹)?

ということは色々なパターン(母+姉、母+妹、姉+妹)もあったんだろな

>>161によると母+妹の3Pをするきっかけは想像できるけども他のパターンが難しい
姉+妹の3Pをするきっかけは案外妹の方にあったりして
母+姉の3Pをするきっかけは男が仕掛けないと難しそうだ

>>151氏の目の前であからさまな行為に及ぶことはなかったのかもしれんが
母親との行為を姉や妹の目の前でというのは初期の頃からありそうだ


196 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 10:17:48 ID:???
>>195
当初は母+姉のパターンだろ
母の前で姉が抱かれたりとかさ


206 : 151 : 2006/07/17(月) 13:54:22 ID:???
>>196
早いうちから妹は呼ばれてましたよ
俺はそういう時は母親に家から追い出される事が多かったけどね
実際にセックスしてたのは後の話だと思うけど


201 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 12:56:14 ID:???
>>195
男が鬼畜であれば、姉と弟の絡みとか、兄と妹の絡みとか
あとは姉を弟の前で犯すとか
わざと見えるところで犯したりしたのは間違いないと思う
妹なんかは逆に喜んで兄に見せ付けるかもしれない


203 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 13:10:24 ID:???
>>201
息子に母親を犯させるのが一番鬼畜ではないだろうか


204 : 151 : 2006/07/17(月) 13:48:06 ID:???
>>195
きっかけについては良く分からないけど、言ってるパターンは全部有ったと思う
姉と妹で3人でというのは良くあったよ
姉妹どちらが誘ったというより男が主導してたんだと思うけど

俺の前であさらさまにというのは無いけれど、見せ付けるみたいに嫌がらせて
されたことは良くあったよ
何と言っても俺は全く男と合わなかったし軽蔑してたからな
向こうも散々嫌がらせしてきたし姉はそれで大変苦労したと思う
実際姉も妹も俺の前でセックスさせられたりもしていたしね


217 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 14:56:52 ID:???

16歳の女子高生にフェラさせながら、12歳の女子中学生とキス
それを見ながら自慰する40歳の母
それを覗いている14歳の息子

萌え〜〜〜〜〜っ


197 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 10:33:46 ID:???

>>183によると男のセックステクも相当なものの可能性がある。
よって姉もセックスに溺れていたと見るのが適当。
熟女がはまるほどのテクなら高坊ぐらいじゃひとたまりもない。
恐らく3人で肉棒を奪い合う性活だったのだろうか。


206 : 151 : 2006/07/17(月) 13:54:22 ID:???
>>197
実際悔しいけどそうなんだろうね
姉も男を嫌がってる割にセックスはあまり拒否してなかったしね
女なんてそんなものかという幻滅感も凄かったよ
あの姉でもこうなのかと思うと結構ショックだった


205 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 13:48:54 ID:???

俺が>>151氏だったら夜中に妹か姉に突撃してるだろうなw


207 : 151 : 2006/07/17(月) 13:55:53 ID:???
>>205
しないよww
というかそんな雰囲気でもなかったし
姉は頼めばさせてくれたのかもしれないけど、そんなことは思いつきもしなかった
というか、女への嫌悪感のほうが酷かった
中高通じて姉以外の女性とまともに喋った覚えがない


208 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 14:02:59 ID:???
>>207
現在の家族の関係はどうなの?
>>151氏と姉は良好としても、>>151氏対妹、母との関係は?
特に姉と妹との関係は?


209 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 14:09:41 ID:???
>>208
母は一切連絡を取っていない
姉が修復させようとしてくれているけど今は許す気は無い

>>208
妹は今はもう姉や俺とも普通に付き合ってます
男が死んでから一時期妹はセックス依存症ぽくなって酷い時期があったんだけど
姉が立ち直らせたという事があって妹も今は姉に頭があがらない
今の義弟も姉の高校の後輩だしね
変な事をするとすぐに姉にチクられるから妹もおとなしくなった


212 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 14:26:52 ID:???

オヤジ同士では貸し出しぐらい有ったと見るのが順当だろ?
相当なスケベオヤジだからJKだってJCだってこの一家だけじゃおさまらないだろうし
お互いセックスパーティなんかも開催されていたと見るべきだろうね


214 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 14:40:01 ID:???
>>212
普通はあったと見るべきだろうな
最初から14歳の姉を狙って家に上がりこむ手口なんざ
堅気の奴がやる手口じゃないわな


220 : 151 : 2006/07/17(月) 16:08:12 ID:???
>>212
そういうことがあったのは事実だよ
家に何回も男の知り合いが来てたしね


213 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 14:30:29 ID:???

お姉さんがされていた行為とか凡そ把握していたのか?
お姉さんとそういった話はしていたのか?


220 : 151 : 2006/07/17(月) 16:08:12 ID:???
>>213
そんな話は全くしなかった
ただ同じ家にいればわかるし
隠しているように見えて隠していなかったしね


219 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 15:32:57 ID:???

変態プレイとかなかった?
あなたの前でHさせるぐらいなら、露出プレイとかしてそうだけど。


225 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 17:21:41 ID:???
>>219
正直、それに似たような事はしてた


221 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 16:22:50 ID:???

そのオッサンを殺してやりたいとか
実際殺人計画を練ったりとか、した事は無かったの?


223 : 151 : 2006/07/17(月) 17:08:57 ID:???
>>221
無かったな
思いつきもしなかった


222 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 17:03:27 ID:???

男と関係持ってる間、姉や妹は妊娠してしまった事無かった?

今、姉や妹に子供はいる?


223 : 151 : 2006/07/17(月) 17:08:57 ID:???
>>222
さすがに妹はないしピルも飲まされてたけど姉は妊娠したよ、2回
2回ともおろさせられた
今の旦那と結婚した時に子供ができるか本当に心配した
それでも無事1児の母になれました


224 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 17:18:54 ID:???
>>223
と言う事は普通に中田氏されていたという理解でいいのかな?


226 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 17:24:40 ID:???

姉と母の仲は良くなったと理解していいのか?


228 : 151 : 2006/07/17(月) 17:30:52 ID:???
>>226
というか、既に母親は姉に頼らないと生きていけないからね
逆に今は妹と母の関係のほうが悪い


230 : なまえを挿れて。: 2006/07/17(月) 17:37:27 ID:???

本人にこんな事言いたくは無いけど母親も相当腐った人間だよな。
父親が死んで自分が子供を守らなきゃならないのに糞オヤジに嵌って、娘すら捧げて一家崩壊
にも関わらず、散々冷遇し、悲惨な目にあった姉に頼って生きる。
何か胸が痛くなるわ。

で、妹は何故母親と険悪になってしまったの?


246 : 151 : 2006/07/17(月) 21:57:41 ID:???
>>230
まあ母親も心が折れてたんだろうと思ってる
姉も今は一応上辺では恨んでないって言ってるし
妹は結局セックス依存症になった後、自分がすごしてきた生活がマトモでない事が認識して(当たり前なんだけど)そういう状況に追い込んだ母親への恨みが出たということ
自業自得なんだけど


261 : なまえを挿れて。: 2006/07/20(木) 15:51:04 ID:Naq9hcwC0 [1/1回発言]
>>246
妹をセックス依存症にする男の調教テクには、見るべきものがあるような気がする。
妹は自分の生活(3P、4P、スワップ、露出・・・他?)が当然だと疑わなかったわけで、完全にセックスにはまって、自分から抱かれに行ってたりもしてたらしいし。 ヘタすりゃ恋愛感情もない相手とするセックスはイヤだと、嫌悪感や恐怖感もたれかねないしさ。

姉の方は自我が確立されてたぽいから、拒否しようとすればできたはずなのにね。 そういう人間を>>159の状態まで開発する男の情熱というのも凄いもんだ。
見るからに疲れた状態にまで続けられた責めだもんね。

そういう責めは当然妹にも向けられたと見るべきで、初潮前の見学会が効を奏したのかもね。 母親だけでなくて姉のも見学させられてたのかな。しかもキツくて濃厚なのを。


264 : なまえを挿れて。: 2006/07/20(木) 21:42:15 ID:0NYOeBYb0 [1/1回発言]

実際さ、3人共楽しんでたんじゃないの? 姉だってさ、本当に嫌だったら訴えることだってできたわけだし
妹だっていくらでも方法があったはず
なのにそれをしなかったのは姉妹が肉棒に完全に支配されていたんだろう


267 : 151 : 2006/07/21(金) 21:39:50 ID:uiFOuyLW0 [1/1回発言]
>>264
セックスしている時は当然楽しんでいたと思います
いつまでも辛いままだと精神が壊れてしまっただろうし
仕方の無い事だと思ってます


266 : なまえを挿れて。: 2006/07/21(金) 03:13:12 ID:wAUTS4tu0 [1/1回発言]

本当に嫌でも訴えるにいたるかどうかはわからないと思う。
姉自身も依存してるわけだしね。
肉棒に支配されてたのは151のレス見ると確かだろうね。


267 : 151 : 2006/07/21(金) 21:39:50 ID:uiFOuyLW0 [1/1回発言]
>>266
結局嫌々ではありますが、家計も含めて男に依存していた訳ですから
仕方ないと思います
それに姉もやっぱり女ですから
http://logsoku.com/thread/love3.2ch.net/kageki/1150599723/  

▲△▽▼

若き乙女を“借りてきた”旦那衆が素っ裸で…! 少女と老人の“習慣的性行為”の実態=中部地方
https://tocana.jp/2018/11/post_18386_entry.html


 川端康成の中編小説『眠れる美女』を原作とし、2011年に公開されたジュリア・リー監督の映画『スリーピング ビューティー/禁断の悦び』では、エミリー・ブラウニング演じる主人公の女子大生・ルーシーが、“眠っている間”に、富裕層の老人たちから身体を弄ばれるという、“秘密の裏バイト”にあけくれる姿が描かれているが、実はこうした“若い女性と老人”という組み合わせでの性行為は、かつてこの国でも“奇習”として存在していたようだ。


「そもそも年寄り連中にとっちゃ、若い娘の体というのは、下手な美術品より価値のあるものだからね(笑)ああいう習慣があったというのも、今となっちゃ私もこんなジジイだから、どこか頷ける部分があるよ」


 かつて中部地方のとある地域で行われていたという、“老人と若い娘の性行為”に関する奇習についてそう語るのは、現在もなお、当地で不動産管理業を営んでいる吉峰歳三さん(仮名・78)。吉峰さんの話によると、その昔、当地では“富裕層”とされる老人を相手に、若い娘たちが事実上の売春ともいえる性サービスを提供し、そうした行為が常態化していた時期があったのだという。


「ここいらはね、それこそ代々続いているような金持ちの家が多いものだからね、おのずと、“金も力も持っている旦那さん”というのが多いんだよ。そういう旦那衆っていうのは、大抵の“遊び”をやってきてはいるんだけれども、それでもある年齢まで来ると、15、6の娘と遊ぶだなんていうことはなかなかできなくなる。だからそういう若い娘をね、大店の旦那衆なんかにあてがう世話人がいたんだよ」

未成年者との性行為そのものが「違法」であり、即座に逮捕される現代はもちろんのこと、そうした法整備がまだまだ進んでいなかった時代でも、やはり“老人と少女”という組み合わせでの性行為は、そうおおっぴらにできるものではなかった。そのため、こうした少女性愛を持つ老人たちの多くは、当時、この近隣で活躍していたという“世話人”に依頼する形で、少女たちを“借り受けて”いたのだという。


「……と、いってもだ。なにせ、相手は子供みたいなものだからね、三十路女にやるようなことをそのままやるわけにもいかないわけ。だからね、大抵の場合は、大枚はたいて若い娘を借りてきたとしても、一緒に買い物にでかけたり、遊んだりとか、風呂に入れて体を洗ってやったりとか、裸で一緒に寝るとかね、そういう“やさしいこと”だけだったみたいでね。旦那衆はそれだけでも満足できるし、世話人や娘たちはかなりの稼ぎになるものだから、そういうのが“習慣”だった頃には、相当賑わっていたもんだよ」


 無論、その往時から幾星霜、現在では吉峰さんのいうところの“やさしいこと”でさえも、通報事案でしかなく、そうした違法なビジネスが許されているわけではないが、少なくとも、当時の彼らにとっては、まさに“win-win”の状態であった様子。そうしたことを思えば、「少なくとも当時は」という前提はあるものの、ある意味、理にかなった習慣であったといえそうだ。
(取材・文/戸叶和男)


3. 中川隆[-13618] koaQ7Jey 2018年12月22日 06:35:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

「眠れる美女」 House of the sleeping beauties - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=VkmWkMa6ol0&list=PLk_YtDtAxVsp3ZSSkeNzVqGgX5MmdQmJS
https://www.youtube.com/playlist?list=PLk_YtDtAxVsp3ZSSkeNzVqGgX5MmdQmJS


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ジュリア・リー監督の映画『スリーピング ビューティー/禁断の悦び』
https://www.xvideos.com/?k=Sleeping+Beauty++Emily++Browning


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「眠れる美女」の爛熟(らんじゅく)した世界

江藤淳の「文芸時評」

 「みづうみ」の数年後、昭和35年から36年にかけて、康成はまことに大胆な状況設定と細密な描写からなる、この作品を雑誌『新潮』に連載した。

 連載が終了するやいなや、ただちに江藤淳が『朝日新聞』の『文芸時評』に、その冒頭でこの作品を取り上げて、次のように述べた。


   夢見る過去の女たち

  「眠れる美女」はまことに奇妙な小説である。(中略)この作品に漂っている異常にエロティックな雰囲気は、ほとんど息苦しい位である。

だが、江口老人の前に出現するさまざまな匂いと肌を持つ全裸の美少女たちとは、いったい何だろうか? 

それはまさに「匂い」と「肌」であって、人間ではない。

むしろ沈黙の妖しい世界のなかで、感覚の旋律  が協奏される時間がかたちをとったものとでもいうべきものである。

江口の夢見る過去の女たちは、これらの感覚が記憶のなかから喚(よ)び起す影である。(中略)


   反・小説的な作品

 同じ老人の官能を主題にしていても、今月から連載のはじまった谷崎潤一郎氏の「瘋癲(ふうてん)老人日記」(中央公論)と比較すれば、この作品がいかに非小説的な世界の上につくりあげられているかは明らかだろう。

「匂い」が、あるいは触感が過去を現前させるのは、プルウストの有名なプティット・マドレエヌの挿話を想わせ、その点でも「眠れる美女」は川端氏の小説がしばしばそうであるように前衛的な趣さえ有するが、ここには「見出された時」を求めようとする意志が欠けている。いや、むしろ意志の放棄によって成立しているという点で、これはほとんど反・小説的な作品である。(中略)


  女体への憧憬(どうけい)

 『山の音』でも「みづうみ」でも川端氏は老人の女体への憧憬を描いた。憧憬が専ら感覚のゆらぎとして歌われるのは「眠れる美女」でも同様だが、ここではその感覚の  衰弱と荒廃を美に仕立てあげようとする詭計がからくも功を奏したというべきであろう。この作品のエロティシズムは、生命からではなく、死の感覚をもてあそぶところから生れている。そういえば「眠れる美女」という童話があったが、川端氏の作品は、人工が最も根源的な生の秘密をあばき出しているという意味で、一首の裏返された童話だともいえるのである。

 この時評は、時評を超えて、「眠れる美女」という作品の本質をかなり深く指摘していると思われる。

 なかでも、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の冒頭の挿話(そうわ)に言及(げんきゅう)しながら、「眠れる美女」の前衛性を指摘し、作者が小説を作ろうとする意志を放棄している点から「これはほとんど反・小説的な作品である」と規定していることは、江藤淳らしい卓見である。


「眠れる美女」は、どんな物語なのか?

 江藤淳の批評を読んだ読者は、いったい、「眠れる美女」とは、どんな作品なのだろうと不思議に思うだろう。

 この作品の主人公は、江口老人である。彼は70歳を過ぎた老人だ。世間的には成功したらしい。だから、お金がある。だからこそ、こんな贅沢(ぜいたく)なこともできるのだろうが、江口老人は、友人に教えられて、ある秘密の家に通うようになったのである。

 その秘密の家、というのは、老人の客が行くと、一室に通される。そこには、睡眠薬によって昏睡状態になった若い女性が、裸身で横たわっている、というのだ。

 老人は、ひと晩、その裸身の女性と一つの蒲団(ふとん)の中で過ごす、という仕組みである。

 若い読者にとっては、奇妙なものに思われるだろうが、老人にとっては、若い女性、しかも裸身の女性と一夜をともに過ごすなんて、これ以上にない極楽世界なのだ。

 この宿を教えてくれた友人は言った。「まるで秘仏と寝るようだ」と。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/67b04470abd8cc0be42ab309a4cbdc1d

▲△▽▼


「眠れる美女」の主題
 では、このような作品「眠れる美女」の主題は、何だろうか。

 それは、老年にとって、「生」とは何か? である、と私は思う。そして、「生」とは、主人公・江口老人にとって、「性」なのである。

 そうなのだ。この作品において追究されているのは、老年における「性」なのだ。

 秘密の家で、眠る美女の傍(かたわ)らで、江口はさまざまなことを回想する。初めて「きむすめ」(処女)を与えてくれた女のこと。あるいは、ふと知り合った神戸の人妻……、というように。

 つまり、この宿で江口老人は、美女に寄り添われながら、自分のこれまでの人生を回顧するのである。そして、自分の生がまもなく終わってゆこうとするのに、この世界には、次々と若い生命が誕生してくる、という事実に、今さらながら、深い悔恨を覚えるのである。

   計り知れぬ性の広さ、底知れぬ性の深みに、江口は67年の過去にはたしてどれほど触れたといふのだらう。しかも老人どものまはりには  女の新しいはだ、若いはだ、美しい娘たちが限りなく生まれて来る。


人生の悔恨

 彼のこの慨嘆(がいたん)には、生命というもの、あるいはその生命を司(つかさど)っている、或る超自然的な力への驚異がこめられている。

 彼がこれまでの生涯で触れ得なかった底知れぬゆたかさ深さは、この世界には無限に残されている。そして世界は、彼一個の生死なぞには微動だもせず、滔々(とうとう)と流れ動いてゆく。そこには絶えずあらたな生命が誕生し、逞しい旺(さか)んな繁殖を見せつつ、世界はいつまでも続いてゆく。

 この巨大なエネルギーと、いくつかの貧しい記憶を胸にたたんでひっそりと消滅してゆかざるを得ない自己の存在を対比させるとき、彼はあらためて生の実体の一端に触れた思いがするのである。

 巨大な生の末端につらなる自己の微小な生を認知することによってはじめて、江口は自分という存在に対する限りないいとおしみを覚え、そのかなしみのなかで、自分が生きてあるという思いを胸にするのである。

 思い出の中にしかあり得ない自己の生を思い知らされ、しかもその生はあまりにもゆたかで底知れぬものであるということに驚嘆し絶望し、それ故になおいっそう、現在の自分があわれでいとおしい――このような自己憐憫(れんびん)のなかで初めて彼は自己の生を確認し、つかのまの「生の旋律、生の脈動」に身をゆだねることが可能となったのである。

 ――江口老人にとって、眠れる美女の家とは、自己の無力を知り、逆にそこから自己の生を確かめ、そこに瞬時の生の脈動を回復し獲得するところであった。

 そしてこのような秘儀は、どこででも可能なものではない。きわめて制限された条件、厳密な規制、それらの掟の支配する鎖された空間の中でのみ、彼はかろうじて老年固有の「生」を獲得できるのである。

 このように、「眠れる美女」は、江口老人が、自分の無力を悟ったところで終わる。それも、その夜は、江口のために、二人の眠る娘が与えられていた。その一人が、死んでしまうのだ。

 あわてて、宿の女に報告すると、「騒がなくてもいいです。娘も、もう一人をりますでせう」と言う。

 この秘密の家の、恐ろしい非人間性が曝露(ばくろ)されたところで、物語は収束するのである。


魔界の衰微

 このように見てくると、「眠れる美女」という作品は、一方で川端康成の絶頂を示す傑作であると同時に、他方で、その躍動的な〈魔界〉が次第に衰微してゆく過程を物語っているように思われる。

 なぜなら、「みづうみ」の主人公・銀平は、あんなに自在に、過去から現在に、現在から過去に、自由に行き来していたではないか。広い空間・時間を自由に生きていた。

 それに対して「眠れる美女」の江口老人は、閉じ込められた密室の中で、ただ回想という形で自由な羽をはばたかせることができるだけだ。それは、自由を半分、失っている、という意味であろう。

 このように、昭和23年の「反橋」(そりはし)を契機に、魔界に入って、ぐんぐん深みに到達した川端康成の文学世界は、ようやくこのころから、衰えを見せはじめるのである。

 そうして数年後、康成は、或る痛切な告白をすることになる。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/59bfb08c823b075b073288758bc7d4b4

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『魔界の住人 川端康成――その生涯と文学――』装幀(上下)森本穫の部屋
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9193c196012d2f269aab93090e2d264c


この、少女がこちらを向きながら仰向けに横たわっている絵は、石本正(しょう)画伯の「裸婦」という作品です。晩年の康成が愛蔵した絵です。

 康成は石本正の絵が大好きで、二人のあいだに深い交流のあったことも、本書では、詳しく描いています。

 さて、晩年の川端康成がこの絵を愛蔵したのには、深いわけがあります。

 この絵は、康成晩年の渇望、といおうか、憧れ、といおうか、康成の深い願望をこめた、まことに象徴的な絵画なのです。

 昭和29年(1954年)に、生涯の最高作ともいうべき「みづうみ」を発表した康成は、その6年後の昭和35年(1960年)に、多くの評家と読者をあっと驚かせた奇想天外な小説「眠れる美女」を発表します。

 主人公は、江口老人。友人から教えられた秘密の家に行きます。そこでは、別室に通されると、睡眠薬で深く眠らされた少女あるいは若い女性が裸身で横たわっているのです。

 この家のただ一つの禁制は、眠った女性に手荒なことをしないこと、だけです。

 実際、この秘密のクラブである家に通うのは、お金はあるが、すでに性的能力を失った、哀れな老人たちだけなのです。

 江口老人だけは、見かけとは異なり、まだ性的能力は残っているのですが、とにかく、秘密の密室で、眠った裸身の女性と、ひと晩、一緒に眠れるということは、至高の歓びなのです。友人は、この家の一夜を「秘仏と寝るようだ」と表現しました。

 まことに、老人たちは、この家に通い、一夜、裸身の少女と寝床を共にするだけで、生きている歓びを得ることができます。

 もちろん、歓びだけではありません。この家は、海に面した高い崖の上に建っているようです。冬が近く、海面にみぞれが降るイメージも出てきます。

 つまりそれは、遠からず老人を襲う死の恐怖です。暗黒の死の恐怖とうらはらに、一夜の、観音様のような全裸の美女と過ごすという稀(まれ)な幸運を得るのです。

 江口は5夜、この家を訪れ、眠って意識のない裸身の女性の傍らで、過ぎ去っていった女性たちを思い出します。特に第1夜に思い出す、結婚前に北陸から京都まで旅を共にして処女を奪った女性の記憶は鮮烈です。

 その2〜3年後の昭和38年(1963年)に、康成は「片腕」という短い作品を発表します。これも、深い濃霧の夜に、一人の少女から、片腕だけを借りてアパートに帰り、片腕と一夜を過ごす、という物語です。

 晩年の康成が、若い女性、あるいは少女の裸身に、どれほど憧れを抱いたか、よくわかるでしょう。

 私のお薦(すす)めは、「掌(たなごころ)の小説」と呼ばれるショート・ショートの一編、「不死」という作品です。新潮文庫に、「掌の小説」を1冊にまとめたものがあります。この、終わりの方に出てきます。

 ひとりの老人と、若い娘が、手をつないで歩いています。若い娘は、昔、老人の若かったころ、恋人だったのですが、おそらくは身分の違いのため一緒になれず、娘は海に飛び込んで死にました。

 その娘が今、生き返って、昔の恋人で、今は人生に敗残した老人と一緒に歩いているのです。

 くわしい話は、私の本(下巻)で読んでください。

 やがて二人は、ゴルフ場の端にある、大きな樹の、洞穴(ほらあな)に、すうっと入ってゆきます。そうしてもう、出てこないのです。

 永遠の生命を得て、二人は永遠に、その樹の洞(ほら)の中で過ごすのです。
 ここに、康成の晩年の渇望(かつぼう)がよく表れています。

 私は、そのような康成の晩年の渇望を具現した作品として、この絵を下巻の口絵写真の一つに選びました。

 装幀家の盛川さんは、私の意図をよく汲んで、この絵で表紙を飾ってくれました。

 女性の読者は、この表紙を見て、ちょっと、どきっとされるかも知れませんが、男性読者は、この絵の美しさに惹(ひ)かれることでしょう。

 康成が死の半年前(昭和46年、1971年)に発表した「隅田川」という作品があります。これは、敗戦後まもなく書き始められた「住吉」連作の、22年ぶりの続編なのですが、その中に、象徴的な言葉がでてきます。

 主人公の行平(ゆきひら)老人が、海岸の町の宿に行こうとして、東京駅に行きます。すると、ラジオの街頭録音の、マイクロフォンを突きつけられます。

 「秋の感想を一言きかせてください」という質問です。行平は、

 「若い子と心中したいです」と答えます。

 「えっ?」と驚くアナウンサー。その意味を問います。すると行平の答えは、こうです。 「咳をしても一人」

 この一節は、最晩年の川端康成の心境を、如実にあらわした部分です。

 咳(せき)をしても一人……これは、放浪の俳人・尾崎放哉(ほうさい)が、晩年、小豆島に渡って独居し、死に近いころ読んだ自由律の俳諧です。

 咳をしても、その、しわぶきの声が、壁に反響して、空しく自分にはね返ってくるだけだ、という、孤独と寂寥(せきりょう)の極みを詠んだものです。

 つまり康成は、自分の根底の願望を「若い女性と心中したいです」と語り、その背景として、恐ろしい孤独の意識を、ここで告白したのです。

 ノーベル賞を受賞して、晴れがましい騒ぎの余波から、わずか3年後のことでした。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9193c196012d2f269aab93090e2d264c

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フェティシズムとは何か・・・フェティッシュとしてのエロスとタナトス
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja#hl=ja&q=%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%B9&spf=68


まず、フェティシズムとはいったい何なのか。

この「フェティシズム」という用語、元はといえば、最初に宗教学の中で使われ始めたものである。

フェティッシュとはもともと、ラテン語の facio,facere(つくる)という動詞の完了受動分詞factus(英語のfactの語源)、そして、それから 派生した語facticius(人工の)がフランス語化されて、factice(人工の)となり、さらに、フェティッシュという語が造られた。

これが17世紀以後、「呪物」 、「物神」といった意味で用いられ るようになり、特にヨーロッパの白人たちから見た、アフリカなどの原始的な宗教において崇拝 の対象となるものを意味する用語として使われるようになった。

例えば、護符(amulette, grigri, porte-bonheur, talisman)、また、マスコット(mascotte)としての人や動物、さらには、 日本の神社においていわゆる御神体として信仰の対象とされているもの、山、岩、古木、木で彫られた男根、鏡等などはみなフェティッシュである。それらのものはみな、さまざまな由来と歴 史を経てそれぞれの文化の中で記号化されることによって、すなわち、山は単なる山ではなく、 何か超自然的な力を秘めたシンボル的存在とみなされることによって、特別な意味と価値を持つ ようになったものである。

そして、その様なものに対する呪物崇拝、物神崇拝のことを「フェテ ィシズム」と呼ぶようになったのである。さらに、経済学の領域においても「商品価値」や「貨 幣価値」等を考える上で、「フェティシズム」という語が使われるようになった。


そして更に、心理学や精神分析の領域においても「フェティシズム」という用語が使われるようになった。

それは「節片淫乱症」などと訳されることもある、性的倒錯の一種である。

性的倒 錯としての「フェティシズム」とは、性的欲望が他者としての異性あるいは同性そのものに向かうのではなく、その他者の身体の一部のみ、あるいはその他者から発せられるもの、その他者に 付随するもの、例えば、その他者の毛髪、目、足、しぐさ、性質、能力、さらには糞尿、体液、 体臭、肌着、靴下、靴、ハンカチなどに向かうことを意味するのである。これらのものもみな呪物、物神、商品、貨幣などと同様に、記号化、シンボル化されることによって始めて特別の価値 あるいは意味を持つようになり、欲望の対象とされるのである。

しかし、この「フェティシズム」という語を、記号化されることによって始めて価値あるいは 意味を持つようになったものに欲望が向けられることを意味するものとして理解するならば、既 に述べられたことからも明らかなように、「フェティシズム」とは世界と自己に対する人間の 《本源的態度》ということになるであろう。

ということは、人間が有する性の在り方の根源にも 「フェティシズム」が存在するということである。性的対象のみならず性的目標としての性行為 (フロイトの『性欲論』参照)もまたすべて、記号化されることによって始めて価値あるいは意 味を持つようになるのであり、人間にとっての性的対象および性行為のすべては「フェティッシ ュ」としてのみ存在しうるのである。即ち、あらゆる対象が人間にとって性的対象となり、あらゆる行為が性行為となりうるのである。

また、先に述べられたような、記号として人間にとりついて、人間を常に不安と恐怖の中に落 としいれるところの「死」もまた欲望の対象となることが可能なのであり、人間のみが「死」を希求 し、讃美し、また本当に自殺することもできるのである。ボードレールの詩を引き合いにだすま でもなく、人間は死をよろこぶことができるのである。

人間のみが自らの死に方を選択したり、 死を望んだりすることができるのは、そこに「フェティシズム」があるからに他ならない。他の 動物は「死ぬ」のではなく、ただ動かなくなり、冷たくなり、そして腐敗してゆくのみである。

このようにして性への衝動としてのエロスと死への衝動としてのタナトスは、人間が本源的に 有するところの、その「フェティシズム」において成立するのである。

そのような人間のエロスの在り方が有する無限の多様性がいわゆる「変態性」の起源となり、また、人間のみが死ぬこと をよろこぶことができるということが、その退廃性(デカダンス)の起源となっているのであろう。


フェティッシュに満ちた世界
文化的記号としてのフェティッシュ


私たちはこの世界の中にあるすべてのものを、「理性」によって記号に置き換え、フェティッ シュとしての意味付けを与え、それらを崇拝したり、欲望の対象にしたり、あるいはまた禁忌の 対象にしたりしている。

ところで、ひとつの社会の中で、ほぼ同じようなものが崇拝されたり、 欲望の対象とされたりするのは、そもそもフェティッシュなるものが言語的記号との分離不可能 性において成立しているからであり、同じ言語体系を共有しているひとつの社会、共同体の中で は、その成員のほとんどは同じようなものを崇拝し、同じようなものを欲望の対象としている。 そして、このことによって、その社会における共通の価値観、常識、モラルといったものが成立するのである。

それらにおいて、禁忌の対象とされるものが、いわゆる社会的タブーといわれるものである。また、社会的タブーのほとんどは「性(エロス)」と「死(タナトス)」に関連する もの、例えば、死者の扱い方、弔い方に関するタブー、近親姦タブー、同性愛タブーなどである。


ネクロフィリア、少女コレクション、人形愛

しかしながら、すべての人々がこのような社会的タブーを守り通しているわけではないし、ま た、それはありえないことであろう。そして、タブー逸脱の最たるもののひとつとして、ネクロ フィリア(死体愛好症)が上げられるであろう。

これは、まさしく死者をその性的欲望の対象とすることであり、エロスとタナトスの融合のひとつの形といえよう。

なぜ性的欲望の対象が死者 (死体)という物体(オブジェ)、あるいはフェティッシュであらなければならないのか。

なぜなら、死体には意志も欲望もなく、こちらに立ち向かってくることも、語りかけてくることもなく、 このことによって、「わたし」と死体とのあいだには、情念と情念による、お互いの交流が成立 し得ないからである。

すなわち「愛」というものの介入をここでは徹底的に排除することができるからである。

性欲は「愛」による拘束を逃れることによって、はじめて純粋性欲として自己完結することが可能となる。死の中にある他者を欲望の対象とすることによって、「わたし」は自らの性の喜びを最大限に味わうことができるのである。 さらに、これに近いものとして、ペドフィリア(小児性愛)やピュグマリオニズム(人形愛) が挙げられるであろう。

ただし、ペドフィリアというと、すぐ「犯罪」というイメージに結び付けられやすいので、ここでは、澁澤龍彦氏に倣って、「少女コレクション」と呼ぶことにしよう。

氏によれば、美しい少女ほど、コレクションの対象とするのにふさわしい存在はない。
蝶のよう に、貝殻のように、捺花のように、人形のように、可憐な少女をガラス箱の中にコレクションす るのは万人の夢である。

コレクションに対する情熱とは、いわば物体(オブジェ)に対する嗜好である。

生きている動物や鳥を集めても、それは一般にコレクションとは呼ばれない。すでに体 温のない冷たい物体、完全な剥製となっていなければ、それらはコレクションの対象とはされない。

しかし、少女までも剥製にされなければならないというわけではない。
生きたままでも、少女という存在自体が、つねに幾分かは物体(オブジェ)、すなわちフェティッシュなのである。

人形も、少女も、自らは語りだすことのない受身の存在であればこそ、男たちにとって限りな くエロティックなのである。

女の側から主体的に発せられる言葉は、つまり女の意志による精神的コミュニケーションは、澁澤氏によれば、男たちの欲望を白けさせるものでしかない。

女の主体性を女の存在そのものの中に封じ込め、女のあらゆる言葉を奪い去り、女を一個の物体近づか しめれば近づかしめるほど、ますます男の欲望(リビドー)が蒼白く活発に燃えあがるというメ カニズムは、男の性欲の本質的なフェティシスト的、オナニスト的傾向を証明するものであり、 そして、そのような男の性欲の本質的傾向に最も都合よく応えるのが、そもそも、社会的にも、性的にも、無知で、無垢な少女という、ある意味で玩具的な、存在だったのである。

まさしく、 「お人形さんのように可愛い」少女を自らの掌に納めることこそ男の憧れなのである。

しかし、当然のことながら、そのような完全なオブジェ(フェティッシュ)としての女は、厳密に言えば、男の観念の中にしか存在することができない。そもそも、男の性欲それ自体が極め て観念的なものであるのだから、その欲望の対象となるものも、極めて観念的なフェティッシュ であらざるを得ない。

問題は、そのような極めて観念的な欲望の対象を、想像力の世界で、どこ まで実在に近づけうるかである。中世の錬金術師たちが、フラスコの中にホムンクルス(人造小 人間)を創りあげようとしたこともそのような試みのひとつであったのであろう。


川端康成におけるフェティッシュとしての少女の身体


ところで、上述のような、フェティッシュとしての少女や、その身体をものの見事に描いた文 学者の一人に川端康成がいる。


彼が少女、あるいは少女の身体を愛でる、その仕方は、まさに、 茶の道を究めた茶人の茶器を愛でるが如くである。(茶道における茶器もまたフェティッシュに 他ならない。)事実、川端は少女と焼き物を愛した。

たとえば、「生命が張りつめていて、官能的 でさえある」志野の茶碗(『千羽鶴』 )。

水指の表面は川端の主人公にとっては、女の肌と区別しがたいものである。

「白い釉のなかにほのかな赤が浮き出て、冷たくて温かいように艶な肌」(同 上)。同様に女の肌は、ほとんど陶器の表面そのものであって、「白い陶器に薄紅を刷いたような 皮膚」 (『雪国』)でなければならない。

焼き物も、女も、見て美しいばかりでなく、指で触れ、 その指の先の感覚に、主人公とその「もの」との関係のすべてが要約されるような対象である。

たとえば、『雪国』の主人公は、「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚え ている」という。

一方には、女の物化(レイフィカシオン)があり、他方には、物の官能化がる。 女は焼き物の如く、焼き物は女の如くである。いや、焼き物に限らず、冬の夜の天の河でさえも、 「なにか艶めかしい」のである(『雪国』)。

このような少女の描き方は、『伊豆の踊り子』から、晩年の『眠れる美女』や『片腕』にいたるまで一貫している。

『伊豆の踊り子』の少女の「若桐のように足のよく伸びた白い裸身」から、 『みずうみ』の「夜の明りの薄い青葉の窓に、色白の裸の娘が立っている」ときまで、女はつね に視覚に、触覚に、あるいは聴覚に訴える美しい対象であり、彫刻のような物(フェティッシュ) であって、決して主体的な人間ではなかった。

その極端な場合が、『眠れる美女』である。

海浜 の不思議な家で、老人は麻酔で眠らされた若い女を見ることができるし、愛撫することもできるが、女の側には意識がない。

『たんぽぽ』の妖精のような少女は、肉体的な愛の極致において相手の身体が見えなくなるという病(人体欠視症)をもつ。

女は純粋に見られるもので、見るものではない。

超現実主義的な『片腕』に到ると、もはや女の側には肉体的な全体性さえもなくなり、 「エロティック」な対象は、女の身体の一部分に集中するのである。(加藤周一『日本文学史序説』参照)

川端にとって、少女、あるいは少女の身体とはまさしく物神としてのフェティッシュその ものだったのである。

特に、『眠れる美女』や『片腕』は、究極的なフェティシズムに基づくところの、エロティシ ズムと、それにまとわりついて最後まで離れることのない、そして、最後にはついに現実化して しまうところの「死(タナトス)」のイメージとによって、完成度の極めて高い、デカダンス文学の逸品となっている。

また、川端の作品には、実にたびたび、命に対する讃仰があらわれる。巨母的小説家であった 岡本かの子に対する彼の傾倒は有名である。

しかし、彼にとっての生命とは、まさしく官能その ものなのである。

この一見人工的な作家の放つエロティシズムは、彼の長い人気の一因でもあっ た。このエロティシズムについて、中村真一郎が三島由紀夫に語ったことがあるという。

「この 間、川端さんの少女小説を沢山、まとめて一どきに読んだが、すごいね。
すごくエロティックな んだ。

川端さんの純文学の小説より、もっと生なエロティシズムなんだ。

ああいうものを子供に 読ませていいのかね。
世間でみんなが、安全だと思って、川端さんの少女小説をわが子に読ませているのは、何か大まちがいをしているんじゃないだろうか。」


このエロティシズムは勿論、大人が読まなければわからないものだが、それは、川端自身の官能の発露というよりは、官能の本体つまり生命に対する、永遠に論理的帰結を辿らぬ、不断の接触、あるいは接触の試みと云ったほうが近い。

それが真の意味でエロティックなのは、対象すなわち生命が、永遠に触れられないというメカニズムにあり、彼が好んで処女を描くのは、処女にとどまる限り永遠に不可触であるが、犯されたときにはすでに処女ではないという、処女独特の メカニズムに対する興味だと思われる。

また、川端が生命を官能的なものとして讃仰する仕方に は、それと反対の極の知的なものに対する身の背け方と、一対をなすものがあるように思われる。

生命は讃仰されるが、接触したが最後、破壊的に働くのである。すなわち、生命という官能を知 的に把握、分節しようとしたその瞬間にわれわれは、まさに生命そのものによって死の中へと叩 き落されるのである。

そして、川端の芸術作品は、知性と官能との、いずれにも破壊されることなしに、両者の間に張り詰められた一本の絹糸のように、両者のあいだで舞い踊る一羽の蝶のように、太陽の幸福な光を浴びつつ、美しく光る月のように、存在しているのである。(三島由紀夫『永遠の旅人』参照)

処女である少女とはあらゆる人間の中で最も(あからさまに)性的でない存在であり、一切の官能と性的なものを一番安全な場所に封じ込めてしまっている存在であるが、なぜそうしなければならないのかというと、処女の有するエロティシズムこそがもっとも危険で、破壊的な魔力を有するものであるからにほかならない。

そのことを川端自身が一番よくわ かっていたからこそ、彼は見事に少女の美を描くこともできたのであろう。


『眠れる美女』と『片腕』

上に述べられたような「生命」を逆説的に、また官能的な仕方で見事に描いた作家に川端康成 がいる。その晩年の作品、『眠れる美女』の主人公、江口老人は、海辺の不思議な宿で、麻酔で 眠らされている、何も身に着けていない処女である娘たちと夜をともに過ごす。江口はその娘を 見て、「まるで生きているようだ。」とつぶやく。

生きていることはもとより疑いもなく、それはいかにも愛らしいという意味のつぶやきだったのだが、口に出してしまってから、その言葉が気味悪いひびきを残した。

なにもわから なく眠らせられた娘はいのちの時間を停止してはいないまでも喪失して、底のない底に沈めら れているのではないか。生きた人形などというものはないから、生きた人形になっているので はないが、もう男ではなくなった老人に恥ずかしい思いをさせないための、生きたおもちゃにつくられている。いや、おもちゃではなく、そういう老人たちにとっては、いのちそのものなのかもしれない。こんなのが安心して触れられるいのちなのかもしれない。・・・

死にできうる限り近づくことによってのみ、人は生命そのものに近づくことができる。いのちの時間を喪失した娘たちと一夜を過ごすということ、そこには、江口老人自身に近づきつつある「死」の影を見ることができるし、また、老人は安心していのちに触れることができる。

しかし、この宿での五度目の夜、老人は二人の娘とともに眠るのだが、その片方の娘、老人をして、 「いのちそのものかな。」とつぶやかせた、野蛮のすがたをした、黒光りした肌を持つ、ふとんを はねのけ、大の字に寝ていた、そして「生の魔力をさずけろよ。」というような戦慄のつたわっ て来そうな娘が、翌朝老人が眼を覚ますと、死んでいたのである。

その前に、江口老人の知り合いである、福良老人の死や、江口の母の死の思い出も描かれているのだが、ここにきて、「死」 は老人の目前にそのすがたをあらわす。まさしく「生の魔力」そのものが「死」として現前する のである。

しかし、その現前は一瞬のみである。恐れおののく老人に、宿の女は、「娘ももう一 人おりますでしょう。」と告げ、その言い方ほど老人を刺したものはなかった。宿の女たちは急いで死んだ娘を運び出し、車に乗せてどこかへ消えてしまう。

老人は、もう一人の、白い娘のは だかのかがやく美しさを見る。 三島由紀夫によれば、この作品に見られる、執拗綿密な、ネクロフィリー的肉体描写は、およそ言語による観念的淫蕩の極致である。

しかし、性的幻想にはつねに嫌悪が織り込まれ、また、 生命の参仰にはつねに生命の否定が入りまじっているため、息苦しいほどの官能そのものの閉塞感がある。

川端において、性が自由や開放の象徴として用いられることなど皆無である。
性はつねに生命と官能の閉塞状態において成立し、その世界の絶対無救済性を示すものである。しかも この絶対無救済の世界は、一人の「眠れる美女」の突然の死によって、閉じられるのではなく、 江口老人自身の死をも暗示する、逃れようのない「死の舞踏(ダンス・マカーブル)」へと開かれている。

この作品は、これ以上はない閉塞状態をしつこく描くことによって、ついに没道徳的な虚無へ読者を連れ出す。

三島は、かつてこれほど反人間主義の作品を読んだことはない、と言う。

また、「この家には、悪はありません。」という宿の女の言葉は、この世界には、悪に対立するものとしての善も存在しないということを示しており、さらには、川端の文学作品の中には、 真の救済も破滅も存在しないことをも示している。

また、『片腕』という作品になると、対象としての娘の肉体はその全体性を失って、片腕だけとなり、主人公と一夜をともに過ごす。しかし、その片腕は生きた片腕であり、主人公と会話、 交流、感応しあうことができる。しかしそれは、対象がその全体性を失った片腕であったからこそ可能なのである。

娘の片腕はまさしく「玩具」として、川端の絶対的孤独の世界への訪問を許されるのである。

「対話をすることのできる娘の片腕」とは川端にとって、理想的な女の在り方 のひとつなのである。それは女自体の望ましい象徴的具現なのである。

『片腕』の主人公はさらに、自分の片腕と娘の片腕とを付け替えてみる。そして、その娘の片腕に自分の血が通っていることを確認し、「腕のつけ根にあった、遮断と拒絶はいつなくなった のだろうか。」とその感想を漏らす。

しかし、「遮断と拒絶」とは、実は腕の付け替え(人体改 造?)などという児戯を演じる以前からの常態であったのである。『片腕』の主人公は自らの身体そのものとの交流さえも十分に感じることのできない、即ち、自らの身体からさえも拒絶され、 阻害されるという絶対孤独の中に生きていたのである。

そのような絶対孤独の中に生きる人間であるからこそ、娘の片腕との会話と交流という、このフェティシズムの極致における欲望の充足を得ることができるのである。そのような孤独な人間は通常の人間的接触や性的接触によっては決して満足することができないのである。

しかし、この作品の最後の場面は切なくなるほどに悲しい・・・

「娘の腕は・・・?」私は顔をあげた。

娘の片腕はベッドの裾に投げ捨てられていた。はねのけた毛布のみだれのなかに、手のひらを 上向けて投げ捨てられていた。のばした指先も動いていない。薄暗い明かりにほの白い。

「 ああ。」 私はあわてて娘の片腕を拾うと、胸にかたく抱きしめた。生命の冷えてゆく、いたいけな愛児を抱きしめるように、娘の片腕を抱きしめた。娘の指を唇にくわえた。のばした娘の爪の裏と指先とのあいだから、女の露が出るなら・・・・・。


西山老人のフェティシズム、そして魔界

川端康成の遺作となった『たんぽぽ』には、西山老人という印象的な人物が登場する。

たんぽぽの花が咲いた春のような町、生田町の生田川沿いにある「気ちがい病院」に入院している老人である。

その病院とは、官能の極致において、その恋人の身体が見えなくなるという、人体欠視症にかかった主人公、木崎稲子が入院する病院である。また、その病院は常光寺という寺の中にある。

たとえば、病院の主のような西山老人は、本堂の畳に紙をひろげて大きい字を、よく 書いている。白い日本紙や唐紙が、この老狂人の手にそうはいらないので、古新聞紙に書いていることが多い。 (仏界易入、魔界難入)

書く字はたいていこの八字である。・・・その書は力がある。俗気、 匠気がない。しかし、・・・よく見ていると、狂気あるいは魔気がひそんでいそうには思える。

西山老人は人生のある時に、魔界にはいろうとつとめて、魔界にははいりがたかった、その痛恨が、狂った老後の字にもあらわれるのかもしれない。

西山老人の「魔界」とはどのようなものであったか、とにかく、人生のある時にその「魔界」にはいろうとしたねがいは、彼を狂わ せたほどの痛ましさではあったのだろう。

西山老人は気ちがい病院を魔界だなどとは考えていない。魔界にようはいれなかった人たちの避難所、休息所というほどにも考えていないだろう。

現在の西山老人は生田病院でもっともおとなしい患者の一人である。歯は抜けたままで入れていなくて、頬は落ちくぼみ、頭のうしろに弱い白毛がぽやぽや残っているばかりである。

どのような魔界にもはいっていける力はなさそうな姿だから、書く字にだけ、いまだに魔気が残っていると言えるだろうか。

老人は字を書いている時に、癲癇のような発作をおこすことがあるが、養老院においてもさしさわりはなさそうである。

西山老人の毎日の楽しみは、夕方七時のラジオのニュウスの前の、天気予報を聞くことであ る。

「海上は今晩も明日も多少風波があるでしょう。霧のために見通しが悪いでしょう。」とい うような天気予報そのものはどうでもよくて、それを受け持つ若い女のアナウンサアの声が好きなのである。

その声はほどよいあまさをふくんで、いかにもやさしい。気ちがい病院のそとの世間から、愛らしい一人の娘が自分一人に話しかけてくれているように老人は感じる。愛情 のこもった声である。老人をいたわりなぐさめてくれる。美しい青春の木霊である。

その娘の名も知らないで、おもかげも見ないで、もしかすると、自分が死んだ後までも、その娘は美しい声で天気予報の放送をつづけているかもわからないが、廃残の自分に愛の声で毎日話しかけてくれるのは、この娘だと、西山老人は思っている。

西山老人にとって、おそらく、この女性アナウンサーの声を聴くと言うことは、まさしく、そ のことにおいて、彼がそれまでの人生の中で出会ってきた、すべての女性との官能の体験を再体験することのようである。

外界から語りかけてくる、一人の娘の声は、すべての女の愛情と官能的美を象徴するものとしてのフェティッシュである。今、老人はこの一人の娘の声によって、彼 が持つところの女性に対する欲望のすべてを満足させることが可能なのである。

しかし、西山老人が狂うほどまでに、その中に入ろうと欲した、「魔界」とはどのようなところであろう。

女性との愛欲に満ちた官能的交流の世界であろうか。
否、そのような世界とは、むしろ仏界である。様々の美しいフェティッシュによって彩られ、飾られた、神話的、抒情的世界である。そして、その向こうにあるのが、むきだしの「生」と「死」そのものが支配するところの魔界なのであろう。

老人が入ろうと必死になってもがいていたのは、女たちとの官能的交流の向こうにある、官能そのものとしての、生命そのものの世界なのである。

しかし、彼はそこに入ることもできず、また、死ぬこともできず、狂気の中で、この世に留まっているのである。

このような西山老人の姿は、まさに晩年の川端康成の姿そのものなのであろう。
しかし、そのような生命そのものによって支配された、魔界のあり様は、『禽獣』という作品 において、恐るべき仕方で、その姿を垣間見せる。

ここでは、小鳥や犬が、寓喩的〈アレゴリカル〉な仕方で、まさしく官能そのものとして描かれる。

特に印象的なのが、犬の出産の場面である。

中庭の土は、初冬の朝日に染まったところだけが、淡い新しさであった。その日のなかに、 犬は横たわり、腹から茄子のような袋が、頭を出しかかっていた。ほんの申訳に尻尾を振り、 訴えるように見上げられると、突然彼は道徳的な苛責に似たものを感じた。

この犬は今度が初潮で、体がまだ十分女にはなっていなかった。従ってその眼差は、分娩と いうものの実感が分からぬげに見えた。

『自分の体には今いったい、なにごとが起こっているのだろう。なんだか知らないが、困っ たことのようだ。どうしたらいいのだろう。』

と、少しきまり悪そうにはにかみながら、しか し大変あどけなく人まかせで、自分のしていることに、なんの責任も感じていないらしい。

ここには、生命そのものの持つエロティシズムが、不思議な仕方で、若い、というよりまだ幼さない雌犬の出産の場面をとおして描かれているように思われる。

三島由紀夫も言うように、この犬の眼差はまさしく創造主の眼差なのかもしれない。
創造主たる神は、こんなあどけない無邪 気で無責任な眼差で、自らが産み出してしまった人間を見つめていたのではあるまいか。

それは 人間存在の意味を、そして生命そのものの意味をわれわれが問いかけるとき、陥らざるを得ない 恐ろしい懐疑である。

われわれ人間は確かに存在する。生命もまた存在する。しかし、そのことの意味も、またその価値もわれわれにとって、あくまで不可知にとどまる。否、単に不可知にとどまるというのではなく、なんの意味も価値もない絶対虚無の中においてのみ生命の意味は充実 しえるのではないか。このような生命の意味のもつ逆説的構造を、われわれはまず承認しなければならないのではないか。このことの承認の故に、この『禽獣』という作品の中には、嘔吐を伴うような厭人癖、危機的とまでいえるほどの人間嫌悪が漂っているのではないか。

そして、そのような生と死とによって支配された魔界の狭間に、微かな仕方で存在しうるのが、 仏界なのかもしれない。

その世界を見事に描いたのが、『抒情歌』という作品である。

この明治 の女のきりりとした着付を思わせるような文体によって描かれた真昼の神秘の世界、それは川端 の切実な「童話」であり、また彼のもっとも純粋な告白である。

この童話的、神話的、そしてさ まざまな妖精達、神々、仏達の棲む世界はあまりにも美しい。そのような美こそが、自我によって保持されえるところのこの世界における生命の責任かもしれない。それを川端は「ありがたい抒情歌のけがれ」という言葉で表現している。

そして、それは、愛する人の傍で眠っているとき、 その人の夢を見ることのない世界である。

「あなたの傍に眠っていましたとき、あなたの夢を見たことはありませんでした。

しかしながら、そのような魔界に、われわれは本当に入ることができるのであろうか。もしで きるとすれば、それは、性のタブーといわれるようなものを破ることによってではないだろうか。

たとえば、三島由紀夫の『音楽』という作品においては、少女期の兄との近親相姦によって、美しい「愛」のオルガスムスを体験した女性の冷感症が描かれている。

近親相姦がなぜタブーとさ れてきたのか。それは、単に生物学的理由によるものではないと思われる。

おそらく、近親相姦によって人はあまりにも大きすぎる快感を体験してしまうからではないか。そのような仕方で、 魔界を見てしまった者は、もはや、この現実の世界の中では生きてゆくのが困難になってしまうのではないか。

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ずいぶん昔、何かの会合のあと友人数人とスナックで 飲んでいた時、そのうち一人との会話である。

「川端康成の『片腕』はシュールな傑作だね。口をきく片腕と添い寝 して愛撫するとは」と友人。

「あれはハイミナールの幻覚だと言われているがね」と傑作であるこ とは認めつつ、

「川端康成なら君など問題にならないくらい読んでいる がね」と言う代わりに、どうでもいいような不確かなゴシップ を喋る私。


「『眠れる美女』はまさしく屍姦だが、あれもハイミナールの幻覚か い?」

「いや、あれは実際にやっていたと言う話だ。死体愛好癖とロリコンは 川端康成の二大テーマだからね」


渡部直己『読者生成論』(思潮社)の中にある「少女切断」を読みつつ 上記の会話を思い出した。この「少女切断」は非常に刺激的で、一瞬、川 端康成全集を買って読み返そうかなどと思ったくらいだ。

読み返すとは言っても川端康成が少女小説を書いていたのは知らなかった。 昭和十年から戦後四、五年まで数にして二十以上の長短編少女小説を 書き、これらの少女小説は渡部直己によれば読み応えのある傑作である という。またこの少女小説の一つである「乙女の港」には、中里恒子 による原案草稿20枚が発見されているとのことだから、本物の少女小説 である。

今日すでに存在していない、ここで言う「少女小説」とは渡部直己によ れば、次のようなものである。


「 お互いの睫の長さも、黒子の数も、知りつくしてゐたような、少女の 友情……。

相手の持ちものや、身につけるものも、みんな好きになって、愛情を こめて、わはってみたかったやうな日……。(『美しい旅』)


そうした日々の静かな木漏れ日を浴びて、少女たちはふと肩を寄せあい、 あるいは、人垣をへだててじっと視つめあい、二人だけの「友情と愛の しるし」に、押し花や小切れなどさかんに贈りあっては、他愛なくも甘美な 夢にひたりつづける。お互いを「お姉さま」「妹」と呼びかわし、周囲から 《エスの二人》と名ざされることの悦びに、いつまでも変わらぬ「愛」を 誓いあう二人の世界を彩って、花は咲き、鳥は唄い、風は薫りつづける」


この「少女小説」は、現在の ギャル向けポルノ雑誌と同じ機能も果たしていたのであろう。

今日存在する「少女小説」は、だいぶん様子が違ってきている。たとえば 耽美小説と呼ばれる美少年の性愛を露骨に描写した小説も「少女小説」の一種 であろう。この少年とは大塚英志が言うような、少女の理想型としての少年で ある。
実はこのジャンルはまるで苦手だ。子供の頃、少女マンガというのは 実に退屈なものだなと思った。したがって、後年その少女マンガから傑作が 生まれることなど私の想像力の範囲を超えていた。文学が痩せこけていくのに 反比例して、様々な表現分野が豊饒になり、いわゆる文学を超えた傑作が 多く生まれた。それもまた私の守備範囲を超えていたのであった。

友人の一人(男)が鞄の中に常時少女マンガ雑誌を携帯し、赤川次 郎的少女小説なども愛読している。この感性はどちらかといえば少数派に違いない。

時々「わぁーっ、素敵」などとこの男が言ったりするのは少女マンガの悪影響 だろうが、聞いている方にはかなりの違和感がある。これは異化作用とは 言えない違和感である。

渡部直己が模範的反少女小説として詳細に論じているのは『千羽鶴』で ある。
『千羽鶴』の主人公三谷菊治や『雪国』の主人公島村はその年齢に比して ひどく老成した印象を受ける。彼らはテクストから、はみ出さない。

島村は視点に過ぎないし、冥界を往還する傍観者的な過客の分際から踏み 出そうとはしない。『伊豆の踊子』の一高生にとって 伊豆がそうであったように、島村にとって『雪国』は黄泉の国であり異界で あり、彼は 異人の劇に観客的に出演する。異界は彼にとって慰藉であり、生への意志 を充填する場所なのだ。

三谷菊治は、死者が紡ぎだす美に翻弄されるだけで、 自らの欲望を生きることはなく、作品の狂言まわしですらない。彼は 死者と近親相姦的にかかわる。自殺してしまう太田未亡人も文子も、 もともとこの世の人ではなかった。 或いは三谷菊治自身が死者なのかもしれない。

渡部直己によれば、 事態をなかば抑圧し、なかばそれを使嗾する検閲者である栗本ちか子は、 読みの場の知覚をみずから模倣しつつ作品に介入する 人物の典型、作者の分身たちがひしめきあう世界に紛れこんで、むしろ 読者の分身たらんと欲する人物で、小説一般に幅広く散在する。渡部直己 は『千羽鶴』の場合、作品はあげてこの人物を唾棄しようとすると書いて いる。

だが栗本ちか子は此岸の人であり、テクストを抜け出して我々の人生に 顔を出したりする。彼女は物語の検閲者であり、その欲望は使嗾しつつ抑 圧することのように見えて、実は他者を破滅させることにある。
http://homepage3.nifty.com/nct/hondou/html/hondou73.html

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「仏界易入 魔界難入」とは一休が云った言葉だそうだ。川端康成は好んでこの言葉を揮毫したといわれる。「仏界易入 魔界難入」とは川端にとってどんな意味があったのか。

 梅原猛と五木寛之の対談によると、川端康成は魔界に住んでいた人だという。
「みづうみ」「眠れる美女」何かはまさに魔界の文学である。

さらに「雪国」はすごい官能小説だ。あの澄み切った官能の世界はうしろに魔界を秘めている。

「伊豆の踊子」でも少女が裸で出てきたりする。やっぱり本来どこか異常な精神を持っている人の作品だ。川端さんは世間の模範的な国民文学者としてのイメージと魔界にいる自分というものとの乖離の中で自ら死を選んだんじゃないかと思う。

特に、女性に関心があり、事務員は女性のみ、NHKの女性アナンサーは川端先生に太ももの上に手をのせて触られたとか、ある有名女優は無言でただ黙って手を伸ばして座っている膝にスッと触れられた。

梅原氏は川端が晩年「仏界易入 魔界難入」という言葉は一休宗純の言葉とされているが、それは本当に一休の言葉かどうか調べてくれと言われたそうだ。なぜこんなことを頼むのかわからなかったが、川端が亡くなってから「みづうみ」何かを読むと魔界を感じるという。

この対談からわかるように川端康成は自分が魔界の住民であることを知っていたのだろう。 川端は一般の人には「仏界易入 魔界難入」であるべきものが、川端本人は魔界に住んでいる住民であることがわかり、異常な人間であることを知ったことで、川端にとってはむしろ「仏界易入 魔界難入」ではなく「魔界易入 仏界難入」に思えたのではないだろうか。
http://homepage3.nifty.com/myorin/colum2014.html


----あたし、川端康成にナンパされたことあるわよ…。

----!?(びっくりして息を飲んで)

----むかし、十代のころ…。鎌倉のね、邪宗門って有名な喫茶店で…。

----マジ! えーっ、それ、マジっすかあ…!?

 その女性は若いころ結構美人さんであって---ウホン、いまでも華やかなオーラを撒き撒きする綺麗な方です!


---当時、住んでいるヨコハマからよく近郊の鎌倉まで遊びにいっていたというのです。

 で、鎌倉でウロウロしてたら、背広姿でよくそのあたりに出没していた川端さんに声をかけられた。

----ねえ、お嬢さん、これから僕と遊びにいきませんか?

 と川端さん、あの独自に甲高い、関西なまりのイントネーション声でもって、若い女性とみると、誰彼かまわずニコニコと声をかけまくってたそうです。

----あの先生、エッチなのよ…。若いキレイなコがいると、すぐに声かけてくるの。ニコニコしてたけど、おっきな眼がちょっと怖かったわ…。

 当時といえば、川端さんがノーベル文学賞をとったあと、いわば名声の絶頂にいたころ、だのに、なにやってんだか、この先生は?

 しかし、富やコネや権威を利用すればいくらでも女性なんか調達できたろう大物である川端さんが、こんなフェアなナンパに明け暮れていたなんて、ちょっと好感がもてなくもないですね。

 邪宗門っていう喫茶店はいったことないんだけど、どうも調べてみると、寺山修司と天井桟敷が関係してた店のようです。

 2013年に残念ながら鎌倉店は閉店しちゃったようだけど、そのつながりでいくと、たしかに晩年の川端さんが訪れてもふしぎじゃない。

 なーるほど、川端センセイ、あなた、栄華の絶頂にいたにもかかわらず、淋しくて淋しくて、素人の女性とふれあいたくて仕方なかったんですねえ?

 でも、金と地位をひけらかさない、その素朴なナンパの姿勢は立派っス。

 I さんは、邪宗門で川端さんと2度会って、2度目に彼氏といたときには、ふたりして川端さんからお昼をおごってもらったそうです---。

 川端さんが自室で岡本かの子の原稿を執筆中に急に外出し、逗子アリーナで例の自死を遂げたのは、その1週後だったとか…。
http://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/adf7c5f5d9bc28a95f8b60f23bc6655b

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事故のてんまつ
『事故のてんまつ』は、臼井吉見による中編小説。


1972年(昭和47年)4月16日に自殺したノーベル文学賞受賞作家・川端康成の自殺の真相を明らかにする、と新聞広告ではあおられたが、実名はなく、家政婦として大作家に雇われた「鹿沢縫子」(仮名)という女性の語りの形式をとり、「縫子」がその作家にいたく可愛がられた様子と、1年ほどの勤めの後に致仕して郷里の信州へ帰ると言った翌日、作家が自殺するというのが前半で、後半は「縫子」の語りによる「川端康成論」になっている。


裁判沙汰

『展望』は増刷するほどに売れたが、川端家(未亡人・秀子、養女・政子、婿・香男里)は筑摩書房に苦情を申し入れた。死者の名誉権は成立しないというのが通説だったが、川端家は秀子の名誉も毀損されたと主張、数次の準備書面のやりとりがあった。

週刊誌、女性週刊誌、月刊誌などで多くの関連記事が出たが、川端家側は実在する家政婦の存在は否定せず、細かな事実の間違いを指摘した。


『事故のてんまつ』に書かれていることと、実際の事実関係や経緯には違いがあり、臼井が川端を批判したいがために、脚色や誇張がされている部分が多々あることが、「鹿沢縫子」(仮名)や、その家族、地元の周辺人物からの取材で検証されている。その中の主なものを以下に挙げる。

川端が1970年(昭和45年)5月に長野県南安曇郡穂高町(現・安曇野市)に招聘された際に、植木屋「庭繁」(実際の店名は「アルプス園」)の娘として働いていた「縫子」と出会い、盆栽などを川端家に配達して来た「縫子」が川端家の家政婦として働くことになったのは事実であるが、本作に書かれているように、川端が嫌がる「縫子」を何度も何度も勧誘したということはなく、実際には、人手の足りない川端家に、もう1人家政婦を求めていた妻の秀子が、「縫子」の養父(血縁関係は無い)に依頼し、名誉なことだと思った養父が「縫子」を説き伏せたことが、養父本人により証言されている。

本作の中では、「縫子」や川端の他、川端の過去の恋人・伊藤初代が被差別部落出身者とされ「人にきらわれる、不幸な生い立ちの娘」とされ、川端夫人についても「肉屋さんとかの娘さん」という虚偽があった。

川端の出目については、語り手「縫子」がそうではないかと思ったように記述され、北条氏の子孫であるという系図を掲げているとして臼井は否定したが、読み手に川端も被差別部落出身者だと暗示させるように書かれている。

実際には、伊藤初代の戸籍や系譜は多くの川端研究者によって特に部落出身でないことが確定されており、「縫子」の実母や実父の出身地は別の地域や県であることが、森本が弁護士を用いて調査している。

なお森本は、「縫子」本人に2012年(平成24年)時点で接触を試みているが、「縫子」は面談取材を一切断わり、本作について、「その小説の中の女性と自分とは無関係である」とし、「ただ一ついえることは、私に川端先生が執着したかどうか、わからない、ということです」と夫(当時付き合っていた恋人)を通じて伝えている。


しかし、「縫子」が川端の死の直後、通夜の時に養父に、「先生の自殺の原因はわたしにあるように思う」と打ち明けたことに関しては、関係者の証言などの総合的な観点からほぼ事実であろうと森本は検証し、家政婦の契約を更新せずに信州に帰ることを断言したことで、川端を傷つけたという意識が「縫子」の中にあったことがうかがえるとしている。

そして「縫子」本人が、「ただ一ついえることは、私に川端先生が執着したかどうか、わからない」と伝え、川端が「縫子」に強い好意を持っていたことを完全否定はしていない点を森本は鑑みながら、川端という作家がその生涯において抱き続けた「美神」の少女像(伊豆の踊子、伊藤初代、養女・黒田政子)が、晩年において「鹿沢縫子」に受け継がれていたという可能性は十分あると考察しており、「縫子」が去っていくことを知った川端が、かつて伊藤初代との別れで味わった「身を切られるような〈かなしみ〉」に襲われ、逗子マリーナへ向かったことも想像に難くないとしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AE%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%A4


川端康成 探索『事故のてんまつ』 - 魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋
                       

 今年2012年(平成24年)は、川端康成の没後40年になる。その死の5年後、すなわち今から35年前の春に、臼井吉見が『展望』5月号に「事故のてんまつ」を発表し、さらに単行本『事故のてんまつ』出版を強行したのだった。

 わたしは初め、この作品とその反響について書くかどうか、すこし迷っていた。しかし、川端康成の生涯と文学を考える上に、この事件は、きわめて重要な意味を持っている。やはり書くべきだろうと思いながら、事件の翌年に出版された武田勝彦・永澤吉晃編『証言「事故のてんまつ」』(講談社 昭53・4)巻末の「関係文献一覧」を参考に、連載をつづける傍ら、ぽつぽつ、重要そうな文献のコピーを蒐集してはいた。

 このようなわたしに火をつけたのは、小谷野敦の「『事故のてんまつ』事件 1977」という論考だった。

 これは『現代文学論争』(筑摩書房 平22・10)に掲載されたもので、兄事する関口安義氏が、メールで「面白いですよ」と推薦してくださったのである。

 すぐジュンク堂WEBで取り寄せてみると、なるほど、刺激に満ちたものだった。このひとの名はよく承知していたが、読むのは初めてである。『事故のてんまつ』前後の騒ぎを「事件」として捉え、その推移について述べている。

 が、どうもこのひとは攻撃的な人格の持ち主であるらしく、あちこちに喧嘩を売っている。

 川端康成の伝記的研究も、『事故のてんまつ』問題の追究も、この騒ぎの影響で萎縮し、停頓している、と決めつけているのだ。そして、自分は近いうちに、『事故のてんまつ』を含めた川端康成の伝記を書いて、このタブーを打ち破る、と宣言している。

 この喧嘩を、わたしが買った。「別にタブーがあるわけではない。ただ誰もが康成の自裁の謎と『事故のてんまつ』について、何となく、書かなかっただけだ。それなら、わたしが書こう」と決意したのである。

 小谷野敦はこの論考で、大胆にも、当時の関係者を、「すでに当時の週刊誌や新聞も報じているから」といって、実名で書いている。これは、じつは部落問題やプライヴァシーの問題で、関係者たちに迷惑をかける可能性のある、危険なことなのだ。

 しかも、週刊誌も遠慮して書かなかった、事件のヒロインであるお手伝いさんの実名を、小谷野敦は書いたのである。そしてそれは後述するように、全くの人違いだったのだ。

 ともあれ、小谷野敦の挑発的な文章によって、わたしは康成最後の恋であるかもしれないこの事件について、本格的な取材をはじめた。

 35年前の、週刊誌などに追い回された当事者たちは、いま健在なのだろうか。もし物故しているならば、その家の跡を継いでいる親族の名を知りたい。もちろん住所も、できれば電話番号も……。

 最初に考えたのは、やはり、信州穂高のひとに訊ねることだった。穂高に知人のいるひとはいないだろうか。

 ……大学時代の旧友を思い描いてゆくうち、いい友人を思い出した。全国に知人を持っている可能性が高い。

 詳しくは連載に書いたが、S氏は、穂高に知人を持っていた! そのひとは、穂高の老舗の後継者であるという。早速、探索事項を書いた文書を作成して、S氏に送った。

 そして老舗の後継者は、みごとに、わたしの期待に応えてくださったのである。穂高の町では、35年前の騒動を覚えている方が沢山いた。当事者たちの住まいや名前を、わけなく教えてくださったのである。

 この過程で、小谷野敦氏の挙げた名前が全くの別人であることもわかった。小谷野氏は、新聞に実名の出た、別のお手伝いさんを「縫子」と勘違いしていたのである。

 わたしは上記の参考文献のほとんどを手元に揃え、読破していった。一方で、生みの母親の名も顔も知らない「縫子」の、まぼろしの実母と実父を尋ねる探索も進めた。

 穂高へ、実地踏査に行き、幾人もの関係者に会ってお話を聞き、また「縫子」の住んだ家々の跡もたずねた。

 37年前の昭和45年5月中旬、川端康成が訪ねた盆栽店――「縫子」の養父の営んでいた『庭繁』――実際の店名は『アルプス園』だった――の跡地にも立ってみた。康成が訪ねたのと同じ5月である。残雪が白く残る北アルプス連峰が美しかった。

 つい先日は、「キューポラのある街」として知られる埼玉県の或る町を訪ねた。「縫子」の実母の名がわかり、その晩年の世話をしたM氏に会いに伺ったのである。M氏は、「縫子」と康成が二人で写った写真を見せてくださった。背景や服装などから、養父一家がミネゾを鎌倉長谷の川端邸に運び込み、植えたとき、記念に撮影したものと推測された。

昭和23年生まれ、このとき22、23歳であった「縫子」は、色白のか細い少女で、まだ高校生のように見える。

 M氏は、「縫子」の実母の、甥にあたる方であった。惜しくも、実母は、3年前に亡くなっていたが、その生涯や、「縫子」の実父と出会った日々を記録した手帳も見せてくださった。

 実父と実母は、34歳の年齢差がある。生後一年前後で、「縫子」は実父の家に引き取られた。その養母と七五三のときに撮った写真もあった。「縫子」7歳の写真である。

 実父は、「縫子」の満8歳のときに亡くなったが、奇しくも、わたしの故郷と同じ福井県の、丸岡町の出身であった。その実父の出自を調べるために、わたしは近く丸岡町を訪ねる予定である。

 「縫子」自身は、わたしの取材の求めに応じてくれなかったが、ご主人を通じて、自身の感想をFAXで送ってくれた。

 その言葉と、これまでの取材によって、わたしは康成と「縫子」の関係を了解した。康成は、かつて様々な少女に慕情を抱いたように、自分に境遇の近似した「縫子」に、慕情を寄せたのだ。

 それを口にすることもなく、ただ黙って康成は死を選んだ。
           (『文芸日女道』532号〈2012・9〉)
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/18418ed16c41ec3ecadd55f370a98352

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川端康成 - アンサイクロペディア


川端康成(かわばた やすなり、1899年6月14日 - 1972年4月16日)は日本を代表する大文豪(ど変態)である。どの辺が変態かは作品の行間を読めばよくわかる。

「人間☆失格」の太宰治と不仲であったことが知られているが、実際には川端のほうがよっぽど変質者で異常者である。

むしろ完全なサイコパスであるがゆえに社会的勝利者となりえたのだと思われる

(太宰は「心ならずも道を踏み外した真人間」の苦悩を描いた良心的な作家ですらあり、本質としては気弱で心優しい善良な人間である。
やさしさと繊細さゆえに社会的に破滅してしまうことはよくある話である。
それゆえに女たちに好かれたのだろう。碇シンジが上辺は馬鹿にされつつも、暗にもてたのと同じ理屈)

同性愛で知られる三島由紀夫とは「心の友」ともいえる「師弟の契り」の仲だったらしい(「類は友を呼ぶ」のだろうか。共に「渚カヲル」ではないが耽美的変質者である)が、その関係がどこまで進んでいたのかは定かではない。


自死への道程

眼光鋭い作家の肖像。絶滅危惧種。

産道を抜けるとそこは雪国であった……とはいかなかった。そうならどれほどよかったろう。

世間はざわつき、大阪人の両親は首のまだすわらぬ赤子を揺さぶり、つきっきりで、狂ったようにぺちゃくちゃ話しかけた。

ああ、うるさい、死ねばいいのに。
ある日ついに怒り心頭に発した川端少年がその目をカッと見開くと身内がまとめて転げて死んだ。


利発な子であった。習ったことは頭の中の石板に刻みつけられた。

そんな彼の灰色の青春に転機が訪れる。旅先の伊豆の景色に、人に、彼は魅了される。
朗らかさ、あたたかさの中に宿命的に存在する陰影。静謐の美。
ああ俺はこれを求めていたのかそうかいや違うそうじゃない。

明晰な頭脳の奥の病んだ心は火だるまになって転げ落ちる踊り子に魅了される。

デカダンの道を突き進む男はいたいけな少女をちぎって捨て、ちぎって捨て、しかしそのちぎり絵が耽美に見えた。

彼の眼はやがて「古都」京都をも捉える。そして言い放つ、黙ってさびれてろ、と。時よ止まれ、日本きみは美しい。


突然の入院。なるほど止まるのは君でなくて俺ということか。
よろしい、しかしそれならばせめて美しく。静かに終わるならこれがよかろう。

しかしガス管をくわえるのは見た目に美しくない。
作家はガスストーブの栓を抜いた。無駄な配慮であった。部屋の中がくさいくさい。


作品

彼の作品、読書中のBGMには「残酷な天使のテーゼ」が最適である。


『十六歳の日記』

死にいたる病床の祖父の冷徹な観察日記。まさしくサイコパスである。


『伊豆の踊り子』

混浴温泉で出会った、全裸で手を振る純真な少女をじっくりと視姦する。最後の号泣シーンは議論と憶測と諸々の疑惑を呼んでいる。


『雪国』

田舎の温泉街で、家族を放置してきた男がふらふらする。

芸者女の「あなた、私を笑ってるのね」という言葉は、川端という人間の本質を表している。

残酷な人生観を持ちながらも冷笑的。
愛する男(不治の病)の療養費のために芸者に実を落とした悲壮の女を「徒労であった」とあっさり断じる。

高みから見下ろしている「憐憫」はあっても、太宰のような真摯な「同情」がない。
ひたすら悟りの境地で観察する、まさにニーチェ的超人の視点である。

畳の上で死んでいく虫の死に様を冷静に記述する様は猟奇的ですらある
(まるで「人間など虫けらと同じだ」と暗に言っているようである)。


『舞姫』

終戦直後の日本で崩壊していく家庭を描く。
無気力な夫の圧殺された怨恨感情が一家を蝕んでいく。
その有様はまるで黒い太陽が暗黒の光を放射するがごときである。

浮気相手の子供を助けるためにストリップに身売りする純情すぎる(馬鹿)女のサブエピソードつき。

あまり注目されていないが、ドストエフスキーにおける『悪霊』や『地下室』と同等の位置を占める「余計者」文学の極点である(川端はロシア文学の愛好者であった)。

ヒロインの「お父様は魔界から私たちを観察している」発言の「お父様=川端」は明白。

まさしく「仏道入りやすく、魔界入りがたし」である。
川端康成は魔界の住人であった。


『千羽鶴』

骨董趣味とエロさの混合。

茶器についてうんちくを並べる一方で、胸にあざがある女(喪女)の怨恨がよくえがかれている。

作者が描きたかったのはむろん後者だろう。

「名器」という発言に含みがあることは一目瞭然である(川端の作品には、この手の無意識に働きかけるサブミナル効果の手法がしばしば活用されている)。


『みずうみ』

物語はソープランドから始まる。

主人公の桃井は教え子と恋愛事件で学校を追われて、なお性懲りもなく密会を図る。
彼には父親を殺害された暗い過去があり、デカダンを体現する日陰者である。

タクシー運転手の背後から「不穏」な目で観察し「しかしリアルで襲い掛かれば狂人である」と思考する。まさに川端のイデアルな自伝、内面告白である。


『眠れる美女』

睡眠薬で眠らされた美女と同衾する新しい風俗の提案。

最後に薬で死亡した娘について、店の案内人が「死んだって、かわりはいくらでもいる」旨を言い放つ非情なラストが印象的。

ちなみにこの猟奇性は『散りぬるを』で「自分はいつか女を殺す」との発言にもつながっている(蓄妾に養成する予定で囲っていた女が殺害される短編)。


自殺

川端康成の死因はガス自殺とされてきた。
しかし近年の研究では戦略自衛隊による暗殺説が持ち上がってきている。

暗殺の理由としては精神的に無慈悲な神の境地に達した川端がサードインパクトを引き起こすこと「人類補姦計画」を目論んでいたためとされる(川端はエヴァの碇ゲンドウ・冬月コウゾウのモデルとも囁かれる)。

そのために川端はノーベル賞作家の美名の影で繰り返しリリスとの接触(売春を含む女犯行為)を繰り返していた。

そもそもノーベル賞受賞そのものがゼーレの陰謀という説がある。

異説としては、「死体のコレクション」の腐敗ガスが充満したことが原因という「青髭」説もある(青髭は昔話に出てくる死体収集者)。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90

4. 中川隆[-13617] koaQ7Jey 2018年12月22日 06:42:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

2018年12月11日
児童買春被害の少女ら、初の調査


 児童買春の相手となった18歳未満の少女ら194人の実態調査で、半数以上が授業をサボらずに学校に通っていたことが11日、警察庁のまとめで分かった。約7割は補導・非行歴がなく、親や教諭が気付きにくい実情が浮かび上がった。会員制交流サイト(SNS)で男らとやりとりしていたとみられ、警察庁は家庭や学校で安全なスマートフォンの使い方を指導するよう求めている。

 警察庁が、昨年1年間に警視庁と大阪府警、愛知県警が摘発した事件の被害者194人(男児1人を含む)の生活実態を初めて分析した。平均15・8歳で、最年少は12歳。1人で複数の事件に関わっていた少女もいたという。
【共同通信】


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経済的理由で「売られた」子ども4か月で161人、アフガニスタン
2018年11月28日 15:05 発信地:ジュネーブ/スイス


【11月28日 AFP】アフガニスタンでは干ばつ被害の影響で、すでに劣悪な人道的状況がさらに深刻化しており、借金の支払いや食料を買うための金銭を必要とする親が、強制結婚などを通じて子どもを「売る」ことを余儀なくされる例が増加している。国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)が27日明らかにした。

 ユニセフの推計によれば、干ばつに見舞われたヘラート(Herat)州やバドギス(Baghdis)州では、過去4か月の間に生後1か月から16歳までの少なくとも161人の子どもが「売り」に出されたという。

 スイス・ジュネーブでアフガン支援国会議に参加したユニセフ広報のアリソン・パーカー(Alison Parker)氏は記者団に対し「アフガニスタンの子どもたちが置かれている状況は悲惨だ」と述べた。

 今年7月から10月にかけて行った調査で、負債に苦しむ両親の下で子どもたちが、婚約や結婚をさせられたり、売買されたりしていることが明らかになったという。同氏は「干ばつ被害を受ける前にすでに80%以上の世帯が負債を抱えていた」が、収穫によって負債を支払えると考えていた人々の多くにとってそうすることが難しくなった現状を説明した。

 同氏によると「不幸なことに現状では子どもたちは担保として使われて」おり、最年少では乳児が婚約させられたり、11歳やそれ以下の女児が強制結婚させられたりしている例もあるという。さらに「売られた」とされる161人の子どものうち6人は男児で、「児童の強制労働」も増加していると警告した。(c)AFP

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インスタグラムで赤ちゃん売買、母親ら4人逮捕 インドネシア
10/13(土) 11:30配信 CNN.co.jp


ジャカルタ(CNN) インドネシア第2の都市スラバヤの警察はこのほど、インスタグラム上で赤ちゃんの売買を試みた疑いで4人を逮捕したと発表した。逮捕者の中には赤ちゃんの母親(22)と、ブローカーと疑われる人物(29)が含まれている。

このほか助産師と、買い手とみられる人物もバリ島で逮捕された。

通報対象となったのは「プライベートな心の相談」を意味するハンドル名のアカウント。妊娠に関する相談や養子縁組サービスを提供すると称しているが、捜査の結果、金銭取引の証拠が見つかったという。

スラバヤ警察幹部は9日、生後11カ月の赤ちゃんをバリ島の買い手に売ろうとした母親の企てを阻止したと発表。取引にはメッセージアプリのワッツアップも使い、1500万ルピア(約11万円)で赤ちゃんを売りに出していたとされる。

このインスタグラムのアカウントは約1年間にわたり運営されていたが、先日削除された。

9月15日に投稿された画像には、「C86」と呼ばれる赤ちゃんが写っており、年齢や性別、宗教といった情報が併記されていた。電話番号も記載され、養子縁組の希望者に対し連絡を促すメッセージが添えられている。

インドネシア児童保護当局のトップは、ソーシャルメディアの登場で人身売買業者の手口が変化したと指摘。以前は仲介者の手配で対面取引を行う例が多かったが、現在はインスタグラムやフェイスブックなどの利用が進んでいるとの見方を示す。

インドネシアは人身売買の主要拠点で、国連児童基金(ユニセフ)の推計によると年間10万人の子どもたちが売買され、その大半は性産業への従事を強制されている。



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“性教育としてやってあげた” 「小児性愛者」の異常に歪んだ闇
小林晶子 2018年5月16日

自らの犯罪を正当化

成人による幼い子どもに対する性暴行や拉致・監禁、そして殺害など凄惨な事件は後を絶ちません。

こうした事件では、「小児性愛障害」を持っている犯人が少なからずいると思われます。

「小児性愛障害」は、小児(通常13歳以下)を対象とする、反復的で強い性的な興奮を引き起こす空想、衝動、行動を特徴とします。

その常習性と衝動性は極めて強く、他の性倒錯に比べ再犯率が高いとされています。

その理由の1つは、彼らが児童への性的接触を、心の奥底では悪いとは思ってはいないこと。

彼らは決まってこう考えるのです。

「大人になったらいずれ経験することを、性教育としてやってあげた」

「一線を越えてしまったが、相手も望んで受け入れていた」

自らの犯罪行為を身勝手に正当化する、とんでもない認知の歪みです。

小児性愛者の多くは、自分が犯罪を犯しているという感覚がほとんどありません。
被害を受けた児童は、成人してからもずっと、心身の後遺症に悩まされ、苦しみ続けることには全く思いが及ばないのです。

性的欲求のために教師に…!

「好みの子どもを見ると、まるで吸い込まれるように近づいてしまう」と言う小児性愛者の声もあります。

子どもが通るたびに無意識に目で追ったり、子供に関わる際に区別をする(男児には関心が薄く、女児だけに声をかける等)、子どもと1対1になりたがる…日常生活の中で、こうした行動を取る小児性愛者は少なくありません。
被害にあうのは、女児だけでなく、男児の場合もあります。

性的な行動で多いのは、小児の性器への愛撫とオーラルセックス(口唇性交)です。

強引な小児性愛者が小児に力ずくで性行為を強要したり、それだけでなくその小児を脅して口封じをすることさえあります。

このような小児性愛者の多くは、反社会性パーソナリティ障害も有しています。
また、薬物等への依存や、抑うつがみられることも少なくありません。
「小児性愛障害」の一般人口における有病率は正確にはわかっていませんが、女性よりも男性にはるかに多くみられます。

小児性愛者が、それと知られずに子供たちのスグ身近に潜んでいることも珍しくはありません。

性的欲求を満たすため、子どもに合理的に接触出来るように、小学校教諭や保育士などの職業を選択するケースはその典型です。

昨年3月に起きた小3女児殺害事件では、逮捕された容疑者は保護者会会長として、通学路の見守り活動に携わっていました。

厳罰化の再犯防止効果は?

「未治療の性犯罪者が生涯に出す被害者の数は380人」という、米国のエイブルの研究データもあります。

事件化したりするのは氷山の一角で、性犯罪者は何度も何度も犯罪を繰り返していることになります。

再犯を防ぐためにも、とりわけ小児性愛の犯罪者は厳罰に処すべきという意見も当然のことかもしれません。

しかし、たとえ長期間にわたって収監されても、「小児性愛障害」の病理に変化が起きることはありません。

彼らの強力な性的欲求が変わらない限り、一見 深い反省をしているように見えても、その数日後に再犯することもあるのです。

そこで、小児性愛者に対しては、再発防止に向けた治療がとても重要です。
「小児性愛障害」の治療は、個人またはグループでの長期的な精神療法と薬物等によって行われます。

自発的に治療を受け、社会技能の訓練や他の問題(薬物依存や抑うつ等)の治療に取り組んだ場合が、最もよい結果が得られます。

小児性愛者による犯罪は、被害にあった子どもの未来も、人間の尊厳も奪います。
加害者である大人に対して、子供は恐怖で声を上げられません。被害にあっても、誰にも言えず、ひとり苦しむ子供も多くいます。

小さい子供を持つ親にとって、小児性愛者の犯罪は決して他人事ではなく、いつどこで起きるかわからないということを意識すべきでしょう。
https://www.fnn.jp/posts/00312040HDK



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奇習! 生娘の肉体を貪るため、その母親に近寄る男たち!
西日本に実在した不届きすぎる「再婚の掟」とは!?
https://tocana.jp/2018/10/post_18137_entry.html

 1982年公開の渡辺護監督のロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』では、一目ぼれしてしまった女子高生(河愛かずみ)を我が物にするため、“怪優”下元史朗演じる大学教授が、その母親に接近。わざわざその再婚相手となった上で彼女を殺害し、最終的には当初の目的どおりに、彼女の娘である女子高生を手に入れるまでのプロセスが描かれているが、実はこうした“なんとも回りくどい”手段を使ってでも、少女たちの“青い性”を手に入れんとする不届者というのは、いつの時代も存在するようだ。


「……ああ、たしかに。かれこれ50年近く前になるけども、そういう習慣があったにはあったよね、昔は」


 かつて西日本のとある地域に実在していたという、“ある奇妙な習慣”についてそう語るのは、現在、中部地方のとある小都市で余生を過ごし、最近では時折訪ねてくる曾孫と会うことだけが生甲斐だと語る岡本義道さん(仮名・81)。岡本さんの話によると、その昔、この地方では、“再婚”にまつわる“なんともおかしな掟”が存在していたのだという。


「今みたいな時代と違うから、昔はね、再婚するっていうのは、ちょっとした金持ちでもない限り難しかったんだよ、男でもね。女ならばなおさら。けど、そのうちにね、若い娘がいれば話は別。その娘を“エサ”にね、再婚することができたんだよ」


 なんでも、岡本さんの話によると、それが死別か離縁かはともかく、再婚という行為自体がなかなか難しかった時代、男性はもちろんのこと、女性はさらに再婚することが困難で、たとえば若くして夫に先立たれてしまった場合などは、その後、よほどのことがない限り、終生、独り身で過ごすことを余儀なくされたものだったという。しかし、当地においては、再婚を望む女性に「娘」がいた場合、その娘と“セット”にすることで、労せず再婚することができたのだという。

「要はね、薹(とう)が立った奥さんはまだしも、未婚の若い娘はそれだけで価値があるだろ? だからね、ハナからそっちを目当てにしてね、再婚するんだよ。そうそう、娘の母親の方だって、それを百も承知で、自分の再婚話を取りまとめるの。だからね、このあたりじゃ、娘のいる後家さんなんかが再婚して、娘の方に再婚相手の男との子供ができるだなんていう話は、別に珍しいことじゃなかったんだよな。実際、そういうことは見て見ぬフリを決め込むことになっていたからね、習慣として。だから別にそういうことで肩身の狭い思いをするとか、そういうのはなかったと思うよ」


 若い娘の“青い性”を貪りたいがために、その母親との再婚までしてしまう男というのは、それだけで如何なものかと思うところであるが、そうした事態になることを百も承知で、自身の再婚を目指す母親というのも、当世に生きる我々からすれば、さらに理解に苦しむところだ。


「まあ、昔はね、女の人は食っていくだけでも大変な時代だったから。みんな心の中じゃ思うところあったにせよだよ、娘と一緒に路頭に迷って飢え死にするよりはまだマシだと思って、あくまでね、“苦肉の策”として、そうしてたんじゃないかな」


 再婚後、その相手男性と自身の愛娘との間に、事実上の孫にあたる子供が生まれることを想定し、夫との籍を入れることなく内縁関係を続け、場合によっては、夫と愛娘との間に生まれた赤ん坊の“子守役”として余生を過ごしていたという、当地のシングルマザーたち。その背景に、やむにやまれぬ事情があったにせよ、現代の我々からすれば、やはり理解に苦しむところである。
(取材・文/戸叶和男)


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泊めたら性行為「暗黙の了解」 家出少女につけ込む大人

両親よりも見知らぬ人 少女が「泊めて」ツイートした夜 2018年10月12日


少女が持っているツイッターのアカウントの一つ。家出した日、

「『泊めてもいいよ』って方は、DMで住みと年齢性別をお願いします。」

などとつぶやいた


 9月1日夜、雨でびしょぬれの少女(17)がツイッターでつぶやいた。


 「『泊めてもいいよ』って方は、DMで住みと年齢性別をお願いします」

 「DM」はダイレクトメッセージ、「住み」は住所のこと。そして、誰からでもDMを受けられるよう、設定を変更した。相手が検索しやすいように記号「#」(ハッシュ)もつけた。「#誰か泊めて」

 数分後、DMが40通届いた。「どこにいますか」「迎えに行くよ」――。全て「男性」。一瞬、怖くなった。

 そのとき少女は家出し、東京都内のコンビニの前に座り込んでいた。

 「今までたまってたのが全部爆発した」。小学1年生の時から両親に虐待されていた。殺したいとさえ思ったが、8歳の弟の顔が浮かんだ。「犯罪者の姉を持つのはかわいそう」。4千円ほど入ったICカードとスマホだけを持って、行けるところまで行こうと思った。

 だが、土地勘のない場所に来てしまい、ICカードの残高もほぼ尽きた。「極限状態だった」

 ツイッターで「#家出」「#泊めて」と検索すると、多くのつぶやきが現れる。女性と思われる人が泊めてくれる人を探している。返信はほとんど男性からだ。泊めてくれる男性を「神」と持ち上げ、ツイッター上では「#神待ち」という言葉も飛び交う。

 少女もそうしたつぶやきを知っていた。「(男性は)『ヤリ目(もく)』(性行為目的)だし、男性からの呼びかけに応じるつもりはなかった」。ただ、こうも付け加えた。「もし同性で泊めてくれる人が見つからなかったら、誰でもいいやとなっていたかもしれない」

 少女はいま、コンビニ前で声を…
https://www.asahi.com/articles/ASL9S7V3PL9SUTFL007.html?ref=yahoo

泊めたら性行為「暗黙の了解」 家出少女につけ込む大人 2018年10月12日


警察庁によると、SNSなどで児童ポルノや児童買春といった被害に遭った子どもは2017年に1813人にのぼり、約10年で2倍以上になった。

一方、警察に行方不明者届が出された10代の人数は1万6412人(2017年)で、理由は「家庭関係」が6205人で最多。

実際にツイッターの「#家出」「#神待ち」などで見知らぬ男性と出会い、事件に巻き込まれる例もある。


 青森県警は昨年12月、県内に住む女子中学生(当時15)が未成年だと知りながら連れ出し、神奈川県内の自宅で寝泊まりさせたとして同県の男性を未成年者誘拐の疑いで逮捕した。その後、男性は同罪で懲役1年6カ月執行猶予4年の有罪判決を受けた。判決などによると、男性は昨年8月ごろからツイッターで家出中や家出願望のある女性を探すようになった。家出したいとつぶやいていた被害者の少女とDMでやりとりし、同10月上旬、バイクで青森市へ向かい、合流。少女を乗せて神奈川県平塚市の自宅へ向かった。男性が少女とともに過ごしたのは、少女が警察に保護されるまでの約2カ月間。家出中だった別の女性も一緒に住んでいた時期もあった。判決では「被害者の家出願望に応えようとして実行されたものであるが、浅はかというほかない」とされた。

 ネットをめぐる事件を取材するフリーライターの渋井哲也さんによると、ネット上では、家出先を求める「掲示板」が十数年前にはあったという。最近では、ツイッターのDMなど他人に見られずにやりとりできるSNSが主流だ。

 ただ、SNSを介した見知らぬ人との出会いは性被害などのリスクがつきまとう。渋井さんは、宿泊させる代わりに男性が性行為を求めることが暗黙の了解の場合もある、という。

 それでも、「子どもたちは家族や学校は話を聞いてくれないけれど、SNS上の人は親身に話を聞いてくれる、と考えている。家出する子どもたちは家にいる方がリスクが高いとも感じている。そして、ネットがあったから救われた、という人たちも確かにいる」と話す。

 ネット上のトラブル相談に乗る全国webカウンセリング協議会の安川雅史理事長は「自分が抱える苦しい思いをネットでつぶやき、反応があるとすぐに信頼してしまう。だが、そこには弱みにつけ込む大人もいる」と指摘。「親を含め周りの大人が子どものネットの使い道に無関心過ぎる。家族や学校が子どもたちと向き合い、使い方や危険性などの教育を地道にしていくしかない」と訴える。

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奇習! 富裕層の老人だけが参加する“処女競り” ― 「家一軒が建つほどの価格で…」高齢者の劣情爆発、不可解な伝統=東北地方
https://tocana.jp/2018/09/post_18139_entry.html

 2012年に公開された韓国映画『ウンギョ 青い蜜』(チョン・ジウ監督)では、家事手伝いのバイトをしている17歳の女子高生(キム・ゴウン)相手に、パク・ヘイル演じる高名な老詩人が“あらぬ劣情”を抱いてしまう様子が登場しているが、とかく歳を重ねた男性の中には、それこそ娘や孫といった年頃の女性に対して、憧れの感情にも似た恋心を描いてしまう人も少なくないようだ。


「まあ、“生娘をセリにかける”っていうことだけを聞くと、顔を顰めたり、怒ったりする人もいると思いますけどもね。けどね、逆に言えばそれだけ価値があるということだと、私は思うんです」


 自身が生まれ育った東北の寒村で行われていたという、“ある奇習”についてそう語りはじめたのは、震災後、都内の親類宅に身を寄せつつ、その余生を過ごしているという、河村芳吉さん(仮名・89)。河村さんの話によると、その昔、彼が生まれ育った村とその周辺では、富裕層の老人たちだけが参加する“処女競り”が行われていたのだという。


「なにせ一生で一度のことでしょ、“はじめて”っていうのは。だからね、それをですよ、それこそ、そういう体験が遠い昔になってしまったようなね、金持ちの年寄りたちが“セリ”で買うんです。うん、そう。だからあのあたりの娘がいる家っていうのは、必ずと言っていいほど、“その時”を待っていたものでしたし、“それ以後”に、立派な家を建てたりっていうことも、全然珍しいことじゃなかったんですよ」


 そもそも性交渉が「未体験」である自身の愛娘を、あろうことか奴隷市場よろしく、「処女競り」にかけるという行為自体、現代の我々からすると、甚だ理解に苦しむところであるが、その実、河村さんの話によると、その「セリ」の盛況ぶりはかなりのもので、毎回、近隣住民はもちろんのこと、遠くは関東の方から、わざわざその「セリ」に参加せんがために、当地を訪れていた人も少なくなかったのだという。しかもその落札価格たるや、高い時には河村さんが語っているように、「家一軒が建つほど」だというのだから、まさに驚くばかりだ。河村さんは続ける。


「もちろんね、そこまで大金を積んでセリ落としたからといってもね、必ずその“はじめて”を自分のものにするか? っていえば、これがそうでもないようでしてね。競り落したその日の晩に、自分の宿で抱くようなせっかちな人もいる一方で、自分の家へと連れ帰って、特になにもしないままで、ずっと暮らしているだけっていう人もいるみたいなんです。やっぱり頭のいい人とか、金を持ってる人の考え方ってのは、私らみたいな凡人にはよくわからんものですよ(苦笑)」


たしかに、前出の映画『ウンギョ 青い蜜』に登場する高名な老詩人は、あくまで“自身の妄想の中だけ”で少女の裸体に触れることはあれど、結局、現実にそれが実現することはなく、その後、あろうことか、自分の弟子格であった若い男性との情事を目撃してしまうことになったし、表向き、「愛人」として囲っていながらも、日毎に衰え行く自分の男性機能のせいで、単なる「人間ATM」状態と化してしまう男性は、今の時代でも少なからず存在しているのが実情だ。そうした意味で考えれば、河村さんの言う“金持ちの年寄り”たちの中に、こうした、傍目に見て“不可解な行動”をとる人間がいたとしても、さもありなんといったところだ。


「まあ、別にこれは女に限ったことではなくてね、いろんなものに通じることだとは思いますけれども、人間っていうのは、歳をとってくると、そういうね、当事者である若い人が自覚していないような、“ごくごく当たり前な日常”っていうのが、やたらと眩しく見えてくるもんでしてね。自分で手を下すかどうかはともかく、そういう“眩しいもの”をね、手許に置いて眺めていたいっていう、そういう気持ちで、みんな、大金を叩いていたんじゃないかって。私もこの歳になると、正直なところ、なんとなくそう思うことがありますね」


 いわゆる「処女」の状態にある少女たちの、その「日常」を手に入れんがために、遠路遥々セリへと参加し、家一軒が建つほどの大枚を叩いてまでそれを手に入れつつも、なぜかその初心な裸身には指一本触れずに、「観察」に終始したケースも少なくなかったという老人たち。果たしてその胸中は、一体如何なるものであったのだろうか…
(取材・文/戸叶和男)


5. 中川隆[-13616] koaQ7Jey 2018年12月22日 06:50:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

「女の子のニオイ」を再現する方法


女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
3/28(水) 11:23配信 産経新聞

女性のニオイ研究の成果から、ロート製薬が開発したボディウォッシュ
http://jp.rohto.com/deoco/body-cleans/


 女性には若いころに特有の甘い香りがあり、それは加齢とともに失われていくことがロート製薬の調査で分かった。その正体は桃やココナツなどの香りの構成成分であることも判明。その香りをかぐと、見た目の印象も変わるといい、同社は研究結果を製品開発に生かそうと試みている。(安田奈緒美)

 女性が1日着用した1枚の布を目隠ししてかいでみると…。当然、汗の臭い、酸っぱい臭いなどが鼻をつくはず。ところが「その中で甘くて良い香りが漂うのに驚きました」と話すのは、ロート製薬の男性研究員だ。

 女性の加齢に伴う体臭の変化について研究しようと、10〜50代の女性50人に、入浴後から24時間着用してもらった布を回収し、評価したところ、そこはかと漂う甘い臭いに気づいたという。「甘い臭い」は10代、20代に比べて30代以降で減少し、その「曲がり角」は35歳にあることも分かった。一方で、アンモニア臭や硫黄臭といった、人が苦手に感じる臭いに関しては年代によって大きな差は見られなかったという。

 さらに研究グループは甘い臭いの成分の特定にも成功。ピーチのような香りの「ラクトンC10」と、ココナツのような香りの「ラクトンC11」という化合物が香りの元と突き止めた。男性研究員は「女性の臭いは男性とは違う独特なものがあると以前から思っていた」と話し、それがラクトンだと推察している。

 ロート製薬が女性の臭いに注目して調査したのは、平成28年に行ったアンケートがきっかけだ。300人の20〜60代の女性に体臭に関する質問を行ったところ、「年齢とともに体臭が変わってきた気がする」「におっていないか不安」と回答した女性が全体の約8割もいたからだ。そこで、加齢に伴う体臭の変化について調査を実施。ラクトンC10、ラクトンC11について、昨秋、神戸市内で開かれた「日本味と匂学会」でも発表した。

 研究結果でもう一つ、分かったことがある。臭いと見た目の印象の関係だ。実験では「加齢臭」とも称される臭い成分の「ノネナール」と「せっけん香料」「ラクトンC10/ラクトンC11」をそれぞれ含む香料を3つ用意。研究員がそれぞれの香りをかぎながら女性の写真を見て、無香料で写真を見たときの印象と比べた。すると、ラクトンを嗅ぎながら写真を見た方が「女性らしさ」「若々しさ」「魅力度」がそれぞれ、15%、47%、74%も上がった。一方、ノネナールを嗅ぎながら写真を見ると、「女性らしさ」は無香料の時にくらべて40%減、「若々しさ」に至っては60%以上減となった。

 これらの研究結果を踏まえて同社広報の矢野絢子さんは「今後、女性の加齢臭に対する手法として、洗うことで落とすだけでなく、ラクトンの香りを加えてあげるというアプローチができる」と話す。すでにラクトンを含むボディウォッシュの販売を開始しており、「順次、ラインアップを増やしていけたら」としている。
http://jp.rohto.com/deoco/body-cleans/

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「あ〜女の子やぁ〜ハァハァ(*´Д`)」

やっぱラブドールとのエッチはリアルなほど興奮しますやね。


そのリアルを五感の中の嗅覚に求めた結果
発見されたアイテムがこれ。


8x4パウダースプレー フローラルティアラ

ラブドールとのセックスを盛り上げる秘密兵器


これをラブドールちゃんにシューーーッ
と振りかけると女の子感が増大!


抱擁すると

「あ〜女の子やぁ〜ハァハァ(*´Д`)」

となります。


実はこの「フローラルティアラ」は昔に買ったもので、もう販売してないのですが、
現在は代わりに


8x4パウダースプレー フレッシュフローラル
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC-213068-%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%83%B3-%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%AB-45ml/dp/B000RZC4G6/ref=as_li_ss_il?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=PMJF7WWWS0RMZTRHW6EG&linkCode=li3&tag=riderneo00908-22&linkId=24a58eda70ca7b9bf9c3463eef9cb9c9


というのが出ています。

そしてそしてなんと、さらに夢のような


8x4パウダースプレー ドリーミーガール
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC-8x4%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC-%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB-150g/dp/B00I4G2SH0/ref=as_li_ss_il?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=31BJ3NA8P6QCE9HBGB01&linkCode=li3&tag=riderneo00908-22&linkId=7a4401d94fe7246c8ceebdb21ef15356


ってのが出ております!!


これをラブドールちゃんが来ている服、
髪の毛に振りかけてみてください。


あなたのラブドールちゃんを「夢の少女」に変身させてくれます。

もしラブドールで「匂い系」を試したことないという方!
倦怠期を迎えておられる方!

是非ともお試し〜!

いつもより燃える夜を過ごすことは
間違いないでしょう(´∇`)
http://dalllove.blog.fc2.com/blog-entry-76.html


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雰囲気を盛り上げるための努力 _ 匂い
https://laladoll11.blog.fc2.com/?mode=m&no=187

人によっては最初はラブドール相手じゃ勃ちません。少なくともジジはそうでした。
ラブドールに香水や制汗スプレー(8x4)をつけたり、アロマオイルでリラックスしたり、えろい音声だけをワイヤレスヘッドホンで聴いたり、いろいろ工夫してみると良いかと思います。

Amazon 8x4 パウダースプレー せっけん 150g エイトフォー デオドラント・制汗剤
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC-8x4-%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC-%E3%81%9B%E3%81%A3%E3%81%91%E3%82%93-150g/dp/B01N16PJIA/ref=sr_1_2?s=beauty&ie=UTF8&qid=1534423891&sr=1-2&refinements=p_89%3A%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC

____


ラブドールはシリコン特有の匂いはしますが、風呂に入れて洗ったり、人間用のデオドラントスプレーなどで消すことができます。

ちなみにカツラは以前に良い髪の匂いがした彼女が使っていたのと同じシャンプーで洗ったりしてみましたが、確かに良い匂いはしますが、シャンプーの匂いで人間の女性の髪の匂いにはなりませんでしたw

それと体にもよくネットで言われているように、若い女性の匂いの元と言われるデオドラントスプレー「8×4」を使ってみましたが、衣服などは確かにそれっぽい匂いになるのですが、シリコンの体自体はそもそも臭いがあまり残らないです。
何もしないよりかは、嗅覚的興奮度は上がりますが、あまり過度な期待は禁物ですw

カツラはシャンプーを溶かしたお湯に長めに漬ける、デオドラントスプレーは着せる洋服にかなり大量にかけて、時間を置く(大量にかけた直後は化粧の濃いおばさんっぽい匂いになりますのでw)。

これで多少なりとも匂いに関してはリアルの女の子っぽくできます。
http://asusa7v.blog.fc2.com/blog-entry-2.html


____

人間が性的興奮や快感を感じるのは性器への刺激だけではありません。

相手の体や表情など視覚からの刺激、相手の体臭などの嗅覚で感じるもの、あえぎ声など聴覚で感じるもの、そして相手との触れ合いで感じるからだの柔らかさや温かさなど、それらが総合して性的興奮を高めるのです。

視覚に関しては、ずっと無表情なのを抜きにすればフルシリコンドールは完璧です。

匂いに関しても、カツラを女性に人気のシャンプーで洗ったり、8×4などのデオドラントスプレーや香水などでそれっぽい匂いを醸し出すのは可能です。

あえぎ声を出せる機能を持ったものをもありますが、まぁこれは近くでエロビデオでも再生すればなんとかなりますw

しかし触感の部分がダメダメなんですね。
リアルなのは見た目だけで、一番人体に近いと言われるシリコンですが、手触りは本物には遥かに及びません。
硬いですし、冷たいです。

つまりどんなにお金を出しても、リアルの女性を抱いているのと同等の感覚・興奮は今のラブドールで得るのは不可能なのです。
http://asusa7v.blog.fc2.com/blog-entry-29.html#more

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「女の子のニオイ」を再現する方法まとめ
https://www.2ch.work/life/7037


amazon.co.jp フェルナンダ マリアリゲル
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dbeauty&field-keywords=%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%80-FJM0003-%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB/dp/B005DOXFWS


突然ですが、あなたは「女の子のニオイ」って好きですか?好きですよね。

こんな女の子をクンカクンカしたい

わたくしはかれこれ30年ほど女子が好きなのですが、「↑こんな女子はなんであんなにいい匂いがするんだ!」という隠れたギモンもずっとありました。

女子が好き=女子のニオイが好き

ということです。

今回は、女子のニオイの正体と、ネットで探した以下の結果をまとめたいと思っております。

•電車で女子高生の隣に座れた時香ってくるニオイの作り方
•学校で女子が着替え終わった部屋の雰囲気の作り方
•男子でも女性と同じような香りをふんわり纏う方法

おそらくソニートニュース読者の方は以前ネットで見たような内容とデジャヴを感じるかもしれませんが、誰でも「女の子のニオイ」を近くに置ける画期的な方法なのでお試しください。

手軽な女子のニオイの再現方法

早速結論から書きます。

女子のニオイを再現する方法は、

•部屋のニオイを「女子の残り香」っぽくする
•女子っぽい香りを身にまとう

という2つのパターンがあります。

そして、共通するニオイの系統は、フェルナンダというブランドの「マリアリゲル」という香りを狙うということです。

この香りは、女の子がシャワー浴びたての時にムンムン香ってくるあの香りのようです。テンション上がります。


部屋のニオイを女子の香りにする方法

とりあえず、黙って以下の定番の「女子の香り」のアイテムを買ってみましょう。


オカモト産業 ドリームマジックチャーム プラチナシャワーの香り
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%88%E7%94%A3%E6%A5%AD-CARALL-%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%A0-%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC-1641/dp/B008M08PL6


これは車の芳香剤なのですが、2010年あたりからネットで「シャワー浴びた直後の女子のニオイ」ということで女性に縁のない男性から絶大な人気を誇るアイテムです。


買ってみたけど…まさにマリアリゲルの香り。

これ、非常に萌えるにおいですよ(笑)

1つ当たり百円ちょっとで買えるので、「最も低価格で女の子(の香り)を家に連れてこられる方法」かもしれません。


うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

女の子の香りだあああああああああああああああああああああああああああ

風呂上がりの女の子の匂いがすると噂の芳香剤を買ってみたら予想以上に良かった件 https://honeycome.net/archives/81



グレード 消臭・芳香剤 ロマンティックフローラルの香り
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89-%E6%B6%88%E8%87%AD%E3%83%BB%E8%8A%B3%E9%A6%99%E5%89%A4-%E4%BA%BA%E6%84%9F%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%BC%8F-%E3%81%8A%E9%83%A8%E5%B1%8B%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E7%94%A8-%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A/dp/B0098FLULG


そして、上の商品と同系列のニオイということでオススメなのがこちらの人感芳香剤。

人や光の変化で、自動的にルームフレグランスがシュッと出てくる仕組みになっていのであります。

これを玄関に置いておけば、「家に帰ってきたときにかわいい女の子がシャワー浴びたばかりの状態で出てきてくれる(ニオイ)」を再現することができます。独身男性歓喜ですね。


このグレードの香りはいくつかありますが、女の子の香りはロマンティックフローラルですよ!ロマンティックフローラルのニオイが、クンカクンカしたい女の子の香りになっています。


女子の香りを身にまとう方法

「家や部屋に女の子の香りが充満しても、本人はただのオスのニオイしかしないよ!」

とお嘆きの男性諸君。お待たせしました。「オスでもメスのニオイを纏う方法」をご紹介します。(言い方が変態だ)

こちらも、定番のものをすべてまとめてありますので、気になるものを手に入れてみてください。


ビオレ サラサラパウダーシート せっけんの香り
https://www.amazon.co.jp/ビオレ-ビオレさらさらパウダーシート-せっけんの香り-本体-36枚/dp/B00YQU38GS/ref=dp_ob_title_hpc


ピンクのパッケージがかわいい、ビオレのボディケアシートです。暑い日や汗をかいた日にぴったり。

そしてすごいのが、これで拭くと身体が女子のニオイになる!ということです(笑)

ビオレシートを使ってみたところ、男友達からも「お前女子かよw」と突っ込まれ、挙句の果てに(*´Д`)ハァハァされあらゆるところをもみくちゃにされた苦い思い出があります…。男性のスイッチが入ってしまういいニオイなので、ご利用は計画的に!


【変態続出】「ビオレさらさらパウダーシート せっけんの香り」から理想の女の子の匂いがすると大評判wwwww – Togetterまとめ : https://togetter.com/li/696548


いち髪 髪&地肌うるおう寝ぐせ直し和草シャワー
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よく「女子の香りはシャンプーのニオイ」と言うようですが、男子は髪が短くホルモンバランスも違うので、いい香りのシャンプーを使っても持続時間が限られてしまいます。

それを解消できる「髪から女子の香りをプンプン出す方法」がこちらの寝ぐせ直しウォーターです。

髪の手入れもできて一石二鳥!自らの髪から女子が出ているとは、男子が寄ってきてしまうのか少し怖いところであります。こんなことしかしていないからいつまでも彼女ができないのかもしれない…と暗い気分になりつつも紹介させていただきます。


フェルナンダ ボディミストマリアリゲル
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今回の「女子の香り再現」の本命の香りである、マリアゲルのボディミスト。

香水とはまた違って、程よく女の子の香りがつけられるのがオススメなところですね。でも、香水と違って香りが長続きしないので、適度にシュッシュしてあげると「男臭撃退」に役立つかと思われます。


このブランドからはボディクリームやハンドクリーム、ヘアーフレグランスなんかも出ているので、全身から女子の匂いを発したいのであれば部位ごとに使ってみてください。周りの女性から「あの中年男性、ウチら以上に女子のニオイでキモイんだけど…」と言われないように注意ですね。

ホンモノの「女子のニオイ」の正体と再現方法

一般の方には難しいようですが、特殊な化学材料を買うと、ホンモノの女子のニオイが生み出せるようです。つまり、「女の子の臭いの成分」を生み出す方法があるということで、それが以下の配合ということ。

若い女の子が身体から発生させている元のニオイとは、

•青草のような少し青っぽいにおい
•牛乳やミルクのようなマイルドなにおい
•ココナッツに似たにおい
•薄い白桃のようなにおい

と言われているそうです。「高級脂肪酸と安息香酸エストラジオール」を混ぜると、思春期の女の子から香ってくる女性ホルモン的で生理的なにおいが作れるようです。↓は実際に作った人のブログ記事。


まず正式バージョン。匂い成分の元はカプリン酸とカプリル酸だという。これを1:1に配合した母液を用意して、そこにミルク香料とバニラエッセンスを加え、安息香酸エストラジオールを添加させることにより、再現できるらしい。

女の子の匂いを再現する: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる : http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2017/01/post-7f73.html

配合が面倒な人は、同じ成分が入っている

「ホルモンクリーム」
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E4%BF%9D%E6%B9%BF++%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3+%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0+&rh=i%3Aaps%2Ck%3A%E4%BF%9D%E6%B9%BF++%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3+%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0+


という直球ネーミングな保湿クリームが女の子の身体のニオイに近いと噂されています。


そして今回の芳香剤を使った人工的なニオイを合わせると、

女の子の身体そのものから出るにおい+体を洗ったばかりの石鹸の香り

みたいな最強の組み合わせができるそうです。


ペシェボーテプラチナシャワーの香りはコレ。吊り下げ型芳香剤の置き型バージョンです。


https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%88%E7%94%A3%E6%A5%AD-CARALL-%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%86-%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%81%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC-1498/dp/B0036UK470


上の本の第33講「女の子の匂いを合成する」が、ツイート主さんの著書のようです。読みたい…。


女の子の香りを作る方法まとめ

今回の方法を試したら、ウチに女子がやってきました。改めて、女の子のニオイっていいな〜とクンカクンカしながら記事を書いております。

いろいろ調べていて、若干年齢制限気味の「ふわっと香る女子校生の髪の匂い」とか「女子校生のセーラー服の匂い」とか「女子校生の制服の匂い」とか「女子校生の柔肌の匂いがするパウダー」とか「女子校生の○○○の匂い」とかいうあだるてぃな製品もあったのですが。(多すぎか)気になる方は上の語句で検索!

そんなものを使わなくても、かなり満足できる形で女子の匂いを再現する方法をご紹介しました。一人で寂しい時には、においだけでも女子を連れてきましょう(・ω・)ノ
https://www.2ch.work/life/7037

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女子高生の匂いがする香水 - 先生のいけないラブドール 2017/12/15
http://sense98.blog.fc2.com/blog-entry-19.html

ラブドールと性行為するには、やはり妄想力が重要ですね〜(笑)。

通常のオナホでオナニーするときは、当然、AVなどのオカズが別途あるわけですけど、ドールの場合は、あえていわば、「オナホ自体がオカズとなる」わけですね〜。

だからドールちゃんに、自分の性欲を喚起する服をきせたり、恥ずかしいポーズをさせたりして、自分が一番興奮する姿態にしてから、おもむろにのしかかるのではないのでしょうか…。

自分の場合は、今のところチュッチュにセーラー服とか体操服を着せたりすることがおおいですね〜。

やはりここは正直に!自分が一番興奮する状態にしましょう。

で、性欲って、視覚的な興奮の要素が強いですが、ほかの感覚も大事ですね。

香水!

私は恥ずかしながらこれです…(苦笑)。

Amazon 女子校生のセーラー服の匂い Tamatoys(タマトイズ) アダルト雑貨
https://www.amazon.co.jp/Tamatoys-%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A4%E3%82%BA-TMT-450-%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%A0%A1%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%8D%E3%81%AE%E5%8C%82%E3%81%84/dp/B00KV5CMBY

Amazon 美人3姉妹次女 ギャル女子校生のマ◯コの匂い Tamatoys(タマトイズ) アダルト雑貨
https://www.amazon.co.jp/Tamatoys-%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%A4%E3%82%BA-TMT-700-%E7%BE%8E%E4%BA%BA3%E5%A7%89%E5%A6%B9%E6%AC%A1%E5%A5%B3-%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%A0%A1%E7%94%9F%E3%81%AE%E3%83%9E%E2%97%AF%E3%82%B3%E3%81%AE%E5%8C%82%E3%81%84/dp/B01DXTTNI4/ref=pd_sim_121_4?_encoding=UTF8&pd_rd_i=B01DXTTNI4&pd_rd_r=c8f1f347-a15d-11e8-94db-17e276595249&pd_rd_w=RqX5i&pd_rd_wg=XIc51&pf_rd_i=desktop-dp-sims&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_p=053a78c4-e34f-47d4-9426-4d23f47a211d&pf_rd_r=WCRPHQVSBHSH7YVJJ8QW&pf_rd_s=desktop-dp-sims&pf_rd_t=40701&psc=1&refRID=WCRPHQVSBHSH7YVJJ8QW

Amazon ギャル系女子校生のパンツのクロッチの匂い Tamatoys(タマトイズ) アダルト雑貨
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Amazon 女子校生の愛液の香り Tamatoys(タマトイズ) アダルト雑貨
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なんと、

「女子校生のセーラー服の匂い」
「洗わずに何度も着ている女子校生の制服の匂いを再現!思春期の淡い想いがよみがえる!」

って最高じゃないですか!(笑)

基本いい匂いだけど、ちょっとなるほどな〜と納得する部分もあります。

で、チュッチュのセーラー服の胸元につけて、クンクンしております(笑)。
http://sense98.blog.fc2.com/blog-entry-19.html


▲△▽▼


460名無しさん@ピンキー2018/03/18(日) 23:53:59.12ID:???>>463

なんかグッズの宣伝みたいになってしまっていて申し訳ないが、これも良いかもしれないと思ったので…

◯フレアフレグランスミスト 消臭・芳香剤 フローラル&スウィート本体 200ml
http://amzn.asia/2Ysvlqz

どんな場面かと言うとドールが汗をかいたような表現をするのに良いと思うんだよね。顔でも脇でも汗だくプレイっぽいし。
水で代用でも良いけど、何かしら匂いを演出したいというのであれば、こういう小道具も使えるのではないかと思ったので。
香水だと高いけど、衣類の臭い消しならそんなにしないし。

もっと安いので良いのがあれば教えてください。

466名無しさん@ピンキー2018/03/20(火) 18:53:31.96ID:/Pw4j0+C>>467

普段着衣プレイなんで、衣装に8x4のせっけんの香り吹き掛けてる。ガーリーフレグランスよりせっけんのほうが女子中高生ぽくて好き。

あと、せっけん臭ならおっさんから香っても別に不思議じゃないどころか清潔感上がるので普段自分で使ってもいいと思うよ。

467名無しさん@ピンキー2018/03/20(火) 21:23:37.37ID:???
>>466
あれって石鹸の香りって名前なだけで相当フレグランスな香りしてるよね!あなたはフレグランスな香りがするおっさんなんだね!


471名無しさん@ピンキー2018/03/24(土) 07:01:43.57ID:???

エイトフォーに興味が出てきて買おうかと思ったけ随分種類があるんだね。
何がお勧めかな?長時間香りが保てるのがいいな。


472名無しさん@ピンキー2018/03/24(土) 08:55:18.03ID:???

空気嫁スレではフレッシュフローラルが一番人気だった
俺もこれを使ってる
自分にもw
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/lovedoll/1471476561/

 



▲△▽▼

女性のアソコの匂いがする香水、ドイツにて新発売。2010.03.25

センセーショナルな香り・・・・VULVA Original - The scent - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MANgS4TsQl4

VAGINA SCENTED PERFUME - vulva original - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=adW_3j8GLOU
https://www.youtube.com/results?search_query=VULVA+Original+


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VULVA Original
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世界で唯一
あなたの官能を刺激する、魅力的な女性の、本物のヴァギナル・アロマ。
VULVA Originalは、香水ではありません。あなた自身の「嗅ぐ」楽しみを満たしてくれる、純粋な香料として保存された、女性の誘惑的な本物のヴァギナの匂いです。

数多くの女性の、あらゆる種類のヴァギナル・アロマで膨大な数のテストを行った結果、あらゆる被験者が最もエロティックであると感じたヴァギナル・アロマを保存することに決定しました。

この発見からもわかるように、対象となるのは、自らの嗅覚によって、性的快感を高め満たすのに本製品を利用する男性だけではありません。完璧なヴァギナル・アロマにて、自分の性的魅力をさらに引き出すためにVULVA Originalを利用する女性も増加しています。

この貴重な有機物質は、特製のパッケージに収められた、ガラスの小瓶に封入されています。

便利なロールオン式塗布器で、この液体をごく微量だけ手の甲に着けてください。
程なく、ヴァギナの抗いがたい香りが拡散し、あなたの性的な想像力を果てしなくかきたてます。
いつでも、お好きなときに、素敵な女性のヴァギナル・アロマをお楽しみください。

VULVA Originalは、例として挙げるならば、女性が念入りにシャワーを浴び、数時間経過した後に、汗をかいたり、運動することによって、局部に発生する天然のヴァギナの匂いです。

当社にとって最大のチャレンジは、この選ばれた香りを、極力変化なく保存することでした。
長年にわたっての実験および特別に開発された保存法によて、魅力的なヴァギナの有機アロマを、長期間保持することに成功しました。

VULVA Original - 世界で唯一。他に類を見ない、オリジナル・アダルト商品です。
VULVA Originalは本物であり、厳正に国際基準を遵守しています。用法どおりにご利用の場合、健康に影響をおよぼすことはありません。
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女性のアソコの匂いがする香水、ドイツにて新発売。2010.03.25
http://poo-mono.jugem.jp/?eid=1077


【女陰の臭いのする香水、発売 ドイツ】
なんでも、女陰と同じ香りがするオーデコロンがドイツで開発、商品化されたらしい。その名もずばり、「VULVA(ブルバ)」。ドイツ語で女性器の外陰部を意味する。

玩具メーカー、ビバエロスが1年半の歳月をかけて調香した、男性のための究極の媚薬だそうだ。原材料が何なのか気になるが、聞いてびっくり!

なんと、女性の尿と汗と膣分泌液が入っているのだとか。

さすれば、匂いの主が誰なのか知らずして買うことに躊躇する男性も多いはず。そこらへんはメーカー側も心得ているようで、ちゃんと女性の顔出しもしている。プロモーションビデオに登場する彼女がそれ。

若くてスリムなブロンド女性がエアロバイクに乗って汗をかいた後、相方の男性が彼女のアソコが触れていたサドルに顔を近づけ、うっとりしている。やらしいことをしているはずなのに、そう感じさせないのは制作者の腕前と感性のおかげか。ところで、この彼女、あらゆる年齢層の女性の中から匂いがベストということで選ばれたそうだ。

ビバエロスのCEOは、ポルノ鑑賞のお供にどうぞなどと売り込んでいる。あなたも、お一ついかが?

(日本でのニュース紹介先/世界の三面記事・オモロイド)
(ソース元/海外ニュースサイト・VICE)


色々言いたい事があるだろうが、まずその「VULVA(ブルバ)」なる香水の画像がこちら。
で、誰のアソコの匂いかっていうと、この女の人らしい。

http://poo-mono.jugem.jp/?eid=1077

で、どうやら、そのメーカー(ドイツ人)が描いたという販促用のイラストがこれ。
でもってだな、ニュース記事の文中になった、CM動画がこれな訳だ。


センセーショナルな香り・・・・VULVA Original - The scent - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MANgS4TsQl4


…な、ホントだったろ?(笑

いやしかし、WW2でドイツと日本が同盟組んだ訳が、なんとなく分かるような気がする。
そんなドイツ人も、日本人にだけは変態呼ばわりされたくないだろうけどさ(苦笑


コメント

日本人ってエッチの前の入浴率高いんですが、
欧米人曰く「そんなのエロくない!!」だそうで…
大学にいたアメリカ人に、性病感染率高くならないの?と聞いたら
「なあにかえって免疫がつく!逆に考えてみるんだ!」って日本語で即答されて
爆笑した経験が蘇りますねぇ。我が母校はhentai率高かったようで。
Himajin 2010/03/28 4:52 PM


確かにセックスする前に風呂入るのって日本人だけらしいやね。
匂いが消えてしまうのがイカン!っうのは聞いた事あるな〜。

…誰に?って聞くなよ?(自爆

アメリカとか欧州は高温多湿じゃないから、そんな風呂入らないとかね。
っか、体臭は女の人でも凄いからなぁ。

好みの匂いの人はめっちゃアドレナリン上がるけど、外した場合は辛いw
…何処で?って聞くなよ?(再自爆
http://poo-mono.jugem.jp/?eid=1077




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いい匂いがするのは日本女性だけ

bea********さん 2010/9/12 18:38:14
黒人女性とのセックスはどうですか?経験者に質問です。


miz********さん 2010/9/12 20:04:37
体臭が臭いますね。これが特徴。

日本人より感じるリアクションがオーバー。外国人という感じです。
ぼくはやはり日本人とセックスするのが好きです。ちょっと違和感を感じました。肌が合わない気がしました。

やっぱり東洋の女はいいですよ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1446902924


▲△▽▼


実は異人種の方の体臭のことで悩んでいます。

今年から黒人女性の方と一緒に仕事をしているのですが、その方
の体臭が独特で具合が悪くなります。

会議で同じ部屋にいると、臭いがこもって何か理由をつけて
窓を開けるのですが、これから寒くなりそれもできなくなります。

臭いを説明するのは難しいのですが、以前フランスのパリに行った時
にもメトロや劇場で隣りだった黒人さんから同じ臭いがしました。
多分お風呂に入っていない臭いではないと思います。
香水の匂いでもありません。

その人が通ると臭いも一緒に通り、臭いだけで彼女が後ろにいるなと
分かります。

人種差別的発言になってしまう事を恐れて、上司も何も言わず
我慢しています。

やはり、本人に臭いをどうにかしてほしいと言うのは人種差別に
発展してしまいますよね?

もちろん、日本人も海外に行けば臭いと言われるのかもしれませんが、
かなり切実な悩みです。

こんな経験のある方、どうされたか経験談を教えて下さい。
よろしくお願いします。

補足
これってワキガの臭いなんでしょうか?日本では嗅いだことのない
臭いです。

上司には伝えてみましたが、差別だと取り上げられるのも困るし、
多分何もできないだろうと言われました。それと、外国人との共生って
こういう事なんだよ?と言われてしまいました・・・。
この臭いに香水を混ぜるのは無理です。やはり、空調とかで
乗り切るしかなさそうですね・・・。


amu********さん 2011/10/30 22:43:20
●わきが体質の人が、日本人では大変少ないのですが、
以下の数値のように黒人(欧米白人も)多いのです。

・一般的な黒人は約100%の割合でわきが体質
・欧米人の場合は約80%の割合でわきが体質
・日本人の場合は約10%の割合でわきが体質
・中国人の場合は約3〜5%の割合でわきが体質

このように、日本人の場合は割合が少ないので、わきがに悩んでしまうわけです。
黒人や欧米人の場合は、わきが体質がある意味当たり前なので、
悩むべきモノではないんです。

●問題は、多くの人は自分の体臭に気が付かない事です。
それはいつも嗅いでいるので、慣れてしまっているからなんです。

自分はこんな臭いだと自覚している人はそういないでしょう。
ですから「わきが体質」だという事も知らない人が大勢います。

→したがって、その黒人女性も自分の発している臭いについては、
全く自覚がないでしょう。

→今後、何らかのアクションをしたために
相手の感情を害したり、差別(外人差別・黒人差別)ととられたら、
職場の大問題になり最悪です。

→私の意見では、その方に「日本人って体臭がないでしょう」と世間話で言うぐらいで、
改善策としては、「職場の空調を年中強くする」のが良いと思います。


ris********さん 2011/11/22 3:35:25
グローバル化したのだから仕方ないのでは?
体臭云々言うと人種差別者のレッテル張られますよ。

日本は以前はグローバル化されておらず外国人もあまりいませんでしたからこういった問題はありませんでしたが、日本国は無臭、清潔で他に類を見ない国でしたから、なかなか慣れるのには大変ですよね。。。

いるんですよね。。。臭い外人さん。。。最近多いよ。 先日コンビニ言った時には納豆が腐ったような中東からの人がいて、倒れるかと思いました。


har********さん 2011/10/31 07:28:08
これはわきがの臭いです。体質的にどうすることも出来なく、わきがに対する認知度は国が違うと全く違う意味を示します。

日本ではわきがの手術もある位敬遠されていますが、ヨーロッパや西洋では、セックスシンボルでセクシーな香りと言われています。だから海外では何でもないのです。

国の違い、人種の違いなのでどうすることも出来ません。香水が発達したのはこういう所からも来ています。


adg********さん 2011/10/30 20:39:40
腋臭ですよね?
日本に来ている黒人の大半はあまり匂わないので手術して治療済みなのかと思います。

本人にどう告げれば良いのか…いつもは彼女と仕事であまり一緒にならない人に「日本では体臭がしないようにデオドラントを使ったりするのも仕事のうちだよ」とかなんとか一般論みたいに言ってもらうとか…?


luc********さん 2011/10/30 20:36:33
確かに人種が違うと臭いが気になりますよね…

入浴剤や香水をプレゼントするとか…それぐらいしか手立ては無いと思います。
元々香水って体臭消しみたいな役割もあったぐらいですし。
入浴習慣が違うせいなのも多少はあるでしょうから、
(日本以外ってだいたい皆シャワーで済ましちゃうし)
湯船に入る楽しさを知ってくれれば少し改善されるかな…と。

ただ、上司にだけは言った方が良いんじゃないでしょうか
「差別するつもりは無いのですが、辛すぎます」と言えば
出来るかどうかは別にしても考えてくれる気がします。

あとは、スパイシーなカレーを自分で食べて誤魔化すとか。
臭いの強い食品を食べ続けると多少は慣れる気がします。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1174437251


▲△▽▼


黒人女性の気持ち


アメリカでは、Martin Luther King Jr.の誕生日1月15日に近い毎年一月第3月曜日が、キング牧師の栄誉をたたえた「Martin Luther King Day」として祝日となっている。

1976年、「The Association for the Study of Afro-American Life and History」によって、「Black History Month」が制定され、毎年2月をアフリカン・アメリカン(黒人)の歴史、人々や生活を回想する月としている。この月には、黒人の歴史についてのイベントが催され、テレビ番組も放映される。また、書店でも黒人関連書籍コーナーなどが設けられる。

多くの小学校では、一月に入ると、Martin Luther King Jr. について勉強する時間をとる。

写真は、娘の通った小学校で、5年生の子供たちが音楽の授業の一環として、ローザ・パークス事件からキング牧師の有名な「I have a dream…」の演説までをミュージカルとして演じたときのものである。仕事で疲れきったローザは、当時黒人が座ることを禁じられていたバスの前方座席に座った。運転手が後部へ移るように強要するが、断固としてそれを拒んでいるバスの中の様子。

私が初めてアメリカに住んだ時お世話になったのは、黒人の家族だった。一九八〇年代半ば、アメリカに行く計画を立てていたとき、アメリカ人の友人から、

「僕のガールフレンドの家にしばらく世話になれるよう紹介してあげるよ」

と言われ、オレゴン州のポートランドに来ることに決めた。

四月初旬、桜の時期が終わるや否や、成田空港を発ちポートランド空港に着いた。空港には、友人のガールフレンドであるジュディが迎えに来ているはずであった。時差ボケと緊張と不安で私の気持ちは複雑だった。きょろきょろと辺りを見まわすが、ガールフレンドの名前しか聞いていなかったので、どんな人物だか皆目見当がつかない。暫く待っていると、

「Are you Toshimi? 」

という声がする。振りむくと、身長百七十五センチ、体重八十キロほどもあろうかという大きな黒人女性が立っていた。きっと、私がアジア人で不安そうな顔をしていたので見当がついたに違いない。『まさかこの黒人女性がクリスのガールフレンドではないでしょうね。だって彼は白人だもの』と不安になったが、

「ジュディですか?」

と聞くと、

「そうよ、クリスのガールフレンドよ」

にっこり笑って答えたジュディの顔を見ながら、私の笑った顔は引きつっていたに違いない。

白人男性と黒人女性の組みあわせは、想像することさえできなかった。『この黒人のうちに住むの?』白人男性のガールフレンドは、白人、金髪の美しい女性とばかり思ってきただけに、ショックは大きかった。私は、アメリカについて少しは知っているつもりであった。黒人問題も少しは勉強しているつもりだった。しかし、このとき、私は知識がいかに知識でしかなかったか、人種差別という言葉を初めて全身で認識し、自分自身が肌の色に偏見を持っていることに気づいた。

ジュディの古い大きなアメリカ車に乗って空港を出た。初めて見るポートランドの街は、ジュディの自宅までの間、住宅街に時々店らしき建物は見えたものの、何もないひなびた所に見えた。外をぼんやりと眺めながら、私の気持ちは、初めて身近に接している黒人と一緒に住むことへの不安と不快感で消沈していた。

二十分程で着いた彼女の家は、絵本に出てくるような青いペンキで塗られた二階建てのかわいいらしい建物だった。アメリカの素敵な家の外観に、気持ちがちょっとだけ明るくなった。しかし、中に入ると、整然と片付いてはいるものの、ブラインドの閉まった部屋は薄暗く、何だか身も心もまた沈んでしまいそうだった。彼女は一通り家の中を見せてくれ、私に二階の一部屋をあてがってくれた。

そして、

「ゆっくりくつろいでね。疲れているだろうから一休みしてから下におりていらっしゃい」

と言うと出ていった。

私はお腹が空いていた。何か食べるものはないかとバッグの中を探してみると、機内食のロールパンが一つ残っていた。それを食べ、一眠りすることにした。時差ボケと疲れで、不安も緊張も忘れぐっすりと寝た。

目が覚めると夕方だった。まだお腹が空いていた。夕食は何だろうかと下へ降りていってみるが、食事の支度をしている気配も匂いもない。台所に行くと、大柄の黒人の女の子が、りんごをかじりながらコーラを飲んでいる。ジュディの一人娘アースラだった。彼女は十四歳だ。

「あなたがアースラ? 初めまして。私、寿美よ。暫くお世話になります。よろしくね」

私は、遠慮がちに自己紹介をした。そして、人の家にきて食べ物のことを聞くのは恥ずかしかったが、とにかくお腹が空いて死にそうだったので思いきって聞いた。

「あのー、夕食はなに?」

「ああ、マム(母)も私も夕食はほとんど食べないの」

「えーっ!」

夕食を食べないなんて、私は生まれてこのかた聞いたことがなかった。戦時中とか、食糧難の国とか、難民だというなら別だが、豊かなアメリカの普通の家庭で夕食を食べないなんて考えられなかった。そこへジュディが二階から降りてきた。

「ごめんなさい。
私、今ダイエット中なの、だから夕食は食べないのよ。自分で何か食べてね」

そう言って、また部屋に戻ってしまった。恐る恐る冷蔵庫を開けてみるが、何も入ってはいない。りんごが二個、冷蔵庫の真ん中にあり、コーラが三本入っていた。こんなもの夕食になんかなりはしない、と思っても背に腹はかえられない。りんご一個とコーラの夕食を食べた。夜寝るとき、悲しくなって横になった目から涙が溢れ、枕に落ちるのを止めることができなかった。そして、空腹と不安のまま寝入ってしまった。

翌日、私は気を取りなおし、ジュディにマーケットまで連れて行ってもらい、お米、醤油、それにたくさんの野菜を買い込んだ。それからは毎日、お鍋でご飯を焚き、野菜炒めばかり作って食べた。時々、ジュディとアースラも、私の作るごはんをおいしいと言って食べた。

一ヶ月もたつと、ジュディが黒人であるという意識は薄れ、一人の女性として話しができるようになっていた。ジュディは、ミドルスクール(中学校、この地域では六、七、八年生)の美術の教師だが、大学院で修士号まで取っていた。大学生のとき、黒人のボーイフレンドとの間にアースラが生まれた。しかし、出産と同時に男は逃げてしまい、一人で苦労しながらここまで育てた。やっと公立学校の教員職が見つかり、こんな幸せなことはないと言っていた。私たちは、時間があれば二人で夜更けまで話し込むようになっていた。

「ねえ、ジュディ。私もう三十よ。それなのに結婚もしていないし、ボーイフレンドもいないのよ。どうして結婚できないのかしら、人生真っ暗よ」

「何を言っているの。あなたは自分で選りごのみをしているのでしょう。私たち黒人女性のこと考えてみたことある? 悲惨なものよ」

ジュディの話は続いた。

「黒人も出生率は男女比の差がほとんどないの。だけど、中学、高校になってくると、男の子たちは喧嘩や窃盗などで少年院に入る子も多く、殺人事件などの犯罪に巻き込まれ死んでしまう子供もいるの。このころになると男女比は女性三、四人に対し男性が一人位まで減るわ。そして、成人した黒人男性は、麻薬や殺人などいろいろな犯罪に関わり、殺されたり刑務所に入ったりして数は減り、その差は開くばかりなのよ。黒人女性十人に対して結婚の対象となるような男性は、二、三人ではないかしら」

ジュディは、大きなコップに入ったダイエット・コークをグイッと飲むと、また話を続けた。

「そして、たまたま立派に成人した黒人男性は、成功の証しでもあるかのように、白人の女性を結婚相手に選ぶのよ。私たち黒人女性は、成人した普通の、そう、ふつうの黒人男性と結婚したいと思っても相手がいないの。成功した白人男性が黒人女性と結婚するケースはとっても少ないわ。黒人女性の結婚相手には、その残った数少ない黒人男性しかいない.……。こうして未婚や、私生児を産んでいる黒人女性の数がどんどん増えていっているのが現状よ。黒人女性の人生の厳しさが少しは理解できた?」

私は、人間がどのように努力しても変えることができない肌の色、アメリカにおける黒人女性の心の痛み、そして、私が日本人であり黄色人種であることを深く考えさせられた。

ジュディは、そのとき、クリスが別のガールフレンドと東京で同居していることをはっきりとは知らなかった。しかし、彼女は、自分が黒人女性として、白人男性と結婚できるほんの一握りの成功者になれるという夢が、そろそろ壊れかけていることを、薄々感じていたかもしれない。

さて、後に「公民権運動の母(The Mother of the Modern-Day Civil Rights Movement)」と呼ばれるようになった黒人女性ローザ・パークス(Rosa Parks)は、一九五五年にアラバマ州で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反(act of civil disobedience against segregation law)の罪で逮捕された。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となったこの事件から半世紀が過ぎた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアー(Martin Luther King, Jr.)が、一九六八年四月暗殺されて四十一年が経つ。

黒人の著名人も増えた。コンドリザ・ライス国務長官(US Secretary of State Condoleezza Rice)、バスケットの神様マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)、ゴルフの天才タイガー・ウッズ(Tiger Woods)は、黒人の父とタイ人の母を持つ。アメリカで一番人気のあるトークショー司会者、オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey)は、「フォーブズ誌」によると十五億ドル(約千八百億円)の資産を持つらしい。マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)だって元は黒人だった……。

個性豊かな人々の活躍のお蔭もあるのだろう。人々の人種差別意識も少しずつ変化してきている。

ジュディは、最後に付け加えた。

「異民族、異人種間の結婚がどんどん増えていけばいい。そうすれば、数百年、数千年後、世界中の人間の肌の色が同じになるかもしれないでしょう」

私は、その後アメリカ人男性と結婚した。ジュディの望みを少しは叶えてあげられたかしら……。
https://e-honyakusquare.sunflare.com/shuppan.sunflare.com/did_you_know_that/4_blackwomen.htm





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いい匂いがするのは日本女性だけ _ 2


11 :名無しさん:2008/04/19(土) 11:58:15 ID:kQViquwE

青い目も昔は「死人の目」と言われて嫌がられていました。外人は毛トウと呼ばれ毛深いのは嫌がられました。

白人女性はトリコモナス菌も68%が持っていると書かれています。臭いのです。

僕も見た目はカッコ良い外人と一緒に旅行を共にした事が有るのですが「体臭は堪らなくキツカッタ事」があります。


25 :名無しさん:2008/05/06(火) 06:38:30 ID:XBkVQxx1

白人がカッコ良いなんて、みんな洗脳が解けないね。

毛むくじゃらの頭が悪い男がカッコ良い???

しかも日本に来る男は『本国ではもてない君だ』当然ですね。エリートがそんなのを捨てて日本に来る事は無いよね。

白人と付き合った事が無いかな〜、体臭が臭い奴が多いぞ!・特にワキガが臭い・・それに昔は『奥目は、野蛮で肉体労働者とイメージで悪い物だった』それがかっこよく見えているのが洗脳の結果


26 :織田 ◆WBRXcNtpf. :2008/05/06(火) 09:51:47 ID:uD6ri2EK

白人に腋臭じゃない人っているの?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/northa/1208426494/



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女性たちの「良い匂い」は、本当にエロチックだと感じる

女性は「良い匂い」がするというのは、全世界で共通している。女性の持ち物、女性の衣服、女性自身が、たくさんの「良い匂い」を発していて、それに心地良く感じる男は多い。

実はその多くは香料の匂いであって、女性そのものの匂いではない。

しかし、女性が意図的にその香料を「着ている」ので、もはやその匂いが女性本来の体臭と一体化していて、それが女性の匂いとなっているのである。

しかし「良い匂い」と言っても、女性で匂いはまったく違っている。国によって女性の匂いは違うのかと言われれば、それは「明らかに違う」と断言できる。

国ごとに匂いに対する感性や文化が違っているので、女性から漂う匂いは驚くほど違う。

体臭も違えば、普段の女性に匂いからして違う。そして、使っている衛生用品や化粧品も国ごとに違っているので、やはり「良い匂い」というのは同じでも、「匂い」自体はまったく違っているのである。
https://blackasia.net/?p=1600

香水について詳細は

「女の子のニオイ」を再現する方法
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/247.html


6. 中川隆[-13615] koaQ7Jey 2018年12月22日 07:25:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

日本軍の従軍慰安婦は 12歳 ないし 16歳の幼女ばかりで、18歳を過ぎると大抵殺されていた


従軍慰安婦は12才、13才から慰安所で働き始めている。

18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。


従軍慰安婦は売春婦か?


日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。

研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)朝鮮人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべて朝鮮。

名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東


*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1

朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。


慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/


『慰安婦』にされた年齢


尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店、2003年)の表(232、233ページ)から計算した、韓国人元「慰安婦」(43名)の徴集時の年齢は以下のようになります。


11歳  1名
12歳  1名
13歳  1名
14歳  3名
15歳  5名
16歳 16名  ←台湾での公娼の下限年齢*3
17歳  7名  ←朝鮮、満州での公娼下限年齢
18歳  3名  ←日本(内地)での公娼下限年齢
19歳  3名
20歳  -
21歳  1名  ←国際条約*4における成人女性の年齢
22歳  -
23歳  1名
29歳  1名


*「募集年−生誕年」で単純計算しただけなので、実際はこの結果より年齢が1歳下である場合も多いと思われる。

*3:1930年の外務省調査によると、アジアで公娼制度があったのは、日本およびその植民地・統治領、仏領インドシナ、中国(ただし上海など大都市では公娼制度を廃止していく)

*4:『婦人及児童の売買禁止に関する国際条約』


コメント一覧


貧寒 2008/09/27 11:07

韓国での調査なので、年齢が満年齢ではなく数え年齢の可能性があり、さらに気持ちが重くなりました。

2〜30年前には朝鮮の女はパイパン(無毛症)が多いと言うことがまことしやかに語られることが有りました。

おそらく戦時中に朝鮮ピーと遊んだ人達が広めたのだと思います。何のことはない相手が年端もいかない少女達だったとは。


Stiffmuscle 2008/09/27 21:47

子供〜青年前期に強姦の被害者になると、その後の人生に多大で深刻な影響を及ぼします。ましてや元「慰安婦」の方々は監禁されて連続強姦され、身体的にもボロボロにされました。

なぜ、日本軍の兵士はそのことに気がつかなかったのか?

相手を同じ人間として見ていたら、その子たちの将来や親のことを考え付いていたら、決してこんな惨いことは出来なかったと思います。戦争だったというのは何の免罪符にもならない。

Allen 2008/09/28 16:21

ここ数年、世界中で第二次世界大戦を振り返る事態が多くなりました。 何となく日本の小泉政権発足以降とほぼ重なるような気がするのですが、やはり日本の一部の政治家や御用学者による一連の「戦争肯定」行為が影響しているんでしょうか・・・

東中野教授は裁判で事実上「学者失格」と言われ、藤岡教授や八木教授などが在籍する『作る会』は事実上内ゲバで分裂、安倍元首相は1年で政権放棄・・・

日本の自称『保守』も崩壊寸前ですね。まあ自業自得な印象しかありませんが・・・。

Stiffmuscle 2008/09/29 00:59

「慰安婦」の記述が中学校の教科書の全てに載ってからの右派論壇、つくる会、皇国マンセー議員の妄言が跋扈跳梁した1996年以降の基調だと思います。

当初の攻撃テーマが「慰安婦」と「南京大虐殺」だったわけです。

その後、最近になって沖縄の集団自決の件が出てきますが、正直、あいつらの3連敗です。完膚なきまでに叩き潰されないと「おれたちのが勝ってる!」って醜態をさらし続けるのかも。

まぁ、新人の凄腕論客がいないので、先細りするだけでしょうが(爆)
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080923/p1

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日本軍は18歳を過ぎた年増の従軍慰安婦をどんどん処分して新品に替えていた

従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020


子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

____


日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm


朝鮮人「慰安婦」の証言


12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした


 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。


(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)
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拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
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12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。


 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
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使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。


(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
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チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。


○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/


ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2


李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。


十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。


 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。


 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。


 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。
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金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。


 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/

7. 中川隆[-13614] koaQ7Jey 2018年12月22日 07:39:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
1  ボボタン  2006/04/03(Mon) 15:09

安徽省の中国人から、9歳の少女を養うという約束で5万円で引き取りました。
学校行かせてますが1年間の学費が2000元。。。
夜は、一緒に寝て性教育をしています。

中国北部には、2万人以上が女の子の養育に困っています。

少女を養育してやると言えば、数万円で手放す親がいくらでもいますよ!

どうですか? 一人ぐらい飼ってみるのは。。。。


______


中国の南部では少女買春が盛んです。

これは、「処女とセックスすると長生きできる」という迷信ゆえ、宗教思想によってもともとそうしたマーケットがあったようです。

それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々です。

1980年代末、児童売買シンジゲートは香港で暗躍し、一部の山岳民族などが
貧困のため、小学校入学前の子供を売りに出したのである。

その少女を買うために、世界から中国・タイなどに集まっています。

いまだに、少女売春が出来るのも発展途上国の少女達のおかけです。


香港でも、同じようなことをやっているよっ!

年齢からすると、まだ10歳にもならないだろう少女が親に手を引かれ外国人(主にアメリカ人と日本人)相手に、

「私の娘を買ってくれ。私の娘はこの辺では一番安い。」

などとまとわりついてくるよっ!


貧しい国は、風俗もすごい! 

未成年はもちろん、まだハイハイしてるような女の子(赤ちゃんだね)もいる。

香港での幼女の値段は確か5万円くらいのはずだ!

大卒のサラリーマンの月給が5000円程度だから、向こうではかなりの高額だといえるのかもしれない。


「金があればなんでも出来る。」と中国人が言っていたのは、嘘では無いようだ。


俺が勤めている会社の社長は、

「もうやりたいことは全てやってしまった。
だから今度はもっとすごい事がやってみたい。」


って言ってますよ!!


貧しい国ではなんでもあり。 幼女を買ったり売ったりなんて、日常茶飯事です。


僕は中国しか知らないので、両国とも日本円で2万あれば一日中OKですよ。

15位になるとこれよりも安くなりますよ。

僕は5〜10位の娘が目的なもので、5歳の娘に口内発射した時は最高でしたよ。

飲む姿よりゲボゲボする姿が最高に興奮するのです。

5歳の娘のフェラなら20〜30で楽しめますよ!

月に一度は、18時間かけて国境近くまで遊びに行ってます。

場所は、詳しく言えないけど此処はまだ5〜10位の娘と遊べます。


俺が買ったのは恐らく7歳(言葉通じないんだよ)で、内容は日本円5万で2日間貸切!

その間は傷つけたり、殺さなければ何でもOKでした。

まぁ、俺の場合最初の24時間は舐めさせ続け

二日目は、挿入プレイ(もち、中出し・顔射もあり)

使いこまれてはいないが痛がる気配無し

ほのかに感じた顔が余計に性欲を掻き立てる

日本円で+5万出せば本物の幼女処女も手に入る

しかし、泣き喚いてウザイので俺は2回しか買った事がない

あ、あとオプションのドラッグ入れてのセックスやったけどあれはダメだ! 

日本に帰りたくなくなる


              |ノ ヽ         .|::::| |
       {     !|::::| |  _,, -ェェュ、 |::::|__|
ィ彡三ミヽ  `ヽ   |::::| |ハミミミミミミミミミ| ..|_
彡'⌒ヾミヽ   `ー |::::|__|ハilミilミliliミliliミ| ..|
     ヾ、       |二二二二二二二| ..|
  _    `ー―' | ..|.:.\\_::::::::::::::|_||
彡三ミミヽ       | ..|ヽ:.:.:.:冫': : :::/,,∠|    日本人・・・・・
彡' /| ヾ、    _ノ|_|: ̄二ー:: : ::::ソ ・ ,|
  / ./|.  `ー '    {ヘラ' ・_>シ;テツ"''''"|    ぜったい許さない
 ,ィ| |::|ニミヽ   __.ノ ヽヘ`" 彡' 〈     |
彡'| .:|:::|   ` ̄       `\   ー-=ェっ |    
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三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
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中国の小学生だったら充分できるよ。


さすがに初めは処女だっていうのもあって大変だったけど、濡れヅライ部分はローションでカバーしてる。

やっぱり中国の小5でも体格は、日本の2・3年ぐらい体格です。

中学にもなると体も少し発達してるし、年頃で色気づいてるからそういう所をくすぐれば結構簡単にできるかも。

俺が遊んでいる子は、小5だけど生理もないし、体格も3年生ぐらいです。

恥じらいも無いので、人差指と中指でちょっと大きくなってるクリトリスを皮ごと挟んでしごくように愛撫した。

たまに中指を薬指に変えて、クリトリスの皮を剥いて自由になった中指でちょん、ちょん、と触ってやるだけで濡れます。

時々体がビクンってなって、乳首も堅くなります。

それからは中指でクリトリスを回すようにしてみたり、親指と人差指で摘むようにしてみたりして、クリトリスをコリコリしてやると驚く程肥大してくる。

いつもより一段と堅くてデカくなってるペニスをおまんこにあてがってゆっくり入れていこうとしてもかなり締まっててなかなか入っていかない。

だからほんの少し入れてそこでユックリと出し入れをしてやってる。

入ってく時はムリュって感じで押し入る感じが最高です。

そうしてると結構濡れてきて、亀頭くらいは入るようになるけど、それでもかなり窮屈。。。

ちょうど半分くらい入っていった時に、一度目の射精をしてやると体を震わせてしがみ付いてくる。

それからも少し時間をかけてゆっくり奥まで入れてやり、ヌルヌル度が増して入れ易くなってくるから、時間をかけて根元まで挿入してやる。

後は出し入れするのを速めたり遅くしたりして、充分キツキツの小学生のおまんこを味わっています。

「小学生の」「小学生の」って思うとすぐにイきそうになっちゃったから実はできるだけそう思わないようにしてたんだけどね。


小学生とやると理性崩壊して中に出してしまいますよ。

かなり興奮しているから絶え間なくドクドクと出てきて自分でも驚くくらいの量の精子がでますね。

後は、しゃぶらせているけど、セックスのおぼえがいいみたいでかなりうまくなってきています。

俺も小学生相手にやりすぎかもしれないけど最高のペットですね!

4歳にもなると、朝おむつを替えてやると恥ずかしそうにして可愛いですよ!

でも、オマンコにチンポを入れても痛がらずに腰を振りますからね。

遊ぶには最高です。 おむつっ子は8枚〜10枚ってとこが相場です!


俺が、いまハマッテるのが失神セックス。。。

首の頚動脈を軽く押さえて失神させるやつ! 

絞め技と同じように少女をおとすのよ。

ただでさえ狭い少女の膣が、失神する前に断末魔の締りをするんだよ。

これが、数分続くから最高だね!

この辺の相場は、赤7枚ってとこだね。


アナルベイビーという言葉を知っているかな?


アナルベイビーとは男女問わずアナルを犯されるために取引されている赤ちゃんのことです

もちろん買う人や赤ちゃんの性別によってアナルだけではすまないことも多々ありますが…

男女に共通しておかされるアナルからとってアナルベイビーという名がついたようです
買う人間はたいていが香港大富豪の変態のようです

でも、2〜3万元と言うから買えない金額じゃないと思うけど、買っても育てるのが大変だから…


中国って売ってない物は無いって感じだね!!

ちっちゃいおんなの子のアナルって良いよね!

5歳位までのちっちゃい子のアナルに萌える人集いましょう!


蛇口で買った、少女の後ろから勃起したペニスを肛門に入れてアナルセックスを楽しみました。

アナルセックスは初めてらしく、最初は痛がって逃げようとしてましたよ!

グッボッォとチンポが入ると「ぎぃぃぁぁぁぁぁ…」と叫び声をあげて失神。

腰を少しづつ突き上げてゆっくりとチンポを入れてやった。

後ろから抱きしめながら少女を引き付け腰を沈めこんでやると気が付いたらしく。

チンポを出そうと力んで肛門が閉める。
 
これが最高に気持ちが良く少女は泣きながら腰を突き出しくるから、腰を一旦引くと勢いをつけて押し出して中に出してやった。


最高のアナルセックスが楽しめたよ!

これで、6枚なら安い買い物だと思うよ。


___


先月、買った女の子とアナルで遊びましたよ!


アナルを使って射精して! 射精して萎えないのでとっても嬉しい!

二発目が終わってチンポを抜くと不気味に膨れ上がったアナル。

次の瞬間、拡張されまくったアナルから、極太の一本糞。。。。。

俺のチンポの数倍の太さがあって凹みました。

あの齢で、あれだけの太さの一本糞をするのだから、フィストも出来そうですよ!

やっぱり、女の子のアナルは最高ですよ。


少女とアナルセックスをしている人って多いんですね!

年令によっては、アナルの方が入れやすいよ!

詳しくは、ヤバくて書けないが経験者ならわかる事です。

パカッと開かす事も可能です。

それに決してキツくは無いので入りますよ

南京で3歳と7歳のアナルに入れたことがあるよ!

結構きつかったけど気持ちよかった。

征服感が凄くて興奮したよ!


ハァハァ・・・た、たまらないよねぇ・・・

幼女の子宮にピュッピュッって射精

征服感と満足感が最高だねぇ・・・

いやがる幼女のアナルに無理矢理入れて犯すのがやめられないねぇ・・・

可愛いマンコがこれ以上無いくらいに汚くなる瞬間が最高だよ!!


深夜の1時から始めて終わったのが明け方6時を回っていたのよ!

これで5時間くらいやりっぱなしで、それで挿入したまま爆睡。。。

気づいた時は、夕方の4時を回っていたよ。

そのときは、2才児だったから挿入されたままオネショしていたね!

私は、起きて直ぐに幼女を連れてお風呂に連れて行きアナルにしてやったよ!

勿論、挿入したままは出来ないから、抜いてポッカリ開いたアナルにめがけてしやった。

結構感じたらしくオシッコを漏らしながら痙攣してイッタみたいだった。


アナルは、初めてでもすんなり入る子が多いからねっ。

今付き合ってる床屋の12才は初めてでもあまり痛がらなかった。

むしろマムコの方が入らない・・・

だから仕方なくアナルに挿入してる。。。

何度もアナルセックスを繰り返しているうちに挿入のコツを掴んだので小柄だった小6の子を置屋で買った時、あっさりと挿入する事ができました。

本当に「すんなり」っていう感じでした。

肛門の伸縮は凄いですよね。

もちろん4歳児だった3人目もあっさりと入れる事が出来ました。

先月の初めに、蛇口で買った8歳のアナルバージンは腰枕の体勢で正常位(ブス顔を見ながら)と冒険しました。

でも、締まりは最高でしたね!


____


中国では一人っ子政策で女の子が生まれると捨てられます。

男の子と女の子なら当然男のこの方がたよりになるからです。

そして、そういう子はマフィアや拾い主によって売春になります、

だいたい8歳ごろからはじまります。

15歳ごろまでは女の子は顔が日本人とあまり変わらないので多分それぐらいまでやらされることでしょう。

ぶっちゃけすごくかわいいですよ。まあ、ロリですけど・・


ヤミで売買される幼女1人の価格は『健康』な6歳以下の幼女ならば5万リンギ(約160万円)以上が相場。

美少女中学生にはその半額から7倍程度が支払われていたと見られている。


7  (><)ゞ   2003/11/05(Wed) 18:10

これ知ってる、と言うか買わないかと言われた、

この人たちからじゃないけど農村に行ったときに、断ったんだけどね


31  名無しさん   2006/04/02(Sun) 23:25

中国の赤ちゃん事情は、幼姦のための売買ですね!

1歳〜3歳の処女で、3000元〜5000元ですよっ!

中国の平均月収の2ヶ月分ですから、凄い高価な遊びです。

4歳〜6歳の処女で、2000元〜3000元で、

7歳〜の処女が1500元ぐらいです。


俺が、買った幼稚は3歳の処女! 2700元の掘り出し物でした。


1晩で、次の昼過ぎには自分でチンポにオマンコを擦り付けて来るほどの淫乱になっていました。
 
最高でしたよ!!

いろんなタイプの女と いろんな体位で とことんやりこんできた。

そして あらゆる経験をすることで ようやくわかってきた。

この世の究極の快楽はロリだということが。

全身 身震いするほどの絶頂感!

もう普通の女は臭くて抱けん。

ロリと一度も経験しないで死んでいくなんてそんなつまらない人生を送っていいのだろうか。


中国人の幼女が最高の絶品名器でございまする。


中国幼女 >カンボジア、ベトナム幼女 >タイ、日本女児


ただし中国で幼女貫通がチクラレルと、麻薬系犯罪と同じように死刑にもなりかねませんので、こころしてヤッテくださいネ。


6歳ならすんなり入るが、3歳女児はやっぱりすっごく大変。

てかうまくいってないんだけど。


上記のコピペ元は

深セン夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shinsen/index.html

上海夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shang/index.html


上の掲示板はつい最近まではこういう記事で賑わっていたのです。

日本人は南京大虐殺の時から何も変わっていないんですね。

中国人が反日になるのも当然です。

8. 中川隆[-13613] koaQ7Jey 2018年12月22日 07:48:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

ロリコンでなくても、子供の方が何でも言う事を聞くので、成人女性よりいいんでしょうね:

12歳の子にシャブ撃ってヤリまくり


昔、893の友達のビデオ作成の仕事手伝ったことあるんだけど彦根の方の別荘みたいなトコで12歳の女の子にシャブ打って3日間やりまくりってビデオ作った経験あります。


最初は撮影助手みたいなコトしてたんだけど最後にはSEXに参加してました。かなりの変態行為もしました。


あれは、4・5年前の夏頃の話です。 893キメ友の、ホストやってるアキラからの一本の電話でした


「バイトやんねえ?

別荘でビデオ撮影の手伝いしながらキメよーぜ ネタはがっつりあるよん」

そのころプーでぶらぶらしてた俺は、

「おいしいじゃん」 「いくー!」

二つ返事でした。


約束の月曜の朝、上野の待ち合わせ場所にいくと機材いっぱいのワゴンが一台とホストのアキラ、893やってるケン、ケンの兄貴分の山科さん。

この山科さんは中学のときの先輩なんだけど新宿でナンパするときは、いきなり顔面に一発入れて、そのままビルの陰でブチこんで、ヤリ捨てするというそれは恐ろしい特技をもった方で、俺達の間では、きれめの山科さんみたら死んだフリするしかないって言うぐらい怖い人。

集合が早朝7時だったせいか山科さん昨日の夜からキメっぱなしの真っ赤に据わった目で出発です。昼過ぎには、別荘についてさっそく機材おろして準備をしてるとケンが俺に「こっち見にこいよ」 と2階の部屋に消えていきます。


覗きにいくと、カーテンの締め切った部屋に、真っ裸で手首、足首を縛られてベットに横たわってる女の子が一人。身長150ぐらいの小柄で手足が細くてすっごい色白。体つきを見ても、あきらかに小学生ぐらいなんで顔を覗き込むと、吉川ひなのを子供にしたような美形で潤んだ目と半開きの口元がゾクっとするくらい色っぽいんだけど、その潤んだ目は完全にシャブでイッてる目でした。


ケンがニヤニヤしながら、小さな米粒みたいな乳首をつまみながら「撮影終わったらヤルしょ」と言われて「うん。 まかすわ」そう言いながら、もう僕はズボンの中はギンギンに反応してました。


夕方頃、一階のリビングで93キメて話すケンによると2週間ぐらい前にホストのアキラが渋谷で拾った家出娘で12歳の小6らしく先週まで、山科さんのマンションで監禁されてずっと追いうちしていたらしいです。昨日、別荘までケンが車で運んだとき、ずっとフェラさせながら運転だったそうです。

「おーい始めっぞ」

山科さんが、ひなちゃん(仮名)を小脇にかかえて降りてくるとひなちゃんは、パンティと白い靴下だけの姿でプルプル震えながら山科さんにしがみついていました。

アキラがビデオまわし、ケンが音声マイクで拾って、僕が照明ライトでした。山科さんがひなちゃんに

「今詰め3いったんだよな、きもちいいこといっぱいしたいよな」

そう優しく言うと、うるうるの瞳で小さく「うん・・」という言葉が聞こえました。山科さんが、ソファに座りその膝の上にひなちゃんに跨がせて

「おまんこグリグリしてごらん」

そういうと、ひなちゃんは細くて白い腰を、前後にくねくねしながらおマンコを、膝にこすりつけて とても小6とは思えないエロい声で鳴くのです。 そのあとのフェラ顔の撮影では、顔じゅう唾でぬるぬるにして舐めさせ山科さんは、ひなちゃんの頭を両手でわしずかみにして前後に振らせ高速フェラさせたり、真っ黒の山科さんのケツの穴までまるで、本当にキャンディでも舐めるように、ちゅうちゅう舐めるのです。

山科さんは、なかなかイカないらしく、ひなちゃんを床にころがして 「よっし交代、ケンなんかせいや」

そういうと、ケンが服脱ぎながら

「しょんべんでもさせて見る?」

そう言いながら僕の方を向きました。アキラがリビングにカメラと照明をセットしているあいだ、ソファーに座りひなちゃんを横向きに膝の上に座らせて抱いていると12歳とは思えないエロい顔で僕を見上げて、体をすべて僕にあずけてくるのです。


すべすべの白いお尻を触ると、かすかに「あっん」といい無意識に僕のTシャツのなかに手を入れてきて僕の乳首を弄りだすのです。思わずひなちゃんのキスすると「はぁはぁ」いいながら僕の口の中すべてを吸い出すように舌を絡めてきます。口を離し抱きしめると、今度は僕のTシャツをまくりあげ乳首をちゅうちゅう音をたてて吸い出します。

気がつくと、ソファーの隣に山梨さんが座りながら

「どや上手いやろ、ほっとくと一晩中なめてるで」

そういいながら、ひなちゃんの髪をわしずかみにして引っぱり

「ひな、こんなときは何て言うんや? 教えたやろ」

そういって髪をひっぱり顔を僕の方に向けると、ひなちゃんは僕の目を見ながら

「おちんぽ舐めさせてください」

と繰り返し言いながら僕の股間を触り、ジーパンのベルトをはずそうとします。 アキラとケンが「こっち先たのむわ」とニヤニヤしながらギンギンのちんぽをシゴきながらひなちゃんをリビングのカメラの前に連れていきます。僕もすぐさま、服をぬぎすてリビングに行くと、ひなちゃんがアキラとケンのちんぽを交互に舐めるというより、しゃぶるようにフェラしてます。そのまま、僕も入り3人で順番にフェラと、おまんこ、カメラを回しました。

ケンは、カメラ回しながらひなちゃんのさらさらの髪にちんぽを擦りつけシゴいています。3時間ぐらいで3回づつくらい出して、一息入れた時ケンが

「そやしょんべん、しょんべん」

そういいながら床にガラスコップを置き、そのうえにひなちゃんをしゃがませカメラをセットしました。ひなちゃんが、少しかがみ気味になりうつむくとケンが「あかん、アキラちょっと」そう言うとケンとアキラが両側から片足づつ抱えあげ、おもいっきり股をひらかせるとポトポトとおしっこが垂れてきました。なん滴か垂れたあとは、いきおいよくシャーっと音をたててコップがみるみるまに溢れてきます。

ケンが、にやにやしながら僕に「飲む?」そう言いながら自分で一口「ゴクン」と飲みました。なぜか自然に僕も口をつけました。それはしょっぱくて生温かく別にまずいとも美味しいとも思いませんでした。ただ、目の前で12歳の少女を玩具にしているわりには、そんなに興奮していない自分がいました。

そのとき、アキラがシャブのパケを振りながら 「夜は長いしお前もいっとくか?」そういわれて、山梨さんやケンの手前「ああ、そやな」と言ってしまいました。

その当時は893やMMで遊んではいましたが、シャブでSEXの経験もなくまさか自分が、変態鬼畜になるなんて思ってもいませんでした。
http://chaos-file.jp/?z=t2&tid=838&



▲△▽▼

幼女強姦
俺は鬼畜。犯りたくなったら女を犯す。

冷酷非道弱い女を餌食にとことん犯す。

俺はよくタイに旅行に行く。もちろん強姦旅行だが、命がけの旅。

事前にビザをとり3ヶ月間の滞在。東京から6時間まずはバンコクまで行き、そこから更に飛行機で1時間、チェンマイだ。ここまでなら少女幼女の買春ツアーもあり安全地帯。さらにラオス国境の部落まで四駆で6時間。

命あっての話だが変質者の俺にとってはパラダイスなのだ。ここは政府の力など及ばない無法地帯、マフィアを通じてラオスの反政府組織と取引となる。ここでは全てが金、マネーであり、また紹介者なくしては入ることもできなければ無事に帰ることも出来ない恐ろしい世界。


滞在中は、全ての女が犯し放題となる。

に1度、ゲリラに拉致されてきた牝どもがここで売買される。人身売買はちゃんと存在するのだ。

ラオスの街中でさらわれてきたのだろうか綺麗な女が比較的多い。頭から布袋を被せられ手を縛られ檻の中の天井から吊るされたいる。トラックで一度に連れて来られるのか、女の数は50人はくだらない。


俺は1匹目の女に髪の長い少女を選んだ。俺はバンガローに少女を連行し、全裸の痩せこけたカラダの両手を縛り天井から吊るし、陵辱を始めた。

歳は幾つなのか分からない、顔の表情から推測すると日本で言う中学生くらいなのであろうか、まだおまんこには毛はなく胸の膨らみもほとんどない。クリトリスをいたぶり、まんこに指を突き挿すと、膣が狭くて痛いのであろうか分からぬ言葉を発しながら、女は目で助けを求めて、訴えかけてきたが、俺は容赦なく2本の指を3本にし子宮めがけて突き挿した。

この牝豚、ガキのくせして処女ではない。聞いた話だが、部落では近親相姦がごく当たり前に行われ、女児も5歳や6歳で女になるようだ。大方、この女も、父親の性奴隷であったのであろう。


俺は次に子連れの女を連行した。

母親といっても高校生くらいであろうか、ロリコン趣味には堪らない。
幼女は、まだ腕や腿がふっくらした5歳くらい。日本で言う幼稚園児といったところだが、俺はこの女児をレイプすることにした。

俺が買った奴隷、奴隷は御主人様の道具であり、死んでもいいのだ。母親を後手にきつく縛り、口を開かせチンポを突っ込む。

この女も牝奴隷として男に媚びて生きてきたのであろう、舌はチンポに絡みつき、唇はおまんこよりきつくチンポを締め付け、日本の風俗ではとてもお目にかかれないような淫乱女だ。俺は爆発寸前のチンポを女の口から抜き取り、幼女に襲い掛かった。


これから幼女を犯すんだ。

もう大人の女には飽きた。大人の女は便所にできても興奮はしない。ココでは理性は要らないのだ。目の前にいる女、犯せるものは犯してこそ男であり、また犯せる幼女は女となる。

俺は母親のまん汁をまんこからすくい取り、幼女のおまんこに塗りこんだ。俺は椅子に座り、幼女を抱きかかえる形で、両足を開かせた幼女のまんこに張り裂けんばかりのチンコを運んだ。興奮する。こんなに硬くなったチンコは久しぶりだ。

幼女のマンコの入り口にカチカチになったチンコを押し当て、幼女を抱きかかえる力をゆっくり緩めながら、挿入を開始。1〜2センチ挿入した頃、幼女は突然泣き出した。痛いのであろう、俺は一気に下から腰を突き上げ、張り裂けんばかりのチンコで幼女のまんこを突き上げた。

泣き声は悲鳴に変わり、暴れる小さなカラダを強引に抱きしめ…。性処理人形を相手にセックスしているような感じだ。チンコはすでに人形の子宮に突き当たり、俺は更に突き刺した。幼女は既に失神し、卑猥な人形と化している。

俺は幼女のマンコに3発ぶちまけ、血だらけになった小さなまんこからチンコを抜き取り、母親の口できれいにを掃除させた。

この国で処女を犯すなら幼女なのだ。
幼女も母親も俺が買った玩具。ここでは女は壊れたらまた買えばいい話。殺ってしまっても金で解決。

俺は鬼畜。ろくでもない男。世界各国、鬼畜道の旅はやめられない。
http://kannnou777.blog120.fc2.com/blog-entry-401.html


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タイ山岳民族の少女が日本に売られて来る様になった背景

タイ北部に広がる標高500メートル〜1500メートルの山岳地帯には、アカ族、ラフ族、リス族、モン族、ヤオ族、カレン族など十数部族、約75万人の少数民族が生活しています。

多くは中国南部やミャンマー、ラオスからここ1〜2世紀の間に移住してきた人々で、どの民族も独自の言語と高度な手芸技術による民族衣装をもち、焼畑農業にともなう数年〜十数年ごとの集落移動を繰り返しながら、伝統的な世界観と文化を保持してきました。

しかし、今、彼らの生活や文化が脅かされつつあるのです。

タイ政府による森林保護政策により、森林の伐採、焼畑が禁止され、定住を余儀なくされた彼らは、生活の基盤を根こそぎ失いつつあります。

かつてのように肥沃な土地を求めて自由に移動することができず、かぎられた土地で連作を繰り返さなければならないため、地味のやせた山の傾斜地では収穫量が極端に低下し、収量を上げるには高価な肥料や危険な農薬に頼らざるをえなくなるのです。

今では主食の米でさえ自給できなくなっている村も多く、人々は貧困にあえいでいます。

かつて唯一の現金収入の手段だった違法のケシ(阿片)栽培は、近年厳しい取り締まりをうけ、逮捕者も続出しています。

一方でタイ経済の急速な発展と近代化の流れの中で、貨幣経済や物質文明への誘惑から、村の若い人々は現金収入を求めて労働者としてバンコクやチェンマイといった都会に流れて行きますが、タイ語の教育を受けていないことから不当な差別や低賃金で苛酷な労働に甘んじねばならず、若い女性たちの中にはことば巧みにだまされて売春組織に連れ去られるといった例もあります。

親がわずかばかりの借金のかたに娘を売春宿に売り渡し、帰ってきた娘がエイズに感染していたなどという悲劇は今でも枚挙にいとまがありません。

http://chmai.loxinfo.co.th/~sakura/hilltribes.htm

http://www.mirrorartgroup.org/japan/hilltribe.html

http://www.mirrorartgroup.org/japan/opium.htm


アジア女の「レンタルワイフ」を雇って一緒にのんびり滞在するというのが、東南アジアにおける白人ツーリストの一つの典型的な「型」になっていて、そのための女性紹介業者もある。

タイの英字のフリーペーパーなどを見るとそのような広告―いい女紹介します―を容易に見つけることができる。

日本の駐在員は都会で生活しているので農山村に長期滞在することはないが、バカンスの白人長期滞在者は地元の女を囲って田舎に滞在することも多い。

現地ガイドを雇ったり自分で現地語を覚えたりして、いい女をさがすのにも熱心である。

タイの農山村から、貧しい「処女」や「児童」を掘り出してきてこっそり同棲する白人は跡を絶たない。

彼らは相手を「ガールフレンド」「ボーイフレンド」と称し他人にも堂々と紹介するが、「援助交際」が売春ならばこれらもれっきとした売春であろう。

私もタイのチェンマイで「17歳まで数年間白人の『ガールフレンド』として同棲していた」という山岳民族の少女に会ったことがある。

もちろん「支払われるガールフレンド」である。男に捨てられたあとはNGOのようなところに保護されて売春婦にはならなかったようだが、白人に使い捨てにされた心の傷は浅くないように見えた。

若い娘を囲う男は若いから好きなのであり、トウが立ったら捨ててしまう。たいていの子の「その後」はより厳しい売春の道しかないようだ。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6065804/index.html


東南アジアにおけるオーストラリア人の生態実例

タイ山岳民族の少女を性的虐待した男逮捕=タイ・バンコク

【ライブドア・ニュース 2005年8月24日】− AP通信によると、タイ山岳民族の当時12歳の娘を養うと言って親元から引き取ってバンコク市内の自宅に住まわせ、約4年間、繰り返しレイプし虐待したオーストラリア人の男が23日、逮捕された。

タイ警察当局が24日発表した。

  警察によると、逮捕されたクリストファー・ロナルド・ホワイト容疑者(46)は、オーストラリア・パース出身で、5年以上前からタイに住んでいる爆破物の専門家。同容疑者は、約4年前、タイ北部チェンライ県の山岳民族の家族から、当時12歳の少女を養うという約束で引き取った。

だが、娘が虐待されていることを知った家族がチェンマイ警察に訴え、男はバンコク市内の自宅で逮捕された。

同容疑者は取調べ中、黙秘を通しているものの、少女暴行罪など6つの罪に問われ、最高で禁固20年の刑を科される見通しだ。

  タイ北部には2万人以上の山岳民族が暮らしているが、少女を養育すると偽って性的虐待をした外国人による事件が数件発生している。 

______________________


4 :オー様と名無し:2010/06/27(日) 07:54:32 ID:eFjpFBR60

中国系ビルマ族が一番可愛い。

当時メーサイのワントン按摩の中国系ビルマ族娘は20歳は、日本人61歳のおじさんと結婚して、今、日本で暮らしている。

この中国系ビルマ族娘の姉も日本で暮らしている。
妹は今、メーサイで、タイ人と暮らしているが、こいつが一番美人。
メーサイで、プローイというコーヒー店のオーナーしている。


11 :オー様と名無し:2010/06/27(日) 11:50:24 ID:7hBEGbw60
かなり昔から、タイヤイの欲の皮の突っ張った仲介バーバーと組んで
仲介業をして、がっぽり儲ける日本人たちもいるので注意したほうがよい。

手口は昔も今もかわらない。

昔は、北タイのチェンダオあたりで、紹介業をしてガッポリ稼いだ日本人がいた。

特にタイヤイ族は、ものわかりがよいから標的になりやすい


12 :オー様と名無し:2010/06/27(日) 11:57:07 ID:7hBEGbw60
昔の話ですが、北タイのチェンダオでは、日本からチェンダオに到着した、その日にお見合い、
翌日に結婚式でした。

こういう手口が一番危ない海外です。

今のチェンダオは、そういうことはないと思います。


14 :オー様と名無し:2010/06/27(日) 12:03:43 ID:7hBEGbw60
少数民族=素朴純朴

少数民族の少女たち=純朴で可憐な少女たち


この俺が、まさに探し求めていた俺様だけの宝物の少女たち

この発想こそが、危ない海外の始まりなのです。


119 :オー様と名無し:2010/06/30(水) 11:40:23 ID:JEt6TmxU0

少数民族好きは、少数民族の歴史、文化などはどうでもよく、可愛い少女だけが大好きなのです。

十数年以上前に少数民族に嵌り、そのままタイに居ついた人も沢山いますが
(特にチェンライ周辺)今は殆どが50才以上です。
今でも、山岳少女の追っかけをしてる人も数多く、部落の祭り等で良くハチ合わせします。

私もその一人で、傍から見れば気持ち悪い変態そのものです。


120 :オー様と名無し:2010/06/30(水) 11:43:40 ID:.FaUHSug0
ロリ臭がぷんぷんする。
山岳民族相手のNGOにも美少女目当ての変質者が居ることは確かだ。


122 :オー様と名無し:2010/06/30(水) 11:58:24 ID:JEt6TmxU0
何年か前に山岳民族少女の施設で、日本人(タイ嫁持ち)が14歳の少女を暴行
したとして捕まりましたよね。


147 :オー様と名無し:2010/06/30(水) 15:00:30 ID:nqj5EpRQ0
タイヤイの彼女を持ってから驚いた事を下記します。

・バンコク在住2年、まだスクンビットに行った事がない(シーロムはこの前初めていった)
・時差という概念をしらなかった
・海は見た事がない
・自分の誕生日を知らない(曜日は知っている)
・実家は水道・電気無し(なのにこの前テレビを送った)
・実家では納豆、コンニャクを食べる
・味の素は入れれば入れるほど良いと思っている
・電子レンジを使った事がない


156 :オー様と名無し:2010/06/30(水) 16:03:00 ID:/Og4mhAE0
未開人の教育は難しいね。
身の程を知らないまま天井知らずの贅沢にはまってしまう。
電気もないのにテレビを送るとか事実を知らずに味の素の大量投入が良いと刷り込まれている辺り彼女もその可能性は高いよ。


245 :オー様と名無し:2010/07/02(金) 11:29:59 ID:e6AMdm0o0
昔はトンローあたりのサービスアパートのロビーに西洋人のおじいちゃんたちが、
10代前半の子たちといちゃいちゃしていたけど、
今でも、そうかな?

あれ、きっと少数民族だよ。

タイヤイの子で、12歳のときに、バンコク行って西洋人と付き合っていたって
言ってたもの。


246 :オー様と名無し:2010/07/02(金) 11:32:08 ID:e6AMdm0o0
昔のバンコクの冷気茶室にいた10代の子達って、ほとんどタイヤイだったんじゃないの?

とにかくタイヤイ娘は、エネルギッシュだ。


297 :オー様と名無し:2010/07/03(土) 13:08:13 ID:DcgaTuog0
30年以上タイに通っている大阪人で、その人はバンコクのチャイナタウンの冷気茶室にも昔良く通ったみたいで、

そこで、彼は両目をつぶされ、歯を全部抜き取られたタイヤイ少女を見てゾッとしたっていってました。

タイでも不法滞在ってのは怖いと思います。


447 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 12:04:04 ID:3D33LCU60

10年以上前にメーサイとかメーソートだったか行ったときに、女は欲しくないか?
って言われてオキヤに連れてって貰ったが10歳の子もいた位。

あと初モノもいたけど、今の時代でもこんなのがあるのかと驚愕したもんだ。
情けないのがそれでハマってしまって会社辞めてメーサイで数年過ごしてしまった事だ。

俺みたいなバカがいるから無くならないんだろうなって反省した。
しかし今もタイの田舎、ラオス、カンボジアを歩いている。


450 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 12:23:42 ID:1iH66kL20
>>447
10年くらいまではそういう人身売買もひどかったですね。
借金先にして「おきや」とかで短期(3〜6カ月)とかで返済する。
とか、普通にそういうことがありました。

ほとんどは山岳民族や北部のタイヤイなどの娘たちでした。これらの娘たちが
タイの南部であろうと、東北部であろうとあらゆるところで性搾取を受けていました。

山に貨幣経済がやってきて、売るものがなかったので性を売っていた。という悲しい話です。


456 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 13:20:08 ID:6uowysD20
人身売買から少女を救うとかいう活動に酔いしれてる人たちがいるけど、
確かに自らの意思に反して性業界で働かされてる子達は開放してやれば良い。

だけど、バンコクのMPにいるタイヤイとかって、自ら進んでやってるわけだ。
しかも家族とか友達の後押しとかあってね。

ばかNGO達はそういう子もまとめて開放とかしちゃうんだけど、じゃあ開放した後の
彼女達の生活は誰が保障してくれんの? 
結局、地元に連れ戻してはい終了、俺達人助けやってます!って酔いしれてるだけ。

 タイヤイに残されるのは相変わらずの貧困なわけで、何の解決にもならない。 

アグネス含めて、そういう表向きの偽善にしか過ぎない。 氏ね。


457 :とくちゃん:2010/07/07(水) 13:32:12 ID:1iH66kL20
結局貨幣経済からは逃げられないですから、代替になる現金収入の道筋が必要になります。

それとセットで社会的なセフティネット(国籍付与も含めて)を作ってあげること。

いい方向か、いろいろ議論もあると思いますが10年前と今現在の山の民を取り巻く環境も大きく変わってきました。

以前の性的搾取者はずいぶんと減ったはずです。
もちろん数としてはいまだに多いでしょうが。
そういう少女性癖のある人はその後多くはカンボジアや中国ベトナム国境地帯に移動したと聞きました。

カンボジアも最近は厳しくなってるはずですので彼らにとっての楽園はアジアからは急速になくなっていっているはずです。
そういう人たちはまた再び都市に戻って都市の中でスポイルされているスラムなどを狩り場としていくのでしょうか。


458 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 13:33:36 ID:6uowysD20
俺、これまで結構少数民族と関わってきたけどさ、あいつ等の生活を根本からかえるのは本当に難しいぞ。
 
国籍ない奴に「小金溜まったらIDとった方がいいよ」って忠告してやったんだよ。 
せめてIDでもあれば風俗から脱出できて、ウェイトレスでもやれるだろうからと想ってね。そしたら、

「そうだね、IDあったらエージェント無しで働けるから1ロープあたりの取り分が倍になるしね」

って言われて絶句したよ。 

でもさ、結局ね、教育もない連中が貧乏から脱出するにはそれしかないんだよ。まじで。

貧乏から脱出するには、まず田んぼの購入。
小作人から脱出するのが絶対条件。

ちょこまかウェイトレスなんかやってたら田んぼなんて一生買えない。
つまり、あいつ等教育は受けてないけど、ちゃんとわかってるんだよね。
風俗で働いて金貯めて田んぼ購入して貧乏を脱出するというサクセスストーリーをね。

そういうわけであの子達は進んで風俗やってます。

アグネスはこれでもあの子達を地元に強制送還するのか? 
アグネスが田んぼ買ってやるのか??


459 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 13:47:05 ID:B9NaI9WY0
金が必要なら18歳になってからやればいいだろ。
幾ら貧しいからって、心の発育が伴わない未成年の内から身体を売れば、人間性が崩壊する。


460 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 13:51:21 ID:6uowysD20
>>459
それはアグネス的な意見だけど、彼女達の実態からすれば貧乏は待ったなしなんだよ。
しかも18歳からとかそういう区切り自体なんの根拠があっての話なのかってのもある。

大体自分の年齢さえ満足に知らない子達だよ? 

18歳まではダメ、18歳なったらOkなんて理屈は全く通用しないよ。 

金がないから働く、それだけ。 現実はシビア。


461 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 14:02:49 ID:B9NaI9WY0
実際子供の内から売春に手を染めた子の殆どは、精神が荒廃している。

18歳なら、一応自分で判断ができる年齢に達している。

理屈とかの問題ではない。

食堂で働いたところで飢え死にするわけではなく、事実、身体を売らない子は絶対に売らない。
性産業に従事したいのなら、自分で判断ができる年齢に達してからでも、決して遅いことはない。


480 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:03:44 ID:ji7FFVcY0
ここに書き込んで評論する前に、実際に現場を見れば、良く分かることだ。
山岳民族出身の娘がこう言っていた。

「お金ってすごい、何にでも取り替えられるんだもの!」

この意味分かりますか?

すべて、物々交換だった日常が、貨幣の出現で世界が変わるのですよ。
だから、その娘も自ら体を売っていました。

上の方で誰かが言っていましたが、貨幣価値を基準にした生活基盤を支えてやらなければ、理屈だけに終わります。

道徳なんて、二の次なのですよ。
我々の目線で、ものを言ってはいけないのです。


481 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:11:44 ID:B9NaI9WY0
大人同士の性の売買に関してどうこう言うつもりは無い。
但し、山岳地帯には金で子供を釣る卑劣な変質者が入り込むから、問題になる。


483 :とくちゃん:2010/07/07(水) 16:23:45 ID:9i9aefTM0
「ばいしゅん」の話は本意ではないですが、山の人々と外国人や一般の平地民との接点がそういう性産業の場であることが多いので、こういう沢山の人が集まる掲示板ではどうしても話題としての比重が大きくなっていくと思います。

もちろんここで議論してるようなことははとても大切なこととは思いますが。

ただ山の民の名誉のためにも言って置きたいですが

そういう性搾取の場に何も考えずに自ら飛び込む人はとても少ない。

必ず手引きをする「大人」が存在しますし。

また、なにも山の女性がほとんど「ばいしゅん」に手を染めているわけでもないです。

貧しくとも健気にその人生を精一杯生きている娘等も多い。

そういう人たちをからわたしは「生きる力」みたいなものを分けてもらっている気がします。


485 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:25:25 ID:ji7FFVcY0
少数民族に人○売買や児童○春以外で貨幣を入手できる方法を見つけてやらない限り、手助けにはなりません。

問題は、批判することでなく、どうやって助けてやるかなのです。

少数民族側は、大人も子供も方法に拘わらず、貨幣を欲しがっているのです。
それを、どうやって救うかなのですよ。

アグネスたちも、そこに着目するべきですね。
まず、現場に足を運び、山岳民族、少数民族側の声を聞いてみては如何でしょう。


487 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:29:20 ID:kO5Va0GU0

そういう性搾取の場に何も考えずに自ら飛び込む人はとても少ない。
必ず手引きをする「大人」が存在しますし。

パタヤやバンコクの日本人には、それを目当てに来てるのがほとんどという悲しい実態。


493 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:35:47 ID:6uowysD20

実際に山にいくと、彼らの99.99%は金欲しがってます。
テレビだったほしいし、家だって建て替えたい、そして田んぼが欲しい。
何から何まで金がなきゃ手に入らない。 

山岳民族を聖人化するのはもうやめたほうがいい。彼らは社会から取り残された
猛烈な貧民。


496 :とくちゃん:2010/07/07(水) 16:46:39 ID:9i9aefTM0

私の言っている山のイメージは
家はチークの葉で葺き上げて、竹を割ったものが壁で打ちっぱなしの土間。

あるいは大きな木で高床式にして下では豚を飼う。上は板材を敷いているが
下にモノを落とすくらいの隙間があちこち。くらいの感じです。

そもそも家はいつ村が移動するかわからないので、質素で良いと思っている。
そして、山なので田んぼはないか、あっても村の食事の賄いの足しに出来る程度の狭い額のような田んぼ。(それ以上は物理的に無理)で山の斜面でのお茶やコーヒーの栽培に従事。

最近は換金性のある高地作物の栽培も徐々に増えてきた。
テレビは最近ボランティア団体が村長の家に太陽電池パネルを設置したので衛星放送を観ることができるようになった。


498 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:47:56 ID:ji7FFVcY0
私が会った少数民族は、やはり文明の産物を欲しがりました。
たぶん、文明の産物を見せない限り、とくさんの言う通りなのでしょう。
しかし、デジカメに驚き、携帯の音楽に驚き、持って行ったインスタント食に驚いた彼らは、貨幣の意味を考えたに違い有りません。

彼らは、家も持たず(仮の家だけ持つ)、山から山へと移動する生活をしていました。
中に、タイ語の話せる人が独りだけ居たので、その人を介して会話をしました。

みんな、私の持っている物を欲しがりましたし、あげられる物をあげると喜んでいましたが・・


501 :オー様と名無し:2010/07/07(水) 16:58:18 ID:6uowysD20
>>496
なるほど。
では、俺が知ってる実際の村の状況をお伝えしましょう。

・基本的に家は掘っ立て小屋に手が生えた程度。ただし、あちらこちらにコンクリート建ての
 家がたってる(どうしてかは分りますよね?)

・電気、水道無し。ただし、テレビ、ラジカセ等色々持ってる奴らが多い。
 理由はバンコクに出稼ぎに出た娘からの仕送り。どうしても家電を使う時は
 バッテリーにより駆動。

・基本的に自給自足の生活。ただし、最近もっと良い物を食いたくなってきた。

・暇があったら隣人と見栄の張り合い
 (今月はいくら仕送りが来た! お前んちは!? 少ないねー!...etc)

・バンコクから帰ってきたお姉さん達の話を食い入るように聞く少女、大人。
 (基本的に大人と言っても少女と知能指数はほぼ同じ)

・頻繁に村にくるエージェント達。でも金になるからエージェントは歓迎されてる。

・ふらりとやってきて何も得になる事をしないNGOの連中。嫌われてる。


706 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 01:53:06 ID:uPaQ233g0
さくら寮の三輪さんは、最近できちゃった結婚したそうです。
奥さんは30歳年下。
タイに住んでる親父の目的は若い女。例外は無い。


708 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 05:01:38 ID:uPaQ233g0

>世界美少女図鑑の著者三輪さん曰く「日本人とタイ人が結婚して一緒に住んでも、
その90%は以上は上手くいっていない。」この人は現在、チェンライでNGOをしている。

そう言ってた三輪さんは、23-24歳の女に生中田氏結婚。
20年間、タイでどんな生活をしていたのだろうか?
綺麗なイメージは持てない。


803 :オー様と名無し:2010/07/23(金) 23:56:15 ID:4Yn49YgA0
少女のいろんな部分の匂いと味を堪能してるんだろう、この変態は。


828 :オー様と名無し:2010/07/24(土) 18:43:39 ID:mXt/gy0o0
10年位前のバンコクコージーには少数民族の子たちが子供部屋にいたもんだ
あの子らは今どうしているのだろうか


829 :クレクレタコラ:2010/07/24(土) 19:08:48 ID:rRga5sJI0
>828

すみませんど素人なもんで質問させてください。
昔はバンコクの風俗にそんなに少数民族の人たちがいたんですか?
今もいるんですか?


830 :オー様と名無し:2010/07/24(土) 19:17:41 ID:mXt/gy0o0
>>829
7年前くらいまではバンコクの店で10歳位の子もいた位です。
タクシン首相になってから取り締まりが厳しくなった気がします。
地方のオキヤでも未成年の子や色白の子はミャンマー人や少数民族が多いみたいです。
バンコクはどうか知りませんが地方都市では未だに16歳位の子は普通にいます。


835 :オー様と名無し:2010/07/25(日) 04:28:32 ID:dUOGirF60

サムイやプーケットでも16歳の子はバーで働いてますよ。
でも少数民族じゃないです。タイ人です。
違法なので18歳とか言いますが、仲良くなるとIDを見せてくれて16歳だと分かります。
本人が16歳だと言ってても、バーのマネージャーは19歳だと言ったりもします。

日本で援交があるのと同じで、タイでも小遣い稼ぎの為に体を売る子はいます。
貧しいからとか家族の為じゃなく、自分の為にそうしてる子もいます。
そんな子は放っておけばいいですね。自由な子が自由な道を選んだだけだから。

教養も権利も無い少数民族が、奴隷商人に買い付けられることは阻止しなければなりません。
日本人やファランがブローカーを通して、少女性奴隷を買ってるのは現実です。


842 :オー様と名無し:2010/07/25(日) 12:35:06 ID:QgsS/Gd20
現状では少数民族では生活のすべがないのでは?
まともな教育も受けていないし常識も考えも違うとなれば会社勤務なんて無理
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/3341/1277563535/


523 :オー様と名無し:2010/07/16(金) 00:30:03 ID:2/Y2mcCo0
チェンマイの風俗店で一番多いのはリス族(正確にはリソと発音する)

○○マッサージ:旦那がヤーバーで服役中なので子供と一緒に住み込み

某複数のゴーゴーバー:若いうちにファランを引っ掛けて一攫千金狙い、お父さんはヤーバーで死亡、母親と兄弟姉妹を養っている

某チャンクラーン通りのカラオケ:出身の村の近所の娘が日本人を恋人にして家が潤っているので、親から日本人の結婚相手を探すように言いつけられてチェンマイに下りてきた

出稼ぎ風俗の山の子はやめておいたほうが良いよ、たいがい何らかの形で麻薬と縁がある家族が多いから日本人は巻き込まれたらやっかい



▲△▽▼

白人も子供でないと勃たない

道端に女の子のパンツがいっぱい干してあるようなのどかな村に、西洋式生活を全部入れた巨大なバックパックを背負っておしかけ、欧米直輸入のギラギラした眼差しで、女の子が水浴びしている姿やおばさんが昼寝している姿をノゾキ歩くというのが、白人ツーリズムである。


白人ツーリズムの目的はつねに、征服感なのである。

未知のものを暴き出し、未知の領域を踏破し、その空間に白人が滞在できるシステムを設置したという、征服および空間の支配の感覚こそ白人ツーリズムがあくことなく求め続けているものである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/post_ba4e.html


白人ツーリズムの本源は、十字軍ツーリズム、大航海ツーリズム、植民役人ツーリズムであり、その実相はまず持って、レイプツーリズムにはじまり、幼女姦ツーリズム、人買い・児童買いツーリズム、すなわちゴーギャン鬼畜ツーリズムを基本とするものである。

ゴーギャンこそ児童ポルノのパイオニアである。
このように、白人ツーリズムは「セックスツーリズム」と不可分である。

しかし、この「セックス」は本国におけるセックスと同じではない。「隠されたもの」を暴き出し、「未踏の地」を白人の30センチのビブラムソールで踏みにじり踏破する。
目に付いた処女の脚を開かせてその日常における処女膜の様態を確認し、さらにその断裂の様態をも観察する。これもまた人種分類をうちたてた白人人類学に属する。

重要なことは、これら一連の破壊行為が白人にとってはたんなるエネルギーの消費ではないということである。彼らは「野蛮人」の文化の収奪、有色人種の文明的なエネルギーの収奪という意味を持つようなシステムを確立した上で、この破壊行為に及んでいるのである。

ツーリズムは多かれ少なかれ伝統文化の破壊を将来するが、白人ツーリズムの特徴はやはりその宣教師的な性格、すなわち、熱心な「破壊+宣教」活動にある。
つまり、白人(セックス)ツーリズムは、「破壊」であると同時に「宣教」もあるのである。それは次のようなシステムを持つ。

白人ツーリズムはセックスツーリズムと不可分であるだけでなく、「男女関係」にかんする規範の破壊を必ず将来し、旧来の規範に変わる新しい規範を強要する(恋愛ツーリズム)。

ところが、この「男女関係に関する規範」こそ、あらゆる伝統文化の「形」を維持する堤防なのであり、文化の要(かなめ)なのである。

白人ツーリズムによって「男女関係に関する規範」を破壊された土地は、いわば堤防を壊された「輪中」部落のようなものである。

そこには何の歯止めもなくなり、新しい規範たる白人消費文化と(キリスト教を含む)白人イデオロギーとが無制限に流れ込むことになる。

このように、白人ツーリズムは、たんなる「恋愛ツーリズム」によってさえ、白人世界による非白人ローカル文化の破壊と宣教、その文化的なエネルギーの収奪の尖兵となり、その文化破壊と「新規範の注入」を敢行していくのである。

白人ツーリズムの動因は今も昔も「セックス」(これは「破壊と宣教」でもある)である。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/post_1ade.html


白人の性犯罪がニュースになるのは、起訴されたり判決が下ったりしたときだけです。それも全部報道されている保障はない。報道されるのは氷山の一角のまた一角。
白人は、ごろつき滞在者やいわゆるセックスツーリストだけでなく、「地元に根付いて」「地元に貢献し」ている実業家など、堅気に暮らしているように見える者も、ほとんどこの範疇に入ると思ったほうがいい。

なぜなら、これはもともと白人にとっては「普通のこと」だからである。

彼らが何百年間アジア太平洋で普通にやってきたこと、地道にやってきた騒ぐほどでもないこと、アジア太平洋(というより世界中の非白人世界)における「白人の権利」であったことだからである。

何度でも言うが、白人世界でゴーギャンが非難されたことが一度もないように、白人のこの種の「特権」概念がラディカルに批判されたことは一度もない。彼らがそれを自己批判する道理もない。

彼ら白人にとって、アジアはもともと「それをやっていい土地」だったのだ。

いつから「いけない」ことになったのか腑に落ちないくらいなのである。

彼らがアジアを見る目は、「最近ちょっと金持ちになってお澄まししているが中学生のときからずっと誰とでも寝て金をせびっていた女」に対して男たちが投げかける視線のようなものである。


「どうせ・・・・」

「条件次第ではいまだっていくらでも・・・・」

「警察さえ何とかすれば・・・・」

という感覚である。


「アジア」に来ればあたり構わず女に声をかけ代金を示して交渉する、年齢にかまわずスキのある女児男児に付け入ろうとする、というのが白人の常態である。

外国人犯罪抑止のためにもこの事実は正しく知らなければならない。

「エイズ以前」の東南アジア、とくにタイを中心とするインドシナのセックスツーリズムなど今よりさらにひどいものだったので、それを考えるとエイズは天罰というほかありません。

「セックスが安全」なら大量のセックスツーリストが「貧しくてタブーの少ない」地域に押しかける。

体力のある若い男なら(むなしさを感じる感性もなければ)、一日4回でも5回でもセックスが出来る。貧しくタブーがなく住民のすれていない地域で誘惑すれば、一人のツーリストが一日4人でも5人でも買春または「恋愛」できるということ。

「タダで、生で、処女で、何人やった」ことを誇る白人ツーリストは、いまでもタイ北部ではあとを絶たないのである。そういう話は容易に立ち聞きすることができる。

性的本能として、妊娠の可能性の高い行為からより強い刺激を得ることが出来る。

男にとって安全(死ぬほどの病気にならない)であれば本能のままにやり放題になる。

実際にこういう白人ツーリストが大量にやってきて、貧しい地域を中心に大量の売春婦を創出した。

売春によって初めて貨幣経済の洗礼を受けた山岳少数民族などにとっては、経済(お金)=売春・娘(幼女)売りということになる。

いったん貨幣経済の洗礼を受ければカネなしで生活できない、しかし売春以外にカネを得る方法を知らない。また、売春婦は遠隔地からもどんどん集まってくる。地元で売春をする者は少ない。

セックスツーリストは時に大量にやって来て、売春婦不足を起こす。

売春婦はある意味で慢性的に不足している。

客はすぐに今までの売春婦に飽き、売春ズレした女に飽きる。

白人客がアジアに求めるものは「ゴーギャンのような体験」なのであり、未踏の地の桃源郷に咲くだれも見たこともない花を摘み、独占するというイメージである。

新たな付加価値のある売春婦が大量にリクルートされることになる。

若い売春婦、幼女、処女などが農山村から常にリクルートされる。

しかし客が大量に来る時期は限られている。来ないときは来ない。

同じ売春婦を繰り返し買う者も少ない(タイの売春バー、レンタルワイフバーは、同じ売春婦を継続的に買わせる制度という面もある)。

いったん売春生活に入って「近代生活」に入ってしまった者は、客が来ない間以前と同じ生活に戻るわけにはいかない。第一、あまりに若い時期に村を出て、売春婦またはレンタルワイフとしての生活を始めた者は近代生活しか知らない。

売春婦はツーリストの少ない間も何とか貨幣を得ていなければならない。
それゆえにまた、売春婦の慢性的な供給過剰が生じる。

売春市場においては、同地域においても、需要過剰と供給過剰とが同時に起こりうるのである。

すなわち、売春においては供給過剰の中でも供給不足がおき、さらに売春婦がリクルートされることになり、さらなる供給過剰を惹起する。そして供給過剰は買春客の創出を引起せざるをえないし、また「自由な市場」においてはすることができる。これが売春力商品の特殊性の第一である。

「自由な」売春市場の隆盛は、売春への倫理的ハードルを低くし新規参入者による供給を創出することにより売春価格を押し下げ全般的に売春婦を抑圧すると同時に、新鮮で若い売春婦の参入は、よりエキセントリックで狂気じみた楽しみの分野を開拓する。

「マジメな場所」や「清純な場所」にセックスを持ち込むことがセックスの大きな刺激であってみれば、(というのは男性の性欲は多かれ少なかれ「破壊」のイメージと不可分であるから)、これは伝統文化、倫理規範の破壊自体を楽しみとするものとなり、同時に多くの児童幼女少年たちを犠牲にしていくことになる。

供給上の都合からも需要からも、両面からの要請により、売春婦は限りなく低年齢化に向かうことになる。

このようなプロセスを経て売春価格は慢性的に下落し、売春婦は安い値段で回数人数をこなさなければならなくなり、売春施設・売春産業の拡大、ツーリスト以外の顧客層、ローカル客の開拓が要請されることになる。

タイは「豊かな国」であるにもかかわらず、タイの売春価格がもっと貧しい国より安く抑えられていることの理由のひとつはここにある。(奴隷労働者に近い少数民族や外国人労働者、広範な家内奴隷的使用人の存在と、大量の貧乏白人ツーリストとが、サービス業一般の物価を低く抑えているという背景もある)。

売春ツーリズムおよび売春産業は、「自由」に放任しておけばこのように爆発的に膨張するとともに、地場に根を張り伸ばし、地域の伝統的な性的倫理規範を猛然と破壊していくことになる。

倫理規範という「ハードル」を失った社会においては、売春市場は、先にも述べたとおり、「売春婦の創出」と「顧客の創出」の両輪をフル回転させながら膨張していくのであるが、必ずしも単線的に膨張するわけではない。

売春市場は常に不安定な市場である。この不安定に対応するために、売春市場の巨大化と成熟は、売春システムに一種の柔構造を与えることになる。
すなわち、それは売春の慢性化と普遍化であり、これは言い換えれば社会全体のの「売春宿」化である。

社会の売春宿化とは、とりもなおさず社会のタイ化にほかならない。
具体的にいえば、次のような現象である。ごく普通のホテルのフロントで事務の仕事をしている女の子が宿泊客の求めに応じてごく普通に売春し、終わるとまた仕事に戻っていく。

ゲストハウスの下働きの少女が若い白人客に押し倒される(北タイならミャンマー籍タイヤイだったり少数民族だったりする、イサーンならラオス籍だったりする)、「やや強引な恋愛」だと思っていた白人客は意外にも直後に純朴そうだった少女から3000バーツを請求され、いくらなんでもそれは高すぎるだろうといって交渉して1500バーツにしてもらう(それでも「素人」となまでやれたから彼にとっては結構いい思い出である)。

少女は何もなかったかのようにまた普通の仕事に戻るが、また遠からず別の客に「押し倒される」だろう。これは「普通の仕事をしながら押し倒される」という形式の売春である。

タイマッサージについてはあらためていう必要がない。
タイマッサージは健全なものである。しかし、タイマッサージをしながら恋愛に至ることもある。

生活が大変であることを理解してもらい援助してもらうだけである。

1時間でも2時間でも恋愛は恋愛である。

きわめて健全なタイマッサージを普通に行っている女性が、ときどき客を選んで売春するのである。

この客を選ぶというモメントが、売春力商品の性質を曖昧にし、その商品性を隠蔽する。

これが売春力商品の特殊性の第二である。

売春婦が客を選ぶというモメントが、売春に過ぎないものにあたかも自由恋愛のような情緒とカバーを与える。

白人は恥知らずにも自分が買った売春婦を「ガールフレンド」と呼ぶ。

日本人男たちは売春婦に「嫌われないこと」に躍起になって卑屈に立ち回る。

白人男たちの中には、レッドネックバー(おもに白人用の売春バー)で女の取り合いをして喧嘩を始める者もいる。売春の慢性化、社会の売春宿化、社会のタイ化は、売春に対する社会全体のマトモな感性を麻痺させる。

上等なところに売春婦丸出しの女が白人ジジイを連れて入ってきても平気である。

一方で、10歳前後の少女少年が白人バーを回って薔薇を売る。

客が売春婦にやるためだが、白人客の中には必ず少女少年たちを買おうとするものがいる。実際に買っていく。

それを見ている他の客も、ローカルも何もいわない。

やってるのはどうせ山岳民族の子である。

白人がいっぱいいる中で白人がすることには、アメリカの全面的な精神的バックアップを受けるタイ国家の警察はよほどのことがない限り手を出さない。

アメリカとは実は、「白人世界」の利益を代表する権力のことである。。

タイ人と結婚して定住している白人に、彼らは平然と「少女の紹介」を頼む。
男のほうも怒らないらしい。これは白人から直接聞いた話である。

また、山奥定住白人が、自分が経営しているゲストハウス(単に自分の家の離れのバンガローに白人ツーリストを泊めてやっているというだけの、看板も何もないところだと思う)に「母親役」のタイ人女性と小学生くらいの女の子という偽装家族で泊まりに来た白人男を追い払ったことがあるという話も当人から聞いた。

追い払われた偽装家族は、別の白人が経営するバンガローに泊まり、部屋に篭って顔も見せず少女をscrewしていたという。

白人は「個人主義」のせいか、自分のポリシーは守っていても他人のやることには口出ししたりしないようだ。特にアジアにいる白人同士で密告することは白人世界のタブーのようである。

私もタイの田舎を回っているとき、不自然な3人家族を見かけた。

「父親」の白人とタイ人の「母親」、そして白人にはまったく似ておらず母親とも口を利かない娘が、黙ったままホテルに泊まり、すぐに移動していく。

白人にとってこれらのことは、東南アジアを植民地にしていたときにはごく普通の白人の権利としていくらでもやれていたことだ。

植民地支配を一度も自己批判したこともなく、それを迫られたこともない白人たちがアジアを見る視線は、当時と何も変わっていない。

むかしはゴーギャンも堂々と植民地で子供とセックスをして立派な芸術を残した。
さらに、キリスト教ミッショナリーによる子供の性的搾取がある。

現実には、子供とセックスをしたい者がミッショナリーになって辺地に出て行くことが多いと思われる。キャリアにもならずマラリアの危険もあり白人女と仲良くなれるわけでもない辺地に定着し、現地の子に英語を教えたり聖書を読ませたり、子供に英語名をつけて民族名を捨てさせ西洋風の習慣を仕込む仕事をするミッショナリーにあえてなろうとする若者には、それ以外の強い動機がなければならない。真に敬虔なものは理屈抜きでこのようないかがわしい仕事は避けるだろう。

ミッショナリーは白人キリスト教徒の寄付も多く、かなり儲かる事業のようである。
経営者側も、ミッショナリー志願者が来ないよりは子供とセックスをしてもたくさん集まったほうがいいのである。

アメリカやヨーロッパから彼らに金を出している人たちは、アニミズムの未開の村の子供たちが洗礼を受けて英語名をもらい英会話を覚え賛美歌を歌い先祖崇拝などの「野蛮な風習」を捨てているいうことだけで「良いことをした」と満足するのである。

彼らの活動にはアメリカ大使館の支援もあり、アメリカ言いなりの「仏教国w」タイ政府も山岳少数民族の村でのミッショナリーの活動には大いに協力的なようである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6835141/index.html


少女の調達先


1)タイ娘

東南アジアにおける「買春」といえば日本人だと思ってる人も多いかもしれない。日本はなぜか児童ポルノ・児童買春が「野放しになっている」と「国際社会」から批判を受けているそうだ。日本ではそういう報道が多いから、アジアでの児童買春の犯人も日本人ばかりだと思っている人もいるかもしれない。

しかし東南アジアの売春大国にしばらく滞在して観察してみれば、セックスツーリズムに関する欧米の日本人非難がいかに根拠のないインチキなものか分かるはずである。

そういう国でまずもって目立つのはレディーバー、レッドネックバーにたむろしアジア女を連れまわす白人であり、日本人ではない。

アジア女の「レンタルワイフ」を雇って一緒にのんびり滞在するというのが、東南アジアにおける白人ツーリストの一つの典型的な「型」になっていて、そのための女性紹介業者もある。

タイの英字のフリーペーパーなどを見るとそのような広告―いい女紹介します―を容易に見つけることができる。

日本の駐在員は都会で生活しているので農山村に長期滞在することはないが、バカンスの白人長期滞在者は地元の女を囲って田舎に滞在することも多い。
現地ガイドを雇ったり自分で現地語を覚えたりして、いい女をさがすのにも熱心である。

タイの農山村から、貧しい「処女」や「児童」を掘り出してきてこっそり同棲する白人は跡を絶たない。

彼らは相手を「ガールフレンド」「ボーイフレンド」と称し他人にも堂々と紹介するが、「援助交際」が売春ならばこれらもれっきとした売春であろう。

私もタイのチェンマイで「17歳まで数年間白人の『ガールフレンド』として同棲していた」という山岳民族の少女に会ったことがある。

もちろん「支払われるガールフレンド」である。男に捨てられたあとはNGOのようなところに保護されて売春婦にはならなかったようだが、白人に使い捨てにされた心の傷は浅くないように見えた。

若い娘を囲う男は若いから好きなのであり、トウが立ったら捨ててしまう。たいていの子の「その後」はより厳しい売春の道しかないようだ。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6065804/index.html


一回20-50バーツで売春していた小六少女等を保護

記事:「タイの地元新聞を読む」より
http://thaina.seesaa.net/article/22822059.html


国立行政開発大学院校(NIDA)のスパンニー教授は25日開かれたセミナーの席上で、ウタラディット県内の複数のコミュニティー内で一回20バーツから50バーツで売春をしていた小六から中一くらいの年齢の少女達が保護されていた事を明らかにした上で、その少女達の多くが家庭内不和や両親の離婚、更には母親も同じく売春をしていたという問題を抱え、また中にはエージェントが学校にまで迎えに行き中心部で売春をさせていたケースがあったことを明らかにしました。

ウタラディットはタイ北部。タイ北部ほど売春が堂々とまかり通っていて、買春白人が堂々としている地域も世界に少ないのではないかと思う。
地域の人びとも売春には無関心で、むしろレンタルワイフ連れ白人客を歓迎する態度である。

それは彼ら北部タイ族住民が、売春婦やレンタルワイフたちをはなから「同胞」とは思っていないからである。同胞でない者を外国人に売り払うことにはなんの抵抗感もない。この感性こそ、タイ北部の文化である。


• タイ南部はビーチなどの特別の場所(白人用リゾート)を除けば、住民の目は白人に対して冷ややかであることが多いと思う。イスラム教徒も多い。

• 貧困といえば東北部が有名である。バンコクで働いている売春婦にも東北部出身は多い。
バーで雇ったレンタルワイフを連れて女の故郷に遊びに行く白人も多い。これは「恋愛」ではなくタイでの「定番の遊び」の一つである。

日本人もたまにやっているが、コミュニケーション能力と長期休暇が必要なので数は少ない。圧倒的に白人の市場である。

また、こういうのを素人の日本人が真似すると、泥沼にはまったり容易に手玉に取られたりすることが多いようである。

白人もタイに慣れている人は北部で身寄りのない少数民族の娘を探して同棲したがることが多いようである(売春婦と書類上の「結婚」さえするが、離婚も容易である)。
ただ、東北部は全体的に貧しい地域であり、北部ほど、貧富の差、固定した身分の差、少数民族(クメール系、クイ族など)に対する差別、等は顕著でないように見えた。

• タイ北部には、身分的に固定した貧富の差が存在し、少数民族や合法非合法の越境外国人の身分の不安定と貧困が慢性的に存在している。ここには目に見えない奴隷制があり、人身売買類似行為への抵抗感も少ない。
女奴隷としての売春婦を供給する構造が伝統的に存在するといえる。


1バーツは3円ぐらいだから、20バーツは60円、50バーツは150円。1回1j以下の売春。
この価格から考えて、客はタイ人だったように思われる。外人相手に小学生を売るとやばいことになるという感覚が生まれているのだとすれば、それは結構なことといえるだろう。

しかし、本当は特別価格で外人にも売っていたのだが、それは当局も表に出したがらないので、永久に隠蔽されたという可能性も高い。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6065804/index.html


イギリスで人身売買組織摘発、タイ人9人を逮捕 借金を背負わせ売春を強要

「人々の優しさと・・・ゆったり流れる時間・・・物質文明に縛られず」の「微笑みの国」タイ王国の・・・・これが嗣業! 相当悪質なもののようである。

 
【タイ】英国のロンドン首都警察は22日までに、ロンドン市内でタイ人を中心とする女性約30人に売春を強要していた人身売買組織を摘発し、少なくとも9 人のタイ人を含む15人を逮捕したことを明らかにした。過去に英国で摘発された人身売買組織としては最大規模。この組織はインターネットなどで英国への渡航希望者を探し、1人2万8000ポンド (約170万バーツ)の借金を背負わせて密入国させ、売春を強要していたもようだ。

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2) ミャンマー娘


 数年前から急激に増えたミャンマー娘、一時期はカトリーヌやラデフォンスなどのマッサージパーラーに多数在籍していたが、度重なる手入れによってほとんど一掃された。

(この2店は警察のコネが弱め)いったいどこに雲隠れしたのだろうと思ったら、現在は何とアムステルダム、ノア、V2に多数潜伏中という話である。(前者2店はコネが強い)

この娘たちの中には未成年も多く、通常の店では働けないので、ほとんどがエージェントの庇護の下でかなりのパーセントを搾取されながら働いている。

未成年の場合は、店のマネージャーにもパーセントを搾取される。 働かせてやる見返りである。

この娘たちの中にはすでに死亡したタイ人のIDを5万バーツ払って取得し、タイ人に成りすます娘もいる。

市の職員が金銭目当てでそういうことをやっている。 従って、IDカードだけでは見分けがつかない。

現在はかなり締めつけが厳しくなって18歳未満のタイ娘は以前よりも減った。

エージェントも、未成年は厄介なので庇護することに消極的だ。

ところが、ミャンマー娘かラオ娘は驚くほど若年の場合がある。
警察に捕まっても娘だけが処罰されるだけだからである。

もし、未成年のタイ娘がいたらIDを誤魔化して働いているか、店も承知で働いているだけである。

日本では考えられないが、田舎の親元から離れてバンコクや、外国人観光客の多い都市でブラブラしている未成年もたくさんいる。仕事ではなくて、金の必要から何らかの“活動”をしようと思ったら、ここタイでやることは限られている。

そこに法律などほとんど意味がない。ちなみにタイ人は15歳未満にはIDカードは発行されないから所持していない。

従ってIDカードを持っていない娘は15歳未満であるか、IDカードを絶対に見せない娘は所帯持ち(女性だけ既婚者は敬称がちがう)か、実はタイ国籍ではない、いずれかの可能性が濃厚である。
http://hage.momo-club.com/news/mp-ura.html


3) タイ山地民


タイ北部に広がる標高500メートル〜1500メートルの山岳地帯には、アカ族、ラフ族、リス族、モン族、ヤオ族、カレン族など十数部族、約75万人の少数民族が生活しています。

多くは中国南部やミャンマー、ラオスからここ1〜2世紀の間に移住してきた人々で、どの民族も独自の言語と高度な手芸技術による民族衣装をもち、焼畑農業にともなう数年〜十数年ごとの集落移動を繰り返しながら、伝統的な世界観と文化を保持してきました。

しかし、今、彼らの生活や文化が脅かされつつあるのです。

タイ政府による森林保護政策により、森林の伐採、焼畑が禁止され、定住を余儀なくされた彼らは、生活の基盤を根こそぎ失いつつあります。

かつてのように肥沃な土地を求めて自由に移動することができず、かぎられた土地で連作を繰り返さなければならないため、地味のやせた山の傾斜地では収穫量が極端に低下し、収量を上げるには高価な肥料や危険な農薬に頼らざるをえなくなるのです。

今では主食の米でさえ自給できなくなっている村も多く、人々は貧困にあえいでいます。

かつて唯一の現金収入の手段だった違法のケシ(阿片)栽培は、近年厳しい取り締まりをうけ、逮捕者も続出しています。

一方でタイ経済の急速な発展と近代化の流れの中で、貨幣経済や物質文明への誘惑から、村の若い人々は現金収入を求めて労働者としてバンコクやチェンマイといった都会に流れて行きますが、タイ語の教育を受けていないことから不当な差別や低賃金で苛酷な労働に甘んじねばならず、若い女性たちの中にはことば巧みにだまされて売春組織に連れ去られるといった例もあります。

村は過疎化が進み、共同体意識は衰退し、農業に期待が持てなくなった男たちは阿片やヘロイン、覚醒剤などに手を出すようになり、村の中にも麻薬中毒者や覚醒剤の売買による逮捕者が急増しています。

親がわずかばかりの借金のかたに娘を売春宿に売り渡し、帰ってきた娘がエイズに感染していたなどという悲劇は今でも枚挙にいとまがありません。
http://chmai.loxinfo.co.th/~sakura/hilltribes.htm


かつてケシ(阿片の原料となる植物)栽培は山地民の唯一の現金収入であり、民族衣装に使われる銀や美しいビーズなどを他の人々と交換する手段でした。それに阿片を他国に売ることが外貨獲得にもつながるため、タイ政府が山地民のケシ栽培を奨励していたのも事実です。

しかし、第2次世界大戦後辺りから、次第にタイが阿片供給国として国際的非難をあびるようになりました。国の発展のために各国と外交を結ばなければいけない政府は、この非難を抑えるためにケシ栽培を禁止しました。
それからというもの、山地民の村も厳しい取り締まりをうけ、逮捕者も続出しています。
ケシ栽培が禁止された今、村人たちは昔のように簡単に阿片を手に入れることができず、高額で買い取る必要があります。
しかし、そのようなお金を得ることは特に中毒に陥ってしまった人々には難しく、子どもが町で稼いだわずかばかりのお金を親が麻薬や覚せい剤を得るために使ってしまうということもしばしば起こっています。
このような負のサイクルの繰り返しのなかで、親がわずかばかりの借金のかたに現金収入をもとめ、娘を売春宿に売り渡してしまうということもおこっています。
そして、帰ってきた娘がエイズに感染しているということも起こりえるのです。
http://www.mirrorartgroup.org/japan/opium.htm


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子供らの誘拐多発、3年で755人=人身売買や臓器摘出目的
2007年4月19日16時0分配信 時事通信


 【バンコク19日時事】タイで子供などを狙った誘拐が多発している。2004年以降の被害者は755人に上り、その大半が行方不明のまま。人身売買や売春、臓器売買が主な目的とみられ、子を持つ親たちを不安に陥れている。

 タイ警察と社会・人間開発省によると、事件は全国的に発生しており、被害者の多くは18歳未満の男児。ワゴン車で連れ去られるケースが多い。

 被害児童は無給で働かされたり、臓器移植が必要な人のために肝臓や腎臓などを摘出されたりしている。また、売春や物ごいを強要されるケースがあるほか、子供がいない外国人の「養子」にさせられる被害者もいるという。

 バンコクで薬を飲まされ意識を失った少年2人がそれぞれ1万バーツ(約3万5000円)で売られ、漁船員として働かされていた事件もあった。

 深刻な事態を憂慮した労働省のパドンサク労働保護福祉局長は18日、全国の保護者に対し子供がさらわれないよう注意を呼び掛けるとともに、誘拐の疑いがあったり、幼い子供が重労働をさせられている現場を目撃したりした場合、警察などに通報するよう求めた。

保護者のあるタイ族の子供はタイ警察も保護するだろう。しかし、山岳少数民族や陸路で拐取移送される隣国民の子供の人身売買・児童買春については、無視、容認がタイの伝統である。

外で重労働をしていないとしても、北タイに行けば山岳少数民族やミャンマーから来ている「家内奴隷」のような女の子をしばしば目にすることができるだろう。

借金のかたに売り飛ばされるのはもちろん子供だけではない。タイ南部の町でもナイトクラブの前にたむろしているお姉さんたちにちょっとインタビューしてみれば、北部から来ている子や山岳民族らしい子が非常に多いことを実感するはずである。うちはチェンマイなどといっても、チェンマイの街中でも南部でも聞いたことのないような発音だったりする。

恒久的IDカード取得も難しくタイ国民としての地位も明確でない山岳民族の女性が、陸路南部まで拘束移送され、マレーシアを経てシンガポールなどの置屋に売られるという事例が後を絶たないようである。

最近もそのような事件が報道されている。

事件になったのは、シンガポール人の男が置屋にいたその彼女と出来て結婚しようとした(シンガポールではそういうことがよくあるのだろうか)らしいのだが、シンガポール当局は不法入国者として逮捕し、追放しようとしたりして裁判になっているという話。

バンコクポストは、シンガポールでひどい目にあっていた女性がたまたまタイ国民だっただけの、「置屋の恋」みたいな感じで取り上げている。しかし、英語はもちろんタイ語さえ満足に話せない女性だという。

タイ北部の山の中で拐取され深南部まで拘束移送された過程における「タイ人の関与」などまったくなかったかのごとくである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/04/3755_6018.html


チェンマイで逗留してる際に聞いた話ですが、現地じゃ日本円で2万も出せば小学生児童(少女でも少年でも)の買春が市内各所、どこでもできるそうです。

もちろんタイでも建前上、人身売買や児童買春は禁止されていますが、収賄により官僚や警察も「シンジケート」に取り込まれている状態で、法律は機能不全です。
梁石日の「闇の子供たち」という映画でこの問題がとりあげられてましたが、人身売買どころか臓器売買も横行しています。

10数年来現地にロングステイしている方々と会食中、自分は肝炎を患ったことがあり、あまり酒が飲めないと話したところ、「500万円ほど用意すりゃ、肝臓だろうが腎臓だろうが、角膜だろうが、なんでも’新品’に交換してやるよw」と言われ背筋が凍りつきました。

この’新品’ってのがミソです。つまり、タイ東北部の貧農や少数民族、カンボジアやミャンマーなど周辺国から子供を買い付け、解体して臓器売買するルートがある、ってのは都市伝説でもなんでもない、現実だということです。


さらに驚いたのは、子供の買取価格、つまり「原価」ですね。

地域やブローカーによって幅があるとのことですが、日本円にして4、5万円も出せば十分とのことです。なんせ山岳民族には算数すら習っておらず金勘定ができない、今だ貨幣価値や相場がわからない人も多くいるわけです。上手くやれば家電品との交換で交渉成立なんてのもザラだそうで、これが人間1人、「命」の値段です。

市場経済においては人間ですらモノとして流通され、生命に対する畏怖の念もクソもありません。まして人身売買ビジネスというのは、最短1、2ヶ月で数100倍という桁外れのリターンが望めるわけですから、これに資本が投下され一大産業と化すというのも当然の成り行きです。

結局、資本主義というイデオロギーは貨幣物の神化現象であり、「資本の利回りを最大化せよ」という啓示においては、奴隷商人や臓器ブローカーですら、神官や司祭に通ずるということです。
http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/905.html

9. 中川隆[-13612] koaQ7Jey 2018年12月22日 07:50:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
1歳の女児強姦。 女児への強姦が慣習化、衝撃的な先住民の苦しみ(オーストラリア)

五月十七日 The Australian から

【要約】

場所はケープヨーク (豪州の北端です。地図で見てみてください。)のアボリジニーの村、コワニャマで 8年前、17ヶ月の女児が夜中に連れ去られ、残酷にレイプされた。

今週 同じ村で 同じような事件が起こった。
我々は 再び 幼い女児の悲痛の叫び声を聞かなければならなかった。

8年前のこの乳幼児は、身体の内部と、結腸の部分を縫い合わせる手術をしなくてはならず、二度とこどもはつくれないという。

このような女児に対する性的暴力は、同じ村に住み、同じ家族(広い意味での)内、または、近い関係で起きている。

8年前のこの事件後に、クイーンズランド政府責任者 リネーンは 議会の女性議員を招集して対応を協議した。又、副教授のボニは、50人の援助のもと、同エリアのすべてのコミュ二ティーで、質問を受けた。

しかし、その後何も行われなかった。そして、又事件が今週起こったのである。

オーストラリア中のアボリジニーの村では、乳児、幼児、小学生に対し、性別をとわず、性的虐待は、組織的に、意図的に行われている、という。

今回は、力強く活動する ノーザーンテリトリー(北側に位置する豪州の一つの州)の判事、ナネット ロジャー のもと、大きな抗議運動があった。ナネットは 何百とある性的虐待のケースを手がけた。その中には、6歳の少女が18歳の男性に強姦されている最中に溺れ死んだ事件も含まれている。

昨日、アボリジニーの村、Cherbourg、クイーンズランド州都ブリスベンから北西に250キロあまり、(都会に近い)に住む女性が言った。12年前、彼女の娘が6歳の時 叔父から強姦され、その恐怖が大人になっていく彼女に恐怖を与えつづけている。と。

Cherbourg の村の女性達は、もう暴力はたくさん と 地元の役所に対応を要請した。この村でも、5人の子供のうち、3人は大人になるまでに何らかの性的暴力を受ける、と言われている。

先のCherbourg の女児強姦事件を記事にした地元の新聞は、しかし、アボリジ二ーコミュ二ティーから、嘲笑され、非難された。新聞記者が非先住民の男性であったため、このようなことを非先住民の男性が書くのは、アボリジニー文化にとって適当でないと。

アボリジニーとトレスストリート島の人々の統治を委任されている委員会は、しかしこれらのこどもの性的虐待に対し、何もしようとしない。

犯罪をおかした者への法的相談所はあるが、被害者、おもに女性やこどもが 慰謝料などを求めて相談にいっても、そこは受け付けない。ブラック(アボリジニーのこと)とブラックが対立する原因を作ることはしない。と相談所は言う。

左派政治家、福祉団体や官僚、不釣合いに多い非アボリジニー女性らがいっしょになって やかましいほどに この問題をとりあげようとする者を非難する。彼らは、こんなことは、レッドネック(白人のこと)に アボリジニーを中傷するさらなる手段を与えるだけだ と。
そんなことするより、謝罪や和解を(白人側が)おしすすめるべきだ と。

こんな批判は 次の事件ですぐ止まった。クイーンズランド大学の非アボリジニー女性教授がモーニングトン島で (先住民から)強姦されたが、彼女の加害者への慰謝料要求を、クイーンズランド州法務省は、拒否したのだ。

アボリジニーのこどもへの性的虐待には、頬かむりをとおしてきた政府に抗議する女性達は、政治的立場の違いを超え、こうした事件の報道拒否の撤回を求めて デモをした。

そのかいあって、2001年には、モーガン アンダーソン事件(私は詳しくはわからないが、マウント アイザ のアボリジーの村で5歳の少年が腹部圧迫で死亡した事件)の詳細が報道された。

それでも、アボリジーの村では、こども、女性に対する性的、または暴力事件がたえない。


http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,20867,19162453-2702,00.html

Calls for action eight years ago not heeded

Tony Koch
May 17, 2006
EIGHT years ago, Australians were disgusted to read the story of a 17-month-old girl who had been brutally raped by Ronderson Coglan, after being taken from her Cape York community in the middle of the night.
The photograph of the girl in a white nappy being walked by her mother on Kowanyama community a year after the attack brought the same anguished cries heard this week over the shocking revelations of rape and abuse in the Northern Territory.

This little girl required internal stitches and a colostomy bag and will never be able to have children of her own.

The then Queensland governor, Leneen Forde, called a meeting of 400 women at Queensland's Parliament House that resulted in an inquiry into the ritual abuse.

Associate professor Boni Robertson, assisted by 50 women representing every community, conducted the inquiry.

But nothing happened.

Across Australia - wherever there are remote indigenous communities - babies, toddlers and school-age children of both genders are systematically abused.

This girl, captured by Courier Mail photographer Bruce Long, still lives her own hell.

Brisbane psychiatrist Ian Curtis told a court at the time that the attack was "a devastating major assault with catastrophic physical and mental consequences".

This week's outcry follows the powerful work of Northern Territory prosecutor Nanette Rogers, who has handled hundreds of sexual assault cases including the case of a six-year-old who drowned while being raped by an 18-year-old.

Yesterday in the Aboriginal community of Cherbourg, 250km northwest of Brisbane, a woman told of how her daughter had been brutally raped by an uncle. The incident, which occurred 12 years ago when her daughter was six, has scarred her life into adulthood.

In Cherbourg, the local women have had enough of the violence, speaking out and demanding action from authorities. But even here, locals believe up to three in five children suffer some form of physical or sexual abuse before they reach adulthood.

The newspaper that first ran the story of the Kowanyama girl was ridiculed for publishing the story and scores of others like it. It was not "culturally appropriate" to talk about such issues, and it was certainly unacceptable for a non-indigenous, male journalist to be doing it.

The Aboriginal and Torres Strait Islander Commission did nothing about controlling sexual abuse of children.

Its legal services provided defence counsel for accused perpetrators, but failed to represent the women and children victims when they sought compensation, saying they would not pit "black against black".

Left-leaning politicians, welfare organisations and bureaucrats - and incongruously, significant numbers of non-indigenous women - joined in the clamour of criticism about the articles, saying it was a "taboo" subject that merely provided ammunition for the "rednecks" to further denigrate Aboriginal people.

Instead, they clamoured for symbolic gestures such as apologies and moves towards reconciliation.

That criticism abated when the next story concerned a non-indigenous University of Queensland lecturer who was brutally raped on Mornington Island, and was refused victims-of-crime compensation by the Queensland Justice Department.

That motivated women from all sides of politics to rally and have the rejection overturned.

Finally, on June 30, 2001, the story was published about Morgan Anderson, a baby contest winner, who in 1998 was sleeping with his mother in a house at Doomadgee community, north of Mount Isa.

The five-year-old heard his mother scream late at night and ran into her room to see her being threatened by her estranged partner, Rowan Jerry.

He ran to his mother's lap, but Jerry swung a huge hunting knife at her and caught the little boy in the stomach, severing part of his kidney and penetrating his colon.

Jerry got five years - to serve 18 months.

But even in communities where the victims are fighting back, such as Cherbourg, the sexual abuse and domestic violence continue.


▲△▽▼

ハクジンの作り方
ヨーロッパ政府の先住民政策のことを少しでも知っている人ならすぐにわかると思うが、そう、これは、イギリス政府 (後にはオーストラリア政府)の先住民同化政策のひとつで、アボリジニー女性から生まれた赤ちゃんを出産後 母乳をやるのも許さず、すぐ取り上げ、ハクジン夫婦のもとで育てさせる。というもの。こうすることにより、アボリジニーのこども達は、親から文化を継承せず、イギリス人化する と考えたのだ。

私は知識としては知っていたけれど、まさか、こんな若い人がまだ、その政策の当事者として存在していることが、驚きだった。

私の勉強不足のせい、なのですが、ただ、この事実を豪州政府は公にはしない。
事実をしるためには、アボリジニーから聞いた話をドキュメンタリーにした本やビデオしかないのだ。

彼女曰く、この政策は、1980年まで続いた。だから今26歳以上のアボリジニ−は、みんな親を知らないで育った。「そんな最近まで!!」私には衝撃だった。
自分のこどもが、政府によって取り上げられ、2度と会えないのだ。親は子供の写真を見ることも、消息を知らされることも この制度が廃止されるまではなかったという。

たとえ、海外に行っても、死亡しても、知らされなかったのだ、と言う。

これだけでも、悲しいのに、彼女の話は終らない。
この制度は、ただアボリジニーを先祖から引き離し、イギリス人文化に馴染ませるためだけのものではなく、アボリジニーを抹殺するかわりに、彼らの肌を白くする政策でもあったのだ。

アボリジニーをひきとる親のほとんどは、女児を好む。
女児なら大きくなれば強姦し放題だからだ。そして妊娠させる。そしてその赤ちゃんの肌は母親より少し白くなる。だから、政府はそれをよしとしたのだ。

強姦したいハクジンの父親は、早ければ8歳くらいには、強姦すると言う。

彼女の周りでも、たくさんのアボリジニー女性がまだ幼い頃に強姦され、12、13歳で妊娠した人がいっぱいいたはずだ、と言う。もちろん 強姦された挙句生んだ赤ちゃんは、すぐ政府によって取り上げられるのだ。そしてその子も女児なら、運が良くなければ、強姦される運命だ。

男児はどうなるのか。地方や役人によっては、男児は、何の役にも立たないので、(アボリジニー女性は、ハクジン男性の性の遊びの役に立つが、アボリジニー男性がハクジン女性とセックスするのは、許されないし、アボリジニー女性と性交渉をすると、二人の赤ちゃんの肌の色は白くならない) 不必要として、生まれた直後 近くの壁にたたきつけて殺したのだ と言う。

私には、言葉も出なかった。


彼女は自分の父親が誰だか知らないという。あるとき、病気で医者に行った時、医者から、両親にその病気をしたことがあるか、聞いていらっしゃい、それが予防に役立つと言われ、母親に父親の所在を聞いた。母親が インド人の男性だ、と教えてもらい、会いに行く直前、母親から止められて、何事かと思ったら、よく考えたら違うと言う。笑いながら、インド人だったら、あなたの肌はこんなに白くないわよね、と娘の肌をさすりながら言った と言う。で、父親は、アイルランド人、ハクジンだと言って、でも死んだのだ、と。

彼女は 父親に会うのはあきらめた、と言った。母親が話したがらないから。と。
考えてみればこのお母さんも 親から引き離されて、ハクジンの親の元、苦労して育ったわけだから、何があったかは、想像にかたくない。

彼女は、自分の肌をさすりながら、豪州政府はこの肌でもまだ白さが足りない、と言うわ。といった。肌の白さ、をこれほどまでに気にしながら生きていかなければならのは、信じられないほど理不尽だと思った。

彼女は言う。過去も悲しいけれど、今も悲しい。なぜかと言うと、時折話す、オーストラリア人(ハクジンだと思うけれど)は、総じてこの話を信じないと言う。政府がそんなことするはずない、と。彼女は、じゃあ、なぜ多くのアボリジニーがこんな都市に住んでいるの?各地にあった、トライブにいないの?なぜアボリジニーの言葉が話せないの?と聞くのだそう。

私には、ハクジンオーストラリア人が政府の行ったこの蛮行をしらないのはありえるとして、その本人からこういうことをされた、と言われて、政府がするわけない、と否定するその気持ちがよくわからない。

それほどまでに、政府を信じきっている気持ちが。いや、政府というか、ハクジンがそんな残酷なことをするわけない、とおもっているのかもしれない。

イギリス政府が行った数々の蛮行、植民地支配も何もかも習わず、海賊も彼らの誇り、アメリカ大陸の”発見”と勉強するし、あの土地の近代化をひたすら美化し、第一次大戦も、その後のすべての戦争も (ベトナム戦争、湾岸、今の戦争も)ひたすら、正義の戦いとして教わってきているからね。彼らは。ベトナムは、やるべきでなかった、とはいうけれど、政府には、ちょっと批判的でも、自国の兵士への同情だけ(ベトナムへはなし、)。

反省の”は”の字もない。

ここまで、国際社会の中で(おそらく、対非ハクジン国、民族にかぎって)イギリス系の自分達が間違っているわけない、という、強い信仰があるのだろうな。
一般の日本人が、沖縄の人から、占領された後、こういうひどいことを日本政府から、組織的にされた、と言われたら、頭から否定するかな。特に、強姦とか、殺人とか、そういうものは、抑圧につきものだし、あるかも、と思うのが、普通だと考えてしまう。

まあ、それはともかく、私はこの話をきいて、この国にいまでもひたすら起こりつづけている、先住民女児への、先住民男性からの強姦、性暴力事件の深層が、こういうところにあるのではないかと感じました。(下の方に投稿してあります。)
また、アボリジニー女性が強姦された事件で、容疑者がハクジン男性、アボリジニー男性にかかわらず、裁判員に女性が複数いても(ハクジンのみ裁判員)、裁判で有罪にならず、釈放されてくる事実を見て、アボリジニー女性らが、「私達が強姦されても、とにかく、ハクジン達は、彼らが女性であるか、男性であるかにかかわらず、同情はけっしてされない。どういうわけか、私達は、強姦されてもいい生き物と思われている」、と言った言葉の裏の意味が、今少し理解できる。


さらに、大学時代、クラスで見た(女性学の授業、フェミニスト系の女性教授の中には、アボリジニーのことを理解しようとする人はいる)まだ、上陸したばかりのイギリス軍がアボリジニ−を虐殺する物語のビデオですが、クライマックスは、偶然に森に入っていた9歳くらいの少女は殺されるのをまぬがれ、じっと木の陰から、自分の親、兄弟、姉妹を含む、部族全員がイギリス軍の手によって銃殺されるのを目撃する というような話だったのですが、悲しすぎて、涙がとまらなかった。明かりがついて、60人くらいの生徒の誰ひとり(私以外全員ハクジン女性(一応見た目ですが)、涙ひとつ、うるうるした様子ひとつないのには、映画の内容以上に驚いたことを覚えています。が今、その理由がわかります。

ついでに書きますが、こちらでは、もちろん、ハクジンが全員ひどいのではありません。何とかしようとするハクジンだっているのです。

最近こういう不満がハクジンから出され、報道されました。

今では、アボリジニーの赤ちゃんが母親から強制的に奪われることはなくなりましたが、アボリジニー家庭はすさみ、アルコール中毒やら暴力やらで、親としてきちんと子育てできない家庭が多く、中には、ハクジン夫婦が 好意で親が落ち着くまで預かる制度があります。(これは、ある程度管理されていて、強姦などはできないようですが)

そのハクジンの親で、それは 自分の子供のように一生懸命面倒見る人もいるわけです。

その中で、学校にきちんと行かせ、宿題をさせ、ドラッグをすわないように ある意味愛情こめてしつけている親がいました。政府はその親に対し、こういう”質のいい”子育てをするのは、契約違反だから、すぐ止めないと、告訴する、というのです。

腹を立てた親が、テレビ局に話して公になったわけです。

政府いわく、先住民のこどもはいずれ、ドラッグを吸い、しつけもろくにできない親元に返るのだから、かけ離れたことをするのは だめ。ということです。
ハクジン親は、親がたとえ吸っても、あなたは自分の身体のため、やめなさい。と教えて何が悪い、また、勉強に興味を持ち、学校に行く習慣ができれば、その子の将来の利益になる、と主張しました。

また、別の アボリジニーの子供をあずかった親からも こんな政府への不満がテレビ局にとどきました。

このこどもが自分のこどものように可愛く、将来は頑張って欲しいから、その子と別れる時、将来大学に行きたくなったら私に連絡しなさい。援助してあげる、と言ったそうです。それを知った政府にそんなことはするなと言われた、と。不公平だと。
あづかった親は、言う。政府は他の子に対し不公平だというが、本当の理由は違う。
彼らは、アボリジニーに、その地位を向上してほしくないのだ。

話をもとのもどすと、そのアボリジニー女性に、私は ここはあなたの土地よ。と言ってしまった。
むなしいだけなのに。

マオリの人に、私たちは、同じ先住民でもアボリジニーよりずっとましなんだ。といっていたことが胸にしみた。

どうなったら、彼らの幸せはやってくるのでしょうか。
http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html

10. 中川隆[-13611] koaQ7Jey 2018年12月22日 07:53:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

幼女とかの児童買春の実態を知っているけど質問ある?
この話はフィクション(釣り)扱いになります。
現実と妄想の区別ができる人のみお読みください。


6 :日本鬼子◆Ek/JAP/82U :2008/09/09(火) 22:28:04.51 ID:KhA8OcyM0 ?2BP(807)

なんで知ってるの?


9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:32:59.73 ID:Su7cCpTL0
>>6
近い業種で働いたことがあるからです
自分が働いていたところは買春系ではなく、すぐ隣が買春系だったので目の当たりにしてきました。親に売られてしまったかわいそうな子どもたちまで様々な人間模様を見てきました。

怖い人たちについては怖いので伏せておきます。


168 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:02:33.45 ID:PaK/ER+m0

小学生くらいの子も普通に居たって言ってたから、
1の言ってることは本当だろうね


8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:32:17.95 ID:Wz0zAQIG0

プチエンジェル事件の真実を教えてください


>>8
ググって出ることそのまんまだと思います。
超氷山の一角です。


34. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 02:01

スレでプチエンジェル関係のこと聞きまくってた奴
あれを嗅ぎ回ってたジャーナリストが不審死したことを忘れるなよ


234 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:43:58.24 ID:h8mOKCQN0

このスレ見て、初めてプリプリエンジェル事件を知った
心が痛んだ・・・ちんこも痛んだ・・・

14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:42:25.71 ID:1azS2ac+O

ねぇねぇ拉致とかあんの?
自分の娘がなったらどうすべきなの?


>>14
日本でまったく関わりのない人を拉致して商品にするってことはあんまりないです。
少なからず自分から業界の門を叩いちゃった人達がほとんどです。
ただ外国で拉致られたらまず終わりと思ってください

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:45:03.45 ID:ThmHZpTIO

捕まっても釈放される言い訳教えてよ


>>18
児童買春して捕まったときの?
個人取引だとバレたらおしまいなので予防策として
プロを挟んで取引すればいいと思います。


21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:50:38.75 ID:DcbAlkUcO

この間、アジアの最底辺の児童売春を書いた「闇の子供たち」って小説を読んだけど普通に抜けた
生々し過ぎる

アジアの最底辺に旅行に行って児童売春とかって本当に出来るもんなの?

>>21
有名なタイとかインドネシアとか?w
簡単にできますよ。
あっちはそういう店が多すぎて怖い人達が管理しきれていないので、
個人店とかでゆっくりすることもできますよ。

25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:55:07.12 ID:YFfUhPeJO

いくらでやれるの?


>>25
場所、相手の歳、プレイの内容などでかなりピンキリです。

26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:56:29.69 ID:V2jN3HC80

ペドの政治家のリストを一気に公表とか出来ないの?
したヤツが死ぬの?


>>26
公表したところで信憑性などの問題が出ますし
信憑性のあるものは潰されます

みんなロリ好きでしょ?
政治家となにが違うってお金を持っている持っていないかだけなんです。
たとえ法律でギッチギチに固めても人間の性的嗜好が無くならない限り、
児童買春は続いていきます。
悲しいことです。

29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 22:59:46.29 ID:ThmHZpTIO

やっぱり低年齢のほうが安いのか?


>>29
逆に低年齢ほど高価です。
またプレイ内容も過激化するほど高くなります。
ここら辺は風俗と変わりありませんね。


37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:06:31.02 ID:KgePybtp0

やっぱこういうのはマンションの部屋に何人か待機してるって感じなの?


>>37
日本の個人向け業者はそんなです。
マンションというか業者の施設で待機して、デリヘルと同じように送られたりします。ただ最近は安全面を考慮して、すべて自前の施設でやらせるとこが増えてきたらしいです。


40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:09:28.68 ID:mn46K1Gg0

細かい事は聞かん
幼女と犯れる方法教えろ


>>40
まずお金を貯めてください。お金がなければ何も始りません。
そのお金を持って国内の業者に行くか、外国のお店に行ってください。
国内は管理が厳しくて一見様お断りが多いので、外国をおすすめします。
それですべて終わったら自分を恥じてください。

42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:10:51.90 ID:oY834HSsO

娘がそういう所で働いているのは、親の借金が一番の理由なの?


>>42
現状の比率はわかりませんが、
お金関係で働く子のほかに家出をしてそのままズルズルと入り込む子が結構います。


43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:11:24.80 ID:Ba35LYcA0

何歳のマンコがベストなの?


>>43
自然のままで入るのはJ才くらいからです。

45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:11:49.99 ID:KgePybtp0

はやくどこに連絡したら行けるのか教えろよ


>>45
貴方が素人なら、普通の風俗店から入り、
風俗業界に詳しくなることをお勧めします。
そうするとそのうちわかるようになります。いろんな意味で。


50 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:15:58.75 ID:t2BUz6pN0

北斗の拳の連中は女性をすぐ殺そうとするけどおかしいと思わない?


>>50
汚物扱いなんですかね?
女性にはもっと優しく接しなきゃいけないと思います。


51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:16:18.32 ID:aul6gfJH0

どんな奴らが女の子買ってたの?
相場はいくら?


>>51
本当にいろいろお客がいましたよ。
共通点は買うお金があることぐらい?
相場は上記の通りピンキリです。

57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:23:12.62 ID:KgePybtp0

小学生のランドセルプレイとか幼女何人も集めて一緒にお風呂とか
そういうのをするのにはいくらかかるんだコラ

>>57
5人ぐらいで下のクラスなら250ぐらいあればできますね。
ランドセルなどのオプションは新品を買い与えるぐらいの料金と思ってください。


71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:36:17.20 ID:KgePybtp0
>>68
250は高すぎね?前聞いた話は1人5から20くらいが相場って聞いたぞ


>>71
小学生でその値段ってのは商品としてはありえませんね。
それは個人業者のもつ家出少女じゃないでしょうか?


58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:25:48.51 ID:aul6gfJH0

なんか淡々と所詮ビジネスだからという印象なんだが、
レイプや性的虐待とどう違うんだ?


>>58
少なからず本人もしくは周りに責任が発生した結果だからです。
レイプや拉致などまったく無関係の人を染めるのは本当にいけないことです。
しかし因果故にそうなってしまったものはもうそうなるしかありません。
アフリカの子供たちの飢餓を見て「かわいそう」と思っても救えないのと同じです。
環境って残酷ですね。


60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:28:27.07 ID:wKT//1tr0

ガチのロリコンってそんなにいるもんなのか?


>>60
もし法律でおkになったらあなたはどうしますか?
上の問いの答え次第です。

63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:30:44.37 ID:LkbygCguO

気に入った子を文字通りお持ち帰りするにはいくらぐらい必要?
そもそもできるの?
あと外国でこういう事できるの?

>>63
できます。
1k〜10kぐらい。
業者が手放してもいいという商品だったらもっと安くなります。

65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:31:53.05 ID:AI0N9c7I0

フィクションでいいから買ってる奴の具体名挙げてくれ

>>65
ここで苗字あげてもなんのことで終わると思うので、

やっぱり高収入所得者が多いですね。
人間お金をある程度持つと何か外れるみたいです。


67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:33:18.04 ID:QmNi7cbO0

仮に児童買春できたとして、あとでそれをネタにユスられるって事あるのかい?

>>67
ゆするリスクが高いと思うので業者としてはやりませんが、
あとは従業員の教育次第でしょうか。

73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:38:54.82 ID:OmeOu7NJ0

親が売りに来ている、ということはありますか?
また、児童ポルノ法案の可決によって親に売られる児童が増えると思いますか?

>>72
あります。
ただ法案で増えるかというとちょっとわかりませんね。


76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:40:31.03 ID:UFrBGYWgO

250万あれば大衆ソープに100回は行ける


>>76
使い道も人それぞれってことですね。
俺なら車買うけど。


84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:45:45.37 ID:cRxL1VqWO

どこで買えるの?


>>84
一業者で多くて20人ぐらい持ちます。
業者自体の数は把握できていません。


87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:48:11.54 ID:7R6+VE13O

日本人は何人いるの?
あと少女の最低年齢と最高年齢は?


>>87
基本的に国ごとにその国の商品です。
客が自国を求めるのが理由になります。
ただよその国の商品のほうが扱いやすいのも事実です。
俺は見た最低年齢はC,Dぐらいでした。
上見るとババアになると思います。

149 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:47:56.74 ID:3aOQcDE0O

C,Dは3,4だよな?
ペドきめぇ
女は9歳からだろJK


>>149
俺は18ぐらいが好みです

88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:48:25.63 ID:vT9Z9+J50

一見さんお断りなら、どういう人と仲良くなると連れてってくれるんだよ


104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:57:32.74 ID:RB9IrMcg0

俺の予想

高級ソープなどの常連やVIP会員になり店の店長みたいなやつと親密になる
そしてロリを抱きたいからいいとこ紹介してくれと言って金を出す

店長から秘密の店を紹介してもらう
こんな感じなの?

>>104
104ナイス。
まあVIPとかになんなくても詳しい人と仲良くなればいいだけだけど


90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:50:19.67 ID:aul6gfJH0

親が幼女を直接連れてきたりすることはあるの?


>>90
日本では親が直接連れてきて「買ってくれ」はまずありません。
前もってある程度の話をつけ業者が引き取りにいきます。


92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:52:21.73 ID:85RvsPem0

どういうプレイがなされていたかわかる?
わかるならSMで幼女に犯されたりしてもらう人がどれくらいいたか教えてください。


>>92
恋人のように愛し合うプレイから
ネックを抑えて窒息プレイまでなんでもありますよ。
ただどうにかしてもらう客よりどうにかする方の客のほうが圧倒的に多かったですね。

99 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:55:01.98 ID:vT9Z9+J50

10歳以下でも本気で感じて喘いだりするの?
マグロじゃ価値がないと思うんだけど

>>99
薬つかいます
マグロとか痛がるのがいいって人もいます。

89. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月11日 00:34

10歳にフェラさせてごっくんさせる。
それを3連発位させるには幾らかかるんだろうか?


100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:56:07.30 ID:TTHJOagA0

児童買春してた子って将来どうなってくの?


>>100
少なくとも社会に復帰する子はほとんどいません。
ただ今を幸せに暮らしている人は知っています。

129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:32:11.01 ID:wjnYZ0Z/0

>>少なくとも社会に復帰する子はほとんどいません。

客とれなくなったら殺されたりするの?
逃げたりする子はいないの?
そんなに自分から軽い気持ちでやって来るものなの?


>>129
ただ処分することはない、なんらかの形で生かす。
逃げる子もいるけど逃げられると思っているのかは知らない。
気づいたら足元泥沼ってのはよくあること。

151 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:48:51.77 ID:wjnYZ0Z/0

>>ただ処分することはない、なんらかの形で生かす。

なんらかの形ってのが気になるな。
二十歳前後になっても違法売春どこかでさせるってこと?

>>151
その歳になって精神保ってる人ってかなり少ないよ。
別の形になります。

84. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 00:01

何らかの形で生かすってどういう事だろう?

同業者(商品を提供する側)にするのか、それこそダルマやマニア仕様にして売るのか…
被害者は精神病院に入る事があるって見たけど、精神科ってセラピーも受けるんじゃないの?
セラピストや医師に、児童買春の被害者でしたって言っても信じてもらえなさそう…
報告受けた医師側が警察に通報しないのかも気になる

86. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 07:25

大抵は消される

153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:49:16.75 ID:5UIYSWjy0

>>1が見てきた商品の中で、「なんでこんな子が…」みたいになるぐらいかわいい子っていた?

>>153
いるいる
養子にしたいぐらい

105 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/09(火) 23:58:07.54 ID:/anleTwb0

値段は外国と日本ではどのくらい違うの?十倍くらい?


>>105
西洋>>日本>>>越えられない壁>>>アジア

114 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:17:14.95 ID:uIUpsvyfO

1人で複数質問失礼

・家出少女の取引相場が低いという話があったが、何故そうなのか?
 病気を持っている可能性があるからリスク負担の意か?

・性病について業者は何か対策を打っているのか?
 信用が重視される業界だろうから、訴訟が起こりえないことを理由に
 知らぬ存ぜぬを貫き通すとはとても思えないが…
 「一見さんお断り」や取引相場に尽きるのか、他にもあるのか?

・「適齢期」や性病などが理由で「商品」にならない子どもたちは、
 どう「処分」されるのか?
 女子もそうだが特に男子の場合が気にかかる

>>114
・頼る人間がいないから商品になるしかない

・基本ゴム、生の場合は別金額それに検査及び薬の代金請求

・業者による
外国に飛んでいくこともあれば、
無理やり商品に仕立てあげることもあり、
運よく卒業して生活できる人もいる


115 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:18:44.20 ID:ylyKvIJ90

そういう業者はニュースにならない所で摘発とかされてるの?


>>115
報道されないことは多い


120 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:24:02.17 ID:3aOQcDE0O

11歳より6歳が高いって?
リアリティ無いわw


>>120
あなたがそのレスを打っている間にも商品は成長していきます。
若いっていうのは貴重なのです。

121 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:24:18.88 ID:9FTK3nDU0

裏に片足突っ込んでたが金あればなんでもありだよ
エロ漫画に出てくるような媚薬とかも普通に手に入るし
まぁ二度と関わりたくはないがww

124 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:25:57.78 ID:aBDtM/pL0

回答は予想できるんだが、
都市部の方が業者が多いよね?
東京都市圏と大阪都市圏。

もしできれば業者がいなさそうな都道府県もあげてくれ。

>>124
えー・・・?
強いていうなら地方?
たぶんいないところはないと思うけど。


126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:26:35.06 ID:T73W4Xzw0

1の組織って全国にあるもんなの?それとも都会だけ?

>>126

            すべてを包み込む何か

          ↓        ↓         ↓
      全国大型業者  他の仕事    怖い人たち    

          ↓
     地方の個人業者

170. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 20:51

しかしすべてを包み込む何か・・・怖いな・・・
その内側が闇でその周囲に陰があるって事か・・・


130 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:32:57.76 ID:DPsW34fhO

幼女に大人が入れてるの見た事あるけど
どうやって成り立つの?
裂けないの?

>>130
薬か器具でほぐすかメス入れる

131 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:33:55.38 ID:5UIYSWjy0

薬とか使わなくてもエロエロな幼女って居るの?


>>131
好きでやっているなら人類皆幸せだよ


133 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:34:10.50 ID:juJNcpWL0

売春してる少女をお持ち帰りするふりして助け出しても
こっちでは国籍やらなんやらめんどくさくて結局助けれないよな
助けるなんておせっかいだよな結局


ぶっちゃけやりたい


141 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:40:10.29 ID:0XVCEmraO

その幼女達は売春してる時以外は何してるの?

>>141
ノーマルの売りなら普通に暮らしてる
普通つってもプレイのダメージは日々たまっていくけど


146 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:43:03.18 ID:aBDtM/pL0

地方の方が業者多いのか?意外だったな。
地方の方が「商品」を仕入れやすい、とかの理由があるのか?
単純に都市部だとアシが付きやすいのか?


>>146
専門買い口ってのがあんまりなくて、
都市に送られてくることもあればそのまま使われることもあるから
ケースバイケース?


147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:44:58.45 ID:s4+FVTT/O

アフリカなら腐るほどいるがな〜
でもエイズ率40とか死ぬwww

157 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:53:15.13 ID:PaK/ER+m0

俺の知り合いの子は地下風俗で働いてた事あるらしいよ。高校生の時に
1の知ってるのはもっと児童な感じなのだろうか


>>157
そうだね

159 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:54:25.29 ID:AbKiwKKW0

日本でもあるのか?

>>159
ありまくりですよ旦那

165 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 00:58:06.16 ID:T73W4Xzw0

これってもっと裏に行ったらスナッフとかそういうのもあるの?
それとも管轄外?


>>165
一応、
調教、改造まで
スナッフにはノータッチ

178 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:06:43.91 ID:5UIYSWjy0
>>177
改造って何するんだ?


>>178
肉体切ったり縫ったり


188 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:11:45.85 ID:6q2oFGXe0

海外にいくとダルマプレイとかって割りと簡単にできんの?


>>188
改造は買い切りがほとんどと聞きました

63. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 11:33

ダルマプレイって何?
怖くてググれん...


64. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 11:48

手足切断

71. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 15:38

ダルマって手も足もないだろう・・・?
つまり・・・。


195 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:18:10.13 ID:83MafjMk0

切ったり縫ったりあんのかよ…
性器改造、ではないよな…あくまでお隣さんだし
もっと目に見える形でやってるってことか


>>195
まあ俺は見たことあるだけだし


200 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:19:45.60 ID:T73W4Xzw0

なんかのイベントハウスで自分の舌切ったり腕焼いたりするような映像は見たこと
あったけど幼女でもそんなことしたりするの?


>>200
金しだいです


201 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:20:03.50 ID:5rSpdUadO

死んだりするの?
もし死んだり、自殺したらどうするの?


>>201
専門の処理の方におまかせするらしいです。

60. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 09:30

硫酸で溶解やら解体したりしなかったりして私有地に埋没させるわけですね。
いやー、世の中って怖いなぁ。


179 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:07:29.96 ID:QWazu+HjO

子ども達は学校に行ったりできるの?


>>179
行けないw


180 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:07:41.08 ID:lnQKBRvDO

欧州ってやっぱ厳しいの?
地域によるならわかる範囲でkwsk
あと業者って女とかもいんの?


>>180
あっち側は法律や罰則が異常に厳しい
いいことですけどね
それでも闇は深くまで根付いてる
業者で女ってほとんどいないなー


189 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:12:30.57 ID:cbJqT8CW0

海外では一見さんでもいけるの?


>>186
>>189
買春が盛んな国だとできますね
アジアとかアジアとか


192 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:13:47.66 ID:M66VYJJhO

幼女一人が取る客って1日何人くらい?
客はやっぱり普通の風俗みたいに写真で選んだりするの?

>>192
というより要求に合わせて業者が選ぶ感じです。

202 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:21:12.59 ID:T73W4Xzw0

中国行ったら戸籍のない子が多いから好き勝手できる?
マッサージ屋行ったら明らかに中学生とか出てきたが。
それともタイのほうがいい?

>>202
人種的な好みで選んでみては?


204 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:21:34.55 ID:F0neWYFn0

たとえばタイに旅行へ行って空港に着いて・・・
ヤるにはまずどうしたらいい


>>204
タイ 売春宿
でググればすぐわかりますよ
インターネッツは便利だな


205 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:21:46.67 ID:RhOMhkA60

やっぱりほとんどの商品が病気持ってるんでしょ?


>>205
そうでもないです


206 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:22:03.36 ID:WlxHyYEHO

昔漫画で『16歳になってガバガバだから殺されるよ』

って言ってたけど16歳くらいまで持つの?
妊娠したらどうするの?初潮迎える年まで生きてるの?

>>206
医療班がいれば大丈夫 だとか

208 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:23:04.08 ID:QWazu+HjO

こんな事が現実で起こってるなんてやだな…
買い手は罪悪感とかないのか?ロリコンきめぇww

>>208
罪悪感ってM属性の人には快感じゃないのかな?
と思うことはあります


227 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:39:02.26 ID:QWazu+HjO

幼女犯してる自分って最低って思いながら興奮してるのか…


209 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:23:24.33 ID:mn2hnFIwO

女の子が妊娠したらどう扱われるの?


>>209
降ろさせる
まあピルなりなんなり対策はしていますけど


211 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:24:54.84 ID:aBDtM/pL0

そいや、「商品」は、どういう状態で一日を過ごすんだ?
どこかの部屋にでも放り込んでおくのか?

>>211
繋いどく人もいれば
好きにすごさせる人もいるらしいです。

220 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:33:09.47 ID:lnQKBRvDO

そういやインドで脱走やら廃棄の子供引き取ってるボランティアのおばさんの話見て泣いたの思い出した
もうシャブやり過ぎで余命一年とかそんな子ばっからしいねあの辺り
日本にもそういう団体とかあんの?
そんでソイツらと戦ったりすんの?
夜回り先生みたいなのとか

>>220
日本は露見しないから行動的な団体もないです


238 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:46:39.18 ID:7oobJgbX0

>>220で思い出したけど、インドのスラム街ってすごい事になってるらしいな
外では大人の売春婦がたむろしてるんだけど、ポン引きに付いて行って建物の中へ通されると まだ胸も膨らんでない小さな女の子もいるとか
しかし部屋があまりにも汚くやる気が失せるようだ

225 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:38:27.70 ID:T73W4Xzw0

タイは最近厳しいって聞いたけど最近の海外の情報は入ってこない?
今はカンボジアかラオスがいいとか、あとミャンマーとか
タイはメジャーになりすぎたから今は少なくなってるとさ

241 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:48:55.57 ID:7J8wz06xO

・ラオスなら12〜15歳の顔も日本人ぽい子が2時間で40$

・キスは嫌う

・うち15$程が彼女達のバック

・トゥクトゥクにヤンガーって言ってれば連れてってくれる

・12歳とか体格が子供すぎて変な感じ


226 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:38:59.90 ID:dHgYwudX0

売られた幼女達の最後が知りたい。

1、消される
2、精神病院行き
3、水商売関係に就職
4、普通に暮らす

とか?
人それぞれだろうから一括りには言えんだろうがこんな感じなの?

>>226
だいたいそんな感じです。
4をつかんでほしいのですけれどね・・・。

231 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:40:49.98 ID:WT9KKhZi0

マカオとかでは日本人が高く取引されてるって聞いたけど本当?


>>225
>>231
その話マカオが成長しているからの諸説だと思いますが、
日本人もそれなりに人気はあるようです。

233 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:43:52.68 ID:pj7BQuIzO

やっぱり顧客で一番多いのは韓国、朝鮮人なの?

>>233
自分の国の子が一番らしいですよ?

290 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 02:57:22.85 ID:Wp/hftXIO

夜のカンボジアは売春だらけ
日本人の数十人のおっさん団体とかいたよ〜
ディスコもカラオケもいる女の子は全員売春婦

218 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/09/10(水) 01:31:10.38 ID:DgXUzdmWO

おまえら釣られすぎ


>>218
そうだよ
これは釣りなんだよ
だから買春しなきゃいけない幼女なんてこの世にはいなくて
みんなクリスマスは家族と過ごしてプレゼントをもらうんだ

18. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 22:38

なんだフィクションか
かわいそうな幼女はいなかったんだねいなかったんだね
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175447.html
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175874.html


_________


コメント


7. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 00:57

母親が男にネジ巻いてるようなクズだと、
それこそ小学生くらいから“自活”しなきゃいけなくなるしな。


16. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 01:11

今思い出したが、日本って人身売買をなんとかしろって言われてるんだよな。
てっきり毎日新聞の模造記事のせいだと思ってたが・・・。


17. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 01:12

赤線の世界に足突っ込んだ事あるが、
漫画みたいな話がマジであるから困るw

61. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 03:55

女郎小屋の現代版だよな

63. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 04:23

昔、小菅に居た頃に似たような話を聞いたことあるが、俺が聞いたのは一粒あたり100位だったから、相場が倍以上になってんだな。

64. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 04:47

ヤと警察と権力ある金持ち
全部どっかでつながってry

65. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 05:03

まぁロリコン禁止と叫んでる裏には宗教とか業者がいるってことだな。

海外でだが

「自分はカトリック神父になって、人目をごまかしながら孤児を虐待する」

ゲームがあったのだが。
(たしか日本のアヤしいPC誌に紹介されてた)


85. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 09:47

まあ、実体は残酷だわな
関わったら重度のニ次のロリオタでも嗜好が変わるだろ
幼少の頃から売春させられてる子は精神病院送りになる子が多くて、
そこでゴキブリを食ったりするんだと、


86. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 10:10

10年近く前の話だが、JC,JK扱っている業者は知っていた。出会い系の電話で相手が男!と思ったら業者だった。証明として学生書or生徒手帳を一部隠して見せてくれるの。偽造かもしれんが。


100. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 12:39

全国にネットワークを持つ団体
犯罪組織・暴力団・宗教・政治組織
復讐・レイプ文化・マッチポンプ
海外・資金


103. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 13:36

八九三が悪いわけじゃないだろうな。

お金持ってる人が悪いこと望む → 自分の手は汚したくない → 金渡して怖い人組織作る → そこから買う形にする

まあこんなトコだろう。需要が先にあるんだよ。
全て上が管理してるんだk… あ、誰か来た

127. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 17:44

ヤクザの利点はただ一つ。落伍者のセーフティネットだよ。
自由競争?社会なんだから、ある程度落伍する人間は出てくる。ヤクザは落ちぶれて自殺しそうな人間を救う組織・・・だった、少なくとも江戸時代までは。
今は多分部落三割在日三割できな臭いから、本当に救ってるのかどうかは微妙だけど。
ヤクザは必要悪というより、必要な枠組みと捉えるべき。悪いと決め付けてるのは、単に恣意的な倫理観に過ぎない。


129. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 18:35

むしろ、落ちぶれさせて自殺者量産させている気がする。
闇金とか賭博とか薬物とかで。


136. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 19:41

小泉元総理大臣が窒息プレイ好きでやり過ぎのあまり
別の意味でヤってしまったという噂話はずいぶん昔に読んだことがあるな。

139. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 19:46

実際日本には日本人が思ってるよりやばい組織が数多くある。
普通は一生関わらないけどな。

155. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月06日 23:53

前に豚速に中東に幼時売春しに行った奴の報告スレがが載ってたが
そっちは幼女と売春したうえ吸引系の薬までやらせるという本物の外道だった。
しかも海外でやったから絶対につかまらねーしざまあWという態度で腸が煮えくり返る。でもログ消えてた。

158. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 01:49

生殖機能のない子供を強姦するというのはチンパンなどサルの世界では既に確認されている行為だ。つまり幼女をやっちゃうのは社会的に認められない行為であって、決して「生物的に異常」なのではないぞ。


171. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 21:31

規制が厳しすぎると裏の資金源が増えるんだ。

例えば風俗が無くなるとどうなるか。
エロ本が無くなるとどうなるか。

多くの人間は犯罪以外の所で我慢できる。
だが犯罪以外の方法が全て規制されたら…。
人間から性欲が無くなることは無い。
あとは分かるな?
何事も程々が一番。
必要悪って必要なんだよ。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175447.html

45. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 01:10

10年近く前に東南アジアで幼女を買った俺が通りますよっと


78. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 18:42

世界は思った以上に金中心に回ってるんだな・・・


79. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月07日 21:08

まぁ金がすべてじゃないけれど
金でどうにかなる事の方が世の中多いよな・・・

87. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月08日 09:40

プチエンジェル事件は実際にあったんだから
そういうレベルの業者は存在するだろう。

しかしダルマとなってくると
ソースが無いので現時点では嘘だな。


88. Posted by 以下、ゴールデン名無しがお送りします。 2008年11月10日 02:54

金の魔力は怖いよ;

http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51175874.html

プチエンジェル事件については

ロリータ・デートクラブ 『プチエンジェル』の背後にいたのは?
(『殺人容疑で捜査継続検討 島根の女子大生遺棄事件』へのコメント )
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/541.html

11. 中川隆[-13610] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:03:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか 2011年8月27日

1980年代後半まで、タイ・ヤラワーやスティサンには冷気茶室という売春宿が当たり前にあった。そこには見るからに幼い少女が監禁されている場所だった。今の人たちには信じられないかもしれないが、少女が監禁されていることくらい誰でも知っていた。1990年代のカンボジアにもあちこちの置屋でベトナムから売られてきた少女が雛壇に並んでいた。ベトナム人の売春村もあって、そこにも10歳にもならない少女が売春していた。少女が売春していることくらい誰でも知っていた。


セックスの奴隷

インドネシアのとある売春村ではもっと悲惨だった。少女が売春宿の地下に監禁されていたのである。

まだ知っている。

インド・ムンバイの売春ストリートも少女を水浴び場に監禁しているし、他の売春地帯では鍵のかかった部屋に押し込められていた。警察が来ると、さらに屋根裏の空洞に隠される。

娼婦が売春するための部屋には天然痘にかかってイボだらけの子供が疲れた身体を横たえて苦しんでいる。娼婦が客を取ってくると、子供は追い出される。娼婦と客は、さっきまで病気の子供が寝ていた温かい体温の残ったベッドでビジネスをする。コルカタでは、売春する少女が客を部屋まで連れてくると、エイズに罹って幽鬼のようになった痩せさらばえた母親が金を受け取りにやってくる。売春する娘の隣の部屋でエイズの女性が治療もされずに横たわっている。これがあちこちの売春宿で普通に見る光景であると言えば驚かれるだろうか?

あるいは父親が誰だか分からない子供を産み、その子供を脇に置いたままビジネスをする娼婦もいる。この世の地獄とはまさに売春宿のことを指すのだろう。少女たちは、ただ売春宿が儲けるためだけに生かされている。この恐るべき実態はもちろんユニセフ(国連児童基金)やNGO団体も承知しており、それだからこそ最近は様々な機会で児童売春の深刻な問題を議題に上げるようになってきている。

毎年100万人もの娘たち(少女たち)がセックスの奴隷として売買され、性的搾取されているのはユニセフの報道を読むまでもない。


この国の矛盾はいつか大きな暴力に

この中で、人身売買がもっとも多い国として、インドが挙げられている。インドは世界最大の売春地帯であり、世界最悪の人身売買国家である。東南アジアのどの国よりも劣悪な環境の中で、ネパールなどから売られてきた少女たちが凶暴な売春宿の経営者によって監禁され、虐待され、売春をさせられている。その数が一年間に40万人ということなので、先に挙げた毎年100人の犠牲者の約4割はインドが占めていることになる。

インドはカースト制度の中で国が成り立っている。上位カースト(ブラーミン)は、不可触民(ダリット、アンタッチャブル)の娘たちを面白半分に好きなだけ犯しても罪に問われない。カーストを身分制度というが、私に言わせればそれは間違った訳語であって、正確には「差別制度」である。

インドでは陰でこのようなことが囁かれている。

「不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいない」

なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか。理由を聞くと、あまりの恐ろしさに絶句する。

不可触民の娘なら何をしても警察は相手にしないので、男たちが道を歩いている不可触民の娘たちを好き勝手に集団レイプするからだという。

もちろん、警察は動くことはないし、悪が糾弾されることはない。果敢に訴えた不可触民もいるが、家ごと燃やされて焼き殺されたりして凄惨な末路を迎えている。ほとんどが泣き寝入りになる。ちなみにダリットはよく建物ごと焼き殺される。何もかも燃やしてこの世から消してしまいたいと上位カーストは思っているようだ。


生きたまま燃やされた不可触民の少女
顔は残っているが、身体は炭化している
輪姦されて殺されて焼かれた不可触民の姉妹
レイプされ、縛られ、焼き殺された不可触民の女性

性器から血を流しているので乱暴なレイプだったことが分かる


なぜこんなことになるのか。なぜなら、彼らは不可触民(アンタッチャブル)だからである。人間ではないと思われているのだ。不可触民は不可触民というカーストに属しているのではない。彼らはカーストにも属せないほど穢れている、すなわちカースト外(アウト・オブ・カースト)なのである。

この恐るべき差別の国で、売春宿がどういう実態になっているのかは想像するまでもない。売春宿の女性たちのほとんどが不可触民の女性である。カースト色が薄らいできたというのは、上位カースト(ブラーミン)だけの話である。


あらゆる悪が置き去りにされている

カースト制度はすでに過去のもので法的にも廃止されているはずだし、差別的言動は認められないはずだと言う人もいる。しかし、一週間もインドにいれば、それは単なる理想だったということが分かる。法律は機能していない。売春禁止法がどこの国でもまったく機能しない以上に、カースト廃止も機能していない。地方の村では相変わらずカーストに縛られて人々は暮らしており、それは今後も変革される見込みもない。

インドの人口は10億人を越えており、次世代を担う新興国と世界は持ち上げているが、そのうちの約5億人は貧困の中にある。その貧困が半端なものではない。

世界最大の売春地帯であるインド。神々が棲み、すべてが混沌とし、あらゆる思想と哲学が渦巻くこの国。

あらゆる性の技巧が記された古典「カーマ・スートラ」を生んだ国。

『ラ・マン』を生んだフランスの大作家マルグリット・デュラスの愛した国。

しかし、この国は今でもあらゆる悪が置き去りにされて跳梁跋扈としている。

ひとつ注意しなければならないのは、この国の矛盾はいつか大きな暴力となって国を覆っていくということだ。それこそ国が割れるような騒乱が起きても不思議ではない。一筋縄ではいかない国で、一筋縄ではいかない人たちがひしめき、それで何もかも順調に経済発展が享受できると思ったら大間違いだろう。

この国では何が起きてもおかしくない。
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_5583.html

人身売買から性奴隷まで。売られた赤ん坊が辿る7つの末路 2011年9月30日


子供たちが売られている。世界中のあちこちで当事者が逮捕されているが、実態が明るみになっているとはとても言えない状況だ。すべてが氷山の一角である。

売る側も、買った側も決して口を割らないし、売買の際には身分を隠す。そして、売られている当事者の子供たちは世の中がどうなっているのか分からないから声を上げることもない。人身売買の目的が臓器摘出であれば、子供たちは声を上げる前に死ぬ。


女性・子供の人身売買、中国で4,449件

全世界でそういった人身売買が横行しており、実はそれが増えていきそうだと言われている。

なぜ増えるのか。いくつか理由があるが、もっとも大きな理由は貧困国での人口が増加していることと、格差がさらに広がっていることである。さらに、人身売買業者の国際的ネットワークが密になったことが上げられている。臓器が売れるものだというのは人身売買業者では当たり前の話になっているので、20年も前から臓器売買目的の売買が格段に増えているのである。

現在、もっとも臓器売買の闇マーケットが大きいのは中国である。中国では政府が臓器売買に関与したと思われる法輪功学習者の臓器摘出が2006年に問題視されてアメリカを巻き込んだ騒動になったことがあった。

しかし、その陰で1年間に5,000件以上もの子供の拉致・誘拐・売買も並行して起きている。2005年2月には以下のような記事が新聞にも掲載されていた。


女性・子供の人身売買、中国で昨年4449件摘発

女性や子供の誘拐・人身売買が頻発している中国で、昨年摘発された事件が計4449件に上り、8949人(女性5461人、子供3488人)が保護されたことが明らかになった。国営新華社通信が15日、警察当局者の話として伝えた。

中国では伝統的に農村部などで売買婚の風習があるが、近年は犯罪組織による人身売買の“ビジネス化”と広域化が顕著になっている。

子供の人身売買では、組織は「調達」「移送」「売却」を役割分担し、大規模な人身売買ネットワークを形成。略取の際に睡眠薬や麻酔を使用したり、親を殺害したりするケースもあるほか、移送時に母乳の出る母親役を使って親子を偽装させるなど手口の凶悪化、巧妙化も目立つ。

主な標的は、地方から都市への出稼ぎ労働者(民工)の子供たち。1億人とされる民工ら流動人口のうち、18歳以下は約1982万人。学校に通えない子供が多く、両親が共働きなどのため十分な保護を受けられないのが実情だ。

ここで考えなければならないのは、「摘発されたものが4,449件」だということである。摘発されなかったものはさらに多い。そして、人身売買については、2005年から何ら改善されていない。

子供の誘拐が年間で約1万5,000件も起きていることを見ても分かる。中国は、世界最大の人身売買国家である可能性も高い。世界最大の臓器売買マーケットはどこか。それも中国である。


中国、人身売買で600人逮捕、子ども178人保護
2011年12月08日
中国当局は7日、国内10省で人身売買組織の一斉摘発を行い、608人を逮捕、子ども178人を保護したと発表した。

「人身売買撲滅作戦における過去最大の勝利」と宣言した中国公安省の声明によると、5月に四川(Sichuan)省で、また8月に福建(Fujian)省で異なる人身売買組織の存在情報を得た警察当局が綿密な捜査を進め、11月30日から警察官5000人を動員して大規模な一斉摘発を実施した。保護した子どもたちは現在、福祉施設に預けられているという。


誘拐された子供たちの末路

中国では誘拐は問答無用の死刑だ。しかし、それにも関わらずまったく誘拐事件が減少することがない。

誘拐するということは、子供に需要があるということだが、買った人は子供をどのように「利用」するのだろうか。

世界中を俯瞰して誘拐された子供たちの末路を見ていくと、だいたい以下のような動機に収斂されている。売られた赤ん坊が辿る7つの末路だ。


・物乞いさせて金を稼がせる。
・肉体労働に従事させる。
・犯罪(強盗・窃盗)の手先にさせる。
・売春させる。児童ポルノを作る。
・性奴隷にする。
・臓器を売る。
・子供に恵まれない家庭が育てる。


「物乞い」は中国のみならず途上国では、いまだ珍しいものではない。ヨーロッパでもロマ(ジプシー)の子供たちが物乞いで生計を立てている。インドでもスラムの子供たちを集めて物乞いビジネスに従事させる姿を映画「スラムドッグ・ミリオネア」では映し出していた。障害者はことさら実入りがいいので、目をつぶされた子供もいた。タイ・バンコクで物乞いをしている子供たちはカンボジア人だ。わざとポリオに感染させて障害者にして物乞いさせていたという事件もあった。

これらの子供たちの背後には元締めをしている大人がついていて、子供たちが物乞いで稼いだ金を取り上げる。子供に同情した人々の金はすべて大人が取り上げて遊興費に消えて行くので、子供たちの生活が改善することはない。子供たちは永遠に商売のネタである。

女の子が裸で物乞いさせられていたと有名になった写真

男の子であれば、肉体労働の現場に放り込まれることも多い。危険な炭鉱労働や、鉱物採掘現場や、長時間の工場労働だ。現場で搾取され、現場で死んでも使い捨てにされるのである。中国ではこの種の誘拐が非常に多い。拝金主義が極まった社会では、このようにして人件費を浮かす。金のために、資本家は何でもするのである。黒社会(暴力団)は、そんな子供たちをスリや窃盗で使うケースも多い。強盗団・スリ団が中国には横行しているが、そんな子供たちの出身は、みんな拉致された子供たちなのである。


セックス・スレイブの供給先

女の子であれば、売春を強要したりセックス・スレイブ(性奴隷)にするケースもある。ネパールの女の子が誘拐された場合、そのほとんどが売春絡みである。インドの売春地帯はどこでもネパールから来た売春女性でいっぱいだ。デリーでも、ムンバイでも、コルカタでも事情は変わらない。コルカタの荒んだ売春地帯で精神を病んだ女性の姿がいまだに私の目に焼き付いている。

精神を病んでも売春させられているのである。

中国では映画「盲山」が、結果的に性奴隷のようにされた女性を描いていた。

最近ではハイチの孤児(みなしご)が国外に出されて、ベネズエラや欧米の金持ちが性奴隷として手に入れたと言われている。ハイチやグァテマラの女の子は昔からセックス・スレイブの供給先として知る人ぞ知るメッカである。

また、この地でもやはりお馴染みの臓器売買のニュースが聞こえてきている。もし、仮に子供たちが臓器売買の対象になったらどうなるのか。子供たちは生きたまま臓器を取られることになる。

肺、心臓、腎臓、肝臓、脾臓、小腸、角膜。あらゆる臓器が売買の対象になる。そして、金を持った子供が生き残り、売られた子供たちは闇から闇へと処分される。


ナイジェリアの赤ちゃん製造工場

最近、ナイジェリアでは「赤ちゃん工場」が摘発されたのがニュースになっている。

人身売買「出産工場」を摘発=妊娠した少女32人保護

ナイジェリア南部アバで、人身売買用の子供を産ませるため10代の少女らが閉じ込められていた 施設が摘発された。同国警察が1日、発表した。 警察は
「15〜17歳の少女らが出産させられようとしているとの情報が寄せられ、3日前に摘発に踏み切った」

と発表。 少女32人を保護したという。 少女らの証言によると、赤ん坊は1人3万ナイラ(約1万5000円)程度で買い取られていた。当局によれば、その後、 30万〜100万ナイラ(約15万〜50万円)で売られる。 

赤ん坊の末路はやはり臓器売買や売春や強制労働になるのだろうが、ナイジェリアでは別の要因があるようだ。子供のいない女性は「呪われている」と世間に思われるので、妊娠できなかった女性たちが子供を欲しがるのだという。だから、産婦人科が子供売りのビジネスをしているのである。

もうひとつ、見逃せないのは呪術用の「生贄」としての利用だ。子供を殺して悪魔や神に捧げる儀式がナイジェリアのみならずアフリカの各地に残っている。

宗教が子供たちを殺す。逮捕された呪術師の裏庭には赤ん坊の骨でいっぱいだったという記事もあった。信じられないが、これも現実だ。

アフリカでは子供兵士の存在も大きな問題になっているが、ここでも「商品」としての子供たちの需要がある。

子供兵士。背後にいる大人が操り、子供を消耗品として使う。
呪術用に、強制労働に、売春用に、兵士用に。

悪夢のような環境が子供たちを取り巻いていて、赤ちゃん工場までできて売られていく。需要があって、供給されている。高く売れるから、人さらいする。

赤ん坊は資本主義社会では金に換算できる仕組みになっている。赤ん坊は「商品」になった。資本主義は行き着くところまで行っているのかもしれない。人口増加と貧困増大が拡散していけば、このおぞましいビジネスはさらに拡散していく。
http://www.bllackz.com/2011/09/blog-post_30.html

人身売買が驚くほど広範囲で広がっている。フィリピンの子供で言えば、もうずっと前から中東に売り飛ばされて性奴隷にされていることが確認されている。フィリピンと中東の結びつきは非常に深いものがあって、中東にはフィリピン女性の多くがメイドとして中東に「輸出」されている。

アラブ一帯では昔から大勢の女性をひとりの男が独占するハーレムの様式とは別に、ひとりの女性を一家の男たち(祖父、父親、そしてその息子たち全員)が「共有」するのに抵抗がない裏事情がある。

メイドでやってきたフィリピン女性が、父親にレイプされたあと、日を置いて息子たちにも次々とレイプされ、最後には11歳だか12歳の男の子の性処理までさせられたという話も「ごく普通に」あって驚く。

上半身裸でメイドの仕事をさせられて最後には虐待死した女性もいるし、レイプされそうになったメイドが主人を殺して正当防衛が成立せずに死刑になりかけた事件もあった。

多くのフィリピン女性がレイプや性的嫌がらせ、そして虐待に耐えかねてNGOのシェルターに逃げ込んでいるのだが、表沙汰になるのは氷山の一角である。そうやってフィリピン女性は犯罪の犠牲者にされているのだが、「味をしめた」中東の男たちにとっては、こういう発想を持つ男も出てくる。

「メイドではなく、フィリピンの幼い女の子を金で買って、永遠にセックスの奴隷にしてしまえばいい」

需要があれば供給があるのは裏世界でも同じで、そこで両国の人身売買業者がせっせと性奴隷にするフィリピンの幼女をアラブに送り込むことになる。

用済みになったら(あるいは虐待死してしまったら)、どうするのか。アラブでは特に慌てることもないようだ。そこには広大な砂漠が広がっている。
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html

若い女性が金持ちの家にメイドで雇われて、性的被害に遭う話は、それこそ膨大にある。

ある女性が中東にメイドで雇われたが、仕事は老人の性介護(セックスの相手)であり、そのうちその家の息子たち全員の性の玩具にされてしまったという凄惨な話があった。

中東の出稼ぎはフィリピン人も多いが、やはりホスト・ファミリーにレイプされたり、性的ないやがらせを受けたり、虐待されたりしている。

ブラジャーだけやトップレスで掃除することを強要されたり、レイプされそうになって雇い主を刺殺したら、正当防衛に関わらず死刑の判決が下ってフィリピン全土が大騒ぎになったりした。

マレーシアでもインドネシアの女性が凄まじい虐待を受けた例もある。

インドネシアと言えば、最近はサウジアラビアで起きた事件でメイドとしてサウジに働きにいくことを禁止するほどの大事件が起きているのはご存知だと思う。雇い主に追いつめられたインドネシア人のメイドが雇い主のサウジアラビア人を殺したのだが、政府は彼女に死刑を宣告し、インドネシア政府に何も知らせないまま断首刑を執行した事件である。
http://www.bllackz.com/2009/12/blog-post_26.html

虐待されたメイド。顔面もズタズタに切り裂かれて死んでいく 2012-10-20

フィリピン・マニラで出会った女性ジーナは、中東でメイドをしていたという話を書いた。(ジーナ(1)中東に出稼ぎに行き、メイドをしていたジーナ)
フィリピン女性の数多くがメイドとして中東に派遣されているが、悲惨な目に遭っている女性も多い。 メイドというのは、「金を払って雇う奴隷」も同然の存在であり、そんな扱いを受けている。

メイドは危険な職業だ。他人の家の片隅で目立たないように働き、「片付けろ、洗え、準備しろ」と山のように用事を押しつけられる。心ない雇い主に当たると、罵倒され、小言を言われ、それに絶対的に服従しなければならない。時には虐待されたり、セクハラされたり、レイプされたり、そんな事件が枚挙に暇がない。特に、中東(サウジアラビア・ドバイ・アブダビ・アラブ首長国連邦)で働くメイドは、毎年のように深刻な虐待・レイプ事件に巻き込まれており、しかもその被害が尋常ではない。

最近では、カダフィ大佐の息子ハンニバルのところで働いていたメイドが、ハンニバルの妻アリーネに熱湯を浴びせられるような虐待を受けていたのがCNNやBBSで紹介されていた。火傷の痕が、彼女の顔や身体に刻み込まれていたのを覚えている人もいるかもしれない。(カダフィ大佐の息子ハンニバルとその妻アリーネの退廃生活)自分の身に起きた虐待を振り返って、彼女は自嘲するようにメイドの仕事の本質を語っていた。

「イヌの方がマシだった」

メイドよりも、その家のペットのイヌの方が大事にされる。メイドは単なる奴隷か、それ以下の存在でしかない。アラブ圏に派遣されたフィリピンやインドネシアの女性たちの中にも、イヌ以下の扱いをされている女性がいることが知られている。


ブラジャーとパンティーだけで仕事をさせられる、
裸で仕事をさせられる、
熱湯を浴びせられる、
身体に釘を打ち込まれる、
父親と息子数人の全員の性処理をさせられる、
レイプされる……。


そんな悲惨なケースが次から次へと報告されているのである。

何が起きているのかは、下記のリンクに書かれている内容をよく読んで欲しい。


・ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html

・経済破綻・貧困・戦争がやってきたとき、女たちの人権はない
http://www.bllackz.com/2009/12/blog-post_26.html

・「誘拐してセックスの奴隷にする」人身売買の世界のこと
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html

ズタズタに切り刻まれたフィリピン人のメイド

現在、アラブ圏でメイドの仕事に就いているのは、フィリピン女性と、インドネシア女性が主となっている。そして、この両国の女性は、多くがアラブ圏の想像を絶するバイオレンスの被害に遭って、しばしば抗議デモが起きているのである。

最近も、非常に残虐な事件があった。2012年8月のことだ。メイドをしていたあるフィリピン女性が病院に運び込まれた。その姿は凄惨極まるものだった。顔面は執拗に殴られて鼻が潰れ、しかも身体中を長刀でズタズタに切り刻まれていたのだった。そのひとつひとつの傷は深く、すべてが致命的なものだった。顔面も10ヶ所以上も切られており、ひとつひとつの傷は驚くほど深い。写真を見ると、その凄絶な暴力に息を飲む。それでも彼女は生きていたのだが、3日後には病院で昏睡したまま死亡した。

異常な事件が起きているわけではない。アラブ圏では言うことを聞かないメイドを罵ったり、棒やムチで殴ったりするのは、「しつけ」のうちで、それでも言うことを聞かないとメイドを殺すこともある。メイド虐殺は「よくある事件」であり、この残虐な事件も氷山の一角でしかない。

男尊女卑の空気が充満する異国の地で、どこかの家庭に配属され、罵倒されても殴られても孤立無援で、助けてくれる人はどこにもいない。そんな中で1年も2年も働く。それが、どんなに恐ろしいことなのか想像できるだろうか。そして、それが分かっていても、そのような仕事をするしか生きていけない社会があることが想像できるだろうか。これがメイドの現実であり、女性を取り巻く現実でもある。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121020T2120560900.html

インドのムンバイとコルコタ(カルカッタ)は、インドで有数の売春地帯を抱える地区だが、ここで廃人のようになっている女性の多くがネパールから来た女性だった。性奴隷、と彼女たちは呼ばれている

どの女性も非常に荒んでおり、喘息やHIVに侵され、皮膚はボロボロになっている。BBCが報道した内容で、インドからネパールに戻っていく女性たちの38パーセントはエイズに罹っていたという内容もあった。

ちなみに、14歳以下の少女であればエイズ感染率が60パーセントに跳ね上がる。
なぜなのか。それは一時インドで、エイズに罹ったら若い処女を抱けば治るというシャーマニズム治療が信じられて、ネパールの少女が買い漁られた結果でもある。そうでなくても、インドでは白い肌の女性は魅力的だと思われているので、モンゴロイド系のネパーリーは売春地帯でもよく売れている。それだけエイズ感染率が上がってしまうのだろう。

真夜中に売春地帯を歩いて見ると分かるが、彼女たちの目つきは凶悪で邪見で道行く男たちに親近感などまったく持っていない。憎しみの気持ちがその目つきや威嚇の態度で読み取れる。彼女たちは売春ビジネスを自ら行っているわけではなく強制されているのだから、やって来る男たちに愛着を持つはずもない。

NPO団体は彼女たちの境遇を「性奴隷(セックス・スレイブ)」と呼んでいる。ムンバイの売春婦の25パーセントはネパーリーだという報告もある。CNNが取材したあるネパーリーは、9歳のときに一日60人の男を相手にしたということだった。このような未成年のネパーリーはインド圏の売春地帯ではどこでも見る。

ムンバイのフォークランド・ストリート(売春ストリート)でも売春宿に匿われていた少女がいる。この通りの端には交番のようなものがあって、警察官が定期的に見回りをする。警察官の姿が見えると彼女たちは売春宿の管理者に天井裏に押し込められるのだった。ずっと表に出してもらえない少女も多い。

あと、この界隈の売春宿はほとんどが突き当たり奥が浴室(というよりも単なる水が使える空間)になっているのだが、電気もない暗い一室に押し込められている少女もいた。一度私は何も知らずにドアを開け、水場の暗闇の隅でひとりの少女が佇んでいるのを見て驚いたこともあった。

ムンバイやコルコタの売春地帯にいる女性のほとんどがプロのブローカーによって人身売買されたか、誘拐(キッドナップ)の被害であると言われている。ネパールでは人身売買のブローカーたちが暗躍していて、若い女性が次から次へと売り飛ばされている現状がある。地理的に見ると、ネパールからは、インドのニューデリーがもっとも近いが、彼女たちの多くはボンベイに供給される。それはボンベイがインドでも最悪の売春地帯が存在しているというだけではなく、ネパールから距離的にも遠いことが人身売買には都合が良いのである。

どこの国でもそうだが、売買や誘拐された女性は、逃亡の気持ちを失わさせるために、彼女たちが暮らしていた国や場所から遠ざけられる。遠ければ遠いほどいい。ネパールではヒンディー語を解せない女性も多いから、インドという異国に連れて行かれると、もはや為す術もない。コミュニティを断ち切り、距離的にも遠いところに隔離すればするほど女性たちを絶望に追いやり、あきらめさせることが容易になる。


横行する人身売買業者

人身売買のブローカーは私も会ったことがある。そのひとりは平気で女性に暴言を吐き、殴り、私にも「日本の女を連れてきたら買う」と言うような男だった。このような男は見るからに悪人であり、ある意味で危険を避けられる。

問題は別の種類の男だ。仮面をかぶることに長けている演技派の人間が恐ろしい。彼らは、そのビジネスをしている人間のわりには非常に「誠実」に見える。にこやかな笑みを絶やさず、こちらの目をしっかり見つめて話をする。コルコタでそのような男と会ったことがある。もし彼と別の場所で会ったら、彼がそんなビジネスをしていると知っても信じられなかっただろう。彼のような人身売買ブローカーは、清潔な服装を心がけ、誠実に振る舞い、貧しい村の女性と自然に恋に落ちた振りをして、両親と会って結婚式を挙げさえする。しかし、すべてが偽りだ。やがて、新婚旅行と偽ってムンバイやコルコタに連れて行き、結婚したばかりの自分の「妻」を売り飛ばす。

2010年11月、西ベンガル州で女性を売春地帯に売り飛ばす仕事をしていた27歳の男が逮捕された。この男は貧しい女性に近づいては結婚して女性を新婚旅行か何かに連れて行くのだが、その行き先がインドの売春宿だった。5年間で60人もの女性を売春宿に売り飛ばしていたという。このような男がインドには何千人もいて、しかも手口やテクニックが男たちに継承されている。人身売買の歴史もある。社会がそのシステムを組み込んでいる。警察も売春宿の経営者も全員がグルになっているので、女たちは逃げようがない。

インド・ネパール・バングラデシュの広大な大地で、貧困を背景にした壮大な人身売買の横行が、まったく是正されないまま今日に至っている。
http://www.bllackz.com/2010/01/blog-post_25.html

12. 中川隆[-13609] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:04:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

フロイト心理学で過誤記憶だとされていた近親相姦の話は実際はすべて事実だった


57名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:52:17.05ID:EpCSS8fn0

実際に自分の娘を強姦しちゃう白人どもがなんか言ってる


66名無しさん@1周年2017/07/06(木) 20:53:43.50ID:bmZ24Mis0

ガイジンって自分の娘とお風呂に入っても欲情しちゃうから禁止してんだろw
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1499340913/


▲△▽▼


過誤記憶

精神分析の創成期にフロイトは、ヒステリー患者の心的現実(mental reality)に着目したが、やがて近親姦の記憶などを訴えるクライエントが彼の予想をはるかに上回って増えてきたために、「こんなに近親姦が多いわけがない」とフロイトの中で理論の撤退が起こり、かつて彼が心的現実と呼んだものは幻想(fantasy)へと変化していった。

このプロセスと似たようなことが、1980年代以降のアメリカにおいて繰り返される。

家庭内暴力や近親姦の被害を訴えるクライエントたちに、一部のカウンセラーがアミタールなどの催眠系薬物を使用する催眠療法である回復記憶療法(RMT:Recovered Memory Therapy)を用いて、無意識の中から抑圧された記憶(Repressed Memory)を引き出し、意識の上に回復された記憶(Recovered Memory)として置きなおすことによって諸症状を治療しようと試みた。

1988年、エレン・バスとローラ・デイビスの共著『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)のなかで、女性の原因不明の鬱は幼少期に受けた性的虐待の記憶を抑圧しているからである可能性が高いから、虐待されたと感じているなら虐待されていると主張するべきである、ということが述べられた。

これが発端となって、アメリカでは多くの女性クライエントが、引き出された記憶をもとに、加害者である家族(近親姦をおこなった父など)を被告に相手どって法廷闘争をくりひろげるようになる。

『Trauma and Recovery』(邦題『心的外傷と回復』)の著者として名高い精神科医ジュディス・ハーマン(Judith Herman)なども原告側の立場に立ったが、司法の場は彼女たちに冷たいとあるていど予見していた。

これに対して被告側の弁護に立った認知心理学者エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)が、「ショッピングモールの迷子」という実験をおこない、クライエントの訴える近親姦の記憶は、セラピストやカウンセラーが捏造した事件をクライエントに植え込んだものであると主張し、原告たちの一連の訴えを偽記憶症候群(にせきおくしょうこうぐん:FMS:False Memory Syndrome)と名づけた。

また、虐待加害者として訴えられた親たちも、このロフタスと連動して、症候群の名前に基づいて1992年、偽記憶症候群財団(FMSF:False Memory Syndrome Foundation)を設立し、財源的にも裁判を有利に闘っていく体勢をととのえた。


ロフタスの実験

実験「ショッピングモールの迷子」とは、家族から聞いたほんとうのエピソード3つに、ショッピングモールで迷子になったという虚偽のエピソードを1つ加えて、被験者がその4つともほんとうの話だと思い込むようになるかどうかを試すものである。

その結果、被験者の4分の1が、植え込まれた記憶もほんとうの自分の体験だと思い込んでいることを示した。

しかも、偽りであるはずの記憶は非常に詳細であり、のちにこれが偽りであった事を知らされた被験者たちは皆驚いたという。

この実験に基づいて、家族という密室で起こった虐待などの犯罪を、司法の場で追及しようとした原告たちは敗訴し、原告たちから抑圧された記憶を引き出したセラピストやカウンセラーは莫大な賠償金を払わされることになった。

また、これによって回復記憶療法も用いられなくなり、2000年までに完全に行なわれなくなってしまった。


現在の評価

法廷での実験のように、治療者がクライエントに捏造した事件を過去の外傷として植え込むことはできないとしても、クライエントが診察室で語ることすべてが、物証主義的観点から事実であるかといえば、そうではない。

限りある診察時間で治療者の理解を得ようとするあまり、自らが受けた被害を象徴化したり、簡略化したり、ときには拡大・誇張して述べることはあるであろう。
また、語っているうちに事件の脈絡を変えて、自分を気の毒な被害者として扱ってもらおうと努力することもあるであろう。

稀なケースとして、健忘(amnesia)の対極にある過剰記憶(hypermnesia)や作話(confabulation)が起こる場合もある。

しかし、これらは何ら、クライエントが過去に受けた外傷を「否定」するものではない。

むしろ、なぜ記憶の叙述に関して、そのクライエントがわざわざ労力を使って、それら誇張や作話を行なっているのかに、臨床的な関心は向けられるべきであるとされる。

もっとも、誇張や作話が行なわれるときには、クライエントの意識状態の変化や、神経系統の随伴症状が伴うので、臨床家がそれを見逃すことは現実的にあまりないが、それでもなお事実関係の審理は司法の仕事であって、臨床家は叙述の真偽を見極めるのが仕事ではない。

以上のような現在の評価がありながらも、前述したように回復記憶療法は停止されている。

外傷性のある出来事による記憶障害は精神障害の診断と統計の手引きのPTSDの診断マニュアルでは確認されるが、FMSのような症状は認められていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E8%AA%A4%E8%A8%98%E6%86%B6


▲△▽▼


今も生きるフロイトの影響


今も、アメリカには40位の精神分析医を養成する機関があるが、それ以外の一般社会では、フロイトは科学と言うより文学の人物として取り扱われている。

去年、ニューズウィークはある特集で、ダーウィンは今でも科学的妥当性を保っているのに対して、フロイトとカール・マルクスはその世紀は終わったと述べた。

フロイトの評価が最低にまで落ち込んだのは、多分1990年代の始めではないであろうか。

その当時、女性はテレビのトークショーに出て、子供時分に受けた性的虐待をしゃべったものだ。

子供時分の性的虐待とは、フロイト的手法により無意識から探り当てたものであったが、これがフロイトを窮地に陥れた。

このような場合、彼は何時も両方の立場支持するような言い方をする。

性的虐待をしたと非難を受けた親や兄弟の側に立つ人達は、フロイトが抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になると言う、デタラメな理論を打ち立てたからとフロイトを非難した。

一方、性的虐待を受けた人達の側は、フロイトが臆病にも社会の圧力に負けて、幼児期の性的虐待の記憶は単なる子供時代の空想であると前言を翻したと非難した。

「フロイト派の精神分析医に女性を送るのはナチにユダヤ人を手渡すのとあまり違わない」

とグロリア・シュタイネム氏が当時言っていた。

フロイトの評価は未だ少しも改善していない。

抑圧された記憶をめぐる論争の結果、何十年も封印さえていたアメリカ議会図書館の中にある膨大なフロイトに関する文献が、専門家に公開された。

それにより、フロイトの嘘を裏付ける文献が次第に出てきている。

彼がしたとされる治療例の殆どが、希望的観測と意識的作り話の所産であり、彼の理論は循環論法の汚水溜めの上に成り立っているのが証明されつつあるのだ。

フロイトの理論を裏付ける為の、脳スキャンを含む各種の科学実験は、未だ始まったばかりであり、結果は出ていない。

「残念ながらフロイトが言った事は全て嘘であった。

こんな事を言うと裏切りになるが、エディプスコンプレックスからペニス願望、幼児期のセックス等、全てが間違っていた」

とフロイトの伝記を執筆しているピーター・クレイマー氏は言う。

一体どれほどの嘘曝露にフロイトは持ちこたえるであろうか。

シカゴ大学のジョナサン・リア−は、フロイト理論の中心コンセプトである、人間は基本的に葛藤していると言う考えが今の社会にも影響力を持っていると指摘する。

この葛藤は、欲望やら本能から出で来るものだから、水面下に隠されている。

欲望が親とのセックスを意味しているとは考えたく無いであろう。

何故なら我々はそんな欲望を認めるわけには行かないからである。

精神分析とは、この葛藤が何か別のシンボルの形を取って出現してきた時にそれを指摘して、解消するのが仕事であるとリアーは言う。

現在、精神分析用語は脳科学専門用語に取って代わられている。

例えば、エンドルフィンと言えば沈静を意味し、性急な人を”frontal”と呼ぶが如くで、ちなみにfrontalとは前頭前野皮質を意味し、衝動を抑える重要な脳の部分である。
http://saito-therapy.org/new_finding/freud_inour_midst.htm


精神分析は死んだ


恐らく歴史上の著名人でフロイトほど自分の言った事が全て誤りであった人物はいないであろう。 

フロイトファンにとっては1990年代は最も屈辱的な時代であった。

タイム誌はその表紙で「フロイトは死んだか」と大見出しを掲げた。

以前精神分析の本拠地であった”ニューヨーク書評”でさえフロイトを単なる思想家と酷評した。

1990年代はフロイト戦争の時代であり、精神分析運動の終焉でもあった。

2000年はどうなったか。

2000年はフロイトの”夢分析”が出版されてから100周年にあたり、フロイト派の人には勝利の年になるはずであったが、事実は祝賀どころか敗北であり葬式となった。

だから精神分析は21世紀になる前に終わっていたのであり、このタイム誌の問いかけに対する答えは

「そう、精神分析は実際に死んだ」

なのである。

知識人の中に莫大なお金と時間を使い、エゴ追求に身を費やした人が沢山いた。

これだけの努力を費やすと、おいそれと精神分析から身を引けない。

何故なら彼らは精神分析やその本の出版で名声を得ているからである。

今までに精神分析関連の膨大な書籍が出版され批評、論評、レクチャーも行われた。

しかしどれ一つとしてフロイトの限界を指摘したものは無い。

もちろんフロイト支持者も精神分析を止める気持ちは毛頭無いから、フロイト産業はそのまま生存し続けた。

フロイトは彼独特の世界にいる。

恐らく歴史の中で彼ほど自分の言った事の全てが間違っていたのは彼を置いていないはずである。

彼に幸いであったのは、精神分析の専門家が今もってフロイトの間違いを取り繕おうとしている事である。

しかし門外漢である一般読者は既にフロイトの築き上げた壮大な嘘に驚愕しているのだ。

フロイトの間違いの中で、20世紀中には分らなかったが21世紀には発見できるのは何であろうか。

フロイトは明らかに事実をでっちあげている。

例えば彼のコカイン使用を擁護する態度とその変遷や、患者アンナOに関する日和見主義的意見、誘惑理論に関する考え方の急変、彼の患者について語る時に毎回言っている事が変わる事実等、枚挙にいとまが無い。

例えばフロイトの患者の1人である狼男ことセルギウス・パンケジェフを調べると良い。

フロイトは彼を治したことにしているが、実際は彼はその後も60年間、精神分析を繰り返している。

当然ながらパンケジェフはフロイトに人生を駄目にさせられたと言っている。


又、フロイトは”暗示”を頻繁に言うがその割には暗示を真剣に扱って無い。

それ故に彼の臨床の報告の信憑世が怪しくなり、結果的に彼の理論を疑わしいものにした。

1890年の時点で既にこの”暗示”が多くの人に疑われていた。

暗示とは彼にとって都合の良い言葉であるが、暗示を受けるのはその体質的傾向がある人だけであり、彼の考えはおかしい。

このような疑いが既に存在していたにも関わらず、フロイトの言葉巧みな否定とその後の彼の名声の前に埋もれてしまった。

そして今、我々はもう一度出発点に戻った。

もう我々は過去の記憶だとか自由連想などを信用しない。大体こんなものは心理分析医と患者の馴れ合いの合作なのである。

そしてもう一つ、無意識理論がある。

無意識はフロイト全盛期には頻繁に使われた言葉でありフロイトが発見した事になっているが、これは嘘だ。

彼を溯る事かなり前に無意識が既に語られている。

キリスト教徒に乗り移った悪魔、分裂を引き起こす催眠術、18〜19世紀の二重、三重人格者、ビクトリア時代の文学作品に取り入れられた「二重」テーマ、今日ではくだらないハリウッドの映画の筋書きにあるいは心理療法にと皆無意識が取り上げられている。

この一連の流れを見ると、精神分析の霊媒(この場合は牧師、分析家、あるいは怪しい医者)が無意識を調べて心の暗い秘密の部分に到達できると主張しているのが分る。

そうだろう、貴重な代価を払えば我々の心の悪魔を追い出してくれるかも知れない。

しかし精神分析による治癒なんて言うものは悪魔払いの祈祷と大して違わなく、無意識世界と言う不確かな実体を信じ込む作業に過ぎない。

信じるの信じないのと言う議論になると、それは又暗示の世界に戻る。

現在での暗示効果は医療で良く使うプラセボ(偽薬)でありそれ以上のものでは無い。

しかし精神分析はカルトのようなものだから、人間の被暗示性を治療の為に利用するべきと強く我々に迫る。

カール・クラウスが随分前に述べているように、精神分析とは心の病を治すと言いながら、実際はそれ自身が毒になっている。

言わば欧米の魂を女性の男性器願望、エディプスコンプレックス、死の衝動等で汚染したのは精神分析そのものなのである。

このような精神分析流の考え方は何処かにあったものでは無いし、世界で何処にも存在しない。

正にフロイトの創作であった。
http://saito-therapy.org/new_finding/psychoanalysis_dead.htm

13. 中川隆[-13608] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:05:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

サイレント時代の伝説の名女優リリアン・ギッシュは何故結婚しなかったのか?
リリアン・ギッシュを育てた映画監督グリフィスはロリコンの権化だった


そこで、以下 リリアン・ギッシュの人生と出演作を年代順に追ってみる事にします:


リリアン・ギッシュ Lillian Gish

■生年月日 : 1893/10/14
■出身地 : アメリカ/オハイオ州スプリングフィールド
■没年 : 1993/02/27


■アメリカ映画史を語る上で、絶対に欠かせない、惹き込まれるような美しい瞳を持った大女優。本名はLillian Diana de Guiche。母は元女優でドロシー・ギッシュは妹。5歳から母妹と共に舞台にたつ。

12年の時に友人であったメアリー・ピックフォードの紹介でデイヴィッド・W・グリフィスと知り合い、その日の内にカメラ・テストを受けて母妹といっしょに映画デビューする。当時からグリフィスに可愛がられ、悲劇のヒロインとして多くの作品で共作した。

妹との仲の良さも有名で、20年には彼女のために「亭主改造」を監督もした。22年にグリフィスと別れ、25年にMGMと契約。「ラ・ボエーム」や「真紅の文字」で特筆すべき演技を見せた。

しかし時代は肉体的魅力を持つ女優がもてはやされるようになり、次第に作品数が減っていくのだった。30年代からはブロードウェイに新境地を得て『椿姫』や『ハムレット』に出演。映画の方は脇役として幾つかの作品に出演を続けていく。70年アカデミー名誉賞受賞。87年には「八月の鯨」でベティ・デイヴィスと共演して話題を呼んだ。93年心不全で死亡。ロマンスの噂もなく、生涯独身だった。

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=41252

リリアン・ギッシュ自伝    ──映画とグリフィスと私──


幼年時代―旅の始まり
グリフィスとの出会い
映画監督グリフィス
舞台と映画と
映画女優としての出発―バイオグラフ社時代
『国民の創生』
『イントレランス』
『嵐の孤児』そしてグリフィスからの独立
人生の悪夢―デュエルとの法延闘争
本格的舞台女優として[ほか]


                     
 アステアが死に、ガルポが死んだ。そして映画の創生期から今なお大女優として現役でいる奇跡的な存在、1896年生まれのリリアン・ギッシュが天に召される時、一つの神話的時代が完結するだろう。

 クローズ・アップ、フラッシュ・バック、クロス・カット等々、「映画を発明した」と言われる巨人グリフィスは数々の映画的技法を編み出した。それは知識としては知っていたが、近年『イントレランス』をこの目で見るまでこれらの技術があんなにシンプルで効果的なものだとは思いもよらないことだった。

逆光を撮るため反射板を使ったのも彼が最初だが、逆光のなかに浮かび上がる “類い稀な天上的美貌”のリリアン・ギッシュほど美しいショットは他に見たことがない。

 16歳の時から「グリフィス組」の一員となったギッシュは映画的な演技と動きをグリフィスに叩き込まれ、やがて数々のヒロインを演じながら企画から編集まで映画制作のすべてに関わった。69年に書かれたこの本は普通の自伝とはまったく違う。副題がすぺてを示すように、ギッシュは自身のことを語るより、グリフィスの最も身近にいた者、グリフィスを最も理解する者、そしてグリフィスと同じくらい映画を愛し打ち込んだ者として証言することを第一に望んだ。宝石のように貴重なこの記録を貫くギッシュの魂の清らかさ、人格の高潔さといったらグリフィス映画のヒロインそのもので──やはり天上的である。

http://www8.plala.or.jp/milk_honey/LILIAN%20GISH.htm


リリアン・ギッシュ自伝


リリアン・ギッシュは映画の創世記から映画女優としての活動を始めた人ですが、まだ映画とは縁が無く、子役として旅一座の女優だった頃から、メアリー・ピックフォードとは親友だったんですね。エピソードの多くは、『映画の父』D・W・グリフィスと共に『国民の創生』『イントレランス』『散り行く花』等数々の映画史上の残る傑作を生み出していた時期のものですが、印象深いのは、グリフィスがイントレランスの失敗から多額の借金を抱えてしまった為に、小さいプロダクションを抜けて、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)という巨大組織の専属監督になってからの話です。

ある程度自分のやりたいことをやれた以前とは違い、MGMの上層部から毎回厳しい脚本、編集のチェックを受け、自分の望まない形で作品を送り出し続けなければならなくなり、興行的に失敗を重ね、遂には仕事が全く無くなってしまいます。

それでもリリアンが心配してグリフィスに電話を掛けると、彼は「やあ、今ちょうど次に撮る作品の構想を練っていたところだ」などと見栄を張ってしまう。次回作を作る為の金などもうどこからも出ないのに。結局彼は失意のまま脳卒中で亡くなってしまいますが、多額の借金しか残しませんでした。

リリアン・ギッシュの自伝というよりもグリフィスの伝記を読んでいるかの様な構成になっています。事実、グリフィスは生前自伝を書く準備をしており、それは結局完成せず出版されずに終わったのですが、そのためにグリフィスが残していた資料も参考にしながらこの自伝は書かれているそうです。

リリアンの主張は

『MGMがグリフィスを駄目にした』

『MGMはグリフィスに仕事を与えようとすれば出来たのにそれをせず見捨てた』

『グリフィスは余りにも大きな名声を得ていたので、彼にいい仕事を与えたら他の監督の仕事を奪ってしまうからそれを恐れてグリフィスを干した』


など、MGMに対する辛辣なものが目立ちます。 だからMGMのメモリアル映画『ザッツ・エンターテインメント』にリリアンが全く登場しなかったのかという気がします。そう考えればグレタ・ガルボやマルクス兄弟まで出てるのにリリアンが全く登場しなかったことにも納得がいきます(グリフィスと結構似たような境遇のバスター・キートンは一瞬だけ出ている)。

映画の創世記から映画に深く関わってきたリリアンにとって、MGMの近代化された撮影システムは気に入らなかったようです。監督、脚本、編集、撮影、大道具、衣装、メイク…それぞれの分野の専門家が何人もいて、それぞれ自分の仕事以外は何もしなくていい、自分のテリトリー以外のことには全く興味をもつ必要も無い。まるで工業製品の様に映画が作られて行くのに疑問を感じています。

グリフィスと作品を撮っていた頃は大道具や小道具は自分で運んだし、メイクを人からしてもらったことなどなかった。カメラマンがイコール監督だった頃もあった。特にすごいのは『東への道』という映画で、流氷の上で気絶したまま川を流されるというシーンを撮影した時、川に張った氷を爆薬で壊してそれを流し、その上に実際に寝て撮影をした(勿論当時スタントマンなんていう発想は無かったのでリリアン本人が)のですが、極寒の中での撮影だった為にスタッフの数名が肺炎にかかって死んでしまったと言う話。

リリアンは外見によらず体が丈夫で、93歳で最期の映画主演をした後、99歳で亡くなりました。

http://blog.livedoor.jp/teretoumiro/archives/1008014.html

 1912年、メアリー・ピックフォードの旅回り劇団時代の友人が、彼女を映画の中に発見し、メアリーを訪ねてニューヨークへやって来た。その友人の名はリリアン・ギッシュ(1893〜1993)であった。彼女は5歳年下の妹ドロシー(1898〜1968)を連れていた。二人はすぐさまグリフィスに紹介され、映画界に入る。おしとやかなリリアンと、快活なドロシー。最初グリフィスは二人の区別がつかず、リリアンに青の、ドロシーに赤のリボンを着けさせたという。

 姉リリアンは「国民の創世」(1915年)でヒロインを演じ、続く「イントレランス」(1916年)では揺りかごを揺らす女という、各エピソードをつなぐ重要な役柄を演じている。その後も「散り行く花」(1919年)、「東への道」(1920年)、「嵐の孤児」(1921年)などでヒロインを演じ、グリフィスの全盛期を支えた。

これらの作品で彼女が演じたのはいずれも運命に翻弄される薄幸の娘。中でも父親に虐待しされ、無理に笑顔を作って死んでゆく12歳の孤独の少女を演じた「散り行く花」や、男に騙され未婚の母となり、吹雪の中をさまよう娘を演じた「東への道」などがとりわけ印象的である。

 グリフィスと別れてからも、彼女は同じような役柄を演じることが多かった。「真紅の文字」(1926年)では、不義の子を産んだために迫害を受けながらも、相手の男のためにそれを隠し通す針子を、「ラ・ボエーム」(1926年)では芸術家と恋に落ちるが彼の成功のために病気を押して身を隠す娘を演じている。

ここまで不幸な姿を見せつけられると、何だか彼女自身が不幸な星の下に生まれてきたかのような錯覚を起こしてしまう。

 一方、妹ドロシーはと言うと、明るくコミカルなキャラクターでコメディ映画で才能を発揮したとのことであるが、彼女のことはもっぱら姉リリアンと共演したグリフィス映画でしか知らない。

姉妹の競演作としてはまず、オムニバス映画「ホーム・スイート・ホーム」(1913年)の第1話がある。ドロシーが姉、リリアンが妹を演じている。とは言うものの、この映画でのヒロインはリリアンのほうで、ドロシーはあまり印象に残らない。一方、最も著名な共演作は「嵐の孤児」(1921年)であろうか。ここではドロシーが盲目の娘を、リリアンが彼女を支える姉を演じている。彼女らの演じた役はどちらも薄幸の娘。どちらも姉リリアンが演じるのがふさわしいような人物で、二人のキャラクターがダブってしまっている。そこで、僕は第一次世界大戦の参戦プロパガンダ映画「世界の心」(1918年)を姉妹共演の代表作としてあげたい。

リリアンはいつもの通りおしとやかで運命に翻弄される女性を演じ、ドロシーはその名もずばり「お転婆娘」を演じている。そうして二人は一人の男性をめぐって争うのであるが、二人のキャラクターの違い、とりわけドロシーの快活さが見事に発揮されていると言える。
 
 風と運命に翻弄される女を演じた「風」(1928年/詳細は「モラルの幻想」参照)などを最後に、リリアンは1930年代にはもっぱら舞台に活躍の場を移す。「風と共に去りぬ」(1939年)には娼婦ベル・ウォトリング役で出演のオファーをされたが、舞台を優先させたために残念ながら実現しなかった。この頃から映画では主に脇役に回っている。それも、ヒロインを陰で支えるような役柄が多い。「白昼の決闘」(1946年)のジェニファー・ジョーンズ(1919〜)の養母(アカデミー助演女優賞候補)、「許されざる者」(1959年)のオードリー・ヘップバーン(1929〜1993)の母親、「ジェニーの肖像」(1947年)のジェニファー・ジョーンズの教師役がこの時期の代表作であろうか。

サイレント時代の役柄のイメージがあるせいか、どうしても長い年月苦労を重ねてきた、そんな女性に見えてしまう。映画の中でのリリアンはついに浮かばれない人生なのであった。

 名優チャールズ・ロートン(1899〜1962)が唯一監督した映画「狩人の夜」(1955年米)は、リリアンが1919年に主演した「散り行く花」にインスパイアされた作品であるという。ここでリリアンが演じるのは、身寄りのない子供たちの面倒を見る老女。かつての自分のように父親に虐げられる幼い兄妹を助け見守る立場である。「女はみんな愚かだわ。みんな馬鹿よ。」と口癖のように語る姿は、かつての薄幸だった自分への自戒の念が込められているような、そんな印象さえ受けてしまう。
 
 もしもリリアンが、このまま女優としてのキャリアを終えていたとすれば、結局彼女は過去の女優でしかなかっただろう。だが、彼女には女優人生の最後にまだまだ最高のキャリアが待っていた。1987年、91歳となったリリアンはイギリス映画「八月の鯨」に主演。彼女は12歳年下のベティ・デイビス(1908〜89)の妹役を演じている。気難しくわがままな姉を優しくいたわるリリアンは、まさにあの薄幸の少女の数十年後の姿を思わせた。老いながらも女性らしさを忘れないリリアンの姿を見ると、何て理想的な年齢の重ね方であろうかと思わされる。

 1993年2月27日、リリアンは99歳で没す。彼女の人生はまさに映画史そのものをたどった人生であった。彼女には1969年に書かれた「リリアン・ギッシュ自伝」があるが、これは彼女個人のエピソードを極力控え、主にグリフィスとの思い出を中心につづったものであった。そこに描かれたグリフィスへの熱い思いを読んでいると、生涯独身を貫いたリリアンの本当の理由が何であったのか、解るような気がしてくる。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/03ACTRESS.htm


ギッシュは考えられる最も古いアート系のスターであろう。リリアン・ギッシュがそこに座っている。それだけで芸術である。

 ギッシュは5歳で舞台に立っているものの、母親が女優だったという以外に芸能界の接点はなく、素質もなかったのではないだろうか。 若かりし写真を見ても、彼女にスター性があったとは、僕にはとても思えない。ところが、映画ではマジックが起こり、彼女は名優となる。グリフィスという偉大なる監督の力の賜物である。

ギッシュは容姿はありふれているが、目だけが他の人とは違っていた。そこにグリフィスは気づいていた。以前、僕はルネ・ファルコネッティというフランス女優の目を見て、恐怖すら覚えたことがあったが、ギッシュのうつろな瞳にもファルコネッティに似た何かを感じずにはいられなかった。俗っぽく言えば、彼女の目はいつだってワケアリの目だ。

 偶然メアリー・ピックフォードの紹介でグリフィスと出会ったギッシュは、グリフィスにすぐさま気に入られ、彼のメロドラマとスペクタクルの代表作ほとんどに出演する。「国民の創生」(15)、「散り行く花」(19)、「東への道」(20)、「嵐の孤児」(21)などなど。

グリフィスはギッシュのくしゃくしゃの髪にあえて逆光を浴びせ、シルエットを浮かび上がらせて、絵画のような印象的な映像に仕上げた。彼女のそのうつろな表情は、作品をいっそう引き締め、映画を見世物小屋の動く写真から、劇場でみる一級の芸術作品にした。グリフィスが映画の父なら、ギッシュは母だ。映画史上初めて演技を様式化し、そのスタイルを死ぬまで貫いた名優リリアン・ギッシュ。その心は90歳を過ぎた「八月の鯨」(87)でも忘れてはいなかった。

http://cinema-magazine.com/p/1018


1910年代アメリカ〜映画の父、グリフィス(1875年1月22日 - 1948年7月23日)


映画というメディアで、物語を作り上げる基本文法を築き上げたD.W.グリフィス(David Wark Griffith)。 彼の作品「国民の創世(THE BIRTH OF NATION)」は、その後30年に渡って映画の教科書とされた作品であり、 その功績から「映画の父」と称されている。

グリフィスは南北戦争で英雄とされた父の元で1875年に生まれ、役者や作家を目指して青春を過ごす。 芝居の役者や作家として細々と生活していた彼は、映画会社に自分の本を売り込みに行き、 そのまま役者として映画製作に関わり始める。 チャンスが巡って来たのは、1907年の作品「An Eagle's Nest」に役者で出演していた32歳の時、 監督が演出で行き詰まり、代わりにグリフィスが演出を担当、編集も兼ね、そのセンスの良さから 監督業としての経歴が始まる。

丁度、映画業界の黎明期と重なっていたことで、 1908年から1913年迄の五年間、週平均2本半のハイペースで映画を作り続け、 この間に、物語としての映画の構造を確立させ、娯楽としての映画を作り上げるのである。 ヨーロッパの映画を研究しつつ、 豊富な芝居経験を基に無数の作品群を監督する中で、直感的に技術を学んでいく。 その結果、独自の技法を考案したり、過去の未成熟な技法を発達させたりして、「映画の父」と呼ばれるにふさわしい技能を身につけていったのだ。 彼が確立した技法としては、180度ルール(180 degree system)、カメラアングルの全て(ロング・ミドルショット、クローズアップ、ポイント・オブ・ビュウ他)、 編集方法としてのクロス・カッティング等がある。

グリフィスが1915年に作った(制作、監督、脚本)「国民の創世」は、 彼の集大成としての映画であり、それ自体、従来の映画とは一線を画した作品である。 トーマス・ディクソン(Thomas Dixon)の小説の映画化権利を10000ドルで入手したその内容は、 南北戦争における南軍、北軍、それぞれの立場の登場人物を交差的に描いたもの。 技術の結集したこの作品は前代未聞の長編映画(約2時間半)だったため、 映画会社から上映を拒まれる。仕方なく、グリフィスは独立した会社を設立し興業を行った。 結果、製作費も過去最高だったこの作品は、最高の評価を得ることとなり、 それまでの見世物的娯楽の映画を芸術作品に迄高め、観衆の層も広げることなる。 また、アメリカで初めて海外に輸出された映画にもなった。

こうした高い評価を得た作品ではあるが、その後のグリフィスの不幸を象徴するかのように、以降、この作品は汚点としていつまでも残る欠点も含んでいた。 南北戦争の南軍に属していた父の影響から、グリフィスの「国民の創世」には黒人蔑視の表現が有り、 更には、白人至上主義者K.K.K.の誕生を賛美し、彼らを英雄として扱うその構成の為、 芸術性の高さに比例して内容への非難が絶えず、部分的にカットされて上映されていたのである。

翌年に完成された「イントレランス(INTLERANCE)」は、更に芸術性の高い作品ではあったが、 巨大なオープンセットで演じられる莫大な人数の撮影等、製作費を度外視したその規模は、 反対に観衆からは過ぎた物として受け取られ、また、構成も複雑ったことから興業収入は制作費を越えることはなかった。 この財政難を補う為にグリフィスは、以後、芸術性を排除した軽い作品を量産することになる。 こうして、監督としての評価の下落と生活の困窮等から身を崩して行き、映画の父は、1948年にその生涯を終えた。(01.2.17)


グリフィスの映画技法


180度ルール(180 degree system)

撮影現場で被写体に対して境界線を想定し、境界線の片方(360度中180度以内)から撮影するルール。
各数字のカメラからAとBの人物を撮影すると、ルールに従ったカメラ1〜3からの映像はその位置関係がはっきりわかるけれど(Aが左、Bが右)、 境界線を越えたカメラ4からの映像を使うと、位置Aが右に立っているように映り、二人の位置関係がズレる。
こうした技法を駆使することで、グリフィスは、建物の中の部屋の位置関係を表現することに成功した。

ロング・ミドルショット、クローズアップ

左から、ロングショット、ミドルショット、クローズアップの映像。 ロングショットで周りの状況を映し、ミドルショットで登場人物を映す。 クローズアップは、重要な部分を説明する為にあり、この絵では、人物の表情を表している。
グリフィスは、超ロングショットの遠景からクローズアップ迄の流れで、シーンを詳しく説明を試みている。 なお、アップの絵に丸い黒枠があるのは、「国民の創世」の中の表現で、望遠鏡から見た映像のような効果があった。


ポイント・オブ・ビュウ(Point of view)

ポイント・オブ・ビュウはPoint of viewで、英語を直訳すると「視点」。 P.O.V.と略されたりもして日本語でもなじみある言葉だが、 もともと動かない観客の視点から劇場の芝居を撮影していたのが初期の映画なので、 カメラが動いて、カメラの視点がどんどん変わるというのが斬新なアイデアだったのである。


クロス・カッティング

編集技法の一つ。違う場所で同時に起こっている場面を交互に並べる編集で、 緊迫感を高めることができる。 また、時間と空間とを立体的に表現することができるようにもなった。

今でも、追う者と追われる者を表現する場合に頻繁に使われているが、 双方の緊迫した雰囲気を交差させることで、観る側にもその緊迫感が伝わり、 映画表現の幅が広がったことはいう迄もない。その後、エイゼンシュタインらによるクロスカッティングの更なる研究成果により「モンタージュ理論」が完成することになる。


以上のようなルールに基づきながら、崩すことで更なる効果を得ようとする表現方法が現在の映像技法だが、 最初に基本ルールを構築したグリフィスは、やはり「映画の父」なのである。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6721/mohis/a2.html

ミショー [オスカー・ミショー 1884-1951] が利用したグリフィスの手法とは並行編集 (クロスカッティング) である。

並行編集とは、 異なる複数の出来事の 「同時性」 ないしは 「継起性」 をきわだたせるために複数の空間をくりかえし往復する編集法のことである。

この画期的手法はグリフィスの創案にかかるものではないものの、* それを物語映画にふさわしい劇的な映像言語へと高めたのは明らかにグリフィスの功績である (彼はサスペンスを産みだすために、 往復するショットの数を増やし、 切り替えるタイミングを速めた)。

グリフィスがしばしば古典的ハリウッド映画の創始者とみなされるゆえんである。 じっさい彼はミショーの 『我らが門の内にて』 公開の年 (1920年)にも、 『東への道』 Way Down to East において清純可憐なリリアン・ギッシュを凍てつく流氷のうえに横たわらせ、 逆巻く滝壺に呑みこまれる寸前に救出させるという昔ながらの並行編集の極致を披露している。


* 「最初の」 本格的並行編集は1906年の 『無謀なる企て』 The Hundred-to-One Shot (ヴァイタグラフ社) における疾走する車とその目的地とのあいだを往復するものである。 いっぽうグリフィス初の並行編集は、 その2年後 (グリフィスが監督デビューした年) の 『運命のとき』 The Fatal Hour (1908) に見られる。

** 流氷のうえを滝壺へと流されてゆく娘のショット群Aと、 その現場へ救出に駆けつける男のショット群Bとの交互編集。

http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2011/03/post-7270.html


グリフィスが1908年以来磨きをかけてきた並行編集は、*** 12年後の一大メロドラマ 『東への道』 において頂点をきわめ、 勧善懲悪という唯一絶対のプロットとイデオロギーに奉仕する。

いいかえれば並行編集は、 遅くとも1908年にその語法が確立されて以来、 長いあいだただサスペンスと救出の表象のためにだけ利用され、 それ以外のポテンシャルの実験は事実上抛擲されてきた。 それはフランス市民革命以来のメロドラマ的イデオロギー **** を忠実に再現しつつ、 それに奉仕し、 その限界を越えゆくものではなかった。

そこにおいては善人はかならず悪漢/危難から 「あわやというところで救出」 され、 「救ける者」 (正義の味方) と 「救けられる者」 (迫害される弱者) との平行運動は最終的に融解し、 後者は前者と奇跡的な遭遇をはたす。

http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2011/03/post-7270-1.html

ハリウッド・メロドラマの誕生と発展


 大衆小説のメロドラマ的要素、あるいはメロドラマが20世紀になって映画に移入されると、映画が大衆小説の人気を取ることになります。

 サイレント時代には、グリフィスの代表作である『国民の創生(The Birth of a Nation)』(1915)、『散りゆく花』(1919)、『東への道』(1920)、『嵐の孤児』(1922)などが生まれます。グリフィスはアメリカの映画の父と言われると共に、サイレント時代のメロドラマの父でもあります。また、映像技法でも今日に伝わる映画の最初の文法を作った人です。

 『散りゆく花』は父の暴力に死ぬ少女の物語です。リリアン・ギッシュは映画の始まりとともに活躍した女優ですが、幼さの残る少女みたいな顔ときゃしゃな体が、犠牲者であるのにふさわしいキャラクターということになります。『散りゆく花』の中で、リリアン・ギッシュ演じる少女が最後に死ぬ場面を紹介します。メロドラマ映画の最大要素はクローズアップ(close-up)ですが、顔の全面を映すことによって感傷を高めると共に、観客の主人公への感情移入を一層強めることが分かります。少女の父親は非常に残酷で、日常的に娘に暴力を振るっています。最近では少女をレイプをしていたのではないかという論文も出ています。少女は、「いつも悲しそうな顔をしているな、笑っていろ」と父親に怒鳴りつけられたので、父に暴力を振るわれて死ぬ最後の場面でも無理に笑おうとしているのです。

 次の『東への道』でも、悪い男にだまされた清純な若い女性をギッシュが演じていますが、この場合には、ハッピーエンディングが用意されています。好きな人との誤解が最後に解消されて、リチャード・バーセルメスという当時の人気俳優が彼女を助ける場面がこの最後の氷渡りの場面です。

 生きている人間であるギッシュの軟らかい体が硬い氷の上に倒されます。その軟らかさと硬さ。そして、動かなくなっているギッシュの静けさと流れ続け、動き続ける川と滝。映画は動きを見るもので、モーションピクチャーと言われていますが、その典型がここにあります。全体が見えるように、遠くから映すロング・ショットを使っています。氷の白さが際立っています。時間が切迫していることを告げる音楽(メロディー)が流れ、我々聴衆は、バーセルメスが早く行かなければ、ギッシュは流されて滝壺に落ちてしまう、とはらはらしながら見ます。切り返しショットは、グリフィスが非常に拡大したものですが、見るもの(バーセルメス)と見られるもの(ギッシュ)をカメラが交互に写すことによってダイナミズムを発生させるものです。動かないギッシュと走るバーセルメス。静と動のコントラストが感情を高めていきます。これは7分近くある長いシークエンスで、「最後の瞬間の救出」(last minute's rescue)と呼ばれる最も有名な場面ですが、すべてのハッピーエンディング映画の原点といえるでしょう。

http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000276/0/html/section4.htm


渡辺 メロドラマって18世紀の舞台劇が最初でしょ。そのころは舞台で朗読しながら音楽を流すもののことをメロドラマっていってたの。その後、オペラが形態を真似して“泣きのドラマ”につくり変えたのが、今のメロドラマのもとになっているのよね。


宇田川 メロドラマがもてはやされたのは、18〜19世紀までですよね。20世紀になると“メロドラマはもう古い!”ということになって、差別的な表現としてつかわれるようになった。


――メロドラマが映画としてつくられはじめたのはいつごろからですか?


渡辺 D・W・グリフィス監督の『散り行く花』('19)は、涙、涙のメロドラマよね。

宇田川 “映画の父”といわれるグリフィスは、19世紀的演劇やディケンス(英国ヴィクトリア朝を代表する作家)の小説などでつちかったストーリーテリングの感覚を映画に持ち込んだわけだから、“アメリカ映画はすべてメロドラマである”と極論することもできるんじゃないですかね。


――それはつまり?


宇田川 アメリカ映画はグリフィスからはじまっているわけじゃない。そのグリフィスがメロドラマ的な形式を映画にもち込んで、そこからアメリカ映画のつくり方が確立されたわけだから、歴史的に見てもアメリカ映画はメロドラマだといえる。現にハリウッド映画を見てると、そうでしょう。でも、ゴダールの言うように「すべての映画はアメリカ映画である」とすると、映画はすべてメロドラマであるということになる。


渡辺 でも今、メロドラマといったら、波瀾万丈の通俗劇のことを指すでしょう。


宇田川 「低俗」ともいいますね(笑)。舞台の朗読劇から始まって、歌劇、映画と形を変えていき、最終的にいちばん大衆受けするものに落ち着いた。「低俗」、「センチメンタル」、「過剰なドラマツルギー」…。つまりは、お安いドラマに成り下がってしまった、というふうに見られている。でも、演劇のほうでは20世紀後半から、メロドラマという形式を見なおす動きが出てきたらしい。

http://channel.slowtrain.org/movie/wau/wau003/index.html


D・W・グリフィス フレームと分離の法則


 映画の「フレーム」という限界を、偉大な作家はいかなる方策で広げていったのかに関する考察です。


 @椅子

私は映画の中で「椅子」を見た時、思わず「グリフィスだ、」、、と呟いてしまう癖がある。

「許されざる者(60)」でリリアン・ギッシュが、揺り椅子を大きく揺らしながら裁縫をしているシーンを見て「グリフィスだ、、、」と唸るのは当然の反応でもあるし、「エルダー兄弟(65)」のラストでジョン・ウェインが、母の揺り椅子を殊更揺らして通り過ぎた時に、グリフィスへの目配せを感じ取っても何らおかしくはないが、「サイコ」(60)でノーマン・ベイツの「母」が揺り椅子ごと振り向いた瞬間にも矢張り私は「これはどこから見てもグリフィスではないのか、、」と呟かずにはいられないのであり、はたまた「死霊伝説(79)」で椅子に座ったジェフリー・ハンターがリュー・エアーズに心臓発作を起こさせたシーンを見ても「これは完全にグリフィスに違いない、、」と納得してしまう始末である。

人間誰しも一日生きていれば必ずどこかでお世話になるこの「椅子」という映画の小道具。椅子は人間の生活必需品であり、人が座ること、立つこと、という基本動作を美しく描ける作家こそ私は一流だと信じている。


 A「ベニスに死す」

「ベニスに死す」は「椅子の映画」である。映画は最後、海岸でダーク・ボガードが男たちに運ばれて行くショットで終わる。何故ビスコンティは、わざわざこんな面倒くさい演出をしたのだろうか。それはボガードを「椅子」から遠ざけるためだ。この場面の残酷さは、ボガードが「椅子」からどんどん引き離されてゆく瞬間の恐ろしさに尽きているのである。

映画の中でボガードはいったい何度「椅子」に腰掛けたことだろう。浜辺で彼がまずしたことは椅子を持ってこさせることであり、椅子がなければボートのへりや地面そのものが椅子の代わりを果たすことによってボガードの生を保護してゆく。心臓の悪い彼にとって椅子はまさに生命維持装置に匹敵する避難場所であり、安住の地であり、生を満たしてくれる唯一の聖域なのだ。ところが最後その「椅子」からボガードは無残にも引き剥がされ、ゆっくりと遠ざけられ、ロングショットで卑小化させられ、長回しで絶え間なく持続して見つめられる。

なんと残酷無比な演出だろう。ボガードの死は生物学的には心臓麻痺かもしれないが、映画的に見れば紛れもなく、ボガードが「椅子から引き剥がされ」かつ「遠ざかってゆく瞬間瞬間」に持続して訪れたのである。持続する死、これはまさに「ボガードの生殺し」というしかない極めてグロテスクな画面なのだ。だがこんなにも生々しいビスコンティの「椅子」の演出を目にした時にも、矢張り私は懲りもせず「これはひょっとするとグリフィスかも知れない、、、」と呟かずにはいられないのである。


 B椅子とグリフィス

椅子の出てこないグリフィスの映画を私はこれまでに一本しか見たことがない。それは「人類の女性」(1912)という初期の短編で、飢えに苛まれながら砂漠を放浪する三人の女が不寛容にいがみ合いながら、最後はインディアンの遺した赤ん坊を発見し、ただそれだけで人間性を回復し和解するという、いかにもジョン・フォードを連想させる素晴らしい短編である。この場合、場所的設定が砂漠という限定された地帯であるから、椅子が出てこないのは当然といえるだろう。


  C「東への道」

それ以外の作品で、数限りなく出現したグリフィス映画の「椅子」について私が忘れられない瞬間、それは「東への道」(1920)で、私生児として生まれ洗礼を拒否された瀕死のわが子に、母のリリアン・ギッシュがせめて天国へ行かせてやりたいと急いで自ら洗礼するシーンで使われたあの「椅子」である。

ここでリリアン・ギッシュは揺り椅子の上に我が子を寝かせ、床にひざまずき、自らの手で子供に洗礼をしてやっている。このシーンを見た監督のグリフィスは演出をしながら涙を流し、現場で撮影を見ていた赤ん坊の本物の父親は失神してしまったという信じられない逸話が残されている神がかったシーンである(リリアン・ギッシュ自伝269)。
この瞬間を見るたびに私はいつも強く打ちのめされるのであるが、それはいったい何故なのだろう。まずこのシーンではグリフィスについていつも言われるところの「クロスカッティング」なり「クローズアップ」なりという技法ではなく、エイゼンシュテインの言葉を借りるならば「ワンショットの画面」(注Tエイゼンシュテイン全集E68)の中の、「描写」の中身が問題となっている。言わばグリフィスのリアリストとしての観察者の側面が問題となっているのである。

さて、この「東への道」のシーンでは「椅子」という小道具の使い方に秘密があるに違いない。しかし「椅子」という視覚そのものが私に感動をもたらしたとも思えない。矢張りその「椅子」に物語的な「何か」が付け加えられ、それが画面に力を与えているのだ、と考えるべきだろう。ではその「何か」とは、何か。


 Dグリフィスの椅子の法則

ここでまずグリフィス作品の「椅子」の使い方について検討してみよう。グリフィスの作品において椅子は、「彼の信頼」(1911)で黒人奴隷が女主人に自分の椅子を差し出したときのように主人の象徴として使われることもあれば、「ニューヨークの帽子」(1912)のように、夢見る乙女の眠り場所となることもある。「人生であるように」(1910)では恋人同士の逢びき場所として使われ、さらに終盤ではピックフォードが故郷へ帰還し父親と再会する時の場所としても使われているし、「境界州で」(1910)においては怪我人が座らされる場所としても使用されている。さらに椅子は椅子本来の効用以外のものとしても数多く使われてもいる。「国民の創生」(1915)では猿轡を噛まされたリリアン・ギッシュの監禁場所として使われているし、「嵐の孤児」(1921)ではなんと逆さまに置かれた椅子の背中が負傷したダントンの枕代わりに使われたりもしている。「わがままペギー」(1910)においては攻撃や防御の代用品として利用されているし「暗黒の家」(1913では暴漢の隠れ場所として、そして「封印された部屋」(1909)や「ピッグ裏通りの銃士たち」(1912)に至っては、ついに人々の死に場所としての使命を授けられているのである。生きること、死ぬこと、愛すること、事件、事故、そして帰郷、、、グリフィスの作品において椅子はただ座るためのものではなく、人生のあらゆる局面で使われ続けるまさに生活必需品にほかならないのだ。ここまで椅子を多用な用途に使う作家を私は断じて知らない。

そしてこのようなグリフィスの椅子の使い方を良く観察したとき、椅子は、ただ座るもの、殴るもの、隠れるもの、、、等の、独立した小道具として見る時よりも、人と人との「関係」の象徴として見た時の方が遥かに画面は活気付くのである。

例えば上述の作品の中でも、「ニューヨークの帽子」でピックフォードが椅子に座りニューヨーク産の帽子の夢を見た次の瞬間、亡き母からピックフォードの世話を託されたライオネル・バリモアが現われピックフォードに帽子をプレゼントするシーンでは、ピックフォードの座っていた椅子には亡き母との「関係」が暗示されていると見てこそ、あの帽子は「泣き母からのプレゼント」という間接的な感動をもたらすのであるし、それ以外の作品においても「彼の信頼」では主人と使用人との関係が、その他の作品でも「恋人」「父と子」といった関係が多くの場合暗示されているのである。その傾向は他の作品にも顕著に見られる。

庭先の陽光の中でリリアン・ギッシュに顔にタオルをかけられ気持ちよさそうにうたた寝をする「東への道」のバー・マッキントッシュ老人のように、また「暗黒の家」(1913)で、クレア・マクドウェルの奏でる美しいピアノの音色を聴き思わず椅子へ崩れ落ちた精神病患者のチャールズ・ヒル・メイルズのように、男たちは最早ただの「椅子」としてではなく、まるで母の胸に抱かれるような郷愁でもって深々と椅子に体を沈めて心を癒しているのであり、また「イントレランス」(1916)で自然光の差す部屋の中で椅子に座り、揺り籠を揺らし続けるリリアン・ギッシュのあの有名なシーンや、「ホームスイートホーム」(1914)のオープニングで揺り椅子に揺られる母、ジョセフィン・クロウェルのように、女たちもまた見事な母性ぶりで椅子の中にゆったりと納まっているのである。

さらにそこに「子供」が付け加えられると、グリフィスの椅子の持つ関係は「家族」という枠組みの中でより視覚的に顕著に現われ、完成されるだろう。「日光」(1912)でオールドミスを演じたクレア・マクドウェルは、幼女に突然手にキスをされ、放心したように「椅子に崩れ落ちながら」少女を抱き上げて母性に目覚めているし、「ホームスイートホーム」、「エルダーブッシュ峡谷の戦い」(1913)では、生まれて来た赤ん坊たちが、椅子の母や父の膝の上で幸せそうに甘えながら揺り椅子に揺られている姿が何度も目撃されている。ここには子供はショールに巻かれ、椅子に座った母の胸に抱かれながら、ゆらゆらと揺られて育つものであるというヴィクトリア朝的、ないしはグリフィス的メロドラマの親子関係が露呈しているのである。

グリフィスの弟子とも言うべきジョン・フォードの「わが谷は緑なりき」(1941)で、兄弟が母の元を去る時、母を揺り椅子に座らせ、目を閉じさせ、椅子を揺らしてから去って行ったのも、また、ヘンリー・ハサウァイの「エルダー兄弟」で、ジョン・ウェインが亡き母の揺り椅子を殊更揺らし続けたのも、椅子はただ座るためだけのものではなく、親から子へ、子から孫へという「関係」においてより強く視覚的に暗示されているのである。このような「椅子」を中心とした「母」と「子供」との三者関係をして我々は「グリフィスの椅子の法則」と名づけることにする。

では「東への道」で私を感動させたのは、あの子供が椅子に乗せられ洗礼されたからであろうか。余命いくばくもない子供の洗礼を母の揺り籠で、という母心が画面の上に物語的に露呈しているのは間違いないだろう。

だが私がおぼえた感動は、そのような満たされた幸福な気持ちではない。存在よりも不在、何かが「足りないこと」の醸し出す画面のもたらす逆説的な感動であったはずなのだ。ではあのシーンで「足りないもの」とはいったい何だったのだろう。それは「母」である。


E道具

その理由に入る前に、今度は「椅子」を含めたグリフィスの「道具」一般の使い方に立ち戻って検討してみよう。グリフィスと言えば椅子の他にも動物や帽子、エプロンや手紙など小道具の使い手としても知られている。動物がエイゼンシュテインへ、エプロンと椅子がジョン・フォードへ、そして手紙がルビッチへと受け継がれたことは容易に想像ができるが、その中でも注目したいのは、私自身「分離」と名づけている小道具の「使い方」である。例えば「世界の心」(1917)でリリアン・ギッシュは、戦場へ赴くボビー・ハーロンと写真を交換し、ことあるごとにそれを見てお互いを懐かしみ思い出すというシーンがあり、また「東への道」では、木陰に佇むリリアン・ギッシュの肩にリチャード・バーセルメスの飼っていた鳩がとまり、その鳩とギッシュとがキスをするというシーンがある。ここでの写真や鳩の使い方が「分離」である。男たちの魂が人物から「分離」し、写真や鳩という事物そのものに乗り移り宿ってゆく。女たちはその事物に触れ、抱きしめ、キスをするのである。仕草や状況を駆使しながら、通常の映画一般の小道具を、さらに人間との関係においてもう一段階発展させて使っているのである。


F分離

こうした「分離」の手法は、グリフィス以降の作家たちにも受け継がれている。中でも小津安二郎は、グリフィスの正統的後継者と言うべき「分離」の達人である。例えば「非常線の女」(1933)では、揺れ続けるボクシングのサンドバッグに、それを叩いた田中絹代の情念そのものが「分離」して乗り移っているのだし、「青春の夢いまいずこ」(1932)では、大学の用務員の坂本武が校庭でガマグチを拾い、しめしめと中を開けると何も入ってなく、逆さにして思い切りガマグチを振ったところ、手首に紐でつなげてあった終業ベルを一緒に鳴らしてしまい、大学中が「終業」してしまったという大爆笑のギャグがあるのだが、この場合、ベルの音そのものが、「坂本のいやしい根性」の「分離」として使われているのである。

そもそも小津の場合、例えば「晩春」(1949)で原節子が嫁いだ後、原のいなくなった部屋を映し出すショットが象徴するように、小津のトレードマークともいうべき数々の空舞台の空間それ自体が、そこで生き、生活をしていた人々の魂の「分離」として使われているのであって、そうした点から小津は、グリフィスの「分離」の手法を高度に応用し、濾過し、人間の日常生活そのものの情感へと発展させた「分離」の正当後継者ともいうべき存在なのである。

さらに、ことあるごとにグリフィスを批判したエイゼンシュテインですら、「戦艦ポチョムキン」(1925)の、あの有名なオデッサの階段を落ちて行く乳母車のシーンでは、撃たれた母が倒れて乳母車にぶつかり、その力で乳母車は落下を始めたのであって、落下する乳母車にはまさしく、無力な母の最期の情念が「分離」して込められているのである。

「分離」の手法の意味合いが何となく分かっていただけただろうか。ではもう一度、グリフィスに立ち戻って一つ際立った例をあげてみよう。「嵐の孤児」でリリアン・ギッシュが、悪女から妹(ドロシー・ギッシュ)のショールを奪い返し、そのショールを折りたたみ、赤ん坊をあやすようにゆらゆらと揺らしているシーンである。グリフィス特有の感傷的なシーンではあるが、ここではショールという物質に妹の魂が乗り移っている。ショールがドロシーから「分離」し、そこにドロシーの魂そのものが込められているのである。同じように「見えざる敵」(1912)においては、孤児となったリリアンとドロシーの姉妹が、亡き父の書斎の椅子を指差しながら「ああお父様が、、、」と悲嘆に暮れる場面があるが、ここでは「椅子」が父から「分離」されているのであり、さらに「嵐の孤児」では、リリアン・ギッシュが、妹のひざ掛けのかかった椅子を、まるで妹そのものであるかのように自分の方へ引き寄せてから裁縫をするシーンがある。

こうして繰り返される「分離」の萌芽はすで初期の短編「わがままペギー」において見事に現われている。ここでメアリー・ピックフォードに振られた男は、彼女が去ったあと、彼女が自分に投げつけた椅子の足を名残惜しそうに触り、また彼女の飲んだコップをわざわざ指差しその不在を悲しんでいるのだ。これは露骨なまでに「分離」を身振り手振りで示した印象的なシーンであると言えるだろう。事物が本体から分離され、魂が事物に取り付いてゆく。こうしたグリフィスの、小道具を「分離」させて使う演出は数え上げればきりがないが、そのどれもが、ショールを揺らすあのリリアン・ギッシュのように、異常なまでの露骨さでもって描写され続けているのである。

この「分離」の手法を発見したのがグリフィスかどうかは不明である。しかしそれを洗練させ、映画的に完成させたのはグリフィスであると言って間違いないだろう。そしてこのような実体と魂との「分離」の手法が、のちの映画的手法の発達と共に「鏡」による分離へと、さらにトーキーの出現によって「音」と音源との分離へと受け継がれたことは言うまでもない。


Gどうして分離させるのか

では何故、実体と魂とを「分離」させるのであろうか。ここでまたもうひとつ例を挙げよう。実体と声との分離である。「嵐の孤児」でのあの有名なアパート脇の路地での姉妹の再会シーンだ。アパートの二階でリリアン・ギッシュが椅子に座っていると、外から聞きなれた声の歌が「聞こえてくる」。しかしこの作品はサイレントなので正確には「聞こえてくる」のではなく、リリアン・ギッシュの顔色が変化し、高潮し、スクリーンの外から聞こえる音源を探し求める彼女の姿を見ることで「聞こえてくる」ことが我々に分かるのである。ここではフレームの外のドロシーと、中のドロシーの声とが「分離」されている。この場面の感動の一端がこの「分離」の手法にあることは間違いないだろう。

では何故こうして「分離」されると「感動的」なのであろうか。人間というものは、目の前にいられると煩わしいものだが、いなくなられてみると愛しくなる、そんなメロドラマ的感傷が、不在の悲しみが、分離された道具や声に触れる人物を通じて我々の胸を打つのかもしれない。だがそれ以前に、そもそも映画とは、フレームの中で影が運動する極めて限界のある二次元のメディアである以上、人と物、人と声とを「分離」させ、本体をフレームの外に置いてその存在を我々に想像させるという手法自体、小さなフレームを想像力によって無限に横へ縦へと押し広げる極めて豊かな映画的手法であると言えるのである。同時にそれは我々の想像力を刺激し、働かせ、分離された対象への郷愁をこみ上げさせる。

「音源を捜すと特別の緊張した瞬間が生まれる」(映画の精神203)と、ベラ・バラージュがすでに70年前に指摘しているように、「嵐の孤児」のあのシーンでは、ドロシーの歌声が、ドロシーその人から「分離」されていたからこそ、逆に我々をしてドロシーを「探す」サスペンスと郷愁が生まれ、同時にドロシーを懸命に「探し求める」リリアン・ギッシュの健気な姿に胸を揺すぶられるのである。愛する者を「探す」という行為が如何に美しいことか、映画というメディアが「探す」という行為の感動をよく我々に伝えてくれるのは、我々人間に「肉体」という限界があることが人間をして人間への発見へと駆り立てるのと同様に、映画というメディアそのものに「フレーム」という限界があることと無関係ではないだろう。

「額縁は求心的、スクリーンは遠心的である」とアンドレ・バザンが語っているのも(映画とは何かW175)、また「映像は部分であるから、それを含む全体の支持の上にのみ存在可能であり、また、それを含む全体を予想させる」と浅沼圭司が書いているのも(映画学165)、フレームという限界そのものが、逆に映画というメディアの芸術性と大きく関係していることを示唆するものだろう。メディアそのものの持つ限界を限界として真摯に向き合った作家のみがその限界を想像力によって拡大して行くための技術を編み出して行くのである。そうした中でこの「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ。


Hすべては椅子を中心に

「東への道」のあの洗礼の画面を思い出してみると、本来であれば赤ん坊を膝の上に乗せゆらゆらと椅子を揺らしているはずの母の姿はそこには存在しない。グリフィスはあからさまに「リリアン・ギッシュ」と「椅子」とを「分離」させているのである。
リリアン・ギッシュは、本来であればグリフィスの数々の作品でそうであるように母が子を抱き座っているべき椅子から分離され、床にひざまずいているのだ。このシーンが私の心を動かしたのは、せめて子供を母の揺り籠に乗せて洗礼を、という積極的な画面の力による感動もさることながら、それ以上に、その「椅子」に「母が座っていない」という、「不在」による「分離」の画面のもたらす消極的な力の美しさであったのである。

ここで「分離」されたのは、「母」と「子供」ではなく、「母」と「椅子」であることに注意しなければならない。前述のように「椅子」を中心とした「母」と「子供」との三者関係こそがグリフィスの椅子の法則であるとするならば、ここで結果的に生じた「母」と「子供」との「分離」は、二つの実体を二つに分離しただけの「物理的な分離」にすぎず、フレームの限界論による「想像力による分離」とは無縁だからである。そうではなく、母が「椅子」というグリフィス的家族関係の象徴から「分離」されているからこそ、そして同時に子供が「母から分離された椅子」という負の象徴関係に寝かされているからこそ、様々な寓意が画面の上で衝突し、我々の想像力をかき立てるのだ。すべては「椅子」を中心に展開されているのである。

「わが谷は緑なりき」のあの椅子のシーンでは、子供が「椅子から」分離されているからこそ、たった一人で揺り椅子を揺らし続ける母の姿に、子供を抱いて椅子を揺らした過去の日々への郷愁が込められ、それが画面全体の感動へと導かれるのであるし、「エルダー兄弟」のあの椅子のシーンでは、母と子供双方が「椅子から」分離されているからこそ、さらに長い年月の家族の歴史が暗示され、無人の椅子が揺れるという一見単調な運動が大いなる郷愁を誘い、我々の胸を締め付けるのだ。


I結論 境遇を画面の上へ

では何故リリアン・ギッシュは椅子から「分離」されてしまったのであろうか。それは、彼女がその社会的境遇の貧しさから、母としてではなく、洗礼者として振舞わざるを得なかったからだ。それによって母不在の椅子に乗せられた赤ん坊は、目の前に母がいるにも拘らず、画面の上では「孤児」としての悲しい「境遇」が暗示されるに至るのである。

ここでグリフィスの「分離」の手法の素晴らしさは、たかだか力による物理的な離別ではなく、椅子という小道具を中心とした家族関係の暗示と人物の配置との繊細な演出によって、人間の「境遇」というイメージを、たった「ワンショットの画面」で我々に暗示している点にある。素晴らしい人間観察の力がここにあるのだ。

子供の命は長くない。リリアン・ギッシュはわが子を腕の中で洗礼してやりたい。しかし私生児であるがゆえに子供は洗礼を拒絶されてしまった。だが洗礼をしてやらねば子供は地獄へ行ってしまう。こうして「母」と「洗礼者」との二極の選択を迫られたリリアン・ギッシュの「境遇」が、画面そのものの中で椅子から分離された母として視覚的に衝突し、その結果画面は、母のある子として地獄へ送られるよりも、たとえ「孤児」としてでも天国へ送ってやりたいという、母の心によって美しく悲しく包み込まれてゆくのである。

この場面が、同じ「分離」であっても他の「分離」と一味違うのは、一般の「分離」においては分離された実体はフレームの外側にイメージされるのに対して、この「東への道」の母と椅子との分離は、母は依然としてフレームの中に在りながら、イメージとしてフレームの外へと分離されている点にある。画面の中で正と負との対極が凄まじいメロドラマ的葛藤のなかで衝突し続けている。いったい誰がこのような魔術的演出を映画史において実現できたことだろう。まさにこれは完璧な画面と言うしかないのである。そしてこれこそが視覚による究極の映画的メロドラマなのだ。


Jグリフィスと分離

「東への道」の椅子の場面の素晴らしさは「孤児」という不可視のイメージを、椅子を中心とした可視的関係の演出によって我々に感じさせた点にある。そしてこの「孤児」というテーマは「見えざる的」「エルダーブッシュ峡谷の戦い」「嵐の孤児」に代表される、グリフィスが生涯に亘って描き続けた決定的なテーマに他ならない。同時にこの「孤児」というテーマそれこそが、親や世間からの「分離」を意味するのだ。
グリフィスの多くの作品において家族ははなればなれにされ、別々の空間へと「分離」されている。


★戦争→「境界州で」(1910)「彼の信頼」(1911)「国民の創生」「イントレランス」「世界の心」「アメリカ」(1924)

★災害→「エルダーブッシュ峡谷の戦い」

★事故→「不変の海」、

★裏切り→「牧歌的な乙女」(1910) 「東への道」 「厚化粧したレディ」(1912)

★連れ去り「ドリーの冒険」(1908) 「少女と彼女の信頼」(1912)「散り行く花」(1919)「嵐の孤児」

★死→「ニューヨークの帽子」(1912) 「母のように優しい心」(1913)

★その他「人生であるように」→結婚(1910) 「わがままペギー」→浮気「ピッグ裏通りの銃士たち」→職探し(1912) 「ホームスイートホーム」→複合的


このように、家族や愛する者同士の離別、帰郷、といったメロドラマ的なテーマがグリフィスの根底を形作り、そこから彼の画面を形作る「分離」という技法が考えられたと考えるべきだろう。

そうして「東への道」の「椅子」の画面をもう一度考えてみると、まず「椅子」という可視的な小道具でもって視覚的に母を椅子から「分離」させ、その効果によって「孤児」という不可視のテーマとしての「分離」を我々にイメージさせている。可視的な小道具から不可視の物語をイメージさせる、そのどちらもが「分離」というメロドラマ的な地点へと最終的に集中しているのだ。そこからさらにグリフィスは、平行モンタージュという編集技法によってもう一度空間自体を「分離」するのだから、いやはや、グリフィスは何から何まで「分離」してしまうことの大好きな作家なのである。


Kモンタージュの前に

これまでグリフィス論は「クロスカッティング」なり「平行モンタージュ」なりといった、「空間の分離」としての側面が強調され力説された傾向にあった。しかしこうした「編集」が力を持つのは、グリフィスの画面そのものの持つ力、画面の中で限りなく繰り返される「画面内分離」の視覚的な力があってこそであり、我々はまず、モンタージュという画面連鎖(衝突)効果の形式的誘惑へと走る前に、画面そのものの中身をもう一度徹底的に吟味する(見る)必要があるのではないだろうか。グリフィスの映画の画面は編集以前にすでに「分離」されているのであり、その画面をさらに編集によって分離することで、あらゆる分離がショートし、衝突しながら、作品全体の力を押し上げているのである。


L倫理と視点

私は「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ」と書いた。同時に「分離」という手法は、孤児という分離のテーマを視覚的に画面に乗せる手法であるとともに、フレームという映画の限界に正面から向き合った倫理的な技法でもある。今回ホームページに掲載した「ある子供」の批評で書いたように、また「ピンクパンサー」の批評で指摘したように、そしてこの「サイトの趣旨」で書いたように、映画とは人生そのものであり、その芸術的素晴らしさは作家の「視点」と、人間としての「倫理」の問題とを、映画という限界のあるメディアのなかでいかに戦わせ戯れを生じさせるかに大きく依存しているのではないかと私は考えている。


M最後に

グリフィスの画面は映画を「見る」ことの素晴らしさに満ち足りている。映画を映画学とし、その視覚的部分から解きほぐそうという姿勢を私にもたらしてくれたのは「イントレランス」の画面であった。それは「イントレランス」という映画の視覚的な画面の中に「視点と倫理」との豊かな戯れが限りなく詰まっていたからかもしれない。だからこそ私は、映画を不可視の物語だけで消費するのではなく、一つの芸術作品として、可視的な画面について「見ること」の誘惑に惹きつけられているのである。


注T・エイゼンシュテインには、グリフィスの平行モンタージュをブルジョア的二元論だと批判した「ディケンズ、グリフィス、そして私たち」という有名な論文がある(エイゼンシュテイン全集E163以下)。

「映画の本質はワンショットの画面の中にではなく、画面の相互作用の中に探求されなければならない」(エイゼンシュテイン全集E39)と語るように、エイゼンシュテインにとって映画とはモンタージュであり、ワンショットの画面は断片ではなく細胞であり、それ自体として独立した意味を持つのではなく、モンタージュという画面の衝突によって始めて総合的な意味を持つのである、という考えが根底にある。

私が書いた「グリフィス的分離」論は、ある部分ではそれに同調しながらある部分ではそれに対立するものである。
http://movie.geocities.jp/dwgw1915/newpage27.html

David Wark Griffith


 1875年1月22日、ケンタッキー州クレストウッド生まれ。本名デイヴィッド・ウォーク・グリフィス?。
 父は元南軍大尉で下院議員も勤めたジェイコブ・ウォーク・グリフィス。

 1906年5月14日、女優リンダ・アーヴィドソン・ジョンソンと結婚。

 1907年に自ら執筆した芝居『愚か者と女の子』A Fool and a Girlがニューヨークで上演されるが、失敗し、生活のためやむなく映画界入りを試みる。
 エディソン社で監督のエドウィン・S・ポーターと出会い、俳優として彼の『鷲の巣から救われて』Rescued from an Eagle’s Nest(1908)に主演。その後、バイオグラフ社にストーリーを売り、俳優も続けた。

 1908年6月18日と19日に撮影された短編『ドリーの冒険』The Adventures of Dollieで監督となり、以後バイオグラフ社のほぼすべての作品を演出。

 1908年から13年にかけてバイオグラフ社で500本近い映画を演出した。

 1911年には会社の反対にもかかわらず2巻物『イーノック・アーデン』を監督。4巻物の『アッシリアの遠征』(1914)を最後に、長編映画を撮るためバイオグラフ社を離れる。
 ミューチュアル社のハリー・エイトキンと共に「エポック・プロデューシング・コーポレイション」を設立、12巻の大作『国民の創生』(1915)で空前の成功を収めた。
 続いてさらなる超大作『イントレランス』(1916)を監督するが興行的に失敗した。 

 1919年、当時の世界的大スター、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリンと共同で、新たな配給会社「ユナイテッド・アーティスツ」を設立。

 18日間で完成させたリチャード・バーセルメス、リリアン・ギッシュ主演の『散り行く花』(1919)がユナイト社の第一弾となった。
 法外な製作費を投じて『東への道』(1920)を撮り『国民の創生』をも凌ぐ利益をあげたのに続き、『嵐の孤児』(1921)を監督。いずれもリリアン・ギッシュが主演している。

 1931年公開の『苦闘』The Struggleは批評的にも興行的にも失敗、これが最後の監督作となった。

 1932年に自らの独立プロを解散、1933年にはルイヴィルに転居した。

 1936年にリンダ・アーヴィドソンと離婚、3月2日に女優イヴリン・ボールドウィンと再婚したが、1947年に離婚。

 1948年7月23日、ハリウッドのテンプル病院にて脳溢血のため死去した。(満73歳没)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/D%A1%A6W%A1%A6%A5%B0%A5%EA%A5%D5%A5%A3%A5%B9


14. 中川隆[-13607] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:07:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

一生、グリフィスの理想のロリ女性を演じ続けたリリアン・ギッシュ

@ 見えざる敵(An Unseen Enemy) 1912

監督:デイヴィッド.W.グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ ドロシー・ギッシュ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13365453


 バイオグラフ社製作。リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュの映画デビュー作でもある。

 父親に死なれた2人の姉妹。姉妹の兄は、2人の遺産を家の金庫に入れて仕事に行く。そのことを知ったメイドは、仲間を呼んで金庫を開けようとする。姉妹に感づかれたメイドは、姉妹をある部屋に閉じ込めてしまい、壁に開いた穴から姉妹に向けて銃を発砲する。姉妹は電話で兄に助けを呼び、それを聞いた兄は大急ぎで助けに行く。

 「THE GIRL AND HER TRUST(彼女と彼女の信頼)」(1912)などといった他の作品でも見られる、グリフィスお得意の「ラスト・ミニッツ・レスキュー(最後の救出劇)」のバリエーションである。銃が壁に開いた穴に突っ込まれる際、クロース・アップで捉えられた穴から、ゆっくりと不気味に銃が出てくるというヒッチコックを思わせるシーンなど、工夫は凝らされているが、基本は変わらない。ただ、話はスムーズに流れているし、加えて兄が車で助けに来る途中に橋でトラブルに遭って時間を取られるといった「じらし」のテクニックも披露されて、グリフィスが追求した話法が完成されてきているのがわかる作品となっている。

 リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュは、若い。むしろ幼い。後のグリフィス作品に踏襲されるリリアンとドロシーの役割分担(大人で静かなリリアンと、活動的なドロシー)がすでにこの作品から見られる点が興味深い。といっても、リリアンとドロシーは私生活でもスクリーン上と同じように、大人のリリアンと子供のドロシーという感じだったらしいので、それを反映させただけかもしれないが。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%B8%AB%A4%A8%A4%B6%A4%EB%C5%A8&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail


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A The Mothering Heart (Lillian Gish / Walter Miller) 1913

監督:D・W・グリフィス
 出演:リリアン・ギッシュ、ウォルター・C・ミラー、ヴィオラ・バリー

http://www.youtube.com/watch?v=JCmY6VQP6s4
http://www.youtube.com/watch?v=AAt_hXJeClo
http://d.hatena.ne.jp/kinokos/20091011/p5


リリアン・ギッシュが初めて単独主演した作品とも言われ、「母親を演じるには若すぎる」としたグリフィスに対して、オーディションを受け直してまでギッシュが役を手に入れた作品ともいわれている。

 ある夫婦。妻は妊娠するが、夫はそのことを知らずナイトクラブで浮気相手といちゃついている。夫の浮気を知った妻は、家を出て実家で子供を出産。しかし、子供は生まれて間もなく死んでしまう。

 後にギッシュがグリフィス作品で演じていく、不幸な若い女性像がこの作品には表れている。特に展開が、「東への道」(1920)に似ている。そして、そのギッシュが素晴らしい。

 まずはその表情。夫が浮気しているのではないかという疑念の表情、夫との離婚を決意したときの決然とした表情、生まれたばかりの子供を失ったときの呆然とした表情・・・といった表情が一言では言い表せない多様な感情をたたえてギッシュの顔に浮かぶ。

 ギッシュの演技の素晴らしさはグリフィスの演出の素晴らしさによっても引き立てられている。夫が浮気相手と密会するのを見つけた後のギッシュの表情は、木に隠れてよく見えない。だが、木に突き立てられた爪が雄弁に物語っている。また、子供を失った後、ギッシュが庭に伸びるバラの茂みをスティックで闇雲に叩きまわすシーンでは、マスクをかけて画面が丸くなるように処理されている。それは、まるで映画の受け手が見てはいけないものこっそり見ているかのような感覚だ。

 グリフィスの演出とギッシュの演技の融合はほかにもある。ギッシュが妊娠していることは、ギッシュがちょうど赤ん坊の大きさに畳んだ服を、腕の中であやすような仕草を見せることで私たちに知らされる。また、ギッシュが夫とナイトクラブへ行ったとき、ギッシュがナイトクラブのような場所にウブであることを、ステージ上のショー(原始人の格好をした男女が踊るショー)に見とれて他の人のテーブルにぶつかってしまうことで示される。このとき、ギッシュの妊娠をすでに知っている観客が、ギッシュのお腹がテーブルにぶつかることで、ヒヤっとすることまで計算していたとしたら、グリフィスはすごすぎる。

 D・W・グリフィスがバイオグラフ社で短編を撮っていた時代の末期にあたるこの作品は、グリフィスのメロドラマの集大成を示しているとともに、この後のグリフィス映画を予見しているようにも思える。そして、何よりもグリフィスの演出、リリアン・ギッシュの演技、わかりやすいが胸を打つストーリー(ラストシーンはグッとくるものがある)、素晴らしいセット(特にナイトクラブのセット。当時の金額で1,800ドルかかったという)と、見事な出来栄えの作品である。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=The+Mothering+Heart&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail


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B 國民の創生(THE BIRTH OF THE NATION) 1915

監督:D・W・グリフィス
キャスト:リリアン・ギッシュ/メイ・マーシュ


http://www.youtube.com/watch?v=vPxRIF1c2fI
http://www.youtube.com/watch?v=8TWWPhBvJJo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=tzDlC9a7Cao&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=bHMil73oTgQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=R4v_yRFf4-Y

http://www.youtube.com/watch?v=9t-7SVbLjBw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=91Oqqs7OMbo
http://www.youtube.com/watch?v=51-Ie_XoVNM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RQyy9S8-Q5E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=O95nALWbO44&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=fJx-KOLEkTk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RdM9tYh2CEg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yosy-ClkFto&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fOm8z_DUboc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=WxKG14k03Z0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Q1gpJNk9Rh0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=8_wOXyoHLYY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=-T8hxDnJefI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=b8OwKgU4Vvc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=LqQnZZufuWo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=U2gGxmpH0_o&feature=related


トーマス・ディクスンの小説『クランズマン』を翻案し、映画化された。アメリカ映画最初の長編作品でもある。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・アメリカ南部の二つの名家(ペンシルベニア州のストーンマン家とサウスカロライナ州のキャメロン家)に起こる息子の戦死、両家の子供達(リリアン・ギッシュ、ヘンリー・B・ウォルソール)の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカンの暗殺などが、ドキュメンタリー映画を思わせる迫真の映像とともに、白人の視点から描かれる。

史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、エイブラハム・リンカン暗殺のシーンのため、グリフィスは暗殺当日の演目であった『われらがアメリカのいとこ』という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。


長編映画でも4巻(約40〜50分)ものが主流であった当時としては前例のない、12巻(上映時間2時間45分)、制作費は6万1千ドル、広告費などを合わせた経費は約11万ドルかかったが、公開するや作品は大ヒットし、ニューヨークでは実に44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。1931年には、音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。

映画技法の特徴 [編集]現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。この映画では、グリフィスが直前まで働いていたバイオグラフ社時代の短編で映画監督としての修業を積み、カメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを次第に身につけてきたのが、一気に開花しているのである。

第1には、場面の動きの見事さである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。

主観の切り替え技法この作品では画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。また1場面をワイドショット、標準、バストショット、クローズアップなどのショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって、迫力のあるシーンを編集できたのである。

また、当時のフィルムはオルソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。

第2に、カメラの機能と編集である。明るい場面、暗い場面、鋭角的な場面、ロングショット(遠景)、クローズアップ、パンショット(カメラを左右に動かす)、移動撮影などを多用しているが、1つのカットには1つの事柄のみを含ませてそれらを総合的に組み立て全体の事件を見せるという技法や、1カットの事柄が終わらぬうちに別のカットを入れ込みそれらが統合して新しい意味を生み出すという技法などを用い、エモーショナルな効果やサスペンスを盛り上げることに成功している(モンタージュ効果)。

モンタージュ効果はエドウィン・S・ポーターの『大列車強盗』(1903年)の前例があるが、グリフィスはそれをさらに本格化させており、これらの技法は後にエイゼンシュテインやプドフキンらがモンタージュ理論として体系化された。特にサスペンスが盛り上げる時、クロスカッティング(日本では「カットバック」とも呼ばれる)を多用している。

第3に、フラッシュバックの使用である。フラッシュバックとは、プロットにおいて、映画の物語の現在より過去に起きたアクションやシーンを提示することである。これは、グリフィス自身がすでに以前の作品で試みているが、この作品ではとても効果を上げている。

第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の一部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったもの である。

第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、エイゼンシュタインらが後に多用した方法である。

最後に、専用の映画音楽が作曲されたということである。フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用したのである。

これらは姿・形を変えつつも現代の映画技法に日常のように受け継がれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%89%B5%E7%94%9F

『イントレランス』、『散り行く花』、『東への道』、グリフィスはとっても有名ですね。けれども『國民の創生』は、もっと古いですから、ご存知ない方があるかもしれませんから、ちょっとこの大事なグリフィスの名作の話をしましょうね。

で、『國民の創生』ってなんでしょう?BIRTH OF NATION、『國民の創生』ですね。
これは、どんな話かと申しますと、南北戦争が始まる前に、南のお嬢ちゃんと北の坊ちゃんが仲良かったんですね、仲良かったけれども、南北戦争で二つに別れたんですね、この男女は生き別れになったんですね。

そういうような話なんですけれども、この映画で見事だったのは北軍と南軍の大戦争ですね。もの凄い戦争ですね。これでもしも戦争が激しく、激しく、激しくなったら、アメリカは二つに別れなくちゃならなかったんですね。

さあ、そこでこういう言葉があるんですね、House Divided、二件に別れた家、というような言葉がアメリカにあるんですね。それは南北戦争のことですね。南北戦争がもし燃え上がって、燃え上がって、リンカーンが暗殺されなかったなら、この二つの国が生まれるんですね。

これは見事に治まったことで有名な話なんですけど、そこで初めて『國民の創生』、アメリカいうものが出来たんですけれども、この映画で何が凄かったかいうと、アメリカのこの歴史ですね、いかに、いかに、北軍が南部の黒人達を憎んだか、いうことが見事に出てるんですね。

というのは、グリフィス自身が北軍の人なんです、北軍びいきなんですね。それで黒人を随分、随分苛めたんですね。だからこの映画に始めて、K.K.K.というのが出て来るんですね。クー・クラックス・クランとか言うんですね。

これは顔をかくして、白い服を着て、馬に乗って、何か木の棒を持って、ずーっと廻り歩いて黒人見たら殺すんですね。 怖い、怖い連中、K.K.K.、今でもこのK.K.K.、アメリカにいるんですね。

黒人はみんな、みんな殴り殺すんですね。黒人の家を焼くんですね。なぜそんなことをするんだろう、いや、黒人はいやなやつだ、黒人は悪いやつだ、顔がブラックでいやだ、そういうような時代があったんですね。

この南軍北軍の物語、この映画の終わり、やっとアメリカが一つになった、アメリカが一つになった、タイトルが『國民の創生』ですね。 というような話なんですけれども、当時、本当にそのころ日本に北軍の唄が流れて来たんですね、“ダンダンダダンダダンダ...”と流れて来たんですね。 私が幼稚園の頃、日本に流れて来たんですね。で、日本の唄になったんですね。“アナタノアーイノ、ツユウケテ、キーノウハージメテ、ワラッテヨ”まあ、そんな唄になったんですね。

よく考えたら「あなたの愛の露受けて、昨日始めて笑ってよ」、いやらしい唄ですね、というような事で、その時分にもうすでに北軍の行進曲が日本に入ったいうこと、それもおもしろいですけど、『國民の創生』は、その時代の話ですよ。
【解説:淀川長治】

http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2270.html


D・W・グリフィス監督による「国民の創生」は、あらゆる意味で映画史に名を残すに足る作品である。その理由はあまりにありすぎて、ここにすべてを書くことがためらわれるくらいだ。

 まず、「国民の創生」が超大作であるという点だ。当時、映画のほとんどはまだ短編が中心だった。イタリアでは1914年に「カビリア」といった作品がすでに長篇として世に出ていた。しかし、ことハリウッドにおいては、まだまだ短編が中心だった。 そんな中、現在私たちが見ることができる「国民の創生」は2時間35分の超大作だ。これは、今の映画と比べても長い。長いということは大したことではないように思えるが、当時の興行においてはこれがかなり賭けであったことは想像できる。当時の他の作品と比べて莫大な製作費をかけたこの作品は、映画館での収益が収入のすべてであった当時において、観客が入らなければ出資者たちを破綻へと導くことになる(後にグリフィスは「イントレランス」(19196)でその憂き目に会う)。

 興行的には「国民の創生」は大ヒットを飛ばした。通常の入場料よりも高い2ドルに設定したという入場料もものともしなかった。「国民の創生」は、アメリカ映画において国民的な大ヒットを初めて飛ばしたという意味でも映画史に名を残すに足る作品といえるだろう。

 これ以降、肥大化していくハリウッドにおいて、これほど監督の名が強く刻印される作品が製作され、そして大成功を収める例は少ない。「国民の創生」にグリフィスは出資もしており、映画はグリフィス一色といってもいいくらいなのだ。唯一の例外は同時代においてはチャップリンくらいだろう。

 映画誕生当初、映画はこじんまりと職人的に製作されていた。その代表例は、トリック映画でおなじみのジョルジュ・メリエスである。そんな状況は変化し、映画は産業として、製品として製作されていくことになる。大会社によって、工場に近い形で映画は製作されていく。グリフィスも(チャップリンも)、当初はひたすら生産される映画作品の部品の1つに過ぎなかったが、徐々に製作者の立場となり、自らの作りたい作品を撮るようになる。そのグリフィスの夢の結実が「国民の創生」であり、続いて製作される「イントレランス」である。両者の間に横たわる最大の違いの1つは、「国民の創生」は興行的に成功したということだ。

 映画が産業へと移行していく過渡期において、1人の人物が映画を製作し、そして大成功を収めたという記念碑的な作品として、「国民の創生」はやはり映画史に名を残すに足る作品といえる。

「国民の創生」は、南北戦争前後の南部を背景として、2部に分かれている。1部は、南北戦争の勃発からリンカーン大統領の暗殺までが描かれる。2部では、実権を握った黒人と、それに反発する白人たちとの間の争いが描かれる。

 1部は戦争の悲惨さがひたすら描かれる。親交の深かった2つの家族は、南北戦争によって敵同士となってしまう。敵となっても、戦場で顔を合わせれば、それはかつての友人に違いはない。2つの家族の兄弟たちは、それぞれ戦死者を出して、ついには1人ずつとなる。帰りを待つ家族の悲しみ。敗色濃い南部側の家では着るものを売り払わなければ生活していけなくなる。何とか生き延びた南部の家の兵士が帰り着くとき、そのボロボロになった心と身体が、荒れ果てた家が、ボロの服を精一杯着飾って迎える妹が、悲しさを助長させる。出征のときの街をあげてのどんちゃん騒ぎの影はどこにも見られない。あるのは、戦争が産んだ悲劇だけである。

 この戦争の悲惨さに加えて、メロドラマも語られる。やがて敵同士となる南北の2人の友人。北の男には妹がいた。南の男は、その妹の写真を見ただけで一目ぼれしてしまい、写真をもらって戦場でも大事にする。やがて、戦場で負傷した南の男が、北軍の医療所に収容されると、そこには夢にまで見た(演出もまさに夢を見ているようにされている)写真の女性がいた。メロドラマは、2部への伏線ともなっている。

 2部では、リンカーン暗殺後に、黒人が権力を握った南部が描かれる。北側の意向により、南部では黒人が議会では多数派を占めるようになり、白人は隅へと追いやられる。黒人はそれを利用して、傍若無人に振舞うようになる。

 戦争によって敵同士となった親交の深かった南北の2つの家は、再び親交を取り戻している。北部の家族は、家長の療養も兼ねて南部の家へと居候することになる。この家長こそ、黒人に実権を持たせるように決定した人物であった。病院で運命の出会いを果たした男女も、ここで再会する。2人の再会によって愛が燃え上がるわけではない。それよりも、描かれるのは、白人と黒人の対立だ。黒人の横暴に耐え切れなくなった南部の家の男は、自警団を結成することを決める。悪名高きKKKだが、この作品では、KKKは白人の命を守る正義の士として描かれている。黒人によって、妹を殺され、家族や愛する女性が黒人に命を狙われたことを知った南部の家の男は、KKKを率いて仲間である白人を救出するのだった。

 「国民の創生」の内容もまた、映画史に名を残すに足るものとなっている。その理由は2部にある。2部の内容は、白人を持ち上げ、黒人をさげすんでいる。そのことは明らかだ。「国民の創生」が公開されたとき、有色人種の団体から猛烈な反対が起こったというし、映画監督への賞であるデビッド・W・グリフィス賞は「国民の創生」における思想の問題において近年別の名称へと変更されている。

 確かに、「国民の創生」における黒人の描かれ方はひどい。ひどすぎるといってもいい。例えば、議会で靴を脱いで机に足を乗せる人物がいたり、密かに酒を飲む人物がいたり、あからさまに好色な人物がいたりという描写は、一方で白人の議員が礼儀正しく座っていることもあり、黒人を人として描いていないとまで言えるだろう。

 この黒人観は、まさにグリフィスによるものだ。グリフィスも、この作品にKKKに参加している人たちと同じように、南部の出身である。しかも、父親は軍人であった。そんな、グリフィスにとって、「国民の創生」における黒人観は当然のものであった。グリフィスはグリフィスの正義を「国民の創生」に注ぎ込んでいる。グリフィスは自らの主張のために、あらゆる配慮をせずにこの作品を作っていることだけは確かだ。

 D・W・グリフィスによる「国民の創生」は、演出ももちろんグリフィスによって行われている。グリフィスといえば、クロース・アップやカット・バックといった技法を完成させた人物(発見した人物ではない)として名高い。そして、「国民の創生」はその完成形としても高く評価されている。

 「国民の創生」においては、その群集処理が高く評価されている。確かに、その長い長い兵士の行列シーンなど、当時評価されていたことはわかる。だが、他にもたくさんの似たようなシーンをみてきた私にとっては、それはさほど心を打つものではなかったというのが正直なところだ。

 また、黒人の襲われる白人たちと、白人たちを救うために馬に乗ってかけつけるKKKの一団のカットバックも、「国民の創生」を語る上で欠かすことのできないものだろう。しかし、このカットバックは見ていてドキドキするほどのものではない。これは、最後には間に合うことを知っているとういことと、KKKをどうしても正しいものとして見ることができないということからくるものだろう。

 だからといって、この作品は今見るとまったく楽しめない作品ということではない。時間を割かれて描かれるリンカーンの暗殺シーンや、黒人に追われて崖へと追い詰められる白人女性のシーンの緊張感はなかなかのもので、グリフィスの演出や編集の確かさを知ることができるだろう。

 また、わざわざ字幕で「本を参考に忠実に再現した」と断るだけあって、リンカーン暗殺の場となる劇場や黒人の議員に選挙された議場などのセットは見事だ。

 役者たちで最も印象深いのリリアン・ギッシュだ。グリフィス一門の中でもすでに古参の1人となっていたギッシュは、少しの表情の変化で感情を見事に表現している。病院のシーンで登場する、ギッシュ演じる看護婦に見とれる兵士は、実際にもギッシュに見とれていた男を起用して急遽挿入した人物なのだという。本筋の展開以外に遊びの部分がほとんどない「国民の創生」において、異色なシーンにはこんな理由があるのだ。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=THE+BIRTH+OF+THE+NATION&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail


リリアン・ギッシュの白い肌と銀幕


國民の創生とは、歴史的大作の皮膚を被った実に私的なフィルムである。

 それは何処に現れているか。 リリアン・ギッシュのあの白い肌に、である。

あからさまに他の女優達とは違う聖母性を授かったリリアンは「イントレランス」の時とは違って多種多様な表情を見せてくれる。 リリアンの魅力だけで言うのなら「散り行く花」並のリリアンの表情の多さと悲惨さとそして、決定的なスター性とでも言うようなモノがこの映画には溢れている。


 思い出して欲しい。 クローズアップの決して多くないこの映画で一番クローズアップを受け止めていたのは誰かを。間違ってもそれをヒロインだからなどと言わないで頂きたい。

彼女がヒロインなのは映画の中だけではない。監督と主演女優の境界がない世界でも確実にヒロインのはずだ、それはヒッチコックととあるモナコの王妃との関係に似ているかもしれない。

 決定的な迄の一方通行さ。それが映画の中に類い稀な奇跡を導入している。

 今一度思い出してみれば、リリアンの小鳥とのキスシーンの何とエロチズムに溢れた逆説的に監督からのリリアンのキスシーン拒否とも取れる演出の中に潜むデイヴィッドからのリリアンと恋愛を演じる俳優への嫉妬心が見え隠れしてはいなかっただろうか。

 その後のリリアンがキスを終えて部屋ではしゃぎまわる件はどうだろう。 ベッドの支柱に彼を思い顔を頬を寄せるリリアンに対してキャメラは決して羞恥を隠さずに思い切ったクローズアップを展開する。

 そうしてその後この映画に起こる出来事に対してリリアンは多種多様な演技を見せてその魅力の一辺を垣間見せてくれる事に祝砲をあげよう。

 父にとっての銀幕は5セントの劇場でも夢工場でもなく、間違いなくリリアン・ギッシュのあの白い肌にその果てしない願いをぶつけれる銀幕を見ていた筈だから。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=7799#2


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C イントレランス(Intolerance) 1916

監督・脚本:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ/メイ・マーシュ/ロバート・ハロン/コンスタンス・タルマッジ

http://www.youtube.com/watch?v=zkgSIdOU_cc&playnext=1&list=PL15EC7C79466B0E93
http://www.youtube.com/watch?v=zO545Fie1j4&playnext=1&list=PL15EC7C79466B0E93
http://www.youtube.com/watch?v=8F-pOHbNCoQ&playnext=1&list=PL15EC7C79466B0E93


いつの時代もイントレランス(不寛容)が世を覆っていたことを描き、人間の心の狭さを糾弾した。「映画の父」と呼ばれるD・W・グリフィス監督による、『國民の創生』と並び称される代表作にして映画史に残る大作。

社会の不寛容のため、青年が無実の罪で死刑宣告を受ける製作当時のアメリカ、不寛容なファリサイ派のために起こったキリストの受難、イシュタル信仰興隆に不寛容なベル教神官の裏切りでペルシャに滅ぼされるバビロン、ユグノーに対し不寛容な宗教政策によるフランスのサン・バルテルミの虐殺の四時代を並列的に描いており、最後に四時代は結集し、寛容を説く構成となっている。

バビロンのセットは当時としては破格の資金が費やされたが、四つの物語が同時並行的に進行する難解な作品であったことや、グリフィス一座の看板女優であったリリアン・ギッシュが表面的にはフィーチャーされていない扱いであったことなどからアメリカ国内では興行的には大失敗をし(リリアン・ギッシュの自伝によれば、最終制作費は190万ドルに達したとされるが、正確な制作費は不明)、壮大なバビロンのセットを解体する費用さえもまかなうことができず、このセットは数年の間廃墟のように残っていたと言う。しかし、歴史劇の伝統があるヨーロッパにおいては高い評価を得て商業的にもある程度成功した。現在では『國民の創生』と並び、グリフィスの代表作であると同時に、映画史に燦然と輝く名作として評価が確定している。

なお、本作においてリリアン・ギッシュは四つの物語には登場せず、ゆりかごで眠る赤ん坊を見詰める女性として、物語の間をつなぐような慎ましやかなシーンにのみ登場しているが、この役柄が聖母マリアを象徴していることからもわかる通り、グリフィス自身はギッシュこそが本作の真の主役だと認識していたと言われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9


D・W・グリフィスの『イントレランス』、この話しましょうね。

これは今だに、もう語りぐさ、アメリカで『イントレランス』言ったら知らない人はいませんね。日本でも『イントレランス』って知らない人いませんね。というのは、『國民の創生』、あの名作、超大作をつくったグリフィスが次に『イントレランス』を作ったんですね。

これは凄い時間かけて、当時六巻ぐらいが普通だった頃に、十四巻ぐらいの映画つくったんですねえ。

『イントレランス』、どんな意味ですか?『イントレランス』。

これは、不寛容、許されないこと、許さないこと、人間はこうゆう根性持ってるから、どんどん、どんどん、悲劇いうものが生まれたんだよ。戦争も、何もかも『イントレランス』なんだよ。この映画、『イントレランス』はグリフィスの、愛の好きなグリフィスの、怒りの声ですね。

グリフィスという人はこの前に、『國民の創生』の前に、『ホーム・スイート・ホーム』いうの作ったんですね。それは、いいお家、貧しいお家、悪いお家、いろんなお家が、家庭が出て来るんですね。それは、今考えたらオムニバスなんですね。当時オムニバスなんか考えてない頃に、グリフィスはそういう映画つくったんですね。映画作家だけど、映画の小説作家みたいな感じなんですね。

映画を作りながら、何か小説を書いているような人だったんですねえ。代替作家だったんですね。

それで『國民の創生』の次につくった『イントレランス』。これは時代物、紀元前何年の頃、今、そしてフランスの時代、いろんな時代を四つか五つとか、ずーっと観せたんですね。

で、これを観た時、私は十才でしたけど、何だかよくわからなかったのね。けど考えたら、見事なつくり方ですね、いかにもアメリカ式ですね。今日の時代がある思うとバビロン時代がある、バビロン時代があると、フランスの時代がある、そういう映画だったんです。

で、この映画のどういうとこがおもしろいか。怒る事、許さない事が、どんな悲劇を起こすか、どんな悲劇を起こすか。

バビロン時代、そのバビロン時代のセットの凄いこと。びっくり仰天で、今だに語りぐさですね。『イントレランス』のセット、バビロンのセット、凄いなあ。

どうしてグリフィスは、こんな立派な凄いものつくったの?思った時に、グリフィスは言わなかったけれど、みんなはわかったの。その二年前にイタリアが『カビリア』というの作ったのね。

『カビリア』というのは、凄いカビリアの宮殿、もう驚くような宮殿つくったんですねえ。 もう大理石の象、エレファントがずーっと並んでいるカビリアの宮殿。それをアメリカが観て、びっくりして、イタリアのアッブルジオいう会社がこんな凄い作品つくったのか!とみんなが驚いた時に、グリフィスが、「『カビリア』以上のもの作ってやる、僕は『カビリア』以上のもの作ってやる」それで生まれたのが『イントレランス』ですね。

だから『イントレランス』は、バビロンの時代、現代の時代も出ますが、バビロンの時代にどんな宮殿造ったか?さあ、それがもの凄くてびっくり仰天ですね。

そうしてそのバビロンの宮殿の、大きな大きなホールの真ん中の階段でみんなダンスする場面、その主人公がルイス・セント・デニス。もうアメリカ最高のバレリーナですね。それがサイレントだけどダンスするんですね。それを撮っている場面の奇麗なこと。

ところがこれはどうしても俯瞰撮影、上から撮らないと全景撮れないんですね。困っちゃった、困っちゃった、どうしても撮れない。今ならヘリコプターがあるから完全に撮れるけど、当時はヘリコプターがないからどっから撮っていいかわからない。

それで気球を出してロープを使ってずーっと上げて、そのかごの中にキャメラ置いて、ずーっと移動したんですね。そういうような、難しい、難しい撮り方をしたこの『イントレランス』。このシーンだけでも凄い。しかも、三つ、四つ、五つの話が入り交じって、入り交じっていて、現代も出てくるんですね。

現代はどんなの出て来るか言うと、金持ちの有力者がね、莫大な金をね、ある病院に寄付するんですね。で、えらい評判ですね、良かったんですね。けどその有力者、自分の工場の全部の工員の一週間分の中の給料を一割引いちゃったんですね。そうしてその金を寄付したんですね。

怒ったのは、工場の工員ですねえ。「なに、そんなばかな事あるか!」言って全部がストライキした。大ストライキ、大ストライキ、ニューヨーク、大騒ぎ。そうしてみんなが固まって、固まって、工場も閉鎖しようとしたんですね。そこへニューヨークの警察が、どんどん、どんどん、銃を持って、ライフル銃を持って、ずーっとその連中を追っかけたんですね。その場面が、ほんとのニュース実写のように出たんですね。

『イントレランス』は現代のそんな景色、ニューヨークのそんなストライキの景色、そしてバビロンの時代、紀元前の時代、いろんなの出して、グリフィスがどんな作家かいう事をね、みんなが観てびっくり仰天した。『イントレランス』は、そんな歴史の作品ですよ。

【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18019.html


この作品の圧巻はなんといっても「バビロンの栄光と崩壊」。 これでしょうね。

おびただしい人馬の群れと馬鹿でかい例の巨大な「空中庭園」には威嚇され圧倒されると同時に「無駄遣いしすぎ!」と思わず言いたくなるほどの物量です。あれが全部本当の人間だと思うと吐き気がしてきます。あの人たち全員にそれぞれ「人生」があるわけで、無数の「人生」の一瞬が、あの作品に切り取られていると思うと凄みが増してくるように思います。

  あのばかばかしいほどでかい90メートルの城壁から見渡す街並みまで作ってしまったグリフィスっていったい何考えていたんでしょうか。

  4つのストーリーと5つの時間の起点を交互に行き来する複雑な構成のため、興行が大失敗してしまい、2度と彼が大作を任されなくなってしまったある意味「汚点」となった作品ですが、その映画への独創性と革新性は確実に映画界に浸透しています。しかもまだそこから先にはあまり進んでいるようには思えません。あのゆりかごを揺するのは「神」であり、揺すられている「赤ん坊」は未熟な人間ですかね。

 最高の監督、最高の女優リリアン・ギッシュ、最高の撮影技術、最高の予算と人数、最高の美術をつぎ込んだ最大の失敗作。ただこれは時代が追いついていなかったために起こったことであり、今見るとグリフィスその人の存在の巨大さと、「イントレランス」の偉大さが十分に理解できます。もっとも「不寛容」だったのは誰でもない「ハリウッド」だったのでしょう。

  そして最後の「寛容」な世界は「神」が示す未来なのか、グリフィスその人の「夢」なのか。考えさせられました。 いまでも「不寛容」は世界中にはびこっています。最後に「愛」を叫ぶグリフィスが偉大に思えます。あの朽ち果てた戦車に咲く花のイメージはミスチルのかかる「カップ麺」のCM(綺麗でした)や「ラピュタ」の城のロボット兵にも使われていましたね。

 
「メディチ家」の話は宗教対立に名を借りた権力闘争であり、今でもイラクやその他の地域で現実に起こっていることです。
 婚約者を虐殺から救えるか、男は間に合うかどうかと言うシーンのカットバックの手法が素晴らしい。

 「現代」の話での圧巻は機関車と車の映画史で初のカーチェイスです。疾走する機関車は「時間」のメタファーであり、それを止めようとする人々は流れる「時間」を自らの「意志」で「変化」させています。

バビロンでの馬車を真横からカメラが捉える猛スピードの映像、気球を使って城全体を視野に入れる「俯瞰ショット」も凄いですなあ。これしか言いようがない。
  
  こうしてみると最初の「イエス受難」以外のすべてに その運命を変えようと果敢に挑む人たちが出てきます。ある者は力尽き、またある者は大切な人を「不寛容」から取り戻します。

  「神」のイメージで登場するリリアン・ギッシュの ゆりかごを揺する手を忘れられません。映像で作られた最高の文学です。「神話」「悲劇」「叙事詩」「リアリズム」「アイロニー」を網羅しているこの作品は(人間のあさはかさ を見せつけると言う意味では「喜劇」も入るかも)映画を愛する全ての人へのグリフィスからの贈り物であり、解決すべき問題提起です。

http://yacopper.air-nifty.com/tentsuba/2004/05/post_67.html


D・W・グリフィス監督による「イントレランス」は、後世にまで語り継がれるに足る壮大さを保持した映画である。そのストーリー、そのセット、その裏話、その技術・・・様々な面で壮大な映画である。

 グリフィスによる前作「国民の創生」(1915)は、興行的に大ヒットを記録した。これによって、グリフィス自身は、大金を得ている。しかし、大金以上にグリフィスが手にしたものがあった。それは、自信である。

 「国民の創生」(1915)は、賞賛と共に批判も浴びた。内容が人種差別的だったからである。内容への反対から上映禁止措置が取られた地域もあった。グリフィスは上映禁止に対して、敢然と抗議した。パンフレットを製作し、検閲に対する反対の意思を表明した。

 そんなグリフィスの意思は、「イントレランス」の製作へとグリフィスを向けることになる。しかし、「イントレランス」は、検閲に対して反対の立場を映画として表現しているわけではない。検閲も含めた人間の「不寛容(イントレランス)」という、もっと幅広い概念への反対の立場を表現している。

 映画で自分の考えを表明するために、別に大作である必要はない。しかし、グリフィスは「イントレランス」を超大作として製作した。「イントレランス」の1部である現代アメリカ篇は、「母と法律」というタイトルで1本の作品として完成していたという。グリフィスはこれにバビロン篇などの他の時代の物語を付け加え、超大作として製作した。「イントレランス」の現代アメリカ篇だけを見てみると、それほどお金がかかっていると思われるシーンはない。あえて金をかけて、グリフィスは「母と法律」を「イントレランス」へと作り変えたのだ。

 イタリアの史劇映画の超大作「カビリア」(1914)をグリフィスが見て刺激されたという説もあるが、実際はどうなのかはわからない。それよりも私が感じるのは、グリフィスの自信である。グリフィスの自信が「イントレランス」を超大作として製作させた面を強く感じるのだ。

 グリフィスの自信を最も感じるのは、製作費についてだ。グリフィスは「イントレランス」に多大な製作費を自ら出資している。「国民の創生」で得た金のすべてを出したとも言われている。その金額は100万ドル。それでも、製作費は足りず、最終的には190万ドルかかったといわれている。グリフィスは「グリフィス・プロデューシング・コーポレーション」という会社を設立して製作している。すなわち、「イントレランス」は、製作費の面でもグリフィスの映画なのだ。映画を成功させる自信がなくては、そんな出資はできるものではない。

 グリフィスは、資金面の責任を個人的に請け負って製作した(職人的に製作した)作品の中で、最大規模の映画を「イントレランス」で実現したといえるだろう。チャップリンも後に同じような立場で超大作を生み出していくが、グリフィスほどの壮大さはない。チャップリンの場合は、「チャップリン」というキャラクターがメインのため、「イントレランス」ほどのセットや背景の壮大さは必要なかった、むしろ邪魔になったのだろう。


 映画本編そのものについて話そう。

 「イントレランス」は、全部で4部から構成されている。労働者階級の1組のカップルの受難を描いた「現代アメリカ篇」、バビロンの崩壊を描いた「バビロン篇」、キリストの受難を描いた「ユダヤ篇」、聖バルテルミーの虐殺を描いた「中世フランス篇」の4部である。

 4つの物語はオムニバスのように分かれているのではなく、交互に入り乱れながら展開していく。4つの物語の展開は一致するようになっており、話の発端からつかの間の安息の日々、不寛容の広がりから悲劇へとつながっていくようになっている。

 グリフィスは、「イントレランス」について次のように語っている。

 「様々な物語は山の頂から見下ろした四つの流れのように始まる。最初、四つの流れは別々で、ゆっくりとしていて静かである。しかし、流れていくうちに、しだいに近づいていき、やがて早くなり、最後には一つの深い感動の奔流の中に交じり合う終幕へと行きつくのである」

 「母と法律」の題で、すでに完成されていたという「現代アメリカ篇」が、もっとも時間を割かれている。また、話も最も複雑で、かつ感動的だ。

 
 社会改良家たちがは、工場主の妹を口説いて運動資金を提供してもらう。工場主は賃金をカットすることで、その資金を捻出する。怒ったのは労働者で、大規模なストライキが起こり、鎮圧するために警察は発砲する。そんな労働者たちの一部は仕事ができなくなり、街へと出て行く。街へ出て行った若い労働者は犯罪者の道に走るが、同じ工場で働いていた労働者の娘と恋に落ち、子供ができる。しかし、若者は足を洗うことを許されず、罠にはめられて刑務所に入れられる。その間に、社会改良家たちによって、子供を連れていかれる。やっと出獄した若者だが、今度は濡れ衣の殺人罪を着せられ、絞首刑を宣告される。

 ここでは、社会改良家たちが最も不寛容な人物たちとして描かれている。そして、その不寛容な人たちの行動が1組のカップルに悲劇のドラマをもたらす。愛する人が入獄してしまった上に、子供まで連れ去られ、さらには愛する人が死刑を宣告されるという悲劇のドラマとして、「アメリカ篇」は感動的だ。

 グリフィスの演出も、「アメリカ篇」でもっとも冴えを見せている。娘が子供を奪われてしまうシーンでは、手を延ばすシーンのクロース・アップで、愛する人の裁判のシーンでは手を揉むシーンのクロース・アップで、娘の苦悩を表現している。愛する人に死刑判決が降りた後の、クロース・アップで捉えられる悲しみの表情は、言葉では表現できないほどだ。

 愛する人の無実が分かり、死刑を止めてもらうために車を走らせるシーンと、死刑の準備が進むシーンのカットバックもすばらしい。車の疾走感もすばらしいし、係員が剃刀でロープを切る練習をするシーンのリアリティもすばらしい。剃刀でロープを切る練習を見せることによって、愛する人の無実が分かって徒刑場に駆けつけた後も、係員が勢いでロープを切ってしまうのではないかという緊張感が伝わってきた。

 「現代アメリカ篇」と比べると、他の時代の物語は精彩を欠いているように感じられる。「バビロン篇」の見せ場は、「イントレランス」を語るときに真っ先に登場し、最終的にそこしか語られない場合もある巨大なセットである。

 1キロ以上の敷地に、100メートル近くの高さで作られたオープンセットは確かに素晴らしい。100メートル近くの高さの城壁の上には馬車まで走れるようになっている。また、この城壁を乗り越えて攻めるために組まれた巨大やぐらが接近しての戦闘シーンもまた確かに壮大だ。

 しかし、こうした壮大さは「イントレランス」の壮大さやグリフィスの壮大さを示すものではあるが、それ以上には映画として機能していないように思える。おそらくバビロンの享楽ぶりやおごりなどが観客に感じられるようにグリフィスは「バビロン篇」のセットを組んでいるのだと思われるが、それはあまり伝わってこなかった。その要因はストーリーにもある。バビロンの王に憧れる1人の娘が、女性にも関わらず戦闘にも参加し、最後には死んでしまうというストーリーは、悲劇的だが「現代アメリカ篇」ほど掘り下げられていないし、そのように演出もされていない。セットの壮大さにばかり話題がいってしまうことが、「バビロン篇」の限界を示唆しているように思われる。

 「中世フランス篇」は、旧教徒が新教徒を虐殺したという史実に基づいて構成されているが、ダイジェスト版の印象がぬぐえない。虐殺の命令を下す国王たちと共に、「ロミオとジュリエット」のごとく旧教徒と新教徒の愛し合う男女の物語が語られているも、十分には掘り下げられているとはいえない。

 「ユダヤ篇」もまた同じく、水をワインに変えたりとか、「罪なき者のみが石を投げよ」とイエスが言ったとかいった有名なエピソードが断片的に語られるに過ぎない。

 「イントレランス」は最初の編集バージョンでは8時間あったという。1回8時間の上映も行われたが、不評だったためにグリフィスはカットを余儀なくされたらしい。恐らく8時間バージョンでは「現代アメリカ篇」以外の物語も掘り下げられていたのであろうが、だからといって現在私たちが見ることができるバージョンよりも傑作であるという保証はない。

 後に「戦艦ポチョムキン」作るセルゲイ・エイゼンシュタインは、「イントレランス」を4つの物語の比較のドラマにとどまっており、統一した統合的イメージに昇華していないと述べている。 「統一した統合的イメージ」に映画が昇華していたら、「現代アメリカ篇」以外のエピソードが掘り下げられていなくても問題はないのだ。だが、「イントレランス」はそうはなっていないがために、極めてバランスの危うい映画となっている。

 グリフィスは「国民の創生」への批判を「不寛容(イントレランス)」であると考え、「イントレランス」を製作した。「イントレランス」でグリフィスは、不寛容を糾弾し、不寛容が戦争を生み出している糾弾する。ラストではより直接にそのことが語られている(当時は第一次大戦の真最中であった)。大枠では誰も批判できないことを言っている一方で、細かい部分を見ていくと、よくわからない部分が多々出てくる。

 「現代アメリカ篇」を見ていくと、1組のカップルのメロドラマとして素晴らしい出来栄えのこの作品も、「不寛容」についてのドラマだと言われると首を傾げたくなってしまう。グリフィスはいったい「現代アメリカ篇」のどこを捉えて「不寛容」だと言っているのかがよくわからない。

グリフィスが糾弾しているのは、偽善的な社会改良家か、労働者よりも自身の名誉を重んじる資本家か、弱みに付け込んで娘を自分のものとしようとする犯罪者か、自らの殺人を隠す女性か、誤審をもたらす裁判制度か、人命を奪う死刑制度か、はっきりとわからないのだ。今挙げたものは、すべてがドラマを展開する上でこの上ない効果を上げている。だが、「不寛容のドラマ」だと言われるとどう捉えていいのかが分からなくなってしまうのだ。

 「バビロン篇」もまた、グリフィスが糾弾しているのが、栄華に溺れるバビロンの人々なのか、権力を手に入れるために他国と手を結ぶ司祭なのか、よくわからない。
 最もわかりやすいのは、「中世フランス篇」と「ユダヤ篇」なのだが、両者とも掘り下げられておらず、「イントレランス」の中心とは成り得ていない。

 グリフィスは、かなり強引に4つのエピソードを結びつけて、「イントレランス」を作り上げている。この強引さが、「イントレランス」をテーマ的に危うい作品にしているといえる。

 「国民の創生」が、グリフィスの渾身の作品であり、作品の規模も自然に大きくなったことが伝わってきたのに対し、「イントレランス」はどこか人工的な壮大さ、肥大さを感じさせる。「イントレランス」は、グリフィスにとってのバビロンといってもいいだろう。「イントレランス」の人工的な壮大さは、あまりにも壮大すぎて、「現代アメリカ篇」の素晴らしさを見逃してしまいそうだ。

 実際、「イントレランス」を語るときに、「現代アメリカ篇」のストーリー展開の妙や、メエ・マーシュの演技の素晴らしさやグリフィスの細やかな演出(若い男女の愛の進展は、浜辺を散歩する絵画的なシーンで描かれている)について触れられることはほとんどない。これは、非常に悲しいことだと思う。すべては、バビロンの壮大なセットに埋もれてしまい、後にはバビロンのセットしか残らなかったかのようだ。

 「イントレランス」は、その作品規模も、そのテーマも、そのセットも、バビロンのように肥大化しすぎてしまっている。グリフィスは、映画の内容でも、興行的にも肥大化したバビロンに飲み込まれてしまった。そして、バビロンのセットも、「イントレランス」はその興行的な失敗から、取り壊す費用すらなく、しばらくはそのまま放置されていたのだという。

 「イントレランス」はグリフィスにとってのバビロンとなった。そして、バビロンであるがゆえに、「イントレランス」は永遠に名を残すであろう。もし「現代アメリカ篇」が「母と法律」のタイトルで公開されていたら、「イントレランス」ほどの知名度を得ることなく消えていたことだろう。それよりは、「イントレランス」の一部として生き長らえて良かったのかもしれない。

 繰り返し言おう。「イントレランス」はあらゆる面で後世に語り継がれるに足る壮大さを保持した映画である。だが、「イントレランス」の最大の魅力は壮大さではなく、「現代アメリカ篇」における小さな1組のカップルの細やかな物語だ。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%A5%A4%A5%F3%A5%C8%A5%EC%A5%E9%A5%F3%A5%B9&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail


「イントレランス」製作への道のり


 前年、「国民の創生」(1915)という大作を発表したD・W・グリフィスは、「母と法律」という作品を完成させていた。この作品は賃上げスト中に労働者十数人が殺害されたスタイロウ事件と呼ばれた当時話題の出来事を取り上げた作品だった。だが、「母と法律」は公開されなかった。「国民の創生」封切り後としては、「母と法律」はD・W・グリフィスにとって小粒に感じられたのだ。

 リリアン・ギッシュは、当時のグリフィスについて次のように書いている。「グリフィスは困難な立場に追い込まれていた。いまや一作毎に自分を乗り越えていかねばならなかった。かと言ってまた、『母と法律』を反故にすることもできなかった」(「リリアン・ギッシュ自伝」)

 グリフィスは「母と法律」に「キリストの生涯と受難」「聖バルテルミーの虐殺」「バビロンの崩壊」の3つのエピソードを付け加えて別の作品とすることに決めた。それが、「イントレランス」(1916)である。

 「イントレランス」を製作するために、グリフィスを主要な出資者とするウォーク・プロデューシング・コーポレーションが設立され、1915年の夏に製作が始まった。グリフィスが監修者として所属していたトライアングルは出資せず、グリフィス自身が「国民の創生」で得た100万ドルを投資したという。

 「バビロン篇」のために作られた巨大なセットは有名だ。映画史上最大のこのセットは、奥行き1,500メートル、高さ100メートルあったと言われている。また、1万6千人に及んだというエキストラ代や彼らに着せる衣装代にも大量の経費がかかった。

 莫大な制作費を集めるのはたいへんなことだったようだ。リリアン・ギッシュによると、経費がかさんだことから資金を撤収する人が現れ、グリフィスはそれらの人の株を自ら買い取ったのだという。グリフィスはそのための資金捻出のために、「国民の創生」の一部を抵当に入れて借金をした。

 グリフィスは1939年にMGMに「イントレランス」を今(1939年)に製作するとどれくらいの制作費が掛かるかの見積もりをお遊びで出してもらったことがあるという。MGMの回答は1,000万ドルから1,200万ドルであったという。1939年当時の制作費は200万ドル程度だったというから「イントレランス」の規模の大きさがわかる。


「イントレランス」の撮影

 「イントレランス」(1916)における、巨大なセットを使った撮影はスケールの大きいものとなった。群集シーンの撮影のために、当初は気球にカメラを据え付けて撮影したがうまくいかないので、ロープで上下できるエレベーターにカメラを据え付け、レールに乗せて前後に動かして撮影を行った。

 戦闘シーンの撮影では、城壁から飛び降りた者に5ドルの手当てを出すといったところ、飛び降りる者が続出したために、グリフィスが慌ててストップさせたという話も残っている。戦闘シーンを始め、危険な撮影は多々あったが、軽い怪我を除けば、大きな事故や怪我は撮影中なかったという。

 大規模な群集シーンや危険な撮影は撮り直しが難しかったため、同一のシーンを三人のカメラマンが撮影したりもしたという。フランスのパテ社を率いるシャルル・パテは、このやり方を知り、配下の演出家にもそうさせるようになったと言われている。この撮影方法は、角度を変えることで、変化に富んだモンタージュを可能にもした。

 撮影を担当したのはグリフィス映画の常連であるビリー・ビッツァーとカール・ブラウンが担当した。ビッツァーは、バビロン篇では、巨大なセットの全景から薔薇の花弁までピントをはずすことなくワンショットで移動撮影を行った。また、奥行きのある構図もすべてピントを合わせて撮影した。

 撮影で特筆すべきは、中世フランス篇での宮殿の撮影だ。天井装飾を見せるために、映画史上初めて、天井をいれて撮影したと言われている。今では普通に行われていることだが、当時は画期的なことだった。

 バビロンの寵姫役には、つけまつげで眼を大きく見せたが、そのせいで眼を痛めることになったという話も残っている。

 大規模な撮影となった「イントレランス」には多くの助監督がついた。その中にはエーリッヒ・フォン・シュトロハイム、W・S・ヴァン・ダイク、トッド・ブラウニング、ラオール・ウォルシュといった後に監督して活躍する人々の名前を見ることができる。また、ダグラス・フェアバンクスもエキストラの1人として出演しているという。
 


「イントレランス」の革新的話法


 「イントレランス」の、時間的にも空間的にもかけ離れた4つの物語が同時に展開されるというスタイルは革新的だった。グリフィスはこのスタイルについて自ら次のように語っている。

「様々な物語は山の頂から見下ろした四つの流れのように始まる。最初、四つの流れは別々で、ゆっくりとしていて静かである。しかし、流れていくうちに、しだいに近づいていき、やがて早くなり、最後には一つの深い感動の奔流の中に交じり合う終幕へと行きつくのである」

 ジョルジュ・サドゥールはこのスタイルについて、「世界映画全史」の中で「彼(グリフィス)のカメラは、魔法の絨毯のままタイム・マシンともなったのである」と書いている。

 スタイル自体は革新的であったが、その試みが成功したかという点については厳しい意見もある。「戦艦ポチョムキン」(1925)の監督セルゲイ・M・エイゼンシュテインは「不寛容という単一のイメージを創造できなかった」と語っている。


「イントレランス」に込めたグリフィスのメッセージ


 D・W・グリフィスが「イントレランス」(1916)で訴えたかったのは、人間の「不寛容(イントレランス)」についてだった。この「不寛容」は、「国民の創生」(1915)公開時に浴びせられた反対運動や上映中止運動に対するものでもあったが、一方では当時勃発していた第一次大戦についてのものでもあった。

 ジョルジュ・サドゥールは「イントレランス」を「全体として、この映画は、特に、非暴力の擁護であり、平和維持への呼びかけであり、アメリカがヨーロッパの不寛容な闘争に参加しないためのプロパガンダであった」(世界映画全史)と言っており、唯一よい結果に終わるのはアメリカの物語で、悪い結果に終わるのはヨーロッパの物語であるという点も指摘している。

 グリフィスは、「イントレランス」を特定の出来事(「国民の創生」への反対運動や第一次大戦)に限定しなかった。4つの不寛容の物語を並べて語ることで、抽象的な意味での「不寛容」に対してのグリフィスの反感を示そうとした。それはまた特定の個人の「不寛容」を攻撃するものでもなかった。それよりも、特定の個人を「不寛容」にする事情、状況を攻撃するという姿勢だった。

 そのことは、中世フランス篇に登場するカトリーヌ・メディチの考えることがわからないというリリアンに対してグリフィスが語った言葉に表れている。


「いい悪いを言っては駄目だよ。ただそんな罪深い行いを冒したのが自分でなかったことを神に感謝すればいいんだ。

いいかねミス・リリアン、これだけはいつも覚えて置き給え。

人間を作るのは周囲の事情だ。 どんな人物も最低にもなれば最高にもなる。

潜在的には我々すべて同じなんだ。 たださまざまな事情から違いが生まれるだけだ」
(リリアン・ギッシュ自伝 P197)


短縮された「イントレランス」


 D・W・グリフィス渾身の「イントレランス」(1916)の完成版は8時間を越え、グリフィスは2部に分けて2夜連続上映しようとしたが、興行主の反対にあい、2時間半に短縮されることになった。

 リリアン・ギッシュは短縮するべきではなかったと主張している。

 「彼(グリフィス)は一晩で上映ができるようにフィルムを縮めてはどうかと忠告を受けた。忠告は無視すべきだった。彼自身の本能の方が正しかったのだ。成功するにせよ失敗するにせよ、『イントレランス』は彼の記念碑であり、彼という人間の大きさそのものだった。しかし、興行主の方が勝った。観客は一度として完全な姿の『イントレランス』を観ることはできなくなる」
(リリアン・ギッシュ自伝)

 短縮すべきではなかったのかもしれない。だが、すでに多額の投資をしていたグリフィスにとっては、経済的な面で「イントレランス」を成功させなければならなかった。

 「『イントレランス』はなんとしても成功しなければならん!』興行主たちの要求に屈してある晩フィルムを切っていると、彼(グリフィス)は私(ギッシュ)に向かってそう言った」
(リリアン・ギッシュ自伝P209)

 ここには、映画における表現者の意向と経済的意向の相克という、この先も映画につきまとう大きな問題に、映画産業歴史の中で真っ先にぶつかることになるグリフィスの苦悩が滲み出ている。グリフィスは「国民の創生」(1915)では映画の内容が全国的に反響をもたらした最初の例ともなり、「イントレランス」では表現と経済の相克の問題の最初の例となったといえるだろう。

 グリフィスにとっての最大の不幸は、誰一人として、グリフィスが望んだ形の「イントレランス」を見ていないということであるということは覚えておいていいと思う。


「イントレランス」の公開と興行的失敗


 「国民の創生」は後の映画に多大な影響を与えるエポック・メイキングな作品となった。

 「国民の創生」は、アメリカ映画の世界覇権のとっかかりとなる作品でもあった。アメリカ映画の世界覇権は、第一次大戦によって、より進んでいくことになる。ジョルジュ・サドゥールは次のように書いている。

 「『国民の創生』は、映画芸術史上では鍵となる映画である。映画産業史上ではそれ以上に鍵となる成功作である。『国民の創生』は、何にもまして、フランスの覇権の崩壊の上に支配を確立した、映画の新しい帝国主義の出現であった」(「世界映画全史」)

 また、映画が労働者階級だけではなく中産階級を取り込むものとなるきっかけともなる作品であった。ロバート・スクラーは次のように書いている。

「主題、形式、値段からして、これはアメリカのエリートの心に訴え、指導者と世論形成者を連帯させ、彼ら自身の文化について何かを語りかけ、また映画についてはその表現の叙事詩的な力と壮大さについて何かをかたりかけるものとなるはずだった」(「アメリカ映画の文化史」)

 そして何よりも、映画は「国民の創生」をきっかけに家内手工業的な(ジョルジュ・メリエス的な)製作方法による産業から、短期間で大金を稼ぎ出す大規模な産業へと変貌を遂げていくことになる。「国民の創生」は時代の変化を決定付ける作品でもあった。これについて、リリアン・ギッシュは次のように語っている。

「当時新しい芸術形態を模索中だった映画は『国民の創生』のおかげで、たちまちのうちに数百万ドルを稼ぐ高収益産業となってしまった。そして映画製作の管理は零細な資本でやりくりしていた監督たちの手からビジネスマンへと移った。
映画ビジネスの定式が生まれつつあった。(中略)
そのとき私たちにはまだ分らなかったものの、こうしてひとつの時代が幕を閉じたのだった」
(「リリアン・ギッシュ自伝」)


「イントレランス」の興行的失敗の残滓


 グリフィスが監修を担当していたトライアングル社は「イントレランス」の失敗もあって整理されることとなり、1917年6月にすべての製作を停止している。トライアングル社の大監督や俳優たちはパラマウント=アートクラフトに移籍した。

 サンセット大通りの巨大なバビロンのセットを壊す資金もなく、しばらくは観光客などが訪れたという。グリフィスが作ったセットは、単なる映画のセットであることを超えて、まるでグリフィスのような映画製作を戒めるかのように、ハリウッドにさらされることになる。

 1919年には「母と法律」(現代篇)、「バビロンの没落」(バビロン篇)の2本に分けて公開されてもいる。「母と法律」(現代篇)だけでは物足りなかったために「イントレランス」となった映画は、こうして再び「母と法律」だけに戻ったのだった。

 経済的には完全に失敗したものの、内容的にも失敗したかというとそんなことはなかった。ロシアでは大ヒットし、ロシアの映画製作者たちにとっての教科書的存在となったという。1922年には、レーニンからロシアの映画製作を見て欲しいとグリフィスは依頼されるが断っている
(レーニンは現代篇をみて、グリフィスを共産主義者と勘違いしたと言われている)

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/4989/history261916_america.htm


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現在のハリウッドの中心は、ハリウッド大通りとハイランド通りの交差点付近であり、アカデミー賞が開催されるコダックシアターや、世界一有名な映画館であるチャイニーズシアターもここにある。しかし、初めてハリウッドに行った人がまず目に入るのは、バビロン宮殿のような大階段だろう。ツアーガイドがいれば、そこで「これはイントレランスのセットをモチーフに云々」という説明がされるはずである。

イントレランスはここで撮られたのか!と早合点する人も数多くいるようだが、いまあるのはハリウッドハイランドというショッピングセンターの建物の一部であり、レプリカである。そもそもこの場所はハリウッドホテルという由緒ある建物があって、サイレント期のスターたちのたまり場だった。実際の撮影場所はハリウッド大通りをもっとLAダウンタウン寄りに行った、子ども病院近くの現在は住宅地になっているあたりである。ビスタシアターという通向けの映画館があるあたりは、当時の敷地内だったという。

グリフィスはこの一帯にスタジオを持っており、1918年くらいまでここで制作していた。跡地を買ったのが、独立したばかりの日本人最大のスター、早川雪洲であり、現在のパラマウントスタジオに拠点を移す1920年までここからヒット作を世界中に送り出した。しかし、その後もイントレランスの大セットは壊されないまま雨ざらし(とはいえLAは雨がほとんど降らないが)となり、グリフィスも破産状態で買い戻しもできず、1930年代にひっそりと壊された。

グリフィスはイントレランスと国民の創世の二本で永久に記憶される。しかしイントレランスは当たらず、チャップリンらと設立したユナイト映画も早々に飛び出し、坂道を転がるように転落していった。終戦後すぐのハリウッドで、グリフィスが大通りを歩いても誰も気がつかなかったという。あのレプリカは壮大な夢を追ったグリフィスの墓標である。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9-DVD-D%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9/dp/B00009UX31


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D 世界の心 (HEARTS OF THE WORLD) 1918

製作・監督・脚本D・W・グリフィス 
出演リリアン・ギッシュ メイ・マーシュ ロバート・ハロン ドロシー・ギッシュ

http://www.youtube.com/watch?v=Ol1PW8S6Mac&feature=related


 「イントレランス」を撮ったグリフィスは、当時のイギリスの首相の依頼で「世界の心」を監督した。イギリス側の狙いは、アメリカの第一次大戦への参戦を促すことだったが、「世界の心」の完成を待たずにアメリカは参戦した。しかし、当然のことながら、「世界の心」は連合国側のプロパガンダ映画の匂いをプンプンさせている。

 プロパガンダ映画の製作を受け入れた代わりにグリフィスが得たのは、戦場を撮影する権利だった。イギリス政府の援助の下(グリフィスや主演のリリアン・ギッシュらがアメリカからヨーロッパへ渡る際にも、イギリス政府が保護をした)、グリフィスは第一次大戦の前線での撮影を比較的安全に行うことができたのだった。また、「イントレランス」(1916)の興行的失敗によって、資金的に厳しい状態にあったグリフィスにとって、資金的な援助もありがたかったことだろう。

 プロパガンダ映画となるということは、連合国の敵国であるドイツ軍を、ひいてはドイツ人を悪く描く必要があった。「リリアン・ギッシュ自伝」によると、グリフィスはこのことを非常に悩んだという。グリフィスにとっては、人はすべて平等だというのが信念だったからだ。

「国民の創生」(1915)の黒人の描き方は人種差別的だと言われるが、グリフィスとしては、当時の南部を描いただけであって、黒人を差別するつもりはなかったのだという。だが、一方で、「イントレランス」で世界人類のすべての人に向けたメッセージ映画が興行的に失敗したことから、メッセージはもっと狭い人々に対して送るべきなのではないかとも考えていたという。

 「世界の心」は、グリフィスに連合国側から描くという制約を与えたことで、メロドラマの色彩が濃くなり、それによってむしろ戦争の悲惨さが描かれたように私には思える。「イントレランス」のように、大所高所から鳥瞰するように描いた作品ではなく、1組の愛し合う男女に焦点を絞ったことによって、苦しみや悲しみが増幅されているように思える。このことは、ドイツ人を悪役として描かなければならないマイナスをはるかに凌駕していると私は考える。

 フランスの田舎町に隣り合って住むアメリカ人の2つの家族。家族にはそれぞれ娘(リリアン)と息子(ロバート)がいる。リリアンとロバートは愛し合い、婚約する。しかし、そこに第一次大戦が勃発する。出征するロバート。残されたリリアンと家族たちは爆撃とドイツ人の占拠に恐れおののき、両親たちは死んでしまう。当初はドイツ軍が優勢だったが、連合国軍が盛り返し、村を取り戻す。リリアンとロバートも再会するのだった。

 戦争が始まり、映画は俄然活気を帯びる。 見所は、リリアンを始めとする一般市民たちの苦しみだ。爆撃でリリアンの父親は死んでしまう。その際一瞬だけ、父親の死体が映る。死体は上半身と下半身が分断されていた。一瞬しか映らないが、グリフィスが戦争による実際の被害の悲惨さを映し出していることは評価せずにはいられない。他にも、ロバートの弟たちが自ら穴を掘って、死んでしまった母親を生めるシーンの悲しさは、「世界の心」を戦争の悲惨さを描いた作品として記憶に残るに足るものにしている。

 父親を失ったリリアンが半狂乱となり、フラフラとロバートを探しに戦場へと向かうシーンも忘れがたい。リリアンは偶然にも気絶したロバートを見つけるが、疲労困憊からロバートの横に倒れて眠ってしまう。その日は、2人が婚礼を挙げるはずの日だった。字幕で「こうして二人は結婚して最初の夜を迎えた」と出たとき、サイレント映画ならではの魅力が映画を包んでいた。

父親を失い、絶望に暮れたギッシュの顔のクロース・アップは他のグリフィス映画にも負けない雄弁さを秘めている。リリアンとドロシーの姉妹は、陰と陽で「世界の心」を支えている。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20081215/1229353162


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E スージーの真心(True Heart Susie ) 1919

監督・脚色;D・W・グリフィス
出演;リリアン・ギッシュ   ロバート・ハーロン

http://www.youtube.com/watch?v=hHqlQ1rKDJA&playnext=1&list=PL7EEBAA42235F937A
http://www.youtube.com/watch?v=Q0LT7nfJk70&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Cfh0kM9_Hto&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XzBWUqjQViM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Obee25B5fwM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xYm3c4NJZ0Q&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=jxGcNWoxlEw&feature=related


純真なる乙女スージー・メイ(リリアン・ギッシュ)と青年ウィリアム(ハーロン)は幼なじみ。ちょっと頼りないウィリアムだったが人柄もよく、スージーはそんな彼の後ろをくっついて歩くような少女だった。彼女の夢はもちろんウィリアムの花嫁になること。ぎこちないながらも相思相愛の二人は、ある一本の樹にお互いのイニシャルを刻み込み絆を確かめ合う。

ある日スージーは、経済的にあまり裕福ではないウィリアムが大学への進学を希望していることを知る。ウィリアムの願いは私の願い。スージーは母親を説得し、家で飼っていた牛を売り学費を融通、何も知らないウィリアムの進学を涙を隠してお祝いする。別れのキスを唇に求めても照れ屋のウィリアムは触れようともしない。ただ手を振るだけだった。

その後、大学で立派に務めを果たしたウィリアムは牧師となり帰郷する。鼻の上に乗っかった髭が成長を物語っている。待ちわびたスージーも少女からレディへと変身をとげていた。再会を喜び合う二人。町ゆく誰もが振り返るほどお似合いのカップルのスージーとウィリアムだったが、アイスクリーム屋でデートを楽しんでいる二人をじっと見つめる一人の女の視線には気づかなかった・・・。

本作は『イントレランス』の米国内における興行的失敗を経験した映画の父が、莫大な借金を抱えながら作った「田園もの」シリーズの代表作の一つです。 イギリスに招かれ作った『世界の心』(18年)を撮り終えたグリフィスは15年6月にマック・セネットやトマス・H・インスらと設立した「トライアングル社」から離脱、パラマウント傘下のアートクラフトと契約します。25万ドル+歩合、計6本の契約です。

更にグリフィスは19年1月にはメアリー・ピックフォード/ダグラス・フェアバンクス夫妻、チャップリンらと「ユナイテッド・アーティス」を設立。ここでも年4本の契約を結び、なんと驚くべきことにグリフィスはこれとほぼ同時に「ファースト・ナショナル」と一本あたり28万5千ドルで3本契約を結んでいます。 「グリフィス」という名の手形を乱発してゆくのです。

『スージーの真心』が作られたのは19年の春。リリアン・ギッシュはその自伝の中で回想しています。

「私はそのスージーを演じた。グリフィスが望んでいたのは、スージーという娘が初めはシンデレラのようにごく平凡な子として観客の目に映ることだった。たいていのシーンで私は長いずんどうのドレスの上にエプロンをつけ、頭にはユーモラスな帽子をまっすぐにかぶっていた。

スージーの役柄(キャラクター)を伝えるものはまだほかにもある。例えば私はいつも両腕をぴったりくっつけていた。あるシーンでは、臆病なはずのスージーがちらりとイタズラっぽい笑みを浮かべて、彼女の隠れた側面を覗かせた。

最後に彼女と男の子は一緒に歩きながら観客に背を向けて遠ざかってゆくところで、彼女は足を横に蹴るような面白い仕草をする」
(リリアン・ギッシュ自伝 筑摩書房刊 鈴木圭介訳)


この時代、世界最高峰の技術を持ってフィルムに残されたリリアン・ギッシュが放つフォトジェニーな魅力が圧巻です。映画は新世紀を迎えた現在にいたるまで未だにこの美しさを超えるものを生み出していません。やはりそれはグリフィスにはじまるのです。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=51154#2


ヒロインのスージーには幼なじみのウィリアムがいて、心から愛している。このスージーちゃんは、ちょっと頭のネジがゆるいのですがとっても優しい娘。ウィリアムは賢くて、大学に進学できることになる。だけど、大学へ行くにはお金が足りない。ウィリアムとの結婚を夢見ているスージーは将来の旦那様のために、涙を飲んで妹のメアリーを売ってお金に換えます。

 上が、妹メアリーとの涙の別れのシーン。

 スージーは家で飼っている牛を妹のように可愛がっていたのです。 ボクはこのシーンで一気にこの映画にはまってしまいました。

 スージーのそんな援助があったことも知らず、大学に行けたウィリアムは、大学で都会の色に染まってしまいます。そして、都会の女ベッティーナと結婚。スージーは涙は見せず、笑顔で祝福を送ります。

 が、ベッティーナは派手好みで、料理もできなくて……
 という展開。

https://sites.google.com/site/eigadoujou/aka-ban-fukkoku-kikaku/sujino-magokoro


スージーとウィリアムは幼馴染み。大学に進みたいが経済的に苦しいウィリアムのために、スージーは匿名で学費を都合してあげる。大学を卒業したウィリアムは、スージーの愛に気づかず、派手な生活を送る女性ベッティーナと結婚してしまう。それでも、スージーは陰ながらウィリアムのことを思い続ける。

 「イントレランス」(1916)以後の、グリフィス=ギッシュのコンビと言えば、同年に作られた「散り行く花」(1919)や「東への道」(1920)が有名だ。だが、この作品もまた地味ながらしっかりとした作品である。

 ギッシュが演じる幼馴染みを思い続けるキャラクターは、あまりにもいい娘すぎる。正直言って古臭いとも言えるし、見ていてイライラしてくるほどだ。グリフィスはイノセントな女性像を好んでいたことは知られており、そのことがセシル・B・デミルのセックス・アピール映画の人気に象徴される時代の変化についていけなかったとも言われている。だが、グリフィスが理想とした女性像は、リリアン・ギッシュという女優によって見事に映像化されている。

 グリフィスの理想像を具現化した女性として、リリアン・ギッシュは忘れることができない存在である。この作品でもギッシュは、少女の頃のあどけなさと、女性に成長した後の可憐さと美しさを見事に演じている。

ギッシュはちょっとした表情で、怒りを、悲しみを、嘆きを表現することができる女優である。ウィリアムが自分のもとに戻ってくると信じて、派手な格好や化粧をしてこなかったスージー。だが、意を決して服装を変えて化粧をしてウィリアムの家に向かうと、ちょうどそのときウィリアムは別の女性に結婚を申し込んだところだった。それまでの人生で最も美しい姿となったスージーは、それまでの人生で最も悲しい表情を見せる。別名で書かれているグリフィスの脚本はストレートだが、残酷だ。

 古臭い物語を、貴重な小品の佳作として成り立たせているのは、ギッシュを始めとする演技陣による。誠実だが優柔不断なウィリアムは、グリフィス映画常連のロバート・ハロンが演じている。青年から大人の男までを演じることができるハロンは、邪気がないゆえにスージーを苦しめる役柄を演じきっている。スージーと対象的な存在として登場するベッティーナはクラリン・セイモアが演じている。スージーと対象的なだけであって、決して悪役ではないベッティーナをセイモアは自然に演じてみせ、ウィリアムと同じように無邪気にスージーを傷つける。

 グリフィスは自らの理想の女性をギッシュに託し、理想の女性の苦難と幸福の物語を描き切っている。ここには映画史を変革するような出来事は何もない。だが、ここにはグリフィスだから描けるのではないかと思わせる無邪気さの塊がある。そして、この無邪気さは私の心を暖めてくれる。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20090501/1241520379


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F 散り行く花(BROKEN BLOSSOMS) 1919

監督:D・W・グリフィス
キャスト:リリアン・ギッシュ/ドナルド・クリスプ/アーサー・ハワード/ノーマン・セルビー

http://www.archive.org/details/brokenblossoms1919

http://www.youtube.com/watch?v=mx7wbYp5izw
http://www.youtube.com/watch?v=yqLnjgNiX-o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=AVATXNggs1o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=OpRwCTDT6sc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xYtIE3Is3iM&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=rTNnpAWK9zo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bvQQllxbDGI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mFAuLODXgog&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D9853ozGcsY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Hg1OUlNcR38&feature=related


 絶対的ロリコンのグリフィスが永遠の少女リリアンに、究極の乙女を演じさせる。

ここで彼女の被る苦難は、元プロボクサーの父による虐待。彼の他の大作のヒロインほど大仰な悲運ではないだけに、その逃れられなさは絶望的。名優クリスプがまた、この希代の憎まれ役に入魂の演技を見せるので、観客の誰もがうすうす、死の他に彼女を解放する手段がないことを予感する。

その彼女に想いを寄せるのがバーセルメスの純真な中国商人。本来なら異様な、白人の東洋人への化身も、このバーセルメスにだけは許される。そんな真摯さに溢れた演技で、リリアンと清らかな愛を紡いでいく。後にゴダールによって「勝手にしやがれ」で引用されるラスト・シーンが美しい。瞳は悲しみを湛えているのに、リリアンはその白魚の指で口の端を上向きに歪ませて、最後の微笑を作るのである。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14791


D・W・グリフィス、ディビット・ワーク・グリフィス。アメリカの初期の有名な代表監督ですね。その監督の『散り行く花』、この話しましょうね。

グリフィス、この人は『イントレランス』で一躍有名になりました。凄い、凄いセット、バビルの宮殿なんかもの凄かった。

どうしてこんな凄い映画をつくったか言うと、イタリア映画の『カビリア』という映画を観てびっくり仰天して、それから二年目に『カビリア』に負けないようにというので、凄い、凄いバビルの大宮殿をつくり、そうして、もうこの人は一生払えないぐらいの借金を背負ったんですね。

けれども、あんまり超大作をつくったから、他の会社が嫌がって使わなくなったらいけないので、今度つくったのが、本当のグリフィスらしい映画の『散り行く花』。
今度は小品ですね、小さな作品ですね。けれどグリフィス一生の中で一番の見事な映画は『散り行く花』でしたね、リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス。

ルーシーという、13歳の女の子がいたんですね。その女の子がお父さんに殴る、蹴られる。むちゃくちゃなお父さんですね、義理のお父さんですね。自分がつまんだ女が、外の男とできた子供を放り出していったんですね。
しかたがないからその子供を、ルーシーと言う子供を、このお父っつぁんは犬猫の代わりに使ったんですね。

そうしてお父っつぁんが、帰って来て「メシっ」と言うと、その13歳の女の子が慌てて飯つくつる。ところが怖いから、うつむいて、うつむいて飯出す、すると髪の毛引っぱって、笑え、笑え、Smile,smile,smile、と怒るんですね。そうして子供を殴るんですね、この子は、もういじけきってるんですね。

そのルーシーと言う13歳の女の子が、チェンハンのストアの前でびっくりしたんですね。あんな奇麗な物が、あんまり立派な物が一体あるのかしらんと思って、毎日、毎日、マーケットへ買いに行く帰りにそれを見て、ウィンドウに顔突っ込んでたんですね。

するとチェンハンが、今日もまた、水仙の花、水仙の精、それがやって来る、金髪の少女、青い目の少女、そうして、その水仙の精をじっと見るのが好きだったんですね。
そのうちに、三日、四日、五日、六日、十日、だんだん、だんだん、親しくなって、おいで、おいでと言ったんですね。

行ったらいけないんだけど、あんまり奇麗な物がある。しかもそのオルゴール、支那のオルゴール、チンコン、クリンコン、クリンコロン、クリンコン、サイレントだけどその音が感じるんですね。

そうしてその子は中へ入って行ったの。したら、あれも見なさい、これも見なさい、そこで一晩過ごしたために、その親方が探して探して、とうとうルーシーを見つけて引きずって帰るとこあるんですね。

その時にちょうどチェンハンは、ルーシーにおいしいもの食べさしてやろうと思って市場へ行ってたんですね。その留守に一人の男がやって来て、そのルーシーを引っぱって行くところが怖いんですなあ。

もうルーシーは半分気絶してるんですね。それを引きずって、引きずって、お父っつぁんの前で「おったぞこいつ、この女」。で、お父っつぁんは鞭持って「このやろう、黄色と一緒になりやがって」、鞭でパーッと殴ったんですね。

もう殺されると思ったから、この子はそばの大きな箱の中入って中からせん入れたんですね。

お父っつぁんはヒステリーになって「鞭で開かなかったら、ここに斧があるぞ」って、台所から斧持って来てカーン、カーン、とやるのが、まるで音が聞こえるように怖いんですね。

そして女の子は、中で体、顔中汗いっぱい、よだれが出る、鼻水が出る、震え上がっているうちにパーッと明るくなるんです。破れたんですね、ドアが。

そうして、あーーーっと思ってると、お父っつぁんが首引きずってターッと出して、パーンと投げたんですね。

ルーシーは死んじゃったんですね。さすがにびっくりしたんですね。

その時、表からチェンハンがやって来て、パーン、パーン、二発でお父っつぁんを殺したんですね。

そしてルーシーを抱いて、自分のチェンハンのストアへ連れて帰って奇麗に体拭いてやる。あたまといてやって、中国の服着せて、ろうそく立てて、線香たてて、「水仙の精よ、おまえだけをヨミの国へやらないよ、わしもおまえを守って付いて行く」、言ってベットの下から銃刀出してきて、カーッと突いて、パターッと倒れる。この後追い心中、凄かったですよ。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2166.html


『散りゆく花』は父の暴力に死ぬ少女の物語です。リリアン・ギッシュは映画の始まりとともに活躍した女優ですが、幼さの残る少女みたいな顔ときゃしゃな体が、犠牲者であるのにふさわしいキャラクターということになります。

少女の父親は非常に残酷で、日常的に娘に暴力を振るっています。最近では少女をレイプをしていたのではないかという論文も出ています。

少女は、「いつも悲しそうな顔をしているな、笑っていろ」と父親に怒鳴りつけられたので、父に暴力を振るわれて死ぬ最後の場面でも無理に笑おうとしているのです。

http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000276/0/html/section4.htm


 「散り行く花」には原作があり、原作では中国人青年とルーシーの描写はもっと性的だったというが、映画ではあまり描かれていない。これは、「永遠の処女」を描き続けてきたグリフィスの意向が強いものと思われる。

中国人青年がルーシーに性的な意味合いで思いを寄せていると思わしきシーンは多々ある。

特に、中国人青年がルーシーに近寄るときに極端なクロースアップとなり、ルーシーが怯える。結局中国人青年は何もせずに、「青年の純粋な愛は誰もが認めるところだった」という字幕がわざわざ入る展開は、中国人青年が性的な思いを抑えているということを示しているように思えた。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20090425/1241519543


私が見事だと思うクロース・アップの使い方の1つに、「散り行く花」におけるワン・シーンがある。リチャード・バーセルメス演じる中国人青年が、リリアン・ギッシュ演じる少女ルーシーに近づいていくシーンだ。

ここでは、バーセルメスの顔が超クロース・アップによって捉えられている。この異常なまでのクロース・アップで捉えられた顔は、無表情に近い。しかし一方で、バーセルメスのルーシーに対して性的な思いを抱いており、それを抑えつけていることも感じさせる。

これほど見事に性的な欲望を描いたクロース・アップを私は知らない。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%CA%B8%BB%FA+&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail


『散り行く花』

 次にお見せするのはグリフィスの有名なサイレント映画です。これは『チート』とは違い、中国人、アジア人を同情的に描いているとよく言われます。主人公チェン・ファンをリチャード・バーセルメス、相手役ルーシーをリリアン・ギッシュが演じています。この2人の俳優は初期のハリウッドを代表する黄金コンビですが、ここでチェン・ファンはつり目のイエロー・フェイスとして登場します。この映画のメッセージは、平和で優しいアジアに対して暴力的で野蛮なアングロサクソンということで、オリエンタリズムとは逆の構図になっています。しかし、よく見るとその裏にはそれとは異なるものが見え隠れしているのではないかと思います。

「黄色人種と少女」というあからさまな副題がついていますが、悲劇に終わる、優しい中国人と不幸な白人少女のプラトニックラブを描いています。最初の「口上書き」では、これはお涙ちょうだいのメロドラマだと紹介され、身体的暴力も言葉による暴力も戒めるべきだという教訓が示されます。次にターナーの絵を思わせるようなブルーを基調とする詩的な、美しい港の風景が挿入されています。

チェン・ファンの中国とルーシーのイギリスを結ぶのは海なのです。その後に中国が描写される場面では、中国人を実際の中国人たちが演じていることに注意すべきですが、一見するとドキュメンタリーフィルムのようでもあります。平和な中国の穏やかな情景が描き出されており、その中でのよそ者であるアメリカ人水夫たちの、場違いの野蛮さや騒がしさが挿入されています。

 中国人チェン・ファンは、イエロー・フェイスが少し不気味で、人間離れした感じがします。深く仏教を信仰している彼は、仏教の平和のメッセージを届けるために海を渡ってイギリス、ロンドンへ行くことになり、ロンドンが物語の中心舞台になります。しかし、高い志を果たせず彼はライムハウスというスラムに身を落とす状況に陥ります。中国商品店で店番をするのですが、アヘンを吸う退廃的な側面も見られ、平和のメッセージを届けにきた最初の意図とは全く違う生活になっています。アヘン窟ではいろいろな有色人種らが一堂に会しており、白人女性も混じっています。フー・マンチュウもそうでしたが、なぜかアジア人の爪がひょろひょろと長いのも不気味です。

 一方のルーシーは母を亡くし、娼婦たちがたむろしている同じスラムに住んでいます。子だくさんで生活に追われる継母がいますが、ルーシーの面倒など見ていられず、結婚生活にすごく疲れている女性として描かれています。ルーシーには母性的な支えがありません。一番重要なポイントは、ルーシーが血を分けた父親から虐待を受けているということです。父親はボクサーで、非常に強く、ヒーロー的な側面もありますが、子供に虐待をするという暴力的な面を持っているのです。父親はルーシーに笑えと言いますが、笑えない彼女が自分の指で笑いを作る場面は有名です。非常に切ないです。

 死んだ母親からもらったティン・フォイルをお金の代わりにして物を買おうとするルーシーを、チェン・ファンが見かけます。彼は彼女の不幸せな、でも美しい姿に心を奪われます。スラムに咲く一輪の花という感じでしょうか。これが2人の出会いです。父の虐待から逃れてチェン・ファンの店に偶然なだれ込んでしまった彼女を彼が助けます。ここで彼女は初めて本当の優しさに触れます。その喜びが、花が咲き鳥が歌うようにと、詩的に表現されています。彼はルーシー介抱し、中国の服で美しく着飾ります。ここで初めて彼女は指を使わないで自然に笑うことができるのです。

 しかし、2人の関係は父親に告げ口されて、怒った父親はルーシーを連れ戻そうとします。父親がボクシングをしているシーンと、チェン・ファンとルーシーの関係が描かれているシーンが交互に挟み込まれて、テンションを高めています。グリフィスの有名なクロス・カッティングの手法です。

ここでは、隠されているチェン・ファンのルーシーに対する性的な欲望がはっきり出ていることに注意してもらいたいのです。チェン・ファンがルーシーに顔を近づける時、彼女は明らかにおびえた表情を見せています。プラトニックのラブが強調されていますが、実際にはその裏にあるチェン・ファンの性的欲望にルーシーがおびえている様子が見えてしまいます。

 ルーシーを父親に連れ戻され、彼女がいなくなった部屋でチェン・ファンは嘆き悲しみます。そして、父親の部屋ではルーシーがまたひどい虐待を受けるのです。ルーシーは何も悪いことはしていないと言いますが、父親は認めません。

ここでは性的な虐待を暗示させる描写があることに注意してください。

ヒモの部分を持ってぶらぶらと強調させている鞭の柄はどうしても男性器を思い起こさせるし、ルーシーが逃げ込むクローゼットの中に下がっている靴も男性器を象徴すると言われます。ベッドも小道具としては性的なものを連想させます。

 その間チェン・ファンはルーシーを救い出しに行くべく、ピストルを持って彼女の家へと向かいます。しかしながら父親の虐待はやまず、ルーシーは死んでしまうのです。追ってきた彼はルーシーが既に死んでいるの見て、父親をピストルで撃ち殺してしまいます。その後チェン・ファンは彼女の亡きがらを部屋に持ち帰り、その横で自殺するという結末になっています。

 この作品では、平和的なアジアと野蛮で暴力的なアングロサクソンという対立が確かに示されていますが、性的な問題がその背後で暗示しているものに注意したいと思います。父親の性的な虐待が暗示され、チェン・ファンについてもルーシーに対するレイプ願望が見られるのではないでしょうか。ルーシーを中国の人形みたいに着飾ってみせることも、女性を物のように扱うフェティッシュな愛のかたちを示しているようでもあります。

こういったことからチェン・ファンは同情をよぶ男性としてだけではなく、イエロー・フェイスの彼の顔や動作そのものも何か不気味な、危険なものをかもし出しているように、イエロー・ペリル、黄禍的な側面を実は隠し持っていると解釈できるのではないかと思います。

 また、労働者階級におけるスラムという場は、当時のイギリスやアメリカを支えている白人中心主義とか家父長制などが完全に崩壊し、人種が入り乱れて混沌とした状況であり、アヘン窟はまさにその象徴といえます。この作品は、スラムとは怖いところだと、スラムに落ちてはいけないというメッセージも放っているのではないかと思えます。

 この映画では暴力とか性的なニュアンスが強く出ていると思いますが、この作品以降映画とは不道徳でよくないものだという雰囲気がかなり広がっていき、1922年には映画を作る側が、反モラル的な描写を規制していこうという動きに出てきます。以後、性や暴力の描写が規制されますが、それと同時にアジア人と白人とか、白人と黒人といった異人種間の恋愛も、題材として完全に禁止されていくのです。したがって、20年代、30年代にはこれまでのメロドラマに代わって、『フー・マンチュウ』のような冒険活劇とかスパイものなどに限ってアジア人はまだ出てきますが、アジア人と白人のロマンスは姿を消してしまいます。

http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000280/0/kouza13/section6.htm


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G 東への道(WAY DOWN EAST) 1920

監督:D・W・グリフィス
キャスト:リリアン・ギッシュ/リチャード・バーセルメス

http://www.youtube.com/watch?v=QaUQORQoFhA
http://www.youtube.com/watch?v=YWGje_Ss7oo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aEw9yuN2aFc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DM08e8ZthhI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=uJQLjZ23C4c&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=Jh7frECK9zU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=n9hykmROKU4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hbCrkrkggI0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ToNTYqs9p8M&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=nEqBjtQy5Oc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=r5YqLL7Dy4I&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=28Kw0IcLYtE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=en2sVeXpouU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ZnzxputIr-U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Isu3QuwyMZ8&feature=related


はい、『東への道』、Way Down East。

私はこれを学生の頃観ました。学生の頃観まして、Way Down Eastですか、これで、Eastが東、いう事を頭に染み込ませまして、それでやっとEastが良くわかったなんていう幼稚な観方しましたけれど、この映画はグリフィス監督、『イントレランス』の監督がつくりました。

『イントレランス』をつくって、物凄い、物凄い超大作をつくりまして、本当に借金が山盛りになったんですね。 それであわてて昔のグリフィスに返る。グリフィスはやっぱり愛の映画だというので『散り行く花』をつくりました。 『散り行く花』をつくって、僕の映画は本当はこれだよ、そして『スージーの真心』とか、かわいい、かわいい映画をつくりました。 そうして今度はメロドラマ。「おれはメロドラマがこんなにうまいんだよ」とつくったのが『東への道』ですね、Way Down Eastですね。で、Eastで東だいうことを勉強したんですね。

なんでWay Down Eastいうのか今でもわかりませんけど、これはいかにも奇麗なリリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、あの『散り行く花』のコンビですね。
それにクライトン・ヘイルとか、いろいろ出てますけど、これは『散り行く花』のような夢物語でなくて、本当にある村の豪農の話ですね。

大きな、大きなお屋敷があったんですね、田舎に。

そこに、召使いにかわいい娘がやってきたんですね。

で、そこで一生懸命に働いたんですね。働いて、働いて、みんなにいい娘だな、いい娘だな。そしてその豪農のお家に、リチャード・バーセルメスの扮してる息子がいたんですね。その息子は、本当に立派な心がけのやさしい女だから結婚しようと思ったんですね。

そこへ都会の男が一晩泊りに来たんですね、そこのうちへ。

その男が、その娘は確か子供ができて逃げて来たんだよ、そういうこと言ったので、かたいかたい豪農の家中がびっくりしたんですね。それを聞いて驚いたんですね。

で、リリアン・ギッシュのその娘は、もう私はとってもたまらない言って夜中に逃げていったんですね。どんどん、どんどん、雪の中を逃げたんですね。

そして死のう、死のうと思ったんですね。

逃げて、逃げて、道で倒れたんですね。でも、倒れたの道じゃなかったんですね。
河が氷結して、河が氷で固まっちゃってたんですね。で、雪が積もってたんです。
道かと思って行きながらそこにばったり倒れたんですね。

一方、豪農の家の息子は「そんな娘じゃない、そんな娘じゃない、あの娘は立派な娘だ」、後をどんどんと追っかけてたんですね。

追っかけて追っかけて「どこ行った、どこ行った」、探してほっと見たら、遠くの、あの河の上で倒れてるんですね。

あんな所で倒れてる、死んじゃうじゃないかって、慌てて飛んで降りていって、「おーい、おーい」とつかもうとしたら、朝方でだんだん雪、氷がとけてきて割れて、その女を乗せたまま流れてゆくんですね。

たまったもんじゃない、向こうに行ったら滝がある、あぶない、あぶないとその割れた氷、それをピョンピョン、ピョンピョン、ピョンピョン飛びながら、もう、どんどん河が流れて行く、滝のとこへ行く、滝のとこへ行ったらもう女は死んじゃう、いうところで、パーッと助ける....これが傑作なんですね。

で、グリフィスは、そういう危機一髪がまた好きだったんですね。

『イントレランス』でも、死刑執行の瞬間に助けに行く場面がありますね。
リリアン・ギッシュ、バーセルメスのこの作品はその河、助けるところが凄いですね。
そうして助けて、みんなをあらためて迎えるんですね。

けれど、この映画で一番おもしろいのは、その氷の上ですね。

撮影は、本当に氷結している氷の上でリリアン・ギッシュは寝たんですね。

で、リリアン・ギッシュに後で聞いたら「私、もう1分間ながいこと撮影されたら、死んじゃってた」。片っぽの手は水に浸かってたんですね。

そうして横へ倒れて、本当の氷の上、雪の上ですね、こういう撮影を昔はしたんですね。

そうして本当にキャメラをまわしたんですね。で、リリアン・ギッシュはこの役を演ったんですね。

『東への道』は命がけのリリアン・ギッシュの作品ですね、なにしろ見事な映画でした。

危機一髪を助ける瞬間の怖さ、それはグリフィスのもう大得意なシーンですね。

『東への道』は、メロドラマですけども、いかにも、いかにも、グリフィスの感覚があふれた愛の映画でしたね。
【解説:淀川長治】
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2271.html


 内容はメロドラマである。しかも、当時としても古くさいタイプのメロドラマだったようだ。主演したリリアン・ギッシュを含め関係者はグリフィスの見識を疑ったという。

 純粋な女性アンナ(リリアン・ギッシュ)は、女たらしの男に遊ばれ妊娠するも捨てられてしまう。生まれた子供が死んでしまい、身寄りもいないアンナは、過去を隠して田舎の村の農家にお手伝いとして雇われる。農家の息子のデビッド(リチャード・バーセルメス)は、アンナを愛するようになり、アンナの気持ちも同じだった。やがて、アンナの過去がばれて、厳格な清教徒の農家の主人の命令で、アンナは吹雪の中を追い出されてしまう。

 今から見ると、これくらいの過去が(しかも悪いのは女たらしの男である)人生の破滅を呼ぶほどのことではないように思える。だが、問題はそこではなく、不幸な境遇におかれたアンナの苦悩にある。「東への道」は一歩間違えればバカバカしく思えてくるようなストーリーを、そうは思わせずに見事に映像化したという意味で非常に価値のある作品である。思えば、映画の多くはよく考えればバカバカしいものが多い。映画はバカバカしいことに真実味を与えることができるものということもできる。そう考えると、「東への道」は、「映画」の正しい作り方を教えてくれているようにも思える。

 「東への道」の最大の功労者は誰か?この問いに対して、私はリリアン・ギッシュであると答える。「散り行く花」で10代の少女を演じたギッシュは、1年後の「東への道」では20代前半の女性を見事に演じている。「散り行く花」では、ただひたすらに弱い小さな少女に徹していたギッシュは、「東への道」では弱さと強さを併せ持った女性を演じてみせる。

 グリフィス映画に登場する女性たちは弱く、それはグリフィスの理想の女性像を描いているとも言われるが、「東への道」のリリアン・ギッシュ演じるアンナは、弱いだけの女性ではなく強さも見せる。たった1人で産んだ赤ん坊が病気になり、必死に看病し、「洗礼されていない赤ん坊は地獄に落ちる」と言われると、自分の手で洗礼を行う(このシーンの撮影の際、あまりの迫真の演技にグリフィスは撮影中に涙したと言われている)。デビッドに愛を告白されても、アンナは自分の過去のために拒絶する。アンナは決して弱いだけの女性ではない。1人で生きていく覚悟を持った強い女性でもある。

 グリフィスの演出や脚本(当初は別の人物が書いたが、グリフィスはほとんど書き換えてしまったという)は、ギッシュの演技と比べると、映画に貢献していないように思える。スラップスティック・コメディ的な部分が時折あるが、決しておもしろくはない(グリフィスは喜劇が苦手で、バイオグラフ社時代には、喜劇はマック・セネットにまかせていた)。ストーリー上重要な役割を果たすゴシップ好きの女性以外の部分は、必要性が感じられない。ただし、のどかで平穏な村という雰囲気を生み出しているというプラスの部分もある。また、ラストの結婚式の落ちは成功している。

 アンナが流氷に乗って流されるところをデビッドが救出するシーンは、「東への道」で最も有名なシーンだ。ここでの編集は高く評価されているが、今見るとそれほどのハラハラドキドキはない。それよりも、実際にギッシュとバーセルメスが演じているということの方に驚きを感じる。実際に流氷に乗って撮影(氷を爆破して流氷を作ったという)したということを決断したのはグリフィスである。グリフィスの功績は大きいが、それを演じたギッシュとバーセルメスに対して拍手を送りたくなる。流氷の上で、アンナの片手と髪が水に浸かっているが、これはギッシュのアイデアだったという。

 メロドラマの「東への道」を、映画に昇華した最大の功績者はリリアン・ギッシュであろうと思う。リリアン・ギッシュはグリフィスによって雇われ映画役者となり、グリフィスの元で育った。バーセルメスもグリフィス映画で育った。その意味で、最終的にはグリフィスの功績ということはできるだろうが。

 グリフィスはこの後、いくつかのヒット作・成功作を生み出すが、徐々に映画界から忘れられた存在となっていく。その最大の理由は、リリアン・ギッシュ(やリチャード・バーセルメス)のような、物語を映画に昇華できるような役者を失っていったからのように思える。この頃のグリフィスはまだそのことに気づいていなかったのかもしれない(ギッシュの演技で自らが涙してもなお)。

数年後、グリフィスはギッシュを手放してしまう。「イントレランス」の興行的な失敗以降、経済的な自由を手に入れることがなかったグリフィスは、決して自らの思い通りの作品を撮り続けることはできなくなっていた。その状況で、グリフィスは自らの力だけで物語を映画に昇華することは難しくなっていた。「東への道」は、そんなグリフィスの当時の状況を表しているように思える。そう考えると、哀しい映画でもある。

http://d.hatena.ne.jp/cinedict/searchdiary?word=%C5%EC%A4%D8%A4%CE%C6%BB&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail


救いようのない薄幸の美少女を、儚くも美しく、そして時にはたくましく演じたリリアン・ギッシュが、本当に素晴らしい。 サイレント期を代表する女優としての“命を懸けた”迫真の演技は、映画の歴史が続く限り、永遠に語り継がれていくことでしょう。

その命を懸けた問題のクライマックスですが…
紆余曲折の果て、なんと―


流氷の上で気絶して、瀑布に飲み込まれようとしているではありませんか!

これ、実際に凍死しかけたそうです。

その甲斐あって、それはもう凄い迫力に満ちたシーンとなっております。

アンナは、もといリリアン・ギッシュは―凍傷を負うほど過酷な状況に追い込まれながらも、自分を見出してくれたグリフィス監督への信頼を支えにして、この映画史に残る“ラスト・ミニッツ・レスキュー”をやり遂げたのでしょう。

その監督への絶大なる信頼と尊敬が、劇中でアンナを助け出そうとするデイビットとの愛へと変換され、この壮大なるメロドラマは完結するのです。
素晴らしき哉、リリアン・ギッシュの女優魂!

http://koushin504.blog36.fc2.com/blog-entry-11.html


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H 嵐の孤児 (Orphans Of The Storm) 1921

監督:D・W・グリフィス
出演:リリアン・ギッシュ/ドロシー・ギッシュ/ジョセフ・シルドクラウト/フランク・ロシー/モンテ・ブルー

http://www.youtube.com/watch?v=d6EoFe2l5VE
http://www.youtube.com/watch?v=Z615hag1hrQ&playnext=1&list=PL30F16C409151C92E

http://www.youtube.com/watch?v=DUOzhSDSTKM


フランス革命を背景にしたグリフィスの大河ドラマで、ドロシーとリリアンのギッシュ姉妹が、運命に引き裂かれる姉妹同様にして育った二人の孤児に扮し、涙を絞る。

由緒正しい貴族の一家の姫君が平民との子を宿し、哀れ幼子はルイーズと名前の入ったロケットを付けられ、雪の降るノートルダム寺院に捨て置かれる。そこへ我が子アンリエッタを捨てに来たジラールは、改悛の情に駆られ、その捨て子と共に娘を連れ帰るが、捨て子には困窮した彼らがやり直すには充分すぎるほどの金貨も託されていた。

が、ジラール夫妻は娘たちがちょうど年頃になったころ、病没してしまい、アンリエッタは失明したルイーズを医者に見せようとパリへ向かうが、有名なジゴロの侯爵に見初められて誘拐される。そして独り取り残されたルイーズは、髭を生やした性悪婆さんのフロシャール夫人に捕まり、物乞いのタネにされてしまう……。

以下、ルイ16世治下の貴族たちの遊蕩三昧の様子、市民の蜂起、ロベスピエールのギロチン恐怖政治と大モブ・シーンの見どころはたっぷりなのだが、グリフィスが発見したテクニックの一つであるカット・バックの妙味を伝える映画として、アンリエットが彼女を助けた青年騎士ボードレイの部屋で、彼の伯母でルイーズの実母の警視総監リニエール夫人の訪問を受けている折に、物乞いのルイーズの歌声が聞こえて動揺する感動的なくだりを挙げておきたい。まさにフランス人形のように可憐なギッシュ姉妹をとくとご覧じろ。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1345


その運命の始まりは、フランス革命からさかのぼること10数年―

雪のノートルダム寺院に我が子(アンリエット)を捨てようとする男・ジラールは、一足先に雪中で震える捨て子(ルイーズ)の哀れな姿を見て、己が犯そうとした罪の大きさに気付き、かえって捨て子を連れて帰る―。

この神のイタズラとでも言うべき皮肉な巡りあわせが、やがて歴史の渦に巻き込まれていく姉妹の波乱万丈を暗示しているようで、とても面白いファーストシーンとなっています。

その後、改心したジラール夫妻の許で、二人の赤子は本当の姉妹のように仲睦まじく育つものの…

幸せは長続きせず、ジラール夫妻は疫病のために亡くなり、そればかりかルイーズの目も見えなくなってしまいます。

妹想いのアンリエットは、なんとか妹の目に光を取り戻したくて、名医がいるというパリへの旅立ちを決意するのですが…

また皮肉にも、その決断が更なる不幸を呼ぶことに!

パリへの道中、アンリエットは、ひょんなことから出会った貴族に目を付けられ、汚い策略の果てに拉致誘拐!

姉とはぐれた盲目のルイーズは、ただ暗闇を手探りで彷徨うなか、哀れズル賢い物乞いババアに拾われて、金儲けにこき使われます。

嗚呼、無常…。

その無情な人さらい貴族が、もう退廃の極致にいるようなヤツでして。

純粋無垢なアンリエットを衆人の面前で汚すことによって、毎夜繰り返される酒池肉林パーティーの余興とする魂胆らしい…

どんだけ腐りきったブルジョワの発想力!そりゃ革命も起こるわ!!

なんて嘆かわしくもドキドキしちゃう場面で、独り人間としての良心を残した貴族・ヴォードレーが颯爽と登場し、腐れ貴族からアンリエットを救い出すのです。 結果、たちまち恋に落ちる二人―。

この嵐のように唐突で運命的な恋が、革命を求める時代の暴風に巻き込まれ、またまた更なる悲劇を生み出すことになるとは…。

これまでの圧制に対する怒りを暴発させた群衆に、飽食と怠惰の限りを尽くしてきた貴族が打ち倒されるとき―

いくら正義感が強く真っ当な心を持ったヴォードレーだとしても、貴族というだけで、勝利に酔いしれ冷静さを失った民衆は許そうとはしない。それどころかアンリエットまで、ヴォードレーをかくまったという罪を着せられて、ギロチン台へのステップとなる法廷へ引きずり出されるのです!

その法廷の裁判長の名は、“わすれじのジャック”。

貴族に父親をなぶり殺された凄惨な情景を、その恨みを、決して忘れずに生きる男―。

もう絶体絶命!!!

時代は、歴史とは―あらかじめ人の血や涙を求めるものなのでしょうか!

果たして、愛し合うアンリエットとヴォードレーの運命やいかに!?

そして、離れ離れになった美しい姉妹は、再び生きて巡り会うことができるのでありましょうか…


いやー。 この映画、サイレントなのに、たっぷり2時間強もあるという当時としては超大作の映画なのですね。もう映画自体のスケールが大きいこと!

特に、怒り狂った群衆がベルサイユ宮殿を目指して怒涛のように進撃するシーンは、まるで本当のフランス革命をフィルムに焼きつけたとでもいうような迫力に満ちています。

そして、もうひとつ見所なのが、グリフィス監督お得意の手法―

“ラスト・ミニッツ・レスキュー”の大役をいったい誰が成し遂げるのか―。
これはぜひ実際に映画を見ていただいて、ハラハラドキドキ、手に汗握ってほしいと思います!

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舞台は18世紀末のフランス。貴族と平民との間に生まれたルイーズがノートルダム寺院の前に捨て置かれる。貧困ゆえに我が子アンリエッタを捨てにきたジラールが、寒さに震えるルイーズを見止め、改心。二人は姉妹同然に育てられるが、ペストの大流行によりジラール夫妻は病没、ルイーズは光を失ってしまう。

パリの医師に診て貰おうと旅に出るが、アンリエッタは放蕩侯爵に見初められた挙句に誘拐され、残されたルイーズは物乞いの老婆によって金儲けの道具に。そして、革命…… 容赦なく牙を剥く運命。その無残! その皮肉!! そして、それゆえに涙を絞りとる感動の邂逅!!

監督・脚本・製作はと称されるD・W・グリフィス。『國民の創世』『イントレランス』『散り行く花』『東への道』と、映画史に残る傑作を放った巨匠。主演は、リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュという実際の姉妹女優。その可憐さがドラマをより一層引き立たせている。また本作は、グリフィスと、彼が育てた大女優リリアン・ギッシュが組んだ最後の作品としても感慨深い。


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D・W・グリフィスが自作『イントレランス』の中世フランス編を更に発展させる形でメロドラマ化した作品。

フランスの街並を巨大セットで再現し迫力ある革命の戦闘場面を織り込んで描く、姉妹の小さな物語。

市街戦には千人単位のエキストラが動員されているが、それ以上にみせる演出は『国民の創生』で既に確立されている。 フランスの巨大セットの系譜といえば、R・バリモアの『我も若し王者なりせば』へと受け継がれ、『嵐の三色旗』にいたる。 そのどれも超大作の風格があるが、特に『嵐の孤児』はメロドラマの部分にも優れ、ラストの名高い救出と共に忘れがたい。

あわやギロチン刑に掛けられそうになるL・ギッシュのグローズアップは、殆ど倒錯趣味の権化と化している。

この顔見たさにD・W・グリフィスはこの超大作を撮り上げようと思ったとしか考えられない。この行き過ぎた趣味を我々は映画史上でも類の無いものとして歓迎するだろう。

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 「嵐の孤児」はグリフィスの最後の傑作とも言われる。そして、その名にふさわしい作品だと私は思う。「嵐の孤児」はメロドラマだ。捨てられた赤ん坊、病気で盲目となってしまう若い女性、引き裂かれる姉妹、貴族と平民の許されぬ恋、策略、嫉妬・・・メロドラマ的要素に満ちている。

 グリフィスはこれまでにも、「散り行く花」(1919)「東への道」(1920)といったメロドラマを見事に映画にしている。いずれもリリアン・ギッシュという、純粋な愛情を表現することにかけては右に出るもののいない稀有の女優を得ることで、後世まで語り継がれる作品となっている。

 「嵐の孤児」は同時に歴史大作でもある。フランス革命を舞台に選び(ストーリーやキャラクターは舞台劇とチャールズ・ディケンズの「二都物語」からとっているが、フランス革命を選んだのはグリフィスだ)、セットや衣装にも金をかけている。ロベスピエールやダントンといった歴史上の人物を、架空の人物である2人の孤児の物語に絡ませ、虚実入り混じった歴史物ともなっている。

 グリフィスは「国民の創生」(1915)「イントレランス」(1916)といった歴史大作も手がけている。大勢のエキストラが使われている「嵐の孤児」の演出は、グリフィスにとっては得意とするところでもあった。「嵐の孤児」は、グリフィスが得意とする分野で製作された、グリフィス映画の魅力に満ち溢れた作品である。

 「嵐の孤児」の脚本はグリフィス自身が担当している(クレジットはグリフィスの変名)。大いなるメロドラマは、リリアン・ギッシュ演じるアンリエッタが2人の人物に愛を与え、愛を勝ち取る物語として成立している。1人は身分の違う男性である貴族のヴォードレー、もう1人は血のつながっていない妹のルイーズ(リリアンの妹ドロシー・ギッシュが演じている)だ。

リリアン・ギッシュは2人の人物に愛を与えるという難しい役どころを何の困難さも感じさせずに演じてみせる。2つの愛は矛盾せず、どちらに重きを置きすぎることもなく、過不足なくアンリエッタの中に満ちている。あまりにもギッシュが簡単に演じているように見えるので見逃しがちだが、アンリエッタの役どころはリリアン・ギッシュ以外の女優でこれほどうまく肉付きされることは難しいように思える。グリフィスが自身のキャリアの集大成的な作品として「嵐の孤児」を残したとしたら、リリアン・ギッシュも自身の「グリフィス映画における」キャリアの集大成の演技を見せてくれている。

 グリフィスとリリアン・ギッシュには、それぞれの見せ場がある。

 ギッシュにとっての最大の見せ場は、革命後に貴族を匿った罪を裁かれるシーンだ。ギッシュ演じるアンリエッタはここで引き裂かれていた妹と再会する。裁判官に匿った罪を認めるかと聞かれたアンリエッタは決然とした表情で、「愛する男性ですから」と答える。答えを聞いた裁判官はアンリエッタに匿った罪はギロチン刑であることを告げると、ギッシュは「声を小さく。妹に聞こえてしまいます」と答える。この一連のシーンでギッシュは、貴族の男性と妹への愛を高らかに謳いあげる。もちろん、グリフィスの脚本の素晴らしさもあるが、自身の命を奪われるかもしれない法廷での、まるで悟りを開いているかのようなギッシュの表情がなければ、このシーンの感動はなかったことだろう。

 グリフィスにとっての最大の見せ場は、クライマックスの救出劇だ。ギロチン刑に処されようとしているアンリエッタと救出に向かうダントンのカットバック(グリフィスが発展させた数々の映画技法の中でももっとも有名だ)は、これまでにない緊張感を映画に与えることに成功している。ギロチンという方法の恐ろしさと、革命後の興奮状態の民衆、気絶してしまっているアンリエッタとお膳立てが整っていることもあり、「嵐の孤児」のカットバックはグリフィス映画最大の救出劇であると私は思う。

 「嵐の孤児」でもっとも感動的なシーンは、引き裂かれたアンリエッタとルイーズが偶然の再会をするシーンだろう。アパートの2階に住んでいるアンリエッタ、歌いながら物乞いをして歩くルイーズ。ルイーズの歌声に気づくが、空耳だと思うアンリエッタ。だが、確かに歌声は聞こえてくる。窓から外を見るとそこにはルイーズがいる。歓喜するアンリエッタとルイーズ。急いで外へ向かおうとするアンリエッタだが、貴族とその護衛の人々が部屋に入ってきて、アンリエッタを逮捕してしまう。

 このシーンは、グリフィスの演出とリリアン・ギッシュの演技の両方が見事に効果を上げている。グリフィスの演出は、アンリエッタとルイーズの再会をじらしにじらし、ようやく再会できたと思ったら邪魔者が入ってしまう。この緩急はグリフィスの功績だろう。リリアン・ギッシュは再会の歓喜と、すぐに訪れる絶望を見事に表現している。どちらが欠けてもこのシーンの感動はなかったことだろう。

 グリフィスとリリアン・ギッシュの見事なまでのコラボレーションが発揮されている「嵐の孤児」の中で、演出と演技が見事に噛み合っている、この再会の喜びと絶望のシーンは、グリフィスとギッシュのコンビ史上最高のシーンといえるかもしれない。

 リリアン・ギッシュ以外の役者陣も素晴らしいことを付け加えておかなければならないだろう。ドロシー・ギッシュは盲目の少女という難しい役柄を見事に演じているし、何よりもリリアン・ギッシュ演じるアンリエッタとの強い精神的な結びつきを感じさせるという意味で、これ以上にないキャスティングだと思う。アンリエッタが愛を与えるもう1人の人物である貴族を演じるジョゼフ・シルドクラウトは好感を持てるが無力なキャラクターを、ドロシーを物乞いに利用する女性を演じるルシル・ラ・ヴァーンは粗野で無慈悲なキャラクターをそれぞれ見事に演じてくれており、「嵐の孤児」に厚みを与えてくれている。

 さらに付け加えるとしたらセットと衣装と群集シーンについてだろう。豪華な王宮と平民たちの暮らすスラムのセットは、衣装(特に貧しさを感じさせる平民たちの衣装)の効果もあって、貧富の差を強調し、革命が起こった背景を説明なしで理解させてくれる。革命が起こった後の群集シーンはカオスを感じさせ、アナーキズムを嫌う「嵐の孤児」のひいてはグリフィスのメッセージを具現化することに成功している。

 「嵐の孤児」には、グリフィスのアナーキズムを嫌う志向が見えるという点は指摘しておきたい。貴族による圧制を否定しつつ、革命後の興奮状態の民衆による混沌も否定している。秩序を持った冷静な指導者として「嵐の孤児」ではダントンを賞賛している。グリフィスにとって偉大なる指導者の存在こそが不可欠な存在だと考えていることがわかる。

 「国民の創生」は、グリフィスの黒人差別的な志向が取り上げられることが多い。だが、グリフィスにとっての「国民の創生」は、黒人差別が目的ではなく、人々は偉大なる指導者によって率いられなければならないということが根本的な考え方だったように思える。グリフィスにとって、南北戦争後の黒人もフランス革命後の平民も同じであることが、「嵐の孤児」を見るとわかる。

 人々は偉大なる指導者によって率いられなければならないという考え方は、一般の人々は愚かなものだと語っているのと同じだ。これが良い悪いという議論は別にして、グリフィスの考え方はそうであり、映画製作において自らが実践した方法もそうであったということは言えると思う。

 悲しいかなグリフィスは、「嵐の孤児」を最後に映画監督のキャリアは下降線をたどる。それは、自らが指導者として俳優を指導してきたと思っていたグリフィスが、リリアン・ギッシュを失うことで、自らの描くキャラクターをうまく肉付けできる役者の大事さを知ることも意味する。

グリフィスの考え方は、少なくとも自らの映画製作においては当てはまっていなかったようだ。とはいえ、巨額の負債を抱え、自転車操業で映画を製作せざるを得なくなっていたグリフィスが、リリアン・ギッシュへの給料を支払うことが難しくなっていたという理由はあるのだが。

 「嵐の孤児」はグリフィスの作品の中で私がもっとも好きな作品だ。それは、頭でっかちになりすぎずにメロドラマとしての面白さを保持しているということもあるし、「国民の創生」「イントレランス」のように映画史に燦然と輝きすぎていないために愛着を感じるというのもある。しかし、何よりもD・W・グリフィスとリリアン・ギッシュという映画史上に名を残す素晴らしいコンビが、それぞれ最高の役割を果たした作品だと感じられるから、私は「嵐の孤児」が好きだ。

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[1921] 「夢の街」 (DREAM STREET)
 
 監督・製作・脚本D・W・グリフィス 
出演キャロル・デンプスター、チャールズ・エメット・マック

 
 「散り行く花」(1919)と同じ原作者による別エピソードを、D・W・グリフィスが監督した作品である。これまでのグリフィス作品の常連だった役者は出演しておらず、かつてはリリアン・ギッシュが演じた役柄をキャロル・デンプスターが、リチャード・バーセルメスやロバート・ハロンが演じた役柄をチャールズ・エメット・マックが演じている。

 舞台はイギリスの街。仲の良い青年の兄弟が住んでいる。兄のラルフは美しい声を持っており、弟ビリーには作曲の才能がある。2人は踊り子のジプシーに恋をする。ジプシーはラルフの愛を受け入れ、ビリーは嫉妬に駆られる。

 当時のグリフィスは、落ち目だったと言われている。「散り行く花」(1919)「東への道」(1920)「嵐の孤児」(1921)といったヒット作・話題作を送り出しながらも、製作費を顧みない映画製作により、経済的には苦しかったのだ。内容的にも、グリフィスの説教臭いメッセージは、徐々に大衆に背を向けられ始めていたという。

 「夢の街」は説教臭い作品だ。冒頭では「善と悪」についての長い字幕を見せられ、善と悪を象徴する人物(牧師とバイオリン弾き)が、主要登場人物たちの葛藤を表現するために登場する。この分かりやすい説教臭さは、グリフィス作品の特徴である。問題は、映画が説教臭さを感じさせないものになっているかということだ。グリフィスは卓越した演出や、絶妙なストーリー・テリングによって、説教を忘れさせる作品をこれまでに送り出している。

 残念ながら、「夢の街」は説教臭さを打ち消すことに失敗しているように思われる。火事になった劇場におけるパニックといった派手な演出や、誤解からラルフがジプシーに裏切られたと思い込む後半の展開など、見どころは多くある。特に、裁判のシーンがよい。証言を終えて側を通りかかるジプシー、被告人席に座るラルフの手に、ジプシーが手でチョンと触れる。このシーンのさりげなさ、やわらかさには並の監督では表現できない感情が詰め込まれている。ギュッと手を握るのではなく、チョンと触れるからこそ、このシーンは生きているのだ。

 見どころがあるにもかかわらず、説教臭さを消すことができなかった理由は何であろうか?

1つには、随所に織り込まれる説教臭い字幕と、映像がある。特に、悪を代表するヴァイオリン弾き。普段の顔はマスクであり、マスクを取ると醜悪な顔の男であるという分かりやすい設定に加え、時折地獄絵図のような映像が差しこまれる念の入れようだ。映像自体にキッチュな魅力があるものの、説教臭さを助長するものであることに変わりはない。

 もう1つの理由は、役者だ。キャロル・デンプスターは、リリアン・ギッシュと似たメイクを施されている。時折、ギッシュのように涙を湛えたこわばった表情を見せたりもする。だが、役者が変われば魅力も変わる。ダンスをしているシーンの溌剌さと比べると、ギッシュ的な演技をしているデンプスターは、あまりにも窮屈そうだ。ビリーを演じるチャールズ・エメット・マックも、過度に「散り行く花」のリチャード・バーセルメスを真似ているように感じられた。

 世の中が変わり、俳優が変わる一方、変わっていないものもある。それが、グリフィスだ。程度の差こそあれ、グリフィスの作品には説教臭さが付きまとう。説教臭さは、大体において心地よいものではない。思えば、「イントレランス」(1916)以後の作品で、成功作と言われているものは、いずれも説教臭さが前面に出ていないものばかりだ。グリフィスは変わっていない。問題は説教臭さが前面に出ているかどうかだ。


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[1922] D・W・グリフィス、レーニンに誘われる

 アメリカ映画の父と言われるD・W・グリフィスは、世界平和をテーマにした映画を撮影しようとするが頓挫している。グリフィスは制作費捻出のために、ママロネックの撮影所を売却しようとまでしたが、実現しなかった。

 グリフィスは、この後ヒット作から見放され、時代から置き去りにされていく。そんなグリフィスは、

「観客の精神年齢は9歳であり、成功する映画を作るためには、映画をこの精神状態に合わせなければならない」

と語っていたという。グリフィスのいらだちが伝わってくる。

 そんなグリフィスはこの年、探偵映画である「恐怖の一夜」(1922)を監督しているが、失敗に終わっている。また、レーニンからソ連の映画製作を指導して欲しいと声をかけられたが、断っている。グリフィスが監督した「イントレランス」(1916)は、ソ連の映画製作者たちにとって教科書的の存在となっていた。また、レーニンは「イントレランス」の現代篇を見て、グリフィスを共産主義者と勘違いしたとも言われている。

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I 緋文字(The Scarlet Letter ) 1926

監督 ヴィクトル・シェーストレム
出演 リリアン・ギッシュ / ラース・ハンソン / ヘンリー・B・ウォルソール / カール・デーン

http://www.youtube.com/watch?v=Vj83BC5gZCk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YLWzIvMtT5k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XnzcFdBhPbY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=38ObkUuXVis&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5zuJWmeX4hU&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=zS5T5OaF0Yg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hUQfFVJcHSo&feature=related


グリフィス作品のいたいけなヒロイン=L・ギッシュが、少女の可憐さはそのままに、姦婦の烙印を縫いつけた服の着用を強制されながら、愛する男の名誉を守ろうとする情熱の女性=へスター・プリンを演じる、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』の、スウェーデン出身の名匠シェストレムによる映画化。

戒律の厳しい清教徒の町ボストン。新しく赴任した人間味ある牧師ディムズデールに魅かれた自由人へスターは、やがて夫の留守中、彼と関係を持ち、その子を宿すが、それと知らず彼は他の教区へ移ってしまう。明らかに私生児を設けた彼女は生涯、姦淫を象徴する赤いAの文字を胸に纏うことを義務づけられるが相手の名は頑として明かさない。

ロケ撮影を多用した自然主義的な演出の中に素晴らしい劇的効果を、例えば、へスターの覗き込む水鏡の描写などで生み出す、シェストレムのヨーロッパ的感性にうたれ、何より、ギッシュの気高く凄みある名演に圧倒される。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11308


 リリアン・ギッシュの圧倒的な女優映画。しかしヴィクトル・シェストレムの演出も矢張り『風』同様厳しくていい。ディゾルブ繋ぎの2カットの寄りが随所にあり情感もたっぷりだが、決して被写体におもねる演出ではない。またいくつかの忘れがたい倒錯的な画面を持つ。

特に前半、ギッシュが鳥かごの鳥を逃がし、跳ねまわっているのを村人に見られた後、罰として与えられる一種拷問のようなシーン、ギッシュが木枠のかせをはめられ、往来に放置されている画面の異様な官能性。 或いは後半、告げ口をした女が罰で池につけられるシーンの残酷な笑い。そしてA(Adulteress−姦婦もしくはadulterer−姦夫)の緋文字の映画性。

私はナサニエル・ホーソーンの原作も大好きだが、胸の緋文字の隠蔽と暴露の見せ方は映画ならではの興奮をそそる。傑作サイレント映画だ。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11308#2

「緋文字」(1926年米)はイギリス人が入植したばかりの新大陸ニューイングランドのボストンが舞台である。お針子のヘスター・プリン(リリアン・ギッシュ)は、若い牧師アーサー(ラース・ハンソン)と恋に落ちる。ヘスターには、故国イギリスに夫ロジャー(ヘンリー・B・ウォルソール)がいるが、何年も連絡が無く生死は不明であった。やがて、ヘスターは不義の子を産むが、彼の名誉のために父親の名は隠し通す。彼女は、罰として真紅の“A”の文字を胸に刻印されるのであった…。真紅の“A”は“Adultery(姦通・不義)”を意味している。愛する男のために、自ら不幸を選ぶ女というのはリリアン・ギッシュ(1896〜1993)お得意の役柄なのだが、つくづく彼女は報われないものであると切なくなってきてしまう。

 原作はナサニエル・ホーソン(1804〜64)の小説「緋文字」。その後も何度となく映画化された題材で、ヴィム・ヴェンダース(1945〜)が監督した「緋文字」(1972年西独/西)や、最近でもデミ・ムーア(1962〜)が主演し、ローランド・ジョフィ(1945〜)の監督する「スカーレット・レター」(1995年米)が製作されているが、いずれも作品の雰囲気はずいぶん異なっている。例えば、ジョフィ版はアーサー(デミ・ムーア)とヘスター(ゲイリー・オールドマン)、ロジャー(ロバート・デュヴァル)の3人の愛憎を主眼に据え、ロジャーの復讐が大きく描かれる。

一方の、シェーストレーム版は、むしろアーサーの良心の呵責がメインとなる。ここでのアーサーは、“A”の文字を自らの胸に刻み、最後はヘスターの胸に抱かれて息を引き取る。ジョフィ版は原作や他の映画版と異なり、ハッピーなラストとなっているが、それは誰もが願っていた結末であるに違いない。また、ヴェンダース版は夫ロジャー(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)の視点に立つ。ヴェンダースと言えば、「都会のアリス」(1973年西独)や「パリ、テキサス」(1984年西独/仏)といった都会的なロード・ムービーが思い浮かぶが、意外にもこのヴェンダース版が一番原作に忠実な映画化だと言える。

例えば、シェーストレーム版やジョフィ版は原作には無い、ヘスターとアーサーの馴れ初めから描かれているが、ヴェンダース版は原作同様、ヘスター(ゼンダ・ベルガー)の裁判の日から話が始まる。もちろん、アーサーが“殺される”など、原作とは大きく異なる部分も存在するのではあるが…。ちなみに、ヴェンダースはこの彼にとって唯一の時代劇が嫌いだったらしく、「ピンボールマシンもガソリンスタンドも出てこない映画は2度と作らない」と言わしめた。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/20SWEDEN.htm


アメリカがまだ植民地だった頃を舞台にピューリタン的戒律に縛られ悲劇を迎える愛の物語。

その戒律の厳しさは今見ると・・・たぶん26年の時点でも・・・あまりにも古めかしくバカバカしい域ではあるのですが、酷い環境の中貫かれる愛は普遍的感動を呼びます。 それにしてもその戒律は本当に酷い。

日曜日に逃げた鳥を追いかけて解けた髪のまま走り回ったくらいで手かせ足かせ付けられてさらし者にされてみたり、

”女の下着は淫らなものなので洗濯は男の目のつかないところでひっそりと行へ”
とか絶句します。が、そういう時代のお話なので仕方がないですね。

ヴィクトル・シェストレムの映画を見るのは初めてです。前述の鳥を追いかける場面の御伽噺めいた美しさ、後半でのギッシュの住む荒野の一軒家といった佇まい、そして呪われた恋人達の苦難など見どころいっぱい。

『東への道』でも『嵐の孤児』でもリリアン・ギッシュはいつも男に襲われる役ですが、本作のリリアンは牧師を積極的に誘惑。その様子は幼い容姿(33歳くらい)のせいでなんだか危うい雰囲気を漂わせています。束ねた髪が解けると、ブロンドの長い髪が官能に輝いてしまいます。

リリアンの相手役にシェストレムと同じくスウェーデンから来たラルス・ハンソン。
リリアンの夫を演じたヘンリー・B・ウォルソールは34年コリン・ムーア主演版でも同じ役を演じているようです。なんだか怪僧ラスプーチンを思わせるいかにも悪役らしい姿です。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/silentvoice/s_index.html


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J ラ・ボエーム (La Boheme ) 1926


監督 キング・ヴィダー King Vidor

出演 リリアン・ギッシュ ジョン・ギルバート  
ルネ・アドレー  ジョージ・ハッセル  ロイ・ダルシー 

http://www.youtube.com/watch?v=aet__E4zfRI
http://www.youtube.com/watch?v=VjfUh5rIeMM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D8PYxUJ-OMw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=S02mccbscV4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Oj1Dxye4lAM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dBmwI9ABZtQ&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=QQbUFI9cZ1Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fqBVhOlouJM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=W3gt_PO835s&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=TjpZp8Y971w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=L_Afbb5QEYI&feature=related


 プッチーニのオペラ劇でも有名な題材のもっとも古い映画化作品で、サイレント時代のR・ギッシュの可憐な演技が目玉。芸術家を志す4人の男たちの友情と、貧乏でもなお志気を通す生き方が滑稽でもあり、悲しくもある。

 “芸術の母パリ。才能ある若者たちが悩み飢え……”という字幕で映画は幕を開ける。劇作家を目指すロドルフは、家賃も苦しく身よりのないお針子ミミに恋をする。それまで冴えない犬猫雑誌に原稿を書いて喰いつないでいたのが一転して生き生きした脚本が書けるようになる。ミミもまた1人の女として励ます男の存在に生き甲斐を得る。
質屋の帰り、ミミは金持ちポールに見初められ、あれこれ言い寄る言葉を真に受けて、ロドルフの新作原稿を持って劇場に出かける。友人のミュゼットみたいにパトロンを得て金をもらっていると勘違いしたロドルフは、激怒して部屋を飛び出し酒場へ。ミミが原稿料を貰いに行ってくれていた雑誌の編集長から、自分がとっくにクビになっていたことを知り、ミミが夜なべして金を工面していた真実を知って懺悔する。

体を壊し喀血するミミを目のまえに、必死に医者を探すロベルト。ミミはベッドから消え、数カ月後、戯曲は大成し上演ヒットする。だが、打ち上げパーティの日に瀕死のミミが運び込まれ……。

 恋仲になったロドルフと復活祭のピクニックに出かけ、川縁の林ではしゃぐミミの無邪気な様子は可愛らしく心に残る。ギッシュの十八番“薄幸の美少女”もの。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24710


 『ビッグ・パレード』(1925)の翌年のキング・ヴィダー。リリアン・ギッシュは『真紅の文字』と同年の映画。パリの屋根の雪景色のカットから始まる。こゝでも前半はともかく後半は圧倒的なギッシュ一人の映画になる。

病に倒れたギッシュが、貧民窟からカルチェラタンのアパートまで戻る場面がヴィダーらしい過剰に凄絶なシーンで出色。また、中盤のピクニック場面もモブシーンとして見事な出来栄えだ。

あと、アパートの装置としての面白さも明記したい。ジョン・ギルバートの部屋の窓を挟んでギッシュの部屋が見え、(雪降る画面が美しい!)屋根伝いに部屋を行き来できる構造になっていることや、ギルバートの部屋の床板をはずすと階下のルネ・アドレーの部屋が見える、さらに当然のごとく会話を交わす、というような部分。

 ラストのラストでピクニック場面が一瞬フラッシュバックされるのだが、通俗的というか余りにメロドラマじゃないかという思いも起こるが、これもヴィダーらしい大衆的なサービス精神だと思い直す。

「ラ・ボエーム」と言えばプッチーニを思い出しますが、ストーリーはこのオペラとは、かなり違います。それは、原作者のアンリ・ミュルジェールの小説を映画化したからのようです。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24710#2


リリアン・ギッシュ自身が強くこだわったというパンクロフィルムの特性が活かされ、光の溢れるピクニックシーンから夜の暗い街路まで色調が豊かで幅広い。彼女の表情のクロースアップショットも艶やかで麗しい。

アパート隣室のジョン・ギルバートらに歓待された彼女が戸惑い、恥じらいつつも嬉しさが滲む表情の可憐さ。彼らとの初めてのピクニックで無邪気に跳ね回り、踊り、アパートの窓をはさんで二人じゃれ合う身振りが伝える幸福感。 一転して、悲愴極まりない終幕では薄倖の死相が真に迫って痛ましい。

クライマックスでは荷車後部の鎖につかまり舗道を引きずられるという、キートン、J・チェン顔負けの過激なアクションまでも華奢な身体で演じきる。 全身映画女優の底知れない表現力にただ圧倒されるしかない。

http://www.jtnews.jp/cgi-bin_o/review.cgi?TITLE_NO=11728


オペラではなくて、1926年無声映画の〔ラ・ボエーム〕です。

映画雑誌等で見る写真でしか知らなかった伝説の清純派女優、リリアン・ギッシュが動いているのを初めて見ました。

こんなにこんなに可憐なんですね。 愛しさを喚起するはかなげな美しさですねえ。
役柄もあるのでしょうけれど、正にスミレの花のようです。 当時の男性たちが心掻き乱される気持ちが良く解かりましたよ。

ラ・ボエームってぶちゃけストーリーはつまんないですが、リリアン・ギッシュの美しさ、かわいさ、可憐さは必見ですねよ。

というか彼女クラスの女優でないと、ありきたりの悲恋ものしかならない(笑)

オペラはその辺が難しくて、声量を維持するためにはある程度ガタイがよくないといけないし、主役クラスになるまで上達するには年もそれなり。結果ビジュアル的には厳しくなることが…。

今度来るオペラをそのまま映画にした「ラ・ボエーム」のヒロインも見た目はおばさんだしねー(^^;) 見には行くけど。

たぶん生の舞台だとそんなに気にならないんだろうけど、映画やテレビの中継はアップもあるし、カメラの正直さに萎えちゃうこともしばしばです(笑)

http://blog.jamkaret.jp/?eid=915444


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K 風(The Wind ) 1928

監督:ヴィクトル・シェストレム 
出演:リリアン・ギッシュ、ラルス・ハンソン、モンタギュー・ラヴ、ドロシー・カミングス

http://www.youtube.com/watch?v=5xyBOa_eh6c&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=paAUJVLJV60&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Tqm_3RJdffU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yyaduD3Hmzo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=MdGoUTVXTro&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=91iYhGJH5-c&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1BVjGloLEB4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=t25ibzF7iK8&feature=related


バージニア州生まれのうら若き乙女・レティは、テキサス州に住む従兄のビバリーを頼り、砂嵐の吹き荒れる大平原の中にあるビバリーの家で暮らすようになる。ビバリーの子供達はすぐレティになつくが、彼の妻コーラは若く美しいレティに嫉妬し、いじめるようになる。

コーラのいじめに耐えかねたレティはビバリーの家を出、近所に住むがさつ者のカウボーイ・ライジと結婚することを決意する。しかしレティには、ライジの愛を受け入れるだけの心の準備がなかったため、二人の関係はぎくしゃくしたものとなってしまう。 レティのヴァージニアへの思慕が日に日に募るのをみたライジは、レティをヴァージニアへ帰すための資金を稼ぐべく、仲間と共に家を空ける。

猛烈な風にレティの神経が痛めつけられる中、かつてレティを誑かそうとした好色漢ロディが現れ、レティに襲い掛かる。レティは砂嵐を起こすという伝説の幽霊馬の幻を見ながら、失神する。

翌朝、レティは昨夜の出来事を思い出し、ロディを射殺してしまう。遺体を砂の中に埋めたものの、やむことの無い風は容赦なく砂を吹き飛ばし、埋めたはずのロディの遺体が徐々にあらわになり、レティは気も狂わんばかり。そこへライジが帰宅し、昨夜からの出来事は幻であったことにレティは初めて気付き、同時に夫・ライジへの真実の愛に気付くのであった。レティは、風が吹き荒れるこの地にライジと共に住み続けることを決心し、物語は終わる。

本作は、原作を読んだリリアン・ギッシュ自身が強く映画化を希望し、MGMのボーイ・ワンダーとよばれたアーヴィング・タルバーグらに製作をもちかけ、自らの主導により撮影を進めた。

リリアン・ギッシュは後年、『この作品の撮影は、女優としての最悪の経験。8台のプロペラ飛行機で砂を吹き付けられ、嵐の効果を出すための硫黄の燃えさしが飛び交う中、目を開けている必要があった』と語っているほど撮影は困難を極めた。暑さのあまり、フィルム表面の乳剤が溶け出したほどであった。

サイレント映画末期に作成された作品であるため、部分的にサウンド(人の声など)が同調された。

本来は、レティがロディを射殺して発狂、砂の嵐の中に消えていくはずであったが、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー首脳陣が反対し、ハッピーエンドに変えさせた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


 「風」(1928年米)は「真紅の文字」と同様ギッシュとハンソンが共演している。従兄を頼って風が激しく吹き荒ぶテキサスの荒野にやってきた孤独な娘レティ(リリアン・ギッシュ)が主人公である。

彼女は、カウボーイのライジ(ラース・ハンソン)と愛の無い結婚をする。レティを愛するライジは、彼女の愛は求めず、望郷の念にかられた彼女のために故郷への旅費を稼ごうとするのであった。毎日のように吹き荒れる風と砂嵐に、次第にレティは精神を病んでいく。やがて、かつて彼女を捨てた男がレティの前に現れる。彼女は男を銃で撃ち、死体を砂に埋める…。

風と異性への恐怖心を抱くヒロインが、男を撃つことで恐怖を克服し、同時に愛を確認するというストーリーは、必ずしも教訓性が高いとは言えないが、試練を受ける主人公と言う点において、他のシェーストレーム作品に通じるものがある。それにしても、かつて好意を寄せていた男に言い寄られると、相手を殺し、嫌っていた男から別れを告げられると「愛している」という女。女心はわからないものだ。

 この映画は題名が示す通り、全編に渡って不気味なほど激しく風が吹く。言ってみれば“風”そのものが主人公であるのだ。当然サイレントであるから、音は聞こえない。だが、そのすさまじさは音が無くても聞こえてくるかのようである。もっとも、少々大げさだとは思えなくもない。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/20SWEDEN.htm


The Wind presented by Lilian Gish
http://www.youtube.com/watch?v=62lsVChiUKU&feature=related


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L 暁の勝利(Commandos Strike at Dawn) 1942

第二次世界大戦を背景に、ノルウェーの小さな村の住人達と、そこへある日突然侵攻してきたナチスドイツとの戦いを描いています。1942年、コロンビア社制作のアメリカ映画です。 とはいっても、この映画はノルウェーの映画ではなくアメリカの映画なので、当時ナチスドイツと戦っていたアメリカの国民に向けたプロバガンダ映画になっています。最後はナチスとの戦いの勝利への誓いのメッセージを声高に叫ぶエンディングになっています。

物語の主人公の青年はやっと好きな女性と結婚出来た幸福から、突然ナチスが侵攻してきて、一転して不幸のどん底に落とされる役柄ですが、その新婚の青年の母親を演じるのがリリアン・ギッシュです。この頃は50歳前後になっていて、劇中では「老婆」などと呼ばれたりもしていますが、若い頃とのギャップはまだまだ少ないと思います。暗い映画なので、冒頭くらいしか笑顔の場面が無くて残念。

リリアン・ギッシュ自伝では、この映画の日本語タイトルは「奇襲部隊は夜明けに突撃す」となっています。自伝ではタイトルを挙げているだけで、この映画の内容については何も語っていませんが、舞台がロングランになって、長いこと舞台で同じ役をやっていたから気分転換に映画の仕事をしてみたみたいに書いてあります。脇役だし、あまり思い入れも無い作品なんだと思います。

この頃は映画作りに対する情熱というものがグリフィスと一緒に仕事をしていた時よりも随分薄らいでいたようです。制作会社から「こういうのを作れ」みたいに言われて、言われたように作るしかない現場に失望していたようです。

トーキーになってからのリリアンの映画は初めて見ましたが、当然ながらサイレント時代のようなオーバーアクトは無くて、現代的な女優になっているのがなんか不思議です。

http://blog.livedoor.jp/teretoumiro/tag/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5


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M 狩人の夜 (THE NIGHT OF THE HUNTER) 1955

監督/チャールズ・ロートン
出演 ロバート・ミッチャム シェリー・ウィンタース リリアン・ギッシュ

http://www.youtube.com/watch?v=fkBvxeUrMBs
http://www.youtube.com/watch?v=Oej52tNnlfQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=q4MwXDqkfU8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=DisQxmRTdz4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=iTLFgYNehTk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=32TIL6Q9_A0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=_col3bJG_eU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=N7spwu22P-U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yMlMpnL7Lt4&feature=related


物語の舞台は1930年代、大恐慌の嵐が吹き荒れるウェストバージニア州である。オハイオ川沿岸のクリーサップ埠頭に住むベン・ハーパーは、家族のために強盗殺人を犯す。警察の捜査から逃れて家族の元に辿り着いたベンは、強奪した1万ドルの在り処を息子のジョンと娘のパールに告げる。その直後、ベンは彼を追跡してきた警察に子供たちの目の前で逮捕される。最終的にベンは強盗殺人の罪で死刑判決を受け、刑務所に送られる。

ちょうどその頃、車を盗難した罪でベンと同じ雑居房に収容された偽伝道師ハリー・パウエル。彼はセックスに対し異常ともいえる嫌悪心を抱いており、神の正義の名の下に未亡人たちを殺害し、その金を奪うという凶悪犯罪を繰り返している殺人鬼だった。ベンから盗んだ大金の在り処を聞き出そうとするハリーは、彼の寝言である「小さい子供がそれらを導く」(旧約聖書『イザヤ書』の一節)という言葉から、ベンの子供たちが何か知っているのではないかと推測する。

結局ベンは誰にも大金の在り処を告げることなく処刑される。ハリーもすぐに釈放され、ベンの家族が住むクリーサップの街を訪れる。ハーパー家には未亡人となったウィラと、彼女とベンの間の子供であるジョンとパールが残されていた。夫が逮捕された後地元のアイスクリーム屋で働いて生計を立てるようになったウィラに対し、ハリーは自らの素性を偽って接近する。自身の両手の指に刻まれた「L-O-V-E」と「H-A-T-E」の刺青を用いた巧みな説教によって、ハリーはクリーサップの住民の信頼を勝ち取り、ウィラと再婚する。しかしそんなハリーに対し、ジョンだけは警戒心を隠さない。

新婚初夜、夫となったハリーに抱かれようとするウィラを、ハリーは頑なに拒絶する。二人の間の結婚生活は、ハリーの常軌を逸した道徳観念に縛られた空虚なものだった。新しく子供たちの父親になったハリーは、ウィラの見ていない隙に彼らを脅迫し、ベンが隠した大金の在り処を聞き出そうとする。ハリーの隠された動機を皆に告げるジョンだが、ハリーに心酔する大人たちは彼の言うことに耳を貸そうとしない。そんな或る日、パールを苛めて隠し場所を言わせようとするハリーの姿をウィラが目撃する。その夜、真実を知ったウィラは寝室でハリーに殺害されてしまう。

周囲の人々にウィラが失踪したと告げ同情を買うハリーは、ますます子供たちを虐待するようになる。虐待に耐えかねて、終にジョンはハリーに亡父が遺した大金の在り処を告げる。大金はパールが肌身離さず持ち歩いていた人形に隠されていたのだった。子供たちを殺害しようとするハリーに対し、ジョンは一瞬の隙を突いてパールを連れて逃走することに成功する。カヌーで大河を下っていく子供たち、そしてハリーも彼らを捕まえるための追跡を開始する。

逃避行で心身ともに疲れきったジョンとパールは、信心深い老婦人のレイチェル・クーパーに保護される。彼女の元にはジョンとパール以外にも、行き場を失った多くの子供たちが身を寄せていた。やがてレイチェルの所に子供たちの居場所を嗅ぎつけたハリーが現れる。ハリーはレイチェルに得意の刺青を用いた説教を行い歓心を買おうとするが、洞察力に優れたレイチェルによってその邪悪な本性を見抜かれる。ショットガンを持ち出しハリーを追い返そうとするレイチェルを見て、ハリーは一度退散する。

その夜、レイチェルの家の庭に子供たちを捕まえるため、ハリーが再び姿を見せる。子供たちを守るためにベランダで寝ずの番をするレイチェルと、彼女を遠くから用心深く観察するハリー。二人は庭を挟んで聖歌503番「主の御手に頼る日は」を唱和する。歌が終わる頃、レイチェルを心配した娘の一人が蝋燭を持って彼女の側に近づいてくる。不意の明かりで目が眩んだレイチェルは、闇に紛れたハリーを見失ってしまう。

家の中に戻ったレイチェルは居間に子供たちを集め、来るべきハリーの来襲に備える。そこに現れたハリーは、ジョンとパールを引き渡すようにレイチェルを脅迫する。しかしレイチェルはハリーの要求を拒絶し、彼に対してショットガンを発砲する。獣のような叫び声を上げ、負傷したハリーはレイチェルの家から逃走する。レイチェルはすぐに警察に連絡し、逃げ出したハリーを捕まえるように要請する。

翌朝現場に駆けつけた警官たちによって、納屋に潜んでいたハリーが逮捕される。その姿は、嘗てベンが逮捕された時の光景を髣髴させるものだった。ジョンはパールの人形を持って、ハリーと彼を確保した警官たちに詰め寄る。彼らの目の前で「こんなもの要らない」と涙を流しながら、ジョンは人形を地面に叩きつける。周囲に舞い散る1万ドルの札束。そしてレイチェルは、泣き止まないジョンを優しく宥めるのだった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%9C_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


孤児を養う婦人レイチェル・クーパー: リリアン・ギッシュ Lillian Gish (1893-1993)


1910年代のグリフィス映画から1987年の「八月の鯨」まで活躍した大女優。グリフィスの「散り行く花」、「東への道」、「嵐の孤児」といったサイレントの傑作と比べるとトーキー以降の出演作はチト寂しい。というのも舞台に専念していたからです。アルトマンの「ウエディング」(1978)の出演も忘れられません。

レイチェル役は小鳥のような女性がいいとロートンが言ったら、プロデューサーのポール・グレゴリーはリリアン・ギッシュを思いつきます。ロートンは、「わりと小さな役だし、「白昼の決闘」(1946)以来映画に出たがらないからダメだろう」と思ったらしいのですが、ギッシュは、ロートンが送ってきた原作を読み、善悪の戦いを描いた非常に素晴らしい小説だったので引き受けます。リリアン・ギッシュといえばすぐにグリフィス作品を思い出しますが、「狩人の夜」はグリフィス作品の影響がかなり大きいようです。

「リリアン・ギッシュ自伝」では、「狩人の夜」について、ミッチャムを徹底的に悪役として描かなかったから映画に一貫性がないと述べています。彼女としては、グリフィス映画のように善悪はっきりさせたかったのかもしれません。

http://homepage3.nifty.com/mylittlevillage/ftheater18.htm


「狩人の夜」を紹介したいと思います。この映画は1955年、名優チャールズ・ロートンが唯一監督した映画です。制作当初、ハリウッドの妖精と謳われたリリアン・ギッシュが、襲ってくる殺人鬼に銃口を向け、銃を撃ち放つラスト近くのシーンがタブーとされ、不幸にもお蔵入りになってしまったという、いわくつきの映画です。のちに日の目を見、フランソワ・トリュフォーらを熱狂させた幻の名作として、今や多くの映画ファンの知るところとなりました。何しろこの映画は緻密にして大胆です。モノクロの画面に立ち現われる美しいシーン。そしてそれと逆行するような不安や恐怖を盛り上げる手法は、のちのサスペンス映画のお手本になったと思われるほど見事なもので全編気を抜く間がありません。

 この映画で主演の殺人鬼ハリーを演じたのはロバート・ミッチャム。彼は羊の皮を被った狼さながらの見せかけの善人ぶりと、その下の悪魔の顔を演じ分け、ゾッとするほどの冴えを見せます。ハリーは刑務所の中で知り合った死刑囚が盗んだお金を隠し、彼の子どもが隠し場所を知っていることを聞き、お金を手に入れるため釈放後、福音伝道師になりすまし遺族を訪ねるのです。遺族は妻と息子、娘の3人ですが、妻はすっかり信用してしまい、知人の薦めもあって、結婚します。

 さて、このハリーという悪を際立たせる存在として、光りを放つのが2人の子どもたちです。兄の方は恐らく7、8歳、妹は4、5歳といったところでしょう。妹は事情がまだ理解できませんがキューピーさんのように愛くるしく、片時もアン人形を手放しません。一方、兄の方は見るからに聡明で、瞳と口元が意志の強さを感じさせます。自分の母親や村人たちがすっかり騙され、ハリーを信用し切っているのに反して、彼だけが「あのおじさん、おかしい」と直感するのです。しかし、うまく言葉で伝えるすべを持たないため、理解されず、可愛げのない子ども扱いされて、無視されてしまいます。
自分の母親がまんまと騙されて結婚してしまうくだりは彼にしてみれば悪夢のような出来事だったでしょう。元々彼らの父は強盗殺人の罪を犯しましたが、子どもたちが飢え苦しむのが忍びなく、止むに止まれずの犯行でした。逮捕の直前に家に戻り、息子にだけお金の在りかを教え、母親にさえ言わないように約束させます。そして「妹はおまえが守るんだ」と誓わせるのです。その直後、息子の目の前で父親は逮捕され、少年の心には大きな傷が残ります。ですが彼はこの時、父との約束を果たすため、健気にも一足飛びに大人になっていきます。

 悪夢のような現実はさらに続きます。ハリーは次第に父親面をし、最初は子どもだましのような手段で隠し場所の秘密を聞き出そうとします。しかし、それが無理とわかると、邪魔物の母親を殺害し、湖底に車ごと沈めます。そして翌朝、近所の人々の前では「妻が家出を」と言い、さめざめと泣くのです。そのシーンの後、湖底で水流に髪をなびかせ、車中に閉じ込められた母親が映し出されます。

 邪魔物がいなくなった後ハリーは豹変し、とうとう兄の方がナイフを突き付けられ、妹はお金は人形の中にあると叫んでしまいます。ハリーは人形を取り上げようとしますが、その瞬間、兄はハリーの頭上の棚の支えを取り、物を落下させ、当たってふらふらしているスキに逃げ出すのです。2人は亡き父親のボートに辿りつきますが、子どもの手ではなかなか結わい付けられているロープの結び目がほどけません。アア、もう絶体絶命だ!そう思うが早いか、ぬかるみに足を取られたハリーの指先をかすめ、船は夜の川を滑り出します。恐ろしく、寂しい夜の川ではありますが、きらめく星々が2人を照らし出すのです。

 からくも逃げのびた2人は、リリアン・ギッシュ演じる老婦人に出会い、救われます。彼女は身よりのない3人の女の子を引き取り、卵や乳製品を売って生計をたてており、2人もそこで暮すことになります。けれども穏やかな日々もつかの間。ハリーが来て2人を連れて行こうとします。老婦人は兄の表情を見てとり、ハリーの嘘を即座に見抜き、追い返すのです。この後の老婦人とハリーの対決は、映画を見てのお楽しみと致しますが、クライマックスは実はその後にあるようにわたしには思えました。

ハリーが連行される時、地面に組み伏せられている姿を見た兄の方は、父親の悲しい最後の記憶が蘇ったのかもしれませんが、「やめて」と叫び、泣きながら妹の人形からお金を取り出し、「お金はもうあげるよ、あげるよ」と言って、お札の束をハリーに何度も叩きつけるのです。これにはほろりとさせられましたが、その後の裁判でも法廷に呼ばれた兄は「この男があなたのお母さんを殺し、あなたたちを殺そうとしたのですね」との問いに、唇を真一文字に結び、何も答えませんでした。

それを少年の意思表示だと見てとった裁判官は途端に優しい声で「もう帰っていいですよ。メリークリスマス」と言い、少年は老婦人に抱き抱えられ、わが家へと帰っていくのです。街は殺人鬼、ハリーを糾弾するべく、民衆で溢れ返り、騒然としています。果たしてその時、ハリーの胸に過った思いはあったのでしょうか −。

 映画ではそこまでは描かれていませんでしたが、まだほんの子どもの少年が誰より真実を見抜く力を持ち、両親亡き後に妹をひとりで守り、ハリーに憎しみや恨みを持つどころか、哀れみ、許してしまう。サスペンス映画としてこれほどまでに完成していながら、かつ人間のあり様をひとりの少年が見せてくれ、感動と余韻を残してくれたのです。

 心を静かにし、耳を傾け、真実と嘘を見分ける力と少しの勇気は、実は誰しも持っているものです。そして全てを知った後に許す寛容さもです。少年のあの透明なまなざしと共にそんな思いがわたしの胸には過り、いつまでも忘れられないのです。

http://www.jca.apc.org/praca/back_cont/04/04cine_night.html


今回のテーマ 洞察力という不幸


前回取り上げた、マルグリット・デュラスの「インディア・ソング」の中に特徴的なセリフがあります。

「彼の不幸って何?」

『理解力(INTELLGENCE)』


これって、理解力が致命的に劣っていて、人間としての最低限の知力に到達していないから不幸・・・と言う意味ではありませんヨ。むしろ逆。

理解力、と言うか洞察力がありすぎるので不幸なのだ!

そんな意味なんですね。


何と言っても、理解力が人間離れしていると、一般の人と見えている世界が違ってしまう。一般の人に見えないようなものまで見えてしまうわけ。これって、何も超能力なんてたいそうなものではありません。単に理解力の問題。

「ああ、それは○○だよね?きっと彼はこんなこともしたでしょ?」

『うーん・・・確かにそうだけど、どうしてわかるの?』

「だって、君がさっき説明したじゃないの?」

『けど・・・ワタシは、そんなに詳しくは説明してないじゃないの?どうして、そんな言ってもいないことまでわかるの?』

「いや・・・どうしてって・・・見えるから。」

『見えるって・・・どうして見えるの?』

「知らないよ、そんなこと。ただ見えるんだよ!」


そんなやり取りをやったこともある方も多いでしょう。どっち側になったのかは別として。

しかし、結局は見えている世界が違うので、一般の人とのやり取りに困ってしまうことになる。見える人間にしてみれば、「この人たちは、どうしてこんな重要なことを無視するんだろう?」と怪訝に思いますし、一般の人間にしてみれば、「アイツは、何ヘンなことを言っているんだ?!」と思ってしまうのは当然。だから行き違いが起きやすい。そりゃ不幸になりますよ。

しかし、このように理解力の差によって「見えている世界が違う」という状態は、芸術家には頻繁に起こってしまうもの。逆に言うと、一般人と同じものしか見えないような人間は、芸術家とは言えないわけ。

だから、芸術作品だと、いわゆる超能力者なる人間が出てきたりすることってあったりますよね?往々にしてそのキャラクターは、作者自身のメタファーなんですね。
最近だと、「蟲師」なるアニメを見ていたら、典型的に、この一般人と「見えている世界が違う」と言う状態を前提にし、ある意味、作品そのもののテーマとしていました。

まあ、見ながらニヤニヤと笑っちゃいますよ。
「ああ!これって・・・あのことね?」見ていると作品中のそれぞれのメタファーの意味が簡単にわかってしまう。「この作者さんも・・・色々と・・・あるんだろうねぇ・・・」

まあ、一般の人に説明するのは面倒なので、いきなり超能力的な描かれ方になってしまったりしますが、そんなたいそうなものではなくて、人と話をすると、言葉と言葉の間の言葉が聞こえたり、人の表情と表情の間にある表情が見えるだけなんですね。本来は、誰だって見えているもの。ただそれを一般の人は見落としてしまう。一般の人が見落としがちな言葉なり表情に気が付くことができるか?イヤ!気が付かざるを得ない・・・そんな理解力が不幸の源泉。

超能力だったら、顔を見ただけで全部わかるのかもしれませんが、洞察力だったら、話を聞いて、聞いた話以上のことがわかるわけ。ゼロからすべてを理解することとは、いくら洞察力があっても不可能。洞察力は、よく言う言い方ですと、「一を聞いて、十わかる。」そんなもの。だから超能力とは全然違うわけ。それに理解力だけの問題なので、ものを動かしたり、自分が瞬間移動するなんて便利なことは出来ない。あるいは、どの株券が値上がりするのかがわかるなんて芸当もできない。はっきり言って、何の得にもならない、まさに不幸な能力なんですね。

このような「一を聞いて、十をわかる」キャラで有名なのは有名なミュージカル「マイ・フェア・レイディ」と言うか、その元になった「ピグマリオン」のヒギンズ教授もそうですよね?ちょっと言葉を聞いただけで、その発音から、その人の出身地とか現住所なり身分なり過去の経歴もわかってしまう。

いずれにせよ、「アンタ・・・どうしてそんなことまでわかっちゃうの?」と言われてしまう。まあ、作者のバーナード・ショーも実際にそんなことを言われたんでしょうね。

あるいは、「人と見えているものが違う」と言うことでは、以前に、ショスタコーヴィッチに関連して言及したチェーホフの小説「黒衣の僧」の主人公もその状態。主人公の天才さんだけが黒衣の僧を見ることができる。しかし、それが周囲の人に見えないし理解もされないので、主人公は不幸になり、おまけに周囲まで不幸にしてしまう。まあ、ホントにショスタコーヴィッチ的なキャラクターなんですね。

この「黒衣の僧」をトルストイが絶賛したそうですが・・・まあ、彼なら当然。
トルストイも、周囲と見えているものが違う人であることは誰だってわかること。

しかし、その「見えているものが違う」こと自体が一般人には理解されない。だから不幸になってしまう。「黒衣の僧」の主人公も、バーナード・ショーでの「ピグマリオン」でのヒギンズ教授も、結末は同じ。ものが見える人間は、そんな事態の中にいる。

何回も書きますが、何も特別なものが見えるというより、見落としがちなものが見えるというだけ。たとえば一般の人は、人が「やっていること」は見えるもの。しかし、本質的なことは、その人が「やらないこと」から見えたりするもの。たとえば、日本で首相をされた小泉さんが靖国神社に参拝とかで大モメでしたが、あの神社に参拝することから見えることよりも、小泉さんが自分の父親の墓参りに行くニュースが『なかった』ことから見えることの方が多いものでしょ?

小泉さんが墓参り「しないシーン」は、別にオカルトでもなんでないでしょ?守護霊と前世とかのようなオカルトがかってはいないでしょ?だから、洞察力さえあれば、そんなシーンが見えるわけ。

しかし、一般の人は、することは見えても、しないことは見えない。だから理解が鈍い。だから、見える人と見えない人との間では相互理解ができにくい。

デュラスは、「インディア・ソング」において、理解力がありすぎて不幸になる人間を登場させたわけ。

さて、以前に発行していたメールマガジンのシリーズで、デュラス原作の「愛人/ラ・マン」と言う映画を取り上げました。その原作には、チャールズ・ロートンが監督した1955年の「狩人の夜」と言う映画が頻繁に言及されています。デュラスによると、「私の生涯の一作」なんだそう。

デュラスだけでなく、映画監督のゴダールやトリュフォーが絶賛し、ゴダールはあの「映画史」において、その「狩人の夜」の一部を引用しているんだそう。

デュラスやゴダールやトリュフォーが絶賛する作品である「狩人の夜」ですが、日本では絶賛されない。発売されているDVDによると「呪われた傑作」とされるだけ。
この「狩人の夜」は、「ラ・マン」で引用された作品なので、「ラ・マン」の小説本の巻末に、訳者による映画解説がありました。なんでも、日本における映画界の大御所である、あの蓮実氏から聞いた話と言うことで、ストーリーがまとめてある。

しかし、記載されているそのあらすじを読んだとしても、その作品がデュラスの生涯の一作であり、「ラ・マン」に引用される意味がわからない。蓮実氏は本当に、この「狩人の夜」を見たのかなぁ・・・実際に見てこの程度の理解なら大問題。もちろん、翻訳者さんによる又聞きの文章なので、伝達者の「理解力」不足の可能性が高いのかな?しかし、これも不幸な理解力だ!

と言うことで、やっぱり、この私自身で見てみないと・・・

実際に見ることでわかったのは、まさにデュラスが「生涯の一作」と呼ぶ理由であり、ゴダールやトリュフォーが絶賛する理由です。
逆に言うと、多くの一般の人間が「わからない」理由も、実際に見てみるとよくわかります。

と言うことで、今回の文章では、この私がデュラスに成り代わって、この「狩人の夜」を絶賛してみたい・・・と思っているわけ。
この「狩人の夜」のテーマは、まさに「卓越した理解力が不幸につながってしまう。」と言う状況なんですね。そう言う意味では、まさに「インディア・ソング」ともつながっている。

さてさて、その「狩人の夜」は、まさに「呪われた傑作」なんて言われているくらいなので、ポピュラーな作品とは言いがたい。と言うことで、まずは一般的な解説をいたします。

監督のチャールズ・ロートンは、映画監督としてよりも、俳優として有名です。あのビリー・ワイルダー監督作品にも出ていますし、ジャン・ルノワール監督の作品にも出ています。役柄はどっちかというと「気のいいデブ」と言う役柄。あと、ユーゴー原作でウィリアム・ディターレ監督による1939年の「ノートルダムのせむし男」では、ある種の魔性を持ったカジモトを演じていました。 まあ、この「狩人の夜」が大ヒットしたら、監督としてももっと多くの作品を残したでしょうが、『呪われた傑作』じゃあねぇ・・・

さて、次には「狩人の夜」のあらすじを・・・・

簡単にまとめると、アメリカ南部の貧しい家庭の父親が、銀行強盗をして大金を奪う。それを娘の人形の中に隠す。その父親は警察に捕まり、絞首刑になってしまう。刑務所でその父親と一緒だった男がその大金のことをかぎつけ、その家庭に取り入る。その男は、絞首刑で夫を失った妻と結婚し、その大金のありかを聞き出そうとするが、そのありかを知っているのは、人形の持ち主である娘と、その兄の2人の兄妹だけ。

その大金を狙う男は、過去に何人もの女性を殺害している。しかし外面的には仕事は宣教師と言うことになっていて、宣教師の仕事ぶりもソツがない。だから、周囲のほとんどの人は、その男が、善人であると思ってしまっている。しかし、人形を持ち歩いている女の子の兄である少年だけが、その男のあやしさを察知している。

やがて、大金が人形に隠されていることを察知した男は、妻を殺害し兄妹から人形を奪おうとする。兄妹は、その家を逃げ出し、見知らぬ親切なオバサンの家に身を寄せる。そのオバサンの家にも男は近づいてきたので、オバサンが銃で撃ち、結局は、その殺人鬼の男は逮捕される。

今まで自分を付け狙い殺そうとした殺人鬼が逮捕される瞬間、少年は警察への抗議の声をあげ、その殺人鬼に連帯を表明する。 結局、その殺人鬼は絞首刑になるのですが、少年は、自分を殺そうとした殺人鬼への連帯の感情を抱きつつ、オバサンの家でクリスマスを迎えて幕となる。

・・・まあ、こんな感じ。
ピンと来ないでしょ?
とてもじゃないけど、一般的じゃあない。カタギの衆には無縁の映画ですよ。

ちなみに、大金を狙って少年たちを殺そうとした殺人鬼は、ロバート・ミッチャム。少年たち兄妹を助けてくれる親切な見知らぬオバサンは、伝説の大女優リリアン・ギッシュと、キャストはびっくりするくらいの豪華版。

ちなみに、以前取り上げた映画「ロリータ」でボンクラな母親を演じていた女優シェリー・ウィンタースが、ここでもボンクラな母親を演じています。どっちの映画でも、ボンクラだし、スグに死んでしまうし・・・ホント、頼りにならないったらありゃしない。

この映画で、実に面白いのは、まさに最後のあたり。
自分を殺そうとした殺人鬼に対し、少年は、連帯の感情を見せる。

なぜ?どうして?

この連帯の感情こそが、この映画の鍵であり、まさにデュラスやゴダールが熱狂する理由なんですね。

この少年のキャラクターは、まさに「洞察力と言う不幸」を体現した存在。
人が見えない・・・見落としているものが見えてしまう。

一般的には、立派な宣教師である男が、本当はどんな人間なのか?
少年にはそれがわかってしまうわけ。少年の母親や妹も、そんな理解力はない。だから少年にとって、まったく頼りにならないだけでなく、コミュニケーションが取れないわけ。まさに「見えている世界が違っている」んですね。 この少年は、その洞察力から妹を導かざるを得ない。しかし、妹は兄の意図がわからない。だって妹は本質が見えないんだもの。少年はまるでモーゼのように、「見えない大衆」を導いている状態。

その「見えている世界が違っている」感覚。 それを共有できない孤独感。
そんなものが描かれている映画だったら、まあ、芸術家は熱狂しますよ。

しかし、少年が持っている「見えている世界が違っている」感覚なり、それを共有できない孤独感を、理解できる登場人物が少年以外に、もう一人います。 それは、その少年を殺して大金を奪おうとしている男・・・つまり殺人鬼。

この2人の間には、見えている世界が一般人と違う・・・つまり、洞察力なり理解力が並外れているがゆえに陥らずにはいられない不幸と言う共通性があるわけ。

この少年の唯一の理解者は、母親でもなく、妹でもなく、保護してくれた親切なオバサンでもなく、少年を殺そうとする殺人鬼の方なんですね。まあ、少年の友人といえるヨッパライのオジサンがわりと近いポジションと言えます。オジサンも、理解力の程度は別として、余計なものが見えてしまって、不幸になる・・・そんな不幸を持っているわけ。しかし、程度は軽度。だから重要な登場人物は、少年と殺人鬼の2人。その2人の間には、お互いの本質が分かり合えるが故の愛があり、そして憎しみがある。

他の登場人物なんて、ゴミと同じ。 「その他大勢」のnormalな「規格品」レヴェル。しかし、規格外であるこの2人の間には、お互いに愛と憎しみの感情を抱いているわけ。

このロバート・ミッチャム演じる殺人鬼も、一般人と「見えている世界が違う」状態。だから社会や人々の欺瞞がよく見える。だから殺人鬼になったわけ。それは、この映画の最初のシーンで殺人鬼が自分で語っています。

「神様!あなたのおかげでいつも分かっちゃうよ!」

本来なら、こんなに洞察力があれば、別の方向・・・たとえば芸術創作の方向に向かってもいいわけでしょ?まあ、道を踏み外して殺人鬼になってしまったわけです。このようになる可能性は、実はこの少年も持っているわけです。

ドイツの映画監督のフリッツ・ラングは言っていましたよね?

「オレが映画監督になっていなかったら、殺人鬼になっていただろう。」

この「狩人の夜」の少年は、そのような芸術家の子供時代そのものでしょ?
そして、フリッツ・ラングだけでなく、当然のこととしてマルグリット・デュラスも同じですよ。だからこそ、デュラスはあの「ラ・マン」で、この「狩人の夜」を引用したわけ。あの「ラ・マン」も、少女が、創作する芸術家へと覚醒して行く話でしたよね?

この殺人鬼の行動様式を見て、思い出すのは、あの伝説的な映画「天井桟敷の人々」。マルセル・カルネ監督の1945年の作品です。 あの作品にも、人殺しの紳士が登場しているでしょ?

19世紀フランスの実在の殺人鬼であるラスネールが、まさにラスネールという名前で登場しています。

芸術家の存在そのものを描いた映画と言える、あの「天井桟敷の人々」において、殺人鬼が登場してくるのは、当然なんですね。だって、あのような殺人鬼は、芸術家のあだ花。ほんのちょっとした差があるだけ。

この「狩人の夜」における少年も、そのようなことは薄々わかっている。そして、少年にとって最大の敵は、自分を殺しに来る殺人鬼ではなく、「自分を型にはめようとする、親切なオバサン」の方であることがわかっているわけ。

リリアン・ギッシュ演じるあの親切なオバサンが少年の真の味方だと思う人は、所詮は一般人ですよ。鋭敏な人間にしてみれば、一番タチの悪いのがあのオバサンのようなタイプなんですね。

映画の冒頭で、「羊の皮をまとった偽預言者に気をつけよ!」と言う聖書の言葉が出てきますが、この「羊の皮をまとった偽預言者」とは、一般人にしてみれば、伝道師の皮をまとった殺人鬼となる。しかし、より緻密に見ていくと、この親切なオバサンこそがその類。

善人の外見の中で、人を抑圧するキャラクター。

映画の最後において、少年が「浮かぬ」表情を見せますが、少年は、それから始まる「親切なオバサン」との長い戦いの日々を予感しているわけ。その戦いに勝ち抜き、創造する人間になるのか?それとも殺人鬼になってしまうのか?

そもそも、その親切なオバサンは、かつて自分の息子に逃げられた・・・と言うキャラ設定。だから、親のない子供を預かって養育している。それは一見親切な行為ですが、どうして彼女の息子は逃げ出したの?

やたら子供を「型にはめよう」としたからでしょ?

この手の教条的な人間は、往々にしてボランティアなどをやって、周囲の人からは「いい人」と認定されたりするものですが、結局は自分の家族を有無を言わさず自分の型にはめようとするだけ。結局は周囲を不幸にするタイプなんですね。

現実にも、よくいるでしょ?そんな「親切なオバサン」。 この映画の中のオバサンもその典型でしょ?

こんな人からは、洞察力のある人は逃げ出しますよ。と同時に、その教条的な物言いのスタイルから、ご近所との関係に問題がありそう。だからこそ、自分の管理下にある子供を手なずけようとする・・・しかし、だからこそ子供が反発し、逃げ出す。

映画の最後に少年がクリスマスプレゼントとしてリンゴを渡しますが、これって「知恵の実」のつもりなんでしょうね。

「ちーとは、自分で考えなよ!オバサン!」

まあ、この少年も近い将来は、このオバサンの元から逃げ出しそう。

映画における殺人鬼は、この逃げ出した息子の成れの果てとも言えるわけ。 人物は別として、境遇的にはまったく同じでしょ?

だからこそ、夜になったら、オバサンと殺人鬼は同じ歌を歌う始末。つまり両者とも共通するバックボーンがあるわけ。あるいは、その女性観も共通している。

そんな家庭を飛び出して、芸術家へと自立するのか?

それとも殺人鬼に堕ちて行ってしまうのか?

洞察力を持っているがゆえに不幸になってしまう人間が、直面せざるを得ない現実。

さて、この「狩人の夜」における少年と殺人鬼は、基本的には同じキャラクターであると書いております。双方とも、規格外の能力を持っている。その規格外の能力ゆえに、周囲の理解が得られず孤立する。

もちろん、この少年と殺人鬼は、キャラクターは同じでも、同一人物ではありません。しかし、基本的には同じなんだから、この少年が、殺人鬼に転落していくストーリーもあるはずですよね?

そうそう!まさにあるんですよ!

それは有名な「スター・ウォーズ」のエピソード1〜3。卓越した能力を持つ少年アナキン・スカイウォーカーが、型にはめようとする師匠オビ=ワン・ケノビとの軋轢の中で、周囲に自分を認めさせようとしてもがき、そして転落し、悪の権化ダース・ベイダーになってしまう。

この手の「エピソード」は、芸術家にとっては、実にポピュラーなエピソードなんですね。

逆に言うと、この「狩人の夜」という作品は、少年アナキン・スカイウォーカーとダース・ベイダーとの間の葛藤の物語と言えるわけ。一番の理解者同士であり、一番の敵同士。

デュラスだって、フリッツ・ラングだって、ゴダールだって、トリュフォーだって、それこそジョージ・ルーカスだって、そんな事態に直面したわけ。そして格闘してきたわけ。まあ、そんな日々だったらデュラスもアル中で入院したりするわけですよ。何も20世紀の芸術家だけでなく、19世紀のロシアの作曲家のムソルグスキーなどもその典型でしょ?

「どうしてムソルグスキーは、あんなに酒びたりなんだ?」なんて・・・そりゃ一般人と見えている世界が違うんだから、色々とタイヘンなんですよ。ボンクラさんは、何をお気楽なことを言っているの?ムソルグスキーの洞察力なんて、一般人と次元が違っているでしょ?そんな人の行動を一般人の洞察力を前提に判断することが間違っていますよ。そんな事態と無関係な人間なんて、所詮はnormalな一般人。

もちろん、そのことが悪いことではなく、むしろ幸福なこと。

創作する芸術家になった人は、この映画に、ここに描かれた少年の苦悩に、かつての自分を見て、そしてそれを表現したチャールズ・ロートンに対し「おお!わが同志よ!」なんて思うんでしょうね。もちろん、この少年に演技指導したロバート・ミッチャムやリリアン・ギッシュも、ロートンの意味がよくわかる。そのような意味で、まさに盟友であり、同志。

人と見えている世界が違う・・・そのような「呪われた」人たちによって制作され、そのような「呪われた」人たちを描いた映画であって、だから「呪われた」人たちが絶賛し、「呪われた傑作」になってしまう。

泣くところなのかなぁ?笑うところなのかなぁ?
同志デュラスさん・・・あるいは、聖マルグリットと言った方がいいのかな?
あなたが、この「狩人の夜」を絶賛したのは、こんな理由なんでしょ?

http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/new/07-08/07-08-23.htm


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N ヒッチコック劇場 第64話(最終話):毒をもって毒を…(1964)

Clip from The Alfred Hitchcock Hour episode Body In The Barn
http://www.youtube.com/watch?v=HCo4pdGK0n4


地元の便利屋が崖から転落死したことから、彼の雇い主ベッシーは、フェンスを作った隣人サマンサと口論になる。事態はを落ち着かせようと、サマンサの夫ヘンリーが訪ねてくるうちに、やがてベッシーと姪のカミーラはヘンリーから意外な話を聞く。

無実の罪で妻を死刑に追い込んだ男が、今度は逆に追い詰められていく。老婆の策略が見事。


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Lillian Gish Introduces Keaton Classics
http://www.youtube.com/watch?v=SZgcP0xmcOI

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O 八月の鯨(The Whales of August)1987

監督 リンゼイ・アンダーソン
出演 ベティ・デイヴィス リリアン・ギッシュ

http://www.youtube.com/watch?v=zzaW_Ns5W6o
http://www.youtube.com/watch?v=r2_1gDaa2oI&feature=related


サラ(リリアン・ギッシュ)とリビー(ベティ・デイヴィース)の姉妹は60年来、夏ごとにメイン川の小さな島にあるサラの別荘にやって来る。そこの入江には8月になると鯨が来る。少女の頃、彼女たちはよく鯨を見に駆けていったものだった。しかし、それも遠い昔のことになった。

リビーは、第1次世界大戦でサラの若い夫が死んだ時、彼女の面倒をみた。しかしリビーは病のため目が不自由になり、今度はサラが2人の人生の責任を持つようになる。リビーはわがままになり、言葉にとげを持つようになっていた。他人に依存しなければ生きてゆけない自分に腹を立てていた。

彼女たちの家には、幼馴染みのティシャ(アン・サザーン)や修理工のヨシュア(ハリー・ケイリー・ジュニア)、近くに住むロシア移民のマラノフ氏(ヴィンセント・プライス)らが訪ねてくるがリビーは無関心を装う。ある日、サラはマラノフ氏を夕食に招待した。リビーとのいさかいで、料理はちょっと失敗だったが、お互いの昔話に2人は時がたつのを忘れた。だがマラノフ氏は、リビーのとげのある言葉に傷ついて腰をあげる。サラは姉のことを詫び、「貴方は1人かも知れないけれど、自由でうらやましいわ」と言うと、貴方はロマンチストだと笑って、マラノフ氏は帰っていった。リビーは何よりもサラが去って一人ぼっちになることを恐れていたのだ。

やがて彼女はヨシュアが勧めていた、大きな窓を別荘の居間の壁に取り付けることを認めることで自分の思いをサラに届けようとした。そして再び鯨を見ることを夢見ながらの彼女たちの暮らしは続いていった…。

http://movie.goo.ne.jp/movies/p7059/story.html


洋の東西を問わず、古い映画がけっこう好きなので、淀川長治の本は何冊か読んだ。この人が1910年代、20年代、30年代の俳優、女優を語るときには、格別の熱意があったと思うのだけど、いろいろな女優を語っている中で「リリアン・ギッシュ」について「純情可憐な涙の女王」と常に書いていたのと、ビクトリア朝の人形みたいなリリアンの可憐な面差しはなんだか印象に残った。

この映画を観て、庭で洗濯物を干す老女が微風に吹かれながらこちらを振り返った顔を見た時、ワタシは、なぜか涙ぐみそうになった。変容しないでそのまま老いた、リリアン・ギッシュがそこに居た。

見るものが思わず目を細めて、なにがなしほっこりと幸せな気持ちにならざるを得ないその面差し。初めて観たのは随分前だが、何度観ても彼女が登場した瞬間の言葉にならないじんわり感は変わらない。


リリアン 90歳の可憐さ

淀川さんが少年の頃に彼女の代表作「東への道」「散り行く花」を見て純情型の代表と言った可愛い顔が60年以上の歳月が過ぎても変容せず、こんなにもそのままに残っている…。スチール写真で若い全盛期の彼女を見たことがあるだけだったのに、リリアンの姿を見ただけで、言葉にならない何かがジンワリと心に広がった。

 
無声映画時代のリリアン(左)  ついでにベティさんの若い頃(右)

実際には11歳も年下なのに、リリアン演じるセーラの姉リビーを演じるのはベティ・ディビス。

我侭でウィッチのような性格という点では互角の勝負だと思われたジョーン・クロフォードを、例の「何がジェーンに起こったか?」で、演技的にも撮影所の意地の張り合いでも打ち負かし、老醜怪奇映画第二弾「ふるえて眠れ」も二人の共演で企画が進んでいたが、ゴネまくってクロフォードを降ろしてしまったという、ハリウッドで並びなきウィッチだ。気に食わない奴は徹底的に排撃し、自分の主張を通すために常に過激に闘ってきたピラニアのようなベティ・ディビスだけど、大先輩リリアンとの共演では、そんな鬼ヒトデのような性格は出さずにおとなしくしてたんじゃないかしらん、などと思うと、ついニヤニヤしてしまう。なんせリリアンは無声映画時代の大スター。それだというのにあのさりげなさと可愛らしさなんですもの。ベティさんもピラニア性格の出しようがないだろう。

この二人のキャスティングはよく思いついたと思う。というか、まず女優ありきの企画でしょうね、これ。90歳でも現役で仕事ができる状態だったリリアン、アッパレ。ベティ・ディビスはかつて観たことがないほど痩せ細っているが、この時は既に癌だったものだろうか。


年老いて我侭で意固地な性格に更に拍車がかかったリビー(ベティ・ディビス)。失明してしまったので、なおさらに自分は何もせず、妹セーラに小言やイヤミを言ってはひからびた顔をひんまげて座っている。言うまでもないが上手い。ベティ・デイビス、老いても健在。

このイヤミな姉の世話をし、口の悪い姉の雑言は右から左に聞き流し、髪を梳いてやり、庭を散歩させ、お茶をいれてやり、語尾には必ず「my dear」をつけることを忘れないセーラ。さりげなくユーモアのあるリリアン・ギッシュの表情がえもいわれない。

姉妹揃って夫に死に別れたのは同じだが、セーラはほんの若い頃、わずかな結婚生活を送っただけで兵隊にとられた夫は戦地から戻ってこなかった。メイン州の離れ小島の小さな家で、ずっと夫のことを思いながら何十年も暮らしてきたセーラ。朝、掃除をしながら、今では孫のような年になった、遠い昔に死に別れた夫の写真に「おはよう」と声をかける。

夫とは不仲だった姉リビーも、ひそかに遺髪を封筒に入れて大事に持っており、何かの折に取り出しては懐かしむ。白髪になったリビーが、封筒から明るいブラウンの夫の髪を取り出して頬や顎にしゅる?しゅる?と走らせるシーンはさすがベティ・ディビス。白髪の老婆も、つれ合いを生々しい感覚を伴って思い起こす事がある、という瞬間がよく表れていた。

その夏、姉妹の静かな生活に白系ロシアの亡命貴族の老人マラノフ(ヴィンセント・プライス)が関わってくる。彼はエレガントな容姿を利用して、未亡人の家を渡り歩く暮らしをしてきたのだが、卑しさはない。彼がそれまでのねぐらを失って、セーラの家に厄介になろうと思っている下心をいちはやく見抜き、鋭い釘をさすリビー。しかし、彼が晩餐に来ることで、老姉妹はそれぞれに、先に逝った夫を思うのだ。まるで遠い昔に忘れていた心の震えをそっと取り戻すように。マラノフ氏が気になる癖に、ずけずけとイヤミしか言えないリビー。かわいらしいほど偏屈なのだ。

メイン州の静かな夜の海を照らす月の光。やわらかい月の光の照らすポーチで、亡命貴族マラノフとセーラが語り合うシーンが老人同士ならではでもあろうが、とてもロマンティックで上品だ。昔のスターというのは、理屈ぬきで言葉に出来ない空気をつむぎだすことの出来る特別な人種だ。ここは作品の肝ともいうべき会話が交わされる、ハイライトなシーンである。

鯨をみずに、セーラの家を去っていく亡命貴族マラノフ氏のその後も、ちょっと気になるところである。ヴィンセント・プライスも役にぴったり。

居間に海を見渡せる見晴らし窓をつくりたい、というのがセーラの夢だが、彼女ひとりの資力では窓を作ることはできない。一方のリビーは死に怯え、死の幻想にうなされる。発想がネガティヴなのだ。

セーラはそんな姉に耐えられなくなりつつあったのだが…。

常に波の凪いでいる穏やかな海と、その海を見下ろす築50年の木造の小さな家。庭には常に花が咲き、そよそよと心地よい潮風が吹く。この家の住み心地のよさそうなウッディな佇まいが、リリアンにピッタリ。


ちょっとしたいさかいの果てにちょっとだけ反省し、リビーは見晴らし窓をセーラにプレゼントする事に決める。姉妹はしっかと手を握り合い、岬の突端に鯨を観に行く。

岬に立つ、麦藁帽子の老姉妹。鯨はもう岬を通過してしまったとセーラは言うが、そんなことわからないわ、とリビーは答える。リビーはいつしか、ポジティヴ・シンキングになっていのだ。

どんなに老いても、人には今日を生きるために、ささやかでも夢や希望が必要であり、また、白髪の老女の内側には、いつまでも瑞々しい女性だった自分が住んでいる、という事を淡々とさりげなく伝えてくる。その淡いさりげなさがいい。

これといった事件も起きない、肝心の鯨さえ登場しない、老姉妹と彼女たちを取り巻く周辺人物のある夏の物語なのだが、この、特になにも起きないが、淡々として味わい深い日常を、淡々と描いてその世界に観客を引き込んでしまうというのは並大抵な事ではない。さりげない脚本もいいのだけど、やっぱり大ベテランの俳優陣の魅力に尽きるのかもしれない。

後年、「ラヴェンダーの咲く庭で」という老姉妹映画があったけれど、あの妙な生々しさよりも、ワタシはこの「八月の鯨」のさりげなさが好ましく、いとおしい。リリアン・ギッシュの存在は、やはり偉大なのである。

90歳というのに背中も曲がっていず、かなりスタスタと歩くリリアン。栗色が色あせて薄いブロンドになった柔らかそうな髪をくるくるとやわらかく結い上げて、亡き夫の遺影に語りかけ、庭でバラの絵を描く。

ちょっとした表情やしぐさに、演技とは別の、えもいわれない愛嬌と魅力がある。吉永小百合がこの映画を観て、引退せず生涯現役で行く、と決めたそうだけど、リリアンへの道はなかなか難しいですぞ。 お覚悟あれ。
http://kikisrandomthoughs.blog63.fc2.com/blog-entry-151.html#more


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リリアン・ギッシュ - ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/search/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5?ref=nicotop_search
リリアン・ギッシュ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

15. 中川隆[-13606] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:09:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

美少女にしか興味が無かったグリフィス


映画の父 グリフィス(David Wark Griffith)
http://shakaigaku.exblog.jp/i6


Lillian Gish (1893 - 1993)

David Wark Griffith (1875 - 1948)

Linda Arvidson (1884 – 1949) : 1906結婚, 1936 離婚

Evelyn Baldwin (1910–2004) : 1936結婚, 1947離婚


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1) メアリー・ピックフォード(1892〜1979)


D.W. GRIFFITH THE RENUNCIATION JAMES KIRKWOOD MARY PICKFORD 1909
http://www.youtube.com/watch?v=dXVlzniSnsY

THE LITTLE DARLING Directed by D.W. GRIFFITH SILENT FILMS & TV SHOWS on DVDS at TVDAYS.com : 1909
http://www.youtube.com/watch?v=uJwFzFH9les&feature=fvwrel

DW GRIFFITH AS IT IS IN LIFE 1910 SILENT MARY PICKFORD : 1911
http://www.youtube.com/watch?v=3_ITF2r5EEI&playnext=1&list=PL3D973D2A9A7F1311

D.W. GRIFFITH "THE NARROW ROAD" 1912 MARY PICKFORD
http://www.youtube.com/watch?v=68JjFd77bvY&playnext=1&list=PL3D973D2A9A7F1311

DW GRIFFITH THE NEW YORK HAT 1912 MARY PICKFORD SILENT FILMS on DVDS at TVDAYS.com
http://www.youtube.com/watch?v=5edgXDGCCLo&playnext=1&list=PL3D973D2A9A7F1311

DW GRIFFITH THE REDMANS VIEW MARY PICKFORD MACK SENNETT
http://www.youtube.com/watch?v=8VqntyROyXA


Mary Pickford In Sparrows Trailer
http://www.youtube.com/watch?v=dSi0X28N0mc


あらゆる意味で、メアリー・ピックフォードは世界最初のスターだった。あらゆる意味でというのは、彼女が映画史上初めてビッグネームとして認知された女優であること、初めて稼げるだけ稼いだ女優だということ、「アメリカの恋人」という愛称で親しまれたこと、ダグラス・フェアバンクスという当時最高の男性スターと結婚しスター夫婦と言われたこと、トーキー映画として最初のアカデミー賞を取ったこと、初めて自分で自分をマネージメントしたこと、そして映画会社を設立した最初の女優だということである。

あのリリアン・ギッシュを映画界に誘ったのも彼女であるし、女優業を引退後はプロデューサー業に転向しマルクス兄弟の映画などを製作した。

 僕が初めてメアリー・ピックフォードの映画と出会ったのは「雀」(26)を見てからである。

身長は152センチという低さで、当時は33歳でありながら、12歳くらいの少女の役を演じていたのが印象的だった。

本当に僕は12歳くらいだと信じて疑わなかった。彼女は年相応の役よりも少女役に人気があったが、彼女自身はそういう自分の役柄に嫌気がさしていたらしく、早々と引退している。

http://cinema-magazine.com/p/989

スター女優となったメアリー・ピックフォード(1892〜1979)はグリフィスの門下生であった。彼女は、1909年、15歳の時にグリフィスのもとを訪ね、映画界に入る。同年の「クレモナのバイオリン作り」で初主演。ここでのメアリーの役柄は、2人の若いバイオリン職人の間で揺れ動く可憐な少女であった。

金髪の綺麗な巻き毛を持つ彼女は、身長152センチと小柄で、大人になってからも同様に可憐な少女ばかりを演じ続けてきた。彼女はその人気ぶりから「アメリカの恋人」とまで称されたが、どうやらアメリカというのはロリコンであったようだ。

 メアリーは33歳の時に「雀」(1926年)に主演しているが、そこでも演じた役は12歳の少女。

いくらメアリーが若々しいからといって、さすがに21もの年齢差には無理がありまくりであった。やんちゃな身振りで少女になりきっているのがかえって不気味ですらある。観客の求める少女像と、メアリー本人の年齢のギャップにおそらく彼女自身苦しんでいたのであろうか。1933年、40歳の時に引退した。

 1912年、メアリーの旅回り劇団時代の友人が、彼女を映画の中に発見し、彼女を訪ねてニューヨークへやって来た。その友人の名はリリアン・ギッシュ(1893〜1993)であった。彼女は2歳年下の妹ドロシー(1898〜1968)を連れていた。二人はすぐさまグリフィスに紹介され、映画界に入る。

 リリアンは「国民の創世」(1915年)でヒロインを演じ、続く「イントレランス」(1916年)では揺りかごを揺らす女という、各エピソードをつなぐ重要な役柄を演じている。その後も「散り行く花」(1919年)、「東への道」(1920年)、「嵐の孤児」(1921年)などでヒロインを演じ、グリフィスの全盛期を支えた。

これらの作品で彼女が演じたのはいずれも運命に翻弄される薄幸の娘。中でも父親に虐待しされ、無理に笑顔を作って死んでゆく12歳の孤独の少女を演じた「散り行く花」や、男に騙され未婚の母となり、吹雪の中をさまよう娘を演じた「東への道」などがとりわけ印象的である。

 http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/03ACTRESS.htm


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2) The Greatest Question(大疑問) : 1919

監督:D・W・グリフィス

出演者:リリアン・ギッシュ/ロバート・ハロン/ラルフ・グレイヴス


『散りゆく花』と『東への道』の間に撮られたグリフィスとギッシュのコンビ作。
幼い頃に殺人を目撃したヒロインだが、あまりの恐ろしさのためにその記憶を封印してしまう。成長したヒロインは天涯孤独となりながら貧乏一家に引き取られるが、貧乏一家への恩返しのためにメイド奉公に出る。奉公先が件の殺人犯の家とも知らず・・・。 というサスペンス映画。
主演はリリアン・ギッシュ。薄幸の美少女っぷりは相変わらずで、DVDの画質の悪さにもめげず輝きます。相手役は『スージーの真心』と同じくロバート・ハーロン。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/silentvoice/s_index.html


シルバー・ウォーターのすぐ近くで生活する幼女ネリー・ジャービスは偶然、ケイン夫婦の殺人を目撃してしまう。しかし、その記憶は子供だったネリーには、あまりにも過酷だった。恐怖のあまり記憶は曖昧になってしまう。
10年後、美しく育ったネリーは母の死により孤児となってしまう。ヒルトン一家はネリーを引き取り、温かく迎える。そして次男ジミー・ヒルトンはネリーにほのかな恋心を抱くようになる。これはネリーも同じだった。
そんなネリーを猥褻な目で見る一人の男。そう、あの殺人犯マーチン・ケインだった。ネリーの運命は、ヒルトン家の悲劇によって、さらに数奇なものになり、遂にはケイン夫妻の魔の手に堕ちてしまいそうなるのだが・・・。 "

http://www.alann.net/forward/index01_fw.html


幼い頃に殺人を目撃した記憶を持つネリーは、両親を失った後、親切なヒルトン家に置いてもらうことになる。だが、長男ジョンの第一次大戦の戦死などで、ヒルトン家は困窮。ネリーは、近くに住むケイン夫妻のところに女中として住み込みで働きに出る。

 この頃のD・W・グリフィスの映画は、「ギッシュ時代」とも言われるように、リリアン・ギッシュが光っている。「大疑問」でも、少女の役をギッシュは見事に演じている。素直で純朴なキャラクターといい、虐待されるシーンといい、「散り行く花」(1919)に通じる役柄は、ギッシュにとってはまり役といってもいいだろう。

 住み込みで働きに出た先で、一家の主人のマーティンがネリーに性的欲望を感じる表現のいやらしさは見事だ。
柵に置かれたネリーの手にさりげなく触ったりといったさりげない動作は、いやらしさに満ちている。
「散り行く花」で、家庭内暴力という題材で画期性を発揮したグリフィスは、ここではロリコンという題材で画期性を発揮している。
 「大疑問」には、グリフィスの刻印と、リリアン・ギッシュやロバート・ハロンの見事な演技がある。
http://d.hatena.ne.jp/cinedict/20090429/1241520001

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3) リリアン・ギッシュの肖像

1983年、フランス、ドキュメンタリー

      監督 ジャンヌ・モロー
      出演 リリアン・ギッシュ ジャンヌ・モロー


ジャンヌ・モローによるリリアン・ギッシュへのインタビュー映画だが、ギッシュによるD・W・グリフィスの回想が主体なので、結果としてグリフィスについての映画だったという印象が強い。ただし話の端々から彼女の聡明さや物事に対するしっかりした考え方がよく伝わってくる。
ゑぎ


 グリフィスから離れた後の映画については『ホワイト・シスター』、『ラ・ボエーム』、『風』ぐらいしか語られない。例えば『狩人の夜』や『ウエディング』の話なんかも出るかと思っていたのだが。

http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=3449&mid=17134

ジャンヌ・モローが監督し、彼女自身がリリアンにインタビューしたドキュメンタリー映画です。

サイレント映画時代の大スター、リリアン・ギッシュへのインタビューを軸につづられたドキュメンタリー。幼くして舞台役者への道を歩き出した彼女が、映画の世界に入り、数々の名作にかかわってゆく様子を生き生きと語る。

リリアン・ギッシュは1893年生まれなので、この時90歳という事になります。 まったく年齢を感じさせない、とても力強い語り方に驚きました。吸い込まれるような瞳も健在で、彼女の面白い話と瞳にぐんぐん引き込まれました。映画の中でいくつかの彼女の写真も出てくるのですが、一枚一枚いろんな表情を見せてくれるリリアンはとても愛らしかったです。 彼女は繰り返し


「サイレント映画と音楽は世界言語だ。だからこそ、復活を強く望んでいる」


と言っていました。その彼女の強い意思は、彼女がただのお人形のような女優ではなく、知性も勇気も兼ね備えた女性だったんだと感じました。


一生独身で過ごした彼女に、ジャンヌ・モローが

「仮にお子さんがいたとして、何かひとつ与えるとしたら何を?」

と聞いたところ、リリアンは

「好奇心です。」


と答えました。「好奇心があれば、退屈しないから」と。また彼女は


「孤独という個の世界は、残された唯一の贅沢」


と語っていました。私もこんな風に年齢をかさねたいと、思いました。彼女の「旅」の話はとても魅力的で感動的でした。

http://blog.livedoor.jp/calamityjane0221/archives/50532326.html


     

●元気いっぱい

この時でいくつになっているんだろう。画面のアップではさすがに年輪は見え隠れしているけれど、ジャンヌ・モローの問いに答える姿勢はエネルギーにあふれている。 グリフィス監督からのアドバイスは

「映画女優として一人前になるには、10年間は女優を続ける。自分の役だけでなく、映画全体・ストーリーに責任を持つ。朝一番で撮影所に入り夜最後に撮影所から帰る」

というものだったとか。


●笑みの理由は

第一次大戦1919年頃の戦争の悲惨さを語っている時の苦笑とも思える、いや、悲しみを通り越して呆然とした表情が苦笑に見えたのかもしれない表情!。
そんな悲惨さを救えるのは、無声映画や音楽と言った時に見せた笑顔!!。
自分の半生を語っていた彼女であるが、こころに残ったふたつの顔。。。


●敬意

こんなドキュメンタリーを作れたのもジャンヌ・モローの敬意。
リリアン・ギッシュの若々しさに対して、ジャンヌ・モローはちょっとふけていたぞぉー!

リリアン・ギッシュのグリフィス監督のように、ジャンヌ・モローもルイ・マル監督を引き合いに出していたなぁ。

農場を歩くリリアン・ギッシュの後姿で幕を閉じるわけだが、の終わり方がトリュフォーの雰囲気を感じたのは、自分の単なる気のせいかもしれない。。。

「サイレント映画時代の大スター、リリアン・ギッシュへのインタビューを軸につづられたドキュメンタリー。幼くして舞台役者への道を歩き出した彼女が、映画の世界に入り、数々の名作にかかわってゆく様子を生き生きと語る。持ち前の「好奇心」で数々の困難をはねのけてきた彼女の語り口は、いまだ情熱的で力強い。フランスを代表する女優ジャンヌ・モローが監督し、自らインタビューアーとして参加している。」(NHK BSオンラインから)

http://n-ardis.cocolog-nifty.com/n_ardis/2005/12/post_81f8.html

二人の聖女

個人的に大好きな映画である『東への道』に対しては当時から古臭いなんて言われてきた映画なのだが、グリフィスはその脚本を当時最高の値段で買い取った。その脚本をみたリリアンが「何て古臭いストーリーなんだろうと思った」と言っているのが良かった。リリアンでさえ、そう思った話をあそこまで面白くするとは!

彼女が監督した『亭主改造』については「君の言うことであればスタッフもよく聞いただろう」と言われたというのが面白かった。


グリフィスの晩年について、他人から脚本を渡され雇われ仕事をしていてアルコール漬けだった。


「映画を作ったのは彼なのに!」と言うのにはショックだった。


また、ジャンヌ・モローが


「グリフィス監督と離れたとき寂しくなかったか?」


と質問して、リリアンは「いいえ」と答えたが、モローが「私はルイ・マル監督の下で成功してから、他の監督と仕事しているとき、この映画の監督が彼であればいいのにと思った」と言っているのが個人的にルイ・マルが好きなので興味深かった。


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90才での迫力と記憶力

この種の映画は面白くない事が多いので、リリアンに興味がない人には勧めませんが、期待以上に感動的でした。D・W・グリフィスとの係わりが殆どですが、リリアンの映画に対する情熱が溢れているし、母親への尊敬が強いのが彼女らしいです。

まず、90才のリリアンの話に迫力があるのに驚きますが、記憶力も確かでアメリカ映画黎明期の話がどんどん出てくるのが素晴らしいです。グリフィスの個人的な事を良く説明していますし、「イントレランス」が今ひとつだと思った理由も解りました。

子供の仕事を禁止する法律が出来て、年長に見られなくてはと苦労したので、「今100才に見られれば嬉しい」という彼女も凄いし、「もし子供がいたとすればどう言いますか」とジャンヌ・モローに聞かれて「好奇心でしょう」という返事には感心しました。 
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=323848#2

リリアン・ギッシュのファンはみんな…


1) 散り行く花は純愛映画じゃないんだけど


http://www.youtube.com/watch?v=mx7wbYp5izw
http://www.youtube.com/watch?v=yqLnjgNiX-o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=AVATXNggs1o&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=OpRwCTDT6sc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xYtIE3Is3iM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=rTNnpAWK9zo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bvQQllxbDGI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=mFAuLODXgog&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D9853ozGcsY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Hg1OUlNcR38&feature=related


アメリカ映画の父のD・W・グリフィスの「散り行く花」は多くの人が言及しているように戦前の最高のロリコン映画だと言っても間違いのないことだと思います。

 リリアン・ギッシュを「イントレランス」からさらにスターダムに押し上げた作品でもあり、私の高校の先輩 淀川長治は「國民の創生」「イントレランス」よりもこの作品をD・W・グリフィスの小品だが一番の見事な映画としています。  

ジャンリック・ゴダールは 「すべての映画はアメリカ映画である」 としてヒロインのリリアン・ギッシュが死ぬ直前に、 それまでも何度も無理やり義父に笑えと強制されてもどうしても笑えず仕方なく指で口元を広げて笑顔を作りだしていたのが、亡くなる前には自らすすんで指で笑いを作って泣き笑いの顔で逝く最高のシーンは、 ゴダールの 「勝手にしやがれ」 のラストでジャン・ポール・ベルモントの最期で引用されています。 

更に、その少し前に、恋人の中国青年の元から家に連れ戻されたリリアン・ギッシュが父から逃れて物置に逃げ込んだところ、、父親が斧でドアを壊していく凄まじい暴力の場面で直ぐに思い浮かぶのはスタンリー・キューブリックの傑作 「シャイニング」でジャック・ニコルソンが斧で同じようにドアを破壊してゆく場面であるに間違いありません。 

その上にサム・ペキンパーの 「わらの犬」 で村の人びとに追い詰められてドアに向けてライフルを構えるダスティン・ホフマンの恐怖の表情こそ、ペキンパーの頭の中には映画の題名から由来する「人間の行動は護身のために焼くわらの犬のようにちっぽけな存在にすぎない」という中国の古い諺よりも、 リリアン・ギッシュのこの「散り行く花」での「恐怖」のイメージの方があったのではないかと勝手に想像したりしてしまいます。

 D・W・グリフィス監督に関しては、 超大作「イントレランス」のセット建設に参加した二人の主人公を描いたタヴィアーニ兄弟が監督したイタリア映画の名作 「グッドモーニング・バビロン」で広く知られるようになりましたが、この監督の晩年は孤独な人生であったようで、 全然関係はないのですが、 同じような孤独な姿が私の大好きなバスター・キートンの晩年と重なってしまいます。
 
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20050621

何と健気で、儚い乙女。演じるは、20歳も半ばの、リリアン嬢。もうそこが凄いね。

ナボコフが「ロリータ」を書かなければ、美少女乙女路線は、リリアンコンプレックスになっていたかもしれない。

指で口の端をにって上げて、息絶えるシーン、これは公開後、幾百千万の(男の)心を捕らえてきたことでしょう。

永遠の乙女のイコン。グリフィス監督はここでサイレントの映画のテクニックを全て完成させた、とは映画史の語るところ。さらに、映画史は付け加える。


クローズアップが出現したのは、同監督がリリアン嬢を可愛らしく撮るために近づいたことによる、と。


なるほどなぁ。……また、この映画の、中国人の描かれ方に、人種差別の事は避けて通れないが、とはいえ、当時の一番進歩的なものではないか、と想像している。


例えば、長澤まさみ嬢の相手役が、日本人韓国人中国人西洋人以外の人種だとしたらどうだろうか。イランでもスーダンでもイヌイットでもいいが、それぐらいのものではあるまいか。また、仏教の浮き世と枯れる運命の花と儚い乙女との組み合わせで生きる脆さを故意に表しているならば、キリスト教を越えて、思想的にも進歩的でありそうだ。


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父子家庭に育った少女は、ボクサーである父親からDV を受けている。

(中川隆 注:今の言葉で言うと、性的虐待ですね)


DVに耐えかねた少女は、ふらふらと家出をするが、ある店の前で気を失い倒れてしまう。 その店の店主は、オタクで内気な青年で、かねてからこの少女をかわいいと思っていた。 そこでのこの状況!

青年は、迷わず気を失った少女を、自室のベッドへと寝かせ、軟禁に成功する。
看病をしながらも、少女の手をさすったりなでたり、と青年は自らの欲望を果たす幸せな毎晩を送る。

青年は、あこがれの少女を前に、ロリコン魂が燃え盛り、さぞかし夢見心地な毎夜だったに違いない。 でもそれは長くは続かなかった。 父親に少女を軟禁していることがばれ、父親が青年の家を訪れる。 そして、父親は娘を自宅へ連れ戻す。
淫らな行為をされたと思った父親は怒りが爆発。 その怒りの矛先は、少女への暴力につながった。

(中川隆 注 : 嫉妬に狂って愛人を殺してしまった という良くあるお話ですね)


父親の暴力により、少女は死に至る。 そこへ現れたオタクの青年。 父親を銃で撃ち殺してしまう。

まるで、某秋葉原無差別殺人事件の様に、衝動的な殺し方。 そして、その直後に、オタクの青年は自殺をしてしまう。 と、現代風に解釈するとこうなる。

http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_4979.html


12歳の少女ルーシー(リリアン・ギッシュ)が父親から受けていたDVとは?


 近親姦にはおおざっぱに言って、「虐待」的な要素と、「お気に入り」的な要素の、両極端の二つの要素があるように思います。
虐待的な要素というのは、言葉の暴力や、肉体的な暴力などを伴いながら、強制的に行なわれる性行為のことです。

もう一方の、お気に入り的な要素というのは、いわゆる「お父さん子」とか言われるような、親子の親密で良好な関係を利用しながら行なわれる性行為のことを言います。

この二つの要素は、それぞれが単独で現われるケースもありますが、二つの要素が複雑に入り混じっているようなケースもたくさんあるのです。

 ではまず最初に、虐待的なケースから書いていきましょう。


これは、いわば家庭内レイプのようなものなのですが、通常のレイプ事件と違う点は、被害者には逃げ場がないということです。通常のレイプ事件というのは、もちろん被害者にとって非常にショックな出来事であり、精神的にも非常に大きなダメージを被るわけですが、それでも被害者には帰る家がありますし、そこには自分の寝室があり、自分のベッドや布団があるのです。しかし、家庭内で発生するレイプの場合には、どこにも安全な逃げ場がないのです。


夜、眠っているときに、父親が勝手に寝室に侵入してきて、脅迫しながら力ずくで強姦したりするのです。そして、通常のレイプと大きく違う点は、被害者は子どもであり、しかも犯人は、自分を育ててくれている実の親なのだということです。つまり、被害者である幼い子どもは、犯人である親と一緒に生活しなければならないのです。まだ幼い子どもは、衣食住のすべてを親に依存しなければなりませんので、このような逃げ場のない状況が、さらに大きなダメージを与えることになるのです。


 さらに、家庭内レイプには、虐待的な行為が含まれてくるのです。

たとえば、父親が幼い娘の膣に、むりやりペニスを挿入しようとして、膣口が裂けてしまったケースの写真を見たことがありますが、いったい、この親はなにを考えているのかと言いたくなるようなことが発生したりするのです。

虐待的な親たちは、こいう唖然とするような非常識きわまりない行為を、性的な衝動に駆られたままに、平気でやってしまうのです。


 虐待は、このような性交を強要するものばかりではありません。幼い子供に対しては、ペニスをマッサージさせたり、フェラチオを強要したり、精液を飲むように言ったりするのです。


もしも、子供が性的なサービスを拒否したりしますと、罵詈雑言を浴びせて、子どもの心をズタズタにしたり、浴室に連れ込んで、頭から小便を浴びせたり、あるいはトイレに連れて行って、泣き叫ぶ子どもの頭を便器の奥へ押し込んで、その上から水を流して溺れそうにさせたりするのです。


ほかにも、肛門にアイスピックを挿入して直腸に穴をあけたり、膣や肛門への異物の挿入、さらに殴る蹴るだけではなくて、裸にして縛って部屋に監禁したり、食事を与えないで放置したり、何回も妊娠させて、そのつど子どもに嘘をつかせて堕胎を繰り返させたりするのです。


このようにして、虐待的なケースでは、子どもの人間としての人格は完全に無視されてしまい、性的なオモチャのように扱われたりするのです。

 こういうケースでは、親は教育という名のもとに、子供のあら探しをすることがよくあります。そして、子どものやることに難癖をつけて、子どもを罰しようとするのです。そして、そのつど罰として性行為を強要して行くのです。


このような親は、あらゆる思考が性行為へと結びついていくのです。

このような虐待的な親の特徴としては、言うことがコロコロと変わったりして、非常に気まぐれなところがあったり、あるいは突然、怒りを爆発させたりするようなところがあるようです。怒りが暴走してしまいますと、親は自分でも感情をコントロールすることができなくなってしまい、場合によっては激怒に駆られて、突然子どもの首を絞めたりするようなこともあるのです。

そして、このようなケースでは、首を絞めている途中で子どもが静かになってから、はっと我に返ったりするのです。まさに、殺人の一歩手前まで行ってしまうのです。このような、親の衝動的な行動というのは、まったく予測不可能な面があるために、子どもはいつどんなことをされるか分からないままに、常に虐待の不安にさらされることになるのです。

 こういう虐待の被害者というのは、言っておきますが、まだ幼い子どもなのです。たとえ、大人がこのようなひどい扱いを受けたとしても、精神的に大きなダメージを被ることになりますが、まだ幼い子どもたちは、大人以上に大きなダメージを被ることになるのです。普通の家庭の子どもであれば、テレビで「ドラエモン」だとか「サザエさん」だとかいう、平和な家族を描いたマンガなどを見て、無邪気に楽しんだりするのでしょうが、

同じ年頃の子供たちの中には、親からフェラチオを要求されたり、むりやり強姦されたり、便器の中に頭を突っ込まれたり、首を絞められて殺されそうになったりしている子供たちがいるのです。


「家族」という閉ざされた扉の奥で、このような虐待行為が行なわれているのです。しかし、それでも、子どもたちは生きていかなければならないのです。どんなにひどい家族であっても、子どもたちはそこで生きていかなければならないのです。その環境の中で、なんとかして生きて行く方法を考えなければならないのです。

 そして、その生きて行くための方法のひとつが、「心を凍らせる」ということです。心が何も感じなくなってしまえば、もう苦しむこともないのです。たとえば、手術のときに麻酔をかけて、痛みの感覚を麻痺させてしまうように、子どもは、自分の心を凍らせて、感情を麻痺させてしまうのです。そうすれば、心をズタズタに切り裂かれたとしても、もう何も感じなくなってしまうのです。なにも感じなくなってしまえば、虐待にも堪えることが出来るのです。

そして、卑劣な親から強姦されるという、こういう忌まわしい出来事は、すべて忘れてしまえばいいのです。心を凍らせて、何も無かったことにしてしまえばいいのです。そうすれば、もうそのことで苦しむこともなくなるのです。このように、心を凍らせてしまうという行為は、激しいショックによって自分が発狂してしまわないようにするための、ひとつの安全装置として作用するのです。

 さて、このような近親姦を犯してしまう親というのは、どんな親なのでしょうか。一般的なイメージとしては精神異常者を思い浮かべるかもしれませんが、実際にはそうではないのです。たしかに、分裂病による精神的な混乱から近親姦に及んだり、知的障害者が近親姦におよぶようなケースもあります。しかし、これらは全体の一部でしかないのです。大部分は、一見普通の人たちなのです。
 
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/3jittai.html

1娘の凜(12) 投稿者:楓 投稿.2008/12/28 04:25:37


昨日私は、仕事でしたが主人と娘は、もう休みでした。 仕事が5時に終わり家に帰ると娘が泣きながら私に抱き付いて来ました。

どうしたのと聞くとパパが口にオチンチンを入れて気持ち悪い物を飲まされたと言いました。

私は、主人に凜に何したんと聞きました。すると何もしてないと言っていますがあきらかに動揺していました。

あんた凜にフェラさせたやろ?凜が泣きながら言っていたわ!

すると主人がゴメンと言って謝りました。私は、凜を連れて実家に帰って来ました。許す事は、出来ません。

まだ七歳の娘にフェラさせた主人とは、もう別れるつもりです。

もしやり直しても今度は、フェラ以上の事をして凜を傷つけるかもしれません。
どう思いますか? 別れた方がいいですよね?


12 投稿者:ひーろー .2009/02/06 18:53:57

ロリコンと結婚したあんたに責任があるんじゃないの?!
自分の身体で満足させれば子供に手をださなくなるよ。
http://www.nanbbs.jp/pc/res/71/BK-4AXI5/index.html

16. 中川隆[-13605] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:10:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

欧米男性の殆どはロリコンかゲイのどちらか

日本人の男はロリコンばっかりで欧米人から見たらなさけないと思ってるやつはバカ。

欧米が児童ポルノに厳しく、日本が甘いと指摘されるのにはロリコン問題は欧米のほうが、日本より遥かに深刻な社会問題だからなのです。

欧米では幼児期になんらかの性的虐待を受けた経験をもつ男女は、人口の2割以上に達する といわれているのです。

欧米ではロリコンはごく限られたマニアだけの存在ではないのです。「自分はロリコンではない。」と主張しないとロリコンと見られるために日本人から見て、欧米人は大人の女性しか相手にしない文化だと誤解されているのです。

これは欧米社会の異常性をあらわしています。

ジョンベネちゃん殺人事件が一時期クローズアップされましたが欧米の子役は日本の子役と違いセックスアピールを要求されています。子供がすでに性的対象なのです。欧米人は、強く規制をし、自らロリコンで無いと自分を言い聞かせないとすぐに幼児を性的虐待をしてしまう民族なのです。

アメリカの州法で異性の親子は子供といえども一緒にお風呂にはいってはいけない。

といった規制があるのも近親相姦が当然にありえるものだ。といった社会認識があってこそのことです。

日本では考えられないことですよね?


それに比べて、日本が児童ポルノに対して規制が甘かったのは、日本のロリコンのモラルの高さを物語っているといっていいでしょう。

http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kageki/988252543/


ロリペド(小児性愛)のハマリ方

人間はもともとオッパイを見ると興奮するように脳にプログラムされているそうです。大人の女性の曲線美の体を見て興奮するのもそうです。 ある特定の比率の曲線体型を見ると、脳が興奮するように出来てるわけです。

でも、もう一つ脳を興奮させる重要なものがあります。それは女性器を見ることです。

ロリペド(小児性愛)の人は、ロリコンマンガやロリータビデオの中に出る女性器を見て興奮体験を繰り返すことにより、オッパイを見なくても興奮できる回路を作ってしまった訳です。それが進むと、子供の体型ではないと興奮しないということになります。

http://www.geocities.jp/quit2323/sub2.htm


幼児性愛者が、幼児性愛に見いだす興奮と快楽には、二つの側面があります。

一つは、その年頃への固着です。

彼ら自身の時間が、子供時代や思春期で止まっているのです。

もう一つは、容易に支配でき、欲しいままにできるということです。

両方に共通して言えることは、対象となる子供への、本当の愛情ではないということです。

固着は、幼い日の自分自身や初恋の相手の似姿を求めているのであり、相手は自分の願望を重ね合わせただけの存在なのです。 一見すると対象への愛のようですが、結局は自分への愛でしかありません。

幼児性愛は、ハンディキャップを抱えていたり、対人関係が苦手でコンプレックスの強い者に、比較的多く見られます。 利己的な優越性への欲求を、反撃の恐れのない、もっとも弱者である者に向けたのが、幼児性愛です。

「女性を征服したい」「女性よりも優位に立ちたい」という欲求を持ち、パワー不足で同年齢の女性を支配することができず不満を持つと、自分より精神的にも肉体的にも弱い女(幼女)なら、少ないパワーで支配できるという安易な考えにたどりつきます。そこには重い自己愛人格障害があります。

http://homepage2.nifty.com/tumaran/99sinri/jidouporuno.htm


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@ 幼児含む45人を性的虐待 仏、66被告の裁判開始

【パリ2005年3月4日共同】

フランス西部アンジェの重罪院で3日、幼児を含む45人の子供に性的虐待を行ったとして、男39人と女27人の計66人の被告に対する刑事裁判が始まった。9人の陪審員が4カ月間審理し、6月にも評決を下す。

検察官によると、1999年1月から2002年2月までの間、66人の被告がアンジェ郊外にある30歳代の夫婦のアパートなどで、6カ月から12歳までの子供に売春させたり、レイプするなど性的虐待を行った。

被告のほとんどは失業者や無職で生活保護を受けており、子供に売春させたりして小銭や食料を得ていたという


【パリ福島良典】フランス西部アンジェで、生活の荒れた23世帯の両親らが自分や知人の子ども計45人を性的に暴行したうえ、小銭欲しさに売春を強要していたとされる児童集団虐待事件の裁判が3日、アンジェの裁判所で始まった。判決は約4カ月後の見通し。

フランスでの児童虐待事件としては過去最大規模。児童強姦(ごうかん)、売春あっせんなどの罪に問われているのは27〜73歳の男性39人と女性27人の計66人。被害者は当時、生後6カ月から12歳だった子
ども45人で、子どもの証言はビデオで放映される。

検察側によると、被告の両親らは99年1月から02年2月にかけ、小銭や食料、たばこ、酒などの見返りに客に子どもを差し出すなどしていたという。父親が自分の子どもに性的暴行を加える場面を祖父がビデオ撮影していたケースや、45回にわたって性的暴行を受けた少女もいた。

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A ピトケアン島の出来事


 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。

ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。

ピトケアン諸島では、12歳を過ぎたら結婚できる資格があると考えられてきた。 そして大半の女性が12歳から15歳の間に最初の出産を経験していた。そのため、12歳の少女との性行為は倫理的にも問題ないと、島では考えられていた。

ピトケアン諸島の47人の住民は、大部分の成人男性の島民が逮捕されたことによって酷く傷ついた。ピトケアン擁護者は、関係する女性に事件として告発するように説得した英国警察を非難した。

スティーブ・クリスチャン島司は自分の妻の幼少時代のことを話した。
「皆はセックスがテーブルに乗ったご馳走のようであると思っていた。」と。

そして、自分の妻は幼少のころから性行為に熱心だったと主張した。キリスト教徒の2人の娘も12歳からセックスに積極的だったと証言した。会議に集まった女性たちは、未成年者の性行為が普通だったという男性の見方を支持した。
嫌疑のかかっている少女強姦の被害者全員が自発的な参加者であったと述べた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%88%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%B9%BC%E5%A5%B3%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

18世紀のイギリスではどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」

(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」


 つまり、イギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。
 
 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


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B ドストエフスキー


E・H・カー著「ドストエフスキー」筑摩書房 筑摩叢書106

ドストエフスキー伝記作家ストラーホフがトルストイに送った手紙の中の一文

「彼はけがらわしさに対する愛好癖があって、それを誇りにしていたのです。

ヴィスコヴァトフがこんな事を語りだした事があるのですが、ドストエフスキーはその家庭教師につれられて自分のもとへやってきた少女と浴場で姦淫したと自慢していたそうです。   ( 中略 ) 

    
彼に最もよく似通っているのは「地下生活者の手記」の主人公、「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、そして「悪霊」のスタヴローギンです。


ソフィヤ・コワレフスカ(ドスト氏が求婚して拒絶されたアンナ・コルビン・クルコフスカヤという女性、の妹)の回想記 〔 ドリーニン編『ドストエフスキー同時代人の回想』(水野忠夫訳。河出書房1966年刊。)に所収。p214。〕 には、ドスト氏自らが、彼ら姉妹の家(その時はその姉妹の母親も同席)で、彼らの前で、思い出して大胆にも告白した言葉  


「かつて、夜遅くまでさんざん飲み歩いたあと、酔った仲間たちにそそのかされて、十歳になる○○を○○した」という告白が記されていますが、

 ( 注:自分の過去の体験のことを告白したのではなく、ドスト氏が構想していた小説の中の一部として、彼女らに紹介した話のようです。) この記述は、かなり信憑性が高いように思います。


アンドレ‐ジイド著『ドストエフスキー』を初め、他の書でも、ドスト氏は、自分が少女を○○したことを、友人や知人の何人かに(なんと、ツルゲーネフにも。) 告白した事実が、ドスト氏の知人が証言したものとして、紹介されている。

http://www.coara.or.jp/~dost/30-5-o.htm


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C ゴーギャン


ゴーギャンこそ「南国楽園」白人セックスツーリズムおよび児童買春ツーリズムのパイオニアである

ゴーギャンは美化されるばかりで、まったく批判的には語られないが、このことは、アジア・アフリカにおける、あるいは戦場における、白人の性的犯罪がほとんど指弾されることがないのとパラレルである。

ネットではほとんど見つからないが、ゴーギャンがタヒチで書いた裸婦画には児童の裸も多くある。生々しい風合いがあり、実物がモデルであるだけに実際 性的な欲望を刺激する作品もある。実在のモデルが明らかに児童で、幼い乳房、恥らうように内股に立つ姿勢が生々しい作品もあったと記憶する。

「西洋文明と西洋美術に絶望した孤高の画家」などと美化されているが、晩年のゴーギャンは、「より幼い女」をあさってタヒチの島々を転々としたのであり、画才のあるエロ狂いに過ぎない。

ゴーギャンの美術は、今に至る白人のセックスツーリズム、児童買春ツーリズムの文化と一体のものであり、ゴーギャンこそは、セックスツーリズムおよび児童性愛ツーリズムのパイオニアなのである。

ゴーギャンは、東南アジアに屯し堂々と買春ヴァカンスを楽しむ白人たちの理想型である。「ゴーギャンのような生き方」が、世界中で白人たちが展開する非白人児童の性的搾取の醜さをあいまいにする口実にもなっているのである。

芸術性と犯罪性(猥褻性や児童ポルノ性)とは無関係である。これは日本の裁判所も認める正しい立場だ。芸術性と猥褻性とが関係があるとすること、芸術性によって猥褻性が緩和されたり滅却されたりするとすること、要するに、「芸術性が高いから猥褻ではない場合がある」とすることは、法が(司法が)「芸術性」の有無や高低について判断を下すことを意味する。これほど甚だしい法の僭越はないだろう。

ゴーギャンの絵にどれほど芸術性があろうと、児童ポルノは児童ポルノである。ゴーギャンの描いた絵のいくつかは明らかに児童ポルノであり、白人男のフランス植民地における小児性愛・児童虐待の絵画的な記録である。

ゴーギャンは児童ポルノ画家である。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/2009/10/blog-post_12.html

フランス植民地タヒチでのゴーギャンの「幼女性愛」は、一度も倫理的に非難されたことがない。

ゴーギャンの生き方は、モームの「月と六ペンス」のモチーフにされたりして、白人たちによって理解を示され、美化されてきたが、非難されたことはない。むしろ南国バカンス白人の理想型とされているといえるだろう。 この鬼畜行はそれほど昔の話ではない。日本が台湾を併合したころのことである。

ゴーギャンはフランス植民地の原住民女性を自由にもてあそんで、ひょっとしたら、カネすら払わなかったのではないか。 白人や進歩主義者の基準では、どんな事実上の力関係が背景にあろうと、形式的な合意があって「無料の」セックスであれば、「自由恋愛」として正当化される。その時点で彼らは、一切の罪悪感を感じなくなる。ただし、それも「男が白人」の場合のみである。

晩年のゴーギャンは、女を自由にできる環境を求めて、島から島へと渡り歩いたという。
  
フランスはいまなお、植民地「仏領ポリネシア」にしがみつき、核実験による放射能汚染にも罪悪感も責任もこれっぽっちも感じていない。 アフリカ植民地で奴隷狩りをやっていたころと同じ植民地主義の延長が、いまなお、フランス人の心にもアジア太平洋にも、脈々と生き残っている。 しかし、その仏領ポリネシアを、「フレンチポリネシアはすばらしい」と言ってよろこんで訪れるバカな日本人ツーリストがあとを絶たない。 そういうこともまた、フランス人の植民地支配の自信を後押しする要因になっている。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/02/25_0628.html

ゴーギャン展 東京国立近代美術館。


 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。

以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。

その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。


1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。


1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。

.


1890−91年「純潔の喪失」。
 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。
http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html

17. 中川隆[-13604] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:11:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

23. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 15:48:32 ID:HQ472+0P

ロリコンとゲイを収容所に入れたら、人口の0.5割しかシャバに残らないだろう、
っていわれてるのがアメリカ白人とフランス白人。
オーバーじゃなくて本当にそうだからね。


在米または駐米経験のある者が多いスレでの議論 :


410 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 14:34:39

つーかアメリカの白人ってロリコン異常に多くね?
アメリカ暮らししてた人(俺含む)にとって、白人男のほとんどが潜在的ロリコンだという現象って、
なにをいまさら・・・って感じかもしれないけど。

普段はゴージャスな美人が好きだーとか言って決して表には出さないけど、 酒が回ったりして本音で話すと大抵ロリコンだったりするし。 日本人男のロリコン度合いなんてかわいいくらいにあいつら本気だし・・・
逆に黒人やヒスパニックでロリコンって極端に少ないよね。


411 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 14:49:54
>>410
アメリカ白人だけでなく、イギリス白人も一緒。
知的水準が高くなるにしたがって、ロリコンとゲイだらけになる傾向にある。
日本人の感覚で「〜だらけ」なんて言うと軽く感じるけど、あの多さは明らかに異常だな。

ロリコンというか、少女性愛、幼女性愛に対する憧れを潜在的に持ってて、自覚してるかしてないかの違いがあるね。 そして知的水準が高くなるにしたがって、眠ってたものが露骨に表れ始めるのがオキマリ。
でもロリに限っていえば、米英白人なんてまだまだ甘いぞ。ドイツ男が凄まじいよ。

413 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 14:53:42

本能というより社会的な抑圧じゃないか。


415 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 15:12:10

可愛い娘を好むのはごく普通なんじゃないか?
それは表に出して無いだけで。


416 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 15:15:16

アメリカの場合は女が我がままでガサツ過ぎて一緒にいるメリットがないからだろうな。

マンコ<ウザさ。

社会的な寛容さがないのは宗教上いたしかたあるまい。


418 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 16:03:08

ドイツに旅行に行った時、旅の途中で若い男が一緒にのみに行こうぜと誘ってきたんだけど あれはもしかしてゲイだったのだろうか?


419 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/05 16:06:56

あの熱い視線は本当に勘弁してホスィ<アメリカ人中年


432 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 10:43:20

サンフランシスコ、ゲイ多すぎ。


433 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 11:19:50

パリのほうが多いだろ。


436 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 11:39:41

ドイツ男にロリが多いって書いてるやつがいるけど、

ドイツ男に変態が多いのは確かだけど、ロリとか変態は多いけどゲイはそこまで多くない。

もちろん日本人の感覚からしたらバカ多いけど、アメリカ・イギリス・フランス白人ほどの多さじゃないから。

余談だけどドイツいたとき、ボンのPGC公園の芝生で全裸で小便かけあって抱き合ってるゲイカップル見たよ。


437 名前:432 投稿日:05/03/06 12:00:07
>>433
俺前の彼女フランス人だったけど、彼女がフランス男を非難するとき絶対ゲイ非難から始まってた(笑

パリに比べてどうかは微妙だけど、SFも相当のもんだよ。
黒人はどうなんだろうね?LA並に黒人見ないから気になるところ。


482 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:17:06

考えてみるとフランスの女の子って悲惨だな。
あんなパリみたいにイイ男は大抵ゲイorロリコソなんて事態に直面すれば、そりゃ同国男を批判したくなる気持ちもわかるよ。ほんといっつも文句言ってるし・・・


484 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:28:03

ゲイの多さ

フランス>>アメリカ≒イギリス>>>ドイツ>>台湾>>>>>>>イタリア>>日本


ロリコンの多さ

ドイツ≒アメリカ>>フランス>>>イギリス>>>日本≒イタリア


って感じかな?


439 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 12:11:39

パリ男がゲイに走るのは、パリ女が汚すぎるからかと。たまには風呂入れYO!


440 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 12:17:25
>>439
男だって同じやん。フランスは。


441 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 12:25:22
>>440
でも、

1週間に1回は歯を磨くパリジャンと、
1週間に1回は歯を磨くパリジェンヌだったら、

明らかに前者のほうが多いダロ!特にゲイは清潔だしさ。


445 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 17:03:10

不衛生っていうか、日本人の感覚からすれば、どこだって不潔のような。

その中でもフランスは群を抜いてるというか。

まあアメリカ白人だって、シャワーをたまに浴びるだけでバスタブには滅多に浸からないし、

基本的に日本人みたいなボディタオルは使わず手で身体こするだけだし、
んだから垢がポロポロ落ちてきてキモイし、臭いし、汚いし。

上のほうでこれなんだから、下のほうの階層はどうなんだよってことだよね。
あ、でもフランス人とちがって歯は「一応」磨くからマシかも笑>アメ人


447 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/06 23:08:03

アメリカにすんでいたけどロリコン事情はわかるような気がするよ。

成人女性の3人に1人は子供のときに性的虐待を受けたことがあるという統計があったからね。

なぜロリコンが多いのか?
それは白人の少女達は皆天使のように美しいのに成人してしまうと肥満化していくんだもん。

老けるのい早いし。


それに白人の少女達は早熟で14の少女達の体つきを見るとすでに日本人女性の20歳の体つきをしている。

16歳では日本人のいうところの25歳にみえるし、20を超える または子供を生むと太りだしおばさん化まっしぐら。

このようなことから思わず美しい自分の娘や近所の天使のような少女達を見ると手を出してしまうお父さん達もいるのかものかもしれない。


476 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 15:38:28

米・英・独・仏白人男に絶句するほどロリコンが多いのは、
明らかに女の老いの速さと関係してるでしょう。

白人は老けるのが早いから
特に肌が


485 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:32:16

ロリはロリでもいろんな種類があるだろ
本当の幼児性愛てのはどこの国にもいるだろ

中高生てロリにはいる?


487 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:37:28

同一線上に並べてるけど、日本のロリコンと欧米のロリコンには大きな違いがあるよ。
日本のロリコン一般はあくまでも観賞的趣味から入るソフトロリコン。
対して欧米のロリコン一般は完全に性愛的対象として見ることから始まる。


489 名前:477 投稿日:05/03/07 17:47:19
>>485
自分は、
ティーン以下の年齢、または幼・少女的容姿の女性しか本気では相手にしない、
という意味で ロリコン って言葉使ってるけど。


490 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:50:38
ロリコン、バイ、少年愛のトリプル3点セットな香具師多すぎ>米白人


491 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 17:53:35

日本みたいにヲタチックなやつじゃなくて、
ほんとに普通のやつらがそうだから焦るよな。(ゲイ、ロリ

しかも右も左も。


493 名前:スリムななし(仮)さん 投稿日:05/03/07 18:04:05

米黒人、たしかに白人ほどにはホモ多くないけど、少年愛は結構多くないか?w
しかもほとんど白人少年目当てw

関係ないけど、俺ロングビーチで白人警官に口説かれまくったよw 何十人単位で・・

http://www.nihongodeok.net/thread/life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1110050434/

37. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 19:36:39 ID:wmIiCA2R

日本から一歩も出たことのない(特に女の子)って、ティーンズアイドルの人気とかの上辺だけ見て日本がロリコン大国だと批判して、思いっきりステロタイプなイメージで欧米(の白人社会)に対して大人の恋愛の国だとかいう幻想持ってたりするよね。

アホかっつーの。

アメリカかまたはドイツあたりにいって、ロリコン比率の凄まじさと年喰った女の人間扱いのされなさを肌で感じてこいって。


38. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 20:24:33 ID:xyljDEeD

ああ、たまに

「欧米では女性を年齢で見ないのよ!」

「ヨーロッパではケツの青いガキより成熟した女性が好まれるの!」

って必死で主張してる高齢の色ボケオバサン結構いるね。 「自分探し」とかで、いい年してから中途半端に短期語学留学してる人とかに多い。視野狭くて頭悪そうだなーって思いながらも、心の中で 「成熟どころか、お前の精神年齢は幼稚園児並だよ」 と時々突っ込みながら面白くヲチしてるけど。


39. おさかなくわえた名無しさん 05/03/07 20:42:45 ID:wmIiCA2R

日本の男のロリコン趣味は偽者だと思う。
普段開けっ広げに小さい女の子をかわいい〜とか言う割には、実は心の中ではやっぱ大人の女と思ってたりする偽ロリが多いような。

例えばロリを自認してた俺だって、いざオナるときは結局川瀬智子とか仲間由紀絵ばっかオカズにしてたしw
現実に戻ったら結局子供じゃ勃起しないっていうかw

欧米の白人社会、特にアメリカで、ヒステリックなまでにロリコンが社会的非難を浴びてタブー視されるのは、裏を返せばそれだけ身近で深刻な問題であるということだからね。


41. おさかなくわえた名無しさん 05/03/08 15:33:53 ID:x3MxdBxv

たしかにシカゴでのロリやゲイに対する反発心は凄かった
でもロリやゲイは日本よりはるかに多いorz


42. おさかなくわえた名無しさん 05/03/09 15:00:53 ID:ySE0nDir

ロリって昔は高校生ぐらいを対象としたものじゃなかった?
今は小学生ぐらいだろ?

ってことは20年後ぐらいには生後6ヶ月の赤ちゃんを(ry


43. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/10 00:33:13 ID:AohUVZpq
>>42
昔は高校生ぐらいの子はがんがん出産してたぞ


44. おさかなくわえた名無しさん 05/03/10 11:51:04 ID:CQn7dKFt

まあ確かに今でいえば中学生ぐらいの歳で元服してセークスしてたからな
武士は


47. おさかなくわえた名無しさん 05/03/10 18:11:32 ID:CQn7dKFt

もし中高生ぐらいの異性に対して性的興奮を覚えたらロリであるならば
ほとんどのものはロリになるだろう


52. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/10 20:01:38 ID:F/nJjthJ

アジア人好きの欧米人のほとんどはロリだったりする。
顔も童顔だし、身体は華奢、欧米人に比べて肌が綺麗でぴちぴちしているのに、成人年齢に達しているから。


56. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/12 13:14:17 ID:vquse2KZ

欧米のロリ理由→欧米の女は劣化が早いからとして、ゲイになる理由はなんで?


57. おさかなくわえた名無しさん 05/03/12 16:03:42 ID:BHMOkguq

実際に幼女に手を出すと犯罪だから


65. おさかなくわえた名無しさん 05/03/18 11:25:15 ID:+He+LNn7

フランスって熟女信仰がもっとも強い国ってきいたけど・・


67. おさかなくわえた名無しさん 05/03/18 11:57:34 ID:P6pmAgnO
>>65
貧乏な若い男が金持ちのマダムにくっついていろいろ支えてもらうことに関して偏見がないのがフランスの伝統。

いい家の息子はわざわざ熟女とくっつかない。
炉利も同じこと。
いい家の娘さんはわざわざオヤジと寝ない。

今の生活よりいい生活をしたかったら、若さを武器にかなり年上の異性とくっつくしかない。

身分制度やコネ社会の強さがジゴロや炉利を生むのです。

「愛人−ラ・マン」もそういう話でした。


68. おさかなくわえた名無しさん 05/03/18 12:19:49 ID:+He+LNn7
>>67
なるほろ。

でも聞いた話だと街中で注目を浴びるのも若い女じゃなく成熟した女、とのことだった。やっぱり御幣があったか


69. おさかなくわえた名無しさん [sage] 05/03/18 14:40:00 ID:AxH0bzKp
>>68
普通に考えてさ。
そんな事あるわけねーじゃんw

男はどこの国もいっしょ。
おばちゃんの夢壊して悪いけど。


70. 68 05/03/18 15:10:48 ID:+He+LNn7
>>69
いやまぁそれもそうだね。半信半疑ながらもし本当なら夢の国だなーとおもっとった

若い女のほうが生物学的にもいいに決まっている
今19(そろそろ若いとも言えなくなってくる年齢・・)だけど歳とるのがすごいコワー


81. おさかなくわえた名無しさん 05/03/20 17:40:07 ID:Y9SNNg1F

ロリは古今東西人類普遍のテーマですね

ドストエフスキー, ユーゴー, ロマンロラン ・・・

うだつのあがらないじじいが、何故か身寄りのない不幸な少女と出会い、面倒見る系のストーリーが少なくない。

特にユーゴーは、かの"コゼット"を筆頭に幼い少女の登場率が高いね。

ドストエフスキーも多いかな。

読む側としても、可愛そうな子供が「バラ色の頬をした少女」だと、読む意欲が倍増する(w


87. おさかなくわえた名無しさん 2005/03/26(土) 02:12:51 ID:eoIALnC2

フランス文学は変態の宝庫ですから。でも変態と知性を結び付けている
素晴らしい文学ばかりだけど・・。

ところで、デンマークのお上容認のベドの団体って今でもあるんでしょうか?


88. おさかなくわえた名無しさん 2005/03/26(土) 02:22:27 ID:eoIALnC2

あぁ、それと歳行った女が大事にされるのは嘘ではないですよ。

大事にっていうのは違うかな?

なんていうかいつまでも女性として扱ってくれる男性が多いっていう感じかな。その代わり、それなりに教養はないとそういう男性からは相手にされない。

で、向こうのロリはもちろん物凄くって、絶対に少女じゃないとだめぇぇ!
みたいなのは確かにいます。はい。


私は二十代だけど、日本の女性なら三十代頃なら向こうでは一番アプローチ受けやすいと思う。

二十代だと、十代の芋貧乏しかよってこないから損かも。

http://www.nihongodeok.net/thread/life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1110050434/


( =ω=.)<映画とかでさー子役の時 美少女だった娘も 数年したら オバさんみたくなっててさー


(;//Д//)<白人は劣化が早いからね


( =ω=.)<うん。幼女の頃で顔が完成されて、お人形さんみたいに可愛いからね


115 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:48:04 ID:tSFWxvkI0

白人女が、フェラしてる時から挿入されてフィニッシュを迎えるまでずっと自分のクリトリスを弄り続けてるAVを見てから、白人女を見ると恐怖しか感じなくなった。
あいつらは何か別の生き物だ。淫獣だ。


164 :帝都SS隊 ◆qqcnPZRzkE :2006/07/17(月) 21:52:47 ID:/L2w4kun0

アメリカ女はセックスしてるときに歯をくいしばってうなり声出してを睨みつけてくるからな。
こえーよ。何威嚇してんだよ白豚。
おかげでいつも途中でチンポ萎えるよ。


120 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:48:32 ID:Cjwngo1r0

白人女の劣化の速度は異常


157 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:52:04 ID:7Z6jZnPR0

なんか付き合ってると、色々指摘されそうじゃん。
Oh日本男ちんちん小さいネ!そんなんじゃだめネ!ダンスできないとダメヨ!みたいな。


166 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:52:56 ID:znxk6zdN0
>>157
チンコの小さいのなんて指摘もされないしまったく問題ない。
むしろ日本人男性の幼児性を指摘される

日本人は精神的に自立していない人が多いということ事
逆に言うと、日本の女も幼児性が抜けないから日本人同士で付き合う場合はそれでバランスが取れているわけだが、白人女性なんて日本人から見れば精神性は男だからね


268 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/17(月) 21:59:45 ID:8Gvru5Kt0

テレビとか写真で見ると綺麗なんだけど、実物を近くで見ると毛だらけなんだよな。白人女って。
顔の産毛を剃る習慣は日本女特有のものだということに気づいた。


1463 :名無し:2006/07/22 ID:#cRy4jAvc | URL | 編集 |

どうも話が、ゲルマン系のゴツイ女に偏ってるな。
ラテン系は可愛いよ。華奢なのも多いし。

あ、でも南米じゃなくてフランスとかイタリアな。

ガキの頃、アメリカに居たんだが、近所の子ですっごく可愛い子がいた。
まさに天使みたいな。でも、先日「結婚しました」の手紙が来たら、
普通のブチャイクなアメ人女子大生になってた。とほほ。


9199 :子供を産ませる機械:2007/02/16 ID:#wr80fq92 | URL | 編集 |

白人は10歳まで。
カフェオレは20歳まで。
東洋人は30歳までオカズになるんだからコストパフォーマンスいいよ。

http://news4u.blog51.fc2.com/blog-entry-1024.html


No.16 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/06/01(Thu) 06:02 

白人女性はやめたほうがいいよ。もちろん人によるけどね

アングロサクソン女は自己主張が強い。
すぐ権利主張して平等を謳う

最初は自立しててカッコいいと思ったけど付き合うとうざい

そのくせちょっとしたレストランでは「レディー」として扱えという
マナーだし別にいいんだけど、都合よく使い分けていると思う。

たまたまそんな女に引っ掛かったオレが悪いんだろうがね。
それにオレも英語が完璧に出来るわけじゃないからけんかになると負けることが多い

総合的にアジア人が一番いいと思う。


No.34 投稿者:僕も日本人です - 2010/10/07(Thu) 15:53 

No16. 実に的を得た発言。これはアメリカ人でしょう。

スエーデン人はもっとひどい。カナダやオーストラリア人はまだましだが、ヨーロッパ人はもっとまし。

一番日本人に近い白人は東ヨーロッパや元ロシア圏の白人女性。
アメリカ人やスウェーデン人はよしたほうがいいですよ。遊ぶだけなら面白いが。


No.40 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/05/07(Sat) 23:15 

妻はイタリア人で、いわゆる欧米系人種だが白人ではない。
確かに日本人女性とは違って、自己主張がハッキリしていると思う。

 文化や習慣の違いでの口喧嘩もあるが、こちらが譲れない部分等は、理論的に説明すると理解はしてくれる。

 家事や子育て等も、全く問題なく率先してやってくれている。

イタリアは表面上レディファーストだが、結婚すると男性が主導権を握るパターンが多いらしい。

平均的にラテン系女性は家庭的らしいと聞く。
 一応、こちらもそれなりに努力はしているつもり。

レディファーストが日常的な文化として成立しているので、過剰にならない程度で心がけているし、体型を維持する為にジムへも通っている。

 過去にオーストラリア女性や、もちろん日本人女性とも付き合った事があるが、性格や人格は人種的な要素よりも、やはり育った家庭環境に左右されると思う。


No.18 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/06/24(Sat) 12:14
 
ロシア人女性はスタイルが最高に良かったです。
やはり、やせていても、お尻とか丸みがあり最高でした。
でも、日本人と変わらない。

終わったと、言葉が通じないからおもしろくなかった。
よく見ると顔はそばかすだらけです。


No.10 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/03/27(Mon) 05:11 

白人女性のAV見たこと結構あるけど、あそこの毛ない人多くない?
日本人女性はみんなぼさぼさだよね。
あと、やってるとき日本人女性の場合は

「あーーーあーーーダメーー;;逝っちゃう〜〜〜;;」っとか色々声だすのに、

白人女性ってひたすら深呼吸してない?w

息をすぅーすぅーしてるだけ。なぜだ・・・・・


No.12 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/03/27(Mon) 20:01 
>>10
剃ってるんですよ。
もともと毛が薄い人種なので剃っても目立たないんでしょう。
つるつるですね。

声のほうは「オ〜〜イエ〜ス」「ファックミー」くらいしか言いませんよね・・・
日本のAVはやらせ感が強すぎますよね


No.14 投稿者:名無しの権兵衛 - 2006/03/29(Wed) 10:46 
>>10
白人の方が毛深い。


No.28 投稿者:ロメオ - 2009/08/07(Fri) 05:13
 
白人女の歳の取り方は日本人の倍。5年付き合ったらもうばあさん。
セックスもまあまあ。毛深いのと体臭がX。やっぱりアジア人が良い。


No.33 投稿者:apple nyc - 2010/03/12(Fri) 03:21 

数年アメリカに居た時経験ありますが、外人の女の人はなんか野獣というか息が荒いsexなんで冷めました。自分も英語でsexは微妙なんで日本人の声のがいいですね。。。


No.35 投稿者:名無しの権兵衛 - 2010/12/20(Mon) 15:15 

白人はちょっと臭い。
体臭も口臭もきついし、肌も気持ち悪いくらいざらざらしてる。

30代超すと、肌も弾力性なくしてびろびろする。きもい体験だった。


No.37 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/02/07(Mon) 19:57 

おいおい、白人女は25で終わりだろうに。二十代後半からは40ぐらいにみえるぞ。


No.38 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/03/04(Fri) 14:53 

知り合いの白人の奥さんとその日本人の旦那をしってるけど、同い年とは見えない。魔法使いのばあさんと一緒にいるみたいだ...まだ40なのに、彼女は60ぐらいに見えるぞ。


No.39 投稿者:名無しの権兵衛 - 2011/04/26(Tue) 03:48 

白人女ははっきり言って臭い。足も臭かった。あそこも強烈な臭い。鼻が良く効かない人種のようで、自分の異様な臭いに気づいていないようだ。
http://www.worldguys.jp/cgi-bin/bbs/mychan/mychan.cgi?mode=view&no=977&p=new


性器の匂い消しに使ったベビーパウダーでがん、J&J、賠償を命じられる
http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=1548

 どの家にも無害な顔をして転がっているベビーパウダー、それでがんになるとは・・・そしてこのニュースが、日本ではたいして話題にもなっていないとは・・・


J&Jに損害賠償支払い命令、ベビーパウダー関連のがん死亡で

2016年 02月 24日 15:16 JST http://jp.reuters.com/article/johnson-and-johnson-powder-idJPKCN0VX0DD

[23日ロイター] - 米ミズーリ州巡回裁判所の陪審は22日夜遅く、米医薬品・日用品大手ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)(JNJ.N)が販売するタルク(タルカム)を原料とする衛生用品「ベビーパウダー」と「シャワートゥシャワー」の使用と関連のある卵巣がんで死亡した女性の家族に対し、7200万ドルの損害賠償を支払うよう命じた。

被害者家族の弁護士と裁判記録によると、被害者家族には損賠賠償として1000万ドル、懲罰的損害賠償として6200万ドルの支払いが命じられた。

J&Jは消費者に対し数十年にわたり、タルクを使用した製品にはがんを引き起こす恐れがあることについて警告するのを怠ったとして訴えられている。

同社を相手取った訴訟の数は同裁判所で約1000件に上り、このほか200件がニュージャージー州で起こされている。J&Jの広報 担当キャロル・グッドリッチ氏は「われわれは消費者の健康と安全性については十二分の責任を持っており、裁判の結果には失望している。

原告の家族に対して は気の毒に思うが、化粧品用タルクの安全性は数十年におよぶ科学的証拠によって裏付けられていると確信している」との見解を示した。

 ベビーパウダーと卵巣がん?どういうことかと思って他のニュースを見ましたが、どれも似たりよったりの報道です。


J&Jに81億円の賠償義務と米陪審−ベビーパウダーめぐり
2016/02/23 15:20 JST(ブルームバーグ):

・・・昨年死亡したジャッキー・フォックスさんの遺族は、フォックスさんが ベビーパウダーを含むタルク(滑石)原料の同社製品を長年使用していたことが原因でがんになったと主張している。タルク原料の製品ががんを引き起こす可能性を数十年前から知りながら、J&Jが消費者への警告を怠ったとして起こされた訴訟で、同社に損害賠償の支払いが命じられたのは初めて。J&Jの弁護人を務めるジェラード・ノース氏は評決についてのコメントを控えた。
 
 で、海外記事を検索したところ、アメリカ女性はベビーパウダーを会陰部に使うと知り、驚きました。それはJ&Jが「一日をさわやかに過ごすために」「いやな匂いを消すために」と、「そこ」への使用を宣伝していたからです。J&Jのベビーパウダーは1890年代から販売されている有名商品。消費者はその宣伝を疑いもせず、下着からナプキンにいたるまでパウダーをふりかけるのが習慣となってしまったとのこと。中にはタンポンや、避妊器具のペッサリーやコンドームにまで使う人も多いとか・・・でも、これは生殖器に直接、異物を入れることになり、それを長年続けていれば、そりゃあ子宮や卵管、卵巣に蓄積して異常が出てきても不思議はありません。

 ベビパウダーの原料、タルク(滑石、ミネラル)には、マグネシウムやシリコンのほか、微量のアスベストが含まれている場合があり、1970年以後、「アスベスト・フリー」に切り替えられるまで、この製品はもろ発ガン物質だったのです。ただし、その頃は社会がそれほど豊かではなく、使用者は限られていたので、病気との関連はあまり認識されなかったのでしょう。
 
 今は違います。誰もが、不必要なほど大量にシャンプーやリンス、デオドラントなどを使っているのです(その安っぽい化学物質の匂いのおかげで、私は外出のたび気分が悪くなる・・・)。なお、国際がん研究所(IARC)は、○アスベストを含むタルカムパウダーは「ヒトに対して発がん性がある」とする一方、○会陰部へのタルカムパウダーの使用は「ヒトに対して発がん性がおそらくある」と、2Aクラスに分類しています。

 今回の判決の前にも、南ダコタ州の女性が「ベビーパウダーで卵巣がんになった」としてJ&Jを訴え、2013年に勝訴していました。この女性もがんと診断されるまで、30年にわたって同パウダーを使い続けていたのです。それでなくても、ベビーパウダーの微細な粉末が赤ちゃんや幼児に危険、との指摘もずっとなされてきました。これは鉱山労働者や解体業者が、労働環境のせいで塵肺になったり、PM2.5が死に直結するのと同じで、「小さい」ことそのものが人体にとって有害なのです。ベビーパウダーと発がんの關係を調べた医学論文もたくさん発表されていました(もちろん御用医師による「まったく問題なし」の論文もあるでしょうが)。

 問題は、このような批判にさらされても、J&Jは、決して製品に注意書きや警告を出そうとせず、そのため被害者が増え続けたこと。その結果が、1200にものぼる訴訟です。J&Jは、2013年にも、抗精神病薬「リスパダール」に関し、事態を拡大させまいと罰金約22億ドルを払ったという企業です。つまり、消費者の安全よりも企業のメンツ重視型。ま〜、アメリカの健康行政は、それほど企業の支配下にあるのですね。2016.3.17

(参考サイト)
米J&J、「リスパダール」めぐり米当局と和解−22億ドル ... http://www.johnsonandtoxin.com/
https://www.drugwatch.com/talcum-powder/ovarian-cancer/
http://naturalsociety.com/bombshell-lawsuit-johnson-and-johnson-baby-powder-cancer-63758/

http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=1548


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ベビーパウダーの発ガン性、わかっていた
http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=1555


 ジョンソン&ジョンソンの「ベビーパウダーでがん、J&J、賠償を命じられる (03/17)の続き

 J&J社が「懲罰的罰金」をくらった経過を知りたいと思って検索したら、2009年のハフイントン・ポストの記事「タルカム・パウダー、隠された危険」という記事を見つけ、読んでびっくり。ベビーパウダーは昔から発がん性があることがわかっており、企業はそれを隠していたとは・・・この記事の書き手は医師のサミュエル・エプスタイン氏、イリノイ大学(シカゴ)公衆健康学部環境職業医療の名誉教授で、200本以上の科学論文や15冊の本の著者であり、全米がん予防連合Cancer Prevention Coalition;会長です。以下、いつもの山本の「超訳」です。論評の際は原文(文末)にあたってね。

      *********

 誰もが一度は使ったことがあるはずのベビーパウダー、これはやわらかいマグネシウムシリカのミネラル化合物を加工したもので、タルカムパウダー、あるいはタルクと呼ばれています。タルクのパウダーは赤ちゃんや幼児の湿疹やおむつかぶれを抑えるために、よく使われています。しかし、この習慣は危険なのです。それによってかなりの量の粉末を吸い込むため、肺に急性・慢性の炎症が起きるからです。これをタルコーシスと呼びます。しかし、今は安全な代替品であるコーンスターチ製のパウダーがあり、それに切り替えることでこのリスクは避けることができます。(山本注:タルコーシス、Talcosis、タルク塵肺症; 滑石肺症; タルク肺; 滑石沈着症; 滑石肺)

 ジョンソン&ジョンソンが製造し、オスコ、ウオルグリーンズ、その他のドラッグストアで広く販売されているベビーパウダーは、女性に対し、陰部の匂いが隠せるとして熱心に使用が勧められてきました。しかし1971年には、陰部へのタルク使用の危険について最初の警告が出されています。卵巣がんからタルクの分子が見つかったという報告があったのですが、J&J社の医薬品部長、ヒルディック-スミス博士は、この発見に激しくかみつきます。そしてこの論文が、名高い医学雑誌、「ランセット」に発表された時には、「タルクは卵巣に対し・・・おそらく有害かもしれない(ので)・・・無視されるべきではない」となってしまったのです。

 1982年にはDr.Cramerらが、タルカムパウダーを使った女性は卵巣がんのリスクが3倍高いとする論文を発表しています。また1986年にはJ&Jの技術的見通しに関する内部資料で、ベビーパウダーに対する懸念が高まっており、売り上げが落ちると考えていたことがわかりました。

 これらの警告が確定的となったのは、1992年、医学雑誌「産科婦人科学」の論文で、タルクを常時使用している女性は、使わない人に比べ、卵巣がんのリスクが三倍高いと発表された時です。問題のタルクは、「ベビーパウダー」というブランド名で示してありました。これに引き続き、卵巣がんとタルクの関係を裏付ける学術論文が、有名な学術誌の「キャンサー」「ランセット」「オンコロジー(腫瘍学)」などで次々と発表されました。

 それらの研究の頂点となったのが、2003年、「アンティ・キャンサー・リサーチ」誌で発表されたメタ分析(大規模な比較分析の論評)でした。この分析で合計で11,933人の女性を対象にした16本の先行研究を見直したところ、タルクの常時使用の女性の卵巣がん発生率は、対象郡に比べ33パーセント高いことが確証されたのです。

 卵巣がんを患う65歳、あるいはそれ以上の年齢の女性が大量死の率が急上昇しているのは不思議はなかったのです。特にタルクの使用が多い黒人女性では、それが顕著です。

 アメリカでは毎年、1万6000人の女性が卵巣がんで死亡しています。これは女性のがんによる死因の中で四位にあたります。ある推定によれば、アメリカでは五人に一人が陰部にベビーパウダーを使用しており、その用法は、直接ふりかけたり、タンポンやナプキン、あるいはペッサリーにふりかけたりしているとのことです。

 タルク使用の危険性は化粧品業界でさえ認めています。2002年、「化粧・衛生・香水協会」の会長エドワード・カバノー氏は、「タルクは毒性があり、ヒトの卵巣に達することができる」ことを、しぶしぶ認めました。それにもかかわらず、タルク製造者が、その製品が健康を害する恐れがあると警告を表示しないのは理解できません。FDA(食料薬品局)もまた、タルクの危険性について何も触れようとしていません。

 アメリカ保健福祉省法制委員会の臨時次席委員は、1993年、「我々は医学文献の中で、長年にわたるタルクの使用により、それが卵巣がんに発展する統計的可能性があるとのリポートがあったことに気づいている」と認めました。しかし、この公務員は、驚くべきことに、「FDAは禁止したり、制限したり、製品のラベルに警告表示を求める考えはない」と続けたのです。

 タルクの危険性に気づき、一方で政府が決して責任を取ろうとしないことに危機感を覚えた「がん予防連合」は1994年、「憲法上の権利を求めるニューヨークセンター」と共に、FDAに市民請願を提出しました。陰部へのタルクの使用は卵巣がんのリスクをもたらすという警告を表示するよう求めたのです。しかし、FDAはまたもやこれを拒否しました。

 2008年5月、がん予防連合は新たに請願を出しました。今回は、有機農業消費者協会、国際人道的薬剤協会、全米黒人女性議会のフェイ・ウィリアムズ博士など幅広い分野の賛同を得てのものでした。私たちは、タルクの危険性についての新たな科学的根拠にもとづいて、FDAはすべてのタルク製品に警告表示を義務付けることを求めました。「タルカムパウダーを陰部に使うと卵巣がんのリスクをかなり高めます」という風に。

 しかしながら、当時FDA委員長であったアンドリュー・フォン・エッシェンバッハ医師はこの請願に応えなかったのです。私たちは尊敬すべき新長官のマーガレット・ハンバーグ医師が、タルクの危険に気づかない女性たちを守るために、早急に規制に向けて動かれることを期待しています。

(原文)Talcum Powder: The Hidden Dangers by Samuel S. Epstein 
http://www.huffingtonpost.com/samuel-s-epstein/talcum-powder-the-hidden_b_279523.html 
(その他の参考記事)
http://www.talcumpowdercancerlawsuitcenter.com/talcum-powder-warning.asp
Talcum Company Calls Study on Cancer Link Inconclusive


http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=1555

18. 中川隆[-13603] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:12:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

まあ、一世を風靡したセクシー女優 フランソワーズ・アルヌールや クラウディア・カルディナーレ の中年以降の姿を見たらロリコンになる気持ちは良くわかりますけどね:

YouTube動画

Des Gens Sans Importance ( ヘッドライト)
https://www.youtube.com/results?search_query=Des+Gens+Sans+Importance

Maria Felix Comentarios de Françoise Arnoul
http://www.youtube.com/watch?v=DNPA4M5k7II


La Ragazza di Bube(ブーベの恋人)−Claudia Cardinale
https://www.youtube.com/results?search_query=La+Ragazza+di+Bube%EF%BC%88%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%99%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA%EF%BC%89%EF%BC%8DClaudia+Cardinale+

24-BEYAZPERDE RÖPORTAJI - AN INTERVIEW WITH CLAUDIA CARDINALE
http://www.youtube.com/watch?v=xel1FogmZ0c&feature=related

19. 中川隆[-13602] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:15:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
本物のロリコンは必ず父娘相姦に走る?

インセスト・タブーができた理由


39 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/29(土) 23:02:34


>家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って

母親が父親を捨てて出て行って後に、父と娘に関係ができたと。

体験告白系でよくあるパターンですが、作り話ばかりではないんですね。

40 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/30(日) 11:18:10


父娘家庭で相姦になるというのは体験告白の王道パターンでその時点で信憑性を疑う(苦笑)。

ファザコン娘が母に捨てられた(又は亡くなった)父に同情して関係するという投稿を何回読んだことか。

ただ、このパターンの妄想で書く人が多いということは、そういう妄想を生み出す元となる事実があったのではとも思えるのです。


35 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/09(日) 01:01:30

告白系の妊娠話は99%は妄想か釣りだけど、残り1%はガチなのかもしれない。

ま、頭が悪い俺にはどれが嘘でどれが真実かなんてわからないけど。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/108/1180642354/


____________


[33789] おとうさん 投稿者:娘 投稿日:2010/10/11(Mon) 23:47


私のお尻の穴は、おとうさんのち×ぽ専用です。

お父さんは変態議員なので、おま×こには興味が無く、お尻の穴ばかりかわいがってくれます。

最初にお尻にち×ぽをいれられたのは、小学3年生の夏休みでした。

そのときは、おねいちゃんも妹も全員お尻にち×ぽを入れられました。

妹はまだ幼稚園だったので、お尻の穴が切れて血だらけになり大変でした。

おねいちゃんはチ×ポをぬくとうんこをしてしまい、お父さんにしかられました。

わたしのおしりの穴は切れなかったし、うんこもでなかったので、おとうさんにほめられました。

おかあさんも最初はお尻の穴でかわいがられたそうです。

おかあさんが子供が欲しいとお願いして、ようやくま×こに入れてもらったのよといっていました。

そうしたら、最初の子供が女の子だったので、おとうさんは、子供のお尻の穴をいじめることができると大喜びで、次々と子供を生ませるためにま×こにち×ぽ汁を注ぎ込んだそうです。

そうして生まれたのが、私たち三姉妹です。

おねいちゃんも妹も、もちろん私も、大学入学で家を離れるまで毎日のようにお尻の穴でち×ぽを喰わえてました。

おとうさんはお尻を可愛がるために、そんなにお金もないのにお風呂場をアナルプレー専用に改造してまで、私たちのお尻の穴をいじめました。

私たちが、お尻の穴にち×ぽを入れられても泣かなくなると、今度は浣腸や、拡張バルーンなどを使って、私たちが泣きわめくようにしました。

一度、マヨネーズとワインビネガーの連続浣腸で、おねいちゃんが意識不明になったことがあります。

妹はお尻の穴が緩くなり、おむつをして通学していた事もありました。その後はアナルプラグにかわりました。

私のお尻の穴は柔軟なのか、おとうさんのむちゃくちゃなプレーにもなんとか耐えることができました。

大学を卒業して家に戻ったのですが、おとうさんはまだ処女だった私を犯し、中だししました。

そうです、おとうさんは私を妊娠させて、女の子を生ませようとしているのです。

もう一週間毎夜おとうさんに犯されています。

妊娠するのは時間の問題です。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b04_2/index.cgi

パパとお風呂で…。

実は12歳になった今でもパパとお風呂に一緒に入ってるんです。

ママが病気で亡くなったその日の夜も、一緒にお風呂場へ。

パパと入るとあそこを指で丁寧に丁寧に洗ってくれて、気持ちいいんです。

まず指で私のクリクリした所をいじりながら、まだ洗ってない私のおしっこが出る所をペロペロ舐めるんです。

私が『パパ汚いよぉ』って言うと、パパは

『こんなに綺麗なピンク色をして汚いわけないだろう。
他の男には見せたらダメだぞ。』


と言ってハァハァ言いながら舐め続けるんです。

最初はくすぐったかっただけなのに私もだんだん気持ち良くなってきて、よく分からない気持ちになるんです。

パパが

『ほら、お前のおまんこからお汁が出てきたぞ。
まだ12歳なのにいやらしい娘だなぁ。』


って言って自分のおちんちんを触らせるんです。

パパのおちんちんはいつもと違って大きく硬くなってて、舐めてと言われるのでペロペロしました。


『パパはお前の事が好きだからこうするんだよ』


って言われて、私のあそこをパパのおちんちんでこすりつけるんです。

すでに私のあそこはすごく濡れていて、外側はヌルヌル。

思わず『パパ気持ちいいよぉっ』って言うと、パパが


『今まではお前のあそこにこするだけだったけど、もっと気持ちいいことをしようか。


お前がもう少し大きくなってからするつもりだったけど、パパはもう我慢できないよ』

って言われて、私は意味が分からなくて返事が出来ないでいると、私の中に急にパパのおちんちんが入ってきたんです。


『パパっ、何するの?』

訳が分からず聞くと、

『少しだけ我慢すれば良くなるよ』

って言われて私の中でおちんちんを出し入れするんです。

すでにヌルヌルだから、ちょっと痛かったけど気持ち良くて

『パパぁっ!パパぁっ!』

って叫んじゃいました。パパは何度も

『やらしい娘だ、やらしい娘だ』

って言っていつもは私の体にかける精子を中に出しました。

私のあそこからパパの出した精子がいっぱい垂れてきて、いつもより気持ち良くてびっくりしました。

それからと言うもの、お風呂場以外でもパパは私のあそこに夢中なんです。
夜お布団に入ってきては…。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201008310040/

父に抱かれてしまいました。なんだか笑えてきます。…


嬉しそうに実の娘を相手にセックスしていた父が。

そして、そんな父にまったく抵抗する事無く抱かれていた私が。

高校を卒業して3年。

何もする事無く、無意味に近い生活をしてきた。

ひきこもりと言っても良いのかもしれない。

そんな私を、父は文句言う事無く保護してくれた。

もう二十歳を過ぎて、こんなことじゃいけないのに。

私の面倒をみてくれているんだ。

父には私を自由にする権利がある。

私が父のために出来る事は、父の望むことをすることくらい。

最初は、お風呂で背中を流してあげるくらいだった。

お互い照れあってた。慣れてきた頃、父が私の裸を見るようになった。

そして父の股間が男として立った。

かなり戸惑いました。

まさか実の父娘でそういう事があるなんて思ってなかった。

だけど私は、逃げませんでした。

そのうち父が、暑いから外で涼もうと言って私を外へ連れ出した。

外へ出たところで、私は父にキスされた。

生まれて初めてのキス。

ベッドへ連れて行かれ、色んな生まれて初めてのことをされた。

そして、生まれて初めてセックスを経験した。

少し悲しかった。

でも今は全然平気。

父が望んだんだから仕方ない。

私と父は、恋人になります。

人生が始まった。

お父さん、好きです。 (2010年06月27日)
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201006270007/

あの日から・・・私はオナる時、部屋で飼ってる小型犬のチェリーにアソコを舐めさせてます。


その日も、下半身裸になり舐め舐めさせていて、あまりの気持ちよさにバックの体勢で声を押し殺して感じていました。

その時です。ドアが開く音がしたかと思うと、いきなりパパが乱入してきて、

「お前はなんてことをしてるんだ!!なんでチェリーと・・・」

と取り乱し泣いていました。

私が布団で下半身を隠そうとした時、パパが信じられない行動に・・・。

パパは私のアソコにむしゃぶりついてきたのです。

そんなに気持ちよくなりたいならパパがやってやる!!と・・・。

指と舌の激しい動きに、ビクンッといってしまったのを確認すると、今度は執拗におっぱいを舐めたり揉んだり・・・。

もうだめ!!やめてーー!

と叫んだ瞬間、あっという間にパパが中に入ってきたのです。

それからは、すごい腰使いで、何度もいかされてしまいました。

ママが夜勤でいなかったから、朝まで3回も犯され続けて・・・。

後で聞いたら、以前からチェリーとのオナを覗いていたそうです。

ドアの向こうでパパもオナっていたんだと思うと変な感じですよね・・・。

今ではチェリーにアソコを舐めさせながら、パパのをフェラしたり、変態セックスを楽しんでいます。

ママには罪悪感があるけど・・・。

今度、ママをベッドに縛り付けて、アソコをチェリーに舐め舐めさせながら、私とパパがつながってるところを見せて、ママが我慢できなくなったところで一緒に犯してやろうと計画中です。

受け入れてくれるかな・・・。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050001/


父と兄に私は昔、父と兄にやられてました。

父は私が小学生の頃から体を触ってきたりしてました。

最初はスキンシップぐらいの感じだったけど、中1の時私の寝てるベッドによく入ってきて ももとか撫で回してきました。

いつもは太ももくらいしか触ってこなかったけどある日私のアソコを撫で回し始めてそのま父はズボンを脱いで入れてきました。

処女は父に奪われました。父は

「俺は若い頃の母さんが大好きだった。

おまえは若い頃の母さんにそっくりだから我慢きなかった。ごめんな。」

と言われた。あの時の父の荒い息づかいは今でも忘れません。

ちょうど同じ時期に二つ上の兄は性に目覚めた頃で、押し入れになぜか2人で入って兄が大くなったアレを触ってみてと言って触らされたことがあった。

その時は触らされただけだったけど、それから数日後しばらく兄とセックスする日が続いた。

兄は付き合ってる彼女がいたのになんで私とするのか分からなかったけど、多分彼女の前で恥をかかないように?

私を練習にしてたっぽいです。

ちょうど兄としてる時に母親に見つかってしまい、もちろん母親は激怒しました。

その後父と母は離婚。

私は母親と2人で生活することになりました。

たまに父と会うとその都度体を求められました。

勿論断るんだけど、お小遣いをあげるからとお金でつってくるのです。

当時高校生だった私は色々買いたい物があったし、ついお金につられてやってしまいました。

親子で援交なんて今考えたらかなりヤバいことしてたなと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050004/

母似の私1ヶ月前、一人暮らししている私のマンションへ、田舎から父が突然やってきました。

私26歳、父51歳で、一人暮らしして4年が経っていました。

何でも父は出張だったらしく、2晩泊めてくれと言うんです。

私の彼氏も出張で、夜中やって来なかったのはよかったのですが、彼氏のシャツを見つかり父は激怒、私は「男物の服を干しておくと、泥棒や痴漢に入れないの。」と説明をし、何とか納得してもらいました。

しかしその夜、私が寝ているベッドに父がやって来て、

「本当に男はいないんだな。」と言い、私が「いないよ。」と言うと、

「だったら、寂しいだろ。」と言い、ベッドに入ってきたのです。


私も必死に抵抗しましたが、父の力には勝てず犯されてしまいました。

父は抵抗に疲れた私に覆いかぶさり、私の体を好き勝手にするのです。

私の体中を愛撫すると、正上位で繋がり、それに飽きるとバックから。

最後は何とか外に出してくれたんですが、私が泣いていると

「すまなかった。お前が死んだお母さんに似ていたから。」

と言って、部屋を出て行きました。

しかし、次の晩も私のベットにやって来たのです。

私はもう抵抗をする気にもなれず、父に背中を向けじっとしていました。

すると父は私を後ろから抱き、パジャマとショーツを脱がすと私の胸を揉みながら後ろから入ってきたのです。


「お前のお母さんもこの格好が好きだった。
この格好で一晩中繋がっていたこともあったよ。」

と言いながら、ペニスを出し入れするんです。

実は私も好きで、彼によくこの格好で抱かれながら寝るんです。

私もだんだん気持ちよくなってきて、いきそうになるのを必死に我慢していました。

しかしそれも父に分かってしまい、そうなると父の言うとおりにされてしまうんです。
父は私にペニスを咥えさせながら父の顔を跨げと言うんです。

私がしぶしぶ言う通りすると、今まで父のペニスが入っていてまんこを舐めてくるんです。

私はそれだけで父のペニスを離し、「いくうう、」と叫んでしまいました。

その後はもう何がなにやら分からず、父に身を任せてしまいました。

気が付くと朝になっていて、父が後ろから私を抱き、ペニスが私の中に入っているんです。

私は父を起こさないようにお尻を振り、ペニスを出し入れするのですがうまくいかず父を起こしてしまいました。

「お母さんと同じだ。お母さんもよくそうしてお尻を振っていたっけ。」

と言いながら、今度は勢いよくピストンしてくるんです。

その後お昼前まで、私は何度も何度も父にいかされ、最後には

「私の中に出して。」

と、叫んでいました。


今は彼とも別れ、お正月休みを実家で過ごしています。

実家には父だけなので、朝も昼も夜も関係なく毎日父と抱き合っています。

夕べは紅白と面白いテレビ番組があるので、夕方までに食事を済ませ、父と一緒にお風呂に入り、父の部屋で後ろから抱かれながらテレビを見ていました。

母の位牌もあるので気が引けますが、気が付くとテレビの事を忘れ、父に抱きついたりペニスを咥えていたり、父の腰に跨ってお尻を振っていたこともありました。

今、父は大きな鼾をかいて、私の隣で眠っています。

当然私も父も裸のまま。父のペニスに手を伸ばすと、だんだん硬くなってくるのが分かるんです。

実家に帰ってきて、私の気持ちに変化がありました。

それは、一人暮らしをやめて実家に帰ってこようかなと思っているんです。

父のペニスは挿入可能な堅さになって来ました。

父を起こさないように、いただきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050008/


1 お父さんと関係 [えみか]


お父さんと関係を持っています。

お母さんは離婚して家出ていきお父さんと二人暮らしです。

ある日お父さんがオナニーしている所を目撃してしまい私もしばらくしてなかったし我慢出来なかったのでお父さんに告白しました。

するとお父さんは私をベットに押し倒してきました。

二人で全裸になり深いディープキスをしました。

お父さんは私のアソコ舐め私はお父さんのチンコ舐め一時間位舐めたり指マンされて何度もイカされました。

そして挿入の時ゴムはあったけど私はゴムが嫌いなのでそのまま生で挿入しました。
最後は中出しでした。

それから毎日お父さんとお風呂に入って寝るのも一緒で生理以外は毎晩愛し合ってました。

そして二年後女の子を産みました。

その子も今年で私がお父さんと関係を持った年になりました。

昨日お父さんはその子と関係を持ちました。

今日は3Pする予定です。

早く夜にならないかなぁ。

まてないからお父さん帰ってきたら襲ってしまうかなぁ。

子供は二人下の子も女の子です。
http://incest.ebo.jp/thread/79.html

1父と姉が目の前で [こう]


これは、私が小6の時に体験した話です。
とは言っても私自身の体験ではないのですが。

私が小4の時、父と母は離婚していて、当時中2の姉と三人の父子家庭でした。

夜寝る時、父の寝室で親子三人で寝ていました。

子供部屋もあったのですが、なんか父と一緒にいると落ち着くので私も姉も なんら抵抗もありませんでした。


ところがこの寝室で父と姉のとんでもない行為を目の当たりにする事になったのです。

ちょうど夏休みに入って間もない頃だったので今頃になります。

ある日の夜、隣の布団から異様な雰囲気が漂ってきました。

なんかが擦れるような音と共に、

『パパ、パパ、私ね…』

『優子、本当にかわいいぞ、パパは優子の事、大好きだぞ』

『私もパパが大好き…』…

それからは姉の子猫がなきじゃくるような、なんとも言えない喘ぎ声が低く聞こえてきました。

もちろん私には二人がどんな行為をしているのか充分理解していました。

目を凝らすと、薄明かりが点いているので二人の様子がはっきり見えました。

父の布団の中で二人は変な動きがしているのがはっきり見えました。


『ねえ、パパ暑いよ』

『そうだな、タオルケットをとるか』

そう言うとタオルケットを剥ぎ取り、枕もとの扇風機のスイッチを入れました。

私はそんな二人を布団を被った状態で観察していました。

『なあ、こう○は寝てるよな』

『うん、大丈夫よ』

そう言うと二人は下着姿で抱き合い始めました。

姉は白のスポーツブラに白黒のボーダー柄のパンティー、父は股間がモッコリと膨れあがっている、真っ黒のビキニを履いていました。


父と姉は、横向きに抱き合いながら、激しく足を絡ませていました。


私の視界には、姉のヒップをパンティーの上からマッサージするように愛撫する父の手がはっきりと見えました。


やがて、二人は正常位で重なると、お互いの下着をちょっと下にずらし、ガチでセックスを始めました。

二人は声はあまり出さずに、ディープキスをする音と、ピストンするたびに聞こえる『ギュッギュッギュッ』と言う音だけがテンポよく響いていました。

時折、姉の低くなきじゃくるような喘ぎ声も響いて来ました。


私自身もすごく興奮していました。

二人のセックスを直に見て、その場で初射精したくらいでしたから。

二人はセックスが終了すると何事もなかったかのように眠りについていました。

二人はその後も定期的にセックスを重ねていました。

この話には続きがありますので、また書きたいと思います。

約20年近く前の話でした。
http://incest.ebo.jp/thread/87.html


りみ [初投稿]

私の初体験は10歳です。 相手は父です。

夜中寝ていると体を触る手にきづきましたが、「体をなでられて気持ちいいな・・・」と思いました。

数日するとすべてを脱がされました。

股間を撫でられているうちに今までと違う気持ちよさが襲ってきて無意識に父にしがみつきいってしましました。

それからは、毎晩のように愛撫されました。

指だったのが唇で吸われ毎晩のように気持ちよくしてもらいました。

3週間もしたころでした。

「もっと気持ちよくなれる。最初は痛いけど我慢してごらん。」といわれました。

「うん」と頷くとすぐに父のおちんちんが入ってきました。

痛くて泣きそうになりました。

それでも股間を舐められるのが好きで毎晩父を待ちました。

たくさん舐めてもらって気持ちよくなった頃おちんちんが入ってきます。

痛みがなくなるとそれはそれで気持ちのいいものでした。

そして小学校を卒業する頃には愛撫され挿入されることが大好きになっていました。

成長するに従っていろいろなことをためしました。

中学入学式の晩は、おちんちんを舐めることを覚えさせられました。

「舌を出してごらん。」といわれて・・・

おちんちんが近づいてきた時はおどろきましたがソフトクリームを舐めることをすぐに覚えました。

「上手だ、いい娘だ。」とほめられ嬉しくなりました。

数週間の間、父が帰ってくるのを待っていてズボンを脱ぐとすぐに父のものをしゃぶりました。

「りみのおしゃぶりはパパのおちんちん。」と言いながら喜んでしゃぶりました。

うちは父子家庭なので誰の目も気にせずSEXできるのです。

気分のいい日は全裸で帰宅を待っていたりします。

誰に見せるわけでもないので、あそこの毛は剃ってもらっています。

そのほうが可愛い気がして・・・。

お尻の穴も少しずつ、刺激されて指が1本入り・・・2本はいるようになり気持ちよくなった頃おちんちんを挿入されました。

もちろん今はおまんこもお尻も両方気持ちよくなっています。

SEX大好き。気持ちいいこと大好き。毎日したいのです。

まだまだ父との生活は続くのですが・・・もっと刺激的なことがあれば試していきたいと思っている18歳です。
http://www.hi-ho.ne.jp/attsu/kindan/kindan412.html


_______________________


[33815] お兄ちゃん 投稿者:あやか 投稿日:2010/10/13(Wed) 05:58


私には4つ上の兄がいます。

両親が旅行へ行き、二人でいたときのことです。

これってありがちな場面だな。。。と思ってたの。

お兄ちゃんのオナニー見てからしたくて仕方なかったから。

わざとノーブラでお風呂から出てきてソファーにタオルだけ巻いて座っていました。

もちろん、下もはいてません。

足を少し広げて寝たふりしてたら、お兄ちゃんが来て・・・アソコを覗いていました。

寝返り打つふりして大股開いたら、むしゃぶりついてきてオマンコがぐちゃぐちゃびちょびちょに濡れてしまいました。

お兄ちゃんのオチンチンもピンクでつやつやしてて。。。くわえるとあたたかくて、波打っていました。

ソファーの上だと汚れて親にばれるので、お兄ちゃんの部屋でHしました。

その日のよるは7回もしました。

お兄ちゃんは大学1年、私は高校2年です。

彼女とはこんなに出来ないって言っていました。

それからは毎晩、毎日私のオマンコをなめにきます。

おにいちゃんのおちんちんもなめてあげます。





▲△▽▼

本物のロリコンは必ず父娘相姦に走る?
インセスト・タブーができた理由 _ 2


父に抱かれて・・・

2005年05月31日
いまさら

父がSEXを求めてきたのを拒んだ。
何を今更とも思うけど。
別に嫌いになった訳じゃない。
最初は全然こわくなかったのに、今になって怖くなってきた。
お父さんは我慢してくれてる。


2005年05月27日
父は私を女としてしか見てない

私は内向的すぎた。
男の人とセックスすることで、何か変われれば良いなんて気持ちもあった。
そして一番身近にいたのが父。
っていうか私のまわりには父以外には男なんていなかったし。

いろいろ考えたけど、ちょっとでもタイミングとか意識の持ち方が違ってたら、近親相姦していなかったかも。
それとも、いずれこうなってた運命だった?
それなら諦めもつきやすいんだけどね。

もう父は私を女としてしか見れないらしいよ。
やっぱり私とセックスをやっちゃったからなんだろうね。
お父さんも被害者なんだよね。


2005年05月24日
距離をおこう

しばらく父とは距離をおこうと思う。
何か変だ。
父とはセックスするだけで、他は何もかわらないと思っていた。
でもそんなことはなくて、何もかもが変わってきてる。
全然落ち着けないよ。
父のいない時間が、なんとなく落ち着ける。


2005年05月22日
長かった

やっと朝になった。
すごく恥かしいおもいをした夜だったよ・・・。
裸をいっぱい調べられた。
さわられ、なめられ。
アソコも・・・中まで。
恥かしすぎて気絶したかもしんない。
あんまり長いこと調べてるんで、もうセックスしないのかと思ったら、挿入もされた。
すごくゆっくり入ってきて、ゆっくりと中で動いてた。
気持ちよかった・・・。
そして、だんだんはやくなっていって・・・。

これが今の現実ってことか。
私と父は、もう男と女なんだ。
こういうことをする関係なんだなって考えさせられた。


2005年05月19日
さいきん早いね

だんだん父が早く帰ってくるようになった。
それだけ私といる時間が長くなるんだけど。
そしてキスしたがるのよね。

キスはダメっていってるのに。
お父さんは恋人じゃなくて、やっぱり父親。
セックスは許しても、キスは許せないってやっぱり変?

確かにセックスのほうがすごいことなんだろうね。
だけど私の気持ち的なもんだから。
キスは本当に好きな人とするね。
・・・・って、そんな人、できるかな?
このまま、ずっと父と・・・っていう可能性のほうが高いかも(^_^;)
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-05.html


2005年06月27日
鏡の中の私

お風呂から上がって、なんとなく鏡を見た。
そこに映っているのは、裸の私。
父にすごく良い体だって言われた体・・・。

どうなんだろう?
自分では普通なんじゃないかなって思うんだけど。
太ってはいないけど痩せてもない。
胸は一応あるけど、巨乳でもない。

もうちょっと痩せたいって思ってるけれど、父は今のままで最高だからって言う。
きっと父好みの体なんだろうね。

これも父を私と本当に近親相姦させてしまった原因の一つなのかもしれない。
父好みじゃなかったのなら、こうならなかったのかも。

鏡に映ってるのは、血の繋がった父親とセックスを経験した女の体。
そして父親の性器を挿入された部分もある。
姿だけ見てたら、そんなことわからないのに。
人間って表面だけじゃわからないもんだよね。


2005年06月26日
すがしがしい朝

昨夜はあれほど暑かったのに、すがすがしい朝だ。
裸のまま、何もかけずに仰向けで朝を迎えた。
となりには、私の体を楽しんだ父がいた。

どうやら私の体をたっぷり鑑賞してたみたい。
すごく良い体だって言われた。
もう手放せないって。

嬉しいけど、素直に喜べないね。


2005年06月22日
父もまだ若い

父はまだまだ若い。
今は44歳だしオジサンなんだけど。

すごいパワーを感じる。
そのパワーが私を圧倒する。
セックスで私は圧倒されまくってる・・・。
普通にセックスしてても、とても気持ち良くされてる。

父以外とはセックスしたことないから、他の男性と比較は無理。
でもこんなに気持ち良いってことは・・・。
少なくとも相性は良いんだろうね。
父娘が体の相性良いなんて、超変なことだけど。


2005年06月19日
誓い

約束してもらおうと思った。
遊びじゃなく、本気で愛し続けることを誓うって。
もし誓うのなら唇にキスをして、遊びだから誓えないっていうならキスをしないでって言った。
もちろん、誓えないのなら近親相姦も終わり。

すると父の方からも、私に約束を求めてきたんです。
ずっとお父さんの女になって、他の男を好きになって離れていったら絶対にダメだって。

約束させるつもりが、逆に約束を返されるなんて思わなかった。
自分の首を絞めちゃったかな・・・?

でも自分から言い出したことだから、今更は引っ込められない。
私、まっすぐに立って目を閉じたよ。

イメージ的には結婚式でのキスを思い浮かべてた。
愛を誓わせるっていうのも、そんなイメージがあったから出たのかな。

目を閉じてるとき、父に言われた。
ずっと2人で暮らしていくんだぞ。わかったね。・・・って。

そして・・・・


唇と唇が重なった。


2人とも誓ってしまったんですね・・・。
なんだか本当に結婚してしまったみたいなキスだったよ。
キスの後、父に見つめられて緊張した。
そして再びキスされて、舌を入れられた。

もう誓ったんだからいいよね・・・ディープキス。
少しはそういうのあったけど、本当に解禁ってところかな。
こういうキスってなんだかエロいよね。

約束したから、セックスもなんだか安心して任せられた。
今まで相手がお父さんだったから、声を出すのも恥かしいし、ためらっていたけど、なんだか自然と声が出たよ。
お父さんにも言われてしまった。
今夜はすごく気持ち良さそうに声出してたねって(^_^;)

もう眠いから寝るけど・・・。
私、誓ってしまったんだね・・・。


2005年06月17日
考えてた

色々と今後のことを考えた。
父の女になるのを認めたといっても、実父と近親相姦をしている以上は不安は消えないし。

自分のひきこもり的な性格や今までの生活を考えたら、他の男性と出会って結ばれるなんて無いと思う。
今の状況から考えてもね。
たぶんこのまま父の女として関係が続いていくんでしょう。
そして今はまだ関係は浅いんだろうけど、どんどん深く深くなっていくんだろうね。

親子で愛し合っちゃいけないとは思わない。
父が私を女として愛するのなら、もうそれでかまわない。
ただ父娘同士だから、余計に冗談じゃ済まないんだよね。
冗談や遊びじゃ、近親相姦なんてやっちゃいけない。
だから私を愛するっていうんなら、父にもそういう気持ちじゃないとね。
私が欲しいなら、本気で愛してほしい。

安心してお父さんにセックスを許したいから・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-06.html


2005年07月31日
諦めろって・・・

父に愛撫されてるときに言われた。
もう諦めろって。


諦めるって何を?
私はもう父の女になってるのに。
こんなに・・・父親相手にSEXをする女になってるのに。


でも父から見たら、まだまだなんだね。
確かにそうかも。
私は、まだ父の女だって思い込もうとしてる段階なんだね。
それに、父のことを男としてはまだ愛してない。
それって体は許してても、心をガードしてるってことかも。
父はそれを見抜いてるんだ。
やっぱりすごいよ。

セックスをしているんだから、やっぱり父のことは愛するようにならなきゃいけないんだとは思うよ。
相手に失礼だもんね。

父に出入りされながら、私が父のことを愛するようになってくのを想像してた。
もし想像通りになったら、もう今の私はいなくなるね。
その代わり、私のお腹には父との赤ちゃんが出来るよ・・・。


2005年07月29日
油断すると写される

ちょっと油断したら写される。
お風呂から上がったところを狙われた。

なんか嫌だ。
いくら想い出になるからっていっても。
そりゃ確かに私も10年後とかに今の自分を見たら、いろいろと思うんだろうけど。
この体が、父に愛されてセックスを許し始めたときの体なんだな・・・とか。

でもやっぱり裸とか、セックスしてるところが残るのって不安だよ。

Hなビデオとか撮影されてる人って、恥かしくないのかしらねぇ・・・。


2005年07月26日
父がパソコン使ってた

今まで父はあまりパソコンとか使うこと少なくて、ほとんど私が使ってた。
だけど父がパソコン使ってたよ。

なんかデジカメの画像とか扱うのにパソコンを使ったらしい。
ドキッとしたよ・・・。
これを書いてるのが父にバレるんじゃないかって。
これからは注意しなきゃいけないなぁ。

父がパソコンで見てた?画像がどんなものかは私もまだ知らない。
見せてっていったけど、まだ編集してないからって拒否された。
なんかコッソリとしてるなぁ・・・。

まあ見たい気持ちもあるけど、見るのも怖いから、気持ちは半々かな。


2005年07月25日
隠してるし

カメラの本体はあるけど中身がない!

さすがはお父さんだよ。
これじゃ何を写されたのかわからない。

こまったな・・・。


お酒のまされた

父にお酒を飲まされた。
まだ残ってて、なんか頭痛い。

昨夜はほんとフラフラ〜ってなったよ。
そしたらお父さん、カメラを準備しようとするし。

すごくやばいと思った。
だから撮影したいならキスシーンにしとこうよって言ったよ。

それから間もなく、ビデオカメラの前で、私は父に抱き寄せられキスをしたの。
これでも十分に父娘同士が愛し合ってる証拠になるね。
いっきに頭がクラッとしてきて、睡魔に襲われた。
キスしながら目を閉じてるのに、なんだか体全体がグルグルと回るみたいだったし。

キスが終わって、もう眠いからって寝させてもらった。


だけで気がついたら私、父に服を脱がされてた。
デジカメで撮られてる音もしてた。
ダメっていったけど抵抗力まったくなし。
父にゆっくりと股を広げられてくのに、それをなんとなく許してしまった。
撮影されてる音が聞こえてたよ・・・。

その後、セックスもされた。
私は、もう寝てるだけで、父のやりたい放題だったんだけど。
たぶんずっと正常位だったんじゃないかな。

たぶんセックスシーンも撮影されてしまったんだと思う。
父は近親相姦の証拠を自分で残してどーすんの?
見つかったら、むしろお父さんがヤバイんじゃないの?
私もヤバイけど。

お父さんのお宝ができちゃったな。
何を写したのか調べないといけないかな。

http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-07.html


2005年08月28日
父は迷っている

もうセックスは、以前のように戻った。
あれから父は、私に膣内射精をしていない。

あの旅行の時だけだったんだ。
もちろん、それが当たり前。
私も、理解している。

だけど私の記憶には残っている。
父と子作りをしたことが。

私は本気だった。
そして、今でも父がその気になったら受け入れるつもりでいる。
私は子供を作るとしたら、やっぱり早いほうが良いと思ってるから。

だけど、今は父の気持ちを尊重しよう。

父はまだ迷っているようだ。
気持ち的には、私を妊娠させたいらしい。
だけど、やはり近親相姦ということが、父を止めてる。

最近は子供の話をするようになって、父も戸惑い気味。
私が、そんなことを考えるなんて思ってもみなかったみたい。
それはそうでしょうね。
私自身も、子供が欲しいとこんなに思うなんてちょっとビックリ。

まだ先は長いし、どうなるかもわからない。


2005年08月21日
夢じゃない

どうしても思い出してしまう。
なんだか夢でも見ていたような。

だけど夢じゃないんだよね。

私、おとうさんとあんなすごいことしたんだ。
ぎゅっと抱きかかえられて、たぶん逃げようとしてもダメだったんじゃないかな?
事故なんかじゃなくて、お父さんが最初からやる気だったってことに意味があるよ。

口じゃいえないから、ここでこっそり書くね。
私、お父さんの子を産んでもいい。

たぶん安全日だったから、お父さんは私と子供作るようなことしたんだろうけど。
もう危険日でもいいよ。

なんだか、一気に私の中で盛り上がった。
今、本当にお父さんと子供作っていい気分なの。


2005年08月19日
超近親相姦

父と旅行しました。

そして私と父は、すごい世界に足を踏み入れたよ・・・。

出かける前に、墓参りもした。
そこで父は、お墓に謝った。
先祖に申し訳ないことをしてしまったって。
私も謝ったよ。

そして父は言ったよ。
もう本当に裏切ります。すみませんって。

すごい父の本気度が伝わった。
そして、この時、私は直感したよ。

その直感は当たった。
ほんと、私ってすごいと思ったよ。
これが女の感ってやつ?

すぐに旅行に出かけて、その宿泊先での最初の夜。
私と父は、そこで近親相姦をすることになります。
ただ今までと違ったのは、父がコンドームを付けなかったこと。

すぐに気付いたよ。
っていうか、付けないんじゃないかって思ってたら、本当につけなかったから。

私、そのまま続けさせた。
そして父に、運命を任せた。
すごい緊張したよ。ドキドキしたよ。

そして私の体に、永遠に残る記憶が刻み込まれました・・・。

忘れない。
どんどん私の中に入ってくる、あの暖かな感触・・・。
それが私の父親の精子だなんて。

ついにされてしまった膣内射精。
父は謝ったけれど、私は責めることなんてしなかった。

そして、すごかった2日目の夜・・・。
今夜も中で出すのかって聞いたら、出すって父はいうの。
だから、子作りするんだねって私は言ったんだ。
父は・・・そうだね。子作りしようねって・・・。

言葉だけでも、すごく動揺したよ・・・。

安全な日とかは父も知ってるし、そのへんは任せてるので、たぶん大丈夫な日を選んでるんだろうとは思う。
だけど、そんなこと関係なくなるくらい、あの言葉は強烈だった。

私、本気だったよ。
本当に子作りしてるつもりで、セックスしてた。
もちろん怖いって気持ちもあったよ。
でも、私は・・・お父さんの子供を産んで良いって気持ちになってた。

だから私のなかではすごいセックスだったよ。
また父に中出しされて、子供が出来たんだなって思えたよ。


今は、落ち着いてる。
すごいセックスしたんだなって、冷静に考えてるよ。
超近親相姦ってところかな?

だけど、お父さんもそのときは覚悟してるって言ってたけど、本当に子供が出来るかもしれない。
それほどのことをしたんだ。

そして、ひとつだけ確かなこと。
私達は、子作りしたんだ。
子供を作るつもりで、セックスしたんだ。
少なくとも、私はそう思ってるから。


2005年08月06日
おじさんの臭いをとろう

父の加齢臭ってのを、できるだけなくしてあげる。
夏は汗かくから、とくに気をつけないと。

ゴシゴシ洗い過ぎて、痛いって言われた〜。

そして反撃された。

よく泡立つタオルで、しっかりと洗われたよ。
すっきりした。

足を大きく広げられて、あそこもしっかりと洗われたけど。

その後、すごくなめられた・・・。
綺麗になってるから、たっぷり味わったんだね・・・。
石鹸の味しなかったかな?


2005年08月01日
パートナー

私達、いつもセックスばかりしてる訳じゃないんだよ。
確かに親子でセックスをするってことは、生活の全てに影響してるけどさ。

だけど一緒に生活していくことで大切なのは、心と心の繋がりなんじゃないかな。
気持ちが離れたらパートナーとしては終わるよね。

その点は、私達は繋がってると思う。
そのへんの夫婦に比べたらね。
ずっと暮らしてる親子なんだし。
たぶん父との関係を、夫婦として考えたら、良好なんじゃないかな。

私は元々はひきこもりぎみな、世間からちょっと離れた女。
これから父以上の相手と出会う可能性なんて、無いって思ってる。

お父さん・・・・これからももっとセックスしようね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-08.html


2005年09月09日
将来

将来のことを考えてみる。

私はひきこもりニートのようなもの。
こんなんじゃダメだとは思う。
だけど父が私を守ってくれてる。
父の専業主婦に就職すれば、私はやっていける。
父もそれを望んでる。
その道は、永遠に父とセックスをし続ける道。

じゃ子供はどうする?
父とセックスをし続けるなら、やっぱり考えないといけないよね。
父がいらないっていうのなら、仕方ないって思う。
近親相姦で子供作るんだからね。

だけど、もし将来的には作りたいっていう気持ちがあるのなら・・・。
作るなら出来るだけ早く産みたい。
お父さんだっていつまでも若くないんだから。
子供のことを考えたら、お父さんは1つでも若いほうがいいよね。

でも母親になるなら、私ももっと頑張らないと。
社会勉強しなきゃ。
それためには、パートでもして仕事しようかな。
お父さんは心配するけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-09.html


2005年11月21日
好き

私の気持ちが、どんどん父の方へと流れていく。
以前よりも、もっと好きになってると思う。

もう近親相姦だっていい。
父に何回でもセックスしてもらいたい。

もう何をされてもいい。


2005年11月06日
やはり私は父の女

簡単な仕事だけど働きはじめて、だいぶ慣れてきていた。
まわりの人達も親切だし。

父と子供を作るってことも、非常識すぎるのが冷静になって思えてきてたし、父が決断しなかったのも理解できる。
近親相姦することも、だいぶ減っていた。

このまま普通の生活に戻っていくんだろうなって思うようになってた。
そしていつか、父以外の男性とセックスして、子供を作ることになるのかなって。
働きはじめてから、そういうのが感じられるようになってきていた。


だけど、やはり後戻りなんて出来ないみたい。
父も私を手放すつもりになってたらしいけど、やっぱりそれは無理なんだって。
とうとう父も我慢できなくなって、私を押し倒した。

そして近親相姦・・・。

セックスすれば、やっぱり私は父の女なんだって感じる。
父がその気なら、私は拒否することは出来ない。
前に誓ったとおりに、ずっと一緒だと言われた。

膣内射精もされた。

私にとっての現実は、他人とは逆なんだ。
父と近親相姦して暮らしてくのが私の運命なんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-11.html


2005年12月25日
聖夜

とても素敵な夜だった。
こんなに愛してもらえるなんて・・・。

お父さんが私の体を優しく包み込み、とろけるようにしてくれた。
父娘だって、ここまでできるんだ。

これで、もう妊娠したかもしれないね。
私を愛してくれてありがろう。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-12.html


2007年11月26日
不安

私達はどうなるんだろうか?
漠然とした不安に包まれます。

見えない未来。
想像はする。
その想像がさらに不安を呼ぶこともある。
何も考えないほうが良いのだろうか?

久しぶりに自分で書いた過去を読んだ。
私達が初めて結ばれた日からずいぶん経ったんだね・・・。


やはり大変なことです。
子供を育てるということは。
父は今が一番大変な時期だからという。
もちろん私も頑張る。
母親なんだから。

むしろそれに加えて襲ってくる精神的なプレッシャーが、私を悩ますんだろう。
将来、父のことをどう説明すればいいのか・・・とか。
色々と・・・。

私は強くならなきゃいけない。
昔のような甘えは許されない。
だけどお父さん・・・私を安心させてください・・・。

いつお父さんがSEXを求めても受け入れるから。
なんでも許すから。
だから冷たくしないで。
私はお父さんだけが頼りだから。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-11.html


2007年12月31日
年越しですね

もう親戚付き合いとか無いんだろう。
私達は社会からは認められない家族なんだから。
でも、それはそれで良いね。
めんどくさいし。

だから、お正月は家族だけでのんびり。
父も仕事にいかないもんね。

3人で暮らしていこう。
後悔なんてないからさ。
それとも私をまた妊娠させて4人にしちゃう?
今度は、お父さんが欲しかった女の子かもしれないよ?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-12.html


2008年01月28日
変化

父と私の関係は、以前とは変わってきたように思う。
悪化しているわけじゃない。
微妙な雰囲気の変化です。

子供が出来たからなんだろうね。
以前は男女としての関係。
今は父親と母親としての関係なんだろう。
近親相姦をしてしまう前の親子関係にも似てるね。
でもセックスはまだしてる。
やはり私達の関係を象徴しているのはセックス・・・。

結局、夫婦=セックスなのかな?
それなら私達は父娘でありながらやっぱり夫婦ですよね。


2008年01月17日
予言?の続き

父の予言は不思議と良く当たるんです。
だからちょっと考えてしまいました。
どれくらいでそういうことになる可能性が出てくるのかな?
男の子は何才くらいからセックスしたくなるんだろう?

中学生くらいになったら、もう出来るんだろう。
だけどはっきりいって中学生なんてまだ子供!
私のほうがなんとなく嫌だ。
実際には高校生くらいからだろうね。


父がこんなことも言うんです。
この子が相手というのなら許すって。
許すってのはセックスを含めて結ばれるということです。

冗談で言ってるのかも。
でも、そうなる頃には約15年ほどだし、父もそれだけ年齢を重ねてます。
自分が老いた時、私を託そうという気持ちがあるのでしょうか?

父に言われると、なぜかそうなってしまいそうな気がしてくる・・・。
確かにありえない。
でも、ありえないことを今まで父は何度も予言して当ててきた。
今の私達の存在そのものがありえない。

この子が成長した姿は想像できない。
だけど考えてしまいました。
この子とセックスしてしまっている自分を・・・。


2008年01月15日
予言?

父がこんなことを言った。

「この子とお前は、将来セックスすることになるかもな。」


私とあの子がセックス?
ふと、あの子の顔を見た。
現在の直感としては、まずあり得ないことですよ。
確かに私はこの子を愛してます。
だけど、この子の前で裸になり足を広げられ、父にされてるようなことするなんて・・・。
それに私は結婚できないとはいえ父と結ばれた関係なんですから。

でもまったく想像出来ない訳じゃない。
だって私達は、近親相姦で成り立った家族なんです。
普通の人達にはまったくないでしょうけど、私達の頭の中には常に近親相姦という意識がある。
もう感覚そのものが違うんですね。
する、しない、というのは別として、どうしても考えてしまう避けて通れないことなんだろう。

むしろ、まったく想像すらしないほうが不自然に思えるよね。

妊娠中は、私と父の関係をこの子にどう説明すれば良いのかということを考えてた。
その答えは今も出てない。
これからも、いろんな問題が出てくるんだろう。

もし、あの子が女の子だったとしたら、父とどうなってたの?
これから、また女の子が生まれたとしたら?
兄と妹で・・・ということもあり得るよね。

そして、この問題でもっとも重要なことがある。
それは私達は近親相姦を否定してはいけないということ。
近親相姦を否定することは、この子の存在をも否定することになるから。

もし将来、この子が私を望んだとしたら?
妹がいたとして、その妹と結ばれることを望んだら?
少なくとも近親相姦はダメだという理由で拒むことは出来ないのです。


もちろん、今は想像の話。
実際にこうなるなんてことはないかもしれません。
だけど親子で結ばれた現実もある以上、考えておかないといけないんでしょう。
かなり遠い話だろうけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-01.html


2008年02月28日

一人目の子の時は、お互いが求め合って本気で子作りをしてた。
私も当時は父にメロメロになってたし。
すぐに出来るもんだと思ってたけど、案外すぐには出来なかった。
そのぶん父にたくさん愛されたけど。
あの頃は本当にいけないことしてるんだなって気分でした。
そして、そのぶん父に出された時の刺激も凄かったよね。

今回はちょっと違うね。
個人的には子作りに関してそんなに乗り気じゃなかった。
あくまで父任せだったんだけど、避妊してセックスもしてた。

不思議なもんだ。
頑張ってたときは案外あたらなくて、そうでないときはすぐにあたるなんてね。

父の考えは違うかもしれないよ?
確かにあの時は父の希望で膣内射精を許した。
あの時のセックスは、父にしてみれば子作りだったのかも。

これも運命なのかな。
もちろん産むつもりです。


2008年02月26日
予想通り

検査へ行って来た。

やっぱり予想通り。
妊娠8週目。

私は父以外とはセックスしたことがない。
父との子供です。

さて・・・。


2008年02月22日
ほんとにヤバそう

前から感じてはいたけど・・・
体調がやっぱりおかしい。

もしかしたら?

ってゆうか、たぶんそうだろうね。
近いうちに検査にいってこなきゃ・・・。

http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-02.html


2008年03月30日
きもちわるい

ずっと気持ち悪いの続いてる・・・。
仕方ないけど、前と違ってもう一人の世話しなきゃならないから・・・。

ボールドのTVコマーシャル見てたら笑えてくる。

「いい香り」
「気持ちいい」

あの香り嗅ぐと、めちゃ気持ち悪いんですけど;


2008年03月12日
大切に

父は喜んでたよ。
それと、やっぱり妊娠させるつもりで出したんだって。
それで妊娠したのには驚いてたけど、よく考えれば驚くことじゃないんだよね。
男が女の中に出すってことは、そういうことなんだし。

しばらくは父とセックスしないよ。
それで流産とか嫌だもんね。
生まれたらいけない子だからとか思わない。
私の子供なんだから。
大切にしたいのね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-03.html


2008年05月10日
久しぶりに

お腹がちょっと出てきた。
胎盤も出来たみたいで安心。

それで久しぶりに父とセックスした。
とうとう許したね。
ゆっくり・・・ゆっくりとしてもらった。
心地よかったよ。

お父さんはどうだんたんだろうね?
妊婦とのセックスはどんな感じなんだろう?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-05.html


2008年07月30日
女の子です

かなりお腹が大きくなった。
女の子は確実なようです。
元気な子ならそれでいいです。
障害とかないか心配・・・・。

二人も子供を育てていくことが出来るんだろうか?
不安ばかりですよ最近は。

私と息子がいずれセックスする運命なんじゃないかとか、
娘が息子か父とセックスすることになるんじゃないか

とかは、大きく育ってからの話です。

今はこの子達をしっかり育てることが大事。
子供達がしっかり育ってくれさえすれば、息子とセックスしてしまう運命だとしても諦めもつく・・・そんな気分にすらなるよ。

まあね、まだわからないけど。
頑張って育てないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-07.html


2008年10月06日
産まれた

産んだよ。
女の子です。

お父さんとの事が心配?
今はそうでもないかな。
むしろ、これから二人も育てていく事を考えたら、そちらの方が心配です。

育児は大変だ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-10.html


2009年01月09日
これでいい

やっぱり私は父の女。
これからもそうして続いていくんだろう。

それを嘆く必要もない。
自分で選んだ道だ。
子供もいる。
そこに幸せは存在する。

私は、実の父親とセックスしてしまった。
そして妻となった。
そして子供を設けた。

その事実は永遠に消えることはない。
悩んでも無駄なんだ。

父はこれからも私とセックスを続ける。
私はそれを許す。
それで良い。
私達の生活は、それでうまく行くんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-01.html


2009年03月26日
生理

母乳をやってるので出産してからも生理はこなかったけれど、とうとう生理がやってきてしまった。
また痛い思いすることになるのか。

そして、また父に決められちゃうのかな・・・。
嬉々としながら私の中で出してさ。

父がそう望むのなら、それは運命と思って受け止めるしかない。
私達は、そのへんの夫婦以上に強く結びついた関係なんだから。

母乳やってるから、胸がパンパンに膨らんでる。
父は、その胸を喜んでる。
赤ちゃんのためのものなのにね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-03.html


2009年04月09日
避妊

さすがに父も3人目となると躊躇っているようだ。
ちゃんとコンドームをつけてる。

これでしばらくは安心ですかね。
あとは子育てに専念といきますか。

子供が寝ている隣で、実の父親に抱かれる私・・・。
なんともいえませんね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-04.html


2009年09月22日
仕事

仕事をする事を考えてる。
永遠に父に頼れる訳じゃないから。
これから、何が起きるのか分からない。
その時、子供達は守らなきゃいけない。

私は、変わらなければいけない。
母親になったんだから。

私は、社会から逃げていた。
そして、父の女になった・・・。
その先にあったものは、今の家庭。
それを後悔にしてはいけない。
間違いじゃなかったと言いたい。

この子供達の存在は、間違いじゃない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-09.html


2009年10月12日
いつか・・・

子供の成長なんて早いものですね。
あっという間に大きくなる。
私も少しは成長してるのかな?
親として、妻として、一人の人間として・・・。

そうだよ。
近親相姦をしたって人間なんだから。
だから子供達も人間。

最近、よく考える。
このまま成長していけば、いずれ父親の事を聞く時がくるんです。
その時、何て答えるの?
正直に言うなら早い方が良いの?
それとも大人になってからの方が良いの?

誰にもわからないよね。
前例だってほとんどないしね。

もし怒るのなら、償いはする。
私に出来ることなら何でも。
もし償いとして、息子が私の体を求めたとしたら?


ふふっ・・・・。
許すよ。
そうなったら、好きなだけ私の体を奪えばいい。
気の済むまでね。
妊娠させられるのかな?
でも、それも仕方ないよね・・・。


そんなネガティブな事を考えてしまった。
私は近親相姦をした女。
その呪縛からは、もう逃げられないから。
逃げられないんだから逃げないよ。
今は、一番近くにいるのは父。

何もかも覚悟の上でこうなったんだよね?
お父さん・・・。

父は、当たり前の行為のように私を抱く。
強い人だ。
実の娘とのセックスに、何の迷いもないみたい。
頼りにしてるよ。
父であり、夫でもあるんだからね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-10.html


2009年11月09日

実の娘に子供を産ませる。
世間からすれば、そんな父親は悪なのだろう。

妊娠させるだけでも常識外。(まだ堕胎する道がある)
父娘でのセックスだって、あってはいけない話。
父娘が唇を重ねてキスすることだって変態的なことなんです。

私達は、もう戻ることが出来ない。
産んだのだから。
父も悪なら、私も悪ね。


子供は悪じゃないけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-11.html


2010年01月07日
幸せ

子供の存在は、やっぱり幸せ。
笑顔を見るだけで元気になる。

産んで良かった。

誰もが近親相姦を間違いだと言うのでしょう。
でも、幸せはあった。

間違いなんかじゃないよ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-01.html


2010年05月29日
仕事

仕事をすることにした。
その間、子供は保育園で預かってもらうことに。

将来の事を考えたら、私も今のままじゃダメだし。

父は最初は反対していました。
でも納得してくれたんで。
これから頑張らないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-05.html


2011年01月26日


汚れた

お父さん、ごめんなさい。

仕事先の人に、食事に誘われた。
そして、お酒飲まされました。

何なんだろう・・・。
気がついたら知らない部屋のベッドの上。
服は全部脱がされてた。

その人とセックスしていました。

私は人とは違う人生を歩いている。
なんでいまさら・・・。
近親相姦以外したくなかった。
知ってしまった。
他の人を。

泣いても「泣き顔も可愛い」と唇にキスされてしまうだけだった。
汚れました。
身体の隅々まで・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-01.html


2011年02月26日


ダメ

ダメぇ・・・。
本当に堕ちちゃうよ・・・。

このままだと、あの人のものになるのを承諾しちゃう。
何も出来ない。
逆らえない。

ダメよ。
ダメなのに・・・。


puyopuyo_2 at 23:26|Permalink│

.


2011年02月19日


洗脳の儀式

許してしまったディープキスの代償はやっぱり大きかった。
もう止められない。
彼の求めるまま、唇を重ねる私・・・。
これは私にとって、まるで洗脳の儀式のよう。
分かってたんだ。
だから最後まで許さなかった。

「洗脳されちゃうよ・・・。」
ふと言ってしまった。
彼は「それじゃ洗脳してやる」とキスを続けた。
何度もしつこく・・・。

身体の力が抜けていったよ。
本当に洗脳されてるみたいだった。
もし、あのままセックスしていたら、私は本当の意味で彼のものにされていたかもしれない。
危ない所でした。

反省もこめて、父に抱いてもらおう。
私を元に戻して・・・。


puyopuyo_2 at 23:29|Permalink│


2011年02月17日


心が折れそう

このままだと心が折れてしまいそうです。

仕事中でもあの人にキスされる。
諦めてしまいました・・・。
大切なものを失った。
ディープキスを許してしまったんです。
何を今更と思うでしょうね。
もう何度もセックスを許してるのにと。
でも私にとっては違う。
セックスはしてしまってるけど、これは守りたかったの。

でも許してしまった。
なぜ?
わからない。
気が付くと彼の舌が入ってきてた。
終わったと思った。
諦めてそのままディープキスしてしまったよ。

あの人は喜んだよ。
嬉しそうに何度も私にキスをした。
仕事中なのに。

また放心状態になった。
弱い私。
仕事が終わると彼に連れていかれた。
そしてセックス・・・。

お父さん、許して・・・。


puyopuyo_2 at 23:45|Permalink│


2011年02月14日


やばい

近親相姦しかしたくなかった。
だけど私は、それ以外を経験してしまった。
もう取り返しの効かないものが、私の身体に残り続けるのね。

そのショックが今も尾を引いている。
無気力状態。
呆然としてばかり。
そんな私を彼は逃さない。
仕事中でも平気で唇を奪う。
もう抵抗する気力もない。

そして休日。
私は彼に身体を奪い尽くされた。
残念ながら父以外でも気持ち良い。
油断した時、あっという間にセックスにのみこまれる。
このままだと彼の女にされちゃう。


puyopuyo_2 at 00:39|Permalink│


2011年02月10日


どうなるの?

私はどうなるのだろう?
自分の弱さでこうなってしまった。
なんとかしないといけないのに。

私の体が汚れていく・・・。
あの人を止める事が出来ない。
応じてしまった私も悪いのね。
体を売ったようなものだし。

せめて父以外で気持ち良くされたくなかった。
ごめんねお父さん。
私も普通の女でした。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-02.html


2011年03月10日


ついに・・・

まさか、この私が・・・。
近親相姦しか興味なかったのに。
信じられないよ。
でも、これが現実なんだね。

私、とうとう堕ちました。
あの人のものになることを承諾してしまった。
その瞬間、私の気持ちを守っていた壁が溶けてなくなり、一気にあの人が私の気持ちを侵食した。
服従の証として、中に注ぎこまれました。

承諾してしまった以上は、彼に従うしかない。
全てをあの人に与えます。
あの人はどこまで求めるのだろう?
子供が2人もいる私を。

あの人のものになり、セックスが変わった。
今まで父に気を使って抱かれてた。
だけど遠慮なく抱かれたの。
あの人を求めて、大きい声で叫びながらイッちゃった。
すごかった・・・。

ごめんなさい、お父さん。
守れなかった。
堕ちてしまったの。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-03.html


2011年04月03日


父の決断

父に、母親としての自覚を持てと言われた。
子供の事を一番に考えるようにと。
まったくその通りだと思う。

そして子供の面倒をしっかり見れるのならば、私の好きにすれば良いと言った。
父にしても苦渋の決断だったでしょう。

全ては私次第。


puyopuyo_2 at 22:33|Permalink│

.


2011年04月01日


気づかれた

ついに父に気付かれた。
いずれバレるとは思っていたけれど。

父は、あんな男を相手にしたらロクなことにならないからやめておけと言う。
父親を相手にしてる方がロクなもんじゃないでしょ!と言い返してやった。

父を怒らせるつもりじゃなかった。
追い詰める気もなかった。
悪いのは私。
父は怒りながら私を抱いた。
私は従った。
父は私の中に出しました・・・。

夢を見ていました。
あの人と結婚して、子供を授かる夢を。
でも、これが現実。
私は、また父との子を身籠る事になるのかもしれない。
父が怒るのは当然。
私は受け入れなければいけない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-04.html


2011年08月29日


戻っていく私

戻っていく・・・。
私が父のところに・・・。

まだ気持ちは全部整理出来ていない。
でもこれで良いのだろう。
子供達の母親にも戻れる。

私的には、正直、父との間に三人目の子供を作ろうとは思わない。
あの人との子供なら作りたいと思ったけれど。
その気持ちを父に見透かされている。
だから父は、必要以上に私を愛し、取り戻そうとする。

父も傷ついたのだ。
まだ怒っているのね。

父に私の本音を正直に伝えた。
彼への未練と、三人目は望んでいないことを。
ただ父の望み通りにするとも伝えた。

それから間もなく、父は私を妊娠させようとしました。
それを私は受け入れました。

父に愛される私。
ちょっと前のことなのに、随分懐かしい。
父との近親相姦、気持ち良かったよ。
少しづつ戻っていった。
昔の私に。
父が、あの人から私を奪い返しているんだね。


puyopuyo_2 at 23:47|Permalink│

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2011年08月20日


捨てられた

彼に捨てられました。
遊ばれただけだったんですね。
一番愛したのは君?
それも嘘にしか聞こえない。

悲しい・・・。

結局、私が戻る場所は父。
やはり運命みたい。
父は、本当に良いんだな?と私に尋ねた。
そして、覚悟を見せてもらうと言って、父は私に子作りセックスをした。

仕方ないです。
これも罰ね。
私は受け入れた。
そして膣内へ出されました。

父はこれからも続けるのだろうか?
もしそうなら、私は再び父の子を身籠ることになる。
父が望むのなら、それも受け入れよう。
puyopuyo_2 at 22:36|Permalink│
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-08.html

20. 中川隆[-13601] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:15:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

本物のロリコンは必ず父娘相姦に走る?
インセスト・タブーができた理由 _ 3


女性は父親と顔が似た男性を選ぶ【NewScientist】


この度行われた研究によると、女性は恋愛、結婚の対象として父親の顔に似た男性を選ぶ傾向があるということが明らかになった。

今回の研究を行ったハンガリー大学教授タマス・ベレシュキ氏によると、女性は男性を選ぶ際に、自身の父親の外見をそのひな形として男性を見る、「性的刷り込み(sexual imprinting)」と呼ばれるプロセスを経て男性を選んでいることが明らかになったという。

研究に参加したウェイン州大学人類行動学者のグレン・ワイズフェルド氏は、この発見が男女関係における顔などの類似性を説明するかもしかもしれないと話している。

それは例えば、しばしば夫婦や恋人同士で顔が似ているという現象があるが、博士によれば、こうした現象は人間のみならず動物全般で見られる現象であるという。

またこのように顔などが似ているという事は、そのままその恋人/夫婦間で類似性の高い遺伝子を有している可能性を示唆している為、その類似性が夫婦や恋人の仲をより良いものにするのではないかと推測するのである。

「遺伝的に似ている者同士が惹かれ合うのは動物にとって何かしらアドバンテージがあるのかもしれません。」

「ひとつの試論としては、例えばそれぞれ男女の両親が似ている場合、二人は共に似通った遺伝子の組み合わせを持っているという事は考えられるかもしれません。

また人間においてはそうした関係の方が流産の確率が低くなるというデータも存在しています。」

しかしまた、博士は遺伝的に近い者同士の結婚、即ち同系交配が遺伝的に良くない結果を生む事も考慮に入れ、そのバランスが問題であると指摘している。

「おそらく理想的なポイントが存在すると思います。
それはおそらく従兄弟、あるいは又従兄弟程度の関係なのではないかと思います。」


刷り込みか、遺伝か

「刷り込み」は動物が生まれて早い段階で行われる、いわば本能的な学習である。
最も分かりやすい例としては生まれたばかりのアヒルが初めてみたものにくっついて行くという現象がある。

しかし今回、研究チームは果たして女性が本当にこの「性的刷り込み」効果によって父親に似た男性を選ぶかどうかという事を確かめるため、26組の養子家族の写真を用いて実験を行った。

この実験の意味するところは即ち、この「性的刷り込み」が必ずしも実父実娘の関係以外、即ち遺伝的な影響によるものではないことを確かめるためのものである。

テストには凡そ250人の学生が参加し、26組の養子家族の写真から三種類の組写真を用意し、それぞれ外見上の判断から似ている人を指摘させる形で、女性の夫がどの男性であるかを予想させた。

写真のセットは以下のような構成である。

セット1:女性の写真1枚 / それぞれ異なる男性の写真4枚(うち1人は本当の夫である)

セット2:女性が2歳から8歳だった頃の義父の写真1枚 / それぞれ異なる男性の写真4枚

セット3:女性が2歳から8歳だった頃の義母の写真1枚 / それぞれ異なる男性の写真4枚

そして実験の結果、セット2、即ち女性の義父と男性の写真を見せた場合の正解率が最も高く、38%という正解率を示したのである。

また更にセット1、女性の写真と男性の写真の組み合わせが続いて高い正解率を示したものの、セット3、義母と男性の写真の場合は非常に低い正解率を示したのである。


幼年期の愛着

博士は今回の実験から、女性が遺伝的な繋がりを持つ実父のみならず、養父の「外見」に心情的な愛着を感じ、夫選びの基準にしているという結果が示されたことは予想外の発見であったと話している。

「今回の実験結果は、幼年期の心情的な愛着がその後の婚姻相手選びに影響を与えるという説をより確なものとするものだと思います。」

また博士は実験の結果から、幼年期の異性の親の外見が、その人が後に異性を選ぶ「心的概念(メンタルモデル)」を形成するとして結論している。

しかしまた、ワイスフェルド博士は、人間の婚姻相手選びは非常に複雑な要素 - 社会的、生物学的な要素が絡み合うものであることも指摘している。

ある実験においては、それぞれの持つ人間の匂いが婚姻相手選びに潜在的に作用しているという説も示されているのである。
http://x51.org/x/04/04/2928.php


幼児虐待が脳に及ぼす影響 _ 7歳児ザッカリー君の経験
 
ザッカリー君が2歳の頃、左の目の下にタバコを押しつけた火傷が発見されて、病院の緊急処置室に運び込まれた。

6ヶ月後今度は右前腕の火傷で病院に運び込まれた。

幼児虐待が疑われて、政府は彼を家から引き取る事を決定して、里親を探したが、3ヶ所転々として2000年の7月にやっと里親が現れた。

3歳になっていたが、既にザッカリー君は精神的ダメージを負っていて、表現する能力は2歳の幼児にも満たなかった。

目を合わそうとはせず、部屋の隅でもじもじしていて、泣いて不満を訴えた。

しかしザッカリー君を引きうけた家族は、暖かい愛情を差し伸べ、更に充分な地域サービスを受け、彼は新しい人生を歩む事になった。

「今日は楽しく学校でやっているようです」とマールボロに住む里親であるキャスリン・リゾッティさんは言う。

今までは、臨床精神科医は幼児虐待、無視が発達期にある幼児の脳に、どのような影響があるかは想像するしか無かった。

しかし、最近の10年、その方面の神経科学的研究は大いに前進し、このような精神的衝撃が子供の脳にどのような影響、変化を及ぼすか、詳しい部分にまで分かるようになった。

これらの研究結果によると、肉体的、性的虐待、無視は発達期の脳に構造的にも化学的にも重大な影響を与える事が分かった。

児童福祉施設に入っている子供達の4分の3に行動的、学習的問題が生じているのが判明した。


ハーバード大学の精神科教授であり、ベルモントにあるマックリーン病院の生物精神医学研究室主任であるマーチン・チーチャー氏は虐待が引き起こす脳波異常を報告した。

ある子供若者専門の精神病院の入院記録を調べて、虐待の経験を持つ患者には54%の割合で脳波異常が見つかった。

それに対して虐待を経験していないグループでは脳波異常は27%の割合であった。

特に肉体的、性的虐待を受けた患者ではその割合が72%にも上昇していた。


「一般的に、虐待の度合いが激しい程、脳に加わる衝撃も大きい。

被害者と加害者の関係も重要であり、加害者が家族である場合は、神父とかベイビイシッターによるものよりダメージが大きい」

とチーチャー氏は言う。

研究によると、虐待は合理的思考をつかさどる脳皮質、あるいは記憶と感情の中枢である海馬にダメージを与える。

両分野は学習にも重要な役割をしている。

1998年に発表されたチーチャー等による論文によると、15人の重大な虐待を受けた子供と15人の健康なボランティアに対してブレインスキャンを実施し調べた。

結果は、虐待グループの左脳皮質に成長停滞が見られた。

又、イェール大学のダグラス・ブレムナー氏とカリフォルニア大学サンディエゴのマリー・スタイン氏の研究では、虐待被害者では左の海馬が健康な人に比べて小さいと報告している。

虐待は海馬ばかりでなく、感情の中心である扁桃体をも重大な影響を与える。

扁桃体とは、例えば急に曲がってきた車を避ける動作を命令するのが扁桃体である。

しかし虐待が重なると、危険が迫っているわけでもないのに、扁桃体は危険を知らせるシグナルを出すようになる。

「扁桃体に問題が生じている虐待児童では、ちょっとした事で恐怖を感じて後ずさりをする」

とヒューストンにある子供トロウマ研究所(非営利団体)の神経科学者であるブルース・ペリー氏は言う。

発達期の脳に対する強い精神的衝撃は、脳の化学物質の分泌にも影響を与える。

例えば、ストレスを調節するホルモンであるコルチゾルや重要な神経伝達物質であるエピネフィリン、ドーパミン、セロトニン等に変化が生じる。

これら物質のバランスに問題が生じると、障害が起きる。

例えば、虐待はセロトニンのレベルを下げる効果があるが、それは鬱や衝動的攻撃の原因になる。

オールストンにあるトロウマセンターで医学部長をしていて国際的にもトロウマの権威でもある、ベッセル・バンデルコルク氏は、プロザックのようなSSRIと呼ばれる抗鬱剤が、虐待児の治療に有効である事を認める。

しかし、薬は部分的に効果があるだけだとも言う。

「虐待と言うマイナスの経験に対して、プラスの経験を子供にさせる事が重要。

例えば、その子供に対して

『悲しい経験をしたね。おじさんもとても悲しんでいる』

と言うだけで、衝撃を受けた脳を回復させる事が出来る」とバンデルコルク氏は言う。

トロウマセンターで児童福祉の責任者であるアレキサンダー・クック氏はサリーと言う名の5歳の少女の治療を開始した。

彼女の父は彼女を性的虐待をした疑いで逮捕され、一家はマサチューセッツに引越しした。

サリーちゃんは気分の変化が激しく癇癪を起こしたり、1日3時間も泣いている事があった。


「サリーちゃんの受けた虐待、裁判で父親が彼女に性的虐待をしたと自分で証言したショック、引越し等が彼女の脳と体の神経伝達物質のバランスを変化させたのでは、と私は推論します。

彼女の扁桃体はシグナルを出しっぱなしになったのです」

とクック氏は言う。

クック氏はサリーちゃんの情緒を安定させる為に、癇癪を上手く爆発させる方法を教えてやった。

例えば、クック氏の事務所のテーブルの回りを走り回る時には、そのままやらせた。

そして、サリーちゃんにに紙の上にぬたくるような、めちゃめちゃな絵を書かせた。毎週面接をしながら4ヶ月経過した後、サリーちゃんは大分落ち着きを取り戻し、彼女の脳は安定から記憶処理向上へと移った。

サリーちゃんはその後激しい心の動揺を見せないから、彼女の脳回路は大分修復したとクック氏は見ている。

「動物実験では、新しい経験は新しい脳細胞を作り出すと報告がある。しかし、人間では未だ分かっていない」とボストン医科大学の小児精神科医であるグレン・サックス氏は言う。

残念だが、ザッカリー君やサリーちゃんのように特別な治療を受けるのは希であり、100万人の子供が毎年虐待を受けているにも関わらず、その10%以下の子供しか適当な治療を受けていないと、アメリカ健康福祉省が推測している。

「虐待を受けて大人になった人の脳は、壊れたコンピューターのハードドライブのように虫食い状態になっている」

とグリーンフィールドにある、虐待かけ込み相談所の責任者であるストロング・オーク氏は言う。
http://saito-therapy.org/new_finding/abuse_damage_brain.htm

【参考】■心理学講座「エディプス/エレクトラコンプレックス」 | 精神分析基礎1より


女児が父親に強い性的愛着を感じ,母親に嫉妬するのは「エレクトラコンプレックス」と呼ばれる。

男児の場合は,愛情の対象が母親のまま変化しないが,女児の場合は,はじめ母親に向けていた愛情がこの時に父親に移る。

女児は自分にペニスがないことを発見し,男児と比べて劣っていると感じる。(ペニスは力の象徴) 

ペニスがないのは母親も同じであることを知って失望し,自分もペニスを持ちたいと願う。(男根羨望)

男児の場合は去勢不安からエディプスコンプレックスが終結するのに対し,女児の場合は男根羨望からエレクトラコンプレックスが生起する点で大きな違いがある。
http://x51.org/x/04/04/2928.php


エディプスコンプレックスには批判も多く、有名なものとしては


「それは外向的な人間に限ったもので内向的な人間においてはそれに限らない」


というカール・グスタフ・ユングの批判がある。

実際、エディプスコンプレックス理論は父性的な社会である西欧ではよく利用される理論であったが、母性的な社会である日本ではさほど感覚的に合わなかった。

また、エディプスコンプレックスは父親が強いという事が前提であり、ブロニスワフ・マリノフスキの「母権性社会」の話は、こういった事の反証として用いられる。

多くの学者が指摘しているが、強い近親相姦的欲望が多くの人にあるとフロイトが主張したのは、フロイト自身が母親との近親相姦的願望と父親への憎悪を自己分析によって発見したという点も見逃せない。

シングルマザーやワーキングマザーが多くなり、父親不在となった現代の社会では、エディプスコンプレックスの存在に懐疑を抱くようになった者も多い。

1980年代にはアメリカで記憶論争が相次いだ。

両親に性的被害を受けたなどの訴えが中心であり、フロイトの無意識の理論を忠実に掘り起こして行った問題の出来事と言われた。

1980年頃にアメリカでは、催眠などを用いた回復記憶セラピーにより、偽りの性的虐待の記憶(虚偽記憶/false memory)を植え付けられ、家族関係が崩壊し、それに加えて甚大な精神的苦痛を受けたとして、多くのセラピストやカウンセラーが訴えられ敗訴した。

これは精神分析への批判というよりも、フロイトの初期の理論を援用したある種の心理療法への批判である。

この時にもエディプスコンプレックスは実際の近親相姦などと比較されたが、患者の訴えと違い、実際にそのようなことが行われている例は少なかったと言われる。

しかし当時においては実際に多くの人が記憶回復によって、「性的な虐待をされた!」と親を非難したり、またそれによって家族が崩壊するような事が続発したため、精神分析自体に対する批判へとつながった。

このように実際の事件においてエディプスコンプレックスや近親相姦を元にする考え方は危険視された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6#.E8.A8.98.E6.86.B6.E8.AB.96.E4.BA.89


過誤記憶

精神分析の創成期にフロイトは、ヒステリー患者の心的現実(mental reality)に着目したが、やがて近親姦の記憶などを訴えるクライエントが彼の予想をはるかに上回って増えてきたために、「こんなに近親姦が多いわけがない」とフロイトの中で理論の撤退が起こり、かつて彼が心的現実と呼んだものは幻想(fantasy)へと変化していった。

このプロセスと似たようなことが、1980年代以降のアメリカにおいて繰り返される。

家庭内暴力や近親姦の被害を訴えるクライエントたちに、一部のカウンセラーがアミタールなどの催眠系薬物を使用する催眠療法である回復記憶療法(RMT:Recovered Memory Therapy)を用いて、無意識の中から抑圧された記憶(Repressed Memory)を引き出し、意識の上に回復された記憶(Recovered Memory)として置きなおすことによって諸症状を治療しようと試みた。

1988年、エレン・バスとローラ・デイビスの共著『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)のなかで、女性の原因不明の鬱は幼少期に受けた性的虐待の記憶を抑圧しているからである可能性が高いから、虐待されたと感じているなら虐待されていると主張するべきである、ということが述べられた。

これが発端となって、アメリカでは多くの女性クライエントが、引き出された記憶をもとに、加害者である家族(近親姦をおこなった父など)を被告に相手どって法廷闘争をくりひろげるようになる。

『Trauma and Recovery』(邦題『心的外傷と回復』)の著者として名高い精神科医ジュディス・ハーマン(Judith Herman)なども原告側の立場に立ったが、司法の場は彼女たちに冷たいとあるていど予見していた。

これに対して被告側の弁護に立った認知心理学者エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)が、「ショッピングモールの迷子」という実験をおこない、クライエントの訴える近親姦の記憶は、セラピストやカウンセラーが捏造した事件をクライエントに植え込んだものであると主張し、原告たちの一連の訴えを偽記憶症候群(にせきおくしょうこうぐん:FMS:False Memory Syndrome)と名づけた。

また、虐待加害者として訴えられた親たちも、このロフタスと連動して、症候群の名前に基づいて1992年、偽記憶症候群財団(FMSF:False Memory Syndrome Foundation)を設立し、財源的にも裁判を有利に闘っていく体勢をととのえた。


ロフタスの実験

実験「ショッピングモールの迷子」とは、家族から聞いたほんとうのエピソード3つに、ショッピングモールで迷子になったという虚偽のエピソードを1つ加えて、被験者がその4つともほんとうの話だと思い込むようになるかどうかを試すものである。

その結果、被験者の4分の1が、植え込まれた記憶もほんとうの自分の体験だと思い込んでいることを示した。

しかも、偽りであるはずの記憶は非常に詳細であり、のちにこれが偽りであった事を知らされた被験者たちは皆驚いたという。

この実験に基づいて、家族という密室で起こった虐待などの犯罪を、司法の場で追及しようとした原告たちは敗訴し、原告たちから抑圧された記憶を引き出したセラピストやカウンセラーは莫大な賠償金を払わされることになった。

また、これによって回復記憶療法も用いられなくなり、2000年までに完全に行なわれなくなってしまった。


現在の評価

法廷での実験のように、治療者がクライエントに捏造した事件を過去の外傷として植え込むことはできないとしても、クライエントが診察室で語ることすべてが、物証主義的観点から事実であるかといえば、そうではない。

限りある診察時間で治療者の理解を得ようとするあまり、自らが受けた被害を象徴化したり、簡略化したり、ときには拡大・誇張して述べることはあるであろう。
また、語っているうちに事件の脈絡を変えて、自分を気の毒な被害者として扱ってもらおうと努力することもあるであろう。

稀なケースとして、健忘(amnesia)の対極にある過剰記憶(hypermnesia)や作話(confabulation)が起こる場合もある。

しかし、これらは何ら、クライエントが過去に受けた外傷を「否定」するものではない。

むしろ、なぜ記憶の叙述に関して、そのクライエントがわざわざ労力を使って、それら誇張や作話を行なっているのかに、臨床的な関心は向けられるべきであるとされる。

もっとも、誇張や作話が行なわれるときには、クライエントの意識状態の変化や、神経系統の随伴症状が伴うので、臨床家がそれを見逃すことは現実的にあまりないが、それでもなお事実関係の審理は司法の仕事であって、臨床家は叙述の真偽を見極めるのが仕事ではない。

以上のような現在の評価がありながらも、前述したように回復記憶療法は停止されている。

外傷性のある出来事による記憶障害は精神障害の診断と統計の手引きのPTSDの診断マニュアルでは確認されるが、FMSのような症状は認められていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E8%AA%A4%E8%A8%98%E6%86%B6


今も生きるフロイトの影響


今も、アメリカには40位の精神分析医を養成する機関があるが、それ以外の一般社会では、フロイトは科学と言うより文学の人物として取り扱われている。

去年、ニューズウィークはある特集で、ダーウィンは今でも科学的妥当性を保っているのに対して、フロイトとカール・マルクスはその世紀は終わったと述べた。

フロイトの評価が最低にまで落ち込んだのは、多分1990年代の始めではないであろうか。

その当時、女性はテレビのトークショーに出て、子供時分に受けた性的虐待をしゃべったものだ。

子供時分の性的虐待とは、フロイト的手法により無意識から探り当てたものであったが、これがフロイトを窮地に陥れた。

このような場合、彼は何時も両方の立場支持するような言い方をする。

性的虐待をしたと非難を受けた親や兄弟の側に立つ人達は、フロイトが抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になると言う、デタラメな理論を打ち立てたからとフロイトを非難した。

一方、性的虐待を受けた人達の側は、フロイトが臆病にも社会の圧力に負けて、幼児期の性的虐待の記憶は単なる子供時代の空想であると前言を翻したと非難した。

「フロイト派の精神分析医に女性を送るのはナチにユダヤ人を手渡すのとあまり違わない」

とグロリア・シュタイネム氏が当時言っていた。

フロイトの評価は未だ少しも改善していない。

抑圧された記憶をめぐる論争の結果、何十年も封印さえていたアメリカ議会図書館の中にある膨大なフロイトに関する文献が、専門家に公開された。

それにより、フロイトの嘘を裏付ける文献が次第に出てきている。

彼がしたとされる治療例の殆どが、希望的観測と意識的作り話の所産であり、彼の理論は循環論法の汚水溜めの上に成り立っているのが証明されつつあるのだ。

フロイトの理論を裏付ける為の、脳スキャンを含む各種の科学実験は、未だ始まったばかりであり、結果は出ていない。

「残念ながらフロイトが言った事は全て嘘であった。

こんな事を言うと裏切りになるが、エディプスコンプレックスからペニス願望、幼児期のセックス等、全てが間違っていた」

とフロイトの伝記を執筆しているピーター・クレイマー氏は言う。

一体どれほどの嘘曝露にフロイトは持ちこたえるであろうか。

シカゴ大学のジョナサン・リア−は、フロイト理論の中心コンセプトである、人間は基本的に葛藤していると言う考えが今の社会にも影響力を持っていると指摘する。

この葛藤は、欲望やら本能から出で来るものだから、水面下に隠されている。

欲望が親とのセックスを意味しているとは考えたく無いであろう。

何故なら我々はそんな欲望を認めるわけには行かないからである。

精神分析とは、この葛藤が何か別のシンボルの形を取って出現してきた時にそれを指摘して、解消するのが仕事であるとリアーは言う。

現在、精神分析用語は脳科学専門用語に取って代わられている。

例えば、エンドルフィンと言えば沈静を意味し、性急な人を”frontal”と呼ぶが如くで、ちなみにfrontalとは前頭前野皮質を意味し、衝動を抑える重要な脳の部分である。
http://saito-therapy.org/new_finding/freud_inour_midst.htm


精神分析は死んだ


恐らく歴史上の著名人でフロイトほど自分の言った事が全て誤りであった人物はいないであろう。 

フロイトファンにとっては1990年代は最も屈辱的な時代であった。

タイム誌はその表紙で「フロイトは死んだか」と大見出しを掲げた。

以前精神分析の本拠地であった”ニューヨーク書評”でさえフロイトを単なる思想家と酷評した。

1990年代はフロイト戦争の時代であり、精神分析運動の終焉でもあった。

2000年はどうなったか。

2000年はフロイトの”夢分析”が出版されてから100周年にあたり、フロイト派の人には勝利の年になるはずであったが、事実は祝賀どころか敗北であり葬式となった。

だから精神分析は21世紀になる前に終わっていたのであり、このタイム誌の問いかけに対する答えは

「そう、精神分析は実際に死んだ」

なのである。

知識人の中に莫大なお金と時間を使い、エゴ追求に身を費やした人が沢山いた。

これだけの努力を費やすと、おいそれと精神分析から身を引けない。

何故なら彼らは精神分析やその本の出版で名声を得ているからである。

今までに精神分析関連の膨大な書籍が出版され批評、論評、レクチャーも行われた。

しかしどれ一つとしてフロイトの限界を指摘したものは無い。

もちろんフロイト支持者も精神分析を止める気持ちは毛頭無いから、フロイト産業はそのまま生存し続けた。

フロイトは彼独特の世界にいる。

恐らく歴史の中で彼ほど自分の言った事の全てが間違っていたのは彼を置いていないはずである。

彼に幸いであったのは、精神分析の専門家が今もってフロイトの間違いを取り繕おうとしている事である。

しかし門外漢である一般読者は既にフロイトの築き上げた壮大な嘘に驚愕しているのだ。

フロイトの間違いの中で、20世紀中には分らなかったが21世紀には発見できるのは何であろうか。

フロイトは明らかに事実をでっちあげている。

例えば彼のコカイン使用を擁護する態度とその変遷や、患者アンナOに関する日和見主義的意見、誘惑理論に関する考え方の急変、彼の患者について語る時に毎回言っている事が変わる事実等、枚挙にいとまが無い。

例えばフロイトの患者の1人である狼男ことセルギウス・パンケジェフを調べると良い。

フロイトは彼を治したことにしているが、実際は彼はその後も60年間、精神分析を繰り返している。

当然ながらパンケジェフはフロイトに人生を駄目にさせられたと言っている。


又、フロイトは”暗示”を頻繁に言うがその割には暗示を真剣に扱って無い。

それ故に彼の臨床の報告の信憑世が怪しくなり、結果的に彼の理論を疑わしいものにした。

1890年の時点で既にこの”暗示”が多くの人に疑われていた。

暗示とは彼にとって都合の良い言葉であるが、暗示を受けるのはその体質的傾向がある人だけであり、彼の考えはおかしい。

このような疑いが既に存在していたにも関わらず、フロイトの言葉巧みな否定とその後の彼の名声の前に埋もれてしまった。

そして今、我々はもう一度出発点に戻った。

もう我々は過去の記憶だとか自由連想などを信用しない。大体こんなものは心理分析医と患者の馴れ合いの合作なのである。

そしてもう一つ、無意識理論がある。

無意識はフロイト全盛期には頻繁に使われた言葉でありフロイトが発見した事になっているが、これは嘘だ。

彼を溯る事かなり前に無意識が既に語られている。

キリスト教徒に乗り移った悪魔、分裂を引き起こす催眠術、18〜19世紀の二重、三重人格者、ビクトリア時代の文学作品に取り入れられた「二重」テーマ、今日ではくだらないハリウッドの映画の筋書きにあるいは心理療法にと皆無意識が取り上げられている。

この一連の流れを見ると、精神分析の霊媒(この場合は牧師、分析家、あるいは怪しい医者)が無意識を調べて心の暗い秘密の部分に到達できると主張しているのが分る。

そうだろう、貴重な代価を払えば我々の心の悪魔を追い出してくれるかも知れない。

しかし精神分析による治癒なんて言うものは悪魔払いの祈祷と大して違わなく、無意識世界と言う不確かな実体を信じ込む作業に過ぎない。

信じるの信じないのと言う議論になると、それは又暗示の世界に戻る。

現在での暗示効果は医療で良く使うプラセボ(偽薬)でありそれ以上のものでは無い。

しかし精神分析はカルトのようなものだから、人間の被暗示性を治療の為に利用するべきと強く我々に迫る。

カール・クラウスが随分前に述べているように、精神分析とは心の病を治すと言いながら、実際はそれ自身が毒になっている。

言わば欧米の魂を女性の男性器願望、エディプスコンプレックス、死の衝動等で汚染したのは精神分析そのものなのである。

このような精神分析流の考え方は何処かにあったものでは無いし、世界で何処にも存在しない。

正にフロイトの創作であった。
http://saito-therapy.org/new_finding/psychoanalysis_dead.htm


まあ、エディプスコンプレックスはデタラメだったけど、近親相姦の話は殆ど本当だと考えた方がいいですね。

21. 中川隆[-13600] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:17:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

フロイト理論は現代ではその殆どが否定されている様ですが、エディプス・コンプレックスに近い心理があるというのも事実です:


8日、高校1年の少年(17)が千葉県市川市の自宅で土木作業員の父親(54)を刺したとして、千葉県警行徳署に殺人未遂の現行犯で逮捕された。

父親は病院に搬送されたが死亡した。容疑を殺人容疑に切り替えて動機などを追及しているが、少年は「引きこもりを打開しようとして刺した」などと供述している。

 調べによると、少年は8日午前6時15分ごろ、市川市欠真間の自宅の台所付近で、父親を殺害しようと包丁で背中を刺した疑い。

少年は同17分ごろ自ら119番し「父の背中を包丁で刺した」と通報した。通報を受け救急隊員に同行した行徳署員が殺人未遂の現行犯で少年を逮捕した。父親は病院に搬送されたが、午前7時26分に死亡。司法解剖して死因を調べる。

 少年は父親が出勤前に台所で顔を洗っていたところを、自宅にあった包丁で背後から突き刺したとみている。

また動機について、少年は「自分は引きこもりがちで、この状況を打開しようとしてオヤジを刺した」と供述していることから、少年の最近の生活状態を詳しく調べている。

 同署によると少年は父親の次男。3人きょうだいの一番下で、両親が離婚した8年前から母、兄、姉とは別に、父子2人で賃貸アパートに暮らしていた。同署員が駆け付けたとき、少年は倒れた父親の傍らに震えながら立っていたという。


________


トーテム饗宴

ある日のこと、追放された兄弟たちが力をあわせ、父親を殺してその肉を食べてしまい、こうして父群にピリオドをうつにいたった。

彼らは団結することによって、一人ひとりではどうしても不可能であったことをあえてすることになり、ついにこれを実現してしまう。

〔〕暴力的な父は、兄弟のだれにとっても羨望と恐怖をともなう模範であった。

そこで彼らは喰ってしまうという行為によって、父との一体化をなしとげたのである。

父の強さの一部をそれぞれが物にしたわけである。

おそらく人類最初の祭事であるトーテム饗宴は、この記憶すべき犯罪行為の反復であり、記念祭なのであろう。

そしてこの犯罪行為から社会組織、道徳的制約、宗教など多くのものが始まったのである
http://www.shosbar.com/works/crit.essays/kotaihassei.html


トーテム動物はフロイトによれば「高められた父」である。

ところがフロイトはトーテミズム社会においてトーテム的饗宴ではトーテム動物を儀礼的に殺して食べるという事を想定していた。

フロイトによればトーテム動物を殺すという強迫行為には二重性がある。

欲動(父を殺したいというエディプス・コンブレックス)を抑圧すると同時に部分的に実現するという二重性が隠されているのだ。

部分的に、というのは本物の父親は殺せないという抑圧はあるが、代わりに「高められた父」としてのトーテム動物を殺せるという事だ。

だからトーテム動物を殺して食べる機会を例外的に設ける事は、父を殺した事への後悔と、「高められた父」と同一化したいという二重の気持ちを示す。
http://sun.ap.teacup.com/berlinparis/64.html


要するに、実際に父親を殺さなくても良い様に父殺しの儀式を行って,代理満足を得させるのが宗教の目的だという考え方ですね:


________


未開社会には、贈与の義務あるいは互酬的な諸制度がある。

それは共同体の形成と維持を目的とするものである。

しかし、それが、なぜいかにして共同体の「至上命令」として出てくるのか。

この疑問に正面から挑んだのは、フロイトだけである(『トーテムとタブー』(1912年))。


私の考えでは、フロイトが考えたのはトーテミズムの起源というよりもむしろ、未開社会における「兄弟同盟」、つまり、「兄弟同盟のすべての構成員に平等の権利を認め、彼らのあいだにおける暴力的な競争への傾向を阻止する掟」がいかにして形成されたのか、ということである。


 フロイトはその原因を息子たちによる「原父殺し」という出来事に見いだそうとした。

むろん、これはエディプス・コンプレクスという精神分析の概念を人類史に適用するものである。

しかし、彼は当時の学者の主要な意見を参照し、特に、ダーウィン、アトキンス、ロバートソン・スミスらの理論を借用している。

それらがどのようなものかを、フロイト自身の言葉で示そう。


 ダーウィンからは、

人類が原初、小さな群族を作って生活していて、

その群族のそれぞれが比較的年齢の高い男性原人の暴力的支配下にあり、

彼はすべての女を独占し、

若い男性原人たちを彼の息子たちも含めて鎮圧し、懲罰を加え、あるいは殺害して、排除してしまった、

との仮説を借用した。


アトキンソンからは、以上のような記述に続くかたちで、


この父権制が、父に抗して団結し、父を圧倒し、これを殺害して皆で喰い尽くしてしまった息子たちの謀叛によって終焉に至った、

との仮説を借用した。


そして、さらに私は、ロバートソン・スミスのトーテム理論に従って、父殺害の後、父のものであった群族がトーテミズム的兄弟同盟のものになったと考えた。


 勝ち誇った兄弟たちは、実のところ女たちが欲しくて父を打ち殺したのではあるが、互いに平和に生活するために女たちに手を出すのを断念し、族外婚の掟を自分たちに課した。


父の権力は打ち砕かれ、家族は母権に沿って組織化された。

しかし、父に対する息子たちの両価的な感情の構えは、その後のさらなる発展の全経過に力を及ぼし続けた。

父の代わりに特定の動物がトーテムとして据え置かれた。

この動物は父祖であり、守護霊であるとされ、傷つけたり殺したりしてはならぬものとされたが、しかし年に一度、男性原人たちの共同体構成員全員が饗宴を開くために集まり、ふだんは崇拝されていたトーテム動物は饗宴のなかでずたずたに引き裂かれ、彼ら全員によって喰い尽くされた。


この饗宴への参加を拒むことは、誰であっても許されなかった。

これは父殺害の厳粛な反復だったのであり、この反復とともに社会秩序も道徳律も宗教も生まれたのである。
(『モーゼという男と一神教』p165、「フロイト全集」22巻、岩波書店)


 
 今日の人類学者はこのような理論を斥けている。

古代に「原父」のようなものは存在しない。

実際、フロイトがいうような原父はゴリラ社会の雄に似たものというより、むしろ、専制的な王権国家が成立したのちの王や家父長の姿を、氏族社会以前に投射したものだというべきである。

だが、そのようにいうことで、フロイトがいう「原父殺し」の意義が消え去ることはない。


 くりかえすと、フロイトは、氏族社会の「兄弟同盟」システムがなぜいかにして維持されているのかを問うたのである。

私の考えでは、それは、氏族社会が国家に転化しないのはなぜかを問うことにほかならない。

理由は、国家=専制的な父の生成をたえず阻止するシステムがあるからだ。

いいかえれば、氏族社会が「原父殺し」をたえず反復しているからだ。

それは、トーテムにかぎらず、さまざまな互酬性の実践において反復されている。

国家の生成を妨げるかぎりで、戦争もその一つである。

つまり、「原父殺し」は経験的に存在しないにもかかわらず、互酬性によって作られる構造を支えているのである。

それは事後的に遡及的に見いだされる原因である。

ゆえに、「原父殺し」という考えは、太古にそのような原父はいないからといって斥けられるものではない。


 私の考えでは、独占的・専制的であったのは、原父ではなく、共同体所有そのものである。

具体的にいうと、漂泊的小バンドでは、すべての生産物が平等に再分配された。

定住ないし準定住の結果、バンドの間で恒常的に交通する事態が生じたとき、そのような共同体所有は部分的に否定されなければならなくなる。

共同体所有を断念して他の共同体に贈与するのである。

これはフロイトがいう「原父殺し」である。

しかし、贈与されたものは、他者に対する「力」をもつ。

それが他者の敵意を抑え込む。

こうして、贈与の互酬によって、環節的・成層的な共同体が形成されるようになる。フロイトがいう「兄弟同盟」は、そのようなものである。


 氏族社会に存する「平等主義」は強力である。

それは富や権力の偏在や格差を許さない。

それは強迫的なものである。

では、なぜそうなのか。

これは、各人の嫉妬などから説明することはできないし、復古主義的な願望から説明することもできない。

フロイトは、平等主義のこの強迫性を、「抑圧されたものの回帰」から説明した。

つまり、一度抑圧され忘却されたものが回帰してくるとき、それはたんなる想起ではなく、強迫的なものとなるのだ。


 われわれは「抑圧されたものの回帰」の例を、氏族社会よりもむしろ、氏族社会が国家と貨幣経済によって完全に解体され忘却された後に見出すことができる。

それは普遍宗教である。


いうまでもなく、それについても、フロイトは『モーゼと一神教』で論じている。


フロイトの仮説の中で重要なのは、モーゼに率いられてエジプトを脱出し砂漠を放浪した人々が緑豊かなカナンに入る手前で、モーゼを殺したというものである。


モーゼが砂漠にとどまることを命じたからだ。

だが、殺されたモーゼは、カナンの文明の発展の中で、預言者を通して「モーゼの神」として戻ってくる、とフロイトは考えた。

いうまでもなく、これは『トーテムとタブー』で書かれた「原父殺し」の再現である。

しかし、実際には、フロイトは、むしろ普遍宗教の問題から、原始時代の「原父殺し」に遡行したのである。


 フロイトがいうことは、ユダヤ教やキリスト教に限定されるものではない。

普遍宗教はそれぞれ各地の世界帝国の下で、「抑圧されたものの回帰」として出現したのである。


 交換様式という観点からいえば、普遍宗教は交換様式BとCが支配的である世界帝国の下で、それによって抑圧された交換様式Aが高次の次元で回帰したもの、すなわち、交換様式Dである。

それは現実には存在しないものである。

とはいえ、人々の恣意的な願望や空想として出てくるのではない。

その逆に、人を強いる「力」、倫理的な至上命令として出てくるのだ。
http://web.nagaike-lecture.com/?page=1


ヒステリーと精神分析は切っても切れない仲にある。

精神分析はフロイトとヒステリーとの出合いによって誕生したものだと言ってよいだろうし、また、フロイト自身もヒステリーであったということを考え合わせると、まさに精神分析はその生い立ちからして、ヒステリーの中から生まれたヒステリーのもの(of the hysteria)なのである。

ではその誕生の経過を少し辿って見よう。


*シャルコー

フロイトは1885年10月から1886年の2月までの5カ月の間、パリのシャルコーのいるサルペトリエール病院に留学する。

このときの経験はフロイトに大きな印象を与えた。

神経学者としてパリにやってきた彼は、シャルコーのヒステリーを扱う圧倒的な力量に感激し、自分も精神病理学に方向転換し、ヒステリーに携わることに直接興味を持ち始めたのであった。

シャルコーは有名な“火曜日のレッスン”で催眠術を用いて患者にヒステリー症状を出させたり、またそれを取り除いたりして見せたり、外傷ヒステリーの名で、それまで一般的に女性の病であると信じられていたヒステリーに男性ヒステリー患者の形があることを症例提示によって示したりして参加者たちを驚かせ、感嘆させ、また当惑させていたのであった。

フロイトはここで催眠下の無意識の状態において一つの思考が存在し、それが患者の症状を支配しているのだという可能性、そしてそれと共に、そこには性的なものが作用しているということを垣間見るのであった。

またヒステリーにおける身体麻痺は決して解剖学的な経路に従うのではなく、腕とか足という言語表象による身体イメージに従って生じるということも学んだ。

精神分析の誕生の発端となるこれらの考えも、シャルコーにおいては何の日の目も見ずに葬られ、新しいヒステリー理論が生まれることもなく終わってしまった。

彼の理論は器質的な観点から成り立っており、ヒステリーは遺伝的なものが支配するという考えを持っていたので、無意識の理論が発展する基盤は欠けていたし、性の問題にしてもそれが現実に病気の要因となっていることを暗に認めていても、当時のブルジョワ的考えに支配されていた彼にとってそれを正面から取り扱うことは不可能であった。

当時フランス医学界のボス、支配者の一人であったシャルコーは患者の応対にしても、一人一人を自分の部屋に呼び出してくるという態度で、結局、ヒステリーにたいして支配者的な立場に立ち、そこから患者を見るという「観察の臨床」から逃れることはできなかった。

彼は、それとは反対に、患者の前に赴き、ヒステリーの言葉に耳を傾け、それを真理として受けとるフロイトの「聴取の臨床」とは正反対の場所にとどまったのであった。


*ブロイヤーとアンナ・O


精神分析の誕生にあたり、フロイトとヒステリーとの結び付きをとりなしてくれたもう一人の師は、フロイトより14歳年長で、フロイトにヒステリーの催眠治療の手解きを与えたブロイヤーであった。

彼は有名なアンナ・Oとの治療を催眠を使って1880年から1882年までおこない、その結果を、ブロイヤーと交友のあったフロイトに知らせたのであったが、フロイトはあまり大きな反応は見せなかった。

シャルコーのところに行って、彼のヒステリーの扱いに目をみはったフロイトは、ブロイヤーによるアンナ・Oの治療の話をシャルコーに話して見るが、シャルコーは興味を見せなかったのであった。

シャルコーのところから帰って開業を始め、ヒステリーの治療に携わるにしたがってヒステリーにたいする興味がふくらみ、プロイヤーを説き伏せ再び彼にアンナ・Oの症例を持ち出させ、彼と共同で『ヒステリー研究』(1895年)を書き上げるのであった。


ウィーンに帰ってからフロイトは最初、催眠下における暗示によって治療を施していたのであったが、暗示は必ずしも有効ではないということが徐々に判明するようになり、少し違った方法を使うこととなった。

それは、ブロイヤーがアンナ・Oの治療の際に考案したもので、催眠下に暗示を与える代わりに、患者と会話を交わし、患者の考えていることを自由にしゃべらせて、患者の中に鬱積しているものを吐き出させ、患者の心の中にあるものを浄化しようというものである。

これはカタルシス法と呼ばれている。

カタルシス法はブロイヤーが考え出したというより、ブロイヤーがアンナ・Oから教えてもらったものだといったほうが正しいかもしれない。

彼女は「詩的で創造力の豊かな天賦の才能を持つと共に、鋭く、批判力を持った知性を持ち、この知性が簡単に暗示をかけることを妨げていたのであった」。


このような患者を前にしてブロイヤーはなす術を失っていたのだろう、結局、彼女の言うことをおとなしく聞くことしかできなかったのである。

彼女はそれを「talking cure」とか「煙突掃除」とかいう誠に正鵠を射た表現を使って表わすのだった。

『ヒステリー研究』のアンナ・Oの症例はカタルシス法によって彼女は病気から解放されたとなって終わっている。

しかしながら実際はまだ後日談が残っている。

ブロイヤーはアンナ・Oの治療を最後まで行ったわけではなく、あるとき突然治療を打ち切り、自分は妻と一緒にイタリアに旅行にでかけてしまったのであった。

なぜ彼はそのような行動を取ったのだろうか。


その答えはそれから50年後になってやっと明らかになる。

フロイトは当時偶然にブロイヤーの口から聞き、そのときは何を意味するものか把握できないままにあった言葉を半世紀後に思いだし、それが何を意味していたのかを理解するのであった。

それはこうである。

アンナ・Oの症状が一応治まったとき、彼女はブロイヤーに腹部の痙攣発作を訴えてこう言うのだった――


「ブロイヤー先生の子供が生まれるのですわ。」


これを聞いてプロイヤーは愕然とする。

彼女は想像妊娠の症候を示し、それもブロイヤーの子供だというのである。

彼女はブロイヤーが子供を欲しがっていることを知り、主体の欲望は他者の欲望であるというラカンの言葉どうり、自ら子供を持ちたいという欲望を抱き、それを想像妊娠という形で、愛する主治医に見せつけるのである。


これはアンナのブロイヤーに対する転移であるとともに、ブロイヤーも気がついていない彼のアンナへの対抗転移を表わすものでもあろう。

このような状況を前にどうしてよいか分からなくなったプロイヤーは患者をその場に放り投げて、逃げ出すのであった。

そして彼の妻はイタリア旅行中ブロイヤーの望むとおり子供を身籠もるのであった。


ブロイヤーの発見はまさに精神分析の誕生を準備する直接の第一歩であった。

彼が最後に逃げ出さず、自分の今やっていることは何を意味するのか、何が自分の目の前にあるのかを見とどけようとしていれば素晴らしいものが得られたであろう。

ブロイヤーは優秀で才能にも恵まれていた医師であったが、それ以上のものではなかった。

彼は因習的な考えに捕えられ、フロイトが言うように「ファウスト」的なものを持っていなかったのだ。

夢判断の扉に「天上の神々を動かしえざりば冥界を動かさむ」と記したフロイトのような大きく、自由な志は持っていなかったところが、この二人の医者の運命を大きく隔てることとなったのである。


*自由連想法


ブロイヤーと共同で著した『ヒステリー研究』はブロイヤーの扱った『アンナ・O』も入れて五つのヒステリーのケースが取り扱われており、彼女たちの治療を通して精神分析が生まれていった様子が生き生きと描かれている。

医学的にヒステリーを治療する時、治療者は、シャルコーがそうであったように、病気を治すための知をもって患者を診るという支配者の立場に立つのが通常であるが、『アンナ・O』のケースにおいてブロイヤーは医者という立場を一旦保留し、患者との談話の中で、患者が自ら健康を回復するのを待つという方法をとった。

これがカタルシス法として精神分析の自由連想の前身となったのである。

フロイトがブロイヤーのカタルシス法を初めて適用したのは、『ヒステリー研究』の最初の症例『エミー・フォン・N夫人』においてであった。

まだこの方法になれていないフロイトは、彼女にあれこれといろいろ尋ね回ったのであろう。

ある日、

「彼女はすっかり不機嫌になって、これはなんのためか、あれはなんに由来するのか、といつもいつも尋問するものではない。

こちらが言おうと思っていることをしゃべらせていただきたい」


とフロイトに苦情を言うのであった。

この一見、些細な出来事の中には、患者に頭に浮かんでくることを自由に語らせるという、精神分析の唯一の方法である自由連想法となって大きく実を結ぶものが含まれていたのである。


『エミー・フォン・N夫人』の治療においては、すべてがカタルシス療法で行われたわけではなく、フロイトは催眠中に暗示を与えて効果を得るという方法にも大きな助けを求めていた。

しかしながら、当時のフロイトはこのケースにおいて暗示というものに不信を抱くようになったのである。


「フォン・N夫人の夢遊状態を研究していた時に、初めて私はベルネームの『暗示の中にすべてがある』という命題の正しさ、および彼の聡明な知人デルブフの『どうして催眠術が存在しないか』という考え方に対して、重大な疑念を抱くようになった。

私が指を前に突きだして、一度だけ『お眠りなさい』と言うことが、患者の特殊な心理状態を作りだしたはずだ、しかもその状態における患者の記憶が心的体験をすべて包括していたなどということは、今でも理解できないところである。


この状態は私が呼びおこしたものかもしれないが、しかし私の暗示によって作り上げたものではない。

この状態の性格は、ともかく普遍妥当的であって、私をはなはだ驚かせたからである」。


このような疑惑が無意識の発見に結び付いたのであろう。

ここには精神分析誕生の胎動が聞こえてくるような調子がある。

精神分析が成立するのには、暗示との離別が必要不可欠なもので、ブロイヤーのカタルシス法はその第一歩であったのだ。

だが、それ以前にもフロイトは暗示について批判的な目を持っていた。

『集団心理学と自我の分析』の中でフロイトはこう言う


「このようにして暗示はまさにそれ以上還元できない根源的現象、人間の精神生活の根本事実である、とすぐにも主張されるかもしれない。

私が1889年にその驚くべき手腕をまのあたりに見たベルネームもそう考えていた。

だが、わたしはその当時でさえもこの暗示の専制にたいして、ぼんやりではあるが反対していたことを思い出すことができる……

私の抵抗はその後もつづいた。

そして万事を説明する暗示そのものは説明されるべきではないとする説に反対するという方向に向かった。

そしてこれについて私は、むかしのなぞなぞあそびを繰り返したものだ。


クリストフはキリストを背負い

キリストは全世界を背負った。

それなら、いってごらん。

クリストフはどこに足を据えたか」。


カタルシス法において患者との談話は催眠下で行われる。

そして、催眠術はまたひとつの暗示効果であるならば、暗示との離別の次の段階は催眠術の使用なしに患者と接して治療を進めることであろう。

患者によっては催眠が効かない場合もあるということを考慮にいれるとますますこの必要性は増大するのである。

この課題は次の『ミス・ルーシー・R』の症例で果たされる。

というのは、彼女には催眠術が効かず、フロイトは正常な状態のままで談話を、すなわち分析を行うことを余儀無くされたのであった。

そして、その結果は満足のいくものであった。

フロイトの最後の症例『エリザベート・フォン・R嬢』では最初から催眠術の助けを借りずに分析が始められ、自由連想による分析の基礎が完成した。

フロイトはこう言っている


「この症例は私が手掛けた最初の完全なヒステリーの分析であったが、このようにしてわたしは、のちに一つの治療法にまで高め、目的意識をもってそれを駆使するにいたった、一つの処置を発見することとなった」。


*精神分析の諸概念


『ヒステリー研究』には精神分析理論に重要な概念が、その十分な意味は展開されず、いまだに未熟のままではあるが、数多く含まれている。


その中のひとつは「父親」である。


父親はここでとりあげられている五つの症例の中の四つに共通する一つのキーワードであると言ってもよいだろう。

『アンナ・O』と『エエリザベート・フォン・R嬢』は父親の病気の看病をしていて病気になったのだし、

『カタリナ』は父親から受けた性的外傷がもとで病気になった。

『ミス・ルーシー・R』は雇主である主人への愛をめぐってヒステリーが生じたのであるから、これも一つの父親像として考えてみて良いであろう。


『ヒステリー研究』の中では、父親というものを分析における中心的な概念として取り扱うという問題意識はまだ生まれてはいないが、分析の誕生とともに父親というものがこのように大きな場所を占めているのは注目すべきである。

父親という概念は、もう少し後になって、フロイト自身の問題からエディプスがとりあげられるようになるための一つの布石になるのである。


その他の分析にとって重要な概念となるものをいくつか挙げてみると、


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転移
 

ブロイヤーとアンナ・Oの間に生じた転移は精神分析の原動力となるもので、これを前に逃げだしたブロイヤーとは逆に、フロイトは後にこれを治療における一つの重要な要因であることを認めた。

分析は転移をうまく操作することが要求される。

転移とは、すでに分析誕生以前のアンナ・Oの症例でも問題になるほど分析では重要な概念で、まさに「始めに転移ありき」なのである。

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性 


ヒステリー研究においては性の問題はあまり大きく取り上げられてはいない。

その理由は、そこで取り扱われている患者が殆ど裕福なブルジョワ階級に所属しており、当時の彼女たちの道徳からして、性に関することに触れることは大変むつかしいことだったということに由来するのだろう。

ただ、カタリナの場合には、彼女は庶民的階層の出身であったからであろう、


病気の原因としての性的な外傷がはっきりと示されている。


のちにフロイトはヒステリーの一般的な病因は子供の頃の性的な外傷にあると考えるようになった。


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抑圧 


フロイトはここで病気は病原となる回想に結びついており、その回想が抑圧されたことから生じると考えたのであった。

カタリナとルーシー・Rにおいては抑圧は二つの系列の回想に結び付いていて、一つの系列のものがもう一つのものに遡及的な効果を及ぼして抑圧が起こり、症状が形成されるという、抑圧の遡及理論の萌芽も見られる。


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無意識 


そもそも、催眠によって、意識上には昇ってこない過去の回想が再生され、それが病気を決定しているということから、そのまま無意識の概念が導き出されるであろう。

だが、無意識を形容詞的ではなく名詞的に使うフロイト的無意識の確立は第一局所論を待たなければならないのであった。

アンナ・Oの場合のように、ヒステリーの第二状態は無意識を考えるのに格好の症状であったであろう。


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*フリース

フロイトとヒステリーとの最初の出合いは、このように大変実りの多いものであった。

ここには、精神分析が成立するための殆どのものがあると言っても良いだろう。

しかし、まだ分析が分析として作動し始めたわけではない。

殆どのものと言ってもすべてではなく、やはり、何かが欠けているのである。

では、何がここに欠けているだろう。


それはエディプス理論、そして分析家である。


分析家になるための唯一の条件は、自分で分析を受け、自分自身の欲望を構成する主体的構造の糸を一つ一つ手繰っていく経験をしなければならない。

だが、フロイトは最初にやってきた分析家なのであるから、だれかほかの分析家に分析を受けるということは、当然、不可能であった。

それでも、一人の分析家が誕生したのである。

ここには、すべてのものごとの始まりにある、マルクスにおける本源的蓄積のように、ひとつのロジックに暴力を加えるような、出来事があったのである。


それはフロイトとフリースの出合いである。


シャルコーそしてブロイヤーとの出合いは、フロイトとヒステリーの結びつきの媒介となるものであったことはすでにのべた。

ところが、フリースとの出合いにおいては少し状況が変わって、彼はヒステリーではなくパラノイアであったことがこの二人の間の関係において決定的なものとなったのである。

フリースはフロイトよりも二歳年下の耳鼻咽喉医であったが、自分の職業を実践するに、一つの奇妙な理論を作りあげていた。


それは人間の周期性、両性具有性、鼻と性器の関係という三つの要素からなる、多分にパラノイア的な理論であった。


通常ならばこのような理論はあまりまともにはとりあげられないであろうが、ちょうどこの頃のフロイトの目には、それが真理として映ったのである。

その結果、フリースはフロイトにとって知を想定された主体の場に置かれ、分析で生じる関係と同じようなものが成立し、すなわち転移がうまれ、フリースに語りかけるという形をとって、フロイトはそこで自分の無意識の構造を捕えるという奇跡的な「自己分析」が可能となったのである。


このフロイトの「自己分析」においてもうひとつの重要な出来事は、フロイトの父ヤコブ・フロイトの死であろう。

父親の死によって、フロイトは自らのエディプスの存在にいやがおうでも目を向けさせられるようになるのである。

フリースとの「分析中」に起こった父の死は自分自身のファンタスムの構築を容易にし、その結果エディプスコンプレックスが作りあげられたのだと言ってもよいだろう。


ここにおいても、ヒステリー研究の諸症例と同じように、父親が重要な位置を占めているのがわかる。

それは、ほかでもなく、フロイト自身がヒステリーであったということに由来しているのである。

フリースとフロイトの出合いはパラノイアとヒステリーとの出合いであり、これがミシンの上のコウモリ傘のように不思議な光を放ったのである。


ヒステリーのための

精神分析はヒステリーのためにあると言ってよいだろうか。

分析的観点からすれば、主体的構造は、神経症、精神病、倒錯の三つに分類することができるが、一般的に倒錯は分析にはやって来ないものだし、フロイトは精神病は分析できないという立場を取っているので、結局、神経症だけが分析の対象として残る。

また、神経症は強迫神経症とヒステリーによって構成され、もちろんどちらも精神分析の対象であるが、フロイトによれば前者は後者の方言、つまり強迫神経症はヒステリーをひとつのローカルな言葉で表わすものとされるのであるから、精神分析はヒステリーのためにあるという命題は成立する。


では、ラカンにおいてはどうだろう。

ラカンの考えるヒステリーのディスクール においてヒステリーとは主体($)が代弁者の場に立つという構造で、ヒステリーとは主体に外ならず、分析のディスクール は分析家(a)が主体($)を相手とするという構造を取っていることは一目瞭然であるので、精神分析はヒステリーのためにあると言ってなんら異存はないであろう。

また、分析が成立するためには患者のヒステリー化がまず前提として必要である。


精神分析はヒステリーのためにあるとすれば、はたしてそれは精神分析の使命なのであろうか。

精神分析だけがヒステリーを扱うのであろうか。

では、精神医学の役割はどう考えれば良いのだろう。


精神医学とヒステリーは歴史的に深い関係にある。


*ヒステリーの歴史


ヒステリーについては紀元前2000年ごろから古代エジプトの記録に残されており、そこでは、ヒステリーは子宮が体内を移動することから生じ、それが身体の諸器官を刺激することからさまざまな症状が現れるのだとされていた。

その治療法は、子宮を元の位置に戻すことで、そのために悪臭を放つものをかがせて、子宮を上から追い下げると同時に、陰部の方に芳香の良いものを置き下に引き戻そうとする、今から考えるとまことに突拍子もないものであった。


この理論がギリシャのヒポクラテス(BC460-377)に受け継がれ、19世紀までこの説を支持していた医者が残っていたというほど長い間、西洋医学におけるヒステリーの考えを支配するのである。


子宮の移動をヒステリーの原因にするという考えには、ヒステリーを前に途方に暮れたであろう男性のファンタスムが多分に混ざっているのだろうが、それと同時に、ヒステリーの諸症状を心的、霊的もしくは神的なものと見なさず、体内の一つの器官という物理的なものに因を求めようとする合理的な理論化の努力は注目にし値する。


また子宮という性的なものとヒステリーを結び付けたことも興味深い。

これは性というものがまだタブー化されていなかったからであろう。


ヒステリーを問題にした古代の最後の重要な人物はガレヌス(131-201)である。

彼は小アジアに生まれ、ローマ皇帝の侍医として迎えられ、長い間医学界の権威であった。

解剖学に優れ、心身症について考えたのも彼である。


ヒステリーについては、その原因を性的な抑制にあるとし、また男性にもヒステリーがあることを認めた。

彼がヒステリーの子宮移動説を採らなかったのは、彼の解剖学の知識がそれを許さなかったのであろう。


キリスト教に支配された暗黒の時代、中世はヒステリーにとっても暗黒の時代であった。

宗教にとって病気の悪は道徳的な悪と同一な次元としてみなされ、善の敗北であって、この悪に打ち勝つのは信仰しかないのである。


こういった時代にはヒステリーは消滅し、そのかわりに悪魔憑き、魔女、またその逆の聖人がでてくるのである。


そしてジャンヌ・ダルクが犠牲になったような魔女裁判が治療に取って代わり、医者の代わりに僧侶、エクソシストが活躍する。


宗教的にヒステリーを悪きものとみなした中世においては、ヒステリーの対応に医者が介入する余地を取り上げるのであった。

だが、この考えは同時に悪魔憑きの現象を“精神病理”的に把握しようという傾向を後の時代に持ち込んだのであった。

シデンハムなどの医者は悪魔憑きを医学的に扱い、それが精神的異常をもたらす病気だという考えをもたらした。

またシデンハムはヒステリーをカメレオンのように限りなくその症状を変化させるものだということを認めた。


それに続く啓蒙時代にヒステリーと深い関係にあるものは、メスメリスムである。


それはドイツの医者メスメール(1734-1815)の考え出した治療法で、彼は自分の身体からは磁石の磁気にも匹敵する“動物性磁気”が発散していると信じ、それをおけに溜めて、万病の治療に使用できるような装置を開発した。

この装置は奇跡的に多くの病の治療に効果的で、それによって彼の名声は、一時的にではあったが、おおいに高まったのであった。

彼の「動物性磁気」による治療は、その当時あった磁石を使った治療から思いついたもので、もちろん物理的な実際の効果はなく、

その秘密は彼自身の持っていた特殊な暗示能力と、彼のところにきた患者の多くがヒステリーであったというところにある。


この時代にはまだ暗示というものが理論的に確立していず、ヒステリーの治療に効果のある暗示にたいしても、啓蒙時代に相応しい、科学的因果関係による説明が要求されたことから、それを磁石の磁気のように、物理的合理性を持ちながら離れた距離から作用するものが根拠として使われたのであった。

そして磁石の磁気から「動物性磁気」が想定されたのである(このような考え方はいつの世にも無くならないもので、現代においても磁気を使ったブレスレットの類いが氾濫しているのを見ればメスメリスムを一概に笑うわけにはいかないであろう)。


19世紀はヒステリーがもっとも自分の市民権を確立した時代である。

メスメリスムから催眠法が生れ、それはピュイセギュールとかラフォンテーヌによって引き継がれていった。

しかし彼等は医者ではなく医学界からはまともな扱いは受けなかった。

19世紀の半ば頃にイギリスの外科医ブレイドがこれに興味を示しその効力を実験した結果、実際に作用があることが確かめられ、徐々に医学界に認められていく。

フランスではリエボー、そしてベルネームが催眠法を用いてヒステリーの治療にあたり、ナンシー学派を形成する。

しかしヒステリーにとってこの時代の重大な出来事はシャルコー(1825-1882)の到来である。

37歳でサルペトリエールの医局長に就任した彼は、1870年に病院の制度の改革を機会に同病院の癲癇とヒステリー患者の責任者となり、このときからヒステリーとシャルコーの名前はしっかりと結び付けられるのである。

神経学者として優秀な業績をおさめたシャルコーは、ヒステリーに対しても実証科学的な方法をもって対処していこうとした。

彼にとってヒステリーは他の病気とおなじように一つの病気なのである。

こうして、彼はヒステリーに器質的な病因を求めようとしたのであったが、そのうちにヒステリーには何の器質的な欠陥もなくまた、何の理由もなく病気が治癒することがあることに気がついた。

そこでこの問題を解決するために催眠法に助けを求めたのであった。


だがシャルコーは自分の器質障害説をヒステリーにおいてもやはり捨てることができなかった。

催眠法によって自由に症状を生み出すことはできても、その奥にはやはり何か器質的なものを見ていたのだ。


彼の弟子ババンスキーはこの点において師の教義を変更しようとした。

ヒステリーが自由に催眠で生み出せるものならば、器質的なものとは何の関係もないのであって、患者はただ擬態によって症状を作り出しているにすぎない、と。

これは変更というよりも、より現実に沿うようにしたにすぎないのであるが。


シャルコーにとってヒステリーとは、

(1)発作、
(2)視野狭搾とか麻痺、感覚過敏などのヒステリーを特徴的に示す諸症状、(3)どのような器官的な障害も真似し得る神経的擬態、


からなっている。ババンスキーは結局、(2)のヒステリーに特徴的な症状を(3)ら来るもの、つまり擬態であるとするのである。


そして最終的に、ヒステリーを、何の実体もない、単なる患者の模倣から発生するものとした。

ヒステリーの病名そのものも、それが実体を持たないものだということから、廃止してしまい、そのかわりに、説得によって治るという意味の、ギリシャ語に由来する、ピティアティスムという病名を提案するのであった。

ババンスキーは、ヒステリーの症状が暗示によって左右されるものだということのみを強調して、そこに主体の分裂、すなわち無意識という壁があり、意識的な説得だけではヒステリーの治療はできないということに気がつかないのであった。


19世紀は、シャルコーの大ヒステリーによって代表されるように、ヒステリーが大きくクローズアップされた時代であったと同時に、その実体を実証科学的につかむことの難しさにより、ババンスキーがヒステリーという疾患名そのものをも廃止しようとしたことに示されるように、ヒステリーというものが精神医学から消滅する第一歩が踏み出された時でもあったのだ。


シャルコーでもうひとつ忘れてはならないことは、フロイトとの出合いである。

われわれにとってシャルコーの本当の意味は、彼がヒステリーの治療についてフロイトにバトンタッチをしたことではないだろうか。

ヒステリーの歴史は、何か得体の知れないものに、それぞれの時代がどうにかこうにかひとつのレッテルを貼り付けてきたというのが本当のところである。

この状況に終止符が打たれるには精神分析の誕生を待たなければならなかった。

フロイトの生み出したこの新しい実践によって、それまでさまざまなところを彷復ってきたヒステリーはやっと自らのすみかを見つけ出したのだ。

いやむしろ、最初の章で見てきたよ.うに、ヒステリーは自ら自分の巣を造り上げたのだといったほうがよいかもしれない。


たしかに、ヒステリーは精神分析に自分の領域を見つけだすのであったが、それとは反比例的に、精神医学においてはますます隅のほうに追いやられてしまうようになった。

奇妙なことに、そこにも分析が一役買っていることも見逃すことができない。


フロイトの理論に精神医学の側から最初に興味を示したのはブロイラーであった。

現代の多くの精神科医と同じように、ブロイラーの関心の中心は精神病にあった。


ところが、精神分析理論は神経症の理論であって、直接精神病の治療を目的とはしないのであるから、精神科医にとってはあまり興味の対象とはならないはずである。

それにもかかわらず彼が分析理論に興味を持ったのは、そこにある普遍性を見いだしたからであって、ヒステリー理論を精神病理論に応用できると思ったのである。

つまり精神病をヒステリー理論で読みとろうとしたのである。

そしてその後に、その結果できあがった精神病像を通して、ヒステリーを、「大きなヒステリー」を見ようとしたのだ。

つまり、ヒステリーと精神病との混同がなされたのである。


そしてこの混同にはっきりとした形態を与えたのが、精神分裂病という疾患単位である。

分裂病という言葉が使われるようになる以前は、早発性痴呆が一般的に使われていたのであるが、そもそも早発性とは早期に発症するという意味であるにもかかわらず、早発性痴呆患者が必ずしも若いうちに発症するとは限らないということ、そしてまた痴呆ということにも問題があり、この命名法の不適切さが指摘され、そのかわりに、ブロイラーが分裂病の名を与えたのである。


その時点で、上記の混同により、分裂病は大きく膨れあがった概念となった。

この分裂病という言葉は精神医学界で大きな成功を獲得し、その結果、ヒステリーという言葉を片隅にやってしまったのである。

分裂病という言葉は、精神病と神経症との境界をあやふやにしてしまい、そこにできたどっちつかずの症例にボーダーラインのような、つぎあてのための概念が当てるられることになった。


これによってますますヒステリーは肩身の狭いものになってしまったのである。


そして現代にいたって、最近のDSMではヒステリーという言葉が消し去られてしまった。

ここでヒステリーの長い受難の歴史にピリオードが打たれたかのようである。


精神医学が実証科学的であろうとするなら、客観的なデータのみを取扱い、常に曖昧性を伴う主体的事象を排除せざるを得ないであろう。

ヒステリーとはじつは自分の名を持たない主体のさけびこえなのである。

名前を持ちようのない主体に、歴史が与えた名前なのである。

ヒステリーの定義の難しさ、カメレオンのように容貌を変え、捕えたと思ったときにはもうそこにはいなくなっているという、掴みどころのないその性格は、シニフィアンの主体の性格に他ならない。

この意味で現代医学はたしかにヒステリーを排除しようとしているのであり、また排除せざるを得ないのである。

なぜなら現代医学にはヒステリーというものが透明なものとなり、見えないものなのであるから。

現代医学にとって、精神分析がヒステリーを取り扱うのは、ちょうどドン・キホーテが風車と戦っている姿に映るであろう。

しかし、本当のドン・キホーテはボーダーラインなどという風車と戦う者ではないだろうか。

現代医学がヒステリーから遠ざかれば遠ざかるほど、精神分析はますますヒステリーのためにあることを主張するのである。


ヒステリーによる精神分析


精神分析はヒステリーの女性たちと、フロイトというヒステリーから生まれたのだということを見てきた。

では、このことは精神分析にどのような影を残しているのだろうか。


ラカンはセミネール11巻でこう言う

「分析実践のフロイト的領野はある始原の欲望に依存したままに残っていた」。


始原の欲望とは「分析のある原罪」であり、「フロイトの欲望そのもの、つまりフロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」であるとラカンは言う。


フロイトがフリースを相手にして「自己分析」した結果得られたものは、

母親にたいする愛情と、母親を自分のものにするために、父親を亡きものにしようとする感情によって構成される、エディプスコンプレックスであった。


エディプスを、われわれの精神を支配する根源的な構造であると考えたのであった。

しかしラカンのことばに従えば、フロイトの見つけ出した、もしくは、考え出したエディプスコンプレックスそのものに「フロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」が含まれているのではないだろうか。


エディプス神話を見てみるとそれは必ずしもフロイトが垣間見たエディプスコンプレックスと同じ水準では語れないことが分かる。


神話ではエディプスの父、ライオスは偶然にエディプスに出合い、殺されたのであり、ただの通りがかりの人物としてしか出てこない。

そしてエディプスがテーバイの王となり自分の母イオカステを妻とめとったのも、スフィンクスの怪物にかけられた謎を解いたからであって、自分の母を妻にしようとしてなった訳ではない。

エディプス神話はいろいろな解釈を許すものではあるが、主体の構造を表わすストーリーとしての神話としてはあまり適切ではないのである。


また、父親への愛とか、超自我の形成なども、エディプス神話では説明がつかない。


そこでフロイトは文化人類学的資料をもとに、現代における神話を一つ作り上げようとする。


『トーテムとタブー』がそれである。


『トーテムとタブー』は次のように構成されている。


まず人間社会の原始状態には、一つの部族では強大な父親、オランウータンのような父親が部族を支配して、母も娘も含んだすべての女性を独占し、息子たちは一人の女性もあてがわれず部落から追い出されていた。


この状態を不満に思う子供達はある日、団結して父親を殺してしまう。

そして父親を食べてしまい、父親に同一化するのである。

だが、父親を殺して父親に対する攻撃欲動を満足させたあとは、今まで父親に対する憎しみが隠していた父親への愛が頭をもたげ、愛するものを殺してしまった悔恨から罪悪感が生じる。

これが超自我の起源である。


こうして、死んでしまった父親は罪悪感を通してよりいっそう子供達を支配するようになり、子供達は父親殺しの原因となった近親相姦の欲望を禁止し、掟を定めたのである。


死んだ父親はトーテムとなり、宗教の神の原形となる。

また、トーテム生蟄の饗宴を通して父親への同一化が繰り返され同一の理想像によって部族の結束が固まるのである。


この神話は父親の神話であることは一目瞭然であろう。

すべての女を独占し、女の悦びを満足させ、自分も満足する、一人の超人のような父親、これこそはヒステリーの望んでいる父親である。


ここにはエディプスの父とは比較にならない強大な父のすがたがあり、このような父に対してのみ憎しみが生まれ、また愛も生まれるのである。


もちろんこの父親は死んでしまうのだが、死んだからといって意味を持たなくなったわけではない、むしろ死んだからこそひとつの理想像としての威力を発揮するのである。


フロイトはこの神話によって父親というものを救おうとしている。


この父親を救おうとする欲望はヒステリー的な欲望である。

ヒステリー研究の中にあってアンナ・O、エリザベート・フォン・Rは父親を看病していることから病気になったのだったということが思い起こされよう。


またカタリナの場合には父親に誘惑されたことが彼女の症状の奥にあったのだが、自分の娘にまで手を出すような父親は、まさに獣のような『トーテムとタブー』の父親と同じようなものである。


ここでは父親を救うまでもなく、そういう父親が存在するのである。


ところで、フロイトは最初、カタリナのケースのようにヒステリーは小さい頃に父親とか近い親類に性的ないたずらを受けたことが原因であると考えた。


しかしながら、あまりにも多くのヒステリーの無意識にそのような出来事を見いだすことから、結局、それはヒステリーのファンタスムにほかならないと結論した。


無意識には事実とファンタスムの区別はないのである。

ヒステリーのファンタスムにはそれゆえ『トーテムとタブー』に描かれているものと同じような父親を認めることができる。


こうして見るとエディプスとはヒステリーのファンタスムであるという結論が出てこよう。


フロイトの“自己分析”は自分自身のファンタスムをエディプスとして構築したのである。


そしてそれを乗り越えられなかったところがラガンのいうように「フロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」ではないだろうか。


フロイトの殆ど最後の論文である、『終りのある分析と終りのない分析』で、フロイトは分析が乗り越えることのできない限界について述べている。


「われわれは分析治療を施しているうちに陰茎願望と男性的抗議にまで達すれば、それですべての心理的な地層を貫いていわば人工の加わらない『自然のままの岩石』に突き当たったので、仕事はこれで終りであるという印象をしばしばもつものである。

これはおそらく本当であろう」。


陰茎願望とは女性が男性性器を所有したいという陽性の志向に由来するものであり、ラカン的に言えばファリュスを得ようとすることである。

男性的抗議とは、男性が、他の男性にたいして受身的、あるいは女性的立場をとらされること、つまりペニスを失うこと、についての反抗である。

フロイトはこの二つを去勢コンプレックスと名づけている。


女性がファリュスを得ようとするのは誰にたいしてであろう。

それは当然ファリュスを持っている者、去勢されていない者である。

つまりトーテムの父親である。


男性が他の男性にたいして受け身になることについては、陰性エディプスの問題がからんでくるものであるが、男性が受け身になる相手の男性とは、やはりあの愛される、『トーテムとタブー』の、殺された父の姿をとった男性である。


それゆえフロイトが持ちだす分析の限界とはエディプスの限界であり、「フロイトにおいて何かが決して分析されたことがないということ」の限界なのである。


女性の論理

結局、フロイトは男性の論理しか展開しなかったということになる。

実際、フロイトにとって女性は暗黒大陸であって、かれの自ら立てた「女性は何を欲するのか」という問いは最後まで謎として残ったのであった。

フロイトの分析の限界は、そうすると、男性的見方の限界であって、彼が女性ということについて十分な論理を持っていなかったことに通じるのである。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:sIbQ3BuJvZgJ:psychanalyse.jp/archives/M_MUKAI/Hysterie.doc+%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88+%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC&cd=24&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

フロイトが精神分析という技法を開発したのは、催眠療法の効果に疑問を感じたからでした。
催眠療法は暗示によって、一時的に患者の病状を回復させる事が出来ますが、結局元の状態に戻ってしまいます。

患者を完全に健康な精神に戻す事の出来る治療法を探し求め、最終的に辿り着いたのが精神分析学だったのです。

患者の中に起こる様々な精神的な疾患は、全て患者自身の幼児性欲の衝動と充足の過程の歪みによって起こる自家中毒のようなものと考えるやり方です。

分析の過程で患者が両親に対する不満を表明した場合は、その両親が患者に辛く当たるばかりでなかった事を思い出させ、総じて言えば患者の両親は愛情深く患者に接していた筈である事を納得させます。

そして、全ての病いは患者自身の精神の問題であった事、全ての問題は患者自身の問題であった事を患者が納得した時点で、治療は完了します。

そして、それは画期的な効果を上げたと、フロイトは自画自賛するのですが。


 しかし、精神分析で治療された患者は、一時的に快復しても結局元に戻ってしまうそうです。

なんだ、それでは結局催眠療法と同じ事ではないか。

自分の過去の記憶をあちこち掘り返されて、それで結局元の木阿弥ならば、催眠療法の方が手っ取り早くて良いですね:

 1896年、ジクムント・フロイトは、論文『ヒステリー病因論』の中で、六人の男性患者と十二人の婦人患者、計十八のヒステリー症例を紹介、

そしてその全ての症例が抑圧された性的暴行の結果であることを明らかにします。 

 これらの研究の結果、フロイトは、ヒステリー発病の裏には単一ないし複数の時期尚早な性体験があり、しかもそれは子ども時代でももっとも早い時期に体験されている、と結論付けます。


要するに、ヒステリー発病の原因は幼少時の性的虐待が原因だと言っている訳です。


 当時、ヒステリー患者は下層民よりも特権階級、つまり貴族階級の方により多く発症していました。

この点について、フロイトは次のように説明します。


 『社会の上層にある人は、教養、ならびにしばしば知的な面だけに偏って発達した人格のために精神的外傷を防衛するが大きい。

ところがまさにこの精神的外傷の防衛(抑圧、記憶内容からの感情の分離、理想化による否認など)こそノイローゼを生む原因なのだ。』

(アリス・ミラー 『禁じられた知』P159より)


 この解釈は、当時のフロイトの立場の微妙さを暗示させます。

ヒステリー発症が当時の特権階級に多いと言う事実、それにフロイトの結論を重ね合わせますと、幼児に対する性的虐待は、下層民よりも貴族社会の中で多く起こっている事になります。

フロイトにしてもそうは言えなかったと言う事情があるのでしょう。

また、彼自身の常識が、そのような事実を拒否していたという面もあるでしょう。

 とにかく、フロイトはヒステリー発症の原因を幼少時の性的虐待による精神的外傷そのものではなく、精神的外傷の防衛によるものだと考えた訳です。


従って、その治療法は、患者の記憶の奥に抑圧された虐待の記憶を自覚させ、それと向き合う勇気を起こさせる事です。

精神的外傷を消す事は出来ませんが、防衛の機能を働かす必要が無くなった時、症状に悩まされる事は無くなります。


この、初期のフロイトの理論を、誘惑理論と言うそうです。

この言葉も、後には別のニュアンスの言葉に変化していくようですが、当時の意味で言うならば、

患者の神経症は、幼少時に受けた、大人からの誘惑により受けた精神的外傷の結果である、という事です。


 ですが、フロイトのこの理論は世の中に受け入れられませんでした。

先ず第一に、ヒステリー症状の原因が性的虐待にあるとすれば、ヒステリー患者の数だけ、いや、発症に至らないケースも含めればそれ以上の性的虐待が現に行われている事になります。

大人が、あるいは年長の者が幼児を慰み物にするという非道な行いの例がそんなに多いとは、当時の常識では考えられなかったのです。


 もう一つ、問題があります。

フロイトがどのように言い訳しようと、彼の理論に従えば、幼児の性的虐待は下層民の間よりも特権階級の間で多く行われているというニュアンスは拭い去れません。

そして、フロイトの著作の読者の殆どは、その特権階級の人間達なのです。


フロイトの誘惑理論を葬り去ってしまったのは当時の社会のタブーに触れたからです。

そして、そのようなタブーを支えるものとして、キリスト教的な教育があるのです。

フロイト自身も当時の教育を受け、そして自らのトラウマに自分自身がとらわれていました。


貴族達の攻撃に反論しながら、貴族達と同じ疑問を彼自身が感じていたという事です。

そして、彼自身の両親や子ども時代を理想化したいという願望も、彼の中にあったという事です。

 1897年9月、フロイトは誘惑理論に代わる、衝動理論を発表します。


一言で言えば、子どもの深層心理の奥に潜む性的な記憶は現実に起こった性的虐待の記憶ではなく、自らの幼児性欲が引き起こしたイメージだと解釈する方向に転換してしまったのです。


 エディプス・コンプレックス、口唇期性欲、肛門期性欲、性器期性欲、様々な概念が用意されました。

全ては、患者の中の記憶が現実の性的虐待の記憶ではなく、自らの幼児性欲の衝動が引き起こした幻想であると説明する為のものです。


それでも、フロイト自身は誘惑理論を全く捨ててしまった訳ではないようです。

何とか、衝動理論と誘惑理論の接点を見出そうという意欲は持っていたようです。


しかし、フロイトの弟子達にとって、フロイトの精神分析学イコール衝動理論なのでしょう。


 フロイトは、誘惑理論から衝動理論へと移る時、幼児の性的虐待という個別的な体験を、人間が誰しも幼児期に持つ性的な衝動として普遍化してしまいました。

それで、性的虐待以外の原因で起こる様々な心理現象も、全て性欲に結び付けざるを得ないという矛盾が生じてしまったのでしょう。


アリス・ミラーによれば、フロイトの初期の精神分析治療の驚くべき効果は、彼自身が自分の誘惑理論に疑問を感じ始めたと思われる頃から失われてしまったと言う事です。

初期のフロイトが行っている、患者をありのままに受容し、過去の虐待の記憶を解放する事によって患者を治療していくやり方です。

「あなたは悪くない。あなたは犠牲者だったのだ。」

と認めていくやり方です。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/books/book003.htm

■フロイトの罪〜セクシャル・アビューズ〜

 ヴィクトリア朝時代に「精神分析」を提唱したジグムント・フロイトは、「勇気ある先駆者」だと思います。

 この時代は、厳重なキリスト教的・社会通念により、性的な話題を出すことが禁忌でした。

 そんな風潮のなか、フロイトは性的欲望に関する学問への切り口を与えました。

性的嗜好に関して初めて分類したのも、彼です。


 彼は人間の意識には


「超自我」と「自我」、

「エロス(生に対する欲求)」と「タナトス(死に対する欲求)」、

「リビドー(欲動)」


などがある、と説いています。


 フロイトはヒステリー(解離性障害・PTSD・パニック障害などの神経症)の原因が、抑圧と性的原因にある、と提唱しました。

 が、彼の言は、後に性的虐待(sexual abuse セクシャル・アビューズ)を子供の願望によるものとし、20世紀後半になるまで、虐待を受けた子供達を苦しめることになります。

 ヒステリーのある女性には幼児期に性的な体験があり、これを引き起こすのが「エディプス・コンプレックス」だとはフロイト言いました。


 「エディプス・コンプレックス」はギリシャ神話のオイディプス神話が由来です。


__________


 テバイの王ライオスは息子に殺されると予言を受け、妻・イオカステが無理矢理生んだ息子――つまりオイディプス――を山の中に捨てます。

オイディプスはコリントの王に拾われ、成長しました。

 が、オイディプスは「父を殺して母と結ばれる」と託宣を受け、両親(育ての親)を殺したくないとコリントから出奔します。

 道中、ある老人に出会い、道を譲る譲らないで喧嘩になってしまい、オイディプスは老人を殺してしまいます。

 実はこれが、実父のライオスでした。

 オイディプスがテバイにやってきた時、丁度テバイはスフィンクスに苦しめられていました。

 オイディプスはスフィンクスを退治し、王として迎えられ実母・イオカステと結婚してしまします。

 ところが数年後に疫病が流行り、オイディプスは「ライオスを殺した者を探し出し追放せよ」という託宣を授かります。

 ライオス殺しの犯人を探そうとするオイディプスに対し、預言者・ライオスが「おまえがライオスの息子」と告げられ、知らず知らずのうちに父殺しと母子相姦を起こしていたことを知りました。

 オイディプスは両目を潰してテバイを去り、イオカステは自害してしまいます。


_________


 フロイトは、最初は心的外傷(トラウマ)が女性をヒステリーに陥らせているのだと思いました。

が、親の罪――ひいては、男の罪――を認めたくないのか、オイディプス神話が人間の普遍的に抱いている願望だと感じ、その幻想が娘に実父や義父・親戚などを誘惑させたのだと論破しました。

 彼は、幻想は人間の無意識が造り上げるのだと説き、幼児には親と近親姦をしたい欲動があるから、親との情事の幻想をつくるのだと説きました。

 つまり、娘が無意識の欲動により、父親を誘ったと言いたいわけです。

 この発想は、うつ病者にカウンセラーが


「うつ病ではなく、それはあんたのわがままではないのか」

とか

「あんたはうつ病ではない」


と言うのと同じです。

 これは、ドクターハラスメントです。

 二次虐待を受けた女性は、傷を深くします。

現に、フロイトの診察を受けて治っていない人がいます。


「自分が悪いから、あんなことになったんだ」


と女性のなかの子供は自分を責めていたでしょう。

 幼い子供は親に支配されるものです。

子供にとって親しか頼れる人はおらず、親元が安全な場所なのです。

 だから、親から虐待を受ければ、深い傷を受け、居場所を無くしてしまいます。

 性的虐待を犯す父親は大人として未熟です。

幼児性愛やストレスなどにより、力でもって子供を踏み躙ります。


 それに対して母親は弱い人間で、何も言えない母親は夫と娘の関係を見守るだけです。

娘を女だと思って嫉妬したりする母親は、娘を罵り父親とともにさらに傷つけます。


 父親などの絶対者に


「これは夢だからね」

とか

「お母さんや他のひとに言っちゃだめだよ」


などといわれたら、子供は従わずにはおれません。


 こうして虐待は繰り返され、子供の傷は深く、潜在化していきます。


 幼い頃に受けた心的外傷はその人の人生を崩壊させます。

被害者(サバイバー)は人間不信に陥ってアダルトチルドレンとなってしまい、酷い場合だと自殺してしまう可能性もあります。


 また、幼い頃に受けてしまった傷を、人間は知らず知らずのうちに繰り返してしまったりします。

 虐待の現場が夢となって何度も現われ、またずっと続く現実に子供自身が順応してしまい、まるで愛人のような慣れた様相を見せてしまうこともあります。

 傷がトラウマになった事象を人生に再現させたりします。

が、傷が子供の自我をねじれさせてしまったために起こったことで、子供の真実の本意ではないのです。


 性的虐待は未熟な大人が起こすものです。

子供は被害者です。

どうか、そのことを忘れないで下さい。

 そして、被害を受けたひとは、なにも汚れていないです。

自分を責める必要はありません。


 また、過剰な精神分析は危険です。

信頼できるカウンセラーの力を借り、ありのままの自分を取り戻すため、嘆きと癒しの仕事を行なってみてください。

 フロイトが提唱したことは真実を得ているところもあります。

性的虐待と心的外傷の関連性を発見したことも、彼の抜きんでたところでしょう。


 が、彼が性的虐待だと気付きながらも、目を反らしたのは、過ちだというほかありません。
http://d.hatena.ne.jp/toyouke/20050427/1114594274

22. 中川隆[-13599] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:18:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

近親相姦の話はみんな本当だと思った方が良い:


生まれて初めて出来た彼女が父親に性的虐待されてた


所謂やらはた(二十歳を過ぎても童貞)だった僕に生まれて初めて彼女が出来た。

モデルみたいに可愛い年下の彼女。僕は幸せの頂点だった。

「この子の為なら死ねる」

そんな臭いセリフを脳内でつぶやいてみては悦に浸っていた。


性的虐待の事実を知る

そんな幸せは長く続かなかった。

彼女が父親に性的虐待を受けている事実を知った。

彼女は夜な夜な父親に犯されていたのだ。

何不自由なく育ってきたボンボン大学生の僕はどうしたら良いか見当も付かなかった。

父親から彼女を奪え!

気付いたら、彼女を自分の部屋にかくまっていた。

(最初高1だと言っていた彼女は、実は春に中学を出て高校に進学していなかった)

自分の手元から彼女が居なくなって、父親は半狂乱になって娘を探したらしい。

一週間で僕の家に乗り込んで来た、無断拝借したトラックで玄関の扉を破壊しながらw

彼女は連れ戻された。でも、このまま彼女を父親の元に置くなんて耐えられない。

次に彼女は、自分を置いて男と逃げた母親の元に向かった。

「しばらくこっちに来なさい」そう言ってくれたそうだ。

彼女に逃げ場なんて無かった

数日後、彼女は痣だらけになって僕の前に現れた。

母親と同居して居る間男に、サッカーボールのように蹴られる暴行を受けたらしい。

挙句の果て、寝て居る彼女の布団に潜り込んで性的な悪戯をしようとした。

それで、真夜中にタクシーを拾って逃げて来たらしい。


途方に暮れた。

僕の部屋は父親にバレて居る。

母親の元に行けば今度は間男から暴行を受ける。

父親の元に行けば父親から性的虐待を受ける。

どうしたらいいんだ?


彼女といっしょに駆け落ちすればいいのか?

パチンコ屋の店員にでもなれば、贅沢は出来なくても彼女と慎ましく暮らす事が出来るはずだ。


悩んだ末の結論、僕は逃げた

数日間悩んだ末(その間、彼女は友人の元を転々としていた)

僕は児童相談所に全てを話した。

何故かけおちしなかったのか?

白状すると、自分可愛さに逃げただけだ。


大学生としての自分、将来国家資格を得れば最悪食うには困らない。

そんなアドバンテージを彼女の為に手放すのが惜しかった。

「この子の為なら死ねる」そんな臭いセリフ、大嘘だった。


相談所の職員はそんな卑怯な僕に

「もう大丈夫、私達がなんとかするからね。君は十分がんばったんだ。」

と、優しい言葉をかけてくれた。

涙が出た。自分の将来が無茶苦茶にならなかった安堵の涙。

僕は汚い。


児童相談所と僕と彼女の嘘

すぐに児童相談所の職員が彼女の父親の家を訪れた。


彼女の父親は虐待の事実を全否定した。そして彼女自身もそれを否定した。


「自分を犯す父親でも世界でたった一人の家族、離れ離れで暮らすのは嫌。

だから、私の自作自演だったことにして。あなたも私達に口裏を合わせて。

そうすれば、全部全部元に戻るから。」


彼女にそう頼まれた。


僕は「分かったよ」とだけ答えた。でも嘘だった。


犯されても家族なんて理解できなかった、

何よりも僕は彼女が今後も夜な夜な父親に犯されるという現実から逃げたかった。

とりつかれたように彼女が虐待されている証拠を集めた。

その甲斐あって、虐待の事実は認められ、彼女の保護施設行きは決定した。


彼女の保護施設行きが決まって電話で彼女に罵倒された


「アンタに何の権利があって、私達父娘を切り裂くのよ!


アンタなんか赤の他人なのに!

永遠にずっと私を哀れんで、可愛がってさえいればそれで十分だったのに。

もう、友達だってひとりも居なくなる。

私はひとりぼっちだ。みんなみんなアンタのせいだ。」


体中の血が逆流したような感覚、怒りとも悲しみとも恥ずかしさとも、なんとも形容しがたい感情が僕を支配した。

それまで一度も彼女に向かって声を荒げたことがない僕は、ヒステリックにのどが痛くなるほどの大声で彼女に向かってわめき散らした。


「僕は、君の現実逃避の道具じゃない。

心があるんだ。

君を幸せにしたかったし、今でも君を幸せにしたい。

今のままじゃいつか君の心は壊れる。

これは全部君のためにした事なんだ。」


「全部君のため」なんて欺瞞だ、大嘘。

しょせんは単なる自己満足。

僕は一人の男として自分の所有する雌が、他の男に犯されるのが嫌だっただけだ。


「虐待された子供は、自分の子供にも虐待してしまうんだよ。

だから私は一生子供は産まない、産めない」


そう言っていた彼女は元気だろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20090506000425


▲△▽▼


211 :可愛い奥様 :2007/02/20(火) 16:26:55 ID:k5yM12nz0

身内に犯罪者が数名。

うち1人は近親相姦のもつれによる殺傷

死んでも話さない。
http://2chokaita.blog97.fc2.com/?no=1511

23. 中川隆[-13598] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:18:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

秘密の性的関係は子供の心を歪ませる

65 名前:ロキ 投稿日:2006/01/06(金) 18:36:53

今日は僕は都内に住む30代の会社員です。現在結婚し子供もいます。
カズさんのHP見てビックリしました。 実を言うと私の実家も先祖代々近親相姦をしている家系だからです。秋田県の場所は勘弁してほしいのですが某村大字何某には今でもそういった風習が残っています。

何故その集落に近親相姦が風習として存在してるのか?というのは昔平家の落人の兄妹が先祖で、追っ手から逃れる為に隠れ近親相姦によって子孫を増やしたからです。その兄妹は集落の祠に奉られています。それから私の実家の村は標高がかなり高くその為稲作が出来ない程寒い為、裸でお互いに暖めあって夜を過ごす事もあり、今でも麓まで冬の燃料を買いに行く事は大変で、その風習は続いているようです。

私自身姉と母との近親相姦を経験していますが、私自身は自分の家族と同じ様に近親相姦をする気はありません。ただこの様な近親相姦がその土地の文化として又生活として残っている事実を知って頂きたくて此処に書きました。

私の実家は現在姉が家を継いでいます。姉には現在男の子二人と女の子が居ますが、長男の父は実父です。姉の旦那は同じ集落の男でその事も知っています。その村は15軒ほどの小さな集落で血がとても濃く、姉の旦那も又従兄弟になります。

村の人間は結構地所を持っているので今でも結婚して他所の家が入るのを嫌う傾向にあるのです。ですが色んな人間が言うほど奇形児や遺伝子病はないです。甥っ子も親子の子ですが全く普通です。唯昔から子の出来ない夫婦は全く出来ず。私の居た頃は少なくとも半数がそういった夫婦でした。そういった場合は村の男が種付けをしに行くのです。又未婚の女性が腹を貸しに行くこともします。

近親相姦や乱交では常識のある人から見たらとんでもない事ですが、今思うとその社会の中には其れなりの情や雰囲気があったと思います。

今年の正月にですね。田舎に家族つれて遊びに行った時のことです。家の小2の娘がですね。

「おばさんとお兄ちゃんが裸で抱っこしてた。」

って言うんですよ。朝六時頃娘が遊んで欲しくて小6の甥っ子探しにいったんですね。さすがにその時は私も戸惑いましたが、姉に話したら少し反省していましたが。妻には私の事は話してますので少し困惑していたようです。

現在私の実家には小学生の子供が5人中学生が2人高校生が3人しかいないそうです。そういったなかでする相手も少ないというのが理由の一つだと思います。私も大学に進んだのが切欠で村を出たのですが、矢張り女性がいっぱいいれば其方に興味を持つのが普通だと思います。事実私も大学を出てからは、母や姉との行為はしていません。姉や母も不思議とそれを受け入れてくれてます。

近親者や村の人間との行為は、その村の持つ雰囲気や情が関係あるのでしょう。今田舎に帰っても私とその家族は部外者であるように思えます。昔の友達と酒を飲んだときも私の昔の事についてはあまり触れなかったし、又今の事も語ろうとはしませんでした。唯結婚の話は別で友達は現在39歳ですが新しい嫁さんを貰ったと紹介してくれました。17歳でした。世間体があるのでまだ籍には入れてないそうですが、彼にとっては二度目の結婚で最初は19歳で農協の職員をしている時に36歳の未婚の母と結婚しています。実父の子供だったと思います。

世間では淫行ですが私の村では人が少ない故に結構こういう事が普通にあり、むしろ近い世代で結ばれることの方がラッキーなのです。姉の長男は現在15歳ですが23歳の娘とお付き合いしているそうです。

田舎ってすることないから子どもたちがみな早熟で、初体験を済ませる年齢が低いっていいますよね。暇をもてあまして、身近にいる親兄弟とセックスをしだす、っていう現象もあるんですかね。ですが、さすがに全部の田舎という事は無いと思います。私自身聞いたことはありません。

唯この様な事は普通外部には話しませんのでもしかしたらとは思いますが。もし性的にオープンな村で世代を超えた性交流があり、人数の少ない隔離された集落があれば、可能性はありますね。なんとも言えませんが家の村もそうでしたから

私の村はどちらかと言うと「家族でザーメンを楽しもう」というより、「家族で暖まる」といった感じでした。実際私の村では性行為を「燃す」と言います。心の中の嫌な物を燃やし元気な気持ちを燃え上がらせると言った感じですか。

「えのぎだなぁ」

と言う言葉がうちの村ではよく使いますが、意味は家が暑いという意味で

夜中喘ぎ声が多く聞こえる家は多く燃える=暑い=景気が好い。

という意味から金銭的に豊かな事もさし、近親相姦がけっして世間で言う悪いイメージではなかったように思えます。

「おがはんおじげあねがっこおめさままだね」

と言う言葉がありますが、味噌汁、漬物に身内を例え好きな子を主食であるご飯に例え、近親者との肉交よりお前の方が良いと言うある意味恋人への最高のほめ言葉になっています。

「ひながのばっち」

これは悪い意味で使われることが多く例えばお酒が止めれない人が「酒はひながのばっちだ」と言うようにやめようと思っても中々止められない時に使う事です。婚期を逃してしまうほど両親と末っ子の情交は凄まじくそれを比喩しているのでしょう。


78 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/17(金) 00:29:51

 もし、娘ができ、近親相姦を行うに当たって、色々心配なことがあります。
 まず、そもそも、娘が体を許してくれるかどうか。
 もし、許してくれても、その後、精神に影響を与えないのかどうか。
 中には、精神分裂症に陥ってしまうのではとかですね。

 ロキさんの村では、いかがだったでしょうか?


80 名前:ロキ 投稿日:2006/02/18(土) 20:37:04

そうですね。近親相姦というのはやはり雰囲気が大事かと思います。ピス・メンスさんのご家庭が何より性に対してオープンである事が必要かと。いきなり襲うのは娘さんも嫌がるでしょう。

私の場合は横で両親がセックスしていた事で興奮したのを覚えています。私の姉の場合もそうだったと思います。精神的な影響は私の村では無かったと思います。たとえ親子でも普通の異性と同じ感覚なのでしょう。外部に隠したり引け目を感じたりするのは世間の倫理観とのギャップの問題だけだと思います。

私も叔母との経験があります。34歳の叔父が亡くなった時当時42歳の叔母の所へ行き。父と一緒に叔母を抱きました。私の村では後家さんや奥さんをなくした旦那を親族が身体で慰める風習があるのです。叔母は私の身体の上で叔父の名前を呼んでいました。懐かしくも悲しい話です。

叔父はとても優しく幼い時は可愛がってもらいました。村の中では近親相姦といってもアッケラカンですよ。そんなに問題はないです。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/108/storage/1013361373.html

24. 中川隆[-13597] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:21:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

矢板・実父殺し事件
【事件概要】

 1968年10月5日、栃木県矢板市で、娘(当時29歳)が実の父親(53歳)を絞殺するという事件が起きた。父親は娘が中学生の時から乱暴し続け、娘は父親の子を出産していた。


A子


【父が布団に】

 栃木県佐久山町にTという男がいた。
 Tは農業のかたわら町役場の吏員として勤め、青年学級の指導員でもあった。妻とのあいだに長女A子をはじめ、二男四女をもうけた大家族だった。
 A子は1939年生まれ。父母が24歳の時の子どもである。

 昭和28年、農業を嫌ったTは、宇都宮に移り味噌・雑貨を扱う商売を始めた。木造平屋の二間に9人が暮らした。商売はうまくいかず、貧しい生活が続いた。

 中学2年の三学期頃、A子(当時14歳)が四畳半で寝ているところ、酒臭い父親が布団にもぐりこんできて体を触られた。他の兄弟が折り重なるように寝ていたので、A子さんは家族を起こすまいとそのあいだ声を出すことはできなかった。そしてそのまま父親に犯されたのである。以後、母親の目を盗んでは、1週間に1度、10日に1度と犯され続けた。

「お父ちゃんが私のところへ来て変なことする・・・」
 中学3年になったA子は泣きながら母親にこのことを打ち明けている。だが母は「どうりで私のところにこなくなった。おかしいとは思っていた」と言うだけで、ショックを受けたようでも、怒っている様子でもなかった。

 娘の目にはそう見えた母親だが、子ども達のいない時に「A子に何すんだ!」とTに怒りをあらわにした。だがTは逆に包丁をつきつけて「ガタガタぬかすと、殺すぞ」と脅し返した。恐れた母親はA子や他の子ども達と逃げ出した。Tはそれまでは心優しい夫であったのだが、A子とのことがあってからは、乱暴な男に変わっていた。

 結局、母親は子どもの半分を連れて知人のいる北海道に家出。残されたA子が母親代わりとなって、弟妹の面倒を見た。Tは母親の目を気にすることもなくなったので、日に何度もA子を求めるようになった。


【救えぬ男】

 A子17歳の時、母親が戻ってきた。母の実家に屋敷に掘立小屋を作り、一家はそこに住むようになった。母は父を監視して、A子の寝ている方に行こうとすると止めに入ったが、そのたびに喧嘩となった。
 それでもTの欲望はつきることなく、酒を飲んでは娘の体を求め続けた。そしてこの頃、A子は父親の子どもを身ごもった。

 身重のA子は、田植えの時に知り合った男性(当時28歳)と駆け落ちした。A子の方から「私と逃げてください」と哀願したのだった。男性は同情して、2人は黒磯まで行ったのだが、父に追いつかれて引き離された。
 この一件があって、Tは妻の留守中に矢板市に間借りして、長女とその妹H子とで暮らし始めた。この矢板市の家は一部屋で、ここでは毎晩夫婦のように父と1つの布団で眠った。Tはこの頃、植木職人をしていた。
 11月24日、A子は長女出産。

 昭和32年、市営団地に引っ越す。A子はここで二女、三女を出産。
 父親は精力はますます旺盛になったのか、毎晩1度では終らず A子が断ると、大声でわめき散らした。A子は近所の人や自分の子どもにそれを聞かせたくないから応じ続けていた。
 
 妹H子は中学卒業後、千葉県の工場に就職し、矢板の家ではTとA子、子ども3人での生活が始まった。事情を知らない人間からすれば、幸せに映っていただろう。


【29歳の初恋】

 1968年、A子は29歳になっていた。
 すでに四女と五女も生んでいたが、生後まもなく死亡した。5度の出産以外にも、5度の中絶をしている。昭和42年8月、大田原市の産婦人科では「このように中絶していると体が持たないから、手術して妊娠しないようにしたほうがいい」と言われた。A子は父親に相談し、父もそれに賛成したので、8月25日に矢板市内で不妊手術を受けた。供述によると、この手術以来、A子は不感症となり、父とのセックスは苦痛以外の何者でもなくなっていた。

 A子は家計を助けるために65年から近所の印刷所に働きに出ていたのだが、ここで年下のSさん(当時22歳)という男性と知り合っている。A子はSさんに好意を持ったが、積極的に仕事を手伝うぐらいで、それを口にしたことはなかった。以前、駆け落ちした男性は嫌いではなかったが、父の元を離れたいという想いの方が強く、恋とは言えなかった。だからSさんが初恋の相手となる。

 8月の終わり頃、仕事を終えて帰宅中のA子に、Sさんが「工場をやめようかな」と言った。その理由については言わなかったが、その翌朝、Sさんが告白した。
「あんたが悪いんだ。あんたが会社に入ってこなければよかった。あんたが好きになってしまった」

 A子は父に束縛されるため遠出がほとんどできなかったので、同僚が「恋人と〜に行ってきた」と話すのがうらやましくて仕方なかった。だからこそSさんと仕事帰りに喫茶店でおしゃべりをしたり、東武デパートで買い物をしたり、花屋敷で映画を見たことは、彼女にとって初めての幸福であったに違いない。
 Sさんは他の従業員からA子さんに子どもがいるのを聞いており、また子どもが出来ないことも知っていたが、結婚を申し込んだ。

 A子は寝床で父親に結婚したい人がいるということを打ち明けた。
「お前が幸せになれるんなら良い。相手はいくつだ」
「22歳」
「そんなに若いんじゃ向うでお前をからかっているんだ。子どもはどうするんだ」
「お母さんに頼む」
「何を言う!俺の立場がなくなる。そんなことができるか。お前の子どもなんだぞ」

 父親は焼酎を一気に飲んで、「今から相手の家に行って話をつけてくる。ぶっ殺してやる!」とわめいた。A子は「勤めをやめて家にいるから、Sさんのところには行かないで」と言ってようやく納得させた。

 翌朝、A子は工場に電話を入れ、「ゆうべお父さんに話したが駄目だった。今から矢板駅に行くから来てくれ」とSさんに伝えた。Sはすぐに駅に行ったが、A子は姿を現さなかった。
 その頃、A子はよそ行きの服を持ち出して、近所の家で着替えていた。しかし、Tに見つけられ、ブラウスを剥がれ、下着まで破られた。悲鳴を聞いた近くの人が父を押さえているあいだに、A子はバス停に向かったが、バスが来ぬ間に父親に連れ戻された。

 9月20日、A子は父から逃れるために東京に出ようと決心した。その前に1度だけSさんと会ってお別れを言いたかったのだが、彼の自宅でも、工場でも電話は取り次いではもらえなかった。
 Sさんは工場長からA子が父親と関係を持っていることを聞かされていた。「深入りしないように」とも言われた。A子も工場を辞めてしまったので、もう忘れようとしていたのだった。
 A子の上京は、父が仕事を休んでまで監視するため不可能になっていた。

 10月5日、この日も父はA子を監視するため仕事を昼までで切り上げ、泥酔していた。
「俺はもう仕事をする張り合いがなくなった。俺を離れてどこにでも行けるんなら行ってみろ。一生つきまとって不幸にしてやる。どこまで行ってもつかまえてやる」

 夜8時すぎ、いつものようにTが娘の体を求める。
「俺は赤ん坊のとき親に捨てられ、苦労に苦労してお前を育てたんだ。それなのに十何年も俺を弄んで・・・・このバイタめ!」
「出ていくんだら出ていけ。どこまでも追って行くからな。3人の子どもは始末してやるぞ!」

 この罵声を聞いた瞬間、A子は父親を押し倒し跨ったうえで、傍にあった股引の紐をつかんで、首にかけ絞めた。Tはなぜか抵抗しなかった。

「殺すんだら殺せ」
「悔しいか」
「悔しかねえ。お前が悔しいからしたんだんべ。お前に殺されるのは本望だ」
「悔しかねえ。悔しかねえ」

 父は絶命した。A子にとっては父の束縛から自由を取り戻した瞬間でもあった。
 A子は近所の親しい雑貨商宅を訪れ、「父親を紐で絞め殺しました」と言って崩れ落ちた。


【悪夢、忘れます】

 ”親殺し”は刑法で死刑か無期の罪と定められていた。 
 だが宇都宮地裁での公判で、無報酬で引き受けた大貫大八弁護人はこう主張している。
「被告人の女性としての人生は、父親の人倫を踏みにじった行為から始まっている。父に犯され、子を生み、人権は完全に踏みにじられた。そうした希望のない日々のなかで恋をし、本来ならば祝福すべき立場の父親に逆に監禁状態にされ、肉体を弄ばれた。この犯行は正当防衛または緊急避難と解すべきである。よってこの事件は尊属殺人罪、尊属傷害致死罪ではなく、単なる傷害致死罪を適用すべきである。犯行時の被告人は心神耗弱状態にあったとされる」

 69年5月29日、宇都宮地裁、尊属殺人罪は違憲として普通殺人罪を適用した。さらにA子の心神耗弱を認定して刑を免除した。

 だが東京高裁は一転して「刑法ニ〇〇条は合憲である」としてこれを原審を破棄、心神耗弱のみを認定して懲役3年6ヶ月の実刑を言い渡した。

 上告後、大貫大八弁護士はガンで入院、息子の正一が弁護を引き継いだ。やはり無報酬で、である。

 73年4月4日、最高裁、「尊属殺人は違憲である」として原審を破棄、懲役2年6ヶ月、執行猶予3年の判決が言い渡された。A子は釈放された。34歳になっていた。この結果を報じる新聞報道には「悪夢、忘れます」という見出しが載った。

 A子はその後、栃木県内の旅館に女中として働いた。3人の娘は施設に預けていたが、週に1度遊べるのを楽しみにしていたという。


【トピックス 尊属殺人】

 自己または配偶者の父母、祖父母、おじ・おばなどを殺すことは「尊属殺人」と呼ばれていた。その逆の場合はない。これは一般の殺人よりも刑を重く、死刑または無期懲役に処せられた。
 これは「親は子を慈しみ育てるのに、その親を殺すとは言語道断である」という精神からのものだが、事件によってはそれが当てはまらない事例があった。この矢板事件がその代表的なひとつで、この事件の公判から尊属殺人の規定が揺らぎ始めた。「法の下の平等を定める憲法十四条に違反する」としたのである。同時期に審議された秋田の姑殺し、奈良の養父殺しも、情状を酌量すべき特異なケースであり、死刑・無期をまぬがれ、執行猶予付の判決を受けている。


 1945年11月、国民主権の原理を宣言する新憲法が公布された。1947年10月には刑法一部改正があり「皇室ニ対スル罪」は全章削除された。実はこの時、尊属に関する規定の存廃も一部で問題となったが、国会の質疑があっただけで、深く議論されることはなかった。
 
 1949年秋、福岡県内である事件が起こった。
 夜の9時ごろ、自宅でAが父親(53歳)と飯台を挟んで座り雑談していたところ、父がいきなり「弟(当時9歳)のオーヴァ生地が紛失しているが、持ち出したのではないか」と尋ねた。Aはすぐに否定したが、父は「知っているくせに知らんとは何事だ。男らしく言え。お前が盗んだに違いない」と決めつけ、近くにあった鍋や鉄ビンを投げつけて来た。これにカッとなったAは、これを投げ返し、父親は頭蓋骨骨折などで、翌朝に自宅で死亡した。

 この事件について、検察官は尊属傷害致死罪にあたるものとして福岡地方裁判所飯塚支部に起訴した。だが同支部は次のような判断から、適用するべきではないとした。

「(刑法二〇五条二項の)規定は之を其の発生史的に観れば子に対して家長乃至保護者又は権力者視された親への反逆として主殺しと並び称せられた親殺し重罰の観念に由来するものを所謂じゅん風美俗の名の下に温存せしめ来ったものであって、既に此の点に於て多分に封建的反民主主義的、反人権的思想にはたいしたものとして窮極的に人間として法律上の平等を主張する右憲法の大精神に抵触する」

 裁判所ではAの人柄、当時の状況、謝罪の気持ちなどを考慮して、執行猶予付判決が言い渡された。しかし、この判決について、検察官は最高裁に対し、憲法問題を理由とする跳躍上告の手続きをとる。この上告には次のような点に重点を置いていた。
「子が親その他尊属を尊重するということは、単にわが国のみならず、東洋一般はもとより広く世界にも通ずる人類普遍の原理である」

 検察官の上告を認容するかどうかの最高裁大法廷の見解は13対2に分かれていた。多数意見は原判決破棄だった。そのなかで反対意見の真野裁判官は、大法廷の合議において多数派の道徳論に対して、次のように喝破していた。
「ソレ親子の道徳だ。ヤレ夫婦の道徳だ、ソレ兄弟の道徳だ、ヤレ近親の道徳だ、ソレ師弟の道徳だ、ヤレ近隣の道徳だ、ソレ何の道徳だと言って、不平等な規定が道徳の名の下に無暗に雨後の筍のように作り得られるものとしたら、民主憲法の力強く宣言した法の下における平等の原則は、果して何処に行ってしまうのであろうか、甚だ寒心に堪えない」

 この事件に関しては結局原判決は破棄され、福岡地裁へ差し戻すという判決が出された。

 結局この刑法二〇〇条は95年の改正で削除された。
http://yabusaka.moo.jp/yaita.htm

実の父親を殺害・相澤チヨ

子供のころから父親に近親相姦を強要されてきた娘が、父を殺害。


▼事件発生

昭和43年(1968年)10月5日、午前10時ごろ、栃木県矢板市の、ある雑貨店に子供を連れた女性が入って来た。

この女性の名は相澤チヨ(29)。

普段からこの店にちょくちょく買い物に来ている常連客である。この店の店主夫婦とも親しい間柄になっていた。しかしこの日は様子が違っており、思いつめた顔をしていた。

「おばさん、今、父ちゃんを殺しちゃった。ヒモで絞め殺しちゃった・・。」

チヨは店に入ってくるなり、こう告げた。

「え?!」
店番をしていた奥さんはびっくりした。チヨはその場で声を上げて泣き始めた。

冗談とは思えない態度に、奥さんは、すぐに警察に通報した。まもなく警察が駆けつけ、チヨの住む市営住宅を捜査すると、証言通り、チヨの父親である政吉(52)が絞殺され、遺体となっているのが発見された。チヨはその場で逮捕された。

娘が自分の父親を殺すという、普通では考えられない犯罪に世間の注目は集まった。だが、捜査が進展してくると、そうなってもおかしくない理由が次第に明らかになっていった。

この時、チヨは3人の子供を持つ母親だった。

だが問題なのは、それが近親相姦によって、実の父親との間に出来た子供だったということである。

チヨと父親は夫婦同然の生活を送っており、そしてそれは父親から強制されていた生活だった。


▼中学生の時に初めて父親から犯される

昭和28年、この当時、チヨの一家は栃木県内の、ある借家で暮らしていた。家族構成は、父(政吉)と母、それに子供が7人の、合計9人家族だった。

チヨはこの中の長女であり、妹が2人と弟が4人いた。この借家は2部屋しかなかったので、この2部屋で一家9人が生活をしていた。

昭和28年当時、チヨは中学2年生で14歳。この年に初めて父親から犯されることになる。

ある夜、父親の政吉が、突然チヨの布団の中に入って来てチヨの身体を触り始めたのだ。チヨもびっくりして最初は抵抗はしたものの、周りで寝ている家族を起こしては悪いという意識から、じっと耐え、結果的になされるがままに犯されてしまった。

この一線を越えた1回目を境に、政吉はたびたびチヨの身体を求めてくるようになっていった。数日に1回の割合でチヨの布団の中に入ってくる。

「母ちゃんに言ったら承知しねえぞ!」

母親にバレないように、父・政吉はチヨに脅しをかけ、口止めをしていた。


しかしこうした生活が1年ほど続いた後、ついにチヨは耐え切れず、母親に全てを打ち明けた。チヨから話を聞いた母親は愕然となった。

普段は従順な妻であったが、この時ばかりは怒りに震え、政吉に対し

「よくもそんな恐ろしいことを!実の娘にあんなことをするなんて、あんたはケダモノだよ!」
と激しくののしった。

これに対し政吉は、反省するどころか逆に開き直り

「ガダガタぬかすとブッ殺すぞ!」と、刃物を持ち出して妻を怒鳴った。
「自分の娘を自由にしてどこが悪い!」

と、口論のあげく、妻を何回も殴った。

これをきっかけに政吉の家庭内暴力は激しさを増し、耐え切れなくなった妻は、チヨと、その下の次女の2人を政吉の元に置き去りにし、他の5人の子供を連れて北海道の実家へと帰ってしまった。


▼父と2人きりの生活が始まる

この時から政吉と娘2人の生活が始まり、チヨが母親の役目を果たすようになる。間もなくして次女は中学を卒業し、東京の会社へと就職が決まり、家を出ていってしまった。

妹が出て行ってしまった後、チヨは政吉と2人きりの生活となった。
政吉は、相変わらず酒に酔ってはチヨの身体を求め、一晩に2回や3回も普通になった。父と娘は夫婦同然の生活となっていた。

時は流れて、昭和31年、母親が子供たちを連れて北海道から帰って来た。やはり家族は一緒に暮らすべきだと、チヨの件について、改めて政吉と話し合いの場を持った。

話し合いには、母の兄も同席した。2人で政吉に「チヨには二度と手を出さない」と約束させ、母の兄が住む家の敷地に、新しく政吉一家の家を建てさせてもらうことになった。

完成した新居で再び一家全員で暮らすようになったが、最初の約束などは全く守られることはなく、政吉は相変わらずチヨの布団の中に入ってきては、チヨの身体を求めた。

見つけるたびに母は止めに入ったが、逆に殴られ、怒鳴られた。母から相談を受けていた兄も、政吉を止めに入ったり説教をしたりしたが全く聞き入れず、政吉はこの兄にも殴りかかるほどだった。

17歳の時、ついにチヨは妊娠した。もちろん、子供の父親は自分の父親である。
ショックを受け、どうしていいか分からなくなったチヨは、とにかく父から逃げようと、知り合いの男と一緒に家を出て、黒磯市に逃げた。

だが逃げられたと気づいた父親は、必死にチヨを探し回り、ついにはチヨと男の居所を突きとめてしまう。相手の男を怒鳴り散らして脅しをかけて追い払い、父親はチヨを強引に連れ戻した。


この一件があってから父親は、チヨを連れて、一家全員で住んでいた家を出た。県営住宅を借りて、ここで再びチヨと2人きりの生活を始めることにしたのだ。

チヨは反抗も出来ず、父についていくしかなかった。

この住宅は3軒長屋のうちの1軒で、この後、チヨはここで12年間暮らすことになる。チヨはこの家で最初の子供を出産した。

子供が産まれてからは、ますます、もう父親からは逃げられないという感情が強くなり、ほとんど諦めの状態だった。

父は相変わらず酒を飲み、チヨを求めてくる。この長屋に住んでいる間にチヨは5人の子供を産み、5回の中絶をした。5人の子供のうち2人は生後間もなく死亡したが、3人は育った。

後にチヨは不妊手術も受けている。

近所の人もこの一家の内情のことは気づいていたようで、すでに色々と噂にもなっていたようである。


▼社内恋愛も破局、父を殺害

昭和39年、チヨは25歳の時、印刷会社に就職した。
会社にいる間は父の束縛からも逃(のが)れることが出来る。チヨは、ここで同年代の女性たちと他愛もないことをしゃべり、一緒にご飯を食べ、家にいる時よりもはるかに楽しかったという。社員旅行にも行った。

そして昭和43年、この会社で29歳になったチヨは、社内恋愛を始めた。相手は7歳年下の男性工員だったが、チヨは夢中になった。

父には残業だと嘘をつき、会社が終わってからデートを重ねた。2人の仲はますます親密なものになり、ついにはプロポーズを受けた。相手の男性としても、チヨに子供がいることを知った上でのプロポーズであった。

チヨは夢心地のような思いで帰宅し、父に彼氏のことを説明し、結婚を申し込まれたことを告げ「結婚してもいい?」と尋ねてみた。

だが、娘の結婚を喜ぶような父ではないことは最初から分かっていた。父は激怒した。

「そんなことをしたら俺の立場はどうなる!」
「今から男の家に行って話をつけてきてやる!」
「そいつをブッ殺してやる!」

チヨは怒鳴り散らされた。父の怒りは頂点に達している。このままでは彼氏にも大変な迷惑がかかってしまうし、彼の家に乗り込んで殴ることぐらい、この父だったらやりかねない。

「ごめんなさい!もう、会社は辞めるから!ずっと家にいるから!」

チヨは恐ろしくなり、父の怒りを沈めるためには、こう言うしかなかった。最初から分かっていたことだったが、やはり結婚は駄目だった。


しかしだからといって、そう簡単に諦められるものではない。チヨは、もうこの家からは逃げ出して彼と一緒になる決意をした。

彼に電話をし、駅で待ち合わせ、彼のところへ連れて行ってもらうことにした。急いで荷物を準備し、着替えて出発しようとしていたところへ、父・政吉が酔って帰宅して来た。最悪のタイミングだった。

用意していた手荷物を見れば、家出しようとしていたのが分かる。父は激怒した。チヨを怒鳴り散らし、暴行を加え、服を引き裂き、下着までも引き裂いた。騒ぎを聞いて近所の人が駆けつけてきたが、おかまいなしだった。

さすがにこの時は近所の人たちが、何とか父を抑えてくれたが、そのスキにチヨは泣きながら半裸姿で家を飛び出した。

まだ諦めてはいなかった。チヨは駅に向かうバスに乗ろうとバス停に走った。しかし、すでにバスは通過した後だった。チヨは再び父親に連れ戻されてしまった。

この日以来、チヨはほとんど監禁状態となった。家から出させてもらえない。外部とも連絡が取れない。

「逃げたら3人の子供を始末してやる。」
「一生不幸にしてやる。」

ことあるごとに父はチヨをこう言って脅した。そして酒によっては身体を求めてくる。拒否すると殴られた。

この父がいる限り、自分の一生はメチャメチャだ、結婚なんてとても出来ない、自由も何もない。子供を殺すとまで言われて、チヨの我慢も、もう限界だった。

ほとんど監禁状態にされてから10日後、チヨは、部屋にあった父の作業用のヒモを掴(つか)むと、相変わらず酒に酔って怒鳴り、グダグダと説教する父を一気に押し倒した。
すばやく父の首にヒモを巻きつけた。この直後、チヨは、思い切り父の首を絞め上げた。

父はすぐ動かなくなった。手を緩(ゆる)めると、父は布団の上に崩れ落ちた。


▼異例の判決

事件が報道され、この異常な親子関係が明るみに出ると世間の注目は集まった。それと同時にチヨへの同情の声も多く上がった。

昭和48年(1973年)4月4日、最高裁判所で出されたチヨへの判決は、懲役2年6ヶ月、執行猶予3年だった。殺人としては異常なほど軽い判決だった。

この当時「尊属殺人罪」という罪があり、これは自分の親(配偶者の親も含める)、祖父母、曾(ひい)祖父母などを殺すことで、一般の殺人よりも罪が重く、死刑か無期懲役と定められていた。

父親を殺したチヨは、本来であれば、この尊属殺人罪を適用されて死刑か無期懲役になるはずだった。

しかし判決では、尊属殺人罪は適用されずに、一般の殺人と同様に扱われ、そこに至るまでの経緯や動機などを考慮の上で、情状酌量され、懲役2年6ヶ月という温情判決となったのだった。


▼「尊属殺人罪」について

自分を育ててくれた親を殺すことなど、人間としてあるまじき行為であり、親殺しは重罪であって、死刑か無期懲役にすべきだとするのが、この尊属殺人罪の考え方である。確かにその通りだといった感もするし、この法の存在も納得出来る。

だが、このチヨのように、子供のころから父親に虐待され犯され、自由も奪われて「殺すしかない」というところにまで追い詰められた人間に対しても、「父親を殺したのだから死刑か無期懲役」という判決を下すことは、正しい判決とは言えない。

また、親殺しは重罪であるとするなら、他人を殺した場合なら重罪ではないのか、ということにもなる。

日本の憲法によれば、全ての国民は法の下に平等であるとされている。

尊属殺人罪は、殺した相手が親だから他人だからと、相手によって罪の重さが違うという刑法であって、これは憲法の「全ての国民は平等」という精神に反するのではないかという議論が、チヨの一連の裁判中に巻き起こった。

親を殺しても他人を殺しても、殺されたのは同じ人間とし、親だから即、罪が重いとするのではなく、それぞれの事件について被害者と加害者の関係や状況、動機などを考慮して、公平な判決を下すべきである、という意見である。

最高裁では、尊属殺人罪が日本の憲法に反するとしてこの刑法を無効とし、チヨの判決には適用せず、一般の殺人と同様な判断で判決を下した。

この判決は違憲判決と呼ばれ、これ以降、尊属殺人は死刑か無期懲役という規定は適用されることはなくなった。

この尊属殺人罪、尊属傷害致死罪などは平成7年の刑法改正で、削除されている。
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/070aizawachiyo.htm

15年にわたる実父の強姦が黙殺された、「栃木実父殺し事件」の時代 2013.02.18

尊属殺法定刑違憲事件


 世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

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Photo by cytech Flickr

[第10回]
栃木実父殺し事件(尊属殺法定刑違憲事件)

 昭和43年10月5日3人の子持ちの女、浅川サチ(29・仮名)が、父親の政吉(52)を殺害したとして逮捕された。罪名は刑法200条にあった“尊属殺人”である。現在では聞きなれない罪状だが、当時は歴然と存在していた罪だ。名前の通り、自分または配偶者の直系尊属――父母、祖父母、曽祖父母――に対する殺害であり、通常殺人より重い<無期または死刑>という罪が科せられるものだった。今の感覚からは時代錯誤で、人権、平等といった法理念からかけ離れたものだ。しかし家父長制度、家庭という社会的基盤維持、儒教的考えなどから、当時親殺しは重罪とみなされていた。

 だがこの父親殺しの背景には、サチに同情すべき事実が存在した。サチと父親の間には長年にわたる近親姦関係の強要、その上での妊娠、出産といったおぞましくも悲しい事実があったのだ。そのためこの事件は「尊属殺の重罰規定は法の下の平等に違反する」と、憲法議論にまで発展していく。

■異常な執着を示す父親と実家に逃げた母親

 サチが初めて父親に犯されたのは昭和28年、サチが中学2年14歳の時だった。父親の政吉は勤勉とは言いがたく一家は貧困だった。当時の浅川家は栃木県内で、両親と長女サチを含む子ども7人の計9人が、狭い2間の借家に暮らしてた。

 ある夜、酒を飲んだ政吉はサチを無理やり犯した。突然のことで訳もわからないサチは大声を出すこともできず、近くで寝ていた母親のコウはこれに気づかなかったという。その後も政吉は母親の目を盗んでは頻繁に実娘の体を求めた。「母ちゃんに言ったら承知しない」。政吉は事あるごとにサチに口止めし脅した。

 それから1年、ついに堪えきれなくなったサチは母親にことの次第を打ち明ける。父に従順な母だったが、この時ばかりは驚き政吉を責め立てた。「実の娘によくもそんな恐ろしいことを」。しかし政吉は開き直り、刃物を持ち出し狂ったように暴れた。「自分の娘を自由にしてどこが悪い!」。娘を守ろうとする母親をボコボコに殴った。母はサチを親戚宅に逃がそうとしたが失敗、その後政吉の暴力はより一層激しさを増し、人が変わったようにサチに執着した。母親は堪え切れず、下の子ども2人を連れて北海道の実家に逃げるように帰ってしまう。

 母親が出て行った後も政吉は相変わらず酒を飲みサチを犯した。サチが17歳になった昭和31年、政吉はコウの実家に転がり込む形で、一家は再び共に生活するようになった。政吉はコウの実父に「サチに2度と手を出さない」と詫びた上だ。だが約束は守られることはなかった。政吉は夜毎にサチを求め、庇うコウを殴った。母屋に住む叔父(コウの兄)も止めに入るが、聞き入れないだけでなく、叔父へも殴りかかる始末だった。

 そんな生活続き、17歳のサチは妊娠してしまう。もちろん胎児の父親は政吉だ。混乱したサチは知り合いの男(当時28)と逃げ出したが、激昂した父は狂ったように探し回り、結局サチは連れ戻されてしまう。サチに異様な執着を示す政吉は、何度も騒動を起こした。2人の異常な関係は、自然と隣近所のうわさとなり知れ渡っていたという。

 昭和32年、政吉はサチとその妹を連れ栃木県の長屋に引っ越し、サチは長女を出産した。サチは出産したことで一層「父から逃れられない」と諦観したと同時に、いつか逃げるためにと密かに着物などを1つにまとめていたという。だが昭和30年代、学歴もない未成年の女性が、何の当てもなく逃げても生活は困難だっただろう。幼子を抱えてはなおさらだ。そんな時代がサチを縛り、父親から逃げられなくした。

 こうして父親と娘は、その後も12年間に渡り“夫婦同然”の生活を送るのだ。この間、サチは5人の子どもを産んだ。うち2人は夭折したが、3人の娘は元気に育った。だが5回の出産のほか、妊娠中絶を5回も繰り返している。政吉は避妊を許さなかった。父は執拗に娘を求め、娘はそれに応えるしかなかった。拒否すれば応じるまで殴られた。助けてくれる人はいない。

■半裸で逃げるも連れ戻され、2度目の家出も失敗

 昭和39年9月、25歳になったサチは、すでに子どもたちも手がかからなくなり近所の印刷会社で働くようになっていた。サチはこまめに働き、周囲からも「朗らかで明るい女性」と人気が高かったという。サチもこの時だけは、父親の呪縛から離れ“普通の女”として働けることが楽しくて仕方がなかった。社員旅行にも行った。

 そして昭和43年、29歳になったサチは7歳年下の工員と初めての恋をした。この恋がサチの自立心、そして父親に対する反発心を呼び覚ましていった。サチは仕事帰りに父親に嘘を言って工員と喫茶店でデートをした。遅くなると「浮気をしているのか!」と政吉に怒られたが、残業だと言いつくろった。2人の交際は続き、結婚を申し込まれるまでになった。相手はサチに子どもがいることも承知していた。サチは決心する。ある日、父親に「結婚してもいいか」と訊ねたのだ。しかし相手が年下だと知るや政吉は血相を変えた。「今から男の家に行って話をつけてくる。ぶっ殺してやる!」。サチは父の怒りを静めるため、男と別れて印刷所も辞めると言わざるを得なかった。

 だがサチは諦めてはいなかった。家出を決意したサチは準備をして家を出ようとした。が、偶然にもそこに政吉が酔って帰宅、サチを問い詰め洋服や下着を引きちぎるなど公衆の面前で大暴れを始める。騒動を聞きつけた近所の人が父親を取り押さえ、サチは半裸で走って逃げたが、結局は父親に連れ戻された。

 この騒動以来、サチはほとんど外出もできなくなった。そして政吉からの責め苦もエスカレートしていく。酔っては「一生不幸にしてやる」「逃げたら3人の子どもを始末する」と脅し、暴れた。子どものことまで持ち出されたサチは限界だった。このままでは自分が殺される。サチは愚痴や脅迫をグダグダ言い続ける政吉を押し倒した。目についた股引の紐で政吉の首を絞めた。

「さあ殺せ。お前に殺されるなら本望だ」

 その際政吉はこう言ったという。サチはさらに夢中で締めあげた。しばらくすると政吉はぐったりして布団の上に倒れた。政吉は、自分が犯し続けた実の娘に殺されたのだ。

 サチは子どもを連れ近所の雑貨商に駆け込んだ。「おばさん、父ちゃんを殺しちゃった」。サチはこう告げると声を上げて泣き出したという。その後、駆けつけた警官によってサチは逮捕された。昭和43年10月5日、29歳のサチにとって、無意識ではあるが1つの“決断”だったのだろう。

 父殺しの背景にサチと政吉の異様な関係が明らかになるにつれ、世間のはサチへの同情を寄せていく。と同時に“尊属殺人罪”へも目が向けられていった。刑法の尊属殺人条項は憲法の「法の下の平等」に合致するのか、違憲なのではないか。こうしてサチの父殺しの法廷は憲法議論にまで発展していった。だがしかし、それ以前にもっと根源的な怒りが、疑問が残る。サチが父親を殺すことになるまで、事態はなぜ放置されたのかということだ。

14歳の子どもが実の父親に無理やりレイプされた。そのことを母親は知っていた。それを阻止しようとするが、自身が暴力を振るわれ、子どもを人身御供のようにおいて家を出た。母親の親族も父娘の近親姦を知っていた。だが、政吉の剣幕の前に手をこまねくばかりだった。また政吉の親族も然りである。事件後の政吉の弟の供述調書には以下のような下りがある。

「実の父と実の娘が夫婦然として生活しており、世間に対していろいろ恥ずかしい行為をしていた。他兄弟や親戚の者も軽蔑して寄り付かなかった」

 サチが何かと頼り、父親殺害後に駆け込んだ近所の雑貨商もそれを知っていた。いや近所の多くの者がそれを知っていたと思われる。またサチが勤めていた印刷所の工場長もだ。サチとの結婚を考えた工員はサチが印刷所を辞めた後「深入りするな」とその事実を工場長から聞いたという。工員は「がっかり」したものの、彼女を救おうとする姿勢は皆無だ。

 サチの周囲の多くの人間が父娘の近親姦を知っていた。しかし無法者の父親に恐れをなしたとして、有効な手立てを打とうとした者はいなかった。

■家父長制と世間体の下、排除された女性や未成年者

 昭和30〜40年代、高度成長期で3種の神器といわれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫が普及しはじめ、戦後民主主義が一般にも浸透し、団塊世代が青春を謳歌した時代でもある。そんな中、未成年期も含め、15年間にも渡る父親と実娘の関係は単に「マユを顰められる」ものだけだったのか。周囲の多くの大人がこの“異常な関係”を知っていた。だが1人でも未成年に対する“犯罪行為”“強姦”と認識し、少女を助けることはなかった。当時の未婚女性が何度も妊娠・出産・中絶しても医師は疑問を持たなかったのか(医師は『これ以上中絶すると母体が持たない』と避妊手術を薦めただけだ)。

 しかし実を言うと当時、いや現在においても“近親姦”に対する刑罰は存在しない。よって近親姦は違法ではない。近代において、日本では一度親族姦の規定ができたが1881年に廃止された。近親姦は法の概念ではなく道徳的なものとの解釈からだ。近親姦は時代や宗教、国家、風習、道徳観などにより時に公然と認知され、時にタブーとなる。

 現在では児童虐待防止法があり、保護者による18歳未満への性的虐待はこの対象になる。だが当時の児童虐待防止法は対象が“14歳未満”だ(サチが最初に父親に犯されたのは14歳)。また強姦罪は親告罪だが、当時サチが父親を訴えるなどという知識はなかったのだろう。また周囲にもそうした“退避”行動をとる者はいない。当時はまだ家父長的考えが色濃かった時代である。家族や親族のつながりが強く、世間体も今より比較にならないほど人々を縛った。それが逆に悪弊となった。政吉とサチの関係は「身内の恥」として公然の秘密となった。誰も本気でサチを救おうとしなかった。

 だが当時、誰かが警察や関連機関に相談しても「家庭の問題」として積極的に取り合うこともなかっただろうと推察できる(そもそもDVが犯罪として認識されたのもつい最近のことである)。女性や未成年者の人権など、ほとんど省みられない環境と時代にあったサチに逃げ場はなかった。

 そもそも、当時の司法関係者の認識もあまりにひどい。一審判決においては、「尊属殺人の重罰規定は憲法違反」として刑を“免除”するという画期的判決だった。しかし検察は控訴する。その控訴審で検察は「彼女はなぜ長年逃げなかったか。父と娘が夫婦然と仲良く平穏生活していたのだ」と立証しようとしたのだ。まったくもって噴飯ものだが、そうした認識は裁判官も同様だった。

 「父親と夫婦同然の生活をして、父親が働き盛りの年齢を過ぎた頃若い男と一緒になる。(それは)父親を弄んだことになると考えたことは?」と質問し、「(2人の関係は)大昔なら当たり前」「被告人(サチ)は父親の青春を考えたことがあるか」「働き盛りに何もかも投げ打って被告人と一緒に暮らした男の貴重な時間」など父親に同情的な発言さえあったという(『尊属殺人罪が消えた日』より)。

 「親は子どもの所有物」であり「父親をたぶらかした悪女」そんな裁判長の恐るべき認識――。現在でも裁判官という人種は世間知らずであり、時折かなりズレた発言、判決を出し世間を驚かせるが、その体質は今も昔も変わらないものだった。そして2審では懲役3年6カ月の実刑判決が下された。こうして裁判は最高裁に持ち込まれた。弁護人は「鬼畜のような父親にも子どもは服従し、尊属として保護してもいいのか」と子どもの人権を展開。尊属殺人罪の違法性を主張し続け世間の注目を浴びた。そして昭和48年4月4日、最高裁は尊属殺人規定は違憲として執行猶予付きの判決を下した。当時、この判断は「道徳革命」とまでいわれた画期的なものだったという。

■現代でも表面化しずらい親という名のモンスター

 それにしても親の子どもに対する暴力は性的、心理的も含み現在でも大きな問題として現存する。現在は昭和30年代に比べ猛烈に核家族化が進み、親戚近所のコミュニティも崩壊している。そんな環境下、家庭という密室で親権という凶器を持ったモンスターが存在したら――。

 児童虐待防止法、未成年者淫行条例など、子どもを守るさまざまな法や取り組みがなされ、サチの時代に比べて少しはまともになってはいるようには見える。しかし、それが万全と機能しているわけではない。現在でも幼児虐待、虐待の末の殺害も後を絶たない。性的虐待だけを見ても表面化するのはごく一部、しかも虐待者の4割近くが実父との報告もあるほどだ。そして虐待で逮捕された多くの親が平然と「しつけ」と抗弁する。

 現在においても女性や幼児、未成年者の人権や権利、安全が守られている社会とは言いがたいのも現実だ。サチのように“鬼畜のような親”の下に生まれてしまった子どもたちにとって親の存在、そして親権とは何なのか――。現在でも解決していない“古くて新しい問題”を考えさせられる事件でもあった。

 サチの事件審理で最高裁は「尊属殺人加重規定」は違憲と判断し、昭和48年以降この刑の適用はない。しかし尊属殺人罪の記載が刑法から削除されたのは、判決から22年がたった平成7年になってからだ。
(取材・文/神林広恵)

参考文献
『尊属殺人罪が消えた日』(谷口 優子著、筑摩書房)
https://www.cyzowoman.com/2013/02/post_7940_1.html

25. 中川隆[-13596] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:22:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

29歳にしてフェラ歴20年の私の話。

1 :ミカ:2012/02/03(金) 15:33:24.68

ふと思い出した昔の話。ぼちぼち書きます。

私は物心ついた頃からおばあちゃんと暮らしてた。
アルバムを見る限りでは、多分二歳位から。
おばあちゃんの家は古い長屋で、6畳×2と狭い台所があって、そこで母方の祖母、母の兄(当時20代半ば位?)と三人暮らしだった。

母は当時20歳位で、水商売(普通にラウンジとか)で働いてて、別に暮らしてた。
祖母は食堂を営んでいて、朝早くから、夜は23時過ぎまで帰らなかった。
叔父は、余り家に居なかった。

幼少時の私は、幼稚園に行き、皆が14時頃に帰った後も、ホームクラス(延長保育)で18時まで過ごした。 18時頃になると、祖母の店のお客さん(日替わり)が迎えに来てくれ、祖母の食堂に帰った。 そこで夕飯を食べ、また家に送ってもらい、祖母が帰るまでの間、一人で過ごした。

祖母の家は風呂が無かったので、徒歩一分くらいの銭湯に毎日行った。 顔見知りの銭湯だったので小さい私が一人でいっても、入れてくれた。 でも、常連のおばちゃんたちが、

「毎日一人で来てるけど、あんな小さいのに一人で綺麗に洗えてるのか。 汚い。」

と言ってたのを私は知っている。

物心ついた頃からそういう生活だったので、寂しいとかは無かった。
父親がいないのも不思議に思った事も無かった。
後から知ったが、父とは私が1歳の頃、離婚したらしい。

この頃、唯一の楽しみは木曜日だった。
木曜日は母が休みだったので、母のマンションに泊まる事が出来た。
その時は、普段絶対に食べられない、ビーフシチューやハンバーグを食べられた。
母の隣で寝られるのも幸せだった。


しかし嬉しい事ばかりじゃなかった。
知らない男に抱かれる母を何度も見た。
物心ついた頃から小学校3年までの間に、4人、相手が変わった。

隣の布団でしてた時は泣きそうだった。

悲しくて、男の時計や財布を隠した。
唯一出来る反抗だった。


小学校3年のある日、母がまた違う男を連れて来た。
しかし今までとは違う。
おばあちゃんに紹介したり、私にその男を「パパ」と呼ばせようとした。

母は当時27歳、パパは24歳。

気が付くと私は、初めて母と暮らす様になっていた。
パパも一緒に。

パパは最初は優しかった。パパが大好きだった。
再婚に大賛成だった。パパと母のセクロスは一度も見なかった。

だけど一緒に暮らす様になって、パパは変貌した。
テストで50点以下を取ると、教科書丸暗記するまで何日も寝かせてくれなかった。
お行儀が悪いと茶碗や皿が飛んできた。
怖かった。

そんな生活が一年もたたないうちに、母のお腹に妹が宿った。

母は仕事を辞め、私は一緒に過ごすのが幸せだった。
今思えば、あの時が一番幸せだった。
一緒にシュークリームを焼いたり、初めて参観日に来てくれたり。
その10ヶ月が一番幸せだった。

10ヶ月後、母が産気付いて、入院した。
病院の外で、祖母とパパが、母の入院中、私(ミカとします)をどちらの家で見るか
の話し合いをしてた。
祖母が「ミカはどうしたい?」と聞いたので私は迷わず「おばあちゃんちがいい」
と言った。
そして、その日、着替えなどを取りに一旦、パパと帰宅。
家に帰った瞬間、パパの形相が変わった。

「何故、おばあちゃんちがいいと言った」

と、パパにぶたれた。 何度もぶたれた。私は気を失った。

ずっと怖かったパパだけど、そこまで殴られた事が無かったので私は震えあがった。 目が覚めてから、おばあちゃんに電話し 「パパと一緒がいい」と、泣く泣く言った。

その夜、妹が産まれた。

パパはその日から仕事に行かなくなった。
私に、母を装って会社に電話させた。
「主人は体調が悪いので休みます」的な。
そして、一日中ゲームしてた。

妹が産まれた次の日の夜 私がお風呂に入っていると、パパが入って来た。

驚いたけど、怖かったので何も言えなかった。
パパは上機嫌で、湯船に入ってきた。
しばらくして、パパが言った。

「ミカ、パパのおちんちんをパクって咥えてみて」

その当時、小学4年だった私は、はっきりどういう事かわからないけど恥ずかしい、エッチな事だと思った。

でもやはり怖かったので言われるがまま、咥えた。
その日は、何度か咥えさせられたが、それ以上は要求されなかった。

その行為は、母が入院中、ずっと続いた。
恥ずかしいのと、言ったら殺されるんじゃないかと思い、誰にも言えなかった。

母が退院した。
相変わらずそれは続く。いつからかは覚えてないが、段々とキチンとしたフェラをさせられる様になっていた。 AVを見せられ、
「この女の人みたいに舐めるんだ」と言われた事もあった。

妹が産まれて以来、パパは仕事に行かなくなった。
代わりに母が、昼は事務、夜はスナックで働いて、私たちは生活をした。

妹の保育所の送り迎えは私がした。
ご飯も私が作って食べさせた。

生活は貧しく、米しか無い時はふりかけで食べた。
米も無い時はモヤシやピーマンを食べた。

パパは一日中ゲームをしてた。
途中、私にコーヒーを淹れさせる。
薄かったり濃いかったりすると、投げつけられ、作りなおさせられた。

毎日の様にマッサージをした。
1時間や2時間とさせられるので、指がパンパンだった。

1〜2日に一度、フェラを強要される。
決まって母や妹が居ない昼間だった。

文化住宅だったうちには当然風呂はなく、2〜3日に一度しか銭湯に行かないパパのそれの匂いや味に吐きそうになりながら、涙目でしてた。

因みに何故、小学生の私が昼間 家に居たかというと学校に行くとパパに怒られたからだ。
週2〜3日は休んだ。
学校に行ったある日、パパと2人きりの時間を減らしたかった私は寄り道をして、遅く帰った。

当然、母の見てないところで殴られた。

次から、学校の門まで迎えに来る様になった。
友達の間で
「あいつは父親とデキてる」
という噂が流れ、ますます学校に行きにくくなった。

母はそんな事情を知らないので、休む私に
「お前もあいつ(パパ)と一緒でボンクラだ。死ねばいいのに。」
と言った。死のうと手首を切った。
(死ねなかったけど)

家に食べるものが無いので、おばあちゃんちに行こうとする母と妹。
「一緒に行きたい!!」と言いたかった。
言えなかった。
背中ごしに睨むパパが居た。
母は、「怠けモノ同士、家に居たらいい」と言った。


18 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 16:41:48.22

壮絶な人生ですね
フェラの時は、イクまでしてたってことですか?
口に出された場合は、どうしてましたか?


19 :ミカ:2012/02/03(金) 16:49:13.45
≫18
最後までです。飲み込むのを要求された時は飲みました。
それ以外はテイッシュに出してました。

小学校5年の頃から、パパと母はパチンコにハマった。
土日になると、1歳の妹と、パチンコ屋の駐車場で一日中待った。
パチンコ屋のカップラーメンやハンバーガーの自販機でお腹を満たした。
入口に立ってたら、おばちゃんやおっちゃんが、ヤクルトやチョコレートをくれた。

1〜2時間に一回、様子を見に母が来る。
勝ってる時は、千円とか、お小遣いをくれた

妹が不憫に思った私は、そのお金で、近くのガレージセールに行き
妹のオモチャや椅子を買った。

パチンコは私が中学に入るまで続いた。
住む家もだんだんランクダウンし、私は小中合わせて7回、転校した。
もうこの何年かは、最悪な事ばかりだった。
兎に角、父は6年もの間、停職に付かず、ゲームとパチンコだけをして過ごした。
私はずっとフェラをし続けた。
パイズリもした。

中学に入る頃には、私の身体に触る様になった。
胸を揉んだり、舐めたりした。
アソコも触ったり舐めたりした。

もう、この頃には私はどうでもいいやと思ってた。


しかし、人生を諦めかけた私にある出来事が起こる!!

厨二の冬、私は幼馴染と六年ぶりに再開する。
一つ上の男の子。小学校3年の時のファーストキスの相手。
母の友達の息子だった彼は、親の都合で施設で暮らす事になり、会えなくなった。

でも彼の母親が、玉の輿婚をしたので、また引き取られ一緒に暮らすようになったのだ。
そして、再開。
幼い頃から芽生えていた恋心、ここで暴走

再開から間もなく、私たちは付き合う事になった。


22 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 17:02:33.47

王子様の登場ですね
パイズリとありますが、その当時で何カップあったんですか?


23 :ミカ:2012/02/03(金) 17:21:51.39
≫22
いや、残念ながらDカプですw
でも、してみたかったんじゃないですかね?w

王子様の登場!!

ならいいんですが、私はその後すぐ
彼とは別れました。パパが半狂乱だったし、何より汚れた気がして
彼と会いたくなかったから。


24 :ミカ:2012/02/03(金) 17:02:51.84

友達の家に行くといい、母にも手伝ってもらい彼と何度かデートしました。
クリスマスにタイタニックを見に行き、キスをした。

その時、私はパパの事も忘れられる位幸せでした。

しかし彼と付き合いだして二ヶ月ほどたったある日
私が彼に宛てて書いた手紙がパパに見つかった。

パパは気が狂った様に、怒り、泣き、私を初めて犯しました。
私は処女でしたが、さほど痛みはなく、ただもう、絶望感のなか、上で腰を振るパパを見てた。

一度一線を超えたパパは、それからはセクロスを強要した。
でも、しばらくして私は
「私は、好きな人と結ばれる事も出来ないのか」
と思う様になり母に、全てを打ち明ける決心をした。


あ、やば
旦那帰宅。また後で来ます。すみません。


25 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 17:25:47.26

悲惨な幼少期だったようですが、今では結婚もして、
そこそこ平和な人生になってそうですね、よかったなぁ


26 :ミカ:2012/02/03(金) 17:39:04.18

よく出来た作り話ですねw


27 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 17:42:23.19

その後はどうなったんですか?


29 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/03(金) 18:21:09.56

酉付けますねー。

そして、ある日母を呼び出す。スーパーのフードコート。

でもやっぱり面と向かって言う勇気がないので目の前にいる母に手紙を渡す。
今思えば変な行動。

手紙には沢山は書かず
小3からフェラを強要されてたこと。
初せクロスの相手がパパである事を書いた。

母は泣いた。
外だというのに、気にする事も無い様にボロボロ泣いた。
そんで私に謝った。何回も謝った。

そして母はその足で、近所に住むパパ方のおばあちゃんちに行った。私を連れて。

そこでその手紙をおばあちゃんとおじいちゃんに見せて、泣きながら、離婚すると言った。


直後、おばあちゃんは顔色変える事もなく信じられない事を言った。
おじいちゃんは黙ってた。
わからないけど、怒った顔だった。

おばあちゃんは、母に向かってこう言った。

「私は貴方のお母様にお金を貸しているのよ。200万円程。それをきっちり返済して貰わないと、離婚には応じられないわ。
ミカちゃんの事は、貴方の監督不行届でしょう。あの子(パパ)が仕事をしないのも、貴方のせいでしょう。」

その日のそれからの事は覚えてない。
でも何か、おばあちゃんが言ったその事があってなのか、何なのか離婚はしなくて、またしばらく、元の生活に戻った。

ただ、母に言われたパパは、セクロスを強要しなくなった。
私とパパが2人きりになる時間もなくなった。ただやっぱりパパは仕事はしなかったし、ゲームとパチンコしてた。


32 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 18:35:07.00

子がクズなら、親もクズだなぁ
なんで、平気で人を傷つけることができる人間がこの世には沢山いるんだろうねぇ
ホントこの世は理不尽だなぁ


38 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/03(金) 20:17:14.07
≫32
あのババアは、本当鬼畜だった。

鬼畜伝説その一
元水商売の女なんて、誰の子を孕んでるかわからない、と妹の前に出来た子を堕胎させられた。

その二
ミカちゃんをこちらの籍に入れるのは嫌だ、といい、養子縁組してもらえず六年間私だけ、家族と違う苗字だった。
それで結構学校でいじめられた。

その三
妹のお年玉=五千円
私=千円

その他
ババアネタだけで本出せそうだ


それから半年くらい経ったある日、母が私に言った。

「これから毎日、パパにわからない様に、カバンに服や必要なものを詰めて、少しずつおばあちゃんちに運ぶように」

3日位、少しずつ運んだ。
本当に必要なモノだけ。服とか。

で、4日目の朝、母はパパにお小遣いをあげた。1万円。

パパは意気揚々と、パチンコに出かけた。

そしてパパが出掛けた後、最後に必要な荷物少しを持って、母と妹と私は家を出た。
私はちゃんとした説明も聞いてなかったので、頭ん中「???」だった。

で、割りとすぐ近くの喫茶店に。
入るとスーツの女の人。余談だけど割と若い人だった気がする。

女の人「うまくいきましたか?」
母「はい、ありがとうございました。あと、これ。。。お願いします」

母は女の人に離婚届を渡した。


喫茶店を出ると、次は電車に乗った。
5駅程離れた所で降り、しばらく歩き、団地の様な建物の前に着いた時、母はやっと話した。

母「ここは母子寮と行って、旦那さんから隠れる必要のある人が暮らす処。ここでしばらく暮らすよ。ただ、期限があるから、それまでだけど。」

私「パパに見つかったらどうするの?」

母「大丈夫。名称は地図にも載ってない位だから。見つからない。」

私は少し安心した。

後日、その女の人が(弁護士さんでした)離婚届をパパのところに持って行き、話し合い、判を押させたらしい。


34 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 18:53:43.33

シェルターですね
彼のしたことは当然、何百万もの慰謝料を取れる罪ですが、どうなったんでしょうか?
ばばあが二百万うんぬん言ってますが、少なくともその二百万をチャラにさせるぐらいのことはしてますからね


39 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/03(金) 20:19:45.10
≫34
シェルターですね。
あの時、日本にそんなもんがあるのかとちょっと驚いたANDかっけーと思いましたw


35 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/03(金) 19:04:04.43

そしてそこで二週間足らずを過ごした。
何かよくわからないままに警察病院に連れて行かれ、膣内部を調べられた。
警察署にも何回も行った。
男の刑事さんに根掘り葉掘り聞かれた。
カウンセラーの人と話しもした。
でも、実際裁判はしなかった。
私が嫌がったから。

知らない人の前でその話をしたくなかったから。
今思えば、本当、慰謝料貰うべきだったwwwww

いや、簡単な裁判はしたのかな?よくわからないけど 私が居なくても出来るの?

兎に角、母が
「パパかミカに近寄らない様に命令を下して貰った」って行ってた。

ところが、母子寮から出て、おばあちゃんちで暮らし初めた頃、パパが奇行に走る。

ある日、外に出ると、私の自転車のカゴに、何か入ってる。

それは、可愛い小さい紙袋だった。
中身は女の子の好きそうな可愛いカラーペンやシャーペンなどの文具。
そして、手紙。

はっきりとした文面は覚えてません、すみません。

ただ、パパは、私の事を愛してると。
愛してるからフェラして貰ったし、セクロスしたと。
兎に角、すごく愛してる、会いたい、気が狂いそうだ、みたいな内容だった。

母に見せたけど、私にはあんまり反応した素振りは見せなかった。
ほっとけって、感じだった


45 :日本昔名無し:2012/02/03(金) 20:44:32.69

おっさんホントにクズだなぁ
でも、ロリコンの連中からしたら、子持ちの女性と付き合って、
その連れ子とエッチなことするって夢みたいなもんだろうからね
よく漫画とかのネタになってるし

不謹慎な言い方だけど、おっさんにとっては最高の生活だったんだろうな


46 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 01:11:11.91
≫45
今は、あいつのクズさがよく解りますw
でも、あん時は本当に怖かった。。。


48 :日本昔名無し:2012/02/04(土) 06:48:00.18

質問というか、こういう話で気になるのは、そうやって性的虐待を受けた子はその後、好きな人とか彼氏とか旦那さんとかとセックスしたりする時、どんな感じになるんだろうか、と

やっぱフェラしたりすると、昔のこと思い出して嫌な気持ちになったりするんですか?

あと、不謹慎な質問だと、
子供の頃から、そんなにいっぱいフェラさせられてたってことは、相当訓練積んでたわけだから、いざ他の男にしてあげた時、上手すぎるとかって褒められたりしましたか?やっぱ上手になってるもんなんですか?

あと、おっさんはほぼ毎日それを6年間やらせたってことは、 一年に300回はさせてたとして、ざっと1800〜2000回はやらされたってことですかね
風俗で一回一万だとしたら、2000万分、しかも未成年にそんなことして貰おうと思ったら、裏ルートだから、分かんないけど多分一回三万ぐらいだとしても、約5000万分はいってるのかな

おっさん罪深いなぁ、間違いなく地獄行きですね


50 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 07:01:53.56
>>48
私は特に余り何も感じた事は無いです。
何というか、もう開き直ってたのでしょうか。
思い出して嫌な思いはしません。
むしろ、好きな相手にしてあげる事が幸せだと思いました。

フェラは、上手だと旦那には絶賛されますが、それが経験を積んだからかは謎です。
単純に、旦那さんを喜ばせてあげたいので、一生懸命します。
パパ相手の時は嫌々だったので、モチベーションが全く違うので、丁寧さも違います。

開き直ったからと、風俗に行こうとは思った事はありません。
パパに無理矢理させられたからこそ、愛してる人としか、したくないです。


49 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 06:57:00.49

結局その後暫くは、そういった事が度々ありましたが、母がどうにかしたのか、一月後には、ぱたっと無くなりました。

そして私は、高校に入るため猛勉強。今までの遅れを取り戻すべく、夜中まで毎晩勉強しました。

普通に人並みの高校生活を送っていた私ですが、やはり母とは別に暮らしていました。離婚後、母は水商売に本格復帰
母子寮を出てから私と妹は祖母宅へ
母は近くでマンションを借りて住んでいました。気付くと新しい男と一緒に。

母は当時35歳、男は51歳でした。
事もあろうか元ヤクザのチンピラでしたが、私や妹にはよくしてくれた記憶があります。

私が17歳になった時、その男の後ろ盾で、母がスナックを経営する事になりました。
私は毎日、ホステスとして手伝いに行きました。慣れないお酒を飲み、毎晩1時まで働きました。

そして、前の旦那と出会ったのです。


前の旦那
スペック31歳
178cm85kg位
顔は、清原さんを少し崩した感じ


ついでに私のスペック(当時)
17歳
152cm43kgくらい

インリンに似てるってよく言われた


旦那は、週の半分位飲みに来ました。
作業服で。(解体業)

金払いも良く、少し変わりモノでしたが、男らしい人だと思いました。

4ヶ月位飲みに来続けて、私が18歳になる前、旦那からご飯に誘われました。

母に相談したら
「M君(旦那)だったら安心だから、行っておいで。但し、ご飯の後、お店に連れてくる様に」と言われました。

旦那に指定された焼き鳥屋へ。
少しお酒を飲みつつ、ご飯を食べ、たわいも無い話をしました。

さぁ、お会計というところで旦那が私に言いました。

「ところでミカちゃん、いつ付き合ってくれるの?」

私は、そんな対象で見られてると思わなかったし、マトモな恋愛経験が無かったので
「えぇえぇぇえ???」ってなりました。

でも結局、恋愛に対する憧れや、少し顔もタイプだったのもあって、その後暫くして、お付き合いする事になりました。

そして来る初セクロスの日。

旦那服を脱ぐ。


「??!」

めっちゃ刺青入ってますやーーん

それも、それってファッションじゃなくて本物のやつですやーーん

てゆうか、よく見たら左手小指無いですやーーーん


その後、母に聞いたら、母は知ってた様でした。
言えよ、先に・・・

高校を卒業して、旦那と同棲する事に。
旦那は一人暮らしのくせに、2LDKの立派なマンションに住んで居たので、私が旦那の家に荷物を運ぶ形で。

母は特に反対しませんでした。
というより、一緒に住んでた訳でもなかったので、別に私が ばーちゃんちに居るか、男の家に居るかで、母にとっては何の変わりばえも無かったんだと思います。


付き合ってすぐ、失敗したと気付きました。
旦那はDVでした。

毎日ではありませんが、旦那はくだらない事で私を殴りました。
腑に落ちないながらも、逆らうと怖かったので、泣きながら、ただ謝りました。

怖くて部屋の隅に逃げても、追い付いては殴り、蹴りました。

母には言いませんでした。
パパの事で、慣れてしまったのか、我慢するのに大した苦痛もありませんでした。

暴力に慣れた頃は何て言うんでしょうか。
痛みも余り感じず、殴られてる私を、離れて見てる様な感覚でした。他人事みたいな。

後でDVの本を見た時にすごくよく解ったのですが DVにはサイクルがあります。

まず優しい時期があります。
普段からは信じられないくらい、優しい時期が。

そして1〜2日経つと、何だかとっても不安になる時期があります。
特に旦那が怒っているとか、不機嫌とかでは無いのですが、無性に不安になるのです。

そしてまた1〜2日経つと、もう必死に顔色を見てしまう。
その頃位に旦那に殴られる日が訪れます。

私をひとしきり殴った旦那は罪悪感からか、また優しくなります。

この繰り返しです。
優しい時期があるので、私は訳が解らなくなり、離れる事も出来ませんでした。

くだらない事で殴ったとありますが
ある時は

付き合いだした頃は、旦那は
「友達に18歳の子と付き合ってると言ったら、すごく羨ましがられた」と得意げに言ってたのですが

私が可愛いミニスカートを母に買ってもらい、見せると
「そんな子供みたいな服着やがって、俺に恥をかかせる気か、くそガキと付き合ってると友達に笑われたらどうしてくれる」と言って殴りました。

またある時は、
「ブタ女が、みっともない。」
と殴りました。

確かにスレンダーではなかったですが、太っても無かったと思いますが。

それが度々あったので、私は無理なダイエットを繰り返し、ストレスで過食嘔吐になりました。
食べてしまった罪悪感から、下剤を乱用し ○ーラック1箱一気飲みしたりしていました。

その成果?か
体重は34kgまで落ち、旦那はたいそう喜びました。

18歳で入籍、19歳と20歳で出産しました。
子供は大好きだったので、とても可愛く、大切に育てました。

旦那は一切協力が無く、母にも頼りませんでした。
というより、頼る事を許されていませんでした。
「子供2人くらい、お前一人で育てろ。そんな事も出来ないのか」と殴られたので
母に助けを求める事は出来ませんでした。

旦那は、仕事の帰り道、毎日飲みに行っていました。
帰ってから、お風呂に入り酒を飲み、ご飯を食べて、二階の寝室に消えて行く。
私は、子供が泣くと怒られるので、子供2人を一階のリビングで寝かせてから、一人ご飯を食べ、その後一人ずつ連れて上がっていました。当然、寝室は別です。(この頃にはメゾネットタイプのマンションに引っ越してました。間取りは3LDK)

ある日、いつものように子供を寝かしつけ、一人ご飯を食べていると
旦那が二階からおりてきました。
その日の私のおかずは、旦那の残した刺身でした。
旦那は「一丁前に刺身なんか食いやがって。また太る気か」と罵りました。
私は悲しくなり、もう死のうと思いました。旦那の残り物でも、そんな風に言われるのかと。


59 :日本昔名無し:2012/02/04(土) 08:00:03.93

フェラへの思いを読みましたが、素晴らしいですね
誰が何と言おうと、その心意気は素晴らしいと思います
今の旦那さんは幸せもんだな

それにしても、災難が続きますね
一旦大きくリセットしないと、不幸体質はずっと悪い縁を
引き寄せますからね、貧乏神に憑かれるというか


61 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 08:17:42.52
>>59
後に書きますが、今の旦那がリセットしてくれたと思います。
今は、まぁまぁ幸せです。
ありがとう。


60 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 08:14:59.40

死んで、旦那や母に「死んでやった、ざまあみろ」と言ってやりたかった。

「お前らのせいで、私は死んだ。一生その十字架を背負っていけ。」と。

でも、何度そう思っても、可愛い子供の顔を見ては
「この子たちには、私がいないと」と泣きながら思いとどまりました。

それ以来、ストレスでますますご飯を食べれなくなり、私は極度の免疫力の低下により、肺炎にかかりました。

ある日の夜、子供を寝かせつけながら、一緒にリビングで寝てしまったのですが
ふと、猛烈な痛みで目が覚めました。

17歳から、慢性的な胃痛持ちだった私は、ただの胃痛だと思いもがきながらも、我慢してましたが、段々と呼吸もままならなくなり2階の旦那を起こしに行きました。

途切れ途切れ、旦那に言いました。
「ただの胃痛かと思っていたが、様子が違う。痛くてたまらない。病院に連れて行って欲しい」
旦那が暴れだしました。
「嘘付きの大袈裟な女。そんな事を言って寝かせないつもりか。行きたきゃ自分で行け」そして蹴り飛ばされ、下に追いやられました。

私は泣きながら、電話を手にとり119番しました。
もうその時は本当に途切れ途切れしか話せなかったので、電話の向こうで救急隊の人?が心配してました。

すると旦那が二階から降りてきて、
「救急車を呼ぶと金がかかるし、近所でみっともないから、自分で運転して行け!」と言われました。

私は、救急隊の人に、「自分で行くので、受け入れてくれる病院を教えて欲しい」
といい、自分で行きました。
そして、肺炎の診断。
MRIに入る時、仰向けで寝るのが苦しかった。

その場で点滴を受け、楽になった。

医者は、
「肺炎というのは通常、お年寄りや赤ちゃんなど、免疫力の低い人が風邪をひいたりした時になるもので、普通貴方の様に20歳くらいの人がなるもんじゃない。よほど体力や免疫力が低下してるんだろう。とりあえず、入院して下さい。」
と言いました。

私の頭の中には、
「入院なんかしたら、子供も面倒がみれなくなる。そしたら旦那にまた殴られる」
という事しか浮かばず、医者に頼んで通院にしてもらった。
医者は渋々だったが、うちの近所の病院に、紹介状を書いてくれ、私は徒歩10分ほどの近くの病院で、1日2回、点滴を受けるべく通うことになった。

ま、通院2日目の日、旦那に
「もう痛くもないんだろう?その点滴は一回いくらする?」
と言われ、行けなくなりましたが。

あと旦那の性癖は、どノーマルとはいきませんが、生粋のSだったと思います。
(あんまり詳しくないんですみません)

アナルSEXを好みました。
私は痛かったので、毎回嫌がりましたが、無理矢理にされました。

ある時は、バイブを使い、両方突っ込まれたり、もう、泣きながら抱かれました。

しょっちゅう飲尿もさせられました。
苦くて、吐きそうになりながら飲みました。

旦那のセクロスで愛情を感じた事は無かった。


因みにこの頃、母は2度目の再婚をする。
更に種違いの妹が増え、弟も出来た。
しかしやっぱり養子縁組はしてもらえなかったので、住民票上は、母の子供は3人ということらしいw

私って一体wwwwww

そんな事もあり、ますます私は母と疎遠になる。
ただ、パパの子供である妹に、私はとても愛情があったので
また同じ繰り返しにならないか、母の再婚の時はとても心配だった。

奇しくも母の再婚時、妹は小3。
母がパパと再婚した時の私と同じ年だった。

私は毎日妹に、「何か悲しい事があって、お母さんにも誰にも言えない時は、お姉ちゃんとこに来るように。」と言いました。
私も結婚していたので、妹を近くで守る事は出来なかった。

幸い、新しい旦那さんは、妹を可愛がってくれた。
今も上手くやってます。

でも、私は一緒に暮らした事も無いし、可愛くないみたいw
母は未だに、旦那さんと居る時は私の電話にも出てくれませんw

長男が2歳になる誕生日の日、母が電話で、「長男にプレゼントを買いに行こう」と言いました。

しかし、母にそんな事をしてもらっては、また旦那に殴られると思った私は、断りました。
祖母も同じ様に言いましたが、やはり断りました。
2人とも疑問に思っていた様子でしたが、兎に角断りました。

そしてその日の夕方、旦那帰宅。
私の携帯の履歴チェック。母からの着歴。

旦那大暴れ。内容はこう。
「俺の居ない間に、母に会っただろう。そして、長男の誕生日祝いをした。親の俺を差し置いて、先にお祝いしたんだろう。」

私は泣きながら否定しましたが聞く耳もたず。殴る蹴る。

長男が泣きながら止めに入るも、長男も突き飛ばす。
10ヶ月の次男が、歩行器に乗って泣いてるのを、うるさいと突き飛ばす。

ひとしきり暴れた後、旦那は二階にあがりました。
私は、その日、長男の好きなお好み焼きを焼いてあげようと思ってたのに。。。
もう時間は9時前。
ふと見ると、お腹を空かせきった長男が、手づかみで天かすを食べていました。

その時、私は涙が止まらなくなりました。

私は、こんな子に、こんな思いをさせている。せっかくの誕生日に、涙でカピカピになった顔で天かすを食べている。

私は何て事をしてるんだ。

子供には、実父と実母がいたほうがいいと、頑なになっていた私でしたが
それ以来、私は離婚しようと決めた。

しかしこちらから事を起こす前に、ある出来事が起こる。
長男の誕生日から、僅か1週間ほどたったある日の夕方。

私の実父方の祖父が訪れる。


実は私の両親の離婚後、実父方の祖父母が、私に会いたいと母に頼み込みに来てたらしい。
初孫で、男系家族だった祖父母は、女の子の私をたいそう可愛がってくれた。

その祖父がやって来たのだ。

どうやら、異変を感じた母が、祖父に頼んで私を連れ出しに来たようだった。

離婚を決意していた私には、好都合だったのだが、いざその場になると、また
「こんな事が見つかったら殺される」

と言う考えに陥り、祖父から逃げる様部屋の隅に逃げ、震えた。

その姿を見て、祖父は旦那に対する怒りが爆発したと、後に聞かされた。


そこへ旦那帰宅。

部屋で仁王立ちの祖父を見て、
「何だお前は?」と形相を変えてすごい勢いで近寄る。

そこで祖父に突き飛ばされ、すっころぶ旦那。不意をつかれたので、見事な尻もちw

旦那慌ててヤクザの連れ呼ぶ。

しかし、ヤンチャなじいちゃん

「何やワレ!スーツの袖折り曲げとるちんちくりんのクソヤクザが!!
やれるもんならやってみぃ!!堅気相手にやるんかゴルァ!!」

じいちゃんww河内弁ww

そして、じいちゃんから聞いて事の全てを知ったヤクザ屋さん

「恥かかせやがって」
と旦那に一喝、お帰りに。

こうして私は、じいちゃんちに無事逃げる。息子2人を連れて。


私は、この時 異常なまでに子供に執着していた。

それは、私を必要としてるのは子供達だけだと思ってたから。
母に死ねと言われ、パパにオモチャにされ、旦那にゴミのように扱われる。

私の事を愛してくれて、必要にしてくれるのは息子達だけだと思ってた。

息子の為だけに生きてた。

でも、その時じいちゃんが言った

「じいちゃんは、何でミカがこんな目に遭ってるのか知らん。
ひょっとしたらミカに原因があるんかも知れん。
でもじいちゃんは、そんな事はどうでもいい。じいちゃんは、世界中を敵にしても、ミカを守る。
世界中がミカが間違ってるっていうても、ミカを庇う。だから安心してここに居なさい。」


涙が止まらなかった。
そんなじいちゃんが、火事で生きたまま焼かれて死ぬのは、また後の話。


じいちゃんちに逃げて2日ほど経ったある日、旦那がやってきた。

それまで幾度となく携帯は鳴っていたが、私は出なかった。

旦那は家に無断で入ってくる。
じいちゃん
「ふじこふじこ!!!」

息子2人を両脇に抱え、連れて行こうとする。

旦那は知っていた。私が息子に弱い事を。息子がいるから、離婚出来なかった事を。当時の私は未熟で、こんな場合、私に必ず親権がくると知らなかった。

だから旦那に取られるのが嫌で、それを引き合いに出され、離婚出来なかったのだ。

旦那は度々言っていた。
「離婚するなら子供は俺が引き取る。もし裁判でお前に親権が渡っても、さらってでも連れて行く。
それでブタ箱に入っても、出たら必ずまたさらいに行く。」

ついにその日が来たのだ。
息子をさらいに鬼がやって来た。

しかしここで私の思いが一気に爆発する。

初めてあんなに声を荒げた。

子供を車の後部座席に押し込み、運転席に乗ろうとする旦那の胸ぐらを掴んだ。

「この野郎!!くそ基地外が!!!お前がそんなんだから、こんな風になったんだろうが!!子供が泣いてるのが見えんのか!!クソが!!子供返せ!!」
泣きながら言った。

しかし旦那は私を振りほどき、車で走り去った。

いざ、連れ去られると私は開き直った。

どうしようとか、そんな思いはなく意地でも取り返さなければと思った。

しかし次の日、旦那から電話が。
どうやら、あの後、子供を連れて実家に帰ったらしい。
姑に、見て貰うつもりだったようだ。

しかし姑に拒否され
「子供がお母ちゃんって一晩中泣く。俺には見れない。明日、返しに行く。」
と言った。

旦那は父親がヤクザで、家庭内暴力が酷く両親が離婚。
母親に引き取られるも、新しい父に粗末に扱われ、中学卒業と同時にヤクザになった。
私と出会った当時、その話をした。
そして、「俺か家庭環境に恵まれなかった。だから幸せな家庭を持ちたい。」
と言った。

私もそうだった。

なのに何故こんな事になったのか。

私はまた泣いた。

その後、旦那は嘘の様に大人しくなり、すんなり離婚した。

慰謝料と養育費は、要らないと私は言った。実際、一度も貰わなかったし、その代わり会わせる事もしなかった。

私は、私の力で子供を育てようと決めたからだった。

その時は
「私はお母さんと違う。子供には私の作ったご飯を食べさせて、一緒に暮らす。再婚もしない。」
と心に決めていた。

私は、何とかマンションを借りて、息子と三人暮らしを始めた。
2kのマンション。余り広くはないけど、1歳と2歳の息子と三人で暮らすには、狭くもなかった。

保育所も、母子家庭だったので優先的に入れれた。
私は、働いた。いっぱい働いた。
息子に、キャラクター物のコップを買ってあげたい。旅行にも連れて行ってあげたい、必死に働いた。
中卒でシングルマザーの私には、バイトしかなかった。
完全に負け組だった。

朝、7時半に保育所に預け、いったん帰って家事。
その後すぐパチンコ屋に行き夕方まで働いた。早番は16時半までだった。
帰りに買い物をして、保育所に迎えに行き、帰ってご飯、お風呂を済ませる。
そのまま祖母宅に子供を預け、今度は夜の仕事。
朝5時までだった。
そのまま家には帰らず、車で寝た。
1時間半寝たら、子供を迎えに行く。

朝ごはんは祖母が食べさせてくれていた。

保育所が休みの日曜日だけは、仕事を必ず休みにして、一緒に過ごした。


80 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 09:59:29.13

あ。違。私いちお高卒ですww

でも、そんな生活1年で疲れ果てた。
私は、毎晩仕事で浴びる様に飲んでいたので、内臓がボロボロだった。

肝臓はまだマシだったと思うけど中性脂肪が980とかだった

そのうち、保育所の忘れ物が増え、夜ご飯も買った物を食べさせた。
保育所の先生や、保護者から、後ろ指を指される様になった。

それが悲しくて、ちゃんと出来ない自分が嫌になって、段々病んでいった。

ここでトドメを刺される。
次男が2歳になった頃、川崎病になった。

最初は熱があった。
風邪の症状は、、、なかったと思う。

近くの内科へ。(私が肺炎の点滴打ったとこです)
診断は、風邪。
熱が、38度以上あったので座薬を貰う。

しかし様子がおかしい。
座薬を入れてもすぐまた熱が上がる。

おかしいと思いつつ、私は仕事にかまけて、息子を病院に連れて行かなかった。
座薬を入れて、一瞬熱が下がるので、それでごまかしてた。

保育所は休ませてたので、仕事の間は祖母に預けた。

最初に熱が出てから5日目の日、祖母が見るに見かねて、また内科へ連れて行った。

小さい街医者だったので、血液検査をするが、結果はら2〜3日かかると言われたらしい。
祖母は、納得がいかず、その足で大学病院へ連れて行った。
母が車で乗せてってくれたらしい。

そこで川崎病の診断を受けた。
母からの電話でそれを聞いた時、心臓が止まりそうになった。

「川崎病??川崎病って何??教科書で見たやつ??何??」
って感じでパニックだった。

息子は入院する事になった。

私は、医者に呼ばれ病院に行った。
すごく怒られた。

「息子さんは、全身の異常があったはずだ。
お腹や、睾丸、足の裏などが腫れていたし、白血球の数値が異常なまでに上がってた。お腹を相当痛がったはずだ。
今日から、点滴治療をするので、何とか大丈夫だけど、あと2日も遅かったら、死んでしまったかも知れない。
おばあちゃんに感謝しなさい。そんな事では、親失格ですよ」
と言われた。

その病院は、完全看護だった。
ただっ広い病室には、あちこちに高い冊のついたベッドがあり、沢山の子供が居た。
オモチャの電子音があちこちから聞こえ、絵本やぬいぐるみが沢山あった。

そのベッドの一つに息子は居た。
同じ様に冊つきのベッドの中で立ってた。
腕は、添え木みたいのがあてられ、包帯で巻かれていた。そこから、点滴のチューブが出てた。

息子は、私の顔を見て喜んだ。
抱っこをせがんだ。

息子の顔は別人の様だった。
目が落ち窪んでいた。


何で、気付けなかったのか。
情けなかった。恥ずかしくて泣きたかった。

私は、母に頼ってしまったこと
結局、母に助けられたことに、感謝よりも悔しい気持ちだった。

息子はその後、1ヶ月入院する。

私は毎日、仕事の合間に病院へ行った。
短い時間を過ごし、看護師さんに息子を渡す時、毎回息子は大泣きした。

お母ちゃん!!って泣いた。
私も泣いてた。

一ヶ月後、退院。
幸い、退院時に、心配された合併症もなく、元気に退院した。
その後も、半年に一度、心電図を撮りに通った。
川崎病は、治療後、五年は経過観察の必要があった。

去年の2月、無事に完治となりました。

しかし、その後また事態が変わる。

祖母が、お金を要求する様になった。
今までも、月に2万円は渡していたのだが、それでは足りないと言われた。

私は、夜ご飯もお風呂も済ませ、そのまま寝る状態で預けてたし、食べさせて貰うのも朝ごはんだけだったから、それでいいと思ってた。

でも、足りないと。せめてあと3万寄越せと。
私は、母はともかく、祖母に言われた事がショックだった。
正直、私の生活は苦しかった。
家賃は6万5千円。
光熱費やガレージ代、支払いで併せて固定経費が13万くらいだった。
子供の為、貯金もしたかった。

その頃、保育所での風当たりが更にキツくなっていた。
私のせいで、息子が危ない状況だったからだ。
一番言われたくなかった
「子供が子供を育ててる」
「これだから母子家庭は」
が、あちこちから聞こえた気がした。

私は段々と病んでいく。

そして知り合いから、ある病院を勧められた。
医者は、「境界性人格障害」と言った。
で薬貰った。何て名前かは忘れた。

実際本当にそんな病気だったのか今でも謎

でも、それを言われてますます病んだ。

実際その病気のせいか、薬のせいか、それ以降の記憶が曖昧なところがあったりする。
自分ではその病気の事を調べなかったし、医者もそれ以来行かなかった。
ただ薬は、知り合いが何故か同じの持ってて貰いつづけた。

そして23歳になったある日、仕事が終わってから、行った事もないBARに寄った。
ただ、何となく飲みたかったからだった。

そこで、私は今の旦那様と出会います。


うーーー


89 :日本昔名無し:2012/02/04(土) 10:40:07.70

少し思ったのが、厳しい環境を耐え抜いた人って、
自分が大人になった時、
「自分もあれだけ苦労したけど、こうして強くなれたんだから」
みたいな思いがあるから、自分の子どもとか職場の同僚、後輩とかにも
「このぐらい我慢して当然」「このぐらいきつい思いさせても大丈夫」みたいな発想で、
無意識にきつく扱ってしまう場合があるかも知れない
うちの親父がその典型だったし

むずかしいね


92 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 10:46:22.29
>>89
確かに、そうですね。
23様までは、そう思ってました。

日曜日?だっけ
芸能人の波瀾万丈のテレビとか

あれ見て

「ばーか、私のが波瀾万丈だよ。テレビ出てやるから金くれ!」
とか思ってた。

あと、くだらない事で悩む友達とか、腹立たしかった。

でも、今は違います。
視点変えれば、私より不幸な人なんてごまんと居る訳で。
そんな人からしたら私なんて、ぷっぷくぷーだし。
だから、幸不幸の大きさは、人それぞれだと思ってます。
実際、今私は裕福じゃないけど幸せです。
車も無いし、五人家族なのに、2kで住んでる。
でも、家も食べるものも無い人も、たくさん居ますもんね。


94 :ミカ ◆0bKivVsXpM :2012/02/04(土) 11:02:54.45

そこはダーツバーだった。
初めてしたダーツにはまった。
旦那は、そこの店員だった。

スペック
旦那当時
35歳
179cm100kgくらい
たむけんに似てる

最初めっちゃ愛想悪かった。
見た目もタイプじゃなかった。
眼鏡だったし。

でも今は、その眼鏡がエロくてたまらない訳だが。

旦那はバツイチ子無し。
しばらく通ううちに仲良くなった。

私は旦那に惹かれてたけど、恋愛関係になるつもりはなかった。
恋愛しても、再婚は出来ないし、思うように会える訳でもなかったので。

でも、いざ旦那に付き合いを申し込まれた時は、断れなかった。

私は、まだその時めっちゃ病んでたし
毎晩アホほど飲んで、薬乱用して、腐ってた。
生活に困ってんのに、そのBARには毎日の様に通った。

旦那は異変に気付く。
ある日、家に行きたいと言われた。

困った。
そりゃそうだ。

それまでいつもピカピカにしてたのに、今は全く片付いてない。
慌てて片付けてから招待した。

旦那と色々話した。
旦那は、うんうんって聞いた。

パパの事や前の旦那の事は言わなかったけど、今の状況を、話してしまった。


旦那はいっしょに住みたいって言った。
再婚を前提にって。

私は悩んだ。悩んで悩んで、もう旦那とは連絡取らないでおこうと思った。
再婚するのは怖かったし、余り誰も信じられなかった。
でも、このままじゃ私は腐ったままで、それも不安だった。
幸せになりたいとも思った。

結局、私は思い切る事は出来ずに、更に状況が悪化していった。
薬をアホほど飲んで、一日中寝たり 左右がわからなくなるほど酒を飲んだ。

ある日、私の職場に旦那が来た。
私は冷たくあしらった。
そんで、またアホほど飲んだ。

旦那は、その時、助けてやらなきゃって使命感でいっぱいだったらしい。

それからちょくちょく旦那が来た。

はしょって申し訳ないが、前途の通り記憶が曖昧なので簡単に書きます。

旦那に殴りかかったこともあった
包丁持って暴れた事もあった

薬はことごとく旦那に捨てらてた。

まっすぐ家に連れて帰られた。


ある日旦那が、家に来た。
タイトルは忘れたけど、境界性人格障害の人の話の洋画のDVD持ってきた。
「一緒に見よう」って。

で、見終わったあと言った。

「お前は病気じゃない。薬なんかやめろ。ちゃんとしろ。
子供が可愛いって泣いてたんじゃないのか?しんどいなら俺が養ってやる。
俺は貧乏だけど、幸せにする。
子供も大事にする。ミカが嫌なら、子供は作らなくていい。幸せにしたい。」

みたいな感じだったと思う。

当然、私号泣

旦那は嘘みたいに優しい。
いままでそんな風に扱われた事なかったから、不安なくらいだった。

よしよしなんか、された事なかったのに。
褒められた事もなかったのに。


旦那は、本当に子供を作らなかった。
私の息子をとても可愛がってくれた。

交際から2年後、ケコーンしました。

そして去年末、旦那との間に子供が産まれました。

また男の子wwww

今、めっちゃ幸せです。
ウチ貧乏なんで、臨月まで働いてたけど、産休とったんで、暇だから書いてみました。

最後結構はしょりました。ごめんなさい。
くだらない話を聞いてくれてありがとうございました。

何か書いてて、幸せ再認識しました。
最近、ちょっとしたことで旦那と喧嘩したりして
私のスキル

我慢【大】

を忘れかけてました。

普通の生活出来るって幸せだー。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/mukashi/1328250804/

26. 中川隆[-13595] koaQ7Jey 2018年12月22日 08:26:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

ロリコンが大好きな志田未来のドラマ

志田未来『14才の母』

動画
https://japan-drama.com/14%E6%89%8D%E3%81%AE%E6%AF%8D%E3%80%80%E7%84%A1%E6%96%99%E8%A6%96%E8%81%B4%E5%8B%95%E7%94%BB/


日本テレビ 2006年10月11日 - 12月20日(11回)
脚本 井上由美子


 '06年10月から12月にかけて日本テレビ系にて放送され、最終回では視聴率が20%を大幅に上回る大ヒット※を記録した連続ドラマ『14才の母 愛するために 生まれてきた』

※平均視聴率は22.4%、瞬間最高視聴率は28.7% (ビデオリサーチ調べ、関東地区)


 14才、中学生で妊娠してしまった主人公は、周囲の猛反対の中、産むことを決意する―。一見スキャンダラスでセンセーショナルな設定ですが、このドラマが高視聴率を獲得した理由のひとつには、中学生の妊娠をテーマにしつつも、そこに主人公や彼女を温かく見守る周囲の人々の“生命の尊さ”と正面から向き合う真摯な姿が描かれ、感動と共感を呼んだことをあげることができます。愛と生命を考えさせられる、まさにヒューマンドラマの傑作。

 また、人気を支えたもうひとつの要因が出演者たちです。主人公の女子中学生を演じるのは、本作が連続ドラマ初主演となる志田未来。これまで『女王の教室』(日本テレビ系)や『サプリ』(フジテレビ系)などに出演し高い評価を得ていた彼女が、衝撃的な役どころに体当たりで挑戦。女優として一段と大きく成長したところを見せてくれています。なお、この作品で「第15回橋田壽賀子賞新人賞」を史上最年少で受賞しました。

 脇を固める共演陣も田中美佐子、生瀬勝久、高畑淳子、室井滋など実力派ぞろい。
ユニークなところで、お笑いコンビ、次長課長の河本準一が主人公の叔父役で登場しているのも注目です。


「ギャラクシー賞 2006年12月度月間賞」
「第44回ギャラクシー賞」(民放ドラマで唯一の入賞)
「平成19年日本民間放送連盟賞(最優秀)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/14%E6%89%8D%E3%81%AE%E6%AF%8D


◾第1話「中学生の妊娠・・・ごめんね、お母さん」
◾第2話「お前なんかもう娘じゃない」
◾第3話「さよなら・・・わたしの赤ちゃん」
◾第4話「約束・・・私は、もう泣かない」
◾第5話「バイバイ・・・初恋が死んだ日」
◾第6話「私にも母子手帳くれますか」
◾第7話「お金で未来は買えますか?」
◾第8話「二つの命・・・どちらを選ぶ?」
◾第9話「出産・命をかけた24時間」
◾第10話「もう一度笑って・・・」
◾最終話「涙の最終回スペシャル・・・命ってなに?」




▲△▽▼

ロリコンが大好きな志田未来のドラマ _ 2

志田 未来(しだ みらい、1993年(平成5年)5月10日 - )は、日本の女優。神奈川県出身。研音所属。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E7%94%B0%E6%9C%AA%E6%9D%A5


生年月日 1993年5月10日

出身地 神奈川県
身長 150cm
血液型 AB型


活動期間 1999年 -

1999年:セントラル子供劇団入団
2005年:『女王の教室』
2006年:研音へ移籍
2009年:『誰も守ってくれない』

事務所 研音

公式サイト 志田未来 -OFFICIAL WEB SITE-
http://www.ken-on.co.jp/mirai/index.html

略歴

1999年 6月、セントラル子供劇団に入団。

2000年 9月、TBS『永遠の1/2』第3話でドラマ初出演。

2002年 『借王ファイナル』で映画初出演。

2005年 7月、日本テレビ『女王の教室』で民放連続ドラマ初レギュラー出演。

2006年 4月、研音に移籍。
10月、日本テレビ『14才の母』で連続ドラマ初主演。

2008年 7月、日本テレビ『正義の味方』で山田優とダブル主演。

2009年 1月、『誰も守ってくれない』で映画初主演。
10月、TBS『小公女セイラ』で2度目の連続ドラマ主演。

2010年 2月、エランドール賞受賞。
7月、TBS『ハンマーセッション!』で連続ドラマに主演。
7月、『借りぐらしのアリエッティ』で声優初挑戦にして映画主演。

2013年 5月、YouTubeオリジナル番組「志田ちゃんねる」開設。

2015年 11月、『オレアナ』で舞台初出演。

2017年 8月、『ウツボカズラの夢』で7年ぶりの連続ドラマ主演。


受賞

2005年 第46回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 新人俳優賞(『女王の教室』)

2006年 TV LIFE 2006年間ドラマ大賞 主演女優賞、新人賞(『14才の母』)
第44回ギャラクシー賞 奨励賞(『14才の母』)

2007年 第15回橋田賞 新人賞(『14才の母』) 第11回で受賞した上戸彩の最年少記録17歳を大幅に更新する13歳での受賞。


2008年 第58回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『正義の味方』)

2010年 第33回日本アカデミー賞 新人賞(『誰も守ってくれない』)

エランドール賞 新人賞(『誰も守ってくれない』、『さくら道』、『黒部の太陽』、『小公女セイラ』)

第63回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞(『小公女セイラ』)[12] 10代で2度の受賞は史上初。


 




▲△▽▼

ロリコンが大好きな志田未来のドラマ _ 3
テレビ朝日 テレビドラマ 秘密

動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A7%98%E5%AF%86++%E5%B0%8F%E8%81%B0+


放送期間 2010年10月15日 - 12月10日(9回)

原作 東野圭吾
脚本 吉田紀子

キャスト
杉田藻奈美・直子 - 志田未来
杉田平介 - 佐々木蔵之介
橋本多恵子 - 本仮屋ユイカ
小坂洋太郎 - 橋本さとし
吉本和子 - 池津祥子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86_(%E6%9D%B1%E9%87%8E%E5%9C%AD%E5%90%BE)


秘密が、愛を、濃密にする。

ごく平凡な3人家族を襲った突然の“悲劇”。 すべてはその瞬間から始まった--。

妻と娘を乗せたバスが崖から転落。 妻は死亡し、娘は奇跡的に助かる。 ところが… そのとき誰もが想像すらしなかった事態が起こっていた。 助かった娘の体には妻の魂が宿っていたのだ!

その日から、一家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まる…。

大人気作家・東野圭吾氏がブレイクするキッカケとなった感動のロングセラー傑作長編ミステリー『秘密』。

母親の魂が宿った女子高生・杉田藻奈美を演じるのは志田未来。

そんな娘(=妻)の存在に大きく揺れ動く男・杉田平介役には佐々木蔵之介。

25歳差の演技派2人を迎えて珠玉の名作『秘密』が連続ドラマとなって蘇ります。

(C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日

1. 第1話
2007年夏。電機メーカーに勤務する杉田平介(佐々木蔵之介)は、いつもとさほど変わらない一日を過ごしていた。家の中では長野の実家に行くことになった妻・直子(石田ひかり)と娘・藻奈美(志田未来)が慌しく準備をしていた。平介はそんな2人を送り出した。さらりと、ごく普通に。そして、そんなありふれた日常の幸せを実感することもなく--。 しかし数時間後、そんなありふれた日常が一瞬にして消える事件が起こる。妻と娘がいない家でひとり晩酌をしていた平介に、耳を疑うようなニュースがテレビ画面から飛び込んできた。それは、直子と藻奈美を乗せたバスが崖から転落したことを知らせる緊急ニュースだった。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年10月15日


2. 第2話
姿は藻奈美(志田未来)だが、その魂は亡くなったはずの母・直子(石田ひかり)--誰にも信じてもらえないであろう<秘密>を抱えた平介(佐々木蔵之介)と直子(=藻奈美)の新しい生活が始まった。ところが事故後、初登校した“直子”に衝撃的な出来事が降りかかる。なんと、クラスメートの相馬春樹(竜星涼)に突然キスされたのだ! 藻奈美から春樹のことなど聞いたこともなかった“直子”は凍りつき、春樹を突き飛ばして逃げ去る。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年10月22日


3. 第3話
平介(佐々木蔵之介)と直子(石田ひかり)宛てに、大学のサークル同窓会の案内状が届いた。直子の魂は今も娘・藻奈美(志田未来)の体に宿っているが、世間的に直子は死んだことになっている。どう考えても、堂々と2人揃って同窓会に出席することは不可能だ…。平介は同窓会のことを直子に伝えるべきかどうか悩む。 一方、直子は藻奈美の彼氏・相馬(竜星涼)をきちんとふることを決意。春樹に「お父さん(=平介)に心配をかけるわけにはいかない。今はお父さんのそばにいて、身の回りのお世話や家事をしてあげたい」と告げ、別れを切り出す。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年10月29日


4. 第4話
娘・藻奈美(志田未来)の魂と妻・直子(石田ひかり)の体を奪ったバス事故。あの事故を引き起こした亡き運転手・梶川幸広(吹越満)は、札幌に住むサワダミカコという女性に毎月10万以上の金を3年半にもわたり送金していた…。梶川の妻・征子(堀内敬子)からその事実を聞かされて以来、平介(佐々木蔵之介)はサワダミカコの正体と梶川の送金理由が気になって、頭から離れずにいた。 そんななか平介と直子は、事故の日に直子と藻奈美が向かうはずだった長野を訪れることに。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月5日


5. 第5話
年が明けた。平介(佐々木蔵之介)、直子(石田ひかり)、藻奈美(志田未来)の3人で明るい食卓を囲んだ去年までの正月とは打って変わり、今年の杉田家には淋しい空気が漂っていた…。そんななか、“藻奈美”として生きることを決意した直子は受験に向け、元旦から猛勉強を開始する。 やがて新学期が始まり、藻奈美の担任・多恵子(本仮屋ユイカ)が杉田家を訪ねてきた。藻奈美のことで話があるという多恵子。なんでも、藻奈美が医学部を志望しているというのだ。本人から一度も相談されたことのなかった平介は、驚きを隠せない。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月12日

6. 第6話
藻奈美(志田未来)の魂と直子(石田ひかり)の体を奪ったバス事故を引き起こした運転手・梶川幸広(吹越満)の妻・征子が心筋梗塞で亡くなった。平介(佐々木蔵之介)、そして藻奈美として生きる直子は通夜に参列する。その後、通夜から戻った平介に、征子の娘・逸美(日向ななみ)から電話がかかってきた。どうしても平介に渡したいものがあるという。直子の提案で、平介は逸美を自宅へ招くことに。やがて逸美が杉田家にやって来た。彼女が平介に差し出したのは、なんと梶川幸広がいつも身に着けていた懐中時計。しかも、蓋の裏には3歳くらいの男の子の写真が貼ってあり…。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月19日

7. 第7話
札幌出張の際に、バス運転手・梶川幸広(吹越満)と前妻の息子・文也(田中圭)に会った平介(佐々木蔵之介)。しかし、文也は家庭を捨ててほかの女と逃げた父のことを恨んでおり、平介が渡そうとした梶川の形見も受け取ろうとはしなかった。藻奈美(志田未来)の魂と直子(石田ひかり)の身体を奪った事故を起こすほど身をすり減らして働きながら、前妻の姉・沢田美香子に送金していた梶川の意図は何だったのか。そして、美香子はなぜ送金の事実を文也には隠していたのか…。平介はもやもやとした気持ちが収まらないまま、東京へと戻る。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年11月26日


8. 第8話
藻奈美(志田未来)の姿をした直子(石田ひかり)との生活が続くなか、平介(佐々木蔵之介)は急速に焦りを感じていた。直子が自分から離れていくような恐怖に襲われていたからだ。直子を繋ぎ止めたい--平介の一途な想いは、盗聴器を仕掛けたり、相馬春樹(竜星涼)と直子のデート現場に押しかけて邪魔をするなど、卑劣な行動となって表に出た。「お願いだから、私をこれ以上苦しめないで」--直子と平介の関係は、取り返しがつかないほどまでに破綻しようとしていた…。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年12月3日


9. 最終話
身体は藻奈美(志田未来)だが、心は直子(石田ひかり)--バス事故以降、周囲には秘密で妻との奇妙な生活を送っていた平介(佐々木蔵之介)。ところが突然、ずっと消えたままだった藻奈美の魂が戻ってきた! それ以来、藻奈美の魂はたびたび戻ってくるようになる。状況だけ見れば、依然として奇妙であることには変わらなかった。だが、平介は久々に家族3人で暮らす幸せを噛み締め、この状態がずっと続けばいいと願う。 (C)原作 東野圭吾著『秘密』(文藝春秋刊)(C)テレビ朝日
48 分 初公開日: 2010年12月10日
https://www.amazon.co.jp/dp/B01LXZZ1ZN





▲△▽▼

秘密 (文春文庫) – 2001/5/1 東野 圭吾 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E5%AF%86-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%B1%E9%87%8E-%E5%9C%AD%E5%90%BE/dp/4167110067


妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まった。

映画「秘密」の原作であり、98年度のベストミステリーとして話題をさらった長篇


運命は、愛する人を二度奪っていく。

自動車部品メーカーで働く39歳の杉田平介は妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美と暮らしていた。

長野の実家に行く妻と娘を乗せたスキーバスが崖から転落してしまう。
妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。
その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密"の生活が始まった。

外見は小学生ながら今までどおり家事をこなす妻は、やがて藻奈美の代わりに 新しい人生を送りたいと決意し、私立中学を受験、その後は医学部を目指して共学の高校を受験する。

年頃になった彼女の周囲には男性の影がちらつき、 平介は妻であって娘でもある彼女への関係に苦しむようになる。

98年度ベストミステリーとして話題をさらい、広末涼子主演で映画化、志田未来主演で連続ドラマ化もされた東野圭吾の出世作。累計200万部突破の伝説のベストセラー。

_____


東野圭吾 秘密 のあらすじ 妻が娘で娘が…???
2016年6月25日 [文学/あらすじ, 東野圭吾]
http://rhinoos.xyz/archives/20387.html


今回は現代日本屈指の人気作家、
東野圭吾さんのミリオンセラー
『秘密』(1998)で行ってみます。
 


もちろんこれ、2010年のテレビドラマ
(佐々木蔵之介、志田未来主演)の
原作ですし、その前には広末涼子さん、
小林薫さん出演、滝田洋二郎監督で
映画化もされています(1999)。


さて、一口に「あらすじ」を、といっても、
話の骨子だけでいいという場合から、
読書感想文を書くんだから分析・解説
つきの詳しいものがほしいという
場合まで、千差万別でしょう。

そこで出血大サービス((((((ノ゚听)ノ

「ごく簡単なあらすじ」と
「やや詳しいあらすじ」の
2ヴァージョンを用意しましたよ~~(^^)у


ごく簡単なあらすじ(要約)
まずはぎゅっと要約した
「ごく簡単なあらすじ」。


杉田平介の妻・直子はバスの転落事故で
死亡するが、その意識は身体だけ
生き残った11歳の娘・藻奈美の中で
生き続ける。

世間的には娘になりすます直子は、
成績優秀で私立中学を経て有名進学校へ
と進むが、男子との交際のことなどで
平介との間に波風が立つ。

  
やがて藻奈美の身体に藻奈美の
意識が復活し、直子の意識と交替
する「二重人格」の状態になる。

藻奈美と直子の2人格は交換日記の
ようなノートで意思を伝え合うが、
直子の意識は徐々に弱まる。

藻奈美は直子の指示通り、二人の
最初のデートの場所へ平介を誘い、
そこで……


どうでしょう?

え? これだけじゃ意味ない?

ハハハ、まあそうでしょうね。

本当は父娘以外にも多くの個性的な
登場人物が絡み合って進む本格的な
長編小説をムリヤリ凝縮し、
しかも一応、ネタバレを避けてますしね。

では、様子見にちょっとだけ
テレビドラマの方を覗いてみて
もらいましょうか。


ん? やっぱりよくわからん?

そういうわけでやはり「やや詳しい」
ヴァージョンのあらす」を読んでいただく
ことになるわけですね、ハイ;^^💦


やや詳しいあらすじ
では始めましょう。

わかりやすさのため「起承転結」の4部に分け、
もちろんラストまで包み隠さず完全ネタバレありで
参りますので、結末を知りたくない人は
読まないでくださいね;^^💦

ひっかかるかもしれない部分には【CHECK!】印で
注釈を入れていますが、うるさいと思う人は
飛ばしてください。

なお「 」内及び「”」印のグレーの
囲みは原文(上記文庫本)からの引用です。


🌓【起】
自動車部品メーカー社員、39歳の
杉田平介は愛妻・直子と11歳の娘・
藻奈美との3人で暮らしていた。

1985年冬、長野の実家に向かう
直子と藻奈美の2人が乗った
スキーバスが崖から転落。

2人は病院に運ばれたものの、
直子は死亡し、藻奈美は一時は
回復不能といわれながらも、
奇跡的に助かる。


が、意識を回復した藻奈美のその
意識は実は直子のものとわかる。

「あたしがあの子の
身体を奪っちゃった。
あの子の魂を追い出して……」

  2ac43d78d6bda892ba304df76eb43f04_s

この信じがたい事態に戸惑いながら、
平介と直子(身体は藻奈美)は、
世間にはあくまで父娘と見せかけて
生活していくことにする。

直子は仏壇の引き出しに入れてあった
結婚指輪を、かつて自分が作り
藻奈美が大切にしていた
テディベアの頭の後ろに縫い込む。

「正体は二人だけの秘密ね」


🌓【承】
直子は小学校に通い始め、平介は
バス事故の「被害者の会」に出席。

会には死亡した運転手の妻である
梶川征子が現れて謝罪するが、
相手にされない。

会の終了後、平介は新宿駅で征子を
見かけ、階段で彼女が倒れたので、
タクシーで自宅まで送る。


その後、連絡を取り合うようになり、
亡夫(梶川幸広)の超過労働や、
札幌にいる前妻とその子に仕送りを
していたことなどを知っていく。

     shame-799097__180

やがて直子に初潮があり、
「あっちのほう」どうする?
「我慢していられる?」と尋ねる。

「そんな……じつの娘と。
しかも小学生の」
「じゃあほかの女の人と
するってこと?」といった
微妙な会話が交わされる。


藻奈美に自分のようなただの
専業主婦になってほしくないと
思う直子は私立中学受験を目指し、
担任の若い美人教師、橋本多恵子と
平介との接触が増える。

その橋本に気があるのではと
直子はからかうが、それは事実で
平介は欲求不満のとき多恵子を妄想。

橋本の側でも運動会の日に弁当を
用意してくれるなど好意を示す。

    teacher

遺族会が一周忌に企画した事故現場への
慰霊旅行のあと、梶川征子が病死。

その葬儀に出た平介は娘の逸美から
父の遺品として古い懐中時計を
渡される。

蓋が開かないので専門店で開けて
もらうと、蓋の裏に幸広の子らしい
5歳くらいの男児の写真。


札幌出張の際に梶川の前妻、
根岸典子を訪ねるが、息子の
大学生、文也によって拒絶される。

🌓【転】
有名私立女子中学に進学した直子は
そこでも成績優秀で、医学部に
入りたいから、高校は共学の
進学校を目指すと宣言。

その動機には男への欲求も?
と平介は疑うが、ともかく
猛勉強して有名進学校へ進学。

 

高校では体力も必要だからと
テニス部に入り、練習で遅く帰って
食事の支度もするという多忙な生活。

不満がたまった平介はつい「男と
玉遊びをしてる」などと悪態をつき、
二人の間は気まずくなる。


お盆休み、十年ぶりに直子の実家に
帰省した平介は、義父の三郎に再婚
すればいいと言われ、直子自身にも
聞かれて「いいんだ」と答える。


テニス部の一年先輩、相馬春樹から
直子への電話が繁くなり、心穏やかで
なくなった平介はついに電話盗聴
セットを仕掛け、二人の仲を探る。

   クリスマスツリーkids_dragging_Christmas_tree_1914

クリスマスイブ、平介は盗聴で探知
した待ち合わせ場所にが姿を現し、
直子と相馬を驚かす。

「なぜだめなんですか」と問う相馬に
「世界が違うんだよ」と平介。
「私や娘が生きている世界と、
君のいる世界は、全く別物なんだ」


帰宅後、「あたしはふつうにしてた
だけよ」と訴える直子に、妻である
以上「ふつうにする権利なんかない」
と平介は言い放つ。

「若い身体を手に入れて、もう一度
人生をやり直せるような気に
なっているようだけど、それは
あくまで俺の許せる範囲内
だってことを忘れるな」

   dream-1308791_960_720

俺は今でも浮気もしていないし、
再婚のことも考えてない。

小学校の橋本先生が好きで
「交際したい」とも思ったが、結局
電話すらしなかったのは「おまえを
裏切りたくなかったからだ」


一月半ば、クラスで行くスキーの
チラシを破り捨ててみせた直子に
「俺のこと、憎んでるのか」と平介。

そうではなく「途方に暮れてるだけ」
「そうだな。俺もだよ」という会話の
あと、「ねえ、あれしようか」と直子。


二人はベッドでふれ合い「あれ」を
試みるが、平介の中の何かが拒否し、
「やめよう」…「そうね」…。


🌓【結】
別用で上京した根岸典子と会った平介は、
梶川は自分が実父ではないことを知り
ながら文也を愛し、大学進学後は毎月
必ず10万円を仕送りするように
なっていたのだと知る。

家族の幸せが自分の幸せだと語っていた
という梶川の生き様に打たれ、平介は
自分も、直子が藻奈美として生きて
いくことの幸せを願う気持ちになる。


帰宅して「長い間、苦しめて悪かった」
と詫びると、直子は泣いて自室へ。

眠って目覚めると、パジャマ姿で
庭を見下ろしていた直子が
「お父さん、あたし、〔中略〕
どうしてここにいるのかな」

 
藻奈美の意識が戻ったのだ。

その後、彼女の身体には直子の意識と
藻奈美のそれとが交互に出入りする。

「二重人格」の状態となったのだが、
直子の人格は出現頻度が徐々に減り、
二人の人格は交換日記のような
ノートで意思を伝え合う。


七月、就活で平介の会社に来た大学院
生の根岸文也が、平介に面会を求め、
以前の非礼を詫びる。

平介が是非にと誘って、夕食を家で
一緒にということなり、藻奈美に電話。

二人で帰宅し挨拶すると、文也と
藻奈美の「視線が空中で絡んだ」。

       097778

勉強も見てくれた文也を見送ってから、
藻奈美は、明日の土曜日、横浜の
山下公園に連れて行ってと頼む。

平介と直子が最初にデートしたこの
場所へというノートでの指示という。


その日、山下公園のベンチで海を
見ながら松任谷由実の曲を流すと、
直子の人格が現れ、「ありがとう。
さようなら。忘れないでね」。


数年後、25歳になった大学助手、
藻奈美と文也との結婚式。

梶川幸広の形見の懐中時計が動かないので
松野時計店へ行った平介は、9年前、
直子がテディベアに縫い込んだ指輪を
藻奈美が取り出して自分用に
作りかえさせたことを知る。

二人の「秘密」を知っていたことから、
直子は実は消えておらず、藻奈美の
演技を続けているだけなのでは
ないかと平介は考え始める。


文也を控え室に連れて行った平介は
「殴らせてくれ」「二発だ」と
拳を固めるが、振り上げる前に
涙があふれ、声がかれるほど泣く。


まとめ
さあ、いかがでした? 

さすがによく出来たミステリーで、
しかも主題は夫婦愛。

さらにそこに父娘間の情愛が微妙に
絡むので、これはもうグッと来て
しまう読者が多いのも頷けます。


直子の意識がほんとうはまだ生きて
いるのか…と匂わせて謎のまま閉じる
オープン・エンデイングもよい。

ただ私個人の感想として言わせてもらえば、
むしろそこ(45章)で終わってしまった
方がよかったのでして、ラストの
46章は蛇足の感が大きいですね。


なぜって、主人公が花婿に言う
「殴らせろ」ってのは、
あまりにも通俗的で古臭い
クリッシェ(決まり文句)。


これを使ってまとめようとしたことで、
作品全体の品性を下げてしまったのでは?
と東野氏のために憂える次第です。


いや、そこでこそ泣ける…という
意見もあるでしょうし、それは
それで結構なんですけどね。


さて、読書感想文を書こうという場合も
ネタはすでに十分ご覧に入れたと思います。

考えさせられる名言やポイントも
泣かされる展開も、いくつも
拾うことが出来ますよね。
http://rhinoos.xyz/archives/20387.html


▲△▽▼


東野圭吾 秘密の意味を理解するのは心理学の知識が有っても非常に難しいですね。

おそらく、

直子自体は完全に死んでいて、藻奈美の無意識内の直子の記憶が人格化されて憑依状態になっていた

という設定でしょう。

ポイントは 娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係 と 憑依現象 の二つでしょう。


娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係

2017.08.10
女性の心理的発達に関する一試論:過食症症例の面接過程と夢の分析を通じて (思春期青年期精神医学,5(1):63-76,1995.)
http://koteraclinic.jp/monograph/187


女性の心理的発達に関する一試論

─過食症症例の面接過程と夢の分析を通じて─

A STUDY OF FEMININE PSYCHOLOGICAL DEVELOPMENT : The Psychoanalysis of the Interviews and the Dreams of a Female Bulimia Case

小寺 隆史※

※浅香山病院精神神経科 〒590堺市今池町3-3-16

Takashi Kotera : Department of Psychiatry, Asakayama Hospital


抄録: 女性の心理的成長を考える上で、それが阻害されている多くの症例に、「娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係」というモチーフが散見される。このような状況は、女性の心理的発達の原始的な段階と考えられると同時に、かなり後まで残存し、その影響を背後から与える構造でもある。

一方、この母娘の一体的関係に割って入るものは男性性に他ならない、それ故、このような女性にとって「男性像は父親も含め侵入的、侵略的なものとして認識される」ことが多い。このモチーフはギリシャ神話のデメテルとコレーの物語にその典型を見ることができる。この侵略的男性像を受容することによって、女性は強固な母娘関係から脱することができる。今回、過食・嘔吐を主訴として来院した21歳の女性の面接過程と夢の過程について、以上の文脈からの分析を試みた。その中から母親との関係の編み直し、男性像の変遷、女性性の受容、といったテーマを抽出し、母娘の一体的関係から、次の段階に展開する移行期を見ることができた。

Key words: Primitive mother-daughter relationship,

Invading male image, Demeter and Kore, Hades, Bulimia


1.はじめに

臨床場面において、女性のクライエントと会っていると、母親との結び付きが強固で、そこに“娘が母に飲み込まれる母娘の一体的関係”というモチーフが見いだされる例に数多く出会う。それ故、このモチーフは女性の心理を考える上で重要な視点を与えるものの一つではないかと思われる。このような女性の状態に関して、Neumann,E.11)はそれを「女性の自我が、母性的な無意識や母性的な自己といまだ結ばれたままでいる自己保存の段階」と指摘している。Ne-umannは女性の発達と男性の発達との基本的差異について、男性の場合、最初の対象である母から異化することのなかに自己発見を達成するのに対し、女性の場合、母との同化のなかに自己を発見することができ、そのため「あの原初の関係にみられる母親との関係は引き続いて存続することがある。」と指摘している。そしてこの母娘の関係が母権制社会の中心的心理構造をなしていると考えている。つまり、彼のいう原初的母娘関係とは、単に女性の発達のprimitiv-eな段階という意味にとどまらず、母権制社会を支えるarchaicな心理構造でもある。この母権制社会の心理構造については、これに先立つBachofen,J.J. 2)の研究がある。

また、Freud,S.5)もこの構造に言及しており、「婦人の本質のかなりのものが、根源的な母親への愛着の中に残ったままになっており、男性の方向へ向かう、正しい変換をしないでしまうという可能性もある」と述べている。Freudは女性の愛の対象が母親から父親へと「性の変換を経なければならない」点が男性の発達と根本的に異なることを強調している。さらに「エディプス・コンプレックスは、女性の場合にはかなり長い発達の最終成果」であるとし、女児の発達においてはプレエディパールな母子関係が男児に比べて延長し、かなり後まで存続し続ける場合がありうることを示唆している。Freud派における女性の研究としては、Deutsch,H.4)によるものが重要である。彼女は思春期・青年期の女性の心理に関して、この時期に、幼児期の発達課題が再現することを指摘したうえで、「エディプス・コンプレックスを卒業するばかりではなく、思春期前期と早期思春期に始まった働き、すなわち母親との古くかつ根深く、いっそう原始的な絆を大人にふさわしいものに編み直すこと」が、その課題となることを述べている。Blos,P.3)も思春期女性の症状形成がその強力な母娘関係に起因していることを指摘している。また、中村10)は青年期女性の治療に関してエディプス的葛藤に先立つ「母子関係がさまざまの意味で問われる」と指摘している。 Deutsch、 Blos、 中村ら、これらの研究者は共通して、思春期・青年期の女性において、母娘関係の課題の比重が男性の場合より高いことを示唆している。このことと、上記のNeumannの指摘、F-reudの指摘は整合するものと思われる。即ち、女性の幼児期において残存しやすいこの関係は、その分、女性の思春期・青年期にも課題性の比重が高いものと考え得る。

さて、一方このような母娘関係が思春期・青年期に強固に存続している場合、“男性は父親も含め侵入的、侵略的なものとして認識される”ことが往々にして起こりやすいのではないかという臨床上の印象がある。このことに関して、Neumann,E.12)は、このような母と娘の一体感があるとき、「女性が心理的または社会的に母系集団のなかに留まり、(略)女性的なものとの一体化とそれへの接近は、男性的なものの排除とそれへの冷淡さを生まずにはいない。」「女性がそこで経験する男性的なものとは、敵対的な征服者にして否定的な略奪者ということになる。」と述べている。そしてこのような、侵害的な男性像を女性が受容し、それが肯定的で親和的な男性像に変容して行く中で、女性は強固な母娘関係を脱し次の段階へと展開して行くものと考えられる。この展開は幼児期の発達にも、思春期の発達にも、螺旋状にくりかえされるものであろう。また、その母娘関係の様態によって、その男性像の侵略性もさまざまなスペクトルをもつことが予想される。幼児期においては、最初の男性像として、父親が現出するだろうが、母との結び付きが未分化である場合、父親像は侵略的となり、その関係の中に入れず、除外されてしまう危険性がある。(母親との両価的関係を解決するものとしての父親の役割について、Abelin,E.1)の発達的研究がある。)また、思春期においては、“異性の受容”という大きな課題に直面しなければならず、それまでの展開性が不十分であればあるほど、男性像の侵略性は顕著なものとなるだろう。そして、それが展開するためには、男性像は一旦は侵略的なままで受け入れなければならないという、一つの筋道が考えられる。(このモチーフは後述するギリシア神話:デメテル・コレー・ハーデスの物語に、典型的に現れる。)その場合は、母娘関係は一旦切断されたうえで、新たな関係として編み直されるのではなかろうか。(もちろん、この筋道は巨視的な筋道であり、微視的には、男性の侵入と、母娘関係の改編は相補的に起こるものと考えられる。)また一方、母娘の結び付きが強く、男性が弾き飛ばされてしまう場合も臨床的に見受けられる。

以上のような観点から、本小論においては、過食・嘔吐を訴えて来院した21才の女性が、就職という一つの節目を乗り越えて行く過程を一例として提示し、その夢分析を含む面接過程のなかから「母への取り込まれとそこからの離脱」「そこに現出する侵略的な男性像とその変容」といったモチーフを抽出しようと思う。その二つの文脈を軸として青年期の女性の心理的成長について考察を試みたい。

2,症例の概略

◆症例:B子(21才 女性)

◆主訴と現病歴:過食・嘔吐を主訴として来院した。初診時大学の4回生在学中であったが、大学1年生のときより過食症状が出現し、大学3年生頃より太るのがいやになり過食後吐くようになった。過食はひどいときはほぼ毎日あった。このとき161 の身長に対し、体重は55 まで増えたが初診時は46 まで減少している。初診時過食は週1回程度であった。初診時の母親からの情報では、大学4年生になってから、実家に帰宅時、情動が高まり大声で泣き叫びつづけたり、ドアをたたきつづけるということが幾度かあったという。また、自殺をほのめかす発言が幾度かあったという。

◆生活歴:中学・高校と女子校。中学校の途中で親の意見により公立中学から私立の女子中学に転校している。初診時大学4回生在学中。大学の選択についても、主に母親の意見で決まっている。なお、B子の実家は大都市圏にあり、通っている大学は地方都市にある。◆家族歴:父、母、兄、本人、妹の5人家族。兄は境界例人格障害の診断にて、筆者の勤める病院に受診歴がある。

3,面接と夢の過程

面接は大学の夏休みを利用して行われた。筆者の勤める病院は、B子の実家の近くの大都市圏にあり、また、B子の兄もこの病院に受診歴があることから、当院に来院したと言う。この際、受診がB子の意思でなされたのか、母親の意向でなされたのか、あるいはその両方であるのかは、あまり明確ではないままに面接が開始された。この、本人の意向なのか母親の意向なのかが不明確であること自体が、この症例の特徴であることに筆者は後に気づくことになる。面接過程においては、主訴であった過食・嘔吐の訴えはあまり前面に出ないで、家族関係などに関する話題が中心となっていった。また、面接期間中に手首を尖ったもので刺すという自傷行為が出現した。(このとき手首は傷だらけになっていた。)面接は、一般外来にて予約制にて行った。予約はそのつど次回日時を決め、最初の4回は1週間間隔、少し安定してきた4回目以降は2週間間隔で、2カ月間に7回の面接を行い、一応の終結となった。ただし、夏休み中に終わるというような契約で始まったものではない。その間に全部で15の夢が報告され、今回はその中から重要と思われる5つの夢を選んで提出した。また、夢の分析については[考察]の欄でまとめて述べる。なお、治療の中で、夢の解釈を返すことはほとんどせず、夢についての本人の連想を聞いたり、夢を媒介として話し合うことが多かった。これは、筆者が夢自体に治癒力があると考えているためで、あえて治療者が夢の意味を解釈することをせず、夢を真ん中において、患者と治療者があたりを散策し、「夢自体に語らせる」というようなイメージで治療をすすめた。

なお、「」内はB子及び家族の発言、『』はB子がノートに記録して来た夢の内容、それらの内の()内は筆者による補足、内は筆者の発言である。


◎第1回面接

初回面接の最初に過食・嘔吐の問題が訴えられたが、初回面接の中でも、その後の面接の中でも過食・嘔吐の問題は重大なテーマとして繰り返されるということはなく、むしろ家族の話題が中心となった。筆者は受診の目的の明確化を図るよりは、B子の話について行く方向を選んだ。以下は面接でのやりとりである。

「過食症で受診したんですが、おかしいのはそれが一番ではなくて、食べるのは自分のすることがないときに食べ、そのあと太るのがいやで吐くんです。」

<何が一番問題なのかな?>

「わからないけど・・・今下宿している。家を出たかったから。おかしくなったのは3年前から。父は信用できない人で、私は母に守ってもらって育った。将来私が家族をささえないといけないと思って。将来に、私の夢がないのです。結婚も・・離婚しなかったらいいとか・・暴力ふるわなかったらいいとか・・・父は母に暴力をふるった。私にもふるった。警察を呼んだこともあった。私は無力感を感じた。生理は1年間止まっている。」

この回の最後で、この面接についてこれからどうしますかとの筆者の問いに対し、ここに通いますと言う。薬は飲みたくないとのことで不投薬にした。あなたの心の風景を知りたいのでと夢の記録と提出を提案するとB子は承諾し次回から夢の記録を持参してもらうこととする。本人退室後、母親が面会を求めて入室し、今までの経過をやつぎばやに述べて、薬をだしてほしいと言ったが、本人と話し合って決めたことだからと母親を説得し不投薬とした。これは、娘の不都合な点を羅列的に述べ、それを「除去してほしい」と訴える母親の姿勢の中に、母親の娘に対する支配性の強さを筆者が直感したため、少なくとも治療者が母親が娘を支配するための代理人とされないように、歯止めをかけておくというねらいもあった。

◎第2回面接(前回から1週間後)

1週間後、B子は夢の記録を持って受診した。過食の問題には触れずに母親との関係を語り出した。前回、守ってくれるものとして語られた母親が、今回はB子を困惑させるものとして語られた。

「1週間疲れました。毎日母の言葉にいちいち反応して、泣いてしまって目もはれている。どんどんいらいらがひどくなっている。

母は私の言ったことに間髪入れずに違うと言う。それで昔のすべてのいやだったことが思い出される。」

母親の言葉が直接的にB子の情動を刺激しているように語られ、問題の重心はむしろ母親に移されて語られている。ここに母親との間の自我境界の不鮮明さを筆者は感じていた。また、問題の重心の母親への移動は投影性同一視の問題を示唆していると考えられた。このことについては考察にて後述する。

また今回も、父親はいわば悪者として語られる。

「自分も母親と同じように満足できない人生を歩むのではないかと心配する。父親は信頼したくても信頼してはいけない人なのです。人間的に冷たい気持ちをもっている。あの人を理解しようとすると、こっちが変になる。私はあの人を自分から排除したい。父親は母、兄、私と一緒に電車に乗るときは自分だけ違う車両に乗る。生活費が乏しくても自分の小遣いは確保する。生命保険もすべて解約した。」 このような日常的な話題が一段落ついたところで、記録してきた夢を読んでもらい、それについて連想を聞くという方法をとった。[夢1]

『大きい部屋で、輪になって踊る。2人がペアになって踊る。私はうまく踊れない。少しの間1人の友人と輪から抜けて、へやのはしで踊っているのを見ている。後で輪の中に入れてもらったが私の右手にいる人(踊っている相手)が、前の人(B子の前にその人が踊っていた相手)の方が良かったと言い、心の中で、悲しい思いをするが、笑いながら、ごめんねと言う。私は上手に踊れるつもりだったが、また同じように踊れなかった。回りの皆は楽しそうに踊っている。』

(連想)

「今、彼がいるんだけれど、男の子との付き合い方が全くわからなくて。クラブに入っても男子と1年間しゃべれなかった。うわべだけならしゃべれたけれど。大学2年の終わりまではクラブの女子は私1人だった。2年の終わりに女子2人が入ってきた。仲の良い2人で、私は仲良くなれなかった。その2人の女の子はクラブの男の子とすぐに仲良くなってしまって、夜、下宿を行き来したり。心の中では嫉妬心、羨ましさ、劣等感でいっぱいだった。そのころ、私はクラブの1人の男子と付き合っていた。3年生でふられた。そして、その人は新しく入って来た女の子と付き合うようになって、それがとてもつらかった。そのころから生理が止まった。ふられた男の子と4カ月後によりをもどした。私は彼のことを好きじゃない。ずっと、初めから、今まで好きという感情がない。それより心おきなく思ったことをしゃべれる方がうれしい。」

◎第3回面接(前回から1週間後)

この回では友人に対する関係の取り方が話題となった。ここでも、B子の対象(ここでは友人)に依存している姿がうかがえる。ここで筆者は彼女の対象に依存している自らの姿を彼女自身が気づけるよう、また、対象(相手)が自分の期待どうりに動かないときに生じる葛藤を、自らの心の中に包含することが、実は対象からの独立性を確保することになることを、以下のような働きかけのなかで提示しようと試みている。いわばここで対象からの分離、自我境界の強化を働きかけのテーマとしている。

「落ち着いてきているような気もするけれど、立ち直れないような気もする。閉じこもったままみたいな。」

「自分の中でどうしても納得できないときどう処理してるんですか?例えば、友達が泣きながら電話して相談してきたら、私は次の日私からその子に電話する。でも、逆の立場なら、友達は私に電話してきてくれない。」

<相手はこちらの期待どうりに動いてくれないこと、多いよね。>「そうです。」

<そのとき悲しい情けない気持ち起こって来るでしょう。>

「そう、それです。」

<その気持ちは自分の中にあるもので、それを消そうとして相手を動かすとなってきたら、その分、相手に頼ってるということになってくるよね。>

「わかります。そのとおりと思います。結局、友達に頼ってることになるんですね。」

<もし、その気持ちを自分の中に置いとけたら・・相手から自由になれるんだけどね。>

◎第4回面接(前回から1週間後)

この回、自分が憎く、その自分を消してしまいたいという自傷行為が報告される。尖ったもので手首を突き、手首はそのため傷だらけであった。その反面、過食した日は1日すべてが悪いのではない、という発言がなされる。これは自傷行為にみられる極端化した思考に対し、程度感覚をふまえた思考が部分的にではあるが、可能であることを示している。筆者はその重要性を指摘し、印象に残すねらいの発言を入れている。 またこの回より、部分的にではあるが、落ちつくときがあることを報告している。現実状況についても、明るい展望が開けつつあり、就職について某公共機関の事務職の一次試験に合格したことが報告された。以下はそのやりとりである。

「起伏が激しい。落ちつくときは前より落ちつく。イライラするときは自分が憎くて・・・アーっとなる。」

<どうなるの?>

「怒りとイライラがたまらないほど噴き出してきて、自分をたたくとか、はさみで手首をついた。自分が嫌い、もう無くなればいいのにって。でも落ち着いたらなんでこんなことになったんだろうと・・・過食しても1日が全部だめなんじゃないと思える。」

<全部だめ、とならないのは、大切なことだよ。だめな部分もあるけど、いい部分もあるって思えるのはね。>

「就職試験の1次試験にパスした。うれしかったのは苦手な作文で通ったこと。でも、悪かったのは、就職の願書を出さないといけなくて、特技、本人希望が書けなかった。自分からアピールすることができない。」

[夢2]

『(略)妹を見ると、妹の前髪と後髪にカーラが巻いてあった。どうしたのかと聞くと、母にしてもらったと言う。私はまえからその髪型にしてみたいと思っていたので、怒りがこみあげ母親に抗議しに行った。どうして私の気持ちを逆なでするの、どうして私の気持ちを分かってくれないの、と私は大声をはりあげた。母親とは面と向かっていたが、母親がバケツに汲んだ水を持ち上げた。私にぶっかけるのかと思ったが、母はその水を自分からかぶった。

家族で奈良に旅行に行った。あるお寺に泊まることにしており、どんな所か見に行った。お坊さんが、寝る場所を案内してくれたが、そこはお寺の本堂で、大きい大仏さんがどーんと座っている。その大仏さんに向かい合って、ふとんが敷かれていた。でも、私だけ1人離れている。大仏さんの横に黄色い菊の花と、誰か亡くなった男の人の写真が飾られており、私は気持ち悪くなり、母親に、ここはいやだ、こわくて寝れそうにないと言った。母は私も小さいとき、そういう思いをしたことがあるよ、と言った。それから、お寺を出て、歩いて行った。そして、うどん屋さんが見えてきて、母親が食べて行こうと言った。私はお腹一杯だからいいと言ったが、母はそういうときもあるの。食べて行きましょうと言う。私は後ろを歩く兄と父に、行きたくないよねえと同意を求める。すると2人とも行かなくてもいいと言って、うどん屋を通りすぎようとした。そのとき、母は急に胸を押えて倒れそうになった。私は母が、私が健康でいるうちに早く自立しなさいと言っているように思えた。』

(連想)

「兄と父に同意を求めるのはめずらしいこと。家族の要は母親だった。兄妹同士の関係も希薄。」

[夢3]

『学校から帰る前の教室で、教室には私を含めて4人の高校生の同級生が残っている。(略)私が傘を持って教室を出ようとすると、1人の子が「Bちゃん」と呼んだ。私は振り返って、何か言われるのを待っていたが、クラスのもう1人の子がその子に耳打ちして、その子は「何でもないよ。ばいばい。」と言った。その子は何か言いたげな顔をしていた。私は呼びに来た友人と階段をかけ降りて、下足室に出た。私の下駄箱の横に大人の男の人が立っていて、私がごそごそ履きかえていると「乱暴だな。」とぼそっと言った。近くに、その大人の人の知り合いの男の子が立っていたので、私はその子に「私のことみたい。」と言った。「おまえのこと?」「うん、私の靴ね運動靴なんだから。」と言って、靴をポンとほうり投げた。まわりは黒い靴ばかりだが、私の靴だけ運動靴だった。男の子はへえーと言たげな顔をしていた。私は下足室から出た。さあ、帰ろうとしたとき、服の両脇のリボンがほどけているのを思い出し、しっかりと結びなおした。』

(連想)

「学校は高校。教室の3人は高校の制服を着た高校3年生。私と、私と一緒に帰った子と、下足室の男の子の3人は私服を着た小学校6年生。その男の子は小学校6年生のときの同級生。心理的に成長できてないのかなあと。小学校のときは活発でいたずらしていた。いたずらが一番楽しかった。一番思い出が生き生きしていた。Bちゃんと呼んだ子は高校の同級生。仲がよかった。高卒後も手紙のやりとりがあった。恋に悩む子。手紙で恋の葛藤を書いてきてたのに、私には、それが読み取れなかった。返事に何を書いてたんだろうかと思う。(彼女は、夢の中で)忠告のような、アドバイスのようなことを言おうとしていたよう。」

◎第5回面接(前回から2週間後)

この回から、B子の発言は落ち着きを取り戻して来たという内容に重点が移ってくる。それと同時に自己受容が幾許か可能となって来たことを示す発言も出現する。

「良くなって来ている。らくになってきている。しばられていたものから、放たれたような気がする。でもイライラしたら自分をたたいたりする。はさみで手首をつっついてしまった。包丁でも少しつっついた。」

「コンピューターの人生ゲームをしていて、大学入試で2浪してしまった。こんなこともあるんだ、望みをかなえられないときもある。やってみてできなかったら、それでもいいと思えるようになった。できることしかしなかったから。」

「家の周りを走っていて、中学校のときの運動クラブのことを思い出し、クラブはやっててよかったと思えるようになった。以前は否定していたが昔のことを否定しなくてもよいと思えるようになった。」[夢4]

『女の子が、一生懸命に、紙を探している。何をしているのかと聞くと、ある人の退部届けを探しているのだという。退部届が受理されないように抜き出すつもりのようだ。彼女はその人と以前つきあっていて、最近別れたばかりだが、クラブまでやめられるのは、いやだそうだ。彼女と一緒に、下へむかうエレベーターに乗った。エレベーターの中で会話を交わすが、そのとき、彼女は、彼がやさしかったこと、クラブに入ってすぐにまわりの人に内緒でつきあいだしたこと、でも一部の後輩に知られてしまって、その後輩が、やってられないと言ってクラブをやめたことを話してくれた。笑顔で話していたが、その表情には少し悲しみが感じられた。』

(連想)

「クラブは大学のクラブ。女の子は、私の彼がいったん私をふってつきあっていた子。この子のことは嫌いだった。日本人形みたいなきれいな子で、センスとか良くて。(夢の中での)話し方は、私の話し方と良く似ていた。悲しくても笑いながら話すところなど。やっと、彼女の存在を認めることができた。自分の中に受け入れられない面があった。」

<あなたに無くて、彼女にあったものって思い付く?>

「きれいなこと。物事にあまりこだわらない。感じがいい、生き生きした面。男の子と平気で話すし、男の子の家に押しかけて行ったりするし。お化粧もうまくて,セクシャルな彼女。」

◎第6回面接(前回から2週間後)

この回では就職の内定が出たり、また、失敗には終わっているものの、初めて父親との会話を持とうとしたことなど、現実場面の進展が語られる。

「事務職に内定した。でも、2次試験パスしたらの話。今までは自分の心の中に入り込んでいたけれど、今からは外を向いて行こうと思う。」

「お父さんに、私がいままでこうだったからと言うと、お父さんは自分は自分で立ち直った、お前は弱いと言った。これでは話にならないと思った。」

◎第7回面接(前回から2週間後)

この回で就職決定の報告がなされる。B子は某公共機関の事務職と、某官庁への就職試験の両方に合格する。母親は後者を勧めるがB子は自分で前者を選ぶ決心をする。

「就職が決まった。事務職の2次試験に受かったから。母親は官庁の方がいいと言った。いつも母に従ってきたが、やっぱり自分で決めた。自分で決めれたのが良かった。以前、自分では選択できないのではないかと思っていた。今の(在学中の)大学にしたのもそうだった。今回は自分で決めたから責任がある。」

「もう、手首も突いていない。こないだの診察から今日までアーっとなるのは1回だけだった。」

<ちょっとは自分のこと好きになれそう?>

「うん・・・死にたいと思い詰めることがなくなった。結局、自分で決められなかったから、その結果に責任を持てなかった。」

[夢5]

『私ともう一人の人が一緒に手をつないで逃げている。こわくて、こわくてたまらない。追いかけて来る人(男性)は、石をなげてくる。石が当たると体の中に入ってくる。骨の間を石が通過するのが分かる。前へ前へ逃げるときには、石が当たるときも当たらないときもある。でも、追いかけてくる人をかわそうと、後ろに下がると必ず2回続けて石が当たる。ズボッ、ズボッと石が体の中に入り込む鈍い音がする。しばらく休んでいると、石がお腹の前のほうに出てきた。肉と皮の間にはさまっている。私はこれから逃げて走るとき、邪魔だからと言って、皮がめくれるのも構わず、石を体から取った。横に母親がいて、大丈夫?と聞く。大丈夫だからと言って、パシッ、パシッと取る。私のお腹は赤くただれたようになった。』

(連想)

「本当に怖い夢だった。逃げているのもこわいけど、逃げても石が当たる。とりあえず前に逃げないと当てられる。石は直方体の石。グレー。石を取るとき痛かった。半分目をつぶって。投げてくる人は2個づつ連続で投げてくる。後ろに、と言うのは少し逃げてかわすこと。」

<当たると痛いの?>

「いや、ズボーって音がする。一緒に逃げている人はたぶん男の人。顔は見ていない。中性って感じ。女性でもない。(略)私は女の子してないし。昔から、自分自身を大切にしていない。自分を自分でかわいがることができないんです。今、考えると過食して吐くというのもおかしいな・・・」

<おかしいというのは?>

「自分がきらいで、吐くとすっきりするから。自分をかわいがっている行為ではない。赤くただれたというのは、吐いたときに母親に、食道が赤くただれると言われたことがある。吐くのは自分がいやなときしかしない。」

<吐くというのは自分を受け容れないことかもしれないね。>

「これはいらないって、放り出してるのかもしれない・・・私は・・例えば家族とか。 家族に感謝している。就職にしても、家族がささえてくれた。口出しもしないで、必要な援助はしてくれた。今からは自分の人生は自分の人生と。幸せになるかもしれないし、不幸せになるかもしれないし。今までは周囲に私を幸せにして欲しいと思っていたけれど、不幸でも自分で対処していけばいいと考えられるようになった。」

この回の面接では一段落がついたという雰囲気がB子と筆者の間に漂っていた。当初より、B子との面接では彼女の判断を引き出しそれを尊重することが治療的にも重要と考え、その姿勢をとってきたため、ここでも<ちょっと一段落ついたみたいだけれど、この面接はどうする?>とB子の意向を聞くと、「ええ、今日で一応おわりにしようかなと思います。」と答えたので、一応の終結となった。

4.考察

この症例について、様々な問題点を抽出することができると考えられるが、ここでは先述したように第一に母に取り込まれている娘、そこからの脱出というテーマ、第二にそこに現れる男性像の変遷という2つの視点から考察を進めたい。

1)母への取り込まれと離脱のテーマ

初回面接において、B子は「母に守ってもらって育った」と述べる一方、父親を迫害者としてとらえていることを述べた。しかし一方第2回面接においては、「毎日母の言葉に一々反応して泣いてしまって(略)母は私の言ったことに間髪入れずに違うと言う。それで昔のすべてのいやだったことが思い出される。」と述べ、母親の言葉に直接的に動揺させられてしまうことを語った。このことが、母親からの情報にあった「家の中で大声で泣き叫びつづける」という行為となっていたようである。初回面接で語られた母親像と第2回面接にて語られた母親像とは手のひらを返したように異なっており、2つの母親像は split している。さらに、第2回面接での発言では問題点の重心が母親の側にあるように語られている。このことは、自分の問題領域を相手の問題領域に移し替えているわけで、投影性同一視の機制が働いている可能性が考えられる。これらは重層的に母娘の境界の不鮮明さを示唆するものでもあろう。また、この来院自体が本人の意向であるのか、母親の意向であるのかが、不明確であったこともこのことと軌を一にするものであろう。母親は、初回面接において、B子が退出した後1人で入室し、B子の問題点を羅列的に並べて述べ、薬を出して欲しいと言っている。ここで母親は、娘の心の悩みを理解しようとはせず、すぐにそれを取ろうとしており、葛藤の共有が困難な人であることを示唆している。このことは母親が自らの心に生じた葛藤を娘に一方的に投影し、娘を操作することでそれを取り除こうとしている姿勢と捉えることもでき、ここに母親の側の、娘に対する投影性同一視の機制を読み取ることができる。葛藤を内面にしっかりと抱えることによって人間は対象からの自律性を獲得できることを考えると、母親の葛藤を内面に抱えられないこの傾向は、娘との間の自我境界の不全と平行しており、このことは鏡像的に娘にもあてはまる特徴となっていると考えられる。

さて、このような境界の不明確な母−娘関係がこの面接過程の中で、微妙に変容をとげる。それは、まず夢2で自分のことを分かってくれないと抗議する“夢の中の自分〃(以後、夢自我と表現する)に対して、夢の中の母親はバケツの水を娘にかけるのではなく、自ら被る。ここで夢自我は自分が水をかけられると思っているが、夢はそれと反対の展開となる。さらに、夢の後半、母親がうどん屋に入ろうと提案するにもかかわらず、夢自我はそれを拒否する。その際、現実場面では話もろくにしない関係にある、兄、父に同意を求めている。

明らかに、この夢は現実のそれまでの母−娘関係とは異なった関係の可能性を提示している。現実場面で母は娘にとって反抗できないもの、動かしがたいもの、「言い争うと、いつも母の方が正しい」ような存在であるが、その絶対性はこの夢では相対化されている。また、母親は正しくて、父親は誤っているという現実のB子のイメージはこの夢の中では逆転している。

Jung,C.G.はじめ多くの研究者が、夢が現実の自我に対して補償的な機能を果すと考えている。Jung,C.G.は、「夢はそのときの意識状態に対して補償的に行動する」7)と述べ、補償という概念を用いることについて「意識と無意識とは、(略)互いに補い合って一つの全体を形作るからである。」8)と説明している。この夢の補償的な機能を視野に入れることは必然的に夢の目的志向的観点を我々に要求する。Jungは「夢には前方への連続性もある(略)夢は意識的な精神生活に目に立つほどの影響を残すことがある」7)と述べている。この夢2の場合にも補償的、目的志向的な機能を考えることは的外れなことではないだろう。この夢が提示した新しい関係可能性は、その後現実のものとして展開する。即ち、第7回面接において、B子は母親の勧める就職をやめ、自らが選んだ職場への就職を決意する。そして「自分で決めれたのがよかった。自分で決めたのだから責任がある。」と述べている。またこの夢2の最後で、母は胸を押えて倒れる。これは飲み込む母の、ひいては母娘一体関係の象徴的死とも考え得る。ここで「母が早く自立しなさいと言っているように思えた」とB子が印象を述べているのは、この夢の本質をついている。

2)男性像の変遷

さて、ここでもう一つの視点としてこの症例にとっての男性像について考察を進めたい。Neumann,E.11)12)は母−娘関係が未分化で一体性の強い状態を「女性の自我が、母性的な無意識や母性的な自己といまだ結ばれたままでいる」状態として、これを女性の「自己保存の段階」と表現している。さらにこの状態の中に「女性の自分自身ならびに男性にたいする特有の関係の仕方を規定している母権的心理というものが、まざまざとうかがえる」と述べている。この状態が往々にして、「男性的なものの排除とそれへの冷淡さを生まずにはいない」とし、男性がその中では侵入者としてとらえられることを指摘している。このモチーフをギリシャ神話の女神デメテルとその娘コレー(ペルセポネー)の神話が象徴的に表現していると述べている。その物語りの概略は次のようなものである。


『デメテルは大地の守護神であり、豊饒と収穫の女神である。デメテルには愛しい娘、ペルセポネー(コレー)がいた。ある日、ペルセポネーは仲の良い娘たちと花畑で、思い思いに花を摘んでいた。そのとき、突然大地が割れ、冥界の主神ハーデスが、黒馬のひく戦車に乗って出現しペルセポネーを略奪する。デメテルは必死にペルセポネーを探し、この間デメテルの恨みのために、大地は枯れ果て飢餓が地上を覆う。これに手を焼いたゼウスの調停によって、ペルセポネーは母に会うことを許され、地上に戻る。しかしこのとき、ペルセポネーはハーデスが手渡したザクロの実を4粒食べてしまう。冥界のザクロは、もしそれを食べれば冥界の住人になるという「禁断の木の実」であった。このためペルセポネーは1年の内、4カ月だけ、冥界に住まなくてはならなくなった。その4カ月の間、地上は暗い冬に覆われる。その後、冥界にもどったときのペルセポネーはハーデスの妻となり、冥界の堂々たる王妃として君臨したという。』

(丹羽隆子著「ギリシャ神話」6)より抜粋)

この神話においては男性は冥界の主神ハーデスとして現れ、コレーを冥界に誘拐する。本症例においても第1回面接で「父は信用できない人で」「父は母に暴力をふるった。私にもふるった。警察を呼んだこともあった。私は無力感を感じた。」と語られるように、父親は侵害者、悪者としてとらえられている。父親像は男性像の一つの重要な柱となるものである。先述したようにこの悪い父親像は、夢2において補償的にとらえ直される。また、夢2において大仏の横に亡くなった男性の写真がおかれ、夢自我は家族と離れてその写真のそばで寝なければならなくなる。ここに、男性は冥界の存在として現出している。女性の夢に男性が死者として現れることはまれなことではない。Neumann,E.は母性世界という観点から見るとき、女性にとって男性の接近は常に分離を意味し、ひいては死としての意味を持っていることを指摘している。11)そして、それを「死の結婚」のモチーフとして取り上げ、この体験によって、少女は女性になると述べている。13)ハーデスが冥界の神であることの意味もここにある。この夢にも分離と死のテーマが織り込まれている。このとき、夢自我は母親に怖いと訴え、それに対して母親が「私も小さいときそういう思いをしたことがあるよ。」と言っているのが印象的である。現実の母親と父親の関係を考慮すると、母親にとって、今でも男性性受容の問題が解決していない可能性が濃厚である。そうだとすれば、夫が侵略者として現出するのも夫側の要因だけではないように思われる。Jung,C.G.9)は、「デメテル/コレーは男性に異質の、そして男性を寄せつけぬ母と娘の体験領域を表現している。」と述べている。しかし一方、この夢2はB子が母親との一体感を断ち切る男性像との本当の意味での出会いへの導入をも示しているように思われる。いわば、これから始まる長い物語の序章としての意味が考えられる。B子には現実にボーイフレンドがいるが、「好きだと思ったことはない」が「話をきいてくれてたら良い」というように、彼女にとっては部分対象としてしか立ち現れておらず、例えば夢に現れたような侵略者としての側面をも包含した全的対象とはなっていない。

一方、女性にとっての男性像の成熟は自らの女性性の受容と切り離して考えることはできない。それらは表裏をなす事象と言えるだろう。夢1では他の同級生がうまくダンスを踊っている中で、自分だけがうまく踊れず、ペアにおいて女性としての役割がうまくとれない。連想において、つきあっていたボーイフレンドが他の女性に取られるという経験を思い出している。この夢はいわば彼女の紹介夢としてとらえることができる。夢3の夢自我は小学校時代のおてんばな少女の段階に未だ留まっており、思春期の課題である女への脱皮を通過していないことを表現している。つまり彼女の靴だけが運動靴で周りは黒の革靴である。恋に悩む同級生が夢自我になにかを言おうとするのも印象的である。連想においてもB子は自らの心理的未熟性に言及している。しかし、この夢の最後で女性性を象徴するかのようなリボンを結び直しているのは、彼女における女性性の受容が前向きに動き出していることを暗示しているのではなかろうか。夢4においてB子が嫌っていた実在の女性が夢に登場する。この女性は夢1の連想にて述べられた彼女のボーイフレンドを横取りした女性である。B子によるとセクシャルな女性で、男性との交際も活発で、いわばB子とは対称的な女性である。ところがB子は夢の中のその女性の話し方が自分とどこか似ていたと言っている。つまりこの女性は、彼女が今まで発達させてこなかった彼女自身の半面を象徴しているのではなかろうか。しかもそれが、全く遠い存在としてではなく、かなり夢自我に近い存在として立ち現れている。また、彼女がこの夢をみることによって、その女性を初めて認めることができるようになったと語っていることはこの仮説の傍証となるものである。

彼女の女性性受容がこのように開示してくるとそれと平行して男性像も活動を開始する。夢5において夢自我は男性に追跡され、攻撃を受ける。夢2における冥界の存在(死者)としてあらわれた男性がありありと生き返って活動を開始したとも考られる。ここで夢自我はもう一人の中性的な男性と一緒に逃げているが、この男性には侵略的な側面はなく、去勢された男性といったおもむきで、現実の彼女とボーイフレンドとの関係を彷彿とさせる。この追いかけて来る男性と、一緒に逃げる男性とはどちらも部分対象的でありB子の中のsplitした男性像と考えることができる。Winnicott,D.W.14)は部分対象について「部分対象または部分対象としかいいようのないものとの関係は本能欲動が負荷されているわけだが、これは生のままの報復恐怖をひきおこす。」と述べている。

ここで追って来る男性は直方体の石を2つペアで投げて来る。この石については女性に侵入するものとしてphalicな象徴としての解釈も成立するだろう。またさまざまな解釈可能性があると思われるが、いずれにしてもこの石が何らかの彼女が受け取るべき課題を意味していることは確かなようである。彼女がそれを避けようとすればするほど石は確実に彼女に命中している。

また、彼女が自分の体内に入った石を自分で処理することができていることは重要なことと思われる。心配げに見守る母親を尻目に彼女は「大丈夫」と言いながら独自の対処をしているわけで、母が直面してきた問題を今度はB子が自分の問題として受け止めているかのようである。さらに、その石を取り出す際に生じた腹部の赤い瘢痕から、B子は自分の過食・嘔吐を連想している。彼女にとっての嘔吐が女性としての自分の受容困難という意味をもっていることは彼女自身がこの夢をみたあと連想していることからも確かであろう。しかしさらに一方でこの嘔吐には母親とは違う自分独自の対処という積極的な意味も考えることができるのではなかろうか。夢はそちらの意味をも示唆しているように思われる。

この最後の夢5は、彼女の男性像の変遷という文脈からも今後、多くの課題が山積していることを示している。例えば、夢自我は追いかけて来る男の顔も一緒に逃げている男の顔も見ることができていない。その分それらは未分化な位置に置かれている。当然のことながら追って来る男性は自我に親和的なものにはなっておらず、男性像が受容されたとは言い難い。この夢はむしろ問題提起の夢である。この意味からも筆者はB子の問題が解決したとは思っていない。いわば第1段落が終わったわけで、将来再び彼女が面接の再開を求めて来院する可能性は大きいと思われる。その際には第2、第3の段落が展開されることが予想される。

5.結語

この症例は女性の心理的発達過程における母娘の一体的関係という段階から一歩踏み出そうとする移行の段階にいるものと考えられる。その際この一体的関係に割って入ろうとするものは男性性に外ならない。それ故男性は侵略者、略奪者として立ち現れる。この症例の夢2において男性は、冥界の存在として出現した。その後の夢5では侵略者として、彼女を追いかける。女性にとって外的、内的になんらかの形でその侵略を受容することがこの段階から次の段階に展開するために必要となるが、彼女はまだそれを達成したとはいえず、将来の課題として残されている。しかし全くの拒否となっているのではなく、彼女が受容の方向に動き始めていることも事実である。またこれら男性像の活動と平行して、夢の中での彼女と母親との関係は、微妙な変化をとげており、これらのことは治療者に明るい展望を与えている。

最後に本小論を書くにあたり、さまざまな貴重な御意見を下さった大阪大学医学部精神医学教室の井上洋一先生と浅香山病院院長の高橋尚武先生に心から感謝の意を表します。


文献

1)Abelin,E.: The role of the father in the separation-individuation process, In: McDevitt, J.B. & Sttlage, C.F. (eds.): Separation-Individuation. International Universities Press, New York, 1971.

2)Bachofen,J.J.: Das Mutterrecht.Verlag von Krais & Hoffmann, Stuttgart, 1861. 岡 道雄,河上倫逸, 監訳: 母権論, みすず書房, 東京, 1991.

3)Blos,P.: Modification in Classical Psychoanalytical Model of Adolescence. In: Adolescent Psychiatry. Vol.7, The University of Chicago Press Ltd., London, 1979.

4)Deutsch,H.: Psychology of Woman. Vol.1, Grune & Statton, New York, 1944. 懸田克躬訳: 若い女性の心 理(1), 日本教文社,東京,1964.

5)Freud,S.: Female sexuality. (1931.) The Standard Edition of Complete Psychological Work of Sigmund Freud. Vol.21, The Hogarth Press, London, 1961. 懸田克躬, 高橋義孝他 訳: 女性の性愛について (フロイト 著作集5), 人文書院, 京都, 1969.

6)丹羽 隆子:ギリシャ神話, 大修館書店, 東京,1985.

7)Jung,C.G.: Allgemeine Gesichtspunkute zur Psychologie des Traumes. (1948.) Die Gesammelten Werke von C.G.Jung. Bd8,Walter-Verlag AG., Olten, 1967. 秋山さと子, 野村美紀子 訳: 夢の心理学(ユングの人間論 ), 思索社, 東京,1980.

8)Jung,C.G.: Die Beziehungen zwischen dem Ich und dem Unbewuβten. (1935.) Die Gesammelten Werke von C.G.Jung. Bd7, Walter-Verlag AG., Olten, 1964. 松代洋一, 渡辺学訳: 自我と無意識, 思索社, 東京, 1984.

9)Jung,C.G. und Ker nyi,K.: Einf hrung in das Wessen der Mythologie. Rhein-Verlag AG., Z rich, 1951. 杉浦忠夫訳: 神話学入門, 晶文社, 東京, 1971.

10)中村瑠木子:前青年期・青年期前期女子の精神療法の一技法,小此木啓吾編,青年の精神病理 2, 弘文堂, 東京,1980.

11)Neumann,E.: Zu seelischen Entwicklung des Weiblichen. Ein Kommentar zu Apuleius . Rascher & Cie. AG., Z rich, 1952. 河合隼雄 監修, 玉谷直實, 井上博嗣訳:アモールとプシケー ————女性の 自己実現———, 紀伊国屋書店, 東京, 1973.

12)Neumann,E.: Zur Psychologie des Weiblichen. Rascher & Cie.AG., Z rich, 1953. 松代洋一, 鎌田輝男訳: 女性の深層, 紀伊國屋書店, 東京, 1980.

13)Neumann,E.: Die Groβe Mutter. Bollingen Series XL . Phantheon, New York, 1955. Rhein-Verlag,Z rich, 1956. 福島章,町沢静夫,大平健一他訳: グレート・マザー, ナツメ 社, 東京, 1982.

14)Winnicott,D.W.: The Maturational Process and the Facilitating Environment. The Hogarth Press Ltd, London, 1965. 牛島定信訳: 情緒発達の精神分析理論, 岩崎学術出版, 東京, 1977.
http://koteraclinic.jp/monograph/187


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『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで その@ — 幻聴が聞こえたら
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi
2005年1月8日

 最近、

H・M・クレックレー、C・H・セグペン[著]川口正吉[訳]『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』(講談社プラスアルファ文庫)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406256145X/


を読みました。この本は1973年に邦訳・発行されたハードカバーの文庫版なのですが、著者の患者であったイブ・ホワイトという名の女性の、多重人格症状の発症から回復までの過程について書かれています。精神的な分野の書籍であり、今回は、この本の内容について触れていくことにします。

 一連の出来事は、彼女がひどい頭痛に悩まされはじめ、町の診療所に行くことにより始まります。その診療所の医者にクレックレー・セグペン精神科クリニックを紹介されるのですが、実は、そのクリニックの治療者が著者であるクレックレーとセグペンの両博士であり、彼女に対しての精神療法による治療が始まることとなるのです。そして、その治療の過程で著者は、当時、非常に珍しい症状であった多重人格症状の症例に接することとなったのでした。

 治療者である著者は、面接を行うことによりイブ・ホワイトの話(症状)を聞いてきます。彼女は、夫婦生活をする中で、度々、夫に腹を立てられ、時には平手で打たれる事があると告白し、自分では何故そういうことを夫にされるのか理解できないと言います。著者も、この小さな女性と接した感触では、性格が大人しく、腹を立てられるようなことをするとは想像できない。夫が尋常な男ではないのか、それとも、他に何か原因があるのか。問題の原因を探りはじめることになります。

(本書、第1章「それは偏頭痛からはじまった」17頁より)
 彼女はしばしば、「目がくらむような」頭痛と形容した。どんな意味でこの形容詞を使っているのか、なかなか正確にはわからなかった。どうも字義どおりに視覚を失う、あるいはまったく見えなくなるということではなさそうであった。ただ、偏頭痛の患者によく見られるような視覚障害があったことだけは事実のようであった。彼女はまた、頭痛発作のあとに意識喪失があるともいった。彼女が意識的に説明を避けたというのではないが、こうした発作期間にいったい何が起こったというのか、診療者ははっきりとした意味合いをつかむことがむずかしかった。

 ときに、彼女のいう言葉から、ただの卒倒だったのではないかと思われるフシもなくはなかった。たるいは彼女のいうのが、もっと悪質な記憶喪失を意味しているのではないかと疑われることもあった。しかし、神経病学検査では、脳腫瘍の徴候は見られず、意識喪失を起こすような他の器質障害の徴候も見られなかった。また痙攣症の病歴も彼女にはなかった。

[中略]

 彼女のパーソナリティ(人格)は誰が見ても、異常とか強烈とかの特徴の全く欠けた、どんな驚くべき可能性もありようのない、ごく陳腐なものであった。

 治療を始めて数週間で彼女はかなり良くなり、もう意識喪失の発作を訴えなくなったので、事態は好転したかに思われました。しかし、安心したのもつかの間、その後、彼女は夫であるラルフ・ホワイトに連れ添われて再度診療所にやって来ます。ラルフが語るには、妻の気質が時々奇妙に変化し、それが原因で彼が癇癪を起こすことがある、とのこと。また、そういう事件があったにもかかわらず、彼は妻のことを、そういう病的な面を除いては大体において魅力的な女性、非常に貞淑で、辛抱強く、子供に対して献身的な、良い母親であると見ています。

(同、第2章「幻聴を聞く」23頁より)
 「先生、こんなやさしいしっかりした女が人を怒らせるなんて、とても信じられないでしょう。ですがそれは事実なんです。僕が悪いのかもしれません。いや、妻はあまりに善良すぎて、そのために時々、僕は癇癪を起こすのかもしれません……先生は妻のいいところばかり見ていらして、それに慣れきっていられるのです。もし先生も……それとは全然ちがった反面……それが出たとすれば……どう解釈すると当惑されると思います」

 もっと詳しく話してくれと私たちは頼んだ。イブはときとすると、いつもの辛抱強さと冷静さとは似ても似つかない様子で、別人のように振る舞うことがあるという。

 その後、治療者の症状を解決させようという努力の効果が表れたのか、夫婦の間柄はかなりよくなったように察せられました。しかし、再度ラルフから期待を裏切る手紙が来ます。ひどい頭痛がぶり返したので、なるべく早く面接をお願いしたいとのこと。診察室でイブ・ホワイトに会うと、ひどい頭痛が続いて、生活が極めて惨めだったと訴えられます。そして、彼女は、何度も繰り返し同じ不思議な夢を見ると告白します。

(同26頁より)
 医師は、催眠術をかけてみようかといった。

 彼女は別にいやな顔もせずに承諾した。何度もすぐさめて、うまくいかなかったが、最後にやっと催眠状態になった。医師は、眠っている彼女に、そのままもう一度夢を語ってくれるよう命じた。そして目が覚めてからその夢が現実の経験とどの部分で一致しているのか、よく考えてみるのだとよといいふくめた。

 催眠状態からさめたあとで、彼女は、夢のその部屋が彼女の存在全体を意味しているらしいこと、よどんだ汚水は夫がカトリック教会のメンバーだという意味らしいことを、きわめてスラスラと申したてた。こう見ると、夢と現実とはまったく一致しているのであって〜[中略]。

[中略]

 この夢の解釈で新しい事実が発見されたわけではない。
彼女がこれまで意識的には、そしてはっきりとは気づいていないことが、一つでもこの夢の解釈で明らかになったというものではなかった。だが夢の解釈を医師と話しあうことは、彼女がこれまでの面接でふれることを避けていた重要な意味を持つある部分の感情を、明瞭に彼女に意識させるには役だったようである。

 事実、彼女自身も驚いたように、頭痛は突如として消え去った。彼女はすっかり元気を回復して診療室を辞していった。精神治療医(セグペン)がこれまでの面接で見たこともないほど彼女の気持ちはほぐれ、明るくはればれとしていた。


 それから約1年間、イブ・ホワイトの状態はかなり良好な状態を保ちます。しかし、ある日、治療者の元に彼女から一通の手紙が来るのでした。夫と、とり返しのつかない争いを起こしてしまった、という内容の手紙です。催眠術による治療は有効であったが、このケースでは、約1年間しか効果が続かなかったようです。

(同27頁より)
 大変な喧嘩、そのあと夫も妻も逆上して、もはや二人の関係もこれまでだと宣言しあった。ラルフはすぐ一人で家に帰り、妻があとで衣類や自分の品物をとりにくるのを待った。

 彼女がもどってくると、態度がまるで変わっていた。夫は、妻のほほえみ、やさして声のちょうしにびっくりしてしまった。彼女は、何事もなかったかのように、夫の頬に軽く接吻し、いつものとおり家の中の仕事をやりだした。彼女の行動に当惑をおぼえながらも、夫は妻の態度に心がやわらぎ、妻が、あの時のはげしい憎悪と破局的な意向を何かの考えでひるがえしたのだろうと思って気をやすめた。今さらあの喧嘩のことを持ち出して危機をおしすすめるべきではないと考えた。それからの数日、家庭は平和にあふれ、夫婦の間柄はこれまでにないようなものであった。

 するとある日の夕方、旅行に出かけるつもりか、スーツケースに物をつめている妻を見つけた。彼女は冷静で、事務的で、そして軽く微笑していた。夫は何気なく、なぜ旅行の支度をするのかと妻に聞いた。

 「なぜ……?私、フローのところへ出かけるのでしょ?」

 彼女は、夫の質問にびっくりしたような表情で答えた。夫がなぜそんなわかりきったことを聞くのか彼女はとまどっている様子であった。悲劇的な終わり方をした先ほどの旅行は、じつはこのフローのところを訪ねたことであった。

[中略]

 「おい、何をバカいっているんだ。君のフローを訪ねる旅行はもうすんだじゃないか!」と夫は声を荒げて妻をなじった。彼女はただ呆然とするだけであった。

 治療者との面接でも彼女は、納得がいかない、フロー夫妻を訪ねて数日を過ごしたことも、あとから夫が来たことも、全然覚えていない、と言いました。これはひどい記憶喪失だと思った医師は、再度彼女に催眠術をかけることにします。すると、フロー(従姉妹)と仲良く数日を過ごしたことを明瞭に思い出すことができるのでした。しかし、 夫との口論の原因については、なぜか曖昧なことしか言えず、おかしなフシも見られました。

 治療者は、面接をしているときの彼女の穏やかな態度と、夫の述べる、喧嘩の際の彼女のはげしい行動との間に辻褄の合わないものを感じ取ります(夫の証言は、その口論の場に居合わせたフローの夫に会うことにより誇張でないことが証明されていました)。その後、治療者との面接により少し自信を取り戻した彼女は夫に伴われて帰っていくのですが、直後に手紙が届きます。それも、未完の手紙であり、途中で突然、筆跡と内容が変わっている手紙なのです。その変わり様は、子供がイタズラ書きしたように、同一人物が書いたとは、とうてい思えないようなものなのでした。この手紙を受け取り、医師は様々な可能性を模索します。

(同36頁より)
 これまでイブ・ホワイトはいつも変わりなく慎重で実直な人柄であって、几帳面なくらい誠実な女であった。その真面目な彼女が、正気でこんないたずらをするとは、とうてい考えられない。とすれば、コロンビア市の従姉妹を訪問したときの健忘発作という事実と考えあわせて、この場合も、それに似たようなごく短時間の夢遊病、あるいは遁走(フユーグ)が発生したのかもしれない。それが医師のいちおうの説明であった。


 この手紙の一件から一週間もせず、著者は、今度は夫であるラルフから連絡を受けることになります。彼女が、今度は夫に相談なしに町に行き、非常に高価なドレスをたくさん買い込んできたという。それで急遽、翌日に面接することになるのですが、会うと、また彼女はそのことについて何も知らないと言います。彼女は、夫の怒りを(誤解を?)解けずにいる、子供も失うかもしれない、そういう不安により地獄にいるように苦しめられている、そう察せられるのでした。

 自分を救って欲しいとすがるような目で医師の方をまじまじと見る彼女。治療者である医師との間に、緊迫した沈黙の時間が生まれます。その時、医師は深い呼吸をし、自分でも何故そうしたかわからないのですが、微かにほほえみます。すると、彼女の意識の中で何かの変化が起きたのか、初めて幻聴の体験を告白するのでした。それまで、彼女の性格もあり告白できないでいたのです。彼女も、幻聴という異常現象から統合失調症(精神分裂病)という重い精神病をイメージし、精神病院に入れられて、二度と外に出られないことを恐れていたのでした。

(同41頁より)
 「もう、何ヶ月にもなります。あの声が聞こえだしてから。めったにしかないのですけれども……」

 ところが、ここ数日はそれがとても頻繁になってきて、いまではどうしても避けることができなくなってきた。聞こえるのはいつも女の声である。誰の声だかどうしてもわからない。が、聞き慣れた声のように思われることが時々ある。その声は軽快な調子のしゃべり方で、時どき下品な言葉を使う−と彼女はいった。

[中略]

 精神病者の幻聴というものは、通例こんなにはっきりした声を聞くものではない。精神病者は、聞きなれぬ声がしゃべるその内容に恐怖を覚えはするが、異常な知覚そのものをとくに恐ろしいと思うことはめったにない。幻聴を聞く精神病者はほとんど一様に、自分の聞く声が現実にある声だと考えている。彼らはラジオとか、レーダーとか、あるいは無限の距離に音波を発射する放射性物質、さらには霊能者の内部に潜む心霊体に、目には見えぬ波動が作用してそうした声が聞こえてくるのだ、と絶対に信じている。

 精神分裂病の患者は、幻聴が精神病の一つの証拠だとはけっして思っていない。幻聴の声が現実のものでないと、いくら説明してやっても、とうてい彼らを納得させることはできないのである。

 これに反して、イブ・ホワイトの反応の仕方はまことに奇妙なものであった。すなわち、彼女は、精神病学の理論としては重症の精神病者にだけしか起こらないはずの幻聴を感じると同時に、それに対して正気で健康な通常人のするような反応を示しているのであった。

 今回は、ここまでの内容で筆を置かせていただきます。全29章の中の、はじめの2章についてのみ触れていったのですが、それだけの内容の中にも、有益な情報が多くあるように私には感じられました。最初は激しい頭痛、そして、意識の喪失を訴えるイブ・ホワイト嬢。脳に問題があるのかというと、脳腫瘍などの異常はないという。そして、夫による証言では、妻の気質が変わり別人のように振る舞うことがあるとのこと。病院にかかるほどの問題を抱えていなくても、気分屋であったり、時として別人のように振る舞う人は、現在の日本にも多く見られるのではないでしょうか。

 その後、頭痛がひどく、日常が惨めで、不思議な夢を繰り返し見るという彼女の訴えにより著者は催眠術という方法よる治療を試みます。その結果、一年間ほど症状は好転するのでした。催眠術というと、私はブライアン・L・ワイズ[著]『前世療法』を連想しますが、ワイズ氏のケースでは、退行催眠により患者の病気の原因になった時期まで記憶を遡ることを試みたところ、患者の生前にまで記憶が遡ってしまい、そこから新しい事態が展開されていくのでした。

 話を元に戻します。治療から約一年後、再び彼女に事件が起こりはじめます。夫からの視点によると、彼女は気質が変わることがあり、癇癪を起こしたり、そうかと思うと、そのことをすっかり忘れていたりする。彼女にしてみたら、頭痛で悩まされる上に、自分がしてもいないことで夫に激しく怒られ不条理に感じるし、気分は沈む。不安にもなる。解決することがむずかしい状態に、彼女たちはおかれているように察せられます。

 著者が再度催眠術による治療を行うと、彼女は忘れていた記憶を大部分思い出すのですが、問題の核心については何故か曖昧なことしか言えません。そして、後になって、彼女が幻聴の体験をしていながら告白できないでいたことが発覚するのでした。彼女は、幻聴が聞こえることにより自分は統合失調症であるのかと疑うのですが、私の場合と同じく、幻聴という症状により統合失調症と診断され、精神病院に入院、二度と外の世界に出られないことをイメージし、彼女はクリニックの治療者である著者にも言えないでいたのです。しかし、ある切っ掛けにより治療者との信頼関係が気づかれることにより、、遂に彼女は告白することになるのでした。

 著者によると、精神病患者の幻聴と、彼女の幻聴との間には明確な差異があります。それは、精神病患者は現実の声と幻聴との区別をすることができないのですが、彼女は幻聴を幻聴だと認識し、現実の声と区別することができるということです。ともかく、彼女のこの幻聴の告白により、治療に関しても新しい展開を迎えることになるのでした。
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi


『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで そのA — 幻聴が聞こえたら
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi2

今回も、前回に引き続き『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』の内容について触れていきたいと思います。前回、イブ・ホワイト夫人は幻聴の体験についての告白をしました。その後、彼女は精神病と診断されていないことに安心しながらも、娘を手放すことに対する恐れ、夫との問題、などにより神経をすり減らし続けます。そして、頭痛の回数は増え、激しくなり、意識が喪失することも多くなっていくのでした。

 そんなある日、医師が彼女と面接している最中に、信じられないような事件が起こります。彼女に聞こえる「女性の声」が話題であり、その声のことをうまく説明しようとして、彼女が考えあぐねていたときでした。

(本書、第3章「もう一人の女」44頁より)
 彼女の考え込んでいる目の表情が、ほとんど凝視の形をおびてきた。イブは、瞬間、眩暈を感じたらしかった。突然、彼女の姿勢が変化しはじめた。彼女の体はおもむろにこわばっていき、ついに硬直したまっすぐな座り方になった。と、見なれない、わけのわからない表情が彼女の顔をサッとかすめた。が、次の瞬間にはそれも消えて、完全な無表情となった。容ぼうのあらゆる線が、ほとんど認められないくらいの、さざ波が立つような変化で移っていくように思われた。しばらくのあいだ、何かひじょうに計り知れぬ神秘的な表情がそこにただよっていた。両目を閉じ、彼女は両手をコメカミにやり、そこを強く押さえ、急激な痛みと闘うように交互に上下へひねりながら、顔をしかめた。かすかな震えが彼女の体全体を通り過ぎた。

 それから−両手は軽くおろされた。そして彼女の姿勢は、医師がこれまでこの患者について目撃したことのないゆったりとしたものに、たわいなくほぐれていった。青い目がぽっかりと見開いた。すばやい大胆なほほえみ……。

「ハイ!……そこなの、先生(ドック)!」

 人格が交代する瞬間の描写についての記述になります。イブ・ブラックという未知の人格が、イブ・ホワイト人格と交代して医師の前に初めて現れたのでした。記述から、喋り方が変わっているだけではなく、姿勢なども変化していることが理解できます。

(本書、第3章「もう一人の女」49頁より)
 ここでもうすこしくわしく、この新しい幽霊の女と、消えさったイブ・ホワイトとの外見上のちがいを説明しておこう。あの平凡なイブ・ホワイトが、内気な稀に見るしとやかさと節度とをわきまえた女性であるのにたいし、新しく出現したこの女は、子供のようにものおじしない気質、エロチックでいたずらっぽい流し目、滾々と湧き出るような活力、遊びを求める貪婪な意欲などが特徴であった。このまるで屈託のない女は、イブ・ホワイトとその悩みを、人ごとのように口にし、イブ・ホワイトを指すのに「彼女」という三人称を用い、自分自身とのあいだにはっきりとした境界線をもうけていた。

(中略)

 二人の女性のあいだの数えきれないほどのちがい−態度、物腰、表情、姿勢、反射の度合い、視線、眉のかたむけ方、目の動き、そういったもののすべては、たしかにこの女が全く別人であることを主張しているかに見えた。だが、そうした差異が実際何であるかと正面きって問われると、まったくどう返答していいかわからなくなるのであった。

 二つの人格の間には数多くの異なる特徴があり、例え同じ肉体を共有しているにしても、同一人物であるようには感じられないし、その差異をうまく解釈することができない、ということです。つまり、ある人が二重人格者と会い両人格と接した場合、それぞれ別の人と会ったように感じるのですが、それが何であるのかよく理解できない、そういう状態です。二重人格という症例は、精神科医もめったにお目にかかるものではなく、その解釈に著者自身が非常に困らされるのでした。

(本書、第5章「二重人格−その人格交代に直面して」87頁より)
 多重人格はしばしば、ヒステリーの一形態だといわれる。これまでに報告されたケースでは、たしかに、意識の分裂を示すとともに、転換ヒステリーの古典的なまちがいのない症候を示しているものが少なくはなかった。誰でも知っているように、ヒステリー患者はひじょうに暗示にかかりやすく、芝居がかった行動をする。こうしたヒステリー患者が、自分はいますばらしいものを発見しつつあると思いこんでいる医師の熱心な呼びかけに答えて、凝りに凝った、信じられないくらいの仕草をやってのけ、観察者の期待にそうような、いや観察者の想定を上まわるような変貌を見せるであろうことは、想像にかたくない。

 読者も見聞きされただろうが、およそ薄気味のわるい怪奇な現象−たとえば空中浮遊だとか、死者との通信だとか、物理的な力が働いていないのに物が動くとか、遠隔の人と会話をするとかいう現象−は、むかしは「騒ぐ霊(ポルターガイスト)」の仕業だと思われていたのだが、今日でも、相当の学識ある人でさえ、これを死者の心霊によるものだと信じているようである。ところがよく調べてみると、術者はたいてい、じつは悪意のないヒステリー症の少女か何かなのであって、彼女をあやつる黒幕の人物の命令するままに、無意識のうちに行動し、演技が度重なるにつれてますます芝居がかり、神秘性をおび、ついには信じがたいまでの「奇跡」をやってのけるにすぎないのである。

 多重人格の解釈について書かれていますが、ヒステリー症の一形態だといわれることが多いのだそうです(本書が執筆されたのは1958年です)。また、著者は、ポルターガイスト現象について、黒幕の人物に操られたヒステリー症の少女か何かが引き起こしている、との解釈をされています。

 私は、そういうことも多くあるのかなと感じます。もう、心霊的な世界には怪しげな山師が多数潜んでおり、詐欺的な行為を多くしてきたために信頼性を失っているという現状があるように感じるからです。そのことも一因となり、学識ある人々の多くは心霊的な世界について語ることを嫌がるのではないでしょうか。つまり、物欲に囚われているような人間は、精神的な世界について語ってはいけないということです。特に、金儲けや虚栄心のために精神世界・心霊的なものを利用してきた人々が少なからずおり、結局は、そういった行為が心霊的なものの信頼性を低めてきたのでした。

(本書、第6章「孤独な魂の記憶」99頁より)
 だが、いま直面している患者は、ありきたりの精神障害とはまったくちがう。私たちは二十年近く、共同で精神科クリニックを経営してきたのだが、イブ・ホワイトのようなユニークなケースに出会ったのは、これがはじめてである。この患者は無数のむずかしい問題を提起し、いかなる不測の可能性を秘めているかもわからない希有のケースである。

 精神医学の教科書ではしばしば、二重人格はヒステリーという周知の名称のもとに、他の意識分離症といっしょに分類されている。だが私たちには、この患者をはたしてヒステリーの分類に入れていいかどうか自信がなかった。彼女がはたしてヒステリーに共通なありきたりの反応を示すかどうか疑わしく思った。この患者には、私たちの知識の限界をはっきりと自覚させる何かがあった。人間という統一体あるいは人間の生命という小さな核的事実をとりまいて、そこに広がる無限の神秘性についてわれわれの知識がいかに乏しいか、そしてまた精緻な精神病理学の諸理論がいかに疑わしく、頼りないかを思い知らしめる何ものかがあった。

 著者は、このイブ・ホワイトのケースを、ヒステリー症として分類していいかどうか悩みます。著者の知識を超えるものが現状としてあり、自分たちの力の限界を自覚させられたからでした。

 心霊的な知識からは、このケースを霊魂の交代だと解釈しすることができます。霊魂が交代する。だから、肉体以外の部分は全て交代する。そういう解釈になりますし、著者は、それを無限の神秘性として感じられているのではないでしょうか。また、心霊的な精神病の解決方法として、霊媒に霊を憑依させて解決していく、というやり方があり、そのことについては後述します。

(本書、第6章「孤独な魂の記憶」110頁より)
 観察期間中、彼女には多い隠された、あるいはごく初期の、精神分裂病の徴候はなかった。また分裂病質傾向すら全然見られなかったということを、とくにここで強調しておきたい。よく、一件常人であって、行動も言語も非の打ちどころのない合理性をもっていながら、その内側の奥深い個所にきわめてかすかな分裂病的な異常さが隠されており、何かのはずみに察しても、彼女の動作、姿勢、その他いっさいの外部に現れる部面で、おかしな気味のわるい徴候などは毛筋ほども見られなかったのである。

 彼女には、多重人格といわれる人格の交代は起こっていたが、現実と幻覚を混合するといったような一般的に統合失調症患者に見られる傾向はなかった、ということです。

(本書、第7章「意識がとぎれた間」131頁より)
 イブ・ホワイトと対座しながら、治療者は静かに、イブ・ブラックの名を呼んだ。そして、何も知らないこの患者に、直接に話しかけてくれと、医師は要求した。

 反応はただちに、しかも印象的に表れた。イブ・ホワイトの顔は、突如として表情を失い、中略。すべての表情と感情とをはぎとられた空白の一瞬がすぎて、その顔には、原始の驚きともいうべきむきだしの感情が表れた。そして寸時の沈黙ののち、彼女の相貌は、またいつもの静かな落ち着きをとりもどした。かすかな、聞き取れぬほどのため息を一つもらし、彼女はおもむろに、ささやくようにいった。

 「……ありえないことですわ」

 患者の心は深部から揺すぶれ、乱された。彼女の医師はその午後ずっと彼女につきそってやらなければならないと思った。彼女の感情が、この不気味な、恐ろしい自己了解に順応していくように、できるだけ彼女を力づけてやらなければならないと思った。

 これは、著者とイブ・ブラックがあらかじめ話しあい、イブ・ホワイトにもう一つの人格(イブ・ブラック)の存在を知らせるため、彼女にその声をわざと聞かせたのでした。それは、イブ・ホワイトにもあらかじめ説明してから、意識の奥の方からイブ・ブラックが語りかけたわけです。

 イブ・ブラックの方は、イブ・ホワイトの考えていることがわかるといい、その存在を以前から知っていました。しかし、イブ・ホワイトの方は、それまでイブ・ブラックの存在を全く知らなかったので、著者は、その存在を知らせることが治療の役に立つと考え、彼女に幻聴(イブ・ブラックの声)を聞かせたのでした。

(本書、第9章「第二の人格はいつできたか」160頁より)
 私たちは、イブ・ブラックとの対談で、彼女がイブ・ホワイトの幼少期からずっと独立の生活をもっていたと聞かされて、驚くとともに、その真実を疑った。イブ・ブラックなるものが、患者のここ数年経験した破壊的な情動ストレスから生まれた産物らしいと推測していた私たちは、これをまた例のイブの誇大な作り話の一つではないかと思っていた。彼女は、二十年前、あるいはそれ以前の挿話を、隠しだてせずに語った。みんな、彼女が出現した話で、いたずらをしたり、両親のいいつけに従わなかったというような話ばかりであった。

(中略)

 私たちが両親と面談するにおよんで、イブ・ブラックの語った挿話のあるものは、両親その他の家族の証言で、これを裏づけることができた。(中略)。両親ともイブ・ブラックが私たちに話したことのあるいくつかの事件を記憶していた。

 イブ・ブラックは二十年前から記憶をもっており、その記憶が両親の証言で裏づけられた、とのことです。これはイブ・ホワイトにとっては、信じられないような、恐ろしいことではないでしょうか。自分の知らないところで、自分のことを知っていて、考えていることもわかる人格(霊魂)がいたのですから。しかも、イブ・ブラックの場合は、時どき肉体に表面化しては問題を引き起こし、後始末はイブ・ホワイトにとばかりに、責任は取らずにまた奥に引っ込んでいくのでした。こうなってくると、興味は、どうしてこのような事態になったのか、どうしたら問題が解決するのか、という方に移ります。


(本書、第10章「自殺願望」176頁より)
 ごくはじめのころの面接で、イブ・ブラックはこういうことがあった。彼女の中のイブ・ホワイトの記憶(memory)が、ごくわずかの時間ではあるが、ひどく妨げられることがあった。それは、イブ・ブラックの支配がなおつづいていながら、しかも彼女の交代人格が必死にもがきでようとするので、意識にありつこうとする両者の争いがはげしくなり、いっときどちらが勝ちをしめるかわからないようなきわどい一時期に、そのような記憶の妨げが起こるということができる。いつもできるとはかぎらないが、時々はできる、といった。しかし、これをするには、かなり不快な努力がいるので、めったにそうはしないのだという。

 恐ろしいことに、イブ・ブラックにはイブ・ホワイトの記憶を妨げる能力があるのでした。イブ・ブラックの場合は、滅多にそういうことはしないとのことでしたが、もしも、そういう行為ばかりするとなると、「『霊感者スウェデンボルグ』にみる幻覚の心霊的解釈」における、憑依霊と同様の行為をしている、より悪質な霊であるということになるのではないでしょうか。

(本書、第11章「誰にも本当のことは言えない」188頁より)
 「偽善者」という言葉がある。その人の主張、自負が、実際の行動とあまりにくいちがっている場合、彼は「偽善者」といわれるのだが、そのくいちがいが極端な場合は、彼は「二重の人生を送っている」といわれる。

 このように、意識からしりぞけられシャットアウトされた傾向、態度、性質が、その人の心の内奥に、気づかれぬまま一つの潜在能力として存在し続けるという説は、けっして根拠のないものではない。かく、意識からしりぞけられ分離されたものが、何かのきっかけで動員され組織化され、ついには一つの目に見えるものとして表面に表れてくる−それがいわゆる二重人格の中の第二の人格であると説明されているわけである。

 この考えにもとづけば、治療の道はおのずから明らかであろう。すなわち、二つの人格相互認知をすすめてゆき、最終的な再統合へもってゆくということである。かくて、数十ヶ月にわたり、おのおののイブを一歩一歩その幼児期までたどっていかせるという努力がつづけられた。

 何らかの原因により、一つの肉体に二つの人格が宿るという状態になり、片方は真面目で、もう片方は不真面目なのでした。そして、時どき、不真面目な方の人格が肉体を支配しトラブルが起こる、という構図になります。著者は、人格が分離した幼児期まで記憶をたどること、そして、二つの人格の相互認知をすすめることが、この問題を解決する治療方法であるといいます。

 「C.A.ウィックランド著『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』」にみられるように、精神病の心霊的な治療方法として、精神病患者に取り憑いている憑依霊を霊媒に憑依させ、霊能者(この場合は精神科医)がその憑依霊と対話することにより、解決を探る(病気を治していく)というやり方があります。実は、このイブ・ホワイトとイブ・ブラックのケースについても、これら心霊的なケースとの類似性が見られるのでした。肉体を支配している主人格(この場合は、イブ・ホワイト)に対して、非協力的(この場合は、イブ・ブラック)であったり、攻撃的な他人格がおり、主人格が苦しめられるという構図がそうです。そして、そういった不満分子の理解を得ることが、問題解決のポイントであると考えられています。

(本書、第13章「内向を深める性格、外向に走る性格」217頁より)
 しかしながら、ミス・ブラックのロールシャッハ・テストが、私たちが依頼した臨床心理学者によって、「ホワイト夫人のそれよりはるかに健全である」と解釈されたことは注目に値する。この臨床心理学者によれば、イブ・ブラックの記録はヒステリー傾向が顕著であるのに対して、ホワイト夫人には、「しめつけられている感じ、不安状態、強迫神経症傾向」が見られるという。(後略)。

 これは、現代人の生き方の違いにも通じる両人格の間の差異になります。抑制的で大人しい性格のイブ・ホワイトよりも、開けっぴろげで我慢を知らないイブ・ブラックの方が、精神的には健康であるということです。

 現代の日本にも、流行を追い、クラブに踊りに行き、乱痴気騒ぎが大好きで、大した向上心もなく日々を生きているA君と、本を多く読み、勉学に打ち込み、倫理・道徳的な生活規範で自分を縛り、目標を持ち日々生きているB君がいます。私は大体はB君でありたいと思っていますが、実は、精神的にはA君の方が健康的であるといわれています。A君はストレスを感じない生き方をしているのに対して、B君は、自分をより向上させるためにストレスを溜める生活をしているからです。

 では、みんなA君のような生き方をするのがいいかというと、私は決していいとは思いません。B君のように目標を持ち努力し、時には、人の道に外れない範囲内で羽目を外し、ストレスをうまく処理して生きていくことが、最良の方法ではないのでしょうか。つまり、バランス良く生きていくことが大事であるように感じます。

(本書、第13章「内向を深める性格、外向に走る性格」219頁より)
イブ・ホワイト
 つつしみぶかく、控えめで、ある点では聖女に近い。
 顔は静かな甘美さを示す。休んでいるときの表情は悲しみをじっと噛みしめているといったふうである。
 声にはいつもやわらかでなだらかな抑揚があり、つねに、ひときわ女性的な抑制に支配されている。

(中略)

 過酷な環境に苦しみ、悲劇に恐れおののき、そうした中でわが子を守りぬこうとする健気な努力は非常に印象的であるが、本質的には破れやすいものであるだけに、いいようのない悲壮感を誘う。はたから見て、いまの環境にやがて圧しつぶされるのではないかと、ハラハラさせられる。
 ナイロンに対するアレルギーはない。

イブ・ブラック
 どう見ても、パーティ・ガールで、抜け目がなく、子供のように見栄っぱりで、自己中心的である。
 顔はピクシーのようで、目は、いたずら小僧が瞳の奥からのぞいているように、躍っている。
 表情は変化しやすく、いつも何かおもしろいことがしたくてたまらないといった衝動的な光をただよわす。目つきはカゼのごとく移りやすい。顔には悲壮のかげがまったくない。時どき子供のあどけなさを見せるが、ほんとうは、それは表面だけの無邪気さである。
 声はすこししわがれている"ディスカルチュアな"(本人の住む文化的枠組みから逸脱した)ところがあり、陽気さと、相手をなぶるひびきがある。

(中略)

 およそ思索的などではない。真剣になることは、彼女にとっては、退屈なバカバカしいことである。男はこの女を見るとすぐおもしろい女だと感じ、人好きのする女だと思うだろう、そういう魅力がある。つまらぬ日常経験の細かいことまで、異常な好奇心で観察しようとする。そして不思議にも、「じわじわとくる外部世界の汚濁が伝染してこない安全地帯に引っこんでおり」、あらゆる精神的苦悩と悲哀とから離れて安泰である。
 彼女の皮膚は時どきナイロンによってジンマシンを起こすと本人がこぼしている。だから「出ている」ときは、靴下を長時間はかないようにしている。


 イブ・ホワイトとイブ・ブラック、両者の性格の違いについての記述になりますが、これはもう、完全な別人だということがわかります。そして、イブ・ブラックは20年前からの記憶があるといいます。それでは、なぜ、その時からの記憶があるのか、ということが疑問として生まれてくるのです。そして、両人格の間の相互理解がこの症例の解決策になると著者は考え、その方向での治療が行われていきます。この、両人格の相互理解が達成されたら、症状は好転するのか、どういう結果を招くのか、非常に気になるところです。

 わたしは、この両人格を心霊的に霊魂であると考えていますが、何らかの事件が二十年前に起こり、それまでは一つであった人格なり魂が、二つに分かれたのではないかと考えている点において、精神科医である著者の解釈と何も異なるところはありません。

 丁度、太陽のように一つの丸い球体が、ヒョウタンのような形状を経て、二つの球体に分かれるような感じに分かれたのではないかとイメージしています。そして、片方の真面目で責任感のある霊魂(人格)が普段は肉体を支配し、もう片方の不真面目な方の霊魂(人格)が奥の方に引っ込んでいたということになります。両者は分裂する前はバランスのよい人格であったが、分裂時に、「真面目で病的な人格」と「不真面目で生き生きとした人格」とに分かれた、と考えることができます。

 また、別の話になりますが、この本の内容について考えていて、クローン人間を連想することがありました。クローン人間とは、ある人間と遺伝子配列が全く同一の複製人間のことです。一人の人間にさえ、複数の人格が存在することがあるというのに、それが、クローン人間ではどうなるのか。イブ・ホワイトの肉体のクローンを作成したら、そのクローン人間にもイブ・ホワイトとイブ・ブラックという二つの人格が宿るのでしょうか。非常に興味深い点だと思います。

 それでは、今回は以上の内容で筆を置かせていただきます。
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『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んで そのB — 幻聴が聞こえたら
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今回も、前回からの続きを書いていきたいと思いますが、少々お伝えしておかなければならないことがあります。題名にある通り、H・M・クレックレー著『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』を読んだことが、今回の連載を書き始めるきっかとなっています。

 しかし、現在、たった一冊の本を読んだことにより多くのことを理解したと考えることは浅はかであった、と実感している次第です。どういうことかといいますと、先日、酒井和夫著『分析・多重人格のすべて』l(リヨン社)という著書を読んだのですが、これが非常に勉強になる本でした。そして、『私という他人』についても多くの頁数が割かれており、私の認識が改められるとともに、今回の連載の締めくくり方に関してかなりの路線変更が必要であることが判明したのでした。そのことをご了承いただけますよう、お願いいたします。

 以下、『分析・多重人格のすべて』内、「私という他人の要約」の一部からなります。

本書「多重人格のはじまりの物語」67頁より
 面接を進めるにつれて、イブ・ブラックは患者が流産した時からではなく、患者の幼児期からすでに時々出現していたことが明らかになった。そして、記憶の奥に眠る<陶器の青いコップ>のことが語られるようになった。

 ところが、今度はイブ・ホワイトの頭痛が再び悪化し、第三の人格であるジェーンが出現したのである。
 ジェーンは、二人のイブの中間物というべき人格で、円熟した、奥行きのある人格であった。ジェーンは以前の記憶はなく、まさにゼロからの出発であったが、どんどんと奥を自分のものとし、三人の人格の中で大きな地位を占めていった、そして一人の肉体をこの三人が共有する混乱のなかで、患者は夫との離婚を決意したのだった。

 くり返される面接のなかで、セグペン博士が催眠下で<青いコップ>のことについて探索するにつれて、あの見栄っぱりのイブ・ブラックが涙を流し、「私の形見に赤いドレスを持っていて」と懇願した。そしてイブ・ホワイト、ジェーンが出現したところで患者は両手でこめかみをおさえ、いきなりバンシー(恐ろしい泣き声で家人の死を予言する女妖精)のような悲鳴をあげる。

 そして第四の人格であるエブリン・ホワイトが誕生したのである。

 エブリンは幼児期に<青い陶器のコップ>で遊んでいた時に母に呼ばれ、祖母の葬儀に参列し、祖母の死顔に触るという儀式を強要されたことを思い出した。

 そして、この瞬間に一つの新しい人格が溶接されたのである。

 その後の変化は、「分裂していた人格が融合してしまったあと、彼女自身が見いだした個性を形成していく過程」であり、やがてエブリン・ホワイトはアール・ランカスターという男性と結婚し、ようやく幸福な人生を手に入れるのである。

 このようにこの物語は、三人の人格が一つの肉体を共有するという混乱した状況から、人格の分裂の根本的な原因である、祖母の葬儀での外傷体験を想起することによって人格の統合が得られたというハッピーエンドなのであるが、現実は少し違っていた。

 以上。要約より。イブ・ホワイトの症状について、やはり幼児期に原因があったのでした。解離性同一性障害(多重人格障害)の発症の原因の多くは幼児期の性的虐待による心の傷であり、退行催眠により原因となった事件までさかのぼり、再体験することが治療に有効だといわれています。イブ・ホワイトのケースでは、葬儀の際に祖母の死に顔に触ることを強要されたこと、それが発症の原因であり、治療の過程で退行催眠を行い事件を再体験することにより、人格が統合してハッピーエンドになった、と『私という他人』においては記述されています。

 しかし、後になってから、『私という他人』の内容は、実際の現実とは違っていたことが明らかにされました。それは、イブ(クリス)自身と、彼女のよき理解者である従姉妹・そして心理学者でもあるエレン、による共著『私は多重人格だった(私はイブ-ある多重人格者の自伝)』によって明かされるのでした。本書は、イブの真実の姿を正確に描こうとしたものであり、彼女は良くなっていなかったのです。実際は、第三の人格であるジェーンが自分が消えゆく危機に際して自殺を図り、盲目のレディが登場したのでした。そして、再度、頭痛と人格変換の日々が始まります。このような過程のなかで、イブは少しずつ自分自身を統合していったのでした。

 つまり、治療者であるセグペン博士とクレックレー博士は、無意識のうちに中立性を失い、その著作は少なからず主観的な内容になってしまっていたということです。イブは著作の最後で「48年もして初めて私は自由になった」と宣言しますが、『私という他人』の内容(ハッピーエンド)とは全く矛盾した宣言です。

 セグペン・クレックレーの両博士は、イブの人格を統合させて、それで治療が終わった、問題は解決されたとしたのですが、実際の彼女は、その後も苦しみ続けたわけです。では、どうすれば解離性同一性障害(多重人格障害)は解決するのか?治療するためのプロセスについて、『分析・多重人格のすべて』から抜粋して見ていきます。

本書「多重人格の治療」215頁より抜粋(箇条書き)
@多重人格の治療には、二つの異なった側面からのアプローチがある。

A一つは精神分析療法だが、その治療効果は疑わしい。

Bもう一つは催眠法であり、数年にわたる根気よい治療が必要である。

C催眠とは解離状態を作り出す技術であり、解離することは否定的な側面ばかりではない。自己の痛みを解離することにより、生存の役に立つ。解離状態は、無意識の扉を開くための重要な鍵なのである。

D多重人格の原因は、幼児期からの無数のトラウマになっている出来事に対する、本人が知らずに行っている防衛のメカニズムにある。

Eそれに対して、催眠は解離状態を人為的にコントロールする技術。

Fマッピングとは、さまざまな人格が個性と悩みを抱えているが、それぞれの人格と人格の関係、人格の特性を、あたかも地図を作るように配置し、一望できるようにすること。複雑な関係を整理する作業は、精神内界の探求の糸口になる。

Gマッピングが可能になる条件は、催眠なしで出現する人格たちと良好な関係を築く、それらの人格をあるがままに認め受け入れる、このことにより、各人格は安心して治療者と接触できるようになる。各人格に対して、普通のカウンセリングの技法で接して治療を行うことも可能であり、それは望ましいことだ。

H患者の許可がない限り、決して入ってはいけない部屋を心の中に創り、確実なものにしていく。

Iマッピング以降、患者は幼児期から思春期迄のつらい体験の再体験が求めれるが、そんなときにも、心の中に安全な部屋を持っていれば、「いつも安心して帰っていける場所」として、新たな傷を受ける可能性を最小限にできる。

J全人格に「自己催眠」を学んでもらい「自分をリラックスさせる技法」を会得してもらう。それは、ある人格から別の人格にスイッチすることを自分の意志で出来るようになる基礎的な訓練になる。このような心を守る方法を身につけてから、本格的な治療をはじめる。

K感情の再体験をする。ありありと当時の状況を想い出して、その時の感情をその時のままに感じ取る経験をすること。心の古傷をリアルに、現実のものとして再体験することは、その傷を取り除く上で、とても重要になる。傷を更に深くすることを避けるため、最初は催眠下で比較的強い人格に軽度のトラウマを再体験するように試みる。催眠下の想起で歯の治療を想い出させれば、現実に痛みを伴って想い出すことが可能。同じように、催眠下で、思春期に出会った不快な記憶を想起させると、実際にその時の不快−苦痛な感情を経験し「解放」される。

L多重人格の成因の仮説によれば、幼児期の性的虐待のような避けることのできなかった、自分の力ではどうすることもできないような経験を直接感じなくてすむように、人格を解離させて、自分を守ってきたのである。しかも各人格はそれらのつらい出来事を忘れている。そこで、人格のなかで比較的自己のコントロールをする力の強い者を選んで、治療の出発点にし、その人格を鍵として治療を行う。

M人格同士の友好関係を強化し、多くの記憶を共有させるように、催眠法を用いて変えさせる。どのようにマッピングを変化させたら、最も安全で本来の自己に近くなるかを洞察し、治療に協力する人格を選び、協力させ、それぞれの人格に記憶体験をさせて、それをできるだけ多くの人格が共有するように方向づける。

N人格を融合させようとしてはいけない。多重人格障害を単一の人格とすることは、現実に無理なだけでなく、非倫理的とさえ言える。多重人格であることが問題なのではなく、問題は、それぞれの人格が不幸であり、何らかの傷を持っていて、回復できていない点にある。

 以上、非常に有益な情報であるように感じます。とても印象に残ったのは、治療の目的が分裂した人格の統合ではないということです。そうではなく、分裂してしる各人格の心のケアを行い、お互いの人格相互の理解を深め、治療者に対しても協力的になっていくように促す。そうして、心の中でしこりになっているものを徐々に取り除いて、精神的な健康を取り戻していく、それが目的だということです。

 ところで、病気の治療を霊的に行う場合、大きく分けて二つのやり方があります。一つは、取り憑いている霊を追い払うというやり方です。その霊が障害を引き起こしているので、その場から排除してしまえばいい。そういう考え方によります。そして、もう一つは、取り憑いている霊を諭して、理解・協力を得るというやり方です。治療者である霊能者が、霊と直接話をすることにより、霊を納得させ問題を解決するのです。現在、前者より後者の方が、より高度であり正しい治療の仕方だといわれています。

 それは、悪い影響を与えている霊を追い払っても、なにも根本的な解決にはならないからです。その場から居なくなっても存在していることに代わりはないので、いつ戻ってくるかもしれない。それに対して、霊を納得させるということは、問題が根本から解決されたことになります。

 そして、そういった心霊的な治療のプロセスと本書「多重人格の治療」における治療プロセスの間には、類似性を感じずにはいられないのでした。人格であれ霊魂であれ、治療者に対して協力してもらう、そして、それぞれの人格(霊魂)に相互理解を深めてもらい、しこりになっている問題を解決していく、そういうプロセスを経るという点において非常に似ている点があるのではないでしょうか。

 最後に、私は今回、自分にとっては全く関係のない病気だとばかり考えていた多重人格を扱い、とてもよかったと感じています。それは、非常に勉強になったということです。幻聴とは関係がない話だと思ったら、イブ・ホワイトは幻聴体験をしており、その告白が重要なポイントになっていました。そして、いくつもの人格が登場することにより、心霊的な世界とのつながりを感じさせられました。何より、治療法に関する記述(『分析・多重人格のすべて』)は非常に勉強になるもののように感じます。やはり、本を読むことに得られるものは、非常に多くあるようです。

 それでは、今回で『私という他人 〜多重人格の精神病理〜』についての連載を終わります。
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多重人格者だった恋人の話
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僕が実際に体験した不思議な恋愛についてお話します。

三年程前、僕はある一人の女性と付き合っていました。

彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが、子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
容姿から喋り方、仕草まで全てが幼い子供のような人でした。
今思うと、彼女は本当に子供だったのかも知れません。

付き合い始めた切っ掛けは、偶然にもお互いに一目惚れだったのです。

もちろん、初めて会った日から交際を始めたのでは無く、それから随分経ってから交際が始まりました。

最初はお互いに容姿から好きになったのですが、喋ってみると趣味などの共通点も多く、気が付くと彼女の全てを好きになっていました。

共通の友達がいたのですが、彼女の事を好きな友人がいた為、仲間内では内緒で交際をしていました。

友人に隠し事をするのはいい事ではありませんが、共有する秘密を持つ事でより親密な関係になっていったのだと思います。

極々普通のカップルで相思相愛、何の不満も無くお互いに幸せな日々を過ごしていました。

しかし、ある日を境に信じられない展開になります。

話の始まりは、彼女と付き合って半年ほど経ったある日の事です。
いつものように彼女が夕飯の支度を、僕はその横でお手伝いをしていました。
料理を作りながら二人で仲良く話をしていると…

何が切っ掛けか分かりませんが、突然、彼女は僕の事を忘れてしまったのです。
半年付き合っていて、今の今まで話していて、喧嘩したワケでも無く、唐突に

「あなた誰?」

と真顔で言われたのです。

僕には何が起きたのか理解できませんでした。
何を話しても僕の事を思い出してくれないのです。

何故、自分がここにいるのか?
何故、知らない貴方と料理を作っているのか?

彼女は僕に質問をマシンガンのように浴びせました。

しかし、状況を理解できず混乱している僕に彼女の問いに答える余裕はありませんでした。

最初はイタズラかと思いましたが、少し落ち着いてから順を追って話をしてみると、どうやら本当に僕の事を知らないみたいなのです。

そして、彼女の喋り方や仕草は明らかに僕の知っている彼女では無かったのです。
言うなれば完全に別人でした。

事態を把握できないまま、僕は自分自身の事や僕の知っている彼女の事などを彼女に話す事から始めました。

そして彼女の話を聞いている内に彼女が多重人格である事が分かりました。

今、話をしている彼女は僕の知らない人格の彼女だったのです。

つまり、彼女からしても僕とは初対面なので、まったく知らない人だったのです。
しかし、僕の事を知ったもう一つの人格の彼女はその後も頻繁に僕の前に出てくるようになりました。

これを境にごく普通の幸せな恋愛から現実離れした特異な恋愛に変わっていったのです。

後になって知った事なのですが、彼女は幼い頃に家族から受けた虐待が原因で人格が分離してしまったようです。

本当に極一部の人にしか当てはまらない事なのですが、そういった虐待などの経験を持つ人の中には、通常の思い出を記憶する場所とは別のところに辛い思い出を記憶してしまう人がいるのです。

簡単に言うと辛い事を記憶する場所が別に用意されているのです。

人の人格は経験…、つまり記憶から作られていると言っても過言ではありません。
辛い事を別の場所に記憶すると、その記憶が溜まるにつれて一つの別人格が生まれてくるのです。

言わば同じ一つの身体の中にまったく違う過去を持った二人の人間が存在するようになるのです。

一つの人格は普通の生活を送ってきた記憶しかないので、とても純粋な子供のような性格です。

社会に出すのが怖いほど純粋過ぎる性格でした。

もう一つの人格は、家族からの虐待など辛い事だけを味わってきた人格です。

精神的にはとても強いのですが、やはり辛い現実ばかりを見てきた為に、考え方が曲がった部分も多く、性格はツンツンしていて突っ張った印象を受ける人格でした。

しかし、彼女は自分が辛い思いをしてまで、もう一人の純粋な自分をずっと守ってきたのです。

気の強い人格の彼女は口調もきつく、多少接し辛いところもありましたが、今まで辛い思いをしてきたのだと思うと、僕は彼女のきつい性格を嫌いになる事はできませんでした。

元々はもう一人の自分を守る為に生まれてきた人格なので、きつい口調の中にたまに優しさを垣間見ることもあり、次第にその人格の彼女の事も好きになり始めました。

純粋な人格が妹だとすると、気の強い人格の彼女はまるでお姉さんのようでした。
知識も豊富なので、もしかしたら今まで殆どの時間は気の強い彼女が過ごしてきたのかも知れません。

それほどに辛い時間が多かったと言う事でしょうか…。

出会った頃の僕は、純粋な人格の彼女を好きだったのです。

気の強い彼女は付き合い始めの頃は、僕の前に出てくる事も無かったからです。

次第に僕は両方の人格を好きになっていたのですが、そこで問題が起きたのです。
気の強い人格の彼女が純粋な性格の彼女に対して嫉妬をし始めたのです。

それは僕が純粋な性格の人格の彼女をも好きだったからです。

それに対し気の強い人格の彼女は強く嫉妬しました。

僕にはどっちか一方の人格だけを好きになる事なんてできませんでした。
人格は二人であれ、身体は一つしかない一人の女性なのですから。

その一人の女性を人格によって好き・嫌いと別ける事など僕にはできません。
ただ僕自身もまるで二人の女性を愛しているような、そんな錯覚に陥っていたのも事実です。

そこで僕が導いた答えは二つの人格を一つにする、つまり多重人格を治すという事でした。

ここまで極端に違う性格を一つにしたらどういう人格になるかなんて想像できません。

しかし、一つにする事は今後の彼女の為を考えても必要な事だと思いました。

僕なりに色々と調べたのですが、多重人格と言うのは一度かかると癖になるらしいのです。

最初は辛い事だけを別の場所に記憶する事から始まるのですが、それに慣れてしまうと無意識に辛い事以外の思い出も複雑に記憶する場所を別けてしまうのです。
その場所が増えれば増えるほど人格も増えていきます。

それは彼女にとって日常で差し支えになる事は言うまでもありません。
僕は彼女の人格を一つに統一させる事を決意したのです。

人格を一つにするのに必要なのは、別々に別れた全ての記憶を繋げるという事です。

それぞれの人格から彼女の記憶を聞き出す事から始まりました。

彼女の記憶をたどって行くと、小学生の頃の親の離婚が原因で母親が暴力を振るうようになった事から人格が別れ始めた事が分かりました。
この時期を境に彼女の兄も暴力を振るい始めました。

背後を蹴られ階段から突き落とされたり、沸騰した鍋の中の湯に顔を突っ込まれそうになったりなど…
殺されてもおかしく無い程の酷い虐待だったようです。

本来ならば守ってもらえるはずの家族に殺されそうになるという、とても残酷な話でした。

頼れる相手のいない彼女は鏡の中の自分に相談して自分自身を慰めるようになっていったのです。

そして、鏡の中の自分が今の自分とはまったく違う人格だと信じ込み、その人格に憧れを抱くようになったのです。

当時、小学生であった彼女にはあまりに過酷な環境だったのでしょう。
行き場を無くした彼女は、自分を守る為に徐々に新しい人格を作っていったのです。

まるで鏡の中の自分を現実の存在にするように…。
この話は気の強い人格の彼女から聞いたものです。

純粋な人格の彼女はまったく知らない事実です。

しかし、その事実を彼女に話さなくては症状は改善されません。
純粋な人格の彼女は家族を愛していました。
家族にも優しかった時期があるのです。

それは両親が離婚する前でした。
全ての歯車は両親の離婚を境にずれ始めたのです。

離婚の事や女手一つで子供二人を養って行く厳しさが原因で、母の精神状態はストレスで限界に達していたのでしょう。

優しかった母は子供に暴力を奮うようになり、それまで仲良く遊んでくれていた兄も次第に彼女に対し暴力を奮うようになり、彼女は孤立していったのです。

純粋な人格の彼女はそんな虐待の記憶は無く、優しいお母さん、頼りになるお父さん、一緒に遊んでくれるお兄さんの記憶しかありません。

そんな彼女に真実を語る事は、家族との綺麗な思い出を壊してしまう事になるのだろうと思いました。

しかし、真実を知らないままでは彼女の症状は改善されないでしょう。

彼女の悲しむ顔を見るのは僕もとても辛かったのですが、ありのままを話す事にしました。

家族による虐待があった事から、中には第三者による性的な虐待を受けた話もありました。

その話を聞いた僕も辛かったですが、事実を知った彼女はもっと辛かった事でしょう。

それを物語るかのように、純粋な彼女は気の強い彼女に何度も入れ替わろうとしていました。

気の強い彼女が出てくる度に、僕は純粋な人格の彼女を出すように頼みました。
そういった事を繰り返しながら、ゆっくりとゆっくりと真実を彼女に伝えて言ったのです。

最初は僕の話を信じず、ただ泣くだけだった彼女も次第に信じ始めました。

時間はかかりましたが、最後には全ての事実を彼女は受け止める事ができました。
せめてもの救いが、家族と彼女は既に離縁しているので二度と虐待を受ける事は無いと言う事です。

彼女には身内がいません。

家族と離縁してからは、付き合っていた彼氏と同棲するなどして暮らしていました。

幸いにも彼女はかなりの美貌の持ち主であった為に、男性には困った様子も無く、恋人と別れたとしてもすぐに新しい彼氏を見つけ同棲をする事ができたようです。

中には多重人格の症状に気付いた彼氏もいたようですが、彼女のあまりの変貌振りについていけずに別れた人も多いようです。

治そうと試みた彼氏もいたのですが、結果的には失敗に終わり、精神的な辛さから別れてしまうケースが殆どでした。

その度に彼女は自分の居場所を探さなくてはいけないかったのです。
そういった不安定な生活が彼女を苦しめたのは言うまでもありません。

記憶の糸を繋げていくにつれて彼女に変化が表れ始めました。

今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れないような状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇が無くなっていったのです。

暗闇が晴れる事によって、一人の人格が今何処にいて何をしているか、もう一人の人格が認識できる状態になったのです。

少なくともこれからは、それぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。

それから毎日のように彼女の記憶が分離しないように、一日の終わりに今日は何をしたかなど詳しく聞くようにしました。

普通の人には簡単な事でも彼女のように記憶障害を持つ人にとっては、一日全ての行動を正確に思い出す事は容易な事では無いのです。

それでも日が経つに連れ、彼女の症状が次第に良くなっていくのが分かりました。

そして、暫く経ったある日…。
ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時が来たのです。

これほど突然に多重人格の症状に終止符を打たれるなど思ってもいませんでした。
もしかしたら、彼女の中の暗闇が取り除かれた時から、いつでも多重人格を治せる状態にあったのかも知れません。

あとは彼女の決意次第だったのでしょう。

彼女の話によると、多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があるようなのです。

つまり、どちらか一方の人格は完全に消えてしまうという事です…。

もちろん、僕にはそれを選ぶ事はできません。
もし選ぶ事ができたとしても、僕には答えは出せなかったでしょう。

消えてしまう人格にとっては、それは永遠の眠りなのです…。

僕は二つの人格を共に同じくらいに好きでした。

二人の人格を愛していた僕にとって、どちらが選ばれるにせよ、それを受け入れる事ができそうにありませんでした。

僕の心の準備も出来ていない内に

「消えるのは私の方だよ。」

と、気の強い彼女が言いました。

気の強い彼女が今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
今思うと、彼女自身、どちらの人格がベースになるかなど選ぶ事はできなかったのでしょう。

ただ、僕に気を使って…、まるで彼女自身の意思で消える事を決意したかのように…

そう演じようとしていたのではないでしょうか…。

元々、彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。

自分の存在意義から残るのは自分じゃない…、そう自覚していたと思います。
僕は彼女との思い出など絶え間なく話し、最後の時間を過ごしました。

絶え間なく話しをした事は、彼女の気を紛らわす為でもありましたが…

何よりも、話を止めたら、すぐに彼女が消えていなくなってしまいそうだったからです。

彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。

彼女に僕の声が届いているのか、それさえも分かりませんでした。
それでも僕は話を続けました。

しかし、彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか、彼女は少し笑みを浮かべて

「ありがとう…。」

と、呟きました。
それが彼女の最後の言葉です。

彼女は小さな体を震わせ、大粒の涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。

僕は震える彼女の体を包み込む様に抱きしめました。
もっと話をしたかったけど言葉にする事もできず、そのまま静かに抱きしめていました。

本当にこれで良かったのか?
と、僕は何度も何度も自分の胸に問い掛けました。

そんな僕の想いとは裏腹に、彼女は苦しみから解放されたかのよう、まるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。

彼女を苦しめてきた全ての物を心の底から憎みました。
家族から愛を与えられず、虐待を受け、性的な暴行など受け、幼い心に深い傷を負い…。

何が起きているのか、誰に助けを求めてもいいかも分からない。
とても言葉では表せない程に、辛く悲しい体験をしてきたのでしょう。

「もう何も辛い事は無いよ…。」

せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと願いました。

彼女が消えた後、彼女が存在した事を証明するものは何も残りません。

人の死は記録に残りますが、彼女のように人格だけの存在では何一つ記録には残りません。

彼女にとって、それは言い表せない程の孤独感だったと思います。

「体が二つあったらいいのにね。」

時折、彼女が言っていた言葉の意味の深さを改めて感じさせられました。

暫くすると、彼女の体の震えも収まり、彼女は深い眠りについた様でした。
僕は眠る彼女を静かに見つめていました。

このまま目を覚まさないかと思う程に静かに眠っていました。
それからどのくらいの時間が流れたのか、僕には分かりません。
ふと、彼女の体が動いたかと思うと、彼女は目をゆっくりと開けました。
その眼差しは、今まで僕と話していた彼女のものではありませんでした。

目を覚ました彼女は、幼さは残っているものの何処か垢抜けたような、そんな印象を受けました。

気の強い彼女とまではいきませんが、何処と無く大人っぽく見えました。
二つの人格が一つになったようです。
僕も彼女も望んだ結果です。

彼女が生きていく為、そして、僕と彼女が一緒にいる為。
そう信じてやまなかったから、二人で困難を乗り越える事ができたのです。
しかし、人格の統合は想像もしない結末を招いたのです。

一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが…。
記憶が繋がり全てを知った彼女は、今までの彼女とは大きく違うところもありました。

記憶が繋がる事で人を知り、人を疑う事を覚えました。

人を疑う事は時には必要な事です。
しかし、僕は疑う事を知らない純粋な彼女に惹かれていたのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに…、僕は不安を感じ始めていました。

彼女は、僕を含めたこの世の中に対する見方が変わりました。

疑う事を知った彼女が、僕だけ疑わないなどと都合の良い事はありません。
彼女には今まで経験してきた全ての記憶があるのです。

幼い頃にあのような辛い経験をした彼女が、そう簡単に人の事を信じれるはずは無いのです。

二つの人格を一つにすると言う事は二つの人格を失う事…。
そう気付いたのは僕と彼女の関係に終焉が迫っていた頃でした。

僕は彼女の多重人格を治す事に二人の未来があると盲目的に信じるあまり、一つになった彼女にどのような変化が起きるかなど考えもしなかったのです。

一時期は結婚という話も出ていたのですが、次第にそういった話をする機会も無くなってきていました。

そして時は経ち、僕と彼女は別れる事になりました。

別れた事は辛かったのですが、それでも月日が経つにつれ精神的にも落ち着きを取り戻し始めました。

あの時の状況の変化に耐えれる程に、もう少し僕に精神的な強さがあればと悔やみました。

しかし、多重人格が治った事で彼女の為になったのならそれは満足です。

あれから数年の月日が経ちました。

彼女が受けた幼い頃の心の傷は一生背負い続ける事でしょう。
だけど、せめて今は幸せな生活を送っている、そう信じ願います。
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 僕の実際に経験した変わった恋愛についてお話します。
http://an.to/haru/i/


2年程前に僕はある一人の女性と付き合っていました。

彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
見た目も僕の方が断然年上に見られる事が多かったです。

容姿から喋り方や仕草まで全てが幼い感じでした。

よく真夜中に寝ている僕を強引に起こしてコンビニに一緒にアイスを買いに行こうと誘うなど少しワガママな面もありました。

都内でも近くにコンビニの無いところに住んでいるのでバイクに乗って一番近いコンビニまで行ってました。

寝ぼけた頭で二人乗りはちょっと怖かったですが…。(^^;

何だかんだ言っても彼女の事が好きだったのでどんな形であれ一緒に過ごす時間はとても幸せでした。

ワガママな面も含めて僕は彼女の事を愛していました。
最初は偶然にもお互いに一目惚れだったのです。

悪い言い方をすれば顔だけで好きになってしまったのですが喋ってみると趣味などの共通点も多く気が付いたら彼女の全てを好きになっていました。

ごく普通のカップルでお互いに幸せだったのですが,ある事を切っ掛けに意外な方向へ急展開するのです。

その話をする前に言ってしまうのですが最終的には彼女とは別れる事になります。
この事が無ければ彼女と別れる事は無かっただろうとまで言い切る事はできませんが少なくともその要因にはなった事は確かです。

それではその話