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現代の派遣社員? 江戸時代、女性の隠れた人気職業は「妾」だった!
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投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 20 日 15:33:11: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

乙女の日本史 (角川文庫) – 2014/7/25
堀江 宏樹 (著), 滝乃 みわこ (著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B9%99%E5%A5%B3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E6%B1%9F-%E5%AE%8F%E6%A8%B9/dp/4041015898

現代の派遣社員? 江戸時代、女性の隠れた人気職業は「妾」だった!

江戸時代の江戸など大都市圏における、男性の未婚率はなんと5〜6割でした。彼らが「おひとり様」なのは、女性が極めて少なかったから。男女比は7:3で大半の男性はあぶれてしまったんですね。

江戸時代、とくに大都市圏で未婚率が高いのは、フリーターばかりだから。世継ぎに受け継がせるべきステイタスや知識・技術がハッキリしている士農工商のいずれにも属していないのです。「家」制度の外に出てしまったら、わざわざ結婚する意味もない、と割り切れていたのかもしれません。

男の「おひとり様」でも、独身仲間とワイワイ暮らせる長屋もたくさんありました(家賃も現代の感覚で、水道費コミ、月数万円弱)。しかし、そんなある意味、自由な男性たちを尻目に、女性は女性であるということだけで、基本的に一度は結婚させられました。

ところが……、江戸時代でも都会にすむ実家がリッチな女性の場合は、事情がすこし違いました。「結婚したらどーせアンタも苦労するんだから、それまでは遊んででいいよ」との親心でしょうか。女性が少ないんだから、別に多少遊んでも(それが男性に多少バレても)、結婚に差し障りなんてないよね、という甘えもあったのかもしれません。

リッチな若い女性たちは、自分と同じようなお坊ちゃま(若衆)たちとの遊びの恋はもちろん、「役者買い」なんかをしてしまうこともありました。金で好みのイケメンを買って寝る、というさばけた行為ですね。処女でいる意味は薄く、結婚前に妊娠さえしなければ、それでよいとする考え方です。

ドライですねぇ。いくら家がリッチだろうと、身分が「庶民」の女性の場合、結婚するまでは、恋愛の自由はありえたのです。そんな彼女たちも一度は結婚するのですが、ダメだと思うとすぐに別れてしまいました。再婚相手を探すもヨシ、自活をするのもヨシ……ということで隠れた女性の人気職業が「妾」だったんですね。

妾は古くは「しょう」と発音。次第に「(男が)目をかける」という意味で「めかけ」と言われるようになりました。さらに妾とは、妻公認の存在なんですね。だから、妾との関係ですら、すくなくともタテマエ上は「浮気なんかじゃない」ということになっていたのです。

さすが日本、古くからタテマエ社会です! しかも、同じ愛人枠でも(武家に多い)「側室」の類とは違い、妾は別宅を与えられる存在でした。ここから転じて、江戸時代の妾は自営業者にもなりえました。一人の男に縛られる結婚なんてしたくもないけど、実家の両親の世話にもなりたくない女性、今でもいますよね。こういう時、江戸時代では働く場所も限られているので、彼女たちは妾になっちゃったのです。

生真面目に住み込みの女中になっても食費や家賃は要らないかわり、お手当は年に数十万円程度しかありません。しかし、妾の派遣会社である口入屋(くちいれや)に登録、イイ旦那を紹介してもらえると、毎月、数十万〜五十万円に相当するお手当を得ることができました。江戸時代の妾は大体が2カ月契約で、契約が更新されるかどうかは旦那次第。ホントに派遣社員っぽいでしょ?

しかも、妾は側室とは違って、一人の男性のために尽くすのではなく、複数の男性と関係を持つことが認められてたんです。江戸時代後期の頃からコストに厳しい関西から登場、後には江戸でも大流行した「5人の男性で、1人の女性をシェアする『安囲い』」のシステムは有名でございます。

『安囲い』は、お互い男性同士が鉢合わせしないように、スケジュールをやりくりして通ってくる相手を妾の女性は迎えるだけ。週1回×月3回のペースが平均だったらしいので、5人の旦那がいたら月収50万円ほどで、ひとつきの半分が休日!

病気や妊娠の怖さはありますが、ちょっとでも外見に自信のある女性なら挑戦したい隠れた人気職業だったそうな。そもそも昔の日本で「浮気」といえば、陽気で華やかという意味が強かったのですが……この妾、まさに浮気な商売じゃないでしょうか。

しかし現実はもうすこし堅実志向な女性が多かったみたいです。彼女たちの多くは自分で稼いだお金と、空いた時間で三味線や踊りを習い、愛人業を卒業後は「お師匠さん」として、悠々自適の「おひとりさま道」を進んでいったようです。
http://news.livedoor.com/article/detail/9519195/  

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コメント
1. 中川隆[-13694] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:09:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

非婚の時代の先駆けを江戸時代にみる

●江戸時代の「家」は、家族ではなく企業

江戸時代における『家』とは、現代の家族とは違い、むしろ同族経営の中小企業のようなものでした。当時仕事は『家』に着いていることが多く、世襲によって継承されました。従って、生活の糧としての仕事を維持するためには、どうしても『家』を維持していく必要がありました。

従って、当主(親)にとって嫡男の結婚は、次世代の副社長か専務を選ぶようなもの。企業経営の器量があるか、自社にとって価値ある実家を持っているか、互いの会社(家)の釣り合いはいいか、など、嫁の選定は一大事業です。ですから結婚は親が決めます。息子自身は顔も知らずに祝言を迎えることが普通でした。

現代風に言えば、結婚を親が決めるのは理不尽です。しかし会社の専務の選定だと思えば、印象は違ってきますね。こうして選ばれた妻は、いわば優秀な重役候補です。現専務の姑に鍛えられ、世代交代後は、夫婦で会社経営に精を出します。家族と家来と使用人、それぞれの生活を維持するようにがんばらなければなりません。

また、こうして選ばれた妻(正室)の地位は、揺るぎないものでした。例えばそれは、跡取りの存在に現れます。妻(正室)に子がない場合は側室を迎えますが、側室は例え妻(正室)が死去した後でも、妻(正室)にはなれません。違う役割の者と見なされていました。つまり妻(正室)は、子がいるいないにかかわらず、その地位は確保されたのです。


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●庶民は性的にも解放されていた

庶民にとって、結婚はしてもしなくてもいいものでした。当時はキリスト教を主体とした西欧文化の影響が薄かったので、女性の処女性はあまり価値を重視されず、従って性的にも自由でした。農村部で夜這いとして自由な性交渉が一般的だったのもその現れのひとつです。

離婚時に夫から妻に与える三行半は『再婚許可証』でもありました。これが法制化された理由は、離婚後の女性の多くが、再婚を含め、自由な男女関係を結んでいたからだと考えられます。

●恋愛は自由

恋愛は自由でした。それは例え武家のように結婚が必須であっても、男性は婚外で恋愛ができました。またその相手は、異性でも同性でも構いませんでした。日本には同性愛をタブー視する習慣はありませんでした。それが起こったのは西洋文化が蔓延する明治期以降です。

もうひとつ興味深いのは、遊女との結婚です。身請け、もしくは年季明けの遊女を妻にする例は少なくなかったと言います。それなりの遊女には高い教養があり、妻としての資質があると見なされていましたので、結婚後に差別を受けることもなかったようです。こうした女性は職業柄子どもに恵まれないと言われていましたので、これは当時、子を産むことが、妻の必須条件ではなかったことの例でもあります。

●現代との共通点 そしてヒント

当時の庶民は、男女共にほとんどが非正規雇用か、自営でした。つまり男女の別による職業的待遇の違いというものは、現在より小さかったと推察できます。一方、女中などの女性の仕事は、中間(武家に仕え、警固、供回りなどをする)などの男性の仕事と比べ、給金が良かったという記録があります。

当時も、社会は女性の労働力を必要としていました。また、経済的にも男性から自立し得た当時の女性は、その気になれば、一人で生きていく事もできました。現在では女性が働くためのネックになっている子育ても、家族や近隣のつながりの強い当時では、祖父母や、近隣の住人、さらには大きい子どもが小さい子供の面倒をみるなど、様々な手代わりがありました。

こうしてみると、豊かになった現在の方がとても窮屈に思えます。現代は、子どものいない女性、子育てを人に託さなければならない女性が、圧力を感じる社会になっています。でもこの考えは、決して日本古来のものではありません。むしろ明治以降、西欧文化が入ってきてから作られた考えです。

日本は古来、女性が自分の器量で生きて行けた社会だったようです。女性にとっての自由や平等は、西欧から来ると思っている人が多いとしたら、それは間違っているようです。
http://www.bs-kashiko.com/1309/

2. 中川隆[-13693] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:10:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

乱交制だった戦前の日本では何をすると不義密通とされたのか?

◆◇◆◇◆おかみさん文化◆◇◆◇◆◇

江戸期、日本の町屋社会(商家社会)には「おかみさん文化」と言うものが在った。

江戸期に入る前は、商工氏族は武士兼業だった。

日本列島に渡来した氏族は、夫々の得意分野で農業、工業(鋳造業)、商業、神主(宮司)、僧侶などを兼業していた。

代表的な例は平安末期の武門貴族・平清盛(たいらのきよもり)の宗貿易で、つまり清盛は大貿易商人でもあり、ついでに彼は僧侶にも成った。

その流れで渡来氏族の一部が武士に成ると、江戸期に商人が純粋に業種として独り立ちする前は、商人の大半は武士と兼業か武士が副業で商いをやっていた。

天皇の京都御所を守る「北面の武士」を出自とする松波峯丸(斉藤道三/さいとうどうさん)が山崎屋庄五郎として油屋を営んで居たのは有名な話である。

そして、もう少し時代が下がる室町時代〜戦国時代には武士兼業の豪商が力を持ち、財力を使って大名と協力関係を結んだり、一部の豪商は茶人として名声をはくす者も出た。


「おかみさん文化」は、武士兼業の商工氏族が多かった上方(関西地区)で始まったものだが、「商家特有の文化」として江戸期には日本全国に広まった。

昔の商家には一生を独身で済ませ、お店(たな)大事を貫く番頭の存在が落語や講談、読み本などで紹介されているがあれには裏がある。

実はその番頭は、おかみさんの肉体で満足していた。 けして不義密通ではない。
それが商家に嫁いだおかみさんの現実的な役目だった。


大店(おおだな)を内側から守るのがおかみさんの役目で、それには信用できる使用人の育成は欠かせない。

肉体的繋がりほど強いものは無いので、丁稚(でっち)はともかく、目端が利きそうな手代(てだい)辺りから、おかみさんが性欲の面倒を見て手懐ける習慣が、町屋社会(商家社会)では公然の秘密だった。

この関係、小使いは少なくても我慢させて忠誠を尽くすだけでなく、悪い遊びを覚えてお店(たな)の金に手を付けたり悪い病気を拾って来るのを防ぐ役割もあって、当然お店(たな)の旦那公認の「面倒見の行為」だった。

旦那公認で、使用人の性欲の面倒見の行為が、平然と行われていた。


すると不義密通話は何なのか?

あれは、情が通って駆け落ちなどをする場合いで、唯の性欲の面倒を見て使用人を手懐けるのとは訳が違うのである。
正に肉体的繋がりの信頼関係を、昔の町屋社会(商家社会)のおかみさんが勤めていた事になる。

「情が通わない肉体のみの性行為と言う点では昔の方が現実的な考え方で、今の上辺だけの考え方を「さも真実だ」とする主張の方が空虚なのである。

勿論、使用人に所帯を持たせて「のれんわけ}をする事も有るが、考えて見れば商売敵の同業者を増やす事になるのだから、理想はお店(たな)に縛り付けるに越した事は無いのである。

それにしても、大店(おおだな)の「おかみさん」も、「それを覚悟の嫁入り」と言う事になる。
当たり前ながら当時はそれが常識で、今の物差しで見るから読み間違う。何しろ、大店(おおだな)の旦那には妾の二〜三人は居て、その妾にもおかみさんの方が「旦那が世話になる」と盆暮れに付け届けの挨拶をする文化だった。

自分も手代(てだい)や番頭の性欲の面倒を見てから、それで互いのバランスを取って居た訳である。
つまり、繁盛している商家程使用人の数が多く、おかみさんの身体は、信用が置ける使用人の育成に忙しかった事になる。

そんなので旦那とおかみさんは、「上手く行っていたのか?」と言うのは当時の事情を知らず、現代の倫理観に当て嵌めようとするからである。

その辺はお店(たな)の旦那は商いの為と割り切っていたし、おかみさんもそう言うものだと割り切っていた。

商家の奥座敷は奥が深かったらしいが、それにしてもそう言う事であれば、内々において公然の秘密でなければ、おかみさんもとてもそんな事は秘密に出来ないであろうから皆それと承知していた事になる。

情が通わない性的な奉仕は、「単なる手段」と割り切った所が、現在の世の中の常識より余程現実的な事は私にも理解できる。

つまりは、わが国成立初期の昔から存在した「お家大事主義」の、肉体を使うお役目、閨閥構成社会(誓約・うけい)の正当性を、完全に認めるような話である。

この「おかみさん文化」の習慣は実に良く出来ている。

元々上方(当時の皇居所在地である京都近在の関西地区)で発生した商家の形態は、武家の感性を踏襲して「お店(たな)大事」が何よりも優先していた。
氏姓制度の名残を残す豪商の発想が、手本だったのである。

商売は商(あきない)と言うくらい永く続くのが信条で、後継ぎは絶やせない。
都合の良い事に、「使用人の性欲の面倒を見る」と言う、このおかみさん文化の習慣は、旦那が「種無し(子種が無く)」でも使用人が密かにカバーする。

嫁が「生まず女」なら妾がカバーする。

言わば商家存続の安全弁の役割も担っていて、「実は若旦那の実父は独身の大番頭だった。」などと言う人情話に、当時を伝えているのである。

まぁこの「若旦那の実父は独身の大番頭」を現代風の解釈で個人的な「おかみさんと番頭や手代の色恋沙汰」と解釈するか、その時代の「町屋商家の習俗」と捉えるかで随分当時のおかみさん文化の理解が違うものになる。

この物語ではもう毎度の事に成ってしまったが、この「おかみさん文化」を現代の倫理観や価値観の意識そのままに当て嵌(は)めては、到底信じられない事かも知れない。

現代風に考えれば、それこそ性に対する倫理観も女性個人の尊厳もあった物ではない。
良識派を自認する学者達には「無かった事にしたい過去」だろう。

しかしこの時代は、武家も豪商も、通常「お家の繁栄」が全てに優先する価値観であり、一般的に男も女もその「お家の為」にする犠牲行為は、不謹慎なものではなく「美徳」だった。

人間には「意識と行動を一致させよう」と言う要求(一貫性行動理論)がある。
つまり、現代の物差しとは違う価値観が昔存在した理由は、当時の女性は「お家大事を基本にした考え方が正しい」と考えていた意識の違いである。

従って、現在の意識を基にした「一貫性行動理論」の物差しを現代に当て嵌めて、「そんな事は有り得ない」と過去を判断するのは危険な判断方法である。


江戸期に於ける「おかみさん」のついでに、「商家の娘さん」についても少し書く。

「商家の娘さん」についても、修験道師絡みの、江戸期独特の風俗習慣が存在する。江戸時代から明治中期まで町屋(商家)を中心に流行した「狐つき祓い」が、まさしくこれである。

この時代、まだまだお店(たな)の娘としては自由恋愛とは行かず、親の都合の縁談が当たり前で、お店(たな)の示(しめ)しとしても、親に逆らってもらっては困るのだ。

この辺りの厳しさが商家の習慣にあるから、心中事件などと言う手段もあった訳である。

実はこの「狐つき」、商家の娘が、都合の悪い恋愛や恋わずらいをした時に、便宜上付ける厄病で、修験者を呼んで「狐(恋愛感情)」を落としてもらう為の方便だった。

修験者の「お祓い」と称するものの実体が集中的輪姦で、娘を犯し倒す性感の波状攻撃により、娘の人生観さえも変えてしまう。

簡単に言えば、既成事実を作って諦めさせるのが目的だが、修験者の「お祓い」ならば神事で、世間も納得する。

つまり、娘から「狐着き」が落ちて、親の薦める縁談がまとまり、経験を積んで性的に成熟しているから、嫁に行っても、婿を貰っても相手を飽きさせない。

これは、「性交による矯正」と言う事であり、昔からそう言う手段はあった訳である。

御祈祷の奇跡についてはこんな事例がある。

若い夫婦に中々子宝が授からなかった。

現代のように夫に子種が無いなどと言う科学的な思考の無い時代は、子宝が授からないのは何かの「呪い・因縁の類では無いか」と恐れを抱く。

それで評判高い陰陽修験の修行を修めた行者様に若妻を預け、加持祈祷をして頂く。

神前祭祀(しんぜんさいし)に於ける邪気払いの大麻(おおぬさ)は、修験道の「祈願・焚(た)き行」でも使われていた。

大麻草(マリファナ)は、真言密教の遠祖・チベット仏教(ラマ教)の地であるヒマラヤ高地一帯で自然に自生していた薬草である。

当然ながら密教・修験道師(山伏)は、大麻草(マリファナ)を焼(く)べればその煙を吸引した人が陶酔作用を引き起こす事をしばしば信者獲得に利用した。

大麻草(マリファナ)で陶酔すれば幻覚も見、それを素直で真面目な人物ほど「信仰の奇跡」と捉えるのは自明の理である。

つまり密室での「焚(た)き行」の陶酔の中で、願主と修験道師(山伏)が如何なる加持祈祷儀式を為して居たかは当事者しか知らない。

加持祈祷を済ませた若妻は家に帰り、そのご利益が薄くなる前に早速夫と同衾する。
陰陽修験の行者の祈祷は霊験あらたかで、「アァら不思議」と若妻に子宝が授かってメデタしメデタしとなる。

ただしこの御祈祷は秘伝中の秘伝であり、御祈祷中の行者様の気を乱してはいけないので、どんな御祈祷が為されるのかは行者様と若妻以外誰も知らない。

後はこれを読む方の御想像に任せるが、とにかく奇跡は起こるのである。

そんな馬鹿な事はない。

「真面目に祈祷をしている行者も居る筈だ。」

とお叱りを受けるかも知れないが、あなたは祈祷のご利益が本当に信じられるのか?

この現代科学で考えれば、突然子宝が授かるには合理的な理由がある筈である。

こう言う裏話をすると、直ぐに理想論者の反論が湧き起こるが、現実に密教的修験の「お祓い」の常套手段が立ち入り禁止の非公開(呪術が効かなくなると言う理由)であり、酷い話になると、「覗けば目が潰れる」などの予防線が張られていたりする。

現実に、十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の側室・お美代の方(専行院)の父親、日啓が引き起こした大奥女中の醜聞、智泉院事件においては、「お祓い・祈祷」が名目だった。

そう言う部分は、現代の建前感覚より当時の現実感覚の方が、返って正直なのかも知れない。


これは余談に近いが、江戸期に入って盛んになった雛(ひな)祭り、子供は夢を託して無邪気な喜びの日である。

しかし、良く考えて見ると段飾り雛は、世界でも珍しい「身分制度を表したもの」で、上に上るほど高位の雛の居場所である。

これを平等の現代社会では「おかしい存在」とは誰も思わない所を見ると、およそ氏姓制度が「日本人の中に染み付いている」と言う事だろう。

一応「祭り」と言うからには信仰行事で、子供の健やかな成長を祈りながら、ついでに身分制度も学習させる寸法だったのではないか?

まぁ、目くじらを立てる程のものではないが、逆説的に言うと、存在するものは深く考えないで容認するのが日本人気質かも知れない。


誓約(うけい)の国・日本では、明治維新の文明開化まで日本人は性行為を「猥褻(わいせつ)」とする考え方は薄かった。

日本人は、人間としての性規範に対してはナチュラル(自然体)な考え方を持っていた。

性行為を「猥褻(わいせつ)」と強く感じる様に成ったのは、明治維新政府の急速な欧米化政策に伴う学校教育方針で、欧米キリスト教性規範を植え付けられたからである。

いずれにしても我輩は、「美しい国・日本」の答えが「地球を救う共生主義と言うイデオロギーに変換する事に在る」と考えている。


________


◆◇◆◇◆お召し上げ・お下げ渡し◆◇◆◇◆◇

こうして書くと庶民だけが性に開放的だったように受け取られかねないが、勿論の事、この事ばかりは氏族も庶民もさして違いはない。

この辺りが、見事に「武士道の精神」の建前の形骸化が証明されるのだが、氏族(武士)社会にはそれなりの別のいささか残酷で都合の良い制度が確立していた。

血筋がものを言う氏族(武士)社会では、血筋を残す事が最優先の了解事項だから言い分として妾は正当な存在で、正婦人は言うに及ばず妾に到るまで勢力維持・拡大の具として「閨閥(けいばつ)」の対象に成る。

領主同士の婚姻関係は軍事同盟を意味し、出世を望む部下は我娘を領主の妾に送り込み、領主は見込みのある部下に妹や娘を下し置いて頼りとする。

氏族(武士)社会の主従関係には特殊な家臣(部下)を試す制度が存在し、家臣(部下)に娘が居るなら「召し上げ」て妾にし、忠誠心を試す。

意味合いとしては「稚児小姓文化」と同じで、誓約(うけい)の概念に置いて、絶対服従の具体的な証明は大事な者の身を任す事である。

独身男性の場合は「お下げ渡し」と称してお上(殿)の手の付いたその女性を娶る事を求められ、その家臣(部下)の忠誠心が試される。

試すべき家臣(部下)が結婚していて妻がいるなら、「お召し上げ」と称してその妻を差し出させ、暫らく寝屋を伴にしてから「宿下がり」と称して夫に返し、夫が自分のお手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。

敵対危惧関係や敵対関係と目される相手との場合はまた別で、「人質」と言う事になる。

これらは全て古代に在った誓約(うけい)の進化系で、 家臣(部下)の忠誠度や敵対及び危惧関係相手との信頼関係を試す手っ取り早く具体的な手段だった。

「お召し上げ」の例は枚挙に暇が無いだろうが、代表的な「お下げ渡し」の例は、斉藤道三の妻・小見の方(織田信長の妻・帰蝶(濃姫)の母)である。

斉藤道三がまだ西村勘九朗を名乗っていた頃、主君・土岐頼芸から美濃一番の美女と謳われた側室・小見の方を弓の手慰めの賭けで勝拝領している。

もうひとつお下げ渡しの代表格にあげられるのは、あくまでも俗説だが、第五代将軍・徳川綱吉と大老格側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)と吉保側室・染子の関係である。

側室の染子は、かつて綱吉の愛妾であり綱吉から吉保にお下げ渡しされた「拝領妻である」とも、懐妊した側室・染子を護る為に、柳沢吉保が「母子の身柄を預かった」とも言われている。

事の真相は定かではないが、柳沢家が異例の松平の姓を綱吉から許され、柳沢家を「連枝(将軍家血筋)の待遇」とした為に、柳沢家の家督を譲った長男の柳沢吉里(やなぎさわよしさと)は「綱吉の隠し子である」とも言われ、染子が吉保の側室になってからも息子・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)の顔を見に柳沢私邸を訪れる将軍・綱吉は、側室・染子を「綱吉の寝所に召される事が多かった」とされている。

綱吉の柳沢保明(やなぎさわやすあき)の寵愛振りから、綱吉と吉保(よしやす)が男色(衆道)関係であれば、一人の女性(にょしょう)を共有しても然したる抵抗は無いかも知れない。

そして戦乱期、こう言う女性の閨閥(けいばつ)的価値観の扱われ方や近習(稚児小姓)は、何の疑いもなく信じられた氏族(武士)の男女として、家名のお役に立つ為の当然の役目だったのである。


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◆◇◆◇◆閨房術(けいぼうじゅつ性行為の技)◆◇◆◇◆◇

日本民族には、欧米のキリスト教文化と違い昔から「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」と言う姫方・女房方が積極的に殿方を喜ばせる性技があった。

殿方を喜ばせる性技「閨房術(けいぼうじゅつ)」は、姫方・女房方にとって大事な積極的に習得すべき心得だったほど、性に対しておおらかで積極的な考え方を日本民族は持っていた。

と言うのも、実は殿方が姫方・女房方の性技に喜ばされて操られる事は珍しくない為、「閨房術(けいぼうじゅつ)」に平和な武器としての価値が認められていた。

当然ながら勢力を競う氏族(貴族や武士)の子女は、誓約(うけい)の概念の元に所謂(いわゆる)「閨閥(けいばつ/婚姻による家同士の連携)」創りの役割を果たす為に世に生まれて来た様なものだった。

日本古来の「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」の発祥は不明だが、考えられる推測としては他の武術同様にその発祥を諜報活動を担っていた陰陽修験に見られる可能性が強い。

以後、修験組織が関わって成立した「白拍子(しらびょうし)遊技制度」の「床技」などで発展、戦国時代の武家の間で戦略的に子女を持って利用されて「術」として確立された。

この「閨房術(けいぼうじゅつ)」、「術」と言う範疇(はんちゅう)に入るからには、修練を積んでその「術」を自在に操れる様になる事が要求される。
つまり大げさに言えば、「閨房術(けいぼうじゅつ)」と言う性技が、氏族の女性に課せられたひとつの習得すべき積極的な技(わざ)だった。

殿方が武勇を競って領地を広げるなら、女性(にょしよう)の戦場(いくさば)は寝所(寝屋)だった。

寝所(寝屋)での事に、正妻と妾妻の分け隔ては無く「如何に殿方を喜ばせるか」の性技勝負の場に成る。

大胆かつ濃厚な性技で殿方を極楽浄土に導き、子種を授かるのが女性(によしょう)の勤めで「手柄」である。

時代により女性の性に対する価値観も違って当り前で、血統を唯一の特権の証明として受け継いできた氏族の女性にとって、この理屈に疑いなどある訳がない。

まず、当時の社会では性技は花嫁の必須条件で、十五歳と言えば嫁入りの時に性技の心得は充分に教わる。

何人もの妾妻を持つ事が普通の世界だったから、「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせ、殿方に気に入られる事から寝所(寝屋)での戦は始まる。

どちらかと言うと正妻は政略結婚で、妾妻は殿方に気に入られての事であるから、実は正妻ほど「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」を駆使して殿方を喜ばせないと、この勝負は気に入られている妾妻に負けてしまうから切実なのである。

そして当時の氏族社会は極端な「血統主義社会」であるから、殿方の種を受け入れ世継ぎを懐妊・出産する事が女性(にょしよう)の勝利だった。

現在の解釈など通用しないのが、歴史である。

氏族の娘にとって「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」は勝つか負けるかで、殿方の武芸武術に相当する手段だった。

当時の氏族社会は「妾妻」を持つのが当たり前で、実質一夫多妻だったから閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)は現在のように「愛を確かめるもの」と言う拠りも殿方を愉しませ「愛を獲得する為のもの」だった。

原点がその通りだから女性はむしろ性交には積極的で、凡そ人間に考えられる閨房行為に女性には禁じ手など無く、口淫性交や陰間(肛門)を使う事など技の内である。

例えば氏族(武士や貴族)の間では男色習(衆道(しゅうどう/男色)が当たり前で、ほとんどが両刀使いだったから、女性相手でも陰間(肛門)も使っての行為は現在よりも一般的で、武家の娘はその位の事は心得ていた。

恋愛は精神的もので、当時の肉体的接触は、かならずしも恋愛とは一致しない手段である事が常識で、その事を現代の女性に「昔の女性の扱いは悪かった」と同情される謂われも無い。

現代では、女性の肉体を目的達成の手段にするなど、理解され難い事だろう。
しかし親子兄弟でも領主の座を争い、たとえ叔父甥の間柄でも、隙あらば領土拡張の的にする氏族の価値観である。

「殺し合いをしても領土を手に入れる」と言う究極の価値観に生きる者達には、女性の肉体は「領土拡張の道具」と考えられても不思議な事ではない。
つまり、殺し合いも女性の色香も目的達成の手段で、当時は異常な考え方ではなかったのである。

そこの価値観の違いを分けて懸からない事には当時の女性の心情は理解出来ないし、奇妙な現代風の恋愛時代劇が成立してしまう。

しかし良い加減なもので、恋愛時代劇が成立してその物語を楽しみ、女性の敵かのごとくに拘(こだわ)る筈の妾妻と主人公の殿方との恋愛を美しく描いて楽しむ矛盾もロマンチックに受け入れてしまう。

「閨房術(けいぼうじゅつ/性行為の技)」も含めて男女の仲は添ってから育むもので、精神愛まで達した仲が本当のゴールである。

本来一致させるのが難しい精神愛と性愛を、現代女性の願望を満足させる為に金儲けでロマンチックに歴史が歪められるのはいかがなものか?
http://www.geocities.jp/jiyoudan3_55/yobai.html

3. 中川隆[-13692] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:13:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
西欧の芸術家は何故 日本文化に憧れたのか?


春画が海外で人気な理由  あまりに自由で即物的な性描くから


計700万点を超える収蔵品を誇る大英博物館。その中の日本絵画、浮世絵コレクション内に江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」が含まれている。

 明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに春画も海外に流出。反対に西欧の美術愛好家たちは春画に魅了され、芸術品として収集してきたという経緯がある。近年では世界各地の有名美術館で展覧会が開催されている。

 世界最古にして最大級の公立博物館である大英博物館にも、春画は250点以上も所蔵されている。2013年には、同博物館で春画展の開催も予定されているほどだ。

 ここまで春画が海外で人気なのはなぜか。長年にわたり春画を研究してきた、浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「性をタブー視するキリスト教的宗教観が強い西欧では、あまりに自由で即物的に性を描いた春画のインパクトは絶大だった。

江戸時代の日本ではセックスの禁忌事項はほとんどなく、オーラルセックスや複数プレー、媚薬や道具を用いての行為なども普通のことでした。現代にあるセックス関連の事項で、江戸時代になかったものは皆無といっていいでしょう。

しかも、日本人がそれら奔放な性を屈託なく享受していたという事実も衝撃的で、日本の性文化を表わす資料としても価値が見出されたのです」

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110115_10251.html


日本人がガンガン“性”楽しんでいた昔、欧米人は禁欲生活


江戸文化史研究の第一人者で、法政大学教授の田中優子氏が興味深い示唆を与えてくれた。田中氏には、浮世絵研究家・白倉敬彦氏との共著『江戸女の色と恋――若衆好み』(学研刊)などがある。
 
「性に関するタブーのほとんどは西欧文化、特にキリスト教的宗教観の強い影響の下にあります。日本は明治維新とともに、政治と社会制度や経済体制、教育システムを刷新するだけでなく、性のタブーも受け入れてしまったのです」(田中氏)

 キリスト教的セックス観はいたってシンプルだ。性の営みは子孫繁栄のためにだけ存在するものであり、愉悦や快楽が介在してはいけない、というものだ。
「オーラルセックスやゲイなど生殖に関係ないセックスは、法律で厳しく罰せられました」(田中氏)

 欧米の一部では、今もこれらのセックスを禁止する法律が存在する。
“正常位”がカトリックの定めた“正しい体位”であり、後背位は獣と同じと否定されていたことも有名だ。ちなみに、江戸期に正常位は存在せず、この体位は“四つ手”と呼ばれていた。

 田中氏も笑う。「そもそも江戸の性には、正常と異常の境界線がなかったんです」
 
 欧米では、オナニーも生殖に直結しないという理由で罪悪視され続けた。ところが、江戸の自慰観は実に健全なうえ、医学的見地にも立脚している。江戸の性指南書『閨中紀聞枕文庫』は「男女とも若時婬欲をこらへるも頗(すこぶ)る毒なり」と看破しているのだ。

「おまけに西欧では女の性が抑圧され、快感はもちろん性欲すら抱いてはいけないという理不尽ぶりです」(田中氏)

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5019.html

今のエロ 江戸時代にほぼ全部あり、しかも彼らは楽しんでいた


江戸時代の浮世絵は芸術的な価値だけでなく、当時の市井に生きる人々の生活や風俗、習慣、事件、考え方などを見事に表現している。ことに「春画」は、セックスをテーマとした一大ジャンルを形成してきた。

 浮世絵の研究者であり、春画にも詳しく、『江戸の春画』(洋泉社新書y)や『春画にみる江戸の性戯考』(学研刊)などの著者がある白倉敬彦氏は、江戸のセックスライフの最大の特徴を「江戸期の性には、タブーがなかったということです」と断言する。

 白倉氏は同時に、江戸期のセックスライフが、今日をも上回る自由さと平等観に裏打ちされていたと力説する。

「もちろん階層別の法度や、婚姻などのルールは決められていました。でも、セックスの本質部分においてほとんど忌避事項は存在していません。フェラチオやクンニリングスなどのオーラルセックスばかりか、アナルセックスも日常茶飯事ですし、衆道とよばれるホモセクシャルだって盛んでした。不倫は男女を問わずに行なわれていたし、廓(くるわ)での売春や夜這いの風習は社会公認です。アダルトグッズも研究と改良が進み、バイアグラそこのけの媚薬もありました」

 白倉氏は「今の世の中にあるセックス関連の事項で、江戸期になかったものはほぼ皆無。しかも、すべてが、なんの衒(てら)いや遠慮もなく、嬉々としてエンジョイされていたんです」と語る。いやむしろ、まだまだ現在のほうが性の制約が強いくらいだ――。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4733.html


現代のようにラブホテルもなく、“公然わいせつ罪”のような罪もなかったため、江戸時代の男女は野外で行為に及ぶことも珍しくなかったという。

 不倫関係にある男女が庭の物陰に隠れて行為に及ぶ姿や、畑の中央に積まれた藁の上で性交する夫婦……。江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である「春画」には、そんな姿も描かれている。浮世絵研究家の白倉敬彦氏が解説する。

「出合茶屋という逢い引きの場所は存在しましたが、高額だったため利用者は限られていました。ですから、不逞な間男などは、野外で交わるか夜這いをかけることが多かったといわれています」

 夜這いといえば田舎の風習のように思われるが、江戸でも盛んに行なわれていた。その様子は春画にも多く描かれていて、女中が家の主人に狙われるシーンや、逆に女中が若旦那に夜這うものなどがある。

 一見して強姦のように見える絵もあるが、ほとんどが合意の上の夜這いなのだという。つまり、夜這いはノーマルなプレー。ここからもやはり、江戸時代が性をポジティブに受け入れていたことがわかる。

 春画は自由奔放で多種多様な江戸時代の性のすべてを活写した、“性の歴史絵巻”なのである。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110121_10489.html


春画 着衣のままセックスする絵柄はなぜ生まれたのか?


江戸時代の識字率の高さや教育制度の充実は世界的にも群を抜いていた。大名や武士などの上層階級だけではなく、職人や商人など庶民も書物に接し、高度な文化を享受した。

彼らは西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。出版文化という切り口から江戸時代の寛容で奔放なる性に迫る――。


 * * *

 エロティック・アートの普及は、肉筆から木版という出版文化の興隆と密接にリンケージしている。とりわけ元禄期は、『好色一代男』に代表される好色本(浮世草子)の井原西鶴や、『曽根崎心中』で知られる近松門左衛門ら実力ある作家の台頭で京・大坂の出版業者が活況を呈した。
 
 同時期、上方絵師の西川祐信や吉田半兵衛、月岡雪鼎らが春画を描き、浮世草子の挿絵も担当した。ことに祐信は、町人や庶民の性生活を、情景も含め思い入れたっぷりに活写してみせた。彼の着想と作品は江戸絵師たちに衝撃を与え、従来の武家社会や古典から、庶民へとモチーフを転換させる原動力となった。

 一方、江戸では菱川師宣が木版春画を創始し、肉筆浮世絵から墨摺絵へと形態を激変させた。そこに前記の上方出版文化がなだれ込むことで、エロティック・アート全盛の素地は固まったといってよいだろう。

 さらに、文化文政期は江戸庶民のパワーが爆発する。『江戸の出版事情』(青幻舎刊)の著者、昭和女子大の内田啓一教授に当時の状況を聞いた。

「カルチャーの中心は上方から江戸に移ります。文学では滑稽本、黄表紙、人情本や川柳などが流行しました。絵画も金銀摺、空摺、艶摺など技術の飛躍的向上により、縮緬模様や透かし、ぼかし、凹凸まで印刷できるようになり、浮世絵は一気にカラフルとなり大人気を博します。当然、江戸の出版業は繁栄し、流通システムも発達しました」

 春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏は頂点を極めた印刷技術と春画の相関関係を語る。「春画で着衣のままセックスする絵柄が多いのは、着物の色彩や柄、文様まで表現可能になったからです。女性にとって春画は、最新ファッションテキストでもありました」

 春画や艶本はたびたびの規制、弾圧を受けたものの、しぶとく生き残る。しかも購買層は庶民だけではない。大名や旗本たちは当代一流の絵師や戯作者たちを呼び、私家版の絵暦を春画仕立てで制作、正月には殿中で交換しあっていた――まさに、エロティック・アートは江戸の華だったのだ。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110312_14482.html


江戸時代は確かに生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。しかし、色道指南書は何も江戸期の専売特許ではない。

『衛生秘要抄』(1288年)は鎌倉時代に編まれた、わが国の代表的医学書であり同時に性指南書でもある。本書は隋唐医学を体系化した『医心方』や宋代の医書『証類本草』のダイジェスト版であり、その意味で、いわゆる「艶本」として編纂されたものではない。

 本書は右大臣で皇后宮権太夫だった西園寺公衡(1264‐1315)の命により、宮廷医師の最高位にあった丹波行長が撰述した。西園寺公の役職を考えれば、本書が当時の貴族や高位の武士に読まれたのは間違いない。

『衛生秘要抄』は全31章のうち、17章以降のすべてが「房中術」すなわち性に関する記述で埋められており、わが国におけるセックスの高い位置づけが窺われる。同時にセックスが日常生活の健康に大きく関わっていることの証左ともなろう。

 文章は中国の黄帝が女医の素女に質問しつつ、さらに采女なる神仙の方術に長けた者からアドバイスをもらうという形で進む。黄帝の目指すところは不老不死であることは論をまたない。

「一夜の中に、女色にふけることが十度に及んだとしても、決して射精をしないことだ」

 接して漏らさず――貝原益軒が『養生訓』で広めた訓戒の源泉はここにある。『衛生秘要抄』によれば、「射精しない者は、さまざまな病気が治り、寿命が一日、一日と長くなる」のだ。そればかりか「ひと月に2回、年に24回射精するように制限すれば、誰でも100歳、200歳と長生きできる」という。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110313_14516.html


江戸時代、日本の自由な「性」には「文化」があった。だからこそ性を描いた「艶本」もブームになったが、その中でも作者の英泉が、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語し、初版が刊行されるやたちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)では、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。その中から白眉ともいうべき心得を現代語訳で紹介してみよう。

 まずは、「量度情訣」。「女を口説くには、まず世間話などをして近づき、だんだんとエッチなネタへもっていくのがよい。さらに、女は欲深きものなれば、カネやファッション、流行の小物(本書では“煙管や煙草入れ”とある)で落とせ。あの手この手で迫れば、女は押し黙ったり、手が温かくなったり、頬が赤くなったり、乳房や腹も熱くなるものだ。そういうサインを見逃さす、ぐいと押し込んでいくべし」

「戯弄真情」では、セックスで大事なのは、まず女にエクスタシーを堪能させることだと強調する。「男が快楽にまかせて先に射精してしまうことは、大いに戒めなければいけない。男は真心をもって、女体を懇切丁寧に、焦ることなく愛撫し、クリトリスをやさしく弄んでやる。挿入に際しても、男は女の様子をつぶさに観察し、自分がいきそうになったら気をそらして、長く保つこと」

 いつの世も、男はガマンが大事ということか――。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110309_14395.html


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、性の秘技も紹介されている。意外にもオーラルセックスを描く春画はそれほど多くないのだが、平安末期の春画にすでにその場面が登場しているように、古くから日本で行なわれていたプレーであることは間違いない。

 ただし現代のように前戯として当たり前に行なわれていたものではない。尺八は“吸茎”ともいわれ、江戸時代では、女性が男性に“再戦”を促すためにするものだとされている。そのため、春画で尺八を描く場合は、男性が疲れきった表情であることも少なくない。数多く存在した性の指南書に尺八の方法は描かれていないそうだが、それは「女性に秘技を覚えられると疲れて後が面倒」という心理が影響しているのかもしれない。

 一方、クンニリングスは“舐陰”と呼ばれていた。女性が“私への恋心が真実ならば舐めて”と、男性の心情をはかるための行為だったという。春画に描かれるオーラルセックスからは、男性以上に性欲旺盛な“肉食系女子”が多く存在したことがわかるのだ。

※週刊ポスト2011年1月28日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110118_10382.html

門外不出の性指南書、備州岡山藩秘伝『秘事作法』。『秘事作法』は上、中、下三巻構成で、江戸初期の1652年に成立した。筆者の秀麗尼は岡山藩の池田家奥御殿に仕えた女中だった。

『秘事作法』の特色は、何といっても懇切丁寧な記述にある。江戸期の性愛文化を代表するセックスガイドブックといっても過言ではあるまい。そのなかで明らかにされる、奥女中の性の秘儀の数々の中でも、上巻で述べられる、若君に対するセックスの所作は驚愕に値する。

 幼少君は、学問や武芸だけでなく帝王学の一環として、御殿女中たちから性の手ほどきを受けていた。当時の武家は現在の中学生の年齢で元服し、妻を娶って子づくりに励むののだから当然のことではあった。

 幼少君は5歳で割礼し、7歳になるとペニスの皮をむく(現代でいうところの「むきむき体操」)。早くから亀頭部を露出させ、刺激になれさせるのだ。10歳ともなれば、女中は若君の会陰部へのマッサージを入念に施してさしあげる。同時にペニスを布で巻き、厳しく鍛えることも忘れてはいけない。まだ子どもだけに、快感とは程遠く、痛みや辛さで泣き出すこともあろうが、それを叱り、あるいは慰め、励ますのも女中の務めであった。

 幼少君が12歳になったら、さらに本格的なセックス指南に進む。その作法を現代語訳してみよう。「最初は殿のペニスを指でさする。時には口に深く含み、亀頭を喉の奥深くに入れ強く吸う。続いて亀頭を舌で愛撫し、勃起の兆候がみられたら、舌先で鈴口を押さえ、亀頭をリズミカルに締めたり緩めたりする」

 いわゆる“手コキ”で奉仕するだけでなく、積極的にフェラチオをするように指導している。それもディープスロートあり、亀頭や尿道口への微妙かつ繊細な愛撫ありと、現代の性技と比べて遜色がない。いや、むしろ約360年前に、このようなテクニックが開発されていたことを称賛すべきだろう。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101218_8130.html

江戸時代の大ヒット本は中国の性書や欧州の性知識網羅する艶本


江戸時代は、西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。
 
 艶本『閨中紀聞枕文庫』全4篇は文政5(1822)年に、版元青林堂から初篇が刊行された。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。

「艶色の一道此巻中に尽きせり」 英泉は、性にまつわるすべてが本書に凝縮されていると豪語した。果たして、たちまち江戸の大ベストセラーとなったばかりか、10年を超すロングセラーを記録するに至った。改訂や増補、新版、ダイジェスト版などの編纂が重ねられ、8冊とも9冊とも10冊とも、いやそれ以上のシリーズがあるとも推察されている。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏は話す。「この本は江戸の性指南書の白眉です。日本に伝わっていた性のエッセンスのみならず、中国の性書やヨーロッパの性知識までもが網羅されています。その内容の豊富さと広範さに加え、挿絵の精密さと意表をついたアイデアが江戸っ子たちのド肝を抜きました」

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110310_14434.html

江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

 浮世絵研究家で艶本にも詳しい白倉敬彦氏が解説してくれた。「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html

キスには挨拶、親しみと友愛、性愛と欲情という3種類があるが、江戸期の日本では、セックスにまつわる“舌偏重”のキスだけが一般化していた。軽く唇や頬、手の甲に押し当てるキスという形式は普及していない。だから幕末期に英語がどっと押し寄せてきた際、「口吸い」だけでは訳語に困り「接吻」という新しい言葉をひねくりだしたのだという。

 また、口吸いのセックスにおけるポジショニングも男女差があったようだ。口吸いが、交合への第2ステップであり決め手だったのは男の場合で、女から仕掛けるケースでは口吸いからスタートすることが多かった。まず、抱きつき口吸いして男を誘惑する。男がその気にならねば、果敢に股間へ手を伸ばす……こんな流れが春画に描かれている。

 もっとも「口吸い」にも時代的な変遷があった。当初「男の舌を女に吸わすことなかれ」だったのが、いつしか男が女体をくぢるときに欠かせぬ性技として定着した。やがて女も負けじと口吸いするようになり、結局は男女を問わず積極的なほうが、主導権を握る展開になっていく。

 艶本『艶紫娯拾餘帖』では、奥女中が小姓の若衆にかぶさり、しっかりと彼のペニスを握りながら、口吸いを強要している。書入れ(春画の中に記された説明書きやセリフ)はいう。「初心な男はままならないわ。まずは口をお吸わせなさい」

 江戸の性を大らかに描いた歌麿の春画にも口吸いのシーンは多く、この性技の日常化が見てとれる。『歌満まくら』のように、女のほうから舌を出して男に吸わせるスタイルもあれば、『艶本葉男婦舞喜(はなふぶき)』では、坊主にくぢり放題にくぢられた後家が、「舌をしごき、あるいは食いつき」と口吸いによる反撃に転じている。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101101_4739.html

上半身は口吸い、中間部の乳房を手で愛撫するという同時三点攻撃を「三所攻め」といい、大事なセックス技術とされていた。

 何より江戸期の性指南書は、男だけが快感を満喫する身勝手を厳しく非難している。溪斎英泉の記した江戸時代を代表する性科学百科『閨中紀聞枕文庫』でも、男女和合のため二人が一緒にオーガズムに達するべきだと説く。

 その極意が、前書にいう「三峯採戦」の法として紹介されている。「三峯とは、女体の口と鼻の先を“上峯”、乳房を“中峯”、陰戸(ぼぼ)を“下峯”という」「上峯の口を吸いながら、中峯の乳首をひねったりさすったりしながら女の唾を飲めば、女の精気をとって薬になる。下峯では玉門(ぼぼ)が淫水で潤い、子宮(こつぼ)がひらいたときをみはからって、とっくりと玉茎を挿入し、ゆるゆると九浅一深(くせんいっしん)の法で交合する」

 ポイントは三所攻めで女にオーガズムを得させることであり、かくして男も安心かつ満足のうちに射精することができる。これぞ、同書にいう「男女相感をもつてたのしむ」だ。

 現代のAVへ眼をやってみると、潮吹きや電マなど下半身への愛撫と執着が著しい。残念なことに三所攻めのシーンは実に少ないのだ。一方、江戸の春画には、二所攻めからまさに三所攻めへ移行しようとする絵柄がたくさん見られる。

 たとえば『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』における、後座位で抜き差しの快感を与えつつ、乳房をさわり、いよいよ口吸いをも狙って、三所攻めを完成させようという場面は秀逸そのもの。

 絵の書入れで、女の台詞がオーガズムの到来も近いことを予感させる。「あなたは、まァどうしてこんなにお上手でいらッしゃるか」――男なら、女にこういわせてみたいものではないか。

『色道取組十二番』でも、男が後側位の体勢から身体をねじって女の乳首を吸っている。彼の一連の動きからして、口吸いへ移行し、空いた手で再び乳房を弄ると想像できよう。 多くの性研究者は、江戸において「三所攻め」は珍しくなく、むしろ一般的な性技だったと指摘している。彼らの性技のレベルの高さを証明するエピソードといえよう。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101103_5023.html


性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

※週刊ポスト2011年3月18日号

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html


Gスポットは江戸時代からすでに発見されていた


江戸の性技法の特色であり、現代セックスとの際立った差異はイントロダクションにある。江戸の男たちは、女と言葉を交わし、春画や艶本などを見せてエッチなムードづくりにいそしんだ。

 艶本『艶道日夜女宝記』は、そのまま今のセックスに通じる技法を伝授しているから驚く。「膣の入り口の上側に、袋のようなものがある。そこを指腹で撫でよ」

 この「袋のようなもの」とはGスポットに他ならない。Gスポットの存在が江戸期、すでに知れ渡っていたのは間違いなく、『艶本幾久(えほんきく)の露』という喜多川歌麿の作にも「膣の奥に“名所旧跡”がある」の記述がみえる。ちなみに、性医学界でGスポットが紹介されたのは1950年、ドイツ人医師エルンスト・グレーフェインベルグによってとされているのだが――。

 春画『會本 拝開よぶこどり』では子宮口周辺のポルチオ性感や、オーガズムに達する際の膣の変化も鋭く観察し、描写しているから仰天だ。

「指を深く入れると、子宮が進み出てくる」――この状態を「玉が出る」といいGスポットと並ぶ“名所旧跡”に数えた。本番の交合前に、ストレートかつ、たっぷりと指でくぢる――なるほど、江戸のセックスは奥深い。

※週刊ポスト2010年11月12日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5021.html

江戸時代自作女性向け自慰グッズ 1650回以上の抜き差し推奨


古くから、適度なセックスは肉体ばかりか精神面にも良好な影響を及ぼすことが知られていた。だが、「大奥」の女中(奥女中)は男との性交渉のチャンスが極端に少なかった。

 江戸初期の1652年に成立した、セックスガイドブック『秘事作法』の中巻では、奥女中が積極的に実践すべき健康法として「独楽」すなわちオナニーを奨励。“マイ張形”の製法と独楽の楽しみ方の指南も述べている。

「わらび湯か葛湯に紅絹布を浸して丸め、乾かし、何重にも巻く」――これが作り方だ。 サイズは太さ約3センチ、亀頭部が約4.5センチ。全長は約20センチで、先端から16センチあたりに陰毛を模したつけ毛を施す。おそらくリアリスティックかつ勇猛な外観であろう。

 用意万端、いよいよ独楽を開始するわけだが、その回数が凄まじい。「性器の表面を愛撫すること50回、それと同時に乳房を100回ほど揉み、張型を浅く挿入し100回、クリトリスから陰唇への刺激を300回、騒水が湧き出たら深く挿入して200回」

 さらに張型を枕台箱で挟んで固定し、ヒップを落としていく。ここからの所作も回数つきで紹介しよう。「尻を上下にグラインドさせ200回、それをスローテンポに落としながら、空いている手で陰核にアップテンポの刺激を加え、尻を上下左右に強く揺らして200回……」

 ちなみに絶頂までの抜き差し、摩擦の回数は、割愛したものも含め実に1650回以上! これを生身の男に置き換えると……想像するだにおそろしい。

※週刊ポスト2010年12月24日号

http://www.news-postseven.com/archives/20101215_8101.html

春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという
http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


▲△▽▼


浮世絵

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro
http://www.akantiek.nl/shunga.htm

Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka

4. 中川隆[-13691] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:14:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

天皇の性教育係・乳母

天皇は元服すると一人前の男性としてみなされました
元服した数日後に「添臥(そいぶし)」という女性を与えて性教育が行われるのです

その役目に選ばれるのは乳母が多かった
江戸時代のように春画がないので、乳母は自分の体を使って指導するのであります

例えば89代目の後深草天皇のお相手は乳母で大納言・久我雅忠の妻

14歳の時に人妻と初体験したのであります

ちなみに、後深草は初体験の人妻が忘れられず、この人にソックリという14歳の二条という娘を入内させております

また、80代高倉天皇(平清盛の娘と結婚する)のお相手も乳母
が、この乳母は妊娠してしまうというスキャンダルが起きてしまいました
http://hagakurecafe.gozaru.jp/iro19heian.html

乳母 うば(めのと)

養君(養姫)に対して、生母に代わり、授乳、養育を行なう女性のこと。

「ちおも」、「にゅうも」、「まま」とも呼ばれた。


乳母は、養君(養姫)に対する授乳終了後は、養君(養姫)の食事をはじめ、
その生活全般に渡り世話をした。


古代、天皇家や豪族では、生まれた子に、 生母とは別に乳を与えて養育を専門に行なう女性を置いた。 後宮職員令が制定されると、天皇家においては、親王には3人、二世王には2人、それぞれ乳母を給付することが決められた。

天皇家のみならず、有力公家や有力武家、各地の有力豪族も、乳母を置いた。

そして、乳母の最大の仕事は、養君(養姫)への性教育であった。

乳母自らが性教育の一環として相手を務めることも数多く、高倉天皇の乳母である藤原公重の娘は、高倉天皇との間に功子内親王を出産している等、 養君と乳母との間に子供が生まれた例は珍しく無い。

養君同様に、養姫に対しても、性教育は行なわれ、 夫となる男性を魅了し受け入れ喜ばせる術を伝授した。

これは、養姫に一人でも多くの子の出産させることで、 養姫の生母一族の「外戚」としての繁栄を確実とするためであり、 同時に乳母一族の繁栄も約束するものであった。

このように、乳母と養君(養姫)との関係は、単なる授乳、世話だけでは無く、 性的な秘め事を含んだために、濃密で、生母との関係よりも深いものであった。

こうして、乳母の権威は絶大なものとなり、養君が後継者となると、 女房衆や侍女たちを手足の如く使い、奥向きを差配した。

江戸時代の徳川幕府三代将軍徳川家光の乳母である春日局のように、 幕府内において、女性としては空前絶後の権力を手に入れた者もいた。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/tishiki/ks00592.htm

徳川幕府の将軍の性事情すげえwwwwwwwwwww


1:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 13:47:11.79 ID:YcvuxPmvO

大学で研究したんだけどさ、これがすげぇんだよ。
聞いてくれ


8:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 13:53:06.02 ID:YcvuxPmvO

まず将軍家って、正室が赤子に乳やったりはあんまりしないそうで、授乳のために、若くて可愛いヤンママを雇うの。大体十代中盤とかな
なんで若くて可愛い必要があるかと言うと、若殿の性教育係も後々兼ねることになるから


13:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 13:57:31.25 ID:YcvuxPmvO

性教育が始まるのは、若殿が大体八歳くらい。
まだ二十歳前後の乳母(しかも幕府が国中から選んだ美女)がショタのチンコをマッサージしたり、舐めたりする。しかも乳母は複数いる。
精通前だからさぞドライオーガズムを経験できるだろう。

さらに


15:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 14:00:00.55 ID:YcvuxPmvO

あらゆる方法でチンコを鍛えさせられる。
紐で縛ったり、ヌメヌメした海藻の汁で擦られたり。

勃起を維持させられたり。

小学校高学年の男子がだぜ。
しかも


18:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 14:02:31.40 ID:YcvuxPmvO

ある程度形になると。
プロの剥き師(やっぱり美女)に優しくむきむきされる。

無事完了したら次は


21:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 14:06:02.14 ID:YcvuxPmvO

妊婦からチョイスすんだよ。ちなみにこの乳母の子どもは将軍様の乳兄弟で出世確実になるわけ。

剥けたら剥けたで、次はパイズーリ、本番が始まる。

毎日毎日だ。相手は美女の乳母。
まだ精通前な。


27:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 14:28:38.70 ID:mrhVdr8bO

春日局はこれをやって出世したってことか……
ふぅ…


29:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 14:37:15.52 ID:YcvuxPmvO

10〜12の少年が、国内有数の年上美女と毎日本番。
射精しないから券じゃにならないし、そりゃめくるめく快楽の日々だろう。
さてそんなある日、少年も初めてほとばしる。もちろん日課中に中にだ

つまり将軍家の男子はほとんどみんな初めての射精が生中出しなわけだ

ちなみにこの時、子どもが出来たら、それはそれで大事に育てられる。
神君家康公の血脈だからね。大体将来は幕府の要人となると。
吉宗とか、分家は近いけどもう少し軽いかな


35:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 14:48:56.94 ID:YcvuxPmvO

さて、この時から乳母とはセクロスしなくなる。
大人になったと見なされるからだ。
多分寂しかっただろうね。赤ちゃんのときから可愛いがってくれて、成長したらやらせてくれた優しい女性を失うわけだ。

この性教育にはもちろん政治的理由がある。
大事な将軍家の跡取りだから、いっぱい子孫を残さないといけない。
だから性を鍛えることは、武芸や学問を納めることと同じくらい大事だったのだ。

将軍家は子どもが多いほうがいい。
世継ぎにならない子どもは地方の有力武家に養子に出す。無理やり押し付ける

送られたほうは嫌でも、その子を自家の跡取りにするしかない。

そうすると実質、その武家はそこから徳川の血脈になる。
こうして徳川家は血による日本支配を実施していたのだ


79:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:04:54.36 ID:koO3Rmqr0

僕の想像による現場描写を少々

若殿8歳。乳母23歳(佐々木希美似)

若「このようにところで、鍛錬とな?」
乳「はい。若様、どうぞ下帯をおほどきください」

若「なっ。なぜそのようなことを!?」
乳「若様、老中から、わたしにすべて身を任せるように、とございませんでしたでしょうか? 
若様も徳川の男児、時がきたのでございます」

若「ううむ。よかろう。(シュルシュル)これでよいか?」
乳「うふふ。はい。まぁ、可愛らしい珍宝様。それでは少々失礼します」

若「こ、これ。なにゆえそのようなところを…あっ」
乳「若様、やさしくさすってさしあげておりますが、痛みはおありでしょうか?」

若「いや、痛みなどはないが…。なんともいえぬ気分じゃ。くすぐったいような」

乳「あら、それでは今日はもうおやめになりますか?(手を離す)」
若「い、いや。もう少し続けるがよい…」

乳「かしこまりました。うふふ。どのようなお気持ちであられますか?」
若「あぁ…。あぁ…なにやら、心地よい」
乳「あら、もうこのような…。硬ぅございます。若様。」


80:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:05:48.66 ID:koO3Rmqr0

いや、やっぱ乳母は上に出てた。堀北真紀似

若様10歳 乳母25歳

若「今宵も鍛錬か」
乳母「はい。これは弓馬の道や四書五経と同じく、
ご世継たる若様にとって必要なことでございます。ご容赦を」

若「苦しゅうない。うむ。わたしも、この鍛錬は得意じゃ。さぁ、よろしく頼む(べろーん)」

乳「…このように雄雄しく猛っておられて、、うれしゅうございます。ペロっ」

若「!?」

乳「ふふ。どうなさいました? 若様」
若「なにをしたのじゃ? わたしの珍宝は食べ物では…。(ペロっ)あぁっ!」

乳「心地ようございますか? これも若様のためでございまする。ちゅぱっ、ちゅぱっ」

若「わしは…わしは…!」

乳「あらあら、赤子のようにお泣きになって、そのように感じいっていただいて幸せにございます」


81:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:06:53.66 ID:koO3Rmqr0

若様12歳 乳母27歳

乳母「さぁ、今日も若様をこの身に受けさせていただきます」
若「うむ。たのむぞ」
このとき、若はいっさい動かないのがしきたり、乳母が全部やるらしい

乳「(くちゅっ、くちゅっ)…はぁっ お迎えいれる準備がととのいました。では」
じゅぷ

若「おぉ…」
乳「(ぐちゅ、ぐちゅ)…いかかで、ああっ、いかがでございますか?」
若「…今日は、なにやら、いつもと違うようじゃ…ふぐりが。うずきよる」

乳「まぁ、よいのです。そのまま感じいるままに身をお任せください」

若「あっ、あっ、なにか、なにかあがってくるようじゃ!」
乳「(パン、パン)、さぁ、そのまま…そのまま。お心のままに…」

若「うっ、(どくっ、どくっ)」
乳「あぁ…。奥に、放たれております…」

若「…はっ、すまぬ。小水を漏らしてしもうたようじゃ」
乳「ふふ。これは小水ではございませぬ。若様がおのこになった証、子だねにございます」

若「な、それはまことか!?」
乳「めでたきことにございます。…されど、されど」
若「どうした、なにを泣いておる」
乳「若は大人になられた。
もう、この乳母めが若の猛りをお受けすることはかなわぬのでございます」

若「なにっ」
乳「申し訳ありませぬ。このようなめでたきときに、涙など…」


以上、幼年期〜少年期編でした。

つづいて、青年期編


84:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:12:58.91 ID:koO3Rmqr0

さて、そんあ少年時代をすごした若殿。
いよいよ将軍位を継ぐとどうなるか。
まぁ、有名だけど、大奥ってあるよね。

まず正室について

正室っていうのは伝統的に公家、宮家、天皇家から迎え入れるものなのよ。

まぁ、いってみれば政略結婚みたいなもんさ。

だから当然、正室は別にかわいいわけでもない。そんな背景もあって、

代々、徳川家の将軍は正室とはあんま仲良くない。

なんと正室との間に世継の子ができたのは、長い徳川幕府の歴史のなかでも
ほどんどいない。

有名どころでは、三代将軍家光なんて、結婚したあと、一回もセクロスしてないらしい。

これにはほかのひとが邪魔した説もあるけどね。

なので、将軍のエロスの矛先は、まぁ、当然側室タンに向かうわけだ。


85:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:16:31.25 ID:koO3Rmqr0

側室ってのは、基本、「御中ろう」という女性の集団の中から選ばれる。

もともとこの御中ろうは容姿端麗の人が多いけど、

将軍は日々、ずらっと並んだオナノコたちをみて、「お、いいねー」とか思ったら

小姓とかに「今日はあの子ね」とか言うわけよ。

そしたら、小姓が、御年寄という人に伝えて、女の子に準備させとく。

まぁ、要するに小姓がボーイで御年寄はソープのオーナーみたいなもんだ。

まぁ、バンコクみたいなスタイルだね。

さて、それで選ばれた子がその後どうするか?


88:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:21:57.85 ID:koO3Rmqr0

お声がかけられた女の子が、一生懸命風呂入って化粧して

閨で将軍を待つ、なんと二時間前から待機なのだ。

で、遅れて将軍がくる。
お茶とか飲んでいざベッドイン。

ちなみにこのとき、その日セクロスする子とは別の子が、二人「添い寝」という役割で、セクロスする二人の横で横たわる。

この二人は、セクロスを一部始終聞いて、次の日報告すんのね。

「昨日の将軍さま、すごかったー。めっちゃ腰ふって、気持ちよさげだったー」

みたいなね。羞恥プレイ好きならたまらんよホント


89:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:26:25.82 ID:koO3Rmqr0

ちなみに、このときセクロスした子は、まだ「側室」とは呼ばれない。
側室ってのは、子ども生んだあとだ。

毎日毎日、きれいどころをとっかえひっかえ、SEXSEXSEX

あと、この「添い寝」の役の女の子が登場したのも理由がある。

それは5代将軍綱吉が、セクロスしてるときに相手の子に

「ねぇ、ねぇ、わたしと仲のいい吉保くんに、国あげてよぉ」
「え…、それはちょっと」
「え〜だめぇ? もっと気持ちよくしてあげるから〜、ね? ちゅぱっ」
「ああっ、わかった。じゃあ甲斐の国やるわ」

みたいなやりとりがあって問題になったことがあるからだ。

たまらんな。本番するなら一万とかじゃないんだぜ。

国だぜ国。さすが将軍、レベルが違うぜ。


91:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:30:24.55 ID:wJNPWESz0
>>89
ということは実際に将軍の相手をした人数は正室&側室よりも多いのか……
裏山けしからん


93:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:38:02.73 ID:koO3Rmqr0
>>91
まぁ、そうだろうね。
だって君ならどうするよ。毎日、たくさんの美女が現れて
抱き放題だよ


90:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:30:21.10 ID:koO3Rmqr0

さて、ここで歴代将軍それぞれのエピソードを紹介したい。

まず三代将軍家光。

こいつはガチホモだった。戦国時代は男色が普通だから、家光くんはまだ、
その名残があったんだよね。

しかし将軍がガチホモって大変じゃん。DNA残す観点からいうとさ。

だから回りの人があせって、やべぇ、女のよさおしえねぇと

ってことで、わざわざ京都から、ものすげぇ美人を連れてきたりして

ガンガンSEXさせたのよ。いいよねー

でも家光くんは結局ホモは直らなくて、ギリ、両刀使いで収まった。

晩年にも男相手に夜這いしたりしてる。


92:名も無き被検体774号+:2011/12/28(水) 20:35:54.81 ID:koO3Rmqr0

あ、将軍シリーズ続ける前に、

将軍に嫁ぐ名家の姫君に伝わるSEX指南書ってのもある。

これも紹介したい。

たとえば、島津家、宮崎あおいで有名な篤姫とかの所属だ。

まぁ、篤姫が読んだかどうかわかんねぇけどね。

@SEXするときは恥じらいをもって処女っぽくしろ。なれてきてる感じ
だすと嫌われるよ

A殿方が、エロ本(春画な)みながらSEXしてくるときあるけど、そんときも
ふてくされずリアクションとれよ

Bイクときは一緒。あるいは先にイケ。もし殿方が先にイッたら、それ以上
もとめるな。我慢しれ

CSEX終わったら、いつまでもベタベタしないで別の寝床で寝ろ。邪魔だから

すばらしい指南書だよね。

将軍最高だよ。


114:1:2011/12/29(木) 10:52:28.58 ID:QDhDVW/EO

綱吉はショタ好きだった。
将軍の小姓は定員12名と決まってたけど26名に拡大


美少年を探す役職「子供見立役人」っていうのも作った。

で、ショタとのプレイも楽しん。

しかも、綱吉のほうが「ウケ」

さぁ、わしを掘るがよい!
とか言ったんだろうな。多分


117:名も無き被検体774号+:2011/12/29(木) 10:59:53.34 ID:QDhDVW/EO

ストレートに精力一番なのは、多分11代将軍の家斉。

17歳で結婚。結婚の翌月には妻、出産。出来ちゃった結婚ではない。


結婚決まった家斉くんが挙式まてずにやっちゃっただけだ。

わしは、わしは我慢出来ぬ!とか言ったんだろうね、多分。

17だし、仕方ない。

その後、在位38年の間に40人、側室タンを迎えている。

年間一人以上のペースとかどんだけ。

ちなみに子供は53名。

徳川No.1の種馬


120:名も無き被検体774号+:2011/12/29(木) 11:24:24.55 ID:QDhDVW/EO

ちなみに、江戸時代にはすでに、鼈甲製のオナホもあったけど、
多分将軍様は生涯使用しなかっただろう。

四ッ目屋という有名なアダルトショップが当時あったが、ここは通販もやってた。

大奥にいるけど、将軍に抱かれない欲求不満美女はここで、
ち●この張型とかを購入したりもしたらしい。

124:1:2011/12/29(木) 11:48:33.17 ID:QDhDVW/EO

女の処女性が重要視されるようになった江戸中期以降は処女がマストとされた。

でも実際にはそうでもなかったとも言われてる


135:名も無き被検体774号+:2011/12/29(木) 13:23:43.87 ID:Hm7cm04c0

で、寝床の技は実在したのか?


138:1:2011/12/29(木) 14:11:36.40 ID:QDhDVW/EO
>>135
寝床の技は江戸時代には多種多様だったらしい

撫戯、掻戯、打戯、舐戯、乳房淫、舌人形、あいなめ、吸茎。

名前だけでも凄そうだ。

ちなみに江戸は巨大風俗街でもあった。

吉原は有名だけどここはクソ高い。

他にも夜鷹(たちんぼ)、湯女風呂(ソープ)、売比丘尼(デリヘル)、
船饅頭(船上売春)、深川芸者(男装娼婦)、
囲い旦那(素人援助交際)とか、

色々いた。

江戸に住む女性の50〜60人に1人は娼婦だったらしい。

値段も色々、吉原は現在の価値で100万くらいかかったりするけど、
夜鷹なら2千円くらいからあり。

これは江戸の人口比率が圧倒的に男が多かったからだ。
商家の次男とかは結婚も出来ないし、
風俗遊びしか余った男の性欲解消はなかったんだろうね。


まあ、それは庶民の話。

将軍様には関係ない


139:1:2011/12/29(木) 14:20:50.22 ID:QDhDVW/EO

安囲い、っていう文化もあった。
これは金のない庶民が、五人くらいで金を出しあって、1人の女を共有の妾にする。
というもの。

そんな庶民の事情とは裏腹に、今日も将軍は好きな女の子をチョイス。


これは前に書いた。子孫繁栄のための理由もあるけど、幕臣による陰謀説もある


142:名も無き被検体774号+:2011/12/29(木) 14:24:59.61 ID:rr/IN1Wf0
>>139
中華の宦官みたく、上様骨抜きにして幕臣共のいいように幕政を牛耳るため?


143:1:2011/12/29(木) 14:25:47.44 ID:QDhDVW/EO

政務を自分の意志で仕切りたい幕臣にとっては、将軍にごちゃごちゃ口出しされると嫌。

だから可愛い子にプレイさせて、セクロス大好きバカ殿様にしておこうというもの。

将軍「アヘアヘ、ち●こ気持ちいいお。もう政治とかどうでもいいお。
お前らかってにやっとけ。あーソコソコ!
もっと激しく

…ふうっ。明日はどの子にしようかなフヒヒ」


147:1:2011/12/29(木) 14:53:04.28 ID:QDhDVW/EO

さて、そんな中で気骨を見せた将軍もいた。

暴れん坊で有名な吉宗だ。

吉宗は若い時に正室を亡くしていて、将軍になったときは独身だった。

大奥の女の子からすりゃ、スーパー玉の輿チャンスキタコレなわけだ。

吉宗はそこで、家臣にこう命じた
吉「大奥の中でも、特別可愛い子選んでくんね?
そうね一気に50人くらいな。あ、わかってると思うけど、ババアは駄目な。25以下だろ常考」

そうすると大奥は大騒ぎ。ファッション頑張ったり、
セクシーな仕草出したり、女の子たちもうアピール


148:1:2011/12/29(木) 15:04:20.50 ID:QDhDVW/EO

そして厳選された日の本トップ50の美少女。

謁見してきた彼女たちに吉宗サンは言った。

吉宗「お前ら全員クビな。まあ可愛いからすぐイイ旦那できるべ?」

これは吉宗サンのリストラ大作戦だった。

当時幕府は財政難で、大奥は金かかってた。
でも吉宗サンは紀州の出だからいきなりクビとかすると角がたっちゃう。
だから綺麗な子、ってことにした。

クビにされた子も、天下の大将軍に美人さを認められたわけだから嬉しい。
しかも「大奥美人コンテスト入賞」の実績つくから、幕府辞めても、引く手あまたで生活困らないから文句無し。

凄いぜ吉宗。

多分「大奥美人コンテスト入賞」は現代で言う
「国民的美少女」とか「なんとかシンデレラ」とかあのへんの感じなんだろうね


165:1:2011/12/30(金) 00:18:54.23 ID:af8vWwLGO

さて、そんな青年期を終えて中年になった将軍様。
こうなると問題も出てくる。

ちなみに大奥では普通、将軍のセクロス相手はどんなに遅くても30で引退だ。
だから必然的に40代50代になった中年の将軍は10代20代のピチピチを相手する。

すると問題も出てくる。


167:1:2011/12/30(金) 00:31:18.04 ID:af8vWwLGO

いくら徳川さんだって人間だ。

年取るとち●こも元気なくなる。
だけどセクロスも仕事だからずっとは休めない。
だから気分乗らなくても美少女を抱く。

するとあるよね。たたなかったり、中折れしたり。
しかも最悪なのは、将軍のセクロスは添い寝の女の子が家臣に報告する

「将軍ったら途中でヘナヘナになって使い物になんなかったー」

ってね。すると悪循環


168:1:2011/12/30(金) 00:36:10.53 ID:af8vWwLGO

そんなとき、頼りになるアイテムがあった。


176:1:2011/12/30(金) 11:51:36.81 ID:af8vWwLGO

さて、ち●こが元気なくてセクロス出来なかった将軍。
しかも報告係がソッコー喋るから、家臣にもバレバレ。ハズカシス。

そこで将軍は思った

将軍「あ、あれ使えばいいんじゃね?おい誰か、四ツ目屋行ってあれ買ってこい」

こうして徳川くんは兜型、鎧型、ペイノコインポ、長命丸を入手した

将「フヒヒ、これでひいひい言わせたるねん」


177:1:2011/12/30(金) 11:58:46.46 ID:af8vWwLGO

まず兜型。これは水牛の角で出来たコンドームみたいな器具。
ち●こに装置すると亀頭の戦闘力がアップする優れ物。

でもなんかあんまり男は気持ちよくなさそう…

続いて鎧型。格子型の器具。細長い鳥篭みたいな感じだ。
コレはまあ、勃起補助器具だな。

年寄に爆発的に売れたらしいよ。


185:名も無き被検体774号+:2011/12/30(金) 16:22:49.60 ID:9gWPLhE00
>>177
なんか男が気持ち良くない上に中で壊れたりしそうで怖い


178:1:2011/12/30(金) 12:04:15.86 ID:af8vWwLGO

そして不思議な名前のペイノコインポ。

これも張型なんだけど、溝と器がついてて、ピストル運動すると、
女の子のま●こ汁が溝を伝わって流れて来て器にたまる。

え?そんなもん集めてどうすんだって?もちろん一気飲みすんだよ。

EDに効く、って言われてたんだよな。


179:1:2011/12/30(金) 12:15:25.75 ID:af8vWwLGO

一番効くとされたのは長命丸。

成分などはあんまり知られてないけど、これは塗り薬。
ち●こに塗るの。
するとガチガチに勃起して、堅さもデカさもいつもよりうえに。

使用説明書によると「どんな処女くせーお嬢ちゃんも、貞淑な妻も、人気の花魁も、コレ塗ってぶちこめば一発。即イキ」

らしいよ。バイアグラなんて目じゃねーぜ。僕も欲しい。
しかも値段はたったの32文(600円くらい)
ドラックイレブンに売ってたらダース買いするレベル。

ただ長命丸は避妊効果もある謎のクスクスだから、将軍様はあんまり使えなかったみたい。
可哀想ね


193:1:2011/12/31(土) 12:52:02.36 ID:oR0sXOWIO

ところで、大奥で働いてる女性の年収は現在の価値に換算するといくらくらいになると思う?


195:名も無き被検体774号+:2011/12/31(土) 12:58:34.39 ID:+JqokcZ30
>>193
いちよう、エリート会社員ぐらいで1000万円
プラス現物給付って感じかな?
美味であります〜って言ってるし


194:1:2011/12/31(土) 12:57:47.40 ID:oR0sXOWIO

大奥での収入は切米っていう年収のほかに、衣装代とか油、銀で払われる。

大奥トップのババアは大体1600万円前後、実際抱かれたりする若い子は420万くらい。

あれ?これおかしくね?
なんかおかしくね?


197:1:2011/12/31(土) 13:03:41.88 ID:oR0sXOWIO

だってさ。吉原で遊女抱いたら、50万くらいかかるんだぜ。

それ考えたら大奥嬢の給料やすすぎじゃね?

とか思うけど、実際彼女たちはそんなことあんまり思わなかった。

住居費、光熱費、税金がかからないのも在るけど、何よりデカイのが

将軍様に抱かれる、とゆー喜び


198:1:2011/12/31(土) 13:08:09.65 ID:oR0sXOWIO

当時、将軍様は天上人みたいなもんで、憧れ。

しかもある説によると代々イケメンだったらしい。
まあ良いもの食ってて武芸も鍛えてるから体格いいし、服も高価、子どもの頃からち●こも鍛え上げてる。
しかも上手くいけば、将軍の子を孕める。

だからあまり不満は出なかった。


199:1:2011/12/31(土) 13:12:43.48 ID:oR0sXOWIO

大奥子ちゃん「ああっ…上様、中に、奥深くにくださいまし…上様の精液が…子種がほしぃのぉ!!」

って言ったかどうかは知らないけど、100%思ってたはず。

大奥女性が将軍以外のち●こ入れたのは、記録にあるのは江戸時代でもたしか二回だけ。


200:1:2011/12/31(土) 13:20:18.97 ID:oR0sXOWIO

ホント、将軍ってイイ商売だよな。
多少忙しくても、たくさんの可愛い子に中出し求められるなら我慢するよ

しかしそんな中にも変わった意見の将軍もいた。
家斉くんである


201:1:2011/12/31(土) 13:27:24.96 ID:oR0sXOWIO

家斉「ふんふんふん!!」

大奥子「ひゃっ!あぁっ…んっ…上様ぁ、イっちゃう、イっちゃう…!!」

家「うむ」

大奥子「上様はぁ…?わたしのナカ、気持ちいい?ねぇ」

家「よいぞ」

大奥子「嬉しいっ!!いっぱい出して、上様のオチンポミルク、いっぱい出してぇ…っ」


終了。

家斉(なんかもう愛あるセクロス中出し祭り、
飽きてきたわ。いいよな〜一般人は。俺もあそこに行ってみてぇ)


205:1:2011/12/31(土) 13:58:10.85 ID:oR0sXOWIO

もちろん家斉クンが興味持ったのは、花魁。吉原である。
よくわかるわ。風俗は別腹だよな。
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3228132.html

5. 中川隆[-13690] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:16:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

奇習! 幼い少年少女による「SEX奉公」の実態! 旦那や女将の性奴隷に… 闇に葬られた「商家の秘密」とは!?=近畿地方 2018.05.26
http://tocana.jp/2018/05/post_16721_entry.html


【日本奇習紀行シリーズ】 近畿地方

 西村昭五郎が監督し、1982年に公開されたロマンポルノ『美姉妹・犯す』では、風祭ゆき演じる書店経営者の長女と、山口千枝演じる次女が、父親が経営する書店で勤労学生として働きながら下宿している清(演・内藤剛志)によって犯され、最後には姉妹同時にハメ倒されるまでになるという、なんとも複雑な人間模様が描かれているが、こうした「使用人との肉体関係」は、なにもロマンポルノや後世のAVの中だけの話ではないようだ。


「昔はちょっとした商売人の家じゃ、下男や下女を使用人として抱えていたものなのですがね、こと、このあたりじゃ、ちいとばかし事情が違っていまして。こうした使用人というのは、だいたいが、雇い主一家の性奴隷のような位置づけだったのですよ」


 自身が生まれ育った近畿地方のとある地域に、かつて存在していたという、“商家の秘密”についてそう証言するのは、自身も米問屋を営む大店の次男坊として生まれ、そうした“秘密”を幼い頃より「当たり前のもの」として考えていたという、白鳥耕三さん(仮名・89)。白鳥さんの話によると、当地における商家の使用人たちは、その大半が、表の商いで必要とされた人材ではなく、あくまで、経営者一族の性のはけ口としてのみ、その役割を果たしていた人々だったのだという。


「だいたい、昔で言ったら、中学を卒業したと同時に、うちみたいな商家に奉公に上がるんですけれどもね、入って早々に行われるのは、“性の手ほどき”なんですよ。といっても、だいたいがそのくらいの年頃の子たちですからね、最初は“イロのイロハのイの字”も知りやしない。だからね、いざ、そういうことになると、だいたい1/3ぐらいがそのまま里へと逃げ帰ってしまうし、1/3がしばらく呆けたようになってしまうっていう。けれども、残りの1/3ぐらいは、そのまま頑張って奉公を続けるんです。そういう子らをね、当時の大人たちは“筋がいい”だなんてうそぶいていたものですよ」


 そもそも、働き口を求めて奉公に上がった思春期の少年少女たちに、いきなり虐待でしかない性的行為を強要するという時点で、当世の我々にとっては俄かに信じ難い話だ。しかも、そうした被害に見舞われた奉公人たちのうち、度重なる辛苦を耐え忍ぶ形で、身を置き続けようとする者たちを、涼しげに“筋がいい”などと言ってのけるというのだから、鬼畜の極みとはまさにこのことだろう。白鳥さんは続ける。


「それでね、残った人間はどうなるか? っていうと、男は女将さんに、女は旦那さんに、弄ばれ続けるんですよ、それからも。要は旦那さんや女将さんが“飽きた”というまで、それが続くんです。しかも、場合によっちゃ、何人かの奉公人がまとめて相手をさせられることだってある。……ね? 今の人からしたら、信じられない話でしょう?」


 それぞれが個別に性の相手をさせられるどころか、時には複数プレイにまで参加させられていたという、当地の奉公人たち。これは現代社会問題となっている、いわゆる「ブラック企業」のそれを遥かに超えるといっても過言ではない、極めて劣悪な労働環境と言えるだろう。


「まあ、さすがにもうそういう時代ではないですから、今では大昔の昔話でしかないのかもしれないですけれどもね、当時を知る私なんかからすれば、今の若い人たちにも、“こういうことがあったんだ”、“こういう時代を経て今があるんだ”っていうことを知ってもらいたいですね」


 なお、白鳥さんの話によると、こうした極めて理不尽な経験をしつつも、無事に「年季明け」まで勤め上げた奉公人は、それぞれの“功績”を評価する形で、晩年、新たに店を一軒与えられるなど、“それなりのケア”はなされていた模様だが、果たしてそれが、彼らがその半生を通じて味わい続けた辛苦に見合った対価なのかと言えば、なんとも微妙なところである。
(取材・文/戸叶和男)

6. 中川隆[-13689] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:18:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
吉原で常態化していた、遊女へのパワハラがむごい
8/31(金) 13:36配信 BEST TIMES


江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

この記事の写真はこちら
http://best-times.jp/articles/photo/9548?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=photo&utm_campaign=photoLink


■遊女の法要。背景にあった残忍さ

 文化七年(1810)十月末、浅草の慶印寺で、死亡した妓楼「中万字屋」の遊女の法要がおこなわれた。

 吉原では年季中の遊女が死亡した場合、死体は菰で包まれて三ノ輪の浄閑寺に運ばれる。そして、浄閑寺の墓地に掘られた穴に投げ込まれて終わりだった。このため、浄閑寺は投込寺といわれた。

 中万字屋の遊女は異例だったが、これにはわけがあった。

 この遊女は病気で体調が悪いと言い、客を取らずに引き込もっていた。

 楼主の女房が怒り、
「仮病を使い、怠けるんじゃないよ」
 と、きびしく折檻した。

 その後、薄暗い行灯部屋に放り込んで、ろくに食事もあたえなかった。

 空腹に耐えかねた遊女はこっそり客の食べ残しを集め、小鍋で煮て食べようとした。

 これを見た女房は激怒し、遊女を柱に縛りつけ、小鍋を首からつるした。

 ほかの遊女や奉公人への見せしめとしたのである。

 衰弱と飢えで、遊女は柱に縛られたまま死んだ。

 死体は浄閑寺に運ばれ、墓地の穴に投げ込まれた。

 その後、中万字屋に、首に小鍋をさげた遊女の幽霊が出るという噂がひろまった。そんな噂があれば客足が遠のき、妓楼にとって大打撃である。

 そこで、中万字屋はあわてて、死んだ遊女の法要をおこなったのだ。


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吉原で常態化していた、遊女へのパワハラがむごい


図1『江戸染杜若絞』(東西菴南北著、文化7年)/国立国会図書館蔵


吉原で常態化していた、遊女へのパワハラがむごい


■過酷な遊女への折檻

 上は、『街談文々集要』(石塚豊芥子編)に拠った。

 中万字屋の女房の残忍さは極端としても、妓楼では、遊女や禿が折檻されるのはごく普通のことだった。

 禿が折檻されるのは、言いつけを守らないときが多い。これは、しつけの一環と言えなくもない。

 だが、遊女の場合はやや事情が異なる。

 お茶を引く状態が続いている者、仮病を使って怠けていると思われた者、上客の機嫌をそこねて逃がしてしまった者、楼主や遣手の言いつけを守らず不平不満を漏らす者――こうした遊女は折檻を受けた。

『世事見聞録』(文化13年)は、次のように述べている。

 殴りつけるほか、絶食や便所掃除などの罰をあたえた。真っ裸にして麻縄で縛ることもあった。このとき、水を浴びせると、水で湿った麻縄が収縮してキリキリと体を締め付け、その苦痛に遊女は泣き叫ぶ、と。

 折檻をするのは遣手、楼主の女房である。楼主が折檻することは滅多になかった。しかし、楼主が乗り出してきた場合は、責め殺してしまうこともあった。
 図1は、遣手が、言いつけを守らない遊女を吊り下げている。

 図2では、遊女が柱に縛りつけられている。竹のムチで殴りつけているのは、楼主の女房である。ほかの遊女に見せつけているが、これはいわば見せしめのためだった。
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文/永井 義男



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江戸の性愛術/「抜かずに六交」「拭かずに七交」――究極の快楽に到達する36種の交合体位を紹介
https://www.bookbang.jp/review/article/542623


『江戸の性愛術』
著者:渡辺 信一郎 [著]出版社:新潮社ISBN:9784106035647価格:1,296円(税込)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4106035642?ie=UTF8&redirect=true


おめこ巧者――渡辺信一郎『江戸の性愛術』 [レビュアー]岩井志麻子

「抜かずに六交」「拭かずに七交」! 究極の快楽に到達する36種の交合体位を紹介!

 伊予道後で大成功を収めた遊女屋の主人が、書き記した秘伝の書『おさめかまいじょう』――この性愛指南書には、遊女の健康管理に始まり、男を籠絡する術、放縦な要求への対処法、どのように「天悦」に至らしめるかなど、あらゆる性のテクニックが網羅されている。当時の図版を掲載しながら、豊かで過激な性愛文化を明らかにする。

 * * *

 まず紹介されるのは、江戸の遊女の性技指南書。「門外不出の秘伝書として、綿々と語り継がれ、密かに筆写され続けた、最高機密の書」なり。それだけでもう、腿の辺りにサワサワ這い上がってくるものがあるというのに。

 第一章の目次を見れば、いきなり「まら巧者の処理技法」だの「半立まらに応じる法」だの「萎えたまらの扱い方」だの、先走り汁がほとばしる勢い。

 中盤に差し掛かれば、「絶大な馬まらには口と舌を使う」「けつ取りの場合の対処技法」「交合以外の女陰の曲技」……我がおめこにも、直接ウニウニと感じる確かな体温。いやはやもう、目次を見ているだけで気を遣ってしまいますわ。

 さらに「凍りこんにゃくや高野豆腐を使う秘法」「芋の皮を巻いて行う秘法」とくれば、そこまでやってくれなくてもアアアと恥らいつつも、遣る瀬ない余韻に浸れる。

 江戸の秘伝書は、タイトルからして凄い。『おさめかまいじょう』。これそのものが途方もない技ではと、期待したが。意味はしごく真面目なものなのであった。そこんとこを知りたければ本書をお読みくださいと、チクチク焦らしておく。

『おさめかまいじょう』はしかし、古の江戸の人々の助平さに思いを馳せ、エロいひとときを共有できるだけではない。平成の世にも充分すぎるほど通じる、いっそエチケットとマナーの書、といってもいい書だ。現代の風俗嬢と客にとってもかなり参考になるし、平成の風俗店経営者が真面目に読み込めば、女の子達に実に正しい指導ができよう。

 助平さに感心するだけでなく感動したのが、江戸の遊女屋は女達を大切にしつつ徹底的に商品にしているところだ。といっても、女を物扱いするのではない。女をとことんプロフェッショナルであるべし、と躾け育て上げているのだ。

 売られてくるのは貧しい家の娘ばかりなので、遊女屋に来たときは痩せこけている。そんな彼女らに決して手荒な扱いはせず、飯は欲しがるだけ食べさせるとも書いてある。

 この本を読むまでは、遊女はさぞかしひどい扱いを受け、ろくに食べさせてもらっていなかっただろうと想像していたのだが。経営者も商品を大事に扱うからこそ、遊女達も苦界にありながらプロフェッショナルとしての矜持はあったのだ。

 無論、平成の一部の女のように、遊びたいからホストクラブ行きたいからブランド物のバッグ欲しいからといった理由ではなく、家の貧しさ故に泣く泣く売られてくる女が大半だった遊女屋が、楽しい就職先や居心地のいい職場であるはずがない。経営者とて、道楽でやっているのではなく、厳しい経営と競争に勝負を賭けていたのだ。

 見事な通解と解説をなされた渡辺信一郎氏も、こう書いておられる。「何とも壮絶で、凄惨な書なのであろうか」「おのれの肉体を酷使し、それで生計を立てる女郎という境涯の辛さが偲ばれる。その女郎を監督・管理しながら経営する女郎屋の経営者もまた、並大抵ではなかったであろう」。

 だからこその、徹底した心構えと管理とプロ意識。特大の男根を受け入れる心得、ふにゃチンや包茎の扱い、口でのやり方にお尻の穴の使い方、いわゆる3Pの手順、もう何から何まで網羅してある。添えられた図版もまた、身も蓋もないのに芸術に迫る出来栄え。どうやったって、興味本位のエロ本になどなりはしない。

 それにしても平成の『江戸の性愛術』も、江戸の『おさめ〜』に負けず至れり尽くせり。

 三百五十年前に女性によって書かれた秘録『秘事作法』の、張形を使って自慰で達するに至る手順など、渡辺氏の簡潔な要約でも充分長いのだから、原文の丁寧さはいかほどか。

 張形もこの頃は海亀の甲を煮たものや、水牛の角、革、黄楊(つげ)などでなんとも典雅であったと知れる。大型、楕円筒、上反りと、型も様々。さらに、現代のバイアグラといってもいい精力剤、女の性感を増進させる薬まで紹介している。平成日本人より助平だった江戸日本人。「当時の数多くの艶本や色道指南書を繙くと、飽くなき実践と観察という臨床的(経験的)な処方が絢爛と述べられ、その深奥さに驚かされる」。助平は何時の世も真面目だ。

 

〈担当編集者のひとこと〉
「のぬふ」「ぬか六」「ふか七」とは? 廓に残された門外不出の秘伝書! 究極の快楽に到達する36種の交合体位を紹介。

 さて、いきなりここで問題です。以下の文章は、誰がなにをどうしているところでしょうか?

【1】おやま、上向きに寝る。両膝を立てて、けつを浮かすよに両手をけつ下に入れる。客は、両手突き、両膝立てて、上に乗る。おやま、両手でおのれがけつを抱かえて、抜き差しを受け、又おのれもけつを使う。又は、客両足を伸ばし、爪先立って、抜き差しする。

【2】おやま、別のおやまに、半逆立のよに抱かえてもらう。どたまを、そのおやまの股倉に乗せ、腹持てもらいて、腹を折り、両足を前に下ろして足を付ける。客、後ろ向きにて、うつむいて立ち、おやまのけつと、おのれのけつを向かい合せ、片手でまらをぼぼに入れる。抜き差しするに、抜けざるよに、別のおやまが、まらを持ち添え、片手は半逆立ちのおやまの腹より、おめこのさね、ねきいらいて締める。

 ヒントは、【1】は登場人物が二人、【2】は三人。ご興味のある方は『江戸の性愛術』「第一章 遊女の性技指南書に見る秘技」後半をご覧下さい。

7. 中川隆[-13688] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:22:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
奇習! 嫁も娘も父親の性奴隷になる近親相姦村 ― あまりに無慈悲な“男尊女卑”の習慣とは?
http://tocana.jp/2017/12/post_15260_entry.html

 本人の意思を無視した状態で、親兄弟の命ずるがままに、政略結婚をはじめとする女性の“望まない結婚”がしばしば行われてきたことからもわかるように、日本ではいわゆる“男尊女卑”の時代が長らく続いていた。無論、そうした時代においては、女性の人権を無視しているとしか思えない理不尽極まりない習慣も、少なからず存在していたのである。


「なにせ、女は一生、その家の家長の奴隷のようなものだったからね。今じゃとても考えられない状態だよ」


 かつて、甲信越地方のとある地域にのみ存在していたという、その奇妙な習慣について語るのは、同地域の出身だという辺見健三郎さん(仮名・82)。辺見さんの話によると、当地では男性の発言力があまりに強大で、女性たちはその生涯を通して、男性に命じられるがままに理不尽極まりない要求を受け入れるだけの人生を強いられていたのだという。


「まず、あのあたりじゃ、女房たちはひたすら旦那に傅く人生を送るのだけれども、それは家事や労働といったことだけじゃなくてね、夜の営みもそうでさ。全部、旦那が決めた通りにやらされてね、文句ひとつ言うことすら許されない。いかも旦那を満足させられなかったら、その場で平手打ちにされるっていう。本当に酷い話だよ」


身の回りの世話はもちろんのこと、夜になれば夫の性奴隷のように扱われ、ひたすら奉仕を求められるという当地の人妻たち。夫はそんな妻を虐げ、ただひたすらに自分勝手なセックスを繰り返すだけだという。だが、こうした災難に見舞われるのは、なにも妻だけではない。その妻との間にできた娘たちもまた、同様の憂き目に苛まれ続けるのだ。


「嫁さんだけならばまだしもね、娘たちにも手をつけるんだよ、あのあたりの男は。あの、なんていうの?“親子どんぶり”っていうのかな。娘もその母親もとっかえひっかえ自分の営みにつきあわされるっていう。それこそね、亭主を真ん中にして川の字になって、とっかえひっかえ楽しむだなんていう鬼畜も珍しくないわけ。だからあの当時、世間一般じゃ男の子の方がね、跡継ぎになるっていって喜ばれたもんだけど、あのあたりじゃ逆でね。娘が生まれた方が喜ぶんだよな」


 妻を自らの性奴隷とするだけでなく、その娘でさえも、理不尽極まりない性交渉の相手にしてしまうという、当地の男たち。辺見さんの話によると、それが“古くから続く習慣”であったがゆえに、誰一人文句を言うことはなかったというが、当地の女性たちの胸のうちを思うと、なんともやりきれないところだ。
(取材・文/戸叶和男)



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結婚したDAIGOに祖父・竹下登の跡を継ぎ政界出馬説...でもDAIGOは竹下家の忌わしい過去を知っているのか
リテラ 2016年1月12日
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160112/Litera_1883.html

1月11日、揃って入籍会見を行ったDAIGOと北川景子。これまでラブラブ交際が伝えられていた美男美女カップルのゴールインに多くの祝福の声が寄せられている。特にDAIGOは昨年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)の100キロマラソンランナーを務めるなど老若男女に人気で、好感度も高く、結婚会見も2人の誠実な人柄や爽やかさが全面に押し出されて祝福ムード一色だ。

 そんなDAIGOが最初に注目されたのは、第74代内閣総理大臣・竹下登の孫という"出自"だった。竹下登は代々続く島根県の酒蔵の御曹司で、作家の三島由紀夫や大物政治家の金丸信、また大叔父にあたる衆議院予算委員長の竹下亘など錚々たる血脈を持つ。

 バラエティ番組などで、その華麗なる血族ネタや「おじいちゃん」ネタを連発し、「ウイッシュ」の決め台詞ポーズや短縮アルファベットを駆使したバカトークとのギャップで人気を博していった。

 実は、その血脈の影は今もつきまとっており、地元・島根においてDAIGOの政界進出待望論は大きく、大叔父・竹下亘の地盤を引き継ぎ、衆院選に島根2区から出馬も取り沙汰されている。少し前には、地元でその大叔父とともにトークショーを行い、噂の信憑性を高めることになった。

 当初のバカキャラから最近、好感度タレントに変貌をとげているようにみえるDAIGOだが、本当に政界に進出するのだろうか。

 しかし、DAIGOがさんざんネタにし、今、その後継も取り沙汰されている竹下家、そして竹下登という政治家には、好感度タレントにまったく似つかわしくない忌まわしい歴史がある。

 そのひとつが、竹下登の最初の妻をめぐる、ある"事件"だ。

 大正13年(1924年)年、島根県の造り酒屋を生業とする旧家の長男として生まれた登だが、太平洋戦争末期の昭和19年3月に同郷で19歳だった政江と学生結婚している。だが新婚生活5カ月足らずで登は軍隊に入隊し新妻は竹下の生家に残った。しかし登が復員する3カ月ほど前の昭和20年5月23日、政江は帰らぬ人となっていた。死因は自殺だった。

 この「決して口外してはならない」という竹下家の過去については、評伝

『われ万死に値す ドキュメント竹下登』(岩瀬達哉/新潮社)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%82%8C%E4%B8%87%E6%AD%BB%E3%81%AB%E5%80%A4%E3%81%99%E2%80%95%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E7%AB%B9%E4%B8%8B%E7%99%BB-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A9%E7%80%AC-%E9%81%94%E5%93%89/dp/4101310319


にその詳細が描かれている。

政江の悩みは、竹下の父、勇造との関係にあった。

勇造は、妻唯子を三月二十四日に失ったばかりで、寂しさからか、何かと政江に"干渉"しだしていたという。

「勇造さんは、敗戦を意識して自暴自棄になっていたのかもしれないが、その執拗な"干渉"は、毎夜のように政江さんを悩ませていました。政江さんはノイローゼ状態となり、睡眠薬を手放せなくなっていたのです」(竹下後援会「きさらぎ会」元幹部)


 勇造は政治談義が好きで、また上背も恰幅もあり女性にもよくもてたというが、こうした状況に政江は自殺の1カ月ほど前、立川で訓練を受けていた登をひとり訪ねている。しかしこの時、登は、国が大変な時に家庭のことで煩わすなと言って叱ってしまう。そして政江は自室の鴨居に腰紐を通して首吊り自殺をはかったという。

「あの日は、昼になっても政江さんは二階の部屋から降りてこなかった。それで、女中が昼御膳の用意ができましたよといって、政江さんを起こしにいったところ、鴨居で首を吊っていた。

階段を転げ落ちるように降りてきた女中から、急を告げられた高尾番頭が、あわてて二階に駆け上がり、政江さんを鴨居から降ろした。政江さんのからだは、まだ温かかったということです」(竹下家の内情を知る関係者)

 息子が出征して1年も経たない間に、舅・勇造のどんな"干渉"があったのか。同書では明記されていないものの、勇造と政江のただならぬ関係を示唆する証言がいくつもされている。

「この(死亡診断の)時、身重かどうかも調べられたが、妊娠はしていなかった」

「普通なら、親子の縁を切ってもいいような仕打ちですよ。勇造さんがやったことは......」

 同書ではさらに、衝撃的な"噂"も紹介されている。それが登の後妻となり、DAIGOの母親を産んだ直子にまつわるものだ。

登が直子と再婚したのは政江が自殺して1年も経たない昭和21年1月だった。


竹下との結婚から間もなく、直子は最初の赤ん坊を生む。

人事興信録によると、長女が生まれたのは「昭和21年4月29日」とある。
しかし、昭和二十年八月末に復員し、翌年の一月に結婚した二人の間に生まれた子供にしては計算があわない。

そこでいろんな噂が流れることになる

 こうした嫁を巡る"事件"はその後の登に大きな陰を落とす。

登は"耐え忍ぶ""気配り"の政治家といったイメージが強いが、それはこの一件以降のことだという。

あのことが遭って以来、竹下登は、人が変わってしまった。人の意見は、辛抱強く聞くが、自分の考えは決して出そうとしない。しかも、どうとでも取れる曖昧な話し方をするようになりました


 その後、登は政治家として権力の階段を努力と忍耐で駆け上がっていくが、同時に目的のためには非情に振る舞うことも厭わなかった。そのためさらなる"忌まわしい事件"がいくつも起こっている。

 そのひとつが総理在任中に起こった金庫番の秘書・青木伊平の自殺だ。リクルート事件によって、リクルートからの献金や未公開株以外に5000万円の借り入れまで発覚したことで窮地に立たされた竹下登は1989年4月25日、退陣表明するに至ったが、その翌日に青木秘書が自宅で自殺しているのが発見された。竹下事務所の金のすべてを仕切ってきた青木秘書は自死することで竹下の秘密を最後まで守ったと言われているが、その一方、あまりに不自然な自殺現場に謀略説まで囁かれたほどだった。

 前出の『われ万死に値す』でも、青木と旧制中学で同期だった人物が「遺書があったので、自殺ということになったのでしょうが、自殺にしては不可解なことが多い」と証言している。

 青木の遺体は、自宅のベッドにあおむけの状態で発見された。「首にはネクタイが巻きつけてあり、ネクタイには腰紐が継ぎ足され、その端が寝室のカーテンレールに繋がっていた。

青木はパジャマ姿で、左手首には両刃カミソリによる切り傷が十七カ所もあった。布団は血の海だったが、すでに乾きはじめていた」という壮絶なもので、またベッド脇には背広とズボンがきちんとたたまれ、夫人や竹下にあてた遺書も残されていたという。

 青木の同期の人物は、遺体の状況についてこう疑問を呈している。

「まず背広とズボンがたたまれていたことです。青木は、そういうことをしたことがない。(略)また、遺体の下着が汚れていなかったのもおかしい。(略)縊死の場合は、必ず、脱糞と精液で下着が汚れるものなんです。それがなかったというのは、殺されてから偽装のため縊死を装ったとしか思えません」

 いずれにせよ青木の死により疑惑は闇に葬られ、竹下は追及の窮地から逃れることになった。

 その後、総理大臣を退陣した竹下だったが、以降も政界に隠然たる影響を持ち続けた。だが92年に起こった佐川急便事件に関連し驚愕の事実が明らかになる。それがいわゆる「皇民党事件」だ。87年、前総理であった中曽根康弘の裁定により竹下が総理に就任したが、その際に民族団体「日本皇民党」からホメ殺しの執拗な攻撃を受け、精神的に追い詰められた竹下は暴力団・稲川会を使ってホメ殺しを中止してもらったことが発覚、いわば竹下内閣は暴力団の力を借りて誕生した内閣だという前代未聞の大スキャンダルだった。


竹下は、巨大組織の後ろ楯を得て、政界を歩んできた官僚政治家でも、田中角栄のように独創的な発想と爆発的なエネルギーで一家を成した党人政治家でもない。

目的のためには自分を殺し、どんな屈辱にも耐え、余人には真似のできない気配りによって少しずつ仲間を増やしてきた地味な努力家でもある。そして、ついには寝首をかくようにして派閥の領袖の座を奪い取った凄みのある策謀家でもある〉(同書より)

 もしDAIGOが政治家になって、祖父・登からの地盤や看板、カバンを引き継ぐことになるなら、否が応でもそうした"忌まわしい過去"まで引き受けざるを得なくなるだろう。イメージだけでなく、本当に人柄がいいと言われているDAIGOには、そんな世界に絡め取られてほしくない、という気もする。

 4月に調整中といわれるDAIGOの結婚披露宴だが、政財官界からどれだけの出席者があるのか。それが今後のDAIGO政界進出を占う布石になるのかもしれない。
https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160112/Litera_1883.html

8. 中川隆[-13687] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:23:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

この怪奇事件

1 名前:きち 投稿日: 2004/01/12(月) 21:07

ご存知の方も多いと思います。大分昔の事件ですが、ある(東北だったかな?)村でのこと。その村の風習で結婚式の日、初夜の前に新郎の父親と新婦が結婚式場の会場で交わるという儀式があったそうで。

もちろん、ついたての向こうで行なわれるのですが、その事件のとき4時間たっても2人はでてこない。

しびれをきらした新郎が「親父、いいかげんにしろ。」と叫び、出席者もいらいらしてついに覗きにいったそうです。

そうしたら、2人は、裸で抱き合ったまま死んでいたそうです。

結局、死因もわからなかったそうですが、私もいろいろ事件について考察するのは好きなのですが、この事件2人とも亡くなったというのは心中なのでしょうか?
その日以前から2人は関係があったのでしょうか?

父親が仮に腹上死したとしても花嫁が死んでいるのはおかしいですし、皆さんの推理はどんなものでしょうか。

大体、この村の新郎の気持ちは全般にどのようなものだったのでしょうか?

中には、結婚後も父親と関係が続くようなこともあったと思うのですが、どんなものでしょうね。

母親の嫉妬とかはなかったのでしょうか?色々気になります。

まあ、夜這いなんかも今の常識では考えられないことですし、その時代の常識がそれが当たり前だと思えばそうなのかもしれませんが。皆さんの思ったところをお聞かせ下さい。


2 名前:吉之助 投稿日: 2004/01/13(火) 00:04

この事件は私も永年、気になっているのですが、如何せんかなり古い話(明治16年)なのでソースも見当たらずよくわからないというのが正直なところです。ただ、こうは考えられないでしょうか?

そもそも仮の一夜で二人は死んだのではなく何らかの理由で死んでしまった。(それこそ心中かもしれません。)

きっと、その村では隠さなければならない理由だったのでしょう。

そこで、仮の一夜で不可思議な死を遂げたことにしたと・・・

奇習が残っていた古い部落ですから死因を隠蔽することぐらい口裏を合わせれば可能だったんじゃないでしょうか?

いずれにしろ、自然死とは考えにくく捏造された事件だったんじゃないかと思います。


4 名前:吉之助 投稿日: 2004/01/13(火) 23:32

この事件については資料がほとんど見当たらずなかなか調べにくいのですが
明治16年(1883年)1月24日宮城県宮城郡のある村で起きたとしか
私の持っている本には出ていませんでした。いつぐらいまでこの奇習が残って
いたかはわかりませんが、このHPでも取り上げられている名張毒ぶどう酒事件
(1961年)の起きた部落ではフリーセックスのような習慣があったらしい
のでかなり後年まで続いていたのではないかと思います。

繰り返しになりますが、義父が死ぬのは理解できるのですが(心臓麻痺等)
若い新婦まで亡くなる、しかも伝えられるところによると抱き合ったまま
死んでいたというのはやはり無理がある。

警察が来たのは当然、その後で現場にずっといたわけではない。
式の参列者は親戚と村の有力者。恐らく式が始まる前に既に二人は死んでいたのではないか?

その部落にとってその死はあってはならない死に方(心中?)で村の有力者
親戚が話し合って仮の一夜で不可思議な死を遂げたことにした・・・
的外れかな?


5 名前:猫田 投稿日: 2004/03/18(木) 22:52

大分前に読んだ本には、

義父が妻に内緒で囲っていた新婦と、それを全く知らない新郎が出会って付き合いだし二人が祝言を挙げる段で、急に新婦を息子に取られるのが嫌になり、閨で何らかの毒を飲ませて殺し、自分も後を追った…

とあったようです。出版社や著者は覚えていませんが、結構ありきたりな心中事件だったように思った覚えがあります。


9 名前:きち 投稿日: 2004/05/07(金) 23:18

すごいといえば、30年代の名張ぶどう酒事件の村のようなフリーセックスとかもすごいですね。

10年ほど前、仕事で3年ほど住んでいた僻地の村では近親相姦やら夜這いもどきやらで全校50人ほどの中学に知的障害の生徒が8人もいました。

でもこの事件も周りの人が何時間も待っていたというのが笑えますね。


12 名前:あんず 投稿日: 2004/05/08(土) 23:17

日本は近親相姦(父→娘)が多いのはどうしてだ?

と外国人に聞かれたことがあります。なんでも彼の周りだけでも
4人の日本人の女性がそういう過去があるそうです。

そういう話を聞くと病的で嫌悪感を感じますが、もしかしたら日本は昔そういう奇習が普通(と言ったら語弊がありますが)だったのかもしれないですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1073909229/

9. 中川隆[-13686] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:24:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
奇習! 不妊を理由に離縁され、売春宿へと沈められた人妻たち ― 東北地方に実在した忌まわしき差別の実態とは!?
http://tocana.jp/2018/07/post_17469_entry.html

医学の研究が進んだ今の時代でこそ、いわゆる“不妊”の原因については、男女ともに様々な要因があることがわかってきているが、一般にこうした知識が今ほどには定着していなかった頃には、一方的にその原因が女性側にあると決め付けたり、そうした事態を改善するための努力を、やはり女性側にだけ求めるという愚行も、長きに渡って続けられていたというのが実情である。


「なにせ昔は子供ができないと、それだけで人間でないような酷い扱いを受けたものでね。特に、ここいらみたいな農家ばっかの土地じゃ、子供は大事な跡継ぎであると同時に、貴重な労働源だったものだから、その傾向はかなり強かったんだよ」


 かつて、東北地方のとある地域にはびこっていたという“不妊女性への差別”と、そこから生まれたと思しき“忌まわしき風習”についてそう語るのは、当地で生まれ育ち、今なおその余生を送っている斉藤清七さん(仮名・88)。斉藤さんの話によると、“不当な差別”とも言うべき不妊女性に対する見識が原因となる形で、当地においては多くの悲劇が生まれることとなってしまったという。


「まあ、結婚しても子供ができない嫁というのは、子供のいる嫁に比べて、散々な待遇でね。飯だって1日1食、口にできるかどうかっていう話なんだよ。おかしな話だろう? でも昔はそれが当たり前だったんだよ。そういうね、栄養もろくすっぽ与えられないようなね、生活を送るものだから、なおさら子供もできづらくなっちゃう。そうなると、だ。いよいよ“こりゃ駄目だ”っていう話になって、よそへ連れてかれるんだよ」


 自身は望んでいるにもかかわらず、子宝に恵まれない人妻たち。彼女たちの大半は、食事もろくに与えられず、半ば軟禁状態にも近い生活を余儀なくされたのだという。しかも、そうしたある種の懲罰的な待遇の末に、彼女たちを待ち受けているのは、さらに悲惨な人生なのだ。


「子供ができないっていうことはだ、イタしてもできないということだからね。これは人妻として見ればよろしくないだろうけれども、女郎として見れば逆に好都合なの。だからね、子供ができない嫁というのはね、離縁されると、そのまま村のハズレにあった女郎小屋へと連れてかれるの。そこで村の男やら、通りすがりの旅の男やらに体を売ってね、かろうじて生きながらえるっていう。それで体を売って得たお金はね、全部、元夫のいる嫁ぎ先に支払われる。だから当の本人はね、それこそ食うや食わずで、死ぬまで体を売り続けるっていう寸法よ」


 理不尽なレッテル貼りをされた挙げ句、一方的に離縁され、挙げ句には売春宿へとその身を沈められてしまうという、不妊女性たち。しかも離縁されて売春宿へと移った後は、たとえ病気になったとしても、まともに薬すら与えられないような、極めて劣悪な暮らしぶりだったという。


「まあ、そんなことだからね、たとえ死んでも葬式ひとつあげてもらえやしないし、死体だって河原で燃やして、馬頭観音のそばにある穴に骨を投げ入れるだけ。ホント、酷い話だよ」


 その後、時代の変遷とともに、無論、当地のこうした悪習は姿を消し、それに伴う形で、不当な理由で苦界に身を落とす人妻たちもいなくなり、現在ではこの話を知る者すらほとんどいなくなってしまったという。そのため、皮肉にも、彼女たちの遺骨がうち棄てられた穴の上には、今ではすべてを“なかったこと”にする形で、地域の防災倉庫が建っているというが、当時の状況を知る斉藤さんたちは、今なお、その倉庫の前を通るたびに、手を合わせているという。やはりいつの時代も、いわれなき差別や偏見は、多くの人々の人生を狂わせ、その傍観者たりえる人々の心にも、暗い影を落とし続けるものなのかもしれない。
(取材・文/戸叶和男)

▲△▽▼


奇習! 不妊に悩む“石女”に行われた惨すぎる仕打ち ― 裸で引きずり出され、こけしを陰部に挿入し…=東北地方
http://tocana.jp/2018/06/post_17134_entry.html

最近では具体的な治療法をはじめとする、さまざまな方法論が確立してはいるものの、そうしたものが「ない」時代においては、いわゆる“不妊”状態にある夫婦は、なぜか女性だけが「石女」と呼ばれて蔑まれ、いわれもない謗りを受けることも少なくなかったし、そうした人々の“無知ゆえの感覚”が、時として、非人道的な蛮行を引き起こすことも、少なからず存在していたようだ。


「今にして思うと……いや、当時もね、私はあんな所業が平気でできる人間がね、いるとは、本当に信じ難かったんですよ。けれどもね、そういう流れに抗うことは、これはもう即座に、村で生きていけないことにつながるもんだから、情けないことに、私も従わざるを得なかったんです」


 自身がかつて目の当たりにしたという、東北地方のとある地域に存在した“石女への仕打ち”についてそう語りはじめたのは、当地でその人生の大半を過ごしたという、元農業・石坂清次郎さん(仮名・87)。石坂さんの話によると、当地において、結婚後もしばらく子宝に恵まれない世帯の嫁は、にわかには信じ難い惨い仕打ちに見舞われていたのだという。


「なにせ昔は、それこそ“産めよ殖やせよ”の時代です。そうなると、夫婦になってからもなかなか子どもができない家というのは、それだけで十分に“白い目”で見られてしまう。けども、今の時代ほど医学が進んでいなかったですから、そういう状態の原因は、すべて女の人にあるとされてしまっていたんです。だから、ああいう仕打ちが行われていたのだろうと……」


 石坂さんの話によると、当時、子どもができずに“石女”とレッテルを貼られた女性たちは、あろうことか、村人全員が見ている前で「裁き」が下され、その結果、なぜかその「罪」を一方的になすりつけられた挙げ句に離縁され、村人たちによって秘密裏に“処刑”されていたのだという。これは言うまでもなく、現代の我々からすれば、理不尽極まりない蛮行だ。


「神主さんがですね、身体検査をした後で、(「裁き」が下った女性は)まっ裸でみんなの見ている前に引きずり出されるんです。それで、子どもができなかったことへの“侘び”を言わされて、その場で縛り首にされる……本当に酷い話です」


しかも、石坂さんの話では、その“縛り首”にされる際にも、なぜか女性たちは、赤ん坊のような形をしたコケシのような木像を、陰部に挿入され、その状態のまま、絞首刑に処されていたのだという。この行為は、「生まれ変わった後には子宝に恵まれるように祈る意味」(石坂さん)があったというが、正直、ここまでくると、ちょっとした猟奇殺人犯の犯行と大差ない。


「あのね、村の人間がみんなで縄を引くんですよ、首に巻いた縄をね。するとね、“くーっ!”とも“きーっ!”ともつかない呻き声を、(女性が)あげるんです。最初少しだけ白目になりかけて、それで本当に苦しそうに顔をしわくちゃにして、それで(顔が)真っ赤になって、手足をバタバタとさせて……しばらくそのまま縄を引き続けていますとね、ある瞬間、急に縄が重くなる感覚があって。見ると(女性の)体がぐたーってなってて。すると、股の間から尿がサーっと漏れ出てきて。木の人形も転がってて……私はね、あの光景がですね、未だに瞼の裏に焼きついていて、未だに夢で見るほどなんですよ」


 ちなみに、村人が一斉にその“絞首刑”の縄を引くのは、現代における死刑囚の“執行ボタン”が持つギミックと同様に、執行人ひとりひとりの罪悪感めいた感情を弱めるための“工夫”であると推測されるが、いずれにしかり、こうした私刑的な行為を、ごくごく当たり前のこととして、日常的に行っていたことを思えば、彼らの倫理観は、現代の我々からすれば、明らかにその理解の範疇を超えたものであると言えるだろう。


「……そうですよね、たしかにあの頃、私を含め、みんながみんなそういう行為を止めなかったというのは、断罪されるべきことなのだと思います。けれども、今の時代も、あの頃ではないにしろ、少子高齢化とやらで、“産めよ殖やせよ”の時代になってきているでしょう? ……私はね、再びああいう忌まわしいことが行われるようになるんじゃないかって思うんです」


 無論、さすがに現代社会において、石坂さんが目撃し続けてきたような、あまりに非人道的で、理不尽極まりない行為は、そう容易く行われるものではないだろう。しかし、その一方で、我々日本人の中にも、当時の彼らとさしたる違いのない、ある種の同調圧力が脈々と存在し続けているということも事実である。そうした意味で言えば、石坂さんが抱いている危惧が、あくまで杞憂として終わり、現実のものとならぬよう、我々は願うばかりだ。
(取材・文/戸叶和男)

▲△▽▼


奇習! 夫が死ねばその肉親と…! 死ぬまで離脱が許されない“嫁の掟”とは?=東北地方
http://tocana.jp/2018/03/post_16162_entry.html

今でこそ自由恋愛・結婚が当たり前のものとなってはいるものの、それこそ、一昔前までは、この日本でも「結婚」という行為は、実に様々な制約がつきまとう、“実に不自由なしきたり”としての側面も存在していた。特に女性たちにとっては、その傾向が強く、彼女たちにとって「結婚」は、“一か八か”というレベルを遥かに声た、非常にリスキーな行為であったのだという。


「なにせ、このあたりじゃ、当たり前のようにそういう形で人生を送る人が多かったもんですからね。それをおかしいと言う人なんて、誰一人としていませんでしたよ」


 自身が生まれ育った地域における「結婚」に関する“あるしきたり”についてそう証言するのは、東北地方のとある山間の集落で生まれ育ち、今なお暮らす藤澤五郎さん(仮名・86)。藤澤さんの話によると、かつてこの地域では、花嫁となる女性に対して、にわかに信じがたい約束事を押しつけていたのだという。


「簡単に言ってしまうと、夫が病気や何かで先立たれた場合は、まずその兄弟と再婚しなくちゃならないというんです。でも、彼らに既に妻がいた場合は、亡夫の従兄弟や叔父などを相手にしましてね、再婚しなくてはならないという。それでも駄目なら、相手が見つかるまで何代先にも遡って、分家の子孫やら何やらまで範囲を広げましてね、そう、とにかくその親族の男と再婚させるっていう約束なんですよ」


そもそも、本来であれば幸せな門出であるはずの「結婚」という儀式を前にして、夫に先立たれる不幸を想定した話をされるだけでも、当の女性たちからすれば気分の良い話ではないだろうが、挙げ句、そうした事態が万が一にも起きてしまった際に、本人の意思を丸無視した状態での再婚を強要されるとくれば、当然のごとく「結婚」自体に腰が引けてしまうところだ。


「まあ、本来でればそこまで先の人生を勝手に決めるような約束事なんて誰もしやしないと思うんです。けれども、そこが若気の至りとでも申しましょうかね。うちの近所に住んでいた分家筋の長男に嫁いだ娘なんて、嫁いで早々に旦那に先立たれてしまったものですから、すぐにその弟と再婚させられまして。しかもその弟も何年かした後に病死しましてね、結局は連れ合いに先立たれた夫の父親と何十歳も離れているのに添い遂げることになってしまいましたよ」


 なお、この地方の文化・風習に詳しいとある郷土史家によると、もともとこの風習は、かつて、一時的に女児の少なかった時期に、自然発生的に生まれたものであるそうで、その“ただでさえ少ない女性”が、「夫との死別を機に他所へと移り住んでしまったり、移住しなくても、未亡人の取り合いが発生することを防ぐ目的で誕生したのではないか」と、考えられるのだという。たしかにそう考えれば、ある意味、合点の行くところではあるものの、いずれにしかり、当の女性たちからすれば、たまったものではない話と言えそうだ。
(取材・文/戸叶和男)

10. 中川隆[-13685] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:26:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
669 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:29:05 ID:???

ド田舎の旧家の次男坊に嫁いだんですが、結婚して二年経ったころ姑に呼ばれて

「ここでは嫁は○○家に嫁いできたものなので、家事以外にも舅と長男の相手もなさい」

と言われた。「は?」と驚いて訊き直すと、要するに夜の相手もせよということらしい。義姉にも聞いたが、やはり私の知らないところで舅のお相手もさせられていたらしい。

「○○さん(私)には悪いけど、私の負担が減るから正直助かる」

と言われてショック。その地方では普通のことらしいけど、やはり義父・義兄とセックスするのは気持ち的にツラい。

まず舅がその日の相手(姑か義姉か私)を決め、旦那の兄がその次に指名(義姉か私)。新参者の私はほぼ必ず舅か義兄に指名されるので、肝心の旦那とのセックスがめっきり減ってしまった…


670 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:33:46 ID:???
>>669
それで子供ができたらどういうことになるの?
旦那は納得してるの?


671 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:42:23 ID:???
>>670
もちろん避妊はします。一応ですが。
もし仮に出来たとしても

「○○家の嫁が○○家の子供を産む」

ので問題ないとされる雰囲気です。義兄夫婦には子供(13歳)がいますが、これが義兄の子か舅の子かは怖くて訊けません。

旦那はしきたりを知っているので仕方ないといった風情です。「黙っててゴメン」
とは言われました。納得というか、たまに義姉とセックス出来るので満足してるんじゃないのかな。

672 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:43:31 ID:???
>>671
あ、次男が長男の嫁を抱くってのもありなのね

673 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:49:11 ID:???

そう。嫁は家の所有物という扱いなので。

それよりも私にとっての心配事は、甥(13歳)が今年元服ということです。
姑には今からそれとなく言われてますが、甥の相手もしなければならない雰囲気です。甥の相手が出来るのは当然私だけなので、ますます旦那との営みは減りそうです。


674 :なまえを挿れて。 :2006/05/31(水) 23:52:05 ID:???
>>673
なんだかすごい世界だ……本当に現代の日本の話?

676 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:08:34 ID:???
>>674
そうですよ。ぶっちゃけ福島。

村のお祭りで筆おろしの儀式も残ってるらしいです。最近は少ないらしいですが。

677 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:10:26 ID:???
>>676
うわあ……

よし、俺、福島の旧家の婿養子になる!


678 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:16:59 ID:???

そして家のモノとして60越えの姑に奉仕させられる677…


679 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 00:17:55 ID:???
>>678
それでも多分逝けそうだw

689 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 22:43:18 ID:???
>>687
家を出る気はないの?
元服したら筆おろしって、女子も似たような風習はあるの?
もしあなたのところに男の子ができて、年頃になったら義理のお姉さんと寝るの?


690 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:16:34 ID:???
>>689
批判覚悟で白状すると、かなり裕福な暮らしをさせてもらってるので離婚とかは考えてません。“それ”以外はすごくよくしてもらってるし。

正直嫌悪感というのもマヒしてくるというか、薄らいでくるので気の進まない家事くらいの位置づけになってます。

女の子はいないのですが、いても嫁に出す体なのでしきたりからは外れると思います。

うちに男の子が出来ても、14歳になるころには義姉もかなりの歳になってるので望まないんじゃないかな。親としてもあんまり気乗りしないので「やめなさい」ってこっそり言うと思う。


691 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:19:51 ID:???

近親相姦とかはないのか?
他に身内で女性は?

692 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:26:47 ID:???

旦那は男二人兄弟、兄夫婦は息子一人なので今のところ本家に女の子はゼロです。

近親相姦はないです。あったら義兄・旦那は姑を相手にしているはずだから。


693 :なまえを挿れて。 :2006/06/01(木) 23:30:22 ID:???
>>692
そうすると、お舅さんがあなたor義姉さん、義兄さんがあなたor義姉さんを指名した場合、あぶれたお姑さんと旦那さんは何をしているんでしょうか?

695 :なまえを挿れて。 :2006/06/02(金) 00:01:28 ID:???

旦那からの受け売りですが、血の濃い子供を作ることを避けるために嫁を共有するのだから、近親相姦は普通にタブーになってるのだそうです。
(「避妊するんだったら意味ないじゃん」って言いたいけど言えない)

うちは本家なので、親戚(分家)の男のところに行けといわれたことはありません。舅が行くという話も聞いたことはないです。実際行ってないかどうかは分からないですけど。


>>693

一番多いパターンは  舅→私、義兄→義姉で、


その次に多いのは  舅→義姉、義兄→私

というパターンなので、だいたい旦那はあぶれます(笑。

私に余力があるときは深夜に極力旦那の相手をします。私も旦那に抱いて欲しいから。舅とする夜はすごく疲れる(長時間になる)ので、ちょっとムリですが。


709 :なまえを挿れて。 :2006/06/02(金) 21:45:21 ID:???

舅は60歳を超えているので、挿入可能な状態になるのも射精するのも時間がかかる
のです。準備オッケーになるまでは私の体をいじりまわして気分を高めていくわけですが、20分とか30分とかナメられ続けることになります。

最初のうちは特に我慢もせず、気持ちよくなってきたら躊躇なくイッてましたが、それだと舅が挿入してくるまでに2度も3度もイかされてしまうので、一生懸命耐えなければならないのです。

射精してからももちろん長い時間をかけます。 

私の旦那や義兄はバチン!・ビタン!という感じでリズミカルに腰を打ちつけてくるので、私の声も「アッ、アッ、アッ、アッ…」というふうに出ます。

舅はさすがに勃起してもそれほど硬くならないので、そんなに早くピストンするとグニャッという感じに曲がってしまうので、出し入れがゆっくりです。

ぐにゅうううぅぅ…と差し入れて、ずるうううぅ…という感じに引き抜きます。

不思議とそうされると喘ぎ声は出ず

「っっっ…ハアッ、うッ……ッッッハアッ」

といった風にに息つぎをする感じになります。


息子のセックスがテンポよく点で感じるのに対して、父親のは線で感じるセックスと言えば近いと思います。どちらが好みとかはないのですが、なんせ舅は延々とそのリズムで動いているので、ほぼ確実にイかされてしまいます。

だから舅とした後はぐったりして、旦那と2度目のお勤めをするのは無理なのです。


714 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 10:50:35 ID:???

別に夕飯の席で重々しく今日の組み合わせが発表されるわけではなくて、
私は指名されるとき舅からは

「○○さん、今日僕の部屋に布団敷いといて」

といわれます。義兄から指名の時は普通に

「○○さん、今日いい?」

です。生理の日や舅から既にいわれてたりする日は

「あ、今日はちょっと…」

ですんなり通ります。


別にセックスするわけですから布団二組は必要ないので、実際に布団敷いたりはしません。夜舅の部屋に行くだけです。

コトが終わると当然自分の部屋に戻って寝ます。朝まで一緒にいたりはしません。夫婦の寝室も別です。終わって帰っても旦那は誰かとまだ最中だったりすることがあるからです。


717 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 20:02:06 ID:???

>終わって帰っても旦那は誰かとまだ 最中だったりすることがあるからです。

誰かって、義姉以外にもいるんですか?


718 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 22:19:57 ID:???

舅は歳の割りにすごく旺盛な方だと思いますが、それでも週に一度が限界だと思います。なので私は舅とはせいぜい月に3度、多くて4度です。

義兄は週に2・3度なので月だと10回くらいです。

残りの日は常に旦那とといいたいところですが、私が義兄の部屋にいるときには義姉が旦那の部屋にいるケースが多いので、それでは旦那が毎日ということになるので、私が空いてる日の半分くらいです。


舅がパス、義兄がパスした日に旦那が

「じゃあ義姉さん、今日お願いします」

となる日がたまにあるので、そういう時は後で旦那とケンカになります。

比で言うと舅:義兄:旦那で1:5:4くらいです。そのうち義兄と旦那の比は逆転すると思います。義兄が飽きるまではこのままでしょう。


>>717
主語がグダグダで分かりにくくなってしまってすみません。

3夫婦ともに寝室は別ということです。舅姑はもちろん義兄夫婦も私が義兄の布団に入っているときは義姉の居所がないからという意味です。

719 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 22:51:36 ID:oLQQY0ux
>>718
そういう事をしてる家はざっと何軒ぐらいあると思われますか??

720 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 23:12:17 ID:???

舅や義兄が指名してくる時って、あなたが一人の時なんですか?
それともダンナさんがいても構わずに誘ってくるんでしょうか?

それからエッチの時は口で奉仕することもあるの?
口内発射とか。

721 :なまえを挿れて。 :2006/06/04(日) 23:52:04 ID:???

旦那が私のそばにいるときは遠慮してくれます。舅も義兄も。

でもどっちみち雰囲気で分かるというか、舅や義兄と目が合えば旦那がスッと知らん振りして私から離れていくので同じことですが。

口を使うことはよくあります。でもあくまでも元気にさせるための補助という位置づけです。

旦那は義姉の口の中に出させてもらってるらしいです。義姉が

「遠慮してるつもりなのかもしれないけど、口に出される方が面倒」

といってました。


>>719
部落の人たちとは頻繁に会うわけではないので、確証はありません。
農作業の協力分担の会合のときとかに奥さん方と会いますが、「やってそう」と思えばそう見えるし、かといって当然のことのように話題にすると「はぁ?」みたいな顔されるようで怖くて訊けません。

今度勇気を出して姑に訊いてみようかな。


724 :なまえを挿れて。 :2006/06/05(月) 07:53:50 ID:???

お義姉さんとは仲いいの?
こういう事についてはどんな話してるの?

舅や姑や義兄とは普段の会話の中でもそういう話するの?
食事時などの団欒の席で

「○○さん、昨夜は激しかったなぁ」

みたいな。それとも昼と夜とはちゃんと区別してるのかな。

726 :なまえを挿れて。 :2006/06/05(月) 22:22:14 ID:???

昨夜の書き込みが23時52分。
昨夜はお休みの日だったのかな。

舅さんや義兄さんの部屋に行くのはいつも何時頃なんですか?
その後何時頃までいるんですか?


727 :なまえを挿れて。 :2006/06/05(月) 22:39:07 ID:???

ご近所さんが近所にいないくらいの田舎なので、同性の話し相手は義姉くらいです。姑ともいわゆる諍いみたいなのはないですが、仲良しというほどでもありません。

義姉ともそうひんぱんにあけすけな話をするわけではないですが、たまに際どい話題になることはあります。


私「お義父さんて、…ちょっと柔らかいですよね。ふにゃっと…」

義姉「あんなもんでしょ普通」

私「でもお義兄さんや旦那に比べるとやっぱり違いますよ」

義姉「私の旦那は私とするときはお義父さんと変わらないわよ、アナタとするときは頑張っちゃってんじゃないの(笑」


みたいな。

皆の前でそういう話題は出てきません。みんな知らんふりしてます。
昨晩は日曜だったので、全員仕事に備えてお休みだったです。まず日曜にはしないですね。

今日は今のところ言われてないです。食事も風呂も全部終わって部屋に帰ってきて一人です。11時頃まで言われなければ今日もナシだと思います。


742 :トコ :2006/06/06(火) 23:03:50 ID:???

コテハン/トリップはウザがられがちなので気乗りしませんが、名前だけ。
さとこなのでトコと家族には呼ばれています。

家の中は想像されるようなエロ満開の雰囲気ではないです。思春期の男の子もいるので。それに家がだだっぴろいのもあって、食事のとき集まることを除けばそう頻繁に行き交うこともないです。

私は自分の部屋ではセックスはしません。義姉もそうだと思う。内線電話で呼ばれていくことが多いです。食事の際に目配せや耳打ちされることもあるけど。

昨晩はPC落とした後、旦那の部屋に行って雑誌読みながらダラダラと過ごしてから帰って来て寝ました。

今日はさっき義兄の部屋から戻ってきたところです。夕飯の後お風呂の順番待ちをしていたら内線がかかってきて

「トコちゃん今日空いてる?」

と言われたので

「あ、はーい」と。


745 :なまえを挿れて。 :2006/06/06(火) 23:21:51 ID:???

甥っ子の筆おろしはトコさんになるのではないですか?


749 :トコ :2006/06/07(水) 00:10:46 ID:???

何度もクドくて申し訳ないですが、うちは家庭内でそういう雰囲気は漂ってないです。甥っ子がいるからです。

甥は多分まだ童貞だとは思いますが、我が家のしきたりについては知らないはずです。だから裸で廊下(すごく長いのに)を渡るとかありえないです。

甥の筆おろしについてはまず一番に義姉の意向が関係してくると思います。私ももちろん義姉が「させない」といってくれた方がいいし、きっと義姉もそういう気持ちだと思われます。どこかよそで済ましてきて欲しい。お祭りとかで。


元服式が済んだらどのみちしきたりについては教える予定なので、その際

「トコおばちゃんとする」

といえば私はイヤだとはいえません。多分その時点でも義姉が「まだダメよ」と止めると思います。


私たち夫婦が分家してよそに住み始める前に甥が奥さんを連れてきたら、義姉の意向に関わらず私は甥の相手をすることになるんですけど。今は甥をみてると

「この子とセックス?  ありえなーい」

と感じるんですけどね。まだ幼いし、第一その子の祖父とセックスしてるのにありえないです。


751 :なまえを挿れて。 :2006/06/07(水) 00:29:56 ID:???
>>749
避妊ってコンドーム?
それとも、ピル?

756 :なまえを挿れて。 :2006/06/07(水) 17:43:06 ID:???

>私たち夫婦が分家してよそに住み始める前に甥が奥さんを連れてきたら、義姉の意向に関わらず私は甥の相手をすることになるんですけど。


これはなんで?


それから、甥が嫁さんを連れてきた時は、その嫁さんは今の舅、義兄とトコちゃんの旦那さんの3人にも抱かれるって事なのかな。


757 :なまえを挿れて。 :2006/06/07(水) 19:16:29 ID:???

義父や義兄とエチするときキスは有りですか?


764 :トコ :2006/06/07(水) 22:37:30 ID:???

結婚した当初はピルを処方してもらってました。文字通りの家族計画と、私の子宮内膜症のためです。何年か経ってから子作りは始めようという予定でした。

2年経って家のしきたりに従うようになってからはピルを止めました。逆のように
感じるかもしれませんが、これでいいのです。

そろそろ子供が出来てもいい時期だと思ったことと、ピルを飲んでると舅と義兄にも中に出されてしまうからです。

「飲んでるんだからいいよね」というノリだと思うのですが、中に出されるとヤられちゃった感というか犯された感というのがじわじわとこみ上げてくるんです。

二人に悪感情は抱いてないですが、ちょっとこれは勘弁して欲しかったです。

それに後始末が段違いに面倒になるのがイヤだったんです。

中出しだと終わったあとシャワーを浴びるのが必須になりますが、お風呂場にいくまで廊下にポタポタと垂らしながら行くわけにはいかないので、下着を穿く必要があります。それはもう穿いて寝られないからその場でザブザブと洗うんですが、それが面倒で。

だから今は遠慮なく

「もうピルは飲んでないのでゴムを着けて下さいね」

といえます。後は


・キスはします

・甥と旦那の順列は、少なくとも成人するまでは旦那>甥だと思います

・甥は今のところ私に性欲を抱いているようには見えません

・甥が今すぐ嫁を連れてきたらそのお嫁さんは4人を相手にするはずです

・家長は舅です。絶対権力者(優しい人ですが)


769 :トコ :2006/06/08(木) 00:05:17 ID:???

ここに書き込んでから「ありえない」とか「明らかにおかしい」とか書かれて、
自分でも「ひょっとして…」と思わないでもないです。でも寄り合いでもない限りよそんちの人とは会わないので確認するのは難しいです。

あ、それから「家」のしきたりなので分家すると相手をする必要はなくなります。
私の代でなくなるかどうかは義姉次第じゃないでしょうか。私も義姉も姑の逆らえないオーラみたいなのに気圧されて従ったようなものですから。私にはまだ子供がいませんが、そりゃ止めるに越したことはないと思います。

私自身が舅や義兄に抱かれるのはいまさら感があるのでどうこうしようとは思いません。どうせ舅も現役でいられるのもそう長くないだろうし、分家すれば義兄とも断てるのですから。

ピルを止めてからはゴムは必ず着けてくれます。旦那以外の子を妊娠するというのは耐え難いので、絶対これだけは譲れません。


784 :トコ :2006/06/08(木) 23:07:31 ID:???

始めた当初は毎晩泣き暮らしてましたが、泣かなくなったころにはそういう気持ちとは関係なしに、身体の方が勝手に馴染んでいった覚えがあります。

そういう言い方だとなんかいやらしい感じがしますけど、相手のセックスのリズムが分かるというか呼吸の合わせ方を覚えるといった意味です。

舅とするときは

(0)(スタート)なんかゴソゴソといろいろする
→(1)舅が口でする
→(2)私が口でする
→(3)私が上に乗る
→(4)舅が上に乗る(フィニッシュ)


という手順が殆どなんですが、例えば(1)→(2)では私がギブアップ状態でグロッキーになってるのを舅が気付いてスッと身を引くので、二人無言で体を入れ替えます。

(2)→(3)は私が「もうこれくらい硬くなったらいいかな」と舅の顔を見ると、
舅がコクッとうなずくので私がゴムをはめて上に乗ります。

(3)→(4)のときは舅が上体を起こそうとするので私が上から引き起こしてやり、そのまま二人座って向き合った状態で少し動いてから、私が後ろに倒れ舅が上に乗る形になります。

こうやって殆ど会話をせずにセックスを終わらせるようになってました。こういう状態になってからは随分苦じゃなくなったように思います。

775 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 08:03:21 ID:???

トコさんのご両親はこの事をご存知なんですか?

>>775
知りません。知らせるつもりもないです。どういう騒ぎになるか想像しただけで恐ろしくなります。

776 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 11:03:16 ID:CvwIqudV

ホントにその地方のしきたりなのかな その家だけのしきたりじゃないのか?

しかし福島のド田舎だとそんな風習が本当に残っていそうで怖いな

>>776
私は福島出身じゃないのですが、なんとなく福島の人ってとっつきにくいというか排他的な感じがするんです。秘密主義というか。 だから姑から「風習だ」と言われたときは妙に納得してしまったのですが。


778 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 13:02:05 ID:???

探偵ファイルとかにメールしてみたら特集してくれるかも

>>778
逃げる頃合でしょうかね。ある日庭いじりしてたら見知らぬ2ちゃんねらが

「あなたトコさんでしょ。ね、そうでしょ」

…コワ過ぎる


787 :なまえを挿れて。 :2006/06/08(木) 23:40:35 ID:???
>>785
分家の人達は、その家で同じ事やってるのかな?

トコさんの近所の人と会った時に聞いてみたらどう?
同じ事してるかどうか

789 :トコ ◆cnKAU13406 :2006/06/08(木) 23:57:55 ID:???
>>787
本当にしつこく書いて申し訳ないですけど、あまり親しい人が近くにいないんですよ。というか隣の家とかなり離れてるんです。田舎なので。だから

>トコさんの近所の人と会った時に聞いてみたらどう?

そんな親しいわけでもない人に

「こんにちはごきげんよう。ところでつかぬ事をお伺いしますけど、あなたお舅さんとヤってます?」

とかいきなり訊いたらグーで殴られるんじゃないかな。


793 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 00:09:19 ID:???

トコさんの家では夫婦の寝室が別になってるみたいだけど、例えば

トコさんがお休みの時にダンナさんが義姉さんとしていたりしたら、
義姉さんの喘ぎ声とかがトコさんの寝室に聞こえてきたりしないの?

逆に義兄さんとしているトコさんの声を義姉さんに聞かれたりとか。


800 :トコ :2006/06/09(金) 21:16:30 ID:???
>>793
3夫婦のエリアは随分離れているので、舅・義兄の部屋の物音は聞こえません。
そもそも甥の事があるのでみんな意識して声や物音をたてないようにしているようです。

屋敷の3ヶ所でギシギシアンアン聞こえてきたらさすがに教育に悪いですから。
私も頑張ってタオル咥えるなどして声出さないようにしてます。

旦那の部屋に義姉が来ていたら部屋の前の廊下に義姉のスリッパがあってすぐ分かるから近寄らないようにしてますが、うっかりしてると中の声が聞こえてくることもあります。

それがあえぎ声だったらやはり嫌な気持ちにはなりますが、むしろひそひそ話の方がムカつきます。

「なにピロートークかましてんのよ!」

と後で大抵ケンカになります。セックスすることは分かってるので、義姉のあえぎ声が聞こえるとかえって

「よし、旦那がんばれ。やっつけてしまえ」

という気になります。旦那が

「いやー、お義姉さん具合いいわ。とろけそうだったよ」

と私にいうより、義姉が

「トコちゃんの旦那さんってすっごいのね。私もたないわ」

という方が嬉しいじゃないですか。


795 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 07:54:43 ID:???

>。ハスタート)なんかゴソゴソといろいろする

ワロタ


801 :トコ :2006/06/09(金) 21:31:46 ID:???
>>795
いくらなんでも部屋に入るなり無言でお互いの服を剥ぎ取り、ベッドに倒れこみながら野獣のように相手の体をむさぼり始める…

みたいなどこのエロ小説かというような行動はムリです。体力的にもキャラ的にも。


「お義父さん?失礼します」

「あ、さとこちゃん来てくれたね」

から始まって、天気とか庭の手入れとか旦那の話とかしながら徐々に(自分で)服を脱ぎます。私がパンツ一枚で座って二人の脱いだ服を畳んでいると、舅が横に座って足とか背中とかをサスサスとなでてきて、じりじりと二人で布団にもぐりこみます。

もう「なんかゴソゴソといろいろする」としか言いようがないんですよ。


804 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 22:01:37 ID:???

昨日は舅さんとのセクスの流れを書かれていましたが義兄さんとのセクスはどんな流れなんでしょうか

840 :トコ :2006/06/10(土) 23:30:00 ID:???
>>804
義兄はセックスのパターンが決まっていないので、舅のときみたいに流れを説明することは難しいです。

ただ、一つの状態を長く続けずに次へ次へと(例えば体位を)忙しく変えるので、立ったり座ったりで大変です。それこそ上へ下への大騒ぎ。

旦那も含めて「親子だなー」と感じるのは、3人ともに口でするのにすごく時間をかけてくれることです。旦那と付き合ってた頃は

「ずいぶん念入りにする人だなあ」

と思ってましたがお義兄さんも同様で、父親に至っては輪をかけてでした。舐めたり噛んだりすすったりよくこれだけ飽きもせず延々と続けられるよなと感心するくらいです。

性格って似るのかなと思ってましたが、ひょっとしたら若い頃から経験豊富な女性を相手に実戦を重ねてきたせいかなとも思います。

あと笑っちゃうのが3人とも「相手の服を脱がせてくれない」ということです。

要するに女性の方が自分で服を脱がなくてはいけないんです。服を脱ぐさまを眺めるのが好きなんだと思います。

義兄なんかは私が風呂上りでノーブラだったらちょっとがっかりしてるはずです。ブラをしてて、それを外そうとするときは決まってガン見してるから。

796 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 17:51:31 ID:???

トコさんのダンナさんはトコさんと結婚する前から義姉とセックスしてたの?


>>796
詳しくは書けませんが、旦那の上京の時系列から言ったらしてないはずです


803 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 21:59:20 ID:???

あ、トコさんだ。こんにちは〜

もうお風呂は済んだんですか?
舅さんや義兄さんに抱かれるのはお風呂の後ですよね。
呼ばれた時はメイクをし直して行くんですか?

>>803
あまりしないです、面倒だから。いまさらスッピン見られてどうもこうもないし。


815 :なまえを挿れて。 :2006/06/09(金) 23:46:25 ID:/IwQbv1S

トコさんありがとう。もしよければ、芸能人で例えると誰似か知りたい。
トコさん夫婦の関係は案外普通で安心した(良い意味で)


>>815
期待を裏切って申し訳ないんですが、私は器量よしではないです。
今まで似てると言われた中で一番マシだったのが『ピザハットのCMのお母さん役』
なんですけど分かります?

834 :なまえを挿れて。 :2006/06/10(土) 18:01:24 ID:49DPGGxX

トコさん

各登場人物の年齢を教えて下さい。

舅、義兄、旦那
義姉、トコさん

>>834
ちょっとそれは勘弁してください。舅は還暦を過ぎてて、甥は13歳。これが限界。


842 :なまえを挿れて。 :2006/06/10(土) 23:39:06 ID:???

今夜のお勤めはないんですか?
(これから?)

ちなみにバストカップは?

>>842
チチはないです。謙遜じゃなくて。

848 :なまえを挿れて。 :2006/06/10(土) 23:56:22 ID:???
>>トコさん

せめて甥御さんとの件がどうなるかまでは続けて欲しいです


>>848
元服式は成人式と同じ日にあるので、甥がこの件に関係してくるのは早くて来年一月です。また先に書いた理由もあって、仮に私が甥と関係するようになるとしてもそれはずっと先のことだと思います。よってムリ。


853 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 16:12:40 ID:???

このしきたりの事を姑から言われ、その後初めて舅や義兄に抱かれた時までの流れを聞かせて貰えませんか?

ダンナさんにも説得されたんですか?

>>853
最初は>>669に書いたとおりです。口調はもっと柔らかかったけど。

私は「は?」とか「え?」とか何度も訊き返しました。

「○○さん(旦那)は何て言ってるんですか」

というセリフは20回くらい言ったと思う。半ギレで。


話が終わると当然旦那のところにダッシュで行って

「お義母さんがこんなこと言ってるんだけど」

とオロオロして半ベソかきながら問い詰めました。旦那が

「え?ああそう…それはうーん、ちょっと待ってて」

と母のところに飛んで行ったので「ああマジなんだな…」と確信しました。

旦那は「今日トコに言うとは聞いてなかった」と後で白状しました。説得される
までの経緯についてはもう思い出したくもないです。

口も利かない日が続いて、徐々に会話するようになっても、その話題が出ると私がキーーーーッとヒステリー起こしてまた何日も口を利かないといったことが続きました。
姑に言われてから実際に舅の部屋に行くまでは3週間くらいかかりました。

最初に舅の部屋に行った日も、前の日に舅から

「さとこさん、明日の晩 何時でもいいから僕の部屋に来なさい」

とお達しがあったので、仕方なしにといった風にでした。

旦那は「大丈夫だから」というので

「大丈夫って何よ!
…ねえマジかな?
マジだと思う?」

と救いを求めているのに「大丈夫だから」としか言いませんでした。 舅に

「今から伺いますから」

と電話で知らせて部屋に行くと、

「ああ、さとこさん きてくれたね」

と招き入れてくれて、「そこに座って」と言われました。 舅が淹れてくれたお茶を二人で飲みながら、舅が淡々と説明してくれました。

私ももちろん子供が出来たときのことや、今時そんなのナンセンスだとかモノ扱いするのは非道いとか嫌です嫌ですイーヤーですとしつこく食い下がりました。 結局初日はセックスどころかそういう雰囲気すらなく開放されて、これは案外せずに済むのかなと思ってました。

でもそういうのが何日も続くとやがて

「お義父さんとこんなに長くお話することってなかったですよね」

「そうね、まあジジイは出しゃばってもいかんし」

「そんなことないですよ、こんなよくしてくれるお舅さんっていないですよ」

とか打ち解けた雰囲気になってしまい、結果的には懐柔されてしまいました。

今思うと、そういう作戦だったんだと思います。旦那は頼りにならないので自然と当事者である舅に相談するような形にもっていかせて懐柔するという。


860 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 21:24:28 ID:???

初めて舅に抱かれたのは今から何年(何ヶ月)くらい前なんでしょうか

>>860
そこまで注意深く読んでる人はいないと思いますが、舅・義兄との関係が始まってどのくらい経ったかを言うと、かなりの確度で旦那の歳がバレちゃうのでいえません。

861 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 23:13:24 ID:???

こうゆう場合、

旦那が助けてくれない(頼りにならない)→愛がなくなる→離婚。


と大半の人は流れていくと思いますが、トコさんがそうならなかったのはそれ以上に旦那さんを愛していたからですか?それとも何か他に特別な理由があるんでしょうか?

もう一つ、前記で“それ”以外はよくしてもらってるとありましたが、具体的に言うとどんな事がありますか?(かなりの田舎だと金銭的に恵まれても、その使い道等困ると思ったので。)

>>861
もちろん旦那のことを愛してます。大好きです。早くこの人の子供が欲しい。

離婚するとしたら舅との最初のセックスより前にするべきだったと思いますが、もって行きかたが上手くなし崩し的にセックスまで行ってしまったので、完全にタイミングを逸した感があります。

それから前も書いたけど裕福なんです、すごく。私はハーブとガーデニングが趣味なんですが、中庭のテニスコートくらいある敷地を「好きにしていいよ」といわれて理想のイングリッシュガーデンにしようといじり倒しているところです。そのくらい裕福。

もうそれだけで打算的だとか現金とか批判されて当然ですが、この際だからぶっちゃけてしまうと、性的に満足しているというのもあります。

今日みたいに“お勤め”がない日などは冷静に「間違ったことをし続けるのはよくないよなあ」と反省するのですが、いざ誰かとセックスして帰ってきて布団に入ると思わず余韻に浸ってうっとりしています。肉便器とか淫売とか言われても反論できません。


862 :なまえを挿れて。 :2006/06/11(日) 23:25:43 ID:???

義兄さんとの初めても聞きたいです

舅さんと初 → 義兄さんと初

まではどのくらいの期間が開いたんですか


>>862
すぐでしたよ。初セックスした後舅に

「○○(義兄)も心配してるんだよ。さとこさんがショックうけてるんじゃないかって。もしよかったら○○に心配いらないって伝えてくれないかな」

といわれて、その通りに義兄に伝えました。

「納得できたわけじゃないけど心配いりません。大丈夫です」

と。すると義兄から


「僕ともってのは聞いてるの?」

と聞かれたので

「…まあ聞いてます」

と答えました。


「で、どうする?気持ちの整理がつかないっていうんならムリにすることはないよ」

「いや、いいです。どっちみちしなきゃいけないんなら早く最初を済ませたいです」

という流れで、舅と最初にセックスした次の晩に義兄としました。

875 :なまえを挿れて。 :2006/06/12(月) 13:38:11 ID:???

トコさんは、その家に嫁いでからは、舅、義兄、旦那以外とはエッチしていないんですか?

また他の人ともしてみたいと思ったことはありませんか?

>>875
結婚してからはその3人以外の男の人と寝たことはないです。
他の人としてみたいと思ったことはあります。しないけど。

885 :なまえを挿れて。 :2006/06/12(月) 21:49:48 ID:???

トコさん

一応、家族の方達はこのようなしきたりは非常識な事だと認識はあるのですか?


>>885
言葉で「悪いね」とか「よく頑張ってくれてるね」など、気の毒に思ってねぎらってくれたりはしますが、根っこの部分では

「しきたりだからしかたないもんね」

というスタンスは一切ぶれていないと感じます。

899 :なまえを挿れて。 :2006/06/13(火) 04:13:34 ID:???

しきたりが始まったのは結婚から二年後か。
予め決められてあった時期だったのかな。

その時期を男達は指折り数えて待ってたんだろうか。はたまた様子を見てた時間の経過だったのか。「そろそろ頃合かな」なんて相談してる様とか恐すぎ。

>>899
二年というのは、男が種無しであるかどうかの見極め期間みたいなものだと舅は言います。その後、家の男衆で試してみてそれでもダメだったら石女(うまずめ)として三行半を出されてた嫁もいたとのことです。コワ


908 :なまえを挿れて。 :2006/06/13(火) 22:14:05 ID:???

赤ちゃんが出来やすい日(いわゆる危険日)は、それを理由に舅や義兄の誘いを断ってダンナさんとHできるの?

>>908
出来ます。「○○さん(旦那)と子作りします」と宣言したりもしないけど。

920 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 01:27:15 ID:???

分家しても風習って続くんだろうか。


>>920
うちの旦那がどれだけの屋敷を建てられるかにかかってると思います。
いま住んでる屋敷は代々のものなので広く、子供に気付かれないように営みを持てるというのが大きいです。

まあそんな大豪邸は必要ないので分家した先では続かないと思います。
すくなくとも私たち夫婦の子孫は。

879 :なまえを挿れて。 :2006/06/12(月) 18:42:58 ID:???

>>打ち解けた雰囲気になってしまい、結果的には懐柔されてしまいました。

そこんとこもう少し詳しくお願いします。

>>879
舅が淡々とこのしきたりというか風習について、いつ頃から続いているのか どうしてこういうことするのか、現在の社会規範と照らし合わせてどう考えているのかを話してくれました。

当然ハイハイと従う訳はないので、でもでもでもでもと一々反論してました。

それが何日も続くと肩の力も抜けて、舅が話してくれる

「かあさん(姑)のときは気の毒でねえ」とか

「○○さん(義姉)のときは大変だったんだから」


のようなエピソードにただふんふんふんふんと頷いて聞き入ってました。

さらにそういう日が続くと

「お義姉さんがそういうことしてたなんて全然知らなかったですよ」

「そりゃ月に何回かしかしないし、部屋離れてるだろ」

「イヤーー想像できない。本当にされてるんですか。普通の夫婦の営みみたいな?」


と自分から話を転がしたりするようになりました。 当然そうなったら

「さとこさんはどういう感じでしてるの?」


みたいな流れになりますよね。女の人なら共感してもらえるかもしれないけど、女性が自分のセックスについて話し始めたら、大抵はその話し相手と寝ちゃうと思うんですけどそうですよね?


まあ共感はいらないです。私はそうでした。舅が

「じゃあちょっと試してみて、それでもどうしても耐えられなかったらまたそのとき考えよう」

とお決まりの誘い方をしてきたので、

「本当にイヤだったら考えてくださいよ」

と念押しして服を脱ぎました。その日は口でだけされて

「明日も来なさい。そのとき続けるかどうか決めよう」


と部屋に帰されました。 大体の経緯はこんな感じです。その次の日にセックスまで行きました。


927 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 20:03:24 ID:???

てか、旦那が種なしかどうかは子供が出来なきゃ分からないし、(まだ子作り途中だし)それでもダメなら家族が……

ってそれじゃあ複数と交わる意味とか子作り前提のセックスとか色々矛盾してこない?

ましてやゴム着けてやってるし。

>>927
昔は2年子供が出来なかったら種無しの疑いありとしてたんじゃないでしょうか。
そもそも義姉にしても子供産んだ後でもお勤めしてるんだから、そんなの穴だらけのこじつけに決まってるじゃないですか。

矛盾だ矛盾だって私を責められても。

928 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 22:35:49 ID:???

トコさんを指名出来る順列は 舅>義兄>ダンナさん ですよね。


舅さんや義兄さんがトコさんを指名する時は連絡(もしくは「今日来てね」の合図)があると思うのですが、逆に指名しない日は「今日は指名しないよ」という意思表示はしてくれるのでしょうか?

その意思表示が無いと、義兄さんやダンナさんから指名を受けた後に舅さん(や義兄さん)から指名されてしまう事態が起きると思うんですが。もしもそうなった場合、先に指名していた人はキャンセルですか?

>>928
舅は月に数度しかないのだから、しない日に「しない」とは一々言ってこないです。 義兄から予約が入った後で舅にいわれたら一応

「もうお義兄さんに言われてるんですがどうします?」

と訊いて舅の決定に従います。 でも通常は義兄は「今からおいで」と電話をかけてくるので、舅とダブるとしても私はもう義兄の部屋にいる最中か帰ってきた後になります。

929 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 22:45:24 ID:???

義兄の部屋から帰ってくるトコさんと、ダンナさんの部屋から帰ってくる義姉さん。途中で擦れ違ったりすることはないの?

そんな時は、やっぱり「お疲れさま」って挨拶するのかな。

>>929
>そんな時は、やっぱり「お疲れさま」って挨拶するのかな

ワロタ。鉢合わせはないです。

931 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:20:00 ID:???
>>トコさん
妊娠しても、できるかぎり相手させられるのかな?
後、出産後どれくらいしたら、また相手させられるのかな?

>>931
子供は授かりものでとても大切なものなので、妊娠中は大切にされると義姉はいってました。普通の妊婦の話にしても安定期に入るまではご法度でしょ。

義姉が出産後どの程度お休み期間があったかについては知らないです。

932 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:27:15 ID:???

結構矛盾出てきたな。

933 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:29:57 ID:???
>>932
俺らが感じる矛盾を乗り越えた(まだ途中か?)トコさんが語ってるんだよ。
矛盾だらけっていうなら、この家の全てが矛盾なんだよ。

>>933
私をどんだけトンマだと思ってるかは知らないですけど、ここで言われるような矛盾点なんかもう既に200回くらい詰問してます。 答えはいつも

「それがうちの決まりだから」

です。話にならん。

934 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:32:43 ID:???

>>舅とダブるとしても 私はもう義兄の部屋にいる最中か帰ってきた後になります。

帰ってきた後に舅から電話があった時は再度出動ですか?


ダンナさんから指名があった後に義兄さんから呼び出された場合は?


>>934
一日に二度三度というのはムリなので、終わった後で言われたら普通に

「今日はもう無理です」

といいます。旦那は基本的に指名という形ではないです。夜も更けて

「え、今日トコ空きだったの?じゃあする?」

というパターンが普通です。一般的な夫婦でもそういう感じじゃないのかな

「する?」

みたいな訊き方。

935 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:40:37 ID:???

今日のお昼に親子丼を食べてたら、
唐突にトコさんを思いだしてモッキしてしまいました。

トコさんごめんなさい。

>>935
私の容姿も知らんと。義姉の方がずっと綺麗ですよ。本家の長男の嫁として厳選されてますから(見合い結婚です)。

936 :なまえを挿れて。 :2006/06/14(水) 23:46:37 ID:???

もう義兄や舅に裸を見られるのは慣れた?

義兄や舅とする時は電気点けたままするの?

>>936
慣れました。舅は豆球を点けたまま、義兄はこうこうと明かりを点けたままです。


946 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 04:18:25 ID:???

特にお義姉さんは、恋愛でなく見合いで本家の長男に嫁いできたようですが
トコさんのお話によると何もかも承知で嫁に入った訳ではなさそうだし
紆余曲折はあっても結局「しきたり」に従おうを決心したわけであろうし
お姑さん然り、お義姉さん然り、トコさん然り

「気の毒」だったお姑さんや、「大変だった」お義姉さんの床始めの悶着も気になるが

イヤ気になるのは、拒絶せずに「しきたり」を受け入れた本心なのだが歴代の嫁さんサイドに何か弱味でもあったのだろうか?

旦那に惚れた弱味とか、金に目がくらんでというのは決定打に欠けるきらいがするしもちろん背徳的な性風習に血が騒いでというのも説得力に欠けると思う

まさか金子銀子と引き換えに小作農家から本家へ奉公に出されたわけでもあるまいに

そもそも家の「決まり」事たる「しきたり」の発端とかには興味はなかったのですか?

家長制度維持や単純に快楽追及だけの旧家に代々伝わる「しきたり」に過ぎないのか

一子相伝で家長にしか与り知らぬ集落の存亡に関わるような重大な背景が存在するのか

現家長やお姑さんが亡き後、「しきたり」や「決まり」事を改める気配もなさそうですし何よりトコさん自身、来たるべき甥御さんのご指名には甘んじて受ける気構えですしね

そもそも将来の分家について旦那さんのご意見はいかようなものなのかと

直系や傍系となるご息女はおられぬようですが、ご生誕の暁にはその処遇も気がかりです

>>946
心からお詫びしたいのですが、私は専攻が電子工学だったのでそういった
民俗学とか文化人類学っぽい分野には全く興味がないです。
文章も漢字が多くて難しいです。バカで済みません。

948 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 08:07:26 ID:???

>>トコさん
初めて舅や義兄とした時に、ダンナさんは何て言ってましたか?

>>948
何にも言ってこなかったです。私も話しかけられたくなかったしその辺は空気を
読んでくれたのだと思う。どうせ近寄って来ても涙目でギッと睨むだけだったし。


949 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 09:17:35 ID:???

結局は正当な理由は無いのか。てっきり今の時代でも説得に足る(理論上)理由があるのかなぁと思ってたんで。

トコさんの旦那さんは、分家したらやめるつもりですか?
今の状況をみると比較的積極的にしているとおもうんですが、トコさんが反対しなければ「しきたりを続けたい」とか言い出しそうですか?


>>949
分家して旦那が「続ける」とか言ってもセックスする相手は私しかいないじゃないですか。

男の子を授かってその子がお嫁さんを連れてくるまで待つ?

待つとして息子が承知するかしら…などを考えると無理っぽいですね。だからこのしきたりって家長がいて何世代も同居している本家でしか続いてないのかもしれませんね。 知らんけど。

952 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 19:03:34 ID:???

福島県民の俺が来ましたよ

って、どの地域の話よ。農作業とかの話も出てるから、農家なのかと思うが。会津の方?

今の時代、そんな豪農があるのか?


>>952
>農家なのかと思うが。会津の方?

教えるわけには行かねーなー


954 :なまえを挿れて。 :2006/06/15(木) 22:48:49 ID:???
>> トコさん

舅さんや義兄さんとした後に、
ゴムをはずしてフキフキしたりするのはトコさんのお役目?


>>954
終わった後私はグンニャリ寝転がってるのでそこまで面倒は見てられません。

旦那がゴムを使ったときは私が後処理します。ゴムを外してウエットティッシュで拭くし、旦那が望むなら口でもします。

でもどうせその後シャワー浴びに行くんですけど。

974 :なまえを挿れて。 :2006/06/17(土) 21:46:49 ID:???
>>トコさん

現段階では、甥とのことは姑に何て言われているんですか?
それについてダンナさんや義姉は何と言っているんですか?

以前の書き込みで「甥が『トコおばちゃんとする』と言えば私は断れません」
と書かれていましたが「舅や義兄とはともかく、甥とするのは断固お断りします」とは言えないんでしょうか?

トコさんのカキコを読んでいると、なんとなく言えちゃいそうな雰囲気を感じるんですが。

>>974
姑は「相手して当然」という風情です。旦那はその話題には関わりません。
義姉は私よりずっと強い拒否反応を示しています。早すぎるそうです。

でもそれは逆に甥が義姉を説得するなり、義姉に「仕方ない」と思わせること
ができれば、私には否も応もないということです。

義姉が「しょうがないからトコちゃんお願い」といえば私は断れません。筋としても
雰囲気としてもです。ただその時でも私はいやだいやだ言ってると思います。

甥が大手を振って(?)私を好きにできるようになるのは成人するか結婚するか
した時ですが、私たち夫婦の計画ではそんなに長く本家にとどまるつもりはないので、現実問題として甥と私が日常的にセックスするようになることはないと思います。

ただし一度もないかといわれると「ない」と言い切る自信はないです。多分私達
が出て行くことが決定したら激しく甥が抗議すると思うからです。

だからありがちですが「一度だけなら…」と応じることになるでしょう。そして多分ほんの一度きりではなく何回か繰り返すのは間違いないと思います。

甥の性格からして「一回じゃ上手く出来なかったから悔いが残る」だのなんだの
いうでしょうから。

まあそれもこれも甥が「トコおばちゃんと?ありえねえ」といえばただの妄想ですが。


961 :なまえを挿れて。 :2006/06/16(金) 00:42:40 ID:???

だいぶ前の方でカキコされてた「筆降ろしのお祭り」とは,具体的にどんな感じで進行するものなのですか?

いわゆる乱交,みたいな感じですか?

>>961
お祭りに関しては殆ど詳しいことは分からないです。

祭りの喧騒の裏でそういうことがあるということだけで。

ただ姑の話では、お相手をする女の人がむしろ楽しみにしている行事らしいです。私が私が状態で。

ちなみに「筆おろしのお祭り」じゃないです。それが主眼のお祭りじゃないです。


963 :なまえを挿れて。 :2006/06/16(金) 01:59:13 ID:???

舅、義兄、旦那、義嫁、トコさんで、それぞれは個別につながっているんだから、5Pとかしても良い気がするんだけど、
それはないんだね。


>>963
ないです、絶対ありえない。

正直言うと旦那と義姉がどんな風にしてるのかというのに興味がないわけじゃないですけど、自分が参加してというのは恥ずかしくてイヤ。ましてや義兄・舅もいるとか考えられない。

そもそも舅がそういうのに乗りそうにない人ですからないでしょう。

982 :なまえを挿れて。 :2006/06/18(日) 10:25:51 ID:???

万が一 トコさん夫婦が子供を授からなかった場合
舅や義兄の種で子作りすることになるのでしょうか?
トコさんはそれを拒否することも出来るのでしょうか?

>>982
旦那の子供だから欲しいのであって、あくまでも私は子種をもらってまでつくろうとは思いません。子供ができなかったら普通に不妊治療すると思います。それでもダメだったら私は諦めます。旦那が望んでもイヤ。

http://logsoku.com/thread/love.2ch.net/kageki/1076854082/
http://moemoe.homeip.net/view.php/15359

11. 中川隆[-13684] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:32:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告
三池崇史の映画 『インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜』

『インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜』(Imprint)2006年 角川ヘラルド・ピクチャーズ


動画
http://www.weblio.jp/video/content/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%9C%E3%81%BC%E3%81%A3%E3%81%91%E3%81%88%E3%80%81%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A6%E3%81%88%E3%80%9C
http://yume551.com/foreignfilm/5437.html

監督 三池崇史
脚本 天願大介
原作 岩井志麻子 『ぼっけえ、きょうてえ』

キャスト

女郎:工藤夕貴
クリストファー:ビリー・ドラゴ
小桃:美知枝
内儀:根岸季衣
小桃を折檻する先輩女郎 : 岩井志麻子


明治時代の日本。アメリカ人文筆家のクリスは小桃という女を探している途中、川中の遊郭で、とある女郎と出会う。その女郎は小桃との思い出をクリスに語り出す。醜い顔をしたその女郎は 生まれたときから奇形で顔の左半分がつり上がり、その為か他の女郎達の間に馴染めなかった。

いくつもの遊郭を渡り歩くなか、とある遊郭で彼女は女郎の小桃と出会う。どの女郎からも貶され虐げられてきたが小桃だけは彼女に優しくしてくれた。そんな小桃に翡翠の指輪の盗難の疑惑がかかり、小桃は拷問をされてしまう。そしてその女郎の手によって小桃は殺されてしまう。クリスは優しくしてくれた小桃を何故殺したと問い詰める。するとその女郎は生い立ちからの不幸な運命とその呪われた体の秘密を語り出す。


原作は岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』

『悪魔のいけにえ』のトビー・フーパー、『サスペリア』や『インフェルノ』のダリオ・アルジェント、『ハロウィン』や『ザ・フォッグ』のジョン・カーペンターなど、豪華なメンバーの中で唯一の日本人監督となった。ところが、放送コードが緩いケーブルテレビにもかかわらず、本作品だけはその内容、特に奇形シーンや拷問シーンがあまりにも残虐なため、アメリカでは放送中止になった。イギリスでは放映された。

また、日本でも映画倫理委員会から、審査規格外(審査適応区分外)扱いとなり、ほとんどの映画館から一般上映を拒否されたので、劇場版としては「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」以外は、シアターイメージフォーラム(渋谷)のみでレイトショーという形を取って上映された。自主規制によりR-18指定となっている。テレビ放映としては、WOWOWで「マスターズ・オブ・ホラー」シリーズの第1シーズン放映の中で放送された[3]。

アメリカ資本の映画なので、全編セリフが英語となっている。そのため原作の醍醐味である岡山弁独特の雰囲気に近づけるため“日本人訛りの英語”が使われたらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%9C%E3%81%BC%E3%81%A3%E3%81%91%E3%81%88%E3%80%81%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A6%E3%81%88%E3%80%9C

 【オープニング】

 白地に血が滴っていって、画面いっぱいが真っ赤に染まる。その上に、“MASTERS OF HORROR”が出たあと、各作品の一部をつないだと思われる一続きのオープニング・タイトル(ニヤリと笑う人形、狼、丘の上に十字架のシルエット、振り下ろされる斧のシルエット等)が続く。

 続いて、本編。

 夜の川面に靄が立ち込めている。その上をゆっくりと1艘の小舟が島に渡る男たちを乗せて進んでくる。その中に1人だけ外国人クリストファー(ビリー・ドラゴ)がいる。
舟は流れてきた土座衛門に進行を止められる。船頭は、慣れたことのようにそれを櫂で脇に押しやるが、それは、妊婦の土座衛門なのだった……。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 アメリカ資本だけれど、監督も出演者もスタッフも日本人だから、てっきり日本語作品だと思っていたら、台詞は全編英語で、日本語字幕が出ます。あれ〜、そういうことなのかあと、まず意表をつかれました。

 制作の条件に「台詞は英語」ということがあったようで、原作にはないクリストファーという人物が追加されていて、物語は、彼の目を通して描かれます。

 フィルムかデジタルかどちらなんだろうと思っていましたが、テレビ作品なのでやっぱりデジタルでスタンダード・サイズ。でも、“赤”の発色が非常に印象的な作品になっていました。最近のデジタルはこれくらいは普通なのか、それともスタッフ(撮影は栗田豊通)の力によるものなのでしょうか。


 【原作との相違】

 @人物設定&言語 女郎(工藤夕貴)の話の聞き手を外国人とし、彼が懇ろになった女郎を探しているという設定にし、全編英語にしたところ。

岡山弁が、原作世界の土着性、忌まわしさ、地方で闇から闇に葬られるはずの因習譚・因縁話をリアルで、魅力的なものにしているのに、英語にしたことで、それが一切そげ落とされてしまったのが、残念です。「台詞は英語」が制作の条件であったとすれば、まあ仕方がないことなのですが。

 外国人記者が怪談を聞くという設定は、ラフカディオ・ハーンを思い出させたりもします。

 ちなみに、字幕翻訳は村田恵、監修はクリスチャン・ストームズ(彼は『サウスパーク 無修正映画版』『TAMALA2010』『8mile』でも監修を担当しています)。

 A折檻シーン 原作では「つるして、火のついた松葉でいぶる」といった短い描写しかないのですが、本作では火のついた線香を脇の下に押し付け、串を爪の間と、唇と歯茎の間に突き刺す、などという“映画的な描写”に変えられています。

 B状況設定 原作では、女郎による一夜の寝物語を聞き手が聞くだけなのですが、映画では、主人公(外国人記者)が、隔絶された小島に人を探しに行くという設定になっていて、ロジャー・コーマン作品をはじめ、クラシックなホラー作品(“館もの”など、の典型的な設定&導入部で、主人公はある一定の時間そこから逃げ出すことができない)を連想させます。

 C伏線 原作では、結末に関わる伏線が冒頭で示されているのですが、それがカットされているのが残念。

 D結末 聞き手を物語に関わる人物としたことで、最後は主人公を再び物語に関わらせています。恐ろしくなった聞き手が語り手である女郎を銃で撃ってしまうということですが、この時、殺される女に一瞬小桃の姿をオーバーラップさせています。本当は話をしていたのは、小桃本人ではないかと観客に思わせる仕掛けで、そういう風にも見られるように作ってあるということでしょう(エドガー・アラン・ポー『大鴉』あたりからの発想?)。

 本当にそうだったかはともかく、女郎が語る物語の中の小桃は赤髪で、女郎(工藤)は青髪、語り手の女郎(工藤)は黒髪になっています。

 最後にクリストファーは獄中で廃人のようになっていますが、これもアジアやアフリカの土着の文化、暗黒の文化に深入りした欧米人の頭がおかしくなってしまうといった物語の典型的なパターンだと思われます(ダン・シモンズ『カーリーの歌』「バンコクに死す」とか、ピーター・ストラウブ『ココ』とか、『地獄の黙示録』をはじめとする一連のベトナム戦争ものとか)。

 Eクリーチャー 『バスケット・ケース』『ワンダーアーム・ストーリー』『広告業界で成功する方法』などを連想させます。


 【感想をもう少しだけ】

 ・貧しい村・家に生まれた女が売られて女郎になるという物語をアメリカ資本で映画化というとどうしても『SAYURI』を思い出させます。工藤夕貴が出ているから尚更ですが、『SAYURI』の陰画が『インプリント』ということなのでしょう。

 ・原作もホラーと言えばホラーですが、土着性、因習性、忌まわしさがかなり強い作品になっています。つまり単なる“恐がらせるだけの作品”にはなっていないということで、胎児を“間引き”しなければならないほどの貧農たちの住む貧村があり、そうした貧農たちにも蔑まれるような一家を作り出してしまうような社会性、社会構造が存在した、というところまで書き込まれたので傑作になったのですが、映画の方はさすがにそこまでのレベルには行けていません。最終的に印象に残ってしまうのが、“折檻”と“クリーチャー”だったりします。それはもったいないですね。そこまで行けたら放映禁止、上映禁止にはならなかったと思うのですが……。

 ・ホラー映画の常道として、わざとまわりを暗くしたり、フィルターをかけて古色蒼然たる雰囲気を出したりするものですが、本作には、そういう“ごまかし”がなく、好印象を持ちました。
映画の中に、「本物の血で描いた地獄絵図」というのが出てきますが、本作自体にも「赤」を効果的に使われていて、「血で描いた映画」を意図したのではないかと思われました。
http://umikarahajimaru.at.webry.info/200606/article_6.html


レンタルショップでは「マスターズ・オブ・ホラー」というホラー映画集の一本として置いてあります。

雑誌で取り上げていたので、興味本位で借りてみましたが、前述「オーディション」の上の上の、そのまた上を行く、とんでもない作品でした。

「なんで観ちゃったんだろう。」というのが初見の正直な感想です。
題名の意味は岡山弁で「とても怖い」という意味らしいです。

ある遊郭へアメリカ人(ビリー・ドラゴ)が、恋仲だった女郎(小桃)を身請けに来ます。
しかし、小桃はすでに死んでおり、理由を問いただすと、窃盗事件の濡れ衣を着せられて、拷問の末殺されたらしい。

その濡れ衣を着せたらしい異形の女郎(工藤夕貴)に問い詰めるアメリカ人。

彼に対して淡々と女郎(工藤夕貴)が語り始めたのはまるで、この世のこととは思えないような陰惨な身の上話だった。

まず驚いたのは悪役以外でビリー・ドラゴを見たこと。   普通の人を演じてるのを初めて見ました。

そして拷問シーンのエグいこと、エグいこと。(歯茎に〇〇、爪の間に〇〇・・・)

さらに工藤夕貴の独白シーンの迫力。
この独白に合わせて回想シーンが何回か映像になるんですが、最初はかわいそうな身の上なのかな?と思ってみていたのが、だんだん方向性が変わってくるんです。

まるで人間が抱えられる全ての「業(ごう)」を含んだような身の上話に変わってきて、聞いてる側も震えがきそうです。

3日くらい夢に見るかもしれませんが、それでも観たいという方はどうぞ・・・。
http://meshifuroneru.seesaa.net/article/385518877.html
 

12. 中川隆[-13683] koaQ7Jey 2018年12月20日 16:44:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

日本女性は大人しいから どんな酷い事をされても何も言わないのですが、
朝鮮女性はやられた事をすべて暴露してしまうのですね:


日本は戦争中に従軍慰安婦に何をやったのか


従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020


子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

____


日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm


朝鮮人「慰安婦」の証言


12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした


 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。


(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)
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拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
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12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。


 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
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使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。


(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
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チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。


○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
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ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2


李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。


十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。


 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです
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郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。


 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。


 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。
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金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。


 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/


13. 中川隆[-13674] koaQ7Jey 2018年12月21日 07:43:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

日本女性は大人しいから どんな酷い事をされても何も言わないのですが、
朝鮮女性はやられた事をすべて暴露してしまうのですね_ 2 :

天皇一族は売春業者、未成年の日本女性が天皇家の金蔓だった

 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。


貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html


高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。


「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。


日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。


娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。


「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」


福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。


至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825


1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社


日本郵船が創立される。

明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。

そこで福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」


という指示を天皇に与える。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。

(福沢諭吉全集 第15巻)


1900年初頭から天皇の命令の下、

「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」


という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。


日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設された。

(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。


また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた

米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で1億ドルを超えると記録されている。

国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。

戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。
そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。

また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という巨大な壷に蓄財された。

中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争 は天皇の個人的蓄財のために行われていた。

この問題を調査したエドワード・ベアは、「天皇一族は金銭ギャングである」と吐き棄てるように語っている。

(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)


1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族はこの蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始める。

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、スイスに850万ポンド、ラテンアメリカに1004万ポンド等、広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5〜10億ドルに上るとしている。

(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。


広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本をどのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。

日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そしてスイス銀行まで遠路運搬されていた。

中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されている最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路
アルゼンチン、スイス等に運び出していた。

天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。

(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)。


なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンである。

そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」である。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。

天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していた。

天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。

(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 


ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。


1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。


天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」

(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。


「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団である。

追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語るのがジャーナリストの仕事である。

天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。

http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607


人身売買と近代日本の成立 


自国女性を海外に売るのが「ロイヤルビジネス」だった


「からゆきさん」と呼ばれたどちらかといえば普通の「娘の身売り」の陰には、さらに悪質な詐欺的人身売買が、国策として、天皇のロイヤルビジネスとして、白人商人と連携して組織的に、国策会社日本郵船(=三菱)により、大々的に行われていた。

そして、その人身売買こそが、日本資本主義の原初的蓄積過程だった。

つまり、近代日本国家は自国女を売って成立した。


「オルタナティブ通信」などを通じて知るようになったこの事実ですが、まとまった知識を持った人をTwitterで見つけました。

http://twitter.com/urashima2


戦前の日本は民族差別に反対してたとか言ってる方がいまだに多いが、実際のところは人身売買する上で邪魔だったというのが大きな理由のようだ。そもそもアメリカが排日移民法を作らざるを得なかったのは日本からあまりに膨大な日本人女性が売られてきたからにほかならない。


戦前の日本が差別を許さないとか、プロパガンダにもならない妄想…。

世界最大の賤業婦人(売春婦)輸出大国だったのに。

それも騙して海外へ連れ出すという極悪非道ぶり。


いわゆる「からゆきさん」なんてハイカラな名称付けられているのが、それ。

ジャパゆきさんは自分の意志でオーディション受けて、どういう場所で働くか承知で来るかも知れない、からゆきさんの大半は国策として騙された人や誘拐・拉致同然に連れだされた方々なのでまるっきり違う。


からゆきさんと言っても中国だけじゃない。

世界中に貨物船の片隅に押し込められ売られており、明治から昭和にかけて、その数は30万人以上とも言われている。

戦争責任を追求する大手マスコミでさえ、からゆきさんについては非情に及び腰。

理由はロイヤル・ビジネスだから。


おもに日本郵船=三菱と組んでいるが、三菱といえば岩崎弥太郎。

岩崎といえば龍馬。龍馬といえばグラバー。

グラバーといえば武器商人…ってな具合に背後は真っ黒の助。

そもそも武器を買うための資金として人身売買をはじめた。


グラバーといえばマセソン商会の元社員で代理人。

マセソンといえばアヘン商人。

ようするに茶を買うためアヘンを売るのが、武器を買うために女性を売る…にかわっただけ。

長州ファイブを留学させたのもマセソン商会。

岩崎=長州閥=天皇家は一蓮托生でアヘン・武器商とつるんでた。


騙して日本人女性を売った金で武器を買う。

その両方でピンハネすればボロ儲け。


三菱財閥が巨大化した最大の理由が人身売買…

などとは歴史の教科書や社史にも出てくるわけない。


人身売買であげた利益で武器を買い、それで戦争を行っては国民を虫けらのように死なせた。そういうビジネスを明治以来一貫して下衆なアヘン・武器商人と結託しながらやってきた。宗教も人種も違う連中を奴隷貿易するでもなく、自国の同胞女性を詐欺まがいに海外へ大量に売り飛ばすという豪快なことをしていた日本。


さうがの毛唐も

「オーマイガッツ!

ジャップのやつ正気の沙汰とは思えない。

オークレイジー」

なんて驚いたことだろう。


そういう背景により、クレージーなジャップによる人身売買を阻止するため、アメリカは排日移民法をつくってくれた。それを、差別だとかいうのだから凄い。


戦争の原因について


「カリフォルニア州への移民拒否については、 日本を憤慨させるに十分なものであった」

とは裕仁天皇のお言葉。これが戦争の原因なのだというから素晴らしい。


戦前の国策による人身売買の実態を隠蔽するため「からゆきさん」と混同されるようにイメージの偽装転換が巧妙になされている。実際はからゆきさんなんてレベルをこえた国策の人身売買が壮大なスケールで行わていた。


本来の「からゆきさん」なんてのは九州の貧しい農村部の女性が女衒に連れられアジアの娼館で働くというものだが、日本郵船とかがやってたのは基本的に詐欺。


「海外で教養を身につけよう」

「あこがれのアメリカで働こう」


なんてかんじで良家の子女から寒村にいたるまで処女を集めた。


私もこのブログで、アメリカの人身売買報告書が日本に異常に厳しいことを人種差別ではないかと批判したことがありましたが、見当違いだったかもしれません。

彼らは当然ながらこういう過去の事実を知っている。この件の被害者は日本人であり、欧米商人も関与していたので、あえて言挙げはしないが、日本国がこういう体質をもっているということには留意している。このような過去の犯罪行為について、日本人がほとんど知らされておらず日本国内に批判も反省もないことも見ている。

普通に「人身売買を防止する」という観点から見て、日本が要警戒国になるのは当然ですね。


これから必然的に貧しくなっていく日本ですが、日本女性は日本国家および天皇一族を警戒したほうが良いといえます。同時に、従軍慰安婦問題や南京強姦事件で騒いでくれる近隣国の人々に感謝しなければならない。被害者が日本人だけなら、誰も騒がず、語ろうとする者は口封じをされ、そんな過去はなかったことになります。

天皇と三菱とが一体になり、外国商人と連携して、国策でこのような犯罪行為を行った歴史が「なかったこと」にされている。何の反省もない。

このままでは、日本国家にカネが必要なときにはまた同じことが繰り返されることになるでしょう。


日本国=天皇=三菱等、

はその成立時から人身売買マフィアであり、芯から腐っていると言えます。初めから腐っているものはどうしようもありません。「日本の解体」が是非必要です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/


あめゆきさんの歌、山田わか


 日系アメリカ人の歴史の本を読んでいた時に、

「アメリカの日本人の嚆矢(はじまり)は日本人売春婦」

という記述に出会って、愕然としたことがある。


 コロラドに、江戸時代の日本人売春婦の墓標が残されているそうだが、日米和親条約(1853年)が締結される以前の話である。日本から、アメリカに直接に向かうことができなかったので、アジアを経由して、密航者としてアメリカに渡ったらしい。

 この女性たちの歴史の発掘に尽力されたのが、サンフランシスコの日本語協会の石崎五郎さん(UCデイビス校の獣医学の教授、故人)だった。石崎さんは、そうした女性の存在を不憫に思われたようだ。 中国や東南アジアに渡ったからゆきさんのことは、森崎和江や山崎朋子の著作で知ってはいたが、そうした事実が、このアメリカでもあったのだ。


 明治の新聞ダイジェストを読んでいた時に、オーストラリア行きの船の船倉で、日本人売春婦が窒息死体となって発見されたという記事を目にしたことがあるが、日本人売春婦は、オーストラリアにも、密航させられていたようだ。 十九世紀末のアジアに渡った日本人売春婦を意味する”からゆきさん”という言葉から、山崎朋子(ノンフィクション作家)が、”あめゆきさん”という言葉を作り、「あめゆきさんの歌:山田わかの数奇なる生涯」という本を書いたのが、1978年。

 プラムさんに、山田わかが働いていた場所を訊ねられた私は、シアトル時代の山田わかの手掛かりを求めて、この本を読み返した。 この本の記述とシアトル旧日本人街明細図から、20世紀初頭に、彼女が白人相手の売春婦として働いていた場所が分かった。

現在のシアトル・アジア人街のあるインターナショナル・ディストリクトの一角だ。 私自身、以前、インターナショナル・ディストリクトを訪れた時に、山田わかはどこで働かされていたのだろうと、漠然とした疑問をもちながら、同地域を歩いていたのだが、今回、キング・ストリートと5番街の角のアロハ・ハウス(現在は別のお店になっている)で働いていたことが分かった。


 1906年に、26歳で日本に帰国した山田わかは、近所に住んでいたことから平塚らいてふと知遇を得て、青鞜に参加。『朝日新聞』の人生相談の回答者になって、アメリカ帰りの女流評論家として成功した。


 アメリカの図書館で、私は、戦前に発行された山田わかの本を2冊、見掛けたことがあるし、サンフランシスコで、彼女の夫となった山田嘉吉の教える英語塾で山田わかに出会ったことがあるという人から話を訊いたこともある。 私が渡米した頃には、ヤングさんと呼ばれた日系一世の若手がまだ、生きていたのだ。ヤングさんは、英語の勉強のために、サンフランシスコの山田嘉吉の英語塾に通ったようだ。

 山田わかのシアトル時代の記述については、サンフランシスコで発行された『あめりか新聞』(1937年)のオリジナルをUCLAのライブラリー(special collections library)で読んだこともあるし、山崎朋子が出会ったリン(林)司書から、直接、お話を聞いたこともある。リンさんは、UCLAのアジア関係の生き字引のような方だったが、1990年代の前半に退職された。

第二次世界大戦後、山田わかが心血を注いだ仕事に、売春婦の更生施設の建設、運営があった。 売春婦から更生して家庭人となった彼女だからこそ、更生が、いかに大切であるかということを知っていたのであろう。

 私は、アメリカに住む日本人のことをリサーチしている理由の一つに、日本人は、アメリカから何を学ぶのだろか、ということがある。山田わかの場合は、不屈の向上心だったのではないだろうか。

http://plaza.rakuten.co.jp/katiebooks/diary/200408240000/


昔アメリカで、ハロウィーンに英語もできないくせに白人様の真似をして調子こいていた馬鹿な日本人留学生が射殺された事件がありました。しかし、アメリカ白人がやったことなので日本人は怒りません。その因縁のハロウィーンを、やがて日本人たちはアメリカ白人と一緒になって馬鹿騒ぎして祝うようになりました。

だいたい日本人に同胞意識などない。自分が白人様にでも引き立てられれば、黄色人種の同胞なんてクソみたいなものです。日本人で出世して偉くなる人はみんなそう思っています。


天皇のロイヤルビジネスは、日本人の素人女性を騙して、日本郵船の貨物船に乗せて海外に性奴隷として売り、外貨を稼ぐというものでした。


日露戦争などの戦費もそれで出した。

同胞の日本人女でさえ騙して奴隷にして、船内で白人船員に強姦させて売春婦教育し、外国の売春宿に平気で売る事をしてきた日本人なので、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行や戦地や日本軍進駐先(前記事のタイにも進駐していた)での住民強姦など朝飯前のことです。

(そんなことを否定したり事実を争ったりする方がどうにかしています)。


日本はもともとそういう麗しい国なのです。なので、マトモな人間なら、日本人であれ外国人であれ、「反日」になるのが自然です。
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/

14. 中川隆[-13673] koaQ7Jey 2018年12月21日 07:47:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

日本女性は大人しいから どんな酷い事をされても何も言わないのですが、
朝鮮女性はやられた事をすべて暴露してしまうのですね _ 3 :


天皇一族は売春業者、未成年の日本女性が天皇家の金蔓だった _ 2

こんな女に誰がした(パンパン編)__天皇陛下を恨んでね

終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた 「次から次へ、体じゅう痛くて…」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962

2018.08.15 貴志 謙介 元NHKディレクター・プロデューサー 現代ビジネス
ようやく見えた「戦後ゼロ年」の真実

今年も8月15日がめぐってきた。だが、73年前の敗戦をめぐる記憶は日々確実に薄れている。

とりわけ記憶の劣化が著しいのは、敗戦直後の一年間、いわゆる「戦後ゼロ年」であろう。みじめな焼け跡暮らし、占領の屈辱、飢え、虚脱感、思い出したくもないヤミ買い。高度成長という威勢の良い華やかなサクセス・ストーリーの陰で、暗い役回りを押し付けられたせいかもしれない。

だがもっと本質的なことは、敗戦直後の時代には、その時代を経験した人であっても知ることのできなかった秘密がたくさんあるということだ。

占領軍は、情報をコントロールしていることを悟られないような巧妙なやり方で検閲をおこない、メディアを支配する情報戦を仕組んでいた。その結果、占領政策にとって都合の悪い出来事や情報は隠されたまま、いわばブラックホールのなかへ姿を消してしまった。

「戦後社会の原点」とみなされる時代であるにもかかわらず、多くの真実が欠落し、核心がぼやけたまま風化してしまったのである。

ところがここへ来て、思いがけず、戦後ゼロ年をめぐる新しい視野がもたらされようとしている。原動力のひとつは、機密資料の公開である。たとえば、2007年に機密解除された10万ページのCIA文書があり、150万点に達するGHQの検閲記録がある。A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。

こうした極秘文書を多くの証言とつきあわせていくと、驚くべき真実が続々と浮かび上がってくる。まず、時計の針を敗戦から3日後の1945年8月17日にあわせてみよう。

日本政府がつくった「性の防波堤」

この日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿がなによりも急いだことは何だったか。

実は近衛は入閣直後、ただちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、米軍相手の売春施設を作るよう要請したのである。

40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、日本の戦争指導者がもっとも恐れたことは、兵士による性犯罪であった。そして「性の防波堤」と位置づけられたのが、「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」であった。

RAAをめぐる公式記録『R・A・A協会沿革誌』はこう述べている。

〈R・A・A協会が、その使命を忠実に達成する為、真先に開業したのは慰安所である。進駐軍将兵にとって、何よりも先ず慰安すべき面はセックスの満足であった〉

電光石火のごとく霞が関が動いた。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁など、主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長・池田勇人(のちの首相)である。池田の号令で大蔵省がポンと3300万円を出す。現在の価格に換算すれば10億円を超える。

占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人、そして官僚が何を置いても、外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのは、なぜだろう。国家が主導した売春施設を準備した警視総監・坂信弥は、内務省の資料のなかでこう証言している。

「東久邇さんは南京に入城されたときの日本の兵隊のしたことを覚えておられる。(略)それで、アメリカにやられたら大変だろうなという頭はあっただろうと思います」(大霞会編『続内務省外史』、地方財務協会)

軍国主義者がおびえていたのは、結局のところ、来るべき占領軍の蛮行というよりも、鏡に映った己の姿、日本軍の影だったのではあるまいか。

「からだじゅうが痛くて…」

8月28日、午前9時、RAAの幹部20名が皇居前広場に集合した。『R・A・A協会沿革誌』によれば、ここで全員が宮城に向かい宣誓式を行ったという。宣誓の主旨はこうである。

〈(RAA協会は)戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せらる。(略)『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、(略)「国体護持に挺身せんとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす〉

敗戦国であるドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも、占領軍を相手にする売春婦は大勢いた。しかし、国家が号令を発して、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国はほかにない。

8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第一号」として、「小町園」を開店した。ポツダム宣言の受諾からわずか2週間しかたっていない。

50人の女性、それも大半はシロウトの女性が送り込まれ、10畳、20畳の大部屋をカーテンや屏風で仕切り、30ほどの部屋が作られた。待ちかねたように、米兵がどっと押し寄せ、障子や襖を蹴破って、土足のまま押し入ってくる。女たちは恐怖のどん底へ投げ込まれた。

「恐怖におびえるまもなく、兵隊が入ってくるなり私を抱くと、しびれるほど唇を吸う。(略)入れ替わりに、つぎの兵隊がくる。(略)つぎからつぎへと抱いては送り、送っては抱き、(略)からだじゅうが痛くて……。」(『東京闇市興亡史』より)


RAAが横須賀に設けた慰安施設「安浦ハウス」(米軍資料)

女とみると、手あたりしだい

『R・A・A協会沿革誌』によれば、小町園を皮切りに、立川「キャバレー富士」、調布「調布園」、福生「福生営業所」、北多摩「ニューキャッスル」、築地「宮川」、人形町「花家」、向島「迎賓館大蔵」、若林「R・A・Aクラブ」が次々とオープン。

東京だけで33か所。従業員は450人。ダンサー2000人。350人の「慰安婦」。ひとりの女性が最高で一日60人を相手にした、との証言もある。


銀座松坂屋近くにRAAがつくったキャバレー“Oasis of Ginza”(Photo by gettyimages)

一方、RAAの幹部連中は何をしていたか。戦前に吉原で遊郭を経営していた経歴を持つRAA営業所長・岡本清次の談。

「RAAの仕事は国家の肝煎りですから、国から給料もらっているような身分でした。基本給千百円、手当て千百円の計二千二百円というのは、当時としてはそうとうな高給取り」

「食事のほうは、米兵からの土産もあったし、なにしろ警視庁から食券がきていましたから。(略)兵隊がもってくる牛肉は、ブ厚くてスキヤキにするとほんとうにうまかった」

当時、警視総監であった坂は、「RAAがあったおかげで占領軍兵士による強姦事件はほとんどなかった」と主張している。しかし、近年公開された米軍の極秘資料は、それがまぎれもなく“虚偽の申告”であり、実態はむしろ逆であったことを示唆している。

米兵による暴行事件は、8月30日にはじまり、RAAの営業によっても止むことがなかった。1945年11月中に発生した米兵の犯罪は、婦女暴行、強姦、盗み、おどし、たかりなど、554件に達している。報道が禁止されていたゆえ、一般に知られなかっただけなのである。

特に強姦事件や強盗事件が多かったのは、小町園に近い大森海岸であった。売春婦の紹介業を務めていた菅原道雄は、その理由をこう証言している。

「大森で、強盗・強姦事件が頻繁におきたのも慰安所と関係ありますね。タバコや洋服を『金にかえてくれ』といってくるヤツが多かったし、それもないヤツは強盗をしてまで女を抱く金を得ようとする。慰安所にはGIが行列をなしていてあぶれちゃうヤツがでるんですよ。そうなると、手あたりしだい、女とみると襲いかかるのです。

夜の八時ころだったでしょうか。大森から大森海岸へ行くまっ暗な道で女の人の悲鳴をきいたことがあります。たぶん素人の人でしょうが強姦されていたんです。私は一目散に逃げましたよ。だって、アメちゃんは刃物をもってましたからね」

RAAの組織と人脈から、占領終了後、赤線や基地売春が生まれた。国家がつくりだした巨大売春施設こそ、戦後の売春産業の源泉であったのである。

いまも残る「東京ブラックホール」

戦後ゼロ年のブラックホールに迷い込んだのは、国家の「いけにえ」となった女性ばかりではない。占領下の東京には、いたるところに、ブラックホールが存在していた。

あらたに発掘された映像からも、その痕跡がみつかる。たとえば、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。数兆円にもおよぶ日本軍の隠匿物資の一部である。もとはといえば、本土決戦のために軍が国民から徴用した物資であり、こうした莫大な財産は国民には返還されず、高級軍人や官僚など特権階級に横領されて、ヤミ市に横流しされていたのである。

戦後ゼロ年、飢餓やインフレは、戦争中より深刻だった。もし、隠匿物資が国民を救うために使われていたら、どれほど多くの戦災者が救われていたことだろう。

人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされたのである。その事実を、私たちの記憶のなかに、あらためて刻み込んでおかなくてはならない。

膨大なCIA文書から、戦後ゼロ年にどのような権力構造が生まれていたかを知ることもできる。たとえば、占領軍は、表向きは「日本を民主化し、軍国主義者を追放する」政策を推進したが、裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしていた。

米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。軍国主義の残党、ヤミ成金、官僚や政治家を問わず、占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。

こうして戦後ゼロ年を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した日本の支配層との合作で「世界最大の親米国家ニッポン」が造られていく。そのときできあがった権力構造のDNAは、いまも日本を支配している。

戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、戦争を推進した旧支配層を取り込んで、アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのである。

『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』という本では、いままで視界から失われていた闇を見つめ、わたしたちの記憶の欠落を埋めていくことを試みた。復元された戦後ゼロ年の姿を現在の日本と重ね合わせれば、いまの日本を呪縛する仕掛けも見えてくるにちがいない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962


▲△▽▼


こんな女に誰がした(パンパン編)__天皇陛下を恨んでね

 『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。

 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。

 この売春施設の目的は性のハケ口を設けることによって、占領軍がレイプ事件などを起こさないためにという「性の防波堤」とも言うべきものであった。が、実際は占領軍によるレイプ事件は日常茶飯事であった。

 さてRAAであるが、東京の大森を皮切りに各地に作られ全盛期にはそこで働く「パンパン」と呼ばれた女性は7万人を数えるようになった。しかしその後占領軍兵士が持ち込んだ性病が蔓延し、GHQは21年3月10日慰安所への兵士の立ち入りを禁止し、RAAは崩壊する。パンパンの彼女たちの多くは私娼となって街で客を求めるようになる。

 そのころ吉原はというと、戦時中に東京大空襲で焼け野原になるも政府の援助によってすぐに復興。そして終戦を迎えると、前述のRAAの慰安施設となる。

 GHQは占領軍のRAAの立ち入りを禁止すると同時に、日本政府に対して公娼廃止を求める。日本政府はこれを受けて公娼を廃止するが、実際は特殊飲食街を指定しその地域内での売春行為は取り締まらないようになった。これが「赤線」の始まりである。

 赤線地帯は吉原や新宿二丁目など戦前は貸座敷があったところが指定され、風俗営業取締法(以下風営法)によって「カフェー喫茶」などが営業されていた。この「カフェー喫茶」であるが、もちろん「喫茶」といってもただ単にお茶を飲むのではない。かつて花魁として働いていた女性が今度は女給という呼称で売春をしていたのである。その後赤線は朝鮮戦争の特需景気により営業する店が急増した。そのころの泊まりの料金は1000〜3000円。

 赤線が一応風営法というかたちで許可をとっていたのに対し、その許可を取らないで売春行為をしていたのが青線である。青線は表向き料理屋の形をとっているが客と交渉が成立したときは店を閉め売春をする。青線のほうが基本的に価格は安く、比較的所得・階層の低い人が利用していたと言う。

 しかし、赤線・青線地帯もやがて崩壊する。昭和33年4月1日売春防止法(以下売防法)が施行される。これはこれまで黙認してきた売春行為を禁止するものであった。なぜこの次期に売防法が公布・施行されたのか。それは日本が国連に加盟するためである。国連は昭和24年「人身売買及び売春行為の搾取禁止のための条約」を決議しており、国連に加盟するためには娼婦をなくすことが必要であったからである。

 売防法について、赤線で働いていた女性は猛反対していた。もし赤線がなくなれば彼女達は生きる術を失うことになる。政府は何も生活の保障や仕事の斡旋などはしてくれない。東京では「東京都女子従業員組合連合会」を結成し、売防法に反対するビラまきなどを行った。

 しかしながら売防法は施行され、そして吉原をはじめとする赤線地帯は消えていったのである。職を失った女性たちは、厚生施設に通い手に職をつけようとした者もいたが、白線・黒線と呼ばれる結婚相談所の形をとった売春組織で働く者もいたし、それ以外の性風俗で働く者もいた。 
http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


赤線地帯 溝口健二監督 撮影・宮川一夫

出演者 若尾文子
三益愛子
町田博子
京マチ子
木暮実千代

動画
https://www.youtube.com/watch?v=YNClfL0k_1s

「戦争が終わってアメリカさんが来たら、素人さんを守ってくれ、防波堤になってくれなんて、いーい調子でおだてられちまってね」というセリフ!

映画のラスト。初めて吉原の店に出る生娘の少女が、ようやくのことで男を誘う呼び声を出すが、すぐに柱の陰に隠れてしまう。

彼女は、これから男に体を売って生きていかなければならない。その未来の始まりが映画の終わりだ。何という終わり方!

また、それが溝口監督の映画の最後のシーンになった
http://bojingles.blog3.fc2.com/blog-entry-682.html


記録映画「赤線」  官許遊郭の実態
http://www.youtube.com/watch?v=WOZEV7sh_TU&feature=related

赤線
http://www.youtube.com/watch?v=Czjvt2wB3Z8

記録映画『赤線』・ネオンきらめく吉原 1958
http://www.youtube.com/watch?v=w3b6A9fxSE0&feature=related

記録映画『赤線』・東京パレス(小岩) 1958
http://www.youtube.com/watch?v=tM45aDtaU-4&feature=related

記録映画『赤線』・洲崎パラダイス 1958
http://www.youtube.com/watch?v=I9iF39c-Hdk&feature=related


怒れる占領軍を親日家に変えたこの手腕__昭和天皇は偉大だった


昭和天皇は主席検事キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った(?)。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


田中隆吉は、すぐに、主席検事キーナンに親しいボディーガードとなった。二人は、両者に共通するフランス語を使い、田中はバーボンをあたかも「特級酒」ように楽しむことを覚えた。田中が出版した回顧録によれば、キーナンは田中を日本暮らしのガイドのように使った。

もし、キーナンが女性関係を望んだ時は、彼はただ会話に「Je suis fort. (私は強い)」 とだけ言えば、田中は電話をかけてその段取りをととのえた。

実際、田中は何事にも明るく、靴を脱ぐのを嫌うキーナンが、靴のまま畳の間に入り込んでも問題を起こさないような、そんなくつろぎの場をも手配した。キーナンは、アメリカ人将校と日本の上流婦人との間の関係を良しとしていなかった。彼はよく言った。

「私もちょっとしたあそびは好きだが、素人に手を出したりはしない。それはよくない。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


マッカーサーの部下職員の宿泊所として徴用された旧東京記者クラブでは、22人のメイドと電話交換手が、夜、そうした職員の部屋で過ごしているところを発見された。占領後半年までに、少なく見積もっても、半分以上のアメリカ軍将校たちが日本人の愛人を持つと見られていた。

 10月、幣原内閣が発足しようとする頃、特殊慰安協会はその供給について、下士官と将校を分離し、50万人の占領軍全体がすべて同じように魅力的なサービスが受けるのは難しいと強調し始めた。そしてその日より、下士官には下級のホステスバーが、兵卒には「ウィロウ・ラン」となり、上等な老舗旅館は将校向けとなった。つまり、もはやだれもが十分に満足しえるものではなくなっていた。

みごとな庭園を持つ豪奢な別荘の幾つかにはアメリカ式浴室が設けられ、そして人々の視界からは消えた。米軍士官にもっとも人気のあったのは、東京中心部のネオン街にある、招待客のみを受け入れる、プライベートクラブだった。

 そうしたクラブの筆頭が「大安」で、裕仁の弟、海軍大佐の高松宮の親友、安藤明が経営しており、戦時に便乗して暴利を稼いできていた。

トラック運送あるいは建設業界のボスとして、最初の占領軍の着陸に際し、厚木基地のまたたくうちの修復工事を成し遂げて名を売っていたのが安藤だった。

そのクラブ「大安」では、米軍の高級将校に、活発で英語の話せる貴婦人を紹介し、夜ごと、その記念にと、御木本の真珠のネックレスが贈呈されていた。

彼の気前の良い商風は、幾度も彼を倒産の崖淵に追い込んでいたが、地下商売で大当たりを上げては再起していた。そして最後に短期の刑務所暮らしをした後は、引退して安楽な生活を楽しんだ。

 そうしたクラブとは別に、内閣官房楢橋渡や東久邇元首相の別荘では、極めて興味深い享楽が繰り広げられていた。東久邇のパーティーの様は余り記録に残されていないが、楢橋のそれは、見るからに露骨な誘惑そのもので、今日。老いたアメリカ人将軍たちが当時を思い出して顔を赤らめるものとなっている。

楢橋は熱海に別荘をもっていた。熱海の入江や山々、そして名高い温泉やホステスたちと、当地はその持ち味をあえて強調する必要もなく、かつ、楢橋は名うてのもてなし上手だった。その裕福な弁護士は、戦争中、北京で最大かつ最も儲けの良い情報収集源ホテル〔北京飯店〕を経営していた。

その彼の部下の鳥尾〔鶴代〕子爵夫人が、コトニー・ウィットニー准将に仕える将官〔民政局次長チャールス・ケーディス〕の愛人となった。ウィットニーは、連合軍最高司令部民政局を動かし、日本の法制改革の草案作りをしていた。その元ホテル経営者の楢橋は、自分と自分の「貴婦人」たちが、最後にはウィットニーの部下たちすべてを「とりこ」にするだろうと豪語していた。

 性的わいろに加えて、さらに特異な投資機会も存在していた。

マッカーサーの会計担当ハロルド・R・・ルース大佐は、占領軍将兵たちは、毎月、支払われる給料より800万ドルも余計に故国に送金をしているとの報告を行った。

日本人が中国から略奪してきた数々の骨董品は、日本産の秘蔵品とともに、米国へ送られる雑のうの中に入れられていた。

天皇の叔父、東久邇宮自身も骨董業を手がけ、後になって、要職にあるアメリカ軍士官たちに安売りし過ぎて破産したと、よく語っていた。http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


8月15日の降伏の日、近衛宮は警視庁長官、伴信也を呼んで言った。「我々は日本の娘たちを守らなければならない。特に君にはそれを理解してもらいたい」。用意周到な中産階級の人々は、女たちを山中に隠れさせ、いざという時のために青酸カリ剤を持たせていた。

スラム街には、貞淑であろうとする権利も、国を思って自ら愛国者であろうと考える暇すらも与えられたことのない数千人の女たちが残されていた。今や、そうした女たちの出番であった。

伴長官は、東京の主要な娯楽業界――旅館、レストラン、麻雀荘、お茶屋、バー、売春宿など――の代表を招集した。

8月23日、こうしたお歴々によって、連合軍下士官のための「特殊慰安施設協会」が設立された。この団体は、勧業銀行による二百万ドル相当の株発行を資本とし、その株券は天皇の友人たちに販売された。数週間のうちに、同協会は、東京で33個所、地方で5個所、そして二つの婦人専門病院での事業を始めた。 

また同協会の別事業として、東京下町にあった軍需品工場がホテルに改造された。刀を鍬に作り直す事業などより、はるかに儲かるビジネスだった。

後にこの施設が最終的に廃止されるまでに、 「ウイロー・ラン」 と呼ばれたその工場は、250人の女たちによる生産ラインを持ち、一日に平均3,750人の兵士たちを受け入れるという生産高をあげた。

 特殊慰安施設協会とその付属組織は、 「一年一円」衆と称して天皇に仕える工業界人団体によって支援され成長した。

この団体は、化学、海運業界の重鎮であり、過去十ヶ月、和平派に属し、木戸内大臣と幾度も会談を重ねてきた、山下太郎によって組織、統率されていた。山下とその賛同者は、二億円、およそ1,400万ドルの基金を集め、天皇に献上した。

この贈呈が、その受け入れに木戸内大臣が二日を要したところからみて、何らかの見返りが要求されていたことが伺える。


 山下と 「一年一円」衆が引き受けた仕事のうち、最も難しかったものは、マッカーサー及びその側近との間の連絡業務であった。

宮中のご婦人たちの助言によれば、無能な国内警察による通訳用務が放棄され、外国語に通じたそうした国際経験ある婦人たちがそれを代行するようになれば、連合軍司令部との関係ははるかに円滑になる、というものであった。そこで、パリやロンドンに暮らしたことのある王妃や侯爵夫人たちの一団は、米国での良好なコネを持つビジネスマンの一団と協力し合うことに同意した。折角の貯蓄も目減りして見る影もない戦争未亡人には、新しい着物を買うための資金も用意された。名家の別荘は、その品格と遊興施設の程度によってランク付けされた。西洋の首都で見られるようなものをまねて、会員制のクラブが作られた。

裕福な才女たちのグループは名うての芸者を招き、男たちをもてなす芸に取り組んだ。

 日本は、マッカーサーが自分の兵隊たちに予測していた気の緩みにつけ込むための準備を万全に整えていた。和平派の特殊慰安施設協会は、まさしくその目的のために、国をあげての娼婦力を動員していた。

最初に米軍の機動部隊が東京に到着し、所定の兵営や工場に収まり、そこに検問所を設置した時より、兵員たちは、幾台ものトラックに満載されてきた女たちが検問所前で下車して準備が整い、通訳から「特殊慰安施設協会からの御挨拶です」と説明されてびっくり仰天した。

この最初の進呈は受け取りを拒絶され、そのトラック満載の贈り物は未開封のまま返品された。だが数週間のうちに、それが日本側の騙し打ちではないと判ると、アメリカ人たちはそれに打ち解け始めた。そしてすぐににマッカーサーは、「広がっていると報じられる占領軍メンバーと不品行な日本女性との間の乱れた関係に大きな懸念と深い困惑」を表すこととなった。

 戦前、日本の売春婦は、その小柄さ、その恥じない快楽主義、そして彼女たちの自尊と誠実さを込めた甘美なサービスで、国際的な評判を得ていた。

彼女たちは、主要都市の街外れにある、壁で囲まれ、飾り立てられた街区に住み、働いていた。その最も著名なものは、東京の吉原で、きらめく提灯とごった返す小路を持つ40エーカー〔16万m2〕ほどの治安の良い一画を形成し、金張りの龍と朱塗りの門、着飾った客引きや曲芸師と砂糖菓子売り、格子を通して垣間見える池や庭と縁側や格子窓の向こうの女たちといった、集積された東洋の魅惑と悪徳の場であった。

 空襲を生き延びたそうした女たちは、首都圏全体に霧散していた。少しでも英語が話せるものは、特殊慰安施設協会に雇われ、郊外の古びた宿屋や、同協会が下町に作ったキャバレーや売春宿で、そのサービスを提供するのを待ち構えていた。

アメリカ人による需要は、ついには、横浜の「ビック・ティッツ〔「大きなおっぱい」の意〕・バー」や。東京の「ハード・オン〔「勃起した」の意〕・カフェ」のような目立った歓楽場所を生みだし、占領が始まって1ヶ月も経たない時点で、歓迎されるとみられる所では、目立たないようにながら、あたかも偶然を装い、そうした女たちが商売を始めていた。

 米兵のうちには、まるで麻薬の幻覚であるかのような、そうした初期の出来事を経験したものがいる。日本の地方で、武器の隠し場所を捜索していた元第8軍団の軍曹が、1945年10月末のある日の経験を述べている。


 彼と同僚は、その日、東京の東方にある小さな海辺の町のほこりっぽい広場に、彼らの乗るジープを止めた。そこで彼らが、昼食のためにK号携帯糧食を開こうとしていた時、シルクハットを被り、黒く盛装した一人の紳士がやってきて、たどたどしい英語で、粗末な場所だがその屋根の下で、食事を摂ったらいかがかと申し出てきた。彼は、ジープの後方バンパーに立ち、海を見下ろす崖の上へと、砂利道を案内した。竹藪の前で車を止めさせ、崖の淵にある、古い宿屋へと小道を下った。

その玄関では、着物を着た四人の麗しい娘が、彼らの靴を脱がせ、二階の、漆塗りの食卓の置かれた畳敷きの部屋へと通した。座布団が差しだされ、ふすまが開けられると、素晴らしい景色がそこに広がり、眼下では波が磯に砕け散っていた。女中が、K号携帯糧食に加えるべく、ビール、おひつに入ったほかほかのご飯、数々の前菜を持って入ってきた。娘たちは、間違った英語をにぎやかにしゃべり、はしを使って米兵たちにそれを食べさせた。そして、指やマッチ棒やビール瓶をもちいた接客ゲーム――言葉を超越した遊び――を彼らに教えた。とっくり入りの燗のついた酒も出され、それを杯で飲んだ。

やがて、食事と歓談に満腹したところで、娘たちが言った。「お風呂に入りましょう」。

 折り返した階段を下りて、崖下のほら穴状の部屋へと案内された。その岩の床はおだやかに傾斜し、一方の壁は海に向かった開口部だった。その床の中央に、タイル張りの湯気をあげる浴槽があった。

娘たちは着物を取り、男たちの服を脱がせ始めた。娘たちは、手おけで火傷しそうなその熱いお湯を自らあびた。その行為は繰り返され、兵士たちは大喜びしてそれをまねた。皆がそうして洗い終わった時、娘たちは浴槽の中に身を沈めた。男たちは、それに従い、その40度を越える熱いお湯に体を入れ、ゆっくりと首までつかったが、火傷はしないようだった。彼女たちは、兵士たちの顔を手ぬぐいでふいて、女中が運んできたビールを小さなグラスで飲ませた。遠くでは、崖の影が、海面の上に長く延びていた。

 皆がよく浸かった頃、女中が清潔な木綿の浴衣を持ってきて、男たちはそれを着て、その帯を前で結び、その結び目を背に回すことを教わった。そして娘たちは、彼らを、二階の個室へと案内した。そこでは、畳の床の上に厚い布団が敷かれ、またしても、ビールが幾本か、食膳の上に並べられていた。

一人の娘が、「アメリカ風の愛し方をして」と、軍曹に手を巻きつけながら言った。軍曹は、一瞬息をのみ、圧倒され、夢中となって、そして、それを拒むには自分が余りに誇らしくなっているのを感じていた。

翌朝、彼は一人で眼を覚ました。隣の部屋の仲間を起こし、そのぜいたくな遊びの代金を請求された場合を心配して、彼らの手持ちの金をかき集めた。

女中がお茶とご飯をもってきた。朝食の後、彼らは、その黒の盛装の男にそれでよいかを尋ねた。その男は、その代金は、一人につき、煙草二箱で結構と言った。玄関では、昨夜の相手をしてくれた娘たちが、靴べらを手にして待っており、満面の笑みをうかべて礼をして、彼らが帰途につくのを見送った。


 そのような、初期の接触がもたらした体験や物語は、親密関係無しといった公式占領政策をアメリカのMPによって徹底させることを不可能にした。ジャングルで闘ってきた精鋭部隊が、すべて「米国内」に帰還し終わるまでに、そうした女たちは、米国人宿泊所や定期的な一掃取締についてのあらましを知っていた。

連合軍隊員によって占められたかつての日本軍兵舎や武器改造工場は、消灯時ともなると、ヒールの音や漂う香水の香り、溜息や何かのきしみ音などが響く、不可思議な時間帯となった。http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


「米軍の本隊がまもなく到着する。宿舎は内村旅館である。

どのくらいの期間滞在するかわからないが、
署長は米軍から知覧の町民を守るようにとの中央の命令を受けている。

一番怖いのは婦女暴行であるが、これについては各方面の協力を得て、
彼らに当てがう女たちを確保した。

その女たちは、いわゆる慰安婦である。
 (赤羽礼子 石井宏著「ホタル帰る」草思社p188)

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     ll,  ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i   あ、そう! だから何?
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米兵は日本の「慰安婦」を常用していた

エリック・タルマッジ
AP通信 2007年4月25日18時44分

http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-13.fc2.com%2Fr%2Fe%2Fd%2Fredfox2667%2F51064_640x480.jpg/

この日付のない写真は横須賀市によって公開された。東京の南に位置する横須賀の安浦遊郭前に集まる米水兵。日本の降伏後米兵に売春を提供するために日本側によって設置された多くの慰安所の一つ(提供:AP通信/横須賀市)

【AP通信:東京】 第二次大戦中、軍のために女性を奴隷化した日本の忌まわしい行いには、余り知られていない続編がある。降伏後日本は米兵に対しての同様な「慰安婦」を提供したのである。米占領当局の黙認の下に。

 これまで英訳されてなかったものを含むAP通信の史料再調査は、女性が売春を強要されていると言う内部報告に関わらず、米当局が公的な売春システムを許可していたことを明らかにした。またアメリカ側は、日本が戦時中に占領したアジア諸国で女性に残忍な扱いをしていた事も熟知していた。

 1946年春にダグラス・マッカーサー司令官が売春宿を閉鎖させたが、それまでに何万人もの女性が安値で米軍相手の売春婦として雇われていた。1945年8月に米軍の日本進駐を期に多くの売春宿が営業を開始した事が記録には書かれている。

 東京の東北に位置する茨城県警の公式記録には「遺憾ながら、我々警察は占領軍のために慰安所を設けなければならなかった。それが経験豊富な女性の特別任務であったのは、一般の女性や少女を守るための防波堤とする目的であった」とある。

 日本の降伏と占領に関して協議するため日本の代表団がフィリピンに発つ前日の1945年8月18日に、内務省の指令があった。茨城県警は直ちに準備に取りかかったが、丁度良い施設は独身警察官の寮であり、それはすぐに売春慰安所に模様替えされた。20人の慰安婦と共に海軍施設から寝具が運び込まれた。慰安所は9月20日に営業を開始した。


売春宿は大繁盛
http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-13.fc2.com%2Fr%2Fe%2Fd%2Fredfox2667%2F2007050102564097_1.jpg/


記録には「慰安所が開設されて以降予想通りに大繁盛だった。慰安婦たちは...昨日の敵に自らを売ることに抵抗があり、言語や人種の違いなど彼女達にも最初は大きな戸惑いがあった。しかし彼女達は高額の賃金を受け取り、徐々にその仕事を受け入れるようになった」と書かれている。

 政府の財源で運営された「保養慰安協会」(RAA) の援助の下に、警察と東京の業者は売春宿のネットワークを設立した。1945年8月28日、東京の南隣の厚木へ進駐軍の先行隊が到着、その日の夕暮れまでに軍は最初の売春宿を見つけることになる。

 RAAの情報課長だった鏑木清一氏は「私はRAA幹部と共にそこに急いで向かったが、路上に500-600人の米兵が列を作っているのを見て驚いた。アメリカの自治警察が兵達をコントロール出来ない状態だった」と1972年の回想録でそう書いている。

 警察と民間によって運営されていたとしても、このシステムは戦時中の海外の日本軍によって設立された慰安所を手本にしている。

 鏑木氏はまた「進駐軍の兵は前払いでチケットとコンドームを与えられた」と書いている。最初のRAAの売春宿「小町園 - The Babe Garden」は当初38人の売春婦だったが、必要に迫られててすぐさま100人に増員した。女性一人当たりが一日に15-60人を相手にした。

 アメリカ人の歴史学者ジョン・ダウアー氏の著書『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本』によると、売春婦との一回が15円で、タバコ一箱の半額であり、「突然の高需要のために売春宿の運営者は、認可された売春婦でない女性をやむなく公募した」とある。

 戦争で身内を失った小町園の滝田ナツエさん (当時19) は、事務職募集広告で応募したが、空いてる唯一の職が慰安婦であると言われ、仕事につくように説得された。1952年の占領終了後に出版された鏑木氏の回想録によると、滝田さんは売春宿開業の数日後に列車に身を投げたとのことだ。「最悪の犠牲者は...『新日本女性』の広告に応募して来た、未経験の女性であった」とダウアー氏は書いている。

 鏑木氏によると、1945年の末までに35万人の米軍が日本に駐留し、米兵のためにRAAは最高時7万人の売春婦を雇っていたとある。そのためにそこに日本人以外の慰安婦が海外から来たと言う説があるが、それに関する明確な証拠はない。

 広島歴史研究所の田中利幸教授は、鏑木氏の提示した数字は根拠に乏しいとしているが、RAAはそのごく一部であり、公式記録に載っていない民間売春業者の数は更に多いであろうとしている。田中氏が発見した記録によると、米駐留軍幹部は、進駐軍の相手をする慰安婦のためにペニシリンを日本政府に提供し、RAAの売春宿のそばに予防施設を作り、兵隊達に使用を許可したとある。

 旧日本軍のための慰安婦と、進駐軍のために募集された慰安婦の類似性を駐留軍幹部は見過ごさなかった。GHQ衛生福祉厚生部のヒュー・マクドナルド上級士官の1945年12月6日の回想録によると、日本の慰安婦はしばしば強要されていたことを米進駐軍は把握していたと言う。「貧困の極致の両親に促され少女は契約を無理強いされた。時には自ら進んで家族のために犠牲になったとあるが、しかしながらそれは情報提供者の主観であり、かつてよりは一般的ではなくなったにせよ、都市部では少女の奴隷化の習慣はまだ存在している」と書いている。


RAAの崩壊

 従軍牧師達の苦情と、売春宿の発覚が米国に帰国後の進駐軍に不名誉となる懸念から、1946年3月25日、マッカーサーは全ての売春宿や慰安所その他の売春所への立ち入り禁止を指令し、間もなくRAAは解散した。

 マッカーサーの主な心配事はモラルの問題ではなかった。田中氏によると、進駐軍の米兵の1/4以上がその時点までに性病に感染していたとのことだ。「全国規模の立ち入り禁止令は、15万人以上の日本人女性を突然失職させた」と田中氏は2002年の性奴隷に関する著書でそのように書いている。元慰安婦の大半が兵士相手の違法ビジネスを続けたが、その多くが性病を持ち貧困であったとある。
http://redfox2667.blog111.fc2.com/?mode=m&no=2


 アメリカの朝鮮戦争時における慰安婦施設について

 朝鮮戦争が始まると横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人女性の売春婦(慰安婦)を集めた米軍管理の「センター」を設置した。

朝鮮の戦場から一定期間毎に交代で米軍の兵隊が送られてきた。
 (中川八洋「歴史を偽造する朝鮮」徳間書店p225) 
http://www.tamanegiya.com/iannfudoitu18.5.302.html


「国体護持」へ国策売春

『新日本女性に告ぐ!
 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。


 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。
 http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


 1945年8月18日、俗に言う終戦の日の三日後、内務省警保局長は進駐軍用に慰安施設を整備するように全国に無電を発した。9月4日には内務省保安課長も同様の命令を出している。内務省警保局というのは今日で言う警察庁のような物であり、全国の警察の元締めである。

「これを受けて各警察は慰安所の設置や慰安婦確保に奔走する。その模様を詳述しているのが『神奈川県警察史』だ。それによると空襲で焼けた花街に女性は残っておらず、警察が業者に公務乗車証明書を発給し、疎開先を回って勧誘させた。また、慰安所の布団や衣類、化粧品、消毒薬などの手配や運搬には、直接警察官が携わったという。」
とある。

 東京では警視総監坂信弥が指示して売春業者と飲食店経営者に「特殊慰安施設協会」を作らせ対応したという。この特殊慰安施設協会には、後に吉原などのソープランド経営者に連なる者達が沢山いたという。更に当時の大蔵省主計局長池田勇人(後の総理大臣)が日本勧業銀行に指示を出して資金を提供した。

「警察と大蔵省がバックの国策事業ゆえ、協会は堂々と新聞広告まで出して慰安婦を募っている。」

「進駐軍売春作戦の発案者とされる坂は、国務大臣近衛文麿から国体護持のために婦女子対策をと指示され、慰安所設置を決めたと生前語っている」
のである。占領下では米兵による強姦事件なども多かったために、反米感情が爆発して折角天皇制を存続させることに成功したのにそれが元の木阿弥となることを未然に防ぐためである。花街の女性を強姦に対する防波堤とした訳だ。

 で、特殊慰安施設協会に参加した売春業者達が戦時中に何をしていたかというと、当然の話であるが大日本帝国陸海軍の将兵相手に商売をしていた訳である。つまり従軍慰安婦=戦時性奴隷の手配に手を染めていたものも多数いた。

米軍相手に政府機関が売春婦を斡旋するという政策を取った背景には、日本軍将兵の間に強姦事件によって性病が蔓延したり占領地での人心掌握に支障が出ないように配慮した経験が生かされていた。

実際には日本軍の士気やモラルは非常に劣悪で、強姦殺人は日常茶飯事であった。毎日のこの記事だけでは従軍慰安婦=戦時性奴隷に日本政府や軍部が関わっていたことに対する状況証拠でしかないが、軍人に女性をあてがうという発想が、当時の日本人の感覚として極々普通の物であったことが分かるだろう。 
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/08/post_cfe5.html


「江東区女性軍」強制連行……。
「本土決戦が叫ばれた昭和二十年(一九四五年)に、国土防衛軍である「江東区女性軍」の編成にくりこまれた女性青年団埼玉第一中隊の百三人は、終戦の日に帰してもらえなかった。

「耐えがたきを耐えて、全日本婦人の楯となるべき……」

 と、お上が手早くつくった「国際親善協会RAA」(占領軍慰安婦)のうち、都内の四カ所に強制連行され、やみくもに米軍との交接を強いられた。
 そのことは埼玉らず、広島の女子青年団、そして川崎のM軍軍需工場など、他地区にも多くみられた。
 当時−−天皇のために捧げてたてまつると、血の宣紙を捧げてあった娘たちは、

「血書を捧げた君たちの忠誠を、天はみそなわしたもうたものであろう。君たちでなければ、日本人の操を、進駐軍の手から守り通すことはできない」

 占領軍慰安婦の持ちかけがお上からだされたのは敗戦直後の八月二十一日、RAAの誕生とともに二十六日には慰安婦の徴募がなされ、二十八日はRAAが宮城前で誓詞をなし、同日は厚木進駐の米兵に横浜の小町園が開所した。
 RAA発表による占領軍慰安婦は、昭和二十年十一月まで二万人、最盛期七万、閉鎖時の昭和二十一年(一九四六年)三月二十七日、五万五千であり、閉鎖は性病兵が増えたという米軍側の主張によった。」


横須賀……。

「横須賀に上陸した兵は、バイラーと呼ばれる客引きに案内された。−略−
 街は建物のかげ、ボートの中、神社、学校、いたるところで性行為が見られた。
「外人が船に乗ってくるから、パンパンがよってくる。横須賀へ来た船の着くところをこわした方がいい」(『日本の売春問題』神崎清)」

子どもたちが目撃して、作文にしている……。
−−小泉はこんな環境で育ったのだろうか?

自己責任は小泉政権のスローガンでしたね。直接は関係ですが……。

「閉鎖までの慰安所料金は、ショートで百円、オールナイトで三百円であり、RAAは充分にもうかっていた。政府融資の国策事業なのに、慰安婦たちからは部屋代、食費、衣裳、雑品、化粧品などと、昔からの廓のしきたりをむしろ越えるほど取り上げ、揚句の果てに、病気や怪我も、慰安婦の自己払いであった。」


閣議より前に、業者たちを集めたという。
「前述の慰安婦指令は、閣議よりも四日も早く、広尾小学校の警視庁保安課より出されてたのだ。高橋保安課長と大竹風紀係長らが、さっそく業者を集めてかたりかけた。」


調布、三鷹……。
「RAAの仕事では、立石は黒人用慰安所とされた。
 調布の日本楽器の建物は「調布園」として、九月十日に慰安婦三十人で開店し、三鷹はキャバレー慰安所として、ニューキャッスルが開所した。」

「娘を売る光景」
「人売は昭和二十三、四、五年と、売春婦に売られたが一番多いとされている(労働省婦人少年局の調査による)。」

http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/0b9d55f0b563f7420ee0432b3a409d22


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三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
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確かに売春婦ですが一般の女性を米兵によるレイプから守るためでもありました。
進駐軍がモラルがあったから日本は幸せだったというのはGHQの報道管制のたまもの
白人は昔から現地の女性をレイプし生まれた混血児をその植民地の支配層にするという政策を取り続けていました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1430857764


進駐軍犯罪史

 読売新聞の調べによる昭和32年の国内10大ニュースのトップはジラード事件。これはちゃんとした世論調査に基くものなので、当時の国民が最も関心を示したニュースが直接、反映されるものだ。ジラードとは進駐軍の兵士の名前である。ジラード事件とは進駐軍の兵士が村議夫人を射殺したという事件であった。
 
 進駐軍犯罪といえば大規模なものでは松本清張が「黒地の絵」で描いた、小倉の黒人兵大量脱走劇に伴う地域住民への大規模なレイプ、暴力沙汰がある。昭和25年7/11、およそ160人の黒人兵による祗園祭の日の犯罪事件は進駐軍によって厳重な報道規制が行われ、事件をうかがわせるような記事は当時の在京各紙にはまるで見えない。結局、この事件は7/15に進駐軍による鎮圧で市街戦となるまで続いた。この市街戦についても徹底した報道規制が行われた。
 
 昭和20年8/15から昭和27年4/28の平和条約発効までの間、日本はアメリカ進駐軍の支配下にあった。この間、都内での進駐軍犯罪被害の届出は318件、全国では2万5500件であったが、この数字は「氷山の一角」とされていた。なぜなら進駐軍犯罪被害の届出は非常に困難だったので、実際の犯罪被害は届出件数の数倍はあったのではないかと当時の人の生活感覚では感じられていたのである。
 
 進駐軍犯罪被害で役所に届出を出すと、まず加害者が本当に進駐軍という証明書を要求される。さらに市町村長の証明書、警察の証明書正副5通を要求され、少しでも不備があれば受理されない。これをようやく揃えて、やっと届出が受理される。その数字が全国で2万5500件であった。つまり届け出なかった、書類に不備がありつき返された、揉み消されたなどの犯罪被害の件数は2万5500件の中には入っていないのである。
 
 届出が受理されても、その審理は粗末なものだった。子供が酔っ払いのアメリカ兵のジープに轢殺された母は被害届をようやくCID(陸軍犯罪調査部)に受理されるも、何の連絡もなく放置され、呼び出されて「裁判でお前が負けた」と言い渡されて終わり。裁判があったのかなかったのか、あったとしたらどんな審理がされたのか何も伝えられないというシロモノだった。さらには仕事帰りにアメリカ兵にジープに拉致されて走行中に道に飛び降りて死んだ娘は「身元不明の売春婦」として処理され、家族が訴え出てもまともにとりあってもらえぬという酷さ。他にも道路を横断しているのが誰の目にも明らかなのに、アメリカ兵の運転するトラックがスピードを落さずにそのままその歩いて道を渡っている日本人をひき殺すという事もあった。あるいは突然、理由なくアメリカ兵に射殺されたり、道を歩いていて殴り殺されたり、強姦されたりなどの犯罪被害は総計3万4000件と言われたが、うち2万件は泣き寝入りしたとされている。
 
 終戦直後、進駐軍の到着に備えて政府は婦女子に警戒を呼びかけてはいた。「婦女子は淫らな服装をせぬこと、また人前で胸をあらはにしたりすることは禁物である。外國軍人が『ハロー』とか『ヘイ』とかあるいは片言まじりの日本語で呼びかけても、婦女子は相手にならず避くること」。
 
 しかしアメリカ兵によるレイプ事件は昭和20年8/30、占領部隊の日本上陸第1日目にすでに発生している。これはワシントンの米政府機関が保管していた当時の日本の内務省警保局「米兵の不法行為」に記載されており、8/30午後1時30分には神奈川の横須賀市旭町で車運転手の家にアメリカ兵2人が押し入り、留守番をしていた運転手の妻(36)と長女(17)をピストルを手にレイプした事件が起きている。このアメリカ兵2人は午前11時30分に件の家を下見しており、中に女性しかいないのを確認して犯行に及んだのだった。また同日午後6時には横須賀市の鎮守府正門にあったガラス商の家で、女中(34)が1人で留守番をしていたところをアメリカ兵2人にレイプされている。アメリカ兵は交互に見張りに立ってレイプしたという。
 
 アメリカ兵の上陸したところにレイプ事件あり。9/1にはアメリカ兵による日本人女性レイプは房総に飛び火した。千葉の安房郡の漁村の漁師の家に3人のアメリカ兵が押し入って、出征中に戦死した漁師の息子の妻(28)が留守番中に輪姦されたのをはじめ、同じ村では押し入ったアメリカ兵4人のうちの1人が別の漁師の妻(36)をレイプする事件が起きた。同日午後6時には横浜市中区でアメリカ兵2人と日本人2人に連れ出された女中(24)が野毛山自然園の中の米軍宿舎でアメリカ兵27人に輪姦される事件が起きている。この女中は翌日、意識不明となっているのを元の家へと送り返されている。
 
 アメリカ兵の理不尽な暴力の被害に遭ったのは女性ばかりではない。9/15午後10時30分には川崎市木月の国民酒場で、店主の田中(47)と長男(16)が酔ったアメリカ兵3人によって射殺される事件が起きている。特に深い理由もなくアメリカ兵に突然、射殺されて泣き寝入りという実例となる事件であるが、こうした事件はほとんどが表沙汰となる事はなかったのである。
 
 アメリカ兵による犯罪が公に報じられたのは、9/9に事もあろうに葉山の御用邸に乱入して略奪の限りを尽くしたというニュースが最後であった。9/10よりGHQの報道管制が始まったため、それ以降は進駐軍のレイプ、強盗、暴行殺人などの犯罪は全く報じられず、こうした犯罪に対しては日本警察も手が出せないという状態が続いた。政府は性の防波堤としてRAA(特殊慰安施設協会=進駐軍相手の売春公社)を設置したが、当の進駐軍から廃止にされて街頭には米兵相手のパンパン(売春婦)が溢れるようになった。こうしたパンパンは蔑視の対象にされたが、米兵の一般婦女子への際限ないレイプへ歯止めをかけた功績は大きい。
 
 このようにしてアメリカ兵による犯罪はどんな些細な事件でも新聞での報道は厳禁とされたので、総じて日本人のアメリカ進駐軍への感情は悪くはなっていない。占領中のアメリカ進駐軍犯罪には損害賠償法令がなかったため、日本独立後の昭和31年5/22、進駐軍被害者連盟が結成されて政府に補償とそれまで報道が控えられていたアメリカ兵の犯罪事実の公表へ向けて活動するなどとした。
 
 ジラード事件は昭和32年であるから進駐軍犯罪への報道はタブーではなくなっていたものの、日本の裁判管轄権が進駐軍には通用しないという構図が日本国民の前にさらされてこうした事が反米感情などに火をつける事となっていく。
 
 1/30の事であった。アメリカ軍の群馬県相馬ヶ原演習場はアメリカ軍が演習中には立ち入り禁止区域となっていて、それを破った者には刑事特別法による懲役1年以下、罰金2000円以下という罰則規定まであった。しかしこの相馬ヶ原は地元住民らが地べたに落ちている銃弾の薬莢を拾って生計の足しとするのが慣わしで、この日も相馬村議の妻、坂井なか(46)が仲間らと薬莢拾いのために相馬ヶ原に立ち入っていた。
 
 なかと一緒にいた男性(30)ら5人の証言によれば、なかは米兵に追われて逃げる最中に突然、撃たれてそのまま絶命した。この事件は当初、伏せられていたものの、2/2に5人の目撃者の中から社会党の茜ヶ久保重光衆院議員に相談を持ちかけた者があり、一気に政治問題化していく。一般の国民が事件の概要を知ったのは2/3の新聞報道によってであった。
 
 なかを撃った米兵は第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード特務三等兵(21)で、なかには2発銃弾を浴びせていた事も判明。1発目が外れて2発目を発射したというから、事故などではなく完全な確信犯である事は明らかであった。
 
 事件が表に出されて慌てたアメリカ進駐軍は2/4、熊谷の籠原キャンプの憲兵隊から群馬県警へジラードが事件を自供したと報告、その後、ジラードは地裁に告発されたものの、日米行政協定がネックとなってジラードは公務中なので裁判権はアメリカにあるというアメリカ軍の主張に押し切られそうになる。日本の反米感情の激化を恐れたアメリカが結局は裁判権不行使という裏技で、ようやく日本側の手でジラードは起訴された。これが5/18である。アメリカではジラードの日本への身柄引き渡しを認めないよう訴訟が起こされ、7/11にアメリカ最高裁によってようやく日本での裁判権が認定された。11/19に前橋地裁は傷害致死で懲役3年、執行猶予4年の判決を下し、控訴されずに12/6、ジラードはアメリカへ帰国して事件は日本国民に割り切れない感情を残したまま幕を下ろした。
 
 ジラードがなかを撃つ前にも別の弾拾いの住民に向けて発砲していた事や、なかと小野関英治に「パパサン大丈夫、ママサン大丈夫」と話しかけて近くの壕を指して「ママサン、タクサンネ」と言っていた事が明らかになったのは公判によってであった。ジラードは発砲時にはビクター・ニール・ニクル特務三等兵と一緒におり、最初は小野関に向けて空砲を発砲、続けて「ゲラルヒヤ」となかを誘い、逃げたところを背中から撃っていた。さらになかが倒れた後、ジラードはなかに近寄って触っており、なかを殺害した事は認識していたものと思われた。
 
 ジラードは7/5に日本人女性と結婚、帰国の際には同伴しており、味噌樽を土産にアメリカに持ち帰った。昭和33年4月にオタワのジラード邸を訪問した松田ふみ子によれば、ジラード邸はペンキが剥げ落ちて板は腐って2間きりの狭い家だったが、当時、日本では珍しいテレビ、電気冷蔵庫、ガスレンジが完備していた。ジラードは帰国後、工場で荷物運びをしていたが失業し、妻のハルは英語が下手なのでジラードと意思疎通が出来ず、さらに5ヶ月でわずか5ドル(1800円)しか貯金がたまらない事もあり日本に手紙も出せない状態だったという。
 
 相馬ヶ原は榛名山の南側に広がる原野で大正9年に陸軍の演習場となり、周辺住民の薬莢拾いはその頃から軍に黙認された「権利」であった。周辺住民の土地を一部強制収容して演習場にしたため、周辺住民の生計の足しのための薬莢拾いについて陸軍でもとやかく言えなかったのである。演習場は戦後はアメリカ進駐軍に接収されたが、旧日本陸軍時代と違って実弾射撃で農家の萱などに被害が出るようになり、戦前よりかえって周辺住民の生活は圧迫されてしまう。
 
 相馬村の上新田地区では地域住民全員が薬莢拾いを主な収入源としており、桃井村住民と合わせ3、400人が薬莢拾いを行っていた。1日に2、3貫(7.5キロから11キロ)を拾い、週に1度来る鉄くず屋に1貫(3.75キロ)を7、800円で売り、いい稼ぎとなっていた。月平均で1人あたま2万円の収入となったという。勢い、薬莢拾いにも熱が入り、演習の最中に演習場の中に立ち入ったり、演習場の中に穴を掘って潜み、演習中の砲弾の爆発を待つ者までいた。こんな事をすれば生命の危険にさらされるのは無理もなく、1月には砲弾の破片で薬莢拾いの住民に死者が出ている。アメリカ軍側では再三にわたって危険だからと地域住民の演習場立ち入り規制を日本側に求めていたが、地域住民は送検されても過去に起訴された事はなかった。
 
 薬莢拾いは相馬ヶ原だけの風習ではなく、演習場のある地域ではどこでも行われていた普通の事であった。静岡の御殿場にあるアメリカ軍の東富士演習場の狐塚でも昭和31年9/7午前7時30分に地元の農婦(31)が演習中のアメリカ兵に撃たれて重傷を負っている。農婦が立ち入り禁止区域にいた事から農婦側の過失として事件は処理されていたが、ジラード事件では被害者女性が死んでしまった事や社会党が政治問題化した事から一気に国民の反米感情に火をつける事となったのである。ところが相馬村ではジラード事件調査に訪れた社会党県議団には非協力的な姿勢で、今回の騒動で薬莢拾いの「特権」が奪われる事を村民らは恐れていた事も当時の報道には記されている。事件後も相馬ヶ原では地域住民ら100人が毎日、薬莢拾いを続けていた。
 
 ジラードがなぜ薬莢拾いの村議夫人を撃ったのかは、演習の最中に手袋をはめてまだ熱い薬莢を拾ったりする地元住民らの姿をジラードの所属する部隊の中でどのように感じてどういう話題にしていたかがわかれば、その理由のいくばくかが見えてきそうな気はする。禁止された区域に立ち入ってくるのだから非は向こうにあるという意識がジラードの中にはなかったか。或いは薬莢拾いの地元住民だって家に戻れば人並みの暮らしをする普通の人間であるというところまでジラードの意識が思い及ばなかったか。
 
 このジラード事件で日本の対米世論が硬化する最中の昭和32年8/2午後3時、茨城の那珂湊市前浜の県道で工員の北条清(24)が母親のはる(63)を自転車に乗せて走行中、突然、低空飛行の飛行機が2人に接触してはるは胴体を真っ二つにされ即死、清は重傷を負った。この飛行機の正体はアメリカ軍水戸補助飛行場から飛来したL22型連絡機で、2人は尾翼に引っかけられたのだった。
 
 目撃者の男性(35)の証言によれば、アメリカ軍機は機首を落として畑すれすれに飛んできてそこで曲がりかけた後、再び地面すれすれを超低空飛行、尾翼を芋畑でバウンドさせて上昇する最中に2人を引っかけたのだという。2人は阿字ヶ浦に向かう途中であった。
 
 このアメリカ軍機を操縦していたのはジョン・L・ゴードン中尉(27)、ほかに下士官も同乗していたとされる。現場に飛来する直前にこのアメリカ軍機は近くの海水浴場でも低空飛行をして海水浴客が驚くさまを楽しんでいるかのようだったというから、故意に危険な飛行をしていたのは明らかであった。しかしアメリカ軍側は異常気流で操縦不能になったための事故と主張、茨城県警ではこのアメリカ軍側の主張を斥けて8/8、ゴードンを書類送検としたが8/21には不起訴となっている。
 
 ゴードンはなぜ危険な低空飛行をしたのか?実は類似の事件は戦前にもあった。操縦士が無意味な低空飛行を地上に人がいる場所で試みて、飛行機に人を引っかけて死なせてしまう事件である。昭和2年10/21、東京の芝区愛宕小学校で運動会が行われている最中、下志津飛行学校生徒の操縦する飛行機が低空飛行をして校庭の小学生のうち3人が引っかけられて1人が死亡した。この件では操縦士は後に不時着を試みたなどと弁明している。ゴードンの例も、この飛行学校生徒の例も、自らの操縦の腕を得意がっていたのではないか。衆人環視の場所で低空飛行を繰り返して地上の人たちが騒いだり驚くのを面白がる、そういう心理から危険極まりない行為に及んだのではないか。
 
 ジラード事件、低空飛行殺傷のゴードンの事件の記憶さめやらぬ昭和33年9/7午後2時、西武線下りの飯能行き列車が埼玉の狭山市入間川ジョンソン基地内の武蔵藤沢−稲荷山公園間を走行中、1両目に銃弾が飛び込み、乗客の武蔵野音大絃楽科1年の宮村祥之(21)の背中に命中、午後3時に運ばれた基地内の病院で死亡した。列車を撃ったのはジョンソン基地憲兵隊臨時勤務のピーター・E・ロングブリー三等航空兵(19)で、「空射ちの練習をしていたところ実弾が入っているのを忘れて撃った」としたがすぐさまアメリカ軍に逮捕された。
 
 宮村は母子家庭で、母は郷里の熊本の荒尾で日雇人夫をしながら女手一つで宮村を育て、音楽家を夢見ていた息子を東京の大学へと進ませていた。宮村は昭和30年に上京、初めは東洋音楽短大に通っていた。事件の直前にはコントラバスのバイトが見つかり、母に仕送りをもう受けなくても大丈夫と連絡があったばかりであったという。
 
 アメリカ軍では当初、公務中の出来事で事故だとしたものの、いくら空射ちのつもりだったと主張しても列車に向けて発砲したのでは言い逃れのしようがなく、公務時間中の出来事ではあるが列車を撃ったのは公務とは到底認められないという見解を出した。早速埼玉県警はロングブリーを書類送検、昭和34年5/11に地裁で禁固10ヶ月の判決が出ている。
 
 アメリカ進駐軍がらみの事件ではこうして全国的な話題になった事件以外にも無数の犯罪が起きているが、それらは公にされる事は稀であった。昭和34年4月には青森の上北郡六ヶ所村で三沢基地の米軍機が訓練に際して爆弾を誤って落としていく事が頻繁となり、東京でも報道されている。六ヶ所村は米軍三沢基地の天ヶ森演習場と高瀬川を隔てた場所にあり、以前より米軍機が爆弾を誤って落としていたが、およそ3ヶ月に1発の割合だったので特に問題化していなかった。3ヶ月に1発のレベルでは報道すらされていなかったという事で当時はこの手の米軍の無法ぶりが基地の近くでは日常的だった事がわかる。
 
 しかし昭和33年9月より米軍ジェット機の練習用爆弾が昭和34年4月までに六ヶ所村に30発落下しており、うち10発は民家から2、30メートル以内の場所で爆発していた。米軍機の速度が向上して爆弾を標的に当てにくくなり誤爆しやすくなったらしい。昭和33年12月には125キロ爆弾が六ヶ所村倉内の農家の近くに落下し馬小屋に穴が開いて山火事となったほか、昭和34年3月下旬には農作業中の男性の3、4メートルの場所に爆弾が落ちて男性は気絶、さらに3/20、同じ男性の水田に爆弾が落下し爆発して5、6メートル四方の穴が開く出来事があった。米軍は模擬爆弾なので大丈夫だなどと説明していたが、死傷者が出ないのが不思議なほどであった。六ヶ所村では米軍機が爆弾を落とす標識を海上にするように陳情していた。
 
 昭和35年3/10午前10時、沖縄の伊江島の伊江村の米軍演習場の立ち入り禁止区域で弾拾いをしていた農業の島袋武盛(20)と大城敏一(19)が、米空軍ジェット機から機関砲で砲撃されて島袋は右足を銃創貫通、大城は右腕切断という重傷を負った。米軍演習場での弾拾いは沖縄に限らず内地でも付近の農民の「特権」として暗黙の了解事項になっており、伊江島ではそのための信号旗を持って農民は弾拾いをしていたが砲撃されたのだった。
 
 昭和36年11/20午後3時30分には茨城の那珂湊市釈迦町の旅館など民家8軒が、アメリカ軍水戸射撃場からの機関砲弾13発を浴びた。米軍機の誤射によるもので、旅館では窓ガラスが撃ちぬかれて座布団に直径20センチ、長さ75センチの砲弾が突き刺さっていた。ほかにも家の中や庭先などに被弾しており、旅館の女将は寝ていたら音がして、座布団や畳から煙が出ていたという。過去にも被弾事件は200件起きていた。
 
 昭和37年5/5午前3時30分、神奈川の横須賀市汐入町巡査派出所に私服の米兵5人が酔って市民を暴行していると通報があり巡査2人が駆けつけたが、うち遠藤寛巡査(37)が米兵1人に蹴られ倒れそうになったので警棒で押し返したところ、警棒を奪われたのでピストルで威嚇しながら交番へと連れて行こうとした。しかし50メートルの途中で遠藤巡査は5人の米兵に組み伏せられ、奪われたピストルで頭と右腕を撃ち抜かれて死亡、犯人の米兵はそのまま逃走した。午後7時30分、在日米海軍は20歳4人、19歳1人の二等水兵が遠藤巡査殺害の際の5人であったと発表、いずれも横須賀港に入港していたLST(戦車揚陸艦)トモグリー号の乗員で、裁判は日本で行われるとされた。
 
 昭和39年7/20午前1時30分には静岡の御殿場市中畑の米海兵隊キャンプ・フジで近所の農家の妹、勝又(45)が立ち番中の米兵に小銃で下腹部を撃たれ死亡する事件があった。この女性は酔っており、うずくまっていて米兵の日本語、英語の呼びかけに答えなかった。3回呼んでも返事がない時は撃ってもいいという管理規則だった。この女性は独身で知恵遅れ、酔うと放浪癖があったという。アメリカ軍は撃った兵士は不明であるとし、また公務中なので裁判管轄権はアメリカにあるとした。この事件については報道はなされたものの、ジラード事件と違って社会問題化せず、実際に事件自体について知らない人がほとんどである。
 
 昭和47年9/20午後には沖縄の米海兵隊基地キャンプハンセンで、米海兵隊第4師団第3大隊のジェームス・S・ベンジャミン上等兵(25)の部屋で靴を磨いていた基地従業員の栄野川盛勇(37)にベンジャミンが10ドル紙幣が消えたと難癖を付けて口論となり、ベンジャミンがライフル銃で栄野川を射殺した事件があった。9/21に警察庁がベンジャミンは公務中ではないと見解を出してアメリカ軍に犯人引き渡しを要求したが、アメリカ軍は公務中として応じなかった。9/22、インガソル米駐日大使は1次裁判権は日本にあるとし、在沖縄米海兵隊基地司令部もベンジャミンは公務中ではなかったと認め、9/23午後11時50分、沖縄県警はベンジャミンを書類送検した。10/3、ようやくベンジャミンの身柄は日本に渡されて殺人罪での起訴となった。しかしその後、ベンジャミンには心神喪失で無罪の判決が出ている。

http://www.geocities.jp/showahistory/history04/32c.html


占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 

【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の許可により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。

 AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの許可で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。

 AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を許可した一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した−と報道した。同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。しかしこれら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。

 日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を許可されたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っている。
(19/05/06 03:21)
http://tamezou.at.webry.info/200705/article_1.html


1945年9月28日、進駐軍は都衛生課に慰安施設の開設を要求した
『占領秘録』 中公文庫 住本利男著

坂信弥氏の話

それから婦女子の問題は内閣でも非常に心配した。私は内閣に呼ばれ近衛公から

『日本の娘を守ってくれ、この問題は一部長に任せず君が先になってやるように』

と言われた。一般の婦女子を守るために防波堤を築くことも考えました。慰安施設を作り、そうしたところで働く女性を集める。こう言う矢面に立とうという人があったればこそ、あとの若い人たちが救われたのだと思う。

なにしろ、米軍が進駐したその晩に、早くも左官級の人々がジープを飛ばして東京にきた。そして丸の内警察署を警視庁と間違えてか、入ってきて、女を世話しろという。そういうものはないと答えると、あの辺に大勢いるではないかといって、日比谷辺りを歩いている女の人たちを指さした。あれは良家の子女だといって納得させるのに骨が折れたようだった。

良家の子女が間違われる心配は多かったのです。

とにかく警視庁で、この際国民のためになるならという人を集め、向島や大森などに設備をした。それからすぐに特殊慰安施設協会(RAA)というものが料亭SやYの主人達によって作られ、資金は三百万円を勧銀から借り出して経営したわけです。


ペニシリン 東京へ

都衛生課が一番はじめに受けた命令は、「女」の問題だった。

九月二十八日に総司令部に来い、というので、与謝野博士がでかけてゆくと、軍医総監のところへつれてゆかれた。総監は、大きな東京の地図を前にしていて、女の問題を持ち出したのだった。その時に公衆福祉局長のサムス准将(当時は大佐)に紹介され、それから同氏との交渉がはじまった。

赤坂は焼けてしまい、新橋は休業、柳橋はない、という有様で、都内の花柳界で残っていたのは五ヶ所きりだった。それに特飲街が十七ヶ所あったが、博士は先方の要求で進駐軍用としての割ふりをやった。

葭町は将校用とか、向島はなに、というふうに決めたのだが一番困ったのは黒人兵の割当てであった。与謝野博士は、業者からやみ打ちをうける覚悟で、五、六ヶ所を考えて相談した。初めは女たちも泣いて嫌がったようだが、黒人兵のほうからすれば、日本人は「白人」の部類に入る。だから女に対しては親切をきわめ、サーヴィスにつとめたものだった。それでニ、三日すると、黒人兵大歓迎ということになり、博士も心配していただけにホッとしたものである。
その時の命令は、

「都知事の責任において進駐軍の兵隊を性病にかからせてはならない。だから都の責任で検診を厳重にやるように・・・」

ということだった。週一回の検診では不足だという。「花柳病予防法」というものがあったが、それではやれないので、すぐに「性病予防規則」を作り、花柳界、特飲街、それから「特殊慰安施設協会」(RAA)などに検診や治療をやったのである。もっとも都側は、日本には治療するにも薬がない、完全に命令を履行するため薬をもらいたい、と申し出た。その結果、ダイヤジンやペニシリン、梅毒のマハルゾールの三種の薬品が大量に与えられたのであった。ただその代償として女から治療費などをとってはならぬ、無料でやれ、ということだった。

こうして、進駐軍用に、焼け残った都内の花柳界、特飲街が割りあてられてしまい、日本人用はたった一つ特飲街の千住があるだけだった。

引揚者や家族を疎開させた単身者が多かったので、風紀上何か問題が起きはしないかと心配されたのだが、事故も起こらなかった。ニ、三ヶ月後には千住だけでなく、ニ、三の場所もよいことになったが、こんどは、日本人の客があまり歓迎されない、という妙な現象が起こった。

翌年の四月ごろになると、進駐軍兵士で性病にかかるものが多くなってきた。これが理由で、総司令部は全部の花柳界を「立ち入り禁止」(オフ・リミット)にしてしまった。

病気のことも原因だが、花柳界のことが米国の新聞特派員によって本国に報道されたため、兵士の母親や家族では大問題となったからであった。我々の師弟が、そういういかがわしい特飲街に行っているのは怪しからん、という非難がサムス准将のところへ殺到したものだった。花柳病は実際はそんなに多くはなく、むしろ減っていたのだが、これを口実にして、サムス准将は政策の切りかえをやったのである。


「パンパン」の発生

占領下にできた新しい社会現象は「パンパン」であろう。軍隊の後には女が行進する、ということは歴史が語る事実である。進駐してから形もかわり、場所も移ったが、いつも軍隊の後を追っていた。
米国の軍人や軍属などが日本に落とす金は一億八千五百万ドルといわれるが、「パンパン」のかせぐドルは、その半ばに達するだろうという。

パンパンの発生は二十一年の夏頃であった。最初は立川、東京市内の日本劇場の周り、有楽町などで、数も五百人ぐらいだったが、そえがまたたく間に二千人、三千人になろうという有様だった。「パンパン・ガール」は健康診断を受けないから性病の罹患率が高くなってきた、と言うので、進駐軍の方が困ってしまった。

東京都が性病予防規則をつくった時、厚生省は、自治体だけでああいう規則をつくるのはけしからん、というので叱ったことがあった。しかし、都側は進駐軍から命ぜられたから仕方がない、という立場をとっていた。与謝野課長はハーグの陸戦法規に、「出先官憲は占領軍の命令を守らなければならない」と書いてあるのを見て、厚生省に説明し、そこで初めて厚生省は、花柳行予防特例によって、全国府県知事の責任で検診をやることにした。占領軍当局は、進駐軍を相手とするダンスホールのダンサー、ビャホールの従業員まで検診をやれ、といいだした。ダンサーも気の毒だったが、ビヤホールの従業婦などは、年少の人たちが多くて、ひどい飛ばっちりを受けたものだと、関係者は言っている。

特例の規定にしたがって、検診をしたものは、写真入のカードを持たせたが、これを思っていれば安全、というわけで、ヤミ屋がカードを売り出すような始末となった。そこで進駐軍はカード制はだめだといいだし、特例はすぐに廃止するわけにも行かないので、「申合せ」で発行を中止してしまった。

「パンパン」に対しては無検診だからというので進駐軍は一斉検挙を日本側に申し入れた。日比谷にあった憲兵司令官とか軍医関係のものがやればよかったのだが、東京には十一の憲兵分隊があり、分隊では下士官が命令し、警察官が協力して逮捕したものだから、場合によっては行きすぎもあった。とうのは何人捕まえたという報告を出さなくてはならなかったので、数をあげようとする傾向があった。

社会的な問題となったのは、東上線大山駅で、電車をとめて、乗っていた若い女たちを全部引っ張った事件だった。日本の警察官がついていたのだから、これはそうじゃない、といえばよかったのだし、またその意見もきけばよかったのだが、先方は日本の警察はヤミ取引があるのではないかと疑う。それで商売女でないことが判っていながら、みすみす吉原病院に送るというようなことがあった。病院のほうは、きたものは検査する義務を持っていたから、送られて来たものはすべて検査した。普通のお嬢さんがそうした目にあうことはしばしばだった。警視庁に、負けたとはいえ日本は法治国家ではないか、という抗議がいくたびかきた。


与謝野光氏の話

「我々のほうは進駐軍の命令にしたがった、国際公法によってやったのだとい理屈はある。しかし、これはやり方の問題で、やはり警官が弱かった。私は、なるべく前によく聞きただせ、といっておいたし、幾人かは帰しもしたけれど、ひどい目にあった人が相当あったと思う。米軍は自分の国の兵隊を守ることに急なため、日本の女性に迷惑をかけることになった。

進駐軍が性病を持ち込んだこともあったろう。しかし特に悪性のものもでなかった。むしろ米兵から、どこで遊んだら病気になったというような報告が多かったので、日本側は信用されず、米軍の軍医が直接検診に乗り出したこともある。

たとえば日本橋のどこで、目が黒いとか、背丈がどのくらいだが、というだけで名前も判らない。これを探すのは容易ではなかった。

 『パンパン狩り』は、狩り込みを先方がやってこちらが検診するというやり方だったが、後に、二十六年の九月からは、先方が検挙するのはやめて、日本側でやることになった。総司令部の公安課から、日本の法務府検務局長に対して、今後は日本でやること、ただし今までの成績を落とすようなことがあったら、責任者を即刻クビにする、という強い命令がでた。検務局長と警視庁、それに私が総司令部によばれて、依頼をうけた。しかしどうして検挙するかが問題だった。私のほうでやるには性病予防法の第十一条でやるほかない。

第十一条というのは、常習売淫の疑いあるものは、地方長官が検診の命令を出すことができる、というものでした。私は検務局長に対し、私のほうでやれといっても、第十一条は検診の命令で、検挙してもよいとは書いていないがいいのか、と聞いたものです。いいからやってくれ、というので警視庁は暴力で妨害するものを防ぐために『売春班』をつくった。ところで警察のほうは、検挙すると調書をとらなくてはならない。事務手続きが厄介で、そうしないと人権蹂躙になる。とにかく、今でも周一回、警視庁、私のほう、それから混成の三種類でやっていますが、私たちのほうはやめたいのです。

おかしなことに総司令部も二つに意見が分かれていた。公衆衛生局と憲兵司令官は病気をなくしたいといって我々に強く要求してくるが、法務局のアップルトン検務局長は、私をよびつけて、

『怪しからん、人権蹂躙ではないか。君は連れて行く権限は無い。第十一条は禁止命令で、lつれていく権限は書いていない。文化国家のやるべきことではない。また常習淫売というのは、一回だけではだめで、二回以上行わなければなりたたない。しかも現行犯だけをつかまえること、また検診命令も即刻出頭なんていう命令ではいけない。四十八時間のうちに出頭するように命じ、納得ずくでやれ』というのだが、四十八時間内に出頭しろといっても、来るものではないのです。

検務局長の意見に従っていても、たとえば立川基地などの現地の司令官は軍人なのだから、こちらのいうことなどはききはしません。週一回やらない限り、『立入禁止』(オフ・リミット)にするという。業者などは、これをやられると困るので、我々のほうになんとかやってくれ、といってくる。占領下では先方の命令でやられたのだが、独立したこれからは、法律的な根拠がなければやれないのであって、法の改正を厚生省などに要望してもなかなか実現しないのです。

性病が増えたように思う人が多いが、戦前に比べるとぐんと減っています。性病についての統計は今までは発表してはいけないというので公にされていないが、減少しています。東京だけをみても終戦当時に比べて四分の一位に減っている。これからもますます減ると思います。パンパンのよな野放しのものも減っているのです。初め彼女らの罹病率は60パーセントくらいだったが、今は10−15パーセントくらい。まして花柳界は減っている。いずれにしろ、占領行政のうちで、我々公衆衛生に関係した部門は一番めぐまれていたといえましょう。積極的に援助を受け、総司令部が先にたってやってくれたので、業績は大いにあがったのでした。」
http://urara225.iza.ne.jp/blog/entry/203155/


堕ちた大和撫子たち

 パンパンが街を闊歩する

 アメリカ軍が進駐して来て、大方の兵隊は市民には危害を加えないということが分かってくると、ようやく街も落ち着きを取り戻し、市民の表情にも安心感が現れ始めた。

 この頃、パンパンという言葉が流行った。パンパンというのは、進駐軍の兵士を相手にして、春を売る日本女性のことである。これには、オンリーというのがあって、兵隊の中でも上級階級専属で、このクラスになると住居も与えられ、いわゆるダンナから手当てをもらい、アメリカの、当時の一般の日本人がとても手にすることの出来ない衣食物を供与されて、贅沢な生活をしていた。

そうでない、不特定多数の下級の兵士を相手にするクラスの彼女らは、街角に立ってアメリカ兵の袖を引いていた。当時は、小倉には米軍の24師団が駐屯していたので、街にはアメリカ兵が多く、商売相手には事欠かなかったらしい。小倉の真ん中を流れる紫川にかかる常盤橋(当時)のたもとには、夜になると彼女たちがズラリと並んでいたものである。

 彼女たちの化粧や服装は、完全にアメリカナイズされていた。今なら普通と言えるかも知れないが、当時、人々は目をみはった。茶色に染めた髪、真赤な口紅、ピンクや紫などの手足の爪、肩をあらわにしたドレス、踵の高いカラフルなハイヒール、どれをとっても昨日まで、「撃ちてし止まむ」と化粧気もなく、耐乏生活に耐えていたモンペ姿の日本女性だとは思えなかった。

 人々は「大和撫子も堕ちたもんよ」と眉をひそめた。しかし、中には「あれらのおかげで、普通の家庭の娘が、アメ公(アメリカ兵の蔑称)どもに悪さをされなくて済んでるんだから」とそれなりの評価をする大人もいたが、ほとんどは陰で「パン助」と言って白い目でみていた。

 しかし、彼女たちは、そんな視線を尻目に、ハイヒールの音を響かせて、アメリカ兵の片腕にすがって街を闊歩した。それは夜だけでなかった。昼間も堂々としていた。敗戦という現実に心身ともに打ちひしがれた市民のなかにあって、彼女たちだけが生き生きとしていた。

 パンパンの語源は定かでないそうである。英語のpompom(これは性交という意味があるそうだが)が基になったという説もあるし、単純にペンペンという三味線の音、つまり芸者を意味しているというのもあったりする。しかし、広辞苑には原語不詳とあるが、「第二次大戦後の日本で、街娼、売春婦のことを指した」とある。

 私は、最初に彼女たちを目の当たりに見た時にはとても驚いた。それまで接してきた女性と言えば、母であり、姉、近所のおばさんたち、学校の教師などの通常の女性であったから、まるで異国人を見る思いがしたものである。しかし、それにはすぐに慣れた。彼女たちは、戦後の風俗となって、一時期世間に定着していた。

 確かに売春というのは、道徳的ではない。しかし、終戦を境に、彼女たちは自分の女体を武器にして、それまで鬼畜と喧伝されてきたアメリカの兵士といち早く関わり、その持てる金やモノを吸い取って、人々が一夜にして変わった混乱の中で、空腹を抱えて打ちひしがれている時に、図太く生きていた。大人たちは、彼女たちを口では軽蔑していながら、心のどこかで羨望していた。一見しただけで、その服装や持ち物が違っていた。物資の豊富なアメリカがそこにあったのである。

 常盤橋の両側には、靴磨きが多く並んで客待ちをしていた。中には、戦災孤児と言われた少年もいたが、戦闘帽を目深に被った白衣の傷痍軍人も多くいた。その中には義手を着けた人もいて、椅子に座って客が片方づつ履いたまま磨き台に載せる靴をかがみ込んで器用に磨いている。客のほとんどは、アメリカ兵や彼らと手を組んで歩くパンパンたちであった。日本の大人たちには、金を払って靴を磨かせる余裕などなかったということだ。

 あの白衣の傷痍軍人たちは、昨日まで誇り高き天皇陛下の軍隊として、日の丸の下で、聖戦完遂に命を賭けて鬼畜アメリカ兵と戦っていたに違いない。それが今日はその元敵兵の足元に膝を屈して靴磨きをせねばならないように、一夜にして世の中が変貌してしまった、ということだ。同時に私は、少年の幼い心情ではあったかも知れないが、そのアメリカ兵が磨き終わり、交替して椅子に座ったパンパンが、その元軍人の鼻先に足に履いたままの真っ赤なハイヒールを突き出して磨かせる光景に、何かしら義憤めいたものを覚えたものである。

 彼女は、普通では手に入らない洋モク(当時、憧憬を込めて外国のタバコをこう呼んだ)を、チュウインガムを噛みながら紅い唇に咥えてくゆらし、隣のアメリカ兵と何やら片言の英語を交わしながら、時にキャッ、キャッと甲高い笑い声を発している。その靴磨きは、下を向いたまま、黙々と彼女の靴を磨いている。私は、こんな光景に出くわす度に、なんだかこのような元軍人が可哀想で、同国人にいささかの遠慮もなく、思いやりを示さないそのパンパンが心から嫌いになった。
http://enjoynaming.cocolog-nifty.com/sudou34/2008/11/post-f3d2.html


パンパン狩り

性病が蔓延したため、強制検査のために街娼の狩込みを強化する警察やMP。有病者は強制入院させられる。池袋でもよく行われた西口闇市での取締りの光景。

RAA慰安所(米兵相手の慰安施設)や花柳街・特殊飲食街では GHQの要請で米兵を性病から保護するため 公娼や私娼に強制検診が行われていた 公娼制度廃止でRAAの慰安婦たちが何の補償もなく解雇されると 街娼(戦後自然発生)が急増 性病罹患数も増え
 強制検査のために「パンパン(米兵相手の街娼)狩り」が行われるようになる
http://com-support.co.jp/war_and_peace/after_johoku-daikusyu/index7.html


パンパンの狩り込みは、昭和二十一年(一九四六年)一月二十八日から東京ではじまった。GHQの要請でだが、占領軍の性病防止のためといえた。

京都は昭和二十三年の検挙者は二千四百二十二名であった。年齢は大正生まれが七十八名、昭和生まれがほとんどで、彼女のように十九歳から二十四歳ぐらいまでが百三十六名と一番多かった。(国家地方警察本部防犯課の資料による)


昭和21年、パンパンの一斉手入れ。こんな女に誰がした?

昭和21年の朝日新聞に、品川駅付近のホテルに出没する売春婦、いわゆるパンパンの一斉取り締りが報じられているそうです。

全部で300人が検挙されたが年齢は16歳から38歳までいた。けっこう若いじゃんと思われるかもしれません。暮らしに困って売春をなさる方の中には、恐ろしいほどの年配の方もいます。 専業は少なく、官庁や会社の事務職の者も混ざっていた。 参考資料によれば、「ダンサー、女給」など、売春業に手を染めやすい方々もおいでですが、「女工や会社の事務職、公務員」など、いわゆる堅気の女性もいたらしい。

300人のうち、性病にかかっていた者が60人いた。2割ほどの確率で病気をもらって帰るのでしょうか。当時、一番恐れられていたのは梅毒です。HIVと比べれば可愛い病気かもしれません。

「どうせ日本は負けたのだから、私たちが好きなことをするのは勝手だ」と取調べで煙草を吸う女もいた。
http://blog.q-q.jp/200702/article_17.html

15. 中川隆[-13671] koaQ7Jey 2018年12月21日 08:19:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告


月ヶ瀬村 女子中学生殺人事件


奈良r25(月瀬針線)
http://www.youtube.com/watch?v=-f3MbtoJ4Cg
http://www.youtube.com/watch?v=jqQsh5xGLRE&feature=relmfu

83 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 16:24:20 ID:iYeNtAm80

奈良県の辺りって、すげー変な事件が起こるよなあ。

村で女子中学生が殺された事件で、捕まった犯人は実は家族ぐるみで村の奴隷みたいな生活送らされてたとか。

ここら辺が平成に入ってからの事件なんだから、60年代とか、俺らからは想像できないような世界だろう。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#75


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1) 在日朝鮮人一家が月ヶ瀬村の被差別部落民に飼われていた話


 1997年5月4日午後、奈良県添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬)にて、村内に住む中学2年生・浦久保充代子さん(当時13歳)が卓球大会からの帰宅途中に行方不明となった。

 7月23日、同村に住む丘崎誠人(当時25歳)が逮捕された。丘崎誠人は車から下校途中の浦久保充代子さんに「乗っていくか?」声をかけたところ、無視され激昂し、殺害していた。

【ある集落の話】

 両親と兄弟は姉が3人、妹が1人。両親はともに日本人と朝鮮人のハーフ。内縁関係の夫婦で、土木の仕事に就いていた。父は無口、母親は気性の激しい性格だったが2人とも働き者で通っていた。長姉は村に一軒しかない居酒屋で賄いをしていた。

 集落には茶積み農家しかなく、丘崎一家は浮いていた存在だった。封建的な村社会の中、朝鮮人の血が入っていることから丘崎一家を「朝鮮が!」と見下す者もいたという。家は藪に囲まれたあばら屋のような借家であり、この家を借りることができたのは民生委員であった浦久保充代子さんの祖父の計らいによるものだった。家賃は月々1万円程度。一家は30年以上、村に住みながら「区入り」(村の一員に加えること)を認められていなかった。

(中川註 : 

家賃1万というが、代わりに最初は母親ナツエが、後に長女のカンが集落の男たちの慰みものになっていた。 

父のセイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。

集落に住まわせてやっているから。缶ジュースかミカン数個を置いていく。

幼い誠人は隣り合う部屋でその様子を聞きながら育った。 )

 誠人は中学卒業後、測量のアルバイトをはじめた。1988年(丘崎誠人16歳)、大阪、そして東京に調理師として住みこみで働いたが、性に合わず村に戻ってきた。以後、土木作業員や警備員、左官業などを務めたがどれも半年も続かなかった。TVゲームなどを夜遅くまでして、朝起きられないからだと言う。

 事件当時、すでに二女と三女は独立し、両親と四女、長姉とその子供3人の8人で暮らしていた。丘崎誠人はあいかわらず無職で、地域住民との摩擦が耐えなかった。TVゲーム、ビデオ、車にばかりのめりこむ。3月に三菱ストラーダを購入したばかりで、カーステレオでドリカムやチャゲ&飛鳥の曲を聴くのが好きだった。滋賀県・雄琴の風俗街へはたびたび遊びに行っており、犯行前日にも行っている。

【裁判】
 2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄。無期懲役を宣告した。上告を勧める弁護団に対し、丘崎誠人は訴えの取りさげを希望。刑が確定した。

 2001年9月4日午後8時頃、大分刑務所の独居房で丘崎誠人が首を吊り自殺。享年29。遺書はなかった。4日は浦久保充代子さんの月命日だった。
http://yabusaka.moo.jp/tukigase.htm


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html


とある田舎の殺人事情


1997年 平成9年 7月25日――奈良県添上郡月ヶ瀬村 

 ――深夜午前3時 奈良県警は彼を略取誘拐容疑で逮捕した。

 自宅から連れ出された彼はタンクトップに柄パン、ひょろりとしたやせぎすの男だった。汗まみれで叫び声をあげる。捜査員が携帯電話を調べようと手にすると

 「おれのケータイやて!」
 「やめーや!」

 荒れ狂い、取材陣に前蹴りを食らわす始末だった。
 だが、実際の彼はごく小心者で内気で気弱な男だった。


 彼を連行した捜査本部は初め、わいせ つ目的だろうと見込み、取り調べをしていた。というのも彼の部屋から女子中学生や女子高生のレイプ系のAVや18禁雑誌が見つかっていたからだ。それもナイフで制服やらを切り裂くような内容のものが多数あった。 公衆トイレで見つかった失踪少女のジャージや下着の状態がいかにもそれと符号していた。

 逮捕から9日後、ずっと否認を続けてた25歳の丘崎誠人は、村の女子中学生、浦久保充代、13歳の拉致殺害を自供した。

 供述も当初は「てんごするつもりだった」だった。てんごはイタズラのこと。この場合は性的な悪戯の意味だ。だが、これは取調官の想定してる性的目的の犯行へと誘導していったから出ただけの言葉だった。さらに聴取が進むと捜査本部は困惑することになった。 というのは単純な性犯罪とはまったく違う、よじれた田舎の構造と動機が浮かび上がってきたのだ──。

      ――1997年 平成9年 8月1日

 奈良県「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室。

 「なんでやった?」

 「………」


 丘崎誠人はまるで抜け殻のようだった。

 誠人が事件の日からまもなく突然売り払った三菱ストラーダの後部座席から血痕が発見され、それが充代のDNAと一致した。現場の路上に落ちてた塗料片とジャージに残されたタイヤ痕も誠人のストラーダと一致した。ダウンベストにこびりついてた毛髪の血液型が誠人と同じだった。

 証拠を突きつけ、厳しく取り調べて、 「てんごしようと思った」つまり愛好のAVのように少女を拉致して凌辱をねらい──という自供までこぎつけた。

 この時の丘崎は逮捕連行のときにマスコミの前で演じた大暴れと同じ人間とは思えない大人しさだった。
 たしかに丘崎は仕事も長続きせず転々としていた。だが、仕事先でモメごとを起こしたことはない。ただ来なくなったり遅刻ばかりでクビになったりして、いつの間にかすうっと消えていく。「大人しくて物静かな人」というのが元同僚たちの共通した印象だった。

 ――生きる力が少ない。そんな匂い。

 前科前歴もない。せいぜい軽めの交通違反くらいしかない。

 勿論、このままでも性的いたずら目的の容疑で立件できる。しかし取り調べというのはそれで終わらない。犯罪事実の調書、人定、つまり本人による本人だという説明から始まり、生い立ち、果ては小遣いの金額から今の人生観まで聴取される。


 「なあ、丘崎くんな。君は犯罪事実を認めた。この調べはな、君の言い訳をきこうかって調書や。日本ではちゃんと言い訳を聞いてくれる制度になってるんや」

「さ、もう一度訊こうか」

 誠人はそれでやっと口を開いて、初めて話したのだった。
 自分が生まれたときから決まっていた異端の人生を。


     とある田舎の殺人事情 「差別」

 名張川上流、小さな山の尾根に家屋敷が軒を並べる山渓の村。3000本の梅林とお茶の生産地。江戸時代の家屋や能舞台が残っていて文化財に指定されている。 梅林は始まり江戸時代に染料として需要は高かったが、化学染料登場で衰退していった。だが、本数が多かったので観賞用として名所になった。

  奈良県月ヶ瀬村嵩集落

 この小さな村で丘崎誠人は生まれた。

 35年前── 誠人の両親、セイジとナツエが流れ流れてこの村にやってきた。
 2人とも被差別部落出身かつ在日朝鮮人の血が複雑に絡み合う出自だった。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11233811835.html

 丘崎誠人の両親はそれぞれトラブルがあって元の被差別部落界隈に住めなくなった。 母親のナツエは月ヶ瀬村の隣の山添村ので生まれた。朝鮮人と日本人のハーフだった。

 (ここで言う『村』は行政村のこと、一般的な近世以来の血縁集団による『ムラ』はここでは『ムラ』と記述する。また『ムラ』は幾つかの集住地域に別れるがこれを『集落』と記述する。関東や東北では『部落』と呼ばれる単位であるが、近畿地方で『部落』と言えば『被差別部落』のことであり、まぎわらしいので集住単位を『集落』とし、被差別部落は『被差別部落』と記述する)

 ナツエの生まれた集落は近くのムラに枝村として附属していた被差別部落でナツエの母(丘崎誠人の祖母)もナツエの祖父母(丘崎誠人の曾祖父)もこの被差別部落民だった。ナツエの母は未婚のままで朝鮮人の男との間にナツエを生んだ。朝鮮人の男はナツエが生まれる前に何処かへ行方を眩まし、ナツエの母もナツエを生んですぐに他の男と家出した。

 ナツエは祖父母に育てられることとなった。だが、家が貧乏で小学校にも行けず7歳の頃から魚の行商を手伝わされていた。いや、そもそも戸籍があったのかどうかも定かではない。 小学校にも通えなかったナツエは読み書きもできなかった。

戦前や発展途上国の話ではない。戦後の日本の話である。

 年頃の娘になった頃は集落で唯一の居酒屋で賄いをしていたが、両親がいない。父親が朝鮮人。学校にも行っていない。当然のように、この被差別部落の中でも最下層で、被差別部落民から差別されていた。

 このころからナツエの元に近隣のいろんな男がやってくるようになった。ナツエはそれ自体を悪いことだとも考えていなかった。いや、そういう認識すらなかった。そのうちに、その男たちのうちの一人と「昵懇」になった。だが、その男は既婚者で不倫だった。狭い集落でそれを隠し通せるはずもなく、周囲に知れるとナツエは集落から追い出されるように出ていくことになった。

 父のセイジの経歴ははっきりしない。セイジも朝鮮人と日本人のハーフで奈良の柳生から流れてきたらしい。ナツエが集落を出て、セイジとナツエは知り合って夫婦になった。夫婦といっても戸籍は入れない事実婚。内縁関係と報道されていたが、主義や主張じゃなくていろいろやむを得ずの事実婚だった。

(そもそもナツエに戸籍があったのかどうかも疑わしい。このあと記述するが国から貰えるべき手当てもなかったのはそのせいではなかろうか)

 二人は流れ流れて別の被差別部落、月ヶ瀬村嵩集落にやってきた。ナツエが山添村で賄いをしていた時にこの集落から来ていた男たちがいて、ナツエと関係を持つものもいた。 ここで夫婦は、村人から早速、「おめえらは区入りさせん」と告げられる。

 ここで登場するのが、この近隣集落独自の自治制度「区」と「与力」

 ムラは長引・月瀬・嵩・桃香野・尾山・石打など、尾根や谷で分かれた小集落の集まりで、これが「区」に分けられ、「区」の代表が「与力」だった。区入りというのは「区の一員」と認められること。区民2人の推薦がないと区入りができない。もちろん明文化された条例ではない、しきたりである。

 村史を繙くと、慶長年間に幕府が農村支配の末端機関として相互観察・全体責任などの目的のために設けた五人組制度がその源ではないか、という。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のこ とである。「区入り」という、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。与力には「一家の重要な事柄は喜憂一切」を相談せねばならず、「結婚相談はもちろん、仲人の決定まで与力に相談しないと将来の交際に支障をきたすという」「与力は“縁者は一代、与力は末代”と親類以上に頼りになり、一面言うことをきかねばならぬ権威ある存在であった」(月ヶ瀬村史)


 1. 葬式には運営その他、一切の指揮をとり、家族全員手伝って山仕をつとめたり、会計もつかさどる
 2. 家の普請などのときに手伝う
 3. 結婚の結納、荷の受領、披露宴などでは、与力が親族代表として挨拶をする
 4. けんか・土地の境界争い等の仲裁・調停をしたり、身元引受人になる
 5. 出産や祝い事には親類としてつき合い、失火など、他に迷惑をかけた場合などは親類代表として詫びをする(月ヶ瀬村史)

とある。


 戦国時代、ムラや町の成長期に村人や町人を確定する動きが起こっていた。豊臣秀吉は兵農分離政策の一環で、この動きを促進させ、村人や町人以外の流れ者を厳しく取り締まり、チェックする命令を頻繁に出している。ムラや町のほうも自衛や安全の為に構成員を村人や町人の相互承認という形で確定する排他的な動きを強めていった。また、戦国から近世までは税や法は「村請け」といって、村が法人として請け負っていた。その代表者として「庄屋」や「与力」が税を集めて、不足のときは高利で立て替えたり、法を触れ回ったりしていた。

 つまり、この月ヶ瀬村のこのムラ周辺ではその戦国、江戸時代の名残が未だ続いていた。 勿論、法的根拠はない。だが、今でも与力の権威は絶大で、区民の冠婚葬祭、トラブル解決、生活指導、納税、全てを与力が取り仕切っている。

 区入りができないと区有林を利用する権利等はない。冠婚葬祭は与力が仕切るこ ととなっているため、又地区内での交際も与力関係の者同志での交際が中心であることから、与力がないと事実上村八分のようになってしまう。区入りの概念は必ずしも法廷では明確にされなかったが、嵩集落の区長の証言によれば、区入りとは「皆さんと一緒にこれからお付き合いしていくということ」とされている。

 ほかにも月ヶ瀬では、集落ごとに税金の申告・支払いをまとめている。もちろんこれらは僻地の山村における相互扶助の役割も果たしている。

 繰り返すが、近世や戦前の話ではない。1997年の話である。ちなみに月ヶ瀬では土葬、両墓制で埋め 墓と詣り墓の2つ墓がある。かつて日本では両墓が主流だった。いろんな時計の針がここでは止まってるが、封建時代の旧制が今も生きている所は意外と全国各地にある。

 このような制度は共同体の内側にいて疑問を持たずに生きていられるなら、それは分厚い帰属感に包まれてすこやかに暮らせるだろう。 だが、その輪からはじかれた者にとっては、そこは地獄と化す。

 区入りがなければ与力もつかない。村の社会的生活は全て与力が取り仕切っているので、区入りできないと自動的に村八分になるのだが、そもそも二人は村人から初めから直接言い渡されていた。

 「家ぇ焼けるか、葬式できひんときは村が寄ってやってやる。それ以外は付き合わへんからな」

 それは村八分そのものである。

 成人式、結婚式、出産、病気、普請、水害、法事、旅行、葬式、火事

 この十のうち葬式と火事以外の八には一切関わらない、すなわち村八分。
 葬式と火事だけ例外なのも善意ではない。死体をそのままにしておくと匂うし伝染病のもとになる。火事は延焼が困るからにすぎない。

 近代日本で村八分は違法だけど、1952年には静岡県上野村で選挙不正告発した女子高生一家への村八分事件、1992年には兵庫県佐用町水根の村八分訴訟、2004年には新潟県関川村の村八分訴訟が起こっている。

 水根では、たった7戸12人しかいない集落だが、そこの総代(月ヶ瀬村の与力と同じ)に命じられるまま1戸を村八分をしてる。もちろん総代が訴えられて敗訴した。だが、賠償金も6戸で割り勘することになった。しかもそれでも、裁判はなかったかのように村八分は続行中だ。

 郊外都市でもママ友集団のシカトやイジメも装いを変えた村八分で、法的にも同じく共同不法行為として損害賠償どころか刑事罰の対象にもなる。
 田舎事情は田舎で起きるとは限らな い。都会にも田舎事情は存在する。だが、ライフラインおよび全人生が一元支配されている田舎での田舎事情は生きるか死ぬかになる。

 まさにセイジとナツエ夫婦は住むところもない、生きるか死ぬかの状態だった。だが、集落の民生委員(与力が公的役回りも兼任していた)が動いた。

 (当時のマスコミ報道は、この「与力」という概念を説明できず、「民生委員」を肩書きとして記事を書いたので妙な記事になっていた)

 この与力兼民生委員が、区民に空いてる土地を融通させ「この家に住むがええ」 と夫婦に貸した。 

区入りは認めない。だが、住むことだけは許す。家賃も貧乏だろうからと月1万。

 というと与力の親切心、善意のようだが、そこは村はずれの傾斜地、周りは藪、日当たりも悪くいつもじめじめしている。


しかも家賃1万というが、代わりに最初はナツエが、後に長女のカンが集落の男たちの慰みものになっていた。


 こうして物置にしていた納屋だった掘立て小屋が、以後35年の夫婦の家になった。トタン屋根、壁はベニヤで隙間だらけで夏は暖房、冬は冷房とすきま風。風呂の湯沸かしは薪を燃やす。

 「下水道の分担金を払ってないから」便所もない。だから一家は裏山に穴を掘って用を足していた。長女が穴に用を足していたのをマスコミが写真を撮って仲間内で回したりされたりした。

 これは江戸時代でも発展途上国でもなく戦後、それも平成になってからも続いていたお話である。 

そして、この親切な与力兼民生委員の大きな屋敷に生まれた孫娘が、のち被害者となる充代だった。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11235582637.html

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セイジとナツエ夫婦は、行商と日雇いの肉体労働でなんとか食いつないでいた。

 やがて長女カンが生まれ、次女が生まれ、三女が生まれ、長男誠人が生まれ、さらに四女が生まれた。

 セイジは、家族が増えるたびに板切れで斜面に家を継ぎ足した。その為、彼らの家は一瞬3階建てに見えて、斜面に1階建て3棟が階段状に連なっている。素人の造作で更にあばら家感が増している。

 区入りできないのでは茶畑も持てないし区有林の使用権利もない。集会にも呼ばれないし、役員選出の投票権もない。けれども負担だけは負わされる。区の奉仕作業もやらされるし、負担金は最低ランクながら支払わされる。

 30年住み続けても、扱いは変わらなかった。

 実をいうと、ここが旧弊に囚われた隔絶された排他的集団かというと、そうでもない。梅林は観光地で、都市生活に疲れて「田舎暮らし」を求めて移住してきた都会人もいる。村人は排斥するでもなく普通に受け入れて付き合っていて、寛容な顔も持っている。 だが、その顔は丘崎家にだけは一度も向けられなかった。日本が経済大国になろうが昭和から平成になろうが、丘崎家は不変だった。
 

 極貧かつ孤立の暮らしだがセイジは愛人を作った。当然ながら夫婦仲は冷めた。

 ナツエは子育てをしなかった。7歳から働かされていて、子育てという概念すら知らなかった。されたことも見たこともないものはできない。

 家事も知らないから家の中はホコリと土だらけだった。家具もまったくない。生活用品は土だらけの床に直接置いてある。

 一家団欒もなかった。料理をなんとか覚えた長女カンが作りおきしたおかずを各々が食べたい時間に勝手に食べる。

 家族の会話もない。みんなたまたまひとつ屋根の下で息しているだけの家族だった。


セイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。集落に住まわせてやっているから。

缶ジュースかミカン数個を置いていく。

隣り合う部屋で幼い誠人はそれを聞いていた。

姉カンが成長すると、村にある居酒屋の賄いとして働くようになった。
 
今度はカンのもとにかわるがわる男たちが通ってきた。

隣り合う部屋で少年誠人はそれを聞いていた。

 カンは未婚のまま子を産んだ。父親は誰ということもないままだった。

 (ナツエもカンも抵抗はしなかった。既に抵抗する術を持たなかったからか、そこに自らの存在意義を見つけたからか、それはわからない。おそらく、抵抗すること自体わからなかったのではないか?産まれたときからそんな境遇で、それが当然だと)


 こうして何重苦もの荒んだ家庭で少年誠人は育った。そして、日本には義務教育制度があり、国籍住民票の有無に関係なく子どもは小中学校に行かされる。誠人は当然のようにひどい目に遭った。

 小3のとき、公民館で放火騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」と噂が立った。なぜなら「丘崎の息子やから」

 村祭りで金が盗まれた、ビニールハウスでボヤ騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」なぜなら「丘崎の息子やから」

 川で遊んでいると石を投げつけられた。なぜなら「丘崎の息子やから」

 「あの子と遊んだあかん」親たちは子ども達に言い聞かせる。なぜなら「丘崎の息子やから」


 当たり前だが、少年誠人はめっきり暗い性格になった。中2で不登校になった。そのまま学校には二度と行かなかった。友だちもできず、家にこもった。 担任教師は誠人に冷淡で、卒業まで数度しか様子を見に行かなかった。法廷で誠人は「不登校は担任のえこひいきと体罰がひどかったから」と証言した。

 卒業式も行かなかった。担任に命じられてしぶしぶ同級生が卒業証書を届けると、誠人はそれを破って焼いた。

 裁判では、村の住民、同級生たち、当時の担任も証人として出廷したが「そんな差別はなかった」と口をそろえて否定した。だが、新潮45の記事を書いた中尾幸司は 取材中に聞いた、村人の「嘲笑まじりの」証言を次のように記録している。

 「村の人間は、あの家族を明らかに見下しとるよ。年寄りが多いから、どうしても古い体質がある。現に私自身も村の人間が“朝鮮がっ! ”って吐き捨てるように蔑むのを聞いとるしね」


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。確かに一部にはそれがあるものの、それだけではない。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。

 部落差別、在日差別、職業差別、貧困、村八分、いじめ──丘崎家は戦後日本の暗部を網羅したかのごとく背負わされた。しかも一家はどのカテゴリにも入れずどこにも属すことができない。だから解放や同和の互助も、被差別への支援も、救済も彼らだけをすり抜けていった。 こうして一家は、オリジナルの下層民として「創造」されたのだった。

 ここで疑問が出てくる方もいるかもしれない。どうしてそんな目に遭っているなら村から逃げなかったのか?と。 村から出なかったのが悪い、外で自立しなかったのが悪い、どこに住むかは自由、どう生きるかは自己責任と必ず自己責任論を掲げたバッシングが出てくる。

 だけど、それは孤立し虐げられ続けることが人の心の芯をどう破壊するか理解できていない。または、する必要もない幸せな人か、要領よくいつも踏みつける側にいて、 「いじめられっ子にも非がある、ぼくらも被害者」 と嘯く人だ。


 ナツエにはこの嵩集落以外に行くところがなかった。集落の男たちの慰み者になるのなら、街に出て風俗でも稼げる。文盲で常識的な知識すらないナツエにはそれがわからなかったし、集落の者たちからは
「ここを出て行ったらお前らは生きて行かれへんぞ」
と言われ続けながら差別を受けていた。とりあえず、ここでは生きていける。虐げられ続けたものの心は自尊心すら破壊され、洗脳されていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html


           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
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       〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
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{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
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r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
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       1986年――奈良県添上郡月ヶ瀬村


 丘崎誠人は3年生を1日たりとも登校することなく中学を卒業した。

 働かないといけないということで測量のバイトを始めたが辞めた。東京や大阪の飲食店で調理師見習いとして住み込みを始めたが辞めた。土木作業員を始めたが辞めた。警備員になったが辞めた。左官見習いをしたが辞めた。

 家族の会話もなく、中学でも人間関係もなかった15歳の少年が、外界で急に円滑なコミュニケーションがとれるはずもない。 いつも、いつの間にか実家に舞い戻っている。

 家では数少ない贅沢品、プレステで黙々とゲームかアダルトビデオ鑑賞の毎日だった。とくにお気に入りは少女凌辱もので、購入資金は老いても日雇い肉体労働を続ける親にねだった。丘崎家には1台しかテレビがないので、誠人がAVを見たくなると、そのたびにテレビを自分の部屋に運ぶ。終わると戻す。

 もはや何度目かわからないが、またもや誠人は実家に舞い戻ってきた時には中学を出て10年経っていた。 もう2・3番目の姉は自立して家を出ていた。長女カンは28歳で子どもはさらに2人増えていた。やっぱり父親は誰ということもないままだった。

 狭い家に、まだ肉体労働を続ける老父母セイジとナツエ、姉カンと3人の子ども、誠人と妹の計8人が住んでいた。

 もはや誠人は働こうという気配すら見せない。プレステとAVビデオ、たまに滋賀県のソープ街雄琴まで遠征して性欲を発散。その資金は親にねだる。

 もうひとつの楽しみは自慢の三菱ストラーダだった。もちろん親にねだって農協でローンを組んでもらって買ったものだ。 チャゲアスとドリカムなどの都市の若者のラブソングを流しながら、ドライブするのが誠人の幸せだった。購入して3ヶ月で5300km走った。深夜までゲームをして昼まで寝る。夕方にストラーダでどこかへ行き、夜戻ってきて深夜までゲームの繰返しの毎日を過ごす。

 (なぜか田舎事情のある殺人者はみんなこうである。なぜか田舎に戻って来るのだ。外の世界へ出て行ったこともあるにもかかわらず。なぜか本人にとって最も忌み嫌って憎んでいるはずのそこにわざわざ戻ってしまう。  

彼らはそこを忌み嫌い憎悪を燃やしつつ、でも外では生きられない。だからそこに帰ってくるしか道を知らない。そこは家もあるし、親に依存して、とりあえず生きることができる。だが、そこを憎んでいるのは変わらない。それでますます毒々しい澱をためていく)
 

 丘崎誠人が村に舞い戻って1か月後。
      ――1997年 平成9年 5月4日

 その日──自慢の愛車ストラーダで夜明けの月ヶ瀬へ朝帰り中だった。前日の夜、例によって母親から貰った金で滋賀県の雄琴ソープ街で性欲を発散し、晴れやかな気分で翌朝、月ヶ瀬へと帰ろうとしていた。
 途中、眠くなってパーキングで仮眠をとった。起きたら昼過ぎで愛車ストラーダを家へと走らせる。 県道をジャージ姿の少女が歩いてるのを見つけた。

 (あれ…おお、充代やんか。帰る途中か。部活かな)

 与力兼民生委員の孫娘、13歳の充代は、卓球大会が終わって家に帰るところだった。この先、まだ高台にある屋敷までかなりある。その上に急な登り坂が続く。 誠人は愛車ストラーダのスピードをゆっくりと緩めて、 少女に、追いついた──

 充代は自宅に戻らなかった。卓球大会が終わって、学校を出て帰宅の途について──それきり足取り不明だった。駐在所と所轄警察も捜索を始めた。捜査員が村で聞き込みを少ししただけで、すぐに有力な怪しい人物が浮上した。

 丘崎誠人、25歳無職。


 ――5月27日

 充代が失踪した5月4日午後の時間帯の丘崎誠人のアリバイは無い。前夜からストラーダで村外へと出ていた。


 ――働きもせえへん。素行も悪い。怪しい。なにしろ丘崎の息子やから。

 「なんだ?最後の“丘崎の息子やから”というのは…」
 「はあ、それが──」

 刑事たちが戸惑ったのは、与力、区入りだという時代劇な言葉だった。村人には常識らしく普通に口にするが、なんのことかわからない。

 「丘崎の家とは付き合いしてへん」  

「付き合いのある人は誰でしょうか」  
「誰も丘崎の家とは付き合ってへんよ」

 「なぜですか?」
 「区入りしてへんし。村のもんやないで」

 「すると最近村に来た人たちですか?」
 「んー30年かそこら前ちゃうかな、来たんは」

 「はぁ、30年も住んでたら村の人やないですか」
 「区入りしてへん。村のもんやないで」


 困惑した県警の刑事達は駐在所の警官からも話を聞き、失踪少女の祖父が「与力」と呼ばれ、村ではたいへん偉い人であることが分かった。最初は「民生委員」だから偉いのかと思っていたが、与力が偉いから民生委員も兼ねてる、とも分かった。

 ――6月28日 台風の夜

刑事たちは違和感を覚えていた。村の人々は捜査にとても協力的だ。そして誰もが「丘崎の息子が怪しい」という。しかし、なぜそう思うのか、と聞くと

 「子どもの頃に公民館を放火したいう話や。 小3の頃やから警察沙汰にはならんかったけど」
 「働いても続けへん。家でぶらぶらしとる怠け者や」
 「親もあれやしな」

 全く論理的な根拠がない。根拠は「丘崎の息子やから」である。


 (丘崎誠人を、何の躊躇いもなく「怪しい」と名指しする。それは被害者が身内(しかも与力の孫)で、対する誠人は、永遠のヨソ者にして犠牲の子羊だったからだった。

 結果的には、村の噂どおり彼が犯人だった。 でも仮に、誠人が無関係だったとしても、きっと村人は言ったはずだ。彼が小3の年に起こった公民館火事のときのように)

 「丘崎の息子が怪しい」
 「丘崎の息子やから」
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11238229540.html

     ――1997年 平成9年 8月1日


 「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室

 丘崎誠人の、生まれてから、5月4日午後に少女と県道で出会うまでの、自分語りが終わった。取調べ官はやっとあの村にずっと感じてた違和感の正体が分かった。

 「では、これは復讐なのか?充代ちゃんのじいさんは区の与力だ。今までの恨みがあったから、その仕返しということか?」

 そうだとしたら、より犯行は凶悪だ。衝動的ではなく計画的、身勝手、怨恨のため罪もない少女を狙う──

 だが、丘崎はぽかんとしていた。

 「うーん…」

 本当によく分かっていない様子だった。

 「なあ、丘崎くん。一緒に思い出そうや。あんときのことを。できるだけ早う真相を明らかにするのが君の罪滅ぼしにもなるんやで」

 「はい」


 誠人は前夜、雄琴のソープランドに行き、5月4日の午前中に地元に戻ってきた。
 途中、仮眠をとり、昼過ぎに目を覚ました。何となくウキウキした気持ちで車を運転していたところ、ふと見ると嵩集落に帰る途中の充代が歩いていた。

 ――あ、あれは充代か。部活の帰りかな

 ――嵩集落まではまだ距離がある、急な坂もある、あの子を家まで送っていってやろう

 ふとそんな親切心、好意が自然と生じてきた。充代が小学生の頃は何度か送っていってやったこともあった。暫く顔を合わせていなかったが、彼女は誠人を蔑視したり、差別したことはなかった。よく笑う、誠人を「おいちゃん」と呼ぶ、人懐こい子だった。

誠人は車のスピードを落としてゆっくりと近付いた。最初の供述だと「車に引きずり込んで連れ去るつもりで」となっていたが、それは取調べ官が誘導しつつ供述させたものだ。
 いつもはそんなことしない。みんな、誠人を嫌っているので、車に乗れ等と言うと怒鳴られて石を投げられる。それを誠人は自分自身で知っている。だが、この時はいい気分だった。それに充代は誠人を蔑視したことはなかった。


 「乗って行くか」

 誠人は声をかけた。しかし充代は誠人をチラッと見ただけで、呼びかけを全く無視し、返事もしなかった。そして、足早に歩き出した。

 (どうしてそんな風に反応したか、 彼女の心は今となっては分からない。年頃の女の子だ。大人の男の車に乗ることに抵抗があったかもしれない。
13歳だから、うまく取り繕って断れなかったのか、単に丘崎の顔を忘れてて「変な男」と思って逃げたのか、それとも、中2になるまでに周りの大人たちから丘崎は『丘崎の息子やから相手にしたらあかん。近づかんとけ』と言われていたのか、ただ集落の空気を感じとってそうしたのか。
だが、いずれにしろ丘崎誠人は、無邪気な少女がいつのまにか冷淡な世間という仮面を被っていたと受け止めた)


 ――俺をよそ者と思っているから無視しよる。返事もしやがらん。この女も一緒や。

 ああああああああああああっ
 ああああああああああああっ
もう許さん!!

 それまでの嵩集落の人間から受けていたよそ者扱いと謂れのない差別の悔しさが爆発寸前になった。さっきまでのいい気分とこの現実の落差は誠人にとって絶望的だった。自分を無視した充代と嵩集落全体の人間に対する憎しみが一緒になり、頭の中が混乱状態に陥った。


 ――集落の者が一人居なくなれば、集落の全員が心配して、恨みが晴らせる絶好の機会や、今がええチャンスや!!

 それまでの嵩集落の人間からよそ者として口では言い表すことのできない苦しみと差別を受けてきたことが交差した。頭の中は爆発寸前の混乱状態のままだった。後先のことを考える余裕等なかった。

 誠人は充代の背後から時速30キロのスピードで近づき、そのまま車を衝突させた。ドンッと音がして、充代は物も言わずに転がった。ガードレールに衝突するとそのまま倒れこんだ。靴は片方脱げて転がっている。ガードレールに血糊がべっとり付いていた。

 車をぶつけた瞬間、誠人の憎しみは雲散霧消し、現実に引き戻された。急ブレーキを踏み車を停める。慌てて運転席から降りて、道に倒れた少女を抱き起こした。あちこち擦りむいて血が出ている。頭からも血が流れていた。少女はハアハアと荒い息をしていた。

 ああああああああああああっあああ、大丈夫かああっ
 うわわわ、ははねちゃっははははねはね ちゃった。
 ああなんでおれはなんで。こんな。

病院行かなきゃひどいケガケガひどい/
これがバレたらもう村にいられなくなる/
早く連れてってやらんと/
俺も家族も追い出される/
病院病院へ/
どうすりゃ/
病院へ早く病院/
いいんだどうすりゃどうすりゃどうすりゃどうす りゃどうすりゃどうすりゃどうすりゃどうすりゃななななんとかしなけりゃなんとか──

 なんとかしなけりゃ

 なんとかしなけりゃ

 なんとかしなけりゃ──


 病院へ連れていくことも脳裏をよぎった。だが、今までの集落でのことが次々と駆け巡る。自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく家族までが村に住めなくなる。事件を持って逃げるしかない。そう考えた。

 みみみ見つからない場所場所へ

 見つかっ隠して追い出される殺して隠して殺し場所見つかったら探しヤバイ殺しヤバイ見つかったら死体場所隠す場所

 どこどこどこどこがががが


 丘崎誠人の自供どおり、村から10km離れた伊賀山中で、充代の白骨化した遺体が見つかった。 祖父の与力兼民生委員は、孫娘の骨壷を受けとった。

 「やっとうちに帰ってきました」

 彼は決して悪人ではなく、集落では皆から慕われる人格者だった。月ヶ瀬の人々も、名張葛尾の人々も、加古川西神吉町の人々も、それに山形新庄市の人々も、日頃から凶悪なはずもなく、ごくふつうの素朴な人々だったはずだ。そこに田舎事情の闇がある。

 丘崎家は当然のように村から追い出さ れた。彼らの長く暮らした掘っ立て小屋の家も、すぐに取り壊されて更地になった。 丘崎家の人々は別の地に流れて居を構えた。貧しいままだったが、彼らは皮肉にも誠人の凶行によって35年にわたる呪縛から解放された。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11238480746.html


月ヶ瀬村を訪ねた。あの事件の集落を見たくなったのである。青年が生まれ育ち、ついに捨てきれなかった故郷の村の風景を。うららかに晴れた暖かな朝だったが、柳生の里を抜けるうねうねとした山間の道は日も差さず、ひどく寒かった。

 事件は1997年の5月に起きた。梅林で有名な村の中心部から川ひとつを跨いだ山間の集落で下校途中の中学2年の女子生徒(当時13歳)が行方不明となり、付近からタイヤのスリップ痕や女生徒の着用していていた靴やジャージなどが見つかった。二ヶ月後におなじ集落内に住む25歳の青年が逮捕され、自供から伊賀上野市郊外の峠で白骨化した遺体が発見された。

翌年、青年に対して奈良地裁は懲役18年の一審判決を申し渡したが、検察側がこれを不服として控訴し、2年後に大阪高裁により無期懲役の判決。青年は弁護団のすすめにもかかわらず上告をしないまま刑が確定し、去年の夏、収監先であった大分刑務所の独房内にて自らのランニング・シャツで首を縊って果てた。29歳だった。

 事件は当時、いたずら目的の稚拙な誘拐殺人といったニュアンスで報じられたように思う。だが今年になって雑誌に掲載されたレポート(新潮45・7月号「虐げられた人びと」中尾幸司)や、裁判の係争中に弁護団の一人がある機関誌に寄せた文章(部落解放なら第12号「月ヶ瀬事件と差別」高野嘉雄)などに目を通すと、そこからまた、べつの風景が浮かびあがってくる。

 青年は逮捕後、事件の動機として、集落の住民によるじぶんや家族への差別があったと供述した。月ヶ瀬は現在も与力制度といわれる昔ながらのしきたりが残っている村である。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のことである。たとえば「区入り」という、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。

 B(部落)地区には与力制度というものがあり、地元民二人の推薦がない限り、区入りができない。区入りができないと区有林を利用する権利等はない。冠婚葬祭は与力が仕切ることとなっているため、又地区内での交際も与力関係の者同志での交際が中心であることから、与力がないと事実上村八分のようになってしまう。
 被告人の母の法廷での証言によれば「地区民から、家が焼けたり、人が死んで葬式ができなくても、それだけは村で寄ってやってやる、それ以外はつきあわない、と言われた」というのである。

事件を起こした青年の家族は30年以上も前に隣村から移っててきたが「区入り」は果たしていない。村の民生委員を務める、かれがその命を奪った少女の祖父の計らいによって家族は、村はずれの日当たりの悪いじめじめとした傾斜地にかつては物置として使われていたトタン屋根とベニヤ板の壁のあばら屋に住みついた。

冬には隙間風に悩まされ、室内にはいつも鼠が走りまわっていた。
風呂は薪で、「下水道敷設の分担金が支払えなかった」ために便所はなく、外に掘った穴で用を足していた。

内縁関係にある青年の両親は、ともに日本人と朝鮮人の間に生まれたハーフであった。お茶の栽培農家がほとんどを占める村内にあって、二人は行商や日雇いの仕事で家計を支えた。

寡黙な父には愛人があり、気が強い文盲の母は子どもに金だけを与えて放任した。毎日、長女がおかずをつくり、それをみなが好き勝手な時間に食べた。会話もない、ばらばらの家族だった。

 中学卒業後、青年は職を転々とするがどれも長続きしていない。測量事務所のアルバイト、土木作業員、警備員、左官見習い。大阪や東京の飲食店で調理師見習いとして働いたこともあったが、住み込みが性に合わなかったのか、ふらりとまた村へ舞い戻った。そんななかで車は、かれの唯一の安らぎの空間であったようだ。カーステでかけるのはドリカムやチャゲ&飛鳥。「特に初期のドリカムの、都市生活を楽しむ若者たちの屈託ないラブソングがお気に入りだった」(新潮45) 事件のひと月ほど前に買ったばかりの大型四駆「三菱ストラーダ」の走行距離は、事件後に売却される三ヶ月の間に5.300キロに達していた。

 そして事件当日。ここでも修羅は、一見何気ない、のどかなごく当たり前の光景からその首をもたげる。 

 被告人が反抗に至った経過は以下のとおりである。

 被告人は前夜、滋賀県内の、いわゆるソープランドに行き、5月3日の午前中に地元に戻ってきた。うららかな日だまりの中に車を停め、しばし仮眠をした後に目を覚ました。何となくウキウキした気持ちで車を運転していたところ、ふと見るとB地区に帰る途中の被害者が歩いていた。B地区まではまだ距離がある、坂もある、あの子を家まで送っていってやろう、ふとそんな親切心、好意が自然と生じてきた。

 気楽な思いで「乗って行くか」と声をかけた。しかし被害者は被告人をチラッと見ただけで、呼びかけを全く無視し、返事もしなかった。その時の心境は、被告人の調書では、以下のとおりのものとされている。

「顔見知りの私が親切に声を掛けているのですから、せめて、お爺さんが迎えに来ますから結構ですとか、家が直ぐそこですので結構です等と断ってくれれば、私としては腹が立つことは無かったのですが、浦久保充代子さんが私の親切心を無視し、返事もせず、逃げるように足早で歩き始めたことで、私は俺をよそ者と思っているから無視しよる。返事もしやがらん。○○の者は俺を嫌っており、この女も一緒や等と思うと、それまでの○○の人間から受けていたよそ者扱いの悔しさが爆発寸前になったのです。

このようにして自分を無視した浦久保充代子さんとB地区全体の人間に対する憎しみが一緒になり、頭の中がパニック状態になったのです。そんな腹立たしい気持ちで車を走らせている時、完全に切れてしまい、許さん、車を当てて連れ去ってやろう、最低でも身動きできないようにしてやろう、B村の者が一人居なくなれば、村の全員が心配して、恨みが晴らせる絶好の機会や、今がええチャンスやと考え」

「待ち伏せしている間も私の頭の中は、親切心を無視された腹立ちと、それまでのBの人間からよそ者として口では言い表すことのできない苦しみを受けてきたこと等が交差し、とにかく頭の中は爆発寸前のパニック状態であり、後先のことを考える余裕等な」かったとされている。

 青年は少女の背後から時速30キロのスピードで近づき、そのまま車を衝突させた。だが、いざぶつけてしまうと「憎しみは雲散霧消し、現実に引き戻され」(弁論要旨)、慌てて運転席から降りて、道に倒れた少女を抱き起こし後部座席に移した。少女はハアハアと荒い息をしていた。病院へ連れて行くことも一瞬脳裏をよぎったが、

「自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく、家族までが村に住めなくなる.... 事件を持って逃げるしかないという気持ちになった。(少女を)発見されにくい場所へ連れてゆき、殺して死体を隠してしまおう」(冒頭陳述) 

そして二時間後、伊賀上野郊外の山中で、はじめは四重の紐状にしたビニールテープで絞殺しようとしたがうまくいかず、手元に転がっていた人頭大の石(4.9キロ)を数回、少女の頭部に投げつけて絶命させた。死因は左頭蓋底骨折による脳挫傷であった。

 事件をめぐる検察側と弁護側の争点は、当初、その動機にあった。検察側は殺された少女の下着が刃物で切り裂かれていたことから、事件は性的ないたずらが目的の誘拐殺人であり、青年は性的異常者であると主張した。それに対して弁護側はそのような性的異常の傾向は認められず、事件は青年の自供どおりに「被告人、被告人の家族に対する月ヶ瀬村住民等による差別の中で、被告人の鬱積した怒りが衝動的な形で暴発したものである」と反論した。

もうひとつは「差別」の問題である。一連の公判において、青年の家族を取り巻く村の旧弊さが浮き彫りになったものの結局、裁判所は「被告人のいう差別感情なるものは、何の咎もない中学二年生の被害者に対する本件の犯行動機として、ほとんど酌むべき事情にはならない」としてこれを斥けた。情状酌量の余地はないとして、検察側の求刑通り無期懲役が宣告されたのである。

 月ヶ瀬事件で特徴的なのは、被告人は自白に転じた以降、終始一貫して自己の行為を弁解せず、正当化しようとはしていないことである。被告人は動機として月ヶ瀬村の住民による被告人及びその家族への差別があったことを供述しているが、それは何故に本件の如き犯行をしたのかという質問、追求があったため、「事実」として、その経過、内心の感情の推移を説明したのにすぎない。

被告人は当然償わねばならない責任はこれを受け入れるべきと考えており、自己の刑事責任を軽くするための一切の弁解、責任転嫁を拒否し、公判廷においてもただ「事実」としての自己の心情を述べたに止まったのである。


 冬の月ヶ瀬は、さながら湖底に横たわった村のようにひっそりと静まりかえっていた。梅林近くのみやげ物屋は軒並み店を閉ざし、観光客の姿もまばらだった。昼寝をしているような観光会館にバイクを停め、置いてあった観光パンフを貰い、二階の展示室でかつてこの地を訪れた文人たちの梅林を愛でる書画をしばらく眺めた。

それから梅林の裏手にある尾山代遺跡に立ち寄った。茶畑の広がる丘陵地の斜面が小さな公園のように整備されていて、素堀りの住居と、その隣に四畳半ほどの鍛冶工房の建物が復元されている。室町期あたりに奈良の都の大安寺などに木材を供給していた職能民たちの集落跡だという。北風を避けたなだらかな南の斜面を三段に造成し、上段に前述の住居と工房、中段に食料を貯蔵した穴、下段をゴミ捨て場として使用していたらしい。どこまでも続く低い山並みを眺めながら、いにしえの杣人たちの日々の暮らしを想った。陽が雲間に隠れ、相変わらず寒かった。

 ふたたび中心部の月ヶ瀬橋までもどり、橋のたもとで山頭火の句碑などを眺めてから、青年の生まれ育った集落へ向かった。

日当たりの良い高台に茶畑が広がり、20数戸のわずかな家々が尾根筋の平坦地に身を寄せ合った、のどかな山村の風景だった。人の姿はほとんど見えず、閑としている。集落全体を見わたすことのできる公民館と薬師堂の前にバイクを停めた。もう一方の高台にひときわ立派な土塀に囲まれた屋敷が、あれがおそらく亡くなった少女の家だろうと思った。

隣接する神社の珍しい石造りの神殿などをしばらく見物してから、寺の本堂を横切り、反対側の墓地へとゆっくりと歩をすすめた。

 月ヶ瀬はいまも土葬であり、しかも埋め墓と詣り墓(石碑墓)という両墓制の形を残している。村はずれにある埋め墓に遺体を埋葬し、一定の期間祀った後は村に近い詣り墓へ霊魂を移し、以後はそちらへ詣でるのである。薬師堂の境内にあるのはその詣り墓の方で、ここから暗い雑木林の小径を20分も下ったところにあるという埋め墓も覗いてみたい気持ちもあったが、今回はあえて控えることにした。

 集落の裏山の小高い山の上に位置する、乙若城跡という南北朝時代の史跡を訪ねた。史跡というにはお粗末な、草ぼうぼうの猫の額ほどの淋しい場所だった。青年もかつて子ども時分にここでひとり孤独な時を過ごしたに違いない、となぜか思った。逮捕前に青年がマスコミの「(行方不明の)少女を知っているか」との問いに応えて、「おなじ地区だから知っている。小学生の頃は通りがかりに車に乗せてあげたこともあった」と語ったという、そのことばを想起した。

幼い頃には無邪気にかれの車に乗り込んできた少女が、ある時から「世間」という得体の知れぬ皮をかぶり、他の大人たちと同様にかれに冷淡に背を向ける。鬼だ鬼だと言われ続けてきた者が、ついに本物の鬼となって復讐をした。だが所詮、本物の鬼には成りきれなかった。
http://www.geocities.jp/marebit/oni.html

▲△▽▼

2) 奈良県 月ヶ瀬村

493:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 19:39:19 ID:???

梅の観光地になってるから行ってみたらいいよ。 梅やさんがいくつかある。
こんなところで事件があったのかってしみじみ思うよ。
見えない何かで囲われた場所って感じ。

289 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 08:16:13 ID:???

月ヶ瀬にドライブに行ったことある。 すっごく不気味で暗い雰囲気だった。
他にもあちこちのどかな田園地帯には行ったことあるけど、雰囲気が全く違う。
何かにとりつかれたような、とにかく気持ち悪い村だった。
悪霊や山姥でも住んでそうな村だったよ


749 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 21:47:38 ID:???

月ヶ瀬付近の谷の道路沿いr82だっけ走ってると細い道があって、小さい集落に続いてたりするね

なんか暗い感じのする地域なんだよね
名阪国道の南北周辺は

751 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 23:08:01 ID:???

東名阪辺りから行くと判るが JRに取り残された丹波方面は一種変わった空気してる 昔のままが残ってるような 非開放的と言うか いわゆる田舎だ

752 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 23:20:34 ID:???
>>751

奈良市街地→柳生→月ヶ瀬

ドライブに行ったことがあります。 奈良には転勤で二年間滞在してました。
月ヶ瀬に近づくにつれ、怖くなりました。

白土三平の忍者漫画カムイの雰囲気がして、背後から手裏剣が飛んで来そうな恐怖感でした。 のどかな田舎の田園風景という感じじゃなくて、山ん婆とか化け物が住んでそうな恐ろしい雰囲気でした。


754 : 752 : 2010/11/11(木) 23:57:46 ID:???

そういえば 月ヶ瀬は三重の伊賀上野の隣だね。
伊賀上野といえば伊賀者忍者の里。
奈良市側の柳生は柳生一族の里だよね。

月ヶ瀬が時代劇の忍者っぽい雰囲気なのも納得。

290 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 13:33:38 ID:lOMjkoom [1/1回発言]

月ヶ瀬村ってど真ん中に太い川があるんだけどさ、その川がダム湖みたいに深くてハンパなくでかいの。 バーベキューするような川原って感じじゃない。

あの深くてでかい川は自殺の名所かもね。 年柄年中自殺者の遺体が浮かんでそう。川の周りにはコンビニとか街灯とかはとにかく何も無くて、飛び込む人がいても誰一人目撃者がいないと思う。

梅林見学に車で行った自分は、あの川を見てたら何だか陰欝な気分になった。
真っ青に晴れた日だったのだけどね、空気が重たく感じられたよ。


296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 10:34:10 ID:AABLjX7e

ほんとあの村は異常な雰囲気が漂ってるよ。
俺は仕事とかで行くが横溝作品の舞台じゃないのかと思う時があるな。

ちなみに自殺の名所であり年間多数の自殺者が発生してる。


761:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 13:50:27 ID:MWeCSpx/

月瀬橋っていう赤い大きな橋知ってる?
橋の北側が中心部で、観光協会、梅林、役場がある。

川を挟んで橋の南側の山を奥へ奥へと進むと、細い道になっていき、うっそうとした薮になる。 その薮の中に丘崎のあばら屋があった。


258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 17:44:01.59 ID:???

奈良市月ヶ瀬嵩っていう地域。
名張川に南北にかかる月ヶ瀬橋の南側地域が嵩。

嵩の細い道(地図に載ってないのでは?)をくねくね奥に入っていき、うっそうと草木が生い茂り日光が入ってこないところに丘崎のあばら家があったそうな。

同じ月ヶ瀬嵩で道路に面した小高い所に被害者中学生の家があるそうだよ。


135:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 08:58:13 ID:LIHP0hsz

以前京都市内に住んでたとき、月ヶ瀬村にドライブに行ったことがある。
川とか梅林があってのどかな場所だったけどなあ。

でも、観光客にはわからないような、暗い部分があるのね。差別、古い因習、近代生活から掛け離れた極貧一家、・・・

格差社会がより一層進んでいる今、こういう事件が激増するかも。

358:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 02:06:05 ID:???

月ヶ瀬は梅林を見に行くところ。
住むところではないよ。

あんな閉塞感たっぷりのところなんてね。


360:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:29:34 ID:???

自分は奈良の中心街に住んでるけど、月ヶ瀬ってBだっけ?

そうだったとしたらこの犯人への非人道的な扱いも分る気がする。 そもそも未だに関西に差別が根強いのは、ある程度仕方のない現実なんだよ。

知人が車で走行中、いきなり窓を割られた事があった。 すぐに届け出て、しかもあきらかに犯人と思われる車両が見えるところにあったのに、警察は煙に巻くだけだったとか。 それは、その犯人が周囲でも有名な札付きのBだったためであったことが分った。 奈良ではBは何をしても訴えられない(関わるとえらい目に合う)特権階級。

最近ようやく行政での不正が色々発覚するようになってきたが、まだまだやりたい放題なのが現実だよ。 小学校から無駄な同和関連の授業を組み、過剰なまでに差別の事実を刷り込むのも差別を「商売」にしてBが暮らしていくため。 こんな環境だから、Bとはなるべく関わらないように刺激しないように常に気を使う。 自衛するためには転入者に出身地を訊ねたりするのもやむを得なかったりする。

自分達で「差別」を温存しながらも、低く見られていることに鬱憤を抱えたまま閉鎖的に生きていくB。 彼らなら更に弱い立場の者がいれば、嬉々としていじめをするだろうな。


148:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 13:00:02 ID:1Tklg+vP

月ヶ瀬村自体が、同和地区だってことですか?
山奥の川沿いの小さな村らしいけど。


149:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 14:18:38 ID:ZjhKLGj+

山奥の川沿い=まさしく

150:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 20:26:50 ID:2PZfVmfN

月ヶ瀬村の山高地区


405:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 17:55:18 ID:Ty1lbCVR

県境はB地区多し


319:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 16:37:08 ID:gxLrsi7V

月貸せ村って部落なん?
部落民が朝鮮人を差別したってことなん?

320:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 17:31:51 ID:???

言うまでも無いだろうw
関西方面は半島からの渡来人の末裔が多いから差別意識が強いんだぜ。


321:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 19:19:56 ID:gxLrsi7V

ふ〜〜ん、そうなんだ。
大昔朝鮮から渡って来た奴らが、20世紀に朝鮮から来た人達を差別するとはね。 同胞いじめってか!?


164:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 07:41:28 ID:Zihyooab

大体において、月ヶ瀬の祖先は渡来人のくせに、流れ者朝鮮一家の丘崎を村八分ににしたのがこの事件の発端。

月ヶ瀬の奴らは未だに「差別なんかしてません」と、ほざいてる。
自分らが行った酷い村八分行為が、巡り巡って孫の死を招いたことを月ヶ瀬の奴らは思い知るべき。


146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 16:16:07.96 ID:???

月ヶ瀬はB地区?って事は月ヶ瀬の人達は他の町からは差別を受けてたって事?

さらにその人達が丘崎一家を差別してたって事?はらいせみたいな感じ?


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 18:29:36.82 ID:???
>>146
月ヶ瀬全体が被差別部落なのではなくて、丘崎一家が住んでいた嵩という集落がそうだったということ。 だから被害者やその祖父や「与力」という住民組織のメンバーも被差別部落民で、社会の底辺層がさらにその下を差別する構造だったという認識でいいと思う

188:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 11:28:07 ID:fD6W5uiH

チョンが、部落の子を殺した事件。

147:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 12:50:01 ID:2PZfVmfN

部落民に差別されてたんだろ。

288 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 08:09:11 ID:???

丘崎一家が住んでた地域は月ヶ瀬の中のB地区(月ヶ瀬全体がBというわけではない)
で、そのBの奴らが自分らより更に下の丘崎を人非人扱いすることで憂さを晴らしてたんだよな。

底辺が最底辺を見下す構図。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 22:19:43.18 ID:IUQJa6/D

丘崎はKで村人がBだよね。

「差別をなくそう」って綺麗事言いながら、自分たちは何をやったのか?、

と月ヶ瀬B民に俺は聴きたい。

489:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 06:04:24 ID:???

同和って差別されることには五月蝿いけど、差別することには寛大なんだねw

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 23:53:48.97 ID:???

底辺は底辺を叩きたがるもんだよ 
士農工商からしてそう 汚い人間の業だね

救われんなぁ


406:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 18:20:06 ID:???

上でBがなぜ住所で分るかって言う人がいたけど、大抵その場に行って見れば分るよ。 明らかに他の地区と雰囲気が違う。簡単に言えばボロいし汚いし雑多。 もしくはいわゆる改良住宅だったりする。(ニコイチなど特徴のある建物が多いから一目で分る)

血が濃いので悪い血が…ていうのも、ただの風評ではない。 実際いとこ同士などの近親婚が多いので、視力などに明らかな劣性遺伝をもっている人が多くみられる。

親族や地区での繋がりが強く、本人同士の問題と安易にBと結婚などをすると、いざ関係が悪くなったら突然ヤクザまがいの人間が出てきて親族中に迷惑をかける事になったというのもよくある話。

「差別」自体は良くない事だと誰でも分ってるんだけど、Bに関しては実害が現実にあるんだから区別して付き合うのは仕方のない事なんだよね。

でも月ヶ瀬って本当にBなのかな?

村の変な制度やいじめ体質を見るとBっぽくはあるけど…

でも身近にこの犯人の家庭みたいな一家が住んでたら正直嫌だと思うんだよね。
極力関わらないようにするし、子供に「付き合うな」と注意するのも普通の対応だと思うんだが。


331 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 08:07:54 ID:???

Bがばれて婚約が破談になった芸能人

女優のM・R(相撲取り貴○花との破談)
元ミス日本のN・K(名高○郎との破談)
歌手のN・A(近藤○彦との同棲中に自殺未遂)

彼女達本人は、自分がBの子孫だとは知らなかっただろうね。

好きな男が出来、いざ婚約という時に相手側に調べられて親がB出身であることが判明。
結果、一方的に婚約解消されて涙に暮れた…という感じだろうね。

N・A以外はその後、理解ある別な男と幸せな結婚したけど
N・Aは未だにショックが癒えずメンヘラ状態。

親がB地区を出て都会に住むようになった子供は自分がBの子孫であることを知らずに過ごしてる人が多いだろうけど、戸籍から祖先の出自を調べられたらBがわかっちゃうんだよね。

451:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 23:33:57 ID:R2RSZAbt

「部落」「部落差別」「同和」という言葉に敏感なヒトが多いのは確かだが、
これは、世間がそういう言葉を使用禁止にしたり、隠語にするところに原因がある。
昔、身分制度で「えた・ひにん」という最下層に属する人間が居たのは事実だが、
彼らは、処刑の後の死体処理、動物の屠殺、皮剥ぎなどの仕事に従事させられ、
ある特定の地区に住まわされただけである。それが「部落」だ。

今、そんな仕事をさせられている人間なんて居ないのに、その地区へ呼称だけが根強く残り、現在に至っている。 要は、「部落出身者がどうのこうの・・・」と言っているワケではなく、人間の中には、他の人間と差をつけないと生きていけない・・・というヤツが多く、「アイツは部落出身だ!」などと言って、その人間と「差」をつけること(つまり、自分はその人間よりは上なのだ、と思う)で、自分自身が生きる支えのようなモノにしているだけである。


413:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 10:41:32 ID:???

月ヶ瀬がブラクなんじゃなくて犯人がブラクなんで月ヶ瀬村の中で差別されていたってことだと理解していたのだが・・・


414:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 15:16:25 ID:3rjrpBBe
>>413
月ケ瀬全体がBなのではない。

月ク瀬の中の某地区(B)に、隣村の朝鮮人と日本人(B)の夫婦が引越してきた。

その夫婦の息子が犯人。
某地区住民(B)の女子中学生を、犯人が殺した。
つまり、Bの娘を、朝鮮籍の犯人が殺したってことだよ。

433:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 07:02:20 ID:???

丘崎が住んでいた嵩地区はB地区。

173:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 04:05:46 ID:3JZ1lI3e

名張毒ぶどう酒事件なんかも奥西の家族に対する地元の連中の村八分行為が凄惨だった
地裁で再審開始決定が出た時の、地元の連中のコメント見たら吐き気がした

174:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 09:36:22 ID:8WOPMAxt
>>173
名張毒ぶどう酒事件の現場(葛尾地区)も山奥の川沿いだね。
しかも、奈良の月ヶ瀬村、三重の名張葛尾には両方に同じ名張川が流れている。

差別で苦しめられた人間には、山と川が付き物だね。
山奥川沿いのムラって、いやな所だね。

175:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 10:05:12 ID:8WOPMAxt

この事件が起きる3年前(1994年)に月ヶ瀬村にドライブに行ったことがある。 村を流れる川とか、上流のダムを見てたらすっごく陰鬱な気分になり、「この川は自殺の名所なのだろうか?」なんてなことを思いもよらず考えてしまった。

梅林や川、山など確かに自然は豊かなんだが、どことなく陰鬱さを感じさせる地域だった。

もしかしたらあの当時、丘崎とどこかですれ違っていたのかもしれない・・・

あの暗くて陰鬱で気分の滅入る山奥川沿い村に、陰惨な差別があるとは当時想像もできなかった。(北海道出身なので、被差別部落・朝鮮差別とかそういうことに全然ピンと来ないです)

169:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 10:53:36 ID:J52YXR80

小学生時代に、放火の濡れ衣着せられて、皆からいじめられるのってさ、「フランダースの犬」のネロみたい。

ネロの場合は、アロアとか近所のおばさんとか味方がいて。コゼツの旦那も、最後にはネロへの猜疑心も消えて探してくれたけど。

このスレの犯人は最後の最後まで、信頼出来る人がいないまま、孤独死したんだね。
「自分は何のためにこの世に生まれてきたんだろう」って絶望感で一杯だったんだろうね。

401:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 21:55:02 ID:bBNPZW2M

こういう言葉は適切かどうかわからないけど
生まれてこない方が良かった人 っているんだなと思った。

153:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 00:47:49 ID:gyEL9ih5

弁護士の奨める上告もしないで刑を素直に受け入れ、服役中は罪悪感で苛まれてたらしいですね。 罪の意識に耐え切れずに自殺。 自分で自分を死刑にしてしまったんですね。

コンクリ詰め犯や、栃木リンチ犯とは、えらい違い。(こいつらには死刑が妥当)

丘崎には服役して出所後、別な土地で人生ゼロからやりなおしてほしかったな。殺人犯とはいえ、境遇を考えると同情を禁じえない。


49:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 23:59:01 ID:???

でも、こいつはレイプしてないんでしょ?


53:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 00:43:44 ID:???

おかざきは性的なことは一切してないよ
裁判記録見れば書いてる


72:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 01:01:27 ID:+Bb5Rhk7

女子中学生がキツく無視したからだろ。
穏やかに断っていればこんなことにはならなかったのに。

140:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 01:06:54 ID:1Tklg+vP

親が無学でしかも日本国籍ではない極貧家庭に生まれてしまうって悲惨だね。
丘崎は、一生の中でおいしい物を食べるとか旅行に行くとか家族団欒とか、暖かい部屋で寝るとか普通の人の普通の生活を知らないまま命を閉じたんだろうね。

日の当たらない、ネズミと土ぼこりだらけで、トイレすらない、すきま風ふきすさぶバラック建てのあばら屋で、心も体も病みながら成長していったんだろうね。

村人達からの差別、村八分。 親も情けない親で。

丘崎を殺人犯へと追いやった原因は、村人と親にも責任があると思う。


142:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 06:34:27 ID:1Tklg+vP

丘崎は過去に家を出て、住み込みで働いた経験がある。
しかし、朝起きられないのと能力が無いのとで、行く先々をクビになった。
自活への道をあきらめ、あばら屋に舞い戻り、母親から金をせびっては遊び暮らすようになった。

幼い頃から、我慢することを躾けられなかったんだろうな。読み書き計算も、出来たかどうか?
いい加減な親だから文房具も何もちゃんと用意してやらなかっただろうな。

87:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 21:35:08 ID:DRUEpIVH

丘崎の報道陣への逆切れぶりは異常だったね。
あれだと働いても同僚や客とトラブル起こすのは目に見えている。


303:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 04:40:40 ID:Zzoc8oKv

マスコミの前で暴れてから、凄いフテブテしい全然反省していない極道と思ってたが本当は物静かな気の弱い、自殺しちまうような男だったんだな。ネットで読むまでまったく勘違いしてたよ

しかし、なんでK札はマスコミの前を逮捕直後に堂々とつれまわしたんだろ

普通はマスコミは遠いところからやっと映像取れるぐらいなのに

頭から服をかぶったりしてあげたりしてる

麻原クラスになると車の正面のほんの瞬間という気に使いようなのに

307:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 02:54:03 ID:W02/g6in
>>303 
なんでK札はマスコミの前を逮捕直後に堂々とつれまわしたんだろ

それが差別なんだよ

月ヶ瀬の人たちは少しは反省しないとね
酷い差別が自分たちに帰ってきたんだからね

トイレもないような家だったら、誰か民生委員でも知らせてちゃんとしてやるべきだよ
穴ぼこだらけで臭い!っていうならね

308:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 07:59:39 ID:1p9ofrxo

ムラの奴らは丘崎一家を人間扱いしてなかったんだろ。
その辺の虫ケラと同等レベルにしか思ってなかったんだろな


335:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:22:35 ID:IQl2cStV

丘崎一家は飼われてたんだよ。 月ヶ瀬の住民に。

魂を売った見返りに、民生委員の被害者家族に生保かなんかを斡旋して貰ってたんじゃないの?

月ヶ瀬の住民も酷いが、丘崎の両親も情けない。

336:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:55:56 ID:CfnrJJBg

村民は何のために丘崎を飼ってたの?

飼うからには、飼う側に利益がないと邪魔な人間を飼ったりしないと思うが。
犬や猫などのペットは心を癒す愛玩動物だし、牛や豚などの家畜は乳や肉を売って利益を得る。

村民にとっての、丘崎一家を飼う目的は何?


343:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:39:03 ID:IQl2cStV
>>336
飼って住民のストレスの捌け口にしてたんでしょ?

男は虐げられ、女は性の玩具。

「人権を守れ」と立派なこと宣う部落民が人権を蹂躙してどうするんだよwww


344:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:31:36 ID:CfnrJJBg
≫343
なるほど、サンドバッグ&性処理の道具ね。

708:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:27:51 ID:RqBVorhl

丘崎家は生活保護じゃねーよ。

両親は土方、姉は居酒屋勤め、

それ以外に母と姉が村人達の性処理の相手してて(売春)、

村人から飼われてたんだよ。

売春は暗黙の了解。 お互いもちつもたれつの関係。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 22:41:27.66 ID:wYVT3CC/

一番の原因は母ちゃんが慰み者にされてたからじゃ無いのか?


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:10:51.60 ID:???

一番かどうか知らんが、歪むだろうなぁ、そりゃあ。


普通の風俗は基本的に、来たい客が楽しく遊んで、

女が金を得る商売と割り切れるからまだいいが、

丘崎の母ちゃんは差別されてただろうし、オモチャだもんな。

しかしそんなンが日常だった村って今も正常に機能してんのかね。
代わりのはけ口かありそうで嫌だわ。

645:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 23:50:56 ID:???

差別・村八分して人格踏みにじっておいて、
一方では金で母と姉を肉便器にするなど、
自分らを都合よく飼い殺し扱いしていた村人達への復讐だな。

646:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:35:55 ID:???

両親が隣村にいられなくなった理由…

母が村の有力者と出来ていたのが、奥さんにばれて追い出された。
しかし逆に、月ヶ瀬では村人達の肉便器になることで居住を許されてた。
女の穴を共有するのが月ヶ瀬の習俗。


673:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:24:19 ID:???

しかし姉はともかく母親はかなりのオバサンだろ。

都市部ならマニアの客も付くだろうが、相手も歳がいってるにしても田舎でよく稼げたな。
年齢の割りにルックスはかなり良かったのだろうか?


674:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:55:54 ID:???
>>673
外部からの見知らぬ客ではなく、
母親が20代の頃から関係が続く数十年来の馴染み客(村の衆)

事件当時の母親は50代後半だから、その頃は60代70代のじいさん相手にしてたんだろうよ。

不特定多数の客をとる都会の売春婦と同等に考えるな

732:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 18:05:56 ID:VMVne5te

月ヶ瀬にドライブに行ったことあるけど。
山、川、梅林しかなくて、コンビニすら無くて寂しい所だった。

あんな所に住んでたら、鬱になりそう。 とにかく、山奥の超ど田舎。
ああいう土地の住民て、普段は何が楽しみなの?

あんな超山奥だと、家でテレビ見て晩酌するぐらいしか、すること無いじゃない。

734:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 20:53:17 ID:???
>>732
月ヶ瀬住民の楽しみは、

自分以下の人間を見下して差別し村八分にすることが唯一の鬱憤晴らし


735:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 02:15:18 ID:ae4eW/XC
>>734
で、酒飲んでセクスな。


736:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 05:11:13 ID:???
>>735
で、チョンB女を肉便器にして中出ししてな


737:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 02:13:16 ID:RMl7zJI0
>>736
で、また酒飲む


647:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:48:06 ID:bn7G1Ow6 B、

チョン、差別、村のならわし、
肉便器、貧困、文盲、
あばら家、トイレ無し地面掘って排泄、山奥…

つくづく嫌な環境だなこりゃ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 18:17:00.33 ID:XckXsGMP

以前「新潮45」の記事で読んだんだけど、丘崎の家は便所がなくてその辺でする
もんだから、近所の人は「もう臭くてかなわんかった」と言っていたという。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 18:50:48.51 ID:???

丘崎家を「くそぅてくそぅて(くさくてくさくて)」と言ってた村の男

何の用事で丘崎家に行ってたのかな?wwww

丘崎の同級生とかじゃなくて、かなり年上の男のようだったけど


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 05:28:55.21 ID:???

村に住まわせてやるかわりに丘崎母や姉を強姦してたんでしょ、村人が。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 07:53:37.84 ID:???

母や姉を性奴隷にしていたなんてどこソースよ?

住民が毛嫌いしていたというのに、掘建て小屋でセックス?


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 08:50:54.05 ID:???
>>124
それがしてたんだよ。 丘崎家のあのバラック小屋で。

執拗な差別と肉体関係、

それがこの事件を取り巻く村社会の不思議さと、陰湿さを際立たせている。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 06:39:00.44 ID:???

あのじいさんってテレビで見た限りでは普通のいい人に見えたけど…
あの人も丘崎の姉母を肉便器にしてたって本当だろうか。

709:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:34:14 ID:RqBVorhl

で、何故 民生委員の爺さんの孫娘を丘崎が殺したかって?

母親を肉便器にした張本人が、その爺さんだったからさ。

丘崎は、その怨みでジジイの孫娘殺したんだよ。

278 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 03:56:25 ID:???

丘崎母親を肉便器にしてたのは、被害者中学生少女の祖父な。

乞食のような丘崎一家を月ヶ瀬に住んでもいいと許可し、物置小屋だったボロ小屋に住めるように持ち主に仲介を依頼したじいさん。

そこまで世話してやったのは母親の肉体が目的だから。

丘崎はそのジジイのことを心の底から憎んでた

648:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 01:01:24 ID:???

犯人の両親に格安家賃の貸家を世話して住まわせ土方の職を紹介したのが、被害女子中学生のじいさんなんだよな。

犯人母と被害中学生じいさんの関係…

なるほどな。復讐の意味はそういうことな

284 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 06:31:27 ID:???

ジジイと丘崎一家は親戚みたいな人間的付き合いじゃねーよ。

飼い殺しなのさ。

飼い殺しの意味わかる?

母と姉は村人達に肉便器にはされてたけど金銭はもらえず、せいぜいミカンかジュース程度。

住まわせてもらうことの代償が肉便器になること。

肉便器として扱ってはいても村の奴らは全員、丘崎一家を人間としては扱ってなかったのだよ。

例えて言うならホームレス女にオニギリ一個与えてHして、やり終わると唾を吐きかけ蹴飛ばしてゴミをぶつけるようなもん。

シベリア抑留で強制労働させられた日本人みたいな扱いと思えばいい。

739:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 07:09:46 ID:???

小さい丘崎に、母親と民生委員の爺さんが見せつけながら、セックスしていてたんだろうな。


16 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/09(土) 19:05:12 ID:???

丘崎の母と姉は、村人達の肉便器にされることで村への居住が許された。

土地を持たず国籍にも問題のある乞食同然の一家にとって、それは生きていくためには仕方の無いことであった。

自宅に代わる代わる訪れる村の男どもに母と姉が体をまさぐられている間、子供だった丘崎誠人はその屈辱に堪えていた。

差別されている者ども(月ヶ瀬の中のB民)が、さらに自分達より下の者を虐げることで憂さ晴らしをしていた構図。 村の有力者の娘を殺害することで、丘崎誠人は長年にわたって鬱積していた恨みを晴らした事件。

66 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/29(金) 21:23:59 ID:cexANW65 [1/1回発言]

未だに前時代的な風習を続ける山奥の小さな集落。 まるで明治時代。

夜這いもひそかにまだ残ってそうだね。

弱者が女房娘を強者に差し出すことで、村に住むことを許されるみたいな…

やれやれ、つくづく陰惨な土地だね。


72 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 12:58:24 ID:DXNYTpOb [3/4回発言]

しかし、関係持っておきながら人間扱いしないって酷い話だな。
情ってモンはないのか。


73 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:02:06 ID:???
>>72
人間と認めて交際してたんじゃなくて、性欲処理だけのために利用してたんだろ。
東南アジアへ回春旅行する男みたいなもん。
東南アジア女性を養う気も入籍する気も無い。 マソコだけが目的。

丘崎母姉はただの肉便器にしか思われてなかった。


74 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:41:55 ID:DXNYTpOb [4/4回発言]
>>73
なんか嫌だなぁ…

アヘアヘ腰振ってフィニッシュしておきながら人間扱いしないとは。

そんならヤギとヤッときゃイイのにな。

207 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/08/11(水) 19:40:41 ID:???

長女は村の飲み屋の人気者で中々セクシーだったそうだ。

その長女が外で垂れていたのを、張り込みのカメラマンが盗撮して、仲間内で画像をまわしたと、下品な話には事欠かない事件だったな。。。。

454:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 21:48:44 ID:???

そもそも同和地区内部での差別ってあるの?


455:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 22:02:42 ID:???
>>454
何世代も前からの土着民は仲間意識が強いのだろうけど。
丘崎一家はよそからの流れ者だし、しかも在日朝鮮人だからね。
村八分状態だったろうよ。


351:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:50:26 ID:???

少数の人間を生け贄にして集団の団結を計るのは昔からのやり方だからね
その生け贄に逆襲されるのもまた仕方が無いんじゃないの


200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:14:32.70 ID:???

村民達は丘崎一家を見下して差別していたくせに、実は逃げられないように飼い殺ししてたんじゃないだろうか?って。

無学で国籍の怪しい乞食一家が転居してきて、対等な仲間としては受け入れがたいけど、ストレス解消に役立つサンドバッグが出来たぞいいアンバイだなと。

村で放火や盗難事件が発生すれば全て丘崎に罪をなすりつけ、

セックスしたくなったら丘崎母姉で性欲処理して、

むしゃくしゃしたら丘崎にみんなで石をぶつけ…

いじめる相手がいなかったら村民達は困るんじゃないの?

丘崎の母は小学校すら行ってなくて文盲ってことだから、一般的な知識も情報もなかったと思う。 村民達に


「町に出てもおまえらの仕事あらへんで」

「村から出たらおまえら生きていけへんのや」


と巧みに言いくるめられてたんじゃないかって。

この一家は頭悪そうだし、生活設計とか将来の計画とか出来なさそう。 どうやったら村から出て行けて、町で人生再出発出来るかなんて考えつかなかったんじゃない?

もうどうでもよくなって、そういう生活から抜けだそうって気持ちすら持たなかったかもね。 学の無い情弱一家ってことでしょうね。 息子はヘタレだから、東京や大阪で行き詰まって帰郷してしまったし。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:35:22.30 ID:YAtNVMoT

丘崎母に旦那は居る。けれども未入籍の事実婚。
丘崎父も日本人と朝鮮人のハーフで流れ者。
丘崎が自殺した時は丘崎の両親は三重でひっそり暮らしていた。

貧困な両親には墓を建てる金がなく、丘崎の遺骨は両親の家に置いたまま。
けれど、当時で両親は70代半ばくらいだったので、今は生きているかどうか…


丘崎姉は未婚で子を産んでいる。子の父親は誰だか明らかにされていない。

もしかすると関係を持っていた村の誰かの子かも知れない。
事件後、月ヶ瀬には居られなくなり、大阪に移り住んだらしい


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:27:59.36 ID:YAtNVMoT

新潮文庫の記事によると、母親は文盲。
突然疳癪を起こしたりすることからみても知的障害か、あるいは精神障害を患ってたような感じではある。

最初は自分の祖父が婆さんと間違えたみたいにドサクサに紛れて夜中に手をつけたらしいことを匂わせる記述もある。

丘崎母にとって、自分が生きるためには犬猫のような交尾は必要、かつ当り前であって、そこに倫理観やら羞恥心やらの価値観はなかったのかも知れない。

教育を全く受けてないのだから、猿やイノシシと同じで野生のまま…
だから村中の男と関係を持つことに、悔しいだとか悲しいという感情を抱くことなく
生きる為に交尾を重ねていたのではなかろうか。


539 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 10:09:23 ID:???

丘崎一家は出ていかなかったんじゃなくて、出ていけなかったんじゃないかと思うなぁ。 村の人達が出ていかせなかったというか。

つまり、集団の中で敵を設けると集団がまとまりやすく一致団結するみたいに村に丘崎一家という「最底辺の敵」を敢えて設けて、村の結束を強固にする役割にしてたのかな、と。

事実、村の男たちが丘崎家の女を共有することで秘密を共有し、ボヤ騒ぎが起きた時も
最終的に丘崎のせいにして問題が収まってる。他にも水面下ではいっぱいあるんじゃないか。 B地区特有の世間に対しての鬱憤も、丘崎一家をサンドバック代わりに解消してた気もする。

でも万が一、丘崎一家がいなかったとしたら、自分もターゲットにされるかもしれないというある種の恐怖感さえ生まれてくる。 いじめのターゲットを設けることでその他がまとまり、設けてる間はとりあえず自分は安心みたいな学校や職場のいじめの構造と全く一緒な感じがするんだよなぁ。

結局、あの村にとって丘崎一家は必要悪だったように思う。 丘崎一家には


「この村にいるからこそ家にも住めて仕事ももらえ、食べることが出来るんだ」


と言い続けて見えない恐怖に怯えさせれば、簡単に御することは出来そうだし。


541 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 12:34:37 ID:???
>>539
同意。
精神的圧力と物理的圧力で丘崎一家は、村から逃げられないようにされてたと思う。

仮に逃げようと思ったにしても日中はばれるから夜中に逃げるしかない。
しかし街灯の無い真っ暗な山奥から徒歩でどうやって奈良市内の町まで出る?
あんな山奥から徒歩ではとても無理。

一家が夜逃げを決行して歩いて逃げるたとしても、途中で誰かに気付かれ村人達に連れ戻されリンチ等の制裁を加えられそう。

じゃあ夜逃げではなく、普通に「町に引っ越したい」と正式に言ったとて許してはもらえなかっただろうね。 役場は転出手続きを拒否し、バスは乗車拒否するかも。 家財道具を運ぶトラックも出してくれない。

>>539さんが言うように、

「町に出たってお前ら住む場所も仕事もあらへんで。

お前らはこの村にいるからこそ、家に住めて仕事させてもらって食べていけるんや」


とか言いくるめられそう。

542 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:05:25 ID:aAvPWP8W [3/4回発言]
>>539
考えられますね   なんか村の連中に洗脳されてそう。 

長い期間、屈辱受けてメタメタに傷つけられていたら逃げようとか嫌だとか言う考えないかもね 
 
もういいや みたいな。まして、子沢山でお金もなければ絶望的でしょうね。
 
丘崎父は、以外と人のいいところあるかもね。


しかし、この村の男ども最低だね 読めば読むほどむかついてくる 

家族で住んでる家に押し寄せて肉体関係なんて・・ 丘崎父は、どんな思いだったんだろう。 丘崎姉は初めての時、どんな思いだったんだろう。 

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 21:06:55 ID:???

家を買えるお金がない

かといって新規に家を借りる時に必要になる保証人がいない

犯人をかばうつもりはないが村民が悪い


286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 09:46:03 ID:???
>>265
全く当たってる。他から来た人には猫なで声、しかし中へ入ってみるとイジメ体質。
村八分制が根強く子供にまで染み透っている。

660:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 00:41:27 ID:???

引っ越せばよかったとも思うけど
こういう村の人がおいそれと引越しさせるものなのかも疑問。

憂さ晴らしのための差別の生贄として丘崎を逃がさないような気もするけど

村人相手に売春できた辺りも、「そういうため」に用意されてた感じがしてならない

自分より下を置けば安心できる、またそういう対象があると村をまとめやすいし

ところでこの被害者宅には「座敷牢」があったって話だけどw

家族にそういう人がいて、それを閉じ込めるためのものね

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/24(火) 22:22:10 ID:nC9t4TrN

丘崎が勤めをやめて竪穴式住居に舞い戻ってきたのは母親と姉と近親姦関係にあったからだろう。

姉の子供というのは実は丘崎との間に出来た子供なんだよ。

丘崎逮捕の前からその噂は立っていたし、村人もその事実をほのめかすようなことを言っていたけど、丘崎の母親と姉は村の公衆便所だったので村人もあまり語りたがらないんだな。

殺された娘の家からは檻が出てきたな。

殺された娘の兄というのが精薄でずっと檻に閉じ込められて生きていたと言うんだな、それが発覚するのを恐れて殺された娘の家が捜査に非協力的だったので逮捕が遅れてそのうちに事件が(意図的に?)報道陣にリークされてTVが丘崎の家に押し寄せたというのが真相。

ここまでは報道関係者なら誰でも知っている。
俺も当時現場行ってたからわかる。

ダム工事のあとにあの村に住み着いた朝鮮人は丘崎の家だけではなくて他にも数軒あったらしいのよ、家も残っていたから結構最近まで住んでいたらしいんだけど、どこに消えたのか誰も言わないのよ。

丘崎の親父が「みんな殺されてしもうた」みたいなことを言っていたけど誰も追及しないでうやむやになってしまったな。

その家族がどこに消えたのかはわからないのだけど、失踪したのは親だけで遺棄された子供は村の家のゴミ箱を漁ったり、ネズミみたいなもんを焼いて喰ってたりしてしばらく村にいたらしい。


これ昭和60年代の話だよ。

戸籍も無い奴隷みたいなのが、あの村にはまだいるんじゃないかって話もあった。
昭和30年代までは農奴というのは東北とかにいたらしいねえ。

543 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:38:43 ID:???

平成の時代にあっても
白装束で樽の棺桶を運ぶとか
与力制度が残るとか
不気味な村だね


544 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 19:15:40 ID:???

丘崎父は丘崎母と世間一般でいうところの恋愛関係らしきもので事実婚に至ったわけではなく、押し付けられたんじゃないだろうか、と個人的には思ってる。

両方とも朝鮮人の血が混じってるし、小屋も二軒は用意できないし、

「二人とも似たようなもんだし、いいから一緒に住んどけや」

みたいな。 村人からすれば、分散してるより一か所にまとまってくれてた方が管理しやすいし。 子供だって丘崎父の子かどうかも分からないし、丘崎以外の子が池沼かどうかも分からないけど、さすがに村の男が堂々と家に入ってきて当り前のように家族に手をつけられたら、丘崎父の立場としては居た堪れないだろうね。

だけど村の人に反抗するわけにもいかず、結果的に愛人の元に逃げた、て感じかも。

丘崎母を受け入れたのではなく、受け入れざるを得なかった、そうするより他に道がなかった、またそれ以外の道を探す能力もなかったのが丘崎父と言う男なんじゃないかなと思ってみたりみなかったり。


337:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 19:03:46 ID:dZk7MMd1

田舎の村社会って、陰湿で怖いな。
河瀬直美さんも、この事件のような村社会の闇に迫って欲しい。


36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 18:44:08.55 ID:???

月ヶ瀬村は丘崎に復讐されたんだよ。

住民たちがこの犯人の母親や姉妹を性欲処理の道具として蹂躙して来たという事件記録が、ネット上で大分消えている。

http://2chnull.info/r/archives/1191711689/1-1001
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1296636852/
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1127680911/

571 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:07:51 ID:???

夜ばいは主に西日本の農村に根付いた風習で高度経済成長期直前まで続いていた。
都市部には遊郭(赤線)があるけど山奥の農村には無いからね。

女房の妊娠中とか独身青年の性欲処理。
山奥の農村では性風習が開放的だったってこと。

569 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:06:48 ID:gMNnjzq5 [3/5回発言]

長女や母と関係もった村のキモ男たちはどういうつもりなんだろう 

昔から、その近所に住んでたわけで下手したら親族やらも住んでいるわけでしょ 

風俗店へ行くって考えはないのかね 安くて近所で済まされる場所みたいな感覚なのか 
お金はどのくらい払ってどのくらいの頻度、人数だったのだろうか

私が思うには、シャワーなんて浴びないで汚い手と臭い息でスボンだけ下ろしてサーッと。  金額にして千円くらい。

「今日は五百円に負けろよ。柿持って来てやったんだからよ。」

みたいな。

570 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:45:46 ID:???
>>569
山奥の村って夜這いの風習があったから、自分の亭主や息子・兄弟がよその女と交わってもあまり気にしないんじゃない?

戦前の山奥では長男の嫁が妊娠しない場合は次男と嫁を交わらせして、跡取りを産ませたとか聞くよ。

月ヶ瀬の男達は丘崎母と姉には現金は払わなかったらしい。 あくまで


「俺達が相手してやってるおかげでお前ら一家はこの村に住めるんやからな。感謝しろ」


の上から目線。 ただでやり逃げの奴もいただろうし、物を持って来てもせいぜいミカン3〜4個か、缶ジュース2本程度。


月ヶ瀬村からソープのある町までは車で遠方まで行かないといけないし、金がかかるから丘崎母姉で済ませてたんだろうね。


それこそ、>>569が言うように

村の男は服を着たまま、ズボンを少しだけずりおろして大急ぎで処理って感じで。


572 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:14:39 ID:???
>>569
人数や頻度までは知らないけど、男どもは重ならないように男どうしで示し合わせてたのでは?

夜這いにもルールがあったそうだよ。
権平は月曜日、熊八は火曜日、杉作は水曜日ってな具合にさ

573 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:18:38 ID:gMNnjzq5 [4/5回発言]

じゃあ血筋とかわかんないよね。 
代々あの一族は●の血筋を引くサラブレッドでなんてよく言われてるのも実はいい加減なのだろうか?  

津山殺しもヨバイが発端ですよね。

574 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:37:24 ID:???
>>573
跡取り息子は身内の血縁で産んでたそうだよ。
長男の嫁不妊

嫁が次男と交わって出産
又は、長男が次男(三男)の嫁と交わって生まれた子供を実子とする


明らかに亭主との間に出来てない子供も一応は出産してばあさんとか親戚が預かって養子養女として育ててたそうだよ。

「私のお父さんとお母さんはどこ?」

と聞かれたら、もう死んだよと嘘でごまかす。 農村は働き手がたくさんいる方がいいから、他人の血の入った子供でも大事に育ててたんだって。

578 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:01:37 ID:gMNnjzq5 [5/5回発言]

一族間で血縁を結んだ場合、障害者が産まれる確率が高いと聞きました。 
昔は婦人科で検診してエコーで見るなんてなかったから、産婆さんが殺したりしたんでしょうね。  


夏江は、自宅で産んだのかな。誰も産後を手伝ってくれず。汚い鼠が這いずる埃だらけの家で。 村のババアどもは、自分の旦那とやってるような女をケアするわけないよね。

579 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:52:50 ID:???
>>578
昔は奇形が生まれたら、産婆さんか母親が処理(間引き)してたそうだね。
知的障害児は三歳ぐらいにならないと判明しないから、そういう子は倉や座敷牢に閉じ込めたり、崖から突き落としたりしてた。

581 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 22:49:47 ID:???

次女と三女の体が村人に手をつけられなかった理由を知りたい

考えられることとしては
かなりの醜女、超肥満体、病弱、知的障害、身体障害
マジで理由は何だろうね?


586 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:26:34 ID:UuTsfdSX [1/1回発言]
>>581
次女も三女もやられてたんじゃないかな 未成年だからさすがに面には出なかったわけで 
だって村から逮捕者が出ちゃうし

母や姉のを昔から見てたら、結構抵抗無いのかも 
村の鬼畜ジジイどもが、手をつけないとは思えないなあ  

まだ生きてるんでしょ 鬼畜ジジィどもは 許せないね

583 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:26:01 ID:???

長女と次女三女は歳が離れているのかもよ。
長女と誠人は一回り程度の年齢差っていうから13歳ぐらいの差と仮定して。
本に書いてある母親と長女が村人達と昵懇云々は誠人が少年時代のことだから

誠人が12歳のとき長女は25歳
次女が誠人の2歳上と仮定すると14歳で、
三女が誠人の2歳下と仮定すると10歳

村にはたまたまロリがいなくて熟専は40代母親の体で遊び、
成人女好きは25歳の長女で遊んだって感じ?

誠人が25歳で殺人事件起こした頃は、母親は60代で長女はアラフォー。

さすがに村人達もその頃には、母・長女のくたびれた体に飽きていて
若い愛人作ったりソープに行くようになってたのかもね。

725 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 01:21:05 ID:???

丘崎誠人がもし今も生きてたとしたら38歳で、
長姉は一回り違うので現在46歳、
母親は現在70歳と思う。


事件当時(1997年5月)
誠人25歳
母親57歳
長姉33歳


肉便器にされてたのは、丘崎の出生前〜少年時代らしいので、
母親がまず最初に肉便器にされてて(30代)
母が40代になった頃には20代の長姉も手をつけられてたみたい。

584 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:35:04 ID:???

金と時間惜しさに以前は丘崎母・長姉で済ませてきた男どもも汚い家での性欲処理がだんだん不快になっていって途中でやめちゃったのかもね。

それより金を出して綺麗な部屋で綺麗な姉ちゃんと一緒に風呂に入ってサービスしてもらう方がいいやと…

587 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:32:57 ID:???

丘崎が25歳で事件を起こしたことを考えると、B地区と言えど通常の教育を受けた、丘崎と同世代の男達はやっぱり同世代の女達や、他地区や他県で就職して普通に恋愛するだろうな

丘崎でさえ車も持ってるんだから、もちろん他の若い男達も持ってるだろうし

昔の因習そのままに、丘崎母や姉に肉欲をぶつけてきたのはその上の世代、つまり丘崎母と同世代、もしくはそれ以上の年齢の男達かもしれない

そう仮定すると、まだ子供だった次女三女に手を出すには年を取り過ぎて幸いにも手をつけられずに済んだ、て可能性も考えられるわけだ
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/


335 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 21:07:55 ID:???

正直、丘崎が本当にどんな生活をしていたのか想像するしかないんだけど、
小学校に上がる前あたりまでは、無邪気に皆と遊んでたんじゃないかな
小学生になり、少しずつ社会性が出てくるあたりから徐々に友人が離れて行き、
自らも自覚が生まれ、周囲との壁が年々厚くなっていったんじゃないかな
他人と話すのも苦手だったようだから、当然、彼女なんていないと思う

そう思うと、丘崎にとっての風俗は、通常の男性の性欲処理とは異なってくる
初めて自分に触れてくれ、話を聞いてくれ、笑顔を見せてくれる人がいる場所がソープ
つまり丘崎はそこで恋人、友人、仲間に会ってたような感覚だったんじゃないか、と
たとえ金銭が絡もうと、その時自分の欲するものが全てあったのが風俗だったように思う

丘崎は風俗からすぐには自宅に帰らず、しばらく車中で時間を過ごしたようだけど、
それが人生で一番平和で充実した、唯一の穏やかな時間だったとするならば、
その時にたまたま通りがかった被害者には、幸福感に包まれたまま声をかけたんじゃないかな

で、被害者の態度で最悪で最低な日常を残酷に突きつけられてしまう
不幸なことに、少女は差別や悲惨な生活、惨めな自分を象徴するアイテムになってしまった、と

336 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 21:44:11 ID:zn/McJqG [1/1回発言]

何となく平和的でイイ気分の時に被害者に無視されてかなりショックだったんだろうな。
顔見知りだし、以前は屈託なく言葉を交わしていた被害者に無視されたことが。


893 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/12/15(水) 22:31:59 ID:StAqrXdb [2/2回発言]

丘崎の人生で幸せと感じたのはソープでのほんのひと時だけだろうね

それ以外で幸せな時間はなかったのだろうな

惨めだったろうな
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1262165480/l100

▲△▽▼

16. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2018年12月21日 08:20:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

月ヶ瀬村 女子中学生殺人事件は母親と姉を部落で性奴隷として飼われていた在日青年の怒りが原因で起きた事件ですが、

田舎の人間は子供の頃から平気でこういう性犯罪を日常的に行っているのですね:


奇習! 村男全員の“肉便器”にされた「ヨシさん」 ― 栃木の寒村に実在した元娼婦の悲しき真実とは?
【日本奇習紀行シリーズ】 栃木県

 都市伝説上でしばしば登場する「オサセさん」よろしく、日本各地では不特定多数の男性を性行為に誘い、「無料で簡単にやらせてくれる女性」というものが、かねてよりその存在を噂されてきたが、かつて、栃木県のとある寒村では、村に暮らす全員の男性と肉体関係を結ぶことを「仕事」としていた女性が、存在していたという。


「“ヨシさん”って呼ばれてたかな。誰も本名なんて知らないんだけどね」


 かつて当地に実在したその女性について語り始めたのは、現在もその地域で林業を営む中谷清三さん(仮名・76)。中谷さんの話によると、その「ヨシさん」と呼ばれる女性は、彼が物心ついた頃にはすでに村に居ついており、その後、中谷さんが三十代半ばとなる頃まで暮らしていたという。


「私が小学生くらいの頃には、すでに大人の女だったからね。おそらく50代半ばくらいまでは、あの村にいたんじゃないかな。でも、別に家があるわけじゃなくて、夜になるとだいたいその辺の物陰で寝起きしてたんだと思うよ。まあ、夜って言ったって、そう遅くない時間は男と寝てるわけだし、そんなに長い時間じゃないんだと思うけどな」


 実はこの「ヨシさん」、その詳しい素性は不明ながらも、中谷さんが大人たちから伝え聞いたところによると、20代の半ばに、村の実力者によって他の地域から招かれて、村の男性全員との肉体関係を結ぶように依頼された女性なのだという。


 とはいえ、娼婦とは違い、そうした行為で金を得ることはなく、住む家すら与えられなかったのだ。しかし、食べるものだけは保障されており、彼女が腹をすかせて村人の家を訪ねた際には、必ずその家の人間が彼女に食事を与えるという、不思議な決まりごとが設けられていたという。つまり、彼女は毎日の食事を得る代わりに、村の男性へ“奉仕”し続ける暮らしを送っていたということだ。


「聞くところによるとね、もともとどこかの色町で体を売っていた女だったらしいんだけども、借金が膨らみすぎてやっていけなくなったそうでね。それを村の偉い人が肩代わりして、自分のところへ身受けしたようなんだよ。けどその人は、自分の妾にするとかでなしに、村の男衆たち全員が共有する捌け口とでも言うのかな。そういうものにしちまった。そうすることで男たちに貸しを作ってね、自分の言うことを聞かせてたっていう。だからその人はね、ヨシさんを使ってまず村長になって、その後、最後には県議の上の方まで上り詰めたっていう話だよ」


 苦界から拾い上げられたと思ったら、権力を求める野心家男性によって「票集め」の道具とされ、乞食同然の貧しい生活の中で、ただひたすらに村の男たちの肉便器とされたという「ヨシさん」。その人生の大半を、無気力に男たちと寝続ける行為に費やした彼女の胸中は、如何なるものであったのだろうか。
(取材・文/戸叶和男)
http://tocana.jp/2017/03/post_12308_entry.html

17. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2018年12月21日 08:31:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

月ヶ瀬村 女子中学生殺人事件は母親と姉を部落で性奴隷として飼われていた在日青年の怒りが原因で起きた事件ですが、

田舎の人間は子供の頃から平気でこういう性犯罪を日常的に行っているのですね _ 2:


中学で一番の美少女に毎朝精液を飲ませていた旭川女子中学生校内集団レイプ事件


旭川女子中学生集団暴行事件を起こした 旭川市立 北都中学校


北海道旭川市立北都中学校 校歌
https://www.youtube.com/watch?v=gjStrLUUP8U
https://www.youtube.com/watch?v=9HS1_z-rVvo
https://www.youtube.com/watch?v=jZUpYmu38uk

旭川市立 北都中学校 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%8C%97%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1/@43.7690762,142.3759313,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x62d5f9a392ef844a!8m2!3d43.7690762!4d142.3759313?hl=ja

旭川市立北都中学校 - 廃墟検索地図
http://haikyo.crap.jp/s/11914.html


旭川市立 北都中学校

〒070-0038 旭川市8条通16丁目


旭川市立北都中学校は北海道旭川市にあった中学校。

昭和22(1947)年5月旭川市立第七中学校として開校、昭和24(1949)年9月に北都中学校へと改称。

平成27(2015)年4月新設された中央中学校に常盤中学校、聖園中学校と共に統合され閉校。
1階部分の窓はベニヤ板で塞がれ厳重に管理されている。
体育館及びグランドは中央中学校の部活動等で現在も使用されている。

北都中ホームページ
http://www.hokuto.jhs.asahikawa-hkd.ed.jp/


北都中学(北海道旭川市)の口コミ みんなの中学情報

在校生 / 2014年入学
学力のレベルが低い 2014-12-18投稿


総合評価
学力の低下、生徒の質の低下、保護者のモラルの低下があるように思う。先生は一生懸命に指導してくれていると思う


学習環境
先生がテスト前に補習、夏冬休みに勉強会を開いてくれるので環境は良いと思う


進学実績
各テストの平均点が周辺の学校と比較してかなり低いので進学実績は良くないと思う


先生
一生懸命に生徒や保護者と向き合ってくれていると感じるので4にしました。


施設
周辺の学校に比べて、悪くもなく良くもないことから施設の評価は3にしました。


治安・アクセス
学校の周りでさまざまな事件がここ数年で何件もあり、とても治安が良い場所とは思えない


部活動
1つ2つは競合チームがあるが、ほとんどが初戦敗退してしまうような弱小チーム。もっと力を入れて本格的に部活動してほしい


いじめの少なさ
LINE利用者がほとんどなのでLINE上でのいじめが多々あると思います。不登校の子も多いと思います。


制服
昔ながらの制服で、全然可愛くない。評判が悪いので1にしました。


志望動機
区域で決められているから
https://www.minkou.jp/junior/school/review/5879/


旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://yo2605.blog114.fc2.com/blog-entry-72.html

中学校側の無策が輪姦に

347 名前:可愛い奥様 mailto:sage [2005/06/25(土) 09:16:59 ID:HnoB+bhu]

  何年か前に夜のニュースで見た事件。(実際の事件はさらに数年前に起きていたらしいのだが。)

北海道のとある地域にある中学校に入学したA子さん。A子さんは入学当時から同級生(同学年男子)に「性的なからかい」を受けていた。A子さんは両親に相談するが「無視しなさい」との言いつけで同級生のからかいを無視し続けるが、そのうちにからかいから「性的いやがらせ」へと進化していく。

  耐え切れなくなったA子さんは再度両親に相談。ここへきてさすがにA子さん両親は学校へと相談。しかし学校は「そのような事実は確認できていない」と真っ向から否定。(このご両親がここでA子さんを転向なりなんなりさせなかった事が本当に悔やまれる。)

  しかし現実にA子さんは、下着を下ろされたりといやがらせを受け続けていて、納得の出来ないA子さんご両親は再三学校へ訴えつづけるが、やはり学校の対応はぬるいものだった。

  そして事件が起きる。中学3年の受験を控えた頃、A子さんは同級生たちに校内のある場所に監禁されて、20名近くの男子生徒に輪姦される。怒った両親が学校に出向き激しく抗議するも、男子生徒の親が「A子にも落ち度がある」と主張。絶望したA子さんのご両親は学校を相手取り民事裁判を起こす。

  というのが大体の事件のあらましだったと思います。A子さんが今、幸せでありますようにと本当に思います。


旭川女子中学生校内集団レイプ事件
http://saki.2ch.net/youth/kako/980/980849555.html

1 名前: おかしい 投稿日: 2001/01/30(火) 19:12

■女生徒暴行訴訟で原告勝訴 旭川地裁
市と道に200万円の支払い命令

  北海道旭川市の市立旭川市立北都中学校で男子生徒らが女子生徒に暴行などを繰り返した事件で、被害者(19)と両親が「事件は教諭ら学校側が安全配慮義務を怠った結果」として、国家賠償法に基づき旭川市と北海道に総額約四千四百三十万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が三十日、旭川地裁であった。

  斉木教朗裁判長は「学校が加害男子生徒の指導を徹底すれば、女生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として、旭川市と北海道に計二百万円の支払いを命じた。

  訴状によると、中学一年当時から始まった男子生徒らの被害者に対する性的嫌がらせは次第にエスカレートし、中学三年時の平成八(一九九六)年には、男子生徒十人に校内のトイレで暴行などを受けた。 

  担任教諭らは、女子生徒から被害の相談を少なくとも三回受けたほか、わいせつ行為を目撃したことがあったにもかかわらず、男子生徒らに適切な指導を怠り、事件後の真相解明を求める被害者側に対し責任逃れに終始した、としている。

  男子生徒十人は、旭川家裁により少年院送致や保護観察処分などをすでに受けた。


2 名前: 見てみぬふり 投稿日: 2001/01/30(火) 19:19

  斉木裁判長は判決で、訴えを全面的に認め、「少なくとも相談を受けた平成八年六月の時点で予見は可能だったが、詳しい事情聴取をせず、指導強化も怠った。女性はこの相談以降、少なくとも六回の暴行を受けた」と学校側の過失を認定。さらに、集団暴行事件について「教頭は両親に暴行の事実を隠して胸などを触られただけと説明し、事件が闇に葬り去られる危険性もあった。これだけでも重大な違法行為にあたる」と厳しく指摘し、「前代未聞の悲惨な事件」と断じた。

  その上で、損害賠償額は一千万円が相当としたが、加害生徒から支払われた示談金八百六十万円を考慮して、女性には市と北海道が連帯して百七十万円、両親にはそれぞれ十五万円を支払うよう命じた。


29 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/31(水) 20:29

  私の地元。その時私は高校生だったけどこの事件はかなーり衝撃的だったよー

 みんな「どこの中学?!」て騒いだなー 地元紙にもいろいろ記事載ったけど、なんだか釈然としないまま事件は消えて行ったと思った。

  でも今頃になってやっと判決が出たのね。裁判は時間かかり過ぎ。女の子はけっこう可愛かったらしいけど、集団レイプ最低。


08: 名前:名無しさん投稿日:2001/01/31(水) 17:14
  北都中だよ。同じクラスのやつがちょうどこの学年。

15: 名前:しゃもじ投稿日:2001/01/31(水) 20:05
  北都なの? じゃあ、ジャージプレイか。


21: 名前:名無しさん投稿日:2001/02/02(金) 12:27
  職員室と教室が遠いからなんでもあり! 学校中美術品飾って「学校美術館」てよんでた。(トイレの中まで飾ってあった。ツバとかついてるだけで全校集会で犯人探し!)

  事件が起こったのはエリート校長の時、(だから問題起こしたくなくて隠しに走ったのでは?)


126 名前: 北海道警察 投稿日: 2001/02/07(水) 22:00
  旭川市立北都中学校。被害者の女子は、俺の同級生の妹だった。俺が中学の時、いじめがあったが、先生はなにも役にたたなかったなー 担任の山?先生


127 名前: ↑ 投稿日: 2001/02/07(水) 22:43
  ひょっとして音楽の?


いじめられる方が全面的に悪い


378 名前: 名無しです 投稿日: 2001/05/30(水) 20:41

  私が旭川市内の中学生だったのは15年以上前の事。旭川出身者としては、担任教諭が被害者の相談を受け、現場を目撃してもなお動かない、という所が「いかにも旭川の中学校らしい」と思いました。

  「いじめは、いじめられる方が全面的に悪いのだから、止める必要はない」という考え方の先生が多いみたいなんですよ、旭川教育大の出身の先生には。私の3年の時の担任もそうでした。始業式の日の自己紹介の時に前述のような話を一席ぶって・・・。その年に配属されたばかりの新米でしたから、自身の経験から出た言葉とは思えないんで、大学の教育課程でそういう考えに染まった様で・・・。

  担任がそんなだから、クラスにいじめが起きて・・・苗字が同じだったもんだから、私、他人事に思えなくて、ムダだろうな・・・とは思いながらも一応担任に報告するんだけど・・・完全無視でしたね。

  賠償金、市と道が払ったんですか? 学校と教師どもが払うのが筋じゃないの?


386 名前:可愛い奥様 [2005/06/25(土) 18:16:16 ID:czkHlrDC]

  結婚前に勤めていた会社で聞いた話。ある社員(男40代中頃)が高校生の頃、友達数人で公園のアベックを襲って、彼女の方をみんなで強姦した話を酒の席で自慢げにしたらしい。

  その席にいた人はみんな驚いて、ドン引きだったらしいけど、本人は酔っていたようでそんな事にも気付かずに、ベラベラ楽しそうにしゃべってたって。本人は「青春のひとこま」みたいに「よき思い出」として語ってて、まったく罪悪感は感じてなさそうだったって。

  いわゆる一流大学を出て、奥さんも綺麗で、女の子2人の父親だった。
http://yo2605.blog114.fc2.com/blog-entry-72.html


旭川女子中学生集団暴行事件

旭川女子中学生集団暴行事件とは1996年12月に発生した北海道旭川市の市立中学校の女子生徒に対する集団性的暴行・強姦事件である。


事件の経緯

初めのうちはクラスのマドンナ的存在であった女子生徒に対する、スカートめくりなどの軽度の性暴力から始まったと言われる。

男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。女子生徒が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の一人の家に連れ込まれるようになった。

男子生徒たちは公園や橋の下などで毎朝、口淫をさせた後

「今日もおいしい牛乳を有難うございました。」

という屈辱的な言葉を言わせていた。

中学3年の5月からは、下着の着用と自由な排便を禁止した上、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄を強要していた。

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。

被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

その後、旭川家庭裁判所において3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を旭川地方裁判所に起こした。

2001年1月30日、旭川地方裁判所は、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた(判時1749号121頁)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E5%9B%A3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

旭川女子中学生集団輪姦事件

旭川女子中学生集団輪姦事件とは1996年12月に発生した北海道旭川市の市立 北斗中学校の女子生徒に対する集団性的暴行・強姦事件である。


事件当時の1994〜1996年は2000年代とは比べものにならない程に少年の素行が荒れていた。北教組公務員の教師は不良少年集団に怯えてまともに指導ができなかった。これが事件発生の要因である。

被害を受けた女子生徒は1994年の2学期頃から、男子生徒延べ11人により身体を服の上から触られるなどの被害にあっていた。初めのうちはスカートめくりなどの性暴力から始まった。

1996年6月、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけに、性暴力はエスカレートしていった。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

事件の舞台となった中学校は不良少年が荒れ狂う動物園のような状態だった。発情期の不良少年はスカートめくりや尻触りに熱中。被害者少女はクラスでも可愛い容姿であったため特に被害を受けていた。

軽いスカートめくりや尻触りが如何にして日常的な輪姦に発展したのか。事の発端は不良少年が被害少女に告白したことにある。しかし、普段からスカートめくりをしてくる猿みたいな不良少年の女になろうなどと思うわけもなく当然少女は告白を断った。そこから大勢の不良少年が少女への嫌がらせを過熱させていった。

不良少年達はそれから少女を囲いスカートの中に手を入れる、教科書を隠し代わりにエロ本を机に入れるなどのスカートめくりから一歩進んだセクハラを開始するようになった。

耐えきれなくなった少女が教師に報告したのが中一の秋頃、ここが二番目のターニングポイントだった。教師は不良少年を呼び出し女の子が嫌がるようなことをしてはいけないとやんわり注意した。パンツ越しに股間を触っても大して怒られなかったことが、不良少年達の暴走が始まることにつながった。

さて教師からの叱責を大して受けなかった不良少年達はそれから日常的に少女の身体を弄ぶようになった。中一の冬に少女を裸にし性交直前で止めた。日常的に裸にして身体を好きなようにしていたが、この時点ではまだフェラもセックスもなかった。処女が奪われたのが中二の夏と少し期間があく。

男子生徒10人は、A子が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。A子が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれレイプされた。

公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要。毎朝、呼び出され、口淫をした後「今日もおいしい牛乳を有難うございました」というセリフを言わされていた。

中学3年の5月に、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせていた。又、女子生徒の弱みにつけこんで、同女子に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返した。

1995年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、立ち去っている。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。

中二の秋にはこのように校内の至る所でフェラを強要され、教師は黙認という異常な事態に発展していた。

また1996年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになった。

こうした異常事態は三年になっても続き、むしろエスカレートしていった。授業中に不良少年は少女の教室に入り、連れ出しにくるが教師は黙認していた。連れ出された少女は便所に連れて行かれ授業中にも裸にされてフェラチオを強要されていた。

その後リーダー格の少年がこっそりセックスをしていたことが仲間にばれ、フェラだけで我慢していたその他大勢が俺も俺も少女にセックスを迫るようになった。不良少年達に殴られ、代わる代わる中出しされ水をかけられた少女が廊下で泣いているところを友人の女生徒が発見。教師に事の経緯を説明し教師は少女を連れて少女の両親に報告を兼ねて家まで送り届けた。そこでようやく両親に事が伝わり警察が介入することになった。

少年2人が少年院、残りの8人が保護観察。賠償額は不良少年達から840万、学校から160万。

なぜ少女はもっと早くに解決に乗り出さなかったのか?不良少年達に家を燃やす、母親も犯すなどと脅されていたことや大の大人の教師までもがビビる不良少年の大群に心底怯えていたためであった。見て見ぬ振りをする教師の姿を見て大人を信用できなかった。事が長く続いてしまったのは決して少女に非があるからではなく、ひ弱な教師にある。


その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

2001年1月30日、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%BC%AA%E5%A7%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

週刊大衆平成10年5/28号より引用
不良グル−プに三年間レイプされ続けた女子中学生の悲鳴!

「・・・・・男子生徒10人は、A子が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。

A子が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれレイプされた。・・・

公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要。

毎朝、呼び出され、口淫をした後「今日もおいしい牛乳を有難うございました。」というセリフを言わされていた。・・・・

中学3年の5月に、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせていた。・・・・

又、女子生徒の弱みにつけこんで、同女子に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返した。・・・・

女子生徒は現在、高校に通っているが、男性に対する恐怖心は消えてないという。


被害を受けた女子生徒は1994年の2学期頃から、男子生徒延べ11人により身体を服の上から触られるなどの被害にあっていた。初めのうちはスカートめくりなどの性暴力から始まったと言われる。

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。

だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。

「お昼休みになると、他のクラスの男子が教室に大勢来て、その子(被害者を)
引っ張ってどこかに連れていきます。抵抗するんだけど腕を掴んで引きずって
いきます。」

少女はこの後、男子トイレで裸にされ、フェラチオを強要された。

順番待ちの列ができるほどだった。主犯格の少年は更にエスカレートし
毎朝、口淫を強要し精液を飲ませた。

そして遂に授業中にもフェラチオを強要する暴挙に出たと言う。

被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。


家に火つけるぞとか母親もレイプするとか脅されたらしい
それで一人でがんばってきたと
http://blog.livedoor.jp/hna072-odoroki/archives/1474484.html


旭川女子中学生集団暴行事件
平成一〇年(ワ)第一〇五号 損害賠償請求事件判決要旨


主    文

一 被告らは、原告甲野春子(原告が女性のときの仮名として「甲野春子」に置き換えるのがこの業界の慣習です)に対し、連帯して、金一七〇万円及びこれに対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告らは、連帯して、原告甲野太郎及び原告甲野はな子に対し、それぞれ金一五万円及び右各金員に対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。


理 由 要 旨

加害少年達は「・・・・」という非行集団に属する生徒達であり、集団的な非行傾向のある生徒達は時として暴走化する危険をはらんでいるからこれを解消する方向で指導をしていた。

したがって、A教論としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、たとえA教諭が理解したように服の上から身体を触るといった性的行為にとどまっていたとしても、これをこのまま放置しておけばいずれ本件学校内強姦事件等のような深刻な性的暴力事件等に発展するかもしれないと予見することが可能であった。

2 それゆえ、A教諭としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、

(1)原告春子からわいせつ行為の状況を詳細に聴取するほか、加害男子生徒や、学校内で同様の性的被害を受けているという他の女子生徒らからも詳しい事情を聴取し、その内容を三学年の他の担任教諭らの他、教職員全体に報告すると同時に、
他の教諭らからも右性的被害に関する情報を収集し、学校内におけるわいせつ行為の実態をできる限り解明すべき義務があった。

また、

(2)A教論には、被害申告を受けた時点で直ちに被害の事実を被害生徒及び加害生徒の双方の保護者に報告すべき義務があった。

さらに、

(3)A教諭は、前記実態解明の結果を踏まえて、他の教職員や保護者と連繋した教育指導態勢を作り、教職員全体で又は保護者らと一体となって、原告春子を加害生徒らによる報復から保護しながら、加害生徒らへの指導を強化徹底すべきであった


3 そうであるのに、

(1)A教諭は、平成八年六月のスーパーでの被害に関する相談を受けてから以降も、原告春子に具体的な被害状況を詳しく聴取せず、加害生徒ら及び他の同様の被害を受けているという女生徒らからも性的被害の状況を全く聴取しなかった。


また、

(2)A教諭は、被害者及び加害者の双方の保護者らに対する報告義務を怠った。

さらに、

(3)A教諭は、原告春子の性的被害の相談について、加害生徒は他クラスの生徒であると聞いたのにその担任教諭に何ら連絡せず、職員朝会、学年会又は職員会議などにも報告しなかった。


結局、養護教諭に対して女子生徒から身体を触られたという訴えがなかったかどうかを確認してクラスの男子生徒の様子を二、三日見ていたにすぎず、 最終的には、クラスの帰りの会において、学級全体に対し、女子生徒の身体を触ることがセクハラになるなどと一般的な注意をしただけで終わらせ、その後は原告春子に新たな被害を受けていないかどうかを確認することもなかった。したがって、A教諭には、安全配慮義務違反の過失がある。


4 右過失がなければ、原告春子は、平成八年六月の相談以降、日時を明確にできる分だけでも学校内での口淫強要二回、学校外での口淫強要二回、友人宅での強姦一回、学校内での口淫強要・強姦一回といった悲惨な性的暴力を受けることがなかった。


5 本件は、非行化傾向のある特定の男子生徒らが集団で特定の女子生徒を標的にして、衣服の上から身体を触るといった段階から胸や陰部を衣服の下から直接触るという段階を経て、集団による口淫の強制及び強姦へと性的暴力を激化させ、最終的には教諭らや生徒多数がいる時間帯の学校トイレ内において被害女生徒を監禁した上、集団で口淫強要及び強姦に及んだという前代未聞の悲惨な事件であり、長期間にわたる集団的な性的虐待(いじめ)を本質とする事案である。


加害生徒らは、頭部を殴打するといった肉体的暴力や「殺すぞ。」といった激しい脅迫のほか、思春期の女子生徒が性的羞恥心等から被害を他の人々に話せないでいることにつけ込んで、同女を精神的にも隷属させ、その人格を著しく蹂躙するような性的虐待を学校の内外で長期間にわたって集団で加え続けたものであるから、思春期の悲惨な体験が原告に残し続けるであろう心の痛みには相当深刻なものがあろうと推察される。

また、原告春子は担任教諭に対して羞恥心を抑えて何度も深刻な性的被害を匂わせる相談をしたのにこれに気付いてもらえず、一層激しい性的暴力を受け続けたのであるから、本来は尊敬すべき教師に対して不幸にも不信感や恨みを持たざるを得なくなったというのも十分にこれを理解することができ、性的虐待の体験によって現在でも男性との会話を拒否する傾向にあることなどをも併せ考えると、原告春子の受けた心の傷は誠に深い。

したがって、原告春子の右精神的苦痛に対する慰謝料の金額としてはい、一〇〇〇万円が相当である。本件では、加害生徒らからの示談金八六〇万円を控除した一四〇万円が損害額となる。
http://blog.livedoor.jp/hna072-odoroki/archives/1474484.html


〜当時の風俗情報誌の記事から抜粋

加害少年らは家庭科教室からパクってきた漏斗でペットボトルに小便を貯めて、被害少女に飲ませていた。

また、被害少女に小便をさせて貯めたペットボトルを教室に持ち込んで、被害少女の目前でクラスの男子生徒に臭いを嗅がせて笑い転げていたという。

(中略)

中学3年の1学期には剃刀で陰毛をすべて剃られて下着を着けずに登校するよう命じられた。

毎朝、校舎2階の男子トイレに呼び出され、下着を着けていないか確認をしていた。

リーダー格の少年が「ノーパンチェック」と告げると被害少女自らジャージを下げて下半身を露出させ、下着を着けてないことを証明させられていたという。

そして口淫を強要されるのが日課となっていたそうだ。

また、剃毛した被害少女の陰毛を透明のカードケースに入れて持ち歩き、同級生の男子生徒らに触らせて勃起したら殴るという遊びをしていた。

被害少女から没収した汚れたタンポンでも同様のことをして遊んでいた。

下着の着用を禁止されて以降は、生理の時はタンポンの使用を強要されていたのだ。


校内で被害少女を見かけると、ファンがアイドルをコールするように

「シャブシャブ〜♪ヤリマン〜♪シャウエッセ〜ン♪」

と呼んで一般生徒の前で被害少女をからかっていた。

また、人気のない場所で加害少年らに「おまえは俺らの何だ?」と聞かれると「口マンコです」と答えるように指示されていた。

「そうか、じゃあ咥えろ」と言われて、複数の加害少年たちに毎日のように口淫を強要されいた。

口腔射精後は精液を吐き出すことは許されず、そのまま直に飲まされて「今日も美味しいミルクをありがとうございました」と言わされていたようである。


リーダー格の少年は、当時のオウム事件報道で有名になった言葉を使って「俺らはマインドコントロールの天才」と自画自賛していたようだ。

(中略)

本誌取材班は、事件当時被害少女と同級生だった旭川市在住の男性Aさんに取材をすることが出来た。

男性は、同中学校在籍時に少年らから金銭を取られたり使いっパシリ的な扱いを受けていたという。

男子トイレや特別教室などで、被害少女に猥褻行為をする時の見張り役や両親が不在時に自宅を提供させられていた。

すべての犯行現場に居たわけではないというが、当時見た猥褻行為の惨状や少年らが話していた悪事を出来るだけ詳しく証言してもらった。


被害少女は、色白で小柄な子でした。

目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のある可愛い顔でクラスのアイドル的存在でした。

彼女に片想いしていた男子生徒が何人もいたと思います。
明るい性格で友達も多く勉強も出来る子でした。

(中略)

私は大人しい性格のためか、入学当初から彼らのパシリ役にされて金品も取られていました。

パシリ役は全員同学年の男子で常時5、6人は居たと思います。

クラス替えで解放される子もいましたが、私は気に入られていたのか不幸にも3年間付き纏われました。

カツアゲしていた生徒らに被害少女の胸を揉ませたり陰部を触らせていました。

「カツアゲのことを親にしゃべったらこのことバラすからな」と脅されていたんです。

(中略)

クラスの連中も彼らの集団が被害少女に猥褻なことを強要していると薄々は知っていました。

おそらく学年中で噂になっていたと思いますよ。

何人もの友達から被害少女がどんなことをされているのかや、被害少女の身体の特徴を教えてくれと聞かれたことがありました。

「自分も見張り役でいいからやってみたい、おまえが羨ましい」という友人もいたくらいです。

ですので教師も知らないはずはないと思いますし、現にリーダー格や中心メンバーと被害少女はクラス替えで一度も同じクラスになっていませんので、学校側もトラブルを起こされたくなくて配慮していたのかなと今になって思う部分もあります。


色々ないじめの中で被害少女が一番恐れていたのが、校舎2階のスペースに設置されていた六角椅子です。

六角椅子は蓋のような形状をしていて中が空洞になっている重くて頑丈な椅子です。

被害少女に正座をさせて頭を床に着け六角椅子を被せると背中が押し潰されて苦しい姿勢のまままったく身動きが取れなくなります。

そこへ加害少年たちが座ると、もう自分の力では椅子を持ち上げることも出来ません。

六角椅子の中は、真っ暗で息苦しく暑苦しいらしくて、1分も経たないうちに被害少女の許しを請う泣き声がしました。

終いには発狂したように泣き叫ぶ被害少女を、加害少年たちは六角椅子に座って笑い転げていました。

このいじめは、被害少女が衰弱して泣き止むまで続けられることもありました。

「六角椅子に入れるぞ」と脅すだけで平常心をなくして泣き出すほど怖がっていました。

ひとつ間違えれば命にかかわる危険な行為も、彼らには暇つぶしのお遊びだったんです。


最上級生になって校内で更に凶暴化した加害少年たちは、パシリ役の少年宅にて後輩の不良たちを集めて被害少女を辱めた。

総勢20人程の目前で被害少女にストリップを強要したのだ。

初めて直に女性の陰部を見た下級生に対しては

「好きなだけ弄って構造を勉強していいぞ。こいつすぐマ■コ濡らすから」

と言ってニヤニヤしていたそうである。

その後、被害少女に臀部を突き出す姿勢を取らせて、後輩一人一人に肛門の皴を数えさせたという。

「俺たちはこんな可愛い子にこんなことも出来るんだぞ」と後輩の不良たちに権威を示したのだ。

取材に協力してくれた男性Aさんは、この時は被害少女が可哀相で今でも思い出すと心が痛むと語った。


中3の2学期には当時流行っていた、たれぱんだの絵を被害少女の臀部にマジックで描いて尻を振らせて踊らせていた。

「落としたら焼きを入れるぞ」と脅し、火のついたタバコを被害少女の肛門に挿していたという。

肛門に力を入れてタバコを動かすように命じると、たれぱんだがタバコを咥えているように見えて加害少年らは腹を抱えて笑い転げていたという。

このいじめは被害少女が、たれぱんだのシールを文房具に貼っていたのを見たリーダー格の少年が「そんなに好きならお前の身体に描いてやるよ」と思い付きではじめたものが仲間うけが良かったためにしばらくは頻繁に行われていました。

(中略)

被害少女の尊厳を傷付けるような本当に酷いいじめでした。

これ以来、被害少女は文房具に貼ってあったたれぱんだのシールを剥がしてしまったと男性Aさんは語る。
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/youth/1456145544/

715 :同級生 :04/05/15 00:30

肛門に指を突っ込まれた事件は結構有名で、

指に着いたウンコを壁になすりつけられてたけど、

そこに「***(被害者)のうんこ」って落書きがあったわ

それは中一だったから、犯されたのはもうすこし後だろうね
それからのことはしらない

奴らは悪だったし、一緒に参加しても、カツ上げされるの目に見えてたから


・加害者達は学校の廊下をバイクで走るキチガイ。同級生はおろか教師も平気で殴っていた。

・当初行われていたいじめは、被害者の胸が大きいことをからかうことから始まった。被害者の胸を触り、スカートをめくってお尻を触るような比較的軽い性的ないじめだった。

・加害者の1人が被害者に交際を迫ったが断われた。それ以降、性的ないじめの内容が激しくなった。トイレや空き教室に無理やり連れ込み、服を脱がせて被害者の身体を執拗に弄び、フェラチオを強要するようになった。

・中2の夏に処女を奪われた。それ以降、フェラチオの強要だけでなく度々強姦されるようになった。

・被害者は最初、激しく抵抗していたが、そのたびに過激な暴力を振るわれていた。たび重なる暴行と脅迫により、中2の半ばにはほとんど言いなりになっていた。

・被害者は加害者に敬語を使い、ご主人様と呼ばされていた。命令されればクラスメートのいる教室でも裸になった。フェラチオのときに精液を飲んだら「おいしいミルクをありがとうございます」と言わされていた。

・日常的に強姦されるようになった当初、加害者は膣外に射精していたが、徐々に膣内に射精されることが増えていった。妊娠を恐れた加害者は、被害者に売春をさせた金でピルを購入して常飲させていた。

・被害者が少しでも反抗的な態度をとったら容赦なく殴りタバコの火を押しつけた。「兄貴とセックスさせるぞ」「母親も犯すぞ」「少年院なんてすぐ出てこれる」と脅していた。

・陵辱現場に連行されている際、通りかかった教師に「助けて」と叫んだが無視された。被害者が教師に助けを求めたことに激昂した加害者は被害者の後頭部を殴り、背中にタバコの火を押しつけるなどの激しい暴行を加えた後に強姦した。

・加害者の機嫌が悪いと命令に従順でも暴力を振るわれることがあった。教室で裸にさせられて、肛門に指を突っ込まるいじめをされていたとき、「うんこついたじゃねえか」と激昂した加害者に長時間に渡る暴行を受けた後に強姦されている。

・授業中にもトイレに連れて行かれて強姦されていたが教師は何もしなかった。体育の授業ではサイズの小さい体操服を着るように命令されていた。授業中にも殴られて体操服を脱がさていたが教師は何も言わなかった。

・性器や肛門に様々な異物を挿入されていた。性器にタバスコを塗られたときには、あまりの痛みに絶叫して許しを乞うたが、加害者は大笑いしていた。「ま○こにタバスコぶっかけるぞ」と加害者が脅すだけで泣き出すほど怯えていた。

・下着をつけずに登校するよう命令されていた。加害者が「ノーパンチェック」と言うと自分でスカートめくって下着をつけていないことを証明していた。

・陰毛に火をつけられて縮れてしまったときには「汚ねえから剃ってこい」と加害者に言われた。それ以降は常に剃毛してくるように命令されていた。

・自由な排泄を禁止されていた。加害者の見ているところで裸になって用を足していた。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要していた。「このうんこてめえに食わせるぞ」と脅されていた。

・尻に落書きをされた上、裸で踊るように命令されていた。手を抜くと暴行されるため、必死に尻を振って加害者の歓心を買っていた。

・被害者との日常的な性交はリーダー格である一部の加害者だけの特権だった。他の加害者の性処理はフェラチオやパイズリが主だったが、加害者の誕生日などには性交を強要されていた。


その女子中学生は日常的にフェラチオを強制され射精した精子をじかに飲まされたりしていた。

またある時、男子生徒同士で自慰をして出た精子を持ってこようという相談をし、それぞれが持ち寄った精子を一本のペットボトルに入れて 500ml一気に飲め!といわれた、

被害者の女子中学生は時間が経過し匂いがきつくなった精子を少しずつ口に含み半分ぐらい飲んだところで一人の男子が

「飲むのが遅せーんだよ!ムカツクな!ちょっとペットボトルを貸せ」

といって隣のトイレ個室に行き自分の尿をそのペットボトルに足して

「今度はドロドロじゃないから、飲みやすいぞ!」

といって、一気のみを強制した、

途中でむせて吐き出すとその吐き出した精子と尿の混ざった液体を近くの掃除用具置き場にあったモップに染み込ませ髪の毛や顔面になすりつけた。

その日は異臭が漂う女子生徒とはだれもSEXをしなかった

翌日はリーダー格の男子生徒に「チャンと頭あらってきたか?」と聞かれ「はい」と答えると「よし、それなら一発やってやるぞ」と言われ昼休みに男子トイレで立ったままパンツをひざまで下ろされ背後から性行為

放課後は体育館の倉庫でマットを敷きそこで正常位、それが終わるといつものように 7〜8人の男子生徒から次々と性行為をされた。


当時のテレビ朝日のザ・スクープで特集やってた。
同級生にインタビューもしてたよ。

「女の子は嫌がってましたけど。男子生徒が10人くらい取り囲んで両脇を捕まえて男子トイレに引きずっていくのです。

助けてって叫んでるんだけど先生も知らないふりでした。

女の子は男子トイレに連れ込まれて帰ってきませんでした。

昼休みとか毎日のように他所のクラスからも男子が来て、女の子を連れていきます。」

この橋の下で、女子生徒は激しい暴行を受けました。

口に出すのも憚られるほどの、陵辱を女子生徒は受けたのです。

橋の下で女子生徒は下着を剥ぎ取られ、性器を弄ばれました。

また、男子生徒数人は女子生徒に口淫(フェラチオ)を強要し、女子生徒に体液等を浴びせました。その行為を目撃していた人もいたようです。

女子生徒は長時間に渡り、陵辱の限りを尽くされました。

暴行は更にエスカレートしていきました。
暴行に加わる男子生徒も増えていきました。

口淫にとどまらず、性行為も頻繁に強要されるようになっていきます。

加わる男子生徒は10人を越えました。成人女性ですら耐えられないほどの猛烈な性暴力に女子生徒は晒され続けました。

もほや言葉にできない内容に唖然とさせられます。


加害者の●● アナル舐めがお気に入り。

「尻の穴もなめたら許してやるよ」

「じゃねーとてめー母親も同じ目に遭わすぞ」な?

加害者の○○のお気に入り目隠ししてチンチンなめさせて、

誰のやつか分かるかぁ?

「はずしたら浣腸か全裸で校庭3週たぞ?」


加害者の△△のお気に入り

小便を紙パックにして
「俺の小便おいしいかぁぁ????」
って聞いて被害者に「おいしいです」といわせる事。


加害者の▲▲のお気に入り
毎朝、ノーパンで登校させるのを強要して、
みんなのいる教室でのスカートめくり。


加害者の□□のお気に入り
放課後、酒を飲みながら被害者にストリップを強要。
その後にまわりの奴に押さえ込まして性交。


加害者の■■のお気に入り
被害者のアソコにありとあらゆる物をいれる。

加害者どもは校内を原付で走ったり、やりたい放題。
授業中でも被害者を平気で連れ出して、くわえさせていた。


むりやり裸にされてちくびにカッター突きつけられて、
くわえないと殺すぞとかあそこに包丁突きつけて
くわえないと殺すぞとか凄すぎ。

とにかく暴行が凄かったらしいね。

しょんべそ飲まされたり、浣腸させられその写真とられたり
むりやり水のませてションべそしてるところ写真にとったり

加害者の家にむりやりつれてかれてエロビと同じ事やらされたり、
教室でストリップさせられて、その後にくわえさせたり
10人以上にこんな事されたら・・・


公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせて写真撮影、

その2,3日後いとーよーかどーに写真をネタに「来ないと写真ばらまくぞ」と脅し、わいせつ行為。

浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせて写真撮影をしたのは被害者の母を呼び出すためにしたらしい。


空き家、公園の遊具の中、公園のトイレ、公園の隅の木の辺、橋の下、 ヨーカドートイレ、カラオケ、プリクラの中、学校トイレ、美術室、部室、体育館裏&倉庫、夜の校庭 、犯人宅、被害者宅のそばの空き地 、 牛朱別川(うしゅべつがわ)


404 :少年法により名無し:2007/06/26(火) 00:17:37 0
浣腸はいつどんな風にされたの?

408 :少年法により名無し:2007/06/26(火) 20:48:25 0
浣腸は公園のトイレで

初強姦はグループの一人の家で。

学校のトイレでの輪姦が発覚のきっかけになったんだな。

660 :少年法により名無し:2007/08/07(火) 17:19:33 0
放課後に学校の男子トイレ内で集団わいせつ行為というのが多かったようだが
8月の今頃のような夏休みの時はヨーカドーの障害者トイレをよく利用していたようだ


753 :少年法により名無し:05/02/14 16:11:29

1、剃毛

2、公園のトイレで浣腸

3、下着付けずに登校させる

4、夜の学校のグラウンドを全裸で走らせる

5、毎日のようにフェラチオさせて精液は飲ませる

6、「今日もおいしいミルクをありがとうございました」と礼を言わせる

7、中2の夏に、少年達の一人の家で強姦されて処女喪失

8、ついには学校のトイレ内でも挿入されて、これがこの事件がばれる原因となった


757 :少年法により名無し:05/02/16 01:47:08

5、7、8は裁判の記録にも出てくる話だから
本当よ。
あとは当時の週刊誌に出てた内容。

挿入は裁判で触れられてたのはその2回だけど
実際はやりたい盛りの連中だからね。

週一ぐらいのペースではやられてたんじゃないの?

77 :少年法により名無し:2016/06/27(月) 16:02:35.36 ID:6HxGVXYh0.net[5/5]

当時は被害者のイニシャルや実名も書かれていた。
家庭のことも事細かに。


92 :少年法により名無し:2016/07/07(木) 02:26:24.48 ID:QCJwxTr/0.ne
毎日というか休み時間の度に後頭部にグーパンチが挨拶代わりだったそうだ。


94 :少年法により名無し:2016/07/09(土) 17:28:37.13 ID:LKbxT2RK0.net[1/3]

加害少年(●木グループ)らが校内で多数の女子にしていたこと


乳クロー、尻クロー

プロレス技のアイアンクローのエロバージョン。
基本的には服の上から乳や尻を掴む、触る、揉む行為のこと。


乳パン

不意打ち的に乳房にパンチする。
「隙あり!」と言いながらやることが多い。


注射

身体の一部分を思い切りつねること。
主に乳首。


ジャージおろし

女子の背後からジャージとパンツを同時におろす。
北●中は当時、制服ではなくジャージ登校だったためスカート捲りよりこちらが主流。
ウケがいいので可愛い子だけじゃなく不細工や学級委員長などもやられていた。
複数で押さえつけて確実にパンツをおろすことをコンビネーションと呼んでいた。


女子便覗き

隠れてコッソリじゃなく堂々と女子トイレに入って覗く。
下の隙間から、上から。
加害少年らの気配があると女子がトイレを利用しなくなるのが日常。


コーモン(指浣腸)

「コーモン」の掛け声で指浣腸すること。
何故か「コーモン」と言いながら指浣腸していた。

「コ〜〜〜モン」と伸ばすとゆっくりな浣腸。

早口で「コモン!!!」の場合は高速の指浣腸で肛門にヒットすると激痛w

失敗してケツにズレると指が折れそうになる。

北●中は普段はジャージのため女子の肛門に照準を合わせやすかった。


パンツ狩り

可愛い女子を脅してその場で履いているパンツを貰う。

基本的にはしつこく絡んで脅して自らパンツを脱いで差し出させる。
応じない場合は羽交い絞めにしてパンツを強制的に奪う。

本人の前でパンツの汚れを見て、臭いを嗅いだりしてからかう。

狩ったパンツは加害少年らの間で回覧されて欲しい奴が貰う。
教室の掲示板に画びょうで貼って公開することもアリ。

生理ナプキンが出るまで1日に何人もパンツ狩りをして遊ぶこともアリ。

パンツを並べて誰のが一番汚いかを比較して爆笑。

あまり汚れてなくても数日経てば黄ばみが増してくるらしい。
可愛いとされる女子は何度も狩られていた。


ボテハチ

後頭部、乳房、下腹部、背中などにグーパンチを連打すること。
顔などは傷が目立つので殴らない。
言うことを聞かないと「ボテハチにするぞ」と脅す。
基本的に服の上から。


162 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 13:43:09.73 ID:bNHxnw7N0.net

特別教室で犯されてるところに女教師が来て「助けて」と言ったが見て見ぬ振りで立ち去ったくらいだ。

教師も学校も不良グループが怖かったんだろ。


163 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 14:16:08.91 ID:dOcF2vdQ0.net

被害者が3年も言いなりになっていたのはチクったら家燃やすって脅しが効いてたから

本当にそれくらいのことをやりかねないと思わせる程度にぶっ飛んだ野郎だったんだろうね


164 :少年法により名無し:2016/09/19(月) 01:40:59.06 ID:1GnqP9OK0.net

加害者と言われる少年らの親は893とか893関連の土建屋社長とかB地区とか当時の2ちゃんで言われてたよね。

田舎だし、教師も報復が怖くて自己防衛してたのかな。
自分の家族に被害出るの心配だし。

助平なことされてるのは知ってても「これは少女が同意してふざけてるだけ」と逃げてたんだろうね。

まあ教師も人間だし、女子生徒1人より自分の家族が大事だから仕方ないな。


181 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 14:53:20.02 ID:nwhYoLxJ0.net[2/2]

教師も人間だから生徒より家族優先。

自分の娘が不良達にアジの開きにされたらいたたまれない。
後で法の裁きがあっても不良達に犯された事実は消えないからね。

これは教育の域を超えて警察レベルじゃないと対応できない不良達。
警察に垂れ込むことさえ教師は怖かったはず。

1人の少女の犠牲によって他の生徒教師の安全が守られていた。
市からの賠償金はそのお礼みたいなもん。

この少女の容姿がアイドル並みだったために何人かの処女が守られたのも事実だろう。


185 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 22:29:14.08 ID:bmTSKxV00.net

未成年だからすぐに社会復帰するし、報復と言っても捕まらないように仕返ししてくるかもしれない。

田舎だから何年何十年も嫌がらせされるかもしれないし、暴力団員になって娘が薬漬けにされたり・・・

警察は被害後じゃないと動かないからな。

既に肉便器化されてる女子生徒を救っても肉便器の過去は消えない。
中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

親もヤバイ系という話だしな。
女教師は音楽室で犯してるところ目撃して「出ていけ」と言われて速攻で逃げたらしいじゃん。
荒れた学校を経験してる奴なら理解できるぞ。

432 :少年法により名無し:2017/01/22(日) 02:16:16.16 ID:av2Ju1pf0.net

先週旭川の教師が教え子のJCに性的な悪戯して捕まってたな
去年も中学の教師が女子中学生盗撮して逮捕されてるし
旭川は性獣の都なのか?


433 :少年法により名無し:2017/01/24(火) 10:28:56.92 ID:pxmjmM880.ne

t大人の事情がわからずに教師を批判してる子どもが多いですな

自分の受け持ちの生徒が日常的に何度も学校の中でレイプしてるなんて前代未聞の事件が世間に公表されたら出世は絶望的なのだよ

教師も助けてあげたかったのだろうけど気づいたときにはもう手遅れ

世間に公表されたら学校の評判が地に落ちるような凄惨なレイプが行われていた

教師は泣く泣く見て見ぬ振りするしかなかったのだろうな卒業まで耐えてくれと断腸の思いで少女を見守っていたのだろうね

被害者を心配していた証拠に加害者のDQNどもと被害者を同じクラスにしないような配慮をしていた


438 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0.net

通りすがりのおっさん「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい

旭川市民には通報という概念がないのか?
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/

49 : 少年法により名無し 2015/06/12(金) 14:57:52.26 ID:kC0uPMsE0

裏モノJAPAN2005年11月号、表紙には書いてないけど、記事は確実にあるよ。
6ページでイラスト付きだった。
http://blog-imgs-46.fc2.com/u/r/a/uramonojp/ura200511h_1s.jpg
http://blog-imgs-46.fc2.com/u/r/a/uramonojp/ura200511h_2s.jpg


54 : 少年法により名無し2015/06/12(金) 17:12:26.31 ID:kC0uPMsE0

裏モノJAPANは確かに年月が経った後の記事だけど、被害者の父親の取材も書いてて信憑性高いよ。

被害者が涙を流している寝顔を何度か見て「どうしたの?」と聞いたけど「何でもない」と娘に言われたらしい。

母親の洗濯籠の下着がなくなったりと不審なことが家でもあったんだね。

処女だけは守ろうとして死に物狂いで抵抗したり、女の子の尊厳を傷付けるような恥ずかしい要求も指示通りしてたらしい。
裏モノJAPANはエゲツない雑誌なんで表現が生々しい。

大体は2ちゃんで出てる内容と同じ。
事件発覚の12月24日の詳細も書いてある。
あと、B子という仲のいい後輩のこととか書いてあった。


57 : 少年法により名無し2015/06/12(金) 19:51:02.40 ID:kC0uPMsE0

2ちゃんに書かれてないこと(既出かも知れないけど)

最初はめちゃ可愛いので、あいつの乳揉みたい、マンコ触りたいという会話から始まった。

学校近くのJR高架下の空き家に拉致って5回やった。

輪姦されたくなかったら○○しろと言われ何でもやらされてた。

マンコに入れるものを二択とかで選ばされる(真冬に氷とか、太鼓のバチとか)

あだ名は2ちゃんに書かれてる通りで、校内で被害者を見かけると歌を歌う風に呼ばれてた。

事件発覚のクリスマスイブの集団暴行は、下校中に下っ端メンバー3人に拉致られて学校まで連れ戻された。

学校へ着くとリーダーら7人が待っていた。

親友の後輩B子が泣いてる被害者を見つけ抱き合って一緒に泣いた。
その後、教師へ訴えて不良集団END

イラストが何枚かあったけど、強制撮影された写真かなぁと思われる。


58 : 少年法により名無し 2015/06/12(金) 19:59:28.42 ID:kC0uPMsE0

結局、浣腸も剃毛もノーパンもプリクラで恥ずかしい写真も全部、「やらないと犯すぞ」の脅しで従ったんだよ。

処女を奪われた後も「やらないと全員で犯すぞ」とか言われていいなり。
辱めて笑い転げるイジメでどんどんエスカレート。

不良集団は中3になって先輩がいなくなり凶暴化してチーム名つけていろいろな悪事をしていた。
雑誌記事は可哀相だけどオナネタにしかならない内容。


61 : 少年法により名無し 2015/06/13(土) 16:42:28.88 ID:RnLDilOO0

被害者は目鼻立ちがはっきりしたアイドル系の可愛い顔で、入学と同時にすごい可愛い子がいると他のクラスの男子でも話題になって、不良集団は被害者を見かけるたびに声をかけてた。

被害者の方もリーダー格の少年のことを、ちょっと悪るっぽくてカッコイイと思って、話しかけられたら普通に会話してたらしい。

被害者はこの時点では明るく活発な子で服装も真面目。
成績も学年100人中20番以内と勉強もよくできる子。

被害者の身体を触るより先に、他の可愛い女子生徒数名がターゲットにされ触られていた。

その「触る」とは、ちょっとタッチするという甘いものではなく特別教室に連れ込んで大勢で押さえつけて満足出来るまで身体を弄りまくる行為。
昼休みに30分間触り続けることが日常化。

被害者はリーダーのお気に入りのために手を出すなと言われていた。

それでも胸や尻を軽くタッチする程度はリーダー格はしていたが、被害者も「やめてよw」と笑いながら嫌がるような程度。

この段階ではリーダー格が自分に好意をもっていると薄々は気付いていたと思われる。
悪い噂は耳にしていたけど自分には優しいので嫌いではなかった。

地獄への切符が切られたのは中1の2学期早々にリーダー格から告白されたのを断ったのが原因。
不良集団のリーダーと言えどまだ13歳のガキ。失恋のショックが怒りへと変わる。
あいつ可愛いからって調子に乗りやがって、絶対ゆるさねぇ!!!

これが被害者が性奴隷にされるきっかけ。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1407650015/


75 : 少年法により名無し 2015/06/16(火) 18:11:41.77 ID:F6csk7W60
当時、テレビ朝日のザ・スクープで放送時間全部使ってやってたな。

同級生数人にインタビューしてたけど、「可愛い子」「学校で一番可愛い子」「クラスで1番美人でした」と言ってた。

みんながみんな「可愛い」「美人」と言ってたんで可愛かったんだろ?
録画してたけどVHSだから見れない。


147 : 少年法により名無し 2015/09/10(木) 01:24:18.28 ID:YCITuX4K0

俺の独自調査によると被害者の子はヤンキーでもギャルでもない普通の中学生らしい中学生だったみたいね
黒髪のツインテールで目がぱっちり二重の美少女で乳が中学生とは思えんほどデカかったらしい


163 : 少年法により名無し 2015/10/14(水) 15:11:47.92 ID:j2kJs1sp0

80年代の公立中学はレイプは日常だった。
訴えるなんてほとんどない。
友達には相談しても親や教師には絶対知られたくないこと。
不良連中が校内の可愛い子を何人も犯してたから、犯された子も自分だけじゃないと泣き寝入り。

教室で不良が昨日は誰を犯したとか会話してたから犯されたリストは大体知ってる。
卒アル見ると今でも興奮する。


164 : 少年法により名無し 2015/10/14(水) 15:17:58.94 ID:j2kJs1sp0

ちなみに同級の不良グループのうち大人になってから
殺人未遂逮捕1人、殺人逮捕1人、殺害された者1人。
ニュース、新聞に載ったものしか知らないから他にもあると思う。

マジ怖いからレイプくらいで訴えられなかったと思う。
俺の学年だけでも20人以上犯されてるし、下級生とか他校の中学も犯してた。
授業中でも平気でそういう会話してたから。


166 : 少年法により名無し 2015/10/17(土) 01:17:36.84 ID:Njp04jbW0

まあレイプのない学校なんてねえからな
俺も厨房の頃はヤンキー達がペットにしてる女貸してもらって楽しませてもらってたな
明るみに出たのがこの事件ってだけでこの手の話はどこにでも転がってるよ
大人数で脅してきちんと教育すりゃ性奴隷なんてすぐに作れるな
少年法に守れた厨房だけの特権やけど


108 : 少年法により名無し 2015/06/29(月) 16:51:02.03 ID:49DINooa0

たしか1つ上の兄がいて、不良らに「兄貴とセックスさせるぞ」とか「母親も犯すぞ」と脅されて口マンコにされてたんだよな。

学校休んだら写真ばら撒くぞ等と脅されたので1日も休まず登校した。


127 : 少年法により名無し 2015/08/26(水) 01:40:41.66 ID:hFoypG3T0

被害者の少女は不良たちが学校に来ている間は授業中だろうとかまわず引っ張り出されて常に不良たちの玩具にされていた

普段は昼頃に登校してくる不良達がいない間は少女は真面目に授業を受けていて、それが少女にとって束の間の安息であったはずだが、
時折授業にやってくる不良達は、真面目に授業を受けている少女に様々な性的な嫌がらせを多くのクラスメートの目がある授業に敢行していた

不良達がいる間は用を足すことさえ自由にできない少女は授業中に幾度となく失禁をして、不良達にからかわれながら、尿でぐしょ濡れになった下着をその場で脱ぐことを強要されていた

また教室から引っ張り出されたときも少女にとって悲劇であることには変わらない。
校内の至る所で裸の少女が不良に命じられるままに屈辱的なポーズをとらされ、乱暴に性器を弄られているところを多くの生徒が目撃している

少女が初めて剃毛を強要された日がいつなのかほとんどの生徒が知っている

少女は廊下ですれ違う生徒や教師に不良に改造されたひどく短いスカートを自らめくり上げて、性毛が綺麗に剃られた局部を見せつけていた。

横で監視していた不良たちは恥ずかしがる少女や当然の性器の露出に戸惑う生徒を見て、ニタニタ笑いながら少女を冷やす

ほとんどの生徒が、少女に同情を寄せながらもその痴態を目撃することを楽しみしていたこともまた事実だ。かくいう私もまたその一人であった

ある日のこと、三万円を支払えば少女と性行為ができると不良の一人が私を含む何人かのクラスメートに声をかけてきた

不良たちが遊ぶ金欲しさにしばしば少女に売春を強要していることは、少女と不良達な関する様々な噂の一つとして聞いていたが、まさか校内でそれを行うとは思っても見ないことだった

三万円は自ら稼ぐ術のない私にとってはとてつもない大金であったが少女の可憐な顔、美しい裸体、綺麗なピンク色の性器を思い浮かべると後先など考えることはできなかった


129 : 少年法により名無し 2015/08/30(日) 01:15:28.89 ID:XdMENRD80

いやヤンキーとは真逆の存在だったよ
かなり可愛い子だったんだけどイケてるグループとは距離置いて底辺のブスどもとツルんでた

今でいう腐女子の走りみたいな感じだったなブスどもと教室の隅で漫画読んだり絵描いたりしてるような子だった

飛び抜けて可愛い被害者がそんなことしてたから逆に目立ってしょうがなくて
地味な髪型で化粧もしてないのに圧倒的に可愛かったからオタク系の女子以外にはかなり嫌われてたな

それが男子にも伝播してクラス全体からいじめられるようになったんだけど
当初はエロ目的じゃなくて普通のいじめだったな

オタク野郎きめえから学校くんなとかそんな悪口から始まって小突いたり物隠したりするようになって
もちろん被害者が可愛いかったからってのもあったけどスカートめくりとか尻叩きはいじめ一環としてだったな

エロいことしたいからってよりもクラスの空気的に被害者をいじめるって感じだったな

本当によくあるただのいじめでたまたま標的が可愛い子だったってだけなんだよね
まあただ毎日スカートめくりとかしてて、被害者には何しても良いって空気が蔓延すると男子の目の色が変わってきてさ

いじめってことにすりゃとびきりの美少女を好きにできるんだから当然なんだが、被害者のおっぱい揉んだりマンコいじったりするようになって

中一の終わりくらいには便所連れってて裸に剥いて調教するのが当たり前になった

この頃には被害者にエロいことするのが目的になってたけど女子の手前エロ目的だけってわけにもいかんくて殴ったり便器舐めさせたりションベン飲ませたりと気の毒なこと色々されてたわ

被害者が学校くると教室の後ろに引っ張られて裸にひん剥かれて殴られながらエロいことされまくってた

ゴミ箱にはいつも被害者のパンツが突っ込まれててまともにパンツ履けてた日は数える程しかなかったと思う


130 : 少年法により名無し 2015/08/30(日) 01:34:50.17 ID:XdMENRD80

そんな感じでエロいことも暴力もエスカレートしててって中二の初めくらいで処女散らされてからかなり頻繁に犯されるようになって、夏休み前には肋かどっか骨折して入院してたな

中二になって被害者の身体がエロくなってくのに比例して男子の力も強くなったからってのもあるのかな

まあそんなことがあったから被害者はかなり暴力に怯えて、なんでも言うこと聞くから痛いことしないでくださいって当時一番熱心に被害者をいじめた奴らに頼んで

そっからかなぁいじめっていう感じではなくなって被害者がそいつらの従順な性奴隷みたいになったのは

そいつらは被害者にかなり酷いことしてたけど暴力は収まったみたい

ところかまわず脱がしたり恥ずかしいことさせるのは変わらなかったけど

そんな感じで中二の秋くらいにはそいつらだけが被害者を独占してて具体的に何されてたのかはあんまりわからん

全裸の被害者に首輪つけて犬の散歩みたいなことしてたり男子便所で犯されてたりするとこはたまに目撃してたけど詳しいことはほとんど伝わってこなかったな


158 : 少年法により名無し2015/10/06(火) 00:20:44.75 ID:R8u2V7Jm0

浣腸と中出しどっちが嫌だったんだろ

授業中の脱糞強要が二回
公園で浣腸が一回
教室の公開プレイはアナルに指入れが多かった

加害者スカトロジストの素質があるな
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1407650015/

156 :少年法により名無し:2008/04/04(金) 13:00:06 0
先生に相談しても先生が「その話はしないでくれ」って信じられんな。
福岡の放尿中学生みたいく、よっぽど犯人グループと親がワルだったのか。


106 :少年法により名無し:2008/03/09(日) 06:52:51 0

地元のヤクザの親分、しかも表社会でも名士の奴の息子がボスだったから、
先生すら逆らえなかったんだよ。

田舎はそういう奴が多い。
代々、不動産屋+土建屋+学校理事長+市会議員とかな。
その地域を文字通り支配してる。


108 :少年法により名無し:2008/03/09(日) 16:54:35 O

告白してフラれたから廻したって話だったよな?確か。
わりと当時から学校中で有名だったらしいからなぁ…それでも何も出来ない旭川に乾杯。

…旭川からマジに出てぇ…。


141 :少年法により名無し:2008/03/31(月) 20:08:20 0

北海道は、旭川、富良野といい中学校でのレイプが多いよ。
実名さらして、死刑にしないと、この手の犯罪は無くならない。


224 :少年法により名無し:2008/05/05(月) 13:09:58 0

北海道は普通にDQN多い。大人も保守的閉鎖的だし。
俺の周りでもそれが嫌で大学は道外にする奴多かった。

これの悪ガキどもの親がヤクザ兼お偉いさんで、
先生も気付きつつ放置してたったのも十分あり得る話。


273 :少年法により名無し:2008/05/20(火) 19:03:11 0

犯人グループは北都のDQN史でも特別な連中。

福岡の逮捕されたガキと一緒。親がヤクザ兼地元の被差別団体の幹部。

糾弾集会でググれば、奴らとトラブルと家族含めてどんな目に遭うのか分かる。
担任も学年主任すらびびって見ないふりだったのに、周りの生徒に正義を求めるのは酷だよ。
http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/youth/1200579750/#_=_


●旭川女子中学生校内集団レイプ事件●

470 :名無しさん@ピンキー:02/10/16 11:23

俺が聞いた噂では、この女の子が怒って訴えたのは、学校や教師の態度が原因らしい。

授業中にフェラチオさせられたりしているのに、女子生徒が同意していると
勘違いしてたのと、不良たちにビビってたのと二つの理由で
男子生徒怒らないばかりか、なんと、不良たちの機嫌を取っていたらしい。

「A子のお口はどうなんだ?気持ちよかったか?(笑)」とか、

「妊娠には気をつけろよ」とか、

「口のなかに射精しちゃってるのか?(笑)」とか

「授業中じゃなくて、せめて、お前ら休み時間にフェラしてもらえよ」とか

そういうことを言っていたらしい。だから、少女の家族は怒った。

しかも、授業中にみんなの前で、

「A子と、■■たちは、もうエッチしてるんだぞぉー」とか

「A子のフェラチオはそうとうウマイらしいぞ」とか

生徒の笑いを取りたくて、授業中に言ってみんなのクスクス笑いを誘っていたらしい。

教師こそが加害者だ。
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/ogefin/1007475004/470


536 :名無しさん@ピンキー:02/10/18 00:19

その当時の週刊誌で読んだ記憶があるのは・・・・・・・

不良10数人たちは、少女の事を「便子(べんこ)」って読んでいたということ。

出したくなったら、チンポ咥えさせて口内射精する”便所”代わりという意味と
いつでも射精できる”便利な女”とうい二つの意味で便子と呼んでいた。

しかも、教師や一部の同級生までが、 不良に性欲処理に使われているのを知って、
その美少女を「便子」って呼んでいた。

>>470 に書いているみたいに、
「先生も独身だから、溜まったら便子にチンコしゃぶってほしいなぁ
 なんてたって、便子は便利な女の子だもんねぇーーー」とか、

「男子は、おしっこは、男子トイレに、  精液は便子に出すんだぞぉーー」とか

「便子は、生徒だけど、性教育の先生でもあるよな(笑)」

とか、言っていたらしい。

そうじゃなきゃ、裁判沙汰にまではならなかっただろうにね。
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/ogefin/1007475004/


38 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/30(火) 23:51

これ、確か旭川北都中での話だったと思う。
暴行してた12、3人の男子生徒はサッカー部集団。

中の一人が、被害者の女の子に交際を迫って断られたんだったか、
付き合ってたがふられたんだったかが事の始まりだったらしい。

当時旭川の中学にいたからこれくらいの情報は入ってきてた。
でも、四年も前の話だから詳しいこと忘れちゃったよ。


39 名前: たならし 投稿日: 2001/01/30(火) 23:58

確かこの加害者側が

「被告は性行時に性器を濡らしており強制だったとは思えない」

って反論したんだよね。


41 名前: 姫 投稿日: 2001/01/31(水) 00:03
>>39
マジで!?みんな死ねよなぁ。

レイプされて濡れるのって、勘違いしてるバカ多いと思うんばけど、あれは感じてるんじゃないんだよ!

異物が入ってくるから、身体を傷つけないよう本能的なものなのに。

「被告は性行時に性器を濡らしており 強制だったとは思えない」だなんて言ってるやつ、ほんま死んで。


42 名前: >>41 投稿日: 2001/01/31(水) 00:05

裁判官が男だとわからないかもな


44 名前: 42 投稿日: 2001/01/31(水) 00:20
>>41
激しく同意
これを盾にする弁護士も糞
http://piza.2ch.net/news2/kako/980/980843323.html


565 :名無しさん@ピンキー:02/10/19 04:51

この少女レイプされている時にコーマン濡らしてたんだよね。
もちろん、それは本能的なものであり、 体が性器を守ろうとして分泌するものなんだけど、加害者たち本人と、学校やその弁護団は、それを鬼の首を取ったように主張した。

それはさすがに地元マスコミも、まともな主張じゃないという論調だったらしいけど。

加害者側いわく

「少女の性器は性交や口淫をしているときに、加害者と言われている男子生徒たちによってたしかに、分泌液が確認されており、それは少女の快感を証明する。

 性交や口淫が強制的なものではなく、少女も同意いや、少女も好んで進んで行っていた証左である。

 性交時には少女は性器に性的快感を覚えていた筈であり、分泌液がそれを証明する。

 また、口淫に関しても、男子生徒が自分だけの快感のために陰茎を少女の口に含ませたと言うよりも、少女も性的な興奮を得るために、進んで少年達の10人のペニスをみずから口に含み口淫していたことは明らかである。

 そもそもそうでなければ、無理やりに口を開かせることはできないはず。
 この裁判は、10数人と合意の上で性的に楽しんでいた少女が後から少年達を陥れたものであり、被害者は少年側である。」

と、こんな主張をした。

ま、弁護士はそれが仕事とは言え、あまりに無茶苦茶。

はっきり言えば。。。。。。。。。。。。。。。。

お 前 ! ま ん 汁 で マ ン コ を 濡 ら し て た ジ ャ ン!

って弁護士が当時中学生の被害者に言っているのと同じなんだよ。酷すぎるな。


589 :名無しさん@ピンキー:02/10/20 13:50

>>565 の話は俺も地元(道央)だから、断片的に読み聞きした。

色々と真っ赤な嘘の作り話をして、全てをひっくり返そうと言う卑劣な戦略。
判決ではそれらの弁護は一切採用されなかったのが、救いだよ。


「少女の性器は多量の分泌液でヌルヌルになっていた」(少年側弁護士A)

「おちんちんを見せて欲しいと授業中に言われた」(少年A)

「フェラチオしてみたいから、させてほしいと言われた」(少年B)

「少女はマスターベーションの経験があって、いつもしてると言った」(弁護士B)

「トイレに連れ込んでパンティを脱がすと、
 すでに、あそこは愛液で湿っていたと言う証言がある。」(弁護士B)

「男の子のせんずりをじっくり見せて欲しいと言われて驚いた」(少年C)

「トイレで大勢の男子がズボンを下ろした状態で
 少女を囲んでフェラチオの順番待ちをしている時、
 頼んでないのに、チンポを握ってきて、口に咥えた。」(少年D)


うろ覚えだけど、こんな感じ。ネットソースはマスコミが自粛するし、
判決文とは違い法廷でのやりとりは文章では公表されないから無いかも。
http://www2.bbspink.com/test/read.cgi/ogefin/1007475004/


167 名前: らっつ 投稿日: 2001/02/01(木) 16:45

1.彼女は何故、強姦された後も学校へ行き続けたか?
  ・教師に訴えた後も「少なくとも6回は強姦された」とのことだが
  何故、そんなにまでして学校へ行き続けたのだろう?

2.目撃した教師は何故止めなかったのか?

3.彼女の訴えを聞いた教師は何故犯人に制裁を加えなかったのか?

この「被害者」は本当に強姦だったのだろうか?
判らん事件だ・・・


169 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/01(木) 16:49

私はいじめで自殺を毎日考えていたけど学校にいった。
学校に行くの当たり前だと思い込んでいたので。
先生にも訴えたけど助けてくれなかったし、状況は変わらなかった。
反抗すれば一番下の弟を(当時2歳)酷い目にあわせてやるとも脅された。
親にも言えない、誰も助けてくれない。
世の中はそんなものだ。


173 名前: 窓際リーマン 投稿日: 2001/02/01(木) 17:07
>>167
1.親に心配掛けたくないとか、脅されてるとか諸事情があったんだろうな。
2.イジメは昔から黙認ですよ。
3.自分の学校で強姦事件があったなんて分かったら大変ですからね。


179 名前: 地元人 投稿日: 2001/02/01(木) 17:48

彼女は中学校が皆勤賞だったんだよね。

立派なのに弁護側はそれを逆手にとって
彼女は性行為を嫌がっていなかったのではないか
っていったんだからひどいよな


181 名前: >180 投稿日: 2001/02/01(木) 17:57

犯行の翌日も登校したのか。
バカガキ共は>>179の様に考えただろうな。
弁護士はバカガキと同レベル。


182 名前: 169 投稿日: 2001/02/01(木) 18:01

私はいじめを家族にも言えなくて家にもいる場所がなかった。
しょうがないから学校にいった。
学校以外いくところがなかったから。


183 名前: 169 投稿日: 2001/02/01(木) 18:03

こんな私もいじめを喜んでされていたと言うんだろうな。馬鹿弁護士は。


185 名前: おそらく 投稿日: 2001/02/01(木) 18:26

加害者が10人以上いて、しかも学校の教師の責任もからんでくるから
加害者側はかなり大弁護団を組めたんだろうな。レイプされた上に
訴訟費用も負担しなければならない被害者はふんだりけったりだよな。
加害者に有力者の馬鹿息子がいた可能性は大だな。


186 名前: ななしさん 投稿日: 2001/02/01(木) 18:29

ニュースで彼女は被害にあった翌日も学校に
通ったと入ってたけど皆勤賞だったとはねー

我慢しちゃう子だったのかも


188 名前: 信じられないのは 投稿日: 2001/02/01(木) 18:34

輪姦直前に囲んでいるのを目撃した女教師だよ。
同じ女として なんとも思わないのかね。出世をえさに校長あたりに口封じされたのか?


136 名前: 北都中卒 投稿日: 2001/02/01(木) 13:03

斜め向かいに交番あるのに・・・
教育委員会だかどっかの偉い役職だった人が校長になった時なのに・・・
あんな事件がおきるとは・・・


137 名前: 北都中卒 投稿日: 2001/02/01(木) 13:21

私が入学する前はかなり荒れていたらしいが、校長が替わったりして荒れが収まっていた。
学校内に美術品を飾り(トイレ内にも)「学校美術館」と呼んでいた。

しかし私が卒業した後校長が替わり(エリートで定年前の最後の学校だったらしい)
あの事件が起きた。


141 名前: 北都中卒 投稿日: 2001/02/01(木) 14:11

エリートだから問題起こしたくない → 問題隠し → 被害者が訴えてしまった。

そんな構図ではないでしょうか?

279 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/03(土) 18:16

事件当時なんかの週刊誌で大きくとりあげられていたな。

それによると、顔射、中出しをやっていてさらに、「今日OOの誕生日だからそいつとやれ」 みたいなことを言ったらしい。


当時隣町の厨房だった俺は、この事件とても印象にのこっていて、最近旭川の人に
このことを聞いてみたところ

「この手の事件はいろんな所(厨学)であったのであまり印象に残っていない。」

と、いう答えがかえってきた・・・

考えてみれば空知・上川はそんな事件ばっか。

俺が知っている事件。厨学のころ、そういうことをやっていた奴が、高校の時甲子園逝った・・


312 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/05(月) 17:46

北海道新聞夕刊より

元担任教師は99年に自己都合退職、
教頭は2000年に定年退職。
処分を受けることなく、円満に定年退職。

なんか変。


316 名前: d d s 投稿日: 2001/02/05(月) 20:16
>>312
その新聞って今日の?

自分の学校で起きた強姦の事実をなかったことにして被害者の両親に説明
した教頭が、円満に定年だと……ふざけてる。実名公表の上、年金も恩給
も停止しろ!


303 名前: らーめん 投稿日: 2001/02/04(日) 22:03

女も悪い
逃れる手段はいくらでも有ったと思うが?

6回遣られてから「強姦されました」と
言うのは変。
脅されてたんだろうか?


308 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/05(月) 08:15
>>303
脅迫されてたんじゃないの?

母親を襲うとかなんとか言ってたらしいぞ、

と言うか、中学生の女の子だろ、ヤクザもどきのガキンチョに脅されたら
言いなりになるだろ・・・。

489 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/13(火) 01:50

この事件で一番いやらしかったのは少年グループが被害者の母親が
美人なのに目をつけて、何度も被害者に母親を呼び出させようとして
た事。大人の女を犯したかったんだな・・


501 名前: デフォルトの名無しさん 投稿日: 2001/02/13(火) 14:35

被害者の母親とやろうとしたっていう話は、
事件が発覚当時の週刊誌に書かれていました、確か。


774 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/05/29(火) 18:32

当時の週刊誌によると

「ちくったらお前の母親も同じ目に合わすぞ。」

と屑どもに脅されていたとのこと。


526 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/14(水) 01:36

「・・あら、何かご用なの」
「えへへ・・おばさん、美人だね」
「おっぱいもでかいじゃん」
「な・・何なの!?・・ふざけない・・ああ・・やめなさい!」
「いいじゃん、ちょっと触るだけ・・パンツ何色おばさんヒヒ」
「うわっ、でけえけつ!あそこも・・娘とは違うな・・ケケケ!!」
「早く入れちゃおうぜ」
「その前に舐めたいな・・」


492 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/13(火) 02:37

母親を守るためにも被害者は身をなげうったんやな。
ほんまに可哀相や。
その家族にもこの辛さは打ち明けられへんねやな。
ホンマに鬼や。人間やない。
被害者は、これだけ酷い目におうても、更に大切な人間を守ろうとしたんやな。
この事件は絶対に忘れへんからな。


493 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/02/13(火) 03:19

女にしかわからないと思う。


216 名前: げる 投稿日: 2001/02/01(木) 23:21

目撃した女教師はレイパーたちに向かって
「ほどほどにしなさいよ」とだけいったそうな。
そのごレイパーたちはほどほどにかおりちゃんを回したわけだね

64. 中川隆[-7994] koaQ7Jey 2017年4月30日 11:58:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


565 名前: 許せん!! 投稿日: 2001/02/15(木) 22:16
事件発覚後、被害者は警察(?)に

「私は将来、普通に結婚できるんでしょうか?」

って聞いたらしい。
多分、読売新聞に書いてあったと思う。
かわいそすぎる。


632 名前: 名無しさん23 投稿日: 2001/03/22(木) 02:45

あのさ、被害者家族は土地を離れ、ひっそりと暮らしているそうな。
だから、続報も入らないの。

蛆マスコミも取材に行ってみたりするけど、やっぱしそっとしといてくれ
と懇願されると、蛆マスコミといえども報道はためらわれるそうな。
(バッシングに遭うのが怖い、という意見も80%だけど(笑))

加害者どもは、快活に生きてるそうですよ。笑ったりしてね。
それなりのペナルティ(町のウワサ程度)は受けていますが、でも別に
「若き日の武勇伝」て感じ。
判決出たし、少年院も行ったからもう禊は終わった、という周囲の見解。

・居なくなった人間
・近所に住んでる人間

どっちを庇うか、田舎の人間ならお分かりですね。

「加害者にも非が」というのは、そういう部分と、裁判の加害者側弁護士
による、人権無視の誹謗中傷に近い質問によるところが大きい。
(濡れてた=感じてた=合意、とかね。)

以上、近年取材した事がある友人より。
http://piza.2ch.net/news2/kako/980/980843323.html


468 :少年法により名無し:2017/03/27(月) 00:52:47.36 ID:mUiCCgdB0

朝、少女が呼び出された男子トイレに行くと、既にDQNのケンジとタカシと吉田の三人がボッキしてスタンバイしている!

「遅えぞ!」
「申し訳ありません!」
「ノーパンチェックだ!」
「かしこまりました!」

少女は自らスカートをたくし上げる!パンツ!履いていない!

ノーパンチェック済ますとそのままケンジの手マン!十分に濡れたところで立ちバックだ!

ケンジは少女の尻を無茶苦茶に叩きながらの激しいピストン!

中出しの後はお掃除フェラだ!「美味しいミルクをありがとうございます」

「次は俺の番だ!」タカシがバキュームフェラを要求!

四つん這いになって激しくチンポを吸引!

吉田は少女の後ろに回って尻を撫で回しながら、舌で少女のアナルを愛撫!

朝からイキまくりイカせまくりの辛え学校生活だぜ!


436 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0

通りすがりのおっさん
「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。
アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい

旭川市民には通報という概念がないのか?


437 :少年法により名無し:2017/02/01(水) 00:20:05.58 ID:+9VyMEnC0

・加害者達は学校の廊下をバイクで走るキチガイ。同級生はおろか教師も平気で殴っていた。

・当初行われていたいじめは、被害者の胸が大きいことをからかうことから始まった。被害者の胸を触り、スカートをめくってお尻を触るような比較的軽い性的ないじめだった。

・加害者の1人が被害者に交際を迫ったが断われた。それ以降、性的ないじめの内容が激しくなった。トイレや空き教室に無理やり連れ込み、服を脱がせて被害者の身体を執拗に弄び、フェラチオを強要するようになった。

・中2の夏に処女を奪われた。それ以降、フェラチオの強要だけでなく度々強姦されるようになった。

・被害者は最初、激しく抵抗していたが、そのたびに過激な暴力を振るわれていた。たび重なる暴行と脅迫により、中2の半ばにはほとんど言いなりになっていた。

・被害者は加害者に敬語を使い、ご主人様と呼ばされていた。命令されればクラスメートのいる教室でも裸になった。フェラチオのときに精液を飲んだら「おいしいミルクをありがとうございます」と言わされていた。


・日常的に強姦されるようになった当初、加害者は膣外に射精していたが、徐々に膣内に射精されることが増えていった。妊娠を恐れた加害者は、被害者に売春をさせた金でピルを購入して常飲させていた。

・被害者が少しでも反抗的な態度をとったら容赦なく殴りタバコの火を押しつけた。

「兄貴とセックスさせるぞ」
「母親も犯すぞ」
「少年院なんてすぐ出てこれる」

と脅していた。


・陵辱現場に連行されている際、通りかかった教師に「助けて」と叫んだが無視された。被害者が教師に助けを求めたことに激昂した加害者は被害者の後頭部を殴り、背中にタバコの火を押しつけるなどの激しい暴行を加えた後に強姦した。

・加害者の機嫌が悪いと命令に従順でも暴力を振るわれることがあった。教室で裸にさせられて、肛門に指を突っ込まるいじめをされていたとき、「うんこついたじゃねえか」と激昂した加害者に長時間に渡る暴行を受けた後に強姦されている。

・授業中にもトイレに連れて行かれて強姦されていたが教師は何もしなかった。体育の授業ではサイズの小さい体操服を着るように命令されていた。授業中にも殴られて体操服を脱がさていたが教師は何も言わなかった。

・性器や肛門に様々な異物を挿入されていた。性器にタバスコを塗られたときには、あまりの痛みに絶叫して許しを乞うたが、加害者は大笑いしていた。「ま○こにタバスコぶっかけるぞ」と加害者が脅すだけで泣き出すほど怯えていた。

・下着をつけずに登校するよう命令されていた。加害者が「ノーパンチェック」と言うと自分でスカートめくって下着をつけていないことを証明していた。

・陰毛に火をつけられて縮れてしまったときには「汚ねえから剃ってこい」と加害者に言われた。それ以降は常に剃毛してくるように命令されていた。

・自由な排泄を禁止されていた。加害者の見ているところで裸になって用を足していた。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要していた。「このうんこてめえに食わせるぞ」と脅されていた。

・尻に落書きをされた上、裸で踊るように命令されていた。手を抜くと暴行されるため、必死に尻を振って加害者の歓心を買っていた。

・被害者との日常的な性交はリーダー格である一部の加害者だけの特権だった。他の加害者の性処理はフェラチオやパイズリが主だったが、加害者の誕生日などには性交を強要されていた。
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/

[32初期非表示理由]:担当:アラシ


8. 中川隆[-7695] koaQ7Jey 2017年5月10日 20:20:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

▲△▽▼


北海道 旭川市立 北都中学 女子生徒に対する同校生徒による集団性的暴行に係る損害賠償請求判決
https://web.archive.org/web/20050508065146/http://ijime.orz.hm/news/asahan.htm
https://web.archive.org/web/20050508065220/http://ijime.orz.hm/news/asahi02.htm
https://web.archive.org/web/20050508065213/http://ijime.orz.hm/news/asahi01.htm


北海道 旭川市立 北都中学内の女子生徒暴行事件

今から5年前になる。

1995年から96年にかけ、中学校の校内で男子生徒11人から、当時、14歳の女子生徒が性暴力を受けていた事件があった。

この事件で、男子生徒3人が少年院送致、7人が保護管轄処分を受け、当時の学校長と教育長は厳重注意処分となった。

その後、被害者と両親は、国家賠償法に基づき、旭川市と道に慰謝料など総額4430万円を求めた訴訟を起こした。

その判決が1月30日、旭川地裁で言い渡された。

裁判長は「深刻な性的暴行事件に発展するかもしれないという予見は可能。相談を受けた教論は加害生徒らへの指導を強化徹する義務を怠った」とし、旭川市と道に合わせて200万円の支払いを命じた。

当時の報道は、女子生徒をトイレに監禁し、上から水をかけるなどの悪質ないじめと伝えていた。

が、事件が徐々に明るみに出てくると、性暴力(婦女暴行)という、とんでもない事実が発覚した。

その事実は、あまりに衝撃的なことだ。

学校という子供たちにとって一番安全であるべき教育現場で、助けを求める女子生徒の声を教師は無視し、半ば公然と男子生徒による性暴力が繰り返されていたのだ。

女子生徒は1年生だった94年から、スカートめくりなどの性的いたずらの対象とされていた。

95年には、集団による強制わいせつ行為にエスカレートしていった。

96年には校舎内外で十数回にもおよぶわいせつ行為が繰り返されることになる。
その年の12月、男子トイレに監禁され、暴行されたり集団によるわいせつ行為が行われ事件が発覚した。

が、当時は、単なるいじめとして処理していたのだ。

95年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、たちさっている。

96年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。

その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになる。

96年12月にトイレに連れ込まれる際、通りかかった教師に悲痛な声で「助けて」と叫んだが、教師は気づかぬふりをして立ち去ってしまった。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。

某週刊誌の取材では、教師たちは、女子生徒が男子生徒に連れ込まれることが強姦を意味していることを知り、また、その行為を目撃しているに無視していたとしている。さらに、幾度となく女子生徒が教師に助けを求めて叫んでいるのを無視し続けた。

複数の男子生徒が、嫌がる女子生徒を抱えるようにして空き教室やトイレに連れ込もうとしているところを目撃し、必死に助けを求める声にも耳をかさず、事件発覚後は、単なるいじめで処理しようとした教師に責任はないのか。

学校外でのわいせつ行為にも触れていた。

脅かしては呼びつけ、男子生徒たちにわいせつ行為を受けていた。

一般社会で、強姦事件を目撃し通報の義務を怠れば罪を問われる。
が、学校という特異な社会には法は通用しないのか。

旭川市は上告しない方針で道教委と話し合うという。

その当時の教師は、今もどこかで教壇に立っている。その教師に刑事責任はないのか。そう思うと腹立たしい。
https://web.archive.org/web/20050508065213/http://ijime.orz.hm/news/asahi01.htm


 
北海道 旭川市立 北都中学 女子生徒に対する同校生徒による集団性的暴行に係る損害賠償請求判決


平成一〇年(ワ)第一〇五号 損害賠償請求事件判決要旨


主    文

一 被告らは、原告甲野春子に対し、連帯して、金一七〇万円及びこれに対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告らは、連帯して、原告甲野太郎及び原告甲野はな子に対し、それぞれ金一五万円及び右各金員に対する平成八年一二月二四目から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。


理 由 要 旨

一 本件学校内強姦事件等を防止すべき安全配慮義務違反について

1 秋山教諭は、

(1)中学二年(平成七年)の冬ころ、生徒会室において、原告春子から、A男、B男、D男より廊下や教室で身体を触られている旨を聴取しており、

(2)平成八年五月ころには、原告春子が鞄を男子トイレに入れられて困っている旨をB子らから聞き及んでおり、

(3)平成八年四、五月ころには、原告春子から、特別活動室でA男やB男らに身体を触られた旨の訴えを受けており、

(4)平成八年六月にも一人で職員室に来た原告春子から、A男らによりスーパーで身体を触られ、他の女子生徒らもD男らクラスの男子生徒より身体を触られている旨の相談を受けていた。

そして、原告春子が名前を挙げた加害生徒らは、いずれも秋山教諭らが毎日のように注意指導をしていた「●●●●」という非行集団に属する生徒達であり、集団的な非行傾向のある生徒達は時として暴走化する危険をはらんでいるからこれを解消する方向で指導をしていた。

したがって、秋山教論としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、たとえ秋山教諭が理解したように服の上から身体を触るといった性的行為にとどまっていたとしても、これをこのまま放置しておけばいずれ本件学校内強姦事件等のような深刻な性的暴力事件等に発展するかもしれないと予見することが可能であった。

2 それゆえ、秋山教諭としては、少なくとも平成八年六月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、

(1)原告養子からわいせつ行為の状況を詳細に聴取するほか、加害男子生徒や、学校内で同様の性的被害を受けているという他の女子生徒らからも詳しい事情を聴取し、その内容を三学年の他の担任教諭らの他、教職員全体に報告すると同時に、他の教諭らからも右性的被害に関する情報を収集し、学校内におけるわいせつ行為の実態をできる限り解明すべき義務があった。

また、(2)秋山教論には、被害申告を受けた時点で直ちに被害の事実を被害生徒及び加害生徒の双方の保護者に報告すべき義務があった。

さらに、(3)秋山教諭は、前記実態解明の結果を踏まえて、他の教職員や保護者と連繋した教育指導態勢を作り、教職員全体で又は保護者らと一体となって、原告春子を加害生徒らによる報復から保護しながら、加害生徒らへの指導を強化徹底すべきであった。

3 そうであるのに、

(1)秋山教諭は、平成八年六月のスーパーでの被害に関する相談を受けてから以降も、原告春子に具体的な被害状況を詳しく聴取せず、加害生徒ら及び他の同様の被害を受けているという女生徒らからも性的被害の状況を全く聴取しなかった。

また、(2)秋山教諭は、被害者及び加害者の双方の保護者らに対する報告義務を怠った。

さらに、(3)秋山教諭は、原告春子の性的被害の相談について、加害生徒は他クラスの生徒であると聞いたのにその担任教諭に何ら連絡せず、職員朝会、学年会又は職員会議などにも報告しなかった。

結局、養護教諭に対して女子生徒から身体を触られたという訴えがなかったかどうかを確認してクラスの男子生徒の様子を二、三日見ていたにすぎず、最終的には、クラスの帰りの会において、学級全体に対し、女子生徒の身体を触ることがセクハラになるなどと一般的な注意をしただけで終わらせ、その後は原告春子に新たな被害を受けていないかどうかを確認することもなかった。したがって、秋山教諭には、安全配慮義務違反の過失がある。

4 右過失がなければ、原告春子は、平成八年六月の相談以降、日時を明確にできる分だけでも学校内での口淫強要二回、学校外での口淫強要二回、友人宅での強姦一回、学校内での口淫強要・強姦一回といった悲惨な性的暴力を受けることがなかった。

5 本件は、非行化傾向のある特定の男子生徒らが集団で特定の女子生徒を標的にして、衣服の上から身体を触るといった段階から胸や陰部を衣服の下から直接触るという段階を経て、集団による口淫の強制及び強姦へと性的暴力を激化させ、最終的には教諭らや生徒多数がいる時間帯の学校トイレ内において被害女生徒を監禁した上、集団で口淫強要及び強姦に及んだという前代未聞の悲惨な事件であり、長期間にわたる集団的な性的虐待(いじめ)を本質とする事案である。

加害生徒らは、頭部を殴打するといった肉体的暴力や「殺すぞ。」といった激しい脅迫のほか、思春期の女子生徒が性的羞恥心等から被害を他の人々に話せないでいることにつけ込んで、同女を精神的にも隷属させ、その人格を著しく蹂躙するような性的虐待を学校の内外で長期間にわたって集団で加え続けたものであるから、これによって受けた原告春子の精神的苦痛には想像を絶するものがあり、思春期の悲惨な体験が同友に残し続けるであろう心の痛みには相当深刻なものがあろうと推察される。

また、原告春子は担任教諭に対して羞恥心を抑えて何度も深刻な性的被害を匂わせる相談をしたのにこれに気付いてもらえず、一層激しい性的暴力を受け続けたのであるから、本来は尊敬すべき教師に対して不幸にも不信感や恨みを持たざるを得なくなったというのも十分にこれを理解することができ、性的虐待の体験によって現在でも男性との会話を拒否する傾向にあることなどをも併せ考えると、原告春子の受けた心の傷は誠に深い。

したがって、原告春子の右精神的苦痛に対する慰謝料の金額としてはい、一〇〇〇万円が相当である。本件では、加害生徒らからの示談金八六〇万円を控除した一四〇万円が損害額となる。

 なお、被告らは、原告春子には中学生として相応の判断能力が備わっていたのに両親等に被害を訴えていなかったのであるから落ち度がある旨主張するが、それは、思春期にある女子生徒の性的差恥心や、深刻な性的被害を周囲の人々に知られてしまった場合に生ずるかもしれない学校や家庭内での孤立感・疎外感に対する恐怖、報復を異常に怖れるいじめの被害生徒の心理、担任教諭に相談しても事態が好転をしなかったことによる無力感、一五歳という年齢からくる判断能力の未熟さ、性的暴力の影響による判断能力の低下等が複雑に絡み合った結果であろうと推察されるから、右の落ち度を重要視することは相当ではない。

また、被告らは、保護者である原告太郎らの監督不十分の過失を主張するが、それは原告春子の損害額を減額する事情とはならない。


二 平成八年一二月二四日の真実解明報告義務違反の違法行為について

1 夏山教頭らは、本件学校内強姦事件が発生した日の午後六時四五分ころ原告春子を自宅に送り届けた際、すでに口淫強要の被害を認識していたのであるから、原告太郎らに対し、右口淫の被害を報告すべき義務があったのに、単に胸やお尻を触られたとのみ説明し、口淫の被害を隠した。

2 また、夏山教頭らは、右同日午後九時三〇分以降、原告太郎らから協定書に署名押印を求められた段階において、すでに加害生徒らからの事情聴取によって集団的な口淫強要等が繰り返されていたことを十分に認識しており、かつ、右原告太郎らが右口淫の被害を知らないまま前記協定書記載の処分(加害生徒の頭髪の五分刈り及び内申書への記載)をもってこの事件を終わらせるつもりであることを察知していたのであるから、直ちに右口淫の事実を原告太郎らに説明すべき義務があった。そうであるのに、夏山教頭らは、右報告義務を怠り、右口淫の被害を原告太郎らに隠したまま右協定書に署名押印した。

3 仮に原告春子が強姦の被害を兄弟に詳しく聞かれて後に打ち明けるということがなかったとすると、協定書作成後の本件学校内強姦事件は、協定書に従って加害生徒らを五分刈りにした程度で闇に葬り去られていた危険性もあった。右危険性を考慮すると、夏山教頭らが口淫の被害を原告太郎らへ報告しなかったことは、独自に損害賠償の対象となるような重大な違法行為であり、これによって原告太郎らが受けた精神的苦痛については各一〇万円の慰謝料損害賠償請求権を認めるのが相当である。

三 よって、被告市は国家賠償法一条一項に基づき、被告道は国家賠償法三条一項に基づき、原告春子に対しては右損害金一七〇万円(内弁護士費用三〇万円)、原告太郎及び原告はな子に対しては各損害金一五万円(内弁護士費用各五万円)並びに右各損害金に対する不法行為の日である平成八年一二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払義務がある。

※固有名詞は、仮称である
https://web.archive.org/web/20050508065146/http://ijime.orz.hm/news/asahan.htm


北海道 旭川市立 北都中学 女子生徒に対する同校生徒による集団性的暴行に係る損害賠償請求判決 資料
https://web.archive.org/web/20050508065220/http://ijime.orz.hm/news/asahi02.htm

1996/12/ 北海道旭川市立中学校の女子生徒(中3)が、同学年の男子非行グループ11名から繰り返し性的暴力を受け、強姦にまで発展する。


経 緯

中学1年生の2学期頃から放課後、女子生徒Xは、学校内の教室や特別活動室などで、特定の男子生徒11名から服の上から胸や尻を触られるなどの被害にあっていた。中学3年生になって、性暴力はエスカレートした。


1996/4/ 教室内で性器を直接触るなどした。

5/ 学校近くの障害者用トイレで、口淫におよぶなどした。

6/ 女子生徒が担任に被害を告げたのを境に、さらにエスカレート。事件発覚まで少なくとも6回にわたり、学校内やその周辺で複数から、口淫に及ぶなどの暴行を受けた。

12/ 女子生徒は学校内で10名の男子生徒に取り囲まれた。至近距離を部活顧問の女性教師が通りかかったために助けを求めたが、男子生徒から脅され、「何もない」と言わされているうちに、女性教師は立ち去った。

その後、男子トイレに連れ込まれ、6名が順番に口淫や身体を触るなどし、1名が女子生徒を強姦した。被害直後、Xが友人の女子生徒と泣いている姿を見た教師の通報で、事件が発覚する。


加害者

加害者の男子生徒たちは、中学1、2年に10人ほどのグループを結成。他校生徒とケンカしたり、喫煙や窃盗などの行為を繰り返していた。

女子生徒Xと両親が告訴後、警察が捜査を行い、加害生徒たちは少年審判を受ける。

3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分。少年事件の過程で、示談金860万円を支払うことで示談成立。


ほかの被害者

X以外にも、被害にあった女子生徒がいた。

学校・ほかの対応

学校側は、同グループの男子生徒たちを問題生徒たち、あるいは問題グループとしてとらえ、事例検討の課題として取りあげていた。

Xは教師たちに何度か被害を訴えていた。教師は、女子生徒Xが加害者の生徒たちと教室内にいるところを目撃していた。

教頭は、集団暴行事件について、被害者の両親に暴行の事実を隠し、「胸などを触らせただけ」と説明した。


担任の対応

中学3年生の6月、女子生徒Xは自ら、担任教師に何度か被害を訴えた(最初、担任は否定。後に6月の1回のみ認める)。

しかし、女子生徒が「笑みを浮かべながら」「男子生徒が胸やお尻を触ってくる」という言い方をしたため、深刻なものとは受け止めなかった。

担任教師は、Xから、加害生徒の名前や被害の場所、他に被害を受けた女子生徒の名前を確認したにもかかわらず、養護教師にしか話をしなかった。加害男子生徒は複数のクラスにまたがって存在していたが、学年主任や他クラスの担任に相談することをしなかった。

担任教師は、2〜3日様子をみたが何もなかったため、クラスの生徒全員に「生徒同士でも身体をさわったらセクハラになるから止めるように」と注意しただけで、加害生徒に個別に確認したり、加害・被害生徒両方の両親に報告するなどの対応を一切とらなかった。この6月を境に、男子生徒らの行為は更にエスカレートする。


裁 判

1998/4 最終事件から約1年4ヶ月後、12月の強姦事件後に学校側がとった対応に不審を抱き、被害女子生徒Xとその両親は、旭川市と教師の給料を負担している道を相手に、慰謝料などを求めて、総額4400万円の損害賠償を求めて提訴。


・学校内で、性暴力が特定の加害生徒から反復繰り返しおこなわれていたこと

・教師の一部が一緒にいるのを見ており、かつ、X自身が何度か教師たちに訴えていること

・担任も一度は訴えを聞いたと認めていること
から、学校の安全配慮義務違反は明らかであるとした。


被告の言い分

学校側は、

・Xが担任教師に相談したのは一度だけであり、その際も「笑みを浮かべながら」であったため、深刻には受け止められなかったと、Xの過失

・Xが加害生徒と仲良くしていたこと、被害を「笑っていた」ことなど、事件後の聞き取りをもとにXにも落ち度があった

・加害生徒たちとの示談成立
を理由に、損害は補填されたと主張。


 

裁判での証言

教育委員会が、提訴後に加害生徒やその他の同級生等から聞き取り調査。その中には、「Xは嘘つきである」「加害生徒のほうがかわいそう」などの記述もあった。また、担任教師の陳述書には、Xの性体験について、事件後に他の生徒から聞いた話というのが記載されている。

一方で、X側に立って証言をしてくれる同級生を確保すること、協力を得ることは至難。また、Xが、非公開とはいえ、男性裁判官、男性の学校側弁護士の前で被害の詳細について証言したり、立証することは困難。


裁判の結果

2001/1/30 旭川地裁で判決。

斉木教朗裁判長は判決で、

「学校が加害男子生徒の指導を徹底すれば、女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」

「少なくとも相談を受けた98年6月時点で予見は可能だったが、詳しい事情聴取をせず、指導強化も怠った。女性はこの相談以降、少なくとも6回の暴行を受けた」

「女子生徒から相談を受けた教諭らには深刻な性的暴力事件に発展する予見可能性があった」

とし、「学校側に助けを求めたにもかかわらず、被害に気づかなかった過失がある」として、学校側の管理責任を認めた。

また、集団暴行事件について「教頭は両親に暴行の事実を隠して胸などを触らせただけと説明し、教諭らは被害者の親に事実を隠し、事件は闇に葬られる危険性もあった。これだけでも重大な違法行為にあたる」と、学校側の対応を厳しく批判した。

少女の事件全体の慰謝料を「1千万円が相当」と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いたうえ、弁護士費用などを加味して、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を算定、市と道に計200万円の支払を命じた。
https://web.archive.org/web/20050508065220/http://ijime.orz.hm/news/asahi02.htm

旭川女子中学生校内集団レイプ事件★7 [無断転載禁止]©2ch.net

26 :少年法により名無し:2016/03/12(土) 20:15:13.09 ID:YRaZU8460

北都中?
学校が知らんわけないだろ。何やってたんだろね。
この子の親もいじめとか気づくだろ。

436 :少年法により名無し:2017/01/29(日) 23:21:36.95 ID:k+NgOBjh0

通りすがりのおっさん「土手で裸の女の子が男に囲まれているのを見た。アダルトビデオの撮影かと思ったが、男達が若すぎたから不思議に思った」

こんな内容だったっけ?当時は勃起したが、今はなんで通報しねえんだと突っ込みたい
旭川市民には通報という概念がないのか?


430 :少年法により名無し:2017/01/22(日) 02:16:16.16 ID:av2Ju1pf0

先週旭川の教師が教え子のJCに性的な悪戯して捕まってたな
去年も中学の教師が女子中学生盗撮して逮捕されてるし
旭川は性獣の都なのか?


401 :少年法により名無し:2017/01/06(金) 22:19:18.41 ID:F103w1dq


教師がクズ過ぎる

相談しても何もしないし、一度だけ帰りの会で

「女子生徒の体を触るのはセクハラです」

と軽く注意しただけで逆に加害者側がエスカレートするきっかけを作ってるし
事件発覚のきっかけになったレイプ事件も、被害者の両親に「胸やお尻を触られただけ」と大嘘ついてるし


431 :少年法により名無し:2017/01/24(火) 10:28:56.92 ID:pxmjmM880

大人の事情がわからずに教師を批判してる子どもが多いですな

自分の受け持ちの生徒が日常的に何度も学校の中でレイプしてるなんて前代未聞の事件が世間に公表されたら出世は絶望的なのだよ

教師も助けてあげたかったのだろうけど気づいたときにはもう手遅れ

世間に公表されたら学校の評判が地に落ちるような凄惨なレイプが行われていた
教師は泣く泣く見て見ぬ振りするしかなかったのだろうな卒業まで耐えてくれと断腸の思いで少女を見守っていたのだろうね

被害者を心配していた証拠に加害者のDQNどもと被害者を同じクラスにしないような配慮をしていた


151 :少年法により名無し:2016/09/10(土) 13:10:42.99 ID:6QccjBr10

ところでなんでこの事件って加害者とか隠蔽に関わった教師の名前出てこないの?

教師に関してはしっかり退職金まで貰った上で退職してる頃だと思うから今更って言えば今更なんだけど


173 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:21:48.62 ID:SkqayeR3O

教師も加害者生徒にはかかわり合いたくないんだろ
3年我慢すれば生徒の方は卒業してくんだし そうすればトラブルは無かったことになる


177 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 00:45:09.99 ID:8NDG5vNk0

DQNの奴隷になってるいじめられっ子なんて腐るほどいるけど大半の教師は何もしてくれないだろ

被害者が女の子ってのは特殊だけど男相手なら総額5000万恐喝されたりウンコ食わされたりする壮絶ないじめがゴロゴロしてるんだからこの事件も大したことじゃないだろ


465 : 少年法により名無し[] 投稿日:2005/11/23(水) 22:14:29 0

加害者どもは校内を原付で走ったり、やりたい放題。
授業中でも被害者を平気で連れ出して、くわえさせていた。


402 :少年法により名無し:2017/01/07(土) 23:13:02.76 ID:MXoLWnJI0

エロばっか際立ってるけど暴力もすさまじかったみたいだからコンクリみたいな結末になってたかもな

実際、六角椅子に閉じ込めるとか真冬の旭川で水ぶっかけて監禁とか死んでもおかしくなかったわけだし


403 :少年法により名無し:2017/01/08(日) 00:46:19.09 ID:zXy6DvK+0

六角椅子には興奮した。
暴力による支配で、命令されれば何でもやらされてたんだな。

高校くらいになると悪友相手に売春やらされたりしただろうな。
1発3000円とかで。

最終的には刺青入れられて風俗でバイトだろう。


239 :少年法により名無し:2016/10/03(月) 19:37:32.96 ID:vYYZRi8P0

教室でクラスメート集めて、肛門にボールペン突っ込んで抜いたらキャップが消える手品、見たかった。

キャップはどうやって取ってたのかな。
完全に玩具化にされてたんだね。


375 :少年法により名無し:2016/11/24(木) 19:24:27.65 ID:y3dWs+9E0

下校途中に捕まえてマンコに雪を入れたのは雑誌にあった。


715 :同級生 :04/05/15 00:30

肛門に突っ込まれた事件は結構有名で、

指に着いたウンコを壁になすりつけられてたけど、
そこに「***(被害者)のうんこ」って落書きがあったわ

それは中一だったから、犯されたのはもうすこし後だろうね
それからのことはしらない
奴らは悪だったし、一緒に参加しても、カツ上げされるの目に見えてたから


195 :少年法により名無し:2016/09/25(日) 23:47:35.84 ID:nR2Yrgyv0

輪姦する時は誰かの家が一般的だな。
校舎ではフェラや手マンコを日常的に。
部室で回すことはあるがな。

この事件は特殊じゃないし、教師の見ぬ振りも一般的な対応。
荒れた中学では輪姦してる悪ガキは多いよ。
まあ校舎じゃ無茶はしない。
女が泣きじゃくって暴走したら面倒だから。
初めに回す時は必ず誰かの家でじっくりが基本。

この事件のガキ連中はちょっと調子に乗り過ぎた。


201 :少年法により名無し:2016/09/27(火) 14:54:07.66 ID:FFaXjsPr0
>>195
生徒同士の殴ったり蹴ったりを黙殺しちまう教師は普通にいる
けどな、学校内での集団強姦を黙殺しちまう教師は普通いないんだよ

こういう言い方をしちゃうといじめで苦しんでる子にはかわいそうなんだけど
いじめの延長で起こる、暴行・傷害・脅迫・恐喝あたりと
重要犯罪として、殺人・強盗・誘拐・放火なんかと並べられてる集団強姦を一緒にして考えてんじゃないよ

この事件の教師がマスコミに叩かれてるのなんて気の毒でもなんでもなく叩かれるべくして叩かれてんのね
むしろ実名を晒されてないだけでもほっと胸を撫で下ろすべき


202 :少年法により名無し:2016/09/27(火) 16:19:08.37 ID:VsMCWGj30
>>201
それは学校現場を知らなすぎる。

恐喝や万引きの強要などは何処も日常だし、善意ある生徒からの垂れ込みがあっても教師はスルーは多い。

同様に女子生徒が放課後に不良らの家で輪姦されてることを知っても教師はスルーする方が多い。

教師は警察官じゃないし、そういう権力もない。
勉強を教えるのが教師の仕事。

道徳や生活態度の指導も仕事だが、それは真面目な生徒だけで十分。
ヤクザ並の悪童に危険を冒してまで無意味な指導をして教師が被害を被るのは仕事の域を超える。

一般論ね。中には勇敢な教師もいるだろうが、そんなの少数。

親が警察へ相談するのがベストだが、犯されている子は親に隠すから泣き寝入り。
結果として初体験が乱交という女が多数存在するのが現状。

更生不可能な生徒は卒業するまでスルーするのが学校の現状だ。


210 :少年法により名無し:2016/09/28(水) 17:50:43.37 ID:zcRNrfwA0

俺は俺の経験から書いてる。
教師への幻想は捨てた方がよい。

自分が完全に安全な状態でなければ生徒を助けないのが一般的だよ。
報復されるような相手に自分から率先して行動はしない。

この被害少女がはっきりと「強姦されました」と教師に助けを求めた時には学校側は適切に動いてるじゃん。
それで十分に対応はしている。

「嫌らしいからかいをされた」くらいじゃ教師だって口頭で軽く注意する程度が普通。

娘がいる奴は田舎でも私立の中学へ行かせた方が無難。
犯されてからでは遅いし、教師は守らないぞ。


211 :少年法により名無し:2016/09/28(水) 18:05:49.09 ID:zcRNrfwA0

若い女教師の輪姦はマジのこと。
乳揉んだり尻触ったりは日常的だったな。

教師を輪姦するくらいだから女子生徒も日常的に犯していたと思う。
大体は放課後に学校外でな。

犯されてる生徒はすぐ判断できる。

容姿良い子で急に元気がなくなり休み時間に不良らといる場面を見かければ、今はあの子が餌食なのかと分かるよ。

でも教師は何もしないよ。
それが普通の教師。

荒れた公立中学は無法地帯だから教師の子供は私立へ行かせる。

荒れた中学を知らない奴らはネタにしか思えないのかな。
気の弱い教師も生徒にいじめられて休職する奴いるからね。


212 :少年法により名無し:2016/09/28(水) 18:13:47.67 ID:zcRNrfwA0

ちょっとヤンチャな生徒に指導するのとはレベルが違うからな。

刺青入れてたり、親が万引きや喧嘩の仕方を教えたりしてるような奴ら。
幼稚園から金髪にさせて自分の犯罪自慢を子にする親に育てられた奴らだからな。

本当に怖いから関わりたくないのが教師の本音。
卒業するのを待つだけ。


217 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 12:21:13.30 ID:ugNaBCBl0
>>212
あんたは悲惨な地域ばかりに赴任されてきたんだなw

だが安心しろこの世の中全体はあんたが見てきたほどは腐ってない
学校内で泣き喚く生徒が犯されて教師が来たけどスルー。そしてその後に再びレイプ再開

本来であればこんなのは完全にAVの世界

ベタなAVだと目撃した教師まで強姦に参加するのだが、この事件の場合だと教師が女性なだけに流石にベタなAVの展開にはならなかった

逆に「え?女がレイプを見て見ぬ振りするの?」
という新しい疑問を生み出し、そこには不細工なおばさん教師による若くて綺麗な女生徒への嫉妬や妬みさえ感じさせる

事件の集団強姦の要素だけなら色々と考えさせられるドラマ的なAVの世界なのだが
この事件の場合だと暴力とスカトロの要素が強すぎてあまりにもマニアっく過ぎてAVにもならない

>>210
>この被害少女がはっきりと「強姦されました」と教師に助けを求めた時には学校側は適切に動いてるじゃん。
>それで十分に対応はしている。

集団強姦を目撃スルーした教師から同じ言葉が出たら流石にぶん殴ってるw
なあ、頼むからあんたはもう教師辞めてくれよ


218 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 12:39:06.71 ID:ugNaBCBl0

補足しておくと、アンタが言うような気づいていながらも気づかない振りしてる教師は確かにいると思うけど
集団強姦を目撃しながらも逃げちゃって、見なかったことにしちゃう教師は普通はいないよ

それも乱交かもしれないしと言い張るなら・・・
アンタはガチで教師辞めてくれ


219 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 14:56:05.75 ID:cOv/aGG50
>>218
憶測で反論するなよ。
あんたの環境では輪姦なんてないんだろ?
輪姦を目撃して逃げる教師はいないとなんで言い切れるのか?

例えば物静かな特別教室で輪姦してる声が聞こえたらどうする?
教室に入って確認するのか?

そんな危険なことは出来ないぞ。
そっと教室から離れるのが普通。
生徒も教師も同じ行動とるね。
身の危険を守るのが第一だから。
警察官じゃないのに殉職したくないじゃねーか。

ちょっと気に障るような話をしただけで、車に 10円傷つけられたり、しかもマンコとか書かれるんだぜ。

自宅も知られてるし、妻子になにされるか分からんのだ。
他人の子(生徒)より家族が大事。
やられた後で法的に裁いても遅いんだよ。
娘がアジの開きにされた事実は消すことはできない。

理想と現実、本音と建て前があるんだよ。
ここだから書いてるだけ。

まじでさ、この事件みたいなことは珍しくないよ。
ほとんどは女子生徒の泣き寝入りだし、親に知れても表面化せずに終わる。
>>212 みたいな親を相手に被害少女の親と板挟みになる教師は地獄だぞ。


220 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 16:02:30.25 ID:ugNaBCBl0
>>219
全くない訳でもないが滅多にない
少なくとも学校の中では無かったと思う。うちの学校も結構荒れてたが、そこまで教師を舐めてはなかった

>輪姦を目撃して逃げる教師はいないとなんで言い切れるのか?

言い切れないよ。現にこの事件の教師は逃げてるし
ただ、そんな教師はそんなに怖ければ辞めちゃえば良いのにって言ってるだけでしょ

>例えば物静かな特別教室で輪姦してる声が聞こえたらどうする?

俺なら多分確認くらいはすると思うよ
ちなみにそういう場に出くわした場合、止めるか止めないか?通報するかしないかは
生徒の場合はただ人間としての品性が問われるだけで、何もしなくても仕方がないと言えば仕方が無い

ただ、教師の場合は義務が発生する
義務さえ全う出来ないなら辞めれば良いのに・・・と、言ってるだけ

>>212 みたいな親を相手に被害少女の親と板挟みになる教師は地獄だぞ。
もうめんどうになってきたけど、それが嫌なら辞めれば良いのに


221 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 16:22:37.35 ID:ugNaBCBl0

しかしまあ・・・中々ぶっ壊れてるなあw
これが最近の教師の実態なのか


222 :少年法により名無し:2016/09/29(木) 23:05:17.83 ID:qb1e9bQeO

教師に期待するのが馬鹿

223 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 00:10:04.89 ID:CP/WlHDJ0

本当公立はダメ。
教師が生徒とイタズラと言っては付きまとって暴れる。
育ちのいい子が「気にしないでいいよ」とが言うと大変。

普通は感謝して同じことをしないようにするのに、こいつは何をしても文句言わないと思いその生徒をサンドバックにする。

生徒も教師もカス。会いたくもない。


224 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 14:12:36.05 ID:LvUJEqEb0

この事件が異例じゃないのは分かる。
表面化しないだけでどこにでもある。


226 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 20:08:18.26 ID:GewmDU0v0

公立の小学校中学校ってのはヤクザやシリアルキラーになるような化け物まで収容されてんだぜ
たかが教師にそんなやつらを抑えつけられんやろ


227 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 20:53:04.66 ID:ATDHaJr10
>>226
私立にだってヤクザやシリアルキラーになる奴はいる
ヤクザにやる奴はよくいるが流石に化け物とは言えない
シリアルキラーは確かに化け物だがその数は少ない
そんなのにあったら運が悪いとしか言いようがないな


228 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 21:20:22.62 ID:KvoTV/BG0

中学時代に過ごした自分の環境で違ってくるんだろうな。
俺は(昭和50年代後半)人口5万人の市内に公立中学3校あったが3校とも荒れてて、どの中学にも不良グループがあってレイプは横行していた。

不良グループ以外にも部活の先輩が後輩女子部員をレイプしたり普通にあったぞ。

女も周りの女がレイプされまくってるから自分がレイプされても仕方ないという感じで泣き寝入りしてまったく事件化していない。

不良らは教室で「昨日●●をまわした」と平然と会話してた。

教師もなにもしていなかった。

だから旭川の事件が特別とは思わないな。
自分の周辺でレイプない環境だった奴は信じないんだろうけど。

大人になってから殺人、殺人未遂で数人は逮捕された。
殺された奴もいる。
俺が知らないだけでもっと事件起こしてる奴がいるかも。


229 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 21:25:46.58 ID:KvoTV/BG0

こいつらは男子へのイジメはしてなかった。
女を犯したりイジメる方が楽しいんだろうな。
喧嘩や暴力はあったが。

逆に別グループの中途半端なヤンキーは女は犯さないけど男子をイジメたりパシリ役にしてたな。


230 :少年法により名無し:2016/09/30(金) 21:52:06.32 ID:ATDHaJr10

流石に学校にシリアルキラーの犯行を止めろとまでは言わない
酒鬼薔薇の事件で学校や教師を責めてる人なんていないでしょ?

この事件は止められるチャンスがいくつもあったのにそれをスルーし続けたから教師が叩かれてるだけ


341 :少年法により名無し:2016/10/14(金) 16:45:22.60 ID:KaFVXqje0

昭和は大学に入学した4月から6月までにヤリコンで処女を失うのが通過儀礼というのは常識だった。

そこで食われない女はとんでもないブス。

親もそれを心配して女子大に行かせるとかも多かったよね。

ロストバージンが大学1年の春が5割以上の時代。
うちの娘が輪姦されましたなんて訴える親もいなかったな。

ワルは中学で可愛い子を乱交。
真面目は大学生になって乱交。

訴えて裁判に勝訴しない限りは輪姦じゃなく乱交なんだよね。
だから初体験が乱交という女が非常に多い。
口にしないだけで。


342 :少年法により名無し:2016/10/14(金) 22:37:59.24 ID:VN2DniX90

ヤリコンやヤリサーという言葉が定着してるくらいだから大学の一部のワルらで乱交は日常。


109 :少年法により名無し:2016/07/19(火) 16:51:43.99 ID:fRL0NdkJ0

今とは時代が違うからな。
当時は女犯して初めて一人前の不良ってとこがあった。
強いグループほど沢山の女を犯してたよ。


162 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 13:43:09.73 ID:bNHxnw7N0

特別教室で犯されてるところに女教師が来て「助けて」と言ったが見て見ぬ振りで立ち去ったくらいだ。

教師も学校も不良グループが怖かったんだろ。


185 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 22:29:14.08 ID:bmTSKxV00

未成年だからすぐに社会復帰するし、報復と言っても捕まらないように仕返ししてくるかもしれない。

田舎だから何年何十年も嫌がらせされるかもしれないし、暴力団員になって娘が薬漬けにされたり・・・
警察は被害後じゃないと動かないからな。

既に肉便器化されてる女子生徒を救っても肉便器の過去は消えない。
中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

親もヤバイ系という話だしな。
女教師は音楽室で犯してるところ目撃して「出ていけ」と言われて速攻で逃げたらしいじゃん。
荒れた学校を経験してる奴なら理解できるぞ。


187 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 01:38:09.19 ID:1ylOBDsN0

うちの中学は美人の新任教師が痣が出来るほどケツの肉を掴まれたり、パンツ脱がされてシミの確認されたりしてたな。
1980年代のこと。


203 :少年法により名無し:2016/09/27(火) 16:26:20.63 ID:VsMCWGj30

若い教師が不良らに輪姦されて退職なんてのも珍しくないよ。
学校へ被害を相談しても校長は問題化したくないから隠ぺいされる。

ある女子運動部の顧問が大会前に部室に女子部員を1人1人呼んで上半身裸にさせて、鏡の前で「私は綺麗」「私は綺麗」「私は綺麗」と言わせるのが恒例化していた。
他の教師も知ってても誰も問題視しなかった。
面倒に巻き込まれたくないからね。
明らかにセクハラなわけだが。


190 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 19:41:00.42 ID:1ylOBDsN0

生徒指導のブンブンというあだ名の教師。
竹刀をブンブン振り回して校舎を歩いてたけど不良らにはため口叩かれても敵に回さないようにご機嫌取りしてた。

女子トイレもうろうろするし、女子の尻を竹刀で叩いたり小突くのは挨拶替わり。
不良ら共有のヤリマン女の存在も知ってたけど「避妊はしとけよ」と容認。

荒れた学校の教師なんてこんなものだぞ。


192 :少年法により名無し:2016/09/25(日) 01:45:47.82 ID:ncJoNUoJ0

教師なんていいかげんで薄情なものだよ。
いじめだって見て見ぬ振りは日常だろ。
面倒な事にはかかわりたくないんだよ。
学校でだけ教師面してりゃいい。

てか、教師が生徒をイジメたりレイプする事件あるじゃん。
あんなの表沙汰になるのは極一部だぜ。
この事件の中学校教師がマスコミに叩かれたのはちょっと気の毒。

集団レイプはどこの学校でも珍しくないが、本人が告訴しないから乱交になる。

初体験が乱交という女は口にしないだけで多いぞ。
美人の1割、ヤンキー女の3割くらいいるだろ。
ヤンキー女でそこそこ可愛い子は先輩に回されるのが常識だったしな。


194 :少年法により名無し:2016/09/25(日) 08:58:57.90 ID:e+PCOSG40
>>190
それって教師がカスなだけで学校の荒れかたとは関係なくない?w
>>192
教師が薄情なのは重々承知だけどこの事件における無責任さは流石に異常だと思うよ
薄情とかいう次元じゃないよ

教師が生徒をレイプしちゃう事件も確かにあるけどそれがちゃんと事件になってちゃんと服役してくれれば
こっちもそれ程憤らなくてすむ

この事件の教師たちに憤ってしまうのは処分の曖昧さについてなんだよね
こんな奴らがいまだに教師続けてたり普通に退職金もらって定年してたりすると思うと
後、集団レイプが学校で行われるのは普通に珍しいよ地域差もあると思うけど
ヤリマン女が何となく流されてやっちゃう乱交と集団強姦は根本的に違うからね
君AVの見過ぎじゃない?


113 :少年法により名無し:2016/07/19(火) 21:28:33.19 ID:Q9Z0LgTG0

この事件は校内で起きたからスキャンダルになったんだよ、当時。
1歩外に出たらDQNが女をマワす!なんてのは珍しい話ではなかった。


99 :少年法により名無し:2016/07/10(日) 20:15:37.11 ID:IqqYJ6qW0

現場を教師が目撃しても見て見ぬふりだもの、なんでもやり放題だよな。


90 :少年法により名無し:2016/07/06(水) 01:25:44.89 ID:vmRdquFg0

95年の秋、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒にわいせつな行為をされていたとき、男子教師が立ち入った。が、止めることはなく、たちさっている。

96年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこに居た女性教師に「助けて」と叫んだ。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去った。
その後、女子生徒は特別活動室で男子生徒たちにわいせつ行為を受けることになる。

96年12月にトイレに連れ込まれる際、通りかかった教師に悲痛な声で「助けて」と叫んだが、教師は気づかぬふりをして立ち去ってしまった。そのトイレで行われた暴行は、殴るなどの行為から始まり、 男子生徒たちによる強姦にかわり、最後はトイレ個室に監禁され上から水などをかけられるなど長時間におよんだという。


27 :少年法により名無し:2016/03/13(日) 07:10:39.83 ID:I9w0k26Y0

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。
だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。
この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ
6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。

被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。
その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。

男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。

また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。

担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。
また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

損害賠償額は一千万円が相当としたが、加害生徒から支払われた示談金八百六十万円を考慮して女性には市と北海道が連帯して百七十万円、両親にはそれぞれ十五万円を支払うよう命じた。


163 :少年法により名無し:2016/09/18(日) 14:16:08.91 ID:dOcF2vdQ0

被害者が3年も言いなりになっていたのはチクったら家燃やすって脅しが効いてたから
本当にそれくらいのことをやりかねないと思わせる程度にぶっ飛んだ野郎だったんだろうね


164 :少年法により名無し:2016/09/19(月) 01:40:59.06 ID:1GnqP9OK0

加害者と言われる少年らの親は893とか893関連の土建屋社長とかB地区とか当時の2ちゃんで言われてたよね。

田舎だし、教師も報復が怖くて自己防衛してたのかな。
自分の家族に被害出るの心配だし。

助平なことされてるのは知ってても「これは少女が同意してふざけてるだけ」と逃げてたんだろうね。

まあ教師も人間だし、女子生徒1人より自分の家族が大事だから仕方ないな。


166 :少年法により名無し:2016/09/20(火) 17:10:47.62 ID:XEj4KVx70

授業中の教室に毎日乱入して少女を連れて行ってたそうだけど、教師は注意したり止めたりしなかったの?

少女が怯えながら嫌々連行されてたのは雰囲気で分かりそうだけど。
職員会議でも問題になってないの?


168 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 19:03:28.41 ID:ZRNykoVj0
>>166
注意もしないし止めもしなかったらしい
たぶん職員会議でも問題には上がってないんじゃないかな

それが後々ちょっとした問題になるんだけど
民事で裁判が行われたのは事件から3年後とかだったはず

その時間の開きが原因なのか教師たちの処分は曖昧なまま幕を引いたんじゃなかったかな
町が被害者に慰謝料払ってそれでお終い

なんか昔このスレでも3年も時間を空けたのは被害者側も悪いみたいな書き込みがあったけど
弟とか妹がいて中学に通ってたら普通に訴えづらいよね

レイプされてるのを見て見ぬ振りする教師だもん
訴えてたらその子達がどんな目に遭わされてたかと思うとね


167 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 05:44:04.27 ID:LGABoOuA0

ヤンキー怖いし当時の価値観じゃ学校に警察なんて呼べないからお手上げでしょ


169 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 19:17:17.05 ID:ZRNykoVj0
>>167
けど、レイプされてるのを見て見ぬ振りしちゃうくらいヤンキーが怖いなら
中学校じゃなくて小学校とかの教師になれば良かったのに・・・
とは思うよね

この事件が起こった当時なら田舎に行けば行くほどどこの中学校にも少年院に入ることがハクになると思ってる頭が悪いやつ何人かはいたわけだし


170 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 19:40:29.14 ID:0nfUWTgO0

田舎の教師は馬鹿が多いからな
地方の国公立大学の教育学部は他の学部より難易度が低いし


171 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:00:45.74 ID:ZRNykoVj0

ヤンキーが多い田舎では教師になりたがる人も少ない=教師の程度も低い
って事なんですかね?
この事件の被害者や加害者と同世代で田舎育ちの俺としては・・・
なんかわかる気がするなw


172 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:07:32.85 ID:0nfUWTgO0
>>171
田舎は仕事が少ない
公務員がいい
役所は難しい、警察は体力が厳しい

教師でもなるか
教師しかない
でもしか先生


174 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:27:52.79 ID:ZRNykoVj0
>>172
うーんw
義務教育の名の下に学校通学を強制させている限り
少なくとも義務教育中の教師の質くらいは高いところで保っていて欲しいけど・・・

今の日本の景気では教員の給与を上げたりも出来ないだろうし・・・
昔、日本が貧しかった頃の教員って高収入の部類だったのに
今の教員って低所得のイメージあるしなあ・・・


175 :少年法により名無し:2016/09/21(水) 20:33:35.79 ID:ZRNykoVj0
>>173
「そんなノリなら中学校の教師になんかなるなよ!」
教師「別になりたくてなった訳じゃない!」

みたいなことをID:0nfUWTgO0さんと話してた
少しで良いから黙っててくれる?


176 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 00:32:37.94 ID:nwhYoLxJ0

教師だって凶悪な不良を敵に回して自分の嫁や娘が犯されたら嫌だろ。
見て見ぬ振りをしてたら自分と家族に危害はないからね。
クラスメートだって怖いからかかわらないようにしてたわけだし。

強姦か同意の乱交かは女の気持ち次第。
て、いうか被害届出さない場合は同意の乱交となる。


179 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 03:22:48.62 ID:4ShI96Wd0
>>176
クラスメートが関わらないようにしてたのと教師が関わらないようししてたのをなんで同じ物差しで測ってるの?
馬鹿なの?


181 :少年法により名無し:2016/09/22(木) 14:53:20.02 ID:nwhYoLxJ0
>>179
教師も人間だから生徒より家族優先。
自分の娘が不良達にアジの開きにされたらいたたまれない。

後で法の裁きがあっても不良達に犯された事実は消えないからね。

これは教育の域を超えて警察レベルじゃないと対応できない不良達。
警察に垂れ込むことさえ教師は怖かったはず。

1人の少女の犠牲によって他の生徒教師の安全が守られていた。
市からの賠償金はそのお礼みたいなもん。

この少女の容姿がアイドル並みだったために何人かの処女が守られたのも事実だろう。


184 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 09:55:31.87 ID:srPIgIhn0
>>181
ちなみに強姦罪は親告罪だから教師達がどうがんばっても被害者本人が被害届けを出さなければ警察は動いてくれない

けど教師達が目撃スルーしてるのは集団強姦罪で、これは親告罪ではない
警察を介入させた時点でヤンキー達の腕には手錠が掛かり教師の娘がアジの開きにされる心配も取り敢えずは無い

で、何だろw警察を介入させた後の出所後の報復が怖かったってこと?

チンコロにも種類が色々とあってその内容によっては出所後に報復しちゃう奴も確かにいるけど
この手のチンコロで出所後に報復する奴って中々いないと思うよw
どんだけ怖がっちゃてんだよw


185 :少年法により名無し:2016/09/23(金) 22:29:14.08 ID:bmTSKxV00

未成年だからすぐに社会復帰するし、報復と言っても捕まらないように仕返ししてくるかもしれない。

田舎だから何年何十年も嫌がらせされるかもしれないし、暴力団員になって娘が薬漬けにされたり・・・

警察は被害後じゃないと動かないからな。

既に肉便器化されてる女子生徒を救っても肉便器の過去は消えない。
中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

親もヤバイ系という話だしな。

女教師は音楽室で犯してるところ目撃して「出ていけ」と言われて速攻で逃げたらしいじゃん。

荒れた学校を経験してる奴なら理解できるぞ。


188 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 10:36:19.77 ID:qCXJLSYS0
>>185
もの凄く荒れた学校を経験してるから知ってるよ

こんなことで警察を介入させたからって出院後に教師の身内を的に掛ける奴なんて聞いたことがない

この事件のスカトロヤンキー達だって新しい的を見つけた方が早いし事件にもなりにくいんだよ

一回警察呼んでる人やその関係者を的に掛けるなんて高リスク過ぎて普通はやらないし

逆に大人らしい厳粛な対応を取れる大人が周りにいなかったからここまで調子にのったんだと思うよ

それに暴力団員になってからもまだこんなこと続けていたら恥ずかしいだけだし
警察呼ぶのに親がヤバイ系って流石に関係なくない?
どっちかって言うと逆に呼びやすいでしょ

この事件の教師たちは何も出来ないなら出来ないで仕方がないから
せめて直ぐにでも辞めるべきだったんだよ
そうしていれば代わりに何か出来る教師が赴任してきていたかも知れない
という可能性だってあった

教師辞めて生活が少しくらい苦しくなっても被害者へのせめてもの罪滅ぼしとして受け入れるべき


189 :少年法により名無し:2016/09/24(土) 10:46:27.31 ID:qCXJLSYS0
>>185
>中学卒業するまで見て見ぬふりするのが大人の対応。

大人は守るべきものがあると確かにこういう対応をとるけど
正しくは中学教師なんかになるべきではなかったのになってしまった大人の対応だと思うよ

少なくとも学校の中では生徒を守るのも教師の義務だからね
義務を全うできないならその場で学校からも逃げ出すべきだったんだよ


462 :少年法により名無し:2017/03/13(月) 00:40:54.70 ID:uq4QJvkg0

成人なら一回でもレイプしたら10年近く豚小屋にぶち込まれるのに
校内レイプなら数年間やりたい放題でも少年院にすら入らない

やっぱり少年法ってクソだわ


200 :少年法により名無し:2016/09/26(月) 22:12:32.72 ID:+RoR6pZ50

高校は悪さすると退学になるけど中学は無法化しちゃうよね。

可愛い純粋無垢な女子生徒が小一時間で経験人数10人とかね。
中1で母親より経験人数多くなっちゃうから。


246 :少年法により名無し:2016/10/05(水) 15:50:58.63 ID:Nc8JbH2y0

長期に及ぶ集団心理で罪悪感は消える。
被害者も今日はフェラだけで帰してもらえた。A君はいい人と感謝したりする。


389 :少年法により名無し:2016/12/26(月) 16:45:38.03 ID:O9GAXTfn0

服従させる基本は飲食と排泄の管理だからな。
小便の許可しただけで感謝するようになる。


458 :少年法により名無し:2017/03/07(火) 17:01:07.55 ID:g2wCHyPD0

北海道民の日常
ほのぼの北海道
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/


581少年法により名無し2017/08/04(金) 23:46:31.68ID:yANqrR9j0


調書より抜粋。
どこで         誰が        どう言ったか        何をしたか
          (全て黒塗り)
------------------------------------------------------------------------------------------------
イトーヨーカドー  お前に告白する奴がいるから  手や手首、服を強く引っ張った。
                   来い。■■の写真と手紙があ  連れていって怒鳴った。
                   るからイトーヨーカドーの障
                   害者用トイレに来い。

2F男子トイレ   俺のペニスをしゃぶれ。じゃ  服を無理矢理引っ張った。
                   ああのこと言うぞと本人に脅  鞄も引っ張った。口腔射精。
                   した。おぼえとけ。      頬を叩いた。口腔射精。
                                  性交直前で仲間に止められる。

          ちょっと来い。チクってもい  手を引っ張った。口腔射精。
                   いのか。ペニスをしゃぶれ。

          ちょっと来い。ペニスをくわ  呼び出した。引っ張った。
                   えろ。絶対言うな。      口腔射精。

第1美術室     ちょっと来い。ペニスをしゃ  口腔射精
                   ぶれ。絶対最後だからお願い。

          勉強するから来い。しゃぶれ。 口腔射精
                   絶対言うなよ。


■■の家      やらしてくれ。このことは   押し倒してやった。「性交を持つ。」
                   秘密ね。絶対誰にも言うな。  ■■■■になりすまし、
                                  ■■宅から電話。
           
         尻を突き出して踊れ。オナ   自慰を強要した。
                   ニーしろ。          つまらないと言って腹を殴る。


特別教室      早くパンツを脱げ。二度と   頭部を殴打。性器を触る。
                   逆らうな。

          しゃぶれ。殴るぞ。      口腔射精。

2Fトイレ     プレゼント渡したい奴     無理矢理引っ張ってきた。
                   いるから来い。しゃぶれ。   外まで引っ張って手を強く
                   やらして、殺すぞ。      引っ張って。
                   (逃げようとしたとき)    鞄を押さえた。口腔射精。

             コートを脱げ。しゃぶれ。   パンツを脱がし、性交直前でやめる。
                                  口腔射精。体を押した。10日位前、
                                  外で追いかけ、殺すぞと言って
                                  引っ張った。

          ちょっと来い。早く来い。   引っ張った。口腔射精。

          一回様子を見に行った。
                                  12月10日頃、帰るところを
                                  見つけ、手首、服等を強く
                                  引っ張った。

          こっちにしゃがめ、早く。   口腔射精
                   先生が呼んでいる。

         頼むからちょっとでいいか   口腔射精
                   らやってくれ。お願いだか
                   ら早くして。

         (8文字不明)あったけー   口腔射精。
                   いいわ。すぐやめ(以下不明)
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/youth/1456145544/


573少年法により名無し2017/07/29(土) 16:04:56.67ID:MGFng6Id0

本格的にボコって遊ぶ時は全裸にしてたようだけど。
あとクラスの男子にマンコの構造確認させてたのは中学生ならでは。


593少年法により名無し2017/08/07(月) 23:30:56.41ID:Qwle0DUD0

ヤンキーどもはむしろ積極的に被害者とクラスメイトにエロいことさせてたよ
中田氏一回一万円で商売してた
被害者はどんなキモいやつにも中田氏してくださいって言わされてた
誰のを妊娠したのかわからないくらい中田氏されまくってたよ


579少年法により名無し2017/08/04(金) 01:28:49.06ID:MnG3tMP+0

とにかく暴行が凄まじかった
挨拶代りにケツキックと腹パンは当たり前

機嫌が悪い日は全裸に剥かれて全身サンドバッグ犯されながら殴られまくってた
立ちバックが大好きなリーダー格の少年は犯されながら被害者の背中とケツを叩きまくってた


547少年法により名無し2017/07/06(木) 16:44:37.99ID:2sKffR5o0>>550>>565

「体育の時間が地獄でした」詩織さん(仮)は言う。

加害者少年達は、詩織さんに、アダルトショップで買った小さな体操服を着て体育に出るように命令していたという。

命令に従わないとひどい仕打ちを受けるため詩織さんは従うしかなかった。

「恥ずかしい姿を見られるのも嫌でしたが、何よりもA達にいじめられているのを、好奇の目で見るだけで誰も助けてくれなかったのが辛かったです」

普段ほとんど授業をサボっている加害者達は詩織さんを揶揄いに体育の授業だけは出席していた。

そこで、詩織さんは、加害者達にヤリ◯ン。露出狂。口ま◯こ。と罵りられ、お尻を叩かれたり、ボールをぶつけられていたという。

時には、詩織さんのお尻がボールみたいだからシュート練習をさせろと言われ、何十分もお尻を蹴られ続ける激しい暴力も受けていた。

「暴力はまだ我慢できたのですが、みんなに裸を見られたのが本当に辛くて、死にたくなりました」

授業中にも加害者達に身体を触られ、服を脱がされることもあったと詩織さんは言う。
あまりの屈辱に詩織さんが涙を浮かべると、加害者達は大笑いして喜んだという。


2015/11/21 16:07【鬼畜】 旭川女子中学生集団レイフ゜事件に参加してたけど質問ある??

12: 名無しの捨て猫さん 2015/11/21(土) 01:21:41.376 ID:MbWcfvuq0.net

俺が参加させてもらった時は部室だったけど、かわるがわるでもっとーとか叫ぶような女だったぜ
流石にまとめられてた公園で乱交とかスカト口とかは俺はしらんけど

14: 名無しの捨て猫さん 2015/11/21(土) 01:23:55.835 ID:MbWcfvuq0.net


ちなみに俺が聞いた話だと昼休みにトイレでフxラ大会があったらしい
多分捕まったやつらだと思うけど、ほぼ毎日どれだけ早くイケルかの競争してたとか
俺が聞いた話だと女側は嫌がってるんじゃなくて次はもっと早く抜く!みたいな感じになってたらしいんだけど

だからまとめられてる内容と俺が聞いたり見た話が違いすぎて
もう時効だろーと思いスレ立てた。


17: 名無しの捨て猫さん 2015/11/21(土) 01:27:44.392 ID:MbWcfvuq0.net


一応被害者とされた女の子は最初の数人の本番はちょっと嫌がる素振りみせてて
手と口だけっていってたんだけど、向こうの学校奴らが本番初めて
3人目ぐらいから女も超ノリノリになって乱交状態になってた

そういうのが好きな子ってエロ本の世界以外にもホントにいるんだなーって思った中3の冬

19: 名無しの捨て猫さん 2015/11/21(土) 01:31:13.144 ID:MbWcfvuq0.net

なんか20年前のことで裁判だと一方的に被害者になってたけど
そいつ普通に高校に行ってたし、学校中で有名だったけど女の子自体が嫌がってなかったから問題発覚遅れたんだしで
なんか凄惨なレxプ事件って感じで語られてるの見て違和感しかない


86: 名無しさん : 2016/05/17(火) 01:48:47 ID:M3MjMyMzQ

本当だったら声を上げて実名出して主張すべきじゃない?
他の男たちの名誉も掛かっているわけだし。
まあ、当事者が事実だとしても内容は稚拙な嘘っぽい。


90: 名無しさん : 2016/08/31(水) 14:47:44 ID:YzNDI0Mjk


早稲田のスーフリなんかも似たような話あるよな。

不良連中が精神ぶっ壊した後に、真面目連中を巻き込んで無理矢理じゃなかったと既成事実をつくるのはやくあること。そしてさらに、精神ぶっ壊された女が周りの女友達も巻き込む。


94: 名無しさん : 2017/07/21(金) 01:15:52 ID:E0MjE0ODM

こうやって自分らに都合のいい噂を流してるのかも知らんね


95: 名無しさん : 2017/07/26(水) 16:20:14 ID:k2OTk5NjU


風評の流布だっけ?被害者関係者がその気になれば管理人さんも巻き添えで訴えられますよ、ご注意を。

多分コイツは加害者側の知り合いかなんかか?頭がユルユルなのは文章からプンプンだけど。

被害者が悪かったって既成事実化しようってハラだろうが裁判で決着付いてる以上は事実は変わらないよ。

加害者側が成人して10人中逮捕1殺人1志望1してる現実から見てもどんな連中かはお察し。

成人しても逮捕されてるコンクリ関係者みたいなモン。(でも未だに擁護者がどこからか湧いてくる)

まぁリーダー連中の親が893、土建屋、B親玉って時点で在関係者確定だし旭川はホント一杯居るし。

社会的な立場を得た奴も居るからそういう方向に持って行きたいんだろうなぁってのは判るけど、
震えて眠るのがお似合いだね。俺と同じ道出身者の面汚しめ。
http://rastaneko-blog.com/archives/25290.html

▲△▽▼

旭川女子中学生集団暴行事件の概要・加害者や被害者など関連人物 2017年10月22日
https://uranaru.jp/topic/1011178

1996年の旭川女子中学生集団暴行事件は同校の女子生徒に対し、男子生徒10名が起こした集団性的暴行・強姦事件です。この事件は女子生徒に救いの手を差し伸べなかった大人たちの態度が背景にあります。旭川女子中学生集団暴行事件とはどんな事件だったのでしょうか?


旭川女子中学生集団暴行事件とはどのような事件だった?


旭川女子中学生集団暴行事件(あさひかわしゅうだんぼうこうじけん)とは、1996年の12月に発覚した北海道旭川市の市立中学校に通うクラスのアイドル的存在の女子生徒1名に対して、同じ学校に通う同級生の男子生徒10名が起こした集団性的暴行および強姦事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、発覚当時中学3年生だった被害者の女子生徒が入学直後から軽度の嫌がらせを受けたのが始まりでした。中学3年(1996年)の6月に担任の教師に訴えるも、その教師は男子生徒たちに軽く注意しただけにとどまったため、嫌がらせはその後も絶えることはありませんでした。むしろ、さらにエスカレートして過激な性的暴行や嫌がらせという形にまでなりました。

その後も性的暴行や嫌がらせは続き、同年12月にはトイレに連れ込まれて強姦など性的暴行を受け、彼女が友人と泣いているところを見た教師が通報し発覚するに至りました。


旭川女子中学生集団暴行事件に関係する人物とは?


旭川女子中学生集団暴行事件にかかわった人々はどのような人物だったのでしょうか?そして、この旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ全国的に報道されるほどの大きな事件になったのでしょうか?

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件について人物という視点で加害者(男子生徒たち)と被害者(女子生徒や、その他に被害を受けた生徒)について見ていきましょう。


加害者


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、北海道旭川市にある中学校の男子生徒10名でした。中学1、2年のころからグループで行動し、旭川女子中学生集団暴行事件以前からも他校の生徒との暴力事件や窃盗などといった非行を繰り返し起こしていて、問題となっていた生徒たちでした。

また校内では廊下でバイクを走らせたり、教師に対しても暴行を働くことが日常茶飯事でした。このため、多くの教師が彼らを恐れるあまり、彼らの行動を抑えることができないまま、旭川女子中学生集団暴行事件における女子生徒の訴えにも何ら対処することができませんでした。

ほかにも同じ学校の生徒を何人か使い走りにして、時には彼らの金品を巻き上げるようなことまでやっていました。

女子生徒と同じ学年の10名ですが、うち1人がリーダー格で彼女に対する強姦にまで手を染めました。このほか、6人は身体を触るなどし、残りの3人が見張り役となっていました。


被害者の女子生徒はどのような人物だったか?


旭川女子中学生集団暴行事件の被害者は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のあるクラスのアイドル的存在の女子生徒でした。明るい性格で友達も多く、勉強の方もよくできる、いわば人気者の生徒でした。

このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子生徒が何人もいたとされています。そして女子生徒に性的暴行を働いた加害者の男子生徒の1人もまた彼女に告白したものの断られました。そのことが当初は軽度の嫌がらせだった女子生徒へのからかいが旭川女子中学生集団暴行事件という形でよりエスカレートするきっかけになりました。


他にもいた被害者


旭川女子中学生集団暴行事件の被害者となった女子生徒のほかにも、男子生徒グループから被害を受けた女子生徒はいました。

ただし、その生徒が受けたのがどの程度の被害だったのかや、さらに被害者が複数人に及んでいたのかといったことまでは詳細には公表されていません。


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者による行動はどのようなもの?

トピック1011178/要素1993656出典: 無償のイラストレーション: 恐怖, 女の子, 悲鳴を上げる, ホラー, 怖い, ファンタジー - Pixabayの無料画像 - 1017831

旭川女子中学生集団暴行事件はなぜ最終的には世間から注目されるような事件に発展したのでしょうか?そこにはこの事件で被害者の女子生徒が受けた数々の性的暴行や嫌がらせ、さらにはいじめに伴う暴行があまりにも凄惨なものだったためです。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちが被害者である女子生徒に対してどのような行動をとったかについて見ていきます。


当初は軽度の嫌がらせだった


旭川女子生徒集団暴行事件の被害者である女子生徒に対する性的暴行や嫌がらせは、中学1年生の頃から胸が大きいことを理由にしたスカートめくりや、胸や尻を触られるなどといった軽度の嫌がらせから始まりました。が、彼女の方からは当初は担任の教師などにそのことを訴えるということはしませんでした。

というのも、女子生徒が一度は両親に相談したものの、両親の方から無視するように言われたためでした。無視していれば何とかなるだろうと思った女子生徒は、結局そのまま担任の教師にも訴えることができない状態が続きました。

このため、彼女に対する性的暴行や嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、彼女が中学2年生の夏には、男子生徒の一人の家に連れ込まれ性的暴行を受けた挙句、処女を奪われました。


担任教師に相談した後、さらにエスカレート


男子生徒の家に連れ込まれた挙句、性的暴行を受けたことがきっかけで女子生徒は中学3年生(1996年)の6月に担任教師に自分が性被害を受けていることを訴えました。しかし、その担任教師は男子生徒に対して少し注意しただけでした。担任教師のこの態度も彼女に対する性暴行をエスカレートさせる要因になりました。

1996年の12月、男子生徒10人に取り囲まれ、男子トイレで10名のうち6名が身体を触るなどし、男子生徒1名がそのトイレ内で強姦するに至りました。その後、廊下で女子生徒が友人(彼女の親友であり後輩)と泣いている様子を見た教師が異変を感じ通報したことにより、ようやく事件が発覚しました。

また、この旭川女子中学集団暴行事件では、他にも中学3年の1学期ごろから女子生徒に対して加害者のリーダー格の生徒が毎朝女子生徒に自らジャージを下げて下半身を露出させて、下着をつけていないことを確認していたというものもありました。


他にも想像を絶する暴行も


性的な暴行や嫌がらせばかりがクローズアップされた旭川女子中学生集団暴行事件の内容ですが、被害者の女子生徒はこのほかにも加害者の男子生徒グループから想像を絶するような暴行を受けていました。

例えば、校内に置かれていた六角椅子を使った暴行もその1つです。彼女に正座をさせたうえ、頭を床につけた状態で上から六角椅子をかぶせ、そこに男子生徒たちが座るというものでした。そしてこの状態で彼女が衰弱するまで行われていました。

なお、この六角椅子を使った暴行を受けた彼女は1分もしないうちに息苦しさと暗闇と暑苦しさで耐えられなくなり、しまいには発狂して泣き出すということもしばしばで、その姿を見て男子生徒は笑い転げていたといわれています。もちろん、1つ間違えれば彼女の命を奪いかねない危険かつ非人道的な行動であることはいうまでもありません。


脅迫までもが日常茶飯事だった


旭川女子中学生集団暴行事件における被害については、このほかにも被害者の女子生徒が少しでも加害者の男子生徒グループに反抗的な姿勢や態度を取ろうとするものなら、彼らからは容赦のない脅迫が浴びせられていました。

脅迫の内容としては、「家に火をつける」「兄貴とセックスさせる」「母親も犯す」「少年院なんてすぐ出てこれる」といったものでした。

家族に関する脅迫内容が特に彼女には非常にこたえており、彼女に対する性的暴行や嫌がらせ、いじめが長期化した原因の1つである彼女が家族を守ろうと両親や教師への相談を自粛したという行動につながるものでした。そして、それが結果的に旭川女子中学生集団暴行事件の長期化や内容の悲惨さに拍車をかけるものとなりました。


旭川女子中学生集団暴行事件に対する学校側の対応とは?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚した後、学校側の対応にも世間の批判が集中しました。それは、事件が発覚するずっと以前から被害者の女子生徒が加害者である男子生徒グループから性的な暴行や嫌がらせを受けているということを知っていたり、また相談を受けていたりしていたにもかかわらず、きちんとした対応をすることなく放置してきたことが主な要因でした。

それほどにこの旭川女子中学生集団暴行事件における学校側の対応は信じられないものですが、ここでは旭川女子中学生集団暴行事件において学校の生徒や教師たちがどのような対応を取っていたかについて見ていきましょう。


他の生徒たちは女子生徒にどういう態度を示したか


まず、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者の女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていることについて、女子生徒の通っていた中学校の生徒はどのような態度を示していたのでしょうか?

女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けていたことは薄々知っていた上に、彼女の所属する学年の中でも全体的に噂になってました。

が、ほとんどの生徒が彼女に救いの手を差し伸べることはありませんでした。むしろ、男子生徒グループが問題児ぞろいで、生徒の中には彼らの使い走りを強要されたり、金品を脅し取られたりしていたため、彼らに逆らった時の報復を恐れているという状況でした。

なお、のちに引き起こされた旭川女子中学生集団暴行事件の裁判では生徒たちの中にも男子生徒に同情的な証言をする者もいました。

彼女に救いの手を伸べたことが確認できる生徒といえば、彼女が事件発覚直前の12月に性的暴行を受けた直後に一緒に泣いていたという彼女の友人(女子生徒の親友で後輩)だけでした。


女子中学生の担任教師はどのように対応したか?


まず、被害者である女子生徒の担任教師は、彼女が性的な暴行や嫌がらせを受けていることについてどのように対処したのでしょうか?

実はこの担任教師は発覚に至るまでに何度も相談を受けていました。当初、1996年の6月には被害を受けた女子生徒本人から何度も相談を受けましたが、その際に担任の教師がやったことといえば、加害者の男子生徒たちに軽い程度の注意をした程度でした。そして、そのことが女子生徒に対する性的な暴行や嫌がらせをよりエスカレートさせる結果につながりました。

その後、女子生徒の相談を受けた彼女の両親から3度にわたって担任教師のもとに相談が寄せられましたが、担任教師を含め学校側の対応はぬるいものに終始しました。そのうえ、担任教師は男子生徒の被害者に対するわいせつも目撃しましたが、ついに旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するに至るまでこれといった有効な対応策をとることはありませんでした。


他の教師たちの対応はどのようなものだった?


その他の教師たちは旭川女子中学生集団暴行事件についてどのような対応をとったのでしょうか?

結論から書くと、ほとんどの教師が被害者の女子生徒から相談を受けていたにもかかわらず、彼女の身に起きていたことを放置したままでした。ある教師は女子生徒が加害者の男子生徒グループと一緒にいるところは目撃したものの、大して気にも留めませんでした。

学校の養護教師も担任教師から女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという話を聞かされた唯一の人物ですが、何らかの具体的な行動を起こすには至っていませんでした。

また、この事件が発覚する直前に女子生徒の所属していた部活動の顧問をしていた女性教師が女子生徒が性的暴行を受けている至近距離を通行したものの、女子生徒が訴える前にそのまま過ぎてしまいました。

そして、事件発覚のきっかけを作った教師は、性的暴行を受けた直後に友人と泣いているところにやってきて、そのまま通報しました。


学校の教頭の対応はどのようなものだったか?


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、真相を追求しようとするマスコミの取材対応に立ったのが女子生徒の通っていた中学校の教頭でした。

しかし、その教頭のとった対応は旭川女子中学生集団暴行事件のことを知った世間の人々を驚かせずにはいられないものでした。まず、事件そのものについて公表をしないという手段に出ました。そのうえ、女子生徒の両親にさえも女子生徒が性的暴行や嫌がらせを受けているという事実をひた隠しにしたあげく、男子生徒の行動を「胸を触らせただけ」と説明するにとどめていました。

このような対応の仕方は、のちに被害者の女子生徒たちが裁判で提訴することの直接的な原因となり、またその結果として旭川女子中学生集団暴行事件の裁判において裁判官から厳しく糾弾される原因となりました。


旭川女子中学生集団暴行事件のその後


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、加害者に対する裁判はどのように進展し、また被害者の女子生徒はその後どのようになったのでしょうか?そして、旭川女子中学生集団暴行事件の判決は一体どういう結果に終わったのでしょうか?

ここでは、さまざまな面から旭川女子中学生集団暴行事件のその後について見ていきましょう。


家庭裁判所での少年審判はどのように進展した?


旭川女子中学生集団暴行事件が発覚してから1年4ヶ月後の1998年4月、被害を受けた女子生徒とその両親が最後の事件の後に学校側がとった対応に不審を抱き、旭川市と教員に給与を支払っている北海道に対し慰謝料を求めて旭川地方裁判所に提訴しました。

告訴を受けて警察は男子生徒たちに対する捜査を行い、彼らはまもなく家庭裁判所で少年審判を受けるに至りました。そして、少年審判の最中で被害を受けた女子生徒と両親に対して示談金860万円を支払うという形で示談が成立しました。


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者はどのように裁かれた?


もちろん、旭川女子中学生集団暴行事件の加害者である男子生徒たちに対しても裁きが待っていました。

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者の10名の男子生徒のうち、3名が少年院に送られ、6名が試験観察(家庭裁判所の調査官が少年たちが更生できるかどうかを見極めるための観察を行いつつ、更生のための助言や指導を行っていくこと)、そして1名が保護観察処分を受けることになりました。


被害者側が提訴した裁判はどのように推移した?


先ほども少し触れたように旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後に被害を受けた女子生徒とその両親は旭川市と、中学校の教師たちの給与を支払っている北海道を相手に4430万円の慰謝料を請求する裁判を起こしました。

これは、事件発覚後の学校側の対応に不審を抱いたことが主な要因ですが、その他にも学校に抗議に出向いた際に男子生徒の親から女子生徒の側にも落ち度があるという旨の反論を受けたことも作用したことにあります。そういう環境に絶望したがために提訴に踏み切ったのがきっかけでした。

ここでは、旭川女子中学生集団暴行事件に伴って発生した裁判がどのような推移で進展していったかについて見ていきましょう。

学校など被告側の言い分


この女子生徒やその両親による提訴に対し、訴えられた学校側は、女子生徒が担任教師に対して相談に訪れた回数は1度だけだったうえに、相談中も笑みを浮かべながら訴えていたということからあまり深刻さを伝えられなかったとして彼女に過失があるとしました。

さらには、女子生徒が加害者の男子生徒たちと仲良くしており、被害の際も笑っていたという学校側が事件発覚後に行った聞き取り調査をもとに、女子生徒にも落ち度があると訴えました。

そして、請求されている慰謝料については、すでに原告側と男子生徒たちとで示談が成立しているため、損害は補填されていることから、この期に及んで慰謝料請求に応じる理由がないとも主張しました。

学校側は旭川女子中学生集団暴行事件については男子生徒だけでなく、女子生徒にも落ち度があるという立場に立っていたということです。

裁判中に寄せられた証言


旭川女子中学生集団暴行事件に関する裁判が進展する中で、教育委員会は事件の加害者の男子生徒たちやそのほかの同級生の生徒たちに対して聞き取り調査を行い、そこで得られた証言を法廷で明らかにしました。その中には加害者である男子生徒たちに対して同情的なものも少なくありませんでした。

また、旭川女子中学生集団暴行事件の中で女子生徒の相談を受けていた担任教師は、男子生徒らが性的暴行をはたらいていたのを事件発覚後に他の生徒から聞いたと陳述書で証言しました。

一方で、女子生徒側の立場で証言を得ることは、それができる同級生を見つけることが極めて困難だったことから不可能とされました。そして、旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子生徒本人も事件で受けた精神的なダメージなどから、非公開の場であっても被害の詳細に対する証言や立証が難しいとみなされました。


判決はどうなった?

ここまで裁判の経緯を見てくると、訴えられた学校側にとって証言の状況が有利のように見えますが、果たして旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の判決はどうなったのでしょうか?

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は、事件全体の慰謝料を1000万円が妥当としたうえで、すでに加害少年グループとの示談で和解金とされた860万円を差し引いたうえ、弁護士費用も加味した分の合計200万円の支払いを北海道と旭川市に命じるものでした。なお、その内訳は女子生徒に対しては170万円、その両親に対しては30万円でした。

そして、裁判所は旭川女子中学生集団暴行事件について、「男子生徒への指導を強化すれば女子生徒が悲惨な性暴力にさらされることはなかった」として学校側の管理責任を認め、さらに事件発覚後の学校側の対応についても、被害者の両親に事実を隠したことを挙げて「重大な違法行為にあたる」とみなして学校側を厳しく批判しました。


被害者の女子生徒のその後は


旭川女子中学生集団暴行事件の発覚後、彼女は高校に進学することができました。

が、それまで大きな身体的・精神的なダメージを受ける場であった事件現場の中学校から、新天地ともいえる環境の高校に進学した後も、加害者であった男子生徒たちのことを忘れることができず、怖い思い(トラウマ)にさらされることも少なくありませんでした。


周りの無関心が悪化させた旭川女子中学生集団暴行事件


旭川女子中学生集団暴行事件の内容についていろいろと見てきましたが、いかがでしたか?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1人の女子生徒が10人もの男子生徒から中学校への入学以来日常的に性的暴行や嫌がらせ、その他の暴行を受けていたというのが事件そのものの内容でした。

が、その背景には女子生徒の担任教師やそのほかの教師、教頭に至るまでの教師陣が女子生徒やその両親の度重なる訴えや相談にもかかわらず、無関心を装ってきたことが悪化の原因ともいえます。むしろ、男子生徒たちからの報復を受けるのを恐れるあまり手出しさえもはばかられる状況でした。

このように周りの大人たちの無関心がいじめや性的暴行を際限なく悪化させる場合がありますが、旭川女子中学生集団暴行事件はそういう例の典型的なものといえます。
https://uranaru.jp/topic/1011178

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2018年07月16日
旭川女子中学生集団暴行事件の真相!加害者や被害者などのその後
https://kirari-media.net/posts/1140


旭川女子中学生集団暴行事件とは、1996年12月に発覚した旭川市の市立中学校における男子学生10名による女子学生への集団暴行事件です。中学生同士とは思えないこの悲惨な事件は、女子生徒に対して一生心に傷を負わせました。今回は事件の概要とその後について紹介します。

旭川女子中学生集団暴行事件について


この事件は旭川の市立中学校において、1996年12月24日に女子中学生1名が男子中学生10名から集団暴行を受けた事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、現在から20年以上前の事件ですが、あまりにも悲惨であり、現在では到底考えられないような事件です。

当初はスカートめくり等の軽微なからかいから始まったものの、徐々にエスカレートし、最終的にトイレで集団暴行をされた直後に発覚したというものです。今回は事件の前兆から発覚、そして裁判を経たその後、現在について分かりやすく解説していきます。


旭川女子中学生集団暴行事件とは?

この集団暴行事件は旭川の中学校の校内のトイレで起きました。被害者となった女子中学生1名が加害者である男子中学生10名に囲まれ、男子トイレに連れ込まれてしまいます。そして男子生徒の内6名が身体を触るなどし、さらに1名が女子生徒を強姦しました。

被害直後、友人と泣いている被害者を見た教師が通報し、この集団暴行事件は発覚することになりました。当時、被害者も加害者も中学校3年生でしたが、事件の前兆は中学校1年生の頃から始まっていました。

クラスのアイドル的存在だった女子中学生へ、男子中学生達はスカートめくりや胸・尻等のお触りをする等、からかいの域を超えた嫌がらせが続く日々でした。ですが、女子中学生は誰にも訴えることはありませんでした。


正確には周りの教師等には相談していたのですが、旭川でも有名な非行中学生グループを敵に回すことを教師達も恐れている節がありました。そのうえ、性被害を受けていることを多感な女子中学生が訴えることは、一種の気恥ずかしさを伴います。

これにより、女子中学生に対する被害の発見が遅れ、約2年以上も集団暴行を受け続けることになったのです。裁判では現在においても考えられないような女子中学生への猥褻行為が、事件の一連を通して数え切れないほど浮き彫りとなったのです。

集団暴行事件が起きた現場について次に見ていきたいと思います。


事件があったのは北海道旭川市の市立中学校

集団暴行事件の舞台となったのは北海道旭川市立北都中学校。1947年に5月旭川市立第七中学校として開校、1949年9月に旭川市立北都中学校へと改称しました。

2015年4月新設された旭川市立中央中学校に旭川市立常盤中学校、旭川市立聖園中学校と共に統合され、現在、旭川市立北都中学校は閉校しています。

ですが、体育館やグラウンドは旭川市立中央中学校の部活動等で現在も使用されています。学校内には多くの美術品で溢れており、閉校となった今では旭川市立広陵中学校等に受け継がれています。


旭川ってどんなところ?


北海道中央部に位置し、道北の経済、産業、文化の中心都市とされています。道内物流の拠点となっており、旭川空港は東京・名古屋・大阪等へ直行便が就航しています。年間500万人以上の観光客が訪れ、旭川市旭山動物園は日本最北かつ全国有数の動物園です。

また、旭川にゆかりのある文学者や芸術家も多く、市内各所に野外彫刻作品が置かれています。また、旭川家具をはじめとした木工業も盛んです。

旭川は食も有名で、ジンギスカンやホルモンのみならず、ラーメンでは「函館は塩、札幌は味噌、旭川は醤油」と言われるほど、旭川醤油ラーメンは有名です。旭川で有名なラーメン屋は今となっては全国チェーンの梅光軒です。


他にも、旭川は雪の美術館や、もちろんスキー場も多数存在しています。自然に囲まれた風光明媚な土地である旭川。そんな旭川は小中学校は全て公立となっています。

少し検索すれば現在でも荒れている中学校が多数存在しているのが現状です。今回事件が起きた旭川市立北都中学校も、そこから統合された旭川市立広陵中学校も、評判だけで判断してしまうなら落ち着いて授業を聞ける中学生が少ないみたいです。

中学生という多感な時期は、学校の雰囲気がそのまま人格育成にも影響してしまうのが事実です。今回の事件は、旭川が生んだ集団暴行事件と言っても過言ではないかもしれません。


旭川女子中学生集団暴行事件の関連人物は?

旭川市の中学校で集団暴行事件を起こした中学生たちはどのような生徒だったのでしょうか。集団暴行事件の加害者である男子中学生らと被害者である女子中学生にクローズアップしてみます。


加害者は10名の男子生徒


旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、被害者の女子中学生と同じ学校の男子中学生ら10名でした。旭川の中学校では校内外で有名な非行グループで、暴力沙汰や窃盗は日常茶飯事、学校の廊下をバイクで走るような集団でした。

同級生はおろか、教師も平気で殴っており、男子中学生らは内気で逆らえない他の男子中学生を手下につけていました。その内気な生徒から金銭を巻き上げるだけではなく、時には女子中学生に集団暴行をしている間の見張り役としても使っていました。

また、ヤクザの息子だったり、旭川の名士の息子が加害者集団のリーダー格であったり、そのような背景からも、教師がある程度距離を置き、いじめ、ひいては集団暴行事件を助長させていたのかもしれません。


被害者女生徒はクラスのアイドル的存在

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子中学生は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて服装も真面目で清潔感のあるクラスのアイドル的存在でした。明るい性格で友達も多く、成績も100人中20番以内という勉強の方もよくできました。

当時、中学生にしては胸が周りの女子中学生より大きかったので皆から注目されていたそうです。この女子生徒も加害者集団のリーダー格の男子中学生のことを、当初ちょっと悪っぽくてカッコイイと思って、話しかけられたら普通に会話してたらしいです。

他の可愛い女子中学生数名もターゲットにされ、触られていました。ちょっとタッチするという甘いものではなく、特別教室に連れ込んで大勢で押さえつけて満足できるまで身体を弄りまくる行為です。昼休みに30分間触り続けることが日常化していました。

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子中学生は加害者グループのリーダーのお気に入りのために手を出すなと言われており、それでも胸や尻を軽くタッチする程度はしていましたが、被害者も当初は「やめてよ」と笑いながら嫌がるような程度でした。

女子中学生は当初リーダー格が自分に好意をもっていると薄々気付いていました。 男子中学生らの悪い噂は耳にしていましたが、自分には優しいので嫌いではなかったのです。このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子中学生は何人もいました。

集団暴行を働いた加害者の男子生徒の1人も、彼女に告白した結果、断られています。そのことが当初は腹いせからか軽い嫌がらせだった女子生徒へのからかいが、旭川女子中学生集団暴行事件という悲しい形で明るみとなり、裁判へとつながったのです。

他にも被害者女生徒は複数存在するが詳細は不明


今回、旭川女子中学生集団暴行事件として取り上げられた女子中学生は1人でしたが、その裏には、事件とは言えないものの、数え切れないほどの女子中学生達が加害者の男子生徒達にお触り等の嫌がらせを受けていたとされています。

これは女子中学生1人に照準が定められるまでの中学校1年生の1学期頃までです。もちろん、昔も現在も自分に嫌がらせをされて良い気になる女子中学生は一人もいません。ただ、当初は事件として扱うことも難しいレベルの悪ふざけであったかもしれません。

そして、この集団暴行事件が発覚し、裁判沙汰までヒートアップするということは、周囲の女子中学生も放置し、見て見ぬフリをしていたことでしょう。もしかしたら今回の女子中学生1人が標的にされることを幸いに、一種の安堵感を抱いていたかもしれません。


旭川女子中学生集団暴行事件の経緯

この旭川女子中学生集団暴行事件は発覚までに約2年程の月日を要しています。中学1年生の秋から始まり、何度も教師が止めるタイミングがあったにも関わらず、中学3年生の冬まで見過ごされていました。

この集団暴行事件は一体何が起きていたのでしょうか。事件の一連の流れを時系列に沿って、旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するまでの経緯を裁判沙汰になるところまで見ていきたいと思います。


軽度の性暴力から始まる


被害者であった女子生徒は1994年、当時中学1年生の2学期辺りから男子中学生達からスカートめくりや、胸・尻を触るようなからかい程度の悪ふざけを受けていました。最初から集団暴行があったわけではありません。

事の発端は、学校でも可愛いで評判のあった女子生徒(被害者)に、この男子生徒グループの内の1人が告白をし、それを断ったことでした。ここから事件が始まります。

加害者の男子生徒たちは旭川の中学校でも有名な非行グループであり、毎日のいたずらに耐えきれなくなった女子生徒が教師に報告したのが中1の秋頃でした。教師は男子生徒らを呼び出し、女子生徒が嫌がるようなことをしてはいけないとやんわり注意しました。


エスカレートしたのは担任教師が少し注意してから

その教師からの叱責をそこまで受けなかった男子生徒達は、それから日常的に被害者である女子生徒の身体を弄ぶようになりました。中1の冬には女子生徒を裸にし、性交直前で止めました。

日常的に女子生徒を裸にして身体を好きなようにしていましたが、この時点ではまだ口淫も性交もありませんでした。そして、悲しいことに女子中学生の処女が奪われたのは中2の夏でした。

本格的な女子生徒に対する集団暴行の始まりです。


脅迫や暴行が日常的に行われるようになる

男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返していましたが、女子生徒が誰にも訴えなかった為、遂に1995年、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれ、集団暴行されてしまいました。

旭川市内の公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要し、毎朝呼び出されては口淫をした後、「今日もおいしい牛乳をありがとうございました」という屈辱的なセリフを言わされていました。

秋には、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒に猥褻な行為をされていたとき、男子教師が立ち入ったが、止めることはなく、立ち去っています。この頃は女子生徒は校内の至る所で口淫を強要されており、教師は黙認という異常な事態に発展していました。


また、中学3年生となった1996年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこにいた女性教師に「助けて」と叫びました。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去っています。

その後、女子生徒は男子生徒たちに猥褻行為を受けます。5月には、旭川市内の公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせられていました。また、女子生徒に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返していました。

こうした異常事態はむしろエスカレートしており、授業中に男子生徒らは女子生徒の教室に入り、連れ出しにくるが教師は黙認していました。連れ出された女子生徒は便所に連れて行かれ、授業中にも関わらず裸にされて口淫を強要されていたのです。

集団暴行はそれだけに留まりません。家庭科教室から盗んできた漏斗で、ペットボトルに小便を貯め、女子生徒に飲ませるだけではなく、女子生徒に小便を貯めたペットボトルを教室に持ち込み、女子生徒の目の前でクラスの男子生徒に臭いを嗅がせていました。

陰毛を全て剃られて下着を着けずに登校するよう命じられてからは、毎朝、男子トイレに呼び出され、「ノーパンチェック」と告げると、女子生徒自らジャージを下げて下半身を露出させ、下着を着けてないことを証明させられていました。

また、剃毛した女子生徒の陰毛を透明のカードケースに入れて持ち歩き、同級生の男子生徒らに触らせて勃起したら殴るという遊びをしていました。

女子生徒から没収した汚れたタンポンでも同様のことをして遊んでいました。女子生徒は下着の着用を禁止されて以降は、生理の時はタンポンの使用を強要されていたのです。

校内で女子生徒を見かけると、ファンがアイドルをコールするようなメロディで猥褻な言葉を浴びせ、他の生徒の前でからかっていました。また、人気のない場所で男子生徒らに「お前は俺らの何だ?」と聞かれると、猥褻な返答をするように指示されていました。

それが中学校の中のみならず、旭川市内の人の目につく至る所で集団暴行、あるいは集団暴行に類似した行為をされていたというのが驚きです。

女子中学生は「そうか、じゃあ咥えろ」と言われて、複数の男子生徒たちに毎日のように口淫を強要されていたのです。口腔射精後は精液を吐き出すことは許されず、そのまま直に飲まされていました。

リーダー格の男子生徒は、当時のオウム事件報道で有名になった言葉を使って「俺らはマインドコントロールの天才」と自画自賛していたようです。集団暴行に酔いしれていたのかもしれません。


加害者である男子生徒らは他の内気な生徒を手下に加え、カツアゲ等を行っていましたが、カツアゲしていた生徒らに被害者である女子生徒の胸を揉ませたり陰部を触らせることで「カツアゲのことを親にしゃべったらこのことバラすからな」と脅していました。

クラスの皆も加害者である男子生徒達が女子生徒に猥褻なことを強要していると、学校中で噂になっていたため知っていました。一方で、それは女子生徒がどんなことをされているのか、女子生徒の身体の特徴を教えてくれという興味本位でもありました。

集団暴行事件として実際に通報された加害者以外にも、おもしろがっていた人が一定数いたことが分かります。また、この女子中学生の集団暴行の噂は旭川内の他の中学校でも有名となっていました。

このことから、集団暴行事件について教師も知らないはずはないですし、現に加害者である男子生徒と被害者の女子生徒はクラス替えで一度も同じクラスになっていませんので、旭川市立北都中学校側もトラブルを起こされないよう配慮していたのかもしれません。

女子生徒が一番恐れていたのが、校舎2階に設置されていた六角椅子です。六角椅子は蓋のような形状をしていて中が空洞になっている重い椅子です。正座をさせて頭を床に着け六角椅子を被せると背中が押し潰された姿勢のまま全く身動きが取れなくなります。

そこへ男子生徒たちが座ると、自分の力では椅子を持ち上げることもできません。六角椅子の中は、真っ暗で息苦しく暑苦しく、1分も経たないうちに女子生徒の許しを請う泣き声がし、しまいには発狂したように泣き叫ぶ女子生徒を見て笑い転げていました。


このいじめは、女子生徒が衰弱して泣き止むまで続けられることもありました。「六角椅子に入れるぞ」と脅すだけで平常心をなくして泣き出すほど怖がっていました。ひとつ間違えれば命にかかわる危険な行為も、男子生徒らには暇つぶしのお遊びだったのです。

中学3年生にもなると総勢20人程の目の前で女子生徒に裸を強要し、初めて女性の陰部を見た下級生に対しては「好きなだけ弄って構造を勉強していいぞ」と言ってニヤニヤしていました。その後、女子生徒を四つん這いにさせ、後輩に肛門の皺を数えさせました。

このように、後輩の不良たちに権威を示していたのです。当時流行っていた、たれぱんだの絵を女子生徒の臀部にマジックで描いて尻を振らせて踊らせ、落としたら焼きを入れるぞ」と脅し、火のついたタバコを女子生徒の肛門に挿していました。

女子生徒が肛門に力を入れてタバコを動かすように命じると、たれぱんだがタバコを咥えているように見えて男子生徒らは腹を抱えて笑い転げていたといいます。

このいじめは女子生徒が、たれぱんだのシールを文房具に貼っていたのを見たリーダー格の男子生徒が「そんなに好きならお前の身体に描いてやるよ」と思い付きで始めたもので、仲間ウケが良かったためにしばらく頻繁に行われていました。

他にも女子生徒の肛門に指を入れ、付着した大便を壁になすりつけ、「〇〇の大便」と落書きするなど、直接的な集団暴行以外にも卑劣極まりないことが日常茶飯事となっていたのが事件の大半を占めます。

強姦を受けた女生徒を発見し教師が通報

その後、リーダー格だった男子生徒が被害者の女子生徒とこっそり性交をしていたことが仲間にばれ、口淫だけで我慢していたその他大勢の男子生徒が、「俺も俺も」と女子生徒に性交を迫るようになりました。

男子生徒達にトイレに連れ込まれ、殴られ、代わる代わる中出しされ、しまいには水をかけられた女子生徒が廊下で泣いているところを、親友の後輩女子が発見します。教師に事の経緯を説明し、教師は女子生徒を連れて両親に報告を兼ねて家まで送り届けました。

そこで、ようやく女子生徒の両親に集団暴行事件について伝わり、男子生徒らの惨憺たる行いを警察に通報し、警察がこの集団暴行事件に介入、裁判へと発展することになったのです。

旭川女子中学生集団暴行事件学校側の主張

旭川市立北都中学校側は、この集団暴行事件が発覚してからも、この事件について公表しませんでした。この場に及んでも、教師たちの対応はいささか疑問です。対応が早ければ早いほど、このような悲惨な結果に繋がり、裁判沙汰となることはありませんでした。

そして、一人の女子中学生を守ることより、非行に走る男子中学生達に関わらないことを選んだ教師たちの対応は、現在では考えられないことです。そのような対応が旭川女子中学生集団暴行事件を引き起こしたと言っても過言ではありません。

集団暴行事件はいかに早く発見できるかが鍵ですが、正直この集団暴行事件は既にほとんどの人が知っていた事件です。メディア的に明るみに出たのが、周囲の大人たちの保身や無関心さが理由だったら、この集団暴行事件の裏の加害者は大人たちかもしれません。


周囲の大人たちは無関心だった


被害者の女子生徒が少しでも反抗的な態度をとったら、容赦なく殴り、タバコの火を押しつけていました。「兄貴と性交させるぞ」「母親も犯すぞ」「少年院なんてすぐ出てこれる」「家を燃やすぞ」等と脅し続けられれば、相談も難しいことでしょう。

そのような中で、報復に脅されながらも、教師に助けを求めることはありました。なんなら、猥褻行為の現場を通りかかった教師に助けを求めており、授業中にもトイレに連行されたり、体育の時間も体操服を脱がされたりして気付かない教師はいないでしょう。

また、当時、旭川市内の土手で男子生徒複数名に囲まれている裸の女子中学生を見た大人も「AVの撮影か何かだと思った」という程、事件性を疑わず、通報も何もしないままだったそうです。

そして、まだ集団暴行までには至らず、事件が大きくなる前の段階において、被害者である女子中学生は両親にも相談していました。そこで両親からは事件性の可能性を潰し、「そんな子たち、無視しなさい。」というアドバイスでした。

両親からのアドバイスを健気に実行し、無視し続けた結果、集団暴行事件がエスカレートしてしまったなんて、この女子中学生の心の傷は現在でも深く残っていることと思います。


教師側は女生徒が「笑みを浮かべながら」相談したと主張

前にも述べましたが、女子中学生は何度か教師に相談し、助けを求めています。そして、学校内において強姦されそうな現場を見ておきながら逃げた教師もいます。

多感な女子中学生が簡単に性的被害を受けていること等、口に出すことですら憚れます。その気恥ずかしさのあまり、モジモジした相談に受け止められたのかもしれません。また心理学上、自分の中で恥ずかしさのあまり語尾を濁したりするのは仕方ありません。

笑みを浮かべながら相談というのは、あまりにも教師が主観的に受け止めすぎており、その女子中学生の裏の想いを全然汲み取れてなかったことが伺えます。本気になって事件を食い止めようとした大人が一人もいないことが悲しい事実です。


加害者の母親は被害者女生徒にも「落ち度がある」と主張

いざ、旭川女子中学生集団暴行事件として世間に明るみに出て、裁判を持ち掛けられたとき、加害者の男子中学生の母親からは「被害者の女子中学生にも落ち度があるのではないか」という声が上げられました。

同じ女性でありながら、ここまでの猥褻行為を棚に上げて、自身の息子を守ろうとする姿が母性と言えるのでしょうか。あまりにも他人事のように集団暴行事件を軽視しています。

もちろん、被害者の女子中学生には落ち度はありませんでした。加害者の男子中学生達と一緒につるんで喫煙し、窃盗をはたらく等の非行に走るような女子中学生だったら、この発言も理解できます。ですが、被害者は清楚で真面目な可愛らしい女子中学生でした。


旭川女子中学生集団暴行事件の判決は?

その後、旭川家庭裁判所において事件に関与した男子生徒の内3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けました。男子生徒達は旭川市内の他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行も繰り返し起こしていました。

2001年1月30日、旭川地方裁判所は、裁判の判決で慰謝料を1000万円と認定し、既に加害者男子生徒らとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、被害者に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じました。

旭川市立北都中学校での悲惨な集団暴行事件のリアルさを分かってもらうためにも、今回はその裁判の判決の要旨を一部引用しながら紹介します。


主文

一 被告らは、原告(被害者女子生徒)に対し、連帯して、金170万円及びこれに対する平成8年12月24日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告らは、連帯して、原告(被害者父)及び原告(被害者母)に対し、それぞれ金15万円及び右各金員に対する平成8年12月24日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。


理由要旨(一部略)


加害者達は「・・・・」という非行集団に属する生徒達であり、A教師は集団的な非行傾向のある生徒達は時として暴走化する危険をはらんでいるからこれを解消する方向で指導をしていた。

少なくとも平成8年6月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、たとえ服の上から身体を触るといった性的行為にとどまっていたとしても、これをこのまま放置しておけば深刻な性的暴力事件等に発展するかもしれないと予見することが可能であった。


それゆえ、A教師としては、少なくとも平成8年6月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、

(1)原告(被害者女子生徒)からわいせつ行為の状況を詳細に聴取するほか、加害者達や、学校内で同様の性的被害を受けているという他の女子生徒らからも詳しい事情を聴取し、その内容を3学年の他の担任教師らの他、教師全体に報告すべきであった。

それと同時に、 他の教師らからも性的被害に関する情報を収集し、学校内における猥褻行為の実態をできる限り解明すべき義務があった。


(2)A教師には、被害申告を受けた時点で、直ちに被害の事実を被害者及び加害者の双方の保護者に報告すべき義務があった。

(3)A教師は、実態解明の結果を踏まえて、他の教師や保護者と連携した教育指導態勢を作り、教師全体で、または保護者らと一体となって、原告(被害者女子生徒)を加害者らによる報復から保護し、加害者らへの指導を強化徹底すべきであった。

(1)A教師は、平成8年6月のスーパーでの被害に関する相談を受けてから以降も、原告(被害者女子生徒)に具体的な被害状況を詳しく聴取せず、加害者ら及び他の同様の被害を受けているという女子生徒らからも性的被害の状況を全く聴取しなかった。

(2)A教師は、被害者及び加害者の双方の保護者らに対する報告義務を怠った。

(3)A教師は、原告(被害者女子生徒)の性的被害の相談について、加害者らは他クラスの生徒であると聞いたのにその担任教師に何ら連絡せず、職員朝会、学年会又は職員会議などにも報告しなかった。

結局、養護教諭に対して女子生徒から身体を触られたという訴えがなかったかどうかを確認してクラスの男子生徒の様子を二、三日見ていたにすぎず、 クラスの帰りの会において、女子生徒の身体を触ることがセクハラになる等と一般的な注意をしただけだった。

その後は原告(被害者女子生徒)に新たな被害を受けていないかどうかを確認することもなかった。したがって、A教師には、安全配慮義務違反の過失がある。

これがなければ、原告(被害者女子生徒)は、平成8年6月の相談以降、日時が分かる分だけでも学校内での口淫強要2回、学校外での口淫強要2回、友人宅での強姦1回、学校内での口淫強要・強姦1回といった性的暴力を受けることがなかった。

非行化傾向のある特定の男子生徒らが集団で特定の女子生徒を標的にして、衣服の上から身体を触るといった段階から胸や陰部を衣服の下から直接触るという段階を経て、集団による口淫の強制及び強姦へと性的暴力を激化させた。

最終的には教師らや生徒多数がいる時間帯の学校トイレ内において被害者女子生徒を監禁した上、集団で口淫強要及び強姦に及んだという前代未聞の悲惨な事件であり、長期間にわたる集団的な性的虐待(いじめ)を本質とする事案である。

加害者男子生徒らは、頭部を殴打するといった肉体的暴力や「殺すぞ。」といった激しい脅迫のほか、思春期の女子生徒が性的羞恥心等から被害を他の人々に話せないでいることにつけ込んで、精神的にも隷属させた。

その人格を著しく蹂躙するような性的虐待を学校の内外で長期間にわたって集団で加え続けたものであるから、思春期の悲惨な体験が原告に残し続けるであろう心の痛みには相当深刻なものがあろうと推察される。

また、原告(被害者女子生徒)は担任教師に対して羞恥心を抑えて何度も深刻な性的被害を匂わせる相談をしたのにこれに気付いてもらえず、一層激しい性的暴力を受け続けたのであるから、本来は尊敬すべき教師に対して不幸にも不信感や恨みを持たざるを得なくなった。

性的虐待の体験によって現在でも男性との会話を拒否する傾向にあることなどをも併せ考えると、原告の受けた心の傷は誠に深い。

したがって、原告(被害者女子生徒)の精神的苦痛に対する慰謝料の金額としては、1000万円が相当である。本件では、加害者男子生徒らからの示談金860万円を控除した140万円が損害額となる。

以上が、旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の内容です。こんなにも悲惨であり、一生の傷を負わせた集団暴行事件の代償が1000万円とは驚きです。


旭川女子中学生集団暴行事件からその後

裁判が終わったのは2001年でした。1996年に旭川女子中学生集団暴行事件として発覚しているので、事件から裁判まで5年の月日が経っています。2001年は当時の中学生達は20歳になる年でしょう。そして、現在は40歳に近付こうとしています。

現在では社会的にも起こりえない集団暴行事件ですが、被害者も加害者も当時未成年であったことから顔も名前も表立っては公表されておりません。そのため、現在でも犯人の特定は困難です。

ですが、裁判後も旭川にて堂々と生活することはきっとできなかったことでしょう。未だにこの集団暴行事件が一般人にとっては謎のヴェールに包まれているのが正直なところです。


被害者女生徒の現在は?

裁判で判決が出たのが被害者が19歳の時でした。裁判の間も高校生として旭川にいた被害者は、高校に通っている間も男性に対する恐怖心は消えていなかったといいます。

さて、先にも述べたとおり、現在では30代後半です。あまりにも事件が事件だっただけに、男性不信から立ち直ったとは思いませんが、現在、素敵な男性と幸せな家庭を築けていればと切に願います。


加害者男子生徒達の現在は?

少年院送りにされた加害者も裁判が終わる頃には出所し、保護観察処分を受けた加害者も裁判が終わる頃には処分が解けていました。

同様に現在では30代後半です。名前も顔も公表されていないことから社会にどのような形で関わっているのか私たちでは知り得ません。もしかしたら社会人として現在でも働いており、もしかしたら誰かのお父さんになっているかもしれません。

まるでフィクションのような集団暴行事件ですが、その加害者は今もどこかで私たちと生活しているのです。


集団暴行事件を風化させないためにも

今回の集団暴行事件は旭川で起きてしまいました。女子中学生が性的嫌がらせを超えた集団暴行を数年間も受け続けるという事件は、今後一切起きてはなりません。裁判が始まっても周囲の大人の対応は極めて杜撰であり、現在では社会的にも信じられないものです。

今回の旭川女子中学生集団暴行事件をただの集団暴行事件として扱うのではなく、いじめ等も含めた学校側の対応も併せて、私たちが向き合っていかなければならない課題と言えます。周囲の対応が適切であれば、このような事件に発展しなかったからです。

もし自分の子供がこのような事件の被害を受けていたらどうしますか?最悪の事態へ陥らないためにも、普段から良好な信頼関係を築き、コミュニケーションを積極的にとっていきましょう。
https://kirari-media.net/posts/1140



▲△▽▼


旭川女子中学生集団レイプ事件で加害少年らが校内で多数の女子にしてたことが酷過ぎる


旭川女子中学生集団暴行事件とは

1996年12月に発生した北海道旭川市の市立中学校の女子生徒に対する集団性的暴行・強姦事件である。

事件の経緯

初めのうちはクラスのマドンナ的存在であった女子生徒に対する、スカートめくりなどの軽度の性暴力から始まったと言われる。

男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。女子生徒が誰にも訴えなかった為、その後行為はエスカレ−ト、中学2年生の夏に男子生徒の一人の家に連れ込まれるようになった。

男子生徒たちは公園や橋の下などで毎朝、口淫をさせた後「今日もおいしい牛乳を有難うございました。」という屈辱的な言葉を言わせていた。

中学3年の5月からは、下着の着用と自由な排便を禁止した上、公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄を強要していた[1]。

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師は男子生徒たちに少し注意しただけであった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ男子トイレに連れ込まれ、6名が身体を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

その後、旭川家庭裁判所において3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。

男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。

担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、

総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を旭川地方裁判所に起こした。

2001年1月30日、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、

両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた。

1、剃毛

2、公園のトイレで浣腸

3、下着付けずに登校させる

4、夜の学校のグラウンドを全裸で走らせる

5、毎日のようにフェラチオさせて精液は飲ませる

6、「今日もおいしいミルクをありがとうございました」と礼を言わせる

7、中2の夏に、少年達の一人の家で強姦されて処女喪失

8、ついには学校のトイレ内でも挿入されて、これがこの事件がばれる原因となった

加害少年(●木グループ)らが校内で多数の女子にしていたこと

乳クロー、尻クロー

プロレス技のアイアンクローのエロバージョン。

基本的には服の上から乳や尻を掴む、触る、揉む行為のこと。

乳パン

不意打ち的に乳房にパンチする。

「隙あり!」と言いながらやることが多い。

注射

身体の一部分を思い切りつねること。

主に乳首。

パンツ狩り

可愛い女子を脅してその場で履いているパンツを貰う。

基本的にはしつこく絡んで脅して自らパンツを脱いで差し出させる。

応じない場合は羽交い絞めにしてパンツを強制的に奪う。

本人の前でパンツの汚れを見て、臭いを嗅いだりしてからかう。

狩ったパンツは加害少年らの間で回覧されて欲しい奴が貰う。

教室の掲示板に画びょうで貼って公開することもアリ。

生理ナプキンが出るまで1日に何人もパンツ狩りをして遊ぶこともアリ。

パンツを並べて誰のが一番汚いかを比較して爆笑。

あまり汚れてなくても数日経てば黄ばみが増してくるらしい。

可愛いとされる女子は何度も狩られていた。

ボテハチ

後頭部、乳房、下腹部、背中などにグーパンチを連打すること。

顔などは傷が目立つので殴らない。

言うことを聞かないと「ボテハチにするぞ」と脅す。

基本的に服の上から。

ジャージおろし

女子の背後からジャージとパンツを同時におろす。

北●中は当時、制服ではなくジャージ登校だったためスカート捲りよりこちらが主流。

ウケがいいので可愛い子だけじゃなく不細工や学級委員長などもやられていた。

複数で押さえつけて確実にパンツをおろすことをコンビネーションと呼んでいた。

女子便覗き

隠れてコッソリじゃなく堂々と女子トイレに入って覗く。

下の隙間から、上から。

加害少年らの気配があると女子がトイレを利用しなくなるのが日常。

コーモン(指浣腸)

「コーモン」の掛け声で指浣腸すること。

何故か「コーモン」と言いながら指浣腸していた。

「コーーモン」と伸ばすとゆっくりな浣腸。

早口で「コモン!!!」の場合は高速の指浣腸で肛門にヒットすると激痛w

失敗してケツにズレると指が折れそうになる。

北●中は普段はジャージのため女子の肛門に照準を合わせやすかった。

実名出すべきだわ性犯罪者は

ちょっと嘘くさいな

北海道の農家の朝も遅めなの?

マドンナってのが凄いな

これ誰も止めなかったってことは女子もぐるだったんだろうね

タイムマシンアフィだらけだな

ニュースが相撲ぐらいしかやってないもんな

加害者はのうのうと社会へ出て普通の生活を送っている

こんなのが許されて良いわけがないよ
https://ssplan1950.exblog.jp/27886405/

18. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2018年12月21日 08:36:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

こんな女に誰がした(バスガイド編)__従軍慰安婦と同じ様に管理しただけさ


戦後、進駐軍指定慰安施設の閉鎖により町にあふれ出でパンパンガール
と呼ばれる街娼になった女達はGI達に性病が蔓延し始めると、MPと
警官による「パンパン狩り込み」と称する街娼の一斉検挙によって逮捕
され晒し者のように手錠腰縄で数珠繋ぎにされて強制検黴施設に連行され
全裸に剥かれて陰部を強制検診され、外性器に異常が無くても梅毒の潜伏
期間とされる一週間の拘留を申し渡され一日一度の強制検診を義務づけられた、
さらには明らかにパンパン狩りを見物しているに過ぎない女学生や主婦を
員数合わせや面白半分に連行する事も有り、沢山の悲劇が生まれた。

パンパンが安宿で全裸で淫売行為に及んで居る所に狩り込みが入ると、性行為の
動作を途中で停止させて写真を撮り、局部を拭くことも許さずに全裸のまま連行して
性器から検体を採取、そのまま一週間の拘留の刑罰を下されるので寒い時期には大変
だったそうだ

パンパンの狩り込みに度々引っ掛かったのは、終バスの乗務を終えて帰宅する
バスの女子車掌で、彼女達は料金着服防止の防犯検査で乗務終了後の裸体検査
を義務づけられているため、裸を人に見られることに慣れており、さらに泊まり番
の時は運転手と雑魚寝するために全て非処女、検挙後、検黴施設ですっ裸に剥かれても
婦人科検診台に昇って丸裸で大股開きになっても、日頃から全裸性器肛門点検を
毎日されている女子車掌は平気の平左のために常習淫売を疑われて、米軍発行の
商売女認定証、通称グリーンカードを発行され、売春婦登録となると週に一度の
性病検査を義務付けれて、さらに同じ職場の女子車掌全員が検挙されて強制検黴
を受けさせられ、売春婦登録される大騒動に発展した、さらに売春婦となった事実は
戸籍謄本に暗号で記載され、後の女子車掌の結婚に大きな妨げになった

いかにもの商売女の中に、素人臭い娘が混ざっていると取り調べの刑事どもも
昂奮して、証拠写真を撮るためと称して刑事部屋の汚い床に娘を全裸で仰向けに
寝かせて、座布団に張型をくくりつけた物を抱かせ淫売の手口を実演させて
楽しんだそうだ

東京でも省線電車を突然停車させて、若い女を全員降ろしトラックで病院に送り込んで
丸裸にして皮膚症状をチェック、婦人科検査台に昇らせて股を開かせ局部検査、ここで
処女と解かれば帰宅させるが、残りは潜伏期間の間は留置場に拘留なんて荒療治がまかり通った

そんな無茶なと思われるかもしれないが、梅毒を筆頭に各種性病の蔓延で奇形児の出産が相次いでおり、進駐軍が奇形胎児のホルマリン漬けを突きつけて日本側要人に対策を迫る新聞も病毒蔓延を書き立てるなどしたため、どんな強行手段も容認されたのだが
一部には夜のパンパン狩り同様、若い女に手錠腰縄を掛けて数珠繋ぎにし性病専門病院に連れ込むのだから、精神的抵抗も凄まじく数々の悲劇が生まれた
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/33/1218787155/l50


バス女性車掌身体検査

女子バス車掌身検制度

全裸身体検査といえば昭和初期から30年代くらいまでにかけて行われたバス車掌身体検査のほうが凄まじい。

当時のバスは運転手のほかに運賃を扱う女性車掌が乗っていたのだが、着服を防ぐために男性検査官による身体検査が行われていた。

当時のバス車掌というのは女性にとって花形職業であり、15〜6才から20代後半くらいまでが大半だった。

この娘たちを全裸にするのはもちろん、足を開かせて穴の中まで徹底的に調べたらしい。


バス車掌の思い出

中学を卒業してすぐにバスの車掌になりましたが、車掌の仕事は現金を
扱うために、料金着服防止の為の身体検査が義務付けられており、乗務
を終えて運行事務所に戻り、精算が済むと、制服、制帽、車掌靴を返納
して、下着姿で、防犯係りの前で、福引きの機械に似た、検査機を回さ
され、青玉なら通常検査、そのままシミーズの上からなで回して検査
黄玉なら特別検査、シミーズを脱いで、ズロースに手を突っ込んで検査
で済むのですが、赤玉なら精密検査を受けさせられました。

赤玉を引くと「そぉれ,裸ン坊だよ!」と大きな声で命令されて
事務所の奥のカーテンの奥に連れ込まれ、ズロースを脱がされ、「それ
カンカン踊り!,早くする!」と大きく足を拡げて、両手で両足首を
握ってお尻を突き出すように強制され、陰部と肛門にワセリンを塗られて
ゴムサックをはめた防犯係りの指と、検査棒で、中身をつつき回され
ました、

また、検査の後は入浴が義務付けられており、脱衣所で、衣服を
検査係りに渡した後、浴場の入り口に、甘字架という、張りつけ台のような
物があり、この台に上ると、性器、肛門がぱっくりと開くような姿勢に
なるんですね、是に必ず登って、さらし者にならなければ、お風呂に
入れない構造になっておりました,

料金着服の疑いをかけられている車掌は ここでも、衆人環視の中で、
性器、肛門の中身を、容赦なく点検されました、

当時、車掌は裸踊りも仕事の一部だとされており、乗務中の車内でも、痴漢
さんに、

「どうせ、会社に帰れば、泥棒の疑いで、丸裸の四つん這いにさ
れて、尻の穴までつつき回されるんだろう、是くらい平気だろう!」

ってからかわれながら、いろんないたずらをされた物です、会社からは、お客様
に失礼の無いよう、どんなことにも我慢しなさいって言われてましたから
抵抗も、口答えも出来ません、ただ、火照ってくる体と屈辱に、身を震わせ
ながら、悔し泣きするだけだったのです、こんな、恥ずかしい検査の事を、
会社では「女の兵隊検査」と呼んでおりました。


ちなみにこれをネタだと思うヤツは、以下の本を読んでみるといい。

「バス車掌の時代」ISBN 4-7684-6611-7

日本図書館協会選定図書なので、大抵の図書館にもある。
さすがにここまで具体的には書いてないが、似たようなことが書いて
あるぞ。

バス車掌の話、「ユメノ銀河」って映画のワンシーンであったね
浅野忠信が出てて、主演は、何とか麗奈って娘(なんかのドラマのいじめっ子役の、、)

さすがにぼかしは入ってたけど、、、苦痛に歪む表情がタマランカッター
小刻みに震える足の指がクワッ!!って拡がるシーーンで逝ってしまった、、

昭和初期から30年代にかけてはマイカー等が普及していなかったため、公共機関
全盛期でした。特にバス会社は日本中に何百社とできたので、バス車掌の扱い方についても地方や会社によって全然違かったのかもしれません。
(特に関西が凄かったという話です・・・未確認)

余談ですが、このバス車掌身体検査は昭和30年代のある事件(濡れ衣を着せられた
車掌が拷問の挙げ句自殺してしまった)を境に全国的に廃止されました。
その後、昭和40年代になってワンマンバスの出現により、女性車掌自体が廃止されて
しまいました。


あの時代は女子の就職先自体がほとんど無かったので、電話交換手と並んで
バス車掌は花形職業だったそうです。
女は家庭を守るものという意識が根強い反面、戦争によって父親を亡くした母子家庭
も多く、生活していくためには働かなければならず、そのためバス車掌などの職業に
就けるだけでも恵まれている、という認識があったようです。

そのため、どんなにひどいセクハラを受けても会社に反抗したり辞めたりする人は
いなかったようです。


美空ひばりの「青春はりきり娘」と言う映画に、バスの女子車掌の、
集団裸体身体検査の様子が出てくる、一列に並べられた、バスの女子車掌が、
次々にホールドアップの姿勢で両手を上げさせられ、制服のボタンをはずされ、
ズボンのベルトを抜かれて、ズボンが足下に落ち、ズロースを膝まで
引きずり降ろされ、悲鳴を上げながら、局部に指を突っ込まれて性器、
肛門の検査をされる、後ろからの描写で、直接、尻や性器は見えないが、
エロ度は高い。

これは、昭和30年代まで、実際に行われていた、バスの女子車掌の、
料金着服防止の防犯検査を、映画用に、表現をソフトにして、再現した物で、
実際は、全裸にされ、両手で両足首を握り、大きく脚を開いて、けつを突き出し、
ゴム手袋と、検査棒で、徹底的に性器肛門をつつき廻して検査したそうです。

この検査を受けた体験談を赤裸々に告白していたのは、
日本人ボンドガールの浜美枝さん、彼女は、中学卒業と同時に、
バスの女車掌に身を落として、名状しがたいような屈辱的裸体身体検査を、
乗務前、昼食時、乗務終了後、外出先の抜き打ち屋外裸体検査と、
涙が涸れ果てるほど受けてきたと波瀾万丈伝のなかで告白しています。

そして、当時、エロ映画界には、バスの車掌は、裸が平気で、明日から使える
という評判が有ったそうで、浜美枝さんも、おなじ身体検査を受けている、
車掌仲間と、出かけた、セクシー女優登用試験の面接で、堂々と裸体を
披露度胸の良さを買われて「若い素肌」でデビューしたそうです、

ボンドガールになったきっかけも、この役が、縄ふんどし一丁の
裸海女の役だったため、英語の達者な本格女優がみんな断ってしまい、
英語もしゃべれず、泳げないという、浜さんに、裸度胸をみこんで、
仕事が舞い込んだそうです、その後も、週刊プレイボーイなどで、
全裸で逆立ちするなど、当時としては破天荒なエロシーンに、
敢然と挑戦していました。


参考: DVD[歌え!青春 はりきり娘]
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%8C%E3%81%88-%E9%9D%92%E6%98%A5-%E3%81%AF%E3%82%8A%E3%81%8D%E3%82%8A%E5%A8%98-DVD-%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A/dp/B0007G8DGA

 モノクロ84分/1955年度作品/モノラル/スタンダードサイズ

【STAFF】監督:杉江敏男 脚本:八田尚之
【CAST】美空ひばり/久保明/小泉博/藤原釜足/寿美花代/清川虹子

■発売元:東宝 ■販売元:東宝

昭和二十年代に出されたSM雑誌「裏窓」なんかには、
バス会社ごとの裸体検査の方法の違いなどがのっていた。


第043回国会 法務委員会 第28号
昭和三十八年六月二十七日(木曜日)   午前十一時五十九分開議

○志賀(義)委員
神戸市交通局の松原事務所の車掌若林栄子さんの、不当な疑いによる
取り調べで自殺した事件について、人権擁護局に調査を依頼しておきましたが、
その結果はどうなりましたか、お知らせ願います。

○稻川政府委員
結論としてはっきり申し上げますと、調査はまだ完了しておりません。
その後、いろいろ根本的にむずかしい問題がありますので、
この際そういう問題も調査しておきたいという考えで、まだ終了しておりませんから、
もう少しお待ちください。

○志賀(義)委員
では大臣が来られるまでもう少し質問いたしたいと思います。
〔林委員長代理退席、委員長着席〕
この前、私が刑事訴訟規則で身体捜査には判事の拘引令状が必要だと申しましたが、
私、先日神戸に行きまして、六月二十三日その事務所に参りまして、
いろいろと調べを受けた場所、並びに当局の言う

検査を受ける場合の、簡単な調べを受けるときに青玉が出る、
赤玉が出たら入浴して脱衣場に置いたものを全部調べられる。

その赤玉、青玉のことを新聞記事を読んだだけではわからなかったのですが、
行ってみましたら、こんな箱の中に青いビー玉を四つ、赤いビー玉を二つ入れて
引っぱり出しますと平均して確率で二回ほどは青・一回は赤玉が出る。
赤玉が出たら入浴して検査を受ける。その入浴場も私は見てきました。

どうもその道具を見ますと、いささかこっけいな気がする道具なんですが、
そんなことでそういう検査が行なわれるということでございますが、
こういう検査は神戸法務局の人権擁護課の話では、バス車掌の身体検査は
ある程度やむを得ないと思うが、行き過ぎのないよう最小限度にとどめるべきだ、
今度の場合遺書もあるというが、それが直接原因とすれば問題だ、
人権侵害の疑いも考えられるので、訴えがなくても関係者を呼んで独自の調査を
始めるということになっておりますが、その報告はまだきていないのですね。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0488/04306270488028c.html

女子車掌が裸体検査をどのように思っていたかを示す婦人雑誌の記事に、
中学の進路指導でバスの女子車掌採用試験の内容を兵隊検査と説明され、
受験を希望して帰宅したら、小学生の弟から

「ネェちゃん、ケツの穴に指突っ込まれんノンか」

と聞かれ、恥かしい噂は近所中に広がっていたと出ています、
度胸を決めて臨んだ身体検査会場は町の商工会館の二階会議室で、
ズロース一丁で衝立の前に整列させられ一人づつ呼び込まれるのを待っていると

「ズロース脱いで、早くする、両手両足を印のところに置け」

と指示されているのが聞え、四つん這いにされるんだと思っていると、
名前を呼ばれて中に入ると、試験官のお偉いさん達の位置から
丸見えに成っているのが解かり、全身がカッと羞恥で真赤になるのを感じながら、
言われるままに全裸になり、大きく股を開いて膝を付けずに四つん這いになり、
思いっきりケツをもったてると、

「ブスっといくぞ」

の声が掛り、まず性器を二本指でこね回してからケツの穴に指を突き立てられ、
前後にピストン運動された後、すっと指が引き出されパシッとケツを叩かれて、
医者と看護婦、一部始終を見ていたお偉いさんに

「有難う御座いました」

と挨拶した、帰宅してからは父母にも検査の様子を聞かれ、

「なんもなかった、ちょっと見られただけじゃけん」

と答えたが、寝てから肛門に突っ込まれた指の感触を思い出して、
きゅうりを突っ込んで散々オナニーしてしまったそうだ


昔のグラフ雑誌などに、若い女性がシミーズ姿で涼んでいたりする写真や、
ズロース一丁で乾布摩擦してる写真が載っており、特に戦後の混乱期は
若い女性も裸を恥かしがらない風潮が強かったので、バス女子車掌が運行掛りに
行なう乗務点呼がシミーズ姿で有ってもさほど恥かしくは無かったのだろう、

「大内吉子、十八番線朝勤乗務します、防犯検査御願いします」

と申告して、防犯掛りがシミーズの上から撫で回し、
すそをまくってズロースの中を探り、パシッと尻を叩いて

「点検終り、異常なし」

と告げると、制服と車掌鞄などの受取り札を貰って
車掌乗降口に廻って服装を整えて乗務したそうだ
バスの女子車掌が防犯検査でケツ穴を検査されるのは世間で良く知られていたが、
もっと凄い噂として、バス女子車掌は糞舐め女だとか運転手のケツ穴を舐めさせられる
という話しが流布されていて実際に広く行なわれていた

糞を舐めさせられるのは糞付きの防犯掛りの指や検査棒を検査終了後に、

「ほれ、舐めて綺麗にするんだよ、早くする!」

と号令を掛けられて舐めさせられた、そして当時のバスの運転手は大陸の戦線などで
退廃的な風俗嬢を体験してるので、泊まり番で女子車掌と雑魚寝するときには
ケツ穴リップを強要した為で、当時のバス女子車掌はズベ公が多かったから
プレー感覚でまんざら嫌がらずにやっていたそうだ


バス女子車掌の裸体検身を写した有名な写真は、

事務所の衝立の陰の検身台の上ですっ裸の四つん這いにさされている女子車掌の横を
忙しそうに立ち歩く女子事務員の姿と、脱がされた衣服を点検する防犯掛り、そして
衝立の向こうに映るごく普通の事務所で伝票整理したり、窓際で談笑したりする人を
姿が映りこんでてすっ裸で性器肛門丸出しで四つん這いにさされた女子車掌の屈辱が
匂い立つような作品です


1 名前:屈辱の日々@[] 投稿日:02/03/07(木) 12:01 ID:+GTe8s9i

昭和三十年代まで、中卒でバスの車掌になった女の子たちは、料金着服
防止のための防犯検査、通称『泥棒検査』を受けなければ帰宅がゆるさ
れ無かったのです。

 検査は乗務終了後、制服を返納して、シュミーズ一つの姿で事務所の
カウンターに並んでクジを引かされ、『青玉』なら通常検査、その場で
なで回して検査、『黄玉』なら特別検査、シュミーズを脱ぎズロース一
丁でカウンターの中へ入ってズロースのなかへ手を突っ込み性器や尻の
割れ目をなで回して検査、『赤玉』なら、大きな声で『赤玉です、裸検
身御願いします!』と申告させられ、『そぅれ、裸ん坊の御通りだよ。』
と肩を押されて、事務所の奥の身検室(隅に三角形にカーテンをつるし
ただけ)に連れ込まれて、通称『女の兵隊検査』。全裸のままで、膝を
付けずに四つん這いになり思いっきりケツを突き出した格好で、ゴム手
袋をした指と、棒でしつこく性器と肛門をつつきまわされ、検査を受け
た後は一週間くらいひりひりしたものでした。

 そして、おとり捜査で印をつけた千円札何かが、清算金に入っていな
かったら、もう大変、拷問まがいの取り調べを特高上がりの『密行』と
よばれる防犯係(なんと、男!)から長時間全裸のまま受けなければな
らず、自白を拒めば、自宅へつれていって両親の前で、全裸性器肛門検
査を強要される事さえ、有ったのです。


2 名前:屈辱の日々A[] 投稿日:02/03/07(木) 12:03 ID:+GTe8s9i

また別のバス会社では、女子車掌は、揺れるバスのなかで、立ったままの姿
勢で、長時間勤務するにもかかわらず、当時(昭和2.30年代)、まともな生
理用品がなかったため、バス会社から貸与される赤ゴム製のゴムふんどしで、
脱脂綿を固定していたそうです。バスの車掌は低学歴の娘でも、女工さんの
三倍もの給料を貰えた反面、労務管理はかなり厳しい。特に女子車掌が料金
を着服するのを防止するため、乗務終了後は全裸で身体検査されていたので
すが、このゴムふんどしを付けていた時は、検査係が、『ギュー』と伸ばし
ておいて、『パッ』と放し、『ビシッ』と裸の尻に当てていじめたとか。強
力なゴムなので、青アザが出来るほど痛かったそうです。また、この赤ふん
どしを借りるためには、男もいる運行事務所で、ズボンを膝まで下げて、
『輪島車掌区、本多寿々子!本日よりメンスが始まりました!生理帯の貸し
出し御願いします!』と大声で申告しなければならず、時には『おい、ズロ
ースも脱いでよく見せてみろ。脱げないなら、誰か手伝ってやれ!』などと
いわれて下半身スッポンポンの屈辱を味わわされたりしたそうです。

 ちなみに、この赤ゴム製のゴムふんどしは、看護婦出身のバス会社幹部夫
人が子供の脱腸帯を見て、考案されたものです。


バスの女

子車掌全裸検査制度は、日弁連の人権白書などにも、取り上げられており
学校でも、憲法、労働法なんかをとれば、かならず取り上げられていたものです。

美空ひばり主演の映画なんて(「歌う青春、はりきり娘」だったか)大衆的な作品
にも、ひばりさんがバスガールに扮して恋を実らせるという設定で、大部屋女優が行列
させられて、男の防犯係から、ホールドアップの姿勢をとらされ、制服のボタンをはず
され、スカートのベルトをとられて、さらにブラウスの前をはだけられ、手をさしこま
れる検査シーンが出てきます、

何人か調べた後で、怪しい素振りを見せた娘を、女の
防犯係に、「こいつ奥で調べて!。」と指示して、なにか電話がはいり、シーンはうつりますが、こういう、大衆娯楽の分野でも、バスガールを登場させるなら、裸検査を連想させるシーンを登場させる事はお約束でして、彼女たちが素っ裸の検査を受けさせられていることは、世間の常識だったんです。
http://www.oocities.com/masako_69_love/0352.html


____________________________


参考 : 従軍慰安婦の管理法

日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。


 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中という者は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、
次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。
 ある日、田中という者は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日帝野獣は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、
乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日帝は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、
死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。
http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm


『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。

731部隊やら南京大虐殺と並んで有名な従軍慰安婦問題。
A級戦犯が永眠る靖国を総理が未だに参拝している事が大陸で問題視されているのも、生の声を聞くと頷ける。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


兵隊は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいまし た。ところが、両親は私たちを残して死ん でしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお 母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして 弟たちを養いました。   私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋 に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。
弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、
男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの 娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴っ たりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大 連へ連れて行かれました。
私たちが列車の 外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりし ました。 私は、弟たちのことも心配だしこ れから何が起きるかという不安で泣き出し たのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江な どで娘たちの一部を汽車から次々と降ろし て行きました。 私は東寧県で汽車を降ろさ れ、20人くらいの女性たちとトラックでプ チャゴルに連れて行かれました。

到着する と将校が「天皇と軍の命令だ。言うことを 聞かないと殺す」と言いました。
私は5号室に入れられ、着いたその日か ら強姦されたのです。

あちこちの部屋から も悲鳴が聞こえてきました。
それからは、 少ない日でも30人くらいの日本兵の相手を しなければなりませんでした。

  ある日、2人の女性が兵隊の相手をする のを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に「犬のよう なお前たちの言うことなんか聞かない」と 言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って 沸いた湯の中に入れました。
そして、その 煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように
足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。
私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってし まったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。

  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。
私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいま した。
私はここの「慰安所」に8年間いま した。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。
1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生 むこともありませんでした。
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html


日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:

A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのか
と尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、
裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を
切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で
『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』と述べ、死んだ女性の死体を
煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令
され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を
切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦
の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」
と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。

(上記の申立書、ならびにハウスフェルド法律事務所の各種資料は、
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm

19. 中川隆[-13667] koaQ7Jey 2018年12月21日 08:44:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

1.名無し 2013年07月31日 14:47

この村に限らず村落なんて村八分で人を阻害して楽しむ集団だよ。
東京都でも桧原村とかはまだ普通だけど日原鍾乳洞があるあたりは悲惨なイジメの巣窟だよ。

いつ殺人が起きてもおかしくないし、実際に人殺しがあっても村中で隠ぺいして何もなかったかのように処理するので今まで警察沙汰になったことがないけどこのケースは違ったんだね。

出身者が言うんだから間違いない。


8.名無し 2013年07月31日 18:01

疎外されたと簡単に言うけど小さい村での疎外って恐ろしい孤独を意味するんだよ
俺たちのようにその気になれば一人で生きていけるというような都会の面影はない
悪い事に権力者が必ず変な思想をもっていて主観でとんでもない依怙贔屓をする

「しきたり」という言葉を聞いたことがあると思う。この「しきたり」というのは村では憲法よりも絶対的な力をもっていて、それに背くと拷問や虐待が待っている。
今回の犯人はその「しきたり」を破っただけなのだと思う。ただ逆ギレして相手を殺した。
村側が人殺しをした場合は口裏を合わせて死体を隠すが、今回は村側が被害者なので警察を介入させたってことだよ。

15.名無し 2013年08月01日 05:15

田舎は良い = 間違った幻想

イジメで結束をはかるのは、集団心理そのもの。
「イジメはいけません」と言っている大人がイジメてるんだからイジメが無くなる訳がない。村の隠蔽体質は未解決事件に深く関わっているんじゃないだろうか。

21.名無し 2013年08月01日 18:35

田舎のじみん支持者は本当に意地悪だし、きたない手を躊躇なく使うよ。
選挙でお金ばらまくとか、対立候補の悪い噂のビラとかは余裕。
山口なんて、どんだけ思い上がったじい様、婆様がいるか想像しただけで怖い。
http://amaebi.net/archives/2077600.html



5.名無し 2013年08月01日

2chで東京都の奥多摩にある鍾乳洞付近の村落の出身者で自分や自分の家族が遭わされてきた村八分の恐怖について詳細に語ってた。

まるで南北戦争前のアメリカの黒人のような扱いだわ。

畑は無残に荒らされ、娘はレイプされ、二男はたぶん殺されて行方不明。

村人全員が口裏を合わせて嘘の供述するから警察なんて何の役にもたたない。
韓国を小さくして村レベルにすると、そっくりそのまま同じイメージになる。
日本人としては絶対に許し難い行為だよな。

9.名無し 2013年08月01日

同和を甘く見ない方がいいよ。人殺しなんてなんとも思っちゃいない。

12.名無し 2013年08月01日

トリックの映画に出てきた村人を連想してしまった。
確かに人殺しなんてなんとも思っていない連中だった。
フィクションだとばかり思っていたが実際にあるんだな。

15.名無し 2013年08月01日

閉鎖的な田舎なら余所者は村八分にされるなんて珍しくないぞ
優しそうな婆さんが平気で若者に嫌がらせしてるなんて田舎じゃよく聞く話

今でも大昔の風俗に縛られてる村もあるらしいし
15年くらい前に山奥の村で大地主に若い女の子が監禁されてるって事件あったじゃん

女の子がむらの風習に従わなかったから母親も同意したとか言うやつ

山奥の田舎はマジで昭和どころか江戸時代の世界だよ
あんなことするのは全部韓国人とか思ってるお花畑野郎もいるみたいだけど
http://amaebi.net/archives/2078052.html


ど田舎の集落、部落民の人間関係は悪人のひとことに尽きる

一人の個人としてはいいのだろうが、部落、集団になると人が変わる

オレの友達の両親が役所を定年退職して田舎で農業をしたいという夢を実現し、実際に土地を買って移り住んだ

ところが部落民から「いじめ」を受けて2年で鬱病になり自殺した

母親は、バカ高い金額で購入した土地と家をただ同然の金額で売り渡した

それもその土地を最初に販売した部落民が買い戻した

購入価格の10分の1


静岡の田舎でもひどい話がある

市道なのにうちの私道も少し踏む、と道路使用料をとる町会役員もいる

そこを通る近所の住民から道路使用料を一人18.000円

唖然とするのは誰も反対しないで払うとこが凄い(住民20人)

こんなことが田舎では通るのが恐ろしい!!

集落の現状

・長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する

・「村」の掟や価値観、しきたりがある

・出る杭は打たれる。長い物には巻かれるべしの精神構造

・排他主義に基づく仲間意識が存在する

・自分逹の理解できない『他所者』の存在を許さない

・同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いている

・自分たちより劣る存在である、といった思い込みが激しい

・弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的にいじめをする

・集落は陰口を好み二人集まると誰かの悪口を言う

・プライベートやプライバシーといった概念が無い

・無学、無知、無教養の集まり


村社会の規則
http://www.cns-fuso.co.jp/inpaku/02mita/mit-095.html


村八分訴訟

「2004年に沼集落で開催されたイワナのつかみ取り大会において、運営責任者である集落の区長など地元有力者3名に対し、11名の村民が

「準備や後片付けなどでお盆をゆっくり過ごせない」

と運営不参加を告げたところ、村八分行為(ゴミ共同収集箱に施錠を行う、山菜採りなどに対して入会権を認めない、等)を受けたとして村民11名が有力者3名を相手取り提訴」


部落で殺人事件が起こる原因は「村八分」「いじめ」

「悪口を言う、いじめをする、嫌がらせをする」


いじめは部落民の伝統


部落民の現実

SPA!4/28号の記事

「年収100万円ライフ充実術」でUターン転職の成功例として取材したときには、

「田舎は物価も安いし空気もうまい。週末にはカヌーを楽しんでます」

と満面の笑みだったからだ。

それから1年後

岩手・多田昌義さん(仮名・34歳)郵便局嘱託

田舎は怖いです。正直、1秒でも早く抜け出したいですね」


原因

「近隣住民とのいざこざがきっかけで、東京から一緒にやってきた妻がノイローゼ気味になってしまって…」

諸悪の根源は、地域住民たちによる婦人会の存在だという。表向きは「子供のために地域の治安を守ろう」

というものだが、その実態とは…。


「毎日、会合と称して集まっては、

『出会い系サイトで誰々と会ったとかエッチした』

なんて話をしているようで。そんなところに行くなって妻に言っても、

『参加しないとありもしない噂を立てられるから…』と」

治安を守るはずの婦人会が、ほとんど不貞妻たちのハッテン場。心配しつつも「ウチの嫁にかぎって…」 と妻を信頼していた多田さんであったが、昨年末に計画されたあるイベントがきっかけで、訣別を決意する。

「婦人会を仕切る会長の亭主が運送会社の社長なんですが、年末の社員旅行になぜか婦人会のメンバーも 強制参加させられるというんです。おかしいでしょ? 

“人の妻”ですよ? オレも行くって言ったら、

『婦人会の懇談も兼ねての伝統行事だからムリみたい。社長にも逆らえないし』

って。 さすがにそんな慰安婦みたいなマネはさせられませんから、断りましたよ」


無事、婦人会を抜け出したはいいが、目を合わせれば陰口を叩かれる毎日。
奥さんは外出するのが怖くなり、家にこもりがちになったという。
http://desktop2ch.tv/soc/1284207813/

http://uracigoto.blog.fc2.com/blog-entry-320.html

20. 中川隆[-13666] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:05:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

690 :可愛い奥様:2013/07/28(日) 11:19:12.93 ID:W9kNzWLn0


田舎あるある 

・チャイム鳴らす前にドア開けようとする

・年寄りは鳴らそうともしない

・鍵かけてたら文句言われる

・言われないけど裏口も開けようとされる

・車があるからと縁側に回って「いる〜?」て来る

・縁側がしまっていると、ベランダに回って窓を開けて入ってくる

・夜中に村の男たちが順番に布団に入ってくる

・酒の席で刃物を持ち出すのはよくある

・愛犬に除草薬まかれる

・草刈機焼かれる

・普通に上り込んで勝手に茶を入れて飲んでたりする

・雨がふってくると隣のおばちゃんが勝手に洗濯物を取り入れて居間に置いてくれている

・パンツ一枚の謎の中年男性が自転車に乗って真昼間から徘徊してる

・夜中に村の男たちが順番に布団に入ってくる


21. 中川隆[-13665] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:10:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

田舎あるある 

近親相姦も一般的でしたね

昔の風習で初体験パート  2010/09/11

両親が相次いで泣くなり、僕は叔母に引き取られた。
叔母には僕と同い年の高校生の娘と中学生の妹がいた。

亭主は浮気して女と一緒に暮らしている。

叔母に引き取られて驚いたのは、僕が入浴するときは必ず叔母も一緒だということだ。
叔母に言い含められているのか従姉妹達もなにも言わない。

毎日脱衣所で二人服を脱いで全裸になって浴室で身を清める。
叔母が僕の全身を洗ってくれる代わりに、僕も叔母の裸体全身を洗わなければならない。

僕は石鹸を付けたタオルで叔母の乳房を触りながら洗っていく、叔母の巨乳を合法的に触れるので、揉み捲くり石鹸の泡だらけの乳房の谷間に顔を埋め、大きい乳輪の真ん中にある乳首をすい続けた。叔母は拒否すらせず双方の乳房を揉ませ僕のエロ行為を受け入れていた。

僕が興奮して

「叔母さん、やらせて!」

と言うと、ローションを肉棒に塗りしごきだす、ヌルヌル感で僕は気持ちよくなり白いザーメンを叔母の肉体にかけてフィニッシュ。

風呂から上がると従姉妹たちから

「お母さんに抜いてもらったの?」

と聞いてくる。もう習慣になり普通の出来事なのだ。

叔母は僕の前でM字開脚しクリトリスを舐めるように促す。

おばの指示通りに舐めていくと、叔母が気持ちよくなっていった。

「弘司、女は此処を舐められると気持ちよくなるんだよ。
今度は穴の中に指を入れてごらん。」

膣の中に指を入れると叔母が一瞬痙攣した。

「それを前後に動かして・・」

膣の中で指をズコズコと動かすと叔母は激しく興奮し悶絶した。

「おばさん、やらせて。」

と僕が言うと叔母は勃起した肉棒を口に銜えフェラチオをして僕の精液を飲み干した。

僕は叔母に

「なぜこんなことをするの?」

と聞いたことがある。叔母は

「男になるための儀式よ。」

と言うのみ。高校生も3年になると叔母と一緒に寝るように言われ、数々の性的行為を二人でして、僕は叔母の愛人のようになって近親相姦寸前の関係を続けて、叔母からSEXについて教わっていた。

僕は高校生の従姉妹と海水浴に行った。
泳ぎ疲れて日陰で休んでいたとき、彼女から真相を聞きだした。

僕が生まれ育った町は、昔から男を大切にする。
だから初体験の相手にと頼まれたら女は嫌とは言えず童貞卒業の手伝いをすることが多い。
童貞を卒業した者は一人前の男として見られるからだ。

僕もその風習は知っていたので、僕はこの従姉妹と初体験を済ませ童貞を卒業させようと思っていたのだ。ところが僕の部落では少し違う、男が年頃になると近所の年増に頼み初体験の相手をしてもらう。

相手をする年増は大抵後家か亭主が出稼ぎに行った女房だ、男は童貞を捧げた年増に結婚するまで面倒見てもらう、詰まる話が性教育をしてもらうのだ。経験豊富な年増の女から色々と教わった男は結婚してから嫁との夫婦生活が円満になり家が栄えたケースが多かったという。

だから僕の部落では母親みたいなおばさんと初体験する例が多い、我が一族では当主の跡取りに適当な年増が近くにいなければ親戚の年増が相手をすることになっていたらしい。血が遠い程いいのだが大抵は叔母が努めた。

今よりも避妊に対しての意識も技術も低かったので、当然妊娠する場合がある、そのときは産むしかない。甥の子を叔母が産むのである。しかしその子は里子に出された。

だから僕は当主の跡取りになるので、当家の風習に則り叔母が初体験の相手になり結婚するまで僕と肉体関係を結ぶのだ。

僕は推薦入試で大学進学が決まった、年の暮れに叔母が僕を居間に呼び、初体験の儀式を行うと告げた。

冬休みの期間正月まで、両親が死んで不在となった僕の実家で二人だけで行うと言う、雪の積もった中を二人は実家へ、布団を敷き二人は全裸になりその中へ潜り込む。

二人はキスを交わす、舌を絡め禁断の情事の開始を告げる。

叔母に今まで教わったとおり豊満な乳房を揉みほぐし乳輪から乳首へ愛撫を施す。叔母も負けずに僕の裸体を嘗め尽くし、若い男の肉体をむしゃぶりつくす。

叔母が肉棒を銜えフェラチオをし甥の肉棒をしゃぶる。叔母は当時まだ40代の半ば、従姉妹たちにはない豊かな乳房を始めとして、美しい裸体に僕は酔いしれる。

「弘司、弘司、私と結婚したいでしょ、私の裸綺麗でしょ、弘司は私のことが好きでしょ。」

叔母はもう僕を甥ではなく男としてみてるらしい。

僕は叔母の美脚を広げさせM字開脚の状態で僕は顔を埋め、クリトリスを舐めクンニを始めた。叔母は余りの気持ち良さに喘ぎ声を漏らし、

「ひろーーーーしーーーーー好きーーーーーー」

と叫び僕を求めた。しばらく続けると潮を吹きシーツが濡れてしまった。

「弘司、弘司に対する気持ちが潮を吹かせたのよ、弘司は誰にも渡したくない、私の男にしたい。」

叔母は僕を抱きしめ僕に深い愛を示した。叔母は勃起している肉棒を膣の中に挿入し

「コンドームはいらないから、この中で出して。」

と妊娠覚悟で僕を迎え入れる。叔母の子宮目掛け僕は腰を振り肉棒をズボズボさせる。叔母に教わったようにFUCKモーションに強弱を付け時間を持たせる。

「叔母さん、そろそろ行くよ。叔母さんと一緒に居たい。叔母さんが好きだよ」

そう言いつつ激しく腰を振って肉棒を膨張させ頭が真っ白になると

「どぴゅ〜〜〜〜〜〜〜」と膣の中で多量の精液が注がれていった。

正月まで実家に篭り、叔母と性の儀式を行い初体験は無事終了し叔母と肉体関係を続けることになった。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b01_1/index.cgi?mode=thr&no=2076


珍しくもない東北地方の近親相姦(フィクション)


○○家の秘密 投稿者:近親相姦 投稿日:2009/03/21(Sat) 19:08

  私は東北地方の人里離れた部落に暮らす、30代後半の男です。
農協で働く妻恵美子と10年程前見合結婚し、婿養子に入りました。
隣に家を建ててもらい、金銭的には何不自由なく暮らしていますが、この地方地域部落の風土仕来たり、特に○○家の奇行には驚かされるばかりです。

  近親相姦など珍しくもありません。性欲の強い男は暇さえあれば女を見つけ、己の欲望をみたしています。義理の父は60になりましたが、未だに性欲絶倫で、義理の母幸代50代を毎日容赦なく犯しています。男尊女卑。ここは未だ戦前の日本の名残、この部落は今でも女は男の奴隷です。


妻も近寄らない開かずの間に全裸で緊縛された義母

  私はこの家に入り1週間でこの異常に出くわしました。義母は気立ての優しい働き者です。小柄ですが胸は大きくふくよかで、色気漂う熟女です。そんな義母は私にメイドのように振る舞い、初めはこんな山奥に婿に来てくことに恐縮しての態度だと思っていましたが、この家では女は男に尽くすことが何よりの喜びと教育され、家の仕来たりだったのです。

  私はこの家に来た時から義母を異性として気にしていました。妻もあり新婚です。義理の父もいます。初めは良い夫を決めていたのですが、この家に入り1週間も経たぬ間に理性は吹っ飛び、義母を犯してしまったのです。

当時私たち夫婦は広い2階を、義理の姉がいるのですが、引き籠りの彼女が南側の1部屋を、大広間に台所客間、日の当りの悪い北側奥2部屋を義母夫婦が寝室に使っていました。

  家は古いのですが田舎ですから部屋は広く、義母夫婦の寝室も2部屋を引き戸で仕切り、手前の和室だけでも20畳はあったと思います。この家に来て間もない私は分からなかったのです。

  その日私は義母に用があり、義母を捜すうちに妻も近寄らない開かずの間を開けてしまったのです。雨戸の閉まった薄暗い部屋には、裸電球が灯され中央には大きな三角木馬が置かれ、奥を見渡すと古木で作られた十字の磔台が、その横には鉄格子の牢が設けられ、中には全裸で緊縛された女が放り込まれていました。

  その一糸纏わぬ全裸の姿は、女の秘肉こそ見えない状態でしたが、大きく垂れた乳房は縄で縛られ熟女を強調していました。義母のあられもない姿です。よく義父は義母を弄び、そのまま部屋を閉めて山に入ってしまうのです。きっと帰ってきてからまた義母をいたぶるのでしょう。


女縄−裸女を縄で縛る悦楽
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%B2%D6%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%cc%dc%bc%a1%20/%20MENU
http://w.livedoor.jp/onnanawa/d/%e6%ea%cc%e7%c5%db%ce%ec


縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見え

  数日後、私は義父が出掛けた隙に妻の目を盗み、義父の寝室に忍び込みました。薄暗い部屋の中で義母は全裸で後ろ手に縛られ、目隠しをされ、天井の梁から吊られていました。排尿を我慢し切れなかったのでしょうか、尿は垂れ流されていました。梁からさがった縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見えでした。犯って下さいと言わんばかりに、熟れたオマンコが曝け出されているのです。

  その日を境に私の理性は吹っ飛び、義母を犯し続けています。数ヶ月が経ち義父も気づいたのでしょうか、普通なら殴られたり嗜(たしな)めたりたいへんなことになるはずなのですが、義父の奇行はエスカレートし、酒が入ると平気で私の前でも義母を罵り、その場で服を剥ぎ取り陵辱するようになりました。義母のおろおろする怯えた姿が、責める人間にはたまらない快楽なのでしょう。


引き籠りの義姉は、肉汁を垂れ流してイキ果てる

  妻恵美子には5歳年上の姉で洋子がいます。40になるのですが嫁にも行かず、小学校を卒業してから引き籠りだそうです。魂の抜けた人形のような女で、部屋の外に出ることはありません。こちらから何か話しかけると「ハイ」と頷く程度で、反応があまりない女です。

  キスしても抱きしめて、下着の中に手を入れオマンコをいじりまわしても、拒否することなく黙って従う従順ないい女です。私はそれをいいことに、洋子を性処理奴隷として使っています。洋子は仕事もせず家事もせず、いつも部屋にいるので犯したい時何時でもセックスできる都合のいいダッチワイフなのです。

  色白で細い腕に細い脚。痩せこけた胸を弄っても、女肉の楽しみはありませんが

「服を脱げ、股を開け」

と命令すると素直に従い、勃起した肉棒をオマンコに突っ込んでやると、普段無表情で反応しない女が、苦痛なのか感じてるのかうめき声をあげながらバタバタと暴れ、更に強引に押さえつけ膣奥の子宮にチンコをぶちあててやると、こんな人形のような女でも、肉汁を垂れ流してイキ果てるのです。

  洋子のオマンコは義父も使っています。義母のように私の目の前で陵辱こそしませんが、家から出ない女が妊娠し子供を堕したのです。


義父は義母を私に与えて、妻を性処理に使っている

  妻も私と結婚した時には処女ではありませんでした。もの心のつくころには母親と父親のセックスを目の当たりにし、母親からは、女は男に尽くすことを、何よりの喜びと教え込まれて育ったと聞いています。男根の咥え方に男の喜ばせ方、義母から教わったそうです。

  私と一緒になる前、妻は義父の玩具のひとつだったのでしょう。私も義母や義理の姉を奴隷にしてる以上、妻を義父の欲望から救うことは出来ません。義父は義母幸代を与えて私に提供し、未だ恵美子を性処理に使っているのです。私には娘がひとりいます。6歳になる愛らしい女の子です。私たち夫婦のセックスも見させています。
  妻を横に娘に肉棒を舐めさせ、上手くできた褒美に、娘の小さなオマンコを舐めてあげています。女にする日もそう遠くはないでしょう。
http://s.webry.info/sp/26624724.at.webry.info/201304/article_21.html



2005/3/4 東北地方の方に質問です。

東北地方は近親相姦が多いって本当ですか?
近親相姦で産まれたって人います?

なるべく方言で答えて下さい。

ベストアンサーに選ばれた回答

ま、聞いた話だけど…

たげにちゅーふうふがいて、そこのわらはんどがたげやべーったかんじらしくて、

まわりのふとだばみな、あそこのふうふだっきゃきょうだいでねーんずなってへってらったってや〜


というのはありました。

ID非公開さん

私の地元は漁師町ですが近親相姦の話は結構聞きます。

実際、異性との出会いが少なくて ついつい船小屋でやっちゃったとかね。
殆ど、身内同士で船に乗って作業しているところが多いし、個人の漁師は。

近親相姦で生まれた子供は、色素が薄く白人のように、髪の毛も白に近い金髪です。

私の同級生にいました。

12535640さん、津軽人?もしくは平内あたり?

実は、わーも津軽だよ。

___


ID非公開さん

事実多いですね。

一昔前の話ですが、群馬 、新潟、山形、福島など山奥の集落が有名です。

アメリカほどではないですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q103245165


2011年05月16日21:00

私の生まれた地域に今でも残る風習です。

女子は初◯を迎えた段階で二つのうちから一つを選択しなければなりません。

・一つは、父親もしくは5歳以上年の離れた兄に処女を捧げる。
 これを選択した場合、処女喪失以降は自由恋愛が認めれれます。

・もう一つは、結婚するまで純潔を守ることができますが、結婚相手は親が決めます。
 簡単に言うと人身売買のような形になります。男性が娘の「家」から「処女の娘」を大金を以て買うということです。


 注意点として、男性の配偶者になれるとは必ずしも限りません。
 有力者の愛人になるというケースもありえます。
 「夫」との間に年齢差があって、「夫」が早くに亡くなった場合、実家に帰される場合があります。

 この場合、子供は「夫」の家に取られます。

私の場合、許嫁とか愛人とかは考えられなかったので一つ目を選択しました。

上に書いた文の通りの説明を受けるわけではありません。

「これからお父さんに女にしてもらうのですよ」

といった感じです。かといって、生理が終わった途端に父親に挿入されるというわけではありません。

渡しの場合は一人部屋で寝ていたので、風呂で母親から大人の女の嗜みとしての
体の洗い方を教えてもらい、自室で母と一緒に父親が訪れるのを待ちました。
ノックなどして父が部屋に入ってきました。トランクスだけの姿です。

父の登場を合図に母親が私を裸にし、立膝の角度まで仕込んでから退室。

退室時に母親が部屋を真っ暗にしました。

何をされるのかとドキドキしていたら、両膝を掴まれて、ほぼ同時にアソコに何かが触れる感覚がきました。クンニでした。

父の舌は正確にクリトリスと包皮の境目を愛撫してから私のワレメの始まりにまで舌を這わせ まだわずかにしか生えていない恥毛を確かめるるように撫で付けました。 あとは同じことの繰り返し。

クリトリスの快感に関しては、ふろに入った時に母から

「女はね、ここを触られると男の人を受け入れる準備ができるのよ」

といった感じに言われ、実際に触られもして、もう快感をしっていました。
けれども舌による快感は群を抜いていて、私は何度も腰をくねらせて抗いました。
その夜はそこまで。

私はその日のうちに処女を散らすものだとばかり思っていたので少し拍子抜けしました。

こんな日が毎日続くと思っていましたが、そうでもありませんでした。
父の「夜這い」はほぼ週一のペースで、事前に母親から伝えられます。

「今日はお父さんが来るからキレイにしておくのよ」

といった感じです。 父の愛撫はクリトリスから小陰唇に至り、やがては極度に慎重に膣の入口にまで来るようになりました。

何回目かからは灯りを暗くしなくなり、父が私のアソコを眺めている時間も長く
なりましたが、実際に父が何をしていたのか具体的には私にはわかりません。
母親が付き添いっぱなしのこともあって、私への父の愛撫が終わった途端に父が母に挿入して・・・ということもありました。

フェラチオの手ほどきもほぼ一から十まで父から受けました。

もう口に出してくれてもいいのにと私は思っていましたが、父はいつも寸前に口から抜いて、 主に自分の手の上に出していました。

父がいよいよ挿入してきたのは初めての日から半年ぐらいだったでしょうか。
コンドームを見せられて悟り、そして覚悟しました。

もう私の膣は父の指(一本?二本かも)を簡単に受け入れていたころもあり、恐怖は ありませんでした。

この日も母が横にいてくれて私の手を握ってくれていました。

痛みはありましたが、意外なほどにあっけなくて、それと父は正に処女膜を貫通させる仕事だけをしてペニスを抜き母の体で射精したのですが、それを見た私はちょっと悔しい気分でいました。

その日以降、父は夜這いこそすれ、私の下半身を裸にしてアソコを見つめるだけで
触れられることはなくなりました。(私は眠ったふりをしていました)
やがてはそれもなくなりました。

あれから10年以上が経って、私はまだ嫁にも行かずに両親に世話をかけているのですが年に数回は母親の目を盗んで父の入浴に突入してます。

母親の目を盗む必要はないとも思うのですが、女としての意地かな?

とにかく父が私をまぶしそうに目を細めて見て、アソコを元気にしてくれるのを見るのは幸せです。

口で抜いてあげようかと誘うのですが、それはいつも赤面して辞退されます。
父に処女を捧げてよかったなと今も思ってます。

・・・彼氏には絶対打ち明けられない秘密ですがw http://blog.livedoor.jp/erocopype/archives/4768834.html


▲△▽▼


1 :天之御名無主:2001/06/23(土) 23:05

祭りのときは乱交OK
処女膜破りの儀式
異性または同性の成人から性の手ほどきを受ける思春期の子供

などなど教えてください

14 :天之御名無主:2001/06/29(金) 08:44

高知のヨサコイ祭りは乱交しほうだいって聞きましたが本当ですか?


30 :Six ◆aTOy5bfc:2001/08/15(水) 14:12

東北・甲州・信州の夜這いの風習は有名ですし
瀬名秀明の「ブレイン・ヴァレー」に出てきた夜伽専門の村巫女(白拍子の類?)なんかもそうですね。

33 :天之御名無主:2001/08/16(木) 02:04
>>30
信州では諏訪地区(だったかな?)の「足入れ婚」も比較的近年まで残っていたと聞いてます。


46 :天之御名無主:01/08/28 09:49 ID:sLqx1aZ場所はいえませんが、私の田舎はいまだに祭夜の夜這いの風習があります。
私は18のときに、30代半ばのバツイチ女性のところに夜這いに行き、みごと筆おろしを済ませました。

52 :天之御名無主:02/02/08 06:17

15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。

ルールはこう。

その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3〜4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。

そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。

可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。

引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。

セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。

親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。

勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。

だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?

56 :天之御名無主:02/04/13 21:16
>>52
十年くらい前に似た話し聞いたなぁ…
結論から言うとデマ

正確にはかなり昔の話。
たぶん、再現した映像を勘違いしたのでは?
もしくは風習と言うか、たんに集まってた風景とか…
あんま大きくない島だと何処かの家に集まる事って良く有るよ。

108 :天之御名無主:03/01/21 23:51

少し田舎に行くと、秋祭りの夜とかみんな異様にギラギラしてる。
日本人の中には乱交の文化は生き長らえているよ。

114 :天之御名無主:03/03/09 16:33

宮城の某村では、維新の頃まで、新婚初夜は花婿の父親が花嫁とセックスする因習
があったらしい。
封建時代の名残らしく、父権の威信を保つためだったとか。
惚れあった者どうしの若い二人なら、辛い一幕だったろう。

和歌山の有田は太平洋戦際、全国での徴兵検査の成績が最低だった地域だ。
理由はこの徴兵検査でヒューマンテイルの者が一村に3名もいたことが判明した
からだ。

紀伊半島の海浜地域は古くから近親婚の多い地域だ。それは地理上の理由がある
ためだが、当時の有田の「尻っ尾者」は、女も含めると実際は調査以上の潜伏数
がいたと推測できる。

147 :天之御名無主:03/12/09 21:08

茨城県の八○町の某部落で今でも18歳になると夜這いの風習が残っている
その為か結婚も早いが離婚も多い
そこの部落は、平家の落中人伝説のあるところで一族の家系を守る為に風習が残っています。
ただ、外との交流が少なく血縁関係で部落を編成している為、血が濃くなる為か障害者や天才が多い

172 :天之御名無主:04/02/20 04:54
>>59
愛知県某所出身ですが、そこでバイトしてた時にちょっと離れた所から車で通っている子が、

「今だに嫁貸しのしきたりとかあるんだよ〜早く出たい」

とか言ってたなぁ…。たしか客に嫁を貸すって聞いたような。

173 :天之御名無主:04/02/20 21:28
>>172
是非その村に遊びに行きたい、ってゆか
村の中だけで嫁の貸し借りをやってるんだろうか?


239 :天之御名無主:04/12/31 21:36:03

沖縄県の某島では代々近親相姦で筆おろしをすませる風習があるらしい。
男の子が思春期迎えたときの母親(或は姉)の仕事とか

少年→一人前の男になるための儀式は世界各地にあることからも信憑性はある。
具志堅が初体験は?との雑誌インタビューに「思い出したくない」とはぐらかしたのも証拠になろう

330 :天之御名無主:2005/04/02(土) 22:52:54

本島ではなく○○島(離島)での風習らしい。
男が16歳を迎えると、父親は黙って家を空け母親が筆おろしをするとか。
(稀に姉のケースもあり)

332 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:26:44

日本の関西に母親が筆をおろす近親相姦のの風習があるって聞いたことがあるよ

333 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:31:02

聞いたことある。
たしか、京都の近く、、、

382 :天之御名無主:2005/05/15(日) 14:12:51

雪国で寒くて家から出たら凍死するような、北の日本海側の場所で山間に囲まれた地方なら近親相姦みたいのがありそうだね。
情報きぼん


384 :天之御名無主:2005/05/24(火) 16:58:52

東北地方にはそういう風習多いな

390 :天之御名無主:2005/06/07(火) 22:36:51

東北の温泉入ったら、洞窟の中で巨根像に締め縄という荒ぶる神が鎮座されてました。
その地方では美少女たちがチンポ像を抱え顔を真っ赤にし練り歩く風習があると聞きます。

391 :天之御名無主:2005/06/08(水) 00:08:40
>>390
顔を真っ赤にてのはあんたの希望だろ。
俺が見たのは東北じゃないが、普通の顔してにこにこ歩いてたぞ。
実物を見た事がないと、木彫りの置物と同じであまり抵抗がないらしい。

397 :天之御名無主:2005/06/21(火) 20:50:34

もう昔のことだけど、全裸の女がお面をつけて盆踊りをしてたという地域なら聞いたことがある。
なんで裸なのかまでは教えてくれなかったけれど。


398 :天之御名無主:2005/06/23(木) 15:50:26
>>397
俺も聞いたことがある。
なんでもそのあと乱交に至ってたようだけど。
俺が聞いたのは盆踊りじゃなくて、それに似た神事だったけれどね。


406 :山形南部:2005/07/08(金) 17:34:48

平家の落人の隠れ里だったといわれる某所では近代になっても村の女性は
「みんなの物」でほぼ自由にセークス可能だったそうな。

そこは今はダムの底になったが、昔、そこを訪れた人の話では、

近親相姦が多いので出産の際に「奇形やダメポー」は即座に絞めるのだが
判別出来ずに生きた人間が成長したのが度々目についたと・・

事実、現存している。
可哀想でキーボードに涙が


408 :天之御名無主:2005/07/10(日) 03:31:58 ?

先々月までアフリカを旅行してました。モロッコでのことです。モロッコの南端は
サハラ砂漠と一部接しているのですが、周辺の砂漠への前線基地的なオアシスの街にしばらく滞在してました。遊牧や隊商的な生活をしている砂漠の民は少なくなったけれども今でもちゃんと存在していて彼らがオアシス近郊に立ち寄ると必ず市が立つので楽しかったです。

夜になると女奴隷が卑猥な見世物を見せたりするのですが、若い日本人の子が一人いましたね。

体中にヘンナと呼ばれる染料で模様を書き込んだ全裸の日本人の娘が男達の輪の中で腰を振ったり、触られたりしてました。

  彼女と日本語で話をしたので間違いないです。諦めの境地にあるようなことを
言っていましたが、どうやら彼女のショーを見るかぎり、男達の喝采を買って彼女自身すっかりはまっているような、恍惚とした様子でした。

彼女はその地域では結構有名で、もとは女子大生で砂漠まで来て輪姦されたあげく、ある金持ちの後宮にしばらく監禁されていた娘らしいです。

それで飽きられたうえで売られたと。まるでボウルズの小説の世界。
人間って案外簡単に壊れちゃうものなんですね。

455 :天之御名無主:2005/09/17(土) 20:29:48

日本人って近親相姦(関西)とかホモ(武田信玄)とか自殺(切腹)とかあんまり
タブーが無い民俗なんだね。


456 :天之御名無主:2005/09/17(土) 21:00:00

奈良時代以前の皇族・貴族は異母兄弟姉妹間の結婚を常としており、皇族女性でなければ皇后とはなり得なかった。

日本神話においてもイザナギとイザナミは兄妹であり、ウガヤフキアエズは叔母であり育ての母である玉依姫と結婚する。

日本と近親相姦で調べたら、いっぱい出るは出るは。
日本ってすごい国だよね。


458 :天之御名無主:2005/09/19(月) 16:13:06

北陸の漁村での話し(伝聞だからね)

戦前までは毎年旧暦の6月の新月の夜、奇祭が行われたと聞いた。

その年元服を迎える男女が秘密裏に村内から選ばれ、7日間神社に篭って禊を行う。

新月の夜、二人は神主や巫女、村の長や網元の前で海岸にふんどし一丁で立って海に飛び込み、100mくらい沖合いの小島まで泳ぐ。

神主たちは小船で二人を追う。小島には小さな祠があり、神の目の前でふんどしを外した二人は愛し合う。その後、少女の膣から流れ出る精液を曼荼羅模様の神紙で受け止め、その年の漁を占う、というもの。

461 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/24(土) 20:24:39

京都伏見区のとある地域は異常に同姓の多い地域が有ります。
80代の方に伺ってみた。

「夜這いってあったんですかね、○○さん」

「さーねー。ははは」

とはぐらかされてしまいました。ますます興味が湧いてくる!

462 :天之御名無主:2005/09/24(土) 21:09:47

夜ばいはスレがあるけど、システム化されたものとしてかなり最近まで全国各地に「あった」のは事実みたいですね

466 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/25(日) 09:39:50
>>463
けれどもその地域の人は本当に障害を持つ親族の家庭がおおく、座敷牢の存在を認める方もいらっしゃいます。なのでどうしても色々な想像をしてしまいます。

472 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:03:21

関東と東海地方の貞操観念が割合強く他の地方はおおらかな様な気がします。

青森ではだいたいが中三か高一で初体験を済ます様です。
チャンスが無い子は焦って誰かに相手を紹介してもらうそうです。

援助交際の相場は「いちご」で結構あっけらかんとおじさんとエッチを楽しむ。
東京だと嫌々お金の為にマグロ状態でセックスすると言う感じ。
関西方面の女と話をしていると「良くしてくれたお礼にしてあげた」とか「落ち込んでいたのでしてもらった」と言う話を聞く。実際どうなんでしょうか?


485 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:14:10

ネタ1 ある田舎の風習

18歳に達した少女達は祭りで神社の境内で神男に処女を捧げなければならない。
この行事を行って初めて大人の女性として認められるんだと。

486 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:35:10

ネタ2 ある田舎への婿入り

この地方へ婿入りする男は嫁の親類に挨拶しなければいけない。
夕方から嫁の親類たちと盛大な宴会が行われ、その後寝室に通される。
そして、その場に集まる嫁の親類(女性のみ)と一晩過ごし

婿入りの許しを得なければならない。
これは村の存続をかけ子孫を繁栄させるため、生殖能力の高い男であるかチェックする仕組みと思われる。

評価する女性は嫁の母、祖母、姉妹、すべての親戚で手技によって精液の濃さ、量も批評される。またその晩に限り婿と性交することも許される。

まぁ。逆輪姦みたいな感じになるようですね。


490 :天之御名無主:2006/06/08(木) 00:58:54

新潟の山間部にいまだに夜ばいやカガイっぽい盆踊りやってるところがあるって聞くけど、


508 :天之御名無主:2006/09/11(月) 02:49:54

某混浴温泉には裸合コンたる風習が残っている。
地方からくる若い男女客参加もOK
その日晩 男女入り乱れのセックスがある。
旅の恥は掻き捨て
彼彼女いる貴方もOK!

516 :天之御名無主:2006/10/19(木) 19:45:29

10年くらい前、母方の祖父の家にいったはずが、離婚したはずの祖母と同じ苗字の家に世話になっていた。よくわからず母に聞いたところ、代々2つの家系で婚姻しているとのこと。

本家には座敷牢があって精薄で生まれた子などはそこで暮らしていたらしい。
(その数年前の台風で流されて今はもうないです)

その時会った従姉妹?は高校生なのに親戚との婚姻が決まっていて、本人はおかしいともなんとも思っていない様子でびっくりしたけど何も言えなかった。
多分兄弟でとかはないと思うけど十分疑問。

526 :天之御名無主:2006/11/15(水) 18:58:11

 昔読んだ本のコラムかなんかに書いてあったけど

ある村では女ばかりの家(女系家族)だと跡取りがなくなってしまう。
そこで相談してくじ引きで半年に1回、その村の長男以外の男性が泊まりにいく。
で、その女系家族の娘たちと性行為して子供ができたら婿入りしてその家を継ぐのが決まりなんだと。

村存続のための掟なんだろう。

534 :天之御名無主:2006/12/28(木) 17:27:58

長野県の一部では、今でも祭りの後に童貞や処女を捨てる儀式があります。
というか、15年前ほど前には確実にありました。(私自身、それが初体験ですから)
このスレに書かれている事と違っているのは、実際にはコンドームを使う事くらいでしょうか

548 :天之御名無主:2007/01/12(金) 11:32:04

昔 親類の叔父が地域に伝わる言い伝えとして教えてくれた

元服を迎える男と同い年の女が村から一組選ばれて神主の前で性交したそうだ 
神事らしいけど何が目的かよくわからん

588 :天之御名無主:2007/09/29(土) 22:29:10

青森県は弘前市の南西に10kmほど入った山間部に「かこ村(かっこ村?)」
という小さな盆地状の村があり(地図には地名なし)今では廃村状態の所がある。
その村はかつて十二年に一度、凶作や飢饉に見舞われることの無いように悲惨な祭りが行われていた。

祭りの年には村の中で未婚の女性が選ばれ、人身御供として神社に奉納するという。
人身御供といっても命を奪うわけではなく、選ばれた女性(少女10〜16歳くらい)
(基準不明)が三日三晩すごす。同時に選ばれた8人の村人が「神のお面」をかぶり日没から日の出まで代わる代わる少女と性交することにより、神々に生贄をささげ、五穀豊穣をねがったそうです。

長時間の性交に絶えられず失神したり逃げだそうと試みる娘もいたそうですが、神罰を恐れる村人に厳しく監視されていたそうです。犠牲となった娘はその後村によって特別な待遇下におかれた。

601 :北海道民:2008/01/13(日) 23:36:52

本州は耽美の宝庫だね。
近親姦の風習とか、もう完全にファンタジーの世界だよ。


644 :天之御名無主:2009/01/15(木) 19:47:08 245 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:04/11/01 06:48:07 ID:h0Yp+Mkn
続き

村の合併前に、私の村の二十歳前の男性が、隣村の女性に夜這いをかけたことがあったらしい
もちろん、両者合意の上だったそうで、本人間の間では問題はなかった。

一度目の夜這いのあと、二度、三度繰り返しているうちに、相手の村の男衆にしられ夜這いの後、村境で捕まり、散々殴られて返されてきた。

当時の私の村の男衆は、怒り喧嘩直前までいったらしいが、両村の大人が中に入って、夜這いをかけた男性の母親が夜這いを受けた女性の夫の夜這いを受けるということで手打ちになった話があります。

村の合併後、新村になってから、新しい村域内でのその種のトラブルはなくなりましたが今合併後の新村の隣村との間には、掟は存在します。


>>230
そのような話ではありませんが、何年か前、その年18歳になった一組の双子を含む
男の子達の希望を聞きまわった時、当時27歳の新婚の地元出身の地元中学校の教師を務めている女性に希望が集中して、かなり村で話題になったことがあります。

毎晩一人ずつする掟なので、その女性が八月中のある週に毎晩、白装束で鎮守さんに夜出かけていきました。結局、彼女を相手に八月中に童貞を失った男子が双子をふくめいっぱい生れたことになります。

双子の場合、どちらを先に優先させるかでもめました。戸籍上の兄弟はあるのですが、その家の教育方針で一年おきに兄弟の序列を変化させていたので二人がどちらが先に、女性を抱くかでもめて、結局若衆の前で籤をひくことで解決しました。

恐ろしい連中
http://syarecowa.moo.jp/108/31.html

シリーズ・関連 呪い系
http://syarecowa.moo.jp/kanren/noroi.html

死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?
http://syarecowa.moo.jp/


651 :天之御名無主:2009/03/25(水) 04:38:20
>>644
それ、たぶん、親父の田舎だと思う。

俺も、18のときに、親父の実家に夏休みの間、帰郷して同じ体験をした。
今、首都圏の大学に通ってるけど、将来は祖父を継いで田舎に暮らすことになると思う。
相手の女性は、三十前後の美人のバツイチの女性だった。

最初、騎上位で挿入してもらって、おっぱいを揉んだり乳首を吸ったりしてる間に
しらないうちに射精してた。

654 :天之御名無主:2009/04/15(水) 18:16:53

小学生の女の子だけの祭りがあったな。
露出の高い服装にさせて(ブルマTシャツだった)集団で家を回る祭り。
女の子達は家ごとにお菓子を貰う。全員でなく、先頭のリーダーの女の子にお菓子がたくさん入った袋をあげる。
公民館から出発して村の家を全部回ると祭りが終わるんだが、大抵、公民館に戻るころは人が少なくなっていた。
昔は可愛い子がいなくなってたってよく噂になってた。

寂しい老人が女の子を引き止めて家で話し相手にさせられるらしい。
当時はそんな祭り興味なかったし、男だから参加しなくてよかったと思ってたが、普通に売春とかしてたらしい。

681 :天之御名無主:2009/07/01(水) 00:51:36

母親が言っていたんだけど、
母親がいた村では、15、6歳になると同じ年の女の子&母親達が集まって
一晩性について勉強したんだって。
それも、学校で習うような文献だけのやつではなく、母親達が裸になって
結構な所まで教えてくれたんだって。

ちなみに母親は山形の村出身
http://desktop2ch.tv/min/993305147/
http://hentai4u.blog12.fc2.com/blog-entry-86.html

22. 中川隆[-13664] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:12:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

被差別部落支配層の性教育


ヤクザと風俗が被差別部落民の生業の定番ですが


風俗店を経営している父親から受けた異常な性教育 2013/11/12/ 02:57


我が家は変態家族です。

ネットを開けば、野外での露出やスワッピングなど、変態カップルや変態夫婦が溢れています。俺の両親は、スワッピングや乱交や野外プレイをこなしてきたタイプです。そして、俺はその変態夫婦の子供です(笑)。

両親が一番変態なのが、子供を巻き込む事に一切抵抗感がない事です。
普通はどんな変態夫婦も子供は巻き込みませんよね。

父は風俗嬢の母と結婚し、若くして脱サラをして風俗店を経営しています。
この状況だけでも一般的な家庭ではありません。
まさに変態のサラブレッドのように俺は育ってしまいました(笑)。

父は自分の店の風俗嬢に、最低でも1日1発フェラ抜きをさせている程性欲があり溢れています。
(10分位で済ませるが、1時間分の給金は出しています)

(普通の風俗店では、あらゆる理由から自分の店の風俗嬢とはしませんが、ウチでは男性店員もお金さえ払えばOKなんです)

そして、中出し大好きな変態夫婦(両親)は今時珍しく4人の子供を授かりました。
姉、姉、俺、弟の4姉弟です。そんな我が家の話です。

我が家では、10歳になると性教育との名目のプレイが始まります。
(もしかしたら両親は真剣なのかも…)
俺が10歳になった時、親父が、

「ママには絶対内緒だからな!」

と約束をさせ、俺を自分が経営する風俗店に連れて行きました。

そして、まず待ち構えていたのは勃起の能力の確認でした。

親父の事務室に入るとすぐにエロDVDを鑑賞させられました。

巨乳の女の子達が全裸で犯されながら口内発射されたザーメンを次々と飲んでいく内容を見せられ、すぐに勃起してしまいました。

父「ちゃんとチンコ硬くなったか?」

俺「硬いよ」

父「気分はどうだ?硬くなって気持ちいいか?」

俺「気持ちいいよ」

と答えると親父は店の女の子に電話を掛けました。

父「準備は出来てるから、教育の件今からお願いする」

するとすぐに事務室に下着姿のお姉さんが2人入って来ました。

親父に好きな方のお姉さんを選ばせられると、選んだお姉さんが服を脱がせてきました。

隣では父も服を脱いでいます。

エロDVDを見させられて既に勃起していたので、お姉さんが

「うわ〜っ(笑)」

と笑いました。

全裸になり、腰にタオルを巻かれると、4人でシャワー室に連れて行かれました。

シャワー室に入る時、2人のお姉さんはブラとパンツを脱いでプルッとしたオッパイを丸出しにしました。

この時、俺のペニスはビクビクと脈打っていました。

シャワー室に入ると父が

「即尺からいこっか」

と言い、父と横に並んで立っている前でお姉さん2人が屈み込んで俺の包茎のペニスをジュポジュポしゃぶり始めました。

よく家で母が父にフェラしてたので日常的な光景だったのですが、見るのとされるのは大違いでした。

父「皮を剥くって分かるか?俺と同じ形になるようにチンコをつまんで根元に皮を引っ張ってみろ」

親父は自分のペニスの皮を実際に動かして実演した。

お姉さんにフェラされながら真似して皮を剥こうとすると、キツくて最後まで剥けませんでした。

そして父は、もう1人のお姉さんにフェラを続けさせ、ペニスをわざわざ口から外してお姉さんの開けた口の中に向けてしごいて射精をしました。

父「これが射精な。大人になる為にお前もするんだぞ」

そしてプレイルームに移動し、フェラをされながら皮を剥くように引っ張る事を続けました。

それが毎日1時間です。

徐々にペニスの先の皮が緩くなり、4日目にはカリの半分まで剥けていました。


5日目、シャワー室に入ると父は俺の勃起したペニスを見て

「皮半分剥けてるな。今日全部剥いちまえ」

と言い、お姉さんがフェラを始め、俺のペニスが完全に勃起すると、父が俺のペニスの皮を摘んでゆっくりと強く剥いていきました。

皮が3分の2まで剥け、カリがお姉さんの口の中に触れる面積が増えていき、ゾワゾワした性感をカリが感じていました。

父が

「皮を摘んでしごいて、皮を全部剥いちゃって」

と言うと、お姉さんがペニスの先をしゃぶりながら俺のペニスの皮を摘んで皮を剥くようにシゴキました。

5分もすると皮がさらに緩くなり、お姉さんがフェラしながら皮を剥くようにシゴいていると、あまりにも気持ち良くてギンギンに勃起していました。

もう剥けそう…と思っていると、突然お姉さんの口の中で皮がズルッと全部剥け、カリ全体がお姉さんの口の中に放たれました。

皮が全部剥けた瞬間、また初めての性感を感じました。

お姉さん「全部剥けたよ〜(笑)」

父「じゃあ精通させて、フェラはゆっくりな」

お姉さん「はぁ〜い!」

お姉さんは強く吸いながらしゃぶりつきました。

横では父がもう1人のお姉さんに口内発射しています。

父「気持ちいいだろ?そのまま気持ち良くなっていくと精子が出そうになる感じするが、分かるか?」

俺「分からないけど、フェラチオ気持ちいい」

父・もう1人のお姉さん「ははは!(笑)」

父が、もう1人のお姉さんに俺に抱きついてキスするように言うと、俺はフェラをされながらお姉さんに抱きついてキスをしました。

お姉さんのオッパイが当たってきて、性感が一気に高まりました。

お姉さんに抱きついてオッパイを俺の体に押し当てていると、お姉さんの体気持ちいい!お姉さんの体気持ちいい!としか考えられませんでした。

そして、頭ではお姉さんの体しか考えられなくなり、今まで感じた事のないような込み上げ感が沸き起こりました。

とにかくペニスが気持ち良かったのを憶えています。

何も分からないまま、とにかくお姉さんの体で気持ち良くなっていると、しゃぶられているペニスが凄い勢いでビックン!!ビックン!!と動きました。

激しい快感に包まれ、ペニスがビックン!!ビックン!!と脈打つ度、尿道にゼリーのような物が通り抜けていくのが分かりました。

フェラしていたお姉さんは精液を口に溜めながらゆっくりしゃぶりついて来ました。

お姉さんが口を開けると、精液がタップリ入っていて、射精をした事を知りました。

父に、

「お姉さんが精液を飲んでくれるから良く見てるんだぞ」

と言われ、お姉さんがゴキュッと喉を鳴らせて精液を飲むのを見ていました。

抱いているお姉さん「うわ〜〜〜(笑)」

飲んでくれたお姉さん「あはは(笑)」

父に、

「おめでとう!大人の男だな!」

と言われて嬉しかったのを憶えています。

そして次は、連続で射精出来るようになるまで1週間毎日フェラ抜きをされました。

父にはオナホールとローションを渡され、

「家でも射精したくなったら使いなさい」

と言われ、お姉さんのフェラを想いながら1日に2〜3回射精をしていました。

初めのうちは射精した直後にペニスを刺激されるのは辛かったけど、すぐに慣れていきました。

3週間目には、3分も休めばすぐ次の刺激が出来るくらいになってしまいました。

そして、

「お姉さんに連続で射精してみろ」

と父に言われ、シャワー室で2回口内発射をしました。

さすがに父も

「これは凄いな(笑)」

とお姉さん達と笑っていました。

しかし、精通からひと月近く過ぎた頃の俺は、家での射精を含めると既に100回以上の射精をしており、射精欲が異常に強くなっていくのを感じていました。

そして父は、

「一緒に母に射精する」

と言ってきました。

翌日母はいつも通り、父に出勤前のフェラ抜きをしていました。

18時に部屋に来いと父に言われていたので、父の部屋に行くと父と母と姉2人が下着姿で揃っていました。

姉2人も性教育が済んでおり、処女のままバイブやローターでイク事を覚えていました。

姉2人はローターでオナニーをしていました。

母は既に下着姿で父のペニスをフェラしています。

2人の姉が隣の姉の部屋で毎日オナニーをしているのは知っていましたが、実際にローターでオナニーをしているのは初めて見ました。

異様なこの空間に入ると、風俗嬢のお姉さんの事が頭をよぎり、服を脱ぐ前に勃起してきました。

服を脱いで横になるように言われ、全裸で横になると、2人の姉が見ている中、父にアナルセックスされた母が四つん這いでフェラしてきました。

そして、父と母にフェラまで性教育された姉2人もオナニーをしながら交代でフェラしてきました。

母が父にフェラしているのは風呂場でもリビングでも日常でしたが、姉のフェラは初めて見ました。

この後仰向けに横になっている俺の上に母が乗って来て、母は俺のペニスをアソコに当てそのまま腰を下ろしました。

初めてのセックスです。

ペニスが女の中に入り、フェラとは違う快感が襲ってきました。

母が横になっている俺に抱きついてきたので、姉の体を見ながら母を抱き締めました。

そして父が再び母のアナルにペニスを挿入してきました。

母の膣と直腸の中で父とのペニスが当たり、父がアナルを突く度母の中でペニスが激しく刺激を受けました。

母は突かれる度に喘ぎ声を出しています。

俺は姉の体をオカズにして母の穴を下から突きました。

さすが元風俗嬢。

母は下からも突けるように腰を少し浮かせています。

2人の姉もオナニーが激しくなり、喘いではいませんが遠慮なくよがっています。

母の女の体を抱き締めたまま性感に身を任せていると、すぐに射精感が込み上げてきました。

現役で乱交やスワッピングに参加している母はピルを常用しているので躊躇なく母の体内で射精しました。

精通からひと月で母とのセックスを体験し、精液を母の体内に注ぎ込みました。

射精すると父と母に喜ばれ、女の体内に射精した快感に浸りながら、30分は父にアナルを突かれ、何度も射精されている母にそのまま抱きついていました。

次は姉のフェラ抜きが始まりました。

母がフェラで俺のペニスを再び勃起させると、父と母にローターでクリトリスを刺激された姉2人が交代でしゃぶりついて来ました。

姉の口の中で射精すると、近親相姦独特の満足感がありました。

精液を飲み慣れない姉はオナニーしながら一気に飲み込むと父にバイブでイカされました。

そして、射精したばかりの俺のペニスに母が再び勃起するように丁寧にしゃぶりつき、萎えなくなったところでもう1人の姉にしゃぶらせフェラを指導しました。

「彼氏も旦那もちゃんと朝夜抜かないと絶対浮気されるからね」

なんて母は言っていました。

バイブでイカされて抱きつきながらフェラしている姉に口内発射すると、やはりオナニーしながら精液を飲み込みました。

最後は母にフェラされ、2人の姉を抱き締め、姉のオッパイを感じながら無理矢理射精しました。

父が仕事に出た後も、母の

「無駄な浮気をされない為のフェラ抜き講座」

が続きました。

最初は初めて見る姉のエロい行為に引いてる部分も少しはありましたが、最後はワイワイとヤリまくっていました。

変態夫婦の息子の精通と初セックスの話です。

http://www.h-ken.net/txt/2478/
http://www.h-ken.net/txt/2478/page_1/


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近親相姦家族カズの家の告白


僕が母と、妹が父と初体験した日

最初は、母が僕のオナニーを手伝ってくれることから始まりました。もちろん僕から言い出したわけではありません。オナニーをしている時に見つかってそれから手伝ってくれるようになりました。始めの時だけは手でしごいてくれるだけでしたが、次の日からはフェラチオをしてくれました。

すごく気持ちよくて、母の口の中に出したのですが、母が精液を飲んでくれたのでビックリしました。それからも毎日のようにお願いしました。驚いたのは、父が家にいるときでも僕の部屋にきて、精液を飲んでくれたことです。あとで聞かされたことですが、父と母の計画だったそうです。

ある日、まだ僕と妹がファミコンで夢中になって遊んでいる時に、両親の寝室から母のいやらしい声がしてきたのです。妹も聞こえたらしくて、気になったので妹とそおっと寝室に行ったのです。すると、ドアが15cmぐらい開いていたので覗き込むと、父と母がセックスをしている最中でした。妹も昔からエッチな事には興味しんしんだったので、恥ずかしがらずにのぞいていました。ドアからは、父のものが母の中に入っているのがよく見えました。

しばらくして、バックの体位になったのですが、母も父もドアの方に頭を向けたので「見えにくいなあ」と思った時に、父が、「和己も久美も入っておいで」と、びっくりすることを言いました。母もあえぎながら、「恥ずかしがらないでおいで」と言いました。僕も妹もビックリしたのですが、逃げると怒られそうだったので、中に入りました。

セックスを中断して父と母は、僕と妹にセックスは、愛し会う者同士の当然の行為だと言うことを説明してくれました。そして間違った知識でセックスをすると大変な事になることも聞かされました。話が終わって、父が続きをするので見ていなさいと言うので、見ることにしました。そのまえに母がみんな裸の方がいいというので、僕と妹も裸になりました。僕のものは立っていたのですが、父が立派になったなあと褒めてくれました。妹は僕と父のものを見比べていましたが、父のものは立っていなかったので、「お父さんもお兄ちゃんみたいになるの?」と言いました。父は「握ってみなさい」と言って、妹に握らせました。そして母から手の動かしかたを教わり、動かすと父のものも立ってきました。妹は無邪気に「あっ、大きくなってきた!!」と喜んでいました。

完全に立った父が僕のものとどっちが大きいか比べようと言いだしたので並びました。妹は「おとうさんの方がおっきいし、色が全然違う」と言いました。すると母が「今日の記念におちんちんの長さを計ったら?」といい、寝室を抜け出して手にノートとものさしを持ってきました。そのノートは僕が隠してあったやつなのでビックリしました。驚いて母から奪うと、母は「そのノートはお父さんも知っているわよ。」といいました。そのノートは、僕のものの長さを計って折れ線グラフにした成長記録と、オナニーの回数をつけたノートなのです。父が15cm、僕が13cmでした。記録係は妹で楽しそうにノートに書き入れていました。

そしていよいよセックスの続きが行われたのですが、その前に妹と僕にコンドームのつけ方を教えてくれました。妹は父のものにかぶせ、僕は自分のものにかぶせました。セックスが始まったのですが、体位を変えるたびに父が説明してくれました。いつの間にか興奮した妹は自分のあそこを触っていました。それに気付いた父が、妹とお互いに触わりっこしないさいというので、妹が僕のものを握り、僕は妹のあそことオッパイを触りました。僕はがまんできなくなって精液を出してしまうと、妹がコンドームを外してくれました。そして精液の入ったコンドームを捨てていいものなのか迷って、そのまま持っていました。

母が僕のものをきれいにしてあげるからおいでというので、母のそばに行くと、体位を変えて父の上になった母がフェラチオしてくれました。それを見た妹が「お母さんがお兄ちゃんのをなめてる!」といって驚いたのですが、母は「親子だから平気よ」と言いました。やがて父と母が気持ちよさそうな声をあげていってしまいました。父の精液の量は僕の半分くらいでした。母はコンドームに入った父と僕の精液を飲んでしまいました。妹がそんなの飲んで大丈夫なの?と聞くと母は、大事なお父さんと僕のだから大丈夫だといい、妹にも少し舐めてみることをすすめました。妹は少しだけ指先につけて舐めたのですが「変な感じ」とは言ったけど、嫌そうじゃなかったです。母が「そんなに嫌な味じゃないでしょ?」と聞くと妹は「うん」と言いました。父が「男って、精液を飲んでくれるとうれしいもんだぞ」と言うと妹は納得していました。

父と母のセックスが終わったので、もうおしまいと思ったのですが、父が「和己と久美はセックスしたことがあるのか?」と聞いてきました。僕も妹も「ない」と答えました。すると父が、ふたりとももう大きいのだからそろそろ体験しておいた方がいいよといいました。そして母が「そうしなさい、和ちゃんは私と、久美ちゃんはお父さんとしなさい」といいました。僕が「親子でセックスしてもいいの?」と聞くと、父が「セックスは子供を作る目的もあるけど、快楽を味わうゲームみたいなものだから、家族同士で楽しんでもいいだよ」といいました。僕は前から母にフェラチオしてもらいながら、母とセックスがしたいと思っていたのでオッケーだったのですが、妹の気持ちがわからなかったので、どうするのか心配だったのですが妹は「お父さん、優しくしてね」とあっけらかんに言いました。妹は隠し事をいっさいしないあっけらかんとした性格ですごく明るいのですが、エッチのことについても同じなのでびっくりしました。

妹は父に全身を舐められて、気持ちよさそうな声を上げました。僕は父のやっていることを見ながら母に同じことをしました。初めてなのでうまくできなかったはずなのに母はほめてくれました。そして母があえいでくれるとうれしくなってがんばりました。母が気持ちよくなったので今度は、フェラチオをしてくれる事になりました。あとから聞いた話では、妹にフェラチオの勉強をさせるために仕組んだそうです。ギンギンに立った僕のものを母が舐めはじめると、妹が「私もやってみる」といいだしました。そして父のものを口に入れて、母が僕を舐めるのを真似しはじめました。それを見て母が、ていねいに妹に指導しました。いつもならすぐに言ってしまうのですが、一度出していることと、母が説明するためにちょくちょく口を外すので長持ちしました。時には僕をほったらかしにして父のものを母と妹が交互に舐めたりもしました。

いよいよセックスすることになったのですが、最初は僕と母が父と妹に見られながらしました。体位は正常位しかしませんでした。何回か腰をふるととろけそうな感じになって、すぐにいったからです。妹が「気持ちよかったあ?」と聞いてくるので、すっごくよかったと言ってやりました。いったあとも立ったままのものを見て母が「まだできる」と聞いてきたので、何回でも出来ると言うと、「元気ねえ」と感心していました。

次に父と妹がセックスを始めました。入れる瞬間をジックリ眺めました。「痛い」と小さな声をあげましたが、痛みをこらえながらも父のものをしっかり受け止めていました。父と妹のセックスを見ながら、妹の処女が欲しかったなあと思いました。しばらくゆっくりと腰を動かしていた父ですが、妹を気づかって途中で抜いてしまいました。すると「父さんは出るのに時間がかかるから久美がかわいそう」だからということでした。母が僕に妹とセックスするように言うので、妹に入れようとしたのですが、うまくはいりません。さっきみたいに母が僕のものを妹のアソコにあててくれて入れることができました。妹の中は、母よりかなりきつかったので僕はすぐにいってしまいました。父は隣で母の中に出していました。

こんなふうにして、家族みんなでのセックスが始まりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo1.html


1999年夏ごろの日常風景

ふだんの日は、父が仕事で帰ってくるのが夜11時を過ぎるのでセックスするのは、母と妹と僕の3人です。でも毎日3人で一緒にするわけじゃないです。3人一緒にするのは、半分ぐらいです。土曜日の夜や日曜日は、最低でも2週間に1回は4人でします。3人でする時は、最近はジャンケンで順番を決めて順番の低いものが上のものに奉仕します。一番勝ったものは2人から奉仕されますが、1番まけたものは2人につくさないとだめです。

先週やった時は、僕が1番、母が2番、妹が3番でした。最初に要求したのは、服装です。3人とも裸じゃつまんないので、母には裸の上にエプロンを着るようにいって、妹にはスクール水着を着るようにいいました。最初は、全身を舐めるようにいいました。上から順番に舐めさせました。乳首を同時に舐められたときは気持ちよかったです。フェラチオもチ○ポと玉を同時に舐められるとすごく気持ちがいいです。チ○ポも交互に舐めさせました。一番負けた母はフェラチオするのが好きなので、あまり母にはなめさせずに妹に舐めさせました。チ○ポと肛門も同時に舐めさせました。妹がチュパチュパとおいしそうに舐めているのを見ながら、母がうらやましそうな顔で肛門と玉をいったりきたりしていました。

しばらくして、妹も母に奉仕される権利を主張したので妹のオ○コを舐めさせることにしました。妹は僕にフェラチオしながら母にオ○コを舐めてもらうことにしました。母はレズではないらしいですが、妹のオ○コはよく舐めています。水着を横にずらしながら舐めていました。母は妹の感じるポイントを十分に心得ているのと、指をつかっていかせてしまいました。妹のイク顔を見て、入れたくなったので水着をずらせて入れました。

僕が妹をズコズコついている間中、母は僕や妹とキスをしたり、ふたりの乳首をなめていました。正常位から、だっこして最後は正常位にもどしました。妹がいったので、出すまえに母に妹とつながっているところを舐めてもらおうと思ったのですが、水着姿の妹がすごくかわいいのでそのまま出すことにしました。妹が安全日だったので、ひさしぶりに中に出すことにしました。そのことを言うと妹は「飲みたいよ」というので、「久美は兄ちゃんに注文できないんだぞ」と言ってやりました。「でも」というので「わがままいうと抜くぞ」というと、「やんやん」と言いました。そして「いくぞ」と言って中に出しました。ひさしぶりに中に出したのですが、口の中に出すのも気持ちいいですが、あそこの中に出すのはやはり気持ちいいです。全部出たので、チ○ポをぬいて母に口できれいに舐めてもらいました。妹は1番まけた時も自分からおねだりするのに、母はさすがに大人で僕が命令しない時はおとなしく待っています。

母にきれいに舐めてもらっている時に妹が「出てきた」というので、いいことを思いつき、妹をまんぐり返しにしました。そして母に妹のからだを支えさしている間にキッチンに行ってストローをとってきました。「ジャーン」と言ってストローを見せると、母は「ストローはだめよ、久美のカラダに傷がつくわ」と怒られてしまいました。ほんとうなら母には発言権はないのですが、親としておこられると言い返せません。母はそういう時はマジな顔になります。でも数分後には淫乱女性の顔つきになるのが不思議です。アメリカのホームページにそういう画像があったのでやってみたかったのですが残念です。母はそういいながらも、妹をまんぐり返ししたままなので、精液をなんとかしないと行けないことはしっかり思っていたようです。

母を仰向けにして、妹に母の顔をまたぐようにいいました。水着を着たままだったので僕が水着をずらしました。垂れはじめは母の口の中にはいらないで顔にかかりました。途中から母が下から口をつけて吸出していました。母の顔にかかったものは妹に舐めるようにいいました。でも飲んでいいよとは言わなかったので、母も妹も口の中に精液を溜めていました。いろんなビデオを見ると精液がきらいな人がいて、すぐに吐き出そうとしますが、母も妹も飲むのが3度の食事より好きなので、すぐに飲ませると喜ぶだけです。かと言って、しばらく口にいれたままにするのも平気なので、口移しさせることにしました。母も妹もいろんな精液飲みのビデオをみているので心得ています。しばらく母と妹にぐちゅぐちゅやらせていました。つばで量がふえたので、飲ませることにしましたが、抽選することにしました。

母と妹は精液を半分ずつ口に入れたまま、僕がクジをつくるのをまっていました。2個だけじゃおもしろくないので、6個作りました。当たりは1個です。妹から交互にひかせたのですが2回戦で母が当てました。妹は残念そうな顔をして、母の口に自分の口の精液を写していました。そして母はゆっくり味わいながら精液を飲みました。感想を聞くと、「久美のお汁とつばと母さんのつばが混ざっていて、母親としては幸せだったけど、精液らしい味があまりしないわ」と言っていました。母には不満だったようです。

次に、妹に制服にルーズソックスをはくように命令しました。その間に母とセックスすることにしましたが、母がエプロン姿なのでキッチンですることにしました。普段よくするように母が雰囲気作りのために、冷蔵庫からキュウリを出してまないたの上に置きました。包丁は危ないので使いません。演技派の母が「今晩のおかずは、きゅうりしようからし、和己のおちんちんにしようかしら」といいます。すると僕は「比べて見る?」と言って、コンドームをかぶせたきゅうりをオ○コに入れ2、3回つきました。そして「母さんのオ○コさん、おいしいですか?」というと、母は「他も試食するわ」といいます。今度はチ○ポを入れて聞くと「これにするわ」といいます。

しばらく立ちバックで続けていると、妹が制服姿にルーズソックスをはいて、少し化粧までしてやってきました。妹もノリがいいので、演技に参加します。「母さん、そんなことしてないでゴハンつくってよ。学校に遅れるでしょ」と言います。あえぎながら母が「待ってなさい、もうすぐ牛乳ができるから」と言い返します。「牛乳だけなの?」と言うと、母が「好きなものにかけて食べなさい」と言ったので妹は冷蔵庫を開けていました。中からカップに入ったみつまめを出してきました。フタを開けて「ミルクまだかなあ」と言って待っています。

なかなか僕がださないので、「この牛さんはお乳をもんであげないと出ないみたいですね」と言って僕の玉をさわりに来ました。「揉むより舐められる方がいいみたいですね」と言って玉に舌を這わせてきます。いきそうになったので妹に合図するとみつまめを持って待ち構えます。母からチ○ポを抜いてみつまめに振りかけました。すると「おりこうさんですね、こぼれないで全部入りましたよ、ごほうびにきれいにしてあげましょうね」と言って、口できれいにしてくれました。妹は精液がかかったみつまめを食卓でおいしそうに食べていました。精液がとくに多くかかったところを眺めてから食べていました。

たべおわるのを待っている間は、母にフェラチオをしてもらっていました。食べおわったので、最後に母と妹を交互にせめようと思って、場所をかえることにしました。食卓の上に制服姿の妹を横になるように言って、チ○ポを入れました。それから妹を抱き起こして駅弁スタイルのままリビングに移動しました。そして、床に妹をおろしてつきまくりました。母と妹をバックにしたり、母と妹が抱きあっているところを交互につきました。

しばらくついていたら、父からの合図の電話がかかりました。ちょうど母の脚を肩にのせてついていたので、妹に電話に出るようにいいました。少し話したあとで、コードレスを母に渡しました。母は父と会話していました。「食事はどうするの?」とか聞いていました。妹に聞くと早く帰ってくるとのことでした。電話を切った母が僕につかれながら、「父さん帰ってくるから食事の準備するから、母さんもうやめるわ」と言いました。「母さんまだいってないでしょ」というと、「いいからどいて頂戴」というので、しぶしぶ抜きました。「2人でやってなさい」というので、妹に入れました。

制服姿の妹をいろんな体位でついていると、シャワーをあびた母がキッチンに行くのに横を通りました。「そろそろ終わりなさいね」と言いました。そのあとすぐに妹の口に出しました。ペロっと飲んだ妹が「私もシャワーあびる」と言って出ていきました。横になっていると母が料理をつくっている後ろ姿が目に入りました。やりたらなかったので、後ろから入れさせてもらおうと近づくと、母が手で自分のお尻を隠すようにしました。それでも近づいて行くと「いい加減にしなさい」と言ってチ○ポをきつく握ってきました。仕方がないのでその時はそれで終わりました。
http://www.kazunoie.com/memo/memo99.html


僕と母のSMごっこ

母とのSMプレイの話を書きます。SMプレイと言ってもほんとの遊びです。

その日は、僕が最初にSになりました。初めに母を縛りました。縛り方は父から教わって、母や妹で何度も練習したのできれいに縛れます。と言っても跡がつくと大変なので少しゆるく縛りました。そして母に、僕の全身をなめるように命令すると縛られて動きにくそうですが、一生懸命舐めてくれます。チ○ポはすぐに舐めさせません。母はフェラチオが大好きなので、すぐに舐めさせると喜ぶだけなのでいつもじらしていじめます。玉と肛門を先に舐めさせました。

そのあとで母を座らせておいて、母の口の前でチ○ポをぶらぶらさせて「舐めたい?」と聞いてやりました。すると母は、いつも言っているように「ご主人様のチ○ポをしゃぶりたいです」と言いました。すると僕が「みゆきのご主人様は、父さんのことじゃないのか?」というと、「違います。私のご主人様は、和己様です」といいます。今度は「みゆきは、自分が産んだ息子のチ○ポがないと生きていけないです。と言ってみろ」というと、「みゆきは、私が産んだ和己様のチ○ポがないと生きていけません」と繰り返しました。

僕が「じゃあ、父さんのチ○ポは久美専用にしてもいいのか?」と聞くと、今まで雰囲気を出していたのに、多少マジに戻って「それはこまります」というので、「母さん、そういう時は僕のチ○ポだけでいいですと言うんだよ」というと、「だって、ほんとに久美専用になったら困るわ」と言いました。「もう母さんったら、よくばりなんだから」と言うと、「父さんのチ○ポがあったから和己と久美が産まれたのよ。だから大切にしなきゃ」と意味不明のことを言いました。

少しさめてしまったので、母をバイブ責めにすることにしました。バイブは母専用なので寝室に隠してあります。バイブを取ってきて、母のオ○コに入れました。すぐに母は感じだして声を上げ始めました。そして1度母がイッてしまったので、今度はバイブを抜けないようにして、何度も何度もいかせました。

5、6回いったあとで母が「もうだめ、スイッチを切って」と言うので、「まだだめ」と言って、そのまま僕のチ○ポをフェラチオするように言いました。いじわるして母から少し離れたソファに座りました。母が懸命に立ち上がって、僕の所まで歩いてきてフェラチオを始めました。でも手が自由じゃないのでチ○ポが安定しないので、口の中に入れてじゅるじゅる舐めるという感じよりも、玉を舐めたり、チ○ポを舌で下から上に舐め上げるのが中心でした。

途中からは、大きく口を開けさせておいてチ○ポを突っ込んで自分で腰を動かして母の口の中をつきました。そしてそのまま母の口の中に精液をだしました。すぐには飲ませずに、舌の上で何回か転がすように言って、最後にコップに出すようにいいました。そのあとで僕のチ○ポをきれいに舐めさせました。精液は次の僕のSの番の時に飲ませようと思いました。

一度出したのでSとMが交代です。母は女王様の衣装に着替えました。それで、僕に全身を舐めるように命令しました。舐める前には必ず「みゆき様、乳首を舐めさせていただいていいですか?」と言わされました。母の全身を舐めたあと、最後にオ○コを舐めるのですが、僕が仰向けになって母が僕の顔に腰をおろしてきました。母が「舐めたいの」と聞くので「舐めさせてください」とお決まりのセリフをいうと、「いつも同じのセリフじゃ舐めさせてあげない」と言われたので、「僕が生まれてきた女王様の美しいオ○コをじゅるじゅるさせてください」と言いました。すると「いい子ね、じゃあ舐めていいわ」と許可がおりたので、舐めました。

しばらく舐めていると、「上手に舐めてくれたからご褒美をあげましょうか」というので、「ありがとうございます」というと、精液の入ったコップを持ってきて、「口をあけなさい」というので、「それは、次に使う分だよ」とあわてると、「奴隷が生意気なことをいうんじゃありません」と言いました。自分の精液だから抵抗はないのですが、予定が狂ってしまうのでこまったのですが、命令だから口を開けました。すると母が精液を僕の口に垂らしながら「飲んではダメよ」と言いました。全部口に入れると「私の口に垂らしなさい」というので、母の口に垂らしました。母が何度も口移しを要求するので、つばで量が増えて行きました。最後に母がコップに精液を戻し「女王様は今日は、たくさん飲みたい気分なの、だから奴隷は一生懸命出しなさい」と言いました。

そのあとで母が上に乗ってセックスしたのですが、僕がイキたくなったら母は腰の動きを止めました。何回もじらさせたあと、体位を正常位に代えて母の口に出しました。母は舌の上で精液を転がしたあとでコップに移していました。
http://www.kazunoie.com/memo/memosm.html


父と母の出会い

いつも読んでくださっている方からの質問で「父と母の出会い」と「母が近親相姦を知った時の事」を書いて欲しいというのをよくいただきます。母から取材をしたので書きます。

学校に行かなくていい日の朝、父と一緒に朝食を食べていたら母から「手伝って欲しいことがあるから家に居て」と言われました。いやな予感がしたけど家の用事が最優先なのでイヤイヤ「うん」と返事をしました。そこに制服に着替えた妹がやってきて父の膝の上に座りました。そして父の皿からリンゴをひと切れ取って食べました。僕は用事を妹にも手伝わせようと思って「母さんが用事手伝って欲しいそうだから早く帰ってこいよ」と言いました。すると母は「午前中で終わる用事だから久美はいいわ」といいました。

妹はその後、自分がお尻をこすりつけている間に父のチ○ポが立ってきたのでひっぱり出してフェラチオしようとしました。でもすぐに母から「遅刻するわよ」と言われてやめました。そして父と僕にキスをしてから「お手伝いがんばってね」と言って学校へ行きました。

全部終了して母の所に「終わったよ」と言うと、松山から僕あてに荷物が届いていると教えられました。開けて見ると、僕の大好きな栗と「栗んとん」というふざけた名前のお菓子とビデオテープが入っていました。再生すると従姉さんが美穂さんをいじめながら撮影したビデオでした。ほとんど美穂さんのアップで従姉さんは声ばっかりです。時々従姉さんが美穂さんにバイブを入れる所の手が写る程度でした。美穂さんは従姉さんに質問攻めに合っていました。僕はこのビデオを見ながら「母にもこの手でいこうか」と思いました。

ビデオカメラを持って、家事をしてた母の所に行きました。カメラを回しながら後ろから迫りました。母はカメラを見ると「ハメ撮りしたいの?」と聞いてきました。「ダメ?」と聞くと「化粧してから」ということなのでしばらく待ちました。

待っているとシャワーを浴びて化粧した母が裸でやってきました。僕のズボンを脱がせました。僕は「フェラチオしながら質問に答えて」といいました。母はパンツを脱がせてくれて僕のチ○ポを咥えました。

カメラを見ながら僕のチ○ポの裏筋を下から上に舐め上げている母に、「父さんと母さんってどこで知り合ったの?」と聞きました。母は「それは前に教えたじゃない」と言いました。僕はビデオ用に「ビデオ用に全部もう一度聞くので答えてよ」といいました。

母はチ○ポを舐めながら答えてくれました。父と母の出会いは「アイビー」がきっかけです。昔アイビー少年少女だった父と母は学生自分に別々のアイビークラブに所属していたそうです。その頃、アイビーリーグというのがあっていろんなアイビークラブが所属していてパーテイなんかも開かれていたそうです。そのパーテイで父と母は初対面したそうですが、そこでは何も起こらなかったそうです。

仲良くなったのはアイビーのファッションショーに出た時で、父と母がカップル役に選ばれて「金曜日のデート」というシュチエーションで手をつないだのがきっかけだそうです。最初のデートでキスをして、2回目のデートでHしたそうです。3回目のデートからは会うたびにHしたそうです。

母が僕の先ばしりの液を舌先ですくって舐めました。僕は「母さんのフェラって父さんが仕込んだの?」と聞きました。すると「母さんはね、父さんと知り合うまではお嬢さんだったのよ」と答えました。僕は久美のフェラチオの練習を思いだしました。久美は母が僕のチ○ポを舐めているのを見ながら父のチ○ポを舐めたり、学校から帰ってから僕のチ○ポを母とダブルフェラしながら練習していました。見る見る上達して父が悲鳴をあげたのを覚えています。でも母は見本が無かったのでどうしたのか聞いたら、言われるままにやったそうです。

母にフェラチオの素人の役をやってもらいました。母は僕のチ○ポを握りながら「どうやったらいいか教えて」と言いました。僕が「先っぽをソフトクリーム舐めるみたいにやってごらん」といいました。すると、いきなり根元から先っぽまで一気に舌を這わせました。僕が「それはお嬢さんじゃないよ」というと母は「ソフトクリームが垂れてきたのよ」とボケてくれました。

母が「そろそろ欲しい」というので入れることにしました。質問しながらハメ撮りするので騎乗位でしました。僕が横になると母はパンツを脱ぎました。「舐めようか」と言うと母は「ヌレヌレだからいいわ」と言って、チ○ポを掴んで自分で入れました。僕は下から撮影しながら質問を続けました。

次の質問は、父が近親相姦しているのを知った時の事を聞きました。結婚前に2人で見た映画に近親相姦の話があって、映画が終わってから「もし俺が近親相姦してたらどうする?」と質問されたらしいけど、「そんな事あるわけないわ」と思ってた母は、祖母がきれいな人だったので冗談半分で「あのお母さんなら、いいんじゃない?」と答えたそうです。

映画のタイトルを聞いたけど、母は「わすれたわ。それより、もういいでしょ。4日もしてないから母さんすっごくしたいのよ」と言いました。僕は仕方ないので先にやってから質問を続けようと思って「終わってからも付き合ってよ」といいました。すると母は「何回でも付き合うわよ。今日は何回する?」と言いながら腰を激しく上下しました。

僕はカメラを置いて、下から母のオ○コを激しく突きあげました。母は「アー、いいわ」と声をあげました。僕が下から母のオッパイを揉むと母はドンドン感じていきました。母は4日もしかなった日はめったにないので、いつも以上にすごく感じていました。母に「クリトリスさわってごらんよ」と言うと、カラダをそらせてクリトリスをいじりはじめました。母は「気持ちいい!!」と言いながら腰の上下とクリトリスいじりを同時にやっていました。

だっこちゃんスタイルになると、母は僕の口にむしゃぶりついてきて、よだれで僕の口まわりをべとべとにしてくれました。それから正常位になって母の足を肩にかついで激しくパンパンと突きました。すると母は「ダメダメ!!イク、イク!!」と言って、イッテしまいました。僕はチ○ポを入れたままで母の痙攣がおさまるのを待ちました。

もう一度カメラを持って、イッタ後の母の顔を映していると、トロントした目で僕を見たので「母さん、さっきの話の続き教えてよ」と言いました。すると母は「そんな事どうでもいいでしょ。もう一度して」といいました。僕は質問に答えてくれないのでいじわるしてチ○ポを抜いてしまいました。すると母は「抜かないで!!」と悲鳴のような声を上げました僕が質問に答えてくれたら入れてあげると言うと、母は自分の指でオ○コを開いて「わかったら、入れて」と言いました。でも僕はホームページのネタ作りのためにフェラさせながら答えてもらおうと思ったので「質問が先だよ」と言って入れるのを拒否しました。

母にフェラチオさせながらいろいろ質問しました。母は僕がしゃべっている間はチ○ポを舐めていて、答える時はチ○ポを握らせました。ビデオから音声だけ書き取りました。


僕「もっと、音を立てて舐めてよ」
(母が、激しく音を立てて舐めました)

僕「母さんがホントに近親相姦やってるのを知ったのっていつ?」
(チ○ポから口を外しました)

母「結婚してすぐよ」
(ふたたび口に咥えました)

僕「告白されたの?」

母「見たの」

僕「父さんとおばあさんの?」

母「そう」


全部書くと長くなるのでまとめますと、結婚後に松山の家で泊った時に父と愛しあっている所におじさんとおばさんが「仲良くやってるか?」と言って入ってきたそうです。母がビックリしていると、その横でおじさんとおばあさんがセックスを始めたそうです。それが最初に近親相姦の現場に触れた時だそうです。


僕「ビックリした?」

母「そりゃ、ビックリしたわよ」

僕「じゃあ途中でセックスやめたの?」

母「・・ううん」

僕「母さんの事だから、興奮したんでしょ」

母「わかる?」

僕「わかるよ。それで母さんは見てたの」

母「ちょっとだけね」

僕「どんな体位でしてたか覚えてる」

母「いきなりバックだったわ」

僕「おばあさん、気持ちよそうな顔してた?」

母「ニコニコしながら、母さんたちを見てたの」

そのあと、バックでやっていたおばさんが母のオッパイを舐めにやってきたそうです。その当たりからわけがわからくなって気がついたら、隣で父がおばあさんと座位でやっていたそうです。そして横になって見ていたら、おじさんがおばさんを連れてきたそうです。おばさんは妊娠8ヶ月目で大きなお腹をしていたそうです。


母「おばさんはね『私もビックリしたけど家系だから諦めちゃったわ』と言ったわ」

僕「意外にみんな認めてしまうもんなんだね」


父さんがおばさんに中だししたあとで、チ○ポを抜いて近づいてきた時に母はてっきり自分が後始末するもんだと思っていたら、父さんはおばさんとデイープキスをしてからゆっくり横にしてパンツだけ脱がせてチ○ポを入れたそうです。父はおばさんの大きなお腹に負担がかからないようにしてチ○ポをゆっくり出し入れしたそうです。僕はまだ妊婦としたことがないのでそのシーンを想像してすごく興奮して出したくなりました。


僕「母さん、出したいから舐めて!!」

母「待って、母さんの中に入れて」

僕「1回出してから」
(母が激しく舐めあげてくれて、僕は母の口に向けて発射しました)

僕「まだ飲まないで」

母「すごい、一杯れたわ」

僕「うれしい?」

母「うれひい」

僕「口を開けて」
(母が口を開けると、たっぷりと僕の精液がたまっていました)

僕「終わるまで飲んじゃだめだよ」

母「わかったわ」

精液を口に含ませたままで母に父とおばさんの続きをしゃべらせました。父とおじさんは正常位のままでやって最後におばさんの大きなお腹の上に射精したそうです。母は大きなお腹にの上に出された精液を全部舐め取ったそうです。舐めとっている時に後ろからお尻をつかまれたので振り返るとおじさんがいて入れていいか聞いてきたそうです。母は拒まないで受け入れたそうです。

その質問が終わって、精液を飲んでもいい許可を与えました。母はおいしそうに喉を鳴らして飲んでいました。僕はホームページ用のネタを撮り終えたので、母ともう一度することにしました。四つん這いにしてバックから激しく突きました。パンパンと音を立てて突くと母は頭をソファに乗せて、あえいでいました。母の片足を持ち上げて突くとすごく気持ちよさそうによがっていました。

僕は、一緒にイクつもりだったけど母が我慢できそうになかったのでバックのままでイカせました。僕はすぐにチ○ポを抜くと正常位に変えてもう一度バコバコ突きました。イキたくなったので最後のダッシュをかけて母と同時にイキました。チ○ポを抜いて母の口に向けて発射しました。全部出終わって母に最後まで吸い出してもらいました。
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朝の僕と母と妹の3P

妹がボランティア活動先から大阪に戻ってきて最初の家族乱交のことを報告します。この日の朝、起きてすぐにトイレに行こうと下に降りました。すると、リビングで母と妹が全裸で、父は下半身だけ脱いでいて3Pをやり終えたところでした。父が四つんばいの母のお尻の上に射精したらしくて、妹が口で吸い取っている最中でした。父はチ○ポで飛び散った精液を集めて、妹が吸い取りやすいように協力していました。

父は、僕を見て「父さん、ゴルフだから後は頼む」と言いました。その声で思い出したように母が「お父さん、時間大丈夫なの?」と聞くと父は「あっ」とあわてました。「久美、先に父さんのチ○ポきれいにしてくれ」と言うと、妹は「お母さん動かないで」と言って、口に入れていた精液を母の背中に垂らしました。そして父のチ○ポをパクっと咥えて、オ○コ汁まみれのチ○ポをきれいに舐めました。妹が口をすぼめて何回もしごいたので、父は「またやりたくなるから、舌だけがいいな」と言いました。

チ○ポをきれいにしてもらった父はすぐにパンツとズボンを履いて出て行きました。妹はもう一度母の背中の精液を吸い取っていました。妹が吸い取っている間に、母が「カズちゃん、母さん欲しいから早くトイレに行ってきて」と言いました。僕は妹が父の精液を飲み込むまで見ていたかったけど、朝立ちでビンビンだったのですぐにトイレに行きました。便座に座って朝立ちしているチ○ポを押さえつけてオシッコをしました。

トイレから出ようとしたら母が僕をトイレの中に押し戻してパジャマのズボンをズリ下げました。そして僕を便座に座らせて、その上にまたがってきました。「母さんから先でいいの?」と聞くと、「お父さんが母さんのお尻の上に射精したけど、ほとんど久美ちゃんとやってたのよ」と言いました。母はチ○ポをつかんでそのまま腰を下ろしてきました。母のオ○コの濡れ具合からして、かなり我慢させられていたみたいです。チ○ポが母のオ○コの奥まで入っていく間「ハアー」と声をあげていました。

母は僕と軽くキスしてから、上下運動を始めました。「母さん、かなり我慢したでしょ」と言うと「そんなに濡れてる」と聞いてきました。「グチュグチュだよ」と言うと、「すぐにイキたいから激しくして」と言いました。僕の方からも下から激しく突き上げました。母は「いい、いいわ」と声を出しながら上下運動を続けていました。母の声がだんだん激しくなってきたので、そろそろ妹が乱入してくるかなあと思っていると、予想通り妹がやってきました。ドアを開けっ放しにしてやっていたので、丸見えでした。でも妹は「オシッコしたい」と言うだけで、僕と母のエッチに参加してくる様子じゃなかったので、「母さん、久美がオシッコしたいらしいからトイレからでよう」と声をかけました。すると母は「もうすぐイキそうなの。抜かないで」と言うので、チ○ポを抜かないように立ち上がりました。

すると妹が便座に座ったので、トイレから出ないで、母を壁にもたれさせて片足立ちにしました。妹が「邪魔」と言わなかったので、チ○ポを動かしました。母のあえぎ声と妹のオシッコの音が同時に聞こえていましたが、僕の耳は妹のオシッコの方を90%ぐらいのバランスで聞いていました。でも母がイキそうになっていたので、オ○コを突くスピードは落としませんでした。母は「アア!アア!」と叫びながら感じまくっていました。

妹のオシッコの音が止まったので、僕は妹の方にむかって「ウォシュレットで洗わないで」という意味で手を出しました。妹は意味がわかっていないみたいで、スイッチを入れてしまっていました。せっかくオシッコしたての妹のオ○コをきれいに舐めてあげようと思ったのですが残念でした。妹はオシッコが終わってもそのまま見学していました。母はそれから1分もしないうちに「イク!イク!!!」とイッてしまいました。

母がイクと妹が「お兄ちゃん、今度あたしだよ」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜きました。母は仲良く3Pしようと主張していました。それからもう一度リビングルームに戻りました。リビングルームに戻ったら妹は真っ先にソファに手をついて四つんばいになって僕にお尻を向けました。母が「久美ちゃんが先でいいから、少しだけ舐めさせてね」と言いながら僕の前にひざまづくと、妹が「あたしも舐める」と飛んできました。

最初はチ○ポの両側から舌先でチロチロ舐められました。次に妹が裏筋を舐めて、母が舌の裏でチ○ポの上側をすべらせるように舐めていました。そのあとは交互に口に入れてチュパチュパ舐めたり、思いっきり吸われたりしました。Wフェラが段々盛り上がってきて、妹が僕のチ○ポを握って母の鼻の穴に入れようと遊んだりすると、母も妹の耳の穴に入れようとふざけていました。それからもう一度、まじめにWフェラに戻って、チ○ポと玉を交代で舐めてくれました。仕上げはチングリ返しさせられて肛門を舐められました。

僕のチ○ポの先から激しく「第1チ○ポ汁」が出始めたので、二人並んで四つんばいになってもらいました。母のオ○コも妹のオ○コもかなり濡れていたので、「すぐ入れるよ」と言うと、ふたり同時に「入れて」と返事がきました。約束通り、最初に妹のオ○コにチ○ポを入れました。僕が妹のオ○コにチ○ポを入れ始めると母は「どう、気持ちいい?」と妹に声をかけていました。妹は「気持ちいい」と言っていました。根元まで入れてじっとしていると妹のオ○コが僕のチ○ポを締め付けてきました。やっぱり妹のオ○コが最高と思っていると、母が「お父さんみたいに味わってないで、動いてあげなさい」と言いました。妹は「じっとしてていいよ。でもお母さんが焦れてくるかな」と冷やかしていました。母は妹の乳首をつまんでいました。

それから妹のオ○コの感触を味わいながらゆっくり突き始めました。妹はすぐに反応して声をあげていました。母は四つんばいのままで僕の腰の動きを見ていました。少しだけサービスのつもりで妹のオ○コからチ○ポを抜いて、見せてあげると母が起き上がろうとしたのであわてて妹のオ○コの中に戻しました。母はそのまま僕と妹の結合部を覗き込んでいました。僕は母を意識しないで普段通りに妹を突きまくりました。すぐにはイカせないでおこうと思ったのでおもいっきり強く突くのは数回だけにしました。それでも妹はオ○コ汁を出しまくってチ○ポが白くなっていきました。

母は段々我慢できなくなってきて僕にオッパイを押し付けるようになってきました。仕方ないので「久美、母さんと少しだけするぞ」と言うと「いいよ」と答えてくれました。すると母は妹のオ○コに埋まっていたチ○ポを強引に引っ張りだして、チ○ポにむしゃぶりついてきました。チ○ポについた妹のオ○コ汁を舐めながら「おいしい」を連発していました。チ○ポを抜かれた妹は僕に唇を求めてきました。しばらくこのままの状態でキスをしていると、母が「入れて」と言いました。

母が四つんばいでお尻を突き出していたので、妹が「入れてあげる」とチ○ポをつかんで母のオ○コに当ててくれました。すると母の方から腰を押し付けてきたのでズッポリ入ってしまいました。母は「今日の母さん、すごくHしたい気分なの。だから用事なかったら1日中相手して」と言いました。用事はなかったのですが、妹が「お昼からお兄ちゃんと梅田に遊びに行くから翔ちゃんとして」と言いました。母は「遊びだったらいつでもいけるでしょ」と言おうとしました。でも僕が激しく突き始めたので、母はあえぎ声をあげるので精一杯になっていました。妹が「お母さんイカせちゃって」と耳元でささやくので、そのまま「パン!パン!」と音を立てながら突きまくりました。

母は「イッてもやめないで!」と言ったあとは「イイ!!アア!!アッアッ!!イキそう」と声をあげていました。僕もイキそうになってきたのですが、1発目は妹でと心に決めていたので耐えました。母がすぐにイッてくれたので耐えられました。「イク!!!」と叫んでお尻をピクピクさせていた母の腰を持ってじっとしていると、妹が「今度はお兄ちゃんを気持ちよくさせてあげる」と言って、僕の手を引っ張って仰向けになるようにいいました。仰向けになって母のオ○コ汁付きチ○ポをそびえたたせると、妹が騎乗位でまたがってきました。

「出そうだからゆっくりして」と言ったのですが、妹はいつもどおりの騎乗位を始めました。妹は僕が耐えている顔を見て「ほんとに出そうな感じね」と言うので「マジで出る」と悲鳴を上げました。目を閉じて耐えていたら母が顔を舐めながら「出したら」と言いました。妹も「出していいよ」と言うので、「中出しする」と言ってから妹のオ○コの中に射精しました。妹のオ○コの中に大量の精液を注ぎこんでいると、妹が「お兄ちゃんの耐える顔ってかわいい」と言いました。

精液が全部でききると、妹がゆっくり離れました。すぐに母が妹のオ○コに口を付けて精液を吸出していました。妹は僕のチ○ポの後片付けをしてくれていました。母は最初は妹を横向きにしてオ○コに口を付けていましたが、最後は母の顔の上に座らせて舐めていました。妹は僕のチ○ポをトコトンまで吸い出していました。玉を揉みながら「思い切り吸ったら、タマタマの全部出てきたら面白いのにね」と言いました。

いつまでも離れないので母が「口開けて」と集めた精液を妹の口に入れにやってきました。妹はチ○ポから離れて、母にむかって口を大きく開きました。母は「飲んじゃだめよ」と言ってから妹の口に精液を流し込んでいました。そして妹を仰向けにしてから最後の仕上げに妹のオ○コを舌全体で「ベロ〜ン」と舐めてきれいにしていました。

妹のオ○コをきれいにした母は妹の上にのしかかって行きました。そして妹に精液を口角から少しずつ出させて吸い取りながら、「このままでいいから母さんに入れて」と言いました。僕はすぐに上下に並んだオ○コの上側にチ○ポを挿入しました。母はオ○コにチ○ポがズッポリ入っても妹との精液の口移しをやめませんでした。しばらく僕はその様子を見ながら母のオ○コを突きました。1分ぐらい突いていると、「久美ちゃんと交互について」と言うので、母のオ○コからチ○ポを抜いて、下側のオ○コにチ○ポを入れました。妹は気持ちよさそうな顔をしながら母と口移しを続けていました。

1分毎の交代を3セットやったら、母が「あと2回出して」と仰向けになりました。そして妹には「お兄ちゃんの精液3回分まとめて味わいたいから飲んじゃだめよ」と言うと妹も賛成のようでした。母のオ○コにチ○ポを入れると今度は妹が上にまたがってきました。妹のオ○コを見ながら、母を突きまくりました。時々妹のオ○コに指を入れて感じさせたりしながらやったので、腰がおろそかになって怒られました。

母はイキそうになってきた時に「久美ちゃんの口に出して」と言ったので、母が一度イッたあとの2回目に一緒にイッて妹の口に射精しました。妹の口の中にはさっきの精液や唾液が入っているので量はわかりにくかったのですが、それなりに出ました。妹の口の中は2発分の精液と母と妹の唾液が一杯だったので、チ○ポの吸出しと後始末は母がやってくれました。母は少しだけ精液のまざった唾液を妹の口に流しこみました。

2発出したあとですが、チ○ポはビンビンのままなので、3発目はすぐに始めました。母が「こぼれるから母さんが口に入れるわ」と言って、口移しを要求したのですが「平気」と言って拒否して、口に含んだままで仰向けになりました。母は「何かの拍子に飲むことがあるからダメ」と言って、母が仰向けになって、オッパイの上に妹の顔が来るようにしてバックからやるように言いました。

言われた通りに、バックからチ○ポを突っ込みました。妹は口を開けることが出来ないので「ウウウ」と唸っていました。母に「この方が久美がこぼす危険性高いと思うなあ」と言うと「オッパイの上だったらいくらこぼしても大丈夫よ」と言いました。「母さんがああいうから、思いっきり突くよ」と言ってから妹のオ○コを突き始めました。

3回目なのでイクまで時間がかかりました。妹はその間に2回イッていました。でも唸り声だけなのでいつもと様子が違いました。僕が射精に向けて腰を早く動かしだすと、下から見学していて心配した母が「お母さんの口に垂らしなさい。思いっきり声あげたいんでしょ」と言って、母はカラダをずらせました。妹は母の口めがけて精液をドバーっと垂らしていました。

それからは今まで我慢した分、大きな声をあげまくっていました。すぐに妹が「またイキそう」と言ったので、「お兄ちゃん、もうすぐイケる」と言うと「一緒にイク」と耐えていました。そして妹と同時にイキました。今度も中出しでした。グッタリしている妹のカラダを支えて母の顔をまたがせました。母は指を入れて精液をかきだして口に入れていました。

3回分の精液と唾液の量は結構ありました。母と妹が口移しをしあっている間にグラスを取ってきてあげました。ケンカしないように半分ずつわけるためです。妹の口から2つのグラスに精液が入りました。半分ずつになるように分けました。妹からグラスを選んでふたり同時に精液を飲んでいました。
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母に口内射精×2+放尿+野外ゴックン

斉藤先生に、登校前に精液を飲ませようと予定していた日に、斉藤先生が都合でこられなくなってしまいました。前の日に、学校の用事で、僕の家のドアにタッチするぐらいしか時間がないと電話が入ったので、「じゃあ、溜まってる分全部、母と妹に出すよ」と冷たく言うと、先生は「行きますから飲ませてください」と言いました。

その日の朝、母が「もうそろそろ先生が来る時間でしょ。起きなさい」と起こしに来てくれました。そしていきなりパンツから朝立ちしてるチ○ポを引っ張りだして、「先生、忙しいんでしょ。先生が着いたらすぐに、射精できるように、お母さんが舐めてあげようか」と言いました。「舐めるだけだよ」と言うと「わかってるわよ。お母さんだって忙しいんだし、今日はかなり疲れそうだから、舐めるだけで十分よ」と言いました。

オシッコがしたかったので、先にトイレに行くと、ドアを開けたら母が待っていて、パンツの上からチ○ポを握ってきました。「先生に電話したら、あと3分ぐらいだそうよ。だから急いで」と玄関に引っ張っていかれました。母はすぐにパンツを脱がせて「味わってる暇なさそうね」とカポっと口に咥えました。軽く口を前後させてから、舌で全体を軽く舐めてから、口の中に戻して、前後運動を始めました。母は「先生を待たせすわけにいかないから、来るまでに出したくなったら出しなさい。口の中で預ってあげるから」と言いました。その時、ちょうど妹が外出するために、やってきて「お母さん、半分ぐらい飲むから出しちゃダメ」と言って、出て行きました。

妹が出て行った直後に、斉藤先生から電話が入りました。いつもと違う道で来たので、渋滞に捕まって僕の家に寄ったら授業を飛ばさないといけないぐらい遅刻になると言いました。「さっき3分って母さんから聞いたよ」「クルマ止めて走った方が速いんじゃないの?」と強引に越させようと思いました。でも母がチ○ポから口を外して「学校優先よ」と言いました。その声が先生に聞こえたみたいなので「先生が来たら、すぐに出せるように、母が舐めてくれてる」と言いました。母が電話を奪って「息子の精液なんて、いつでも飲めるんだから、今日は学校に行きなさい。ちゃんと言い聞かせるから心配しないで」と言いました。

結局、斉藤先生が来られなくなったので、母の手を退けてパンツを履こうとしまいました。母は「出そうになってたでしょ。飲んであげるから出したら」と言いました。僕は「瞳おばさんの下見に付き合うかも知れないから取っとく」と言うと、「それならお母さんに出しなさい」と履きかけたパンツを奪い取られました。母は「当分、姉さんとはエッチしないで。居候も禁止」と言いました。どこかの兄弟も仲が悪いですが、最近母と瞳おばさんが少しギクしゃくしています。原因は竹野のおじさんに再婚話が持ち上がってるからです。

母が少し機嫌が悪くなったので、母の口に射精することにしました。「じゃあ飲んで」と言うと、「いい子ね」と舌を絡めてきました。「さっきは、味わう暇なかったから、ゆっくりさせて」と言って、舌をねっとり絡めてきました。「ジュルジュル」「カポカポ」「チュパッ、チュパッ」と音を立てたり、チ○ポを持ち上げてタマにも舌を伸ばしてきました。タマを舐めながら僕を見つめてニッコリ微笑みながら「玄関で飲むだけのために舐めてたら、昔のことを思い出して来ちゃったわ」といいました。「高校の頃の話?」と聞くと、「そう。カズちゃんの全身に精液詰まってたころね。でもあの頃は、すぐ出してたわよね」と笑いました。

最初に舐めてもらった時は、気持ちよさもあったけど、母が僕のチ○ポを咥えているという光景に異常に興奮したのはあって、ほんとに一瞬で射精してしまいました。でもそれからは、我慢する訓練をしたので、少しづつ耐えられるようになりました。だけど登校前に射精したくなった時や、父や妹が家に居るのに出したくなった時は、我慢しないですぐに射精する時もありました。登校前は絶対に即射精してました。

母はチ○ポを舐め続けながら、「最後までしなくても、お口や手だけで処理してあげてるお母さんって、全国に何人ぐらいいるのかしら。そんな情報入ってこないの」と言いました。「入ってこないよ。体験者の人からメールが来るか、それともこの前みたいに苦情がくるかだよ」と言いました。苦情と言うのは、お母さんに迫った男の子がいて、追及したら僕の影響というので怒られました。母は「挿入は問題あるとしても、包茎と持続力は、母親が責任持って指導した方が絶対にいいわ。じゃあそろそろ面倒みるわね」と少し強めに舐め出しました。

母は、唇で締め付けながら前後にしごいたり、バキュームフェラしたり、チ○ポの先を舌で強めにレロレロしたりして、出させようとしてきました。僕は我慢しないでイクことにして「そろそろイクよ」と声をかけました。母は頭を前後に振り続けました。「イクよ!」と言って、母の口に射精しました。溜まっていたのでタップリ出ました。全部出来きると母は口を外して、精液を含んだままで「たくさん出たわね」と言いました。そして姿見で口の中を見ながら舌で精液を転がしてから、おいしそうに飲みほしていました。

母が精液を転がしている間に、僕はパンツを履いたのですが、チ○ポがビンビンのままなので、パンツが膨らんでいました。母は「1回で我慢出来るの?今日は口でしか相手してあげられないけど、午前中なら、昔みたいに好きなだけ出していいのよ」と言いました。「いいよ」と言うと母は少しがっかりした顔をしました。でも意外にあさり諦めて「朝ご飯食べる?」聞くので「食べる」と答えると、「すぐに出来るから」というので、キッチンに付いていきました。

母は、手際よく朝食を作ってくれて、僕の目の前に置いてくれました。そしてテーブルの下に潜り込んで、パンツの中に手を入れてきました。「もう出さないよ」と言うと、「お母さんもお腹空いたわ」と言いました。左手でチ○ポを抑えようとしたら、「食事中は、両手はテーブルの上!!」と怒りました。仕方ないので左手をテーブルに乗せました。母はパンツからチ○ポを引っ張り出しました。チ○ポがすぐに立ったので母は「まだ出したらないみたいね」と言いながら、食事が終わるまで揉んでいました。

食事が終わったので、食器を洗おうとしたら、「洗ってあげるから、もう一度だけ頂戴」と要求しました。僕が断ると「お母さんのカラダに飽きたのね」と寂しそうに言いました。「母さんのカラダは、飽きるとか飽きないとか超越してるよ」と言うと、「だったらもう一度いいでしょ。抱いてって言ってるわけじゃないんだから」と言いました。それでも渋ると「自分の子と毎日一緒のベッドで寝る母親(瞳おばさん)の方が魅力的なのね。」とチクチク言いました。

「ただ出すだけだったら面白くないから、町内さん呼ばない?」と言うと、母は「ほらあ、やっぱり飽きたのね」と言いました。「違うよ。母さんだって見せるの好きだろ」と言うと「まあね」と素直に認めて、町内さんに電話していました。でもパート中だったので諦めて、イスから立ち上がりました。母はひざまずいて、すぐにパンツを脱がせてチ○ポを握ってきたのですが、握ったままで少し考えごとしてから立ち上がりました。タレの容器が入っている棚を開けたので何をしたいのかすぐにわかりました。

母は「1発目も残しときゃよかったわ」と言いながらチ○ポを咥えました。10分ぐらいたっぷり舐めてもらってから母の口に射精しました。母は容器に精液を流しこみました。そして容器を眺めて「たったこれだけじゃあ面白くないわね」と3発目を要求しました。「出しても薄いから意味ない」と拒否したら諦めてくれました。その代わりに、オシッコを別の容器に入れて欲しいと頼まれました。自分で入れるのは情けないと言うと、母が尿道に容器を当ててくれました。すぐに一杯になったので残りは全部母が飲んでくれました。
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昼はホテルで母に2発、夜は妹に2穴

妹の友達に見せてしまってほんとに良かったのか悩んでいます。そのことを妹に言ったら機嫌を悪くしてしまいました。母は「2、3日したら機嫌直るわよ」と言ってくれたのですが、僕が機嫌を取らなかったので、なかなか直ってくれませんでした。でも今は直っています。だから今週の告白が書けます。

妹の機嫌を損ねて3日目、僕は修行先が休みでした。だから妹を連れて遊びに行こうと思っていました。前の夜にダメ元で父に「明日、クルマ貸して」と頼んだら、父は返事してくれなかったのですが、母に「今晩、付き合いがあるから電車で行く」と言って、クルマを置いていってくれました。母は父が家を出ると、すぐに僕を起こしにきてくれて、クルマのことを教えてくれました。すぐに妹の部屋に行ったら、妹は「ノックぐらいしてよ」と怒っていました。僕が高校生の頃に、全裸で押しかけたら良く怒られたけど、最近はノックもしないで入るのが普通になってたのでビックリしました。それ以上、誘えなかったので諦めました。

妹が外出したら、母が「せっかくクルマあるんだし、どこかドライブに連れてって。お母さん、もうすぐ捨てられる身だから、いいでしょ?」と言いました。僕は妹とのことで悩んでいても仕方ないので母と出掛けることにしました。母が化粧しに2階にあがっていきました。なかなか降りてこないので、露出プレイの用意でもしてるのかなあと思って、覗きに行きました。すると母は鏡台の前でケータイで会話をしていました。母が「うちの子が私とのデート、待ちきれないらしいわ。・・・・休みなの・・・・まだ決めてないわ・・・もちろんするわよ。真昼間だけどクルマの中でもいいかも。・・・・ちょっと待って」と電話の相手に言ってから、僕に向かって「お母さんがカズちゃんのおちんちん舐める音が聞きたいんだって。脱いで」と言いました。過去にも何回かこんなことしたことがあるので、電話の相手は聞かなくてもエアロビの先生ってわかってしまいました。母は「レロ、レロ、ジュルジュル、ちゅぱっ、ちゅぱっ、カポカポ」と音を立てながら、舌で亀頭を舐めまわしたり、裏と表を往復したり、唇でしごいたりしました。「うちの子、毛を剃っちゃたのよ、舐めやすくなっていいわよ」と言ってから、チ○ポを舐めながら、乱交パーティの相談をしていました。

「もうビンビンよ。W先生が見たらすぐに入れたくなると思うわ。・・・まだしないわよ。家の中だったらいつでも出来るわ。・・・たまには2人だけで楽しみたいし、体力残ってたら行くわ。じゃあ」と言って電話を切りました。エアロビの先生は、母が僕のチ○ポを舐めている音を聞いているうちにエッチしたくなって、今から乱交しないかと言ったそうです。母は「この前、浩樹君とほんとの初体験した人いたでしょ?今、ジムにいるらしいのよ。倉庫に連れ込むから来てって誘われたけど断っちゃった。久美ちゃんの機嫌取る方が先だからね」と言いました。

チ○ポをズボンの中に入れて、クルマで出かけました。母は僕のチ○ポをズボンの上から軽く揉んだり、赤信号で止まるとキスを迫ってきました。5回目ぐらいのキスの時に信号が代わったのにキスしてたからクラクションを鳴らされてしまいました。それから、母はまじめに座っていました。行き先は母の希望で京都でした。クルマをパーキングに入れて、母と腕を組んで清水寺から坂をくだって円山公園で少し休憩しました。母は修学旅行生がたくさんいたのにキスを求めてきました。僕が軽くキスすると、年齢差があるのでやっぱり不思議そうに見られてしまいました。

食事をしてから、河原町とか新京極通りで母の買い物に付き合いました。妹に下着を何回かプレゼントしたことのある店に近づいたら「お土産にプレゼントしてあげなさいよ」と言いました。母に連れられて店に入りました。母は店の中でも腕を組んだままで下着を選んでいました。僕が選ばうとしないで付いて歩いてたら「自分の好きなの選びなさい」と言うので、選びました。母は自分用の下着も僕にプレゼントしてと言いました。妹と母のブラとパンツのセットを買って店を出ました。そのまま歩いているとファッションホテルが見えました。母は「さっそく付けて見たいわ」と言って、ホテルの方に引っ張りました。

部屋に入ると、先に母と一緒にお風呂に入りました。母は家を出てからずっと僕に甘えていたので母から言われる前に、カラダを洗ってあげようと思ったら、「お母さんが洗ってあげる」と言って、手にボディソープを付けて、全身を手でやさしく洗ってくれました。チ○ポは、パイズリで洗ってくれてから、「久しぶりに壺洗いしてあげてるね」と言って、チ○ポをオ○コに当てて腰を降ろしてきました。「硬すぎるけど、ここでは壺洗いだけよ」と言いながら、腰をくねらせたり上下運動したりして、チ○ポを洗ってくれました。母は僕の表情を見ながら「感じたらだめよ」と言いながら、自分も感じないように我慢してるみたいでした。少しだけ下から突き上げたら「ダメ」と腰を浮かせて離れてしまいました。その次に肛僕を四つん這いにさせて、肛門を気合入れて舐めてくれました。肛門を舐めてる間、チ○ポも手で軽くしごいてくれていたので、母のオ○コに入れたくなってしまいました。母がお尻から手を離したので、僕は立ち上がって母の手を引っ張って立たせて、キスをしようとしました。でも母は「お母さん、まだ洗ってないわよ」と抵抗しました。僕は「早く入れたいからいいよ」と強引にキスしました。

母は抵抗をやめて僕の舌を受け入れてくれました。キスの刺激で母のカラダから力が抜けたので、母の片足を持ち上げて向き合ったままでチ○ポを入れようとしたけど、母は「せっかくホテルに来たんだから、ベッドで抱いて」と言いました。僕は諦めてバスルームから出ました。そして母をベッドに押し倒してもう一度キスから始めました。キスの後は母の耳とか首筋を舐めてから、乳首を丁寧に舐めました。母は「こんなに丁寧にしてくれるのって久しぶりね」と言いました。僕は「母さんは、丁寧にされるのと、犯されるようにするのとどっちの方がほんとは好きなの?」と聞きました。すると母は「両方とも好きよ。カズちゃんがじっくり気持ちよくしてくれるんだったらそれでもいいし、お母さんの都合無視して、入れたくなったら入れてもいいし、どっちでも好きよ」と言いました。僕は時間がたっぷりあるので、丁寧に舐めました。オ○コの穴にも舌を入れてきっちり舐めました。肛門もたっぷり舐めました。

母のオ○コが濡れまくってから下着のことを思い出しました。今から履いたら汚れるので「母さん、下着着けなくていいから入れるよ」と言うと、「せっかく買ってもらったんだから、付けさせて」と言いました。母はベッドから起き上がって、さっき買った下着を着けました。すごくエッチポイ下着でした。母は「やっぱり濡れちゃったわ」とパンツの股間を触っていました。僕は「着けたままやるよ」と母をベッドに押し倒しました。そしてブラの上から、オッパイを揉みまくりながらキスをしてから、パンツを少しずらせてチ○ポをオ○コに当てました。母は頭を持ち上げて股間を覗きこんで「すごくエッチな感じね。これ気に言ったわ。ありがとう」と言いながら、僕がチ○ポを母のオ○コの奥までゆっくり入れて行くのを見ていました。

チ○ポがズッポリ入ると、母はまたまたキスを求めてきました。僕は腰を動かしながらキスをしました。キスの最中に母がごろんと回転しようとしたので、そのまま上下逆になりました。母は僕のチ○ポをオ○コにガッチリ入れたままで僕の顔が唾液まみれになるまで舐めまくっていました。それから母は上下運動を始めました。母は「すごく硬いけど、出したかったら出してもいいのよ」と言いながら腰を動かしていました。すこしやばそうだったけど「大丈夫だよ」と言うと、母は「ほんと?」と言ってチ○ポを抜いてしまいました。母は今にもイキそうなぐらいにパンパンになっていた僕のチ○ポを見て「我慢しないで出しなさい。焦らせ過ぎてごめんね」と言って、もう一度騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そして母は「出しちゃいなさい」と腰をくねらせてきました。僕は「じゃあ出すよ」と我慢しないで、母のオ○コに中出ししました。

母のオ○コの中にピュッ!ピュッ!!と精液をたっぷり出しながら腰をビクッビクッとさせていたら、上から僕の顔を見ていた母が「カズちゃんのイキ顔かわいい」と言いました。僕は「母さんのイキ顔もかわいいよ」と言うと「ほんとにそう思ってる?」と笑顔で言いました。「ほんとだよ」と言うと「じゃあ今度はお母さんもイカせてもらうわ」と、精液を入れたままで腰を動かし始めました。僕も下から母のオ○コを突き上げました。母は僕が攻めだしてからも腰を動かし続けていたので、僕は母のお尻をしっかり固定してバコバコ突き上げました。母は自分から腰を動かすのをあきらめて、僕に突かれて感じまくっていました。そのまま突き続けると「イク、イク!」と軽くイッてしまいました。

それから母はカラダを反らせて、自分の精液まみれになっているチ○ポが母のオ○コに入っている様子を見せつけてきました。「パンツにも精液ついっちゃってるよ」と言うと「あとで舐めてきれいにするからいいわよ」と言いました。そしてそのままゆっくり回転を始めました。180度回転したらカラダを前に倒して「見える?」と聞いてきました。パンツ脱いだ方が良く見えるので「脱いだ方がいいよ」と言うと、母はチ○ポを抜いて立ち上がりました。そしてパンツを脱いで、パンツに付いた精液をきれいに舐め取ってから、もう一度背面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れました。そしてカラダを少し前に倒しながら腰を動かしてチ○ポをオ○コでこすってくれました。母のオ○コの中の精液も、チ○ポに付いた精液もふき取らないで再開したので精液でグチャグチャになっていました。

そのあとは、バックで母を突きまくりました。ゆっくり出し入れしたり、高速で突きまくったり、グリグリしたり、チ○ポを抜いて、チ○ポでクリトリスを擦ったりしました。バックで母をイカせたら、今度はオ○コと肛門に交互に入れました。僕が「さっき、オ○コに出したから今度は肛門に出す?精液飲んだら、全部の穴に入ったことになるからその方がいいでしょ?」と言うと、「そうして」と答えました。オ○コと肛門をだいたい30秒間ずつ突きました。母は「アアッ!アアッ!!」と叫びながら感じまくっていました。「両方の穴でイカせてあげるね」と言って、最初はオ○コを突きまくり続けました。母はすぐに「イク!イクウウウ!!」とイッてしまいました。

母のオ○コから精液とオ○コ汁のニオイでプンプンしたチ○ポを、肛門に入れました。そして射精するまで肛門にズボズボ出し入れを続けました。母はシーツを掴みながら「カズちゃんもイクの?」と聞きました。「もうすぐイク」と言うと、「一緒にイクわ」と言って必死で耐えていました。耐えている顔が今にもイキそうな顔だったので、僕もすぐにイケるように激しく動かしました。そして「イクよ」と声をかけました。その瞬間、母は「イグッーー」とイッてしまいました。僕は母の腸にめがけて射精しました。

母は余韻に浸りながら「気持ちよかったわ」と嬉しそうでした。そして手を伸ばして僕のチ○ポがまだ硬いままなのを確かめてから、「カズちゃんのおちんちんって、何歳ぐらいまで出しても硬いままでいられるのかな・・」と言いました。そのあと、チ○ポを抜きました。母が頭をあげて口を開けたので、僕は母の口にチ○ポを入れました。母は「恥ずかしいぐらい汚れてるわ」と言いながら、チ○ポを丁寧に舐めてきれいにしてくれました。そのあとは僕が母のオ○コと肛門に付いた精液を自分で舐め取って、母の口に入れてあげました。母は「ありがとう」と言ってから精液を舌の上で転がしてからおいそうに飲んでいました。

喉が渇いたので冷蔵庫からアミノ酸系ドリンクを出して飲みました。母は口移しで飲みたがったので、口に含んで飲ませてあげました。そのままキスしました。「今日、何回ぐらいキスしてるかなあ」と聞くと、母は「10回以上してるかなあ・・」と言いました。このままもう1発やろうと思ったので、舌を母の口に入れようとしました。すると母が「そんなことしたら、お母さんまた欲しくなるわよ」と言いました。僕は「3発出すつもりだったけど?」と言うと、「うれしいけど、下着プレゼントしてお礼に久美ちゃんが欲しがったらどうするの?」と言いました。素直に2発でやめて、もう一度お風呂に入って帰りました。

夜、妹が帰ってきました。買ってきた下着を渡して謝りました。妹は無反応で自分の部屋に入りました。母は「いつまでも怒る性格じゃないから、もう大丈夫よ」と言ってくれました。夕食は3人で食べました。妹は母とは会話したけど、僕を無視していました。でも目はあわせてくれて「イー」って顔をしてきました。今日もダメかなあと諦めたのですが、夜遅くに、妹が僕がプレゼントした下着を着けて入ってきました。そして「下着姿のあたしみながらオナニーできたら許してあげる」と言いました。僕はすぐに下半身だけ脱いでチ○ポを握りました。チ○ポがすぐに立ったので「反応よし」と妹が言いました。僕は妹の下着姿を見ながらしごきました。イキそうになってきたけど、機嫌が直りかけた妹に「飲んでくれる?」と聞けないので、ティッシュの方を見たら、妹は僕の前にしゃがんで口を開けてくれました。僕は、妹の口の中に射精しました。妹は「薄いけど、お母さんに2回で我慢したから許してあげる」と言ってくれました。妹は精液を飲んで部屋から出ていきました。

ほっとしたので、そのままベッドで眠ってしまっていました。気がついたら母がチ○ポを舐めていました。妹の部屋からは「アアン、アアン」と妹の声が聞こえていました。母は「早く、久美ちゃんの部屋に行きなさい」と僕を起こして背中を押してくれました。妹の部屋に行くと、父が正常位で妹のオ○コにチ○ポを突っ込んでいました。父は「やっときたか。久美、サンドイッチしたいらしいから」と言いながら、妹を抱いてひっくり返りました。妹の肛門は、さっきまで父のチンポが入ってたみたいな感じでした。僕はすぐに肛門にチ○ポを当ててゆっくり入れました。

この体勢で肛門を突きまくってイカせたら上下逆になりました。今度は父がオ○コを突きまくってイカせました。父がオ○コからチ○ポを抜くと母が僕のチ○ポを肛門から抜いて、妹のオ○コに入れてくれました。そして妹の手を引っ張って騎乗位にさせてから180度回転させました。父はすぐに妹のカラダを前に倒して肛門にチ○ポを入れました。父がいきなり激しく突きまくると妹は「アアアアアアアアーーーー」と声を上げていました。父は「肛門に出すぞ」と妹と同時にイッてしまいました。妹は僕の顔とカラダによだれを垂らしまくっていました。

母が妹の肛門をきれいに舐め終わるまで待ってから、座位になってキスしながらグリグリと動かしました。隣で母が父のチ○ポをもう一度たたせようと舐めていました。父はチ○ポが元気になると「お前も出すか?今日2回出したらしいな。3回出すなら出してもいいけど、疲れてたら、久美が失神するまでサンドイッチ続けて終わりにするからな」と言って、僕に立ったままやるようにいいました。父は立ったままの妹の足を持ち上げて肛門にチ○ポを入れました。妹は自分の力で立っていられなかったので、僕と父が無理やり立たせながらオ○コと肛門を突きまくりました。妹がイッた時は完全に足の力が抜けていました。妹がイッたので動きを止めたら、母が妹と僕と父の結合部にしゃがんで舌を這わせてきました。母は「洪水ね」と言いながら舐めていました。

射精したかったので、最後は1対1になって、妹をマングリ返しにしてオ○コと肛門を交互に突いてオ○コに中出ししました。母が精液を吸いだそうとオ○コに口を付けたら、妹はカラダを痙攣しながら「感じすぎるから指でかき出して」と母の舌をオ○コから離そうとしてました。母が「きれいにしてあげるだけよ」というと、妹はオ○コを舐めさせました。それから母は指を入れて精液をかき出す前に、クチュクチュとオ○コをこねくまわしてイカせていました。最後に妹は「死ぬかと思った」と満足そうに言ってました。
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妹が種付け再開を宣言した日のこと

9月に入ってから、妹との種付けを再開しました。再開後の妹の方針は
1)まずはオ○コを時間をかけて舐めてイッてから挿入。
2)体位はバック、屈曲位、まんぐり返し突きで、チ○ポの先を子宮口に押し当てて射精すること。
3)射精後は30分間、染みこませること
この3つをしっかり守ること。そして種付け日記をつけると言いました。
これだけなら、大したことはないのですが、週に2回以上はこれを2セット(ようするに2発射精)やって欲しいと言いました。

初日のことです。僕と母と妹とミーちゃんと夕食を食べている時に、妹は「今日から子作り再会するから、お母さんとミーちゃんはお兄ちゃんとのエッチを控えてね」と突然言いました。すると母が「急に言われても困るわ。カズちゃんとはもう4日間もしてないのよ」と今日から子作りに入ることに文句を付けました。
「ミーちゃんは、おとついお兄ちゃんとエッチしてたから平気よね」
「・・・ハイ・・」
妹に睨まれたミーちゃんがしぶしぶOKすると、次は母に「祐君と春樹君のエッチで忙しくてお兄ちゃんとしなかったのはお母さんの勝手よ」と言いました。
すると母は、春樹君のお母さんが生理だから、オナニーさせるのは可愛そうとだし、春樹君が祐君のお母さんとエッチする日は、代わりに祐君を癒してあげないと寂しがるからと、自分の正当性を主張しました。
でも結局、妹が「妊娠するまでの短期間だけだから」と無理やり納得させてしまいました。

母が不機嫌そうに食事を取っていると、めずらしく妹の方から母の機嫌を取り始めました。一応、父は今でも、兄妹で子供を作るのはあまり薦められないと少し反対する気持ちを持っているので、母に協力してもらうために「お兄ちゃんに射精させたら困るけど、そうじゃなかったら10時迄ならエッチしてもいいよ」と言いました。
「ミーちゃんは、どうする?」
「エッチしたいです!!」
母は、ミーちゃんもエッチしたがってることがわかって、「一緒にしよう」と言いました。すると妹が「3Pは、ダメ!お兄ちゃんが出しちゃったら大変だから、別々にして」と言いました。
母も、妹もとりあえず、今日エッチしてイケたら3Pじゃなくてもいいからと妹の命令に従いました。

「両方の穴使いたいから、準備してこいよ」とアナルエッチ大好きなミーちゃんに言いました。ミーちゃんが「あと片付けしてからにします」と答えると、「今日は、サービスしてあたしがしてあげる」と妹が言いました。それを聞いたミーちゃんは、すぐにトイレとシャワーをしに行きました。
そして母が僕の手を握ると、リビングに移動しようとしました。
でも妹が「2階はダメだよ。あたしの見えるとこでして」と言うので、母は僕から手を離して僕を全裸にしました。そして自分もパンツを脱いでその場にひざまずいてチ○ポに顔を近づけてきました。そしてチ○ポの先っぽを軽く舐めながら「10時までは、久美ちゃんは絶対に参加してこないのね?」と聞きました。
「10時からお兄ちゃんにたっぷりしてもらうから、邪魔しないから安心して」と答えると、あと片付けを続行しました。
母は「ほんとに邪魔しないのかしら」と僕に言いながら、先っぽをチュパチュパしてから、チ○ポ全体を舐め始めました。僕のチ○ポはすぐにギンギンになったけど、母は自分の持ち時間の1時間をたっぷり堪能しようと、それから約15分間フェラを継続しました。

テーブルの上がきれいになると、仰向けに寝かされて母は玉舐めもやってくれました。玉舐めしながら母は、僕のチ○ポを軽くしごきながら第1チ○ポ汁をドクドクと出させながら、手のひらに取ってチ○ポ全体にこすりつけてきました。凄く気持ちいいので、舐め続けてもらっていたら、キッチンから一旦離れていた妹が「お母さんだめよ」と言いながら戻ってきました。
「そんなに第1チ○ポ汁出させてどうするのよ」と母の手を掴んでチ○ポから離させてしまいました。
「お兄ちゃんが射精しちゃったら、どうするのよ!!」と少し怒った口調で言いました。「わかったわよ。カズちゃん、もう入れちゃって」と、母はキッチンの床の上で四つん這いになりました。テーブルの上から降りると、フェラだけですっかり濡れた母のオ○コの穴の表面に浮出ていたオ○コ汁をチ○ポの先っぽで全体に伸ばしました。たっぷり伸ばしてから、そのままバックでチ○ポを入れました。
「アアーーー硬くて気持ちいいわあ・・」
背中をピーンと伸ばしながら、最初の刺激に感じた母が声をあげました。そして「今日は、何回もイッたら怒られそうだから、イカせてくれなくていいから、ずっとお母さんの中をゆっくりと擦って欲しいの」と言いました。
「まだ30分以上は、母さんとエッチできるけどいいの?」と聞くと、「いいの。30分間ずっと擦って、それから最後にイカせて」と言いました。

母の奥でじっとしていたチ○ポをゆっくりと動かし始めました。チ○ポの先っぽでオ○コの上側を特に強くこするような感じでゆっくりと擦りました。
「気持ちいいわ〜」
妹は母が気持ちよさそうな声をあげていても、おかまいなしに片付けとか、ミミちゃんや大和の世話をやっていました。
激しくピストン運動しているわけじゃないので、母はまったりと感じてるような声をあげていました。
それからほんとにゆっくりと擦り続けました。擦り続けながら、母のオ○コの構造をじっくりとチ○ポの先っぽでチェックしました。母がオ○コの中で一番感じるポイントをこすりながら、そこに何かあるのかじっくりと確かめました。普通のスピードとかゆっくりしたスピードのピストン運動では発見することが出来なかったのですが、この時は、3mm/s位のスピードでオ○コの上側を探りながら進んだので、オ○コの中の微妙な変化に気づきました。
オ○コの中にカメラを入れてもわからないと思いますが、その場所に当たった瞬間に母のお尻がブルッと震えるます。指で探ってもわからないのに、それより鈍いはずのチ○ポの先でオ○コの中の硬さが微妙に硬いのがわかりました。
たぶん、母のからだが年齢とともに衰えてきたのが原因だと思います。そのポイント中心に擦りました。

「うわああーー気持ちいいーーーー」
ちょうど母の頭の延長線上に妹がいたので、背中を反らせて、気持ちよさそうな顔を妹の方に向けて感じていました。
そのまま、バックで約10分間ぐらいゆっくり擦り続けました。そして後片付けが終わった妹がリビングのミミちゃんと大和のところに移動したので、僕と母は結合したままでリビングに移動しました。
リビングでは、母をソファに座らせて、そしてオ○コを擦りました。ミミちゃんが母の所にきたので、母はミミちゃんを抱きながら、チ○ポの感触を楽しんでいました。

両方の穴の準備が完了したミーちゃんが戻ってきたので、母のオ○コを擦りながら、ミーちゃんのクリトリスを指でいじったりもしました。

ずっと擦り続けて、最後にイキなりイカせるのはしんどいので、ラスト15分が過ぎてからピストン運動を開始しました。すると妹が「お兄ちゃんに余計な体力つかわさないで」と言いました。激しいピストン運動じゃなかったけど、母は「じゃあ。仰向けになって」と、僕に仰向けになるように言いました。仰向けになると、母は自分のオ○コ汁まみれのチ○ポを掃除してから、対面騎乗位でまたがってきました。母のオ○コの奥までチ○ポがズッポリ入ると、妹が勝手に「ミーちゃんはお兄ちゃんに舐めてもらったら」と顔面騎乗するように言いました。

ミーちゃんのオ○コを舐めながら、時々突き上げて母をイカせる準備をしました。そしてラスト5分になると、母が「久美ちゃん、最後はお兄ちゃんに奥深くまで激しく突いてもらいたいのよ。だめ?」と腰をくねらせながら言いました。妹は「お兄ちゃん、さっさとイカせちゃって」とOKを出しました。

そしてもう一度バックで母のオ○コにチ○ポを挿入しました。今度は挿入の瞬間から強くズボッ!!と突っ込んで母のお尻に下腹部を打ち付けました。
「ああーーきたーー!!・・キク!!気持ちいい!!・・そこそこ・・気持ちいい!!!」
母は自分からも僕にお尻をぶつけるように動かしていました。隣でミーちゃんがパンツの上からクリトリスを触っている様子が見えていたし、母も早くイクことを望んでいたので、スピードを緩めずに突きまくりました。
ゆっくりと擦っている時でも、オ○コ汁がドクドクと放出されていて、僕のチ○ポがかなり白くなっていて、擦るのを止めてオ○コ汁を乾燥させたら、母と僕が結合したままで固着されてしまいそうなぐらいでした。そんな状態から激しくピストンをしたので、雰囲気的には指マンで汁をピュッピュッ!と飛ばさせるぐらいの刺激になっていて、妹が「お母さん、濡らしすぎ」と注意を受けていました。

あんまり多いので、妹が「お兄ちゃん、ひょっとして出してないね?」と言いながら、僕と母の結合部に指を伸ばして、オ○コ汁をすくい取って味見していました。「お母さんの味がする」と安心していました。
それから僕は、母の手を取って後ろに引っ張りながら、バコバコ突きまくりました。
「ささる!ささる!!・・・アッ、だめだめ・・いっちゃういっちゃう、あっイク・・イク!!!」
母は上半身を浮かせたままで激しくイッてしまいました。ゆっくりと上半身を着地させると、母はいつもの倍ぐらいの時間、全身をピクピクさせていました。口をポカンと開けたままでヨダレを垂らしていました。
「お母さん、満足したでしょ?」
「気持ちよかったわあーーー」とピクピクしながら余韻に浸っていました。オ○コもぽっかり穴が開いたままになっていました。
母のオ○コ汁チ○ポを掃除させるつもりはなかったのですが、さっきから順番を待っていたミーちゃんがパクッと咥えてしまいました。そして、興奮しきっていたミーちゃんが、バキュームフェラを始めたので、暴発の恐れがあるので慌てて止めさせました。

チ○ポを少し冷ますために、オ○コと肛門をたっぷり舐めてから、まずはV字開脚させてミーちゃんの両足を抱えながら、オ○コに挿入しました。
「凄く硬いです!!」とチ○ポがズブッと入った瞬間にうれしそうな声をあげてくれました。そして奥深くに入れたままで、持ち時間の30分間をどんなふうにエッチしたいか聞きました。
「奥まですごく激しく突いて欲しいです」
「そんなことしたら、30分は我慢できないよ」
「我慢してください」
この言葉を聞いた妹が、いきなり結合部に手を伸ばして、ミーちゃんのオ○コからチ○ポを抜いてしまいました。
「久美さん、ごめんなさい」
妹がいきなりチ○ポを抜いた理由にすぐに気づいたミーちゃんは、妹に向かって謝っていました。妹は「お兄ちゃんとの種付けの前に特別にサービスしてること忘れないで。ミーちゃんがお兄ちゃんと種付けしてる時に邪魔しなかったでしょ!」と注意しました。厳重注意じゃなかったので、妹はチ○ポの先をミーちゃんのオ○コの穴に向けたので、すぐにオ○コに挿入しました。

「うれしいです!久美さんありがとう!!」と妹に感謝をしながら、目を開けて僕のチ○ポが自分のオメコに出入りする様子を眺めていました。
最初は普通にピストンしたけど、ミーちゃんが「お母さんと同じくらいゆっくりがいいです!」と言ったので、ゆっくりとオ○コの内部の構造を確かめながら出し入れを続けました。
挿入開始3分後ぐらいから、それまで余韻に浸りきっていた母が復活してきて、ミーちゃんとキスをしてからオッパイを舐め始めました。その様子を見ながら、15分間ぐらい出し入れを続けました。
それから対面騎乗位に変えて、今度はミーちゃんにゆっくりと腰を動かさせました。母は後ろに回って、ミーちゃんの肛門を丁寧に舐めていました。
「そろそろ、お尻にも入れてあげたら?」と母が言うので、ミーちゃんを四つん這いにして、バックで肛門にチ○ポをズズズーと入れました。
「ハアアアアアーーーーー」と肛門大好き妻のミーちゃんが気持ちよさそうな声をあげました。
肛門も同じようにゆっくりと出し入れしました。時々、ミーちゃんに腰を動かさせたり、肩を床に付け、顔を僕の方に向けるように命令して、そしてズボズボと少し強く肛門を突いて、気持ちよさそうに感じているミーちゃんの表情を眺めて楽しみました。

「お兄ちゃんの大事な正妻だから、両方の穴でイカせてもいいよ」と妹が言うので、まず最初に肛門をそのままズボズボ突き続けました。ミーちゃんは「気持ちいい!!気持ちいい!!」と連呼していて、すぐにイキそうな雰囲気だったのに、妹は僕の体力のことを考えたのか、もっと早くイカせようと思って、ミーちゃんのクリトリスをいじり始めました。でもミーちゃんは文句を言わずに、さらに感じはじめました。
「お尻気持ちいいです!!・・・アッアッ・・イキそう・・イキそう・・・イキます!!」とイッてしまいました。
ミーちゃんのお尻がブルブル震えている間、ずっと肛門にチ○ポを挿したままでじっとしていました。
「気持ちよかったです」と言ったので、ゆっくりとチ○ポを抜きました。すぐに母がパクッと咥えて、肛門に入っていたチ○ポの掃除を始めてくれました。
でも母は、ここぞとばかりに掃除というより、自分が楽しむためのフェラを始めました。ミミちゃんと大和の世話で忙しくなった妹は、母がかなり強めに吸いながら舌をからめてきたことにすぐには気づきませんでした。
気持ちよかったので、そのまま舐めてもらっていると、妹に気づかれないのが面白くない母が、徐々にバキューム音を立て始めました。
「お母さん!!そんなに強く吸わないでよ!!」とやっと気づいて、あわてて飛んできました。母は口をキュッと締めてチ○ポに吸い付いてきました。
妹に腕を引っ張られても頬を思いっきりへこませながら吸い付いていました。引っ張るのをあきらめた妹は、母のオ○コに指を2本入れて、激しく動かし始めました。
「アッアッ・・気持ちいい・・・」と言いながら、チ○ポを口の中から出しました。妹がオ○コから指を抜くと、「久美ちゃん、気持ちいいから、もっとして!!」と妹の手を取ってオ○コに戻そうとしました。妹は「自分でしたら」と逃げていきました。

母の強烈なお掃除バキュームフェラが終わったので、オ○コに挿入しました。今度は、最初から普通にピストン運動をしました。オ○コでイカせる時間がなくなったら、かわいそうなのでズボズボ突きまくって、最初から激しくあえぎ声をあげさせて、すぐにイカせました。

このあと予定より30分間長く休憩してから種付けを再開しましたが、初日のエッチは、報告して面白い内容じゃないので、今回はパスします。一応、2回中出ししました。
http://www.kazunoie.com/memo/memotanesai.html

ラブホで母に気持ちよくしてもらいました

会社の有給ノルマの消化が3月15日迄に迫っているので、有給を取って午前中はミミちゃんと遊びました。そして午後から用事をしに大阪市内に行く母の送迎に付き合いました。帝国ホテルでその用事は行われていて、1時間ほど終わるまで待ちました。そして母をクルマに乗せて家に向けて走り出すと「今日は暖かいから少し散歩しない?」と言ってきました。

橋を渡った直後で、ちょうどそこは、桜ノ宮のラブホ街のそばでもありました。クルマをとめて外に出ると、母がすぐに手をつないできました。そしてしばらく川のほとりを散歩しました。散歩中、母はラブホのことを全く口に出しませんでした。普段なら利用しなくても、フロントの部屋の案内を見に行ったりするぐらいなのに、この時は全く触れようとはしませんでした。でも1万回以上、母のオ○コに挿入した僕としては、母の本音はすぐにわかりました。
「このあと特に予定ないから、エッチして帰ろうか?」
僕の方から誘うと、母はニッコリ微笑みました。
「ちょうど僕も母さんとふたりだけでじっくりエッチしたかったところだから」
「うれしい。お母さんもカズちゃんにいっぱい突いてもらいたかったのよ」
「お尻も使うよ」
「浣腸持ってきてないわよ」
と話していたら薬局があったので、そこでイチジク浣腸を買ってからきれいで広々した感じのラブホに入りました。最初に良く名前のきくホテルを覗いたのですが、部屋が狭そうな感じがしたのでパスしました。というのも、僕と母のエッチは、ベッドの上だけじゃなくて、あちこちの場所でやるからです。

「わあほんとに広いわあ!!」
ラブホサイトを検索しても名前しか情報が載っていないホテルでしたが、部屋はきれいでウェルカムサービスもありました。用事の都合で昼食を食べてなかったので、メンバー登録して無料の食事を頼みました。そして食事の前に、浣腸して腸をすっきりすることにしました。まず母だけを全裸にして、浣腸をしました。全裸にしたのは、浣腸のあとに肛門を清掃するからと、そして食事が来たら全裸で受け取らせようと思ったからです。

肛門清掃が終わった母に、チ○ポを即尺を命じました。母は楽しそうな表情を浮かべながら僕のズボンを脱がしにかかりました。そしてパンツを脱がされかけた時に、チャイムがなりました。「母さん、裸で取りに行って」と命令しました。
母は躊躇なくすぐに飛んで行きました。
「もう置いて帰ったみたい」
食事を頼んだときに「カギは開けておいてください」と言われました。自動ロックしかかけてなかったので、係の方は食事を置いて部屋の外に出てからチャイムを鳴らしたみたいで、母の全裸を見せることに失敗しました。
失敗したのは残念でしたが、女性に女性の裸を見せつけても仕方ないので、そんなにガッカリしませんでした。
それからすぐに食事にしました。昔、エッチを覚えたてで母のからだを常に触っていたかった頃を思い出して、合体したままで食事をすることにしました。

「チ○ポがカチカチになったらご飯にするから」
「カチカチにしたら先に入れて欲しいわ」
「母さんとつながったままでご飯が食べたいんだ」
母は僕に向かって微笑むと、僕の足の途中で止まっていたパンツを完全に抜き取りました。そして僕の目を見ながらチ○ポに舌を伸ばしてきました。僕が母の目をじっと見ていたので、母は目をそらさずに亀頭と裏筋を舐めながら僕を見つめ続けてくれました。
1分ぐらい見つめあったから、母は目を外して玉を舐め始めてくれました。玉舐めは思わず声が出てしまうので、母は僕の声が好きらしくて念入りに玉を舐めてきました。食事のことを忘れて舐め続けてもらいました。
舌が玉からチ○ポの先っぽに戻った母は、第1チ○ポ汁を吸い取ったり、舌で亀頭中に広げたりしました。そしてイカせるためのフェラじゃなくて、チ○ポをいとおしむフェラをずっと続けてくれました。

15分間ぐらい舐めてもらった頃に、お腹が「グウウ」と鳴りました。その音を聞いた母はチ○ポを口に入れたままで「お腹空いてるんでしょ?ご飯にしようか?」と声をかけてくれました。
お皿の位置を結合状態でも取りやすいようにしてから、対面座位でチ○ポを入れるようにいいました。母は「カズちゃんのおちんちんをたくさん舐めたから恥ずかしいぐらい濡れてるわ」と言いながら、僕のチ○ポをオ○コに当てて、ゆっくり腰を下ろしてきました。母のオ○コの中は恥ずかしいぐらい濡れていて「ツルッ!ズボッ」と入ってしまいました。
母は「アーン硬い・・」と声を漏らしていました。
しっかり結合出来たので、一緒に食事をとることにしました。母は「食べさせてあげようか?」と言ってきたのですが、断って、自分で食べ始めました。でもふたりの間隔がそんなになくて食べづらいので、ひとりずつ食べることにしました。僕が注文した焼肉ピラフを母に渡すと、うれしそうにスプーンですくって、僕の口に運んでくれました。そして僕が良く噛んでいる間、母はオ○コをキュッキュッとうごかして僕のチ○ポを締め付けていました。そのおかけでカチカチ状態を継続することが出来ました。母も心配になったみたいで、僕が噛んでいる間、結合部に指を伸ばしたり、抜けない程度にチ○ポを引き出してどの程度カチカチなのか確かめていました。

焼肉ピラフも途中で飽きてきました。母が頼んだ海老ピラフが食べたくなったので、口の中でグジャグジャにした焼肉ピラフを母の口に入れました。「ありがとう」と母はグジャグジャの焼肉ピラフを飲み込みました。
「飽きたから半分ずつにしよう」
そう言うと、母は焼肉ピラフの皿をテーブルに置きました。そしてつながったままで海老ピラフの皿を取って、スプーンですくおうとしました。でもこのまま素直に食べても面白くないので、チ○ポをオ○コから肛門にチェンジすることにしました。
「今度は肛門に入れて」
「もうお尻使うの?」
「どこに入れようが僕の勝手だろ?」
「わかったわ」
母はゆっくりと腰を浮かせてオ○コにズッポリと飲み込んでいたチ○ポを抜きました。当然ながら母のオ○コ汁まみれのギンギンのチ○ポがビターン!!と僕のお腹を打ちました。母はすぐにチ○ポを握ると、肛門にチ○ポを当ててゆっくりと腰を降ろしてきました。オ○コのようにツルッとは入らないので、ゆっくりと押し込みました。
「ハアアーーーー」
肛門を全くほぐさずに入れたので、母は息を吐くようなあえぎ声をあげながらチ○ポを肛門で飲み込んでいきました。
「メニューがカレーじゃなくてよかったね」と僕が言うと、母は笑い声をあげました。
この体勢で海老ピラフを半分食べました。当然、その間も母は肛門でチ○ポを締め上げていました。

母の食事は、焼肉ピラフと海老ピラフをひとつの皿にまとめて、床に置いて四つん這いで手を使わずに食べるように命令しました。
「つながったままで食べないの?」と母が多少不満そうに言ったので、「ちゃんと入れるから。そうそう、オ○コに入れたら焼肉ピラフを食べて。肛門に入れたら海老ピラフね」と言いました。母はオ○コと肛門にチ○ポが入ってくることを知って安心していました。
ウェルカムドリンクは、アイスコーヒーとウーロン茶を頼んだのですが、僕はアイスコーヒーを飲みきってしまっていたので、ウーロン茶を飲みたかったのです。でも母の分を飲むわけにはいかないので、追加で頼むことにしました。
その前に、オ○コにチ○ポを入れました。チ○ポがオ○コの中に入り始めると母は焼肉ピラフを食べ始めました。最初の一口を飲み込むまでオ○コの中でじっとしていました。飲み込んだのを確認するとピストン運動を始めました。
「あん、動かしたらご飯食べられないわ・・ハアハア・・・」
母は早速感じ始めました。僕は母のオ○コの感触を楽しむようなゆっくりしたスピードでチ○ポを出し入れしながら追加でドリンクを頼みたいと言いました。
「冷蔵庫にないかしら・・」
冷蔵庫には当然冷たいものがあるのはわかっていましたが、どうせならさっき失敗したホテルの方との遭遇をやりたかったのです。だから、まずは母にフロントに電話をさせることにしました。
電話は ベッドの所にあるので、四つん這いでつながったままでベッドに移動しました。そして母が受話器を取って、「9」のボタンを押したことを確認すると、ピストン運動を開始しました。最初からかなり強めに突いたので、母の電話での第一声は「ダメ」と言う言葉になりました。
「すいません・・・ウーロン茶を・・ハアハア・・・お願いします・・・ハアハア・・・・はい」
注文が終わった母は、受話器を置くと「エッチ中なのがわかったかしら」と言いました。さっき失敗してるだけに、会話をしている暇がないのでオ○コからチ○ポを抜きました。
そして、ピラフの皿を持って部屋の入口につながるドアを開けて、床に皿を置きました。初めてのホテルだったので、母と僕の結合部をモロに見せ付けたらどんなことになるか想像できなかったので、母が僕にオ○コを突かれながらピラフを犬食いしている姿の上半身だけ見せることにしました。
下半身を隠れるような位置で四つん這いにさせて食事を再開させました。僕がまだオ○コにチ○ポを入れていないのに、焼肉ピラフを食べたのでお尻を叩いて注意しました。

それからすぐにオ○コに肛門を入れました。母は焼肉ピラフを食べ始めました。ウーロン茶が届くまでは、オ○コだけを使うことにしました。食事が運ばれてきた時のことを考えると、静かにドアが開けられるので、オ○コと肛門を交互に使っていた場合に、抜き差しの最中にドアが開いてしまったら面白くないからです。ウーロン茶を部屋の中に置いて出て行くまでに、10秒もかかりません。だから慌てて挿入してピストン運動を開始しようとしたころには出て行かれたあとになるはずです。3回目のチャンスはないので、じっとオ○コを突きながら待つことにしました。
待つこと3分後に、静かにドアが開く音がしました。僕はピストン運動のスピードをMAXまで上げました。
「アッアッアッアッ・・・」
「置いておきますね(バタン)」
一瞬で部屋から出て行ってしまわれたのですが、母のオ○コにチ○ポが入っていることは想像付いたはずです。じっくり見て欲しかったのですが、とりあえずは満足しました。

食事のあとは、まずは部屋のドアに手を突かせて、立ちバックでやりました。ドアの外を通る人に声を聞かせるためだったのですが、オ○コを突いたり、肛門を突いたりして声を聞かせることに成功したとは思うのですが、聞かされた人の反応がわからないので、すぐに飽きてベッドに戻りました。
ベッドでは、まずシックスナインから始めました。僕が仰向けで、母が上に乗ってやるいつものパターンですが、母はドアの向こうの人に声を聞かせて興奮していたみたいで、かなり激しくチ○ポを舐めてきました。それに負けないように僕も母のオ○コを激しく舐めまくりました。指も入れてグジュグジュと音を立てさせました。すると母の口の動きが止まりました。
「だめだめ、いっちゃいそう」
「今日はイキたい放題だからイッていいよ」
「アッ、イク、イク!!!」
母を指でイカせると、今度は肛門に指を入れました。肛門からチ○ポを抜いてからの時間がかなり経つので、普通の肛門に戻っていました。だからほぐすのを兼ねて指を入れました。
「そんなとこ擦ったら、お母さんまたいっちゃうわ」
「だからイキたい放題でいいよ」
「今度は、カズちゃんのおちんちんでイキたいのよ」
チ○ポを要求されてしまったので、僕の上になっていた母をごろんと横に回転させて仰向けにすると、まずはオ○コにチンポを入れました。オ○コに入れる前に肛門にチ○ポの先を擦りつけたので母は一瞬、肛門でチ○ポを飲み込む体勢を取ろうとしたのですが、オ○コに入れました。
「ハアアアア・・・」
気持ちよさそうな表情と声で僕のチ○ポが入って行く様子を見ていた母はズッポリ入ってしまうと「ほんとに何回でもイッていいのね?途中でいじわるしない?」
「いじわるしないけど、いじわるされるのは好きだよね」
「好きだけど、たくさんイッてからにして欲しいの」
「じゃあ、10回までは自由にイッていいから」
そう言うと、僕はまずV字開脚で腰を折り曲げながら、ズボズボと突き降ろしました。そしてさらに腰を曲げていってゆっくりとマングリ返し突きの体勢になりました。
「目を開けてちゃんと見て」
そう言ってから、母のオ○コの中に僕のチ○ポが激しく突き刺さる様子をじっと見るように命令しました。この時点で僕のチ○ポは母のオ○コ汁がベッタリ付いて糸を引いていました。激しくピストン運動をすると、糸を引く様子が良く見えないので、ゆっくりと出し入れしながら母にチ○ポに絡まって糸を引いているものは何かと質問しました。
「お母さんのお汁よ。カズちゃんのおちんちんが入ると、どうしても出ちゃうの」
「実の息子に向かって、こんなに濡らす母親っている?」
「お母さんぐらいよ。淫乱だもん」
母はそう言って自分で興奮していました。僕はさらに興奮させてイキまくらせようと、マングリ返し360度突きを開始しました。

「今日は、かなり小刻みに突き降ろすから、1周するまでに3回ぐらいイキそうかな?」
そう言いながら、まずはいきなりズドーン!!と突き降ろしました。その衝撃で母は「グッ!」と軽くイッてしまいました。母的にはそれは数に入れらたくなかったみたいで「今のはイッてないから」と強調していました。
それから僕は小刻みに念入りにマングリ返し突きをしました。感じまくっていた母は、1回突き降ろすたびにかなりこたえている様子でした。最初の45度に達するまでに10回近く突きおろしました。そしてそのあとすぐに母が「ダメ!イク!!」とイッてしまいました。イッた瞬間にチ○ポめがけてオ○コ全体から汁が放出された感じを受けました。
90度の頃には、母は頭を振りまくりながら「気持ちいい!気持ちいい!!」を連呼しながら激しく感じていました。
180度目に2回目をイッていました。かなり激しくイッたので、カラダが硬直する際にチ○ポが抜けないように必死でおさえました。そのあと300度あたりでもう1回イキました。そのあとは少し手抜きをして360度に戻りました。

1周したので、今度は肛門マングリ返し360度突きにチャレンジしてみました。袋に入ったローションがベッドの所にあったので、それを肛門に塗りこんでから開始しました。母は肛門の場合は奥の直腸のあたりで感じているみたいなので、なるべく奥深くまで突きいれるためにロングストロークで、ゆっくり確実に突きいれました。
「お尻気持ちいい!お尻いい!!お母さんうれしい!!」
母は大喜びでした。僕的には肛門の入口のきつさをチ○ポ全体で味わえたのでそこそこよかったです。オ○コの時のように小刻みに回転しなくて、ザクッと1周しました。1周が終わる直前に母はイッてしまいました。
「どうして今日は、こんなにイカせてくれるの?お母さんうれしいわ」
「どうしてってわけないけど、ラブホ代は母さんが払ってよ」
「わかったわ」
こんな会話をしながら肛門からチ○ポを抜きました。そして肛門が閉じるまで指で触りながら母とキスをしました。

この時のキスは10分ぐらいやってました。母が僕の唇をむさぼるように舐めてくるので、母が離れるまで付き合いました。キスされるとチ○ポがどうしても第1チ○ポ汁が大量に出てしまうので、そのあと母は舌先で糸ひかせながら第1チ○ポ汁を舐め取っていました。そのままフェラになって、そして玉舐めが始まったので僕は大の字になって、母の舌の感触を味わいました。
玉舐めはほんとに天国で玉ばっかり舐められても射精はしないけど、最高に気持ちいいので「ずっと玉舐めていて」と10分以上舐めさせました。僕は目を閉じて、たぶんだらしない顔になっていたと思うけど「母に服従します」というような顔をしたままで舐められていました。
10分以上経過した時に「今日はお母さんの口で精子搾り出したいの。いいかしら?」声をかけてきました。ちょうど僕も射精してもいいかなあって気分になってたので、楽して射精できるフェラで抜いてもらうことにしました。
「すっごく気持ちよくなって、たくさん精子出してね」
そう言うと母は、僕がさっきまで丁寧に攻めたお返しに、肛門の穴、玉、チ○ポの3点を念入りに舌を這わせてくれました。途中で母のオッパイで顔をたぷたぷしてもらっている時に、母はやさしくチ○ポをしごいていたのですが、ほんとに気持ちよくて、このまま漏らすように射精したかったぐらいです。でも我慢して、顔たぷたぷからチ○ポに戻ってもらって「そろそろ出すから」と宣言しました。
「たくさん飲ませてね」と母はチ○ポを唇でシゴキ始めました。そしてシゴかれて1分ぐらいで射精したい気持ちがグググと湧き上がってきて「出る!!」と母の口に思いっきり射精しました。すごっく気持ちいい射精でした。ドクドク出ているようで、なかなか射精がとまらなかったです。
ようやくおさまったチ○ポの先を軽く吸ってから母は口を外しました。精液を含んだ口で「たくさん出たわ」と教えてくれて、口を開けて精液を見せてくれました。
精液は予想より多く出ていて母の舌の上と舌と歯の間の隙間にたっぷりとありました。すぐに舌で転がして「今日のは特別プリプリしてる。すぐに飲むのはもったいないわ」と言いました。確かに精液がダマになっている部分が多くてプリプリという表現通りの感じの精液でした。
「もったいないけど飲むわ」
母は自分の唾液で味が薄まってしまう前に、僕の精液をおいしそうに飲んでいました。

精液を飲み終わった母は、まだビンビンのチ○ポに頬ずりしてからパイズリをして、そしてもう一度フェラを始めました。ねっとりと舐めあげてから、再び玉を舐めてくれました。特に玉の側面が気持ちいいので、玉舐めをして欲しいときは、足を大きく広げなくちゃ舐めにくいので、僕が自分から股を広げた意味を理解してすぐに玉舐めを開始してくれました。またまた凄く気持ちいいので、何回も声をあげてしまいました。10分以上玉舐めをしてもらって、第1チ○ポ汁を出しまくりました。
玉舐めに満足したのでそろそろ母のオ○コに入れたくなった頃に母が僕の気持ちを察知して、玉から口を外して、出まくっていた第1チ○ポ汁を指に付けながら「お母さん、さっき何回もイカせてもらったから、今度はカズちゃんを凄く気持ちよくしてあげるね」と声をかけてきました。
「うん。じゃあ今度はマグロでいい?」
「いいわよ。カズちゃんも好きなだけ出しなさい」
「射精はあとで母さんを攻めながら出したいから、寸止めぐらいにして。気持ちいい状態でずっと続けて欲しい」
「わかったわよ」
僕がそんな注文をすると、母は対面騎乗位でゆっくりとチ○ポをオ○コの奥深くまで飲み込んでいきました。母のオ○コはさっきよりかなり激しく濡れていました。ほんとならチ○ポで激しく突かれて何回もイキたかったはずですが、さっき何回もイカせたので、僕の言うことを聞いてくれました。

対面騎乗位で腰をいやらしくゆっくりとくねらせたり、くねらせながら上下にも動かしたり、前後方向だけに動かしたりしてきました。ゆっくりとまったりした動きだったので、チ○ポが凄く気持ちよかったです。母のオ○コの中で一番気持ちいい部分にまったりと擦られたので、全身が震えるぐらいの気持ちよさが味わえました。だからと言って、射精したくなったわけじゃありません。寸止めの少し手前ぐらいの快感がずっと続きました。
僕がほんとに気持ちいい時は、結構マヌケ顔になるのですが、母の前なので隠さずにマヌケ顔で感じました。
上半身を後ろに反らせた母が僕に結合部を見るように命令しました。いつもと逆で、命令通りに結合部を見ました。母のオメコの中から出てきた部分は、母のオ○コ汁で糸を引いてテカテカ光っていました。硬さはかなりギンギンに見えました。母は腰を戻してオ○コの中にチ○ポを全部しまったり、もう一度からだを反らせたりしてチ○ポを気持ちよくしてくれました。
そしてチ○ポを入れたままでゆっくりと180度回転しました。背面騎乗位になった母は腰をクイックイッと上下に動かして、オ○コから顔を出すチ○ポを見せ付けました。それからさっきと同じように前後に動かしたり、くねらせたりして気持ち良くしてくれました。
「これぐらいゆっくり動かしたら気持ちいいでしょ」
「すごく気持ちいい」
「寸止めよりこれぐらいがいいんじゃないの?」
「こっちの方がいいけど、母さん大丈夫?凄く濡れてきたけど」
「大丈夫よ。カズちゃんが全身で感じてる姿見てたら凄く濡れちゃっただけから」
「もう30分ぐらい経った?」
「まだそんなになってないわよ」
「疲れてない?」
「お母さん、カズちゃんより体力あるわ。特にエッチの時の体力は別腹かしら」
母がそう言ってくれるので、玉舐めを間にはさんでもらってから時間をきっちり計って15分間だけオ○コで気持ちよくしてもらいました。

15分経過してチ○ポを抜くと、第1チ○ポ汁がドクドクと溢れだしていました。母のオ○コ汁の量もハンパなくて凄く濡れていました。
そろそろ射精したくなってきたのですが、母を攻めながらイキたいと言った気持ちが吹っ飛んでしまって、マグロ状態から射精したくなりました。
「射精するまで続けて欲しい。あとでちゃんと母さんをイカせるから」
「気にしないで。お母さんだってさっきから何度もイキそうになったのよ。だからカズちゃんと一緒にイケると思うわ」
そして母はすぐに対面騎乗位でチ○ポをオ○コに入れてしまいました。これから最後までやるという意思表示の代わりに、母は僕にキスを迫ってきました。つながったままでキスをしてから「母さんの唾液飲みたい」と唾を垂らしてもらいました。
それから母は、腰をくねらせるスピードを上げてきました。トップスピードまではいかないと思っていたのですが、いきなりトップスピードまでイキました。それじゃイッキに射精してしまうので「待って」と止めました。
「もうイキそうになっちゃったの?」
「今度は寸止めを何回かしてから射精したい」
「じゃあ、今のが1回目ね。お母さんもイク都合があるから、あと何回寸止めしてからイキたいの?」
「3回ぐらい」
「わかったわ。イキたくなったら、次はイクって言ってね」
母は対面騎乗位オンリーで、腰を激しく動かしたりオ○コを締め付けたりしてきました。そしてすぐにイキそうになってきたので「母さんダメ!!」と寸止めしてもらいました。
「今度はお尻でね」
オ○コからチ○ポを抜くと、母は肛門にチ○ポを当てて降ろしてきました。そして肛門を締めながら上下運動してきたので、すぐにイキそうになって「ストップ!!」と叫びました。
「早すぎるわよ。次は射精にした方がいいんじゃないの?」
「オ○コの中で3分休憩してから動いて。あと1回寸止めして、その次に出すから」
肛門から抜け出たチ○ポを母のオ○コの中に入れてもらってから、チ○ポを覚ましました。そして最後の寸止めまで腰を振ってもらいました。3分覚ましたつもりだったけど、2分後にはイキたくなってしまいました。母のオ○コの動きを止めてもらうだけでは寸止めできない気がしたので、母の腰を持ち上げてチ○ポを抜いて、自分の手で押さえて耐えました。

そして射精するためのエッチを開始しました。「母さんも一緒にイッてね」と言うと、母は「凄く気持ちよくイケそうよ」と言いながら腰を上下させました。
母のオ○コが1往復するだけの刺激が凄く気持ちいいので出そうになりましたが、母をイカせないといけないので、耐えました。
「ゆっくりした方がいい?このままでいい?」
母が上下運動のスピードを聞いてきたので「このまま」と答えました。そして強い刺激を我慢しました。歯を食いしばって耐えている姿を見た母は「そんなに我慢しなくて出したら」と言いました。「母さんがまだ・・」と答えると、母は思わず早い展開だったので、自分でクリトリスを触り始めました。30秒あればチ○ポで母をイカせることが出来るけど、そこまで持たないと気づいた母は自分で僕にあわそうとしました。
「・・・か・・あ・・・さ・・・ん・・イクよ・・・」
「イッて!母さんもイク!!!」
「イクよ!!!」
「イクッ!!」
母のオ○コの中でチ○ポが爆発したんじゃないかと思うぐらいの勢いで射精しました。母もイッてしまいました。何回も寸止めした影響でドピュドピュと30秒間ぐらい精液が吹き上がっていた感じがしました。凄く気持ちよかったです。

そのまましばらくじっとしていました。そして母は腰を持ち上げてオ○コを手で押さえながら、お掃除フェラをしてくれました。母のオ○コの中の精液は僕が自分の口で吸い出しました。そして母に飲ませました。母は今度の精液もおいしそうに飲んでいました。
この日は、このあと15分ぐらい休憩してから、今度は僕が一方的に母のオ○コと肛門を攻めて、洗面所やソファやもう一度入口付近や床の上とかで、何度もイカせてから2発射精しました。
長い時間いたような気がしたのですが、まだサービスタイムの時間が余っていたので、母にチ○ポを舐めてもらいながら昼寝しました。母はシャワーを浴びる時間を計算して、きっちり僕を起こしてくれました。
凄く気持ちいい一日でした。
http://www.kazunoie.com/memo/memomagusaku.html

失業中の起床は母の担当

無職になったので、朝は自分の起きたい時間に起きるようになってしまいました。母は、僕の2人の妻に対して、そんなだらだらした生活を見せたくないと思っているようで僕を起こしにきます。だから、毎朝、僕はチ○ポに刺激を感じて目が覚めます。
今までも、たまにチ○ポの刺激で起きることはありましたが、毎朝起こされるのは高校生の頃以来です。高校生の頃は、前夜に何発射精しても次の朝には、ギンギン状態で朝立ちしていたので、そのカチカチチ○ポが大好きな母は味わいに来たのでした。

クリスマスの朝のことです。いつもは母の舌の感触で目が覚めるのですが、この朝は母のオ○コの中に入っている感じがしました。母の体重も僕の足にかかっていました。
前の夜に、母と父に子守りも任せて、妹とミーちゃんと3Pしたのです。妹もミーちゃんも何回もイカせたのですが、急に眠気が襲ってきたので僕は射精しないで寝たのです。このことを知っていたので、母は口ではなくて、オ○コでチ○ポの硬度を確かめようとしたのです。

母は、「ハアーー」と声を漏らしながらゆっくりと上下運動をしていました。僕を起こさないようにゆっくりと動きながら朝立ちでビンビンのチ○ポの感触を楽しんでいるようでした。
上下運動のスピードを変えずに動き続けた母は、腰をグルングルンとくねらせてきました。すごく気持ちいいので、チ○ポはさらにビンビンになったような気がしましたが、眠ったふりを続けました。すると、いきなり母の唇が僕の口にブチューという感じで押し付けられました。押し付けられながら「さっきから起きてるのはわかってるのよ」と言われてしまいました。

目を開けると、下半身だけ裸の母が「夕べは出してないんでしょ?出す?それとも、もう少し溜めとく?」と聞いてきました。
「出したら久美が怒るだろ?」
「大丈夫よ。ほら」
母はそう言うと、赤色のリボンを見せてくれました。「何?」と聞くと、妹が母へのクリスマスプレゼントとして、僕の朝立ちのチ○ポにリボンを巻いて、母に譲ったらしいのです。母はリボンを巻いたままでチ○ポをオ○コに入れようとしたそうですが、リボンがゴワゴワしているので、チ○ポとオ○コがリボンのエッジで怪我しそうなので諦めたそうです。

「じゃあ、射精したい」
僕がそう言うと、母は上下運動を一旦中止して、結合したままでキスしてきました。さっきはブチューというキスでしたが、今度はちゃんとしたキスですぐに母が舌を入れてきました。僕はフェラなみにキスが大好きなので、母の舌を吸ったり、絡めたり、お互いの唇を舐めまくったりしながら熱いキスをしばらく続けました。
いつも以上に熱いキスになって、母のヨダレで口の周りがべとべとになりました。そのヨダレを母が自分の舌で舐めたので、僕の顔はテカテカになっていたと思います。
母は口を離すと「カズちゃんのおちんちん、鋼鉄みたいに凄く硬くなったわよ」と言いながら、腰をくねらせてきました。
「上になろうか?」と聞くと、「硬いので、お母さんの奥まで突いてくれるの?」と聞いてきました。
「久美とミーちゃん公認なら、突きまくるよ」
母は腰を上げて、オ○コからチ○ポを抜きました。そして、すぐに上半身も裸になってから、手でチ○ポの硬さを確かめると、僕の腕を引っ張って、からだを起こさせてくれました。
立ち上がると、チ○ポが斜め45度を向いていたのを、母は下から仰ぎ見ていました。そして「少しだけ舐めさせて」と言うと、チ○ポをパクッと咥えました。唇で硬さを確かめるように軽くしごき気味に舐めてから、仰向けにねて膝を立てて股を開きました。

僕は母の両足の間に入って、チ○ポをオ○コに当てようとした瞬間、「オシッコ大丈夫?」と聞いてきました。
「大丈夫じゃないけど、母さんを1度イカせてからオシッコする」と言いました。「無理しなくていいわよ」と言うので、「オシッコ出したら、柔らかくなるかも」と答えました。
「じゃあ、我慢して」と母は挿入を望みました。そのつもりだったので、母のオ○コにチ○ポを当ててズズズと入れました。
チ○ポが入った瞬間、母は目をギュッとつむって「硬いわーーー」と声を漏らしました。僕は母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと動きました。もちろん母もオ○コの中のひだひだを全部使って僕のチ○ポの硬さを堪能していました。

少しずつピストン運動を早くしていきました。母は「気持いい!気持ちいい!!硬い!奥にズンと来る」と嬉しそうな声を上げていました。
母の腰を折り曲げて、両足を肩に当てるようにしながらズボズボと突いていると、妹とミーちゃんが、ミミちゃんと大和を抱いて部屋に入ってきました。
「お母さん、気持ちいい?」
「気持ちいいわよ。お兄ちゃんのおちんちん、凄いのよ」
「良かったね。お母さん、あたし達、町内さんと2時間ぐらい出かけてくるから、2回ぐらい出してもらったら」
「ありがとう。じゃあ、中と口に出してもらうわ」
「じゃあねーー」
この短い会話の最中に、大和が母のオッパイを触って、ミミちゃんが僕の背中を触っていました。

「2時間、イキたい放題だから、我慢しないでイキたかったらイッていいよ」と言うと、「わかってるわよ。オシッコ我慢しすぎたら、膀胱に良くないもんね」と言いました。
僕は、会話の最中に少し緩めたピストン運動を再び強く始めました。
「アッアッアッ・・・いい・・いい・・凄い・・・気持ち!!」
両足を降ろさせてから、母の気持ちよさそうな顔を見ながら、ピストン運動の角度やチ○ポの先っぽが当たる位置を いろいろ変えました。
「うわぁ、そこ!!」
僕は母のオ○コの構造の立体模型を作れるぐらい構造に熟知していることは、母が一番良く知っていますが、一番の感じるポイントにチ○ポが当たると、思わずいつもの「そこ!!」と叫びます。いきなり「そこ」を攻めるのは手抜きに思われるので、周辺を攻めてから「そこ」を刺激しました。オシッコがしたかったので、いつもより少し早めに「そこ」を刺激しました。
母の表情がイッキにイキそうな顔になりました。
「アッ、イキそう、イキそう、イク、イク、イクッ!!!!!」
イッキにイッてしまった母の表情を約15秒間ぐらい眺めてから「抜いていい?」と聞きました。母は甘い息を吐きながら、まだ余韻に浸っていましたが、オシッコのことを思い出して「ごめんね。お母さんも付いていくわ」と言いました。
「飲みたいの?」と聞くと「そう」と答えました。

僕は、トイレに行かずに、母を連れてバスルームに行きました。オシッコをチ○ポから直接飲ませるためです。膀胱に溜まっているので、チョロチョロ出すのは厳しいので、バスルームじゃなければ床が汚れます。
「膀胱パンパンだから、イッキにしか出せないよ。口から溢れても出すよ」と言うと、母は「溢れ出したら全身にかけて」と言いました。
すぐに母がしゃがんで口を大きく開けたので放尿を開始しました。すぐに母の口からオシッコが溢れてきました。僕はオッパイに向けてオシッコを続けて、母が飲み終わったのを見て、再度口にオシッコを流し込みました。
結局、母はオシッコの3分の1の量を飲みました。あとは首から下にかけました。
「母さんってどうしてそんなにオシッコ飲むのが好きなの?」と聞くと、母がお掃除フェラをしながら「だって、久美ちゃんもミーちゃんも、オシッコはあまり飲まないでしょ。だから」と答えました。
妹は昔は何回か飲んだことはあります。ミーちゃんも数える程度しかありません。最近は、ふたりには全然飲ませていません。
だから、ふたりが飲まないものを飲みたがっていることがわかって、可愛く思えました。

バスルームでオシッコまみれの母のからだをシャワーで流しながら立ちバックでエッチをしました。チ○ポの硬度に変化がなかったので、母はうれしそうに声をあげていました。
バスルームから出て、からだを拭き終ると、母を四つん這いにしてチ○ポをバックから突っ込みました。そして結合したままでリビングルームに移動しました。ソファでやろうとしたのですが、「だめよ。11時にはお客さんがくるわ」と言いました。仕方ないので、そのまま結合しながら僕の部屋を目指しました。何回か抜けたので再挿入しながら無事にたどり着きました。

そしてまずは、カーテンを開けて窓の下でバックから母を突きまくりました。四つん這いのままでチ○ポを激しく出し入れしたり、時々母のからだを起こして窓際に手を突かせて立ちバックでやったりしました。
この刺激で興奮していた母は、カーテンを締めてから連続で30秒間ぐらい突きまくると「イク!!!」とイッてしまいました。
この時、僕は余韻を与えずにチ○ポを抜きました。オシッコを飲ませた頃からは、母にマゾのスイッチが入ったからです。
僕はベッドに腰かけて「チ○ポ舐めてよ」と言うと、母は四つん這いで這ってきてチ○ポを舐めてくれました。最初は自由に舐めさせていたのですが、途中からは母の頭をガツと掴んで前後に激しく動かしました。

そしてベッドの上で、マングリ返し突きをしばらくやってからもう一度イカせてから、正常位で今度はイクのを我慢させながら同時にイッて中出ししました。
そのまま抜かずにすぐにエッチを再開しました。母はまたすぐにイッてしまいました。ここで喉が渇いたので、キッチンに移動しました。

キッチンでは、コーヒー牛乳をコップに入れさせて持ってこさせると、ストローを2本刺して、母と一緒に飲みました。先日、古い映画でそんなシーンがあったので、やってみたのですが、母は喜んでいました。
コーヒー牛乳を飲み終わると、テーブルの上に仰向けにしてチ○ポを突っ込みました。
「気持ちいい!!嬉しい!!気持ちいい!!」
凄く喜んでいる母は、この日、100回以上は「嬉しい」を連呼していました。こんだけ嬉しいと言われると、サービスしたくなってくるので、母の感じることを次々にやりました。

テーブルの上の次は椅子に座らせてやりました。2分ぐらいピストンしたのちに、今度は僕が椅子に座って、背面座位で攻めました。オッパイを鷲掴みにしながらガンガン攻めました。
シンクに手を突かせての立ちバックのあとに、対面騎乗位でやって、そして正常位でやりました。
最後は、口の中に直接出さないで、口の周りに顔射しました。母はこの時も「嬉しい」を連呼しながら、指で精液を集めて口の中に溜めて、最後にまとめて飲んでいました。

今年もありがとうございました。13年目の来年、2500万ヒットを迎えます。来年もよろしくお願い致します。
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午前中からの妹との種付け

日曜日の午前中に、妹との第2子誕生への種付けをリビングでやろうとしていた時のことです。日曜日は妹の友達が午前中から家に来ると言っていたので、種付けは夜まで無いと思っていました。だから、土曜日の夜に秘密のパーティの主宰者に頼まれて32歳のバージンの女性に精液を2発飲ませてきたのです。バージンの女性と聞いて、最初の相手になれると思って行ったら、他にも僕ぐらいの男が3人居て、参加者の方のマゾ奴隷たちのオ○コを自由に使って、射精だけをバージンの方に口に出すというものでした。美咲先生が居たので、1発目は美咲先生のオ○コを借りました。2発目の時は美咲先生はオメコにも肛門にもチ○ポが入ってしまっていたので、別のマゾ奴隷のオ○コを借りました。だから、家に帰って妹が「予定変更!明日は朝から種付けして!」と言われて焦りました。
事前に申告しておけば機嫌は悪くなるけど許してくれます。今回はもちろん無断で2発も出してきたので、今さら申告しても遅いです。だから黙っておくことにしました

一応、ばれないために父が精液を増やすために飲んでいるエビオスを飲むことにしました。エビオスは父と母の寝室にあるので、妹がミミちゃんと眠りに付いてから、こっそりと取りに行きました。
寝室には、父と母とミーちゃんと大和がいました。大和はスヤスヤと眠っていて、母が面倒を見ている様子でした。
ベッドの上では、父が大の字になってミーちゃんに玉舐めされている最中でした。
「ミーちゃんとやりたいのか?」
父は、ミーちゃんを奪い返しにきたと思ったらしいのですが、僕は自分の用事だけを言いました。
「エビオスどこ?」
「飲まなくても大量に出るだろ?」
「もっとたくさん出したいからだよ」
僕の態度に不思議に思った母が、いきなり僕のチ○ポを掴んで揉み始めました。秘密パーティの射精は2発だったけど、状況的に結構疲れたのでチ○ポが反応が悪くて母に気づかれてしまいました。
「どこで出してきたの?」
「パーティに呼ばれたんだよ」
「何発出したの?」
「ミーちゃんもいるから内緒だよ」
「久美ちゃんには内緒に出来るでしょ?」
父の玉を舐めながらミーちゃんが、妹には内緒にすると言ってくれたので、2発を口に出してきたことを白状しました。
そしてエビオスをもらって、寝室を出ました。

次の朝、チ○ポの先っぽを「チョンチョン」と触られる感触で目が覚めました。朝立ちしてなかったらどうしようと思ったのですが、ちゃんとフル勃起状態でした。
「オシッコ飲みたい」
パンツの中からチ○ポを引っ張りだした妹は、僕のチ○ポを口に咥えました。僕はまだ仰向けだったので、こんな体勢ではオシッコ出来ないと言うと、チ○ポから口を外してくれました。そして立ち上がって体勢を整えてから妹の口にチ○ポを突っ込んでから放尿を開始しました。

こぼさないように少しずつ飲ませていると母が入ってきました。
「飲みきれないでしょ?お母さんが半分飲んであげようか?」
妹が飲みながら目で「うん」と表現しました。この日の朝一発目のオシッコの量は普段より多かったので、母と妹に少しずつ交互に出したのですが、ふたりともかなり飲みごたえがあったそうです。
だから、出し切ったあとの掃除は母ひとりでやっていました。
「おしまい」
チ○ポの掃除を念入りにやってくれた母は、フル勃起だったのに最後に玉舐めをしながら「たっぷり出るようにマッサージしてあげる」と言いました。母の顔が笑っていたので、前夜に出したことをチクられないかヒヤヒヤしていました。
妹がチ○ポに顔を近づけてくるまで、ずっと玉舐めを続けてくれました。
「今日はお母さんの分は無いよ」
「わかってるわよ」
種付日には必ず行われる会話をしてから、母は玉から離れて行きました。

母が離れると、妹が代わって玉舐めを続けてくれました。でもほんの軽くだけで終わってすぐにチ○ポに戻ってしまいました。

それから約10分間ぐらいチ○ポをねっとりと舐められました。少しでもチ○ポが柔らかくなったりしたら、妹に内緒で種付けの前夜に他人の口に2発射精したことがばれてしまうので、括約筋にギュツと力を入れ続けました。全然気づかない妹は、いつものフェラ笑顔を浮かべながら根元から先っぽまでじっくりと時間をかけて舌を這わせてきたり、チ○ポを奥深くまで咥えたままで頭を激しく振ったり、自分の唾液をダラーーとチ○ポに垂らしたりしてきました。
「お兄ちゃん、2回は出してよ」
「わかった」
妹に2発中出しの約束をさせられた時に、ミーちゃんがミミちゃんと大和を抱っこしながら入ってきました。それを見た妹はミミちゃんを抱っこして、ミミちゃんの手を握って僕のチ○ポを握らせようとしました。ミミちゃんは僕のチ○ポを握るのが結構好きなので、すぐに握ってきました。妹は握らせながらフェラを再開しました。でもほんの一瞬だけで、ミミちゃんが手を外したので、妹はミーちゃんにミミちゃんを託すと、すぐに仰向けになってオ○コを自分の指で広げると、舐めて欲しそうな顔をしました。妹のオ○コは舐める必要がないくらい濡れていたけど、ちゃんと舐めることにしました。


妹のオ○コのそばには、ボディペインティング用のペンで「お兄ちゃん専用」と書かれていました。筆跡はミーちゃんの筆跡でした。僕専用と書かれている理由は、最近、父が眠っている妹のオ○コにチ○ポを突っ込んだり、妹とミーちゃんがレズってる時に入れてくることがあるので、それを阻止するために書くようになったのですが、よく見かけます。
その「お兄ちゃん専用」という文字を消さないように、まずはクリトリスを後回しにして、ビラビラや穴周辺をたっぷり舐めたり、舌を穴に入れて舐めてからクリトリスを攻めることにしました。クリトリスはパンパンに膨らんでいて、すぐにイキそうな感じでした。
「ダメ!ダメ!!」
出産してから、ますます敏感になった妹は、自分からオ○コを舐めることを要求しておきながら、妹が一番感じるクリトリスの攻めるポイントを舌先で押しただけで僕の頭を押してオ○コから離そうとしました。無視してオ○コを舐め続けると、「あーんダメ・・ダメ・・・・イクッ!!」と30秒も経ってないのにイッてしまいました。
「お兄ちゃんは、もっとおまえのオ○コが舐めたいんだぞ」と言ったのですが、妹はクリトリスを自分の手で隠しながら「おちんちん入れて」と要求してきました。

仕方がないので、オ○コに入れることにしました。
「入れるから手を外せよ」
「おちんちんで擦ったりするでしょ?」
「外さないなら入れないぞ」
妹はゆっくりと手を離して、クリトリスを丸出しにしました。パンパンに膨れていたクリトリスを見て、チ○ポの先っぽで一突きするぐらいでイキそうな感じに見えたので、約束を破って突きたい衝動にかられましたが我慢しました。
「あん・・」
クリトリスから手は離したけど、僕が約束を破った時にすぐ対応できる位置で手をかまえながら、目をしっかり開けて僕のチ○ポが入ることを確かめようとしていました。
ビンビンのチ○ポの先をオ○コ汁がとろとろ垂れているオ○コの穴に半分だけ入れたところで止まりました。妹が腰を押し付けてきて、オ○コの奥まで入れて欲しそうにしたのでいじわるして抜きました。
「自分からオ○コ押し付けてくるなよ」
「だって、お兄ちゃん、先っぽ入れただけじゃあ、クリちゃんをおちんちんで弾いたりするもん」
「弾かないから、お兄ちゃんのペースでやらせろ」
そう言うと、もう一度チ○ポの先っぽをオ○コに近づけました。もちろん、穴を狙わずにクリトリスに向けました。
クリトリスにぶつけるつもりはなかったのですが、イッキにクリトリスから2cmぐらいの位置まで近づけようとしたので、危険を感じた妹が自分の手でクリトリスをカバーしました。妹も焦っていたので、防ぐ瞬間に自分の手でクリトリスを擦ってしまって「アッ!!」と声をあげて、カラダを硬直させてしまいました。

「自爆したのか?」
「お兄ちゃん、早く入れてよ!!」
妹が涙目で僕に訴えてきたので、意地悪しないで、ゆっくりとオ○コの穴にチ○ポを挿入しました。先っぽが入った瞬間に、オ○コ汁がジュワと出てきました。
「奥まで入れて」
妹は僕の腰を掴んで、自分から引き寄せました。僕はズーンと入れると奥に押し付けたままでグリグリと腰をくねらせました。
「だめ!!」
妹が上体を浮かせながら僕のグリグリ攻撃を阻止しようとしてきました。油断させようとグリグリ攻撃をやめて、ピストン運動を始めました。妹は「あんあん・・あーーん」と声をあげました。でもすぐにピストンをやめて、再びグリグリ攻撃を再開しました。
「突いて!突いて!!」
頭を激しく振りながら、ピストン運動を要求してきました。妹がそろそろ限界になってきているみたいなので、イキまくりモードに入らせてダウンさせることにしました。
そうした方が、種付け作業が中止に出来るので、精液の量が少ないことがばれなくなるからです。

まずは妹の希望通りに突きまくって5回ぐらい連続でイカせることにしました。
その前に一度、チ○ポを抜いてオ○コ汁の量を確かめました。オ○コからゆっくり引き出すと糸を引いたまま出てきました。当然、チ○ポが真っ白になるぐらいのオ○コ汁が付着していました。
ちょうどそこに、母が様子を見にきました。
「出したの?」
「まだだよ」
「凄く感じてるみたいね」
そう言うと母は、僕の前にひざまづいてチ○ポを握って「舐めさせてね」と言いました。「そんな暇、ないんだけど」と言うと、「お汁だけ味わったら止めるわよ」とチ○ポをパクッと咥えました。
妹は、母のフェラを阻止しないで、僕に話しかけてきました。
「イキまくってもちゃんと精子出してね」
「そんなの面白くないよ。種付けなんだから、久美の意識がないと出さないよ」
この会話を聞きながら、唇で締め付けながらゆっくりと頭を動かして、チ○ポにこびりついたオ○コ汁を剥がしていた母がチ○ポを口から外して言いました。
「久美ちゃんをしつこく攻めないで、さっさと出して終わりにしなさいよ」
母は、僕が射精を後回しにしようとしていることがわかっているのに、こんなように言いました。
「わかったよ。すぐに出すからあっちに行ってよ」
「ほんとに出すかしら??」
意地悪な目で僕を見ながら言いました。すると妹が種付け作業の中断を言い出しました。

「少し休みたいから、お母さんの中で休憩してて」
妹の言葉を聞いた母は、すぐにパンツを脱いで、四つん這いになってオ○コを見せ付けてきました。母のオ○コは、妹のオメコ汁付きチ○ポを舐めた刺激で濡れていました。拒否しても仕方がないので、母のオ○コの中で休憩することにしました。ギンギンのチ○ポをオ○コに近づけると母は腰をくねらせてきました。お尻をつかんで「休憩だけなんだからじっとしててよ」と言いながら母のオ○コに挿入しました。
入れた瞬間に、「ああん」と言うこととともに、ジュワッとオ○コ汁を放出してきて母のオ○コは、すぐに僕のチ○ポにうねうねと絡み付いてきました。そして、キューーと締め付けてきました。
「休憩だけなんだから締めないでよ」
「そんなこと言わずにお母さんだって気持ちよくなりたいわ」
「久美に出して、体力残ってたらイカせてあげるけど、今はオ○コの中で休憩するだけだから」
「そんなこと言っていいの?」
母は後ろを向いて、(そんなこと言うなら昨晩のことバラすわよ)みたいな目で僕をにらみながら腰をゆっくり前後し始めました。すると妹が「お兄ちゃん、出さないんなら先にお母さん、イカせちゃっていいよ」
「久美ちゃんありがとう!!」
妹にお礼を言った母は、すぐに腰を自分からぶつけてきました。
「気持ちいいわ!!」
ドクドクとオ○コ汁を放出しながら激しく腰を動かしていた母は、左手を僕の方に伸ばしてきて「突いてよ」と訴えかけてきました。その左手を掴んで、そして右手も後ろにひっぱって、上半身を宙に浮かせたままの母のオ○コをズボズボズボと激しく突きまくりました。
「アア凄い・・凄い・・・カズちゃん最高!!」
母は髪を振り乱したり、背中を思いっきり反らせたりしながら激しく感じていました。

母がイキかけたところで中断して、そのままの体勢で立ち上がりました。「早くズボズボ突いて」と要求してきたので、すぐに立ちバックで、さっきと同じように母の両手を後ろに引きながら突きました。
「凄い!凄い!!気持ちよすぎだわ!!いい、いいわあ!!アアーーアーー・・・イキそう・・イキそう・・イク、イク、ク、イク!!!」
この3日間、めずらしく誰ともエッチしていなかった母は、かなり溜まっていたらしくて、普段と同じ程度に突きまくっただけなのに、激しく感じていました。母も妹に負けないくらいの量のオ○コ汁を僕のチ○ポに付着させていました。
立ちバックでイッた母の膝から力が抜けてきたので、グッと持ち上げて、そしてチ○ポを奥深くまで入れなおして母のカラダを手とチ○ポで支えました。
「どうする?もうこのまま崩れて終わりにする?」
「もう少しだけイカせて欲しいわ」
精液を少しでも多く生産できるように、妹が何も言わなかったら母をイカせまくりたかったので、聞いてみました。3日ぶりの母はもちろん、もっと続けることを望んできました。妹は特に何も言わずに見ていたので続けることにしました。

その時、ふと窓が視界に入りました。春樹君のお母さんに見せつけようと思って母を腕とチ○ポで支えながら、窓のところに移動しました。そしてカーテンを全開にして、母に窓の桟をつかませました。
バックからのピストン運動を開始したのですが、ずっとバックで続いてきたのでやめました。チ○ポを抜いて、母に右足だけで立たせて、左足は高く垂直にあげさせました。ベランダ側ならオ○コが丸見えになるのですが、小さい方の窓なので微妙でした。
垂直開脚で丸出しの母のオ○コにチ○ポを挿入しました。母はすごっく興奮していて、チ○ポがオ○コに入った瞬間によだれを垂らしました。
少しでも長くこの体位を続けて、誰かが見てくれるまで続けたかったので、母のオ○コの感触を味わいながらゆっくりと出し入れを開始しました。
(母のオ○コは久美ほどの締まりはないけど、どうして気持ちいいんだろう・・)と思いながらオ○コの中をズリズリと擦りました。
「気持ちいい!!」
「春樹君のお母さんに見てもらえたら気持ちいいかな?」
「気持ちいいに決まってるでしょ」
母は、見られることを期待して興奮しだしたので、オ○コを強く突いたらすぐにでもイキそうな感じがしたので、しばらくの間、ズリズリと擦ることを続けました。

「あああーーー気持ちいい!!気持ちいい!!」
あえぎまくった母はオ○コ汁をドクドク出しながら、感じまくっていたので垂直開脚はすぐに断念しました。足を変えて、膝の下に僕が手を入れて持ち上げながら、さらにズリズリ続けました。妹は母が感じまくっている様子を見続けていました。
「お汁垂れてる!!!!」
母のオ○コから汁が垂れるのはいつものことですが、この時の妹の言い方がかなり驚いた様子だったので、亀頭だけオ○コ の中に残してチ○ポを引き出しました。チ○ポの上側にはかなりの量のオ○コ汁が付いていましたが、この程度なら良くある光景なのでビックリするほどじゃありません。
「お兄ちゃん、垂れてる垂れてる」
妹が僕のチ○ポの下に手を差し出して、オ○コ汁を受けるような動作をしたので、チ○ポの裏側に手を伸ばしました。すると、チ○ポから5cmぐらいまで下がった位置までオ○コ汁が垂れていました。確かに出まくり過ぎていました。
「春樹君のお母さんには、2回も見せ付けてるのに、まだ興奮出来るの?」
「春樹君もお母さんもいないのよ。いるのはお父さんと、なつきちゃん(春樹君のお姉さん)なのよ」
春樹君とお母さんは、お父さんに内緒で、木村さんの家で近親相姦しに行ったということでした。だから、母はお父さんかなつきちゃんに僕とのエッチを見せ付けられるチャンスが来たと思って興奮したようです。
だから、この日は僕と妹の種付け日だとわかっているのに、乱入してきて僕のチ○ポを求めたようです。

「お兄ちゃん、そろそろ来て」
「あーん、久美ちゃん、もう少し待ってよ」
「おじさんも、なつきちゃんも見てくれないよ」
「そんなことわからないわ」
「だめ!からだが受精しやすくなってきたから、お兄ちゃんに出してもらうの」
「あと30分経っても、窓から誰も顔を出さなかったら諦めるからお願い!!」
「いーや!!」
そう言うと妹は、母のオ○コからチ○ポを引き抜きました。そしてチ○ポをギュッと握ってベッドまで僕を引っ張っていきました。母はついに諦めてしまいました。
妹がベッドの上で、自分の指でオ○コを広げながら「お兄ちゃん、早く中に出して」と僕を求めてきたので、すぐにチ○ポを入れようとしたら、入れる寸前に「おちんちん、掃除してからにして」とチ○ポを掴んで、自分の口にチ○ポを引っ張ろうとしました。引っ張られるままに、妹の口の中にチ○ポを突っ込みました。妹はすぐに、激しく付着した母のオ○コ汁をきれいさっぱりに舐めつくしてしまいました。母も妹もふだんはお互いのオ○コ汁を味わうように舐め尽すのですが、この時の妹は、チ○ポを消毒するような感じでお掃除フェラをしていました。その様子を見た母は、黙って出て行きました。


ふたりだけになったので、窓を閉めようとしたのですが、「開けといて」と言ったのでそのままにして、種付け作業を再開しました。
休憩を入れた効果で、妹は完全に普通の状態に戻ったので、オ○コをズボズボと激しく突きまくっても我慢してくれるようになりました。
「お兄ちゃん、気持ちいい!!気持ちいい!!」
「すぐにイクなよ。今度は射精させろよ」
僕はこれ以上引っ張らないで、妹がイクのに合わせてさっさと中出しするつもりをしていました。だから、妹に余裕のある間に、射精したくなる直前まで高めようと、射精することを意識しながらM字開脚の妹を激しく突きまくりました。
「お兄ちゃん!凄く気持ちいい!!今日は妊娠しそうだよーー!!」
「もう少しだから我慢しろよ」
「・・・ううう・・・あっあっ・・ううう」
妊娠を意識した途端にイッキにイキそうになってしまったみたいで、突然我慢を始めました。相当ヤバイ状態になっていることはすぐにわかったので、僕はオ○コの奥をなるべく突かないように、入口付近にチ○ポを激しく擦りました。

目をギュッと閉じて、眉間にしわを寄せて、そして僕の腕を何度も握りなおしてきました。
「そろそろイクから」
妹は唇を噛み締めたままで、浮かせていた頭を何度も縦に振りました。
「イクぞ!!!」
射精の瞬間、チ○ポを思いっきり奥まで押し込んで、尿道を子宮口とピッタリ合った瞬間にドピュ!!ピュ!!と射精しました。
「イクッ!!!」
妹のイキ顔を眺めながらチ○ポを奥に押し付けたままで精液が出尽くすまで、搾り出しました。前の晩に射精した影響が全くないくらい大量に出た感じがしました。

妹のイキ顔が、気持ちいいという表情から幸せそうな表情に変化しました。軽くキスしてあげると、「お兄ちゃんの精子が、あたしの卵子にの中入った音が聞こえた」と言いました。
「じゃあ、明日からは種付けしなくてもいいんだな?」
「たぶん妊娠したけど、お医者さんに診てもらうまでは、種付け続けるよ」
「今日はもうおしまいだよ」
「ダメよ。染みこませたらもう1回出して」
妹の要求通り、そのあと30分間、精液をオ○コに染みこませてから、もう1回戦やりました。
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近親相姦見せつけブームの僕の家

近所の人で親しく付き合っている人は、ミミちゃんが僕と妹の間に出来た子だということは知っています。親しくない人は、噂として知っています。
実の兄が実の妹に子供を産ませたことに対して、誰も変な目で見るようなことはなくて、僕の家に遊びに来た時には、ミミちゃんのことも大和のことも可愛がってくれます。

家族が全員家に居た先日の日曜日の午前中のことです。妹が発情したので、ミミちゃんの世話は父と母に任せて、ソファの上で妹とエッチを始めました。
最初は妹が僕のチ○ポを凄く舐めたがったので、僕はソファに座って足を広げて、妹の舌づかいを堪能しました。最初は玉舐めから始めてくれたので、僕は第1チ○ポ汁を出しまくりながら感じまくりました。玉舐めを満足しきったころに妹は、舌先を玉からチ○ポの方に移動してきました。それから裏筋や亀頭を舐めまくられたり、バキュームフェラされたりしてチ○ポはギンギンになりました。

その次に今度は、僕が妹のオ○コを舐めまくりました。チ○ポを入れる前に、舌でイカせることにしました。じっくりねっとり舐めたり、高速でクリトリスを舐めたり、舌をオ○コの中に入れてピストン運動したりして感じまくらせると、約2分ぐらいでイッてしまいました。舐めている最中に、時々、母が僕のチ○ポをしごきに来ていました。僕は拒否せずに、そのまましごかれ続けました。

妹のオ○コから口を外して立ち上がると、母が僕のチ○ポに口を近づけてきました。でもチ○ポまであと10cmの距離に来たところで、インターフォンが鳴りました。母は「あーん」と言いながら立ち上がって、ドアカメラのモニターを見に行きました。
母は「ご近所さんよ。エッチしてても大丈夫よ」と言って、カギを開けに玄関に向かいました。僕は、妹をソファに浅く腰掛けさせると、チ○ポをオ○コの中に挿入していきました。当然ですが、妹のオ○コはしっかり濡れていて、「ああーーん」と甘い声を漏らしながら、チ○ポを受け入れました。
オ○コの奥深くまで入れてから妹とキスをしていると、「こんにちわ」「キャッ!!」と言う声がしました。僕は、近親相姦してることを知っている近所の人達だと思ったので、「キャッ」の声には驚きました。
ビックリして、そっちの方を見ると、隣の家のなつきちゃん、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)、町内さん、舞ちゃん、祐君のお母さんがいました。なつきちゃんは手で顔を覆っていました。

僕はなつきちゃんがいるので、どうしたらいいのか、迷いました。オ○コの中からチ○ポを抜くと、なつきちゃんの目にチ○ポが見えてしまうので、とりあえずはオ○コの中でじっとすることにしました。
でも妹が「お兄ちゃん、動かしてよ」と言うので、ゆっくりとピストン運動を開始しました。妹は「あー気持ちいい・・・アハー・・・ン」と声を漏らし始めました。
なつきちゃん以外の全員は、僕と妹とのエッチから目を外すことなく、じっと見ていました。だから、このまま続けていいんだと思って、ピストン運動のスピードをゆっくりあげました。妹はなつきちゃんまでもそばにいる状況なのに、全然平気な様子で感じていました。
「気持ちいい!気持ちいいよ!!」
妹は全身ピンク色に染めながら感じていました。

母と目があったので、「このまましてもいいの?」と聞くと、「いいわよ。最後まで」と母が答えてくれました。だから、僕はさらにピストン運動のスピードを上げました。
「アッアッアッ・・・・イイ!イイ!・・」
妹は、なつきちゃんに遠慮することなくあえぎ声をあげていました。そのなつきちゃんは、母の説明を聞いていました。
「カズちゃんと久美ちゃんが近親相姦してる噂は、ほんとだったのよ。悪いことじゃないんだから、隠す必要ないから、来てもらったの」
僕達が近親相姦しているという噂はかなり広がっています。でも、不思議なことに蔑視されていません。なつきちゃんは、隣に住んでいるので、当然、その噂のことは知っているはずです。なつきちゃんからは、近親相姦の噂がほんとか嘘か尋ねられたことはありませんが、絶対に知っているはずです。
なつきちゃんは、幼い頃から、母や僕や妹に懐いていたので、なつきちゃんが近親相姦のことを不快に思うはずがありません。

なつきちゃんに見られながら、正常位で妹のオ○コをしばらく突くと、結合したままで妹を抱き起して、そのまま座位になりました。
「背面座位になって」
母が要求するので、一旦妹の腰を持ち上げてチ○ポを抜きました。そのチ○ポを見たなつきちゃんが「キャッ」と声をあげました。
結合中のチ○ポを見ても「キャッ」と声をあげなかったのに、妹のオ○コから抜け出てたチ○ポを見て声をあげました。
「ちょっと待って」
母が妹が後ろ向きになったところで、声をかけてきたので、妹は僕の上にしゃがむことをやめました。母が顔を近づけてきたので、チ○ポを舐めたくなっていることがわかったからです。
「なつきちゃんは、おちんちんを舐めたことある?」
突然、質問されたなつきちゃんはクビを激しく振ってフェラの経験がないことを表現しました。
「じゃあ、見てて」
そう言うと母は、チ○ポに顔を近づけてきました。妹は僕の首に手をまわしてキスをしてきました。

母のフェラが続いている間中、僕は妹と舌を絡め合っていたので、なつきちゃんがどんな反応したのかはわかりません。みんなが平然としているので、なつきちゃんは逃げて行くことなく、じっと見学していたようです。
「いいわよ」
チ○ポから母の口が外れたと思った直後、母は僕と妹のエッチを再開するように声をかけてきました。すると妹は背面座位になってチ○ポを掴みました。
「なつきちゃん、見てて。入れちゃうよ」
妹がチ○ポを握ってオ○コに当てて腰を降ろしてきた時に、なつきちゃんのお母さん(春樹君のお母さん)の方をチラッと見ました。迷惑そうな顔をしていたらどうしようかと心配になったのですが、どちらかと言うと笑顔でなつきちゃんの様子を見ていました。
春樹君のお母さんは、僕達の仲間になってからは、それまで味わったことのない快感を味わうようになったので、完全に僕達に洗脳されてしまったみたいです。

妹は背面座位の体勢で僕の方に背中を向けると、なつきちゃんに向かってVサインを送りました。
「ちゃんと見ててね。舞ちゃんには見てもらったんだけど、なつきちゃんに見せるのが一番最後になっちゃってごめんね」
なつきちゃんに声をかけた妹はチ○ポをオ○コに当てると、腰を降ろしてズニュッとチ○ポを咥えこみました。
「見えるでしょ?私とお兄ちゃんがつながってるところ」
「・・・・」
なつきちゃんは、目を反らすこともなしに、しっかり見てくれていました。妹はズッポリとチ○ポを飲み込んだ状態で、結合部の解説を始めました。
「こっちはお兄ちゃん。ここまでがお兄ちゃんね。ここからがあたし。お兄ちゃんもあたしも毛がないから良く見えるでしょ」
結合部を指先で触れながら説明した妹は、ゆっくりと上下運動を開始しました。
「アハーン・・ハアーン・・・見て、お兄ちゃんのおちんちんが出たり入ったりしてるでしょ。すっごく気持ちいいの」
妹はゆっくり上下運動したり、腰をぐるぐる回したりしました。そして、からだを後ろに倒してさらに結合部を見やすくすると、そのままで首をまわしてキスを求めてきました。キスをすると妹が舌を伸ばしてきたので、きびしい体勢だったけど舌を絡めました。
そのままでさらに妹がもっと後ろに反ってきたので、チ○ポが抜けてしまいました。
「抜けちゃった。お母さん、お兄ちゃんのおちんちんを中に戻して」
妹の要求に母がやってきてチ○ポを握りました。でも母はチ○ポをオ○コの中に入れずに、舞ちゃんを呼びました。
「久美ちゃんの中に戻してあげて」
あとで聞いた話では、母はなつきちゃんにチ○ポを妹の中に入れさせたかったみたいですが、さすがにいきなりは無理なので、舞ちゃんに手伝わせて、その様子をなつきちゃんに見学させて、将来自分も僕達の仲間になる可能性を感じさせようと思ったみたいです。
舞ちゃんは、母に言われて躊躇せずに近寄ってきて、チ○ポを握ってくれました。そしてすぐに、チ○ポの先を妹のオ○コの穴に挿しこんでくれました。興奮で激しく濡れていた妹のオ○コに僕のチ○ポが入った瞬間に「ズボッ」という音が聞こえたように思いました。
「舞ちゃん、ありがとう!!」
妹は、少し感じた声で舞ちゃんにお礼を言いました。この時、妹も「今度はなつきちゃんね」と言いたかったそうです。

妹はゆっくりと上下運動を開始しました。僕はオッパイを揉みながら妹のオ○コの感触を味わいました。
「もし、あたしとお兄ちゃんが兄妹なのに、こんなことしてるのがおかしいと思うんなら、帰ってくれていいから。お兄ちゃんのことが大好きだから、子供まで作っちゃった」
少し感じた声で、なつきちゃんに話かけました。なつきちゃんはもちろんこの場から立ち去る気配はありませんでした。だから僕は、安心して妹を感じさせることにしました。
まずは妹のクリトリスをいじりながら、軽く突き上げました。
「アアン、だめ、あああんあああん」
それからすぐに、妹の腰をがっしりと掴んで激しく突き上げました。少し離れていたなつきちゃんの所まで、僕のチンポと妹のオ○コが激しく擦れる音や、肉がぶつかり合う音がハッキリ聞こえるぐらいの強烈さで突き上げました。
「気持ちいい!!気持ち!!お兄ちゃん、いい・・ああ、もうだめイキそう・・・」
妹がイキそうと言い出したので、僕はオ○コを突きあげるのを中止にしました。いつもならサッとイカせてしまうのですが、なつきちゃんとの距離がありすぎたのです。

「ああーん、イキたかったのに・・・」
妹が腰を動かそうとしたので、「なつきちゃんの前に行く」と小さく告げました。なつきちゃん以外の人達には、自らの足で近寄ってきてもらって、間近で見てもらいました。なんとなく、呼びつけることに気が引けたからです。
僕は結合したままで、なつきちゃんの前に行こうと思ってたのですが、チ○ポを抜いて立ち上がった妹が先になつきちゃんの前に行って、仰向けになりました。僕は妹のオ○コ汁でテカテカ光ってビンビンのチ○ポを隠さずに移動しました。なつきちゃんは、もう顔を覆うことはしませんでした。

妹がなつきちゃんの前で仰向けになっていたので、正常位で結合することにしました。チ○ポをズボッと突き刺すと、すぐにピストン運動を開始しました。
「見えてる?あたしの中にお兄ちゃんのおちんちんが出入りしてるのわかる?」
妹に聞かれて、なつきちゃんはうなづいていました。妹は、すごく興奮していてオ○コ汁を出しまくっていました。
ピストン運動を強めにすると妹は「ああん、いい・・・気持いい・・アッアッアッ・・・見てて、ちゃんと見てて」と声をあげまくっていました。
そして妹が、なつきちゃんの方に手を伸ばしました。なつきちゃんは、どうしていいかわからないので困った様子だったので、「あと10分ぐらいで終わるから手をつないであげて」と声をかけました。するとなつきちゃんが妹の手を握りました。でも体勢的に厳しいので、なつきちゃんはソファから降りて妹の横しゃがみました。

それから僕は、妹の腰を折り曲げて、まんぐり返し突きを始めました。でも激しく突き下ろすことが目的じゃなくて、なつきちゃんに、僕のチ○ポが妹のからだを押しつぶすようにズボズボとオ○コに出入りすることを見せたかったのです。だから2秒に1回ぐらいのスピードで「ズドーン!ズドーン!」と突き下ろしました。
「アーーー・・・・アーーーー・・・」
突き下ろすたびに、妹は声をあげて、なつきちゃんの手をギュッと握りしめていました。
「久美が凄く気持ちよくなってるのがわかる?」
僕の質問に対して、なつきちゃんは少し遅れてうなづいてくれました。このあとは、いつものマングリ返し突きのスピードに戻して、妹のオ○コから汁が飛び出しそうなぐらいの強さで突きました。
「気持いい、気持ちいいよーーーー・・・・凄い、凄い、アアアアアアアーーー・・・イキそう・・・」
妹がまたまたイキそうになったので、チ○ポをサッと抜いてしまいました。

そして最後の体位で、妹を四つん這いにしました。
「最後はバックで出すからな」
「お兄ちゃん、出して、精子一杯、中に出して」
チ○ポをすぐに入れずに、お尻の割れ目で擦るようにしてなつきちゃんに、オ○コ汁付きチ○ポを見せつけてからゆっくりと妹のオ○コの中に侵入しました。
妹のオ○コの中は、なつきちゃんの目の前で僕の精液を受け入れることを想像して、激しく濡れていました。母は近親相姦見せつけが大好きですが、母の血をひいた妹も見せつけが大好きです。
「一緒にイクから、我慢しろよ」
「うん」
チ○ポをゆっくりと出し入れしながら、いよいよ射精までイクことを宣言しました。そして妹のお尻を軽く叩いてから、ピストン運動を開始しました。
なつきちゃんに真後ろからとか、他の人にやったように、仰向けになって結合部を真下から見上げてもらうのはやめました。
「あんあん、アッアッ、いい!いい!気持ちいい!いい!凄い凄い・・・」
僕は射精することに意識を集中しながら、妹のオ○コを突きまくりました。妹は激しく感じまくっていたので、必死でイキそうになるのを我慢しているみたいでした。

「そろそろイクよ」
「出して!中に一杯出して!!イク!!!!」
僕は妹の声に合わせて射精しました。溜まっていたので、妹のオ○コ全体に行き渡るぐらいの量を射精しました。中出し中に、妹は腰をビクンビクンさせながら、僕の精液をオ○コで味わっていました。
精液が全部出ききるまで、結合したままでいると、母が近づいてきて「もう全部出たでしょ」と言いながら、チ○ポを妹のオ○コから抜いてしまいました。そしてチ○ポをすぐにパクッと咥えるとチ○ポに張り付いた妹のオ○コ汁を舌先で剥がすように舐め始めました。
「世間では、兄妹でエッチしたらいけないことになってるんだけど、うちでは全然平気なのよ。ご先祖様から家族同士で愛し合う習慣が続いているのよ」
チ○ポをねっとりと舐めながら母がなつきちゃんに説明してくれました。

この日のなつきちゃんの見せつけは、これで終わりでした。このあと、なつきちゃんは何もなかったように、子供たちと遊んでくれました。
http://www.kazunoie.com/memo/memomisebu.html

23. 中川隆[-13663] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:14:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/13f7cdcd736285b2acfdb818a1be2ff2

24. 中川隆[-13662] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:21:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

ヤクザが刺青をしている理由

強姦脅し殺人<本澤二郎の「日本の風景」(2858)
<「木更津レイプ殺人事件」の真相> <詩織さんの相手はTBS強姦魔> 
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52199465.html

2018年01月18日 「ジャーナリスト同盟」通信

<「木更津レイプ殺人事件」の真相>

 やくざはワルに雇われて、民間人を脅して金稼ぎをしているだけではない。本業は、もっとも肉体的に劣っている女性人格を拉致、レイプして、その後に性奴隷よろしく性産業に送り込んで、荒稼ぎをしている、悪魔の女性吸血鬼である。したがって、逃げ出そうとする被害者に対しては、脅しを連発して、簡単に殺害する。ナイフや銃による凶器を必要としない。「木更津レイプ殺人事件」の被害者・馬山朋子(仮名)は、ばらしてやるというやくざ浜名の長時間にわたる脅しの携帯電話の直後に、自宅の床に卒倒して、強い心臓も2日後に止まった。典型的な強姦脅し殺人である。


<やくざ性奴隷被害者は言葉の一撃で人殺し>

 朋子を殺害した富津出身のやくざ浜名による脅し殺人は、凶器を使っていない。言葉の一撃で、朋子の命を奪った性凶悪殺人である。

 なぜそんなことが可能だったのか。犯人が3本指の入れ墨の中年男だったせいか。そうではない。半年前のレイプと、その後の性ビジネスによって、朋子を格子無き牢獄に押し込んでいた、その秘密暴露の殺人的脅しのせいである。

 「いうことを聞かなければ、すべてをばらしてやるぞ、いいなッ。お前の身内から彼氏に至るまで全部だ。おれは必ずやるッ」という言葉で朋子の敏感な純粋な神経を直撃した。これは目撃していたわけではないが、確実な、推認できる事案である。

 レイプする場面では、凶器を使った可能性もある。犯人やくざ浜名が、朋子の瀟洒な自宅玄関の補修工事に持ち込んだ大工道具は、すべてが凶器になりうるものだからである。取材しているさい、彼女のことを知る友人の一人は「朋子さんがやくざにレイプ?信じられない」と口走ったが、凶器と入れ墨に対抗できる日本人女性は、まず100%いない。

 そして警察に駆け込む勇気ある日本人女性は、未だ日本の歴史上ほとんどいない。やくざにレイプされ、性奴隷にされている内外の女性は、間違いなくゴマンといるのだが。断言できる。


<駆け込み寺は右翼のドン・児玉誉士夫>

 銀座やススキノなど有名な繁華街は、そうした悲劇の女性たちで成り立っている。そのため、そこで女性と関係した男たちは、女性のヒモであるやくざから「俺の女に手を付けたな。落とし前をつけてやる」と脅され、大金を失うことになる。

 この中には、会社経営者・政治屋・官僚・医師・学者・文化人・ジャーナリストと被害者は多い。駆け込み寺の一つが、右翼のドンで知られた児玉誉士夫である。彼は、ロッキード事件で国会証人喚問される直前に意識を失った。犯人は主治医の注射であるが、大学教授のその医師は、銀座の女性の件で脅され、児玉に救われた人物だった。

 現役の政治記者のころ、同じような事例で若手の政治家が泣いていた。彼は中曽根康弘の親分に駆け込んで問題を処理した。「児玉先生が動いてくれた」と被害者本人が告白していた。

 やくざに脅される男たちは、大金を使って右翼のドンに駆け込むのだが、レイプされた女性は、死んでも決して真実を告白しない。この日本人女性の人権意識の低さが、やくざが列島で跋扈する理由の一つと言える。


<詩織さんの相手はTBS強姦魔>

 いま欧米から中東のイスラム諸国でも知られている詩織さんは、相手はやくざで無かったため、警察に駆け込むことで、TBS強姦魔と手を切ることが出来た。告訴しなかった場合はどうなったものか?

 悲しくも指摘できることは、戦後70年を経て、この間、やくざの強姦事件を刑事告訴した事例は、調べたわけではないがゼロだろう。

 一般人によるレイプ事件でさえも、そのことを事件として表ざたにする勇気ある女性は、ほとんどいない日本である。そうした中で詩織さんは決起した。朝日新聞は逃げて記事にしなかったが、米高級紙・ニューヨークタイムズは、1面と8面で大きく報道した。TBS強姦魔と安倍・官邸が関与している、との背景が、大ニュースとなったものだ。

 やくざと政治屋の関係は、長くて深い。木更津にはれっきとしたやくざ代議士が存在した。今はその倅が、安倍内閣の憲法違反法の強行に貢献したばかりだ。「やくざ浜名とハマコーの関係があるのか」という愚問は、まだ先のことだろう。

 問題の一つは、やくざ担当(マル暴)の警察官の多くが「ミイラ取りがミイラになる」という悲しい現実である。千葉県警の力量が、改めて問われていることにもなる。

 過去に、ハマコーを追及した渡辺一太郎のような勇気ある千葉県警本部長がいた。東京には秦野章警視総監がいたが、千葉県警の現在の本部長はどうか。相手は小者のやくざ一匹である。国民は捜査の行方を注目している。


<N子さんが初めてパソコンメール>

 横道にそれるが、昨日の北京の午前中は雲がかかっていた。久しぶりのPM2・5かなと思っていたのだが、午後から晴れてきた。北方の懐柔の峰がくっきりと見えてきた。大気汚染ではなかった。そう思って近くの公園へと散歩に出かけた。

 大寒は1月20日という。これから本当の真冬に入る北京だというのに、公園の玉蘭の一種の「コブシ」の枝先に蕾が出ていたのを確かめて、急に心が晴れてきてうれしくなってしまった。蕾の周囲は、白い毛で覆われている。羊の毛を連想してしまいそうだが、ふと故郷のコブシを思い出すと、元気であれば何度でも北京にこれたであろう朋子が頭に浮かんできた。

 気になるのは、肝心の遺族の動向である。彼らも脅された可能性が高い。朋子の家宅地と太陽と風に恵まれている、戦争未亡人が残してくれた広い土地も売却されてしまった。やくざの狙いは、学校の前の住宅と宅地の略奪だったことが、なるほどと頷かせてくれる現在だ。

 夜パソコンを開くと、朋子の遠縁にあたるN子さんが初めてメールをくれた。目の前に現れたわけではないが、友(朋)よ遠方より来る楽しからずや、の心境である。

 朋子の友人が、なぜ犯人浜名を追い詰めたのか、というと、朋子のメールアドレスを聞きだすために、その時、繰り返し携帯電話をしたからである。しかし、必ずかかる朋子の携帯が1時間以上も「使用中音」が続いた。朋子はその直後に倒れた。しかも、栄養士である健康優良婦人が、事もあろうに、突発性の大動脈りゅう破裂で即死状態。ドクヘリで搬送された君津中央病院のカルテが証明、裏付けている。健康優良婦人の卒倒と、直前の長時間携帯通話の人物を、二日前に朋子が「浜名はやくざよョ」と叫んでいた事実を結びつけると、性凶悪犯の浜名のみが浮かんでくる。AUの通話記録でも特定できる。

 事件の半年前に浜名と朋子を引き合わせたヘルパーの吉田ふみえが共犯者である。大工・佐久間精も事情を知る人物である。取材から逃げている浜名と吉田から、特定できる。

 もし、朋子にメールアドレスを聞こうと思っていなければ、30分おきに繰り返し電話をかけることはなかった。犯人浜名を特定できなかったことにもなる。ひょっとして、これは朋子の「祈り」のせいかもしれない。今も地獄で「浜名を逮捕して」と叫んでいる様子が感じられる。

 N子さんと縁者の朋子は、介護で結ばれていた。彼女も脅し殺人に重大な関心を抱いてくれている。もう一人の親類・朋子の近所にいる伊藤さん夫妻も、犯人逮捕を祈ってくれている。詩織さん事件の効果もあって、第三者の国民も注目してくれている。やくざは女性の敵である。


<日本警察・千葉県警の力量が試されている強姦脅し殺人>

 不思議なことは、沖縄レイプ殺人事件は2017年4月28日、朋子は2014年4月28日にこの世を去った。前者の犯人は元米軍海兵隊員で裁判中だ。後者も犯人は特定している。千葉県警の力量次第で犯人を獄にぶち込むことができる。

 そこにTBS強姦魔事件が発覚、世界を揺るがせている。改めて日本のレイプ文化を象徴している。「木更津レイプ殺人事件」も、その一翼を担っている。性凶悪事件としては、やくざによる脅し事件が、日本社会の女性の地位を根幹で揺るがしている点で、もっとも深刻かつ重大であろう。放任・迷宮入りさせてはなるまい。


<やくざ跋扈のレイプ文化を排除する日本へ>

 やくざが跋扈する列島を、これまで通り、蓋をかけて、レイプ文化を温存していく社会で行くのか。それとも、フィリピンのようにやくざを徹底排除して、女性の全てが安心して生きられる明るい日本にするのか。日本女性の決起の行く方と、一方で、朋子が深く信仰していた創価学会の対応も注視されている。真摯な対応をしてくれれば、犯人は即逮捕できるのだが。

2018年1月18日記(東京タイムズ元政治部長・日本記者クラブ会員・政治評論家>


千葉県 木更津市のヤクザはレイプやりたい放題

2014年11月27日
木更津レイプ殺人事件の真相

「ハ00はやくざ」と言い残して逝った中年美人

 木更津レイプ殺人事件の契機となった被害者最期の一言、それは「ハ00は やくざ」というものだった。ということは、男の正体を8ヶ月にわたって見せ付けられていたことになる。刺青や指つめのやくざに脅しまくられていた何よりの証拠・証言であろう。

性奴隷にされていた中年美人だった。信頼する友人への、この一言が事件発覚の契機となった。


やくざを友人に押し付けてきた被害者
 彼女はやくざレイプ犯をなぜ、大事な友人に対して「ハ00はいい大工。うちでも8ヶ月前に頼んでいる。安くしてくれた。この大工を使ってほしい」と売り込んできたものか。

 おわかりだろう。これも性奴隷にされていた決定的証拠である。
一人住まいの中年美人は「やくざの女」を強要させられていたことになる。
大動脈溜破裂で即死状態(4月26日)の直前、4月20日の夜、友人は彼女の要望に沿って、やくざとは知らずに自宅補修工事現場を案内していたことも発覚した。

絶縁願いに対して脅迫を受けていた!
 繰り返し、このことを紹介する理由は、彼女の遺言のような一言も、その友人に打ち明けていたこともわかったからである。
 筆者は、さっそくやくざが運営する千葉県認可の介護施設周辺の住人に協力を求めた。ハ00の正体を確かめてみた。空き家を利用した施設の規模はまだ小さいが、木更津市の福祉施設案内にも載っていた。

 そうしてみると、千葉県をどう懐柔したものか。木更津市をどう欺いたのか。ここも重大な事件性を帯びている。地元の親切な住民が徹底的に調べてくれた。結果は、被害者の証言どおりだった。かくして取材を本格化させたものだ。

 レイプ犯は、そのさい怒声だけでなく、相手に恐ろしい体を見せ付けて、かよわい女性の抵抗を奪う。女性の尊厳と誇りを奪う。
つめた2本の指、そして刺青に多くの女性は抵抗力を失うものだから。
被害者はそれに恐れおののいて、性の奴隷に甘んじるしかなかったのであろう。
それが最期の一言だったのである。
逃げようとすれば、警察に届けようとすれば、次々と脅迫して、それらを封じこめてきたのであろう。凶悪犯罪そのものであろう。


上総記念病院に健康カルテ
 彼女、中年美人は敬虔な信仰者だ。花好きで有名である。近くの元教師は「彼女は薔薇が大好きで、庭にはいつもきれいな花を咲かせていた。私は彼女の母親の代からの付き合いですから。母親も花が大好きでした」と語っている。
 花好きに悪い人間は少ない。心が美しい。
 「彼女は健康管理にも徹していました。栄養士でしたから当然かもしれませんが、毎日散歩していました。半年ほど前までは早朝ヨガをしていました。週1回の公民館体操にも一緒に出ていましたよ。ですから急死をまだ信じられないくらいです」とも証言している。
 彼女の見事な健康管理を伝える話も入ってきた。「数年前、それまで定期に健康診断していたK医院が廃業した。そばに別の病院があるのに、わざわざ車で30分もかかる上総記念病院に行って、定期的に診てもらっていました。大動脈が破裂?信じられません」と指摘する友人もいる。

 要するに、ものすごいストレスを抱えない限り、彼女にとって無縁の病だったのである。それも、この取材を始めたきっかけとなった。

 ストレスの元凶は何か。彼女が遺言のように遺した一言「ハ00はやくざ」だった。8ヶ月にわたって「やくざの女」を強要された挙句に、殺されてしまったものと断定可能なのである。木更津レイプ殺人事件と決め付ける理由である。

 無念であろう。本当に無念だったであろう。その真実のほとんどを墓場に持って逝ってしまったのだから。「まるで人形のように綺麗だった。成仏していた」とうそぶく学会員もいるが、とんでもないことである。彼女は地獄から怨霊となって犯人を追いかけている。

レイプ犯にかしずかされていた一人住まいの中年美人
 駆け出しの社会部記者のころを思い出す。警察署内を行きかう美女たちである。「何者か、と刑事に尋ねると、やくざの女」という返事がかえってきた。やくざ女は押しなべて美人という。

 瀟洒な家に住む、いかにも金持ち風の中年美人が、経営する介護施設に来てくれた。一人住まいであることも、メギツネが教えてくれた。面接の際に家族構成を調べ上げていた。

 オオカミの口から、おいしい餌を見つけたときに出る唾液がいっぱい出てきたろう。「親切な、いい大工」を信じてしまった彼女の運命は、こうして死への道へとまっしぐら突進してしまったのだ。こんな不幸な人生も珍しい。

シロアリ駆除業者選定にも慎重
 取材で判明したことは、彼女の業者選定は安直なものではなく、すこぶる慎重を期していた。
 数年前にシロアリの駆除をしていた。安い業者をネットで探したりも出来る。彼女はパソコンも使える田舎では珍しい有能な美人女性だったが、業者選定はきわめて慎重だった。なぜなら自宅の床下で作業が行われるため、業者を自宅に入れなければ作業は進まない。
 彼女は住宅建築をしてくれた、このあたりでは大手の業者の紹介でシロアリ業者を選んでいた。女一人の世帯では、相当な慎重さが求められるのだが、彼女はその点で優等生だった。それでいて玄関の補修工事をやくざに頼んでしまったのである。悲運というべきか。

学会人脈に油断
 前にも指摘したが、彼女の学会に対する思いは、第3者には信じられないほど強かった。池田信者を信頼しきっていたのである。
 現在の自分を、信仰のお陰と思い込んでいた。人間革命を信じきっていた。ここにこそ彼女の落とし穴があった。そこへと直進して行った。
オオカミとメギツネの待つ介護施設である。

 現在、二人とも入院騒ぎを起しているという。地獄からの怨霊に悩まされているのだろうか。後者は交通事故だったという。事件発覚におびえているのだろうか。必死でアリバイ工作をして、学会員に吹聴しているらしい。
「ハ00さんはいい人。やくざではない。2本の指は若いころノコギリで落としたもの。大工仕事には娘も連れて行った。00さんとハ00さんの間に男女関係は無かった」などである。見ていたような大嘘をついている。お笑いである。
 オオカミとメギツネのアリバイ工作に引っかかるような千葉県警ではないだろうに。

株式会社経営やくざ
 ネットで問題の介護施設を調べてみると、施設経営は株式会社となっている。
ということは、事業は介護施設1つではない。水商売にも手を出している可能性がつよい。
 性の奴隷にした美人らを、そこで働かせている?という疑いも出てきた。事件後に被害者は、それまで考えられなかった高級パックを購入した事実もわかっている。
 毎夜、車で出かける姿を隣家の夫妻が確認している。彼女のオイル交換記録からも裏付けられる。オイル交換業者は「ここはやくざが多い。注意しないと踏み倒される。何度経験したことか」と語っている。

 こうした市民の声を千葉県警は、深刻に受け止める必要があろう。やくざ関連の事故・事件に対しては、福岡県警を見習ってはどうだろうか。やくざといっただけで、首をすくめてしまう木更津市民を、そろそろ自由に解放する時期ではないだろうか。責任があろう。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52088099.html


2015年07月01日
木更津レイプ殺人だけではない
やくざ凶悪犯罪はごろごろ
 木更津レイプ殺人事件への関心が高まっている。本ブログ人気の上位に入っている。
やくざが宗教と福祉施設に関与、そこに戦争遺児・栄養士も吸い取られ、性凶悪犯罪は起きた。デーサービスを認可した千葉県福祉行政が、厳しく問われている。宗教界の自浄能力も、である。

人間が一人命を奪われているのである。千葉県警の捜査が注目を集めている。
先日、中学校の同級生と雑談していると、やくざ関連の話題が次々と飛び出してきた。木更津レイプ殺人事件だけではない。木更津には、やくざ事件はごろごろ転がっていることに仰天させられてしまった。


ばくちに誘われて
 木更津は、特別やくざが跋扈する風土かもしれない。ここからやくざが国会議員になった。いま息子が地盤を継承している。やくざにひれ伏す風土は、今も変わっていない。千葉県警の恥であろう。
 ここに登場する事件は、木更津の自衛隊基地の近くである。繁盛するソバ店で事件は起きた。主人の腕も良かったのかもしれない。パートナーは多分美人だったかもしれない。
 その店をやくざが目をつけた。ヤクザの客が増えた。店は繁盛して懐具合もよくなった。店主は近くにたくさんの田畑を所有していた。気がついてみると、店主はやくざに誘われてばくちを始めた。

 鴨とは知らずに「大もうけ」に店主は有頂天になってしまった。どっこい、これが大きな落とし穴だった。店主は田畑と店を乗っ取られてしまい、脅されて夜逃げしてしまった。殺害されたかもしれない。誰もわからない。

田畑を奪われて夜逃げしたソバ店主
 この種の話は漁師町でよく聞いたものである。やくざは資金稼ぎを目的にしている吸血鬼である。狙う相手は資産のある庶民である。店主の田畑に的を絞っての策略である。これにはまってしまった。

 金がなくなると、やくざは金貸しもする。これに手を出したら最後である。借金は天井知らずだ。夜逃げするしかなかった。あるいは麻薬の手伝いをさせられているかもしれない。

妻も寝取られ性奴隷!
 美人妻もやくざは見逃さない。あっけなく寝取られてしまったようだ。
いまもソバ店は存在しているという。しかし、実態は以前と異なっている。
経営者はやくざなのだ。美人妻は性奴隷のように酷使させられているという。
木更津レイプ殺人事件のような事例である。同事件の戦争遺児は、やくざから逃げ出そうとして脅迫殺人にされてしまった。

ソバ店の美人妻は、生涯の性奴隷を受け入れることで、生きているのであろうか。なんと恐ろしい木更津であろうか。木更津警察の奮起が待たれる。

 女性もそうだが、男も自立しなければならない。110番するしか生きられないやくざ社会なのだ。やくざは血も涙もない人間の屑である。昔は侠客がいた。庶民をいたぶる悪逆非道なやくざを退治したものである。いまは警察である。千葉県警は福岡県警を見習う必要があろう。同時に市民も勇気を出して、決起することなのだ。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52109037.html


2014年11月02日
木更津レイプ殺人事件の教訓

学会員Y子を信用したT子
 古来、石橋をたたいて渡れ、との教訓を生かせなかったT子の悲劇・不運を嘆かずにはいられない。T子は学会員のY子を同士と信じて、介護施設のバイトを始めた。

やくざレイプ犯との出会い
 そこがやくざレイプ犯Hが妻に営業させていた施設ということなど露知らずに飛び込んだことが、彼女の命を奪い去るのだが、それにしても気丈な一人住まいの年齢より10歳も若い小柄な美人にオオカミが見逃すはずがなかった。

 運命のいたずらなのか、悲劇が待ち構える穴に「適当ないいバイト先」と信じて、全く疑ろうとはしなかった。ここでのバイトについて彼女は「Y子に紹介されて始めた」と友人や学会関係者に打ち明けていた。

親切な大工を信用したT子
 清潔で完璧な性格であることから、玄関の小さな故障が気になっていた。普段であれば、近くの親類であるIさんに頼んでいた。ところが、彼は体調を崩して入院中だった。退院したのはやはり8ヵ月後の2014年4月6日のことだった。
 一人住まいの年金生活となると、節約はいつものことである。そんな場面において「施設経営者の主人」「親切な大工」という宣伝にT子は見事にはまってしまった。

女の尊厳を奪われて屈したT子
 一人住まいのT子が、あろうことかオオカミを自宅に入れてしまったのだ。以来、彼女の生活は一変する。何度か具体例を紹介したのだが、いえることは、女の尊厳を根こそぎ奪いつくすやくざレイプ犯に、多くの日本人女性は声を上げることがない。
 これは悲劇である。状況証拠から容易に推測できる。断定すべきだろう。親しい友人と接触することがなくなってしまったこと、それでも深夜車を走らせるT子だった。

警察に訴えなかったT子
 徹底的に押さえ込み、抵抗を許さない手口をやくざは心得ている。素人の、自尊心の高い女性ほど、このワナにはまりやすい。やくざレイプ犯にとって、T子は格好の餌食だった。
 いま思うとき、なぜ警察に訴えなかったのか、という懸念がわくのだが、これは第3者の勝手な思い込みである。やくざレイプ犯は、そこをすり抜けて重罪を敢行してしまう。
 警察に届けられないワナを次々と仕掛けて、見えない檻に入れてしまう。被害者を丸裸にして絞り上げるのだ。女の弱点を全て掌握して、それらを脅しに活用する。「抵抗すれば、すべてばらすぞ」「お前の大事な娘や娘婿をいたぶってやる。それでも警察に訴えるか」などと恐怖のドーカツ的言動で押さえつけるのだ。
 これに反発できる女性・母親がいるだろうか。母親は娘・息子のために生きてきたようなものだ。立派な娘婿を傷つけるようなことが出来るわけがない。T子はこうした判断に追い込まれてしまった。まず間違いない。

性奴隷8ヶ月の不運
 現代の性の奴隷がどういうものか、被害者が決して口に出来ない、非道徳きわまる犯罪である。捜査の苦しい点でもある。
 まして被害者はレイプ犯の脅し・脅迫・恐喝まがいの、獰猛な牙にかかって、想像を絶するストレスの高まりによって、大動脈溜破裂で殺されてしまっている。たとえ生きていても、当人が決して口外できない仕打ちを受けている。
 8ヶ月の性の奴隷がどんなものだったのか。徹底捜査で明かすしかない。そうして、これを女性保護の教訓とすべきだろう。

ハ00レイプ犯絶縁に一人決起
 2014年を迎えたT子は、一人決断をしたことが、友人との会話によって判明している。「新たな人生を踏み出す大事な年」だったからである。亡くなる10日ほど前に、本当に親しい友人二人に明かしていた。
 レイプ犯に絶縁状をたたきつけることだった。それを彼女一人で、さらに言うと、信仰・祈りにかけた。4・11大聖堂参拝である。この参拝の意味するところを、学会員であれば理解できるだろう。
 「本尊に祈ることで解決する」との意思表明である。神仏に祈ることで難問解決という信仰の持ち主だった。

秘事公開できなかったT子
 警察に届け出るという発想は、8ヶ月経ってもなかった。これも悲劇・地獄を約束させるものだった。
 やくざはアウトロー人間である。法律の世界で初めて裁きを受けさせることが出来る。「そんなことをしても無駄だ。お前も殺してやる」という脅しに屈してしまう日本の母親ばかりである。
 そもそも男たちでさえも、やくざ犯罪を目にしていても、それを警察に届ける勇気などない。逃げる卑怯者ばかりなのだ。
 被害者本人が犯罪事実を隠す、周囲の者も「おかしい」と察知しても、それを表ざたにはしない。せっかくの暴力団対策法も生かされないのだ。

鈍感な友人
 それはこの事件の真相を暴いているT子の友人も「おかしい」で済ましてきた。冷静になって、手帳のメモを確認するまでは、事件に全く気づかなかった。

 なぜT子が「あなたの家の補修工事をHにやらせて」と強く求めてきたのか。当時は不思議に思わなかった。「うちでもやってもらったいい大工」という説明に疑問など持たなかったという。
 彼は見積もりを取るために自宅に現れたHとT子が、目の前で抱き合う姿を呆然と見つめるだけだった。二人の秘事に対して多くの疑問を持たなかった。二人が数回携帯電話で時間調整するという密接な関係にも、少しだけ懸念を抱いたものの、それを暴こうという勇気がなかった。

 この場面で二人の関係を自白させていれば、T子の死は免れたであろう。倒れる2日前に言い放った一言(ハ00はやくざ)というT子最期の叫びにも、半年を経てようやく気づいたほどだ。
 「自らの鈍感さにあきれた」と嘆く始末だ。ハ00最後のドーカツ内容はなんだったのか。彼女のストレスを急速に高めさせた元凶はなんだったのか。それはいまT子の友人が知っている。

 木更津やくざレイプ犯の完全犯罪は成立しない。させない。国政・外交も重要だが、人間の命の問題は、それ以上に重い。警察と多くの人々の覚醒を求めたい。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52085267.html


2016年04月26日
木更津レイプ殺人事件の真相

大悲劇!戦後70年を、生きて迎えられなかった戦争遺児
 「現代の性奴隷」の存在を教えてくれた木更津レイプ殺人事件、その真相が被害者の3回忌目前に判明した。

それは2年前の4月26日、被害者・馬山朋子(仮名)は、富津出身のやくざハマナによって”殺人的脅迫”を受けて、突発性の大動脈りゅう破裂で卒倒したもので、その2日後に病院で息絶えた。

実は8か月余、レイプ・性凶悪犯罪を秘密にしてきた被害者が、殺害される直前に、犯人と共犯者の名前を信頼する友人に打ち明けていた。捜査協力のため、あえて3回忌(4月28日)を機会に真相の大筋を公表することにした。


突発性の大動脈りゅう破裂
 戦争遺児・馬山朋子は、極め付きという表現を使ってもいいくらいの健康婦人だった。木更津市の上総記念病院の主治医と彼女のカルテが、容易に証明してくれるだろう。

 彼女には大動脈りゅう破裂の持病など全くなかった。それでいて突発性の大動脈りゅう破裂で即死状態、二つとない命を2日後、木更津中央病院で失った。

 2016年4月28日は3回忌だ。いまも地獄で呻吟しているであろう戦争遺児のことを思うと、この悪逆非道な事件を千葉県警察本部と木更津署は、断じて迷宮入りさせてはならない。善は悪を憎む、これ人間の性なり。

 「病は気から」起こる。精神を病むと深刻・厳しい大病にかかる。突然、襲い掛かる精神破壊も命を奪う。朋子に突発性の大動脈りゅう破裂を引き起こした、強烈すぎる精神的な衝撃があった。それがわかれば、性凶悪犯罪は容易に解決する。

犯人はやくざ・暴力団だった。麻薬常習犯の容疑も濃厚である。人間の屑である。
捜査をすれば、容易に事件の真相を解明できるだろう。鍵は、被害者使用のAU携帯電話(09044591637)の通話記録が、決定的な証拠を残している。1年以上前からこのことを警察に通告している。これが犯人のアリバイ工作を破壊する。さらに、共犯者の存在とその自供も加わることになる。

犯人の名前を打ち明けていた被害者!
 とはいえ、本事件はやくざのレイプ殺人である。被害者本人が、110番するどころか、徹底して秘密にしてきた性凶悪犯罪という得意な事件である。
 女性にとって、口が裂けてもいえない事件である。身近な関係者であるほど秘密にしなければ、被害者本人が生きてゆけない最悪の重罪なのだ。ここのところが、当初、事件の解明に時間がかかった理由である。

 やくざによる強姦・レイプ事件の、多くが迷宮入りすることにも、社会部経験の薄いジャーナリストには気付かなかった。「レイプするための麻薬・覚せい剤」という当たり前すぎる事実も、例の元巨人軍選手・清原事件が表面化して初めてわかったものだ。

 朋子は倒れる2日前に、信頼する友人に「やくざハマナ」のことを打ち明けていた。「ハマナはやくざ。脅されている」と口走っていた。 

不運!しばらく気付かなかった友人
 朋子の友人は、事態の深刻さをまるで分っていなかった。まさか彼女が「やくざの女」にさせられていることなど、天地がひっくり返っても信じられないことだった。
 「僕がついてるから心配ないよ」といった気休めの言葉を返して、すっかり忘れてしまっていた。それは彼女が2日後に倒れた場面でも変わらなかった。しばらくは「娘と大喧嘩して、その興奮で倒れてしまったのだ」と、愚かにも信じ込もうとしていた。

 朋子には二人の娘がいた。母親は子供のために生きて働く。アルバイトをしながら、大好きな音楽学校に行かせた。ピアノを弾く女性にあこがれる男性は多い。確かに二人の娘には、いい婿が見つかった。

 一人息子も理工系の大学院を卒業させ、大手の会社で勤務している。妻は薬剤師である。子供たちも母親のように賢く生きていた。

 ただ子供たちに心配の種も残していた。長い間の別居生活を経て、遂に両親は正式に離婚していた。そして再婚話も浮上していた。その場面での即死事件である。「再婚にからんでの親子喧嘩」という判断が、朋子の友人の判断だった。それも、しばらくは続ことになった原因であった。

 解決すれば、そのあらすじは簡単明瞭である。しかし、被害者本人の近くにいる関係者は、逆に冷静さを欠いてしまい、あらぬ方向へと走ってしまう。事情を知る、朋子の友人も同じ失敗を繰り返していた。

 「やくざハマナに脅されている」という1点に絞れば、即座にわかった事件であった。この朋子の最後の悲鳴に、真相が隠されていると気付くまで、悲しいかな数か月もかかったことになる。

殺人的脅迫殺人の犯人は「やくざハマナ」
 彼女はまじめな信仰者だ。母親は戦争未亡人の助産婦だった。最愛の夫の形見・宝物である娘を、大事に、大事に抱えて戦後を乗り切ってきた、母親の支えも信仰だった。

 絶対平和主義が戦争遺児・朋子の信念だった。この信念が変わることはなかった。その戦争遺児が、亡くなる寸前に吐いた悲鳴を友人は、なかなか理解できなかった。「大工ハマナではない。ハマナはやくざよ」との叫びを、それでも友人は、背後の性凶悪犯罪を見抜くことが出来なかった。


共犯者はヘルパーのヨシダフミエ
 犯人はやくざハマナである。朋子はハマナを「親切な大工」と信じ込んで、自宅玄関の工事を任せてしまった。2013年の夏だ。やくざレイプ犯を自宅に呼び込んでしまったのだ。こんなことがあっていいのだろうか。
 事情を知らない第三者は唖然とするばかりだ。なぜ、こんなことになってしまったのか。
 朋子は事件については打ち明けようとはしなかったが、ハマナとの接点にヘルパーのヨシダフミエのことを、大事な友人に語っていた。
 真相を明かす点と点をつなげてゆくと、やくざのレイプ・性奴隷・脅迫殺人事件が見えてくる。ヨシダは共犯者だと断定したい。このヘルパーが事件の全てを知っている!

事情を知る大工サクマとハマナの妻
 このほかにも事情を知る人物がいる。ハマナは偽物大工だ。本物の大工を配下にしていた。大工サクマである。ハマナは55歳前後、サクマも同じか少し年配である。
 ハマナの妻は、介護施設を経営している。ヨシダもその仲間だ。実質経営者は、やくざハマナである。千葉県の認可をどうして取得したのか。ここにも重大な事件が隠されている。

 判明したことは、朋子もヨシダもハマナの妻も共に同じ信仰者仲間なのだ。朋子は、見事にこの巧妙な罠にはまってしまったのだ。同志的結合が、ハマナに格好の餌を与えたものだ。

 「いうことを聞け!いやならすべてを暴露してやるッ」
 戦争遺児・朋子は、無念にも非業の死を遂げてしまった。戦後70年を生きて迎えることが出来なかった。河野・国家公安委員長、金高・警察庁長官に対して、強力な捜査を要請したい。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52136343.html

2014年11月21日
木更津レイプ殺人事件の反響

 毎日、数千人の読者が見てくれている本ブログの、ひそかな人気記事は、いうまでもない、木更津レイプ殺人事件である。国内から海外の読者も関心を寄せてくれる。女性の敵に対して、自立しない女性という視点でも注目している。韓国の性奴隷問題とも関係する。
「被害者を教えてほしい」「被害者の写真を見せて」という要望も多い。しかし、それは無理である。「あなたの奥さんや娘ならどうする?」と反論すると、沈黙してくれる。千葉県警暴対課の必死の捜査を待ちたい。


あなたならどうする?
 「あなたならどうする」と問いかけてみたい。
 信頼する信仰仲間から「親切な大工さん」と紹介される。彼の妻は介護施設を運営している。千葉県の認可も受けた施設だ。そこでバイトを始めた被害者は小柄な中年美人。一人で瀟洒な家に住んでいた。

 信仰仲間は被害者の家族構成を調べ上げて、親切な大工に告げていたらしい。被害者は当地ではインテリ女性、パソコンもこなす聡明な創価学会員である。「インテリ女ほどだまされやすい」といわれるが、まさに中年美人もその一人だった。
 あろうことか、信仰仲間の言動を信じて自宅玄関の補修工事を任せて、家の中にオオカミを入れてしまった。

 やくざは女の扱いに手慣れている。瞬時に口をテープで封じて、両手足を縛り上げて丸裸にさせてしまう。数分もかからない。裸体をカメラに収めて、悠々と女の尊厳をいたぶり続ける。そしてさらにカメラ撮影。ビデオだともっと生々しい。

 これで終わらない。オオカミはウサギが生きている限り、決して放すことはしない。「警察に届ければ、この裸体写真を娘婿の新聞社に送りつけるぞ。お前もぶっ殺すぞ」と刺青を見せつけて大声で脅しまくって、瞬く間に性奴隷にしてしまう。

 ごく普通の被害者は恫喝に震え上がり、抵抗力を喪失してレイプ犯に屈してしまうだろう。なぜ警察へ飛び込まなかったのか。木更津レイプ殺人事件の概要である。


警察に駆け込めるか
 こうしたやくざレイプ犯にあなたは、どう対抗できるか。この事件の被害者はレイプ犯に服従したものの、神仏の祈りで絶縁しようとしたが、遂には命を奪われてしまった。

 警察に駆け込むしかない。いまの警察は暴力団に対して強い権限を有している。このことを世の女性は理解すべきだろう。
 屈することは、やくざの性の奴隷として「生きる屍」となる。地獄である。地獄に落ちるよりも、警察に届け出てレイプ犯・性奴隷犯に厳罰を加え、2度と立ち上がれないようにすべきだ。これが女性の自立を意味する。

 レイプ犯の油断を利用して、犯人を殺害しても正当防衛である。イラン女性の例である。

 被害者は親しい友人や子供たちにも、凶悪事件を隠し続けた。全ての人たちに裏切っていることになるのだが、もはや生きる屍にそうした判断能力はない。
 墓場に持っていく。これほどの精神的苦痛はない。愛する人がいれば、それこそ地獄そのものであろう。いずれ精神を病む。この間もレイプ犯との関係は切れない。死ぬまで続くのである。

 もはや人生に明るさも生きがいも無い。それを神仏に願っても無理である。彼女はやくざとの絶縁に、日々3時間も仏壇の前で祈った。その効果などあろうはずが無いのだが。しかし、それしか方法はなかった。亡くなるまで事件を明らかにできなかった。そして、とうとう息絶えて墓場へと持ち込んでしまった。事実上のレイプ殺人事件である。

 刑法はたくさんの犯罪に対して刑罰を設けて、犯罪抑止をしているが、経済が悪化すると、犯罪は増える。やくざには本来、任侠道を旨とするが、それに徹するやくざは現在一人もいない。
 人間のくずもいいところである。極悪非道な犯罪は、列島に蔓延していると見ていいだろう。だが、やくざ関連になると、被害者が事件を隠す、もみ消してしまう。したがって表面化することが無い。

 木更津レイプ殺人事件は、その点で特異な事例である。被害者の最期の悲鳴と直前の犯人の傲慢すぎる失態によって、そうして周辺の徹底取材で真相が明らかになったものである。
 オオカミの元へと連れ込んだメギツネY/Fの存在も判明した。いま病院へと逃げ込んだらしい。疑惑発覚と被害者の地獄からの怨霊にうなされているのだろうか。メギツネを捕獲すれば、おおむね真相は明らかとなろう。
 被害者も加害者も共に創価学会員である。介護施設の女主人が学会員かどうかはまだ不明である。真相は必ず明らかとなろう。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52087519.html


2015年04月20日
顛末・木更津レイプ殺人事件(上)

創価学会・被害者身内・千葉県警必読
 性犯罪に巻き込まれる女性は数知れない。当事者が沈黙するため、犯罪が露見することはほとんどない。しかも、犯人がやくざ・レイプ犯の場合、それは隠蔽されたまま迷宮入りする。警察も手が出せない事例ばかりである。だが、この悪辣・悪質な性犯罪事件は筆者の身近で起きた。事件から数ヶ月、冷静に周辺を洗うことで、この事件を遂に発覚させることが出来た。犯人も共犯者も特定している。

創価学会・被害者 馬山朋子(仮名)の身内・千葉県警捜査員必読の内容である。その顛末を披瀝、凶悪犯人の極刑を求めてやまない。1年前の4月20日の出来事から、レイプ・性奴隷・恐喝・脅迫・殺人事件の真相が露呈したものである。


 事件のきっかけは2014年4月20日の夜だった。この日のことを彼女の友人の手帳には、明確にメモされて、しっかりと当人に記憶されている。被害者の身内にとって、全く知らない秘事である。

「ハマナ大工は親切・安くリフォームする」と友人に説得した朋子
 4月20日は、性凶悪事件のきっかけとなる証拠を、被害者の友人に突きつけた日である。友人は、やくざレイプ犯とは全く知らずに、東京の自宅から久しぶりに故郷に戻った。

 朋子とは、夜の9時に彼女の自宅でハマナと会う約束をしていた。車時間なので、安全な時間を設定したものだ。実際は予定よりも30分ほど早く着いた。朋子の自宅で、約束どおりハマナ大工を待っていた。しかし、その瞬間から不可解な事実が次々と表面化していたのである。

 彼女はハマナと携帯電話で「早く着いたので、早めに来てもらってもいい」と連絡を取り合うのだ。当初は気付かなかったが、それは2度、3度と続いたので、友人はあとで「おかしい」と感じたが、深く追及するという認識は、その場面ではなかった。

 本来、朋子の携帯は友人との連絡が主だった。将来を約束する関係にあったため、1日1回は何もなくても二人は携帯で連絡し合っていた。
 その大事なはずの携帯を、後に判明するやくざハマナと常時、使用していたことが、このときに判明していたのである。なぜか?
ここに事件の鍵が隠されていた。
朋子は、かわいそうにハマナに自由を奪われ、コントロールされる関係に置かれていたこのだが、この場面では友人は全くわからなかった。


携帯電話でハマナと常時連絡させられていた被害者

 友人は、数ヶ月前に朋子に対して、10年ほど空き家にしていた故郷の家の補修工事をしようとして「適当な大工がいるだろうか」と相談を持ちかけていた。友人の親類にも大工はいたが、普段は交流がなかったことも、朋子に相談した理由だ。

 彼女は秋田県本庄市から母親介護のため、故郷・木更津に戻り、既に18年にもなっていた。母親が助産婦だった関係もある。地元の顔でもあった。「産婆さんの娘」で知られていた。筆者も朋子の母親の手で、この世に生を受けている。母親に恩義を感じる人間である。

110番できない事情は、レイプ犯が2本指をつめた刺青やくざ

調査で判明したことは、過去8ヶ月余、彼女は「やくざの女」を強要されて、身動きできない状態に置かれていたのだ。むろん、そんな彼女の非常事態を友人を含めて知る由もなかった。

 原因は明らかである。当人が死んでも明かしたくない、女性にとって恥ずべき秘事だったからである。

相手は2本の指をつめた刺青やくざである。日本人女性の100%が、警察に駆け込もうとしない凶悪犯が加害者だったからだ。

 その凶悪犯を、朋子は友人に対して「ハマナ大工をうちでも玄関工事をさせた。安かったので、あなたの家の工事をさせて欲しい」と強く訴えてきた。背後で何があったのか。これも事件の謎を解く鍵が隠されていた。

友人の目の前で朋子を抱きかかえたハマナ
 ハマナは車で朋子の自宅前に車を寄せた。夜の9時前である。8ヶ月前に朋子はハマナに玄関工事を依頼した。もしも、この1度だけであれば、朋子の家に着くのに手間取るはずである。
 しかし、ハマナはすいすいと自宅前に車を止めた。このことにも友人は、当時疑問を抱こうとしなかった。「親切」「安くしてくれる」という朋子の言い分を信じていたからである。朋子がこの8ヶ月の間、自由を奪われて、ハマナのなすがままの生活を強いられてきていたことなど、知る由もなかったのだから。

 朋子は軽自動車に友人を乗せて走り出した。ハマナの車は後ろからついてきた。友人の家の中にはいると、なんとハマナは、朋子の友人の目の前で、これ見よがしに朋子を抱きかかえた。途方もない一瞬の行動に友人は仰天した。

 その行為は「この女は俺のものだよ」というメッセージである。にもかかわらず、友人はどう反応すべきか判断できなかった。


大工サクマも事情を知る有力人物
 ハマナの傲慢な行動に対して、不思議なことに朋子は声もあげなかった。手で振り払おうともしなかった。友人は夢でも見ているような錯覚にとらわれたが、瞬間のことに激しい抗議をする余裕もなかった。

 なぜならハマナはサクマという、50代か60代の小太りの大工も同行させていた。ハマナは、筆者の取材で富津出身の55歳前後のやくざであることが判明している。

 友人は親類から「なぜハマナに反撃をしなかったのか」としかられたが、彼はこのような場面に慣れていなかった。明らかに朋子は、ハマナの女にさせられていたというのに、である。彼女の身内はこの事実に驚くばかりだろうが、間違いのない事実である。友人が「おかしい」と思うようになったのは、朋子がなくなって数ヶ月経っていた。


友人にやくざ大工を押し付けた朋子と、それを命じたやくざハマナ
 大工サクマも木更津レイプ殺人事件を知る人物である。懸命な捜査員が彼から事情を聞き出せば、真相の多くを知ることが出来るだろう。むろん、朋子をやくざハマナのもとへと連れ出したヘルパーYと共に、朋子とハマナの関係を証言できる有力な人物である。

 サクマは大工関係の仲間なのか、それともやくざハマナの配下なのか。捜査当局は、捜査すれば、彼の正体を容易に割り出すことが出来るだろう。印象では、彼は捜査に協力するかもしれない。

 朋子はなぜ、大事な友人にやくざ大工を「安くしてくれるいい大工」と嘘をついたのか。推論するに、彼女はハマナに「お前の再婚相手と会わせろ。そうすれば手を切ってもいい」と言われたのだ。

 これこそ朋子への次なる脅しの対象者にするためである。朋子はやくざから逃げ出したいその一心で、ハマナの要求に応じたものであろう。このことが、彼女の命を奪う元凶となってしまうのだが、そこを朋子は読めなかった。 

お前の再婚相手を紹介すれば自由にさせる!
 再婚を目の前にしていた朋子である。それには、なんとしてもやくざと手を切らねばならなかった。
 彼女は信仰者として祈ることしか知らなかった。友人は彼女の口から「3時間題目」という言葉を数回聞いている。
 無信仰の友人は、それが何のことか、理解できなかった。彼女の友人は、筆者の取材に対して、4月10日前後に信濃町の大聖堂に参拝したことを聞いていた。朋子は「もやもやを吹き飛ばしたい」という言葉を記憶していた。

 彼女の言う「もやもや」とは、やくざの女を返上することだった。その日も近いと認識したのであろう。友人をハマナに紹介すれば、やくざから手を切ることが出来る、と信じたのだ。

 4月20日は、朋子にとってやくざから解放される日だったのだろう。「お前の再婚相手を紹介すれば開放する」という嘘に小躍りしていたのだ。なんと、これが次なるハマナの脅しの材料だった。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52101805.html


2015年04月26日
顛末・木更津レイプ殺人事件(下)
運命の4月26日、千葉県警・創価学会必読

 ちょうど1年前のこの日に馬山朋子(仮名)は倒れた、正確にはレイプ犯に脅され、その恐怖で絶望して命を奪われた運命の日である。
戦争未亡人が命がけで育てた一粒種は、その8ヶ月前、知り合いの信仰仲間のヘルパーYの誘いを受けて、やくざハマナ経営の介護施設Kでバイトを始めた。あろうことか、そのやくざを「親切な大工」と信用させられて、自宅玄関の補修工事を請け負わせた。

瀟洒な住宅に一人住む、年齢よりは10歳も若く見えた小柄な美人の朋子は、3本指の刺青男の歯牙にかかってしまった。女性の人権を奪われ、遂には恐喝と脅迫で逃げ道をふさがれ、一つしかない命さえも奪われてしまった。


「バラしてやる」に極端に弱い性被害者
 女性は性犯罪に弱い。特に日本人女性は弱すぎる。110番しない。結果的に、自ら性犯罪者をかくまってしまう。それが、将来、恐ろしい悲劇を生むことに気付かないのだ。

 いったん、レイプを受け入れると、犯人の要求はとめどもなく広がる。プロであるやくざともなると、死ぬまで搾りとられるだろう。木更津レイプ殺人事件はその典型である。比例して「バラす」という恐喝と脅迫は、極端にすごさを増してゆくものだ。
 犯人ハマナと、共犯者のヘルパーYを絶対に許すことは出来ない。千葉県警は断じて、この悲劇事件を迷宮入りさせてはならない。犯人は特定しているのだから。

 友人は、この日午後3時前に朋子に携帯で電話した。30分後に改めて用事を思い出した。こんなことは初めてだ。ところが、通話中の音でつながらない。20分ごとに数回繰り返した。しかし、かからない。

 友人の手帳には午後5時20分、女性の声で「いまドクターヘリの中です」という連絡に驚愕させられた、と記録されている。友人が4月20日、4月23日の重大な異変を、線上で結びつけて犯人を特定したのは、彼女の死亡からかなり経っていた。

 人間は賢そうで、必ずしも賢くはない。もしも、4月20日の時点で、本人を徹底して問い詰めていれば、レイプ事件の真相を知ることが出来たろう。あるいは4月23日の時点でも、その機会はあったのだが。人生は不運が優先する。 


1時間以上の恐喝と脅迫
 しかし、信用している相手を問い詰めることに、多くの人間は慣れてはいない。結局は、被害者である彼女自ら110番しない限り、生涯やくざから肉体と資産を搾り取られるしか生きられなかったのだ。日本の全女性は、このことに真剣に向き合う必要があろう。性犯罪を決して隠してはならない。それよりも、生きるために恥ずかしさを乗り越えて、勇敢に110番しなければならない。

 自立する女性は、レイプ犯に屈しないことなのだ。そこから、強く生きることが出来る。人権を死守する女性が、男社会の日本から脱して、明るい日本の将来を獲得することが出来るのだ。

 友人の手帳メモから犯人ハマナは、1時間以上に渡って朋子をゆすっていた。その結果、彼女の逃げ道を一切ふさいでしまった。「お前の男に全てをばらしてやる。いいな!」という一言に朋子は、生きる希望を断たれてしまった。

 誰しも秘事の一つや二つはある。それを決して知られたくない相手がある。彼女の場合、それは再婚相手の友人にバラされることだった。彼女は6日前にハマナと友人を引き合わせてしまっていた。やくざの脅しは、単なる脅しではない。3本指の刺青男の脅しは、実行されるだろう。それに精神は狂い、激しい動悸が襲ってきた。

 絶対に知られたくない秘事を知られれば、再婚は壊れる。それだけではない。木更津でも生きてゆけない。「あばずれ女」としてムラ社会で生きる勇気など、朋子にはなかった。

 彼女の心は恐怖で震え上がった。信濃町の大聖堂での祈り・自宅での3時間題目も効果はなかった。大動脈が破裂するのは時間の問題だった。案の定、娘からの受話器(固定電話)をとると間もなく、床にバタンと倒れた。

 この世で、もっともきつい激痛に次ぐ激痛が襲ってきた。そうして意識を失った。目の前の幸せ人生は、一瞬のうちに泡となって消えてしまった。彼女の強い心臓は、2日後の4月28日、木更津中央病院で止まった。医師は「即死状態」と遺族に明かした。

携帯の通話記録が決定的証拠
 人生のむなしさ・はかなさを、これほど象徴する事例は、この世に少ないのではないだろうか。信仰に生きてきた朋子である。「祈ればかなう」を信条としてきた創価学会の池田信者だった。
 地獄に突き落とした相手も創価学会員のヘルパーYである。組織として隠蔽したい事例に違いない。しかし、隠してはならない。学会はYに自首と告白を、それこそ信仰の力で、加害者に納得させる責任があるのである。
 AU携帯電話は、朋子と友人が使用していた。そこへとハマナが割り込んできた。倒れる寸前の長時間携帯の相手は、まぎれもなくやくざハマナだ。レイプ犯最後の恐喝と脅迫である。
 健康管理を、運動と食事の両面から徹底していた栄養士の朋子も、将来の生きる道を完全に閉ざされて、精神を存分にかく乱され、五体をこなごなに破壊されてしまった。悲劇、悲惨である。

警察は既に携帯確保か
 警察が朋子の携帯の通話記録を調べれば、ハマナのアリバイ工作は、全て水泡に帰す。断言したい。彼女の友人は、ハマナと共犯者のヘルパーYを決して許せない。当然だろう。大工サクマと事情を知るハマナの妻も、である。
 筆者は繰り返し、木更津レイプ殺人事件において、被害者の携帯電話の通話記録のことを指摘してきた。これが決定的な脅迫証拠となるからである。

共犯者Yのアリバイ工作通用せず
 それにしても、平凡な、それでいて真面目な女性が、突然、やくざにレイプされ、110番もできない。これが悲しい日本女性である。これでは警察も手が出ない。性犯罪は本人の訴えが前提である。親告罪という。
 しかし、こうした規制が凶悪事件の表面化を抑制している。徳洲会疑獄の突破口となった議員の性犯罪は、示談で処理されてしまった。国会議員によるレイプ事件は珍しくもないが、これが法廷で表ざたになることはまずない。

 警察も政治の圧力に弱い。朋子事件は、犯人はチンピラやくざである。千葉県警刑事部と木更津署が、政治的配慮をする余地は全くない。日本の全女性のために、徹底的に朋子事件捜査をしなければならない。

 ヘルパーYは、懸命にアリバイ工作をしている。だが、それは無理である。筆者が携帯での双方のやり取りの事実をYに指摘すると、驚いていた。8ヶ月にわたるハマナと朋子のレイプ、性奴隷の関係は、周辺取材で判明、既に提示してきている。


 性の奴隷は、韓国や中国の従軍慰安婦のことだけではない。この21世紀の日本でも、現在も起きている。凶悪性犯罪で殺され、脅されている女性は、馬山朋子一人ではない。この日本にたくさんいるのである。

 極端かもしれないが、レイプされたらレイプ犯を殺せ、といいたい。せめて110番しなさい、と訴えたい。そんな日本人女性へと格上げさせるために、女性週刊誌はさらに活躍してもらいたい。そうすれば、日本から事件は激減するだろう。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52102354.html


2016年08月11日
木更津レイプ殺人事件新展開

千葉県警木更津署始動
 先に木更津警察署の小林副署長に会見、月刊誌「財界にっぽん」の「徹底追及木更津レイプ殺人事件」の連載記事を持参、捜査を要請したところ、昨日8月10日午前、同署刑事課のK第二課長が担当刑事一人と共に、わが埴生の宿を訪問してくれた。

約1時間30分にわたって、被害者戦争遺児が、脅迫殺人の直前に吐いた「大工ハマナはうそ。ハマナはやくざよッ」と叫んだいきさつなどを説明した。精悍なベテラン刑事は、市民に姿を変えて、妻にデーサービスKを経営させている富津出身のやくざ浜名と、共犯者ヨシダフミエに注目してくれた。1年以上にわたってブログ掲示板で訴えてきた性凶悪事件に対して、正義の千葉県警木更津署始動である。


 この事件追及取材を始めて、改めて市民のやくざに対する恐怖感が異常なものであることに気付かされた。そこには正義の観念が全くないかのようである。
 友人の中には「触れないほうがいいよ」と止める者もいた。これでは被害者は永遠に地獄で呻吟するばかりだ。あまりにも無残で哀れであろう。真実を知って沈黙するようでは人間ではない。「善は悪を憎む。これ人間の性なり」である。

 この機会に「木更津からやくざを追放する市民運動を立ち上げるべきだろう。市民が決起すれば、警察も100%動いてくれる。飲食・事業者は晴れて仕事が出来る。踏み倒されることもない」という認識を共有したいものである。木更津市長も勇気を出すべき責任がある。
 これこそが死者(2014・4・28)への供養である。


 犯人と共犯者は特定されている。
既に、筆者の追及取材に対して、彼と彼女は、病院に逃げ、交通事故で入院している。二人とも小心者であるらしい。
55歳前後のやさ男・浜名は、間違いなく覚せい剤常習者と断定できる。尿検査でアウトだろう。市民に姿を変えているところからすると、組のものではない。チンピラのたぐいだ。こんな奴が弱者に襲い掛かって、入れ墨や3本指で脅してレイプしたものと推認できる。


創価学会の隠ぺいは不可能
 この不幸な事件は、創価学会公明党の末端組織で起きた悲劇である。当初取材に協力してくれたものの、レイプ殺人事件の取材とわかると、一斉に会員の口が閉じてしまった。これでは開かれた宗教団体政党とはいえない。
 犯罪会員の説得と処分をすべきだろう。もはや隠ぺいは不可能である。


不思議な縁
 手元に1冊の本がある。数十年ぶりに開いてみた。

「元警視総監・秦野章の日本警察改革論」(エール出版)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%A6%E9%87%8E%E7%AB%A0%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E6%94%B9%E9%9D%A9%E8%AB%96-Yell-books-%E7%A7%A6%E9%87%8E-%E7%AB%A0/dp/4753911446


である。そこに関係者のコメントが掲載されている。水野清元建設相・愛野興一郎元経企庁長官・水口勝史成田空港警備隊長らと一緒に森美秀・同英介両代議士の山崎利幸秘書も登場している。彼との交流は40年以上か。
 彼こそが「ハマコーはやくざだよ」と駆け出しの政治記者に教えてくれた人物である。今回、木更津署のI刑務官に連絡してくれたのも彼だった。そうして木更津署が捜査に乗り出してくれた。不思議な縁と言わざるを得ない。

 「やくざハマコー」を知るや、一人ハマコー批判を遠慮なく繰り広げた。感動してくれた人物が鴨川通信部の吉田正司記者だった。彼は二人の息子を正義の警察官に育て上げた。ふたりとも警視クラスと聞いた。その一人にこの事件の概要を伝えている。

  覚せい剤とやくざの日本返上に成果を収めないと、日本人は滅びてしまうだろう。中国のアヘン戦争を連想する昨今である。
 この問題に詳しい中原義正氏は「日本の麻薬取締官は170人程度。おかしい」と懸念している。その分、責任は警察の肩に覆いかぶさってくる。
 警察庁長官が後退したという。最大の課題はやくざと覚せい剤、そこで起きる性凶悪犯罪である。女性が安心して暮らせる日本構築である。木更津レイプ殺人事件は、いまの日本の危機を象徴している。

 このさい、千葉県警のマル暴担当の支援も重要だろう。何としても、生きて戦後70年を迎えることが出来なかった戦争遺児、この悲運を犯人逮捕で少しでも苦悩を和らげたい、それが正義・生きるものの責務ではないだろうか。


http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52146394.html


2016年12月13日 「ジャーナリスト同盟」通信
やくざに支配された永田町
自公・維新にやくざの組織票?

 かつて

「秘書残酷物語」(エール出版)
https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%A3%E8%AD%B0%E5%A3%AB%E7%A7%98%E6%9B%B8%E6%AE%8B%E9%85%B7%E7%89%A9%E8%AA%9E-Yell-books-%E6%9C%AC%E6%B2%A2-%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/475391058X


を書いたことがある。たくさんの自民党秘書の生の声を集めて、それをまとめて本にしたものだ。

 その場面で、統一教会・勝共連合とやくざがまとわりつく自民党議員の正体もあぶりだすことに成功した。長年の秘書らとの友情が、真実を暴露させてくれたものであるが、ただし、タイトルからして、そのことだけをクローズアップすることはできなかった。

 ともあれ、自民党と同党議員らがやくざのために働くことは、別に不思議なことではない。やくざと自民党は腐れ縁・連携している。犯罪集団とグルになっている自民党議員は、とても政治家と呼ぶことは出来ない。政治屋である。

 政治部の現役時代は、当たり前のようにハマコー批判に徹した。理由は、彼がやくざ、現役のやくざだったからである。残念ながら朝日記者でも、ハマコーをヨイショしていたものだが、筆者はひるむことなく叩き続けた。老いた場面で、千葉県警が彼を押さえつけた。

 ハマコーの選挙をやくざが取り仕切っていることを、ライバルの自民党議員なら皆知っていたが、それでも彼を退治できなかった。他の議員も多かれ少なかれ、やくざとの関連があったためだった。小泉純一郎の祖父が入れ墨をしていたことは、よく話題になった。ハマコーも人前で裸になることはなかった。

やくざと入れ墨は一体だ。
これに女性は見ただけで体が硬直してしまうため、容易にレイプされてしまう。
入れ墨はやくざの武器なのだ。


博打・麻薬と強姦売春のやくざビジネス

 やくざの三悪は、警察官であれば、だれでもよく知っている。博打・賭博・ギャンブルである。

 やくざの独占的不法行為・犯罪ビジネスは、麻薬である。
覚せい剤がいまや主流である。性行為のために、これを誰しもが使用しがちだ。
野球選手や芸能人に限らない。

 やくざはすべて覚せい剤の常習者である。
これを使うと、容易に女性をレイプすることが出来る。

彼らは、その場面を撮影して証拠として保管、それをレイプした女性にちらつかせることで、性奴隷にして、売春行為を強要させて、金銭を巻き上げる。恐ろしいダニだ。

 女性最大の敵がやくざなのだ。博打・売春・麻薬という恐ろしい武器で、世の中を荒らしまわっている。


木更津レイプ殺人事件が暴く巧妙なやくざの罠

 やくざが市民に姿を変えて女性を強姦、その後に性奴隷として水商売をさせていた凶悪事件が、木更津レイプ殺人事件である。

 被害者は戦争遺児の栄養士だった。若い年齢ではなかったが、日頃の鍛錬と徹底した健康管理で、同級生と比べると、10才以上も若い美人栄養士だった。

 それに瀟洒な住宅での一人住まいである。そこをやくざに狙われた。それまで、彼女は家に知らない男性を上げることはしなかった。郵便局員か宅急便であることを、あらかじめ確認した上で、玄関を開けるという慎重な対応をしていた。

 こともあろうに、やくざを家に入れることなど万万が一想定さえできなかった。彼女は選挙の際、信仰仲間の上部組織から、ハマコーやハマコーの息子に投票するように言われても、決して投票しなかった。それでいて、なぜやくざを自宅に入れてしまったのか。


信仰・介護福祉施設の罠

 木更津レイプ殺人事件の犯人・浜名は、地元の有力者の調べだと、50代半ばの指を2本も詰めた入れ墨やくざである。

 この性凶悪犯は市民に姿を変えていた。それだけではなかった。新興宗教に入信、その足場を利用して、妻に介護施設・デーサービスKを経営させていた。さらに「本業は大工」という触れ込みだった。戦争遺児の栄養士は、同じ信仰仲間のヘルパー・吉田HUMIEに誘われてKでバイトを始めた。

 戦争未亡人が、夫の形見として残してくれた戦争遺児の馬山朋子(仮名)を、まんまと騙してKに連れ込んだのは、浜名の共犯者・吉田だった。

 実に、巧妙な罠だった。この悲劇的事件は、現在、月刊誌「財界にっぽん」に連載中である。


レイプ写真をばらすという死の脅迫

 やくざの特徴は、血も涙もない点にある。覚せい剤犯罪の裏に必ずやくざがいるが、決まって捜査線上に現れない。「ばらせば殺す」と厳命されているからだ。

 やくざにレイプされた女性は、110番通報ができない。抵抗もできない。性行為の場面の写真をばらすと脅されているからだ。

 木更津レイプ殺人事件の被害者も、最期は「ばらす」という死の脅迫に倒れた。幸い、携帯電話の通話記録が決定的な証拠として存在している。まじめ捜査なら、容易に解明される。


 悪党であるやくざが跋扈する日本では、女性は安心して生きられない。独り身の美人は特にそうである。小銭を持っている女性もやくざに狙われている。

 カジノ解禁になると、やくざの跋扈は一段と激しくなる。背後で、性奴隷にされた女性も暗躍させられよう。覚せい剤・売春もひどくなろう。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52160688.html

2016年06月29日
日本の真の女性解放は不可能か<本澤二郎の「日本の風景」
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52141949.html


麻薬大国とやくざ大国の日本

 日本人は、日本が麻薬大国・組織暴力団・やくざ大国であることを認識しているのであろうか。知っていても口に出さないだけなのか。

筆者は、やくざによる「2014・4・28木更津レイプ殺人事件」追及から、巨人軍の清原事件に関心を持つ時点で、初めて日本の恐ろしい凶悪文化を放任する日本を発見した。

日本の女性は、差別されているだけではなく、安全ではない。振り返ると、明治このかた女性解放が叫ばれた来た。今も女性運動は存在するが、それは形だけである。

女性の敵であるやくざを放任して、大量の麻薬を密輸している大国である。
これで日本の将来に希望を持てるだろうか?

アヘン戦争時の清国ではないのか。これを議会も言論界も、肝心の女性運動家も問題にしようとはしない!
驚くべき原始の国であろう。強く警鐘を鳴らしたい。特に言論界がこれを隠ぺいしていることに、怒りを覚える!


売春天国・歓楽街を仕切るやくざ組織

 日本は売春天国である。古くは「唐行きさん」がいたという。多くの日本人女性が、奴隷船で海外に運ばれた。悲劇の極みである。戦前の女性は、権力や資産のある者の慰みの対象で、人格さえなかった。人間扱いされなかった。戦前の天皇制国家主義の社会では、選挙権さえなかった。

 戦後の民主主義の下でも、女性は「貢もの」にされてきた。敗戦時の占領軍の東京裁判では、昭和天皇が罪を軽くするために、キーナンという検事に女性を提供したという秘話が、今日、ようやくささやかれ始めた。「女性のサービスで助かった天皇」が神様という信仰者が、今の政権を転がしている?米占領軍は、容易に日本人女性と性行為をすることが出来た。いまでも沖縄の米軍は、その延長線上で行動している。それが許される日米地位協定である。

 沖縄での4・28レイプ殺人事件は、氷山の一角でしかない。

 日本は売春天国である。海外の女性さえもそこに押し込んでいる。やくざは手あたり次第、レイプした女性を歓楽街に送り込んで、麻薬と売春という性ビジネスで荒稼ぎをしている。

 戦後70年経っても一向に変わらない。


覚せい剤取引を仕切るやくざ暴力組織

 やくざの性ビジネスと覚せい剤の関係を筆者は、初めて知ってまだ1年足らずだ。社会部記者のころの多くの事件は交通事故だった。警察のパトカーのすぐ後ろを、社旗を立てた新聞社の車で、猛スピードで追いかけてカメラのシャッターを切った。

 千葉市の栄町が、歓楽街として有名であることは、千葉県人ならだれでも知っている。そこでカラオケをした経験もある。だが、歓楽街のエンジン役が、麻薬・覚せい剤であることなど、だれも教えてくれなかった。事情を知るマル暴担当の刑事も、駆け出しの社会部記者に教えようとしなかった。

 大量に密輸される麻薬取引の拠点の一つが千葉県である。海から、空から密輸される。沖縄は、その点で、より大量の薬物を安全に密輸できる拠点である。これも最近知ったばかりである。

 売春・歓楽街・麻薬の取引と、これを悪用する実態が、やくざ・暴力団組織である。木更津レイプ殺人事件「」は、そうした背景の下で起きた性凶悪事件である。

 目の鋭い、やせ形の大声を張り上げる、55歳前後のやくざハマナが犯人である。覚せい剤反応を見せびらかすような人物であることが、ハマナと接触した人間であればわかる。千葉県警と木更津署がいつまで泳がせるか、が興味の対象となっている。


事実上、やくざを放任する日本政府

 やくざは善良な市民の大敵である。しかし、警察は甘い。理由は「市民が逃げてしまい、協力してくれない」といってこぼす。確かである。

 筆者は、いまフィリピンの大統領に注目している。日本やくざと連携している組織暴力団を退治すると公約して、選挙に当選した。面白いことに、日本の右翼メディアは、彼の言動をつまみ食いして批判している。

 確か73年12月だった。田中角栄訪問時、取材からホテルに戻ると、女性がワーッと押しかけてきた。彼女らの背後に組織暴力団が控えていたのだが、初めてのことで、そのことが理解できなかった。多くの日本人男性は、遊ぶためにフィリピンを旅行している。

 それはそれとして、新大統領はフィリピンの恥を国家権力で退治するというのだ。警察官に懸賞金までつけて、抵抗次第では射殺を認めている。警察OBの亀井静香ならどうする?一度尋ねたい質問である。

 日本では、やくざの抗争を周囲から見守る、新聞・雑誌は面白く報道する、ただそれだけである。政府は何もしない。そういえば、いま問題が表面化した農水大臣と暴力団の関係が、話題を呼んでいる。やくざと右翼は一体である。元警視総監の秦野章に教えられた。

 その点で、福岡県警は立派だ。工藤会という暴力団壊滅に懸命である。千葉県警には、この覚悟がないのが悲しい。


レイプ文化を黙認する議会・司法・言論界・女性運動家

 日本の女性運動家はだらしない。最も深刻なレイプ文化に対して向き合おうとしない。やくざを容認している?おかしい。女性国会議員も、である。「自分の周りはいい男性ばかり」と信じ込んでいるせいなのか。

 議会も司法・言論界もだ。男が支配する体制も関係している。やくざを悪用している指導層に問題がある。

 清廉で恥を知る指導者がほとんどいない日本だからである。フィリピンのドゥテルテが日本にいない!これが日本の悲劇と言える。 


厳しい取り締まりと極刑で対応せよ!

 秦野章が懐かしい。彼の秘書をしていた豊島はどうしているだろうか。

 秦野の昔話には、自ら拳銃を手にして暴力団・やくざと戦った。いまこのような警察官僚がいるだろうか。懐かしい面白い話もあった。

「やくざと知らないで、有望な青年と見込んで助けてやった。
数年後に成功したという祝いの会に呼ばれた。そこにハマコーが、隅っこの方にいるではないか。びっくりしたよ。
やくざ組織を知らないで、のこのこ参加してしまった俺もバカだった。応援した青年が、やくざの大将だったとは!
ハマコーは、やくざ仲間ではチンピラだったんだ。ア、ハハ」


 やくざは退治できる。方法は厳しい取り締まりをやればいい。フィリピンをまねればいい。取り締まりと極刑である。中国は麻薬犯罪に極刑で対応している。根っこを絶つしかない。

 覚せい剤常習者を救済する方法は、まずないだろう。清原事件を警察も裁判所も甘い処分で逃げた。しかし、覚せい剤から清原が逃げることは出来ない。隠れてまた手を出す。それが麻薬の恐怖なのだ。


やくざと麻薬で滅びる日本でいいのか

 芸能界もスポーツ界も麻薬漬けと言ってもいい日本である。背後にやくざが暗躍している。最近話題の高知とかいう元俳優と33歳のホステスが逮捕された。背後に間違いなくやくざが関与している。

 覚せい剤はいくらでもある。そこここに転がっている。いくら麻薬捜査官が頑張っても万分の一しか処理できないだろう。覚せい剤は人間の性本能を覚醒する、一度はまったら抜け出せない。それがやくざビジネスである。そのためのやくざレイプ事件の蔓延である。

 沖縄で600キロの覚せい剤が見つかった。台湾から運ばれたものだ。台湾ー沖縄ルートだけでも、いくらでも密輸される日本である。中国もまた被害を受けているだろう。現状を放置すると、日本は麻薬とやくざで滅びるかもしれない。同じことがアジア全体にも言える。

 覚せい剤の恐怖を知ったばかりの筆者が、そう感じるのである。日本のリーダーの中には「アメリカ留学中に覚えてしまった」という真実の話を聞いたことがある。麻薬人間は政界・官界・言論界にもたくさんいる可能性が強い。
 ブログをたしなむ者たちの中にもいる!断言したい。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52141949.html

2015年06月02日
千葉県民と木更津市民に警鐘


”やくざの街”返上に立ち上がろう

 昨日、歯医者の治療をしたあと、近くの駐在所に出向いた。

木更津レイプ殺人事件の概要説明と本ブログの文章を読んでほしい、と要請した。

今春、赴任したばかりの木更津署の警察官は、むろん木更津市が「やくざの街」であることを認識していた。頭の回転の速い、真面目な警察官は、千葉県出身である。やくざ事情に詳しくないと、千葉県警では務まらない。彼は「やくざ追放には市民・県民の協力が求められる」と率直に語った。


「市民の協力が不可欠」が千葉県警・木更津署

 思い出すと、子供が小学生のころ、途方もない経験をした筆者である。

やくざがPTA会長の座を狙っていたことから、校長と現職会長から「何とか引き継いでもらいたい」と懇願、それを新聞記者として逃げるわけにはいかなかった。

 ところが、やくざが怒りだした。校長と農協職員の会長を脅しまくった。農協にも殴り込みを掛けてきた。やくざには同窓生の地元医師がバックについた。結局、医師夫人が小学校の会長、本人は中学校の会長になった。

 なんとも悪辣な事件だったが、渦中にいると、悔しいが冷静にジャーナリストの本領を発揮できなかった。やくざにPTAは沈黙してしまった。

 いま思うと、市民生活から教育の場にまで、やくざが関与する木更津市だった。そのことを、中央で政治記者をしていて、すっかり忘れてしまっていた。やくざは清掃会社を立ち上げ、豪邸に住んで、なんと市の清掃事業で利益を上げている。

 これを市民も警察も指を加えて黙認するだけだった。市民が立ち上がらない限り、木更津市は「やくざの街」から解放されない。今回、身近な殺人事件で覚醒した筆者である。中央にかぎらず、地方も乱れきっている。


やくざに殺された木更津レイプ殺人事件被害者

 木更津レイプ殺人事件は、大工に変装していた富津市出身で、木更津市で介護施設Kを実質経営するハマナという55歳前後のやくざだ。地元有力者の調べでは、以前はテキヤでも有名だった。

 被害者の栄養士は、年齢よりも10歳以上も若く見られた小柄な美人である。瀟洒な家で一人住まいをしていた。いつも自宅の補修工事を頼んでいた近所の親類が、たまたま入院していた。

 そんなことからバイト先の主人が「安くして直してあげる」という話を信じて、玄関の補修を依頼して、悲劇は起きてしまった。女一人の生活では、家の補修その他のことで、業者に依頼する場合、よほどの慎重さが求められる。

 たとえば、子供や知り合いをそばにおいて、などの配慮である。被害者は、バイト先の大工ゆえ「親切な大工」という周囲の話を信用してしまっていた。

 そうして悲劇はレイプで終わらなかった。性奴隷にされて自由を奪われてしまった。筆者の取材結果である。8ヵ月後に逃げ出そうとすると、猛烈な脅しが、実に1時間以上にわたって行われた。それも独占した携帯AU電話で、執拗に繰り広げられた。

 女性の尊厳を奪われ、その後の秘事を「再婚相手にすべてばらす」という脅しに、被害者は耐えられなかった。それでも8ヶ月間、110番しなかった。死んでも知られたくない秘事を、「ばらす」という脅しほど女性にとって強烈なことはない。その精神的な衝撃を受けて、大動脈溜破裂で即死してしまった。明らかにレイプ殺人事件である。


信仰者の世界にも紛れ込むやくざ

 病は気から、というが、ストレス・精神的衝撃などが、病気の90%以上が原因である。ストレスをなくす知恵がないと、人間は病で倒れる。木更津レイプ殺人事件の被害者は、8ヶ月の精神的苦痛に加えて「お前が再婚する男に全てばらしてやる」という脅迫に耐えることはできなかった。

 この事件には、別の要因もからんでいた。被害者は熱心な信仰者だった。それが、どうしてやくざと関係させられてしまったのか。

 真相は近くのヘルパーのヨ00である。彼女も同じ信仰仲間だった。彼女がやくざと関係していることなど、被害者は気付かなかった。やくざの妻も信仰仲間である。

 駐在所の警察官は「暴対法が強化されたため、やくざは市民生活の中に紛れ込んでいる。それは信仰の世界にまで、という事案でしょう」と分析してみせた。全くそうである。

 あらゆる真面目組織は、教育・宗教に限らない、金のあるところにやくざはもぐりこんできている。この事件の渦中となった信仰組織は、いそいで自浄能力を発揮すべきだろう。隠して放置すると、そのがん細胞は、組織全体に及ぶことになる。 


介護施設にも手を出しているやくざ

 被害者のバイト先は介護施設である。千葉県が認可した正規の介護福祉施設である。やくざが手に入れた介護施設なのだ。

 これも衝撃的である。千葉県と木更津市はどう処分するか。行政にも、もぐりこんできているやくざである。

 そもそも木更津の民度は低すぎる。やくざを県議から国会議員にさせる民度なのだ。木更津で飲食店を始めるためには、やくざ代議士の色紙を店内に飾る必要があった。

 この恐ろしい風土の中で、敬虔な信仰者はやくざの歯牙にかかって、性奴隷にされて、遂には二つとない命を奪われてしまった。もちろん、110番すれば助かったのだが、日本女性はレイプ・性奴隷を隠す。インテリ女ほどそうで ある。それにしても、介護施設にまでやくざがもぐりこんできている?誰も予想できないことだろう。


やくざの街を返上する木更津市民へ

 女性が自立しない日本では、こうした被害者のような事例は、たくさんあると認識すべきである。ちょうど日本軍による慰安婦事件は、日本敗戦後に、それも45年も経って、韓国で初めて表面化した。それも、ごくごく少ない。中国でも声を上げた元慰安婦はわずかだ。

 欧米人に比べて、東洋人の人権意識は、低い、低すぎる。それが戦後70年経っても国際問題化して消えない。

 要するに、99%の性奴隷被害者が沈黙したからである。それは「声を上げれば、生きてゆけない社会風土」と関係している。

 従軍慰安婦でもそうだが、現代のレイプ・性奴隷事件の被害者も、またしかり。沈黙して捜査当局に届け出ようとしない。110番する女性には、市民社会と警察の連帯支援が必要不可欠なのだ。

 「やくざの街を返上しよう」という市民運動が絶対に必要である。市民が立ち上がれば、やくざは生きられない。改悛するしかない。売春・麻薬・賭博から解放される木更津市にする必要がある。

 市民が少しだけ勇気を出せば出来る。市役所や商工会なども立ち上がるだろう。やくざの存在を喜ぶ人間は、わずかな悪魔・人間のくずしかいない。


福岡市民に続け
 木更津市民に訴えたい。「福岡市民に続け」である。

 福岡の市民に出来て、どうして木更津の市民が出来ないのか。必ず出来るだろう。レイプ・性奴隷を追放する木更津・千葉県でありたい。

 決起すれば出来る。やくざ被害者は、この木更津にたくさんいる。こんな木更津を息子や孫に相続させてはなるまい。目を覚まそう。人間の命は地球よりも重いのである。


身内も真実から逃げるな

 真実から逃げる人間は滅びる、恥を知らない人間である。反省も謝罪もしない人間は、所詮、健全・健康に生きることは出来ない。「やくざの街」を黙認するものは、恥を知らない悪徳・滅び人間である。
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52106708.html


25. 中川隆[-13661] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:22:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

ヤクザの情婦にされた妻 03/12/06

ヤクザに気に入りられた妻は、平日の昼間は殆ど毎日ヤクザの部屋に呼ばれ、一日中抱かれたり、男が妻を連れて買い物に出かけたりしていたのです。 時には、私達の部屋の夫婦の寝室で妻を抱いていました。端から見ると殆ど、恋人か夫婦のような状態だったのです。


更に、その男の知り合いが経営するグラブで妻は、枕ホステスとして働かせられていました。週に2回程度、クラブのホステスとして働かされ、客に、気に入られ、体を求められた時は断ることは許されず、そのまま枕ホステスとして、ホテルで抱かれる事を、妻を犯した男に強要されて居ました。客にホテルで抱かれていたので妻の外泊が多かったのです。

週に2回程度のクラブ勤めで、三十路ホステスですが、おっとりした性格と豊満な胸で100%絶対にやらせてくれる妻は人気者でした。 ましてや、店の宣伝と売り上げを上げるために、常連客には、初めから只で誰とでもすぐ寝る女、枕ホステスとして宣伝されていたために、妻の出勤日にはあっと言う間に指名客が何人も来たそうです。

店名を変えリニューアルオープンしたので、何人かやらせるホステスが居ると客の間に、やれるホステスが居る店として噂になり、店は賑わうそうです。 クラブへ出勤して、客とセックスをしない日は無かったそうです。 出勤日に指名が数人重なってセックス出来ない場合は、店に出勤しない平日の昼間にホテルで抱かれていました。そのクラブで働いた給料も払われず只働きです。

クラブ勤めをしない日には、時々別の何処かの組の何人ものヤクザ客の接待に使われ、背中に絵の描いてある中年親父ヤクザの性欲処理、肉便器として差し出されてました。ヤクザは、他の地方から来たヤクザを持て成すときは女を宛ったりする事があるそうです。中年ヤクザに気に入られた妻はその後も呼び出され、接待用の玩具にされました。


一番ショックだったのは、ヤクザ達の接待に使われたときにセックスショーをさせられた事です。ヤクザ達の3泊4日ほどの慰安旅行に連れて行かれた妻は、有る旅館を借り切って、少し広い座敷で20人くらいの男達の前でオナニーショーとセックスショーをさせたれたのです。慰安旅行と言うよりは性欲慰安旅行です。

人前でオナニーやセックスするのは嫌だと強く断ったそうですが、断れないように妻にシャブを使ったのです。 その3日間のセックスショーの直前にシャブ入りの酒を飲まされたり、水に溶かしたシャブを彼処に直接入れられたのです。特に、水に溶かしたシャブを彼処に入れられると粘膜がシャブを吸収し直ぐに体と彼処が熱くなりセックスしたくてたまらなくなると言ってました。

体が熱くなると戸を開けてオナニーショーが始まり、最初は指で彼処を開き、見ている人達に中を見せたり指を入れたり、ビール瓶を挿入したり、極太バイブ、ローターなどでオナニーをしたのです。

それが終わると、妻の男が現れてみんなの前でフェラチオしたり、色んな体位で濃厚なセックスをするのです。その時のセックスショーを、ビデオと写真に撮られていたようで、ビデオは、ダビングして裏ビデオとして販売したそうです。

セックスショーが終わると、興奮したヤクザ客同士がくじ引きで順番を決め自分の部屋に連れて行き妻を抱くのです。3日の間に20数人全員とセックスしたそうです。 シャブを使われた妻は10時間も連続で数人の男達とセックスし、男達が疲れて寝ても妻の彼処の疼きが止まず、妻の男にシャブの効き目が切れるまで抱かれたのです。

その男は、グラマーな妻を高給ソープで働かせて金にしようと思っていたようです。人妻ソープ嬢として売り出させるつもりだったようです。
http://moemoe.homeip.net/view.php/214

01: 名前:名無しキメキメ投稿日:2011/07/20(水) 08:37

昔、先輩の借金の取立てについて回った事があって。そんとき、S(シャブって呼んでたけどね)の力をマジマジ見たことある。ある男がSでおかしくなりかけてて、当然、仕事もできないのにS打ってるから、借金あってね。


先輩が、「嫁(とにかく可愛い)にS教えろ、そしたら借金チャラにしてやる。包みやるから」って言って。


「ロ−ションに塗りこめ」 とか 「がーっと打っちまえ」って必死に、ポン中そそのかしてる。

先輩も何だか滑稽に見えて、俺ら後輩も影で笑ってたけれどね。でも、おっかない人だったから、一緒に、その旦那はやし立ててた。

それから、何度か確認して○実がSに慣れてきたの分かってから、金の取立てにいったんだけどね。三人で行って彼女と顔見知りの後輩に玄関空けさして、家に入り込んでね。まず、金返せって、滅茶苦茶言ってね。

先輩はもう、完全に○実目当てなのわかってたから、なんだかえらい、異常なくらいきつい取立てでね。彼女が


「子どもも寝てますから」


って土下座しながら謝った瞬間、とびかかったもんだから、俺らも慌てて、女押さえ込んでS打ったよ。

その後は悲惨だった。先輩が何度か追い打ちして、起きてきた子どもの前でもよがらせるし、その時は調子に乗って俺らも遊んでたけど、後から、罪悪感覚えた。先輩が捕まって、俺も今じゃ平凡な仕事してる。


最初は、なんだかグタってした感じであんまり反応なかった。しつこく、持って来たロ−タ−とか長時間で遊んでたら、少しだけ「女の反応」がでてね。それまで、うつ伏せだった女が、急に横向きになって、片足だけピンっとはって・・・

でも、顔は見せないようにしてるし、

「子どもがぁ」

とかまだ言ってるしね。 「こいつ、イッたよ」とか言い合いながらも。無理やりだとこんなもんかなってかんじで、俺も落ち着いてた。。


でも、さらに攻めるとだんだん。汗ばんで、濡れてくし、反応が出てきたから、しつこく攻めてた。でも、その後も、想像してた激しい反応はなかったけど、抵抗もなくなってきて、ロ−タ−でクリいじりながら、バイブ入れてかき回してると二度目は

「はぁぁ」

って小さく声出して、片足をまたピンと突っ張らした。


俺らも遊んだけど、自分ではSしてないからそんなに長時間できない。そこで、後輩が○実にS追い打ちしてね。また、道具で遊ぼうッて事になっったんだけど、そっからは、もう、地獄。


何でも、言う事聞いた。

自分のアソコの液を舐めさせて

「おいしい」、

「私の○○○汁って美味しくて、もっと舐めたい」

とか言わせてげらげら笑ってた。


冷蔵庫のものとか、引っ張り出してビ−ル飲んで、その空き瓶突っ込んだりしてた。バイブもかなりでかい奴、突っ込ましてオナニーさせて、


「私は犯されて精子まみれでオナニ−するのが最高です」


とか先輩が言わせて(実際には途切れ途切れで何言ってるか良くわかんなかった)、とにかく先輩の攻めは異常なぐらいしつこく絡んでた。

そうしたら、子どもが起きてきて、こっち部屋のドアあけた。最初は、三人とも顔面蒼白になるくらいあせったら、子どもでね。そんな、姿見たら子どもはびっくりして目を丸くしてた。それで、○実はどうするのか、注目してたら、自分の子ども見てもオナニ−してる。

でも、それも、少しの間で、おそるおそるバイブつかって動かしてた手を休めてね。でも、バイブを引っこ抜くわけでもなくて、それを突っ込んだままバイブつかんでた手をへその下あたりに持っていって、猛烈な勢いでへその下さすりながら、もう片方の手で寝室を指して、


「早く部屋に帰って。」

「早く寝な」

「明日、起きれない」


とか苦しそうに言ってる。そういいながらも、片手はへその下や内股をゴシゴシさすってて苦しそうにしてた。バイブは突っ込んだまま・・・。

「ああ、親としての気持ちと、快感と戦ってるんだ」

とか思ったけどね。子どもがその姿見て「セ−ロガン」「セ−ロガン」とか言い出した。母親が腹痛で苦しんでると思ったんだろうね、その後は、ビービー泣き出してたけどね。


そこで、後輩が後ろから、胸をぎゅうっと揉みだしたら、○実は大きくのけぞった。抵抗したのか、感じたのかは分からない。それで、先輩がバイブをつかんでかき回したら

「はぉぉぉお、ああああ」

ってあっという間に子どもの目の前でイってしまってた。その後、俺が子どもを部屋に帰して(閉じ込めて?)、三度目のお注射。また、訳わかんないこと言わせたりして遊んでね。そのあと、先輩が


「お母さんは、お○こ大好き」


とか言わせるように命令しだして、それを命令どおりに言う事を確認したら、俺に「子ども呼んでこい」って。

俺は気が進まなかったけど、結局、連れてきた。そうしたら、子どもに無理やりバイブのスイッチ押させて


「○○(子どもの名)ありがとう、ありがとう」

「お母さん、気持ちいい〜」


とか、怯えてる子どもに向かって言わせてた。もう、ひどかった。

最初に、怯えてる子どもを抱きしめさせて、落ち着かせて○実の目の前に猫の顔かたどった背もたれの子供用の椅子置いて子どもを座らせた。それから、子どもの目の前で、○実にバイブオナニ−させてね。


その時、口がわずかに動いてる。「やめて」って言ってる気もしたけど、二人は気にも止めてなかった。その後を考えると、違ったかもしれないけど・・・。


先輩が、○実の後ろに陣取って、胸をこねくりまわしながら、ささやくのね。そうすると、ささやいた言葉を○実が復唱する。あんな可愛い顔が、もう、完全にゆがんでたね。胸も変形するくらいもまれてたけど、


「気持ちいい〜」

「ちんちん欲しい」

「お母さん大丈夫だからね〜」


とか何度も言わせてた。時折、先輩と後輩が胸揉みながら、バイブでイカせて。その後、○実の両手にバイブもたせて、右手のバイブ舐めさせては、左手のバイブを突っ込ませて、今度は、左手のバイブのブルわして突っ込ませては、右手のバイブ舐めさせて

「お○こ汁って美味しい」


って子どもの目の前で、何度も言わせてる。


後輩のほうが事細かに、母親の「女の反応」を説明してたよ。○実は最初は、添えた手を離すと、そのまま、オナニーに夢中になっちゃってるだけなんだけどね。バイブを抜かせようとすると、頑張ってバイブを入れたままにしようとする○実が哀れに見えて、切なかったよ。


でも、20回くらい、しつこく、しつこく、後ろから手を添えて、交互に繰り返し入れて、舐めて


「お○こ汁美味しい」、

入れて、舐めて

「お○こ汁美味しい」


ってやらしてると、その内、自分から両手のバイブを何度も

「美味しい」

って言いながら、交互に舐めたり突っ込んだりの繰り返しをしてた。○実は一度、何かし始めると、しつこく同じとを延々繰り返し、繰り返しやってた。


それから、先輩がちんぽしゃぶらせて、顔面にひっかけて、それも、もちろん舐めさせる。時折、子どもを抱きしめさせてはやってた。アナルに細い制汗スプレーいれて、お○こにバイブ入れて、四つんばいで部屋中、歩かせたり。

絨毯は、愛液と血も少し混じってるしね。きつめの匂いもなんだかしてた。

その後、先輩が、泣きじゃくる子どものパンツ下ろして、親の愛情見せろって


・・・・他にもね・・・・。
http://hkwr.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=kusuri&tn=0064&rs=01&re=01&rf=no&al=on


12歳の子にシャブ撃ってヤリまくり


昔、893の友達のビデオ作成の仕事手伝ったことあるんだけど彦根の方の別荘みたいなトコで12歳の女の子にシャブ打って3日間やりまくりってビデオ作った経験あります。


最初は撮影助手みたいなコトしてたんだけど最後にはSEXに参加してました。かなりの変態行為もしました。


あれは、4・5年前の夏頃の話です。 893キメ友の、ホストやってるアキラからの一本の電話でした


「バイトやんねえ?

別荘でビデオ撮影の手伝いしながらキメよーぜ ネタはがっつりあるよん」

そのころプーでぶらぶらしてた俺は、

「おいしいじゃん」 「いくー!」

二つ返事でした。


約束の月曜の朝、上野の待ち合わせ場所にいくと機材いっぱいのワゴンが一台とホストのアキラ、893やってるケン、ケンの兄貴分の山科さん。

この山科さんは中学のときの先輩なんだけど新宿でナンパするときは、いきなり顔面に一発入れて、そのままビルの陰でブチこんで、ヤリ捨てするというそれは恐ろしい特技をもった方で、俺達の間では、きれめの山科さんみたら死んだフリするしかないって言うぐらい怖い人。

集合が早朝7時だったせいか山科さん昨日の夜からキメっぱなしの真っ赤に据わった目で出発です。昼過ぎには、別荘についてさっそく機材おろして準備をしてるとケンが俺に「こっち見にこいよ」 と2階の部屋に消えていきます。


覗きにいくと、カーテンの締め切った部屋に、真っ裸で手首、足首を縛られてベットに横たわってる女の子が一人。身長150ぐらいの小柄で手足が細くてすっごい色白。体つきを見ても、あきらかに小学生ぐらいなんで顔を覗き込むと、吉川ひなのを子供にしたような美形で潤んだ目と半開きの口元がゾクっとするくらい色っぽいんだけど、その潤んだ目は完全にシャブでイッてる目でした。


ケンがニヤニヤしながら、小さな米粒みたいな乳首をつまみながら「撮影終わったらヤルしょ」と言われて「うん。 まかすわ」そう言いながら、もう僕はズボンの中はギンギンに反応してました。


夕方頃、一階のリビングで93キメて話すケンによると2週間ぐらい前にホストのアキラが渋谷で拾った家出娘で12歳の小6らしく先週まで、山科さんのマンションで監禁されてずっと追いうちしていたらしいです。昨日、別荘までケンが車で運んだとき、ずっとフェラさせながら運転だったそうです。

「おーい始めっぞ」

山科さんが、ひなちゃん(仮名)を小脇にかかえて降りてくるとひなちゃんは、パンティと白い靴下だけの姿でプルプル震えながら山科さんにしがみついていました。

アキラがビデオまわし、ケンが音声マイクで拾って、僕が照明ライトでした。山科さんがひなちゃんに

「今詰め3いったんだよな、きもちいいこといっぱいしたいよな」

そう優しく言うと、うるうるの瞳で小さく「うん・・」という言葉が聞こえました。山科さんが、ソファに座りその膝の上にひなちゃんに跨がせて

「おまんこグリグリしてごらん」

そういうと、ひなちゃんは細くて白い腰を、前後にくねくねしながらおマンコを、膝にこすりつけて とても小6とは思えないエロい声で鳴くのです。 そのあとのフェラ顔の撮影では、顔じゅう唾でぬるぬるにして舐めさせ山科さんは、ひなちゃんの頭を両手でわしずかみにして前後に振らせ高速フェラさせたり、真っ黒の山科さんのケツの穴までまるで、本当にキャンディでも舐めるように、ちゅうちゅう舐めるのです。

山科さんは、なかなかイカないらしく、ひなちゃんを床にころがして 「よっし交代、ケンなんかせいや」

そういうと、ケンが服脱ぎながら

「しょんべんでもさせて見る?」

そう言いながら僕の方を向きました。アキラがリビングにカメラと照明をセットしているあいだ、ソファーに座りひなちゃんを横向きに膝の上に座らせて抱いていると12歳とは思えないエロい顔で僕を見上げて、体をすべて僕にあずけてくるのです。


すべすべの白いお尻を触ると、かすかに「あっん」といい無意識に僕のTシャツのなかに手を入れてきて僕の乳首を弄りだすのです。思わずひなちゃんのキスすると「はぁはぁ」いいながら僕の口の中すべてを吸い出すように舌を絡めてきます。口を離し抱きしめると、今度は僕のTシャツをまくりあげ乳首をちゅうちゅう音をたてて吸い出します。

気がつくと、ソファーの隣に山梨さんが座りながら

「どや上手いやろ、ほっとくと一晩中なめてるで」

そういいながら、ひなちゃんの髪をわしずかみにして引っぱり

「ひな、こんなときは何て言うんや? 教えたやろ」

そういって髪をひっぱり顔を僕の方に向けると、ひなちゃんは僕の目を見ながら

「おちんぽ舐めさせてください」

と繰り返し言いながら僕の股間を触り、ジーパンのベルトをはずそうとします。 アキラとケンが「こっち先たのむわ」とニヤニヤしながらギンギンのちんぽをシゴきながらひなちゃんをリビングのカメラの前に連れていきます。僕もすぐさま、服をぬぎすてリビングに行くと、ひなちゃんがアキラとケンのちんぽを交互に舐めるというより、しゃぶるようにフェラしてます。そのまま、僕も入り3人で順番にフェラと、おまんこ、カメラを回しました。

ケンは、カメラ回しながらひなちゃんのさらさらの髪にちんぽを擦りつけシゴいています。3時間ぐらいで3回づつくらい出して、一息入れた時ケンが

「そやしょんべん、しょんべん」

そういいながら床にガラスコップを置き、そのうえにひなちゃんをしゃがませカメラをセットしました。ひなちゃんが、少しかがみ気味になりうつむくとケンが「あかん、アキラちょっと」そう言うとケンとアキラが両側から片足づつ抱えあげ、おもいっきり股をひらかせるとポトポトとおしっこが垂れてきました。なん滴か垂れたあとは、いきおいよくシャーっと音をたててコップがみるみるまに溢れてきます。

ケンが、にやにやしながら僕に「飲む?」そう言いながら自分で一口「ゴクン」と飲みました。なぜか自然に僕も口をつけました。それはしょっぱくて生温かく別にまずいとも美味しいとも思いませんでした。ただ、目の前で12歳の少女を玩具にしているわりには、そんなに興奮していない自分がいました。

そのとき、アキラがシャブのパケを振りながら 「夜は長いしお前もいっとくか?」そういわれて、山梨さんやケンの手前「ああ、そやな」と言ってしまいました。

その当時は893やMMで遊んではいましたが、シャブでSEXの経験もなくまさか自分が、変態鬼畜になるなんて思ってもいませんでした。
http://chaos-file.jp/?z=t2&tid=838&

26. 中川隆[-13660] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:26:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

<正義の郷原元検事に聞きたい!なぜ捜査当局はやくざ強姦魔放任なのか>


 この世に存在する最悪の性暴力である、やくざ強姦魔にメスを入れようとしない検察・警察の事情についての見解なり、認識を教えてもらいたい。やくざによる性奴隷は、戦場の性暴力の比ではない。

 格子無き牢獄に押し込められて、声を上げられない、自由な生活を完璧に奪われ、売春などの性ビジネスを強要されている、ゴマンの女性を救済しようとしない捜査当局。伊藤詩織さん事件でさえも、対応のひどさが判明している。

 「木更津レイプ殺人事件」は、目下、千葉県警と木更津署が捜査をしているはずだが、朗報はまだ。犯人・共犯者も特定している性凶悪事件である。


<日本の全女性が知りたい質問>

 やくざは覚醒剤を用いての強姦魔である。
膨大な量の覚せい剤をばらまきながら、魅力的な女性を次から次へと強姦して左うちわ。

それを放任しているような日本の捜査当局とは?なぜなのか、ぜひとも元検事の立場として、体験談を紹介しながら、現状を披歴してもらいたいものである。もちろん、これは日本全国の女性が聞きたい内容だろう。正義の元検事・弁護士の率直な見解に期待したい。
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/215.html

27. 中川隆[-13659] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:38:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

品行方正で真面目な日本人が何故戦場で滅茶苦茶やったのか

あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました


覚せい剤服用

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。

特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。
製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。

出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。

九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。
精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。

日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。
西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。

この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。
http://www.onkyo.tokyo/guntai.php


ドーピングを誘発しやすい社会だから覚醒剤が浸透していく


1945年、日本の敗戦の後、どさくさに紛れて売られていたのが「ヒロポン」と呼ばれる薬だった。

ヒロポンというのは、文字通り「疲労がポンと取れる」という意味で付けられた安易なものだったが、その内容は今で言うところの「覚醒剤」だった。

戦時中は兵士や特攻隊の士気を鼓舞させ、労働者や女工たちに眠気防止で武器弾薬を作るために使われていて、大日本製薬の主力の薬のひとつだった。

この当時はヒロポンの成分であるメタンフェタミンが強い依存性を持つことが知られていなかったので違法ではなかった。新聞にも、堂々と「除倦覚醒剤」と銘打って売られていた。

「除倦覚醒剤」とは要するに「疲れを除き、覚醒する薬」という意味で、このメタンフェタミン系のドラッグを「覚醒剤」というのはここから来ている。

戦中は軍民共に戦争に駆り立てられていたので、「疲れた」などと言っている場合ではなかったのである。

だから、軍需企業・民間企業共に、ヒロポンを大量にストックしていたのだが、敗戦後、この薬が闇市を通して社会に大量流通するようになった。


終戦後の作家は、みんなドラッグ漬けだった

ヒロポンは社会の底辺で広がっただけではない。有名人でもみんなこの薬を使っていた。何しろそれは違法ではなかったのである。

漫才トリオの正司歌江、ミヤコ蝶々、中村八大、桂文楽、六代目笑福亭松鶴等はみんなこのヒロポン中毒になっていた。作家で言えば、『堕落論』で知られている無頼派の坂口安吾もヒロポン中毒だった。

無頼派と言えば、織田作之助も田中英光も同じジャンルに入るのだが、この2人もまた坂口安吾と同じくヒロポン中毒だったと言われている。

織田作之助などはヒロポンを注射しているところを写真を撮られて、それが出回って話題になったという。

何か物を書くというのは孤独で単調な作業だ。そして、集中しなければならないので、精神的にも激しい疲労が蓄積する。当時の作家は、それをヒロポンで乗り切っていたのである。

芥川龍之介は小説『歯車』で幻覚を描いているのだが、この幻覚はヒロポンから来ているという説と、睡眠剤から来ているという2つの説がある。

そこには、歯車が見えたとか、銀色の翼が見えたとか、黄色いタクシーが見えたとか、過去の罪の残像が繰り返し現れるとか書かれていて、その幻影に主人公が怯えている。

ストーリーもなく、ただ意識の変容を揺れ動いているだけなので、どちらかと言えば睡眠剤のような雰囲気がある。詳しくは分からないが、精神的には相当追い詰められていたことが窺い知れる。

この小説の最後は、誰か自分が眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはいないか」となっている。実はこの小説は芥川龍之介が服毒自殺した後に発表されたものだった。その「死にたい」という述懐は本心であったと思われる。

荒正人という小説家もいたのだが、この人は自分だけでなく妻にもお手伝いさんにもヒロポンを飲ませて、一家総ヒロポン依存症になっていたという。

萩原朔太郎はヒロポン中毒ではなかったが、コカイン中毒だった。しかし、ヒロポンでの幻影は小説『猫町』で触れている。

私たちが今、日本の戦後文学としてありがたく詠んでいる文学は、その多くが覚醒剤で「ドーピング」された精神状態の中で書かれていた可能性がある。


無頼派作家、坂口安吾。執筆はヒロポンと共にあった。


ヒロポンがもたらす集中力は凄まじい効果だった

ヒロポンが意識集中のために使われていたというのは、覚醒剤依存者が48時間ずっと麻雀をやっていたとか、賭け将棋をしていたという逸話からも読み取ることができる。

凄まじい集中力が得られるので、ヒロポンが合法だった時代の学生は、東大受験のためにヒロポンを使うのが当たり前だったという。

この「受験のためにヒロポンを使った」というエピソードを聞くたびに私が思い出すのは、タイで知り合ったあるレディーボーイのことだ。

英語を流暢に話す彼はいったいどうやってその英語力を磨いたのか。もちろん、そこには仕掛けがあった。アンダーグラウンドでは、記憶力でさえも金で手に入ったのである。

(記憶力でさえ金で手に入れる。危険な方法が裏で流行している)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131023T0342460900.html


別にこのレディーボーイのやっていることはおかしなことではない。欧米のエリートたちも、スマートドラッグを使って同じようなことをやっている。

アスリートはドーピングで最強の身体的パフォーマンスを手に入れるが、エリートたちもまた「スマートドラッグ」というドーピングで最強の頭脳を手に入れていたということだ。

言うまでもないが、このスマートドラッグも覚醒剤とよく似た成分(アンフェタミン系)が入っているので、言ってみればヒロポンの現代版である。

副作用はもちろんある。しかし、副作用があったとしても、現役時代に最高のパフォーマンスが発揮できれば、地位も収入も約束されるわけで、これで人生を逃げ切ることができると考える人たちもいる。


ヒロポン錠。「疲労の防止と恢復に!」と堂々と宣伝されていた。この薬は1951年に覚醒剤取締法が制定されるまでは「合法」だった。


覚醒剤には潜在的に巨大な需要があるとも言える

戦後の混乱期にヒロポンを使っていた人は、どちらかと言えば快楽が欲しいというよりも、もっと労働したい、疲労を取りたい、馬力が欲しい、という切実な発想から摂取されたので、皮肉なことに真面目な人であればあるほど依存地獄にハマっていった経緯がある。

そして、ヒロポン依存になると、虫が身体を這い回るような幻覚や、わけの分からない幻聴に悩まされるようになり、暴れ回るような異常行動を引き起こす。

そのため、1951年には覚醒剤取締法が制定され、警察が大々的な摘発を行ったので、乱用者は激減していった。

しかしヒロポンは覚醒剤として生き残り、現代でも有名な歌手や野球選手が次々と覚醒剤依存に堕ちて逮捕される姿が繰り返されている。

今後も、「大物」が逮捕されるような流れが続くだろう。

覚醒剤はいったん地下に潜ることはあっても、絶対に廃れることがなく歴史を刻むのである。欧米でも、覚醒剤は「メス」「スピード」「アイス」と言われて依存者が減るどころか増え続けている現状がある。

覚醒剤はそれ自体に快楽があるというよりも、自分がこれからやりたいことを猛烈な集中力で取り組める「ドーピング作用」が強い。それが、恐ろしい魔力なのである。

自分の潜在的な能力を、一瞬にして最強フルマックスの状況に持っていけるのが覚醒剤である。そんなものを覚えてしまったら、覚醒剤のない人生など考えられなくなる。

現代社会は、常に人々に最高のパフォーマンスを求める時代である。そうしたプレッシャーは誰にでもかかる。言ってみれば、ドーピングを誘発しやすい社会なのだ。

そのプレッシャーは坂口安吾や芥川龍之介の時代よりも、はるかに強いと言える。だから、覚醒剤は今でも潜在的に巨大な需要がある。覚醒剤の流行はこれからも起きていく。


いかにも作家という雰囲気を醸し出している芥川龍之介。晩年は睡眠薬のベロナールやらジアールを大量に飲んでおり、結局は服毒自殺に追い込まれた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160316T0122080900.html

覚醒剤については

経験者としての意見です。
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/131.html


品行方正で真面目な日本人が中国でやった事の詳細は

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

28. 中川隆[-13658] koaQ7Jey 2018年12月21日 09:55:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

2018-01-31
 薬の効果が切れるまでセックスに浸り続ける女性を作る?

2013年2月に禁固11年の実刑判決を受けたロシア人コンスタンチン・ルードネフという45歳の男は、20年間に渡って自分のことを「シリウス星からやって来たエイリアン」だとか「神」と名乗っていた。

この男は「アシュラム・シャンバラ」というカルト教団を作っていたのだが、約3万人もの人々がこの男を神であると信じて全財産を捧げ、少女や女性たちは嬉々として身体を提供していた。

コンスタンチン・ルードネフは、ここでセックス・レイプ・乱交をやりたい放題していたのだが、やがてカルト教団摘発の警察当局によって逮捕された。

この男は信者を隔離し、食事や睡眠を与えず、徹底服従させた上に、ドラッグで正常な意識を保てないようにしていた。使っていたドラッグは「ヘロイン」である。

多くのカルト教団は教祖が信者の自由を奪って極限状態に持っていき、そこで自分が神であると強烈に言い続けて洗脳し、さらに理性を奪うためにヘロインやマリファナや睡眠剤などを与えて「心」を奪っている。

洗脳についての手法はすでに確立されている。(17年経っても消えないマインド・コントロールの恐ろしい手口)

すべてのカルト教団はそれをやっている。極限状態の中で、人間性を奪い、そしてドラッグによって永遠に正気に戻らないようにするのだ。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180131T0135090900.html

29. 中川隆[-13657] koaQ7Jey 2018年12月21日 10:18:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22207] 報告

相場に失敗すると奥さんとお嬢さんはこういう運命が待っている


まあ最終的には奥さんとお嬢さんをソープかヘルスで働かせて借金を返して貰う事になるのですが、その前にまず何でも素直に言う事を聞く様に改造しておかないといけないですね:

646 :名無しさん@入浴中[sage]:2009/01/28(水) 23:57:46 ID:efHa7/dLO

接客業としてやる気のない嬢が多いですね。

「金払ってしか女を抱けないような奴にアタシがしてやってるんだよ、ありがたく思え」
という考えの嬢ばかりらしいのです。

そういう嬢の気持ちを入れ換えるにはどうすればいいのでしょうか?

648 :名無しさん@入浴中:2009/01/29(木) 10:48:42 ID:MfeFQP35O
>>646
そんなこと簡単♪ 

シャブ漬けにすればセックスマシーンの出来上がり。超人気間違いない。 
実際にやっている店あるし。


       ,-、             ,.-、
     ./:::::\          /::::::ヽ
    /::::::::::::;ゝ--──-- 、._/::::::::::::::|
    /,.-‐''"´          \:::::::::::|
  /                ヽ、::::|
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 l                         l
. |    ●                 |
 l  , , ,           ●      l   おい、おまいら
 ` 、      (__人__丿    、、、   /   やる気あんのか?
   `ー 、__               /
       /`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
       /,          |
      (_/          |  |
        ,         ヽ、_)   ∩
       l           |\  ノ |    
 .       |    ヘ      |`ヽ二 ノ
 .        |   /  \    /
       `ー‐'    `ー‐'
                         

3カ月前、女の子の“発狂”を目撃した会社員が語る。

「歌舞伎町のモグリのマッサージ店に行ったら、すごくやつれた女が出てきて無愛想に足踏みマッサージを始めたんです。ところが5分ほどして彼女はベッドから転げ落ち、悲鳴を上げながら自分の顔や腕をかきむしり始めた。

虫が体から這い出してくる幻覚を見ているらしく、激しくかくものだから顔から出血する始末。覚醒剤をやってるなと直感しました」


  騒ぎを聞きつけ飛んできた店長は「このことは内密に」と会社員をにらみつけたという。


マッサージ嬢をホテルに呼んだ自営業者も似たような現場を目撃した。


「性感マッサージが終わったら、女の子が額に脂汗をかいてうずくまった。

彼女はバッグから何かを取り出して20分ぐらいトイレにこもったんです。出てきたときは顔がスッキリ。事情を聞くと“気持ちよくなるクスリを打った”と白状し、自分が覚醒剤中毒だということを話してくれました」

ガリガリにやせて目もうつろな風俗嬢に当たったら、注意されたし。

http://fbdgd.s1.freexy.net/zhongguoqi.html


人間の血管は人それぞれでありまして、腕の血管でも皮膚から盛り上がって浮き出ている突きやすい血管もあれば、血管の場所がまったくわからない人もいます。 腕の血管と同じように女性のクリトリスの皮をヘソの方へ強くひっぱり完全に剥いてしまうと、クリトリスの角のように緑色の血管二本があらわれます、

血管の太さはまちまちなんですが、私の経験データーで言わせてもらうと、クリトリスの大きさに比例することがあるように思われます。 私の妻のクリトリスはかなりビッグでありまして角のようにわりと太いめの血管が二本ハッキリわかります。

非常にデリケートな場所ナノデ(粘膜)毎回そこにシャブを突くのではありませんが、妻がリクエストする時だけ、クリトリスの血管に慎重に注射してあげます、その後、私もベニスの血管にシャブを突きます。

さすがにこの日は非常に勃起しにくいのですが、それでも強烈に敏感でしびれるような快感があります。 妻もクリクンニだけで1〜2分間隔ぐらいでイキまくって呼吸困難な状態になりながらも絶叫しながら3時間はゆうに快感地獄にはまるのです、私たち夫婦のシャブセックスは何年か前に最長時間ラブホでまるまる3日間ぶっとうしで3グラムのシャブを使い切ってはまった経験があります、

そしてその時もクリ突きチン突きシャブでした。 みなさんも妻や彼女のクリトリス血管を一度探してためしてください


12/19 09:38 By:十三のジロー URL
http://ihoudrug.blog98.fc2.com/?mode=m&no=35&m2=res


          ____
        /      \
       // ヽ      \
      / /    \     ヽ
     || へ  / ヾ_    |
     | イ●丶  ィ●ア|   |
     | |  ̄ )    ̄ |   |
.  |  | |  丶       |    | 風俗嬢にはクリトリス注射が効くわね
.  Π  | 丶  ー→   ノ   リ
   | |   \ \___ /    /
   | |_   )ノリ )   ∠彡//
  /スノ   /  |_/ |\
  L_ノ   / >  | /  >491
そうだな
徹底的に「情」を排して、セックスマシーンに改造する必要があるんだよな

HIVの恐怖にも打ち勝ち、性病も怖がらず、どんな生理的嫌悪感のあるキモイ客ともにっこり笑顔で接客して、生中出しセックスできる根性を身に付けさせるためにはやはり、講習で生中出しするしかないんだよな

571 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/05(金) 23:15:03 ID:u04MM8Cn0]
>>491
深いね。

世界中に職業売春はあるが、日本のソ−プのように客なら誰でも即尺即ベッド・生中出しって奴隷的な境遇は外には聞かない。
ある意味、相当な職業を自分の意思で選んでるんだ。 やはり意思というか「覚悟」が一番大事なのだろう。 「プライドが一番邪魔」というのもよくわかる。


何日も風呂入っていないキモ客のものをくわえ、そいつが

「おれは東南アジアで生でしてきたからエイズかもしれないよ」

とかプレッシャーかけられても、笑みを浮かべてNS(ノースキン)で応じ、終わった後はそいつから

「お前等は下の下の人間だ。肉便器だ」

と侮蔑的な言葉を浴びせられても、表情を崩さない。

そうした覚悟をするには、通過儀礼も必要なんだろう。


574 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/07(日) 13:17:57 ID:kCE8fKfb0]
>>571
とはいえ、奴隷以下の職業売春婦になる覚悟をどんなにしても はじめての客をとるときにはまだ気持ちが整理できてないことが多い。

会ったばかりの男に裸にむきあげられて、もっとも恥ずかしい部分をさらし好きでもないのに奉仕をさせられたあげくに、その男をむかえいれなくてはならない。

愛情がないのは頭でわかっていても身体が反応するのをおさえられないまま歓喜の声をあげてしまい男をさんざん楽しませた最後には屈辱の中出し。

しかも、客を選ぶことはまったくできないんだからプライドをなくすための荒療治も必要だよね。

660 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/02/04(日) 00:44:27 ID:2Wpcl4yr0]

自分の父親より歳いってるじいさんにやられて現実世界では目を合わせたこともないキモイ男にやられてそれでも辞めないで続けていくにはやっぱ輪姦中田氏講習して頭のネジ1本外さなきゃダメだよ

639 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/30(火) 22:40:42 ID:Iy4on+yi0]

まあ、昔から風呂に沈める場合、何人もで何回も強姦するとか言うな。
女はそうされると、もう自分の身体は綺麗ではない、と覚悟するとか、いう考え方らしい。


740 名前:名無しさん@入浴中 [2007/04/19(木) 23:34:45 ID:QGqYhGCY0]

NS(ノースキン)嬢の新人講習はともかくとして、NS嬢の仕上げは、病気に罹らせることだろうな。

覚悟したとはいえ本人ショック。病院に行かせるがすぐ出勤。

で、すぐまた病気。

これを3回繰り返せば、何に罹っても動じないホンモノのNS嬢が完成する。

795 :名無しさん@入浴中:2009/05/14(木) 22:28:23 ID:QIrq+4e40

本番講習っていうのは、新人嬢の覚悟を決めさせるのが目的だからな。

逡巡していると、「何を弱気なこといって、あなたはこれから何十人、何百人と接客するのですよ」
とプレッシャーをかける。

そして、素人新人入店とかいって、本番講習直後に何人も客をつける。

ソープが他の売春と決定的に違うのは、嬢が客を選ぶ権利がゼロということ。

高校生のウリだって、キャバクラ嬢の客との交渉だって、彼女らにキモ客は断る権利がある。しかし、ソープは来た客とはやらねばならない。 江戸時代の遊郭よりも厳しい売春だよ。

だから、本番講習とその日の数人の客とはじからセックスして、


「愛情などなくても性行為はできる。簡単なことだ」

「どうせ、もう自分は客を選べない売春婦だ」


などと意識改革を促す。 一方、この一線を超えられない嬢は数日で去る。 講習とはテクよりも意識改革の問題だ。 だからこそ、講習の話題を嬢はしたがらない。

http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1139581149

▲△▽▼

571 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/05(金) 23:15:03 ID:u04MM8Cn0]

客なら誰にでも即尺

何日も風呂入っていないキモ客のものでも にっこり笑って咥え、『おいしいわ』 と言えるのがプロ


440 :名無しさん@自治スレにてローカルルール議論中 :2009/03/10(火) A1bnKSEXO (4 回発言)

家の旦那は風俗行った時は何にもしないって言ってたよ、

金払ってるのに何で動かなきゃいけねーんだって(一応付き合う前の話)。

知人も嫁がフェラしてくれないから風俗に行くって言ってた。

後、風俗行く前にわざと何日も風呂に入らないで穣の嫌がる顔を見るのを楽しむ人とか。

これくらいしか知らない。

http://logsoku.com/thread/hideyoshi.2ch.net/ms/1232706033/#414


381 :名無しさん@ピンキー :2009/02/16(月) 00:11:50 ID:pc+bdhP30 (2 回発言)

即尺が出来る子に聞きたいのだが、客にとっては、わざと臭くしたりオシッコでまずくしたりすることで興奮するわけですよね?

つまり、臭い不味いは仕方ないと思っているのですか?

386 :名無しさん@ピンキー :2009/02/16(月) 01:39:56 ID:DQfQz2p7O (1 回発言)
>>381
何日も洗わないで、チンカスだかけだったり、汚いのを舐められるのが好きな客が沢山!

本当汚い。

カンジタかってぐらい、チンカスだらけ。

病気もらうの覚悟で舐めてるよ。

http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/nuki/1234092797/#320

「ほんとうに、くさいちんちんの人、多いのよ。

私たちがこういうサービスをするということを知っていて、それで わざと白い滓をいっぱい付けたままの人っているの。たまらないわ」

http://www.geocities.jp/watariganinihai/novel/sokusyak_1.html


261:名無しさんといつまでも一緒:2006/08/27(日) 13:44:42 0

高級ソープはいきなりナマ尺が基本だから

そのために3日くらいは風呂はいらずに
チンコをできるだけ汚い状態にして咥えさせる

264:名無しさんといつまでも一緒:2006/08/27(日) 13:47:34 0
>>261
そういう人もいるよね。
マトモな神経じゃないと思うけど。

ま、そうすることによって本人が幸せならいいと思うよ。

http://2chnull.info/r/furin/1143817315/1-1001


477 :Ms.名無しさん :2010/05/04(火) 21:56:19 0

臭い人も多くいるけど、でもこれが男の人の匂いでしょ。だから苦にはならないわ。

チンカスを舌で取ってなんとなく臭い人相手でもコツがつかめてくるものよ。
吐きそうになるくらい臭い人もいるけど、なんとかなっちゃうわよ。

頑張って!

http://logsoku.com/thread/namidame.2ch.net/wom/1262322714/

 

▲△▽▼


なお、奥さんとお嬢さんが不細工な場合はこちらのコースになります

(やっぱり美人は得なんだ, 納得):

1. 不細工コース1


アナル栓解放と同時に滴り落ちる浣腸液。

ビチャビチャと滴り落ちる浣腸液の音と苦しげな喘ぎ声が隠微なハーモニーを奏でている。

「ビチャッ…ビチャッ…」と卑猥な音を立てる落ちる塊。

再び浣腸。

300tガラス浣腸器にグリセリン浣腸液を吸い上げまだ排泄の余韻が残るアナルに注入。


 
               ∧_∧
   _ノ⌒\_ノ     ( ;`Д´> >> アーっ!  :::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::
 / ∧∧   ピシッΣ(=====)
(\ / 中\ 彡     ( ⌒)っ)。'。゚_・゚
 ( ( `ハ´ .) / ̄ ̄ ̄'し ̄ ̄/\
  \  ⊂ )  ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄
  /    \      | |
  し ̄ ̄ ̄\)     ./ \


■SMクラブ

別称 : ソフトSM、ハードSM。
月収50〜150万円くらい
勤務時間 : 30分〜120分など

サディズム・マゾヒズムの略である。

お店により、M性感からハードなプレイ内容のお店までさまざまです。

M性感は、お客様がM男君で、言葉攻めなどのサービスが主になります。ソフトSMは、女の子がM女になり受け身のサービスを行います。女王様はお客様のニーズに合わせていかなくてはいけないので難しいです。

縛られたり、浣腸やAFがあります。

風俗業務用浣腸・SM用品

http://shop.asiandrug.jp/categories/1_12.html
http://shop.asiandrug.jp/categories/1_23.html

▲△▽▼


262 :名無しさん@ピンキー :2010/06/23(水) 05:06:54 ID:4XGxOyk4O (1 回発言)

私の彼女はSM店の M嬢だが毎回、生傷が酷く、背中、お尻は鞭で叩かれアザが!内出血してる。

毎回おしぼりで拭いてやって薬塗ってあげるが昨日は肛門がとんでもないことに!

もう限界かも。

http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/nuki/1274944767/


19 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/10/30(日) 16:42:51 ID:da0ZQILq (1 回発言)

無愛想な30代×1女を素っ裸にして磔にして鞭で打って緊縛して浣腸して脱糞させる。 それもまた快感だぞ。

685 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/19(月) 13:39:06 ID:e91b0CQR0 (1 回発言)

うちで働いているバツ一

SMで働いているんだが今日急に休みやがった。

聞いてみると土日のショーでハードMをやって体中鞭で打たれて内出血だらけで熱が出て動けないそうだ。惨めだな。


289 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/18(火) 19:08:58 ID:y4dPKVNu (1 回発言)

五反田のSMクラブで借金返すために女奴隷してる30女。
1リットル浣腸してやった。


290 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/20(木) 18:18:39 ID:4ZBtrsQK (1 回発言)

浣腸はつらい。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 13:41:59 ID:WNmg0Y1a (1 回発言)
一日に浣腸を五本もされると死にそうになる。


319 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/05(火) 15:15:34 ID:x9q+FYQV0 (1 回発言)

借金返すためにSMクラブ一生懸命M嬢やってる中年女を見るといじらしく思える。

鞭で打たれて
「アッ!痛いです。」

浣腸されて
「もう一本浣腸するつもりですか・・・・?
もう我慢できません。」


必死に女奴隷を演じてる。
がんばれよ!

323 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/17(日) 07:19:43 ID:5yP5OnVw0 (1 回発言)

×1女性のM嬢(30代後半)がはいてたベージュのパンツ。

ずいぶんくたびれたパンツだった。

苦労してるんだね。

息子二人を育てるために浣腸されてウンコしてた。

http://logsoku.com/thread/life8.2ch.net/debt/1127815692/


13 名前:140cm台の彼女募集中 [2006/12/21(木) 02:13:02 ID:EVJLBsof0]

この前フィリピン人の少女が総入れ歯外して汚いおっさんにフェラしてる動画見たときは本気で吐きそうになった

まだ10代なのに総入れ歯なんだぜ

43 名前:マッチョ [2006/12/21(木) 02:34:00 ID:h2T1I9iXO]
>>13
歯茎の感触の為に、全部ぬかれるんだよな…
ひでぇ話だ

55 名前:ビッチ [2006/12/21(木) 02:47:24 ID:KbX735R+0]

歯茎フェラは最高らしい。
やくざの貢物女がされるとか聞いたことある。

http://yomi.mobi/read.cgi/anime/anime_news_1166634573

91 :/名無しさん[1-30].jpg:2007/11/21(水) 22:36:23 ID:LvI0+RcF0

入れ歯外して口にローション含んでフェラすると
すげー気持ちいいらしいよ


3 :/名無しさん[1-30].jpg:2006/12/21(木) 09:02:16 ID:eNkhgrp60

デビ婦人がスカルノ元インドネシア大統領に見初められたのも
その総入れ歯フェラのおかげと言われてるな。

http://mimizun.com/log/2ch/ascii/1166650631/


1 名前: 名無しさん 2005/11/10(木) 18:47 ID:NyG3_kMVf_

SMってどうですか? 教えて下さい!


2 名前: 名無しさん 2005/11/12(土) 13:12 ID:NxR4GF9B=o

経験ありますよ。ありとあらゆる事しました。

てんじょうからロープに吊される。

乳首に変な器具はめられる。

凄いのは浣腸されて放便を見られる。


好きじゃないと辛いすよ!

いつもバッグにロープ完治ロウソクなどの一式を持ち歩かないといけないし、半月でやめた

3 名前: 名無しさん 2005/11/12(土) 14:41 ID:p18y:Gf*VC

それはスゴいですね(>_()

やっぱり、ある程度好きな方じゃないと難しいんですね。
収入面では、どうなんでしょうか?
内容がハードなだけに、普通のヘルス並では納得いかないような‥?

4 名前: 名無しさん 2005/11/12(土) 20:18 ID:2q4YEGzvkV

よく覚えてないんだけど90分で3万くらい。
店への落としが1万くらい。で、オプションが色々。

私はアナルはしなかったけどSMでアナルしてたら肛門が破れて病院通うはめになるらしい。


16 名前: 名無しさん 2006/04/11(火) 23:06 ID:no5w'VMD4l

アナルファック超痛いです(ToT)
小さいチ●コだといいんですけど、デカチ●コは死にそうです。
やっぱり数をこなして慣れていくしかないでしょうか?


17 名前: 名無しさん 2006/04/12(水) 07:46 ID:rS=LNwuHqp

アナルは数をこなすとオムツしないと生きていけなくなることもある。
締まりが悪くなったらウンコ垂れ流し状態になるんだよ。
だからほどほどに。

私は「入れないと絶対満足しないデカチン」タイプの客は無理って断ってる。
断ると言うのは大袈裟だけど、できるだけ入れるのは避けるようにしてる。

だってアナル破壊されたらすごい損害だよ?
100万もらっても割に合わない。


18 名前: 名無しさん 2006/04/13(木) 08:58 ID:oF5F1gi4L2

そこまでならなくても、痔持ちになる人は多いね
痔の手術はそうとう痛いらしいし、アナルはほどほどに

http://www.gofukuoka.net/bbs_01/front/thread/924/

|:::::::::::::::::::::::::::::::
|" ̄ ゙゙̄`∩::::::::::::::::
|,ノ  ヽ, ヽ:::::::::::::::::::::::::
|●   ● i'゙ ゙゙゙̄`''、::::::::::::::::
| (_●_)  ミノ  ヽ ヾつ::::::::::
| ヽノ  ノ●   ● i::::::::::
{ヽ,__   )´(_●_) `,ミ::::::::
| ヽ   /  ヽノ  ,ノ:::::::::

何故ウンコ食べちゃったの?


幸霊(さきみたま) 奇霊(くしみたま)祓(はら)へ 給(たま)へ 清(きよ)め 給(たま)へ 守(まも)り 給(たま)へ
幸(さき)はへ 給(たま)へ 照(て)らし 給(たま)へ 導(みちび)き 給(たま)へ
   ◇       ミ ◇
   ◇◇   / ̄|  ◇◇
 ◇◇ \  |  | ◇◇
    彡 O(,,゚Д゚) /
       (  C `O
      /彡#_|ミ\
       (/h_i凵_ゝ

______________
______________

2. 不細工コース2


AV女優は命懸け _ 住吉連合の方が極東会よりは まともなんだね


バッキー アダルトビデオ「問答無用強制子宮破壊」シリーズ


強制子宮破壊14
www.lovegoods.net/pc/image/video/04713.wmv

強制子宮破壊13 
www.lovegoods.net/pc/image/video/04695.wmv

強制子宮破壊12
www.lovegoods.net/pc/image/video/04671.wmv

強制子宮破壊11
www.lovegoods.net/pc/image/video/04650.wmv

強制子宮破壊10
www.lovegoods.net/pc/image/video/04575.wmv

強制子宮破壊9
www.lovegoods.net/pc/image/video/04571.wmv

強制子宮破壊8
www.lovegoods.net/pc/image/video/04564.wmv

強制子宮破壊7
www.lovegoods.net/pc/image/video/04562.wmv

強制子宮破壊6
www.lovegoods.net/pc/image/video/04561.wmv

強制子宮破壊5
www.lovegoods.net/pc/image/video/04559.wmv

水地獄
www.lovegoods.net/pc/image/video/04715.wmv


COLLECTOR Online Store (旧バッキービジュアルプランニング)
http://www.collector-web.com/store/top.html

53 : 可愛い奥様 : 2010/08/07(土) 16:18:29 ID:JC14bQaR0 [1回発言]

出演する女優が居なくなったら、どっかからさらって来る とか言ってたらしいよね。
怖い。


109 : 可愛い奥様 : 2010/08/14(土) 00:46:26 ID:gz/+SmXKO [2回発言]

バッキー時代に撮影によって人工肛門になった女優はドラッグを仕込まれ、気がついたら撮影が始まっていた。

いまや女優潰しは有名で、会社名を聞けば女優は避けるとか。

『こりゃ一般人を拉致でもしないと(笑)』

という冗談を関係者は飛ばしていた。 恐ろしいことだ。


468 : 可愛い奥様 : 2010/10/28(木) 17:23:49 ID:xThry7eE0 [1回発言]

こういうのって海外での販売も想定しているんじゃないの?
海外では規制が厳しいから、日本のAVが人気なわけで…
どちらにしても、常人向けとは思えない内容ですね


56 : 可愛い奥様 : 2010/08/09(月) 15:24:38 ID:Nd1FsVrd0 [1回発言]

バッキー(コレクター)が怖いのは、内容が強姦や拷問だからじゃなくて それが女優の了承なしに撮影開始されるという点。

もし女優が納得して出演しているなら、それは仕事で自己責任だがバッキーの場合は、内容をしらないままいきなり輪姦や暴行がはじまる。 サンプル動画のなかで

「聞いてないです!」
「これマネージャーさん知ってるんですか!?」

と叫んでいる女優もいる。 本人が把握しないまま、いきなり”仕事”として暴力・暴行がくわえられるというのがまかりとおるというのは、とても恐ろしいことだ・・

58 : 可愛い奥様 : 2010/08/10(火) 19:25:38 ID:W+Xzgzc40 [3回発言]
>>56
それって完全に犯罪だよね。
女優は、恐ろしい暴行を受ける事は了承してないみたいだし。
ごく普通の、男優に愛撫されるAVのつもりで、半殺しにされてたのならひどすぎ。

男の力で水の中で逆さまにされて押さえつけられたり、思いっきり蹴られたり、みんな死の恐怖を味わったと思う。

もちろん病気の恐怖もね。

77 : 可愛い奥様 : 2010/08/11(水) 21:15:03 ID:v+T0KRRy0 [3回発言]

サンプルの静止画だけで恐ろしさは伝わってくるよね。
失神してるのか、白眼むいてる女優もいるし。


78 : 可愛い奥様 : 2010/08/11(水) 21:35:16 ID:v+T0KRRy0 [3回発言]

契約書に、

膣を糞ツボにされますとか、
不特定多数の男たちにレイプ、中出しされます、

中には刺青の人もいて感染症の恐れもかなりの確率でありますとか、
本気で何度もぶん殴られ、蹴り飛ばされます、

まぶたもペンチで強く引っ張り上げます、


膣にコオロギも大量にぶっこみます、
直腸内で器具を破裂されます、人工肛門にもなりますよ、

死ぬ直前まで強いアルコールをホースやロートで喉や膣、肛門に大量に注ぎます、
両足を複数の男たちがつかんで逆さにして水風呂に浸けます、

抵抗してもやめません、


その他もろもろ半殺しにされてもいいですね?って書いてあって全てを了承してサインをしたとは思われないから、どうなの?って 話でしょーよ。

契約とは全然違う事をされて、障害を負ったりするのは許されるの?自己責任なの?

353 : 可愛い奥様 : 2010/10/03(日) 09:13:18 ID:uOUTwMmVO [1回発言]

恐怖や絶望で人格、精神破壊(の映像)が目的だから「騙す」は不可欠と思われ
女優は内容はもちろん、メーカーも知らされてない(なかった)んでないの

365 : 可愛い奥様 : 2010/10/04(月) 13:59:40 ID:I/FBYJ4/O [1回発言]

確か裁判記録だかバキノートってまとめサイトにに書いてあったよ。 女優やプロダクションにすら「複数の絡み、撮影時間が長め」くらいにしか伝えてないとか。

教えたらやらせになるだろっていう栗山の指示らしい。

ギャラが倍ということで飛びついた女優が悪いような言い方したみたいだし。

他にも女優の小学生の娘を撮影現場に連れてきたとかって話もあるよね。


569 : 可愛い奥様 : 2010/11/30(火) 19:42:44 ID:28GHxH8I0 [1回発言]

この会社さあ、今話題のナントカ連合とかが関係してるんじゃね?


573 : 可愛い奥様 : 2010/12/01(水) 15:11:44 ID:be9f61HQ0 [1回発言]
>>569
もしかしたらそうかもね。
このスレにも893みたいな脅迫じみたレスがついてるし。

578 : 可愛い奥様 : 2010/12/02(木) 11:14:42 ID:0HVghm4g0 [1回発言]

サンプル動画で見てしまったけど、もんもん入れてる男優が何人か出てるよ
ここ893絡みのAV制作会社だと思う

581 : 可愛い奥様 : 2010/12/04(土) 08:19:39 ID:IBcDtPKuO [1回発言]
>>578
チョコボール向井だっけか?も子宮破壊にちょい役で出てて、 後にブログで

「ヤクザが仕切っていて異様な現場だった」

と語ってたね。

590 : 可愛い奥様 : 2010/12/07(火) 17:19:46 ID:kCiAQ/sm0 [1回発言]

まぁ893関わってないとこんな事続けられるわけがない。
悲しいね人の苦しむ姿みて興奮することしか出来ない人って。
ある意味哀れむよ。

頭が逝っちゃってる集団。 こんな非人道的なことするなんてもはや金儲け以前の話。精神的にオカシイ。 しょうがない普通の生活をしてこなかった人たちなんだから。


http://logsoku.com/thread/hideyoshi.2ch.net/ms/1280383035/


彼らの多くがレイプや覚せい剤売買、暴行事件で前科持ち。
根っからのヤクザです。


A AV業界の闇の部分が(ry
確かなことはわかりませんが、バッキーは業界内でもかなり893系のようです。

http://www.angelfire.com/alt2/gazer/2chlog/1105232217.html

24 :1:05/01/05 09:35:17 ID:0bsLdALI

「事件は新聞で知りましたが、彼らのやり方は本当にひどくて汚い。 被害者は彼女だけではありません。本当にゆるせない」

 こう憤るのはやはりバッキーが制作する『水地獄』シリーズに出演し、重傷を負った被害者A子さん。彼女もまた警察に被害相談をしている。 右足に痛々しい傷痕の残す彼女がホンしに一部始終を語ってくれた。


 私がバッキーの作品に出演したのは知人の紹介がきっかけです。昨年の秋頃、友達にAVプロダクションを紹介されました。正直言ってお金が欲しかったし、話を聞いてみようと思い、そのプロダクションの社員に会いに新宿の歌舞伎町に行くと、其処にはバッキーのAV監督も同席していました。


 そのときは撮影の内容に関する説明もほとんどないまま、すぐに街中で私の全身を撮影することに。監督と会話をすることはほとんどなく、私自身よく分からないまま打ち合わせが終了したのですが、その日の夜にプロダクションの社員から電話が入り「合格したよ」とつげられました。その際、撮影の内容について、


『20人の男優と80回セックスをするか、水を飲まされたり、水に沈められたりの水責めかのどちらかになる』


と言われたんです。

「あくまで撮影なのだから、危険な目には遭わない」

とも言われたので、すっかり安心して現場に出向いたんです。撮影日は11月8日だったと思います。ところが結果として私は全治3ヶ月の大けがを負った。プロダクションの社員から聞いていた話は全くの嘘だったんです。


「溺死する寸前まで責められた」

 一番最初に取ったセックスシーンはごく普通の物でした。ローションを使ったプレーで男優も優しく、愛撫もキチンとしてくれた。雰囲気は悪くなかったのです。でも彼らが優しかったのはここまででした。

その撮影が終わると全裸の侭庭のプールへと連れて行かれたのです。プールにつくなり私はいきなり突き落とされ髪の毛をワシつかみにされ顔を水中に沈められました。水責めの内容は聞いていたのですぐ終わるだろうと、と最初こそ我慢していたものの、手加減はいっさい無かった。


「くるしい、たすけて」

と監督に撮影を中止するようお願いしたのです。ところが監督は

「苦しいじゃねえよ」

と私の顔を何度も平手で叩いたのです。他の男優達も暴力を止めるそぶりなどいっさい見せず殴られる私をただニヤニヤと笑ってみているだけ。
途中監督が撮影を一時中断してくれたので

「”苦しかったら撮影をとめてくれる”といっていたのに話が違う。此では死んじゃう。もうお家に帰してほしい」

と訴えました。でも監督はこともなげに


「帰るなんて許さない。どんなに嫌がろうとも五分後には撮影を再開する」


と宣告し、その言葉どおり私はまた水に沈められました。その後、私がぐったりした状態でも容赦のない暴力は続きました。芝生に転がされると、今度はホースを口につっこみ水を大量に飲まされました。何度も何度も嘔吐してしまいました。体の震えが止らず、たまらず私は


「お金はいらないから帰らせてっ!」


と男優に何度も何度も懇願しました。でも


「お前はカネで買われた女だ。俺らに従うしかない。お前は自分で死ぬ権利すら許されないんだよっ」


と酷い言葉を浴びせられ、再びしずめられ殴られるのです。痛いし、寒いし、苦しい。

その後の浴室でのレープシーンで私はガラスで足を切ってしまい、大量出血で応急処置ではどうにもならなくなり救急車で病院に搬送され、やっと解放されたのです。このとき既に撮影開始から12時間以上たっていました。

 検査の結果、右足割創、ムチウチ、全身打撲と診断され、車いす生活を余儀なくされました。

今でも一人では生活できません。ギャラは20万円でしたが、暴行をうけた上に治療費などで経済的にも圧迫されており、やりきれません。 現在、親と一緒に警察にいくなどして今後の対応を考えているところです。あの撮影いらい、水が怖くなってしまい、お風呂にすら恐怖心があります。とにかく監督や男優を許せない思いで一杯です。

角田由紀子弁護士は本件をこう分析する


「幾ら事前に”水責め”の了承があったとはいえ、傷害を承諾したわけではありません。強制わいせつ致傷に値するでしょう。その場合、無期または3年以上の懲役となります。実行犯は出演した男優となり監督などが教唆犯となるでしょう。

今回の県では上から命令を下した監督、もしくは製作会社にも重い罪がくだされる可能性もあります。彼らがいなければこのビデオが製作されることはなかったのですから」


「ケガをするようなことは一切無い」と言われて向かった撮影現場には、悪魔がまちうけていた。

水中に無理矢理沈め、頭を壁に打ち付け、顔を殴打する。AV監督や男優による乱暴と陵辱は、大けがを負い救急車が到着するまで続いた。

撮影から2ヶ月たった今なお、後遺症に苦しむ女性が一部始終を告発する…。


わたし、ポスト見ました。水地獄での事故のことを中心にかいてありました。全身打撲と右足アキレス腱付近に深く縦創をおい、 出演女優は三ヶ月たった今でも後遺症に苦しんでいるそうです。

後遺症とは車いす生活でした。あまりに可哀想です。今は親の介護をうけて生きているそうですが、たった20万円のお金のために不具にされ悔しいと嘆いていました。介護費、治療費はもちろん私費です。

 彼女と彼女の親はたんに赤字になったことを嘆いているだけではなく

「やめてくれ」

と散々懇願したにもかかわらず

「契約でお前の体は俺たちが自由にして良いのだ」

と監督に告げられ、その後12時間も監禁されていたことが悔しいそうです。


「男優たちはさらに暴力的になりました。プールに入るのを拒み続ける私の口に、落ちていた木の枝を突っ込み、その状態で顔を何度も殴る。(略)


密閉された箱の中に体を押し込まれ、上から水をどんどん入れられて窒息させられそうになる。

逆さ吊りにされ、水の入った大きなバケツに何度も頭から落とされる…。」


バッキーを取材したライター(サクラ氏)の話


Q:マジで女優が殺されると思ったか。

A:真面目にそう思いました。壮絶でした。

Q:撮影の途中で、女性が止めにしたいと言うことができたか。

A:お金はいらないから止めてというのは何度も言っていましたが、当然のように無視されていました。

Q:女優にたんこぶあるように見えるのも?

A:本物です。あの現場では痣や怪我も含めて全てメイクではありませんでした。


Q:水拷問とかはどんな様子なのでしょうか?

A:「何でもしますっ!」と必死で言っても、すぐにはやめませんでした。14の子は気絶や失神、嘔吐はありませんでしたが、最後はほんとただ意味もわからないまま謝り続けていました。


バッキーは出演する女優がいなくなってしまったので、

「こうなったら犯罪的な方法で集めるしかないですね(笑」

とHPで語っている。 彼らの多くがレイプや覚せい剤売買、暴行事件で前科持ち。
根っからのヤクザです。

Q 金もらってやってたんでしょ。AV女優の自業自得じゃないの?

A AV女優という職業への差別厨なら別板でどうぞ。


AV女優もひとつの職業として考えましょう。本人の認識している契約内容と、実際行われた行為に開きがあったとしたら、自己責任の問題ではなく、法律上、バッキーの傷害罪・詐欺罪が成立する可能性があります。


被害者の一人は数ヶ月の入院の上に車椅子生活を未だに続けています。
ギャラは20万円。

バッキーを放置したら、一般人を拉致して同じ行為を真似してビデオ販売する模倣者が出てくるでしょう。これだけ噂になったら、今度は一般人を出演させるしか彼らに方法はないのですから・・・。

A AV業界の闇の部分が(ry
確かなことはわかりませんが、バッキーは業界内でもかなり893系のようです。

Q 人工肛門とかネタでしょ?女優が訴えたとかネタでしょ?全部宣伝でしょ?

A うかつなこと言う前に過去ログ嫁。

Q バッキーってここ見てるの?

A 見て笑ってる可能性はあります。 たまに社員や汁男優、支持者が出てきて荒らします。

Q なんでうんことか食うの?強制っていっても、断ればいいじゃない。

A 食わないとすごい勢いで罵倒され、殴られ、蹴られ、失神するまで水に沈められます。

Q 女優は契約してたんでしょ?

A レイプ物(疑似レイプ)として契約したんなら、女性の意志が無視された時点で本当のレイプとなり、契約違反だとおもうがな。 強制飲酒とか、契約者の正常な意志を失わせる行為もアウトだろ。

契約内容云々の民法じゃなく、刑法の領域だね。汁も含めてナ

映画の撮影で「拷問のシーンをやります」といって、本当に顔を激しく殴打したりタバコの火を押し付けたら犯罪だろ。

あくまで演技というのが前提条件。怪我をさせたら、相手が了承したとしても犯罪。

ボクシングでも医者がドクターストップかけるし、相手が降参したら殴ってはいけないルールだ。

バッキーは相手の女優が何度も辞めてと言っているのに続けたので犯罪。


ひどい例:子宮破壊12

1.ビール大ビンを持ち、罵声を浴びせ、暴行しながら代わる代わるに女優の口にビールを流し込む。


2.女優は必死で抵抗し、ビールは飲み込まずに吐き出している(一気に多量に流し込まれて飲み込めないため)が、吐き出すと頭を何度も蹴られるなどの暴行を受ける。


3.すでに水責めで拷問を受けている女優は、恐怖のあまり、途中からは無理をしてゴクゴクと積極的に一気に飲んでいる。


4.嘔吐。


5.嘔吐した女優に、「もったいないことすんなよ!」と怒鳴り、口にロートを挿入。


6.女優は歯を食いしばって抵抗するが、「開けないと殺すぞ!」「殺す、殺す、おれが殺す」と断言。女優は恐怖して口を開け、ロートを口に挿入される。


7.ロートに焼酎を流し込む。2.7?缶


8.「はやく飲め!」「殺されたいのか!?」と怒鳴られながら、約1分で300CC程度飲酒。


9.それ以上飲めないでロートの焼酎が減らない女優を開脚させて逆さにし、膣にロートを挿入。焼酎を注入。


10.再び女優を起こし、口にロートを挿入しようとするが、女優は「飲みます」と言いながらも、本能的な拒絶のため口が開かない。嘔吐。すでに顔は紅潮。


11.無理矢理ロートが口に挿入され、一気に多量の焼酎を注いだ。


12.約半分ロートに焼酎が入った状態で再度飲酒が始まる。これを10秒で飲み干す。


15,再度ロートに焼酎が満杯にされる。怒鳴られながら30秒で飲み干す。


16,再度ロートに焼酎が満杯にされる。これでビンが空になる。戻しそうになりながら70秒で飲み干す。飲み干した直後に嘔吐。ロートから逆流。


17.6分で、目測約1L〜1.5Lの焼酎を飲酒。女優は全身が紅潮。目が据わり、酩酊感が出てくる。


18.女優の頭を蹴り、女優は泣きながら「ごめんなさい」を繰り返す。


19.光太郎が女優を四つんばいにさせ、床にこぼれている焼酎を吸わせる。


20.女優の呼吸が荒くなり、嘔吐を繰り返しながら、吐いた酒をまた吸わされる。


21.やがて激しい嘔吐が始まり、女優は意識を失う。意識を失った状態で仰向けにされ、意識を失ったまま鼻と口からゴボゴボと激しい嘔吐を繰り返す。


22.嘔吐物には食物は無く、ほとんど焼酎。床が嘔吐した焼酎の海になっている。


23.その女優の太ももに拘束具を取り付け「起きろ!起きろ!」と頭や体を蹴る。が、女優は意識を失ったてぐったり寝たまま動かない。


24.女優は意識が戻らない。


25.女優は嘔吐物がつまって異様な呼吸音をはじめる。


26.女優の腹は大きく波打つように腹式呼吸をしている。


27.浣腸器で女優の口に水を注ぎ、粘液状の物を嘔吐。しかし意識は戻らない。


28.意識のないままの女優を上体立てたままで、浣腸器で口に何度も水を注入。


29.女優は粘液状の物を鼻から嘔吐するが、上体立てたままのため、気管に詰まらせたもよう。ゴグゥ!ゴグゥ!と体をビクビクさせながら苦しい呼吸。

この事件は、被害者の女性が「女優」=「プロ」と言う言葉で表現されるので多くの人は、自業自得なのでは?と思ってしまいますがシリーズの後半に出演した女性達は勧誘されて来た、素人だと言うことです。


AV業界の勧誘の仕組みは、一部の大手を除いては自称プロダクション会社経営のDQN(一人会社)が小遣い稼ぎに、街で手当たり次第に女に声をかけ、引っかかったら、会社に引き渡して、その場で報酬受け取って

「はい、さよなら」と言う具合です。


女性本人は一応AV出演に興味があり、言葉巧みに誘われて、その場では了承はしていますが興味本位で行ってみて後悔したが、とても断れる雰囲気じゃ無く気が付いたら、勝手に交渉が成立してたみたいに意見が食い違う事も多くあります。

今回の被害者の方達は、本当に惨いと思います。

http://www.angelfire.com/alt2/gazer/2chlog/1105232217.html


バッキービジュアルプランニング(代表:栗山龍)という会社が製作していたアダルトビデオ「問答無用強制子宮破壊」シリーズにおいては、監禁輪姦、陰毛焼き、浣腸、強制食糞、顔面殴打、強制大量飲酒、思考停止状態に陥るまでの執拗な水責め、墨汁を強制的に飲ませる、などのアダルトビデオとは名ばかりの拷問や強姦が行われております。 

また撮影にあたっては、女優には撮影の詳しい内容は事前に知らせず、襲われるときの女優の苦痛と恐怖に怯えるリアルな表情をウリにするといった人間性を蹂躙する方法が取られています。

バッキーは同シリーズを作成するにあたり、インターネット上で以下のような呼びかけを行い、「監禁友の会」なるグループを組織しておりました。


「貴男も、一人の女性が、人格と、子宮をつぶされていく光景を目撃しませんか?

否、その鬼畜な行為に参加しませんか?

撮影内容を詳しく知らされていない、もしくは撮影されることさえ知らない女性を陸の孤島ともいえる場所に建つ一軒家で隔離。 

あとは時間の許す限りハメてハメてハメまくってやる企画です。 

絶叫と悲鳴でぐしゃぐしゃになる女に、遠慮なしに生ハメ、中出しし放題!

これは男として、性欲の野獣として、参加しない手はないですよ。」

http://web.archive.org/web/20040215040047/http://www.bakky-vp.com/kankin/index.htm

かかる数十人の集団を組織し、上記のような、女性を半殺しにする犯行を、何度も何度も繰り返していたのです。これらの撮影により、現在も肉体および精神に重い障害を抱え「壊された」女優が多数いるという告発もございます。 


同社の代表である栗山龍はAV界のカリスマとして君臨する一方、大手企業の経営コンサルタントとしても活躍。 80年代後半、わずか20代なかばにして、当時、一世を風靡した「ダイヤルQ2」で巨額の財を成したという経歴の持ち主です。

また資産家としても知られ、世界に7台しかないという限定生産のフェラーリを始め、17台の高級外車を所有、またアメックスセンチュリオンカードという利用限度額無制限、ゴールドカードの上をいく最高ランクのクレジットカードを二枚所有していることでも知られています(参考:月刊実話ナックルズ3月号)。


このような資産家の栗山がいわば趣味で始めた会社が、上記のような非道な行為に及んでいた集団、バッキービジュアルプランニングです。 

なお、栗山はSMの愛好家であり、既に閉鎖済みの同社のHPにおいては、自宅の風呂場で猫を溺死させることが趣味であり、池袋に猫殺しを体験できるSMクラブ「クラリス」をオープンしたとの記載がありました。 このような栗山の性癖が、同社の制作するビデオの方向性に影響を与えていることは否めないものと考えます。

そして栗山は、格闘技ジム「パシフィックジム」の出資者としての顔も持ち、同ジムの代表には濱田太平洋なる人物が就任しております。 濱田太平洋とはバッキーの取締役兼監督を務める男であり、バッキーの主力商品の1つである、いわゆる「露出モノ」AVの撮影において、警視庁少年育成課に2003年9月7日に公然わいせつの現行犯で逮捕されております。

被害者の女性の中には、被害に比べればわずかな金額を上乗せされた上で示談に応ぜざるを得なかった女性もいると伝え聞きます。 

その際、バッキー側が、自らの背後関係をちらつかせるような行為がなかったと言い切れるでしょうか?

自分達には衆議院議員兼弁護士の辻恵がバックについているとの言辞を持って被害女性を押さえ込む行為がなかったと言い切れるでしょうか?

http://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/92669df6ff132f2aaeb7c61273fad747


535 :/名無しさん[1-30].jpg:2010/12/24(金) 16:58:17 ID:aOU9ehvP0

バッキー栗山ってダイヤルQ2で40億くらい儲けて趣味でAVの会社立ち上げたよ

24 : 可愛い奥様 : 2010/08/02(月) 05:15:53 ID:gLviuAhu0 [1回発言]

栗山龍=バッキー 懲役18年 

355 : 可愛い奥様 : 2010/10/03(日) 18:16:29 ID:7n/z/FIwO [1回発言]

逮捕された栗山は幼少期、母親に虐待された経験から「女=破壊対象」になったらしい。

358 : 可愛い奥様 : 2010/10/04(月) 02:31:57 ID:FzS1vhGMO [1回発言]

あいつはこの事件起こす前にも雑誌にちょくちょく出てて
言葉の端々から女性嫌悪丸出しだったんで納得です

http://logsoku.com/thread/hideyoshi.2ch.net/ms/1280383035/#112


@ 問答無用 強制子宮破壊


迫真のレイプ作品に仕上げるため事前にAV女優に意図的に十分な説明を行なわず、集団で暴行を加え、AV女優が本当に恐怖を感じ怯える様を撮影していた:


スタッフがAV女優をリラックスさせ、通常のAV撮影と思い込ませる。

出演契約にサインさせた後、スタッフの態度が急変、AV女優の衣服を剥ぎ取り集団でレイプに及ぶ。

ひととおりレイプシーンが終わった後には、嫌がるAV女優に乱暴行為を働き、本当に恐怖を感じさせ怯えさせる。

嫌がるAV女優の髪をつかんで振り回すなどの乱暴行為や、腹部や顔面などに平手打ちを繰り返し赤く腫れ上がっていく様子を収録している。

また、嫌がるAV女優の顔を無理矢理、浴槽や水槽あるいは便器などに溜めた水に繰り返し押し込み、執拗な水責めにより呼吸困難に陥らせる様子を収録している。


『問答無用 強制子宮破壊12』において、AV女優に焼酎を漏斗を用いて強制的に大量に飲ませ、また膣内にも漏斗を挿入し焼酎を流し込むなどしたため、急性アルコール中毒を起こし意識不明、昏睡状態に陥っていく様子が収録されている。

この女優は脳幹麻痺による脱糞にまで至っていて、パッケージにも「死んだ?!」とある(この女優に関しては生存との未確認な情報が流れる)。これ以外の作品でも強制飲酒場面が何度も登場する。


『問答無用 強制子宮破壊17』において、恐怖を感じたAV女優が撮影スタジオから逃げ出そうと裸で駆け出したところを通行人に目撃され、通行人の通報により警察官が駆けつけ事情聴取に当たるが、人身保護にまで至っていない様子が収録されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%8F%E7%AD%94%E7%84%A1%E7%94%A8_%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%AD%90%E5%AE%AE%E7%A0%B4%E5%A3%8A


A 水地獄

AV男優とAV女優との性交を行いAV女優腹部への膣外射精で前半が終わり、ここまでは通常のAV撮影と同様である。

しかし、その後は性交場面の撮影は全く無く、撮影スタジオ付属のプールやプールサイドに置いた水槽にAV女優を沈めて溺れさせ、AV女優が水や胃液を吐き出して苦しむ様を撮影した。

作品は水地獄「一丁目」と題されており、当初作品のシリーズ化が企画されていたが、第2作の製作中にAV女優が大怪我を負った為、一作のみで終わった。この水地獄に出演した女性が、バッキー逮捕後に週刊ポスト1/21号(2005/01/04発売)にて撮影の惨状を告白している。記事によれば、

事前に危険な行為をしないと言っていたにもかかわらず12時間にわたり執拗な暴行が繰り返されたという。

最後には浴室でレイプされていたときに、男優が女優の頭を鏡に打ちつけ、割れたガラスで足を切り、病院に搬送。

このときの怪我は、右足首のアキレス腱あたりが10センチほど切って大量出血という重傷で、右足割創・ムチウチ・全身打撲と診断され、女優は車椅子生活を余儀なくされた。

ギャランティはわずか20万だったという。

実際は、この怪我をした女優の作品との間に、もう一本作品が存在している。
(主演:小島エリカで、前半は河川や海辺での水中性交、後半は室内での擬似水拷問という構成)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%9C%B0%E7%8D%84


57 名前:株仙人 [2006/12/21(木) 02:52:14 ID:06bnI9Kc0]

バッキー事件の被害者女性(全てのAV女優)は求人誌や街頭などで声をかけられ、


「顔バレの心配は一切無し」

「絶対に顔バレしないように、こちらから気をつける」

「マニアの店にしか置かない」

「1日働くだけで○十万円の報酬」

等と言葉巧みにAV出演したくなるように高揚させて行く。 そして普通のAVならそれまでだが、バッキーの場合、その後に地獄が待っていたのだ。 女優はAV出演に同意したワケであり、暴行に同意したワケではない。
これは非常に悪質な詐欺であり、許されざる犯罪行為である。


逃げ道を埋められてから、言葉巧みに誘われて、気がついたときにはがんじがらめってこともあるからねえ。
多くの場合、自業自得とは言えないんだよね。 特に、こういう法律すれすれのものを撮るやつらは、如何にして犯罪行為を隠すかを考え抜いているだろうから。

41 名前:株仙人 [2006/12/21(木) 02:32:28 ID:06bnI9Kc0]

池袋署調べでは、栗山容疑者らは6月下旬、豊島区の飲食店で撮影契約を交わした20代のAV女優に合法ドラッグとみられる白い粉末を吸わせ、意識が薄れたところを同区西池袋のマンションに連れ込んで 無理やりわいせつ行為を続け4カ月の重傷を負わせた疑い。

AVの撮影で行ったもので、飲食店内の様子からすべて撮影。
女優の肛門にポンプを突っ込んでシュポシュポ膨らませすぎて直腸に裂傷を負わせた。


45 名前:教師の鏡 mailto:sage [2006/12/21(木) 02:36:39 ID:aD11DVO10]
>>41
これで人工肛門になったんだっけ?


50 名前:株仙人 [2006/12/21(木) 02:43:38 ID:06bnI9Kc0]
>>45
うん。マジでAV業界って腐ってるなって思った。
関援に出てた11才の千春って子だって出演料3万円って。
マジでなんか世の中狂ってるよ…

101 名前:ハロワの途中ですが名無しです [2006/12/21(木) 03:49:30 ID:5Ma5A2CPO]

あれ本気だからな
途中で見るの辞めたくらい酷かった
殺さないスナッフビデオ。


128 名前:サカ豚 [2006/12/21(木) 04:17:31 ID:DiPyBGEQ0]

朝鮮人だからね。
日本人なんてボロカスに扱ってしんでしまえばいいと思ってるよアイツら

http://yomi.mobi/read.cgi/anime/anime_news_1166634573

1 名前: 名無しさん 2005/10/31(月) 21:46 ID:@VyDmXI8;9

AVに出演された方いますか?
収入面・時間・どんな事をしたのかとか、色々教えて欲しいですm(__)m


5 名前: 名無しさん 2006/09/30(土) 21:00 ID:GS_J(tpfWj

無名なとこはやめとき。
あと、バッキー事件みたいな、超高速回転する電動工具使って無茶苦茶されるやつとか未だにあるから。

体破壊されてからじゃ遅いよ
目先の金のためにね

7 名前: 名無しさん 2006/10/06(金) 20:46 ID:-HN8Pu@opf

こんだけみんなが書いてくれてるのに、まだやる気かよ…。

バッキー強制子宮破壊シリーズ見てみろよ。
やる気なんて一気に無くなるからさ。
こんなことしといて、京太郎はたった14年で鑑別から出所やしね。


10 名前: 名無しさん 2006/10/08(日) 03:18 ID:HKV3ydg6BP

私もググって見たけどすごい。ありえない。これで死んだ子いるの?
いくら積まれてもこれはダメやろ


11 名前: 名無しさん 2006/10/08(日) 08:54 ID:pPXnnTVo7W

見ました?。
いくつか あったけど 12ぐらいで見たのは 最後に字幕で やばいとか 書いてたけど 死んじゃったのかな? 
それで ムショに入ったんですか? 


49 名前: 名無しさん 2007/10/22(月) 16:06 ID:h.ID3PkbSc

バッキーみたいなのはまだ存在してる。拷問だ。やめときなさい。

プールに沈めて、死ぬ寸前まで上から押さえ付けたり、
アソコに、工事とかで使う電動ドライバーの先をバイブに替えたものを入れて超高速で回したり、

両手足を拘束し、低周波治療器をたくさんつけて、レベル最大にしてみたり、

下手したら死ぬよ
騙されてそんなことされたらどうする


50 名前: 名無しさん 2007/10/24(水) 10:40 ID:uOQ)lUdAGE

素人男優30人位にレイプされるビデオ見ました。
それぞれアソコに入れたいのを持ち寄って…
電球や鉄棒入れるバカもいました。

押さえ付けて次々に中出しされてたんでかなり悲惨でしたよ…

51 名前: 名無しさん 2007/10/27(土) 13:34 ID:nwRpk(34ZS

電球とか割れたらどうするんだろうね。バッキーのやつでは、大量の生きた虫を入れてた。

中で風船膨らませて、破裂し人工肛門になった子もいるのに

56 名前: 名無しさん 2007/12/06(木) 01:46 ID:YDvTd-cRCh
>>51 虫のはバッキーじゃないよ?


52 名前: 名無しさん 2007/10/29(月) 09:17 ID:ohYOLL!0sR

虫は気持悪かったです。
水槽に蓋して裸の子入れて大量に虫入れてましたからね…

菌感染で卵巣傷付けられて妊娠出来なくなったみたいです。
これって女の子知らないで現場来たみたいですね。

アナルバルーンは破裂した後も何度も続けざまに中出しされたみたい…

53 名前: 名無しさん 2007/10/29(月) 23:00 ID:XRS'p62aBL

てかありえないよね。前に妊婦で超色んな物突っ込んだりしてたやつ見て、途中で見れなくなったよ。(泣)

ニーズや金の為にやってるんだけど作る側って鬼畜に違いよね。

でもすごいきれいな映像をとる監督もいるんだけどね。昔のポルノ映画みたいな。
まぁ一回に5万程度でもほしいなら出たらいいけど、後々残るからね?
精神的につよくないとできないよね。みんな気を付けて下さい。

54 名前: 名無しさん 2007/11/15(木) 12:41 ID:SfcV0Kd,_W

虫を入れるやつは、アソコにイモ虫みたいなのを100匹くらい入れてた
数週間、頭から映像が消えなかった


55 名前: 名無しさん 2007/12/05(水) 08:43 ID:LEBF2qguY=

口を器具で開けさせてバイブや金棒や喉の奥まで突っ込まれてた。

数人に押さえ付けられて何度も何度もされてるんでゲロまみれで泣いてて…
笑いながらビデオ撮影してるんですよね?


57 名前: 名無しさん 2007/12/13(木) 22:45 ID::t=(Y.H;I(

ドグマのAVコエ?

あそこにタバスコ塗られてヒィイと、のたうちまわってるのに中だし連続レイプ。
口に金属のワッカ きおつけようブルっ

64 名前: 名無しさん 2009/04/09(木) 09:59 ID:i:)eTO6(Kp

脅されたらどうしようもないしね。泣き寝入りが多いはず。
鬼畜系AV見てみるといい。激しいじゃなく拷問。
何かあっても人に言えないでしょ

http://www.gofukuoka.net/bbs_01/front/thread/930/l50/

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 l  , , ,           ●      l   おい、おまいら
 ` 、      (__人__丿    、、、   /   やる気あんのか?
   `ー 、__               /
       /`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
       /,          |
      (_/          |  |
        ,         ヽ、_)   ∩
       l           |\  ノ |    
 .       |    ヘ      |`ヽ二 ノ
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       `ー‐'    `ー‐'
                         


バッキー会長 栗山龍氏の反論!


今回の事件の当事者の一人として、自身も強制わいせつ致傷容疑で逮捕された『バッキービジュアルプランニング』(以下『バッキー』)の創師、栗山龍会長(40)に、騒動の真相を直撃した。

インタビューは1月6日、港区内にある『バッキー』のオフィスで行なわれた。しなやかなブラックスーツに身を包んだ栗山会長は意外にもにこやかな表情をして我々の前に姿を見せた。 その溌刺とした外観からは、突然の逮捕劇による精神的なショックなど、ほとんど窺い知る事はできない。

栗山会長は、おもむろに煙草を1本くゆらせると、ゆっくりと重い口を開いた。


『私どもとしては、今回の事は、本当に寝耳に水だったんです。みなさん、よく誤解されているんですが、私どもは、 外注監督と製作会社が撮った素材と編集後のテープを買い取って、販売しているだけなんですね。

ですから、撮影現場で何が行なわれているのかも知らないし、一部で報道されたように、私が現場に赴いて、何かの指示をするなんて事は有り得ない事なんですよ。ましてや、居酒屋で女優さんの飲み物にクスリを入れるなんて、考えられませんw 』

そう言って、時に、余裕すら感じさせる栗山会長。


『でも、仕事としてギャランティが発生しているのに、強制わいせつっていうのはどうなんでしょうね。

世の中には、1ヶ月一生懸命働いて、20万という給料をもらって家族を養っているサラリーマンだって大勢います。

それなのに、片やたった1日で80万という金を貰っている。(中川注:実際はプロダクションに20万円払って、AV女優の手取りは10万円ちょっと)

じゃ、それだけの大金を稼げる仕事にどれだけのリスクがあるのか、しかも、アダルトビデオという括りの中で考えるならば、ある程度の“自己責任”というものもあるんじゃないかと思うんですよね。

それを言うなら、まさに業務上過失じゃないかと、私は主張しましたよ。』


『私どもとしては、外部の制作会社に現場の事は全て任せていますので、何が起こったのかもわからないし、どこまでの契約内容だったのかも関知してはいないのです。』


女優については

『大金貰ってるんだからリスク解かってんでしょw』

こうのたまった。


http://blog.livedoor.jp/fetish_one/archives/13384166.html

1. 840名無しさん@ピンキー2011/03/12(土) 00:40:44.61 ID:VrrwAA9z0

栗ちゃんが示談金しぶったから、次々逮捕されたんだよな
女優のギャラはたった20万
ほとんどがプロダクションに入ってる

329 :/名無しさん[1-30].jpg:2009/12/08(火) 22:34:07 ID:mxwptBdD0

これやっぱ栗山がいちばん極悪だと思う

裁判でも証言されてるがヤツがヌルい内容じゃ納得しなくて現場が追いつめられた

あのデブ(サモハンだっけ?)とか光太郎とか随所で優しい面をのぞかせている

http://kilauea.bbspink.com/test/read.cgi/ascii/1249880661

296名無しさん@ピンキー [sage] 2011/01/01(土) 20:31:08 ID:3uhAGeK90

いいヤツらではないと思うけど気の弱い人たちだったんだと思う
作品の内容がヌルイとかこんなんじゃ売れないとか散々栗山に詰められて、
内容に満足しなければ給料も払われなかったりしてエスカレートさせたんだろ

298名無しさん@ピンキー [sage] 2011/01/01(土) 21:18:44 ID:gDCFk4yX0 [1/3]

水地獄2は女優が救急車搬送でお蔵入り
栗山に叱られるのが怖くて監督のジャニーズ光太郎がベソかいたって話

http://2log.jp/avideo/1287326767


コレクターというAV会社について


バッキービジュアルプランニングは2005年3月に表向き解散したが、実態としては社名をコレクターに変更しただけで、有罪判決にかかわるビデオ作品の販売を継続している。 また、以前と同様に、監禁、強姦、暴行など犯罪行為も公然と行われている。

60 : 可愛い奥様 : 2010/08/10(火) 20:35:28 ID:jmqtHfCpO [1回発言]

有罪判決出てもなお作品が出回っていることに絶句


23 : 可愛い奥様 : 2010/07/29(木) 22:04:40 ID:NBzfBO0z0 [1回発言]

事件になって逮捕者も出てるのに、いまだに暴行、傷害、レイプAVがこうして作られ、販売されてるのが不思議。 この会社は政治家や暴力団、警察なんかによっぽどのコネがあるんだと思ってる。

30 : 可愛い奥様 : 2010/08/03(火) 17:16:00 ID:fbvOOYE+0 [2回発言]

バッキー改め、コレクターという感じで社名だけ変えたんだと思う。だってバッキーの代表作とも言える子宮破壊シリーズや、水地獄というのをコレクターという会社が継続して売ってたわけだし。

私はサンプルと、バッキーを検証するサイトでしか見た事がないけど、女優がいつ死んでもおかしくない撮影だと思う。 いや、死んでいてもなにも不思議じゃないほど、どれも残虐な場面の繰り返しだよ。 どうしてこれが犯罪にならないのか不思議だよね。

いやらしいアニメなんかより、こっちの方がかなり危険。

販売が制限されるべきだと思うけど、あまりにも恐ろしい映像だから声を上げるべき私たち女性が目を背けたくなるから、なかなか現実的な規制って進まないのだと思う。

男でもこんな残虐な人権無視、殺人スレスレの行為でワクワクするのは、ほんの一握りだと思うのだけどね。

あと私が恐ろしいと思ったのは旅館で女将を無理やりレイプしちゃうやつ。

検証サイトで見たんだけど、あれ、マジだと思う。 バッキーの慰安旅行なのか、バッキー側の女性関係者も面白がってレイプに加わってるのがそりゃー恐ろしい。


43 : 可愛い奥様 : 2010/08/05(木) 03:08:17 ID:7CkbRR9K0 [1回発言]

異常者の集まりだよね…
サンプル見たことあるけど…
30人くらいにレイプ、中だしされてアソコがびっくりするくらい腫れ上がってて
女優が痛い痛いやめてーと絶叫してた

45 : 可愛い奥様 : 2010/08/05(木) 09:05:51 ID:Vafa6sYB0 [1回発言]
>>43
その異常者をビデオの販売サイトで一般から募集してたんだよね。
出演する男優募集って事だけど、自分もやってみたい、参加してみたいって男が結構いるんだろうね。

実際にその参加者で作った暴力、うんこぶっかけビデオもサンプルにあったよ。

女性のまぶたをペンチでつまみ上げたりさ。

陰毛焼いたりもしてる。

出演する女性が怯える表情や叫び声は、とても喜んでやってるように見えない。命の危機さえ感じているようにも見えるし。

撮影途中に女性が逃走したサンプルもあった。 男たちは笑ってるみたいだった。


あと普通のAVだと思って、笑顔で契約書にサインしたと思われる女の人が、判を押した直後に男に髪をわしづかみにされてすぐ奥の部屋へ引きずられて行くのもあったけど、とっさに理解できなかった様子で笑いながら「え?なに?どうしたの?」って表情の人もいた。

契約書になんでもオケ的な言葉が小さく書かれているんだろうね。

判を押した途端にそれまで優しく丁寧な対応だったと思われる男たちが、待ってましたとばかりに豹変、奥の扉が開いて恐ろしいプレイの始まり・・・・・・・・。

いつも騙してやりたい放題やってるんだろうな。 女性も後ろめたさがあってなかなか被害届けも出せないだろうし。 個人情報も提出しているだろうから、脅しもあるのかも。

アニメの規制をしろって言っている人たちは、こういうビデオを知ってるのかな?どう思うのかな?

46 : 可愛い奥様 : 2010/08/05(木) 19:38:21 ID:S7wzank10 [1回発言]
>>45
やらせで、同意のもとで演技で作っているのならOKなのだけど
女性を普通のAVと騙して、残酷の限りを尽くすのは可哀そうだよ。

確かに女性も、浅はかだし、馬鹿だと思うけど
だからと言って、こんな残酷な目に逢うのはいくらなんでも許せないと思う。

9 : 可愛い奥様 : 2010/07/29(木) 15:12:11 ID:hp0WC1LC0 [7回発言]

こういうのがあるってことは需要があるってこと

こういうのを求めてる男性がたくさんいるんだよ

でも暴力的な部分をどうにか隠して生活してる、もしかしたらあんたの旦那もこういう要素を隠して生きてるかもしれない
発散させるためにこんなビデオがある

男のエロ本コーナー見てみ?

四肢を切り落としてレイプして妊娠させ出産間際にお腹破いて胎児取り出し胎児レイプっつー漫画がたくさんある

それらがコンビニや普通の書店で売られてて会社帰りのサラリーマンや学生が堂々と読んでるわ

男は女とは違うんだから女の価値観で男を判断するな
女が思ってるほど男は美しい生き物じゃない


25 : 可愛い奥様 : 2010/08/03(火) 09:37:47 ID:uZ3589yQ0 [1回発言]

ここのスカトロもののビデオって 本物の尿や糞を使っているのか?

こういう所にでる女性って本人自身もスカトロマニアなのか、それとも出演料がいいのか
どっちなんだろう?

26 : 可愛い奥様 : 2010/08/03(火) 14:31:51 ID:fbvOOYE+0 [2回発言]
>>25
ごく普通のAV撮影だと騙されているんでしょう。
もちろん尿や便も本物でしょ。

サンプルで、複数の男どもが女性の膣に便を手で強くこすりつけてるのがあるんだけど、激しく嫌がりながら「病気になっちゃう!!」ってマジで絶叫してたもん。

スカトロ女性だってさすがに、膣に誰のか分からない便を押しつけるように塗られたら嫌でしょう。

なかなか被害者も訴え出るのが難しくて、なくならないのでしょうね。


529 : 可愛い奥様 : 2010/11/27(土) 03:00:56 ID:l8d6gCnq0 [16回発言]

マンコをクスコで開いて糞を詰めて小便で流し込む

SM器具で強制的にあけた口に男が4人でおさえて、下痢便を直注入

バイブにうんこを塗って挿入

チンポにうんこを塗って挿入

口にホースを固定してうんこ水を大量に流す


最高!

68 : 可愛い奥様 : 2010/08/11(水) 10:49:13 ID:dxlkQ8YhO [2回発言]

これって女嫌いのゲイが出ていたんでしょう?
別に差別する気はないけど、嫌いだから何をしても良いと言う事にはならないのに最低

69 : 可愛い奥様 : 2010/08/11(水) 11:13:07 ID:v+T0KRRy0 [3回発言]
>>68
あー、だから女性の性器を汚すシーンが多いのかな?
膣にうんこ詰めたり、器具を使ってひろげて尿や昆虫を注いだり。
でもゲイだけではなく、暴力好きの男もいそうだけど。


174 : 可愛い奥様 : 2010/08/20(金) 09:39:13 ID:SWdivzCG0 [1回発言]

そういう企画物のAVにでる女優さんって 大概借金があって出演にNOといえない立場なんだとおもう。 NGなしで書類にサインさせられる。
ソープに沈むよりましって思ってでちゃう女性もいると思います。(撮影は一日で終わるし)

犬や馬とからむAVにでる女性は精神がいっちゃってる子が多いと聞きました。薬でとんじゃってるとか。スカトロは変態趣味で出来る範囲ですが、獣カンものはそうとうキテル精神じゃないと持たないんだそうですよ。


490 : 可愛い奥様 : 2010/11/08(月) 00:17:52 ID:mYPZtAka0 [1回発言]

同意を得ずに犯罪行為を犯しているのが問題なのよ。
「AV出るのは馬鹿ばっか」とかじゃない。 馬鹿なら何してもいいってわけ?

それにAV女優はメンヘラが多いって言うけど、知的障害者や精神障害者みたいな判断力が持たない人も強制的に出させられることもあるんじゃないの?

http://logsoku.com/thread/hideyoshi.2ch.net/ms/1280383035/#354


1. 813名無しさん@ピンキー [sage] 2011/03/07(月) 16:05:33.39 ID:UdTPUFpX0
コレクターの奴って本当のレイプじゃないんでしょ?
女の子に許可取ってやってるんだよね。違うの?
バッキーの時は本当だったらしいけど

2. 814名無しさん@ピンキー2011/03/07(月) 20:23:51.99 ID:OVaEhAe/0
全部ヤラセ
本気で嫌がる顔ってのはやっぱ違う
バッキー最高

http://2log.jp/avideo/1287326767


栗山龍をお迎えに上がりました!!
  \__ ____________/
       V    
           ┌┬┬┬┐                        ∩
     ―――┴┴┴┴┴―――――.、       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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  ||_. *  _|_| ̄ ̄ ∪|.|.       |ヽ.   |      || ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄∪ ̄|.| ̄ ̄ ̄ヽ| ̄ ̄ ̄ ̄..|
  lO|o―o|O゜.|二二二 |.|都立松沢病院 |    ...  lO|o―o|O゜|======||===府中刑務所====.|
  | ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l__..|| ≡)) .  |∈口∋ ̄_l__l⌒l_|____|___l⌒l__|≡≡))
    ̄ ̄`ー' ̄   `ー'  `ー'    `ー'          ̄ ̄`ー' ̄   `ー'  `ー'     `ー' 


    |:::::::::::::::::   ____________    :::::::::|
手  |::::::::::::: ,. '":::::::::::::::::::::::::`ヽ.  ::::::::| 頭  ど
遅  |:::::  /::::::::く:::::::╋::::::::>:::::::::\  :::| で.   こ
れ  |:::: 〈:::::::::;:::--- 、─ァ -- 、:;:::::::::〉 :::| す   が
で. .|:::::  ,〉'"      `'´     `ヽ!  :| か  悪
す  |:::: /   /  ハ  ハ ヽ ヽ 、  ',  |  ゜  い
ね. |:::: i  ,'  /!__i_, !' ! ,_ハ__ハ ',  ! ',    ん
  ゜/::  ノ.! ! /,ィ-ァ!、! レ',ィ-=!、! i ハ  〉    で
´\|::  〈 ノ Yレヘ''ゞ-'     ゞ-''/レ' ン ∠、    す
::::    〈 ハ  !ハ."  ______  "ハ ハ !   !    か
::     ノ、 `ァ'_」>、._`ー' ,,.イ/イ、ノ    ヽ.  ?
     / `ァ''´ ',   ヽ干´ン::::::::::::`ヽ.   `''ー─
    ! ヽ/   ,y ヽ、. .,!':::::::::.y::::::::::::',
    〉r〈_,.-、7-、  Y十::::.::::::i::::::::::::::〉

わずか85万円の借金でソープに沈められ、何年売春しても85万円の借金が返せないのが この現代


絵に描いたような事件で、会社社長とソープランドの店長が逮捕された。 警視庁保安課に「売春防止法違反」で捕まったのは、不動産会社社長の下条雄(41)と吉原のソープランド「オンリーワン」の店長、永島稔(64)。

 下条は08年9月22日、行きつけのキャバクラで働いていた23歳の女性A子さんから、


「両親が病気で生活が苦しい。カネを貸して欲しい」


と頼まれると


「カネを貸して欲しいなら、その条件としてオレが紹介するソープで働け」


と、翌日「オンリーワン」の永島に紹介したという。  下条はA子さんに85万円を貸し付け、月々8万円、利子も含めて総額103万円の返済を約束させていた。


「オンリーワンは70分2万円の大衆店。A子さんは寮に入れられ、外出も禁止され、客を取らされた。

だが、リーマン・ショック後の大不況によって客が一気に減ったことで、ほとんど稼ぎにならず、借金も減らない。

3カ月働いたが耐えられず、店から逃走。下条から借金返済を迫られ、警視庁に駆け込んだのが、事件発覚のキッカケです。下条はほかにも数人の女性を店に紹介しています」(捜査事情通)


 わずか85万円の借金でソープに沈められるというのも驚くが、いまやフーゾクに身を落としても、ほとんどカネにならないらしい。 300万円以上の借金があると、まず完済は不可能だという。


「オンリーワンの月の売り上げは全体で300万円前後。 お客がつかないソープ嬢もいたそうで、ソープ嬢の手取りは日給1万〜1万5000円です。 これでは借金を返せるはずがない。

一昔前なら、300万円程度の借金なら、本気で1年間働けば返せたが、いまは売れっコじゃないと無理。 300万円の借金を抱えたら一生、フーゾクから抜けられません。


だから、吉原のソープ嬢のなかには、デートクラブと掛け持ちしているコも多い。
夜12時までソープで接客し、12時以降は鴬谷のデートクラブで働くというのが、典型的なパターンです。

最近は、店側も掛け持ちを黙認している。女のコに稼がせてやれませんからね」(ソープランド関係者)


 フーゾク業界には、職にあぶれた20代が次々に入ってきている。このまま不況が続いたら、フーゾク嬢のダブつきも社会問題になりそうだ。
(日刊ゲンダイ2010年2月9日掲載)


__________________


677 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/02/09(金) 16:01:04 ID:1QXZJ3rv0]


街金や、ホストクラブの借金を店が肩代わりして、ソ−プに沈めるのが普通だ。


681 名前:名無しさん@入浴中 [2007/02/12(月) 01:32:30 ID:OQ8EHlQd0]

要するに まともな、銀行や消費者金融は貸さないんだよ

682 名前:名無しさん@入浴中 [2007/02/12(月) 02:09:34 ID:2otwOc1xO]

バンズという弱みでやりたい放題している。無茶してもやめらないしね?

http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1139581149/

▲△▽▼


風俗嬢の9割はワーキングプア

はたらけど
はたらけど猶わが生活樂にならざり
ぢつと〇〇〇を見る


ススキノでは地方金融機関の窓口の女性スタッフの給与が引き下げられたために月給ではまともに生活が出来ず、仕方なしに夜風俗店で働くようになったものの、

その風俗店もお客が居なくて時間給当たりでは300円前後にしかなっていない事例もある。

http://www.collectors-japan.com/nevada/content/c080215_4.html


70 :山師さん:2008/10/09(木) 20:36:15 ID:qaPUbkfH

今や30過ぎの主婦なんか風俗に行っても先ずまともに生活できる額なんて稼げんだろうな。 20代前半の若い娘にさえワープア風俗嬢がゴマンと居るってのを考えればね。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/club/1267390000

451 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/02/02(金) 23:23:52 ID:Kgrun2U3O]

みなさん高級店なんですね。

私は駅前ソープで総額11000円の店だから、惚れるようなお客さまは現われません。 パチンコで負けてウサ晴らしで来たとか、他店を断られた中国系の方とか。 恋愛まで至りません。

それどころか、フリーも回ってこないし、常連のお爺ちゃん1人2人で毎日終わる始末。

気の会うような男性に会ったことない気がします。 皆さんが羨ましいです。


494 名前:名無しさん@入浴中 [2007/02/06(火) 21:08:11 ID:3FGEPiYBO]

常連が毎日2人指名でくるぐらいで、フリーは月に3人弱。

手取り8千円ですから、『金掛かるから外で会おう』なんて客に言われると殺したくなります。

495 名前:名無しさん@入浴中 [2007/02/06(火) 21:51:05 ID:d113CIE00]

常連客の指名が毎日二人入るならたいしたもんだとおもうけどな?。

ただ、それで手取り8千円ってどういう店だよ。
その手取りなら風俗なんて辞めた方がいいんじゃないの?。

497 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/02/06(火) 22:09:13 ID:hUHl2cC/0]

札幌のソープ (40分4千円+指名千円)×2−雑費2千円=8千円

499 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/02/06(火) 22:45:06 ID:d113CIE00]
>>497
総額1万円ぐらいって事?


500 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/02/06(火) 22:56:08 ID:hUHl2cC/0]
>>499
そう。
すすきのは安い。

http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1165496823


67 :渡る世間は名無しばかり :2010/09/26(日) 21:33:33.63 ID:wu3fxkyh (1 回発言)

短期間風俗の受付してたが、稼げない子は本当に稼げない。

客の意見でサービスが悪いと判断されると、出勤減らされたり、出勤してても写真出さないとか普通にやる。

売れりゃ売れたでストーカーされたり、他の女の子に嫌がらせされたりもある。


このご時世、風俗の女の子のレベル高いよ。 少しカワイイぐらいじゃ不採用もある。

http://logsoku.com/thread/hayabusa.2ch.net/livetbs/1285492224/


27 名前: 名無しさん 2008/11/22(土) 23:45 ID:wF2E2i:vQL

1日1本しかつけないって生活できないです。来てすぐついたきり暇過ぎてずっと寝てた…


81 名前: 名無しさん 2008/12/08(月) 22:40 ID:J)RvwFRZts

朝から出勤してやっと1本…
仕事入いらないと生活できない

148 名前: 名無しさん 2009/01/16(金) 15:59 ID:wMg2h9=8(o

今日全然人がこない…
単価安いから数こなさないとお金ならないのに…


158 名前: 名無しさん 2009/01/18(日) 19:58 ID:V)dxp-PF@F

干されてる…
確実に干されてる…

160 名前: 名無しさん 2009/01/18(日) 20:48 ID:akU31zGDzP

今 出勤したけど誰もお仕事してないみたい…

193 名前: 名無しさん 2009/02/03(火) 00:27 ID:K!AEDE;6,W

11時間待機して0やし… (ToT)


216 名前: 名無しさん 2009/02/18(水) 13:35 ID:v-jWSNMKXA

毎日1本って。。。。
12時間待機ですよ。。ありえない。。。。。。。。。。

217 名前: 名無しさん 2009/02/18(水) 21:06 ID:OPC5YrromH

17時出勤しても動きだすのは22時とか23時くらいから…
はぁ…まだ0だし暇疲れャ


451 名前: 名無しさん 2009/06/18(木) 04:52 ID:2:4R@9drE-

デリ始めて1ヶ月しか経ってないけど、2日連続で坊主でした。

正直事務所に居づらい...。
もし今日も坊主だったら辞めるッて言ぉぅ(ノ_・。)

でも朝稼げるッて言ってもコッチにもイロイロやらんといかん事があるンぢゃ??(゜□゜)/泣

今日が勝負です!!! 所持金6千円(|||_|||)

452 名前: 名無しさん 2009/06/18(木) 10:15 ID:usx;hnvD1)

私も所持金10000。
泡で最近はフリー1本ばかり。

836 名前: 名無しさん 2011/09/15(木) 21:34 ID:75't*1A9f3

でも、自分より立場が、きつい人を見ると、まだ、自分のほうが、いいのかなって思う。

訳ありの人が沢山いて、うつ病になってたり、家族の借金のためだったり、とても辛い状況なのに笑顔で明るく頑張ってる人を見ると、心があらわれる気がする。

http://www.gofukuoka.net/bbs_01/front/thread/1354/


今、風俗で食べていけるのは こういう性格の良い子だけ:


26 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 2008/03/13(木) 09:46:08 ID:0TDPfxhs0

20歳(吉原年齢じゃないよ)のソープ嬢です。

指名ランキング上位にいけないと愚痴ってる先輩が多いのですが、私から見たら当たり前だよと思ってしまいます。

25過ぎてお肌も曲がり角なのに、恋人派と言い訳してテクニックも磨かずに、ご丁寧にコンドームまでつけてルーティン・ワークをしているだけなんですから。

確かに私はまだハタチだし、ソープ歴が短いから、椅子くぐりや花時計といった、高度な技は上手にはできませんが(勉強はしてます)、でも自分にできる精一杯のことはしてます。

NS(ノースキン)中出しやごっくんは当然として、即アナル舐めは技術的には舌を動かすだけなんだし、勉強すればわかることだけど「洗った後にフェラ」と「即アナル舐め」の性病罹患率は同一です。


単にイメージ的に臭いとか汚いだけなのです。

私たちはとてつもなく高いお金をお客様から頂いてセックスをするわけで、その程度の個人のわがままが通用するとは思いません。

舌を動かすだけの、ある意味3歳児でも可能なプレイなのですから。

ウンコカス食ったぐらいじゃ死なないっての、って思ってしまいます。


やっぱり即アナル舐めによる精神的充足はかなりのもので、お客様が


「君若いからこんなことまでしてくれるとは思わなかった。

でもすごく興奮したよー。今度はちゃんと洗ってくるからね、ごめんね」


などとおっしゃられたので


「私は平気ですよ。今度は3〜4日洗わないで来ていっぱいナメナメさせてくださいね」


と甘く耳元でささやいたら、すっかり常連さんになってくださいました。

少しばかり覚悟を決めるだけで、技術も何もいらないのですから、これほど効果の高いものはないと思うのですが、できない人が多いですねぇ。

でも、フェラチオの文化や源氏名のように風俗から一般に波及するという文化の流れを考えると、アナル舐めもだんだん一般化していくのでしょうね。

今の30代より、経験済の小学6年生の方が抵抗ないかも・・

▲△▽▼


277 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/27(土) 15:27:43 ID:CwEkGbOn0]

ソープ嬢とプライベートでつきあっている人=ソープ嬢のヒモに生活費を渡す人

と言っても過言ではない。 ソープ嬢のほとんどはヒモがいるよ。まあ、このスレではプライベートでつきあう人とあるから、ヒモも含まれていると思うけど。 また、プライベートで付き合う人の中にはソープ嬢と裏引きをしている人もいると思うから、その人たちはまさにヒモたちの鴨だね。

それに、ソープ嬢のヒモの中にはヤクザもいるので、組に払う上納金もソープ嬢の稼いだ金から出ているとも思われるね。 まあ、このスレの住人はすべてがソープ嬢と裏引きをしている人ばかりではないと思うけど、普通に考えると、ヒモのためにソープ嬢に金を渡していると思うな。


278 名前::☆(*^-゚)v ◆v5X2ciZdro mailto:sage [2007/01/27(土) 15:59:09 ID:Hgmb330n0]
>>277 さん

お言葉を返すようで申し訳ありませんが、周りを見渡しても私自身もですが、ヒモもロープもほとんどいないと思いますよ♪

って言うか、ダメンズ(死語)に惹かれたことが全然ないかと言えば嘘になっちゃうかも知れないけど、ワタシの知ってる殆どのソプ嬢はなんか目的があってこのお仕事をさせて頂いてるわけで、お金を当てにするような男性と、関ってる暇無いですよぉ。


ちょっと真面目に書かせて頂くと、ソプは究極の接客業です。


最初からハダカを晒し、交わる訳で、「いつかはやれる」的な引き方自体が出来ないんですよね。

ソプのお客さんたちの大部分は、その辺も判った上で、遊んでらっしゃる訳で嬢の、上ッすべりな嘘なんて、サラッと見抜いてしまうし、

そんなお客さんと接しているソプ嬢たちは、人を見る目が養われて薄っぺらい見栄や、プライドや、仕事の虚栄とか、やっぱサラッと見抜くぐらいの眼力がなくっちゃ、この仕事は続けられません。

ソプ嬢とお客様の恋愛って、そういう背景の上に始まることが多くてその分、真剣勝負だし、妥協がない分すごく純化することも多いです。

もし、>>277 さんのご経験の中で、そういう嬢さんが多かったのであれば もうすこし、頑張ってる嬢さんにもはいってご覧になれば、ソープ自体の印象も変わるでしょうし、もっと楽しいお風呂遊びにも、出逢えるのではないでしょうか。

280 名前:元々もっこりくん [2007/01/27(土) 17:32:09 ID:EnP4lLse0]

私のオキニとその周辺に限って言えば、ヒモやホストとは無縁な278嬢が指摘しているような女子ばかりです。

眼力すごいし頭もいいし、腕っぴしも立ち、私は彼女たちに逆らうことはできません。

277で指摘されているようなことは前近代的であり、チャンパラ番組で売りに出される百姓の娘さんのほうが近いように感じました。 本当にソープに逝って書いておるのか疑問に思いました。


http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1165496823

▲△▽▼

フーゾクで働く女性の素顔


@ 家庭が貧しい=ほぼ100%ガチ(裕福な人は金に困らないし、中流の子は幾らでも他のバイトがある)


A 家庭に恵まれない生い立ち(親が失踪、家族離散、家庭内暴力、 家庭不和、親の再婚相手が虐待、母親の男出入りが激しい、父親の女出入りが激しい)のため、早くに家を出る(=中学、高校時代に)


B 幼いころから性的虐待を受けながら育った


C 親族から「愛情」を受けた経験があまり無い


D メンヘラが多い。

多重債務者の中には「買い物依存症」という、アル中やギャンブル依存症と共通した依存症の精神病を持つ人がいる。  この依存症は治療しないと家庭や人生が崩壊する


E ほとんどが借金返済の為にやってる。
女が万策尽きた時に、自殺の一歩手前で人生で最期に辿り着く職業。


F 最初は美容師専門学校、看護師専門学校、保母養成学校に行く子が多いが、クラスメイトに誘われ気軽に始めたキャバクラバイトから風俗に落ちる子が多い


G 水商売のお約束で、客に夢を売る為 「私はお嬢様女子大生でお金持ち」 と嘘をつくよう店から指導されてる


H 純朴な田舎出身者が多く、人に騙され易い
 憧れの都会にやってきて騙され徐々に転落していくケースが多い


I 親がブラック業者に借りた借金返済のカタに娘がブラック業者(=暴力 団経営)の手で系列風俗に突っ込まれる事も多い。

あるいは専門学校の友達のつきあいでホストクラブに連れて行かれボッタクられ、ホスクラ借金返済のために暴力団に売り飛ばされ風俗に突っ込まれ覚醒剤でコントロールされ過払いさせられることが多い(よく報道されてる)


J 自殺率が異常に高いことで有名。
最期は変死体か自殺体で発見されることが多い

http://qiufen.bbspink.com/test/read.cgi/club/1287420731/


170 : 石工(東京都) :2010/07/18(日) 18:35:59.27 ID:fdYl64Qh

マジで自殺は多いらしいよ。
報道されないのも結構あるって。

178 : コメディアン(大阪府) :2010/07/18(日) 18:37:40.45 ID:bhq4Sovj
>>170
東京の繁華街では毎週、水商売の女が飛び降り自殺していると本で読んだわ

自殺は報道すると連鎖するから報道できないと
http://2chokaita.blog97.fc2.com/blog-entry-1591.html

No.13 by 匿名さん13(匿名) 08/08/17 01:24

友達が嬢やめて結婚することになった時にHIVの検査したら感染してました。

その子、自殺しちゃいました。
HIVのこと婚約者は最期まで知りませんでした。

http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/wom/1277091460/123


295 名前::☆(*^-゚)v ◆v5X2ciZdro mailto:sage [2007/01/28(日) 09:29:04 ID:uHL2wG2C0]


>ホストに夢中になり借金を返済するためにソープで

それはあり得るし、実際に知ってもいるけど、「お金が必要」って前提は共通でも

「本来は法的手続きで解消される親族の借金」の「恩借」部分を、迷惑を掛けないように「個人として返済」しているケースが、最多かと思います。

次に多いのは、両親か収入の主である片親が破産、失踪などで、家族を養う、
あるいは兄弟姉妹そして自分の学費の負担等であり、実家にまったく頼れないなんらかの背景がある中で夫が家にお金を入れなかったり、離婚後養育費の支払が履行されなかったりと言うのも多いかと思います。

http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1165496823


206 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/06/09 01:51

どうやら風俗嬢の全てがホストやブランド物のために働いてると思ってらっしゃる方がいるみたいですが・・。

いろんな事情かかえた人間がいるもんなんですよ。

親の借金を背負ってる子、
片親の入院費捻出してる子、
離婚して障害持った子供を一人で育ててる子。

いろいろな事情あって働いてる人がいるんです。 お昼の仕事だけではやって行けず、かと言って守らなきゃいけないものがあって死ぬに死ねずこの世界に入ってきた子もいっぱいいるんですよ。

いつまでも暗い顔してらんないし、みんな明るく努めてますけど・・。 この仕事をしてたってみんながみんなまっとうな生き方してないとはいえないと思います。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/15(水) 04:03:32 ID:vdoPFEZE (1 回発言)

親の借金とかはどうするよ?

世の中理不尽だね

親の借金は子供には関係ないって言うけど結局風俗だもんね・・・

「お父さんのためにがんばろうね」って声かけられたらまじめな子なら断れないでしょ。

http://logsoku.com/thread/life8.2ch.net/debt/1127815692/


女性が風俗で働くとき、女の子が店にお金の前借りを行うことがある。これをバンスという。

いわば女の子を担保に店がカネを貸すというものなのだが、ファッションへルスだと50万〜100万でソープランドで500万くらいまで前借りできる。 バンスをすると例えば一日8万円を稼いだら一万円は女の子に、残りは返済金として店に入るようになる。 このバンスの仕組みを利用して女を食い物にする男も多い。
女の子を言葉巧みに惚れさせてた上で、

「どうしてもカネが必要なんだ。500万あれば会社は建て直るんだ」

などと言って女の子をソープにつれバンスしたカネを男がもらうというもの。 男はいつのまにか女のもとから去り、女はただ借金だけが残るというものである。こういう弱い女を巧みに騙すケースは珍しくない。

他にもシャブ漬(覚せい剤を打ち、薬なしでは生きていけないような状況にすること)にして働かせるという手段もある。

この原稿を書いていて思ったことは、この業界に入るとき女の子は決して「特殊」ではない普通の人だということ、そしてこの過酷な世界に長くいるうちに感覚が狂って「特殊」になってしまうのではないか、ということである。

一種この世界は麻薬のようなものである。足をはめてしまった女の子の末路は悲惨なものである

http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai30.html


バンスとはアドバンスの略である。

風俗店あるいは飲み屋さんで働いてる従業員の方を対象にした前借り制度である。 おもに風俗嬢として入店する女の子が対象である。女の子は身体を担保にしなくてはならないのである。究極の借金でもある。

実はバンスは違法である、風俗業のオーナーがお金を前貸しする事は風営法並びに売春防止法で禁止されているのである。

労働基準法でも引っ掛かるのである。それは報酬から前借り金を相殺するのは業種を問わず違法にあたるのである。

http://ameblo.jp/709344/archive2-201004.html


222 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/06/09 18:31

この世界では、無理矢理やらされている子がほとんどと言っていいのでは

借金の利息がかなりのもので、店を逃げ出せば追われて連れ戻され、どうしようもなく仕事をしている子が多い。

店の社長よりオーナーに問題有り。店同士で女の子を売り買いしている所もある。あげくの果てに海外に売り飛ばされた姫も結構居るよ。

あまり書くとやばいのでこれくらいにしておく。

223 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/06/09 19:19

地方のソープには結構いた。
借金のカタで入ってくる子。よく新人が泣いてた。

でも吉原とか首都圏は少ないよね。こっちで働いて1年ちょっとだけどまだ1人しか見たことない。泣いてる子。

225 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/06/10 00:02
>>223
吉原とか首都圏にも結構いるよ。
あまりみんな知らないと思うが。

http://www2.bbspink.com/soap/kako/1015/10157/1015772393.html


11 え 匿名さん 2007-07-23 13:49

激安箱ヘルスでは普通に面接当日に百万バンスオッケーで、 期限あるから店の個室に住ませてオープンラストで働かせてたよ。 でも百万借りて利子30パーセントじゃなかなか返せないわな。

海外逃亡した女は捕まったよ。 注意されただけでまた店に縛りつけられてた(笑)

http://www.lovebonita.jp/lesson/contribute_post_form.php?no=47811


379 :名無しさん@入浴中:2008/05/10(土) 10:31:06 ID:iOWjUE8i0

十年前、私がまだ19の頃の話ですが、借金のカタにはめられて、ソープで五千万返すまで軟禁状態でした。牢屋みたいな寮に入れられて、窓は格子で覆われていて 逃げ出せません。

私の勤務時間は昼の12時からなのですが、お客さんの予約は13時から受付されます。なぜかというと、1コマめは毎朝講習なのです。普段は店長で、日曜日は社長が来ました。もちろんNSです。社長には、仕事と関係ないアナルまでも、少しずつ侵されていきました。

お店が暇だと、こんどは男子店員が・・・。 勤務時間が終わっても、私の一日はまだ終わりません。

男子社員も同じ寮なので、毎晩監視と称して2・3人で部屋にやってきては、寝ている私にいたずらし続けました。私はもう疲れきっているので、起きてもマグロ状態でしたが、ただ性欲処理のために私の前後の穴を使って出て行くのです。

毎日がこの繰り返し。本当に地獄でした。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/soap/1195908843


バンス(?)にかかる利子って・・・(泣)

元歌姫・今泡姫 4933 50 2008-04-04 20:32


とある事情からお店に300百万借りて(借りてというか、その300百万は別の人間に直接渡ったわけですが)、月に25万引かれてきました。

今月末でようやく一年。あの辛かった去年の連休を、今年はやっと太陽の下で過ごせると本当に楽しみにしていました。やめる日の打ち合わせをしようと社長に話したところ、先払い金(バンス?って言ってました)には利子がつくから、まだ半分も払い終えてないと、このペースでもあと1年半かかると言われました。

なんか、暗闇に突き落とされた気分です。

これって、正しいんですか?

少なくとも私は初耳ですし、そもそも何の書類とかもないわけですが。


弁護士相談や警察にいくわけにもいかず、どうしたらいいか途方にくれています。理由はわかりませんが、私だけ(他にも少しだけいますが)個室待機になっていて、今も泣きながらこれ書いています。

相談にのっていただけませんか。私はどうすればいいのでしょうか。よろしくお願いいたします。


1 No Title 匿名さん 2008-04-04 20:41

お店の人管理売春にあたります
やましいことなんかありませんから早めに弁護士なり警察に相談しに行ってください


3 No Title 匿名さん 2008-04-04 21:20

私の時はバンス自体に金利ついてた。 例えば借金が100ならバンスが150みたいな感じで。 主はそのへんよく確かめなかったの?


6 No Title 匿名さん 2008-04-04 22:11

『結論から申し上げますと貴女にはバンスの返済義務など当初からなかった。

理由は管理売春によるバンス返済約束は公序良俗違反により無効です。 民法90条に規定があります。 だから貴女はそもそもソープで辛い思いをし働く必要などなかったのです。

これは立派な売春防止法違反ですから、警察は必ず捜査し摘発します。 僕は吉原の客ですが、 吉原では貴女の話と同じ容疑でつぶされた店が過去に複数あります。

9 No Title 匿名さん 2008-04-04 22:55

本当なら、 書類なんかないよ。 逃げることもできないよ。 甘く考えたらあかん。

10 No Title 匿名さん 2008-04-05 00:36

借金踏み倒したら、 親兄弟親戚まで迷惑がかかりますか?

11 No Title 匿名さん 2008-04-05 01:48

あたりまえ。 特にバンス持ちのバックレは、 手足切り取られて喉つぶされて、 中国で見せ物にされるくらいのことを覚悟してやったほうがいいよ。


12 No Title 匿名さん 2008-04-05 01:55

シッタカが湧いてるなぁ
逃げられないのならなんで管理売春売防法違反でつぶされる店があるんだ?

嬢からのうったえがあって警察が動いた結果として潰されたんだろうが

変に脅すのもいい加減にしろよ
とにかく早く警察に行き実情を訴えることだな


16 No Title 匿名さん 2008-04-05 13:34

店潰すとこまで追い込んで、 タダですむと思う?
五体満足ですむわけないやん。


19 No Title 匿名さん 2008-04-05 16:11

もう十年くらい前になるけど、 大阪キタに残っていた店にトドメをさしたのはこの話が原因だったね。

24 No Title 匿名さん 2008-04-05 18:46

バンスなら管理売春になるから警察行った方がいいよ。 ガサ対象になるよ。
300万借りて、 最終的には750返すってことでしょ?

すごい利率だよね。

40 No Title 匿名さん 2008-04-06 14:32

『民事上はソープ労働によるバンス返済など無効ですから働く必要はないし、 添付スレにあるようにバンス貸金契約の書面などないのは確かにそうですが、 書面がなくて困るのは実は姫ではなくて店側なのです。 なぜなら、 姫に対するバンス債権の存在を示す証拠がないからです。 逆に書面を残せば売春防止法違反の決定的な証拠になってしまう。

結局どっちに転んでも損をするのは店側です。 それに免許証や住民票のコピーをとられているだろうと脅す輩がいますが、 だから何だというのでしょうか?

仮に転居先にまで店の人間やその筋の人間が追ってきたら(まず無いと思いますが)、

「バンスなど知りません。 何かの勘違いじゃありません?」

と追い払えばいいだけです。

それでもしつこく居座るのであれば、 不退去罪(刑法130条後段)となり3年以下の懲役ですよ。 とにかく警察に行き捜査を要請することと、 本人が毅然とした態度をとることですね。 相手も姫の弱さを見抜いて甘い汁を吸っているのですから、 バンスで苦しめられている姫が仮にこのスレをご覧になっているのであれば、 勇気をだして行動を起こして頂きたい。 毅然と対峙すれば店側の負けですので安心して下さい。

46 No Title 匿名さん 2008-04-07 01:31

警察に行って相談しました。 予想はしていましたが、 相手にされなかったなーというのが実感です。 要点を書きます。


・何かお金の貸し借り、 返済を証明する文書はあるか。 →ありません。

・実際のとこ、 私達(君らという言い方でした)が部屋の中で何やってるか知らないし。

・拘束されたとか部屋に監禁されたとかある?ないでしょ実際こうやって出てきてるんだから。

・刑事事件でない限りは民事の争いであって、 そこに警察は関係ないよ。

・「もしも君(私)の言っていることが本当なら」2年返済としても年利75%の計算になる。 普通に考えてありえないけどなあ。

・民事なら行き先は弁護士だよ。 郵便局とか市役所で無料の法律相談あるから言ってみたら。

・部屋の中で何をしているかは知らないけど、 そんな仕事はやくやめなさいよ。

以上です。
ありがとうございました。 あと一年がんばります。

http://www.lovebonita.jp/lesson/contribute_post_form.php?no=84015

1:カズン

風俗のバンス

一年前、お金に困って一時期風俗で働きました。

働き始めた最初の頃、バンス(前借り)をしました。2回にわけて5万ずつ計10万です。思ったより稼げなかったので返せないまま数ヶ月でやめました。

分割で毎月1万ずつ払うことになってますが、毎月利息が5千円かかります。これって違法な金利ですよね

それとも、金融会社なわけではないので関係ないですか

あと、途中で経済的に厳しくなってしまい、今は返済が途絶えてしまっている状態です。最近連絡が来て……お金がないなら作ってもらわないと(再び働けと意味)と言われます。携帯に出ないと、すぐに家の電話にかけてきたり、メールで「家に行こうかな」とか「このままだと一括で払って貰わないと」なんて送って来たりします。

借りた分は返すのは当たり前と思いますが、金利は…ちょっと多過ぎなんじゃないかと思います。

これは、胸張って違法だって言えますか 6/27 23:03

2:けん
バンス自体が違法です。

胸をはって言えるかは、貴方次第です。
(i)6/28 8:20


5:似非弁護士

(接客従業者に対する拘束的行為の規制)第18条の2 

接待飲食等営業を営む風俗営業者は、その営業に関し、次に掲げる行為をしてはならない。 

営業所で客に接する業務に従事する者(以下「接客従業者」という。)に対し、接客従業者でなくなつた場合には直ちに残存する債務を完済することを条件として、その支払能力に照らし不相当に高額の債務(利息制限法(昭和29年法律第100号)その他の法令の規定によりその全部又は一部が無効とされるものを含む。以下同じ。)を負担させること。(PC)7/3 8:40

6:管理人きく

>カズンさん

民法90条の規定により契約自体無効と考えられます。内容証明にて債務不存在である旨、今後請求があった場合風営法違反で告訴する旨を伝えてください。ご本人でされることが難しい場合、行政書士に依頼されてもよろしいかと思います。(PC)7/3 11:40


7:カズン

貴重なアドバイスありがとうございました。

15000円を、もう7回返済してるので、金利分がないと考えれば10万越えてます。これから返済する必要もないですね
(i)7/3 12:36

http://m.z-z.jp/thbbs.cgi/10000hou/4455

▲△▽▼


A. 温泉コンパニオン裏事情、「置き屋」の非道な理不尽さ…被告が母を刺したワケ

20日から3日間、甲府地裁(渡辺康裁判長)で開かれた殺人未遂事件の山梨県で初となる裁判員裁判を傍聴した。無理心中をしようと実母(87)を果物ナイフで刺し、軽傷を負わせたとして、山梨県甲州市の無職の男性被告(60)に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)の有罪判決が言い渡された。法廷では、被告が犯行に至った背景の1つとして、温泉街でコンパニオンとして働いていた長女が科された理不尽な“借金地獄”が明らかになった。


 借金地獄っていったいどんな?

被告は、長女がコンパニオンをした約7年間にたまった罰金のうち600万円以上を支払い、長女が金融機関から借りた300万円の連帯保証人にもなった。それでも置き屋側から、借金がなお1000万円近く残っていると主張されたという。

 どう考えてもコンパニオンの収入より多くの借金になるシステムはおかしいんじゃない?その時点で辞めて他の仕事すれば良いのでは??

勤め先の置き屋(コンパニオンを派遣する事務所)の不合理な“罰金制度”で莫大な借金を負わされ、親である被告自身も返済に追われていた実態が明らかにされた。「遅刻1回で数万円、客と個人的に会えば1回50万円以上の罰金が科された」といった事情が説明されると、一般から選ばれた裁判員は被告の心中を推し量り、幾度も涙をぬぐった。

 うーん?給与以上の罰金を従業員には科せられないでしょうに、法律を知らない無知に付け込むのは良くないなぁ

http://blog.livedoor.jp/movenews/archives/528188.html


長女が勤めていたのは山梨県笛吹市にある東日本有数の温泉街、石和温泉。地元で尋ねてもこの置き屋の評判は芳しくなかった。

 新興住宅地にたたずむ外観はほかの一般住宅と変わらない。 近所で聞くと、女性が昼間、電話でコンパニオンとおぼしき話し相手を怒鳴りつける声が響くこともあり、石和温泉の事情を知る関係者によれば置き屋側はコンパニオンの親の職業を調べ、罰金を肩代わりさせたケースがほかにもあったという。

 また、この置き屋は、別の置き屋のコンパニオン不足を補う“孫請け”もしていた。

 客が払った料金が1時間で1万2千円なら、このうち5千円が最初の置き屋、次に自分たちの懐に7千円が入り、この半分の3500円がコンパニオン自身の手元に入る仕組みという。

  ‥ この関係者によると、コンパニオンの手取りは13万円ほど。以前は寮に住み込みで働く人も少なくなかったが、今はアパートなどを借り、昼間はアルバイトやパートに出る人も多い。

外見の派手さと裏腹に「生計を立てるのはしんどい。意外ともうからない仕事」という。


  ‥ ただ、長女が勤めた置き屋は観光協会の正規会員でもあった。

  
 被告は、長女がコンパニオンをした約7年間にたまった罰金のうち600万円以上を支払い、長女が金融機関から借りた300万円の連帯保証人にもなった。それでも置き屋側から、借金がなお1000万円近く残っていると主張されたという。

 長女の窮状を知った被告は、相談した警察や弁護士から「返済する必要はない」と助言されていたが、法廷では

「取り立てで自宅に居座られたり、職場近くで待ち伏せされたりした。理屈の通らない相手で金を渡すしかなかった」

と訴え、

「心中を図ることで、置き屋の実態を警察などが追及してくれると思った」

と、追い詰められた当時の心境を口にした。

 これは明らかな人権問題ですよ。この罰金制度というものは犯罪ですよ。

これは置屋の裏側に地方の暴力団が居て、法外な借金の強制取立てに暴力団に属する若いもんみたいなのが乗り込んで、脅しや騒音、住居侵入、あるいは暴行傷害までも、犯罪を行っているのだろう。

 警察は完璧には守ってくれないもんなあ。警察が何処まで守ってくれるか、だけど。脅迫も住居侵入や不法滞在も暴行も、現行犯逮捕だろうし、警察は注意や警告には行ってくれるのかも知れないけど、四六時中パトロールして見ていてくれる訳ではないし。暴力のプロの脅しは本当に怖いものだと思う。

 こういう場合どうしたらいいんだろう?夜逃げで遠くまで逃げるしかないのか?子供が居たら大変だしな。やっぱり警察力だよなあ。警察が本腰で取り組んでくれないと。暴力から、市民を本気で絶対に守ってくれないと。 だって相手は平気で、


自殺して保険金で払え、とか

死んで自分の臓器で払えとか、


を普通に言えるような輩たちでしょう。人間を牛とか羊とかと同じように見れるような人間たちでしょう。イザとなれば血も涙もない人でなしにいつでも簡単になれる残酷な人間たちでしょう。金のためなら人間が何人死のうが知ったこっちゃない冷血な人間たちでしょう。そういう人間の集団なんだ。

 これはしかし、地元の観光協会も厳しくチェックしてないと駄目だよなあ。本当に人権問題だよ。地元だからっていうナアナアさ、とか見て見ぬふりとかあるんじゃないかなあ。置屋のバックに地元暴力団の影とか見えれば面倒なことに関わりたくないからとか、そういう怠慢さがあるんじゃないかなあ。観光協会とかは何処がチェックするんだろう?こういうことはチェック機能をきちんと作ってもらわないと困るよなあ。すぐに警察が連動するように、とかさ。

 こういうケースなど人権問題には、チェック機能を完備して、暴力にはすぐにいつでも警察が対処・解決出来るように、ちゃんとしてもらいたい。どんな人でも犯罪からは警察は絶対に守らないといけません。

 それにしてもこの置屋は取り調べたのかなあ?官権は、犯罪置屋やその犯罪加担関係者たちを一緒に取り調べて検挙してもらわないと困るよなあ。この置屋関係を法で裁いて、こういう悪いものをなくしてしまわないと何にもならないじゃん。

http://blog.goo.ne.jp/naojiixx88/e/1e9b6fb25531b7fed8037e0d0917c9ad


▲△▽▼


Q:スーパーコンパニオン、ノーマルコンパニオンの違いは?


A:スーパーはスケスケ衣装・キャミソール等・下着のみ!

お色気ピンクコンパニオンです。(延長時混浴対応可能!)
ノーマルコンパはスカートスーツのコンパニオンです。石和温泉は良い子在籍しています。

各コンパニオン・年齢タイプ等のご希望!予約時に承っております。

http://www.space-toyo.co.jp/plan/plan_festival.asp

88 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:06:55 ID:Cq4CnJYL0 [14回発言]

今の温泉コンパニオンは、ぶっちゃけ出張ソープ嬢だよ


155 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:24:25 ID:4io0gVpK0 [1回発言]

ピンクコンパニオンでググったら・・・

女体盛り、わかめ酒、まんこで習字、大乱交
などなどなんでもありの画像がわんさかでてきた。しかもほとんどみんな笑顔。こんな世界があるとは

950 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/27(火) 14:24:04 ID:nD4Z1pDK0 [1回発言]

会社の取引先の研修で泊まった旅館での夕食に、いきなりコンパニオンが10名ほどやってきたことがある。 最初は普通にお酌する程度だったのに、途中から全員が全裸になり、驚いた。 こういう人たちがいることすら全く知らなかったから。

あそこを開いてみせたり、ためらう新人を男が群がって脱がせたり、すごい光景だった。 中には明らかに未成年の幼い顔立ちとか、かなりの美形がいたり、親子でピンクコンパニオンをしているのもいたな。

二次会には彼女たちと関係あるスナックへどっと流れ込んで行った。


733 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 21:09:25 ID:GMC77j+30 [1回発言]

昔ピンクコンパニオンについて調べたけど、大体一人一晩で15万ぐらいだってね。 で、最後までいけるかどうかは本人次第。 口や手で一発だけってこともある。

高級ソープや二輪車三輪車の方がマシって意見も多かったが、そこでは味わえないお大尽遊びの快感が得られるのもまた事実。

744 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 21:23:27 ID:fw6/rajg0 [1回発言]
>>733
みんなと一緒にエロいことするのが好きな奴にはいいみたいだよ
たまに居るでしょ、エロチックにはしゃぐのが大好き、みたいな人

おれはムッツリスケベだから全然楽しめなかったけど


211 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:38:50 ID:8/0MiR4z0 [2回発言]

温泉のコンパニオンって、全部こういうエロ関連だと思って差し支えない?

キャバ的な感じで終わるとことかないの?

239 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:46:14 ID:w+sPlnFE0 [18回発言]
>>211
大抵のとこはエロありピンコパ居るよ

飲んで遊んで、オプションで本番とか


678 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:22:56 ID:Q3A1zqcW0 [1回発言]

山梨と聞いただけで、石和を連想してしまったw
今時こんなことやってるのでは、山梨じゃ石和くらいのもんだろ。


680 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:23:30 ID:Bh2IosMfO [16回発言]

この父娘は言われるまま金を払ってしまったせいでカモにされたけど、

石和の枕コンパニオンは昔から有名なのになくならない。なくす気なんかないんだろうな。


235 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:44:19 ID:Bh2IosMfO [16回発言]

石和は昔からだな…

旅館の人間が「女の子どうです?」なんて言ってきたり。
旅館とやタクシー運転手が小遣い欲しさに置き屋とグルになってたりして。


567 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:25:39 ID:Zm53Ti9F0 [1回発言]

大学の友人である男女のグループで温泉に行った。女将さん

「女の子はどうですか」

と男部屋に来て訊くので頼んだ。その後部屋で男女でUNOが盛り上がった。女将さんが

「女の子のお時間が・・」

と言いに来た。断らざるを得なかったな


484 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 18:22:18 ID:grRLVkVj0 [1回発言]

これって石和温泉でしょ?

あそこのコンパニオンが何でもありなのはこういった事情もあるんだねぇ・・・

5年ほど前に行ったときはどう見ても10代半ばの娘まで混ざってた。
でも連れ出すには5万近く取られるんだよね

鬼怒川みたいにやらせそうでやらせないよりはいいけどさw


534 : ななし : 2009/10/25(日) 18:55:10 ID:dh3F6DUV0 [1回発言]

石和は普通にあるよ、警察は地元の旅館やホテルとグルだからな。

10代の女の子も当たり前のようにいるしね。


632 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:01:54 ID:3e5ydyVX0 [1回発言]

昔、石和でコンパニオン頼んだときに現役女子高生が来たのはこうゆう事情だったのか!


643 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:04:35 ID:FRiFgOxI0 [3回発言]

山梨はそんな若いコンパニオンが出てくるのか いいなあ 温泉コンパニオンてババアばかりだと思ってた


649 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:07:08 ID:7n2b24/c0 [1回発言]
>>643
今は不況で客が少ないから、コンパニオンのサービスも過激になってるらしいよ

339 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:09:32 ID:0fRqQqKh0 [1回発言]

そういや去年、山梨の温泉街に行ったけど夜にホテルから出ると売春婦がたくさん・・・

車で近寄ってきて声かけるのなー


496 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 18:30:35 ID:zUTQFW+V0 [3回発言]

石和・湯村だろ?

全国の使いものにならなくなった風俗嬢の姥捨て山。

AIDSになりたきゃ行けばいい。

836 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 01:04:44 ID:7ykm+Iru0 [1回発言]

温泉街は世間で生きられなくなった者の集まりだよ。

あと、バンギャとか追っかけ系P系が短期に稼げて後腐れない金稼ぎでやったり。
温泉地パニオン。


644 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:05:00 ID:FNtygZ+EO [1回発言]

昔、温泉旅館でお座敷ストリップ見た事があるが
50歳くらいのおばさんの玉子入れたり放尿したりの演技に涙を禁じえなかった


983 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/29(木) 10:24:23 ID:j8lhkWGuO [1回発言]

加賀温泉で呼んだスーパーコンパニオンは凄かったな
今でも忘れられない

984 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/29(木) 10:41:32 ID:fjAOhC42O [1回発言]
>>983

万個にタオル入れて綱引きしたり

万圧でバナナを真っ二つにしたり

万個に茹でタマゴ入れて産卵したりってやつか?


989 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/29(木) 14:55:54 ID:78CWxu1Q0 [1回発言]
>>984
ピンポン玉をぽーーんって発射したり

吹き矢の筒をあてがってマルボロライトをぽーーんって発射する人もいたね

松雪ヤスコ風のすっげー美人なのにものすごい芸達者だった。

・・・背中一面に彫られた吉祥天の刺青がこれまた。。。


686 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:28:56 ID:KnHQbKIl0 [4回発言]

温泉旅館の仲居は訳ありが多い。


前の水商売でへまやらかして逃げてきたのとか、

年齢的に通用しなくなったのとか。

離婚して生活できなくなったのとか、


いろいろ。 求人はレディースコミックとかの広告欄。

彼女は高校が斡旋した就職先が温泉旅館仲居だった。人柄がしのばれます。


591 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:39:07 ID:7yt/heViO [3回発言]

温泉地には借金や不倫等の事情で地元に居られなくなった奴が多いとはよく聞く
最近じゃ派遣切りにあった連中も多いんじゃないかな


17 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:45:37 ID:UV7v0O0mO [1回発言]

めちゃめちゃキツイ罰金やな
借金しに行くようなもんだわ

185 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:32:16 ID:Zx9rqq5MO [1回発言]

ソープやヘルスと全く同じじゃん
仕込みの客にクレームを言わせ罰金100万円とかな


162 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:25:59 ID:Q+LonIEjP [2回発言]

「個人的に会うと罰金50万円以上」っていうのは、

宴会の後に管理の下で売春するのはいいけど、男との駆け落ちにつながるような男女交際はNGってこと?


171 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:28:01 ID:MiBsOUna0 [7回発言]
>>162
まあそうだね。
外から知恵つけられるから逃げられない為にだな。

214 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:39:05 ID:w+sPlnFE0 [18回発言]
>>162
店の管理下で見つけた客との間で、個人的に連絡取り合っての売春やられると店が儲からない。そんな事を全ての嬢にやられたら店潰れるからそれを防ぐための釘刺し

まぁ、嬢あっての商売なんだから、フツーは借金にしたりしないわな。ましてや1000万も。

暴力背景で嬢も客も食い物にしてる頭悪いヤクザだろ
心中考えるくらい追い詰められる前に法に訴えとくべきだった


570 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:26:39 ID:7DwKA9a6O [1回発言]

酒の相手した後、売春じゃねーの?
宿泊施設で宴会してんだし。

個人的に会ったら罰金ってのは店のピンハネ逃れて直接営業したペナルティだから高額なのでは?


602 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:46:53 ID:vj9TJob0O [2回発言]
>>570
宴会の後は頼むとセックス出来ますよ。

大体5〜6万円位かな、高くつくよ、
俺は仲間と2人連続だからと、2人で4万に値切った


273 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:54:51 ID:UTKjZutgO [4回発言]

温泉コンパニオンて、宴会後の延長料金を個人客からとるんだよね
友人が話してたな

宿の外のラブホに連れ込むんだとか本番もやるんだね

それを事務所が巻き上げる


296 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:00:24 ID:t2j+aS0YO [3回発言]

個人的に逢っていた=置屋に金を納め無いで売春していた
だから見せしめって事

つーか理不尽な取り立てなんて警察行って洗いざらいぶちまけるしか無いんだが
娘が駄目駄目だから行けなかったんだろ


769 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 23:12:37 ID:hIMt4Bd+O [1回発言]

水、風俗、コンパニオン全てに、こんな感じの罰金があるけど払う必要がないんだけどね、、、

っていうか、娘さんは遅刻の常習で、個人営業をしてしまうので、見せしめで罰金つけられたんだろうね。 外で個人的に客に会ってしまったら、置き屋は商売にならんから、脅しで罰金を課すだろうね。

852 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 01:55:25 ID:c/5KgdER0 [5回発言]

個人的に商売されたり入れ知恵されたり連れ出されるのを防ぐためじゃね?
多分コンパニオン単体の給与は低くてその後の売春で少し給料が増えるシステム

901 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 09:34:41 ID:1msBdZwO0 [2回発言]

温泉街のコンパニオンは殆どオプション有りだろ(本番)

女は置き屋に金払いたく無いから
個人的に商売するから置き屋は罰金を厳しくしてる


104 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:11:40 ID:MiBsOUna0 [7回発言]

実際の風俗とかってさ わけのわからん金を嬢からとるよね。
店員のボーナスを在籍嬢から何万づつとか雇用保険とかはいってないのに月3万とか。

それがおかしいって気がつかないヤツもいるけど そこやめて他にいくとこないからしかたなくやるやつ、いろいろいるけど、こういうのはヤクザより素人の方がえぐいことやってる。


18 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:45:39 ID:qFZ7uj6E0 [6回発言]

最初に、強制的に借金背負わされて働かされるんだよね。
で、いつまでも逃げられないよう、こうやって罰金でがんじがらめに。


330 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:07:27 ID:qL8jkdLB0 [21回発言]

>時がたつほど借金が増えるシステム

これはおかしいよね
まあそうやって辞めさせないってのがやり方なんだろうけど


116 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:14:44 ID:wS2bjA20O [1回発言]

退職したら罰金一億とか子供みたいなルールがまかり通るのが裏社会
夜逃げするか女将を殺すかの二択しかない人生

561 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:19:47 ID:FRiFgOxI0 [3回発言]

借金でここに沈められたんだろ 893に借金した時点で終わってる


38 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:50:44 ID:X9ZuxHD+O [3回発言]

最初から借金が有る奴が放り込まれる、タコ部屋の一種だよ


53 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:54:59 ID:DdLYxDK20 [3回発言]

>>38
でまた借金負わせてずーと逃げられないようにするためか。
生活保護の馬鹿加算とかやってないで、こういうのに力貸せよ弁護士ども、


76 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:02:19 ID:MpaHDMNSO [1回発言]

現代のタコ部屋だな。 システムがタコ部屋そっくりだ。
軽い罰金制度なら今のキャバクラにも普通にあるよ。

430 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:47:26 ID:EXqKR/GtO [1回発言]

封鎖された世界なんだろうな。拉致被害者並みに自由がないんだろ


434 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:50:29 ID:1go/QBAk0 [1回発言]

マンガ「カバチタレ」の中で平成の人身売買というネタがあったけど、
多分こういった温泉コンパニオンが元ネタだったんだと思う。
確かにタコ部屋みたいな描写のされ方してた。


824 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 00:40:16 ID:zEgr6BMaO [1回発言]

普通に女売り飛ばして温泉場で働かせるらしいしな

ペッパーが拉致った女を海外に売り飛ばしてた疑惑あったが あながち噂じゃなかったりして


847 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 01:44:04 ID:oVWMzxF90 [2回発言]

おそらくね、もんのすごい理不尽な「罰金」が増えていくんだと思うんだ。
それ以外にも「給料前借り」とかあると思われ。

結局、借金漬けにして身動き取れなくするのが、置屋の手口。


876 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 04:48:46 ID:gPeHs5ccO [2回発言]

定期的に着物作らせたりして、無理やり借金を作らせるらしい。

話聞いた時、時代錯誤すぎると思ったけど、理屈とか常識とかが一切通用せん世界もあるんやろな。


845 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 01:34:42 ID:BOxg4o+zO [1回発言]

ヽ(`Д´)ノ逃げたらブリブリの刑だよ

72 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:00:38 ID:CjPbfwYM0 [1回発言]

いわゆるマインドコントロールってやつだろうな

暴力的に追い込まれて逃げられない精神状態になる犯罪なんが史上ごまんとある


432 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:48:51 ID:wmjMN5MRO [24回発言]

逆にTバック水着とかは、こういうとこから逃げて来た人もいるだろ

裏で母子で地獄を見るより、表でケツふったほうがいい

晒したほうが命拾いする

766 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 23:10:32 ID:2RtFTxT90 [1回発言]

こういう借金でがんじがらめにして逃げられなくし、完全に奴隷化する手法は昔の日本では何処にでもありました。 いまでもアンダーグラウンドでは当たり前のように行われてます。貴方たちが大好きなエロ系は特にね。


773 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 23:15:03 ID:KOQOm79RO [18回発言]
>>766
ずっと疑問だったんだよ
東京だけで風俗店がどれくらいあるか知らないが風俗嬢の数って相当なもんだろ

なんでこんな大多数の女が、金の為に身体売ってるのかさ

やっぱそうだよな


871 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 04:36:34 ID:gPeHs5ccO [2回発言]

借金漬けにして抜けれなくするのは良く聞く。
ソープのがましだと思うよ。


13 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:43:28 ID:flHCQTHi0 [1回発言]

心中はかるくらいなら、労働基準局にたれこんでみたらいいのに
で、この長女は働いてえる稼ぎよりも、借金ができる方がひどいという仕事とはいえないものに、なんでずっと就職していたんだ?


998 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/29(木) 23:59:54 ID:H9MUSMLn0 [1回発言]
>>13
他に仕事が無いから。 あのあたりの旅館に行くといっぱいいる。

この仕事、着く前は横浜にいて中学卒業の時に回されて妊娠して山梨の親戚の家に預けられて子供を生んだ。子供を育てなきゃいけないからこの仕事しかなかった。 今27歳で子供は小学校六年生…

と言う感じ

314 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:04:16 ID:ANIgHIZa0 [2回発言]

それでも富山あたりの知り合いのピンクコンパニオンいわく仕事あるだけでありがたいらしい。実際には国保も滞納しまくりが実情だから、まともなもん食ってないといってた


992 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/29(木) 22:11:57 ID:IGD2nXuM0 [3回発言]

80年代でも、北陸地方の旅館で50、60のお土産売りのおばちゃんが夜には売春婦なのも当たり前だったようです。

5年くらい前、北陸から上京した若い娘が性産業で儲け父親に送金したって記事があった。 彼女は仕送りしたことを誇りに思ったらしいけど、父親は「自分のために使いなさい」って。

今も昔も地方は仕事が少なくて、上京して嫌なことするしかないという格差が残ったままなんですね。

3 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:38:19 ID:WQXoAwkq0 [2回発言]

京都の芸者も「お母はん」はこんなクズばっかりなのか


73 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:01:27 ID:MiYGtpi70 [1回発言]
>>3
京都は上客相手にするから、こんなえげつない手を使う必要無い。
客が取れなくて採算が取れない地方がこうやって囲い込むんだろ。


447 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:58:35 ID:Qm4M2YNH0 [3回発言]
>>73

いや、程度の差こそあれ似たようなもんだ。逃げられないようにする
ための縛りはむしろ祇園のほうがずっとえげつない。ま、日本の恥部だね。


651 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:07:42 ID:/RSqxPjI0 [1回発言]

15年以上前だが、京都の置き屋も問題になってたような。
あまりに酷い騒動環境に抗議して、芸妓さんが一斉蜂起してたっけ。

ニュースでも結構大きく取り上げられていたが、あの後どうなったんだろう。


655 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:09:49 ID:KnHQbKIl0 [4回発言]
>>651
京都の芸妓も基本人身売買の世界だよ。
元々が地方から娘買ってきて、出自がばれないように言葉作ってんだから。
今でも基本は変わってないみたいですよ。

21 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:47:05 ID:BwfYb+Tb0 [1回発言]

もともとそういう世界だからなあ
堕ちたら最後なあっち側

36 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:50:29 ID:xqYJia+sO [1回発言]

まあ何だかんだ適当な理由つけて借金負わせる世界だからな


139 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:20:17 ID:0cTf271K0 [1回発言]

明らかにおかしいけど、法の及ばない裏社会だからな

56 : m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU : 2009/10/25(日) 15:56:23 ID:Y0saskxA0 [21回発言]

給与の適正水準を超えた雇用者への罰金って、労働基準法違反じゃないの?
いくら相手が置屋でも、労基や警察に訴えればチャラに出来るよ。

知り合いのデリヘルの子に教えてあげたら、警察を通して150万回収できたし。


80 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:03:59 ID:oRTdADa50 [1回発言]

労基法的には労働者に遅刻や仕事上のミスで罰金等を科してもOKなの?

92 : m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU : 2009/10/25(日) 16:07:24 ID:Y0saskxA0 [21回発言]
>>80
調べてみたら、労働基準法第91条に以下の様にある。


・労使間で定めてた就業規則に明記してある

・1回の額が平均賃金の1日分の半額を超えないこと

・総額が1賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超えないこと

45 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:52:29 ID:7t3xa4y/0 [1回発言]

法で一日の半分以上の罰金を科すことはできない。しかも明文化してないとダメだし、もちろん就業規則だから労働基準局に出さないとだめ。

この場合罰金はすべて帳消しにでき未払い給与としてすべて請求できる。

つまり貧困が生んだ貧困から搾り取るビジネス。奴隷ともいえる。

46 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:52:30 ID:N9RAocwF0 [1回発言]

莫大と言うほどの額までに借金が膨らんだという事は、遅刻を何回もしたり、客と何回も会ったりしたんだろうか

罰金科せられると分かっててやってんなら娘がバカすぎるわ


128 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:17:41 ID:iJAFB+SuO [17回発言]
>>46
何の問題もない事に難癖付けたりして、精神的に追い込んでいったんだろ

母子加算の税金泥棒なんかより、こういう人達を救うのが政治の仕事だろ

現代の日本にもこうした暗部がある


161 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:25:09 ID:iwWbBNxA0 [1回発言]

口約束の罰金だから、書面も何もない
もちろん法的拘束力も皆無

でも田舎の百姓はそんなことよくわからないし、
そもそもそういうところを経営してる人間ってのは地元民は逆らえないような事情があることが多い


449 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:59:10 ID:dUfvo39N0 [2回発言]

あんなぁー世の中道理が通らないことがあるんだよ。例えば親の借金なんて連帯保証人になってないなら、相続放棄すりゃ払う必要がないで。

ということも、通らない相手っているんだよ。で、警察も弁護士も親身になんてくれないなんてざら。法律の範囲内で、

「払う必要はない」
「無視してくたさい」
「脅されたりしたら連絡を」

とは言ってくれるが相手もプロだからね、ギリギリの範囲で追い詰めるし、正体さらさんような嫌がらせしたりな。

そうするともう夜逃げするしかないような事も多々ある。

今回の件がどういうレベルだったか知らないけど、おそらく普通に生きてきた庶民だと対抗できない連中だった可能性もあるよ。まじで同じ人間とは思えない思考だし、言葉通じないし。


借金もそう。普通は


カードローン → 消費者ローン → 闇金


と流れていくんだけど、はっきり言って闇金まで行くともう・・ね。

大手消費者ローンで決着つけるべきなんだけど、それができないとねぇ。


33 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 15:49:54 ID:MHiPnuDv0 [1回発言]

情弱の末路というしか無いな・・・

何も考えず言われるままに生きてたら他人に搾取されるだけという程度のこともわからんのだろうか?

423 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:44:25 ID:eUwQFKhxP [3回発言]

まぁこういう時に理不尽な要求にあっさり屈しては絶対駄目。
すぐに弁護士を立てて民事で争うべきだった。

今の日本は弱者を食い物にするのが横行してるから用心しないといかん。

99 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:09:56 ID:eAKPbVWW0 [1回発言]

典型的な債務奴隷だな。
弁護士か司法書士に駆け込めばいいのにそこまで知恵が回らない。
不憫やな。


107 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:12:18 ID:S97RJDXj0 [2回発言]
>>99
借金しててもうやばいくらいの人にはそういう法律家に相談する金銭的、時間的余裕もないのだよ。


169 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:27:53 ID:4Gh8r4tD0 [1回発言]
>>99
借金はそれだけで鬱を引き起こす力を持ってるから。
おまけに本人は隠したがる。

知恵が回らないというより、適切な行動がとれなくなるという感じ。
債務と無関係の第三者が介入しないと解決が難しい。

851 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 01:53:35 ID:NxbsFogE0 [5回発言]

こういうの、ちゃんと検査したら知的障害に当たるような子狙ってるから、目の前で一万円札ヒラヒラさせたらどんな契約書でも判おしちゃうんだよね。

で、その親も対して賢くないどころか、ギリギリか福祉の世話になるようなレベルで、


出来の悪い娘を預かってやっている、

娘が不始末しでかした、

責任取れって


いわれたら思いつめて今回みたいな事になっちゃう。 性善説とか嘘過ぎる現実がここにある。


572 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:28:30 ID:KnHQbKIl0 [4回発言]

元々管理売春させられるのはちょっと足りない子=軽い知的障害者が多いんだよ。


だから売春で逮捕される女性用に刑務所ってより更生施設の意味合いが強い場所があったりする。

馬鹿だから、不条理な契約も飲んで働くけど、すっかり忘れて毎日のように契約違反、借金の山、逃げられない、という構図が出来上がる。

ダメな女の子を厄介払いしたい場合、親や高校が温泉地行かせたりする。
すずか?しずか? って子殺しの人もそうだった。

あとこういう人の40代以降の受け皿は、昔は病院付き添い、今介護業界です。
義母の介護で雇っている住み込みお手伝いさんが馬鹿ばっかりで、ようやくまともな人に落ち着いたところ。

450 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 18:00:01 ID:SgxMxUqg0 [9回発言]

莫大な罰金ってのがワケわかめ
そこまで溜まるまでやらんだろ
頭の足りないねえちゃんを騙したのかw

454 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 18:03:19 ID:iJAFB+SuO [17回発言]
>>450
頭が足りないのは事実だろうけど、
追い詰められておかしくなった人間なんて皆そうじゃね


182 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:31:27 ID:fw/aoPlh0 [3回発言]

世間知らずが多いな
置屋の経営者がヤクザで、この一家は娘ともどもカタに嵌められてしまってるってことだよ

働かなければOKとかそういうことじゃない

94 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:09:17 ID:WHX+YR5K0 [2回発言]

普通に警察なり弁護士なりに相談すれば解決するのにヤクザに変な脅しかけられて洗脳されてるんだろうな。ヤクザなんて実際に警察が動いたらケツまくってすぐ逃げるのに

115 : m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU : 2009/10/25(日) 16:14:43 ID:Y0saskxA0 [21回発言]
>>105
今のヤクザは馬鹿じゃないよ。
監禁、恐喝、管理買春で逮捕されことを考えたら、そんな無茶な事なんてしないって。 こんな事をやる乗って、中途半端な素人だろ。


724 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:59:28 ID:rDGZQNZ/O [2回発言]
>>115
バカか? 現役ホストだ。
お前はヤクザは幹部クラス程暴れなくてい大人しいとでも思ってるだろ?

奴らは相手が報復に出ない(出れない)と値踏みすれば平気で暴れるしそういう環境を作るのがうまい。

常に腹の探り合いだ。


935 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/27(火) 00:45:31 ID:eMz0AgV80 [1回発言]

違法だから無効って言ってるやつらお花畑すぎるだろ

法律なんか関係ない連中が相手
返さないならほんとに報復される しかも田舎だから警察もグル


210 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:38:44 ID:xqXjQGSW0 [3回発言]

やくざは地域に密着してるし、ターゲットが警察に駆け込まないようにいろいろ算段するし、おそろしい人たちだよ。


875 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/26(月) 04:48:44 ID:o9YLpXcuO [2回発言]

断っておくが、これ黄金町と同じで、ヤクザはケツ持ちだけだ。

町ぐるみでやってるんだよ。


948 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/27(火) 11:25:33 ID:lKfbx59w0 [1回発言]

山奥の隔離された場所で町ぐるみだからね。

余程じゃない限り治外法権状態。

753 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 22:54:20 ID:PfafeRkwO [1回発言]

部落民が置屋を経営して警察と癒着しているから摘発もされないんだね。
青木雄二さんの漫画によくある話だ。

630 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:00:40 ID:zUTQFW+V0 [3回発言]

>置き屋の女将(おかみ)や、女将と一緒に被告から取り立てを行ったと指摘された人物が
>証言台に立つこともなく結審し、


あぁ。つまり警察も検察も賄賂がもらえなくなると困るんだね。


728 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 21:05:37 ID:eOdEFSD50 [5回発言]

しかし、これから、うん千万の借金どうやって返していくんだ?

執行猶予ついたって、その問題は何も解決していない。 理不尽とはいっても、警察も裁判所も、取立ての中止命令すらだしていないし、借金が合法的ではいなとの結論もだしていない。 支払い義務だけは残るわけだ。

これが、民事の実態ねw

結局は、警察の民事不介入は、理不尽といえども どうしようもない事実。娘は死ぬまで借金を返し続けなくちゃならないし、被告も金をむしり続けられるわけだ。


639 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:03:14 ID:8lWFI4WY0 [4回発言]

現状維持を一番望んでるは警察。
だからやくざはいっこうにいなくならない。

やくざを必要としているのは、警察。マッチポンプ。


668 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:17:33 ID:Lx7zqUA40 [1回発言]
>>639
まあ多分カネ貰ってるだろうね


689 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:32:14 ID:KOQOm79RO [18回発言]
>>668
その金で各地で豪遊w

潤った置屋から各地元の警察に上納

その金はいずれ石和へ・・・その頂点は芸能人も抱ける赤坂辺りの闇売春

永遠の、持ちつ持たれつw


736 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 21:11:25 ID:rDGZQNZ/O [2回発言]

それとなヤクザの持っていく金なんて可愛いもんだぞ。
まともな交渉力のある経営者の店なら純利の5%程度だ。

だが警察は30%近く取った上で風適法違反で摘発するのが日常茶飯事。
内定入るから金クレ〜って言われて渡した翌日に逮捕なんてヤクザよりヤクザだぜ。


460 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 18:06:25 ID:Iao9igyM0 [1回発言]

警察幹部が上客だもんなw

田舎警察なら接待で極上の女の子をあてがうことも常識だし

残念ながら永遠になくならないよ

594 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:41:35 ID:KOQOm79RO [18回発言]

まあ、こうゆう昔ながらの地回りヤクザと警察の暗部での癒着はこれからもポロポロ出てくるだろうな

パワーバランスが崩れる時は、淘汰される側の悪事が明るみにされるのが世の常だ


105 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:11:43 ID:795zU6vdO [1回発言]

契約がどうのこうの、訴えればいい等は現実の世界を解ってないね。
ヤクザは怖いし逃げだせるもんじゃないよ。


406 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:36:52 ID:JxqiHn9k0 [2回発言]

莫大な借金とあるが、そんな風になるまで なんでコンパニオンを続けてたんだろうな。 さっさと逃げ出して、堅気の職に就けばいいと思うんだが。

元々何かの弱みがあったんだろうか。


422 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 17:44:06 ID:w+sPlnFE0 [18回発言]
>>406
どこに逃げても捕まって殺されるってなとこまで脅されてたんだろね

逃げなきゃどうしようもないのに。
私財処分して遠方に逃げるって選択肢くらいしか残ってない


592 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 19:40:13 ID:P/nyEPNnO [1回発言]

おまえらやくざを舐めすぎ。チンピラじゃなくて本物にくび締め上げられて、

沈めるぞ

とか言われたことないだろ? チビるよ、まじで。


681 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 20:24:21 ID:6qNxvU6rO [3回発言]

ヤクザはたとえば父親の心中の気配を察知し

その母親に生命保険をかけて受取人を娘にして父親にますます恫喝していたりするわけですよ


225 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:40:31 ID:RucCZBkA0 [1回発言]

全国の置屋徹底的に捜査したら、かなりの行方不明者見つかるのに。
取り締まらないのが不思議。


126 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:17:16 ID:S97RJDXj0 [2回発言]

最近はヤクザ顔負けなのがホストクラブの連中だってさ。
付けで飲ませて、払えなくなると追い込みかけて、捕まえて水商売に落とすってのが横行してるみたい。


135 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:18:33 ID:qL8jkdLB0 [21回発言]
>>126
それ、中高生にやって一時期大問題になってたね
未成年にそんなことしてたってことで。


137 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:19:14 ID:F72eFKs80 [6回発言]
>>126
ホストクラブと金貸しと売春宿ですっかりシステムが出来上がってンだよね。


782 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 23:31:40 ID:3Jec7I/uO [1回発言]

ホストや男とグルになり、そいつらの金融業者から借金作らしてとんでもない利息をつけさし、どんどん貢がせる。

返済困れば風俗へ。みんなグルだよ、同棲してる男は女が1人接客するたびいくらかもらえる。


181 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:31:19 ID:pyTAdvaE0 [4回発言]
>>126
ホストのツケで飲んでそのまま来なくなる女性客が多くて、
ホストがソープに沈められるんですね。判ります・・・・゚・(ノД`)・゚・。

186 : m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU : 2009/10/25(日) 16:33:16 ID:Y0saskxA0 [21回発言]
>>181
それって実際にあるよ。
ツケで飲んでいた客が逃げて、ホストが追い込みをかけられるって割と良くある話だし。

クラブの姉ちゃんがソープに行くのも、そのパターンが多いし。
 

234 : 名無しさん@十周年 : 2009/10/25(日) 16:43:39 ID:fw/aoPlh0 [3回発言]

売られること今でもあるだろ。

入るきっかけも、遊ぶ金欲しさだけじゃなくて

客引きに誘われてホスクラ行ったら借金背負わされてソープに沈められたとか

付き合ってた男に借金背負わされてトンズラこかれたとか

その男がヤクザだったとか色々だ

http://logsoku.com/thread/tsushima.2ch.net/newsplus/1256452606/


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B. 稼げなくなったソープ嬢からバンスを回収する方法教えてあげる