★阿修羅♪ > 近代史3 > 152.html
 ★阿修羅♪
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/152.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 11 日 13:10:06: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 現代の派遣社員? 江戸時代、女性の隠れた人気職業は「妾」だった! 投稿者 中川隆 日時 2018 年 12 月 20 日 15:33:11)

性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態
堀江 宏樹


着物をきた女性

みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。江戸時代を扱った作品にしょっちゅう出てくるのが遊郭、そして吉原ですよね。でも吉原は一般男性にとって、日常的な存在ではありえませんでした。「ただの」風俗街と考えたら大間違いなのです。

吉原とは非日常性がウリの「愛と性のテーマパーク」だったんですね。

吉原という街が江戸幕府の公認を得て、江戸に生まれたのは1617年のこと。徳川家康が幕府を江戸に置くまで、関東一円は小さな村が点々とあるだけの田舎でした。江戸を政治の中心地にふさわしい街にするため、街では土木工事がつねに行われつづけたのです。全国から職人男性に大量に流入したため、男女比率が7:3に近かった時代もあるのが江戸の街でした。しかし、相手の女性が見つからない「非モテ」男性のための場所として、吉原が出来たのではないのです。

実は、最初期の吉原はおそろしく格式が高かったのですね。庶民の男性など、お店に入れすらしません。吉原のシステムでは、お客は目当ての遊女と男女の仲になるためには最低3度は通わねばなりませんでした。しかも一度、指名したら別の遊女に鞍替えは御法度。現在のホストクラブと同じく、永久指名制なわけですよ。もし遊郭に「浮気」がばれたら、手ひどいお仕置きがまっていました。もちろん、お客に、です(笑)。

面会の一度目、2度目は本当に遊女の顔を見るだけです。しかも、遊女が上座。ほとんどしゃべりもしません。それでも正規のお花代を遊郭に支払わねばならなかったのですね。さらに、遊郭が用意した芸者や盛り上げ役の太鼓持ちとよばれる男性芸人などにもご祝儀という名のギャラを払わねばなりませんでした。

つまり、吉原とは性欲を満たすために行く場所ではなかったのです。

吉原とは、「恋」とはなにかを経験するために行く場所だったのですね。


一般女性には到底着られないような極彩色の衣裳と、何本もカンザシを指したどハデな髪型(ちなみにカンザシの数は関東と関西では異なり、江戸・吉原の太夫は12本、京都の色街・島原の太夫は8本)をした、天女のような美女と、理想化された恋愛の幻想を楽しむための場所だったのです。

吉原の遊女の話とは厳密には違うのですが「東の吉原、西の島原」とうたわれた、京都の島原の人気遊女・野秋(のあき)のすばらしさとその理由を、井原西鶴は次のように書いています。

野秋は顔だけでなく肌が美しい。また行為の最中、情熱的である。切ない声をあげ、焦らしのテクニックで客を夢中にさせる。しかし全てが終わると、しつこくせず、「さようなら」と美しい声で別れの情緒を完璧に演出する……とかなんとか。遊女ってホントに理想の女を演じる女優だったのですね。

ホントは不感症の遊女のほうが多かったともいわれていますね。当時は女性がセックスでエクスタシーに達すると即・妊娠すると考えられ、それは遊女にとって最大の恥だと考えられていたことも、不感症とは無縁ではないでしょう。

江戸初期は関西の文化水準は関東の比ではないくらいに高く、美女は関西に在り、とまでいわれていたのですが、吉原の遊女には、東北地方の貧しい農民の娘が売られてくることが多かったせいで、丸顔の女性が多かったとか。当時の丸顔というのは、硬い玄米や食物を幼児の頃から頬張っていたため、顎の筋肉が発達したイメージです。また、「〜でありんす」などの、吉原の遊女言葉は、彼女たちの御国訛りを消すための工夫でした。

ちなみに江戸初期、吉原の遊女と「床入り(男女の仲になること)」するためにかかる経費は、現代の価値で安くて数百万円か、ヘタすればその倍ほどかかりました。要するに金も暇もあれば、女のワガママが好物だと言い張れるほど、オトナの男の器がタメされる場所が吉原だったのでございます!
https://woman.mynavi.jp/article/140910-7/?gaibu=/4101146/45/

乙女の日本史 (角川文庫) – 2014/7/25
堀江 宏樹 (著), 滝乃 みわこ (著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B9%99%E5%A5%B3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E6%B1%9F-%E5%AE%8F%E6%A8%B9/dp/4041015898

_____


関連投稿


大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html

ディープ世界への入り口 _ 箱根湯本 平賀敬美術館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/297.html

嫁は夫ではなく家の所有物
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/272.html

旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/348.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-11039] koaQ7Jey 2019年4月01日 08:32:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[984] 報告

「目が合う」ということと「セックスをする」ということの間に大きな一線がなかった古代以来、世界に類を見ない、性をめぐる日本の高度な文化はいかに生れたのか?先頃亡くなった橋本治の論考から引用します。

橋本治「性のタブーのない日本」より
----------------

日本語には「FUCK」に対する動詞がありません。女性器名をサ変動詞にして「おまんこする」という種類の表現にしているだけで、性交自体を表す動詞がありません。だから、「FUCK」を日本語に訳すと、ただ「やる」です。「FUCK」にふさわしい品のない表現だと思って、私は「やる」とか「やっちゃった」を連発していますが、ただ「やる」だけだと、「なに」をやるのか分かりません。でも、それでいいのです。日本語は「FUCK」に対応する動詞がないのだから。

なぜその動詞がないのかというと、日本には「その行為」だけを特別にピックアップする習慣がなかったからです。日本ではその行為が「逢う」ということに含まれていて、逢ったらもうやっちゃっているわけで、「その行為の部分」だけを特別視する必要がないのです。

「逢う」は当然「会う」ですが、「合う」と元は一つです。旧仮名遣いでいくと、どちらも「逢ふ」で「合ふ」です。だから「古事記」には《御合而(みあいて)》という表現も登場します。

(中略)

「FUCK」に対応する動詞が存在しないということは、「その行為」自体を特別視しないということです。「FUCK」が「性交をする」という意味から離れて、「人を罵倒する時に使う下品な表現」になってしまっているのは、当然、アダムとイヴの時代から続く「神の怒りにふれちゃうようなよろしからぬ行為」という色彩を性交が背負ってしまっているからでしょうが、日本語の「合う」や「逢う」にはそんなニュアンスがありません。性行為であることを率直に語って、しかしそこに「FUCK」のような卑語表現がないのが日本語で、「合う」や「逢う」が「率直な表現の言葉」であるということを理解しないと、「表現にぼかしが入れられた」という風に感じてしまうことになります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=344319


橋本治「性のタブーのない日本」より
-------------------

「遊女」というのをそもそも「売春を業とする女」と考えるが誤解です。「遊女」の「遊」は「エンターテインメント」の「遊」で、古い日本語で「あそぶ」というのは「音楽を楽しむ」「演奏する」であり「歌を歌う」で、「遊女」は「ポップスを歌う歌手」でもありました。「今様」というのは、「今の様(スタイル)」という意味の、院政の時代にポピュラーになった歌で、これがないと後の小唄とか歌謡曲という種類のものは生まれない、当時的な「ポップス」ですが、その時代の遊女はこのポップスのシンガーです。「今様の名手」である遊女達は、上皇や女院の御所に呼ばれて今様を披露していましたが、同時に遊女なので客を取ってもいました。

「長者」というと、「富裕な暮らしをしていられる人」ですが、女で「長者」ということになると、これは「遊女宿を経営する、自立した遊女」のことです。「遊女宿」というのは、当然、売春施設ではなくて、「遊女が客の接待をする宿泊施設」で、平安や鎌倉、室町の街道や、海や川の港や船着き場のある場所にはありました。江戸時代になって街道が整備されるとこういうものはなくなって、ただの宿場になってしまいますが、それでもその宿場の宿屋には「飯盛女(めしもりおんな)」という、客の求めに応じて肉体を提供する女が当たり前にいました。幕府の方には「一つの宿場には飯盛女は何人まで」という規定はありましたが。

こういう言い方をしても「遊女」というのがどういう種類の女かということの説明にはなりませんが、その説明がどうしてむずかしいのかというと、近代以降の我々は、「性交の有無」というところに一線を引いてしまっているからです。

「遊女」というものを存在させていた時代は、彼女達が客に対して性行為を提供していたかどうかを、あまり問題にしません。彼女達が、客にエンターテインメントを提供する職業の女性で、性行為はそのエンターテインメントと一線を引かれて特別扱いされるようなものではなかったのです。

(中略)

江戸の吉原よりも古い京都の遊郭島原は、旧京都の南西のはずれにあります。戦乱で荒れ果てていた京都を整備して、平安京の東半分だけの現在の京都市街の基盤を作ったのは豊臣秀吉ですが、豊臣秀吉の時代に遊郭は、もっと違う所にありました。もっと東北寄りの、京都御所のすぐ南で「柳の馬場」と言われたところが、江戸時代以前に遊郭のあった場所です。院政の時代に、上皇や女院が今様の名手である遊女達を御所へ呼んだように、朝廷は「芸能」を退けません。すぐ近くに遊郭があってもよかったのです。それが日本文化の本来系でもあったのですが、徳川幕府は「風紀上よろしくない」として、柳の馬場にあった遊郭を(当時の)京都のはずれへ移したのです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=344613

2. 中川隆[-11038] koaQ7Jey 2019年4月01日 08:34:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[985] 報告


性のタブーのない日本 (集英社新書) – 2015/11/17
橋本 治 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%B2%BB/dp/4087208109

3. 中川隆[-10663] koaQ7Jey 2019年4月11日 05:50:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1378] 報告
2019年04月05日
男性が遊女に望んだ無理な理想

江戸時代の遊女は、「わっさり」した様子が望ましいとされていたようです。

「わっさり」とは、「ちいさな物事には、こだわらない様子」で、「おっとりしている」ということらいいのですが、この時代遊女に求められた理想像には窮屈なものもあったようです。https://woman.mynavi.jp/article/150211-19/より

**************************

遊女が「まことの遊女」、つまりは一流とされるには、色々な基準をクリアすることが必要でした。中でも江戸時代の上方(関西)の文化をリードした作家・井原西鶴の言葉によると、「まことの遊女」とされる重要条件のひとつが「恋ならば、いかなる者にも情けをかけてこそなり」ということ。 つまり、一流の遊女ならば「あなたに恋するすべての男性を、平等に、丁寧に接客してこそ」と解かれているわけですが、つまりは「聖女になりなさい」といわれているようなものですよね。 さらに続くのが「見た目や性格が気に入らない相手はもちろん、どんな病気の人ですら嫌がらずに接してやれ」という部分で、そういうのは理想でしょうし、男性の夢でしょうが、ハッキリいって無理です。病気の話はまた今度するとして、どうやって遊女たちは男性の幻想に応えたか、というと、今も昔も同じでキャラを作ったのですね。

江戸時代には多くの遊女についてのエッセイが残されており、その中で「わっさり」した様子の遊女こそ望ましい……という論調が多いわけです。「わっさり」という字面は、現代語の「あっさり」と似ていますが、少しニュアンスが違います。「ちいさな物事には、こだわらない様子」で、「おっとりしている」ことなんですね。

遊女はいわば「会いに行けるアイドル」ではありましたが、この時代、もっともアイドル的な要素は「お姫様らしさ」なんですね。「高貴さ」という属性が、現代では考えられないくらいのフェロモン要素だったのです。そして、しょせんはイミテーションにせよ、高級な遊女にもお姫様のような、「わっさり」とした振る舞いが大事だったのです。ホントにバカっぽいのも論外なんですが、知的な部分が目立ちすぎると、これまたダメなのですよ。

それでは遊女たちが「わっさり」と自分を見せるために行った具体的な努力のひとつに、食欲をセーブすることが挙げられます。特別に心を許した男性の前以外では、遊女はお酒を口にする程度。どんなに豪華なご馳走が出されても、またどんなに空腹でも、パクパク食べてしまうのは慎んだのだそうです。 これは遊女だけでなく、当時の一般女性も同じです。家族や夫に相当するくらい、親しい間柄の男性の前でのみ、飲み食いしてもOKという、現代では考えにくいルールがあったわけですね。 遊郭によっては自分が抱えている遊女たちに、普段は満足にご飯も食べさせず、お客が付いた時に、どんどん高い料理を注文、ケータリングさせ、その時だけは(店にマージンが入るため)ガンガン食べてもいいよという風にしている、悪質な場合もありました。遊女は食べたくても食べにくいのですから、酷い話ですよねぇ。

とにかく食事関係、料理関係で遊女にはNG項目が多く、たとえば食材の名前やら調理法などを知り尽くしてることを明らかにするのもダメでした。現在でも家庭料理を作って振る舞いたがったり、会食や合コンの席で、テキパキと取り分けしたり、出しゃばる女性の男性ウケは(案外)悪いのと似ているかもしれません。当時も仕切り屋っぽい女性は、敬遠されがちだったのです。

しかーし、いくらおっとり振る舞っても、お布団の中に入ってからのプレイ時間が長いのはダメなんです。そんな遊女は二流の証。優秀とされる遊女ほど、実質的なプレイ時間は短く、男性はいわば瞬殺でした。「能ある鷹は爪を隠す」式に、おっとりした部分と、猛禽のように、獲物を一瞬で仕留める強さを併せ持つ遊女こそが一流だとされたのでした。 昼は聖女、夜は娼婦なキャラの女性が最高という表現がありますが……江戸時代のハイステイタスな遊女はそれ以上に、矛盾する要素をいくつも備えている必要があったのです。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2019/04/3546.html

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史3掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)|(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(なしでも可能。あったほうが良い)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史3掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史3掲示板  
次へ