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鬼塚英昭著『原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1051.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 26 日 12:03:35: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎 投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 25 日 16:04:06)

恐るべき”破壊力”を持つ書ー鬼塚英昭著『原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/573.html
投稿者 仁王像 日時 2011 年 11 月 18 日 21:17:05: jdZgmZ21Prm8E
 

 ”破壊力”とは日本を中心とした近代史に対して。ここで書かれている内容の一端はわずかながら鬼塚『日本のいちばん醜い日』にも示唆されていたが、ここまで突っ込んで来ているとは思わなかった。
 ノンフィクション作家、鬼塚氏の「魂」とは何であろうか。この民族の血が「氏の魂」を通して滾(たぎ)り立っているように思える。
 姉妹編の『原爆の秘密〔国外編〕』も合わせて読まれたい/仁王像

『原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』鬼塚英昭/成甲書房‘08年
 の第一章から一部抜粋・要約

第一章 原爆投下計画と第二総軍の設立
<第二総軍設立の理由に迫る>
・私は第二総軍※1は最初から、すなわち鈴木内閣ができてから、終戦工作の一環としてつくられたものと思っている。終戦工作とは何か。簡単明瞭に書くならば、原爆誘導および処理のために、天皇が畑を呼びよせつくったものである、と書いておく。どうしてか。
 一、原爆投下情報を完全に知りながら、それを全部封印した。
 二、8月3日から6日にかけて。原爆投下予定地を中心に、大勢の人々を集めた。
 三。武器弾薬も食料もないのに、たくさんの兵を召集し、その兵たちを九州に送り込んだ。 
 ※1)本土を二分して東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六
元帥)の担当とし、予想されるアメリカ軍の九州上陸オリンピック作戦に備えて
いた。第二総軍は広島に本拠を置いて、準備を進めていた。

・畑元帥と大屋中佐は、刻々と変更される投下日時の把握に追われていた。それで、大屋中佐はもう一つの傍受室をつくるのである。…大屋中佐は鯉城(広島城)の近くに女性の二世を20名ばかり集めて、ブロークン・イングリッシュを解読させていたのである。彼は、この情報を有末中将※2に伝え、有末中将は同部に所属する皇弟。三笠宮崇仁中佐に伝えていたのである。
 テニアンから刻々と入る情報で、「8月6日8時15分」の投下時刻を正確に知ると、畑元帥と大屋中佐は大衆動員を原爆中心地近くにかけ、大阪から鹿児島までの将校たちを8月6日午前8時(これは9時に変更される)に爆心地近くの陸軍の社交場。偕行社に集まれと司令官命令を出すのである。戦争終結に導くスペクタクル・ショーの演出をやってみせるのである。
・ゴードン・トマスとマックス・モーガン=ウィッツの『エラノ・ゲイ』(1980年)の続きを見よう。

  日本とマリアナ諸島との間には1時間の時差があるから−広島のほうがテニアン島 より1時間遅かった−そのラジオのテストが広島の時間で午後3時か4時頃行われる とすれば、モニターはその夜空襲があることを知り得た。モノターを傍受したテスト の回数で、空襲にやってくる敵機の数をおおよそつかむことができた。モニターはそ の報告を上司に渡し、上司はそれを通信司令室へ送り、そこから西日本全体の防空組 織へ情報が流された。それだけのことがわずか数分間でできた。

 畑元帥と大屋中佐がどれほどテニアン基地の情報を知り得る立場にあったかが、この文章を読めば理解できる。一つの謎、畑と大屋は他の誰にも知られたくない独自の情報網が必要ではなかったのか。それで鯉城近くに、わざわざ二世の女性を20人ばかり使った秘密の傍受室と応答室をつくった。そこで、テニアンにいる秘密室と直接に原爆情報のやりとりをした。
 第二総軍から情報が流されていたが、原爆の情報は中国軍管区に届いてはいない。原爆の情報はすべて、畑と大屋の二人で闇のうちに処理されたのである。どうしてか? 劇的な演出で、多くの広島市民に死んでもらうためである。スペクタクルが必要であった。
 スティムソン(陸軍長官)は天皇にそれを期待したのである。天皇の特命を受けた畑は、大屋を三笠宮と有末のもとから強引に呼び寄せ、演出を担当させたのである。
 原爆投下を事前に多くの人々が知っていたのである。どうして第二総軍においておや、である。
  ※2)戦後、謀略機関で働いた連中は、ほとんどが自由の身となり、権力と富を得  た。元参謀本部第二部長有末精三陸軍中将も例外ではなかった。「有末機関」をつ  くり、米軍に協力した。

<原爆投下予告を確かに聴いた人々>
 (要旨)〔ロンドンのBBC放送を中継した内容のインド・ニューデリー放送は、原爆開発、投下の情報も伝えていた。それを聞いてノートに書き移す仕事をしていた少年兵がいた。VOA放送を傍受した広島逓信局勤務の無線技師の証言もある。
 また、「伝単」という飛行機から大がかりに散布された宣伝ビラの中にも「8月5日」、広島を大空襲する」というのがあった。広島上空で撃ち落とされた捕虜になった米兵のなかにも「近いうちに広島が全滅するような爆弾が投下される。ここにいたら死ぬ」とおびえているものがいた。〕

・大屋中佐は間違いなく、「マリアナ諸島から来た上級将校(捕虜)」を手に入れた。そして情報を聞き出すと、彼らを特別の場所に隔離した。その情報は間違いなく畑元帥と共有し、そして有末中将のもとへ送られた。しかし、広島に原爆が落ちるという情報は一部の憲兵のみが知るだけで封印された。広島に原爆が落ちるよう準備するのが、大屋中佐、畑元帥に命じられた、“至高の人”からの“お頼み”であったからに他ならない。
・間違いなく広島の警察内部でも、原子爆弾の風評が広まっていたのである。もし、第二総軍の大屋角造中佐と畑俊六元帥に、アメリカの兵士が示したであろう、良心のひとかけらさえあれば、広島の惨劇も、そして長崎の惨劇も防ぎ得た可能性が大であったのだ。(以下、略)

 (関連)
 http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/624.html#c4

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/624.html#c5
   

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コメント
1. 中川隆[-11136] koaQ7Jey 2020年9月26日 12:17:21 : oJAr3sCzck : VFhPMUdKMWZ6b0U=[27] 報告
01. 2011年12月02日 22:28:47: p99eS1woHc
鬼塚英昭の本は1冊だけ読んだ。
仮説は独創的で面白いが、仮説の裏づけのため事実を捻じ曲げ妄想で書いていると確信がもてたので、以降まったく相手にしていない。
歴史を書くときには真摯な態度が必要だ。

02. ♪ペリマリ♪ 2012年1月05日 08:18:54 : 8qHXTBsVRznh2 : KxhwWQU3KY
>>01
鬼塚氏を中傷するコメントをネット上で見かけるが、
これはその典型的なものである。

一、あなたが鬼塚氏の何の本を読み

二、どこの箇所を指して事実を捻じ曲げて妄想で書いていると確信を持てたのか

三、その根拠たる文献資料を示されたい。

鬼塚氏ほどあらゆる文献資料を網羅し、
かつ眼光紙背に徹するが如く読み込んでいる人を私は寡聞にして知らない。
プロパガンダをまんま信じて洗脳されている歴史作家があまたある中で、
まさに掃き溜めの鶴、恩寵、僥倖のような存在である。


>>01のコメントは、
秦郁彦がバーガミニの『天皇の陰謀』を偽書と決め付けた手法と同じ。
”バーガミニの主張に該当する資料は、杉山元メモのどこにも見つからなかった”
などとと事実無根の主張をしている。

秦は防衛庁に職員として潜入していた草である。
秦のような田布施村王朝の関係者が、国家規模の資料改竄をしていると私は思う。
日中戦争拡大の現場証言も同様である。
池田純久が近衛文麿に責任転嫁する有名な証言は、その代表例である。


>歴史を書く時は真摯な態度が必要だ。

これはそのままそちらにお返ししよう。
田布施村王朝は実に真摯な態度で、一貫して偽史を捏造してきた。
秦や白洲次郎や松本重治などの確信犯がプロパガンダを流布し、
それに御用作家やマスコミが追随してきたが、
あなた方が真摯な態度で歴史の真実に直面する時が今や到来しようとしている。


鬼塚氏が膨大な資料を微分積分して導いた結論は、『仮説』ではなく真実である。
それらはやがて出てくる本当の資料によって裏づけされるだろう。
7月27日以降、それらの資料は出てくる。

http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/701.html#ctop

2. 中川隆[-14776] koaQ7Jey 2021年12月07日 08:41:58 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[52] 報告

昭和天皇は戦争に前のめりになっていた?元侍従長の日記
2021-12-05  

80年目の12月8日(太平洋戦争が始まった日)を迎えようとする中、12月5日の朝日新聞に「昭和天皇が10月の段階で既に開戦に前のめりになり、気持ちが先行しているので側近がお引きとめ申し上げている。先ごろから陛下の表情が明るいので不思議に思った」などと書かれた元侍従長の日記の記述が報じられ、注目されていま(朝日新聞記事から抜粋)太平洋戦争開戦前の1941(昭和16)年10〜11月、昭和天皇が開戦について「覚悟」した様子を側近に示したととれる記述が、当時侍従長だった百武三郎(ひゃくたけさぶろう)(1872〜1963)の日記から見つかった。

戦後の連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)では、昭和天皇は開戦に慎重で平和を望んだが「政府や軍部の進言でしぶしぶ同意に至った」として不起訴とされた。しかし近年の歴史研究により、開戦直前に開戦を前提に戦争終結策を思案したり、開戦後は戦果に満足し積極的な作戦を求めたりするなど、戦争に前向きな姿勢を示した時期もあったとする史料も見つかっている。百武の日記の記述から、開戦に対する天皇の姿勢の変化についての研究が深まりそうだ。 


▲△▽▼

※朝日新聞、紙面一部文字起こし

昭和天皇 開戦「覚悟」の秋

侍従長日記に記述 内大臣「ご先行お引きとめ」

 太平洋戦争開戦前の1941(昭和16)年10〜11月、昭和天皇が開戦について「覚悟」した様子を側近に示したととれる記述が、侍従長だった百武三郎(ひゃくたけさぶろう)(1872〜1963)の日記から見つかった。開戦の是非をめぐって悩み、揺れ動く天皇の日々が記された中に「すでに覚悟あらせられる様子」「ご先行をお引きとめ申し上げる」などの側近の言葉が書かれていた。▼2面=にじむ苦悩

 日記は8日で開戦80年となる今年、遺族から東京大学に寄託された。

 戦後の連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)では、昭和天皇は開戦に慎重で平和を望んだが「政府や軍部の進言でしぶしぶ同意に至った」として不起訴とされた。しかし近年の歴史研究により、開戦直前に開戦を前提に戦争終結策を思案したり、開戦後は戦果に満足し積極的な作戦を求めたりするなど、戦争に前向きな姿勢を示した時期もあったとする史料も見つかっている。百武の日記の記述から、開戦に対する天皇の姿勢の変化についての研究が深まりそうだ。

 開戦をめぐる姿勢についての記述があったのは、百武の41年10月13日の日記。昭和天皇に拝謁(はいえつ)(面会)した松平恒雄(まつだいらつねお)宮内大臣から「切迫した時機に対し、すでに覚悟あらせられるようなご様子だ」と聞いたと記載。天皇の気持ちが先行する様子を懸念したとみられる木戸幸一(きどこういち)内大臣の「ときどき先行するのをお引きとめ申し上げている」との発言も記した。

 日中戦争や日独伊三国軍事同盟について日本を非難する米国との戦争を避けようと41年春に始まった日米交渉が進展せず、事態打開のため近衛文麿(このえふみまろ)首相が8月に提案したルーズベルト米大統領との首脳会談も米国側は拒否。近衛内閣が行き詰まり、10月16日に総辞職する直前のことだ。

 百武は11月20日にも、木戸が「陛下の決意は行き過ぎのように見える」と語ったと記し、「(東郷茂徳〈とうごうしげのり〉)外相の前ではあくまで平和の道を尽くすべきだと印象づける発言をするようお願いした」との木戸の発言を書き取っている。

 百武は日清と日露の戦争に従軍した海軍軍人。36年の二・二六事件で襲撃され負傷した鈴木貫太郎の後任として同年に侍従長に着任し、終戦直前の44年まで8年近く務めた。

 在任中に書き留めた日記などの記述は、宮内庁書陵部が編纂(へんさん)し2014年に公開された「昭和天皇実録」に多数引用され、初めて存在が明らかにされた。遺族から東大大学院法学政治学研究科の近代日本法政史料センター原資料部に日記や手帳計25冊やメモ類が寄託され、今年9月から閲覧可能となった。

 これまで百武については政治に関与せず、侍従長として「天皇の身の回りの世話役」に徹したとする見方が強かった。日記に天皇をめぐる政治や軍事に関する記述が多く残されていたことに、歴史研究者からは驚きの声も出ている。

 戦前や戦中の昭和天皇の動向に詳しい茶谷(ちゃだに)誠一・志學館大教授(日本近現代史)は「昭和天皇の姿勢が開戦に向けて傾斜しつつあることに側近から懸念が示されたとの詳しい記述は、昭和天皇実録を含む従来の史料にはなかった。日本の指導者がどのような過程で開戦に至ったかを天皇側近の目から記した重要な記録だ」と話している。(編集委員・北野隆一)

http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/501.html

3. 保守や右翼には馬鹿し[182] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年5月17日 13:59:42 : Xm2TZVm4Os : NEtSZXR1eTI3UFk=[1] 報告
目的は「日本降伏」ではなかった マンハッタン計画の全貌 [これが本当の近現代史#98]
2023/05/15

4. 中川隆[-12412] koaQ7Jey 2023年8月04日 09:19:53 : QCrjsAhQk6 : Q1dGV1ZyNnVaWFk=[3] 報告
<■97行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
米極秘文書から紐解く 原爆投下の真実|林千勝
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14136503

日本人への原爆投下はこうやって決められた
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14073546

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

鬼塚英昭著『原爆の秘密〔国内編〕〜昭和天皇は知っていた』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1051.html

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA    

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1052.html

大東亜共栄圏というのは中国・東南アジアで麻薬を売ってぼろ儲けする体制の事だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006701

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007480

アメリカ合衆国が関与した戦争一覧 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%8C%E9%96%A2%E4%B8%8E%E3%81%97%E3%81%9F%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7

「双方に戦争させて、一方を軍事支援し、金は同盟国に出させる」アメリカの戦略 │ ダークネス:鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=14127

明治維新以降、日本はイギリスやアメリカの手先として 動いてきた。
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14058621

ウォール街と戦った共産主義者 ルーズベルト大統領
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14067898

戦前の日本陸軍軍人は共産主義者ばかりだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016765

太平洋戦争は共産革命を恐れた昭和天皇が英米支配層と組んで起こした八百長戦争だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016737

昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

ジェームズ斉藤 : GHQ は帝政ロシアやソ連からアメリカへ亡命した極左ユダヤ人だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014859

戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html

アメリカ軍は日本国内のクーデターや共産革命を鎮圧する為に日本に駐留している
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016725

ジェームズ斉藤 : 日本のゴールド「天皇の金塊」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006705

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html


日本の有名政治家の出自が集中する「田布施」_ 戦後の総理大臣の75%が世襲政治家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14071870

みんな大好きな白洲次郎さんの正体
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14103660

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

漢民族系朝鮮人の天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003198

5. 2023年8月05日 06:42:21 : 5392876OEk : bGY2TE8uaW5WREk=[1] 報告
<■104行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023.08.05XML
広島と長崎への原爆投下によって米英はソ連との戦争を始めた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308050000/

 今から78年前の8月6日、アメリカ軍はウラン型原子爆弾「リトル・ボーイ」を広島へ投下、その3日後にプルトニウム型原爆「ファット・マン」を長崎へ落とした。

 ハリー・トルーマン大統領が原爆投下を許可したのはアメリカ、イギリス、中国が「ポツダム宣言」を発表する2日前、7月24日のことだ。日本が「ポツダム宣言」にどう反応するかを見ずにトルーマンは原爆投下による市民虐殺を決めたわけである。

 投下決定の8日前、7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功している。その翌日から始まるポツダム会談を意識しての実験だった。当初の実験予定日は7月18日と21日の間だったが、トルーマンの意向で会談の前日に早めたのである。

 核兵器の開発プロジェクトは「マンハッタン計画」と名付けられていたが、最も積極的だった国はイギリス。1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてプロジェクトが始まり、MAUD委員会なるものが設立された。

 この委員会のマーク・オリファントがアメリカへ派遣されてアーネスト・ローレンスと会ったのは1941年8月。そしてアメリカの学者も原子爆弾の可能性に興味を持つようになったと言われている。この年の10月にルーズベルト大統領は原子爆弾の開発を許可、イギリスとの共同開発が始まった。日本軍が真珠湾を奇襲攻撃する2カ月前のことだ。

 1943年には核兵器用のウランとプルトニウムを製造するため、テネシー州オーク・リッジに4施設が建設され、そのひとつはオーク・リッジ国立研究所へと発展した。ワシントン州に建設されたハンフォード・サイトではプルトニウムを製造するため、1944年9月にB原子炉が作られている。

 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウィンストン・チャーチルたちの目的はソ連(ロシア)を破壊し、占領すること。ナチスがドイツで実権を握る際、シティとウォール街、つまり米英金融資本が資金援助していたのはソ連を倒させるためだ。

 ナチスへの資金援助で特に重要な役割を果たしたのはディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなど。その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。そのほかスイスで設立されたBIS(国際決済銀行)や第2次世界大戦が勃発する半年ほど前にドイツへ約2000トンの金塊を渡したと言われているイングランド銀行も仲間だと言えるだろう。

 アメリカでは1932年の大統領選挙でウォール街の傀儡で現役のハーバート・フーバーが敗れ、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが勝利した。ルーズベルトは巨大資本の活動を規制し、労働者の権利を拡大する政策を推進しようと計画、国際問題では植民地やファシズムに反対していた。これはウォール街にとって容認できないことだ。

 そこで金融資本は在郷軍人会を利用したクーデターを計画する。計画の中心的な存在は巨大金融機関のJPモルガン。司令官としてダグラス・マッカーサーを考えたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけることになる。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 話を聞いたバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。バトラー少将は1935年にJ・エドガー・フーバーに接触してウォール街の計画を説明するのだが、捜査を拒否している。

 ドイツ軍は1941年6月、ソ連に対する軍事侵攻を始めた。「バルバロッサ作戦」だ。1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。この展開にチャーチルは慌てる。

 1943年1月にフランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相はフランスのシャルル・ド・ゴールらとカサブランカで会談、「無条件降伏」という話が出てくる。この条件はドイツの降伏を遅らせる一因になり、米英にはソ連対策を講じるための時間的な余裕ができたわけだ。

 その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。「サンライズ作戦」だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などだ。

 大戦の終盤からウォール街人脈がファシストの大物を救出、保護、逃走を助け、のちに雇い入れている。その時に助けられた東ヨーロッパのファシストもウォール街人脈は助け、後継者を育成した。その中には2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行したネオ・ナチも含まれている。

 ソ連の対日戦争への参加は1945年2月、クリミアのヤルタ近くで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連の首脳による話し合いで決まっていた。ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結してから2カ月から3カ月後にソ連が日本に宣戦布告する条件を取り決めている。ドイツはルーズベルトが急死した翌月の5月に降伏した。8月上旬にソ連は参戦する。それに合わせ、トルーマン政権は原爆を日本へ投下した。

 ドイツが降伏した直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論む。そこでJPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 アメリカ、イギリス、ポーランド、ドイツ。現在、この4カ国はウクライナでロシアと世界大戦を始めようとしている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308050000/

6. 中川隆[-12407] koaQ7Jey 2023年8月05日 16:34:59 : 5392876OEk : bGY2TE8uaW5WREk=[9] 報告
<■246行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023年08月04日
最終兵器による日本人のバーベキュー / 原爆よりも恐ろしいユダヤ人の流入 (前編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68934208.html

アメリカ人も「戦争犯罪者」だった

Oppenheimer film 001Oppenheimer film 022


  今年の七月、クリストファー・ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー(Oppenheimer)』が全米で公開され、結構な話題となっている。ノーラン氏はバットマン・シリーズの『Batman Begins』や『The Dark Knight』、SF作品の『テネット(Tenet)』、歴史映画の『ダンケルク(Dunkirk)』を手掛けた監督として有名だ。今回の力作『オッペイハイマー』は、カイ・バード(Kai Bird)の『American Prometheus : The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer』が原作となっており、180分の長編映画にもかかわらず、映画批評家の評判もいい。核爆発というのは隅田川の花火よりも壮大なので、アメリカの一般人も大好きだ。『インディペンデンス・デイ』の時と同じく、アメリカ人は禁断の破壊が描かれるとなぜか観たくなる。

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(左 : クリストファー・ノーラン / 中央 : カイ・バード / 右 : 「ロバート・オッペンハイマー」を演じたキリアン・マーフィー )

  ちなみに、どうして原作者のバードが漢字の「芥(kai / からし)」というファースト・ネームを持っているのかといえば、彼の父親であるユージンが、オレゴン大学に通っていた頃、難民となった支那人学生と親しくなったからだ。ユージンは彼の名前「Kai-Yu Hsu」にちなんで息子の名前にした。父親からすれば、「人生のスパイス(spice of life)」という意味を込めた命名なんだろうが、「支那人との混血児なのか?」と勘違いされてしまうので少々厄介だ。

  ついでに言えば、カイの父親は国務省に勤める外政官。母親のジエリーン(Jerine)も、ちょっと変わっていて、ユージンはクリスチャン・サイエンスの信者であったが、ジェリーンとの結婚ではバプティスト教会の牧師を呼んできた。この二人はコングリゲーション教会の中で式を挙げたという。そして、彼らは数年後に「エピスコパリアン(監督派教会のキリスト教徒)」になったそうだ。(Kai Bird, Crossing Mandelbaum Gate : Coming Age Between the Arabs and Israelis, 1956 - 1978, New York : Scribner, 2010, p.4.)

  『オッペンハイマー』が何時(いつ)、日本で公開となるのかは不明だが、映画のストーリーはロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer)博士の苦悩や葛藤、原爆開発に至るまでの人間関係などが中心となっている。日本の観客は核兵器の恐ろしさを訴える左翼映画を期待してしまうが、本作は大量殺戮を反省する懺悔物語じゃない。我々からすると赦しがたい虐殺ではあるが、戦勝国のアメリカ人にしたら、原爆開発の成功は、軍事技術の輝かしい“進歩”である。特に、激戦をくぐり抜けたアメリカ兵や戦死者の遺族からすれば、実戦に投入された最終兵器は、米国史を彩る“偉大な業績”である。

  当時の映像を観れば判る通り、原爆の被害は甚大で、民間人を狙った戦争犯罪に思える。だが、アメリカ軍の将兵からすれば、日本人なんかは得体の知れないエイリアン。奇妙な言語を話す野蛮人でしかない。しかも、神風特攻(Divine Wind Special Attack)を実戦する狂気の集団だ。それゆえ、女子供を含め、何人殺そうが良心は痛まない。ベトナム戦争の時も、枯葉剤(Agent OrangeとかAgent Blue)を使ってゲリラ兵の食料を減らしたり、隠密行動を困難にさせていた。この作戦だって、敵陣の住民や土地が「どうなってもいい」と考えなければ、人体に何年も害を及ぼす、非人道的な猛毒を散布することは出来なかったはずだ。ナチ・ドイツがユダヤ人を迫害した時も似たような心情で、アメリカ人でもやりそうな“有害民族の駆逐”を実行しただけである。「正義の味方」を装うイギリス人やフランス人、ちょっと格下のオランダ人やベルギー人は、自らを棚に上げてドイツ人を批判したけど、その本性はドイツ人とたいして変わりがない。検事側の“善人”を演じるためにドイツを糾弾しているだけだ。

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(左 : 枯葉剤を散布するアメリカ軍 / 右 : ベトナム人の村を焼き払うアメリカ兵 )

  トルコ人やエジプト人、シリア人、イラク人、ペルシア人なんかは、全くユダヤ人に同情せず、むしろ「いいぞドイツ人、もっとやれ! ユダヤ人なんか皆殺しにしろ! 頑張れ !」と拍手喝采だ。戦後、歐州のユダヤ人が続々とがパレスチナへ入植すると、白人を気取ったセム種族に対する憎悪は更に強くなった。だいたい、「バルフォア宣言が表明されたら、お前達は出て行け!」と言われて、住み慣れた土地を離れるパレスチナ人なんているのか? しかも、民族浄化とも解釈できる「ダレット計画(Plan Dalet)」を目にすれば、迫害されたユダヤ人に同情などできない。
 
  歐米諸国の西歐人はユダの金貨に弱いから、「ハガナやベン・グリオン、モシェ・ダヤンはテロリストじゃないのか?」と思っても口をつぐんでしまうが、虐殺に慣れたアラブ人は露骨にユダヤ人を批判する。彼らはホロコースト物語に耳を傾けず、「それがどうした?」という態度を取って冷ややかだ。そもそも、何千年も前から血腥い異民族の坩堝(るつぼ)が中東アジアである。だから、「水晶の夜(Kristallnacht / 1938年の迫害)」なんて、ちっとも珍しくもない。

  一方、イスラエルのユダヤ人もアラブ人に対しては非常に冷酷で、反抗するパレスチナ人なら、女子供でも容赦しないし、躊躇わず狙撃の標的にする。第一、誰がテロリストなのか判らないから、怪しい奴は纏めて殺してしまうのが上策だ。歐米の主流メディアに出てくるユダヤ人は、リベラル主義の良心派を装っているが、ひとたび対立構造が生じれば、彼らだって先祖返りをするだろう。たとえ、「イルグン」(Irgun / 準軍事組織)に加わらなくても、ライフルや機関銃を手にして、伝統的なユダヤ人に変身する可能性は充分にある。

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(左 : 反抗的なパレスチナ人を暴行するイスラエル兵 / 右 : ヘブロンでパレスチナ人の子供を連行するイスラエル兵 )

  歴史は勝者によって描かれ、敗者は弁解の余地なく悪魔だ。日本やドイツで無差別殺人を犯したアメリカは、ナチスを凌ぐ戦争犯罪を隠すため、色々な言い訳やトリックを考えついた。ひと昔前だと、原爆の投下は「アメリカ兵の更なる損失を防ぎ、戦争を早く集結させるための苦しい決断」と説明されていたが、今では戦史の研究が飛躍的に進み、この無差別攻撃が「新兵器の人体実験」と判ってきた。なぜなら、被爆地となった広島と長崎は、意図的に空爆の対象外とされていたからだ。

  もし、八月の前に焼夷弾を落としてしまうと、せっかくの核実験が台無しになってしまうから、出来るだけ無傷のままがいい。大統領のハリー・トルーマンとジェイムズ・バーンズ(James Francis Byrnes)国務長官は、出来るだけ戦争を長引かせ、日本を実験台にすべく努力していた。そして、核攻撃の標的は都市部と定め、事前通告はしない、と決めていた。これなら、明らかに“計画殺人”で、お得意の“人道主義”とやらに反する。攻撃の時間や天候も大切で、休日とか雨天だとマズい。例えば、学校が休みだと、校庭で焼け死ぬ子供が居なくなるし、キノコ雲の撮影だって、やはり晴れの日がいい。

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(左 : ハリー・トルーマン / 中央 : ジェイムズ・バーンズ / 右 : 「リトル・ボーイ」を搭載する場面)

  合衆国政府の首脳や軍人からすれば、実験前の状態と実験後の惨状とを比較することは重要である。「マンハッタン計画」の科学者達だって、原爆の実戦投入となればウキウキで、「どんな成果がえられるのかなぁ〜?」と胸が弾んでくる。これは残酷な現実だが、日本人は核兵器の開発にとって有り難い実験材料であった。露骨に言えば、放射能汚染の災害を測るためのモルモット。100匹のゴールデン・レトリバーとかウェルシュ・コーギー・ペンブロークの仔犬を焼き殺すなんて絶対に出来ないが、1万人の日本人なら「まぁ、仕方ねぇか!」と呟いてOKだ。

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( 左 : 米国での原爆実験 / 右 : 人体実験の犠牲者となった日本の少年)

  ガー・アヘルペロヴッィツ(Gar Alperovitz)やデニス・M・ジャンクレコ(Dennis M. Giangreco)など、多くの研究者が述べているが、「ダウンフォール作戦」は本当に恐ろしく、そこには九州を占領して爆撃機の拠点にする「オリンピック作戦(Operation Olympic)」(1945年11月に予定)があり、東京を核攻撃する「コロネット作戦(Operation Coronet)」(1946年3月に予定)まであった。もし、昭和天皇の御聖断が無ければ、日本国民は「一億玉砕」という呪縛に盲従し、三発目の攻撃を受けていた可能性が強い。

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(左 : カーチス・ルメイ / 中央 : レスリー・グローヴス / 右 : ケネス・ニコルズ)

  アメリカ人は敵国に容赦が無く、徹底的な“殲滅”を得意とする。古代ギリシアの戦争思想と同じ。好戦的なアメリカだと、中途半端な和平論者は劣勢で、強硬策を主張する武闘派の方が勝つ。「マンハッタン計画」を監督したレスリー・グローヴス(Leslie Groves)准将は、戦略爆撃隊を指揮したカーチス・ルメイ(Curtis E. LeMay)将軍と同じタイプで、「日本人を皆殺しにしろ!」という気概を持っていた。合衆国陸軍のケネス・ニコルズ(Kenneth David Nichols)少将は、グローヴス准将の性格をよく見抜いていた。ニコルズは軍事大学に招かれた時、グローヴス准将の人柄を訊かれ、次のように答えていた。

  先ず第一に、グローヴス将軍は、私が一緒に仕事をした者の中で、最大のクソ野郎(Son of Bitch)だ。彼は誰よりも要求が多く、最も批判的である。彼は人を使う親方で、決して他人を称賛する輩(やから)じゃない。人の癇(かん)に障ることを言うし、皮肉屋ときている。通常の組織人脈を全て無視するが、彼は非常に知的だ。しかも、適切な時に難しい決断を下すだけのガッツを持っている。私が知っている中で、彼は一番のエゴイストである。彼は自分が正しいと判っているし、自らの決断を枉(ま)げることはない。(Kenneth David Nichols, The Road to Trinity, New York : William Morrow and Company, 1987, p.108.)

  グローヴス准将にとって日本人の命なんかハンバーカー以下の価値しかなく、彼の関心は別のところにあった。グローヴスは何としても原爆が使用される光景を見たかった、というのは確かだが、それよりも気になっていたのは、日本が早期に降伏するんじゃないかという心配であった。もし、原爆が完成する前に戦争が終わってしまったら一大事。彼はハンフォードやロス・アラモスの科学者達に「はやく完成させろ!」発破をかけた。なぜなら、もし原爆が未完成で使用されず、戦争が終わってしまうと、議会の“うるさい連中”に呼び出され、巨大な費用を使った責任を問われてしまうからだ。(Gar Alperovitz, Decision to Use the Atomic Bomb and the Architechture of an American Myth, New York : Alfred A. Knopf, 1995, p.593.)

Robert Oppenheimer 9632(左 / ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー )
  一般のアメリカ人は歴史学に興味が無く、歴史の勉強はハリウッド映画を観て終わり。事実と虚構の区別なんて無い。被害者である日本人も歴史の真相には興味が無く、「人道主義者のオッペンハイマー」という幻想を信じている。だが、このユダヤ人科学者は原爆製造の責任など、ちっとも感じていなかった。科学史に詳しいスティーヴンス工科大学(Stevens Institute of Technology)のアレックス・ウェラーシュタイン(Alex Wellerstein)教授によれば、オッペンハイマーは原爆攻撃を後悔していなかった。少なくとも、彼は公的な場で謝罪とか後悔を表明しなかったそうだ。オッペンハイマーが懸念していたのは、軍拡競争を止められなかったことである。

  アルバート・アインシュタインも平和主義者とか高潔な人道主義者のように思われているが、本質的には同胞を愛するだけのユダヤ人。倫理道徳よりも、仮説の証明や実験結果を知りたがる典型的な科学者であった。もちろん、多くの民間人が犠牲となったことについては“遺憾”に思っていたのだろうが、世界初の原爆投下については興味津々だったはず。

  ハンガリー出身の天才科学者、ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann / 本名 : Neumann János)は、オッペンハイマーみたいに陰気にならず、冷徹に現実世界を見ていた。このリアリストのユダヤ人は、核兵器の殺戮は天井知らずになると考え、水素爆弾が開発されれば時代が変わるから、その前に核兵器を抑止できる体制を作るべきだと考えていた。左翼学者なら「国連」に期待してしまうが、ノイマンは「パックス・アメリカーナ」を確立する方が最善の道と考えていたそうだ。(ノーマン・マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 渡辺正・芦田みどり 訳、1998年、p.229.)

  ロス・アラモスに集まった科学者達は、大半が次のような考えを抱いていた。

@ 俺達は大量殺戮用の爆弾をつくる。なんて罪深い仕事なんだろう。 
A だが、ナチスに先を超されないよう、やらねばならぬ、
B 戦争の幕引きができたら原爆の国際規制が必要だろう。(上掲書、pp.227-228.)

  まぁ、自然科学系の学者には理想主義者が多いから、こうした罪悪感を持っていても不思議じゃない。しかし、有能な科学者というのは倫理学よりも、自らの研究の方に関心がある。彼らは新兵器の威力がどれくらいなのか、仲間内で予想を語り合っていたのだ。トリニティ実験の前夜、ロスアラモスの科学者達は、「デブ(Fat Man / プルトニュウム型爆弾)」の破壊力がどれくらいになるのかを賭けていた。最大の見積もりは、エドワード・テラー(Edward Teller)のTNT4万5,000トンで、ジョージ・キスチアコウスキー(George B. Kistiakowsky)は1,400トン。オッペンハイマーは300ドンと踏んでおり、ハンス・ベーテ(Hans Bethe)は8,000と推測していた。一方、ノイマンは「デブ」をうまく設計できたと思っていたから、賭けには乗ってこなかったそうだ。(上掲書、p.241.)

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(左 : ジョン・フォン・ノイマン / エドワード・テラー / ジョージ・キスチアコウスキー / 右 : ンス・ベーテ )

  日本の被爆者やその族が、こうした「賭け」を知れば激怒してしまうが、最先端科学を用いた人類初の最強兵器となれば、「どんな威力が見られるのか?」と期待してもおかしくはない。日本から遠く離れた砂漠で研究に打ち込む科学者には、一瞬で消滅した老人とか、黒焦げになった女性、皮膚がただれた子供なんかは問題外。「リトル・ボーイ(Little Boy / ウラン型爆弾」を積んだ「エノラ・ゲイ(Enola Gay)」に乗っていた操縦士、ポール・ティベッツ(Paul W. Tibbets)やロバート・ルイス(Robert A. Lewis)なんかは、単にボタンを押しただけで、「大量殺人の実行犯」という意識は無かった。彼らはドイツの突撃隊や親衛隊、地上部隊の兵卒と同じく、「上からの命令」に従っただけである。日本人を何万人殺そうが、「個人の罪」じゃないから平気だ。しかし、総統に従ったドイツ人は死刑となり、大統領に従ったアメリカ人は勲章をもらった。この違いは非常に大きい。

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(左 : 「エノラ・ゲイ」の搭乗員 / 中央 : ポール・ティベッツ / 右 : ロバート・ルイス )

  日本人はもとより、アメリカ人やヨーロッパ人は、「ユダヤ人の犠牲者」だけを殊さら重要視する。だが、国家総力戦の世界大戦となれば、何処の国でも不幸な人々が増えてしまうものだ。洗脳レベルが高いアメリカ人は、矢鱈と「ユダヤ人の悲劇」に同情するが、強制収容所で亡くなったユダヤ人の死因は、主に不潔な牢獄で発生するチフスで、焼却炉で灰になったのは遺体である。(著名なラウル・ヒルバーグ博士すら、物的証拠を持たず、単なる憶測で「ガス室殺人」を述べていのに、デボラ・リプシュタットのような宣伝係が強力なので、未だに都市伝説を信じている人は多い。反対尋問すら無い「証言」とやらを信じている武井彩佳、翻訳しか業績の無い芝健介などは、御目出度い日本人の典型だ。)

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(左 : 原爆攻撃で焼け野原となった広島 / 右 : 空爆で焼失したドレスデン )

  日本の都市部に行われた空爆やドレスデンの絨毯爆撃の方が、よっぽど凄惨で、「戦争犯罪」に値する計画殺人である。何しろ、日本やドイツの民間人は、生きたまま炎に包まれ、阿鼻叫喚の生き地獄を体験したのだ。普通のアメリカ人は考えもしないけど、もし、日本軍がロサンジェルスやヒューストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、シカゴなどを空爆し、女子供や老人、病人、赤ん坊を焼き殺したら、アメリカ国民は決して赦さないだろう。たとえ、日本に負けてもアメリカ人は日本軍による蛮行を忘れず、毎年毎年、各州で怨念イベントが開かれるはずだ。過去を水に流し、敵国に平伏(ひれふ)したまま、“自国の罪”を懺悔するなんて、お人好しの日本人くらいである。

 後編に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68934208.html

7. 中川隆[-12386] koaQ7Jey 2023年8月08日 16:26:47 : 808oKCj2Ac : aDFLeEFOcWk0bTI=[2] 報告
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2023.08.07XML
帝国主義者のチャーチルは第2次世界大戦後、世界を核戦争へと引っ張り続けた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308060000/

 ドイツ軍は1941年6月にソ連に対する奇襲攻撃を開始した。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだが、これはアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。その攻撃を準備していたはずの1940年9月から41年5月までの期間、ドイツ軍はイギリスを空爆している。これは陽動作戦だと考えるべきだろう。

 1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。ヒトラーはソ連軍が敗北したと確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。またウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まず、ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入する。ここでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。ここからアメリカやイギリスは慌てて動き始めたわけで、ナチスに勝ったのはソ連。アメリカはその事実を消し去り、自分たちが勝ったのだというイメージを広めるため、ハリウッド映画を利用した。

 それでもアメリカは反ファシズムのフランクリン・ルーズベルトが大統領を務めていたが、このルーズベルトは1945年4月12日に急死する。ドイツはその翌月の上旬に降伏、その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論む。そこでJPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令し、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。この事実は本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。

 その作戦によると、1945年7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で奇襲攻撃、「第3次世界大戦」を始めることになっていた。この作戦が実行されなかったのは、参謀本部が計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 チャーチルは1945年7月26日に退陣するが、大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言した。FBIの文書によると、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。(Daniel Bates, “Winston Churchill’s ‘bid to nuke Russia’ to win Cold War - uncovered in secret FBI files,” Daily Mail, 8 November 2014)

 チャーチル自身はイギリスの貴族を父に、またアメリカの富豪を母に持つ人物。父親のランドルフはジョン・スペンサー-チャーチル公爵の3男で、素行の評判は良くない。カネ使いが荒く、親しくしていたネイサン・ロスチャイルド男爵から多額の借金をしていたという。ランドルフは1895年に死亡しているが、死因は梅毒。ネイサンはセシル・ローズのスポンサーだ。

 チャーチルが退陣する直前、アメリカでは原子爆弾の開発が最終局面に差し掛かっていた。7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功している。7月24日にハリー・トルーマン米大統領は原子爆弾の投下を許可、7月26日に「ポツダム宣言」が発表された。そして原爆は8月6日に広島、8月9日には長崎へ投下された。宣言の受諾は8月9日の「御前会議」で決定され、翌日には連合国側へ打電されている。

 日本がポツダム宣言の受諾を通告してから約1カ月後、アメリカの統合参謀本部では必要なら先制攻撃を行うことが決められた。この決定は「ピンチャー」という暗号名で呼ばれ、1946年6月18日に発効している。(Annie Jacobsen, “Area 51”, Little, Brown, 2011)

 原爆を手にしたアメリカの支配階級はソ連を先制核攻撃する計画を立てる。1949年に出された統合参謀本部の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 アメリカは1952年11月に水爆実験を成功させ、核分裂反応を利用した原子爆弾から核融合反応を利用した水素爆弾に核兵器の主役は移っていく。勿論、核兵器を使うには運搬手段が必要。この当時、原爆の輸送手段は爆撃機で、その任務を負っていたのがSAC(戦略空軍総司令部)だ。1948年から57年にかけてSACの司令官を務めたのは日本の諸都市で市民を焼夷弾で焼き殺し、広島や長崎に原爆を落とし、朝鮮戦争では3年間に人口の20%を殺したカーティス・ルメイ中将にほかならない。

 中国を核攻撃する場合、日本や沖縄が出撃拠点になるが、その沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵を動員した暴力的な土地接収が実施され、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。

 SACは1954年に600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%を殺すという計画を立て、57年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。そのころからアレゲーニー山脈の中、ウエストバージニア州のグリーンブライア・ホテルの地下に「地下司令部」、いわゆる「グリーンブライア・バンカー」が建設されている。完成したのは1962年だ。

 その頃、アメリカではICBMの準備が進んでいた。​統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年後半までにソ連を先制核攻撃する計画をたてた。​まだソ連がICBMの準備ができていない時点で攻撃したかったのだ。その作戦の障害になっていたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202308060000/

8. 中川隆[-11617] koaQ7Jey 2024年2月12日 13:55:11 : EZ1Kcv5cQk : TTJaaXFRS29EeHc=[16] 報告
<■104行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.02.09XML
米国の軍事顧問団が金門や澎湖に駐留、台湾の特殊部隊を訓練との報道
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202402090000/

 ​アメリカでNDAA 2023(2023年度国防権限法)が2022年12月に成立した後、アメリカの軍事顧問団が金門諸島と澎湖諸島に駐留、台湾の特殊部隊を訓練している​と伝えられている。こうした島々は中国を威嚇するだけでなく、軍事侵攻、あるいは秘密工作の拠点として想定されているはずだ。

 また、ロイターによると、アメリカ軍は中国との衝突に備え、昨年7月と8月に行われたタリスマン・セイバー演習の際、オーストラリアに装備を新たに備蓄したという。

 アメリカはオーストラリアを西太平洋における軍事的な拠点にしつつある。すでにオーストラリア、インド、そして日本と「クワド」を編成したほか、オーストラリアやイギリスと「AUKUS(A:オーストラリア、UK:イギリス、US:アメリカ)」なる軍事同盟を組織、NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。ただ、アメリカが考えているのは日米韓の軍事同盟だろう。

 ベトナム戦争を始め、東アジアから東南アジアにかけての地域における軍事作戦や秘密工作でアメリカは沖縄を拠点にしていた。沖縄の軍事基地がなければアメリカがこの地域を支配することは難しい。その沖縄と同じように台湾もアメリカにとって重要な拠点だ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたように、イギリスのウィンストン・チャーチル政権は第2次世界大戦でソ連を主敵と考えていた。そこでドイツ軍のソ連への軍事侵攻を傍観、ドイツ軍がソ連軍に敗北すると、慌てて動き始め、シチリア島上陸作戦を強行したのだ。

 反ファシズムのフランクリン・ルーズベルト米大統領が1945年4月12日に急死した翌月にドイツは降伏、チャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるように命じた。そして作成されたのが「アンシンカブル作戦」だ。その年の7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団でソ連を奇襲攻撃、「第3次世界大戦」を始める想定だったが、参謀本部の反対で発動していない。理由のひとつは、ソ連と日本が手を組む可能性にあったという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 アメリカはソ連の参戦に合わせ、8月6日に広島へ、8月9日には長崎へ原爆を投下したが、いずれもソ連を意識してのことだ。ルーズベルトが死亡したことで副大統領から大統領へ昇格したハリー・トルーマンが許可しての投下だ。

 1945年夏の段階でアメリカ空軍はソ連を「敵」と表現(Daniel Yergin, “Shattered Peace”, Houghton Mifflin, 1977)、48年後半には特殊部隊の産みの親とも言われている「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」ている。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)

 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)この段階でマックルア将軍のソ連攻撃計画が現実的なものだったかどうかは不明だが、1952年11月にアメリカは水爆実験に成功、核分裂反応を利用した原子爆弾から核融合反応を利用した水素爆弾に核兵器の主役は移っていく。

 しかし、核兵器を使うためには運搬手段が必要。この当時、原爆の輸送手段はSAC(戦略空軍総司令部)の爆撃機だ。1948年から57年までSACの司令官を務めたカーティス・ルメイ中将は大戦中、日本の諸都市に焼夷弾を落として市民を焼き殺し、広島や長崎に原爆を投下、さらに朝鮮戦争で3年間に人口の20%以上を殺した人物だ。

 SACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連や中国のほか東ヨーロッパの最重要目標に対しては水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。

 攻撃目標とされた大都市にはモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市のほか、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、そして中国の北京が含まれている。

 アメリカ軍は中国も核攻撃する計画だったが、その出撃拠点は沖縄。その沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていている。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。当時、すでにベトナムへの軍事作戦がアメリカでは検討されていたはずだが、中国への核攻撃も想定されていた。

 核攻撃の前にアメリカは朝鮮半島から中国へ軍事侵攻する計画を立てていたようだ。日本を兵站の拠点にしなければならないが、そのためには輸送に不安があってはならない。つまり国鉄の労働組合にストライキさせるわけにはいかない。そうした時、アメリカにとって好都合な3事件が国鉄で引き起こされた。

 そして朝鮮戦争だが、大戦中に日本の情報機関で活動していた人物によると、それと並行して中国でも秘密工作が進められていたという。事件のあった1949年に中華人民共和国の建国が宣言されているが、天安門に中国共産党の幹部が並んだところを砲撃して暗殺、それに合わせて偽装帰順させていた部隊を蜂起させ、国民党の体制を樹立するという計画があった。その計画は中国側に漏れて失敗したという。

 大陸で敗れた国民党は台湾へ逃げ込み、反撃のチャンスを狙う。その準備のために蒋介石たちは1949年に岡村寧次大将など旧日本軍の幹部に接近している。処刑された日本軍の軍人も少なくないが、その一方でアメリカに保護された軍人も少なくない。そのひとりが岡村だ。

 蒋介石は1949年4月に曹士徴を密使として岡村の下へ派遣、東京の高輪で岡村や富田直亮少将と会談、「台湾義勇軍」を編成することで合意し、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。

 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡っている。

 白団へ軍事情報を渡していたのは「富士倶楽部」、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たちだ。1969年に解散するまで白団は台湾で大きな影響力を維持していた。

 その後も台湾はアメリカの帝国主義者にとって中国を侵略するための拠点であり、沖縄問題とも密接に関係している。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202402090000/

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