★阿修羅♪ > U9Hex3AXCeM > 100000
 
g検索 U9Hex3AXCeM  
 
U9Hex3AXCeM コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acas/u/u9/u9h/U9Hex3AXCeM/100000.html
[原発・フッ素47] 東電労組を擁護する恐ろしいネトサヨ  赤かぶ
8. 2017年2月10日 18:21:37 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[1]
東電労組・連合をつぶしてください。
東電労組・連合は自分達だけの利益を追求する圧力団体。
東電労組・連合・朝日新聞をつぶしてください。
サヨクは歓迎します。
by 日刊ゲンダイ・東京新聞の読者。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/470.html#c8
[政治・選挙・NHK224] 日本会議のアホどもに騙される前に、読んでおくべき記事と思う。「妹に薬飲ませ…失った記憶」  赤かぶ
6. 2017年4月20日 17:35:44 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[2]
『ご真影で国民を操る』  岩手日報にみる20世紀の記憶
 1915(大正4)年10月、川井村で宮古行きの乗合自動車が、閉井川に転落して6人が死傷した。
 自動車には、大正天皇の写真を宮古地方の小学校に届ける一行と、乗客が乗っていた。
 新聞は「ご真影(天皇の写真)をお運びする盛宮自動車が川に転落、恐れ多くも県庁で授かったご真影19枚は、丈夫な箱に納め、綿を詰め、三重に包装してあったので破損なく、誠に天の喜び」と報じ、その後に死傷者の名前を掲載した。(10月29日)
 運転手は「ご真影を預かる重い責任を持ちながら、なんたる不注意」ときつく叱られ送検された。人の命より写真が大事であった。
 憲法に「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定され、学校では祝日ごとに天皇・皇后の写真に敬礼、教育勅語を聞かされ、君が代を歌わされた。この反復で国民を操るのである。
 やがて「死は鴻毛(こうもう=羽毛)よりも軽し」となる・・・いやな時代。
(及川和哉・県文化財愛護協会理事長)
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/419.html#c6
[政治・選挙・NHK224] 回数を重ねる事しか誇れるものがない安倍・プーチン首脳会談  天木直人 赤かぶ
16. 2017年4月28日 19:01:24 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[3]
「ロシアは国際社会から孤立してない」と宣伝に使われるだけの日露会談。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/788.html#c16
[政治・選挙・NHK224] 日本政府は北朝鮮のミサイル発射を国民に警告できない 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
26. 2017年4月30日 02:17:30 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[4]
 政府によると、平成28年2月に北朝鮮がミサイルを発射した際は、約4分後に情報を発信。その約7分後に沖縄県先島諸島上空を通過した。この事例から、政府は着弾より早く発射情報や屋内避難の呼びかけを住民に伝えられるとみる。
4/17産経新聞「Jアラート 効果どこまで 命守る迅速避難…認知度不足懸念も」から

しかしこれは、事前通告され、いつ、どこから、どのような軌道で発射され落下物がどこに落ちるとわかっていたケース。

 北朝鮮は2016年2月2日に、国際機関に対して、打ち上げ期間を8日〜25日の間で午前7時30分〜午後0時30分の間に「衛星を打ち上げる」とし、落下予告区域を事前に通知していたが、6日には打ち上げ期間を7日-14日の間に変更した。
 北朝鮮は2月7日午前9時30分頃、「西海衛星発射場」から地球観測用の人工衛星「光明星4号」(テポドン2(改))の打ち上げに成功した、と発表した。
 米国の戦略軍統合宇宙運用センターは7日「2個の物体が周回軌道に乗り、うち1つは衛星、他の1つは3段目のロケットの燃え殻」と発表した。

 事前通告されなかった場合
 北朝鮮は2016年8月3日午前7時53分頃ノドンミサイルを発射。約10分以内に秋田県男鹿半島沖約250kmの日本の排他的経済水域内に落下したが、防衛省が「ノドン」発射の第1報を発表したのはその1時間以上後の9時8分で、落下地点も特定されていなかった。
 サイル防衛に当たるはずのイージス艦や、陸上の要地防衛用の「PAC3」ミサイル部隊に「破壊措置命令」は出されず、全国の市町村の防災無線、有線放送などを通じて警報を出すはずの「Jアラート」も役に立たなかった。
 防衛省は「北朝鮮から事前の通告がなかった」「移動式発射機から発射されたため兆候がつかめなかった」と釈明。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/829.html#c26

[政治・選挙・NHK226] これぞ対照的! 前川前次官が『報ステ』で知性全開した日、安倍首相がヘイトデマ拡散の須田慎一郎のラジオで個人攻撃(リテラ) 赤かぶ
28. 2017年6月05日 04:42:17 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[5]
『そこまで言って委員会』2016/9/25『ニュース女子』2016/9/5で須田慎一郎氏が北方領土四島一括返還がほぼ確実と主張!
右翼はこんな番組を見て勉強しているのか?ごくろうさん。
http://www.asyura2.com/17/senkyo226/msg/711.html#c28
[政治・選挙・NHK231] 今年の8月、反戦・平和の報道でよみがえったNHK/新たな事実、証言、証拠を発掘したドキュメンタリー(リベラル21) gataro
14. 2017年8月22日 05:05:33 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[6]
>>8さん
>「実は、占守島で日本軍の守備隊が必死に戦った結果、北海道北部がソ連に占領されないで済んだんじゃないか……。これは、驚くべき話です」(池上彰氏)
占守島の戦いがなければ、戦後の日本の歴史は、多かれ少なかれ変わっていた可能性が高い。


北海道(半分)がソ連に占領されないで済んだんのは、占守島で日本軍の守備隊が必死に戦った結果ではない。トルーマンとスターリンの往復書簡で、北海道は米国が千島はソ連が占領すると話がついていて、それが実行に移されたに過ぎない。

wiki 「北方領土問題」から
トルーマンの「一般命令第一号」原案では、千島列島の日本軍がソ連に降伏するとされていなかったため、スターリンは、ヤルタ協定に基づき、赤軍に対し降伏させるようトルーマンに要求。トルーマンはスターリンの要求を受け入れた。しかし、同時にスターリンが要求した、北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。他方、米国側はソ連に対し、千島列島中部の一島に米軍基地を設置させるよう要求したが、スターリンに拒否された。


NHKスペシャル 『これがソ連の対日外交だ〜秘録・北方領土交渉』 91年4月14日放送 7月20日出版から

P68
北海道の北半分を要求するスターリンの書簡は、8月16日ホワイトハウスに届いた。間髪を入れないクレムリンからの返答に対して、トルーマンもただちに回答している。こちらも、なかなかしたたかな内容である。

「8月16日付け書簡の回答として、千島列島のすべてをソ連極東軍に明け渡す領域に含むよう一般命令第一号≠修正することに同意します。

しかし、アメリカ政府は千島列島に(できれば中央に位置する島に)、軍事並びに商用目的の水陸両用の航空基地の権利を望んでいることを理解していただきたいと思います。あなたが、そのような取り決めに賛成すると知らせていただければ幸いです。

その位置や他の詳細事は、両政府の特別代表をこの目的のために任命すれば、解決するということです。

北海道の日本軍がソ連軍に降伏するという件についてのあなたの提案ですが、それに関しては日本固有の全島(北海道、本州、四国、九州)の日本軍はマッカーサー将軍に降伏するというのが私の考えです」

両者の間で行き交う往復書簡は、まさに政治的な駆け引きに満ち満ちている。まず、トルーマンが千島列島をソ連の領有から外せば、スターリンは実力行使で北海道まで占領すると切り返す。それに対してトルーマンは少し引き下がり、ヤルタで約束された千島列島に関しては譲歩して、北海道占領の要求はまるで無かったかのように従来の主張を繰り返した。それだけではない。千島列島を譲歩するに際して、至極当然の如く島の軍事使用権を、交換条件のように求めているのである。

虚実を尽くしての駆け引きは、この後も続いていく。

P74
日米政治史を研究するアメリカ・ビラノバ大学のガリッキオ博士は、トルーマンが往復書簡で述べた真意の背景を、次のように分析している。

「ソ連が千島列島の領土を主張した時、アメリカの軍部では、それを認めよという意見が多数を占めました。何故なら、それは沖縄や中部太平洋の島々を、米海軍が手に入れることの支援材料になると考えたからです。ソ連の千島列島領有を認めておけば、アメリカもこれらの島を領有することを正当化できると計算したのです。統合参謀本部で大統領代理を務め、スターリンとの往復書簡も作成したリーヒ提督も、そうした考えに立つひとりでした」

こうした事情から、アメリカは何やかやと注文をつけながらも結局、ソ連への千島列島譲渡を認めたのである。

トルーマンから"千島列島を譲ってもよい”との、最終的な了解を得たと判断したスターリンは、ただちに極東に指令を発し千島列島進攻作戦を開始することになる。それは、アメリカの態度が再び変化することを恐れ、速やかに占領を既成事実とするためであった。

P74
千島列島進攻作戦は、トルーマン大統領が千島列島のソ連領有を往復書簡で承認した8月18日に開始された。そして、その完了予定日は、日本が降伏文書に調印する9月2日の前日までとされていた。
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/114.html#c14

[政治・選挙・NHK233] 衆院解散 自由党・小沢一郎代表「政権交代のため、いかにすべきか考えたい」 前原・小池を仲介した黒幕は小沢一郎だと産経新聞 真っ逆様に堕ちて落死
27. 2017年9月28日 21:25:01 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[7]
20年以上前のある出来事を思い出した。この出来事をきっかけに羽田内閣は64日間の短命政権に終わり、社会党は社民党という弱小政党に転落していった。

94年小沢一郎がやったこと

1994年(平成6年)4月、新生党党首であった羽田孜が衆参両院で首班指名を受けた直後、民社党委員長の大内啓伍が統一会派の結成を発表した。

大内の思惑は、新生党代表幹事の小沢一郎、公明党書記長の市川雄一、民社党書記長の米沢隆のいわゆる「ワン・ワン・ライス」と言われる実力者が非自民政権の運営に影響力を発揮する中、自らの求心力を高めるとともに、与党第一党の日本社会党の影響力低下を図ったものである。

社会党の影響力低下を狙う小沢は大内の提案に賛同し、新生党、日本新党、民社党、自由党、改革の会の5会派は大内の提案に賛同し衆議院で統一会派「改新」を結成した。これによって74議席の日本社会党の倍近い130議席を持つ衆議院第二会派が誕生した。

しかし、これに対して社会党と新党さきがけが反発。翌26日未明に社会党は政権離脱を表明した。さきがけは閣外協力に転じ、予算案に賛成する点を除いて事実上の野党となった。5月、少数与党になった責任を取り大内は委員長を辞任した。

6月、羽田内閣は総辞職し、社会党委員長の村山富市が自民・さきがけの支持を受け首班指名され村山内閣が発足し、非自民勢力は下野する。
(改新 - Wikipediaから)


96年鳩山由紀夫がやったこと

14年前(96年)の夏に戻ろう。小選挙区を中心とする選挙区で「自民対新進」の構図が出来つつあった。二大政党の狭間で、当時の社会党やさきがけは埋没する危険があり、「第三極」として民主党結成の準備が進んだ。この第一次民主党とは、当時の社会党(党名変更して社民党)とさきがけが合流する形でつくられようとしてきた。

ところが、96年夏には「排除の論理」という言葉が鳩山由紀夫氏から出てきた。武村正義元官房長官や、村山元総理など両党の重鎮は「新党に参加するのは御遠慮願いたい」というのが「排除の論理」だった。当初、社民党は丸ごと民主党に合流する予定だったが、「合流出来るかどうかは選別させてもらう」という「排除の論理」の前で常任幹事会は「民主党合流」の方針を覆し、「総選挙は社民党で戦う」と転換した。しかし、すでに多くの国会議員は民主党に移り、社民党は土井たか子元議長が党首に就任して総選挙を迎える。

この「排除の論理」は、鳩山由紀夫・菅直人というふたりの政治家にとって、政治的に正しい判断であると言われてきた。私は、古い人間なのかもしれないが強烈な違和感を持ったことを覚えている。政治家が動くときに「その選択は得か、損か」という物差しを当てて推し量ることは必要だが、「得」を追って「徳」を失うことは慎むべきだと考えたからだ。
(保坂展人のどこどこ日記 2010年08月26日から)
http://www.asyura2.com/17/senkyo233/msg/144.html#c27

[政治・選挙・NHK246] ネトウヨよ、黙ってないで、なんとか言え!   赤かぶ
15. 2018年6月24日 20:16:37 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[8]
日本は米国の番犬。
番犬は勝手に吠える相手を決めることができない。
決めるのは主人である米国。
主人の大切なお客様ならば蹴とばされても大人しく尻尾を振っていなければならない。
主人が吠えろと言えば頭をなでてくれる優しい人でも牙を剥いて吠えなければならない。
主人は、吠えさせた番犬を黙らせて自分だけ相手国と仲良くなったりする。
日本は番犬。いつまでたっても本当の友人ができない。
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/733.html#c15
[政治・選挙・NHK252] デマを創る人、拡散する人、信じる人。(谷間の百合) 赤かぶ
9. 2018年10月12日 22:16:37 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[9]
昭和天皇自らが米軍の沖縄をはじめ琉球諸島の占領統治を希望し、米政府にも表明していた。
『世界』1979年4月号 新藤栄一筑波大教授
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/187.html#c9
[政治・選挙・NHK254] “北方領土は大戦の結果 ロシア領になった”日本に容認要求 ラブロフ外相  赤かぶ
8. 2018年12月08日 22:49:34 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[10]
ソ連は連合国の一員として千島を占領してる。

wiki 「北方領土問題」から
トルーマンの「一般命令第一号」原案では、千島列島の日本軍がソ連に降伏するとされていなかったため、スターリンは、ヤルタ協定に基づき、赤軍に対し降伏させるようトルーマンに要求。トルーマンはスターリンの要求を受け入れた。しかし、同時にスターリンが要求した、北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。他方、米国側はソ連に対し、千島列島中部の一島に米軍基地を設置させるよう要求したが、スターリンに拒否された。


NHKスペシャル 『これがソ連の対日外交だ〜秘録・北方領土交渉』 91年4月14日放送 7月20日出版から

P68
北海道の北半分を要求するスターリンの書簡は、8月16日ホワイトハウスに届いた。間髪を入れないクレムリンからの返答に対して、トルーマンもただちに回答している。こちらも、なかなかしたたかな内容である。

「8月16日付け書簡の回答として、千島列島のすべてをソ連極東軍に明け渡す領域に含むよう一般命令第一号≠修正することに同意します。

しかし、アメリカ政府は千島列島に(できれば中央に位置する島に)、軍事並びに商用目的の水陸両用の航空基地の権利を望んでいることを理解していただきたいと思います。あなたが、そのような取り決めに賛成すると知らせていただければ幸いです。

その位置や他の詳細事は、両政府の特別代表をこの目的のために任命すれば、解決するということです。

北海道の日本軍がソ連軍に降伏するという件についてのあなたの提案ですが、それに関しては日本固有の全島(北海道、本州、四国、九州)の日本軍はマッカーサー将軍に降伏するというのが私の考えです」

両者の間で行き交う往復書簡は、まさに政治的な駆け引きに満ち満ちている。まず、トルーマンが千島列島をソ連の領有から外せば、スターリンは実力行使で北海道まで占領すると切り返す。それに対してトルーマンは少し引き下がり、ヤルタで約束された千島列島に関しては譲歩して、北海道占領の要求はまるで無かったかのように従来の主張を繰り返した。それだけではない。千島列島を譲歩するに際して、至極当然の如く島の軍事使用権を、交換条件のように求めているのである。

虚実を尽くしての駆け引きは、この後も続いていく。

P74
日米政治史を研究するアメリカ・ビラノバ大学のガリッキオ博士は、トルーマンが往復書簡で述べた真意の背景を、次のように分析している。

「ソ連が千島列島の領土を主張した時、アメリカの軍部では、それを認めよという意見が多数を占めました。何故なら、それは沖縄や中部太平洋の島々を、米海軍が手に入れることの支援材料になると考えたからです。ソ連の千島列島領有を認めておけば、アメリカもこれらの島を領有することを正当化できると計算したのです。統合参謀本部で大統領代理を務め、スターリンとの往復書簡も作成したリーヒ提督も、そうした考えに立つひとりでした」

こうした事情から、アメリカは何やかやと注文をつけながらも結局、ソ連への千島列島譲渡を認めたのである。

トルーマンから"千島列島を譲ってもよい”との、最終的な了解を得たと判断したスターリンは、ただちに極東に指令を発し千島列島進攻作戦を開始することになる。それは、アメリカの態度が再び変化することを恐れ、速やかに占領を既成事実とするためであった。

P74
千島列島進攻作戦は、トルーマン大統領が千島列島のソ連領有を往復書簡で承認した8月18日に開始された。そして、その完了予定日は、日本が降伏文書に調印する9月2日の前日までとされていた。


Wiki 「一般命令第一号」 
一般命令第一号(いっぱんめいれいだいいちごう)とは、日本の降伏に向けて、アメリカ統合参謀本部が作成し、1945年(昭和20年)8月17日にハリー・S・トルーマン大統領が認可した命令である。

一般命令第一号は、1945年9月2日に日本の降伏に続いて、大日本帝国の代表者に対してダグラス・マッカーサー元帥が発令し、大日本帝国の大本営が日本軍に対して発令した。一般命令第一号は、日本軍に対し、指定された連合国の指揮官に降伏し、すべての現時点での部隊配置を明らかにし、後日の武装解除に向けて軍備を保存するよう指示した。連合国最高司令官指令(SCAPIN)の1番目の指令である。

一般命令第一号はまた、のちに生じる北緯38度線における朝鮮分割の誘因に影響を及ぼすものであった。北緯38度線以北の日本軍はソビエト連邦極東軍最高司令官に対して降伏し、以南の日本軍はアメリカ合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官に対して降伏するよう命じられた。これは一般命令第一号の第1条第ロ号および第ホ号に基づくものである。


外務省外交史料館 降伏と占領開始を告げる二つの文書
「降伏文書」「指令第一号」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page22_002192.html
「一般命令第一号」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000097066.pdf
(ロ)満洲、北緯三十八度以北ノ朝鮮、樺太及千島諸島ニ在ル日本国ノ先任指揮官並ニ一切ノ陸上、海上、航空及補助部隊ハ「ソヴィエト」極東軍最高司令官ニ降伏スベシ
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/663.html#c8

[政治・選挙・NHK254] “北方領土は大戦の結果 ロシア領になった”日本に容認要求 ラブロフ外相  赤かぶ
9. 2018年12月08日 22:55:42 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[11]
GHQ「一般命令第一号」によって認められたソ連の千島諸島の占領だが、当時の日本の行政区分では択捉、国後、色丹までが千島となっていた。つまりソ連は千島と千島ではない歯舞(根室の一部)まで占領してしまったのだ。
なぜソ連は千島ではない歯舞に、しかも降伏文書調印後に侵攻したのか?

2011/12/8 NHK BSプレミアム 戦争証言スペシャル 『運命の22日間 ▽千島・サハリン(樺太)はこうして占領された』から

降伏文書調印後もソビエト軍の侵攻は続いた。9月4日午前3時5分歯舞群島に突然ソビエト軍が上陸を開始した。5つの島々にはおよそ5千人が暮らしていた。
----------------------------------------------------------------------------------
9月5日午後7時までに歯舞群島の日本軍は武装解除された。なぜ降伏文書調印の3日後に占領されたのか?カリフォルニア大学の長谷川毅教授はロシアの研究者とともにこの占領の経緯を示す機密文書を発見した。それによればソビエト太平洋艦隊司令部の本来の命令は、歯舞群島への偵察を行い占領作戦の計画を提出せよというものだった。さらに司令部から命令があるまで占領してはならないとされていた。この命令は極東軍のチェチェリン少佐に無線で伝えられることになっていた。

長谷川教授
「日本の領土だからアメリカがどのような態度をとるかということがまだ分からない。だから非常に慎重だったわけですね。ところがチェチェリンとの通信というのは霧の中で非常に悪かった。チェチェリンは何を要求されているのか分からなくて実は実行してしまうわけですね」
司令部からの通信が無線士の訓練不足で不良だったためチェチェリン少佐に命令を説明することができなかったのである。
----------------------------------------------------------------------------------
チェチェリン少佐から占領完了の報告を受けたソビエト軍司令部は一時困惑する。ソビエト上層部が懸念したのはアメリカの反応だった。しかし降伏文書調印後の占領に対しアメリカが抗議したという記録は残されていない。

米ビラノバ大学 ガレッキオ教授
「アメリカにとって本州と北海道、四国などの島々を確保することが最優先課題だったのです。次の課題は朝鮮半島の南部と中国でした。アメリカはソビエトから介入されることなく日本本土を占領できたことに皆、胸をなでおろしていました」
http://www.asyura2.com/18/senkyo254/msg/663.html#c9

[政治・選挙・NHK256] ロシアが北方領土を「不法占拠」しているという考えは誤り 日本外交と政治の正体(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
37. 2019年2月02日 14:53:56 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[12]
勘違いしないでください。
ロシアが不法占拠しているのではないと言ってるのは北方領土を放棄するべきだということではありません。
二島返還であっても、領土・領空・領海をきっちり返してもらわななければならないので『引き渡し』の解釈をかってに変えるなと言ってるのです。
分かりますか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/907.html#c37
[政治・選挙・NHK257] 「4島返還」が姿を消し、会場を立ち去った安倍晋三!   赤かぶ
19. 2019年2月09日 12:57:53 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[13]
北海道の北半分がソ連に占領されないで済んだんのは、占守島で日本軍の守備隊が必死に戦った結果ではない。トルーマンとスターリンの往復書簡で、北海道は米国が千島はソ連が占領すると話がついていて、それが実行に移されたに過ぎない。
ソ連は連合国の一員として千島を占領したのだ。

wiki 「北方領土問題」から
トルーマンの「一般命令第一号」原案では、千島列島の日本軍がソ連に降伏するとされていなかったため、スターリンは、ヤルタ協定に基づき、赤軍に対し降伏させるようトルーマンに要求。トルーマンはスターリンの要求を受け入れた。しかし、同時にスターリンが要求した、北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。他方、米国側はソ連に対し、千島列島中部の一島に米軍基地を設置させるよう要求したが、スターリンに拒否された。


NHKスペシャル 『これがソ連の対日外交だ〜秘録・北方領土交渉』 91年4月14日放送 7月20日出版から

P68
北海道の北半分を要求するスターリンの書簡は、8月16日ホワイトハウスに届いた。間髪を入れないクレムリンからの返答に対して、トルーマンもただちに回答している。こちらも、なかなかしたたかな内容である。

「8月16日付け書簡の回答として、千島列島のすべてをソ連極東軍に明け渡す領域に含むよう一般命令第一号≠修正することに同意します。

しかし、アメリカ政府は千島列島に(できれば中央に位置する島に)、軍事並びに商用目的の水陸両用の航空基地の権利を望んでいることを理解していただきたいと思います。あなたが、そのような取り決めに賛成すると知らせていただければ幸いです。

その位置や他の詳細事は、両政府の特別代表をこの目的のために任命すれば、解決するということです。

北海道の日本軍がソ連軍に降伏するという件についてのあなたの提案ですが、それに関しては日本固有の全島(北海道、本州、四国、九州)の日本軍はマッカーサー将軍に降伏するというのが私の考えです」

両者の間で行き交う往復書簡は、まさに政治的な駆け引きに満ち満ちている。まず、トルーマンが千島列島をソ連の領有から外せば、スターリンは実力行使で北海道まで占領すると切り返す。それに対してトルーマンは少し引き下がり、ヤルタで約束された千島列島に関しては譲歩して、北海道占領の要求はまるで無かったかのように従来の主張を繰り返した。それだけではない。千島列島を譲歩するに際して、至極当然の如く島の軍事使用権を、交換条件のように求めているのである。

虚実を尽くしての駆け引きは、この後も続いていく。

P74
日米政治史を研究するアメリカ・ビラノバ大学のガリッキオ博士は、トルーマンが往復書簡で述べた真意の背景を、次のように分析している。

「ソ連が千島列島の領土を主張した時、アメリカの軍部では、それを認めよという意見が多数を占めました。何故なら、それは沖縄や中部太平洋の島々を、米海軍が手に入れることの支援材料になると考えたからです。ソ連の千島列島領有を認めておけば、アメリカもこれらの島を領有することを正当化できると計算したのです。統合参謀本部で大統領代理を務め、スターリンとの往復書簡も作成したリーヒ提督も、そうした考えに立つひとりでした」

こうした事情から、アメリカは何やかやと注文をつけながらも結局、ソ連への千島列島譲渡を認めたのである。

トルーマンから"千島列島を譲ってもよい”との、最終的な了解を得たと判断したスターリンは、ただちに極東に指令を発し千島列島進攻作戦を開始することになる。それは、アメリカの態度が再び変化することを恐れ、速やかに占領を既成事実とするためであった。

P74
千島列島進攻作戦は、トルーマン大統領が千島列島のソ連領有を往復書簡で承認した8月18日に開始された。そして、その完了予定日は、日本が降伏文書に調印する9月2日の前日までとされていた。


Wiki 「一般命令第一号」 
一般命令第一号(いっぱんめいれいだいいちごう)とは、日本の降伏に向けて、アメリカ統合参謀本部が作成し、1945年(昭和20年)8月17日にハリー・S・トルーマン大統領が認可した命令である。

一般命令第一号は、1945年9月2日に日本の降伏に続いて、大日本帝国の代表者に対してダグラス・マッカーサー元帥が発令し、大日本帝国の大本営が日本軍に対して発令した。一般命令第一号は、日本軍に対し、指定された連合国の指揮官に降伏し、すべての現時点での部隊配置を明らかにし、後日の武装解除に向けて軍備を保存するよう指示した。連合国最高司令官指令(SCAPIN)の1番目の指令である。

一般命令第一号はまた、のちに生じる北緯38度線における朝鮮分割の誘因に影響を及ぼすものであった。北緯38度線以北の日本軍はソビエト連邦極東軍最高司令官に対して降伏し、以南の日本軍はアメリカ合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官に対して降伏するよう命じられた。これは一般命令第一号の第1条第ロ号および第ホ号に基づくものである。

外務省外交史料館 降伏と占領開始を告げる二つの文書
「降伏文書」「指令第一号」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page22_002192.html
「一般命令第一号」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000097066.pdf
(ロ)満洲、北緯三十八度以北の朝鮮、樺太及千島諸島に在る日本国ノ先任指揮官並に一切の陸上、海上、航空及補助部隊は「ソヴィエト」極東軍最高司令官ニ降伏すべし
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/322.html#c19

[政治・選挙・NHK257] <産経新聞は、大きな過ちをした!>北方領土交渉にとどめを刺したガルージン駐日ロ大使の反論  天木直人 赤かぶ
25. 2019年2月09日 13:24:17 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[14]
「四島は日本固有の領土」という表現はどこから来たのか?
(NHKスペシャル『これがソ連の対日外交だ』)

45年8月17日 (スターリン書簡へのトルーマンの回答)→P68 
北海道、本州、四国、九州が日本固有の全島

51年9月8日 (講和条約調印)→P118・119
日本の4島に対する権利の主張を、アメリカは一切支持しない。

54年9月25日 (米国のソ連への抗議書)→P124
歯舞、色丹の2島はサンフランシスコ講和条約で日本が放棄した千島列島には含まれない日本固有の領土。(国後・択捉は日本が放棄した千島列島に含まれれる。日本固有の領土ではない) 

55年8月9日 (日ソ国交回復交渉)→P130
ソ連が歯舞、色丹の二島返還を提案

55年8月29〜31日 (日米外相会談)→P133・134
ダレス国務長官がソ連からの2島返還提案に強い懸念を表明

56年8月19日 (日米外相会談)→P144
もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、沖縄をアメリカの領土にする(ダレスの恫喝)

56年9月7日 (領土問題に関する覚書)→P145・P146
ソ連に千島列島を引き渡すとしたヤルタ協定は無効であると主張。
歯舞、色丹、国後、択捉の4島は日本の領土であり、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した千島列島には含まれない。

P146
アメリカ政府の覚書は、北方4島が日本の領土であると認めることによって、日本政府に対し2島返還でソ連に妥協しないように圧力をかける狙いがあったことは明らかである。
 
アメリカは、米ソ関係と日ソ関係の推移に応じて千島列島を駆け引きの材料とし、日ソ交渉に公然と介入してきた。そして千島列島と北方4島の帰属先についても、その見解をくるくると変え、日本側に圧力をかけたのである。まず、アメリカは、ヤルタ会談では、ソ連の対日参戦を取り付けるため、日本の頭越しに千島列島をソ連に引き渡すことに同意した。しかし、戦後、米ソの冷戦が激化すると、アメリカは、サンフランシスコ講和会議で、日本に千島列島を放棄させながら、その帰属先を明確にせず、その一方で、歯舞、色丹については日本の固有の領土であると主張した。しかし、その後、フルシチョフが日ソ関係改善を打ち出し、歯舞、色丹の2島を返還する姿勢を見せると、ただちに今度はヤルタ協定は無効だとしたうえ、国後、択捉をも含む4島が日本の領土であると見解を変え、日本に2島返還で妥協しないように迫ったのである。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/340.html#c25

[政治・選挙・NHK257] 「ロシアが北方領土を不法占拠」というのも"半嘘"だ?(サンデー毎日)  赤かぶ
14. 2019年2月15日 23:42:06 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[15]
>歯舞色丹にソ連軍が上陸侵攻したのはミズリー号での降伏文書調印後のことであって、法的にも戦後の新たな侵略である。

一部違うところがあります。色丹に上陸したのは9月1日で調印前です。色丹は地理的には千島列島ではありませんが、当時の日本の行政区分では千島に属してました。(明治17年までは根室の一部)

なぜソ連は千島ではない歯舞に、しかも降伏文書調印後に侵攻したのか?

2011/12/8 NHK BSプレミアム 戦争証言スペシャル 『運命の22日間 ▽千島・サハリン(樺太)はこうして占領された』から

降伏文書調印後もソビエト軍の侵攻は続いた。9月4日午前3時5分歯舞群島に突然ソビエト軍が上陸を開始した。5つの島々にはおよそ5千人が暮らしていた。
----------------------------------------------------------------------------------
9月5日午後7時までに歯舞群島の日本軍は武装解除された。なぜ降伏文書調印の3日後に占領されたのか?カリフォルニア大学の長谷川毅教授はロシアの研究者とともにこの占領の経緯を示す機密文書を発見した。それによればソビエト太平洋艦隊司令部の本来の命令は、歯舞群島への偵察を行い占領作戦の計画を提出せよというものだった。さらに司令部から命令があるまで占領してはならないとされていた。この命令は極東軍のチェチェリン少佐に無線で伝えられることになっていた。

長谷川教授
「日本の領土だからアメリカがどのような態度をとるかということがまだ分からない。だから非常に慎重だったわけですね。ところがチェチェリンとの通信というのは霧の中で非常に悪かった。チェチェリンは何を要求されているのか分からなくて実は実行してしまうわけですね」
司令部からの通信が無線士の訓練不足で不良だったためチェチェリン少佐に命令を説明することができなかったのである。
----------------------------------------------------------------------------------
チェチェリン少佐から占領完了の報告を受けたソビエト軍司令部は一時困惑する。ソビエト上層部が懸念したのはアメリカの反応だった。しかし降伏文書調印後の占領に対しアメリカが抗議したという記録は残されていない。

米ビラノバ大学 ガレッキオ教授
「アメリカにとって本州と北海道、四国などの島々を確保することが最優先課題だったのです。次の課題は朝鮮半島の南部と中国でした。アメリカはソビエトから介入されることなく日本本土を占領できたことに皆、胸をなでおろしていました」
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/510.html#c14

[政治・選挙・NHK257] 「ロシアが北方領土を不法占拠」というのも"半嘘"だ?(サンデー毎日)  赤かぶ
27. 2019年2月17日 05:49:48 : o3NsyVnZIU : U9Hex3AXCeM[16]
>ダレスの発言は、松本が述べているように、既に鳩山首相が2島返還での妥結を拒否した後のことである。ダレスにこう言われてわが国が2島返還論から4島返還論に転じたのではない。

鳩山首相が2島返還での妥結を拒否したのが56年8月12日で、日米外相会談(ダレスの恫喝)はその後の8月19日です。8月19日会談が7月31〜8月12日交渉に影響を与えることはありません。ただ重光とダレスは55年8月29〜31日に会ってます。


55年8月9日 (日ソ国交回復交渉)→P130
ソ連が歯舞、色丹の二島返還を提案

55年8月29〜31日 (日米外相会談)→P133・134
ダレス国務長官がソ連からの2島返還提案に強い懸念を表明

56年7月31〜8月12日(重光・シェピーロフ日ソ国交回復交渉)

56年8月19日 (日米外相会談)→P144
もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、沖縄をアメリカの領土にする(ダレスの恫喝)

P130
フルシチョフの積極外交は、領土問題で難航していた日ソ国交回復交渉にもひとつの風穴を開けようとした。交渉開始から二ヶ月が過ぎた1955年8月9日、ソ連のマリク全権が突然一つの譲歩案を示した。それは、ソ連が歯舞、色丹の二島を返還する用意があるという日本側にとって思いがけない内容のものであった。

P133・134
松本は、このソ連側の譲歩案を直ちに東京に機密電報で送った。しかし、この松本電の内容は、鳩山首相には届かなかった。鳩山は、重光外相が日ソ交渉に関する報告を回さなかったと、回想録に次のように書いている。
「私はロンドンからの情報を得るのに随分不自由した。外務省には松本君からの会議の模様を詳細に報告したものが届いていると思うけれども、外務省にいくら催促しても、それらしいものをわたしの手許にまわしてよこさない。来るものは大雑把な電報だけである。案の定、ロンドンにいた河野君から松本君からは確かに詳細な報告を送っていると言ってきたが、とうとう最後まで私の目にはふれなかった」

重光は、二島返還というソ連の重大な譲歩案を鳩山に報告せず、外務省内部だけで処理した。日ソ交渉に消極的だった重光は、親米派の外務省幹部らとひそかに対応策を協議、歯舞、色丹だけの返還で満足するべきでなく、国後、択捉を含めた4島返還を要求するべきだとの結論に達した。そして、重光は、8月23日、日米外相会談のためワシントンへ向かった。
 
このころアメリカ国務省では、鳩山内閣の対ソ政策を詳細に分析していた。“ポジションペーパー”と呼ばれる国務省の内部文書にはこう書かれてる。
「鳩山首相は、ソ連との関係正常化を果たして、政治的な人気を得ようとしている。そのため、ソ連からの小さな譲歩を直ちに受け入れようとするだろう。その可能性は高いと考えられる」

ダレスはこの国務省の方針通り、ワシントンを訪れた重光外相がソ連から2島返還の提案があったことを報告したことに対し、強い懸念を表明した。重光・ダレス会議の議事録には、こう記されてる。
「私はソ連との交渉は、まだ長い道のりが続くだろうと予想している。私の経験から考えて、ソ連に対して妥協しても,得られるのはほんのわずかなものだろう」

(NHKスペシャル『これがソ連の対日外交だ』)

“ポジションペーパー”の分析が正しければ鳩山首相は二島返還で平和条約を結ぶ可能性が高かったことになる。
ダレスの言う「長い道のり」とは返せ!返さない!という不毛な領土論争を日ソ(ロ)両国は永遠にやってろということではないか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/510.html#c27

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > U9Hex3AXCeM > 100000  g検索 U9Hex3AXCeM

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。