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[近代史4] ミヒャエル・エンデの世界 中川隆
10. 中川隆[-12579] koaQ7Jey 2020年5月28日 08:04:17 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[1]
2020/5/27 18:33
投稿者:777

ここのコメントを読んでいても、チャンネル桜のアホ評論家の嘘に騙されている人ばかりですね。

大西さんがャンネル桜のアホ評論家の間違いを正確に指摘していますね:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話はエンデの話を敷衍しただけですけどね

1999年5月4日 エンデの遺言 金融資本主義の問答。
https://www.youtube.com/watch?v=0oFSrTxYKHw&feature=emb_title

2001年 続エンデの遺言 坂本龍一 銀行の"未来"
https://www.youtube.com/watch?v=wPtV4KKhbeY&feature=emb_title


2020/5/27 18:42
投稿者:人力
777さん

エンデって「ネバーエンディングストーリー」のミヒャエル.エンデですが?そこまで行くか。ウィーン学派周辺はケインズ主義と仲が悪かった。新自由主義はウィーン学派の振りをしたハイパー.ケイジアンという事で良いのでしょうか。「最後は政府がお金を出して賭博のツケまで支払ってくれる」

2020/5/27 21:03
投稿者:777
日本女性と結婚したミヒャエル・エンデですよ

ミヒャエル・エンデ 『モモ』(Momo)

Momo (1986) - english audio
https://www.youtube.com/watch?v=8Q_JYYcBP2Q&feature=emb_title


モモ
1986年 西ドイツ・イタリア
監督:ヨハネス・シャーフ
主演:ラドスト・ボーケル

▲△▽▼

FMシアター秀作シリーズ「モモ」
https://www.youtube.com/watch?v=0gd0zMfwZTI&feature=emb_title

モモ:宮城まり子、
マイスター・ホラー:森繁久彌、
観光ガイドジジ:橋爪功

『モモ』(Momo)は、ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品。1973年刊。1974年にドイツ児童文学賞を受賞した。各国で翻訳されている。特に日本では根強い人気があり、日本での発行部数は本国ドイツに次ぐ。

1986年に西ドイツ・イタリア制作により映画化された。映画にはエンデ自身が本人役で出演した。

2020/5/28 4:16
投稿者:人力
777さん

「終わりなき物語」のミハエル・エンデですね。

実は「モモ」は単行本で買った事が在るのですが10ページ読まずして、図書館に寄付してしまいました。ラノベに慣れた私には、かつての児童文学の名著は「サービス」が足りなかった・・・。バッツン・バッツンのお姉さんとか出てこないし・・。

ウィーン学派は徹底して政府の介入を嫌い、「神の見えざる手」ではありませんが、経済の自然な成長を重んじる事でケインズ学派と逆だと思われていますが、その代表格がハイエクですね。シカゴ学派は1970年代の石油危機で後のスタグフレーションで財政出動の限界によって台頭しましたが、ウィーン学派の理論を掠め取ってマネタリズムという新たな経済宗教を生み出した。

エンデはウィーン学派と同時代の「児童文学作家」ですが、児童文学者としての顔と、経済思想家としての顔を持っていた。「パン屋でパンを買うお金と、市場で投機に使われるお金は別物」という非常に現代的な通貨論の持主だった。

動画は観ていないので、私の認識の範囲でコメント欄をお読みになる方に解説してみました。

実は日本のラノベって「経済小説」って結構多いんですよ。そういった意味ではエンデのDNAはラノベの中に引き継がれています。ただ、新自由主義的なのですけどね。読み応えがあるのは『狼と香辛料』ですね。これは中世ヨーロッパのギルド制が良く分かると同時に、バブルなどの現代的な経済現象も扱っています。

https://green.ap.teacup.com/pekepon/2585.html#comment32744
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html#c10

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
279. 中川隆[-12578] koaQ7Jey 2020年5月28日 09:03:50 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[2]
2020年05月28日
深刻なマンション空き室と高齢化 「限界マンション」増加

一見おしゃれだが、バブル期に建てられた湯沢のリゾートマンション

引用:http://tsunoken.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/08/22/2013...

限界マンションが増加

都会を中心にマンションの空室増加と老朽化、住民の高齢化が同時に起こっています。

人が住める限界が近づいた物件を「限界マンション」と呼び、遠からずスラム化します。

限界**ならぬ「限界マンション」が増加しているが、一体なんの事でしょうか。

限界**は人口の50%以上が高齢者で、若者が出て行き過疎化が進んでしまった**で、全国で1万以上存在します。

一旦こうなると商店や銀行サービスなど生活基盤がなくなり、就職先も役場も郵便局もなくなります。

分譲マンションは全国で650万戸以上存在するが、昭和期に立てられたマンションが続々と「高齢化」します。

現在築40年以上のマンションは85万戸ですが、10年後に151万戸、20年後に300万戸に増加します。

老朽化したマンションには高齢者が住んでいて、40年前に30歳で購入した人は70歳になっています。

築40年以上経過したマンションでは50%のマンションで、住人が60歳以上の高齢者だけになっています。


高齢マンションは空室率も高く、10%前後が空室になっていて、限界化の原因になっています。

空室の部屋は家賃収入はともかく、管理費や修繕費を支払わないので、修繕や建て替え費用も出ない事になります。

例え空室が無かったとしても、自分が60歳を過ぎているのにお金を払って建て替えたい人は居ないでしょう。


子供はそれぞれ住居を構えて別な家族を形成しているので、戻って来る事はありません。

高齢の住人達が望んでいるのは、自分の残り人生をこのマンションで暮らす事で、変化を望んでいない。

限界マンションを掴まない為には

居住者の多くは働いていないので収入がなく、預金や生活保護、子供からの支援で暮らしています。

業者などがマンションを建て替える可能性もあるが、全世帯から買い取る必要があり、まず不可能でしょう。

このまま老朽化が進んで、崩壊の恐れが出てくると、自治体が強制的に解体する必要が生じる。


古くなったマンションは築年数に応じて売買価格が下がっていき、最後は値段がつかなくなってスラムになります。

給水設備が錆びるので赤い水が出る、安く改修するために、建物外側に水道管を取り付けます。

水道修繕費は一戸100万円にも達し、そういえば古い建物では、変な所に菅が伸びていたりします。


外壁はひび割れるが安く修理する為に、まるで壁に模様を描いたように、ヒビにそって補修の跡が残っています。

ベランダはサビだらけで窓枠などが数十年古い構造になっていて、エレベータは動けば良いほうです。

建て替えは駐車場や駐輪場、植木などがスペースを取っている場合は可能かも知れません。


余った敷地が多ければ、余り部分に建物を広げる事で、売り出せば収入になり、負担が減るからです。

逆に余分の敷地が無く、背の高いマンションは部屋数を増やせないので、高額負担になり建て替えは困難です。

最近増えているマンション投資も限界化を促進しているとされています。


投資のために中古マンションを購入した人は、住む気がないので組合に加盟せず、修繕積立金も支払いません。

それを賃貸住宅として借りた人も、やはり組合に加盟しないので滞納率が上昇します。

全国のマンションの4割では管理費滞納者を抱えていて、築年数が古いマンションほど滞納者が多い。


もし中古マンションを購入するなら、修繕をきちんとやっている事や、管理組合がしっかりしている事が必要でしょう。

最近多いゼロゼロ物件(管理費ゼロ、積立金ゼロ)は裏を返すと何もしない物件なので、既に限界化が始まっているかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/61900708.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c279

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
575. 中川隆[-12577] koaQ7Jey 2020年5月28日 09:04:52 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[3]
2020年05月28日
深刻なマンション空き室と高齢化 「限界マンション」増加

一見おしゃれだが、バブル期に建てられた湯沢のリゾートマンション

引用:http://tsunoken.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/08/22/2013...

限界マンションが増加

都会を中心にマンションの空室増加と老朽化、住民の高齢化が同時に起こっています。

人が住める限界が近づいた物件を「限界マンション」と呼び、遠からずスラム化します。

限界**ならぬ「限界マンション」が増加しているが、一体なんの事でしょうか。

限界**は人口の50%以上が高齢者で、若者が出て行き過疎化が進んでしまった**で、全国で1万以上存在します。

一旦こうなると商店や銀行サービスなど生活基盤がなくなり、就職先も役場も郵便局もなくなります。

分譲マンションは全国で650万戸以上存在するが、昭和期に立てられたマンションが続々と「高齢化」します。

現在築40年以上のマンションは85万戸ですが、10年後に151万戸、20年後に300万戸に増加します。

老朽化したマンションには高齢者が住んでいて、40年前に30歳で購入した人は70歳になっています。

築40年以上経過したマンションでは50%のマンションで、住人が60歳以上の高齢者だけになっています。


高齢マンションは空室率も高く、10%前後が空室になっていて、限界化の原因になっています。

空室の部屋は家賃収入はともかく、管理費や修繕費を支払わないので、修繕や建て替え費用も出ない事になります。

例え空室が無かったとしても、自分が60歳を過ぎているのにお金を払って建て替えたい人は居ないでしょう。


子供はそれぞれ住居を構えて別な家族を形成しているので、戻って来る事はありません。

高齢の住人達が望んでいるのは、自分の残り人生をこのマンションで暮らす事で、変化を望んでいない。

限界マンションを掴まない為には

居住者の多くは働いていないので収入がなく、預金や生活保護、子供からの支援で暮らしています。

業者などがマンションを建て替える可能性もあるが、全世帯から買い取る必要があり、まず不可能でしょう。

このまま老朽化が進んで、崩壊の恐れが出てくると、自治体が強制的に解体する必要が生じる。


古くなったマンションは築年数に応じて売買価格が下がっていき、最後は値段がつかなくなってスラムになります。

給水設備が錆びるので赤い水が出る、安く改修するために、建物外側に水道管を取り付けます。

水道修繕費は一戸100万円にも達し、そういえば古い建物では、変な所に菅が伸びていたりします。


外壁はひび割れるが安く修理する為に、まるで壁に模様を描いたように、ヒビにそって補修の跡が残っています。

ベランダはサビだらけで窓枠などが数十年古い構造になっていて、エレベータは動けば良いほうです。

建て替えは駐車場や駐輪場、植木などがスペースを取っている場合は可能かも知れません。


余った敷地が多ければ、余り部分に建物を広げる事で、売り出せば収入になり、負担が減るからです。

逆に余分の敷地が無く、背の高いマンションは部屋数を増やせないので、高額負担になり建て替えは困難です。

最近増えているマンション投資も限界化を促進しているとされています。


投資のために中古マンションを購入した人は、住む気がないので組合に加盟せず、修繕積立金も支払いません。

それを賃貸住宅として借りた人も、やはり組合に加盟しないので滞納率が上昇します。

全国のマンションの4割では管理費滞納者を抱えていて、築年数が古いマンションほど滞納者が多い。


もし中古マンションを購入するなら、修繕をきちんとやっている事や、管理組合がしっかりしている事が必要でしょう。

最近多いゼロゼロ物件(管理費ゼロ、積立金ゼロ)は裏を返すと何もしない物件なので、既に限界化が始まっているかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/61900708.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c575

[近代史4] ミヒャエル・エンデの世界 中川隆
11. 中川隆[-12576] koaQ7Jey 2020年5月28日 10:23:06 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[4]

投稿者:名無しの一読者

1999年5月4日 「エンデの遺言 金融資本主義の問答」は、一見の価値がありますね!

ミヒャエル・エンデは貨幣の持つ2面性について以下の鋭い指摘をしています。

貨幣には交換手段としての貨幣と、財産や資産としての
貨幣という2面性を合わせ持っている。
このうち財産や資産としての貨幣は世の中に流通しない
お金です。そしてこれが資本・投機の手段として使用さ
れ、実体のない数字のまま世界を駆け巡ります。現代通
貨は全く違う機能も同時に持っているのです。そしてそ
れが実体経済における生活や生産の場を混乱させている
のです。

それから資本主義は、放っておくと資産を持つ者と持た
ない者の格差がとんでもなく大きくなってしまいます。
それを是正し富の再分配を行う方法の一つとして税制に
おける累進課税制度があるのですが、実体経済とは関係
のない金融市場で大儲けした金融機関や企業、そして個
人から適切に徴税されていないのが現実です。

私は以前に民主主義がもっと進化して信頼できる政府を
作ることが出来れば、サイバー空間上に国民一人一人の
マイ金庫(企業は法人金庫)を作り、あとは政府系の金融
機関があれば民間銀行はいらないと書き込みました。
一介の金貸し業から利子を取るという手法を生み出し、
銀行や証券会社などの金融組織を構成してきた民間金融
機関の是非をそろそろ本気で考えなくてはならないと考
えていますが、どう思いますか?

投稿者:人力

銀行は預金金利がゼロになった時点で金融の主役の座から引きずり降ろされて、今となっては「安全な財布」や「金融商品の販売窓口」程度の存在となっています。

フィンテックが進化して、誰もが気軽にネットでポッチとなするだけで「金利ハント」をする時代になれば、銀行の業務は過去の経験による「信用審査」の様なものに変わって行くかも知れません。ただ、それとてビックデータとAIによる解析で代替えされようとしています。

金利が消えた先進国の国内だけ見れば、経済は金利という血圧が消えた「多臓器不全」の状態ですが、お金が海外の金融商品に投資される形で、新興国や途上国に資金が流入して、そこで得られた金利によって先進国は延命しています。これは、植民地時代とたいして変わらない状態です。

問題は先進国無いで成長産業があった時代は投資先が国内、成長力が下がった現在は投資先が海外という根本的違いが生じた事によって発生します。資金が国内で運用されないので、国内の労働者がどんどん貧しくなるのです。

これを是正する為には、成長している国への輸出を増やして流出した生長分の資金を取り戻すしか有りません。金融資本家達は「詐欺金融」によってこれを行っており、日本やドイツなどは製品輸出でこれを行っている。

私は金融市場を悪者の様に書いていますが、新興国の国民から見れば投資の資金を生み出す魔法の装置に見えるでしょう。左巻きの人達は日本政府が輸出企業に税的優遇を与え過ぎると非難しますが、輸出企業が日本の失われた利益を取り返す役割を負うならば、その産業を保護する事は政府として当然と言えます。

この様に、資産市場は世界経済を円滑に回し成長を維持する為には不可欠な存在ですが、肥大化して巨大なバブルの崩壊を繰り返す事で経済に甚大な被害を繰り返し与えています。

ただ、バブル崩壊も、「年老いて非効率になったビジネス」から「これから成長する企業」への資金と人材の移転だと考えると、安直に非難も出来ません。

結局は立ち位置によって「善にも悪にもなる」のは世の中の常で、中央銀行の金融緩和にも良い面と悪い面が存在します。

ただ、実体経済が資産市場の従属物に様にな、資産市場の「おこぼれ」で実体経済が回る現代の状況は、根本的に何かが間違っている様に私には見えます。
2020/5/28 5:05

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html#c11

[近代史4] マルクス経済学の世界 中川隆
1. 中川隆[-12575] koaQ7Jey 2020年5月28日 18:50:23 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[5]

【上部構造・下部構造とはなにか】マルクスの議論をわかりやすく解説 2020年4月20日
https://liberal-arts-guide.com/base-and-superstructure/


あなたは、「上部構造・下部構造(base and superstructure)」をどこまで理解していますか?


「上部構造・下部構造」とは、


下部構造(経済)という社会全体の土台が上部構造(法律的・政治的/イデオロギー的)を因果的に決定するという建築の比喩

です。

定義だけではわかりにくいと思いますが、理解する価値のある大変重要な議論です。

なぜならば、マルクスの経済学や1970年代以降に登場したネオ・マルクス主義、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアリズム、サバルタン研究など「上部構造・下部構造」の議論をスタート地点としているからです。

たしかに、ソ連の解体に代表される社会主義への信頼の喪失は、マルクス不信を生み出しました。その結果、今ではあたかもマルクスは悪の根源のように描かれるようになっています。

しかし、20世紀もっとも影響力をもった思想家の一人であるマルクスによる、ある時代のある社会構造を分析しようとする理論的・批判的な精神はいまだに大事です。

そこで、この記事では、

上部構造・下部構造の定義・意味
上部構造・下部構造への批判
マルクスの議論とその後の展開

などをそれぞれ解説します。

読みたい箇所から、読み進めてください。

1章:上部構造・下部構造とはなにか?

冒頭の定義を再度確認しましょう。


「上部構造・下部構造」とは、


下部構造(経済)という社会全体の土台が上部構造(法律的・政治的/イデオロギー的)を因果的に決定するという建築の比喩

です。

一般的に、マルクスの著作である『ドイツ・イデオロギー』(1845-46)や『経済学批判』(1859)で提示された概念と考えられています。

そして「上部構造・下部構造」という言葉は英語で、

「base」=下部構造
「superstructure」=上部構造

と表記されます。

そのため、「下部構造」を日本語に翻訳したとき、しばしば「土台」と訳さます。

1-1: 上部構造と下部構造の意味

まず、上部構造と下部構造を理解するためには『ドイツ・イデオロギー』で議論された内容を理解することが重要です。

1-1-1: 下部構造(経済)とは?

『ドイツ・イデオロギー』は1845-46年にかけて、旧友のエンゲルスとマルクスによって書かれた本です。この本では「人間と動物の違い」を議論することから初めています。


マルクスによると、人間と動物の違いは、

人間は自分の生活手段を自分で生産すること

だと考えました。

そして、マルクスは人間が自分の生活手段を生産する様式のことを「生産様式(mode of production)」と呼びました。

当たり前だと思いますが、人間は一人では生活できません。人間は他の人間と相互に関係を築きながら活動する必要があります。マルクスはこの人間の相互活動を「交通」と呼びます。

マルクスは「交通」をとおした「生産様式」が、人間生活のベースとなる物質的側面、つまり「経済」だと考えました。

参考

マルクスの用語で説明すると、

「生産力」+「生産関係」=「生産様式」

「生産関係」とは階級を意味する

1-1-2: 上部構造(法律的・政治的/イデオロギー的)とは?

これまでは経済、つまり下部構造の解説でした。では一体、上部構造とはなんでしょうか?

定義では法律的・政治的/イデオロギー的なものと説明しましたが、抽象的でわかりにくかったと思います。ここではもっとシンプルにしてみましょう。


シンプルにいうと、上部構造とは、

人間の精神的な活動(観念、思想、理念等々)

を指します。

つまり、物資的で経済的なものが下部構造であるならば、上部構造は人間の精神的な活動を意味します。

そして、マルクスは人間生活のベースにある「物質」と、人間の「精神」との関係を『経済学批判』で考察しました。そこで提示された比喩が「上部構造と下部構造」でした。

1-1-3: 建築の比喩としての上部構造と下部構造

上部構造・下部構造とはなにか(上部構造・下部構造の建築の比喩)

まず、マルクスは一軒家の建築物のような社会全体を想定します。


建築物をつくるためには、

最初に、もっとも重要な土台という基礎をまずつくる1
その次に、構築物をつくる2
最後に建築物の外部と内部の装飾物をつくる3

といった過程がありますね。

マルクスは、この建築の過程に社会を当てはめて説明します。

社会は物質的土台である経済がある(経済=「生産様式」=「生産力」+「生産様式」)1

経済の上に、政治と法律という「一階」がある2

その上に、イデオロギーという「二階」がある3

といった社会全体を想定します。

ここで重要なのが、マルクスは経済的な土台が因果的に上部構造の実践を決定すると考えた点です。

つまり、マルクスは土台である経済がまずあり、それに規定されて権力構造が決定されたり、人間の精神活動が決まる、と考えました。これが「上部構造・下部構造の比喩」の考えです。

このなかで注目してほしいのが、「イデオロギー」という言葉です。

「イデオロギー」はデステュット・ド・トラシーという人物によって初めて使われました。その意味は「観念学」というものでした。

しかしマルクスは「イデオロギー」を人間精神活動の一般をまとめて説明するために使用します。思想、学問、芸術、それはすべてイデオロギーと呼ばれました。

ポイント

「上部構造・下部構造」を理解するためのポイント

物質的生活の生産様式が社会的、政治的、精神的な生活を制約する
ある社会の成り立ちは当該社会の経済的なあり方に規定される


1-2: 上部構造と下部構造が誕生する歴史的文脈

さて、そもそもマルクスはなぜ「上部構造・下部構造の比喩」を必要としたのでしょうか?

結論からいうと、マルクスは資本主義社会を説明するために上部構造・下部構造を必要としました。

哲学者の今村仁司によると、マルクスが上部構造・下部構造の比喩を用いた理由は次のようなものでした。


こうした命題を登場させるには現実的経験が確かにあった。それが圧倒的貧困をともないつつ巨歩を進める経済的現実すなわち資本主義であった。一九世紀の人々にとって後に資本主義と命名される経済は全く新しい現象であり、知識人と民衆とを問わず、困惑と驚嘆をよび起こす何ものかであった。


社会で起きる出来事を分析するには、新たな分析のわかりやい言葉が必要です。マルクスは「上部構造・下部構造の比喩」を用いて、経済という物質生活の再生産に迫ることで資本主義を分析しようとしました。


1-2-1: 上部構造・下部構造の論争的な性格

マルクスが経済に着目した理由は、当時広く共有されていた経済無視の観念論的な考え方に反対するためでもありました。

観念論は歴史的発展に対する人間の精神を強調しますが、マルクスは実際の物質的状況や実践から説明する試みをします。

ここでは深く立ち入りませんが、マルクスの上部構造・下部構造は「観念論 vs 唯物論」といった学問的な論争的性格をもっていたことを心の隅に置いておいてください。

1-3: 上部構造と下部構造に対する批判

さて、マルクスの上部構造・下部構造は激しい批判をうけてきました。その主なものは「上部構造・下部構造は経済決定論である」という批判です。


経済決定論とは、

人間の意思や行為が経済によって決定されている

という考えです。

たしかに、マルクスの「上部構造・下部構造」によると、政治、文化、イデオロギーは経済変化の従属変数にすぎない、と考えることができます。

経済的土台が最重要であり、上部構造は付随的な反映にすぎないといえるでしょう。

しかし、本当にそうでしょうか?マルクスの「上部構造・下部構造」をよくよく考えると、そこには大きな矛盾が存在することがわかります。

経済決定論にある矛盾は次のように説明できます。


一方で経済決定論に従えば、
個人や集団の行動は経済に決定される

個人の自発的な意思はなく、社会構造が経済構造によって何もかも決定されている
同様に、社会の発展や崩壊も経済に決定されている。個人の意思が介入する余地はない


他方で経済決定論を信じる社会主義者たちは、
自らの行動によって社会革命を自発的・意識的に引き起こそうとする

つまり、自らの原理では不可能な行動を可能であるかのように主張する

ここに経済決定論の決定的な矛盾があります。

つまり、経済決定論の矛盾とは、

経済が政治、法律、文化、個人の意識を決定していると主張するならば、個人的または集団的な実践的行動は不必要

「革命」は経済が引き起こすものであり、人間主体という役割はない

といったものです。

言い換えると、皮肉なことに革命という自発的な社会変革は経済決定論を否定することになるのです。それが経済中心主義のマルクスが抱えた問題でした。

いったんここまでの内容をまとめます。


1章のまとめ

「上部構造・下部構造」とは、下部構造(経済)という社会全体の土台が上部構造(法律的・政治的/イデオロギー的)を因果的に決定するという建築の比喩

経済とは「交通」をとおした「生産様式」で、上部構造とは人間の精神的な活動を意味する

マルクスの経済決定論は、革命という自発的な社会変革によって否定されることになる


2章:上部構造・下部構造のその後の展開

「上部構造・下部構造」の概要は1章で解説したとおりですが、ここで終わると「マルクス主義はやっぱり忘れるべきもの」といった結論に陥ります。

しかしそれでは非常にもったいないです。20世紀後半以降、マルクスの再解釈は社会分析の新たな視点を提供してきただけでなく、日本の社会科学の発展に大きな影響を与えてきたからです。

ですから、2章では20世紀後半以降における「上部構造・下部構造」という課題の解決の試みを簡単に紹介します。

2-1: 上部構造・下部構造とアルチュセール

ここでは経済決定論と批判された「上部構造・下部構造の比喩」の解決策を、フランスの構造主義的マルクス主義のルイ・アルチュセールから紹介します。

アルチュセールが考えたのは「重層的決定(overdetermination)」と「相対的自律(relative autonomy)」という概念です。


重層的決定とは、

「生産様式」という抽象的な社会関係でさえ、経済的なものだけから決定される関係ではない

その代わり、「生産様式」という社会関係には政治的、イデオロギー的なものを含めて構成されている

そのため、経済、政治、イデオロギーという要素が重層的に社会のあり方と「革命」の可能性を決定している

と考えたものです。


そして、相対的自律とは、

それぞれのレベルにおける実践の内容は単に経済的土台から由来するのではなく、相対的に自立して存在する

たとえば、資本主義国家は資本家階級の利害からある程度自律してる。しかしその自律の程度は相対的なものにすぎない

と考えたものです。

すこしわかりにくかもしれませんが、アルチュセールが目標としてるのは経済の「決定性」を揺るがすことです。

そのため、マルクスは経済に最終的な決定性を与えていましたが、アルチュセールは経済に優位性があるものの、社会編成は重層的に決定されることを指摘しました。

言い換えると、経済に優位性は常にあるものの、状況によっては文化、政治、イデオロギーが社会変革を導く可能性があるといった「経済に還元できない非決定性」を提示します。

だからこそ、それぞれの要素(経済、政治、法律、イデオロギー、文化等々)は相対的に自律しており、経済がすべての社会変化を説明するわけではない、といった考えが必要だったのです。

非常に簡単なまとめですが、これがアルチュセールの主張です。1章の説明と合わせて読むと、内容が何となく理解できると思います

メモ

アルチュセールのような議論を土台として、上部構造による社会変革の可能性を、

ネオ・マルクス主義
レギュラシオン理論
カルチュラル・スタディーズ
ポストコロニアリズム
サバルタン研究
アントニオ・グラムシの議論

がしています。

冒頭で説明したように、「上部構造・下部構造」はこれらの議論を理解するスタート地点ですから、今でも非常に大事です。


2-2: 上部構造・下部構造と日本での展開

これまで西欧諸国における議論の展開を解説しましたが、日本社会に与えた影響はどうだったのでしょうか?後発的な資本主義社会である日本での展開と日本の社会科学へ与えた影響を簡単に解説します。


第二次世界大戦以前の日本社会においてマルクスが大きな論争になったのは、

日本の資本主義において異なる「生産様式」が共存していたことをどうように評価し、それを踏まえてどのように運動を展開するのか

といった問題が存在したからでした。

論争のなかで「封建遺制」といった言葉が使われたように、当時の日本社会では資本主義の「生産様式」とは異なった社会関係が存在していました。

そのような社会関係から社会運動がどう展開されるべきか、といった議論がされました。

重要なのは論争の内容ではなく、その後の展開です。なぜならば、戦後日本の社会科学はこの論争を「土台」にしていると一般的に考えられているからです。

たとえば、

大塚久雄の経済学史
宇野弘蔵の経済学
川島武宜の法社会学
有賀喜左衛門の農村社会学

などは「封建遺制」の論争から発展しています。

非常に簡単ですが、マルクスの議論は日本の社会科学に影響を与えていることがわかると思います。

これまでの内容をまとめます。


2章のまとめ

アルチュセールの「重層的決定(overdetermination)」と「相対的自律(relative autonomy)」は、経済的な決定性を揺るがすもの

マルクスの議論は日本の社会科学に影響を与えている



この記事のまとめ

「上部構造・下部構造」とは、下部構造(経済)という社会全体の土台が上部構造(法律的・政治的/イデオロギー的)を因果的に決定するという建築の比喩

経済とは「交通」をとおした「生産様式」で、上部構造とは人間の精神的な活動を意味する

マルクスの経済決定論は、革命という自発的な社会変革によって否定されることになる

アルチュセールの「重層的決定(overdetermination)」と「相対的自律(relative autonomy)」は、マルクスの経済的な決定性を揺るがすもの

https://liberal-arts-guide.com/base-and-superstructure/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html#c1

[近代史4] 酒は飲んではいけない 中川隆
2. 中川隆[-12574] koaQ7Jey 2020年5月28日 19:29:54 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[6]
お酒を飲む段になって相手がいないのに気がつきます。一人で手酌酒をしても、お酒はすすみません。気の置けない仲間と呑むからお酒は美味しいし、杯もすすむのです。それと、ワインや日本酒ぐらいのアルコール濃度なら大丈夫なのですが、ジンやウォッカなどの、アルコール濃度が高い酒を飲むと、最近は頭痛がするようになりました。

先日も、仕事の区切りをつけるために六時になったので、ジントニックを作ってみました。冷凍庫からブルーサファイアを取り出し、ブルーサファイアのキャンペーンの大きめのジントニック用のグラスに氷を入れて、そこにダブルのジンを注ぎ、トニックウォーターもほぼ使い切り、ダブルにして飲み干しました。夏が来たという感じです。

ところが、その夜遅く、あたまの上の一部がキリキリと痛くなり、それがだんだんと広がっていきました。結局、次の日まであたまが痛く、冷えすぎたジンと、大量のトニックウォーターは身体に悪いと思いました。


その反省もあり、どこが? 今度は、日本酒にしました。それもすっきり系の純米酒です。高知の土佐鶴は甘さが抑えめで、媚びません。口当たりも良く料理にも合います。何しろ、この普通の純米はお手頃な価格です。一緒に取った大吟醸の半額です。まだ、大吟醸は開けていませんが、その差はあるのでしょうか?

以前なら、ウイスキーやジン、ラム、ウォッカなども呑んでいたのですが、最近は肝臓の負担がまして免疫を弱めるから控えています。特に、夜遅くの飲酒は身体に応えますから、ほとんど呑んでいません。するとやはりアルコールに弱くなりますね(苦笑)。それに一人で飲むには、呑むという理由も必要です。一人では、そのモチベーションがないので、お酒がすすまないのでしょう。
https://tannoy.exblog.jp/31203604/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/330.html#c2

   

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