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ミヒャエル・エンデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 02 日 14:18:42: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ドストエフスキーの世界 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 27 日 19:44:56)

ミヒャエル・エンデの世界


ミヒャエル・エンデ 『モモ』(Momo)


Momo (1986) - english audio



モモ
1986年 西ドイツ・イタリア
監督:ヨハネス・シャーフ
主演:ラドスト・ボーケル


▲△▽▼


FMシアター秀作シリーズ「モモ」
モモ:宮城まり子、マイスター・ホラー:森繁久彌、観光ガイドジジ:橋爪功





『モモ』(Momo)は、ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品。1973年刊。1974年にドイツ児童文学賞を受賞した。各国で翻訳されている。特に日本では根強い人気があり、日本での発行部数は本国ドイツに次ぐ。
1986年に西ドイツ・イタリア制作により映画化された。映画にはエンデ自身が本人役で出演した。


日本では、1987年に女優・歌手の小泉今日子が朝日新聞のインタビュー記事で本作の大ファンであることを公言し、話題になった[1]。


あらすじ


この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権を侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2015年11月)(使い方)


イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人に自信をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで、奪われた時間を取り戻すというストーリー。


物語は、「円形劇場に住むモモと友だちの平穏な生活」から「時間泥棒の出現」そして「マイスター・ホラとの出会い」と進行する。「時間貯蓄銀行」を名乗る灰色の男達は、「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と偽り、人々から時間を奪う。その魔の手がついにモモにまで及ぶ。モモをターゲットとした「時間泥棒BLW553号」は、モモの「時間泥棒も愛されている」という言葉に自失し、時間泥棒の秘密を話してしまう。組織は、「時間泥棒BLW553号」を裏切り者として裁判にかけ反逆罪により死刑を宣告。彼は煙のように消される。と続き、最後にモモは盗まれた時間を解放する。



題辞


物語の前にイギリスの詩人ジェイン・テイラー(en:Jane Taylor (poet))が1806年に発表した『ザ・スター』が引用されている[2]。エンデはこれを「アイルランドの旧い子どもの歌」とし、テイラーの名は記していない[3]。岩波書店版(大島かおり訳)の詩そのものは武鹿悦子による有名な日本語訳詩『きらきら星』ではなく独自の訳である。


解釈


ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警鐘が読み取れる。『モモ』という物語の中は、灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの書評はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であると受け止めた。編集者の松岡正剛は、「エンデはあきらかに時間を『貨幣』と同義とみなしたのである。『時は金なり』の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせた」と評した[4]。


「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせるという側面もある。このことに最初に気が付き、エンデ本人に確認を取ったのはドイツの経済学者、ヴェルナー・オンケンである[5]。


評価


哲学者のDavid Loyと文学教授のLinda Goodhewは、「20世紀後半の最も注目すべき小説の一つ」であり、1973年出版されたにもかかわらず、見事に現在の悪夢的な状況を予言していると高く評価している[6]。


一方、寓意や思想が強すぎるという意見もあり、松岡正剛は、出版当時に最初に読んだときは「時間泥棒というアイディアにはなるほど感心したが、全体に寓意が勝ちすぎていておもしろくなかった」と評した[4]。


またファンタジー作家の上橋菜穂子、荻原規子はエンデ作品が苦手であると述べており、上橋は『モモ』について、思想やイデオロギーを語るために物語が奉仕してしまっており、自分の好きな物語ではないと述べている[7]。


舞台化


1975年にドイツの作曲家マーク・ロタール(ドイツ語版)のためにエンデ自身がオペラの台本を執筆している。これを収録したものは同年KARUSSELLレーベルからLPレコードとして発売された。その他にもミュージカル化されており、児童劇団などで『モモと時間どろぼう』のタイトルでの上演例も少なくない。


モモと時間泥棒
劇団四季のファミリーミュージカル。1978年上演。


Momo og tidstyvene
オペラ。スビトラーナ・アザロワ作曲。デンマーク語。2017年初演。


https://ja.wikipedia.org/wiki/モモ_(児童文学)
 

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コメント
1. 中川隆[-12805] koaQ7Jey 2020年5月02日 14:25:28 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[13] 報告

『モモ』ミヒャエル・エンデ|松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1377.html


ミヒャエル・エンデ モモ
岩波書店 1979
Michael Ende
MOMO 1973
[訳]大島かおり

モモが住む廃墟のような円形劇場。
そこへやってくる時間銀行御用達の灰色の男たち。
このお話は凄腕の時間泥棒の暴挙を
可愛いいけれども果敢なモモが
すっかり退治しました、というお話ではない。

ニンゲン本来の時間をついに取り戻しましたというお話でもない。
お金を銀行に預けておくと、利子が利子を生むということを告発した物語だった。
いやエンデは、その多くの作品で貨幣経済社会を問題にしてきたのである。

これから数夜にわたって、エンデの物語とその遺言を少しく案内したい。


 読書には「ドッキ」というものがある。ドッキは「読機」だ。その本をいつ読んだのかということ、いつ通過したのかということ、そこにその本とわれわれのあいだにひそむドッキがある。

 ドッキは容易には掴めない。だからドッキなのである。念のために言っておくが、果物に旬があるようにその本に旬があるのではない。そんなものはない。どんな本もその気になればいつだって旬になる。これはシュンドクというもので、「旬読」という。旬読は版元がそれをこよなく願っていて、その本が時代の中に提示されたときに買って読むことが大いに期待されているのだが、けれども本そのものには、実は旬はない。アリストテレス(291夜)も太宰治(507夜)もつねに旬なのだ。だから本というものはいつだって旬読を待っている。

 ところが旬読はなかなかおこらない。それを読み食べるこちら側の時機に問題があるからだ。その本をいつどんな心境やどんな状況で読んだかが、その本についての印象や感想にひどく関係してしまうのに、それがずれるため旬読がおこらない。これはドッキのせいなのである。

 ドッキはそもそもが潜在的なものなので、これを制御したり有利にすることはできない。太宰の『女生徒』や『葉桜と魔笛』をぼくが読んだのは高校時代だったけれど、このときはドッキがよかった。だからやたらに感動した。だからといって、こういうことを自慢してもしょうがない。セレンディップな恩恵として有り難く感じるしかない。ドッキとはそういうものなのだ。

 日本で『モモ』が岩波から刊行されたのは1976年で、ぼくは「遊」の第2期をぶんぶん編集していた頃だった。寝るなんてことが惜しくて、ともかくいろんなディープで過激なことに挑んでいた。

 そんななか、それでも話題になっていた本にはなんとか目を通すという作業だけは欠かしていなかったので、噂の『モモ』も一読した。時間泥棒というアイディアにはなるほど感心したが、全体に寓意が勝ちすぎていておもしろくなかった。ビビガールという“完全無欠な人形”がちらちらと印象に残ったにすぎない。

 このころはSFを片っ端から読んでいた。劇画を読んだのもこの時期だったが、これは勢いで読んだにすぎなかった。なかでJ・G・バラード(80夜)やレイ・ブラッドベリ(110夜)にはついに会いたくなってロンドンやロスアンジェルスにまで行った。きっとチャンスがあればアーサー・クラーク(428夜)やフィリップ・K・ディック(883夜)やトマス・ピンチョン(456夜)とも会っていただろう。

 そういう時機に『モモ』を読んだのだから、いけない。きっと劇画のように読んでしまったのだろう。実はトールキンの『指輪物語』やC・G・ルイスの『ナルニア国ものがたり』もこのあとしばらくして読んだのだが、残念ながらつまらなかった。いずれもドッキが悪かったのだ。『指輪物語』は別役実に薦められたので読んだのだけれど、やはりその一定した寓話力や寓意力に、どうしても感心できなかった。

 というわけでぼくはエンデを旬読すらできなかったのである。それからずいぶん時間がたった。『モモ』を再読したのはごく最近のことで、10カ月ほど前なのである。

 きっかけは河邑厚徳らがまとめた『エンデの遺言』(NHK出版)を読んだせいだった。その『エンデの遺言』を読んだのは反グローバリゼーションの見解を片っ端から読んで、その傍らでハイエク(1337夜)の貨幣論、たとえば『貨幣発行自由化論』(東洋経済新報社)を知り、さらにケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(岩波文庫)にとりあげられているシルビオ・ゲゼルの「スタンプ付き貨幣」のアイディアに、エンデがひとかたならない関心をもっていたことを知ったからだった。

 そこからはジグザグとした読書が数カ月ほど続いて、一方では経済学の本を啄(ついば)みながら、エンデの『遺産相続ゲーム』や『鏡のなかの鏡』を遊ぶというようなことの“折り紙読み”が、あれこれ前後したと思われたい。こういうことはぼくにはよくあることで、新たな集中ドッキをつくりながら世界読書の渦中に自分でどんどこ入っていくという読み方になる。

 ともかくはこうして、ひとつにはゲゼルの自由貨幣論が、もうひとつにはエンデの「お金」に対する思想の片鱗が手元に残ったのだ。ゲゼルのほうのことについては、このあとの千夜千冊にまわすとして、今夜は初読のドッキをまちがえたぼくが、あらためてエンデに“再会”できた感想を、以下、ごくかんたんに披露しておきたい。


 まず、『モモ』である。

 物語はよく知られているだろうから紹介しないが、モモという少女が大きな街の古びた廃墟のような円形劇場に住み着く。モモには人の話にじっと耳を傾けるだけで、人々に自信を取り戻させるような不思議な力がそなわっているらしい。

 そのモモのところに「灰色の男」たちがあらわれる。「時間貯蓄銀行」からやってきた灰色の男たちは、人々から時間を奪っていくのが専門の職業になっている。時間を節約して、時間貯蓄銀行にその時間をせっせと預ければ、利子が利子を生んで人生の何十倍もの時間をもつことができるというふれこみだ。モモはこれは時間泥棒だと思う。

 けれどもその街の人々は時間泥棒たちの言葉巧みな説得に誘導されて、しだいに余裕のない生活に追い立てられていく。気がつくと時間とともに人生の意味も失っている。モモは盗まれた時間を人々に取り戻すため、カメやカシオペイアとともに灰色の男たちとの戦いに挑んでいく‥‥。ざっといえば、そういうお話である。

 モモは孤児に設定されている。身寄りのない「みなしご」だ。「棄人」や「みなしご」や「孤児」は内村鑑三(250夜)や野口雨情(700夜)が最も重視した社会存在のモデルだった。「歌を忘れたカナリア」を連れてモモのところにやってきた少年も出てくる。

 そんなモモにも親友が二人いる。道路掃除夫のベッボ爺さんは自分で建てた煉瓦とブリキの小屋にいる。どんな話にもにこにこ笑えるが、自分ではほとんど喋らない。観光ガイドの若者ジジは何でもよく喋る。けれどもほとんどが空想で、この街の神話を勝手に作っている。つまりはこのモモを含めた3人は、何も所有していない無所有者たちなのである。当然、無産者でもあった。

 そこへ時間貯蓄銀行の灰色の男たちがやってきて、「みなさん、時間はどこから手に入れますか」と聞き、「それは倹約するしかないでしょう」と説得しまわっていく。たくさんの計算と数字も見せる。すべてを損得勘定で説明できる連中である。時間銀行の銀行員は「時間をあずけてくれたら5年で同額を利子として払う」と言い、時間の節約の仕方を説明する。

 仕事はさっさとすます。老いた母親は養老院に入れて、自分の時間を大事にする。役立たずのセキセイインコの世話の時間ももったいないから、捨てる。とくに歌を唄ったり、友達と遊ぶのを避ける。このようにして時間を節約したぶん、幸福が確実にたまっていく。そう、言うのだ。住人たちは次々に時間が倍になって戻ってくることに狂喜する。


 いったいこのお話は何を書いたのか。

 失った時間を取り戻したという話ではない。「時間」を「幸福」と見立てたのでもなかった。エンデはあきらかに時間を「貨幣」と同義とみなしたのである。「時は金なり」の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせたのだ。ドッキを失うと、こういうことすら読めてこなかったのである。

 さて、あらためてエンデの作品群をつらつら読んでわかったのは、エンデは同じことを『鏡のなかの鏡』でも、また初期の戯曲の『遺産相続ゲーム』でもメタフォリカルに書いていたことだった。同じことというのは「お金」をめぐるということだ。

 『鏡のなかの鏡』(丘沢静也訳)はカフカ=アインシュタインふうの一種の迷宮小説で、モモに代わってホルという少年が主人公になるのだが、『モモ』よりもずっと挑戦的である。文字だけでできている紳士、デュシャンのガラス絵のような花嫁と花婿、売春宮殿、部屋になっている砂漠、貧しい女王、輪郭を溶かせる男、伝達力を問うブリキ缶、格子のある螺旋階段、市街電車に合図をする白髭‥‥。

 なんともいろいろなものが出てくるが、エンデはこれらを巧みに組み合わせて話を進める。とくに「列車の来ない駅カテドラル」の全面が紙幣でできていることを証かすと、この街のどこかで「奇蹟の金銭増殖」がおこっていることを仄めかす。
 どうやらカテドラルの祭壇がお金を増殖させているらしい。案の定、祭壇についている説教師は大声で「真なるものも商品である!」「お金は万能である!」などと叫んでいる。その意味するところは、「われわれは永遠にわれわれ自身の債権者(グロイビガー)であって、かつまたわれわれ自身の債務者(シュルドナー)である」ということだった。

 なるほど、われわれは何かの債権者であって債務者なのである。何を担保に債権し、債務を感じているのかといえば、生命と社会がもたらすイレギュラーなものいっさいに、債権し、債務を感じているのだ。セイゴオ流にわかりやすくいえば、われわれは生と死という両端の無明(むみょう)に挟まれて危険な日々を生きる不断のリスク・テイカーなのである。いや、そのはずだったのだ。

 ところが「お金」が発達するにつれ、われわれのリスクはすべからく値段に換算されることになった。いまや出産も葬式も、結婚も病気も、洗濯も食事も、教育も音楽も、おいしい水も山の空気さえ、マネーゲームに関与しないものはない。リスクはすっかり貨幣に乗っ取られてしまったのだ。

 エンデが『鏡のなかの鏡』で現代の貨幣経済の陥穽を突いていると最初に指摘したのは、おそらくは『金と魔術』で『ファウスト』の錬金術の近代的意味を解剖してみせたビンスヴァンガー(1374夜)だった。

 ビンスヴァンガーはエンデの遺作となった『ハーメルンの死の舞踏』でも、その問題がとりあげられていると見た。金貨の報酬を得られなかったハーメルンの笛吹き男に子どもたちが誘い出されたことを、エンデは資本主義社会からの次世代の救済というふうに読み替えたというのだ。

 ぼくはエンデが救済の物語を書いたとは判定しないけれど、多くの作品に貨幣経済の影を描こうとしていることは明白だった。

 こうしてやっと『遺産相続ゲーム』を、3ヶ月ほど前に読むことになった。エンデが36歳のときの戯曲処女作である。『モモ』が発表されたのは43歳のときだから、その10年前の作品だ。フランクフルトで上演されながらさんざんな酷評に見舞われたことで有名になった。

 岩波のエンデ全集(9巻)の解説では、平田オリザがなぜに『遺産相続ゲーム』が失敗作なのかをしつこく書いていたが、それは上演上の問題にすぎない。むしろ興味深いのは、エンデはこの戯曲ですでに貨幣経済社会の矛盾を暴こうとしていたということにある。

 そもそも、いったい何がその人間の財産目録かということは、時代によっても社会によっても異なるはずである。15世紀のロンドンの貴族にとっての財産目録とドゴン族の財産目録は一致しっこない。かつては田畑を保有すればそれが石高になったわけだが、いまでは日本の農民の財は土地ではなく農協の作物買い上げ額によって決まる。

 もっとはっきりいえば、財産目録なんていっときの国家の管理物にすぎないともいえるわけで、そのリストと価格には何の普遍性もない。それが今日の社会では、税務署や金融機関が認定する価値判断によって財産が規定されていくばかりなのである。たとえばぼくの財産なんて金高にすればおよそ知れているが、しかし「誰によってもとうてい算定できないもの」とも言えるはずなのだ。
 エンデはこの財産目録が明示できるということに疑問をもった。そのため作品の中では、財産をとりまく人物たちを異様にも、多様にも仕立てた。

 この戯曲の第3幕には、保険会社の社長エーゴン・ゲーリュオンが財産目録を作成している場面が出てくる。思考磁石、星時計、ミツバチの天の梯子、精霊の卵の殻といったわけのわからない財産ばかりが並んで、ゲーリュオンは多幸感に酔いしれ、そのくせそれがどのような値打ちになるのか、焦燥感を禁じえない。ゲーリュオンという名はダンテの『神曲』(913夜)の冒頭近くに出てくる地獄の番人、ジェリオーネのことである。ダンテは「堅気の顔をした竜」と書いたが、エンデはこの人物をブレヒト流の「搾取する者」になりすぎないように設定した。

 もっといろいろな人物が出てくる。公証人のレーオ・アルミニウスは義務を忠実にはたすことでいっさいの紛争に巻き込まれないようにしている。女教師のクララ・ドゥンケルシュタインは論理的なシステムが大好きで、「公平」とは何かということをつねに主張する。年輩の前科者ヤーコプ・ネーベルはどんなときでも大儲けをしようとしている。ゲーリュオンの妻はどんな難問からも逃れてばかりいる。将軍マルクス・シュヴェーラーは全員の幸せのためには暴力が必要だと考えている。

 こんな連中によって遺産相続ゲームはとんでもなく頽廃的になっていく。誰も、何が本当の遺産であるか、わからない。そういう物語なのだ。ここにはエンデがその後に書き綴っていこうとした“モモ的なるもの”がすべて用意されていたわけだった。

 諸君、ドッキとは掴めぬものなのだ。

 よほどにセレンディップでないかぎり、本は2度目の読みに入ったほうがいい。ぼくにとっては『モモ』とはそういう物語だったのである。

 では、エンデのドッキが次に何を呼びこんだかということについては、次夜に説明したい。エンデは長らく「老化する紙幣」や「時計がついた貨幣」を夢想しつづけたのだ。それをシルヴィオ・ゲゼルやルドルフ・シュタイナー(33夜)に学んでいたのだ。これ、「エイジング・マネー」とは何かという、とんでもなく大きな問題である。


【参考情報】

(1)ミヒャエル・エンデについて、その略歴を感想を交えて書いておく。次夜の千夜千冊の下敷きとされたい。

 エンデは1929年に南ドイツのバイエルンに生まれた。父親のエドガーは画家で、初期にはエンデのための挿絵も描いた。母親はレース・アクセサリーの店を開いていた。子供時代は父親の絵がよく売れていて、ミュンヘン郊外のパージングに住んだりしていて、そこでエンデのメルヘン風の気質も育まれた。そのころまでは街にやってくるサーカスの一団とも存分な交流をしたようだったが、やがて父親がナチスの文化政策を拒む姿勢を見せたため、経済状態がたちまち悪化していった。のみならず、あろうことかミュンヘン美術館は父親の絵を「無用の長物」と断罪した。

 小学校時代のエンデはあまり勉強をしていない。両親も諍いが多くなり、その仲裁をするような子供になっていた。親友も肺炎で死んだ。太っちょのこの親友の死はそうとうに衝撃だったようで、のちに『はてしない物語』のバスチアンとなった。こうなれば、魚やトカゲやカメを飼って遊ぶしかなくなった。そのせいか、10歳前後には「ドリトル先生」シリーズ(55夜)を全部読破した。あっぱれ、あっぱれ。家計は母親が医療体操とマッサージの免許をとって支えるようになっていた。しかしドイツは第二次大戦に突入、生活はとてもひどいものになっていた。エンデはヒトラー・ユーゲントを逃れ、馬との日々を選んだ。

 以上の日々の一端は、『ものがたりの余白』(岩波現代文庫)に切々と語られている。インタヴューを担当した田村都志夫は、エンデにおける「負の余白」こそがエンデを形成したと見ている。

(2)エンデが14歳のとき、ミュンヘンの空襲が激しくなった。夏休みにハンブルクの伯父を訪ねると、そこでも大空襲に会った。翌年はついにカウルバッハ通りの住まいが爆撃され、父親の油絵800点がすべて焼失した。

 父親がこのように「社会的に傷めつけられる」ということが、少年の心に何をもたらすかは、ぼくには十分な予測がつかないが、もしも「アンチアンチ・オイディプス」ということがあるのなら、きっとそういう擦傷こそがおこったことだろう。召集令状を受け取ったエンデがそれを破り捨て、ガルミッシュからミュンヘン郊外プラーハに疎開していた母のもとに80キロを歩き続けたというのは、そして「バイエルン自由行動」という反ナチス抵抗組織の16歳の伝書係りとなって爆撃の町々を走り抜け続けたというのは、社会的軍隊性というオイディプスに対する反撃でもあったにちがいない。

 戦後がやってきた。ひどいドイツの戦後だ。17歳のエンデはシュタイナーの「キリスト者共同体」に出入りするようになった。そこで3年歳上の少女に恋をするのだが、その仲を少女の両親が裂くため、エンデはシュトゥトガルトのシュタイナー学校に転校させられた。その両親が授業料を負担したらしい。しかし、ここはエンデの才能を開花させる編集学校だった。たちまち演劇に傾倒し、友達と屋根裏を借りて「屋根裏劇場」をつくると、コクトーの『オルフェ』を翻訳上演したり、ヒロシマに捧げる処女戯曲『時は迫る』を書いたりした。

 こうしたなか、敗戦ドイツに通貨改革が施行されるのだ。一方で、エンデは働いてその通貨を受け取り、他方では社会がもたらす貨幣価値の変転に疑問をもっていく。もっと表現を過激にしたくなったエンデは、19歳でオットー・ファルケンベルク演劇学校に進み、ブレヒトの演劇理論を浴びた。このころ、ラジオで聞いたインゲボルグ・ホフマンの朗読を聞いて魂が震えた。インゲボルグはのちのエンデの伴侶となった。8歳の年上だった。

(3)23歳から26歳まで、エンデはミュンヘンのキャバレー(97夜)に出入りして、歌やコントを書いて糊口をしのぎ、さらにバイエルン放送局で6年にわたって映画批評の番組をもった。黒沢明や溝口健二に惹かれたのはこのころだ。のちにラフカディオ・ハーンの怪談にも魅せられ、『牡丹灯籠』をラジオドラマに仕立てたりもしている。

 しかし、精気を取り戻した父親にはてこずった。エンデと同年代のロッテ・シュレーゲルと同棲を始め、母親を絶望させた。母は父の絵にナイフを入れ、自殺をはかったが、エンデがなんとかこれをとりなした。やっとの思いで、エンデはイタリアのサンアンドレアを旅行する。27歳のときにはどうやら父との和解をはたしたようだ。

 28歳はひとつの転機になっている。ひとつにはブレヒト理論に見切りをつけた。リアリズムでは自分の表現がまとまらないと見通したのだ。もうひとつはグラフィックデザイナーになった友人から絵本の共同制作をもちかけられて、筆に任せて書いたところ500枚の大作となった。これが『ジムボタン』のプロトタイプで、その後に『ジムボタンの機関車大冒険』になり、ドイツ児童文学賞を受賞した。

 30歳代、エンデはインゲボルグと結婚、『遺産相続ゲーム』を組み立てた。上記にも書いたように、この作品はフランクフルトで初演されたのだが、さんざんな酷評にあった。演出家がまったく戯曲を理解できなかったという、お寒いマッチングだった。そんなところへ西ドイツ放送局からテレビ・ドラマの依頼がきた。そこで構想されのが『モモ』である。1966年、37歳のときだ。このあたりのことについて、エンデは井上ひさし(975夜)と『三つの鏡』(朝日新聞社)と語りあっている。

(4)『モモ』は1972年に完成出版された。センダックの挿絵を希望したが果たされず、やむなく自分で絵を描いた。どうもエンデのやることは計画通りにいかない。しかし、それでも少しずつ根底にひそむものが起爆していった。翌年、母親が死に、次の表現作品に向かうことになった。

 それは3年がかりで50歳のときに脱稿する『はてしない物語』なのだが、そのため、エンデは日本を訪れている。約半月にわたる滞在で、佐藤真理子の案内のもと、能・歌舞伎・禅寺・弓などを堪能している。『M・エンデが読んだ本』(岩波書店)には、『荘子』(726夜)とともにヘリゲルの『弓と禅』が大事そうにとりあげられている。

 ちなみに『M・エンデが読んだ本』には、ノヴァーリス、ゲーテ、シラー、マイリンク、グリム兄弟、ドストエフスキー、カフカ、リルケ、ストリンドベリ、ボルヘス、シュタイナー、ガルシア・マルケス、ルネ・ホッケ、トールキンなどが挙げられている。

 実はエンデの名が世界的に知られるようになったのは、やっと『はてしない物語』のあとからで、このときついでに『モモ』がベストセラーになった。1980年、51歳のときだ。いくつかの賞も受けたが、ポーランドのヤヌシュ・コルチャック賞は全額を児童施設に寄付した。ナチスの犠牲になった子供たちのために自身の命を懸けたヤヌシュを記念した賞であったからだ。

 『はてしない物語』は映画化にも着手された。しかしエンデは自分が指定した脚本と監督ではないチームによって映画化が進行していることを知らず、抗議のために撮影所に駆けつけるのだが、入所を拒否される憂き目にあっている。なんともいつもバツが悪いのだ。やむなくエンデはタイトルロールから「原作者」の名を削らせた。こうしてエンデが10年来の鬱屈を作品に昇華したのが、タルコフスキー(527夜)ばりの『鏡のなかの鏡』なのである。

 しかしこのころ、エンデこそ時間を泥棒されていたのだろう。63歳には食道炎に罹り、翌年には胃潰瘍となり、65歳でウルム大学病院でガンを発見され、抗ガン剤治療に入ったのだが、1995年8月28日、65歳で亡くなった。モモは駆けつけなかったのだろうか。

https://1000ya.isis.ne.jp/1377.html

2. 中川隆[-12801] koaQ7Jey 2020年5月02日 15:20:51 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[17] 報告

1999年5月4日 エンデの遺言 金融資本主義の問答。




続エンデの遺言 坂本龍一 銀行の"未来"


3. 中川隆[-12800] koaQ7Jey 2020年5月02日 15:29:08 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[18] 報告
『エンデの遺言』松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1378.html


河邑厚徳+グループ現代
エンデの遺言
「根源からお金を問うこと」
NHK出版 2000


ミヒャエル・エンデが最後に望んでいたのは、
利子が利子を生まない貨幣だった。
そういう貨幣が使える新たな社会だった。

エイジング・マネー。
時間の経過とともに変化する貨幣。
自由貨幣、補充貨幣、スタンプ貨幣、代用貨幣。

この卓抜な発想には、何人かの先覚者がいた。
ゲゼル、ケインズ、シュタイナーである。
エンデはかれらの著作から
新たな社会経済の青写真を汲み取っていく。
かつてのNHKの番組がその余波をあきらかにする。

 この本のもとになった番組をぼくは見ていない。1999年5月4日の放送だったようだが、見逃したのではなく、知らなかった。この本によってそういう番組があったことを初めて知った。これを読むかぎり、けっこう充実した番組になっていただろうと予想する。

 河邑厚徳といえばNHKの教養番組ドキュメンタリー派の鬼才で、「がん宣告」「シルクロード」「アインシュタイン・ロマン」「チベットの死者の書」などで鳴らした人物だ。その河邑がエンデが残したたった1本のテープから番組を組み立てていったというのだから、それだけでも構想力や構成力がどんなものであるかが想像できる。もっとも書物になるにあたっては、共著者の「グループ現代」が選んだ森野栄一、村山純子、鎌仲ひとみの3人の準備力と執筆力が大きかったはずである。森野栄一についてはあとで紹介する。

 エンデが残した1本のテープというのは、1994年2月にミュンヘンの自宅で語った2時間のものらしく、それもカメラの回っていない音声録音だったようだ。その翌年にエンデは亡くなった(1995・8・28)。

 このときエンデは冒頭で次のように言っていた。

 「よろしいですか、どう考えてもおかしいのは資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことのすべて、つまり個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはないのですが、問題の根源はお金にあるのです」。

 これを聞いた河邑はカメラが回っていなかったことを悔しがり、それならその声のテープに新たな映像を加えて、独自のドキュメンタリーに再浮上させようと決断したようだ。

 それからのことは知らないが、ついには本書に見るように取材先をいろいろ加え、多様な編集戦線をつくりあげていったのだろう。「あとがき」によると小泉修吉プロデューサー、村山純子ディレクターの寄与も相当なものだった。

 本書はそういう成り立ちの本であるが、実はエンデ本人をクローズアップしつづけているのではない。『モモ』や『はてしない物語』の作家としてのエンデをほとんど掘り下げてはいない。むしろエンデの周辺、エンデが影響を受けた経済思想家、エンデの衣鉢を継いだ者たち、さらには今日におけるエンデの貨幣感覚の実践者たち、そういう方面を追っている。テーマはサブタイトルにあるように「根源からお金を問うこと」、それこそが『エンデの遺言』だったのではないかということにある。

 では、ぼくの本書を読んでの感想を綴っておく。番組を見ての感想ではない。大きくかいつまんでいくが、ところどころに本書でとりあげていないエンデの作品や時代についてのことや、これまで千夜千冊してきた貨幣論や経済社会論との関係についての感想などを挟む。

 まずは、ここから話していくのがいいと思う。シュタイナー(33夜)のことだ。エンデにはどこかシュタイナーに振幅しているところがある。

 エンデが青少年期をルドルフ・シュタイナーの影響のもとに過ごしたことは、前夜に紹介した。そこでは書かなかったのだが、シュタイナーのアントロポゾフィ(人智学)には父親エドガー・エンデが傾倒していた。エドガーは「見えない世界」を油絵などにしようとしていたので、シュタイナーのみならずあれこれの神秘思想の本を読んでいた(どんな本だったか、知りたいものだ)。

 エンデはその父親より、もっとシュタイナーに近づいた。6歳でシュタイナー学校に入ったということは、シュタイナーのことをある程度知る者ならおおむね見当がつくだろうが、ほとんど生涯の価値観を決定づけるに足るものだったはずである。

 シュタイナー学校は正式には「自由ヴァルドルフ学校」という。1919年にシュトットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。工場に働く師弟が“学衆”だったので、職業学校としてスタートしたものだった。

 いまや世界各地に800校以上を数えるシュタイナー学校は、日本にも1975年に刊行された子安美知子の『ミュンヘンの小学生』(中公新書)を通して、本格的に紹介された。この本には「娘が学んだシュタイナー学校」というサブタイトルがついている。言語芸術、演劇的活動、オイリュトミー(舞踊体操=Eurhythmie)、農業活動、肥料製造、設計、デザイン、ドローイング、絵画、医療、カウンセリングなどを組み合わせた独特の学習教育をしている。ぼくもオイリュトミーの天才と言われたエリゼ・クリンクが来日したときは、なぜか記念講演をさせられた。踊りは風が翻るようですばらしく自在だった。

 ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)はオーストリア・ハンガリー帝国の辺境の町クラリエヴェク(現在のクロアチア)に生まれ、小さな頃から神秘的なことや幾何学的なことに異常な関心を示していた。

 10代は実業学校に通い、物理にも機械にも興味をもつとともに、レッシングやカントを読むようになった。やがてウィーン工科大学で自然科学を、ウィーン大学で哲学・文学・心理学を学んだ。その活動の出発点は22歳から携わったワイマール版『ゲーテ全集』の編集にある。ゲーテ(970夜)はシュタイナーのすべてなのである。だからドルナッハに最初のゲーテアヌムを設計開館すると(1913)、各地にシュタイナー学校が広まるとともにゲーテアヌムを併設していった。

 エンデはそういうシュタイナーに少年時代から馴染んできた。影響が少なかろうはずがない。

 そのシュタイナーに経済社会論をめぐる著作がある。おもな主張は『社会問題の核心』(人智学出版社)や『シュタイナー経済学講座』(筑摩書房)にまとめられている。おそらくエンデが熱心に読んだ本だろう。そこに「老化する貨幣」が提唱されている。

 大意、次のようなことが書かれている。

  健全な社会においては、貨幣は他人の生産した財貨の“小切手”にすぎない。その“小切手”が経済領域においてどのような財貨とも交換しうるのは、その小切手所有者が社会の生産部門の労働をして、生産物を社会に供給する責任をはたしているかぎりにおいてのことである。

 しかしいま、貨幣は生産活動の表象としての機能を失っている。こうしたときは、貨幣はその貨幣価値をその所有者に足して効能を減じていく処置をされるべきである。たとえば、貨幣所有権が一定の期日を過ぎれば、なんらかの手段で社会に還付されるようにする。本来は生産活動に投下されるべき貨幣が死蔵されないためにも、こうした方法が考案されるべきである。

 シュタイナーは貨幣に「25年ほどの期限」をもうけることを提案した。それによって貨幣価値に高低のカーブをつけ、さまざまな決済・融資・贈与のあいだで自動的な調整がおこなわれていけば、きっとオーガニックな経済社会のバランスがとれるだろうと考えた。

 これが「老化する貨幣」だ。当初の価値がしだいに減衰していくという貨幣という意味をもつ。経済学では「エイジング・マネー」と呼ばれている。「加齢する貨幣」である。時を経過するとともにその価値を変化させ、ときには衰えていく。
 そういうエイジング・マネーをミヒャエル・エンデも夢想した。

 そもそもエンデは戦火の渦中のドイツにいて、祖国のマルクが未曾有の混乱を見せつづけていたことをいやというほどに体験している。このような国家は当時はドイツのほかにはなかった。

 ナチス体制のもとで流通していたのはライヒスマルクである。しかし激しいインフレの進行でほぼ信用を失っていた。そのため敗戦直後のドイツは事実上、いまでは想像もつかないだろうけれど、“物々交換”がまかりとおっていた。なんとタバコが価値尺度と交換手段の役割をはたしたのだ(タバコはこういうときに大事なのです。むやみに禁煙運動など広げないように‥‥笑)。

 タバコのことはともかく、ドイツを占領した連合国はさすがにこの原始的現状を見て、焦った。高度な合理を求める資本主義社会では「原始的な交換」こそ最もヤバイことなのである。カール・ポランニー(151夜)の言う「社会に埋めこまれた経済」が発生してしまうからだ。

 そこで一刻も早く通貨改革を施行しようとしたのだが、紙幣の印刷をどの政府のもとでおこなうかについて、ソ連との合意が得られない。そのため全ドイツの通貨統一はあっさり見送られ、ソ連占領地区を除いた暫定通貨の導入に踏切り、紙幣の印刷をアメリカ本土が担当し、それをこっそりフランクフルトのライヒス銀行に空輸で送りこむという非常手段を決行した。

 ドイツは国民の意志とはまったく関係のない暫定通貨、いや擬似通貨とさえいいうる通貨によって、真っ二つに分断されたのだ。

 こうした事情を目の前で見ていたエンデは、貨幣や通貨というものが勝者に強く、敗者には酷(ひど)くなっていくことを実感した。また国際通貨や基軸通貨というものが資本主義と社会主義の苛烈な競争のためにのみ大手をふっていることに気がついた。

 かくてエンデは、「パン屋でパンを買うためのお金」と「株式取引所で扱われる資本としのてのお金」を厳しく峻別すべきことを、しだいに考えるようになっていく。

 このような体験をしたエンデが、貨幣や通貨のありかたに疑問をもったとしても不思議はない。エンデはNHKの番組では、こんなふうに言っている。

 私が見るところ、現代のお金がもつ本来の問題は、お金自体が商品として扱われていることです。本来、等価代償であるべきお金がそれ自体で商品となったこと、これが決定的な問題だと私は思います。お金自体が売買されるのが現代です。これは許されることなのか。そのことにおいて貨幣というもののなかに、貨幣の本質を歪めるものが入るのではないか。これが核心の問題だと思います。

 エンデは貨幣を否定しているのではない。そういうことではない。おそらくどんな思想家も革命家もエコノミストも、貨幣を否定する者なんて、めったにいるはずがない。貨幣は言語や大工道具や運送機関のように必然なのである。そのことは『貨幣と象徴』(1371夜)にも書いておいた。

 しかし、言葉づかいによっては人が傷つくように、英語教育で世界中を統一することが愚挙であるように、大工道具で手が頻繁に切断されてはならないように、尺貫法で大工が仕事をしたっていいように、小さな町を機関車が横断するべきではないように(それでは『ねじ式』の悪夢がくりかえされる)、自動車は森首相の悪ったれ息子だからといって酔ってコンビニに突っ込んではならないように、貨幣にもそれなりの使い勝手があっていいはずなのである。

 エンデはこのことを説明するのに、シュタイナーが説いた「社会有機体三層論」を援用した。

 人間の社会というものは、さまざまなレベルやレイヤーやゾーンで成立している。これをシュタイナーは大きく3つに分けた。第1には国家や法や政治のもとに生きている(法生活)。第2に生産や消費のもとに生きている(経済生活)。第3に文化や教育のもとに生きている(文化生活)。

 これらはそれぞれが相互に自律しあっている「生の領域」なのである。これを一緒くたにしないほうがいい。たとえばフランス革命は「自由・平等・友愛」を掲げたが、「平等」は政治や法が律しても、「自由」は精神や文化が担うべきであろう。もしも「友愛」を問題にしたいなら、それこそ経済における友愛が追求されるべきなのだ。

 そもそも「所得と職業」が、「報酬と労働」が一つになってしまったことが問題なのである。われわれは「働く」ということを「同胞のために働く」という場合にもいかすのだし、逆に、決まった収入を得ることと好きな仕事をもっとしたいということが一致しないことだって、しょっちゅうあることなのである。まして表現活動や冒険の旅に出ることは。

 そう、シュタイナーは主張したわけだ。社会は有機体として「法制・経済・文化」の三層になっているというのだ。ヴァルター・クグラーの『シュタイナー 危機の時代を生きる』(晩成書房)などを読まれるといい。『社会問題の核心』では次のようにも書いている。

  純粋な生産活動によって得られる収入と、すぐれた経営手腕によって得られる収益と、貯蓄によって得られる収入とは、それぞれ区別して考えるべきである。社会における資本のはたすべき役割は、個人がその能力によって発現する役割にも寄与するべきである。資本主義の問題は、資本がそのすべてを経済領域に向けすぎたことにある。むしろ本来の創造的な機能にこそ資本が機能できるようにしなければならない。

 エンデもこのようなシュタイナーの主張を継承して、経済が「自由」と「平等」を謳っていることに疑問を呈し(まさに新自由主義がその合唱のようになったのだが)、社会が分業によって成り立っているのだとしても、その分業によってすべての市場経済が許容されるべきではないし、株式経済のルールが人々を法令遵守させるべきではないと考えた。

 シュタイナーもエンデも、資本はもっと社会的なものであるということを考えていたのだ。銀行だってそうである。社会のためのソーシャルバンクがあっていい。
 しかし、そんなことがありうるのだろうか。それは夢物語にすぎないのではないか。番組では、ここでドイツにあるGLS銀行を取材する。

 「贈ることと貸すことの共同体の銀行」という奇妙な名をもつこの銀行は、預金者が自分で投資するプロジェクトを選び、同時に自分で預金の利率を決められるようになっている。たとえば有機農業のプロジェクトを促進したいと思えば、銀行が選定した有機農業ファンドに投資する。そのとき、自分で自由に利率を選ぶ。銀行側も利子の最高額の設定を通常の利率にしておいて、それ以下でもかまわない投資者を募る。その投資者が多く、その有機農業プロジェクトが成功すれば、投資者は存分なリターンが得られるわけである。

 ここまでくると、前夜にも少しふれたように、エンデがハンス・ビンスヴァンガーの『金と魔術』(1374夜)にひとかたならぬ関心をもったことは、容易に予想がつく。

 あらためて言うまでもなく、ゲーテが『ファウスト』で描いた錬金術は紙幣を勝手に印刷する近代の錬金術だったわけだが、それは連合国アメリカがドイツマルクにしてみせたことであり、ソ連がこれを無視したことに通じていた。戦勝国はたえず貨幣を牛耳ったのだ。それとともに、そのことは現代の貨幣資本主義や株式資本主義のすべての常識にもなっていったのである。ファウストとメフィストフェレスの会話は、資本主義社会にはまったく届いていなかったのだ。

 前夜にも述べておいたように、ビンスヴァンガーはのちにはエンデの『鏡のなかの鏡』にも注目した。映画化をすればきっとアンドレイ・タルコフスキー(527夜)の『ストーカー』のような作品になるような趣向だが、内容は一つのシティの祭壇から金銭価値が増殖していっているという恐怖を描いている。エンデがいつごろ『金と魔術』を読んだのかは知らないが、エンデはビンスヴァンガーに、そのビンスヴァンガーはエンデに影響されてきたのであろう。

 ビンスヴァンガーは、本書のインタヴューでは次のような発言をしている。成長と失墜をもたらす貨幣経済の根底に株式市場があることを問題視した発言だ。
 株式経済は重要な企業形態ではあるけれど、成長を基盤にせざるをえない。しかもこの経済では分配された利益配当が主題であって、株価が主人公なのである。かつ、株式経済の利潤は手元に戻ってくることを当てにした投資で成り立っている。そこに問題がある。エンデはそうした株式市場の外で動く貨幣経済の可能性を模索していたのではないか。

 いささかシュタイナーの思想に加担しすぎたかもしれないが、エンデがこのような経済思想の持ち主だったことは、これまであまり知られてこなかった。本書はエンデに対する取材を通じて、この面を取り出した。

 それでは話を次に進めよう。

 エンデがシュタイナーに続いて、いや、シュタイナーその人がその経済思想に影響されたであろうからエンデも注目しつづけた、もう一人の経済思想家がいた。それが知る人ぞ知るシルヴィオ・ゲゼルなのである(以下、シルビオ・ゲゼルと表記する)。

 ゲゼルは、ケインズ(1372夜)が『雇用、利子および貨幣の一般理論』でとりあげた「スタンプ付き貨幣」を発想したドイツの商人である(以下、スタンプ貨幣と言う)。ケインズはかなりゲゼルの影響を受けている。

 しかしゲゼルは、ケインズが言うようなたんなる商人ではなかった。革命的な経済思想家であり、画期的な貨幣論の提案者であった。むろんケインズもそれはわかっていた。ケインズは「シルビオ・ゲゼルは不当にも誤解されている。しかし、将来の人間はマルクスの思想よりもゲゼネの思想からいっそう多くのものを学ぶはずだろう」と書いた。

 ついでにいまのうちに言っておくが、実はアインシュタイン(570夜)もゲゼルにぞっこんだった。「私はシルビオ・ゲゼルの光り輝く文体に熱中した。貯め込むことができない貨幣の創出は、別の基本形態をもった所有制度に私たちを導くであろう」と褒めている。

 けれどもゲゼルは一貫して無視されてきた。何か危険な思想の持ち主だったのか。それともユートピア主義者だったのか。あるいは極左主義なのか。そのいずれにもあてはまらない。では、いったいゲゼルとは何者なのか。何がケインズやシュタイナーやエンデにもたらされたのか。スタンプ貨幣というアイディアなのか。いや、それだけではなかった。

 ともかくも、この異質な人物のアウトラインを知っておくべきだろう。本書『エンデの遺言』にもそれなりのページ数がさかれている。日本で「ゲゼル研究会」を主宰している森野栄一の執筆担当だった。

 シルビオ・ゲゼルは1862年にドイツ帝国のライン地方に生まれた。マルメディ近郊というところで、ドイツ文化とフランス文化が混じっていた。父親は会計局の役人、母親は教師。9人兄弟の7番目で、家の中ではフランス語、外に出るとドイツ語を喋った。

 16歳でギムナジウムを卒業すると、父親が公務員に就かせたいというので郵政局の職員になるが、すぐに退職してしまう。年長の兄の2人がベルリンに出ていたので、兄弟で歯科用の医療器械を扱う店を開いた。その後、語学力をいかしてスペインのマラガに赴き、ほどなく軍務に服役、その後に退役すると機械メーカーの通信員となる。アンナ・ベッカーとも婚約する。

 1886年、24歳のゲゼルはアルゼンチンに行く。兄のパウルが製造した歯科治療器具をブエノスアイレスで販売することが仕事だが、アルゼンチンはインフレとデフレを繰り返す金融混乱時代になっていた。ゲゼルはこの地でアンナと結婚し、輸入業者としての荒波をくぐりはじめた。とくに国内の不換通貨に金の価格の変動が重なって、国際為替相場が暴力的なほどに擾乱していくのを体験する。

 好調に見えた投機ブームが2年ほどたつと、アルゼンチンの経済は最悪になってきた。政府はデフレ政策をとり、金の流出と引き換えに追加的な対外債務を求めるのだが、いっこうにうまくいかない。銀行も不振に喘ぎはじめ、投資家たちは政府の債務返済猶予を認めない。すぐさま紙幣の価値が低落し、破産企業が続出すると、闇の投機が躍り、貨幣の売り買いが始まった。

 それなりの仕事をしていたゲゼルは、ここで一念発起する。ことごとく事業を整理して(段ボールプラントも仕事にしていた)、工場の売却益でラプラタ川に浮かぶ島をひとつ買うと、そこで農地を耕しつつ、理論活動に耽ったのである。こうして第1弾の『社会的国家への架け橋としての通貨改革』という画期的な論文が生まれる。インフレ期に貨幣の売買が安定するには、「指数通貨」と「自由貨幣」の両方が必要だというものだった。

 反応はなかった。しかしゲゼルは続いて『事態の本質』『貨幣の国有化』を著し、1897年には『現代商業の要請に応える貨幣の適用とその管理』を刊行して、アルゼンチン政府と経済界に問うた。反応はあいかわらず、ない。それでもゲゼルは『アルゼンチンの通貨問題』というパンフレットを作り、政界・実業界・新聞社をまわった。しかしあまりの無反応に、ゲゼルは段ボールのプラントビジネスを再開し、自分の事業の展開によって政策と通貨の問題を実験してみせた(このやりかたは、ぼくが親しい原丈人のやりかたに似ている)。

 しかし、それでもまだ反応はなかった。けれども、ゲゼルの予想はずばり当たっていたのである。物価水準を切り下げようとする経済政策はことごとく失敗だったのだ。アルゼンチン経済は1年後に破綻、4万人の失業者が街に溢れた。ゲゼルのほうはかえって財を得た。34歳になっていたゲゼルは、1900年にヨーロッパに帰ってくる。

 ヨーロッパに戻ったゲゼルはスイスを選んだ。ヌシャーテル県のレゾート・ジュネヴィに農場を購入すると、そこでみずから農民となって6年間をおくった。スイスの長い冬がゲゼルに新たな思索と表現をもたらした。

 アルゼンチン時代とちがって、ゲゼルは今度は「土地」のことを考えた。そこで最初の活動として「貨幣と土地改革」という雑誌を創刊した。「自由地」という概念もこしらえた。あいかわらず世間の反応は冷たかったが、エルンスト・フランクフルトが共感を示した。すでに『不労所得』『シルバーリバーからの手紙』といった著作をものしていた経済学者である。フランクフルトはのちにゲゼルの主要大著『自然的経済秩序』の協力者になっていく。

 ついでスイスの国営銀行法の議論に介入して、『スイス銀行の独占』を書き、1906年には『労働全収権の実現』を、続いて『アルゼンチンの通貨過剰』を、さらにフランクフルトと共著の『積極通貨政策』を刊行した。

 ここでスイスからベルリンに拠点を変えたゲゼルは、ゲオルグ・ブルーメンタールと雑誌「重農主義者」を発刊するかたわら、これまでの著作を編集再構成し、いよいよ『自然的経済秩序』をまとめていった。この主著は、日本では『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』(ばる出版)という大著になっている。カウツキー研究者の相田慎一の訳である。2007年に翻訳刊行されたものだが、ぼくはこれを読んでぶっ飛んだ。

 どういうふうにぶっ飛んだかは、以下のゲゼルのこのあとの事歴の紹介のところにも少しはふれるが、詳しくは次夜の千夜千冊にまわしたい。ここにはピエール・ジョセフ・プルードンが蘇っているからだ。プルードンがどういう思想家だったかということも、今夜はふれない。

 第一次世界大戦のさなかに『自然的経済秩序』は出た。ゲゼルは勇躍、1916年にはベルリンで「金と平和」を、翌年にはチューリヒで「自由土地、平和の根本条件」を、1919年にはふたたびベルリンで「デモクラシー実現後の国家機関の簡素化」を、それぞれ講演した。

 3番目の講演は「小さな政府」を提唱したものだった。しかしゲゼルはそうした驚くべき先駆性とはべつに、1917年に始まったロシア革命によるマルクス主義的な反資本主義の思想と行動に警戒を強めた。いったい社会主義や共産主義によって世界は変革されるのか。ゲゼルは以降、ボルシェヴィズムを批判し、マルクスの経済思想の限界を見極めようとする。

 思想的にマルクスを批判しただけではなかった。1919年にバイエルン共和国のホフマン政府から社会化委員会への参加が要請されると、ミュンヘンで友人のテオフィール・クリスティン、ポレンスケ弁護士らとともに「自由経済顧問団」を結成し、ギュスターブ・ランダウアーの新政府(クルト・アイスナー政府)の樹立に協力をする。ゲゼルは『自然的経済秩序』第4版の序文にこんなふうに書いている。

  自然的経済秩序は新たな秩序の人為的な組み合わせではない。分業から生まれた発展は、われわれの貨幣制度と土地制度かがその発展に対立するという障害に直面する。この障害は取り除かれなければならない。それがすべてだ。

  自然的経済秩序は、ユートピアとも一時的熱狂とも無縁である。自然的経済秩序はそれ自身に立脚し、役人がいなくとも生活する力をもっており、あらゆる種類の監督と同様に国家それ自体を無用なものとする。それは、われらが存在を司る自然淘汰の法則を尊重し、万人に自我の完全な発展の可能性を与えるのだ。

  この理念は自分自身で責任を負い、他者の支配から解放された人格の理念であり、これはシラー、スティルナー、ニーチェ、ランダウアーの理念である。

 だいぶん過激になっている。しかし、ゲゼルが新政府の財務担当人民委員に就任して1週間で、クルト・アイスナー新政府はモスクワの指示に従う共産主義者によって転覆されてしまった。これがバイエルン第二共和国である。ランダウアーは逮捕され、殺害された。

 ゲゼルは憤然として「全貨幣所有者への呼びかけ」というパンフレットを撒いた。また、国内物価水準の安定のために国際為替レートの協調会議の招待状を認(したた)めた。が、ゲゼルらは共産主義者の嫌疑をかけられ、大逆罪で告発される。

 その後、ゲゼルは高等裁判所での法廷闘争を展開、結局は釈放されるのだが、さすがに暗澹たる気分になっていた。国家というものが大逆罪によって何を仕掛けているのか、あまりにもよく見えすぎたからだ。もはや国家には脱出口はないのではないか。さすがのゲゼルも絶望したようだ。

 第一次世界大戦は終わった。しかしヴェルサイユ条約の経済政策はなんともひどいものだった。黙っていられないゲゼルは、1920年に『ドイツ通貨局、その創設のための経済・政治・金融上の前提』というパンフレットを発表する。時のドイツ銀行の総裁ハーフェンシュタインに宛てた。むろん何の対応もなかった。

 もはやドイツ一国を相手にできないと見たゲゼルは、まずは『ドイツ国民への宣言』を書き、ついで「世界貨幣」を構想した『インターナショナル・ヴォルタ・アソシエーション』を発表した。今日のIMFとは異なる国際通貨協会を創設して、どの国民通貨に対しても中立的な通貨を発行するという構想である。このときどうやら、ケインズがゲゼルに注目したようだ。おそらくシュタイナーもこのころにゲゼルの自由貨幣論に触発されて、「老化する紙幣」を発想したものと思われる。

 それならいよいよもって“ゲゼルの奇跡”が近くなってきつつあるはずだったが、もうゲゼルの余命のほうがなくなりつつあった。1927年、渾身をふりしぼって『解体する国家』を書くと、世界が大恐慌に見舞われていったさなかの1930年3月11日、69歳の誕生日を前に、ゲゼルはベルリン郊外のエデンに没した。いま、ぼくが少しずつ近づきつつある年齢だ。

 ミヒャエル・エンデがどのようにシルビオ・ゲゼルを知ったかははっきりしない。NHKの番組では、金融システムの問題を話していたエンデが、その話が華僑に入ったあたりで突然にゲゼルのことを持ち出し、取材班を驚かせたという。NHKチームはゲゼルのことをまったく知らなかったからだ。

 のみならず、エンデはゲゼルの経済思想が実践された例を持ち出した。オーストリアのヴェルグルという町のことだった。

 シルビオ・ゲゼルという人物がいて、「お金は老化しなければならない」と説きました。お金で買ったものはジャガイモにしろ靴にしろ、消費されていく。しかしその購入に使ったお金はなくならない。モノは消費され、お金はなくならない。モノとしてのお金と消費物価とのあいだで不当競争がおこなわれているのです。ゲゼルはそれはおかしいと考えたのです。ゲゼルはお金も経済プロセスの進行とともに消費されるべきだと考えたのです。

  このゲゼルの理論を実践し、成功した例があります。1929年の世界大恐慌の後のオーストリアのヴェルグルという町のことで、その町長のウンターグッゲンベルガーが町の負債と失業対策のため、現行貨幣とともに「老化するお金」を導入したのです。

 ヴェルグルはザルツブルグ近郊にある。その町で、1932年に画期的な実験がおこなわれた。世界大恐慌のあおりをくった人口5000人ほどのヴェルグルは、400人の失業者と1億3000万シリングの負債をかかえていた。そこで町は、通常貨幣とは異なった「労働証明書」という形の新しい通貨を発行し、公共事業の支払いに充てた。

 世界史上初の「エイジング・マネー」の導入だった。しかしオーストリア政府とオーストリア中央銀行は紙幣の発行は国家の独占的な権利であるので、この行為は認められないとして、ウンターグッゲンベルガー町長を国家反逆罪で起訴、すべての新紙幣を回収してしまったため、この実験はあえなく潰えた。

 ヴェルグルで発行された「労働証明書」は、ゲゼルが構想し提案した「自由貨幣」のうちのひとつの、「スタンプ貨幣」である。特定の地域で短期間にわたって使うためのものなので「地域通貨」とも「代用紙幣」ともいえる。

 ヴェルグルのスタンプ貨幣(厳密には紙券)は12カ月分の枡目が印刷されていて、そこに使用者たちがスタンプを貼るようになっている。スタンプ紙券の額面はいろいろだが、どの紙券も毎月1パーセントずつ減額していく。そのため町民は月末までに減価分に相当するスタンプを当局から購入して貼らなければ、額面を維持できない。町はこうしたスタンプ収入をさまざまな救済資金に充てたのだ。

 スタンプ貨幣は“期限のついた紙幣”であって、“減価する紙幣”なのである。使用者の“痕跡が残る紙幣”でもある。とくに「勝手に増殖しないようになっている」という最大の特色がある。

 ゲゼルは1週間で0・1パーセントずつ減価するスタンプ貨幣を提唱した。年間に換算すると5パーセントになる。これは一般の通貨レートの変動に接近した変動幅だと想定できるので、ゲゼルの構想がすぐれていたことを暗示した。


ヴェルグルで発行された地域通貨「労働証明書」

写真は5シリングのもので、裏側(下)に宣言文が記されている。

 いったいゲゼルからエンデに伝わった自由貨幣の構想は、資本主義の世の中で現実化可能なものなのだろうか。

 むろんゲゼルは可能だと考えた。ゲゼルは資本主義をよくするにはそれしか方法はないと考えていた。ゲゼルもエンデも、またシュタイナーも、お金や資本主義を廃止する必要はまったくないと考えている。むしろ現状の通貨・紙幣・資本主義がこのまま進んでいけばしだいに悪化するだろう、取り返しがつかなくなっていくだろうとみなしていた。

 どのようにゲゼルに発した自由貨幣を議論していけばいいのか、またゲゼルが「土地」を“自由地”として再解釈していったかということをどう議論すればいいのか、それを正確に語ろうとするとけっこう難しい。だから、そのことについては次夜に視点を変えて案内するとして、ここでは、こうした自由貨幣構想が各地で現実化した小さな例を、NHKの取材に従って紹介しておくことにする。

 ★1932年の早い時期、ドイツのバイエルンの石炭鉱山の町シュヴァーネンキルヘンで、鉱山所有車のヘベッカーが「ヴェーラ」という自由貨幣を発行した。ヴェルグル同様にすぐに政府が禁止したため、わずか10カ月ほどの実験だったというが、このあとドイツは経済悪化が深刻になり、ナチスが台頭してきた。

 ★1932年10月、アメリカのアイオワ州ハワーデンで30万ドルの自由貨幣が発行された。ハワーデンは人口3000人。自由貨幣は失業手当の調達に使われた。3セントの印紙を貼る方式だった。

 ★1933年、ロングアイランドのフリーポートで、失業対策委員会が5万ドルの自由貨幣を3種類の紙券として発行した。スタンプ紙幣方式だった。同じ年、アラバマ出身のバンクヘッド上院議員とインディアナ州のピーテンヒル下院議員がそれぞれゲゼル理論を咀嚼して、連邦政府に代用貨幣の発行を認めるという法案を提出、緊急時の通貨対策として承認をされたが、これは実施されることはなかった。

 ★1934年10月、スイスのバーゼルに本店をおくヴィア銀行は、協同組合銀行として経済リング「ヴィア」を開始した。そのころのスイスには5万人ほどのゲゼル派がいたらしい。その出資にもとづいて4万2000フランが資本金になった。翌年には会員3000人、年間売上は100万フランになった。1938年に“時間とともに目減りする通貨”を発行するために、「ヴィア」という経済単位での取引ができるようにした。有効期間1年で、毎月、印紙を裏に貼るようにした。理念は利用者間の相互扶助におかれたため、利子率は最低限のものだった。こうしてその取引額は1960年には1億8330万フランに達した。いまでは、スイス企業の17パーセントにあたる7万6000社がヴィア・システムに参加し、1995年以降はヴィアカードによる決済が可能になっている。

 ★1983年、カナダのバンクーバーで、コモックスのマイケル・リントンが「グリーンドル」という物やサービスを交換できるシステムLETSを始めた。地域交換取引システム(Local Exchange Trading System)の頭文字をとってLETSという。物やサービスの提供を受けたい住民が、そのつどグリーンドルという計算単位で代価を発行するしくみになっていて、口座ゼロから出発してグリーンドルを使うと口座からその分がマイナスになることでスタートできた。リントンはこのマイナス口座からのスタートをLETSへのかかわりを示す“積極的な負”とみなした。

 ★1991年、ニューヨーク州イサカで「イサカアワー」という地域通貨が誕生した。「グリーンスター」という生協型のスーパーマーケットのポール・グローバーが始めたもので、非営利の委員会でこれを管理した。1イサカアワーは10ドル。現在も使われていて、8分の1アワー、4分の1アワー、2分の1アワー、1アワー、2アワーの5種がある。表面には「ここイサカでは私たちはお互いに信頼しあっている」というフレーズが刷られ、裏面には「この紙幣は時間の労働もしくは交渉のうえでの物やサービスの対価として保証されています。イサカアワーは私たちの地元の資源をリサイクルことで地元の経済を刺激し、新たな仕事を創出する助けとなります。イサカアワーは私たちの技能・体力→道具・森林・野原・川などの本来の資本によって支えられています」と刷られている。

 ★1992年、ドイツのザクセンアンハルト州のハレ市に、「交換リンク」という仕組みが始まった。現金をまったく使わずに通帳上の中だけで物や仕事やサービスを交換するシステムで、通帳の中で交換されるのは「デーマーク」という経済単位である(1デーマーク=1ドイツマルク)。これは会員全員が見る交換可能リスト誌を媒介にして、日本にもよく見られる「売ります」「買います」の“交易”が成立すれば、あとは年会費や通帳発行料金などを収めれば、そのほか自由だった。その後、「交換リンク」はデーマーク型のものがドイツで200あまりの地域で、フランスでは「SEL」という単位の300あまりの地域が実施されている。


上図:旧東ドイツ・ハレ市の交換リング「デーマーク」

下図:交換リンクの仕組み。サービスと単位の動き。

https://1000ya.isis.ne.jp/1378.html

 ざっとではあるが、こんなふうにゲゼルの自由貨幣運動は各地に広まっていったのである。ここではふれなかったが、ドイツの「緑の党」などのムーブメントにも、つねに自由貨幣論は出入りしてきた。

 しかしながらこれらは、いまでは地域通貨論や電子マネー論の範疇で片付けられているだろう事例になっている。そうなる理由もあるのだが、ゲゼル→ケインズ→シュタイナー→エンデという系譜を考えると、その程度の議論でいいのかどうか、そろそろ問われるべきときがきているはずである。

https://1000ya.isis.ne.jp/1378.html

4. 中川隆[-12719] koaQ7Jey 2020年5月07日 23:01:05 : IC9sJkmouQ : MEtrMm16cm5xY0k=[22] 報告

20150317 実のお金と虚のマネー 内橋克人





エンデの遺言の話をされています。聞いてみる価値ありです。
1999年にNHKのBS1で放送された

『エンデの遺言 〜根源からお金を問う〜』
https://www.youtube.com/watch?v=Hh3vfMXAPJQ

本も出版されています。格差が広がる中で地域通貨など共生セクター・協同について考えてみる価値あるかも。1999年のNHK 番組を本にしたもの。
5. 中川隆[-12717] koaQ7Jey 2020年5月07日 23:10:35 : IC9sJkmouQ : MEtrMm16cm5xY0k=[24] 報告
「アベノミクスの成果」【事実をいえば……】

安倍政権の発足直前(2012年10月〜11月)、政府は、80円台から105円(2013年12月)への円安を生むため、30兆円のドル買いを、秘密裏に、郵貯・かんぽ生命等の政府系金融機関に、行わせています。

25円(30%)の円安目的の、「円売り/ドル買い」マネーが、米国系投資銀行に入って、ヘッジファンドから、2012年末から日本株の買い越し(5兆円規模)になり、日経平均が8,500円台だった株価が、1万4,000円に上がっています(2013年末)。

これが、「アベノミクスの成果」とされたのですから、内実は白々しいことでした。当時の当メールマガジンにも書いたことです。

通貨と株価の大きな変化には、いつも、資金量をもっとも大きくできる政府と中央銀行、および政府系金融機関が関与する原因があります。
https://www.mag2.com/p/money/911417


▲△▽▼

日本円が超円安になった理由
「アベノミクス」の正体
日本食潰す金融投機資本に貢ぐ 2013年5月17日付


安倍政府が発足して以後、「アベノミクス」と呼ばれる異次元の金融緩和や公共投資を中心とする政策が台頭し、急激な円安と株高の局面があらわれている。

昨年11月に民主党・野田政府が解散を表明した時点で8600円台だった日経平均株価は、半年たった今年5月中旬には1万5000円台まで急騰し、為替相場は1j=79円台だったものが102円台まで円安になるなど、世界的に見ても例がないほど大きな変動が起こっている。

海外投資家が時価総額のうち七割を占めている株式市場が熱狂し、さらに円安でトヨタをはじめとした輸出企業が過去最高益を上げるなど、金融緩和と為替マジックで金融資本や一部大企業がバブルに浸っている。

ところが一方で、燃油や穀物を中心に日本国内では生活必需品の価格が急騰し始めるなど、国民生活に深刻な影響が広がっている。「アベノミクス」でいったいなにが起きているのか、どうなっていくのかが重大な関心を集めている。


 
 バブルに群がる海外投資家

 この間、日経平均株価はリーマン・ショック以前と同レベルの価格まで急騰してきた。それほど好景気なわけでもなく、むしろ怒濤の首切りや製造業の海外移転を経て失業や貧困が全国的な範囲で広がり、生活実感としては悪化しているにもかかわらず、「日本株、年初から45%の上昇率」「1万5000円台回復」が叫ばれている。今後はさらに1万6000円台、1万7000円台まで上昇するとエコノミストたちが煽っている。

 しかし株式市場もよく見てみると、東証一部の約6割にあたる1000近くの銘柄が値下がりしている。株価が急騰している4割のなかでは円安効果の恩恵を受けた自動車産業や、ソニー、パナソニック、三菱電機といった企業が年初から倍近い株価をつけている。逆に株価が急落している企業としては不動産関係や、国内小売りのヤマダ電機、イオン、東芝などの企業群だ。

 東証の株式時価総額は昨年10月末には261兆円まで落ち込んでいたのが、今年4月末の段階では411兆円にまで膨れあがっている。わずか半年で150兆円がなだれ込んでいる。この半年の推移を見てみると、11月に14兆円増加し、12月には26兆円増加、1月に29兆円、2月に13兆円、3月に23兆円、4月には46兆円とすさまじい勢いで資金が流入しているのがわかる。

 このなかで投機の中心的なプレイヤーとして振る舞っているのが海外のヘッジファンドや投資家といわれ、時価総額の大半は国内資金ではなくこうした海外資金であることが明らかになっている。

サブプライム危機で行き場を失った膨大な余剰資金がヨーロッパを食い物にし、ギリシャ、スペインなど南欧諸国の国家破綻でボロもうけした後しばらくは中国や新興諸国のバブルに巣くっていたが、それも一段落ついて今度は「アベノミクス」バブルに大集結していることを反映している。


 世界3大投資家の一人であるジョージ・ソロスがわずか3カ月で970億円を稼いで

「黒田はガッツがある」

「緩やかに死に向かっていた日本市場の目が覚めた」

などと褒めちぎり、

「しかし円が雪崩のように下落する恐れがある」

などと発言する状況ができている。こうした抜け目ない守銭奴は、日本経済が低迷しているといわれた時期に底値で株式を買い取るなど仕込みを終え、現在のように素人が「株がもうかる」と思い始めるような段階には見切りをつけて売り抜けている。

カモにされるのはいつも決まって素人で、証券会社にそそのかされた年寄りや、中流世帯が巻き込まれて泣きを見ている。


 加熱する米国債の購入 日銀の金融緩和で


 国債市場は株式市場よりも規模が大きく、世界的には株式市場の3倍にもなるとされている。この間の円安で輸出企業は潤ったといわれているものの、円安そのものが国債暴落で、1j=80円の段階で例えば1万円の日本国債の価値がドルベースで換算すると125jだったのが、いまや1j=100円超えなので、その価値は100jと大幅に下落することになった。

 こんな日本国債を持っているよりは、ドル建ての米国債を購入した方が儲かるという判断が働いて、日銀が金融緩和すればするほど米国債買いが加熱して、海の向こうに資金が流れ出していくことになっている。

円建ての日本国債を売り払って円を調達し、その円を売り払ってドルを買って米国債を購入するのが流れになり、あるいは国債を売り払った資金で株式市場に投機する動きとなった。


 安倍政府、日銀による異次元の金融緩和は、米国債購入という形で吸い上げられ、あるいは国際金融資本の博打の源泉として食い物にされる仕組みになっている。

リーマン・ショック後に、米国ではFRBが気狂いじみた量的緩和を実行し、銀行群の損失処理にあたり、ヨーロッパではECBが負けず劣らずの量的緩和をやり、市場に資金を供給してきた。そうしたマネーに寄生し、バブルを渡り歩いてきたのがヘッジファンドで、熱狂した後に売り浴びせることは、過去に日本市場でも経験済みだ。


 円安でも拠点を戻さず 海外移転の大企業

 日本国内ではこの数年、大企業が円高を理由に海外移転を繰り返してきた。ところが円安になったからといって日本に拠点を戻すわけでもなく、多国籍企業のようになって出ていく。内部留保を散散貯め上げたうえで、そうした過剰な資本は国民生活の水準を引き上げるためには用いられず、より利潤の得られる後進諸国への資本輸出や進出へと向けられている。ベトナム、ミャンマーといった進出先のインフラ整備までODAで日本政府に肩代わりさせるのだから、国民の面倒は見ずにもっぱら寄生するだけの存在というほかない。

 その株式を保有しているのが米国をはじめとした海外の超富裕層や、錬金術に長けた金融資本で、人為的な円安、株高政策にせよ、TPPにせよ、日本の富を米国富裕層の個人資産に移し替えてくれる「アベノミクス」だからこそ大歓迎している。

 グローバリゼーションのもとで、かつてなく世界を股に掛けた投機が横行し、産業集約が進んでいる。金が溢れて投資先に困るほど、生産は社会化して富は増大している。ところがその金は一%にも満たない超富裕層が握りしめて離さないことから、九九%がますます貧困に追いやられ、モノが売れずに経済活動は停滞。金融が破綻すれば損失を国家に転嫁するというデタラメがまかり通っている。

 ヘッジファンドが食い荒らしている日本市場の姿と、その資金をせっせと提供している「アベノミクス」の存在が暴露されている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/enyasukabudakanokagedekyuurakusurukokusai.html


安倍「官製相場」の正体。国民生活が疲弊し対米従属は加速する=吉田繁治 2016年10月20日
http://www.mag2.com/p/money/24781


2012年12月に発足した安倍内閣はアベノミクスを標榜し、株価上昇をその支持基盤としてきました。あれから約4年、いよいよ「株価政権」の総括検証をすべき時期が来ています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)

※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年10月19日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。本記事で割愛した内容(約5,000文字)もすぐ読めます。

なぜ株価は景気を反映しなくなったのか?官製相場の欺瞞を斬る

安倍首相の「スタートダッシュ」

消費税10%法案を通した野田民主党の自滅により、自民党は2012年12月、3年4ヶ月ぶりに政権に復帰しました。首相自ら「アベノミクス」と呼ぶところの、安倍政権の経済・金融政策の始まりです。

安倍首相は前回の失敗から、「スタートダッシュが肝心」と決めていました。自公政権が確実になった12年10月に明らかになったのは、
◾脱デフレの大きなマネー増発策
◾10年で200兆円の国土強靱化の公共投資

でした。日銀法を改正し、独立権を奪ってでも、マネーを増発させるという強いものだったのです。

【関連】株も不動産も奪われる! 預金封鎖よりも怖い「財産税」の傾向と対策=東条雅彦

国土強靱化は、財政赤字を200兆円分拡大して危険だ、という財務省の反対で消えました。東日本大震災の復興予算として、別途、28兆円の政府支出が必要だったからです。

マネー増発を推進するミッションを持ち、黒田総裁・岩田副総裁体制になった日銀は、異次元緩和(量的・質的金融緩和)を開始します。

量的緩和は、金融機関がもつ国債を買ってマネーを増発する政策です。質的緩和は、日銀が日経平均(株式ETF=上場投信)とREIT(不動産投信)を買いあげて、価格を上げるものです。

日銀による株買い(ETFの購入枠は6兆円/年)、これは普通、中央銀行が禁じられていることです。

恐慌の研究家である前FRB議長のバーナンキは、「日銀がケチッャプを買えば物価上がる」と言っています。あるいはヘリコプターでお金をばらまけばいいとか、ニコリともしないで異常なことを言う。

日銀が増刷した円で店頭商品を買えば、需要の超過になり物価は上がります。車を100万台(3兆円)、住宅を100万戸(30兆円)買ってもいいが、さすがにそれはできない。そこで株を買う。

日銀の株買いは迂回(うかい)して行われた

金融機関は、国債をはじめとする債券と貸付金で預貯金や基金を運用しているので、余分な現金は持ちません。

量的・質的緩和を政策にした日銀が、郵貯、年金基金(GPIF)、かんぽがもつ国債を買う。政府系金融と基金(GPIF)はそこで得た円で、日米の株とドル国債を買う。ワンクッションおいていますが、日銀が直接に日米の株を買い、米国債を買うことと同じです。

日銀は直接買うETF(年6兆円の枠)以外に、迂回路をとり数十兆円の株買いを行ったと言えます。方法はごまかしめいて姑息ですが、マネーの流れとしては露骨です。

日銀は量的・質的緩和として、円を下げ、株を上げ、インフレに誘導する「可能な手段の全部」をとってきたのです。

株価上昇は、株主の資産(東証一部時価総額511兆円 ※16年10月18日時点)を増やします。同時に企業の増資コストを下げます。資産が増えた株主は、資産効果で消費を幾分か増やします(しずくのようにわずかなのでトリクルダウンという)。百貨店で、100万円級の機械式時計が売れたのが、この資産効果です。

株価は理論的には、企業の将来の税引き後の予想純益を、期待金利(リスク率を含む株式益回り:6.6% ※16年10月18日時点)で割ったものと等価です。これが表現するのは、株価は企業の予想純益の結果ということです。

しかし多くの人々には、「株価が上がった→景気がよくなったからだ」と理解されます。下がっていた血圧が輸血で上がったから健康に戻った、と思うような本末転倒ですが、投資家と上場企業は歓迎します。支持率が上がるので、政府与党も喜ぶ。

株価が下落し、支持率も低くなった前回の反省を踏まえた安倍首相は、スタートダッシュで円安の誘導、株価の上昇に躍起になりました。円安の誘導は、輸出を増やし、株価を上げるためでした。

マネーの流れ

ヘッジファンドは保有しているドル国債を日本に売り、得た円で、出遅れていた日本株を買う。そして実は、総資金量が420兆円と日銀よりも巨大な政府系金融(現在名ゆうちょ銀行、かんぽ保険、GPIF:総資金量420兆円)は、日銀に国債を売って得た円で、米国債も買っています。

公的年金の残高139兆円(15年12月)を運用しているGPIFの、15年12月のポートフォリオ(分散投資)は、「円国債38%、国内株23%、外国債券(主は米国債)14%、外国株23%」です。

※日銀がGPIFの国債を買いあげる→GPIFは得た現金で国内株、米国債、米国株を買う→GPIFに米国債を売ったヘッジファンドはそのマネーで日本株を買う

マネー運用には遅滞が許されないので、この迂回路取引がコンピュータの中で、一瞬で起こります。

安倍政権の初年度だった2013年には、外国人(ヘッジファンド)からの15.1兆円もの巨大買い越しがありました。

外国人の売買は、東証一部の年間売買額460兆円のうち320兆円(約70%:16年7月水準)です。国内勢(金融機関と個人投資家)は、1990年のバブル崩壊後の損失の累積で資産を減らしたため売買がとても少ない。国内勢の売買は140兆円です。

他方、多くがオフショア(タックスヘイブン:租税回避地)からであるヘッジファンドの売買が320兆円です。東証はこのヘッジファンドの支配下です。

ヘッジファンドの日本株買いと、円先物売りのマネーの多くは、GPIFにおけるような迂回路をとって日銀が買い続けている、政府系金融の国債の現金化から来ています。

安倍政権前から始まっていた「官製相場」

政治相場(あるいは官製相場)は、14年10月末に発表された「日銀の追加緩和」と「GPIFの運用方針の変更」から始まったように言う人が多い。

しかし、マネーの流れを比較貸借対照表で調べると、安倍政権が始まる前の12年の10月から秘密裏に開始されています。最初は、円安介入のための30兆円の政府系金融マネーでした。

※総資金量420兆円の政府系金融3機関が、日銀に国債を売ったマネーで、米国債を30兆円買った→米国債を売ったヘッジファンドが日本株買い/円の先物売りを行った

安倍政権が確実になる前、12年9月の日経平均の予想PER(加重平均)は、1ドル80円台の円高の中で12倍付近と低かった。米国ダウのPERは15倍と3倍高かった。

上場企業(東証一部2000社)においては、輸出製造業の株価シェアが大きい。円安/ドル高になると、利益が数倍に増えます。このため、円安で日本の株価は上がり、円高で下がる基本性格があります。

通貨の低下は、普通、国力(政治力)と経済力の低下を示します。しかし日本では、ドルでは同じでも円での輸出価格が上がる。このため、上場企業の利益が増える予想がたち、株が買われます。
(注)予想PERは、株価の時価総額を次期予想純益で割った株価/収益倍率であり、株価の高さ、低さを判断するための指標です

PERが15倍なら将来15年分の、未実現の企業純益を株価が含んでいます。16年10月の日経平均の加重平均のPERは、14.3倍付近です。単純平均のPERでは18倍と高い。日経平均は、ユニクロ(ファーストリテイリング)の34倍のような高PER銘柄を含むからです。

2016年10月現在、日経平均は1万7000円付近です。米国ナスダックの予想PER(単純平均)は現在21.9倍で、バブル価格の水準です。他国をあげると、インド18.2倍、英国17倍、米国ダウ16.8倍、上海総合14.4倍、ドイツ13.3倍、ロシア6.8倍です。


円安誘導という名の「米国債買い」を実行

安倍政権誕生の2ヶ月前、1ドル77円(12年9月)だった円は、その2ヶ月前から下がりはじめ、10月に80円、11月に83円、12月には87年円と13%の円安になっています。続く13年1月に92円、2月には93円と下がり、6月には岩盤に見えていた100円も超えたのです。
(注)円安のピークは、15年6月の125.8円です。16年2月のマイナス金利以降は、逆に円高になり16年10月は104円付近です

円安は、世界の外為市場(円の売買が日量120兆円:2016年)での「円売り/ドル買い」が「円買い/ドル売り」を超過することで起きます。なぜ50%(1ドル120円)もの円安になったのか?

ここで、財務省の外貨準備($1.26兆:126兆円:16年10月)は、目立つので使われなかった。かわりに、ゆうちょ銀行、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、かんぽに、推計30兆円の「円売り/ドル買い」を行わせたのです。

前述のように、日銀がゆうちょ、年金基金、かんぽがもつ国債を買い、政府系3機関は、そこで得た円で、円安誘導を目的にしたドル債買いを実行するわけです。

さて、米国政府は、為替介入を行う国を「為替操作国」と強く非難します。しかし、円売り/ドル買いで得たドルで米国債を買うと途端に沈黙します。この理由は何でしょうか?


アメリカ政府の債務は2000兆円

米政府の総債務(自治体と社会保障の債務を含む)は、日本国債の2倍の$20.0兆(2000兆円:16年)に膨らんでいます。米国債も$15兆(1500兆円:同年)に増えています。

財政赤字は毎年、$7000億付近(16年度は$7130億)です。17年には、公的医療費($2.8兆:280兆円:12年)の増加で、赤字は$1兆を超えるでしょう。

米国の人口ピラミッドは、日本の10年遅れです。医療費では診療単価が約2.5倍高く、総額で$2.8兆(280兆円:12年)です。3.2億人の国民の、健康な人を入れた1人あたり年間医療費は$9000(90万円)です。

日本の医療費は、40兆円で1人あたり31万円/年。米国は1人あたりで3倍も多い。米国の医療費は信じられない高さです。盲腸の手術や流産で200万円とか…日本は世界的には医療費は安い。

米国政府は、この高すぎる医療費のため、日本の10年遅れで高齢者が増えるとつぶれます(ほぼ確定でしょう)。

米国は、新規国債のうち50%は、経常収支が黒字の中国と日本に売らねばならない。米国内では50%分しか買い手がない。米国は、海外からマネーを借りる構造を続けています。円でドル国債を買うことは、マネーの流れとしては米国への貸し付けです。

経常収支の赤字国は、感覚では逆ですが、資本収支では黒字になります。資本収支の黒字とは、マネーが流入することであり、現象形は、海外の金融機関が米国債、株、社債、MBS(住宅ローン担保証券)を買って、ドル預金をすることです。

わが国の民間では、国内の運用先がない三菱UFJグループ(総資産281兆円:16年6月)が、米国運用を増やしています。米国経済は、海外資金が大挙して引き揚げるとひとたまりもない。このため、米国はユーロや円より約2ポイントは高い金利を続けねばならない。


米国が利上げしなければならない本当の理由

米国が14年10月に、3回行った量的緩和(QE:$4兆:400兆円)を停止し、2015年12月にFRBが0.25%利上げした本当の理由は、金利が低いままだとドル債が売られ、海外から来たマネーが逃げる恐れがあったからです。逃げはじめてからの利上げでは、間に合わない。

米政府とFRBが、日本に金融緩和を強く勧めるのも、米国債と株を買ってもらうためです。異次元緩和にも米国への資金環流という条件がついていました。リフレ派は亡国のエコノミストに思えます

リーマン危機のあと、400兆円のドルを増発した3度のQE(08年〜2014年)でマスクされていた米国の「大きな対外不均衡」は、今も世界経済における根底の問題であり続けています。

米国の対外総債務は、$20兆(2000兆円)、対外資産を引いた純負債は$8.8兆(880兆円)と巨大です(15年末)。

一方で日本は、官民で948兆円の対外資産をもち、対外債務は609兆円です。339兆円の純資産があります(15年末:財務省)。経常収支が黒字になり、バブル経済で世界ナンバーワンと言われた1980年代以来、企業と金融機関が営々と貯めてきたものが、対外純資産になっています。

関連して言うと、中国は、公式には$2.1兆(210兆円:14年)の対外純債権国とされています。しかし、15年と16年に民間で起こった「元売り/ドル買い」に対抗して、政府が行った「元買い/ドル売り」により、今は、純債務国に転落していると推計できます。

2015年12月で$3.3(330兆円)とされている外貨準備では、銀行の持ち分と政府の持ち分が二重に計上されています。中国の4大銀行は、全部が国有です。選挙と議会制度がない共産党国家・中国の経済統計には、かつてのソ連と同じ問題があります。


ヘッジファンドによる円売り・日本株買いのカラクリ

アベノミクスとは、インフレを目標にした、

1.日銀の国債買いによる通貨増発
2.ドル買い/円売りによる円安誘導
3.政府系金融とGPIFによる日本株買いと米国債買い


です。

2%のインフレを目標にしたのは、年金・医療費・介護費(社会保障費)が年率3%(3兆円)で増え続け、それが国債の増発に繋がって、債務比率(政府総債務1277兆円/名目GDP505兆円=253%)が拡大することを防ぐためです。

分母の名目GDPが年率で3%以上増え続けないと、債務比率が大きくなり、近い将来の財政破綻が確定するからです(名目GDPの下限目標=実質GDP1%+インフレ率2%)。

仮にインフレになっても、企業所得と税収が増える中で世帯の所得が増えない場合、国民の生活は苦しくなっていきます。年金支給額が固定されている年金生活者3100万人(15年:厚労省)と、円安では企業所得が減る多くの中小企業の雇用者4100万人(06年:経産省)、合計で7200万人は、インフレで実質所得が減ります。

しかし、それらは構わない。政府にとっては、差し迫る財政破綻の防止がはるかに大切だとされたのです。


円安と株価上昇には有効だった量的・質的緩和

需要が増えることによる物価上昇に効果がなかった量的・質的緩和は、12年末から15年までの円安と株価上昇には有効でした。13年と14年の物価上昇は、円安での輸入価格上昇が主因です。世帯消費と企業の設備投資は増えていません。

東証では、年間420兆円の売買額の70%が、オフショアからのヘッジファンドによるものです。国内の個人投資家と金融機関は、90年からのバブル崩壊、00年のIT株崩壊、08年9月からのリーマン危機で3回の大きな損失を被ったことから、売買額が30%に減っています。

個人投資家700万人の多くは、上がるときは損失を回復するため売り越す、下がるときは難平(なんぴん)買いで買い越すという行動を取ります。


2012年末以降の日本株式市場の売買構造

このため、わが国の株価を決めているのは、70%のシェアになったヘッジファンドの売買です。


1.ヘッジファンドが買い越せば上がり、売り越せば下がる

2.下がっては、政府と投資家が困る

3.ヘッジファンドが売り超になると、3つの政府系金融(総資金量420兆円)と日銀(同459兆円:16年10月)が買いをいれる

という単純な基本構造が、2012年末から2016年10月まで続いているのです。

しかし2016年は、政府系金融と日銀の買いに対する株価上昇の反応が鈍い。この理由は、

1.アベノミクスによる株価上昇が政治相場(または官製相場)であることを皆が知った

2.このため二番目に大きな売買シェアを持つ個人投資家(700万人)が、政府系金融に追随した買いを入れなくなった

ことにあります。


米国の後追い。2015年から日本でも自社株買いが増加している

1日平均売買額が2.9兆円(15年平均)だったものが、2.3兆円(16年7月)に減った現在の東証一部で、大きく増えているのは自社株買いの4.3兆円です(16年1月〜9月)。

これは、事業法人の買い超に含まれます。年間では5.7兆円の買い超になるでしょう(13年1.5兆円、14年2兆円、15年3兆円)。

自社株買いは、市場で流通する株式数を減らします。会社利益は同じでも、1株あたり利益は上がったようになり、株価も上がります。タコが自分の足を食べることに似たこの自社株買いは、上場大手企業が留保利益で将来投資をせず銀行預金として貯まった、現金100兆円で行われています。

自社株買いでも、買いが増えれば株価は上がるので「株価上昇という形の株主配当」とされています。経営者が株主サービスとして行うのです。問題は、自社株買いは、いつまでも続けることはできないことです。

米国の2012年以来の自社株買いは、とても大きい。16年の第一四半期で$1820億(18.2兆円)です。年間では73兆円という巨額です。米国では、日本よりはるかに個人株主の要求度が高い。株価が1年も下がり続ければ、資産を失った株主により、株主総会で経営者が追放されます。

このため、経営者は米国FRBの量的緩和と、わが国と同じ将来投資の少なさから滞留したキャッシュフローで、年間73兆円もの自社株買いで事実上の減資をしているのです。

時価総額で世界一のアップル($6091億=60兆円:16年9月)は、社債を発行しゼロ金利マネーを得て、それで巨額の自社株買いを行っています。米国のダウやナスダックの大手企業の株価は、大きな自社株買いで20%から30%は高値になっているでしょう。

本稿執筆時点のダウは1万8161ドル、ナスダックは5243ポイントで史上最高値圏です。過去10年の純益を元にしたシラーP/Eレシオ(26.6倍:16年10月)が示すように、数十%のバブル性があると見ることができます。株価維持のために膨らみすぎた自社株買いの減少があれば、下がります。

自社株買いは、政府主導の官製相場と同じく、3年も5年もと続けることはできません。事実、2016年は米国の自社株買いはピークアウトして、今後は減少する傾向も見えます。

米国の自社株買いの傾向に注目してください。これが減ると、米国株は下がります。米国株が下がると、日本と欧州にも即日に波及します


株価が景気を反映しなくなった理由

ポートフォリオ投資とHFT(超高頻度売買)を組み合わせた売買シェアが、60%まで増えています。10年代の国際金融は、ネットワークで、リアルタイムに連結されているからです。

世界中の国債や株の売りも買いも、コンピュータ画面で一瞬です。株と債券の金融市場は、インターネットで変容しています。売買を叫ぶ「場立ち」があった「のどかな市場」ではない。

それでなくても、わが国の日経平均は米国ダウの子供です。米国株を売買しているヘッジファンドがポートフォリオ(分散投資)で、日本株をたとえば12%と一定割合にしているからです。米国株が下がると、ポートフォリオの中の米国株が減少します。かわりに、12%枠と決めている日本株の構成比が上昇します。これでは日本株の下落リスクが大きくなる。

株価罫線を分析するトレンド理論(傾向理論)とは違う、ランダムウォークの理論では、向こう3ヶ月で10%上がる確率があるときは、10%下がる確率も同じです。このため、ポートフォリオでのリスクが、コンピュータが自動計算する数値で大きくなる。

従って、米国株が下がると日本株を売って減額調整するプログラムが組み込まれています。ヘッジファンドのほとんどの売買で行われているHFT(超高頻度売買)がこれです。人間は関与せず、現物・先物・オプションの売買を組み合わせ、瞬時に売買が行われます。

ファンドマネジャーの関与は、ポートフォリオの割合(パラメータ)を変えるときです。以上の売買構造が増えたため、日米の株価の動きは同時化します。日米だけではない。

世界の株式市場(時価総額6000兆円:世界のGDPの1倍)が、ほとんど瞬間連動して動きます。基礎的な経済指標によるファンダメンタル理論(端的に言えば、景気がよくなると株価が上がる)は、ほとんど関係がなくなっているのです。
http://www.mag2.com/p/money/24781


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日経平均株価が上がる程、日本人はどんどん貧しくなっていく

アダム・スミス2世の経済解説  2015-05-10
アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

アベノミクスの評価は、現時点においてもさまざまである。その中で多くの人たちが認める功績は、株価を上昇させたことであろう。アベノミクスの否定論者でも、アベノミクスは株価を上昇させたこと以外にメリットは存在しないという評価を下す人は多い。

今回は、アベノミクスが株価上昇により巨額の損失を日本経済に与え、最近ではその累計額が100兆円にまで到達したという事実を説明する。


現在、日本で使われている日本の純資産に相当するものは、国民経済計算ベースでの国富(=正味資産)である。

現在、国ベースでどれだけ資産を増やした、あるいは減らしたかを認識できる統計は、国民経済計算ベースの国富しか存在しない。


国富のグラフ
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172757912.gif/


国富の大半は非金融資産である。それ以外は、金融資産の一部である対外純資産だけである。国富の大半をしめる非金融資産が減少傾向を示している最大の原因は、地価の下落である。対外純資産は増加傾向にある。

国富には、対外純資産以外の金融資産が存在しない。これは、金融資産が存在すれば、必ずそれに等しい金融負債が存在していると国民経済計算では考えるからだ。この場合、株価が上昇しても、株価の時価総額の増加額に等しい金融負債が増加していると考えるのである。

この考え方に基づけば、アベノミクスの結果株価が上昇しても、プラスは発生しない。株価の時価総額と同金額の金融負債が同時に増加すると考えるからだ。株式保有金額の増加額のうち海外投資家による日本株保有分については、海外投資家の資産増加と、国内部門の負債の同金額の増加が発生すると考える。

これを日本から見れば、国内の負債の増加分と同金額の国内資産が増えているのではなく、同金額の対外負債の増加だけが発生していると見える。

対外負債の増加であるから、対外純資産の減少、すなわち国富の減少を意味する。

日本の株価が上昇すればするほど、資産は増えず、対外負債だけは増加し、対外純資産と国富は減少する。


2014年末における投資部門別の株式保有金額(上場株だけが対象)を表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2015051017282459d.gif/


2014年末における最大の大株主は海外投資家であり、その金額は165兆円、全体の31%を占めていた。

次に、アベノミクス相場の開始以降、上記の株式保有金額がどれだけ増加したかを表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額の増加額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728253d4.gif/


アベノミクス相場の開始日は、野田前総理が衆議院解散を明言した2012年11月14日である。しかし、その日からの統計は存在しないので、代わりに2012年9月末を基準にした。保有金額にだいたいは比例しており、海外投資家による株式保有金額の増加額が95兆円と一番大きい。

次に、アベノミクス相場開始以降の投資部門別の売買状況を表すグラフを下記に示す。

投資部門別売買
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728224f6.gif/


このグラフの起点も、2012年9月末にした。見てわかるとおり、買いの大半は海外投資家である。2014年から公的資金が買い始めたので、信託銀行が少し買い越しになっている。最大の売り越し主体は家計、すなわち個人である。

次に上記の2つの表で示される金額の差を表す投資部門別の調整額というグラフを下記に示す。

調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172758332.gif/


調整額の定義は、資産の変動金額と売買金額の差である。具体的には、調整額の大部分は株価の値上がり益であり、かなり広い意味ではあるが統計上の不突合が一部に含まれている。最大の大株主である海外投資家が一番大きな株価の値上がり益を獲得している。

最初に示した国富の中の対外純資産は、フローベースでは「経常収支+資本移転等収支」の累積金額になる。一方、ストックベースではそれ以外のさまざまな資産価格の変動の影響を受ける。さまざまな資産価格の変動の中で最も寄与度が高いのは、為替レートと株価の変動分である。

日銀の資金循環統計ベースの対外純資産は、2012年9月末の277兆円から、2014年12月末の376兆円まで98兆円の増加となっている。このうち、海外投資家の日本株投資残高は、先のグラフで示したとおり95兆円、うち買越金額は20兆円、調整額、すなわち株価の値上がり益は75兆円である。

海外投資家は日本の株価上昇により、75兆円前後の値上がり益を獲得した。このため、日本の株価が2012年9月と2014年末が同じであったと仮定するならば、対外純資産は376兆円より75兆円多い451兆円になっていたはずである。

株価が上昇したがために、75兆円もの対外純資産と国富が減少したことを意味する。

株価上昇によって海外投資家が獲得した75兆円の調整額は、2014年末の金額である。2015年に入ってからも、日本の株価は上昇している。

ここで海外投資家の保有株式金額はTOPIXと同じ動きをすると仮定する。この仮定に基づいて、2014年末からの海外投資家の日次の調整額累計を表すグラフを下記に示す。


海外投資家の調整額
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少しばかりの仮定をおいて算出される累積調整額は、2015年4月22日に100兆円に到達した。

この金額は、アベノミクス相場開始以降、日本の株価上昇によって失われた国富の金額にほぼ等しい。

アベノミクスによる株価上昇が原因で失われた国富は、4月22日についに100兆円に到達してしまったのである。


アベノミクス相場の開始以降の株価上昇による(上場株だけから発生した)国富の損失100兆円という数字は、多少の誤差があるとしても、ほぼ正しい金額である。


株価上昇はアベノミクスの最大のメリットというのは正しくない。国民経済計算という有力な会計基準を使った場合、アベノミクスは、株価上昇の結果として日本の国富を100兆円も失わせた。

アベノミクスがもたらした株価上昇の結果は、大変大きな利益ではなく、100兆円という巨額の国富の損失であったという観点が存在することは重要であり、この事実を忘れてはならない。

最後に、100兆円の巨額の損失が発生してしまった原因とその対策を記すことにする。
 

政府・日銀の犯罪的な政策について

日本企業の株というものは、日本国民にとっての大変貴重な財産である。それに対して政府・日銀が過去にとってきた政策は、1989年12月29日の高値38,915円から2009年3月10日の安値7,054円まで、19年強の期間、最大で82%も日経平均株価を下落させたことである。

そして、国内投資家に、株価はもう上がらないという非常に強い予想、期待、確信と、株価が戻れば売らなければならないという非常に強固な信念を抱かせてしまった。そして、1991年以降、結果として取引所という流通市場だけで92兆円、発行市場も含めた国際収支ベースでは114兆円もの日本の現物株を国内投資家が海外投資家に安値で売り渡すことになってしまった。

これは犯罪的とも言えるレベルの政策である。アベノミクス相場が始まってからも、国内投資家は取引所という流通市場だけで20兆円の現物株を海外投資家に売り渡しており、犯罪的な政策は是正されていない。


これ以上海外投資家に株を売り渡せば、株価上昇と並行して増える損失がさらに拡大する。過去の政策があまりにも犯罪的すぎた。

株価が2万円前後にまで戻っても、国内投資家がまだ海外投資家に大量に株を売り渡し続けているという現状は異常である。過去における政府・日銀による犯罪的な政策を容認し、現在の異常な状態を異常と思わない人が多すぎることは、大問題である。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html
 

6. 中川隆[-12710] koaQ7Jey 2020年5月07日 23:28:21 : IC9sJkmouQ : MEtrMm16cm5xY0k=[31] 報告
元日銀参事・岩村充氏があぶりだす「黒田バズーカ」の本質 注目の人 直撃インタビュー
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/272617
2020/05/07 日刊ゲンダイ

 2013年4月に始まった日銀の異次元金融緩和。丸7年、吹かし続け、27日、国債買い入れ上限撤廃というさらなる追加緩和が決まった。だが、黒田バズーカは、本当に経済成長をもたらしたのか。長期の緩和やゼロ金利によって、誰が得をして誰が損をしたのか――。元日銀マンが本質をあぶりだす。

  ◇  ◇  ◇

 ――異次元金融緩和から7年が経過しました。どう評価されますか。

「現金を出すぞ」と言ったら、景気は良くなるというシナリオのもとに動いてみたが、まったく結果を出せなかったということでしょう。中央銀行が貨幣量を増やすぐらいでは人の心は変わらなかった。マーケットの方が賢かったということです。「黒田緩和」の問題は、うまくいかなかった時にどう戻るかを考えずに、ひたすら突っ走ったというところに尽きます。もっとも、コロナで当面、戻る必要はなくなり、黒田緩和の是非を問う意味もなくなってしまった感じですが。


中央銀行は経済成長のエンジンにはなれない

 ――金融政策の限界を実証した。

 金融政策とは、金利ゼロの中央銀行券とそこそこ金利がある国債を交換することだと言えます。ですから、どちらもゼロになったら金融政策は効きません。そもそも、経済を成長させるための金融政策という考え方が間違いなのです。経済成長のエンジンは人口増とか技術進歩などの経済の基本条件から生まれてくるもの。金融政策はアクセルやブレーキ役はできても、成長のエンジンそのものではありません。中央銀行が経済を背負っていると考えるのは思い上がりの一種です。

 ――日本だけでなく、米国、欧州の中央銀行もずっと低金利政策や金融緩和を続け、経済成長を導こうとしてきています。

 19世紀後半から20世紀は世界的にまれに見る経済成長の時代でした。私的所有権が確立され、技術進歩にも画期的なものがあった。その中で国民国家、民主主義、中央銀行、株式会社などの「仕掛け」が世界標準になったのです。今、経済成長が頭打ちになり、そこで機能する新しい仕掛けが見つからないなかで、中央銀行と政府の区別がつかなくなっています。中央銀行と政府の役割分担は、19世紀後半から20世紀の成長の時代に作り上げた「二分法」ですから、成長が止まったら溶けてしまうのは仕方がない気がします。

 ――今後も20世紀のように経済成長が続くわけではないと。

 続かないでしょう。経済成長が当然だと思うと、皆の期待ほど経済成長していないと、政府は何とか成長を加速しなければと考える。そこで、中央銀行が低金利政策、金融緩和を続けることになるのです。

 ――低金利政策の長期化で何が起こりましたか。

 株式投資とそれ以外の資金運用の間で大きな格差が生じてしまいました。金利が下がると、企業は借金や社債など資金調達の利払いが抑えられ、株主への配当をどんどん厚くします。経済成長がゼロ、うまくいっても2%の時代に、株主資本に対する当期純利益の割合を示すROE(自己資本利益率)について「8%が国際標準だ」という話が大手を振って通るんですから呆れた話です。企業は必死に株主優遇競争を展開し、それを国家と中央銀行が全力で後押しするというのが今の世界なのです。そのしわ寄せを受けるのが、一般の預金者なのです。

 ――株式投資をできる人と普通の預金者の格差ですね。

 黒田総裁もパウエルFRB議長も格差を拡大させようと思って、金融政策をやっているわけではないでしょう。しかし、金融政策自体が富の分配でもあることに気をとめないようでは専門家失格です。成長エンジンが失われている状況で、ともかく経済成長しようという金融政策が結果として格差をつくっているからです。無理な金融緩和で格差づくりに関与してしまったという点では、責任は黒田総裁だけでなく、白川方明前総裁やその前任者の福井俊彦元総裁も同じなのですが、白川や福井は、今は低い金利に抑えるけれどもいずれ取り返すよという考えだったと思います。しかし、黒田総裁には、いずれ巻き戻すという考えはないようです。だから、ずっと格差が拡大するし、それを他人事のように言えるのですね。


日銀は政府と一体化(C)日刊ゲンダイ


消費税の本質は労働課税

 ――グローバル化による格差拡大もありますね。

 背景にあるのは国家間の企業呼び込み競争です。富裕層や法人を優遇しないと、国外に逃げられて国が空っぽになるという恐怖をどこの国の政府も抱いています。だから、所得税の最高税率や法人税を劇的に下げてきました。その減収分を補うのが消費税ですが、消費税の本質は労働課税なのです。

 ――といいますと。

 法人税は、売り上げから物的な仕入れと人件費を差し引いた残余に課します。消費税は、売り上げから物的な仕入れを引いた残余が課税対象です。人件費は差し引かれません。ですから、国の税収の軸足を法人税から消費税に移すということは、税負担を株主から従業員に移すことを意味することになります。労働者の犠牲のもとに、法人や株主を優遇しているわけです。このままでは、格差はますます拡大するでしょう。

 ――低金利政策と税制で労働者など中間層は痛めつけられている。中間層が決起してもおかしくない状況です。

 中間層はバラバラな方向に向かっています。ひとつは、富裕層により多くの負担を求めるという方向です。米国型リベラリズムや社会民主主義にはそういう面があります。米国のサンダースの支持者はそういう意識なのでしょう。

 ――ただ、最近はどこの先進国もリベラル勢力や社会民主主義はパッとしません。

 そこで受け皿になってしまうのがポピュリズムです。自分が豊かになれない理由を、自分たちでない誰かのせいにしようとするのですね。あれだけおかしなことをやりながらトランプ政権の支持基盤が固い理由や、欧州のネオナチや反イスラムの台頭にも同じ背景があると思います。

 ――コロナ禍は世界をどう変えると思いますか。

 グローバル化には一定のブレーキがかかるでしょう。コロナの脅威がある間はそうでしょうし、今のコロナウイルスに対するワクチンが作り出せても、別の新種ウイルスが大流行する可能性は消えません。そうした観点からグローバリズムにリスクがあると考える人が増えてくれば、能天気とも言えそうな国家間の企業呼び込み競争やサプライチェーンのグローバル化には慎重にならざるを得なくなるはずです。


自由の劣化が進む中、コロナ禍が襲った

 ――新型コロナが終息した後は、どんな国家間競争が起きると予想されますか。

 今回の経験を経て、国家はより強く、市民や国民を監視してコントロールする方向に向かう可能性があります。欧米型の自由主義体制ではなくて中国型の政治体制への誘惑が強まってしまうのです。医療産業を国家安全保障の文脈で守ろうとする動きなどには、国際緊張を増し、軍拡競争に転化していく危険すらもあります。

 ――自由が制約される強権的な体制を国民は受け入れるのでしょうか。

 残念ながら受け入れる土壌はできつつあります。責任の一端は、サッチャーやレーガン以来の新自由主義にもあります。19世紀型国民国家の理念になった自由とは、血と涙で守るものでした。明治時代の自由民権運動で「板垣死すとも自由は死なず」というのがありましたが、そこでの自由とは命をかけて守るものなのです。ところが、新自由主義における自由とは要するに規制緩和で、つまり自由は儲けるための道具におとしめられてしまったのですね。自由を守ろうとする気概も勇気も劣化してしまっているのです。コロナウイルス封じ込めのためには何が何でも外出を取り締まるべきだとか、個人行動履歴もどんどん追跡すべきだという議論には怖さを感じます。症状のある人を治療するための検査は重要ですが、疑わしい人を隔離して自分は安全に暮らすための検査拡充論として主張されるとしたら僕は反対です。自由とは、そんなに安っぽいものではありません。コロナ禍で、自由や人権に対する私たちの根性、据わり方が試されているのです。僕だって感染の不安がないわけではないけれど、ここで譲ってしまったらおしまいだろうなという気がするんです。

(聞き手=生田修平/日刊ゲンダイ)

▽いわむら・みつる 1950年、東京生まれ。74年、東大経済学部卒業後、日本銀行に入行、企画局兼信用機構局参事などを経て、97年退行。98年1月から早大教授(現職は大学院経営管理研究科)。近著に「国家・企業・通貨 グローバリズムの不都合な未来」(新潮選書)。

7. 中川隆[-12707] koaQ7Jey 2020年5月07日 23:41:09 : IC9sJkmouQ : MEtrMm16cm5xY0k=[34] 報告
新型コロナと株価暴落の「第二波」は10月か?ロックダウン解除の危険性=吉田繁治
2020年5月5日

5〜6月に都市封鎖が解除された場合、静かな7〜9月を経て、10月から新型コロナの第二波が来る可能性が高いでしょう。そうなれば株価は二番底をつけます。

「新型コロナの第二波に注意せよ」専門家の警告

英国LANCET(権威のある医学専門雑誌)に掲載されたこの論文は、「Beware of the second wave of COVIC-19(新型コロナの第二波に注意せよ)」として、以下のように述べています(4月8日)。
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(20)30845-X/fulltext

[原文]
「Leung and colleagues also modelled the potential adverse consequences of premature relaxation of interventions, and found that such a decision might lead to transmissibility exceeding 1 again?ie, a second wave of infections.」

[翻訳]
「リャン(中国名の李?)と研究所の同僚は、政府介入の早期緩和(都市封鎖や移動制限の解除)が、逆の結果を生むことをモデル化し、感染は(現在の)第一波を超えて第二波を生むかもしれないことを発見した」

上記は、5〜6月に都市封鎖や移動制限を解除すれば新型コロナの第二波が訪れ、20年の秋・冬まで長期化する可能性があるという趣旨です。未来は現在の条件から確定したものではなく、未知の新しい現象が生じるので、確率的なものとしてしか示せない。LANCETでは「might」という仮定の助動詞を使っています。

感染症学者は、「最も多い26万人(839万人の人口の3%)の感染者が確認されたNY市ですら初期の段階であろう。感染者はこれからも増える」と言っています。


4月の反発はダマシ?楽観的すぎる株式市場

世界の株価を4月に上昇させた早期収束論は、数理モデルからは誤っている可能性が高い。ワクチンができるのも、最短でも1〜1.5年後とされているからです。
ワクチン開発に時間がかかるのは、臨床の治験が必要だからです。ワクチンは副作用を極小化する必要があるので、普通は短くても5〜7年かけます。ワクチンからの感染事例が出ると巨額の損害賠償になるからです。製薬会社は、そうした分かり切ったリスクは犯しません。

南半球での、およそ4か月遅れの感染増加を考慮すると、延期された東京オリンピックの開催も危ういと見なければならない。アフリカでの確認感染はごく初期段階の2万人(4月上旬)、オーストラリア6619人、ブラジルが1万人です。人が集まる会場は、ウイルス拡散の場になります。

無制限緩和という“人工心肺”で延命中だが
NYダウは、3月18日の一番底の1万8,600ドルから2万3,600ドルまで、4週で5,000ドル回復しています(4月20日)。ピークの2万9,500ドルから9,900ドル下落していたので、半分戻したことになります。
この買いは、

(1)コロナショックは5〜6月に収束するという論
(2)FRBによる2.3兆ドルのマネー供給

によって果たされています。

FRBは、3月3日と16日に2度(1.5ポイント)の利下げをした上で(短期金利誘導目標0.00%〜0.25%)、金融機関とファンドがもっていた米国債と、REIT(不動産上場投信)が下がっていた住宅証券のMBSを買い上げて、まず、金融機関にマネー供給をしたのです。その金額は、2兆ドル(220兆円)と巨大です。

米国債の価格は10年債で14%上がり、MBSも価格を回復しました。金融機関とファンドは、国債とMBSをFRBに売って、入ったドル現金をもとに33%下がっていた米国株(NYダウ、S&P500、ナスダック)の買い越しを続け、ダウで2万3,600ドルまで5000ドル戻したのです。

FRBは今回の量的緩和を無制限としています。株価を下げず、金融危機・企業倒産を防ぐためなら、いくらでも増額するということです<中略>

50%回復した株式市場が想定しているロックダウン解除(5〜6月)が、米国で実際に行われた場合、静かな7月、8月、9月を経て、10月から第二波が来る可能性が高いと思っています。第二波が来れば株価は二番底をつけるでしょう。社債、CLO、REITの再下落も同時です。
https://www.mag2.com/p/money/916477



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2020年05月06日
アメリカの魔法のステッキ、今回も無限資金供給発動か

バーナンキ(右)とポールソンは短期間で危機を終わらせ、後の10年の好景気を作った

画像引用:https://amp.independent.ie/migration_catalog/b1747/25060987.ece/AUTOCROP/w620h350/banks


アメリカはどうやって金融危機をクリアしたか

最近アメリカは新型コロナウイルスへの対策で1か月に300兆円も財政支出を決め、政府債務が急増している。

労働者の半数が自宅からの外出を制限され事実上の無職状態に陥っている。

年間の財政赤字は過去最悪の水準で、経済専門家や財政関係者は危機感を表明している。

だがそれでアメリカが破産するかというと、数年後には何事もなかったかのように立ち直っていると思われる。

2007年から2010年までの世界金融危機でも同じだったからで、当時はドルが無くなりアメリカが無くなると言われていた。

専門家たちは次の超大国は中国であり、世界は中国を中心に再編成されると言っていました。


10年前の新聞を読んだら今の専門家の言い分と同じで、同じことをずっと言っているだけだと気づくでしょう。

アメリカは2009年に破産を確信するほど経済と財政が悪化したが、1年後の2010年に立ち直り10年続く好景気に入りました。

重要な役割を果たしたのはFRB議長のバーナンキで、空から金を撒けといって毎週数兆円の資金供給をしました。


その方法は金融危機で破産した企業や公団の債権、株式を額面で買い取るという大胆なものでした。

その会社はすでに倒産しているので債権や株券はゴミに過ぎないが、ゴミを数百億円で買い取っていました。

FRBのゴミ買取でアメリカは空前の金余りになり、金は世界に還流して世界中が2010年代のバブルに突入しました。


アメリカの魔法のステッキ

比較しては何だが日本の麻生首相と白川日銀総裁は、金をばら撒くどころか逆に締め上げていました。

消費者金融が問題視され規制強化したのは良かったが、ほとんどの主婦や低所得者はカードを作れなくなった。

消費が大幅に落ち込んだが麻生首相は何も経済対策をせず、日本経済が崩壊するままにまかせてGDP大幅マイナスを記録した。


世界金融危機で最初にアメリカのサブプライムローンが破綻しローンを返済できない貧困者が続出した。

驚くべきことにアメリカ政府はローン破産した人の代わりにローンを支払い、住宅を差し押さえられないようにしました。

当時CNNでこの件を「ローンを払えないくらいで住宅を取り上げられるなんてあり得ない」と糾弾していました。


日本なら「金がないくせに借金したのが悪い」と破産者を非難したのではないでしょうか。

それでどうなったかというと、大盤振る舞いのアメリカはたった1年で完全に立ち直り10年間好景気を謳歌した。

ケチケチ日本は今も世界金融危機前まで回復しておらず、借金だけが雪だるま式に増えた。


どちらが正しくどちらが間違っていたかは明らかです。
http://www.thutmosev.com/archives/82873685.html



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米国の量的緩和が限界に近づき失速へ 株価への影響は2020年5月6日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10574

世界の株式市場は新型コロナウィルスの世界的流行による株安相場からの反発が続いている。しかし筆者には現在の相場にはポジティブな要素がほとんどないように見える。実体経済が危機的状況にあるのはこれまで伝えているが、それに加えてアメリカの量的緩和が失速し始めたからである。

国債買い入れ失速

アメリカでは2月からの株安相場を受けて無制限の量的緩和が行われている。

•米国、量的緩和の無制限化を発表も米国株は下落

量的緩和とは中央銀行が通貨を発行してその通貨で国債などの証券を買い入れることであり、無制限とはその買い入れ額に制限がないことである。

しかしこの無制限の量的緩和が4月の後半から失速し始めている。中央銀行の国債保有額の推移は次のようになっている。


3月に入って勢い良く急上昇したグラフの傾きが段々なだらかになってきているのが分かるだろう。そしてその結果どうなっているかと言えば、長期金利が不気味な上昇を始めている。


長期金利は10年物国債の金利だが、よりリスクの高い30年物国債の金利はもっと明らかに上向き始めている。


繰り返すが、現在アメリカの中央銀行は無制限の国債買い入れによって金利を下げようとしているのである。量的緩和で株価が支えられるのは、国債の金利が下がることによって投資家がよりリスクの高い不動産や株式に資金を振り分けるからであり、金利が上がってしまうとその浮揚効果も無くなってしまう。

量的緩和失速の理由

「無制限の国債買い入れ」は何故失速してしまっているのだろうか? その理由は中央銀行の買い入れ額に制限がなくとも買い入れることの出来る国債の総量に限りがあるからである。

現時点で存在している米国債の量は23兆ドルである。一方で3月に量的緩和が加速してから1ヶ月で買い入れた国債の額はグラフを見れば分かるが1兆ドル程度である。


つまり、「無制限の量的緩和」を当初の速度で続けるとこの世に存在するすべての米国債を2年足らずですべて買い上げてしまうことになるのである。これが量的緩和の限界である。買い入れ対象が無くなれば買い入れは出来なくなる。当たり前である。

それで中央銀行は株価が落ち着いたために買い入れ速度を落としたのだが、そうすると今度は金利が上昇してきた。しかし金利が上昇すれば株価を支えることは出来なくなってしまうだろう。

量的緩和の限界

これがここ数年何度も懸念されていた中央銀行の緩和限界の問題である。

•米国、緊急会合でゼロ金利まで利下げし量的緩和を正式に再開 暴落時の追加緩和が不可能に

今回のコロナショックで世界中の中央銀行は追加緩和の余地を失ってしまった。それどころかアメリカはここまで限界を越えて緩和しており、失速は不可避だったと言える。しかしもしかすると市場は失速を許さないかもしれない。米国の株価指数S&P 500は次のように推移している。


現在の株価水準

筆者は現在米国株を空売りしているが、同じように空売りをしている投資家にジェフリー・ガンドラック氏がいる。ガンドラック氏は株価水準について次のように述べている。

•ガンドラック氏: 株価は3月の底値を更新する


2,863でS&Pを空売りした。ここからはアップサイドもダウンサイドも大きくない。

S&P 500は3,000まで行かないと思うが、それも有り得る。ダウンサイドについては容易に底値を越えていくだろう。

彼が何故このように言ったかと言えば、現在の市場環境とコロナショックの規模の大きさから考えれば3,000程度が株価の限界だからである。実体経済へのダメージの大きさについては以下の記事で説明している。

•新型コロナ、米国経済の景気後退はリーマンショックの倍以上か、第1四半期GDP速報

しかし3,000というのは金利が今の水準に留まるならばの話であり、量的緩和が減速を続けて金利が上昇する場合には3,000という水準も維持が難しくなってくるだろう。しかし量的緩和は減速しなければ2年で打ち止めになってしまう。仮に減速せずに続けたとしても、この状況で量的緩和が打ち止めになれば株価も実体経済も崩壊するだろう。

結論

ということで、実体経済も株式市場も詰んでいるという見解を維持したい。しかしそれで良いのである。コロナショックでこれほど大きなダメージにならなければならないのはこれまで金融緩和と政府債務の膨張によって無理矢理経済をバブルにしてきたからであり、借金と紙幣印刷に頼らないまともな生活をしていれば経済のV回復も可能だったはずである。このことについては以下の記事で説明している。

•新型コロナで借金が実体経済に影響を与える仕組みを分かりやすく説明する

しかし借金を増やして株価をバブルにしたがる政治家から経済を操作する道具は失われた。まともな投資家は当然それを歓迎しているわけである。

•世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10574

8. 中川隆[-12731] koaQ7Jey 2020年5月10日 16:05:36 : txBdn50SLs : OURXcXpRZUdqSms=[13] 報告
世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
2020年5月8日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏がLinkedInでのブログ投稿で量的緩和についてこれまでより雄弁に語っている。

為替相場の終着点

ダリオ氏は現在の為替相場について次のように述べている。


ドル、ユーロ、円は債務の膨張・破裂サイクルの後期にあり、これらの通貨で債券を保有することの実質リターンは低く、新たに大量の債務が作り上げられマネタイズされてゆく。

そしてマネタイズの問題点について次のように説明する。


多くの人々は通貨を永遠に続くものと考えたり現金がもっとも安全な資産の保管場所だと思ったりするが、すべての通貨はいずれ減価するか消滅するのでそれは正しくない。

そしてそうなるときには現金と債券(それは通貨を受け取るという約束である)は減価されるかなくなるだろう。紙幣印刷と債務の減免は債務負担を減らすためのもっとも都合の良い方法だからである。

先進国はほとんどの国が巨額の債務を抱えている。ダリオ氏は債務を減らすためには以下の方法があると説明する。

•緊縮財政(消費を減らすこと)
•債務の不履行または減額
•資金と信用の移転(増税など)
•紙幣印刷と通貨の減価

最後のものは要するに量的緩和である。

ダリオ氏は次のように続ける。


この中で紙幣印刷はもっとも便利で、もっとも誤解されやすく、もっとも行われやすい債務縮小の方法である。

実際、紙幣印刷は債務の急な縮小を和らげ、この金融上の富を供給する代償として誰が富を取り上げられる被害者になるのかが分かりにくい(しかしそれは実際には通貨と債券の保有者全員である)。しかも大抵の場合資産価格が減価された通貨建てで上昇するので人々はリッチになったような気がする。

リッチになったような気がする。良いことではないか。

しかしダリオ氏は次のように続ける。


主要な準備通貨がこのように減価したり準備通貨としてのステータスを失ったりすることはわれわれが想像出来るなかで一番破滅的な経済的イベントである。

量的緩和の終着点

量的緩和と似たようなことは過去にも行われた。そして大抵の場合まともな終わり方をしなかった。ダリオ氏は次のように説明を続ける。


ほとんどの人は通貨の下落リスクに注意を払わない。ほとんどの人が心配するのは自国通貨建てで資産が増えるか減るかであって、自国通貨自体が上がるか下がるかを心配する人はほとんどいない。

1700年にはおよそ750の通貨が存在したが、今残っているものはたった20%であり、残っている通貨はそのすべてが減価している。

ドイツではグルデンやターラーが使われていた。日本には円がなく、小判や両が使われていた。イタリアでは6つの通貨のうちいくつかを使っていた。

それらの通貨の内いくらかはハイパーインフレになったり、敗戦や巨額の戦費で債務の支払いが不可能になったりして通貨が消滅し、別の通貨で置き換えられた。いくらかは別の通貨に統合された(ユーロのように)。ドルやポンドのようにいくらかは現在も残っているが価値は下落している。

ちなみに日本の両はいわゆる小判だったが、円に変わるまでの間に金の含有量が何度も減らされている。円ももともと金貨だったがついに紙切れになった。そして紙切れになっても誰も文句を言わないのである。アメリカでも同じことが起こっている。

•レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る

何故それでも量的緩和か

ダリオ氏が挙げた債務の4つの対処法の中でいつの間にか財布の中身をなかったことにされる紙幣印刷は本質的にはもっとも不公平なのだが、面白いことに人類が負債という問題に直面した時には大抵紙幣印刷が選ばれてきたのである。ダリオ氏は次のように述べている。


こうした通貨と信用の創造に誰も文句を言っていないようだ。それどころか、政府が通貨を印刷しなければ政府は残酷だなどと悲鳴が聞こえてきそうである。政府には送り出す金などなく、しかも政府とは金持ちの誰かではなくわたしたち自身であり、それをわたしたちが支払わなければならないということを誰も理解していない。

しかしそれでも量的緩和が終わるということをダリオ氏は予想しない。彼は次のように述べている。


今の状況で政府が予算とバランスを取るために支出を減らし、国民にも同じようにするように求め、不況でもたくさんの債務の不履行や減免をそのままにしたり、あるいはお金を持っている人から直接税金によってお金を持っていない人に再分配しようとしたりした場合のことを想像してみてほしい。紙幣印刷のほうがよほど政治的に受け入れられやすい。

つまり、ダリオ氏はそれが良いから量的緩和が行われるのではなく、良し悪しにかかわらず起こりやすいことが起きると言っているのである。

良いことは起こらない。それは起こりにくいからである。ダリオ氏はこうした量的緩和の状況を以下のように例えている。


これはある意味モノポリー(訳注:人生ゲームのようなもの)でプレイヤーのほとんどが文無しになって怒り出したので銀行役の人が現金を配り始める瞬間と同じようなものだ。

政治とは子供をあやすようなものなのである。しかし政治家はあやす対象から金を十分にせしめて帰ってゆくという点が子育てとは違っている。

政治家が何の責任も取らずに帰った後にはどうなるのだろうか? どれだけ紙幣を刷っても円は下がらないだろうか? しかし同じ先進国であるヨーロッパにはその運命は近づいてきているのである。

•新型コロナによる世界恐慌でヨーロッパ経済壊滅の可能性

そして米国がそうなる前に日本がそうなるだろう。

結論

ダリオ氏を含め、ほとんどの著名投資家は量的緩和について同じことを言っている。例えばコロナショックを予想したガンドラック氏である。

•ガンドラック氏、新型コロナでの企業救済とヘリコプターマネーを痛烈批判

例えばクォンタム・ファンドでポンド危機の際にポンドの空売りをしたドラッケンミラー氏である。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

筆者には彼らの理屈は当たり前のように聞こえるのだが、不思議と理解者は少ない。量的緩和を何も考えずに支持している人々はきっと彼らより深く経済を理解しているのだろう。

物事を理解できる人間は理解できない人間より大幅に少ないので、民主主義は常に間違え続けるしかない。彼らが間違えるのは勝手だが、巻き添えは遠慮をしたいものである。

幸いにも投資家は相場を使って自衛をすることが出来る。まずはユーロが量的緩和の犠牲になるだろう。

•新型コロナによる世界恐慌でユーロが下落する理由

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

9. 中川隆[-12725] koaQ7Jey 2020年5月10日 16:10:12 : txBdn50SLs : OURXcXpRZUdqSms=[19] 報告
世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている2020年5月9日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏が引き続き政府による紙幣印刷から身を守る方法について語っている。

通貨下落への防衛手段

前回の記事ではダリオ氏がLinkedInのブログ記事で何故量的緩和は債務の解決手段として悪手であるにもかかわらず人は量的緩和に頼ってしまうのかについて説明した部分を紹介した。

•世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする

そして通貨の価値は破滅的に下落すると主張していた。では投資家はどうすれば良いのだろうか? 今回はダリオ氏が通貨の代用品について語った部分を紹介したい。

通貨とは獲得した富を保存するための手段である。今日手に入れた収入を来月でも来年でも使えるのは、多くの人にとっては銀行に現金を置いておけるからである。しかし現金の価値が下落する時にはどうすれば良いのか? ダリオ氏は次のように説明する。


金は時代を問わず普遍的な代替通貨としての役割を果たしてきた。

株式もまた富の貯蔵手段となりうる。

不動産や美術品なども富の貯蔵手段である。

順番に見てゆきたい。

預金 vs 金積立

まず金だが、ダリオ氏は主要な通貨が1600年以来金に対してどれほど減価したかのチャートを示している。見事にすべてゼロに近づいているのだが、実は通貨の価値は下落するものだということを理解するためには400年も遡る必要はない。

読者は金価格の長期チャートを見たことがあるだろうか。見たことのある読者も少なくないだろう。しかし本当にその意味を実感するためにはグラフの上下を逆にする必要がある。つまり、金価格がどれだけ上がったかではなく、現金の価値がどれだけ下がったかを見るのである。以下は過去50年ほどの間に金に対してドルの価値がどう推移したかのチャートである。


50年の間にものの見事に紙くずになっている。50年ほど前のドルの価値を100%とすると、現在のドルの価値はその2.3%である。そして考えてほしいのは、この50年間ほとんどの人は資産の大部分を現金のままにしており、その資産は実際に紙くずになったということである。ダリオ氏が言っているのは、今現代人もそうなるのではないかということである。

現金が勝者だった黄金時代

しかし一方で現金のリターンがゴールドを上回った時期もある。ダリオ氏は次のように説明している。


1850年から1913年(第一次世界大戦まで)の期間では通貨(預金など短期金利による収入を含む)を保有した場合のリターンはゴールドを保有した場合のリターンよりも概して良くなっている。

この60年ほどの期間がどういう期間だったかと言えば、ほとんどの通貨は金か銀に為替レートが固定されており、しかも第二次産業革命と呼ばれるこの繁栄の時代では借金の借り手が借りた資金を収入に変え、収入が借金を返していたために貸し手は魅力的な金利を得ることが出来た。

借金で消費や自転車操業の企業を増やすのではなく生産性を増やし、その後には借金をしっかり返せていた時代があった。返せない借金をしないということがどれほど大事かということである。しかしそうでなければ通貨が紙切れになってゆく。

通貨の価値が維持され、しかも経済が成長していて借り手が金利を払える場合には誰もが問題なく良い生活を送っていた。「紙幣を印刷すると豊かになるのではないか」という「壺を買えば幸せになるのではないか」同然のまやかしで自分を騙す必要もなかったのである。この2つに何か違いがあるだろうか? 誰か教えてほしいものである。紙切れよりはむしろ壺のほうが価値があるだろう。

•ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶

富の貯蔵手段としての株式

そして最後にダリオ氏が株式について語った部分を紹介しよう。


量的緩和により通貨と信用の供給が増加すると、通貨と信用の価値は減り、(その保有者は損害を受け、)債務の負担は減少することになる。

債務負担の減少によって通貨と信用が生産性と企業利益に流れ込む場合には株価の実質値(インフレによる株価上昇を差し引いた後の株価)が上昇するだろう。

まず前提となるのはインフレは株価にとってプラスだということである。インフレとは通貨の価値の下落なので、その通貨以外のすべてのものの価格が上昇する。株価も例外ではない。

ダリオ氏がここで言っているのは、創造された通貨と信用が生産性と企業利益の上昇に寄与する場合にはインフレの影響を除いても株価は上がるということである。今回のコロナショックではどうなるだろうか。そちらについても徐々に書いてゆきたいと思っている。

次のダリオ氏の更新は大英帝国とオランダがどのように基軸通貨のステータスを失ったかについての記事となるらしい。これまでの記事も再確認しながら待っておこう。

•世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
•世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
•世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

10. 中川隆[-12579] koaQ7Jey 2020年5月28日 08:04:17 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[1] 報告
2020/5/27 18:33
投稿者:777

ここのコメントを読んでいても、チャンネル桜のアホ評論家の嘘に騙されている人ばかりですね。

大西さんがャンネル桜のアホ評論家の間違いを正確に指摘していますね:

いま220兆円を配らなければいけない理由:大西つねきからの緊急告知と拡散のお願い
https://www.youtube.com/watch?v=dawE3Kjgmbg

大西さんの話はエンデの話を敷衍しただけですけどね

1999年5月4日 エンデの遺言 金融資本主義の問答。
https://www.youtube.com/watch?v=0oFSrTxYKHw&feature=emb_title

2001年 続エンデの遺言 坂本龍一 銀行の"未来"
https://www.youtube.com/watch?v=wPtV4KKhbeY&feature=emb_title


2020/5/27 18:42
投稿者:人力
777さん

エンデって「ネバーエンディングストーリー」のミヒャエル.エンデですが?そこまで行くか。ウィーン学派周辺はケインズ主義と仲が悪かった。新自由主義はウィーン学派の振りをしたハイパー.ケイジアンという事で良いのでしょうか。「最後は政府がお金を出して賭博のツケまで支払ってくれる」

2020/5/27 21:03
投稿者:777
日本女性と結婚したミヒャエル・エンデですよ

ミヒャエル・エンデ 『モモ』(Momo)

Momo (1986) - english audio
https://www.youtube.com/watch?v=8Q_JYYcBP2Q&feature=emb_title


モモ
1986年 西ドイツ・イタリア
監督:ヨハネス・シャーフ
主演:ラドスト・ボーケル

▲△▽▼

FMシアター秀作シリーズ「モモ」
https://www.youtube.com/watch?v=0gd0zMfwZTI&feature=emb_title

モモ:宮城まり子、
マイスター・ホラー:森繁久彌、
観光ガイドジジ:橋爪功

『モモ』(Momo)は、ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品。1973年刊。1974年にドイツ児童文学賞を受賞した。各国で翻訳されている。特に日本では根強い人気があり、日本での発行部数は本国ドイツに次ぐ。

1986年に西ドイツ・イタリア制作により映画化された。映画にはエンデ自身が本人役で出演した。

2020/5/28 4:16
投稿者:人力
777さん

「終わりなき物語」のミハエル・エンデですね。

実は「モモ」は単行本で買った事が在るのですが10ページ読まずして、図書館に寄付してしまいました。ラノベに慣れた私には、かつての児童文学の名著は「サービス」が足りなかった・・・。バッツン・バッツンのお姉さんとか出てこないし・・。

ウィーン学派は徹底して政府の介入を嫌い、「神の見えざる手」ではありませんが、経済の自然な成長を重んじる事でケインズ学派と逆だと思われていますが、その代表格がハイエクですね。シカゴ学派は1970年代の石油危機で後のスタグフレーションで財政出動の限界によって台頭しましたが、ウィーン学派の理論を掠め取ってマネタリズムという新たな経済宗教を生み出した。

エンデはウィーン学派と同時代の「児童文学作家」ですが、児童文学者としての顔と、経済思想家としての顔を持っていた。「パン屋でパンを買うお金と、市場で投機に使われるお金は別物」という非常に現代的な通貨論の持主だった。

動画は観ていないので、私の認識の範囲でコメント欄をお読みになる方に解説してみました。

実は日本のラノベって「経済小説」って結構多いんですよ。そういった意味ではエンデのDNAはラノベの中に引き継がれています。ただ、新自由主義的なのですけどね。読み応えがあるのは『狼と香辛料』ですね。これは中世ヨーロッパのギルド制が良く分かると同時に、バブルなどの現代的な経済現象も扱っています。

https://green.ap.teacup.com/pekepon/2585.html#comment32744

11. 中川隆[-12576] koaQ7Jey 2020年5月28日 10:23:06 : TmfHkY98iU : ejdTbEYxMllJTzI=[4] 報告

投稿者:名無しの一読者

1999年5月4日 「エンデの遺言 金融資本主義の問答」は、一見の価値がありますね!

ミヒャエル・エンデは貨幣の持つ2面性について以下の鋭い指摘をしています。

貨幣には交換手段としての貨幣と、財産や資産としての
貨幣という2面性を合わせ持っている。
このうち財産や資産としての貨幣は世の中に流通しない
お金です。そしてこれが資本・投機の手段として使用さ
れ、実体のない数字のまま世界を駆け巡ります。現代通
貨は全く違う機能も同時に持っているのです。そしてそ
れが実体経済における生活や生産の場を混乱させている
のです。

それから資本主義は、放っておくと資産を持つ者と持た
ない者の格差がとんでもなく大きくなってしまいます。
それを是正し富の再分配を行う方法の一つとして税制に
おける累進課税制度があるのですが、実体経済とは関係
のない金融市場で大儲けした金融機関や企業、そして個
人から適切に徴税されていないのが現実です。

私は以前に民主主義がもっと進化して信頼できる政府を
作ることが出来れば、サイバー空間上に国民一人一人の
マイ金庫(企業は法人金庫)を作り、あとは政府系の金融
機関があれば民間銀行はいらないと書き込みました。
一介の金貸し業から利子を取るという手法を生み出し、
銀行や証券会社などの金融組織を構成してきた民間金融
機関の是非をそろそろ本気で考えなくてはならないと考
えていますが、どう思いますか?

投稿者:人力

銀行は預金金利がゼロになった時点で金融の主役の座から引きずり降ろされて、今となっては「安全な財布」や「金融商品の販売窓口」程度の存在となっています。

フィンテックが進化して、誰もが気軽にネットでポッチとなするだけで「金利ハント」をする時代になれば、銀行の業務は過去の経験による「信用審査」の様なものに変わって行くかも知れません。ただ、それとてビックデータとAIによる解析で代替えされようとしています。

金利が消えた先進国の国内だけ見れば、経済は金利という血圧が消えた「多臓器不全」の状態ですが、お金が海外の金融商品に投資される形で、新興国や途上国に資金が流入して、そこで得られた金利によって先進国は延命しています。これは、植民地時代とたいして変わらない状態です。

問題は先進国無いで成長産業があった時代は投資先が国内、成長力が下がった現在は投資先が海外という根本的違いが生じた事によって発生します。資金が国内で運用されないので、国内の労働者がどんどん貧しくなるのです。

これを是正する為には、成長している国への輸出を増やして流出した生長分の資金を取り戻すしか有りません。金融資本家達は「詐欺金融」によってこれを行っており、日本やドイツなどは製品輸出でこれを行っている。

私は金融市場を悪者の様に書いていますが、新興国の国民から見れば投資の資金を生み出す魔法の装置に見えるでしょう。左巻きの人達は日本政府が輸出企業に税的優遇を与え過ぎると非難しますが、輸出企業が日本の失われた利益を取り返す役割を負うならば、その産業を保護する事は政府として当然と言えます。

この様に、資産市場は世界経済を円滑に回し成長を維持する為には不可欠な存在ですが、肥大化して巨大なバブルの崩壊を繰り返す事で経済に甚大な被害を繰り返し与えています。

ただ、バブル崩壊も、「年老いて非効率になったビジネス」から「これから成長する企業」への資金と人材の移転だと考えると、安直に非難も出来ません。

結局は立ち位置によって「善にも悪にもなる」のは世の中の常で、中央銀行の金融緩和にも良い面と悪い面が存在します。

ただ、実体経済が資産市場の従属物に様にな、資産市場の「おこぼれ」で実体経済が回る現代の状況は、根本的に何かが間違っている様に私には見えます。
2020/5/28 5:05

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