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[近代史5] チャンネル桜のアホ経済評論家の嘘を暴く 中川隆
4. 中川隆[-12084] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:19:43 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[1]
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チャンネル桜、DHC…右派系ネット動画が「激戦区」になったワケ
2020-11-29
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

 2000年代から2010年代の日本のネット言論で大きな存在感を放ち、世論にも大きな影響を与えた「ネット右翼」。その通史を描き出す、文筆家・古谷経衡氏による野心的連載「ネット右翼十五年史」が2年の時を経て掲載再開!  今回分析するのは、右派メディアの中でも強い波及効果を持つ「動画メディア」の栄枯盛衰である。
ネット右翼の主軸は「アラフィフ」へ
図は筆者作成
 2002年に勃興したネット右翼の主要な「情報源」は当時から現在まで一貫してネット動画である。安倍内閣の継承を旗印にした菅内閣に交代しても、この傾向は全く変わらない。
 第二次安倍政権下、およびそれ以前の民主党政権下では、いわゆる「保守系雑誌」の隆盛が囁かれた。WAC社の『WiLL』が代表的だが、この雑誌は第二次安倍政権下の2016年春に事実上分裂し、元『WiLL』編集長の花田紀凱氏が飛鳥新社に移籍して『HANADA』を創刊する。一方、編集長が空席となった『WiLL』にはWAC社が刊行する『歴史通』編集長であった立林昭彦氏が就任した。
 『WiLL』分裂当初、「保守分裂」の様相を呈した二誌は読者を二分すると観測されたが、多少の振幅はあるにせよ、その後両者は産経新聞社の『正論』と合わせて、今や保守系雑誌の三巨頭として並び立っている。『WiLL』分裂によって保守系読者は細分化するどころか、これらのは却って市場を拡大したと思われる。
 ただし、ネット右翼は『WiLL』『HANADA』そして『正論』の三誌を併読しているとされがちだが、それは誤解である。1973年に創刊した『正論』の購読層は、古参の伝統的保守派で概ね60〜70代以上。後発の『WiLL』『HANADA』はそれよりも読者年齢は低いが、おおむね50〜60代以上が主軸となっている。
 2013年に私がネット右翼に大規模調査を実施した結果、ネット右翼の平均年齢は約38歳とでた。それから7年余りがたち、新陳代謝がほぼないネット右翼業界はさらに高齢化が進んでその平均年齢は45歳前後となっている。現在、彼らの主力はアラフィフである。
 しかしすでに述べた通り、『正論』『WiLL』『HANADA』の三大保守雑誌の購読者年齢に、ネット右翼のそれは一歩届かない「ヤング層」である。保守層やネット右翼の中で、これら三大保守雑誌を読んでいる者は少数である。それはすでに本連載で述べた通り、ネット右翼の構造的性格が起因している。
 ネット右翼は既存の保守系言論人の言説を「オウム返し」のように真似るだけの存在であり、より平易に言えば、いわゆる保守系言論人のファンにすぎず、彼らを宿主にしてその言説に寄生する存在だからである。もともと読書習慣が薄く、月刊誌を購読するという習慣そのものが希薄なネット右翼は、表紙や目次を見ることはあるかもしれないが、実のところ三大保守雑誌の主力行読者層とはなっていない。
 彼らの情報源は、保守系言論人が「動画」と「SNS」によって垂れ流す言説がほとんどすべてである。7年8か月続いた第二次安倍政権が終わり、菅内閣が発足したばかりであるが、実はこの間、ネット右翼の最大の情報源たる「右派系ネット動画」の世界は、代り映えのしない政界をよそに激変した。本稿ではその変遷を解説する。
チャンネル桜の成功
 まずネット右翼が好む右派系ネット動画の開祖は、2004年8月に開局した日本文化チャンネル桜(以下チャンネル桜)であった。
 チャンネル桜は、後述するDHCテレビよりは後発にスタートしたCS(衛星)放送局であるが、様々な経営努力の結果、おおむね2006年頃から日本で勃興しだしたYouTubeに目を付け、CS放送で流した番組内容の一部ないし全部を同サイトに転載する形で、一躍ネット右翼から注目を集めるようになった。さらに、ほぼ同時期にニコニコ動画(ドワンゴ)への転載も開始している。
 チャンネル桜の出演者陣は、それまで産経新聞と雑誌『正論』だけに自閉していた高齢の保守系言論人が主力で、ネットとの親和性は低いと思われていた。しかし、チャンネル桜はその古色蒼然たる保守系言論人の言説をそのまま動画としてアップロードし、これがかえって全く新しい手法として新鮮に受け止められた。
当初はそれほど「嫌韓」ではなかった
 いまでこそ右派系動画チャンネルは百花繚乱の勢いだが、ゼロ年代後半にこういった右派系オピニオンを、動画媒体に組織的に転載したのはチャンネル桜だけといってよい。こうして、高齢保守系言論人のオピニオンがそのままインターネットの世界に「輸出」される格好となり、彼らに無批判に寄生するネット右翼のオピニオンもまた、彼らと全く同じものに変質していった。
 その内容は「大東亜戦争肯定―反東京裁判史観」「対米追従」「嫌韓・反中・親台湾」「靖国神社参拝支持」「朝日新聞批判」「テレビ局批判」など、現在でも変わらず繰り返されているフレーズのオンパレードである。
 しかし、チャンネル桜草創期のメンバーは産経新聞・正論界隈出身の論客が多く、韓国に対しては比較的ではあるが融和的であった。これは、戦後の日本の保守が「反共」を旗印に韓国軍事政権と連携し、日本の保守系言論人の少なくない部分が大学生時代などに韓国に留学した経験を持つなど、韓国の保守派と交流を持っていたためである。
 実際、初期のチャンネル桜は「反中・親台湾」は旺盛でも「嫌韓」色はそこまで強烈という程ではなく、歴史修正的価値観に重きが置かれていた(もっとも、元在特会会長の桜井誠氏を繰り返し出演させるなど、「嫌韓」の定石を一応抑えることにも余念がなかった)。
 チャンネル桜が黄金時代を迎えたのは民主党政権時代の2009〜2012年で、当時は他に競合動画が殆どなかったことから、その再生回数は月間で数百万回を軽く数えた。
 この頃、保守界隈もそれに寄生するネット右翼も、麻生政権の下野と民主党政権誕生によって、「反民主党」という共通目的のもと大同団結し、西部邁氏的な「反米・反グローバリズム保守」から、産経系の親米保守、経済右翼、ビジネス保守、ネット右翼、果ては事件師的性格を持つ怪しい輩も多数同局に集結した。
内輪揉めと崩壊
 私がチャンネル桜に初出演したのは2010年で、ちょうどネット右翼の黄金時代に重なる。彼らは政治団体をも包摂し、デモ活動や抗議活動をニコニコ動画やUSTREAM(2018年に無料プランを終了)で中継し、録画編集したものをYouTubeに転載するという手段で、雪だるま式に視聴者数を倍加させていった。
 2012年の自民党総裁選で町村派(当時呼称・清和会)の安倍晋三氏が「憲法改正」「尖閣諸島への公務員常駐」などタカ派路線を鮮明にすると、保守界隈もネット右翼界隈も安倍支持一色となった。
 とりわけチャンネル桜は安倍支持を強烈に打ち出し、この時期の「安倍待望論」を全面的にリードした。安倍氏が総裁選で石破茂氏を破って総裁になり、2012年12月の総裁選挙で政権を奪還すると、チャンネル桜はいよいよ「安倍応援団」の最大勢力のひとつとしてネット右翼に絶大な影響を与えた。しかしチャンネル桜の隆盛はおおよそこのあたりが絶頂であった。2014年2月の東京都知事選挙で、所謂「内輪揉め」が発生したのである。
 チャンネル桜中枢とその支持者は、同都知事選に立候補した元航空幕僚長・田母神俊雄氏の実質的な選対事務所を一手に引き受けた。同氏が奮闘したとはいえ主要四候補(舛添要一、宇都宮健児、細川護熙、田母神俊雄)の中で最下位の61万票に終わり、同年の衆院総選挙で次世代の党(当時)から立候補して落選するや、都知事選時に集めた寄付金の使途で揉め、チャンネル桜は田母神批判を先鋭にした。田母神氏自身は2016年4月に公職選挙法違反で逮捕された(翌年起訴され、2018年に一審を経て二審の懲役1年10か月・執行猶予5年の判決が確定)。これによりチャンネル桜と田母神氏の対立は決定的となった。
 この頃から、逮捕・起訴された側の田母神氏支持者とチャンネル桜中枢との対立が激化し、少なからぬ視聴者がチャンネル桜から離れたともされる。
台頭する「DHCチャンネル」
一方、第二次安倍政権が長期政権の様相を呈し始めるや、新しい大きな動きが活発化した。DHCチャンネルの隆盛である。
 DHCチャンネル自体は2004年に開局したチャンネル桜よりもはるかに早い1996年に開局していたCS局であったが、開局当時は保守系のオピニオンは少なく、自社製品の広報やカルチャー番組、政治的には無色のエンタメ番組が主力であった。それが第二次安倍政権誕生以降とりわけ急速に保守化し、CS放送局の中ではチャンネル桜と勢力を二分するまでに成長した。
 とりわけDHCチャンネルでヒットしたのは、2015年から放送が開始された『虎ノ門ニュース』(番組名には変遷がある)と『ニュース女子』である。後者はTOKYO MXや地方局の枠を買い取る形でも放送されたため、加速度的に視聴者数が増えた。
 チャンネル桜とDHCチャンネルの最大の違いは、バックにある資金力の違いであった。チャンネル桜は開局当初、有料チャンネルでの放送という形をとっていたが、それは創設者で現社長の水島総氏の私財を投じる形で行われていた。よってたちまち資金難に陥ると、視聴者からの寄付に頼る「二千人委員会方式」に切り替えた。
 「二千人委員会」とは、視聴者の中うち篤志家が1万円/月の寄付会員(年額12万円)になり、それを二千人集めることによって放送を続行するというもので、これにより放送自体はストリーミング放送等を除いては無料で行われた。
 一方、DHCチャンネルは母体が日本有数の化粧品会社であり、潤沢極まりない予算編成が可能である。無論、予算の多寡が番組の質を決定するものでは無いが、豪華なキャストやセットはそれまでの「手作り感」あふれるチャンネル桜と比べると斬新と映り、これによって2016年頃にはネット右翼の最大人気番組は『虎ノ門ニュース』となった。
 これと肩を並べる人気番組であった『ニュース女子』は、2017年1月に放送した沖縄の基地反対派に関するデマ報道でBPOから重大な倫理違反の指摘を受ける(2017年12月)と、翌2018年3月末にはTOKYO MXでの放送を終了した。これにより、ますます『虎ノ門ニュース』の比重は高まることになった。
このころ、チャンネル桜もDHCチャンネル(一部を除く)も、CS放送から続々と撤退する。まずDHCチャンネルが2017年3月にCS放送から撤退すると、チャンネル桜も同年10月に撤退した。これにより、両局は完全なYouTube動画放送局となったが、これはCS放送よりも、YouTubeにおける再放送や転載での視聴者が圧倒的に多かったためと推測される。右派系動画番組はYouTube専売で放送するのがもっとも商業的成果を挙げるという構造が、2017年には確立されたのである。
右派動画チャンネル乱立の時代へ
 ここから、雨後の筍の如く右派系YouTube動画局が誕生した。まず2017年2月に『文化人放送局』が開局すると、同年10月には『林原チャンネル』が開局。林原チャンネルはDHCチャンネル元社長の浜田マキ子氏が独立して開始したものである。
 2020年10月末現在、右派系動画チャンネルの登録者数トップはDHCチャンネルの約71万人、次いでチャンネル桜が50万人、そして後発の文化人チャンネルが約35万人で、個人チャンネルを除けばこの3つが右派系動画放送局の三巨頭となる(これ以外にも、株式会社ON THE BOARDが主催する個人チャンネルが2つと、櫻井よしこ氏が事実上の主宰となる言論チャンネルがあるが、後者については有料放送なので視聴登録総数は不明)。ネット右翼はこうした動画チャンネルを常に重複、並立して視聴しており、どれかを単独を視聴する事は少ない。
 第二次安倍政権下でこれら右派系動画群は一貫して「安倍応援団」の一翼を担った。とりわけ2015年頃を境に、DHCチャンネルの人気や登録者数がそれまで右派系動画放送局群で首位を堅守していたチャンネル桜を上回ると、DHCチャンネルのレギュラー出演者は元来ネットの外側で実績・人気のあった作家などで固められるようになり、さらにはその出演者の多くが安倍首相主催の『桜を見る会』などに招待されるなど、政治的発言力も増大していった。一方、チャンネル桜の出演者は同会に呼ばれないなど、2015年以降は右派系ネット動画の首位がチャンネル桜からDHCチャンネルに大きく交代し、業界の勢力図は激変して今に至っている。
「反安倍」に舵を切るメディアも登場
 これまで挙げた動画放送局群は第二次安倍政権誕生以降、親安倍で一致していたが、二番手以下に甘んじるようになったチャンネル桜は、概ね2019年頃から「反安倍」への方針転換を顕著にしたことも特徴的である。
 彼らは2012年の時点では「安倍応援団」の最前衛と目されていたが、次第に安倍政権の進めた外国人実習生制度(実質的な移民政策だと彼らは主張する)や、アイヌ政策(そもそもアイヌ民族は存在せず、それがゆえにアイヌの文化振興等は”利権”であると彼らは主張する)、規制改革などを批判し、反安倍・反グローバリズム保守に転換した。もっともその背景には、チャンネル桜が開局草創期から西部邁氏などの所謂「反米保守・反グローバリズム保守」などの出演者を包摂してきたからという理由もある。あるいは「反安倍→反菅の保守」という、ネット右翼においてはマイノリティの視聴者を引き付ける役割を担う、マーケティング上の要請もあるのかもしれない。
 概ね2015年以降、DHCチャンネルの「一強」が続く中、保守系言論人の多くがDHCチャンネル内での著書の宣伝に躍起となっており、この傾向はますます続くものとみられる。一方、2019年からは『WiLL』が独自に動画チャンネル『WiLL増刊号』を開設し、2020年10月時点で登録者数約18万人に達するなど、新興勢力の勃興も見られる。
 誰しもがYouTubeチャンネルを開設できるようになり、右派系ネット番組はまさにレッドオーシャンの時代を迎えている。以前の寄稿で示した通り、ネット右翼の実数は全国でおよそ200万人、最大でも250万人程度の規模とみられる。その全員が動画を見るわけではないため、せいぜい動画視聴者数の天井は7掛けの150万人程度、という市場規模であろう。
「内輪受け」追求の末に……
 新陳代謝のないネット右翼の総数は増えない。しかし、ネット右翼には中小零細企業の経営者や下級官吏、大企業の管理職、開業医などの中産階級も多く、ひとり頭の購買力は旺盛なので、各社はこぞってこのレッドオーシャンに参入し、それを雑誌・著書の購読に結び付けようと躍起になっている(――ただしすでに述べた通り、ネット右翼には読書習慣が希薄なためこの行為は著効していない)のがここ数年の状況である。全体のパイは広がらず、またアニメや漫画と違って海外市場というものが望めないので、畢竟各動画チャンネルの中では出演者の取り合いと対立が起こる。
 民主党政権という「巨大な共通の敵」を失って以降、保守業界、ネット右翼業界では数々の内紛や民事裁判が起こってきた。その都度、ネット右翼は対立するどちらかの側につき、敗れた側は保守業界から消えていった。前述の田母神氏がその典型である。まさに関ヶ原における西軍諸将の敗行軍が、保守業界のいたるところで発生している。彼らは保守業界、ネット右翼業界以外に通用する普遍的な言説を持たないため、ここから追放されることは即商業的恩恵の終焉を意味するのだ。
 こういった保守業界の興味深い内紛の実態は別稿に譲るとしても、右派系動画番組の生き残りをかけた戦いは、 今後もますます熾烈の度を増していくものとみられる。
古谷 経衡(文筆家)
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/104.html#c4

[近代史3] これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」 中川隆
6. 中川隆[-12077] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:22:18 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[8]
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チャンネル桜、DHC…右派系ネット動画が「激戦区」になったワケ
2020-11-29
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

 2000年代から2010年代の日本のネット言論で大きな存在感を放ち、世論にも大きな影響を与えた「ネット右翼」。その通史を描き出す、文筆家・古谷経衡氏による野心的連載「ネット右翼十五年史」が2年の時を経て掲載再開!  今回分析するのは、右派メディアの中でも強い波及効果を持つ「動画メディア」の栄枯盛衰である。
ネット右翼の主軸は「アラフィフ」へ
図は筆者作成
 2002年に勃興したネット右翼の主要な「情報源」は当時から現在まで一貫してネット動画である。安倍内閣の継承を旗印にした菅内閣に交代しても、この傾向は全く変わらない。
 第二次安倍政権下、およびそれ以前の民主党政権下では、いわゆる「保守系雑誌」の隆盛が囁かれた。WAC社の『WiLL』が代表的だが、この雑誌は第二次安倍政権下の2016年春に事実上分裂し、元『WiLL』編集長の花田紀凱氏が飛鳥新社に移籍して『HANADA』を創刊する。一方、編集長が空席となった『WiLL』にはWAC社が刊行する『歴史通』編集長であった立林昭彦氏が就任した。
 『WiLL』分裂当初、「保守分裂」の様相を呈した二誌は読者を二分すると観測されたが、多少の振幅はあるにせよ、その後両者は産経新聞社の『正論』と合わせて、今や保守系雑誌の三巨頭として並び立っている。『WiLL』分裂によって保守系読者は細分化するどころか、これらのは却って市場を拡大したと思われる。
 ただし、ネット右翼は『WiLL』『HANADA』そして『正論』の三誌を併読しているとされがちだが、それは誤解である。1973年に創刊した『正論』の購読層は、古参の伝統的保守派で概ね60〜70代以上。後発の『WiLL』『HANADA』はそれよりも読者年齢は低いが、おおむね50〜60代以上が主軸となっている。
 2013年に私がネット右翼に大規模調査を実施した結果、ネット右翼の平均年齢は約38歳とでた。それから7年余りがたち、新陳代謝がほぼないネット右翼業界はさらに高齢化が進んでその平均年齢は45歳前後となっている。現在、彼らの主力はアラフィフである。
 しかしすでに述べた通り、『正論』『WiLL』『HANADA』の三大保守雑誌の購読者年齢に、ネット右翼のそれは一歩届かない「ヤング層」である。保守層やネット右翼の中で、これら三大保守雑誌を読んでいる者は少数である。それはすでに本連載で述べた通り、ネット右翼の構造的性格が起因している。
 ネット右翼は既存の保守系言論人の言説を「オウム返し」のように真似るだけの存在であり、より平易に言えば、いわゆる保守系言論人のファンにすぎず、彼らを宿主にしてその言説に寄生する存在だからである。もともと読書習慣が薄く、月刊誌を購読するという習慣そのものが希薄なネット右翼は、表紙や目次を見ることはあるかもしれないが、実のところ三大保守雑誌の主力行読者層とはなっていない。
 彼らの情報源は、保守系言論人が「動画」と「SNS」によって垂れ流す言説がほとんどすべてである。7年8か月続いた第二次安倍政権が終わり、菅内閣が発足したばかりであるが、実はこの間、ネット右翼の最大の情報源たる「右派系ネット動画」の世界は、代り映えのしない政界をよそに激変した。本稿ではその変遷を解説する。
チャンネル桜の成功
 まずネット右翼が好む右派系ネット動画の開祖は、2004年8月に開局した日本文化チャンネル桜(以下チャンネル桜)であった。
 チャンネル桜は、後述するDHCテレビよりは後発にスタートしたCS(衛星)放送局であるが、様々な経営努力の結果、おおむね2006年頃から日本で勃興しだしたYouTubeに目を付け、CS放送で流した番組内容の一部ないし全部を同サイトに転載する形で、一躍ネット右翼から注目を集めるようになった。さらに、ほぼ同時期にニコニコ動画(ドワンゴ)への転載も開始している。
 チャンネル桜の出演者陣は、それまで産経新聞と雑誌『正論』だけに自閉していた高齢の保守系言論人が主力で、ネットとの親和性は低いと思われていた。しかし、チャンネル桜はその古色蒼然たる保守系言論人の言説をそのまま動画としてアップロードし、これがかえって全く新しい手法として新鮮に受け止められた。
当初はそれほど「嫌韓」ではなかった
 いまでこそ右派系動画チャンネルは百花繚乱の勢いだが、ゼロ年代後半にこういった右派系オピニオンを、動画媒体に組織的に転載したのはチャンネル桜だけといってよい。こうして、高齢保守系言論人のオピニオンがそのままインターネットの世界に「輸出」される格好となり、彼らに無批判に寄生するネット右翼のオピニオンもまた、彼らと全く同じものに変質していった。
 その内容は「大東亜戦争肯定―反東京裁判史観」「対米追従」「嫌韓・反中・親台湾」「靖国神社参拝支持」「朝日新聞批判」「テレビ局批判」など、現在でも変わらず繰り返されているフレーズのオンパレードである。
 しかし、チャンネル桜草創期のメンバーは産経新聞・正論界隈出身の論客が多く、韓国に対しては比較的ではあるが融和的であった。これは、戦後の日本の保守が「反共」を旗印に韓国軍事政権と連携し、日本の保守系言論人の少なくない部分が大学生時代などに韓国に留学した経験を持つなど、韓国の保守派と交流を持っていたためである。
 実際、初期のチャンネル桜は「反中・親台湾」は旺盛でも「嫌韓」色はそこまで強烈という程ではなく、歴史修正的価値観に重きが置かれていた(もっとも、元在特会会長の桜井誠氏を繰り返し出演させるなど、「嫌韓」の定石を一応抑えることにも余念がなかった)。
 チャンネル桜が黄金時代を迎えたのは民主党政権時代の2009〜2012年で、当時は他に競合動画が殆どなかったことから、その再生回数は月間で数百万回を軽く数えた。
 この頃、保守界隈もそれに寄生するネット右翼も、麻生政権の下野と民主党政権誕生によって、「反民主党」という共通目的のもと大同団結し、西部邁氏的な「反米・反グローバリズム保守」から、産経系の親米保守、経済右翼、ビジネス保守、ネット右翼、果ては事件師的性格を持つ怪しい輩も多数同局に集結した。
内輪揉めと崩壊
 私がチャンネル桜に初出演したのは2010年で、ちょうどネット右翼の黄金時代に重なる。彼らは政治団体をも包摂し、デモ活動や抗議活動をニコニコ動画やUSTREAM(2018年に無料プランを終了)で中継し、録画編集したものをYouTubeに転載するという手段で、雪だるま式に視聴者数を倍加させていった。
 2012年の自民党総裁選で町村派(当時呼称・清和会)の安倍晋三氏が「憲法改正」「尖閣諸島への公務員常駐」などタカ派路線を鮮明にすると、保守界隈もネット右翼界隈も安倍支持一色となった。
 とりわけチャンネル桜は安倍支持を強烈に打ち出し、この時期の「安倍待望論」を全面的にリードした。安倍氏が総裁選で石破茂氏を破って総裁になり、2012年12月の総裁選挙で政権を奪還すると、チャンネル桜はいよいよ「安倍応援団」の最大勢力のひとつとしてネット右翼に絶大な影響を与えた。しかしチャンネル桜の隆盛はおおよそこのあたりが絶頂であった。2014年2月の東京都知事選挙で、所謂「内輪揉め」が発生したのである。
 チャンネル桜中枢とその支持者は、同都知事選に立候補した元航空幕僚長・田母神俊雄氏の実質的な選対事務所を一手に引き受けた。同氏が奮闘したとはいえ主要四候補(舛添要一、宇都宮健児、細川護熙、田母神俊雄)の中で最下位の61万票に終わり、同年の衆院総選挙で次世代の党(当時)から立候補して落選するや、都知事選時に集めた寄付金の使途で揉め、チャンネル桜は田母神批判を先鋭にした。田母神氏自身は2016年4月に公職選挙法違反で逮捕された(翌年起訴され、2018年に一審を経て二審の懲役1年10か月・執行猶予5年の判決が確定)。これによりチャンネル桜と田母神氏の対立は決定的となった。
 この頃から、逮捕・起訴された側の田母神氏支持者とチャンネル桜中枢との対立が激化し、少なからぬ視聴者がチャンネル桜から離れたともされる。
台頭する「DHCチャンネル」
一方、第二次安倍政権が長期政権の様相を呈し始めるや、新しい大きな動きが活発化した。DHCチャンネルの隆盛である。
 DHCチャンネル自体は2004年に開局したチャンネル桜よりもはるかに早い1996年に開局していたCS局であったが、開局当時は保守系のオピニオンは少なく、自社製品の広報やカルチャー番組、政治的には無色のエンタメ番組が主力であった。それが第二次安倍政権誕生以降とりわけ急速に保守化し、CS放送局の中ではチャンネル桜と勢力を二分するまでに成長した。
 とりわけDHCチャンネルでヒットしたのは、2015年から放送が開始された『虎ノ門ニュース』(番組名には変遷がある)と『ニュース女子』である。後者はTOKYO MXや地方局の枠を買い取る形でも放送されたため、加速度的に視聴者数が増えた。
 チャンネル桜とDHCチャンネルの最大の違いは、バックにある資金力の違いであった。チャンネル桜は開局当初、有料チャンネルでの放送という形をとっていたが、それは創設者で現社長の水島総氏の私財を投じる形で行われていた。よってたちまち資金難に陥ると、視聴者からの寄付に頼る「二千人委員会方式」に切り替えた。
 「二千人委員会」とは、視聴者の中うち篤志家が1万円/月の寄付会員(年額12万円)になり、それを二千人集めることによって放送を続行するというもので、これにより放送自体はストリーミング放送等を除いては無料で行われた。
 一方、DHCチャンネルは母体が日本有数の化粧品会社であり、潤沢極まりない予算編成が可能である。無論、予算の多寡が番組の質を決定するものでは無いが、豪華なキャストやセットはそれまでの「手作り感」あふれるチャンネル桜と比べると斬新と映り、これによって2016年頃にはネット右翼の最大人気番組は『虎ノ門ニュース』となった。
 これと肩を並べる人気番組であった『ニュース女子』は、2017年1月に放送した沖縄の基地反対派に関するデマ報道でBPOから重大な倫理違反の指摘を受ける(2017年12月)と、翌2018年3月末にはTOKYO MXでの放送を終了した。これにより、ますます『虎ノ門ニュース』の比重は高まることになった。
このころ、チャンネル桜もDHCチャンネル(一部を除く)も、CS放送から続々と撤退する。まずDHCチャンネルが2017年3月にCS放送から撤退すると、チャンネル桜も同年10月に撤退した。これにより、両局は完全なYouTube動画放送局となったが、これはCS放送よりも、YouTubeにおける再放送や転載での視聴者が圧倒的に多かったためと推測される。右派系動画番組はYouTube専売で放送するのがもっとも商業的成果を挙げるという構造が、2017年には確立されたのである。
右派動画チャンネル乱立の時代へ
 ここから、雨後の筍の如く右派系YouTube動画局が誕生した。まず2017年2月に『文化人放送局』が開局すると、同年10月には『林原チャンネル』が開局。林原チャンネルはDHCチャンネル元社長の浜田マキ子氏が独立して開始したものである。
 2020年10月末現在、右派系動画チャンネルの登録者数トップはDHCチャンネルの約71万人、次いでチャンネル桜が50万人、そして後発の文化人チャンネルが約35万人で、個人チャンネルを除けばこの3つが右派系動画放送局の三巨頭となる(これ以外にも、株式会社ON THE BOARDが主催する個人チャンネルが2つと、櫻井よしこ氏が事実上の主宰となる言論チャンネルがあるが、後者については有料放送なので視聴登録総数は不明)。ネット右翼はこうした動画チャンネルを常に重複、並立して視聴しており、どれかを単独を視聴する事は少ない。
 第二次安倍政権下でこれら右派系動画群は一貫して「安倍応援団」の一翼を担った。とりわけ2015年頃を境に、DHCチャンネルの人気や登録者数がそれまで右派系動画放送局群で首位を堅守していたチャンネル桜を上回ると、DHCチャンネルのレギュラー出演者は元来ネットの外側で実績・人気のあった作家などで固められるようになり、さらにはその出演者の多くが安倍首相主催の『桜を見る会』などに招待されるなど、政治的発言力も増大していった。一方、チャンネル桜の出演者は同会に呼ばれないなど、2015年以降は右派系ネット動画の首位がチャンネル桜からDHCチャンネルに大きく交代し、業界の勢力図は激変して今に至っている。
「反安倍」に舵を切るメディアも登場
 これまで挙げた動画放送局群は第二次安倍政権誕生以降、親安倍で一致していたが、二番手以下に甘んじるようになったチャンネル桜は、概ね2019年頃から「反安倍」への方針転換を顕著にしたことも特徴的である。
 彼らは2012年の時点では「安倍応援団」の最前衛と目されていたが、次第に安倍政権の進めた外国人実習生制度(実質的な移民政策だと彼らは主張する)や、アイヌ政策(そもそもアイヌ民族は存在せず、それがゆえにアイヌの文化振興等は”利権”であると彼らは主張する)、規制改革などを批判し、反安倍・反グローバリズム保守に転換した。もっともその背景には、チャンネル桜が開局草創期から西部邁氏などの所謂「反米保守・反グローバリズム保守」などの出演者を包摂してきたからという理由もある。あるいは「反安倍→反菅の保守」という、ネット右翼においてはマイノリティの視聴者を引き付ける役割を担う、マーケティング上の要請もあるのかもしれない。
 概ね2015年以降、DHCチャンネルの「一強」が続く中、保守系言論人の多くがDHCチャンネル内での著書の宣伝に躍起となっており、この傾向はますます続くものとみられる。一方、2019年からは『WiLL』が独自に動画チャンネル『WiLL増刊号』を開設し、2020年10月時点で登録者数約18万人に達するなど、新興勢力の勃興も見られる。
 誰しもがYouTubeチャンネルを開設できるようになり、右派系ネット番組はまさにレッドオーシャンの時代を迎えている。以前の寄稿で示した通り、ネット右翼の実数は全国でおよそ200万人、最大でも250万人程度の規模とみられる。その全員が動画を見るわけではないため、せいぜい動画視聴者数の天井は7掛けの150万人程度、という市場規模であろう。
「内輪受け」追求の末に……
 新陳代謝のないネット右翼の総数は増えない。しかし、ネット右翼には中小零細企業の経営者や下級官吏、大企業の管理職、開業医などの中産階級も多く、ひとり頭の購買力は旺盛なので、各社はこぞってこのレッドオーシャンに参入し、それを雑誌・著書の購読に結び付けようと躍起になっている(――ただしすでに述べた通り、ネット右翼には読書習慣が希薄なためこの行為は著効していない)のがここ数年の状況である。全体のパイは広がらず、またアニメや漫画と違って海外市場というものが望めないので、畢竟各動画チャンネルの中では出演者の取り合いと対立が起こる。
 民主党政権という「巨大な共通の敵」を失って以降、保守業界、ネット右翼業界では数々の内紛や民事裁判が起こってきた。その都度、ネット右翼は対立するどちらかの側につき、敗れた側は保守業界から消えていった。前述の田母神氏がその典型である。まさに関ヶ原における西軍諸将の敗行軍が、保守業界のいたるところで発生している。彼らは保守業界、ネット右翼業界以外に通用する普遍的な言説を持たないため、ここから追放されることは即商業的恩恵の終焉を意味するのだ。
 こういった保守業界の興味深い内紛の実態は別稿に譲るとしても、右派系動画番組の生き残りをかけた戦いは、今後もますます熾烈の度を増していくものとみられる。
古谷 経衡(文筆家)
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html#c6

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 中川隆
19. 中川隆[-12075] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:22:50 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[10]
<■221行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
チャンネル桜、DHC…右派系ネット動画が「激戦区」になったワケ
2020-11-29
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

 2000年代から2010年代の日本のネット言論で大きな存在感を放ち、世論にも大きな影響を与えた「ネット右翼」。その通史を描き出す、文筆家・古谷経衡氏による野心的連載「ネット右翼十五年史」が2年の時を経て掲載再開!  今回分析するのは、右派メディアの中でも強い波及効果を持つ「動画メディア」の栄枯盛衰である。
ネット右翼の主軸は「アラフィフ」へ
図は筆者作成
 2002年に勃興したネット右翼の主要な「情報源」は当時から現在まで一貫してネット動画である。安倍内閣の継承を旗印にした菅内閣に交代しても、この傾向は全く変わらない。
 第二次安倍政権下、およびそれ以前の民主党政権下では、いわゆる「保守系雑誌」の隆盛が囁かれた。WAC社の『WiLL』が代表的だが、この雑誌は第二次安倍政権下の2016年春に事実上分裂し、元『WiLL』編集長の花田紀凱氏が飛鳥新社に移籍して『HANADA』を創刊する。一方、編集長が空席となった『WiLL』にはWAC社が刊行する『歴史通』編集長であった立林昭彦氏が就任した。
 『WiLL』分裂当初、「保守分裂」の様相を呈した二誌は読者を二分すると観測されたが、多少の振幅はあるにせよ、その後両者は産経新聞社の『正論』と合わせて、今や保守系雑誌の三巨頭として並び立っている。『WiLL』分裂によって保守系読者は細分化するどころか、これらのは却って市場を拡大したと思われる。
 ただし、ネット右翼は『WiLL』『HANADA』そして『正論』の三誌を併読しているとされがちだが、それは誤解である。1973年に創刊した『正論』の購読層は、古参の伝統的保守派で概ね60〜70代以上。後発の『WiLL』『HANADA』はそれよりも読者年齢は低いが、おおむね50〜60代以上が主軸となっている。
 2013年に私がネット右翼に大規模調査を実施した結果、ネット右翼の平均年齢は約38歳とでた。それから7年余りがたち、新陳代謝がほぼないネット右翼業界はさらに高齢化が進んでその平均年齢は45歳前後となっている。現在、彼らの主力はアラフィフである。
 しかしすでに述べた通り、『正論』『WiLL』『HANADA』の三大保守雑誌の購読者年齢に、ネット右翼のそれは一歩届かない「ヤング層」である。保守層やネット右翼の中で、これら三大保守雑誌を読んでいる者は少数である。それはすでに本連載で述べた通り、ネット右翼の構造的性格が起因している。
 ネット右翼は既存の保守系言論人の言説を「オウム返し」のように真似るだけの存在であり、より平易に言えば、いわゆる保守系言論人のファンにすぎず、彼らを宿主にしてその言説に寄生する存在だからである。もともと読書習慣が薄く、月刊誌を購読するという習慣そのものが希薄なネット右翼は、表紙や目次を見ることはあるかもしれないが、実のところ三大保守雑誌の主力行読者層とはなっていない。
 彼らの情報源は、保守系言論人が「動画」と「SNS」によって垂れ流す言説がほとんどすべてである。7年8か月続いた第二次安倍政権が終わり、菅内閣が発足したばかりであるが、実はこの間、ネット右翼の最大の情報源たる「右派系ネット動画」の世界は、代り映えのしない政界をよそに激変した。本稿ではその変遷を解説する。
チャンネル桜の成功
 まずネット右翼が好む右派系ネット動画の開祖は、2004年8月に開局した日本文化チャンネル桜(以下チャンネル桜)であった。
 チャンネル桜は、後述するDHCテレビよりは後発にスタートしたCS(衛星)放送局であるが、様々な経営努力の結果、おおむね2006年頃から日本で勃興しだしたYouTubeに目を付け、CS放送で流した番組内容の一部ないし全部を同サイトに転載する形で、一躍ネット右翼から注目を集めるようになった。さらに、ほぼ同時期にニコニコ動画(ドワンゴ)への転載も開始している。
 チャンネル桜の出演者陣は、それまで産経新聞と雑誌『正論』だけに自閉していた高齢の保守系言論人が主力で、ネットとの親和性は低いと思われていた。しかし、チャンネル桜はその古色蒼然たる保守系言論人の言説をそのまま動画としてアップロードし、これがかえって全く新しい手法として新鮮に受け止められた。
当初はそれほど「嫌韓」ではなかった
 いまでこそ右派系動画チャンネルは百花繚乱の勢いだが、ゼロ年代後半にこういった右派系オピニオンを、動画媒体に組織的に転載したのはチャンネル桜だけといってよい。こうして、高齢保守系言論人のオピニオンがそのままインターネットの世界に「輸出」される格好となり、彼らに無批判に寄生するネット右翼のオピニオンもまた、彼らと全く同じものに変質していった。
 その内容は「大東亜戦争肯定―反東京裁判史観」「対米追従」「嫌韓・反中・親台湾」「靖国神社参拝支持」「朝日新聞批判」「テレビ局批判」など、現在でも変わらず繰り返されているフレーズのオンパレードである。
 しかし、チャンネル桜草創期のメンバーは産経新聞・正論界隈出身の論客が多く、韓国に対しては比較的ではあるが融和的であった。これは、戦後の日本の保守が「反共」を旗印に韓国軍事政権と連携し、日本の保守系言論人の少なくない部分が大学生時代などに韓国に留学した経験を持つなど、韓国の保守派と交流を持っていたためである。
 実際、初期のチャンネル桜は「反中・親台湾」は旺盛でも「嫌韓」色はそこまで強烈という程ではなく、歴史修正的価値観に重きが置かれていた(もっとも、元在特会会長の桜井誠氏を繰り返し出演させるなど、「嫌韓」の定石を一応抑えることにも余念がなかった)。
 チャンネル桜が黄金時代を迎えたのは民主党政権時代の2009〜2012年で、当時は他に競合動画が殆どなかったことから、その再生回数は月間で数百万回を軽く数えた。
 この頃、保守界隈もそれに寄生するネット右翼も、麻生政権の下野と民主党政権誕生によって、「反民主党」という共通目的のもと大同団結し、西部邁氏的な「反米・反グローバリズム保守」から、産経系の親米保守、経済右翼、ビジネス保守、ネット右翼、果ては事件師的性格を持つ怪しい輩も多数同局に集結した。
内輪揉めと崩壊
 私がチャンネル桜に初出演したのは2010年で、ちょうどネット右翼の黄金時代に重なる。彼らは政治団体をも包摂し、デモ活動や抗議活動をニコニコ動画やUSTREAM(2018年に無料プランを終了)で中継し、録画編集したものをYouTubeに転載するという手段で、雪だるま式に視聴者数を倍加させていった。
 2012年の自民党総裁選で町村派(当時呼称・清和会)の安倍晋三氏が「憲法改正」「尖閣諸島への公務員常駐」などタカ派路線を鮮明にすると、保守界隈もネット右翼界隈も安倍支持一色となった。
 とりわけチャンネル桜は安倍支持を強烈に打ち出し、この時期の「安倍待望論」を全面的にリードした。安倍氏が総裁選で石破茂氏を破って総裁になり、2012年12月の総裁選挙で政権を奪還すると、チャンネル桜はいよいよ「安倍応援団」の最大勢力のひとつとしてネット右翼に絶大な影響を与えた。しかしチャンネル桜の隆盛はおおよそこのあたりが絶頂であった。2014年2月の東京都知事選挙で、所謂「内輪揉め」が発生したのである。
 チャンネル桜中枢とその支持者は、同都知事選に立候補した元航空幕僚長・田母神俊雄氏の実質的な選対事務所を一手に引き受けた。同氏が奮闘したとはいえ主要四候補(舛添要一、宇都宮健児、細川護熙、田母神俊雄)の中で最下位の61万票に終わり、同年の衆院総選挙で次世代の党(当時)から立候補して落選するや、都知事選時に集めた寄付金の使途で揉め、チャンネル桜は田母神批判を先鋭にした。田母神氏自身は2016年4月に公職選挙法違反で逮捕された(翌年起訴され、2018年に一審を経て二審の懲役1年10か月・執行猶予5年の判決が確定)。これによりチャンネル桜と田母神氏の対立は決定的となった。
 この頃から、逮捕・起訴された側の田母神氏支持者とチャンネル桜中枢との対立が激化し、少なからぬ視聴者がチャンネル桜から離れたともされる。
台頭する「DHCチャンネル」
一方、第二次安倍政権が長期政権の様相を呈し始めるや、新しい大きな動きが活発化した。DHCチャンネルの隆盛である。
 DHCチャンネル自体は2004年に開局したチャンネル桜よりもはるかに早い1996年に開局していたCS局であったが、開局当時は保守系のオピニオンは少なく、自社製品の広報やカルチャー番組、政治的には無色のエンタメ番組が主力であった。それが第二次安倍政権誕生以降とりわけ急速に保守化し、CS放送局の中ではチャンネル桜と勢力を二分するまでに成長した。
 とりわけDHCチャンネルでヒットしたのは、2015年から放送が開始された『虎ノ門ニュース』(番組名には変遷がある)と『ニュース女子』である。後者はTOKYO MXや地方局の枠を買い取る形でも放送されたため、加速度的に視聴者数が増えた。
 チャンネル桜とDHCチャンネルの最大の違いは、バックにある資金力の違いであった。チャンネル桜は開局当初、有料チャンネルでの放送という形をとっていたが、それは創設者で現社長の水島総氏の私財を投じる形で行われていた。よってたちまち資金難に陥ると、視聴者からの寄付に頼る「二千人委員会方式」に切り替えた。
 「二千人委員会」とは、視聴者の中うち篤志家が1万円/月の寄付会員(年額12万円)になり、それを二千人集めることによって放送を続行するというもので、これにより放送自体はストリーミング放送等を除いては無料で行われた。
 一方、DHCチャンネルは母体が日本有数の化粧品会社であり、潤沢極まりない予算編成が可能である。無論、予算の多寡が番組の質を決定するものでは無いが、豪華なキャストやセットはそれまでの「手作り感」あふれるチャンネル桜と比べると斬新と映り、これによって2016年頃にはネット右翼の最大人気番組は『虎ノ門ニュース』となった。
 これと肩を並べる人気番組であった『ニュース女子』は、2017年1月に放送した沖縄の基地反対派に関するデマ報道でBPOから重大な倫理違反の指摘を受ける(2017年12月)と、翌2018年3月末にはTOKYO MXでの放送を終了した。これにより、ますます『虎ノ門ニュース』の比重は高まることになった。
このころ、チャンネル桜もDHCチャンネル(一部を除く)も、CS放送から続々と撤退する。まずDHCチャンネルが2017年3月にCS放送から撤退すると、チャンネル桜も同年10月に撤退した。これにより、両局は完全なYouTube動画放送局となったが、これはCS放送よりも、YouTubeにおける再放送や転載での視聴者が圧倒的に多かったためと推測される。右派系動画番組はYouTube専売で放送するのがもっとも商業的成果を挙げるという構造が、2017年には確立されたのである。
右派動画チャンネル乱立の時代へ
 ここから、雨後の筍の如く右派系YouTube動画局が誕生した。まず2017年2月に『文化人放送局』が開局すると、同年10月には『林原チャンネル』が開局。林原チャンネルはDHCチャンネル元社長の浜田マキ子氏が独立して開始したものである。
 2020年10月末現在、右派系動画チャンネルの登録者数トップはDHCチャンネルの約71万人、次いでチャンネル桜が50万人、そして後発の文化人チャンネルが約35万人で、個人チャンネルを除けばこの3つが右派系動画放送局の三巨頭となる(これ以外にも、株式会社ON THE BOARDが主催する個人チャンネルが2つと、櫻井よしこ氏が事実上の主宰となる言論チャンネルがあるが、後者については有料放送なので視聴登録総数は不明)。ネット右翼はこうした動画チャンネルを常に重複、並立して視聴しており、どれかを単独を視聴する事は少ない。
 第二次安倍政権下でこれら右派系動画群は一貫して「安倍応援団」の一翼を担った。とりわけ2015年頃を境に、DHCチャンネルの人気や登録者数がそれまで右派系動画放送局群で首位を堅守していたチャンネル桜を上回ると、DHCチャンネルのレギュラー出演者は元来ネットの外側で実績・人気のあった作家などで固められるようになり、さらにはその出演者の多くが安倍首相主催の『桜を見る会』などに招待されるなど、政治的発言力も増大していった。一方、チャンネル桜の出演者は同会に呼ばれないなど、2015年以降は右派系ネット動画の首位がチャンネル桜からDHCチャンネルに大きく交代し、業界の勢力図は激変して今に至っている。
「反安倍」に舵を切るメディアも登場
 これまで挙げた動画放送局群は第二次安倍政権誕生以降、親安倍で一致していたが、二番手以下に甘んじるようになったチャンネル桜は、概ね2019年頃から「反安倍」への方針転換を顕著にしたことも特徴的である。
 彼らは2012年の時点では「安倍応援団」の最前衛と目されていたが、次第に安倍政権の進めた外国人実習生制度(実質的な移民政策だと彼らは主張する)や、アイヌ政策(そもそもアイヌ民族は存在せず、それがゆえにアイヌの文化振興等は”利権”であると彼らは主張する)、規制改革などを批判し、反安倍・反グローバリズム保守に転換した。もっともその背景には、チャンネル桜が開局草創期から西部邁氏などの所謂「反米保守・反グローバリズム保守」などの出演者を包摂してきたからという理由もある。あるいは「反安倍→反菅の保守」という、ネット右翼においてはマイノリティの視聴者を引き付ける役割を担う、マーケティング上の要請もあるのかもしれない。
 概ね2015年以降、DHCチャンネルの「一強」が続く中、保守系言論人の多くがDHCチャンネル内での著書の宣伝に躍起となっており、この傾向はますます続くものとみられる。一方、2019年からは『WiLL』が独自に動画チャンネル『WiLL増刊号』を開設し、2020年10月時点で登録者数約18万人に達するなど、新興勢力の勃興も見られる。
 誰しもがYouTubeチャンネルを開設できるようになり、右派系ネット番組はまさにレッドオーシャンの時代を迎えている。以前の寄稿で示した通り、ネット右翼の実数は全国でおよそ200万人、最大でも250万人程度の規模とみられる。その全員が動画を見るわけではないため、せいぜい動画視聴者数の天井は7掛けの150万人程度、という市場規模であろう。
「内輪受け」追求の末に……
 新陳代謝のないネット右翼の総数は増えない。しかし、ネット右翼には中小零細企業の経営者や下級官吏、大企業の管理職、開業医などの中産階級も多く、ひとり頭の購買力は旺盛なので、各社はこぞってこのレッドオーシャンに参入し、それを雑誌・著書の購読に結び付けようと躍起になっている(――ただしすでに述べた通り、ネット右翼には読書習慣が希薄なためこの行為は著効していない)のがここ数年の状況である。全体のパイは広がらず、またアニメや漫画と違って海外市場というものが望めないので、畢竟各動画チャンネルの中では出演者の取り合いと対立が起こる。
 民主党政権という「巨大な共通の敵」を失って以降、保守業界、ネット右翼業界では数々の内紛や民事裁判が起こってきた。その都度、ネット右翼は対立するどちらかの側につき、敗れた側は保守業界から消えていった。前述の田母神氏がその典型である。まさに関ヶ原における西軍諸将の敗行軍が、保守業界のいたるところで発生している。彼らは保守業界、ネット右翼業界以外に通用する普遍的な言説を持たないため、ここから追放されることは即商業的恩恵の終焉を意味するのだ。
 こういった保守業界の興味深い内紛の実態は別稿に譲るとしても、右派系動画番組の生き残りをかけた戦いは、今後もますます熾烈の度を増していくものとみられる。
古谷 経衡(文筆家)
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

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[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
8. 中川隆[-12074] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:23:08 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[11]
<■221行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
チャンネル桜、DHC…右派系ネット動画が「激戦区」になったワケ
2020-11-29
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

 2000年代から2010年代の日本のネット言論で大きな存在感を放ち、世論にも大きな影響を与えた「ネット右翼」。その通史を描き出す、文筆家・古谷経衡氏による野心的連載「ネット右翼十五年史」が2年の時を経て掲載再開!  今回分析するのは、右派メディアの中でも強い波及効果を持つ「動画メディア」の栄枯盛衰である。
ネット右翼の主軸は「アラフィフ」へ
図は筆者作成
 2002年に勃興したネット右翼の主要な「情報源」は当時から現在まで一貫してネット動画である。安倍内閣の継承を旗印にした菅内閣に交代しても、この傾向は全く変わらない。
 第二次安倍政権下、およびそれ以前の民主党政権下では、いわゆる「保守系雑誌」の隆盛が囁かれた。WAC社の『WiLL』が代表的だが、この雑誌は第二次安倍政権下の2016年春に事実上分裂し、元『WiLL』編集長の花田紀凱氏が飛鳥新社に移籍して『HANADA』を創刊する。一方、編集長が空席となった『WiLL』にはWAC社が刊行する『歴史通』編集長であった立林昭彦氏が就任した。
 『WiLL』分裂当初、「保守分裂」の様相を呈した二誌は読者を二分すると観測されたが、多少の振幅はあるにせよ、その後両者は産経新聞社の『正論』と合わせて、今や保守系雑誌の三巨頭として並び立っている。『WiLL』分裂によって保守系読者は細分化するどころか、これらのは却って市場を拡大したと思われる。
 ただし、ネット右翼は『WiLL』『HANADA』そして『正論』の三誌を併読しているとされがちだが、それは誤解である。1973年に創刊した『正論』の購読層は、古参の伝統的保守派で概ね60〜70代以上。後発の『WiLL』『HANADA』はそれよりも読者年齢は低いが、おおむね50〜60代以上が主軸となっている。
 2013年に私がネット右翼に大規模調査を実施した結果、ネット右翼の平均年齢は約38歳とでた。それから7年余りがたち、新陳代謝がほぼないネット右翼業界はさらに高齢化が進んでその平均年齢は45歳前後となっている。現在、彼らの主力はアラフィフである。
 しかしすでに述べた通り、『正論』『WiLL』『HANADA』の三大保守雑誌の購読者年齢に、ネット右翼のそれは一歩届かない「ヤング層」である。保守層やネット右翼の中で、これら三大保守雑誌を読んでいる者は少数である。それはすでに本連載で述べた通り、ネット右翼の構造的性格が起因している。
 ネット右翼は既存の保守系言論人の言説を「オウム返し」のように真似るだけの存在であり、より平易に言えば、いわゆる保守系言論人のファンにすぎず、彼らを宿主にしてその言説に寄生する存在だからである。もともと読書習慣が薄く、月刊誌を購読するという習慣そのものが希薄なネット右翼は、表紙や目次を見ることはあるかもしれないが、実のところ三大保守雑誌の主力行読者層とはなっていない。
 彼らの情報源は、保守系言論人が「動画」と「SNS」によって垂れ流す言説がほとんどすべてである。7年8か月続いた第二次安倍政権が終わり、菅内閣が発足したばかりであるが、実はこの間、ネット右翼の最大の情報源たる「右派系ネット動画」の世界は、代り映えのしない政界をよそに激変した。本稿ではその変遷を解説する。
チャンネル桜の成功
 まずネット右翼が好む右派系ネット動画の開祖は、2004年8月に開局した日本文化チャンネル桜(以下チャンネル桜)であった。
 チャンネル桜は、後述するDHCテレビよりは後発にスタートしたCS(衛星)放送局であるが、様々な経営努力の結果、おおむね2006年頃から日本で勃興しだしたYouTubeに目を付け、CS放送で流した番組内容の一部ないし全部を同サイトに転載する形で、一躍ネット右翼から注目を集めるようになった。さらに、ほぼ同時期にニコニコ動画(ドワンゴ)への転載も開始している。
 チャンネル桜の出演者陣は、それまで産経新聞と雑誌『正論』だけに自閉していた高齢の保守系言論人が主力で、ネットとの親和性は低いと思われていた。しかし、チャンネル桜はその古色蒼然たる保守系言論人の言説をそのまま動画としてアップロードし、これがかえって全く新しい手法として新鮮に受け止められた。
当初はそれほど「嫌韓」ではなかった
 いまでこそ右派系動画チャンネルは百花繚乱の勢いだが、ゼロ年代後半にこういった右派系オピニオンを、動画媒体に組織的に転載したのはチャンネル桜だけといってよい。こうして、高齢保守系言論人のオピニオンがそのままインターネットの世界に「輸出」される格好となり、彼らに無批判に寄生するネット右翼のオピニオンもまた、彼らと全く同じものに変質していった。
 その内容は「大東亜戦争肯定―反東京裁判史観」「対米追従」「嫌韓・反中・親台湾」「靖国神社参拝支持」「朝日新聞批判」「テレビ局批判」など、現在でも変わらず繰り返されているフレーズのオンパレードである。
 しかし、チャンネル桜草創期のメンバーは産経新聞・正論界隈出身の論客が多く、韓国に対しては比較的ではあるが融和的であった。これは、戦後の日本の保守が「反共」を旗印に韓国軍事政権と連携し、日本の保守系言論人の少なくない部分が大学生時代などに韓国に留学した経験を持つなど、韓国の保守派と交流を持っていたためである。
 実際、初期のチャンネル桜は「反中・親台湾」は旺盛でも「嫌韓」色はそこまで強烈という程ではなく、歴史修正的価値観に重きが置かれていた(もっとも、元在特会会長の桜井誠氏を繰り返し出演させるなど、「嫌韓」の定石を一応抑えることにも余念がなかった)。
 チャンネル桜が黄金時代を迎えたのは民主党政権時代の2009〜2012年で、当時は他に競合動画が殆どなかったことから、その再生回数は月間で数百万回を軽く数えた。
 この頃、保守界隈もそれに寄生するネット右翼も、麻生政権の下野と民主党政権誕生によって、「反民主党」という共通目的のもと大同団結し、西部邁氏的な「反米・反グローバリズム保守」から、産経系の親米保守、経済右翼、ビジネス保守、ネット右翼、果ては事件師的性格を持つ怪しい輩も多数同局に集結した。
内輪揉めと崩壊
 私がチャンネル桜に初出演したのは2010年で、ちょうどネット右翼の黄金時代に重なる。彼らは政治団体をも包摂し、デモ活動や抗議活動をニコニコ動画やUSTREAM(2018年に無料プランを終了)で中継し、録画編集したものをYouTubeに転載するという手段で、雪だるま式に視聴者数を倍加させていった。
 2012年の自民党総裁選で町村派(当時呼称・清和会)の安倍晋三氏が「憲法改正」「尖閣諸島への公務員常駐」などタカ派路線を鮮明にすると、保守界隈もネット右翼界隈も安倍支持一色となった。
 とりわけチャンネル桜は安倍支持を強烈に打ち出し、この時期の「安倍待望論」を全面的にリードした。安倍氏が総裁選で石破茂氏を破って総裁になり、2012年12月の総裁選挙で政権を奪還すると、チャンネル桜はいよいよ「安倍応援団」の最大勢力のひとつとしてネット右翼に絶大な影響を与えた。しかしチャンネル桜の隆盛はおおよそこのあたりが絶頂であった。2014年2月の東京都知事選挙で、所謂「内輪揉め」が発生したのである。
 チャンネル桜中枢とその支持者は、同都知事選に立候補した元航空幕僚長・田母神俊雄氏の実質的な選対事務所を一手に引き受けた。同氏が奮闘したとはいえ主要四候補(舛添要一、宇都宮健児、細川護熙、田母神俊雄)の中で最下位の61万票に終わり、同年の衆院総選挙で次世代の党(当時)から立候補して落選するや、都知事選時に集めた寄付金の使途で揉め、チャンネル桜は田母神批判を先鋭にした。田母神氏自身は2016年4月に公職選挙法違反で逮捕された(翌年起訴され、2018年に一審を経て二審の懲役1年10か月・執行猶予5年の判決が確定)。これによりチャンネル桜と田母神氏の対立は決定的となった。
 この頃から、逮捕・起訴された側の田母神氏支持者とチャンネル桜中枢との対立が激化し、少なからぬ視聴者がチャンネル桜から離れたともされる。
台頭する「DHCチャンネル」
一方、第二次安倍政権が長期政権の様相を呈し始めるや、新しい大きな動きが活発化した。DHCチャンネルの隆盛である。
 DHCチャンネル自体は2004年に開局したチャンネル桜よりもはるかに早い1996年に開局していたCS局であったが、開局当時は保守系のオピニオンは少なく、自社製品の広報やカルチャー番組、政治的には無色のエンタメ番組が主力であった。それが第二次安倍政権誕生以降とりわけ急速に保守化し、CS放送局の中ではチャンネル桜と勢力を二分するまでに成長した。
 とりわけDHCチャンネルでヒットしたのは、2015年から放送が開始された『虎ノ門ニュース』(番組名には変遷がある)と『ニュース女子』である。後者はTOKYO MXや地方局の枠を買い取る形でも放送されたため、加速度的に視聴者数が増えた。
 チャンネル桜とDHCチャンネルの最大の違いは、バックにある資金力の違いであった。チャンネル桜は開局当初、有料チャンネルでの放送という形をとっていたが、それは創設者で現社長の水島総氏の私財を投じる形で行われていた。よってたちまち資金難に陥ると、視聴者からの寄付に頼る「二千人委員会方式」に切り替えた。
 「二千人委員会」とは、視聴者の中うち篤志家が1万円/月の寄付会員(年額12万円)になり、それを二千人集めることによって放送を続行するというもので、これにより放送自体はストリーミング放送等を除いては無料で行われた。
 一方、DHCチャンネルは母体が日本有数の化粧品会社であり、潤沢極まりない予算編成が可能である。無論、予算の多寡が番組の質を決定するものでは無いが、豪華なキャストやセットはそれまでの「手作り感」あふれるチャンネル桜と比べると斬新と映り、これによって2016年頃にはネット右翼の最大人気番組は『虎ノ門ニュース』となった。
 これと肩を並べる人気番組であった『ニュース女子』は、2017年1月に放送した沖縄の基地反対派に関するデマ報道でBPOから重大な倫理違反の指摘を受ける(2017年12月)と、翌2018年3月末にはTOKYO MXでの放送を終了した。これにより、ますます『虎ノ門ニュース』の比重は高まることになった。
このころ、チャンネル桜もDHCチャンネル(一部を除く)も、CS放送から続々と撤退する。まずDHCチャンネルが2017年3月にCS放送から撤退すると、チャンネル桜も同年10月に撤退した。これにより、両局は完全なYouTube動画放送局となったが、これはCS放送よりも、YouTubeにおける再放送や転載での視聴者が圧倒的に多かったためと推測される。右派系動画番組はYouTube専売で放送するのがもっとも商業的成果を挙げるという構造が、2017年には確立されたのである。
右派動画チャンネル乱立の時代へ
 ここから、雨後の筍の如く右派系YouTube動画局が誕生した。まず2017年2月に『文化人放送局』が開局すると、同年10月には『林原チャンネル』が開局。林原チャンネルはDHCチャンネル元社長の浜田マキ子氏が独立して開始したものである。
 2020年10月末現在、右派系動画チャンネルの登録者数トップはDHCチャンネルの約71万人、次いでチャンネル桜が50万人、そして後発の文化人チャンネルが約35万人で、個人チャンネルを除けばこの3つが右派系動画放送局の三巨頭となる(これ以外にも、株式会社ON THE BOARDが主催する個人チャンネルが2つと、櫻井よしこ氏が事実上の主宰となる言論チャンネルがあるが、後者については有料放送なので視聴登録総数は不明)。ネット右翼はこうした動画チャンネルを常に重複、並立して視聴しており、どれかを単独を視聴する事は少ない。
 第二次安倍政権下でこれら右派系動画群は一貫して「安倍応援団」の一翼を担った。とりわけ2015年頃を境に、DHCチャンネルの人気や登録者数がそれまで右派系動画放送局群で首位を堅守していたチャンネル桜を上回ると、DHCチャンネルのレギュラー出演者は元来ネットの外側で実績・人気のあった作家などで固められるようになり、さらにはその出演者の多くが安倍首相主催の『桜を見る会』などに招待されるなど、政治的発言力も増大していった。一方、チャンネル桜の出演者は同会に呼ばれないなど、2015年以降は右派系ネット動画の首位がチャンネル桜からDHCチャンネルに大きく交代し、業界の勢力図は激変して今に至っている。
「反安倍」に舵を切るメディアも登場
 これまで挙げた動画放送局群は第二次安倍政権誕生以降、親安倍で一致していたが、二番手以下に甘んじるようになったチャンネル桜は、概ね2019年頃から「反安倍」への方針転換を顕著にしたことも特徴的である。
 彼らは2012年の時点では「安倍応援団」の最前衛と目されていたが、次第に安倍政権の進めた外国人実習生制度(実質的な移民政策だと彼らは主張する)や、アイヌ政策(そもそもアイヌ民族は存在せず、それがゆえにアイヌの文化振興等は”利権”であると彼らは主張する)、規制改革などを批判し、反安倍・反グローバリズム保守に転換した。もっともその背景には、チャンネル桜が開局草創期から西部邁氏などの所謂「反米保守・反グローバリズム保守」などの出演者を包摂してきたからという理由もある。あるいは「反安倍→反菅の保守」という、ネット右翼においてはマイノリティの視聴者を引き付ける役割を担う、マーケティング上の要請もあるのかもしれない。
 概ね2015年以降、DHCチャンネルの「一強」が続く中、保守系言論人の多くがDHCチャンネル内での著書の宣伝に躍起となっており、この傾向はますます続くものとみられる。一方、2019年からは『WiLL』が独自に動画チャンネル『WiLL増刊号』を開設し、2020年10月時点で登録者数約18万人に達するなど、新興勢力の勃興も見られる。
 誰しもがYouTubeチャンネルを開設できるようになり、右派系ネット番組はまさにレッドオーシャンの時代を迎えている。以前の寄稿で示した通り、ネット右翼の実数は全国でおよそ200万人、最大でも250万人程度の規模とみられる。その全員が動画を見るわけではないため、せいぜい動画視聴者数の天井は7掛けの150万人程度、という市場規模であろう。
「内輪受け」追求の末に……
 新陳代謝のないネット右翼の総数は増えない。しかし、ネット右翼には中小零細企業の経営者や下級官吏、大企業の管理職、開業医などの中産階級も多く、ひとり頭の購買力は旺盛なので、各社はこぞってこのレッドオーシャンに参入し、それを雑誌・著書の購読に結び付けようと躍起になっている(――ただしすでに述べた通り、ネット右翼には読書習慣が希薄なためこの行為は著効していない)のがここ数年の状況である。全体のパイは広がらず、またアニメや漫画と違って海外市場というものが望めないので、畢竟各動画チャンネルの中では出演者の取り合いと対立が起こる。
 民主党政権という「巨大な共通の敵」を失って以降、保守業界、ネット右翼業界では数々の内紛や民事裁判が起こってきた。その都度、ネット右翼は対立するどちらかの側につき、敗れた側は保守業界から消えていった。前述の田母神氏がその典型である。まさに関ヶ原における西軍諸将の敗行軍が、保守業界のいたるところで発生している。彼らは保守業界、ネット右翼業界以外に通用する普遍的な言説を持たないため、ここから追放されることは即商業的恩恵の終焉を意味するのだ。
 こういった保守業界の興味深い内紛の実態は別稿に譲るとしても、右派系動画番組の生き残りをかけた戦いは、今後もますます熾烈の度を増していくものとみられる。
古谷 経衡(文筆家)
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c8

[近代史4] チャンネル桜関係者のアホ陰謀論 中川隆
8. 中川隆[-12073] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:23:28 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[12]
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チャンネル桜、DHC…右派系ネット動画が「激戦区」になったワケ
2020-11-29
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/9cb9fe32d60c447de25bdc3cda67a994

 2000年代から2010年代の日本のネット言論で大きな存在感を放ち、世論にも大きな影響を与えた「ネット右翼」。その通史を描き出す、文筆家・古谷経衡氏による野心的連載「ネット右翼十五年史」が2年の時を経て掲載再開!  今回分析するのは、右派メディアの中でも強い波及効果を持つ「動画メディア」の栄枯盛衰である。
ネット右翼の主軸は「アラフィフ」へ
図は筆者作成
 2002年に勃興したネット右翼の主要な「情報源」は当時から現在まで一貫してネット動画である。安倍内閣の継承を旗印にした菅内閣に交代しても、この傾向は全く変わらない。
 第二次安倍政権下、およびそれ以前の民主党政権下では、いわゆる「保守系雑誌」の隆盛が囁かれた。WAC社の『WiLL』が代表的だが、この雑誌は第二次安倍政権下の2016年春に事実上分裂し、元『WiLL』編集長の花田紀凱氏が飛鳥新社に移籍して『HANADA』を創刊する。一方、編集長が空席となった『WiLL』にはWAC社が刊行する『歴史通』編集長であった立林昭彦氏が就任した。
 『WiLL』分裂当初、「保守分裂」の様相を呈した二誌は読者を二分すると観測されたが、多少の振幅はあるにせよ、その後両者は産経新聞社の『正論』と合わせて、今や保守系雑誌の三巨頭として並び立っている。『WiLL』分裂によって保守系読者は細分化するどころか、これらのは却って市場を拡大したと思われる。
 ただし、ネット右翼は『WiLL』『HANADA』そして『正論』の三誌を併読しているとされがちだが、それは誤解である。1973年に創刊した『正論』の購読層は、古参の伝統的保守派で概ね60〜70代以上。後発の『WiLL』『HANADA』はそれよりも読者年齢は低いが、おおむね50〜60代以上が主軸となっている。
 2013年に私がネット右翼に大規模調査を実施した結果、ネット右翼の平均年齢は約38歳とでた。それから7年余りがたち、新陳代謝がほぼないネット右翼業界はさらに高齢化が進んでその平均年齢は45歳前後となっている。現在、彼らの主力はアラフィフである。
 しかしすでに述べた通り、『正論』『WiLL』『HANADA』の三大保守雑誌の購読者年齢に、ネット右翼のそれは一歩届かない「ヤング層」である。保守層やネット右翼の中で、これら三大保守雑誌を読んでいる者は少数である。それはすでに本連載で述べた通り、ネット右翼の構造的性格が起因している。
 ネット右翼は既存の保守系言論人の言説を「オウム返し」のように真似るだけの存在であり、より平易に言えば、いわゆる保守系言論人のファンにすぎず、彼らを宿主にしてその言説に寄生する存在だからである。もともと読書習慣が薄く、月刊誌を購読するという習慣そのものが希薄なネット右翼は、表紙や目次を見ることはあるかもしれないが、実のところ三大保守雑誌の主力行読者層とはなっていない。
 彼らの情報源は、保守系言論人が「動画」と「SNS」によって垂れ流す言説がほとんどすべてである。7年8か月続いた第二次安倍政権が終わり、菅内閣が発足したばかりであるが、実はこの間、ネット右翼の最大の情報源たる「右派系ネット動画」の世界は、代り映えのしない政界をよそに激変した。本稿ではその変遷を解説する。
チャンネル桜の成功
 まずネット右翼が好む右派系ネット動画の開祖は、2004年8月に開局した日本文化チャンネル桜(以下チャンネル桜)であった。
 チャンネル桜は、後述するDHCテレビよりは後発にスタートしたCS(衛星)放送局であるが、様々な経営努力の結果、おおむね2006年頃から日本で勃興しだしたYouTubeに目を付け、CS放送で流した番組内容の一部ないし全部を同サイトに転載する形で、一躍ネット右翼から注目を集めるようになった。さらに、ほぼ同時期にニコニコ動画(ドワンゴ)への転載も開始している。
 チャンネル桜の出演者陣は、それまで産経新聞と雑誌『正論』だけに自閉していた高齢の保守系言論人が主力で、ネットとの親和性は低いと思われていた。しかし、チャンネル桜はその古色蒼然たる保守系言論人の言説をそのまま動画としてアップロードし、これがかえって全く新しい手法として新鮮に受け止められた。
当初はそれほど「嫌韓」ではなかった
 いまでこそ右派系動画チャンネルは百花繚乱の勢いだが、ゼロ年代後半にこういった右派系オピニオンを、動画媒体に組織的に転載したのはチャンネル桜だけといってよい。こうして、高齢保守系言論人のオピニオンがそのままインターネットの世界に「輸出」される格好となり、彼らに無批判に寄生するネット右翼のオピニオンもまた、彼らと全く同じものに変質していった。
 その内容は「大東亜戦争肯定―反東京裁判史観」「対米追従」「嫌韓・反中・親台湾」「靖国神社参拝支持」「朝日新聞批判」「テレビ局批判」など、現在でも変わらず繰り返されているフレーズのオンパレードである。
 しかし、チャンネル桜草創期のメンバーは産経新聞・正論界隈出身の論客が多く、韓国に対しては比較的ではあるが融和的であった。これは、戦後の日本の保守が「反共」を旗印に韓国軍事政権と連携し、日本の保守系言論人の少なくない部分が大学生時代などに韓国に留学した経験を持つなど、韓国の保守派と交流を持っていたためである。
 実際、初期のチャンネル桜は「反中・親台湾」は旺盛でも「嫌韓」色はそこまで強烈という程ではなく、歴史修正的価値観に重きが置かれていた(もっとも、元在特会会長の桜井誠氏を繰り返し出演させるなど、「嫌韓」の定石を一応抑えることにも余念がなかった)。
 チャンネル桜が黄金時代を迎えたのは民主党政権時代の2009〜2012年で、当時は他に競合動画が殆どなかったことから、その再生回数は月間で数百万回を軽く数えた。
 この頃、保守界隈もそれに寄生するネット右翼も、麻生政権の下野と民主党政権誕生によって、「反民主党」という共通目的のもと大同団結し、西部邁氏的な「反米・反グローバリズム保守」から、産経系の親米保守、経済右翼、ビジネス保守、ネット右翼、果ては事件師的性格を持つ怪しい輩も多数同局に集結した。
内輪揉めと崩壊
 私がチャンネル桜に初出演したのは2010年で、ちょうどネット右翼の黄金時代に重なる。彼らは政治団体をも包摂し、デモ活動や抗議活動をニコニコ動画やUSTREAM(2018年に無料プランを終了)で中継し、録画編集したものをYouTubeに転載するという手段で、雪だるま式に視聴者数を倍加させていった。
 2012年の自民党総裁選で町村派(当時呼称・清和会)の安倍晋三氏が「憲法改正」「尖閣諸島への公務員常駐」などタカ派路線を鮮明にすると、保守界隈もネット右翼界隈も安倍支持一色となった。
 とりわけチャンネル桜は安倍支持を強烈に打ち出し、この時期の「安倍待望論」を全面的にリードした。安倍氏が総裁選で石破茂氏を破って総裁になり、2012年12月の総裁選挙で政権を奪還すると、チャンネル桜はいよいよ「安倍応援団」の最大勢力のひとつとしてネット右翼に絶大な影響を与えた。しかしチャンネル桜の隆盛はおおよそこのあたりが絶頂であった。2014年2月の東京都知事選挙で、所謂「内輪揉め」が発生したのである。
 チャンネル桜中枢とその支持者は、同都知事選に立候補した元航空幕僚長・田母神俊雄氏の実質的な選対事務所を一手に引き受けた。同氏が奮闘したとはいえ主要四候補(舛添要一、宇都宮健児、細川護熙、田母神俊雄)の中で最下位の61万票に終わり、同年の衆院総選挙で次世代の党(当時)から立候補して落選するや、都知事選時に集めた寄付金の使途で揉め、チャンネル桜は田母神批判を先鋭にした。田母神氏自身は2016年4月に公職選挙法違反で逮捕された(翌年起訴され、2018年に一審を経て二審の懲役1年10か月・執行猶予5年の判決が確定)。これによりチャンネル桜と田母神氏の対立は決定的となった。
 この頃から、逮捕・起訴された側の田母神氏支持者とチャンネル桜中枢との対立が激化し、少なからぬ視聴者がチャンネル桜から離れたともされる。
台頭する「DHCチャンネル」
一方、第二次安倍政権が長期政権の様相を呈し始めるや、新しい大きな動きが活発化した。DHCチャンネルの隆盛である。
 DHCチャンネル自体は2004年に開局したチャンネル桜よりもはるかに早い1996年に開局していたCS局であったが、開局当時は保守系のオピニオンは少なく、自社製品の広報やカルチャー番組、政治的には無色のエンタメ番組が主力であった。それが第二次安倍政権誕生以降とりわけ急速に保守化し、CS放送局の中ではチャンネル桜と勢力を二分するまでに成長した。
 とりわけDHCチャンネルでヒットしたのは、2015年から放送が開始された『虎ノ門ニュース』(番組名には変遷がある)と『ニュース女子』である。後者はTOKYO MXや地方局の枠を買い取る形でも放送されたため、加速度的に視聴者数が増えた。
 チャンネル桜とDHCチャンネルの最大の違いは、バックにある資金力の違いであった。チャンネル桜は開局当初、有料チャンネルでの放送という形をとっていたが、それは創設者で現社長の水島総氏の私財を投じる形で行われていた。よってたちまち資金難に陥ると、視聴者からの寄付に頼る「二千人委員会方式」に切り替えた。
 「二千人委員会」とは、視聴者の中うち篤志家が1万円/月の寄付会員(年額12万円)になり、それを二千人集めることによって放送を続行するというもので、これにより放送自体はストリーミング放送等を除いては無料で行われた。
 一方、DHCチャンネルは母体が日本有数の化粧品会社であり、潤沢極まりない予算編成が可能である。無論、予算の多寡が番組の質を決定するものでは無いが、豪華なキャストやセットはそれまでの「手作り感」あふれるチャンネル桜と比べると斬新と映り、これによって2016年頃にはネット右翼の最大人気番組は『虎ノ門ニュース』となった。
 これと肩を並べる人気番組であった『ニュース女子』は、2017年1月に放送した沖縄の基地反対派に関するデマ報道でBPOから重大な倫理違反の指摘を受ける(2017年12月)と、翌2018年3月末にはTOKYO MXでの放送を終了した。これにより、ますます『虎ノ門ニュース』の比重は高まることになった。
このころ、チャンネル桜もDHCチャンネル(一部を除く)も、CS放送から続々と撤退する。まずDHCチャンネルが2017年3月にCS放送から撤退すると、チャンネル桜も同年10月に撤退した。これにより、両局は完全なYouTube動画放送局となったが、これはCS放送よりも、YouTubeにおける再放送や転載での視聴者が圧倒的に多かったためと推測される。右派系動画番組はYouTube専売で放送するのがもっとも商業的成果を挙げるという構造が、2017年には確立されたのである。
右派動画チャンネル乱立の時代へ
 ここから、雨後の筍の如く右派系YouTube動画局が誕生した。まず2017年2月に『文化人放送局』が開局すると、同年10月には『林原チャンネル』が開局。林原チャンネルはDHCチャンネル元社長の浜田マキ子氏が独立して開始したものである。
 2020年10月末現在、右派系動画チャンネルの登録者数トップはDHCチャンネルの約71万人、次いでチャンネル桜が50万人、そして後発の文化人チャンネルが約35万人で、個人チャンネルを除けばこの3つが右派系動画放送局の三巨頭となる(これ以外にも、株式会社ON THE BOARDが主催する個人チャンネルが2つと、櫻井よしこ氏が事実上の主宰となる言論チャンネルがあるが、後者については有料放送なので視聴登録総数は不明)。ネット右翼はこうした動画チャンネルを常に重複、並立して視聴しており、どれかを単独を視聴する事は少ない。
 第二次安倍政権下でこれら右派系動画群は一貫して「安倍応援団」の一翼を担った。とりわけ2015年頃を境に、DHCチャンネルの人気や登録者数がそれまで右派系動画放送局群で首位を堅守していたチャンネル桜を上回ると、DHCチャンネルのレギュラー出演者は元来ネットの外側で実績・人気のあった作家などで固められるようになり、さらにはその出演者の多くが安倍首相主催の『桜を見る会』などに招待されるなど、政治的発言力も増大していった。一方、チャンネル桜の出演者は同会に呼ばれないなど、2015年以降は右派系ネット動画の首位がチャンネル桜からDHCチャンネルに大きく交代し、業界の勢力図は激変して今に至っている。
「反安倍」に舵を切るメディアも登場
 これまで挙げた動画放送局群は第二次安倍政権誕生以降、親安倍で一致していたが、二番手以下に甘んじるようになったチャンネル桜は、概ね2019年頃から「反安倍」への方針転換を顕著にしたことも特徴的である。
 彼らは2012年の時点では「安倍応援団」の最前衛と目されていたが、次第に安倍政権の進めた外国人実習生制度(実質的な移民政策だと彼らは主張する)や、アイヌ政策(そもそもアイヌ民族は存在せず、それがゆえにアイヌの文化振興等は”利権”であると彼らは主張する)、規制改革などを批判し、反安倍・反グローバリズム保守に転換した。もっともその背景には、チャンネル桜が開局草創期から西部邁氏などの所謂「反米保守・反グローバリズム保守」などの出演者を包摂してきたからという理由もある。あるいは「反安倍→反菅の保守」という、ネット右翼においてはマイノリティの視聴者を引き付ける役割を担う、マーケティング上の要請もあるのかもしれない。
 概ね2015年以降、DHCチャンネルの「一強」が続く中、保守系言論人の多くがDHCチャンネル内での著書の宣伝に躍起となっており、この傾向はますます続くものとみられる。一方、2019年からは『WiLL』が独自に動画チャンネル『WiLL増刊号』を開設し、2020年10月時点で登録者数約18万人に達するなど、新興勢力の勃興も見られる。
 誰しもがYouTubeチャンネルを開設できるようになり、右派系ネット番組はまさにレッドオーシャンの時代を迎えている。以前の寄稿で示した通り、ネット右翼の実数は全国でおよそ200万人、最大でも250万人程度の規模とみられる。その全員が動画を見るわけではないため、せいぜい動画視聴者数の天井は7掛けの150万人程度、という市場規模であろう。
「内輪受け」追求の末に……
 新陳代謝のないネット右翼の総数は増えない。しかし、ネット右翼には中小零細企業の経営者や下級官吏、大企業の管理職、開業医などの中産階級も多く、ひとり頭の購買力は旺盛なので、各社はこぞってこのレッドオーシャンに参入し、それを雑誌・著書の購読に結び付けようと躍起になっている(――ただしすでに述べた通り、ネット右翼には読書習慣が希薄なためこの行為は著効していない)のがここ数年の状況である。全体のパイは広がらず、またアニメや漫画と違って海外市場というものが望めないので、畢竟各動画チャンネルの中では出演者の取り合いと対立が起こる。
 民主党政権という「巨大な共通の敵」を失って以降、保守業界、ネット右翼業界では数々の内紛や民事裁判が起こってきた。その都度、ネット右翼は対立するどちらかの側につき、敗れた側は保守業界から消えていった。前述の田母神氏がその典型である。まさに関ヶ原における西軍諸将の敗行軍が、保守業界のいたるところで発生している。彼らは保守業界、ネット右翼業界以外に通用する普遍的な言説を持たないため、ここから追放されることは即商業的恩恵の終焉を意味するのだ。
 こういった保守業界の興味深い内紛の実態は別稿に譲るとしても、右派系動画番組の生き残りをかけた戦いは、今後もますます熾烈の度を増していくものとみられる。
古谷 経衡(文筆家)
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[リバイバル3] カルトの世界 中川隆
58. 中川隆[-12072] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:55:00 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[13]
大人の教養TV【オウム真理教】日本最悪のカルト宗教
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[近代史4] オウム真理教 中川隆
10. 中川隆[-12071] koaQ7Jey 2023年12月04日 09:55:25 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[14]
大人の教養TV【オウム真理教】日本最悪のカルト宗教
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[近代史3] 欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録 中川隆
9. 中川隆[-12070] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:46:06 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[15]
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イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
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アウシュヴィッツ博物館はその倫理的正当性を失った
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イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
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パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
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イスラエルの核戦略
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ハマスはモサドが作り、支援している似非テロ組織
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ハマスによるイスラエル総攻撃、その前にイスラエルがやった事
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米国の世界戦略を実現、さらにガザ沖に天然ガスを奪うこともガザで虐殺する理由
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ユダヤ教
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茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
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吉岡孝浩×茂木誠 - YouTube
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茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14132553

茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
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アシュケナージ系ユダヤ人の歴史
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ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
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キリスト教原理主義
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イエスの本当の教え _ 神の国、神の子とは何か?
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ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
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東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
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欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
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[近代史3] ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係… 中川隆
26. 中川隆[-12069] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:46:26 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[16]
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茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
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ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
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東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
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欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
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[近代史3] 東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教 中川隆
7. 中川隆[-12068] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:46:40 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[17]
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[近代史4] キリスト教原理主義 中川隆
10. 中川隆[-12067] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:47:06 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[18]
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[近代史4] ユダヤ教 中川隆
9. 中川隆[-12066] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:47:27 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[19]
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ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
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東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
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[近代史4] キッシンジャーがやった事 中川隆
5. 中川隆[-12065] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:55:10 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[20]
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2023年12月03日
ヘンリー・キッシンジャーの正体とは? / スパイ容疑とゲームの達人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html

「偉大なる外政官」と呼ばれた男

Henry Kissinger 635Henry Kissinger & President Nixon 324

  2023年11月29日、ニクソン政権とフォード政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー(Heinz Alfred Kissinger)が、コネティカット州の自宅で永眠した。享年100。子分の中曾根康弘と同じく、悪い奴は結構長生きするものだ。

  政治学者から国家安全保障補佐官にまで出世した外政官、というのがキッシンジャーの経歴である。彼に対するコメントは世界中から寄せられているそうだ。

  例えば、ニクソン政権時代、北京政府と仲良しだったので、毛沢東を真似る習近平はキッシンジャーを「世界的に有名な戦略家にして、支那人の古い親友」と評していた。歐米の反共主義者から共産支那を守ってくれたので、この暴君はキッシヤジャーを懐かしみ、聡明なヴィジョンを以て米支関係の正常化に尽くしてくれた、と讃えている。(Pei-Lin Wu and Vic Chiang, 'China pays tribute to Kissinger,‘old friend of the Chinese people’, The Washington Post, November 29, 2023.)

  元KGB局員のウラジミール・プーチン大統領も、スパイ業界の同僚に哀悼の意を表した。優秀な諜報員であったプーチンは、キッシンジャーを「叡智に富み、長期的視野を備えた政治家」と評し、現実的で功利的な外政手腕を以て国際政治の緊張緩和を為しえた、と褒めている。(Mark Trevelyan, 'Russia's Putin praises Henry Kissinger as wise and pragmatic statesman', Reuters, November 30, 2023.)なるほど、キッシンジャーはプーチンが言うように「世界平和を強化する重要な米ソ協約を締結した」のかも知れない。

  アメリカのユダヤ人にとって「心の祖国」と言えるがイスラエル。この国からも偉大な同胞の死を悼むメッセージが届けられた。大統領のイサク・ヘルツォークによると、キッシンジャーは立派な決断と業績を重ねることでイスラエルの基礎を築き、同国のユダヤ人が平和的に暮らせるよう、大変な努力をしたそうだ。ヘルツォーク大統領は常にキッシンジャーの祖国愛(イスラエルに対する愛情と信念)を感じていたという。('Israeli officials laud Kissinger, as global public reaction mixed to diplomat’s death,’The Times of Israel, 30 November 2023.)

Isaac Herzog 1Benjamin Netanyahu 903Eli Cohen 1Yair Lapid 135
( 左 : イサク・ヘルツォーク / ベンジャミン・ネタニヤフ / エリ・コーエン / 右 : イェー・ラピッド)

  米国に留学していたベンジャミン・ネタニヤフ首相もキッシンジャーの業績をを讃えている。ネタニヤフによると、キッシンジャーは「単なる外政官ではなく、公的生活における理念の力と知的能力を信じる思想家」でもあった。エリ・コーエン(Eli Cohen)外相もキッシンジャーの死を悼んでおり、イスラエルとアメリカとの関係を揺るぎない同盟にしてくれた支柱(恩人)の一人であるらしい。野党「Yesh Atid」の代表であるイェー・ラピッド(Yair Lapid)元首相もキッシンジャーを懐かしみ、彼を「知的巨人(intellectual titan)」と呼び、「国際政治の大御所(giant of international diplomacy)」と評していた。

ドイツからやって来た怪しいユダヤ人

  歐米の主流メディアのみならず、日本のマスコミもキッシンジャーの逝去を報じ、“偉大な外政官”と評していた。しかし、このユダヤ人には他人には知られたくない幾つもの「顔」があった。

Henry Kissinger 324(左 / 幼い頃のキッシンジャー)
  ハインツ・アルフレット・キッシンゲル(Heinz Alfred Kissinger)は1923年5月17日、ドイツのバイエルンにあるフュルト(Fürth)で生まれた。父のルイス・キッシンゲル(Louis Kissinger)と母のパウラ・スターン(Paula Stern)は、ナチスの台頭を恐れ、1938年にハインツと弟のウォルターを連れて米国へと逃れたそうである。この一家はユダヤ移民が群がるニューヨークで居を構え、兄のヘンリー(ハインツ15歳の改名)は、ジョージ・ワシントン高校に通うことにした。彼はここで一年間学ぶと、夜間学校へと転入し、ここを卒業すると、ブラシ会社の「レオポルド・アッシャー*」に勤めたという。しかし、ヘンリーは学業を諦めきれなかった。この少年は夜になるとニューヨーク市単科大学(City College of New York)に通い、得意の勉強を続けていたそうだ。

  (*註/ この勤め先はキッシンジャー家の従兄弟が経営していた。当時、ウクライナやポーランドからやって来たユダヤ人は、新天地のアメリカで苦労する事が多く、彼らは先に移住した親戚や友人を頼ったり、近くのシナゴーグに赴いて長老のラビに相談することが少なくなかった。生活に困ったユダヤ人から頼りにされた親戚や友人も、“同胞愛”に満ちていたから、彼らを自分の店や会社で雇うことがあった。でも、心温かいユダヤ人は、アフリカ移民の黒人やイスラム教徒のアラブ人には冷たかった。普段は「多民族共生」とか「人道主義」を口にしているのに、私生活ではレイシストなんだから、ユダヤ人のリベラリズムには嘘がある。)

Jacob Javits 001
(左 / ジェイコブ・ジャヴィッツ)
  若い頃のキッシンジャーは、ドイツから逃れてきたユダヤ難民が集まる「ベス・ヒレル青年団(Beth Hillel Youth Group)」に属していた。ここには後の下院議員や上院議員となるジェイコブ・ジャヴィッツ(Jacob Koppel Javitz)がいて、彼は当時から非常に熱心な活動家であった。さらに、ここには最初の妻となるアン・フレイシャー(Anneliese Fleischer)もいたという。ちなみに、キッシンジは1964年にアン夫人と離婚し、1974年にネルソン・ロックフェラー州知事の秘書をしていたナンシー・マギネス(Nancy Maginess)と再婚した。やはり、ユダヤ人は出世をしたり金持ちになると、パッとしない古女房を捨てて、ヨーロッパ系の女と結婚したいのかなぁ〜。(イタリア系ユダヤ人のシルヴェスター・スタローンも、サーシャ・ザックと離婚して、北歐美人のブリジッ・ニールセンと再婚したしね。)

Henry Kissinger & Ann Fleischer 22Henry Kissinger & wife Nancy
(左 : 最初の妻アン・フレイシャーと若き軍人のキッシンジャー / 右 : 再婚相手のナンシー・マギネスと大御所になったキッシンジャー )

  とにかく、ヘンリー・キッシンジャーの転機となるのは、合衆国陸軍へ入隊したことだ。彼はサウス・カロライナ州にある「クロフト基地(Camp Croft)」で基礎訓練を受けたあと、ノース・カロライナ大学とラファイエット大学にある「陸軍特別訓練プログラム」に編入した。キッシンジャーはヨーロッパに派遣されると、第84歩兵師団第335歩兵連隊の「G」中隊に所属し、諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の調査官として勤務していたそうだ。

Alexander Bolling 1(左 / アレクサンダー・ボリング)
  一般的に、ユダヤ人は陸軍や海軍に属していても、前線で生死を賭ける歩兵になることは滅多にない。大抵は作戦本部に勤務する軍官僚とか、軍人の問題を扱う法律家、あるいは情報収集や防諜活動に携わる諜報員、難しい言語を喋る通訳といった職種に就く。キッシンジャーも戦闘員ではなく、アレクサンダー・ボリング(Alexander Bolling)将軍の運転手を務めていたという。と同時に現地部隊に重宝されるドイツ語の通訳でもあった。何しろ、一般のアメリカ人(西歐系の白人)は、西ゲルマン語のイギリス語を話しているくせに、ドイツ人が話すゲルマン語を習得できない。彼らは大学教育を受けても、「ドイツ語は文法が複雑で単語も難しい」と弱音を吐く。こんな調子だから、陸軍少尉や海軍中尉、あるいは空軍大佐でもドイツ語となれば“お手上げ”だ。

Henry Thomas Buckle 11(左 / ヘンリー・トマス・バックル )
  そこで登用されるのが、何かと便利な“宮廷ユダヤ人”である。昔から、様々な国を渡り歩くユダヤ人には「多言語話者(ポリグロット / pólyglòt)」が多い。家庭ではイディシュ語を話していても、商売や勉強となるや、フランス語とかスペイン語、イタリア語のみならず、文字の違うギリシア語やロシア語でも話せる者がゴロゴロいる。英国の歴史家だったヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle)みたいな人物は別格だ。ラテン語はもちろんのこと、ヨーロッパの言語を幾つも理解できたという。フィールド・オフィサーとなるCIA局員でも、日本語とかアラビア語となれば降参で、たとえ日常会話を習得しても、文章を読んだり書いたりするとなれば日本人の通訳を必要とする。

  「カイロ大学の社会学科を首席で卒業した」という小池百合子は“例外”というか、“笑顔の詐欺師”みたいなもんだが、普通のアメリカ人だとアラビア語とか日本語の読み書きなんて出来ない。しかし、ユダヤ人は暗号解読の名人で、奇妙奇天烈な言語でもOK。非ユダヤ人にも多言語話者がいて、ハリウッド男優のヴィゴ・モーテンセン(Viggo Peter Mortensen, Jr.)も、その一人だ。彼は父親がデイン人で、祖父のデンマークにも住んだことがあるから、数カ国語を話せるようだ。普通に育てば英語のみのアメリカ人なっているけど、彼の家族はベネズエラやデンマーク、アルゼンチンを転々とし、様々な環境で子供を育てたから、ヴィゴが色々な言葉を話せるのも当然だ。彼はセント・ローレンス大学を卒業後、ヨーロッパに渡っているから、スペイン語やデイン語を実際の生活で使っていたのだろう。(ちなみに、ヴィゴは『G.I.ジェーン』や『ダイヤルM』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演している。日本でも知っている人は多いだろう。)

Viggo Mortensen 11Viggo Mortensen 9324Viggo Mortensen in GI Jane
(左 : ヴィゴ・モーテンセン / 中央 : 子供時代のヴィゴ / 右 : 『G.I.ジェーン』 に出演したヴィゴ)

ロックフェラーに育てられた宮廷ユダヤ人

  話を戻す。「外人」のキッシンジャーは身体検査(security clearance)をパスして上等兵から軍曹になった。この特進に加え、キッシンジャーは個人的恨みも晴らしたそうだ。彼はドイツ勤務でゲシュタポやナチスのスパイを尋問して喜んでいた。しかし、彼は1946年になると陸軍を除隊し、ドイツのオベラマーアゴ(Oberammergau)にある「ヨーロッパ戦線諜報学校(European Command Intelligence School)」の教官に就任する。でも、給料に不満があったのか、キッシンジャーはさっさと帰国し、ハーヴァード大学に入った。それと同時に、彼は予備役の士官になったので、少尉から大尉へと昇進することになった。

  名門のハーヴァード大学に編入したキッシンジャーは、ロックフェラー財団からの研究費を含め、四種類の奨学金を貰っていたそうだ。いかにもユダヤ人の優等生らしく、キッシンジャーはハーヴァード大の名物教授、あのウィリアム・ヤンデル・エリオット(William Yandell Elliott)に見出され、サマー・スクールの講師やセミナーの上級講師にしてもらった。ユダヤ人というのは、アメリカ人やヨーロッパ人からの「一本釣り」や「異例の抜擢」で出世を果たす。彼らはそれで満足せず、幸運の女神を踏み台にして徐々に人脈を広げ、“学会のドン”や“財界の大物”となってゆく。エリオット教授の弟子には、後にカナダの首相となったピエール・トルドー(Pierre Trudeau)や、ケネディー政権で国家安全保障補佐官になったマクジョージ・バンディー(McGeorge Bundy)がいる。ホント、政界や学会というのは、結構“狭い世間”である。

Henry Kissinger 6642William Y Eliott 112Pierre Trudeau 2332McGeorge Bundy 853
(左 : キッシンジャー / ウィリアム・ヤンデル・エリオット / ピエール・トルドー / 右 : マクジョージ・バンディー)

  優秀な成績(summa cum laude)を以て卒業したキッシンジャーは、これまた秀才が集まる学生クラブ、「ファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に選出され、エリオット教授の推薦もあってか、ハーヴァード大学の教授になった。1951年、エリオット教授はハーヴァード国際セミナー(Harvard International Seminars)」を創設するが、キッシンジャーは恩師からここの主任(executive director)に抜擢されたという。ここで注目すべきは、セミナーのパトロンである。大富豪というのは、未知数であっても優良な成長株に投資するもので、フォード財団やロックフェラー家が創ったアジア財団、それに中東アジアの金持ちやCIAが資金を流していたというのだ。

  このセミナーが発展したことで、『コンフルーエンス(Confluence)』という雑誌が発刊され、キッシンジャーはここに論文を投稿した。ところが、この刊行物は十数回だけ続いて廃刊となってしまう。ただし、単なる終焉じゃなかった。『コンフルエンス』の論調が共産主義的だという廉(かど)で、1955年にキッシンジャーは陸軍諜報部からの尋問を受けていたのだ。(Frank A. Capell, The Kissinger Caper : a Former General in Communist Intelligence says Kissinger was a KGB Agent Before He Went ot Harvard, Belmont, MA : The Review of the News, 1974, p.29.)当時の噂によれば、雑誌の顧問を務めていた人物の中には、共産主義者やコミュニスト組織に関係を持つ人物が紛れていたという。さらに眉を顰めたくなるのは、この雑誌にロックフェラー・ブラザース財団が、2万6,000ドルの賞与金(grant)を与えていたということだ。

Nelson Rockefeller 9423
(左 / ネルソン・ロックフェラー)
  ヘンリー・キッシンジャーの出世には、ロックフェラー家の貢献や後押があった。フォード政権で副大統領となったネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は、ローズヴェルト政権で国際問題のコーディネーターを務めており、弟のウィンスロップと同じく、政治的野心に満ちていた。1956年にネルソンが「Special Study Project」という研究グループを創設すると、キッシンジャーはここの所長に就任した。たぶん、ネルソンの指図だろう。

  ネルソン・ロックフェラーの野望はホワイトハウスにあったのか、この大富豪は経歴作りのために州知事を目指した。実際、彼はリベラル派の牙城であるニューヨークの州知事になることが出来た。未来の大統領を目指すネルソンには、現実の国際政治を扱える“参謀”が必要で、学問に秀でたキッシンジャーは“打って付けの軍師”であった。主君のお眼鏡に適ったキッシンジャーは、トントン拍子に出世を重ね、ロックフェラー家がスポンサーとなる「外交問題評議会(CFR)」のメンバーにもなれた。彼は1977年から1981年まで、CFRの理事会で役員を務めることになる。キッシンジャーの『核兵器と外政(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』は、CFRのメンバーになった頃に書かれた処女作であった。

  日本では中東問題やアジア情勢に関する「共和党の重鎮」として知られているが、キッシンジャーは“保守派の知識人”じゃない。リチャード・ニクソンと組む前は、民衆党寄りのグローバリスト学者であった。当初、キッシンジャーは大統領になったジョン・F・ケネディーの政権に潜り込もうと目論んだが、ケネディー兄弟から毛嫌いされてホワイトハウスに入ることは出来なかった。兄貴を補佐するロバート・ケネディー司法長官も、この下品なユダヤ人を嫌っていたというから、キッシンジャーはアーサー・シュレッシンジャー(Arthur Meier Schlessinger, Jr.)のような宮廷ユダヤ人にはなれなかった。

  ユダヤ人の支援で著作を出版でき、さらに大統領選でもユダヤ人団体から応援してもらったのがケネディー大統領である。それゆえ、彼の周辺にはユダヤ人の側近が多かった。(ホワイトハウスでユダヤ人に取り囲まれた記念写真を見ると、本当にゾッとする。)

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(左 : ロバート・ケネディー / アーサー・シュレッシンジャー / セオドア・ソレンセン / 右 : ロバート・ノヴァック)

  例えば、『ケネディーの千日(A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House)』を書いたシュレッシンジャーの母親は、ドイツ人とイギリス人の家系だが、父方の祖父はドイツに住んでいたユダヤ人で、プロテスタントに改宗した現世利益派だった。ケネディー大統領の顧問で、スピーチライターを務めていたセオドア・ソレンセン(Theodore Chaikin Sorensen)もユダヤ人で、父親はデイン系アメリカ人であったが、母親はロシア系ユダヤ人ときている。ついでに言うと、CNNの討論番組「クロスファイアー」でホストを務めていたロバート・ノヴァック(Robert David Sanders Novak)も「改宗ユダヤ人」であった。ノヴァックの両親は世俗派のユダヤ人であったから、息子のロバートにはユダヤ教への情熱は無かったようだ。女房のジェラルディンがカトリック信徒になったから、亭主のロバートも一緒にカトリック教会に入ったという。まぁ、西歐紳士になりたかったシュレッシンジャーと同じく、ノヴァックも「ユダヤ人」という血統(属性)が恥ずかしかったのかも知れない。

ニクソンに仕えたユダヤ小僧

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(左: 主人のネルソン・ロックフェラーと執事のキッシンジャー / 右 : ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官 )

  ケネディー兄弟に嫌われたキッシンジャーは、大統領選でJFKに破れたリチャード・ニクソンの安全保障補佐官となったが、政権に入る前は親分を密かに蔑んでいた。「私はあの男の為には働かないぞ。あの野郎は疫病神だ(I would never work for that man, the man is a disaster.)」とキッシンジャーは述べていた。(上掲書、p.32.)日本のマスコミや政治評論家は、「ニクソン・キッシンジャー外交」とやらを褒めそやし、両者がコンビを組んで中東問題や対シナ外交を取り仕切ったように論じるが、実際は水面下でお互いに警戒する間柄であった。

  嫌われたニクソン大統領も、キッシンジャーを小馬鹿にしており、キッシンジャーは信頼できる助言者ではなく、ネルソン・ロックフェラーが送り込んだ「お目付役」と考えていたようだ。何しろ、ニクソンはキッシンジャーのような狡賢いユダヤ人が大嫌い。このクェーカー教徒(ニクソン)はユダヤ人に懐疑的で、1971年まで中東政策からキッシンジャーを外していたのだ。なぜなら、キッシンジャーが述べたように、彼のユダヤ人という民族性が彼の判断力を曇らせるんじゃないか、とニクソンが心配していたからだ。そして、冷酷な現実を熟知する大統領は、キッシンジャーの愛国心、すなわちアメリカ合衆国への忠誠心すら疑っていたのである。(Martin Indyk, Master of the Game : Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy, New York : Alfrd A. Knopf, 2021, p.36.)

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(左 / レオナード・ガーメント)
  ニクソン政権の大統領顧問を務めたレオナード・ガーメント(Leonard Garment)によれば、ホワイトハウスの中でキッシンジャーは“エキゾテックな神童(exotic wunderkind)”、あるいは“よそ者(outsider)”と見られていたそうである。まぁ、西歐人とは違う容貌に加え、ドイツ訛りの英語を喋り、何を目論んでいるのか判らないから、同僚から“セム種族のエイリアン”と思われても当然だ。ニクソン政権のインナー・サークルは日常会話でも、「キッシンジャーは決して自身のユダヤ性を脱ぎ捨てることは出来まい(Kissinger could never ....shed his Jewishness.)」と囁いていたそうである。(上掲書、p.37.)

  政界の裏事情を知っていたからだろうが、ニクソンはユダヤ人に対する反感と懐疑心を抱いていた。当時のアメリカ人だと、ユダヤ人は金持ちで狡賢い(rich and tricky)」というイメージが一般的であった。ニクソンもステレオタイプの持ち主で、ユダヤ人のリベラル派は何かに附けイスラエルに忠実だ、と思っていた。財務長官のジョン・コナリー(John B. Connally)と執務室で話していた時も、ニクソンはユダヤ人に対する偏見を隠さず、会話の中で「ユダヤ人のリベラル派は信用がならない。第二次政権ではユダヤ人スタッフの数を減らすつもりだ」と述べていた。(上掲書、p.37.)

  こんな考えだから、ニクソンは自分の補佐官であってもキッシンジャーを信用せず、大切な相談は大統領顧問であるジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)と首席補佐官のハリー・ロビンス・ハルデマン(Harry Robbins Haldeman)だけに持ちかけていた。それゆえ、三人の鳩首会談となれば、キッシンジャーは“蚊帳の外”だ。もし、キッシンジャーを密談に加えてしまうと、主君のネルソン・ロックフェラーや政財界のユダヤ人に“筒抜け”となるからダメ。用心深いニクソンは、執務室の扉を閉ざしてキッシンジャーを“のけ者”にしていた。

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(左 : ハリー・ロビンス・ハルデマン / 中央 : リチャード・ニクソン大統領 / 右 : ジョン・アーリックマン )

  以前、CBSやNBCのイヴニング・ニューズで放送されたけど、ニクソン大統領はキッシンジャーを小馬鹿にするような言を吐いていた。ニクソンはホワイトハウス内でキッシンジャーが必要な時、「俺のユダヤ小僧は何処にいるんだ!?(Where is my Jew-boy?)」と側近に尋ねていたというから、一般のアメリカ国民はビックリ。執務室で録音されたテープを聞いたキッシンジャーはどう思っていたのか? 育ちの悪いニクソンは、普段の会話の中でも遠慮せずに「ニューヨークのユダヤ人(New York Jews )」とか「糞のユダ野郎(fucking Jews)」という侮蔑語を口にしていた。(Richard Reeves, President Nixon : Alone in the White House, New York : Simon & Schuster, 2002, p.42)常識的な日本人であれば、ニクソンの口癖を聞いてしまうと、「彼は本当に敬虔な新渡戸稲造博士と同じクェーカー信徒なのか?」と疑ってしまうだろう。

怪しい人物を採用する国務長官

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(左 : ユダヤ人の有力者に囲まれたジョン・・ケネディー大統領 / 右 : 来日した時に藝者と戯れるキッシンジャー )

  ニクソンは“お世辞”にも「紳士」と呼べないが、キッシンジャーも同様にアメリカ紳士ではない。というのも、キッシンジャーが政権に招き寄せたり、国務省に採用した人物には“いかがわしい輩”がたくさん居たからだ。

  例えば、国務長官になったキッシンジャーは、FBIから保安上の危険人物と見なされていたボリス・クロッソン(Boris Hansen Klosson)をSALT(戦略核兵器制限交渉)の政治諜報担当官に選んでしまったのだ。クロッソンの「信用度」は、ソ連からやって来た女スパイが逮捕された時、“問題”とされてしまった。「ホンマかいな?!」と驚いてしまうが、彼女の連絡手帳にはクロッソンの住所が載っていたのだ。それに、クロッソンがモスクワの米国大使館に勤務した時、KGBの調査報告書が本国に送られそうになったが、何かの理由でマズかったのか、ワシントンへの送付を妨害したそうだ。(The Kissinger Caper, p.34.) また、ソ連へ亡命したリー・ハーヴェイ・オズワルドが米国へ戻る時、彼の帰国許可を与えた責任者はクロッソンであったという。

  キッシンジャーが駐チリ米国大使に選んだデイヴィッド・ポッパー(David Henry Popper)も“不適切な人物”であった。このユダヤ人大使は、共産主義者の容疑が濃厚なアルジャー・ヒス(Alger Hiss)と親しく、国務省の役人だったヒスの推薦で同省に入ったという。また、ポッパーは如何にもユダヤ人らしく、真っ赤な雑誌である『アメラジア(Amerasia)』に集う共産主義者やソ連のスパイとも交際があったそうだ。案の定、ポッパーは「赤旗」のような「デイリー・ワーカー(Daily Worker)」紙の編集長で、米国共産党のメンバーだったルイス・ブデンツ(Louis Budenz)と知り合いだったようで、このブデンスによって共産主義者であることをバラされてしまった。(The Kissinger Caper, p. 35.)

  キッシンジャーが台湾に送った米国大使のレオナード・アンガー(Leonard Seidman Unger)も共産主義の疑いを持たれた人物だ。アンガーはタイやラオス、シナでも大使を務めていたから、現地の共産主義者に歓迎されたのも納得できる。

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(左 : デイヴィッド・ポッパー / ルイス・ブデンツ / レオナード・アンガー / 右 : ジェイムズ・サッタリン)

  国務省のドンになったキッシンジャーは、赤色分子やソ連贔屓の友人ばかりじゃなく、同性愛者や危険人物に対しても省庁の門を開いてしまった。例えば、国務省の監査長官になったジェイムズ・サッタリン(James S. Sutterlin)は、同省の保安局員であったエドワード・ケリー(Edward Kelley)とホモの関係にあったそうだ。省内で有耶無耶(うやむや)にされてしまったが、ケリーのせいで外交上の秘密暗号がソ連側に写し取られたり、ソ連のエイジェントになった米国外政官は自由に活動できたらしい。大使館の職員もソ連のハニートラップに引っかかったようで、よく訓練された女スパイが現地の役人を誘惑したそうだ。女の工作員に惚れた職員がソ連の手先になることはよくあるが、同性愛者も敵国の標的にされやすい。なぜなら、ゲイの外政官や書記官などは、同性愛の発覚を恐れて敵国エージェントの命令に従ってしまうからだ。

  キッシンジャーが国務省の難民担当官に任命したルイス・アーノルド・ワイズナー(Louis Arnold Wiesner)も、アメリカの国益を毀損する官僚だった。なぜなら、彼のせいで脱走兵や難民を装った共産主義者が米国に易々と入れたし、国内で優遇を受けていたからだ。大学教師もそうだけど、公務員を採用する際には、その家族構成や血統、民族、教育、性格、思想、趣味などを慎重に吟味せねばならない。1992年9月30日にドン・キエンツェル(Don R. Kienzle)によって行われたインタヴュー(Labor Diplomacy Oral History Project)で認めていたけど、ワイズナーは国務省に勤める前、つまり彼が若い時、少しだけ共産党に属していたそうだ。彼はマッカーシズムの時代にドイツから帰国した。1950年の頃、CIAに雇われていたので、「嘘発見器のテスト(lie ditector test)」を受けねばならず、本当の事を喋るしかなかったという。

  しかし、ワイズナーの“転向”は怪しい。彼は『労働者日報(Daily Worker)』に加え、『新大衆(New Masses)』、『青年労働者(Young Worker)』などを熱心に読んでいたし、昔は不穏分子たる「アメリカ学生組合(American Student Union)」にも属していたのだ。しかも、彼は母校に「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の支部を創ろうと試みていたから、相当“疑わしい人物”である。

  日本人は「元左翼」や「転向組」に優しいが、「若い時の過ち」であっても、一旦、共産主義者とか左翼思想にかぶれた者は、シャブ中と同じで、中々“健全な精神”には戻れない。職場では現実主義の資本家や経営者であっても、何かの切っ掛けで“ふと”昔の記憶が甦り、青年時代の魂が復活することがある。西部グループを率いていた堤清二は、東京大学時代に共産党に入ったし、東京都知事になった作家の猪瀬直樹も左翼だ。猪瀬は信州大学時代に学生運動のリーダーを務めていた。日本テレビの代表取締役になった氏家齊一郎も堤清二を共産党に誘った左翼だし、読売新聞の首領になったナベツネ(渡邉恒雄)も、東大時代に共産党に入っていた。「保守」を看板にする産経新聞の社長になった水野成夫(みずの・しげお)も共産主義を信奉する赤い学生で、産経の前は「赤旗」の編集長を務めていたのだ。こうした財界人は自由主義の市場経済を擁護しても、昔の仲間や後輩から頼まれると断れず、裏で左翼団体に献金したり、社会党や立憲民主党に便宜を図ったりする。

「ソ連のスパイ」容疑を掛けられたキッシンジャー」

Michal Goleniewski 0001( 左 / ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー)
  元国務長官のヘンリー・キッシンジャーには、昔から“ソ連のスパイ”という疑惑が掛けられ、共産主義陣営に有利な政策を推し進めてきたモグラという批判がある。実際どうだったのかはよく判らないが、1961年に米国へ亡命したソ連のスパイ、ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー(Michał Franciszek Goleniewski)の話を聞くと、キッシンジャーに対する容疑はある程度「本当」のように思える。彼は諜報活動に関する1500ページほどの報告書をFBIに渡したことがあり、この遣取が世間にバレたので、キッシンジャーに対する民衆の疑念が深まったのだ。

  亡命したゴレニフスキーはポーランド軍の防諜諜組織(GZI / Główny Zarząd Informacji Wojska Polskiego) にある技術部門で勤務する陸軍大佐であったが、これは“表の顔”で、実はソ連のKGBがポーランドに送り込んだ“間諜(スパイ)”であった。ところが、ゴレニフスキー大佐は二重スパイどころか“三重スパイ”であった。彼は密かに米国や英国へソ連やポーランドの情報を流してくれる“裏切者”で、CIA(中央情報局)は彼に「SNIPER」というコード・ネームを与え、MI5(英国防諜局)は「LAVINIA」というコード・ネームを附けていたそうだ。

  ゴレニフスキーは出身地のポーランドで「ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー」と名乗っていたが、この亡命将校はどうやらロシア皇帝の血を引く子孫らしい。ゴレニフスキーが殺されたロシア皇帝ニコライ2世の息子で、本名は「アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ロマノフ」(Aleksei Nicholaevich Romanoff)」というが、2008年に公開されたFBIの報告書でも彼の素性が確認されていたので、「もしかすると本当なのかも知れない」と思えてくる。なぜなら、CIAの元調査分析主任であるハーマン・キムゼー(Herman E. Kimsey)が、1965年6月3日に宣誓証言を行っていたし、FBIや国務省に属していたジョン・ノーペル(John Norpel, Jr.)も上院の公聴会で証言していたからだ。それゆえ、気軽に“出鱈目”だとは決めつけられない。(Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?', The American Chronicle, March 16, 2013.)

  ゴレニフスキーがもたらした機密情報の中で特筆すべき点は、ODRA(ソ連のスパイ組織)の産業や科学技術分野に携わる個人データである。ここにはモグラ(諜報員や工作員)の名前や身分、職業、住所などが記されていたそうだ。「ODRA」の主な目的は、西側諸国、とりわけブリテンやアメリカにある軍諜報部への浸透にあった。驚くのは、ゴレニフスキーがCIAに報告したスパイの中に、当時あまり知られていないハーヴァードの教授であったヘンリー・キッシンジャーの名前が記されていたことだ。(The Kissinger Caper, p.77.)第二次世界大戦中、合衆国陸軍の軍曹であったキッシンジャーには、「BOR」という暗号名が与えられていたという。ゴレニフスキーによれば、キッシンジャーはオベラマーアゴの軍諜報学校で教官をしていた時、ドイツ生まれのアメリカ人でソ連のスパイになっていたエルンスト・ボゼンハルト(Ernst Bosenhard)と連絡を取っていたというのだ。(The Kissinger Caper, p.81.)

  「Baraban(バラバン)」というコード・ネームを持つボゼンハルトは、東ドイツに生まれ、八年ほどアメリカに住んでいたことがあるという。調査ジャーナリストのケヴィン・クーガンによると、彼は第二次世界大戦中、米国の「OSS(戦時情報局)」に協力した人物で、後にオベラマーアゴの諜報司令部で通訳の仕事をしていたそうだ。(Kevin Coogan, The Spy Who Would Be Tsar : The Mystery of Michal Goleniewski and the Far-Right Underground, New York : Routledge, 2021, Chapter 10を参照。)しかし、彼は1951年にスパイ容疑で逮捕されてしまう。連合軍ドイツ高等委員会(Allied High Commission for Germany)は、ソ連に情報を流していたボゼンハルトを裁き、懲役四年の有罪判決を下した。彼は裁判の中で「同性愛をネタにして脅されていたんだ」と訴えたが、そんな言い訳が通用することはなく、「塀の中の囚人」となってしまった。ただし、彼が恐れていたシベリア送りじゃなく、西側の刑務所なんだから、考えようによっては、意外と良かったんじゃないか。

  「ソ連のスパイ」との容疑を受けたキッシンジャーだが、肝心のODRAファイルの中に彼の名前は見当たらなかった。ただ、驚異的な出世を遂げたキッシンジャーが、共産主義国に対して“親切”だったのは確かだ。

  例えば、「共産支那の門戸を開いた」という“功績”のあるキッシンジャーは、赤い皇帝の毛沢東と懐刀である周恩来、そして民衆を弾圧する共産党幹部と非常に親しく、人民解放軍によるクーデタ計画が練られていることを“北京の友人達”に知らせてあげたという。この情報はイスラエルの諜報機関からCIAのリチャード・ヘルムズ長官へともたらされ、ヘルムズ長官から詳しい情報がニクソン大統領とキッシンジャーに報告されたそうだ。“友人の危機”を耳にしたキッシンジャーは「一大事!」と思ったのか、急遽、極秘裏に北京へ飛び、毛沢東と周恩来に暗殺の危機が迫っていることを伝えたそうである。(The Kissinger Caper, p.8.) このクーデタ計画が事前に発覚したことで、林彪一派は処刑され、毛沢東の政権は揺るぎないものとなった。もちろん、毛沢東の粛清は報道管制のもとに置かれたから、日本の「支那通」は林彪の生存を信じていた。

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(左 : 毛沢東とキッシンジャー / 右 : 習近平とキッシンジャー )

  ニクソン大統領とタッグを組むキッシンジャーには、秘密外交の常習犯とか米国を裏切りるソ連のスパイ、南米での虐殺や政府転覆を画策した極悪人、といった非難がたくさんある。確かに、このユダヤ人学者には世間に知られたくない「裏の顔」があるみたいだ。

  例えば、以前、レーガン政権で教育省の高官を務めたシャーロット・イザービット(Charlott Iserbyt)が、「ソ連共産党中央委員会政治局(Politburo)」のコンサルタントを務めたイゴール・グラゴレフ博士(Dr. Igor Glagolev)にインタビューしたことがある。彼はカーター政権でSALT交渉の主任を務めたポール・ウォンケ(Paul Warnke)と議論したロシア人。グラゴレフ博士は何度もクレムリンを訪れたことがあるが、そこの会議にはネルソン・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーが列席していたそうだ。(上掲記事、Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?')

「善悪」を超えた政治力学

Victor Rothschild 2134(左 / ヴィクター・ロスチャイルド)
  そもそも、社会主義のソ連、すなわちボルシェビキ支配下のロシアは、ロスチャイルド家やウォーバーグ家、ロックフェラー家などの大富豪によって創られた実験国家だ。それゆえ、パトロンの子孫であるネルソン・ロックフェラーやヴィクター・ロスチャイルド(3rd Baron Nathaniel Mayer Victor Rothschild)が、“お忍び”でソ連を訪問してもおかしくはない。また、歐米諸国にやって来た東歐の諜報員や西側の裏切者に“指示”を与えても不思議じゃないだろう。ネルソンやヴィクターは、一部の保守派知識人から「ソ連のスパイじゃないのか?」と疑われたが、彼らが「クレムリンの犬」になるとは考えづらい。むしろ、彼らがソ連のスパイに指令を渡し、クレムリンの連中が御命令を承った、というのが本当のところだろう。

  ロックフェラー家が「市場の独占」を好んでいたのは世有名な話で、ソ連という監獄国家は独占欲の強い金融資本家にとって“好ましい国家形態”であった。なぜなら、他の競争相手は参入できないからだ。ロックフェラー家だけがソ連で銀行を開設できたり、石油やガスの採掘や輸出入をできたりすれば、チェイス銀行やエクソン、モービルは大儲けだ。冷戦時代の軍縮交渉というのは、軍事的・経済的に劣勢となったソ連を救うための手段であったのかも知れないぞ。日本の保守派言論人は認めたがらないが、米国の共和党やタカ派陣営が取り組んだ軍縮交渉でも、水面下での裏工作があった可能性は否めない。アメリカ軍の卓越した兵器の質や量を下げてやることで、苦境に悩むソ連を助けてやれば、東西冷戦の均衡が保たれる、という訳だ。

  冷戦時代の知識人は、「ソ連の核兵器による米国への攻撃」とか「世界最終戦争によるハルマゲドン」を信じていたが、そんなのは軍需産業と金融業者が作った政治プロパガンダで、投資家や兵器会社が儲けるための演出だ。もし、アメリカによる圧倒的な世界平和が訪れれば、最新鋭の戦闘機や空母なんかは要らなくなる。しかし、東西の軍事緊張が高まれば、ソ連軍を凌駕するための高級兵器が必要になるから、高性能を誇る戦闘機やステルス性の戦略爆撃機、SLBMを搭載した原潜、通信衛星と連動した戦車などの研究開発が加速する。たとえ、高額な兵器となっても、購入者は政府だから、どんな“商品”でもドンドン買ってくれるし、子飼いの政治家が議会で国防を叫ぶから、1億ドルでも100億ドルでも際限なし。膨大な予算案がスラスラ通る。ロッキードやボーイング、マクドーネル・ダグラス、レイセオンなどの兵器会社がどれほど儲けたことか。石油や食料、備品を供給する民間企業や海外の基地を建設するベクテル社や萬屋のハリバートンなども巨額の利益を上げたはずだ。

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(左 : ブレジネフ書記長とキッシンジャー / 右 : プーチン大統領と握手するキッシンジャー)

  キッシンジャーはリアリストの政治学者だったから、国際政治には倫理・道徳を挟まなかった。大国の政治、あるいは多国間のパワー・ゲームというのは、たいてい利益で動く。それゆえ、現実的な戦略家や政治家は、必要とあれば独裁者との密約を結ぶし、議会や世間に内緒で要人暗殺を命じる。邪魔な奴が多ければ、クーデタによる政府転覆を画策し、皆殺しで問題解決だ。キッシンジャーがスパイみたいな怪しい友人や赤い役人を用いたのは、それが有益であったからだろう。望んだ結果をもたらす人物なら、ゲイでもアカでも何でもいい。ソ連の工作員と昵懇となっていても、それは裏取引をするための“貴重な資産(asset)”だし、諜報の世界では敵側のスパイと親しくすることは珍しくない。キッシンジャーが有能な外政官であったのは、目的のためには手段を選ばなかったからだ。自分の名声や主君の利益を考えれば、「汚い手段」であっても一向に構わない。

  「American Chronicle」の編集長であるトニー・ボン(Tony Bonn)が述べていたが、ニクソン大統領はキッシンジャーのバックグラウンド・チェックをしないようスタッフに命じていたそうだ。通常、政府機関の職員やホワイトハウスのスタッフに対しては、その身元や素性、家族、友人関係などを調べる身辺調査が行われるはずなのだが、キッシンジャーの正体を知っていたニクソンは、それを問わないよう指図した。おそらく、身体検査で厄介事や問題が発覚するのを恐れていたのだろう。何しろ、大統領になったリチャード・ニクソンだって、親分のネルソン・ロックフェラーに頭が上がらない下僕であったし、ロックフェラー家に刃向かうほど馬鹿じゃなかった。となれば、主君から執務室(Oval Office)に派遣された“監視役”のユダヤ小僧には、“格別の配慮”を示さねばならない。

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( 左 : ネルソン・ロックフェラーとフォード大統領と一緒のキッシンジャー / 右 : 華麗なるロックフェラー家の人々)

  1994年の4月に亡くなったニクソンの葬儀で、相棒だったキッシンジャーは嘗ての上司を悼んで涙を浮かべていたが、この哀しみは本当だったのか? アメリカ人は鰐を思い浮かべて「クロコダイルの涙(crocodile tears)」と呼んでいるが、キッシンジャーの本心はどうだったのか? ユダヤ人の涙は演技なのか本当なのかサッパリ判らない。もしかすると、キッシンジャーはウッディー・アレンより優れた俳優なのかも知れない。(涙の追悼が自然な演技なら、エミー賞をもらえる名優になれるぞ。)

  あの世のことは判らないけど、もし無神論者のキッシンジャーが地獄に落ちたら見物だ。たぶん、巨大な炎の近くにはデイヴッィド・ロックフェラーが坐っていて、彼の後部座席がキッシンジャーの指定席となっているんじゃないか。そして、両隣には先に亡くなったネルソンや毛沢東、周恩来、ローズヴェルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーといった豪華な悪党が順番を待っているかも知れないぞ。懐かしい仲間に再開できる地獄の同窓会なんて、結構、乙なものだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html#c5

[近代史3] キッシンジャーがやった事 中川隆
31. 中川隆[-12064] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:55:28 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[21]
<■567行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023年12月03日
ヘンリー・キッシンジャーの正体とは? / スパイ容疑とゲームの達人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html

「偉大なる外政官」と呼ばれた男

Henry Kissinger 635Henry Kissinger & President Nixon 324

  2023年11月29日、ニクソン政権とフォード政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー(Heinz Alfred Kissinger)が、コネティカット州の自宅で永眠した。享年100。子分の中曾根康弘と同じく、悪い奴は結構長生きするものだ。

  政治学者から国家安全保障補佐官にまで出世した外政官、というのがキッシンジャーの経歴である。彼に対するコメントは世界中から寄せられているそうだ。

  例えば、ニクソン政権時代、北京政府と仲良しだったので、毛沢東を真似る習近平はキッシンジャーを「世界的に有名な戦略家にして、支那人の古い親友」と評していた。歐米の反共主義者から共産支那を守ってくれたので、この暴君はキッシヤジャーを懐かしみ、聡明なヴィジョンを以て米支関係の正常化に尽くしてくれた、と讃えている。(Pei-Lin Wu and Vic Chiang, 'China pays tribute to Kissinger,‘old friend of the Chinese people’, The Washington Post, November 29, 2023.)

  元KGB局員のウラジミール・プーチン大統領も、スパイ業界の同僚に哀悼の意を表した。優秀な諜報員であったプーチンは、キッシンジャーを「叡智に富み、長期的視野を備えた政治家」と評し、現実的で功利的な外政手腕を以て国際政治の緊張緩和を為しえた、と褒めている。(Mark Trevelyan, 'Russia's Putin praises Henry Kissinger as wise and pragmatic statesman', Reuters, November 30, 2023.)なるほど、キッシンジャーはプーチンが言うように「世界平和を強化する重要な米ソ協約を締結した」のかも知れない。

  アメリカのユダヤ人にとって「心の祖国」と言えるがイスラエル。この国からも偉大な同胞の死を悼むメッセージが届けられた。大統領のイサク・ヘルツォークによると、キッシンジャーは立派な決断と業績を重ねることでイスラエルの基礎を築き、同国のユダヤ人が平和的に暮らせるよう、大変な努力をしたそうだ。ヘルツォーク大統領は常にキッシンジャーの祖国愛(イスラエルに対する愛情と信念)を感じていたという。('Israeli officials laud Kissinger, as global public reaction mixed to diplomat’s death,’The Times of Israel, 30 November 2023.)

Isaac Herzog 1Benjamin Netanyahu 903Eli Cohen 1Yair Lapid 135
( 左 : イサク・ヘルツォーク / ベンジャミン・ネタニヤフ / エリ・コーエン / 右 : イェー・ラピッド)

  米国に留学していたベンジャミン・ネタニヤフ首相もキッシンジャーの業績をを讃えている。ネタニヤフによると、キッシンジャーは「単なる外政官ではなく、公的生活における理念の力と知的能力を信じる思想家」でもあった。エリ・コーエン(Eli Cohen)外相もキッシンジャーの死を悼んでおり、イスラエルとアメリカとの関係を揺るぎない同盟にしてくれた支柱(恩人)の一人であるらしい。野党「Yesh Atid」の代表であるイェー・ラピッド(Yair Lapid)元首相もキッシンジャーを懐かしみ、彼を「知的巨人(intellectual titan)」と呼び、「国際政治の大御所(giant of international diplomacy)」と評していた。

ドイツからやって来た怪しいユダヤ人

  歐米の主流メディアのみならず、日本のマスコミもキッシンジャーの逝去を報じ、“偉大な外政官”と評していた。しかし、このユダヤ人には他人には知られたくない幾つもの「顔」があった。

Henry Kissinger 324(左 / 幼い頃のキッシンジャー)
  ハインツ・アルフレット・キッシンゲル(Heinz Alfred Kissinger)は1923年5月17日、ドイツのバイエルンにあるフュルト(Fürth)で生まれた。父のルイス・キッシンゲル(Louis Kissinger)と母のパウラ・スターン(Paula Stern)は、ナチスの台頭を恐れ、1938年にハインツと弟のウォルターを連れて米国へと逃れたそうである。この一家はユダヤ移民が群がるニューヨークで居を構え、兄のヘンリー(ハインツ15歳の改名)は、ジョージ・ワシントン高校に通うことにした。彼はここで一年間学ぶと、夜間学校へと転入し、ここを卒業すると、ブラシ会社の「レオポルド・アッシャー*」に勤めたという。しかし、ヘンリーは学業を諦めきれなかった。この少年は夜になるとニューヨーク市単科大学(City College of New York)に通い、得意の勉強を続けていたそうだ。

  (*註/ この勤め先はキッシンジャー家の従兄弟が経営していた。当時、ウクライナやポーランドからやって来たユダヤ人は、新天地のアメリカで苦労する事が多く、彼らは先に移住した親戚や友人を頼ったり、近くのシナゴーグに赴いて長老のラビに相談することが少なくなかった。生活に困ったユダヤ人から頼りにされた親戚や友人も、“同胞愛”に満ちていたから、彼らを自分の店や会社で雇うことがあった。でも、心温かいユダヤ人は、アフリカ移民の黒人やイスラム教徒のアラブ人には冷たかった。普段は「多民族共生」とか「人道主義」を口にしているのに、私生活ではレイシストなんだから、ユダヤ人のリベラリズムには嘘がある。)

Jacob Javits 001
(左 / ジェイコブ・ジャヴィッツ)
  若い頃のキッシンジャーは、ドイツから逃れてきたユダヤ難民が集まる「ベス・ヒレル青年団(Beth Hillel Youth Group)」に属していた。ここには後の下院議員や上院議員となるジェイコブ・ジャヴィッツ(Jacob Koppel Javitz)がいて、彼は当時から非常に熱心な活動家であった。さらに、ここには最初の妻となるアン・フレイシャー(Anneliese Fleischer)もいたという。ちなみに、キッシンジは1964年にアン夫人と離婚し、1974年にネルソン・ロックフェラー州知事の秘書をしていたナンシー・マギネス(Nancy Maginess)と再婚した。やはり、ユダヤ人は出世をしたり金持ちになると、パッとしない古女房を捨てて、ヨーロッパ系の女と結婚したいのかなぁ〜。(イタリア系ユダヤ人のシルヴェスター・スタローンも、サーシャ・ザックと離婚して、北歐美人のブリジッ・ニールセンと再婚したしね。)

Henry Kissinger & Ann Fleischer 22Henry Kissinger & wife Nancy
(左 : 最初の妻アン・フレイシャーと若き軍人のキッシンジャー / 右 : 再婚相手のナンシー・マギネスと大御所になったキッシンジャー )

  とにかく、ヘンリー・キッシンジャーの転機となるのは、合衆国陸軍へ入隊したことだ。彼はサウス・カロライナ州にある「クロフト基地(Camp Croft)」で基礎訓練を受けたあと、ノース・カロライナ大学とラファイエット大学にある「陸軍特別訓練プログラム」に編入した。キッシンジャーはヨーロッパに派遣されると、第84歩兵師団第335歩兵連隊の「G」中隊に所属し、諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の調査官として勤務していたそうだ。

Alexander Bolling 1(左 / アレクサンダー・ボリング)
  一般的に、ユダヤ人は陸軍や海軍に属していても、前線で生死を賭ける歩兵になることは滅多にない。大抵は作戦本部に勤務する軍官僚とか、軍人の問題を扱う法律家、あるいは情報収集や防諜活動に携わる諜報員、難しい言語を喋る通訳といった職種に就く。キッシンジャーも戦闘員ではなく、アレクサンダー・ボリング(Alexander Bolling)将軍の運転手を務めていたという。と同時に現地部隊に重宝されるドイツ語の通訳でもあった。何しろ、一般のアメリカ人(西歐系の白人)は、西ゲルマン語のイギリス語を話しているくせに、ドイツ人が話すゲルマン語を習得できない。彼らは大学教育を受けても、「ドイツ語は文法が複雑で単語も難しい」と弱音を吐く。こんな調子だから、陸軍少尉や海軍中尉、あるいは空軍大佐でもドイツ語となれば“お手上げ”だ。

Henry Thomas Buckle 11(左 / ヘンリー・トマス・バックル )
  そこで登用されるのが、何かと便利な“宮廷ユダヤ人”である。昔から、様々な国を渡り歩くユダヤ人には「多言語話者(ポリグロット / pólyglòt)」が多い。家庭ではイディシュ語を話していても、商売や勉強となるや、フランス語とかスペイン語、イタリア語のみならず、文字の違うギリシア語やロシア語でも話せる者がゴロゴロいる。英国の歴史家だったヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle)みたいな人物は別格だ。ラテン語はもちろんのこと、ヨーロッパの言語を幾つも理解できたという。フィールド・オフィサーとなるCIA局員でも、日本語とかアラビア語となれば降参で、たとえ日常会話を習得しても、文章を読んだり書いたりするとなれば日本人の通訳を必要とする。

  「カイロ大学の社会学科を首席で卒業した」という小池百合子は“例外”というか、“笑顔の詐欺師”みたいなもんだが、普通のアメリカ人だとアラビア語とか日本語の読み書きなんて出来ない。しかし、ユダヤ人は暗号解読の名人で、奇妙奇天烈な言語でもOK。非ユダヤ人にも多言語話者がいて、ハリウッド男優のヴィゴ・モーテンセン(Viggo Peter Mortensen, Jr.)も、その一人だ。彼は父親がデイン人で、祖父のデンマークにも住んだことがあるから、数カ国語を話せるようだ。普通に育てば英語のみのアメリカ人なっているけど、彼の家族はベネズエラやデンマーク、アルゼンチンを転々とし、様々な環境で子供を育てたから、ヴィゴが色々な言葉を話せるのも当然だ。彼はセント・ローレンス大学を卒業後、ヨーロッパに渡っているから、スペイン語やデイン語を実際の生活で使っていたのだろう。(ちなみに、ヴィゴは『G.I.ジェーン』や『ダイヤルM』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演している。日本でも知っている人は多いだろう。)

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(左 : ヴィゴ・モーテンセン / 中央 : 子供時代のヴィゴ / 右 : 『G.I.ジェーン』 に出演したヴィゴ)

ロックフェラーに育てられた宮廷ユダヤ人

  話を戻す。「外人」のキッシンジャーは身体検査(security clearance)をパスして上等兵から軍曹になった。この特進に加え、キッシンジャーは個人的恨みも晴らしたそうだ。彼はドイツ勤務でゲシュタポやナチスのスパイを尋問して喜んでいた。しかし、彼は1946年になると陸軍を除隊し、ドイツのオベラマーアゴ(Oberammergau)にある「ヨーロッパ戦線諜報学校(European Command Intelligence School)」の教官に就任する。でも、給料に不満があったのか、キッシンジャーはさっさと帰国し、ハーヴァード大学に入った。それと同時に、彼は予備役の士官になったので、少尉から大尉へと昇進することになった。

  名門のハーヴァード大学に編入したキッシンジャーは、ロックフェラー財団からの研究費を含め、四種類の奨学金を貰っていたそうだ。いかにもユダヤ人の優等生らしく、キッシンジャーはハーヴァード大の名物教授、あのウィリアム・ヤンデル・エリオット(William Yandell Elliott)に見出され、サマー・スクールの講師やセミナーの上級講師にしてもらった。ユダヤ人というのは、アメリカ人やヨーロッパ人からの「一本釣り」や「異例の抜擢」で出世を果たす。彼らはそれで満足せず、幸運の女神を踏み台にして徐々に人脈を広げ、“学会のドン”や“財界の大物”となってゆく。エリオット教授の弟子には、後にカナダの首相となったピエール・トルドー(Pierre Trudeau)や、ケネディー政権で国家安全保障補佐官になったマクジョージ・バンディー(McGeorge Bundy)がいる。ホント、政界や学会というのは、結構“狭い世間”である。

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(左 : キッシンジャー / ウィリアム・ヤンデル・エリオット / ピエール・トルドー / 右 : マクジョージ・バンディー)

  優秀な成績(summa cum laude)を以て卒業したキッシンジャーは、これまた秀才が集まる学生クラブ、「ファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に選出され、エリオット教授の推薦もあってか、ハーヴァード大学の教授になった。1951年、エリオット教授はハーヴァード国際セミナー(Harvard International Seminars)」を創設するが、キッシンジャーは恩師からここの主任(executive director)に抜擢されたという。ここで注目すべきは、セミナーのパトロンである。大富豪というのは、未知数であっても優良な成長株に投資するもので、フォード財団やロックフェラー家が創ったアジア財団、それに中東アジアの金持ちやCIAが資金を流していたというのだ。

  このセミナーが発展したことで、『コンフルーエンス(Confluence)』という雑誌が発刊され、キッシンジャーはここに論文を投稿した。ところが、この刊行物は十数回だけ続いて廃刊となってしまう。ただし、単なる終焉じゃなかった。『コンフルエンス』の論調が共産主義的だという廉(かど)で、1955年にキッシンジャーは陸軍諜報部からの尋問を受けていたのだ。(Frank A. Capell, The Kissinger Caper : a Former General in Communist Intelligence says Kissinger was a KGB Agent Before He Went ot Harvard, Belmont, MA : The Review of the News, 1974, p.29.)当時の噂によれば、雑誌の顧問を務めていた人物の中には、共産主義者やコミュニスト組織に関係を持つ人物が紛れていたという。さらに眉を顰めたくなるのは、この雑誌にロックフェラー・ブラザース財団が、2万6,000ドルの賞与金(grant)を与えていたということだ。

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(左 / ネルソン・ロックフェラー)
  ヘンリー・キッシンジャーの出世には、ロックフェラー家の貢献や後押があった。フォード政権で副大統領となったネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は、ローズヴェルト政権で国際問題のコーディネーターを務めており、弟のウィンスロップと同じく、政治的野心に満ちていた。1956年にネルソンが「Special Study Project」という研究グループを創設すると、キッシンジャーはここの所長に就任した。たぶん、ネルソンの指図だろう。

  ネルソン・ロックフェラーの野望はホワイトハウスにあったのか、この大富豪は経歴作りのために州知事を目指した。実際、彼はリベラル派の牙城であるニューヨークの州知事になることが出来た。未来の大統領を目指すネルソンには、現実の国際政治を扱える“参謀”が必要で、学問に秀でたキッシンジャーは“打って付けの軍師”であった。主君のお眼鏡に適ったキッシンジャーは、トントン拍子に出世を重ね、ロックフェラー家がスポンサーとなる「外交問題評議会(CFR)」のメンバーにもなれた。彼は1977年から1981年まで、CFRの理事会で役員を務めることになる。キッシンジャーの『核兵器と外政(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』は、CFRのメンバーになった頃に書かれた処女作であった。

  日本では中東問題やアジア情勢に関する「共和党の重鎮」として知られているが、キッシンジャーは“保守派の知識人”じゃない。リチャード・ニクソンと組む前は、民衆党寄りのグローバリスト学者であった。当初、キッシンジャーは大統領になったジョン・F・ケネディーの政権に潜り込もうと目論んだが、ケネディー兄弟から毛嫌いされてホワイトハウスに入ることは出来なかった。兄貴を補佐するロバート・ケネディー司法長官も、この下品なユダヤ人を嫌っていたというから、キッシンジャーはアーサー・シュレッシンジャー(Arthur Meier Schlessinger, Jr.)のような宮廷ユダヤ人にはなれなかった。

  ユダヤ人の支援で著作を出版でき、さらに大統領選でもユダヤ人団体から応援してもらったのがケネディー大統領である。それゆえ、彼の周辺にはユダヤ人の側近が多かった。(ホワイトハウスでユダヤ人に取り囲まれた記念写真を見ると、本当にゾッとする。)

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(左 : ロバート・ケネディー / アーサー・シュレッシンジャー / セオドア・ソレンセン / 右 : ロバート・ノヴァック)

  例えば、『ケネディーの千日(A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House)』を書いたシュレッシンジャーの母親は、ドイツ人とイギリス人の家系だが、父方の祖父はドイツに住んでいたユダヤ人で、プロテスタントに改宗した現世利益派だった。ケネディー大統領の顧問で、スピーチライターを務めていたセオドア・ソレンセン(Theodore Chaikin Sorensen)もユダヤ人で、父親はデイン系アメリカ人であったが、母親はロシア系ユダヤ人ときている。ついでに言うと、CNNの討論番組「クロスファイアー」でホストを務めていたロバート・ノヴァック(Robert David Sanders Novak)も「改宗ユダヤ人」であった。ノヴァックの両親は世俗派のユダヤ人であったから、息子のロバートにはユダヤ教への情熱は無かったようだ。女房のジェラルディンがカトリック信徒になったから、亭主のロバートも一緒にカトリック教会に入ったという。まぁ、西歐紳士になりたかったシュレッシンジャーと同じく、ノヴァックも「ユダヤ人」という血統(属性)が恥ずかしかったのかも知れない。

ニクソンに仕えたユダヤ小僧

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(左: 主人のネルソン・ロックフェラーと執事のキッシンジャー / 右 : ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官 )

  ケネディー兄弟に嫌われたキッシンジャーは、大統領選でJFKに破れたリチャード・ニクソンの安全保障補佐官となったが、政権に入る前は親分を密かに蔑んでいた。「私はあの男の為には働かないぞ。あの野郎は疫病神だ(I would never work for that man, the man is a disaster.)」とキッシンジャーは述べていた。(上掲書、p.32.)日本のマスコミや政治評論家は、「ニクソン・キッシンジャー外交」とやらを褒めそやし、両者がコンビを組んで中東問題や対シナ外交を取り仕切ったように論じるが、実際は水面下でお互いに警戒する間柄であった。

  嫌われたニクソン大統領も、キッシンジャーを小馬鹿にしており、キッシンジャーは信頼できる助言者ではなく、ネルソン・ロックフェラーが送り込んだ「お目付役」と考えていたようだ。何しろ、ニクソンはキッシンジャーのような狡賢いユダヤ人が大嫌い。このクェーカー教徒(ニクソン)はユダヤ人に懐疑的で、1971年まで中東政策からキッシンジャーを外していたのだ。なぜなら、キッシンジャーが述べたように、彼のユダヤ人という民族性が彼の判断力を曇らせるんじゃないか、とニクソンが心配していたからだ。そして、冷酷な現実を熟知する大統領は、キッシンジャーの愛国心、すなわちアメリカ合衆国への忠誠心すら疑っていたのである。(Martin Indyk, Master of the Game : Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy, New York : Alfrd A. Knopf, 2021, p.36.)

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(左 / レオナード・ガーメント)
  ニクソン政権の大統領顧問を務めたレオナード・ガーメント(Leonard Garment)によれば、ホワイトハウスの中でキッシンジャーは“エキゾテックな神童(exotic wunderkind)”、あるいは“よそ者(outsider)”と見られていたそうである。まぁ、西歐人とは違う容貌に加え、ドイツ訛りの英語を喋り、何を目論んでいるのか判らないから、同僚から“セム種族のエイリアン”と思われても当然だ。ニクソン政権のインナー・サークルは日常会話でも、「キッシンジャーは決して自身のユダヤ性を脱ぎ捨てることは出来まい(Kissinger could never ....shed his Jewishness.)」と囁いていたそうである。(上掲書、p.37.)

  政界の裏事情を知っていたからだろうが、ニクソンはユダヤ人に対する反感と懐疑心を抱いていた。当時のアメリカ人だと、ユダヤ人は金持ちで狡賢い(rich and tricky)」というイメージが一般的であった。ニクソンもステレオタイプの持ち主で、ユダヤ人のリベラル派は何かに附けイスラエルに忠実だ、と思っていた。財務長官のジョン・コナリー(John B. Connally)と執務室で話していた時も、ニクソンはユダヤ人に対する偏見を隠さず、会話の中で「ユダヤ人のリベラル派は信用がならない。第二次政権ではユダヤ人スタッフの数を減らすつもりだ」と述べていた。(上掲書、p.37.)

  こんな考えだから、ニクソンは自分の補佐官であってもキッシンジャーを信用せず、大切な相談は大統領顧問であるジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)と首席補佐官のハリー・ロビンス・ハルデマン(Harry Robbins Haldeman)だけに持ちかけていた。それゆえ、三人の鳩首会談となれば、キッシンジャーは“蚊帳の外”だ。もし、キッシンジャーを密談に加えてしまうと、主君のネルソン・ロックフェラーや政財界のユダヤ人に“筒抜け”となるからダメ。用心深いニクソンは、執務室の扉を閉ざしてキッシンジャーを“のけ者”にしていた。

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(左 : ハリー・ロビンス・ハルデマン / 中央 : リチャード・ニクソン大統領 / 右 : ジョン・アーリックマン )

  以前、CBSやNBCのイヴニング・ニューズで放送されたけど、ニクソン大統領はキッシンジャーを小馬鹿にするような言を吐いていた。ニクソンはホワイトハウス内でキッシンジャーが必要な時、「俺のユダヤ小僧は何処にいるんだ!?(Where is my Jew-boy?)」と側近に尋ねていたというから、一般のアメリカ国民はビックリ。執務室で録音されたテープを聞いたキッシンジャーはどう思っていたのか? 育ちの悪いニクソンは、普段の会話の中でも遠慮せずに「ニューヨークのユダヤ人(New York Jews )」とか「糞のユダ野郎(fucking Jews)」という侮蔑語を口にしていた。(Richard Reeves, President Nixon : Alone in the White House, New York : Simon & Schuster, 2002, p.42)常識的な日本人であれば、ニクソンの口癖を聞いてしまうと、「彼は本当に敬虔な新渡戸稲造博士と同じクェーカー信徒なのか?」と疑ってしまうだろう。

怪しい人物を採用する国務長官

JFK & American Jewshenry Kissinger in Japan 1974
(左 : ユダヤ人の有力者に囲まれたジョン・・ケネディー大統領 / 右 : 来日した時に藝者と戯れるキッシンジャー )

  ニクソンは“お世辞”にも「紳士」と呼べないが、キッシンジャーも同様にアメリカ紳士ではない。というのも、キッシンジャーが政権に招き寄せたり、国務省に採用した人物には“いかがわしい輩”がたくさん居たからだ。

  例えば、国務長官になったキッシンジャーは、FBIから保安上の危険人物と見なされていたボリス・クロッソン(Boris Hansen Klosson)をSALT(戦略核兵器制限交渉)の政治諜報担当官に選んでしまったのだ。クロッソンの「信用度」は、ソ連からやって来た女スパイが逮捕された時、“問題”とされてしまった。「ホンマかいな?!」と驚いてしまうが、彼女の連絡手帳にはクロッソンの住所が載っていたのだ。それに、クロッソンがモスクワの米国大使館に勤務した時、KGBの調査報告書が本国に送られそうになったが、何かの理由でマズかったのか、ワシントンへの送付を妨害したそうだ。(The Kissinger Caper, p.34.) また、ソ連へ亡命したリー・ハーヴェイ・オズワルドが米国へ戻る時、彼の帰国許可を与えた責任者はクロッソンであったという。

  キッシンジャーが駐チリ米国大使に選んだデイヴィッド・ポッパー(David Henry Popper)も“不適切な人物”であった。このユダヤ人大使は、共産主義者の容疑が濃厚なアルジャー・ヒス(Alger Hiss)と親しく、国務省の役人だったヒスの推薦で同省に入ったという。また、ポッパーは如何にもユダヤ人らしく、真っ赤な雑誌である『アメラジア(Amerasia)』に集う共産主義者やソ連のスパイとも交際があったそうだ。案の定、ポッパーは「赤旗」のような「デイリー・ワーカー(Daily Worker)」紙の編集長で、米国共産党のメンバーだったルイス・ブデンツ(Louis Budenz)と知り合いだったようで、このブデンスによって共産主義者であることをバラされてしまった。(The Kissinger Caper, p. 35.)

  キッシンジャーが台湾に送った米国大使のレオナード・アンガー(Leonard Seidman Unger)も共産主義の疑いを持たれた人物だ。アンガーはタイやラオス、シナでも大使を務めていたから、現地の共産主義者に歓迎されたのも納得できる。

David Popper 1Louis Budenz 1Leonard Unger 1James Sutterlin 1
(左 : デイヴィッド・ポッパー / ルイス・ブデンツ / レオナード・アンガー / 右 : ジェイムズ・サッタリン)

  国務省のドンになったキッシンジャーは、赤色分子やソ連贔屓の友人ばかりじゃなく、同性愛者や危険人物に対しても省庁の門を開いてしまった。例えば、国務省の監査長官になったジェイムズ・サッタリン(James S. Sutterlin)は、同省の保安局員であったエドワード・ケリー(Edward Kelley)とホモの関係にあったそうだ。省内で有耶無耶(うやむや)にされてしまったが、ケリーのせいで外交上の秘密暗号がソ連側に写し取られたり、ソ連のエイジェントになった米国外政官は自由に活動できたらしい。大使館の職員もソ連のハニートラップに引っかかったようで、よく訓練された女スパイが現地の役人を誘惑したそうだ。女の工作員に惚れた職員がソ連の手先になることはよくあるが、同性愛者も敵国の標的にされやすい。なぜなら、ゲイの外政官や書記官などは、同性愛の発覚を恐れて敵国エージェントの命令に従ってしまうからだ。

  キッシンジャーが国務省の難民担当官に任命したルイス・アーノルド・ワイズナー(Louis Arnold Wiesner)も、アメリカの国益を毀損する官僚だった。なぜなら、彼のせいで脱走兵や難民を装った共産主義者が米国に易々と入れたし、国内で優遇を受けていたからだ。大学教師もそうだけど、公務員を採用する際には、その家族構成や血統、民族、教育、性格、思想、趣味などを慎重に吟味せねばならない。1992年9月30日にドン・キエンツェル(Don R. Kienzle)によって行われたインタヴュー(Labor Diplomacy Oral History Project)で認めていたけど、ワイズナーは国務省に勤める前、つまり彼が若い時、少しだけ共産党に属していたそうだ。彼はマッカーシズムの時代にドイツから帰国した。1950年の頃、CIAに雇われていたので、「嘘発見器のテスト(lie ditector test)」を受けねばならず、本当の事を喋るしかなかったという。

  しかし、ワイズナーの“転向”は怪しい。彼は『労働者日報(Daily Worker)』に加え、『新大衆(New Masses)』、『青年労働者(Young Worker)』などを熱心に読んでいたし、昔は不穏分子たる「アメリカ学生組合(American Student Union)」にも属していたのだ。しかも、彼は母校に「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の支部を創ろうと試みていたから、相当“疑わしい人物”である。

  日本人は「元左翼」や「転向組」に優しいが、「若い時の過ち」であっても、一旦、共産主義者とか左翼思想にかぶれた者は、シャブ中と同じで、中々“健全な精神”には戻れない。職場では現実主義の資本家や経営者であっても、何かの切っ掛けで“ふと”昔の記憶が甦り、青年時代の魂が復活することがある。西部グループを率いていた堤清二は、東京大学時代に共産党に入ったし、東京都知事になった作家の猪瀬直樹も左翼だ。猪瀬は信州大学時代に学生運動のリーダーを務めていた。日本テレビの代表取締役になった氏家齊一郎も堤清二を共産党に誘った左翼だし、読売新聞の首領になったナベツネ(渡邉恒雄)も、東大時代に共産党に入っていた。「保守」を看板にする産経新聞の社長になった水野成夫(みずの・しげお)も共産主義を信奉する赤い学生で、産経の前は「赤旗」の編集長を務めていたのだ。こうした財界人は自由主義の市場経済を擁護しても、昔の仲間や後輩から頼まれると断れず、裏で左翼団体に献金したり、社会党や立憲民主党に便宜を図ったりする。

「ソ連のスパイ」容疑を掛けられたキッシンジャー」

Michal Goleniewski 0001( 左 / ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー)
  元国務長官のヘンリー・キッシンジャーには、昔から“ソ連のスパイ”という疑惑が掛けられ、共産主義陣営に有利な政策を推し進めてきたモグラという批判がある。実際どうだったのかはよく判らないが、1961年に米国へ亡命したソ連のスパイ、ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー(Michał Franciszek Goleniewski)の話を聞くと、キッシンジャーに対する容疑はある程度「本当」のように思える。彼は諜報活動に関する1500ページほどの報告書をFBIに渡したことがあり、この遣取が世間にバレたので、キッシンジャーに対する民衆の疑念が深まったのだ。

  亡命したゴレニフスキーはポーランド軍の防諜諜組織(GZI / Główny Zarząd Informacji Wojska Polskiego) にある技術部門で勤務する陸軍大佐であったが、これは“表の顔”で、実はソ連のKGBがポーランドに送り込んだ“間諜(スパイ)”であった。ところが、ゴレニフスキー大佐は二重スパイどころか“三重スパイ”であった。彼は密かに米国や英国へソ連やポーランドの情報を流してくれる“裏切者”で、CIA(中央情報局)は彼に「SNIPER」というコード・ネームを与え、MI5(英国防諜局)は「LAVINIA」というコード・ネームを附けていたそうだ。

  ゴレニフスキーは出身地のポーランドで「ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー」と名乗っていたが、この亡命将校はどうやらロシア皇帝の血を引く子孫らしい。ゴレニフスキーが殺されたロシア皇帝ニコライ2世の息子で、本名は「アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ロマノフ」(Aleksei Nicholaevich Romanoff)」というが、2008年に公開されたFBIの報告書でも彼の素性が確認されていたので、「もしかすると本当なのかも知れない」と思えてくる。なぜなら、CIAの元調査分析主任であるハーマン・キムゼー(Herman E. Kimsey)が、1965年6月3日に宣誓証言を行っていたし、FBIや国務省に属していたジョン・ノーペル(John Norpel, Jr.)も上院の公聴会で証言していたからだ。それゆえ、気軽に“出鱈目”だとは決めつけられない。(Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?', The American Chronicle, March 16, 2013.)

  ゴレニフスキーがもたらした機密情報の中で特筆すべき点は、ODRA(ソ連のスパイ組織)の産業や科学技術分野に携わる個人データである。ここにはモグラ(諜報員や工作員)の名前や身分、職業、住所などが記されていたそうだ。「ODRA」の主な目的は、西側諸国、とりわけブリテンやアメリカにある軍諜報部への浸透にあった。驚くのは、ゴレニフスキーがCIAに報告したスパイの中に、当時あまり知られていないハーヴァードの教授であったヘンリー・キッシンジャーの名前が記されていたことだ。(The Kissinger Caper, p.77.)第二次世界大戦中、合衆国陸軍の軍曹であったキッシンジャーには、「BOR」という暗号名が与えられていたという。ゴレニフスキーによれば、キッシンジャーはオベラマーアゴの軍諜報学校で教官をしていた時、ドイツ生まれのアメリカ人でソ連のスパイになっていたエルンスト・ボゼンハルト(Ernst Bosenhard)と連絡を取っていたというのだ。(The Kissinger Caper, p.81.)

  「Baraban(バラバン)」というコード・ネームを持つボゼンハルトは、東ドイツに生まれ、八年ほどアメリカに住んでいたことがあるという。調査ジャーナリストのケヴィン・クーガンによると、彼は第二次世界大戦中、米国の「OSS(戦時情報局)」に協力した人物で、後にオベラマーアゴの諜報司令部で通訳の仕事をしていたそうだ。(Kevin Coogan, The Spy Who Would Be Tsar : The Mystery of Michal Goleniewski and the Far-Right Underground, New York : Routledge, 2021, Chapter 10を参照。)しかし、彼は1951年にスパイ容疑で逮捕されてしまう。連合軍ドイツ高等委員会(Allied High Commission for Germany)は、ソ連に情報を流していたボゼンハルトを裁き、懲役四年の有罪判決を下した。彼は裁判の中で「同性愛をネタにして脅されていたんだ」と訴えたが、そんな言い訳が通用することはなく、「塀の中の囚人」となってしまった。ただし、彼が恐れていたシベリア送りじゃなく、西側の刑務所なんだから、考えようによっては、意外と良かったんじゃないか。

  「ソ連のスパイ」との容疑を受けたキッシンジャーだが、肝心のODRAファイルの中に彼の名前は見当たらなかった。ただ、驚異的な出世を遂げたキッシンジャーが、共産主義国に対して“親切”だったのは確かだ。

  例えば、「共産支那の門戸を開いた」という“功績”のあるキッシンジャーは、赤い皇帝の毛沢東と懐刀である周恩来、そして民衆を弾圧する共産党幹部と非常に親しく、人民解放軍によるクーデタ計画が練られていることを“北京の友人達”に知らせてあげたという。この情報はイスラエルの諜報機関からCIAのリチャード・ヘルムズ長官へともたらされ、ヘルムズ長官から詳しい情報がニクソン大統領とキッシンジャーに報告されたそうだ。“友人の危機”を耳にしたキッシンジャーは「一大事!」と思ったのか、急遽、極秘裏に北京へ飛び、毛沢東と周恩来に暗殺の危機が迫っていることを伝えたそうである。(The Kissinger Caper, p.8.) このクーデタ計画が事前に発覚したことで、林彪一派は処刑され、毛沢東の政権は揺るぎないものとなった。もちろん、毛沢東の粛清は報道管制のもとに置かれたから、日本の「支那通」は林彪の生存を信じていた。

Henry Kissinger & Mao 1213Henry Kissinger & Xi 99
(左 : 毛沢東とキッシンジャー / 右 : 習近平とキッシンジャー )

  ニクソン大統領とタッグを組むキッシンジャーには、秘密外交の常習犯とか米国を裏切りるソ連のスパイ、南米での虐殺や政府転覆を画策した極悪人、といった非難がたくさんある。確かに、このユダヤ人学者には世間に知られたくない「裏の顔」があるみたいだ。

  例えば、以前、レーガン政権で教育省の高官を務めたシャーロット・イザービット(Charlott Iserbyt)が、「ソ連共産党中央委員会政治局(Politburo)」のコンサルタントを務めたイゴール・グラゴレフ博士(Dr. Igor Glagolev)にインタビューしたことがある。彼はカーター政権でSALT交渉の主任を務めたポール・ウォンケ(Paul Warnke)と議論したロシア人。グラゴレフ博士は何度もクレムリンを訪れたことがあるが、そこの会議にはネルソン・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーが列席していたそうだ。(上掲記事、Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?')

「善悪」を超えた政治力学

Victor Rothschild 2134(左 / ヴィクター・ロスチャイルド)
  そもそも、社会主義のソ連、すなわちボルシェビキ支配下のロシアは、ロスチャイルド家やウォーバーグ家、ロックフェラー家などの大富豪によって創られた実験国家だ。それゆえ、パトロンの子孫であるネルソン・ロックフェラーやヴィクター・ロスチャイルド(3rd Baron Nathaniel Mayer Victor Rothschild)が、“お忍び”でソ連を訪問してもおかしくはない。また、歐米諸国にやって来た東歐の諜報員や西側の裏切者に“指示”を与えても不思議じゃないだろう。ネルソンやヴィクターは、一部の保守派知識人から「ソ連のスパイじゃないのか?」と疑われたが、彼らが「クレムリンの犬」になるとは考えづらい。むしろ、彼らがソ連のスパイに指令を渡し、クレムリンの連中が御命令を承った、というのが本当のところだろう。

  ロックフェラー家が「市場の独占」を好んでいたのは世有名な話で、ソ連という監獄国家は独占欲の強い金融資本家にとって“好ましい国家形態”であった。なぜなら、他の競争相手は参入できないからだ。ロックフェラー家だけがソ連で銀行を開設できたり、石油やガスの採掘や輸出入をできたりすれば、チェイス銀行やエクソン、モービルは大儲けだ。冷戦時代の軍縮交渉というのは、軍事的・経済的に劣勢となったソ連を救うための手段であったのかも知れないぞ。日本の保守派言論人は認めたがらないが、米国の共和党やタカ派陣営が取り組んだ軍縮交渉でも、水面下での裏工作があった可能性は否めない。アメリカ軍の卓越した兵器の質や量を下げてやることで、苦境に悩むソ連を助けてやれば、東西冷戦の均衡が保たれる、という訳だ。

  冷戦時代の知識人は、「ソ連の核兵器による米国への攻撃」とか「世界最終戦争によるハルマゲドン」を信じていたが、そんなのは軍需産業と金融業者が作った政治プロパガンダで、投資家や兵器会社が儲けるための演出だ。もし、アメリカによる圧倒的な世界平和が訪れれば、最新鋭の戦闘機や空母なんかは要らなくなる。しかし、東西の軍事緊張が高まれば、ソ連軍を凌駕するための高級兵器が必要になるから、高性能を誇る戦闘機やステルス性の戦略爆撃機、SLBMを搭載した原潜、通信衛星と連動した戦車などの研究開発が加速する。たとえ、高額な兵器となっても、購入者は政府だから、どんな“商品”でもドンドン買ってくれるし、子飼いの政治家が議会で国防を叫ぶから、1億ドルでも100億ドルでも際限なし。膨大な予算案がスラスラ通る。ロッキードやボーイング、マクドーネル・ダグラス、レイセオンなどの兵器会社がどれほど儲けたことか。石油や食料、備品を供給する民間企業や海外の基地を建設するベクテル社や萬屋のハリバートンなども巨額の利益を上げたはずだ。

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(左 : ブレジネフ書記長とキッシンジャー / 右 : プーチン大統領と握手するキッシンジャー)

  キッシンジャーはリアリストの政治学者だったから、国際政治には倫理・道徳を挟まなかった。大国の政治、あるいは多国間のパワー・ゲームというのは、たいてい利益で動く。それゆえ、現実的な戦略家や政治家は、必要とあれば独裁者との密約を結ぶし、議会や世間に内緒で要人暗殺を命じる。邪魔な奴が多ければ、クーデタによる政府転覆を画策し、皆殺しで問題解決だ。キッシンジャーがスパイみたいな怪しい友人や赤い役人を用いたのは、それが有益であったからだろう。望んだ結果をもたらす人物なら、ゲイでもアカでも何でもいい。ソ連の工作員と昵懇となっていても、それは裏取引をするための“貴重な資産(asset)”だし、諜報の世界では敵側のスパイと親しくすることは珍しくない。キッシンジャーが有能な外政官であったのは、目的のためには手段を選ばなかったからだ。自分の名声や主君の利益を考えれば、「汚い手段」であっても一向に構わない。

  「American Chronicle」の編集長であるトニー・ボン(Tony Bonn)が述べていたが、ニクソン大統領はキッシンジャーのバックグラウンド・チェックをしないようスタッフに命じていたそうだ。通常、政府機関の職員やホワイトハウスのスタッフに対しては、その身元や素性、家族、友人関係などを調べる身辺調査が行われるはずなのだが、キッシンジャーの正体を知っていたニクソンは、それを問わないよう指図した。おそらく、身体検査で厄介事や問題が発覚するのを恐れていたのだろう。何しろ、大統領になったリチャード・ニクソンだって、親分のネルソン・ロックフェラーに頭が上がらない下僕であったし、ロックフェラー家に刃向かうほど馬鹿じゃなかった。となれば、主君から執務室(Oval Office)に派遣された“監視役”のユダヤ小僧には、“格別の配慮”を示さねばならない。

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( 左 : ネルソン・ロックフェラーとフォード大統領と一緒のキッシンジャー / 右 : 華麗なるロックフェラー家の人々)

  1994年の4月に亡くなったニクソンの葬儀で、相棒だったキッシンジャーは嘗ての上司を悼んで涙を浮かべていたが、この哀しみは本当だったのか? アメリカ人は鰐を思い浮かべて「クロコダイルの涙(crocodile tears)」と呼んでいるが、キッシンジャーの本心はどうだったのか? ユダヤ人の涙は演技なのか本当なのかサッパリ判らない。もしかすると、キッシンジャーはウッディー・アレンより優れた俳優なのかも知れない。(涙の追悼が自然な演技なら、エミー賞をもらえる名優になれるぞ。)

  あの世のことは判らないけど、もし無神論者のキッシンジャーが地獄に落ちたら見物だ。たぶん、巨大な炎の近くにはデイヴッィド・ロックフェラーが坐っていて、彼の後部座席がキッシンジャーの指定席となっているんじゃないか。そして、両隣には先に亡くなったネルソンや毛沢東、周恩来、ローズヴェルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーといった豪華な悪党が順番を待っているかも知れないぞ。懐かしい仲間に再開できる地獄の同窓会なんて、結構、乙なものだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/141.html#c31

[近代史3] 中曽根康弘とキッシンジャー 中川隆
10. 中川隆[-12063] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:55:47 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[22]
<■567行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023年12月03日
ヘンリー・キッシンジャーの正体とは? / スパイ容疑とゲームの達人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html

「偉大なる外政官」と呼ばれた男

Henry Kissinger 635Henry Kissinger & President Nixon 324

  2023年11月29日、ニクソン政権とフォード政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー(Heinz Alfred Kissinger)が、コネティカット州の自宅で永眠した。享年100。子分の中曾根康弘と同じく、悪い奴は結構長生きするものだ。

  政治学者から国家安全保障補佐官にまで出世した外政官、というのがキッシンジャーの経歴である。彼に対するコメントは世界中から寄せられているそうだ。

  例えば、ニクソン政権時代、北京政府と仲良しだったので、毛沢東を真似る習近平はキッシンジャーを「世界的に有名な戦略家にして、支那人の古い親友」と評していた。歐米の反共主義者から共産支那を守ってくれたので、この暴君はキッシヤジャーを懐かしみ、聡明なヴィジョンを以て米支関係の正常化に尽くしてくれた、と讃えている。(Pei-Lin Wu and Vic Chiang, 'China pays tribute to Kissinger,‘old friend of the Chinese people’, The Washington Post, November 29, 2023.)

  元KGB局員のウラジミール・プーチン大統領も、スパイ業界の同僚に哀悼の意を表した。優秀な諜報員であったプーチンは、キッシンジャーを「叡智に富み、長期的視野を備えた政治家」と評し、現実的で功利的な外政手腕を以て国際政治の緊張緩和を為しえた、と褒めている。(Mark Trevelyan, 'Russia's Putin praises Henry Kissinger as wise and pragmatic statesman', Reuters, November 30, 2023.)なるほど、キッシンジャーはプーチンが言うように「世界平和を強化する重要な米ソ協約を締結した」のかも知れない。

  アメリカのユダヤ人にとって「心の祖国」と言えるがイスラエル。この国からも偉大な同胞の死を悼むメッセージが届けられた。大統領のイサク・ヘルツォークによると、キッシンジャーは立派な決断と業績を重ねることでイスラエルの基礎を築き、同国のユダヤ人が平和的に暮らせるよう、大変な努力をしたそうだ。ヘルツォーク大統領は常にキッシンジャーの祖国愛(イスラエルに対する愛情と信念)を感じていたという。('Israeli officials laud Kissinger, as global public reaction mixed to diplomat’s death,’The Times of Israel, 30 November 2023.)

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( 左 : イサク・ヘルツォーク / ベンジャミン・ネタニヤフ / エリ・コーエン / 右 : イェー・ラピッド)

  米国に留学していたベンジャミン・ネタニヤフ首相もキッシンジャーの業績をを讃えている。ネタニヤフによると、キッシンジャーは「単なる外政官ではなく、公的生活における理念の力と知的能力を信じる思想家」でもあった。エリ・コーエン(Eli Cohen)外相もキッシンジャーの死を悼んでおり、イスラエルとアメリカとの関係を揺るぎない同盟にしてくれた支柱(恩人)の一人であるらしい。野党「Yesh Atid」の代表であるイェー・ラピッド(Yair Lapid)元首相もキッシンジャーを懐かしみ、彼を「知的巨人(intellectual titan)」と呼び、「国際政治の大御所(giant of international diplomacy)」と評していた。

ドイツからやって来た怪しいユダヤ人

  歐米の主流メディアのみならず、日本のマスコミもキッシンジャーの逝去を報じ、“偉大な外政官”と評していた。しかし、このユダヤ人には他人には知られたくない幾つもの「顔」があった。

Henry Kissinger 324(左 / 幼い頃のキッシンジャー)
  ハインツ・アルフレット・キッシンゲル(Heinz Alfred Kissinger)は1923年5月17日、ドイツのバイエルンにあるフュルト(Fürth)で生まれた。父のルイス・キッシンゲル(Louis Kissinger)と母のパウラ・スターン(Paula Stern)は、ナチスの台頭を恐れ、1938年にハインツと弟のウォルターを連れて米国へと逃れたそうである。この一家はユダヤ移民が群がるニューヨークで居を構え、兄のヘンリー(ハインツ15歳の改名)は、ジョージ・ワシントン高校に通うことにした。彼はここで一年間学ぶと、夜間学校へと転入し、ここを卒業すると、ブラシ会社の「レオポルド・アッシャー*」に勤めたという。しかし、ヘンリーは学業を諦めきれなかった。この少年は夜になるとニューヨーク市単科大学(City College of New York)に通い、得意の勉強を続けていたそうだ。

  (*註/ この勤め先はキッシンジャー家の従兄弟が経営していた。当時、ウクライナやポーランドからやって来たユダヤ人は、新天地のアメリカで苦労する事が多く、彼らは先に移住した親戚や友人を頼ったり、近くのシナゴーグに赴いて長老のラビに相談することが少なくなかった。生活に困ったユダヤ人から頼りにされた親戚や友人も、“同胞愛”に満ちていたから、彼らを自分の店や会社で雇うことがあった。でも、心温かいユダヤ人は、アフリカ移民の黒人やイスラム教徒のアラブ人には冷たかった。普段は「多民族共生」とか「人道主義」を口にしているのに、私生活ではレイシストなんだから、ユダヤ人のリベラリズムには嘘がある。)

Jacob Javits 001
(左 / ジェイコブ・ジャヴィッツ)
  若い頃のキッシンジャーは、ドイツから逃れてきたユダヤ難民が集まる「ベス・ヒレル青年団(Beth Hillel Youth Group)」に属していた。ここには後の下院議員や上院議員となるジェイコブ・ジャヴィッツ(Jacob Koppel Javitz)がいて、彼は当時から非常に熱心な活動家であった。さらに、ここには最初の妻となるアン・フレイシャー(Anneliese Fleischer)もいたという。ちなみに、キッシンジは1964年にアン夫人と離婚し、1974年にネルソン・ロックフェラー州知事の秘書をしていたナンシー・マギネス(Nancy Maginess)と再婚した。やはり、ユダヤ人は出世をしたり金持ちになると、パッとしない古女房を捨てて、ヨーロッパ系の女と結婚したいのかなぁ〜。(イタリア系ユダヤ人のシルヴェスター・スタローンも、サーシャ・ザックと離婚して、北歐美人のブリジッ・ニールセンと再婚したしね。)

Henry Kissinger & Ann Fleischer 22Henry Kissinger & wife Nancy
(左 : 最初の妻アン・フレイシャーと若き軍人のキッシンジャー / 右 : 再婚相手のナンシー・マギネスと大御所になったキッシンジャー )

  とにかく、ヘンリー・キッシンジャーの転機となるのは、合衆国陸軍へ入隊したことだ。彼はサウス・カロライナ州にある「クロフト基地(Camp Croft)」で基礎訓練を受けたあと、ノース・カロライナ大学とラファイエット大学にある「陸軍特別訓練プログラム」に編入した。キッシンジャーはヨーロッパに派遣されると、第84歩兵師団第335歩兵連隊の「G」中隊に所属し、諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の調査官として勤務していたそうだ。

Alexander Bolling 1(左 / アレクサンダー・ボリング)
  一般的に、ユダヤ人は陸軍や海軍に属していても、前線で生死を賭ける歩兵になることは滅多にない。大抵は作戦本部に勤務する軍官僚とか、軍人の問題を扱う法律家、あるいは情報収集や防諜活動に携わる諜報員、難しい言語を喋る通訳といった職種に就く。キッシンジャーも戦闘員ではなく、アレクサンダー・ボリング(Alexander Bolling)将軍の運転手を務めていたという。と同時に現地部隊に重宝されるドイツ語の通訳でもあった。何しろ、一般のアメリカ人(西歐系の白人)は、西ゲルマン語のイギリス語を話しているくせに、ドイツ人が話すゲルマン語を習得できない。彼らは大学教育を受けても、「ドイツ語は文法が複雑で単語も難しい」と弱音を吐く。こんな調子だから、陸軍少尉や海軍中尉、あるいは空軍大佐でもドイツ語となれば“お手上げ”だ。

Henry Thomas Buckle 11(左 / ヘンリー・トマス・バックル )
  そこで登用されるのが、何かと便利な“宮廷ユダヤ人”である。昔から、様々な国を渡り歩くユダヤ人には「多言語話者(ポリグロット / pólyglòt)」が多い。家庭ではイディシュ語を話していても、商売や勉強となるや、フランス語とかスペイン語、イタリア語のみならず、文字の違うギリシア語やロシア語でも話せる者がゴロゴロいる。英国の歴史家だったヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle)みたいな人物は別格だ。ラテン語はもちろんのこと、ヨーロッパの言語を幾つも理解できたという。フィールド・オフィサーとなるCIA局員でも、日本語とかアラビア語となれば降参で、たとえ日常会話を習得しても、文章を読んだり書いたりするとなれば日本人の通訳を必要とする。

  「カイロ大学の社会学科を首席で卒業した」という小池百合子は“例外”というか、“笑顔の詐欺師”みたいなもんだが、普通のアメリカ人だとアラビア語とか日本語の読み書きなんて出来ない。しかし、ユダヤ人は暗号解読の名人で、奇妙奇天烈な言語でもOK。非ユダヤ人にも多言語話者がいて、ハリウッド男優のヴィゴ・モーテンセン(Viggo Peter Mortensen, Jr.)も、その一人だ。彼は父親がデイン人で、祖父のデンマークにも住んだことがあるから、数カ国語を話せるようだ。普通に育てば英語のみのアメリカ人なっているけど、彼の家族はベネズエラやデンマーク、アルゼンチンを転々とし、様々な環境で子供を育てたから、ヴィゴが色々な言葉を話せるのも当然だ。彼はセント・ローレンス大学を卒業後、ヨーロッパに渡っているから、スペイン語やデイン語を実際の生活で使っていたのだろう。(ちなみに、ヴィゴは『G.I.ジェーン』や『ダイヤルM』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演している。日本でも知っている人は多いだろう。)

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(左 : ヴィゴ・モーテンセン / 中央 : 子供時代のヴィゴ / 右 : 『G.I.ジェーン』 に出演したヴィゴ)

ロックフェラーに育てられた宮廷ユダヤ人

  話を戻す。「外人」のキッシンジャーは身体検査(security clearance)をパスして上等兵から軍曹になった。この特進に加え、キッシンジャーは個人的恨みも晴らしたそうだ。彼はドイツ勤務でゲシュタポやナチスのスパイを尋問して喜んでいた。しかし、彼は1946年になると陸軍を除隊し、ドイツのオベラマーアゴ(Oberammergau)にある「ヨーロッパ戦線諜報学校(European Command Intelligence School)」の教官に就任する。でも、給料に不満があったのか、キッシンジャーはさっさと帰国し、ハーヴァード大学に入った。それと同時に、彼は予備役の士官になったので、少尉から大尉へと昇進することになった。

  名門のハーヴァード大学に編入したキッシンジャーは、ロックフェラー財団からの研究費を含め、四種類の奨学金を貰っていたそうだ。いかにもユダヤ人の優等生らしく、キッシンジャーはハーヴァード大の名物教授、あのウィリアム・ヤンデル・エリオット(William Yandell Elliott)に見出され、サマー・スクールの講師やセミナーの上級講師にしてもらった。ユダヤ人というのは、アメリカ人やヨーロッパ人からの「一本釣り」や「異例の抜擢」で出世を果たす。彼らはそれで満足せず、幸運の女神を踏み台にして徐々に人脈を広げ、“学会のドン”や“財界の大物”となってゆく。エリオット教授の弟子には、後にカナダの首相となったピエール・トルドー(Pierre Trudeau)や、ケネディー政権で国家安全保障補佐官になったマクジョージ・バンディー(McGeorge Bundy)がいる。ホント、政界や学会というのは、結構“狭い世間”である。

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(左 : キッシンジャー / ウィリアム・ヤンデル・エリオット / ピエール・トルドー / 右 : マクジョージ・バンディー)

  優秀な成績(summa cum laude)を以て卒業したキッシンジャーは、これまた秀才が集まる学生クラブ、「ファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に選出され、エリオット教授の推薦もあってか、ハーヴァード大学の教授になった。1951年、エリオット教授はハーヴァード国際セミナー(Harvard International Seminars)」を創設するが、キッシンジャーは恩師からここの主任(executive director)に抜擢されたという。ここで注目すべきは、セミナーのパトロンである。大富豪というのは、未知数であっても優良な成長株に投資するもので、フォード財団やロックフェラー家が創ったアジア財団、それに中東アジアの金持ちやCIAが資金を流していたというのだ。

  このセミナーが発展したことで、『コンフルーエンス(Confluence)』という雑誌が発刊され、キッシンジャーはここに論文を投稿した。ところが、この刊行物は十数回だけ続いて廃刊となってしまう。ただし、単なる終焉じゃなかった。『コンフルエンス』の論調が共産主義的だという廉(かど)で、1955年にキッシンジャーは陸軍諜報部からの尋問を受けていたのだ。(Frank A. Capell, The Kissinger Caper : a Former General in Communist Intelligence says Kissinger was a KGB Agent Before He Went ot Harvard, Belmont, MA : The Review of the News, 1974, p.29.)当時の噂によれば、雑誌の顧問を務めていた人物の中には、共産主義者やコミュニスト組織に関係を持つ人物が紛れていたという。さらに眉を顰めたくなるのは、この雑誌にロックフェラー・ブラザース財団が、2万6,000ドルの賞与金(grant)を与えていたということだ。

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(左 / ネルソン・ロックフェラー)
  ヘンリー・キッシンジャーの出世には、ロックフェラー家の貢献や後押があった。フォード政権で副大統領となったネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は、ローズヴェルト政権で国際問題のコーディネーターを務めており、弟のウィンスロップと同じく、政治的野心に満ちていた。1956年にネルソンが「Special Study Project」という研究グループを創設すると、キッシンジャーはここの所長に就任した。たぶん、ネルソンの指図だろう。

  ネルソン・ロックフェラーの野望はホワイトハウスにあったのか、この大富豪は経歴作りのために州知事を目指した。実際、彼はリベラル派の牙城であるニューヨークの州知事になることが出来た。未来の大統領を目指すネルソンには、現実の国際政治を扱える“参謀”が必要で、学問に秀でたキッシンジャーは“打って付けの軍師”であった。主君のお眼鏡に適ったキッシンジャーは、トントン拍子に出世を重ね、ロックフェラー家がスポンサーとなる「外交問題評議会(CFR)」のメンバーにもなれた。彼は1977年から1981年まで、CFRの理事会で役員を務めることになる。キッシンジャーの『核兵器と外政(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』は、CFRのメンバーになった頃に書かれた処女作であった。

  日本では中東問題やアジア情勢に関する「共和党の重鎮」として知られているが、キッシンジャーは“保守派の知識人”じゃない。リチャード・ニクソンと組む前は、民衆党寄りのグローバリスト学者であった。当初、キッシンジャーは大統領になったジョン・F・ケネディーの政権に潜り込もうと目論んだが、ケネディー兄弟から毛嫌いされてホワイトハウスに入ることは出来なかった。兄貴を補佐するロバート・ケネディー司法長官も、この下品なユダヤ人を嫌っていたというから、キッシンジャーはアーサー・シュレッシンジャー(Arthur Meier Schlessinger, Jr.)のような宮廷ユダヤ人にはなれなかった。

  ユダヤ人の支援で著作を出版でき、さらに大統領選でもユダヤ人団体から応援してもらったのがケネディー大統領である。それゆえ、彼の周辺にはユダヤ人の側近が多かった。(ホワイトハウスでユダヤ人に取り囲まれた記念写真を見ると、本当にゾッとする。)

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(左 : ロバート・ケネディー / アーサー・シュレッシンジャー / セオドア・ソレンセン / 右 : ロバート・ノヴァック)

  例えば、『ケネディーの千日(A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House)』を書いたシュレッシンジャーの母親は、ドイツ人とイギリス人の家系だが、父方の祖父はドイツに住んでいたユダヤ人で、プロテスタントに改宗した現世利益派だった。ケネディー大統領の顧問で、スピーチライターを務めていたセオドア・ソレンセン(Theodore Chaikin Sorensen)もユダヤ人で、父親はデイン系アメリカ人であったが、母親はロシア系ユダヤ人ときている。ついでに言うと、CNNの討論番組「クロスファイアー」でホストを務めていたロバート・ノヴァック(Robert David Sanders Novak)も「改宗ユダヤ人」であった。ノヴァックの両親は世俗派のユダヤ人であったから、息子のロバートにはユダヤ教への情熱は無かったようだ。女房のジェラルディンがカトリック信徒になったから、亭主のロバートも一緒にカトリック教会に入ったという。まぁ、西歐紳士になりたかったシュレッシンジャーと同じく、ノヴァックも「ユダヤ人」という血統(属性)が恥ずかしかったのかも知れない。

ニクソンに仕えたユダヤ小僧

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(左: 主人のネルソン・ロックフェラーと執事のキッシンジャー / 右 : ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官 )

  ケネディー兄弟に嫌われたキッシンジャーは、大統領選でJFKに破れたリチャード・ニクソンの安全保障補佐官となったが、政権に入る前は親分を密かに蔑んでいた。「私はあの男の為には働かないぞ。あの野郎は疫病神だ(I would never work for that man, the man is a disaster.)」とキッシンジャーは述べていた。(上掲書、p.32.)日本のマスコミや政治評論家は、「ニクソン・キッシンジャー外交」とやらを褒めそやし、両者がコンビを組んで中東問題や対シナ外交を取り仕切ったように論じるが、実際は水面下でお互いに警戒する間柄であった。

  嫌われたニクソン大統領も、キッシンジャーを小馬鹿にしており、キッシンジャーは信頼できる助言者ではなく、ネルソン・ロックフェラーが送り込んだ「お目付役」と考えていたようだ。何しろ、ニクソンはキッシンジャーのような狡賢いユダヤ人が大嫌い。このクェーカー教徒(ニクソン)はユダヤ人に懐疑的で、1971年まで中東政策からキッシンジャーを外していたのだ。なぜなら、キッシンジャーが述べたように、彼のユダヤ人という民族性が彼の判断力を曇らせるんじゃないか、とニクソンが心配していたからだ。そして、冷酷な現実を熟知する大統領は、キッシンジャーの愛国心、すなわちアメリカ合衆国への忠誠心すら疑っていたのである。(Martin Indyk, Master of the Game : Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy, New York : Alfrd A. Knopf, 2021, p.36.)

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(左 / レオナード・ガーメント)
  ニクソン政権の大統領顧問を務めたレオナード・ガーメント(Leonard Garment)によれば、ホワイトハウスの中でキッシンジャーは“エキゾテックな神童(exotic wunderkind)”、あるいは“よそ者(outsider)”と見られていたそうである。まぁ、西歐人とは違う容貌に加え、ドイツ訛りの英語を喋り、何を目論んでいるのか判らないから、同僚から“セム種族のエイリアン”と思われても当然だ。ニクソン政権のインナー・サークルは日常会話でも、「キッシンジャーは決して自身のユダヤ性を脱ぎ捨てることは出来まい(Kissinger could never ....shed his Jewishness.)」と囁いていたそうである。(上掲書、p.37.)

  政界の裏事情を知っていたからだろうが、ニクソンはユダヤ人に対する反感と懐疑心を抱いていた。当時のアメリカ人だと、ユダヤ人は金持ちで狡賢い(rich and tricky)」というイメージが一般的であった。ニクソンもステレオタイプの持ち主で、ユダヤ人のリベラル派は何かに附けイスラエルに忠実だ、と思っていた。財務長官のジョン・コナリー(John B. Connally)と執務室で話していた時も、ニクソンはユダヤ人に対する偏見を隠さず、会話の中で「ユダヤ人のリベラル派は信用がならない。第二次政権ではユダヤ人スタッフの数を減らすつもりだ」と述べていた。(上掲書、p.37.)

  こんな考えだから、ニクソンは自分の補佐官であってもキッシンジャーを信用せず、大切な相談は大統領顧問であるジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)と首席補佐官のハリー・ロビンス・ハルデマン(Harry Robbins Haldeman)だけに持ちかけていた。それゆえ、三人の鳩首会談となれば、キッシンジャーは“蚊帳の外”だ。もし、キッシンジャーを密談に加えてしまうと、主君のネルソン・ロックフェラーや政財界のユダヤ人に“筒抜け”となるからダメ。用心深いニクソンは、執務室の扉を閉ざしてキッシンジャーを“のけ者”にしていた。

H. R. Haldeman 111Richard Nixon 2143John Ehrlichman 234
(左 : ハリー・ロビンス・ハルデマン / 中央 : リチャード・ニクソン大統領 / 右 : ジョン・アーリックマン )

  以前、CBSやNBCのイヴニング・ニューズで放送されたけど、ニクソン大統領はキッシンジャーを小馬鹿にするような言を吐いていた。ニクソンはホワイトハウス内でキッシンジャーが必要な時、「俺のユダヤ小僧は何処にいるんだ!?(Where is my Jew-boy?)」と側近に尋ねていたというから、一般のアメリカ国民はビックリ。執務室で録音されたテープを聞いたキッシンジャーはどう思っていたのか? 育ちの悪いニクソンは、普段の会話の中でも遠慮せずに「ニューヨークのユダヤ人(New York Jews )」とか「糞のユダ野郎(fucking Jews)」という侮蔑語を口にしていた。(Richard Reeves, President Nixon : Alone in the White House, New York : Simon & Schuster, 2002, p.42)常識的な日本人であれば、ニクソンの口癖を聞いてしまうと、「彼は本当に敬虔な新渡戸稲造博士と同じクェーカー信徒なのか?」と疑ってしまうだろう。

怪しい人物を採用する国務長官

JFK & American Jewshenry Kissinger in Japan 1974
(左 : ユダヤ人の有力者に囲まれたジョン・・ケネディー大統領 / 右 : 来日した時に藝者と戯れるキッシンジャー )

  ニクソンは“お世辞”にも「紳士」と呼べないが、キッシンジャーも同様にアメリカ紳士ではない。というのも、キッシンジャーが政権に招き寄せたり、国務省に採用した人物には“いかがわしい輩”がたくさん居たからだ。

  例えば、国務長官になったキッシンジャーは、FBIから保安上の危険人物と見なされていたボリス・クロッソン(Boris Hansen Klosson)をSALT(戦略核兵器制限交渉)の政治諜報担当官に選んでしまったのだ。クロッソンの「信用度」は、ソ連からやって来た女スパイが逮捕された時、“問題”とされてしまった。「ホンマかいな?!」と驚いてしまうが、彼女の連絡手帳にはクロッソンの住所が載っていたのだ。それに、クロッソンがモスクワの米国大使館に勤務した時、KGBの調査報告書が本国に送られそうになったが、何かの理由でマズかったのか、ワシントンへの送付を妨害したそうだ。(The Kissinger Caper, p.34.) また、ソ連へ亡命したリー・ハーヴェイ・オズワルドが米国へ戻る時、彼の帰国許可を与えた責任者はクロッソンであったという。

  キッシンジャーが駐チリ米国大使に選んだデイヴィッド・ポッパー(David Henry Popper)も“不適切な人物”であった。このユダヤ人大使は、共産主義者の容疑が濃厚なアルジャー・ヒス(Alger Hiss)と親しく、国務省の役人だったヒスの推薦で同省に入ったという。また、ポッパーは如何にもユダヤ人らしく、真っ赤な雑誌である『アメラジア(Amerasia)』に集う共産主義者やソ連のスパイとも交際があったそうだ。案の定、ポッパーは「赤旗」のような「デイリー・ワーカー(Daily Worker)」紙の編集長で、米国共産党のメンバーだったルイス・ブデンツ(Louis Budenz)と知り合いだったようで、このブデンスによって共産主義者であることをバラされてしまった。(The Kissinger Caper, p. 35.)

  キッシンジャーが台湾に送った米国大使のレオナード・アンガー(Leonard Seidman Unger)も共産主義の疑いを持たれた人物だ。アンガーはタイやラオス、シナでも大使を務めていたから、現地の共産主義者に歓迎されたのも納得できる。

David Popper 1Louis Budenz 1Leonard Unger 1James Sutterlin 1
(左 : デイヴィッド・ポッパー / ルイス・ブデンツ / レオナード・アンガー / 右 : ジェイムズ・サッタリン)

  国務省のドンになったキッシンジャーは、赤色分子やソ連贔屓の友人ばかりじゃなく、同性愛者や危険人物に対しても省庁の門を開いてしまった。例えば、国務省の監査長官になったジェイムズ・サッタリン(James S. Sutterlin)は、同省の保安局員であったエドワード・ケリー(Edward Kelley)とホモの関係にあったそうだ。省内で有耶無耶(うやむや)にされてしまったが、ケリーのせいで外交上の秘密暗号がソ連側に写し取られたり、ソ連のエイジェントになった米国外政官は自由に活動できたらしい。大使館の職員もソ連のハニートラップに引っかかったようで、よく訓練された女スパイが現地の役人を誘惑したそうだ。女の工作員に惚れた職員がソ連の手先になることはよくあるが、同性愛者も敵国の標的にされやすい。なぜなら、ゲイの外政官や書記官などは、同性愛の発覚を恐れて敵国エージェントの命令に従ってしまうからだ。

  キッシンジャーが国務省の難民担当官に任命したルイス・アーノルド・ワイズナー(Louis Arnold Wiesner)も、アメリカの国益を毀損する官僚だった。なぜなら、彼のせいで脱走兵や難民を装った共産主義者が米国に易々と入れたし、国内で優遇を受けていたからだ。大学教師もそうだけど、公務員を採用する際には、その家族構成や血統、民族、教育、性格、思想、趣味などを慎重に吟味せねばならない。1992年9月30日にドン・キエンツェル(Don R. Kienzle)によって行われたインタヴュー(Labor Diplomacy Oral History Project)で認めていたけど、ワイズナーは国務省に勤める前、つまり彼が若い時、少しだけ共産党に属していたそうだ。彼はマッカーシズムの時代にドイツから帰国した。1950年の頃、CIAに雇われていたので、「嘘発見器のテスト(lie ditector test)」を受けねばならず、本当の事を喋るしかなかったという。

  しかし、ワイズナーの“転向”は怪しい。彼は『労働者日報(Daily Worker)』に加え、『新大衆(New Masses)』、『青年労働者(Young Worker)』などを熱心に読んでいたし、昔は不穏分子たる「アメリカ学生組合(American Student Union)」にも属していたのだ。しかも、彼は母校に「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の支部を創ろうと試みていたから、相当“疑わしい人物”である。

  日本人は「元左翼」や「転向組」に優しいが、「若い時の過ち」であっても、一旦、共産主義者とか左翼思想にかぶれた者は、シャブ中と同じで、中々“健全な精神”には戻れない。職場では現実主義の資本家や経営者であっても、何かの切っ掛けで“ふと”昔の記憶が甦り、青年時代の魂が復活することがある。西部グループを率いていた堤清二は、東京大学時代に共産党に入ったし、東京都知事になった作家の猪瀬直樹も左翼だ。猪瀬は信州大学時代に学生運動のリーダーを務めていた。日本テレビの代表取締役になった氏家齊一郎も堤清二を共産党に誘った左翼だし、読売新聞の首領になったナベツネ(渡邉恒雄)も、東大時代に共産党に入っていた。「保守」を看板にする産経新聞の社長になった水野成夫(みずの・しげお)も共産主義を信奉する赤い学生で、産経の前は「赤旗」の編集長を務めていたのだ。こうした財界人は自由主義の市場経済を擁護しても、昔の仲間や後輩から頼まれると断れず、裏で左翼団体に献金したり、社会党や立憲民主党に便宜を図ったりする。

「ソ連のスパイ」容疑を掛けられたキッシンジャー」

Michal Goleniewski 0001( 左 / ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー)
  元国務長官のヘンリー・キッシンジャーには、昔から“ソ連のスパイ”という疑惑が掛けられ、共産主義陣営に有利な政策を推し進めてきたモグラという批判がある。実際どうだったのかはよく判らないが、1961年に米国へ亡命したソ連のスパイ、ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー(Michał Franciszek Goleniewski)の話を聞くと、キッシンジャーに対する容疑はある程度「本当」のように思える。彼は諜報活動に関する1500ページほどの報告書をFBIに渡したことがあり、この遣取が世間にバレたので、キッシンジャーに対する民衆の疑念が深まったのだ。

  亡命したゴレニフスキーはポーランド軍の防諜諜組織(GZI / Główny Zarząd Informacji Wojska Polskiego) にある技術部門で勤務する陸軍大佐であったが、これは“表の顔”で、実はソ連のKGBがポーランドに送り込んだ“間諜(スパイ)”であった。ところが、ゴレニフスキー大佐は二重スパイどころか“三重スパイ”であった。彼は密かに米国や英国へソ連やポーランドの情報を流してくれる“裏切者”で、CIA(中央情報局)は彼に「SNIPER」というコード・ネームを与え、MI5(英国防諜局)は「LAVINIA」というコード・ネームを附けていたそうだ。

  ゴレニフスキーは出身地のポーランドで「ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー」と名乗っていたが、この亡命将校はどうやらロシア皇帝の血を引く子孫らしい。ゴレニフスキーが殺されたロシア皇帝ニコライ2世の息子で、本名は「アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ロマノフ」(Aleksei Nicholaevich Romanoff)」というが、2008年に公開されたFBIの報告書でも彼の素性が確認されていたので、「もしかすると本当なのかも知れない」と思えてくる。なぜなら、CIAの元調査分析主任であるハーマン・キムゼー(Herman E. Kimsey)が、1965年6月3日に宣誓証言を行っていたし、FBIや国務省に属していたジョン・ノーペル(John Norpel, Jr.)も上院の公聴会で証言していたからだ。それゆえ、気軽に“出鱈目”だとは決めつけられない。(Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?', The American Chronicle, March 16, 2013.)

  ゴレニフスキーがもたらした機密情報の中で特筆すべき点は、ODRA(ソ連のスパイ組織)の産業や科学技術分野に携わる個人データである。ここにはモグラ(諜報員や工作員)の名前や身分、職業、住所などが記されていたそうだ。「ODRA」の主な目的は、西側諸国、とりわけブリテンやアメリカにある軍諜報部への浸透にあった。驚くのは、ゴレニフスキーがCIAに報告したスパイの中に、当時あまり知られていないハーヴァードの教授であったヘンリー・キッシンジャーの名前が記されていたことだ。(The Kissinger Caper, p.77.)第二次世界大戦中、合衆国陸軍の軍曹であったキッシンジャーには、「BOR」という暗号名が与えられていたという。ゴレニフスキーによれば、キッシンジャーはオベラマーアゴの軍諜報学校で教官をしていた時、ドイツ生まれのアメリカ人でソ連のスパイになっていたエルンスト・ボゼンハルト(Ernst Bosenhard)と連絡を取っていたというのだ。(The Kissinger Caper, p.81.)

  「Baraban(バラバン)」というコード・ネームを持つボゼンハルトは、東ドイツに生まれ、八年ほどアメリカに住んでいたことがあるという。調査ジャーナリストのケヴィン・クーガンによると、彼は第二次世界大戦中、米国の「OSS(戦時情報局)」に協力した人物で、後にオベラマーアゴの諜報司令部で通訳の仕事をしていたそうだ。(Kevin Coogan, The Spy Who Would Be Tsar : The Mystery of Michal Goleniewski and the Far-Right Underground, New York : Routledge, 2021, Chapter 10を参照。)しかし、彼は1951年にスパイ容疑で逮捕されてしまう。連合軍ドイツ高等委員会(Allied High Commission for Germany)は、ソ連に情報を流していたボゼンハルトを裁き、懲役四年の有罪判決を下した。彼は裁判の中で「同性愛をネタにして脅されていたんだ」と訴えたが、そんな言い訳が通用することはなく、「塀の中の囚人」となってしまった。ただし、彼が恐れていたシベリア送りじゃなく、西側の刑務所なんだから、考えようによっては、意外と良かったんじゃないか。

  「ソ連のスパイ」との容疑を受けたキッシンジャーだが、肝心のODRAファイルの中に彼の名前は見当たらなかった。ただ、驚異的な出世を遂げたキッシンジャーが、共産主義国に対して“親切”だったのは確かだ。

  例えば、「共産支那の門戸を開いた」という“功績”のあるキッシンジャーは、赤い皇帝の毛沢東と懐刀である周恩来、そして民衆を弾圧する共産党幹部と非常に親しく、人民解放軍によるクーデタ計画が練られていることを“北京の友人達”に知らせてあげたという。この情報はイスラエルの諜報機関からCIAのリチャード・ヘルムズ長官へともたらされ、ヘルムズ長官から詳しい情報がニクソン大統領とキッシンジャーに報告されたそうだ。“友人の危機”を耳にしたキッシンジャーは「一大事!」と思ったのか、急遽、極秘裏に北京へ飛び、毛沢東と周恩来に暗殺の危機が迫っていることを伝えたそうである。(The Kissinger Caper, p.8.) このクーデタ計画が事前に発覚したことで、林彪一派は処刑され、毛沢東の政権は揺るぎないものとなった。もちろん、毛沢東の粛清は報道管制のもとに置かれたから、日本の「支那通」は林彪の生存を信じていた。

Henry Kissinger & Mao 1213Henry Kissinger & Xi 99
(左 : 毛沢東とキッシンジャー / 右 : 習近平とキッシンジャー )

  ニクソン大統領とタッグを組むキッシンジャーには、秘密外交の常習犯とか米国を裏切りるソ連のスパイ、南米での虐殺や政府転覆を画策した極悪人、といった非難がたくさんある。確かに、このユダヤ人学者には世間に知られたくない「裏の顔」があるみたいだ。

  例えば、以前、レーガン政権で教育省の高官を務めたシャーロット・イザービット(Charlott Iserbyt)が、「ソ連共産党中央委員会政治局(Politburo)」のコンサルタントを務めたイゴール・グラゴレフ博士(Dr. Igor Glagolev)にインタビューしたことがある。彼はカーター政権でSALT交渉の主任を務めたポール・ウォンケ(Paul Warnke)と議論したロシア人。グラゴレフ博士は何度もクレムリンを訪れたことがあるが、そこの会議にはネルソン・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーが列席していたそうだ。(上掲記事、Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?')

「善悪」を超えた政治力学

Victor Rothschild 2134(左 / ヴィクター・ロスチャイルド)
  そもそも、社会主義のソ連、すなわちボルシェビキ支配下のロシアは、ロスチャイルド家やウォーバーグ家、ロックフェラー家などの大富豪によって創られた実験国家だ。それゆえ、パトロンの子孫であるネルソン・ロックフェラーやヴィクター・ロスチャイルド(3rd Baron Nathaniel Mayer Victor Rothschild)が、“お忍び”でソ連を訪問してもおかしくはない。また、歐米諸国にやって来た東歐の諜報員や西側の裏切者に“指示”を与えても不思議じゃないだろう。ネルソンやヴィクターは、一部の保守派知識人から「ソ連のスパイじゃないのか?」と疑われたが、彼らが「クレムリンの犬」になるとは考えづらい。むしろ、彼らがソ連のスパイに指令を渡し、クレムリンの連中が御命令を承った、というのが本当のところだろう。

  ロックフェラー家が「市場の独占」を好んでいたのは世有名な話で、ソ連という監獄国家は独占欲の強い金融資本家にとって“好ましい国家形態”であった。なぜなら、他の競争相手は参入できないからだ。ロックフェラー家だけがソ連で銀行を開設できたり、石油やガスの採掘や輸出入をできたりすれば、チェイス銀行やエクソン、モービルは大儲けだ。冷戦時代の軍縮交渉というのは、軍事的・経済的に劣勢となったソ連を救うための手段であったのかも知れないぞ。日本の保守派言論人は認めたがらないが、米国の共和党やタカ派陣営が取り組んだ軍縮交渉でも、水面下での裏工作があった可能性は否めない。アメリカ軍の卓越した兵器の質や量を下げてやることで、苦境に悩むソ連を助けてやれば、東西冷戦の均衡が保たれる、という訳だ。

  冷戦時代の知識人は、「ソ連の核兵器による米国への攻撃」とか「世界最終戦争によるハルマゲドン」を信じていたが、そんなのは軍需産業と金融業者が作った政治プロパガンダで、投資家や兵器会社が儲けるための演出だ。もし、アメリカによる圧倒的な世界平和が訪れれば、最新鋭の戦闘機や空母なんかは要らなくなる。しかし、東西の軍事緊張が高まれば、ソ連軍を凌駕するための高級兵器が必要になるから、高性能を誇る戦闘機やステルス性の戦略爆撃機、SLBMを搭載した原潜、通信衛星と連動した戦車などの研究開発が加速する。たとえ、高額な兵器となっても、購入者は政府だから、どんな“商品”でもドンドン買ってくれるし、子飼いの政治家が議会で国防を叫ぶから、1億ドルでも100億ドルでも際限なし。膨大な予算案がスラスラ通る。ロッキードやボーイング、マクドーネル・ダグラス、レイセオンなどの兵器会社がどれほど儲けたことか。石油や食料、備品を供給する民間企業や海外の基地を建設するベクテル社や萬屋のハリバートンなども巨額の利益を上げたはずだ。

Henry Kisinger in Soviet Union 213Henry Kissinger & President Putin 365
(左 : ブレジネフ書記長とキッシンジャー / 右 : プーチン大統領と握手するキッシンジャー)

  キッシンジャーはリアリストの政治学者だったから、国際政治には倫理・道徳を挟まなかった。大国の政治、あるいは多国間のパワー・ゲームというのは、たいてい利益で動く。それゆえ、現実的な戦略家や政治家は、必要とあれば独裁者との密約を結ぶし、議会や世間に内緒で要人暗殺を命じる。邪魔な奴が多ければ、クーデタによる政府転覆を画策し、皆殺しで問題解決だ。キッシンジャーがスパイみたいな怪しい友人や赤い役人を用いたのは、それが有益であったからだろう。望んだ結果をもたらす人物なら、ゲイでもアカでも何でもいい。ソ連の工作員と昵懇となっていても、それは裏取引をするための“貴重な資産(asset)”だし、諜報の世界では敵側のスパイと親しくすることは珍しくない。キッシンジャーが有能な外政官であったのは、目的のためには手段を選ばなかったからだ。自分の名声や主君の利益を考えれば、「汚い手段」であっても一向に構わない。

  「American Chronicle」の編集長であるトニー・ボン(Tony Bonn)が述べていたが、ニクソン大統領はキッシンジャーのバックグラウンド・チェックをしないようスタッフに命じていたそうだ。通常、政府機関の職員やホワイトハウスのスタッフに対しては、その身元や素性、家族、友人関係などを調べる身辺調査が行われるはずなのだが、キッシンジャーの正体を知っていたニクソンは、それを問わないよう指図した。おそらく、身体検査で厄介事や問題が発覚するのを恐れていたのだろう。何しろ、大統領になったリチャード・ニクソンだって、親分のネルソン・ロックフェラーに頭が上がらない下僕であったし、ロックフェラー家に刃向かうほど馬鹿じゃなかった。となれば、主君から執務室(Oval Office)に派遣された“監視役”のユダヤ小僧には、“格別の配慮”を示さねばならない。

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( 左 : ネルソン・ロックフェラーとフォード大統領と一緒のキッシンジャー / 右 : 華麗なるロックフェラー家の人々)

  1994年の4月に亡くなったニクソンの葬儀で、相棒だったキッシンジャーは嘗ての上司を悼んで涙を浮かべていたが、この哀しみは本当だったのか? アメリカ人は鰐を思い浮かべて「クロコダイルの涙(crocodile tears)」と呼んでいるが、キッシンジャーの本心はどうだったのか? ユダヤ人の涙は演技なのか本当なのかサッパリ判らない。もしかすると、キッシンジャーはウッディー・アレンより優れた俳優なのかも知れない。(涙の追悼が自然な演技なら、エミー賞をもらえる名優になれるぞ。)

  あの世のことは判らないけど、もし無神論者のキッシンジャーが地獄に落ちたら見物だ。たぶん、巨大な炎の近くにはデイヴッィド・ロックフェラーが坐っていて、彼の後部座席がキッシンジャーの指定席となっているんじゃないか。そして、両隣には先に亡くなったネルソンや毛沢東、周恩来、ローズヴェルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーといった豪華な悪党が順番を待っているかも知れないぞ。懐かしい仲間に再開できる地獄の同窓会なんて、結構、乙なものだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/736.html#c10

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
114. 中川隆[-12062] koaQ7Jey 2023年12月04日 10:56:07 : eYMkL26uaI : NU01RXVNaDgwalE=[23]
<■567行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2023年12月03日
ヘンリー・キッシンジャーの正体とは? / スパイ容疑とゲームの達人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html

「偉大なる外政官」と呼ばれた男

Henry Kissinger 635Henry Kissinger & President Nixon 324

  2023年11月29日、ニクソン政権とフォード政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー(Heinz Alfred Kissinger)が、コネティカット州の自宅で永眠した。享年100。子分の中曾根康弘と同じく、悪い奴は結構長生きするものだ。

  政治学者から国家安全保障補佐官にまで出世した外政官、というのがキッシンジャーの経歴である。彼に対するコメントは世界中から寄せられているそうだ。

  例えば、ニクソン政権時代、北京政府と仲良しだったので、毛沢東を真似る習近平はキッシンジャーを「世界的に有名な戦略家にして、支那人の古い親友」と評していた。歐米の反共主義者から共産支那を守ってくれたので、この暴君はキッシヤジャーを懐かしみ、聡明なヴィジョンを以て米支関係の正常化に尽くしてくれた、と讃えている。(Pei-Lin Wu and Vic Chiang, 'China pays tribute to Kissinger,‘old friend of the Chinese people’, The Washington Post, November 29, 2023.)

  元KGB局員のウラジミール・プーチン大統領も、スパイ業界の同僚に哀悼の意を表した。優秀な諜報員であったプーチンは、キッシンジャーを「叡智に富み、長期的視野を備えた政治家」と評し、現実的で功利的な外政手腕を以て国際政治の緊張緩和を為しえた、と褒めている。(Mark Trevelyan, 'Russia's Putin praises Henry Kissinger as wise and pragmatic statesman', Reuters, November 30, 2023.)なるほど、キッシンジャーはプーチンが言うように「世界平和を強化する重要な米ソ協約を締結した」のかも知れない。

  アメリカのユダヤ人にとって「心の祖国」と言えるがイスラエル。この国からも偉大な同胞の死を悼むメッセージが届けられた。大統領のイサク・ヘルツォークによると、キッシンジャーは立派な決断と業績を重ねることでイスラエルの基礎を築き、同国のユダヤ人が平和的に暮らせるよう、大変な努力をしたそうだ。ヘルツォーク大統領は常にキッシンジャーの祖国愛(イスラエルに対する愛情と信念)を感じていたという。('Israeli officials laud Kissinger, as global public reaction mixed to diplomat’s death,’The Times of Israel, 30 November 2023.)

Isaac Herzog 1Benjamin Netanyahu 903Eli Cohen 1Yair Lapid 135
( 左 : イサク・ヘルツォーク / ベンジャミン・ネタニヤフ / エリ・コーエン / 右 : イェー・ラピッド)

  米国に留学していたベンジャミン・ネタニヤフ首相もキッシンジャーの業績をを讃えている。ネタニヤフによると、キッシンジャーは「単なる外政官ではなく、公的生活における理念の力と知的能力を信じる思想家」でもあった。エリ・コーエン(Eli Cohen)外相もキッシンジャーの死を悼んでおり、イスラエルとアメリカとの関係を揺るぎない同盟にしてくれた支柱(恩人)の一人であるらしい。野党「Yesh Atid」の代表であるイェー・ラピッド(Yair Lapid)元首相もキッシンジャーを懐かしみ、彼を「知的巨人(intellectual titan)」と呼び、「国際政治の大御所(giant of international diplomacy)」と評していた。

ドイツからやって来た怪しいユダヤ人

  歐米の主流メディアのみならず、日本のマスコミもキッシンジャーの逝去を報じ、“偉大な外政官”と評していた。しかし、このユダヤ人には他人には知られたくない幾つもの「顔」があった。

Henry Kissinger 324(左 / 幼い頃のキッシンジャー)
  ハインツ・アルフレット・キッシンゲル(Heinz Alfred Kissinger)は1923年5月17日、ドイツのバイエルンにあるフュルト(Fürth)で生まれた。父のルイス・キッシンゲル(Louis Kissinger)と母のパウラ・スターン(Paula Stern)は、ナチスの台頭を恐れ、1938年にハインツと弟のウォルターを連れて米国へと逃れたそうである。この一家はユダヤ移民が群がるニューヨークで居を構え、兄のヘンリー(ハインツ15歳の改名)は、ジョージ・ワシントン高校に通うことにした。彼はここで一年間学ぶと、夜間学校へと転入し、ここを卒業すると、ブラシ会社の「レオポルド・アッシャー*」に勤めたという。しかし、ヘンリーは学業を諦めきれなかった。この少年は夜になるとニューヨーク市単科大学(City College of New York)に通い、得意の勉強を続けていたそうだ。

  (*註/ この勤め先はキッシンジャー家の従兄弟が経営していた。当時、ウクライナやポーランドからやって来たユダヤ人は、新天地のアメリカで苦労する事が多く、彼らは先に移住した親戚や友人を頼ったり、近くのシナゴーグに赴いて長老のラビに相談することが少なくなかった。生活に困ったユダヤ人から頼りにされた親戚や友人も、“同胞愛”に満ちていたから、彼らを自分の店や会社で雇うことがあった。でも、心温かいユダヤ人は、アフリカ移民の黒人やイスラム教徒のアラブ人には冷たかった。普段は「多民族共生」とか「人道主義」を口にしているのに、私生活ではレイシストなんだから、ユダヤ人のリベラリズムには嘘がある。)

Jacob Javits 001
(左 / ジェイコブ・ジャヴィッツ)
  若い頃のキッシンジャーは、ドイツから逃れてきたユダヤ難民が集まる「ベス・ヒレル青年団(Beth Hillel Youth Group)」に属していた。ここには後の下院議員や上院議員となるジェイコブ・ジャヴィッツ(Jacob Koppel Javitz)がいて、彼は当時から非常に熱心な活動家であった。さらに、ここには最初の妻となるアン・フレイシャー(Anneliese Fleischer)もいたという。ちなみに、キッシンジは1964年にアン夫人と離婚し、1974年にネルソン・ロックフェラー州知事の秘書をしていたナンシー・マギネス(Nancy Maginess)と再婚した。やはり、ユダヤ人は出世をしたり金持ちになると、パッとしない古女房を捨てて、ヨーロッパ系の女と結婚したいのかなぁ〜。(イタリア系ユダヤ人のシルヴェスター・スタローンも、サーシャ・ザックと離婚して、北歐美人のブリジッ・ニールセンと再婚したしね。)

Henry Kissinger & Ann Fleischer 22Henry Kissinger & wife Nancy
(左 : 最初の妻アン・フレイシャーと若き軍人のキッシンジャー / 右 : 再婚相手のナンシー・マギネスと大御所になったキッシンジャー )

  とにかく、ヘンリー・キッシンジャーの転機となるのは、合衆国陸軍へ入隊したことだ。彼はサウス・カロライナ州にある「クロフト基地(Camp Croft)」で基礎訓練を受けたあと、ノース・カロライナ大学とラファイエット大学にある「陸軍特別訓練プログラム」に編入した。キッシンジャーはヨーロッパに派遣されると、第84歩兵師団第335歩兵連隊の「G」中隊に所属し、諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の調査官として勤務していたそうだ。

Alexander Bolling 1(左 / アレクサンダー・ボリング)
  一般的に、ユダヤ人は陸軍や海軍に属していても、前線で生死を賭ける歩兵になることは滅多にない。大抵は作戦本部に勤務する軍官僚とか、軍人の問題を扱う法律家、あるいは情報収集や防諜活動に携わる諜報員、難しい言語を喋る通訳といった職種に就く。キッシンジャーも戦闘員ではなく、アレクサンダー・ボリング(Alexander Bolling)将軍の運転手を務めていたという。と同時に現地部隊に重宝されるドイツ語の通訳でもあった。何しろ、一般のアメリカ人(西歐系の白人)は、西ゲルマン語のイギリス語を話しているくせに、ドイツ人が話すゲルマン語を習得できない。彼らは大学教育を受けても、「ドイツ語は文法が複雑で単語も難しい」と弱音を吐く。こんな調子だから、陸軍少尉や海軍中尉、あるいは空軍大佐でもドイツ語となれば“お手上げ”だ。

Henry Thomas Buckle 11(左 / ヘンリー・トマス・バックル )
  そこで登用されるのが、何かと便利な“宮廷ユダヤ人”である。昔から、様々な国を渡り歩くユダヤ人には「多言語話者(ポリグロット / pólyglòt)」が多い。家庭ではイディシュ語を話していても、商売や勉強となるや、フランス語とかスペイン語、イタリア語のみならず、文字の違うギリシア語やロシア語でも話せる者がゴロゴロいる。英国の歴史家だったヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle)みたいな人物は別格だ。ラテン語はもちろんのこと、ヨーロッパの言語を幾つも理解できたという。フィールド・オフィサーとなるCIA局員でも、日本語とかアラビア語となれば降参で、たとえ日常会話を習得しても、文章を読んだり書いたりするとなれば日本人の通訳を必要とする。

  「カイロ大学の社会学科を首席で卒業した」という小池百合子は“例外”というか、“笑顔の詐欺師”みたいなもんだが、普通のアメリカ人だとアラビア語とか日本語の読み書きなんて出来ない。しかし、ユダヤ人は暗号解読の名人で、奇妙奇天烈な言語でもOK。非ユダヤ人にも多言語話者がいて、ハリウッド男優のヴィゴ・モーテンセン(Viggo Peter Mortensen, Jr.)も、その一人だ。彼は父親がデイン人で、祖父のデンマークにも住んだことがあるから、数カ国語を話せるようだ。普通に育てば英語のみのアメリカ人なっているけど、彼の家族はベネズエラやデンマーク、アルゼンチンを転々とし、様々な環境で子供を育てたから、ヴィゴが色々な言葉を話せるのも当然だ。彼はセント・ローレンス大学を卒業後、ヨーロッパに渡っているから、スペイン語やデイン語を実際の生活で使っていたのだろう。(ちなみに、ヴィゴは『G.I.ジェーン』や『ダイヤルM』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演している。日本でも知っている人は多いだろう。)

Viggo Mortensen 11Viggo Mortensen 9324Viggo Mortensen in GI Jane
(左 : ヴィゴ・モーテンセン / 中央 : 子供時代のヴィゴ / 右 : 『G.I.ジェーン』 に出演したヴィゴ)

ロックフェラーに育てられた宮廷ユダヤ人

  話を戻す。「外人」のキッシンジャーは身体検査(security clearance)をパスして上等兵から軍曹になった。この特進に加え、キッシンジャーは個人的恨みも晴らしたそうだ。彼はドイツ勤務でゲシュタポやナチスのスパイを尋問して喜んでいた。しかし、彼は1946年になると陸軍を除隊し、ドイツのオベラマーアゴ(Oberammergau)にある「ヨーロッパ戦線諜報学校(European Command Intelligence School)」の教官に就任する。でも、給料に不満があったのか、キッシンジャーはさっさと帰国し、ハーヴァード大学に入った。それと同時に、彼は予備役の士官になったので、少尉から大尉へと昇進することになった。

  名門のハーヴァード大学に編入したキッシンジャーは、ロックフェラー財団からの研究費を含め、四種類の奨学金を貰っていたそうだ。いかにもユダヤ人の優等生らしく、キッシンジャーはハーヴァード大の名物教授、あのウィリアム・ヤンデル・エリオット(William Yandell Elliott)に見出され、サマー・スクールの講師やセミナーの上級講師にしてもらった。ユダヤ人というのは、アメリカ人やヨーロッパ人からの「一本釣り」や「異例の抜擢」で出世を果たす。彼らはそれで満足せず、幸運の女神を踏み台にして徐々に人脈を広げ、“学会のドン”や“財界の大物”となってゆく。エリオット教授の弟子には、後にカナダの首相となったピエール・トルドー(Pierre Trudeau)や、ケネディー政権で国家安全保障補佐官になったマクジョージ・バンディー(McGeorge Bundy)がいる。ホント、政界や学会というのは、結構“狭い世間”である。

Henry Kissinger 6642William Y Eliott 112Pierre Trudeau 2332McGeorge Bundy 853
(左 : キッシンジャー / ウィリアム・ヤンデル・エリオット / ピエール・トルドー / 右 : マクジョージ・バンディー)

  優秀な成績(summa cum laude)を以て卒業したキッシンジャーは、これまた秀才が集まる学生クラブ、「ファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に選出され、エリオット教授の推薦もあってか、ハーヴァード大学の教授になった。1951年、エリオット教授はハーヴァード国際セミナー(Harvard International Seminars)」を創設するが、キッシンジャーは恩師からここの主任(executive director)に抜擢されたという。ここで注目すべきは、セミナーのパトロンである。大富豪というのは、未知数であっても優良な成長株に投資するもので、フォード財団やロックフェラー家が創ったアジア財団、それに中東アジアの金持ちやCIAが資金を流していたというのだ。

  このセミナーが発展したことで、『コンフルーエンス(Confluence)』という雑誌が発刊され、キッシンジャーはここに論文を投稿した。ところが、この刊行物は十数回だけ続いて廃刊となってしまう。ただし、単なる終焉じゃなかった。『コンフルエンス』の論調が共産主義的だという廉(かど)で、1955年にキッシンジャーは陸軍諜報部からの尋問を受けていたのだ。(Frank A. Capell, The Kissinger Caper : a Former General in Communist Intelligence says Kissinger was a KGB Agent Before He Went ot Harvard, Belmont, MA : The Review of the News, 1974, p.29.)当時の噂によれば、雑誌の顧問を務めていた人物の中には、共産主義者やコミュニスト組織に関係を持つ人物が紛れていたという。さらに眉を顰めたくなるのは、この雑誌にロックフェラー・ブラザース財団が、2万6,000ドルの賞与金(grant)を与えていたということだ。

Nelson Rockefeller 9423
(左 / ネルソン・ロックフェラー)
  ヘンリー・キッシンジャーの出世には、ロックフェラー家の貢献や後押があった。フォード政権で副大統領となったネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は、ローズヴェルト政権で国際問題のコーディネーターを務めており、弟のウィンスロップと同じく、政治的野心に満ちていた。1956年にネルソンが「Special Study Project」という研究グループを創設すると、キッシンジャーはここの所長に就任した。たぶん、ネルソンの指図だろう。

  ネルソン・ロックフェラーの野望はホワイトハウスにあったのか、この大富豪は経歴作りのために州知事を目指した。実際、彼はリベラル派の牙城であるニューヨークの州知事になることが出来た。未来の大統領を目指すネルソンには、現実の国際政治を扱える“参謀”が必要で、学問に秀でたキッシンジャーは“打って付けの軍師”であった。主君のお眼鏡に適ったキッシンジャーは、トントン拍子に出世を重ね、ロックフェラー家がスポンサーとなる「外交問題評議会(CFR)」のメンバーにもなれた。彼は1977年から1981年まで、CFRの理事会で役員を務めることになる。キッシンジャーの『核兵器と外政(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』は、CFRのメンバーになった頃に書かれた処女作であった。

  日本では中東問題やアジア情勢に関する「共和党の重鎮」として知られているが、キッシンジャーは“保守派の知識人”じゃない。リチャード・ニクソンと組む前は、民衆党寄りのグローバリスト学者であった。当初、キッシンジャーは大統領になったジョン・F・ケネディーの政権に潜り込もうと目論んだが、ケネディー兄弟から毛嫌いされてホワイトハウスに入ることは出来なかった。兄貴を補佐するロバート・ケネディー司法長官も、この下品なユダヤ人を嫌っていたというから、キッシンジャーはアーサー・シュレッシンジャー(Arthur Meier Schlessinger, Jr.)のような宮廷ユダヤ人にはなれなかった。

  ユダヤ人の支援で著作を出版でき、さらに大統領選でもユダヤ人団体から応援してもらったのがケネディー大統領である。それゆえ、彼の周辺にはユダヤ人の側近が多かった。(ホワイトハウスでユダヤ人に取り囲まれた記念写真を見ると、本当にゾッとする。)

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(左 : ロバート・ケネディー / アーサー・シュレッシンジャー / セオドア・ソレンセン / 右 : ロバート・ノヴァック)

  例えば、『ケネディーの千日(A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House)』を書いたシュレッシンジャーの母親は、ドイツ人とイギリス人の家系だが、父方の祖父はドイツに住んでいたユダヤ人で、プロテスタントに改宗した現世利益派だった。ケネディー大統領の顧問で、スピーチライターを務めていたセオドア・ソレンセン(Theodore Chaikin Sorensen)もユダヤ人で、父親はデイン系アメリカ人であったが、母親はロシア系ユダヤ人ときている。ついでに言うと、CNNの討論番組「クロスファイアー」でホストを務めていたロバート・ノヴァック(Robert David Sanders Novak)も「改宗ユダヤ人」であった。ノヴァックの両親は世俗派のユダヤ人であったから、息子のロバートにはユダヤ教への情熱は無かったようだ。女房のジェラルディンがカトリック信徒になったから、亭主のロバートも一緒にカトリック教会に入ったという。まぁ、西歐紳士になりたかったシュレッシンジャーと同じく、ノヴァックも「ユダヤ人」という血統(属性)が恥ずかしかったのかも知れない。

ニクソンに仕えたユダヤ小僧

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(左: 主人のネルソン・ロックフェラーと執事のキッシンジャー / 右 : ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官 )

  ケネディー兄弟に嫌われたキッシンジャーは、大統領選でJFKに破れたリチャード・ニクソンの安全保障補佐官となったが、政権に入る前は親分を密かに蔑んでいた。「私はあの男の為には働かないぞ。あの野郎は疫病神だ(I would never work for that man, the man is a disaster.)」とキッシンジャーは述べていた。(上掲書、p.32.)日本のマスコミや政治評論家は、「ニクソン・キッシンジャー外交」とやらを褒めそやし、両者がコンビを組んで中東問題や対シナ外交を取り仕切ったように論じるが、実際は水面下でお互いに警戒する間柄であった。

  嫌われたニクソン大統領も、キッシンジャーを小馬鹿にしており、キッシンジャーは信頼できる助言者ではなく、ネルソン・ロックフェラーが送り込んだ「お目付役」と考えていたようだ。何しろ、ニクソンはキッシンジャーのような狡賢いユダヤ人が大嫌い。このクェーカー教徒(ニクソン)はユダヤ人に懐疑的で、1971年まで中東政策からキッシンジャーを外していたのだ。なぜなら、キッシンジャーが述べたように、彼のユダヤ人という民族性が彼の判断力を曇らせるんじゃないか、とニクソンが心配していたからだ。そして、冷酷な現実を熟知する大統領は、キッシンジャーの愛国心、すなわちアメリカ合衆国への忠誠心すら疑っていたのである。(Martin Indyk, Master of the Game : Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy, New York : Alfrd A. Knopf, 2021, p.36.)

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(左 / レオナード・ガーメント)
  ニクソン政権の大統領顧問を務めたレオナード・ガーメント(Leonard Garment)によれば、ホワイトハウスの中でキッシンジャーは“エキゾテックな神童(exotic wunderkind)”、あるいは“よそ者(outsider)”と見られていたそうである。まぁ、西歐人とは違う容貌に加え、ドイツ訛りの英語を喋り、何を目論んでいるのか判らないから、同僚から“セム種族のエイリアン”と思われても当然だ。ニクソン政権のインナー・サークルは日常会話でも、「キッシンジャーは決して自身のユダヤ性を脱ぎ捨てることは出来まい(Kissinger could never ....shed his Jewishness.)」と囁いていたそうである。(上掲書、p.37.)

  政界の裏事情を知っていたからだろうが、ニクソンはユダヤ人に対する反感と懐疑心を抱いていた。当時のアメリカ人だと、ユダヤ人は金持ちで狡賢い(rich and tricky)」というイメージが一般的であった。ニクソンもステレオタイプの持ち主で、ユダヤ人のリベラル派は何かに附けイスラエルに忠実だ、と思っていた。財務長官のジョン・コナリー(John B. Connally)と執務室で話していた時も、ニクソンはユダヤ人に対する偏見を隠さず、会話の中で「ユダヤ人のリベラル派は信用がならない。第二次政権ではユダヤ人スタッフの数を減らすつもりだ」と述べていた。(上掲書、p.37.)

  こんな考えだから、ニクソンは自分の補佐官であってもキッシンジャーを信用せず、大切な相談は大統領顧問であるジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)と首席補佐官のハリー・ロビンス・ハルデマン(Harry Robbins Haldeman)だけに持ちかけていた。それゆえ、三人の鳩首会談となれば、キッシンジャーは“蚊帳の外”だ。もし、キッシンジャーを密談に加えてしまうと、主君のネルソン・ロックフェラーや政財界のユダヤ人に“筒抜け”となるからダメ。用心深いニクソンは、執務室の扉を閉ざしてキッシンジャーを“のけ者”にしていた。

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(左 : ハリー・ロビンス・ハルデマン / 中央 : リチャード・ニクソン大統領 / 右 : ジョン・アーリックマン )

  以前、CBSやNBCのイヴニング・ニューズで放送されたけど、ニクソン大統領はキッシンジャーを小馬鹿にするような言を吐いていた。ニクソンはホワイトハウス内でキッシンジャーが必要な時、「俺のユダヤ小僧は何処にいるんだ!?(Where is my Jew-boy?)」と側近に尋ねていたというから、一般のアメリカ国民はビックリ。執務室で録音されたテープを聞いたキッシンジャーはどう思っていたのか? 育ちの悪いニクソンは、普段の会話の中でも遠慮せずに「ニューヨークのユダヤ人(New York Jews )」とか「糞のユダ野郎(fucking Jews)」という侮蔑語を口にしていた。(Richard Reeves, President Nixon : Alone in the White House, New York : Simon & Schuster, 2002, p.42)常識的な日本人であれば、ニクソンの口癖を聞いてしまうと、「彼は本当に敬虔な新渡戸稲造博士と同じクェーカー信徒なのか?」と疑ってしまうだろう。

怪しい人物を採用する国務長官

JFK & American Jewshenry Kissinger in Japan 1974
(左 : ユダヤ人の有力者に囲まれたジョン・・ケネディー大統領 / 右 : 来日した時に藝者と戯れるキッシンジャー )

  ニクソンは“お世辞”にも「紳士」と呼べないが、キッシンジャーも同様にアメリカ紳士ではない。というのも、キッシンジャーが政権に招き寄せたり、国務省に採用した人物には“いかがわしい輩”がたくさん居たからだ。

  例えば、国務長官になったキッシンジャーは、FBIから保安上の危険人物と見なされていたボリス・クロッソン(Boris Hansen Klosson)をSALT(戦略核兵器制限交渉)の政治諜報担当官に選んでしまったのだ。クロッソンの「信用度」は、ソ連からやって来た女スパイが逮捕された時、“問題”とされてしまった。「ホンマかいな?!」と驚いてしまうが、彼女の連絡手帳にはクロッソンの住所が載っていたのだ。それに、クロッソンがモスクワの米国大使館に勤務した時、KGBの調査報告書が本国に送られそうになったが、何かの理由でマズかったのか、ワシントンへの送付を妨害したそうだ。(The Kissinger Caper, p.34.) また、ソ連へ亡命したリー・ハーヴェイ・オズワルドが米国へ戻る時、彼の帰国許可を与えた責任者はクロッソンであったという。

  キッシンジャーが駐チリ米国大使に選んだデイヴィッド・ポッパー(David Henry Popper)も“不適切な人物”であった。このユダヤ人大使は、共産主義者の容疑が濃厚なアルジャー・ヒス(Alger Hiss)と親しく、国務省の役人だったヒスの推薦で同省に入ったという。また、ポッパーは如何にもユダヤ人らしく、真っ赤な雑誌である『アメラジア(Amerasia)』に集う共産主義者やソ連のスパイとも交際があったそうだ。案の定、ポッパーは「赤旗」のような「デイリー・ワーカー(Daily Worker)」紙の編集長で、米国共産党のメンバーだったルイス・ブデンツ(Louis Budenz)と知り合いだったようで、このブデンスによって共産主義者であることをバラされてしまった。(The Kissinger Caper, p. 35.)

  キッシンジャーが台湾に送った米国大使のレオナード・アンガー(Leonard Seidman Unger)も共産主義の疑いを持たれた人物だ。アンガーはタイやラオス、シナでも大使を務めていたから、現地の共産主義者に歓迎されたのも納得できる。

David Popper 1Louis Budenz 1Leonard Unger 1James Sutterlin 1
(左 : デイヴィッド・ポッパー / ルイス・ブデンツ / レオナード・アンガー / 右 : ジェイムズ・サッタリン)

  国務省のドンになったキッシンジャーは、赤色分子やソ連贔屓の友人ばかりじゃなく、同性愛者や危険人物に対しても省庁の門を開いてしまった。例えば、国務省の監査長官になったジェイムズ・サッタリン(James S. Sutterlin)は、同省の保安局員であったエドワード・ケリー(Edward Kelley)とホモの関係にあったそうだ。省内で有耶無耶(うやむや)にされてしまったが、ケリーのせいで外交上の秘密暗号がソ連側に写し取られたり、ソ連のエイジェントになった米国外政官は自由に活動できたらしい。大使館の職員もソ連のハニートラップに引っかかったようで、よく訓練された女スパイが現地の役人を誘惑したそうだ。女の工作員に惚れた職員がソ連の手先になることはよくあるが、同性愛者も敵国の標的にされやすい。なぜなら、ゲイの外政官や書記官などは、同性愛の発覚を恐れて敵国エージェントの命令に従ってしまうからだ。

  キッシンジャーが国務省の難民担当官に任命したルイス・アーノルド・ワイズナー(Louis Arnold Wiesner)も、アメリカの国益を毀損する官僚だった。なぜなら、彼のせいで脱走兵や難民を装った共産主義者が米国に易々と入れたし、国内で優遇を受けていたからだ。大学教師もそうだけど、公務員を採用する際には、その家族構成や血統、民族、教育、性格、思想、趣味などを慎重に吟味せねばならない。1992年9月30日にドン・キエンツェル(Don R. Kienzle)によって行われたインタヴュー(Labor Diplomacy Oral History Project)で認めていたけど、ワイズナーは国務省に勤める前、つまり彼が若い時、少しだけ共産党に属していたそうだ。彼はマッカーシズムの時代にドイツから帰国した。1950年の頃、CIAに雇われていたので、「嘘発見器のテスト(lie ditector test)」を受けねばならず、本当の事を喋るしかなかったという。

  しかし、ワイズナーの“転向”は怪しい。彼は『労働者日報(Daily Worker)』に加え、『新大衆(New Masses)』、『青年労働者(Young Worker)』などを熱心に読んでいたし、昔は不穏分子たる「アメリカ学生組合(American Student Union)」にも属していたのだ。しかも、彼は母校に「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の支部を創ろうと試みていたから、相当“疑わしい人物”である。

  日本人は「元左翼」や「転向組」に優しいが、「若い時の過ち」であっても、一旦、共産主義者とか左翼思想にかぶれた者は、シャブ中と同じで、中々“健全な精神”には戻れない。職場では現実主義の資本家や経営者であっても、何かの切っ掛けで“ふと”昔の記憶が甦り、青年時代の魂が復活することがある。西部グループを率いていた堤清二は、東京大学時代に共産党に入ったし、東京都知事になった作家の猪瀬直樹も左翼だ。猪瀬は信州大学時代に学生運動のリーダーを務めていた。日本テレビの代表取締役になった氏家齊一郎も堤清二を共産党に誘った左翼だし、読売新聞の首領になったナベツネ(渡邉恒雄)も、東大時代に共産党に入っていた。「保守」を看板にする産経新聞の社長になった水野成夫(みずの・しげお)も共産主義を信奉する赤い学生で、産経の前は「赤旗」の編集長を務めていたのだ。こうした財界人は自由主義の市場経済を擁護しても、昔の仲間や後輩から頼まれると断れず、裏で左翼団体に献金したり、社会党や立憲民主党に便宜を図ったりする。

「ソ連のスパイ」容疑を掛けられたキッシンジャー」

Michal Goleniewski 0001( 左 / ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー)
  元国務長官のヘンリー・キッシンジャーには、昔から“ソ連のスパイ”という疑惑が掛けられ、共産主義陣営に有利な政策を推し進めてきたモグラという批判がある。実際どうだったのかはよく判らないが、1961年に米国へ亡命したソ連のスパイ、ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー(Michał Franciszek Goleniewski)の話を聞くと、キッシンジャーに対する容疑はある程度「本当」のように思える。彼は諜報活動に関する1500ページほどの報告書をFBIに渡したことがあり、この遣取が世間にバレたので、キッシンジャーに対する民衆の疑念が深まったのだ。

  亡命したゴレニフスキーはポーランド軍の防諜諜組織(GZI / Główny Zarząd Informacji Wojska Polskiego) にある技術部門で勤務する陸軍大佐であったが、これは“表の顔”で、実はソ連のKGBがポーランドに送り込んだ“間諜(スパイ)”であった。ところが、ゴレニフスキー大佐は二重スパイどころか“三重スパイ”であった。彼は密かに米国や英国へソ連やポーランドの情報を流してくれる“裏切者”で、CIA(中央情報局)は彼に「SNIPER」というコード・ネームを与え、MI5(英国防諜局)は「LAVINIA」というコード・ネームを附けていたそうだ。

  ゴレニフスキーは出身地のポーランドで「ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー」と名乗っていたが、この亡命将校はどうやらロシア皇帝の血を引く子孫らしい。ゴレニフスキーが殺されたロシア皇帝ニコライ2世の息子で、本名は「アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ロマノフ」(Aleksei Nicholaevich Romanoff)」というが、2008年に公開されたFBIの報告書でも彼の素性が確認されていたので、「もしかすると本当なのかも知れない」と思えてくる。なぜなら、CIAの元調査分析主任であるハーマン・キムゼー(Herman E. Kimsey)が、1965年6月3日に宣誓証言を行っていたし、FBIや国務省に属していたジョン・ノーペル(John Norpel, Jr.)も上院の公聴会で証言していたからだ。それゆえ、気軽に“出鱈目”だとは決めつけられない。(Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?', The American Chronicle, March 16, 2013.)

  ゴレニフスキーがもたらした機密情報の中で特筆すべき点は、ODRA(ソ連のスパイ組織)の産業や科学技術分野に携わる個人データである。ここにはモグラ(諜報員や工作員)の名前や身分、職業、住所などが記されていたそうだ。「ODRA」の主な目的は、西側諸国、とりわけブリテンやアメリカにある軍諜報部への浸透にあった。驚くのは、ゴレニフスキーがCIAに報告したスパイの中に、当時あまり知られていないハーヴァードの教授であったヘンリー・キッシンジャーの名前が記されていたことだ。(The Kissinger Caper, p.77.)第二次世界大戦中、合衆国陸軍の軍曹であったキッシンジャーには、「BOR」という暗号名が与えられていたという。ゴレニフスキーによれば、キッシンジャーはオベラマーアゴの軍諜報学校で教官をしていた時、ドイツ生まれのアメリカ人でソ連のスパイになっていたエルンスト・ボゼンハルト(Ernst Bosenhard)と連絡を取っていたというのだ。(The Kissinger Caper, p.81.)

  「Baraban(バラバン)」というコード・ネームを持つボゼンハルトは、東ドイツに生まれ、八年ほどアメリカに住んでいたことがあるという。調査ジャーナリストのケヴィン・クーガンによると、彼は第二次世界大戦中、米国の「OSS(戦時情報局)」に協力した人物で、後にオベラマーアゴの諜報司令部で通訳の仕事をしていたそうだ。(Kevin Coogan, The Spy Who Would Be Tsar : The Mystery of Michal Goleniewski and the Far-Right Underground, New York : Routledge, 2021, Chapter 10を参照。)しかし、彼は1951年にスパイ容疑で逮捕されてしまう。連合軍ドイツ高等委員会(Allied High Commission for Germany)は、ソ連に情報を流していたボゼンハルトを裁き、懲役四年の有罪判決を下した。彼は裁判の中で「同性愛をネタにして脅されていたんだ」と訴えたが、そんな言い訳が通用することはなく、「塀の中の囚人」となってしまった。ただし、彼が恐れていたシベリア送りじゃなく、西側の刑務所なんだから、考えようによっては、意外と良かったんじゃないか。

  「ソ連のスパイ」との容疑を受けたキッシンジャーだが、肝心のODRAファイルの中に彼の名前は見当たらなかった。ただ、驚異的な出世を遂げたキッシンジャーが、共産主義国に対して“親切”だったのは確かだ。

  例えば、「共産支那の門戸を開いた」という“功績”のあるキッシンジャーは、赤い皇帝の毛沢東と懐刀である周恩来、そして民衆を弾圧する共産党幹部と非常に親しく、人民解放軍によるクーデタ計画が練られていることを“北京の友人達”に知らせてあげたという。この情報はイスラエルの諜報機関からCIAのリチャード・ヘルムズ長官へともたらされ、ヘルムズ長官から詳しい情報がニクソン大統領とキッシンジャーに報告されたそうだ。“友人の危機”を耳にしたキッシンジャーは「一大事!」と思ったのか、急遽、極秘裏に北京へ飛び、毛沢東と周恩来に暗殺の危機が迫っていることを伝えたそうである。(The Kissinger Caper, p.8.) このクーデタ計画が事前に発覚したことで、林彪一派は処刑され、毛沢東の政権は揺るぎないものとなった。もちろん、毛沢東の粛清は報道管制のもとに置かれたから、日本の「支那通」は林彪の生存を信じていた。

Henry Kissinger & Mao 1213Henry Kissinger & Xi 99
(左 : 毛沢東とキッシンジャー / 右 : 習近平とキッシンジャー )

  ニクソン大統領とタッグを組むキッシンジャーには、秘密外交の常習犯とか米国を裏切りるソ連のスパイ、南米での虐殺や政府転覆を画策した極悪人、といった非難がたくさんある。確かに、このユダヤ人学者には世間に知られたくない「裏の顔」があるみたいだ。

  例えば、以前、レーガン政権で教育省の高官を務めたシャーロット・イザービット(Charlott Iserbyt)が、「ソ連共産党中央委員会政治局(Politburo)」のコンサルタントを務めたイゴール・グラゴレフ博士(Dr. Igor Glagolev)にインタビューしたことがある。彼はカーター政権でSALT交渉の主任を務めたポール・ウォンケ(Paul Warnke)と議論したロシア人。グラゴレフ博士は何度もクレムリンを訪れたことがあるが、そこの会議にはネルソン・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーが列席していたそうだ。(上掲記事、Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?')

「善悪」を超えた政治力学

Victor Rothschild 2134(左 / ヴィクター・ロスチャイルド)
  そもそも、社会主義のソ連、すなわちボルシェビキ支配下のロシアは、ロスチャイルド家やウォーバーグ家、ロックフェラー家などの大富豪によって創られた実験国家だ。それゆえ、パトロンの子孫であるネルソン・ロックフェラーやヴィクター・ロスチャイルド(3rd Baron Nathaniel Mayer Victor Rothschild)が、“お忍び”でソ連を訪問してもおかしくはない。また、歐米諸国にやって来た東歐の諜報員や西側の裏切者に“指示”を与えても不思議じゃないだろう。ネルソンやヴィクターは、一部の保守派知識人から「ソ連のスパイじゃないのか?」と疑われたが、彼らが「クレムリンの犬」になるとは考えづらい。むしろ、彼らがソ連のスパイに指令を渡し、クレムリンの連中が御命令を承った、というのが本当のところだろう。

  ロックフェラー家が「市場の独占」を好んでいたのは世有名な話で、ソ連という監獄国家は独占欲の強い金融資本家にとって“好ましい国家形態”であった。なぜなら、他の競争相手は参入できないからだ。ロックフェラー家だけがソ連で銀行を開設できたり、石油やガスの採掘や輸出入をできたりすれば、チェイス銀行やエクソン、モービルは大儲けだ。冷戦時代の軍縮交渉というのは、軍事的・経済的に劣勢となったソ連を救うための手段であったのかも知れないぞ。日本の保守派言論人は認めたがらないが、米国の共和党やタカ派陣営が取り組んだ軍縮交渉でも、水面下での裏工作があった可能性は否めない。アメリカ軍の卓越した兵器の質や量を下げてやることで、苦境に悩むソ連を助けてやれば、東西冷戦の均衡が保たれる、という訳だ。

  冷戦時代の知識人は、「ソ連の核兵器による米国への攻撃」とか「世界最終戦争によるハルマゲドン」を信じていたが、そんなのは軍需産業と金融業者が作った政治プロパガンダで、投資家や兵器会社が儲けるための演出だ。もし、アメリカによる圧倒的な世界平和が訪れれば、最新鋭の戦闘機や空母なんかは要らなくなる。しかし、東西の軍事緊張が高まれば、ソ連軍を凌駕するための高級兵器が必要になるから、高性能を誇る戦闘機やステルス性の戦略爆撃機、SLBMを搭載した原潜、通信衛星と連動した戦車などの研究開発が加速する。たとえ、高額な兵器となっても、購入者は政府だから、どんな“商品”でもドンドン買ってくれるし、子飼いの政治家が議会で国防を叫ぶから、1億ドルでも100億ドルでも際限なし。膨大な予算案がスラスラ通る。ロッキードやボーイング、マクドーネル・ダグラス、レイセオンなどの兵器会社がどれほど儲けたことか。石油や食料、備品を供給する民間企業や海外の基地を建設するベクテル社や萬屋のハリバートンなども巨額の利益を上げたはずだ。

Henry Kisinger in Soviet Union 213Henry Kissinger & President Putin 365
(左 : ブレジネフ書記長とキッシンジャー / 右 : プーチン大統領と握手するキッシンジャー)

  キッシンジャーはリアリストの政治学者だったから、国際政治には倫理・道徳を挟まなかった。大国の政治、あるいは多国間のパワー・ゲームというのは、たいてい利益で動く。それゆえ、現実的な戦略家や政治家は、必要とあれば独裁者との密約を結ぶし、議会や世間に内緒で要人暗殺を命じる。邪魔な奴が多ければ、クーデタによる政府転覆を画策し、皆殺しで問題解決だ。キッシンジャーがスパイみたいな怪しい友人や赤い役人を用いたのは、それが有益であったからだろう。望んだ結果をもたらす人物なら、ゲイでもアカでも何でもいい。ソ連の工作員と昵懇となっていても、それは裏取引をするための“貴重な資産(asset)”だし、諜報の世界では敵側のスパイと親しくすることは珍しくない。キッシンジャーが有能な外政官であったのは、目的のためには手段を選ばなかったからだ。自分の名声や主君の利益を考えれば、「汚い手段」であっても一向に構わない。

  「American Chronicle」の編集長であるトニー・ボン(Tony Bonn)が述べていたが、ニクソン大統領はキッシンジャーのバックグラウンド・チェックをしないようスタッフに命じていたそうだ。通常、政府機関の職員やホワイトハウスのスタッフに対しては、その身元や素性、家族、友人関係などを調べる身辺調査が行われるはずなのだが、キッシンジャーの正体を知っていたニクソンは、それを問わないよう指図した。おそらく、身体検査で厄介事や問題が発覚するのを恐れていたのだろう。何しろ、大統領になったリチャード・ニクソンだって、親分のネルソン・ロックフェラーに頭が上がらない下僕であったし、ロックフェラー家に刃向かうほど馬鹿じゃなかった。となれば、主君から執務室(Oval Office)に派遣された“監視役”のユダヤ小僧には、“格別の配慮”を示さねばならない。

Henry Kissinger & Nelson Rockefeller & President Ford 3Rockefeller family 6624
( 左 : ネルソン・ロックフェラーとフォード大統領と一緒のキッシンジャー / 右 : 華麗なるロックフェラー家の人々)

  1994年の4月に亡くなったニクソンの葬儀で、相棒だったキッシンジャーは嘗ての上司を悼んで涙を浮かべていたが、この哀しみは本当だったのか? アメリカ人は鰐を思い浮かべて「クロコダイルの涙(crocodile tears)」と呼んでいるが、キッシンジャーの本心はどうだったのか? ユダヤ人の涙は演技なのか本当なのかサッパリ判らない。もしかすると、キッシンジャーはウッディー・アレンより優れた俳優なのかも知れない。(涙の追悼が自然な演技なら、エミー賞をもらえる名優になれるぞ。)

  あの世のことは判らないけど、もし無神論者のキッシンジャーが地獄に落ちたら見物だ。たぶん、巨大な炎の近くにはデイヴッィド・ロックフェラーが坐っていて、彼の後部座席がキッシンジャーの指定席となっているんじゃないか。そして、両隣には先に亡くなったネルソンや毛沢東、周恩来、ローズヴェルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーといった豪華な悪党が順番を待っているかも知れないぞ。懐かしい仲間に再開できる地獄の同窓会なんて、結構、乙なものだ。
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