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2012年3月08日13時29分 〜
コメント [原発・フッ素21] マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?(BLOGOS) otoppi
29. 2012年3月08日 13:29:26 : xn4c4Dp7F6
被災地にはケチなのに自民党には大盤振る舞いの東電幹部
http://gendai.net/articles/view/syakai/129799

ハッキリ言って、世界中を震撼させている今回の原発事故を招いたのも

歴代自民党政権が「原発=安全神話」を国民に植え付けてきたからだ。それなのに、
谷垣総裁はシレッとして「原子力政策の推進は難しい状況になった」なんて言っているからチャンチャラおかしい。まして大連立なんて冗談にもホドがある。


原発推進の9電力会社役員206人
自民に献金2800万円
やらせメールの九電も157万円
09年
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-16/2011071615_01_1.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/617.html#c29

コメント [原発・フッ素21] ふげんでレーザー除染実験 放射性物質濃度を100分の1に (産経新聞)  赤かぶ
10. 2012年3月08日 13:39:12 : GNcNi6mjs6
単にレーザービームで削り取るみたいですよ

高圧洗浄機でも落ちない放射性物質汚れをビームで削り取ってはがすということなのでしょう

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=55699
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/650.html#c10

コメント [原発・フッ素21] 3月7日 [内容起こし] 小出裕章氏×澤田哲生氏『日本の原発どうする?東西の専門家が本音で生トーク』@たね蒔きJ   赤かぶ
02. 2012年3月08日 13:41:30 : bb4bHvEHo2

澤田っていう馬鹿は酒でも飲んで酔っ払っているのか?

それとも麻薬かなんかでラリっているのか?

困った馬鹿だな。


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/659.html#c2

コメント [原発・フッ素21] 3・11から1年…東大:今こそ変わるとき 「ムラ」周辺から相次ぐ批判(毎日新聞) クマのプーさん
11. 2012年3月08日 13:44:01 : i93ub11HLE
著名なある人が<いまジワジワと軍靴の足音が聞こえてくる>危険だ。きのうの
接続不能も何かの仕業だろう>気をつけろ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/644.html#c11
コメント [原発・フッ素21] 3月7日 [内容起こし] 小出裕章氏×澤田哲生氏『日本の原発どうする?東西の専門家が本音で生トーク』@たね蒔きJ   赤かぶ
03. 2012年3月08日 13:53:08 : Pl5E214eSk
やはり澤田氏はキモかった!

リスナーの質問の答えになっていないはぐらかしトークは、スイシンジャーとして
生計立てている輩の、必須のスキルなのだと改めて確認した。

スイシンジャーには、小出氏のように、これはこうです、それは解りません、と
明確な発言ができる素地など、ありえないのだな。
そりゃそうだ、10万年殺人廃物製造を地球上に推し進めるのだから、
そこに理念などあろうはずはない。

理念ならぬ、「利念」が頭の中にはびこっている。
自分が利益を得れれば、それが正義。
それをどうして、省みたりする必要があるのか!自信満々、いや、辞紳瞞瞞だ。

紳士としての矜持などクソ食らえ!詐欺・欺瞞こそが、自分に利をもたらすのだから!と、背後に黒いオーラを見た想いだ(ラジオだが)。

本当にキモかった!
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/659.html#c3

コメント [国際6] ロシア大統領選挙でプーチンが勝利 (カナダ de 日本語) 明るい憂国の士
11. 2012年3月08日 13:53:16 : K7Z0LZyAEE
世界の情報網のほとんどを支配しているユダヤ資本。
日本のメディアはほとんど完全に彼らの統制下にあり、欧米の意のままにはならないロシヤや中国の印象を悪くする報道に余念がない。
近隣諸国との関係を悪化させて利するのはアメリカだ。
外国領土に基地をただで維持でき、内政干渉が苦も無くできる。
自国の国土国民を自分の力で守らない国のことを世界は保護国と称し、独立国としては扱わない。国連で表面上独立国扱いしているのは多額の国連分担金を払わせるためだけであり、保護国が常任理事国になることは決して認めないのだ。
日本の外交官もそれは十分承知の上であるが運動費で己の懐が潤う為に本音は決して明かさないのだ。
外交自主権が日本にないことは北朝鮮に見透かされている。だから彼らは日本と外交交渉を行う必要など毛ほども感じていないのだ。
アメリカと交渉して日本から搾り取ったほうが遥かに手間が省けると考えている。
実に賢明だ。
日本国民も少しは冷徹な国際政治の現実に気づいて欲しいものだ。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/489.html#c11
コメント [原発・フッ素21] メルトダウンを防げなかった本当の理由 taked4700
35. 2012年3月08日 13:53:19 : DAasgXaB5A
ちょっと話がずれてますよね。

この記事のとおり「技術経営」が問題だったとしてですよ、現場で「経営判断」なんてできるはずないわけですし、経営陣に情報が伝わっていたはずもない。それをもって東電の経営陣が悪かったというのは、正義の仮面をかぶった弱いものイジメじゃないかと。

東電は東電なりに震災後の日本を支えてくれている訳ですし、電気のない生活はやっぱり考えられない訳ですよ。もちろん、原子力災害の被災者には補償がなされなければいけない訳ですし、東電を全面的に免責すべきではないし、それは東電だって認めているわけです。

冷静に考えれば東電だけが悪いのかとはいえず、もっと責任重大なのはどう考えても政府ですよ。そして民主主義において政府の責任というのは最終的には当然に国民全体の責任になるのですよ。

現に、悪いのは東電(と保安院?)ということになりそうな雰囲気です。それで、原子力を国策として進めた国の責任はどうなるのでしょうか。

今朝の読売だとね、再稼働は地元に先立って国が認定すると。そんなの国が先に決めたらね、地方自治体は逆らいにくいですよ。だって、地方交付金とか原発関係の予算とかこれは握られている訳ですから。

東電の責任追及もいいけど、ほどほどにしておいてもっと大きな目で日本という国の将来を考えるべきではありませんか?東電叩きというのは壮大な目くらましではないでしょうか。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/636.html#c35

コメント [原発・フッ素21] メルトダウンを防げなかった本当の理由 taked4700
36. 2012年3月08日 13:54:32 : DAasgXaB5A
東京電力の責任が政府の責任より大きいはずはないのだ
http://www.fromhc.com/column/2012/02/post-166.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/636.html#c36
記事 [原発・フッ素21] <スイス>原発に稼働停止命令 福島第1と同型 行政裁判所(毎日新聞)
 【ジュネーブ伊藤智永】スイス連邦行政裁判所は7日、福島第1原発と同型のミューレベルク原発の安全性に問題があるとする反原発団体などの訴えを認め、2013年6月までに稼働を停止するよう命じる判決を出した。原発運営会社のベルン州電力(BWK)は、判決を不服として連邦最高裁判所に上告するとみられる。

 ミューレベルク原発は、首都ベルンの西約20キロに位置する。米ゼネラル・エレクトリック社製の沸騰水型軽水炉(BWR)で、福島第1原発と同じ1967年に着工され、72年の稼働開始から今年で40年になる。スイスは既存原発を寿命50年として順次停止していく方針を議会で決めており、同原発は22年に稼働を停止する予定だ。

 ところが、福島原発事故後の昨年6月、地元メディアが、ミューレベルク原発の圧力容器内にある炉心シュラウドという高さ9メートルのステンレス製構造物に、上から下まで貫通するひび割れができていると報道。連邦核安全監督局は「ひび割れがあっても安全基準は満たされており、問題ない」と危険性を否定した。

 これを、反原発団体などが「炉心シュラウドは燃料棒や制御棒を囲んでいる大事な構造物で、損傷によって燃料棒がずれるなどの危険がある」と批判。ひび割れが09年には見つかっていながら公表していなかったことへの不信感も加わって、行政裁判所に対し、連邦政府が09年に出した運転許可を無効にするよう求め提訴した。この日の判決で裁判所は、反原発団体の訴えをほぼ全面的に認めた。

 スイスでは現在、5基の原発が稼働中。同国北部のベツナウ第1原発(69年始動、19年停止予定)は、2月末に英オールドベリー原発1号機が停止したため、世界で現役最古の原発となり、こちらも格納容器の外壁にひび割れなどが見つかっているという。

 左派政党や反原発団体は、原発の寿命を40〜45年に短縮するよう求める国民投票実施を目指している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120308-00000019-mai-int

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/660.html

コメント [原発・フッ素21] 全国での「安易な瓦礫受け入れ」をやめさせる「効果的な」方法とは?(転載) aba
34. 2012年3月08日 14:07:23 : xF0lyjCAVk
なぜ瓦礫処理目標が2年なのか。
2年経過すると半減期を迎える核種も多く、瓦礫の線量は下がるかもしれない。
それとも降雨乾燥を繰り返し、さらに濃縮するのかもしれない。

いずれにせよ瓦礫は燃やさず防潮堤に利用するのが良いと思う。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=M3xDaV0BugU


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/584.html#c34

記事 [カルト9] 学生や名古屋市職員やカキ業者がニセモノ維新の会と対極の地道な支援をしており彼らも震災遺児達も将来の活躍が楽しみだ。
麻薬ディレクターの捨て身の仕事がNHKに大和魂を呼び起こしたのか深夜にいい番組を連発していた。
地元育ちの元風来坊が商店街復活に汗を流したりボランティアの学生が運動部の合宿のような急成長をしたり
親を亡くした子供達が大勢の兄や姉に囲まれて少子化時代には名門校でも受けられない教育を受けたり
名古屋市職員が事務次官や閣僚より重要な仕事を任されたり宮城と広島の名産地コンビが繋がったりと
平時では有り得ない英才教育が数々実現している。
先日も政治家にはまったく向いていないカズの特集をやっておりファンの大反対でサッカーに徹した男の凄み
を感じ橋下よりは骨のある議員になりそうで釜本のようになるのを分かりながら彼に期待したくなりそうだったが
灯台元暗しで被災地の現場で将来の指導者や未来の指導者がすくすく育っているのをみて嬉しくなった。
取材した若者達も腐り果てたマスコミを再起させる勇気をもらったに違いない。
偽日本人と偽ユダヤは東日本を地上げしたり大阪を滅茶苦茶にする算段を練っている事だろうがハードよりも
ソフトの方が大事であり人さえ育っていればどのような境遇になっても日本は大丈夫だ。
ナデシコも澤抜きで米国に連勝したようでマスコミにちやほやされて骨抜きになるのを心配したが大和魂は健在
のようだ。
戦後の焼け野原でグリコの社長がのれんさえあれば大丈夫だと言ったのを昔読んだがその通りだ。
偽日本人も偽ユダヤ人ものれんを偽っているから悪い事をするし八百長でマネーゲームを制しても充実感がないのだ。
まだ真偽が分からないが連中は被爆で日本人の免疫力を下げて怪しげなワクチンでとどめを刺して大和民族を
滅ぼしたいようだがそんな事をしても無駄だ。
仮に我々を滅ぼせたとしても黒帯のプーチンやフォスターのように私達の精神を受け継ぐ者が出てくるだけだ。
そしていずれ赤穂浪士が現れて私達の仇討ちをしてくれるだろう。
四季があるからか日本人はよくも悪くも同期の桜のような死生観を持っており一部の老害を除いてむやみに生に
執着せずに生き方と死に方にこだわる国民なのだ。
二千年にわたる偽ユダヤの誤りを正して他国に喜ばれて死ねるなら本望だ。
そんな覚悟のある日本人にのれんを偽る者が勝てる訳ないしましてや支配など無理なのだ。
偽ユダヤが盗むべきは日本人の金や土地といったちっぽけなものではなく大和魂という帝王学こそ盗むべきだろう。
本当かどうか知らないが四国の剣山にあり空海が守り通したとされるアークというのは日本人の心に刻み込まれた
精神の事ではないか。
美味しくもないさんまの吸い物ではなくあつあつのさんまが食べたければ幼稚な考えを捨てて日本に学べ。
核も紙切れも下らない差別意識も捨ててしまえ。
金と武力で圧倒しても誰も尊敬してくれないし王と認めてくれない事が分かった筈だ。
時間貧乏で心が栄養失調になりプロビデンスの目というより死んだ魚の目ではないか。
回転する地球の上にピラミッドを作ったところで玉乗りのピエロではないか。
来世があるのかないのか知らないが他人に感謝される生き方をしなければ生きている意味がないではないか。
金や武器がないと何もできないのでは乳離れできていない赤ん坊と同じだ。
幼稚な教えに唯々諾々と従うのではなく自分の考え方を持て。
自分達の代で誤った教えを捨てて歴史に名を残せ。
王になりたいなら吉川英治ではないが我以外皆我が師という謙虚な姿勢を持て。


http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/223.html

コメント [原発・フッ素19] 「放射性核種 体外排泄 サプリ (重金属デトックス剤)」---- 皆さんどうお考えですか? 爺さん
448. 2012年3月08日 14:09:44 : suGm9485II
「ビンゴ !! 熊笹だ !」 と、熊笹茶を買ってきたものの・・・??? ここで紹介する段になり、、何に効くのかすっかり忘れている。「肺の浄化」だったかしらん ?? 海。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/503.html#c448
記事 [自然災害18] 首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒     
首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒
2012.03.08
ZAKZAK http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120308/dms1203081130007-n1.htm

●首都圏被害拡大イメージ

東日本大震災以降、いつ起きてもおかしくないと指摘されるようになった巨大地震。いまもっとも懸念される首都直下型地震が発生した場合、東京どころか神奈川、千葉県の一部でも最大震度7の破壊的な揺れに襲われる可能性があることが判明した。首都圏の地震の発生頻度は3・11前と比べて約3倍という高い状態にもあり、専門家は警戒感を強めている。

文部科学省のプロジェクトチームが首都直下型の1つである東京湾北部地震(マグニチュード7・3)が発生した場合、従来想定の震度6強を上回る震度7になると正式に公表した。プロジェクトチームがまとめた震度7の地点は、江東区豊洲や江戸川区葛西などの東京都東部の沿岸部のほか、神奈川県川崎市、横浜市、千葉県浦安市付近も含まれ、東京湾に添った形で広範囲に及んでいる。

「これまで想定されていた震度6強では木造家屋の倒壊の恐れが指摘されていたが、震度7では、耐震性の低い鉄筋コンクリートの建物が倒壊する可能性も出てくる」(地震学者)だけに、一刻も早い耐震補強が必要になる。

先の大震災後、地震の発生頻度も急激に上昇している。8日午前3時51分、茨城県南部で震度3(M4・3)の揺れを観測したほか、4日に茨城県北部で震度3(同3・3)、1日にも茨城県沖で震度5弱(同M5・4)など比較的規模の大きい地震が相次いでいる。

プロジェクトチームが南関東で起きたM3以上の地震の数を大震災の前後半年間で比較したところ、震災後は約7倍に増加。徐々に減少してきているが、現在も震災前と比べて約3倍の高い状態にあるという。

国の中央防災会議ではこの研究結果を受けて、4月以降に首都直下型地震の被害想定の見直しに入る。現在の想定では東京湾北部地震の死者は約1万1000人、経済被害は約112兆円と試算されているが、「死者、経済被害ともに大幅に塗り替えられる可能性が高い」(先の地震学者)。予断を許さない状況が続いている。

(以上転載完了)

(以下参考記事)

◎HAARPモニターにも顕著な異常が!
高周波活性オーロラ調査プログラム、通称HAARPモニターにも、200〜300nT程度のかなり強烈な地震電磁波が出て来ている。昨年の東日本大震災の前にも、同様の乱れが生じていた事から注目が集まっている。

●2011/03/11data

昨年2011/3/11大震災時のHAARPモニターの測定図。グラフ内の05:49が日本でM9.0の大震災が起きた瞬間。図からは、3月10日から一気に乱れが生じているのが良く判る。

●2012/03/0data

これが本日のモニターデータだ!昨年と全く同じように異常な現象が起きているのがわかる。地震の前兆なのかどうか、要注意だ!



http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/129.html

コメント [カルト9] 痴漢編集長も麻薬ディレクターも植草教授同様素晴らしい仕事をしていたようでマスコミは怯まずに一世一代の仕事をしなさい。 ポスト米英時代
10. 2012年3月08日 14:11:03 : 3hrUNRSPz2
プーチン「風が目にしみただけさ」。
かっこいいね,日本には少ないね。
小泉も竹中もこの涙は理解できんな。
やつらには札束しか眼中にない。
小泉鼠が「わたしも年金もらますか?」だとアホか。

01は「涙」と「小便」の区別も分からんだろう。

http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/216.html#c10

コメント [原発・フッ素21] 3月7日 [内容起こし] 小出裕章氏×澤田哲生氏『日本の原発どうする?東西の専門家が本音で生トーク』@たね蒔きJ   赤かぶ
04. 2012年3月08日 14:11:44 : FpVPO6YryM
東工大の澤田と言う人の話…情けなくて ため息が出ます。
所で細かい事言ってスミマセンが 小出さん 京大では無かったかしら?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/659.html#c4
コメント [近代史02] フーバー大統領の回想録『裏切られた自由』には、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。 TORA
09. 2012年3月08日 14:12:18 : D7ZSI5t3dY
中国海軍、東アジア以遠でも展開 英戦略研発表
2012/03/07
【ロンドン共同】英国の有力シンクタンク国際戦略研究所(IISS)は7日、
各国の軍事力や地域情勢を分析した報告書「ミリタリー・バランス2012」を発表、
中国軍の「戦略的な優先事項」が、国境防衛から、シーレーン(海上交通路)確保などのため東アジア地域と同地域以遠における海洋での軍事力の展開に移行しつつあるとの見方を示した。

軍事費については、
中国政府発表の2010年の国防予算約5330億元(約6兆8千億円)に対し、
研究開発費などを加えた国防関連の総支出が約7530億元に上ると独自に推計。
購買力平価でドル換算すると、約1780億ドル(約14兆4千億円)となり
公表値の2倍超に膨らむとの試算も示した。

報告書は、昨年2〜3月にリビアからの自国民避難支援のためフリゲート艦を
初めて地中海に派遣するなど、海軍の活動範囲を拡大させていると指摘。
南シナ海などでの活発活動化にも触れ、中国が軍事能力に関して
「自信を深めている様子がうかがえる」とした。
また、中国による海洋進出拡大に対抗し、南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島
などをめぐって中国と領有権を争う東南アジアの国々も軍事費を増大させていると分析
こうした軍拡競争により、地域の緊張が高まっているとした。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/610.html#c9

コメント [経世済民75] AIJ問題:企業 年金損失穴埋め困難で連鎖倒産の危機  「代行割れ」で14社倒産のケースも MR
08. 2012年3月08日 14:14:46 : Ra8zn85E9U

報道がおかしなことになってる・・・

社保庁は問題だらけで、事実解明はやってもらうとして
金融庁の監督責任や、小泉竹中時代に、
認可制から登録制に規制緩和したのに
チェック体制や監査体制はなおざり・・・

放送業界も結託して、社保庁への責任転嫁の報道にしか見えない・・・

他の投資信託の健全性や格付け会社はどうなのか!?
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/336.html#c8

コメント [カルト9] 霊の存在を実際に認識すると、教育が進化する。 宇宙一いい加減な博士
14. 2012年3月08日 14:20:14 : LSBd6YjqGg
ありがとうございます。
彼岸を「真実」、物質界を「現実」としてお尋ねします。

「現実」の溢れる「生」を肯定し愛おしむ態度は、「真実」に盲目になってしまうのでしょうか?
これは博士のいう「女性的」状態でしょうか?

また、「真実」の側から「現実」を見ると、闇もまた「真実」(の一部)のように思われるのですが、いかがでしょうか?あるいは「現実」は「空」となって映るのみなのでしょうか?
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/217.html#c14

記事 [テスト25] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本はおしまいです/ZDF:4号機燃料プールが崩壊すれば日本の終わりを意味する
小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です http://www.youtube.com/watch?v=CezLuBZqd8U 小出裕章 もう見ていただいて分かるように ここにプールがあって その底に使用済み燃料がたくさん溜まっている もしこれから大きな余震でも起きて ここの壁が崩壊するようになれば プールの水が抜けてしまいますので 使用済みの燃料を冷やすことができなくなる そうするとどんどん更に溶けてしまうということになって 使用済み燃料がたぶん全て溶けてしまうだろうと思います そうなると使用済み燃料の中に含まれていた膨大な放射能が 何の防壁もないここから外に噴き出してきてしまう <地震が来ない内に使用済み燃料を抜き出して> <横にプールでも造って移せばいいんじゃないですか> ところが使用済み燃料を空中に吊り上げるようなことをすると 使用済み燃料から膨大な放射線が飛び出してきていますので 周辺の人達はもう死んでしまうしかないというくらいの強い オペレーションフロアの上に 巨大なクレーンのようなものが見えます これがクレーンで 実は巨大な容器を吊り上げたり 吊り降ろしたりするためのクレーンなんですが もうこの建屋自身がもう爆発で吹き飛んでしまっていますから もうこのクレーンすらが使えない やらなければいけないことはたくさんあって まずは使用済み燃料プールの中に崩れ落ちてしまっている 瓦礫などをどけなければいけない そしてどけた後に巨大な容器を沈められるように 何らかのクレーンのようなものを 現場で動かせるようにしなければいけない 外から巨大なクレーンで吊るということができるでしょうから その準備をする そして沈めて もうたぶん何がしか壊れているであろう使用済み燃料を 巨大な容器に入れて それをまた外に吊り上げるということをやらなければいけない ただそういうことを全部やろうとすると たぶん何年という単位が必要になるだろうと思います <その何年という間に建物を壊すような地震が来たら> おしまいです ------------------------------------------------------------------------------- ドイツZDFの今日のニュースでも全く同じことが報じられていました。 4号機燃料プールが崩壊すれば日本の終わりを意味する (ZDF) http://www.youtube.com/watch?v=UtqF4PHPPlg なかゆきてる氏に会いました。 原子力技術者と核エネルギーの専門家併せて80人が彼の下で作業しています。 彼に「掌握はできていますか」と尋ねると 「それは東京電力と政府が言っていることです。 全ては安定しているとのことです。 しかしあの中にいる人達は信じていません。 4号機の使用済み燃料プールには1300本以上の使用済み燃料棒があります。 その上、使用前のものもたくさん貯蔵されています。 また強い地震が来たら建屋が崩壊する可能性もあります。 もしそうなると新たな連鎖反応が起こるかと考えます」 崩れ落ちた原発の周辺地域で今後再び強い地震が起きる可能性も 地震の専門家らによって指摘されています。 もしその時に破壊された原発が崩壊するようなことがあれば、 我々がその現状を既に知っているように 日本にとっては終わりを意味するでしょう。
http://www.asyura2.com/12/test25/msg/303.html
記事 [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する
小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です
http://www.youtube.com/watch?v=CezLuBZqd8U

小出裕章
もう見ていただいて分かるように
ここにプールがあって
その底に使用済み燃料がたくさん溜まっている
もしこれから大きな余震でも起きて
ここの壁が崩壊するようになれば
プールの水が抜けてしまいますので
使用済みの燃料を冷やすことができなくなる
そうするとどんどん更に溶けてしまうということになって
使用済み燃料がたぶん全て溶けてしまうだろうと思います
そうなると使用済み燃料の中に含まれていた膨大な放射能が
何の防壁もないここから外に噴き出してきてしまう

<地震が来ない内に使用済み燃料を抜き出して>
<横にプールでも造って移せばいいんじゃないですか>

ところが使用済み燃料を空中に吊り上げるようなことをすると
使用済み燃料から膨大な放射線が飛び出してきていますので
周辺の人達はもう死んでしまうしかないというくらいの強い

オペレーションフロアの上に
巨大なクレーンのようなものが見えます
これがクレーンで
実は巨大な容器を吊り上げたり
吊り降ろしたりするためのクレーンなんですが
もうこの建屋自身がもう爆発で吹き飛んでしまっていますから
もうこのクレーンすらが使えない

やらなければいけないことはたくさんあって
まずは使用済み燃料プールの中に崩れ落ちてしまっている
瓦礫などをどけなければいけない
そしてどけた後に巨大な容器を沈められるように
何らかのクレーンのようなものを
現場で動かせるようにしなければいけない
外から巨大なクレーンで吊るということができるでしょうから
その準備をする
そして沈めて
もうたぶん何がしか壊れているであろう使用済み燃料を
巨大な容器に入れて
それをまた外に吊り上げるということをやらなければいけない
ただそういうことを全部やろうとすると
たぶん何年という単位が必要になるだろうと思います

<その何年という間に建物を壊すような地震が来たら>

おしまいです

-------------------------------------------------------------------------------

ドイツZDFの今日のニュースでも全く同じことが報じられていました。

4号機燃料プールが崩壊すれば日本の終わりを意味する (ZDF)
http://www.youtube.com/watch?v=UtqF4PHPPlg

なかゆきてる氏に会いました。
原子力技術者と核エネルギーの専門家併せて80人が彼の下で作業しています。
彼に「掌握はできていますか」と尋ねると
「それは東京電力と政府が言っていることです。
全ては安定しているとのことです。
しかしあの中にいる人達は信じていません。
4号機の使用済み燃料プールには1300本以上の使用済み燃料棒があります。
その上、使用前のものもたくさん貯蔵されています。
また強い地震が来たら建屋が崩壊する可能性もあります。
もしそうなると新たな連鎖反応が起こるかと考えます」

崩れ落ちた原発の周辺地域で今後再び強い地震が起きる可能性も
地震の専門家らによって指摘されています。
もしその時に破壊された原発が崩壊するようなことがあれば、
我々がその現状を既に知っているように
日本にとっては終わりを意味するでしょう。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html

コメント [原発・フッ素21] ふげんでレーザー除染実験 放射性物質濃度を100分の1に (産経新聞)  赤かぶ
11. 2012年3月08日 14:25:10 : FEC1zKK4NY
世界初の技術だって?、世界各国は金がかかり効果が見込めないものは
最初からやらない。
日本特有の、天下り特殊法人が費用がかかるほど儲かる事業、これじゃないの。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/650.html#c11
コメント [原発・フッ素21] 福島から疎開した和歌山在住、小6の男の子からセシウム検出。原因は、給食・牛乳・おやつ?portirland 山田花子
11. 2012年3月08日 14:27:10 : uZlXyQSrIg

加工食品はなに使ってるかわからないから怖いよ・・。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/613.html#c11
コメント [カルト9] 痴漢編集長も麻薬ディレクターも植草教授同様素晴らしい仕事をしていたようでマスコミは怯まずに一世一代の仕事をしなさい。 ポスト米英時代
11. 2012年3月08日 14:30:56 : lt8xTwMC8C
「赤坂プチエンジェル事件」、日本の政・菅・財の闇の紳士たちの醜い素顔が表に出そうになり、プロの始末屋が活躍した。
内容がやば過ぎてマスコミは警察発表をそのまま鵜呑みにして終わり。
顧客名簿を握った警察庁長官はその後政界に転じて大出世。
骨の髄まで腐りきった日本という国。

目ざわりな人間を社会的に抹殺するには、脱税、クスリ、チカンのいずれかの「疑い」で取り調べればよい。
事実かどうかはどうでもいい。
疑いをかけられたということで、普通の人は一巻の終わり。
これが適応できないケース、広く見せしめが必要な場合は、「自殺」していただくことになる。
長谷川解説委員の御冥福をお祈りいたします。
いつか必ず真相が明らかにされることを。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/216.html#c11

記事 [音楽6] キング・クリムゾンのレッドから「フォーリン・エンジェル」(カラオケ)
ジョン・ウェットンになったつもりで
唄ってみてください。



http://www.asyura2.com/12/music6/msg/453.html

コメント [原発・フッ素21] セシウムが心筋に蓄積すると確実に死ぬ「児玉龍彦 東大教授」[脱原発・放射能] さそり座
17. 2012年3月08日 14:31:50 : A4Wwua3nZQ
インターネットハイジャックの予行演習じゃないか、と危惧します。
そんな恐ろしいことが、起こってほしくないが、何でもありの、狂った日本(世界)だから、わかりませんね。
権力を握った悪人ども、悪魔達が
喧々ゴウゴウの国民の不満と怒りが起こるような、事態を作り出そうとしているのでなければいいが。
要注意。私たちは抗議し続けなければならない。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/641.html#c17
コメント [カルト9] 霊の存在を実際に認識すると、教育が進化する。 宇宙一いい加減な博士
15. 宇宙一いい加減な博士 2012年3月08日 14:34:26 : n4Wa2D7ip3fpM : HM1tILlEYA
14. 2012年3月08日 14:20:14 : LSBd6YjqGg
ありがとうございます。
彼岸を「真実」、物質界を「現実」としてお尋ねします。


「現実」の溢れる「生」を肯定し愛おしむ態度は、「真実」に盲目になってしまうのでしょうか?


博士1、真実に盲目なら、人生の意味はない。無意味だ。寝ているのだ。


   


これは博士のいう「女性的」状態でしょうか?

また、「真実」の側から「現実」を見ると、

闇もまた「真実」(の一部)のように思われるのですが、いかがでしょうか?


 博士1、現実は、マーヤなのだ、それのみ。


     神から観たら、すべては、真実なのだ。


     現実を破壊し尽くすと、真実しかない。


あるいは「現実」は「空」となって映るのみなのでしょうか?


 博士1,空に関しては、すでに投稿している。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/217.html#c15

コメント [カルト9] 狭き門、を、解説せよ!   コレは難しいので免許皆伝だ!(爆笑)。 宇宙一いい加減な博士
23. 宇宙一いい加減な博士 2012年3月08日 14:39:11 : n4Wa2D7ip3fpM : HM1tILlEYA
21. 愚鈍 2012年3月08日 13:15:41 : vVsFRb08RANTI : icXj3jWa5U
皆さま、最後と言って、最後でなくなってしまいすみません。ランチ中、物理方面での回答です。


松果体あたりからシルバーコードを通じて、黄金球に至る。そのために、現在自己意識の周波数を上げていかなくてはならない。

   >>そこに至るための限られた特定の周波数領域を


博士1、そうこれがヒントだ!!!(爆笑)。10点やな。

「狭き門」と言ったのではないでしょうか。知識としての回答です。

愚鈍
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/222.html#c23

コメント [カルト9] 狭き門、を、解説せよ!   コレは難しいので免許皆伝だ!(爆笑)。 宇宙一いい加減な博士
24. 宇宙一いい加減な博士 2012年3月08日 14:42:41 : n4Wa2D7ip3fpM : HM1tILlEYA
22. 2012年3月08日 13:24:33 : 01vjOHWcwT
博士へ
3点、ありがとうございます。(いい線)これをヒントに
考えます。
・・・・。寄ってない!?

>>もしかして至高の体験はこちらか行けるのではなく向こうから
  やってくるということでしょうか?


  博士1、アウト!  自分から行く。



不可視の観点から見れば確かに狭き門はこちらからは狭いという意味で
理解できます。


  博士1、アウト!   門自体が、狭いのですよ!!!

眠るときに人は眠りが向こうからやってきます。
私はその準備をするだけです。
それと似ていて至高の体験は意図せず、向こうからやってきました。
そういう事でしょうか?
哲郎

  博士1、不合格。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/222.html#c24

コメント [戦争b8] ホムス攻撃は「まるで中世の大虐殺」、脱出の英記者による生々しい報告  AFP ダイナモ
18. 2012年3月08日 14:43:08 : vzmHIglswk
06. ダイナモ: 
世に偽善の仮面をかぶりながら、条件をつくり、追い込み、虐殺が繰り返される歴史が続いている。
偽善を暴くことに対し、感謝こそ、必要。

http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/874.html#c18
コメント [昼休み52] オバマ、AIPACそして我々 (ROCKWAY EXPRESS )…ユダヤ気質は、バビロンで形成されたと見る。 新世紀人
01. 2012年3月08日 14:44:58 : ZtmAIT5uVE
ポスト英米時代が偽ユダヤはタルムードだかシオン議定書だかに書かれてある、ひねくれた奴隷根性の教えを改めろ、みたいなこと言ってたが直球ど真ん中ストライク・スリー・バッター・アウトだろう。
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/135.html#c1
コメント [カルト9] 狭き門、を、解説せよ!   コレは難しいので免許皆伝だ!(爆笑)。 宇宙一いい加減な博士
25. 宇宙一いい加減な博士 2012年3月08日 14:45:33 : n4Wa2D7ip3fpM : HM1tILlEYA
黄金球に、こだわるな!


 問題は、門だ!。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/222.html#c25

コメント [原発・フッ素21] 「セシウムさいた」で講演 埼玉県教組の集会 批判受け表題変更 (産経新聞)  赤かぶ
05. 2012年3月08日 14:48:34 : FpVPO6YryM
04さんに 賛同します。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/651.html#c5
コメント [経世済民75] 『日本国債「弱含み」への格下げも』 MR
01. 2012年3月08日 14:51:55 : 1PDcrsaVSg
大前っ(笑)
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/339.html#c1
コメント [雑談専用39] 堕落した消防団 asy8
09. 2012年3月08日 14:52:53 : kejlwA5Rsw
まあ、他人にはタダ働きを望むものが多いからな、
でもって、ご清潔な聖者のような物を求める。
自分はともかく他人にはご清潔を求める。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/795.html#c9
コメント [原発・フッ素21] ふげんでレーザー除染実験 放射性物質濃度を100分の1に (産経新聞)  赤かぶ
12. 2012年3月08日 14:56:18 : FpVPO6YryM
こびりついた物を 空気中にばら撒くだけでは無いのですか?
良く分からない記事ですが〜私の理解力が無いせいかしら?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/650.html#c12
コメント [経世済民75] 海外旅行はあと10年  (Chikirinの日記 2012-02-28 ) 五月晴郎
17. 2012年3月08日 14:59:06 : 1PDcrsaVSg
>>14
語学力の問題というより、休暇の取りにくさ、一度無職になった場合のリスクの
高さの問題だと思いますが。それと、日本はなんと言っても世界一安全な国だし。

今時英語英語って、外国語にこだわるなら中国語でもやっといた方が良いと思うけど。

>>16
スマホは貧乏人のパソコンだから、そこんところは大丈夫でしょう。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/331.html#c17

コメント [経世済民75] 『日本国債「弱含み」への格下げも』 MR
02. 2012年3月08日 15:03:34 : hg7b493QFA
消費増税しなくても問題なし。
むしろ消費増税した方が景気悪化税収減少で格付けが下がる。
日本は絶対に破綻などしないのです。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/339.html#c2
記事 [自然災害18] 首都直下地震 震度6強と7では雲泥の差 (日刊ゲンダイ) 
首都直下地震 震度6強と7では雲泥の差
http://gendai.net/articles/view/syakai/135531
2012年3月8日 日刊ゲンダイ


 タンス固定の防災グッズも役立たず

 大惨事になりそうだ。
 首都直下地震の対策を検討している文科省の研究チームは7日、直下地震の震度の見直しを発表した。東京湾北部でマグニチュード7級の地震が発生した場合、従来想定の震度6強より大きい震度7の揺れが予想されるというのだ。理由は震源のプレート境界が従来予想より10キロ浅いことが明らかになったため。震源が近いほど揺れが大きくなるからだ。
 震度6強と7では数字の上では大した違いはないが、実はかなり違う。気象庁によると、6強では「はわないと動くことができない」だが、7では「自分の意思で行動できない」。つまり、どうしようもできなくなるのだ。ちなみに昨年3月の東日本大震災では東京23区は震度5強だった。
「震度6強に比べると7は途方もなく揺れます」と警告するのは武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏(地震学)だ。
「7は青天井の数字。これ以上の数字はないのです。震度7の揺れがきたら何が起きるか。1978年以前に建てられたビルはガラスと建物の接合技術が古いため、割れたガラスが下に降ってくる危険性が高い。ビルの側壁にかかっている縦長の看板も危ないです。地震の揺れは台風の風のように一定方向に働くのではなく、根元を支点にグルグル振り回すから、看板のフレームが折れて落下することもあるのです。家庭でタンスと天井の間にかませてタンスが倒れないようにする防災グッズがありますが、揺れが大きいと天井が破れたりしてタンスが倒れてしまいます」
 東京湾は形がフラスコ状だから、それほど大きな津波は来ない。せいぜい2、3メートルだが、土地の低い埋め立て地の工場や地下鉄が大量の浸水を受けることは大いに考えられる。国の中央防災会議は震度6強の被害想定を死者1万1000人、経済被害112兆円としているが、これが数倍に増える可能性も高いのだ。
 それにしてもなぜ、いまになって震度7に変更したのか。
「昭和時代の考え方にとらわれたからです。国や研究機関は1923年の関東大震災のような大規模地震は300年は起きないとみていた。震度7はないだろうという考えです。ところが東日本大震災が起きた。そのため不安になって数字を変えたのでしょう」(島村英紀氏)
 役人の保身根性か……。



http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/130.html

コメント [マスコミ・電通批評12] 今晩のNHKのnews watch nine (武山祐三の日記) 明るい憂国の士
17. sheltem 2012年3月08日 15:07:50 : 4WYVSrmQzWgF. : 1J0hCd2U3k

小沢も検察も創価なんだけどね。


【相関図】
http://pipeo.jp/users/folder/570/685

【その他】
http://blog.livedoor.jp/sheltem2/
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/738.html#c17

コメント [原発・フッ素21] マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?(BLOGOS) otoppi
30. sheltem 2012年3月08日 15:11:04 : 4WYVSrmQzWgF. : 1J0hCd2U3k

小沢も検察も創価なんだけどね。


【相関図】
http://pipeo.jp/users/folder/570/685

【その他】
http://blog.livedoor.jp/sheltem2/
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/617.html#c30

コメント [原発・フッ素21] 4号機建屋の倒壊より怖い現実 (がんばれ福島原発!)  赤かぶ
07. 2012年3月08日 15:15:03 : kM0IGhOpBY
ゲテモノ国策の最終段階という感じだね。
戦争と同じで、敗戦色が濃くなって未曾有の被害を国民に強いるあたりは原発推進というゲテモノ国策のなれの果てだろう。

世界有数の地震大国が奢りにおごって引き入れた原発だから、しっかり原発犯罪集団には落とし前は付けてもらおうよ。

とは言っても、いの一番に高飛びするのも犯罪者に決まっているよんだよね。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/654.html#c7

コメント [原発・フッ素21] なぜか地熱開発を言い出さない反原発運動 taked4700
37. 2012年3月08日 15:17:22 : teiJHJt0JY
未だに「停電しなかったんだから原発なくても電気は足りている」なんて言っている現実見えてない人間がいることに驚きを隠せないわ
1年間何をしてたの?どんな勉強したらそんな結論にいたるのか、理解に苦しむ

日本は貿易黒字で成り立っていた国なのに、もう最近はずっと貿易まだ大赤字だね
これが何を引き起こすのか、考えてごらんよ
放射能ごときのレベルじゃないくらい人を殺すことになるよ


地熱の問題点は、景観を損ねることと、温泉産業
確かに大事な問題だけど、太陽光・風力みたいに
技術的な問題でもはないし、安定性の問題もない
もっと本腰入れて考えようよ

未だに放射能汚染がーとか、陰謀だ!とか騒いでいる人間は日本から出て行った方が良い
1年経ってもその程度の理解度じゃあ、その洗脳はもう解けないわ
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/388.html#c37

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
01. 2012年3月08日 15:19:53 : evzaPVwrwY
日本が終わるのはもちろんだが、偏西風が吹いている以上、アメリカ合衆国にも大量の放射能の雲が襲い掛かり、アメリカも終わる。

どうして、アメリカは日本を軍事占領して、福島原発の事故処理にあたらないのだだ?完全に無能な日本政府にまかしておいても、ダメだぞ。

事故処理どころか、選挙対策で土建屋を味方につけて票をかせぐために、放射能がれきを全国にばらまくほど、狂っている政府なんだ。

早く、軍事占領してくれ。そして、極東軍事裁判所を作り、戦犯を裁いてくれ。

ああ、マッカーサーがそのまま日本の天皇になってくれればここまでひどい国にならなかっただろうに。日本人は自分達の手でまともな統治機構を作れない。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c1

コメント [原発・フッ素21] 福島現地ルポ】被ばくする郵便労働者・・・・・その夜、妻と子供は迫りくる被ばくに怯えて「号泣した」(伝送便) 無知むち鞭ぃー
01. 2012年3月08日 15:20:27 : ZbEkMfgIXY
これは非常に貴重な投稿、ありがとうございます。
郵政、愚劣かつ冷酷なんですね。

>3月23日の「業務再開」指示文書添付の「参考資料」(微量な放射能が検出されている地域がありますが、健康に影響を及ぼすレベルではありませんので被ばく検査を受ける必要はありません)を根拠にしてか、郵政独自の外務員被ばく検査を実施する考えはみじんも見られない。

「ただちに健康に影響を及ぼすレベルではない」の枝野がましとは、恐れ入る。
ただちに、が抜けてるよ、郵政。記事が言うように、
icrp準拠ですら確率的影響があるんだよ晩発性の。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/649.html#c1

コメント [お知らせ・管理20] 管理人さんへ 千早@オーストラリア
03. 2012年3月08日 15:21:49 : JNyr0XODUY
http://www.asyura2.com/は閉鎖になったようですね
上枠のリンク先も、以前は2だったのがasyuraに戻っているようなので
ちょっと周知がほしっかったですけど

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/550.html#c3
コメント [原発・フッ素21] 福島現地ルポ】被ばくする郵便労働者・・・・・その夜、妻と子供は迫りくる被ばくに怯えて「号泣した」(伝送便) 無知むち鞭ぃー
02. 2012年3月08日 15:26:25 : FpVPO6YryM
投稿有難うございました。
身近に 福島の郵便業務に携わってる方を知ってるので 胸が痛みます。


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/649.html#c2

コメント [原発・フッ素21] 福島第一原発 作業員の証言 : 「生蒸気だ! 主蒸気系が壊れている。もうこの原発は終わったな。東電は終わりだ」 妹之山商店街
40. 2012年3月08日 15:32:38 : EszHBBNJY2

>>28
死ね!

福島での1-4号機と燃料プールに有った燃料の総トン数を言ってみろや!
チェルノブイリに有った燃料の総トン数は?


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/482.html#c40

コメント [原発・フッ素21] 来月発足の原子力規制庁 課題山積、国会審議も始まらず(産経新聞) BRIAN ENO
01. 2012年3月08日 15:35:31 : FEC1zKK4NY
>職員は保安院から約350人、安全委から約70人、文科省から約45人など
>が配属予定

保安院の増強か! 保安院は潰すべきだろうに、トホホ。
看板のかけかえだけで、中身は原発村民が暮している。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/658.html#c1

記事 [カルト9] 山本五十六の真実I 河合千代子と阿川弘之
今回は山本五十六の愛人とされる河合千代子、
及び五十六の評伝を書いた阿川弘之について検証する。


先ず私の結論を述べる。

 
◎河合千代子はプロパガンダの道具として使われている。


◎背後にいて操っていたのはヨハンセングループの原田熊雄である。


◎米内光政は協力者である。


◎愛人プロパガンダの発注元は昭和天皇と吉田茂である。


愛人ネタの検証については、次の三つに掲載されているものを扱う。


○週刊朝日昭和29年4月18日号の巻頭記事

○PDF 望月良夫『山本五十六の恋文』医科芸術34巻11号平成2年初出

○望月良夫『山本五十六の恋文』考古堂書店平成4年初版

望月良夫氏のプロフィールを、著書『山本五十六の恋文』より抜粋する。


『著者紹介  望月良夫(もちづき・よしお)


1929年(昭和4年)東京都生まれ。
1948年(昭和30年)東京府立第九中学校、旧制新潟高等学校を経て、1955年(昭和30年)千葉大学医学部卒業。インターン修了後、母校産婦人科教室に入局、研究生、副手、文部教官となる。1964年(昭和39年)医学博士 学位論文「子宮経腟部部上皮に於けるグリコーゲンの組織化学的研究」 


1965年(昭和40年)沼津市立病院産婦人科部長として赴任、そのかたわら母校の非常勤講師をつとめる。1972年(昭和47年)沼津市内に望月産婦人科を開業、自らの理想とする産婦人科開業医生活をおくりつづけて二十年、診療の余暇は趣味に没頭。


旅行、食べあるき、美酒探究、ゴルフ(H26)、囲碁(二段)、読書、映画、写真、観劇、ショッピング他。主宰する趣味の会、「随筆春秋」「駿河豆本の会」「沼津の文化を語る会」「沼津落語会」「沼津旨いもの会」など三十余。


日本産婦人科学会、日本ペンクラブ、日本エッセイスト・クラブ、日本旅行作家協会、沼津北ロータリークラブ各会員。


著書・「あなたのからだ」(サイマル出版会)、「最新の産婦人科」「友ふたり」(随筆春秋)、「おいしく食べるテーブルマナー」(淡交社)ほか。』

裏表紙より

『望月先生のこと 


望月先生は旧沼津御用邸もある風光明媚な沼津市で、産婦人科病院の院長として、もう20年も地域医療を支えておられる。最新の医療技術を駆使し、温厚誠実に患者さんのために奉仕し、開業以来死亡ケースゼロという稀有な実績を挙げておられる。


ということであれば、医師望月先生の毎日は本業のために忙しいかというと、とんでもない!もともと仕事が早い「超能力」に加えて、早くからOA機器を診療室に取り入れて医療業務を能率化し、こうして生み出された時間を百パーセント、文化的、趣味的活動に投入している。エッセイの執筆、味の探訪、さまざまな集いの世話・・・。それらが並のものでなく、みな一流であるところが凄い。日本ペンクラブ会員、日本エッセイスト・クラブ会員、日本旅行作家協会会員、日本味の会会長、「沼声」、「沼津の文化を語る会」、「随筆春秋」各主幹・・・など、活動の質と量に圧倒される。


利を追わず、自ら理想とする開業医を目ざして、毎日を常人の二倍、三倍に生きておられる望月先生が世に送りつづけるエッセイの数々は、全文化人の琴線に大きく共鳴するにちがいない。』

◎週刊朝日の暴露記事はヤラセである。

週刊朝日の記事と望月氏の著書では、『五十六の恋文』の内容が異なる。
殊にミッドウエ―出撃直前の三通の手紙はまったく別物である。

◎阿川弘之は確信犯である。


これについては阿川本人の著作を検証する。


○阿川弘之『山本五十六』新潮社昭和40年初版

○阿川弘之『新版 山本五十六』新潮社昭和44年初版


阿川弘之は里美クからバトンを引き継いで、五十六プロパガンダを書いている確信犯である。里美クがプロパガンダ小説を書いた経緯について、阿川は次のように説明している。尚、文中に出てくる古川敏子は新橋中村家の女将、里美クのプロパガンダ小説のネタ提供者である。志賀直哉は阿川弘之の師匠である。

『新版 山本五十六』より

『中村屋の古川敏子はそれから三十年幾年経た今でも、昔の美しさを残したたいへん豊満な女性であるが、その頃は土地で、「とし子姉さん」と呼ばれていて、一説によるとこの敏子も山本に相当「お熱」だった一人であった。しかし「お熱」でも「お熱」でなくても、敏子には彼女が「主人」と呼んでいる佐野直吉という人があった。


佐野直吉は絨毯商である。現在山形県の産業の一つになっている支那絨毯は佐野が中国から技術を導入したもので、当時彼は北京に佐野洋行という店を持っていた。昭和五年の一月、志賀直哉と里美クが満州旅行のついでに北京へまわって来た時、新聞でそれを知った佐野は支那服を着て二人の作家を宿へ訪ねて行った。それ以来。彼は日本へ帰って来ると志賀や里美の家へしたしく出入りするようになった。』

古川敏子の旦那と親しくなったきっかけを演出しているのである。

『志賀直哉も里美クも、花は引く。(注 花札のこと)佐野直吉も好きである。古川敏子の表現によれば、「お花ときたら、そりゃ死ぬほど好きなの」であった。山本はよく中村家へやって来て、佐野直吉や敏子の母親を相手に、八八や賭け将棋ばかりやっていた。』 

五十六の部分はガセねたである。古川敏子は新橋中村家ののれんを掲げる女将でありながら、客の行状をベラベラ喋っているのである。

『山本五十六と二人のこの白樺派の作家とは、一度も一緒に花を引いた事、会った事は無かったが、そういう縁で、戦後里美クは佐野直吉から聞いた話をもとに、山本と梅龍をモデルにして、「いろおとこ」という短編を書いたのである。「いろおとこ」の中には、山本の名も千代子とか梅龍とかいう名も出て来ない。読めばしかし、戦死の模様や国葬の事が書いてあるから、山本がモデルだという事はすぐ分かるそしてこれは、山本が小説のモデルになったおそらく唯一の例である。


山本の死後、彼の伝記や電気的文学作品は、数多く世に出たが、純然たる小説のモデルとして彼を扱った人は他にいない。「いろおとこ」が書かれたのは、昭和二十二年の七月である。もしこの作品を以て、山本にそういう女性がいた事を公にしたものと見るなら、里美クは「週刊朝日」に七年先んじたわけであった。』

『純然たる小説』は『純然たる小説』であって、『もしこの作品を以て、山本にそういう女性がいた事を公にしたものと見る』という仮定は成立しない。成立されたら、書かれる方はたまったものではない。しかし阿川は詭弁を使ってでも、『純然たる小説』が『事を公にしたものと見る』という公式を打ち立てたいのである。この公式を当てはめれば、『週刊朝日』のような純然たる捏造記事も、事を公にしたものと見ることができる。

では週刊朝日の記事を検証していこう。

週刊朝日は昭和29年4月18日号、すなわち山本五十六の13回忌の祥月命日の号に、純然たる捏造記事を巻頭特集としてブチ上げた。表紙をめくるといきなり、河合千代子と山本五十六が並んでいる写真が載っていて、大文字で『山本元帥の愛人』『軍神も人間だった!』という題名が掲げられている。写真は、料亭の縁側らしき庭先に、河合千代子と五十六が並んで座っている姿を写したものである。千代子は額が広い逆三角形の顔で、頬がこけてやつれた感じの十人並の年増芸者といった風情である。額がかなり広く、本来は聡明なのかもしれない。五十六はダブルの背広を着て、帽子を右手に持っている。つまり正装である。千代子は微笑んでいるが、五十六は真顔である。五十六の表情には、馴れ馴れしさは微塵もない。芸者が有名人と一緒に記念写真に収まった、そういう一枚である。色町に詳しい人に聞いたが、そういう慣例があるそうである。

掲載されたもう一枚の写真は集合写真である。河合千代子と五十六の普段の格好のツーショットはない。河合千代子の自己申告が本当だったら、海軍の焼却命令から死守した五十六の恋文だけでなく、千代子だけに見せたであろう五十六を映した、スナップ写真やツーショットがあるはずである。しかし週刊朝日に掲載された写真は、記念写真と芸者と客たちの集合写真だけである。後者は若くて美人の芸妓がウヨウヨいる中で、千代子は影が薄く、他の年増たちと一緒に後列に紛れている。

最後の一枚は週刊朝日の記者が千代子に取材した時に撮られた写真である。沼津の料亭の女将をしている千代子が、日記を読む姿を写したものである。落ちついた佇まいで、別人かと思うくらい清楚な表情をしている。

河合千代子と山本五十六が一緒に映った写真は、実は週刊朝日の他にもある。それは原田熊雄の女婿・勝田龍夫著『重臣たちの昭和史』に掲載されている写真で、河合千代子は原田熊雄と米内光政に挟まれ、山本五十六は反対の端っこに端座している。この写真の構図は河合千代子と原田熊雄の男女関係及び共謀関係、河合千代子と米内光政との男女関係、河合千代子と山本五十六の疎遠な関係を正確に表している。だから週刊朝日はこの写真を掲載しない。

勝田龍夫の本書には、里美クが跋文を寄せている。里美クも原田熊雄と姻戚関係にある。阿川弘之は師匠の志賀直哉を通じて、里美クと懇意である。里美クの葬式では、阿川は今日出海とともに遺族席に座っている。今日出海(こんひでみ)もプロパガンダの名手である。白洲次郎の神戸一中時代の学友である今は、幇間のごときお追従を白洲次郎のために書く。白洲次郎と閨閥である堤清二も、心にもない賛辞を書く。白洲次郎の家に疎開して真実を知っている河上徹太郎も、しらばっくれて旨い汁を吸っている。子ども同士を結婚させた小林秀雄も、真実を知りながらとぼけている。みんなトモダチである。利害関係でツルみ、損得勘定で仲間褒めする。そうやって田布施王朝から文化勲章を貰うのである。文壇とはそういうムジナたちが生息するするところであった。では週刊朝日記事の内容を見てみよう。


週刊朝日より

『「提督の恋」といえば誰しもネルソンとハミルトン夫人のことを思うだろう。ところが山本元帥にもそれに似た一つの秘めたる恋物語があったとはだれが想像したろう。これは決して暴露記事ではない。軍神ともいわれた人も、やはり人間だったという、ひとつの人間記録としてここに掲げるわけである。おりしもこの十八日は故元帥の十二周忌という、心から冥福を祈ろう‐』

12周忌ではなく13周忌である。

『遺影に額づく姿  沼津八幡町の繁華街から少し外れたところに料亭「せせらぎ」がある。その離れ座敷から、朝晩、「曹洞宗日課諷経集」を読み上げる声が聞こえてくる。そして、夜はまた「般若心経」を読む声が流れる。その主は美貌の女将で、故山本元帥の遺影と「大義院殿誠忠長陵大居士」の位牌を祭った仏壇に額づいているのだ。来る四月十八日、早くも十二周忌を迎える故山本元帥の冥福を、日夜祈る女性。‐それは、かつて元帥と愛情を誓い合った河合千代子さん(51)の姿なのである。諷経集は、太平洋戦争勃発前、曹洞宗を宗旨とする元帥が、彼女に残していった遺品である。』

子息義正氏によると、山本家の宗旨は曹洞宗だが五十六に読経する習慣はない。頭を垂れて黙祷するのみである。仏教全般、キリスト教、宗派にこだわらず学んでいたようである。

山本義正著『父 山本五十六』恒文社には次のように書かれている。

『父が、黒い手帳を肌身はなさず持つようになったのは、霞ヶ浦航空隊副長のころかららしい。草創期の航空隊の訓練は、熾烈をきわめたという。その訓練の最中に、不幸にも墜落して命を落とすパイロットたちが、たくさんいた。戦史者の栄誉にくらべて、殉職者には、国の態度が冷たかった。しかし、父にとっては、みなひとしく可愛い部下であり、尊い犠牲者であった。父は、訓練中の事故で死んだ部下たちの名を手帳に書きとめ、毎朝、その冥福を祈るようになった。ただ、その場合でも、父が仏壇に向かって合掌するとか、神棚に祈るとか、そういうことをしていたのを見たことはない。


父は、特定の宗教や宗派に帰依していなかった私の家族の宗派は曹洞宗であるが、そういう宗派上の意識は持ってなかったようだ。しかし、広い意味で、父は仏教的思想の持ち主だったといえると思う。祖父貞吉はきわめて熱心な仏教徒で、毎朝一時間以上も仏間にこもって頭をたれていたという。同時に、牧師になった父の兄丈三(じょうぞう)伯父の影響から、キリスト教にも深い理解をもっていた。もちろん、後年外国生活のあいまには、キリスト教のしきたりや慣習に親しむ機会も多かったはずである。また、少年時代にも米国の宣教師のところへいき、バイブルの勉強をしたらしい。』

週刊朝日の続き。

『元帥と結ばれるまで  いまから二十年ほど前、昭和七年十二月二日のことである。東京新橋の検番の玄関先にしょんぼりと立った女がある。目が大きく瘦せ型の美人だが、年はもう三十に手がとどこう。「二十九の年で天下の新橋から出たいなんてどうかしてやしないか」「まるで芸事もできんくせに」何といわれても、ただ「お願いします」一点張りで頭を下げたきりのこの女、河合千代子はやがて新橋の「野島家」から「梅龍」と名のって左ヅマを取る身となった。』

色町に詳しい人に聞いたところ、京都の祇園ではゼロから習い事をするのが鉄則であるが、新橋はコネさえあればド素人でもすぐに上に行けるそうである。30に手がとどこうと言う女が検番の前でしょんぼり立っていても埒は明かないが、原田熊雄がコネを使って交渉すれば即決である。

『彼女の前半生は不幸だった。明治三十七年名古屋市の生まれ、父の稼業は株屋だった。名古屋女子商業学校を卒業後、両親とともに上京、兜町に落ち着いたが、関東大震災で、」名古屋に舞い戻り、一家は零落の一途をたどった。千代子はある資産家の世話になったが、愛情はわかなかった。二十五のとし、母と父があいついで病死し、彼女は心の痛手に服毒自殺を計ったが、失敗。転々として、二十九歳のこの年に妓籍に身を置いたのである。』

借金の肩代わりに、資産家の妾にされたらしい。

阿川弘之の旧版『山本五十六』には、河合千代子の素性は次のように書かれている。

『彼女は、明治三十七年、名古屋の生まれで、父親は株屋、千代子が名古屋の女子商業を出る頃には、家は零落していた。二十四の年、父と母がつづいて亡くなった。はじめ、名古屋の会社で、タイピストとして働いていた。それから、新橋芸妓として出るまでの間の千代子の生活は、あまりはっきりしないが、美貌のために、男関係は色々あったらしい。東北の馬持ちと一緒になって、ゴタゴタをおこし、睡眠薬を飲んで自殺未遂をやったりしている。多分、此の事件で髪を切られ、男の許を追い出された直後だと思われるが、彼女はカバン一つ提げて、芸妓になりたいと、東京の新橋へやって来た。千代子が二十八の年で、昭和七年の十二月である。』

人身御供として売られたことが消えている。私は千代子の感性が狂っているのは、多感な娘時代にいきなり資産家の妾にされたことに由来しているのではないかと考えている。思う。新橋へ流れ着くまでの10年間にも、色々なことがあっただろう。

阿川弘之の続き

『山本と深くなってからの梅龍は、彼にだけは実によく尽くしたようである。彼女には、男同士双方承知の旦那があった。梅龍は、土地で、「ダイヤモンドのお茶漬け」と言われ、取るとこから、取るものだけは、実に遠慮会釈なく取ったらしいが、一方気前もよくて、出すほうもどしどし出した。千代子は、あでやかで、頭もよく、次も上手であった。しかし、前に書いた通り、なにぶん新橋の名妓というわけではない。名古屋にいた頃から先の素性も、あまりはっきりはしない。せっかくあてがった旦那から、金が素通りして山本のところへ行くのだから、土地の女将連中は、決してよくは言わない。真偽とりまぜて、色々悪い評判もある。そういう女性に、山本五十六が、五十を過ぎて、どうしてそれ程まで夢中になってしかったのかと言えば、結局は、彼が家庭で求めて得られなかったものを、梅龍の千代子のうちにさぐりあてたからと解釈するより他はあるまい。』

阿川弘之は師匠の志賀直哉を介して里美ク経由で仕事を受注、五十六プロパガンダを河合千代子の偽証を補完する目的で新旧『山本五十六』を書く。旧版『山本五十六』では週刊朝日に掲載された記事に触れて、


『河合千代子個人に対しても、同情や共感と共に、非難は殺到した。多分、反響があまり大きすぎたのにこりたのであろうが、彼女はそれ以後、二度と報道関係者の取材には応じなくなってしまった。私も、此の女性には会うことが叶わないままである。今後、此の物語の中に出て来る、山本の川千代子あての手紙は、会えないままこれを書いている。だから五十六の恋文はすべて週刊朝日誌上に掲載されたものからの引用である』


と断っている。そして中村家の女将の古川敏子に取材して、千代子のプライベートなことに関する非常に立ち入ったことまで書いているのだが、なぜ『恋文』に関してだけ『会えないまま』と、わざわざ断るのであろうか。それは阿川が河合千代子に会ったと言えば、19通の恋文を手元に残してあると言った手前、週刊朝日に載せなかった16通の恋文の存在について、何か言及しなければならなくなるからである。阿川は『五十六の恋文』など一通も存在しないことは、百も承知である。あと16通もデッチあげるのはかなわない。そういう厄介をはぶくために、『会うことが叶わない』言って予防線を張っているのだと思う。そういう小細工を悟られまいとして、『聞くところによると週刊朝日が掲載をためらったほど濃厚な内容の恋文もあったらしい』などと、思わせぶりなことを書いている。


阿川は新版を出すに当たっては、千代子本人に聞き取りをしている。しかしそれを明文化しない。巻末の聞き取りのリストに、『後藤千代子』とのみある。千代子は週刊朝日に暴露記事を載せた翌年の昭和30年、後藤銀作と結婚して後藤姓になっている。後藤千代子だけ書かれても、事情を知らない読者にはそれが河合千代子だとは分からない。そういう仕掛けをした上で、従前通り週刊朝日に掲載された『恋文』を取り上げ、あれこれ枝葉をつけている。まったくの創作であり、『純然たる小説』である。


当の千代子も言うことがコロコロ変わり、五十六の手紙を19通残したと言っていたのが、前出の望月良夫氏に『恋文』を贈呈した時には5通残したと証言している。しかも望月氏がもらった『昭和16年12月5日付』の手紙と、週刊朝日に掲載された『12月5日付 五十六の恋文』の文面は全然違う。つまり河合千代子は『12月5日付の五十六の恋文』を、少なくとも2通持っていることになる。


ミッドウエ―出撃前夜の『五十六の恋文』の場合は、もっと顕著である。週刊朝日に掲載したものには機密情報が書かれているが、望月良夫氏に見せたものには機密情報は書かれていない。内容もまったく穏当なものである。河合千代子は『五十六の恋文』と称して、何通ものバリエーションを作成していたようである。


『五十六の恋文』ばかりではない。千代子は『五十六の遺品』と称するものを柳行李いっぱい所持していた。千代子が気前よく人にあげたり、夫の後藤銀作が持ち出して受注先に賄賂として贈呈したので、望月氏が取材したころには残っているのはもうわずかいう状態であった。『五十六の恋文』『五十六の遺品』というのは、いわば商標なのである。


しかし阿川弘之のもっとも不審な点は『山本五十六』を描くのにあたって、一番肝心な遺族の聞き取りをしないことである。これが、阿川の『山本五十六』が当初から河合千代子のプロパガンダを補完する目的で書かれたものであることの、もう一つの証左である。

阿川は五十六が千代子に溺れた原因を、妻に対する不満に求めている。そのために阿川は遺族から名誉棄損で訴えられるほど、妻の礼子の誹謗中傷を書きまくっている。もし礼子本人に会って聞き取りをしたら、このような冒涜はできなくなる。河合千代子のプロパガンダを補完することもできなくなる。大切な請負仕事をダメにしたというので、志賀直哉と里美クの顔を潰し、文壇で干され、田布施村王朝の文化勲章も貰えなくなる。


週刊朝日の続き。

『昭和八年の夏のこと。彼女は築地の「錦水」に呼ばれた。上座には、ややすりきれた茶と白の縞の背広をきたイガグリ頭の色の黒い男が座っている。酒は飲まぬが、周囲のものと朗らかに談笑していた。そのうち、自分の前にでた前の上の吸い物のフタをとろうとしたが、どうしても取れない。』


子息義正氏によると、五十六は指のハンデを克服して、目にも止まらぬ速さで身支度できるようになっていた。損傷した二本の指は第一関節まであるので、これを他の指と紛らわせて見せる技も体得していた。だからあまり親しくない関係の者は、損傷していることに気がつかないままの人もいたという。河合千代子もそのうちの一人である。次の一節を読むと、自称愛人の千代子が、五十六の損傷した指に触れたことはおろか、見たことさえないのが分かる。


週刊朝日の続き

『指のない男   黙ってお酌をしていた千代子がふとみると、その左手の人差し指と中指が根本からない。ハッとして、彼女はそばへ寄って、「とって差し上げましょう」というと、男は鋭い目で彼女を見つめたまま、「自分のことは自分でする」といって、椀のフタを取った。千代子は(イヤな方)と思った。』

10年近く愛人だったと自称しながら、五十六の左手の人差し指と中指が根本からない、というのは非常に迂闊な話である。五十六の二本の指は第一関節でボキっと折れたので、ここまではしっかり残っている。千代子はそれを知らなかったし気がつかなかった程度に、第三者の人間である。


阿川弘之も『山本五十六』に次のように書いている。

『もっとも、山本は、手の指が八本しか無かった。昔、日露戦争の時に、少尉候補生と
して乗り組んでいた軍艦「日進」に、ロシヤの砲弾が命中して、彼の左手の、中指と人差し指を、根本から持って行ってしまった。』


週刊朝日の続き。

『この男が、当時第一航空戦隊司令官、海軍少将五十一歳の山本五十六だったのである。(左手の指が二本ないのは、日本海々戦に少尉候補生として軍艦「日進」に乗組中、負傷いたものだった) 一年近くの月日が流れた‐昭和九年六月、山本は海軍軍令部出仕となり、軍備制限準備委員を命ぜられた。対象十一年六月調印されたワシントン会議の有効期限があと、二年にせまったので、その予備交渉がこの秋、ロンドンで開かれることになり、その代表に選ばれたのである。』

『千代子はある夜、お座敷でフトこの山本少将がいるのに気づいた。イガクリの頭、軍服であるが、まがいもなく一年前の男だ。「いつぞやは失礼しました」と挨拶すると「俺はあまりこういう席へはこんから知らん」という。彼女が吸物の一件の話をすると「サア、覚えてないな。君のことも知らんね」とブッキラ棒な返事である。彼女は(憎たらしい人だワ)と思った。』


身辺警護と称して五十六を見張っていた憲兵隊の中のある一人だけを除いて、御用聞きでも小学生でもどんな人間に対しても五十六は礼儀をもって接している。これがもし本当だとしたら、千代子は憲兵隊と同じような拒絶反応を、五十六から引き起こしたことになる。あるいは河合千代子が色仕掛けで誘い水をかけても五十六が乗ってこないので、振られた千代子が(憎たらしい人だワ)と思ったことはあったかも知れない。


『二、三日してまた山本と出あった。山本の隣には同期生の吉田善吾(後に海軍大臣)が座っていた。何か話のハズミに吉田から、「梅龍、お前はチーズが好きか」ときかれ、「大好き」とこたえると、山本がそばから、「じゃあ、御馳走してやろう。明日十二時に帝国ホテルにおいで」という。吉田がそばから、「この男がこんなことをいうのは珍しいな。行け行け」とけしかけた。千代子は冗談とも思ったが、失礼しては、と思い、翌日、帝国ホテルにでかけると、山本はもう食堂で待っていた。やがて、カクテルが一ぱいづつとチーズの山がはこばれる。あとは何も出てこない。山本はカクテルに口をつけず、二人は黙々とチーズを平らげて別れた。』


『二人で黙々とチーズを平らげて別れた』場面について、阿川弘之は全然違うことを書いている。


旧版『山本五十六』より

『それで梅龍は、かねて仲よしの菊太郎、菊弥という二人の妓と一緒に、翌日の昼飯を、帝国ホテルのグリルで、山本の馳走になった。食後、山本は三人を、三十間堀の中村家まで送っていった。「九時か十時になったら、身体が空くから」と言って帰って行ったが、その晩彼は、梅龍たちを上げて、プライベートに遊んだらしい。山本と千代子とが、親しくなったのは、此の時からである。』

千代子本人に取材した新版『山本五十六』では、週刊朝日とも旧版とも違うストーリーになっている。


新版『山本五十六』より

『それで梅龍は、翌日、帝国ホテルのグリルで軍服を着た山本と初めて食事を共にした。それから一二回淡い逢瀬をかさねたあと、千代子はある晩帝劇で山本の手を握りながら恋愛映画を見ていて、今夜このままあなたと別れるのはいやだと言い出した。』

大切な馴れ初めの場面の証言が、どうしてこんなに二転三転するのだろうか。


さらに千代子は後年になって、また違うことを証言している。

望月良夫『山本五十六の恋文』より

『「山本元帥に初めて出会ったときのことを話してくれませんか」「お座敷でした。何かの送別会だったと思います。威張ってむっつりしていました。しゃくにさわって、この男を誘惑してやろうときめました。同席していた軍務局長が、山本は堅物だから何とかしてやれ、と言いました」 初印象をはっきり覚えていた。「ところが三、四回会っているうちに、こっちが参ってしまったのです、元帥は私に、援助はできないから妹してつき合いたい、と言いました」』


吸い物のお椀の一件は軍務局長にけしかけられた話にすり替わり、一方、吉田善吾にけしかけられてチーズを黙々と二人で食べた馴れ初めの一件は消えている。かくも場当たり的に、千代子の証言はころころ変わるのである。だから『五十六の恋文』も、ころころ変えて作成しているのである。


チーズにまつわるエピソードは、家族との間にもある。これを事前にどこかで漏れ聞いてパクったのかもしれない。


山本義正『父 山本五十六』には次のように書かれている。

『病床の私に、父が直接見舞いに来てくれたり、やさしい言葉をかけてくれた記憶はあまりない。が、ときどき黙ってなにか買ってきて、母にわたしてくれていた。そのひとつがチーズで、私の体にいいからと、父がたくさん買ってきてくれた。当時、チーズなどを食べる習慣はふつうの人にはなかったし、私としてもはじめて食べる味だった。最初はくさくて、いくら体にいいからとすすめられても、なかなか食べる気にはなれなかった。が、それでもすこしずつかじっているうちに、だんだんとくさみも気にならなくなり、ついには、あのなんともいえぬ味と香りが気にいって、大好物になってしまった。私がチーズを好んでたべるようになったことは、父をたいそう喜ばせたようで、そのころ家に来た客と談笑しながらそのことにふれて、「こんなものをいまから好きになられたんじゃ、破産しちゃうよ。」と言って笑っていたのを記憶している。現代のように、洋風の食生活が普及していなかった当時、乳製品、とりわけチーズを食べることは、ごくかぎられた人たちだけだったらしい。』

週刊朝日の続き。

『彼は吉田や、長谷川清(当時海軍次官)らの常連から、千代子の身上を聞き、同情したのである。彼自身、いろいろの意味で、家庭的に恵まれず、淋しい男であった。そこから自然一種の「女嫌い」にもなっていた。が、「チーズの御馳走」以来、二人は急速に親密になり、九月二十日の出発の直前には、彼女を呼ぶにも「梅龍」から「梅ちゃん」、さらに「千代子」と呼ぶ仲となった。』

『彼自身、いろいろの意味で、家庭的に恵まれず、淋しい男であった』というのは、阿川のガセネタである。阿川弘之は『新版 山本五十六』の後書に、山本家から名誉棄損で訴えられたこともあり、新資料も交えて大幅に加筆修正したと書かいている。しかし修正してあるのは、河合千代子ネタの前後の辻褄の合わないところである。


阿川弘之の犯罪はこればかりではない。彼は鶴島正子に聞き取りをして、さらなる愛人ネタも捏造している。鶴島正子がトランクいっぱいのラブレターを空襲で焼いたとか、鶴島正子は五十六を愛するためだけに生まれたようだと言ったとか、これらは鶴島正子が自己申告したことではない。阿川弘之が第二の河合千代子ネタを作るべく、聞き取りと称して鶴島正子に導尋問を行ない、言葉質を取った上で脚色したのである。鶴島正子と五十六の間に恋愛は成立していない。幼馴染に毛が生えた程度の付き合いである。それが阿川弘之の筆にかかると、鶴島正子も愛人に列せられプロパガンダの恰好の材料に使われるようになる。


週刊朝日の続き。

『誰にも話さないで   翌十年二月十二日山本は帰国した。予備交渉で、各国兵力の制限、兵力の均等、攻撃的兵力(空母など)の撤廃を主張して物別れとなり、故国に帰った彼の心中は複雑だった。世論はワシントン、ロンドン両条約の廃棄にまっしぐらに進み、彼も派遣もある意味で形式にすぎず、その予備交渉での奮闘も一人相撲に終わった感があった。彼が対欧中の前年の十二月末に、条約破棄の通告があったのである。帰国後、三月ほどして、旅先から千代子あてに中将となった山本五十六は、こんな手紙を出している。』


五十六の奮闘が『一人相撲に終わった感があった』というのは、悪意のある言い方である。軍縮の条約破棄は不可抗力である。週刊朝日の記者の言葉の端々には、五十六を持ち上げるフリをして貶めよう貶めようとする意図が見える。

『「ロンドンへゆくときは、これでも国家の興廃を双肩にになう意気 と覚悟をもっておりましたし、あなたと急速なる交渉の発展に対する興奮もありまして、血の燃ゆる思いもしましたが、ロンドンにおいて全精神を系統した会議も、日を経るにしたがい、世俗の一般はともかく、海軍部内の人たちにすら、これに対しあまりに無関心を装うをみるとき、自分はただ道具に使われたに過ぎぬような気がして、誠に不愉快でもあり、また自分のつまらなさも自覚し、実は東京に勤務しておるのが淋しくて淋しくてならぬのです。それで孤独のあなたをなぐさめてあげたいと思っていた自分が、かえってあなたの懐に飛び込みたい気持ちなのですが、自分も一個の男子として、そんな弱い姿を見られるのが恥ずかしくもあり、また、あなたの信頼にそむく次第でもあると思って、ただ淋しさを感じるのです。こんな自分の気持ちは、ただあなたにだけはじめて書くので、どうぞ誰にも話をなさらないでください」 出発のときと比べて、少しも変わらぬ態度で出迎えてくれたのは、わずかな先輩、親友と、千代子だけだったことが、彼にはよくわかったのである。』


前述した阿川の創作は、この手紙に尾ひれをつけたものである。『純然たる小説』の倣いとは言え、これはほとんど阿川自身の恋文である。


阿川が付け足した尾ひれの部分。

『この三四年が夢の間に過ぎ去った事を思ひ更に今後十年二十年三十年と先の事を想像すると人生などといふものは真にはかなき幻にすぎず斯く感じれば巧妙も富貴も恋愛も憎悪もすべて之(これ)朝露の短きに似たりと思われ無常を感ぜぬわけには参りませぬ   あなたは孤独だから寂しいと云われます 世の羈絆(きはん)につながれた死ぬに死なれず苦しむ人の多き世に天涯の孤児は却って神の寵児ならずやと云はれぬこともないでせう こんなことを考えると何も彼もつまらなくなって来ます 理屈は理屈としてとにかくあなたにかりにもなつかしく思われ信頼してもらえる私は現実においてまことに幸福です 只僕はこの妹にして恋人たるあなたにとつてあまりに貧弱なる事を心から寂しく思って居ります 僕は寂しいよといふ言葉は決してあなたや先生の真似ではなく実は自分を省みて自分をあなたの対象物として客観的に見て心から発する自分を嘲る言葉です あなたのあでやかに匂ふ姿を見るほど内心寂しさに耐えぬのです どうか悪く思はんで下さい 倫敦へゆくときは これでも国家の興廃を双肩にになふ意気と覚悟を持ってをりましたし・・・』


筆の滑った、言葉の氾濫ともいうべき、饒舌な恋文である。阿川は尾ひれを付け足しただけでなく、原文の改変もしている。オリジナル『実は東京に勤務しておるのが淋しくて淋しくてならぬのです。』→阿川『実は東京に勤務してをるのが寂しくて寂しくて且つ不愉快でたまらないのです』。せめてキーワードの『寂しい』という漢字を、オリジナルの『淋しい』に統一するくらいの配慮が出来ないのだろうか。


『此の物語の中に出て来る、山本五十六の河合千代子あての手紙は、全部当時の「週刊朝日」からの引用である』と書いているのである。千代子本人に聞き取り取材したら、こういう文面の『恋文』があったということなのか。創作にしても、こういう辻褄は合わせるべきである。こんなにいい加減なのに、大宅壮一は『大きな記録的価値』という賛辞を寄せ、『英雄の赤裸々な人間像を描いてあますところなく、「太平洋戦争裏面史」としての記録的価値も大きい』と絶賛している。気は確かだろうか。


阿川『山本五十六』は、映画化されたりテレビドラマ化された。千代子役の女優が五十六の妻に怒鳴り込んでいくシーンや、酔って着物を脱ぐシーンを観て、千代子本人は「訴えてやる」と息巻いていたと、千代子に30年以上付き添ったさとさんという女性が、望月氏に証言している。五十六が死んだあとになって、愛人を騙る方がよっぽど醜悪であるが、千代子はそういう役回りを演じている自分の姿を客観視することができない。阿川弘之の他にも、松村剛や渡辺淳一が河合千代子を取り上げているが、彼らはそういう千代子の姿を客観視した上で道具に使っている卑劣漢である。


評論家の村松剛は、五十六プロパガンダ小説の嚆矢『いろおとこ』を賞揚してやまない。里美クは白洲次郎のダチにして原熊の親類、その陳腐で薄汚れていて読み続けるにはかなりの忍耐がいる里美の文章を、『印象を点綴して人間像を浮かび上がらせる名人芸は、現在の文学の世界には求めがたいものであろう。』と手放しで絶賛している。(『プレジデント“ザ・マン”シリーズ山本五十六』に寄稿した村松剛の『五十六の恋』より)


ご丁寧にも村松剛は、里美クの全集から、次のような里美自身の手による解説文まで引用している。『女なぞいくらでも出来放題だし、頼まれれば全海軍力だろうと、日本国そのものだろうと、軽く背負って立つ、まではいいとして、目はしが利くから、十三階段でひょろつくようなへまはやらず・・・』。これは里美ク自身による、里美クのプロパガンダのための、里美クを投射した五十六像である。


村松剛はさらに次のように書いている。

『さびしがりやの彼には、平生ひとまえにはあらわさない孤独感を、抱きとってくれる存在が必要だった。それが千代子であって、彼は中将時代に彼女に宛てた手紙のなかでそのことをみずから書いている。「実は東京に勤務してをるのが淋しくて淋しくてならぬのです。・・・・こんな自分の気持ちは、ただあなたにだけはじめて書くので、どうぞ誰にも話をなさらないでおいてください」 千代子は山本にとって、単なる「マドロスの恋」の相手ではなかったのである。永遠に母なるものは洋の東西を問わず、文学の古くからの主題とされて来た。山本が彼女に求めたのは、ほぼそれに近い。もうひとりの鶴島正子は彼女がまだ子どものときからの知り合いで、若い山本におんぶしてもらったくらいだから、「母なるもの」というわけには行かなかっただろう。』


恋文の真贋は置くとして、誰にもいわないでくれと懇願しているのにマスコミに暴露して悲劇のヒロインを演じる女の、いったいどこが「永遠に母なるもの」なのか。千代子を背後から操る者たちの意図は見え見えである。私は仮に五十六に愛人がいたとしても(笹川良一が証言しているように五十六は女性には小学生のように純情で、モテたというのは精神的なものだと思うし、また堀悌吉が五十六を一言でいえば「チャイルデイッシュ」と証言しているように、情を交わす愛人がいたとは思わないが)構わないし、それは個人的な問題である。


しかし本人自筆の恋文と称して、最前線にいる連合艦隊司令長官のたるんだ『生態』が『如実』である手紙を、大手の週刊誌誌上に暴露して物議をかもすのは公的な問題である。連合艦隊司令長官はミッドウエ―海戦出撃前夜の機密情報を漏らしたり、前線へ出かける日程や参謀名を一々教えていることにされている。このような連合艦隊司令長官として忌々しき言動を暴露する千代子を指して、村松剛は「永遠に母なるもの」と形容しているのである。どっちに転んでも確かなことは、河合千代子は五十六を愛していない、相手の迷惑も顧みず自己陶酔しているだけ、ということである。私はついぞ知らなかったが、村松剛という批評家は頼まれればこういうプロパガンダを平然と書ける人間だったのだ。

週刊朝日の続き。

『九月、千代子あての手紙。「ゆうべ夢をみました。どうしてこんな夢をみたのか自分でも不思議に思います。一緒に南欧のニースの海岸をドライブした夢をみました。これが実際だったらどんなに喜ばしいだろうと思いました。」ここには英雄もなければ、軍神の匂いもない、五十歳を超えた男には珍しいみずみずしい感傷があるだけだ。』


どこが珍しいみずみずしい感傷なのだろうか。記者の願望なのだろうか。中年男のエゴを美化した渡辺淳一の『失楽園』(映画の主役は奇しくも役所広司)みたいだが、阿川弘之も同じようなことを書いている。『山本五十六は生きていた』プロパガンダも、この延長線上にあると言えるだろう。高橋五郎は現地に飛んで目撃証人を見つけ出し、五十六生存説の根拠としているが、高橋のこの見解はBC級戦犯裁判の決めつけと同じで、目撃証言があれば即有罪、その証拠能力が問われることはない。


週刊朝日の続き。

『昭和十四年八月、山本五十六は連合艦隊司令長官になり、十五年十一月、海軍大将となった。千代子は、十二年、妓籍をひいて、「梅野島」という料亭を経営、その女将となり、一方、芝の神谷町に小さな家を買い、山本を迎えた。彼に無駄な金をかけさせまいという心づかいからである。』


リアル感を醸し出すために、梅龍を落籍させ料亭や小さな家を購入させたのである。原田熊雄を丸抱えしているのは、田布施王朝御用達財閥の住友本社である。料亭や小さな家の一軒や二軒、芝居の書き割り小屋として用意するくらい朝飯前である。何せ国家プロジェクトなのだ。憲兵隊のみならず海軍省のスタッフも友情出演している。彼らが梅龍の家に出入りして見せたので、五十六と個人的に親しい関係者までこのプロパガンダを信じている。


週刊朝日の続き。

『開戦・再開・別離   日本の風雲急を告げた昭和十六年十一月の末。連合艦隊長官として旗艦長門に乗込んでいた山本から招かれ、彼女は安芸宮島に旅をした。二人は、静かに厳島の散策に、時を過ごした。小鹿が、傍らに寄って来ては「クウクウ」と鳴いた。「ああ、ヨシ、ヨシ」彼女は、小鹿の頭を撫でてやった。山本は、静かに、彼女を見つめて、微笑した。しんみりとした宮島の二日だった。その後、数日して十二月一日山本は、突然、飛行機で上京、四日、帰艦するまで、あわただしい公務に忙殺された。だが、この多忙の寸暇にも、彼女を訪なうことを忘れなかった。‐四日の午後、二人は銀ブラに出かけた。そして、花の好きな山本は、千疋屋でバラの花を一束買って、彼女に与えた。彼女の家を訪ねる時は、いつも、花をもってくるのが慣わしであった。』


五十六が上京したのは、飛行機ではなく汽車である。極秘裏に上京するために飛行機を使わず、密かに私服姿で汽車に乗って上京したのである。飛行機で上京したというだけでも十分ガセであるが、その五十六が四日の午後に愛人と銀ブラをして千疋屋でバラの花束を買ったというのは、言語道断のガセである。五十六は天皇と先例のない特別な個人的な拝謁をするために、徹底的に隠密行動を取っている最中である。前日の三日は、拝謁の後、姪と堀に束の間会っただけで、家族と最後の晩を過ごしている。四日の朝、五十六は家族と訣別、午前九時海軍官舎から壮行する際、堀を呼び、横浜駅での束の間の再開を約し、午後三時二十七分に横浜駅プラットフォームで堀としばしの立ち話をして別れている。


週刊朝日は『四日の午後、二人は銀ブラに出かけた。そして、花の好きな山本は、千疋屋でバラの花を一束買って、彼女に与えた。』という一文で、地雷を踏んだのである。この暴露記事に対しては賛否両論で、千代子に対する抗議が沸騰したらしいが、正午から出立までの三時間という限られた時間の中で、連合艦隊司令長官が女連れでバラの花束を買い求めたかどうかは、千疋屋の店員なら知っているだろう。だから阿川は週刊朝日のオリジナルネタは使わない。

阿川弘之 旧版『山本五十六』より

『飛行機で発つ予定が、都合で午後三時の特急に変更になったので、山本はそのあと、私服に着更えて、一人、梅野島の千代子のところへ出かけて行った。中村家の敏子が、郵便局の帰り、梅野島に寄ってみると、山本は千代子と差向いで、おそ昼の茶漬けを食っていた。山本の買って与えた薔薇の花が、花瓶いっぱいにさしてあった。敏子は、しばらくして、女中にタクシーを拾わせ、山本と一緒に外へ出た。山本は、顔が目立たないように、マスクをし、紫の縮緬の風呂敷包みを、大事そうにかかえていた。敏子が、持とうとすると、彼は、「いや」と言って、それを離さなかった。風呂敷の中には、勅語か御沙汰書のようなものが入っているらしく思われた。そして山本は、円タクで、銀座から東京駅は向かった。』

週刊朝日のオリジナルネタ『四日の午後、二人は銀ブラに出かけた。そして、花の好きな山本は、千疋屋でバラの花を一束買って、彼女に与えた。』は姿を消して、『五十六は一人、梅野島の千代子のところへ出かけて行った』ことになっている。阿川は、五十六が千代子を訪ねてきて差し向かい二人で茶漬けを食っているシーンから始め、その前の『銀ブラ』『千疋屋』には触れない。地雷を踏まないためである。新版ではもっと小細工を施している。

阿川弘之『新版 山本五十六』より

『飛行機で発つ予定が、都合で午後三時の特急に変更になったので、山本はそのあと、私服に着更えて、一人、梅野島の千代子のところへ出かけて行った。中村家の敏子は前から山本に頼まれていた画仙紙を買いに鳩居堂へ行き、「呉局気付軍艦長門山本五十六様」と送り先を書いて、その帰り道に梅野島へ寄ってみると、思いがけず当の山本が千代子と差向いで、おそ昼の茶漬けを食っていた。山本の買って与えた薔薇の花が、花瓶いっぱいにさしてあった。其処へ鳩居堂の使いが追いかけて来、郵便局でこんな漠然とした宛先じゃあ受け付けられないと言ったという。敏子は「それじゃあちょうどよかったわ」と画仙紙の包みを渡し、しばらくして、女中にタクシーを拾わせて山本と一緒に外へ出た。山本は、顔が目立たないように、マスクをし、片手に紫の縮緬の風呂敷包みを、大事そうにかかえていた。敏子が持とうとすると、彼は、「いや」と言って、それを離さなかった。風呂敷の中には、勅語か御沙汰書のような物が入っているらしく思われた。そして山本は敏子と別れ、円タクで銀座から東京駅へ向かった。』

『新版 山本五十六』を書いた時、すでに阿川は千代子本人に取材している。にもかかわらず本人のオリジナルネタではなく、古川敏子ネタで通している。相変わらず『二人で銀ブラ』ではなく、『山本はそのあと、私服に着更えて、一人、梅野島の千代子のところへ出かけて行った』ことになっている。バラの花束も五十六が一人で買ってきたことになっている。『千疋屋』は禁句である。さらに阿川は『千疋屋』に対抗させるために、老舗の鳩居堂を登場させている。古川敏子が鳩居堂で五十六に頼まれていた画仙紙を買って、郵便局で送った帰りに千代子の家に寄るというネタに、マスク、紫の縮緬の風呂敷、勅語か御沙汰書のような物・・・と些事を細々と描写して付け加えることでリアル感を出し、何とか無難な筋書に読者を引っ張っていこうとしている。阿川弘之は確信犯である。


河合千代子当人も阿川の姑息さを本歌取りして、阿川バージョンの『恋文』を創作する。阿川バージョンがオリジナルネタを凌いだのである。望月良夫の本に載っているのは、千代子が創作した阿川バージョンの『恋文』である。

望月良夫『山本五十六の恋文』より

『「奥さんは気前がよく、手紙をひとにあげたりするので行李にはもう殆どありません」と(さとさんは)口早に話すのだった。黙って聞いていた千代子は急に立ち上がり、「元帥の手紙を二通大事にしまってあります。先生がそれほど元帥を好きなら一通あげましょう」と奥へ消えた。しばらくすると、元帥から千代子あての手紙と元帥へあてた米内光政の手紙の二通を手にあらわれた。(略)はからずも貴重な遺品を手にした私は、千代子の深い好意を感じた。千代子は、「元帥の手紙はたくさん持っていましたが事情があって二通となりました。米内さんのも大切にしていたものです」(略)帰って手紙をひろげたが、読み取りにくい箇所が二、三あった。


「此のたびはたった三日でしかもいろいろいそがしかったのでゆっくりも出来ず、それに一晩も泊まれなかったのは残念ですがかんにんして下さい。それでも毎日寸時宛でも会えてよかったと思います出発のときハ(ママ)折角心静かに落ちついた気分で立ちたいと思ったのに雄弁女史の来襲で一緒に尾張町まで行く事も出来ず残念でした 汽車は少し寒かったけれど風もひかず今朝六時数分かに宮嶋に着いてとても静かな黎明の景色を眺めながら迎いに来て居った汽艇で八時半に帰艦しました  厳島の大鳥居の下で小鹿がクウクウといっとったからウ・ヨシヨシと言ってやりましたら後から大きな鹿が飛び出してきて頭で臀の処ヲグングン押して来ようとしたけれど艇まで一浬ばかり距離があったので駄目だったよ  薔薇の花はもう咲きましたか。其の一ひらが散る頃は嗚呼、 どうぞお大事に、みんなに宜しく、写真を送ってね。さようなら 十二月五日夜  五」』


望月氏は「山本五十六から河合千代子への手紙 昭和16年12月5日」と但し書きをつけ、実物写真を口絵に掲載している。写されているのは、次の部分の文章である。

『此のたびはたった三日でしかもいろいろいそがしかったのでゆっくりも出来ず、それに一晩も泊まれなかったのは残念ですがかんにんして下さい。それでも毎日寸時宛でも会えてよかったと思います出発のときハ折角心静かに落ちついた気分で立ちたいと思ったのに雄弁女史の来襲で一緒に尾張町まで行く事も出来ず残念でした』


『雄弁女史の来襲で一緒に尾張町まで行く事も出来ず残念でした』とは、古川敏子が梅野島にやってきたので、五十六の出立の際、尾張町まで千代子と二人でタクシーを拾いに行けなかったことが残念だ、という意味である。オリジナルネタは消え、阿川バージョンを取り入れていることが分かる。


◎阿川バージョンを取り入れた『恋文』の筆跡は五十六のものではない。望月良夫『山本五十六の恋文』は国会図書館にあり、地方図書館で取り寄せてもらえる。館内閲覧のみであるが、現物を見ることが出来る。週刊朝日のバックナンバーも同様に、県外の図書館から借り出してもらうことが出来る。閉架を併設している図書館であれば、地方図書館にも保存している所があるので、問い合わせて見てください。


古川敏子を雄弁女史とは言い得て妙である。古川敏子ほど阿川にガセネタを提供した人物はいないだろう。金と引き換えとはいえ、新橋女将の風上にも置けない奸物である。CIAに沈黙(オメルタ)の掟があるように、新橋芸者にも守秘の鉄則はあるのだ。


望月良夫氏に寄せられた感想文より

『新橋芸者を思う      有賀 博 


東京の花柳界は、新橋、赤坂、柳橋が一流と言われる。新橋は官僚、財界が客筋。赤坂は政治家が多い。柳橋は、きさくな下町好みの客筋。従って、芸者衆の気風も、明らかに違う。隣座敷の客が誰それと分かっても、「知らない」と答え、昨夜会った客でも、「昨晩はどうも」とも言わない。口の堅いのが新橋芸者。決してお客の機嫌きづまをとらない。朋輩の噂をしない。 』


五十六プロパガンダに協力した河合千代子と古川敏子を並べて見るとき、素人上りの千代子よりも、新橋のれっきとした女将の敏子の方がはるかに罪が重い。古川敏子の協力なしには、里美クも阿川弘之もプロパガンダ小説を書くことが出来なかっただろう。


阿川弘之『新版 山本五十六』より

『山本と深くなってからの梅龍は、彼にだけは実によく尽くした。彼女には、男同士双方承知の旦那があって、土地で「ダイヤモンドのお茶漬け」と言われ、取るとこから、取るものだけは「ザブザブ」と実に遠慮会釈なく取ったらしいら、一方気前もよくて、出す方もどしどし出した。山本はそんなに自由に金は使えないし、実際使いもしなかったらしい。当時妓籍にあり、傍らから見ていて、「男としてあれでよく耐えられるな」と不思議な気がしたと言っている女性もある。


古川敏子が昔の思い出話をしながら、「梅ちゃん、あんたは心と身体とを上手につかいわけたわね」とからかうのを、年老いた千代子が笑ってうなずいている、そういう光景を私は見たことがある。』

『「梅ちゃん、あんたは心と身体とを上手につかいわけたわね」とからかうのを、年老いた千代子が笑ってうなずいている、そういう光景を私は見たことがある。』という箇所は、狐と狸の化かし合いのような諧謔味が出ているが、千代子は着物を脱ぐ映画のシーンにも激怒したのだ。心と身体とを上手につかいわけたわね・・・笑ってうなずいて・・・んな訳ないだろうが。阿川は『梅龍の千代子はしかし、「長門」が入港すれば、一人でも必ず一度は横須賀へ山本を訪ねた。山本の下着類や沓下、副官や副官夫人への贈物まで用意して来、長官室の洋服箪笥の中やベッドまわりをせっせと片づけた』とも書いている。


阿川の『山本五十六』は、副島隆彦のようなトンデモ本だと思って読むべきである。阿川弘之は副島隆彦よりはるかに底意地が悪い。古川敏子も、千代子に対する本当の意味での好意を持っていない。阿川と古川敏子は共謀して、五十六プロパガンダには不必要な千代子の過去をスキャンダラスに書き立て、千代子の酔った時の醜態を面白おかしく脚色し、二人して千代子を玩具のように扱っている。

阿川前掲書の続き

『河合千代子の梅龍は、新橋から出ていたが、新橋の土地っ子ではない。明治三十七年名古屋の生れ、父親は株屋で、女学校を出て娘時代は何不自由の無い暮らしをしていたが、大正十二年東京鎧橋のたもとで大震災にあい父の店が倒産して両親とともに名古屋へ帰り、一家心中をしようという話まであった末に、明治銀行の頭取の生駒という人の世話になることになった。


それから二年して母親が亡くなり、次の年に父親が亡くなり、再び条項して烏森に家を借りて暮らしているうち、今度は盛岡の馬持ちと関係が出来た。その男はなかなかの美男子であったそうだが、千代子も美しい女で男関係が絶えず、髪を切ってやるとか硫酸をかけるとか脅され、色々ゴタゴタの挙げ句に睡眠剤を飲んで自殺をはかった。


それが助かってから、新橋へあらわれて芸妓志願をした。千代子が二十八の年で、昭和七年の十二月である。山本と深くなったのが昭和九年の夏と考えると、それより約一年半前である。三十に手のとどく齢で、いきなり天下の新橋から出たいなど、少しどうかしてやしないかというので、最初は誰にも相手にされなかったらしいが、何と言われても彼女は、「お願いします」の一点張りで、とうとう一念通して、間もなく野島家の梅龍を名のる事になった。


だから梅龍は、芸事はそれほど出来なかった。とても、名妓の列に入れられるような妓ではなかった。ただ。額の広い、面長の色っぽい女で、芸妓というよりお職の花魁のような風情があり、その色っぽさで、すぐ一部に嬌名をうたわれるようになったらしい。賢い人で、普段は行儀もよく、「わたし馬鹿だから、何ンにも分からない」などと言っているが、酔うとがらりと人が変わり、座敷から帰って来て、「取ってえも、取ってえも」と、名古屋弁で朋輩にみな着物を脱がさせてしまうのが癖で、手がつけられなかったという。


梅龍が「おかあさん」と呼んでいた野島家の丸子は、井上馨の妾だった人である。その関係もあり、彼女が少し有名病だったせいもあり、色っぽい梅龍には政界財界の誰彼との間に色んな噂が立ち、やがて決まった人も出来た。』

『取ってえも、取ってえも』という露出癖は、千代子本人が激怒したネタである。わざわざ書くところに、阿川の底意地の悪さがある。また野島家の女将が井上馨の妾であったことを千代子の有名病に結び付けているが、これは田布施村王朝と結びつけるべき要素である。

週刊朝日の続き

『バラの花散る頃   だが、この日、山本は、「この花ビラの散ることを見ていて下さい」と、言い残したまま帰艦していった。十二月五日付、軍艦長門から、千代子に宛てた手紙‐「このたびは、たった三日で、しかも、いろいろ忙しかったので、ゆっくり出来ず、それに一晩も泊まれなかったのは残念ですが、かんにんして下さい。それでも、毎日寸時だけでも会えてよかったと思います。出発のときは、折角心静かに落ちついた気分で立ちたいと思ったのに、いっしょに尾張町まで行くことも出来ず、残念でした。・・・・・・薔薇の花はもう咲ききりましたか。その一ひらが散る頃は嗚呼。どうか、御大事に、みんなに宜しく。写真を早く送ってね。左様なら」』 


逆に言えば、週刊朝日の『恋文』には『雄弁女史の来襲で』が脱落している。また望月氏が貰った恋文の『薔薇の花はもう咲きましたか。其の一ひらが散る頃は嗚呼、 どうぞお大事に、みんなに宜しく、写真を送ってね。さようなら 十二月五日夜  五』の部分は、週刊朝日の恋文では『薔薇の花はもう咲ききりましたか。その一ひらが散る頃は嗚呼。どうか、御大事に、みんなに宜しく。写真を早く送ってね。左様なら』となっている。句読点が違うし、『どうぞ』が『どうか』になっている。私はこんな風に大同小異の『五十六の恋文』なるものが、もっとバラ撒かれていると思う。


千代子は望月氏に恋文の箱書きを頼まれると、『お兄さんと呼んでたから、お兄さんでいいでしょう』と言って『お兄さんの手紙』と箱書きしている。やっていることは、ほとんどストーカーである。思うに『お兄さん』というアイデアは、吉行淳之介のかつての内縁の妻が吉行を『お兄ちゃん』と呼んでいたパクリではないだろうか。

週刊朝日の続き

『ちょうど、七日のことだった、千代子の鏡台にバラの花ビラの散ったのは。千代子は、八日朝のラジオ・ニュースで、開戦を知り、山本の言い残した言葉を、改めて考えてみた。ハワイ空襲の成功で日本中が湧いていた十二月二十八日、千代子あての手紙の一節には、「方々から手紙などが山のごとく来ますが、私はたったひとりの千代子の手紙ばかりを朝夕恋しく待っております。写真はまだでしょうか。」とある。越えて翌年一月八日付けの手紙。「三十日と元旦の手紙ありがとうございました。三十日のは一丈あるように書いてあったから、正確に計ってみたら九尺二寸三分しかなかった。あと七寸七分だけ書きたしてもらうつもりで居ったところ、元日のが来て、とても嬉しかった。クウクウだよ」(記者注=クウクウというのは二人が出撃の直前、宮島で撫でた小鹿の鳴声だ)』


望月良夫氏がもらった『五十六の恋文』は、これを換骨奪胎したものである。千代子は同じネタ、フレーズを使いまわして、複数の『山本五十六の恋文』を書いていたのだろう。


週刊朝日の続き

『一月には、八日、十二日、十九日、二十七日と、五日をあけず、千代子のもとに手紙がとどいた。三月十九日に千代子は肋膜炎を病んだ。絶対安静を命ぜられ、一時は酸素吸入で生命を支えたこともあった。四月十八日、東京がはじめて空襲をうけた日、彼女は日記にこう書いている。「苦しき呼吸困難を助けられ、驚きて思わず起き上がる。わが身は先生に見離され、いまさら運命に従うより外になし。悲し」』

『五月十日、連合艦隊は呉に帰港。山本は早速、千代子に電話をかけた。「呉よりしきりと電話くるけれど咳多く出ずるため、電話にて話すことできず、ただただ心あせるのみにて涙とめどなく出ずるのみ」と、彼女は日記に書き、さらに十三日には、「死んでも・・・・・・と心に強くいいきかせて夜の汽車にて呉に向かう。まだ床に起上る勇気もないこの身は看護婦さんの心配するのもきかずとうとう列車に乗せてもらう」十四日、午後四時、彼女は呉に着いた。人目をはばかり、眼鏡をかけ、マスクをした背広姿の山本が、ホームに出迎えていた。彼は瘦せて軽くなった彼女を背負い、ホームから人力車まで歩いた。彼女の日記にはこう記されている。「呉の駅に懐かしの人は待っていて下さった。ああうれしい。これでよかった。うち震える全身を抱きかかえられて、車にて菊川旅館まで運んでもらう。呼吸困難の私はいくたびとなく注射をして頂き、やっとの思いでたどりついたのでした。もう死んでもよい・・・・」』

『再び握らぬ手と手   別れた翌日の彼女の日記。「あの駅頭のお別れはどうしても私は帰るのがいやでございました。あのまま汽車から飛び降りてあなたのそばにいたかったのですのに。……汽車が動き出したとき力一ぱいに握り合ったあの手が私には離したくなかったですのに。あのとき私はちょうど弱った体のために思うような力が出せなかったのに、あなたはずいぶん強い力で、私の手を握って下さいましたね。どこまでも私の手を離さないでつれていって下さいませ」しかし、ふたたび二人の手は結ばれることはなかったのである。』


読んでいると身体が痒くなる文面である。千代子本人の言葉ではなく、ゴーストライターが書いているヨタ文である。


『五月二十七日、ミッドウエ―へ向かう直前、帰艦大和から、千代子あてに便りがとどいた。「あのからだで精根を傾けて、会いに来てくれた千代子の帰る思いはどんなだったか。しかし、病勢を日々克服してゆく千代子の気力は本当におどろくべきものですね。私の厄を皆ひき受けて戦ってくれている千代子に対しても、私は国家のため、最後の御奉公に精根を傾けます。その上は‐万事を放擲して世の中から逃れてたった二人きりになりたいと思います。二十九日はこちらも早朝出撃して、三週間ばかり全軍を指揮します。多分あまりおもしろいことはないと思いますが。今日は記念日(記者注=海軍記念日)の晩だから、これから峠だよ。アバよ。くれぐれもお大事にね。うつし絵に口づけしつつ幾たびか千代子と呼びてけふもくらしつ 五月二十七日夜」』


あろうことかミッドウエ―作戦の出撃日と戦闘期間を知らせている。こんなことを書いた手紙が検閲を通ることは不可能である。後になって辻褄を合わせるために、この手紙は秘書官によって29日の幸便に託されたという作為が施されている。山本五十六がいかにもたるんでいたように思わせる恋文は、源田実がわざと慢心しているように見せかける言動を取っていたことと連動している。これらは、ミッドウエ―の惨敗は相次ぐ勝利に慢心していた海軍の驕りによるものだ、というシナリオの布石である。ミッドウエー海戦の真相についてはいずれ検証するが、アメリカが最後の五分間で奇跡の大逆転を起こすというシナリオは、アメリカ側はヴィクター・ロスチャイルドが送り込んだスプルーアンス、日本側は源田実が中心になって、日米共同演出で行ったヤラセである。『運命の五分間』というのはプロパガンダ用語で、実際はかなりの幅を設けられてヤラセが行われている。但し、私はこのヤラセから山本五十六と南雲忠一を除く立場である。


望月氏が千代子からもらった『恋文』は、前述した他にも次のものがある。五十六バッシングの中でも筆頭に上げられる、ミッドウエ―出撃前夜の『恋文』である。望月氏は、自分がもらった『恋文』は阿川の本にはない、と書いている。阿川が自著に引用した週刊朝日の『恋文』とは違うそれを、望月氏はもらっていると言っているのである。5月27日付の手紙をそれぞれ較べると、阿川本と望月氏の『恋文』はまったく別物である。


望月良夫『山本五十六の恋文』より以下抜粋。

『しばらく訪ねなかったからだろうか、ある日、電話をもらったので早速訪ねた。応接室で待っていると、さとに支えられるようにして入ってきた千代子が、「先生に貰っていただきたいものがあります」と一通の封書を差し出した。何枚もの便箋に墨書きした五十六の手紙だった。最後の一通と直感し、千代子に済まないような気持ちになった。私は重いものを貰ってしまった。


午後の診療が一段落して書斎に入り、便箋十二枚にびっしり埋められた二千字を読んだ。この稿の最後に掲げるが、前の手紙より達筆で、昭和十七年五月二十五、二十六、二十七日間の、すこしの時間をさいてていねいに書かれたものである。封筒の上書きは、「京橋区銀座七の三 河合千代子様」裏は山本五十六だけで、切手、消印、検閲印はないから、人伝てに千代子にわたった私信である。


なお、この私信を託した同じ日に、もう一通千代子に手紙を投函している。(注 週刊朝日に掲載された手紙)いただいた私信の読後感はここに書かない。千代子の病身をきづかっている部分が多いが、阿川氏の著書を参考に、当時の千代子の病状を書かないと五十六の気持ちを理解しにくいだろう。


「新版山本五十六」によれば、五月十三日から六日間、戦艦「大和」は呉軍港に投錨した。入港時の慣例で、乗員の希望者はみな、細君を呼び寄せ別れの夜を過ごした。五十六のその日のうちに千代子に電話をかけた。千代子は三月から肋膜炎にかかり、一時は重体で絶対安静を命ぜられていたが、その晩、医師につきそわれて下関行きの夜行列車に乗った。翌日午後、呉駅のプラットホームに、背広に眼鏡とマスクをした五十六が待っていた。病弱の千代子は注射をうけながら、旅館で五十六と四晩を過ごした。


五十六の五月二十七日付の手紙、“あの身体で精根を傾けて会いに来てくれた千代子の帰る思ひはどんなだっかた(中略)私の厄を皆引き受けて戦ってくれている千代子に対しても、私は国家のため、最後の御奉公に精根を傾けます。その上は万事を放擲して世の中から逃れたった二人きりになりたいと思います(後略)”


同じ二十七日に秘書官に託した私信、つまり、私がもらった手紙は、阿川氏の著書にはない。


恋文

けふ廿五日東京へよりし参謀が中村勝平君よりの手紙とかねて御依頼せし万葉集小註を持って段取りしてくれたので千代子がその後経過順調で先月末より本月はじめまで静浦へ静養に出かけ其後は立花で来月になればどこでも行けると先生に言われたとの事を承知して本当に安心しました。

私もことによったら今月は横須賀方面へ行き東京へ打合せに行くかもしれぬ(此前手紙に書いた)と話したのでしたが後其方(横ス賀へ回航しないことになり)は都合で必要がなくなり從って当分上京の機会もなくなりましたそれに此頃いろいろの事が世間や外国へまで漏れるので艦隊の乗員や徴用船の船員の手紙などを検閲するといろいろの軍機のことがかいてあるので之では将来の作戦に不都合の事があってはいけないから当分手紙は出さぬ事にするという事になったのでした。それで私など誠にこまるのですが封書は控え居る次第です。

此手紙は二十九日頃の幸便にたのむつもりなのです(秘書官に)其後引きつづき経過もよいとすればもう注射も大体予定の回数が終わった頃であとは体力の恢復だけで段々全快なのでしょうと想像して嬉しくてたまりませんどうか此夏のあつさだけを充分に気をつけて夏まけしない様にして下さい。

東京からは先日君梅さんからとけふ中村武官の外一切手紙が来ず様子もわかりませんが外に萬々かはった事はないでしょうか。戦争も追々本格の長期戦になり船や飛行機や油やいろいろ入るものばかりになりますが懦座の方はどんなものかそれにつれて花柳界などの影響はどうです結局うちの様子はどんなかなと思い出して居ます追々暑くなると二階もたまらなくなるでしょうと心配です私も出来れば千代子の箱根への転地前にもう一度あって元気のところを見たいのですが次の大きな作戦のことでいろいろ心肝をくだいたり練ったりして居るので当分其機会が得られませんからどうぞ我慢して涼しくなる頃まで待って下さい、そうしてその間に充分からだを丈夫にして元気一杯の千代子になっとって下さいどうぞお願いします。また明日にでも書きたします御機嫌よふ(写真の千代子がジーッとこっちを見てるよ何とか言ってよ)二十五日午後五時

あすは大臣がこちらへ見える相だから東京の話なども出ると思ふけれど千代子は其後島田さんには会ふ機会もなかったでしょうね昨晩澤本さんからの手紙で「河合氏のお見舞いに羊かんを少々送ったらおすしを沢山に貰って恐縮でした丁度よい機会だから御依頼の手紙は直接届けるつもりだ」とかいてあったので自分で中村家へ行ったかそれともうちへ直接行ったかとにかく自分で訪ねていっただろうと思っています。

此手紙は丁度返事もかかなければならぬので中村武官に届けて貰ふ様に頼むつもりですから中村さんも御見舞がてら来る事でしょうがそうなるとうちは海軍省の出張所の様になりますね大臣には秘書官か誰かついて来るのか此頃秘書官は代ったのかどうかちっともわかりません島田さんは明日朝ついて一泊して徳山あたりの工場を廻って二十九日頃は東京へ帰るらしいから今月中には此手紙が届くと思います

今度又何時手紙が出せるかわからぬからお中元の分、少々ばかりわけてあげて下さい入れといたから此手紙のつく頃は或は強羅あたりへ転地して居るのではないかなどとも思いますが来月からかとも思って居りますそれとも他にしましたかおひささんの話の御殿場あたりの田舎もよいかも知れないねともかくこちらからははがきや名刺でも出しますからこれからさきの行動予定など知らせて下さいねどうぞお大事に

うつし絵に口づけしつゝ幾たびか千代子とよびてけふも暮しつ 五月二十六日夜

けふはとてもむし暑くやがて降って来そうの空模様ですあと暫くで島田さんが着くのでついてからの話なども聞いてからもっと書きたいけれどひまがないかもしれぬから一応封をしておく事にしますそれではどうぞ気をつけて充分に養生をしてお乳も腕も背中もお尻もいやになったという程丸々と肥って下さいそれから又しまって来るのはわけないからね、駒さんはおかあさんになってからやって来ましたか、もう一月以上になったでしょうね、みんなによろしく、それではお大事に御機嫌よふ左様なら。五月二十七日朝九時五十六千代子様

萬葉集小註はとても面白く読んでいますありがたふ(引用の手紙三通はすベて原文のまま)』

もう一度27日付の手紙を比べて見よう。


週刊朝日に掲載された手紙(投函され検閲を受けた手紙)

『五月二十七日、ミッドウエ―へ向かう直前、旗艦大和から、千代子あてに便りがとどいた。「あのからだで精根を傾けて、会いに来てくれた千代子の帰る思いはどんなだったか。しかし、病勢を日々克服してゆく千代子の気力は本当におどろくべきものですね。私の厄を皆ひき受けて戦ってくれている千代子に対しても、私は国家のため、最後の御奉公に精根を傾けます。その上は‐万事を放擲して世の中から逃れてたった二人きりになりたいと思います。二十九日はこちらも早朝出撃して、三週間ばかり全軍を指揮します。多分あまりおもしろいことはないと思いますが。今日は記念日(記者注=海軍記念日)の晩だから、これから峠だよ。アバよ。くれぐれもお大事にね。うつし絵に口づけしつつ幾たびか千代子と呼びてけふもくらしつ 五月二十七日夜」』


望月氏がもらった手紙(人伝に届けられた私信)

『けふはとてもむし暑くやがて降って来そうの空模様ですあと暫くで島田さんが着くのでついてからの話なども聞いてからもっと書きたいけれどひまがないかもしれぬから一応封をしておく事にしますそれではどうぞ気をつけて充分に養生をしてお乳も腕も背中もお尻もいやになったという程丸々と肥って下さいそれから又しまって来るのはわけないからね、駒さんはおかあさんになってからやって来ましたか、もう一月以上になっ
たでしょうね、みんなによろしく、それではお大事に御機嫌よふ左様なら。
五月二十七日朝九時五十六』


望月氏が貰った手紙は、

『此頃いろいろの事が世間や外国へまで漏れるので艦隊の乗員や徴用船の船員の手紙などを検閲するといろいろの軍機のことがかいてあるので之では将来の作戦に不都合の事があってはいけないから当分手紙は出さぬ事にするという事になったのでした。それで私など誠にこまるのですが封書は控え居る次第です。此手紙は二十九日頃の幸便にたのむつもりなのです(秘書官に)』

という事情のもとに、人伝で千代子に届けられた私信である。機密情報も書かれていない。

一方、週刊朝日に掲載された手紙は検閲を受けたものである。にも拘わらず、『万事を放擲して世の中から逃れてたった二人きりになりたい』という失楽園的コメントや、『二十九日はこちらも早朝出撃して、三週間ばかり全軍を指揮します。』という機密情報の漏洩、『多分おもしろいことはないと思いますが』という不謹慎なフレーズがある。


しかも週刊朝日の続きには、六月二十一日付の手紙が掲載されていて、これが五月二十五日付の文面とほぼ同一のものなのだ。

こんな支離滅裂な話をデッチあげているのである。


週刊朝日続き

『ミッドウエ―敗戦・戦死・国葬   六月初旬に行われたミッドウエ―開戦は、惨憺たる敗北に終わった。「このごろ作戦行動などが、だいぶ世間や外国へ洩れる形跡があるというので、しばらく艦隊から封書は出せないということになったので、此間は名刺に簡単に書いたのです。千代子もどうしたのか変に思ったでしょうね。」(六月二十一日) 』

すでに五月二十五日付の手紙で、私信にした理由を説明しているのだから、『変に思ったでしょうね』と書く方が変なのである。『同一の文章を書いて、変に思ったでしょうね』というならまだ話は分かるが、まったく辻褄が合わない話である。否、辻褄を合わせようとする配慮が千代子には欠けている。週刊朝日のこの二十七日付の『恋文』に限らず、望月良夫にプレゼントした『五十六の恋文』も、海軍省の焼却命令で焼いたという『恋文』も、焼かずに密かに隠し持っていたという『19通の恋文』も、後には隠し持っていたのは『5通の恋文』ということになっているそれらを含めて、全ての『山本五十六の恋文』は創作物である。


週刊朝日の続き。

『最後の便り  昭和十八年四月二日付の手紙は、旗艦大和の長官室で散髪した遺髪を同封されて、千代子の許にとどけられた。ガダルカナル失陥後二ケ月、南方戦視察に赴く直前の手紙である。これが最後の便りとなった。「三月二十七、八日の御手紙、昨四月一日の夕方受け取りました。それから今度はあまり度々だからと思っておったのに参謀長藤井、渡辺、鹿岡、佐雉(記者注=みな連合艦隊の参謀)と沢山よんで貰って、本当に嬉しく御礼申します。皆んなもとても喜んで、入れかわり立ちかわり、神谷町(記者注=千代子さんの家)のことや、山口での話などをしてくれて私もなんだか、ちょっと家へかえって千代子にあったようの気持ちになりました。・・・・藤井君も押しかけて御馳走になり、夜おそく帰った。一杯機嫌で上り込んで、いつまでもご迷惑をかけ、おまけに鹿岡と公務の事まで話し始めたら、いつの間にか、気をきかせて下へ行っていたらしいなど、とても気の付く人ですねと感心して居ったから、僕が天皇陛下の前に内心あたまの上がらぬのは、あの人なんだが、そのねうちはあるだろうというと、いやいくら言われても致方ありません、まけましたといって皆で陽気に笑いました。本当に楽しかったよ。私のからだは先日言って上げた通り、血圧は三十代の人と同様、とてもよいという事です。それから手がしびれるというのは、右の薬指と小指のあたまがほんのわずかいびれるようでしたが、しかし軍医長にヴィタミンBとCの混合液を四十本注射して貰って、もうすっかり能くなりました(表面はまだ少しいけないように言っておきましたが)から、本当は少しも心配しないで下さい。・・・・・・それから明日からちょっと前線まで出かけて来ます。参謀長、黒島参謀、渡辺参謀長等が一家です。それでに収監ばかり御ぶさたをしますから、そのつもりでね。私も千代子の様子を聞いたので勇ましく前進します。四月四日は誕生日。愉快です、一寸やるのは」』

週刊朝日の記事には、『千代子さんに宛てた元帥最後の手紙』として封書の写真が掲げられている。表書きの左端には『戦時郵便』と記され、下に『検閲済』の印が押してある。つまり通常のルートで検閲を受けた手紙である。先の五月二十七日付の手紙同様、こんな『恋文』を書いたとしても検閲を通るのは到底不可能である。しかも参謀の役職名がデタラメ。『それから明日からちょっと前線まで出かけて来ます。参謀長、黒島参謀、渡辺参謀長等が一家です。』→参謀長は宇垣纏、黒島亀人は先任参謀、渡辺安次は戦務参謀。『渡辺参謀長』などと五十六が書くことは間違ってもない。

だから阿川弘之は、この最後の手紙も勝手に改変している。例によってあれこれ尾ひれも付けている。改変を目立たなくさせるための小細工と思われる。改変や尾ひれの部分に※を付けておく。相変わらず語句や句読点などいい加減で、オリジナルに合わせていない。

『新版 山本五十六』より

『三月廿七日、八日のお手紙はお天気がわるく飛行機が飛ばなかったのでおくれて漸く昨四月一日の夕方受けとりました  ※それと浴衣や石鹸や目刺山口の煮豆などいろゝとどきました ありがとう※  夫れから今度はあまり度々だからと思って居たのに参謀長 藤井 渡辺 鹿岡 佐雉など沢山よんで貰って本当に嬉しく御礼を申します 皆んなもとても喜んで 入れかはり立ちかはり 神谷町のことや山口での話などをして呉れて私もなんだか一寸家へかへって千代子にあった様の気持ちになりました 


 ※渡辺君はことに神谷町のうちの様子や千代子の健康のことやいろゝ親切にしてもらった事などを事詳しく三時間も話して十二時過になりました さうして長官へは古い浴衣だのに私に新しいのをどうしても持って行けといはれ又雨で靴下をぐちゃゝにしたら洗濯したり新しいのを沢山頂いたり大変度々ご馳走になったりして恐縮でしたと云ふから夫れは君が三年半も下で一生懸命働いて呉れて居るのを度々話してあるので能く知って居って感謝して居るからだよと言ったらあんなに能く気のつく親切な方はありませんねというふてしんみりと感激して居りました※ 


藤井君も押しかけで御馳走になり 夜おそく酔った一杯機嫌で上がり込んで(オリジナルは「藤井君も押しかけで御馳走になり、夜おそく帰った。一杯機嫌で上り込んで、」) いつまでも御迷惑をかけ、おまけに鹿岡と公務の事迄話しはじめたら、いつの間にか、気をきかせて下へ行って居られるなど(オリジナルは「居たらしいなど」)、とても気のつく人ですねと感心して居ったから、僕が天皇陛下の外に(オリジナルでは「前に」)内心あたまの上がらぬのは あの人なんだが そのねうちはあるだろう云ふと いやいくら言われても致方ありません 負けましたといって 皆で陽気に笑いました 本当に嬉しかったよ(中略)(オリジナルでは中略の表示はない)


※梅駒さんも許可が下りて何よりでした。あの家が其のまゝ立って行けば気持ちがよいわけですね※


私のからだは先日言って上げた通り 血圧は三十代(オリジナルでは「台」)の人と同様とてもよいという事です。夫れから手がしびれるといふのは 右の薬指後小指のあたまがほんのわづかしびれる様でしたが  ※東京へは少し大げさにわざと云ってやりましたので少し問題になった様です(問題になる様にしたのです)※  しかし軍医長にヴィタミンBとCの混合液を四十本注射して貰って もうすっかり能くなりました(表面はまだ少しいけない様に言っておきましたが)から、本当は少しも心配しないでください。 ※又此の事は誰にも言わないでなんだか暑い処で土も踏まないので少し弱ったらしい位に言つといて下さい 夫れから明日から一寸前線まで出かけて来ます※  参謀長黒島参謀渡辺参謀等(オリジナルでは「参謀長、黒島参謀、渡辺参謀長等」)が一処です(オリジナルでは「一家です」) 夫れで二週間ばかり御ぶさたしますからそのつもりでね 私も千代子の様子を聞いたので勇ましく前進します 四月四日は誕生日です 愉快です 一寸やるのは ※夫れではどうぞ御大事に 御きげんよふ 四月二日 五十六 千代子様』


阿川が付け足している『このことは誰にも言わないでください』は、『五十六の恋文』のキャッチコピーである。問題の『参謀長、黒島参謀、渡辺参謀長等』の部分も、変わらず姑息な手を使ってごまかしている。まず間合いを詰めて『参謀長黒島参謀渡辺参謀等』と列記し、『渡辺参謀長』から『長』をさり気なく取っている。渡辺安次は勅令で戦務参謀として五十六に貼り付き、河合千代子の自宅に出入りしてアリバイ工作をして昵懇になっている。藤井茂は千代子の家に出入りしたこともないし、渡辺安次のように一線を越えたこともない。ちなみに藤井茂は渉外参謀である。

五十六は慰問の手紙をもらえば、それが小学生であろうと必ず直筆の返信を書く。長岡小学校の小学生にも一々返信をするので、校長先生が自粛を呼びかけたほどである。河合千代子はそのことを利用すれば、五十六本人直筆の返信を入手できるし、実際入手していただろう。もちろん中身は普通の礼状である。

藤井茂はトラック島に碇泊中の武蔵に待機、昭和18年4月17日に五十六の視察スケジュールを打電している。4月2日からラバウルの前線に二週間ほど指揮を執りに行っている五十六が、18日にブインを視察する前夜のことである。その際、藤井茂は4月から大幅に刷新された暗号乱数表ではなく、すでに米軍に解読されていた古い暗号表を使って打電している。これが米軍に視察スケジュールを解読された真相である。この勅令を藤井茂に伝えたのは、海軍主計中曽根康弘である。パシリ中曽根に指令を出したのは、フィクサー吉田茂である。

文中、『僕が天皇陛下の前に内心あたまの上がらぬのは、あの人なんだが、そのねうちはあるだろうというと、いやいくら言われても致方ありません、まけましたといって皆で陽気に笑いました。』というのは、「五十六が天皇陛下の次に、内心、頭の上がらないのは河合千代子であり、千代子にはその値打ちがるだろうと言うと、いやいくら言われてもその通りです、負けました、ごそうさま、と皆で陽気に笑った」という意味である。

五十六は成りすまし昭和天皇に恐懼しことはない。また五十六がこの世で一番頭が上がらないのは、陰で支えてくれた妻の礼子である。五十六が最後に家族と過ごした夜、礼子は肋膜炎に罹って枕から頭さえ上がらぬ状態であったが、苦しいとも痛いとも一言も言わずに家の中のことに気を配っていた。五十六はそうやって家庭を守ってくれてきた妻と最後の一夜を過ごし、夫婦水入らずの訣別をしたのである。五十六が瞼に焼き付けたただ一人の女性は、その夜の礼子である。だから礼子は、戦後、新橋のガード下で石鹸の叩き売りをしたり保険の外交員をしたりして子どもたちを育て上げ、『神様は信じられないけど、パパちゃんのことは信じられるわ』と言ったのである。

しかし阿川弘之は、これ以上はないというくらいにその礼子をこき下ろしている。誹謗中傷しか書いていないといっても過言ではない。彼は『山本五十六』を書くにあたって、まったく遺族に聞き取りをしていない。伝聞と風聞だけで妻を貶め、愛人を持ち上げている。五十六の結婚は失敗であるという大前提のもとにひたすら妻を人格否定し、五十六が愛人を持つことの妥当性を強調している。すでに物故している堀悌吉をダシに使って、さまざまなガセネタを創作している。

阿川が遺族から名誉棄損で訴えられた後で出したのが新版『山本五十六』である。どこをどう配慮してあるのかまったく分からない。新版ではさらに堀悌吉にみっともない真似をさせ、デマカセを喋らせている。阿川が配慮しているのは、愛人ネタで辻褄の合わないところをごまかしてある所だけである。

五十六の無二の親友である堀を狂言回しに使う方法を思いついた時、阿川は(しめた!)とほくそ笑んだのであろうか。堀悌吉は海軍の至宝と言われた秀才で人格者であるが、阿川弘之の筆にかかると、いつも五十六とつるんで色事に協力している俗物になり下がっている。

もう一人の友人である古賀峯一も、千代子のガセネタのダシに使われている。


『新版 山本五十六』より

『古賀は、かつて河合千代子に、「山本の将来を思って、つらいだろうが別れてやってくれ」という話を持ちかけ、千代子に、「古賀さんの言うこと、分からないじゃないけど、今どき新派悲劇は流行らないわよ」と、あとで笑われたという堅人であったし翌昭和十九年の三月、連合艦隊司令部をひきいてパラオからフィリッピンのダバオに向かう途中、乗っていた二式大艇が嵐に巻き込まれて行方不明になって、あまり華々しいいくさもしないままに山本のあとを追うてしまったので、一般にはあまりパッと印象を与えているようだが、山本とは仲のいい古い友達でその志操も米内と全く同じであった。』

古賀峯一は勅令で『行方不明』にされたのである。福留繁が古賀を『行方不明』にして、機密書類を敵側に『奪われる』ようしている。米内光政に志操はない。昭和天皇に唯々諾々と従うだけの哀れな便利屋である。

阿川弘之『山本五十六』より

『彼の沓下には、よく穴があいていた。お洒落の癖に、彼のスボン下は、いつも、そんなにきれいではなかった。これは、山本があまり家庭に寄りつかなかったか、家庭の方で山本をあんまり構いつけなかったか、どちらかの結果である。女たちは、彼の沓下につぎをあて、ズボン下を洗濯し、次に来るまでに乾かして、アイロンをあてておいてやる。こういう事は、彼女らの母性本能を刺激したであろう。


山本源太郎大将は、禮子の母親と従兄妹で、したがって山本の家と、山下大将の家とは、親戚づき合いである山下の妻の徳子が、山本の家へ遊びに行っていると、夕方、山本が帰って来る。「やあ、小母さん来てたの?」などと言って、山本は出されている林檎を、手を使わずに、ナイフと フォークだけでむいて見せる芸当などして見せて、それから着更えに別室へ立って行くが、禮子は知らん顔をしている。「禮ちゃん、あんた、行って、旦那さまの着更えぐらい、手伝って上げなさいよ」と、徳子が言っても、「あら、そう?」と、彼女はけろりとしているという風であった。』


いったい阿川はこれを誰から聞いたのであろうか。旧版『山本五十六』には引用元が明示されていなかったが、新版には聞き取り証人の名前が明記されている。その中に山下徳子の名前はない。もとより阿川は禮子に一度も会っていない。どうしてこんなシーンが描けるのか。フィクションなのかノンフィクションなのか、はっきりさせるべきである。阿川の『山本五十六』をあたかも既成事実のように捉え、文献として引用している作家はたくさんいる。その弊害は甚大である。

『山本と結婚するまで、一度も東京へ出た事がないという、根っからの田舎育ちで、押しが強く、茶碗が欠けていようが不揃いであろうが、そんな小さな事は一向に気にならないという性であったらしい。山下夫人の徳子は、「あそこの家じゃ、女中の給料、五十六さんが自分で渡してるんだってよ。禮ちゃんは一体、何をしてるんだろうね」と言っていたそうである。黒潮会のある新聞記者は、山本の留守宅に訪ねて行って、海軍中将の家の玄関に、洗濯盥がほうり出してあるの見て、びっくりしたと言っている。山本はその反対で、何にでもよく気がつく。彼は、部下の夫人たちにでも、どうかすると誤解を受けはしまいかと思われるほどよく気を使って、外国へ行けばコテイの白粉と口紅を土産に買って来る、部下が新居へ引っ越せば、奥さんの方がかねて欲しい欲しいと思って眺めていたコーヒー・セットを、ちゃんと知っていて祝いに持って行ってやる。』


『・・・そうである』は阿川の十八番である。これを使っていくらでもガセネタを書きまくる。


『禮子の方は、家に客が来ても、髪でも結っていれば、三十分でも四十分でもほったらかして、出ては来ない。山本は、海軍関係で、家庭と家庭との付き合いをするのを、次第にいやがるようになり、禮子をめったに人前に出そうとしなくなった。現在、彼女を識っている人々に訊いてみると、太っ腹で、親切な、いい方なのだが、都会人の神経で接すると、やはりちょっと・・・・と、大抵の人がそう答える。禮子にして見れば、なぜ自分のやり方がそんなに山本の気に入らないのか、よく理解が出来なかったかも知れない。彼女はある時、「わたしは、一度も主人と一緒に散歩というものをしたことがないのよ」と、悲しげに人に語ったことがあるそうである。』


阿川はよくこういう事を書けると思う。五十六と禮子は部下や知り合いの仲人を何回もしている。その行き帰りには一緒に歩いたことだろうし、伴侶を人前に出したくないほど不和な夫婦に仲人が務まろうはずもない。


『結婚の事情を詳しく見ると、其の点、山本も勝手であった。山本夫人の里は、会津若松の、農家を兼ねた牛乳屋で、父三橋康守、母亀久の、禮は三女であった。堀悌吉から話が出て、山本がこの三橋禮と、東山温泉で見合いをした前後、彼が長岡の家兄に宛てた手紙の中には、「本人は大正三年会津高等女学校卒業後女中代としては母を捕け現業に従事東京と見たる事なし 身体頑健困苦欠乏に堪ふとのこと・・・」とか「先方は最も質朴の家風らしく当人は丈ケ五尺一寸許り躰格極めて頑健の女なれば大抵の困苦には可堪ものと認め整婚に同意致候次第に御座候」とか、まるで身体頑健で、大抵の困苦に堪えそうなところだけが禮子の取り得で、専らそれが気に入ったような言い方をしている。


堀悌吉は、どこから此の縁談を持って来たかというと。前述の通り、禮子の母親の三橋亀久は、山下源太郎と従兄妹である。山下源太郎夫人と、四竈夫人とは、姉妹であった。四竈幸輔(ママ)は、のちに中将となったが、山梨勝之進らと同期の、当時大佐で、堀は此の四竈と親しくしていた。話は四竈幸輔(ママ)から堀悌吉に行き、堀から山本に伝えられた。最も親しい友人の堀が持って来てくれた縁談だからというので、山本は最初に心を動かしたらしい節がある。


だが‐「所謂栄達の人々」を避けるのはよいとして、候補者が「身体頑健困苦欠乏に堪ふ」「東京を見たる事なし」の、若松の人間だからというので、「明日あると期し難き身に」「ややつり合」い、それで万事うまく行くだろうと考えたとすれば、いくら昔風の、軍人の結婚でも、夫婦生活というものに対し、山本は少し浅慮であったというそしりは免れまい。あとになって、禮子に、都市的な繊細な神経が書けていると不足を想って見ても、それは山本の勝手である。彼の結婚生活が失敗であったとするなら、少なくとも其の責任の半分は、やはり山本が追わなくてはなるまい。


それまでも、山本は禮子を人前に出すことを嫌い、海軍士官の家同士の交際をさけたがっていたが、部下の細君に、「奥さま、お元気ですか?」と訊かれて、「あんな、松の木みたいなもの、大丈夫だよ」と答えたり、艦内の幕僚が細君の写真を飾っているのを見て、「お前は、恋女房でいいなあ、俺はもう匙を投げたよ」と、彼が言ったりするようになるのは、すべて此の時期(注 次男が生まれた昭和7年11月。昭和9年ごろ河合千代子とデキたとされている)あたりよりあとである。山本夫婦は、それぞれもう、両方で勝手に独立しているように見えたという。


禮子は、趣味の無い人であったが、土地や家作の売買には、男勝りの、なかなかの手腕を発揮した。山本は鎌倉に住んでいた大佐の頃、「鎌倉の材木座で、一番小さな家を探して来りゃ、それが俺ンとこだよ」と言っていたくらいで、将官になっても、売り買いする程の財産は持っていなかったけれども、何かで少しまとまった金が入り、長い苦労をかけているからと、彼が禮子にそれを渡すと、禮子はすぐ其の金で、土地を買ってしまったという事もあった。


山本は情に溺れる方で、そういう潤いの無い禮子のやり方は、気に入らなかったに違いない。しかし、一旦言い出したら、禮子はめったに後へは引かなかった。喧嘩になると、山本はすぐ、蒲団をひっかぶって寝てしまったそうである。山本はもはや、家庭に慰めを見出していないように見え、事実、彼は、次第に家庭から遠ざかるようになって行った。結婚十五、六年後、そういう状態の下で、山本五十六の前に不意に立ちあらわれて来たのが、河合千代子の梅龍であったのである。』

『身体頑健困苦欠乏に堪ふ』『明日あるを期し難き身にややつり合う』という理由の、どこが浅慮のそしりを免れないのであろうか。すばらしい長所ではないか。五十六は部下にもなるだけ晩婚を勧めるほど、軍人未亡人をつくることを憂慮している。山本家を継いだ責任感、嗣子を儲ける義務がなければ、五十六はもっと晩婚かあるいは生涯独身を通したかもしれない。わざと曲解しているにしても、『浅慮のそしりを免れない』のはそれを解さない阿川の方である。


そもそも阿川のいう『都会的な繊細な神経』というのは、何を指すのか。会津若松にも独特の文化と伝統がある。千代子こそ『都会的な繊細な神経』を持ち合わせていて、それが五十六の趣味だとでも言いたいのだろうか。しかし前述したように、阿川は河合千代子のことも本当の意味ではほめていない。阿川は千代子を持ち上げる文章の合間に、古川敏子から仕入れた千代子の過去の素性や、見ず転芸者としての行状をそこまで書く必要があるのか?と思うほど晒け出している。


夫婦の仲は夫婦にしか分からないという。人前では完璧に夫婦円満を装う仮面夫婦もいるし、横暴で亭主関白で愛情表現など一切しないが熱愛している夫婦もいる。阿川は当事者に取材さえせずに決めつけ、その決めつけは今や『史実』になっている。『わたしは、一度も主人と一緒に散歩というものをしたことがないのよ』を歴史的人物の一言として取り上げているブログを見たことがある。ウイキペデイアの山本五十六の項にも河合千代子が愛人として堂々と記載され、五十六の『戦死』については、妻の礼子ではなく千代子の言動が取り上げられている始末である。


『山本はしかし、宵のうちに官舎に戻っている事はめったになかった。家族は青山の私宅の方に置いて、官舎では女中と二人だけの所帯で、山本は天長節の重い礼装なども、自分で着つけをやっていたそうであるが、帰館は大抵一時頃で、此の時刻になると、女中ももう寝ている、山本が、自分用の鍵を持っていて、勝手に官舎の玄関を開けて入り、女中の入ったあとの風呂に入るというのは、新聞記者の間で有名な話であった。』


この阿川のプロパガンダに対する反証として出版されたのが、山本義正『父・山本五十六 その愛と死の記録』である。義正氏は名誉棄損の訴えを起こしたが、マスコミにもっとひどいことになるとやんわり脅され、訴えを取り下げざるを得なかった。その代りに本書を反証として上梓したのである。


山本義正『父・山本五十六 その愛と死の記録』光文社より

『母との結婚にあたっても、父は、くどいほど自分の体のことを、母方の人びとに念を押したそうである。東京で、あらましまとまりかけた縁談に乗り気だった父は、見合いのために母の里会津まで出かけて行った。それは、自分が相手を見る目的というより、自分を赤裸々にして見てもらうことを目的としたようである。この会津における見合いのときに、父は、自分の欠点を洗いざらい書きつづった身上書を持参し、母方の人に見せている。自分の至らない性格についてふれ、とくに体の傷については、その原因、負傷部位、傷痕の大きさなど、詳細に書き記されてあった。「欠点ばかりくわしく書いてあって長所らしい点は、なにも書いてなかった。」と、後年、母は私に語っている。』

身体頑健困苦欠乏に堪ふ嫁を娶るために、五十六は自分を丸裸にして見せている。そし
て五十六は、礼子の見てくれにも惚れている。阿川は千代子を美人だと持ち上げる一方で、いかにも礼子のことは人前に出せないような女として描いているが、礼子は色白で大柄な器量良しである。結婚式の白無垢姿はあたりを払うような美しさで、周囲にいる女性たちを霞ませている。

阿川がクサした材木座の家も、礼子が五十六の許可を得て創意工夫で建てたものである。

義正氏前掲書の続き

『父の生存中、私の一家は十回近く引っ越しをしている。私が小学校へ入学したころ、一家は鎌倉の材木座に住んでいた。病気がちだった子どもたちの健康のために、父母が場所を選んで建てた、はじめての自宅であった。


父と母が結婚したとき、新居は、東京・麻布の高樹町であった。会津からポッと出て来たばかりの母のために、当座は何かと心細かろうという配慮から、仲人の四竈氏の家の近くに、父が見つけた借家だったという。家を選ぶことや、必要な道具をそろえることなど、父はまめにやったらしい。その後、千駄ヶ谷に転居し、そこで、長男である私が生まれた。三年後に、父が霞ヶ浦海軍航空隊勤務となったため、一家は、茨城県・土浦に転居する。


まもなく父は駐米大使館勤務となり、留守を守る一家は、もう土浦にいる必要がなくなったので、神奈川県・鎌倉に引っ越し(略)鎌倉への転居は、父がアメリカに行って不在中のことだから、すべて母がとりしきった。もっとも、手紙でアメリカにいる父とは相談を重ねたらしく、父から、鎌倉は空気のよいところだから子どもの体によいだろうということ、古い歴史の地であり教育環境としてもよいだろうということなどにふれた手紙が来ている。「九月三十日 五十六  礼子殿 忽ち秋となり年も追々終わりに近づき申し候。当地目下秋晴の好時節、詩人玩月遊子懐郷の頃と相成り候。あいかわらず頑健、御安心くだされたし。御地も避暑客退散、落ちつきたる旧府鎌倉として住み心地よきことと存じられ候。貴地にある幾多の名所は、これを中心として日本歴史に幾多の意義を留むるもの、多日、子女教養のため、このごとき時機に於いて、青史の『趣味を喚起し修養に資せらるるの要ありと存じられ候(中略)  坊、澄子、もとちゃん(当時家にいた女中さんのこと)も元気のことと存じられ候。」


このころから、母はなんとかして自分の家を持ちたいと考えたそうである。ひとつは家賃を毎月払わねばならないのがつまらないことと、父がいないので、家計をきりつめれば、そうとうの余裕ができること、出来合いの家でなく、好みの間取りの家に住みたいこと、などの理由からだった。海軍から渡される月給の中から、少しずつたくわえた貯金と、郷里の両親や親類からの借金で、なんとか一軒の家を建てられる見通しがついたようだ。こうして、鎌倉の材木座に、山本家としては、はじめての自分の家を持つことになった。物色した土地は、滑川の川べりで、一面のネギ畑の一角であった。そこに、母が間取りを設計した家が、大工さんの手で建てられたのである。三角屋根の二階家で、二回の二部屋は、屋根裏部屋で、そのうちの一部屋は最後まで造作ができないままだった。


借金の末に建てた家なので、門や庭木にはとても手が回らなかった。近くの家で、大きなビワの木を切り倒そうとしたとき、頼んでゆずりうけ、庭の片隅に植えたりした。このビワの木は、その後もすくすくとのびて、毎年の初夏には小粒ながらいっぱい実がなり、わが家の庭の主役であった。そのほか、庭に植えられたのは、なにか実のなるものがいいという実利的な母の考えで、書き、梅、イチジク、トマト、サヤエンドウ、ナス、イチゴなどが、ごたごたと植えられた。門は、大きな生木を買ってきて、これを縦に割り、皮のついたほうを外側に向けて、左右二つを埋め込んで代用した。扉はなしで、それでも外から見ると、一軒風雅な感じであった。時期がくると、この門柱から、キノコがにょきにょき生えたもので、八百屋の小僧さんが、「これは食えますよ。毒はありません」と教えてくれた。が、けっきょくこのキノコだけは、だれも食べなかった。この、はじめての自分の家は、私たちにとって、まったくすばらしい家だった。


そのころの私は、いたずらばかりする反面、やせていて病気がちの子だった。(略)母が心配して、たぶんアメリカにいる父の指示だと思うが、横須賀の海軍病院へ私を連れていき、伊蜜検査を受けたとがある。(略)こんな私の健康のために、父は、鎌倉に住むことをたいへ喜んでいた。それは、母へのよりの中で、しばしばふれており、また二年後に帰国してからも、自分の通勤の不便をしのんで、鎌倉に長くとどまっていたのである。』


五十六が渡した金で礼子が勝手に土地を買ってしまった、五十六は材木座の家を不満気に思っていた、と阿川が『伝聞』で書いていることとはまったく違う。

海軍次官時代、官舎で五十六が女中と二人暮らしで、女中の入った後の風呂に入るというのは新聞記者の間で有名だった、というのも阿川の悪意である。五十六は家族と一緒に住んでいたし、風呂の残り湯の件も全然ニュアンスが違う。五十六の帰宅が再々深夜に及ぶので、先に風呂に入って十時前には就寝するようにという配慮である。


義正氏前掲書の続き

『私たち一家が、霊南坂の官舎へ引っ越したのは、昭和十一年の暮れも押しつまったころである。この年の十二月一日、海軍航空本部長であった父が、海軍次官に就任したからである。


はじめて見る官舎は、とほうもなく大きくて、広かった。青山の自宅にいたころは、置くところにも困った家財道具が、官舎に運ばれると、いったいどこへはいったのかと思うほどだった。


夕方、父が役所から帰ってきた。送ってきた車を帰したあと、父は、官舎の部屋をひとつひとつ見てまわりはじめた。つぎつぎに部屋のスイッチを入れてゆき、そのたびに広い館の部屋が明るくなった。全部の部屋を見おわったとき、樹林にかこまれた暗闇の中で、建物全体が、明々と光に満ちたのである。


「おれの家は太平洋。家の大きさや、ちっぽけな庭なんか、どうだっていいよ」と来客に笑って話していた父を覚えている。しかし、その夜、どこもしこも広びろとしていて、明るく電灯のともった家を、庭から眺めながら、父の顔はやはりうれしそうだった。


母にしてみれば、この広い家は、いろいろな意味でたいへんだった。まず掃除、これはとうてい母ひとりの手に負えなかった。大型の電気掃除機があったが、それを操作するために海軍省から掃除の小母さんが派遣されてくる。母は恐縮して、たびたびの掃除をことわっていた。それでも、週に一度ぐらいは小母さんが電気掃除機で掃除に来ていた。


ただ、自宅とちがって、官舎には多少なりとも公的な来客や仕事もあり、母だけは、帯をとくひまもないほどきりきり舞いをさせられたらしい。政府や海軍関係の来客、あるいは新聞記者などの訪問も、毎日のようであったと記憶している。しかし、母は、「忙しかったけど、やはり霊南坂がいちばん楽しかった」と、いまも語っている。』


阿川のいう『官舎に女中と二人住まいで云々』と比べると、多少の違いどこではない。阿川は戯作者なのである。阿川は会津には行かなかったが、長岡には反町栄一からネタを仕入れるために出かけている。そして長岡での五十六の言動をパクって、五十六が合千代子との逢瀬に泊まった宿の宿帳に『山本長陵 職業船乗』と書いたかもしれないないと書いている。こういう阿川弘之の『山本五十六』を、なぜに世の作家連中は史実として引用するのか。阿川の本書のカバーの前の折り返しには小泉信三が『みごとな伝記』、後ろの折り返しには大宅壮一が『大きな記録的価値』、と題して絶賛の言葉を寄せている。小泉信三は成りすまし天皇家のために、生き残り戦略を考案した人物である。『みごとな伝記』というのは、本音だろう。大宅壮一は、『日本人一億総白痴化』を唱えたことで有名な評論家であるが、一億の勘定の中に自分を入れてないのだろうか。


では阿川の『みごとな伝記』『大きな記録的価値』と、工藤美代子の聞き取りを比較対照してみよう。工藤の関係者に食い込んで取材する才能は、大したものである。成りすまし天皇家の嫁っ子たちにも直かにインタビューして、姑・貞明皇后との私的にわたることまで聞き取っている。この分野おいては工藤の独壇場である。

○礼子の出自について


阿川弘之の『みごとな伝記』『大きな記録』より

『山本夫人の里は、会津若松の、農家を兼ねた牛乳屋で、父三橋康守、母亀久の、禮は三女であった。』


工藤美代子『山本五十六の生涯 海燃ゆ』より

『三橋家は現在でも会津若松の名家として知られている。礼子の父、三橋康守は安政六年に会津藩士として生まれた。戊辰戦争のときは、わずか九歳だった。今ではあまりにも有名になった白虎隊は十五歳からしか参加できなかった。そこで康守は燃焼の子供たちだけを集めて隊を作り、出陣した。明治維新の後、康守は上京し山川健次郎の家へ寄宿して学校へ通った。山川家に寄宿しながら苦学しえ司法官となった。裁判官として康守は日本各地を転々とした。後一年勤めれば恩給が尽くと言う時に、何を思ったか康守は仕事を辞めた。山川健次郎に頼み東京大学農学部の教授を紹介してもらい、牧畜の研究を始めた。康守には気宇壮大な計画があった。新天地を開拓して牧場を作りたかったのである。明治四十二年、五十歳になったのを機に、康守は牧場経営へと乗り出していった。まずは若松氏の郊外に牧場を開き、これを成功させると大正元年に単身朝鮮に渡った。そもそもはブラジルに行き開墾をする夢があったのだが、あまりに遠いため朝鮮にしたのだという。康守の発想は明治末から大正の時代にしては、おそろしく斬新だった。アメリカから牛を輸入し、農家に貸し付けて牛乳を集め、それを殺菌して卸し売りをするといった新しい商法を考え出した。また、北海道から種芋を取り寄せて、農場でじゃが芋を栽培した。三橋のじゃが芋は出来が良いと評判になった。当時としては珍しいトマトも、もうこの頃から栽培していた。康守が米沢へ一歩足を踏み入れると、牛の値段が上がると噂されるほど、牧畜に関しては目利きだった。その三女である礼子は会津高等女学校を卒業した後、自宅で家事の手伝いをしていた。』

○見合い話から成婚にいたる経緯


阿川弘之

『結婚の事情を詳しく見ると、其の点、山本も勝手であった。(略)堀悌吉から話が出て、東山で見合いをした前後、彼が長岡の実兄に宛てた手紙の中には、(略)まるで身体頑健で、大抵の困苦に堪えそうなところだけが禮子の取り得で、専らそれが気に入ったような言い方をしている。(略)堀悌吉は、どこから此の縁談を持って来たかというと、前述の通り、禮子の母親の三橋亀久は、山下源太郎と従兄妹である。山下源太郎夫人と、四竈孝輔夫人とは姉妹である。(略)堀は此の四竈と親しくしていた。話は、四竈から堀悌吉に行き、堀から山本に伝えられた。最も親しい友人の堀が持って来てくれた縁談だからというので、山本は最初に心を動かしたらしい節がある。』

工藤美代子

『と阿川はかく。しかし、これは全くの間違いだと指摘するのは五十六の長男、山本義正氏である。実際の月下氷人はもっと身近にいたのである。(略)三橋礼子のいとこにあたる水野礼司という人が帝大附属病院の医者をしていて、婦長だった京(注 高野京  五十六の姪だが、密かに五十六に慕情を抱いている)と親しかった。その関係で水野は五十六とも友人になった。独身の五十六は、「嫁さんもらってもいいな。ただし、別嬪で、体格のよい、気立ての優しいのがいいなあ」と話したという。それを聞いて、水野が礼子のことをさっそく紹介したのだった。もともと三橋家は美人系で、六人いる娘たちはそろって器量良しだった。(略)「あなたがもらわないのなら、僕がもらうことになるよ」と冗談めかしていったりしたくらいだから、水野も礼子を気に入っていたのだろう。礼子の写真を見せられた五十六は、あまりに美しいのですっかり乗り気になってしまった。よし「これに決めた」といった。もう見合いをする前から、五十六は礼子の写真に一目惚れをしてしまったのである。(略)形式的に仲人としては四竈孝輔が立てられた。三橋家に山本少佐の写真と経歴、それに山本自らが自分の欠点を赤裸々に書いた七枚の手紙が届けられた。その手紙は公開されていないのだが、自分は御奉公のため世の常の人のように妻子をかまっていられないと思うが、その点よく承知してほしいということと、公務に関しては絶対に口を出さないことをしかと心得てもらいたいという二点が書かれていたという。読みようによってはずいぶんと厳しい内容である。しかし、この手紙を読んだ礼子の妹は、「お姉様、この方はやさしい方ですね。私はこんなやさしいお手紙はもらったことがありません」といった。礼子も同じ気持ちだった。自分の思いを正直に打ち明けるのは勇気がある証拠だ。そして相手への配慮がるからこそ初めにきちんと夫婦間の約束を告げてきた。(略)お互いに写真ろ履歴書を交換して、すっかり心は決まったので、いよいよ五十六と礼子は見合いをする運びとなった。(略)この見合いの席で、五十六はわざわざ上半身の衣を脱いで、戦傷や手術の跡があるのを見せ、「こんな身体だが良いか」と尋ねたと伝えられる。(略)五十六はいつも礼子の写真を大事に懐に入れていた。あるとき、それを京に見つけられてしまうと、「懐に入れて風をひかないようにしているのさ」と、照れくさそうに弁解した。後に京が義正氏に語った話である。』

○礼子の手蹟


阿川弘之

『字などはこれまた極めて達筆の男まさりで、非常に太っ腹のところもあったらしい。』

工藤美代子

『亀久は見事な筆跡で字を書いたといわれるが、それは礼子も同じだった。一説によると、礼子の書を見て五十六はまず惚れ込んだのだという。』

礼子の書は山本元帥景仰会が発行した『山本五十六の「覚悟」』の中に写真が掲載されている。これを見て『男まさり』『非常に太っ腹』と感じる人は、おそらく阿川だけだろう。

○礼子の嫁ぶり


阿川弘之

『ある時、禮子の母親の亀久が、会津から出て来て、「五十六さん、あなたは大変な立身をなすったが、娘が相変わらずで、さぞお困りでしょう」と、愚痴だか皮肉だかを言ってかきくどくと、山本は、これを読んで下さいと、紙に、「見る人の心々にまかせおきて雲井にすめる秋の夜の月」という和歌を一首書いて渡したそうである。』


事実無根である。


工藤美代子

『「お母様がお父様をずっと長岡から東京まであおぎ続けたというのは本当ですか?」「ええ、本当だと思います」義正氏は静かな声で答えた。「母はたくさんいる兄弟、姉妹の中で一番辛抱強い性格でしたからね」(略)もともと五十六は恩師や親族などを経済的に援助することをいとわぬ性格だった。(略)月給が全額手渡されることは絶対にないわけである。薄給の中から山本家や河野家の親類に送金し、長岡社にも寄付をする。やっと生活できるだけの金額しか残らなかった。(略)少ない給料でも家を守っていくことが礼子に課せられた義務であり約束だったのである。』


阿川が一言のもとに斬って捨てた材木座の家についても、工藤は細部まで聞き取りをしている。

工藤美代子前掲書

『(略)つまり、礼子はいつも家計のやりくりをしなければならない。ところが、夫はアメリカに赴任した。その間は日本の家族のために支給される給料がある。それを貯金すれば、家が建てられるかもしれないと考えたのである。貧乏生活に慣れている礼子にしれみれば、余った給料で贅沢をするなどとは思いもよらなかった。むしろ、爪に火をともすようにして、それらのお金を蓄えて、鎌倉に土地を買った。


さて、礼子は鎌倉の材木座の一角で、滑川に沿ったところに、変形になった土地を見つけた。入り口が狭くて、そこから入ると中の地形も四角ではない。そのため相場よりずっと安く土地を手に入れることができた。


まず材木は、日本産のものは高いので、米材と呼ばれる外国産の木を使った。設計図はすべて自分で引いた。(略)たとえば押し入れは、二部屋の間に作り、両方から引き戸をつけて中のものを取り出せるようにした。また台所と茶の間の真ん中に棚を作り、台所で作った料理をその棚に載せ、茶の間から受け取れるようにした。(略)部屋と部屋の間に半畳ほどの板敷を作り、そこを通れば、他の部屋に足を踏み入れないないでどの部屋にも行けるように設計した。各部屋に電気用品用の差込口をつけたのも、当時としては斬新だった。


部屋の隅に小さな四角い切り口を作り、戸をつけた。掃除をしたゴミはその戸口から外へ掃き出した。その先にみかん箱が置いてあり、ゴミが溜まると処理した。家を建てると、どうしても屋根裏が無駄になる。そこで、三角屋根にして屋根裏部屋を作ろうと礼子は思いついた。そのため屋根は軽くする必要があるので、昭和初期には珍しいスレートを使用した。(略)階段は周り階段にして幅を広くとり、なだらかな傾斜で、子供が怪我をしないよう気を配った。まさに礼子の創意工夫に満ちた家だった。


礼子にはこういう才能があり、ペンキ塗りなど男のする仕事もやすやすとこなした。家が出来上がったとき、もう礼子には門柱を作る金がなかった。それで近所から生木を買ってきて、それを真っ二つに切って代用した。(略)そんな状態なので、庭も、もちろん手造りだった。今から考えると「たべられるものばかり植えました」と義正氏はいう。


「お金がかからない生活をする」ということで、雑誌「主婦の友」などの付録を見て勉強し、編物は独学でマスターした。その他、洋裁、和裁もできたので、子供たちや自分の服はすべて手製だった。義正氏の瞼に焼きついているのは、暇さえあれば身体を動かし、手を動かして働いている母の姿だった。家にはオーブンもあり、礼子は新しい料理にも挑戦してみた。また、圧力釜を買って、玄米を炊き、魚の骨まで調理した。


「母は家族の病気もほとんど自分で治したのですよ」と義正氏はいう。子どもだったのではっきりと覚えてはいないが、「完全看護の秘訣」と言ったような題の赤い表紙がついた分厚い本を克明に読んでいた。そして、一家の誰かが病気になると、素早く手当をしてくれた。その手当は、まさに万全だった。まず見立てが確かなのである。この子は腸チフスだとか肺炎だとかいうことをすぐに見抜いて、自宅で治せるかどうかを判断する。ただちに病院へ連れて行くこともあったが、たいがいは自分で手当てをした。


「母のお陰で父もずいぶん助かったのです」とは義正氏の回想だ。もともと五十六は呼吸器系統が弱かった。五十六が風をひいたときの礼子の看護の仕方は完璧だったという。絶対に安静にさせて、吸入器をかけた湿布をする。「部屋にね、蚊帳を吊るのです。そして火鉢を置いてやかんをかけて湯気を立てます。それから練り辛子を塗った湿布を胸につけます。五分くらいピリピリ痛いのですが、それを何べんも繰り返したのです」そのお陰で五十六が長患いをすることはまずなかった。


いずれにせよ、礼子が無理をしてまで鎌倉の家を建てたのは、子供たちの健康のためだった。義正氏は自著の中で「この、はじめての自分の家は、私たちにとって、まったくすばらしい家だった」と書いている。(略)のびのびと育つ留守宅の子供たちに、五十六はアメリカからクリスマスカードや手紙を送っている。』

○妻子に対する五十六の態度


阿川弘之

『一体、今までたくさん世に出た山本五十六の伝記のどれをあたってみても、彼が部下や、郷士の人人や、兄姉甥姪に対して、親身によくつくした話はいくらでも出て来るが、妻に対しても同様情が厚かった事を証するような記述は、ほとんど見出すことができない。(略)部下のある人々にとって、敬愛措く能わざる上官であったようには、彼は妻に対してよき夫ではなかったし、子供たちにも、あまりよき父親ではなかったように見える。』

工藤美代子

『五十六と礼子の最も大きな共通点は、二人とも、人一倍子煩悩であったところだ。礼子は、いわゆる口うるさい母親ではなかった。逆におっとりしたやさしい母親で、子供たちのいたずらにも、あまり怒ることはなかった。(略)五十六は五十六で、子供たちとたわむれるのが大好きだった。家にいるときは必ず子供たちと一緒に風呂に入った。


礼子は五十六と二人のときは「あなた」と呼び「お父さん」とは言わなかった。子供たちに対しては、夫を「パパちゃん」と呼んだ。


また五十六は実に小まめに礼子の親類ともつきあった。(略)礼子の兄弟姉妹は九人もいた。その配偶者たちも含めた家族ぐるみの往来を、五十六は全く厭わぬどころか、楽しんでいるふうだった。義正氏は両親が夫婦喧嘩をしているところを見た覚えがなかった。


ある意味ではサービス精神が旺盛な五十六だったが、こと自分の家族となると話は全く別だった。家族を人前に出すのを五十六は極端に嫌った。長男の義正氏が今でもはっきりと記憶している光景がある。それは五十六がロンドンから久しぶりに青山の家へ帰って来たときのことだった。会議の結果がうまくいかなかったと、家族はなんとなく察知していた。五十六の表情もすぐれなかった。しかし、そんな事情にはおかまいなく、どっと新聞記者たちが山本家に押しかけて来た。家の中に入って来て、家族との写真を撮らせてほしいと口々に叫んだ。そのとき、五十六がすっくと立ち上がり大声で一喝した。「君たちは家庭には来ないでくれ」そして、玄関の前に一人で立つと、好きなだけ写真を撮れといった。しかし、家族の写真は絶対に許可しないと毅然とした態度で伝えた。(略)ロンドン軍縮会議から帰国した五十六は、めっきり白髪が増えていたという。


ロンドン軍縮会議から帰った五十六は、礼子の身内の者それぞれに珍しい外国のお土産を用意していた。末子さんもコテイのおしろいや口紅をもらって嬉しかったという。「でもねえ、姉にはもう、そりゃあ沢山お土産を買ってきました。お化粧品ばかりじゃなくて、姉は洋裁も上手だったので、向こうでわざわざ姉の好きそうな柄の布地を選んで持って帰ってくれたんです。もちろん、姉も喜んでいました。」末子さんは昨日のことのように、昭和十年当時を語る。礼子の姉妹が集まると、よくそれぞれの夫も悪口が出る。ところが礼子だけは絶対に夫の悪口をいわなかった。いつでもおだやかで控えめにしているのが礼子であり、それは阿川の「山本五十六」に登場する礼子像とは全く違う姿だった。「なぜ、あんなふうに書かれたのか不思議だと末子さんはいう。


「あの関東大震災のときね、義兄は出張でロンドンに行っていたのです。その義兄に姉はすぐに電報を打ちました。この大地震の後は必ずケーブルがダメになって電報が打てなくなるから、今のうちにといって、もう地震の直後に電報を打ちに行ったんです。(略)義兄は、はやばやと姉から無事だという電報をもらっていましたから、安心していられたんですね。」』

この件について阿川は次のように書いている。

『また此の年、彼がロンドン滞在中に、関東大震災の報が届いた。ロンドン在留の日本人一同、大いに驚き騒ぐ中で、山本は、実業家連中に向かって、「大丈夫だよ。日本は必ず、前以上に復興するよ。今のうちに、東株でも買占めておけばいい。」などと言って、泰然自若としていたという。泰然自若はいいが、彼は一体、国に置いて来た妻の禮子と、生まれた十一か月の長男義正の身の上は案じたのか案じなかったのか、家族の無事はそれとも、早く電報で分かっていたのか、そのへんのところは、どうもあまりはっきりしない。』


全文、五十六に対する冒涜である。五十六は航空兵が練習中に行方不明になると、真っ青な顔をして一晩中心配する。着艦が下手な航空兵が海にドッポンしそうになると、一人で飛びかかって止めようとする。関東大震災が起きても、「大丈夫だよ、東株でも買占めておけばいい」などと言って泰然自若として・・・そんな訳ないだろうが。妻子の『身の上は案じたのか案じなかったのか』とは何という言いぐさだろう。こんな雑駁な神経の持ち主である阿川を、『記録的価値が大きい』などと持ち上げる大宅の神経も相当なものだ。


しかし阿川のいい加減さを実証している当の工藤美代子も、阿川の河合千代子ネタをガセだとは思わないのである。工藤美代子は不思議な作家である。


阿川弘之『山本五十六』より

『千代子は、あでやかで、頭もよく、字も上手であった。しかし、前に書いた通り、なにぶん新橋の名妓というわけではない。名古屋にいた頃から先の素性も、あまりはっきりはしない。せっかくあてがった旦那から、金が素通りして山本のところへ行くのだから、土地の女将連中は、決してよくは言わない。真偽とりまぜて、色々悪い評判がある。そういう女性に、山本五十六が、五十を過ぎて、どうしてそれ程まで夢中になってしまったのかと言えば、結局は、彼が家庭で求めて得られなかったものを、梅龍の千代子のうちにさぐりあてたからと解釈するより他はあるまい。』


再び週刊朝日の暴露記事の続きに戻る。

『さらにこんな短歌も、小さい紙片に書かれて同封されていた。「大ろかに吾し思わばかくばかり妹が夢のみ夜毎に見むや」』


短冊の写真が掲載されている。地方図書館でも閉架を併設している所であれば、昭和初期の週刊朝日のバックナンバーは保存してあるので、探してご覧になられたい。『毎夜』の傍らに『ヨゴト』とルビが振られたり、『大ろかに』の側にカッコして(ナミ大テイニ)という言葉の注釈が書いてあり、万葉集の歌から取ったものと言われている。


週刊朝日の続き。

『戦死の公報   大本営発表(昭和十八年五月二十一日十五時)連合艦隊司令長官山本五十六ハ本年四月(十八日)前線ニオイテ全般作戦指導中敵ト交戦飛行機上ニテ壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタリ。 時に六十歳。千代子は、この悲報を、発表前日、知ったが、日記には次のように書き記している。  五月二十日  いつも見る堀さん(元浦賀ドッグ社長、元帥と同期生)の顔が、今朝は何となくこわばった色にさえなく、私もただ胸のひきしまる感を覚えつつ承る。その言葉、「突然に意外にもこの悲しきお知らせを・・・・」山本五十六戦死とは。ただ茫然として切なく力なく、堀氏の顔さえ見上げる術さえ知らず。すべては終わりぬ。武人の死とは私には限りなき淋しさの極みのみなり。 五月二十一日  心の準備なれるはずなりしも、少しも落ち着かず。午後三時のニュースをいま一度耳にして確かなるやをただしたく。堀氏の言葉信ぜざりしか?信じたくなし。浅ましき女心よ。 五月二十二日 心の動揺激しく依然として落ち着かず。浮世に何事も絶えし心地ぞする。  五月二十三日  無言の凱旋とか。悲しさに耐えこらえて今日の日を待ちぬ。されど表に迎える勇気もなし。みな、「お迎えに」と電車通りへ走りいでしあと、のこされし千枝(女中)としずかに二回の窓一ぱいに引きあけて、  五月二十四日  今日は一般焼香の許されることとて水光社に歩む。このとき、わが手足はつめたく、感じさえなきようなりしも、安置された英霊の前に額づきぬ。夜、渡辺中佐(参謀)訪問。・・・許される範囲の事、いろいろと話し聞かされしも、語られる君の顔のいとも青く沈みたりき。遺骨捧げし中佐殿には、神谷町あたり通過の折には、心もいたく知らず知らずのうちに遺骨の小箱を高々と捧げられし、と語れる君の心中いかばかりかと。 六月一日  悲しさも落ち着かぬわが胸に、また悲しさはめぐり来し。亡き君が心からなるあの懐かしのお便りを、堀氏来訪とともに残らずもちゆかれたり。  六月五日 国葬。限りなき悲しみの中に静かに更けてゆく今宵。おくやみ孟子あげるこの心に一生涯の最も悲しい記憶として、今宵は永劫に刻みつけられましょう。 六月三十日 六月も悲しみの中に終わりぬ。あくまでも世の誤解と冷遇と闘わねばなりません。魂よ魂よどこへもゆかずここにきて、千代はどこへもゆかずここにおりますと、窓辺によりて呼び入れぬ。声なきいとしの人は一年ぶりにて、わが許に参られしか。さぞやおつかれなされしを・・・・・』


河合千代子と渡辺安次は男女関係にある。千代子は金にならない客とは寝ない主義であるが、渡辺安次とは保身のために寝たのである。借金のかたに妾にされ、身を持ち崩して以来、身を守るものは金だけなのだ。千代子に30年以上付き添った女性の証言によると、夫になった後藤銀作は嫉妬深くて千代子を束縛したが、一方では五十六グッズを持ち出しては商売に利用していたという。後藤銀作にとって『元帥の元愛人』という触れ込みの千代子を妻にすることは、戦利品を獲るような意味合いがあったのだろうか。望月氏が取材した晩年の千代子は、五十六との関係妄想だけを支えに生きている状態にあった。それは千代子にとって唯一のプライドだったのだろう。千代子がなぜ死んだ人間のストーカーになったかを考える時、私はそう思う。だから故人のストーカーになった千代子の沼津時代の顔は、新橋時代よりも落ちついた人相をしている。

渡辺安次は五十六暗殺を事前に知っていて、見殺しにした張本人である。彼は戦務参謀でありながら五十六のブイン視察について行かず、先任参謀の黒島亀人と共にラバウルの基地に残っている。もちろん黒島もシナリオを知っている。長官機には航空戦の神様といわれた若き天才樋端久理雄(といばなくりお)も同席する。三和義勇の代わりに連合艦隊航空甲参謀になっていた樋端は、五十六と一石二鳥で始末されたのである。私が渡辺安次の正体が見抜けずにいたころ、彼が戦後になって米軍の調査に協力した折、五十六暗殺の真相について逆に米軍に誰何したことを以て、渡辺の無実の根拠として書いた。しかしこれは渡辺のクサい芝居であった。不明をお詫びして撤回したい。

阿川はこの渡辺安次にも取材している。

『新版 山本五十六』より

『聯合艦隊参謀の中で、山本に最も目をかけられ、山本が戦死した時その遺骨の収容にいった渡辺安次は、山本にすべてを託して安らかにという意味で地震「安山」という俳号をつけているほど彼に私淑した人で、「山本さんに女があったというなら、私などは五十人ぐらい女があった」と言って彼をかばうが、それは、渡辺安次に「五十人」女があった計算程度には、山本にも女関係があったということである。』

阿川の詭弁である。渡辺安次は、自分に「五十人」女がいることはあり得ないと言う意味で、この「五十人」を使っている。渡辺安次に「五十人」も女がいることはあり得ない、それと同じくらい五十六の女関係もあり得ないと言わんがための例えなのである。渡辺安次は殊勝にも真実を話している。


週刊朝日続き

『“誤解と冷遇”に耐えて   「世の誤解と冷遇」とは何であったか?国葬直前の六月四日、過去十年、一尺四方の高さにまでなった元帥から千代子あての手紙のうち、昭和十六年以降の部分が、堀氏の手を通じて海軍省へ持ち去られたのである。のちに一年ほどたって、この手紙は再び堀氏の手で千代子の手にかえされたが、「全部焼却するよう」という海軍省の命令が言い渡された。彼女はとりわけ思い出深い十九通を残して、マッチをすったのだった。紫色の煙と真赤な焔はいまだに、彼女の眼裏にやきついている。


この国葬前後の迫害はそれだけではなかった。ある軍人は、海軍省へ彼女を呼びつけて、「国葬までに自決されたい」といい渡し、彼女を知る軍人のある者も、暗にそれをすすめた。軍神のかげに女があっては困るというのである。彼女自身、元帥の死報を耳にしてから、何度か自殺を思いたっている。愛する人への強い思慕からであった。夜中に鴨居を見つめたまま、寝床の中で一睡もせぬこともあった。知人の医者から薬を手に入れようとしたが、失敗した。』


手紙を取り上げておいてからまた返却し、「全部焼却するよう」と命令する間抜けがいるだろうか。五十六の恋文が本物で、それを海軍省が取り上げたのが本当なら、この週刊朝日に暴露したような機密情報が書かれている恋文などは、その場で直ちに焼却しているだろう。また千代子は焼かないで残した五十六の手紙の数について、週刊朝日では『彼女はとりわけ思い出深い十九通を残して、マッチをすったのだった』となっているが、望月良夫氏には全く違う証言している。

望月良夫前掲書より

『またあるときは、自決を迫られる話をしてくれた。「自決しろ!」と
五十六が戦死したその日か翌日、軍務局長を含む三、四人の海軍省の軍人が
来て、元帥にあなたのような女がいると恥辱だからすぐ自決してくれ、と言わ
れた。しかし、三十九歳の若さではとても死ねなかった(五十六の戦死は五月
十一日の大本営発表で一般国民に知られた)。その後しばらくして海軍省から、
元帥から来た手紙を全部提出せよ、命令に従わないなら家宅捜索をして取り上
げる、という通達が来た。仕方なしに、五、六通を隠し、六十通ほどの来信を
提出した。』

昭和十六年以降の五十六の手紙は、堀悌吉が海軍省に持ち去り、一年後にまた堀の手を通じて「全部焼却せよ」という命令と共に返された。千代子はその中から十九通残して焼却した→海軍省から提出命令が来たので、千代子は五、六通を隠して六十通を提出した・・・・全然違う話である。

軍務局長が自宅まで来て愛人に自決を迫ったというが、軍神に愛人がいても別にかまわないではないか。軍務局長は海軍省の各局の中で最も重要なポストで多忙を極めているから、そんな酔狂なことに割くヒマはないだろう。それとも軍務局長というのは、元軍務局長の堀悌吉のことを指しているのだろうか。何でもかんでも堀にお鉢を回せば済むと思っているのだろうか。また『医者から薬を手に入れようとしたが、失敗した』というが、夜中に一睡もせず見つめた鴨居で首を吊れば済む話である。海軍省が自決を迫ったというのも、恋文の焼却命令と同じ作り話である。千代子の存在が本当に邪魔なら、秘密裡に始末している。彼らは五十六のみならず、南雲も三和義勇も朝倉隆も殺害しているのだ。

週刊朝日続き

『悶々の日々に明けくれていた彼女は、昭和十九年三月、神谷町の自宅を、元帥の旧部下渡辺参謀に貸して、沼津市静裏の保養館に疎開していった。ここは、東京の地主、故清水栄三氏の別邸で、一部、海軍の施設に利用されていた。清水家の仕事を手伝ったりしながら、終戦を迎えたが、平安な途は残らなかった。』

海軍省に自決を迫られた河合千代子が、海軍の施設に利用されている保養館に疎開するというのは矛盾している。静浦の手前に牛臥(うしぶせ)という風光明媚な海岸沿いの村があり、沼津御用邸があった。貞明皇后はこの御用邸に滞在中、暗殺されている。後に河合千代子はその沼津御用邸のそばで、料亭を経営する。

週刊朝日続き

『ペンを持つことが好きだった彼女も、戦後は、日記を綴る意欲さえ起らなかった。ただ、強く生きることだけ。幸い、温暖な気候のせいで身体が回復したので、東京時代に蓄えた資産で沼津市内に料亭を建築するとともに、夫婦養子をとり、昭和二十五年からささやかに営業を続けているのである。「山本さんが、ああして戦死なさったのも、仕合わせだったかもしれません。生きのびて、戦犯として処刑されることなどを考えましたならば・・・・・私は悲しみません。ただ、心の恋人として、山本さんの姿を胸に秘めて、強く生きてゆくばかりです」いま、彼女は、こう述懐する。そして、古い日記を涙にむせびながら、読み聞かせるのであった。』(以上、週刊朝日の記事終了)


この翌年、千代子は後藤銀作と結婚する。暴露記事を出したこの時期には、すでに後藤の想い人である。しかも千代子は以前から五十六との関係を吹聴していたので、近所では元帥の元愛人として知られていた。『心の恋人として、山本さんの姿を胸に秘めて、強く生きていくばかりです』も何も糞もないのである。


望月良夫氏の前掲書に寄せられた感想文より

『後藤千代子さんの思い出                  熊倉弘二

(前略)私が同女にお目にかかったのは、昭和二十六、七年の頃です。八幡町の割烹“せせらぎ”で行われた沼津市内の酒屋の会合で同行した方から「ここの女将さんは新橋に出ていた名妓で、山本五十六元帥のお妾であった人ですよ」と密かに告げられ、山本元帥が名提督として戦中国民の畏敬を一身に集めていた当時の思い出もあって、どんなお人柄であろうと興味を持ったものの、かかわり合いなど聞くわけにもいかず、あでやかさを期待していたのとは裏腹に、どちらかといえば地味な清楚な感じの方という初印象でした。


二十七年夏、沼津税務署の関税課長から、名古屋国税局へ転任することとなり、“せせらぎ”で催された送別会に出席、同女とはとおり一辺の挨拶をして去ったのですが、妻子を伴って名古屋に赴任してみると、すでに発送した筈の引っ越し荷物がまだ届いておらず、沼津の運送屋に問い合わせの電話を掛けたところ、どう間違ったのかその電話がせせらぎ荘に繋がり、千代子さんが電話口に出られました。「それはお困りでしょう。私が運送屋さんのほうに連絡してあげますよ」、そんなことでいろいろご親切な手配をして頂き、それから一か月余り経って沼津に出張したさい、“せせらぎ荘”にお礼の挨拶に参上、同女と初めて話す機会を得ました。


お茶を頂きながら、「あの人(元帥のこと)は、困るとよく逆立ちしていましたよ」「熊倉さん、いずれは中央の大きな舞台で活躍することが大切よ、何でも勉強し、努力していかれることが大切よ」、そんなとりとめもない会話でしたが、今でも鮮烈な印象として記憶にあります。(後略)』

阿川は週刊朝日に暴露記事が載る経緯について次のように書いている。

『新版 山本五十六』より

『しかし、山本五十六にこういう女がいたという事は、戦前戦中はもとより、戦後も約十年間一般にはまったく知られていなかった。それを素っ破抜いたのは、昭和二十九年四月十八日号の「週刊朝日」である。ある方面から、沼津八幡町の料亭「せせらぎ」の女将河合千代子という人が、昔、山本五十六の思われ人で、山本の恋文をたくさん持っており、それを公表する意志があるらしいという事を聞きこんで、「週刊朝日」の記者とカメラマンとは沼津へ彼女を訪ねていった。千代子は快く彼らを迎え、手紙の束を出して見せ、達筆すぎて若い記者には読めないところは、自分で声を出して読んで聞かせ、自分の境遇についても語って聞かせた。』

かつてワシントン・ポストの二人の若手敏腕記者が、ウオーターゲート事件を素っ破抜いて大スクープを上げたヤラセを髣髴とする場面である。ワシントン・ポストはイルミナテイの身内組織である。ニクソンも連中の使い走りの小僧だが、金本位制を敢行しようとして失脚させられたのである。一方、ヤラセの立役者ボブ・ウッドワードは、ホワイトハウス関連のプロパガンダ本の大家になっていく。あれほどどうしょうもないジョージ・ブッシュを堂々と賞賛する稀有な才能を持っているのは、ウッドワードを措いて他にない。しかしウッドワードの人相がだんだんゾンビ化しているように見えるのは、私の錯覚だろうか。

『堀悌吉はこの時未だ健在で、発表の寸前にこれを知り、さる筋を通して、「出すのをやめてもらえないか」と朝日に差し止めを望んで来たが、新聞社の輪転機はもう廻りはじめたあとで、堀が、「まあ、嘘じゃないんだし、それじゃ仕方がないだろう」と言って、あきらめたという説もあり、実際は非常に憤慨していたという説もある。しかし少しのちになって気持ちが落ち着いてからは、「世間じゃ色々言うけど、結局山本はあれで一つ偉くなったじゃないか」と堀は言っていたそうである。』

堀悌吉をここまで虚仮にできる稀有な才能を持っているのは、阿川を措いて他にない。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/224.html

記事 [カルト9] 山本五十六の真実J   偽証者たち
前回に引き続き、偽証者たちについて検証する。


最近のネットには、日米戦争の要所要所で負けた海軍の将官たちに対する非難が湧き上がっている。しかし司令塔の昭和天皇が指弾されることはない。すでに塚英昭氏が大著『20世紀のファウスト』で、第二次世界大戦が完全な八百長であることを余すところなく実証しているのである。私はひとり昭和天皇だけが、この出来レースの蚊帳の外にいたとは思わない。むしろ日米英独ソ首脳の中で、昭和天皇ほど準備万端整えて八百長に臨んだ用意周到な国家元首はいないと考えている。


DVD『鬼塚英昭が発見した日本の秘密』には、昭和天皇が山本五十六に真珠湾攻撃をやらせた動機が語られている。日米戦争はやれば負ける、そう言って政府も軍人もみんなが反対していた。しかしこの八百長戦争に参加しなければ、成りすまし天皇家のスキャンダルをバラされ、昭和天皇は全てを失う。だから敗戦が既定のシナリオである日米戦争に踏み切らせたのであると。私は昭和天皇の背後には、フィックサー吉田茂がいると考えている。ヤラセを隠蔽するために、昭和天皇を使って現場将官に勅令を出させ、防衛省戦史史料や外務省資料を改竄させプロパガンダ戦史に塗り替えている。中でも近衛文麿と山本五十六のプロパガンダは、長期スパンで大掛かりである。

国際金融寡頭勢力によって田布施村王朝という傀儡政権が創出されて以来、日本はひたすら富国強兵路線を突っ走ってきた。換言すれば日露戦争も日清戦争も満州事変も日中戦争も、国際金融寡頭勢力のために田布施村王朝が用意したものである。そして歴代の成りすまし天皇の中で(といっても3人、実質ほとんど2人)、昭和天皇はきわめて自覚的にやっている。満州事変を起こした関東軍は、昭和天皇のマイ軍隊である。盧溝橋事件を仕掛け、日中全面戦争を引き起こし、麻薬で荒稼ぎするための精鋭たちである。昭和天皇の真意は、彼らの暴走に激怒するお芝居ではなく、帰国した彼らを宮中に呼んで勅語を与え陪食を賜る行為にある。


昭和天皇は千両役者である。日米開戦を危惧して参謀総長や軍令部総長を問い質したり、御前会議で思わせぶりな歌を詠むのも、宣戦の詔勅に『どうしてこの戦争が朕の意思であろうか』と何気に入れておくのも、すべて責任逃れの伏線である。日米戦争における昭和天皇の最大の命題は、いかにボロ負けして見せ、戦後も何も失わないで統治者のままでいるかということだけである。


日米戦争は日米共同演出によるヤラセで、日本側の司令塔は昭和天皇と吉田茂であるという大前提のもとに何か月か考えて出した結論を述べる。

◎必然的に戦史史料もガセである。

そうしないとヤラセであることがバレる。


◎そのために現役軍人が偽証者として現場に送り込まれている。

予め現場に貼り付き、『目撃』したことを日誌や日記に書く。


◎偽証者たち


○源田実 

主犯。 ミッドウエー海戦で『肺炎』になりかかる。 私は仮病だと思う。


○淵田美津雄

主犯。 同海戦直前「虫垂炎の開腹手術」をする。 これも仮病だと思う。


○三和義勇

プロパガンダ日記を書く。後にテニアンの前線に送り込まれ『戦死』する。


○宇垣纏

わざと驕慢な言動をしている。プロパガンダ日記『戦藻録』を書く。敗戦直後に自決。


○黒島亀人

吉田茂のコネクション。五十六に『偏愛された』と役を演じる。戦後は隠棲。


○草鹿龍之介

源田実のフォロー役。父親は住友財閥の東京本社理事。自己正当化が激しい。


○渡辺安次

戦務参謀として五十六の身近に貼り付く。河合千代子の家に出入りしている。私は渡辺安次と河合千代子は男女の仲にあると思う。


○藤井茂

1943年4月17日トラック島碇泊中の武蔵に於いて、五十六のブイン視察の詳細スケジュールを、改変したばかりの新暗号ではなく、すでに敵に解読されている旧暗号で打電する。これが暗号解読の真相である。さらに藤井茂は従兵長の近江兵治郎に五十六の私物を管理させ、隠蔽工作もしている。すべて勅令である。


○河合千代子

原田熊雄に指示されて、愛人プロパガンダを吹聴する。


○近江兵治郎

最後の『目撃証人』として、『60年目の真実』『70年目の真実』を訴える。


○統帥本部の両総長 永野修身 杉山元 

いずれも天皇のポチ。 杉山元は2・26の暗躍で台頭した。 


○軍令部スタッフ

福留繁

富岡定俊

三代一就 


五十六が辞職をちらつかせて真珠湾奇襲攻撃とミッドウエ―作戦作戦を強行突破させた、そのやり方に情けなくて涙が出たというシナリオを演じている。


◎リメンバー・パールハーバー

日米共演演出によるオトボケである。
騙し討ちにすべく奥村勝三がノロノロとタイプを打ったが、
45分前には野村大使がハル国務長官に電文を手交している。


○日本側出演者

野村吉三郎

来栖三郎

寺崎英成

奥村勝三


○米側出演者

フランクリン・D・ルーズヴェルト

コーデル・ハル

ジョージ・マーシャル

国務省スタッフ

偽証者たちはすでに開戦前から統帥部と連合艦隊司令部の現場に送り込まれている。三和義勇は1938年、山本五十六が連合艦隊司令長官に任命される直前に勅令を受けている。宇垣纏も勅令を受けて『戦藻録』を書いている。黒島亀人、源田実 淵田美津雄、渡辺安次、藤井茂、草鹿隆之介も勅令を受けている。黒島亀人は、吉田茂から直接に指令を受けて動いている。源田実はヤラセの主犯格。淵田美津雄は別格の存在である。

淵田美津雄はプロパガンダの天才である。彼が昭和二十四年に出版した『真珠湾作戦の真相』には、五十六プロパガンダの全てがある。これは淵田本人も前書きで書いているように、未だ誰も書いていない『真相』を初めて明らかにしたもので、全てはここから始まっているのだ。後発のプロパガンダ作家たちは、ここからプロパガンダ用語や構想をパクっている。まさしく五十六プロパガンダの教則本である。父親譲りの漢詩の素養を生かして、ノンフィクションとフィクションの手法を巧みに混在させ、読者を幻惑するその表現力は傑出している。あの有名な特攻精神を嘉する勅語を代作したのも淵田美津雄である。その格調高い名文には、草鹿龍之介も思わず唸ったという逸話がある。

淵田美津雄が真珠湾攻撃の飛行総隊長に選ばれたのも、技量だけでなく優れた表現能力を買われてのことである。彼はミッドウエ―海戦では仮病を使って、戦闘には参加していない。ボロ負けすることが既定のシナリオのミッドウエー海戦では、飛行総隊長となる者は生還を期すことができないからである。友永丈市大尉を飛行総隊長の身代わりに立て、淵田自身はフリーの立場になって甲板上でヤラセを観戦したのである。戦後、淵田美津雄は奥宮正武(源田実のパシリ)と組んで、ミッドウエ―海戦のプロパガンダ本を矢継ぎ早に出版する。その際、淵田美津雄は敗因をデッチあげるために、死人に口なしで友永大尉に罪を被せるのみならず、友永のミッドウエー島攻撃のやり方をおちょくってさえいる。

淵田美津雄は友永大尉が手際よく第一次攻撃をしていれば、第二次攻撃を進言することはなかったと思わせようとしている。しかしこれは友永の不手際ではなくそういうシナリオなのである。私は「友永が第二次攻撃を進言した」というのはガセだと考えている。ミッドウエ―島の航空機が出払っていたのは、真珠湾奇襲攻撃の時に敵空母が不在だったのと同様ヤラセである。淵田美津雄はこれを韜晦するために、味方の総隊長をおちょくっているのだと思う。以下に淵田美津雄の偽証の場面を抜粋する。淵田の相手をしている村田重治は戦死していることに留意されたい。

淵田美津雄・奥宮正武『ミッドウエ―』朝日ソノラマより

『そこへ友永指揮官から「第二次攻撃の要あり」との意見とともに、第一次攻撃隊の攻撃成果を報告してきた。私はこの攻撃成果の電報を聞きながら、村田少佐に話した。「オイ、友永のやつは、ずいぶん中国で基地攻撃をやったくせに、なぜあの手を使わなかったんだろうかね?」


あの手というのは、こうである。敵の基地航空兵力制圧の目的で、基地攻撃に行った場合、あらかじめ敵がこれを察知して、飛行機全部を空中に退避させ、地上にいないことはよくあることである。そんなとき、あっさり大地をたたいて簡単に帰って来たのでは始まらない。そうとみたならば、まずもっている爆弾の三分の一ぐらいを投下して、そのまま帰投するとみせかける。向こうはもう帰ったと思って、燃料の関係もあり、基地へ戻ってくる。その間、一時間もすれば大体空中退避の飛行機は、着陸してまず燃料補給の作業にとりかかるものである。そこでこちらは三十分ぐらいのコースを往復して、再び襲えばうまく網にかけることができる。これは日華事変では、たびたび奏功した戦術であった。


村田少佐は苦笑しながらいった。「やっこサン、しばらく内地でアカを落としていたもんだから、素直になったんでしょう。しかしこんど、第二次攻撃隊も、ミッドウエ―基地の攻撃に向けるんだそうですから、私がうまくやってきます。安心していらっしゃい。バッサリと一網かけてやりますから」私はオヤオヤと思った。「愛二次攻撃隊をミッドウエ―基地に向けるって、もう命令が出たのか?」「ヤ、いま、司令部で話し合っているのを艦橋で聞いていました」「だってインド用作戦のときみたいに、出たあとで、偵察機から“敵艦見ゆ”と来るかも知れんぜ」「イヤ、しかし偵察機は、もう全部とうに索敵線の前端まで行きついた時刻なのに、報告がありませんから、攻撃圏内には敵艦隊はおらんと判断されていますよ」「そうか、しかし魚雷を抱いているんじゃないか?基地攻撃はちょっと困るね」「えゝ、それでいまから、陸用爆弾に積みかえろって命令が出るんですよ」「いやあ、それは大変な騒ぎだ。それに、もうそろそろ敵の陸上機が来るころだぜ」このとき、司令部ではすでに、第二次攻撃をミッドウエ―攻撃に振り向けることに、一決していた。』


実はミッドウエー海戦の直前に行われたインド洋作戦で、淵田美津雄は同じ情況のもとで南雲に爆装転換の進言をしている。本来、戦闘中の爆装転換は厳禁である。だから淵田美津雄は南雲に爆装転換のリハーサルをさせて、タブーを犯すハードルを取り払ったのである。しかし淵田美津雄はインド洋作戦で、自分が同様の決定を促したことには一言も触れていない。そんなことはおくびにも出さずとぼけている。

淵田美津雄続き

『私はふと、インド洋作戦でのコロンボ攻撃と、ツリンコマリ攻撃とを思い出した。あれはいかん。あのときは二度とも第一次攻撃隊が基地攻撃をやっているときに、索敵機が敵の水上部隊を発見した。「いつもの通りだと、またミッドウエ―を攻撃しているときに、索敵機は敵艦隊を発見するぜ。その手当はいいのかい?」村田少佐が代わって答えた。「大丈夫ですよ。そのために、第一次攻撃隊が出たあと、第二次攻撃隊が艦船攻撃兵装で待機していますからね。・・・」』

ミッドウエ―海戦のヤラセにより、友永大尉はもとより同胞三千人が海の藻屑と化している。しかし淵田美津雄の文章からは葛藤が伝わってこない。後に淵田美津雄はテニアンから自分一人だけ抜け出して、三和義勇や角田角治を見殺しにしている。やがて玉砕したテニアンは、原爆を搭載したエノラゲイが広島に飛び立つ基地となる。投下前夜、淵田美津雄は広島に集結した第二総軍の運命を知りながら、一人岩国基地に逃れている。


『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』編/解説 中田整一 講談社より

『以下、述べる挿話は、私ひとりがいい子になって、広島で被爆して死んで行った人たちは、神の恩寵から外されていたのかと、ひがむ人も出るので、私はあまり話したことはないのであるが、私自身にとっては、満ち溢れる神のめぐみであって、結局、この事実が後日、私をキリスト信仰へと導いて行ったのである。


実は、私は八月六日の前日五日まで、広島に滞在していたのであった。用件は、私は海軍総隊(昭和二十年四月設置。連合艦隊壊滅後の全海軍を指揮する)の航空参謀で、兼職として南方総軍参謀でもあったので、広島の第二総軍司令部にはちょくちょく出向いていた。


本土決戦について、九州防衛の共同作戦の打合せや、図上演習などは、もう済んでいたのであるが、今回はくしくも、眼にあまるB29の跳梁をなんとか制圧出来ないものかという、航空総軍案の「剣号作戦」なるものの打合せで、航空総軍の作戦参謀が主催した。当時、海軍総隊としては、「剣作戦」というのを準備中で、これはマリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムのB29の基地に、陸戦隊を強行着陸させて、亀の甲爆弾と呼んだ特別に工夫公安された爆弾でB29を一機一機爆破しようとの特攻作戦であったが、これにも陸軍兵力が協力しようとの打合せであった。


会議は三日ほどで、五日の昼前に終わった。私はやれやれと腰を伸ばしながら、今晩も広島に滞在するつもりで、宿舎の大和旅館に戻った。旅館は細工町にあった。宿舎に戻って、先ずは昼寝と横になっていると、室内電話のベルが鳴る。受話器をとってみると、東京近郊日吉台にある海軍総隊司令部からで、矢野志加三(しかぞう)参謀長の声である。「航空参謀、広島の用件が済んだら、帰りに大和基地に立ち寄って貰えないか。久安(房吉)参謀副長が航空総軍との通信施設で、あなたの助言がいるそうだ。皇子関係者が明日総長に集まるから、今夜中に来てほしいそうだ」


私は、「承知しました」と返事はしたものの、やれやれ厄介なことを言って来たものだと思った。本土決戦に備えて、海軍総隊司令部は大和基地に移ろうとして、天理市外の竹ノ内という部落のみかん山の下に通信施設などの防空壕を掘っている。その作業を監督するために、久安参謀副長が現地に出張しているのであった。また航空総軍司令部は八尾基地に移るとかいうので、両司令部間の連絡を密接にするための通信施設は必要だけれど、直通電話の一本も布けばよいので、別に航空参謀サマの助言を必要とするほどのことではない。もう一晩、広島で泊まろうと思っている矢先に、しょうもない用事をいいつかるもんだと、ぶつくさ言いながら、それでも早速に車を岩国基地に走らせ、置いてあった連絡機で、私は大和基地に飛んで、その夜は、久安参謀副長の泊まっていた竹ノ内部落のお百姓さんの家に一緒に泊めて貰った。


翌日早朝は、工事関係者との打合せを済ませて、午前十一時頃、すこし早いお昼を戴いていると、また矢野参謀長からの電話である。話を聞いて、びっくり仰天した。今朝八時十五分頃に、広島に原子爆弾らしいものが落ちて、全市は壊滅したという。


今日、思い出すたびに、胸がうずく。多くの人々は、何が起こったのかも分からずに、一瞬のうちに死んで行った。しかし、この幼い少女は、あれから一昼夜半あまり、兄に助けられて生きていた。そしておぼろげながら、何が起こったのかを知った。仇を取って貰わねばならぬ敵がいるのだ。畜生!』


これに対して鬼塚英昭氏は次のようにコメントしている。


鬼塚英昭『昭和天皇は知っていた 原爆の秘密 国内編』成甲書房より

『「淵田美津雄自叙伝」は延々とこの間の事情を書き続ける。簡単に記せば、三日間も続いた会議は存在せず、彼は夜半ひそかに広島を離れて岩国基地に移ったということである。淵田大佐は海軍が畑元帥の元へ送り込んだ“使者”であった。淵田は戦後、クリスチャンになった。ヨハンセン・グループ、同盟通信社グループも全員クリスチャンになることで、一原爆孤老が書いたように「日米協力プロジェクト」の一員となり、「幸せという名の身分」をアメリカから与えられた。私は太平洋戦争開戦以前から、淵田たちはアメリカの隠れエージェントであったと思っている』


淵田美津雄は源田実と共に、G2(GHQ諜報部)戦史室長ゴードン・プランゲと共謀してヤラセ戦史を作成している。プランゲは戦時中に淵田美津雄と源田実が果たした役割に敬意を払い、この二人だけに対しては夕食を挟んで一回四、五時間にも渡る聴取を計70〜80回も実施している。この間、淵田美津雄がプランゲに妙なる霊感を与えたことは疑うべくもない。淵田美津雄の『真珠湾作戦の真相』を読めばそれは歴然としている。千早正隆はこの尻馬に乗っているだけである。


千早正隆『元連合艦隊参謀が語る日本海軍失敗の本質』PHP文庫より

『ミッドウエー海戦のシンポジウム  昭和六十三年(一九八八)五月六日、アメリカノペンサコラ市で、それより四十六年前のミッドウエ―海戦のシンポジウムが、かつてなかった形式で行われた。それは、戦場で国家の命運を担って激しく戦った日本とアメリカ海軍の戦士の代表が、公開の席でその海戦を話し合うというものであった。太平洋戦争が終わって四十三年になっても、そのような大々的な試みはいまだかつてないことであった。


アメリカ側としては第一航空艦隊の航空甲参謀であった源田実氏(海兵五二期)と、同海戦でアメリカ側が手痛い目に合されたゼロ戦のパイロットおよび日本側の同海戦の研究家という要望であった。・・・問題は目玉となる源田氏がたまたま階段で足を踏みはずして歩行が困難なことであった。そこで急にその代人として同艦隊の航空乙参謀であった吉岡忠一氏(海兵五七期)に白羽の矢を立てたが、同氏もまたその健康上から長途の旅は不可能であった。あげくの果て、航空関係者でもなく、ミッドウエ―海戦にも参加していない私が、その代わりとして参加することになった。


歴史著述家のウオルター・ロード氏は、アメリカ海軍のミッドウエ―における成功は幸運に恵まれた賜にすぎないとしていた。アメリカ海軍が日本海軍の暗号を解読したことと、日本の索敵機がアメリカ空母の発見に失敗したこと、さらに「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の急降下爆撃機隊がほとんど同時に南雲部隊に殺到して必殺の攻撃をしたことを、その事例として挙げていた。』


私見ではミッドウエ―海戦に勝利したのは日本である。日本はミッドウエー海戦に於いて完勝している。楽勝である。アメリカが情報戦を制し『奇跡』の逆転勝利を果たしたというのは、プロパガンダである。『アメリカ海軍のミッドウエ―における成功は幸運に恵まれた賜にすぎない』。それをもたらしたのは日米共同演出による詐術である。『「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の急降下爆撃隊がほとんど同時に南雲部隊に殺到して必殺の攻撃をした』のは戦闘行為ではない。そのような情況を日米共同で演出したのである。ニミッツ自らそのように述べている。


C・W・ニミッツ/E・B・ポッター『ニミッツの太平洋戦史』恒文社より

『スプルーアンス提督が希望していたように、両艦の飛行甲板は燃料の補給を終え、まさに発艦しようとしていた飛行機でいっぱいであった。この真ん中に、米軍パイロットは爆弾を投下したのである。彼らが爆弾投下器の引き金をひき、急降下の飛行機の姿勢を水平におこすまで、なんら戦闘機の反撃は見られなかった。』


しかし千早正隆は日本海軍の驕りを得々と披露する。千早正隆は海軍驕り症候群を流行らせた張本人である。


千早前掲書の続き

『それよりはるかに重大なことは、ミッドウエ―戦り二ケ月前の四月に南雲部隊がインド洋に作戦した時に、イギリス艦隊に待ち伏せされたという事実があったことである。南雲部隊はイギリスの複葉旧式のスウオードフィシュ型の艦上攻撃機を認めて“この付近に敵空母存在の疑いあり”としながら、その敵を索敵すらしなかった。それかりでなく、それから悪一か月後にミッドウエ―作戦計画を研究した時に、第一航空艦隊でそのことを想起した人は一人もいなかった。この心の驕りがミッドウエ―の敗戦につながったと私が述べると、拍手が起きた。アメリカ側の戦史には、南雲部隊がインド洋でイギリス艦隊に待ち伏せされたことは、全く述べられていないからであったろう。事実、シンポジウムに参会していた私の知人のあるアメリカの戦史研究者は、南雲部隊がインド洋でイギリス艦隊に待ち伏せられていたことを初めて知って、驚いたと述べていた。』


千早正隆は得々とミッドウエー海戦に日本海軍がボロ負けしたのは驕りによるものである、というプロパガンダ戦史を述べている。源田実が『鎧袖一触』のような驕慢な言辞を吐いたり、宇垣纏が傲慢きわまりない図上演習をやって見せたり、連合艦隊スタッフはミッドウエ―惨敗のための下地作りをしている。その臭い芝居を『海軍驕り症候群』として広めたのが千早正隆である。千早はプランゲのインタビューを引用しながら、自分自身でもミッドウエー海戦の『敗因』を検証している。千早の検証は、シナリオのト書そのものである。


千早正隆・柳田邦男『ミッドウエ―の決断』プレジデント社より

『南雲司令部のこの計画が成功するためには、少なくとも、攻撃隊全機が発艦し終わる午前十一時過ぎまで敵機の来襲がないか、あったとしても、日本側は一弾たりとも被弾してはならなかった。もし飛行甲板に被弾すれば、攻撃機が発艦できなくなり、ガソリン・爆弾を満載した攻撃機に命中すれば、次から次へと誘爆して大惨事となる。南雲艦隊にとっては最も危険な時間帯を迎えるわけである。』

軍令部スタッフ、総長永野修身、福留繁、富岡定俊、三代一就らも偽証者である。真珠湾攻撃とミッドウエー作戦に対する彼らの偽証は、同じパターンを反復している。黒島亀人と渡辺安次が上京して軍令部を説得したが猛反対を受けた、そこで黒島亀人が五十六の伝言だといって辞職をちらつかせたり、あるいは渡辺安次が中座して山本五十六に電話で問い合わせ、『作戦が通らなければ辞職する』と五十六が言っていると伝えた、そういう五十六の態度が情けなくて富岡定俊と三代辰吉は涙が出た、ということになっている。このガセねたを考案した人物こそ淵田美津雄である。


この淵田美津雄と二人三脚を組んだのが、奥宮正武である。淵田と共著で精力的にプロパガンダ本を量産する傍ら、座談会でもプロパガンダを吹いている。


『徹底討論 “運命の五分間”はなかった


兵装転換の混乱がもたらした“運命の五分間”は真の敗因だったのか、従来の定説を一つ一つ点検し、歴史的な海戦が持つ意味をさぐる


出席者・階級は当時


阿部平次郎(海軍大尉 「蒼龍」艦上攻撃機分隊長)

板谷隆一(いたや たかいち 海軍大尉 「長門」乗組  八分隊長)

大井 篤(海軍中佐 海軍省人事局員)

奥宮正武(海軍少佐 第四航空戦隊参謀)

雀部 利三郎(ささべ りさぶろう 海軍中佐 機動部隊参謀)

澤地久枝(作家)

土肥一夫(どひ かずお 海軍少佐 第四艦隊参謀)

司会 秦郁彦(筑波大教授)

♪ 私の感想


「講和へ導くための大バクチ」


♪上記は座談会の小見出しの題名である。のっけからプロパガンダである。

(大幅に略)

「敵情判断に見る驕慢」

♪この小見出しもプロパガンダである。連戦連勝に驕り高ぶった海軍が、敵情視察を甘くみて惨敗したというシナリオに添ったプロパガンダである。秦は千早正隆とともにこのプロパガンダを吹いた張本人である。

秦郁彦(司会)  しかし、当時は行けば勝つ、というムードが全般的にあったから、この作戦をそれほど深刻な大バクチだとは考えていなかったのではないですか。

♪秦は誘導が得意である。

奥宮正武  いや、大バクチと考えてたんですよ。軍令部が反対するのにとうとう説きつけたんですから、これは容易な決心じゃなかった。

♪奥宮も秦のトモダチである。

板谷隆一  しかし、私なんかの印象では、ハワイ作戦のときはともかく、ミッドウエ―作戦の時は勝てるという前提で出発した感じがしてますね。・・・

大井篤  第一航空艦隊の「戦闘詳報」に目を通すと、「機動部隊指揮官ノ情況判断」という項目がある。それにこう書かれているのです。「敵ハ戦意ニ乏シキモ我ガ攻略作戦進捗セバ出動反撃ノ算アリ」。つまりこの程度の判断で出ていった・・・。

雀部利三郎  それは出撃前の図上演習で宇垣纏さんが強調したんですよ。敵の艦隊は出て来ないだろうと。それが先入観念になっている。もし出て来ても、とにかく敵は弱いんだと、これを非常に強く言っていましたね。

奥宮  それはもう真珠湾作戦いらいの驕りなんです。

♪奥宮はムードメーカーである。

大井  しかし、驕りにしても、ひどい。「敵ノ飛行索敵ハ・・・・・・厳重ナラザルモノト認ム」。こんなことは書く必要がない。

♪大井篤も同類項である。

雀部  確かに書く必要はない。しかしこの「戦闘詳報」は後から書いたんですよ。

雀部   機動部隊が作戦命令を作ったのは五月十五、六日じゃなかったかと思うんです。これは主として源田実中佐が書いた。

「無視した米軍の強さ」

♪ミッドウエー海戦で何が驚異的だったかというと、米軍があまりに弱かったことである。殊に搭乗員の技量が信じられないくらい稚拙であった。使い捨ての高学歴の要員を、ミッドウエーのヤラセに投入したためである。彼らが滑走路を走り始めた瞬間に棺桶に入ったと指揮官は覚悟するべきである、とゴードン・プランゲでさえ述べている。特攻の嚆矢はこのミッドウエー海戦における米海軍である、と指摘している。この座談会の小見出しはすべてプロパガンダである。

阿部平次郎   出撃の前に横須賀で源田さんと千早猛彦君にばったり出会ったんですが、「源田さん、今度のM作戦は止めなさいよ、袋叩きになりますよ」と言った記憶がある。というのは、南海島の陸戦隊から軍事郵便が、ぼくんとこの兵隊に届いて「今度はM作戦らしいが、大いに頑張ってくれ」と書いてきている。こりゃ機密が全海軍に筒抜けだと。それに人事異動。大事な作戦を前に、分隊長が替り、超隊長が替り、そして新しく配属された連中は無敵機動部隊の搭乗員になったと言って、もう乗っただけで鼻高くなってね。これじゃいかんと思って、源田さんに言ったが。

♪そういうシナリオである。

秦  耳をかさなかった?

阿部  私は昭和十二年八月十五日いらい戦場に出てるんですが、今度だけはもういよいよ死神のお迎えだ、と覚悟した

秦  予感があった?



秦は狂言回しも得意である。

阿部  友さんとは昭和十二年に加賀で一緒に戦った仲だが、以後彼はずっと内地にいてあまり戦場へ出ていないんです。

「無茶苦茶だった図上演習」

♪これもヤラセのお芝居である。

秦  そこで有名なGF統裁のミッドウエ―図上演習の話ですが、この演習は五月一日から四日間、戦艦大和の艦上で行われた。宇垣参謀長が審判長だったということですが・・・・。

♪秦はシナリオの勘所を掴んでいる。

奥宮   サイコロ振ったのが私なんです。青軍の空母に計九発爆弾が命中したのに、宇垣さんが「今のは三発命中とする」とやるんですから、もう無茶苦茶ですよ。

♪宇垣纏の仇名は黄金仮面、無茶苦茶な役どころがピッタリである。

板谷  実に宇垣さんの傍若無人なやり方にはびっくりしましたが、それ以上に驚いたのは、普通の図演なら状況判断に天候や海の状態などの各種条件がつくなずなのに、あのときは天気は良好としたままどんどん進んでいっちゃうんだね。(笑)

奥宮  そしてミッドウエ―で沈んだはずの空母が、フィジー・サモア作戦ではいつの間にか浮き上がって参加しているんですからね。(笑)

♪サイコロ振ってた奥宮も共犯者である。

「山本長官出撃の理由は?」

♪拙劣な指揮を執ったという汚名を被せるためである。私見では、戦闘中、山本五十六は大和の中で、勅令を受けた者たちによって拘束された状態にあったと考えている。

秦  それでいよいよGFあげての総出撃となるわけですが、いま考えるといちばん奇妙なのは、山本長官みずからが大和に座乗して、三百カイリ後から進撃したということなんです。観艦式のつもりだったとか論功行賞のためだとか、いろいろ言われていますね。

♪秦は急所を外さない。

板谷  私は長門で出撃しましたが、昔から海軍には指揮官先頭という伝統があるから、われわれも出ていくんだということでしたね。主将出陣という感じで。論功行賞などは考えていないと思いますよ。桂島でじっとしていることでとかく言われていたのは事実ですが。

澤地久枝   戦闘の局面次第では、大鑑巨砲にもの言わせて、大いにやろうという気もあったんでしょうね。

板谷   それはあったと思います。でも敵は出て来ないだろうという感じでした。

大井  だから、やっぱり世間でいう論功行賞、これはぬぐい切れないと思うよ。・・・

雀部  山本さんは機を見てハワイを奪う、という考えを持っていたらしい。

奥宮  いや、ハワイ攻略など考えていなかったと思いますよ。輸送船などの準備が全然ありませんからね。

♪奥宮の人柄が伝わってくる。


「敵空母を叩くために」


 
澤地  「戦史業書」などを見ますと、GFとしてはミッドウエ―攻略とともに、これを阻止しようと出てくる敵機動部隊を叩くという、つまり二重の目的を持った作戦であると一航艦に念を押した。ところが一航艦の方はミッドウエ―攻略で頭がいっぱいだったらしいですね。雀部さんは桂島出撃の時は作戦目的をどう理解しておられましたか。

雀部  はじめは、敵の艦隊をおびき出して、これを叩くのが作戦の主眼だと言われていたように覚えています。ところが、大海令には、そう書いてない。「陸軍ト協力シAF及AO西部要地ヲ攻略スベシ」(AFはミッドウエ―、AOはアリューシャン列島の略語)と書いてある。それにつられたように、GFの作戦命令にも似たようなことが書いてあったんです。だから、山本長官の考えが変わったのか、とにかくミッドウエ―攻略が第一義なんだなというような頭がありましたね。

奥宮  あのときの空気では、ミッドウエ―を叩かなければ、空母は出て来ないということが支配的でしたからね。矛盾はしてないわけですよ。両方ともできる、優先順位を付ける必要なはい、出撃時はそんな空気でしたね。

♪奥宮は「二兎を追う」ボケ作戦を肯定している。

奥宮  戦艦大和の会議で、トップの頭を支配していたのは、敵の空母が出て来なかったらどうしようかということなんです。

秦  ところで、ミッドウエ―爆撃の一日前にアリューシャンを叩いたのは何が狙いだったんですかね。


♪アリューシャンに戦力を割き、ミッドウエ―の戦力を削ぐことである。

奥宮  二隻の空母でアリューシャンをたたけば米空母が釣られてハワイから出てくるだろう。それを南雲さんの四隻で叩く。だから牽制作戦なんですな。六隻が堂々と出ていったのでは、敵は逃げるだけだ。二隻なら出てくるだろうという驕りですよ。

♪奥宮、ミッドウエ―を叩く&敵機動艦隊を撃滅する『二兎を追う』作戦を肯定したばっかだろうが。なんでアリューシャンを叩く必要があるのだ。何でもかんでもGFの驕りのせいにするシナリオなんだな。

阿部   そのための索敵や哨戒のために潜水艦がずらりと並んだ。

奥宮   ところが位置はよかったのだが、展開の時期が遅れてしまった。

♪皇族の小松侯爵が責任を持って哨戒を四日間も遅延させ、敵艦隊を無事にスルーさせてあげたのである。

澤地  潜水艦が所定の海域に布陣したときには、米機動部隊はすでに通過していたというわけですね。

♪シナリオの予定通りである。

大井  あなたは蒼龍だったかな。

阿部  蒼龍です。それから格納庫には第六航空隊の戦闘機を六機積んでいる。これも占領したらすぐ陸揚げして基地防空に使うという。冗談じゃないよ、いまある飛行機かででも発着甲板をやり繰りするのが大変なのに、六機も余分を積んでゆく。これを幕僚は反対しなかったのか、こんなことで戦争が出来ますか、と意見具申にいったり。まあ、敵をナメていたんですな。

♪「二兎を追う」作戦は、戦闘機を余分に搭載する口実でもある。六機も余分に積んで発着甲板の混乱を狙う筋書きである。それを「まあ、敵をナメていたんですな」と深く考えず、即『驕り』のせいにする。ほぼパブロフの犬状態である。


この件では千早正隆も声高に吠えている。

プランゲ著『ミッドウエ―の奇跡』千早正隆訳 訳者あとがきより

『四隻の空母の固有搭載機は、補用機を入れて合計二百六十三機であったが、それ以上に第六航空隊の戦闘機を二十一機も搭載していた。一艦宛てでは五機の増加ということになるが、五機の増加がそれでなくても窮屈な格納庫の格納をより一層窮屈にしたことは否めない。そればかりでなく、合戦前には不要な物件はできるだけ陸揚げして、被害を極限するという原則に反する行為であった。余分に搭載したためにどれだけ被害が増大したかを、計量することはできないが、第六航空隊の戦闘機を余分に搭載したというこの一事に、下算と慢心の一端を看ることが出来ると指摘せざるを得ない。』


♪下算でも慢心でもなく、奇跡の逆転劇を演出するための小細工である。

再び座談会の続き

「被爆直前の飛行甲板」

秦   いよいよ六月五日攻撃の日となりますが、阿部さんは第一次攻撃隊でミッドウエ―爆撃にいかれたんでしたね。

阿部  はい、島が見えるか見えないかのところで、四、五十機の敵戦闘機が待ち伏せていた。(略)

秦  敵の戦闘機は強かったですか。

♪秦は地雷を踏んでいる。

阿部  まだ戦争慣れしていないなという感じでした。(略)

♪戦争慣れしていないどころではない。国家の命運を賭けた世紀の決戦だというのに、米軍は練習時間が必要量に満たない搭乗員や、実戦経験がない搭乗員まで投入していたのである。米軍は正規の戦闘ではまったく勝ち目がない、ヤラセでなければ勝機は見いだせないということを十分自覚していたので、戦闘の場面では使い捨て要員を投入し、『運命の五分間』の時だけ手練れを用いたのである。

「日本軍の戦死者総数三○六四名」

澤地   しかし、赤城の搭乗員がそんなに戦死していないというのは、どういうことなんでしょうか。


大井   聞くところによると、澤地さんはコンピューターを使ってミッドウエー海戦の全戦死者を調べられたということですね。

澤地   はい、日本側の飛行機搭乗員の戦死は計一二一名です。戦死者総数が三〇六四名。比率でいうと三・九五%にしか当たりません。アメリカ側の搭乗員戦死者は二一〇名。戦死者総数は三六四名ですから、搭乗員の戦死率は五七・六旧%。ミッドウエ―海戦は日本海軍の搭乗員に大きなダメージを与えた、というも言われてきましたが、数字上からみるとむしろ逆なんです。

大井   予備学生はどのくらいいますか。

澤地   アメリカ側で、二一〇名のうち七二名、割合は三四・二九%で、つまり三割以上が予備学生出身の搭乗員ということになります。

奥宮   アメリカの搭乗員は日本と違ってほとんどが将校ですね。

澤地   それからこの搭乗員戦死数を、各鑑別に申しますと、赤城七名、加賀二一名、飛龍七二名、蒼龍一〇名、三隈四名、最上二名、利根二名、筑摩三名。ここにさっき話に出たミッドウエ―攻略後の要員である第六航空隊所属者もふくまれています。つまり赤城の戦死は七名(うち機上以外の戦死四名)ということです。定説のように、飛行甲板にずらっと勢揃いして、まさに発進が始まろうという状況での被爆であったということが本当なら、もう少し死んでいるはずです。それで疑問に思われるのですが。

♪『飛行甲板にずらっと勢揃いして、まさに発進が始まろうという状況での被爆』→飛行甲板にずらっと勢揃いさせているが、搭乗員を乗せないのである。敵にスムーズに爆撃させることがシナリオの合意点である。敵の爆撃を受けるまで発艦させない、という意図が働いていたと思う。

大井  どうやって調べたんですか。

澤地  独自の調査です(笑)。四年もかかって調べたのです。ご参考までに、戦史者リストを表にしてご報告しておきますと、


兵科      一〇三三名    三三・七〇%
飛行科     一〇七名     三・四九%
整備科     七四一名     二四・一八%
工作科     六九名      二・二五%
医・看護科    一八名     〇・六〇%
主計科      一二五名    四・〇八%
軍属       二名      〇・〇六%
機関科      九六九名    三一・六二%


となります。これでみても、機関科と整備科の損耗はその後の戦いに響いたと思いますね。

阿部  機関科の九六九人は大きいですね。彼らはいったんは這い出してきているんですよ。だが通路などにいっぱいに積んだミッドウエ―占領後陸揚げの荷が、いっせいに火を噴いていて、逃げ場を失ったらしいんです。

秦   この調査にざっとどのくらいかかりました。

澤地   調査と取材とコンピュータの仕事を含めて四千万円を超えたでしょう。

大井   とにかく大変な調査だと思いますよ。敬服しました。

秦   澤地調査をふまえて核心に入りたいのですが、第一次攻撃隊がミッドウエ―爆撃にいっている途中に、よもやと思っていた敵空母発見電が入ったわけです。どんな感じで受けとられましたか。

「護衛戦闘機付きの正攻法で」

♪ここからヤラセ本番の検証に入る。小見出しはヤラセを正当化するためのコジツケである。

雀部    源田参謀でしたか、吉岡参謀でしたかがすぐにこう言いました。「まだ余裕があるな」と。敵空母とは約二百マイル離れている。当時の飛行機は時速二百ノットですから、来るまでに一時間はかかるだろう、という意味でしょうね。それで「戦闘機をちゃんと付けて、正規の隊形でやりましょう」と源田が言い出し、吉岡が三世して、草鹿参謀長も賛成した。それで決まったんで、だからあのときガタガタ大騒ぎした覚えはないですね。

♪指揮系統の決定は、源田と吉岡と草鹿でやっていたのである。

澤地   決定するまでどのくらいの時間が。

雀部   長い時間はかからなかったと思いますよ。そしてその命令が発せられてから、源田が「まだ時間があるから第一次攻撃隊をとりましょう」と言った。収容するという意味です。それですぐ第一次攻撃隊が着艦しはじめた。

秦   敵機動部隊の先制を恐れあわてて、判断を誤ったんじゃないわけですね。

雀部   動転なんかしていません。ただ「敵ラシキモノ見ユ」の第一報の位置が誤っていて、実際には百五十マイルしかなかった。だからこっちが考えているより早く、敵の機動部隊が来た。そこに錯誤があったと思いますよ。

♪『第一報の位置が誤っていて、実際には百五十マイルしかなかった。』というのは、驚くべき情報である。なるほどそういうストーリーだったのだ。

秦   山口多門少将(二航戦司令官)からの意見具申「タダチニ発艦ノ要アリト認ム」を却下したのも・・・。

雀部   あれを握り潰したのは、南雲長官と言われていますけど、源田参謀ですよ。

大井   一航艦の人的構成も研究してみる必要があるね。源田は話が上手だし、三段論法でくる。それにくらべて南雲忠一という人は・・・・。

雀部   その源田が内地を出た翌日から風邪をひいて肺炎になりかかって、ずっと寝込んだままでした。起きてきたのは五日の攻撃の朝でしたからね。判断力なんか鈍っていたと思いますよ。

♪こう思わせるための『肺炎』である。

秦  雷爆転換よりは、直衛戦闘機の都合がつかないたけに出発が遅れたんでしょうか?

雀部  ええ、雷爆転換で遅れたとは、私は考えませんな。

澤地   魚雷を陸用爆弾に転換するのに、どのくらい時間がかかったのでしょう?

雀部  大体、二時間とみていました。その逆も同じくらいです。

澤地  あのとき、兵装転換中にも敵機が後から後から、切れ目なしに襲ってきていますね。平常航海中に飛龍が訓練で兵装転換をやったときも、二時間以上もかかっているのです。大角度で転舵という戦闘中なんですね、あのときは。それで二時間でできますか。

♪戦闘中の兵装転換は厳禁である。この鉄則を最初に破らせたのが、飛行総隊長の淵田美津雄である。ミッドウエー海戦の直前のインド洋海戦で、戦闘中の兵装転換を南雲にさせてハードルを越えさせている。

雀部  〇一三〇に第一次攻撃隊が出たあと、〇二二〇に兵装転換の予令が出ているんですよ。だから魚雷なんか弾庫から揚げてあったと思うんですがね。だから割合に早いんですよ、転換が。

澤地 問題の〇二二〇の予令は、一航艦の「戦闘詳報」には「敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃ハ第四編制ヲ以テ本日実施ノ予定」と表現されていますが、この第四編制は爆装を意味するんじゃないか。それに、予令なのに気をきかして、実際に爆装して待機していたんじゃないかという疑いがあるんですね。

♪ここでたまらず奥宮が口をはさむ。

奥宮  あのときのことは淵田美津雄さんと私の共著である「ミッドウエ―」にしっかりと書いてあります。この海戦に関しては彼の研究がいちばん早く貴重なものですよ。私は彼を信じますね。

♪そうです。淵田美津雄は仮病を使って観戦し、『しっかりと書いてあります。』奥宮正武はその淵田と二人三脚を組むことで、プロパガンダ作家として順調なスタートを切ることが出来たのです。

「敵艦隊か、ミッドウエ―基地か」

♪ハムレットのようなクサい芝居をするために、二兎を追うヘボ作戦が用意されたのである。

澤地  では、淵田さんのご本に基づいてお尋ねします。最初に魚雷を積んでいたという前提で話させていただきますが、〇一三○に第一次攻撃隊が発進する。同時に索敵機が出ていく。このうち問題の利根四号機が三十分遅れて飛び立つ。淵田さんは第一次攻撃隊が出撃したあと、「第二次攻撃隊、用意」という号令が拡声器から伝えられたと書いています。そして赤城ではエレベーターでチャンチャン音をたてて戦闘機や雷撃機が揚げられて「一方兵器員は弾薬庫のエレベーターで上がって来る魚雷を・・・・・飛行機に装備する」。そしてそろそろ日の出で薄明るくなってくる。「飛行甲板は第二次攻撃隊の飛行機で埋まった」と書いてあるんです。

奥宮   〇二二〇の予令はあくまで予定です。「用意せよ」じゃない、予定ですよ。『戦闘詳報』には「実施ノ予定」とあり、しかも「敵情ニ変化ナケレバ」と条件がついている。

♪おかしいではないか。あくまで“予定”であって“用意”でないなら、どうして『淵田さんは第一次攻撃隊が出撃したあと、「第二次攻撃隊、用意」という号令が拡声器から伝えられたと書いています。そして赤城ではエレベーターでチャンチャン音をたてて戦闘機や雷撃機が揚げられて「一方兵器員は弾薬庫のエレベーターで上がって来る魚雷を・・・・・飛行機に装備する」。』と書いているのか。

澤地 詳報の〇二二〇ではそうです。

♪詳報はそうです。淵田美津雄の書いていることと全然違います。

奥宮  この“予定”がそのまま実行に移される前には、必ず「予定のごとく行動する」という命令が出るはずです。ところが、その日は敵情が変化した。つまり米空母が発見されたので予定どおりにはいかなかった。

♪ますますおかしい。「敵情に変化があったのに第二次攻撃隊が用意された」と淵田は書いていることになる。

澤地  もう一度〇二二〇の予令に戻って考えますが、甲板上の艦攻隊は状況の変化がなければ、ミッドウエ―へもう一回爆装にかえて陸上攻撃に行くようになるかもしれんから、その心構えだけはしておけと・・・・・。

阿部  そう、心構えでしょう。

奥宮  “予定”というのはあくまでも心構えであって、行動に移すわけじゃない。

♪くり返すけど、観戦していた淵田自身が行動に移しちゃってると書いてるんだよ。『淵田さんは第一次攻撃隊が出撃したあと、「第二次攻撃隊、用意」という号令が拡声器から伝えられたと書いています。そして赤城ではエレベーターでチャンチャン音をたてて戦闘機や雷撃機が揚げられて「一方兵器員は弾薬庫のエレベーターで上がって来る魚雷を・・・・・飛行機に装備する」。』ね、行動に移してますね。

澤地  ところが、甲板上の飛行機は魚雷をつけて待機しているというのでしょう。そこへ予令を出すというのは、どういう意味なのか、ということです。

阿部  索敵機も出していることだし、ミッドウエ―からの戦果報告もあるだろうし、両方を見合して今後の作戦行動をどちらかに決める。が、いまの状況では陸上攻撃になる場合もありうることを考えておけよ、ということでしょうな。

♪だから陸上攻撃の準備を行動に移してしまっているのはなぜなんだ?という質問なんだよ。

奥宮  そうです。心の準備です。

♪だから心の準備を行動に移してしまっているのはなぜなんだ?という質問なんだよ・・・阿部と奥宮には澤地の質問を理解する能力がないのかもしれない。

秦  しかし気の利いた整備員や兵器員が弾庫から陸上用の爆弾をあげておけとなることも・・・・。

♪ついに秦が助け舟を出す。

奥宮  それはありえたでしょう。艦によって違います。

♪しかし澤地は追及の手を緩めない。

澤地   その状況下で、〇四〇〇に友永機から「第二次攻撃ノ必要アリ」という電報がくる。ところが数分後に米基地空軍の攻撃がはじまって、赤城は急角度で回避運動をやりながら、〇四一五に「第二次攻撃隊本日実施」、つまり予令どおりにやる、という命令がお下る・・・。

奥宮  「本日実施」で切ってしまっては駄目ですよ。その次を読まなきゃ。

澤地  「待機攻撃機爆装ニ換ヘ」となっています。ところが、〇四二八に利根四号機の「敵ラシキモノ一〇隻見ユ」電がとびこんでくる。そこで〇四四五に「敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装ノ儘」という命令が下りる。〇四一五から〇四四五まで、三十分しかたっていません。

「兵装転換が敗因ではない?」

♪兵装転換は、「敗因」の言い訳のために用意された一つである。そのために二兎を追うヘボ作戦が必要不可欠であった、というだけの話である。真の「敗因」はヤラセでボロ負けすることが既定のシナリオだったからであり、そのようなヤラセを昭和天皇がする必要があったからである。鬼塚英昭氏が検証しているように、そのように国際金融寡頭勢力から昭和天皇が脅されていたからである。国際金融寡頭勢力の傀儡政権として発足した田布施村王朝のいかがわしさ、成りすまし天皇家のスキャンダルをばらされると、昭和天皇は全てを失うからである。


秦 訓練でも二時間近くかかる兵装転換だから、三十分ではあまり爆装は進展せず、ほとんど雷装のままということになりませんか。

澤地  そうです。大部分はまだ魚雷を抱えているのではないか、と。よくいわれている魚雷→爆弾→魚雷という三ステップの定説が、時間的におかしくなるのじゃないでしょうか、ということです。

♪〇二二〇の予令の時点ですでに行動に移している、と淵田美津雄が書いているのは創作ということになる。

秦  つまり、その気ならすぐ雷撃隊を出せたはずだと?

奥宮  しかし、そのときは、直衛戦闘機が上空に出ていて直衛につけてやるのがいないから、駄目なんですよ。

♪奥宮はヤラセのシナリオに添って発言している。参謀長の草鹿隆一がこれとまったく同じことをプランゲのインタビューに対して答えている。草鹿は即時発進させなかった言い訳、こじつけ、自己正当化を延々と述べている。

澤地  それはわかります。でも、この兵装転換の混乱が“運命の五分間”の遅れとなったという定説は、成立しないんじゃないか、ということです。

♪私も『運命の五分間』説については疑問を持っている。実際はもっと幅があったはずである。

秦   やはり戦闘機をつけねばということにこだわったんですかねえ。

奥宮  そうです。

澤地  それにしても赤城の被爆が〇七二六ですから、その後二時間半も発進できないまま放っておいたことになりますよ。

♪つまりこれが『運命の五分間』の実質の幅である。この『定説』を捏造したのは淵田美津雄と奥宮正武である。二時間半も発進させない理由をずらずら並べたあげく、『運命の五分間』などとドラマチックな言葉で粉飾している。正しい表記は『運命の二時間半』である。

秦  戦闘機をつけてやりたいという親心といいますかね。それは源田さんでしょうか。

雀部  南雲さんじゃないですか。

♪源田実と草鹿隆一である。

澤地  繰り返しますが、兵装転換問題が命取りになった、といままで言われてきた定説は崩れるわけですね。

奥宮  そうも思いませんがね(笑)、戦闘中には、冷静な時にはちょっと考えられないことが起こるものなんですよ。

♪こんな人間を相手になおも澤地は健闘するのである。

「戦闘詳報」は正しくない

♪もちろん戦闘詳報は真実を伏してあるだろう。真実を書いたらヤラセが崩壊する。しかし、淵田美津雄、奥宮正武、源田実、草鹿隆一らの偽証や、秦郁彦のようなデマゴギーに較べたら、それほどデタラメは書いていないだろう。

澤地  なお私はこだわるんですが、戦史業書の「ミッドウエ―海戦」には、「〇二二〇南雲長官は状況に変化がなければ、第二次攻撃をミッドウエ―に施行する予定と予令。各艦陸上攻撃用爆弾に準備を開始したものと思われる」と書いている。これは間違いないでしょうか。

奥宮  それは「思われる」と書いてあるように、書いた人の主観であって(笑)、「開始した」ではないでしょう。

♪奥宮の詭弁ここに至れり。奥宮はたったさっき、これとそっくり同じことを書いている淵田美津雄のことを、『あのときのことは淵田美津雄さんと私の共著である「ミッドウエ―」にしっかりと書いてあります。この海戦に関しては彼の研究がいちばん早く貴重なものですよ。私は彼を信じますね。』と持ち上げている。淵田美津雄は『いちばん早く貴重なもの』、しかし戦史業書は『書いた人の主観』・・・。奥宮は澤地の質問の意味が分からないだけでなく、こんな情けない使い分けまでするのだ。使い分けのスペシャリスト中田安彦君でさえ、ほとぼりを冷ましてから使い分けるくらいのデリケートな神経は持ち合わせている。こんな芸のない雑駁なことはしない。

澤地  これは公刊戦史なんです。

奥宮  公刊戦史といっても間違ったところ、正確でないところがいっぱいあるんですよ。これは資料だが、戦史じゃないと私は思っています。

澤地   でしたら〇二二〇の予令は、どう考えるのがいちばんよいのか・・・。

奥宮   僕は心の準備だと。

澤地  整備員も兵器員も予令の段階ではやはり心の準備どまりですか。

澤地  予令の時に既に何かが行われていたのでないか。これは素人の勘ぐりですが。

♪いや、観戦していた淵田自身が既に第二次攻撃の準備をしていた証言しているのである。

澤地  さらに、もう一つこだわるんですが(笑)、源田さんと奥宮さん共著の「ミッドウエ―」は、先刻珍重すべき文献だと奥宮さんが言われました。それでお尋ねするのですが・・・・・。「敵艦隊攻撃準備」命令が出されるのは〇四四五でしたね、「戦闘詳報」によれば。ところが「ミッドウエ―」によると、南雲長官が敵艦隊撃滅を決心したのは午前五時四○分、つまり〇五四〇になっているんです。これはどう考えたらいいのか。

奥宮  この「戦闘詳報」が正しいとは限らないと、私は確信しています。

♪奥宮は澤地が「戦闘詳報」の矛盾点を突くと、“公の戦史史料は主観的なものが入っているから正しいとは限らない ”と言い、『この「戦闘詳報」は正しいとは限らないと、私は確信しています』と言う。しかし二兎を追う作戦が追究された時には、「戦史業書」の妥当性を強調していたのである。奥宮正武はプロパガンダを吹いていると、私は確信しています。

澤地  エッ、正しくないのですか。

奥宮  正しくないところがある。

♪奥宮は、正しくないところがあり過ぎる。

秦  澤地さんが言いたいのは、利根の四号機の〇四二八の「敵ラシキモノ」発見電ではなく、〇五二〇になって判明した「空母ラシキモノ一〇隻ヲ伴フ」電によって、南雲長官はやっと戦艦隊攻撃を決心したということなんでしょうか。それまでは、「いるのかな、どうかな」というので、何となく・・・。

澤地  ええ。〇五二〇まではミッドウエ―第二次攻撃の方にだけ頭がいっていたんじゃないかということです。

雀部   そう、確かにその傾向はあった。「敵ラシキモノ」でピーンときたわけではないのですね。それに、利根の索敵機の位置が予定とかなり違っているでしょう。それに気がつかなかった。

♪索敵機の位置が違っているという重大ミスは、シナリオなのだと私は思う。

澤地   そうなると、「戦闘詳報」の〇四四五の「敵艦隊攻撃準備」命令はなんだったのか。私が「戦闘詳報」にメイキングがあると考えた一点はここにあります。源田さんの本の〇五四〇の方が正しいのか。

♪澤地の果敢な粘りは素晴らしいと思う。しかし木を見て森を見ない弊害がある。だから淵田美津雄や源田実が仮病を使っていることも、面と向かって座談している奥宮の正体も分からない。


「運命の五分間」の内幕

澤地  さらに驚かされるのは、「戦闘詳報」では〇五五四に、赤城から利根四号機に「方位測定用電波輻射セヨ」と命じています。

♪この失策はヤラセである。この重大ミスを止められなかったのは、源田が肺炎になりかかって寝ていたからだというシナリオである。その命取りの命令に驚いた源田が、慌てて止めようと病床から飛び起きた、まさにその時命令が発せられてしまった、という筋書きになってます。

澤地  その上にですね、〇五二〇の「空母ラシキモノ一隻」電が入った後にも、赤城の艦爆隊がまだ上空で収容を待っている、その艦爆隊に「二次攻撃準備、二五〇爆弾揚弾」という命令を、〇五三〇に出している。

雀部  その二次攻撃というのは艦船用でしょう。

阿部  陸用爆弾じゃない。

澤地  どっちだかわかりませんが、お尋ねしたいのは、格納庫が艦攻の兵装転換で大混乱しているであろう最中に、そこへ、これから収容する飛行機の爆弾を揚げている。これはどういうことなのか。

♪あらゆる手を使って甲板と格納庫をパニック状態にするためです。

阿部  要するに着艦したらすぐに格納庫へ降ろして、爆装できるように。

澤地  すいぶん余裕綽々なんですね。(笑)

阿部  そうそう、まだ余裕があった。

澤地  敵空母が発見されているのにね。

阿部  いやいや、見つけているからこそなおのことです。急速に整備して出すためには、爆弾を出しておいて、格納庫に収めたらすぐ爆弾をつけて、敵艦を攻撃できるようにしておく・・・。

澤地  順序からいうと、この揚弾命令がでて、方位測定用電波が出されるというわけです。一航艦には時間が十分にありすぎた・・・・。(笑)

♪澤地以外は顔が引きつっていたのではないだろうか。

奥宮  結果からみて「運命の五分間」になったけど、やられる前は、源田参謀の思うとおりに事は運んどったんです。

♪結果からみて「運命の五分間」になるために、源田参謀の思うとおりに事を運んどったんです。

澤地  しかも無線封止を破りますね。もしかすると敵にキャッチされたかもしれないのに、そうは考えないで五日の朝になっても「敵ハ我ガ企図ヲ察知セズ・・・発見セラレ居ラザルモノト認ム」と思う、このズレは大きすぎます。

♪敵と我が企図にはどこにもズレはない。日米はヤラセの相性が良いと思う。

「生かされなかった戦訓」

大井  ずっと聞いていると、戦闘場面の方はどうも責めてもしかたのないことが多すぎる(笑)。しかし、元凶は軍令部だとか、GFにあるな。

奥宮  私もそう思います。それと日本人の国民性ですね。

♪元凶は成りすまし天皇家にある。そういや戦犯対策用に急拵えした昭和天皇独白録も、日本人の国民性に罪をなすりつけていたっけ。

秦  われわれが不思議に思うのは、なぜ飛行機に素人の南雲さんを長官にしたのか、ということなんですね。

雀部  そうね、すべて源田の言うとおりになって、「源田艦隊」と呼ばれました。その源田が鼻っ柱が強くて。

♪そうね、すべて源田の言うとおりになって、ヤラセを完遂させるためだね。あと南雲が元長岡藩士の息子であるというのが大きいと思う。

奥宮  司令長官クラスに航空作戦を知ったひとがいなかった。

♪栗田は例外であるが、司令長官クラスにはヤラセを知ったひとがいなかった。GFの参謀クラスや軍令部スタッフには、ヤラセを知悉した工作員がウヨウヨいた。

板谷  戦訓は、大きな戦争指導の面でもついに生かされることはなかったわけです。

秦  では、この辺で。

♪ヤラセの戦訓を生かすには、ヤラセの元凶を断ち、二度とさせないことしかない。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/225.html

記事 [カルト9] 山本五十六の真実K       ミッドウエ―   
今回は日米戦争の趨勢を一挙に逆転させたミッドウエ―海戦を検証する。
これによって前回検証した偽証者たちの実態をさらに究明する。

ミッドウエー海戦にまつわるロパガンダは、真珠湾奇襲攻撃ほど解明されていない。慢心していた日本海軍連合艦隊が、作戦段階から敵を侮り、情報戦を軽視し、結果アメリカ太平洋艦隊によって完膚なきまでに叩き潰された、という古いプロパガンダから、最近は山本五十六が真珠湾奇襲作戦を強引に敢行させた時と同じ脅しの手口を使って、ミッドウエ―作戦を強行させわざと負けさせた、というプロパガンダにすり替わった程度である。

真珠湾攻撃の手抜きもミッドウエー海戦の惨敗も、日米共同演出による八百長であることに異論はない。但し私はそこから山本五十六と南雲忠一を除く。ミッドウエー海戦について先ず結論を述べる。

◎日本はミッドウエー海戦に完勝している。


◎アメリカの『奇跡の逆転勝利』は詐術によるものである。


以前、百田直樹著『永遠のゼロ』を読んで感動した話を書いた。その際、百田氏がミッドウエー海戦で急降下爆撃したアメリカ兵の勇気をほめていたことに私も同調した。しかしここでそれを撤回して、自分の不明をお詫びしなければならない。彼らの勇気はヤラセに利用され、使い捨てににされただけである。

◎ヤラセの司令塔は吉田茂と昭和天皇である。

◎日本側の主役は源田実と淵田美津雄である。

二人とも仮病を使っている。

源田は肺炎にかかったフリ、淵田は虫垂炎の手術をしたフリをしている。

◎共演者は黒島亀人、渡辺安次、宇垣纏、三和義勇、藤井茂。

中でも黒島亀人は、吉田茂に直かに繋がるコネクションの一人である。

◎アメリカ側の主役はレイモンド・スプルーアンスである。


スプルーアンスは太平洋連合艦隊ではなく諜報組織に属している。

スプルーアンスを送り込んだのはヴィクター・ロスチャイルドだと考えている。

◎ミッドウエ―海戦の戦史資料・証言は改竄・捏造されている。


ミッドウエー作戦の構想が、ミッドウエ―島攻略とアメリカ艦隊撃滅の『二兎を追った拙策』と批判するのはプロパガンダである。この『拙策』なくして、ヤラセは完遂できない。連合艦隊司令部にミッドウエ―島攻略を主眼とする作戦を展開させ、ミッドウエ―島攻略の最中に敵空母を発見するシナリオである。『二兎を追う拙策』こそ、このヤラセを完遂させる要諦である。


『二兎を追う拙策』の第一義とされた、ミッドウエ―島攻略の戦略的意義について、

デーヴィッド・バーガミニ『天皇の陰謀』いいだもも訳 出帆社より抜粋する。


『二平方マイルの不毛で潮風に吹きさらされている低地が問題の島であった。ミッドウエイの二つの島、サンドとイースタンは、百マイル西にあるくれという名の未開で無住の岩礁とともに太平洋北西海域に横たわる離島だった。ミッドウエイの殺風景な土地を巡って行われた戦闘には、ルーズヴェルト大統領とその幕僚本部が認めていた以上の意義があったのである。実際、テルモピレー以来、これほど激しく、また確固とした理由のために行われた戦闘は少なかった。

もし日本がこの戦闘に勝利を収めていれば、彼らは一九四二年八月中にハワイを攻略するという作戦計画を実行したものと思われる。彼らはさらに進んで、パナマ運河を占領し、カリフォルニアを脅かすことで、合衆国にオーストラリア放棄を余儀なくさせるとともに、ヨーロッパ戦線への派兵を阻止し、そのすべての資源をアメリカ西海岸防衛に集中させるという意図を持っていた。


ミッドウエイの米軍は考えられないほどの幸運に恵まれ、それを最大限に利用した。』

シナリオはこういう流れである。日本が『二兎を追う拙策』を展開する→『ミッドウエイの米軍は考えられないほどの幸運に恵まれ、それを最大限に利用した。』そのために、アメリカ側では、『彼自身の責任で、ニミッツはミッドウエイ開戦のアメリカ側作戦計画を立案し、行動を開始していた』。つまりニミッツが『考えられないほどの幸運に恵まれ、それを最大限に利用した』という既定の筋書きに添うべく、行動を起こしていたのである。

バーガミニ続き(真珠湾奇襲攻撃の箇所の抜粋である)

『八月の第二週に、裕仁は海軍計画の検討に着手した。山本構想はまだ裕仁と高松宮の他には数人の連合艦隊幕僚しか知られていなかったので、山本は海軍軍令部ではなく、海軍大学校で説明を展開した。海軍大学校を選んだわけは、そこを管轄しているのが、かつて一九二一年(注 欧州外遊の折)に旗艦香取の甲板上で裕仁の体操教育にあたったこともある天皇家の一員、海軍少将・小松輝久侯爵だったからである。


九月二日、山本海軍大将と配下の将校達は再び小松高侯の管轄する海軍大学校に集まった。皇居から約五キロ離れた白金の皇室林のはずれにある海軍大学校は、今度は陸軍第八二軍の南進計画を支援する海軍側全作戦の予行演習の舞台となった。山本の計略はそこでは、開幕の夜に使われるかもしれないし使われないかもしれないような単なる余興として扱われたにすぎなかった。主要な関心事は、統制された部隊のマラヤ・フィリピン・ウエーク・グアム・ボルネオ・ジャワへの上陸を支援するための海軍側の作戦計画であった。(注 強奪財産ゴールデン・リリーの伏線である)


山本が自分の計画披露の機会を掴んだその九月八日の晩、海軍大学校校長の小松侯爵は、天皇家一族、親族を招待して祝賀の晩餐を開いた。木戸内大臣は、かつて内親王であった七十過ぎの母堂を伴って列席した。』

ミッドウエ―作戦で最大のヤラセの一つを請け負ったのが、この小松侯爵である。

バーガミニの続き

『巡洋艦と駆逐艦に護衛されたアメリカの空母を、山本提督は全く補足していなかった。作戦計画のなかで、真珠湾を監視する任務は先遣隊の潜水艦隊に割り当てられていた。潜水艦隊は、皇后の従弟で一九四一年の真珠湾計画当時は海軍大学校校長だった海軍中将の重臣小松輝久侯爵が司令官を務めていた。

小松侯はミッドウエイ作戦に大きな確信を抱いており、日本海軍の絶対的な優勢がその勝利を必然的なものにしているとの信念を持っていた。彼の潜水艦群は、開戦の八日前に真珠湾湾外の前哨偵察定点と、真珠湾とミッドウエイの中間海域の二つの警戒線に展開するということになっていたが、結果的にはミッドウエイ開戦の四日前にやっとこれらの定点への展開が行われたのである。遅延した四日の間に、エンタープライズ、ホーネット、そしてヨークタウンも、日本側の早期警戒水域を通過し、警戒の目を潜ってミッドウエイ北東海域へ接近した。』

つまり警戒線を張るのを四日も遅延させて、無事アメリカ空母を通してあげたのである。

『六月三日頃、小松は山本提督あてにアメリカ艦隊が真珠湾に留まっているかどうかを確認する任務に失敗した旨を通知した。しかし小松は、哨戒潜水艇が真珠湾とミッドウエイの間の警戒水域に遅れて到着した事実について、山本の注意を喚起しようとはしなかった。』

そりゃ四日も遅延した理由は言えない。

『これは重大な失策だったのだが、小松が皇族の一員であるという理由で、のちの日本の歴史家たちは間接的にそれをほのめかしているに過ぎず、またアメリカの歴史家は、その徹底的な事後の研究のなかでも日本の歴史家の主張にそのまま従っているように思われる。』

追及すれば、日米共同シナリオが露呈するからである。

『小松侯が北太平洋に展開したと山本が信じていた攻撃潜水艦の警戒線を突破しなければ、アメリカ艦隊は山本の出撃に反撃を加えることができない筈であった。ニミッツ麾下の空母三隻は、まだ自慢するに足る戦功を挙げていなかったが、ミッドウエイ北東海域をスコールにまぎれて隠密裡に航行しながら機会をうかがっていた。』

この先は実行犯源田実、淵田美津雄のそれぞれの著書と、プロパガンダを書くためにG2戦史室長にされたゴードン・プランゲの『ミッドウエーの奇跡』をたたき台にする。訳者は三十余年にわたってプランゲに協力してきた千早正隆である。訳者あとがきによると、プランゲはすでに一九三七年、若干27歳にしてメリーランド大学の歴史正教授となり、一九八〇年に死去するまでその職にあったという俊秀である。大戦中は海軍少佐として、戦後は請われてGHQ戦史室長となり、昭和二〇年から二六年までマッカーサー戦史の編集に当たった。プランゲ個人のライフワークとして真珠湾攻撃を取り上げようと決心した時、同戦史室には千早正隆を含めて四人の旧海軍士官が勤めていたが、全員が協力したそうだ。


プランゲの研究・調査に対する情熱は『異常と思われるほど徹底的』で、『作戦に少しでも関係があった人は片っぱしから自宅に招いてインタビューし、在日中に会った人は二百名を超えた。』。その後、プランゲは役得で収集した資料も含め、厖大な量のそれをメリーランド大学に持ち帰り(プランゲの死後はプランゲ・コレクションとして保存)、昭和五十三年に真珠湾攻撃の全巻を脱稿した。本書の『ミッドウエーの奇跡』を完成したのは昭和五十七の秋である。凝り性で完璧主義のプランゲは、ヤラセを正当化する戦史を捏造させるには不向きな人材である。

ゴードン・W・プランゲ『ミッドウエーの奇跡』千早正隆訳 原書房より

『負け犬が勝つ話ほどアメリカ人の心に強く訴えるものはない。アメリカはその国力、その広大さおよびその地理的な関係から、過去一世紀の間、そのような立場に立ったことがほとんどなかった。が、ミッドウエーの戦いは、アメリカが負け犬の立場に立たされ、そして勝利を獲得したきわめて数少ない事例であった。』


序文の題名として『真珠湾の裏返し』とあるように、ミッドウエー海戦もヤラセである。同作戦と真珠湾奇襲は、いわば同じコインの裏表である。ヤラセの特徴の一つは、同じ役者を使い回しすることにある。中でも真珠湾攻撃隊長の淵田美津雄は特異な存在である。彼は真珠湾攻撃・ミッドウエー海戦・原爆投下のヤラセに加担し、戦後は伝道師になってビリー・グラハムに会っている。

プランゲ続き

『ミッドウエーは日本側の過信、杜撰な計画、不十分な訓練および下算の物語であり、それはまたアメリカ側の冷静、創意および情報がよく調和された物語であった。』

これは史実ではなく、シナリオのト書である。ミッドウエ―の物語は、あの手この手を使って、それ以外にはアメリカの勝機はない、という状況で行われた残酷な犯罪の物語である。

『ミッドウエーの物語には”ツー・レート(遅すぎた)”が数多く使われているが、・・・山本は、軍令部作戦部との協力の下に、第二段作戦計画の立案をすでに完了し、南雲部隊が真珠湾の攻撃を終わって帰航の途につくやいなや、それを発動すべきであった。連戦の南雲部隊の飛行機乗りたちは、広島湾の桂島泊地に居据ったままの戦艦部隊を“柱島艦隊”と呼んで皮肉っていた。とくにハワイ攻撃のときに飛行機隊を率いて偉功をあげた淵田美津雄中佐は、山本長官はアメリカがハワイで破壊された艦を修理するのを待っているのではないか、とまで思っていた。』

淵田美津雄と源田実はゴードン・プランゲの自宅に招かれて、夕食をはさんで前後死後時間ほどの聞き取りを70〜80回ぐらいされている。淵田美津雄のこの感想はそのときのものだろう。淵田はシナリオ演出の一員としてはしなくも真相を明らかにしている。『ハワイで破壊された艦を修理するのを待っている』、という筋書きだったのである。

『軍令部第一部長の福留繁少将(海平40期)はミッドウエー作戦に不同意であったが、強い反対意見を述べなかった。これに反して、第一課長富岡定俊大佐(海兵45期)は強く反対した。黒島亀人大佐(先任参謀 海兵44期)と渡辺安次中佐(戦務参謀 海兵51期)がミッドウエーはハワイ攻略の足掛かりとなりうると主張しても、富岡と航空作戦担当の三代辰吉(みよたつきち)中佐(海兵51期)は耳を貸そうともしなかった。』

(注 三代辰吉は三代一就の間違いである)


そこで渡辺は、桂島泊地の旗艦大和に電話して情況を報告した。報告を終わって富岡の席に戻った彼は、「山本長官はミッドウエー作戦案が認められないならば、長官の職を辞めると言っておられる」との爆弾発言を伝えた。山本五十六大将の地位と声望に押されて、軍令部はしぶしぶであったが、ミッドウエー作戦に対する反対を撤回せざるをえなかった。それは山本の真珠湾作戦計画に軍令部が反対したときに、山本が最後の手段として使った”脅し”の繰り返しであった(訳注=その当時に連合艦隊参謀であった有馬は、その時に山本が果たして渡辺にそのように指示したかを疑問視する証言を戦後にしている )。』


全文ガセである。渡辺安次、富岡定俊、三代一就の偽証である。以前私は、真珠湾攻撃の構想は第一次世界大戦終了直後の1919年から用意されており、1939年8月31日に連合艦隊司令長官に任命された者は、真珠湾攻撃を遂行する宿命を背負わされていることを説明する際に五十六の脅しについて言及した。これを撤回してお詫びしたい。

プランゲ続き

『山本のミッドウエ―を攻略すべしとの主張の正当性を証明するかのように、四月十八日ジェームス・H・ドリットル陸軍中佐の指揮するB−25爆撃機が、東京、横浜らの都市を通り魔のように爆撃して通り抜けた。日本海軍の当事者はアメリカ爆撃機による日本本土に対する攻撃の可能性について、相当前から憂慮していた。』

これを予告する日記を三和義勇が書いている。

『二月八日、連合艦隊の作戦参謀三和義勇(みわよしたけ)中佐(海兵48期)は、その日の日記に次のように書いた。「敵が東京空襲をする可能性があるが、大した問題ではない。しかし、東京は首都であり、我が神国の中心であることを考えれば、敵の首都空襲はいかなる状況でも許すべきではない」三和は物事を騒ぎ立てるようなタイプの男ではなかった。その当時に四十三歳であった三和が軍務局局員から山本の幕僚となったのは、開戦直前であった。彼の日本海軍航空における経歴と、その性格かつ迅速な判断力を買っていた山本が、とくに望んだからであった。』

三和はこれからも目迎証言者として再々登場する。三和と黒島のいさかいを仲裁した五十六が、せつせつと黒島に対する真情を述べ、感激に打ち震えた黒島が突っ伏して泣く有名な逸話など、五十六に関する重要なプロパガンダを書きあげた後、三和はテニアンに送り込まれ『戦死』する。良心の呵責に耐えかねて真相を話す可能性のある人間は、口封じされるのである。

プランゲ続き

『しかもドリットル隊は予想されたよりはるかに低空を飛び、陸軍の防戦戦闘機を出しぬいた戦法を、淵田やその部下の歴戦の搭乗員は素晴らしい戦法だと思わずにはいられなかった。さらに、ドリットルの攻撃が母艦を発艦してから中国に向かう片道攻撃であることがわかると、淵田は彼らに対して畏敬の念さえ持った、と淵田はインタビューで述べている。

黒島もそのインタビューで、ドリットルの空襲はその戦果こそ少なかったが、「日本に戦慄を走らせた」と述べている。日本海軍がアメリカの神国に近接を許したことについて、少なくない国民が幻滅めいたものを感じ、山本長官に非難の手紙を送った。空襲によってその矜持を傷つけられた山本は、天皇および皇室の安泰をより一層気にするようになった。』

山本五十六は成りすまし天皇家の素性を松平恒雄から聞いている。五十六が『天皇よび皇室の安泰を一層気にするようになった』ことはない。そういう筋書きにするために、ドリットル空襲が敢行されたのである。

『三和は四月二十日の日記に、山本の理由づけについて次のように書いている。「南昌に不時着し捕虜とした米軍機乗員の陳述によると、彼らは母艦から発艦したようである。とすれば、敵ながら、天晴れと言うべきだ。この種の企図を封ずるためには、ハワイを攻略する以外の策はない。そのためにはミッドウエ―の攻略が前提となる。連合艦隊がミッドウエ―に作戦を主張する理由も、ここにある」そればかりでなく、はじめミッドウエー作戦に参加することを拒否していた陸軍も、ドリットルの空襲後は同作戦に参加することを主張するようになった。一方、陸軍長官スチムソンは、日本人の自制心を失ったそれらの動きを、興味深く見ていた。』

一九四二年四月十八日に敢行されたドウーリットル隊による空襲が契機となって、恐懼した山本五十六がミッドウエー海戦を強行した、という筋書きは三和日記を初め多くの人間が書いている。私もこれを鵜呑みにしていた時期があった。撤回してお詫びする。山本五十六は一年後の同日、処刑される。四月十八日は日米共同演出の記念日である。

『南雲の有能な航空参謀源田実中佐(海兵52期)も、ミッドウエー作戦には真珠湾でうち漏らした母艦群を仕留めるチャンスがあると考えていた。「ミッドウエー作戦を実施することで、アメリカ主力艦隊に決戦を強要するチャンスがあると思ったので、私は作戦に賛成した」と彼は述べている。連合艦隊が将来作戦としてハワイ攻略を計画していることを知ると、源田はミッドウエ―はその第一歩として価値があると思った。が、彼はミッドウエー作戦における陸上作戦よりも海上作戦により強い関心を持っていた。源田の見るところによると、南雲の態度はあまりはっきりとしていなかった。

南雲の参謀長の草鹿隆之介(海兵41期)によれば第一航空艦隊幕僚の多くはミドウエ―作戦に反対であったという。彼自身その急先鋒で、次のように陳述している。「機動部隊は真珠湾作戦いらい各地で赫赫たる成功を収めたが、搭乗員は減耗し、艦船、迎きは修理を必要としていたので、私はミッドウエ―作戦に反対であった。・・・そればかりでなく、ミッドウエー島を攻略することについて多大の疑問を持っていた。作戦計画は連合艦隊司令部ですでに決定され、われわれはそれをそのまま受け入れることを強要されたのであった」と草鹿は述べている。同時に彼は、第一航空艦隊側もあまり抵抗しなかたことを認めていた。彼はその陳述で、「われわれはアメリカを下算し、緒戦の成功で慢心していた。換言すれば、敵がたとえ出撃したとしても、容易に撃滅できると思っていた。私と同じ意見であった南雲長官も、彼の部隊はいかなる任務をも立派に遂行しうると信じていた」と述べている。』

草鹿隆之介の父親は、成りすまし天皇家御用達財閥の住友本社理事である。お坊ちゃん育ちなのか、草鹿はかなり罪悪感に駆られているようで、プランゲのインタビューではひたすら自己正当化ばかりしている。

『南雲の参謀長の草鹿の頭には、“二兎を追うものは一兎を得ず”との日本の諺がこびりついていた。彼はこの諺がミッドウエ―作戦の第一航空艦隊の任務に当てはまるのではないか、と心配していた。「連合艦隊命令には二つの目的が掲げられていた。一つは主目的であるミッドウエ―攻略の先鋒となることであり、そのには敵艦隊が出撃してきたならば、敵の機動部隊を撃滅することであった。その中でも、全般の作戦計画からみて、第一の目的に重点がおかれていた。さらに敵の航空基地からの攻撃も考慮しなければならなかった。・・・・この点が私がもっとも心配したところであった。というのは、第一航空艦隊は二兎を追うことを求められていたことになるからであった」』

草鹿隆之介は自分は悪くない、連合艦隊司令部の作戦が“二兎を追うものは一兎を得ず”という致命的欠点を持っていたからだと言いたいのである。しかし二兎を追ったことは、致命的欠点ではない。空母を二つに分けて作業すれば済む話である。致命的欠点というのは、全ての空母で同時作業で兵装装転換させることである。転換した爆弾と爆装した飛行機をずらりと並べて、さあどうぞと爆撃させることである。

『作戦開始に当たっては南雲の補佐をもっとも必要とするこの期間に、草鹿は上京して、真珠湾で戦死した航空搭乗員を、特殊潜航艇の乗員と同じように、二段階進級させよと上層部にせっついていた。』

勅令とはいえ、草鹿はヤラセに嫌気が差していたのかもしれない。

『山本はミッドウエ―作戦に二百隻以上の鑑定を動員することを予定し、同島に対する上陸開始日(N日)を六月七日と決めた。N日は南雲および近藤の部隊が必要とする作戦準備期間と、上陸作戦を用意にする月明の期間を考慮して定められた。作戦計画によれば、第六艦隊司令長官小松輝久中将(海兵37期)の先遣部隊の潜水艦が、六がtる二日までにミッドウエ―の東方海域に三重の哨戒網を展開し、敵艦隊の動きを探ることになっていた。』

『三重の哨戒網』を四日も遅延させてアメリカ艦隊をスルーさせて上げた小松輝久は、昭和天皇の皇后良子の従弟である。

 

『戦闘が始まってから南雲はすべてを源田にまかせていた。それまでの成功はすべて源田によることを確信していた南雲はますますその手中の“青い鳥”に依存していた。源田はまたほかの幕僚連中からある意味では畏敬の念で尊敬されていた。口に遠慮のない者は公然と、南雲の機動部隊を源田艦隊と呼んでいたほどであった。が、源田は見られることを好まなかったし、時には恐ろしいことだと思っていた。』

源田実こそ、南雲忠一を攪乱させていた真犯人である。

『ミッドウエ―作戦に関する図上演習を終了する前に、山本は南雲に対して、アメリカ艦隊とくにその空母隊の索敵には最善を尽くすこと、それに対する反撃のため南雲の攻撃隊の半数は魚雷装備をするよう指示した。しかし先任参謀の黒島は航空参謀の佐々木彰中佐(海兵5を1期)に口頭で、山本の指示を命令に書き込む必要はないと言った。参謀間の意見の調整、起案の点検は、戦務参謀である渡辺の職務のひとつであったが、彼はこのことについて黒島または彼自身について弁明していない。が、黒島の理由ははっきりしている。南雲およびその幕僚は山本の指示を直接に聞いているし、彼らは過去の開戦の経験から山本の意見が正当であることを知っているから、戦術的な細部まで今更命令に書く必要はない、というのであったろう。』

ここにゴードン・プランゲの正体が浮き彫りになっている。何せ題名が『ミッドウエ―の奇跡』である。プランゲはヤラセを『奇跡』に仕立て上げる使命を負っている。そのためにプランゲは、五十六が敵空母の出現に備えて『攻撃他の半数は魚雷装備をするよう指示した』ことを、『戦術的な細部まで今更命令に書く必要なない、というのであったろう』と変な理屈をこねて、黒島を弁護しているのである。G2の厖大な史料やインタビューをもとに詭弁を弄することは、完璧主義者プランゲにとってさぞかし忸怩たる思いだったことだろう。

『図上演習が終わると、黒島と渡辺は連合艦隊の命令の起案、調整にかかった。しかし、それには南雲部隊の雷撃装備および潜水艦が散開戦の西方から帰航索敵せよとの明確な指示がされていなかった。これは重大な誤りであった、と渡部は認めてる。だが、潜水艦の問題はむしろタイミングの誤りと言うべきであり、現地指揮官を作戦の一か月も前から束縛するのは、戦争指導の懸命な策ではない、と言い得るであろう。』

言い得ない。索敵はミッドエ―作戦の命運を分けた重大なポイントである。本書の巻末ではプランゲ自身が索敵をいい加減にしていたことを非難し、そういう驕りが敗因だったと総括としている。ごまかそうごまかそうとして支離滅裂な論旨になっているプランゲは、ほぼ副島隆彦状態にある

『「作戦の重点をアメリカ艦隊の撃滅におくべきである。そのためにはアリューシャン攻撃部隊もミッドウエ―に向けるべきだし、あらゆる作戦可能な兵力を、たとえ第五降航空戦隊(瑞鶴 翔鶴)が参加できるのを待っても、ミッドウエ―に集中すべきだ」と源田は主張した。それに対して黒島は、「連合艦隊司令長官は一度決めた方針に邪魔が入ることを望まれない。機動部隊の主要任務はミッドウエ―攻略の支援だ」と答えた。』

『邪魔が入ることを望まれない』のは、五十六ではなく黒島である。若し彼がその言葉通りに連合艦隊司令長官の一度決めた方針を金科玉条にしていたら、魚雷装備も索敵も一字一句も漏らさず銘記しているはずだ。『運命の五分間』などというヤラセも存在せず、連合艦隊は楽勝している。事実、連合艦隊は『運命の五分間』以外は完勝していたのである。

『一方、その当時、ハワイのニミッツはどうしたであろうか。彼はどの程度にまでこれらの日本の企図を知っていたであろうか。初めのころ彼は情報参謀のレイトンや戦術情報室長のロチェフォートの状況判断を全面的には信用していなかった。日本の情報部がニセの情報を流してアメリカを落とし穴に入れようとする策略家もしれない、と彼は思っていた。が、彼は、「深く考えた末、私はこれは本当だと思うようになった」とインタビューで答えている。そう心に決めるとニミッツは疑ったり、迷ったりすることはなかった。』

「そういうシナリオなんだよ」とレイトンに聞かされると、ニミッツは疑ったり迷ったりすることはなかったのである。ここから本格的な日米共同演出がスタートする。

『五月二日(日本時間では三日)大和の艦上で山本やその幕僚が図上演習で作戦を練っているころ、彼はミッドウエ―に飛び、一日中かかってミッドウエ―環礁を視察した。ついで日本のとるであろう作戦およびその兵力の概要を述べ、でき得る限りの援助をすることを約束した。』

ニミッツは確信犯として行動を開始したのである。

『五月五日、軍令部総長長野修身は山本に対して次のように指示した。「連合艦隊司令長官は、陸軍と協力し、西武アリューシャン列島の要地およびミドウエ―島を攻略、占領すべし」』

この作戦指示が『運命の五分間』のヤラセに必要不可欠だったのだ。アリューシャンに武力を分散し、ミッドウエ―島の攻略に全爆撃機を投入させる。さらにミッドウエ―島を二次攻撃させ、その最中に敵空母を出現させる。友永大尉が『第二次攻撃の必要を認む』と送信したというのは、これはガセである。プランゲ自身が真相を書いている。第二次攻撃のために爆弾装備を転換させるために、友永の具申を装ったヤラセである。第二次攻撃用に装備を転換させている最中に敵空母を出現させ、さらにまた転換させるという状況にするためである。これに恐慌をきたした南雲が爆弾装備を二転三転するように、傍で唆していたのが草鹿龍之介であると私は確信している。これによってのみアメリカの奇襲は成功し、ラクダがハリの穴を通るような『勝利』を得たのである。

『本書は珊瑚海海戦の詳細を述べるものではないから、同海戦に関し記述するのは、同海戦がミドウエ―作戦にいかに影響したかに限られるが、その影響はきわめて重かつ大であった。五月八日の朝、あとから珊瑚海海戦と呼称された日本とアメリカの空母間ンお初の海戦の幕が切って落とされた。日本が沈めたと報じたサラトガはその頃シアトルに近いピューゼット・サウンドで修理中であった。日本がサラトガ級空母を間違えたのは、これで二度目であった。その年の初め日本の潜水艦がレキシントンを沈めたと報じたが、雷撃で損傷したのは実はサラトガだった。この時の第五航空戦隊の報告は、その戦果を過大評価していた。一方、レキシントンの被害も日本が報じたよりもはるかに少なかった。戦果を過大評価した報告と希望的な思考に基づいて、大和の連合艦隊司令部は、五月五日からの一連の戦闘の成果を次のように推定した。(略)(訳注=実際に敵に与えた損害との間に大差を生じたのは、主としてラバウルから作戦した基地航空部隊の戦果報告が全くと言ってよいほど間違っていたからであった。どうしてそんなに大きく狂ったのか、いまだによくわからない)』

戦果報告が『全くと言ってよいほど間違っていた』のに、『どうしてそんなに大きく狂ったのか、いまだによくわからない』というのは、プロパガンダ以外に理由などないからだ。例えば白洲次郎の古巣であるジャパン・タイムズ・アンド・アドヴァタイザーは、紙上でさかんに誇大戦果報告を喧伝して煽って助長させていた。こういう風潮を下地に作っておいて、後にミッドウエ―作戦は海軍の驕り症候群の産物であったというプロパガンダを流布したのである。

『南雲がアメリカ太平洋艦隊の作戦企図を知らなかったことを、日本はあまり気にしていなかった。たびたび引用するジャパン・タイムス・アンド・アドヴァタイザー紙は五月二十七日の紙面に、次のように書いている。「敵が防衛しなければならない広大な区域を眺め、太平洋に目を転じると、敵は太平洋にはごく僅かな兵力しか充当できないことに気付くのである。太平洋にいる敵の残存兵力は、戦艦数隻および空母エンタープライズ、ホーネットを中心とするにすぎないであろう。その空母部隊がいかなる行動をするかが、現在においてもっとも注目されるところだが、それはわが無敵艦隊の敵ではない。珊瑚海海戦を転機として全太平洋海域はわが帝国海軍が支配するところとなったと言ってよい。」』

こういうガセネタを仲間内に書かせることが、珊瑚海海戦の『どうしてそんなに大きく狂ったのか、いまだにわからない』くらいに『全くと言ってよいほど間違っていた』誇大戦果報告の効用の一つである。それを草鹿自身が煽っていたことは想像に難くない。

『参謀長の草鹿が「五月二十七日に豊後水道を出撃したとき、わが機動部隊が先陣に立てば、向かうところ敵なしとの自信に溢れていた」と言ったのは、無理なかった。』

草鹿は驕り症候群を吹聴する役目だから、『無理なかった』以外に何があるというのだろう。ここに至って淵田美津雄が突如『急性虫垂炎』にかかる。

『その頃、飛行隊長の淵田は病室に臥せっていた。多忙の日が続いた彼は、それより少し前にさすような痛みを感じ、基地付近の陸軍病院で診察を受けたところ、放縦によるものと診断され、病室に入れられた。その夜、淵田は激痛に襲われた。従兵が軍医長を呼ぶと、軍医長は「これは急性盲腸炎だ。すぐ手術をする」と淵田に告げた。』

私は淵田美津雄は仮病を使っていて、玉井軍医長はグルであると確信している。松本重治が徴兵忌避のために仮病になり、武見太郎に偽の診断書を書いてもらったのと同じ手口である。淵田は手術などしていない。さらに源田実も『肺炎』にかかる。源田はいかにも苦しげにゴホゴホと咳をするポーズの裏で、南雲を脅し続けている。それが源田の任務である。

『不運を加重するかのように、淵田が手術を受けて数日後、こん度は源田が肺炎にかかり高熱を出して病臥した。この二重の不運は、それが真珠湾への途上であったならば、南雲を限りなく悩ましたであろうが、こんどは彼はさほど動揺したようには見えなかった。一方、禅に帰依していた草鹿はいつものように平静を保っていた。』

淵田が『急性盲腸炎』になったのも、源田が『肺炎』になりかかったのも、ヤラセである。淵田美津雄が仮病を使って友永丈市を代役に立てたのは、ミッドウエー海戦で飛行隊長を務めるものは死ぬ運命にあるからである。淵田美津雄が病室から抜け出してヤラセを観戦していたのは、病室にいたら閉じ込められて死ぬからである。源田の『肺炎』も同様である。南雲部隊は『源田艦隊』と呼ばれるくらい、源田の存在は大きかった。『肺炎』になって第一線の戦列から退いて、責任の所在を追及されまいとする保身の策である。

『「今やその時である。本日の午後、日本の艦隊が行動を起こしたとの情報があった。彼らがわれわれのどこに攻撃をかけてくるかが、われわれが次に知るべきことだ」と陸軍長官スチムソンは五月二十七日の日記に書いていた。』

スチムソン日記の翻訳⇒『今やその時である。彼らがわれわれのどこに攻撃をかけてくるかが、われわれが次に知るべきことだから当然知っているのである。』

『全機動部隊および各戦隊司令官に対するニミッツの作戦計画は、すでに用意されていの索敵機の圏外に位置し、一方、ミッドウエ―からの索敵機は基地から七百浬を索敵して、敵よりも先に日本の空母部隊を発見することになっていた。』

『先に日本の空母部隊を発見することになっていた』シナリオについて、戦争情報局長のレイトンは後に著書の中で重大発言をしている。彼ら日本の暗号文のAFが何を指すのか探ろうとして、『ミッドウエ―には真水が不足している』という平文を打電して罠を仕掛けた一件は、作り話だと証言しているのである。


http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/samejima.htm様より以下転載。


『「ミッドウエ―島は水不足」と謂うニセ電報を平文(ひらぶみ)で発信して「AF」がミッドウエ―島の地点符字である事を確認したと一般に信じられている有名な話がある。当事者である米太平洋艦隊情報参謀のレイトン中佐は著書の中で「ミッドウエ―について書いた全ての歴史家がこの件に就いての解釈を取り違へている」と断定的に述べている。しかし米海軍が奇しくも「AF」をミッドウエ―島の地点表示に使っていたのは偶然の一致とはゆへ何か運命的暗示を感じさせる。』

運命的暗示を感じさせる→共通のシナリオの存在を感じさせる。

「AF」を地点符字にしている日米共通のシナリオが存在していたのである。

 


ゴードン・プランゲ前掲書続き

『ニミッツはレイトンに向かって、「敵と接触するのはいつ、どこでと考えるか」と訊ねた。それに対してレイトンは、「敵との最初の接触は、六月四日午前六時(ミッドウエ―時間)、ミッドウエ―からの方位三百二十五度(北西)、距離百七十五浬の地点で、わがミッドウエ―からの索敵機によってされると思います」と答えた。』

細部に至るまでシナリオは決められていた。アビー・ウオーバーグの金言のように、神は細部に宿るのである。

『会議に列席した面々は、その会議は冷厳な事実を冷静に検討すべきものであることを知悉していた。ミッドウエ―を日本に占領されたならば、ハワイに対して日本の鉄の矢じりをつけた矢がつきつけられたも同然であろう、と感じていた。そうなれば、ハワイが攻略されることは単なるフロックではなく、日本が奇襲ではなく強襲でアメリカ本土を空襲しても、アメリカはそれを阻止できないであろうことは、単なる幻想ではないであろう。列席した誰もが、日本は予想もしない攻撃を仮借なくかけてくる手強い強力な敵だと、身にしみて感じていた。』

アメリカ側はミッドウエ―作戦を正当に評価している。後世日本人がこれをぼろ糞に言うのは、プロパガンダによる洗脳である。

『ニミッツは次のように強調した。「情報によれば、日本の空母部隊はミッドウエ―の北西方からせまって来ると思われる。アメリカの執るべき策はこれに奇襲をかけることだ。アメリカ艦隊は敵とミッドウエ―の間に挟まれてはならない。全力を尽くして、敵の翼側から、それも先手をとって、攻撃をかけなくてはならない」。この戦法のカギは奇襲が成功するかどうかにかかっていた。劣勢なフレッチャーおよびスプルーアンスの部隊が、尋常な迅速性に乏しい攻撃に出たならば、惨敗に終わるであろう。』

プランゲの文章を添削しておこう。

『この戦法のカギは敵空母の全ての甲板上に爆装した飛行機が整列している状態に奇襲が成功するかどうかにかかっていた。尋常な謀略性に乏しい攻撃に出たならば惨敗に終わるであろう』。

スプルーアンストフレッチャーが合流する地点はニミッツによって『ラック・ポイント』と名付けられた。『幸運の地点』という意味の謀略地点である。

プランゲ続き

『当然のことだが、フレッチャーとスプルーアンスがもっとも望んだのは、先制をかけて、南雲部隊の飛行機が母艦の飛行甲板に並んでいるときに攻撃をかけることであった。航空出身の指揮官であっても、このような瞬間的なタイミングを決めるのは、至難のことであったであろう。一九四二年に出されたリポートで、ニミッツは次のように述べている。「わが空母隊にとってこれ以上ない微妙なタイミングを必要とするきわめて困難な状況であった」』

本来ならば『至難のことであったであろう』『瞬間的なタイミング』『これ以上ない微妙なタイミング』を創出することが、ミッドウエ―のヤラセの眼目である。『瞬間的』と形容されている『タイミング』は、実際には二時間半の幅があった。『これ以上ない微妙なタイミング』、すなわち全ての敵空母の甲板上で兵装転換させ急降下爆撃するまで発艦させない『タイミング』を現出するまで、二時間半かかったということである。

兵装転換をすべての空母で行なわせるには、ミッドウエ―島攻略から帰還した攻撃隊を着艦させておく必要がある。混乱状態の中、二時間以上もかけて『瞬間的なタイミング』が用意されたのである。限りなく幅がある『瞬間的タイミング』なのである。その最大の決め手はミッドウエ―島の第二次攻撃を友永大尉が具申し、南雲がそれを決意したというポイントにある。前述したがこの『友永大尉の具申』というのは責任転嫁のガセねたである。

『隊長の友永が被弾したその乗機をなだめながら帰艦の途についた時、彼の攻撃隊がミッドウエ―にどれだけの損害を与えたか、正確には知らなかった。彼はその後の海戦で戦死したので、彼がミッドウエ―の損害をどう見たか、知ることはできない。が、友永は明らかにその攻撃の成果に満足していなかった。彼の部隊は強力だと思われていた敵の爆撃隊および索敵隊に出会わなかったし、航空基地の滑走路はほとんど無傷のようであった。また、その対空火器はまだ盛んに撃ち上げていた。日本の上陸部隊が手洗い反撃に会うのは確実であった。友永はそう結論したに違いなかった。被弾で送信機を使用することができなくなっていたので、彼は小さな黒板に通信文を書き、それを二番機の橋本敏男大尉(海兵66期)に差し出し、彼の名前で送信するよう命じた。時間は午前七時であった。「第二次攻撃の要あり」』

証言したのが友永自身ではなく、橋本敏男大尉になっている。私はこれ自体が捏造であると考えている。友永は黒板に書いていないし、橋本敏男大尉も打電していない。

『南雲が友永の「第二次攻撃の要あり」の電報を受信したのと、ミッドウエ―からのTBFおよびB−26隊が魚雷攻撃を開始したのは、ほとんど同時であった。それは、あたかも友永の電報の意味するところを実証するかのようであった。この時点では、アメリカの海上兵力が近くにいるという兆候を、南雲は全く得ていなかった。その時までには、索敵機は予定された索敵線の先端に到達していたはずだが、まだ何の報告もなかった。そこで南雲は、友永の意見具申にそって、ミッドウエ―に対して第二次の攻撃を加えることに決定した。』

これが大混乱の序章である。

『この南雲の決定は、多くのことを大至急に完成することを要求するものであった。敵艦隊を発見した時に備えて、赤城と加賀の甲板上に準備されている雷撃機と、飛龍と蒼龍の甲板上の艦爆隊の兵装を、艦船攻撃用から陸上攻撃用に転装しなければならない。そのためには、飛行甲板上に準備された全機を、一旦その格納庫に降ろして、雷撃機は魚雷を陸用爆弾に、艦爆機はその爆弾を艦船攻撃用から陸上攻撃用のものに取り換えなければならない。その転換作業はどんなに急いでも二時間以上を要するのである。しかも、敵機がミッドウエ―に帰着したところを狙って攻撃をかけるためには、一刻の猶予も許されない。』

一刻の猶予も許されない、さもないととんでもないことになる、と南雲を脅したのは草鹿隆之介だろうか源田実だろうか。

『源田は急いで信号文を起案した。「第二次攻撃隊の兵装を陸上攻撃用とせよ」。南雲がこの命令をその空母に発信したのは午前七時十五分であった。この意思決定こそは、常時その搭載機の半数を雷装にするということが、機動部隊の命令に明示されていないことを知った黒島と渡辺が警告したところのものであったが、源田はそのような硬直した考え方に反論して、次のように言っている。「そのような考え方にこだわると、適当な敵が発見されない限り、攻撃兵力の半数が有効に使われないことになる。情況によって、決定はされなければならない」』

『また、第一航空艦隊参謀の草鹿も次のように言っている。「山本長官が第一航空艦隊の兵力の半数を、敵の空母隊に対して備えるよう望んでおられることは、南雲長官もその幕僚もよく承知していた。事実、情況の許す限り、そうしていた。が、敵のミッドウエ―基地の航空兵力がわれわれに対して攻撃を開始し、敵の空母部隊がまだ発見されない情況では、いるのかいないのかわからない敵に対して、その兵力の半数を無期限に控置しておくのは、前線の指揮官として、ほとんど耐えられないことであった」たとえ、その決定が後で問題になったかもしれないが、「あの当時の情況では、南雲長官の決定は正当であった」と草鹿は著者とのインタユーで述べている。』

驚くべき正当化である。敵空母が発見される可能性が残されている限り、雷装を備えておくことは必須である。思えばこういう屁理屈がまかり通るように、小松輝久が哨戒網を遅延させ敵空母をスルーさせていたのである。

『南雲のこの決定はその後に激しい批判の的となった。高い外野席からの結果論からいば、南雲のこの決定は重大なミステークであったと思う読者は、きわめて多いかもしれない。が、筆者は、草鹿や源田と同じく、当時の情況からして、南雲の決定は妥当なものであったと信ずるものである。ミッドエ―を攻撃した友永が再攻撃の必要があると意見を具申したこと、ミッドウエ―基地の航空部隊がまだ攻撃を続けていること、彼がもっとも信頼している源田が同意したこと、南雲は彼自身の常識に基づいて決定を下したからえる。しかも、その前日に東京から「わが企図画的に察知された兆候全くなし」という電報を受信していたのである。』

私は南雲の重大なミステークだとは思わない。南雲に第二次攻撃を決定させたわずか十三分後に索敵機から敵空母発見の報告が入ったと言って混乱させ、源田が『同意』したからだと思う。南雲は彼自身の常識に基づいて決定を下したとは思わない。源田が傍らで脅しすかしていたと思う。プランゲが『南雲の決定』を肯定するのはヤラセを正当化するためである。完璧主義者のプランゲとしてはさぞかし苦痛だったことだろう。

『「長官も幕僚も足をすくわれたように感じた。同時に、情況をどう判断してよいかわからなかった」と源田は回想している。参謀長の草鹿は報告された海域に空母を伴わない敵部隊がいることはあり得ない、空母がどこかにいるに違いない、と思った。と同時に、彼はミッドウエ―に対する第二次攻撃をどうしたら取り消すことができるか、思いつかなかった。というのは、“敵らしきもの見ゆ”だけでは、ミッドウエ―に第二次攻撃をかけるという先の決定を変更するには不十分であったからであった。また、草鹿は出撃前に“二兎を追う”問題で口論し、ミッドウエ―攻撃が第一優先と言われたことが、その念頭から去らなかった。』

目前に迫った危機よりも、こんなことを念頭に置いて屁理屈をこねているボケ参謀が、ヤラセ以外にどこにいるのか。こんな言い訳を書くプランゲもプランゲである。草鹿とプランゲはインタビューと称して共謀しているのである。

『そして午前七時四十五分、南雲は全部隊に対して次の命令を出した。「敵艦隊に対する攻撃を準備すべし。爆装に転換をいまだ終わらざる雷撃機の兵装はそのままとせよ」その時点までには、赤城と加賀の雷撃隊の魚雷から爆弾への兵装転換は、ほぼ半分完成していた。兵装の転換を終わった爆撃機はふたたび甲板に掲げられ、その数は量感とも十機程度に達していた。もちろん、そのままの兵装で敵艦隊に対して爆撃を加えることは可能であったが、雷撃の方がはるかに正確であり、その破壊効果も大きかった。そのような時間との戦いのさ中に、兵装の転換の指令が出されたのであった。南雲の書く母艦はそのために大混乱に陥っていた。その大混乱を増幅するかのように、南雲部隊に対するミッドウエ―からの再度の攻撃が始まった。』

爆撃効果の問題以前に、このような大混乱を起こさせないことの方がよほど重大である。

大混乱の戦闘模様を『太平洋戦争 陸海軍航空隊』成美堂出版より抜粋する。


『敵は二波に分かれて来襲した。第一波が去った直後に、上空警戒機(零戦34機)の約半数が着艦して燃料と弾薬の補給を行っており、第二波の来襲とともに各母艦で使用できる戦闘機の全部が発進したほか、ミッドウエ―島攻撃を終えて母艦上空に帰ってきた零戦も戦闘に加わった。』

第二波来襲にゼロ戦を全て投入したのである

『この間、各母艦の格納庫内では艦攻の兵装を雷装から爆装へ、そしてふたたび雷装へと変更する作業が繰り返されていた。』

戦闘機を全て使って応戦している緊急事態において、爆撃機はというと格納庫で兵装転換させていたのである。見え見えのシナリオである。

『これは南雲第一機動隊長官が、敵機動部隊の出現に備えて魚雷を搭載していたものを、ミッドウエ―島の第二次攻撃を行うため爆弾に変更したが、その途中で敵機動部隊発見の報告が入ったため、再度、魚雷に積み替えることを命じたためで、魚雷と爆弾の積み替えは普通でも時間がかかるうえに上空警戒機の発着のため飛行甲板は使用できず格納庫で行われたことや、敵の空襲という悪条件が重なったため作業は進捗しなかった。この不手際が索敵のミスなどとともにミッドウエー海戦の敗因につながったことは、しばしば指摘されているとおりである。』

『この不手際』の内訳をもう一度確認してみよう。

@友永大尉の第二次攻撃の意見具申を受けて再度攻撃を決定する。

A索敵機からの報告を待たずに爆装を陸上攻撃用に転装させる。

Bその13分後に索敵機から報告があり衝撃を受ける。

Cしかし艦の種類が判明しないという屁理屈をこねて転装を続行させる。

Dついに敵空母であることが判明して大恐慌をきたす。

Eしかし爆撃機を即時発艦させず転装を続けさせる。

F敵の第一波が来襲する。

G日本側はすべてのゼロ戦が応戦する。

Gその間隙を突いて敵の第二波が来襲する。

Hこれに対する迎撃は何もしないようにする。

Iたった二発の命中で全てのかたがつくのを見守る。

再度プランゲの前掲書抜粋に戻る。プランゲのコジツケと草鹿の韜晦に注目されたい。彼らの本性が剝き出しになっている。

『「敵はその後方に空母らしきものを伴う。」午前八時二十分に第四索敵線の利根機が打電してこの上告は、その朝に投下されたいかなる爆弾よりも大きな衝撃を、日本の関係者に与えた。「そのような可能性を考えないではなかったが、私は心底ショックを受けた」と草鹿は回想している。』

私は草鹿隆之介に言いたい。あなたは南雲長官の参謀長なのだ。何千人もの兵士の命を預かる責任ある立場である。心底ショックを受けたなどと文学的修辞で済むような場面ではない。あなたの口からは自己正当化のための言い訳と責任転嫁の言葉しか出てこない。せめて口をつぐんでいられないのか。このような読むに堪えない恥知らずなインタビューをどうしてできるのか。

『「一瞬は長官もショックを受けられたに違いないが、誰でもそのような思いがけない場面に直面すれば、一瞬はショックを受けるであろう」と草鹿は述べている。利根機による空母らしきもの発見の電報の受信と、友永隊が同時に帰還したことは、南雲の意思決定の選択をこれ以上なく困難なものにすることになった。敵の空母部隊を攻撃することについては、何も問題はなかった。この点に関する限り、南雲のなすべきことは明々白々であったが、問題はどうやってやるかであった。』

何も問題はなかった。草鹿参謀長が、パニックになっている南雲に対して現装備のまま即時攻撃するべきことを進言すれば。兵装転換を命令した13分後に敵空母発見の情報を入れてパニックにさせた南雲を、源田とグルになって脅し、めちゃくちゃな命令系統を出させることが草鹿参謀長に与えられた任務である。

『その時、第二航空戦隊司令官の山口は、駆逐艦野分を中継して、「即刻攻撃隊を発艦せしむるを可と認む」と赤城に信号してきた。それは余計なおせっかいと言うべきであった。南雲が彼の意見を必要とするなら、すでに求めていたであろうからであった。』

プランゲはミッドウエー海戦の詐欺犯罪を粉飾するために本書を書いているのだから、山口の具申が至当であることを認める訳にはいかないのである。山口はこの後もプランゲの不当な攻撃を受け続ける。

『山口はどちらかと言えばせっかちの性格で、早く敵と一戦を交えたいと燃え上がっていた。さらに彼は南雲と肌が合わず、山内の級友であり連合艦隊参謀長であった宇垣が、「第一航空艦隊司令部は誰が握りいるや」と山口に質問したのに対して、「長官は一言も言わぬ、参謀長、先任参謀等どちらがどちらか知らぬが臆病者揃いである」と答えた、と宇垣はその日記に書いていたほどであった。』

プランゲは宇垣纏の日記『戦藻録』に誰よりも早く注目して翻訳権を入手し、千早正隆が翻訳している。前述したように宇垣も勅令を受けた工作人の一人である。連合艦隊先任参謀の黒島亀人は、宇垣の遺族からこの日記を借りて、山本五十六が暗殺された前後の三か月分ほどを破り捨てている。「どこかにいってしまった」と言って遺族に日記を返してきたそうだ。そういう黒島亀人が唯一応じたのが、このプランゲのインタビューである。プランゲは黒島から破り捨てたページの内容を聞き取っているだろう。

『南雲してはそのような意見具申を必要としていなかった。真珠湾の勝利者である彼以上に航空攻撃の奇襲性を迅速性の価値を認識している者はいなかったと言ってよい。』

プランゲは宇垣の日記を重視しているのにもかかわらず、宇垣の記述と正反対の見解を述べている。ヤラセの核心に近づくにつれ、プランゲの文章がだんだん副島隆彦化していきつつあるのがお分かりだろうか。晴れときどき曇り、のち雨、ところによっては霰、雹、もしかしてブリザードか竜巻になるでしょう・・・。かなり恣意的な文章になっている。

『その戦闘機の問題については、草鹿は次のように考えていた。「私は攻撃隊をすぐ発艦させよとの(山口)の意見には、全面的に反対ではなかったが、戦闘機の掩護なしでも攻撃に出せとの意見には反対であった。なぜなら、戦闘機を伴わない攻撃隊がわが戦闘機によってほとんど全滅させられていたことは、現に目撃した通りであったから、私は攻撃隊にはどんなことをしても、戦闘機をつけたいと思った」と彼は述べている。』

私はここに『運命の五分間』を演出した真犯人の一人が語られていると思う。敵側は掩護をつけないまま急襲してきているのである。それに対して草鹿隆之介は『どんなことをしても攻撃隊には、戦闘機をつけたいと思った』という。これが即時発艦させなかった理由だという。類を見ないほど馬鹿げたコジツケである。結果、発艦を待機させられた甲板上の爆撃機の群れに、掩護機を伴わない敵爆撃機が急降下爆撃をして、甲板は手が付けられないほど炎上し、かけがえのない熟練航空兵の半分と整備兵の大半、及び千名近い機関科兵が地獄の業火に包まれ焼死した。草鹿隆之介は第一航空艦隊参謀長でありながら、敵側に味方の兵を処刑させたのである。それが勅令だったからだ。

『そればかりでなく、戦闘機を伴わない攻撃は無意味であるとの草鹿の意見に、同感であった源田は、南雲と草鹿に対して、第一次攻撃を収容した後で、敵に対する攻撃隊を発艦するよう進言した。燃料がなくなりかけていた第一次攻撃隊の機を収容するため、すでに飛行甲板に並べられていた水平爆撃機は急いで格納庫に降ろされ、その兵装をふたたび魚雷に取り換えられた。』

ここに敵の急降下爆撃を受けるまで、何としても味方爆撃機を発艦させないという草鹿と源田実の意思を感じる。

『これらの切迫した状況下で、南雲は、シェークスピアのハムレットのように、橋の上で右するか左するか考える余裕もなかった。源田も、「南雲長官はすぐ決断した」と述べている。利根機の電報を受信してから間髪を入れず、南雲は次の命令を下した。「艦上爆撃機は第二次攻撃(注 ミッドウエ―島攻撃)に備えよ。二百キロ爆弾を装備とせよ」「また兵装転換だ」と普段はおとなしい赤城の飛行長の益田中佐も大声を上げた。「これではまるで兵装転換の競技をさせられているようなものだ」と。』

南雲の言動は、草鹿と源田の著書やインタビューによるものである。私は彼らが死人に口なしで創作していると思う。南雲はサイパンで複数の士官に山に連れ去られ、彼らの幇助で『自害』させられている。南雲が生きて証言していたら、ヤラセが判明するような草鹿と源田の言動が明らかにされたからである。

『一方、各母艦の格納庫では半袖、半ズボンの防暑服を着た整備員が、汗まみれになって、爆撃機から八百キロ爆弾を降ろしていた。機から降ろした爆弾は、それを下の弾薬庫に降ろす時間がないので、格納庫の側面に仮に積み上げられていた。』

かくして大混乱の中、味方空母を撃沈するに十分な八百キロ爆弾が積み上げられたのである。

『大和の連合艦隊司令部は、これらの電報を受信して、情況の推移をかなりよくつかんでいた。彼らはアメリカの空母が南雲部隊の攻撃圏内にいるということについて、少しも心配していなかった。その瞬間まで山本およびそのスタッフは、アメリカの空母がミッドウエ―の北方の海域に作戦しているという情報は何ら得ていなかったのにもかかわらず、このような無責任の反応は、むしろ唖然となるばかりである。そればかりでなく、それは、彼らの作戦の大甘の予想に反して敵が出現いたという機微さ良い現実に、目を閉じたことを示すものであった。』

大甘の予想をしていないからこそ、敵艦隊の動向を掴むために小松輝久に三重の哨戒網を展開させたのである。もちろん小松輝久は哨戒の予定日を四日も遅延させ、敵艦隊を無事にスルーさせてあげたことを報告していない。小松輝久は田布施村王朝の皇后の従弟であることは前述した通りである。プランゲはさらに黒島と共謀して、山本五十六の言動を捏造している。

『「アメリカ艦隊を速やかに攻撃せよと南雲に命令すべきだ、と思うが、君はどう思うか」と山本は黒島に訊ねた。その山本の問いに対して、黒島は「南雲長官はその攻撃兵力の半数をアメリカ空母部隊に対して準備しておりますから、すでに攻撃を準備中だと思います」と答えた。そこで山本はその提案を引っ込めた。黒島はその死にいたるまで彼の責任を痛感していた。黒島が山本長官の意見に同意して、山本長官の名前で出された命令は、南雲にすぐ攻撃をさせるようになったかもしれない。「南雲長官が、連合艦隊司令部が望んでいたように動かなかったのは、私の責任である」と黒島は嘆いた。「ミッドウエ―作戦の第一目的は、アメリカ空母隊を叩くことである」ことを、南雲は十分に理解し、それに対して十分な対抗策を講じている、と黒島は思っていた(訳者注=以上の会話や所見は、黒島が一九六四年に著者とのインタビューで述べたものである)。が、それは黒島の思い違いである。4章で見たように、黒島はミッドウエ―の攻略が作戦の第一目的であると明らかにしていたのである。南雲の機動部隊はそれにもとづいて判断して行動して、初め雷装から爆装に取り換える決定を下したのである。南雲の攻撃が遅れたのは、アメリカ空母部隊を攻撃することを渋っていたからではなくて、十分な兵力で効果ある攻撃をかけようと思っていたからであった。』

黒島による山本五十六とのやり取りの証言は偽証である。黒島の自己申告は、いかにも信憑性があるように見せかけるためのものである。案の定、プランゲは優しく黒島を庇ってあげて、南雲は(つまり草鹿や源田は)当然のことをしたのだという結論に導いている。当然のことをした結果、どのような事態が引き起こされたかを見てみよう。

『その瞬間に加賀の見張りが「急降下」と叫んだ。それを見た同艦の飛行長天谷孝久中佐(海兵51期)はそのプロ的な感覚から、雲を利用し太陽を背にして突っ込んでくる、これは相当なものだと感じた。一方、赤城の艦上では準備の出来上がった第二次攻撃隊の発艦がまさに始まろうとしていた。飛行長の増田は白旗を振り、戦闘のゼロ戦は飛行甲板を走り始めた。その瞬間であった。見張りは「急降下」と叫んだ。それを聞いた淵田が見阿ガエルと、敵の艦爆三機が矢のように艦橋に向かって突っ込んでくるのが見えた。彼は弾除けに装備されていたマントレットの陰に身を伏せた。』

それまでは使い捨ての囮として、『指揮官は彼らが滑走路を離れた瞬間に死んだものと思うべきである』というような特攻をさせていたアメリカは、詐欺犯罪のクライマックスにとっておきの手練れを投入したのである。共同演出者の淵田は安全な避難場所から一部始終を眺めていた。広島原爆投下の時も同様であった。

『源田がまだ事態を楽観していたのは、理由のないことではなかった。普通の状態ならば、二発の被弾を受けただけで、致命的な損害になるようなことはなかっただろうからであった。が、加賀と赤城が被弾を受けた時、両艦の状態は普通ではなかった。両艦の飛行甲板には燃料を満載し、魚雷または爆弾を装備した航空機が翼を連ねて並び、その下の格納庫にも同様の状態の機が飛行甲板に揚げられるのを待っていた。なお悪いことには、先に攻撃機から取りはずした爆弾が、まだ格納庫内に裸になって残っていた。航空機のガソリンが燃え、搭載した魚雷、爆弾が誘爆し、さらにそれが格納庫内の爆弾を誘爆し、赤城は間もなく、草鹿の言によれば、“燃えさかる地獄”と化することになるのであった。』

南雲はかたくなに赤城を退艦することを拒んだが、草鹿が『飛龍』に移って戦闘指揮を続行するべきだと説いて駆逐艦に避難させ、そのまま大和に連行した。南雲に死なれては参謀長の草鹿も生き恥を晒すわけにいかない。もちろん淵田も源田も一緒に避難した。淵田は『搭乗員が全員退艦するままで退艦する予定になっていなかったが、そのような状態ではどうしようもなかった』。『同じ頃、源田の従兵をしていた水兵が駆けつけてきて、彼に彼の印判と預金通帳を手渡した。火災を冒して源田の部屋から取り出してきたものらしかった』。よくも源田はこれを受け取って避難したと思う。

『日本側の記録によれば、蒼龍は、午前十時二十五分から左舷側に整然と並んだ飛行機の列の中に直撃弾三発の命中を受け、そのため飛行甲板は火の海となり、次いで爆弾および魚雷格納庫、弾薬庫、ガソリン貯蔵庫が誘爆した、としている。全艦がすぐ火に包まれた。蒼龍の艦上では誰ももう長く生きのびられないのは、明らかであった。第一弾が命中してから三十分後に、柳本艦長は「総員退去」を命じた。かつてスマートでその威容を誇った蒼龍は、僅か三十分で、焼け落ちた火葬場と化していた。艦長が見当たらないので、乗員が探し求めると、彼はまだ信号台に立って、下にいる生存者を励まし、「バンザイ」を叫んでいた。』

『アメリカの急降下爆撃隊は、それより前の数波にわたる攻撃が三時間かかってもできなかったことを、わずか三分で達成したのであった。この驚嘆すべき大勝利の原因としては、次の三つのことが考えられるであろう。その一つは、マッククラスキイが臨機応変にその索敵を続けたことであり、その二は、たくまざる協同でエンタープライズとヨークタウンの漢学隊がほとんど同時に目標上に殺到したことであった。第三は、日本のゼロ戦が先行した雷撃隊への対応に追われて低空にいたことだった。』

完璧主義者プランゲよ、自分で書いていて空しくないのか。誇らしげに掲げて見せる三つの要素が、アメリカの勝因でないことを百も承知しているのは誰よりもあなた自身だ。そのような要因が全部完遂されても、依然として連合艦隊は勝利していたことは明らかである。アメリカが勝利したのは、空母が索敵機に発見されたにも拘わらず、その後二時間以上にわたって日本側の爆撃機が兵装転換し、さあどうぞとばかりに火薬庫のような状態にしてくれたところに、急降下爆撃して数発で命中で全てを吹っ飛ばすことが出来たこと以外にない。この詐欺犯罪に対して雪辱戦をただ一人挑んだ指揮官山口を、プランゲは徹底的に攻撃する。

『山口はすぐ「全機今より発進、敵空母を撃滅せんとす」と信号で返答した。情況は向こう気の強い山口の描いたシナリオにぴったりであった。それは不敵にも第一航空艦隊に手をかけてきたアメリカ機動部隊に対して仇討の痛打を加えて、局面を逆転させ、独力でミッドウエ―作戦を復活させて、それまでの敗戦の責任を負う南雲に顔色をなくささせよう、というのであった。このメロドラマ的な構想は、山口の性格にこれ以上なくぴったりとしていた。』

山口はプランゲのヒステリーの八つ当たりを受けているのである。『現装備のまま即時攻撃』することの正当性を実証してしまった山口が、あの手この手を使って詐欺犯罪を正当化しようとしたプランゲの努力をブチこわしたからである。

『山口と艦長の加来は、艦橋で出撃する搭乗員のすべてと握手し、短い言葉を述べていた。そばにいた機関参謀の久馬武勇少佐(海機38期)によれば、それは「君たちだけを死なりたりはしない」という意味合いであった。久馬が見ていると、出撃する隊長の小林道雄大尉(海兵63期)が歯をガタガタ鳴らしていた。それは明らかに、死を賭してもその任務を遂行するという彼の固い決意の表れであった。「私はそのような感動的なシーンを見たことはかつてなかった」と彼は回想している。』

いわゆる武者震いである。本当にそういう状態になると私も読んだことがある。

 

『山口は雷撃機の準備のできるのを待って攻撃を遅らすより、現有の兵力でできるだけ早く攻撃をかける途を選んだのであった。この山口の阿部(注 第八航空艦隊の指揮を一時的に引きついでいた)に対する要請には次の二つの点できわめて興味がある。(二つともくだらないイチャモンなので第一は略して第二だけ以下に抜粋する)第二は、山口の語調には、先任序列に関係なく、命令口調の影が見られることである。その当時に彼がいかにいらいらし、かつ野心に燃えていたかを示すものと言えよう。』

山口にどんな野心を持つ余地があるというのだ。彼は死を賭して部下に命令をしているだけではないか。そこにあるのは部下と運命を共にするのでなければとても命令できない、必死の逆襲への壮絶な覚悟があるだけである。だから部下たちは山口の命令を受けて武者震いし、生還を帰さずに突っ込んでいったのだ。

『友永機はミッドウエ―攻撃の時に、その左翼の燃料タンクに被弾していたが、その修理はまだ終わっていなかった。半分の燃料では帰る燃料に事欠くであろうことは明らかであったが、友永は乗機を換えようとの部下たちの再三に申し出を断り、被弾機で出撃する決心を変えなかった。友永はどちらかと言えば孤高の男であり、その考えなり感情を他人に打ち明けるようなことはしなかった。が。友永をよく理解し、かつ尊敬してやまない橋口は、友永のミッドウエ―に対する再攻撃の進言が、間接的に大災害を生んだことに対して、彼がその責任を痛感したのではないかという強い印象を受けたとしている。また、橋口はそのような責任を感ぜずに死地に赴いた友永の隊員の心情を思うと、その胸に突きささるものを覚えた。』

友永による第二次攻撃の進言自体がガセである。よって第二次攻撃の進言が大災害を間接的に引き起こしたというのは、責任転嫁もはなはだしいプロパガンダである。これは氷山の一角に過ぎない。プランゲは厖大な史料を恣意的に用いることで、詐欺犯罪を『ミッドウエ-の奇跡』と形容する欺瞞の書を完成させたのである。

黒島亀人の臨終の言葉は「飛行機が南の空に飛んで行く」だという。南の空へ飛んで行く五十六を乗せた飛行機が待ち伏せ攻撃をされた後、太平洋戦争は様相を一変する。早期講和のシナリオは完全に握りつぶされ、黒島は学徒出陣した若者を狙い撃ちにする特攻兵器を次々に考案していく。東京大空襲を皮切りに非戦闘員のジェノサイドが始まり、原爆投下で大団円を迎える。だからこそ五十六暗殺直後に、日米間のヤラセの連絡係りを務めていた白洲朗次郎は、家族だけ連れて鶴川村に疎開したのである。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/226.html

記事 [カルト9] 山本五十六の真実L  『美和日記』 & 『70年目の真実』
三和義勇のプロパガンダ日記と、近江兵治郎の『70年目の真実』を検証する。

先ず近江兵治郎から。

元連合艦隊司令部従兵長近江兵治郎著『連合艦隊司令長官山本五十六とその参謀たち』
(株)TISより

『日ごろの名提督である山本長官の口から漏れた、こんな独り言を耳にしてしまったことがある。「南雲の水雷屋が」』

『山本、南雲両提督の間には、ひとつの溝があった。』

『第一航空艦隊司令長官南雲中将は、連合艦隊司令長官山本五十六大将の直属であるが、かつて山本長官の盟友、堀悌吉中将を予備役に退けた張本人の一人であったと聞く。山も皮肉な巡り合わせであった。』

『両提督は、海軍の派閥上相容れない宿命にあった』

近江兵治郎は山本五十六と南雲忠一が険悪な関係にあったかのように証言しているが、実際は山本五十六が腹の底を割って話せた相手は唯一南雲忠一である。しかし近江兵治郎は五十六と南雲の意志の疎通を欠いた関係が、真珠湾攻撃の手抜きとミッドウエー海戦の敗北の原因であるかのように暗示している。実際は真珠湾攻撃の手抜きもミッドウエー海戦の惨敗も、勅令によるものである。

『山本長官は、予定された第一波、第二波の「第一次攻撃」に続き、南雲部隊から「第二次攻撃」隊を発進させ、より徹底的に真珠湾を叩きたい意向を持っていることが、その様子から察せられた。しかしそれとは裏腹な意味の独り言が、長官の口から漏れるのを私は耳にしている。「南雲は一回で引き返してくるだろう」 それは、いかにもぞんざいな言い回しであった。』

『カーテン一枚隔てたところで控えていた私には、その激論の一言一句が耳に入ってきた。少しでもその場の雰囲気をやわらげようと思った私は、熱いお茶と菓子をお出しするよう、部下の従兵に指示した。参謀たちの意見はまとまらないまま、時が過ぎて行った。長官が断を下したのは、真夜中の十二時頃のことと記憶する。「帰ろう」その一言ですべては決まった。昭和十六年十二月九日、旗艦「長門」の戦闘艦橋の真下の狭い作戦室での山本司令長官が発した「帰ろう」の一言。誰にも語られずに六十年の時を経たこの言葉を、歴史の事実としてここに書き留めておきたいと思う。』

当時を知る人間は、ついに近江兵治郎たった一人になったのだ。今こそ『歴史の事実』を書き留めるチャンスである。真珠湾攻撃の手抜きについては、念入りに言及しておく必要がある。それにしても敬語の使い方がおかしい。ライターはかなり若い世代なのか。

『山本長官は、なぜ真珠湾を徹底攻撃させなかったのか ・・・山本長官は、旗艦「長門」の艦橋で、ぞんざいな口調で「南雲は帰ってくるだろう」こんなことを口走った。私はこの言葉を、長官付として勤務中に耳にしたが、その意味は「第二次攻撃をせずに戻ってくるだろう」というものだ。側役の従兵長だけが知る、大事な一言であった。』

内務省から海軍主計に出向、戦後は衆議院に打って出た若手議員中曽根康弘が、吉田内閣の下で原発予算案を通過させ、原発マフィア第二号として原発利権に食い込んでいく経緯には、山本五十六暗殺の功績がある。この当時、五十六はかつての部下である本多井吉の案内でラバウルにいる。

元海軍大佐本多井吉著(遺稿)『山本元帥と私』より抜粋。

『第二次大戦中の、昭和十八年四月三日、連合艦隊司令長官として将旗をトラック島在泊の旗艦武蔵から、ラボール(注 ラバウルのこと)に一時移揚された時、私は、南投方面艦隊兼第十一航空艦隊機関長として、ラボールの同司令部勤務中、同棟に十四日間、起居を共にする僥倖に恵まれたが、長官は、同月十八日、ラボールから最前線のブインに行かれるとき、機上戦死された。同日、ラボールでお見送りしたのが、はしなくも謂わば、四回目が悲しき最後のお別れとなった。同じ勤務場所でそれぞれ何年か経過して、三年目にお仕えできたこと、そして最後のお別れまでしたことは、人事の偶然の回り合わせとは言いながら、全く奇しき縁と思う。』

藤井茂渉外参謀は、4月に替えたばかりの新しい暗号ではなく、すでに解読されている旧暗号を使ってトラック島に碇泊中の武蔵より打電する。13日にラバウルから新暗号で打電した日程はアメリカが解読できなかったため、急遽15日の予定を18日に延期して、武蔵にいる藤井茂に旧暗号で打電させたのである。藤井茂は五十六が殺害された後、「今より長官室には全ての人間を立ち入り禁止にして、遺品を調べて内容のリストを作って私に報告せよ」と近江兵治郎に命じる。この勅令を藤井茂に命令したのは、秘密工作のために海軍に出向していた中曽根康弘である。彼は当時から吉田お気に入りのコネクションである。

近江兵治郎の続き。

『再び「南雲は帰って来るだろう」 』

『私は戦闘中、長官付きとしてそのお側にいる配置だったため、すべての発言を聞き及んでいた。六十年後の今日、こんなことを書き記すのも、今なお浮かぶ長官の思い出を、改めて歴史の一頁に書き残したいがためである。』

『「ほう、またやられたか」 将棋盤に向かいながらそうつぶやいた山本長官が、こんなことも口にされたのを記憶している「南雲は帰ってくるだろう」 状況こそ違え、真珠湾攻撃の時と同じ言葉である。真珠湾攻撃の時には山本長官の言った通り、南雲中将は第二次攻撃を行わずに帰途についた。今度もまた長官は、南雲中将は帰ってくると言うのだ。果たして南雲中将は、山本長官の言った通り「帰って」きた。』

五十六は戦闘中、勅令で拘束されている。将棋を指しながら「ほう、またやられたか」「南雲は帰ってくるよ」と言える状況下にはない。燃える溶鉱炉と化した赤城から南雲を引きずるようにして帰ってきたのは、源田実、草鹿隆之介、淵田美津雄らである。南雲に赤城と運命を共にされては、参謀長の草鹿も航空参謀の源田もおめおめと生き恥を晒すわけにはいかなくなる。責任逃れのために源田実は『肺炎』に罹っていたし、淵田美津雄に至っては『盲腸炎』で『緊急手術』したことになっていた。真珠湾攻撃の時は攻撃隊長になって上空の安全圏から指揮を執っていた淵田であるが、ミッドウエー海戦の『惨敗』のシナリオでは戦闘機に乗ると落命する恐れがある。仮病を使って病室にいたが、撃沈されるシナリオなので病室から密かに甲板上に抜け出し、物陰から敵の急降下爆撃を見学していたのである。淵田美津雄は広島原爆投下でも、同じような役回りを演じている。これは鬼塚英昭氏が『昭和天皇は知っていた 原爆の秘密 国内編』に、詳細を書かれている。


近江兵治郎前掲書より

『両提督の対面は、宇垣、草鹿の両参謀の列席もなく、二人だけで行われた。南雲長官は、山本長官に泣いて非を詫びていた。これも従兵長として、もっとも近くで耳に留めた出来事である。』

『山本長官には、親友、堀中将を予備役に編入した張本人の一人であるという南雲長官を潔しとされなかったところがあったようだ。しかし、このミッドウエ―の攻略戦は、山本司令長官みずからの計画であった。』

『長官の将棋好き  艦隊の入港時でもちょっとした暇があると一局始められたので、この兵棋図盤は長官のおもむくところいつでも目に付く場所に備え置くことに心掛けていた。戦前は、長官が視察に出られる際などにも長官艇に積込み、楽しんでいただいた。これも従兵長の心配りであった。』

『山本長官は、食後の雑談の際などには、こんなことを口にされることもあった。「将棋を指した数など、木村君より僕の方が遥かに多いだろう」 木村君とは、当時将棋の名人位を獲得された木村義雄氏のことである。山本長官は、日ごろ軍人として、とくに司令長官として無口な方のようだった。しかし、将棋を指す時などは、冗談を言いながら、参謀たちをからかっていた。』

五十六は厳然と公私の別を区別して勤務に精励していた。勤務中の合間に暇を惜しんでは将棋を指すわけがない。戦闘中に将棋を指して気を紛らしたというプロパガンダなど言語道断である。

近江兵治郎前掲書より

『司令部参謀はまた、絶対な勝算を見込み、長閑であった。五月の太平洋は、波また静かにして七万トンの大和は浮かぶ城そのものであった。ハワイ作戦のような緊張した空気は無く、山本長官みずから兵棋図盤と呼んでいた将棋盤を引出し、渡辺戦務参謀をからかいながら一番始められた。顔色を変えた司令部暗号長が、電報持参で入ってきたのはこの時である。暗号長は、解読した暗号文を急ぎ読み上げた。「赤城被爆大にして総員退去」 暗号長は報告を終えると、いったんは元来た方へそのまま戻っていったが、しばらくすると再び報告に走って来た。今度は加賀の悲報が伝えられた。この時山本長官は、少しも動ずること無く、泰然自若とした姿であった。「ほう、またやられたか」長官の口から発せられたのは、その一言であった。戦務参謀との将棋を指す手は止まっていなかった。この将棋の件は世間では、知られていないことである。また、既にこの現場を目撃した者は、もう日本国中探しても私近江一人だけとなっている。』

近江兵治郎は平成21年7月18日に山本元帥景仰会から出版された『山本五十六の「覚悟」』の中でも、まったく同一のことを何とかの一つ覚えのように述べている。同会が特別協賛した半藤一利原作のお正月映画『連合艦隊司令長官山本五十六』も、この近江兵治郎のガセネタを取り入れ、『70年目の真実』という触れ込みでミッドウエ―海戦のクライマックスを描いている。五十六役の役所広司は、三和と渡辺の合体した人物『三宅参謀』役の吉田栄作と将棋を指し続け、赤城、加賀が爆撃されると「ほう、またやられたか」と呟いて一手指す。役所が迫真の演技をするので、観る者を納得させてしまっている。

五十六の評伝を書いた工藤美代子も、近江兵治郎のこのガセネタを信じ切っている。

工藤美代子著『山本五十六の生涯 海燃ゆ』講談社より

『五十六が将棋を一番さし始めたとき、顔色を変えた司令部暗号長が電報を持って飛び込んで来て、翻訳した暗号を急いで読み上げた。「赤城、被爆大にして総員退去」そう報告すると帰って行った。五十六は唇をぎゅっと結んで、ひと言「うむ」といったとある。いったんもと来た方へ戻って行った暗号長は、しばらくすると再び報告に走って来た。そして今度は加賀の悲報が伝えられた。このとき、五十六は少しも動ずる様子はなく、泰然自若とした姿だった。「ほう、またやられたか」というのが五十六の発した言葉だった。手のほうは、相変わらず戦務参謀と将棋を指していた。「この将棋の件は、世間では知られていないことである。また既にこの現場を目撃した者は、もう日本国中探しても 私近江一人だけとなっている」このように書く近江の言葉の信憑性は高いと考えてよいだろう。「この時の山本長官の気持ち、そして将棋の相手の戦務参謀の気持ちは何程か苦しいものであったろうか」と、近江は五十六の心中を察している。日本の空母が次々と撃沈される電報が入って来たとき、五十六は「黙然として常の通り正しい姿勢」で、最後の対策を検討していたというのは藤井参謀である。』

このように書く近江の言葉のウサン臭さは相当なものだと考えてよいだろう。(前述したように藤井茂も勅令で動いていた一人)

工藤美代子前掲書より

『戦闘の間、近江は長官付として、五十六の側にずっといたため、幾つか忘れられない言葉を記憶している。将棋を指しながらの「ほう、またやられたか」もそうだが、「南雲は帰ってくるだろう」という言葉も口にしたという。これは真珠湾攻撃のときとほとんど同じ言葉だった。第一次攻撃に続き、第二次攻撃を期待されていた南雲に対し、五十六は「南雲は真っ直ぐ帰るよ」と、いかにもぞんざいな口調でつぶやいた。それを近江は、しっかりと記憶していた。そしてまた今、五十六は同じことを独り言のようにいったのである。』

『南雲は帰ってくるよ』『水雷屋が・・・』はガセネタである。山本五十六が一番信頼して本当のことを言えるのは、南雲忠一ただ一人である。五十六と南雲の手の届かないところで、真珠湾攻撃の手抜きは既定の筋書きとされている。南雲が五十六の親友堀悌吉を予備役に追いやる策略に加担したというのも、事実無根である。

戦果を当てっこしてビールを賭けたという逸話も有名だが、これは1938年に勅令を受けて偽証を綴るようになった三和義勇によるものである。通称『三和日記』がいかにして世に出たかの経緯を明らかにした本が、田布施王朝御用達のPR係文芸春秋から昨年の暮れに刊行されている。以下に抜粋する。

三和多美『海軍の家族 山本五十六元帥と父三和義勇と私たち』文芸春秋

2011年12月10日初版より以下抜粋。

『ある年の八月二日、千早正隆氏(テニアンで戦死された千早猛彦少佐の兄君)にお会いした。初めてお会いしたのだが、「三和日記を読ませていただきました」とご挨拶された。この方が、ゴードン・プランゲの『ミッドウエ―の奇跡』を訳された方だとは知らなかった。』

千早正隆はGHQ戦史室長のゴードン・プランゲと、二十年の長きにわたって二人三脚を組んだ人物である。千早はプランゲのプロパガンダ決定本の助手と翻訳を手掛けた他に、自らも海軍を貶めるプロパガンダ本を書いている。プランゲの聞き取り(注 聞き取りという形式を踏まえた共謀)に協力した源田実と淵田美津雄も、それぞれプロパガンダ本を書いている。淵田美津雄は奥宮正武と組んで、ミッドウエー海戦のヤラセを正当化するプロパガンダ本も書いている。ちなみに源田実はミッドウエー海戦惨敗の本当の主役である。淵田美津雄は残酷なトリックスターである。淵田は用済みとなった三和義勇を、死地テニアンに送り込む死神の役目も果たしている。

『なぜ千早氏が「三和日記」などとおっしゃったのだろう。お付き合いのない方なのになぜ父が日記を書いていたことをご存知なのだろう。調べたら父の日記は私が知らない間に防衛省防衛研究所の図書館史料室に昭和十五年、十七年、十八年のコピーがあることがわかった。母がこれをお貸しして史料室がコピーをとったのだ。それを見たい人が閲覧することが出来たのだ。』

つまり防衛省防衛研究所は、ガセネタで国防を研究しているということである。

『ゴードン・プランゲは父の日記を詳細に読み、その著書に引用していた。プランゲばかりではなく半藤一利氏も『遠い島ガダルカナル』に父の日記を大いに引用している。気をつけていると、ある新聞社がほんの数行引用しているのを見たり、いつの間にか「三和日記」があちらこちらに出回っているのに驚いた。』

三和義勇の情感豊かな文才ゆえだと思うが、たった一人の偽証がかくも人口に膾炙したのだ。

『日記にも色々な種類がある。宇垣纏中将は太平洋戦争が始まる二ケ月前から、この戦いを記録すべく日記「戦藻録」をつけ始め、敗戦の日、多くの特攻を送った責めを負って、特攻の基地鹿屋から艦上爆撃機「彗星」に乗って、沖縄の敵艦隊に突っ込んではたる日まで一日も欠かさずきちんとつけられている。全十五巻、第一級資料として広く読まれている。書くことが好きで戦前から書いていた父の日記とは少し違う。』

宇垣纏と三和義勇は少し違う。勅令で書き始めた時期が少し違う。しかしプロパガンダの第一級資料にするために、重要なポイントでガセネタを書かされていた点では大同小異である。

『動機が違うが父は前線で戦うことが多かったから父の日記も自ずから「戦争日記」になっている。父が作戦参謀として長門に乗った時、宇垣中将は参謀長として山本長官のすぐ下におられた方だ。同じ艦上で勤務していたのだが、二人の日記には、中将と大佐、建前と本音の違いがあるのは否めないのではないか。』

二人の日記に書かれたプロパガンダの内容には、中将と大佐の役割の違いがあるのは否めない。

『「三和日記」が世の中に出回っていることを知ってびっくりし、逗子の家に行って「リンゴ箱」を探した。沢山あった日記の山はたった五冊になっていた。母が処分してしまったのだ。残っていたのは昭和十三年、十四年、十五年、十七年、十八年だけだ。その内十五年、十七年、十八年のコピーが防衛庁防衛研究所にあるのだ。十六年と十九年、最も大切と思われるのがない。十六年のはどうしてないのかわからない。』

三和夫人が亡夫の日記を処分するなら『たった五冊』など残さずに、全て処分しただろう。五冊以外の日記は今のところ秘蔵されている。十六年の日記には真珠湾攻撃の真相が、十九年の日記には三和が良心に苛まれて殺害されるに至る真相が書かれている。

『私が最も読みたいと思っていた十九年のがないのは、小野田捨次郎(海兵の同期)の夫人が夫の使いで来て十九年の日記を持って行って返してくれなかったのだ。「返してと催促したら引っ越しの時なくしてしまった、と云った」と母は物凄く怒っていた。何ということだ。父のスワンソングともいうべき最後の日記を人に貸すなんて、そして引っ越しの時失うとは。引っ越しをいきなりする人はいない。貸す前に借りたものは返していろいろな準備をして引っ越すのが当たり前だ。私は貸した本が火事で焼かれてしまったことがあるが、火事とか急死とかは予測できないのでしかたがない。しかし、引っ越しのどさくさで父の遺品を失くすとは。この夫人は私の見る限りだらしのない人ではない。なにかある。』

確かになにかある。小野田捨次郎が勅令で『処分』したのである。しかし前述したように大切に秘蔵されているので、近い将来世に出て来る予定である。

『私は宇垣中将の「戦藻録」の昭和十八年一月一日から四月二日までの日記が、終戦直後、当時の先任参謀黒島亀人によって原本から剥がされ焼却されてしまった事件を思い出した。(注 昭和十七年十一月から昭和十九年二月まで剥がされてしまった)これは黒島参謀に都合の悪いことが書かれていたからなのだが、小野田氏が何故父の日記を捨ててしまったのかはわからない。が、捨次郎が捨ててしまった事は事実だ。』

黒島亀人は吉田茂の直接の指令を受けて、宇垣纏の日記を破棄した。破棄された部分は、山本五十六の暗殺に至る前後の時期に該当し、色々不都合な真実が書かれていた。同じく三和義勇の日記が捨次郎に捨てられてしまったのは、テニアン玉砕を目前にして三和が書いたスワンソングに、悔恨の情とともに真相が述べられていたからであろう。

『長門で長官の従兵長をしておられた近江兵治郎氏にお会いすることがあった折、「父は黒島参謀と仲が悪かったのですか?」とお聞きしたら「とんでもない、お父様はどなたとでも仲良くしていらっしゃいました。参謀の中で一番穏やかな方でした」。』

三和多美が近江兵治郎に向かって父親と黒島亀人の不仲を問いただしたのは、山本五十六の国葬係りに任命された三和義勇が次のような場面を描写した追悼文を寄稿しているからである。ではそのプロパガンダ文そのものを見てみよう。

『山本元帥の思い出』 海軍大佐 三和義勇(昭和十八年)より

『ある晩のことであった。○○参謀○○大佐(注 先任参謀黒島亀人大佐の伏字)と私とは、何かのことで議論していた。議論を越して口論に近かったかもしれぬ。作戦室にはこの二人だけで、時計は静かに十一時を指していた。この時、長官がヌッと入って来られて、「何だい、何を喧嘩しているんだ」と言われて腰をかけられた。「イヤー、別に喧嘩しておりませんが」とか何とか言って、また話が種々とはずんだ。

その時、長官は次のようなことを言われた。「○○君(注 黒島亀人の伏字)が作戦に打ち込んでいるのは誰もよく職っている。○○君は人の考えの及ばぬ所、気がつかぬ所に着眼して深刻に研究すう。時に奇想天外な所もある。しかもそれを直言して憚らぬ美点がある。コウいう人がいなければ天下の大事は成し遂げられぬ。だから僕は、誰が何と言おうと○○君を離さぬのだ。ソリャ○○君だって人間だ。全智全能の神様ではない、欠点もあることはよく職っている。○○君だって自分で知ってるだろう。そこは君が補佐すればよい。艦長をやらねば用兵者として前途がないナンテ言う人があるが、今時ソンナ馬鹿げたことがあるものか。よしあったにしてもソンナことはどうでもよい。むろん君たちも立身や出世のこと等は考えていまい、各幕僚はその職務においてこの戦争に心身ともにすりつぶしてしまえばそれでよい。もちろん君たちばかりではない、僕もソウだ。」

秋山将軍という人は、(中略)アノ日露戦争の一年半で心身ともにすりつぶされたのだ。そして、東郷元帥を補佐して偉績をたてられたのだ。軍人はこれが本文だ。お互いこの大戦争に心身をすりつぶすことの出来るのは光栄の至りだ。わかったか」と、その眼には堅い決意がひらめいていたが、またもとの慈眼に満ちた眼にかえっていた。○○大佐は両の手で頭を抱えて机の上にうつ伏しておられた。恐らくは、この知己の恩に対して、万感胸に迫り、言うべき言葉はなく、あるいは泣いておられたのかもしれぬ。私も黙って頭を下げた。』

三和義勇の筆によって感動的な場面が描き出されている。しかし黒島亀人が知己の恩に対して忠誠を誓っていたのは山本五十六ではなく、吉田茂その人である。『テッポー屋』黒島亀人を連合艦隊司令部の先任参謀に大抜擢したのは、もとより五十六の意志ではない。吉田茂と直に繋がる黒島亀人が、軍令部から一方的に送り込まれてきたのだ。言うまでもないが、軍令部がこの異例の大抜擢を許可したのはそれが勅令だからである。三和義勇は山本五十六の追悼文にこのような場面を創作することによって、『仙人参謀』『変人参謀』『ガンジー』と呼ばれていた黒島亀人を、山本五十六が偏愛し奇策を偏重した、というプロパガンダの嚆矢としたのである。次のエピソードも、三和義勇の印象操作である。

三和義勇の追悼文より

『越えて十日、マレー沖海戦となった。この戦闘は飛行機たち近代戦艦の一騎打ちである。言い換えれば海上戦闘における飛行機と戦艦との争覇戦である。それだけに一同緊張した。十日の朝、飛行機隊が発進した。しかしまだ戦闘までにはタップリ三時間はある。旗艦の作戦室では長官を中央にして各幕僚集まり、幕僚同志は勝手な戦果予想をしていた。』

『突然、長官は私を捉えて、「どうだい、“リナウン”も“キングジョージ五世”(当時は“プリンスオブウエ―ルズ”と型は同じなので“キングジョージ五世”と思っていた)も撃沈(やれ)るかナ。僕は“リナウン”はヤレるが、“キングジョージ”はまあ大破かナと思うが」と言われたので私は、「ソリャ両方ともヤレます」と答えた。すると、「ヨシ、ソンナラ賭けようか」と来られた。私もこれに応じて、長官が敗けられたら麦酒(ビール)十打(ダース)、私が負けたら一打を出すということにした。』

『一体、長官がこの賭けを挑まれるのは、好きというよりは、相手のそのことに対する自信確信の度を試す手に使われるのである。従って、常に自分の予想、考えと反対に出て、しかも、とてつもなく大きな賭けを言われる。言われた相手は逃げるとか、あるいは賭けを小さくしようとするようでは、そのことに自信のない証拠となる。自信のある者は賭けの大きいのを喜ぶのは当然である。長官はこの人情の機微を巧みに捉えて相手を試されるのだと、これは私が考えていることである。』

この三和義勇の偽証を最大級に利用したのが、美和に引導を渡した淵田美津雄である。淵田が昭和24年に書いた『真珠湾作戦の真相』には、五十六プロパガンダの全てがあると言っても過言ではない。後続の阿川弘之行、生出寿は、天才淵田美津雄をパクッた凡俗に過ぎない。阿川にあって淵田にないものは愛人ネタだけ、生出にある目新しいものは近江兵治郎のガセネタだけである。

生出寿著『【凡将】山本五十六』現代史出版会発行より

『ところで山本は、南雲部隊大敗の結果を、どのような気持ちで聞いたであろうか。前に、ハワイ空襲の第二回攻撃についてのくだりで、元連合艦隊司令部従兵長近江兵治郎の手記を紹介した。ここでまた、山本がミッドウエーからの敗報をどんな様子で聞いていたか、同人の手記を紹介したい。同じく、雑誌プレジデントの”ザ・マン”シリーズ「山本五十六」に掲載されたものである。』


生出寿が使っている近江兵治郎のガセネタは、1980年ザ・プレジデントマンに掲載されたものも、2010年文芸春秋、2011年新潮45に掲載されたものも、細部に至るまでまったく同一である。



『‐旗艦(註・大和)の作戦室では山本長官が渡辺参謀を相手に将棋を指している。何故にあの大事な作戦行動中、しかも空母が次々と撃沈されていくとき将棋をやめなかったのか。あのときの長官の心境は、あまりにも複雑で痛切で、私ごときの理解をはるかにこえるものだったのだろう。連合艦隊付通信長が青ざめた顔をして、空母の悲報を次々と報告に来る。この時も、長官は将棋の手を緩めることなく、「ほう、またやられたか」のひと言だけだった‐』


生出前掲書の続き

『この逸話は事実にちがいない。山本は、マレー沖海戦のときには、味方中攻隊がプリンス・オブ・ウエールズとレパルスに攻撃をかけるために出撃したとき、三和航空参謀とビールを賭けた。こんどは、南雲部隊の攻撃隊の発艦を前にして渡辺参謀と将棋を指し始めた。』


生出寿は近江兵治郎のガセねたを最大限に活用する使命を負っているのだろう。


生出前掲書の続き

『ハワイ真珠湾攻撃のときは、このようなことはせず、待つだけであった。山本が将棋を指しはじめたのは、なぜであろうか。敵の陸上雷・爆撃機や艦上雷撃機多数の攻撃をうけながら、味方の攻撃隊がいつまでも発艦ができないでいるのに待ちくたびれ、それをまぎらわすためにはじめたのであろうか。山本にしても、一航戦、二航戦の実力は十分に知っている。飛び立つことができさえすれば、あるいはまたマレー沖海戦のときのように、こんどは渡辺相手にビールを賭けようと思っていたのかもしれない。』


生出寿はひたすら【凡将】説をデッチ上げようと腐心している。


生出前掲書続き

『ところが、攻撃隊がまもなく発艦するであろうというときに、加賀・赤城・蒼龍がつぎつぎに爆撃をうけて大火災を起こし、攻撃隊も壊滅した。これは悲報というようなナマやさしいものではなかった。目も眩むような凶報であった。』

ミッドウエー海戦史上、日本海軍連合艦隊にとってこの『目も眩むような凶報』は、アメリカ太平洋艦隊には『奇跡』と表現されているが、これは正当な戦闘の後に行われた詐欺犯罪である。

生出寿続き

『こうなったとき、ほんとうは山本は、一人になりたい気持ちになったのではなかろうか。しかし、作戦室には多数の部下がいた。いま彼らは、山本の一挙手一投足に、針のむしろに座ったような気持ちでちらちらと視線を向けている。そのような状況で、山本は将棋を指す手を止めるわけにはいかなかったのであろう。しかし、「ホウ、またやられたか」のひと言には、強がりとともに、失望や悲哀や苦悩は滲んでいるような気がする。』


こんな場面で山本五十六が将棋を指しながら、「ホウ、またやられたか」などと座視していることは200%ない。山本五十六は着艦に失敗して海中に落ちそうになった飛行機を見てとっさに一人で飛びかかって一緒にズルズルと引きずられていく、殉職した若者たちの名前を手帳に記して毎朝黙祷する、そういう人間である。航空本部長時代にゼロから育ててきた愛弟子の航空兵たちが爆発炎上した空母甲板上で焼き殺されていった時、山本五十六は大和で拘束状態にあったと私は考えている。五十六が勅令により監禁状態にあったことは、ごく近い将来に資料が表に出る予定である。

生出寿続き

『当時千代子は肋膜炎で病状が重く、遠出ができるような体ではなかったが、山本のたっての頼みにほだされた。死んでもいいという気持ちになり、呉に行くことにした。(略)千代子が列車から降りるのを、山本はかかえるようにして助け、それから彼女を背中におんぶして歩き出した。(略)人力車に乗った初老の男と中年の女は、ほどなく割烹旅館崋山に入った。山本と千代子のこの逸話は、元海軍中佐のT氏に聞いたものである。T氏は戦後、河合千代子に二度会った。そしてこの逸話の真偽をその都度確かめた。「ああいう話があるけど、あれはちがうでしょう」という質問に対して、彼女は「いいえ、そのとおりですよ」と、二度ともおなじようにこたえたという。』

河合千代子と五十六の関係は、伏線としてすでに戦時中から海軍省スタッフと憲兵隊が協力して噂を流していた。その結果、渡部悌次は憲兵隊の須藤君に掴まされたガセネタを信じ、バーガミニも田布施村王朝の刺客・秦郁彦に唆されて『天皇の陰謀』に引用した。

渡部悌次『ユダヤは日本に何をしたか』成甲書房より抜粋。

『山本五十六が、米内光政や高橋三吉らと、日・独・伊の軍事同盟反対の密議を凝らしていた場所は、東京・麻布の狸穴にあった。この妾宅の若い女性は当時十八歳で、新橋あたりで芸妓をしていた。この妾宅に情報を掴みに出入りしていた人物がいた。憲兵隊の須藤輝君である。須藤君はこの娘芸妓を高く評価していた。山本が戦死した報を得て、須藤君が文書の遺稿でもと狸穴を訪ねたときには既にこの女性が一切を処理し終えた後であり、失望して帰庁する途次立ち寄ってくれた記憶は消えない。十八歳なのにしっかりした女だとつくづく述懐するのであった。』

 この文章自体がおかしい。須藤輝君が情報を掴みに出入りしていた狸穴の妾宅にいた若い女性は、当時十八歳の芸妓であったという。それが、五十六が戦死した時にも須藤君は『十八歳なのにしっかりした女だとつくづく述懐するのであった』という。三国同盟反対から五十六戦死まで、この間、十八歳の新橋の芸妓は年を取らずに十八歳のままだという。

梅龍こと河合千代子は、ロンドン軍縮会議の前後に五十六と昵懇になったと証言している。五十六の戦死当時、すでに40を過ぎた年増である。須藤輝君が『十八歳なのにしっかりした女だとつくづく述懐するのであった』というのは、いったいどの芸妓を指しているのか。河合千代子は半玉のころから仕込まれた芸妓ではなく、素人上りの見ず転芸者である。五十六は旦那持ちの河合千代子の他に、十八歳のしっかりした芸妓を妾宅に囲っていたというのか。そしてその若い芸妓は永遠に十八歳のままでいる妖怪なのか。

生出寿続き

『六十歳にちかいおやじが、それも三週間後に国家の存亡を賭ける大作戦をひかえる連合艦隊司令長官が、こんなことをするとは思えない、というがふつうである。しかし、山本はそれをやった。(略)いってみれば千代子は、山本が悩みでもなんでもさらけ出せる、心安らぎの弁天みたいな女であったうだ。いまの山本の目の前には、ミッドウエ―はじめ困難が山積みで、心身は凝り固まっている。それを解きほぐしてくれるのは、千代子以外にないと山本は思ったのではなかろうか。苦しいときの神だのみというが、山本の場合は、苦しいときの千代だのみであった。』

河合千代子ネタで山本五十六をこき下ろす才能は、阿川より生出の方がセンスが良いと思う(里美クが先行して書いた愛欲小説は問題外である)。東郷平八郎の観音信仰を引き合いに出し、『苦しいときの千代子頼み』という見事なキャッチコピーを作っている。

生出続き

『山本は才に溢れた自信家で、己を恃み、人や神を頼らずという人物のようである。東郷は、才のない己を知る努力家で、人と神の助けを求める人物のようである。この人柄は、連合艦隊司令長官としての指揮統率ぶりにも、それぞれそのまま現れているように思える。』


『山本は、五月二十七日付けの河合千代子への手紙で、‐(前略)最後の御奉公に精根を傾けます。その上は‐万事を放擲して世の中から逃れてたった二人きりになりたいと思います‐と書いた。これは、ミッドウエ―作戦に成功して錦を飾り、連合艦隊司令長官も海軍大将も御役御免になって、好きなお前とただ二人で暮らしたいということのように思われる。』


前々々々回検証した通り、恋文は偽造品である。里見クが創造した愛欲小説の主人公は、里見自身を反映したものである。小谷野敦はその著書『「馬鹿正直」の人生 里美ク伝』中央公論社刊の中で、里美クが五十六のプロパガンダ小説を書いた当時、『クは同じ鎌倉に妻と妾を置くことになった。七月の「新潮」に「いろおとこ」を発表。これは中年男と芸妓の愛人のやりとりを描いて、最後に、その男の戦死を告げて、それが山本五十六であることをほぼ明らかにするもので、山本をモデルにしていることで有名だが、軍人批判ともそれるし、やや作為が不明である。』としている。


小谷野敦は里美クに『トンよ、トン。』と呼びかけることが、自分への励ましになるほどのファンだという。それほど入れ込んでいるのなら、もっと精緻に検証するべきである。里美クはヨハンセングループの原田熊雄の義理の兄弟である。なぜ『正直病にかかっている』里美クが、住友財閥の金庫にしまわれた原田日記をせっせと編纂するのか。

文壇というところは権力にこびへつらう連中の巣窟である。私は白洲次郎のプロパガンダに協力し、吉田茂の長男健一にすり寄る文士連中の『生態』を『如実』に見て、そう思うようになった。小林秀雄も例外ではなかった。何という情けない連中なのだろう。以前、白洲信哉が量産しているブランド志向の写真集を指して、祖父の小林秀雄に似ない不肖のボンボンと書いたが、それは撤回する。白洲次郎と小林秀雄の両祖父の血統を立派に受け継いでいる子孫である。


戦果を当てっこしてビールを賭けた三和日記のガセねたは、高木惣吉によってさらに補強されている。


生出の続き

『このあとの、問題のエピソードについては、元海軍少将の高木惣吉が、「山本五十六と米内光政」(文藝春秋)に次のとおり書いている‐旗艦の作戦室では、幕僚たちの戦果予想で賑やかな笑声が湧いていた。山本長官は突然、「三和参謀(註・三和義勇中佐、航空参謀、のちにテニアンで戦死、少将)どうだい、俺はリナウンはやるが、キング・ジョージ五世はまあ大破かな、と思うが」(註・初めはレパルスはリナウン、プリンス・オブ・ウエールズはキング・ジョージ五世と推定せられた)航空参謀は躍起に反駁した。「いやー長官、そんなことはありません!両方ともキットやります」「よしそんなら賭けようか」「願ったり叶ったりです。そのかわり長官敗けでしたらビール十ダース、私が敗けでしたら一ダース、いいですか?」よく部下の信念を揺すぶるために、反対の予想にかけて朗らかな人物実験をして喜ぶのはその悪戯の一つであった。(略)二時間以上もたったと思わるるころ、電信室にいる暗号長が作戦室にひびきわたる奇声を伝声管から送ってきた。「またも戦艦一隻沈没!」航空参謀が鬼の首を取ったように、「長官、さあ十ダース頂ますヨ」とはずめば、いつになく顔をほころばせら山本提督、「ああ十ダースでも五十ダースでも出すよ、副官、よろしくやっといてくれ」と嬉しそうに言いつけるのであった‐(略)命がけで戦ったこれら敵味方の将兵たちは、山本がこの戦闘の結果に面白がってビールを賭けていたと知ったら、どういう顔をしたであろうか?』


心無い行為に傷つき、あるいは怒り心頭に発したであろう。だから山本五十六は絶対にそのような不謹慎な賭け事はしない。


生出続き

『しかし、どちらにしても、部下が生死を賭けて戦っている最中に、それにビールを賭けたり、将棋を指すなどは、連合艦隊司令長官の態度ではないであろう。そのような行為が、大物がやることだとして、部下の指揮官や参謀たちに伝染すれば、どういうことになるであろうか。』


これが海軍の驕り症候群というプロパガンダに繋がるのである。
近江兵治郎は最晩年になってこのプロパガンダに協力した。
正義感から歴史の修正を試みる立場にある作家の工藤美代子もそれを鵜呑みにした。
そしてさらに敷衍させていったのである。

工藤美代子『海燃ゆ 山本五十六の生涯』より

『前に述べたように、五十六は南雲を全く信用していなかった節がある。親友堀悌吉が予備役に編入されたときに、南雲が暗躍した。それを五十六が根に持っていたからだというのが今では通説になっている。「堀中将を首にした遺恨とはいへ、山本さんはどうしてあんなに南雲長官をいじめなくてはならなかったのかと思う」という石川信吾少将の言葉を、阿川弘之は自著に引用している。しかし南雲の立場も気の毒といえば気の毒だった。』


まったく南雲は気の毒だ。私は南雲をプロパガンダの礫を受けているベスト3に入れたい。近衛文麿、山本五十六、南雲忠一。番外として松岡洋右がいる。松岡洋右は田布施川の畔に生まれたが、吉田茂を批判したため村八分にされ悪役を押し付けられている。


石川信吾は南雲に同情するフリをして五十六を貶め、南雲にも堀を首にしたという罪を擦り付けているあたり、プロパガンダも相当年季が入っている。

工藤美代子続き

『彼(南雲)は明治二十年三月、山形県の米沢で旧長岡藩士の次男として生まれた。本来なら、三歳長で同じく旧長岡藩士の息子だった五十六と、かなり似たような土壌で育ったのであるから、五十六に信頼されてもよかったはずである。米沢はまた五十六の妻礼子の母、亀久(きく)の出身地である。まだ会津若松に女学校がなかった頃、礼子の姉は米沢の女学校を卒業した。米沢は会津や長岡と縁の深い間柄だった。』

南雲と五十六の意志の疎通を欠いた険悪な関係というのは、勅令を受けて動いていた者たちによる全員の脚色である。真珠湾攻撃を押し付けられた五十六ほど、南雲が置かれている宿命を理解している者はなかった。五十六が唯一胸襟を開いたのは南雲である。旧長岡藩士の息子たちは、真珠湾攻撃の手抜きとミッドウエ―惨敗という既定のシナリオに立ち向かっていったが、ついにヤラセのシナリオの主人公と副主人公としてセットで葬り去られたのである。

工藤美代子続き

『南雲が海軍兵学校を七番の成績で卒業したのは、明治四十一年だった。その後南雲は海軍水雷学校へ進学し、いわゆる「水雷屋」として出世の階段を上り始める。水雷戦隊司令官、水雷学校校長などの要職を歴任し、水雷の権威として目されるよういなる。ところが、真珠湾攻撃の計画が具体化した際に、阿雲は空母部隊をひとまとめにする第一航空艦隊の司令長官に任命された。現在でも、この人事は無謀であったとよくいわれる南雲にとって航空は全く畑違いのポストであり、しかも就任するやいなや、南方攻略作戦の支援を空母でやるくらいかと思っていたら、真珠湾の奇襲攻撃の指揮を執らなければならない羽目になった。自分の能力の限界を知っていて、誰よりもこの仕事を固辞したかったのは南雲本人だったが、結局、押し切られてしまう。はた目にも南雲の憔悴ぶりは、はっきりと見てとれたという。』

南雲と同じ立場に置かれたらふつうは固辞する。尋常ならざる人事を軍令部が敢行したのは、それが勅令だったからである。もちろん第二次攻撃をしないことが大前提である。水雷屋を第一航空艦隊司令長官に任命した理由はもう一つある。専門違いの人間を司令長官にして、言葉巧みに脅して命令系統を攪乱させるためである。南雲の弱点を無残なまでに利用した詐欺犯罪が、ミッドウエ―海戦の『運命の五分間』である。幇助したのは源田実と草鹿隆之介である。源田が主犯で、草鹿は従犯である。

工藤美代子続き

『ここで南雲は致命的な判断ミスを犯してしまう。これは、ミッドウエ―の戦記には必ず書かれているエピソードなので詳細は割愛するが、アメリカの空母が現れたという報に接した山口多門少将が、旗艦赤城の南雲司令部に宛てて「現装備ノママ攻撃隊直チニ発進セシムルヲ至当ト認ム」と飛龍から具申したが、南雲はこれを却下した。確かに、山口の案は、攻撃隊を護衛戦闘機のない状態で出撃させるという非常手段だったが、これを受け入れなかったため、アメリカ側から先制攻撃を浴びる結果となった。したがって、ミッドウエー海戦となると、どうしても南雲中将と山口少将との能力の差が問題となってしまうのである。』

厖大な資料を渉猟して綿密な検証を旨とする工藤美代子が、なぜミッドウエー海戦のそれについては一通りのプロパガンダで済ましているのだろうか。ミッドウエ―海戦ほどプロパガンダによって脚色されている詐欺犯罪は少ない。南雲が山口の具申を受け入れなかったことは、敵の先制攻撃を浴びた原因でもないし敗因でもない。南雲が山口の具申を受け入れなかった(参謀長の草鹿と源田がさせなかった)ことは、ミッドウエー海戦という名前の詐欺犯罪を成立させる構成要素のワンピースに過ぎない。

工藤美代子続き

『もしも、真珠湾攻撃やミッドウエ―海戦で山口少将が指揮を執っていたら、日本は負けなかったのではないかという人さえいる。少なくとも、ミッドウエ―であそこまで無様な敗北を喫していなかっただろうというのである。山口と南雲はあまりに対照的な武人だった。また五十六との精神的な距離も、山口と南雲は正反対だった。五十六は南雲を疎んじたが、山口には絶大なる信頼を寄せていた。』

誰が第一航空艦隊司令長官になっても真珠湾攻撃の第二次攻撃はさせなかったし、ミッドウエー海戦では惨敗させられるシナリオなのである。しかしそのための人選というのはあった。山口のような男なら、草鹿と源田の脅しが効かないからである。

実はミッドウエー海戦の資料にじっくり目を通したのは、ひとえにこのシリーズを書くためであり、つい二か月前からである。日米共同であの手この手を使って普通にはあり得ない異常な情況を演出して南雲をパニックに陥らせ、参謀長の草鹿と源田がよってたかって畑違いの南雲を脅しスカシて命令系統を狂わせていったプロセスを見ると、南雲には不可抗力の犯罪が行われていたとしか言いようがない。確かに山口のような勇猛な性格で生粋の航空艦隊司令官だったら、草鹿や源田の脅しすかしは効かなかっただろう。だからといってそれが何なのだ。それが山口が第一航空艦隊司令長官には絶対に任命されなかった理由であり、それ以上でも以下でもない。

山本五十六の側近は吉田茂の息がかかった偽証者たちで固められているので、その目撃撃証言や日記はガセである。五十六と南雲の関係が険悪であったというのは、五十六が黒島亀人を偏愛していたというのと同じくらい事実無根のガセネタである。宇垣纏、三和義勇、源田実、草鹿龍之介、渡辺安次、近江兵治郎ら連合艦隊スタッフと、軍令部スタッフらが結託して、南雲忠一には指揮能力が無かったというイメージを刷り込み、山本五十六と南雲忠一が意志の疎通を欠いていたように見せかけるプロパガンダを流布するために偽証していたのである。南雲忠一は自決したと言われているが、数人の軍人に山の中に連れ込まれて殺害されている。南雲はすでに覚悟の上である。

前述したが、プランゲは200人以上の証言者たちを自宅に招き、中でも源田実と淵田美津雄には夕食をはさんで一回4〜5時間の『聞き取り』を70〜80回以上も重ねている。吉田茂と直かに繋がる黒島亀人は、プランゲのインタビュー以外は応じていない。黒島、草鹿、源田、淵田らは戦後も敵国側のプロパガンダ作成に協力し、プランゲと共謀して史実を偽証することで、彼らはヤラセで殺されていった同胞を二度辱めたのである。千早正隆も積極的にこの冒涜に加担し、プランゲの右腕として翻訳に協力し、自らも海軍驕り症候群を煽るプロパガンダ本を書いた。勅令を受けて風聞を流していた一部軍人たち、青山和典ら海兵出身のプロパガンダ作家、恐らくユダヤ財閥の息がかかっているであろう生出寿も、同様である。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/227.html

コメント [原発・フッ素21] メルトダウンを防げなかった本当の理由 taked4700
37. 2012年3月08日 15:43:09 : 6eldw2F0Xw
原子炉は安全と、安全神話にまでしたのは、原子力村の巨大官僚組織である。

東電がこの危険極まりなく、火を付けたなら最後、消すに消すことが出来ず、一旦事故発生で、放射能破産するのを覚悟し、これを喜んで取り入れるはずもないが、幾ら政策とは言え、徹底抗戦で断らなかった東電の責任も、重大である。

だが、東電の責任は、>>35,36さん指摘のように、政府より大きいはずはない。

原子炉を政策で東電へ押しつけた当時の自民党、今は、事故時政権菅内閣と枝野、
この議員達の責任は、筆舌に尽くせないほど大きい、何故に、強制調査が入らないのか?。逮捕者もないのか?。法律で逃げられるようになっているようだが、不思議、それにGE社の製造者事故責任も、負わないようになっているそうだ。

原子炉導入政策の経緯URLを下記に貼り付ける。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-a5c2.html

今、福島県民の被害損害賠償の範囲は、文科省の指針に基付いて行われており、東電が何一つ決められるようになってはいない。
一銭でも国民への賠償金を少なくしたいのは政府そのもの、東電ではないのだ。

第一義的責任は、政府、そのズーッと後に、東電の責任がある。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/636.html#c37

コメント [戦争b8] ホムス攻撃は「まるで中世の大虐殺」、脱出の英記者による生々しい報告  AFP ダイナモ
19. 2012年3月08日 15:45:04 : XkP85LSXBA
戦争の度に多くの虐殺に等しい殺戮行為が発生するが
数年もすれば忘れさられる。
何で南京だけ中国の侵略の免罪符として
或いは日本を糾弾して譲歩させるカードとして機能するのか
機能させているのは中国人ではなく日本人なのだと思う
ようするに支那チョンの虚言に聞く耳は持つなってこと
http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/874.html#c19
コメント [原発・フッ素21] 3月7日 [内容起こし] 小出裕章氏×澤田哲生氏『日本の原発どうする?東西の専門家が本音で生トーク』@たね蒔きJ   赤かぶ
05. 2012年3月08日 15:46:37 : OTOSIyOeKE
沢田 哲生
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1258400697

世の中色々、人生色々とは言え、呆れますね。発言中の論理に丸で一貫性はない。小出先生も、こんな連中相手に40年闘われていたのですね、ご苦労を想像してしまいます。


3/3 が落ちていますね。
20120307 [3/3]たね蒔き「小出裕章さん、スタジオからの初めての生出演!」
http://www.youtube.com/watch?v=a6xbUid3z2U&feature=related

国会議員の皆様へ
「原発再稼働が政治決断」とは、悪い冗談ですね。国民投票法案を大至急作って下さい。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/659.html#c5

記事 [マスコミ・電通批評12] プーチン、NWOに宣戦布告=不正選挙疑惑騒ぎの原因はこの演説のようです。
ハートの贈りもの 様ブログ
http://blog.goo.ne.jp/narudekon

2012-03-08 15:05:57  記事
プーチン、NWOに宣戦布告
http://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/596020fa1565bd46854b284e27808c69

(以下に全文転載)

Vladimir Putin exposes the NWO video No Wonder they Didn't want him to win 
(プーチン、NWO を暴く。だから、彼を勝たせたくなかったのネ)

Vladimir Putin exposes the NWO Part 1

Vladimir Putin Speech at the Munich Press Conference in Germany! Notice that there are Certain countries that did not show this on the News? Also notice that there are certain countries that don't want Putin to become the president again and that's why are showing propaganda against Putin and Russia?

If your against the evil NWO then remember to support Putin regardless of skin color, nationality or religion! thanks!

これは、プーチン・サポーターには、たまらない!動画ですね。笑) ファンには、有名な演説ですか? あまり、ネットで拡散しているようには見えませんが。

昨年12月22日のミュンヘンでの記者会見、だそうです。

彼が主張する、A fair and democratic world order!

って、これ、明らかに、New World Order を意識していますよね。その対抗軸。

「世界統一政府」に反対し、核兵器削減を提案し、ロシアが「民主主義」をガンガン説く。「平和」のうちに完了した、ロシアの民主化を自慢する。何とも興味深いです。

まあ、言うだけなら何とでも言える、という方もいるでしょうが、彼の言っていることは至極まともで、正論ですね。別に私は、彼に対して、プロでもコンでもないですが。

会場にいるドイツ、イタリア、アメリカの連中のしぶい顔といったら! 明白な敵意すら漂っています。まあ、彼らはあっち側、ですからね。痛快!

これを聞けば、奴らがあらゆる手段を使って、プーチンの再選を阻止しようとした、という話もうなずけます。

銀河連邦は、BRICS を支援しているそうですが。これを見ると、確かに。

(以上、転載終了)
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/743.html

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
02. 2012年3月08日 15:53:57 : FEC1zKK4NY
日本の命運を今、数本のつっかえ棒で支えているとは・・・。

当初、東電は汚染水の処理を新聞紙とオガクズで処理していたが、それを
思い出した。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c2

コメント [原発・フッ素21] 3月2日〜3月3日にかけて、東京都の大気中からセシウム検出。降雨・降雪はなし。portirland 山田花子
05. 2012年3月08日 15:56:54 : nowJmJtAdc
投稿の仕方も分からないカスろロムだけにしとけよ(笑)
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/624.html#c5
コメント [原発・フッ素21] 柏、岩手など 子供たちの尿からセシウム 「地元野菜を食べていた」(田中龍作ジャーナル)  赤かぶ
11. 2012年3月08日 15:59:24 : nowJmJtAdc
危険デマ拡散ニート乙
問題ない数値
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/656.html#c11
記事 [経世済民75] FRBよ、我々のゴールドを返せ―ドイツ、スイス
ハートの贈りもの 様ブログ
http://blog.goo.ne.jp/narudekon

2012-03-08 12:55:26  記事
FRBよ、我々のゴールドを返せ―ドイツ、スイス
http://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/6b69223ca54921018348e4f3e5b23b2f

(以下に全文転載)

Switzerland Wants Its Gold Back From The New York Fed
http://www.zerohedge.com/news/switzerland-wants-its-gold-back-new-york-fed

Germany to Review Bundesbank Gold Reserves in Frankfurt, Paris, London and New York Fed
http://www.zerohedge.com/news/germany-review-bundesbank-gold-reserves-frankfurt-paris-london-and-new-york-fed

ドイツで、スイスで、米 FRB に預けてある金塊を取り戻そう、という動きが広がっているようです。

そりゃあ、そうですよね。FRB は、実はとっくに破産していて、彼らが預かっている金は、タングステン・メッキに変わっている、と言われていますから。FRB も、もう逃げられませんね。

今までは、FRB やその上のイルミナティが怖くて、とても言い出せなかったのでしょうが。これもやはり、奴らが終わった、という証拠ですね。

(以上、転載終了)
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/343.html

記事 [原発・フッ素21] 4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある (秋場龍一)
秋場龍一のねごと ブログ
http://akiba1.blogspot.com/2012/03/blog-post_08.html

4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある

【ただちに危険だ! 原発通信】bS4


「一生是風前之燭、万事皆春夜之夢」(往生講式、1079)


風の吹きあたるところにあるともしび。ああ、ものごとははかなく、もろい――。危険に直面した生命の今にも絶えようとすることのたとえである。ぼくはいま、この句にしみじみ感じ入る。

まさにぼくたちは、福島第一原発4号機のヒビを前にして、風前のともしび状態にある。4号機の使用済み燃料プールには1538本の燃料集合体、180万テラベクレルの放射能、ヒロシマ原爆の4000発分、その核種をセシウムだけに限定してもチェルノブイリ原発事故の8倍の量だ。

そしてその燃料プールは4号機(下・写真)の5階にある。爆発してぼろぼろになった、もう誰が見ても崩壊寸前の建屋のなかだ。これが地震のひとつで、倒壊、いや燃料プールにヒビが入れば、日本は終わる。ぼくたちはハリウッドのスペクタクル映画を観ているのではない。そう字義どおりの実存的な破局である。

そして人びとは、そのフクシマを風上とする風のゆくえに右往左往するだろう。そりゃそうだ。気ままな風の流れがおのれの生死を左右するのだから。これぞまさしく「風前のともしび」だろう。

ところで、ぼくたちはすでに去年の3月下旬に終わっていたかもしれない。ぼくたちは運命の「幸運ないたずら」で、なんとかかろうじて、この列島に住むことができている。

けさ(3月8日)の朝日新聞朝刊を読まれただろうか。その大見出しはこうある。「工事不手際 4号機救う」(デジタル版では「4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発」)

この記事を要約すると、4号機では一昨年11月から炉内の大型構造物の取り換え工事をしており、一時的に原子炉真上にある原子炉ウェルに水を張っていた。そして去年の3月7日には水を抜く予定だったが、工事の不手際で3月11日まで水を張ったままにしておいた。そして、あの3.11の地震と津波で、燃料プールの水を冷却できない事態におちいる。ところがその工事の不手際で張っていたウェルの水が偶然にも燃料貯蔵プールに流れ込んだため、核燃料の過熱を防ぐことができたのだ。この経緯を朝日新聞は次のように綴っている。


4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。

 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。

 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。

 東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。(「朝日新聞」3月8日朝刊)


「燃料の外気露出」は「人類史上最悪の事態」つまり「破局」と等式で結ばれる。まさにぼくたちの運命は「風前のともしび」だったのである。「幸運ないたずら」によって、破局から救われたのだ。

さて、この「幸運ないたずら」をどうみるか。ぼくは大いなるものが、ぼくたちに与えた「考え直す時間」「悔い改める猶予」とみる。ヒトがヒトによってコントロールできないことに手を染めたことから手を引くのか、それともそのままつづけるのか、という選択の時間、猶予だとぼくはみるのだ。

パンドラの箱を開けてしまったぼくたちだけど、いま考え直し、悔い改めれば、破局にならずにしてやるというのが「幸運ないたずら」のメッセージである。それがぼくにとっての「希望」でもある。そしてぼくは「幸運ないたずら」に感謝し、破局が起こらないことを祈り、今度の日曜日(11日)にデモと集会と人間の鎖(国会を取り囲む)に参加する。

http://akiba1.blogspot.com/2012/03/blog-post_08.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/662.html

コメント [原発・フッ素21] 3・11から1年…東大:今こそ変わるとき 「ムラ」周辺から相次ぐ批判(毎日新聞) クマのプーさん
12. 2012年3月08日 16:01:20 : OTOSIyOeKE
>3・11から1年…東大:今こそ変わるとき
案0 現状維持         →変わる時だから、これは無いか
案1 廃校           →09さん、提案
案2 民営化          →文部官僚支配力低減 
案3 国立大学は、公立大学化  →地方分権の時代だ

メリット、デメリット色々あるでしょう、利権が絡まないと判断に悩みます。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/644.html#c12

コメント [原発・フッ素21] セシウムが心筋に蓄積すると確実に死ぬ「児玉龍彦 東大教授」[脱原発・放射能] さそり座
18. 2012年3月08日 16:01:43 : pXJ7yVh8Mg
今も、開こうとした半数以上の投稿が開けず、かわりに、英文の宣伝ページが出てきます。この最初のページは、翻訳に書けると阿修羅のはじめのページに戻ってしまいます。
いずれにしても、読めない投稿が多く、深刻です。
良く分からないことが起きています。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/641.html#c18
コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
03. 2012年3月08日 16:08:04 : Z6c972t4nj
野田総理はどういう対処をするのでしょう。
なにか手だてをこうじないといけないのでしょう。
こんな記事がでちゃ、知らなかったでは済みませんよね。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c3
コメント [原発・フッ素21] 人々に塗炭の苦しみを与えた経営者は許さない!〜東電役員に5兆5千億円の損賠提訴(レイバーネット日本) gataro
06. 2012年3月08日 16:18:49 : tLL5rmHw5c

原子力安全委員会と保安院もだ。 むしろ、でたらめな安全基準を作ったのはこいつらだ。

 
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/628.html#c6

コメント [戦争b2] 宮城県の村井嘉浩知事: 中澤連隊長の発言は一般論としては当然だと思う。 【NHK】 hou
19. 2012年3月08日 16:25:29 : fbn4uQwBlM
左翼思想を取り締まるべき。
ヘタレ平和・従属思考は、国際常識で言えば充分に国賊の指定。
只、民主党が抵抗して、国内法に規定が未だ無いだけに過ぎない。
http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/875.html#c19
コメント [お知らせ・管理20] 明るい憂国の士さん、2重投稿があります。度重なる投稿規定違反なので3日間昼休み板のみの投稿に制限させてください。 管理人さん
02. 2012年3月08日 16:26:43 : mCiI3nnGBQ
昼休み板においても2重投稿です。

明るい憂国の士は2重投稿で昼休み板に限定されたことを全く理解していません。順法精神はゼロです。

恐怖を煽る「東京湾北部地震説」の急浮上が隠蔽する危険な法案 (神州の泉)
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/137.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2012 年 3 月 08 日 13:13:07: qr553ZDJ.dzsc

先行投稿
恐怖を煽る「東京湾北部地震説」の急浮上が隠蔽する危険な法案 (神州の泉) 
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/376.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 3 月 08 日 13:08:29: igsppGRN/E9PQ
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/549.html#c2

コメント [原発・フッ素21] 4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある (秋場龍一) 盗電マン
01. 2012年3月08日 16:27:20 : O9mNa4WNJg
福島4号機崩壊で

東北電力仙台変電所が維持できなくなれば
六ヶ所も停電するので、本当に終わりになるのではないか

http://cnic.jp/modules/smartsection/item.php?itemid=20

ガラス固化体も溶けだすかも
http://www.cnic.jp/modules/smartsection/item.php?itemid=34

連鎖崩壊です
逃げ場はありません

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/662.html#c1

コメント [戦争b2] 宮城県の村井嘉浩知事: 中澤連隊長の発言は一般論としては当然だと思う。 【NHK】 hou
20. 2012年3月08日 16:28:51 : fbn4uQwBlM
左翼=中国の奴隷の売国奴ですから。

左翼思想を取り締まるべき。
ヘタレ平和・従属思考は、国際常識で言えば充分に国賊の指定。
只、民主党が抵抗して、国内法に規定が未だ無いだけに過ぎない。
http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/875.html#c20

記事 [原発・フッ素21] 帰還望む避難者4割=3分の2「除染期待せず」―福島10市町村住民調査・震災1年(時事通信)
東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた住民のうち、元の住まいに帰還を望む人が43%にとどまることが、福島県の10市町村を対象にした時事通信社の聞き取り調査で分かった。除染に期待を抱いていない住民も3分の2に上る。放射能汚染に対する根強い懸念が浮き彫りとなったが、線量の高低や自治体の取り組みに応じた差もみられた。
 調査は1月下旬〜2月中旬、人口に占める避難者の割合が高い双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の住民を対象に実施。各自治体20人ずつ、計200人から聞き取った。
 帰還を希望したのは「必ず戻りたい」「できれば戻りたい」を合わせて86人で、「戻るのは難しそう」「戻らない」は108人と半数を超えた。60歳以上はほぼ半々だったのに対し、60歳未満の帰還希望者は39%にとどまった。高校生以下の子どもがいる人は65%が消極的な回答だった。
 自治体別では、第1原発が立地する大熊、双葉両町で帰還に消極的な答えが16人ずつとなり、住民にあきらめの気持ちが広がっていることがうかがえる。一方、1月末に「帰村宣言」を出した川内村は15人が帰還に前向きな回答。今月1日に役場機能を元の庁舎に戻した広野町と比較的線量の低い地域が多い南相馬市もそれぞれ13人、12人となり、線量の高低や自治体の取り組みで明暗が分かれた。
 戻りたい理由は、「長年暮らしてきた場所への愛着」の53人が最も多く、次いで「近所や知人と一緒の場所に住みたい」が12人だった。否定的な理由は「放射線が不安、事故収束に期待できない」が最多の64人で、「買い物やインフラなど生活面の不安」の18人が続いた。
 今春にも始まる本格的な除染については、「期待できない」が136人に達し、「期待できる」の47人を大きく上回った。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120308-00000011-jij-soci

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/663.html

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
04. 2012年3月08日 16:39:04 : gQrLSik5YM
小出、うれしそうだな。w
ときどこ微笑など浮かべて。w
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c4
コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
05. 2012年3月08日 16:49:38 : jNhLiHGQnc
>>04

小出先生でなくても、もう、笑うしかないだろう。こうなったら。
あんたや私やみんなの頭の上に、いつ落ちてくるかわからんダモクレスの剣が下がってるのに、これと言って打つ手はないんだからな。

般若心経の写経でもするか?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c5

コメント [原発・フッ素21] 4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある (秋場龍一) 盗電マン
02. 佐助 2012年3月08日 16:53:13 : YZ1JBFFO77mpI : FadH6CGwCF
いや,恐ろしいことになっている,下方から石棺で密封になぜしなてのだろう。フクシマ県の知事や野田政府そして東電関係者の頭がおかしいのではないか,相手にしていたら終わるぞ。消費税値上げして年金に穴埋めするより一日も速く石棺で密封せよ。
燃料プールのコンクリート周囲を遮蔽板で囲みその隙間に硬化剤でなくドーバー海峡のシールドに使った弾力性のシールなら地震でも冷却水は漏れない。小沢氏を開放して大手ゼネコンの知恵と工夫を活かすことだ。冷却剤はアルカリなので海水と同じで腐敗劣化が速くなる。

「冷却水と高熱水を循環させるシステム」は溶解すると放射能の漏出は止らないし爆発することずがすでに証明されたので,日本の原発は理論的に成り立たない。原発の燃料棒は濃縮されたままのウラニウムは使用されず。自然崩壊を遅らせるために混ぜ物にしている。これが曲者で混ぜ物は結合させる水素が発生するために,水素爆発や高温の熱での蒸気爆発は避けられないことになる。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/662.html#c2

コメント [中国3] 河村市長大虐殺なし発言に中国反発…次なる宣伝工作に失笑(ZAKZAK)30万人が嘘と知られ必死 文革の死者数で遊んでろ笑 木卯正一
31. 2012年3月08日 16:55:11 : D7ZSI5t3dY
チベット族女性相次ぎ自殺 中国
2012.3.5

 米政府系放送局のラジオ自由アジアが5日までに伝えたところによると、中国甘粛省甘南チベット族自治州マチュ県と四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県でそれぞれ3日と4日、チベット族の女性2人が相次いで焼身自殺をした。

 マチュ県では女子生徒が焼身自殺。炎に包まれる女子生徒に漢族が石を投げたため、漢族とチベット族の間で衝突が起こりそうになったという。アバ県では4人の子を持つ女性(32)が派出所前で、チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のチベット帰還などを求めながら焼身自殺したという。

 中国のチベット族居住区では昨年3月以降、中国政府に抗議して焼身自殺を図る僧侶や住民が相次いでいる。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120305/chn12030520390007-n1.htm
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/118.html#c31

コメント [お知らせ・管理20] http://www.asyura2.comに接続できません(日本時間2012年3月7日19時現在)。>管理人さま 一市民
15. 2012年3月08日 17:00:20 : XqoAYRzm5U
11番です。広島人です。お世話になります。

いまだにDADDYなんとかが出るばかりですが・・つらっ!
24時間て、いつ頃回復するんでしょ・・禁断症状が・・うぅ・・
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/548.html#c15

コメント [原発・フッ素21] 福島原発4号機 プールのヒビ割れだけでも人類史上最悪の事態に (週刊朝日)  赤かぶ
04. 石川迪夫 2012年3月08日 17:01:09 : YfBA2AolEPZCg : rvTfiDA42E
煽りでなら、こんなありがたい事はない
http://minkara.carview.co.jp/userid/758383/blog/25687539/
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/657.html#c4
記事 [テスト25] Re: test
Gypsy Music 楽譜のない世界2 Taraf de Haidouks〜ルーマニア
大御所タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの登場です。
まずは、ロマ文化の縮図が、これ一本に集約されてる
名作「ラッチョ・ドローム」のシーンを、二つほど。

Latcho Drom - Taraf de Haidouks

Latcho Drom - Balada Conducatorolui

ルーマニアを代表するジプシー・ミュージックの故郷が、
クレジャニ村にある事を、メンバー全員、この村の出身者
で占められるTaraf de Haidouksは、世界に証明した。
そして、バンドの象徴である御大ニコラエ・ネアクシュは、
(二つ目のシーンで、名物’カエルの鳴き声’を披露)
飄々としていながら、ジプシー・ミュージシャン達の尊敬を
一身に集める、ミスター・ジプシー・ヴァイオリンだ!
編成は、ツィンバロン、ヴァイオリン、アコーディオン、
コントラバス、ネイ等。

Taraf De Haidouks - Tot Taraful

マケドニアのジプシーブラス、Kocani Orkestar
(コチャニ・オーケスター)と融合すると大変なことに。
化学反応を起こしたバンド名はBand of Gypsies
Taraf de Haidouks プラス Kocani Orkestar

Taraf de Haidouks + Kocani Orkestar = Band of Gypsies (Official Video)

Taraf de Haidouks vs Kocani Orkestar

Bucovina Clubと・・
Carolina - Bucovina Club v.s. Taraf de Haïdouks.wmv

http://www.asyura2.com/12/test25/msg/304.html

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
06. 2012年3月08日 17:06:08 : jNhLiHGQnc
この状況で、よく周辺住民を戻そうとしているよ。まさか、「いよいよの時は、日本中の何処に居ても同じだから」というわけなのだろうか?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c6
コメント [経世済民75] FRBよ、我々のゴールドを返せ―ドイツ、スイス 888(スリーエイト)
01. 2012年3月08日 17:06:57 : tLL5rmHw5c

FRBに預けて?ある米国債券を返せ! と、日本政府は言わないな、そうに決まっている。


http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/343.html#c1

コメント [戦争b8] チェジュ島海軍基地建設反対闘争 妹之山商店街
01. 2012年3月08日 17:10:55 : tLL5rmHw5c

対中国はともかく、対北朝鮮ならチェジュ島に基地は要らない。

韓国が狙っているのは、日本だ。


http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/879.html#c1

記事 [経世済民75] 政党に要求するデフレ解消のための戦略
政党に要求するデフレ解消のための戦略

これから先どのような政党が生まれても、デフレを解消できなければ、成功しません。日本を破綻させてはならないのです。力強く借金をすべて返す必要があるのです。

いろんな党方針、信条を唱える前にに先ず、デフレに対する正しい経済政策が必要です。
突飛な策は、整合性がなく、また実現性に疑問なものが多く、またベーシックインカムなどの社会主義的な策では、新興国が台頭してきた競争のより激しくなる近代世代では、通用しないでしょう。

デフレは簡単に直ります。不治の病いではありません。やり方だけです。

まずデフレとはどんなものかを知ってください。でなければ間違った政策を選択します。

いつも長くなってしまいますが最後までお付き合いください。デフレがどんなものであるか分かっている方は、デフレ解消の船中八策から読んでいただいて結構です。

「デフレとはどんなものか」

デフレは資金が生産量に比べ著しく少なくなった市場で起こる現象です。

デフレの生じる原因は、大規模な金融資産や、土地価格の崩壊により、莫大な借金が生じ、その穴埋めのために巨額の資金が必要となり、市場から資金が流出することにより生じます。

あるいは巨額の戦争賠償金などにより発生した債務などに、重税を課すことにより、市場から資金が失われた場合などにも起こります。今、現在のユーロのギリシャ破綻による巨額の不良債務が銀行に発生した場合などもこの範疇に入ります。

デフレの循環的な収縮が開始されるのは、全体の借金の額が全体の貯蓄量を上回る時点です。市場において貯蓄額以上に借金が増えることにより、循環的な収縮経済が始まるのです。

デフレ市場の特徴

デフレの原因は、生産量(生産能力又は生産手段)がそのままで、資金が一気に巨額に減少して起こります。戦争で生産手段が破壊され、インフレが起こるのとは全く逆の現象です。

生産量(生産能力)がそのままで、資金量だけが著しく少なくなっているため、消費額が著しく減少します。
(注意:これは需給ギャップではありません。供給に対する消費額の欠損、消費不足です。お金が無いから買えないという現象です。)

そのため各企業は売上を確保するために激しい競争を余儀無くされます。低価格競争や、サービス過剰競争が行われる結果、製品単位辺りの、あるいはサービス単位辺りの付加価値が減少します。

それが企業の売上や利益額の減少を招き、リストラが繰り返され、労働賃金がどんどん減少していくのです。そして賃金所得の減少がさらなる消費不足を招き循環的に経済が縮小します。

最終的には、減少した消費額に生産額が一致する点まで市場が収縮します。しかし残念ながらこれでデフレが終わるわけではありません。

所得が低所得化しても、今までの国民負担分(税金、保険金、公共料金など)が変わらないためあるいは増加したため、資金が市場からさらに流出し、消費額がさらに少なくなります。

放っておけば市場が均衡する事なく、どんどん収縮していきます。最後には企業は利益を上げることができなくなり、個人は生活費以下の所得になり、産業が崩壊します。

このようにデフレは、市場の資金の著しい減少が起こり、それが生産能力に対する消費額の大きな欠損(不足)を招く結果、企業の低価格競争を通じて付加価値がどんどん下がり、低所得化し、資金がどんどん市場から流出していきます。

このようにデフレの原因は、資金減少による消費不足にあり、生産量が余る供給過剰や設備過剰や人員過剰ではありません。

バブル崩壊後多くの経済学者が唱えたような設備過剰が原因ではないのです。在庫過剰や設備過剰は、借金過剰が生んだ消費不足が原因です。

そのため生産量を削減するために、設備過剰を減少させると失業者が増え所得が減じデフレを余計に進行させることになります。

現在の生活保護所帯が増えた原因の一つは、企業淘汰という名の設備削減を無理に行ったことに有ります。
また内需の停滞が、開発力を弱め、日本の花形産業の衰退につながっています。

「デフレの各人の行動は、全体の中で借金を持った人が多く存在するため、例えば所得が20万でその2割を借金の返済に費やしている人が多くいるとすると、先ず4万円を返済として返し、その残りを消費として16万円を費やすことになります。市場から4万円が流出し、その4万円分が不良在庫となります。

市場でこのような行動をとる人が、貯蓄ができる人よりたくさんいるために、循環毎に市場が収縮します。デフレは市場で人々がこのような行動をするため生じるのです。」

このことからデフレを解消させる基本は、消費不足を補うことに尽きます。デフレ解消の戦略もそれに集中したものでなければなりません。


デフレ下では統計的に、
1、名目GDPの成長率が実質GDPの成長率を下回ります。少ない資金を生産量を増やして取り合いをしている構図です。
2、労働曲線が右下がりになります。労働が増えるほど(働くほど)賃金が下がることになります。
3、収穫逓減の法則が通用します。
4、貯蓄以上に借金が多いため、乗数効果は望めません。逆に借金の負の乗数効果が現れます。

このため、ものを製造すればするほど、付加価値が下がり、コストが高くなります。市場全体が高コスト、低付加価値の非常に厳しい状態におかれます。
わずかな下振れでも大きく収縮する経済になります。
リーマンショックが日本に大きな痛手を負わせたのは、日本の産業経済基盤が脆弱になっていたからです。


デフレ市場は、今までの経済学が扱ってきた正常な経済ではなく、特殊な市場になっています。それゆえ経済学自身が対応できていないのです。

その結果、今まで政府が行ってきた生産刺激のための生産者に対する様々な補助金や、莫大な公共投資、企業へリベートを渡す形での雇用促進策、住宅ローンの軽減、医療費補助、エコカー、エコ家電、低開発国からの移民促進など、その他、多くの生産量を増やす政策は、デフレを促進させるものです。

(その他にも、リニアの設置、カジノ構想、残念ながら東北復興支援策などの公共投資もデフレを解消させるものではありません。)

このような紐付きの資金供与はデフレを解消させません。エコカー減税、エコ家電、医療費控除など。
(医療費などは、病気になって初めて助成されるものです、病気にならなければ出ません。このような助成金は、医療に携わる企業の育成、拡大を目指す政策になり、デフレ解消のための消費拡大にはなりません。)(これらは需給ギャップで生じた不景気を直すための政策としては有効であるが、消費不足から生じた不景気には有効ではありません。すなわち所得線上を上下する景気変動には有効であるが、所得線の角度が上下する景気変動には役に立ちません)

また金融政策として低金利、過剰金融緩和なども、資金が生産者に渡るだけで市場に増える分けではありません。低金利は、消費者の購買力や担保力を阻害し、減じるため、市場からの資金流出を意味しデフレを促進します。

低金利は、収穫逓減の法則を助長するためデフレを促進しているのです。

日本はバブル崩壊後、このような間違った政策を延々と20年以上に続けたために、資金がどんどんなくなり、究極の金詰まりになっており、名目GDPが20年以上前の水準にまで落てしまったのです。しかも莫大な借金により財政が破綻寸前に追い込まれています。


このようにデフレは資金がどんどん市場からなくなっていくため、所得税の増税のような広く薄く市場からさらに資金を奪う行為は、予想以上の経済の縮小を招きます。

消費税の増額は一気に大幅に資金を市場から奪う行為であり、デフレを引き起こす原理であるため再びデフレスパイラルを起こします。それゆえデフレ下での消費税引き上げは恐慌を引き起こすため絶対にやってはいけない政策なのです。

1997年の消費税を3%から5%に上げた行為はこれに該当します。その後のデフレ循環は皆様良くご存じでしょう。


デフレ解消には今までの景気拡大策をやめなければなりません。デフレ市場での本当に有効な景気拡大策を取り、経済を拡大再生産の軌道に乗せなければなりません。

財政の緊縮、倹約程度で日本の一千兆円からなる借金は返せません。今の日本の状態で財政均衡を図るのを優先する人達は、借金を返す気のない無責任な人達です。

消費税増税によるこれ以上の企業淘汰は借金を返す母体の喪失を意味します。それが日本の倒産、破綻です。


デフレの解消のためには資金を市場に増やす必要があります。需要を増やすのではありません。インフレにしなければならないのです。

ここが重要なところです。需要と供給のギャップを埋めるようなお金の増やし方ではいけないのです。紐付きの資金供給ではだめなのです。

生産量と関係なく、
所得線の角度引き上げるような資金量の増加が必要です。

もはや日本の破綻までそれほど時間がある分けではありません。急がねばなりません。下記にそのやり方を書いています。

*デフレ解消のための船中八策(増税せずにデフレを解消する方法)(成長に不必要なものを切り、成長する分野に回すこと。)

デフレ市場ではいかなる増税や、国民負担の増大も大きく市場を収縮させるため、増税せず、借金を増やさず、今までの出費額を変えずに、今までの支払い額の中でやり繰りすることが重要です。

成長に無関係な予算を削り、成長に必要なところに回すことが重要な政策になります。投資するところは、消費者です。生産者ではありません。

1、金利を引き上げよ。

現在、日銀がやっている、低金利過剰融資政策は即座にやめるべきです。これはデフレ促進策に過ぎず、インフレにはなりません。また世界をデフレに陥れる政策でもあります。

インフレにするためには、民間の担保力を増やさなければなりません。貸し出し余力を増やす必要があるのです。

今までやってきた過剰な金融緩和策や低金利は、個人預金金利を引き下げます。これは個人すなわち消費者の担保力や消費額だけでなく生産者の購買力や、担保力も引き下げるものです。

生産者に対しては、生産刺激のための補助金となりますが、消費が減退することが見込めるため、内需用の設備投資をしません。また新製品を出しても、消費額が減少しているため、売上が増えません。これが開発や起業が起こらない原因です。

今まで政府が行ってきた企業への様々な補助金は、消費の減少を補うものでないためことごとく失敗したのです。

デフレ解消のための金利政策は、消費を促すため個人預金を高くし、借金過多に苦しむ企業には、補助金として低金利にすべきなのです。

日銀が資金を供給するのは、この金利差に対する補助金として民間銀行に助成することです。

もう一度、マル優制度を設けたり、生活困窮者への優遇金利を復活させることが大事です。
日銀が民間の銀行を通してこのような金利を設け、預金金利を助成することがデフレを解消します。

デフレ時の日銀の役目は、低金利や過剰緩和ではなく、預金の引き上げによる消費者の購買力の向上です。
日銀は、貸し出し金利と預金金利の間に差額を設け、その差額を民間銀行に助成すべきなのです。

借金過多の企業には低金利で融資し、個人には並の金利で優遇すべきなのです。

2、ガソリン税を下げよ。リッター20円ほど下げよ。
これはばらまきや無駄使いではありません。デフレ下での最良の民間への資金注入策です。デフレ下でのばらまきや無駄な投資は、生産を刺激するような補助金や公共投資の方なのです。

またこれは、消費者の購買力を増やすためであり、石油会社、運送会社や、企業製品の配送費を安くすることに主眼があるわけではありません。

あくまでも消費者個人への補助金として資金援助し、他の消費を増やすためであり、運送機関への補助金ではありません。運送機関を保護育成するような援助は、デフレの解消にはならないからです。

なぜなら、デフレ下で運送機関に援助すると、顧客から余計に運送費が安くするよう、圧力をかけられ、運送費が下がる可能性が高いからです。それはデフレを促進するものです。(財源は存在します。いつでも取り崩せるものです。)

現在の日本の多くの企業は、間違った政策のせいで苦しい長いデフレの中でもたくましく生き残っています。後わずかな援助があれば拡大再生産の軌道に乗るところまできています。このガソリン税の20円/リッターの軽減だけでも、1年も続ければ確実に回復軌道に乗るでしょう。

(残念なことは、新聞やメディヤ、経済専門家のせいで、ガソリン税の軽減などが、ばらまきであり、浪費であるとの間違ったプロパガンダがなされています。実際はガソリン税の軽減が正しい政策なのです。)

3、高速代金を3割負担で全線実施せよ。
これもガソリン税を安くする理由と同じ。トラック運送業者の援助ではありません。

いつも利用している消費者に還元するものです。しかし当然トラック業者への恩恵にもなりますが、あくまでも、市場全体の資金を増やすためです。

3割負担にすることにより、高速道路運営会社が赤字にならないように経営させることが重要です。無駄な道路の建設をやめれば、当然、3割負担でも利益が出ます。

土日だけ、休日だけの援助は、高速道路運営者や、サービスエリア施設に対する補助金となり、デフレ解消にはなりません。

本来なら他の地域に出掛けるはずの人達が高速を利用することになるため、育成費と同じ効果を持ち、市場に資金が増えることにはならないのです。
また他の地域への人の流入を枯渇させていることになります。紐付き援助と同じなのです。

4、雇用保険を全額支給しその期間を延長せよ。

前に働いていた会社の8割や6割ではなく同じ給料を支払う方が市場に資金が増えデフレの解消に役立ちます。失業しても消費が減少しないからです。

今までのような、労働者を雇用するとそれに対して補助を与えるようなやりかたでは、余計にデフレを推進します。企業は新人を雇った方が得だからです。それにより製品価格を低く押さえ、生産量を増やすことになるからです。

財源は今まで、雇用促進費として企業に支払っていたものを、回せばよいのです。
あるいは公務員に民間と同等の雇用保険料を支払うようにすればよいだけです。

足りなければさらに公務員財源(公務員の退職金、ボーナスをなくし、地域の民間企業と同等の賃金に減額して余った額)から、不足分を補う事で賄えるでしょう。

最もやってはいけないことは、公務員財源を捻出するため、公務員の給料削減などすることは良いのですが、それを借金返しに使うことや、再び間違った成長戦略に使うことです。東北の復興も公共投資をするより、義援金方式のような直接消費者に還元する方が効果的です。

デフレも同じく生産増や、公共投資より義援金のような消費者への直接投資が有効なのです。

5、税金の物納を大幅に認めよ。

デフレでは現金資産が最も価値のある財産です。これを市場から税金として奪われるのを少なくしなければなりません。

物納を増やせば、市場から資金が流出するのを防げます。納められた資産は、それを元にしてお金を発行すれば問題ありません。

デフレで一番価値があるのは、現金です。他の資産は、株式であれ、国債であれ、どんどん下がります。デフレヘッジは現金なのです。

それを税金として徴収することは、民間に取って最も厳しいものであり、土地資産があるのに価値がなくなってしまって、換金できないため、税金が払えない事がままあります。

物納を大幅に認めても、政府はその分を担保にして、お金を刷れば良いのです。これも資金が市場から無くさないための政策です。政府はお金を市場から奪ってはならないのです。

今の政府は大借金を背負っているため、それを返そうっと必死になっています。しかし政府がその借金返しのために、重税を課して市場から資金を奪ってはならないのです。それがさらなる市場の縮小を招き余計に借金を増やすのです。

今の日本で困っているのは、以前の資産家と言われた人達が、資産価格の低下とともに税金の支払いが滞る
ことです。資産で納められれば、資金が市場に残るため消費が減少しません。

景気が良くなった時、その分を買い戻すことができるようにすれば良いのです。

資産や、貯蓄(現金資産)に税金を掛けようとすることは病人に鞭を打つことです。現金が増えているのは、他に有効な運用先がないからです。
これに税金を掛けても、需要が増える分けではありません。より担保を少なくさせてしまうからです。

6、ローン破綻懸念者に対し国が代わりに金融機関にに立て替えて支払え。

デフレが深刻化する原因の一つは、借金を持った人達が非常に多く存在し、その人たちの消費が著しく減退することです。

又ローンの破綻は著しく生活の困窮を招き、モラルの喪失から、社会不安を招きます。

彼らの消費の向上が、デフレ解消の一つのカギを握っていると言えるでしょう。

最低5年から10年ローンを払った人達で、支払いが困難になった人達のローンを国が代わって支払うような政策を取るべきです。ローン破綻懸念者の資産を国が代わりに払うにつれ所有権を国に移転させれば良いのです。

これはばらまきではありません。明らかにデフレを長引かせ、低所得化させた政府の政策が原因です。

景気がよくなり支払い余力が出てくれば再び国が代わって支払った分を支払ってもらえばよいことです。
財源は住宅ローンへの補助金を削って、こちらに回せばよいのです。

7、最低賃金が生活保護所帯以下の所帯にその差額を給付せよ。

消費力を引き上げるためには、消費者に資金を直接注入する必要があります。

しかしこの時絶対やってはいけないことは、企業自身に賃上げを強要することです。これをやれば企業のさらなる淘汰を招き、デフレを促進します。

そのため国や公共の団体がそれを埋め合わせしなければなりません。

現在政府がやるようなパートの人への年金保険の徴収は、企業と、パートさんから、資金を奪います。その程度で年金問題が解決される分けではありません。
全体の損失を招くでしょう。。


特に低賃金の所帯層や高負担を強いられている所帯層で、給付金がすぐに使う人々に直接資金を給付することは重要なデフレ解消策です。

今までのような紐付きの助成金や、援助、控除ではなく、生産手段や、サービス部門と関係の無いフリーな給付が消費を引き上げデフレを解消します。

しかしこれはあくまでデフレ解消の手段であるため、恒久の制度にしてはなりません。それでは社会主義的な処置になります。

現在の新興国が台頭し、以前の欧米先進国だけが主要な工業国であった頃と違います。
このような社会主義的な行き方は、市場の停滞を招き、競争力の低下が付加価値を生まず、ますます経済を衰退させ、結局貧乏国家となり、社会保障の貧困化を招くことになるからです。

北欧型の高負担、高福祉は間もなく大きな転機を迎えるでしょう。

今までの経済学は、このような生産手段と切り離された給付やばらまきを、社会主義的なものとしてモラルの喪失を招くことから忌避してきました。

しかし経済学にモラルはありません。あるのは経済の仕組みに関する理論だけです。キリギリスがいなくなり、アリが多くなり過ぎては、共食いするのです。それが今の日本です。

無理やりキリギリスを増やし、拡大再生産の軌道に乗せる必要があるのです。デフレ解消の軌道に乗ってから、キリギリスを減らせばよいだけのことです。
乱暴な言い方ですが、これがデフレ解消のやり方なのです。

そのためには、市場に単純に資金を供給する必要があるのです。それが、所得線を上昇させインフレを起こす鍵になります。

所得制限付きの子供手当、農業の個別所得補償、などはデフレにおいてはれっきとした経済政策であり、余計な公共投資や、補助金に比べはるかに経済を拡大させるものです。

公務員給料の削減により余ったものを、最低賃金の引き上げ分や、年金支払額の物価スライド制により減少したものに追加するなども効果的です。

社会主義的な要素が含みますが、それはあくまでもデフレ解消のためであり、デフレが解消した後は、それを廃止できるような制度であるべきです。


8、消費税を下げよ。
これが最も効率のよいデフレ解消策です。欧米は消費税の高い国が多いので、自国の生産能力が高ければ、消費税を大幅に下げれば、現在のデフレは解消できるでしょう。

デフレ下では消費税を引き下げた方が税収が増えます。なぜならデフレ下での所得線は、45度以下の角度になっているため、生産量を増やして所得を得るより、資金を増やした方が所得が多くなるからです。

またデフレ市場は、生活保護所帯や、低所得層が非常に多いため、消費税の引き下げは、即消費の購買力の引き上げになり、拡大再生産の循環が見えてきます。

最重要点:
デフレ解消のためには、首尾一貫した消費市場への資金注入が必要です。一方で、増税し、他方で国民負担を軽減するようなやり方ではだめです。

一方でデフレを促進し、他方でそれを軽減する政策を取ってちぐはぐにやっては効果が上がりません。確実にデフレが解消する方向に舵を切る必要があります。


国民の人気取り政策である、エコカー、エコ家電や、土日の高速無料などはデフレを解消しません。

これは自動車業界や家電業界の育成費や、サービスエリアの補助金になるのであり、全体の消費向上には結び付きません。他の業界がそれにより売上が落ちているのです。

国家公務員の削減だけでなく、地方公共団体が一丸となって、地方公務員の削減や給料カットを行い、それらを、直接消費者の購買力が増える方向へ使えば、大きな力となってデフレは解消されるでしょう。

有料道路の3割負担も、大阪や、名古屋、東京などの主要都市が行えば効果が上がります。生活保護所帯や、母子家庭への給付は、消費力を確実に向上させます。

国ができなければ全都道府県が行えばよいのです。デフレの場合、その投資先は企業ではありません。消費者です。

消費者から企業の売上を通じて資金が回って行くのです。これがデフレの重要な資金循環の流れです。逆の企業から消費者にはデフレにおいて資金は回りません。

そのため、デフレ下における低金利による生産者への補助は、無意味です。悪戯に資産市場へ資金が流出するでしょう。低金利はあくまでも過剰債務企業への補助であるべきです。

デフレ解消のための要点事項

1、デフレでは、増税はしてはなりません。デフレ下ではわずかな資金減少でも大きく経済を縮小させます。消費税であれ、所得税であれ、さらに公共料金などの国民負担も増やしてはいけません。お金を民間から奪ってはいけないのです。

2、市場にお金を増やす算段をすること。減税などの国民負担の軽減や、年金、雇用保険の増額などにより消費者の購買力を引き上げることが、デフレを解消させるための真の方策です。

3、デフレ解消の政策は、市場から流出する資金以上に流入する資金を増やすことにつきます。これが拡大再生産の循環を確立するのです。

上記のデフレ解消の船中八策は、これを成し遂げる方策です。

4、今、最もしてはいけないこと。

*増税をしてそれを借金返しに使うことです、
*増税をしてあるいは借金をしてそれを公共投資や生産量拡大に使うことです。(残念なことですが、デフレ下では、復興のための公共投資もそれに入ります。)

次にだめなのは、
せっかく国民負担分の軽減をしながら、それを借金返しや生産刺激策に使うことです。(リニアの建設、カジノ構想、オリンピックなど)

今までの識者や、専門家は往々にしてこのような間違ったことをしがちであり、今も多くの政治家がこのようなことをしようとしています。しかしこれではデフレ解消しません。

公務員の給料削減や、人員削減、あるいはあらゆる方面の財源のカットしてもその分を借金返しに使うこと。これをやれば徒労です。しかもこれは非常に重要なことですが、あらゆる無駄を削減しても、消費税を増税すれば、すべてが無に帰します。

日本は何を差し置いてもデフレを解消しなければなりません。社会保障の充実も、年金制度も、そして豊かなくらしも、すべてがデフレ解消がなければ実現できないのです。

デフレ解消は簡単です。ここに書いたことを実行すればよいだけです。

一言主 
デフレ・インフレの一般理論著者
http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi
http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou
(デフレ(スパイラル)と消費税)参照

http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/344.html

コメント [カルト9] ほとんどの奥さんは、売春婦と変わらない! 宇宙一いい加減な博士
24. 2012年3月08日 17:17:56 : tLL5rmHw5c

昔から、男はカネ・女はカラダ(カオ・チチ・ケツ・オ○ンコ)に決まっている。


http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/218.html#c24

記事 [自然災害18] 首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒 (zakzak) 
首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120308/dms1203081130007-n1.htm
2012.03.08 夕刊フジ


プロジェクトチームが東京湾北部地震について新たに作成した揺れの想定図(左)。オレンジ、赤の地域が強い揺れを示す。右は2004年に中央防災会議が計算した想定図(文科省のプロジェクトチーム提供)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/photos/20120308/dms1203081130007-p1.htm


 東日本大震災以降、いつ起きてもおかしくないと指摘されるようになった巨大地震。いまもっとも懸念される首都直下型地震が発生した場合、東京どころか神奈川、千葉県の一部でも最大震度7の破壊的な揺れに襲われる可能性があることが判明した。首都圏の地震の発生頻度は3・11前と比べて約3倍という高い状態にもあり、専門家は警戒感を強めている。

 文部科学省のプロジェクトチームが首都直下型の1つである東京湾北部地震(マグニチュード7・3)が発生した場合、従来想定の震度6強を上回る震度7になると正式に公表した。

 震度7の地点は、江東区豊洲や江戸川区葛西などの東京都東部の沿岸部のほか、神奈川県川崎市、横浜市、千葉県浦安市付近も含まれ、東京湾に添った形で広範囲に及んでいる。

 「これまで想定されていた震度6強では木造家屋の倒壊の恐れが指摘されていたが、震度7では、耐震性の低い鉄筋コンクリートの建物が倒壊する可能性も出てくる」(地震学者)だけに、一刻も早い耐震補強が必要になる。

 先の大震災後、地震の発生頻度も急激に上昇した。8日午前3時51分、茨城県南部で震度3(M4・3)の揺れを観測したほか、4日に茨城県北部で震度3(同3・3)、1日にも茨城県沖で震度5弱(同M5・4)など比較的規模の大きい地震が相次いでいる。

 プロジェクトチームが南関東で起きたM3以上の地震の数を大震災の前後半年間で比較したところ、震災後は約7倍に増加。徐々に減少してきているが、現在も震災前と比べて約3倍の高い状態にあるという。

 国の中央防災会議ではこの研究結果を受けて、4月以降に首都直下型地震の被害想定の見直しに入る。現在の想定では東京湾北部地震の死者は約1万1000人、経済被害は約112兆円と試算されているが、「死者、経済被害ともに大幅に塗り替えられる可能性が高い」(先の地震学者)。予断を許さない状況が続いている。



http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/131.html

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
07. 2012年3月08日 17:20:27 : FpVPO6YryM
これからも毎日 福一の情報に気を配って 過ごします。


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c7

コメント [日本の事件30] 「2ちゃんねる」を強制捜査 覚醒剤書き込み放置の疑い 警視庁 (産経新聞)  赤かぶ
01. 2012年3月08日 17:21:06 : 0hM35t7b2M
昨日から今日午前にかけてアクセス出来なくなっていた
http://www.asyura2.com/
今はアクセス出来ているが、2chの強制捜査と関係があるのかも、と心配してしまった。
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/170.html#c1
コメント [国際6] ロシア大統領選挙でプーチンが勝利 (カナダ de 日本語) 明るい憂国の士
12. 2012年3月08日 17:21:47 : STj9zj0gJ6
08さんありがとうございます

感謝しております。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/489.html#c12

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
08. 2012年3月08日 17:23:45 : GOEbiRffDw
>>04

そりゃあ笑うしかないだろう。私も大笑いしているよ。

この期に及んで、まだ原発再稼動や海外輸出を許してしまう国民だよ。ノー天気にオセロ何とかがどうだとかいうニュースがお茶の間を賑わしているんだから。
ここ連日ニュースショーのトップがオセロ某の失踪だよ。笑わずしてなんとしようか! メディアのアホども一緒にくたばれ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c8

記事 [お知らせ・管理20] 急に阿修羅掲示板が映らなくなりました。代わりにasyura2.comが出ます。
どのように操作すれば元に戻るのでしょうか。この投稿はいつもと違うパソコンで行いました。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/552.html
コメント [カルト9] 教祖が7人の女性信者を次々に妻にし、寺の中でAVを制作し、女性信者を野外で全裸で踊らせ、霊感商法を行うカルト宗教団体 たそがれ竹べえ
05. 2012年3月08日 17:29:42 : tLL5rmHw5c

大阪府警・泉南警察署か東京地検・大阪地検特捜部なら、犯罪の証拠を捏造してくれるかも?


http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/213.html#c5

記事 [音楽6] Gypsy Music 楽譜のない世界2 Taraf de Haidouks〜ルーマニア
大御所タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの登場です。
まずは、ロマ文化の縮図が、これ一本に集約されてる
名作「ラッチョ・ドローム」のシーンを、二つほど。

Latcho Drom - Taraf de Haidouks

Latcho Drom - Balada Conducatorolui

ルーマニアを代表するジプシー・ミュージックの故郷が、
クレジャニ村にある事を、メンバー全員、この村の出身者
で占められるTaraf de Haidouksは、世界に証明した。
そして、バンドの象徴である御大ニコラエ・ネアクシュは、
(二つ目のシーンで、名物’カエルの鳴き声’を披露)
飄々としていながら、ジプシー・ミュージシャン達の尊敬を
一身に集める、ミスター・ジプシー・ヴァイオリンだ!
編成は、ツィンバロン、ヴァイオリン、アコーディオン、
コントラバス、ネイ等。

Taraf De Haidouks - Tot Taraful

マケドニアのジプシーブラス、Kocani Orkestar
(コチャニ・オーケスター)と融合すると大変なことに。
化学反応を起こしたバンド名はBand of Gypsies
Taraf de Haidouks プラス Kocani Orkestar

Taraf de Haidouks + Kocani Orkestar = Band of Gypsies (Official Video)

Taraf de Haidouks vs Kocani Orkestar

Bucovina Clubとは、こんな感じ。
Carolina - Bucovina Club v.s. Taraf de Haïdouks.wmv

http://www.asyura2.com/12/music6/msg/454.html

コメント [原発・フッ素21] 4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある (秋場龍一) 盗電マン
03. 2012年3月08日 17:33:33 : TQw2q3ciB6
福島第一の4号機燃料プールも危機的であるが、活断層の上にある浜岡原発の燃料プールも同様に危険である。さらに全国に54基ある原発は運転を停止していても燃料プールには使用済核燃料があるうえ、点検中であれば使用中のポテンシャルの高い核燃料が貯蔵されている。日本中どこで地震が発生しても危機的状況となるのは目に見えている。原発を再稼働させないと、化石燃料の値上がりや供給問題で経済が云々などと言っているレベルの問題ではない。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/662.html#c3
コメント [国際6] オバマの米国にイラン攻撃回避の一縷の望みを託す ([公式] 天木直人のブログ) 明るい憂国の士
01. 2012年3月08日 17:35:12 : LiYlsKPH7Y
おっぱじまったら、イギリス王国は参戦。では他のオイロパ諸国は参戦するのですか。
その辺知りたいですね。

早く英米覇権が終わるといいですが、オイロパ諸国も巻き込まれるのですか。

第3次大戦はヨーロッパ対イスラムにならなきゃいいです。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/498.html#c1

コメント [カルト9] 山本五十六の真実L  『美和日記』 & 『70年目の真実』 ♪ペリマリ♪
01. BRIAN ENO 2012年3月08日 17:35:23 : tZW9Ar4r/Y2EU : 2aMGYmhAyE
♪ペリマリ♪ 様
お久しぶりです。
今回も力作ですね。
早速、コピーペーストして、
プリントアウトしてから、
ゆっくり読ませていただきます。
今後の奮闘期待しています。
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/227.html#c1
コメント [国際6] 不正選挙大国・米国にはロシア大統領選にケチをつける資格はない (陽光堂主人の読書日記) 明るい憂国の士
03. 2012年3月08日 17:36:33 : 3qYgRQtslk
01様>
<この投稿の内容は正しくありません。 >
断言される所をみると、正確な情報源をお持ちのご様子。
是非、是非情報源をご開示ください。
朝日や読売、日経などはゴメンね。

私が露西亜人であれば、大統領にはやはりプーチン氏以外には考えられないのですが。
混乱したエリツィン時代を収束させ、マフィアが握っていた石油、天然ガス取り上げ、無駄遣いをせずに基金を貯め込み、。。日本の政治家に爪の垢でも飲ませたい。

http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/487.html#c3

コメント [経世済民75] 『日本国債「弱含み」への格下げも』 MR
03. 2012年3月08日 17:37:41 : EB882Lgh2D
この人わかりやすいね。
消費税は上げないほうがいい、金融庁は庶民の味方、ということですかね。
大前さん?

http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/339.html#c3
記事 [音楽6] ピーター・ガブリエール「 D.I.Y.」


Peter Gabriel
4/10/78
The Bottom Line
New York, NY

Soundboard recording taken directly from King Biscuit
Flower Hour broadcast CD (not from an over the air source.)

DAE with Roxio Easy CD Creator 5

Personnel:
Peter Gabriel: vocals, piano
Tony Levin: bass, stick
Sid McGinnis: guitar
Larry Fast: synths
Timmy Capello: Sax and keys
Robert Fripp: guest guitar



http://www.asyura2.com/12/music6/msg/455.html

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
09. 2012年3月08日 17:47:06 : WgS4VYVKiA
余り脅かすなよ。 気の弱い奴は卒倒してしまうぞ。
本来東電の低能共に任せておく話じゃ無く、世界に助けを求めなければ事態なんだがな。
だが世界も原発稼働をしており同じ穴のムジナみたいなものだ。
俺は四号機が崩壊する確率は三割~四割位あると思う、ということはこのグータラ国が崩壊する確率にもなる訳だ。
俺は余命精々十年余、家族なし。
諸君、悪いね。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c9
記事 [音楽6] ピーター・ガブリエルで「暴力の母」(マザー・オブ・ヴァイオレンス)



http://www.asyura2.com/12/music6/msg/456.html

記事 [原発・フッ素21] 知の侮辱(12) 足し算のできない東大教授  武田邦彦  
知の侮辱(12) 足し算のできない東大教授
http://takedanet.com/2012/03/post_f506.html
平成24年3月8日 武田邦彦(中部大学)


「知の侮辱」シリーズとしても「程度の低い知の侮辱」です。まあ、小学校を卒業していればわかるものですが、「瓦礫に反対する奴は非科学的」と言う人がいて、同じレベルなので、一応、書いておきたいと思います。

原発の事故直後、ある東大教授がNHKで「胃のレントゲン1回が600マイクロシーベルトですから、福島市の10マイクロシーベルトは60分の1で問題ない」と発言。多くの人が何しろ{東大―NHK}の組み合わせだから、すっかり信用して大きく被曝しました。

私はこのことを「かけ算のできない東大教授」と書きました。福島市の10マイクロシーベルトというのは1時間あたりですから、福島市に60時間いれば{10×60}で600マイクロシーベルトになるので、もし正しく言うなら、「3日間、福島にいたら胃のレントゲンを超える被曝になり、1ヶ月いたら10回以上の被曝になる」ということでした。

・・・・・・・・・

原発事故から2週間ぐらい経った時、今度は茨城産の「こうなご」から1キログラムあたり4000ベクレルを超える汚染が見つかりました。今度は民放にでていた東大教授が「コウナゴは少ししか食べないから安全だ」と発言しました。

今度は「足し算のできない東大教授」の例で、お二人ともあまりに恥ずかしいことと、一般の国民に自分の専門の領域で被曝させたのですから、すでに東大を去っているのではないかと思います。

この「足し算ができない東大教授」はその後、「食品安全委員会」に感染し、次に「瓦礫を引き受けたい市長」へと拡散しています。いったい、何の「足し算」ができないのでしょうか?

・・・・・・・・・足し算・・・・・・・・・

●外部被曝+内部被曝=被曝限度1年1ミリ

●福島原発事故で直接的に飛んできたセシウムなどによる被曝+3月4月の放射性ヨウ素による被曝+福島からトラックのタイヤで運び込まれることによる被曝+3月4月に衣服についた放射性物質からの長期被曝+家具などに付着したものからの長期被曝+福島から移動する食材の中に入っている放射性物質が生ゴミとして捨てられ焼却場からでることによる被曝+福島からくる人、車、衣服などに付着してくることによる被曝+旅行などで一次的に新幹線などで福島を通過するときに被曝する分+・・・・=外部被曝

●飲料水からの被曝+日常用水からの被曝+道路から巻き上がる二次飛散から呼吸で入る被曝+樹木の葉から飛び散ったり落ち葉からの放射性物質が空気中に舞う被曝+お米、肉、サカナ、野菜、穀類、お菓子、乳製品、調味料・・・などの食材からの被曝+・・・・=内部被曝

●内部被曝の内、今までまだ良く研究されていない放射性物質の体に対する影響についての安全係数

「瓦礫の引き受け」について、これらすべてを足し算してから「市民は大丈夫」としている自治体はありません。いずれも「足し算」をしない場合に限定されていて、「引き受けたいから安全」という論理です。

また全体としては瓦礫量が2300万トン、汚染制限が1キログラム8000ベクレルだから、「国が定めた」全体の上限は2300×10の7乗×8000ベクレル=約2×10の14乗となり、それを日本人の人口1.2×10の8乗で割ると、一人あたり100万ベクレルを超えます。

この一人あたり100万ベクレル、もし日本全体の10分の1の自治体が引き受けたら引き受けた地域の住民は一人あたり1000万ベクレルの被曝を受けます。それもストロンチウム、プルトニウムなどの他の核種の被曝を無視した場合です。

・・・・・・・・・

私は「足し算もしないで大丈夫という人」、特に計算できない人は仕方が無いとして、専門家は足し算をしなければならないことはよく知っています。つまり、被曝も今から50年ほど前なら「被曝させる方の論理」、つまり「牛肉が1キロ1000ベクレルだが、これだけ食べても大丈夫」ということでしたが、最近は「被曝する方の論理」、一つ一つの被曝は大丈夫だが、日常生活で被曝する総量はどうか?ということに変わりました。

これは、食品安全でも環境保全でもすべてそうで、それが数10年も昔に戻ったような話は聞きたくありません。そして自らは数10年前の論理で話していて、「瓦礫の移動は危険」という人に「非科学的」というレッテルを貼るのです。

もっともあまり理由を言わずにレッテルを貼るのは、これも人格攻撃と同じで、ウソを言っていて支えられないから、テレビで集中的に放送したり、相手を人格攻撃したり、レッテルを貼ったりするのだから、相手の心理状態も判ろうというものです。

瓦礫引き受けの前提:被曝する市民側に経った計算値を公表すること、国全体で汚染の拡散をどのように防ぐかについての基本方針を明確にすること、福島を助けるためにみんなで被曝しようなどという魔女狩り時代の論理を使わないことなどがまずはたいせつです。


音声
20120308 武田邦彦教授 知の侮辱(12) 足し算のできない東大教授
http://www.youtube.com/watch?v=tQmoUtgi6vI



http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/664.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ60] ロスチャイルド、ロックフェラー、モルガン、ウォーバーグ、サッスーン・・3月中に一斉逮捕、イルミナティ完全壊滅へ!!! 888(スリーエイト)
04. 2012年3月08日 17:54:57 : RaiQCBFqvw
ベンフル情報を鵜呑みにするおめでたい人って・・・いるんですねえ〜
FRB破綻、イスラエルによるイラン核施設空爆・・・過去にガセネタどれだけ流しているんでしょう?
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/675.html#c4
コメント [原発・フッ素21] セシウムが心筋に蓄積すると確実に死ぬ「児玉龍彦 東大教授」[脱原発・放射能] さそり座
19. 2012年3月08日 17:57:07 : e6SdEWw9lQ
>>15
さそり座さん、明快な説明ありがとうございます。セシウムが体内に蓄積し易い理由、そして心筋の鼓動が阻害される理由がよく分かりました。

なお、アクセス障害はこの投稿ファイルだけではなく、阿修羅ドメインの全般に起こっているようです(プロバイダーによって違うのかも知れません)。ググッてみると数年前から時々アクセス不能になることが報告されています。今後の成り行きが心配なので幾つかの投稿記事は保存しておきました。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/641.html#c19

コメント [原発・フッ素19] 「放射性核種 体外排泄 サプリ (重金属デトックス剤)」---- 皆さんどうお考えですか? 爺さん
449. 2012年3月08日 18:00:37 : TUPxsc98ho
昆布の売り場はいつもがらがら。安全なものはないと思っているのでしょう。私は爺さん様の安全な海藻探せばあるという言葉を信じ21年度産みつけることができました。ありがとうございます。品切れにならず何時でも買えるのが不思議です。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/503.html#c449
コメント [原発・フッ素21] 4号機建屋の倒壊より怖い現実 (がんばれ福島原発!)  赤かぶ
08. 2012年3月08日 18:01:56 : 3hrUNRSPz2
 この気に及んでも原発再稼働たくらむ輩がいる。

原発は覚醒剤か?

悪魔の連鎖を覚悟した自己弁護士が再稼働をしたいようだが,正常な思考力じゃ
ないよ。

だれか,霞が関と永田町に出向いてやつらのほっぺた叩いて,正気に戻せ。

セシウムで脳をやられて手遅れか?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/654.html#c8

コメント [お知らせ・管理20] http://www.asyura2.comに接続できません(日本時間2012年3月7日19時現在)。>管理人さま 一市民
16. 2012年3月08日 18:04:38 : kFSBHHnrzo

適当に数年前の、板名か記事を出せれば 逆たどりで 入れたけれど・・・
 検索→ asyura 空耳30
 検索→ asyura 政治50       ・適当に
 検索→ asyura 投稿者名 2006
阿修羅 Google 記事投稿 即時配信 ---これで我慢の手も
http://groups.google.com/group/asyura_bbs1/topics
阿修羅の過去全板リストと古い記事を検索の効率UPに
http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/463.html


http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/548.html#c16

コメント [国際6] ロシア大統領選挙でプーチンが勝利 (カナダ de 日本語) 明るい憂国の士
13. 2012年3月08日 18:05:50 : rqSDIAxJjw
>>11
オレは、柔道家でもあるプーチンを応援するが、中国を応援したりしない。

中国は、チベット、ウイグル、モンゴルなどの自治区で、アメリカに匹敵する大量虐殺や略奪を
しているだろ。

ウイグルでは、40回の核実験をして放射能だらけにしているだろ。
シルクロードをメチャクチャにした中国。

そこのとところ考えるべき。

どこかの誰かが、胡錦濤マンセーしているが、胡錦濤だろうと、江沢民だろうと、習だろうと、オバマやクリントンやブッシュと同等の虐殺魔だ。

こういう連中は、人間ではない悪魔である。
プーチンがCIA工作員によって起こされたテロに報復するためにやっている反撃とは
全く違う次元である。

http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/489.html#c13

コメント [原発・フッ素21] セシウムが心筋に蓄積すると確実に死ぬ「児玉龍彦 東大教授」[脱原発・放射能] さそり座
20. 2012年3月08日 18:06:09 : VeZTe7T2Aw
なんでしょうね・・・。
大半の記事のアドレスのashuraのところが、
ashura2に書き換わってる。のかな?

7.99$とか書いてある英文サイトが開きます。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/641.html#c20

記事 [カルト9] ドイツとスイスが取り立てやらロスやロックが失脚やら日本4分割案やら錯綜しているが実のところはどうなんだ。
ドイツとスイスが米国の中央銀行に預けた金塊を返せと要求し金庫が空っぽで米国は困っているようだ。
またサスーンに続いて偽ユダヤの中核であるロスとロックも機能不全に陥っているらしい。
それと日本が北海道がロシアで中国が沖縄で九州が韓国で四国が偽ユダヤで本州以外が分割統治されるような
プランもあるようだ。
偽ユダヤを一掃できるような勢力があるならば日本がジタバタしてどうなるものでもないし、それらの国と半分
等価交換にような意味かもしれない。
ベンによると南北朝鮮の統一と日本を加えた3国合併とか書いていたからこれまでの感覚でパズルをみても分からず
日本がバラバラにされるという意味ではないのかもしれない。
それとこの案に対しては賛否両論で百家争鳴状態だと思うが官僚支配を終わらせるには地方分権や道州制どころか他国と
離合集散と合従連衡というシャッフルによる再編成がないと実現しないのかもしれない。
いずれにしても無闇に財産を持っている者は没収という事になるのかもしれないが格差社会を是正するにはそれも必要かも
しれない。
母の母方の先祖が豪農だったそうだが農地改革で小作の人に土地が与えられ悔しい思いをしたそうだが小作人の人が解放
されたプラスのが大きかったように感じる、勿論米国の都合でしかないが。
いずれにせよ格差社会で生活を破壊された99パーセントの人は激変で失うものより得るもののが大きいのではないか。
一億総中流が70億総中流に移行するには1パーセントの強欲を抑える以外ないのだから。
シリア報道にしても米国の読売や朝日にあたる二大局で反政府運動のダニーとかいう似非ヒーローがキャスターとやらせの
打ち合わせしている映像が流れてしまったようでマスコミが正常化してきている証左だろう。
それにしても偽ユダヤが失脚する事は事実なら喜ばしいがそれはそれで新体制が落ち着くまでは大混乱があるのだろう。
日本人は最年長で五段階評価でオール4のような国家だから美空ひばりではないが川の流れに身を任せるように普通を続
けていけば世界から必要とされるし暴動もなく老害がきれいに失脚し新しい体制の中で全員が中間管理職的な存在として
大事にされるのではないか。
資本主義でもない共産主義でもない共生主義にスムーズに移行できるかはひとえに日本の普通力にかかっているのではないか。

http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/228.html
コメント [Ψ空耳の丘Ψ60] ロボットに人間の脳を移植し不死化する人造人間プロジェクトが発足。&養老の達人 kokopon
05. 2012年3月08日 18:14:55 : WrKahvc5tA

機械は維持費とメンテが大変だっツーのw

新陳代謝がどれだけ物凄いシステムか
わかってないだろ?

まさに中二病レベルの発想なんだよ
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/668.html#c5

コメント [原発・フッ素21] 福島第一4号機、天井の巨大クレーン撤去 作業写真公開 (朝日新聞)  赤かぶ
14. 2012年3月08日 18:24:00 : y2B69zKS8Y
これが転げ落ちると、「あなたも、わたしも、サヨウナラ」
日本という国の山河と海がより以上に大量に汚染してしまい人の住めない国になるのね。

すごい話だ。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/637.html#c14

記事 [原発・フッ素21] 「日本は原子力帝国」 前福島知事、欧州議会で講演(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0307/TKY201203070608.html

「日本は原子力帝国」 前福島知事、欧州議会で講演



 前福島県知事の佐藤栄佐久氏らが7日、ブリュッセルの欧州議会で講演し、「日本は(東京電力福島第一原発の)事故の後も原発を進めようとしている。原子力帝国だ」などと語り、政府の姿勢を批判した。反原発や環境保護などを訴える「緑の党」系の会派の催しに招かれた。

 佐藤氏は現職時、原発を受け入れていた立場だが、事故の地元への報告が後回しにされた経験や、今回の事故を受けた政府の会議で議事録が作られていなかったことなどを紹介。過去も今も、政府の情報発信に問題があると指摘した。

 また原発メーカーの元原子炉設計者、後藤政志さんも、日本の原発の耐性評価(ストレステスト)では、「火災やがれきによる被害が考慮されておらず問題がある」と述べた。

 欧州連合(EU)は福島の事故を受け、域内の全原発を対象にストレステストを4月末までの予定で実施中。EUの検査内容が不十分だと批判している同会派のレベッカ・ハルムス代表は「EUは福島の教訓を生かさなければいけない。原発を過去のものにすることは可能だ」と述べた。(ブリュッセル=野島淳)
.
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/665.html

コメント [自然災害18] X5.4スーパーフレア 地球向き 大変だ ネットもオンラインも送電も破壊される ケベック大停電に匹敵 てんさい(い)
01. 2012年3月08日 18:33:18 : mqt4EpsF0g
携帯電話の通信が出来なかったり、混線したり、電話が繋がらなかったり
してますものね!ここ2〜3日。

http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/126.html#c1
コメント [原発・フッ素21] 4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある (秋場龍一) 盗電マン
04. 2012年3月08日 18:38:12 : y2B69zKS8Y
そもそも「原発は安全」神話を根拠に、厄介者の使用済み核燃料を一緒にしている。
こんな大事故を引き起こしておいて、未だに原発は稼働したまま、使用済み核燃料も一緒のままって、アホ過ぎだろ。


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/662.html#c4

コメント [原発・フッ素21] マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?(BLOGOS) otoppi
31. 2012年3月08日 18:40:01 : g5YNM3KfF2
12,28さんに同意。

■今回はマスコミの話題だが法曹界、政界、財界みな同じ『東大問題』を抱えている。東大総長はこの現状に対する見解と対策をこそ発言すえきである。

投稿文に「彼らに対する監督責任をどうお考えですか?マスコミの話をなさるまえに、東大の総長として、原発推進の大学の総長として、ご見解をお聞かせください。お願いします。」とある。

まったく同じことを法曹界、政界、財界に関しても問いたい。

●犯罪組織と化した法曹界は東大法学部で埋め尽くされている。

最高裁事務総局 山崎敏充 事務総長-東大法法学卒(?)
最高裁長官   大橋正春 長官殿 -東大法法学卒
推認裁判長   登石郁朗 裁判長 -東大法法学卒
棄却裁判長   古田佑紀 裁判長 -東大法法学卒
(陸山会裁判で登石裁判長が行った"訴因変更"に対する特別抗告を棄却した)

「裁判員制度 法曹3者に聞く」
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_trialstaff090520at3intv
    ↓
山崎敏充最高裁事務総長、樋渡利秋検事総長の談話と写真が拝めます。

山崎氏はのたまう。
「裁判が身近なものになって国民の理解が深まり、司法への信頼が高まることに大きな意義があると思う」と。

国民はこたえる。
「イカサマソフト、イカサマ検察審査会、イカサマ検審議決、イカサマ調書、イカサマ垂仁裁判等々で裁判が極めて身近な恐ろしいものであるとの理解が深まり、司法への怒りがいやおうなく高まってきました」と。

●官界は東大法学部で埋め尽くされている。

内閣府事務次官  松元崇    東京大学法学部
復興庁事務次官  峰久幸義   東京大学法学部
総務事務次官   岡本保    東京大学法学部
法務事務次官   西川克行   東京大学法学部
外務事務次官   佐々江賢一郎 東京大学法学部
財務事務次官   勝栄二郎   東京大学法学部
農林水産事務次官 町田勝弘   東京大学法学部
経済産業事務次官 安達健祐   東京大学法学部
国土交通事務次官 宿利正史   東京大学法学部
防衛事務次官   金沢博範   東京大学法学部
警察庁長官    片桐裕    東京大学法学部
金融庁長官    畑中龍太郎  東京大学法学部

この中で権力をほしいいままにしているのが「財務事務次官 勝栄二郎 東京大学法学部」である。

司法は冤罪で個人を葬り去ることができる強大な権力をもっているが、それにつぐ権力を握っているのがここだ。

カネ(税)にまつわる冤罪をいくらでも作り出せる強大な権力だ。
今野ブタ総理の背後霊となって増税に血道をあげている。
    ↓
『財務省「言論統制プロジェクトTPR」、その27年間の凄まじさ』
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/310.html

●政界は東京大学法学部に支配されている。

大勲位 中曽根康弘:東大法学部
自民党  谷垣党首:東大法学部
公明党  山口党首:東大法学部
社民党  福島党首:東大法学部
民主党  仙谷盗首:東大法学部
法務大臣 江田五月:東大法学部

なぜか民主党の野田総理大臣が就任の挨拶に行った。
参議院の議長から法務大臣に着いた江田五月も明らかになにか狙いがあってのこと。
仙谷に関してはもはや説明はいるまい。イカサマ大明神である。

●財界は東大法学部で埋め尽くされている。

代表として遺伝子組み換えのモンサント社と提携してTPP推進を訴える住友化学会長で経団連代表の米倉を上げておこう。

経団連会長(住友化学会長) 米倉弘昌 -東大法学部

その他、主要な企業のトップの82人が東大法学部だ。

●東大法学部に選挙された日本の悲劇。

本当にこれでいいのか日本!

米国様のご用聞きばかりの政・官・財(即ち東大法学部)にこの国をまかせていいのか?


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/617.html#c31

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
10. 2012年3月08日 18:40:02 : i93ub11HLE
ホンと冗談ではありませんでー。今回の事故で、広島原爆の168発分のセシウムが、他にプルトニウム、ストロンチウムなだの核種が。しかも、いまだに放射能が漏れている。大気中・海にも・川にも。4号機に4000本の燃料棒が地震など不規則なことで爆発したら・・・おおー怖っつ。科学者やマスコミは本当のことを知っているんじゃないか?だから、関心を逸らすためオセロや木島のことを10日以上も朝から晩まで流しているんじゃないのかな? 

もう笑うしかないかもね。最後の晩餐もよし、最後の一発もよし
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c10

記事 [戦争b8] シリア 政府による国民弾圧なのか――黒幕の米英、狙いはイラン弱体化(週刊金曜日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120308-00000302-kinyobi-bus_all

ロシア外務省のミハエル・ボグダノフ副大臣は二月一〇日、緊迫するシリア情勢について「カタールと英国の特殊部隊がシリア国内で活動している」と発表した。

 すでに昨年一二月、イスラエル政府に近い軍事問題インターネットサイト「DEBKA」はシリア情勢について「カタールとサウジアラビアが、リビアやヨルダン、イラクから民兵を流入させ、テロ活動を資金援助している」と報道。

 アラブ連盟が昨年末から一カ月間派遣した「シリア監視団ミッション」の報告書によれば、国内の政府支持勢力と反政府勢力のデモ参加者による小競り合いはあったが、西側メディアが流している「政府軍による国民弾圧」といった報道は、事実として確認されていないと結論づけている。

 一方、シリア外務省は二月一六日、国連に対して書簡を提出し、同月一〇日に国内二カ所で車が爆破され、住民二八人が死亡した事件は「他国によって支援された軍事活動」だと非難した。

 米NBCテレビは二月一七日のニュース番組で、多数のスパイ用米無人機が、シリア上空を飛行していると報じている。米『アメリカン・コンサーバティブ』誌も昨年一二月一九日号に掲載した「NATO対シリア」という記事で、(1)トルコの空軍基地にNATOがシリア反政府勢力向けの武器を空輸している、(2)英仏の特殊部隊が反政府勢力に軍事訓練を施している、(3)米特殊部隊とCIAが反政府勢力に通信機を供与しシリア軍の情報も提供している――等の動きも伝えている。

 同誌はこうしたNATOや一部湾岸諸国の活動について、「『住民保護』を名目に軍事介入し、政権を転覆したリビア型の作戦を狙っている」と論評。だがシリアを打倒することで、その最大の同盟国であり、米英が攻撃準備を進めているイランの弱体化が狙われているのは間違いない。

(成澤宗男・編集部、2月24日号) .

最終更新:3月8日(木)18時31分

http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/880.html

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
11. 2012年3月08日 18:43:55 : mgGk0yxY9M

4号機で使用中だった最新の燃料でも停止から1年4ヵ月が経過し、もっと以前からプールにあるものを含め、最新の燃料でも1/100以下に弱まった崩壊熱でジルコニウムが溶けるほどの温度にまで上昇するのでしょうか?4号機が特に危なかったのは事故直後(4号機停止から約4ヵ月しか経っていない)であり、今後、プールが崩壊または底に亀裂が入り水が漏れたしても、ジルコニウムの融点である2700℃を超えるのかどうかが疑問です。被覆管は気密につくられていて、ペレットの外部へ出てきた少量の放射性物質(希ガス)も被覆管の中に閉じ込められ、被覆管が健全であれば外には出ないように作られているとのことです。ジルコニウムさえ溶けなければその中にある放射性物質は大量に外気に出てこないと思うのですが。しかし金属の状態にあるセシウムの沸点は671度であり、それ以上の温度になると気化します。例えば内部の温度が1500度くらいになり、セシウムやストロンチウムのガスがジルコニウムの被覆菅の中で大量発生すれば、ジルコニウムが溶ける温度にならなくても大量に漏れ出すかもしれないし、被覆菅そのものを内部のガスの高い圧力でで壊してしまう(破裂させてしまう)かもしれません。もしそうなれば再度水につけて670度以下に冷やさない限り、セシウムの放出を止めることができないと思います。
安全の為に燃料をキャスクに入れて保管せよという話を時々聞きます。キャスクは燃料棒を空冷で冷やすための特殊な遮蔽容器(乾式、またはドライキャスクというらしい)で、燃料を水につけていません。内部では相当高い温度になっていてもおかしくないと思うのですが、セシウムが気化し容器から漏れ出したと言う話は聞きません。
小出氏の危険説と武田氏のそれほど心配ない説のどちらが正しいのか、考えれば考えるほどわからなくなります。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c11
コメント [自然災害18] 大特集 切迫する「大地震」に備えよ 「震度6」とどう違うのか 東京直下を「震度7」に変更した理由 (週刊現代)  赤かぶ
07. 2012年3月08日 18:44:27 : mqt4EpsF0g
来ないとは限らない。
もし来れば、恐らく地下鉄はすべて陥没し、首都高速は崩壊し、高層ビルも一部は倒壊するでしょう。
死者が1万人数千人で済むわけが無い。その100倍でしょう。
それが、人口密度の高い東京で起きる惨事だと思います。

http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/120.html#c7
コメント [自然災害18] 大震災から間もなく1年…毎月11日前後に大地震が起きる理由 (zakzak)  赤かぶ
03. 2012年3月08日 18:49:49 : mqt4EpsF0g
地震来るんじゃないの?
巨大太陽フレアの影響で地球に強い磁場がきてるから。ここ3〜5日の間に・・・。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/117.html#c3
コメント [原発・フッ素21] 5キロ圏・100ミリ地域を国有化=原発事故汚染土を中間貯蔵−政府・民主検討 (時事通信)  赤かぶ
04. 2012年3月08日 18:49:53 : swsf4Tw1P2
こんな結論に1年もかかるか。

事故直後でもう当分住めない地域が相当の面積になることぐらいはっきりしていたはず。そこの住民はずっと宙ぶらりんの立場におかれていた。これでは生活再建など出来ぬ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/652.html#c4

コメント [原発・フッ素21] 4号機建屋の倒壊より怖い現実 (がんばれ福島原発!)  赤かぶ
09. 2012年3月08日 18:50:32 : i93ub11HLE
もう手遅れです。セシウムにイカレテいるから。思考脳力なし。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/654.html#c9
コメント [お知らせ・管理20] 2012年3月 削除依頼・削除報告スレ 管理人さん
33. 2012年3月08日 18:52:52 : Mnxczxr6Dw

投稿者には、投稿許可の前提条件として、阿修羅同報メールの
メーリングリストへの加入を義務づけるべきです。
同報メールを受信していれば、その数は大量なので、メールソフトから
不要なメールを削除するという整理作業をかならず行なうことになりますが、
その作業をしながら投稿にざっと目を通すので、題名だけでも
記憶に残ります。だから重複投稿はできなくなります。

「赤かぶ」その他の、とくに投稿数が多い投稿者だけでも
同報メールMLへの加入を義務づけるべきです。


重複投稿↓
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首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒 (zakzak) 
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/131.html
JI 131 2012/3/08 17:19:37
投稿者: 赤かぶ

首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120308/dms1203081130007-n1.htm
2012.03.08 夕刊フジ
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先行投稿↓
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首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒     
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/129.html
JI 129 2012/3/08 14:10:51
投稿者: すずしろ日記

首都直下「震度7」千葉、神奈川も直撃の可能性!専門家が警戒
2012.03.08
ZAKZAK http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120308/dms1203081130007-n1.htm
------------------------------------------------------------

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/539.html#c33

コメント [マスコミ・電通批評11] 上原美優がいたプロダクション「プラチナム」は業界では有名な悪徳プロダクション。テレビ業界は「なんと連合」とズブズブの関係 TORA
22. 2012年3月08日 18:55:49 : 34uyc2EVws
プラチナムが悪いならトリンドルちゃんわ
大丈夫でしょうか?
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/805.html#c22
コメント [経世済民75] 海外旅行はあと10年  (Chikirinの日記 2012-02-28 ) 五月晴郎
18. 2012年3月08日 18:58:44 : RQpv2rjbfs
原発が、はぜそうなのにどこが安全なんだか。
ドイツのニュース番組で原発復旧の作業員がインタビューに答えていってました

現状水で冷やす以外のことは何もしていない、放射線が高すぎて作業ができない。

海外メディアははらはらしながら見ているのに、政府はなんて脳天気。プールが崩壊したらきっと想定していなかった、とでも言うのでしょう。

東電の説明と情報提供不足で首相も担当大臣も現状をすこしも理解していないとしても、ぜんぜん驚かないですよ。ていうか理解していないから平気で瓦礫焼却なんかに力を入れてるわけです。

ちきりんさんには賛成です、海外に行くのはめんどくせーからドルロングで円安を待ってます、はやくさがってねーーー。

案外安くならないんだなこれが。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/331.html#c18

コメント [原発・フッ素21] 福島原発4号機 プールのヒビ割れだけでも人類史上最悪の事態に (週刊朝日)  赤かぶ
05. 2012年3月08日 19:03:06 : i93ub11HLE
どうしようもない餓鬼、畜生界に住む卑しく、下品なジイサンだ。ガハハ、ガハハ
もう止めてくれ!オシッコが漏れそう。オシメしたか?大丈夫?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/657.html#c5
コメント [国際6] 「同性愛者より独裁者のほうがまし」 ベラルーシ大統領、独外相らを非難  AFP ダイナモ
01. 2012年3月08日 19:06:00 : 8rNCXQYiW2
マエハラ君とノダ君のラブカップルのことかと思ったヨ。
http://www.asyura2.com/11/kokusai6/msg/497.html#c1
記事 [お知らせ・管理20] 重複投稿につき削除お願いします
恐怖を煽る「東京湾北部地震説」の急浮上が隠蔽する危険な法案(神州の泉)
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/381.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2012 年 3 月 08 日 19:03:58: twUjz/PjYItws

を削除願います。

すでに投稿されていました。

恐怖を煽る「東京湾北部地震説」の急浮上が隠蔽する危険な法案 (神州の泉) 
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/376.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 3 月 08 日 13:08:29: igsppGRN/E9PQ
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/553.html

コメント [原発・フッ素21] メルトダウンを防げなかった本当の理由 taked4700
38. 2012年3月08日 19:11:15 : OTOSIyOeKE
>02. 2012年3月07日 10:07:54 : DAasgXaB5A
過去を振り返って、原因をつくった人物を断罪しても未来は変わらない

それに目をつぶって東電を悪者と言い続ければ良いのか?
福島の事故は東電の過失から起こったのかもしれない。
しかし、いつかはどこかで起きた事故だ。
東電は運が悪かっただけで、東電だけが悪いのではないのではないか。

東電を許す。全てはここから始まるのではないか。

 あなたの考えでは、許したとして、どのように始まり、どのように展開(一億総懺悔?)、どのように収束するのですか?
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/636.html#c38

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
12. 2012年3月08日 19:13:50 : ptzP5Z2ULY
> なかゆきてる氏に会いました。

おそらく次の方ですね。

http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/scramble/scramble2011/20110905.html

原発近く、米国人眠る/建設に参加、遺言で墓
2011年9月5日(月) 東奥日報

> GE元社員で現在は東京電力の協力会社「東北エンタープライズ」の社長を務める名嘉幸照(なか・ゆきてる)さん(70)=富岡町=は、第1原発の事故収束に全力を挙げる日々を送っている。「クックさんはここで原発を見守ってくれていた。こんな事故を起こし申し訳ない」と話す。
>
>  名嘉さんは、原発収束作業の行き帰りに墓参りができる。これまで何度か花を手向けた。「ほかの人も墓参りができるよう、早く事故を収束させたい」と日々の仕事の励みにしている。


http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-03-16_15527/

命懸け原発補修「代われるなら」名嘉幸照社長
2011年3月16日 09時35分 沖縄タイムス

 15日午前6時15分―。東京電力福島第1原発2号機で爆発音が響いた。付近住民に避難や屋内退避の指示が出る中、原発のメンテナンスをする「東北エンタープライズ」社長の名嘉幸照(ゆきてる)さん(69)=伊是名村出身=は全社員を避難させた。だが、同日夕、東京電力からの要請で、技術を持った社員3人が現場に戻ることに。「社員は家族や地域、国民を守る使命感で職場に戻った。命を懸けて働く社員やその家族を思うとつらい。できるなら自分が代わりたいが…」。名嘉さんは声を震わせた。(吉川毅)

 早朝の爆発直後、名嘉さんはメールで全社員75人に「避難」を指示し、妻と一緒に約50キロ離れたいわき市へ。避難する車の中で携帯電話を握り、全社員が無事に、自衛隊の車両などで避難したことを確認した。

 しかし、ほっとしたのもつかの間。夕方、いったん避難したベテラン社員3人に対し「現場に戻してほしい」と東京電力の要請。名嘉さんは苦渋の決断を迫られた。

 「余震と被ばくの恐怖に耐え、みんな不眠不休で疲労もピーク。3人の家族も当然、強く反対した。子どもを戦場に送るような心の痛みをこらえ、家族には泣いてお願いした」。名嘉さんは沖縄タイムス社の電話取材に対し、疲れ切った声で語った。

 名嘉さんは同原発建設時から、エンジニアとして事業に携わり、30年前に独立。東電の下請けとして技術提供を行ってきた。

 地震発生から5日目。爆発で原発の機器が次々に故障。補修や仮設機材の設置、放射線の測定作業に追われた。これまでまったく予想しなかったことが現実となった。社員の中には家族や知人が行方不明の人もいる。

 地震発生当時、高台にある事務所にいた名嘉さんは、見慣れた街並みが波でつぶされていく様子を見た。福島に住んで約40年。体感したことのない揺れと、見たことのない大津波。港や原発から約10キロしか離れていない富岡町の事務所と自宅は無事だったが、周りの景色は一瞬にして無くなり、多くの人も消えた。「社員とその家族の無事を祈るだけで、今後の事は考えられない。早く悪夢が終わってほしい。それしか言うことはない」


http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/06/post_1369.html

今を生きる 原発事故の現場から(22) 社員の郷土愛胸に
2011年6月12日 福島民報

「大丈夫か」。東京電力の協力会社・東北エンタープライズ社長の名嘉幸照さん(69)は30代の男性社員の体調を気遣った。福島第一原発での6日間の復旧作業を終え、表情は少しやつれて見えた。
 「また行ってくれるか」。声を掛けると、答えはすぐに返ってきた。「頑張ります」。不安がないはずはない。頭が下がる思いがした。
    ◇   ◇
 震災後、仕事場を富岡町から避難先のいわき市のビジネスホテルに移し、福島第一原発にメンテナンスの技術者を派遣している。社員43人のうち8〜9人が6日働き、2日休むローテーションを組む。
 高い放射線量、強い余震...。極限状態の中で、社員は長い時で1日8時間、建屋内にこもり作業した。免震重要棟での食事は菓子パンや缶詰など。夜は座ったまま寝る過酷な現場に大事な社員を送り出すことは、身を切られるようにつらかった。
 当初は福島市や須賀川市などの避難所に車で迎えに行き、原発事故収束に向けた前線基地があるJヴレッジ(楢葉・広野町)に送り届けた。ルームミラーには、遠く離れるまで見送る家族の姿が映っていた。
 帰りの車中、社員はいつの間にか眠り込んでいた。疲れ果てた姿が痛々しく、社員にも、出迎えた家族にも掛ける言葉が見つからなかった。
 世界的な原発メーカーの米国ゼネラル・エレクトロニック(GE)社の社員として昭和40年代後半から約3年間、福島第一原発2号機の建設に携わった。地元の女性と結婚し、昭和55年に富岡町に会社を興した。出身地の沖縄よりも長く暮らし、古里のように感じていた。震災で教えられたのは、それ以上に強い社員の郷土への思いだった。
 全員が南相馬市や浪江町など地元出身者だ。地震、津波、原発事故と大きな災害に見舞われても、会社を去った社員は1人もいなかった。
 古里を愛する気持ちが身に染み、「社員の安全を守ることが自分の使命」との思いを強くした。「防護服や全面マスクを着用していては体力が消耗する」。じめじめとした梅雨を前に、東電に労働環境の改善を訴え続ける。
    ◇   ◇
 社員と家族のことを思えば、この仕事から撤退した方がいいのか、悩むこともある。
 ある時、社員が語った言葉を胸に刻む。「原発に行くのは恐ろしい。だけど古里は見捨てられない」
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c12

コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
13. 2012年3月08日 19:15:10 : 661tt5SBAU
専門家でも見解が分かれる状況なのでしょう。
たぶん現場でも分かれてると思う。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c13
コメント [原発・フッ素21] 専門家が立ち上がって欲しい(3) エンジニアの信念  武田邦彦   赤かぶ
05. 2012年3月08日 19:16:36 : kz9bDf8tt6
共通の否定対象をつくり、屁理屈、陰湿陰険なな真夏の〜夢ではぐらかす
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/655.html#c5
コメント [原発・フッ素21] メルトダウンを防げなかった本当の理由 taked4700
39. 2012年3月08日 19:17:26 : k3nzYl0Obw
>>02(最初)福島などの被害者は原因はともかく、しっかり賠償すればそれで良いだろう。・・(中略)・・
(最後)東電を許す。全てはここから始まるのではないか。

信じられない・・・・
イジメにあっているのは「東電」?「国民」?
東電を許したらどういう展望があるというのか誰か教えてほしい。


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/636.html#c39

コメント [原発・フッ素21] 4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある (秋場龍一) 盗電マン
05. 2012年3月08日 19:17:41 : JrPYjVYQO2
本当のことを包み隠さず世界中に報告して海外の専門家の知恵を結集しないと
東電の手には負えません。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/662.html#c5
記事 [お知らせ・管理20] 重複投稿でした削除願います。
管理人さん お忙しいところ恐縮です。

★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK127 > 376.html  
恐怖を煽る「東京湾北部地震説」の急浮上が隠蔽する危険な法案 (神州の泉) 
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/376.html
投稿者 赤かぶ 日時 2012 年 3 月 08 日 13:08:29

★阿修羅♪ > 昼休み52 > 137.html  
恐怖を煽る「東京湾北部地震説」の急浮上が隠蔽する危険な法案 (神州の泉)
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/137.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2012 年 3 月 08 日 13:13:07

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/554.html

コメント [自然災害18] 首都圏の地震、大震災前の3倍に増加 文科省「M7いつ起きても…」 (産経新聞)  赤かぶ
02. 2012年3月08日 19:19:17 : lp1j0hngpM
大阪へ天皇と人口移動への伏線でしょうか。3.11以前にも似たようなことがあったそうですが東京への人工地震?。
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/125.html#c2
コメント [原発・フッ素21] セシウムが心筋に蓄積すると確実に死ぬ「児玉龍彦 東大教授」[脱原発・放射能] さそり座
21. 2012年3月08日 19:26:54 : e6SdEWw9lQ
>>20 さん
ashura も ashura2 (たぶん新しい) も阿修羅の固有ドメイン名です。

[引用始め]
トップレベルドメイン 「.com」 を管理するのは、アメリカの 「ベリサイン」 という会社。
そして、日本のドメイン名 「.jp」 を管理するのは、日本レジストリサービス (通称JPRS) という日本の会社です。
そして、すべてのトップレベルドメインとその管理会社を管理しているのが、ICANN (アイキャン) という組織です。
ICANNは、ドメイン名だけでなく、IPアドレスなどのインターネット資源を一元的に管理している非営利の国際組織です。
[引用終わり]

阿修羅ドメインのアドレスが、不正にこっそりと他のアドレスに飛ばされる原因は、プロバイダーレベル、あるいは上述のような上部の管理組織レベルが絡んだ何らかの原因があると思います。
いずれにしても、人類社会の共有インフラであるインターネットに対する見過ごし出来ない悪質な挑発ではないでしょうか。

http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/641.html#c21

コメント [経世済民75] FRBよ、我々のゴールドを返せ―ドイツ、スイス 888(スリーエイト)
02. 2012年3月08日 19:30:22 : FijhpXM9AU
どうも中央銀行の統制が効かなくなってきているようだね。欧州では市場金利が政策金利と無関係に大幅に上昇しつつあるようだし。英国の不動産市場などもオリンピックまではつり上げが続くと踏んでいたが、どうもオリンピック前に大暴落が始まるかもしれない。どうも闇の勢力の間のヘゲモニー争いが本格的に顕在化しつつあるようだ。
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/343.html#c2
コメント [原発・フッ素21] マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?(BLOGOS) otoppi
32. 2012年3月08日 19:30:43 : MW9zXPIEPQ
勝栄二郎は勝海舟の末裔か。そうなら 先祖の恥さらしである。違うことを望む。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/617.html#c32
コメント [経世済民75] AIJ問題:企業 年金損失穴埋め困難で連鎖倒産の危機  「代行割れ」で14社倒産のケースも MR
09. 2012年3月08日 19:35:55 : kVRjv6w4OQ
事、公的金融問題に関する限り、だ〜れも責任取らなくていーのっ!

コームインは法律で守られてるのっ!要領よくシロアリに徹した者の勝ちなのっ!

東大はシロアリ教育専門なのっ!愚民はエサなのっ!

http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/336.html#c9

コメント [原発・フッ素21] マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?(BLOGOS) otoppi
33. 2012年3月08日 19:36:18 : dlp5rHUhkk
東大は世界レベルで22位のようです。御用学者が出世する。東大法学部で何を勉強しているのですか。日本の司法の現状は東大法学部の責任でもあるのです。国立大学は日本を良くする為に出来ているのと違いますか。この水準では期待できないか。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/617.html#c33
コメント [原発・フッ素21] 小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は"おしまい"です/ZDF:4号機燃料プール崩壊は日本の終わりを意味する 妹之山商店街
14. 2012年3月08日 19:37:51 : mbLgoUxQsc
>野田総理はどういう対処をするのでしょう。

「もう、終わりにしましょう」と言う

日本終了
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html#c14

コメント [カルト9] 狭き門、を、解説せよ!   コレは難しいので免許皆伝だ!(爆笑)。 宇宙一いい加減な博士
26. 愚鈍 2012年3月08日 19:38:01 : vVsFRb08RANTI : Mtmt6EW8GU
狭き門を行くわけですが、その門は、暗黒想念やマーヤ等の荒い波長のものは通れない。よって、真我の意志をもって、ただ静かなる観照者が、現在自己意識を載せて、高周波数で、その門を通過する。決して、「うんこ」と手を繋いで、その門を通過することはできない。

馬鹿の語源が、馬と鹿が一緒に橋を渡ろうとして渡れない様から来たと聞いたことがありますが、それを思い出しました。

愚鈍
http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/222.html#c26

コメント [原発・フッ素21] 「セシウムさいた」で講演 埼玉県教組の集会 批判受け表題変更 (産経新聞)  赤かぶ
06. 2012年3月08日 19:38:31 : txKoq6KBVw
俺も賛同。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/651.html#c6
コメント [お知らせ・管理20] http://www.asyura2.comに接続できません(日本時間2012年3月7日19時現在)。>管理人さま 一市民
17. 2012年3月08日 19:41:01 : E4bT3Bpr2w

阿修羅が嫌がらせ攻撃を受けて閲覧不能に、2ちゃんも手入れ捜索、そろそろ東海アマさんも危ない。反原発派に対する攻撃は明らかにエスカレートしている
( http://twitter.com/#!/tokaiama/status/177696999456518145 )

嫌がらせ攻撃? (*´艸)ププッ


http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/548.html#c17

コメント [原発・フッ素21] マスコミ学会で東大総長に会場から激しいヤジ 震災・原発報道で見えたマスコミの限界とは?(BLOGOS) otoppi
34. 2012年3月08日 19:41:21 : txKoq6KBVw
札幌市の知事はまとも
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/355906.html
札幌市、がれき受け入れず 上田市長、国基準に不信感(03/07 23:17)
 札幌市の上田文雄市長は7日の定例記者会見で、東日本大震災の被災地で発生したがれきの受け入れについて「(放射性物質が)国の基準を下回っていても受け入れるつもりはない」との考えをあらためて表明した。

 国の示す基準に対しては「放射性物質は微量でも有害で極めて長寿命。十分な知識を持ち、風評被害のことも考えた上で判断してほしい」との考えを示した。


http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/617.html#c34

コメント [原発・フッ素21] メルトダウンを防げなかった本当の理由 taked4700
40. 2012年3月08日 19:42:42 : E3gsxHqDn2
さて・・・アメリカ、中国、ロシア・・・原発・・・独善的人間主義キリスト教・イスラム教・・・津波、地震、台風・・・独占企業、世界企業・・・核・・・イナゴやネズミの大群、群集性・・・独善的巨大パワー・権力の危険・・・自然法則。少なくとも、人為的危険は避ける事が出来る、絆により。しなければならない、核の即時廃絶、隔離、避難・・・絶対法則。垂直の壁や天井を逆さに踏みしめて誰も歩くことはできません。太陽でさえ、大きくなって最後を迎えるという話を聞きました。

幻想国家・世界政治経済社会体制随@教を絶対的前提としては、終わらない。時代の精神。
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/636.html#c40

コメント [自然災害18] X5.4スーパーフレア 地球向き 大変だ ネットもオンラインも送電も破壊される ケベック大停電に匹敵 てんさい(い)
02. 2012年3月08日 19:46:56 : wMAYnihONg
ちなみにどこのキャリアがですか?
具体的にお願いします
http://www.asyura2.com/12/jisin18/msg/126.html#c2
記事 [議論30] 人間は誰のなめになんで必要なのか、こんなことなら絶滅種でも良いのでは
現世は人間が望む方向に進んでいるとは思えない、何かが変だ
赤ちゃんや子供を見るとお気の毒でならない
生きていくのが大変なのに、と心で叫びたくなる。
勉強勉強、学習塾、習い事、ゆとりはだめ、それで苦労して大学出ても就職できるとは限らない。
非正規社員が35.4%にも増えた。親が貧乏ならどうなるだろう。
世の都合だけで少子化対策が必要だとしている、赤ちゃんの人生は全く考慮されていない。

自殺者年間3万人以上14年も続いている。
孤独死は頻発しているとの報道だある一方、何千億円だとの長者番付が報道されている。

「赤ちゃんよ生まれて来てね人生は楽しいよ」と胸を張れる世界に
技術的には十分可能であとは知恵を出すだけです。

▼「人間よ大志を抱け、人間には不可能はないのだ」
現世でも極楽浄土を作りましょう。

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/560.html

コメント [経世済民75] 8月87円、2014年100円、2015年120円?逆バブル破裂で史上最長のドル高・円安も MR
02. 佐助 2012年3月08日 19:56:44 : YZ1JBFFO77mpI : FadH6CGwCF

世界信用恐慌の二番底はファンド投信の大破綻でしょう。まもなく表面化してきます。

日本は2019年までは商品の優位性をもつ円が、円安では世界貿易の不均衡は是正できない。それで破滅的な50円以上の円高になるかもしれないが,過去のデータから読み取ると60円前後なのかもしれない。そのため心ならずも円は、キンとリンクし基軸通貨になる。もしユーロや円がドルよりも早く金本位制を採用すれば、世界の信用恐慌は、三年で収束します。対米従属外交の日本はドル国債を担保に金本位制を採用することです。

円はピークで60円の衝撃を受けるとドル暴落を防止するため米国は、通貨の発行尺度を保有キンにする政策(金本位制)を提案しなければならなくなる。そうするとドル暴騰,ユーロ・円の下落が起きる。ドルは円も含めて全世界の通貨に対して高くなる。2012年〜2014年にユーロがキンとリンクすると金争奪戦が激しくなる。第二次世界信用収縮恐慌の一番の要因はドル一極の崩壊が近づいたことによる,ユーロ・円三極への移行が根因なんです。このドル紙幣の膨張を防止して先送りすると世界恐慌は増幅する。そして10年以上は恐怖の世界恐慌から抜けられなくなる。

需要より供給(生産能力)が上回っているために,銀行の貸し出しが増えても、円の価値が下がって円安になることはないが。金本位制採用に踏み切ると円安になる。計算値ではピークで200円はいくだろう。ドル暴落から米国は「保有しているキンを尺度に通貨を発行する」キン返り政策を採用せざるをえない。しかしキンとのリンクは1ドル60円になるか,新興国のバブルが崩壊するか,EUで債権デフォルトが起きない限りしないはずです。

金本位制にしないと2015年には、とうとう株式市場・為替市場・銀行窓口の一時閉鎖が避けられなくなる。後進国のバブルは破裂したのでさらに加速され、第二のリーマンショックになることは避けられない。そして我々は古今未曽有のパニックを迎えるでしょう。関東大震災のような直下型大地震が関東で起きるかも知れない,フクシマ4号機が大爆発するかも知れない。三途の川の地獄絵図の沈没船はあり得る話かも知れない。

そしてニクソンのキン離れによる為替フロート制は終わる。だから世界の為替システムは、まず、ドルとユーロ通貨に各国がリンクする固定レート時代へ移行する。次に,国家がキン買いの主役となるキン獲得競争の勝者が三極目&四極目の世界通貨となる。


追記
英国と香港と中国の経営する銀行が、それぞれ香港ドルを印刷発行している。この香港のシーラカンス銀行の紙幣は米国の切り上げ圧力のクッションになって膨張をつづけていた。香港ドル紙幣を発行する銀行が、中国と香港の不動産と株式バブルの破裂で債務不履行になる。そして中国は溜めたドルを全部吐き出すことになるはず。そして貴任のなすり合いが英・香港・中国で発生することになる。そこでドルが暴落すると、一気に中国のバブルが弾けることは避けられない。

世界金融大恐慌は渦中です。そして官僚による腐敗堕落した自由経済システムは金本位制しか助けられない。NYの株価も、米国債の値段も、粉飾の価格吊り上げが限界に来て暴落する。つまりドル、株価、債券(国債)の3つともが目出度く暴落すると言うこと。アメリカ合衆国の信用は地に墜ちる。アメリカ合衆国は、世界覇権国の地位から滑り落ちるはずです。

http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/340.html#c2

コメント [戦争b8] シリア 政府による国民弾圧なのか――黒幕の米英、狙いはイラン弱体化(週刊金曜日) 阿保の洞窟
01. 2012年3月08日 19:57:35 : txKoq6KBVw
単純にシリアばっかり中東で悪役になってたから、おかしいと思ってたよ。
やっぱり工作員が濡れ衣を着せるために、ねぇ。
http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/880.html#c1
記事 [テスト25] 文芸評論家の山崎行太郎が自身のブログで小沢一郎に関してアホどもが「小沢信者」なる言葉を使って批判することに対し・・・
文芸評論家の山崎行太郎が自身のブログで小沢一郎に関してアホどもが「小沢信者」なる言葉を使って批判することに対し、「小沢信者」で構わないじゃないかとなかなか良いこと書いている

 2012年3月 8日 (木) :(憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ)


右派系の文芸評論家、山崎行太郎がブログ「毒蛇山荘日記」の8日付けで良いことを書いている。
◆◆◆◆◆◆◆
僕は「小沢信者」である。僕が、小沢一郎を擁護し応援するのは、「人間・小沢一郎」を信頼し、尊敬し、畏怖しているからだ。小沢一郎の個々の政策や戦略のすべてに同意だから、というわけではない。言い換えれば、僕は、小沢一郎のすべての言動を、つまり失敗も間違いも含めて、擁護するものである。たとえば夏目漱石やドストエフスキーを、傑作も失敗作も、あるいはその人生を含めて、すべてを擁護するように・・・。江藤淳が、小沢一郎を擁護したのも、同じように、「人間・小沢一郎」賛美論から始まっている。「日刊ゲンダイ」が、何故、小沢一郎の政治力は衰えないのか、と問うている。そして、小沢一郎以外に、まともな政治家がいないからだと書いている。至言である。繰り返して言う、僕は「小沢信者」である。「小沢信者であること」が悪いのか?「意は似せやすく、姿は似せ難し」(本居宣長)である。
◆◆◆◆◆◆◆
そうなんだよな。小沢信者なる言葉をブログなどでも批判的に使用して悦に入っているアホがいっぱいいる。小沢一郎を人間
として信頼しているという点では“信者”かも知れないが、小沢信者などと批判的に書いているようなアホが理解しているよ
うな形では信者ではない。小沢一郎の政治政策などすべてに別に同意している訳じゃないしね。そういう点がどうも小沢一郎
への姿勢に誤解があるのだ。むしろ、自民党時代の小沢一郎はどうも苦手というかあまり好きじゃなかった方だ。

大幹事長とか言われ、総裁候補を呼び寄せてなんとかんとかなんていう時には、コイツ何様というような気にもなった。しか
し、あれもマスゴミの一方的な報道にも要因があるんだよな。

その後、自民党にいれば総裁、首相の階段を登って行ける立場にあるものを、その美味い立場を捨てて、自民党を離党した時
点で小沢一郎への見方が変わった。自分の目指す政治を実現するという強靭な姿勢を感じたからだ。それが、ただただ首相の
座に座ることだけが目的で、日本国家をどうするとか、国民の幸福を大きくするなど一切興味のないブッシュの尻舐め犬売国
奴コイズミや現在のマネシタ生計塾出身のクズ政治屋ノダブタ詐欺師などとは政治家としての次元が違うところなのだ。

金のためだけの政治家などのイメージはまさにマスゴミがテメエらの言うことを聞かず、テメエらの既得利権に反する政治家
としての小沢一郎を陥れるための捏造だった訳だ。さらに、その小沢一郎恐怖症が実はマスゴミだけではなく、官僚、検察な
どの司法までが同じ病状にあったことがこの数年の小沢一郎魔女狩りで鮮明になった訳だ。

その捏造裁判による魔女狩りやカネ塗れの汚いマスゴミのクソ記者による小沢一郎悪者視捏造報道に対しても、小沢一郎は一
切文句を言わない(産經新聞にチンケな批判記事を書かれただけでテメエの会見に産経の記者参加を拒否するような小心その
もののウジ虫政治屋マエハラなどとのあまりの違い)で、フリーな会見でどんな質問ににも丁寧に答えてきた。どんだけ凄い
奴なんだと、この数年の魔女狩りの中で、小沢一郎の見方がますます確固たるものになった。

しかし、マスゴミのゴロツキ記者(時事通信の田崎や毎日新聞の耄碌牧太郎などが典型だな)はどこまでも小沢一郎陥れしか
頭にない訳で、マスゴミ界のヘタレぶりが小沢一郎を通して鮮明に浮かび上がってきた訳だ。まあ、マスゴミだけじゃなく、
ネット上でもブログなどで小沢一郎に関することでその書き手の愚かさが露見してきた訳だ。たとえば、Kojitakenとか言う
クズ(こいつは以前、私が2000年頃から株取引だけで生活していることに関して、下落一方の株式相場でそんなことがで
きる訳がないとか、まさに経済無知音痴ぶりを発揮したアホだが)など毎日のようにこの馬鹿らしい曲解の「小沢信者」など
と妄想書いてマスゴミのゴロツキ記者並のヘタレぶり晒したりしてんだがね。


元記事リンク:http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2012/03/post-5ada.html


http://www.asyura2.com/12/test25/msg/305.html

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