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大まかには同意だが、経済問題は情緒的過ぎて本質を見失っている
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 14 日 19:32:42:Mo7ApAlflbQ6s

(回答先: 特殊法人・公益法人改革の本質的意義 投稿者 リンクフリー 日時 2003 年 10 月 13 日 23:17:02)


最初の特殊法人や公益法人の問題についてはまったくと言っていいほど同意である。

しかし、もう一つの経済問題に関する論考は、気持ちはわかるが、情緒的すぎる。


社会のレンズ:「金融機能というのは、余っていて貯金されている資金を、事業をやるために資金が必要な人に回すことにより、資金が滞らずに円滑に回るようにすることにあるわけで、事業が少なくなっている現状において、金融機能だけ回復させてようとしても、お金はうまく回らないことは明白です。どうしても、経済成長を回復させようとするのであれば、高い収益を挙げられる事業を増やすこと、すなわち、人々の欲望を喚起して消費を増やすことが必要不可欠なわけです。」


あっしら:国民経済をまともにするためには、別に、「高い収益を挙げられる事業を増やすこと、すなわち、人々の欲望を喚起して消費を増やすことが必要不可欠」ではない。

経済活動に使わないお金を抱きしめている人と現在的基準でそこそこの生活を営むお金さえままならない人に分離していることが問題で、収益は上げられなくとも、お金を抱きしめている人からお金がままならない人にお金が回る事業を政府が行えば済むことである。
それによって、金融利得家以外のお金を抱きしめている人のお金(フロー所得及び金融資産)も増加する。
お金が経済活動に使われない限り、膨大な経常収支黒字国であっても、お金は増殖しない。
貧乏人にいったん回したお金は、必ず有力企業の手元に利益として戻ってくる。(そのような構造もあとしばらくのことで、しばらくすると、国民経済に歪みをもたらさないで利益を獲得することはできなくなる)

政府が行うべき事業は、住環境整備・農業基盤整備・科学技術研究・託児・介護などの福祉事業など数多くある。
消費するための物を生産する事業ではなく、活動力の支援や将来への“投資”こそが必要である。活動力の支援や将来への“投資”に従事する人が、少しは余裕を持って消費にお金を回せるようになることで国民経済全体がうまく動くようになる。


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社会のレンズ:「そうすると、安定した経済成長を回復するためには、人々の欲望を喚起する消費をいかに増やすべきか、ということが課題となるわけですが、ここで考えなくてはならないのが、そうした消費の対象となるべき物があるのか、あるいは、これからそうした物が出てくる余地があるのか、ということを考えなくてはなりません。しかし、現代の我々日本人の生活は物で溢れています。多くの国民が欲望をかき立てられ、どうしても手に入れたいと思えるような物は格段に少なくなっているのが現状でしょう。そうした中で消費を増やし続けることは相当な困難であることは明らかです。」

あっしら:これはある程度経済的に恵まれた人の見方で、行過ぎた消費と不十分な生活条件という分化構造は残っている。


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社会のレンズ:「さらに、もう1つ挙げなければならない事実は、土地と株の価格が一貫して上昇を続ける時代ではもはやないということです。戦後の我が国の土地と株が値上がりを続けてきたのは、ひとえに人々の期待によるものです。特に株というのは、投資家の感情で極めて乱高下するものです。我が国の高度経済成長はこうして値上がりを続けてきた土地と株に支えられてきたわけですが、土地と株の価格は人々の期待が崩れた結果、暴落してしたわけです。
 ここで我々がよく認識しなくてはならないのは、我が国の今日の経済は、土地や株などを通じ人々の感情によって全面的に支えられているという事実です。このことは多くの人々が潜在的に気が付いている事実であり、経済学の示唆が結局は人々の心理に帰着しなければならないのは、正にその表れと言えます。」

あっしら;「戦後の我が国の土地と株が値上がりを続けてきたのは、ひとえに人々の期待によるもの」ではない、人々の値上がり期待が支えであったことは事実だが、名目のフロー所得が増加したことや余剰のお金を抱える人が増えたことが主たる要因である。
バブルの崩壊も、土地や株式に偏重したお金の流れという動きが前提だが、そのような動きに変調が生じたからである。
(とりわけ、勤労者所得のフロー所得の問題。バブル期に、資産投機ではなく、勤労者所得のフロー所得増加が行われていれば、土地・株式の価格はなだらかに上昇を続けていたはずだ。多数派勤労者の実質可処分所得を減らした消費税の導入は一つのバブル破壊要因である)

「我が国の今日の経済は、土地や株などを通じ人々の感情によって全面的に支えられている」というのも誤りである。
現実のフロー所得が国民経済を全面的に支えるのであり、“感情”は、獲得したフロー所得の使途を規定するものである。
ない袖は振れない。


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社会のレンズ:「なお、新古典派経済学に基づく構造改革論がこれほどまでに我が国の社会に浸透したのは、佐伯啓思氏も論じておられるように、戦後の左翼的進歩主義と新古典派経済学の奇妙な結合があったためだと思われます。すなわち、左翼的進歩主義者による反国家主義が官僚不祥事などによって大きく盛り上がったところに、新古典派経済学による小さな政府の議論が結合した、と捉えるのが適当なのではないか、という気がします。一時期の規制緩和論や行政改革論は正にこの流れで国民の間で大きく盛り上がった、ということが言えるわけです。」


あっしら:「左翼的進歩主義者による反国家主義が官僚不祥事などによって大きく盛り上がったところに、新古典派経済学による小さな政府の議論が結合した」という見方は穿ち過ぎである。
左翼的進歩主義者は、反国家主義であっても、国家による弱者救済を唱えるものであり、政府支出の在り方を変えようとはしても、小さな政府思想と結合するものではない。

「戦後日本の総決算」を唱えた中曽根内閣以降の新保守主義・新自由主義という支配層の考え方が、新古典派経済学に基づく構造改革論を浸透させたというほうが現実に近い。
うかれたバブル期にはその危険性が察知できず、バブル崩壊後は、その原因をまともに考えようともしなかったために、「構造改革論」がいまだはびこっているのである。


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社会のレンズ:「ここで考えなくてはならないのは、資本主義とは何か、という点です。岩井克人氏は資本主義を「資本の無限の増殖を目的とし、利潤を永続的に追求していく経済活動の総称である」としています。この意味における資本主義は古代から世界の一部の地域においては存在していたわけですが、産業革命以来、産業資本主義という形を取るようになって以降、市場経済が世界を覆いつくすようになったわけです。
 では、この資本主義においては、経済成長というのは絶対的な至上命題なのでしょうか。すなわち、経済が成長し続けない限り、資本主義社会は支えることができないのでしょうか。この問いに対する答えは正に資本主義をどのように捉えるかによって変わってくるのだと思います。
 従来の資本主義の定義のように、資本主義は資本の増殖が目的であるということであれば、資本主義にとって経済成長は必要であるということになるのでしょう。しかしながら、資本の無限の増殖を目的としない社会(これを資本主義と呼ぶのかどうか疑問ですが)というのはあり得るのではないでしょうか。言い換えれば、日本社会が物質的な豊かさをある程度獲得している今日、日本社会は資本主義の限界点に到達しつつあるのではないでしょうか。」
社会のレンズ:「資本主義というのは、これまで、人々の旺盛な物質的欲求に支えられてきたと言えます。我が国の戦後の高度経済成長というのは、欧米の物質的豊かさに追いつこうという旺盛な欲求が支えてきたのです。しかし、今日の日本の人々は当時に比べると明らかに物質的欲求が満たされた状態にあるわけです。そういう中で、今後我々は依然として従来の資本主義を追求していく必要があるのでしょうか。従来の資本主義とは違った価値観で社会を構築していくことが必要なのではないでしょうか。」

あっしら:ご本人が「これを資本主義と呼ぶのかどうか疑問」と語っているので、ことさら言うことはないが、日本経済が世界経済のなかに組み込まれ、そのなかでの経済活動で現状を生み出していることから、日本だけをどうこうしても、別の資本主義?に移行することは難しい。
「資本の無限の増殖を目的とし、利潤を永続的に追求していく経済活動」を手段としてうまく使ってしのぐ必要もある。


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社会のレンズ:「そうすると、従来の資本主義とは違った価値観とは何に求めるべきなのでしょうか。我々が幸せと感じるのは何もお金を得ることだけではないはずです。むしろ、我々は特に戦後の高度経済成長期において、お金以外の価値観を見失ってしまったのではないでしょうか。そして、バブル崩壊以降においては、経済成長を成し遂げるという至上命題の前に、それを妨げるいかなる制度、仕組み、慣行をも捨てるべき、という論調に走りすぎたのではないでしょうか。お金以外の価値観についてはあえて挙げるまでもありません。地域に根ざしたNPO的活動のように、けっしてお金の追求だけを目的としていない活動によって人々が幸せと感じられるような場合がいくらでもあるわけで、職業選択にしても、収入面が絶対的な尺度ではなく、収入は少なくてもやりがいのある職業を選択するという価値観も重要です。こうしたお金以外の多様な価値観を重視することはけっして停滞を意味するものではないはずであり、むしろ、ポスト資本主義的な社会のあり方として1つの選択肢なのではないでしょうか。」


あっしら:お金そのものに価値観を抱くのは、守銭奴と倒錯者だけである。欲しい物や必要な活動成果及び名誉や地位などに変わるからお金をありがたがっているだけである。

お金そのものに価値があるという守銭奴や倒錯者の考えを論理的に払拭していくことこそが重要である。


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社会のレンズ:「日本社会もそろそろ経済成長という過去の幻想にとらわれない発想に転換すべきではないでしょうか。そして、誰がバブルをつぶしたのか、といった犯人探し、責任追及的な試みをやめるべき時なのではないでしょうか。こうした試みを続けることによっても、我々はけっして幸せにはなれないと思われます。社会を根本から変えないと日本社会は立ち直れない、という考え方には明らかに根拠がありません。むしろ、これまでの日本社会の良さを見つめなおし、その中に価値観を見出す作業というのが我々には求められているのではないでしょうか。」


あっしら:誰がバブルをつぶしたのかといった犯人探しではなく、なぜバブルが形成され、バブル崩壊後長期にわたって経済的歪みが続いているわけをきちんと捉え直すことが、「これまでの日本社会の良さを見つめなおし、その中に価値観を見出す作業」にもつながる。

さらには、「敗戦責任」まできちんと問うことがそれに資するのである。

それを脇に放り出して、どうやって、「これまでの日本社会の良さを見つめなおし、その中に価値観を見出す作業」をやるというのだろうか。


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