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イタリアの黒いプリンス byアレン・ダグラス (1)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/669.html
投稿者 kamenoko 日時 2005 年 6 月 06 日 15:16:23: pabqsWuV.mDlg

http://www.larouchepub.com/other/2005/3205_italy_black_prince.html
This article appears in the February 4, 2005 issue of Executive
Intelligence Review.
Italy's Black Prince:
Terror War Against the Nation-State
by Allen Douglas

 対国家テロ戦争 by アレン・ダグラス

黒いプリンスと海の悪魔たち。
ヴァレリオ・ボルゲーゼ(Valerio Borghese)とデーチマ・マス(Decima Mas)の
エリート組織員たちのストーリー。

ローマの”黒いプリンス”ジューニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼの経歴は、戦後の
英米共同統治(Synarchy)とその諜報機関の支援を受けた国際ナチスに端を発し、
近代”国際テロリズム”と国家や政府の指導者暗殺(ケネディ大統領、アルド・
モーロ首相、ド・ゴール大統領に対する数回の未遂)を生々しく描写するものだ。
その経歴の枝葉をたどってゆくことは、何世紀も続く高位財政的寡頭支配-Synarchy
すなわち”黒い貴族”、マルタ騎士団、そしてヨハネス・パオロ1世が’いにしえの
者たち’と呼んだ後継者たちへの扉を開けることになる。(1)

ファシスト ボルゲーゼは、ムッソリーニのエリート海軍艦隊を組織したが、これは
第二次世界大戦末期の北イタリアで違法戦闘行為を繰り返す艦隊になった。その後
アレン・ダレス、ジェームス・ジーザス・アングルトン、その他米国戦略組織(OSS)
の反ルーズベルト派に迎えられたボルゲーゼと彼の男たちは、イタリアで70年まで
続いた主要政変テロに関与し、失敗に終わったテロ計画で名前が公になりそうになり
スペインに逃亡。イタリアから、その後スペイン内で欧州内のコネクションと
血なまぐさいラテンアメリカ拷問・虐殺組織オペレーション・コンドルとの関係を保つ。
ボルゲーゼの経歴を仔細に調べてゆくと、テロリズムと耳目を集めた暗殺事件の
表面下に、国際的な財政源-貴族、ヒトラー/ムッソリーニ時代のファシストを先導した
教皇庁のプロファシスト組織、英米情報局(特にNATO)の動きを垣間見ることが
できる。これらが近代対国家戦争に集結しているのだ。

22年のムッソリーニ失脚以降のボルゲーゼ家のファイルは、米英情報局とバチカン
資料庫に保存されており、書籍としては英語版の伝記が出版されている。グラディオ
(Gladio)による戦後のNATO”ステイ・ビハインド”ネットワークの暴露本と、
Synarchyに関するリンドン・ラルーシュ(Lyndon LaRouche)と彼の組織による
調査を併せ読めば、各々の著者が幾つかの潜在的重要性におそらく気付いていなく
とも、国際テロリズムの暴露に大きく寄与していることがわかる。

ボルゲーゼ家はローマの見せかけカトリック”黒い貴族”の主要メンバーであり、
このメンバーの多くはローマ帝国のエリートたちに遡るという。ボルゲーゼ家と
その同盟関係にあるパッラヴィチーニ家(Pallavicini)コロンナ家(Colonna)
オルシーニ家(Orsini)は数多くの教皇、枢機卿を輩出し、今日でもバチカンに
大きな支配力を行使している。教会内に”ラット・ライン”を組織し、修道院・
女子修道院を通じて何千人ものファシスト、ナチスをラテンアメリカ、アジア、
中東に逃がしたのはこの一派である。

ボルゲーゼ家が自称するようローマ帝国の末裔であれ、記録が示唆するように
16世紀初頭の成り上がりであれ、パオロ6世(カミッロ・ボルゲーゼ1605-21辞任)
と数名の枢機卿、ナポレオンの姉妹と結婚した王子は誇りに思っているだろう。
しかし19世紀に財産を失い、よって20世紀にジュリオ・ヴァレリオが戦争に機を
みたわけである。

本の前半で海軍艦隊の専門家グリーンとマッシニャーニが、第二次世界大戦開戦
間際のイタリアで展開されていた小型船舶(light craft)、潜水夫、サボタージュ
による違法交戦について詳しく述べているが、ボルゲーゼはこの分野における
革新者であった。スペイン市民戦争中の30年代末期にフランコのためのサボタージュ
を開始し、ムッソリーニの特別艦隊デーチマ・マス(Decima MAS)、通称XMAS
を組織した。(MASはMotoscafi Anti Sommergibili対潜水艦ボートの略だが、
小型船舶を総称するようになる)

XMASは、ベニスに本拠地を置くイタリア寡頭支配者たちの私的軍隊のような
もので、司令官は主力貴族で固められた。うちひとりにイタリア・サヴォイ
王家の従弟、アイモーネ王子アオスタ公爵がいた。青い血に支配された寡頭
政治的特徴から、XMASとOSSはミラー組織とも言えるだろう。ウォール・
ストリートのプロファシスト アレン・ダレスは、"Oh So Social" の異名を
とっている。2つの組織は親密な協力関係を結ぶ運命だった。

メンバーの血統から、XMASはムッソリーニの拘束をほとんど受けずに
オペレーションを展開した。グリーン/マッシニャーニによると、「XMASの
キーパーソンは貴族家系だった。よって高官たちの支援を受けることに成功
したのである。また飛行機、武器、小艦隊のサプライアー企業と直接接触を
持てたのである」。

43年半ば、新王制主義者が政権をとり、休戦協定を結ぶ。7月、王政主義者が
ムッソリーニを拘束しアペニン山脈の監獄に隔離するが、(正史によると)
ヒトラーのチーフコマンドー オットー・スコルツェニー(Otto Skorzeny)
率いる親衛隊の手引きによって脱獄。オットーはボルゲーゼと並んで、
戦後の国際テロリズムの中心人物となる。ナチスはイタリア陸軍を解体し、
海軍を壊滅状態に追い込むが、ボルゲーゼのXMASほか頑固な保守主義者たちは
ファシストと共に戦う道を選ぶ。共産党を含む政党に組織された多くのイタリア
人たちは、ドイツとムッソリーニの残党が43-45年に北イタリアに樹立した
サロ(Salo’)帝国に対してパルチザン闘争を開始。ボルゲーゼとXMASは、
北イタリアを占領したヒトラーの腹心カール・ヴォルフ(Karl Wolff)に
対パルチザン戦闘部隊として召集され、悪名高い拷問、パルチザンへの’みせしめ’
としての市民の集団殺戮を展開する。グリーン/マッシニャーニによると、
サロ帝国の600日にXMASは5万の戦闘員を導入し、血なまぐさい市民戦争が休戦を
迎えるまでのイタリア人の犠牲者は、それ以前の大戦戦死者をおそらく超えると
述べている。

XMASのサロ帝国関与は名目上で、帝国に忠誠を誓わず、自分の旗以外は揚げ
なかった。ムッソリーニに送られた山のような報告書は、ボルゲーゼはあらゆる
向きと接触を持っていたことを示していたため、ドゥーチェは44年初旬に
ボルゲーゼを逮捕するがすぐに釈放。ボルゲーゼは最も親密な関係を持っていた
SS、Abwehr、イタリア王政主義政府、イギリス情報局、ジェームス・ジーザス・
アングルトンOSSカウンター防諜活動イタリア支部長、OSSスイスベルン支部長
アレン・ダレスらと接触を持ち、SSヴォルフとも数回会っていた。

ヴォルフとダレスは戦後、欧州ファシスト・オペレーションの転換を画策するが
ボルゲーゼもその内部にいた。「ボルゲーゼとデーチマ・マスの一派については、
ダレス氏同席のもとで何度か話をしている」とヴォルフは宣言している。44年
終盤に、ローマの黒い貴族たちは同盟軍政府のエルロイ・ストーン(Ellery Stone)
副司令官に、’テリブル・ボーイ’ジューニオ・ヴァレリオの目溢しを頼む。
ボルゲーゼ家の友でありローマの男爵夫人の愛人だったストーンを納得されるのは
容易だった。パルチザンがボルゲーゼを捕捉した45年5月、ストーンはアングルトン
に彼に警告を与えるよう要請し、残りはストーン自身が引き継いだ。5月19日、
米軍は公式にボルゲーゼを逮捕し、これでパルチザンによる死刑は免れたのであった。

短い休止

英米はXMASの戦中活動、特に敵線上で行われたヴェガ(Vega)の戦いに興味を
持つ。あるXMASリーダーが、ボルゲーゼの後のグラディオへの転換を予測しながら、
それを明らかにしている。「我々は同盟軍にとって重要だった。共産主義組織に
浸透し、彼らの秘密と戦略を手に入れていたからで、これが最初の反ゲリラ作戦
へと繋がっている。彼らは我々がどのように反共産主義戦争を始めたかを知り
たがった。我々の知識を活用したかったのだ」。イタリア駐留同盟軍の影でドイツ
が進めていた”ステイ・ビハインド”作戦にも、ボルゲーゼはほぼ間違いなく関与
している。数名のXMASメンバーたちは、米国に渡って情報提供を行う。

ボルゲーゼの高みの友人たちは彼の戦争犯罪潔白を同盟軍に確約するが、イタリア
政府は45年後半にミラノで裁判にかけるために同盟軍に引渡しを要求する。
友人たちは再び介入し、法廷はダレスとアングルトンのいるローマに移された。
旧ファシスト官僚とより保守的な雰囲気が待つローマの法廷へ。2年の投獄ののち、
49年にようやくナチスとの共謀罪(しかし戦争犯罪ではない)が確定し、12年の
求刑が下る。傍聴者のひとりによると、「ボルゲーゼとその一派の罪は明らかで、
終身刑が下されるべきだった。しかし法廷は言語道断の減刑嘆願、恩赦の適用で
服役期間を短縮した」。そしてボルゲーゼが充分に刑を勤めたと判断した裁判官
が、彼を釈放した。ウィンストン・チャーチルがミズーリ州フルトンで”鉄の
カーテン”スピーチを行った46年の冷戦開始前なら、政治的に実行不可能だった
であろう。

ボルゲーゼの新しいキャリアが始まろうとしていた。

・・・続く

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