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桓武天皇の失敗と成功―日本列島のアイデンティティー―
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1052.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 11 日 05:23:17: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 飛鳥地方に見られる日本の原風景 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 03 日 11:23:53)

2021年4月10日
【竹村公太郎】桓武天皇の失敗と成功―日本列島のアイデンティティー―
https://38news.jp/column/17867


 共同体とは言語を共有する人々の集団である。文明とは共同体の人々の営みである。
日本列島に住む人々は古より言語を共有していた。古より日本列島に住む人々は共同体を形成し、文明を誕生していった。
古とは桓武天皇にさかのぼる。その桓武天皇の物語は日本列島の地形に深くかかわっていく。

 
奈良盆地からの脱出
 奈良盆地は、文明が誕生するすべてのインフラつまり、安全、水、エネルギー、そして水運を備えていた。
更に、奈良盆地は文明を膨張させるエンジンも持っていた。豪雨と土砂崩れという自然の力を利用した新規開田が、奈良盆地で展開されていった。

 その天国のような奈良から桓武天皇は脱出することとなった。西暦784年、桓武天皇は奈良盆地から出て長岡京に遷都した。いったい何が桓武天皇を奈良盆地からの脱出に駆り立てたのか。

 桓武天皇が平城京から遷都した理由は、歴史家のあいだでも諸説ある。一つは、天智天皇系だった桓武天皇は、天武天皇系の奈良から離れたかった。一つは、藤原一族などの貴族の影響から離れたかった。一つは、道鏡など仏教の影響力を弱めたかった、などである。

 人文系の歴史の論点は幅広い。政治、経済、法律、宗教、美術、心理そして文化と多岐にわたる。歴史の解釈は専門家の数だけあり、論議は果てしなく続いていく。歴史がHis- Story(彼の物語)と云われる所以であり歴史の面白さである。
私は土木技術者である。そのため、桓武天皇の遷都の理由もインフラの観点から物語を述べていく。

 奈良盆地の地形は、全周を緑に囲まれ、中央に大きな湖を抱いていた。奈良盆地は、安全、森林、水資源そして水運に恵まれていた。奈良盆地の「地形」が、奈良文明を誕生させた。その同じ「地形」の理由で、奈良は捨てられることとなった。
 飛鳥京、藤原京そして平城京を誕生させた恵みの奈良盆地は、インフラからみると悲惨な呪いの地に変貌していた。

禿山の奈良盆地
 故・岸俊男氏(奈良県立橿原考古学研究所長)の推定では平城京の内外には10万人から15万人の人々が住んでいたという。当時で年間1人当たり最低10本の立木が必要だったと仮定すると、年間100万〜150万本の立木が必要となる。

 100〜150本ではない、100〜150万本である。モンスーン気候の日本の植生は生育が良い。しかし、それにも限度がある。年間100万本以上の立木伐採は、日本列島の森林の再生能力をはるかに超えていた。それが300年以上続けられたのではたまらない。

 奈良盆地を囲む山々は、禿山となってしまった。
(図−1)は米国の歴史学者、コンラッド・タットマンによる日本の歴史的森林伐採の変遷である。

 彼は全国の寺社仏閣に入り込み、縁起書物を調べ上げた。寺社の縁起書物には、その寺社の創建や大改築時の事柄が記録されている。その中には、どこで木材が伐採され、持ち込まれたかが記録されていた。その記録を年代ごとに図に表した貴重な資料である。

 図の中央の濃い部分が、西暦800年までに森林が伐採した地方である。奈良時代には、紀伊半島から琵琶湖北岸まで森林伐採が行われていた。つまり、奈良盆地では木材が確保できなかった。奈良盆地の木々は伐採され尽くされ、周囲の山々は禿山になっていたのであった。

奈良盆地のインフラの崩壊
 周囲の山々が禿山になってしまった奈良盆地は、厄介で危険な土地とへ変貌していった。
少しでも雨が降ると山々の土壌は流出し、斜面は次々と崩壊していった。山の保水力は失われ、あちらこちらで湧いていた清水は枯れていった。さらに、流出した土砂は湖を埋めていった。平らで水はけの悪い奈良盆地はますます水はけが悪くなり、雨のたびに家々や田畑は浸水してしまった。

 人々の生活排水や排泄物は湖で澱み、疫病が慢性化していった。もちろん、土砂で埋まった湖で舟の行き来はままならなくなった。

 奈良盆地のインフラは崩壊した。森林が失われ、水が枯れ、水害が多発し、疫病が蔓延し、舟の便が悪くなった。奈良盆地は地獄のような土地となり、この奈良盆地から脱出するのは必然であった。

長岡京への遷都
 784年、桓武天皇は奈良盆地を後にした。遷都した先は、淀川三川と呼ばれる木津川、宇治川、桂川が合流する長岡京であった。
この淀川流域には奈良盆地で枯渇した森林資源が豊富にあった。なにしろ、淀川流域は奈良の大和川より8倍も大きい。

 桓武天皇は、淀川の長岡京へ遷都した。それにはある理由があった。長岡京には巨椋池(おぐらいけ)が存在していた。
長岡京の大きな巨椋池は、奈良盆地にあった湖とそっくりだった。湖は舟運の便が良い。小舟でどこへでも行けた。桓武天皇にとってこの巨椋池の風景は、故郷の奈良盆地の湖の原風景であった。

 桓武天皇はこの湖の原風景に誘われて長岡京へ遷都した。
しかし、この長岡京は途方もない落とし穴で人々を待ち構えていた。

長岡京遷都の失敗
 巨椋池には木津川、宇治川そして桂川が流れ込んでいた。巨椋池は水運の便は良かったが、三川の洪水が流れ込む大氾濫地帯であった。

 長岡京へ遷都して以降、長岡京は何度も洪水に襲われた。そのため、桓武天皇はたった10年で、長岡京から京都へ遷都せざるを得なかった。(図―2)で、淀川三川と長岡京の位置を示す。

 一人の天皇が二度も遷都するなど日本史上で例がない。遷都は今でいえば何百憶円という費用が掛かる。日本だけではない、世界史を見ても、権力者が別荘を造ることはあっても、二度も都を移したなど聞いたことがない。

 歴史家は、長岡京から京都への遷都を人間模様で説明していく。しかし、インフラの観点から見れば、桓武天皇の二度目の遷都の理由は明らかである。
桓武天皇は長岡京で、治水上の失敗を犯したのであった。

二度目の遷都、京都へ
 京都は長岡京より標高が30mほど高く、木津川、宇治川そして桂川の大洪水に襲われる心配はなかった。京都の北側には山々が連なり、沢が流れ下り、湧水があり、飲み水は潤沢に得られた。東には鴨川が流れ、宇治川に合流していた。

 京都と巨椋池を結ぶ鴨川は、強力達が引き舟をすれば、物資を運ぶ水運として機能した。
この京都は地形的に安全で便利であった。しかし、それだけではなかった。京都への遷都は日本文明の誕生の決定的な礎となった。
京都は日本列島の地形の中心であった。京都は日本列島の東西南北を結ぶ交流軸の要であった。

 朝廷が京都に移ったから、京都が日本列島の中心になったのではない。古代より京都は日本列島の地理的、地形的の中心であった。

日本列島の情報の中心:京都
 古代から日本列島を歩き続けた人々にとって、地形が造った自然の旧街道があった。それらの旧街道は全て京都に集中していた。
日本海側の海岸に漂着した人々が、東に向って歩いていくと島根、鳥取、兵庫そして福知山を通ると自然に京都にたどり着いた。山陰道である。

 九州から瀬戸内海の陸路を東に向かって、下関から広島、岡山、兵庫と行くと、兵庫から大坂には行かず大阪をかすめて、自然と京都にたどり着いた。山陽道である。
和歌山から北上すると大坂に着き、その大阪から淀川を遡ると、自然と京都に着いた。南海道である。
西から来る人々は、皆、京都に着いた。京都に集まった人々は東へ向かうと、逢坂を越えて大津に出た。

 大津から琵琶湖湖岸を北に向かうと、日本海側の福井、石川、富山そして新潟へ繋がった。北陸道であった。
大津から陸路を東に進み関ヶ原を越えると、山岳ルートとなり岐阜、長野、群馬、栃木そして福島、宮城の東北へと繋がった。東山道であった。
大津から米原を過ぎて南へ向かうと、海岸沿いの東海道となった。海路で太平洋を行くと、房総半島に上陸し、陸路を北上すると茨城、栃木となり東北に向かった。

 これらの古道は、京都が都になる遥か以前の古代から、日本列島を行き来する人々の歩いた道であった。
(図―3)が京都を中心として形成されていた古道の方向を示す。

 かつての古道は、21世紀の日本の鉄道と道路の動脈にもなっている。

情報の中心
 日本列島の主たる旧街道が、地形的に自然と京都に集まっていた。
凸レンズは散漫な光を集め、焦点で一点に集めていく。京都は3,500kmの日本列島を歩く人々を、一点に集める地形のレンズの焦点だった。

 近代の明治になるまで、一千年間、京都は日本の都であり続けた。日本の歴史は揺れ動いたが、焦点の京都の都は不動であった。
「都」であるための条件を、一つだけあげる。その条件は「情報」である。都が都であり続けるためには、情報の中心でなければならない。京都はまさに日本列島の情報の集中点であった。

 列島を歩く人々は京都に向い、京都で集まり、京都で会話し、情報を得た。その人々は情報を持って、全国に散らばっていった。
細長い列島の山と海と川で分断されて生きていた人々は、言語と情報を共有することとなった。同じ言語で、同じ情報を共有する人々は、同じ共同体である。

 同じ共同体の人々は、共同体のアイデンティティーを醸成していく。
極東の海に浮かぶ細長い列島に住む人々「日本人」が誕生していった。

地形と言語と共同体
 メソポタミア文明、インダス文明そして黄河文明は、広大で拡張的で、外へ外へと広がっていく。日本列島のように、歩いていると自然と一ヶ所に集まるという焦点の地形はなかった。
外へ拡張していく文明では、情報は拡散していく。情報が拡散すれば人々は、異なる情報を持つ。異なった情報を持つ人々は、隣の共同体との差別化のため異なる言葉を話し始め、異なった文字を作り出していく。そして、人々は異なった共同体を形成していく。

 英国が抜けたEU連合は南北の距離は日本と同じ約3,500qである。そのEUには26ヶ国が参加している。そのEU議会において公用語は23言語もある。ヨーロッパの地形は拡散している。人々は拡散し、情報も拡散し、言語は分裂していった。
ユーラシア文明の言語と共同体は、止めどもなく分裂する運命にあった。

 京都は日本列島の地形の中心であった。情報が集まり、ここから列島に情報が広がっていった。京都は日本の都となる運命を背負った土地であった。
桓武天皇は、長岡京の遷都で治水上の大失敗をした。
桓武天皇は、二度目の遷都で、日本列島で生きる人々の共同体・アイデンティティーを醸成する都の創出に成功した。
https://38news.jp/column/17867  

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コメント
1. 2021年4月11日 09:37:30 : QAcplW15Vw : UDVHQXBaTUZoLjY=[27] 報告

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2. 2021年4月11日 09:41:57 : QAcplW15Vw : UDVHQXBaTUZoLjY=[29] 報告
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3. 中川隆[-13146] koaQ7Jey 2022年4月28日 19:26:16 : FnyZ4yUUKA : aXJFcVdSV1VYblE=[4] 報告
【ゆっくり解説】本当は怖い平安京の謎!!




日本のトイレは長くこういうものだったので、河川が汚染されるたびに遷都した
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