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世界で最も清潔な国 日本 _ 管理に都合悪い存在はすぐに排除される
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/351.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 17 日 07:11:28: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本人は被支配者に関する情報を支配者へ知らせる密告には寛容だが内部告発には厳しい 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 07:58:50)


世界で最も清潔な国 日本 _ 管理に都合悪い存在はすぐに排除される

funny driving india confusion street cars motos - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=pS4Ef16oreM

Rush Hour Traffic in Ho Chi Minh City, Viet Nam - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4phFYiMGCIY


▲△▽▼

管理が行き届くと秩序が国にみなぎるが、徹底されると不都合なことが起きる
https://blackasia.net/?p=12586

日本人は、特に国家に押さえつけられているわけではない。しかし、基本的に街にはゴミひとつ落ちていない。

人々は、たとえ車が一台も来ていなくても、ほとんど信号無視はしない。時間もきちんと守られる。人々は列を乱さない。人々は礼儀正しい。そして、街を走っている車もきれいだ。基本的に交通ルールもきちんと守られている。

いろんな面で、日本は細部まできちんと管理が行き届いている。

これが、どこかの途上国でも行こうものなら大変なことになる。「街はゴミだらけ、交通ルールは無視、列は常に割り込みされる、口論は始まる」は日常茶飯事だ。

走っている車の中には動いているのが奇跡のようなボロボロの車もあり、追い越し、割り込み、スピード違反、信号無視は当然で、人々も赤信号無視で好き勝手に横断歩道を渡って常に大混乱している。高速道路の脇で人が寝ていることもあれば、野良犬や牛がいたりすることもある。

途上国もゆっくりと変わりつつあるのだろうが、日本に比べるとまだまだ「混沌」の度合いは深い。ただ、その野放図な光景に言葉にならない魅力を感じ「人間的で、活気があっていいじゃないか」と不思議な開放感に心が打たれる人もいる。(鈴木傾城)


日本は驚異的に見える

日本の清潔・安全・秩序は、別に国家による国民監視と強圧で実現しているわけでもない。また日本人も「ルールを破ったら罰金がくる」から、しぶしぶ礼儀正しくしているわけでもない。

日本人のそれは、言ってみれば「国民気質」なのである。何事も、きちんとしていないと納得できない几帳面さが日本人にはあって、その几帳面さが日本という国の隅々に行き渡っている。

何から何まで細かい暗黙のルールがあって、日本人はそのルールを機敏に察して誰に言われるまでもなくそれを守る。たとえ、自分が損をかぶることになっても、当初の約束やルールを守ろうと思う。

これが、他国の人々から見ると、驚異的にも見えるし、恐怖にもなる。

たとえば、東南アジアやインドから来た人々は、みんな日本の感想として「あまりに秩序的、あまりの清潔さで、改めて日本はすごいと感じた」と言う。

それは、大きな称賛なのだが、「自分はこんな管理された国では息が詰まって生きていけない」と考える人もいる。日本は清潔できれいだが、そのきれいさはルーズな人間にはやっていけないほどの厳格さが求められているように彼らは思う。

大雑把な国からやってきた人たちから見ると、「敬意を表するが、自分にはやっていけないな……」という感情を呼び起こすようだ。

「東南アジアは、何事にもルーズで街も汚い」という印象を持つ日本人は今でもそれなりにいる。その裏返しで、「日本は、何事にも管理された国で住むには厳しい」という感想を彼らは持つようだ。

実はかなりエネルギーが要る

日本人の清潔好きは世界一と言ってもいい。だから、日本人から見れば、日本以外のすべての国は実際に行ってみると、「どこかルーズで汚れている」という感想になる。

先進国であるはずの、アメリカ・ロサンゼルスや、フランス・パリに行っても、やはり「思ったよりも街は汚かった」という印象を持って帰る。それは言うまでもなく、「世界で最も清潔な国、日本」に住んでいるからである。日本の基準に慣れてしまうと、とても海外で暮らせなくなってしまう。

清潔さを保つには、実はかなりエネルギーが要る。

日本は「ゴミひとつ落ちていない」というが、実際にはゴミを捨てる人はそれなりにいる。気付かなければいけないのは、それを毎日片付ける人がちゃんといるということである。

汚れたものを綺麗にするには、忍耐力と継続心がいる。どんなに街をきれいにしても、翌日にはもう汚れている。

「どうせ翌日には汚れるのだから、放っておけ」というのが大雑把な国に住んでいる人たちの考え方で、だから、行政が「仕方なく」街の片付けをする。それでも行き届かないところは、基本的に放置される。

しかし、日本人はかなりのエネルギーを使って、地域社会に住むひとりひとりが、毎日毎日、忍耐力と継続心を発揮してゴミをきちんと処理する。

実際には日本人もゴミを捨てたり汚したりしているのだが、普通の人たちが毎日家のまわりを「ゴミひとつ落ちていない」状態に仕立て上げている。ゴミの分別もまたしっかりと為される。

日本人にしてみれば、大したことをしているように見えないのかもしれないが、多くの外国人から見ると「あまりに秩序的、あまりの清潔さで、改めて日本はすごいと感じた」という話になっていく。

これが、「そこまで徹底できない自分には日本は無理かも」という気持ちを、無意識に外国人に与えている。

都合悪い存在は排除される

管理された状態というのは、美しくて、秩序だっていて、とても清潔である。日本人は非常に管理好きで、管理することやされることに対して違和感を持つことはない。

だから、管理社会が生み出す「裏側」については、無頓着な部分もあるし、気付かない人も多い。「管理が行き届くと、街は美しくなるし、秩序だって清々しいし、清潔であるし、いったい何の問題があるのか」と問う人もいるはずだ。

管理が高度に行き届くと、どうなるのか。

たとえば、タイでは野良犬がそのまま放置されている。バンコクにも、野良犬が住宅街にうようよしていて、十数匹が群れをなして闊歩していることもある。

これが日本ならば、すぐに通報されて保健所に連れて行かれて「処分」される。日本は管理された国なので、「管理に都合悪い存在は排除される」のである。「抹殺」と言ってもいいかもしれない。

存在が抹殺される。

管理が厳密になればなるほど、管理から外れた存在が生きながらえることができなくなる。

野良犬の話は一例であり、「人間自身」も管理から外れると通報されて排除・抹殺される危険性がどんどん高まっていく。

行き過ぎた管理社会の中では、「管理に都合悪い存在が排除・抹殺されている」という事実は、気付いた方がいいのかもしれない。管理される社会で得るものもあれば、失うものもある。高度に管理された社会は、管理できないものを抹殺していくという恐怖の一面も持っている。

いつしか、知らない間にいろんな存在が誰にも気付かないところで抹殺されているのである。もし、徹底した管理社会の中で、私たち自身が「管理に都合悪い存在」と認定されたら、私たちは排除・抹殺されることさえもあり得る。

良いことも行き過ぎると邪悪になるということだ。(written by 鈴木傾城)

東南アジアやインド圏ではどこでも野良犬がいて、市場や街をうろうろとさまよっている。しかし日本は野良犬をほとんど見ない。日本はなぜ野良犬がいないのか。それは「管理に都合悪い存在」なので排除・抹殺されているからである。

東南アジアはさすがに減ったが、インドでは今も路上でこのように生活している人は多い。途上国から来た人は、「日本はホームレスがいない」と言う。いないわけではない。日本はホームレスもまた「管理」されて見えなくなっているのである。
https://blackasia.net/?p=12586

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資料 小樽の「外国人お断り」事件 (原告側言い分)
 

有道 出人 さん プロフィール

1965年アメリカ・カリフォルニア州生まれ、ニューヨーク州出身。1986年に初来日し、2000年に日本国籍を取得。
 1998年〜2001年まで、全国語学教育研究学会のPALE特別分科会「PALE Journal」誌で編集長を務める。著書に「ジャパニーズ・オンリー 小樽温泉入浴拒否問題と人種差別」(明石書店)など。

(北海道情報大学講師)

「ジャパニーズオンリー
〜小樽温泉入浴拒否問題と日本社会の人種・民族差別〜」

2003年7月25日
2003多民族共生人権研究集会
記念講演

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 私は2000年に日本国籍を取りました。在日期間は、およそ15年間です。私は38歳で、日本人と結婚して、子どもが2人います。死ぬまで日本におりますので、これからそれぞれの社会問題に取り組もうと決心しました。その一つが、小樽の温泉問題です。

「外国人お断り」 〜小樽の温泉問題とは〜
 1999年9月、「外国人の方の入場をお断り致します」という看板がありました。英語で「Japanese Only」と書かれ、その下には、ロシア語で同じことが書いてあります。これは、小樽でいちばん大きい温泉「湯の花」にある看板なのです。
 最初に、入浴を拒否されたブラジル人の苦情を聞きました。日本人と結婚して子どもがいる方でした。子どもと一緒に入浴しようとして断られたわけです。それを聞いた私たち夫婦と友人たち(国際結婚した夫婦)は、その銭湯に行って、マネージャーに直接話を聞くことにしました。すると、私を含めて白人はダメで、アジア系の人達は入浴できるというのです。理由を聞くと、マネージャーは「ロシア人が来るから」と言いました。小樽は港町ですから、ロシア人はよく来ていましたが、かれらの中には酔っ払って入浴したり、パンツのままで浴槽に入るなど、入浴マナーが悪い人がいたそうです。注意しても日本語が通じない。だからロシア人を断らなければ、日本人が嫌がるということでした。
 しかし私たちは10年以上住んでいる永住者で、日本の入浴マナーを知っていました。「だから、入ってもいいのではないですか?」と言いました。しかしマネージャーは、ダメだといいました。「あなたがロシア人かどうか見分けられない。でもロシア人だけを断ることは差別になる。だから公平に外国人を一律お断りする」というのです。

パパに似たら「お断り」?
 私たちには娘が二人います。上の娘は、見かけがアジア人と変わりないですが、下の娘は、私と同じ茶髪で目が青い。同じ親から生まれて、日本生まれ、日本育ち、母国語は日本語、日本国籍を持っています。「この子たちは、どうなりますか?」とマネージャーに尋ねました。マネージャーは、上の子を見て、「こういう子は良い」と言い、下の子については、「大きくなってからお断り」と言いました。これは言後道断ですね。こんな非人道的なポリシーは良くないのではないかと主張しましたが、マネージャーは、「やむを得ない」と片付けました。だから私たちは運動を始めました。

差別撤廃のために行動を起こす
 私は、あらゆる手段を取って、このような差別を撤廃しようとしました。小樽市議会、小樽市長にもアピールに行きました。私が「このような外国人入浴拒否は、あってはならないのでは?」と言いましたが、小樽市議会と議員は、「人種差別撤廃条例を制定するのには早すぎる」と言いました。「今から作ろうとしませんか?」と言うと、「まだ早い」と言われました。北海道議会にも言いましたが、同じ返事でした。(法務省の)人権擁護部の小樽支部にもアピールしましたが、返事さえくれなかったのです。この温泉に行って、「看板を撤去しなさい」と言うことすらありませんでした。私たちは「人種差別撤廃条例」を制定するように、陳情を小樽市議会、道議会、国会にも出しました。その結果、小樽市では、定例会で継続審査。道議会と国会からは、返事さえきませんでした。

他にもある「ジャパニーズ・オンリー」
 この温泉(「湯の花」)以外にも、外国人を拒否する看板を出しているところがあります。例えば、紋別市に「日本人専用」とロシア語で書かれた看板を挙げた飲食店が90店あります。私たちはそこへ出向いて、「なぜそういうことをするのですか?」と聞きましたら、ロシア人の船員が暴力をふるう不安があるということでした。「看板をおろして下さい」と言いましたが断られました。今でもその看板はあるそうです。また、稚内市のある公衆浴場では、日本人は入場料が360円なのに、外国人客専用風呂は2500円だそうです。6倍です。マネージャーに理由を尋ねると、外国人を断るよりはマシだと言われました。私たちはそれが間違っていることを説明しました。

人種差別は悪循環
 小樽では皆が「外国人を断っても良い」という意識を持ち始めました。温泉や飲み屋だけでなく、理髪店、スポーツ店、レストランも断っています。最近このような「看板で人を断る」ことが出てきたわけではなく、1993年、つまり10年前から外国人を断っていたのです。悪循環です。このような看板によって人種差別行為が起こってしまうのです。
 道内で「外国人お断り」がある所は、稚内、紋別、小樽、留萌、根室です。(青森の)三沢でも見つけました。気になったのは、その看板が小樽の温泉のものにそっくりなのです。真似ているのですよ。看板で明確にすることで、差別行為を助長しています。東京の渋谷、新橋、名古屋でも秋田でも断っている所を見つけました。那覇ではもっと頻繁に見かけます。「外国人お断り」が暗黙の了解でなく、看板で見せるのが新しい傾向なのです。

外国人が騒擾を起こす? 〜石原発言の嘘〜
 小樽には「外国人お断り」の温泉が3つあり、そのうち2つのオーナーとは話し合って、看板を下げてもらいました。それは良かったのですが、残る1つはいまだに挙げています。
 ようやく進展がありそうな時、石原都知事が「東京では不法入国した多くの三国人(外国人)が極悪な犯罪を繰り返している。こういう状況で大きな被害が起きた時には、警察の力のみでは限りがある。だから治安維持の一つとして、外国人の留置を遂行しておきたい」ということを言いました。大地震があれば「不法外国人」を留置して治安を守るべきだと言っているのです。歴史的には、大災害の時に外国人が騒擾したことはありません。関東大震災の時、朝鮮人の方が日本人に殺されました。逆ではないでしょうか。

恐怖感をあおる警察
 警察署のホームページには、「イラン人薬物密売グループ、ロシアマフィア、韓国人スリ」などを挙げて、警戒をよびかけています。東京の銀行には、「注意! 来日不良外国人によるひったくり事件多発」というビラがあり、これは中野警察署の作ったものでした。私たちは中野区警察署に電話をして、どれぐらい外国人犯罪があるのかと聞きましたが、「わからない」という返事でした。別の銀行のATMにも「不良外国人によるひったくり事件が多発中!」という貼り紙があります。貼り紙には、包丁をもった外国人の周りに警察がいて、おばあさんが警察官に「期待してるわ」と言っているイラストが描かれています。

ワールドカップの裏で
 去年の6月にワールドカップがありました。その前にマスコミでは何が流行ったか覚えていますか?「フーリガン対策」です。札幌では、イギリス対アルゼンチンの試合があり、暴動の心配がありました。警察官4千人を本州から連れてきていました。観客よりも警察官の方が多かったですよ。その時、外国人はフーリガンじゃないかと、非常に敬遠されたのです。何度も、大通公園等を通る時に職務質問をされました。僕が国民であること、理由なく職務質問できないはずであることを言っても、ごまかされました。外国人は犯罪を起こす疑いをかけられていたのです。このことに対して私は警察本部にも、道本部にも電話で説明して謝罪を求めましたが、悪いことはしていないというのです。ワールドカップが終わってから警察本部に行きましたが、謝ってはもらえませんでした。

「外国人犯罪急増」のからくり
 外国人の犯罪は確かにあります。では、どのくらい多いですか? でっちあげということもあるのです。統計を見れば、去年犯罪が284万件ありました。そのうち3万件は外国人が起こしたもので、1.2%くらいです。でも人口割合にすれば外国人は1.5%です。すなわち日本人よりも外国人の犯罪率は少ないのです。「急増」ということだけが強調されやすいのです。もしあなたが犯罪を起こされても、98.8%は日本人が起こした可能性ということです。しかも、外国人の犯罪統計の中には、「ビザ」関係(資格外活動)があります。日本人はビザの犯罪が起こせません。それを除けばなおさら犯罪率は低くなります。

小樽温泉問題、裁判へ 〜憲法は住民を守るのか〜
 私が日本人になったのは、2000年の10月でした。これは運動と一切関係なく、日本が好きだったからです。日本国籍になった後、あの温泉「湯の花」に戻りました。まだ看板を挙げていました。「僕はもう日本人です。入ってもいいですか?」と聞きましたが、断られました。「あなたが日本人だと言うことは、マネージャーとして分かるけれど、あなたが裸になって入ると誰があなたを見て日本人だと思いますか。駄目です。入らないで下さい」と言われ、堪忍袋の緒が切れたのです。
 やはり裁判になりました。15ヶ月もかけていろいろなことをやりましたが、最終の手段でした。これは人種差別だと思い、我々のような住民は日本国憲法で守られているかどうかを問いたかったのです。2001年の2月裁判を起こし、翌年11月判決が出ました。温泉だけではなくて、小樽市も訴えました。ここまでの放置は行政官としても責任があると思ったからです。人種差別撤廃条約の中にも、あらゆる措置を取って人種差別を撤廃する責務があると書いてあります。

裁判の結果
 小樽温泉に対して我々は勝訴しました。200万円の賠償金を要求し、100万円の賠償を認定していただけました(お金のために裁判をしたのではありません)。温泉に対して、「外国人一律拒否の方法によってなされた本件入浴拒否は、不合理な差別であって、社会的に許容しうる言動を超えているものと言えるため、違法であって不法行為にあたる」という判決でした。「不合理な差別」と言いましたが、では「合理的な差別」はあるのでしょうか。この判決は「やりすぎたのだから、違法行為である」と認めてくれました。けれども、「人種差別だから違法行為である」とは認めてくれませんでした。
 市に対しては、こういう判決でした。「公権力の一部を担う機関として、国と同様に人種差別を禁止し、終了させる義務を負う」としても、「条約を制定することによって具体的な人種差別を禁止し、終了させること」が明確に義務付けられるものではないということでした。法律や条例を制定する義務はないと言っているのです。

日本政府に望むもの
 21世紀の日本のために政府にして欲しいことは、次のことです。

 一つは、国籍が異なっても住民であり、ここで社会的貢献をし、納税もしていることを認めてほしい。住民票がなくても住民なのです。タマちゃんさえ住民票をもらえるのに、なぜ外国人はもらえないのか。だから「外国人は住民である」と政府のレベルで言って欲しいのです。それをせずに、どうやって我々の人権が守られるのですか?
 毎日新聞の2003年4月12日の記事に、内閣府の「人権擁護に関する世論調査」の結果がありました。日本に住む外国人について、「日本人と同じように人権を守るべきだ」と考える人が、初めて50%台に落ち込み、「日本人と同じような権利は守らなくても仕方がない」が、前回1997年の調査の18.5%から11.8%増え、過去最高となりました。外国人に対する人権意識の低下と言えます。「外国人の人権を守らなくても仕方がない」という人が増えています。これでいいはずはありません。外国人であっても人間です。人権があります。外国人だから犯罪を起こすと思わないで欲しいのです。悪い人は日本人にも、外国人にもいます。人によります。国籍には関係ない。政府が、そう言って下さい。

 二つめは法整備です。日本人が外国人と国際結婚するケースが毎年4万組と、1999年からおよそ30%の増加です。その人たちの子どもはどうなるのでしょうか。子どもたちは日本国籍を持っているので、外国人の統計にも入りません。日本の社会はますます国際化しているのですが、見えないのです。
 国際化のために人種差別撤廃法を制定して下さい。そうしなければ私の子どもや、我々のように外見が日本人離れした人の人権は守られません。ちゃんと日本の憲法が守れるような制度を作って下さい。それを皆さん、プッシュしていきましょう。

http://www.taminzoku.com/news/kouen/kou0310_debito.html  

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<コメント>
 ふ〜ん、アメリカハクジン系ニポン人だったのですね。

 とりあえず、差別された側の資料です。
http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/661.html

小樽の「外国人お断り」事件は、悩んだ末のポスター


 こんばんわ

 世に有名でない「銭湯、ガイジン差別事件!!(^^)」について話題が出ましたので、一言


>日本の北海道の温泉(公衆浴場?)の、外国人おことわり騒動でも、感じたけど、
>まだまだ、日本全体が(一般的に)人種差別、に鈍感ですね。

 数年前に、小樽(北海道)の銭湯が「外国人お断り」というポスターを出して、ハクジン系ニポン人に「差別だ」と訴えられた事件のことですね。

 最初に事件をマスゴミの報道で知った時は、アホなことしよるなぁ・・・という感じでしたが、その後、小樽人をはじめ北海道人に聞いてみると、多少ニュアンスが違うのですね。

 銭湯の経営者団体は「ロシア人お断り」のポスターを出したかったのですが、それでは日ロ問題になりかねないので、悩んだ末に「外国人お断り」にして複数の銭湯が掲示したということです。

 「ロシア人お断り」の原因は、北海道の大きな港にはロシア船が入るのですが、その乗組員が旅の垢を落としに来る。観光客ではないですからサウナに行くほどの金はないですから、船単位で、どどっと銭湯に押しかけるわけです。

 で、やつらときたら、数日間風呂なしですから、垢くさいは、油くさいは、魚くさいはでニポン人の客は逃げてしまうのです。(笑)
(注;わしらも、同じようなものですけどね。出張帰りに飛行機に搭乗拒否された知人がいます。(笑))   

 しかも、浴槽につかる前に体を流す習慣がない。やつらが出て行った後の浴槽には、砂や鉄さびや鱗が堆積している。(笑)
 ロシア人が来たということを事前に感知した常連客は来ないし、知らないで来た客には、番台のオヤジが「すいませんねぇ・・・、今日は船員さんが来ましたんで・・・」とか言い訳しなければならない。

 零細経営の銭湯としては、一日分の売り上げがパーになるわけです。

 そんなことで、「ロシア人お断り」とかのポスターでは日ロ経済の比重が大きいせいもあって、「外国人お断り」なら特定しないから差別にならないだろうと考えたようです。
 ま、北海道の港町の場末の銭湯に入る外国人と言えばロシア人船員しかいないですから・・・

 で、それに銭湯趣味のハクジン系ニポン人が「外国人への差別」だと訴えたのですね。この方は、風体がガイジンなので、各地で入浴拒否された経験があるのだそうです。温泉旅館などでもハクジン系外国人と見なされる人の大浴場への入浴拒否はあるようです。

 以上が、小樽の銭湯のガイジン差別事件の背景です。

 この事件は、ナイチ(内地)ではあまり大きな報道はなかったですし、マスゴミは「外国人差別事件」として扱いましたが、北海道、とくに港町では結構大きな問題だったようです。

 各地の銭湯業者(公衆浴場組合?)は「ほならどうすればエエんじゃ」とか怒るし、銭湯趣味者は、「ガイジンを見たらわしらがマナーを教えんならんのか?!」とかね。
 当該ターゲットの「外国人」と同業のニポン人も「あいつらはマナーを守らんからねぇ」と言うし・・・


 小生は、「刺青お断り」とか、「極端に汚れている人お断り」と同様の対策とみていますから、銭湯(複数)のオヤジの気ちはわかります。
 「汚れた無作法な客」とわかっていても、「汚れてるからだめ」とか「銭湯の作法を知らないからだめ」と言い換えても、それは北海道の港町で見かける平均的ロシア人なのですから、どうせ国際問題になりましょうしね。

 それを、北海道の港町で見かける平均的ロシア人ではない見かけはガイジンの「ハクジン系ニポン人」から訴えられたつうのは番狂わせですね。


 なお、北海道の港町で見かける平均的ロシア人のために弁護しますが、やつらは気のいい連中で、ハクジンにしては良い子だと思ってます。強い酒をラッパ飲みして大声で歌う連中が多いけど、昔の歌声喫茶の雰囲気だと思えば大したことないし、露西亜民謡?を生で聞けるし・・・
 食堂で、わしらのテーブルの椅子を持っていくときも、きちんと了解を求めますしね。(^^)

 公衆浴場という習慣がないためのトラブルと言えましょう。


 銭湯業界としては、少ないロシア人船員のために別の浴槽を増設するわけにもいかないですから、日ロ友好のために公費で浴槽増設とか考えるべきでしょう。
 もっとも、ガイジン用浴槽とニポン人用浴槽なんてのは、これまた差別で訴えられかねないですね。(^^)

 ま、道庁と関係市町村は、ロシア船員用のパンフの「銭湯のマナー」欄を充実したようですけどねぇ。
http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/651.html


資料 小樽の「外国人お断り」事件に関する聞き取り調査 (大学生の卒論?)


 小樽での聞き取り調査の結果です。

平成14年10月24、25日に小樽市の温泉施設、公衆浴場、商店街で一般の市民の方を対象に、アンケート調査を行いました。

また、4つの施設の経営者の方にインタビューを行い、入浴拒否問題に関する様々な意見を聞かせて頂きました。

これら2つの聞き取り調査の結果は以下のようになりました。

1.アンケート調査の結果

今回、入浴拒否問題発生に深く関わる小樽市民の意識を探ることを目的に、聞き取り調査を行いました。

調査を行った場所と人数は以下の通りです。

3つの入浴施設・・・34人(男性12,女性22)

         商店街・・・23人(男性8,女性15)   

      → 合計―57人 (男性20人、女性37人)

 年代別の内訳は以下のようになっています。

10代:9人(男性2,女性7)    50代:7人(男性3,女性4)

         20代:10人(男性3,女性6)    60代:9人(男性1,女性8)

         30代:8人(男性6,女性2)    70代:5人(男性0,女性5)

         40代:7人(男性5,女性2)    80代:2人(男性0,女性2)


質問は以下の6つの項目で行いました。

     @温泉や銭湯で不快な思いをしたことがありますか。

     Aもしマナーを守らずに入浴している人を見たら、どうしますか。

     B温泉や銭湯で外国人と一緒になったら抵抗はありますか。

     C韓国朝鮮人、中国人、ロシア人(小樽市在住の外国人登録者数のうちの上位3カ国)に対して良いイメージを持っていますか、

    悪いイメージを持っていますか。

     D外国人に関する悪いうわさを聞いたことがありますか。

     E入浴拒否問題を知っていますか。

    入浴拒否問題をどう思いますか。

●調査を通して、28%の人が外国人との入浴に抵抗があることがわかりました。その中で「マナーや習慣の違い」を理由として

 あげる人が多く見られました。

   また、韓国朝鮮人に対するイメージを尋ねた回答の中では「特に何も感じない、日本人と一緒」という回答が最も多く、全体の

 60%を占めました(良いイメージだという回答は18%、悪いイメージだという回答は20%)。

  同様に中国人に対しても、「特に何も感じない、日本人と一緒」と答えた人が最も多く、全体の64%を占めました(良いイメ

 ージだという回答は13%、悪いイメージだという回答は21%)。

   一方でロシア人に対しては、「悪いイメージだ」と答えた人が最も多く、全体の52%にも及びました(良いイメージだという回答

 は4%、特に何も感じないという回答は42%)。「悪いイメージだ」と回答した人の中には、「密輸、盗難、売春のニュースや噂を

 聞くから」「自転車や車の部品などを持っていかれるから」という理由をあげる人が多かったです。

   入浴拒否問題に対する考えとしては、「拒否はおかしい、しない方がいい」という回答が最も多く、全体の44%を占めました。

 次に多かった回答は「入浴拒否は仕方がない」という回答で19%、「外国人の入浴は拒否すべきだ」という回答は15%でした。

具体的なアンケートの集計結果はこちらです。


2.入浴施設の経営者の方へのインタビュー結果

  平成14年10月24、25日に小樽市内の4つの入浴施設(A、B、C、D)の経営者の方にインタビューを行いました。

  どの入浴施設でも主にロシア人のマナー違反(石鹸をつけたまま湯船に入る、湯船に飛び込んで騒ぐ、酒を飲んで酔っ払う等)があったということです。

 

@どのような対処法をとったのかという質問に対する回答は以下の通りです。

   入浴施設Aでは「市が作成した注意書きを見せ、片言の英語で注意してしのいできた」ということです。

   入浴施設Bでは「初め“Japanese Only”の看板を掲げ、その後“Members Only”の看板に変更。

        現在の“Members”の条件は『楽しく入浴し、他人に迷惑をかけないこと』のみ」ということでした。

        対処法としては「五ヶ国語で注意書きを記したポスターを掲示したり、アンケートの実施やフォーラムの開催を行った」

        ということです。

   入浴施設Cの経営者の方は「口頭で注意するが、言葉が違うとなかなか伝わらない。今はマナーを知っているかどうかを聞いて入れて

        いるので、トラブルは減った」と回答されました。

   入浴施設Dでは「行政の対応が遅く、市から要請される前に独自にポスターを作成・掲示し、トラブルは減った」ということでした。


 A利用客の反応について尋ねたところ、以下の回答がありました。

  どの入浴施設でも嫌がる日本人利用客がいて、苦情が出たということです。

 入浴施設B、Dでは、特に年配の方からの苦情が多かったようです。

 また、入浴施設Dでは、ロシア人がいないかどうか確認の電話をするお客さんや、ロシア人がいるとわかると出て行くお客さんもいるとのことでした。

 


 B人種差別という視点での見解について意見を伺ったところ、以下のような回答が出ました。

   入浴施設Bの方は「入浴拒否は人種差別だと思うが、営業していくためには仕方なかった。

        現在は人権と営業権の両立はできている」と回答されました。

   入浴施設Cの方は「人種差別の意識はなく、民間企業として利益を出すことが重要なだけ」と答えられ、

        「マナーの悪い人は受け入れ、悪い人は断っているだけ」とのことでした。

   入浴施設Dの方は、「新聞報道には施設側の言い分がほとんど載せられなくて、人種差別に重点が置かれていた」とおっしゃっていました。


 ☆ホームページ掲載が予定より遅くなってしまったことをお詫びいたします。調査に協力して下さった入浴施設経営者の方、小樽市に在住の方々、本当にありがとうございました!! 宇都宮大学国際学部 田巻研究室4年一同

http://www.cc.utsunomiya-u.ac.jp/~tamakim/otaruindex.htm

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<コメント>
 被告側の主張を確認できないので、市民の意見代わり資料

 おそらくDが裁判の当事者だと思いますが、この場合は特定しても意味ないと思います。
http://www.asyura2.com/0601/asia4/msg/663.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-10733] koaQ7Jey 2019年4月17日 07:56:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1318] 報告

日本の「ものづくり」は心配しなくても中国には絶対負けない

振り返って考えて欲しいことがある。

まず、マスコミは手を変え品を変え、日本人に「ものづくりからの脱却」を進め、もう日本人の物づくりはダメになったと10年以上も言い続けて来た。そうやって、日本人から「ものづくり=製造業」を奪おうとしてきた。

それと平行して、日本企業に中国・韓国に執拗に工場移転や技術指導をするように薦めていた。反日企業である中国・韓国に進出するデメリットはまったく説明することなく、ただ進出しないと時代遅れだという風潮を作っていった。

また、マスコミは意図的に日本企業を貶め、日本企業の人気がなくなるように誘導し続けてきた。

同時に、日本に進出しようとするサムスンのような企業を華々しく特集し、「サムスンに学べ」と上から目線で日本企業を嘲笑し、日本は敵わないような雰囲気作りをしていった。

マスコミはもう日本人の味方でも、日本の国益に沿った機関でもない。朝日新聞も、NHKも、いくつかの経済雑誌も、ことあるごとに中国・韓国を推し、日本の「ものづくり」をけなし続ける。


中国では物の価値よりも、価格が重視される

しかし、マスコミが何をやっても無駄だ。最終的に、日本の製造業は絶対に中国・韓国に負けることはない。これだけは、間違いなく言える。心配しなくても日本は最後に勝つ。

日本は技術を中国・韓国に移転せず、企業情報を盗まれないように徹底防衛し、日本人でものづくりに邁進していれば、必ず中国・韓国に勝てる。

日本企業が弱いのは、技術の防衛である。技術力ではない。

今後、中国企業の作った中国製品が世界を席巻すると言われているが、中国の製造業は遅かれ早かれ自滅する。なぜ、そんなことが断言できるのか。

中国は外国資本を国内に呼び寄せて、その技術を丸パクリすることによって成長を続けてきた国だ。

しかし、丸パクリしても、まったく同じ物にならない。必ず「劣化コピー」になってしまう。

その理由は簡単だ。中国では物の価値よりも価格が重視されるので、安ければ安いほど売れるからだ。

もちろん中国でもブランド品は売れる。しかし、ブランド品そっくりのニセモノがあって、そちらの価格がオリジナルの10分の1であれば、ニセモノの方が価値があると考える。

安く買えるのが、中国人にとっての価値なのである。

だから、外資を呼び寄せて何らかの製品や技術を手に入れて丸パクリしても、結局「安売り」の発想が優先されて、劣化コピーになっていく。


丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」

これは製品だけにとどまらず、すべてに当てはまる。

たとえば、中国に何らかの料理店が進出したとする。ブランドもあり、味もしっかりしており、中国でもそれが評判になったとする。

そうすると、すぐに10店も20店も、同じタイプの店が林立する。ただ丸パクリして人気にあやかり、波に乗ろうとするのである。

しかし、丸パクリするのは自分だけではなく他人も同じなので、丸パクリ同士で競争が発生する。そうすると、必ずどこかで価格競争になる。つまり、安売り合戦になる。

そうすると、素材を安物に替えてコストを浮かしたり、素材の数を減らしたり、必要な工程を省いたりしていく。ここから本来のものからどんどん外れ、劣化していくのだ。

先進国では、「製品価値をより向上させて競争力を高める」という発想を持つ。

しかし、中国では逆だ。消費者に捨てられるまで劣化させて提供し、どうにもならなかったらそれを捨てる。

そして、また何か丸パクリできるものがないか探して、同じことを繰り返すのである。

中国にブランドがなかなか生まれないのは、中国人の発想が、製品価値を向上させてブランドを築くという発想よりも、ブランドを丸パクリしたものを安売りして「売り捨て」にする発想があるからなのである。

そんなことをしていると、技術の蓄積も、経験の蓄積も、信頼の蓄積も、まったく何もできない。

しかし、中国では信頼よりも金儲けの方が重要なので、粗悪品を売って金が儲かったら、あとはどうでもいい。売れなくなったら、また売れている他のものを丸パクリすればいいと考えているので、信頼などいらないのである。


中国の丸パクリは、先進国とはまったく違う

欧米でも、何らかの商品を丸パクリすることによって生きている会社はたくさんある。マイクロソフトも、グーグルも、アップルを真似して成長している会社であることは有名だ。

しかし、彼らは常に品質を向上させ、やがてオリジナルから別物に進化しようとしている。

丸パクリをすること自体は非常に嫌われるのだが、それを元にして別物になっていけば、やがては新しいチャンスも生まれる可能性は常にある。

「発想は借り物だが、そこから時間を掛けて、新しい独自の物に仕立て上げる」

丸パクリが許されるとすると、そのような動きがあるときだけだと言える。日本企業も、多くはそのような形で独自進化を遂げてきている。

しかし、中国の丸パクリは、まったく違う。丸パクリした上に劣化させ、どんどん粗製濫造にしてしまう。中国の丸パクリは使い捨てであって、根底にあるビジネス観が先進国のものとはまったく違う。

中国が自壊していくことが運命付けられているのは、丸パクリが劣化コピーとなって、品質がどんどん落ち、粗悪品の大量生産になっていくからだ。

目先のカネに目がくらんで、面倒な品質管理や信頼性構築がまったくできない。

とにかく、すぐに儲かりたい。自分が利益を独占したい。粗悪品で消費者が困惑しようが、死のうが、そんなことはどうでもよくて、ただ自分が儲かればいい。

カネが儲かって、何らかのトラブルが起きれば、さっさと逃げて行方をくらませばいい。

そのような利己的で強烈な拝金主義が蔓延しているからこそ、中国は自滅を運命付けられていると断言できる。


日本の製造業は、こんな馬鹿げた国に負けない

「日本も昔は欧米の丸パクリで生きていて、やがて高品質な製品を作れるようになった。だから、中国もまたそのような道を歩むはずだ……」

それが、今までの日本人の基本的な認識だった。

しかし、最近は「どうも違う」と考える人が世界中で増えている。中国はいつまで経っても「粗悪品生産国家」ではないかと、世界中が思うようになってきた。

つまり、中国は拝金主義であるがゆえに、自滅していくのではないかと世界は気づきつつある。

その認識は間違っていない。

中国に利己主義と拝金主義が蔓延している限り、自滅は避けられない。

中国の大気汚染も、極度の腐敗も、粗悪品の大量生産も、すべて根っこは同じだ。利己主義と拝金主義だ。それが中国大陸を汚染してしまっているのである。

今や中国は、自らが住む大気や、大地や、食品までも粗悪品にしてしまい、環境破壊で誰も住めない地獄のような場所になりつつある。

客観的に考えれば考えるほど、日本の製造業がこんな馬鹿げた国に負けるはずがないというのが分かる。

中国がやっているのは、「悪貨は良貨を駆逐する」そのものだ。真似できるものを探し、盗み、丸パクリし、安売りし、粗悪品をばらまいて「勝った」と言っているだけだ。

しかし、粗悪品はいずれ捨てられ、本物が最後に残る。本物と品質にこだわる日本企業は、必ず最後に残っていく。マスコミを鵜呑みにして駆逐されなければの話だが……。


日本のものづくりが中国に負けるなど、絶対にあり得ない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171216T1645300900.html
 

2. 中川隆[-10732] koaQ7Jey 2019年4月17日 07:59:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1319] 報告

平和と平等の限りない追求は日本独自のもの


世界人口の人口の62.5%は、「平和が第一」とはまったく思っていない


最近、また気になったことがある。「平和」に関する日本人の認識だ。次の元号が「令和」に決まって、日本人は「平和への祈りが込められている」と世界に誇っているのが、とても無邪気で無防備に感じた。

平成の「平」は平和の「平」だ。令和の「和」は平和の「和」だ。いずれも日本人に平和思想が強く根付いているというのが分かる。平和であることは良いことだと日本人は思う。そして、平和を願うことは当たり前だと日本人は信じて疑わない。

もうひとつ日本人が疑いもしない言葉に「平等」というものがある。平和と平等は美しい概念であり、世界中の人たちがこの概念を一緒に追求していると日本人は信じているかも知れない。

しかし、現実はそうではない。平和と平等の限りない追求は日本独自のものであって、世界は必ずしも「平和と平等」を第一に追求しているとは限らない。受け入れられない可能性もある。

「受け入れられない」と言うと多くの日本人は仰天するはずだ。「平和であることや、経済を優先することや、平等であることがなぜ受け入れられないのか分からない」と思うはずだ。(鈴木傾城)

平和よりも、もっと大切なものがある?

なぜ受け入れられないのか。それは、世界は「そんなもの」よりも、もっと大切なものがあると考える国も多いからだ。平和や平等や経済よりも、大切なものなどあるのか。もちろん、ある。

平和よりも大切なもの。イスラム教徒に聞けば、それは「神であり宗教である」と答えるだろう。その点に関しては絶対に妥協はない。

イスラムを侵す者があれば平和より闘争が優先されるのだ。宗教が優先される。そして、コーランは人間が平等など一言も書いていない。平和よりも、平等よりも、イスラムが大事であり、重要であり、神聖なのだ。

イスラム教徒の人口は全世界で約15億人。すなわち、日本の12.5倍の人口が、平和を優先しないし、経済を優先しないし、平等であることも是としないということだ。すなわち、「価値観が違う」のである。

ところで、人口10億人を抱えるインドではヒンドゥー教が主流となっており、ここにシーク教やイスラム教やジャイナ教が絡んでインドが構成されている(仏教はインドでは少数)。

これらの宗教もまた「平和よりも大切なものは、神であり宗教である」と考えている。インドに根付くカースト制度を見ても分かる通り、人間が平等だとも考えていない。要するに、ここでも日本人の価値観とは違う価値観がある。

日本の人口の約8.3倍の人口が、日本人の持つ価値観とはまったく違う価値観を信じているということだ。

キリスト教はどうか。キリスト教は平和主義だろうか。

キリスト教が平和主義だったら、中南米は侵略されなかったし、アジア・アフリカは植民地にされなかったし、日本は核爆弾を2発も落とされたりしなかったはずだ。

彼らはキリスト教を信じない異教徒は虐殺しても奴隷化しても構わないという特異な特権意識を心の奥底に持ち続けて歴史を育んできた。それが過去の話であればいいが、今もまたそういった意識を心の中で持ち続けている可能性がある。

キリスト教徒の人口は世界で約20億人。すなわち日本の約16.7倍の人口が、平和を優先しないし平等であることも是としない。


62.5%は日本人の価値観を理解できない

キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の3大宗教だけで、約45億人。世界人口が約72億人だとすると、それだけで人口の62.5%を占めている。この62.5%は日本人の平和への無邪気な盲信から一線を引いている人口であると言える。

残りの37.5%も、平和や平等が正しいと思っているかどうか分からない。

むしろ、我々の神を信じない異民族は滅びろとか、イデオロギーが正義だとか、戦争で他民族で打ち負かすことが正義であるとか、他から奪うのが正義だとか、自分の一族だけが栄えるのが正義だとか、そのように思っている可能性が高い。

神よりも平和を優先したいと思う民族は、世界ではまったくの「少数派」である。日本が異質だと言われるのは、そこから来ている。日本人が思っている世界と、現実が乖離しているのだ。

そして「平和や経済や平等」を世界に押しつけるのは、世界にとっては「冒涜」だと思われる可能性が高い。なぜか。「信仰や神よりも平和や経済を優先せよ」というのは、神が侮辱されても信仰が侵されても戦うなということだからだ。

また、「人類はみんな平等だと思え」というのは、自分の神を信じていない人間も自分と同じレベルであると認めることになる。神を熱烈に信じる自分と、神を信じない「未開人」が平等であるとは彼らは本音では認めないだろう。

ユダヤ教もキリスト・イスラムと同じ神を信じているが、このユダヤ人は神を信じない人間を「家畜」だと考える風潮もあった。「ゴイム」と彼らは異教徒を呼んでいたはずだ。日本以外の多くの国では、それほど神は重要な存在である。神以上に重要なものはない。

平和は決して第一優先ではない

「平和や平等」は、実に建前的なものだ。それが唱えられた時は、誰も意固地になって反対しない。

しかし本音の部分を言うと、平和や平等は信仰やイデオロギーが優先される社会にとって害悪であり社会を崩壊させるものである。

もちろん世界の多くの個人は、ほとんどが平和な社会が平等な社会を望んでいるのは間違いない。略奪と暴力が横行する社会では強者と強運者しか生きられない。ある程度の平和がなければ人生は過酷なものになる。

しかし、自分のアイデンティティを構築している宗教や共同体が侵されるとなると話は違ってくる。平和よりも前に、宗教や共同体が優先される。

これらが維持された中で、次に平和が来るのであって、平和が最優先ではない。

ちなみに、日本以外の国々で言われている「平等」というのは、日本人が言う平等とは程遠い。同じ言葉なのだが、概念が違っている。世界の人々が言う「平等」とは、「機会が平等であること」を意味している。

全員が同じ収入や、全員が同じ生活水準であることを世界の人々はまったく望んでいない。

「スタートは平等であるべきだが、結果は平等であるべきではない」というのが欧米先進国の考える平等なのである。だから、欧米では「一億総中流」のような考え方はない。ひとりひとり個人の能力も嗜好も目指す目的も生き方も時代も何もかもが違う。

だから、結果は違って当然で、結果を同じにする平等とはむしろ個人の自由を奪うものであると考える。「機会の平等」であって「結果の平等」はまったく違うものである。

現代の日本的倫理観は、あくまでも現代の日本人が考えるものだ。これが異質だと気がついていないのは、当の日本人だけかもしれない。

日本人はあまりにも無邪気に「平和や平等」を口にするが、それが日本人の「見識のなさ」であれば悲しいことだ。

自分の信じている宗教を侵されたら平和よりも闘争が優先される。自分たちの共同体が侵されたら平和よりも闘争が優先される。

この感覚が分からなければ、自分の国が侵される時のことを思い浮かべばいい。国というのは巨大な共同体である。この「共同体=国」が侵略されたら、平和主義者であっても侵略者と戦って当然だ。侵略されても戦わないというのは、おかしいと思わないだろうか?

平和は常に優先されるものではない。人々は宗教や共同体や国が侵略されたら、平和という建前をかなぐり捨てる。世界はそのようにできている。平和は決して第一優先ではない。

そういった意味で、すべての日本人が狂信的に「平和」という理想を疑わなくなっている時流を憂う。これが理解できないのであれば、日本という国は100年後は消えている。(written by 鈴木傾城)

平和は常に優先されるものではない。人々は宗教や共同体や国が侵略されたら、平和という建前をかなぐり捨てる。世界はそのようにできている。平和は決して第一優先ではない。
https://blackasia.net/?p=12503

3. 中川隆[-10731] koaQ7Jey 2019年4月17日 08:37:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1320] 報告

日本人は些細な不正でも絶対に許さないルサンチマン人間


2019.04.16
小室母子・秋篠宮家に対する「国民の怒り」は壮絶である 皇室アンケート集計
https://rondan.net/20333


Contents

1 皇室アンケートの重要さ
2 総額43億円の“新”秋篠宮邸に納得できますか?
3 満足するだけの「手切れ金」があれば、小室圭さんは眞子さまを捨てると思いますか?
4 小室圭さんは、どうやってお金を返すべき?
5 小室親子と元婚約者、誰の品性が問題?


皇室アンケートの重要さ

皇室は「国民に寄り添う」ことを理念としてきました。ところが菊タブーなどもあり、必ずしも国民の声は皇室まで届きにくいという一面もあります。

先に行われた新潮社デモからも明らかなように、皇室の在り方に苦言を呈すると、言葉の暴力を持って攻撃されることも多々あります。皇室問題をめぐっては、このようなネット上のほうがホンネを呟きやすいのかもしれません。

当ブログでは、皇室記事を執筆した際、多く場合、それに関連するアンケートを実施してきました。しかも回答を追加可能な状態にして、自由な意見を述べられるように工夫しました。

今回は初期の頃に実施したアンケートを集計し、小室圭さんと秋篠宮家がどれほど国民感情を逆撫でてしまっているのかをまとめたいと思います。

今回はその第一弾です。

総額43億円の“新”秋篠宮邸に納得できますか?

これは秋篠宮家が新たに43億円(!)もの豪邸を建てることに対する国民の声。新天皇の「大嘗祭は簡素にすべき」という主張が国民感情を逆撫でました。


関連記事
秋篠宮殿下、10億円「仮住まい」、33億円「大豪邸」に批判の声 「大嘗祭を質素に」とのダブスタ 2019年2月19日
https://rondan.net/16228

総額43億円の“新”秋篠宮邸に納得できますか?

出来ない。勿論、一般より高額にならざるを得ないことは理解出来る。しかし、どうしてここまで高額になるのかが分からない。

大嘗祭には然るべき予算が掛かっても納得できるしするべきだと思うが秋篠宮邸こそ必要がないと思う。

秋篠宮は、皇族とは、思えない人達ばかりで、、品性がなさすぎて、恥ずかしくないのかな、だから、真子様が、あのような人間に、好意をもたれても、仕方ないかなと、思います!

なんで皇室関係にはこんなにお金かけるのか、税金使う事他にもあるでしょ!もっと弱者を救う日本で在りたい!

納得出来ない!

秋篠宮家のみならず、今上美智子のお金の使い方に疑問だらけで不愉快。自分たちさえよければ国民のことなど考えも及ばないのだろう。国民は平成四人組のお財布ではない。使途をはっきりさせるべき。立皇嗣も納得出来ない。こんな茶番はいつまで続くのか?

出来ません!増築・改築の必要性は納得しますが、金額が莫大すぎる!

それ庶民の血税ですが、貧困高齢弱者が大勢いるのに人の気持ちがまったくわかってない人だった。

できない!仮住まいに10億なんて!

納得できません。子供を勝手に国立小に入学させ定員枠を削り、優秀な生徒の進学機会を無くしても平気な人間に何を言っても無駄でしょうが。秋篠宮一家にだけは税金を使わせたくない。国民の総意で排除したい。


皇室は日本にとってとても、とても大切な存在。が、お金の使い方に関してはアンタッチャブルとはいかないのでは?私はお二人のお嬢様方が学習院大学からICUに移られた時から、おや?と違和感を覚えました。大きな進路変更ならともかく。。そしてこのお住まいの件。万民の理解を得るには少々無理があるかもしれません。

皇室を無くして欲しい。何故、あの人たちは必要なのか?

できない 高すぎる!皇族は何様のつもりだった!!

できない。一家で皇籍離脱してもらいたい。

少ない給料から強制的に税金引かれて、その使い道がこれとかないわっ!

出来ない。ご自分の身の丈を勘違いされてるのでは?まさか、身の丈って身長とか思ってないよね。

仮住まいでも十分暮らせるのでは?

できません。質素にと言う割には言葉と行動が違いすぎです。国民の税金をなんだと思っているのか。

国民に受けいられるように、税金を大事に使って頂きたい

本当に頭にくる話ですね。国民が税金で苦しんでいるのに…働く事が馬鹿らしくなりますよ。秋篠宮家は要らないです。

皇族に一般常識は当てはまらないと言いますが‥その一般の人間が汗水垂らした血税で建てるんですよね? 今の日本に、今の時代の我々に、そんな大金を皇族に使わせる価値は無いと考えてる方が大半だと思う。少なくともこの大金を使うのを良しとしたら皇族関係者は今野日本には必要ないです。

納得できるはずがない! 仮住まいが10億って!!その仮住まいは新居に引っ越したらどうするんでしょう…

狡猾であまりにも低レベルな秋篠宮夫婦にどこまで我々の血税を使わせ虚しい贅沢を許すのだろう?揃って劣悪なこの夫婦の遺伝子を継いだ劣悪な息子が将来我々の天皇?我々の象徴?これまでのように印象操作やウソでは隠し切れない日本の大恥。忌々しき大惨事が現実となる前に、今のうちに何とかしないといけないのでは??


皇族は誇りに思うけど、いくらなんでも、さすがに無いと思います。昭和天皇のお考え方が好きで皇族を尊敬してましたが、この件はそのお考え方とかけ離れ過ぎている。皇族にたいする国民の敬意が無くなっていくと思う

できない!血税をなんだと思っているのか。贅沢すぎ。

現在の一般庶民の暮らし、金銭感覚からは随分とかけ離れているように思います。大嘗祭の事に言及された時の秋篠宮様には共感できるものがありましたが、今回は如何なものか?と感じました。

許せない暴挙。天皇皇后が積み重ねて来た皇室のありかたを全て秋篠宮一家がぶちこわす。政府はなぜこんなデタラメを認めているのか。皇族はもう要らない。

納得できない!ナマズは兄宮のやる事にケチをつけ自分の立場を考えてものを言え‼

できません。どのように、税金使って、何故ここまで高額なのか、何故日本家屋風ではなく要塞風なのか納得できるように説明してもらいたい。

秋篠宮家は皇籍離脱せよ。国民が知らないうちに皇太子しか召すことができない色の装束を作っている。もう、明仁天皇と共に文仁紀子一家は皇室に残るな。皇太子一家と三笠宮一族のみが残れればいい。皇室自体が馬鹿の集合体になっているね。

絶対秋篠宮家の連中全て許せない

長い年月で他の人も使うでしょ。子供3人いるし婿取りのかたちで孫と同居するかもしれない。広くてセキュリティが良い方がいいでしょう。国の存続問題でもあるので。

出来ません。税金の使い方を見直して欲しい。

大嘗祭費にケチをつけたのは、4,300,000,000円を捻出させる為としか思えない。身の丈の本来の意味を御存知ない秋篠宮家へ一言 『♪出て行ってくれ〜!!!!!』

プレハブ小屋で十分

小室さんが批判されている学費とやらが400万円。億に直すと0.04億円。対する新宮邸造営費用は43億円。なんと1000倍の格差がありますが、皇族が庶民を会見で非難するって初めてですよ。なんか秋篠宮家だけが驕り昂ぶっているようです。驕る秋篠宮家は久しからずになりやしませんか?

税金を納めて無い人たちに巨額の税金を使う必要はない、皇室制度の根本的な改革が必要

血税を無駄な事に使うな!庶民は増税ばかりで苦しい思いをしてるんだそ!

納得出来るわけがない!秋篠宮家一家と美智子様には敬えないし、支持出来ません!日本の皇室というものを汚されてばかりです。皇太子様と雅子さま、愛子様には心から感謝し、敬っております。


今回の報道見てると今までボロ家に住んでたかのように書かせてたけど何回も改装してるだろ?特にそのうち一回は平屋の秩父宮邸を二階建てにほぼ新築。真子の公募研究員といい全てが姑息なんだよこの家は


美智子皇后と紀子さまが贅沢三昧し過ぎで皇室を我が物にしようとしているようですが川嶋家のみならず、創価学会の小和田家も皇室を乗っ取ろうとしているのではないか⁉️両家ともに昭和天皇ならきっと猛反対なさると思う。


小室圭さんが400百万で週刊誌のオモチャにされてるのに43億円?ふざけてるのか?外国の恵まれない子供に寄付してください


秋篠宮が問題なのではなく、「天皇皇后両陛下が東宮御所に入ることが、全ての原因では?」ないでしょうか?!が

国民健康保険も払えない若者がいっぱいいる!そこに回せ!


お金かけ過ぎだよね。みすぼらしい建物にも住めないし、セキュリティーの問題もあるけれども、どうしてこんなにかかるのか分からない。今の世に合わない生活していると思う。

私は小、中学生の娘を持つ自営業の者です。去年から税務調査されていて、僅かに貯めたお金を徴収されそうです。税金納めなくてはいけない国民の感情を逆撫でするような事は辞めて頂きたいですね。


消費税も上がるし、年金もどんどん遠のくのに、納得出来るわけない。もっと市民の声をちゃんと聞いて欲しい

自分ばかり贅沢。東日本大震災の慰霊によく来れたもんだ。恥知らず❗️まだ仮設住宅で暮らしている方たちに、ひどい仕打ち。

消費税アップで苦しむ国民の事が全くわかっていない 国民の象徴になっていない


皇嗣となれば、外国からの賓客などを招くこともあるだろうから、それなりの格の邸宅に住む必要性があるのは理解できる。ただそれならば、今上夫妻が東宮御所に住みたいなどと仰らずに、秋篠宮一家が東宮御所に移れば良かっただけの話ではないでしょうか?今上夫妻が他の空いている旧宮邸を増改築すれば、仮住まいに何億、皇嗣邸に43億などと多額の税金を削減できたはないかと思ってしまうのですが。


秋篠宮家には皇族をやめていただきたい

国民の血税で贅沢な

熊本地震から三年 未だに1億6千万の方々が仮住まいで、苦しい生活をされています。皇室予算を減らして被災地に税金を回して下さい


そのお金を安月給で泣いている公務員の給与に回すべき


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満足するだけの「手切れ金」があれば、小室圭さんは眞子さまを捨てると思いますか?

さて現在、秋篠宮殿下は総額43億円もの新邸を建築中です。しかしこの額が余りにも多いので、これを一部プールして小室圭さんへの「手切れ金」にするのでは? と疑念の声があがりました。

現在、純愛を貫いていると噂される二人ですが、同時にカネにあざとい小室母子。ならば「手切れ金」さえ用意されれば小室圭さんは眞子さまを捨てるのか?とアンケートしてみました。結果は恐るべき。


関連記事
秋篠宮殿下、33億円建築費「水増し」で、小室圭さん「手切れ金」を捻出 2019年2月21日
https://rondan.net/16366


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小室圭さんは、どうやってお金を返すべき?

母・佳代さんとその元婚約者との間で揉めている400万円の借金。一部評論家はYoutuberすればいいだの、クラウドファンディングすればいいだの好き放題言っていました。そこでどの様に返済すべきかアンケート。もちろん結果は瞭然です…。


関連記事
小室圭さんは、どうやってお金を返すのか? Youtuber、草むしり、有料記者会見… 2019年2月20日
https://rondan.net/16251

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小室親子と元婚約者、誰の品性が問題?

揉めに揉めている小室母子と元婚約者の金銭トラブル。多くの論者は小室母子の人間性を問題視していますが、一部の評論家はむしろ元婚約者の人間性を問題視しています。そこでどちらが問題的かアンケートを取ったところ…もちろん結果は明らかです。


関連記事
【眞子さま&小室圭さん】元婚約者の品性にも疑問の声 2019年2月20日
https://rondan.net/16257


https://rondan.net/20333


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ニーチェ『道徳の系譜』を解読する
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/


「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」
「この生」「この世界」をどう肯定できるか?


『道徳の系譜』(1887年)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年〜1900年)による著作だ。時代的には中期から後期の作品に分類される。

本書は『善悪の彼岸』が自分の思ったように受け取られず、ニーチェが自分の思想を解説する必要にせまられて発表したものだとされている。ここでニーチェは十八番のアフォリズムを封印し、論文形式で議論を展開している。なので読むのに多少の手間は掛かるが、言いたいポイントは分かりやすくなっている。

本書のテーマは道徳だ。冒頭でニーチェは次のように述べている。

(解読)
私は本書で、人びとがそもそも善悪の価値判断を考えだした理由は何か、そしてこの価値判断それ自体にどんな価値があるかを明らかにするつもりだ。

そのために私は、道徳の価値がなぜ、そしていかにして生まれ、発展してきたかについて見ていくことで、道徳的な価値それ自体がもつ価値を批判的に考察しようと思う。

(引用)
われわれは道徳的諸価値の批判を必要とする、これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ、—そのためには、これら諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきたもろもろの条件と事情についての知識が必要である(結果としての、徴候としての、仮面としての、偽善としての、病気としての、誤解としての道徳。が一方また原因としての、薬剤としての、興奮剤としての、抑制剤としての、毒物としての道徳など)。

かくしてニーチェは道徳が発展してきた過程をさかのぼり、それが成立するために必要だった条件を見て取ろうとする。本書が『道徳の系譜』と名付けられているゆえんだ。


気をつけておくべきは、ニーチェは史実にもとづいて道徳の起源を取り出そうとしているわけではなく、ひとつの仮説を置こうとしているにすぎないということだ。何らかの起源を想定すること自体、ニーチェの思想の構えに反する。「ニーチェの主張する事実は歴史上存在したことがない」と反論することは、ニーチェの議論に正面から答えることにならない。

本書は3つの論文から構成されている。それぞれのタイトルは次の通りだ。

•第1論文:「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」
•第2論文:〈負い目〉、〈良心の疚しさ〉、およびその類いのことども
•第3論文:禁欲主義的理想は何を意味するか?

まずは第1論文について見ていく。

第1論文 … 自己肯定の道徳とルサンチマンの道徳

ニーチェの道徳論のひとつの重心は、私たちは何が道徳であるかをしばしば「ルサンチマン」によって規定してしまう、という点に置かれている。

ルサンチマンは一般に「怨恨」という訳語が当てられているが、これでは意味がよく分からない。

なので言い換えてみると、ルサンチマンとは「ちぇっ!なんだよあいつ…」と舌打ちするときの心の感じを思い浮かべると分かりやすいかもしれない。アイツばかりモテやがって…とか、アイツばかり昇進しやがって…などの「ちぇっ!」が、ニーチェのいうルサンチマンの内実だ。


ルサンチマンが私たちの道徳の根本にあると言われると、私たちはドキリとする。「これこれすることはいいことだ」という確信が、自分より優れているヤツに対する「ちぇっ!」によって支えられているならば、私たちの道徳は実はまったくの偽善であることになってしまうからだ。

ニーチェいわく、「よい」という判断のおこりは、「よい人」たち自身が彼らより劣った人たちと比べて自分の行為を「よい」と評価したことにある。つまり「よい」の判断は自己肯定の表現として現れたのだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「よい」とは語源学的にいって、もともとどのような意味をもっていたのだろうか?

私が見るに、どの言語においても、身分的な意味での「貴族」とか「高貴」が基本概念であり、そこから派生して、貴族的とか卓越性としての「よい」が発展してきた。

しかしそれと並行してもうひとつの発展があった。つまり野暮とか低級といった概念が「わるい」schlechtの意味を持つようになってしまった。初めそれは単に素朴さ(schlechtwegsは「率直に」という意味をもつ)を指していたにすぎない。しかし次第にそれは現在の意味、つまり善と対置される「悪」das Böseへと意味を変化させていった。

(引用)
どの言語にあっても、身分上の意味での〈高貴〉・〈貴族的〉というのが基本概念であって、そこから精神的に〈高貴〉・〈貴族的〉とか、また〈精神的に高潔の資性をもつ〉・〈精神的に特権を有する〉とかいう意味での〈よい〉(優良)の概念が必然的に発展してくる。この発展とつねに平行してすすむ例のもう一つの発展があって、これは〈野卑〉とか〈賤民的〉とか〈低級〉とかいうのをついには〈わるい〉(劣悪)という概念に変えてしまう。

(解読)
身分的な意味でしか使われていなかった「よい」と「わるい」が次第にその意味を変化させる際には、「僧侶階級」が大きな役割を果たした。彼らは最初は政治的に最も高位にある階級にすぎなかった。しかし次第に精神的な面でも、最も優越していると考えられるようになった。

僧侶階級と対照的なのが「戦士階級」だ。僧侶階級が沈鬱的であり行動忌避的なのに対して、戦士階級は健康、力強さ、自由で快活であることを前提としている。

僧侶的民族であるユダヤ人は、敵対者である戦士階級に対して仕返しをするために、一切の価値の価値転換、すなわちルサンチマンによる価値創造を行った。ただし彼らは、これを現実の行為としてではなく、想像上の復讐として行ったのだ。

(引用)
道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生みだすようになったときにはじめて起こる。すなわちこれは、真の反応つまり行為による反応が拒まれているために、もっぱら想像上の復讐によってだけその埋め合わせをつけるような者どものルサンチマンである。

「よい」のが悪い、「悪い」のがよい

ニーチェによれば、この過程で生み出されたのがルサンチマンの道徳だ。ニーチェはこれを奴隷道徳と呼び、それに対して、戦士階級の道徳、自己肯定の表現としての道徳を貴族道徳と呼ぶ。

(解読)
いっさいの貴族道徳は肯定から生まれてくる。これに対して奴隷道徳は否定から生まれてくる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンをもつ人間にとっては、否定そのものが価値を生む行為だからだ。自己肯定ではなく他者否定こそが、奴隷道徳の本質的な条件なのだ。

(引用)
すべての貴族道徳は自己自身にたいする勝ち誇れる肯定から生まれでるのに反し、奴隷道徳は初めからして〈外のもの〉・〈他のもの〉・〈自己ならぬもの〉にたいし否と言う。つまりこの否定こそが、それの創造的行為なのだ。価値を定める眼差しのこの逆転—自己自身に立ち戻るのでなしに外へと向かうこの必然的な方向—こそが、まさにルサンチマン特有のものである。

(解読)
ルサンチマンの人間は「悪人」を思い描き、それと対比して弱い自分を「善人」と見なす。それゆえ「善人」とはルサンチマンをもとに生み出された反動形成にすぎない。 ではルサンチマン道徳の「悪人」とは一体誰だろうか?これこそまさに貴族道徳での「よい者」、すなわち高貴な者、力強い者だ。

(引用)
ルサンチマンの人間が思い描くような〈敵〉を想像してみるがよい、—そこにこそは彼の行為があり、彼の創造がある。彼はまず〈悪い敵〉、つまり〈悪人〉を心に思い描く。しかもこれを基本概念となし、さてそこからしてさらにそれの模像かつ対照像として〈善人〉なるものを考えだす、—これこそが彼自身というわけだ!・・・

そもそもルサンチマン道徳の意味で〈悪い〉とされるのは一体誰であるか、ということが問われねばならない。これにたいし、いとも峻厳な答えをするなら、こうだ、—ほかならぬあの貴族道徳での〈よい者〉、つまり高貴な者・強力な者・支配者が、ルサンチマンの毒々しい眼差しによって変色され、意味を変えられ、逆な見方をされたにすぎないものこそが、まさにそれなのだ。

かつて「よい」は自然な自己肯定の表現だった。しかしルサンチマンは、「よい」のが悪く、「悪い」のが実はよいのだというように、価値基準をいつのまにか逆転させ、反動的に「善人」のイメージを思い描く。

「善人」は「悪人」の鏡として思い描かれたものだ。それは自然な自己肯定の現われではなく、「よい」人たちの価値基準を前提とすることで初めて成立するにすぎない。そうニーチェは言う。

ルサンチマンの人間は自分固有の価値基準をもっていない

ニーチェのいう貴族的人間とルサンチマンの人間の大きな違いは、ルサンチマンの人間が価値の基準をみずからの外部に求めるのに対して、貴族的人間はみずからのうちからそれを創りだすという点にある。

ルサンチマンの人間は、何がよく何が悪いかを判断するために、まず自分の外側へと向かっていく。その一方で貴族的人間は、自分の内面に価値尺度を備えている。彼は何がよいかを自分のうちで了解しており、他者の価値基準にビクつくことがない。こうした貴族的人間を、ニーチェは自由な人間と呼んでいる。

以上が第1論文だ。

第2論文 … 約束のできる人間に「良心」は宿る

次に第2論文について見ていく。

ニーチェによれば、「自由な人間」が登場した背景には「習俗の論理」の存在がある。習俗の論理は人間を一様に数え上げられるようにするが、最終的には、習俗の論理から再び解き放たれた個人、つまり「主権者的な個体」が現れるにいたるという。

「主権者的な個体」と言われると、王様や偉人のような人たちを思い描くかもしれないが、ニーチェのいう主権者とは、自分の意志をもち、約束をきちんと守り、相手も自分も裏切らないようなひとのことを指している。

(解読)
「主権者的な個体」は自律的で自己固有の意志をもつ人間だ。彼は自由の意識、自己と運命を支配する権力の意識に満ちあふれている。

そして大事なのは、彼は約束できる人間であることだ。 彼は責任についての強い自覚をもち、自分がしっかりと約束を守ることのできる能力があることを知っている。こうした能力がいわゆる**良心**のことだ。

(引用)
責任という格外の特権についての誇らかな自覚、この稀有な自由の意識、自己と命運とを支配するこの権力の意識は、彼の心の至深の奥底まで降り沈んでしまって、本能とまで、支配的な本能とまでなっているのだ。—もし彼にしてこれを、この支配的な本能を、一つの言葉で名づける必要に迫られるとすれば、これを彼は何と呼ぶであろうか?疑いの余地もなく、この主権者的な人間はこれを自己の良心と呼ぶ・・・

たとえば、友達と「明日10時にここで」と約束して、やっぱり面倒だなーと行きたくなくなったとき、「本当にそれでいいのか?」と引き止める感じが自分のうちからふつふつとわいてくることがあるだろう。

約束をした相手を裏切らず、しっかりと約束を守ろうとする自己確信、それがニーチェのいう良心の中身だ。この言い方は確かに納得感を与えてくれる。


ニーチェがいう権力感情とは、他人を制圧するための権力を求める欲求ではなく、むしろ相手を裏切らないだけの責任をもてるだけの自己コントロール(支配)能力のことを指している。権力感情と聞くと何だかアヤシク思えるが、その内実は「自分は責任をもってきちんと・・・ができる!」という「自負心」だと考えるとわかりやすい。

「負い目」に由来する疚しい良心

一方、ニーチェによれば、約束する能力に由来するのではない良心もある。それが疚しい(やましい)良心だ。


自負心による良心ではなく、後ろめたさや「罪障感」に支えられている良心、これがニーチェのいう疚しい良心だ。

では疚しい良心はどのようにして現れてくるのだろうか?ここで重要な役割を果たすのが「負い目」だ。なぜなら負い目をみずからの内面へと向け変えることによって疚しい良心が現れてくるからだ。そうニーチェは言う。

(解読)
「負い目」(Schuld)は物質的な意味での負債(Schulden)に由来して現れてきた。

(引用)
これら在来の道徳系譜学者らは、たとえば〈負い目〉(Schuld)というあの道徳上の主要概念が、はなはだもって物質的な概念である〈負債〉(Schulden)から由来したものだということを、おぼろげなりと夢想したことがあるだろうか?

(解読)
その一方で、刑罰が報復に由来して現れてきた。

これまでしばしば、刑罰は負い目の感情や良心のやましさ、良心の呵責を呼び起こすための道具だと見なされてきた。しかしそれはまったくの誤りだ。むしろ事実としては、刑罰によって負い目の感情が発達しないように抑制されてきたのだ。

刑罰の本来の効果は次のところにある。つまり刑罰は自己批判を改善させる効果をもつ。それは恐怖と用心深さを増し、欲望を制御させることで、ひとを馴致させる。

ここで私はひとつの仮説を提示したい。それは、ひとは社会と平和によって束縛されていることを悟ったときに良心の疚しさにとらえられたという仮説だ。疚しい良心は、社会や国家がひとびとの自由の意識、つまり自律的に約束する能力から防御するために用意した刑罰によって、私たち人間の本能が内向したこと(人間の内面化)で生まれたのだ、と。

以上が第2論文だ。

第3論文 … 禁欲主義的理想で生を肯定する

最後に、第3論文について見ていく。

ここでニーチェは、禁欲主義的理想が生まれてきた背景について論じている。

ニーチェいわく、これまでの哲学者は概して官能を拒否し、禁欲主義的理想に対して愛着を見せてきた。禁欲主義的理想は哲学者が存在するための前提であり、哲学それ自体が存続するための条件でもあったとさえいう。

(引用)
哲学者らに特有の世界否定的な、生敵視的な、官能不信の、官能棄却的な厭離的態度は、つい最近にいたるまで固持されてきたものであり、かくてこれがほとんど哲学者の態度そのものと見なされるほどになっているが、—しかし、こうした態度は何よりもまず、哲学が一般に成立し存続するための不可欠な諸条件から生じた結果なのである。つまり、禁欲主義的な外被と被服がなく、禁欲主義的な自己誤解がなかったら、いとも長きにわたって哲学がこの地上に存在することなど到底できなかったであろう。

(解読)
禁欲主義者は、この生を「あの世」までの仮の生と見なす。彼はそれを否定されるべきもの、誤り、もしくは反駁されるべきものと見なす。これは人類の歴史上どこでも見られる事実のひとつだ。

しかし、ニーチェによれば、禁欲主義的な生はそれ自体が矛盾している。そこでは生の条件を抑圧しようとするルサンチマンが支配的であり、生きんとする力を押さえ込もうとするからだ、と。

(引用)
そもそも禁欲主義的な生というのは、一つの自己矛盾である。そこには比類のないルサンチマンが支配しているが、これは生のある部分をではなく生そのものを、生の最深かつ最強のもっとも基底的な諸条件を制圧しようとする飽くなき本能と権力意志とルサンチマンである。ここでは、力の源泉を閉塞するために力を利用するという読みがなされるのである。ここでは、生理的な発達そのものにたいし、とくにその表現や美や悦びにたいして嫉妬ぶかい陰険な眼差しがそそがれる。

「禁欲主義的僧侶」が弱者の味方となる

ここでニーチェは、いわゆる「禁欲主義的僧侶」がルサンチマンの方向転換を施し、疚しい良心を生み出したという説を立てる。

禁欲主義的僧侶?

禁欲主義的僧侶と聞くと、実際にそういう人たちがいたようなイメージをもつかもしれない。しかしこれは初期キリスト教の指導者、という程度に捉えるべきだ。誰か具体的に特定の人物を指しているわけではない。

(引用)
われわれは、禁欲主義的僧侶がいかに規則的に、いかに普遍的に、いかにほとんどあらゆる時代に出現するものかを、とくと考えてみるとしよう。禁欲主義的僧侶なるものは、個々の種族のいずれにも属するものではない。彼はいたるところに生えしげり、あらゆる階級から生えでる。

いずれにしても、ここでニーチェは、キリスト教は弱者のルサンチマンに呼応して現れ、これを助長することで、内面の価値尺度で良し悪しを判断する道徳のあり方を組織的に否定しようとしている、と言おうとしているのだ。

禁欲主義的僧侶は生を肯定する

(解読)
弱者たちは自分の苦痛の原因を外部に求めようとする。「私が苦しいのは誰かのせいだ」など。しかし僧侶は弱者たちに次のように告げる。「確かにそうだ。しかしそれはお前自身だ。お前自身が自分の苦痛の原因なのだ」、と。

(引用)
もしわれわれが僧侶的実存の価値をもっとも簡単な一句に言い表わそうとするなら、端的にこう言ってよかろう、僧侶とはルサンチマンの方向転換者である、と。

「私は苦しい、これは誰かのせいにちがいないのだ」—こうすべての病める羊は考える。ところが彼の牧者である禁欲主義的僧侶は、彼にむかって言う、「そのとおりだ、私の羊よ!それは誰かのせいにちがいないのだ。が、この誰かというのは、じつはお前自身なのだ。それはただお前だけのせいなのだ、—お前がこうなっているのに責めがあるのはお前自身だけだ!」

(解読)
このように見ると、禁欲主義的僧侶は生を否定しているかのように思えるかもしれない。

外見的にはそうだ。しかし実は禁欲主義的僧侶は、生を肯定する勢力のひとつだ。なぜなら禁欲主義的僧侶は「こうではなく別にありたい」とする願望、つまり禁欲主義的理想を思い描くことで、倦怠感や「死への願望」と闘う力を得ているからだ。

(引用)
事実を簡潔に述べれば、次のごとくである、—禁欲主義的理想は頽廃しつつある生の防御本能と救治本能とから生ずる、と。かかる生は、あらゆる手段をもって自己を保持しようと努め、自己の生存のために闘う。

じつは生は、この理想において、この理想を通じて、死と格闘し、死に抗して闘っているのである。禁欲主義的理想は、生の保持をはかる一つの策略なのである。

ただし、禁欲主義的僧侶は、苦悩を治癒しても、苦悩を生み出す原因については治癒することがない。禁欲主義は慰めでこそあれ、不快のもとを取り除くことはない。ニーチェいわく、ここに宗教の本質がある。それはつまり、生理的な抑圧感、沈鬱や不快を、ただ心理的・道徳的にのみ取り除くことにあったのだ、と。

(引用)
流行病とまでなるにいたった一種の疲労と重苦しさとに打ち克つことが、すべての大宗教にとっての主要問題だったからである。地上の特定の場所で時折りほとんど必然的にある生理的抑圧感が広範囲の大衆を支配するようになるにちがいないということは、はじめからありそうなこととして推定されうるところである。しかし、この抑圧感は、生理上の知識を欠いていることからして、そうしたものとしては意識されることがなく、したがってその〈原因〉も、それの治療も、ただ心理的・道徳的にだけ求められ試みられるにすぎない(—これこそがすなわち、通例〈宗教〉と呼ばれるものにたいする私のもっとも一般的な定式なのだ)。

(解読)
ここで宗教が取る方法は、機械的な活動に従事させること、隣人愛という「小さな喜び」を処方することだ。

機械的な活動によって苦悩を打ち消すことを、ひとは「勤労の祝福」と呼んでいる。たえず同じ行為を繰り返すので、苦悩に対する余地がほとんどなくなってしまうのだ。

隣人愛は、慈善や施しを通じて、共同体、畜群生活への意志を育む。それは弱者同士の相互扶助を促進する。禁欲主義的僧侶は弱者のそうした本能を見抜き、さらにこれを助長するのだ。

そこで禁欲主義的僧侶は負い目の感情を利用した。彼は悩める人間に対して、苦悩の原因を次のように説いた。

(引用)
「おまえは、その苦悩の原因を、おまえ自身のうちに、負い目のうちに、過去の一事情のうちに求めるがよい、おまえの苦悩そのものを一つの刑罰状態と心得るがよい」、と。

(解読)
こうして彼は、罪障感に支えられた疚しい良心を抱くようになるのだ。

「人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する」

では、なぜ人びとは禁欲主義的理想を受け入れ、禁欲主義的僧侶に従うのだろうか?なぜ彼を拒否しなかったのだろうか?

これについて、ニーチェは次のように言う。

(解読)
それは、これまで唯一禁欲主義的理想のみが人間に生の意味を与えることができたからだ。

彼が禁欲主義的理想を抱くようになった理由、それは人間が本質的にいって生の意味を求める存在だからだ。彼にとっては苦悩それ自体が問題なのではない。むしろ苦悩に意味が欠けていること、これこそが問題なのだ。

禁欲主義的理想は、人びとに苦悩の意味、目的を与えた。それによって人びとは何かを意欲することができるようになったのだ。

(引用)
人間、このもっとも勇敢で苦悩に慣れた動物は、苦悩そのものを否みなどはしない。いな、苦悩の意味、苦悩の目的(Dazu)が示されたとなれば、人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする。これまで人類の頭上に広がっていた呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった。—しかるに禁欲主義的理想は人類に一つの意味を供与したのだ!それがこれまで唯一の意味であった。何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである。

人間は一つの意味をもつにいたった。それ以来人間はもはや風にもてあそばれる一枚の木の葉のごときものではなくなった、もはや無意味の、〈没意味〉の手まりではなくなった。いまや人間は何かを意欲することができるようになった、—何処へむかって、何のために、何をもって意欲したかは、さしあたりどうでもよいことだ。要するに、意志そのものが救われたのである。

(解読)
しかし禁欲主義的理想は、人間に苦悩の意味を与えると同時に、新たな苦悩をもたらした。「虚無への意志」がそれだ。動物的なものに対する憎悪、官能に対する、また理性に対する嫌悪、美に対する恐怖—そうしたものすべてが禁欲主義的理想によって生み出されたのだ。

(引用)
さて、最初に言ったことを締めくくりにもう一度言うならば、—人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する・・・。

「この生」「この世界」をどう肯定できるか?

本書の流れを大まかにおさらいすると、次のような感じだ。


道徳、とりわけキリスト教的道徳が生まれた背景には人びとのルサンチマンがある。ルサンチマンが「よい」と「わるい」の価値秩序を逆転させてしまった。そうした人びとを導いているのが禁欲主義的僧侶だ。彼が人びとを内面化させ、疚しい良心(罪障感の良心)を生みだした。ところで人びとが禁欲主義的僧侶に従ったのは、人びとが生の意味を求めていたからだ。そこで人びとは禁欲主義的理想を手に入れ、みずからの苦悩には確かに意味があることを理解した。しかし同時に彼は「虚無への意志」に見舞われた。

ニーチェはこのように直観し、以後、生と世界を肯定するための価値を創造しようと自ら課題へとみずから取り組んでいく。しかしそれは完全な形では示されず、今日『権力への意志』として知られている草稿群のうちに断片的なアイディアとして残されるにとどまった。

道徳を「鍛え上げる」

部分部分を細かく見ると、確かに、ニーチェの議論には怪しいところもある。たとえばニーチェは国家、社会、文化を否定的に捉えすぎている向きがある。「それらは人間の自由の本能を抑制し、人びとを馴致する」という観点を前面に押し出しすぎているのは否めない。

それでもなお、ニーチェの議論は多くの納得感を与えてくれる。

私たちは油断するとついルサンチマンにやられてしまったり、ルサンチマンの力で生と世界を否定的に解釈してしまったりする。「自分の人生こんなはずじゃなかった…」とか「この世界はこうあるべきではない…」というように。

そこで反動的に「みな道徳的であるべきだ」とか「正しい生があるはずで、そこから外れた者はケシカラン」という感覚をもってしまうことがある。正しいのは自分で、間違っているのは世界の側だ、と。ニーチェを読むと、それがルサンチマンに発するねじ曲がった正義だということをズバリ指摘されたような感じを受ける。

素朴な正義はしばしば「この世界は間違っている!正しい世界を実現させるべきだ!」と主張する。しかしその理想はしっかりと確かめ直されてこそ、本当の意味で正義にかなうと言える。「その理想はルサンチマンに発していないだろうか?もしくは罪障感に支えられていたりしないだろうか?」、と吟味することによって、正義をより深く生かすことができる。ニーチェの議論はそのことを私たちに教えてくれる。
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/


▲△▽▼


『道徳の系譜』(どうとくのけいふ、Zur Genealogie der Moral)——副題:「一つの論駁書」("Eine Streitschrift")——は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作であり、先に公にされた『善悪の彼岸』の中で略述されたいくつかの新しい見解について詳論するという意図のもとに、1887年に執筆され、公刊された。

ニーチェの著作の中では、最も直接的な叙述がなされており、形式や文体の面でアフォリズム的な要素が最も少ないことから、ニーチェ研究者からは、確固たる明敏さと力強さをそなえた作品であり、ニーチェの代表作であるとみなされている。[1]

序言と三つの論文(Abhandlung)から成り、これら一連の論述を通して、道徳的諸概念の発展に関わる挿話を追っていくことによって、「道徳上の先入見」——とりわけキリスト教の道徳——を転覆することを目指す。


ニーチェの三つの論文の主題をなすのは、「道徳上の先入見の由来」についての彼独自の思想である。この思想は、彼が長期間にわたって作り上げてきたものであり、すでに『人間的な、あまりに人間的な』において簡潔に不完全な形で表現されている。ニーチェが自らの「仮説」を公刊しようと思ったきっかけとなったのは、友人パウル・レーの小著『道徳的感情の起源』(1877年)を読み、その中で「系譜論的仮説」が不十分な仕方で展開されているのを見出したことである。

かくして、ニーチェは、「道徳的諸価値の批判」こそが理に適っており、「これらの諸価値の価値こそそれ自身まずもって問題とされるべきである」と考えるに至る。この目的を果たすためには、レーのような(ニーチェが言うところの)「イギリス流心理学者」式の仮説的な説明よりも、実際の道徳史を提示することこそが必要不可欠である。


第一論文 「善と悪」・「よいとわるい」

この論文では、ニーチェが『人間的な、あまりに人間的な』以来ほのめかしてきた君主道徳と奴隷道徳の間の区別が説明される。これら二つの相異なる道徳様式は、それぞれ一対の対立概念に対応している。

ニーチェによると、特権階級は、自分たち自身の行為を「よい」("gut")と定義した。この場合の「よい」とは、「高貴な」、「貴族の」、「強力な」、「幸福な」等々という意味である。その一方で、彼ら君主たちは、他の卑しい人々の行為を「わるい」("schlecht")とみなした。ただし、この場合の「わるい」とは、「素朴な」("schlicht")、「平凡な」、「貴族でない」という意味であって、ことさらそれらの人々に対する非難のニュアンスが込められているわけではない。

特権階級に従属する卑しく、貧しくて不健康な人々、つまり「奴隷」によって価値の序列が逆転される。彼らの感情は、ルサンチマンに基づいており、彼らはまずもって他者を「悪人」、すなわち「悪しき敵」とみなす。そして、その後ではじめて、彼らはまさしく悪人に対立する者として、自分たち自身を「善人」と定義する。換言すると、彼らは「悪」("böse")でないがゆえに、「善」("gut")である。つまり、貴族にとっての「よい」という概念が能動的であるのに対して、奴隷の「善」概念は反動的なのである。

ニーチェは、二番目の価値様式をユダヤ教とキリスト教の内に見出し、第一の価値様式をローマ帝国、ならびにルネサンスやナポレオンに割り当てる。もっとも、これら二つの道徳様式の対立は、内的葛藤を抱えた一人一人の人間の中でも依然として闘争を繰り広げることになるとされる。今日でも、比較的高邁な精神の持ち主においては、両方の価値評価様式がともに存在し、相争っている。しかしながら、全体としては奴隷道徳のほうが勝利をおさめることとなった。ニーチェ自身は——無条件に、見境なしにというわけではないが——はっきりと「貴族的」な世界観のほうに強い共感を表明しており、自らの哲学によって「賤民的」な道徳に対する闘争が再開されうることを期しているように思われる。


第二論文 「負い目」・「良心のやましさ」・その他

ここで探求の対象となるのは、人間は何かに対して「責任」を負うことができるという考え方の由来、ならびに、人間に特有で動物界ではほとんど見られない記憶力一般である。ニーチェは、「負い目」という道徳的概念は債権者に対する「負債」という物質的な概念に基づいていると考える。彼は、刑罰がさまざまな文化の歴史の中で担ってきた多岐にわたる表向きの目的と真の目的を示唆する。刑罰は、あらゆる事態がそうであるように、支配体制が新しくなる度に、新たな解釈を与えられてきた。ニーチェによると、良心のやましさは、人間の文明化に起源をもつ。人間は、組織的な社会で生きるという重圧の下で、自らの攻撃的な衝動を内向させ、自分自身に向けるようになるのである。

なお、この論文の第12節は、「力への意志」に関する教説を比較的詳しく取り上げているという点で、鋭い示唆を含んでいる。


第三論文 禁欲主義的理想は何を意味するか

この論文は、すでにニーチェが序文で自ら指摘した形式的な特徴をよく表している。というのも、結論となる見解を最初の段落で簡潔なアフォリズムの形式で呈示しておいて——仮構の読者からの抗議に従って——論文本体において、そのアフォリズムを正確に敷延して完全な形で表現しているからである。

ニーチェは、禁欲主義的理想が、歴史の中や今日の社会の中で現れる際にまとってきたさまざまな形態、並びにその多様な目的を検討する(その中には、誤認された目的も実際の目的も含まれる)。ニーチェは、さまざまな人々——芸術家(リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』を例に)、哲学者(とりわけ、ショーペンハウアーの意志否定)、聖職者、ニーチェ自身が評価するところの「善人や義人」、聖人、そして現代において反-理想主義者と見誤られている人々、無神論者、科学者、批判的かつ反形而上学的な哲学者——における禁欲主義的理想の追求を解釈し評価する。そして、彼らの絶対的な「真理への意志」こそが、禁欲主義的理想の最後の純粋な形態であるとされる。そして、現代および将来のヨーロッパにおけるニヒリズムに関する考察に依拠して、ニーチェは、禁欲主義的理想がほとんど唯一の理想として尊崇されてきた究極の理由を示す。それは、つまるところ、より優れた理想がなかったからである。人間は「何も欲しない」ことができない。その結果、今日までの人間はむしろニヒリズムと禁欲において「無を欲し」てきたのである。

影響

「道徳の系譜」に影響を受けた人は、オスヴァルト・シュペングラー、ジャン=ポール・サルトル、ジークムント・フロイト、フランツ・カフカなどである。

また、ミシェル・フーコーは、この作品に影響を受け、狂気・性・懲罰について研究していた。

河出書房新社からは、この作品の標題を冠した叢書として「シリーズ・道徳の系譜」(1997年-)が刊行されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C

ニーチェ『道徳の系譜』

ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫) – 1993/8/1
https://www.amazon.co.jp/dp/4480080813/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li3&tag=beyondthesky-22&linkId=69210c63691be6bbe991350f0c4e78d2&language=ja_JP

4. 中川隆[-10730] koaQ7Jey 2019年4月17日 08:42:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1321] 報告

神道は穢れを極端に忌み嫌う異常に潔癖な宗教


ポケモンが広める神道的な世界観〜マンリオ・カデロ、加瀬英明『神道が世界を救う』を読む 2018/12/30
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201812/article_7.html


 自然への畏敬を説く神道は世界の諸宗教と両立し、その対立を和らげる可能性を持っている。


■1.ポケモンが広める神道的な世界観

 今年の春、北はフィンランドから南はギリシャまで欧州を回って、おみやげにポケモンのイラスト入りのクリアファイルを配ったら、各地で大人気だった。息子がポケモンに熱中している、とか、孫が大好きだ、など、ポケモンを知らない人は一人もいなかった。

 人間が様々なポケット・モンスターと心を通わせる、というのは、従来のキリスト教から完全にはみ出した神道的な世界観だ。人間以外の様々な生物・無生物に精霊が宿っているというアニミズムは、西洋では「原始宗教」として見下されてきた。しかし、ポケモンに夢中になって育った欧米の子供たちは、キリスト教の神よりも、アニミズムの方に親近感を覚えるようになるだろう。

 サンマリノの駐日大使にして在日外交団長を務めるマンリオ・カデロ氏と外交評論家の加瀬英明氏との対談集『神道が世界を救う』[1]を読むと、神道的世界観が現代文明の様々な問題から世界を救う可能性があることが説かれており、ポケモンがその旗振り役になるのでは、と期待をもった。


■2.「神道は信ずるものではありません。感じるものです」

 カデロ氏は日本滞在40年を超し、すでに80か所以上の神社を訪問されている。本書でも伊勢の神宮の式年遷宮への参列、福岡県の宗像(むなかた)大社の「みあれ祭」への参加などを語られているが、そのうち出羽三山を訪れた時の体験を引用しよう。

__________
カデロ 神道は日本文化の原型ですね。この原型が日本人をつくってきたし、いまもつくっています。
 出羽三山を訪れると、森林の霊気をいっぱいに感じます、
 樹木は、私たちと同じように呼吸しています。
 樹木は人間にとって有害な二酸化炭素を吸い込んで、新鮮な酸素を私たちへの贈り物としていっぱい吐き出してくれるから、きっと、霊気を感じるのでしょう。・・・

 三山は、月山、湯殿山、羽黒山の三つの峰ですが、のぼっていくと、木の香がまじった清い空気が胸をみたして、しだいに心身が安らぎます。いきいきとして、豊かな、贅沢な体験ですね。・・・

 樹木や森林が信仰のよりどころとなるのが、よく理解できますね。
 そして、山は、天と大地が接するところだから、霊気を感じるのでしょう。
 それに山は水の源です。現代人は日常、水の有難さを意識することがありませんが、昔の人々は生命(いのち)を支えてくれる水をもたらしてくれる山に、大きな恵みを感じたのでしょう。[1, P31]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 カデロ氏が「神道は信ずるものではありません。感じるものです」と言うのも、こういう体験からである。そして、この感じ方は日本人なら誰でも経験したことがあるだろう。


■3.「宗教」とは「縛る」もの

 カデロ氏の言う「神道は感じるもの」は上記の体験からもよく分かるが、「信ずるものではありません」という言葉は、もう少し説明が必要だ。氏は、対談の中で、こう説明している。

__________
カデロ 神社は、キリスト教の教会や仏教の寺に見られるような、神か仏を「信じれば、救われると、脅迫ーーいや説いたり勧誘したりすることが、まったく行われません。
 神道には、天国も地獄もなくて、賞も罰もないのも、大きな特徴ですね。[1, p76]
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 この点を加瀬氏はこう補足する。

__________
加瀬 英語の「レリジョン(宗教)」も同じようにラテン語を根っこにしていますが、ラテン語では「レリギオ」religio で、レリギオの類語の「レリガーレ」religare は、「縛る、固く縛る、束縛する」を意味しています。
 宗教は、信者をかならず束縛します。しかし、神道は、ユダヤ・キリスト・イスラム教や仏教とちがって、人を束縛する教義や戒律が、いっさい存在していません。[1, p46]
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「宗教」とは「縛る」ものであり、「人を束縛する教義や戒律」からなる、という定義を踏まえれば、神道は「宗教」ではない、というお二人の指摘が腑に落ちるだろう。さらに、カデロ氏は、神道は宗教ではないから、他の宗教とも両立するという。

__________
カデロ 私はイタリアの古都であるシエナで、カトリックの家庭で育ちました。・・・
 幼児洗礼を受けたカトリック教徒なのですが、キリスト教徒であることと神道を受け入れることに、何一つ矛盾がないと確信しています。[1, p40]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■4.「神道は他宗と競おうとまったくしない」

 宗教が発達すると、それを専門に説く神父やお坊さんのような人々が現れ、それが組織化されて教団ができる。

__________
カデロ いったん教団になると、その教団の力を増すために、できるだけ信者を増やして財力を蓄えなければなりません。
 だから、他宗がすべてライバルとなって競争します。
 コンビニ業界の激しい競争と似ていますね。(笑)
 すると、教団を維持し拡大することが、目的となってしまいます。
 しばしば信仰そのものよりも、教団を維持し拡大することのほうが、目的となってしまうのですね。[1, p75]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
カデロ 他宗の信者を、神道に改宗させようともしませんね。
 神道は他宗と競おうとまったくしないからですね。
 このような宗教は、世界のどこにも存在していません。[1, p49]
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 宗教どうしの競争をコンビニ業界に譬えれば、神道とは競う合うコンビニ店の間に挟まれた公園のようなものだ。公園はコンビニ店とは競わない。ただ双方のコンビニ店の客も店員も、一緒に一休みできる場所である。


■5.「わたしをおいて、他に神を崇めてはならない」

 仏教も宗教として教団を持ち、信者を得ようとする。しかし、その激烈さにおいて、ユダヤ・キリスト・イスラム教は特別だ。

__________
加瀬 キリスト教に、全能の神から授かった、「モーゼの十戒」としても知られる、「天主の十戒」がありますが、第一戒目が「あなたは、わたしをおいて、他に神を崇めてはならない」というものです。・・・

カデロ ユダヤ・キリスト・イスラム教は、自分だけが絶対に正しいから、他宗がすべて邪教となっているのですね。[1, p48]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 そのために、これら一神教は他宗教の神殿や彫像破壊を平気で行う。アフガニスタンのバーミアンの石仏をイスラム過激派のタリバン政権が爆破したが、こうした蛮行はイスラム教に限ったことではない。

__________
加瀬 ローマ帝国がキリスト教化すると、キリスト教徒によって、異教ーー邪教となった多神教の神殿や、彫像、列柱が、帝国の全域にわたって、手当たり次第に、無残に破壊されましたね。[1, p104]
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 破壊だけではなく、殺戮も行う。それも他宗どころか、同じ宗教内の他宗派との間で殺し合いをする。

__________
加瀬 今日、中東と北アフリカでは、イスラム教の二大宗派であるスンニー派とシーア派が、アフガニスタン、イラク、シリアから、イエメン、リビアにいたるまで、血を血で洗う凄惨な抗争を繰り広げています。・・・
 イギリスは、もちろん、超先進国の一つですが、ついこのあいだまで北アイルランドにおいて、カトリックとプロテスタントが殺し合って、四千人近くが犠牲になりました。[1, p102]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

__________
カデロ キリスト教も、イスラム教も、同じように愛を説いているはずなのに、そのかたわらで宗教が激しい憎しみを生むのは、本末転倒であって、恐ろしいことですね。[1, p104]
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 これが「高等宗教」の現実である。


■6.「人間が自然の支配者」

 一神教のもう一つの特徴は、人間と自然との特異な関係である。旧約聖書の冒頭の「創世記」には、こういう一節がある。

__________
 神は自分を象って男と女を創造した。神は人を祝福して言った。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせ、全ての生き物を支配せよ」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この点について、加瀬氏はこう指摘する。

__________
加瀬 一神教は、人間の天下ですね。人間が自然の支配者であるから、人間が自然を望むままに、“煮ても焼いても”好きなようにしてよい、というものですね。
 そして、ユダヤ・キリスト・イスラム教では、自然は敬うべきものでも仲間でもありません。
 自然は下僕(しもべ)か奴隷であって、人が征服したうえで、自由に使い捨てて役立てるべきものなのです。[1,p82]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__________
カデロ 「シビリゼーション Civilization」(文明)の「シビル civil」は、「礼儀正しい」「人にやさしい」「親切な」という意味ですからね。
 でも、いったい、空気や水を汚し、森林や熱帯雨林を切り拓き、珊瑚礁を破壊するのがシビルなのでしょうか。(笑)[1, p93]
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 カデロ氏は、「人間が動物の上にある」という傲慢な発想は、牧畜が始まって、人間が家畜を飼育するようになったからだろう、と推察している。中東地域はもともと緑が豊かだった。そこに土地への負担の大きい牧畜や麦作を何千年も続けたために、砂漠になってしまった。その砂漠地帯に生まれたのが、「人間が動物の上にある」という特異な自然観を持つ宗教だった。

 それに比べて、神道が発達した縄文時代の日本列島では、豊かな自然の中で、その恵みをいただいて生きていた[a]。だからこそ、「人間が動物の上にある」という発想などは生まれようがないのである。多くの欧米人の先祖であるゲルマン人やケルト人はもともと森の民だった[b]。だから、神道的な世界観は彼らにとっては幼児期を過ごした故郷のようなものだろう。


■7.神道の感じ方が示す道

 冒頭で紹介したカデロ氏の「樹木が新鮮な酸素を私たちへの贈り物としていっぱい吐き出してくれる」という受け止め方には、人間と樹木が同じ生命(いのち)として、共に生きている、という感じ方がある。山は水の源として「大きな恵みを感じた」ということは、山への感謝である。

 現在の日本列島が世界有数の人口密度と経済規模を支えながら、緑地の比率でもフィンランド、スウェーデンに続いて先進国中三位という豊かな自然を保っているのも、この神道の「人間は自然の中で生かされている」という感じ方が今も日本文化の中に根づいているからだろう。地球環境の危機が叫ばれる中で、欧米でもこの神道の感じ方に近い環境意識が高まってきている。

 しかも、神道は自然を崇め、その恵みに感謝する「感じ方」であるから、宗教の違いを乗り越えて、人類が共感できる。カデロ氏がカトリックでありながら神道に共感できるように、イスラム教徒も仏教徒も、そして共産主義者ですら、神道には共感できるだろう。

 人間の窮屈な理性の束縛から、しばし脱して、共に自然の恵みをありがたく感することが、宗教やイデオロギーの対立から逃れる一つの道だろう。それは世界平和への道である。


■8.サンマリノに創建されたヨーロッパで最初の神社

 サンマリノはイタリア半島の中東部にある世田谷区ほどのミニ国家で、4世紀の初めに建国された世界最古の共和国と呼ばれる。この世界最古の共和国と、世界最古の君主国・日本との友好協会の会長が加瀬氏である。

 この友好協会の提案により、ヨーロッパで最初の神社がサンマリノに創建された。サンマリノには、欧州全体やアメリカなどから多くの観光客が訪れるが、このサンマリノ神社が神道と日本文化を理解するための文化センターの役割を果たすだろう。

 毎年6月にはこの神社を中心に、「ジャパン・フェスティバル」が催され、さまざまな和食を提供する屋台が並び、夜には提灯行列が行われる。

 日本の神社というと、はじめのうちはキリスト教と競合する、奇妙な宗教だという誤解も一部にはあったが、お祭りを通じて、神道が自然崇拝の営みであって、宗教と両立するものだ、ということが、しだいに理解されるようになってきている、という。

 今年の訪日外国人観光客数が3千万人を超え、世界各国で日本食がブームを呼び、子供達はポケモンに熱狂する。それらを通じて神道的な世界観は、無言のうちに自然への畏敬をひたひたと世界中に広めつつあるようだ。それは人間を宗教的対立と環境破壊から救う道でもある。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. 「まえがき」、「縄文・弥生・古墳時代の独創性」
伊勢雅臣『比較 中学歴史教科書−国際派日本人を育てる』、勉誠出版、H30
アマゾン「中学生の社会」1位、「教科教育 > 社会」1位、「日本史」11位、総合252位(H30/11/10調べ)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585222251/japanonthegl0-22/

b. JOG(070) フランスからの日本待望論
 現代人をして守銭奴以外の何者かたらしめるためには世界は日本を必要としている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog070.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. マンリオ・カデロ、加瀬英明『神道が世界を救う』★★★、勉誠出版、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4585210482/japanontheg01-22/


https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201812/article_7.html


▲△▽▼

神道の世界観を外国人に語ろう 2018/07/29
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201807/article_5.html


 日本は古い神社や仏閣と最先端のハイテク技術が同居する「ワンダーランド」。


■1.各国首脳の神宮「参拝」

 平成28(2016)年5月、「先進国首脳会議」、通称「サミット」が伊勢志摩で開催され、各国首脳が伊勢の神宮を「参拝」した。外務省は当初、日本以外の参加各国はキリスト教国のため、「参拝」ではなく「表敬」として、神道色をできるだけ消したいと考えていた。

 ところが、参加国の方から「日本に合わせたい」「日本の伝統文化を味わいたい」ということで、事実上の「参拝」の形式を取ることの了承を申し出て来たそうだ。

 内宮御正宮から出てきた各国首脳の顔は太陽の明るい光に照らされて、喜びと感激に溢れていた。各国首脳は次のような言葉を記帳した。一部だけを引用すると:

「日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高なる場所」(フランス・オランド大統領)

「平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、敬意を払うことを大変嬉しく思う」(イギリス・キャメロン首相)

「幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。人々が平和に理解し合って、共生できるよう祈る」(アメリカ・オバマ大統領)


■2.人間は自然の主人か、同胞か?

 これらの感想に共通するキーワードは「平和」である。確かに深い木立の中にひっそりと立つ白木造りの内宮の姿は平和そのものである。私見では、キリスト教文明には自然と共生していく、という思想はないように思う。人間は自然を支配するか、近代文明が自然を破壊し始めると、今度は自然を「保護」するか、という関係でしかない。

__________

 日本には、「山の神様」もいらっしやれば、「海の神様」もいらっしやいます。
 太陽の神を「お天道様」、先祖を「ご先祖様」、礼会のことを「世間様」と呼び、敬いを欠かしません。いかに日本人は、日本という共同体国家・社会のなかで、自然と人間のDNAが共生しているのかというあらわれでしよう。[1, 807]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

__________

 その一方で、キリスト教は主である神という絶対的な存在によって、人類は動かされます。『旧約聖書』にも『新約聖書』にも、絶対的な神は、姿だけでなくその名前すら現しません。
 自然や人間は、あくまで唯一の神の下で一神教である神が「造りたもうた」ものであり、人間は自然を管理する義務を負っています。
 天と地、海や川、人間や植物や家畜、そのすべてを神が創り、全知全能の神として創造します。(『旧約聖書』・「創世記」)[1, 807]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 山村明義氏の『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』[1]での比較である。山村氏は神職の家系に生まれ、20代から30代にかけて全国の神社約3万社に参拝し、約3千人の神職と語り合って来たという。タイトルから想像できるように、この本の動機は、神道の世界観、人生観を外国人にも広く訴えていきたい、という事である。

 神道的世界観では、人間も自然も「神の分け命」であり、同胞でとして共生している。現代科学は、人間も動物も植物も、同じ構造の遺伝子を持っていることを明らかにしており、同じ命から発生したものと見なす。これは神道的世界観に近い。

 それに対して、キリスト教では人間は自然と同じく神に作られた存在ながら、「自然を管理する」義務を負う。いわば、羊飼いと羊の関係なのである。

 深い神宮の森の中にひっそりと立つ白木の本殿を見た各国首脳が、キリスト教的な人間と自然との対立緊張関係ではなく、人間と自然とが睦み合うような共生関係を感じとったことは想像に難くない。それを各首脳は「平和」として表現したのではないか。

 地球環境危機が人類全体の前に立ちはだかる中で、人間が「自然を管理する」自然観よりも、「人間と自然が共生している」という自然観の方に共感を抱く人々が、欧米においても増えている。


■3.全体主義か、自由民主主義か

 自然と人間が共生しているように、人間同士も共生していると神道では考える。そこでの共生の本質を山村氏は次のように指摘する。

__________

神道は「多神教」でありながら、一柱一柱の神様の動きはあくまで「自由」で、
「平等」の存在になります。[1, 1392]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 共生とは、生きとし生けるものが自由かつ平等の中で、主体的に協力していく世界である。一木一草も、鳥も魚も、そして人間も、自由平等に生きている。

 万葉集には少年の防人から天皇まで身分の区別無く、男女の差も無く、人の真心を素直に歌い上げた歌が平等に取り上げられているが、それはこの万物が自由、平等に生きている、という神道の世界観が基底にあるからだろう。

 これに比べると、唯一万能の神がすべてを取り仕切るというキリスト教的世界観は、独裁と服従という全体主義モデルに近い。神道の自由と平等の多神教世界は、はるかに現代の自由民主主義と親和性の高い世界観なのである。


■4.性悪説か、性善説か

 しかも、神道的世界観においては、人間は神の分け命であるから、当然、その性は善である。時に個人的な欲望に駆られて悪をなすこともあるが、それは禊(みそ)ぎや祓(はら)えで水に流すこともできる。

 これに対して、キリスト教の原罪説では、人間は性悪なものと捉え、だからこそ神にすがる必要があると説く。万能の神がなぜ人間を性悪に作ったのか、とは戦国時代にキリスト教に触れた我が先人たちが抱いた疑問であるが、その疑問は現代の日本人にも依然、答えられない。

 先般も弊誌[a]で紹介したように、最先端の大脳生理学では利他心は集団生活を必要とする人類が進化の過程で得た本能であると考えている。神道的世界観で育った日本人には当たり前のように思えるこの学説も、性悪説が支配するキリスト教国で唱えるのは、かなり勇気のいる事のようだ。


■5.統制経済か、自由市場経済か

 生きとし生けるものが自由、平等に生きていると言っても、各自が自分勝手にバラバラに生きているわけではない。例えば、農民は大地を耕し、川から水を引いて水田を作り、そこに苗を植え、その苗が太陽の光を浴びて、稲が育つ。

 川から流れ込む水は川床からの養分を運び入れ、田んぼの中では藍藻類が空気中の窒素を固定して、土を豊かにする。その水の中にはオタマジャクシが住んでいて、枯れ草や藻などの有機物を食べて分解し、稲が吸収しやすい栄養分に変える。[b]

 このように、生きとし生けるものが個々バラバラではなく、それぞれが「処を得て」互いに助け合って生きている。人間どうしも同じである。米を作る人、村から町に運ぶ人、店で売る人など、人それぞれが「処を得て」互いに助け合い、社会全体を支えている。

 生きとし生けるものは、決して万能の神が設計し創造した機械の歯車ではない。それぞれが人体の各器官のように、自由平等に、かつ、主体的に協調し合って働いているのである。神の設計のもとで動く歯車では共産主義の統制経済に近いが、万物が処を得て自由に働く姿は、自由市場経済に通じている。


■6.宇宙は時計仕掛けか、生成発展するものか

 古事記では、最初の神が現れた時、「大地はまだ若く、水に浮く脂(あぶら)のようで、海月(くらげ)のように漂っていて、しっかりと固まっていませんでした」[3]と説く。

 そこから、神々が国土を作り、その上で人々が田を作り、水を引く。神や人や万物が力を合わせて何事かを生みなすことを、神道では「むすぶ」と呼ぶ。男女が結ばれて、家庭を作り子をなす。農民が土や水などと力を合わせて作物をなす。

「むすび」の「むす」は、「うむす」が縮まった形で、「うむ(産む)」と同じく、「物の成り出づる」ことを言う。「むすこ」「むすめ」「苔むす」は、この意味である。「び」は「ひこ(彦)」「ひめ(姫)」など、「物の霊異(くしび)なるをいう美称」である。したがって、「むすび」とは万物を生成する不思議な働きを指す。[2]

 この「むすび」に示されるように、神道の世界観では世界は生成発展するものであり、人間もそのプロセスに参画する。

 これに対して、キリスト教では唯一絶対神が宇宙を創造し、あとは人間も自然もその「時計仕掛け」の一部として運動を続けるのみである。この世界観では生物が勝手に進化するという進化論は受け入れられない。今でもアメリカでは42%の人々が「神が今の人間をそのままの形で作った」と信じている。[4]

 人間の努力も与(あずか)って世界が生成発展するという神道の世界観は、人類が科学によって自然法則を発見し、それを応用して新たな技術を生み出すという技術革新を後押しする。

 経済学者ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーションが経済発展をもたらすことを主張したが、そのイノベーションとは既存の要素の「新しい結合」であると考えた。異なるものの「むすび」が新たなる生成発展をもたらすという神道的世界観と同じである。

 技術革新は日本企業の強みであるが、それはこの「むすび」の考え方が後押ししているからと考える。特に現場の作業者一人ひとりまでが「改善」に参加するという日本の製造業における「改善サークル」「改善考案」は今や、世界の製造業のグローバル・スタンダードになりつつあるが、その根底にあるのも、人間が世界の生成発展に参画する、という神道の考え方だろう。


■7.神道的世界観の中で生まれた幸福と責務

 こうして見ると、現代のグローバル社会における環境運動、自由民主主義、大脳生理学、自由市場経済、技術革新などのトレンドは、みな神道的世界観と親和性が高いことが判る。

 逆にキリスト教的世界観と、現代文明はきわめて相性が悪いことが見てとれる。考えて見れば、キリスト教が支配した中世から訣別して始まったルネサンスや宗教改革が西洋近代の出発点となった。

 そこから産業革命、自由民主主義、自由市場経済、ついには現代の「リベラル」にまでつながってくるが、この点に関して、山村氏は田中英道・東北大学名誉教授の『日本人にリベラリズムは必要ない』から、こう指摘する。

__________
 もともと「リベラル」そのものが伝統的な「反キリスト教」から始まり、政治思想的には17世紀の「キリスト教からの自由」で始まったイギリスのジョン=ロックに始まり、経済的にはアダム=スミスから、心理学的にはフロイトから始まったといわれているからです。[1, 1146]
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 西洋近代は、キリスト教との戦いの中で「キリスト教からの自由」を訴えざるを得なかった。しかし、それを追求する過程で、キリスト教が支えていた宗教的道徳も失うことになってしまう。その結果の「神なき近代文明」が現代人から安心立命を奪ってしまった、と言えるのではないか。


■8.古いものと新しいものが同居するワンダーランド

 山村氏は外国人観光客数十人に「日本の良いところはどこですか?」とアンケートで聞いたことがあるという。

__________
 その結果を見ると、50%以上の外国人が、「日本には、古いものと新しいものが共存し、同居しているところ」と、答えていました。
 古い神社や仏閣と最先端のハイテク技術がなぜ同居するのか。また、日本人は新しいものを好む傾向があるのに、なぜ古いものを残そうとするのか。
 日本人にとっては、神社以外にも仏閣や古い家屋の残る日本の当たり前の風景ではありますが、外国人から見れば、日本は「なぜか古いものが残っている」ということが、「ワンダーランド」に見えてしまうのです。[1, 827]
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 外国人、特にキリスト教徒から見れば、「古いもの=キリスト教」、「新しいもの=現代文明」で、両者は基本的に相容れないところがある。しかし、日本では「古いもの=神道」であって、それは以上述べたように、現代文明を包摂し、より良き方向に導く力を持ったものである。

 神道的世界観は現代文明の自由化、民主化、技術革新などを肯定しつつ、自然や共同体の中で共生し、より良く生きる道を教えている。そのような世界観の下で生まれた我々日本人の幸福をよく噛みしめつつも、外国人にもその世界観を共有する責務を我々が担っていることを知るべきだろう。

 昨年の訪日外国人客数が28百万人を超え、政府は2020年には4千万を目標としている。神道的世界観を世界に共有するには絶好の機会である。

 しかし、神道は言挙げよりも、まずは自然の美しさ、有り難さを感じとる処から始まる。そのためには、各国首脳が神宮参拝で感じとったように、まずは我々日本人がこの美しい国土を大切にし、それの姿を見て貰うことが出発点だろう。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(1071) 最新科学が解明する利他心の共同体
 人間が進化の過程で獲得した利他心を最大限に発揮しうる仕組みをわが国は備えている。
http://blog.jog-net.jp/201807/article_3.html

b. JOG(707) 農が引き出す自然の恵み
 農業はカネでは計れない価値を自然から引き出す。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h23/jog707.html

c. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/

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■伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』に寄せられたアマゾン・カスタマー・レビュー
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/
アマゾン「日本論」カテゴリー1位(H28/6/30調べ) 総合19位(H28/5/29調べ)

■評価★★★★★ 日本に誇りが持てるようになります。(Tatchyさん)
 
 この本を読めば日本人が受け継ぎ発展させてきた世界に誇る日本の文化や伝統、国民性・・・(その他もろもろ)が深く理解できるでしょう。
 特に神道と仏教が融合された独自の宗教観には感銘を受けました。(やや神道寄りに書いていますが)

 西洋や中東のような上から目線の一神教と異なり神は身近にあり労働も生殖も祝福される事であった事などは日本人の勤勉さや弱者や子供を助ける精神に繋がる事がよく分かり素晴らしいと思いました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 山村明義『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』★★★、ベスト新書、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4584125708/japanontheg01-22/

2. 竹田恒泰『現代語古事記: 決定版』★★★、学研パブリッシング、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4054050751/japanontheg01-22/

3.平凡社『神道大辞典 全三巻合本』(Kindle版)桜の花出版、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B01FQFSNIY/japanontheg01-22/

4. Gallup「In U.S., 42% Believe Creationist View of Human Origins」
https://news.gallup.com/poll/170822/believe-creationist-view-human-origins.aspx

5. 中川隆[-10729] koaQ7Jey 2019年4月17日 08:47:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1322] 報告

神道は穢れを極端に忌み嫌う異常に潔癖な宗教 _ 2

KUMANO - 熊野 動画
https://vimeo.com/131426603

熊野古道 - Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%8F%A4%E9%81%93&biw=1024&bih=904&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CJQBEIkeahUKEwi61JSR2uPGAhUDGZQKHSF4D5w

熊野古道 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%8F%A4%E9%81%93


1) 外国人「日本はレベルが違う…」熊野古道の風景が幻想的すぎて美しい 海外の反応
http://tamenal.com/13522

KUMANO - 熊野 動画
https://vimeo.com/131426603

「熊野」という地名を知っていますか?

和歌山県南部と三重県南部からなる地域の事を指すのですが、その美しい景観などが人気の観光地として「熊野古道」が有名ですよね。

その熊野にフォーカスを当てた動画を外国人が制作しているのですが、そのクオリティが凄すぎると多くのコメントを集めています。日本の良さが伝わってくる動画を見た外国人はどのように思うのでしょうか?

山伏の修行も撮影されています

幻想的な世界観が溢れています

美しい道ですね

修行中でしょうか?

ひたすら山道を進みます

神聖な場所です

どこを見ても美しい風景が続きます

滝行をしていますね

法螺貝(ほらがい)を吹いている様子も

光が差し込むと更に美しい風景が広がります


▲△▽▼


2) 海外「日本は水の国だったんだ」 日本の大自然の映像集に外国人感動
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-785.html


Nature Time Lapse 3
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=cmRaVoqA5Fk

Nature Time Lapse 2 -微速度撮影動画まとめ2- (HD 720p)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=2t87TWp1Nxg

mockmoon2000 - YouTube 44 本の動画
http://www.youtube.com/user/mockmoon2000/featured
http://www.youtube.com/user/mockmoon2000/videos

動画では、新潟の大源太湖、群馬の草津白根山・谷川岳・弓池、長野の八方尾根・浅間山・燕岳・鏡平・横手山・唐松岳など、山や湖:池を中心に日本の自然がタイムラプス(微速度)で紹介されています。

雄大で、険しく、美しい光景に外国人からは感動の声があがっていました。

右下に撮影場所が記載されています。


▲△▽▼

3)「これはもう奇跡」 富士山を見た外国人の反応
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-80.html


Cool Japan! Mt.Fuji
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=LceQF-rxmPY

外国人が思い浮かべる"日本"のトップランナー、富士山。
独立した山は他にも世界中にあるわけですが、
あれほどの美しいフォルムを持ったものはまさに"不二"なだけに、
これだけの知名度を誇っているんじゃないかと想像します。

6. 中川隆[-10728] koaQ7Jey 2019年4月17日 08:57:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1323] 報告
「恥の文化」の力 From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


このところ特に強く感じるんですが、最近の日本人って、ホントに自信を失ってますよね。といっても、周りの大学生などと話していると、若い世代はそれほどでもないように思うのですが、50代後半〜60代ぐらいの人たちは、なんか日本は経済も文化も根本的にダメダメみたいな感情をもっているように思います。

だから、「バスに乗り遅れるな」とか「世界の孤児になってもいいのか」「これからは英語、英語、留学、留学、トーフル、トーフル」「アジアに打って出るしかない」みたいな強迫的ともいえるグローバル化衝動が生じるのかなあなどと日々感じております。

こういう日本人の自信のなさの背景には、一つは、日本の道徳に対する不信感があるようです。

たとえば、「日本人は同調主義的だ」「自律性や主体性がない」「権威に弱い」「周りの他者や世間の目ばかり気にする」ということがよく言われます。

なんでこんなイメージが広まったかといえば、一つの理由として、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが書いて終戦後、日本でベストセラーになった『菊と刀』の議論があると思います。

この本の中で、ベネディクトは、日本は「恥の文化」だといって、日本の一般的な道徳観をかなり悪く言っています。

ベネディクトの説明によると、「恥の文化」とは、「ものの良し悪しを判断する際に、他者の目や世間の評判のみを基準とする外面的な道徳が支配的な文化だ」というんですね。

要するに、周りに他者や権威者の目がなければ、日本人は悪いことしますよ〜というわけです。

逆に、ベネディクトは自分とこのアメリカの道徳は「罪の文化」であり、自律的だといっています。たとえば、「罪の文化」は、「道徳の絶対標準を説き、良心の啓発を頼みとする」と書いています。

つまり、アメリカ人は、「良心を重視するので、誰もみていなくても悪いことしませんよ、自律的ですよ」というんですね。

こういう「恥の文化=他律的、外面的」、「罪の文化=自律的、内面的」という図式を『菊と刀』で展開して、日本の道徳を否定的にみるわけです。

『菊と刀』は、終戦直後の日本でよく読まれました。戦争でみんな自信を失っていたんでしょうね。日本人は真面目だから、戦争で負けたのは、自分たちに何か欠陥があったからに違いない。アメリカ人の言うことをよく聞いて反省しなければならない、と考えたのだと思います。

それで、「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で同調主義的だ」というイメージを受け入れてしまったんだと推測します。

でも、このイメージ、正しくないですよね。
たとえば、日本は、米国に比べれば、はるかに治安が良く、犯罪も少ないと思います。
電車に財布を置き忘れても無事に届けられる確率は、日本は世界で最も高い部類に入るでしょう。
人に見られてなければ悪事を犯すなんてことは、大部分の日本人には思いもよらぬことです。
権威に弱いというのも、間違いだと思います。日本ほど、政治家の悪口をいう国民はそうそういないように思います。私も例にもれませんが(^_^)

つまり、ベネディクトは、日本の道徳をひどく矮小化し、間違って理解していたと思います。現代の日本人も、残念ながらベネディクトの理解に影響されてしまっているところ多々があるようです。

ベネディクトの「恥の文化」の理解のおかしさについて、いくつも指摘したいことがあるのですが、今回は、上の新聞記事でも書いた一点だけ触れたいと思います。

「恥の文化」で敏感に感じとるべき他者の視点として、同時代の他者や世間だけではなく、死者の視点、つまり過去の世代の人々の視点もあるということをベネディクトは見逃していたということです。

現代の日本人も忘れがちかもしれませんが、日本の伝統では、死者の視点を常に身近に感じ、死者に思いを馳せることに、とても価値が置かれていました。
(なんか五月の連休ではなく、お彼岸に書いたほうがいいような内容ですね…。スミマセン…)
f(^^;) フタタビポリポリ

私はすごく好きな文章でよくとりあげるのですが、民俗学の祖・柳田国男は、この点についてとても美しく書いています。

「私がこの本のなかで力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである」(『先祖の話』)

「日本を囲繞したさまざまな民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い処へ、旅立ってしまうという思想が、精粗幾通りもの形をもって、おおよそは行きわたっている。

ひとりこういうなかにおいてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念しているものと考えだしたことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りもなくなつかしいことである。

それが誤りたる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人が決めてよい。我々の証明したいのは過去の事実、許多の歳月にわたって我々の祖先がしかく信じ、さらにまた次々に来る者に同じ信仰をもたせようとしていたということである」(「魂の行くえ」)。

つまり、柳田国男によると、日本の多くの人々は、人が死んだら故郷の山のあたりに魂は昇って行って、そこから子孫の生活をずっと見守っているというのですね。そしてお盆になると降りてきて、子孫や近所の人たちと一緒に過ごして、お盆が終わるとまた戻っていく。そういうふうに考えられてきたというわけです。

私は、この考え、すごく好きです。私も死んだら、近くの山の頂上あたりにふわふわと漂って、後の世代の人々の生活をぼーっと見ていたいなあ、なんて思います。
柳田国男が「…限りもなくなつかしいことである」といった気持ちがわかるような気がします。
(^-^ )

少し話がズレました…。
(-_-;)

柳田国男がここで述べているのは、日本人の道徳は、死者、つまり過去の世代の人々に思いを寄せ、彼らの意を汲むことを重んじてきたことだと解釈できます。

つまり「恥の文化」は、同時代の他者や世間のみではなく、今は声をあげることのない過去のさまざまな人々の思いを感受し汲みとってはじめて完成するということです。

同時代の他者の観点やその総体としての世間の観点だけでなく、過去に生きたさまざまな人々の視点やその集合体としての祖霊に思いを馳せる。
それを通じて、いわば横軸(同時代)だけでなく、縦軸(伝統)の視点を身につけ、時間のつながりのなかで自分の位置を反省し、遠い将来まで見据えたうえで自分がいま何をなすべきかを立体的かつ複眼的に考えられるようになる。

本来の「恥の文化」とは、とても奥深く、そこまで求めたものだと思います。

そこをベネディクトは見抜けなかったし、現代のわれわれ日本人も、忘れがちのような気がします。

現代では、死者とのつながりが忘れられ、縦軸が疎かになっているので、(私もえらそうなことはまったく言えませんが)ふらふらと周囲の目ばかり気になり、自分を見失い、何をなすべきか定まらない人が増えているように思います。

靖国の問題だけではないですが、現代の日本人にとって困ったことの一つは、戦前と戦後で意識の分断が生じやすくされてしまったことですよね。

それが、日本人が本来の力を発揮するのを難しくしているのではないかと思います。

逆に言えば、日本にもう少しおとなしくしていてもらいたい国々は、何かにつけてそこに付け込もうとするんですよね。

戦前と戦後の意識の分断をどう修復すれば一番いいのか私にはわからないところも多いのですが、一つ言えると思うのは、戦前の人々も、現代の我々も、根本ではあまり変わっていないと認識することなんじゃないでしょうか。国民性って、そう簡単に変わるものではありませんので。そしてもっと身近に過去の世代の人たちに思いを馳せることではないかと思います。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/03/se-12/

内田樹 2017.01.15 「民の原像」と「死者の国」


高橋源一郎さんと昨日『Sight』のために渋谷陽一さんをまじえて懇談した。
いろいろ話しているうちに、話題は政治と言葉(あるいは広く文学)という主題に収斂していった。

そのときに「政治について語る人」として対比的に論じられたのが「安倍首相」と「天皇陛下」だった。

この二人はある決定的な違いがある。

政策のことではない。霊的ポジションの違いである。
それについてそのときに話しそこねたことを書いておく。

なぜ、日本のリベラルや左翼は決定的な国民的エネルギーを喚起する力を持ち得ないのかというのは、久しく日本の政治思想上の課題だった。

僕はちょうど昨日渡辺京二の『維新の夢』を読み終えたところだったので、とりわけ問題意識がそういう言葉づかいで意識の前景にあった。


維新の夢 (ちくま学芸文庫) 2011/6/10 渡辺 京二 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E4%BA%AC%E4%BA%8C%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%8F%B2%E8%AB%96-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E4%BA%AC%E4%BA%8C/dp/4480093796


渡辺は西郷隆盛を論じた「死者の国からの革命家」で国民的規模の「回天」のエネルギーの源泉として「民に頭を垂れること」と「死者をとむらうこと」の二つを挙げている。

すこし長くなるけれど、それについて書かれた部分を再録する。

渡辺によれば第二回目の流刑のときまで西郷はスケールは大きいけれど、思想的には卓越したところのない人物だった。

「政治的な見識や展望はどうか。そういうことはみな、当時の賢者たちから教えられた。教えられれば、目を丸くして感心し、それを誠心実行に移そうとして。勝海舟、横井小楠、坂本竜馬、アーネスト・サトウ、みな西郷に新生日本の行路を教えた人で、西郷自身から出た維新の政治理念は皆無に等しかった。だから、この維新回天の立役者はハリボテであった。

だが、政治能力において思想的構想力において西郷よりまさっていた人物たちは、このハリボテを中心にすえねば回天の仕事ができなかった。これは人格の力である。

この場合人格とは、度量の広さをいうのでも、衆心をとる力をいうのでも、徳性をいうのでもない。それは国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱であり誠心であった。革命はそういう熱情と誠心によってのみエトスを獲得することができる。エトスなき革命がありえない以上、西郷は衆目の一致するところ最高の指導者であった。」(『維新の夢』、ちくま学芸文庫、2011年、341頁)

彼は戊辰のいくさが終わったあと、中央政府にとどまらず、沖永良部島に戻るつもりでいた。「官にいて道心を失う」ことを嫌ったのである。

島は彼の「回心」であったというのが渡辺京二の仮説である。

島で西郷は何を経験したのか。

渡辺は「民」と「死者」とがひとつに絡み合う革命的ヴィジョンを西郷がそこで幻視したからだと推論する。

「西郷は同志を殺された人である。第一回流島のさいは月照を殺され、第二回には有馬新七を殺された。この他にも彼は、橋本左内、平野国臣という莫逆の友を喪っている。」(343頁)。

この経験は彼に革命家は殺されるものだということを教えた。革命闘争の中では革命家は敵に殺されるだけでなく、味方によっても殺される。「革命を裏切るのは政治である」。

死者はそれだけでは終わらなかった。

寺田屋の変で西郷は旧友有馬を殺された。西郷の同志たち、森山新蔵、村田新八、篠原國幹、大山巌、伊集院兼寛も藩主の命で処罰された。渡辺は「これが西郷を真の覚醒に導いた惨劇である」と書く。

事実、この直後に西郷が知人に書き送った書簡にはこうある。

「此の度は徳之島より二度出申さずとあきらめ候処、何の苦もこれなく安心なものに御座候。骨肉同様の人々をさえ、只事の真意も問わずして罪に落とし、また朋友も悉く殺され、何を頼みに致すべきや。馬鹿らしき忠義立ては取り止め申し候。お見限り下さるべく候。」

西郷は同志朋友を殺され、同志朋友と信じた人々によって罪に落とされた。もう生者たちに忠義立てなどしない。自分が忠義立てをするのは死者たちに対してだけだと西郷は言外に宣言したのである。

彼が維新回天の中心人物として縦横の活躍をするようになるのは、彼が「お見限り下さるべく候」と書いた「あと」の話なのである。同志朋友を殺した島津藩への忠義を断念し、死者のために生きると決意したときに西郷は政治家としてのブレークスルーを果した。

「いまや何を信ずればよいのか。ここで西郷の心は死者の国へととぶ。彼はもう昨日までの薩摩家臣団の一員ではない。忠義の意図は切れた。彼は大久保らの見知らぬ異界の人となったのである。彼の忠誠はただ月照以来の累々たる死者の上にのみ置かれた。」(346頁)

みずからを「死者の国の住人」と思い定めた西郷は島で「民」に出遭う。
西郷はそれまでも気質的には農本主義者であり、護民官的な気質の人であったが、民はあくまで保護し、慰撫し、支配する対象にとどまっていた。それが島で逆転する。

「彼が島の老婆から、二度も島に流されるとは何と心掛けの改まらぬことかと叱られ、涙を流してあやまったという話がある。これは従来、彼の正直で恭謙な人柄を示す挿話と受けとられたきたと思う。しかしかほど正直だからといって、事情もわきまえぬ的外れの説教になぜ涙を流さねばならぬのか。老婆の情が嬉しかったというだけでは腑に落ちない。

西郷はこの時必ずや、朋友をして死なしめて生き残っている自分のことを思ったに違いない。涙はそれだから流れたのである。しかしここで決定的に重要なのは、彼が老婆におのれを責める十全の資格を認めたことである。それは彼が老婆を民の原像といったふうに感じたということで、この民に頭を垂れることは、彼にとってそのまま死者を弔う姿勢であった。」(347頁)

「革命はまさにそのような基底のうえに立ってのみ義であると彼には感じられた。維新後の悲劇の後半生は、このような彼の覚醒のうちにはらまれたのである。」(348頁)

長い論考の一部だけ引いたので、論旨についてゆきずらいと思うけれど、僕はこの「民の原像」と「死者の国」という二つの言葉からつよいインパクトを受けた。
渡辺京二の仮説はたいへん魅力的である。歴史学者からは「思弁的」とされるかも知れないが、僕は「これで正しい」と直感的に思う。

という読後の興奮状態の中で源ちゃんと会ったら、話がいきなり「大衆の欲望」と「死者の鎮魂」から始まったので、その符合に驚いたのである。

『維新の夢』本で、渡辺京二は日本のリベラル・左翼・知識人たちがなぜ「国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱と誠心」を持ち得ないのかについてきびしい言葉を繰り返し連ねている。

それは畢竟するに、「民の原像」をつかみえていないこと、「死者の国」に踏み込みえないことに尽くされるだろう。

「大衆の原像」という言葉は吉本隆明の鍵概念だから、渡辺もそれは念頭にあるはずである。

だが、「死者の国」に軸足を置くことが革命的エトスにとって死活的に重要だという実感を日本の左翼知識人はこれまでたぶん持ったことがない。

彼らにとって政治革命はあくまで「よりよき世界を創造する。権力によって不当に奪われた資源を奪還して(少しでも暮し向きをよくする)」という未来志向の実践的・功利的な運動にとどまる。

だから、横死した死者たちの魂を鎮めるための儀礼にはあまり手間暇を割かない。
日本の(だけでなく、世界どこでもそうだけれど)、リベラル・左翼・知識人がなかなか決定的な政治的エネルギーの結集軸たりえないのは「死者からの負託」ということの意味を重くとらないからである。僕はそう感じる。

日本でもどこでも、極右の政治家の方がリベラル・左翼・知識人よりも政治的熱狂を掻き立てる能力において優越しているのは、彼らが「死者を呼び出す」ことの効果を直感的に知っているからである。

靖国神社へ参拝する日本の政治家たちは死者に対して(西郷が同志朋友に抱いたような)誠心を抱いてはいない。そうではなくて、死者を呼び出すと人々が熱狂する(賛意であれ、反感であれ)ことを知っているから、そうするのである。

どんな種類のものであれ、政治的エネルギーは資源として利用可能である。隣国国民の怒りや国際社会からの反発というようなネガティブなかたちのものさえ、当の政治家にとっては「活用可能な資源」にしか見えないのである。かつて「金に色はついていない」という名言を吐いたビジネスマンがいたが、その言い分を借りて言えば、「政治的エネルギーに色はついていない」のである。

どんな手を使っても、エネルギーを喚起し、制御しえたものの「勝ち」なのである。

世界中でリベラル・左翼・知識人が敗色濃厚なのは、掲げる政策が合理的で政治的に正しければ人々は必ずや彼らを支持し、信頼するはずだ(支持しないのは、無知だからだ、あるいはプロパガンダによって目を曇らされているからだ)という前提が間違っているからである。

政策的整合性を基準にして人々の政治的エネルギーは運動しているのではない。
政治的エネルギーの源泉は「死者たちの国」にある。

リベラル・左翼・知識人は「死者はきちんと葬式を出せばそれで片がつく」と思っている。いつまでも死人に仕事をさせるのはたぶん礼儀にはずれると思っているのだ。

極右の政治家たちはその点ではブラック企業の経営者のように仮借がない。「死者はいつまでも利用可能である」ということを政治技術として知っている。
それだけの違いである。けれども、その違いが決定的になることもある。

安倍晋三は今の日本の現役政治家の中で「死者を背負っている」という点では抜きん出た存在である。

彼はたしかに岸信介という生々しい死者を肩に担いでいる。祖父のし残した仕事を成し遂げるというような「個人的動機」で政治をするなんてけしからんと言う人がいるが、それは話の筋目が逆である。

今の日本の政治家の中で「死者に負託された仕事をしている」ことに自覚的なのは安倍晋三くらいである。だから、その政策のほとんどに対して国民は不同意であるにもかかわらず、彼の政治的「力」に対しては高い評価を与えているのである。
ただし、安倍にも限界がある。それは彼が同志でも朋友でもなく、「自分の血縁者だけを選択的に死者として背負っている」点にある。

これに対して「すべての死者を背負う」という霊的スタンスを取っているのが天皇陛下である。

首相はその点について「天皇に勝てない」ということを知っている。

だから、天皇の政治的影響力を無化することにこれほど懸命なのである。

現代日本の政治の本質的なバトルは「ある種の死者の負託を背負う首相」と「すべての死者の負託を背負う陛下」の間の「霊的レベル」で展開している。
というふうな話を源ちゃんとした。

もちろん、こんなことは新聞も書かないし、テレビでも誰も言わない。
でも、ほんとうにそうなのだ。
http://blog.tatsuru.com/

7. 中川隆[-10727] koaQ7Jey 2019年4月17日 09:02:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1324] 報告

続・「恥の文化」の力
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

前回、「恥の文化の力」というタイトルで書かせていただきました。

http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/05/03/se-12/

少々くどいかもしれませんが、今回も「恥の文化」の話を少し。

前回のメルマガのあと、周囲の学生から、「日本の道徳は、「世間様」だけじゃなくて、「お天道様」も重視しますよね。この二つって、どういう関係なんですか?」と尋ねられました。

また、メルマガのHPやフェイスブックのコメントにも、「お天道様」関係に触れたものをいくつかいただきました。
(コメント、どうもありがとうございました)

私も、日本の道徳は、「世間様」だけでは終わらず、「お天道様」の目を意識するようになるのが本来の姿だと思います。単なる世間様倫理だけではないですよね。

ですが、前回書きましたように、ベネディクトの議論などの影響を受けて、

「日本文化 = 恥の文化 = 良心が弱く、権威にも弱く、他律的で主体性がなく同調主義的だ!」

というイメージがいまでも結構、根強いみたいです。
(__`;)トホホ

少々前の本ですが、一昔前のいわゆる「進歩的文化人」っぽい政治学者の本を読んでいたら、こういう趣旨のことが書いてありました。

「日本人が水戸黄門のドラマが好きなのは、日本人が、オカミに弱いからだ。権威に従属したり、権威にすべてを委ねてしまったりするのが好きなのだ」。

この進歩的文化人氏以外にも、『水戸黄門』についてこういうふうに語っている人、いまでもときどきいるように思います。大手新聞の社説とかにも、この手の観点から日本人をくさして、「だから日本人は新しい規範意識を身につけ、主体性をもった市民に生まれ変わるべきだ」みたいなの、結構ありそうです。

でも、日本の道徳に対するこういう見方って、一面的過ぎですよね。

確かに、日本人は、ふだんは他者との調和を好む人が多いと思いますが、時と場合によっては、その時代の大多数の人々の見方である「世間様」の見解に逆らっても、自分の信じる道を貫こうとする人もたくさんいますよね。

「世間が分かってくれなくても、己を貫き、歯を食いしばってがんばっていこう」。

そういう強さをしっかり持っている日本人も、決して少なくないと思います。

「世間様」だけではなく、「お天道様」を意識するようになるとはどういうことなのか、少し考えてみたいと思います。

確かに、日本人が、「人目を気にする」ことは多いようです。
発達心理学の本などをみると、子供のしつけの際に「他者が自分のことをどう見ているかを意識させることが多い」というのは、日本の子育ての一つの特徴のようです。

これは別にへんなことでもなんでもなく、他者の目から自分をみることを覚えさせようとしているのだと思います。他者の目を意識して、他者の観点から自分を振り返る。そして悪いところがあれば改めることを学ばせる。そういうことなのでしょう。

子供は、だいたい最初は、母の目を意識することを覚えます。次に父親、兄弟姉妹、友達、先生、先輩後輩、近所の人…という具合に、だんだんと意識する対象が広がっていきます。そして、いろいろな人のもの見方を、当人なりに整理して作り上げたのが、「他者の一般的な見方」である「世間の見方」といえるでしょう。

子供は、成長のある段階で「世間の見方」を身につけます。そして世間一般の観点から自分を見つめることができるようになります。たぶん思春期ぐらいでしょうか。

でも、そこで成長が止まり、世間のものの見方を絶対視してしまって、それに従属するというわけではないですよね。ほとんどの子は、世間のものの見方を身につけたからといって、世間の見方が絶対に正しいなどと考えたりはしないでしょう。

当然のことですが、世間が間違うこともあるってことが、だんだんわかってくるからです。世間が、自分のことを全部知っていてくれているということはまずないわけですから。

「自分は○○だけど、周囲はそうはみてくれない」とか、「世間は自分の学校のことを△△のようにいうけど、実はそんなんじゃない」ということを皆、経験するでしょう。それによって、「世間は間違うこともある」ということがわかってきます。
それで、世間の見方や期待に沿って生きていくだけでは満足できなくなるんですね。


たとえば、石川啄木のこの短歌、そのあたりの気持ちを詠んでいると思います。


へつらいを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

たぶん、啄木がある程度、売れてからだと思うのですが、おべっかを使う人が周りに集まってくる。でも、自分は、自分のことをよく知っているから、お世辞を聞いても素直に喜べない。そればかりか、自分自身の至らなさに逆に腹が立ってくる。そんな気持ちを詠んだ歌だと思います。(勝手な解釈です。違うかもしれません。スミマセン…)

世間の見方に満足できなくなると、人は、次のように感じると思います。


「世間は自分や自分を取り巻く事情をよく知らないようだが、よく知っているとすれば、どう判断するのだろうか」。

そして、多くの人は、現実の世間そのものではなく、こちらの問いかけ、つまり「世間が自分や自分を取り巻く事情をよく理解しているとすれば、どう判断するのだろうか」ということを基準にして生活するようになると思います。


この「事情をよく理解している世間」というのがいわゆる「お天道様」だといえるでしょう。(または、「ご先祖様」とか、前回触れた「祖霊」とか、あるいは「神様」でもいいと思います)。

こういう感じで、結構多くの日本人が、「世間は必ずしもわかってくれないかもしれないけれど、お天道様には恥ずかしくない生き方をしよう」というふうになっていくのだと思います。

ベネディクトは、「恥の文化」を「世間様」レベルで止まるかのように誤解してしまったようですが、そうではないんですね。日本の道徳は、そこで止まるものではなくて、「お天道様」レベルまで進んでいくと捉えるほうが自然だと思います。

そして大多数の日本人は、「世間様」レベルの道徳では満足せずに、自分の子供には「お天道様」レベルの道徳意識を身につけてほしいと願ってきたはずです。日本の道徳は、世間様倫理ではなく、「お天道様」の目を意識するように求めるものだといっていいと思います。

そう考えると、さきほどの某進歩的文化人氏の「日本人が水戸黄門好きなのは、オカミや権威に弱い日本人の性格をよく表している」というのは、いかにもアサハカ、あるいはイジワルな見方だなあと思います。

むしろ『水戸黄門』は、不当な権威や権力にこびない、己の倫理観に従った自律的な生き方を賛美し推奨する物語であると理解するほうが、自然ではないかと思います。

たとえば、『水戸黄門』のドラマでは、次のような設定がよくありますよね。

ある町では、悪代官が、強欲な商人と結託している。そして、その町で、頑固だが真っ当に生きている職人に辛い仕打ちを行っている。職人は、どうにか持ちこたえ、慎ましくも己の信念に従って生活している。

だが、職人があまりにひどい悪代官と強欲商人の仕打ちに負けそうになったとき、水戸黄門の一行がやってくる。黄門様一行は、職人の窮状をよく知るようになり大いに同情し、悪代官と強欲商人の不正をただすために立ち上がり、彼らに正当な裁きを加える。

以上のようなものです。

このようなおなじみの設定では、悪代官や強欲商人は、偏狭な世間やそこでの権威の象徴だと解することが適切でしょう。水戸黄門の一行は、実はすべてをお見通しの「お天道様」の象徴だと理解できると思います。

したがって『水戸黄門』の物語が与えるメッセージは、権威への従属とか、世間への同調とかではぜんぜんなくて、むしろ次のようなものだと思います。

「お天道様はきっとすべてを観ていてくださり、最終的には正直者こそ救われるはずだ。だから、たとえ現在、よこしまな権力者にいじめられていたとしても、あるいは世間に認められていないとしても、くじけずに己の倫理観を貫いて強く生きよ!」
m9(`・ω・_) キリッ

こういうメッセージに、多くの日本人は世代を超えて共感してきたんでしょう。それで『水戸黄門』は人気番組だったのだと思います。

『水戸黄門』を、日本人の権威に弱く主体性に欠けた同調主義的性格を表す物語だ!などと受け取る「進歩的文化人」系の人って、いまでもときどき目にしますが、日本へのまなざしが少し冷たすぎますよね。もっと共感的理解ができないものかと思ってしまいます。まあそれが商売なのかもしれませんが…。
https://38news.jp/archives/01761

「忖度」を悪者扱いするなかれ From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/economy/11015


森友学園の問題以降、「忖度」(そんたく)という言葉をメディアで頻繁に聞くようになりました。年末の流行語大賞の有力候補にあがりそうです。

近頃、この「忖度」という言葉は、悪い意味を込めて使われているようですね。「権力を持つ相手におもねって、その意をくみ取る」というような意味で用いられる場合が多いように感じます。

例えば、最近の朝日新聞の記事。作家の椎名誠氏の新刊紹介のインタビュー記事ですが、このなかでインタビューアーの依田彰氏は次のように記しています。
(「(著者に会いたい)『ノミのジャンプと銀河系』」『朝日新聞』2017年8月20日付)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13094779.html?_requesturl=articles%2FDA3S13094779.html&rm=150

「そしていまも(椎名誠氏の)好奇心は子供のときのように健在だ。(略)では勉強やバイトに追われ、大人の忖度やウソを見せられている今の日本の子供たちは、椎名さんにどう見えているのだろう」。

依田氏のこの記事では「忖度」という言葉が、「ウソ」と並べられ、何か非常に悪いもののように扱われています。

ですが、もともとは「忖度」、「忖度する」という言葉に特に悪い意味はありません。国語辞典をみると、だいたい「他者の心を推し量ること」といった語釈が掲載されています。悪い意味どころか、むしろ他者の気持ちを敏感に感じ取って、それをおもんぱかるということですので、「思いやり」「やさしさ」「和」など日本人が大切にしてきた、また現代でも大切にしている道徳に大いに関係のある語なのです。

なのに、最近のマスコミでは、「権力者におもねって、その意をくみ取る」という意味で使われ、これが広まりつつあります。そのため「忖度」という語のイメージが悪化していますので、日本の古くからの道徳意識そのものにも悪いイメージが付着してしまわないかと心配になります。

ひょっとしたら、「忖度」をそういう悪い意味で好んで使う人は、日本人の道徳意識自体を、「長いものには巻かれろ」的な、「権力者・権威者に対しておもねりやすく、オカミに弱い」もので、「主体的・自律的ではなく、同調主義的で他律的でいかん」と暗に言いたいのかもしれません。

しかし、「忖度」や、この言葉の背景にある他者の気持ちをおもんぱかる日本の道徳を、悪くとる必要はまったくありません。

「忖度」とは、さきほど述べたように「他者の気持ちを推し量ること」「おもんぱかること」ですが、ここで、気持ちを推しはかる相手である「他者」とは、特に「権力者」「権威者」「オカミ」などに限られません。

例えば、「息子の気持ちを忖度する」とか「友人の行動の意図を忖度してみた」という具合に、「権力者」でも「目上」でもない他者の気持ちを推し量る場合にも使われます。

もちろん、他者の気持ちを重視する日本の道徳自体も、権力者に対しておもねりやすい同調主義的なものだなどと捉える必要はありません。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、かつて著書『菊と刀』のなかで、日本人の道徳意識を「恥の文化」と名付け、周囲の他者の顔色を窺うばかりの同調主義的なものだと非難しました。また、ベネディクトに倣って、日本の多くの戦後知識人も、日本人の道徳は、同調主義的で主体性や自律性がなく、オカミや権威に弱いと批判してきました。


確かに、日本人の道徳意識は、西洋のキリスト教のように絶対的な戒律を前提にしたり、「正義」や「人権」といった抽象的原理を第一に強調したりするものではありません。そうではなく、日本人の道徳意識とは、様々な他者の気持ちや期待を感じ取り、それに配慮し、自分の行為や思考を絶えず反省し改めていくことを重視するものです。

ですが、このことが「権力や権威に弱い」とか「同調主義」につながるというわけではありません。

気持ちを感受し配慮すべき「様々な他者」には、権力者やオカミ、目上の人などだけではなく、身近な家族や同僚、あるいは見知らぬ外国人や世間様も含まれます。

それどころか、日本の道徳では、「様々な他者」には人間以外の者も含まれることが少なくありません。

植物など人間以外のものも含まれるのです。


私は、最近、なぜか園芸にハマっています。それで今年の夏は、朝顔やひまわり、ハイビスカスの気持ちを忖度するのに明け暮れてしまいました。
f(^_^;)

例えば、うちのベランダには、赤、黄、ピンクのハイビスカスの鉢植えがあり、7月のはじめごろまでは、ほぼ毎日、どれかの鉢が大輪の花を咲かせていました。

園芸初心者の私は、「ハイビスカスは熱帯の花だから、これから暑くなってくるとますます多くの花が咲くだろう!」(^^♪)と楽しみにしていました。

ですが、7月も半ばになり本格的に暑くなってくると、黄色いハイビスカスは、つぼみはたくさんつけるものの一向に開花しなくなってしまいました。つぼみは、花を咲かせないまま変色して自然と落ちてしまうのです。赤とピンクの鉢も、花こそ咲かせるものの、どんどん花が小さくなっていきます。

心配になりました。日照不足? それとも肥料不足? はたまたダニかアブラムシでも付いたか、病気にかかったか? あるいは鉢が小さくなって根詰まりを起こしたか?などといろいろ考えました。顔色ならぬ葉色を伺いながら、物言わぬ黄色のハイビスカスの気持ちをあれこれまさに忖度していました。

本やネットで調べたり、うちの大学の農学部の学生を捕まえて尋ねたりしたのですが、結局、「夏バテ」だったようです。ハイビスカスは熱帯原産ですが、最近の日本の夏の猛暑は熱帯地方以上のようですね。真夏は暑すぎるので、鉢植えをあまり直射日光に当てず、日陰の涼しいところに置くようにすると、秋になるにつれて元気を回復するそうです。
φ(・ω・ )フムフム

私だけでなく、園芸好きは皆、こんな感じで植物の気持ちを日々忖度しているのだと思います。

いとうせいこう氏は、様々な分野でマルチな活躍を見せている人ですが、ベランダ園芸界の大御所でもあります。いとう氏の園芸エッセイのなかでも、植物の気持ちを忖度する様子が描かれていました。

ニオイザクラの鉢植えが枯れてしまったのではないかと心配し、いとう氏は次のように書いています。

「…匂い桜は枯れ色の枝を固定したままで数か月、愚痴も礼も言わない。すねてしまった内省型の女のようで頭に来た。(略)何か言ってくれればこちらの気も晴れるのである。(略)その言葉からなにがしかのコミュニケーションが生まれ、互いの気持ちを忖度し合えるのではないか」(『ボタニカル・ライフ』新潮文庫、2004年)。

ことは園芸趣味だけにとどまらず、実は、植物など人間以外のものの「気持ち」を重視し、それに配慮するよう教えるのは、日本のしつけや教育の大きな特徴でもあります。

教育心理学者の臼井博氏は、教育学や心理学の様々な実証的研究を踏まえつつ、日本では、人間関係で他者との共感が好まれるが、これは人間同士の関係だけにとどまらず、人間と動植物との関係でもそうだと論じています(臼井博『アメリカの学校文化 日本の学校文化』金子書房、2001年)。

例えば、日本と英国の国語教科書の内容を分析した研究では、物語の主人公に動植物が擬人化されてでてくることが、日本の教科書では英国の教科書の3倍近く多いということです。

また、日本と米国の母親が子供にどのように言って聞かせるかを比較した別の比較研究では、日本の母親は、米国の母親と比べると無生物や動植物を擬人化することが多かったということも臼井氏は指摘しています。例えば、子供が家の壁にクレヨンで落書きをしているのをみかけたときに、「壁さん、泣いちゃうよ」と言ったり、夕食のおかずを食べないときに「人参さん、食べてもらえなくてかわいそう」と言ったりするというものです。

日本の母親がこういう言い方をすることは特にめずらしいことではないですが、この研究によると、アメリカの母親がこういう言い方をすることはほどんどみられなかったとのことです。

他にも例えば、文科省が作成した道徳の副教材『心のノート』(小学校3, 4年生向け 平成21年改訂版)には、「植物も動物もともに生きている」という項目があり、そこでは「植物も動物も、人間と同じような心や力をもって生きているんだなと感じたことはありますか?」という問いかけがなされていたり、傷ついた菊の花をかわいそうに思い、手当してやる子供の話などが出てきたりします。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/02/23/1302316_22.pdf

考えてみれば、日本人の多くはかつて農民だったわけですから、他者の気持ちの感受を重視する日本人の道徳意識というのは、植物など人間以外の者が対象として含まれるのは当たり前なのかもしれません。むしろ、植物や動物、山や川などの自然物が主で、そのなかの一部として他の人間が入ってくると考えたほうがいいのかもしれません。

内山節(うちやま・たかし)氏は、東京と群馬の山村を行き来しながら思索を続ける在野の哲学者ですが、日本の伝統的な主体性の観念とは、「他者のまなざし」を自分のものにし、そこから自分を見つめることが基本となって生じるものだと論じています。このとき、やはり、まなざしを意識すべき「他者」には、人間だけでなく、自然の事物も入ってくると指摘します。

内山氏は、村人とのある会合で、村人が農作業の様子を語るときの語り方について興味を持ちます。農作業について話す場合、村の人々は、「…作物や畑のまなざしで自分の仕事ぶりを説明する。春になった畑が自分に耕作を促し、伸びはじめた芽が村人に間引きを促す。もちろん、森での仕事も同じことである。大きくなった木が、人間に間伐を求める。村人は木のまなざしを自分のまなざしとしながら、森で仕事をする」(内山節『「里」という思想』新潮社、2005年)。

内山氏は、日本の伝統的な主体性の観念の特徴を、欧米の主体性の観念と比較しつつ、次のように述べています。

「欧米的な主体性は、自己や自我が出発点であり、自分の側からの働きかけとともにある。ところが日本的な精神では、他者が出発点にあり、その他者とのかかわりのなかに、主体性も発生する。(略)たとえばそれは、村の森であり、村の川や畑であり、村人であり、村を訪れた人々である。そういった具体的な他者とのかかわりのなかで、他者のまなざしを自分のものにしながら、主体性を発揮する」(同書)。


こう見てくると、「忖度」という言葉に表されるような他者の気持ちを推し量り、それに配慮するという日本人の道徳意識は、決して「権力者・権威者に対するおもねり」とか「同調主義」といったもので言い尽くされるものではないでしょう。また、「オカミに弱い」「主体性や自律性がない」といった批判も、日本人の道徳意識全体を捉えた上でのものではないと言えます。

日本人の道徳意識とは、言ってみれば、自己と、自然界を含む万物・万人との調和的関係を試行錯誤的に絶えず探求していくことを求めるものなのではないでしょうか。

また、日本の道徳は、こうした探求を可能にするために、幅広い、多様な他者の観点を鋭敏に感受する諸々の能力を伝統的に重視してきたのではないかと思います。「忖度」とは、そうした伝統のなかから生まれてきた言葉の一つなのです。

長い目で見れば、今後、世界では、おそらくエコロジカルな視点が重視されるようになると思います。そのとき、日本の伝統的道徳意識が世界的に評価されるようになることは大いにあるはずです。日本の道徳意識は、現代の日本人が十分に理解していない、非常に大きな可能性を含んだものではないでしょうか。

最近、「忖度」が悪い意味を帯びつつあり、またその背景としての他者の気持ちを推し量り、おもんぱかることを重視する日本の伝統的道徳意識も評価されにくくなっているように感じます。

日本人自身が、「忖度」や日本人の道徳意識を矮小化して理解し、それに引け目を感じるようになってしまってはいけません。それは、日本人の道徳的アイデンティティの喪失のみならず、人類の可能性の削減につながるものに他なりません。


8. 中川隆[-10726] koaQ7Jey 2019年4月17日 09:03:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1325] 報告
伝統の意義と謙虚さ From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
https://38news.jp/media/11389


やっぱり、今年の流行語大賞に「忖度」(そんたく)が入りましたね。

森友学園の問題以降、「忖度」という言葉をメディアで頻繁に聞くようになりました。最近「忖度」は、悪い意味を込めて使われていいます。「権威ある相手におもねって、その意をくみ取る」というような意味で用いられる場合がほとんどとなっています。

ですが、もともとは「忖度」という言葉に特段に悪い意味はありません。国語辞典をみると、「(相手の気持ちを)おしはかること。推測」という語釈が掲載されています(『三省堂国語辞典』)。つまり、他者の気持ちを推測し、おもんぱかるということです。悪い意味どころか、むしろ「思いやり」「やさしさ」など日本人が伝統的に大切にしてきた道徳に密接な関係を持つ語なのです。

政権批判と絡めて使う最近の用法のおかげで、「忖度」という言葉のイメージがすっかり悪化してしまいました。その影響で、日本の古くからの道徳意識そのものにも悪いイメージが付着してしまわないかと心配になります。

私は、「忖度=権威者におもねり、その意図を汲むこと」という使い方をし、マスコミを中心に面白がっている風潮がどうも好きになれません。

「忖度」やその背景にある「他者の心を推し量ること」を重視する日本の伝統的な道徳意識は、ムラ社会的で遅れた、劣ったものだとする冷笑を奥底に感じるからです。

ですが、「忖度」やその背景にある日本の伝統的な道徳意識は、決して劣ったものではなく、また豊かな可能性を含み持つものなのです。

(この点については、以前、本メルマガで書きました。以下をご覧ください)
【施 光恒】】「『忖度』を悪者扱いするなかれ」(『新・経世済民新聞』2017年9月1日付)
https://38news.jp/economy/11015

日本人はもともと頭でっかちに「ことあげ」することを嫌う性質があるためか、自分たちの文化や慣習の意義をきちんと知的に(つまり言語化して)理解してこなかった面があります。日本人の間では、日ごろのなじみぶかい文化や慣習はごく日常のものですし、それに対して漠然と愛着を感じている場合が多いのであまり問題は生じません。

しかし、知的に理解していない分、文化や慣習のある側面について外国人などに疑問を投げかけられたり、批判されたりすると、その意義をうまく説明できず、そうした文化や慣習を遅れたもの、劣ったものだと考えてしまう場合が少なくないようです。下手をすると、その結果、そうした文化や慣習を「改革すべきだ!」となってしまいます。

例えば、「忖度」の場合だと、「他者の心を推し量ることを中心とする日本の道徳意識は改めるべきだ。小学校からディベート教育を大規模に導入すべきだ!」とかにつながりがちです。

伝統や慣習の意義がわからなくなってきていることを表す最近の例としては、徒弟制についてでしょうか。少し前に、「寿司職人になるための修行は必要か否か」ということがネット上で一時期、話題になっていました。

寿司職人がある程度長い期間、師匠について修行することの意義、つまり徒弟制の意義を、多くの人はきちんと説明できていないように思いました。

この点について私が感銘を受けたのは、大相撲の鳴門親方(ブルガリア出身の元大関・琴欧州)が簡潔ながら的確に語っていたことです。

もう半年以上前の記事ですが、『週刊文春』の阿川佐和子氏との対談記事で、鳴門親方は、付け人(付き人)制度の意義に次のように触れていました(「阿川佐和子のこの人に会いたい」『週刊文春』2017年5月4日・11日号)。

***
鳴門親方: 稽古すれば強くはなります。それよりは素直で気配りができるかどうか。関取が出れば付け人が必要になるわけで、食事のときに水がなかったりするとパッと持って来ることができるとかの気配りが必要。

阿川氏: いま何が必要なのか瞬時に気づく能力ですか?

鳴門親方: ええ。その力があれば、稽古場で私が教えていても、さらにそれ以上に自分で何が必要なのかわかって稽古することができます。そういう子はどんどん伸びていきますよ。
***

「付け人」制度や徒弟制一般について、暑苦しいとか、前時代的だなどと批判するのは簡単です。ですが、長年残ってきた慣習ですので、「付け人」制度にもなんらかの意義があるはずです。

鳴門親方は、実にサラッと、その意義の一つを語っています。

師匠や兄弟子(先輩力士)と同じ空間で長い時間を過ごし、稽古以外の雑用などもこなすことを通じて、師匠や兄弟子のものの見方を学び、その見方から自分自身を見つめる観点が習慣として身についていく。

すると、稽古場でも、自分の現時点での技量を常に師匠の観点から見つめ、吟味し、いま自分にとって何が欠けているか気づき、どうすればいいか、あれこれ考えることができるようになる。

こういう気づきや自己吟味の能力を身につけた者は、学ぶ速度や、その後の伸びが違ってくる。

鳴門親方は、以上のようなことを簡潔に指摘しています。

これは学問的にみても妥当だと思います。教育学者の生田久美子氏(東北大学名誉教授)も、相撲や日本舞踊、邦楽などの徒弟制のなかでの学習の意義について、同じような指摘をしています(生田久美子『「わざ」から知る』(コレクション認知科学6)、東京大学出版会、2007年(新装版)、70-91頁)。

徒弟制度は、様々な職人の世界や武道や芸道の修行で今でも多くの日本人にとって比較的身近なものです。ですが、その意義や効用を、うまく説明できる日本人はあまりいないのではないかと思います。鳴門親方は、外国出身だったからこそ、徒弟制度の意義を知的に理解し、説明できるようになったのかもしれません。

伝統は、何世代もの人々の検討をへてきたものですから、パッと見でわかりにくくても、実は奥深い意義や幅広い可能性を備えていることが多いのです。すぐに非合理だ、ムラ社会的だなどと判断し、改革するぞ〜となってしまうと、気づかぬうちに大切なものを失い、自分たちの可能性を狭めてしまう場合が少なくないように思います。

伝統の前には、ひとまず謙虚になってみる。その構えが案外重要でしょう。浅はかでゴーマンな「インテリ」にはご用心!ですね。

長々と失礼しますた

追伸1
ところで、上の本文中にリンクを張った2017年9月1日付のメルマガで触れた、夏バテして7月以降、花をつけなくなった我が家の黄色いハイビスカスですが、その後、忖度の甲斐があったのか11月末にやっと再び花をつけました!\(^o^)/ 12月になった今でも、大きな花を咲かせています。うちの子は、ハイビスカスなのに冬好きなのかな!?(ウェッブ版の冒頭の写真は、私が12月6日に撮ったものです)。

追伸2
「忖度」については、似たようなことを少し違う角度から、昨日付の産経新聞(九州・山口版)のコラムにも書きました。よろしければご覧ください。
(「『忖度』への冷笑と道徳の矮小化」(『産経新聞』2017年12月7日付)
http://www.sankei.com/region/news/171207/rgn1712070051-n1.html

創造性の土台と閉塞感 From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


前回の本メルマガでは、徒弟制の意義について触れました。
日本人自身が、日本の伝統や習慣のよい点がわからなくなってきているのではないかと書きました。

外国人に「この習慣、変じゃない?」と言われると、お人よしの日本人は「そうかもなあ。変えるべきかも」と思ってしまう場合が多いように感じます。

厚切りジェイソンという米国人の芸人さん(兼 IT企業の役員)がいます。「Why ジャパニーズ・ピーポー?」などと問いかけて、日本の習慣の不思議なところに突っ込むのを一つの持ちネタにしています。(厚切りジェイソンの漢字ネタを動画でみたら、結構、面白かったですwww)

その厚切りジェイソン氏、以前、ツイッターでこういう書き込みをしていました。

***
幼稚園→周りと合わせろ
小学校→周りと合わせろ
中学校→周りと合わせろ
高校→周りと合わせろ
大学→周りと合わせろ
会社→周りと合わせろ
パターンパターン!見えてきたよ!

「やりたいことが分からない」とよく相談受ける理由。
自分で考える機会が今までなかったから。
***

これはあまり面白くありません。「日本人は同調主義的で主体性がない!」という欧米人がよくしたがる陳腐な日本批判です。
(´・ω・`)

ですが、こういう批判をされると、「そうだよなあ。日本人ももっと自律性や主体性をもたないといかん!」などと素直に思ってしまう日本人も少なくないようです。

地域によりますが、最近では、外国人の子弟が、日本の小学校や中学校に通うことも比較的普通になってきました。子供を通わせている外国人の父兄が、日本の学校の指導のありかたに素朴な疑問をもつことも増えてきています。

日本の学校には、班活動、給食当番、教室の掃除、部活動など、集団で共同作業をする場面が多くあります。例えば、こういうものについて「集団主義的過ぎないか。子供の個性を圧殺してしまうのではないか」などと心配になる外国人父兄も結構いるようです。

彼らにまさに「なぜ?」と問いかけられたとき、日本の学校の教師は、自分たちが普段やってきたことの意義をきちんと説明できないとまずいはずです。ですが、これ、結構難しそうです。

いくつかの答え方があるでしょうが、私だったら、例えば、次のように答えたいと思っています。

「「創造性」や「個性の発揮」についてのとらえ方が日本と欧米などとはかなり異なる。班活動や給食当番など、日本の学校で集団での共同作業を重視するのは、もちろん他者との協調や調和それ自体が大切だということもあるが、それだけではない。子どもたちの創造性や個性を十分に伸ばし、発揮させるためにも、他者と良い関係を築いていくことを覚えるのは重要だと日本では強く考えられているからである」。
(`・ω・´)

つまり、日本は、個々の子どもの創造性や個性を軽視しているのではない。むしろ、それを発達させるためにも、他の子どもたちとよい関係を作り、共同でいろいろなことをする練習を積むことが大切だと考えてきたということです。

この点について、以前、評論家の山崎正和氏が、日本文学者のドナルド・キーン氏に触れつつ、興味深いことを述べていました。日本と欧米の詩歌に対するとらえ方の違いです(山崎正和『室町記』朝日選書、1976年)。

欧米では、詩人や作家は、しばしば孤独で天才的な隠遁者のイメージがあります。実際、米国の著名な女流詩人エミリー・ディキンソンは今でいう「ひきこもり」に近い人でした。よく知られたところでは『ライ麦畑でつかまえて』でよく知られている作家J・D・サリンジャーも長く隠遁していました。

米国などの考えだと、詩歌は、神の啓示を受けて作られるので、詩人や作家は、あまり人付き合いせず、隠れ住むような暮らしをしていてもいいのです。詩歌をはじめとする芸術は、啓示を受けた個人が生み出すという発想が根底にあります。神を背負った個人が作ると想定されるのです。

他方、キーン氏は驚きをもって記していますが、日本の伝統では、詩歌は常に、人と人との関わりのなかで生まれると考えられてきました。

和歌も俳句も、歌会や句会といった社交の場で作られるのが基本でした。時には、吟行という具合に皆で出かけて行って、歌を詠むこともよくありました。

場の雰囲気や感情を共有し、人と人とが関わり、お互いに批評し合う中で、よりよき詩歌が生まれると想定されてきたのです。詩歌だけではなく茶道や華道にしても、日本の芸術は、社交の場で人をもてなす中で作られるものでした。

日本と欧米のこのような相違は、芸術観の相違であると同時に、創造性に対する見方の違いでもあります。欧米では、創造性を担うのはあくまで個人です。かつては背景に神の啓示がありましたが、世俗化の進んだ現代では神はあまり意識されず、個人の独創がそれを担うという発想に立ちます。

他方、日本では、創造性が生じるのは、人と人との間です。つまり、良き人間関係がある場です。状況を共有し、そこで生まれる感情を分かち持つ人々の相互作用のなかから新奇のユニークなものが生じるという発想です。

創造性についてのこうした日本的な見方は、教育心理学者も指摘しています。臼井博氏は、日米の比較研究の結果をいくつか参照しつつ、「個人主義の伝統の強いアメリカでは創造性を個人の中の特徴であると見やすいのに対して、日本ではそれをむしろ個人間に共有される特徴とみる傾向があるのではなかろうか」(『アメリカの学校文化 日本の学校文化』金子書房、2001年、91頁)と述べています。

つまり、日本では、創造性は、誰か特定の個人の内部から生じるものというよりは、人と人との間から生じると考えられる傾向があるということです。各人の個性の発達も、やはり、よき人間関係の経験を通じて、生じてくると考えるわけです。

そういうことから、日本の学校では、個々の感情移入能力を磨き、他者とのよい関係を築く能力を重視するのです。そのため、班学習や給食当番、清掃、部活動などの集団活動の場を数多く設定し、協調性を陶冶し、また、学級会や「朝の会」「帰りの会」といった皆の生活を振り返って話し合う場を作り、他者への感情移入能力を磨くことを大切だと考えてきたのです。

「創造性」に関する日米の発想の違いは、ビジネスの現場などにも表れます。例えば、米国では、イノベーションを起こす主体として想定されがちなのは、起業家です。独創的個人である起業家が天与の才でもってブレイクスルーを起こすというのが、ビジネスの場での創造性発揮のイメージでしょう。

最近では、日本でも起業家とかイノベーションとかシリコンバレーとか米国的な見方をもてはやすようになってきています。

ですが、それでも日本人にとってなじみ深いのは、やはり、いわば「プロジェクトX」的な見方ではないでしょうか。つまり、新製品の開発など創造性が必要とされる場合、ひとまず、よき信頼関係が得られる場を作り、その場における「知の共有」「感覚の共有」を図っていく。そして皆で、忌憚のないやり取りや試行錯誤をしながら、新奇な、優れたものを生み出していくという見方です。

例えば、「知識経営」を広めた経営学者の野中郁次郎氏は、かつてそのような見方で日本企業の創造性を分析し、大きな話題を呼びました(野中郁次郎、竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社、1996年)。

気がつけば、また、ちょっと文章が長くなってきました…
f(;^ω^)

結局、何が言いたいかといえば、前回と同じ結論ですが、日本人は、自分たちの日頃の習慣や決まりごとといったものの意義を、知的に理解し、ある程度、言葉で説明できるようにしておくことが現在では必要ではないかということです。

そうしなければ、外国人にうまく説明できないばかりか、日本人自身が、日本的なものの見方を理解できなくなってしまい、みずから良かれと思って「改革」を進めてしまう。その結果、日本人の多くにとって暮らしやすい、また、能力を磨き発揮しやすい社会的基盤を壊してしまうということになってしまうのではないかと危惧します。

今回取り上げた創造性に関しても、米国型の起業家重視の見方が最近では広まりつつあるように、日本人自身が、日本的見方を忘れつつあるというか、きちんと理解できなくなっているように思います。

「創造性とは人と人との間に生まれるものであり、それゆえ、その発揮のためには、相互に信頼し合える良き人間関係づくりがまず大切だ」というような創造性についての日本的見方が忘れられ、改革によって米国型の組織がどんどん増えていけば、結局、創造性を発揮する条件が損なわれ、日本人は創造性を伸ばしにくくなってしまうのではないでしょうか。

その結果、改革すればするほど閉塞感が高まるという、ここ20年間繰り返されてきた光景がまたひとつ再現されることになってしまうのではないかと思います。
https://38news.jp/column/11440

9. 中川隆[-10725] koaQ7Jey 2019年4月17日 09:06:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1326] 報告
2014年11月14日「リカちゃん人形」と「いただきます」
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


2週間ほど前のNHKのテレビ番組で面白いことを話していました。
http://www4.nhk.or.jp/masakame/x/2014-11-01/21/30135/

タカラトミーが出しているおなじみの「リカちゃん人形」ですが、今年で発売47年になるそうです。

このリカちゃん人形ですが、47年間、変わらない特徴があるとのことです。

リカちゃんの眼です。リカちゃんの眼は、まっすぐに前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。

なぜかと言えば、子どもがリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと、圧迫感を感じてしまうので、それを避けるためだそうです。

タカラトミーは、いかにも日本の企業ですね。

アメリカのバービー人形は、まっすぐ前を見つめています。画像検索して、バービー人形の画像をみてみましたが、なるほど目が合いそうです。私なんかは、バービー人形で遊ぶ子どもは、確かに人形の目から圧迫感を感じてしまいそうだと思いますが、アメリカ人の子どもは別に気にしないのでしょう。

日米の文化の違いですね。

文化の相違といえば、先日、大学院のゼミの時間に学生と「いただきます」についての話をしました。私のゼミは、一応、政治理論・哲学のゼミなのですが、その日はカナダのあるベジタリアン(菜食主義者)の政治哲学者のことが話題に上りました。

その関係で、食事の際に何に感謝するかという話になりました。

日本では、「いただきます!」というときは、料理をしてくれた人とともに、これから食す食べ物(肉や野菜など)にも感謝をします。つまり生命を提供してくれた魚やトリ、ブタ、ウシ、野菜、穀物、果物などに感謝の意を込めて「いただきます」と言うわけです。

欧米では、「いただきます」とは言いませんが、食事の前に祈る場合があります。この際、個々の食材ではなく、キリスト教の神に感謝の念を捧げるのが普通のようです。

私は、キリスト教の中学校に通っていたので、中学時代、たびたびキリスト教のお祈りを唱えさせられました。いまでも覚えているのですが、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という一節がありました。食物を与えてくれるのは神だと理解するわけです。

生命を捧げてくれた個々の食材に感謝する日本と、万物の創造主としての神を想定し、その神に感謝する欧米。この相違の根底にあるものは、食前の儀礼以外でもさまざまな面で見出すことができ、非常に興味深く感じます。

論者によって詳細は異なりますが、日本と欧米の文化の違いについて、よく次のような指摘がされます。

日本では、状況における他者の気持ちや期待、人々の関係性や社会的役割に注意を払う「関係重視の道徳」が優勢である。他方、欧米文化では抽象的な原理や非人格的なルールを尊重する「原理重視の道徳」が優勢である。

「リカちゃん人形」の件も、「いただきます」の件も、このような文化差から説明できるのかもしれません。

日本社会では、他の人々に敬意を払い、他者の気持ちを大切にしなさいと教えられます。あるいは、「もったいない」の精神に表現されるように、「万物に感謝の心を持ちなさい」などともよく言われます。

こう教えられるため、日本人は他者の気持ちに配慮するようになりますし、他者の視線に敏感にもなります。モノを大切にする文化も形成されますし、「いただきます」と食前にいう習慣も生じます。

当然ながら、日本と欧米の文化のどちらが優れているかという優劣の問題ではなく、文化の違いの問題です。

ただ、日本人は弱気なことが多いですよね。自分たちの文化の論理をうまく説明できず、主張されるがままに欧米の理屈を受入れてしまうことが少なくないようです。

このメルマガでよく取り上げる言語学者の鈴木孝夫氏が、ある本で次のように書いていました(鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書、1999年)。

アメリカ人の英語教師が、日本の学生たちによく要求することの一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがあります。会話の最中に目をそらすことは何か心にやましいことがある、何か良くないことを企んでいる、と解釈するのがアメリカの文化だからだそうです。

しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることは、失礼なことです。「ガンをつける」という言い方があるように、日本では相手の目を注視すれば見つめられる方は不快な気持ちになってしまう場合が多いでしょう。

ですが、日本人は、アメリカ人の先生に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだと思います。

鈴木孝夫氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的な相互理解は果たされないとします。国際的な相互理解という観点からすれば、この場合、日本人学生は、アメリカ人教員に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだと鈴木氏は論じます。つまり、「相手の目を正面から見据えて話すことは、アメリカと異なり日本では相手を威圧することにつながりかねず礼儀正しいことではない」とはっきりと述べる必要があるというのです。

私もそう思います。日本では、他者の言い分を受入れ、自分を変えていくことが美徳だと考えられることが多いからか、どうも自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させることをあまりしてきませんでした。日本人自身が日本的なものの見方は特殊だと思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきました。

近年は特にそうですね。いわゆる構造改革も、最近のTPP参加を見据えた国内の制度改革(例えば軽自動車の税制上の優遇措置の廃止など)も、そうでしょう。「グローバル化=英語」と言わんばかりのビジネスや教育での英語化の流れも顕著です。この調子でいけば、近い将来、日本人にとって生きづらい日本社会ができてしまい、我々の子孫は大変苦労することになりかねません。

何年かぶりに米国からメジャー・リーガーがやって来て、現在、日米野球が開催されています。近頃いつもそうですが、相変わらず、使用するボールの規格で日本人選手は苦労していると報じられています。

日本のプロ野球で使われているボールと、アメリカの大リーグで使用されているボールは、手触りや縫い目の高さなど細かいところで違うからです。

これなんかも私は、日本で開催するときは、基本的に日本のプロ野球が普段使っているボールを日米野球でも使用するべきではないかと素朴に考えます。あるいは、全試合中、半分は日本球、もう半分はメジャー球というふうに公平にすべきだと思います。

もちろん、メジャー・リーグ主催のWBCではメジャー使用球が使われるので、それに慣れるためという事情もあるのでしょう。

しかし、だったらWBCでも、あるいはメジャー・リーグ自体でも、品質がよりよいとされる日本式のボールを公式球として一部でも採用してもらうように日本野球機構などの上部組織は粘り強く交渉してもらいたいものです。

上に立つ者、あるいは組織が、相手方のルールや土俵を呑まされてしまい、現場の人間が苦労する。なんか最近の日本ってそういうことがやけに多い気がします。
https://38news.jp/archives/04679

2018.2.1 【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】

リカちゃん人形の視線と日本文化

 先日、大学で学生たちと雑談していて知ったのだが、2月22日から福岡市博物館で「誕生50周年記念リカちゃん展」が始まるそうだ。タイトル通り、「リカちゃん人形」の発売50周年を記念する展覧会である。

 面白そうだ。リカちゃん人形は、その時々の流行をうまく取り入れてきた。世相の変化を映し出す展覧会となるだろう。現在のプロフィルによれば、リカちゃんの趣味の一つは「SNS更新」だそうだ。現代っ子のリカちゃんは、友達とラインしたり、「インスタ映え」する場所を探して、あちこちで出かけたりするのかもしれない。

 流行に敏感なリカちゃん人形だが、発売以来、変わらない特徴があるのを、ご存じだろうか。目である。リカちゃんの目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られている。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるので、それを避けるためだという。

 対照的に、米国のバービー人形は、真正面を見つめている。私などは、バービー人形で遊ぶ子供は人形の目に圧迫されないのかと心配になるが、米国の子供はあまり気にならないのだろう。日米の文化差である。

 言語学者の鈴木孝夫氏は以前、次のように書いていた(『日本人はなぜ英語ができないか』岩波新書)。米国人の英語教師が日本人学生によく要求する点の一つに、人と話すときは相手の目を見つめながら話しなさいということがある。会話の最中に目を逸(そ)らすのは何か心にやましさがあるからではないかと解釈するのが米国流だそうだ。

 しかし、日本人の感覚からすれば、人の目をじっと見続けることはあまり好ましくない。「ガンをつける」と言うように、日本では相手の目を注視し続ければ、見つめられる方は不快な気持ちになるか、当惑してしまう場合が多い。

 それでも日本人は、米国人教師に「相手の目を見て話しなさい」と言われると、照れくささや違和感を覚えながらも、おとなしく従うことがほとんどだろう。

 鈴木氏は、ここで黙って従ってしまうのはおかしい、それでは本当の国際的相互理解は果たされないと指摘する。この場合、日本人学生は、米国人教師に日本の文化的見方をきちんと説明すべきだ。つまり、相手の目を正面から見据え続けて話すことは、日本では相手を威圧することにつながりかねず、礼儀正しいことではないとはっきりという必要があるというのだ。

 私も同感だ。日本には「ことあげ(言挙げ)」を嫌い、謙譲の美徳を尊ぶ気風がある。そのため日本人は自分たちのものの見方の意味を言語化し、相手に説明し、納得させる努力を怠ってきた。こうした日本的なものの見方について、日本人自身が「特殊で劣っている」と思い込み、海外(特に米国)の基準に合わせようとしてきた。実際、ここ20年ほど「構造改革」の名の下に、日本社会を米国型に改造する動きが顕著であった。この調子でいけば、近い将来、日本人が違和感を覚え、生きづらく感じる日本社会ができてしまい、われわれの子孫が苦労することになりかねない。

 今後、日本でリーダー的立場に就く人々は、日本人の感覚や習慣をきちんと認識し、言語化し、外国人に向かってその意義を説明する能力と気概を身に付ける必要がある!

 …と、このように「リカちゃん人形展」の話題から、いつものように学生相手に長々と演説をしてしまった。「また始ったね〜」という具合に、学生たちが温かくも少々呆(あき)れた目でこちらを見ているのに気づき、気恥ずかしく思った次第である。
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

2018年2月2日【施光恒】リカちゃん人形の不易と流行
From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


昨日付の『産経新聞』(九州・山口版)のコラムに、次のような記事を書きました。

「リカちゃん人形の視線と日本文化」(2018年2月1日付)
http://www.sankei.com/region/news/180201/rgn1802010033-n1.html

リカちゃん人形は1967年生まれですので、昨年で50周年を迎えたそうです。それで、昨年3月の東京を皮切りに「誕生50周年記念リカちゃん展」が全国のいくつかの都市を巡回しています。

以前、このメルマガにも少し別の角度から書いたことがあるのですが、リカちゃん人形の目は、まっすぐ前を見つめておらず、少し左上に視線が行くように作られています。子供がリカちゃんで遊ぶときに目が合ってしまうと圧迫感を覚えるかもしれないため、それを避ける配慮だそうです。

リカちゃんの目のこの特徴は、発売以来半世紀、変わっていないとのことです。

その一方、リカちゃん人形は、そのときどきの流行を敏感に取り入れてもいます。産経のコラムにも書きましたが、例えば、現在のリカちゃんの趣味は、「SNS更新」だそうです。

設定では、リカちゃんは小学校5年生ということですので、「SNS更新」が趣味とは、昭和生まれの私からすると「ちょっとませてるなぁ」とか思ってしまうのですが、まあ今の子はそんなものなのかもしれませんね。

リカちゃん人形が半世紀にもわたってながく親しまれてきたのは、「不易流行」の理念をよく踏まえているというのが一因でしょう。「不易」、つまり「いつの時代にも変えてはならないもの」と、「流行」、つまり「そのときどきの状況に合わせて変化を重ねていくべきもの」のバランスがとてもよいのだと思います。

日本の子どもが、米国などの子どもに比べて、他者の視線に敏感で、あまりじっと見つめられると圧迫感を覚えやすいという特徴は、時代を経てもなかなか変わらない部分です。

日本の家庭や学校での子育てでは、「やさしい子」「素直な子」「人の気持ちによく気がつく子」を育てようとします。これはかなり昔から変わらない特徴だと言えます。

この子育ての特徴から、人の気持ちによく気がつく敏感な子が育ち、それが「おもてなし」「思いやり」の文化を生んでいます。また世界に誇るべき日本の治安の良さや整然とした秩序、清潔さの源でもあるでしょう。(むろん、悪い面を強調すれば、他者の顔色を窺いがちで、自己主張が苦手な日本人を生み出す要因ともいえるわけですが)。

人の気持ちや視線に敏感だという日本人のこうした特徴が変わりにくいことは、「やさしさ」という言葉の語源からもうかがえます。

「やさしい」の語源についてはいくつかの説がありますが、「現在もっとも説得的でほぼ定説化している説」は、「痩せる」という言葉と同根だという説です。

つまり、「やさしい」という言葉は、「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いがする」「やせるほどつらい」「身もやせるように感じる、はずかしい」というのが原義だそうです(参照、竹内誠一『日本人は「やさしい」のか──日本精神史入門』ちくま新書、1997年、76-77頁)。

面白いですね。「やさしい」ことと「人の見る目が気にかかって身もやせ細る思いだ」ということは、元来、表裏の関係にあるようです。「やさしさ」を持つこととは、同時に、他者の目を気にして、ときとして胃が痛くなるような思いもしがちだということなのでしょう。

上記の原義に今の「おもいやり」「細やかな配慮」という肯定的な意味合いが千年ほど前から徐々に付け加わってきたようですので、日本人の性格は、かなり昔からあまり変わらないんだなと思います。

他者の視線に敏感であるというのは、日本文化の根幹の一つで、そうそう変えられるものではありません。

これは、実際、子育ての習慣や言語習慣(人の呼び方や敬語表現など)に深く根差しているものであって、変えようとすれば、「文化大革命」的な日本文化の根本的かつ大規模な変革が必要となります。これは不可能でしょうし、望ましくもないでしょう。

リカちゃん人形は、日本人の子どもは他者の視線に敏感だという変化しにくい事柄に配慮しつつ、そのときどきの流行を積極的に取り入れることによって長い人気を保っています。

このリカちゃんの知恵は、日本の政治や社会、経済の「改革」を考えるうえでも大いに役立つはずです。「リカちゃんに学べ」です。

「やさしさ」に代表される日本人の心のかたちは、良くも悪くも、そう簡単に変わるものではありません。無理に変えようとすれば、どこか歪みが生じます。

例えば、日本人が最も動機づけられるのは、つまり仕事などへの「やる気」を感じるのは、今も昔も、周囲の他者の期待を受け、それに応えようとするときだと言われています。

「きみはわが社の大黒柱だ」「〇〇さんのおかげで皆、助かっているよ〜」といった言葉が、日本人を一番動機づけるのです。

近年、日本人ビジネスマンの仕事への熱意の低下がときおり話題になりますが、この一因は、やみくもな「構造改革」の結果、アングロサクソン型の組織のあり方や雇用制度を取り入れようとし、結果的に、日本の会社組織が日本人のやる気をうまく引き出せなくなってしまったことにあるのではないかと思います。
(この点については、以下の拙コラムをご覧ください。「『仕合わせ』な改革を」(【国家を哲学する 施光恒の一筆両断】2017年6月1日付))
http://www.sankei.com/region/news/170601/rgn1706010026-n1.html

日本社会をよりよくするためには、何よりも、日本人や日本文化の特徴をよく知り、それを前提としたうえで、よりよき形に伸ばしていくことを目標にすべきではないでしょうか。

人々や文化の性格を根本から大変革してやるというのは、傲慢かつ不可能であり、様々な副作用を招くものだと思います。

リカちゃん人形のように、不易と流行のよきバランスを探していきたいですね。
https://38news.jp/column/11584

10. 中川隆[-10724] koaQ7Jey 2019年4月17日 09:08:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1327] 報告

日本語は奇跡の言語 _ 欧米人が日本人に絶対に敵わない理由:


世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語


 雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。

 日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。

 私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。

 この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。


○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である 【現実世界での日本の優位性】○

 認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。

 常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。

 さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。


曖昧な表現が活きる日本語の背景


 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。

 言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。


■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。

 外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。

 繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。


■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■


 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。

 派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。


●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である 【精神(霊的)世界での日本の優位性】●


 音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

 この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:Dsy-yxb-UusJ:blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/30487456.html+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E+%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

日本の成功の秘密は日本語にあるのですが、欧米人にも、そしてなぜか当の日本人にもそれがわからないのですね:


日本語は、マスターをするのが難しい言語かもしれない。しかし一旦マスターすれば、これほど便利な言語はないと考える。これは筆者の偏見かもしれないが、日本語は世界の中で一番進化した言語であり、優れた言語と思っている。

表意文字である漢字は、文字自体に意味を持つので、言葉を速く理解することができるという利点がある。特に漢字はパターンで認識するので、文字とイメージが結びきやすい。「犬」という文字を見ると、犬のイメージが頭に直ぐ浮かぶ。「京都」という言葉に当ると、京都という文字から京都に関するイメージが自然と頭に浮かぶ。


高速道路の標識も、漢字だから速く、しかも正確に認識できる。これがアルファベットなら一瞬のうちに認識することは難しい。例えば長い地名がアルファベットで記されていたなら、車を停車させなければ、書いてある行き先を読むことはできないであろう。これは言語の特徴を考える場合、重要な点である。

日本語の文書は、斜読みによって、ある程度の意味を把握することができる。これも日本語に漢字が使われているからである。速読の達人と呼ばれる人がいるが、もし文章が全て「かな」で書いてあったなら、とても一瞬のうちに読むことはできないであろう。アルファベットだけの英語も速読に向かない言語と思われる。


日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。


戦後、GHQが日本人を色々調査した。当時、米国人から見れば「日本人は人間より猿に近い動物」という認識であった(失礼な話である)。

そのような日本人が、どうして短期間のうちに列強と対等の国力を持つことができたのか、不思議だったのである。しかし調査によって、日本では、どのような地方に行っても、またどれだけ年配の人でも、文字を知り、文章が読めることを発見した。これはGHQにとって驚きであり、これで日本を見直したのである。これも日本の教育制度が優れていたのと、日本語が誰にもマスターできる優れた言語であったからである。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html

11. 中川隆[-10723] koaQ7Jey 2019年4月17日 09:21:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1328] 報告

日本語は縄文由来
http://web.joumon.jp.net/blog/2017/03/3176.html

日本語は言語学的にも独立言語でありほぼ人類最古の方の言語に類する。

この日本語がほぼ一貫して変わることなく縄文ー弥生―現在へと引き継がれてきた。

母音を言語脳(左脳)で聞き分ける日本語は擬態語(ザーザー、しとしと等)が多い。そして日本語以外のほとんどの地域の言語が音声を左脳と右脳で使い分けるのに対して全ての音を左脳でとりいれる日本人は特徴的でもあり、それ故に自然の音を細かく聴き分けることができる。これが日本人特有の同化能力の基盤となり、自然に向けた同化能力を使って、現在でも人や社会に視座を向けることが可能な民族として存在している。


★自然の音を左脳で取り入れる日本人、その特徴を明らかにしたのが角田教授である。
⇒やっぱり、『日本語』はすごい言語のようです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=222237


★日本語研究は進んでいるが、結局今判っているのは日本語はどの系統にも属さない独立言語であるという事のようだ。

アルタイ語起源説やタミル語起源説、朝鮮古語起源説などがあるが、部分的に類似しているというだけで母音言語であり膠着語である日本語を定義つけるとしたら人類古語が起源であり、それを今も脈々と残しているのは日本と世界中の辺境の小部族だけという事になる。

学説で解明できないのは日本語がどこからの由来かという視点で見ているからなのだろう。


⇒日本語の起源研究の状況
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=184840

⇒日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか?
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=242652


★日本語がなぜすばらしい言語なのか 黒川伊保子氏の著書を読めばストレートに伝わってくる。


日本語はなぜ美しいのか (集英社新書) – 2007/1 黒川 伊保子 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%92%E5%B7%9D-%E4%BC%8A%E4%BF%9D%E5%AD%90/dp/4087203743


黒川氏が語る日本語の特徴を要約すると以下のようになる。


@ 日本語を含めて「言語」には、共認機能や観念機能の構造との密接な関係があるはずで、これを追求することには、大きな可能性があると思われる。発音体感と対象(実態)の一致は、日本語に顕著であり、日本語こそが「始原の言語」、太古よりこの土地で育まれた言語であると述べられている。

A 母音語の使い手は、自然とも融和する。
母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。

B 何千年も続く、豊かな自然が、私たちに、融和する母音語をもたらした。
一方で、融和して共存する日本人の特性は、日本語という母音言語がもたらしているとも考えられる。なぜなら、DNA上日本人とまったく無関係でも、日本語を母語として育つと、母音を左脳で聞くようになることが確認されているからだ。環境は言語を作り、言語は人を作るのである。

C 子音言語に比べ圧倒的に長い歴史を持つのが母音言語で、その原型を現在まで引き継いでいるのが日本語と言えるかもしれない。自然に同化し、調和する日本語とはこれからの共認時代に相応しい、時を得た言語なのではないだろうか。

▲△▽▼


2012年09月03日
始原の言語・日本語の可能性〜むすび
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/09/001437.html


「始原の言語・日本語の可能性」シリーズも今回で最終回になります。
全編 黒川伊保子氏の著書「日本語はなぜ美しいのか」〜集英社新書 から紹介させていただきました。私たちは今回6名でこの著書を輪読し、特に心に響いた箇所をできるかぎり本編に忠実に転載させていただいたのですが、どこを切ってもじっくり味わいのある箇所ばかりで、黒川伊保子さんには大いに感謝しております。

黒川伊保子さんのいきいきしたインタビュー風景です。〜こちらよりお借りしました。

当ブログは日本人の心の原点である縄文時代を中心に記事をつくり、発信していますが、著者が捉えている日本人、日本語、日本は実にしっくりくる内容の連続でした。縄文人が豊かな自然に同化し、その恵みを得る中で感性が作られてきたその歴史のまま、日本語の成り立ちも形成も伺うことができます。黒川氏は豊かな潜在思念でそれらを捉え、既成観念や近代思想の壁をわけなく突破し、自由に伸びやかに書かれたこの著書は、言語学という域に捉われない珠玉の一冊だと思いました。


最後に本編の各記事のエキス(抜粋)を紹介させていただきます。詳しくはクリックして記事を読んでみてください。


始原の言語・日本語と、日本語に見る言語の本質・起源 プロローグ

日本語を含めて「言語」には、共認機能や観念機能の構造との密接な関係があるはずで、これを追求することには、大きな可能性があると思われる。

発音体感と対象(実態)の一致は、日本語に顕著であり、日本語こそが「始原の言語」、太古よりこの土地で育まれた言語であると述べられている。

(1)日本の爽やかな朝(アサ)と英国の穏やかな朝(morning)〜

その国の風土と人々の意識とによって、長く培われてきたことばが、母国語である。中でも、一つの土地において、似た骨格をもつ民族が、同じ生活習慣を重ねながら作り上げてきた母国語は、風土と意識と、身体感覚と、ことばとがしっかり結びついているので、ことばに込められた情感が深い。

(2)実体と発音が一致している美しい日本語

ことばは音韻(ことばと音の最小単位)の並びであり、その発音体感が潜在脳にしっかりとことばの象を作り上げる。コロコロ、ソロソロ、ツルツル・・Kは固体、Sは空気、Tは液体。これらの法則は発音体感によって生じたものである。
私たちはこうして、事象に似た発音体感を味わいながら、ことばをしゃべっているのである。大きなものには大きな発音体感を、硬いものには硬い発音体感を、スピード感のあるものにはスピード感のある発音体感を、優しいものには優しい発音体感を・・・・そうして名を呼ぶ者は、名のもち主と響き合うのだ。

(3)2重母音が作り出すやわらぎの意識

クヨクヨ、フワフワ、ソワソワ・・・ヤ行とワ行、この2重母音の行は他の子音群にはない特徴を示している。単純なひとつの感情だけでなく重層した微妙なニュアンスの表現を求める日本人を現す特徴的な言語のひとつかもしれない。


(4)実体(対象)と発音体感の一致

サラリ、ヒラリ、ニコニコ、ホカホカ・・・ラ行(R)は哲学の響き、ナ行(N)は抱擁の感覚、ハ行(H)は熱さをあらわす。日本語にはその関係が、擬音語・擬態語などに特に特徴的に見られるように、鮮明に豊かに存在する(残存している)ことが分かる。


(5)母音が作り出す感性

母音は息を制動せずに、声帯振動だけで出す、自然体の発生音である。
自然体で発生される母音は、音響波形的にも自然の音に似ている。
自然体で素朴、ドメスティック(私的、内的、家庭的)な印象があり、ふと心を開かせる音。これが、母音の感性的な特徴になる。

(6)母音の感性が生む心開く会話

部下や子供、異性と接するとき、相手の本音を聞きたいと思ったら、母音のあいづちはよく効くので、覚えておくといいと思う。さらに、「おはよう」「お疲れさま」「ありがとう」など、母音の挨拶を心がけると、ぎすぎすした職場に連帯感が生まれる。


(7)〜相手と融合する母音語と境界線を作る子音語〜

潜在意識で母音骨格をつかむ私たち日本人は、話しているうちに、意識レベルで相手と融合してしまう。意味的な合意を得られなくても、一定時間話し合えば、なんとなくわかり合えた気になる。日本語はそういう特性の言語なのである。「話せばわかる」とは、いかにも日本人らしい名言だと思う。

一方、相手の音声の中から、機械音に近い、威嚇効果のある子音だけをつかみとる人たちは、話しているうちに、相手との境界線がしっかり見えてくる。この境界線を越えるための権利と義務について話し合わなければ・・・・・彼らの潜在意識は、そんな風に感じているはずだ。

(8)〜自然と同化する母音語人〜

母音語の使い手は、自然とも融和する。
母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。

(9)〜環境は言語を作り、言語は人を作る〜

何千年も続く、豊かな自然が、私たちに、融和する母音語をもたらした。
一方で、融和して共存する日本人の特性は、日本語という母音言語がもたらしているとも考えられる。なぜなら、DNA上日本人とまったく無関係でも、日本語を母語として育つと、母音を左脳で聞くようになることが確認されているからだ。環境は言語を作り、言語は人を作るのである。

(10)〜早期英語教育は危険!?〜

母国語は、自然に耳に入るから、放っておけば自然にしゃべれるようになると思っている親がごまんといるが、それは違う。脳が最初に出会う母語は、母親(主たる保育者)と触れ合いながら口頭で伝えられて、初めて脳に刻み込まれる。

そういう意味で3歳以下のまだ母語が定着していない時期での早期英語教育は極めて危険である。

(11)〜共認時代には日本語が相応しい〜

母音語を母語としている国は日本の他にはポリネシア地域の一部にしかいない。唯一日本に到達した一派だけが母音語を温存させた。それは日本列島が他の地域にない特徴(争いがない、温暖で豊かな自然)を有していたからであり・・・。

子音言語に比べ圧倒的に長い歴史を持つのが母音言語で、その原型を現在まで引き継いでいるのが日本語と言えるかもしれない。自然に同化し、調和する日本語とはこれからの共認時代に相応しい、時を得た言語なのではないだろうか。
http://web.joumon.jp.net/blog/2012/09/001437.html

12. 中川隆[-10722] koaQ7Jey 2019年4月17日 10:44:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1329] 報告

日本の風俗は日本人限定の超過激サービスなので外国人は絶対 NG


中国人客急増で梅毒大流行 _ 性病地獄に堕ちていく日本の風俗嬢
今は性病が蔓延しているので、もう風俗に行けなくなりました。


2017-11-01
あまり表側には出てきていないのですが、アンダーグラウンドの女性と話していたりすると、現在の日本の風俗が凄まじく危ないことになっているのが分かります。

何が危ないのか。性病です。

梅毒が私たちの想像をはるかに超えたレベルで蔓延するようになっており、吉原から雄琴から福原から、片っ端から女性が感染している事実があるのです。

これを放置していると日本のアンダーグラウンドは性病多発地帯と化す可能性がありますが、風俗店は放置状態なので問題は悪化していくばかりになると思います。不吉です。

ブラックアジアでは、アンダーグラウンドでも特に「女性」に焦点を当てて取り上げて来ました。私の関心は、常に社会の裏側に堕ちた女性に集中しています。

社会の裏側で、女性が数多くの理不尽な虐待を受けているというのも、普通の女性は「薄々と気付いている」はずですが、それがどんなものなのか、はっきりと知らないはずです。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171101T0103560900.html


裏で囁かれていること。風俗の主力客は日本人でなくなる?

高級、中級、格安問わず、すべての風俗で外国人の男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている。

外国人と言えばアメリカ人やイギリス人を思い浮かべるのは遅れている。

欧米の人々もくるが、日本で最も多い外国人は、日本政府観光局の出している2017年のデータによると、中国人・韓国人・台湾人・香港人・タイ人の順番となっている。

しかも、中国・韓国人の訪日客数は他を圧倒的に引き離しており、アメリカ人と比べるとその差は5.2倍近くもある。

だから、分かりやすく言おう。「男たちが日本の風俗嬢を買いにやってきている」と言えば、中国人と韓国人が日本の風俗嬢を買い漁っているということだ。

実際、大手の風俗サイトは中国人と韓国人の需要を見込んでいて、サイトをこれらの国の言葉でも作って客を募っている。

この動きは、風俗に関心がない表社会の人々にはまったく知られていない事実なのだが、ここ数年前から起きている大きな潮流である。

先日、超激安の地雷専門デリヘル店の女性にも話を聞いたのだが、私は気になって「この店にも外国人の客は来るのか?」と尋ねてみた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180218T0446160900.html


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ZAKZAK【感染大陸中国】
中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威 2014.10.07


中国国慶節(建国記念日)の大型連休(1〜7日)真っ直中。円安・人民元高も加わり、日本を訪れる中国人観光客はいつになく多い。ここ数年、消費の起爆剤として期待されるようになった彼らだが、負の側面も顕在化。風俗業界では沈静化したはずの性病が再流行し、その原因として隣国からの“お得意さん”の影響がささやかれている。日本の風俗業界が直面する感染症の現実と中国人客、そして中国国内でのずさんな衛生実態をジャーナリストの奥窪優木氏が5回にわたってリポートする。

 70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱は、17都道府県あわせて154人(4日現在)が発症する事態となった。西アフリカではエボラ出血熱の感染拡大が世界的な危惧となり、日本でも検疫所による水際対策が強化されるなど「対岸の火事」ではなくなってきた。

 新旧感染症への不安が高まるなか、日本国内の“ある場所”で猛威を振るっている別の感染症がある。

 都内デリバリーヘルスの男性店長、A氏(29)によると、店で働く女の子たちの間で、性感染症にかかるリスクが高まっているのだ。

 同店では、風俗嬢として働く女性に、月に1回の性病検査を義務付けているが、2年ほど前から陽性の結果が出る頻度が高まっているという。在籍する20人ほどの女の子のうち、最近はほぼ誰かが感染している状態で、クラミジアや淋菌のほか、梅毒が喉から検出されることが多いという。

 以前は、半年に1人に陽性が出るか出ないかの程度だったというから、アウトブレーク(感染爆発)状態にあると言えるかもしれない。

同店では、コンドームなしでのフェラチオや素股といった粘膜接触を通常サービスとして提供しており、さらに別の客へと感染が広がる可能性も高い。「あの店で性病をうつされた」という噂がネットで広がれば店にとって死活問題であるため、各店の店長らは対応に苦慮している。

 こうした異常事態の原因について、A氏が心当たりとして挙げるのが、外国人客の増加だ。

 日本の性風俗店のほとんどは、もともと外国人客お断りが原則だった。ところが長引く不況で客足が低迷するなか、方針転換を図った店も多い。

 A氏の店もその1つで、2年ほど前から外国人への門戸も開いた。ここ数カ月では売り上げの約1割がアジア系の外国人で、「おそらくほとんどが中国人」とA氏は話す。

 「日本語が分かる通訳か、ガイドが電話してきて、彼らが宿泊しているホテルに出張することが多く、中国系の団体旅行者の場合、4〜5人の客からまとめて注文が入ることもある」(A氏)。店にとっては上客なのである。

 外国人客を受け付けるかどうかは女の子に委ねられているが、「性病検査で陽性が出る割合は、外国人客OKの女の子が圧倒的に多い」というから感染経路は推して知るべしだ。

 昨年、日本を訪れた外国人旅行者は1000万人の大台を初めて突破。あらゆる業界が彼らの財布をターゲットにしているが、風俗業界も例外ではない。しかしそこには、負の側面も潜んでいるのだ。 =つづく

 ■奥窪優木(おくくぼ・ゆうき) 1980年、愛媛県生まれ。上智大経済学部卒。2004年に渡米、出版社・新聞社勤務を経てフリーに。07年から中国・広州で取材活動を開始。08年に帰国し、中国の社会問題を週刊誌などで執筆中。著書に『中国「猛毒食品」に殺される』(扶桑社)、『中華バカ事件簿』(同)など。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20141007/frn1410071545004-n1.htm  


抗生物質が効かない「スーパー淋病」が拡大している  2018/01/23
世界に広がるスーパー淋病

『世界保健機関(WHO)が、薬で治らない病気が世界に拡大しているとして警戒する病気がある。

それは「淋病」である。たかが性病と侮ってはいけない、現在大流行している新種の淋病は、薬が効かないのだ。

一度かかってしまえば一生治らない可能性もある。

淋病は一昔だとペニシリンを投与すれば、完治していたのに最近ではペニシリンに耐性をもつ淋菌が現れて抗生物質が効かなくなりつつある。

新しい薬を開発し耐性菌が現れ、また新しい薬を開発し、また耐性菌が現れ、淋病に関してはこのイタチごっこが特に続いています。


「スーパー淋病」とは

通常の淋病よりも強力になった淋病のことをいます。

菌の中で、突然変異によってある薬に耐性を持つ新種の菌となったのが薬剤耐性菌だ。治せないのでどんどん広がっていく。
その過程でさらに別の薬への耐性もつき、あらゆる治療薬が効かなくなったのが「スーパー淋菌」だ

しかも、新たな「スーパー淋病」が初めて見つかったのは日本だという

現在、多剤耐性菌「スーパー淋病」という抗生物質が効かない病気が日本と韓国の風俗店で発見されたという報告があります。

「京都市内のファッションヘルスに勤める女性(当時31歳)の定期検診で、咽が淋菌に感染していることがわかり、“最後の切り札”ともいえるセフトリアキソンを投与したところ、菌が消えなかったのだ。

採取した淋菌を解析したところ、セフトリアキソンに対する非常に強い耐性をもっていることが判明したのだ。「スーパー淋病」発見の瞬間である。

日本で確認されている「スーパー淋病」の事例は、今のところ京都の1件のみだが、海外ではヨーロッパとオーストラリアで発見され増加しつつある

WHOはホームページで「ペニシリンなどはもちろん、どの抗生物質を使っても治らないスーパー淋病にかかっている患者が数百万人いる」とし、オーストラリア、フランス、日本、ノルウェー、スウェーデンと英国で、抗生物質が効かない淋菌が報告されている」と警告した。

WHOによると、性感染症である淋病に毎年約8000万人が感染していおり、抗生物質が効かない淋菌がふえていてこのままでは淋病が制御不能になりと警告をしている。
http://soukai213.com/super-rinkin


東南アジアで多剤耐性を持つ淋菌に感染、抗生剤2種効かず 英男性症例
2018.03.29 Thu posted at 16:32 JST抗生剤への耐性を持つ淋菌に英国の男性が感染した


(CNN) 英イングランドの公衆衛生当局は29日までに、英国人男性が多剤耐性を持つ淋菌に感染したと報告した。

男性は今年、性サービスを受けて淋菌に感染した。一時治療としてアジスロマイシンとセフトリアキソンの2種類の抗生剤が投与されたが、いずれも効かなかった。両抗生剤への高度耐性を持つ淋菌の感染報告は世界で初めてだという。

男性は東南アジアで淋病に感染。その1カ月後に症状が出始めた。現在は抗生剤エルタペネムの静脈投与を受けており、今のところ効いている模様だという。4月に再び検査を受ける見通し。

イングランド公衆衛生当局の性感染症部門トップ、グウェンダ・ヒューズ氏は「他の選択肢で効果的に治療が行われ、伝染リスクが最小化されたことを確認するため、引き続きこの症例を観察している」と説明。安全な性行為を実践して感染を避けることの重要性を強調した。

薬剤耐性を示す症例の増加に伴い、国際衛生機関では淋病に対する懸念が高まっている。

世界保健機関(WHO)の専門家テオドラ・ウィー氏は昨年、「淋病を引き起こす細菌は特に賢い。われわれが新しい抗生剤を治療に投入するたびに進化して耐性を獲得する」と指摘していた。

WHOは淋病の年間感染者数を7800万人と推定。米疾病対策センター(CDC)によれば、米国での年間の新規感染者は推定82万人に上るという。

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2017-10-02
 ソープランド嬢の本当の地獄がこれから始まる理由とは?


2017年9月19日、西日本新聞は

『危機的状況。九州でエイズ感染急増 16年福岡は61%増 佐賀、熊本過去最多』

というタイトルで記事を出している。

HIV感染者、エイズ患者の新規報告者数が2015年と比べて61%も増えて一気に計92人になっていた。この内訳については9割が日本人ということなので、日本人83人、外国人9人が新たに陽性になったということになる。

また6割が同性間性的接触、4割が異性間性的接触ということなので、55人が同性間で感染、37人が異性間で感染したという状況だ。

このニュースはアンダーグラウンドで瞬く間に拡散されて、一種の「九州パニック」のようなものが起きていた。

理由は言うまでもない。同性間性的接触と異性間性的接触のいずれも、売春や風俗が感染の現場になっていることは明白だからだ。

特に4割の異性間性的接触は、すべて「風俗嬢が関わっている」と考えて間違いない。HIV感染は不特定多数の性的接触が行われている現場で感染する。業種で言えば、膣内射精を受け入れるソープランドが最も危険だ。

しかし、「九州パニック」に落ちたほとんどのソープ嬢は、もっと大きな事実を見逃していることを私は確認していた。彼女たちは重要なことを見逃していた。
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20171002T0319530900.html


 即尺に膣内射精。ソープランドの危険で無謀な性サービス

ここ数年で数十人もの風俗嬢と会って話を聞くのと同時に、最近になって私が労力をかけていることがある。

それは、インターネットで風俗嬢が書き込みをしている掲示板、SNS、ツイッター、ブログ等から書き込みを収集(スクレイピング)して、テキストファイルを莫大に集めて読み込む作業だ。

機械的なスクレイピングによって収集された400万ファイル以上のテキストデータをプログラムによってフォーマットを整えると旧約聖書が10冊あるくらいのボリュームになる。

その大半は価値のない会話や言い合いだったりするので目にするだけでウンザリするのだが、その中で読むに値する文章や情報や感情の吐露もある。

そうした部分に印をつけておいて、いつでも検索で呼び出せるようにする作業を繰り返していくと、日本の風俗嬢が何を考えているのか、その心境が浮かび上がってくる。

この作業で何が浮かび上がってきたのか。

それは、男たちの99%が無視している女性の心の闇だ。やってくる男たちにうんざりし、嫌悪し、罵り、絶望し、その中で発狂しない程度に性サービスをやりくりしている女性たちの赤裸々な心の裡(うち)が見える。

日本の風俗嬢たちは、男たちを憎んでいたのである。完璧な接客で気付かないかもしれないが、風俗嬢たちは男たちを嫌悪し、時には激しい憎悪を隠して、それでも表面では満面の笑みを浮かべている。裏側は拒絶心でいっぱいなのに……。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170907T0234380900.html


売春地帯をウロウロしているのであれば、そこは性病の温床であると認識しなければならない。売春する女性と縁が切れないのであれば、当然のことだがSTD(性感染症)の脅威は常にある。

ハイエナにとってHIVやSTDはいつでも「今そこにある危機」なのだ。自分だけ絶対にかからないというのは根拠のない自信に過ぎない。

カンボジアの売春地帯では、70ストリートの売春宿の入口で痩せ細ったエイズの女性が虚ろな表情で座っている姿を見ているし、性器にびっしりと尖形コンジロームを発症した女性を見て恐れおののいたこともあった。

尖形コンジロームの女性はインド売春地帯でもしばしば見た。インドではこれが流行っているのだが、女性たちはこれを性病とは知らないでいる。

コルカタの売春地帯では売春している娘の母親がエイズ末期のような様態で金を取りに来たり、部屋で身動きしない痩せた女性がいたりするのが我が目に焼き付いた。

こうしたこともあるので、ハイエナとして現役だった頃は半年に一度、最近も1年に一度は必ずHIV検査を受ける。さらに今年からは淋病や梅毒の検査も含めることにした。

なぜなら、日本で淋病や梅毒が再びアンダーグラウンドで猖獗を極めると確信したからだ。そんな考えもあって、STDの検査を先日受けてきた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170830T0200570900.html


即尺に膣内射精。ソープランドの危険で無謀な性サービス

ここ数年で数十人もの風俗嬢と会って話を聞くのと同時に、最近になって私が労力をかけていることがある。

それは、インターネットで風俗嬢が書き込みをしている掲示板、SNS、ツイッター、ブログ等から書き込みを収集(スクレイピング)して、テキストファイルを莫大に集めて読み込む作業だ。

機械的なスクレイピングによって収集された400万ファイル以上のテキストデータをプログラムによってフォーマットを整えると旧約聖書が10冊あるくらいのボリュームになる。

その大半は価値のない会話や言い合いだったりするので目にするだけでウンザリするのだが、その中で読むに値する文章や情報や感情の吐露もある。

そうした部分に印をつけておいて、いつでも検索で呼び出せるようにする作業を繰り返していくと、日本の風俗嬢が何を考えているのか、その心境が浮かび上がってくる。

この作業で何が浮かび上がってきたのか。

それは、男たちの99%が無視している女性の心の闇だ。やってくる男たちにうんざりし、嫌悪し、罵り、絶望し、その中で発狂しない程度に性サービスをやりくりしている女性たちの赤裸々な心の裡(うち)が見える。

日本の風俗嬢たちは、男たちを憎んでいたのである。完璧な接客で気付かないかもしれないが、風俗嬢たちは男たちを嫌悪し、時には激しい憎悪を隠して、それでも表面では満面の笑みを浮かべている。裏側は拒絶心でいっぱいなのに……。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170907T0234380900.html


売春地帯をウロウロしているのであれば、そこは性病の温床であると認識しなければならない。売春する女性と縁が切れないのであれば、当然のことだがSTD(性感染症)の脅威は常にある。

ハイエナにとってHIVやSTDはいつでも「今そこにある危機」なのだ。自分だけ絶対にかからないというのは根拠のない自信に過ぎない。

カンボジアの売春地帯では、70ストリートの売春宿の入口で痩せ細ったエイズの女性が虚ろな表情で座っている姿を見ているし、性器にびっしりと尖形コンジロームを発症した女性を見て恐れおののいたこともあった。

尖形コンジロームの女性はインド売春地帯でもしばしば見た。インドではこれが流行っているのだが、女性たちはこれを性病とは知らないでいる。

コルカタの売春地帯では売春している娘の母親がエイズ末期のような様態で金を取りに来たり、部屋で身動きしない痩せた女性がいたりするのが我が目に焼き付いた。

こうしたこともあるので、ハイエナとして現役だった頃は半年に一度、最近も1年に一度は必ずHIV検査を受ける。さらに今年からは淋病や梅毒の検査も含めることにした。

なぜなら、日本で淋病や梅毒が再びアンダーグラウンドで猖獗を極めると確信したからだ。そんな考えもあって、STDの検査を先日受けてきた。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170830T0200570900.html

HIV感染は防げるが風俗嬢が見殺しにされる理由とは?

日本の風俗は性病に無防備すぎる。ソープランドではコンドームなしの性行為が日常的に行われていたり、デリヘル等では精液を口で受けたりする。

こんな危険な性サービスが常態化していたのは、日本人は「病気にかかったら病気を治す」というのが常識として定着しているため、性病を持ったまま風俗を渡り歩く人が男女共に少ないからだと言える。

世界は違う。淋病にかかろうが、梅毒にかかろうが、尖圭コンジローマにかかろうが、HIVに感染しようが、それでも医者にかからない人が大勢いる。

貧困で医者にかかれない人もいるのだが、もともと身体の異常に無頓着な人も多い。性病の発症があっても、それを性病と認識しないこともある。

だから、性病を放置したままになりやすい。淋病も梅毒もエイズもいったんそこで流行すると、アウトブレイクするのはそのせいだ。

近年の日本は大量の外国人を受け入れており、欧米人からアジア人までが日本の風俗嬢を買い漁る状況になっている。無防備極まりない日本の性サービスと、性病に無頓着な外国人が出会うことによって何が起きるのかは火を見るより明らかだ。

日本の風俗嬢は、今後は性病地獄に陥るのである。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180117T0200420900.html


風俗嬢が危険にさらされているのに、日本人は冷淡過ぎる

日本の性の現場は、私に言わせると異常であるとしか言いようがない。なぜ日本人はこんな異常を黙って受け入れているのか分からない。

まず、日本の性風俗は「本番行為が禁止」という建前があるので、デリヘルのようなところでは女性が口でサービスして射精させるような行為が一般化している。

コンドームは使わない。生の精液をそのまま口で受ける。

ソープランドはどうか。ソープランドだけは本番行為が黙認されているのだが、ここではコンドームなしの性行為が蔓延していて、それが「売り」になっている店もある。

店は女性に膣内射精を受け入れるように教育しており、女性はそれをやっている。

デリヘルでは口内射精が一般化し、ソープランドでは膣内射精が一般化しているのだから、風俗嬢がいかに危険な状況にあるのか誰もが分かるはずだ。

ところが、日本はこんなものが一般化しているし、誰も何も言わないのである。風俗嬢が危険な状況にあると危機感を持つ人間もどこにもいない。

日本人は、風俗嬢に冷淡すぎるのではないか。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180207T0250450900.html


オーラルセックスが癌の原因に!?厚労省も警鐘鳴らす危険性
ダイヤモンド・オンライン 2016/11/25

 11月25日から12月1日までの1週間は、「性の健康週間」。実は、先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけと言われる。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。特に、アダルトビデオなどでお馴染みのオーラルセックス(口腔性交)は「妊娠の心配がない」と無防備な人も少なくない。性感染症を無症状のまま、広げてしまうリスクもある。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

● オーラルセックスで咽頭がん!?  米国有名俳優の話に脅威

  (おいおい、勘弁してくれよ)

 都内在住の会社員Sさん(40代)は、スマホを見ながらつぶやいた。2013年のことだ。

 配信されていたのはアメリカの俳優マイケル・ダグラスのニュース。

 マイケルは、映画『氷の微笑』『危険な情事』など過激なエロティックサスペンスで人気を博したと同時に、「セックス依存症」を告白したことでも知られる、"とんでもエロおじさん"だ。

 2010年にステージWの咽頭がんを患いながらも、無事生還を果たしたマイケルだったが、なんと自分ががんを発症した原因は「クンニ(クンニリングス)のし過ぎだった」と語っていた。

 自他共に認める大の酒好き、かつヘビースモーカーのマイケルに対して、英ガーディアン紙の記者が「がんを患ってみて、悪しき習慣を後悔していますか」と尋ねたところ、「後悔なんかしてないよ。咽頭がんになったのは、飲酒や喫煙のせいじゃないからね。このがんの主な発症原因はクンニによるHPV(ヒトパピローマウイルスという子宮頸部がんなどの原因になるウイルス)感染なんだから」とご機嫌で答えている。

 これにSさんは動揺した。
 というのも当時、SさんはステージWの咽頭がんと告知され、闘病中だったからだ。

 「喉頭がんの原因が、ヒトパピローマウイルスへの感染かもしれないという話は知っていました。でも、まだはっきりしたわけじゃない。喫煙や飲酒、声の出しすぎだって、関係していますよね。何より僕は、酒は飲むけど、毎日じゃない。タバコだって飲み屋に行った時にたまに吸う程度で、会社の健康診断では一度もひっかかったことがありません。それなのに、いきなりステージW.その上、あのセックス依存症おやじと同じように、『クンニのし過ぎ』でがんになったなんて周囲から思われたら、恥ですよ。悲惨過ぎる」

 ごもっとも。

 Sさんのために補足しておくと、HPVには150以上のタイプが存在し、性交渉の経験がある男女なら誰でも持っている可能性がある。マイケルのようなセックス依存症でなくても、感染してしまうリスクは常にあるのだ。

 そしてHPVのなかには、がんの原因となるハイリスクなタイプもあり、その一部は、性器の内部にある細胞を好み、なかに侵入する性質があるため、主にセックスを介して感染し、がんを発症させてしまうこともある。ただし、HPVが原因で男性ががんを発症する頻度は、子宮頸がんの10分の1程度だ。

 その後、Sさんは幸いにも放射線治療が功を奏して、がんは完治。定期的に検査を受けながらも、元気に暮らしている。

 しかしながら、咽頭がんの治療後の5年生存率は、ステージWの場合約40%。命が危うくなったことへの恐怖から、飲酒、喫煙に加え、妻へのクンニといったオーラルセックス(口腔性交)も一切できなくなってしまった。

● 無症状のままうつしまくる オーラルセックスの危険性

 クンニやフェラ(フェラチオ)など、オーラルセックスでうつる病気には、がん以外にも次のような性感染症があり、厚生労働省はホームページで、「オーラルセックスにより性感染症に感染するということには2つの意味があります」と警鐘を鳴らしている。

 ◎オーラルセックスによる性感染症

 ・淋菌
 ・クラミジア
 ・ヘルペス
 ・梅毒トレポネーマ
 ・AIDSを起こすHIV

 特にオーラルセックスで、性器から口腔に感染した場合は無症状のことが多いので、自分が感染していることに気付かないままに、更に別の性交渉相手にオーラルセックスを介して性器に感染させてしまうことがあります。
 (オーラルセックス(口腔性交)による性感染症に関するQ&A 厚生労働省より)

 無症状で気づかないまま、どんどん他の人たちにも感染を広めてしまうのは、相当恐ろしいことなのではないだろうか。

 まさに、オーラルセックス恐るべし、なのだが、この件に対する日本人の危機意識は呆れるほど低い。

 インターネットを使って8700人から回答を得たアンケート調査(北村邦夫:「日本人の性意識・性行動調査」、2011)によると、全体の49.5%(男性54.4%、女性42.7%)がオーラルセックスを行っており、その際、性感染症を予防するためにコンドームを使用していたのは、わずか17.2%。全体の82.8%(男性79.4%、女性87.9%)は、「まったく使わない」と答えている。

 また、別の調査によると、コンドームを使わない理由は、「口でなら妊娠しない」、「口でなら性病はうつらない」という思い込み、あるいは「ゴムをつけたままは気持ち悪い」という嗜好が大きいという。

 オーラルセックスは妊娠しないし、ゴムは確かに不味くて気持ち悪いが、性感染症は、たとえばフェラしただけでも、してもらっただけでもうつるということを覚えておこう。クンニも同じだ。

 感染症の専門医は、「先進国で性感染症が増加傾向にあるのは日本だけ。その理由は正しい知識が広く浸透していないせいかもしれない。日本性教育協会の調査によると、女子高校生の13%(男子高校生は6.7%)は、クラミジアに感染しているというデータがあるほか、性交渉の相手が多い人ほど、コンドームの使用率が少ないというデータもあります。10代女子の罹患率は世界トップクラス」と語る。

 女子高校生に限らず、日本人は老若男女総じて、「快楽のためなら、性感染症なんて怖くない。場合によっては死んでもいい」と思っているのだろうか。

 まさか、そんなはずはないと信じたい。

● キスでうつるがんも!?  ウイルスが関与する場合は要注意

 さて、日本人の性感染症に対する危機感が薄いのはわかったが、咽頭がんや子宮頸がんに対してはどうだろう。

 これらのがんは性感染症ではないが、セックスを介してうつるという点では一緒だし、オーラルセックスとの関連性も深い。ヒトパピローマウイルスが直接ガンになるわけではないが、細胞の構成を変えることでがんを誘発する。

 だが、この、「うつるがんがある」という事実は、あまりはっきりと語られることはない。

 実際、行政のホームページを見ても、「がんがうつる」という表現は、がん患者への差別や偏見を広めることになるため、正確をとことん期す、というか注意深く避けられているように思う。

 例えば、千葉県のホームページでは、「がんはうつるのですか」という質問に対して、

「基本的にはがんは他人にはうつりません。(中略)しかしウイルスによって生じるがんがありこれらは例外となります。この発がん性のあるウイルスとしては、肝炎ウイルス(B型およびC型)、EB(エプスタイン・バー)ウイルス、ヒトパピローマウイルス、ヒトT細胞白血病ウイルスがあり、それぞれ肝がん、B細胞リンパ腫、皮膚がん、子宮頚がん、T細胞白血病を引き起こす可能性があります。(中略)がんがうつるというよりもがんの原因となるウイルスに感染することがあるとお考えください」と、かなりまどろっこしい表現になっている。

 ちなみに、EBウイルスによる代表的な感染症には「伝染性単核球症」という風邪に似た病気があり、「唾液」によって感染することから、別名「キス症」とも呼ばれ、日本人の90%以上が感染経験を持ち、たいていが成人時にはすでに抗体を備えているとされている。そして、同ウイルスは咽頭がん、胃がんの発生に関係していることがわかっている。

 つまり、とっても極端な話、絶対がんになりたくなかったら、「セックスは必ずコンドームを使用し、オーラルセックスは厳禁、キスもやめておいたほうがいい」ということになってしまうのだ。

 性感染症も然り。

 人類が本能の赴くまま、自由に愛し合えた時代は、もう過去のものなのである。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161125-00109205-diamond-soci


風邪をこじらせて朦朧としながら、夜の世界の賃金を考える

数日前から風邪をひいた。こじらせないように注意していたのだが、意に反して症状は悪化してしまい、悪寒と頭痛と激しい咳が止まらない状態が今も続いている。

10ヶ月ほど前にインフルエンザにかかっているので、インフルエンザと普通の風邪を比較できる立場にある。インフルエンザの症状は急激かつ強烈なのに比べて、重い風邪の方は身体の奥底から疲労感が湧き上がる感じだ。

どちらにしても普通の能力が発揮できないのは間違いないのだが、風邪は誰でもいつでもかかるものなので、めったにかからないインフルエンザよりも、むしろ風邪の方が深刻度が高いのではないかと考えた。

こんな時にも、ふと夜に生きている女たちのことを思う。

昼職と夜職の大きな違いは、昼職は「月給」が基本であり夜職は「日給」が基本であることだ。また昼職は有休なども整備されていて一定時間働けば賃金が保障される「固定給」なのだが、夜職の多くは「歩合給」である。

業種によって、固定給と歩合給を組み合わせたものや、本人が月給か日給かを選択できる形態のものがあるのだが、基本的に夜職は「日給、歩合制」が普通である。


その仕事を長く続けないことを前提とした支払い?

ところで、一般の勤め人にはあまり馴染みのないものに「年俸制」という賃金の支払い方もある。外資系の会社の役員や経営者やエリート社員、あるいはスポーツ選手などは「年俸制」のことが多い。

年俸制、月給、日給……。

一般的に言えば、社会的な立場が強い側であればあるほど年俸制に近づき、社会的な立場が弱い側であればあるほど日給に近づく。

会社から見ると、個人の能力や才能を最大限に発揮して長く会社に留まって欲しい人を年俸制として雇う。

逆に、いくらでも代替がきく仕事に就いている場合や、長く働いてもらえない環境にある場合や、期間が限定されている季節労働などの場合は日給で雇う。

日給というのは、会社も本人も「その仕事を長く続けない」ことを前提として組み立てられた給与体系なのである。

さらに、夜の世界は雇用も企業の存続も浮き草のように不安定である。会社は「いつ飛ばれるか分からない」という疑いを個人に持ち、個人も「いつ会社が潰れるか分からない」という不安を持っている。

だから、「働いた分だけしか払わない」という会社と「働いた分だけもらう」という個人の利害が一致し、それが「完全歩合制」という給与形態になる。

いつ働いている人が飛ぶか分からない仕事、いつ給料が払えなくなるのか分からない会社であればあるほど完全歩合制の日給で払いたがる。

逆に、自分がいつ辞めるか分からない仕事、いつ潰れるか分からない会社で働く場合は、完全歩合制の日給が最も合理的な働き方だ。

社会の底辺になればなるほど、そして浮沈の激しすぎる真夜中の世界であればあるほど完全歩合制の日給になっていくのは、そのような理由がある。


人は頑強な機械のように常に一定の能力で働けない

ところで、完全歩合制の日給は真夜中の世界で働く人間に最適化されたシステムであるのは間違いないのだが、この完全歩合制の日給には、働く側にとって大きなデメリットがある。

それは「働かないと1円も稼げない」ということだ。

年俸制や固定給の月給で働いている人たちは、たとえ風邪や事故で一週間くらい働けなくても、固定賃金の部分で収入の激減をカバーすることができる。

年俸制の場合は、年間の給料が保証されているのでブランクがあっても何の問題もない。月給の場合も3日や4日の休みくらいは、ほぼ賃金に影響がないようになっている。

しかし完全歩合制の日給は、そうではない。

その日働けなければ入ってくる金はゼロだ。3日休めば3日分ゼロだ。一週間も休めば収入は激減する上に、会社からも「もう来なくていい」と見捨てられる可能性もある。

夜の人間たちの収入が月によって増減し、日によって増減するのは、まさに「働いていない分はゼロ」というシビアな現実がそこにあるからである。

では、人は頑強な機械のように常に一定の能力で働くことは可能なのだろうか。常識的に考えると、それは不可能だ。

人の体調は日によって変化するし、時には病気もするし怪我もする。精神的に不調になったりすることも珍しくない。

その振幅は人によってまったく違うが、どんな頑強で強い精神力を持った人であっても、病気もすれば怪我もすれば精神的に落ち込む日が必ずある。

さらに、自分がいかに体調管理に気を付けていたとしても、仕事自体が景気や天候に左右されることも多い。

「大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい」というが、雨が降ったら大工仕事は中止になり、完全歩合制の日給で働いている大工は1円も稼げない。

風俗なども意外に天候に左右される職種で、雨が降ったら客が来なくて風俗嬢はまったく客が付かないことも多い。客が付かなければ、収入はゼロである。

雨が降って喜ぶのは日給で雇われているタクシーの運転手だが、それでも都合良く雨が降るわけではなく、タクシーの運転手もまた仕事を転々とする。


休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮する

人は誰でも重い風邪にかかる。どんなに体調管理をしていてもそれは避けられないことであり、それが軽く済むか重症化するかも運によるところが大きい。

風邪を抑える薬はあるが、風邪を治す薬はない。だから、風邪をひいたら症状が去るまで大人しく寝ているしかない。そこで無理すると症状はより悪化して自滅する。

しかし、仮にもし貯金が充分でなければどうなるのか。休むのが一番だと分かっていても、生活のために休むことができない状況に追い込まれる。

休まなければ身体を壊すが、休んだら生活に窮してしまう。

真夜中の世界では、そのギリギリのところで働いている人たちも多く、だから夜の女たちは生き急いで自滅するドッグ・イヤーのパターンになる。

最近、日本の風俗業界では梅毒が爆発的に流行しており、日本各地の風俗街のすべてで梅毒感染の風俗嬢が報告されている。

風俗が外国人を受け入れるようになっているので、危険度は凄まじく増している。しかし、風俗業界はまったく変わろうとしないので、梅毒の感染は絶対に止まらない。

そのため、これまでの感染数拡大は始まりに過ぎず、これから風俗嬢の感染は倍々ゲームで増えていくのは確実だ。

梅毒はきちんと治療したら治る病気だ。だから、表社会ではエイズと違ってあまり深刻に受け止められていないように見える。しかし、現場の風俗嬢の恐怖は相当なものがある。

もし梅毒にかかったら、風俗嬢は完治するまで仕事を休まなければならないのだが、治療は1ヶ月から2ヶ月かかることも多い。

治療が遅れた女性の場合だと、半年も働けなかったりする。それは、半年も収入がゼロになることを意味している。

固定給で働いている昼職の人間でも、半年も仕事を休んだら甚大な影響がある。

そう考えると、日給で完全歩合制なのにしばしば仕事ができない状況に追いやられる夜の女性たちの深刻さは、相当なものがあると分かるはずだ。

今は順調でも、一瞬で生活が崩壊してしまう可能性があるのが夜の世界なのである。風邪をこじらせて朦朧としながら、私はずっと夜の女たちのことを考えている。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171111T0048410900.html


2017-12-04
それでも日本は梅毒が爆発的に増えており今後はHIVが続く

Business Insider Japanというウェブメディアが、

『「梅毒感染者の増加は訪日中国人が原因」は本当か?』
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%A2%85%E6%AF%92%E6%84%9F%E6%9F%93%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A2%97%E5%8A%A0%E3%81%AF%E8%A8%AA%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E3%80%8D%E3%81%AF%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%8F&lr=lang_ja&gws_rd=ssl


という記事で、感染症に詳しい「専門家」の証言で、中国人が梅毒を持ち込んでいるという「説」を否定する論調を出している。興味のある人はグーグルで検索してみて欲しい。

これをつぶさに読むと、中国人が梅毒を持ち込んだのかどうかというよりも、それを言っている鈴木信行氏の攻撃に終始して梅毒云々よりも鈴木氏への攻撃がしたいだけの記事であることが分かる。

それで、その感染症に詳しいという「専門家」は、「訪日客の増加は関係ない」と言っている。

『訪日客が梅毒の感染源という『説』は私も聞いたことがあるが、もしもそれが正しいなら、他の性感染症も増えていなければならないが、そのような事実はなく……』

と言っているが、この感染症に詳しいという「専門家」は、さらりと事実誤認を言っている。西日本新聞では、2017年09月22日13時43分に、

『エイズ感染 九州で急増 佐賀、熊本 過去最多 16年福岡は61%増』
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%A2%85%E6%AF%92%E6%84%9F%E6%9F%93%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A2%97%E5%8A%A0%E3%81%AF%E8%A8%AA%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E3%80%8D%E3%81%AF%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%8F&lr=lang_ja&gws_rd=ssl


と事実に基づいて説明しているではないか。

「他の性感染症も増えていなければならないが、そのような事実はなく……」と言っているが増えているのである。その適当なことを言っている「専門家」は九州に行って確認した方がいい。でないと本当に専門家なのかと疑惑を持たれる。


他の性感染症も増えているのを知らないのか?

西日本新聞の記事を引用すると、以下のようになっている。

『国のエイズ発生動向調査によると、2016年の福岡県のHIV感染者、エイズ患者の新規報告者数は、いずれも46人で計92人と過去最多。15年と比べて61%増えており、特に40代や50歳以上が増加している。佐賀計9人、熊本計19人も過去最多となった。16年の地域別では九州が計169人で32%増。これに対し、関東・甲信越は695人で4%増と横ばい、近畿は265人で11%減など、5地域は前年より減少していた(福岡県以外は速報値)』

西日本新聞の記事では福岡県でのHIV感染者は2000年からうなぎ上りに増えていて危険な状態であるのが見て取れる。この数字やグラフを見て「他の感染症が増えていない」と思う人がいたらどうかしている。

ところで、なぜ福岡県なのか。

福岡県は「韓国」と非常に近い土地柄である。当然のことながら、福岡市博多区の歓楽街である中洲(なかす)のソープランドやデリヘルやその他風俗店では韓国人の利用も多い。

では、韓国でのHIV事情はどうなのか。2017年8月28日の朝鮮日報では、『世界で減少するエイズ感染者、なぜか韓国では増加』という記事が掲載されている。抜粋すると、以下のような事実が分かる。

『世界的には、エイズウイルス(HIV)に新規感染するケースが減っているが、韓国国内ではHIV感染者と後天性免疫不全(AIDS、エイズ)の患者数がむしろ増えている。』

『疾病管理本部は8月11日、「2016年 HIV/エイズ申告現況」を発表し「昨年新たにHIV、またはエイズに感染した人は1199人と集計され、増加傾向にある」と明らかにした。特に新たな感染者は、男性(1105人)が女性(94人)の11.8倍で、国内の男性感染者の3人に1人(35.1%)は20代というのが特徴だ。 (抜粋)』

HIV感染者が多い韓国。そして韓国に近い福岡県でのHIVの爆発的感染。これにまったく因果関係がないと考える方がどうかしている。

だから西日本新聞も『感染者の多いアジアとの往来が増えてウイルスが持ち込まれるケースや、予防啓発活動の不十分さが一因』と分析しているのである。


梅毒が右肩上りに増えていることと「普通」の意味

Business Insider Japanは、その取材した「専門家」のところでは『過去10年で梅毒の罹患者数に変化はない』と言っているが、いったい何が言いたいのか。

その専門家の医院だけは変化がないかもしれないが、日本全体を見ると梅毒が爆発的に増えているから問題になっているのである。

国立感染症研究所の集計(9月15日発表)によると、2017年第1〜35週(1月2日〜9月3日)の報告数(感染者届出数)は3728人に上り、前年同時期(2016年第1〜35週)の報告数2876人より約3割増えたことがデータで出ているではないか。

2010年は621人に過ぎなかった梅毒は、2017年は「年間5000人を突破する恐れもある」ことが憂慮されているのである。右肩上がりとはまさにこのことだ。

Business Insider Japanの専門家は「梅毒の罹患者数に変化はない」とわざわざ記事に書いているのだが、「梅毒が増えている」という事実に対して「自分のところは増えていない」と言うところに事態を矮小化しようとしている意図が見えるがどうなのか。

なぜこの専門家はここだけ客観ではないのか? 梅毒が増えていないという印象操作をしたいのか?

さらにこの専門家は「感染しているのは普通の日本人の男女」と言っているが、この「普通」は何を指しているのか。

もし、風俗関係者ではなく表社会の人間という意味で「普通」を使っているのであれば、これも客観的ではない。

この専門家は知らないかもしれないが、日本の風俗嬢の多くは「昼職」を持っていたり、あるいは昼職と風俗を行ったり来たりして生活している。

これは、私自身が何人もの風俗嬢に話を聞いたので確認できている。

(『デリヘル嬢と会う(彼女は、あなたのよく知っている人かも知れない)』)
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%A2%85%E6%AF%92%E6%84%9F%E6%9F%93%E8%80%85%E3%81%AE%E5%A2%97%E5%8A%A0%E3%81%AF%E8%A8%AA%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E3%80%8D%E3%81%AF%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%8F&lr=lang_ja&gws_rd=ssl


「普通の主婦」でさえも住宅ローンの返済のために風俗で働いているケースも見た。


葛飾区議の鈴木信行氏の攻撃をしたいだけの記事

梅毒が増えている理由にこの専門家はこのように分析している。

『梅毒は無症状のことも多く、今までは自然治癒や別の抗生剤を飲んで治る「意図せぬ治療」をしていたが、「梅毒が増えている」というニュースを聞いた医師が積極的に梅毒の可能性を考慮するようになり、きちんと届け出しようと考えるようになった可能性が高い。』

これも、おかしいではないか。梅毒は完治しても痕跡が残るので血液検査をしたら必ず分かる。

だから妊婦や病人の血液検査で梅毒の増減はつかめる。今まで「意図せぬ治療」をしていたとしても梅毒であれば把握できたのである。

また、梅毒は第二期に入るとバラ疹が発症して日本人であれば誰でもその症状に驚く。決して無症状ではない。また、抗生剤を適当に飲んで治ることもない。

梅毒は増えていないと無理やり説明しようとして「意図せぬ治療をしていた」とこじつけているとしか思えない。

Business Insider Japanでは、『年齢別にみると最も増加率が高いのは20代女性だが、感染者数は男性が圧倒的に多く、30〜40代の男性が最も多い』と書いている。

これは「男性が多いから風俗ではない」という意図があるのかもしれないが、これもアンダーグラウンドを知らない人間の間違いやすい部分である。

「年齢別にみると最も増加率が高いのは20代女性だが、感染者数は男性が圧倒的に多い」というのは、風俗の世界を知っていれば、むしろ「やはり風俗じゃないか」という話なのだ。

ひとりの風俗嬢がいったい1ヶ月に何人の客を相手にしていると思っているのか。1日5人の客を相手にしている風俗嬢なら1ヶ月100人、年間1200人を相手にすることになる。

ひとりの女性が圧倒的多数の男に性病をうつすのだから、「年齢別にみると最も増加率が高いのは20代女性だが、感染者数は男性が圧倒的に多い」というのは、「だから風俗だ」ということなのである。

「国立感染症研究所は2014年の報告書で梅毒のみ感染者が増えている理由として、男性の同性間性的接触感染をあげている」とあるのだが、この論は破綻している。

それなら日本では2000年以後、急に同性愛者が増えたのか。そして、同性愛者が梅毒増加の原因なら、なぜ「年齢別にみると最も増加率が高いのは20代女性」なのか。

Business Insider Japanの記事はいろいろと事実誤認が多い上に、梅毒感染は外国人が原因ではないという論調に持っていきたくて矛盾をあちこちに露呈させている。

『こうした分析を踏まえると、訪日中国人の増加が原因だとする根拠はなく……』

という結論そのものに根拠がない。

この記事は、ただ葛飾区議の鈴木信行氏の攻撃をしたいだけの記事であり、風俗での梅毒の感染をうやむやにして、日本に梅毒を拡大させる危険性がある。

風俗嬢の置かれている危険な環境が放置されると、多くの日本女性が被害に遭う。

今の風俗がいかに性病に無防備なのか、私は声を大にして訴えたい。今の風俗の性サービスのあり方は間違っている。このままでは、梅毒もHIVもその他の性病も、爆発的に増えていくことになる。

下らない分析なんかしていないで、さっさと風俗嬢の危険を取り除くために動かないと手遅れになる。


梅毒は増えているし、韓国に近い福岡ではHIVも増えているのだ。風俗嬢の置かれている危険な環境が放置されると、多くの日本女性が被害に遭う。下らない分析なんかしていないで、さっさと風俗嬢の危険を取り除くために動かないと手遅れになる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171204T1446070900.html


「梅毒」が一般女性にも感染拡大。スマホの影響か 2016.09.18
https://nikkan-spa.jp/1181432

「梅毒」の流行に歯止めがかからない。特にここ数年は全国的にはもちろん、若い女性に感染者が急増している。その原因、そして危険性とは?


風俗嬢、さらに一般女性にも感染拡大


https://nikkan-spa.jp/1181432/bk3_160816_01
梅毒の湿疹はかゆみや痛みを伴わないうえ、数週間で消えるため、放っておいてしまうケースが極めて多い


 箸やコップに付着した唾液から病原体が入り込むほど、感染力の強い梅毒。症状も出づらいため、自覚のないままさらなる感染を引き起こすこともしばしばだ。また、保菌者が気づかずに菌を撒き散らす理由がほかにもある。梅毒の感染経験がある20代のデリヘル嬢、小田えり子さん(仮名)は「中国人のお客さんにうつされたかも」と語る。

「ウチの店は本番NGなんですけど、ここ数年で中国人の客がすごく増えて、強引にプラス3万円くらい出してヤラせちゃうことも。検査で陽性が出た後、『治療中はセックスしちゃダメ』って店長に言われたから仕事も休んで、お客さんからの連絡も『体調が悪い』『生理だから』って逃げていました」

 都内で風俗店の検査を請け負っている医師も「近年は中国人観光客の影響は大きい」と語る。

「中国では梅毒感染者が’13年の時点で40万人と極めて多く、中国人団体客を受け入れていた店で感染者が増えたという話もあります」


また、感染に関しては一般女性が怖いという指摘もある。

「これまで風俗で働く女性に陽性反応が出るケースはありましたが、ここ数年は一般女性に感染者が拡大している。また、風俗従事者たちは危険を自覚しているので定期検診を受け、治療も早期にします。一方、一般の女性はまさか自分が梅毒感染者だとは思わないので、パートナー男性の感染が発覚するまで気づかないことが多いんです」(「池袋クリニック」の院長を務める村上雄太氏)

 また、「若年層の感染拡大はスマホによる影響が大きいのではないか」という意見もある。

「私の医師仲間から聞いた話では、感染経路と疑われる相手が会社内の地味な若い女のコで『まさかあんなコが……』と絶句した患者さんもいたとか。スマートフォンの普及や見た目がかわいい出会い系アプリが増えたことで、若い女性が見知らぬ男性と気軽に出会えるようになったことが感染の拡大した要因かもしれません」(内科・泌尿器科医の大和宣介氏)

 現役女医として多くの患者を診てきた清水なほみ氏も「若い女性は梅毒をよく知らない」という。

「梅毒という名前自体、今の若い女性にはピンとこないのか症状が一旦、治まったことで安心して受診しない事例が多いんです。しかも妊娠期に感染していると母子感染の恐れがある。子供が先天性梅毒になったり、最悪、流産してしまう場合もあります。予防のため、妊娠前は一通りの性感染症検査を受けることを勧めます」

 大和医師も「もっとも危険なのは症状が治まったからといって治療を放置すること」と言う。

「手足や性器に痛みのない湿疹が出た場合や、微熱や咳が続く場合は早期の検診をオススメします。また、梅毒に感染している人はHIVを合併感染している事例が多いです。命の危険にもかかわることなので、基本中の基本ですが、不特定多数とのセックスはなるべく避けるべき。万が一、そういったシチュエーションになってもコンドームの着用を心がけてください」
https://nikkan-spa.jp/1181432


2017年09月27日 "私、梅毒になりました"
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/1000/280591.html
※2017年6月27日にNHK News Up に掲載されました。

ある国立大学の最寄り駅。待っていたのは、肩までの黒い髪に、紺色のスカートをはいたごく普通の女子大生でした。
前日、NHKに「私は、梅毒になりました」というメールが届きました。「このままでは感染の広がりが止まらない。危険を知らせてほしい」彼女が思いつめたのは、自分が感染を広げてしまったかもしれないという後悔からでした。

ネットワーク報道部 岡田真理紗記者

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<学費と生活費>
女性が通っている国立大学は首都圏にある有名大学。大学に合格した時、親に迷惑はかけたくないと、学費と生活費は働きながら自分で払うと約束しました。学費は年間50万円ほど。奨学金は返済できるか自信がなかったので諦め、代わりにいろいろなアルバイトをしました。

しかし2年前、大学の学費を払い終えた後、家賃の支払いができなくなりました。足を運んだのは風俗店の面接でした。面接に行くと、1時間ほど説明を受けて、「もうお客さんがついたから」と言われました。店ではお客が払った料金のおよそ半額が女性の取り分。1日働いて数万円を手にし、家賃を払うことができました。

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<梅毒に感染 まさか自分が>
それから2年間、複数のお店で働きました。どの店も「女性は全員、性病の検査していて安心」が宣伝文句でした。しかし実際は、検査結果の提出を求められたことは一度もなかったといいます。女性は去年の秋ごろから大学と仕事で精いっぱいで、検査に行っていませんでした。

すると、ことしに入って首にニキビのような発疹が現れ、腹部にも広がりました。慌てて検査に行くと「梅毒:陽性」でした。交際している男性はなく、お店で感染したとしか考えられませんでした。

「言葉にならないほどショックでした。梅毒の流行は知っていたけど、感染するとは思っていませんでした」と女性は言いました。「お客さんへの感染が心配」と店に伝えましたが、口止めされたといいます。「何も知らない、お客さんの奥さんや恋人に感染させてしまったかもしれない」と、いたたまれなくなりました。私は女性の話を聞き、風俗で働く人たちが情報交換をするインターネットの掲示板を見てみました。

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<“守ってくれない”>
掲示板には、梅毒になったという人の投稿がいくつも出てきました。
「大々的にニュースで取り上げ、検査を義務化してほしい」
「自分が治っても、お客さんに危機意識がなかったら意味がない」

風俗産業で働く人と支援者が、啓発活動や情報共有を行う団体「SWASH」の代表の要友紀子さんは、働く人を守る仕組みが必要だと指摘します。

「日本では、オーラルセックスなどの接客時にコンドームをつけない店がほとんど。働く人もお客さんも病気の危険にさらされています」

「風俗サービスの法律上の位置づけがグレーで例えば梅毒となっても働く人を誰も守ってくれない。やめさせることだけが解決策とされてしまいます。そうではなく求められているのは感染を防ぐ支援や対策です」


国立感染症研究所の調査では、10年前は718件だった梅毒の感染報告は、去年は4557件。爆発的に増加しています。特に20代前半の若い女性の増加が目立ちます。さらに取材を進めると、いまや感染の危険は風俗で働く人だけにとどまりませんでした。


<彼氏としか、していなくても>
東京・新宿区の新宿レディースクリニックの釘島ゆかり医師に話を聞くと、梅毒に感染する若い女性が急増したのはここ3年ほどだといいます。

doku170627.4.jpg釘島ゆかり医師
「医師になって20年、梅毒は知識としては知っていましたが、患者を直接診察したことはありませんでした。それが、今では梅毒に感染した子が見つかるのは日常茶飯事です」

クリニックで梅毒への感染が確認されたのはこれまでおよそ150人。風俗で働いている女性とそうではない女性の割合は“50対50くらい“といいます。

「彼氏としか性交渉していないのに感染した女性もいます。感染者の半数以上が24歳以下と若い人たちです」


<見過ごされる感染 “消える”梅毒>

doku170627.5.jpgその梅毒。感染を引き起こすのは梅毒トレポネーマという菌。粘膜同士の接触で感染するため、セックスだけでなく、キスでも感染します。怖いのは梅毒の症状は、出ても消えてしまったり、まったく出なかったりすることです。

感染してまもない1期は、性器や肛門、口に3ミリから3センチ大のしこりができます。ところが痛みはなく、実はおよそ1か月ほどで自然に“消える“のです。ここで「しこりが消えた=病気が治った」と勘違いされるそうです。

2期は、手のひらや足の裏など、体全体に赤い発疹が出ます。これもかゆみや痛みはなく、放置すると“消える”のです。そして感染後、3年程度となる3期は全身に炎症が発生。4期は脳や心臓に菌が入り、死に至ることがあります。

痛みがなく、出ても症状が自然に消えてしまうこと。さらには、無症状の人も3割程度いること。これが感染が見過ごされ、ほかの人に広げてしまう大きな原因です。

さらに、梅毒は一度感染して抗体ができても、再び感染し進行します。釘島医師は「梅毒の診察経験がある医師が少ないため、違う病気と勘違いされ適切に治療されないケースも多い。診断するには、血液検査をするしかない。感染が拡大してまだ3年くらい。いまは3期まで進む患者はまれですが、症状が進行した状態で発覚するケースも今後は出てくるのではないか」と危機感を抱いています。
そしてもう一つ心配なことがありました。母子感染です。


<母子にも感染 流産も死産も>
匿名・無料で月2回、保健所で梅毒など性病の検査をしている新宿区。新宿区保健所の神楽岡澄係長は「妊娠適齢期の女性で梅毒が広がっている」と強く懸念しています。妊娠中に感染すると、流産や死産の原因となるほか、赤ちゃんに先天性の障害が出るおそれがあるからです。

母子感染による先天梅毒の報告数は、平成25年は4例で、平成26年は10例、平成27年は13例、去年は14例。「自分は配偶者や恋人としか性交渉がないとしても、その相手の以前の性交渉の相手が感染しているかどうかまではわかりませんよね。もっとさかのぼれば例えば元カノの元彼の感染の有無もわかりません。少しでも不安があれば、パートナーと一緒に検査を受けることをすすめます」
(神楽岡係長)


<消えない後悔>

doku170627.6.jpgメールをくれた女子大生は、1か月にわたって薬を飲み続け、症状はおさまってきたといいます。

「私は誰かから感染させられた被害者かもしれないけれど、同時に自分も感染させた加害者かもしれません。私は直接”検査して”と言えませんでしたが、みんなに検査を受けてほしい」彼女は後悔の思いを込めてそう話していました。

(HIVの検査と同時に、梅毒の検査も無料で受けられる保健所もあります。全国の検査実施機関がこちらから検索できます。http://www.hivkensa.com
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/1000/280591.html


5年で5倍に…梅毒は1カ月しないと感染有無はわからない
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/lifex/195386
2016年12月9日 日刊ゲンダイ

 梅毒感染者の増加が止まらない。国立感染症研究所の調べによると、2016年第47週(11月21〜27日)までに報告された全国の梅毒感染者の総数は4077人。前週より88人増えた。2011年の全国の感染者数が827人だから5年でおよそ5倍に急増したことになる。

 都道府県別の感染者数のトップは東京で、前週より33人増の1524人。2位は大阪で8人増の532人、3位は神奈川で1人増の257人となっている。東京都医師会の理事のひとりは「梅毒についての知識がほとんどない医師も多く、見逃されているケースもあるのではないか」と心配する声が上がっている。そこで、梅毒について、サラリーマンの病気に詳しい、弘邦医院(東京・葛西)の林雅之院長に聞いた。

「ペニシリンが発見されるまでは不治の病として有名でしたが、いまは早期治療すれば注射薬や飲み薬で完治する病気です。ただ、梅毒に感染すると、HIV(エイズウイルス)に感染しやすくなる。梅毒感染が確認されたら、必ずHIV検査を受けるべきです」

 梅毒はトレポネーマと呼ばれる病原菌が皮膚や粘膜の小さな傷から侵入し、全身に広がる感染症。感染から時間が経つにつれ段階的に症状が進行し、4段階に分かれる。ちなみに1期と2期は「早期梅毒」、3期と4期は「晩期梅毒」と呼ばれる。

■保健所では匿名検査もOK

 アナルセックスでの感染が目立つため、男性同士のセックスでの感染者が多かったものの、最近は異性間での感染が増えている。オーラルセックスで口に感染することもあり、キス感染もある。

「梅毒に感染すると初期硬結と呼ばれる5〜20ミリくらいの赤い隆起ができます。男性では陰茎やくちびる、女性は大陰唇や小陰唇やくちびる、肛門、口やのどにでき、太ももの付け根の部分などが腫れます。いずれも痛みはありません」

 その後、これらの症状は消えてなくなるが、病気が治ったわけではない。

 感染3カ月後くらいから顔や首、お腹や背中などの皮膚や粘膜に赤い円形のあざができる。いわゆる「バラ疹」だ。こちらも痛みやかゆみなどなく、数週間すると消えるのが特徴だ。

「バラ疹が消えてしばらくすると梅毒性丘疹と呼ばれる、1センチ程度のワイン色の丘疹が現れます。さらにえんどう豆くらいの扁平に隆起した丘疹ができ、梅毒による円形脱毛症がみられることもあります」

 ほかに発熱や倦怠感などの全身症状も表れるが、他の病気でも見られる症状なので、決め手にはならない。大切なのは、この段階までに治療を始めることだ。

「病院での検査が、どうしても嫌というのなら保健所で調べてもらうこともできます。HIV検査と同時に受けることが条件というところもあり、匿名・無料でも受けられます」

 なお、梅毒の検査は感染から1カ月ほどして抗体ができてからでないと診断できない。覚えておこう。


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20代女性「梅毒」急増に医師が懸念 そのリスクとは?〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170202-00000017-sasahi-hlth
週刊朝日 2017年2月10日号より抜粋


13年以降、感染者数が急上昇し、16年の1年間で4518人(速報値)と、42年ぶりに4千人を超えた 


 過去の病気と思われていた梅毒が急増中だ。2012年と比べ16年の感染者数は約5倍とすさまじく、主に若い女性の罹患が増えているという。

 梅毒の2012年までの20年間の感染者数は、年千人未満にとどまっていた。そのころの主な感染経路は男性の同性間の性的接触によるもので、感染経路が似たHIV(エイズウイルス)の合併例も多かった。

 それが13年以降、感染者数が急上昇し、16年の1年間で4518人(速報値)と、42年ぶりに4千人を超えた。急増分の多くは、若い女性の異性との性的接触によるものであり、女性の感染者の半数以上は20歳代だ。東京慈恵会医科大学病院皮膚科の石地尚興医師は、

「男性の同性間から、なぜ異性間に広まったのかは不明ですが、対象者が圧倒的に多い異性間の性的接触への拡大が感染者の急増につながったのでしょう」

 とみている。

 梅毒は「梅毒トレポネーマ」という細菌が原因の感染症だ。主に、性的接触に代表される濃密な接触により、トレポネーマが粘膜や傷ついた皮膚などから体内に侵入する。肛門性交やオーラルセックスでも感染し、病変部が口にあればキスでもうつる可能性がある。

 感染しても3週間ほどは症状が出ないが、その後、性器や肛門、唇など、トレポネーマが侵入した箇所で増殖して病変が生じる。

 最初(第1期)にできるのは小豆程度の大きさの赤いしこり。放っておくと、崩れてただれたようになる。さらにトレポネーマがリンパ管を通って移動し、太ももの付け根などのリンパ節が腫れたりする。ただし、ほとんど痛みはない。

 感染後3カ月ほどすると、トレポネーマは全身に回り、皮膚や粘膜に発疹ができる(第2期)。全身のリンパ節が腫れることもある。手のひらや足裏の発疹は梅毒に特徴的な皮膚症状である。

「1期でも2期でも、何もしなくても症状は消えてしまいます。はじめから症状の出ない無症候性梅毒もあります。感染に気づかない人が増えると、そこから感染が広がっていく可能性が出てきます」(石地医師)

 第3〜4期となると病変が皮下や、さらには脳や神経にまで及ぶが、近年ではここまで進行する例はほとんどみられない。

 東京都在住の会社員・川口幸三さん(仮名・43歳)は口と手のひらの発疹が気になり、15年7月、皮膚科クリニックの紹介で石地医師のもとを訪れた。

 診察した石地医師は発疹の出方などから梅毒を疑い、皮膚の生検や血液検査などをおこなった。

 梅毒の血液検査は、トレポネーマの侵入によって血液中にできた物質の量(抗体価)を測る方法などを組み合わせて判定する。

 川口さんには、梅毒第2期の目安となる肛門の扁平コンジローマ(発疹)が確認された。

 梅毒にペニシリン製剤(抗生物質)の筋肉注射が認められていない日本では、同製剤の内服が標準治療である。1日3回の服用を、1期なら2〜4週間、2期なら4〜8週間続ける。

「この治療で梅毒は治るのですが、症状が消えてしまうこともあり、決められた期間の内服を続けられない患者さんも少なくありません」(同)

 服用開始後、定期的に採血して抗体価を調べ、服薬終了後も基準値以下に低下していれば治癒とされる。

 川口さんは8週間の予定で服用を始め、最初の1カ月は順調に抗体価が低下。これに安心しすぎたのか、受診が半年間途絶え、その後に受けた検査では抗体価が上昇していた。石地医師はこの間に再感染したものと推測した。その後も不規則な受診が続き、治癒の確認までに合計3回治療し、1年ほどかかった。

 そして、最近急増している若い女性患者には、妊娠・出産時に別のリスクもあるという。石地医師は、

「トレポネーマをもったまま妊娠・出産となると、胎盤を経て胎児に感染し、流産や死産、赤ちゃんの先天性梅毒のリスクが高くなります。先天性梅毒の治療はまだ難しいのが現状です」

 と警告し、早めの検査や治療を呼びかけている。

▲△▽▼  


「性病のインバウンド効果 大阪で梅毒が大流行」 (FRIDAY・YAHOOニュース 2018/11/1)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181101-00010001-friday-soci
「大阪市の梅毒患者は’12年時点で男性65人、女性10人でした。それが’17年には男性375人、女性260人。5年間で男性は6倍、女性は26倍になっています。しかもこれは保健所に届けられた数です。実際の数はこんなもんじゃありません」

大阪市・東成区にある石川泌尿器科院長・石川泰章氏はこう警告する。

近年、梅毒の患者が急激に増加している。全国では昨年、患者数が44年ぶりに5000人を突破、今年は9月末時点ですでに5081人となり、昨年を上回るのは確実だ。特に大阪は患者数の増加が目立ち、府全体では昨年、男性514人、女性332人の合計846人で、前年の約1.4倍となった。なぜこんなにも増えているのか。石川氏が続ける。

「以前はゲイの方たちに梅毒患者が多かったのですが、今は男女間の感染が増えている。風俗に遊びに行って、そこで風俗嬢にうつされて、さらに合コンやクラブ、友達の紹介などいわゆる自由恋愛で感染しています。風俗嬢に梅毒患者が増えている理由は、インバウンド(外国からの旅行者)の増加が原因といわれ、特にアジア系観光客が持ち込むケースが多いとみられています」

中国では最も繁栄している沿岸部の都市でも梅毒の感染率が高い。東南アジアの諸国も含め性教育が遅れているため、そうした国々からの観光客が梅毒を持ち込み、風俗嬢を介して広まっているというのだ。大阪の風俗街で働くキャリア5年のホテヘル嬢が言う。

「忘れもしません。今年3月に首のリンパ腺が腫れて37〜38℃の熱が出て、検査を受けたら、その日の夕方に梅毒だとわかりました。梅毒は潜伏期間があるので、誰にうつされたのかわかりません。お店にきちんと報告し、連絡がとれるお客さんには、検査を受けるよう勧めたのですが、15人全員、誰も感染していませんでした。完治するまで2ヵ月以上かかりましたが、梅毒の場合は治っても体内に“抗体“が残るんですね。そのため、あの子は梅毒陽性だ、うつるという噂が広がってしまい、結局退店しなければならなくなりました」

梅毒は性的接触で感染し、約3週間で陰部や口、肛門にしこりができ、数ヵ月後には全身に発疹がでる。抗菌薬で治療できるが、放置すると脳や心臓に異常が出てしまう。感染に気づかず、結果として拡散させてしまうケースも多い。風俗店にとっても、性病の蔓延は命取りとなるので、女性に月1回検査を受けて報告させるなど、対策を講じている。

「梅毒が増えているという話は、風俗業界全体で噂になっています。外国人観光客が増えたためだと思われるので、基本的に、ウチでは日本語を話せない人は入店を断っています。病気の問題もあるし、ルールをわかってくれないとリスクばかり高まりますから。昔は外国人NGが当たり前で、受け入れる店を探す方が難しかった。それがこの風俗不況で、数年前から受け入れだした。でも、最近では再び門戸を閉じる方向に変わってきています」(風俗店の店長)

特に大阪で患者が増えているのは、海外からの旅行者が多い上に、外国人でも風俗遊びOKとPRしてきた事情もあるという。日本橋にあるホテヘルの店長が話す。

「キタでは外国人観光客があまり風俗では遊ばないのですが、ミナミの日本橋エリアはホンマに多い。島之内にはチャイナタウンやコリアンタウンもあり、民泊も多いですから外国人も暮らしやすい。日本橋のホテヘルには、中国語のサイトを持っている店もあるほどです」

顕著なのは20代の女性患者が急増していることで、その多くは風俗嬢だと思われる。不特定多数との異性間接触をする彼女たちが感染することで、患者数は急増していく。実際、前出の石川泌尿器科を訪れる男性は風俗嬢からうつされた患者がほとんどだという。

「梅毒は現代のパンデミック(大流行)と言われるくらいで、僕らの間では風土病になるのではと危惧されています。来年はラグビーのW杯、再来年は東京オリンピック。さらにインバウンドが増えるので心配です」(石川氏)

最悪の事態を防ぐためには、一刻も早い対策が急務だ。


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◆梅毒にかかっても治療せず、日本中を這い回って拡散していた風俗嬢2018.11

現在、日本では歓楽街のほぼ全域に渡って梅毒が広がっているのだが、中には四国の徳島県や愛媛県のような、あまり外国人が来ないと思われるようなところでも20代の女性の梅毒が蔓延するようになっている。

いったい、どうしてこんなことになっているのか。

徳島県や愛媛県でも梅毒が広がっているのは、徳島県では徳島市徳島駅付近に、愛媛県では松山市未知語温泉付近にソープランド街を含めた風俗街があって、そこで20代の女性たちが性サービスをしているからだ。

20代の女性が圧倒的に梅毒に感染しているというのは、彼女たちが風俗に関わっているからだ。それは状況的に見ると否定しようがない。医師も国も早く認めて対策を取らなければならない。このままでは、状況は悪化するばかりだ。

今の風俗は生のフェラチオや口内射精が当たり前のサービスとなっている。世界でも類を見ない「異常な環境」である。このまま放置していたら日本は性病大国になる。風俗のあり方は、このままでは絶対にいけないのだ。

そして、この風俗での梅毒は、なぜ広がったのか、なぜ地方にまで及んでいるのか、という点も私はひとつの推論を持っている。ある、ひとりの風俗嬢の行動が問題になったことがある。彼女の「動き」は興味深いものだった。
https://blackasia.net/?p=10063

13. 中川隆[-10713] koaQ7Jey 2019年4月18日 07:36:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1339] 報告

日本の風俗嬢は清楚で上品な女性でないと客が付かない

◆あなたは「清楚な女性」が好きですか? 日本の男は「清楚」にカネを払う2019.04.18
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ある風俗嬢と話していた時、あまりのおかしさに笑ってしまったことがある。客の男の好みは「清楚な女性なので、そのイメージに合うように派手派手しい格好はしないように指導されている」というのである。

彼女たちは、セックスワーカーである。性サービスをするのが仕事だ。表社会の常識で言うと、彼女たちは「清楚」とは180度対極の世界にいる。

そんな女性に「清楚」だとか「貞淑」だとかのイメージを求めることは、なかなか滑稽なことのようにも思えるのだが、客となる男たちは真面目にそれを求めているのだ。その現実に笑わずにいられなかった。

日本の風俗のバラエティは世界でも最強の部類に入るので、中にはタトゥーだらけの女性を集めた風俗や、クラブで踊るような派手な格好の女性を集めた風俗も当然あるわけで、こうした女性たちを好む男たちもいる。

しかし、そのコンセプトが大当たりするのであれば、次から次へと類似店が登場して、それが主流になって「清楚」を売りにする風俗店は廃れる。

現実は逆だ。「清楚な雰囲気を持つ女性」は圧倒的に好まれていて、そうした女性を集めた風俗店が大きな売上を上げ、安定的な経営を行っている。男はカネを払って女性を選ぶ。「清楚な女性」を集めた店が圧倒的に強いのであれば、それが男の本音だということだ。
https://blackasia.net/?p=12610

14. 中川隆[-10707] koaQ7Jey 2019年4月18日 10:48:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1347] 報告

日本の風俗嬢は清楚で上品な女性でないと客が付かない _ 2

この横浜の地は私が青春時代を送った地なのだ。

大学を卒業して会社勤めをしていた。新入社員の俺は部署の新歓飲み会に参加した。 2次会のカラオケを終えて、30台前半の先輩社員に風俗店に連れて行ってもらった。 その時初めての風俗だった。これが社会か!と興奮しきり。

軽く緊張しつつ、風俗嬢のカタログを開く。高校の時好きだった子に似た子をセレクト。待合室にやってきた風俗嬢のAちゃんは好きだったあの子に本当に似ている。

部屋で、シャワーで仕事と飲み会の汗を流す。シャワー中でのフェラで発射。
ベッドの上で絡み合い、手コキに前立腺マッサージ。

来て良かった?と大満足でいると、おもむろにゴムを突き付けてきた。噂に聞いた基盤? と思ったら。


「○○君(俺の名前)だよね…本番するから内緒にしてください」


と土下座された。 いや、俺はそんなつもりじゃ…

無言でゴムを装着するAちゃん。 意志とは裏腹に俺の性器は怒張している。そこに腰を沈めていくAちゃん。 ベッドの軋む音。これってありなの??意外にも冷静な俺。 揺れるおっぱい。俺の腹辺りに視線を落とし浅い呼吸をするAちゃん。


気まずい、がしかし、押し寄せる快感。本日2発目。

ゴムを抜き取り、お掃除フェラをしてくれる。

目が合い、引きつる笑顔のAちゃん。


「絶対言わないでね」

と淡々と処理を済ませていくAちゃん。その後は客と風俗嬢としての定型文のやりとり。 個室を出ると先輩社員は既に事を終えていた。会計も済んでいるようだ。店を後にする。


後日、その石和 風俗嬢店のサイトを見た。Aちゃんの退店イベントが催されているようだ。 右手で顔を隠し、パンツ一丁で女座りのAちゃんはトップ2の人気嬢で、得意技はフェラ。性感帯は全身。 俺が大学に入って初めての彼女ができる少し前まで、一番好きな人だった。


俺はそれから一度もあの店に行っていない。 今では何ともなくセックスを楽しめるのだろうが若かった頃の俺には初恋の相手が風俗嬢になっていてまさか本番までしてしまったという事に耐えられなかったのだ。 若かったのだ。だが間違いなく女性の気持ちよさを最初に教えてくれたのは彼女だった。

http://風俗嬢.autostm.net/ishiwa/Category1/category1_01.html



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母さん。僕、天使を見たんだよ。本当だよ

私の行きつけのソープは岐阜の金津園、総額35000円の店だった。
当時私はスデに常連の部類になっており、店員もなじみになっていた。
あろうことかあるとき私に店がダブルブッキングをぶちかました!
(俺を誰だと思ってるんだ)
当然に店は平謝り、最高の女性を付けるから勘弁してくれとの事。
吹くじゃねぇか。この手のパターンで良い女が付いたためしは無いが、ここは、なじみの店員の顔を立ててやることにした。
貴様の大風呂敷に付き合ってやる。
。。。。。

私は期待薄だった。
ところがその女性は徹底的に違っていた、部屋に入るなり電気を暗くしていきなりディープキス。
いつもと違うぞ。私は面食らった。
彼女は私の口の中を舐め回しながら器用に私の服を1枚づつ脱がして行き、私の全身にキスの嵐を浴びせつつもいつのまにか自分も全裸になっている。

そしてシズシズとひざまづくと唐突に洗っていない私のチンポをフェラし始めたのだ。
チンポは当然ギンギンで破裂しそうになっている。通常の2割増しだ。(当社比)
それはそれはとてもやさしいフェラだった、慈しむようなフェラだ。

僕の亀頭に彼女の舌が微妙なタッチでまとわりつく筆で撫でられているようだ。
声が出そうだった。
これが一生続けばいいのにと思った。
が、彼女はすぐにフェラを止め、私をベッドに横にした。

そして彼女は天を突いた私のチンコを優しくつかむのだ、まさか?

彼女は遠慮がちに私の上に跨ってきた。
ずぶずぶと入っていく、「ナマだ」 うわ、死ぬほど気持ちが良い。
それもそのはず私は当時プライベートを含め生挿入した事がなかったのだ。

彼女はゆっくり動き出した、(ちゅぷっ、ちゅくっ)静けさの中に、お互いの性器同士が生でこすれる音がする。

こんな気持ちが良いSEXは初めてだ。

「もう出ちゃいそっ、いいの?」
「うん、キテ」
彼女は吐息まじりにそう言うと、ほんの少しだけスピードを早めた。

射精が永遠に続きそうなほどの快感に体が包まれた。

(ちなみに彼女の中に入っていたのは多分30秒くらいだけ)まさに秒殺です。
実際はもっと早かったかも。

イク瞬間ケンシロウの声が聞こえてきた。
「天に帰る時が来たのだ」(嘘)

僕がイってしまった後も彼女は僕のチンコが萎えるまで挿入したままだった。

しばらくして、彼女は体を引き上げる。
彼女からチンポが抜けると彼女のアソコからポタポタと僕の体に精液が落ちてきた。
中に出したのだ、という実感がさらに湧いた。

すごい。これが本当のSEXなんだ、
比べれば今までのゴムツキのSEXなんてお遊びではないか!

彼女はベッドで放心状態で寝ている横に添い寝して僕を優しく見つめた。

そして、当然「早いのね」などとは言わず、

「私のお○こ気持ち良かった? 今日は一杯しようね」

と微笑んだ。
(母さん。僕、天使を見たんだよ。本当だよ)
ここまでで、まだ出会って10分足らずだった(ここは100分の店)
そしてその後、マットで一発。ベットで一発。もちろん全部中出しです。

彼女はイスでも風呂でも暇さえあれば挿入してくるし、咥えてくるしとても礼儀正しいし、何も言う事ありませんでした。(アンタにゃ教える事など何もない)
まさか33000円の大衆ソープでこんな高級ソープなみのサービスを受けるとは…。
非常にギモンです。何か病気を含めて心配になってしまう。

聞けば、彼女はあの阪神大震災で住んでいた家を無くし、岐阜へ流れて来たのだという。

彼女は以前神戸の福原にある超高級ソープに在籍し、念願のマンションを購入したばかりだったが、地震によって10階建てのマンションが5階建てくらいの高さに潰れてしまったらしい。
(まったくもって恐ろしい話だ:彼女は笑ってたけど…)

ちなみに彼女は7階に住んでいたので難を逃れたと言うはなしだった。

なお、その店は総額75000円だったそうです。(そりゃ、サービス良い訳だ)

金津園のも6万円以上の高級ソープはあるんですが、なぜあそこに居たんでしょうか?

謎です。 しかし翌月、彼女は店から姿を消していました。
http://www.ippu-do.com/so-pu.htm


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2005年01月06日 10万円ソープに行ってまいりました


 ここ数年、年が明けてすぐの一発目のお遊びを、超高級ソープで始めてみるということが自分の中の恒例となっています。ま、ゲン担ぎみたいなもんですね。
一昨年は、吉原の総額8万円の「P」、昨年は堀之内の総額9万2千円の「K」。じゃあ、今年はさらに上いっちゃいましょうかということで、総額10万円行っちゃいました〜っ。

西川口の「D」であります。わずか2時間でちょっとしたマンションの家賃分を浪費! 
これぞ、大人の男の遊び! 

ま、ゲン担ぎみたいなもんですからね、ケチっちゃいけません。昨年、一昨年もいい年だったもんね、ソープのおかげってわけじゃないでしょうが(笑)。


 僕の事務所のある高田馬場から西川口までは、山手線と京浜東北線を乗り継いで30分。西川口といえば、今や全国にその名を知られたNK流の本場! 摘発の嵐が吹き荒れたおかげで、すっかり寂しくなってしまった都内の風俗街とは違って、いまだ店舗型風俗店が健在! 看板が賑やか! しかも、そのほとんどがNK流店なわけでしょ。

今は西川口も女の子のレベルもサービスもグッとよくなってて、んで、最後まで出来て1万円台という夢のような街なわけですよ、西川口。そんなリーズナブルな街で総額10万円払う価値がある店なのでしょうか、「D」は…。


 西川口駅西口から、客引き軍団が女の子の写真を手に襲い掛かかってくるNK流サロン街をくぐり抜けるとソープが20軒近く並ぶエリアがあります。その中央あたりに、目指す「D」はそびえ立っておりました。いやね、実は開店すぐの午後1時に予約を入れたんですが、となるとお昼ご飯をどうしようかという問題がありまして。朝食が遅めだったから、まだお腹は空いていないけど、プレイ終了の3時まではもたないかも。でも、プレイ前にがっつり食べちゃうのもなぁ…というわけで、結局駅前の立ち食いそば屋で軽く食べておくことにしました。10万円ソープ行く前に250円の月見そばを食う僕って、なんか間違ってますな(笑)。


 さて、お店に入りましょう。他のソープの店頭にはもれなく佇んでいる客引きがいません。さすが超高級店ですね。白と黒で統一された大理石作りの店内は、シティホテルのようです。受付もありますが、そのまま待合室に通されます。待合室には壁沿いに一人がけのソファがぐるりと並び、中央のテーブルには花が生けてあります。ソファに腰掛けると、すぐに黒服の店員がやってきます。ここで、予約名を名乗り、料金を払います。ソープでは入店時には入浴料だけを払い、個室で女の子にサービス料金を払うのが普通なのですが、ここで全額10万円を払いました。超高級店では、こういうシステムのとこが多いみたいですね。

 スーツ姿の女の子が抹茶(!)を立てて運んできます。店員が女性って珍しい。彼女はソープ嬢ではないんでしょうか。いや、ま、実はこの子が、あんまり可愛くなくて、「え、もしかしてこんなレベル?」と不安になったんですが(笑)。

 先客はいませんでしたが、すぐにもう一人お客さんが入ってきました。ツナギを着た50代くらいの職人さん風でした。

 さぁ、いよいよご案内です。さっきとは別のスーツの女の子がエレベーターで案内してくれます。いや、この子も器量がイマイチで、「もしかして、お相手はこの子かな」とちょっと心配になりましたが、5階に到着すると、ちゃんと別の女性が待っていてくれました。Mさんです。

ピンクのノースリーブのドレスを着ています。いとうまい子系の癒し系美人というところですか。すごい美人というわけではないですが、はっきりいって僕の好みのタイプです。実年齢は二十代終わりくらいでしょうか*1。

ええ、そのくらいの年齢、大好きですよ、僕。第一印象で、なんとなくエロそうな匂いが感じられました。

*1:お店のサイトを見ると22歳ということになってますが、まぁ、その辺はお約束で(笑)。

 手を引かれて個室に入るや否や、Mさん、いきなり抱きついてきてキスですよ。僕は上着どころかバックも持ったまま。そのままんまで、ずーっとキスです、ディープキス。舌べろべろ。ただでさえキスは大好きですが、入っていきなり立ったままで5分くらいキスされるというのは不意打ちで、うれしいなぁ。興奮するなぁ。

 いきなりのキス攻撃で、見回す暇もありませんでしたが、個室も素晴らしいですね。ベッドルームとバスルームがガラスで完全に分けられていて、ドアはタッチ式の自動ドアですよ。ベッドルームの方は、やはりシティホテル風、それもパークハイアットとか、そういう高級な感じ。きちんとしたダブルベッドにソファ。壁はつくりつけの棚になっています。ガラスの向こうに見えるバスルームには、大理石造りの大きな浴槽があり、壁に埋め込まれたモニターには環境ビデオが映し出されております。僕もこれまでに超高級店は、何軒か行ってますが、中でもトップクラスの豪華さですね。広さ自体はそれほどでもありませんが。

 

 長いキスから解放されて、上着を脱がしてもらったら、今度はソファでキス(笑)。体をぴったりと密着させての濃厚なキス。キスしながら手は僕の体をまさぐってきます。キスしながら少しずつ僕の服を脱がしていきます。うわぁ、たまんねーっす。そして、そのままフェラですよ。高級店ならではの即尺プレイですね。そして、ガーターだけの姿になるとMさん自ら跨ってきますよ。これまた高級店ならではの、即入れという奴ですね。いつのまにかにゴムかぶせられてました(笑)。

 ここでは以降の細かいサービス描写は省略しますね。その辺は「ヴァッカ」(バウハウス刊)で連載中のコラム「風俗自腹主義」で書く予定です。興味のある方はご覧下さいませ(笑)。

 その後のプレイの流れでいいますと、ソファでの即尺・即入れで一発目発射、バスルームに移ってスケベイスで体を洗ってもらって、お風呂に浸かり、マットプレイ。ここで二回戦目もあるんですが、ここでは発射せずに、もう一度お風呂に二人で入ってイチャイチャ。そしてソファでビールなどいただきつつ、また抱き合ってキス。んで、ベッドに移ってフィニッシュ、と、まぁ、こんな具合で、あっという間の二時間だったのですね。夢を見ているような、なんて表現がぴったりでした。

 個室も実に豪華でよかったのですが、やっぱりMさんのエロさが素晴らしかったですねぇ。何度も書いているように、とにかくキス。キスの嵐。まるで二村ヒトシ監督のAVに出てくる痴女のようですが、襲ってくるというよりも甘えるように迫ってくるのが、たまりません。マットでも、テクニック的に派手なことはしないんですね。いわゆる大技とか、ほとんどやりません。愛撫に直結するようなことしかしないんですよ、Mさん。

 ほら、ソープのテクって、気持ちいい云々よりも「わー、こんなことまでするんだぁ」的な技が多いじゃないですか。でもMさんは、そういう余計なことはしない。そんなヒマがあったらキスする、みたいな感じ(笑)。イスプレイも潜望鏡もなかったですね、そういえば。

 ソープに限らず風俗って、そのサービスが「愛撫」ではなくて「作業」になってることが多いんですよね。まぁ、特に工程の多いソープでは、そうなりがちなんですけど、やるべきことを、こなしていくだけ。相手を気持ちよくしてあげようということが、どっかにいっちゃってる。そんなのはね、どんな過激なサービスをされてもね、ちっとも気持ちよくなんかないわけですよ。時々いるんですよ、あからさまに「作業」している風俗嬢。そんな子にあたった時は、ホントに絶望的な気分になります。どんなに若くて可愛くてスタイルがいい子でも、「作業」なんてされたら、そのまま帰りたくなります。

 その点、Mさんは素晴らしかったなぁ。あの過剰なまでのキス攻撃も「作業」の人には出来ないサービスだと思うんですよ。ベッドプレイ時などの感じっぷりが、大袈裟すぎて少々興醒めというのが気になりましたけど。そこまでスゴイこと、僕してませんよ(笑)。まぁ、あれもサービスなのですが。

 後で店員に聞いたら、彼女はこのお店のナンバー2だったんですね。あー、さすがだわ。指名ナシでナンバー2に入れたなんて、ラッキー! 「そこそこお仕事できて、ケバくない子」とは言っておいたんですが。

 実は今まで超高級店で満足したことというのは、なかったんですが今回は大満足。10万円という金額が「安い!」とまでは、さすがに思いませんでしたが、「これなら10万円、惜しくないかも」という気分にはなれました。

 身も心もとろけるような2時間。男と生まれたからには、一度は体験しておくべきなのでは、と思いますね。自分に合う合わないは別として、こういう快楽が世の中にはあるんだと知らずに死んでいくのは、もったいない。

 ところで不思議に思うのが、ソープ特有の建前のお約束が超高級店では見当たらないこと。たとえば、入浴料とサービス料を別に払うのは管理売春ではないという建前のためだったり、決して使うことのないサウナ器を狭い個室の中にも置くだけ置いておかないといけないという建前とか…。なんでなんだろ?
http://d.hatena.ne.jp/rioysd/20050106

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106 :名無しさん@ピンキー:2010/06/02(水) 00:26:00 ID:XSpzTN5mO

シャワータイムは大切な時間ですね。

何度も指名してるオキニとでも1番照れる時間でもあるけど。 プレイ前は工夫してる嬢さんが多いけど、プレイ後のシャワータイムはどう考えていますか?

例えば、終了10分前を切ってからのシャワータイムだとやっぱり時間が気になり事務的になりますか?

108 :名無しさん@ピンキー[sage]:2010/06/02(水) 00:49:56 ID:Tu8UyR5i0

それこそが「素人ほど事務的になっちゃう瞬間」なんでしょうねorz

内心どれだけ急いでいても、ラスト数分で次の指名が決まるといっても過言じゃないから、そこはもう丁寧にやるしかないです。 それか、もう

「きゃー、こんなに時間経つの早いなんて!?」

とびっくりしたふりしつつ、さりげに急かすとかw


「ごめんね、最後バタバタになっちゃったね、楽しい時間ってあっという間だぁ」

みたいに、あなたとの時間が楽しかったのよアピール忘れずに、 最後別れる瞬間も、仕方なしに急いでる雰囲気しながらも、離れて、 それから一度取って返して手を握って、改めて

「またね(はぁと」

とにっこり笑ってからバタバターっと小走り、 でもまた振り返ってバイバイして名残惜しさMAXな感じで。

まあここまではなかなかやりませんがw 

あなたと離れたくないのよ、ちょっとでも沢山一緒にいたいのよアピールは必須です。 だって悲しいやん。せいせいしたって感じでさっさと嬢に帰られちゃったらさ。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/nuki/1275120877

21 :名無しさん@入浴中 :2009/09/05(土) 20:26:12 ID:dRb3X5fG0 (1 回発言)

目を伏せながら姫が言った。

「付き合ってた彼に似てる・・・」

「学校で好きだった先輩に似てる・・・」


92 :名無しさん@入浴中 :2009/09/15(火) 23:15:18 ID:j0S5A3cE0 (1 回発言)

黙り込んだあとに、急にじっとオレの顔を見て、

「ありがとう」

なんか、ズキュンってハート打ち抜かれた気がした。


98 :名無しさん@入浴中 :2009/09/16(水) 15:36:01 ID:VZi/Zga90 (1 回発言)

帰り際に

「やっと目を見て話してくれるようになったね、うれしい」

108 :名無しさん@入浴中 :2009/09/18(金) 20:48:07 ID:VYQ8MoXYO (1 回発言)

●●さんが来てくれてよかった。

こすれる感じがたまらない…。
あたしをおかしくして…。

111 :名無しさん@入浴中 :2009/09/19(土) 06:47:59 ID:kSI26+5b0 (1 回発言)

やっぱり相性ってあるのね
他のお客さんだと濡れないの

120 :名無しさん@入浴中 :2009/09/21(月) 12:13:34 ID:kHdbTfoyO (1 回発言)

『○○の好きにして良いよ。』

って耳元で囁かれた

天涯時に言われて萌えた一言


125 :名無しさん@入浴中 :2009/09/22(火) 11:23:25 ID:jFMHqJGF0 (1 回発言)

「前好きだった先輩に良く似ていて、恥ずかしいからあんまり見つめないで」


479 :名無しさん@入浴中 :2010/01/16(土) 15:28:03 ID:Y8lQLqSH0 (1 回発言)
人生リセットして、どこかでひっそり暮らしたい。

でも、○○さんにだけは連絡先を教えてあげます。迷惑ですか?


514 :名無しさん@入浴中 :2010/02/02(火) 23:07:11 ID:llIn8lT50 (1 回発言)

「キレイな目をしていて吸い込まれそう、

だからキスするときに目を開けてワタシを見ていてほしいの・・・」


572 :名無しさん@入浴中 :2010/02/24(水) 02:01:38 ID:mcdzHjwlO (1 回発言)

「素敵すぎて感じちゃった」

と言われて指を掴まれるやいなや液が溢れる秘部に指を押し当てられ…。


847 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 21:21:48 ID:qll7JNrwO (1 回発言)

終ったあと膝枕して頭を撫でていたら急に胸のなかで泣きながら

今までの客のなかで一番やさしくて安心する、

お仕事で気持ち良かったのはじめて

http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/soap/1251646098/#23


612 :名無しさん@入浴中:2010/09/19(日) 16:19:56 ID:LpBStQZV0

お別れのキスした後、

「わたしの事忘れないでね」
http://qiufen.bbspink.com/test/read.cgi/soap/1233669324/

▲△▽▼


149 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/01/19(金) 14:25:40 ID:F0YiZrFB0
いままでいたした中で思い出に残るのは

ラテンのみゆき
迎賓館の舞咲
プレジの一夜

特にみゆきは絶品だったなあ・・・遠い目・・・

ラテンクォーター みゆき(早川いづみ)


もう上がっちまったが姫だが、ラテンのみゆきは慶応卒だったらしい。

真偽の程は別として、100人を悠に越える常連の予約を公平に受け、さばくため、貸切はおろか、Wすら受けずに一休一勤の全コマを一月先まで常に売り切っていた、伝説の嬢だ。

パスワードを知ることの出来た幸運な常連は、直接個人HPで予約状況を確認し、彼女にメールで予約を入れる。

一時期店に管理を任せたが、ダブルブッキングなどのトラブルが発生した為、以降引退まで全ての予約は彼女が完璧に個人管理した。

予約の前日、すなわち公休日には明日の確認メールを各常連宛に、逢瀬を期待させる一言を添えて個別に送る。

逢瀬の後には決して次をねだらぬトーンで、かつ逢いに行った男の自尊心を確実に満たしてくれる丁寧な礼が届く。

11月の解禁日以降はヴィラージュヌーボを自費で仕入れ、訪れる客全てに振る舞い、クリスマスには個別のメッセージを少ない休みの時間を削ってグリーティングカード形式のメールで百数十人の顧客全てに送る。

決して饒舌ではないが、何より多くを語る眼差しに込められた気持ちは うたかたの逢瀬の間は、全ての客にとって真実だった。

最後のメリークリスマスを通った回数の多寡に関わらず連絡先のわかる全ての客に送り終えた後、年が変わり彼女の出勤は突然途絶えた。

一月余りの後、店のHPに引退を告げるメッセージと個人HP を閉鎖しメールアドレスを無効にする事の詫びを残し、彼女はこの世界から完全に姿を消した。

見事な引き際だった。

http://blog.livedoor.jp/zqy1tomr6o/archives/240240.html


215 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/10/24 23:51 ID:vdA5zOU4


みゆきさんは決して美人ではありません。ごく普通レベルの可愛らしい子といった感じ。

彼女は出勤すると自分の持ち部屋に行き、毎日食事も取らずに付きっぱなしであとは店の車で帰るだけです。

彼女の技は基本に忠実なだけで、特筆すべき点は何らないのです。
マットにせよイスにせよベッドにせよ・・・どこにでもあるありきたりです。

彼女が今あるのは、類まれなる演技力・記憶力・心配り・顧客管理 だと思われます。

それプラス、2時間限定でお客さんの恋人になりきる努力。

それぞれのお客さんの趣向にあわせるコツ。それを見抜く眼力。

ああ、来て良かった、また来ようと思わせるような最善の努力です。


彼女は普段から装飾品の一切をしていません。ネックレス・ピアス・ネイル等々

爪はいつも綺麗に切り揃えてあるだけです。服装も華美ではありません。

そんなものが無くても、彼女自身があるだけで男性にとっては十分なのです。

彼女が現在の地位になるまで、吉原や他の地域で足掛け4年掛かっています。

それだけの歳月を要して、コツコツと積み上げて今の彼女があるわけです。
まさにローマは一日にしてならずと言ったところでしょうか。

http://okazu.bbspink.com/soap/kako/1030/10304/1030415082.html


35 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2008/02/12(火) 00:33:08 ID:hgiuxE6I0]

みゆきは女神だったなあ・・・二度とあんな子には会えないだろうね。


37 名前:名無しさん@入浴中 [2008/02/12(火) 00:39:47 ID:DdnMEtq30]
>>35さん

みゆきさん、すごい人でしたよね。だいぶ前に伝説になって・・・

163:名無しさん@入浴中

初めての潮吹き?体験は みゆきさんだったよ。

1度の燈篭で いろんな女を演じてくれたなあ。


585 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/14(日) 17:58:00 ID:+yUOArhCO]

その道の達人達は凄いぞ。

普通のHが高校野球とすれば、プロや大リーグの違いだろう。 並の人間じゃかすりもしない、見えないの世界だ。

系列店の娘に講習しているお姉さんに入った。 靴下の脱がし方から教えると言っていた。 立ち位置から、目線、体に触れる時の指の先まで、能やフイギュアスケートの様に計算されていたと思う。

それを、自然な動きで行うだけで女性の所作や体がこれだけ美しいのかと舞い上がった。
http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1139581149

15. 中川隆[-10685] koaQ7Jey 2019年4月18日 13:33:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1370] 報告
参考


米ロードアイランド州で韓国人慰安婦13人を検挙!! 2019/04/05
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/402.html

クイーンズ・フラッシングとベイサイドなどから、ロードアイランド州に遠征売春に行っていた韓人(コリアン)の女13人が大挙逮捕された。ロードアイランド州ポータケット警察署は先月28日、『ハーモニースパ(Harmony Spa)』と『ファーイースト指圧(Far East Acupressure)』を急襲して、店の運営者であるオク某(64歳)など韓人女性13人を違法売春、およびマッサージ資格証非所持などの容疑で検挙した。

また現金3万5,000ドルと韓国のパスポート、ツインリバーカジノが発行した賭博税金明細書(W2G)、コンドームがたくさん入ったダッフルバッグなどを押収した。警察によれば、今回逮捕された韓人の女のうちフラッシング出身はパン某(33歳)とソン某(60歳)、ミン某(47歳)、キム某(45歳)などの4人で、ベイサイド出身はキム某(38歳)とイム某(45歳)、キム某(46歳)、チョン某(40歳)などの4人である。

・Stelly Sang Ok, 64, of Killeen, Texas
・Jeongsuk Lee, 62, of Avon, Connecticut
・Jean Son Derrico, 60, of Flushing, New York

・Hyo Yeon Im, 45, of San Jose, California
・Inok Bang, 33, of Flushing, New York
・Heeyong Kim, 38, of Bayside, New York
・Mi Young Lim, 45, of Bayside, New York

・Kisook Kim, 45, of Whitestone, New York
・Ju Yeon Hill, 46, of Los Angeles, California
・Hyun Jung Kim, 46, of Bayside, New York
・Jung Youn Min, 47, of Flushing, New York
・Shunwa Kim, 45, of Flushing, New York
・Yeoung Jeoung, 40, of Bayside, New York

494: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 13:54:57.36 ID:NLMuMONj
>>2
怪物ランドに迷い込んだようだ

99: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:21:26.24 ID:zbbcEwaU
>>2
アメリカ人ってBBAが好きなのか?(´・ω・`)

337: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 11:19:28.78 ID:gQHx4/sb
>>2
妖怪コレクションがまた増えましたね

421: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 12:08:18.63 ID:H7hcP5d8
>>2
これで化け物格ゲー作ろうぜ!

12: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:01:24.70 ID:+sLnzKCY
年齢から見てババアばっかかよと思ったら、
やっぱりババアばっかだった>>2

15: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:03:39.94 ID:j5cEDD2r
>>2
うっそ〜〜ん
見世物小屋でしょ?


440: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 12:31:04.15 ID:yHk1lZO1
>>2
百鬼夜行じゃんか!
怖いよ怖いよ…

6: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 09:59:21.05 ID:W7OAt0d2
やつらにはキーセン専門学校でもあるのか

10: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:00:14.94 ID:FQ/KVVKO
米国では
売春婦=コリアンって定番なんだろうね

29: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:07:29.43 ID:Wt9avGun
>>16
64とか62とか
どうなってんのデッドボール


22: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:05:15.60 ID:n+LkRjgO
バケモノ屋敷キタコレ

75: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:15:30.99 ID:n+LkRjgO
60のクソババアと誰がやるんだよ?…orz

85: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:17:51.14 ID:8ud3knAo
BBA無理すんな

93: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:20:08.27 ID:8ud3knAo
こんな BBA でもアメリカなら商売出来るんやな


143: (´・ω・`)(`ハ´  )さん 2019/04/05(金) 10:30:34.89 ID:yYXja6pe
人間じゃなくてクリーチャー
誰が買うんだ???
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1554425815/  


16. 中川隆[-10648] koaQ7Jey 2019年4月22日 20:24:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1416] 報告

ジム・ロジャーズ「品質、勤勉、貯蓄こそ強みであることを忘れるな」
月刊誌『Voice』(2019年3月号)


「大の親日家」を自認するロジャーズ氏が世界経済の先行きを見据えながら日本がもう一度世界経済でプレゼンスを高めるうえで、「日本の強み」を日本人自身が思い出すべきだと、月刊誌『Voice』上にて語っている。


大英帝国も価格競争によって敗れた

――日本についてはどうでしょうか。あなたは大の親日家として知られていますね。

【ロジャーズ】実際、日本は私が世界でいちばん好きな国の一つです。これまで数え切れないほどの多くの国を訪れましたが、東京ほど食文化が発達している都市をほかに知りません。

京都など、歴史をよく保存している都市も多い。これほど日本を愛している私ですが、日本に住もうとは思いません。(膨らみ続ける)借金と少子化、この2つがそのシンプルな理由です。

――残念ながら日本で、少子化の深刻さが強調されるようになったのは、ようやくここ数年のことです。人口が減少しても、生産性が上がれば経済成長は可能だという識者はいるものの、その方法は見つかっていません。

【ロジャーズ】どんな国も間違いを犯します。間違いを犯していない国などありません。間違いから学ぶ国も多々あります。中国がそうです。中国はかつて3、4回衰退しているが、世界の頂点にも同じく3、4回立っています。

日本にも、再生の余地は十分にある。私が考える日本の強みは、主に3つあります。

まず一つ目は、日本の最大の強みであるクオリティ(品質)です。日本人は何をしても世界最高のクオリティを求めます。その情熱は間違いなく世界一であり、2番目の国が思い付かないほど群を抜いています。

ドイツ人、それにオランダ人やオーストリア人といったドイツ系もクオリティに関しては非常に厳格ですが、日本に匹敵するレベルではありません。日本ほどクオリティに対して「抑えがたい欲望」をもっている国は他に思い付かないのです。その姿勢こそが、日本を偉大な国にしたといえるでしょう。

――なぜ、そこまで日本人は品質を求めるようになったとお考えですか。

【ロジャーズ】第2次世界大戦で、日本は世界のいかなる国よりも破壊されました。アメリカが不当に原爆を落としたからです。私は個人的には、アメリカの判断は間違っていたと思います。落とす必要はなかったのです。それも2回も……。

ともかくどの国より壊滅的な打撃を受けた日本は、そこから立ち直らなければなりませんでした。いままで外圧にさらされたことがあまりない、孤立した国にとって、それは想像を絶する事態だったでしょう。

世界と戦う力を付けるために、日本はクオリティを高めるしかなかった。価格で競争することで国が助けられることもあるが、長期的に見ればそれはうまくいかないことが多いのです。

そして日本は見事な経済成長を遂げました。日本は、最高のクオリティのものであれば世界と戦うことができ、大成功できるということを理解したでしょう。いま、世界で最も優れているものは何でも日本にあります。

日本が自らの強みを捨てるような愚策を行ってはいけない

――たしかに日本の戦後復興を可能としたのは、モノづくりの分野です。

【ロジャーズ】日本人はどういう理由であるにせよ、高品質について学び、価格競争についても学び、それによってアメリカの産業をいくつも破壊しました。アルミ、鉄鋼、オートバイ、自動車――ありとあらゆる産業を。

いま日本には、品質を犠牲にして生産性を高めたほうがいいと主張する人もいると聞きます。たしかに日本は、労働力人口が減少しているし、国の借金も増えつつある。品質を維持する体力が落ちてきているのです。

しかし、世界一の品質を自ら捨てるような愚策は、絶対に取るべきではありません。

低価格にして長続きした会社は、歴史的に見て存在しません。消費者は、概して高品質の製品をほしがるものです。家計が苦しいときは低価格の商品に走ることもあるが、それは一時的なものなのです。

――その意味で、ここ20年のデフレは、日本企業の思考様式を変えてしまったともいえます。とにかく安くつくろうと、コストを下げることばかりを考え、品質という本来の日本の強みを忘れてしまったようです。

【ロジャーズ】かの大英帝国も、価格競争によって敗れました。価格競争が最終的に破滅へとつながることは、歴史が物語っています。

1830年代、大英帝国は前代未聞の驚くべき経済成長を経験しました。ミッドランド(イギリス中部地方)のある地域に、世界の機械の半分以上が集中している時期があったくらいです。

それから20〜30年後、イギリスの王座を颯爽と奪っていったのがアメリカです。アメリカはイギリスよりもはるかに安い価格ですべての商品を売った。すると、靴メーカーも衣料メーカーも、皆アメリカの北部に移るようになったのです。

そのあとアメリカ南部のサウスカロライナ州が、われわれのほうがもっと安くモノづくりをできると声を上げ、すべての工場は北部から南部に移転しました。その後、日本に移り、中国に移り、いまはベトナムかカンボジアに移っているところでしょうか。

歴史は、つねにこのように動きます。どこかが安くつくると、必ずそれよりも安くつくるところが出てくるものです。中国もベトナムもカンボジアも、皆同じ経験をしています。

一方で、高級ジュエリーブランドのカルティエは1847年の創業以来、世界中に展開しています。1926年創業のメルセデス・ベンツもそうです。品質を落とさないから、ビジネスが続いている。日本も、世界一の品質に対するプライドをもう一度取り戻すべきでしょう。
http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/246.html

17. 中川隆[-10961] koaQ7Jey 2019年10月11日 17:37:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1873] 報告
途上国より不幸な日本人。なぜ清潔で治安が良くモノが溢れる日本が世界幸福度18位なのか=鈴木傾城 2019年10月11日
https://www.mag2.com/p/money/777946


米国の世論調査会社ギャラップ・インターナショナルとWINとの共同調査による2018年の世界幸福度調査で、日本の幸福度は「18位」だった。清潔で治安が良くモノが溢れた日本で、日本人はそれほど幸せを感じていないというのが統計データで見える。


社会に窒息感が蔓延中。日本人を縛り付ける4つのブレーキとは?

あなたは幸せを感じているだろうか?

日本は徐々に足元から崩れ去っているのだが、まだ多くの人々がきちんと生活していけている素晴らしい社会であり、さらに途上国のように社会の混乱や暴力が蔓延しているわけでもない。

日本にはまだ底力があり、それなりに国際的地位もある。頭がおかしい指導者が独裁する北朝鮮や、暴力と無法が蔓延する中東や南米の国々とは違って、秩序も保たれて人々は安心して生きている。

それで、あなたは幸せを感じているだろうか?


日本の幸福度「世界18位」

米国の世論調査会社ギャラップ・インターナショナルとWINによる共同調査による2018年の世界幸福度調査では、どのような結果が出ていたのか?

幸せを感じている人の比率として、1位から順番に、「フィジー」「コロンビア」「フィリピン」「メキシコ」「ベトナム」「カザフスタン」「パプアニューギニア」「インドネシア」「インド」「アルゼンチン」「オランダ」の順だった。

日本は「18位」だった。清潔で治安が良くモノが溢れた日本で、日本人はそれほど幸せを感じていないというのが統計データで見える(編注:国連による世界幸福度報告(2019年度版)によると、日本は過去最低の58位となっています)。

確かに、日本の社会には、秩序と安心がある。しかし、それが人々の幸せに結びついていない。それどころか、この秩序と安定が日本人を息苦しくさせていく。

秩序と安心があまりにも長く保たれていくと、人々はやがて過度に「空気を読む」ようになり、秩序と安心を乱すことができなくなる。その結果、自分の心を無意識に縛る心理的なブレーキが生まれる。

「風波を立てるようなことはしたくない」とか「現状維持したい」とか「みんながやっている通りにしたい」という空気に縛られてしまうのだ。

そうなると、環境が激変して自分も変わらなければならない時が来ても変われない。


今の日本には閉塞感、無力感、先の見えない不安感、自信喪失が蔓延しているのは、決して見過ごしていい現象ではない。


日本人を縛り付ける4つのブレーキとは?

<ブレーキその1:前例主義>

日本は「前例主義」である。それは、前例がないことをやると批判されるという意味である。

新しいことをしようとすると、前例がないので誰もが「自制」する。あるいは自制させられる。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。

<ブレーキその2:横並び主義>

日本は「横並び主義」である。それは、まわりを見回して、まわりと違うことはしないということだ。あるいは、敢えてまわりに合わせるということだ。

まわりに合わせるために、自分の行動を調整する。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。

<ブレーキその3:事なかれ主義>

日本は「事なかれ主義」である。それは、衝突が起きそうになると衝突を起こさないように我慢するということだ。正しいか間違っているかはともかく、自分が我慢して場を収める。

あえて軋轢や衝突を起こさないために、自分を抑制する。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。


<ブレーキその4:先延ばし主義>

日本は「先延ばし主義」である。それは、サラリーマン社長のやっていることを見てもよく分かる。自分の任期中は「つつがなく」過ごせればいいので、面倒なことやリスキーなことはすべて先に延ばしてしまう。

先に延ばすことによって自分の身分を保身する。つまり、自分の行動にブレーキがかけられる。

(1)前例主義
(2)横並び主義
(3)事なかれ主義
(4)先延ばし主義

そのどれもが、自分自身の行動を縛り付けるものであることに気付いてもいい。

日本の社会にこの4つが強固に機能しているということは、つまり日本人は強固に抑圧されているということなのである。

社会が機能していない途上国の方が幸せ

日本の社会はあまりにも、秩序を重視するあまり、それが人々を強烈に縛る「見えない鎖」と化して閉塞感や無力感に追いやっている。

どんなに才能や能力があっても、人間にブレーキをかけさせる4つの主義が働いていると、行動することができないほど縛られてしまう。これが、日本に根深い閉塞感を生み出していると言える。

自分の行動がいちいち漠とした社会の空気に抑制されるのだから、やる気が削がれて無気力になり、将来が不安になっても仕方がない。

そう考えると、なぜ経済破綻しているような南米の国家や、途上国に分類される国の国民が、逆に幸せを感じているのかも分かってくる。

途上国では、幸か不幸か国家や社会の規制力が弱い。前例があろうがなかろうが生き延びるために「何でもしなければならない」し、「何でもしろ」という行動が求められている。

他人と同じでなければならないという規制力もない。生きるのに必死だから、他人と衝突することも厭わない。先延ばしなどしていたら死んでしまうから、常にやるべきことをやる。

もともと物を持っておらず、失敗しても失うものもないので、思いきって行動ができる。

つまり、経済破綻しているような国では社会が脆弱なので、逆に国民は規制に縛られることもなく、思いきり自分を解放できているのである。

秩序もなく、物質的豊かさもなく、法的規制も弱く、治安も悪いのだが、だからこそ皮肉なことに「やりたいことを全力でできる」という社会になっている。


結果的に、彼らは愉快に、楽しく生きている。

安全のための規制が日本人を縛っている

日本は組織や国家に「何でもかんでも規制してもらう」ことによって、安全や秩序や安心を手に入れたとも言える。

しかし、その社会的秩序は、他人を法や常識で縛ると同時に、自分もまたそれに縛られる元になる。

日本の治安は素晴らしいが、その素晴らしさを維持するために、自分もまた縛られている。しかし、社会を安全に清潔に規則正しくするために、日本人は自分も縛られることを敢えて受け入れたのだ。

「本当はこんなことをしたいのだが、前例はあるのだろうか。なければやめておこう」

「こんなことをしている人はいないので、他人がしていないのならやめておこう」

「こんなことをしたら風波を立てるからやめておこう。何を言われるか分からないから先延ばしにしよう」

これらは、すべて自分を縛るものなのである。

社会全体に「窒息感」が漂っている

日本の一流企業の経営者もサラリーマン社長なので、まったく同じ発想と行動パターンをする。そのため、会社が自滅していっても現状維持する発想しか思い浮かばない。


日本国内では、あまりに社会全体がこの4つのブレーキが強く効きすぎた結果、日本人すらも社会に対して閉塞感を感じるようになり、今やそれを通り過ぎて「窒息感」にもなっているようにも見える。

「新しいタイプの日本社会」を模索する時代に

また、日本の社会は今、激変する世界の動きの中で、急激に取り残されようとしており、それが経済の衰退や日本の尊厳の低下となって現れている。

いよいよ日本の今までの社会は時代遅れになって規格に合わなくなっている。新しいタイプの日本社会を模索していかなければならない局面に来ている。

それには、日本を縛り付けている「4つのブレーキ」を大胆に取り外して、跳躍することが求められている。

幕末・明治維新の混乱期は、名もない下級武士が歴史を変えたのと同様に、新しい時代はまだ何も持っていない人間が変える。社会が激動するときは、いつも名もない人間が既存社会を打ち壊して新たな社会を作り出す。

日本の閉塞感は極まっている。いよいよ、日本を変える一群が生まれても不思議ではない。

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