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不破哲三の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/650.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 28 日 17:54:28: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 朝鮮総連と日本共産党は最初は一体だった 投稿者 中川隆 日時 2019 年 8 月 17 日 23:57:45)


不破哲三の正体

【我那覇真子「おおきなわ」#56】
沖縄「反日」運動の正体〜篠原常一郎氏が語る「日本共産党」の実像[桜H31-2-15] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=VZhWQWt4Mys


2019/02/15 に公開

司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)

沖縄「反日」運動の正体〜日本共産党の実像とは
ゲスト:篠原常一郎(ジャーナリスト / 元民主党・共産党国会議員秘書)


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【我那覇真子「おおきなわ」#57】
日本(沖縄)に潜むチュチェ思想の正体〜篠原常一郎氏に聞く[桜H31-2-22] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=9Ldoz5EvGt0


2019/02/22 に公開

司会:我那覇真子(「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員・チャンネル桜沖縄支局キャスター)

@主体思想(チュチェ思想)とは何か
ゲスト:篠原常一郎(ジャーナリスト / 元民主党・共産党国会議員秘書)


▲△▽▼


2018年4月5日
日本共産党の七不思議…不破哲三前議長の大豪邸住まいと”芸名使用”が話題に
https://news-vision.jp/article/188154/


不破哲三日本共産党前議長(88)が時事通信のインタビューに応じ、天皇制や元号問題について語るも、なぜかSNS上では前議長の大豪邸と芸名疑惑に興味が集中、明らかになった超ブルジョアぶりに騒然となっている。

不破氏が久々にメディアに登場、3月24日の時事通信のインタビューの中で、天皇の政治関与を禁止した憲法4条について「昭和天皇の時代には、ほとんど守られなかった」「現天皇は心得ている」とする自論を述べた。また元号問題についても「時代が区分される時代ではない。やめた方がいい」とする提言をみせ、カリスマの健在ぶりを示した。

だが、この不破氏のインタビューに対し、作家・百田尚樹(62)が(内容とは無関係に)「共産党の不破哲三前書記長の邸宅がどれほど凄いものか、末端の共産党員は知っているのだろうか。門から屋敷に辿り着くまで、車で森の中を走る大邸宅なんて、滅多に住めない。凄い蓄財力だ。要するに、これが共産党。ちなみに『不破哲三』というかっこいい名前は芸名で、本名は上田健二郎」といったツイートを投稿して、これが反響を呼ぶ大盛り上がりをみせている。

百田氏の発言へのリツイートの中には「こうした人物が平等を標榜するのだから無茶苦茶」「この中で専属シェフによる高級フレンチを食べてるわけですね。『なぜ差別は無くならないのか?』とか言いながら」「中国共産党と同じ構図ってことですね。知らぬは末端の支援者だけ…」「格好いい名字には小学生の頃憧れましたね」などと平等を説きながら桁外れのブルジョアを謳歌する日本共産党指導者の暮らしぶりに興味が集中した。

■用心棒と運転手、料理人が常駐する小学校よりデカい大豪邸

不破氏の大豪邸は、16年7月の週刊文春(文藝春秋社)の「引退後も特権享受不破哲三は『赤い貴族』」なる記事で紹介されている。場所は神奈川の別荘地・津久井の山中深くにあり、広さは3265平米(約九百八十八坪)。航空写真でみると近所の小学校と変わらぬ大きさを誇っている。

敷地の所有者は不破哲三こと上田健二郎氏ながら、敷地内にある4棟の建物の内、2棟は日本共産党の所有物という公私の線引きのない形態となっている。そして建物には「不破氏の秘書、ボディーガード兼運転手、料理人が常駐していた」と関係者は語っている。

だが、なぜ不破氏は日本共産党のトップといえど、このような大豪邸が建てられたのだろうか。日本共産党の元党員・篠原常一郎氏による月刊正論(16年11月号/産經新聞社)の「幹部の収入を暴露!」という記事によれば、2つの秘密があるという。1つには、一般の党職員と幹部の給与格差がある。日本共産党でエリートといわれている常任幹部会委員で最低年収1000万円以上が保証されている。若い職員や地方の党職員の給料とは雲泥の差があることは言うまでもない。

2つ目は著書の印税に秘密があった。党内では「幹部の印税は中央財政に繰り入れられる」と説明しているがそれはウソだというのだ。幹部が出した出版物は党機関紙のしんぶん赤旗で宣伝しまくり、末端党員に購買をすすめつつ、少なめに刷った最初の「一刷分の印税」を党に寄付した後、二刷分以降の印税すべてを著者の懐に入れるという巧妙な稼ぎのテクニックがあるという。

平等を訴える共産党指導者の、桁外れのブルジョアぶりは世界共通のようである。ただし、名誉のために付記するが、同党の志位和夫委員長(63)のご自宅は慎ましやかな公団分譲マンションなんだとか。くれぐれも志位委員長や小池晃副委員長(57)には庶民の味方という立場を貫いてもらいたいものだ。
https://news-vision.jp/article/188154/

▲△▽▼


不破 哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党中央委員会常任幹部会委員、党付属社会科学研究所所長。前党中央委員会議長。元衆議院議員。“不破”はペンネームで本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)。

日本共産党元副委員長の上田耕一郎は実兄。父は教育評論家の上田庄三郎。

経歴

当時上田家には「跡取り」がいなかったため、父子共々養子として引き取られる[要出典]。両親は高知県の出身[1]。

旧制東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)、第一高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。

1970年、40歳で日本共産党の書記局長に就任し[2]、当時マスコミから「共産党のプリンス」と呼ばれた。1974年1月29日の予算委員会では、日本分析化学研究所が実施していた放射能測定で、データがねつ造されていることを指摘した(「米原子力潜水艦放射能測定不正事件」)[3]。

1982年に宮本顕治が中央委員会議長になり、不破が幹部会委員長に就任した。1984年にキューバのフィデル・カストロと3時間以上に及んで会談した。

詳細は「日本とキューバの関係」を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


1987年に心臓手術のため幹部会委員長を降り、中央委員会副議長になった。村上弘委員長退任後、幹部会委員長に復帰した。選挙で党の躍進が続いた頃、マスコミから「スマイリング・コミュニスト」(微笑する共産主義者)(1998年度流行語大賞特別賞受賞)と呼ばれた[4]。1998年に、31年間対立・絶縁していた中国共産党との交流を再開した。

2000年の党大会で中央委員会議長に就任。2004年の党大会で全面的な綱領改定の提案をおこなった。2006年1月の党大会で高齢などを理由に議長職を退任し、党付属社会科学研究所の所長に就任した。

130冊以上の著作がある。また、「赤旗」の評論員論文・無署名論文の多くを執筆したともいわれる。

年表

1930年(昭和5年)教育評論家の上田庄三郎の次男として東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区)に生まれる。

1947年(昭和22年)日本共産党に入党する。

1953年(昭和28年)東京大学理学部物理学科を卒業して、鉄鋼労連(現・基幹労連)に書記として就職する。


1964年(昭和39年)日本共産党中央委員に就任する。

1969年(昭和44年)衆議院議員に初当選する(東京都第6区、1996年の小選挙区制導入以後は比例東京ブロック単独で、連続10回当選)
1970年(昭和45年)日本共産党書記局長に就任する。
1982年(昭和57年)日本共産党幹部会委員長に就任する。
1987年(昭和62年)日本共産党中央委員会副議長に就任する。
1989年(平成元年)日本共産党幹部会委員長に再任する。
2000年(平成12年)日本共産党中央委員会議長に就任する。
2003年(平成15年)衆議院議員を引退する。
2004年(平成16年)日本共産党常任幹部会委員・日本共産党中央委員会付属社会科学研究所所長[5]。
2006年(平成18年)日本共産党議長を退任する。日本共産党常任幹部会委員留任[6]。
2010年(平成22年)日本共産党常任幹部会委員・日本共産党社会科学研究所所長[7][8][9]
2014年(平成26年)日本共産党常任幹部会委員留任[10]。
2017年(平成29年)日本共産党常任幹部会委員留任[11]。


名前の由来

『私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言』の中で本人が「不破哲三」の由来について、自宅付近にあった塗装業者「不破建設」と、当時の職場である鉄鋼産業労働組合の「鉄」から名付けたと語っている。鉄鋼労連は総評系で日本社会党員(特に右派)が多数を占めていたため、機関誌「前衛」などへの寄稿の際このペンネームを使用していた。
実兄・上田耕一郎は、耕一郎と建二郎とで労農同盟を意味する命名であると語っている。(経済2004年1月号での鶴見俊輔との対談での発言)

エピソード

子ども向けのテレビ番組『ウゴウゴルーガ』(フジテレビ他)において政治家ではなく、登山の講師(「やまのぼりのえらいひと」)として出演したことがあるほど山登りが好き。[12]

時代小説も好きで、少年時代はその方面での作家にもなりたかったと語っている[13]。またテレビ時代劇を愛好し、時代劇専門チャンネルを視聴している[14]。

TBS『クイズダービー』に、「野党の委員長と1年生議員大会」で、当時1年生議員の高崎裕子と出場し10万点を達成した。[要出典]

2010年、読売新聞の連載企画、「時代の証言者」で、「昔は軍国少年だった」と語った[15]。

メガネが最も似合う各界の著名人として、1998年に日本メガネベストドレッサー賞(政界部門)を受賞した[16]。

直木賞作家の水上勉と交流があり、水上勉が死去した際に追悼文を書いている。[17]

妻の七加子が伝記を出版している[18][19]。


批判

日本共産党を離党した筆坂秀世は、離党後行った共産党批判のなかで、不破が2000年に日朝国交正常化交渉で北朝鮮による日本人拉致問題を事実上棚上げにすることを求めた、と主張した。不破は、(拉致問題が疑惑だった段階では)それに応じた緻密な外交努力をするべきと主張したのであって、これを拉致棚上げの主張と非難するのは曲解である、と反論している[20]。

詳細は「筆坂秀世」を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E5%9D%82%E7%A7%80%E4%B8%96


2017年に86歳の不破哲三が常任幹部会委員、84歳の浜野忠夫が幹部会副委員長に就任したことに触れて筆坂は80代で未だに引退せずに自身の元で人事を牛耳らせた男を三役に置いたことに「共産党の幹部の誰一人として異論を挟めない共産党の異常が露見している。共産党が普通の政党になるならばまず物言えない体制こそ改めるべき」と強く批判している [21][22]。

論文「日本社会党の綱領的路線の問題点」の中で、社会党の平和革命路線を批判する中で「『暴力革命唯一論』者の議論は,民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし,反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた,米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり,解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」と述べており、公安調査庁は共産党の「敵の出方論」を裏付けるものだとしている[23]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A0%B4%E5%93%B2%E4%B8%89
 

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コメント
1. 中川隆[-11127] koaQ7Jey 2019年9月30日 11:15:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1693] 報告

飲み屋で不破哲三を批判するとすぐに密告されて共産党を追放される話


【怒れるスリーメン】Part45-D ぶっちゃけ共産党トーク!
ここまで話して大丈夫ですか?! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O4e-tLB_FkU

9月24日収録

【出演者】
・加藤清隆(政治評論家)
・高橋洋一(嘉悦大学教授)
・篠原常一郎(ジャーナリスト 元日本共産党 国会議員秘書)

2. 中川隆[-11106] koaQ7Jey 2019年10月01日 10:43:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1714] 報告

いますぐ読みたい 日本共産党の謎 – 2009/9/17
篠原常一郎 (著), 筆坂秀世 (監修, 監修)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4198627681/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0

内容紹介

100年に一度の大不況下でクローズアップされている、非正規社員や派遣労働者切りなど日本の格差社会が抱える不安と不満の暗部。無党派層や団塊世代ジュニアを中心に政治不信が蔓延するなかで、ネット上では志位委員長の発言が人気を呼ぶなどにわかに「日本共産党の発言力」に注目が集まっている。

そんな20~30代の団塊ジュニア世代にとって「カクメイ」「ニッキョウ」の歴史は教科書では決して教えてくれない新鮮な響きを持っている日本共産党は敵か味方か、はたまた救世主か?!

元日共最高幹部の監修による日本の革命政党の秘密を暴露解説する必読の一冊!!


内容(「BOOK」データベースより)

「蟹工船」なんか読んだって共産党のことはわからない。「共産党」と聞いて抱く疑問やイメージも本書を読めば解決。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)


筆坂/秀世

1948年兵庫県生まれ。高校卒業後、三和(現東京三菱UFJ)銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で退職し、党国会議員団の公設秘書に。その後、衆議院議員候補をつとめ、95年、01年に参議院議員に当選。党政策委員長もつとめ、国会でも屈指の論客として予算委員会質疑やテレビ討論会で活躍。03年に議員辞職し、05年に離党

篠原/常一郎
1960年東京都生まれ。18歳で日本共産党に入党。

立教大学卒業後、短期間公立学校非常勤講師をつとめ、その後党専従に。党生活相談所長や国会議員候補者秘書をつとめた後、95年、筆坂参議院議員の公設秘書を皮切りに03年まで国会秘書として活動。この間、党「ムネオ問題追及チーム」などに加わり、筆坂氏の下で働く。

その後、党中央委員会に勤務した後、突如査問を受け04年に党除籍。

以降は、ジャーナリストとして活動し、ビジネス記事や中国などアジア諸国を取材してのルポ記事を執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー


blackstar 5つ星のうち5.0
元「専従」による「お笑い日本共産党」 2009年10月27日

 ワーキングプアの問題、「蟹工船」ブームによってにわかに再評価されたかのように見えた日本共産党。その割には総選挙で議席を伸ばしたわけでもない。若い人はもはや魅力を感じない政党なのか?(方針だけみると民主党がもはや共産党みたいだし)あるいは秘かに党員を獲得しているのか?共産党員の生活は? 

 本書は今一つ実態がつかめない日本唯一の革命政党について、元「専従」(在家ではなく出家みたいなものか)職員がユーモアを交えてわかりやすく明かす「日本共産党の謎」。

 そして予想していた事だが共産党は「もはや革命政党であることは目指しておらず」「天皇制打倒も叫んではいない」し、「自衛隊の存在も暗に認めている」。元々「正社員労働者を指導する党」であったため、派遣社員やホームレス支援に党として積極的であったわけではない。さらに一部の幹部党員 (この本は一種の不破哲三批判本でもある) が裕福な生活を送っているのに比して「専従職員こそワーキングプア」である、という事実を暴露している。そして一部の宗教団体のように党トップの方針が絶対視されるあまり、党員は官僚化・硬直化し世間とズレていってしまう。

 とはいえ著者は共産主義そのものに失望している風でもない。マルクスの著書にはまだまだ読むべきところがあると言っているし、日本共産党の一般党員には無私で他人のためにつくすいい人が多いと言う。愛ゆえの批判本である。
 


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白鯨 5つ星のうち5.0
今のところ最高の日本共産党入門書 2009年10月4日

日本共産党に関する正確な知識が手軽に得られる本。

今の日本共産党の実像を知りたい人は、読むのもあほらしい党文書か、左翼用語満載の新左翼or共産趣味者向けか、ろくに敵を知らないネット右翼の駄文しか選択肢がなかった。それを普通の人にもわかりやすくしたのが、著者の元上司筆坂秀世の「日本共産党」だが、書き慣れていないのと、マーケットの要請でセクハラえん罪事件等にページを割かなければならなかった分限界があった。

篠原常一郎氏は、かなりの筆達者の上に、筆坂氏に課せられていた制限も受けない。マルクス・レーニンの素養(これがない日共の多いことw)もあれば、共産党の内部にも詳しい。個人的に驚いたのは、労働者派遣法改悪(と書いてある。個人的には改正だと思っていた)時に現在の派遣社員の状況を共産党は正確に見抜いていた(私は見抜けなかった)ことだ。これに気がつき、同じ危機感を共有していた大手人材派遣会社もあったという。にもかかわらず、日本共産党中央委員会は・・・

その他、恋愛事情や共産党議員のスーツなど、小ネタも満載。かつての仇敵佐藤優の寄稿など盛りだくさん。不破哲三のマルクス論を笑える人から、民青の勧誘に困っている大学生まで十分な知識が得られるだろう。

それにしても日本共産党、これからやりづらいだろうな。こんな本を書く人が民主党の政策秘書になってんだからw

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sonojordan VINEメンバー 5つ星のうち5.0
共産党よどこへ行く? 2009年12月26日

子どもの頃(70年代)BCL(ブロード・キャスティング・リスナーズ)をしていて朝鮮の声を聞いていると「共産党に入党させられるぞ」と脅されたものだ。
そのころの共産党とは日本では革命路線を叫んでいたが、すでに世界の共産主義圏と日本の共産党は断絶していたのだということを本書で知り目から鱗だった。

今、筆者は選挙では共産党に勝手に連帯しているが、そんな浮動票(無党派層)には日本共産党の入門書としてわかりやすく、しかも意外におもしろい。
もはや「科学的社会主義」の真髄はどこへやらの日本共産党の今後は何処へ?

3. 中川隆[-11096] koaQ7Jey 2019年10月01日 16:28:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1724] 報告

不破哲三が金の亡者になった経緯

緊急特番「チュチェ思想研究会inチャンネルくらら」
篠原常一郎 上念司【チャンネルくらら・3月4日配信】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EI0I2uJDl1A

4. 中川隆[-11080] koaQ7Jey 2019年10月03日 03:33:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1742] 報告

不破哲三が金の亡者になった経緯 2


#2019-09-13 テーマライブ「拉致被害者とチュチェ思想」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=osnB_Q3PXNI

5. 中川隆[-11030] koaQ7Jey 2019年10月05日 17:46:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1795] 報告

篠原常一郎 オレの話し。古き良き時期の日本共産党幹部たちの思い出 #2019-09-09 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xTAQ5To7IpQ


2019/09/08 に公開

ご要望にお応えしての共産党良き時代の思い出話。
正森成二、吉岡吉典、上田耕一郎のエピソード、現職国対幹部に不正行為をやらされ話。

6. 中川隆[-11015] koaQ7Jey 2019年10月07日 09:28:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1813] 報告
#2019-09-14 オレの話し。マルクス主義とレーニン主義。
コミュンテルンからチュチェ思想まで。 破綻しても共産主義の強い影響力 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=13D9s1RxP1U


#2019/09/14 オレの話し。マルクス主義とレーニン主義。コミンテルンからチュチェ思想まで。 破綻しても共産主義の強い影響力。

マルクス主義とレーニン主義は違う?
元共産党員が語る共産主義のあれこれ〜コミンテルンからチュチェ思想まで
体制としての共産主義が破綻しても、21世紀の今まで強い

体制として破綻しても21世紀の今まで強い影響を持つ共産主義。マルクスから解き明かし、独裁主義につながる民主集中制を持ち込んだレーニン、さらにコミンテルン結成とその支部として生まれた日本共産党。一方で平和的な議会主義のドイツ社民党の中に生き続けるマルクシズム、マルクス・レーニン主義を掲げて日本共産党と覇を競った旧日本社会党…泡盛を啜りながら問題意識を語りました。

7. 中川隆[-14818] koaQ7Jey 2019年11月19日 21:06:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1905] 報告

チュチェ思想と不破哲三さん




なんと、不破哲三さんが最近もチュチェ思想批判に関わる本を出していた!…チェックせず大反省だが、中身は志位和夫さんの言ってることと違う(汗)
8. 中川隆[-13067] koaQ7Jey 2020年4月20日 18:51:26 : at6ayMU0Ck : WklkR3pzU3dhZmM=[55] 報告
残酷を直視できない「事なかれ主義」の日本人 2020年04月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1097.html

「残酷を直視できない事なかれ」は1960年代末の全共闘運動のなかで、すでに見られた。

 「命を賭して」なんて勇ましいかけ声があふれかえるなかで、東大安田講堂や新宿の路上騒乱でも、飛び交うのは命どころか、せいぜい、石と火炎瓶程度にすぎなかった。

 対する警察側も、せいぜい警棒とジュラルミンの盾、それに催涙弾程度だった。
 「命を賭した」ならば、実弾が飛び交うのが筋であり、結末は天安門事件のように残虐な死体の山ということになるべきだった。

 私も興奮しながら参加した、あの当時のデモも、結局、かけ声ばかりで、残酷を直視する姿勢はなく、「事なかれ主義」が横行していたのである。

 今回の新型コロナ騒動の全体像が、日を追うごとに鮮明になりつつあるが、それらの流れのなかで、浮き上がってきた問題点も、はっきり見え始めている。
 私が、1月末の報道(主に羽鳥MS)から一貫して感じているのは、日本政府や関係者の共通点、うんざりするほどの「事なかれ主義」である。

 安倍晋三がコロナ禍をひどく軽く考え、オリンピック開催を第一義に情報操作する姿勢を見せていたのは、はっきり分かった。
 PCR検査をしたがらないのも、疫病パンデミックという恐ろしい事態を矮小化、小さく、軽く見せようとして、なんとか無理矢理でもオリンピックを実現したい、という軽薄な考えの上に、見せかけだけの対策を行っている姿がはっきり見えていた。

 とにかく、事態の深刻さを直視したくない。政権の人気取りだけは大げさに報道するが、直面する事態を軽く見せかけ、すぐにでも解決できるようにしか公表しない。

 期待していた「オリーブの木」の黒川君までも、コロナ禍に関して「事なかれ」姿勢が見えたので、本当にがっかりした。そういう姿勢では、これからの恐ろしい時代を真正面から切り開くことなどできるはずがない。
 靖国神社を参拝するなどの無益な冒険を敢行できるなら、もっと真剣に問題を受け止められるはずだ。

 メディアの司会者の大半も、事態の深刻さを理解できている者は、テレ朝の玉川徹を除いて、ほとんどいなかった。
 日本人は、どうして、ここまで現実にある問題の矮小化=「ことなかれ」が好きなのだろう?
 私は、「残酷を直視できない」日本人の文化的パーソナリティに大きな問題があるような気がしている。

 外国映画やドラマを見ていると、日本では、まずお目にかかれない残虐シーンが、これでもかと豊富に出てくる。
 フリンジ・NCIS・Bones・lie to me 手元にあるDVDをみても、ほぼすべてのドラマが、まるで残虐シーンの競争をしているように、これでもかと破損腐敗した遺体をリアルに題材にしている。

 戦争映画でも、ライアン・地獄の黙示録・プラトーン・フルメタルなど、すべての映画に、銃弾で頭が吹っ飛ぶシーンとか、銃器自殺とか、本当の殺人シーンを再現しているような迫力のある残酷シーンが目白押しだ。

 翻って、日本映画やドラマで、遺体の出てくるシーンがあったとしても、アンチリアリティの制約でもあるのかと思える実に抽象的で陳腐な表現ばかり。
 人が死んでいても、アメリカドラマのように脳味噌が吹き飛んだり、腐敗してウジが湧いていたり、血糊が変色して黒ずみ、真っ黒の臓物が飛び出していたりするシーンは、ほとんど見たことがない。

 以下は、残酷と称する映画の予告編だが、アメリカの映画関係者が見たら、お笑い芸人の遊びにしか見えないだろう。
 https://www.youtube.com/watch?v=DK0Z2F06U5A

 血が噴き出たり、肉片が飛んだりの現実感が希薄なのだ。だから、座頭市など日本映画のチャンバラシーンは、現実感のない観念的な映像ばかりだったので、「殺人でなく、体操にすぎない」と、海外では不評だった。
 後に、勝やタケシが、少しはリアリティのある殺陣を公開してみても、どこか芝居じみて現実感に乏しい表現から逃れられないでいる。

 テレビドラマで、毎回死体が登場する、沢口靖子の科捜研シリーズとか、内藤剛志の刑事シリーズなども、24時間経た遺体の血糊が顔料赤のままになっていて、リアリティからほど遠い子供だまししか感じ取れず、現実感・空気感・肌に染み入る衝撃を感じることができないことにより、とてもアホらしくて見ていられない。

 日本製の映画やドラマが評価されないのは、こうした真実・現実から乖離した観念的でリアリティのない表現ばかりであることが最大の原因だろう。演出家たちは、かつて川内康範が作詞のリアリティを得るため日航機事故の遺体置き場に通ったような努力が必要だろう。

 というより、こうした「残酷を直視できない事なかれ」は、戦後のある時期までは、戦争の残虐を体験させられたことの反作用だったのだろうが、その後、日本人から勇気や精神的タフネスを奪うために、意図的に演出された路線だったような気さえするのだ。

 もう少し言えば、これはCIAの日本国民コントロール政策に含まれた陰謀だったかもしれない。
 「血を見ることを嫌悪する」心優しい日本人ばかり作って、小さな犠牲を厭わず戦闘的な姿勢を奪い去る仕掛けだったかもしれないのだ。
 こうした傾向は、1960年代末の全共闘運動のなかで、すでに見られた。

 「命を賭して」なんて勇ましいかけ声があふれかえるなかで、東大安田講堂や新宿の路上騒乱でも、飛び交うのは命どころか、せいぜい、石と火炎瓶程度にすぎなかった。
 対する警察側も、せいぜい警棒とジュラルミンの盾、それに催涙弾程度だった。
 「命を賭した」ならば、実弾が飛び交うのが筋であり、結末は天安門事件のように残虐な死体の山ということになるべきだった。

 私も興奮しながら参加した、あの当時のデモも、結局、かけ声ばかりで、残酷を直視する姿勢はなく、「事なかれ主義」が横行していたのである。
 「これが日本人の文化的パーソナリティ」と言ってしまえば、それまでだが、世界の他国では、アメリカの映画やドラマに出てくる残酷こそが真実なのだ。
 日本人は、あるべき真実を、たくさんのオブラートで包んで、雰囲気だけを味わって「行き着くべきところに行き着かない」という臆病さがあると考えるべきだろう。

 こうした日本的臆病が、今の日本政府の「事なかれ主義」による重い重い、無意味な政策の羅列につながっていて、日本人が事態を正しく直視することを妨げている。
 それどころか、日本的事なかれ主義は、今や、ネット界の主流にもなってしまっている。
 ユーチューブも、残酷シーンがわずかでも含まれている動画は、片っ端から削除していて、昔のような自由な情報収集が不可能になっている。
 今、私が、この文章のなかで「残酷シーン」を紹介しようとしたら、ほぼすべてのシーンが削除されてしまって、これでは「残酷」とは何であるのか、子供たちに理解させることさできなくなっている。

 まさに日本流事なかれ主義が、世界のSNSを制覇しているような状況で、かつてイスラム国が捕虜の首を切断する生々しい映像も、今や探し出すことさえできない。
 逆に言えば、ネットSNSを利用している世界中の読者は、世界には残酷が存在しない、蝶と花だけの世界であるかのような洗脳をもたらしているのではないか?

 ネット上には、ネットの残酷シーンに拒絶反応を示して、追放を要求する知性も思索もない馬鹿が溢れているが、現実社会が蝶や花だけの世界と勘違させられている連中が、いざ、コロナ禍のような事態に遭遇して、対策を正しく考えることなどできるはずがない。

 我々の人生には、苦もあれば楽もあり、天国もあれば地獄もある。人生に真正面から対峙し、苦難を克服するには、良いことも悪いことも、あらゆるすべての情報が必要なのだ。
 ユーチューブのように、「残酷排除」のような愚かな姿勢では、子供たちは正しい人生観を持てなくなる。
 我々は、すべての真実を隠蔽しないで見せるメディアを必要としているのではないのか?
 もう、いいかげん「事なかれ主義」は追放されなければならない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1097.html

9. 2020年6月05日 15:54:47 : CHEpe0BMzk : Zy4uZzNMa2NtWDY=[9] 報告
「不破哲三」夫人が逝去 共産党の“実質トップ”だった素顔
週刊新潮 2020年6月4日号掲載

姉さん女房だった(他の写真を見る)

 5月17日、91年の人生をひっそりと閉じた上田七加子(なかこ)氏。日本共産党の前議長・不破哲三氏(90)=本名・上田建二郎=の奥方である。

速報自民党議員がご近所トラブル 焼肉店に「ダクトとファンを使うなら1日150万円払え」

「長野生まれの七加子さんは、戦後、19歳で共産党に入党。不破氏と出会い、大恋愛の末に結婚して、晩年までおしどり夫婦ぶりは変わらなかったといわれています」(共産党ウォッチャー)

 生涯、党の役職には就かず、一党員として不破氏に寄り添った七加子氏。
 日本共産党にその晩年の様子を尋ねてみても〈お立場は、私人であり、党としてコメントすることはありません〉と、そっけない。

 しかし、

「私人だなんてとんでもない。七加子さんは紛れもなく、共産党の最高実力者でしたよ」

 そう笑って話すのは、元共産党員。

「選挙の遊説でも不破さんの行くところには七加子さんがお供して、商店街の方たちなんかに頭を下げて回っていました。それに、不破さんの演説を赤旗が記事にする際には、事前に七加子さんに見せるんです。彼女が原稿を削ったり書き加えたりして、まったく違う内容の文章になることも」

 七加子氏が特にご執心だったのは東京都委員会。

 元共産党政策委員長の筆坂秀世氏によれば、

「不破さんの地盤でしたから、自分の庭くらいに思っていたのではないでしょうか。あまりに口出しをするので、中国共産党の毛沢東の妻・江青をもじって“ああせい、こうせい”なんて呼ばれていましたね。不破さんにとって彼女の言うことは絶対でした」

 晩年は神奈川・北丹沢の大豪邸で優雅に隠居生活。大往生であった。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06050802/?all=1

10. 2020年6月05日 17:47:24 : CHEpe0BMzk : Zy4uZzNMa2NtWDY=[13] 報告
日本共産党の七不思議…不破哲三前議長の大豪邸住まいと”芸名使用”が話題に


不破哲三日本共産党前議長(88)が時事通信のインタビューに応じ、天皇制や元号問題について語るも、なぜかSNS上では前議長の大豪邸と芸名疑惑に興味が集中、明らかになった超ブルジョアぶりに騒然となっている。

不破氏が久々にメディアに登場、3月24日の時事通信のインタビューの中で、天皇の政治関与を禁止した憲法4条について「昭和天皇の時代には、ほとんど守られなかった」「現天皇は心得ている」とする自論を述べた。また元号問題についても「時代が区分される時代ではない。やめた方がいい」とする提言をみせ、カリスマの健在ぶりを示した。

だが、この不破氏のインタビューに対し、作家・百田尚樹(62)が(内容とは無関係に)「共産党の不破哲三前書記長の邸宅がどれほど凄いものか、末端の共産党員は知っているのだろうか。門から屋敷に辿り着くまで、車で森の中を走る大邸宅なんて、滅多に住めない。凄い蓄財力だ。要するに、これが共産党。ちなみに『不破哲三』というかっこいい名前は芸名で、本名は上田健二郎」といったツイートを投稿して、これが反響を呼ぶ大盛り上がりをみせている。

百田氏の発言へのリツイートの中には「こうした人物が平等を標榜するのだから無茶苦茶」「この中で専属シェフによる高級フレンチを食べてるわけですね。『なぜ差別は無くならないのか?』とか言いながら」「中国共産党と同じ構図ってことですね。知らぬは末端の支援者だけ…」「格好いい名字には小学生の頃憧れましたね」などと平等を説きながら桁外れのブルジョアを謳歌する日本共産党指導者の暮らしぶりに興味が集中した。

■用心棒と運転手、料理人が常駐する小学校よりデカい大豪邸

不破氏の大豪邸は、16年7月の週刊文春(文藝春秋社)の「引退後も特権享受不破哲三は『赤い貴族』」なる記事で紹介されている。場所は神奈川の別荘地・津久井の山中深くにあり、広さは3265平米(約九百八十八坪)。航空写真でみると近所の小学校と変わらぬ大きさを誇っている。

敷地の所有者は不破哲三こと上田健二郎氏ながら、敷地内にある4棟の建物の内、2棟は日本共産党の所有物という公私の線引きのない形態となっている。そして建物には「不破氏の秘書、ボディーガード兼運転手、料理人が常駐していた」と関係者は語っている。

だが、なぜ不破氏は日本共産党のトップといえど、このような大豪邸が建てられたのだろうか。日本共産党の元党員・篠原常一郎氏による月刊正論(16年11月号/産經新聞社)の「幹部の収入を暴露!」という記事によれば、2つの秘密があるという。1つには、一般の党職員と幹部の給与格差がある。日本共産党でエリートといわれている常任幹部会委員で最低年収1000万円以上が保証されている。若い職員や地方の党職員の給料とは雲泥の差があることは言うまでもない。

2つ目は著書の印税に秘密があった。党内では「幹部の印税は中央財政に繰り入れられる」と説明しているがそれはウソだというのだ。幹部が出した出版物は党機関紙のしんぶん赤旗で宣伝しまくり、末端党員に購買をすすめつつ、少なめに刷った最初の「一刷分の印税」を党に寄付した後、二刷分以降の印税すべてを著者の懐に入れるという巧妙な稼ぎのテクニックがあるという。

平等を訴える共産党指導者の、桁外れのブルジョアぶりは世界共通のようである。ただし、名誉のために付記するが、同党の志位和夫委員長(63)のご自宅は慎ましやかな公団分譲マンションなんだとか。くれぐれも志位委員長や小池晃副委員長(57)には庶民の味方という立場を貫いてもらいたいものだ。

https://news-vision.jp/article/188154/

11. 中川隆[-5594] koaQ7Jey 2021年4月17日 18:25:16 : RSLdzPRb1s : Y0wwMFV6MDlreDI=[48] 報告
コミンテルン成立後は、各国への政治的干渉と、組織化があり、北欧各国や英国には、たくさんのソ連スパイがいた。それは冒頭の番組に取り上げられたように、小さな町の女給さんやお手伝いさんに至るまで共産党スパイ組織が存在した。

 当時、日本でも同じように、コミンテルンによるゾルゲ事件が起きていた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3#:~:text=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3%EF%BC%88%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AA%9E%3A%20%D0%9A%D0%BE%D0%BC%D0%B8%D0%BD%D1%82%D0%B5%D1%80%D0%BD%E3%80%81,%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

 日本の場合は、日本共産党がコミンテルンの代理人として、国内の共産主義拠点を成立させることに奔走し、たくさんの共産党員を生み出した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

 だが、共産党はコミンテルンの下部組織であり、すべてソ連共産党中央委員会の指示に従わねばならず、主体的で良識ある活動家は、共産党から離れていった。
 また、不可解なことに、宮本顕治・野坂参三・市川正一など、共産党草創期の大幹部たちは、山口県、それも田布施周辺出身者が多い。岸信介・佐藤栄作兄弟、明治天皇になった大室寅之佑などだが、この謎は、まだ分かっていない。

 私の若い時代、1970年代でも、古い共産党オルグが無数にいたが、原水禁運動を巡って共産党の独善的な運動破壊が起きて、頗る評判を落としたことで、共産主義運動は勢いを失っていた。
 それは、「原水禁運動」が国民運動として巨大な盛り上がりを見せているそのときに、突如、共産党が「原水協」を結成し、「社会主義・共産主義国家の核兵器は民衆に必要なもの」という屁理屈を押しつけることで原水禁運動を破壊したことによるものだった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%B0%B4%E7%88%86%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 また、私が高校生だったころも、学内に全共闘派と民青同盟派の深刻な争いがあって、運動の統一と団結が決定的に阻害されていたが、これもコミンテルン崇拝残党の指示だったともいわれる。
 私個人のコミンテルンに対する印象をいえば、スターリンがコミンテルンを私物化し、ソ連の利権にのみ奉仕させる機関に変えたことで、日本共産党も硬直し、徹底的な組織主義的行動で、人間的な温かみや説得力を失い、共産党離れの決定的な原因を作ったと考えている。

 日本共産党が、組織主義を前提に、トップの志井体制が20年以上も続いている、いわば独裁体制が成立していることで、組織は極めて風通しの悪い、非民主的性格を帯びていると思わざるをえず、もはや共産党の国民思想運動としての復権はありえないだろう。
 また、共産党は東大のようなブランドに執着しているエリート崇拝者が多いともいわれ、これでは広く人々の支持を集めることは不可能だ。

 ソ連邦が解体され、ロシアが復活した今では、ソ連時代の独善的な本質が露骨に表に出てくるようになり、プーチン体制とは、私権、私利私欲、強欲な利己主義の代名詞になっている。プーチンは、ただ自分の権力を誇示し、自己陶酔したい一心で領土拡張に邁進し、北方領土の返還も拒否している。

 また、中国共産党が、人間性を崩壊させた強欲ぶりを発揮していることから、人々の共産主義や共産党勢力への不信感を加速させている。
 まさに、中国・ロシアのむき出しの強欲、非人間的行為が、共産主義思想の崩壊を招いているというべきだろう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1466.html

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