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西洋の達人が悟れない理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 8 月 05 日 20:53:38: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: イエスが殺された本当の理由 投稿者 中川隆 日時 2010 年 7 月 17 日 23:32:33)


西洋の達人が悟れない理由
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/608.html

こんな女に誰がした _ 女は怖い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/348.html

こんな女に誰がした _ 欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/353.html

タイは天国に二番目に近い国 2 _ 誰が私をこんな女にした
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/378.html

アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html

独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!!
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html

イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html

東洋ではどんな分野の達人でも超能力者
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/607.html

リヒアルト・ヴィルヘルムと易
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/606.html


釈迦は何故日本に再誕したか 1__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/341.html

釈迦は何故日本に再誕したか 2__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/342.html
 

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コメント
 
01. 2010年8月08日 14:15:25: MiKEdq2F3Q

西洋の達人が悟れない理由 1 _ タルコフスキー1
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/608.html

西洋の達人が悟れない理由 2 _ タルコフスキー2
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/629.html

西洋の達人が悟れない理由 3 _ タルコフスキー3
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/630.html

西洋の達人が悟れない理由 4 _ タルコフスキー4
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/631.html


02. 2010年12月13日 11:02:56: MiKEdq2F3Q

T. ロシアのキリスト教

ドストエフスキー『白痴』 監督:ウラジーミル・ボルトコ

出演:エフゲニー・ミローノフ/ウラジミール・マシュコフ/リディヤ・ヴェレツェワ


http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E7%97%B4-%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%8E%9F%E4%BD%9C-DVD-%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B3/dp/B003FZ0M28/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1288926970&sr=1-1


Idiotul Идиот 2003 Ep 1/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+1%2F10+ROMANIAN+SUB+&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 2/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+2%2F10+ROMANIAN+SUB+&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 3/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+3%2F10+ROMANIAN+SUB+&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 4/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+4%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 5/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+5%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 6/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+6%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 7/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+7%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 8/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+8%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 9/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+9%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

Idiotul Идиот 2003 Ep 10/10 ROMANIAN SUB
http://www.youtube.com/results?search_query=Idiotul+%D0%98%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D1%82+2003+Ep+10%2F10+ROMANIAN+SUB&aq=f

ドストエフスキー『白痴』 監督 黒澤明

キャスト

原節子(女優) 那須妙子
森雅之(男優) 亀田欽司
三船敏郎(男優) 赤間伝吉
http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E7%97%B4-DVD-%E9%BB%92%E6%BE%A4%E6%98%8E/dp/B00006RD6E


http://www.youtube.com/watch?v=6FMZES0LcO8&feature=&p=2B18B05370C9583E&index=0&playnext=1
http://www.youtube.com/watch?v=HFXicWB-ImU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=8qSake-Csf8&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=0-LorujyjVE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RsOfAOpbdoI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=qOaZzl7JQrk&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=KsCG2M9QxFA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=kdjrrcoCb2Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aMO1VQhoc7w&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=xBWVS8Dph_w&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YC9dC5Sbfd0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=-vcDw3QKUl4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=AzCa0Fr2FlY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Mwe95-ee1Rc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DsOmTcoClj4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=fj9IwO7U5Iw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=eO7ryjZhyPQ&feature=related


 「あたし今酔ってますの、将軍、」

ナスターシャ・フィリッポヴナはいきなり笑い出した、

「あたし浮かれ騒ぎたいわ! 今日はあたしの日、あたしのたった一度のお祭りの日、あたしの閏の日、あたしこれを長いこと待ってたのよ。

ダーリヤ・アレクセーエヴナ、ごらんなさいよ、この花束紳士、ほらこの monsieur aux camelias [椿の紳士]、ほら座ってあたしたちを笑ってる・・・」


 「私は笑っていません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、私はただ非常に注意して聞いています」とトーツキーは重々しく応酬した。


 「あーあ、何のためにあたし、まる五年その人を苦しめて解放してあげなかったのかしら! それに値する人かしら!

単にああいう人なのがあたりまえだったってこと・・・

むしろあたしがあの人に対して罪がある、ってあの人思ってるのよ。教育だって受けさせたし、伯爵夫人みたいに養ったし、お金だって、お金だって、どれだけかかったか、立派な夫をあっちにいた時も見つけてくれたし、こっちでもガーネチカをね。

あんたどう思うかしら、あたしこの五年あの人と暮らさないで、お金だけは取って、それが正しいって思ってたのよ! まったくあたしどうかしてたのね!

あんた言ったわね、いやなら十万取った上で追い出せって。 確かにいやだけど・・・

あたしだってとっくに結婚できたし、それもガーネチカじゃないけど、それだってもうすごくいやだった。 それになんのためにあたし、あたしの五年間を意地悪なんかで失ってしまったんでしょう!

ねえ信じられる、あたし四年前に時々考えたの。 もうほんとにアファナシー・イワノヴィチと結婚しちゃだめかなって。 あたしその時は悪意でそう考えたの。 その頃はどんなことだって頭に浮かんだものよ。

あら、ほんとよ、こっちが無理強いすればね! 自分からにおわしていたことだし。

あんた信じない?

確かにあの人、嘘をついてたんだけど、そりゃもうすごい欲張りで我慢できないからよ。それから、まあありがたいことに考えついたわ。

あの人、そんな意地悪をする価値があるかしら!

するとその時急にあの人がいやになってね、あっちから求婚してきたって、するもんじゃないわ。 それでまるまる五年、あたしはお高くとまってた。

いいえ、もう街角に立った方がいい、それがあたしには当然なのよ!

でなきゃラゴージンと浮かれ騒ぐか、でなきゃ明日には洗濯女になるわ!

だってねえ、あたしには自分の物は何もないのよ。

行くわ、何もかもあの人に投げつけて、最後のぼろきれまで捨てて、それで何もないあたしを誰がもらってくれる、 ほら、ガーニャに訊いてごらんなさいな、もらってくれるかどうか?

あたしなんかフェルディシチェンコももらってくれないわ!・・・」

 「フェルデシチェンコはもしかするともらいません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、僕は率直な人間です、」

フェルディシチェンコがさえぎった、

「かわりに公爵がもらいます! あなたはそこで座って泣いていますが、ちょっと公爵を見てごらんなさいよ! 僕はもうずっと観察してますが・・・」


 ナスターシャ・フィリッポヴナは公爵に好奇の目を向けた。

 「本当?」と彼女は尋ねた。

 「本当です」と公爵はささやいた。


 「もらってくれるの、このまま、手ぶらで!」

 「もらいます、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・」

 公爵は、悲しげな、厳しい、鋭い目つきで、相変わらず彼を眺め回しているナスターシャ・フィリッポヴナを見つめた。


 「ほらまた現れたわよ!」

彼女は不意に、再びダーリヤ・アレクセーエヴナの方を向いて言った。

「ともかくほんとに優しい心からなのよ、あたし知ってるんだから。

篤志家を見つけたわ! ああでも、ほんとうかもしれないわね、この人のことをほら・・・あれだって。

どうやって暮らしていくの、もしほんとにそんなに夢中になって、ラゴージンの女を、自分のその、公爵夫人にするって言うなら?・・・」


 「僕がもらうのは立派ななあなたです、ナスターシャ・フィリッポヴナ、ラゴージンのものじゃありません」


と公爵は言った。

 「立派ってあたしのこと?」

 「あなたです。」


 「ああ、それはどこか・・・小説の中のこと!


それはねえ、公爵さん、昔の空想。

現代では世の中利口になって、そんなのはみんなナンセンスなのよ!

それに何で結婚するの、あんたには自分にまだ乳母が必要よ!」


 公爵は立ち上がり、おずおずとした震える声ではあるが、同時に深い信念を持った様子で話した。


 「僕は何も知りません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、僕は何も見たことがありません、おっしゃる通りです、

が、僕は・・・僕は思うんです、あなたは僕の、僕があなたのではなく、名誉です。 僕はつまらないものですが、あなたは苦しんで、そんな地獄から汚れなく現れた、これは大変なことです。

なぜあなたは自分を恥じてラゴージンと出かけようとするんです?

それは熱病です・・・ あなたはトーツキーさんの七万を返したし、

すべて、ここにあるものすべてをなげうつと言いますが、そんなことはここでは誰一人しません。

僕はあなたを・・・ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・愛します。

僕はあなたのために死にます、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・

僕は誰にもあなたのことで何か言わせません、

ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・僕たちが貧乏したら、僕が働きましょう、ナスターシャ・フィリッポヴナ・・・」


 ____________


 「聞いてる、公爵、」

ナスターシャ・フィリッポヴナは彼に話しかけた、

「あんなふうにあんたのフィアンセを下種が売り買いしてるわよ。」

 「酔ってるんです」と公爵は言った。

「あの人はあなたをすごく愛しています。」


 「それであんた後で恥ずかしくならないかしら?

あんたのフィアンセは危うくラゴージンと行ってしまうところだったのよ。」


 「それは熱のせいです。あなたは今も熱があって、熱に浮かされているようです。」

 「それと後であんた、あんたの女はトーツキーの愛人だったって言われて恥ずかしくない?」

 「いいえ、恥ずかしくありません・・・あなたは自分の意志でトーツキーさんの所にいたのではありません。」


 「では決して責めない?」

 「責めません。」


  「ナスターシャ・フィリッポヴナ、」公爵は静かに、同情するように言った、


「あなたが今、取り返しのつかないほど自分を破滅させようとしたのは、あれから決して自分を許そうとしないからです。あなたには何の罪もないことなのに。

あなたの人生がすっかりもう滅びたなんてはずはありません。

誇り高いあなたですが、ナスターシャ・フィリッポヴナ、でも、あるいはあなたはもう、不幸せのあまり、本当に自分が悪いと思っているかもしれません。

あなたには充分ないたわりが必要です、ナスターシャ・フィリッポヴナ。

僕があなたをいたわりましょう。

僕はさっきあなたの写真を見て、よく知っている顔を認めたような気がしました。

僕にはすぐに、その時まるであなたが僕を呼んでいるかのように思われました・・・
僕・・・僕はあなたを一生大切にします、ナスターシャ・フィリッポヴナ。」

 「ありがとう、公爵、今まで誰も私にそう言ってくれなかった、」

ナスターシャ・フィリッポヴナは言った、

「私は売り買いされるばかりで、結婚はまだ誰一人ちゃんとした人は申し込んでくれなかったわ。

お聞きになった、アファナシー・イワノヴィチ?

公爵の言ったこと、あなたにはどう思われたでしょう?

あまり慎みがないかしらねえ・・・

ラゴージン!あんた行くのはちょっとお待ちよ。

でもあんた、どうやら行きゃしないわね。

もしかしたらあたし、まだあんたと一緒に出かけるかもしれないわよ。

あんたどこへ連れて行くつもりだったの?」


 「エカテリンゴフですよ」と、隅からレーベジェフが告げたが、ラゴージンは身震いひとつすると、自分を信じかねるように一心に見つめていた。

彼は頭を強打したかのように、すっかり麻痺していた。


 「まああんたどうしたの、あんたどうしたのよ、ねえ!

ほんとに発作を起こしてるんじゃないの。 それとも気が違ったの?」

ダーリヤ・アレクセーエヴナはびっくりして飛び上がった。


 「あらあんた本気にしてたの?」

ナスターシャ・フィリッポヴナは笑いながらソファから飛び上がった。

「こんな赤ちゃんをめちゃめちゃにしちゃうわけ? それならちょうどアファナシー・イワノヴィチがいるじゃない。 あの人はね、小さな子が大好きなのよ。

行くわよ、ラゴージン! 自分の包みを持って!

結婚したいってのもかまわないけど、そのお金はやっぱりちょうだいね。

あたしはまだあんたと一緒にならないかもしれないわ。

あんたはさ、結婚もするつもりだけど、包みも手元に残ると思ってたんでしょ?

ばかね! あたしだって恥知らずよ!

あたしはトーツキーの愛人だったのよ・・・

公爵!

あんたに今必要なのはアグラーヤ・エパンチナであって、ナスターシャ・フィリッポヴナじゃないの、でないとフェルディシチェンコに後ろ指さされることになるわ!

あんたは怖くなくたって、あたしはあんたをだめにしてそれを後であんたに責められるのが怖いの! それにあんたは堂々とあたしがあんたに名誉を与えるって言ってくれたけど、それについちゃトーツキーさんがよく知ってるわ。

それとアグラーヤ・エパンチナといえば、ガーネチカ、あんた取り逃がしたわね、あんたそれわかってる? あんたが駆け引きしたりしなければ、あの人きっとあんたと一緒になったわ!

あんたがたはみんなそんなふう。

相手にするなら恥ずべき女か、立派な女か、どちらかひとつよ!

でないときっとごたごたするから・・・見て、将軍たら、口をぽかんと開けて見てる・・・」


 「こりゃソドムだ、ソドムだ!」と将軍は肩をすくめながらつぶやいた。

彼もソファから立ち上がった。

再び皆が立ち上がっていた。

ナスターシャ・フィリッポヴナは狂乱状態のようだった。


 「まさか!」公爵は両手をよじりながらうめいた。


 「あんたは違うと思った?

あたしはね、高慢かもしれないけど、かまわないわ、恥知らずで!

あんたさっきあたしを完璧と言ったわね。

見事な完璧だわ、虚栄心ひとつで、百万も公爵の身分も踏みつけにして、スラムに行くのよ!

さあ、こうなるとあたし、あんたにとってどんな奥さん?

アファナシー・イワノヴィチ、なにしろ百万だってあたしはほんとに窓から放り投げちゃったのよ!

あなたどうして思ったの、あたしがガーネチカと、あなたたの七万五千と結婚するのを幸せと考えるなんて?

七万五千はあんた取っときなさい、アファナシー・イワノヴィチ、

十万とまでいかなかったのは、ラゴージンの勝ちね!

ああ、ガーネチカはあたしが慰めてあげなくちゃ、ひとつ思いついたわ。

ああ、あたし歩きたくなったわ、だって街の女だもの!

あたしは十年牢獄に座って過ごして、今が幸せなの!

どうしたの、ラゴージン?用意して、行くわよ!」


 「ねえあんた何わめいてるの!」ナスターシャ・フィリッポヴナは彼を笑った。

「あたしはまだここでは主人よ。その気になればまだ一突きであんたを追い出すわよ。

あたしはまだあんたからお金をもらってないわ、ほらそこにある。 それをこっちにちょうだい、包みごと!

この包みの中が十万ね? へ、なんていまわしいこと!

どうしたの、ダーリヤ・アレクセーエヴナ? いったいあたしにこの人をだめにしたりできる?

(彼女は公爵を指さした。)どうしてこの人に結婚できるの、まだ自分に乳母が必要なのに。

そこにいる将軍がこの人の乳母になるわ。 ほら、彼につきまとってる!


見て、公爵、あんたの花嫁は金を取ったわよ、堕落した女だからね、

あんたはそんなのをもらおうとしたのよ!


でもあんた何よ泣いたりして?

ねえ、悲しいの?笑ってちょうだいよ、あたしみたいに」


と、話し続けるナスターシャ・フィリッポヴナの両の頬にも大粒の涙が二つきらめいていた。


「時を信じること−−何もかも過ぎてしまうわ。

後で考え直すより今の方がいい・・・


ああ、でもなんであんたたちみんな泣くの。 カーチャまで泣いて!

どうしたの、カーチャ、ねえ? あたし、あんたとパーシャにいろいろ残しとくからね、もう言いつけておいたのよ、でも今はさようなら!

あたしはあんたみたいな立派な娘にあたしの、堕落した女の世話をさせたりして・・・

これでいいのよ、公爵、ほんとにいいのよ、後であたしを軽蔑するようになって、あたしたち幸せにはなれないわ!

誓ってもだめ、信じないわ! それにどんなばかげたことになるやら!・・・

いいえ、気持ちよくさよならにしましょう

、だってそうしないとね、あたしは夢想家で、何の役にも立ちゃしないんだから!


あたしがあんたを夢見なかったと思って?

あれはあんたの言う通り、長いこと夢想したわ、


まだ村のあの人のうちにいて、五年間ひとりぼっちで過ごした頃。

考えて考えて、夢ばかり見続けたものよ。 するといつも、思い浮かんだわ、

あんたのような、優しくて、誠実で、いい人で、それでやっぱりばかそうな人が突然現れて言うの、


『あなたに罪はありません、ナスターシャ・フィリッポヴナ、

私はあなたを崇拝します!』

よくそんな空想をすると気が狂いそうになるものよ・・・

そこへほら、この人が到着するの。


年に二ヶ月滞在して、辱め、傷つけ、怒らせ、堕落させ、帰っていく。

それで何度も池に身を投げようとしたけど、卑劣だったし、心が弱かったから、

ええ、それでこうして・・・

ラゴージン、用意は?」


 「いつでもこいだ!近寄るんじゃねえ!」

 「いつでもこいだ!」といくつかの声が聞こえた。

 「鈴のついたトロイカが待ってるぜ!」

 ナスターシャ・フィリッポヴナは包みをつかんだ。


 「ガーニカ、あたしひとつ思いついたの。 あたしあんたにご褒美をあげたいの。 だってあんた何もかもなくしちゃっちゃねえ。

ラゴージン、この人は三ルーブリでワシリエフスキー島まで這っていくのね?」


 「這っていくさ!」

 「さあ、それじゃ、お聞きなさい、ガーニャ、あたしはこれが最後、あんたの心を見てみたいの。 あんたはまる三月あたしを苦しめた。 今度はあたしの番よ。

この包みを見て、十万入ってるのよ!

それをあたしは今、暖炉に投げ込むわ、火の中へ、みんなの前で、みんな証人よ! 火が全体を包んだ瞬間に、暖炉に手を突っ込むのよ、ただし手袋なし、素手で、袖をまくってね、それで包みを火から引っ張りだすのよ!

引き出したら、あんたのものよ、十万全部、あんたのものよ!
少しばかり指を焦がしても、なにしろ十万よ、考えてごらんなさい!

つかみ出すのは簡単よ!

あたしはね、あんたがどんなふうにあたしのお金のために火の中に突っ込むかであんたの魂を見るんだから。 みんなが証人、包みはあんたのものになるわ!

突っ込まなければ、そのまま燃えてしまうのよ。 誰にも許さないからね。

どいて!みんなどいて!あたしのお金よ!

あたしが一晩でラゴージンから取ったのよ。あたしのお金よね、ラゴージン?」


 「おまえのだとも!おまえのだ、女王様!」

 「さあ、それじゃみんなどいて、あたしがしたいようにするの!

邪魔しないで!フェルディシチェンコ、火を直して!」


 「ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が言うことを聞きません!」ぼう然としてフェルディシチェンコが答えた。

 「ああもう!」とナスターシャ・フィリッポヴナは叫んで火ばしをつかみ、くすぶっているまきを二つ掻き起こし、火が燃え上がるやいなや、その上に包みを投げた。

 まわりに叫び声が起こった。それどころか多くのものは十字を切った。

 「気が狂った、気が狂った!」まわりの人たちは叫んだ。

 「い・・・いいのかな・・・彼女を縛らなくて?」将軍がプチーツィンにささやいた

、「それとも入れてしまうか・・・だって気が狂ったんだろ、気が?狂ったんだろう?」

 「い、いいえ、これは完全な発狂ではないかもしれません」と、ハンカチのように青ざめ、震えながらプチーツィンは、くすぶりだした包みから目を離すこともできずにささやいた。

 「狂ってるね?狂ってるんだね?」と将軍はトーツキーを煩わせた。

 「毛色の変わった女だと言ったでしょう」と、やはり少し青ざめたアファナシー・イワノヴィチがつぶやいた。
 

 「ラゴージン、出発よ!

さよなら、公爵、初めて人間に会ったわ!

さようなら、アファナシー・イワノヴィチ、メルシー!」


 ラゴージンの一団は騒々しく大声を立て、叫びながら、ラゴージンとナスターシャ・フィリッポヴナの後に続き、部屋部屋を通り抜け、出口へ殺到した。

ホールでは娘たちが彼らにコートを渡した。

料理女のマルファは台所から駆け出してきた。ナスターシャ・フィリッポヴナは彼ら皆にキスをした。

 「では本当に奥様、私たちをすっかり見捨ててしまわれるんですか?

ではいったいどこへおいでですの? それにお誕生日に、こんな日に!」


と尋ねながら娘たちは泣き出し、彼女の手にキスしていた。


 「街へ出るのよ、カーチャ、

あんた聞いてたでしょ、そこがあたしの場所なの、でなけりゃ洗濯女よ!

アファナシー・イワノヴィチとはもうたくさん!

あの人にあたしからよろしくね、悪く思わないでね・・・」 
http://homepage3.nifty.com/coderachi/doct/idiot-1.html#ch11


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1. 『白痴』における虐げられた女性たちの考察 
 
―ナスターシャ・フィリポヴナの形象をめぐって 高橋誠一郎


はじめに ―― 『白痴』の主人公について


『白痴』においてドストエフスキーは、ムイシュキンにフランスの処刑制度を批判させながら

「聖書にも『殺すなかれ!』といわれています。それなのに人が人を殺したからといって、その人を殺していいものでしょうか? いいえ、絶対にいけません」

と明確に語らせていた。

 つまり、決定稿におけるムイシュキンは、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老や、若きアリョーシャにつながる風貌を持っている。

 そしてこのような「哲学者」的な風貌を持つムイシュキン像は、5000万人以上の死者を出した第二次世界大戦の反省を踏まえて製作された黒澤明監督の名作「白痴」でも、登場人物を日本人に移し替えながらも、

「滑稽」に見えるが、「一番大切な知恵にかけては、世間の人たちの誰よりも、ずっと優れて」いる人物

として、きわめて説得的に描き出されていた。

そして、そのようなムイシュキン像は本場ロシアや海外の研究者たちによってきわめて高く評価された。


 さらに、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いているように、「ドストエーフスキイの会」に集った日本の研究者たちも、同じような感想を抱いていた。

たとえば、「ドストエフスキーと黒澤明とはいわば私の精神の故郷である。他の多くの人にとってそうであるように」と記した国松氏も、ラストのシーンでアグラーヤ役の綾子が、


「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……

私……私、なんて馬鹿だったんだろう……

白痴だったの、わたしだわ!」


と語っていることに注意を促している。


 私はキリスト者ではないが、初めて『白痴』を読んだときからムイシュキンという主人公に、ドストエフスキーが与えようとした「キリスト公爵」としての風貌の一端を感じ、彼が語る「哲学」からは強い知的刺激や励ましをも受けてきた。

私も、重要な登場人物たちとの関係をとおしてドストエフスキーが描こうとしたムイシュキン像を再考察することにより、私が考える『白痴』の意義をドストエフスキーの愛読者に率直に提示して批判を求めたい。ただ、時間や紙数などの関係から、本発表ではナスターシャ・フィリポヴナの形象を中心に考察する。


(1) 『白痴』の時代とナスターシャの形象

 
 多くの研究者が指摘しているように『白痴』には、死にまつわるエピソードが多い。
たとえば江川卓氏は、

「とくに目立つのはムイシュキン公爵が死について語り、あるいは死に遭遇する機会が異常に多いことである」

とし、

「とにかくこの『白痴』では、いたるところに殺人、自殺、死がちりばめてある」
と記している。


亀山氏もドストエフスキーが

「ロシアから送られてくる新聞を貪るように読み、徐々に剣呑な状況へはまりこんでいく祖国の姿を遠方から固唾をのんで見守っていた」

とし、

「紙面にあふれかえる凶悪事件に、彼は文字通り圧倒された。

ウメツキー一家事件、マズーリン事件、ジェマーリン一家惨殺事件、商人スースロフ殺人事件。

『罪と罰』執筆時とは比べものにならぬほどの強い危機感が彼をとらえようとしていた」と書いている。


 たしかにこの指摘はドストエフスキーの当時の気持ちの一端をうがっているだろう。

しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』(1866年)で「悪人」と見なした「高利貸しの老婆」の殺害を行ったラスコーリニコフに、自分が犯した殺人と比較しながら、

「なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうがより高級な形式なんだい」

と反駁させていたが、同じ年に起きたプロシア・オーストリア戦争は、近代的な兵器による殺戮の大規模化と普仏戦争など新たな戦争の勃発をも予想させた。

このような戦争の拡大や軍国主義に危機感を抱いた平和主義団体は「民族の平和と自由の思想」を広めるためとして、翌年の9月にジュネーブで国際会議を開いた。


そこでロシアの代表として演壇に立ったのが、プラハやドレスデンの蜂起に参加し、「サクソニヤとオーストリヤとロシヤでは囚人」となり、二度も死刑宣告を受けながらも、脱出に成功したことで英雄視されるようになっていたミハイル・バクーニンであった。


そのバクーニンは、ロシヤ帝国を「人間の権利と自由の否定の上に成立している」と糾弾し、「未来のヨーロッパ連邦」を築くために滅亡させることを要求した。

グロスマンは「国際会議」でバクーニンが行った演説の内容を知ったドストエフスキーが「バクーニンを主人公にしてロシヤ革命を扱った小説を書こうという自分の意図」を固めたと書いている。

「平和のため」としながらも「火と剣」を要求し、「あらゆるものが絶滅したあとに初めて平和が訪れる」としたバクーニンの主張が、ドストエフスキーにきわめて深刻な印象を残したことは確かだろう。


 1862年の夏に「長いことあこがれ」ていた西欧への初めての旅行を行い、『冬に記す夏の印象』において

「数百万の富を有し、全世界の富を支配する」ロンドンの繁栄だけでなく、

労働者たちの住む貧民窟や「毒に汚されたテムズ河、煤煙にみちみちた空気」

など近代科学が生み出した環境の悪化をも記したドストエフスキーは、そこでゲルツェンやバクーニンとも会っていたのである。


 それゆえ、1869年11月にロシアでバクーニンとも深いつきあいのあったネチャーエフによる陰湿な殺人事件が起き、その翌月にはペトラシェフスキー・サークルの旧友でもあったドゥーロフの死を知ると、ドストエフスキーは『悪霊』のノートをとりはじめ、「スタヴローギン像の創造」に着手することになる。


 なぜならば、非凡人は

「自分の内部で、良心に照らして、血を踏み越える許可を自分に与える」

のだとラスコーリニコフに説明させて、「良心」理解が誤った思いこみに陥った際の危険性を具体的に示していたドストエフスキーは、予審判事のポルフィーリイに

「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」

と批判させていた。


そして、そのエピローグでは旋毛虫に犯されて自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が互いに殺しあって、ついに人類が滅亡するというラスコーリニコフの悪夢が描かれていたのである。


 ドストエフスキーがロシアのキリスト公爵として描こうとしたムイシュキンに、フランスの「死刑」を批判させることによって、「文明」の名のもとに自らの「正義」によって人を裁き、「他者」を殺すことへの鋭い疑問を投げかけていたことを思い起こすならば、『白痴』において死が多く描かれているのは、ある意味で当然だと思える。

ドストエフスキーはムイシュキンに

「骨の髄まで悪のしみこんだ者でも、…中略…自分の良心に照らして悪いことをしたと考えている」

が、自分の思想に基づいて殺人を行った者は、

「自分のしたことは善いことだ」と考えていると指摘させている。

『罪と罰』でラスコーリニコフの「自己中心的な理論」の問題点を指摘しただけでなく、暴利を貪る「高利貸し」の非道性も鋭く批判していたドストエフスキーは、『白痴』においても

「こんな男なら、お金のために人殺しでもするでしょうよ。

ねえ、いまじゃ人は誰でもお金に眼がくらんで、まるでばかみたいになっているんですからね」

とナスターシャ・フィリポヴナに語らせ、

「まだまったくの子供みたいな人までが、高利貸しのまねをしているんですからね」

と続けさせているのである。


 ナスターシャのこの言葉は、近代西欧社会の現実を踏まえた上でのドストエフスキーの鋭い問題意識を反映しているといえよう。

つまり、ドストエフスキーは『白痴』において金銭ばかりが重視され、金儲けのためには殺人をも厭わないような傾向をも示し始めたロシア社会を厳しく分析しているのである。


(2) ナスターシャ・フィリーポヴナとトーツキイの関係をめぐって


 『白痴』における主人公がムイシュキンであることには誰も異議はないだろうが、この作品を書いていたときにドストエフスキーはマイコフに宛てた手紙で、この長編小説には「二人の主人公」がいると書いて、ナスターシャの重要性を強調していた。


 このことに注目したロシアの研究者フリードレンデルは、ドストエフスキーがその作品において女性が虐げられていることの「社会的原因」や「女性のたどる運命の問題」を描き続けて来たとして、『椿姫』との関連も指摘している。


 実際、両親が所有していた村が火事で焼け、そのために苦労した母親が病死したあとでは妹たちが親戚に引き取られたという苦い体験をしていたドストエフスキーは、
第一作『貧しき人々』において、村の管理人を務めていた父親がリストラされたあとでの少女の苦難に満ちた人生を描き、

『白痴』においても両親が亡くなった後のナスターシャの苦難に満ちた人生に読者の注意を向けているのである。


 すなわち、ナスターシャの父は軍隊を退役した後で「所有地の少ないきわめて貧しい地主」となり、

借金を重ねるような貧乏暮しをしながらも、「幾年か百姓同様の怖ろしく辛い労働をつづけ」、

「財政をどうにか建てなおすことができた」矢先に、

債権者たちと話しあうために出かけた先で、自分の屋敷が火事で焼け、妻も焼け死んだという報せを受けて、

絶望のあまり「気が狂って、一カ月後には熱病で死んでしまった」。

 その後、「焼けた領地は、路頭に迷った百姓たちもろとも、借財の返済にあてられ」たが、

生き残った二人の女の子は、隣りに豊かな領地を所有していたトーツキイが「持ち前の義侠心から」手もとに引き取り、「支配人である大家族持ちの退職官吏のドイツ人の子供たちといっしょに」育てたのである。

 ナスターシャの妹は病気で亡くなったが、5年後に自分の領地を訪れた際に12歳になったナスターシャが美しく成長していたのをみたトーツキイは、「この道にかけては」、「決して眼に狂いのない玄人であった」ので、

ナスターシャに貴婦人としてふさわしいような特別な教育を施し始める。


 こうして、

「年頃の娘の高等教育に経験のある、フランス語のほかに一般学科を教えるりっぱな教養あるスイス婦人が家庭教師として招かれ」、

「ちょうど四年後にこの教育は終り、家庭教師の婦人は立ち去った」。

 その後で訪れた女地主は、

16歳になったナスターシャを「慰めの村」と呼ばれていたトーツキイの領地の一つである小さな村に「トーツキイの指図と委任とによって」、連れていき、
「しゃれた飾りつけ」の「建ったばかりの木造の家」に住まわせた。


 「慰めの村」と呼ばれていた小さな村でのトーツキイとの生活について、ナスターシャは
 
「そこへあの人がやってきて、一年に二月ぐらいずつ泊まっていって、
けがらわしい、恥ずかしい、腹の立つようなみだらなことをして、帰っていくんです。(……)

あたしは何べんも池に身投げしようと思ったけれど、卑怯にもその勇気がなかった」
と告白している。


 この言葉に注目した亀山氏は、

「わしらのなにより楽しみっていえば、娘っこに鞭打ちの仕置きを食わせることでしてね。

鞭打ちの役はぜんぶ若い衆にまかせるんですがな。

そのあとで、今日ひっぱたいたその娘っこを、明日はその若い衆が嫁にとる。
だから、娘っこたちにしてもそいつが楽しみなんですな」

という『カラマーゾフの兄弟』のフョードルが聞き及んだ田舎の老人の話を紹介しながら、

「トーツキイの快楽とは、田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式だったと私は思います」

と結論している。


しかし、「慰みの村」におけるトーツキイとナスターシャの関係から、「鞭の快楽」を連想することは妥当なのだろうか。


 なぜならば、亀山氏はトーツキイとナスターシャの関係を「領主と農奴の娘」の関係に擬しているが、

「慰みの村」でナスターシャが与えられた家には、「年寄りの女中頭とよく気のつく若い小間使い」がいたばかりでなく、「さまざまな楽器、少女むきのすばらしい図書室、絵画、銅版画、鉛筆、絵具が揃っており、素敵な猟犬までがいた」。


 つまり、ナスターシャはそこで「農奴の娘」どころか、「領主夫人」なみの扱いを受けていたのであり、

それゆえ、

「四年あまりの歳月が、何事もなく幸福に、優雅な趣のうちに、流れていった」と記されているのである。


 これらの文章はナスターシャと正式には結婚していなかったものの、おそらくトーツキイが将来的な結婚の約束を「慰みの村」で与えていた可能性が強いことを物語っていると思われる。

 そして下線の文章に注目するならば、

「トーツキイがペテルブルグでも富も家柄もある美貌の女(ひと)と結婚しようとしている」という「噂(うわさ)」を伝え聞いたときになぜナスターシャが、それまでとは「全く別の女性」として現れ、トーツキイには「結婚を許さない」と宣告したかが分かるだろう)。


 しかも、「小ねずみ」を語源とする「ムイシュカ」という単語から派生した「ムイシュキン」という滑稽な感じの名字をもつ主人公が、かつての名門貴族の出身であったと記したドストエフスキーは、

「子羊」を語源とするバラシコーワという名字を持つナスターシャの家柄についても
「かつては由緒ある貴族の出身」であり、「かえってトーツキイなどよりも家柄」がよかったとも記している。

 つまり、自分の所有する領地の一つの隣に住んでいた名門だが没落した貧しい貴族の夫婦が焼け死んだことで、トーツキイは慈善家のような形で名家の娘を育て、さらに愛人として所有していたのである。

それゆえ、トーツキイの結婚の噂を聞いたときに、初めて自分がパリの「高級娼婦」のような存在に過ぎなかったことを思い知らされたナスターシャは、「からからと大声で笑いながら、毒々しい皮肉を浴びせ」たのだと思える。

 このように見てくるとき、彼女が語る「腹の立つようなみだらなこと」とは、鞭打ちに快楽を感じるような性愛を指すのではなく、
それまで自分が愛の営みとして受け取っていた行為が、トーツキイの快楽の手段であったことへの怒りの言葉と見なすべきであろう。

 ただ、「鞭の快楽」が「田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式」とされているが、それは『地下室の手記』や『死の家の記録』など重要な作品の解釈とも密接に結びついているので、もう少しその点に触れておきたい。

 すなわち、亀山氏は、『地下室の手記』にはクレオパトラが

「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し、彼女たちが叫び、身もだえるのを見てよろこんだという」

というエピソードが書かれていることを紹介して、ここでは「ドストエフスキーの変貌は決定的なものになった」と断言しているのである。

そして、「おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある」と語る「地下室の男」の言葉を引用して亀山氏は、ここでは「受け身の快楽をことさら強調してみせることで、暗に虐待する人間の快楽を正当化するという戦法」がとられていると続けている。


 しかし、『イギリス文明史』で「楽観的な進歩史観」を主張した歴史家バックルにたいして、ドストエフスキーは「地下室の男」を敢然と立ち向かわせているとイギリスの研究者ピース氏が指摘しているように、

「歯痛にだって快楽はある」と語る主人公の論理は、屈折しながらも、きわめて鋭い西欧文明批判を秘めている。


 つまり、「地下室の男」はここで、

「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し」て喜んだクレオパトラの「野蛮さ」と、
「血はシャンパンのように」多量に流されている近代の戦争とを比較することで、「自己の正義」を主張して「他国」への戦争を正当化している近代西欧文明の方が、古代エジプトよりもいっそう「野蛮」であることを指摘して、バックルの主張に厳しい反駁を加えていたのである。


 さらに、貧しい人々を治療する医師だった父が、農奴の所有者になると一変して、農奴を鞭打つことも当然としたことを厳しく批判していたドストエフスキーは、亀山氏も指摘しているように、『死の家の記録』で笞刑を行うことに慣れた刑吏の心理を分析して、

「もっとも残酷な方法で」、「他者」を「侮辱する権力と完全な可能性を一度経験した者は、もはや自分の意志とはかかわりなく感情を自制する力を失ってしまうのである」
と指摘していた。

 つまり、「他者」にたいする鞭打ちという体刑を認めないドストエフスキーの姿勢は、『カラマーゾフの兄弟』まで変わることなく一貫していたのであり、そのように理解しないと子どもの虐待をめぐるイワンとアリョーシャの白熱したやり取りもその意義を失うことになると思われるのである。


(3) ナスターシャとロゴージンの形象をめぐって


 ナスターシャ・フィリポヴナのバラシコーワという名字が、「子羊」を語源とする「バラーシェク」という単語から採られていると記した亀山氏は、ムイシュキンの名前がライオンという意味のレフであることにも注意を促している。

そして、バラシコーワという名字は「アベルによって神に捧げられた犠牲の子羊のイメージ」と重なり合っているとし、「旧訳聖書の文脈に従うなら、ナスターシャはアベル=ムイシュキンによって屠られるべき存在です」と主張している。


 ただ、このような亀山氏のナスターシャ像は突然生まれたのではなく、ナスターシャの名前や父親の名前から造られるロシア独特の父称などに注目して、

ドストエフスキーには明らかに

「ナスターシャ・フィリッポヴナを鞭身派の一信徒に擬そうとする意図」

があったと解釈した江川卓氏の 『謎とき「白痴」』 から強い影響を受けていると思われる。


 すぐれた語学力と読解力を活かして、登場人物の名前や動詞の意味だけでなく、フォークロアや法律書にまで踏み込んだ鋭い分析がなされている江川卓氏の『謎とき「罪と罰」』(1986年)から私は、多くの知的示唆を受けた。


 しかし、『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』(1991年)の後に書かれた『謎とき「白痴」』(1994年)を読んだ時には強い違和感が残った。

おそらくそれは、ロゴージンやナスターシャの名前について言語的なレベルからの考察をとおして、旧教徒のセクトとのかかわりが指摘される一方で、『罪と罰』のテーマとの深いつながりや、ナスターシャとムイシュキンの関係を分析する上ではきわめて重要な役割を担っている『椿姫』などへの言及などがほとんどなかったためだろう。


 たとえば江川氏は、

「情熱の権化のように言われていた」ロゴージンの名前が、ギリシャ語で「童貞」を意味する「パルテノス」を語源とするパルフョンであることや、「死人のような蒼白さ」という表現から去勢派の教義に従った人物と読み取っている(185)。


 たしかに、

ロゴージンの父親が去勢派や鞭身派などの旧教のセクトに強い関心を持っており、
伯母も「職業的な修道女で、旧教派の中心地であるプスコフに住んでいる」

と描かれており、ムイシュキンもロゴージンが将来

「二本の指で十字を切ったり」、

「ニコンの改革前の聖書を読んだりするようになる」

可能性を示唆している。


 しかし、「熱病にかかってまる一月も」寝込んでいたロゴージンが、病みあがりにもかかわらずナスターシャと会うために夜汽車で駆けつけようとしていたと書かれていることに留意するならば、ここでは彼の情熱が強調されていると考える方が自然だろう。
しかもグロスマンが書いているように、

ドストエフスキーはここで「プーシキンの名前すら知らない」、文盲に近いロゴージンが

「民族の伝統や、昔の民間信仰と固く結びついて」いる一方で、

「西欧化した新しい風俗のハイカラさ、つまりひげを短く剃りこんだり、色つきのチョッキを着て、めかしこんだりする『大商人』のタイプとはおよそ掛け離れて」いた
ことを強調しているのである。


 そして、ムイシュキンはロゴージンのことを「情欲だけの人間ではない」、「人生の闘士」だと感じ、

「彼は苦悩することも同情をよせることもできる大きな心を持っている」とも考えている。

ことに、「二人でプーシキン」を「すっかり読んだ」と語っていることに注目するならば、

吝嗇な父親と息子の対立と父親の殺害にいたる経過を描いたプーシキンの『吝嗇の騎士』

をも彼らが読んでいたことは確実だろう。


 すなわち、『白痴』を書いていたころのドストエフスキーは、旧教徒にも一定の意味を認めていたのである。

ムイシュキンは情熱に駆られて極端にまで走りかねないロゴージンの民衆的なエネルギーとその可能性を信じて、彼とともにプーシキンの作品を読むことで、彼に正しい方向性を示そうとしていたのだと考えられるのである。


 さらに、「権力を重視し」、他者の「処刑」を認めていた当時のカトリックを、「ゆがめられたキリストを説いている」と厳しく批判したムイシュキンは、

「自分の生れた国を見捨てた者は、自分の神をも見捨てたことになる」

といった旧教徒の商人の言った言葉を紹介しながら、

ロシアの「鞭身派」でさえ、「ジェスイット派や無神論」などよりも、「ずっと深遠でさえあるかもしれません」

と語っている)。


 この言葉に注目するならば、ここに見られるのは「クレオパトラ」と比較しつつ、「近代西欧文明」の「野蛮さ」を指摘した「地下室の男」と同じような論法であるといえよう。

すなわち、自らを傷つけたロシアの「鞭身派」と比較することで、「異教徒」や「皇帝」の「殺害」をも正当化する「ジェスイット派や無神論」の「野蛮性」をムイシュキンは強調しているのである。


 しかし、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を『ロシア報知』に掲載した1880年には、以前から交際していた保守的な政治家で、ロシア正教以外の宗教的な価値を認めなかったポベドノースツェフが、ロシアの教育と宗教を総括する総務院の総裁となっていた。

それゆえ、このころには再び厳しさを増していた検閲のために、ロシア正教の異端とされた旧教徒をも否定的に描かざるをえなくなっていたと思える。

去勢派などとの関わりが暗示されている『カラマーゾフの兄弟』におけるスメルジャコフの否定的な形象はこのような時代状況のなかで生み出されたのである。


 こうして、スメルジャコフに「去勢派(スコペッツ)」の影を色濃く見て、『白痴』論でもその連想から「新しい」ロゴージン像を描き出した江川氏は、そのような視点からナスターシャ・フィリポヴナにも「鞭身派」の影を強く見出している。


 たとえば、第三編では

「もうこうなりゃ、ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。

それよりほかにあんな売女(ばいた)をやっつける法はないさ!」

と一人の青年将校から大声で批判されたのを聞いたナスターシャが、

「相手のステッキを引ったくって、その無礼者の顔をはすかいに力いっぱい打ちすえた」

という場面が描かれている。


 ここで「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ」という表現に用いられている
「鞭(フルイスト)」という単語が、「鞭身派(フルイストフシチナ)の名称の起りとなったことばである」

ことを指摘した江川氏は、

734年に処刑された「鞭身派の聖母」がナスターシャ・カルポヴナという名前を持っているばかりでなく、

ナスターシャの父称が「鞭身派の教祖ダニイラ・フィリッポヴィチ」の父称とも同じであることに注意を促して、

「ナスターシャ・フィリッポヴナという名が、鞭身派の神話を背負った名であることは自明である」

と断言していた。

 しかし、当時のロシアでは妻や子供に対する「躾」のために鞭をふるったりすることは伝統的に認められていたのであり、軍隊では兵士に対する殴るなどの体罰が日露戦争の最中にも行われていた。

このことを考えるならば、とりわけ青年将校が「鞭でこらしめねばならない」と語るのは特別なことではないと思える。

 しかも、『白痴』ではしばしば高級娼婦と貴族の若者の悲恋を描いた『椿姫』が話題となっていることを思い起こすならば、

「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。それよりほかにあんな売女をやっつける法はないさ!」

という言葉に激しく反発したナスターシャの反応には、娼婦と呼ばれたことへの彼女自身のプライドの問題や、女・子供や農民出身の兵士の教育には「鞭」が必要だと考える伝統的な道徳の問題が提起されていると考えるほうがむしろ自然であろう。


 つまり、『謎とき「白痴」』が『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』の後で書かれたという事情もあり、

江川氏がロゴージンやナスターシャの形象を1860年代の大地主義的な世界観によってではなく、厳しい検閲によって制約を受けていた晩年の記述によって、ロゴージンやナスターシャを旧教徒のセクトと結びつけて解釈している可能性が強いと思えるのである。

そして、亀山氏の『白痴』論では重要な登場人物とムイシュキンとの関係の考察が省かれことにより、ナスターシャにおけるマゾヒズムへの傾向がいっそう強調されることになったのだと思える。


4.『白痴』の現代性


 ところで、長編小説『椿姫』は、『三銃士』などの作品で知られるアレクサンドル・デュマの私生児として生まれたデュマ・フィスによって、2月革命が起きた1848年に書かれた。

そして、主人公がアルマンの腕に抱かれて亡くなるというメロドラマ的な筋書きのオペラ『椿姫』とは異なり、到着が遅れたために主人公がマルグリットの死に目に会えないという発端を持つこの『椿姫』は、フリードレンデル氏などが指摘しているように、ドストエフスキーの『白痴』にもきわめて強い影響を与えている。


 つまり、訳者の新庄嘉章氏が書いているように、この作品でデュマ・フィスは高級娼婦であったマルグリットの純愛と犠牲的な死をとおして、「男性の利己主義的な行為」や、「それを助長させる金銭の力」や「それを黙認している世間の慣習」を厳しく批判していたのである(新潮文庫、1950年)。

 そしてドストエフスキーも『冬に記す夏の印象』(1863年)において、
ナポレオン三世治下のフランス社会には「すべての者が法の範囲内で何でも行える同一の自由」があることを認めたあとで、次のように「フランス的自由」を厳しく批判していた。

 「いつ欲することをすべて成すことができるのだろうか? 

百万をもっている時である。自由は各人に百万を与えるだろうか? 

与えはしない。

百万を持っていない者は何者だろうか? 

百万がない者は、何でも好きなことができる者ではなく、何でも好きなことをされる者である」。


 実は、敗戦後まもない1951年に上映された黒澤明監督の映画『白痴』では、キリスト教的な背景ばかりでなく、このような社会的背景をもきちんと描かれていた。

さらに私見によれば、この作品で黒澤明はムイシュキンの存在を

ロゴージン・ナスターシャ・ムイシュキンという「欲望の三角形」的な関係に縛られる者としてではなく、むしろ精神科医的な視点から、

「何でも好きなことをされる者」としてのナスターシャの苦悩を、治癒しようとして果たし得なかった者として描いているのである。


 この意味で注目したいのは、ロンドンで開かれていた万国博の会場である水晶宮を訪れて、

「全世界から集ったこれら無数の人間の全てをここで一つの群に集めた恐るべき力」を感じたドストエフスキーが、

イギリスの社会はキリスト教を名乗りながらも、実際には儲けの神である異教の神、「バール神」に屈服した

と厳しく批判するとともに、

「バールの神を偶像視したりしないようにするには」、「幾世紀にもわたるおびただしい精神的抵抗」が必要とされるだろうと記していたことである。


 つまり『白痴』における考察は、市場原理主義に基づいた極端な「規制緩和」により格差社会が生まれる一方で、それまでアメリカ企業の模範とされてきたリーマン・ブラザーズが、カジノ資本主義的な手法のサブプライム・ローンによって破綻し、世界が金融危機に陥った現代の状況をも予測するような深いものだったといえよう。
http://dokushokai.shimohara.net/t111.htm


果たしてムイシュキンは殺人の「使嗾者」か?

――黒澤明監督の映画『白痴』を手がかりに   高橋誠一郎


 黒澤自身が最も高く評価した自作の一つが、ドストエフスキーの『白痴』を終戦直後の混乱した時代の日本に置き換えて描いた映画『白痴』(1951)であった。

 上映時間四時間二五分という大作となったこの作品は、観客の入りを重視した経営陣から大幅なカットを命じられたために、時折、字幕で筋の説明をしなければならないなど異例の形での上映となり、日本では多くの評論家から「失敗作」と見なされた。

それにもかかわらず、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いたように、映画『白痴』は原作を熟知している本場ロシアや海外、そして日本の研究者たちからはきわめて高く評価された。

 一方、近年の日本は「グローバリゼーション」の名の下に、「新自由主義」が幅をきかすようになって「格差社会」が一気に進んだ。

ちょうどその頃に出版された研究書で亀山郁夫氏は、

ナスターシャの殺害をロゴージンに「使嗾」したのはムイシュキンであり、

「現代の救世主たるムイシキンは、じつは人々を破滅へといざなう悪魔だった」

と結論した(『ドストエフスキー 父殺しの文学』上巻、NHK出版、2004年、285頁)。


 そして、亀山氏のこのようなドストエフスキー論はマスコミで賞賛され、学校などでも読書コンクールの対象図書とされたことで若者たちの間でも広まっている。

亀田(ムイシュキン)を「真に美しい善意の人」として描いた黒澤明の『白痴』理解は、全くの誤読だったのだろうか。

 この意味で注目したいのは、大著"Dostoyevsky―― An Examination of the Major Novels"(Cambridge University Press, 1971)において、

『白痴』のロゴージンやナスターシャが古儀式派から派生した過激なセクトである去勢派や鞭身派への強い関心を示していたことや、

『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフが去勢派に属していた可能性が強い

ことを語義的なレベルから明らかにして、世界中のドストエフスキー研究者に強い影響を与えたイギリスのすぐれた研究者ピース氏のムイシュキン解釈である。


 後に、"Dostoyevsky's Notes from Underground"で、ドストエフスキーの作品が緻密な論理構造を持っているだけでなく、登場人物もきわめて有機的に配置されていることを明らかにすることになるピース氏はすでにこの大著で、

「死刑を宣告された者」と自ら名乗っていたイポリートの考察をとおして、

当時の「弱肉強食の論理」とそれに対抗する「弱者の権利の理論」との対立を浮き彫りにしていた。


 そして1864年の裁判改革の流れにのって、弁護士の資格も取っていたレーベジェフの問題点だけではなく、彼の娘ヴェーラの肯定的な意義も示すことで、ムイシュキンという主人公がプーシキンに依拠しつつ、「美は世界を救う」という理念によって世界を和解させる道を必死に模索していたことを明らかにしていた。


これらの指摘をふまえて黒澤映画を見直す時、『白痴』(1951)とその前後に撮られた『醜聞(スキャンダル)』(1950)と『生きる』(1952)が、『白痴』三部作と呼べるような深いつながりを有していたことに気づくのである。


 今回の報告ではピース氏の『白痴』論や黒澤明監督の映画を手がかりにしながら、モスクワから半年ぶりに帰還したムイシュキンの行動を描いた第2編を次のような順序で分析する。


 まず、最初にレーベジェフと甥との会話に注目することで、

弁護士も営むようになったレーベジェフが、「真心は持っている」ものの、酔っぱらいの「ペテン師」である可能性が示唆されていることを確認する。

 そして、ロゴージンの古い家を訪れた際にはムイシュキンが、ホルバインの絵画『キリストの屍』や「分離派」について会話を交わしただけでなく、別れ際にはC氏との出会いや殺人事件の話、そして百姓の女性から受けた印象についても語っていることに注目する。

 さらに、ロゴージンとの間では歴史書についての会話もなされていたが、『死の家の記録』で重要な役割を与えられているペトロフも歴史的な事実についての強い関心を持っていたと記されていることに注意を払うことで、

ロゴージンという人物が1861年の農民一揆を指導した「古儀式派」教徒のペトロフをモデルとしている可能性があることを示唆する。

 最後に、エパンチン夫人がコーリャに無神論を教えて「誘惑」したとイポリートを批判していることに注目しながら彼の『キリストの屍』観などを分析することにより、

ロゴージンを殺人へと「使嗾」したのはムイシュキンではなく、多くの研究者が『白痴』を解く鍵と見なしているイポリートである可能性が高いことを明らかにする。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost09.htm


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2. ナスターシャ・フィリッポヴナは鞭身派の聖母 復活のナスターシャ

「時代」廃刊騒ぎのさなか、ドストエフスキーは愛人と連れ立って2度目の外国旅行に旅立とうとしていました。

1861年、「時代」にアポリナーリヤ(ポリーナ)・スースロワという女子大生の短編が掲載されました。

2度目の外国旅行に同行する予定だったのは、このスースロワでした。

スースロワの父親はもともと農奴でした。

しかし、強靱な意志、人並みはずれた能力で農奴の身分を脱し、手広く企業を営むようになったやり手でした。

そして、その資産で娘たちに高等教育を受けさせ、そのかいあって、ポリーナの妹ナデージダはロシア史上最初の女性医師となっています。

姉のポリーナのほうは妹のような栄光とは無縁でしたが、アレキサンドル二世時代の開放感に充ちた空気に鋭敏に反応し、自由奔放に生きる「新しいタイプ」の女性でした。
しかも、父親からは鋼鉄のような性格を譲り受けていたようで、のちにポリーナと結婚したローザノフは彼女のことを「異常なまでの集中力、決断力を持つ女性」と評しています
(ドリーニン編 中村健之助訳 「スースロワの日記」みすず書房)。


「気性は完全にロシア女でしたが、ロシア女はロシア女でも、分離派の”無僧派”の女でした。

いや ”鞭身派の聖母”といった方がいいでしょう」

とも書いています。

ローザノフはのちにドストエフスキーの伝記も書いた文学者でしたが、結婚後数年して、男を作ったスースロワに逃げられてしまいます。

復縁を哀願するローザノフにスースロワは

「何千という夫があなたのような立場に立たされますが、吠えたりはしませんよ、
人間は犬ではないのですからね」

とすげなく答えています。

当初、ドストエフスキーはこのスースロワと一緒にペテルブルグを出発して1863年の夏の間フランス、イタリアを旅行する予定でした。

しかし、妻マリアの転地療養の手配、借金の手続き、旅券更新に手間取って、その間に愛人は先にパリへ旅立ってしまいます。

ドストエフスキーはポリーナに一ヶ月以上遅れて出発します。

にもかかわらず、途中、ヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレット賭博に4日間を費やします。

ようやくパリに着いたドストエフスキーを待っていたのは

「あなたは来るのが少し遅すぎた」

というポリーナの言葉でした。


ポリーナはパリで新たにスペイン人の恋人を作っていたのです。

しかし、ドストエフスキーがパリに着いた頃、そのスペイン人の恋人はポリーナに飽きがきていたようで、病気を理由にポリーナと会おうとしなくなっていました。

愛人に捨てられかかったドストエフスキーと新たな恋人に捨てられたポリーナは「兄と妹」という関係を保つことを条件にイタリアに出発します。

しかし、途中、二人はまたもヴィースバーデンに立ち寄り、ルーレットで有り金すべてをまきあげられてしまいます。

ミハイルをはじめとする親戚、出版社からかきあつめた借金でようやくヴィースバーデンを出立、ジュネーブ、トリノ、ジェノア、ローマ、ナポリと南欧各地を転々とします。

そして、10月になってようやく二人は別れることになり、この奇怪な情事旅行は終幕をむかえます。

この2ヶ月間で、ドストエフスキーのポリーナに対する情熱はかなり冷めたようです。
しかし、しばらくポリーナとの関係は続き、2番目の妻アンナと結婚してからも二人は手紙をやりとりしています。

そして、この「鞭身派の聖母」は「賭博者」「白痴」などかれのさまざまな小説に出没することになります。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Dostoyevski.htm


スースロワと「白痴」ナスターシャ


   名前:ぼんやり読者  投稿日時:2009/11/17(火) 13:27 [ 返信 ]

スースロワはドストエフスキーだけでなく、性関係を持った相手や結婚相手に深い憎悪をいだく性質の女性だったようです。

彼女がサルヴァドールをいう男性に対して行った仕打ちを見てみましょう。

この二人は合意のもとに関係を持ち、その後彼女は捨てられました。
そこで彼女は彼に何をしたかというと、「お金」を送りつけたのです。

「拝啓、以前わたしはあなたからある親切を受けました。

世間ではそういう親切に対してはお金を払うのが通例です。

無料で親切を受けていいのは、自分の友だちである人と自分が尊敬している人からだけである、とわたしは考えています。

わたしはあはたを誤解していましたので、自分の間違いを訂正するためにこのお金をお送りします。

このわたしの考えをさまたげる権利はあなたにはありません。」
(スースロワの日記、みすず書房)


まるで「白痴」のナスターシャみたいです。

ガーニャに暖炉に投げ込んだ金を取らせるシーンを思い出します。

スースロワは、性を売る相手に金を払うように、もともとは恋愛関係だったものを金銭関係にすりかえて相手を侮辱し、自分の自尊心を守るため「借りは作らない」という態度をとったようにも見えます。

ちなみに相手からは無視され、返事はありませんでした。

23歳のスースロワのはじめての相手が41歳のドストエフスキーだったとのこと。

ドストエフスキーは

「粗野なものではない。 そこから本質へ突き進むことのできるもの」

と考えていたかもしれませんが、性急な性の要求は深く彼女を傷つけたともいいます。

「白痴」ではナスターシャは年端のいかないうちにトーツキーの囲い者にされた憐れな女と設定され、ムイシュキン公爵は彼女を深く憐れみ、彼女の救いの存在となります。
これはもしかしたらスースロワという女性を怪物のようにしてしまったという、ドストエフスキーの悔恨と懺悔と憐憫の気持ちの産物なのかもしれません。あくまで想像ですが。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_tree_r_706.html


946 :吾輩は名無しである :2009/04/23(木) 00:05:49


アタシャ女だが、よくトルストイは女が描けるけど、ドストはダメというのがいるが、

それこそ、男の見方だよね。

ドストのあのヒステリックで自虐的かつサディステックな女性群こそ、本物の女だぞ。
もちろん誇張があるけど。

もてない男が描く理想像がトルストイの女たち。

『戦争と平和』のナターシャにも、アンナ・カレーニナにもさっぱり感情移入できん。

私がトルストイですきなのは、いかに自分がブオトコで持てなかったかを綿綿と綴った『幼年時代』等の自伝的作品と、女は登場しない『イワン・イリッチの死』だけ。

小谷野敦はほんと、もてない男だな。
今度出した新書も、女がわからない男の見方という意味で面白いといえば面白い。
http://logsoku.com/thread/love6.2ch.net/book/1232204701/


謎とき『白痴』江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E7%99%BD%E7%97%B4%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004658/ref=pd_sim_b_5

「謎とき『罪と罰』」江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106003031/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1288947374&sr=1-1

謎とき『カラマーゾフの兄弟』 江川 卓 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%8E%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%95%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%80%8F-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E6%B1%9F%E5%B7%9D-%E5%8D%93/dp/4106004011/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1288951731&sr=1-10

江川卓著「謎とき『白痴』」と 「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」 を読む。


このたび『白痴』と『カラマーゾフの兄弟』読了記念企画として読んでみました。
いやはや、なんとも濃かった。

軽いタイトルとは裏腹に、著者の卓見がいたるところにちりばめられている。

登場人物の名前から語源探索してその秘められた意味を見出すなんて作業は、これは素人にはとても無理なわけで。

カラマーゾフのミーチャの弁護人の名「フェチュコヴィッチ」が、日本語にすると「阿保田」になるなんてのは、

あの裁判の場面でミーチャに肩入れして、弁護人がんばれみたいな気持ちで読んでいた私にとっては、

「え、それじゃ最初から勝ち目ない法廷闘争だったんじゃん」てなわけで。

鞭身派と去勢派という異端についての説明も詳しくてよかった。


この二つのキリスト教異端は、ドストエフスキーについての評論を読むと結構目にすることが多いのだが、それが一体どういう人たちなのかはあまり深く紹介されることがなかったので。

命名の語源探索や、『カラマーゾフ』の「3と13」なんかは、素人の私としては、若干トゥー・マッチに思えるところもないではないが、全体としては、『カラマーゾフ』の裏表紙に埴谷雄高が絶賛を寄せているように、名作だと思う。


で、印象に残ったことを、一つ二つ。


『白痴』で、

ムイシュキンは言うまでもなく、ロゴージンもナスターシャと性交渉を持たなかったことは、

ナスターシャを殺害した後にロゴージンがムイシュキンに

「(ナスターシャの裸体を)初めて見たが、綺麗な体だぜ」

という内容の言葉を言うことからも明らか。


では、なぜロゴージンはナスターシャと性交渉をしなかったのか。


江川氏は、ロゴージン(およびムイシュキンも)インポテンツ説である。

私としては、目からうろこと言うか、とにかく、そっちの角度(どっちの角度?)から考えたこともなかったので、「その手があったか!」と思った次第。

ただ、欲望の塊のようなロゴージンがインポだったなんてことが、いやいや、インポテンツな男性がロゴージンのような行動をすることがありえるのかというのが若干疑問。
ヤリたくてたまらないのに、いざとなったら萎えてしまったというのが「インポテンツ」の範疇ならば納得。


ムイシュキンが、ナスターシャを「気狂い」呼ばわりするのは、ナスターシャからセクハラ行為を受けたから。

納得。ただただ納得。


イワン・カラマーゾフの譫妄状態。

アル中説。

うーん。そうでないとは言い切れないが、そうであるとも言い切れないような気が。
悪魔がイワンの前に姿を現す場面は、スメルジャコフとの三度の対面でイワンの心がずたずたになっていたからと言うだけでも十分なような気がするんだが。
http://ameblo.jp/nisekagami/entry-10346336923.html


この本を読むと、まずドストエフスキーって一般には悪文家と言われているけれど、俗語や学生隠語、古風な言い回しにはちゃんと意味があって、そこにはドストエフスキーの意図が働いている、ということが指摘されている。

たとえば小説のはじめに、ラスコーリニコフが「ナスーシチヌイな仕事もすっかりやめてしまい」、とある。

「ナスーシチヌイ」ということばは「日々の」という意味なんだけど、日常めったに使われない文語的なことばだそうだ。

ところがこれがじつは聖書のなかに「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」という一句の、「日用の」と同じなんだな。

そもそもこれは、当時のロシアの子供たちが暗唱させられるお祈りで、「ナスーシチヌイな仕事も・・・」とくればこの聖書から採られたお祈りが連想される、というわけだ。

だから、ここでは主人公が日用の糧を稼ぐ仕事もやめようとしている、と読みとることができる


そうだとすると、併せて日々のお祈りもしなくなった、とも連想できますね

それにラスコーリニコフという主人公の名前・・・

この名前は17世紀ロシア正教から分裂した「ラスコーリニキ(分離派)」に由来している。

その証拠に、創作ノートには主人公の母親のことばとして「ラスコーリニコフ家は二百年来、有名な家系」と記されている。

この小説が書かれたのは1865〜1866年、そこから200年さかのぼると、まさに17世紀の'60年代で、分離派運動の発生期に一致するんだよ


分離派って、どんな信仰形態なんですか?

「分離派」にもいくつかあって、
身体をたたき合いながら法悦状態に達する「鞭身派」、
肉欲から逃れるために生殖器官を切除する「去勢派」などがあったそうだ

また、ラスコーリニコフという姓はロシア語の動詞「ラスコローチ(割り裂く)」とも無関係ではない。

まさにこの青年は金貸しの老婆の脳天を斧で割り裂くわけだ


でも・・・斧が凶器ですけれど、たしか峰打ちでしたよね?

優美、よく気がついたね(^^ )そう、峰打ちであることが妙に強調されている。

つまり、斧の刃はラスコーリニコフ自身の方を向いていたんだね

それはドストエフスキーの意図するところだったと・・・?

うん。これまた証拠があって、後にラスコーリニコフがソーニャに老婆殺しを告白するとき、

「あのときぼくは、ひと思いに自分をウフローパチしたんだ、永遠にね・・・」と言っている。

ここはふつう「ひと思いに自分を殺した」と訳されているけれど、「ウフローパチ」というのは俗語で、もとはものが激しく打ち当たる擬音語「パチン、パシリ」にあたることばなんだそうだ。

つまり「ひと思いに自分をパシリとやった」・・・


割り裂いたのは自分自身だったというわけだな

はあ〜見事な分析ですね


名前の話に戻るけど、主人公のフルネームは「ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」で、頭文字はロシア語のR音だから「PPP」になる。

著者の江川卓によれば、ロシアでもこんな名前はほとんどあり得ない、可能性としては600万人にひとり、当時のロシアなら5人もいたかどうかという計算になるそうだ

頭文字が「PPP」となることに意味があるのですか?


これは裏返しにして「666」、つまりヨハネ黙示録に記述されたアンチクリストをあらわすのではないか、というのが著者の推理だ。

神の掟に背いて殺人を犯しながらなお人間の掟を「踰えた」とうそぶく主人公に、すこぶるふさわしい設定―「刻印」だろう。

じっさい、非凡人論をぶちあげたラスコーリニコフに、予審判事ポルフィーリイが「何か生まれながらのしるしでもないのですか?」と質問している


名前だけでそれだけの意図が込められているなんて驚きですね・・・(・o・)

主人公に次いで重要な登場人物である聖娼婦ソーニャについてちょっとだけふれておこうか。

この小説にリザヴェータという登場人物が出てくるだろう?

金貸しの老婆に使われていて、運悪く殺人の現場に来合わせてしまったために主人公に殺されてしまう女性ですね

うん。ラスコーリニコフが安料理屋で、たまたま隣に立った将校と学生がリザヴェータについて噂しているのを聞くよね。

それによると、リザヴェータは「ひどい醜女」で「善良」「柔和」「静か」、そして未婚でありながら「ほとんどいつも妊娠している」ということだった。

ここで「柔和」と「静か」はソーニャとの共通点なわけだけど、同時に「醜女」でありながら「いつも妊娠している」のはなぜだろう?

・・・(・_・;
ヒントがいくつかあって、はじめてソーニャの部屋を訪れた主人公は、ふとたんすの上に置かれたロシア語訳の「新約聖書」に目をとめる。

ソーニャによればリザヴェータが持ってきたものだということだ。

ところがこの「新約聖書」は、ドストエフスキーが持っていた、発行後40年を経た稀覯書を模している。

どうしてこんなものをリザヴェータが持っていたんだろうか?

たしか、ソーニャがリザヴェータのことを「あの人は神を観ずる方です」と言っていましたね。

そのことと関係があるんでしょうか?

まさにそれだ( ・_・)♭

さっき話に出た、ロシア正教から分裂した「分離派」に、「観照派」という宗派がある。

「鞭身派」と「去勢派」がそれで、「観照派」とは文字どおり神や聖霊を観照する、つまり目に見ることだな。


「鞭身派」というのは信徒たちが密室でお互いの身体をたたき合い、集団的な法悦状態にまで高まったとき、キリストや聖霊が儀式の場にあらわれるのを観照する。

そしてその法悦状態から信徒たちは乱交に至ることもあり

(このことが、この鞭身派の勢力を急成長させた要因ではないかという説もあるらしい)、

この儀式の際に授かった子供は未来のキリスト候補として宗派の共同体によって育てられるという習慣もあったそうだ


するとリザヴェータは・・・

「鞭身派」のあるセクトの巫女―「聖母マリア」だったのではないか、というわけだ。

それならいつも妊娠していて、しかも生まれてくる子供の養育については心配する必要もなかっただろう

・・・それでは、ラスコーリニコフは「聖母マリア」を殺したということにもなりますね・・・

でも、ソーニャはリザヴェータがそのような立場にあったことを知っていたのでしょうか?

「神を観ずる方」と言っているくらいだから、当然知っていたんだろうね・・・

いや、それ以上かもしれない。

ソーニャがリザヴェータについて語るとき、妙な言い淀みが頻発しているのに気がついた?

 「ええ・・・あの人は心正しい方でした・・・

ここへも来ました・・・たまにですけれど・・・

そうそうは来られなかったんです。

わたしたち、いっしょに読んだり・・・お話ししたりして」


たしかに「・・・」が多いですね

公然化されていない儀式のことを思っていたのだろうか・・・

「わたしたち」って、ソーニャとリザヴェータのふたりのことだけだろうか・・・
するとソーニャも・・・

ちょっと考えにくいけど、彼女の部屋は窓が三つもあって家具がほとんどない「大きな」部屋とされている。

娼婦の部屋としては似合わないよね。

じつは鞭身派の儀式は、窓がたくさんあって明るく広い部屋が使われるのが通例だったそうだ

というわけで、ドストエフスキーの「罪と罰」は、この本によって意味論を超えた次元で徹底的に読み解かれている。
http://amadeushoffmann.web.infoseek.co.jp/dialogue29.html


「君は確実に病気で死ぬ」

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。(2chより)


 現代において、売春少女は不幸か?

 と言えば、援助交際とか気楽に言っているので、そんなにこの女主人公ソーニャは悲劇なのか?

 やはり、時代背景と言うものを少しは知らなくては、ソーニヤの悲劇性はわからないと思う。

 時代は19世紀である。

 避妊具とかが発達していなので、性病・妊娠の危険は売春の仕事をする中では大きいと思う。

 それゆえに社会的な排他・阻害感も、現代よりも強いと思う。

 亡くなった飯島愛さんのようにTVタレントにはなれないだろう。


 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

 ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。

 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。 

 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。


 ソーニャの最初の相手は16歳の時に、売春をはじめた時の相手である。

 当然、恋愛もなにも知らずに、いきなり売春である。

 (これは現代においても、かなり悲劇ではないか・・・)

 それから、家族の為にほぼ毎日、お客の相手をするのだが、残念ながら、彼女は性的な快感はない。

 18歳にして、重度の不感症・冷感症なのである。

 それ故に、彼女は「純粋な売春婦」と称されるのである。


 当然ながら、彼女には友人はいない。

 唯一の友人であった知的障害を持つリザベーダーは、ラスコに斧で殺されたのである。

 彼女に知的障害を持つ「神がかり」と言われる人しか友人がいないことが、彼女の社会的境遇を物語る。

 彼女は虐げられた人である。


 ラスコ曰く、

 「あなたは自分で自分を殺してしまったのだ」

 ラスコーニコフは自分の老婆殺しについて

「あれは斧で老婆を殺したのではなく、自分自身を殺したのだ」

 人間として一線を超えてしまった2人の若者は、お互いに強く惹かれ合うのである。
http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

江川卓  謎とき『カラマーゾフの兄弟』


外国文学を日本語で読むと、その面白さは半減する。

たとえば、日本文学で、谷崎の流麗な上方言葉の魅力を、では、どう英語に、フランス語に、ロシア語に翻訳することができるか。

京都や大阪という土地の土着性など、その細かいニュアンスを他言語圏に伝えるのは相当無理があると思う。

訳者でもある著者は、そのロシア語と日本語の間に立って、ロシア語で読まれるはずの『カラマーゾフの兄弟』の魅力を、詳しく、丹念に解説してくれる。ロシア語のできん者にはとてもありがたい。

たとえば、なぜ一連の騒動を巻き起こす一族の姓名が「カラマーゾフ」でなければいけないのか。

「カラ」は日本語で「黒い」、「マーゾフ」は「塗りたくる」の意味らしい。

さらに、「カラ」が「カーラ」だとすると、それはロシア語で「罪」となり、さらに「カラ」は泥棒の隠語で「男性性器」の意味でも用いられるという。

作者も指摘するように、語の多義性を最大限に利用するのが「ドストエフスキーの小説作法の真髄である。

ところが、この「カラ」起源説はこれに留まらない。

「カラ・ゲオルギイ」というセルビアに実在した民族英雄がいたらしい。

この人、王朝の始祖、ゲオルギイ・ペードロヴィチが父親殺しをしたことから、「カラ・ゲオルギイ」、つまり「黒いゲオルギイ」とあだ名されたらしい。

さて、父親殺しとはこの小説の主要テーマであり、この事件を中心に小説は進行するのだが、このカラ・ゲオルギイは父を殺し、王朝を築き上げた。

つまりそれは、旧制度の討伐、であります。

何よりもスリリングなのは、あんなにも信仰深く敬虔だったアリョーシャが、のちに革命家となり、皇帝暗殺を企てるだろうという説! 

これは著者のみならず、多くの学者が指摘しているという。

もちろん、小説にはそんな事実はどこにも書かれてない。

父・フョードルを殺したのは私生児(その事実の真偽もこの本の中では取り上げられている)とされているスメルジャコフであり、殺害の嫌疑にかけられたのは長男のドミートリイだ。

アリョーシャの父親殺しはどこにも書かれてない。

しかし、小説冒頭、ドストエフスキーは、これは第1の小説で、この小説には13年後の、現在の小説が予定されていると断っている。

つまり、この『カラマーゾフの兄弟』には続きがあり、それこそは33歳になったアリョーシャの現在進行形の小説になるはずだったのだが、すでにドストエフスキーは死んでしまった。

33歳とはキリスト処刑の年齢に重なる。


「現代のキリスト」であるアリョーシャは、既存宗教から抜け出し、革命を起こす。

皇帝暗殺とは、ロシアの「父」を暗殺する事に他ならない。

予定されていた続編ではアリョーシャによる父親殺しが書かれるはずだったと言うのだ。

であるとすれば、「カラマーゾフ」とい姓が「カラ・ゲオルギイ」から引用されている事は、容易に結びつける事ができる。

ちなみに、ドストエフスキー死後1ヶ月、皇帝アレクサンドル2世は暗殺されている。
こんな謎ときです。

他にも、スメルジャコフは去勢していたという説。

ロシア正教の分派の中で「鞭身派」というのがある。

読んで字のごとく、身を鞭で打つのだが、

この宗派は、教会や聖書を介さずに直接にキリスト、精霊と交わることを求め、そのために、

男女の信徒が一部屋に集まって、祈祷、歌、踊りのあげくに、

最後には手や鞭で各々の身体を打ち合って、集団的恍惚を得る

儀式が行われていたのだという。


しかし、これ、キリストや精霊との直接の交感を求めていたこの儀式も、次第に乱交パーティー化していったという。

そうして、その反動として現れたのが「去勢派」である

性的堕落を激しく糾弾し、男は睾丸を、女は乳首を切除したり乳房を抉り取ったりするのだそうだ。

ゆえに、去勢派の人間はそろって顔色が悪く、傍から見ても「あいつは去勢派だ」ということが分かるくらいなのだという。

これはスメルジャコフの描写に見事に呼応している。

ちなみに、筆者はグリゴーリイは鞭身派だと指摘している。


さて、今では考えられないようなオカルト宗派(現在でも案外あるかも)、について、小説中ではどこにも直叙はされていないが、この分派は当時のロシアに、マイノリティではあるものの結構広く信仰されていて、認識はされていたようだ。

つまり、当時のロシアの読者であるならば、

スメルジャコフの描写や、マリヤとの同棲ではない同居を読むと、彼らが去勢派であるということは容易に推察できることなのである。


『カラマーゾフの兄弟』はロシアの民族的、土俗的信仰生活に深く根を下ろしている。

アリョーシャを「黒いキリスト」、スメルジャコフを「白いキリスト」と設定したり、
イワンは実はアル中ではなかったかとか、3と13という数字の意味、蛇と龍と男性性器。作者の行間にするする入り込んでいく、その快感は、中々である。

さらに、ドストエフスキーの名はフョードルというが、夭折した彼の息子の名はアリョーシャらしい!

古典が古典であるゆえんは、それが幾時代を超えてもなお読まれる、その力である。

それはつまり、幾通りもの読み方ができる言う事だ。

『カラマーゾフの兄弟』はもはや古典だが、この古典小説も数多くの神話や民話や古典を引用している

(ちなみに三島由紀夫は『仮面の告白』の冒頭で、美とソドムに関するミーチャの名高い演説を引用していた)。

それらについての素養ができていないと、真正面からこの小説に立ち向かう事はできない。

とりわけ聖書、ギリシア神話を暗誦できるくらいに読み込んでいないと、積み上げられたドストエフスキーの謎は紐解けないのです。

まあ、しかしアリョーシャがやがて革命家となり、国家的犯罪を犯し、皇帝暗殺に乗り出すとは、本当にビックリだ。

心優しいアリョーシャが! しかしその犯罪(ソドム)は美しい。

これこそがカラマーゾフ的だ。

最後の12人の少年たちに向けて行われるアリョーシャの演説は、そのまま12使徒に向けられたキリストの演説である。

と、すると、この中には絶対にユダがいる。

ゆえに、アリョーシャは密告されて殺されてしまうのだろうか。

ドストエフスキーが書くはずであった、そのアリョーシャの物語が読みたかったし、ドスト本人も書きたかったろうに。

しかし、これだけ膨大な伏線めぐりの末にたどり着いた最後の演説の場面が、それこそも続編への伏線だったとは。この巨大で精緻な構成力は、本当に圧巻である。
http://www.geocities.jp/maxi_japan/dokusyo_egawataku_nazo-k.html

「去勢派」については、江川さんが「謎ときカラマーゾフの兄弟」で次の様に書いています。

「ロシア分離派史上でも最大の人物と目されるコンドラーチイ・セイワーノフが登場した。〜〜〜

やがてセイワーノフは、鞭身派の性的堕落にいきどおり、自分は人類を肉欲から救い、「魂を滅ぼす蛇を退治する」ためにこの世にやってきた「神の子」であると宣言した。

むろん「蛇」とは男性の性器官の象徴であり、「蛇退治」は「去勢」の意味である。

このような形でセイワーノフによって開かれた新しい宗派が「去勢派」であり、信徒は「ぺチャ−チ」(刻印)と呼ばれる術を受けることになった。


女性の場合は、乳首だけを切除するのが「小ぺチャーチ」、

乳房まで切り取るのが「大ぺチャ−チ」と呼ばれた。

男性の場合の「小ぺチャ−チ」は睾丸を切断するわけだが、

「大ぺチャ−チ」については、手術を終えたあと、術者が切除部分を被術者の目の前に突きつけ、

「見よ、蛇の頭は砕かれたり、キリストはよみがえりたまえり」

と唱える、のだという。


〜〜〜鞭身派の聖母アクリーナから正式に「キリスト」と認められたセリワーノフは、

「魂を滅ぼす蛇を退治する」自身の事業をしだいに広め、十八世紀中葉には、信徒の数ももはや無視できなくほどの数に達していた。〜〜〜

ついに一七九七年には、ピョ−トル三世とエカチェリーナ女帝の遺児であるパーべェル一世と対面し、二人の間には次のような問答がかわされたという。


パーべェル帝「汝はわが父なるや?」


セリワーノフ「われは罪の父ならず。わが業(去勢)を受けよ。さすれば汝をわが子と認めん」


ファンタスチックとしか形容のしようのない対話で、パーべェル帝がセリワーノフを狂人と認定し、オブホフの精神病院に収容してしまったのも無理からぬことであった。

ところが奇妙なことに、パーべェル帝の後を襲ったアレクサンドラ一世は、すでに白髪の老爺となっていたセリワーノフの人柄に魅惑され、一八〇二年に彼を解放したばかりか、数次にわたつて彼と親しく面談し、セリワーノフのほうでも、大去勢によるロシア救済計画を帝に建議したといわれる。〜〜〜


つまり、「カラマーゾフの兄弟」の舞台となっている十九世紀の六十年代、七十年代にも、この奇怪な信者たちの問題は、けっしてたんなる昔語り、あるいは僻地のエキゾチックな風習ではなく、むしろすぐれて現代的な関心事であったということができるように思う。


「まぎれもなく「好色な人たち」である「カラマーゾフの兄弟」の作中人物たちのなかで、スメルジャコフ一人はいくぶん例外的に見える。

まず彼の少年時代の大好き遊びが猫の葬式ごっこだったことが想起される。

彼は幼い頃から、猫を首吊り台にかけ、そうしておいてその葬式ごっこをするのが大好きだった、と言われている。

葬式のときには、祭服に見立ててシーツをひっかぶり、香炉代わりに何やら猫の死体の上で振りまわしながら、歌をうたうのだという。

モスクワへ、コック人の修業に出されて戻ってきた彼は、

「すっかり面変わりがしていた。なんだかふいにめっきり老けこんだ感じで、年齢にまったくそぐわないくらい皺だらけになり、顔色は黄ばんで、去勢者に似た感じになっていた」

「大審問官」伝説をアーリョーシャに語った直後、家に戻ったイワンは、門のわきのベンチで夕涼みをしていたスメルジャコフを目にする。

「イワンは怒りと嫌悪の目で、びんの毛を櫛できれいに撫でつけ、ふっくらと前髪を立てたスメルジャコフの去勢者のように痩せこけた顔をにらめつけた」

 見るとおり、スメルジャコフはドストエフスキーによって、ことさら「去勢者」に、あるいはさらに進んで「去勢派信徒」になぞえられている。

さらに注目されるのは、マリアの家に移ったスメルジャコフが、母娘によっていたく尊敬され、二人はスメルジャコフを「一段上の」人間のように見ていた、という指摘である。

「一段上の」という言葉にこだわるのは、

鞭身派以来、代替わりのいわゆる「新キリスト」は、旧キリストあるいはマリアによって「一段上の人、最上の人」として彼らの共同体である「船」に迎えられる慣行があったからである。〜〜〜

スメルジャコフが「花婿」の資格でマリアの家に移ってきた、とされていることも見逃せない。

ロシア正教会においてばかりでなく、西欧のキリスト教会においても、「花婿」という言葉は、ヨハネ黙示録の「子羊」、つまり 花嫁たる教会を聖化する「花婿」、別の言葉でいえば、再来するイエスキリストその人を指す言葉であった。〜〜〜


ところで、スメルジャコフが去勢派の「白いキリスト」だということになれば「蛇退治」(フョードル殺し)は、当然、彼の宗教的、社会的使命だということになる。

こうして、もともとは多分に個人的であったかもしれないスメルジャコフの犯行の動機が、いわば去勢派流に「聖化」され、普遍的な意義を獲得することになるのである。〜〜〜

前にも触れたが、幼児期の彼が大好きだったという猫の葬式ごっ子のエピソードがそれに当ることは、あらためて言うまでもあるまい。

このようなスメルジャコフが、鞭身派、去勢派の「船」が数多くあったモスクワへ「修業」に出て行ったとき、「猫」ないし「蛇」に対する彼の憎悪は一つの基礎ずけを与えられ、同時に深く内攻していくことになった。

こうして彼は外なる「蛇」を挫く以前に、まず自身の内なる「蛇」を挫くことを決意するのである。

つまり、「去勢者に似た感じ」になってモスクワから戻ってきた彼は、すでに「白いキリスト」の自覚をもち、フョードル殺害にあたっては、もはや完全な確信犯として行動することができたのである。

ところで、スメルジャコフの犯行がそのような「使命感」に裏ずけられたものだったすれば、当然、彼の憎悪はたんに個々の「蛇」だけにではなく、「蛇」一般に、さらにはそのような「蛇」のはびこる現世そのものにも向けられていたと考えなければなるまい。

事実、彼の憎悪は、カラマーゾフ一族を生み出した土台であるロシアそのものにも向けられていた。


「私はロシア全体が憎くてならならないんですよ」とは、彼のマリヤへの告白である。

〜〜〜

スメルジャコフの憎悪は、むろん、ロシアだけに局限されはしなかった

「女にだらしがない点しゃ、外国人もロシア人も似たり寄ったり」だからである。

〜〜〜

一方、スメルジャコフが目撃するカラマーゾフ一家の「淫蕩」が、全ロシア的な、あるいは世界的な「淫蕩」の象徴的な縮図とするならば、それは、「大審問官」伝説に登場する「野獣にまたがる淫婦」を媒介にして黙示録的終末のイメージとも重なってくることになる。

折りしもいまは「蛇の季節」でもあった。

スメルジャコフはこの終末の世に、「蛇」を退治し「淫婦」を辱めるべき「白いキリスト」として再来したのだった」


(謎解き「カラマーゾフの兄弟」 江川卓 新潮選書 Z 白いキリストより)


去勢を血統転換に置き換えれば、統一教会の教えそのものになります。


(「謎ときカラマーゾフの兄弟」V好色な人々・Z白いキリスト ページ158〜159より
江川卓 新潮社)


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誰もが関心を持つのは、去勢派、鞭身派共に各派の聖女ですね。


去勢派の聖女マリア(スメルジャコフの花嫁?)はスメルジャコフの元にスープをもらいにやって来ます。

寄生派の花嫁は「○○○の毛まで抜かれる」と言われている通りに、はるばる海を越えて○○○の毛を抜きにやって来ます。

「合同結婚でも日本人同士のカップルならば安心だろう」と思うのは、早とちりです。

友人の場合は、結婚当初、現金で預金をしていたら奥さんがすべて教会に献金してしまうので、すかさず預金をマンションのローン頭金にあてて、間一発のところで無一文にならずに済みました。

お気に入りの食器やレコード類も、生活必要品としてすばやく居間に配置したので無事に残りました

それでも、僕の友人はまだ恵まれているほうで、献身者(統一教会系列会社で働いている夫婦)の場合は数家族の共同生活の家賃や食費はかかりませんが、朝から夜遅くまで働きずめで一家族1万二千円の月収です。

「カラ」兄弟でも、スメルジャコフは、フョードル宅からいつのまにか去勢派の共同生活場?らしきマリアの丸太小屋に移されていますね。
http://dostef.webspace.ne.jp/bbs/dostef_topic_pr_287.html


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3. 鞭身派のキリストと聖母マリアとは

 17世紀に分離派の一派として生れた宗派に鞭身派というのがある。

1700年1月1日に生きながら天に召されたダニイロ・フィリッポフが開祖とされており、この点では作中(カラマーゾフの兄弟)に登場する聖痴愚フェラポント神父にその面影が映されている。

鞭身派の教義の特質は、教会や僧を否定し、直接にキリスト、聖霊との交わりを求める点にあり、そのための手段として、

男女の信徒が一部屋に集まり、祈祷、歌、踊りのあげく、

最後には手や鞭でおたがいの全身を打って、集団的な恍惚状態に達する独特の儀礼が行なわれた。

この瞬間にキリストないし聖霊が信徒たちの胎内に入ると信じられたのである。


この教義の当然の帰結として、鞭身派には、初代キリストのイワン・スースロフをはじめ、何人ものキリストがつぎつぎと現われることになった。…

むろん「十二使徒」も信徒たちの中から選ばれ、「船」と呼ばれた信徒たちの共同体には、かなり厳格なヒエラルキーが確立していた。…
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/page-he.htm


●ロシアの異端


鞭身派−肉、魚、にんにく、ジャガイモを食べず、酒も飲まない。

女はプラトークをまぶかにかぶる。

一部屋に車座になってすわり、入れ替わり立ち代わり踊り、罪のもとである肉を鞭で打ち続ける。

最後は乱交パーティーになる。

ラスプーチンもこの一派といわれる。


モンタヌス派−別名跳躍派。

集会で男女が手を取り合って飛び跳ね、そのあとで性交する。

聖書のロトと娘の性交、ソロモンの300人の妻にちなむ。


去勢派−淫行に走りがちな鞭身派を批判。

罪のもとである陰茎、乳首を切除する。

男性ホルモンの欠如からひげが生えず女性的な声なので外見からすぐに分かる。

「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフは去勢派といわれる。

http://www.sapporo-u.ac.jp/~oyaon/kyozai/08.txt


鞭身派

17世紀末に起こった〈霊的キリスト者〉のセクトで、聖書と聖職者を認めず、

精霊(Святой дух)との直接的な交わりを求めて、熱狂的に踊り、歌い、互いに体を鞭打ったところから、その名が生じた。

神の化身である複数の〈キリスト〉、〈聖母たち〉あるいは〈母君(マートゥシカ)たち〉のもとに集まり、

祈り、祈りの最後に執り行なわれる独特の儀式(ラヂェーニエ)。

それが始まると、宗教的エクスタシーに達するまでみなが踊り狂ったという。

自らを〈神の人びと〉と称した。

旧タムボーフ、旧サマーラ、旧オレンブールグの各県、北カフカースやウクライナに彼らの小さな共同体が存在した。
http://www.seibunsha.net/prishivin/p15.html


帝政ロシアは政教一致を国是とし,ロシア正教が国教でしたが,国民のうちにはこの国教を奉じようとしない者もあり,政府と正教会はこれに手を焼いていました。

この反正教会的宗教潮流は,通常「ラスコールと諸セクト」と総称されます。

ラスコールは通常「分離派」と訳されるとおり,十七世紀の教会改革の際正教会を離れた人々のことで,改革を受け容れず古い儀式に固執したことから,「古儀式派」とも称されます。

分離派には穏健派から過激:派にいたる様々な流派がありますが,大略,司祭の存在を認める「司祭派」と,これを認めない「無司祭派」に分かれます。


無司祭派は教導者を擁するのみで,司祭も正典も宗規も有さぬところがら,次第に正教会はもちろんキリスト教そのものから離れ,キリスト教的要素を多く保持しつつも,新たな道をもとめて独自のセクトを生み出す傾向があります。

フルイスト派(鞭身派)の場合も,その発生時期(十七世紀半ば)からして,もとは無司祭派に端を発していると考えられます。
 
フルイストが鞭を意味するところがら,日本ではこれまで鞭身教徒と訳されていますが,この訳語は不適切であり,見当違いな憶測のもとになりかねません。

鞭身教徒という言葉から,人は漠然と,鞭打ちがこのセクトの特徴であると思うでしょう。

確かに鞭打ちは,中世の修道僧などが自らに課した苦行です。

しかしフルイストゥイの儀式において鞭打ちはなんの役割も演じておらず,この場合フルイストゥイの語はまったく別の由来を有しています。


このセクトの信者たちがなぜ「キリストたち」と呼ばれたかというと,それは彼らが多くのキリストを輩出したからです。


彼らの地域集団をカラーブリ(船の意。フリーメイソンのロージにあたるもの)と呼びますが,各カラーブリは必ず教導者たるキリストと生神女,さらに大抵は複数の預言者と女預言者を擁していました。

その儀式の主たる内容は輪舞(これをラジェーニエと言います)で,彼らはこの激しい身体運動によって法悦に達し,キリスト,生神女,預言者たちは忘我の気惚状態の内にあって,天候の如何,収穫の良し悪し,個人の身上等々を預言しました。

預言者には原則として誰でもがなれた。

もちろん預言者たる能力には個人差があって,預言者や女預言者になるのは,人一倍霊感を受け易い者たち,恍惚状態に陥り易い者たちでした。

 フルイストたち自身の言い伝えによれば,その教祖たちの行実とは次のようなものです。

 皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチ(在位三64546)の時代,ウラジーミル県コヴロフ郡なるゴロジン山の頂に二軍のエホバが降り,コストロマ県の農民ダニーラ・フィリッポヴィチの内に入って彼を生ける神とした。

当時はニコンの改革に端を発する教会分裂の真最中で,人々はいかなる書物によって救われるかをめぐって争っていた。

人が救われるのは古い書物によってか,それとも新しい書物によってか。ダニーラ・フィリッポヴィチは,新たな啓示によってこの書物の新旧論争にけりをつけた。


すなわち,救われるためにはいかなる書物も要らない。

聖神そのものさえあればよい。

内心の祈りによってのみ神は人間に宿り,人は救われる。

彼は新旧の書物をすべてかますに詰め,ヴォルガに捨てさせました。


ダニーラ・フィリッポヴィチははじめコストロマ近郊のスターラや村に住み,のちコストロマに移った。

以来コストロマは「天上のエルサレム」,彼の住む家は「神の家」と呼ばれ,多くの信者を集めます。

書物の(つまり教会の)教えに頼らず,わたしの言葉のみを信ぜよ。

あるいは,預言者たちが忘我状態で口にする言葉(預言)のみを信ぜよというのが,彼の教えでした。

別の伝説によると,ダニーラのことを知った総主教ニコンは彼を幽閉したが,彼が釈放されてコストロマへ帰るまでの間,地上を一面の霧が覆った。

コストロマに帰った彼は,弟子たちに「十二誠」を与えた。

この十二誠とは次のようなものです。


1.我は預言者たちにより預言された神であり,人間の魂を救うため地に降り来たった。
  我以外に神はない。
2.他に教えはない。他の教えを求めてはならない。
3.汝の置かれたところに留まれ。
4.神の受命を守り,世の漁人となれ。
5. 酒を飲むな。肉の罪を犯すな。
6. 結婚するな。既婚者は妻と兄妹のごとく生きよ。未婚者は結婚するな。既婚者は離婚
せよ。
7. 悪罵を口にするな。悪魔,悪鬼等の言葉を口にするな。
8. 婚礼,洗礼式に行くな。宴会に出るな。
9.盗むな。一コペイカでも盗んだ者は,あの世でこの一コペイカを頭頂に貼りつけられ,
  これが地獄の火で融けるまで,赦されることはないであろう。
10.これら二二を秘表せよ。父にも母にも明かすな。たとえそのため鞭打たれ,火で焼か
  れようと,耐えよ。耐えきった者こそ信者であり,天国を,また地上では霊の喜びを,
  受けるであろう。
11.互いに訪れ合い,もてなし合い,愛し合い,我が誠命を守り,神に祈れ。
12.四神を信ぜよ。


 もっとも,コンラート・グラスというリトワニアの研究者によると,フルイスト派の伝説が伝える教祖たちのうち,ダニーラ・フィリッポヴィチについてはその実在を確証することができない。

歴史資料により実在が確証されるのは,次のスースロフからだというのです。

 万軍のエホバがゴロジン山に降りダニーラを生ける神とする十五年前,ウラジーミル県ムーロム郡マクサコフ村に,母親のアリーナ・ネーステロヴナが百歳の時,神の息子たるキリスト,イワン・チモフェーヴィチ・スースロフが生まれた

(これは,アリーナ・ネーステロヴナが生神女を務めていたカラーブリで,スースロフが霊的啓示を受けキリストとなった,という意味でしょう)。


 イワン・スースロフが三十歳になった時,ダニーラ・フィリッポヴィチは彼をコストロマへ呼び,神性を授け,彼を生ける神とした。

すなわち,スースロフはダニーラ・フィリッポヴィチにより三日間天へ上げられたのちオカ河の岸へ帰り,以後ここの一村を根拠地として教えを弘めた。

彼は若く美しい娘を連れており,彼女は生ける神の娘として,また生神女として崇められていた。

彼はまた,弟子たちのうちから十二人の使徒を選び,彼らと共に村から村へ布教を続けた。

 アレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝(在位1645−76)はスースロフの布教活動のことを知って,彼を四十人の信者と共に捕らえ,訊問のためモスクワへ連行させた。

しかし司直は彼らから一言の供述も引き出すことができなかった。

拷問の火もスースロフの身体を傷つけえず,結局彼はクレムリン前の赤の広場で心墨に処された。

彼は木曜日に息を引取り,金曜日に埋葬されたが,土曜日から日曜日にかけての夜に甦り,モスクワ近郊の村に姿を現した。そこで再度逮捕され,拷問と礫刑に処され,再度甦った。


三度目に捕らえられた時,皇后ナタリヤ・キリーロヴナはピョートル・アレクセーヴィチ(のちのピョートル大帝)を懐妊中で(つまり1672年のこと),スースロフの釈放なくして出産は無事にはすまないという預言があったため,皇帝はスースロフを釈放した。

 以後三十年間(つまり1702年まで),スースロフはモスクワを中心に布教を続けたが,うち十五年間は政府の監視を避けてモスクワを去り,諸所の弟子たちのもとを転々とし,迫害が下火となったのちモスクワへ帰り,ここで男女の修道院に果多しく信者を増やした。


彼の住むクレムリン近くの家は,「神の家」とも噺しきエルサレム」とも呼ばれた。

 1699年には,百歳のダニーラ・フィリッポヴィチがコストロマからモスクワの「新しきエルサレム」へ移り来たり,ここから1700年1月1日,永い輪舞ののち,多くの会集者たちの見守るなか天に昇った。


以後それまでの9月1日に代えて,この日を新年の始まりと定めた。

三年後,スースロフ自身も多くの信者たちに見守られつつ昇天した。

ダニーラ・フィリッポヴィチは地上に遺骸を残さなかったが,スースロスは残した。

信者たちは遺骸を乞い受けてイワノフスカや女子修道院に埋葬し,石碑を建てた。


 スースロフのあとを継いでキリストとなったのは,ニージニー・ノヴゴロト(現ゴーリキー市)の元込士プロコフィー・ダニーロヴィチ・リープキンなる人物で,一部フルイストたちは,彼をダニーラ・フィリッポヴィチの実の息子であるとしています。
彼は1713年から1732年の死まで,キリストの地位にありました。

彼の妻アクリーナ・イワーノヴナは生神女で,二人の息子は剃髪して修道院へ入り,ここで教えを弘めます。


 十八世紀半ばから十九世紀初頭までの問に,フルイスト派はほぼロシア全域に行き渡り,国外ではガリシア地方に住むロシア人たちにまで及びました。

モスクワには四つのカラーブリがあった。

とりわけ信者が多かったのは,オリョール県とタンボブ県であったそうです。

信者はさまざまな階層にわたりましたが,主として農民都市の職人,小商人たちで,また多くの修道院がこのセクトの拠点でした。


 フルイスト派は結婚と生殖を認めませんが,ダニーラ・フィリッポヴィチやキリストの家系には血統が絶えぬよう配慮がなされていたようです。

コストロマから三十キロのスターラや村には,十九世紀半ばまでダニーラの門下と言われるウリアナ・ワシーリエワという女性が生存しており,彼女が修道院へ幽閉されてのちも,スターラや村はフルイスト派の聖地ベツレヘムといったものでしたし,ループキン直系の子孫もやはり十九世紀半ばまで存続していました。

 十九世紀の六十年代に至り,フルイスト派は個々のキリストを戴く多くのカラーブリに分裂し,それらカラーブリ同士が互いに対立し合うという事態を生じた。

 フルイスト派は,のちの去勢派ほどにはよく組織された教団ではありません。
それは半ば自然発生的にさまざまな地方に興つた,とすら見える。

諸カラーブリ間の横のつながりも,さして緊密なものではなかったらしい。


しかし各カラーブリにひとりのキリスト,ひとりの生神女がいて,ひとり,あるいは数人の預言者・女預言者がいるという構造は,共通していたようです。

また,儀式のうえではすべてのカラーブリが輪舞(ラジェーニエ)を採用していたことは事実ですが,儀式の細目については地方により時代により種々食い違いもあり,このことは,セクトが時とともに様々な派に分かれていったことを証するものです。

体系的な教義が成文化されず,教導者の意思が神の意思と見倣され,カラーブリの全成員がこれに絶対服従するような集団にあって,これは至って自然なことでしょう。

 ロシア正教というのは,概して形式にすこぶる拘泥する宗教です。

十七世紀の教会分裂自体,儀式や礼拝の細目における形式の変更をめぐって生じた。

そして分離派は,正教会以上に形式主義者でした。

彼らは,ニコンの改革が伝統的形式を歪めるものであるとして,旧来の伝統と形式の名において改革に反対したのです。

フルイスト派は,ロシア正教のこの形式主義への反動として興つたと言えます。

その意味で,ダニーラ・フィリッポヴィチがあらゆる書物をヴォルガへ捨てたという挿話が,フルイスト伝説の冒頭に位置していることは象徴的です。


書物や普通の祈りでは生ぬるい。

彼らは神性との一層直接的な接触・融合を求めた。

つまり激しいラジェーニエに訴えて肉体を疲労特牛させ,神を自らの内へ直接呼び降ろそう,神と合体しようとするのであって,これが彼らの祈りなのです。

彼らは,使徒行伝に引かれた預言者ヨエルの言葉が実現したものと信じていました。

「神いひ給はく,末の世に至りて,我が霊を凡ての人に注がん。

汝らの子女は預言し,汝らの若者は幻影を見,なんじらの老人は夢を見るべし。

その世に至りて,わが僕・師団に,わが霊を注がん,彼らは預言すべし」

(使徒2.17)。


 法悦に達するための舞踏としては,古代の宗教やシベリアのシャーマン等が思い浮びますが,フルイスト派の輪舞(ラジェーニエ)は他から借用されたものではなく,フルイストたち自身の内で見出され徐々に完成されたものらしい。

ミリューコフは,このセクトの民衆起源に鑑み,先ず初めにその外的・儀式的側面が成立したのであり,教義が整えられたのは遙かのち(おそらくは十九世紀)のことであったろうと言っています。

ローザノブも,ダニーラ・フィリッポヴィチは神との直接交流の手段たるラジェーニエを案出したことで,このセクトの教祖となり,生ける神として崇められたものであろうとしています。

 神性と直接合体せんという望みは,彼らが人格化された生ける神を求めたことと結びついています。

人間が神と直接合体しうるというのは,人間が神になりうるという人神思想なのです。

神の霊感を受けるものにとって,この霊感を神から受けたと考えることから,この霊感が自分の内から流れ出たと考えることへはほんの一歩です。

彼らが自らを神的な霊感の源泉,つまり自らの内に神を孕む者と考えるに至ったのは,至極当然の成行きでした。

あらゆる魂の奥所には聖神の萌芽がある。

自らの内へ降りゆく者は,ここに聖神のことば言を聞き,自らの魂の内に神の国を見出す。

自らの内にこの内的福音の声を聞いた者は,その瞬間から「神の宮」となり,もはや肉の内にはなく霊の内にある。

これこそ聖神を自らの内に宿すということです。

彼らにとってはイエス・キリストも,自分たちと同等な「神の言の籍身」にすぎない。

彼らはラジェーニエで,

「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」

と唱えながら踊りますが,その意味するところは,

主よ,かつてイエスに霊感を与えたように,われらにも霊感を与え給え

ということなのです。


こうしてフルイスト派の世界には無数のキリストと生神女が出現したのであり,多くのカラーブリでは,信者同士が互いを神として拝し合うことも行われました。


 輪舞(ラジェーニエ)のやり方については,個々のカラーブリにより多少の違いはあるものの,大筋のところはほぼ一致しており,大略次のようなものであったようです
(十九世紀前半におけるニジェゴロト県アルザマスのカラーブリ,コストロマ県ガーリチのカラーブリ等。メーリニコフによる)。


 晩の六時頃,カラーブリの成員が一軒の家に集まる。

人数は十人から四十人。

百人に及ぶことは稀である

(もっとも,ペテルブルクでのセリヴァーノブのラジェーニエは,六百人を集めたと言われます)。


部屋には窓がないか,あっても塞がれていて,音が外部に洩れないよう,しばしば地下に造られている。

ラジェーニエの行われる家は,「神の家」とも「エルサレム」とも呼ばれる。


 部屋の一隅に生神女が座を占め,信者たちは男女に分かれてベンチに腰掛ける。

全員裸足で,長い白衣を着ている。

はじめに福音書,使徒の書簡,教父の文章,聖者伝等が読まれることもある。

それから自家製の祈りの文句を唱える。

やはり自家製の歌を歌うこともある。

その際両手で両膝を打ち拍子をとる。

歌の合間に十字を切り,主の祝福を乞う。


 次いでキリストなり預言者なりがラジェーニエを命じ,一同立って輪になる。

時として預言者自らラジェーニエを始め,他の観たちがそれに従う。

出たちの輪の外に女たちの輪が形成されることもあるが,大抵は男女入り混じっての輪である。

彼らは

「主よ,われらにイエス・キリストを与え給え」


と歌いながら,飛び跳ねつつ,右回りに回る。

輪舞も各人の旋回も,必ず右回りである。

つまり,南面したとき太陽が東から西へ動くように,右回りでなくてはならない。

この踊りに酒神が降るのであり,「聖なる輪」に入る者は霊により国勢するとされる。

踊りは次第に速くなり,人々は息を喘がせて跳ね上がり,手を振り,両足で床を踏み鳴らす。

舞踏者たちの回転の速いことは旋風のようで,顔も見分けられないほどである。

彼らが旋回と跳躍の間中,畷り泣き,声を震わせて奇声を発するさまは,傍目にも恐ろしいほどで,壁越しにこれを聞くと,まるで何かを鞭打っているように聞こえる。


フルイスト派が樽の周りで自分たちを鞭打っているという噂が弘まったのは,このせいかもしれない。

 踊る者たちが自らのうちに霊を感ずるや,踊りはますます速くなる。
輪の外で拍子をとり声をかけている者たちは,舞踏者のとりわけ激しく速い動作を認めるや,

「彼に恵みが降った」

と言う。こうして預言者や女預言者が出現する。


ラジェーニエ中はなにも考えてはいけない。

さもないと霊は降らない。

預言者や女預言者になる人々は,概してラジェーニエへの強い嗜好を有しており,彼らにとってラジェーニエは,集中した断食ののち,言い知れぬ喜びを伴って自ずと起こるのだという。

人々はラジェーニエを,それがもたらす陶酔ゆえに「霊的ビール」と呼んでいる。

フルイスト派の教義が肉食,飲酒,夫婦の交わり等の厳しい禁欲的節制を課するものであったことに鑑みれば,ラジェーニエによる心理的陶酔が彼らにとって不可欠であったことは,想像に難くありません。

 踊りは大抵夜半まで続く。

白衣が汗でぐっしょりになると,白衣を脱ぎ捨て,裸のまま倒れるまで踊る。

 踊りが終わると全員が腰をおろし,手で膝を叩いて拍子をとりながら歌を歌う。
それから教導者に向かって脆き,十字を切り,聖神が預言者の口を通って彼らを訪れるよう祈る。

選ばれた預言者が人々に向かい合って立ち,身体を動かしながら,大きな声で預言を始める。

はじめに全員への預言があり,そのあと個々人への預言がある。

預言者は個々人の罪を暴き,罪人は十字を切って罪を悔い,時に涙を流して預言者を拝する。

 預言はしばしば明け方近くまで続く。預言が終わると全員で

「キリストは甦り給いぬ」

を歌い,教導者は十字架を聖像の下に置き,一同は脆拝して十字架に接吻する。


 フルイスト派にとって霊は善であり,肉は悪であり,ラジェーニエは霊によって肉を克服する手段であるわけですが,日常生活においても霊は肉に打ち勝たねばならない。

最初の罪はアダムとエヴァの肉の交わりによって生じた。

普通の正教徒たちは変わることなく罪のうちに孕まれ,罪のうちに生まれ,罪のうちに生きている。

罪を免れるには,この世と訣別せねばならない。

これは祈りと断食と,肉欲を断つことによって達せられる。

概して,女と交わることは,フルイストにとって最も重い罪です。

肉,魚,玉葱,大蒜を食べてはならない。

酒を飲んではならない。

遊びの集まりに行ってはならない。

悪罵を口にしてはならない。

女は華美な服や飾りを身につけてはならない。

被ったショールはなるべく深く眼まで下ろして結び,常に慎ましくあらねばならない。

これらの誠命をすべて厳しく守る者は,来世で永遠の生命を得るばかりか,ここ現世でも聖神の恵みに与り,神の息子ないし娘に等しいものとなる。

つまりキリストないし生神女となる。

「我が誡命を守りわが道を保つ者は我に在り,我もまた彼に在るなり」
(ヨハネ第一書3.24)。

イエス・キリスト自身そうした神の籍身に他ならなかった。

罪と訣別し新たな生へと生まれ変わり新たな霊となったわれわれは, 言たる神が宿るに相応しい者たちである。

男たちは皆キリストであり,女たちは皆生神女である。

 仲間に引き入れようとする者には,先ず自分たちが正真正銘の正教徒であることを確信させる。

「司祭たちはわれわれに何も教えてくれない。だから自分で本を読まねばならない」
と言い,絶えずキリストに祈り,なるべくしばしば教会へ行き,正教の司祭を敬うよう教える。

やがてこう教えるようになる,

「この世:には聖神の恵みを有する試しい人々がいる。

こうした人々の内にこそ神は生きている。

彼らこそ縛り審くカをもち,罪深い魂を地獄から天国へ導くことができる」。

しかしこうした人々が誰で,何処にいるかは言わない。

 新人がセクトへの加入に同意するや,彼は数日間の断食と斎戒を命じられる。
定められた日に,セクトの教導者ないし長老が彼を迎えに来て,信者たちの集会へ導く。

そこには信者たちが全員裸足に白衣姿で,男と女に分かれてベンチに坐っており,前方にひとりの女性(生神女ないし女預言者)が聖像の下に腰掛けている。


広い部屋には沢山の蝋燭が明々と灯されている。

生神女は新人に尋ねる,

 「ここへは何のために来たか」

 「魂を救うために」

と新入は,予め教えられていたとおりに答える。

 「魂を救うのはよいことである。で,汝は誰を保証人とするか」

 「天の王たるキリスト自身を」

 「キリストを辱めることのないよう努めよ」

 次いで新人は聖像に向い誓いを立てる。

誓いは次の三点から成る。


1. 聖なる信仰を受け容れ,決してこれに背かない。

2. しばしば教会へ行き,痛悔をし,聖体礼儀を受けるが,司祭に新たな信仰のことは一言も洩らさない。

3. 聖なる信仰のためにはいかなる苦難にも耐え,牢獄も,シベリアへの流刑も,死すらも恐れず,自らの信仰を誰にも決して明かさない。


 そのあと新参者は教導者の命ずるところに従い,一同が彼のために祈るよう頼む。

一同は円くなって坐り,彼らが「主への祈り」と称するものを民謡の節で歌う。

一同歌いながら,右手で膝を叩いて拍子をとる。


次いで三,四人の男女が円のなかへ出て,跳ねながら右回りに回り始める。

こうして新信者加入の儀式は,ラジェーニエへと移行する。


 ロシアにあっても国外にあっても,フルイスト派は永いこと忌まわしい淫祠邪教のたぐいと考えられてきました。

下着姿の男女により深夜人目を避けて行われるラジェーニエが,人々に性的放縦と乱交を連想させたのです。

フルイスト派の儀試について,バクストハウゼンはロシア人の秘書から聞いた話としてこう記している,

 「……祈祷の富士を満たした樽のなかに十五,六歳の少女を坐らせる。

数人の老女が彼女に近づき,その胸を深く切開し,左の乳房を切り取り,驚くべき巧みさで出血を止める。


〈……〉それから切り取った乳房を皿に載せ,小片に切りわけて一同に配り,一同はこれを食べる。

この人肉食が終わると,特にしつらえた高い台に少女を坐らせ,歌いながらその周りを回る」。


 バクストハウゼンのこの記述を信頼に値すると見,わたしも同様の話を聞いたとして,同じ乳房嗜食の話を紹介したのは,メーリニコフです。

そして彼はここに,嬰児供犠の話をつけ加えた。


生神女である少女が男の子を産んだ場合,この男子は生まれて八日目に,キリストに倣い脇腹を刺されて殺され,一同はその生血で聖体礼儀をとり行い,屍体は乾燥させて粉にし,パンに焼いてやはり聖体礼儀に使われる。 

やはりメーリニコフの挙げている例ですが,


ワシーり一・ラダーエフというアルザマスのキリストは,

「神秘的な死を死に,神秘的に甦って」キリストとなった者にはすベてが許される
という,一種の超人思想の持主で,これに基づき自らのカラーブリの十三人の女たちと関係をもっていました。彼は女たちに向って,自分がこれを要求するのではない,自分の内なる神が要求するのだ

と言って女たちに関係を迫り,彼女たちはこれを拒否できなかったといいます。

カラ〜ブリの成員は,自分たちのキリストに対しては絶対服従の義務を有し,キリストの命令とあらばいかなる法も眼中にないという有様でしたから,このキリストが不心得者であった場合はとんだ事態が生じかねない,ということはあるでしょう。


深夜の密儀と乱交,人肉食,嬰児供犠等は,大衆の猟奇趣味にはなはだ適っていました。

また,ロシアをヨーロッパの秘境と見倣したがる西欧人の好みにも適っていた。

ハクストハウゼンとメーリニコフのこの記述は,大衆のフルイスト像を決定してしまった。

 ロシアの作家たち自身例外ではなかった。
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/5362/1/slc013p121.pdf


"真説ラスプーチン(上/下)" Edvard Radzinsky 著
http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E8%AA%AC-%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3-%E4%B8%8A-%E6%B2%BC%E9%87%8E-%E5%85%85%E7%BE%A9/dp/4140808578


時代は、ロマノフ王朝の末期。

最後の皇帝ニコライ2世は闇の力に操られたと言われる。

その闇で君臨したのが怪僧と言われたラスプーチンである。

彼は読み書きもままならない農民、つまり「ムジーク」であるにも関わらず皇族への影響力は絶大であった。

聖書に関しては優れた知識をもち、素朴で、教養がある人間よりも物事がわかっている。

彼の言葉には、謎めいた格言のような形で、神がかりなうわ言のような予言力がある。

また、彼のまなざしと、人に軽く触れる手には、催眠効果があったという。

その一方で、売春婦や無数の婦人などを宗教と色欲を混同した半狂乱の中に陥れた。

まさしくオカルトの世界である。

ラスプーチンは、自分自身の暗殺を予言している。

その予言は、暗殺が親類の陰謀によるものならば、皇族一族も暗殺されるだろうというもの。

そして、予言通り皇族一家も暗殺される。

暗殺者によると、毒を盛られたのに生きていた、また、何発かの弾丸を打ち込まれたにも関わらず生きていたという証言がある。


彼の逸話には魔人伝説が散乱する。


@ ロシアで流行るカルト宗教

暗殺や謎の死、様々な矛盾と恐怖にむしばまれた時代、こうした時代がオカルト的な雰囲気を蔓延させ、人々の日常生活は霊的なものを求めていたという。

確かに、降霊術がこれほど発展した国はないのかもしれない。

ロシアでは、ドストエフスキーやトルストイのような文学者を生み出した一方で、超能力者を生み出している。

こうした背景は非公認の異端宗派を乱立させる。

本書は、中でも「鞭身派」と「去勢派」について言及している。


鞭身派における乱交は、肉欲を抑制するためであり、自らを清める儀式である。

これをキリストの兄弟愛と称する。

敬虔な人間は、罪を犯すと、苦悩を味わい懺悔する。

その結果、魂の浄化が起こり罪人は神に近づく。

罪と懺悔の間を行き来することに意味があり、神への道を示すものとされる。

清らかな体にこそ聖霊が宿り、罪によって罪を追い払うという奇妙な理屈があるようだ。

子供は肉から生まれたのではなく聖霊から生まれると信じるので、女性自身が聖母と自覚できる瞬間がある。


18世紀半ばに、鞭身派から分かれた去勢派という新たな狂信者を生む。

鞭身派の性的堕落を非難し絶対的な禁欲を唱える。

男根の去勢処置は、灼熱した鉄を使い、斧も用いられる。

女性の手術は、外陰部、乳首、乳房が切り取られる。

本書は、この罪を犯すことの重要さを理解しなくては、ラスプーチンを理解することができないと語る。


A ラスプーチンの教え


ラスプーチンは、鞭身派からスタートしたという。

磔にされたキリストは復活せず、復活したのはキリストが説いた永遠の真理のみ。

そして、「すべての人間がキリストになれる」と主張する。

そのためには、自らの内にある肉欲、つまり、旧約のアダムや罪の人を殺さなければならないというのだ。

ラスプーチンの使命とは、神の弱い創造物である女性たちを、罪から解放してやることだという。

彼にとって愛こそ神聖なもの。

自然の万物に対する愛。キリスト教的な家族愛。

女性が夫を愛していれば、それは触れるべきではないが、夫を愛さずに結婚生活を送っているならば罪深い。

結婚という制度には、従属する愛と反対の立場をとる。

真実の愛が存在しないものはすべて罪と考える。

同性愛者で偽りの結婚生活をしていた皇帝の妹には、彼女を抱き、愛を伝染してやろうと試みる。

ラスプーチンから愛を授かったものには、性的な放埒から解放され、見えない糸で永久に結ばれると考えていたのだ。

なんとも神秘的というか幼稚というか、巧みな触れ合いで催眠状態に陥れる。

悪魔のいちばんずる賢いところは、人々に悪魔などいないと信じ込ませることである。

だが、ラスムーチンは書き残す。「悪魔はすぐそばにいる」と。


B皇族との結びつき

ロマノフ王朝は、血族同士の殺し合いの伝統をもつ。そこには閣僚の暗殺も横行する。

そうした陰謀の渦巻く王家にあって、皇帝ニコライ2世は数々の試練を迎える。

皇太子アレクセイの血友病。日露戦争の敗北。1905年の血なまぐさい革命。

こうした背景は、皇族一家が「神の人」を待ち望むという状況にあった。

そんな時期に、予知能力と千里眼を備えるという評判のあったラスプーチンが近づく。

予言、奇蹟、死者と話す能力を備え、ロシア艦隊が日本艦隊に敗れることを予言していたという。

彼には、催眠的な力を持った目、予言者、治癒者、民衆から出てきたなど、条件は整っていた。

ロシアでは、読み書きのできな農民、素朴な人間にこそ貴重な才能が宿るという思想があるらしい。

彼は、病気の皇太子に謁見して心を静め、医者が治らないと宣言した病も将来治ると予言した。

また、革命で自らの殻に篭った皇帝にも、恐怖心を払い勇気を与えた。

特に、皇后は、自身の神経発作を取り除いてくれたラスプーチンの神秘的な力を崇拝するようになる。

これぞ催眠療法である。

彼は霊的な高みに到達した存在であり、詩的な瞑想をしきりに働かせたという。

ラスプーチンが書き記したとされる文章には、催眠的な力と見事な文学的センスがうかがえる。
http://drunkard-diogenes.blogspot.com/2008/06/edvard-radzinsky.html


03. 中川隆 2011年1月29日 18:37:00: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

U. エロスの深層

おお、人間よ。心して聞け。

深い真夜中は何を語る?

私は眠った、私は眠った――

深い夢から目覚めた――

世界は深い。昼が考えたより深い。

世界の痛みは深い。

悦び――それは心の悩みよりいっそう深い。

痛みは言う、去れ、と。

しかし、すべての悦びは永遠を欲する――

深い、深い永遠を欲する。


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1. 巫女は神と交わる聖なる女性


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オルギア、狂宴(Orgy)


ギリシア語の o[rgia に由来する語で、「秘密の礼拝」を意味した。
ほとんどの秘教の礼拝には、エレウシス、カビリア、シャクティスム、スーフィー教、キリスト教の一派の拝蛇教などの秘儀におけるごとく、性の儀式が含まれていた。

「宗教は、自然と密着したすべての祭儀につきもののオルギア的傾向をもはやとらなくなったときでさえ、……つねに性愛的な一面を持っている。

……遠くさかのぼればさかのぼるほど、性愛と聖礼の違いを見分けるのはますます困難になる。

そして『遠くさかのぼる』のは単に時間的な意味だけでなく、経験の深さをもまた意味する」

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/orgia.html


少女が娼婦に身を落として、自分や親の罪を贖うという物語は実は世界中のあちこちにある。お姫様や絶世の美女が苦界に落ち、我が身を男たちに与えていくが、本当の優しさにめぐり合った時、天女になって天に召されるという草紙だ。

古来、神に仕えるものと娼婦は同一視されていた。日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に娼婦でもあった。 神に身を捧げることと、誰にも分け隔てなく我が身を与えることは、同じことだからだ。

民俗社会においては、巫女は、神の妻であり、人間にとっては処女であり(誰の妻でもなく)、、同時に娼婦でもある(誰の妻でもある)。 巫女との性行為を通じて人は神と対話した。

http://blog.livedoor.jp/deal_with0603/archives/51331139.html


シュメール人と言えば、史上最古の民族とされ、紀元前3000年頃にはメソポタミア南部に都市国家をつくり、楔形文字を発明したことで知られる。このシュメールに「神殿娼婦」と称する、性交に熟達した女達がいた。後にギリシア人は、彼女達を「ヒエロドゥロス」と呼んだ。

各地から男達が貢ぎ物を持って神殿にやってくる。神殿娼婦達は、そうした男達のすべてと性行為を行う義務があった。 彼女達は神の側女とされ、性交為はいわば接待であり、見知らぬ男達との性交は、神秘的な夫婦関係と見なされた。つまり彼女達が性交するのは神へ奉仕するのと同じこととされたのである。

また、シュメールの娘達は、神殿で処女を捧げるのが習慣になっていた。 処女が流す血は神の好む供物とされていたから、娘達は祭壇の前で、神の代理人である祭司に身をまかせ、処女の血を流した。その神をイシュタルといい、愛と結婚、性愛、豊穣の女神だった。 しかしイシュタルは同時に男神でもあり、両性具有神なのである。したがって娘達は、祭司を男神としてのイシュタルの神聖な化身と信じて疑わなかった。


逆に言えば、娘達は聖職者からそう思い込まされていたのである。こうして処女を捧げると、娘達は祝福を受け、初めて結婚が認められた。 イシュタルは結婚の守護神であると同時に神殿娼婦達の守護神でもあった。

ところでシュメールの結婚は、男が妻を買うということでまとまった。 基本的には一夫一妻制だが、既婚の男が他に妾を持っても、あるいは神殿娼婦とセックスを楽しんでも、背徳の行為として非難されることはなかった。

娘を誘惑し、性交為におよんだ場合、独身の男ならその娘と結婚しなければならない。 既婚の男であれば娘の父親に慰謝料を払って償う必要があった。

この地域は、やがてバビロニアとなるが、それでもこうした性習慣は引き継がれた。バビロニアの娘達は神殿で処女を捧げてから結婚したり、情事に耽った。 無論、神殿娼婦もいたが、彼女達はもはや慈善的な性交為をするのではなく、金をもらって相手をする神殿内の売春婦となっていた。

http://tig.seesaa.net/article/11028153.html


ヒンズー教のデヴァダシスdevadasis(寺院娼婦)のように、古代の中東の神殿では、娼婦-巫女が女神の恵みを分け与えた。彼女たちは美と善意の比類ない結びつき(カリスcharis、ラテン語のcaritas)に関わっていたため、しばしばカリスたち、あるいは美の女神たちとして知られていた。 charisはのちに「慈善」charityと訳されるようになる。 実際にはカリスは、母の愛、優しさ、慰め、神秘的啓示、そして性交、がすべて一体となったヒンズー教の慈悲karunaと同様のものであった。

 古代の娼婦はしばしば高い社会的地位を占め、彼女たちの持つ学識は尊敬を受けていた。 パレスティナにおいてカデシェト(偉大なる娼婦)と呼ばれた天界の女王の化身のように、娼婦はギリシアと小アジアのミノア島の学問の中心地において、女王のように崇敬された。実際に女王になった者さえあった。ユスティニアヌス帝の妻であるテオドラ皇后は、最初は神殿娼婦であり、コンスタンティヌス帝の母である聖ヘレナは、皇后-聖人になる前は娼婦であった。

 エジプトの物語では、ブバスティスのある巫女は、彼女の愛の一夜の代償として、男の現世の財産すべてを要求した。 彼女は「私は神に捧げられた奴隷である。すなわち私は人間ではない」と言った。

最近までエジプトには「神聖娼婦」ghazyeと呼ばれた階級があった。 ghazyeはマルムーク王朝(1250-1517)の時代には大いに尊敬され、奉仕の期間が終わると花嫁として重んじられた。

 神殿娼婦は病気を治癒する者として崇められた。 彼女たちの分泌物そのものが医療的効力があると考えられた。スーウィー教徒の「女性の膣には治癒力がある」という諺は今もなおこの考え方を暗示している。 彼女たちの唾液でさえ病気を治すことができた。イエスが唾液で盲人を治す話(『マルコによる福音書』第8章 23節)は、母権制社会の伝承を模倣したものである。ニネヴェ(古代アッシリアの首都)から出土した粘土の銘板は、眼の病気が娼婦の唾液で治ることを示している。
娼婦はまた魔術師、預言者、占い師であった。 ヘブライ語のzonahは、娼婦と女予言者の両方を意味する語である。

 霊を持つ女性としても知られ、多くの男性と交わった日本の巫女-シャーマンは、「聖なる母たち」と呼ばれていた。彼女たちは神の花嫁となって神殿に入り、神の霊の乗り移った神主とともに横たわった。
同様の慣習は、天界のみだらなニンフを模倣したインドの寺院娼婦デヴァダシスdevadasisの特徴となっていた。

 娼婦という職業は一般的な職業であった。エリュクス、コリント、キプロスその他の地にある アプロディテの神殿には1000人の神殿娼婦が仕えていた。 古代ギリシア人が妻を召使いの地位にまで引き下ろしたとき、高等娼婦hetairaiは法的にも政治的にも男性と同等の地位にとどまった。

ローマの貴族で最も身分の高い女性は、啓示が必要なとき、ユノ・ソスピタの神殿で、自ら娼婦となった。 バビロニアの女性はみな、結婚前に神殿で娼婦となった。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/prostitution.html


そもそも巫女とはどういう存在かというと、「神と交わる人」だ。

ここで、「交わる」の意味が問題となる。 遠まわしな表現でいえば「神と一つになる」だが、それでもわからなければ「神と寝床を共にする人」だ。 だから、「神」が男神であれば巫女は女性であり、女神であれば逆になる。 そして人は「神の子孫」となる。

もちろんこのような話は、王室の正当性を主張するために作られる神話だ。

吉野裕子さんによると、古代の日本は蛇信仰のメッカだったという。 そして、吉野論の極めつけは、「日本人は蛇の落とし子である」というものだ。日本人は古来より、蛇に対して畏敬の念をもつと同時に強烈な嫌悪の対象として見るという、アンビバレントな感情を抱いていた。

だから蛇に対する信仰は、多くの場合は隠された形で、隠喩として示されてきた。
だから、その謎を解明するのは困難を極める。蛇信仰が縄文時代からあったことは、縄文土器に多く見られる蛇の形からもわかる。

だが、吉野説では、その「縄文」自体が蛇とかかわりがあるという。

さて問題の蛇巫の話だ。

吉野裕子著の『蛇−日本の蛇信仰』では、「蛇巫の存在」として1章を当てている。

そこで吉野は、『常陸風土記』のヌカヒメ伝承と大和の「箸墓伝説」、つまり大物主神とヤマトトトヒモモソヒメ命の神話を比較して、この二つに見られる共通点を以下のように挙げている。


 蛇巫が夜ごと、神蛇と交わること。

 幼蛇を生むこと。

 幼蛇を小さい容器の中で飼うこと。


先に、巫女とは神と交わる者だと書いたが、それに習えば、蛇巫とは「蛇と交わる者」ということになる。吉野は他にもいくつかの例証をあげ、以下のように結論づける。

日本古代蛇信仰では、神蛇とはまず人間の巫女と交わることをその第一義としたから、「祭り」とは要するに巫女による蛇との交合であったとさえ思われる。

また、、太古の諏訪大社の主祭神であったと思われるミシャグチ神についても、諏訪大社の代々の最高神官であった大祝(おおはふり)はミシャグジ神の蛇巫だったとしている。

諏訪大社ではたしかに蛇あるいは龍神とのかかわりが密のようであり、そのことは現在の諏訪大社の主祭神である諏訪大明神つまり建御名方神においても受け継がれているようだ。

http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20041009/1202903595


何者かと深くつながるとき、たとえそれが神という存在であっても、結婚という形をとるのですね。 神に所有されるというのとは、やはりニュアンスは違うようです。

人の痛みを知るため、自らを不幸の中に置くというよりも、逆に神との結合・一体化のエクスタシーを通じて、神の意図をダイレクトに感じ、知るという面が強いようです。

実際、ここで紹介した根間さんが神とつながったときの表情は、非常にエロチックに見えました。 一般人である我々には理解しがたい境地ですが、案外その歓喜を知ってしまったら、かえって人間の男では到底満たされないのかもしれません。

おそらくは、離婚されたカミンチュの方々も、もともと人間の男性には満たされていなかったのではないか、とも思います。

一つ確実に言えることは、宗教的感性とは、本来決して反性的なものではなく、非常にエロチックなものであるということです。

とくに、インドの神々のエロチックさったらないですね。

http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-55.html

蛇は何のシンボルだったのか? 


 古代の宗教のあちこちで姿を見せる「蛇」。

 古代の宗教における「蛇」というと、『創世記』冒頭でイヴをそそのかす蛇がもっとも有名だ。

キリスト教的な解釈では、直ちにそれは原罪の誘引となった「悪」のシンボルと捉えられる訳だが、それは「蛇」に対して非常に偏った捉え方にすぎない。

ちなみにユダヤ教は、原罪という意味合いを読み込むことはしない。それは、人間が当然犯す過ちの一つ、という以上の意味はないのである。


 「蛇」がネガティヴでない意味をもって登場する箇所を若干挙げてみよう。


 「主はモーセに言われた。

「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれたものがそれを見上げれば、命を得る」。


モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」
(『民数記』21:8-9)。

 ここで「蛇」は生命を付与するものとして捉えられているが、これはギリシア神話の「アスクレーピオス」の蛇とも共通して、広く地中海一帯やインドにまで広がっていた蛇観であるそうだ。

脱皮を繰り返しながら生を更新していく蛇のうちに、個体の生死を超えて続けられる生そのものの連続性を古代人は見たのだという解釈がよくなされるようだ。
 さて、このモーセと蛇の結びつきは、新約聖書の一人の作者によって利用された。

 「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」
(『ヨハネによる福音書』3:14-15)。 


 蛇=悪という教義が障害となって、この箇所と『民数記』の上の箇所との関連が追及されることはこれまでなかった。 

 しかし、宗教的カリスマを蛇のイメージにおいて捉えることは決して珍しいことではなかった。たとえば、福音書が書かれた時期にはまだ地中海一帯で命脈を保っていたディオニューソスには蛇のイメージがついて回る。

ヨハネ福音書の作者がイエスを造形するに際して、「解放者」ディオニューソスをモデルにしたという解釈はすでに相当あるようだ。たとえば、イエスが甕に入っていた水をたちまちワインに変えてしまう箇所などが典型的だと見なされている。

 
 翻訳もあるケレーニーの『ディオニューソス』で、ケレーニーはディオニューソスの由来をクレタ島のミノワ文明に求めたが、過去に遡るにつれて、ディオニューソスとゼウスの区別は薄れ、それらは時には牛に時には蛇に近接していき、

「牛は蛇を生み、蛇は牛を生む」

という謎めいた呪文(おそらく何らかの儀式で唱えられた呪文)に行き着くのだが、ケレーニーによればこの蛇や牛は「破壊されることのない生命」のシンボルだった。

 (クノッソス宮殿で発見された蛇を掲げる女性像ととぐろを巻く蛇をいただく女性像。おそらく蛇巫(へびふ)と呼んでいいのだろう) 
 
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-06-12


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。


「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。


いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。

あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。

             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。

おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、
「排尿をガマンできない人間」、
「性器を持たない人間」、
「よろよろして立ち上がることができない人間」

など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。

http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967

『アルコーンの本質』 『ナグ・ハマディ文書』より

■3.「不滅性」の自己啓示とアダムの創造


 「不滅性」は下なる領域を眺め降ろした。両性具有のアルコーンたちは、水面に映ったその像を見て欲情するが、弱さのゆえにそれをつかむことができない。アルコーンたちは協議して、土の塵から人間を造り、「不滅性」がそれに近づいてくるようにと策略を立てる。彼らは、彼らの身体に似せて、また、水の中に現れた神の像に従って、一人の人間を造った。

サマエールは人間に息を吹き込み、それによって人間は心魂的なものとなるが、彼はいまだ立ち上がることができない。アルコーンたちは上なる神を欺こうとしてこれらのことを行ったが、これらすべてのことは実は、「万物の父」の意志によって生じたものであった。父からの「霊」が「アダマンティネーの地」(堅固な地、の意)から到来し、それによって人間は生ける者となり、アダムと名づけられた。
アルコーンたちは地のあらゆる獣と天の鳥を集め、アダムに名前をつけさせた。


■4.アダムの楽園への拘禁とエバの創造、「霊的な女」の到来


 アルコーンたちはアダムを拘束して楽園に閉じこめ、

「善と悪の知識の樹から食べてはならない。食べる日に必ず死ぬだろうから」

と告げた。次にアルコーンたちは、アダムの上に忘却をもたらし、アダムの脇腹を開いて、その肋骨を生ける女に変えた。そしてアダムの脇腹に、代わりの肉を詰めた。これによってアダムは心魂的なものとなってしまい、起き上がることができないが、「霊的な女」が到来し、アダムを立ち上がらせる。アダムは彼女を賛美した。

■6.「霊的な女」が蛇になって行なう啓示と楽園追放


 霊的な女は、蛇の、とはすなわち教示者の姿で、アダムとエバのところにやってきた。そして、知識の木から取って食べても

「決して死ぬことはない。なぜなら、彼がそうお前たちに命じたのも、妬んでいるからなのだ。むしろお前たちの目が開くことになるであろう。そして、お前たちは善と悪とを知る神々のようになるだろう」

と啓示する。これを聞いて二人は、知識の木の実を取って食べ、自分たちが「霊的なもの」を剥がれて裸であることに気づいた。アルコーンたちは二人が知識の木の実を食べたのを知り、蛇を呪って、アダムとエバを楽園から追放した。それは、彼らが生活の労苦に追われて、聖霊に心を配る時間の余裕がないようにするためであった。

http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth005.html


人類最初の女性 リリス( Lilith )


旧約聖書では、神によってアダムが土から生まれ、その次にイヴがアダムの肋骨から生まれたとされていますが、実はアダムと同様にリリスという土から生まれた女性がいて、アダムと結婚していました。

リリスは、アダムと同様に土から生まれたので、アダムとは対等な存在であるため、アダムとの性行為において、正常位によるアダムの支配的地位を拒否し、彼女は空を飛び、エデンの園を去り、紅海沿岸に住みつきます。


神はリリスを説得しますが、彼女は聞く耳を持たなかったので、罰としてリリスは下半身を蛇に変えられ、毎日おびただしい数の子供(リリン)を産み、そのうち100人を殺される運命を負うことになります。

彼女はこれに大変ショックを受け、海に身を投げて死んでしまいました。 


旧約聖書で、アダムとイヴが禁断の果実を食べるシーンがありますが、この2人をそそのかした蛇こそがリリスの化身なのであります。 これは、パリのノートルダム大聖堂にある彫刻にも、リリスが蛇として描かれていることからも分かるでしょう。

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1033.html

人間は大地母神によって泥から造られて、神々のために「これ(エデンの園)を耕させ、これを守らせ」るようにエデンに置かれた(『創世記』第2章 15節)。


なぜならば神々はたいそう怠惰で農耕をしようとせず、植え、穫り入れ、自分たちに捧げ物をする奴隷が欲しかったからである 。神々は奴隷たちが自分たちより偉くなって働こうとしなくなるのを恐れて、神々の持つ不死の秘密を決して彼らに知らせてはならないことを申し合わせた。エデンの神は、同僚の神々に向かって言った。


「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知る者となった」。

したがって彼は「命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」ので、ただちにエデンの園から追い出さなければならない
(『創世記』第3章 22節)。


蛇の教えは、人間を、生を征服し神のような存在にしたであろうに、これは神々elohimの意志に反することであった。

 『支配者たちの本質』Hypostasis of the Archonsは、蛇は女神のトーテムとしての姿であることを示している。蛇は明らかに、女神の創造した死ぬ運命を持った生物を憐れんで、永遠の生命に到達する方法を教示しようとした。

「女性の霊的原理が『教示者―蛇』の中に入り、蛇は彼らに教示して言う。


『あなたがたは死ぬことはないであろう。神がそう告げたのは、あなたがたを嫉妬したからである。それどころか、あなたの眼を大きく開きなさい。そうすれば、あなたは善悪を識別して神のようになるであろう』」。


そこで「傲岸な支配者(神)」は、蛇と女性を呪ったのである 。

 聖書の物語の現在の型は、太女神と蛇の本来の話を明らかに大幅に改定したものである。バビロニアの図像は、蛇にかしずかれ、人間に不死の食物を捧げている女神の姿を描いている。ピラミッド・テキストは、永遠なる生命の食物を提供したのは蛇であると述べている

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/serpent.html

 ユダヤ・キリスト教において、「この世の天国」とまで謳われたはずのエデンの園は、グノーシスにおいては造物主の牢獄として扱われる。そしてこの《善悪を知る木》の実を食すことを禁じたヤハウェは、先述したように造物主に割り当てられ、人間を無知のままにとどめおく、知識による救済の可能性を閉ざす存在となる。

逆にそれを食すことをそそのかした蛇は、ユダヤ・キリスト教においては人間に原罪を負わせたものとして、忌むべき存在とされていたが、グノーシスではそうではなく、至高神からの人間へ知識を授け、救済への道を開示する啓示的役割を担った聖なる存在へと変貌するのだ。

 忌むべき悪魔のような役割から、救済者として、あるいは啓示的存在としての役割へと一変した《蛇》は、人間が救済への道を切り開くための秘密の鍵を握る存在として、グノーシス主義において神聖視された。尻尾を銜えた円環状の蛇《ウロボロス》は、《完全なるもの》としての意味を含んでいる。

この救世主としての《蛇》は原初においてはソフィアとされた。

http://homepage3.nifty.com/kiraboshi2/Abraxas/Gnosis_intro4.html



04. 中川隆 2011年1月30日 01:44:39: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

V. 密教は宗教の最終到達点

1. インド密教の起源


今、テレビや雑誌などで、ヨガや瞑想が取り上げられ、若い女性を中心に流行っていますが、何も知らずに興味本位や健康法、趣味などで生活に取り入れると、取り返しのつかないことになります。

 何故、ヨガや瞑想が危険かと言うと、これらの起源は一般には良いこととしてしか知られていませんが、およそ健康法などとは全く関係の無いものだからです。もともと、ヨガや瞑想は一般の人たちには縁の無い、インドやチベットなどの行者が「悟りを開く」と言う目的で行なっている修行法です。


 ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。


これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。

 この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。

その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。

その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。


 ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。


天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。

 この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。


星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。


 上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。


 というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。

 そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。


ヨガや瞑想が危険であるのは、健康法などとごまかしてヨガのポーズをとったり、瞑想したりしている内に、知らず知らずに黒魔術の儀式を行なっていることになり、そこに数多くの悪霊を呼び寄せ、額にある霊的な目(第三の目)を横目(正しくは縦目)に開き、サタン(悪魔)との契約を結ぶことになり、悪の強靭なエネルギーを得て、自らの体内に取り入れて、魂を悪魔に捧げることとなり、それが密教で言う「悟り」であるとされていますが、ヨガや瞑想に関わり続けることで、人生を台無しにし、魂をも堕落させ、取り返しのつかない過ちを犯すことになるからです。
 
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html


尸林の土着信仰


 尸林(しりん)、シュマシャーナとは中世インドの葬儀場のことである。大きな都市に隣接して、この寂しい尸林が存在する。死者の遺骸は、都市部から尸林に運ばれ、荼毘に付されるか、そのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられた。
しばしば、尸林は処刑場をかねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていた。

 これらは、まともな神経の人間には、実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所でもあった。そして、しばしば、魑魅魍魎が徘徊する場所として、恐れられていた。


インドの尸林には、嘗て女神が祀られていた。そして、尸林自体もバドラカーリーなどのように女神の名前がつけられていた。これらは土着宗教の女神たちであり、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か、仏教の女神(守護女尊)として崇拝されている。それぞれの尸林の女神の祠には、巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術(Necromancy)を生業としていた。

その巫女は、苦行母(ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)という。大神シヴァの神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に、彼女たちは、侍女兼巫女として仕えている。その聖地(ピータ)に土着(クセトラジャー)の女性たちは、多くはアウト・カーストの出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていた。

彼女らは一年の特定の祭日、または、月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物(<三昧耶>(サマーヤ))をとり、酒を呑み、歌舞音曲を楽しむというオルギアを行った。

古代のディオニュソスの祭儀か、どちらかと言うとキリスト教によりディフォルメされた魔女のサバトに似た狂乱の宴である。もちろん、この土着の「尸林の宗教」は、文献も残さず、伝承も不確かな存在であり、ヒンドゥー教や、仏教サイドの文献から存在そのものを再構築するしかない。しかし、その痕跡は現代にも残されている。

津田博士が1975年にカルカッタのカーリー寺院を訪れたときは、暗い回廊の下に黒衣をまとったダーキーニーが、黒い羊の首、四、五体を並べた前にひとり座していたという。


 もちろん、多かれ少なかれ性的儀礼を含む自然崇拝的宗教は、世界中に伝播している。『旧約聖書』においても、IHVH神はバアル神と鋭く対立した。

何故なら、バアル(男性原理)及びバアラテ(女性原理)とは大地の豊饒を司る精霊で、その集合体が神格化、宗教化したバアル神だったからだ。夫婦の神の交わりにより、土地を肥やし、作物を生む。農民は、その神々に帰依する者となり、神々の交わりを模倣して神聖な性交を行うことで豊饒を祈る。

遊牧民の神であるIHVH神は、この性的な豊饒儀礼とは無縁であった。
性的祭儀はハムの子孫であるカナン人が発展させ、イスラエルに教えたのである。
聖書は、これを避難して<アモリ人の悪>(『創世記』15章16)と呼び、その祭儀に参加する者を「高きところでバアルと頸城をともにする者」と呼んだ。
潔癖主義のユダヤ教は、カナン人の信仰だけでなく、神殿娼婦を置き性の崇拝を織り込んだ古代の有力な宗教と対決を続けてきた。


 しかし、農耕神の素朴な性的儀礼と尸林の宗教は、かなり異なる。バアルの聖なる交合は、大地の実りをもたらす開放的な営みであるが、墓所における性の儀礼は、人間の心の深奥部へ辿り着こうとする閉鎖的な営みだからだ。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式である。中世インドまでの中期密教において、九想観等の死体が崩壊する様を瞑想する技術はすでに確立しており、宗教者が修行のためや、純粋に供犠のために尸林を訪問する機会はあったのである。

インドにおいて宗教者とは常に男性であり、タントラ行者は、土着宗教の巫女たちと性交を含む儀式を行ったと考えられている。

 ガナチャクラの構成員は9名である。 つまり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神パイラヴァを召喚した男性行者が1名、そして、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行う儀礼である。

天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽する。
この位置変換を<瑜伽女の転移>(サンチャーラ)という。女性行者が8名に臨時のメンバー(行者ではない女性)を1名加えた9名という説もある。その場合は、中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女一組に対して、円形に8名の女性行者が並び、曼陀羅が常時成立することになる。

この結果、中央の男性行者は、すべての女性行者と平等に和合することになる。
この儀式は、インドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっている。

 星辰の回転を象徴しながら、都合、8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は、<大楽>(マハースーカ)と呼ばれ、この<大楽>が行者を<梵我一如>の境地に連れ去るのである。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/2smshna.html

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2. 梵我一如はエロスの世界

フツーの人が本物の の体験をするのはまず不可能です。 どうしてもと言うなら クスリに頼るしかないでしょう。 クスリが「宗教儀式」に使われるのはそういう事情なのです:


芥子の花


ふ〜しょう♪ふ〜めつ♪ふ〜くう〜♪ふ〜じょう♪〜

読経は続いている。焼香の煙が静かに漂い流れてくる。

私の実家は阿波の国、土佐との国境で、海底で堆積し褶曲された山々がある所では隆起しある所では黒潮が流れる青い海へと没した海辺に開けたのどかな土地にある。

宗派は真言、それで弘法大師いわれの話しがここかしこに言い伝えられている。


大師さんが休み、杖をついたところ、そこから清水が湧いてきたとか、ちょうど大石が落ちてきた時、弁当に使っていた箸を地面に突き刺すと忽ち箸は大木の杉の木になって大石の落下をくい止めたとか、小さな頃から法事がある度に先代のおじゅっさんから先祖の逸話を聞くと伴に大師さんにまつわる話しを数多く聞いてきた。

・・・ないし♪むろし♪やくむろしじん♪・・・


遠い声を聞く様に清んだ先代のおじゅっさんの話し声が重なって聞こえてくる。


裏山に住む狸の話をしてくれた事や椎の大木の陰に潜む天狗が夜な夜な空を飛ぶ話しとか、そんな幾つかの話しの中にあって、ことさら不思議と胸の内にわだかまった話し


「大きな声では言えないがね寺の裏山には終戦頃まで芥子の花が咲みだれていてね・・・」


何か咲きみだれる見知らない花々が秘密めいて思い出されてくる。

これは我が母校の校章となっているからだろうか?

焼香の匂いが一層強く漂い私はさらに静かにゆっくりと夢想の翼が開いていく様に感じられてきた。 月の青い光が降り注ぐ裏山に白い花びらの芥子の花が青白く濡れている。 これは梶井基次郎が書いた『櫻の木の下に死体が埋まっている』より尚妖艶ではないだろうか?

芥子の花の下には骨が埋まっているのに違い無いのでは。


空海さんはさすが博学やったんやな〜と思ってしまう。 真言密教の片田舎の末寺に芥子の花が咲き乱れていたと言う事は日本各地の数多くの寺々では芥子が植えられ使われていたのではないだろうか?

さても、古く真言密教の儀式において護摩火に芥子も焼香のひとつとして投げ入れる秘儀が常時おこなわられていたのでは?・・・

かの時代なら十分うなずけれることなのでは。


薄暗い堂内に掲げられた曼荼羅に昇る火と立ち込める煙、それと伴に強い香を焚けば祈りを捧げる人々、 みんな酩酊しないわけが無いのではないだろうか。

人々の眼前に現れるのは極楽浄土だったのではないだろうか。


夢想する私の耳には空海さんが唐国から船で帰るさい墨染めの衣の袖の下には身毒(インド)渡りの芥子坊主を忍ばせた・・・・

サラサラと芥子坊主の中の乾いた実の音が聞こえてくる。

そしてその音はサラサラ サラサラと木霊し流れ来て私の脳内の神経節の一部にエンドルフィン、エンケファリンとして反応し点滅している様に感じられてくる。

それはランニングハイのような高揚なのだろうか?

いやいやそれは今まさに私の脳内で芥子坊主から滲み出した黒く変色した果汁が翼を開ける様に広がっている高揚なのではないだろうか?


・・・ぎゃあ〜てい♪ぎゃあ〜てい♪はらさそ〜うぎゃあ〜てい♪・・・・


読経は尚も続いている。

ああ・・・またもや何処か人知れない廃寺の裏山でひっそりと月の光に濡れながら青白く咲く芥子の花と唄う様に揺れる芥子坊主の姿が私の頭の中で映像として結びだしてきた。

http://plaza.rakuten.co.jp/maeno7547/diary/200901310000/

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20 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2010/01/21(木) 22:13:43 ID:rkoUr6r70

薬を使ってのセックスは通常の快感の100倍だってね
射精時なんか脳天がブチ破れるほどの快感
女は常にいきっぱなし


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ヘロイン (heroin, diamorphine) は、アヘンに含まれるモルヒネから作る麻薬。

塩酸モルヒネを無水酢酸で処理し、生成する。

依存性の極めて強い麻薬であり、麻薬及び向精神薬取締法で、その製造・所持・医療目的を含め、規制対象になっている。

現存するあらゆる薬物の中で「快」の面でも「悪」の面でも最も高峰に位置するものとして、「薬物の女王」(The queen of drug) の代名詞を持つ。

使用法はスニッフィング(鼻からの摂取)、経口摂取、静脈注射など様々であるが、この中でも特に、静脈注射をもって摂取した直後数分間にわたって続く

「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものといわれ、時には
「オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているよう」、

また時には

「人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態」
とも表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいといわれるその至福感は、しばしば「約束された安堵」などとも表現される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%B3


人間の脳には主に3系の神経節に分かれております。
そうA・b・cといった具合にです。

A10というところは快楽(ドパミン)
B系は鬱と深くかかわる(セロトニン)
C系は憤怒系(アドレナリン・ほか)

Aに作用させたものが主に「覚せい剤」といわれるもので、
その他モルヒネ・ヘロイン・大麻(THC)などはダウナー系であり
覚せい剤とはまったく異質なものである。

特に最近麻薬指定を受けた「マジックマッシュルーム」(私も数年前まで栽培してた)などはB系のセロトニンという神経伝達物質受容体(シナプス)に結合しガキのころに恋愛したようなホンわかしたいい気分にさせてくれる。

もちろん幻覚は強烈です!

LSD(リゼルグサンジエチルアミド)も同様な状況になる。

覚せい剤はその瞬間的な強烈な効き目とトリップ中の性感覚の急増に伴い女性が常用するとなかなか抜け出せなくなってしまいます。

精神的依存はかなり強烈であるといえます。

最強な依存度を誇るのは「ヘロイン」です!

ダウナー系最強で、禁断症状が一番強烈で骨がきしむような痛みを伴いヘロインなしでは生きてゆけないくらいの禁断症状に見舞われます。

上記2種類に比べればL・きのこ・大麻(THC)などは健康食品程度のもんです(笑)


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覚せい剤(シャブ、速いの、冷たいの、エス、スピード、アイス)


  日本が世界一の消費国家です。

  外観:白い無臭結晶で、舐めると苦い。

  使用方法:静脈注射、炙った煙を吸う、鼻孔注入、経口、アナル、注入
       性器塗布

  効果:注射なら直ぐ、炙りや鼻孔注入なら5〜10分ぐらいで効果が現れ、2〜5時間程続く。
     目が冴え、疲れ眠気がなくなり、気分は最高! 薬が切れるまで、不眠不休で動ける。

     肉欲だけのエロティックなケモノになる

     鼻孔が開き、手足が冷たくなる。効き始めに、お腹がゆるくなる人も多い。
     薬が切れると、激しいウツや過度な倦怠感、イライラなどバッドな症状に襲われる。
頭痛や全身の筋肉痛も辛い。
     この不快感から抜け出すために、また入れる。
     それまでの不快感がなくなり、一気に気持ちよくなる。

     常用して、3、4ヶ月で幻聴/幻視が発生し、
5年後には統合失調症のような症状を一生かかえることになるようだ。

     マジで、「人間やめますか? 覚せい剤やめますか?」状態になるそうです。

     「まじで、人間やめますか? 覚せい剤やめますか?

  所感:ヤクザ関係で、シャブ漬けされるケースもある。

     方法としては、無理矢理、性器やアナルなどに塗布するようだ。

     女性受刑者の8割は、覚せい剤犯なので、女性の方は注意してください。


  メタンフェタミン、アンフェタミン:

     日本では、純度の高い覚せい剤であるメタンフェタミンが多く流通している。

     アンフェタミンは、海外で多く流通しているメタンフェタミンより、純度の低い覚せい剤。
     特徴は、錠剤錠になっている。


  ヤーバー(赤シャブ):

     およそ、メタンフェタミン1対アンフェタミン2の割合でミックスされており、直径5mm・約90mgほどの赤い錠剤だ。

     甘ったるい匂いがし、「WY」と刻印されているものが多い。
     これは、現在日本にも入って来ている。

     知らずに中毒にさせられ、ヤバイことになっている女性が多くいるようです。

     女性の方は、気を付けてください。

http://blog.livedoor.jp/five55/archives/50732585.html


覚醒剤シャブ中毒の幻覚と怖さ


最近ケシ、大麻栽培、それを保持、利用で捕まる大学生が報道されて、早慶戦状態になっている。

外部の人間には、なんで?学生が・・・と理解不可能だ。

実のところ、あの麻薬、覚醒剤(=シャブ、水溶液して使用するとシャブシャブ音がする俗称)の効能は、元ヤクザに聞いたところによると、SEXへの効能のようだ。


これを目的で常用している人が多い。

ウラのルートで情報が入る芸能関係で検挙されたり、逮捕されている人は、みんなスマした顔してもセックスで頭が一杯、そういう人が日本中に充満しているのだろう。

表からは見えない日本と日本人が変質しているのかもしれない。


シャブの値段、昭和60年代〜平成の始めの頃、小袋(2グラム程度)で2万円〜5万円。 それを水に溶かして、三、四回分。

それをセックスの前に打ち、相手の女にも打つ。 快感がまるで違うんだ、という。数倍の快感が得られるという。

こっちが打って、相手の女が打っていないと、快感のギャップで、女は恐怖感をもってしまうらしい。


元ヤクザ氏は、シャブ(覚醒剤)を注射し続けて、中毒になった。

10年に渡って続けて、幻覚で自分がなにやっているか、わからなくなって、元ヤクザ氏は、家の中で家財を壊し、メリケン粉はぶちまけ、自分の子どもを学校から連れ出し、一家連れてドライブ、免許停止で無免許運転。

交通事故で車が停車している時、奥さんや子ども連れて逃げ出し、元ヤクザ氏が逮捕された。 奥さんが警察に届け出て、指名手配になった。 家に帰ってきたとき、警察へ電話して、逮捕される。

そのとき、幻聴や幻覚で自殺しようとして、腕を切りつけた。

急所を外れていたので一命を助かったが、その後も留置場で、縫いあわせた傷口を切ったり、幻覚に悩まされ続けて、その後も自殺を図る。 シャブが効いている間は、あまり痛くもないから、無茶をやる。


幻覚で留置場の壁がだんだん狭まって、今までやっていた恐喝や暴力沙汰の相手が復讐に来るとか、恐怖に悩ませられ、逃げる逃げられない状態で、気が狂うんだそうだ。

覚醒剤を固まりから、粉を溶いて注射液を静脈注射をすれば、すぐ効いてくる。

先ず、気が大きく、目はさえて、腹がすいた感覚がない。 メシを食わなくても平気だ。 だから、大抵の中毒者は痩せている。

その元ヤクザ氏は、当時愛人を6人囲っていた。 若気の至りで、シャブさえ打っていれば、元気、元気で、SEXは何回でもできるか、試したそうだ。

メシも食わないで、24時間で何人相手できるか。

空腹感はなかったが、途中で、カツどん一杯は食べたそうだが、シャブを打って、6人全員制覇したという。 結局、時間は25時間かかったらしいが。

それが、10年目で幻覚が激しくなり、警察官が家に隠れているとか、二階からセックスしている声が聞こえるとか、ちょっとしたことで妻への暴力を振るう。

つまりは「人間が壊れた」状態になった。


留置場から拘置所へ送致され、そこで、幻覚で苦しむ日々が続き、数ヶ月続き、監禁されて禁断症状から、或る日、頭から熱いものが抜け打たように気分が変わった、という。 同時に精神の変化も起こして、今まで本嫌いだった元ヤクザ氏、独房で読書三昧。 気が(良い方に)変になって、自分自身、別人になったかと思ったそうだ。

仏教書を夢中に読んでいたから、それが契機で精神と肉体の遊離を経験した。


これを「死後の世界を見た」「悟りを開いた」という。

本人しか分からない部分であるから、第三者からは、違うとも、その通り、ともいえない。 それが、刑務所内で、仮釈放の条件を満たす模範囚だったにも係わらず、「悟りを開いた」ことは、普通の常識では理解されない。

社会では適応できる人とは認められないようだ。 結局、ぴったり満期まで刑期を勤めることになった。 元ヤクザ氏の話である。


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○○ ○子の法廷で告白
 

覚せい剤にハマッていった経緯を告白した○○被告。

また、覚せい剤は夫からもらっていたと語ったが、裁判官に

「あなたの方から(覚せい剤が)欲しいと言ったことはなかった?」

と聞かれると、「…はい」。

「あった?」と重ねて聞かれ、「はい」と答えた。


 かつて国民的アイドルだった○○被告が、“覚せい剤おねだり”をしていたまさかの事実。

 麻薬中毒患者への取材を多く行ってきたジャーナリストは

「使用すると疲れを感じなくなる、頭がすっきりする、といった効果があるのは事実。

しかし、男女で一緒に使用した場合に何より“魅力的”なのは催淫効果。

100%、セックス目的といっても過言ではない。 それほど性的快感への寄与は絶大で、とくに女性は絶頂感が延々と続くなど、顕著な効果があるとされています」

と指摘する。

 セックスの快感のために覚せい剤を“おねだり”していたとしても不思議ではないのだ。  公判では、夫への尽きせぬ愛情を垣間見せた○○被告だが、その原動力のひとつとなっているのは、2人きりで味わった、この世のものとも思えない快感なのかもしれない。

http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2008/11/nozawa22-10.html


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穴という穴を…村西監督が明かす薬漬けSEXの実態


快感は数十倍

 1980年代に「AVの帝王」として君臨し、性を知り尽くした村西とおる監督は、こう解説する。

 「覚醒剤を使ってセックスをすると、快楽が倍増するのです。

女性はクリトリスがひと皮むけたような快感が得られ、男性もペニス全体がカリになったように敏感になる。 1+1が、10、20にもなっていくわけです」


 こうした快感がエスカレートしていくと、肛門に指や男性器などを挿入するアナルセックスへと行き着くという。

 「ある物はすべて持ってゆく置き引きのように、穴という穴を使わずにはいられなくなる。 覚醒剤の威力でアナルの感度が開発されてしまうんです。

この快楽を知ってしまうと、宇宙飛行士が何度も宇宙へ行きたがるように、覚醒剤をなかなかやめられなくなるわけですね」

http://www.zakzak.co.jp/gei/200908/g2009081502_all.html


566 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 15:52:53 ID:jLvabwe60

最初の頃は冗談で、そんなことはあり得ないと思いつつ

「のりpがヨダレをたらしながらシャブセクで絶頂」

とか言ってたけどだんだん真実味を帯びてきたな。

634 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:17:58 ID:BAtwyZpA0

のりピーも、クラブで

「白目をむいてヨダレを垂らしていた」

という目撃談があったが、セックスの場合、そういった症状が顕著に出る。

651 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:23:33 ID:i4Zwi0OSO

よだれとか垂れ流れるならおしっこも垂れていきそう。
パンツも普通に黄ばんでそうで何か不潔

663 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:27:49 ID:KfMmuipEO

>>651
ヤク中セックスは糞尿垂れ流しがデフォ。

浣腸もせずにアナルに入れるから、糞塗れだよ。 潮吹きも止まらない、潮は小便。 まさに本当の汚物塗れのセックス。

691 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:39:47 ID:KfMmuipEO

乱用者は普通の感覚、普通の生活ではないんだよ。 誰かが掃除しているんだろ、

ラブホスレでも読んでみな。 バイト清掃員の話が腐るほどあるから。

ポンプや薬物残留があり、薬物を使用したと思われる部屋はベッドが糞尿まみれになっていたり、うんこがテーブルの上に残っていたとか。 ラブホのバイト清掃も大変だよな。

http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/08/sex_15c0.html


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3. 秘密仏教(密教)の とは…


父母や先祖の髑髏に漆を塗って祭壇に祀る。

そしてへールカと呼ばれる中央の男性とダーキニーと呼ばれた女性行者が9名とその前で契りを交わし、その和合水を髑髏に塗り付ける。

髑髏の「建立」

髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

続いて,地面に血を用いて曼荼羅を描き中心に指導者がそのパートナーと座し,その周囲に円形に8人の容姿端麗な美女を配置する. 天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と和合を行なう。

中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立する様にする。 中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合し,それを5日間続ける.

そしてその和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねる。 それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香を焚けば死者の姿が煙のなかに現れる。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻る。

このような修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。 さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。


このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。

舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。 顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女のように化粧する。

こうして髑髏が完成したら、それを壇上に祭り、山海の珍味を供え、反魂香を焚き、子、丑、寅の三刻に祭祀を行う。 そして卯の刻になったら、七重の錦の袋に入れる。

こうして、行者はその袋に入った髑髏本尊を、夜は行者が肌で抱いてあたため、昼は壇に据えて山海の珍味を備えて供養する。


これを7年間続けるのである。


 そして、8年目になると、髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現す。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語る。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/tachikawa/dokurohonzon.htm

髑髏の「建立」。

用意した髑髏を加工して組み立てる。 これには大頭、小頭、月輪形の三種類の制作法がある。

大頭とは、髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。

つづいてすでに訳知りの容姿端麗な美女と性交し、その和合水(淫水=男性の精液と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねるのである。

髑髏を守っているという七魄(人間の魂は三魂七魄からなるとされる)に和合水(三魂の象徴)を三魂七魄の本尊としての準備が整うわけである。

それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香とは、漢の孝武帝が李夫人の死後も恋しくてならず、方士に香を造らせ、それを焚いて夫人の面影を見たという故事にちなむもので、それを焚けば死者の姿が煙のなかに現れるとされる香である。

その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻るというのである。

このようなず修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。
このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。


曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二H(和合水)を厳守する。舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。

顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女か、童子(美少年)のように化粧する。
その際、表情は貧相にせず、笑みをたたえ、決して怒ったような顔つきにしないことが大切である。

http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/shingontatekawa.html

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インドにおける密教は変容し、性欲崇拝の濃厚なものになり、やがてチベットに伝わり、ラマ教になるのだが、ラマ教は密教という点では空海が遺した真言密教との違いはないといっていいであろう。

しかしながら両者は神秘性の表現においてははなはだ異なっている。

ラマ教は、インドで衰弱段階に入った後の左道密教といわれるものに相似し、性交をもって宇宙的な原理を表現することに於いて強烈で得あるが、空海がもたらした密教はそういう思想を内蔵しつつも教義全体の論理的筋肉がまだ若々しく、活動がなお旺盛で、性欲崇拝へ傾斜するような傾向は外部からは窺いにくい。

しかし空海の没後、数百年を出ずして彼の密教も左道化した。

「真言立川流」 と呼ばれる密教解釈が、平安末期から室町期にかけて密教界に瀰漫し、とくに南北朝時代にはその宗の指導者である文観(もんかん) が後醍醐天皇の崇敬を受け、立川流が密教の正統であるかのような座を占めたことなどを見ても、空海の体系には、性欲崇拝を顕在化させる危険が十分内在したというべきであろう。

http://singetu.ddo.jp/kuukai_huukei/56.htm


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2)立川流の成り立ちと経緯


「真言立川流」を始めたのは見蓮と言う人物で、陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師だった。

北斗・北辰妙見信仰に始まる「交合に寄る歓喜行」は、日本の信仰史上に連綿と続いた呪詛巫女の神行であるから、真言宗の僧侶兼陰陽師だった見蓮が創始した八百万の神・陰陽修験と陀羅尼真言密教の習合教義である真言密教立川流に、その奥義が取り入れられていても「自然な流れ」と言える。

この真言立川流、今の時代ではとても理解されないが、当時、素朴な民衆を矛盾無く導く為に、性に対していたずらに禁欲をさせるより、「肯定した上で民意をリードしよう」と言う考え方があった。

真言密教立川流の始祖と言われ、立川流開祖見連に奥義を授けた仁寛僧正は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮に、真言密教の秘伝「歓喜法」を授けた者である。

仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。

仁寛は、鳥羽天皇の暗殺を謀ったとして、捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。言わば、政治犯の流人である。 そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、醍醐三宝院流秘伝の奥義を伝授されたのだ。

現代人の宗教観とは合致しないであろうが、本来、いずれの宗教も「現世利益」が基本である。 つまり他人の事はどうでも良く、祈る者だけに「利を与える」のが元々の教義だった。 本来、信者の本音で言えば「現世利益」が無い信仰など魅力がある訳が無い。

近・現代に於いて「教えが改善された」と言えばその通りだが、元々の信仰はそんなに立派なものではなく、自分の「利」の為に祈るもので、呪詛的には「相手を呪い殺す願い」をも受け入れる事が「信仰(宗教)の実態」と言って良かったのである。 この辺りを理解すると、個人の「現世利益」の考え方から、極楽浄土に「性的な境地」が結び付く教義「真言密教立川流」に、現実感が出て来ても不思議ではないのである。


常識的に見て密教経典の意味解釈は、解釈する側の意志で加工が可能である。弘法大師(空海)が日本にもたらせた密教は、やがて日本で加工されて行ったが、その原点に近いものがインド・ジャンム・カシミール州最大の地方「ラダック(Ladakh)」に残っている。

このラダック地方の土着宗教がタントラ教の影響を受けた密教で、いわゆるチベット仏教である。 ラダックには多数の仏教寺院、ゴンパがあり、全人口が敬けんな仏教徒である。

釈迦生誕の地に近く、「真言・天台両宗の源流」とも言える「敬けんな仏教徒の地ラダック地方」には、つい近代の英領インド時代に禁止されるまで「一妻多夫」の習慣があり、一人の妻を兄弟で共有していたが、それはチベット仏教においては「けっして教えには背いては居ない」のである。

つまり密教において、性はかなり「おおらかな扱い」であり、現在の日本人が意識する厳しい戒律は「無かった」のである。

元来性行為と言うものは、単に「男女が交われば良い」と言う即物的なものではない。 そこには精神的感情が介在する。 それも複雑で、一口に「愛」とばかりにかたずけられない。

性交の本質は、想像力をたくましくして、被虐心、加虐心、羞恥心に触覚、聴覚、視覚を駆使して、初めて上等な性感を得る。 つまり【右脳域】の本能的無意識の境地に入る為の「行」として捉えるのである。

人間の感性は複雑で、あらゆる情報を脳で処理する事で、結論を導きだす。従って、性的快感も単純ではなく、それに拠る精神的癒し効果も認められる。

つまり、性と精神はリンクしていて、人格の形成にも関与する重大事項と言えるのだが、これを「無理やり離して考えよう」と言う間違った傾向がある。 喜怒哀楽は人間の基本的な感性で、【右脳域】の思考である。 その内の「喜」を以って「楽」を為すのが、密教における性交呪詛所謂「歓喜法」に拠る「極楽浄土」の境地である。


人間は、性行為や食事、音楽や映像鑑賞の際に「ベータ・エンドロフィン」と呼ばれる快感ホルモン物質を分泌させ快感を得る。 言うなれば、宗教行為と性行為、音楽の演奏などは、ある意味同質の目的、快感ホルモン物質の分泌を促す為にある。

宗教に陶酔したり、音楽に聞き惚れたり、視覚、嗅覚、五感の刺激がこの快感ホルモン物質の分泌を促すのなら、人は神の教えで救われても不思議はない。 それを経験的に学習しているから、いかなる宗教にも音楽や雰囲気創りの演出は付き物で、そのトリップ状態は、けして否定すべき物でもない。

言うなれば、宗教行為と性行為が合体した真言密教立川流は、「究極の奥義」だったのではないだろうか?

この快感ホルモン物質がモルヒネと同じ作用を持つ「脳内麻薬」で、精神的ストレスの解消と肉体的老化防止の特効薬であり、必要なホルモン物質なので、健康な性行為の抑制は必ずしも人間の為にはならない。 当然の事ながら、気の持ち様で「自然治癒力が増す」などの奇蹟は現に症例が多いから、宗教の奇蹟も存在する。 真言密教では、この生物反応的効能を肯定して、「修験道に活用しよう」と考えた。


快感ホルモン物質が大量に分泌されると、人間はトリップ状態になる。

従ってかがり火の燃え盛る呪詛の場で、陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)が流れる荘厳な雰囲気の中、激しい性行為を繰り返す事によって、常人には無い激しい反応を見せる。 それが呪詛の効果で、真言密教で言う所の「極楽浄土」である。

その状態が「呪術の効果をもたらす為に必要だ」としていたから、立川流は成立した。 それにしても、呪詛の為に身体を提供して「歓喜法」を体現する呪詛巫女の存在は、現在の感覚では理解が難しい。

しかし、密教の教えの詰まる所は「空」である。 空に私心は無い。

有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空に成れば、如何なる行を求められても、それを不条理と思う事は無い。 実は、「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。 言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思えるパワー現象が生じる。 しかし、そこに到達するには、「空」が要求されるのである。 その「空」に、成りおおせないのがまた、人間である。


行を施され、呪詛巫女が空に及ぶには、その行の厳しさに相応の覚悟が要る。女性の身体は不思議なもので、縛り上げて三日ほど変わる変わる攻め立てれば「脳で考える気持ち」とは別に、身体が性交の快感を覚えてしまう。

つまりそちらの感性は【右脳域】の本能的無意識が覚醒するからである。 そうなればしめたもので、女性から呪詛(性交)に応じる様になり、滞りなく行える呪詛巫女が完成する。 当初の呪詛巫女の仕込み方は大方そんな処である。

呪詛巫女の確保については多くの方法がある。 その一つが、前述した律令制における被差別階級として賤民の利用である。

奴婢として地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢と呼ばれる身分の者の中から「婢」の身分の女性奴隷を選び出し、執拗に性交を施して極楽浄土を体現させ、呪詛巫女に仕立て上げた。

八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。

仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。 金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。

大陸での修行を終えた空海(弘法大師)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。 当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。

空海(弘法大師)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に

「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、
口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、
心に本尊(大日如来)を念ずる

事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。 その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶と呼んでいる。

密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。 手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。

この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者が生まれている。修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。

当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。 呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。

修験道には、役小角を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。 弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。 本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。

この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。 お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。 そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。


真言密教立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行を採用した。 立川流の教義は、真言宗の


「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、

「当相即道(とうそうそくどう)」


の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。


「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は

「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、

淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」

に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。


この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。

「一切の法(手段)は清浄なり」を「男女の性交も清浄なり」と解すれば、良いのである。


如来は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、
欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。

男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。 つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。

それはそうだろう。 禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。


「全ての主である様な心地となる事」、
「欲心をもって異性を見る事」

も、また、

男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳る事、全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、
満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、ものの味もまた清浄なる菩薩の境地である。


と、立川流では、全てのものをその本質において積極的に肯定している。つまり色欲の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの、菩薩のものとして肯定されており、性欲肯定の句として知られている処である。

何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。

それは、菩薩が人々の【右脳域】に存在し、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。

故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。


真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。 現代人の感覚では理解し難いかも知れないが、弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていた事も事実で、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の生命への畏怖を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前である。

つまり真言密教・立川流に拠ると、弘法大師・空海が持ち帰った真言密教の教義解釈は「性交に拠って穢れが浄化される」 と言う解釈なのである。


儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。

ところが、後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。

愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。

開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は、信念とは別の御都合主義の為せる業で教義を変節したのであり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?


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3) 立川流の呪詛様式


立川流の経典は理趣経を習している。 そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に性交の行「歓喜行」を採用した。 邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。

確かに、髑髏の存在は「死と言う現実」を見せ付けられるものであり、並みの人間で有ればそれだけでも不快に感じるのは事実である。また、髑髏には生前のその持ち主の魂が宿っていそうで、精神的には犯すべからぬ畏怖の対象であるから、その辺りの抵抗感が存在して、違和感が生じても不思議はない。

にも関わらず、真言立川流が髑髏を本尊としたには、こうした精神的な意識に元付く既成概念そのものを、共通して一気に変革させる狙いを試みていたのではないのだろうか?

真言密教立川流の髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は、王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂と一千人の髑髏の上部を集めたもの、「法界髏(ほうかいろ)」と言う儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。

その様に選ばれた髑髏の表面に、女人の協力を得て、性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、更に髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。

しかもその七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。 こうして約七年間もの歳月を「歓喜行」に費やして作られた立川流の髑髏本尊はその位階に応じて「三種類の験力を現す」と言う。

下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して「三千世界の全ての真理を語る」と言う強烈な現世利益の本尊である。


真言密教立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、「大日如来と一体になる事」である。 立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵(さんこしょ)、もう片方が二鈷杵(にこしょ)になっている。 この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)と言う。

本堂のお勤め場所の周りに星型の結界が、蝋燭としめ縄で張られる。 しめ縄はいわば神の「結界占地」を標示するもで、神域に張られる事になっている。

蝋燭の炎は、「歓喜行」の間絶やす事は無い。

反言真言を唱え、星形の結界(五芒星)は陰陽師家、安倍晴明の判紋である。

格子状のしめ縄の結界は、九字紋と同じ形状であり、九字紋は横五本縦四本の線からなる格子形(九字護身法によってできる図形)をしている。 九字結界は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を星型に配置し、その間を結んで五芒星(晴明判紋)となす。 安倍晴明判紋は晴明桔梗とも呼ばれ、五芒星と同じ形をしている。五芒星(九字護身法に拠って出来る図形)の意味は、一筆書きで元の位置に戻る事から、「生きて帰ってくる」と言う意味でもある。


「歓喜行」はこのしめ縄の結界の中で全ての障害を排して執り行うのである。呪法に使う髑髏にも、それなりの確りした仕度がいる。

亡なって間もない人頭を、丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆を塗る。朱色を出すには「辰砂(水銀)」を使う。水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。

この「辰砂(水銀)」、弘法大師(空海)が多用していた事で知られている。

真言密教立川流に取って、朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。 仕上がったら、よく乾燥させ、上等な桐箱に収めて置く。

そして七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」を行い、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。

この本格的な「歓喜行」は、真言密教立川流の僧正が呪詛を用いる為に強力な呪力を有する淫液に塗れた髑髏本尊を会得させる為の物だった。これが、「髑髏本尊・歓喜法」と言う秘術である。

立会いの僧正や男女の信者達は、願主が「歓喜行」を行うを、眼前にて見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。 一度達しても、茶吉尼(だきに)天の妖力の色香は強烈で、男はすぐにまた活気を取り戻す。

願主は真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏に和合水の塗布を続けて、七日目の深夜「結願」を迎える。


いよいよ「結願」を迎えた八日目に入った深夜十二時を過ぎからは、「開眼供養」を夜明けまで行う。 和合水と反魂香にまみれた髑髏の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。 その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。 願主が歓喜行をする時は傍らに捧げ、仮本尊となす。

八年目に、ようやく「髑髏本尊」が完成する。 この本尊に妖力が宿り、「呪詛祈願の達成効果を保持する」としていた。 陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、性交を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。

しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。

理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。 この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。 そうなれば髑髏本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。


何故こうした信仰が成立するのか、種明かしをして置く。

人間は「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。こうした興奮の心理的な影響は極論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。 その興奮に影響される判断が、興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に所謂「洗脳状態」に陥る状態が、信仰などに利用される心理的な手段である。


真言密教立川流、その教義は、遠く印度の仏教に遡る。 印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼天と言う魔女が、大日如来の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。

これが日本では、後に稲荷神社に成る。 財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗の商家の奥庭に、祭られたりしていた。

当時の商人の考え方は、「商は長くやるもの」であり、家業、商売を代々繁栄させるのが使命であるため、老舗跡の跡継ぎの確保は重要だった。 その為には跡継ぎに困らない様に妾を持つほどの艶福家で無ければならず、性的パワーのある稲荷の社を祭ったのである。

つまり、幸せにしてくれる神様で、その茶吉尼天が、真言立川流の御本尊である。 茶吉尼天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。 茶吉尼天の法力を高める為には、男女和合の性エネルギーのパワーが必要で有る。

つまり初期の仏教は、信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、道徳教育的な目的から「悪行を積むと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。

一方で修験道師が村々に分け入って布教し、植え付けて行った矛盾とも取れる「おおらかな性意識」は、庶民の中で生き続けていた。

真言密教立川流の本尊・荼枳尼天(だきに天)は、元々はインドのヒンドゥー教の女神で、「荼枳尼天」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したもので、ヒンドゥー教ではカーリー(インド神話の女神/仏教・大黒天女)の眷属とされる。

このヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられ、荼枳尼天は仏教の神となる。元々は農業神であったが、インドの後期密教においては、タントラやシャクティ信仰の影響で、 荼枳尼天は裸体像で髑髏などを抱えもつ女神の姿で描かれるようになって、後に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。


荼枳尼天は、自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べると言われたが、その荼枳尼天が、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、仏教神となって「死者の心臓であれば食べる事を許された」とされる。

日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、荼枳尼天は、性愛を司る神と解釈された為、その男女の和合で「法力を得る」とする真言密教立川流と言う密教の一派が形成され、荼枳尼天を祀り、髑髏を本尊とし性交の儀式を以って即身成仏を体現したとされる流派が興隆を極めた。

真言密教と陰陽道を究めた人物に仁海(じんかい)僧正がいる。醍醐寺隨心院は、九百九十一年(平安時代中期・正暦二年)に雨僧正と呼ばれていた仁海僧正によって建立され、千二百二十九に門跡寺院となった真言宗善通寺派の大本山である。「雨僧正」と呼ばれ、占術の祈祷で「祈雨祈願に成功した」とされる仁海僧正は和泉国の小豪族の家に生まれ、七歳で高野山に上る。 そこで、占星術を身につけ、学僧としても、知られるようになる。

仁海はしばしば五行の考えに基づく易を使う。安倍晴明より少し後の時代に活躍した仁海は、しばしば五行の考えに基づく易を使う。 このことは当時の僧侶が仏教の経典だけではなく、中国の「易経」のような中国特有の古典にも通じていたことを示している。 仁海僧正の私生活を「生臭坊主であった」とする評があるが、それは当時の僧を後世の常識感覚で評するからである。

そもそも、日本の神官や僧侶は、長い事氏族が武士や官僚と兼務していたもので、勢力争いもするし女性も抱く。 高僧と言えども例外ではないから、正妻を置いたかどうかを問わなければ、江戸期以前の僧侶は全て「生臭坊主」である。 と言うよりも、「女性との交わりを呪詛パワーの源」と言う解釈が、密教に於いては為されていたのである。


陰陽師の見蓮に、仁寛が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとする頃、北条(平)政子が心血を注いで礎を作った流石の鎌倉幕府執権・北条得宗家も、代を重ねて落日を迎えようとしていた。 鎌倉幕府が弱体化していた頃、敵対していた勘解由小路(賀茂)家と土御門(安倍)家の両家は天皇の皇統護持の為に和解している。


◆真言密教立川流・南北朝との関わり

北条(平)政子が心血を注いで築きあげた「鎌倉幕府執権・北条得宗家」も、体制百三十年余りを数えて独裁への反感も膨れ上がり、流石に屋台骨が揺らぎ、「時節到来」と倒幕の機運も、静かに盛り上がりつつあった。

そんな時に、皇位に目覚めた後醍醐天皇(第九十六代)が、突如現れた。 それは取りも直さず、地に潜っていた「勘解由小路党」を、そして幕府御家人衆に甘んじていた「源氏の血筋」を目覚めさせる事となった。

この後醍醐天皇(第九十六代)、まさしく密教の申し子だったのである。

京都醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺であり、後醍醐天皇の支えだった。その醍醐寺は、真言密教の教義を支持していた。 従って後醍醐天皇は、真言密教を信奉していたのである。


本来、男女の交合は尊い物である。男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が、男女交合の歓喜パワーであり、密教理念としていた。 この教義を後醍醐天皇が信奉した事は、彼がしごく「人間的であった」と言う事である。

真言密教の理念は、けして浮ついた邪教ではない。 至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在した。

それはそうだろう、武器を携えて破壊と殺戮に行くよりよほど良い。 精神的な愛に於いて、性交はあってもなくても良い。そして独占欲はそれも愛情で有るが、それが愛情の全てではない。 その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。

全てに拘束を欲する愛情もあれば、全てを赦す愛情もある。 難しい所で有るが、愛し方はそれぞれで、自分と違うからと言って、愛が無いとも言いきれない。

空海(弘法大師)が唐から伝えた経典では、何よりも性に対する位置づけが「生命力パワー」と言う前向きな思想からなっている。 真言密教でも、その「生命力パワー」は認められていた。


京都醍醐寺に文観弘真と言う僧侶がいた。彼は先人で有る仁寛僧正を信奉し、その弟子が興した見蓮の真言密教立川流を継承していた。

勿論同じ醍醐寺に、文観弘真に対立する勢力もある。後醍醐天皇(第九十六代)と文観弘真僧正が結び付けば、当然反対派もまた結び付くのが世の習いである。


話は、鎌倉時代末期の事である。

後宇多上皇(第九一代)の皇子・尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵や文観から宋学の講義を受け、宋学の提唱する大義名分論に心酔し、鎌倉幕府の倒幕を目指し、宋の様な専制国家の樹立を志した。

千三百十七年の文保の御和談に於いて花園天皇から譲位され践祚(せんそ)した尊治親王(後醍醐天皇)は野心満々で、平安時代の聖代(延喜帝・醍醐天皇や天暦帝・村上天皇の政治)のような復古的天皇親政を行うべく、当時の醍醐天皇(第六十代)に肖って自ら後醍醐天皇(第九十六代)と名乗り、手初めに父である後宇多上皇が行っていた院政を停止させ、天皇としての実権を確立した。


鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだ文観は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。 これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。 文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教立川流を直伝する。

茶吉尼天のイメージが演出され、衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、天皇は絶倫になる。 退屈な宮中生活にあって、これが「楽しくない」筈はない。

若き天皇は好色でこの教えを痛く気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中に広がった。 後醍醐天皇の相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで、十六人に及ぶ親王、内親王を設けている。

つまり、「皇統を繋ぐには親王が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。 「勘解由小路党の女人(白拍子)」も天皇相手に、歓喜の行で大活躍したのかも知しれないが、詳しい記述はない。 唯、夜な夜な「おごそかな歓喜儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像にするに難くない。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」は、九字呪法である。 そして男女による「歓喜法」で「極楽浄土」を体現する。 その強烈なパワーを持って、四方に幸せをもたらす。

この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言密教立川流を保護し、文観を政務の補佐役にする。 文観の権力は強くなり、一時、日本中に真言立川流は広がって行った。


この辺から、雲行きが怪しくなる。

真言立川流が、余りの隆盛を見せた事で、真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。 右派が、後醍醐天皇の対立相手、大覚寺(持明院統方)と組んだのである。 これは、宗教上の権力争いで、醍醐寺統(後醍醐天皇)と左派(真言立川流)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。 「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。

だが、醍醐党が破れ真言立川流は衰退して行った。 つまり、負けた方が「弾圧された」のである。 そこに至る経過が、南北朝並立の争いとリンクしていた。


文観は、当時としては珍しく、八十歳と言う長寿を全うしたそうである。 文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、真言密教立川流を守っていたのだ。

真言密教立川流(真言宗左派)は、対立する宗教勢力(真言宗右派)と結び付いた政治勢力(北朝方)が、南朝方に勝利すると、倫理観を前面に出して「淫邪教」の烙印を押されてしまった。

所が、本来の立川流の教義の形成経緯は、密教の命の持つ力(パワー)に対する純粋な信仰心と土着の呪術・占術を一体化した修験密教の教義を、誓約(うけい)の概念をも含めて理論武装し、再構築したもので、ただ単に淫蕩な目的の宗教では無いのである。

真言宗右派(反立川流禁欲派)と北朝(持明院統・光明天皇)、足利尊氏派が、真言宗左派(密教立川流・文観弘真僧正)と南朝(大覚寺統・後醍醐帝)、新田義貞・北畠顕家派に勝利し、文観僧正に拠って頂点を極めた真言密教立川流は、急速に衰えて行く。

元々、仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定した。 その開祖・弘法大師否定した儒教思想を、主流と成った真言宗右派は、チャッカリ教義に取り入れて真言密教立川流を邪教とし禁欲の教義を広めた為、安土地桃山期には立川流はほとんど無くなり、江戸初期には完全に消滅してしまった。

後醍醐天皇が吉野へ逃れ、足利氏と持明院統(北朝)が勢力を拡大すると、醍醐寺大覚寺統の「真言密教立川流」は徹底的に弾圧されて先細りと成り、やがて衰退して消滅している。

弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。真言密教に大きく影響を及ぼした理趣経の経典は、その基礎に大陸での「妙見信仰」がある。

実はこの妙見信仰は弘法大師・空海が経典として持ち帰る前に、既に大陸からの移住者(渡来人)達に拠って先行して伝来し普及していた。 そして列島独自の原始宗教と習合し、陰陽修験道として集成していたのである。 そうした経緯から、弘法大師・空海の真言密教は陰陽修験道とは一体化の道を辿り、総本山金剛峰寺は修験道の修行の地と成るのである。

さて妙見信仰の伝来当初は、渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であった様だが、次第に畿内などに広まって行った。 しかし朝廷の統制下にない信仰であった為、統治者としての統制が取れない。 神の威光で統治する朝廷にとって、庶民の間で勝手に広がった「妙見信仰」は危険な存在だった。

七百九十六年(延暦十五年・平安遷都直後)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。表だった理由は「風紀の乱れ」であった。

これは何を意味するのか?

庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。 本来、信心深いはずの庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?

命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。 元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(性交)」なのである。

気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。 日本における所謂庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「乱交闇祭り文化」である。

つまり、建前(本音はただの性欲のはけ口かも知れないが?)子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。

例えば、京都・宇治の「暗闇祭り」、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で、相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。 京都府宇治の県神社の「くらやみ祭り」は、明治維新まで無礼講の祭りだったのである。

こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事である。

◆【私の愛した日本の性文化】


当時の庶民感覚は、元々「性」に対しておおらかだった。 信仰が庶民に浸透して行くには、それなりの現世利益が必要で、「北辰祭(妙見祭)」は、当時の庶民が日頃の憂さをおおっぴらに晴らす有り難い行事として、「大いに支持された」と言う事だろう。 そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。


朝廷の「北辰祭(妙見祭)」禁止から十年、八百六年(大同元年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。 空海(弘法大師)が信徒獲得の為に目を付けたのが、北辰祭(妙見祭)禁止に対する「庶民の不満」である。


空海の教えは、

身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、
口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事

により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事が出来る。」として「性」を積極的に肯定している。

この妙見信仰や、修験道と結び付いた弘法大師(空海)の真言密教は庶民にも浸透して行った。

そもそも密教には、人間は「汚れたものではない」と言う「自性清浄(本覚思想)」と言う考えがある。 真言立川流が弘法大師(空海)の「東密(真言密教)の流れを汲む」とされるのに対し、
伝教大師(最澄)の台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とし、摩多羅神を本尊とする「玄旨帰命壇」と言う一派があった事からも、性交を通じて即身成仏に至ろうとする解釈が密教中に存在したのは確かである。

http://jiyodan.exblog.jp/7936468/


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仏教については、未定稿ですがこれを参考にして下さい:


釈迦の悟りとは何であったのか? _ 1
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1058.html

釈迦の悟りとは何であったのか? _ 2
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1111.html

釈迦の悟りとは何であったのか? _ 3
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1110.html


5. 中川隆[-7841] koaQ7Jey 2018年4月08日 13:22:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10030]

神や精霊との交流が「芸能」の始まり

 今、芸能というと「エンターテイメント」をイメージする人が多いのではないでしょうか。「エンターテイメント」とは、人を楽しませる、喜ばせること。もともとは「もてなす」という意味でした。転じて、今では芸能を「見て楽しみ、日常の忙しさをひととき忘れるための娯楽」といったふうに考えられているようです。しかし、古い時代に遡ると、芸能はもっと深い意味をもっていました。
 今でもそうですが、「芸能」とは、踊る、舞う、歌うことです。その極致は、一口で言えば神々の世界と交流し、「狂う」状態に入ることです。精神が通常の状態ではなくなってしまうわけです。日常を忘れ、神のごとく非日常の世界に入る、忘我の境地。これが芸能の究極です。
 なぜ、こうした「芸能」が生まれたのか。起源はおそらく縄文時代以前、石器時代人からではないかと考えています。大自然のなかで、いわば丸裸の状態で生きていた人間は、自然の力を頼って生きていました。日が照らさないと作物が育たないし、雨が降らなければ作物は枯れ、自分たちも飲み水に困ります。そこで、畏怖をこめて天には神がいると考えるようになりました。地や山、川、海、森にもそれぞれ精霊が宿っており、大自然で起きる現象はすべて神や精霊の働きによると考えたのです。今なら気象衛星で台風だとわかりますし、大地震は地球を覆っているプレートが動くことによって起きることがわかっています。
 けれど古代では、神を怒らせると暴風雨や大地震が起きると信じられていたのです。こうした「超自然観」をアニミズムといいます。現在の宗教のはじまりといえるでしょう。
 アニミズムにおいては、人間は神様なくして生きられません。豊作も飢饉も自然災害も神様の気持ち次第ですから、神に祈ったり感謝したりすることが非常に重要です。
 この時、祈りや願いを通じて神様と交流する人を「シャーマン」といいます。「シャーマン」は自ら恍惚のトランス状態に入り、通常のヒトとしての人格を放棄して、神や精霊と交わり、お告げを受けます。病気の治療もおこないました。このような原初的な共同体の祈り(祭祀)や感謝(祭礼)における呪術的儀式が芸能の原点なのです。

権力者の登場とともに芸能の洗練化が始まる

沖浦さん アニミズムは、神と交わるという宗教以前の宗教でした。そして神と交わる役割は、独特の人格と能力のある人が果たしていました。時代が縄文から弥生時代へと移るにつれ、武力をもった「権力者」が現れ始めました。そして持てる者と持たざる者とに分かれていったのです。社会的な身分もはっきりしてきました。
 芸能もさまざまな職業のひとつとしてとらえられるようになります。職業である以上、見た目や動作の美しさやリズム感など技能や洗練が要求されます。持って生まれたものだけでなく、トレーニングや技能の伝承が求められるようになってきたのです。そうなると専門家がリードするグループが必要となり、芸能集団といわれるものが形成されてゆきました。それらの人たちが、王侯貴族などの権力者や寺院にかかえられて、神や仏の前で歌い、踊り、舞い、演技するようになったのです。
 洗練された芸能は、権力者を楽しませるものとして、あるいは外国から使者が来た時に自分たちの文化を誇示するものとして、演じられました。
 一方で、民間には祈祷師がいました。彼らは民間系の「シャーマン」でした。村落のなかに必ず一人はいて、豊作や病気の治癒のための祈りから占いまで何でもやっていたようですが、くわしい記録が残されていません。こうして芸能は、権力に抱えられて洗練されていくものと、庶民の生活に密着した土俗的なものとに分かれていきます。

神への捧げものから大衆の娯楽へ

 また、当時の芸能は寺社と深い関わりがありました。特に朝廷貴族と結びついた、力のある寺社は、専属の芸能集団を抱えていました。そして祭礼の日には境内で能や舞が演じられました。もともとは神々と交流し、その願いごとをかなえるための行事(神事)だったわけですが、社寺や仏像の建立や修繕のために寄付を募る「勧進」興行としても演じられました。仏や神の功徳をたたえながら信仰の道を説くという建前のもとで、芸能が演じられていたのです。
 このような興行にたずさわる人が「役者」と呼ばれました。役者とは、寺社の祭祀儀礼の際に特定の「役」をもつ人の呼び名だったのです。当時の人々は信仰心があつく、娯楽もほとんどないこともあって、寺院の境内などで祭礼の時に上演される勧進興行は、またとない楽しみだったでしょう。
 能もそうして生まれた芸能です。平安時代に能の原型が生まれ、室町時代に観阿弥・世阿弥の親子が能を舞台芸術として完成させます。賤民出身で各地を転々としながら多くの作品を生み出しました。世阿弥が書いた『風姿花伝』という芸術論には、神や仏に捧げるものでありながら、大衆的な娯楽としても人々を楽しませなければならないと苦悩する有様が書かれています。
 能も狂言も庶民のなかから生まれたものですが、特定の貴族が愛好し、次第に権力者たちに取り立てられるようになりました。しかし一方で、役者は身分の低い者とされ、差別されていました。世阿弥は日本が生んだもっともすばらしい芸能人だと私は思っていますが、彼も当時の貴族から「乞食所行」と呼ばれていたのです。生まれた年も死んだ年もはっきりとしませんが、各地をさすらう一生だったようです。
 世阿弥は、当時の社会で自分と同じように卑しい者とされ、差別されていた人々に目を向けていました。「三卑賤」と呼ばれる3つの名曲がありますが、これは殺生をして地獄へ堕ちた漁師や猟師が通りすがりのお坊さんに救われるという物語です。仏教の教えである「不殺生戒」(生きものを殺してはいけないという戒め)が行き渡っていた当時としてはとても意外な結末で、彼らも仏の慈悲によって地獄から救われるのです。


日本の芸能は社会の底辺から生まれた

沖浦さん 室町時代を境に、日本社会はしだいに中世から離れて現代につながる新しい要素が出てきます。具体的にいうと、鉄を利用したり森林を開拓したりすることによって農耕生産力が大きくあがり、余裕が生まれます。また、社会的分業が進み、さまざまな手仕事が生まれ、商品市場ができます。交通の便もよくなります。朝鮮から伝わった活版印刷も始まります。生産、交通、コミュニケーション、メディアの各分野で、社会生活が発達したのです。
 芸能もそのなかに組み込まれていったわけですが、先ほども述べたように、芸能者の地位は低くおとしめられていました。当時の日本は農本主義社会で、主食である米をつくる農民が「良民」とされていました。商業や工業にたずさわる人は農民よりも低い身分とされていましたが、生産に従事しない芸能はさらに低い身分とされていました。
 もともとは神に最も近い存在とされていたのですから、一番高い身分でも不思議ではありません。しかし、室町時代には、かつてのような宗教的な役割は否定され、物を生産しないで各地を流浪する芸人で、社会的にも卑しいとされてしまったのです。
 安土桃山時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉による宗教政策によって、力をもっていた寺社の勢力が衰えていきます。寺社が握っていた芸能の興行権も大幅に制限され、寺社に管理されていた遊芸民たちの芸能活動は、各地の芝居小屋、つまり自由な市場へ積極的に進出することによって活発化しました。
 そしてこの頃から神仏信仰とは無縁な形で、芸能をエンターテイメントとして演じ、木戸銭といわれる入場料さえ払えば誰でも入れる芝居小屋という興行形態がしだいに確立していったのです。
 しかし広く大衆にもてはやされるためには、常に時代にふさわしい芸能を自分たちで創り続けていかねばなりません。この頃に生まれた芸能で代表的なものが「歌舞伎」や「人形浄瑠璃」「説教芝居」です。西洋社会における文化、すなわち音楽や絵画、演劇は、王侯貴族がパトロンとなった宮廷文化を中心に発展しましたが、日本の三大芸能はすべて低い身分におとしめられた人々のなかから、自主的かつ創造的に生まれたものです。
 「河原者」「河原乞食」とさげすまれながら、また、権力からの度重なる弾圧にもかかわらず、世界の芸能史上でも高く評価されている新しい舞台構造と演技様式を創り出していったのです。

突き抜けるパワーがあってこそ芸能

 歌舞伎とは「かぶき者が演じる芝居」というところから名付けられています。「かぶく(傾く)」とは、中世の頃は自由奔放にふるまうという意味でしたが、そこから異様な身なりで新時代の先端をいくファッションや、体制に背を向けて生きるアウトローを「かぶき者」と呼ぶようになりました。
 歌舞伎は、そうした「かぶき者」たちから生まれました。今でこそ日本を代表する伝統芸能のように思われていますが、原点は底辺に生きる人たちが最先端のファッションに身を包んで反体制を表現した芸能だったのです。
 三大芸能のほかにも、大道芸や門付芸、見せ物芸など数多くの芸能があり、人通りの多い道端や寺社の境内、お祭りなどで演じられていました。人々はそうした芸能を楽しみつつも、各地を転々としながら暮らす遊芸民たちを「その日暮らしの漂白民」として差別的に見ていました。
 その歴史は今の芸能のあり方や実態にもつながっているように思えます。華やかな芸能界に対する差別も、見えにくいながらも今日でも残っていますし、華やかなオモテ側のメディアに登場しない芸能の世界では、さらにきつい差別の影が残っています。
 だからこそ、芸能には娯楽的な部分だけでなく、怒りや反骨心など、この不安定で行き先もよくわからぬ時代を突き抜けるパワーが不可欠だと思っています。このような芸能の原点と歴史を知ってもらうことで、「芸能とは何か」をあらためて理解してもらえるのではないでしょうか。

(取材:2009年11月)
http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/okiura2.html


6. 中川隆[-13501] koaQ7Jey 2018年11月07日 11:59:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20242] 報告


巫女(みこ/シャーマン)
https://jiyodan.exblog.jp/7937207/


御託宣(ごたくせん)の神・事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムに於いて「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。

当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。

巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態の呪詛行為の術で、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。

現代に於いても人々に踊り好き祭り好きが多いのも当たり前で、ディスコダンスでも盆踊りでも夜明かし踊ればベータ・エンドロフィンが脳内に作用して疲れ心地良いダンシング・ハイの興奮状態を招く。

その最も初期に行なわれ、永く陰陽修験に伝え続けられた呪詛行為の術が、すなわち巫女に過激な性交をさせてドーパミンを発生させ、脳内麻薬のベーター・エンドロフィンを大量に発生させ、セックスハィの陶酔状態にする。

そうした事で、巫女がオーガズム・ハイの状態(ラリル状態)に成れば、その巫女の様子から周囲が神の降臨を認め、「神懸(かみがか)り」と成る。

日本の独自文化と言えば、この国では古来から女神が多いのだが、実を言うとその資格について現代では考えられない条件があった。

それは性交の儀式を執り行う事である。

歴史を知らない者にして見れば、「何で神聖な神社や巫女が性交儀式と結び付くのか?」と疑問に想うかも知れない。

しかし歴史にはその時代時代で必要な事情があり、また、歴史には前代から受け継がれる連続性の記憶がある。

弥生時代から古墳時代までの間、日本列島は縄文原住民族と渡来した多くの他民族・他部族が混在する人種の坩堝(るつぼ)だった。

その日本列島に在って、部族間の争い事に対処するもっとも有効な呪術は、次代が混血する為の性交に拠る人種的和合の「誓約儀式(うけいぎしき)」だった。

つまり異部族間の性交が人種的和合の為の呪術だったからこそ、巫女に拠る神前性交儀式や神前娼婦などの文化が残った。

これは理屈に合っていて、後の江戸末期に「公武合体」のスローガンの下に皇女・和宮を十六歳で徳川十四代将軍・家茂に嫁がせている。

つまり「誓約(うけい)」の概念の基本が、何百年経ても血の混血で在った事が、証明されている。

大和合の国(日本列島)黎明期の女神は、神の言葉を天上から受け取り、御託宣(ごたくせん)として下界の民に伝えるのが役目、つまり巫女(シャーマン)だった。

そこに介在したのが、神事として奉納する性交の儀式である。

何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、巫女の神前性交行事が神殿で執り行われていたのだ。

弥生期初期の頃は、大きく分けても本来の先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系渡来人、呉族(ごぞく/海洋民族)系渡来人の三つ巴、その三っも夫々に部族集団を形成していた。

つまり最大の政治(まつりごと)は、それらの勢力の争いを回避する手段の発想から始まり、その和解の為の最も実効があるツール(道具)が誓約(うけい)誓約(うけい)の性交に拠る血の融合だった。

そしてその誓約(うけい)の性交は、新しい併合部族の誕生を呪詛(祈る)する神事と位置付けられて、主要な「祀(祭・奉)り」となった。

語呂合わせみたいな話だが、祀(祭・奉)り事は政治(まつりごと)であり、政治(まつりごと)は性事(せいじ)と言う認識が在った。

そして誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、巫術と称するシャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。

理解して欲しいのは、当時の物差しが現代と違い、子宝を得る事も実りの豊穣を得る事も、同じ命を産み出す神の恵みであり、その作業を神の御前(みまえ)で執り行い奉納してご利益を願い、同時に巫女を通して神の声(御託宣)を聞くのである。

勿論民人も、只、巫女に何か言われても易々とは信じない。

巫女が神懸(かみがか)りに成って初めてその御託宣(ごたくせん)が信用される。

この御託宣(ごたくせん)を得る為のアンテナが、巫女の女体そのもので、オーガズム・ハイ状態(神懸/かみがかり)の神域を巫女が彷徨(さまよ)う事に拠って、天上神の声が聞えて来るのである。

それ故に神事として奉納する性交の儀式が真面目に要求され、思想的違和感は無かったのである。

これも、もう少し掘り下げると、初期黎明期の征服部族長(氏族の長)の神格化に辿り着く。

当初は専門の巫女が居た訳ではない。

征服地の統治を容易にするには、民人が信用する絶対的な逆らえない武力以外の力が必要で、それは天上からの神の声である。

氏族長の神格化を進めるにあたって、氏族長を神と成し、屋敷を神域化して神社とすると同時に、その后妃(ごうひ/妻)を、シャーマン役の女神に任じ御託宣(ごたくせん)の能力を持たせる。

つまり女神は、氏族長の后妃(ごうひ/妻)であり、「氏族長(神)の言葉」を、后妃(ごうひ/妻)に御託宣(ごたくせん)させる茶番劇的な「ペテン・カラクリから始まった」と考えるのが合理的である。

それが段々に様式化されて行き、氏族長の后妃(ごうひ/妻)から性交の儀式を執り行う専門の巫女(シャーマン)に替わる。

その女体のアンテナで御託宣(ごたくせん)を得るオーガズム・ハイ状態(神懸/かみがかり)の神域を、巫女が彷徨(さまよ)う為の儀式が、性交呪詛(せいこうじゅそ)と言う「術(すべ)」と成って陰陽呪術に発展、後に本書で記述する「人身御供伝説」への流れが形成されて行くのである。

定説では、遊女の原型は飛鳥期頃から始まって「神社の巫女が官人を接待した事」に由来し、平安期の白拍子も「神社の巫女から発祥した」とされる。

その白拍子は源義経の愛妾・静御前で有名で、白拍子の為す遊芸も元は「神事音楽の巫術から」とされている。

その背景に在ったのは、正に巫女のシャーマニズムと性交呪詛が「誓約(うけい)誓約神話(うけいしんわ)」の古代信仰文化として深く関わっていた事に他ならない。

実はこれらの誓約神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。

そのが多部族・多民族夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。

元々神道のお祀り(祭り)の意味の内には、異民族(異部族)和合と五穀豊穣の豊年祈願などの呪詛目的を含んでいる。

いずれにしても、巫女は神事としてお祀り(祭り/性交呪詛)に拠る神懸り(かみがかり/神霊降臨)の依り代(よりしろ/憑り代)を役目として負っていた。

そこから派生して、巫女が官人を接待する風習が出来上がって遊女の原型が生まれて行ったのではないだろうか?

現代科学に於いてもこのジャンルは存在を認めていて、エクスタシー状態(ハイ状態)とは恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態で、宗教的儀礼などでは脱魂(だっこん)とも解説される。

その宗教的儀礼に於けるエクスタシー状態の際に体験される神秘的な心境では、「神迎え又は神懸かり」に相応しくしばしば「幻想・予言、仮死状態などの現象を伴う」とされている。


尚、アイヌ語では「オイナ」と発音する女性(おんな)は中文(中国語)では女(ニュィ/ニョイ)と発音し、アイヌ語のオイナカムイ(oyna kamuy)は「巫術の神」と解釈するズバリ女神である。

その「巫術の神」は、アイヌラックル (aynu rak kur)で、人間・臭い・神 (つまり半神半人)であるから、原始神道に於ける巫女の原型かも知れない。

◆【性文化史関係一覧リスト】
http://miracle-jiyoudan.com/seibunka_yougo.html

をご利用下さい。

この文章は、

小論・【遊女(女郎)の歴史】
http://miracle-jiyoudan.com/yuuzyonorekisi.html


の一部として記載されています。

◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
https://jiyodan.exblog.jp/7937207/

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