http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html
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Brahms -Clarinet Quintet Op.115
Charles Draper & Lener String Quartet
Recording / Before 1933 78rpm /Jpn Columbia : J-7600/04
http://www.youtube.com/watch?v=74NYduLvurw
http://www.youtube.com/watch?v=xMZg8uD9Mio
http://www.youtube.com/watch?v=rgmLjDLE4To
http://www.youtube.com/watch?v=lQXrQ-19cjE
Brahms, Clarinet Quintet, Op 115,
1937, Reginald Kell & The Busch Quartet
http://www.youtube.com/watch?v=HzTN1L8_Va0
http://www.youtube.com/watch?v=t0xnUmhivUg
http://www.youtube.com/watch?v=GEdDPmfkjhs
http://www.youtube.com/watch?v=ZA3PufWA3MY
http://www.youtube.com/watch?v=Q9vh_57y1Qk
Clarinet Quintet op.115 in B minor
Leopold Wlach, Vienna Konzerthaus Quartet 1951
http://www.youtube.com/watch?v=QsLaebxOLHo
http://www.youtube.com/watch?v=qfDxuje62PQ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6024214
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6010630
____
Brahms Clarinet Trio in A minor Op.114 - Kell, Pini, Kentner
http://www.youtube.com/watch?v=8cykHPc5mds
http://www.youtube.com/watch?v=QP9EvSh7V2A
Karl Leister Clarinet, Ferenc Bognar Piano, Wolfgang Boettcher Cello
http://www.youtube.com/watch?v=lDF_LMZYvXY
http://www.youtube.com/watch?v=WCdbzq5b1GQ
http://www.youtube.com/watch?v=4eN9bIt4UEk&playnext=1&list=PL0E9EC9733C4C604C&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=1h5s-F3mrco&playnext=1&list=PL0E9EC9733C4C604C&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=CGgJ5JmnhSo&playnext=1&list=PL0E9EC9733C4C604C&feature=results_video
______
Brahms: Clarinet Sonata in F minor, op 120
cl: Reginald Kell pf: Mieczyslaw Horszowski
http://www.youtube.com/watch?v=c-wYtDLhvkE
http://www.youtube.com/watch?v=r1GGdXgjq68
Brahms Sonata No. 1 in F minor for clarinet and piano, Op. 120 No. 1
Leister/Demus
http://www.youtube.com/watch?v=_16io5rzmsQ&playnext=1&list=PL41E0A2593F18D124&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=AFbk4Lcfqdc
KIM KASHKASHIAN Brahms Viola Sonata n. 2
http://www.youtube.com/watch?v=n7tBGgJlF4A
ついこの前出たポリフォーン「総特集・武満 徹」の中に、このクラリネット・ソナタの譜面を見てピアノで弾いてみた武満が
「こんないい音楽があったら、もう他に音楽はいらないんじゃないかというような、譜面を全部見終わったときに、自分が感じた印象というのは、完璧だ、ということでした」
と講演でしゃべった速記が載っていました。さらにシンポジウムで秋山邦晴がその「ブラームス発言」に現代作曲家としては安易な発言だという疑義が発せられてそれに答える形で、詳しくは原文を当たって頂くとしていくつかの弁明をされたあと、
・・あの人が書いた旋律などを見ていると、今までなんとなく聴き流してし まっていたけれど、その音をよく確かめてみると、そんなに単純な甘ったるい旋律というようなもんじゃないんですね。そこには確固たる、知的な構造がある。僕なんかがいちばん持ってないものを持っている。
と述べ、ソナタ1番アンダンテ冒頭のE♭とD♭が曲全体の構造に深く密接に関わってる点とリズムのセルがわずか4小節のなかで2小節ずつ生と死とも言える極端な対比を作っていることでその構造の卓抜さの説明をしました。
こんなブラームス解説はいままで読んだことはなく、もっと第1線の作曲家の方々に名曲解説をして頂き愛好家の蒙を啓いてもらいたいと思わせるとともに、1番の当方の印象もまんざらまちがっていなかったのがわかり、腑におちた、という気分になりました。
しかしあのアンダンテの冒頭に生と死の対比を嗅ぎつけるこの武満の感性の鋭さにはとてもついて行けないものがあります。ブラームスの深い知性、芸の細かさにあらためて目を開かされました。
http://homepage3.nifty.com/fm-classic-live/023K.html
その美術館で、私は3冊ほど本を買い求めました。その中の1冊に、
『カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』(マリオ・A 著/集英社新書)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E5%9F%B4%E8%B0%B7%E9%9B%84%E9%AB%98%E3%83%BB%E7%8C%AA%E7%86%8A%E5%BC%A6%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%83%BB%E6%AD%A6%E6%BA%80%E5%BE%B9-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BBA/dp/4087200310
があります。これは外国人写真家がこの3人に試みたロング・インタビュー集です。
そして武満徹さんはこんなことを言っていました。
このインタビューは’92年9月に行われていますから、武満さんが亡くなる’96年の約3年半くらい前ということになります。
「最近、ブラームスに夢中になっちゃってて、皆に笑われてますけれども。
今頃、ブラームスがいい、って言うのか、って言われて。」
「なんていうんだろう、あれだけの音楽としての骨格というか、構築力っていうの、作り上げる力、論理っていうのかな、とてもわれわれにはないもんだし。
それは、もしかしたらなくてもしょうがないことなんだけど。
でも今頃になって、僕はベートーヴェンとかバッハとかブラームスとか、そういう人たちの音楽の力っていうか、芸術としての力、決して古くなくって・・・それこそ、ブラームスは同時代人だ(笑)、とつくづくとそう思っていますね。」
それを読んだ私は、私の周りがぱあっと明るく開けたような気持ちになりました。これは別にとても有名な人が言っていることを引用して、自分がやっていることを偉そうに正当化する気になったなどという愚鈍な話ではありません。私はこの言葉からとても勇気をもらった気がしたのです。自分は間違ったことはしていなかったのかもしれない、というほのかな希望のようなものを感じたのです。
実は、練習を積んでいくうちに、私はこのブラームスの曲がとても好きになっていました。この「ピアノ三重奏曲 第一番」は1854年、ブラームスがなんと21歳の若さで作曲しています。その後、亡くなる6年前にあたる1891年、58歳の時に改訂され、現在ではこの改訂されたものが演奏されることがほとんどになっています。
私が持っている譜面にはその両方が掲載されていますが、時をへだてて改訂されたものは、最初のものよりぐんと複雑で、大きな曲になっています。37年の間にコンチェルト、交響曲など数多くの作品を書いてきたブラームスの筆の力が集積されているようにも思われます。
だからでしょうか、例えばここはピッコロが聞こえてくるとか、弦楽器が束になって響いているところだとか、金管楽器が高らかに歌っているところだとか、ピアノを弾きながら、私にはそんな風に感じられるところがたくさんあります。そしてつくづくピアノはオーケストラのようだと思わずにはいられませんでした。
また、ブラームスは20歳の時に、リストやロベルト&クララ・シューマン夫妻に出会っています。そしてその年にシューマンは論説「新しい道」を書いて、ブラームスを新世界の巨匠として世の中に紹介しています。その翌年、シューマンはライン川に身を投じて一命はとりとめたものの精神病院に送り込まれますが、この頃からブラームスのクララ・シューマンへの想いは恋の情熱へと高まっていきます。
そんなことを思い浮かべると、この曲の各楽章の流れ、全体を通して見た時の流れは、なんだかもう溢れ出るロマンティシズムと、期待、不安、喜び、失望などが交錯する色彩をにわかにおびてくるように感じます。揺れ動いている気持ちがそのまま音になっているような気さえしてきます。
そしてその時の自分自身を、37年後のブラームスが力強い筆で再構築している姿が見えてきます。作品全体を通した曲の流れ、揺るがない骨組み・構造力の強さ。メロディーの美しさ。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの拍がずれながら屹立し、交錯する緊張感。ここのところでグッときちゃうのよと感じざるを得ないような持っていき方など、感嘆するところがたくさんあります。
それは細かく譜面をなめるように見ていけば見ていくほど感じたことでもあります。そういう意味では、私はまだ満足に弾けない箇所を残しながらも、音を拾う作業から、やっと少しずつ本当の譜読みの段階に入っていたのだと思います。なんとかここまできたぞ〜。って、遅過ぎる、か。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kkyoko/tsukimiso/brahms.html
ブラームスのクラリネット5重奏曲をめぐって・その1
ブラームスが晩年に創作の衰えを感じ始めたのは、弦楽5重奏曲第2番を完成させたころだったといわれる。63歳で亡くなる7年前(1890年)のことで、幾つかの作曲が思うように行かず悲観的になった彼は、身辺整理に思いを巡らし、同じ年に遺書もしたためた。
それにもかかわらず、彼の4つのクラリネット作品はその後の4年の間(3重奏曲と5重奏曲が翌年の1891年、二つのソナタはその3年後の1894年)に書き上げられることになる。
ブラームスの「焼けぼっくい」に火を付けたのは、当時、ドイツで最高のオーケストラと称されたマイニンゲン宮廷オーケストラのクラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトだった。
ブラームスは1885年に第4交響曲をこのオーケストラと初演して以来、毎年のように同地に滞在しているので(同オーケストラの副指揮者だった若いリヒャルト・シュトラウスとも出会っている)、ミュールフェルトの演奏はその頃から聴いていたはずだが、改めてその演奏の素晴らしさを認め、彼と親しく交わったのは1891年3月が最初だった。
このときミュールフェルトはブラームスの前でモーツアルトの5重奏曲、ウェーバーの二つの協奏曲、シュポア(協奏曲?)などを演奏し、二人はクラリネットについて意見を交わしたという。その演奏に感激し、おそらくは先人のクラリネットの名曲に心を動かされたブラームスは、ミュールフェルトのために曲を書く約束をした。
それにしても、それまで何人ものクラリネット奏者を知っていたはずのブラームスが、なぜミュールフェルトの演奏を聴いて消えかかっていた創作意欲をこれほどまでに刺激されたのだろうか?
クララ・シューマンに宛てた手紙の中でブラームスは、
「彼ほど素晴らしい管楽器奏者は他にいない」
「クラリネットのナイチンゲール」
「私のプリマドンナ」
などの言葉でミュールフェルトを称えた。女声の美声をこのとほか愛したブラームスだけに、この形容詞は単なる美辞麗句とは思われない何かを感じさせる。
実はミュールフェルトは、マイニンゲン宮廷オーケストラでヴァイオリン奏者を務めた(一部の文献にはコンサートマスターだったという記述も見られる)こともあるほどのヴァイオリンの名手でもあった。おそらく彼は、弦楽器的なスタイルでクラリネットを演奏した可能性があり、彼の演奏を聴いた第三者の証言がそれを強く示唆している。
ミュールフェルトと共演した英国人ヴィオラ奏者は、
「ミュールフェルトはチェロよりも振幅の大きなヴィブラートをかけて演奏した」
と証言している。口が悪いことで有名な評論家ハンスリックは、
「彼の音楽性は素晴らしい。しかしクラリネットについて言えばウィーンには彼ほどの名手はたくさんいる」
と語った。ウィーンのクラリネット奏者たちも、ミュールフェルトのスタイルを異質なものと感じたようだ。作曲家のウォルトンは幼い頃にミュールフェルトの演奏を聴いた。しかし期待に反してその音は「変な音だと思った」と書いている。
こうした言葉から分かるのは、ミュールフェルトの演奏スタイルは少なくとも決して「クラリネット的」ではなかった、ということだ。
ブラームスやミュールフェルトと親しく、ブラームスのクラリネットトリオやクインテットの試演時から深くかかわったヴァイオリンのヨアヒムは、次のように述べた。英国の作曲家でブラームスの信奉者だったスタンフォードが、美音で知られた英国のクラリネット奏者を起用してブラームスのクラリネット5重奏曲を初演したい、とヨアヒムに申し出たことに対し彼は、
「この曲に溢れるドラマチックで素晴らしい性格は、pppからffまでのじつに幅広い音を求めますが、エガートン氏はそうした演奏が出来るだけの知性と想像力を備えているでしょうか?」
と書き送った。ミュールフェルト以外にそうした演奏が出来るクラリネット奏者はいない、といわんばかりである。
ブラームスは3月のミュールフェルトとのミーティングの後、すぐに作曲に取りかかり、7月にはもう保養先のイシュルで3重奏曲と5重奏曲をほぼ同時に完成させた。その間、わずか3ヶ月。楽想の枯渇に悩み、その年の初めには遺言状まで準備した同じ人間とは思えない速筆ではないだろうか。
実際には3重奏曲の方がやや早く完成した。7月に友人マンディチェフスキーにトリオの楽譜を送ったブラームスは、このトリオが「もうじきモノに出来そうな、もう一つのもっと大きな駄作との双子」であると書き添えた。
この2曲のプライベートな試演は、やや遅れてその年の11月にマイニンゲンで行われた。
Commented by たにつち at 2006-04-24 20:11
ミュールフェルトのこと、前にも触れられてましたが、普通ではないクラリネットらしいこと興味深いですね。
>pppからffまでのじつに幅広い音を求め
られる曲なんですね、あの曲は。
ブラームスのクラ作品、おそろしくなってきましたよ。
Commented by hornpipe at 2006-04-24 21:50
たにつちさん、お晩です。オトロしいのは、クラ吹きの方でして。なんたってサマにするのが難しいです。ヴィオラ版の方がずっとサマになるから、いつでも選手交代してくださいね。
http://hornpipe.exblog.jp/3285405/
ブラームスのクラリネット5重奏曲をめぐって・その2
ブラームスのクラリネット5重奏曲は、レコーディングの多さなどから見ても、おそらく彼の室内楽曲の中で最も有名な作品に違いない。
初めてこの曲が公に演奏された時からすでに、聴衆の反応は熱狂的とも言えるほどだった。1891年12月、ミュールフェルトとヨアヒム他のメンバーによってベルリンで行われた初演では、鳴り止まない拍手に応えて第2楽章がもう一度演奏された。翌年のロンドン初演はさらに大成功を収め、ミュールフェルトは英国で「時の人」にまでなる。
しかし意外なのは、ブラームス本人やマンディチェフスキー、ハンス・フォン・ビューローなど取り巻きの友人たちは、クインテットよりもトリオの方を高く評価していた、と伝えられることだ(トリオもベルリンの上記コンサートで同時に初演された)。クインテットばかり聴衆の受けが良いことについて、何人かの友人はブラームスに慰めとも思える手紙まで書いている。
トリオは内的な情感も豊かで、チェロとクラリネットとの親密な対話と対比、簡潔な構成など、聴けば聴くほど(演奏するとおさら)愛着が湧く名作である。
とは言っても、直接的に聴く人の心を揺さぶる力、「聴き栄え」の点では明らかにクインテットの方に分があり、当時の聴衆がトリオより好んだことは容易に想像できる。
なのに、様々な文献に引用された彼らの手紙などに、クインテットについて触れたものは思いの外少ないのである。これは単に引用されなかっただけなのか、あるいは本当にブラームス自身、クインテットについて語ることが少なかったためなのか?
ここからは全くの憶測になる。
クインテットが短期間に仕上げられたこと、そして完成後のブラームスのこの作品に対するやや淡白とも思える態度。ここには何か事情がありはしないだろうか?
実は、ブラームスはミュールフェルトと出会う前、すでにクラリネット5重奏曲を完成させていた。ただしロ短調ではなく、ホ短調の別の曲を。
ところが出来に満足しなかったブラームスは、しばらくしてこの曲を破棄してしまった。ある人間がこの曲をコンサートにかけたいと申し出たとき、ブラームスはその申し出を断っている。
一説によると、ホ短調のこの5重奏曲のメロディは、当時彼が構想していた第5シンフォニーの主題から取られたという(逆だったかも知れない)。また、この5重奏曲は現在あるロ短調の5重奏曲にかなりの部分、重なっていたという人もいる。
この説が真実だとすると、短期間でロ短調が完成された理由は説明がつく。また、出来に不満のあった作だとすれば、その面影を宿すロ短調の方に複雑な思いがあっただろうことも推測できる(もちろんブラームスはロ短調の出来には満足していた)。
以上は、しかし設問自体がナンセンスかも知れず、意味のない憶測かも知れない。
ホ短調の5重奏曲がどんな曲だったのか、それがロ短調の作品とどのように関係するのかについて触れた文献は、驚くほど少ない。
Commented by sogotto at 2006-05-03 01:08
ブラームスの第5交響曲の構想が、クラリネット・チェロ・ピアノのための三重奏曲やヴァイオリン・チェロのための二重協奏曲に関係があるらしいことは、「わしさん」の書き込みで教えてもらいましたが、仮に第5交響曲が完成していたとしても、なんとなく座りが悪そうな気がしないでもありません。やはり、ブラームスには四つの交響曲とクラリネット五重奏曲がよく似合います。
hornpipe の言われるトリオの名作も、ぜひ、聴いてみたいと思います。
Commented by hornpipe at 2006-05-03 23:32
そうですね。5番が完成していたとしても、ドッペルコンチェルトのようにやや気負ったものになってしまったかも知れませんね。そのエネルギーがクラリネット作品に向けられたと見れば、幸いだったのかも知れません。
Commented by わし at 2006-05-12 01:33
ホ短調の五重奏曲の話は初耳でした。
一体何の目的で、だれのために書かれたのでしょうか・・・。
聴いてみたいものですね。
http://hornpipe.exblog.jp/3303011/
ブラームスのクラリネット5重奏曲をめぐって・その3(完)
●第1楽章
この作品には、モットーとも言うべき二つのモチーフが最初に登場する。
一つは、最初の2小節の螺旋状の動き……モチーフA。
もう一つは、後の2小節の半音程の動き……モチーフB。
ロ短調でありながら、冒頭2小節はニ長調ともつかない曖昧さを持っている。
続いてクラリネットが分散和音で登場するが、これもニ長調で始まり、魅力的な和声展開をしてロ短調に終止する。下の譜例2小節目からのクラリネットのクレッシェンドは、チェロの声部を聴き、和声を感じながら膨らませると効果的。
この分散和音の出だしは、モーツアルトの5重奏曲を意識したと見る人もいる。
クラリネットの旋律はモチーフAに移り、最高音Bまで駆け上がるが、興味深いことに最初の草稿(自筆譜)では次のように下降フレーズになっている(上の譜例につづく)。
まるで、きりもみしながら墜落してしまうような印象だ。
クラリネットの後にチェロとヴィオラでモチーフBが歌われる。つまり、この部分は冒頭4小節を拡大したもので、そのまま次の譜例になだれ込む。
テュッティで決然としたリズムを刻む。
この跳ねるようなリズムと、2小節目以降の音の動きは、モチーフAから来ると思われる。この音型は展開部で多く現われる(展開部で第2主題は登場しない)。
つづいて第2主題が登場するが(譜例では前の小節の8分音符のアウフタクトが抜けている)、上の譜例の2小節目以降の反行形的な音型で出来ている。特に1小節目の最後の音がタイで次の小節につながる点も酷似。
●第2楽章
Adagio。弦楽器は弱音器付きで奏でる。
ミュートは古来、葬送の音楽に使われて来たが、ロマン派以降は夜をイメージさせる場面に多く使われる。私見では、この楽章にはミュート以外に「夜」(あるいは田園の夕暮れ)を連想させるほかのテクニックが使われている。
その一つは、クラリネット・ソロに遅れて追いかける第1ヴァイオリンの最初の減6度の音。
もう一つは、17小節目から明瞭に聞こえて来るヴィオラの3連符の(タイでつながった)刻み。これは恐らく、夕暮れに遠くで啼く鳥(ツツドリ?)の声を模している(そんなこと誰も言ってはいないのだけど)。
冒頭のメロディが、3度と4度を中心に作られていることに注意(ブラームスのクラ作品のモットーとも言える)。
中間部、Piu Lentoに入る前の経過部にモチーフAが現われる。
この曲で最も印象に残る中間部は、ロマ(ジプシー)の音楽をブラームスが実際に耳にして着想を得たといわれるが、音程の骨格は第2楽章の冒頭と同じ3度→2度(2小節にわたる点も同じ)。これをクラリネットはモチーフAで装飾していると考えられる。
さらに第3小節からは4度上昇→下降という点も同じ。次の二つの譜例は続けて見る。
この音型はクラリネットトリオやソナタ第1番のモットーである「マタイ動機」そのものだ!
クラリネット奏者にとって面白いエピソードを一つ。
中間部の85小節目からの難しいアルペッジョには誰でも苦労させられるが、ミュールフェルトはここでA管ではなく、演奏がより簡単になるBb管に持ち替えて吹いたという証言が残っている。
Bb管に替えるチャンスは81小節の1小節間しかない(80小節目にBb管では出ない最低音Ebが出て来るので)。このため、楽器の持ち替えを容易にするため、数小節のつなぎを付け加えた(中間部から再現部への経過部にも!)版があるというが、未見。
第2楽章のコーダは、中間部を回想する極めて美しい箇所。
●第3楽章
ブラームス特有のAndantinoのゆったりしたメロディで始まる。
これも良く見ると、マタイ動機がフレーズの骨格になっているように思われる。
続いて出て来るフレーズは……
これは第1楽章の第2主題に現われるフレーズである(下段の第2ヴァイオリンの途中からのフレーズ)。
しかも、このフレーズは続くPrestoの主要モチーフとなる。次の譜例の第2ヴァイオリンに注目。
●第4楽章
変奏曲形式。この点も終楽章に同じ形式を持つモーツアルトの5重奏曲を模しているとされる。
冒頭のテーマはモチーフBからなり、ここへ来てしっかりとこの曲のモットーを再現する。
以下、モチーフAとモチーフBを駆使したこの楽章は、「隠し絵」(だまし絵?)発見の面白みよりもブラームスお得意の変奏技術の方が勝っていると思われ、その分析は私の能力を超える。
最後に、どなたもご存知、この曲の冒頭シーンが最後に回想される部分のみ掲載しておく。
http://hornpipe.exblog.jp/3329767/
ブラームス・クラリネット3重奏曲のパズル
ブラームス晩年の4つのクラリネット作品は、数少ないスリムなモチーフを「寄木細工」のように組み合わせて使う禁欲的(経済的)な作曲手法が際立ち、楽譜を読むと、まるでパズルを解くようなスリルと楽しさが味わえる。
単に音程関係を見るだけでも様々な「解」が姿を現すので、私のように和声の知識がない人間でもアナリーゼに挑戦したくなる。
おそらくは音列の組み合わせが柱になっている晩年のブラームスのこうした作曲手法が、後のシェーンベルク等を先取りしているといわれる所以なのだろう。この面でのブラームスの「新しさ」は、一般にはまだあまり知られていない。
4つのクラリネット作品の中で、パズル解きの楽しさを比較的簡単に味わえるのは、クラリネットトリオの第1楽章と、ソナタ第1番の第1楽章である。一見複雑に見える5重奏曲の第1楽章も、各声部の構成は驚くほど少ないモチーフの組み合わせから成っている。
まずは、クラリネットトリオ(作品114)の第1楽章から。
冒頭、チェロが次のような主題を弾き出す。
この主題を仮に、3度(A)+4度→順次下降(B)+2度(C)+小終止(D)と分析しておく。
※追記:上の楽譜の(C)の範囲は間違いで、1音手前のFの音まで拡げる。
※追記:(D)は2音右にずらして4拍目の4分音符から次の小節の2分音符二つまでに変更。
(B)はバッハのマタイ受難曲のコラールに使われたテーマで(バッハも同曲でこのテーマを様々に使いまわしている)、ソナタ第1番の骨格をなすモチーフでもある。
●マタイの動機
冒頭のチェロをほぼそっくりクラリネットが受け継ぎ、続いてピアノが動き出す。下記、ピアノの(C)は、この曲のもう一つの重要な音型(3連符を4分音符に単純化する)で、あとで繰り返し形を変えて現われるが、上記(C)の反行形とも取れる。譜例に書き込まれた「反行形」は、この譜例前半C+Bの反行形の意味。
その後に出て来る3度と4度の断片。
第2主題は、3度下降(A)+2度(C)+マタイ動機(B)の組み合わせで出来ている。また、第2主題の出だしは、どこか冒頭チェロの主題の小終止(D)を思わせる。
第2主題が展開した後に出て来るピアノの新しいメロディは、3度+4度の組み合わせからなる。
提示部のモチーフの骨格は、ほぼ以上で説明できる。
展開部は上記ピアノの(C)とマタイ動機(B)の展開が中心になっており、モチーフの扱いだけを見れば、第1楽章全体は大体これだけで説明出来てしまえるように思われる。
トリオの第2楽章以下に出て来るマタイ動機(B)の例を参考までに。
●第2楽章冒頭クラリネットのメロディの最後の部分
●第3楽章はマタイ動機そのもの!
ちなみに、第2楽章冒頭クラリネットのメロディに「自然7度」をイメージしたと思われる音が出て来る(4拍目の記譜音Eb)。自然倍音の7度は著しくぶら下がり気味になり、バルブのないアルプホルンなどの素朴さをイメージさせる時に意識的に使われることがある。ブリテンはセレナーデで「夜」を連想させる手法として使った。
もしブラームスがこの音を自然7度を意識して使ったとしたら、「自然」「夕暮れ」あるいは「郷愁」などのイメージをこの楽章全体に込めたかったのかも知れない。ただし、この点はあまり自信がない。
Commented by sogotto at 2006-04-17 14:12 x
いつもながら、hornpipeさんの分析力はすごいものがありますね。作曲家の設計のテクニックの裏側をちょっとだけ見せてもらったような気がします。
バッハのマタイのコラールは私も大好きですが、考えてみたら、このモチーフを想起させるフレーズはブラームスに限らず、いろいろな作曲家の作品に見つけることができるような気がします。具体例を列挙する材料があるわけではなく、雰囲気でこう書いてしまいましたが、、シューマンの3つのロマンスの3曲目などにも、この音形の片鱗を見つけることができると思います。
Commented by hornpipe at 2006-04-18 22:37
sogottoさん、ロマンスの楽譜を見ても、私の力では見つけられませんでした。ヒントを頂ければ幸いです。
Commented by sogotto at 2006-04-22 00:28
ロマンス第3曲の16分音符の部分を中心に意識を集中すると、薄っすらとバッハの輪郭が見えて来るように私には感じられるのです。
Commented by hornpipe at 2006-04-23 23:03
sogottoさん、ナルホド、ナルホド! こんな所に発見するなんて!
クララも「3つのロマンス」という曲を書いてますので、それも見てみたいものです。
http://hornpipe.exblog.jp/3233162/
ブラームス「クラリネット・ソナタ第1番」の覚え書き
第1楽章、冒頭のピアノのテーマは、ブラームスの「辞世の句」であると同時に、クララへの秘密のメッセージも込められている−−
クラリネットの磯部周平さん(N響首席)にこのことを教えられて以来、度々楽譜を眺めて来たものの、
「では、その後に出て来るクラリネットのメロディラインは何なの?」
という疑問はずっと解けずに来た。が、ふと思いついたこと。
クラリネットの8小節にわたるメロディの骨格は、記譜音でD−C−Bb−Aなのではないか?
(クラリネットパートの第2、3、5小節目はつなぎと考える)
そう考えると、冒頭第4小節目のピアノのGbからクラリネットの最初の実音Cへの4度跳躍は、ピアノの冒頭の4度跳躍に対応し、さらに順次下降する音型もクラリネットはピアノをなぞっていることになる(拡散しているけれど)。
この「4度跳躍→順次下降」音型は、バッハのマタイ受難曲のコラールに度々出て来る。
このモチーフを、最初期の作品、ピアノソナタ第1番の第2楽章に使ったブラームスは、最晩年のクラリネットソナタにも使った(クララはこのモチーフを聴いた瞬間、自分へのメッセージと理解したと思われる)。さらに、最後の作品となるコラール前奏曲には、このモチーフが素のままの形で登場し、辞世の歌詞まで付けられている……というのが磯部さんの話。
漠然と楽譜を見ていて気付いたことが、もう一つ。
この曲は下降音型だらけなのである。上記のモチーフを経済的に使いまわしていることからすれば当然なのだろうが、そこに音楽修辞学的なメッセージを読み取ることも出来るのではないか? バロック音楽では、下降(半音階)音型は、死や哀悼をあらわすモチーフだった。
他の楽章でも、ときに盛り上がるかにみえるメロディラインも、下降する大きなフレーズの中に飲み込まれてしまっているように見えるのが、この曲の特徴のように思える。
http://hornpipe.exblog.jp/3212902/
ブラームス・クラリネットソナタ第1番の自筆パート譜
最新の国際クラリネット協会機関誌(2006年9月号、Vol.33, No.4)に、ブラームスのクラリネット・ソナタ第1番のクラリネット・パート自筆譜の記事が載っている。
このパート譜はブラームスからミュールフェルトに贈られたものだが、この記事より以前に偶然、自筆譜のその後を伝えるこんなニュースをネットで目にしていた。
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Saturday, December 6, 1997
Brahms scores fetch R3,6m
LONDON -- Two Brahms manuscripts of sonatas for piano and clarinet
were sold yesterday for about R3,6 million at Sotheby's here, a record
for the composer. They were bought by a British dealer.
The German composer wrote them for his friend, Richard Muhlfeld, the
greatest clarinetist of his time. Muhlfeld's descendants decided to sell
the manuscripts to coincide with the centenary of Brahm's death in
1897. -- Sapa-AFP
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落札額が360万ポンドだとすると、約7億円!
英国のディーラーが落札したとあるが、上記記事で、米国のロバート・オーウェン・レーマン・コレクションが発注主であることが分かった。自筆譜は現在、NYのピエルポント・モルガン図書館が代理で保管しており、特別の許可を得てそれを検分したレポートが記事になっている。
出版譜との最大の違いは、噂で聞いていた、冒頭ソロが1オクターブ低い音で始まること。もしこの通りに出版されていたら、クラ吹きの苦労はずっと軽減されていたはず!
ちなみにヴィオラはこの低い音域で始まる。クラリネットでも誰か試みたらどうだろう。
他にも、休みのはずの小節に経過的なパッセージが書いてあったり、コーダ部分が寸詰まりになっていたり、興味は尽きない。
記事にはソナタ第2番のことは一切触れられていない。
2曲一緒に落札されたとすると、2番は何処へ?
追伸(10月23日):今日、某氏からのメールに「2番の自筆譜をマイニンゲンの博物館で見た」とあった。ということは、上記英字Newsは一部誤報だったことになる。
追伸2(10月24日):某氏より訂正メールあり。博物館所蔵の2番はコピーだったとのこと。
別の本を読んでいたら、ピエルポント・モルガン図書館は米国有数の自筆譜所蔵を誇る図書館とのこと。
http://hornpipe.exblog.jp/4387093/
ブラームス:4つのクラリネット作品におけるマタイ動機
モーツアルトのクラリネット5重奏曲は、モーツアルトが亡くなる2〜3年ぐらい前の作品。モーツアルトは1791年、35才で亡くなった。本人は知らず、晩年の作品となった。
ブラームスのクラリネット5重奏曲は、ブラームス58才の時の作品。
ブラームスは63才で亡くなった。5重奏曲は亡くなる6年前の作品になる。やはり晩年の作品だ。
晩年どころか、ブラームスはこの5重奏曲を作曲する前の年に、自分の創作意欲は枯渇してしまい、もう作曲はできないと感じて遺書まで書いている。身辺整理をして余生を静かに過ごしたいと思ったようだ。57才のときである(私は来年です!)。ちなみに、遺書を書く直前の作品は、弦楽5重奏曲作品111になる。
遺書まで書いたのに、なぜ翌年になってこんな名曲が生まれてしまったのか? クラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いがあったことは有名だ。
5重奏曲だけでなく、クラリネット3重奏曲もほぼ同時に完成させ、3年後には2曲のクラリネットソナタまで作り上げた。全部で4曲。どれも素晴らしい名曲である。
で、ここから先の話は、NHK交響楽団首席クラリネット磯部周平さんの研究による。ご本人の話と、雑誌パイパーズの記事をもとにまとめてみた。
磯部さんは、ブラームスが一度はあきらめていたのに、再びこのような名曲となる曲を作ろうと思った背景には、ミュールフェルトに出会ったことと、もう一つは、クララ・シューマンへの思いを、もう一度彼女にきちんと伝えたい、という思いがあったと推測している。
というのは、ちょうどこのころ、ブラームスとクララの関係はあまり良好ではなく、絶縁に近い状態にあった。ブラームスはそんな状態のまま人生を終えたくなかった。作曲だけでなく人間としても師と仰いだシューマンと夫人クララへの愛情は、ずっと変わらずに持っていたので、クララとの関係を戻して余生を過ごしたいと思ったのではないか、という。
そのためにブラームスは、これらクラリネット作品にクララへのメッセージを盛り込んだ。
クラリネットソナタのスコアをクララに送ったとき、ブラームスは手紙にこう書いている。
「この曲に私の作品1が出てくるのにお気づきですか? 蛇がしっぽを飲み込んで、輪は閉じられたのです」
ブラームスの作品1は、ピアノソナタである。20歳のときにこの作品を持ってシューマンを訪ね、シューマンに「天才が登場した」と言わせた曲。そのときクララも一緒に聞いていた。
「作品1が出て来る」というのは、ピアノソナタの第2楽章の次の部分だ。
4度上がって、順次下降する音形……これがクラリネットソナタ第1番の最初に本当に出て来る。
上記ピアノソナタの譜例の少し先には、ドファミ♭レ♭と音までそっくり同じフレーズが出て来る。
じつはこのモチーフは、シューマンが自分の曲に隠しこんだクララのモチーフとよく似ているといわれる。このモチーフは、シューマン、クララ、ブラームスの3人にはピンと来る秘密のモチーフだという。
では、シューマン夫妻とは初対面だったはずのブラームスの作品1に、クララのモチーフがなぜすでに使われているのかという疑問が起きるが、実は現在の作品1のソナタは後で改訂されたもので、シューマン夫妻と知り合ってすぐに家族のように迎えられたブラームスが、シューマンにならってクララのモチーフを後で入れたとも考えられているようだ。それほど3人の絆は深いものだった。
で、このモチーフはクラリネットソナタ1番だけじゃなく、ほかの3つのクラリネット曲すべてに出て来る。最初に出来たのがクラリネットトリオで、その出だしは次のようになっている。
最初の3度のあと、ミ−ラ−ソ−ファ−ミがこのモチーフである。同じトリオの第3楽章は、もろそのままの形で出て来る。
次に作曲されたのが5重奏だが、5重奏にも第2楽章のクライマックスにこのモチーフが出て来る。
さらに第4楽章の冒頭にも、弦とクラのメロディを繋げるとこのモチーフが姿を現す。上はクラリネットパートで実音は短3度下げて読む。
面白いのはクラリネットソナタ第2番の冒頭だ。次のようなメロディだが、1小節目はクラリネットソナタ第1番冒頭1−2小節目のモチーフの前半と後半を入れ替えた形になっている。
ほかにも探すと、4曲の様々な箇所にこのモチーフが顔を出す。
さて、ここまで来てなお疑問に思うのは、このモチーフはブラームスにとって何だったのか、である。クララへの秘密のメッセージであることは分かった。でも、それで本当に何を伝えたかったのかということだ。
じつは、このモチーフはブラームスが作ったものではなく、バッハのある曲からとられたものだった。それは、不滅の名曲、マタイ受難曲に出て来る次のコラールである。
大変に有名なコラールで、歌詞の意味は、「私は心から幸せな最後を望んでいます」という意味だそうだ。
で、結論だが、ブラームスはこのモチーフを辞世のことばとしてクララに贈ったのではないか、ということ。クララもこれがマタイのコラールからとったものであることは知っていたはずだ。ブラームスは単にクララとの関係を取り戻したいと考えたのではなく、シューマンとクララへの感謝と愛情を人生の最後にどうしても伝えたかった。それで、もう一度筆をとった4つのクラリネット曲にこのモチーフを込めたのだろうと磯部さんは言う。
そのクララは1896年、ブラームスが63歳の時に亡くなった。同じ年ブラームスは肝臓癌をわずらいながら、彼の最後の曲、コラール前奏曲を作曲し、翌年の4月に息を引き取った。
その最後の作品、コラール前奏曲にも、やはりマタイのモチーフがそのままの形で使われている。しかもそこには辞世の言葉が楽譜の下にはっきりと記されている。
Commented by hornpipe at 2008-11-21 21:43
ア○○○ク様 この場合は、NHK交響楽団の磯部周平さんの説だということを明記して頂くようお願いします。
Commented by hornpipe at 2010-06-28 22:32
掲載誌名と磯部周平さんのお名前を明記して頂ければOKです。そっくり引用せずに、要旨を適当にまとめて下さい(だとしたら、私に断る必要もないのですが)。
と申し上げておいて何ですが、私の記事も含め、ブログの記事は信用度において本来そうした引用には適さないと思います。
この記事の場合、ブラームスがピアノソナタを書き直したという部分が、磯部さんの言葉かどうか私の記憶が不確かです。
http://hornpipe.exblog.jp/6487896/
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