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ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html
投稿者 富山誠 日時 2013 年 4 月 07 日 13:44:17: .ZiyFiDl12hyQ
 

Brahms -Clarinet Quintet Op.115
Charles Draper & Lener String Quartet
Recording / Before 1933 78rpm /Jpn Columbia : J-7600/04
http://www.youtube.com/watch?v=74NYduLvurw
http://www.youtube.com/watch?v=xMZg8uD9Mio
http://www.youtube.com/watch?v=rgmLjDLE4To
http://www.youtube.com/watch?v=lQXrQ-19cjE

Brahms, Clarinet Quintet, Op 115,
1937, Reginald Kell & The Busch Quartet
http://www.youtube.com/watch?v=HzTN1L8_Va0

http://www.youtube.com/watch?v=t0xnUmhivUg
http://www.youtube.com/watch?v=GEdDPmfkjhs
http://www.youtube.com/watch?v=ZA3PufWA3MY
http://www.youtube.com/watch?v=Q9vh_57y1Qk


Clarinet Quintet op.115 in B minor
Leopold Wlach, Vienna Konzerthaus Quartet 1951
http://www.youtube.com/watch?v=QsLaebxOLHo
http://www.youtube.com/watch?v=qfDxuje62PQ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm6024214
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6010630


____


Brahms Clarinet Trio in A minor Op.114 - Kell, Pini, Kentner
http://www.youtube.com/watch?v=8cykHPc5mds
http://www.youtube.com/watch?v=QP9EvSh7V2A

Karl Leister Clarinet, Ferenc Bognar Piano, Wolfgang Boettcher Cello
http://www.youtube.com/watch?v=lDF_LMZYvXY

http://www.youtube.com/watch?v=WCdbzq5b1GQ
http://www.youtube.com/watch?v=4eN9bIt4UEk&playnext=1&list=PL0E9EC9733C4C604C&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=1h5s-F3mrco&playnext=1&list=PL0E9EC9733C4C604C&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=CGgJ5JmnhSo&playnext=1&list=PL0E9EC9733C4C604C&feature=results_video

______

Brahms: Clarinet Sonata in F minor, op 120
cl: Reginald Kell pf: Mieczyslaw Horszowski
http://www.youtube.com/watch?v=c-wYtDLhvkE
http://www.youtube.com/watch?v=r1GGdXgjq68

Brahms Sonata No. 1 in F minor for clarinet and piano, Op. 120 No. 1
Leister/Demus
http://www.youtube.com/watch?v=_16io5rzmsQ&playnext=1&list=PL41E0A2593F18D124&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=AFbk4Lcfqdc

KIM KASHKASHIAN Brahms Viola Sonata n. 2
http://www.youtube.com/watch?v=n7tBGgJlF4A

ついこの前出たポリフォーン「総特集・武満 徹」の中に、このクラリネット・ソナタの譜面を見てピアノで弾いてみた武満が

「こんないい音楽があったら、もう他に音楽はいらないんじゃないかというような、譜面を全部見終わったときに、自分が感じた印象というのは、完璧だ、ということでした」

と講演でしゃべった速記が載っていました。さらにシンポジウムで秋山邦晴がその「ブラームス発言」に現代作曲家としては安易な発言だという疑義が発せられてそれに答える形で、詳しくは原文を当たって頂くとしていくつかの弁明をされたあと、

 ・・あの人が書いた旋律などを見ていると、今までなんとなく聴き流してし  まっていたけれど、その音をよく確かめてみると、そんなに単純な甘ったるい旋律というようなもんじゃないんですね。そこには確固たる、知的な構造がある。僕なんかがいちばん持ってないものを持っている。

と述べ、ソナタ1番アンダンテ冒頭のE♭とD♭が曲全体の構造に深く密接に関わってる点とリズムのセルがわずか4小節のなかで2小節ずつ生と死とも言える極端な対比を作っていることでその構造の卓抜さの説明をしました。

こんなブラームス解説はいままで読んだことはなく、もっと第1線の作曲家の方々に名曲解説をして頂き愛好家の蒙を啓いてもらいたいと思わせるとともに、1番の当方の印象もまんざらまちがっていなかったのがわかり、腑におちた、という気分になりました。

 しかしあのアンダンテの冒頭に生と死の対比を嗅ぎつけるこの武満の感性の鋭さにはとてもついて行けないものがあります。ブラームスの深い知性、芸の細かさにあらためて目を開かされました。
http://homepage3.nifty.com/fm-classic-live/023K.html


その美術館で、私は3冊ほど本を買い求めました。その中の1冊に、

『カメラの前のモノローグ 埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』(マリオ・A 著/集英社新書)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%89%8D%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E5%9F%B4%E8%B0%B7%E9%9B%84%E9%AB%98%E3%83%BB%E7%8C%AA%E7%86%8A%E5%BC%A6%E4%B8%80%E9%83%8E%E3%83%BB%E6%AD%A6%E6%BA%80%E5%BE%B9-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BBA/dp/4087200310

があります。これは外国人写真家がこの3人に試みたロング・インタビュー集です。

 そして武満徹さんはこんなことを言っていました。
このインタビューは’92年9月に行われていますから、武満さんが亡くなる’96年の約3年半くらい前ということになります。

 「最近、ブラームスに夢中になっちゃってて、皆に笑われてますけれども。
今頃、ブラームスがいい、って言うのか、って言われて。」

 「なんていうんだろう、あれだけの音楽としての骨格というか、構築力っていうの、作り上げる力、論理っていうのかな、とてもわれわれにはないもんだし。
それは、もしかしたらなくてもしょうがないことなんだけど。

でも今頃になって、僕はベートーヴェンとかバッハとかブラームスとか、そういう人たちの音楽の力っていうか、芸術としての力、決して古くなくって・・・それこそ、ブラームスは同時代人だ(笑)、とつくづくとそう思っていますね。」

 それを読んだ私は、私の周りがぱあっと明るく開けたような気持ちになりました。これは別にとても有名な人が言っていることを引用して、自分がやっていることを偉そうに正当化する気になったなどという愚鈍な話ではありません。私はこの言葉からとても勇気をもらった気がしたのです。自分は間違ったことはしていなかったのかもしれない、というほのかな希望のようなものを感じたのです。

 実は、練習を積んでいくうちに、私はこのブラームスの曲がとても好きになっていました。この「ピアノ三重奏曲 第一番」は1854年、ブラームスがなんと21歳の若さで作曲しています。その後、亡くなる6年前にあたる1891年、58歳の時に改訂され、現在ではこの改訂されたものが演奏されることがほとんどになっています。

 私が持っている譜面にはその両方が掲載されていますが、時をへだてて改訂されたものは、最初のものよりぐんと複雑で、大きな曲になっています。37年の間にコンチェルト、交響曲など数多くの作品を書いてきたブラームスの筆の力が集積されているようにも思われます。

 だからでしょうか、例えばここはピッコロが聞こえてくるとか、弦楽器が束になって響いているところだとか、金管楽器が高らかに歌っているところだとか、ピアノを弾きながら、私にはそんな風に感じられるところがたくさんあります。そしてつくづくピアノはオーケストラのようだと思わずにはいられませんでした。

 また、ブラームスは20歳の時に、リストやロベルト&クララ・シューマン夫妻に出会っています。そしてその年にシューマンは論説「新しい道」を書いて、ブラームスを新世界の巨匠として世の中に紹介しています。その翌年、シューマンはライン川に身を投じて一命はとりとめたものの精神病院に送り込まれますが、この頃からブラームスのクララ・シューマンへの想いは恋の情熱へと高まっていきます。

 そんなことを思い浮かべると、この曲の各楽章の流れ、全体を通して見た時の流れは、なんだかもう溢れ出るロマンティシズムと、期待、不安、喜び、失望などが交錯する色彩をにわかにおびてくるように感じます。揺れ動いている気持ちがそのまま音になっているような気さえしてきます。

そしてその時の自分自身を、37年後のブラームスが力強い筆で再構築している姿が見えてきます。作品全体を通した曲の流れ、揺るがない骨組み・構造力の強さ。メロディーの美しさ。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの拍がずれながら屹立し、交錯する緊張感。ここのところでグッときちゃうのよと感じざるを得ないような持っていき方など、感嘆するところがたくさんあります。

それは細かく譜面をなめるように見ていけば見ていくほど感じたことでもあります。そういう意味では、私はまだ満足に弾けない箇所を残しながらも、音を拾う作業から、やっと少しずつ本当の譜読みの段階に入っていたのだと思います。なんとかここまできたぞ〜。って、遅過ぎる、か。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kkyoko/tsukimiso/brahms.html


ブラームスのクラリネット5重奏曲をめぐって・その1

ブラームスが晩年に創作の衰えを感じ始めたのは、弦楽5重奏曲第2番を完成させたころだったといわれる。63歳で亡くなる7年前(1890年)のことで、幾つかの作曲が思うように行かず悲観的になった彼は、身辺整理に思いを巡らし、同じ年に遺書もしたためた。
それにもかかわらず、彼の4つのクラリネット作品はその後の4年の間(3重奏曲と5重奏曲が翌年の1891年、二つのソナタはその3年後の1894年)に書き上げられることになる。

ブラームスの「焼けぼっくい」に火を付けたのは、当時、ドイツで最高のオーケストラと称されたマイニンゲン宮廷オーケストラのクラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトだった。

ブラームスは1885年に第4交響曲をこのオーケストラと初演して以来、毎年のように同地に滞在しているので(同オーケストラの副指揮者だった若いリヒャルト・シュトラウスとも出会っている)、ミュールフェルトの演奏はその頃から聴いていたはずだが、改めてその演奏の素晴らしさを認め、彼と親しく交わったのは1891年3月が最初だった。

このときミュールフェルトはブラームスの前でモーツアルトの5重奏曲、ウェーバーの二つの協奏曲、シュポア(協奏曲?)などを演奏し、二人はクラリネットについて意見を交わしたという。その演奏に感激し、おそらくは先人のクラリネットの名曲に心を動かされたブラームスは、ミュールフェルトのために曲を書く約束をした。

それにしても、それまで何人ものクラリネット奏者を知っていたはずのブラームスが、なぜミュールフェルトの演奏を聴いて消えかかっていた創作意欲をこれほどまでに刺激されたのだろうか? 
クララ・シューマンに宛てた手紙の中でブラームスは、

「彼ほど素晴らしい管楽器奏者は他にいない」
「クラリネットのナイチンゲール」
「私のプリマドンナ」

などの言葉でミュールフェルトを称えた。女声の美声をこのとほか愛したブラームスだけに、この形容詞は単なる美辞麗句とは思われない何かを感じさせる。

実はミュールフェルトは、マイニンゲン宮廷オーケストラでヴァイオリン奏者を務めた(一部の文献にはコンサートマスターだったという記述も見られる)こともあるほどのヴァイオリンの名手でもあった。おそらく彼は、弦楽器的なスタイルでクラリネットを演奏した可能性があり、彼の演奏を聴いた第三者の証言がそれを強く示唆している。

ミュールフェルトと共演した英国人ヴィオラ奏者は、

「ミュールフェルトはチェロよりも振幅の大きなヴィブラートをかけて演奏した」

と証言している。口が悪いことで有名な評論家ハンスリックは、

「彼の音楽性は素晴らしい。しかしクラリネットについて言えばウィーンには彼ほどの名手はたくさんいる」

と語った。ウィーンのクラリネット奏者たちも、ミュールフェルトのスタイルを異質なものと感じたようだ。作曲家のウォルトンは幼い頃にミュールフェルトの演奏を聴いた。しかし期待に反してその音は「変な音だと思った」と書いている。

こうした言葉から分かるのは、ミュールフェルトの演奏スタイルは少なくとも決して「クラリネット的」ではなかった、ということだ。

ブラームスやミュールフェルトと親しく、ブラームスのクラリネットトリオやクインテットの試演時から深くかかわったヴァイオリンのヨアヒムは、次のように述べた。英国の作曲家でブラームスの信奉者だったスタンフォードが、美音で知られた英国のクラリネット奏者を起用してブラームスのクラリネット5重奏曲を初演したい、とヨアヒムに申し出たことに対し彼は、

「この曲に溢れるドラマチックで素晴らしい性格は、pppからffまでのじつに幅広い音を求めますが、エガートン氏はそうした演奏が出来るだけの知性と想像力を備えているでしょうか?」

と書き送った。ミュールフェルト以外にそうした演奏が出来るクラリネット奏者はいない、といわんばかりである。

ブラームスは3月のミュールフェルトとのミーティングの後、すぐに作曲に取りかかり、7月にはもう保養先のイシュルで3重奏曲と5重奏曲をほぼ同時に完成させた。その間、わずか3ヶ月。楽想の枯渇に悩み、その年の初めには遺言状まで準備した同じ人間とは思えない速筆ではないだろうか。

実際には3重奏曲の方がやや早く完成した。7月に友人マンディチェフスキーにトリオの楽譜を送ったブラームスは、このトリオが「もうじきモノに出来そうな、もう一つのもっと大きな駄作との双子」であると書き添えた。

この2曲のプライベートな試演は、やや遅れてその年の11月にマイニンゲンで行われた。


Commented by たにつち at 2006-04-24 20:11
ミュールフェルトのこと、前にも触れられてましたが、普通ではないクラリネットらしいこと興味深いですね。

>pppからffまでのじつに幅広い音を求め
られる曲なんですね、あの曲は。
ブラームスのクラ作品、おそろしくなってきましたよ。


Commented by hornpipe at 2006-04-24 21:50
たにつちさん、お晩です。オトロしいのは、クラ吹きの方でして。なんたってサマにするのが難しいです。ヴィオラ版の方がずっとサマになるから、いつでも選手交代してくださいね。
http://hornpipe.exblog.jp/3285405/

ブラームスのクラリネット5重奏曲をめぐって・その2

ブラームスのクラリネット5重奏曲は、レコーディングの多さなどから見ても、おそらく彼の室内楽曲の中で最も有名な作品に違いない。

初めてこの曲が公に演奏された時からすでに、聴衆の反応は熱狂的とも言えるほどだった。1891年12月、ミュールフェルトとヨアヒム他のメンバーによってベルリンで行われた初演では、鳴り止まない拍手に応えて第2楽章がもう一度演奏された。翌年のロンドン初演はさらに大成功を収め、ミュールフェルトは英国で「時の人」にまでなる。

しかし意外なのは、ブラームス本人やマンディチェフスキー、ハンス・フォン・ビューローなど取り巻きの友人たちは、クインテットよりもトリオの方を高く評価していた、と伝えられることだ(トリオもベルリンの上記コンサートで同時に初演された)。クインテットばかり聴衆の受けが良いことについて、何人かの友人はブラームスに慰めとも思える手紙まで書いている。

トリオは内的な情感も豊かで、チェロとクラリネットとの親密な対話と対比、簡潔な構成など、聴けば聴くほど(演奏するとおさら)愛着が湧く名作である。

とは言っても、直接的に聴く人の心を揺さぶる力、「聴き栄え」の点では明らかにクインテットの方に分があり、当時の聴衆がトリオより好んだことは容易に想像できる。
なのに、様々な文献に引用された彼らの手紙などに、クインテットについて触れたものは思いの外少ないのである。これは単に引用されなかっただけなのか、あるいは本当にブラームス自身、クインテットについて語ることが少なかったためなのか?

ここからは全くの憶測になる。

クインテットが短期間に仕上げられたこと、そして完成後のブラームスのこの作品に対するやや淡白とも思える態度。ここには何か事情がありはしないだろうか?

実は、ブラームスはミュールフェルトと出会う前、すでにクラリネット5重奏曲を完成させていた。ただしロ短調ではなく、ホ短調の別の曲を。

ところが出来に満足しなかったブラームスは、しばらくしてこの曲を破棄してしまった。ある人間がこの曲をコンサートにかけたいと申し出たとき、ブラームスはその申し出を断っている。

一説によると、ホ短調のこの5重奏曲のメロディは、当時彼が構想していた第5シンフォニーの主題から取られたという(逆だったかも知れない)。また、この5重奏曲は現在あるロ短調の5重奏曲にかなりの部分、重なっていたという人もいる。

この説が真実だとすると、短期間でロ短調が完成された理由は説明がつく。また、出来に不満のあった作だとすれば、その面影を宿すロ短調の方に複雑な思いがあっただろうことも推測できる(もちろんブラームスはロ短調の出来には満足していた)。

以上は、しかし設問自体がナンセンスかも知れず、意味のない憶測かも知れない。
ホ短調の5重奏曲がどんな曲だったのか、それがロ短調の作品とどのように関係するのかについて触れた文献は、驚くほど少ない。



Commented by sogotto at 2006-05-03 01:08
ブラームスの第5交響曲の構想が、クラリネット・チェロ・ピアノのための三重奏曲やヴァイオリン・チェロのための二重協奏曲に関係があるらしいことは、「わしさん」の書き込みで教えてもらいましたが、仮に第5交響曲が完成していたとしても、なんとなく座りが悪そうな気がしないでもありません。やはり、ブラームスには四つの交響曲とクラリネット五重奏曲がよく似合います。
hornpipe の言われるトリオの名作も、ぜひ、聴いてみたいと思います。

Commented by hornpipe at 2006-05-03 23:32
そうですね。5番が完成していたとしても、ドッペルコンチェルトのようにやや気負ったものになってしまったかも知れませんね。そのエネルギーがクラリネット作品に向けられたと見れば、幸いだったのかも知れません。


Commented by わし at 2006-05-12 01:33
 ホ短調の五重奏曲の話は初耳でした。
一体何の目的で、だれのために書かれたのでしょうか・・・。
聴いてみたいものですね。
http://hornpipe.exblog.jp/3303011/


ブラームスのクラリネット5重奏曲をめぐって・その3(完)


●第1楽章
この作品には、モットーとも言うべき二つのモチーフが最初に登場する。
一つは、最初の2小節の螺旋状の動き……モチーフA。
もう一つは、後の2小節の半音程の動き……モチーフB。

ロ短調でありながら、冒頭2小節はニ長調ともつかない曖昧さを持っている。
続いてクラリネットが分散和音で登場するが、これもニ長調で始まり、魅力的な和声展開をしてロ短調に終止する。下の譜例2小節目からのクラリネットのクレッシェンドは、チェロの声部を聴き、和声を感じながら膨らませると効果的。

この分散和音の出だしは、モーツアルトの5重奏曲を意識したと見る人もいる。
クラリネットの旋律はモチーフAに移り、最高音Bまで駆け上がるが、興味深いことに最初の草稿(自筆譜)では次のように下降フレーズになっている(上の譜例につづく)。

まるで、きりもみしながら墜落してしまうような印象だ。
クラリネットの後にチェロとヴィオラでモチーフBが歌われる。つまり、この部分は冒頭4小節を拡大したもので、そのまま次の譜例になだれ込む。
テュッティで決然としたリズムを刻む。

この跳ねるようなリズムと、2小節目以降の音の動きは、モチーフAから来ると思われる。この音型は展開部で多く現われる(展開部で第2主題は登場しない)。
つづいて第2主題が登場するが(譜例では前の小節の8分音符のアウフタクトが抜けている)、上の譜例の2小節目以降の反行形的な音型で出来ている。特に1小節目の最後の音がタイで次の小節につながる点も酷似。


●第2楽章
Adagio。弦楽器は弱音器付きで奏でる。

ミュートは古来、葬送の音楽に使われて来たが、ロマン派以降は夜をイメージさせる場面に多く使われる。私見では、この楽章にはミュート以外に「夜」(あるいは田園の夕暮れ)を連想させるほかのテクニックが使われている。

その一つは、クラリネット・ソロに遅れて追いかける第1ヴァイオリンの最初の減6度の音。

もう一つは、17小節目から明瞭に聞こえて来るヴィオラの3連符の(タイでつながった)刻み。これは恐らく、夕暮れに遠くで啼く鳥(ツツドリ?)の声を模している(そんなこと誰も言ってはいないのだけど)。

冒頭のメロディが、3度と4度を中心に作られていることに注意(ブラームスのクラ作品のモットーとも言える)。

中間部、Piu Lentoに入る前の経過部にモチーフAが現われる。

この曲で最も印象に残る中間部は、ロマ(ジプシー)の音楽をブラームスが実際に耳にして着想を得たといわれるが、音程の骨格は第2楽章の冒頭と同じ3度→2度(2小節にわたる点も同じ)。これをクラリネットはモチーフAで装飾していると考えられる。

さらに第3小節からは4度上昇→下降という点も同じ。次の二つの譜例は続けて見る。

この音型はクラリネットトリオやソナタ第1番のモットーである「マタイ動機」そのものだ!


クラリネット奏者にとって面白いエピソードを一つ。

中間部の85小節目からの難しいアルペッジョには誰でも苦労させられるが、ミュールフェルトはここでA管ではなく、演奏がより簡単になるBb管に持ち替えて吹いたという証言が残っている。

Bb管に替えるチャンスは81小節の1小節間しかない(80小節目にBb管では出ない最低音Ebが出て来るので)。このため、楽器の持ち替えを容易にするため、数小節のつなぎを付け加えた(中間部から再現部への経過部にも!)版があるというが、未見。

第2楽章のコーダは、中間部を回想する極めて美しい箇所。

●第3楽章
ブラームス特有のAndantinoのゆったりしたメロディで始まる。

これも良く見ると、マタイ動機がフレーズの骨格になっているように思われる。
続いて出て来るフレーズは……

これは第1楽章の第2主題に現われるフレーズである(下段の第2ヴァイオリンの途中からのフレーズ)。

しかも、このフレーズは続くPrestoの主要モチーフとなる。次の譜例の第2ヴァイオリンに注目。


●第4楽章
変奏曲形式。この点も終楽章に同じ形式を持つモーツアルトの5重奏曲を模しているとされる。
冒頭のテーマはモチーフBからなり、ここへ来てしっかりとこの曲のモットーを再現する。

以下、モチーフAとモチーフBを駆使したこの楽章は、「隠し絵」(だまし絵?)発見の面白みよりもブラームスお得意の変奏技術の方が勝っていると思われ、その分析は私の能力を超える。
最後に、どなたもご存知、この曲の冒頭シーンが最後に回想される部分のみ掲載しておく。
http://hornpipe.exblog.jp/3329767/

ブラームス・クラリネット3重奏曲のパズル

ブラームス晩年の4つのクラリネット作品は、数少ないスリムなモチーフを「寄木細工」のように組み合わせて使う禁欲的(経済的)な作曲手法が際立ち、楽譜を読むと、まるでパズルを解くようなスリルと楽しさが味わえる。

単に音程関係を見るだけでも様々な「解」が姿を現すので、私のように和声の知識がない人間でもアナリーゼに挑戦したくなる。

おそらくは音列の組み合わせが柱になっている晩年のブラームスのこうした作曲手法が、後のシェーンベルク等を先取りしているといわれる所以なのだろう。この面でのブラームスの「新しさ」は、一般にはまだあまり知られていない。

4つのクラリネット作品の中で、パズル解きの楽しさを比較的簡単に味わえるのは、クラリネットトリオの第1楽章と、ソナタ第1番の第1楽章である。一見複雑に見える5重奏曲の第1楽章も、各声部の構成は驚くほど少ないモチーフの組み合わせから成っている。

まずは、クラリネットトリオ(作品114)の第1楽章から。
冒頭、チェロが次のような主題を弾き出す。

この主題を仮に、3度(A)+4度→順次下降(B)+2度(C)+小終止(D)と分析しておく。


※追記:上の楽譜の(C)の範囲は間違いで、1音手前のFの音まで拡げる。

※追記:(D)は2音右にずらして4拍目の4分音符から次の小節の2分音符二つまでに変更。

(B)はバッハのマタイ受難曲のコラールに使われたテーマで(バッハも同曲でこのテーマを様々に使いまわしている)、ソナタ第1番の骨格をなすモチーフでもある。


●マタイの動機

冒頭のチェロをほぼそっくりクラリネットが受け継ぎ、続いてピアノが動き出す。下記、ピアノの(C)は、この曲のもう一つの重要な音型(3連符を4分音符に単純化する)で、あとで繰り返し形を変えて現われるが、上記(C)の反行形とも取れる。譜例に書き込まれた「反行形」は、この譜例前半C+Bの反行形の意味。

その後に出て来る3度と4度の断片。

第2主題は、3度下降(A)+2度(C)+マタイ動機(B)の組み合わせで出来ている。また、第2主題の出だしは、どこか冒頭チェロの主題の小終止(D)を思わせる。

第2主題が展開した後に出て来るピアノの新しいメロディは、3度+4度の組み合わせからなる。

提示部のモチーフの骨格は、ほぼ以上で説明できる。
展開部は上記ピアノの(C)とマタイ動機(B)の展開が中心になっており、モチーフの扱いだけを見れば、第1楽章全体は大体これだけで説明出来てしまえるように思われる。

トリオの第2楽章以下に出て来るマタイ動機(B)の例を参考までに。

●第2楽章冒頭クラリネットのメロディの最後の部分
●第3楽章はマタイ動機そのもの!

ちなみに、第2楽章冒頭クラリネットのメロディに「自然7度」をイメージしたと思われる音が出て来る(4拍目の記譜音Eb)。自然倍音の7度は著しくぶら下がり気味になり、バルブのないアルプホルンなどの素朴さをイメージさせる時に意識的に使われることがある。ブリテンはセレナーデで「夜」を連想させる手法として使った。

もしブラームスがこの音を自然7度を意識して使ったとしたら、「自然」「夕暮れ」あるいは「郷愁」などのイメージをこの楽章全体に込めたかったのかも知れない。ただし、この点はあまり自信がない。



Commented by sogotto at 2006-04-17 14:12 x
いつもながら、hornpipeさんの分析力はすごいものがありますね。作曲家の設計のテクニックの裏側をちょっとだけ見せてもらったような気がします。

バッハのマタイのコラールは私も大好きですが、考えてみたら、このモチーフを想起させるフレーズはブラームスに限らず、いろいろな作曲家の作品に見つけることができるような気がします。具体例を列挙する材料があるわけではなく、雰囲気でこう書いてしまいましたが、、シューマンの3つのロマンスの3曲目などにも、この音形の片鱗を見つけることができると思います。


Commented by hornpipe at 2006-04-18 22:37
sogottoさん、ロマンスの楽譜を見ても、私の力では見つけられませんでした。ヒントを頂ければ幸いです。


Commented by sogotto at 2006-04-22 00:28
ロマンス第3曲の16分音符の部分を中心に意識を集中すると、薄っすらとバッハの輪郭が見えて来るように私には感じられるのです。


Commented by hornpipe at 2006-04-23 23:03
sogottoさん、ナルホド、ナルホド! こんな所に発見するなんて! 
クララも「3つのロマンス」という曲を書いてますので、それも見てみたいものです。
http://hornpipe.exblog.jp/3233162/


ブラームス「クラリネット・ソナタ第1番」の覚え書き

第1楽章、冒頭のピアノのテーマは、ブラームスの「辞世の句」であると同時に、クララへの秘密のメッセージも込められている−−

クラリネットの磯部周平さん(N響首席)にこのことを教えられて以来、度々楽譜を眺めて来たものの、

「では、その後に出て来るクラリネットのメロディラインは何なの?」

という疑問はずっと解けずに来た。が、ふと思いついたこと。

クラリネットの8小節にわたるメロディの骨格は、記譜音でD−C−Bb−Aなのではないか?
(クラリネットパートの第2、3、5小節目はつなぎと考える)

そう考えると、冒頭第4小節目のピアノのGbからクラリネットの最初の実音Cへの4度跳躍は、ピアノの冒頭の4度跳躍に対応し、さらに順次下降する音型もクラリネットはピアノをなぞっていることになる(拡散しているけれど)。

この「4度跳躍→順次下降」音型は、バッハのマタイ受難曲のコラールに度々出て来る。

このモチーフを、最初期の作品、ピアノソナタ第1番の第2楽章に使ったブラームスは、最晩年のクラリネットソナタにも使った(クララはこのモチーフを聴いた瞬間、自分へのメッセージと理解したと思われる)。さらに、最後の作品となるコラール前奏曲には、このモチーフが素のままの形で登場し、辞世の歌詞まで付けられている……というのが磯部さんの話。


漠然と楽譜を見ていて気付いたことが、もう一つ。

この曲は下降音型だらけなのである。上記のモチーフを経済的に使いまわしていることからすれば当然なのだろうが、そこに音楽修辞学的なメッセージを読み取ることも出来るのではないか? バロック音楽では、下降(半音階)音型は、死や哀悼をあらわすモチーフだった。

他の楽章でも、ときに盛り上がるかにみえるメロディラインも、下降する大きなフレーズの中に飲み込まれてしまっているように見えるのが、この曲の特徴のように思える。
http://hornpipe.exblog.jp/3212902/


ブラームス・クラリネットソナタ第1番の自筆パート譜

最新の国際クラリネット協会機関誌(2006年9月号、Vol.33, No.4)に、ブラームスのクラリネット・ソナタ第1番のクラリネット・パート自筆譜の記事が載っている。
このパート譜はブラームスからミュールフェルトに贈られたものだが、この記事より以前に偶然、自筆譜のその後を伝えるこんなニュースをネットで目にしていた。

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Saturday, December 6, 1997

Brahms scores fetch R3,6m

LONDON -- Two Brahms manuscripts of sonatas for piano and clarinet
were sold yesterday for about R3,6 million at Sotheby's here, a record
for the composer. They were bought by a British dealer.

The German composer wrote them for his friend, Richard Muhlfeld, the
greatest clarinetist of his time. Muhlfeld's descendants decided to sell
the manuscripts to coincide with the centenary of Brahm's death in
1897. -- Sapa-AFP
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落札額が360万ポンドだとすると、約7億円!
 
英国のディーラーが落札したとあるが、上記記事で、米国のロバート・オーウェン・レーマン・コレクションが発注主であることが分かった。自筆譜は現在、NYのピエルポント・モルガン図書館が代理で保管しており、特別の許可を得てそれを検分したレポートが記事になっている。

出版譜との最大の違いは、噂で聞いていた、冒頭ソロが1オクターブ低い音で始まること。もしこの通りに出版されていたら、クラ吹きの苦労はずっと軽減されていたはず! 
ちなみにヴィオラはこの低い音域で始まる。クラリネットでも誰か試みたらどうだろう。
他にも、休みのはずの小節に経過的なパッセージが書いてあったり、コーダ部分が寸詰まりになっていたり、興味は尽きない。

記事にはソナタ第2番のことは一切触れられていない。
2曲一緒に落札されたとすると、2番は何処へ?


追伸(10月23日):今日、某氏からのメールに「2番の自筆譜をマイニンゲンの博物館で見た」とあった。ということは、上記英字Newsは一部誤報だったことになる。
追伸2(10月24日):某氏より訂正メールあり。博物館所蔵の2番はコピーだったとのこと。
別の本を読んでいたら、ピエルポント・モルガン図書館は米国有数の自筆譜所蔵を誇る図書館とのこと。
http://hornpipe.exblog.jp/4387093/


ブラームス:4つのクラリネット作品におけるマタイ動機

 モーツアルトのクラリネット5重奏曲は、モーツアルトが亡くなる2〜3年ぐらい前の作品。モーツアルトは1791年、35才で亡くなった。本人は知らず、晩年の作品となった。

 ブラームスのクラリネット5重奏曲は、ブラームス58才の時の作品。

 ブラームスは63才で亡くなった。5重奏曲は亡くなる6年前の作品になる。やはり晩年の作品だ。

 晩年どころか、ブラームスはこの5重奏曲を作曲する前の年に、自分の創作意欲は枯渇してしまい、もう作曲はできないと感じて遺書まで書いている。身辺整理をして余生を静かに過ごしたいと思ったようだ。57才のときである(私は来年です!)。ちなみに、遺書を書く直前の作品は、弦楽5重奏曲作品111になる。

 遺書まで書いたのに、なぜ翌年になってこんな名曲が生まれてしまったのか? クラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルトとの出会いがあったことは有名だ。

 5重奏曲だけでなく、クラリネット3重奏曲もほぼ同時に完成させ、3年後には2曲のクラリネットソナタまで作り上げた。全部で4曲。どれも素晴らしい名曲である。 

 で、ここから先の話は、NHK交響楽団首席クラリネット磯部周平さんの研究による。ご本人の話と、雑誌パイパーズの記事をもとにまとめてみた。

 磯部さんは、ブラームスが一度はあきらめていたのに、再びこのような名曲となる曲を作ろうと思った背景には、ミュールフェルトに出会ったことと、もう一つは、クララ・シューマンへの思いを、もう一度彼女にきちんと伝えたい、という思いがあったと推測している。

 というのは、ちょうどこのころ、ブラームスとクララの関係はあまり良好ではなく、絶縁に近い状態にあった。ブラームスはそんな状態のまま人生を終えたくなかった。作曲だけでなく人間としても師と仰いだシューマンと夫人クララへの愛情は、ずっと変わらずに持っていたので、クララとの関係を戻して余生を過ごしたいと思ったのではないか、という。

 そのためにブラームスは、これらクラリネット作品にクララへのメッセージを盛り込んだ。

 クラリネットソナタのスコアをクララに送ったとき、ブラームスは手紙にこう書いている。

 「この曲に私の作品1が出てくるのにお気づきですか? 蛇がしっぽを飲み込んで、輪は閉じられたのです」

 ブラームスの作品1は、ピアノソナタである。20歳のときにこの作品を持ってシューマンを訪ね、シューマンに「天才が登場した」と言わせた曲。そのときクララも一緒に聞いていた。

 「作品1が出て来る」というのは、ピアノソナタの第2楽章の次の部分だ。



 4度上がって、順次下降する音形……これがクラリネットソナタ第1番の最初に本当に出て来る。



 上記ピアノソナタの譜例の少し先には、ドファミ♭レ♭と音までそっくり同じフレーズが出て来る。

 じつはこのモチーフは、シューマンが自分の曲に隠しこんだクララのモチーフとよく似ているといわれる。このモチーフは、シューマン、クララ、ブラームスの3人にはピンと来る秘密のモチーフだという。

 では、シューマン夫妻とは初対面だったはずのブラームスの作品1に、クララのモチーフがなぜすでに使われているのかという疑問が起きるが、実は現在の作品1のソナタは後で改訂されたもので、シューマン夫妻と知り合ってすぐに家族のように迎えられたブラームスが、シューマンにならってクララのモチーフを後で入れたとも考えられているようだ。それほど3人の絆は深いものだった。

 で、このモチーフはクラリネットソナタ1番だけじゃなく、ほかの3つのクラリネット曲すべてに出て来る。最初に出来たのがクラリネットトリオで、その出だしは次のようになっている。



 最初の3度のあと、ミ−ラ−ソ−ファ−ミがこのモチーフである。同じトリオの第3楽章は、もろそのままの形で出て来る。



 次に作曲されたのが5重奏だが、5重奏にも第2楽章のクライマックスにこのモチーフが出て来る。



  さらに第4楽章の冒頭にも、弦とクラのメロディを繋げるとこのモチーフが姿を現す。上はクラリネットパートで実音は短3度下げて読む。



 面白いのはクラリネットソナタ第2番の冒頭だ。次のようなメロディだが、1小節目はクラリネットソナタ第1番冒頭1−2小節目のモチーフの前半と後半を入れ替えた形になっている。



 ほかにも探すと、4曲の様々な箇所にこのモチーフが顔を出す。

 さて、ここまで来てなお疑問に思うのは、このモチーフはブラームスにとって何だったのか、である。クララへの秘密のメッセージであることは分かった。でも、それで本当に何を伝えたかったのかということだ。

 じつは、このモチーフはブラームスが作ったものではなく、バッハのある曲からとられたものだった。それは、不滅の名曲、マタイ受難曲に出て来る次のコラールである。



 大変に有名なコラールで、歌詞の意味は、「私は心から幸せな最後を望んでいます」という意味だそうだ。

 で、結論だが、ブラームスはこのモチーフを辞世のことばとしてクララに贈ったのではないか、ということ。クララもこれがマタイのコラールからとったものであることは知っていたはずだ。ブラームスは単にクララとの関係を取り戻したいと考えたのではなく、シューマンとクララへの感謝と愛情を人生の最後にどうしても伝えたかった。それで、もう一度筆をとった4つのクラリネット曲にこのモチーフを込めたのだろうと磯部さんは言う。

 そのクララは1896年、ブラームスが63歳の時に亡くなった。同じ年ブラームスは肝臓癌をわずらいながら、彼の最後の曲、コラール前奏曲を作曲し、翌年の4月に息を引き取った。

 その最後の作品、コラール前奏曲にも、やはりマタイのモチーフがそのままの形で使われている。しかもそこには辞世の言葉が楽譜の下にはっきりと記されている。


Commented by hornpipe at 2008-11-21 21:43
ア○○○ク様 この場合は、NHK交響楽団の磯部周平さんの説だということを明記して頂くようお願いします。


Commented by hornpipe at 2010-06-28 22:32
掲載誌名と磯部周平さんのお名前を明記して頂ければOKです。そっくり引用せずに、要旨を適当にまとめて下さい(だとしたら、私に断る必要もないのですが)。
と申し上げておいて何ですが、私の記事も含め、ブログの記事は信用度において本来そうした引用には適さないと思います。

この記事の場合、ブラームスがピアノソナタを書き直したという部分が、磯部さんの言葉かどうか私の記憶が不確かです。
http://hornpipe.exblog.jp/6487896/

 

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コメント
 
01. 2013年4月07日 14:15:32 : W18zBTaIM6

ブラームス 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Clara+Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=BwBhUYb4Lc3trQfL7IDABA&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892#hl=ja&tbm=isch&q=Johannes+Brahms&revid=779985211&sa=X&ei=OwBhUcPWAa68iAfdrIHQAQ&ved=0CEwQ1QIoAQ&fp=1&biw=998&bih=892&bav=on.2,or.r_qf.&cad=b

クララ・シューマン 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Clara+Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=BwBhUYb4Lc3trQfL7IDABA&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892

ロベルト・シューマン 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Schumann&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mABhUYuoA8PVrQfwr4GoDw&ved=0CIEBEIke&biw=998&bih=892

クララ・シューマン 愛の協奏曲 GELIEBTE CLARA(2008)

監督:ヘルマ・サンダース=ブラームス

出演:
マルティナ・ゲデック
パスカル・グレゴリー
マリック・ジディ

『クララ・シューマン 愛の協奏曲』 予告編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16580390


Clara (V.O.S.E.)
http://www.youtube.com/watch?v=Vh7EUw1Ncyg
http://www.youtube.com/watch?v=0DV_v8htKo4
http://www.youtube.com/watch?v=LlU4h5pLLAg
http://www.youtube.com/watch?v=DplCbxK6NfM
http://www.youtube.com/watch?v=A1y1rCjGAm4
http://www.youtube.com/watch?v=yltaMpw30Ts
http://www.youtube.com/watch?v=-Kd6zpxryjs


02. 中川隆 2013年4月07日 14:28:42 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


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    /⌒X ,.二、ヽ爻ハ  /  / (_二二 _/ ̄_     ヽ
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{ 仄 }} 八 仄} `辷ン八うY } :|  八  、   \ ヽ.!   レ-、ヽヽ ∧
_‐<>< 辷ン 仄ィ介=≦ミ、N   \ \   }_  |:i  |'^ヽ|i :! :!:!∧
、Y/ ,.二、`Y_ノ-=彡'´`ー'´^ミ!、  i :ト、\x<_\ |:| i :!} } !| | :|:レ'
ノ( { 仄 }}八 《《 _,. -=≠  ,.ィ=ミ茫N  `´ィ芹rt刈:! | !'´ 爪 !ハト!
⌒ヽ 辷ン{ } }}}´_,.ィ伝ミヾ {以刈ゞヽ   `¨´ | | | 「´i | N:|
Y 二 ヽ 人ノノノハ ゞ┴'   、` }   }         ! ! !八 |从八
{ 仄} }} ノミ辷彡'}      ,. '  从 ヽ'_       !:/:/レ人< ヽ
弋辷ン乂}{ミ辷彡'}    _,. - /辷`ヽ  `    //://  ̄`ヽ
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            ヽ `ー  _,.  -‐  「          \     |    !
            / ̄ ̄       |          \   !    ヽ
            /            !           \  ヽ     :i
        /,. '           '.              \ }  , i{ !、
       //                 :                  V / } 〉)
       /                ; '.             〈_/ | |/
     /                     ,' ヽ.   _          { |
  /         ` 、          /´ ̄ },. '´           ヽ_jハ
 /             \     /  /                     }

ハンブルクとブラームス さすらい人、ヨハネス

ハンブルク生まれの有名作曲家には、メンデルスゾーン(1809−1847)とブラームス(1833−1897)がいる。今年生誕200年を迎えるメンデルスゾーンが、裕福なユダヤ人銀行家の子息だったのに対し、24歳年下のブラームスは、ハンブルク市内の貧民街に住む下層市民の家庭に生まれた。このことが後々までハンブルクとブラームスの関係に微妙な影を落とすことになる。


ブラームスの生家。2階左がブラームス家

ブラームスの父ヤーコプ・ブラームスは、ハンブルクの北西100Kmに位置するハイデという田舎町の貧しい商人の家に生まれたのだが、音楽家になろうと思い立って様々な楽器の演奏技術を習得し、単身ハンブルクに上京した。まさにグリム童話に出てくる「ブレーメンの音楽隊」の動物達のように、大都会ハンブルクで一旗上げようと考えたに違いない。

船員相手の酒場や娯楽施設が多いエルベ川沿いの港町ハンブルクの楽団で、ビューグルやホルンやコントラバスなどを演奏して生計を立てていたヤーコプは、24歳のある日、没落していたとはいえ中産階級の出身で、17歳も年上のクリスティアーネに、知り合って一週間だというのに唐突に求婚して3人の子供をもうけた。その第2子、長男として生まれたのがヨハネス・ブラームス。ヨハネスと母クリスティアーネは終生強い愛情の絆で結ばれた。

ブラームスが生まれた家は第2次世界大戦の空襲で焼失したが、戦前に撮られた写真によると、やや傾き加減の大きな木造7階建て集合住宅は、よく崩壊しないものだと感心するくらいぼっこい。


シューマンがローレンスという画家に書かせ所持していた20歳のブラームス


父ヤーコプは、ヨハネスに自らヴァイオリンやホルンなどを教えるとともに、貧しいながらも精一杯の教育を与えた。勿論当初家にはピアノなどなかったが、ヨハネスがピアノに興味を示すと、コッセルというピアノ教師の下でピアノと音楽の基礎を学ばせた。たちまち音楽的な才能を発揮したヨハネスを、コッセルは自分の恩師でもあるマルクスゼンという、当時ハンブルクでも指折りの音楽教師のもとに連れて行った。マルクスゼンもブラームスの熱意や勤勉さに感銘を受けるとともに直ちに彼の天賦の才を見抜き、ブラームスを一流のピアニスト兼作曲家にすべく全知全霊を傾けた。1847年、メンデルスゾーンが他界した時、マルクスゼンは友人に、

「芸術の巨匠が一人神に召されたが、より大きな才能がブラームスの中に開花するだろう」

と語ったという。その預言は的中した。

*だが、ちょうどこの頃、13歳のブラームスは、苦しい家計を助けるために歓楽街の酒場やダンス・ホールでピアノを弾くようになる。 日本で言えばまだ中学生だ。荒くれた船員や売春婦がたむろし、紫煙と嬌声が渦巻く酒場での演奏が、ブラームスの健康や人格形成に影響を及ぼさないはずがない。

事実、衰弱したヨハネスを心配した両親は、14歳と15歳の夏をハンブルク郊外のヴィンゼンというのどかな村で静養させた。酒場でのピアノ演奏は、即興演奏や変奏の技法を身につけさせたが、多感な少年期を苦学に費やし、嫌というほど人間社会の裏側を見たであろう。*

*この部分には異論がある。ブラームスは決して酒場などでは演奏しなかった。それは父親の事で、ブラームスがピアノを弾いたのは、ハンブルクの西に位置していた(今はない)綺麗なカフェ・レストランだったという説である。これに就いては今後検証したい。*


ブラームスは、誰に対してもハンブルク時代の出来事を話したがらなかった。だが最晩年になって幼少時代を振り返りこう言ったという。

「私は実によく耐えた。だが、今ではその惨めな体験が私の成長に必要なものだったと確信している」。


ブラームスの理解者シューマンとクララ

ブラームスは、成人するまでにハンブルクで幾度かの演奏会を催し、一人前のピアニストとしての名声を確立していた。また、何曲ものピアノソナタや合唱曲などの作曲活動にも勤しんだ。そして1853年4月二十歳の時、ハンガリーの若手亡命ヴァイオリニスト、レメーニのピアノ伴奏者として演奏旅行に出かけ、初めてハンブルクを後にする。

結局、レメーニとは仲違いをして伴奏者をお払い箱となったものの、この旅先でブラームスは、当代随一のヴァイオリニスト、ヨアヒムや、ブラームスの才能を、自身が発行する芸術評論誌で広く世に知らしめたロベルト・シューマン、そして終生尊敬し合い、深い愛情を持って親交を結んだシューマン夫人のクララなど、掛け替えのない音楽家達と知り合うことができたのである。これらを足掛かりとして、ブラームスはその後、優れたピアニストとして、またベートーヴェンの系譜を継ぐドイツの正統的作曲家としての名声をゆるぎないものにしていった。


1892年(59歳)ウィーン、カールスガッセ4番地の書斎にて


しかし、この生来内気でお世辞にも人付き合いが上手いとは言えない天才作曲家を温かく迎え入れたのは、生まれ故郷のハンブルクではなく、遠く離れたオーストリアのウィーンだった。ウィーン市民はブラームスの人柄と音楽を心から愛し、音楽上の要職を次々と彼に与えて活躍の場を提供したのに対し、ハンブルク市は2度までも、フィルハーモニー協会音楽監督という最高ポストをブラームス以外の音楽家に与えてしまったのだ。ブラームスが生涯ハンブルクに愛着を持ち、そこでの安定した生活を強く願っていたにもかかわらずである。

その理由は明らかではないが、ブラームスが下層階級の出身であることが大きく影響したものと推測されている。ブラームスの失意と傷心は如何ばかりだったろう。ブラームスはやむなくウィーンを定住の地と定め、市内を転々とした後、38歳から63歳で亡くなるまでの25年間、カールス・ガッセにあるアパートを終の棲家としたのだった。

そんな因縁もあってか、ブラームス壮年期の作品群、「ドイツレクイエム」(35歳、ブレーメン)、「ハイドンの主題による変奏曲」(40歳、ウィーン)、「交響曲第1番」(43歳、カールスルーエ)、「交響曲第2番」(44歳、ウィーン)、「ヴァイオリン協奏曲」(45歳、ライプツィヒ)、「ピアノ協奏曲第2番」(48歳、ブダペスト)などは、あたかもハンブルクを避けるかのように初演されている。

ハンブルク市は1889年になって、ようやくブラームスに名誉市民という称号を授けたが、その時ブラームスは既に全4曲の交響曲を完成させ、56歳の押しも押されぬ巨匠に達していたのだ。それでもブラームスは大感激し、ハンブルク名誉市民証書を誇らしげに知人に見せたという。

現在、ハンブルク市内の一角にこじんまりとしたブラームス博物館があるが、開館時間は1週間の内たったの3日間らしい。経緯上、大した展示物が無いからにしても、故郷ハンブルクがドイツの国民的大作曲家ブラームスに示し続けるこの頑なまでの冷淡さは一体どこから来るのだろう。
http://www.geocities.jp/oehler_spieler/HamburgBrahms1.htm


03. 中川隆 2013年4月07日 15:03:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ブラームスと女性達 By migunosuke

12月11日のブログで、映画「愛の調べ」の感想として、

「実際にロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ブラームスの間に三角関係はあったのか?その根拠は何なのか?」

と書きました。手許にある本にいくつかその根拠が載っていたので順次紹介していきます。


まず最初、「ブラームス (門馬直美著、春秋社)」には次のように書かれています。

第4章 転機

このようにブラームスはもはや、クラーラなしでは生き甲斐を感じないほどになる。そして二人が親密になるにつれて、ブラームスのクラーラに対する気持ちは、敬愛から別の形の愛へと変わっていった。クラーラが十四歳も年長だということは問題ではなく、この三十五歳の女性の美点に惹かれ、多くの経験をもつという魅力にとりつかれたという形だった。

こうして、音楽史上に希有な数多くの手紙の交換が始まった。クラーラに対するブラームスの感情の移りかわりがそれらの手紙ではっきりと知られる。たとえば五四年十一月には、クラーラからの提案もあり、それまでの敬称的な Sie (あなた) から非常に親しい呼びかけである Du (お前、君) に変わった。

また、五五年六月二十日のブラームスの手紙では、それまでの「敬愛する夫人」とか「親愛なる人」が「私のクラーラ」というような表現に変わっている。そしてまた、ブラームスは「私はもう君なしには生きていられない・・・私がいつも、そしてずっと愛しつづけるように、どうか私を愛して下さい」とまで書くようになる。

しかし、クラーラは、このころまでのブラームスからの手紙のほとんどを破棄してしまっている。彼女の心境を語るのはその日記だけである。それにはつぎのように書かれている。

私たちの間にはこのうえない完璧な調和があります。私を惹きつけるのは、彼の若さではない。おそらく私自身のつまらぬうぬぼれでもないでしょう。いや、私が彼のなかで愛しているものは、その新鮮な情感、輝かしいばかりの才能に恵まれたその人柄、高貴なその心なのです。

ブラームスは間違いなく自分の気持ちを伝えていましたし、クララもまんざらではなかったようですね。


次に、「恋する大作曲家たち (フリッツ・スピーグル著、山田久美子訳、音楽之友社)」にはブラームスの女性遍歴について更に詳しく書かれています。

・ブラームスが女性と長続きする関係を築けなかったのは、若いころ家族を養う足しにハンブルクの売春宿でピアノを弾いていたせいだというのが、伝統的な見方である。

・(売春について) 彼は生涯に何度となくその愛にもどっていった。単純で、束縛されない−そして金で買う愛。

・ブラームスはおそらく過度なまでに女性を愛していたが、長期の関係は恐れていた。そしてどんな離婚裁判の判事にも負けないほど結婚については皮肉な見解を持っていた。「ぼくは運悪く結婚しなかった−だからずっと独身だった、ありがたい!」というのが、お気に入りの言いぐさだった。

・ブラームスは女性を信頼せず、たとえ将来愛情に発展しそうな友情が生まれても、突然感情を爆発させ、演奏や歌唱やらについて深く傷つける発言をして、相手を拒絶してしまうのだった。

・ローベルト・シューマンが二度と出てくることのなかったエンデニヒの精神病院に移されたあと、ブラームスはクラーラと子供たちと一緒に暮らしはじめた。(略)二月二七日以降、家計簿はブラームスの筆跡になっている。

・ブラームスとアガーテは婚約し、指輪を交換した。だが、一八五九年、クラーラがハノーヴァーで彼の≪ピアノ協奏曲第一番ニ短調≫を演奏したとき、彼は落ち込んだ。(略)不意に、アガーテと結婚すればクラーラを失うかもしれないと気づき、(略)奇妙な愛の手紙を書いた。(略)アガーテは怒って婚約を解消した

・一八六四年から翌年にかけて書いた二作目の弦楽六重奏のなかで、ブラームスはくりかえし彼女(※アガーテ)の名前を呼んでいる−音楽の棋譜法で可能な限り”文字の綴り”に近づけて。第一と第二ヴァイオリンがA-G-A-D-Eと演奏するパッセージの意味を、ブラームスは友人のヨーゼフ・ゲンズヴァッヒャーにはっきりと説明している。「この時点でぼくは最後の恋愛から自由になったのだ」

・よくブラームスと会っていたウルマンは、この作曲家との情事を告白した知り合いの若い女性について語った。彼女によれば、ブラームスは「情熱的だけど不器用な恋人」だったという。

・ヴィーンで、ブラームスは女声聖歌隊を結成し(ハンブルクでやったように)、そのメンバーのひとりにすぐさま結婚を申し込んだ。が、彼女がある医師と婚約したばかりなのを密かに知り、承諾の返事はもらえないだろうと悟った。またしても空振りに終わったのである。

ブラームスはクララ一筋という訳ではなく、それなりに女遊びもしていたようです。この辺は、貴族の娘に恋しながら、売春婦と遊んでいたシューベルトを思い起こさせます。しかし、ブラームスが一途に愛した女性はクララだけだったように思います。愛が芽生えかけたアガーテも、クララには敵わなかったことが、アガーテとの婚約解消のエピソードでよくわかりますね。一般に、男性は過去の女性を引きずるといいますが、ブラームスはその典型のようです。


最後に、「大作曲家たちの履歴書 (三枝成彰著、中央公論社)」には次のようにあります。

クララ・シューマン/理性と尊敬の念で結婚を踏みとどまる

二人は互いに恋愛感情を持ちながらも、理性と強い意志によって自制し合い、ついに結婚に至ることはなかった。彼らの交友は、時には喧嘩も交えながら四十三年間に及び、その間に交わされた手紙は数千通(破棄から免れたのは約八百通)にのぼったという。そこにはいたわりと尊敬、、そして紛れもない愛情がうかがえる。クララは死のまぎわに数行の文章を残したが、それはブラームスに宛てられたものであった。

ブラームスがクララに一方的に片思いをしていたのではなく、クララもブラームスを愛していたことが伝わってくる話です。ブラームスの片思いならクララからの返信もなかった筈でしょうし、ブラームスの気持ちはクララからの返信で更に燃え上がったのではないかと推測します。

こうした事情を踏まえると、複雑な愛の物語があり、クララ・シューマンを愛したロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスを扱った映画が複数作られる理由が、十分理解できます。
http://www.miguchi.net/archives/2615


ここでは彼の作品群のうち、とくに魅力的な一角を成す室内楽の、そ れもメロディアスにして甘い郷愁のような音を聞かせるものを挙げてみます。そのため息が誰へのものなのかはたい して重要ではありません。しかしなんだかんだいっても、そういう色調の曲こそが名曲として人気があるのではない でしょうか。これ以上のロマンティストはいないほどでありながら立派な紳士たろうとする努力は、はにかみ屋のブ ラームスの最も愛すべき点に違いありません。


ピアノ三重奏曲第1番

 改訂版を出しはしたものの、二十歳のブラームスが初めてクララに会った直後に書いた曲です。事実は知りませんが、最初から熱き思いに舞い上がってるように聞こえませんか? 

ピアノが冒頭から印象的な低い音を叩き、大きな波のように押し寄せてきたかと思うとチェロが引き継いで熱っぽく胸の内を語ります。揺れ動く感情を野放しにして振り切れるままにし、どうしようもなく高まってきたところで、そうだ、と自らに断定的に言い切ってまた突き進む。そういう感じです。

地に足が着いていないと言えるほど幸せと息苦しさが合体しています。
「好き好き好き好きどうしよう」と小躍りしているようにしか聞こえません!


ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」

 君が好きだと言ってくれた曲 を、君のためにソナタに編曲してみたよ、という曲です。ブラームスのメロディのなかでも最も美しいものの一つではないでしょうか。

ブラームスの同名の歌曲をクララ・シューマンが好んでおり、ピアニストであるクララも弾けるように、かどうかは知りませんが、作曲家自らヴァイオリン・ソナタに 編曲し、それが歴史に残る名曲になりました。

その歌曲が使われているのは第三楽章ですが、色々なところでよ くとりあげられるのは第一楽章の方でしょうか。ヴァイオリンの鼻声で甘え訴えかけるような響きがなんともロ マンティックです。途中から感情が激してきて、思わず叫んでしまうところがあります。フィジカルな自動運動 のようでもありますが、まるでわかってもらおうとして「ぼくだよ、ここだよ」と必死に訴えているみたいでも あり、その後脱力してまた上目遣いに独り言を装って囁き続けます。

「ブラームス・フォー・トゥー」(恋人たちのブラームス)という感じでしょうか。

幻想曲・間奏曲集Op.116〜119

 死の5年前、1892年で59 歳。事実上ブラームス最後の作品群です。作品116の幻想曲が7つ、117 の間奏曲が3つ、ピアノの小品118が6つ、119が2つで、たいていは一枚にまとめて録音されます。

肝臓ガンでクララの後を追って一年後に亡くなったブラームス。享年64歳でした。果して晩年は満ち足りていたのでしょうか。

静けさという意味では確かに最後の作品たるに相応しい雰囲気を持っています。
大変美しい追憶の曲です。しかし「旅立ちの準備が整った者の穏やかなひととき」とは言えません。

幻想曲の2曲目と4曲目など、なんという悲しい音でしょう。
ブラームスは泣いているのでしょうか。

そして上に 掲げた写真も見てほしいと思います。
晩年のブラームスはどうし てこんな目をしているのでしょうか。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/brahmschamber.html


ブラームスと女性のこと

 ゴシップ・クラシック界最大の謎とされるのがヨハネスとクララの関係です。他にもモーツァルトとアロイジ ア・ウェーバー、ラヴェルとエレーヌ・ジョルダン・モランジュなど、なかったようであったかもしれない式の 噂話は他項でとりあげました。年譜まで作って調べる人もいるようです。

 クララ・シューマンは、ご存知のとおり、作曲家ロベルト・シューマンの奥さんです。ブラームスからすると 十四歳年上ですが、当時有名なピアニストであり、ドイツの紙幣に描かれたこともある美貌の女性でもありま す。

ブラームスは二十歳のときにこの夫妻に初めて会っています。クララを見てどう思ったかはわかりません が、音楽の中に心境が表れるのなら、この頃に作曲されたのはピアノ三重奏曲第1番です(別項)。そして夫妻 に会ったそのとき、夫のシューマンには才能を見いだされ、後年ブラームスがドヴォルザークにしてやったのと 同じように世に出るきっかけを作ってもらいました。したがってロベルトは彼の恩人なのです。

しかしその恩人 は翌年ライン川に身を投げて自殺を図ります。幸い通りかかった船に助けられて一命はとりとめましたが、以後 は精神病院暮らしとなり、それから一年後に死亡します。人によってはこの自殺の際にシューマンが結婚指輪を 外していたことから、妻とブラームスの関係を知って絶望していたのではないかなどというのですが、一般に受 け入れられている理由は病気を苦にしてのことだとされています。

シューマンは結婚前に娼婦から梅毒をうつさ れており、梅毒は当時致命的な病気であったためどんどん進行していました。それと原因が同じか別か、精神も 病んでいました。梅毒が脳を侵したわけではないという医者の所見もあるようですが、考えられてきたのはまず 梅毒による影響、そして躁鬱病、統合失調症です。

病跡学的には躁鬱が有力らしいですが、被支配の妄想は統合 失調系にも感じられます。奥さんのクララに梅毒がうつらなかったのは結婚時にすでに潜伏期に入っていたため のようですが、そういう知識が当時なかったとすると、シューマンは自らの病気を知りつつクララと結婚したの でしょうか。彼が売春婦と関係を持ったのはブラームスとクララの関係を知った後だという説を唱える人すらい ます。

また、シューマン最後の言葉はクララに抱かれて発した I know の意味のイッヒ・ヴァイスで、幻覚にもてあそばれてきたけれども

「君だとわかるよ」

と言い、最後の力をふりしぼって挨拶したのだとクララは言っているわけですが、一方で

「ブラームスと関係してたこと、 ぼくは知ってるよ」

という意味だと解釈したがる人もいま す。

8人も子供のあったクララは、8番目がブラームスの子だったなどという憶測は横へ置いておくにしても、夫シューマンの療養所入りとその後の死によって経済的に苦しくなり、コンサートをたくさん開くなど苦労したようです。

この頃ブラームスがクララの面倒を見、急接近していたことは知られています。彼のクララへの手紙には大変熱烈なものが何通も残っており、どうみても、それです。その上一番親密だった頃の手紙は二人とも処分している(らしい)というのですから、男女関係 にあったとする見方が出てくるのは当然かもしれません。

クララがブラームスに宛てた「あなたは最高の友人 よ」という見限りメール風のものも残っているようですが、真実が何であったかは知りたい人が前後関係を読んで想像することでしょう。いずれにしても二人がその後一緒になることはなく、表向きは親しい友人関係を貫き ました。

 そしてその急接近の3年後、25歳のブラームスはアガーテ・フォン・ジーボルトという、長崎のシーボルト の従兄弟の子に当たる女性と婚約しますが、いざ結婚の段になると

「今は大変忙しい、結婚によって束縛されたくない。
結婚するかどうかは君が決めてくれ」

という内容の手紙をアガーテに送り、それを受け取ってショック を受けたアガーテにふられるという結果に至ります。なんという気のない言いぐさでしょうか。まるで他の誰か を思っていたかのようです。それとも、成就してしまうことを怖がる心理でも働いていたのでしょうか。

結婚をはじめ、何かが成立してしまうことを恐れて逃亡するケースはよく聞かれます。完成してしまったらその先はな いわけですし、あるものに関して自信がなく、それが露呈してしまうことを恐れる場合もあります。重大な決定 について迷いが出るのは当たり前だとしても、恋愛においては親との幼少期の関係が影を落としているように見 える場合もあります。

キェルケゴールのように自ら婚約を破棄してしまい、後々自責と後悔に苛まれる人もいる ようです。いずれにしても冷淡な態度をとればそれで現実の関係が終わってしまっても仕方はありません。

 この頃に作曲されたのが弦楽六重奏曲第1番です。以後ブラームスは独身を貫き、仲の良かった夫婦によく見られるパタ−ンですが、クララの死の一年後に肝臓ガンで後を追うように亡くなっています。西洋医学では否定 されますが、伝統医学のいくつかでは臓器と感情の結びつきが言われます。そういう意味でいうと肝臓は怒りの 臓器だという話ですが、クララの死後、ブラームスには何か自分への隠された怒りでもあったのでしょうか。

 では、音楽の上では、プライヴェートな出来事はどう表れるのでしょうか。芸術作品は作者の意図やそのとき の感情に関わらず、作品単体で見るべきだという哲学者がいます。こうだったああだったと言ったところで他人 の主観に過ぎないからでしょう。しかし裏を返せばどんな評価も恣意投影なのですから、逆に心情を感じてみるのもありでしょう。

ブラームスの叙情性、それは若いときから一貫して切々と訴えてくる種類のものです。静か に甘く夢見るような歌をうたっていたのが突如感情が高まり、希望やら切なさやらがないまぜになった抑えきれ ないフォルテへと上り詰めた後、フレーズの区切りまで燃焼し切ることなく途中でふっと力が抜け、また独り言というか、内にこもって物思いにふけって行きます。

このホルモンをともなったやるせない波立ちの形には誰しも覚えがあるのではないでしょうか。しかもブラームスの場合、感情が高まるときはチェロなどの肉声に似た擦 弦楽器の持続音をともなって、しかも輝かしくない厚めの音で訴えてくることが多いように思います。

後に手直しをしてはいますが、クララと出会った頃のピアノ三重奏(第1番)の出だしから聞こえる音はどうでしょうか。その経緯からピアニストのクララが耳にし、弾くことになるのは明らかでした。ブラームスはヴァイオリン が弾けましたし。

それはともかく、同じく甘美な旋律で有名なヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」は、クラ ラが好きだった歌曲から編曲されたためにそのタイトルで呼ばれます。アガーテと謎の破綻をした直後に作曲さ れた弦楽六重奏曲ですら同種の響きを持っているように聞こえるのは私の耳がおかしいのでしょうか。どれもこ れも内に秘めた想いを感じさせ、それがときに暗い情念に結びついているのが分厚い和声を通り抜けて聞こえて きます。

 婚外であれ何であれ、あからさまな男女関係に入り込むという意味ではブラームスとは反対にも思える奔放さを見せたのはガブリエル・フォーレです。しかしブラームスの音には、そのフォーレに若干似たところを感じる 瞬間があります。

それは重厚な内声部に支えられた溜め息のようであり、何度も改良を重ねた手の込んだ技法によって半ば隠されていますが、人の眼の光が魂に固有だと言われるように、いつも、ある同じ色なのです。そしてフォーレの方は現実につき合える相手への思いに満ちてお り、手に入れては情熱を失うという繰り返しのプロ セスにおける期待を表しているとするなら、ブラームスはある種、手に入らないものに憧れ続けるような種類に 聞こえます。

 もちろんブラームスにも、あまりそのような切ない気分ではなかっただろう期間もあります。ドイツ・レクイ エム、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲などを生み出していた頃、年齢で言えば35歳から50歳ぐらいまでの 間がそうではないでしょうか。この時期の作品は概ね穏やかな満足に満ちているような気がします。しかしそれ も長くは続きませんでした。

 五十代を超えてくると、想いが枯れてくるのではなく、そこに過去への回想が加わってくるようです。それは ときに怒りを伴い、悲痛さを感じさせることもありますが、美化した幸福に酔う瞬間も現れます。名曲として名 高いクラリネット五重奏曲とピアノの間奏曲集が、よく演奏されるものとしては事実上彼の最後の作品にあたるわけですが、これらですら若者の自己陶酔的な嘆きにすら聞こえ、モーツァルトやベートーヴェンが晩年に見せ た、どこかふっきれたあの感覚とは質的に異なっているようです。

人の晩年といってもそれぞれで、青年期に特 徴的な問題を晩年に解く人もいれば、無条件の愛のようなテーマに早くから取り組む夭折の天才もいます。それ らに優劣は関係ないですし、老年期の心理などというものがはたしてどこまで普遍性を持ち得るのかも謎です。
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/brahms4.html


04. 2013年4月07日 15:44:58 : W18zBTaIM6

梅毒の感染力については誤解が多いので画家のゴッホ兄弟の場合を引用しておきます:

 アントワープでフィンセントは乏しい資金を画材やモデル代に回してしまったために満足に食事も摂れず、肉体的にぼろぼろになってきました。 歯も10本以上が抜けかかっていました。栄養失調が原因でしょうが、他にも歯が抜ける理由があったようです。

歓楽の街アントワープでどうやら梅毒に罹患してしまったようなのです。

但し、アントワープ時代にフィンセントが梅毒の診断を受けた時、既に彼は33歳でした。それから、アルルでのクリスマス直前の最初のクリーゼ(発作性精神変調)まで2年ちょっと経過しているにすぎません。第2期梅毒から麻痺性痴呆発症までには最低15年の潜伏期間があるはずですから、フィンセントの精神病が麻痺性痴呆の可能性は低いといえます。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。

 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。
 
 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。
http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

フィンセントの弟テオの病気とは


死の4年前、1886年頃からテオは激しい咳を伴う体調不良に悩まされ、心臓が弱っていました(「テオというもう1人のゴッホ」マリー=アジェリーク・オザンヌ フレデリック・ド・ジョード著 伊勢英子 伊勢京子訳 平凡社)。しかも、原因不明の発作におそわれ、脳溢血の後のような麻痺が一時的に出現したこともありました。

その後、フィンセントがアルルに移った直後の春にも体調を崩したようで、テオがかかりつけ医の「グリュビのところへ行った(No 489. 1888年5月20日頃)」ことを知ってフィンセントは心配しています。 治療の一つとしてヨードカリが使われていたようで、さらに、女性に接することを控えるようグリュビが言うだろうとフィンセントは予測しています。

「唇を固く結んで「女はいかん」と言うときのグリュビの顔をみたかね。あんな風な顔は見事な一枚のドガになるよ」

などと書いていますから、フィンセントも同じことをこの医者から言い渡されたことがあったようです。


1990年6月10日にはテオがヨハンナと甥のフィンセントをつれてオーヴェールにやってきました。フィンセントはおもちゃ代わりに小鳥の巣をとってきて甥を歓待しました。 その後もフィンセントは旺盛な創作活動を続け、麦畑の連作などを計画します。アルル時代の強烈な色彩は影を潜めたままですが、相変わらず、円熟した技法で自在に絵を描いていました。しかし、やがて、その絵のなかに影がさすようになります。

 オーヴェールからパリに戻った後、甥のフィンセントが牛乳のせいで体調を崩しました。ヨハンナの必死の看病でようやく一命をとりとめますが、7月6日、心配したフィンセントはパリに駆けつけます。しかし、そこでかれがみたものは、看病に疲れ果てたテオとヨハンナでした。しかも、この頃、テオは画商として独立しようと画策していて、そのことでテオとヨハンナの意見が対立していました。さらに、テオはその後悪化することになる精神的身体的不調もみせていたようです。

 このように、もともと思わしくなかったテオの健康状態はヴィンセントの死によって一挙に悪化します。 テオはパリの病院に収容されます。入院後、ある程度落ち着きを取り戻したため、オランダでの治療を要望するヨハンナの意向もあり、テオはユトレヒトの精神病院に移されます。 しかし、転院時、痴呆症状は急速に進行、わずかに「フィンセント」という言葉にだけ反応するようになります。舌がふるえ、食事がとれなくなり、嘔吐を繰り返し、げっそりやせ細って、衰弱がすすみ、1891年1月25日、兄の自殺の6か月後、テオは死にます。34歳でした。

 尿がでなくなり、幻覚症状を伴う意識レベルの低下がみられたことから、ピサロの息子は父親にテオの死因を尿毒症と報告しています。この腎臓病死因説は長い間信じられ、1989年にゴッホの伝記を上梓したスウィートマンも「厄介な腎臓病にかかり」と書いています。ですから、1989年の時点までは一般的にはそのような認識だったわけです。

 ところが、1992年、例のオランダのヴォスクイルが、テオが最後に入院したユトレヒトの精神病院から公開されたデータをもとに、その死因について従来とまったく異なる事実を明らかにしました(Voskuil pha(1992) het medisch dossier van Theo Gogh. Ned Tijdschr Geneeskd 136, 1770−1780)。

ヴォスクイルによれば、ユトレヒトの精神病院の診療録には、転院時の症状として歩行障害、言語障害、失認、異常興奮、誇大妄想、瞳孔不同が記載されていたとのことです。また、パリの病院からの紹介状には麻痺性痴呆と同義語である全般性進行性麻痺 paralysie progressive generalの診断名が記載されており、ユトレヒトでの最終診断も「急速に進行する麻痺性痴呆」だったというのです。

1886年にみられた一時的な片麻痺が麻痺性痴呆の初発症状だったようで、1890年7月にフィンセントがテオ夫婦と甥に会いにパリにでてきたときには、麻痺性痴呆の症状はもっとはっきり認められたはずだとヴォスクイルは指摘しています。そのことがフィンセントの自殺に影響を及ぼした可能性すらあるというのです。

 麻痺性痴呆は梅毒の晩期症状です。 テオの末期症状はたしかに神経梅毒症状と考えると矛盾なく説明できるのです。とくに、瞳孔不同の所見は決定的で、眼底出血でも起こさないかぎり腎不全で瞳孔の左右差をきたすことはありません。

また、「死の4年前から心臓が弱っていた」というのは、梅毒のいまひとつの晩期症状である梅毒性大動脈炎のせいだった可能性があります。梅毒性大動脈炎では、主として、上行大動脈が脆弱となり、大動脈弁閉鎖不全、冠状動脈狭窄をきたし、これらは最終的に死に直結します。

 テオの時代、梅毒は不治の病でした。水銀治療などというものが一応ありましたが、これは、治療効果より副作用のほうが圧倒的に勝るという悪夢のような治療法でした。さらに、グリュビがテオにも処方しているヨードカリも抗菌剤として当時用いられていましたが、梅毒を根絶するにはほど遠い薬です。

 テオやフィンセントの頃は梅毒の「全盛時代」で成人の梅毒罹患率が8〜14%でした。 20世紀への変わり目、パリなど西欧諸国の大都会でいかに梅毒がありふれた病気であったかがわかります。 実際、ゴーギャン、ニーチェなどテオやフィンセントの同時代人で梅毒に罹患していた有名人は少なくありません。 19世紀から20世紀に移り変わる頃、中年の中枢神経疾患、循環器疾患の主要病因は梅毒だったといわれています。

 神経梅毒にてんかん発作がみられることは先ほど述べましたが、中には、神経梅毒によるてんかん発作出現後に痴呆症状があきらかになる患者もいました。 現在、てんかん発症によって痴呆に到ることは、特殊な、まれな病気に罹患した人をのぞき、まず、ありません。その理由の一つが、てんかんと痴呆を合併する代表的疾患、神経梅毒の激減ではないかと思われます。

 進行性麻痺は梅毒の初感染から15年〜20年で発症しますから、テオが梅毒に感染したのは13歳から18歳にかけてということになります。 17歳頃からテオは「灼けるような性欲に苦しめられ」ハーグの娼館「快楽列島」に足繁く通っていたました。時間的経過を考えると、テオが梅毒に罹患したのはこのときだと思われます。

 ヨハンナや息子のフィンセントの手記をみる限り、ヨハンナはテオの死因が梅毒だとは知らなかったようです。

 麻痺性痴呆が発症するのは初感染から15年から20年してからで、その間、第二期梅毒から10年以上まったく無症状です。 主治医はテオの末期症状の原因として梅毒を疑っていた可能性はありますが、確証がないのですから、そのことをヨハンナに告げなかったとしても不思議はありません。

梅毒は第二期梅毒あたりで一番感染力が強く、性行為を通じて人から人に感染したり、胎内感染を起こしたりする可能性がありますが、発病から4年を過ぎる頃から感染性が急速に低下します。麻痺性痴呆症状が出る時期には、梅毒スピロヘータは性器や血液中には存在せず、他人にうつることはありません。ですから、ヨハンナやその子のフィンセントが梅毒に罹患する可能性はまったくなかったわけです。実際、二人とも、長寿を保ち、梅毒症状も出現していません。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


05. 中川隆 2013年4月07日 20:01:37 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
       __〉イ〃 ,  /, l   / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
       〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
//   {l { い、、\V,ィf赤       //  ,ィ|l |  ト、 \
{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
      , -‐'´/ハ 、 { |lヽ、      ∠ニ-V リ / /  ∨
  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
| ハ  |! j/ ./::`:::::、                        .:::r::、::.ヽ レ'  |
   ヽヽヽ .、 i   : : : : : : : : : : : : u: :/   、: 。: : . . .  . : : : : : ': : : :|    k   
    ヽヽヽヽ、ヽυ : : : : : : : : : : :, :'´: : : : : :ヽ : : : : : j : : : : : : : : : : :,'r;;=;;、  \
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        ヽヽ  ト、 `` フ                 : :ヽ-く ,'  ヽ、  __    _,(,,,,,,,,,..--
: : : : : .     ヽ、|!: :`‐‐': : :                。 : : : :\ u  ,,,ι- ''"´´
: : : : : : : .      ,,,.. -- ーー-、 __             : : :,, -‐''´


ブラームスとクララって

292 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/03/12 22:04:00ID:5Thzv7ne [1/1回]

「結婚すればよかったと思うこともあるんだよ
 もう十歳くらいの男の子がいてもおかしくないんだから。そりゃ楽しいだろうよ。
 でもなあ、適齢期のころには地位がなくてね。今じゃもう遅すぎるし。」

by ジョージ・ヘンシェルの日記 1876年7月17日記述。

ガクガクブルブル・・・

ブラームス回想録集 ジョージ・ヘンシェル
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86%E3%80%881%E3%80%89%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86-1-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92/dp/4276201772/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1365322677&sr=1-2&keywords=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2%E9%9B%86


827 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/06/13 11:43:46ID:PDdjjwSf [1/1回]

ブラームスは早熟の天才肌(ピアノ四重奏曲、バラードその他)

839 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 11:25:28ID:lPRgnMHf [1/1回]

ブラームスが美青年でなければ全ては平穏だっただろうに

840 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 16:01:01ID:YXG0GM4F [1/1回]

若い頃のブラームスは運動神経も抜群で、興に乗ったら皆の前で宙返りを披露してたそうだ。まあ、ピアノが鬼のように上手い人は大抵運動神経もいいから、さもありなんな話だ。

さぞモテたんだろうな。
クララの毒牙にひっかかりさえしなければ・・・


841 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/07/08 18:29:59ID:AZTmGu9Y [1/1回]

そしたら天才のままで作曲できたかも知れないのにね。

985 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/11/03 12:13:42ID:iqhimP4Z [1/1回]

ブラームスが美青年でなければ


5 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/08 14:48:00ID:FwrjoHKK [1/1回]

二人の間には子供がひとりいた。
少なくともシューマンはそう疑っていた。
シューマンはクララとセックスした日を手帳に正確に記録するようになりクララをストーキングするようになった。


90 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 11:56:00ID:dOf5SUQw [1/2回]

ブラームスっていうと内向的で、優柔不断で、ぐずぐすした印象があるんだが、クララとやっちゃうほどの甲斐性あったのかな。

92 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 14:43:00ID:1hrX1kTj [1/2回]
>>90
 逆ナンだよ−ン。
 熟女のテクにかかったらイチコロだヨ−ン。
 愛してることと、エッチした〜いことの見境がつきまへんねん、若い頃は。
 これ体験的結論。

93 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 14:50:00ID:1hrX1kTj [2/2回]

     食パンもジョルジュ・サンドいっち
     にされたっけ。


203 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/20 23:24:00ID:a8cjojec [1/2回]

結局末っ子の父親って誰なの?


204 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/20 23:28:00ID:Hgfs9Fb4 [1/2回]
>>203
ロベルト


205 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/20 23:32:00ID:a8cjojec [2/2回]

ホントに?


206 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/20 23:41:00ID:Hgfs9Fb4 [2/2回]

ほら、ロベルトは克明に記録つけてたから、
それと合致するという。


207 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/21 00:04:00ID:QuffiUg/ [1/1回]
でも末っ子がデキちゃった頃って病気(梅毒?)がカナリひどくなってきてたのでは?
そんな時にちゃんと勃起したのかが問題だ。


209 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/22 00:13:00ID:3QmKKclJ [1/1回]

 ネタ・・・・・・
要するに、クララは誰と「ネタ」のかが問題だ。

210 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/22 15:42:00ID:m5iUxdNE [1/1回]
>>209
ヨハネスでしょー。
夫がいる身で年下の若い男とはめまくり。
邪魔な発狂夫があぼーんした後は二人で(子連れだけど)堂々と温泉旅行。
再婚しなかったってだけでものすごい良妻賢母として後世に語り継がれる。
イイ人生だね、クララの人生って。

708 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/10 05:54:18ID:K7422RwR [1/1回]

とにかく、クララって好きもん女で子供ばっか、やりまくって作ってた。
その上ブラームスの相手もして、すごいもんだと尊敬。

716 : 栗舐めキン愚▼69XES&4[] : 投稿日:2005/12/17 00:32:11ID:LB4yP++i [1/1回]

ブラームスってババ専???
あんなイイ男が好き好んでバァバァにハメハメしたとは思えんのだが


717 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/17 02:31:31ID:JyUseF4c [1/1回]

壮年期のブラームスって、成功してエライ高収入だった。
それでも本人は質素を好んだものだから、カネは有り余っていたはずだ。
女だっていくらでもハメまくれただろうに・・・


718 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/18 21:02:11ID:yQlMerDi [1/1回]

問題は成功しただけでなく当代の著名人になってしまったことだな
それより何よりクララがいてはどうにもならん


719 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/20 01:07:15ID:yql2W2oz [1/1回]

ブラームスは成功してからは気前も良く、親戚や若手音楽家を援助しまくったそうだ。
(新潮社「カラー版作曲家の生涯」より)
人付き合いは苦手でもイイ人だったみたいだね。
ウィーンや故郷ハンブルクでも、風俗のおねぇさんや女学生にお金をばらまいたのかなぁ・・・


720 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/22 20:32:50ID:AUqz07Zw [1/1回]

援助が違う意味に見えたw


722 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/23 21:49:16ID:MSSBr4tL [1/1回]

子ども好きだったブラームスw


732 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/01/07 19:21:21ID:hitNDBzq [2/2回]

ヨハネスたんの童貞喪失だが・・・
1847年、14歳のとき、地元ハンブルグのバイト先の酒場で、娼婦のお姉さんに、そそのかされて食われてしまったとの説がある。
14歳の天才ピアニスト美少年が、娼婦やマフィアだらけの酒場でピアノ弾きのバイトなんかやってたら、ショタコン女に食われて当然!!

728 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/12/31 14:55:08ID:W0w4DMdP [1/1回]

ヨハネス君ってヤリチンコじゃねぇか。
もうヤツの音楽は聴かない。

禁欲生活を貫き、41歳で結婚するまで性的経験がなかったマーラーを見習えってんだ。
(妻・アルマ談。いやこれほんとかな〜w)


729 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/01/06 14:21:25ID:brZo7jc+ [1/1回]

マーラーの夜の生活は、相手のことも考えず勝手にベッドに押し入って自分だけ満足すれば後はさっさと出て行って自分の所で寝ちゃうと言う、かなり自己中心なものだったらしい。
そりゃアルマも寝取られる訳だよ。


730 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/01/06 17:36:36ID:ddUtS55G [1/1回]

アルマ自体もヤリマンだしねえ。
あのベース顔好きじゃないけど。


953 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/24 06:16:14ID:RNs4YpxY [1/2回]

クララはどっかのア○マとは違って、ヨハネスとは結婚しなかったのね
しかもその後男をとっかえひっかえしてたわけじゃないし

954 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/10/24 12:59:18ID:9eZcad46 [1/1回]

そりゃクララと違ってアルマは自活の術がなかったわけですから。


955 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/24 15:54:21ID:RNs4YpxY [2/2回]

それもマーラーのせいなんだよな
マーラーが何でも支配したがるサドだったばかりに…

325 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/05/01 23:36:00ID:nsiG+gWb [1/1回]

 だけど、50才過ぎたおばさんっていいんですかネ。
私の母親と同年代のおばさんと・・・・
なんか、キモい世界ですね。ひいてしまいます。
ブラームスってすげー趣味だと言うべきか。

477 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/21 01:19:21ID:LziTxb/q [1/1回]

ブラームスってロベルトとクララの娘ユーリエと結婚をたくらんだこともあったそうだが。

480 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/22 23:15:17ID:4KIw7wVu [1/1回]

カツ丼も旨いが、親子丼も旨いからな。

326 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/05/01 23:56:00ID:DuF3rHKa [1/1回]
>>325
相手は最初っからオバサンだったわけではないし、
そもそもブラームスは生涯クララ一筋だったわけでもない。

ブラームスは1833年5月7日生まれ。シューマン夫妻と初めて会ったのは 1853年9月末だから、当時20歳。
クララは1819年9月13日生まれで、この時34歳になったばかり。ちなみにローベルトは1810年6月8日生まれで43歳。

1869年にブラームス(当時36歳)はシューマン夫妻の三女ユーリエ(当時23歳)に恋愛感情を抱くが、クララ(当時49〜50歳)はそれを知ってか知らずか、さる伯爵のもとへ嫁にやる。(ユーリエ本人は知りもしなかったことだろう)
「アルト・ラプソディー」はこの失恋がきっかけで作曲されたという。
そして、この年9月にクララのもとを訪れたブラームスは、この曲の完成したスコアを無言で手渡したと伝えられる。

132 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/22 08:47:00ID:XAF0X5yI [1/1回]

ショパンのイメージはドラクロワの肖像画の様に神経質そうな美男子だと思っていたが、あるショパンのサイトに掲示してあった晩年頃の本人と思われる写真を見て今迄のショパンのイメージが崩壊しますた。
やぱーりブラームスはイイ男。
クララが手を出すのも無理なし。


144 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/24 19:34:00ID:EN7AvpQQ [1/1回]

ショパンの肖像画と写真まったくちがうよね。
あの写真スキだけど。


135 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/23 00:13:00ID:pGGaBvcU [1/1回]

じゃあバッハやヘンデルって実際はもっと・・・プププwww


136 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/23 00:40:00ID:/d/d9Dam [2/2回]

モーツァルトやベートーヴェンも、かなーり・・・・・・


137 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/23 14:17:00ID:Ye0IiBkd [1/1回]

ブラームスって、ハンサムだったけど、背が低いことをすごく気にしてたんですよねー。

138 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/23 17:03:00ID:VwaljHro [1/1回]

まあ肖像画はググってみれ、それなりのものもけっこうある。

理想化がひどいのは19世紀に音楽家を文化英雄としてえがいた画の類。
知れヶ版画になるともっと非道くなる。
モトネタはどっちかというとあまりいい男ではない古い絵だが、少々タッチアップするぐらいならともかく、ひどいのだと類型的な「あるべき姿」に顔を書き換えてんだよね・・・・

イメージグーグルでbachと検索すると、
一見同じでも実は模写で顔が少し違う、なんてのは山ほど出てくる。。。。。

57 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 22:15:00ID:YW/6Uqsk [1/1回]

若いときのブラームスっていつ見てもええ男やな
これでピアノも作曲もロベルトより上だったんだから
クララがなびかないはずがない。

46 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 11:43:00ID:tyPcVwx1 [2/3回]

ちなみにクララは、後にブラームスが若い娘たちに恋しだすと、
結構嫉妬していたそうです。うーむやはり・・・。



877 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/12 09:39:25ID:l3OOcUFV [1/1回]

ヨハネスはアガーテ嬢に酷いことをしたよね(´・ω・`)
やはりクララが一枚噛んで(ry

若き日のヨハネスは、ゲッティンゲンの大学教授の娘でソプラノ歌手でもあったアガーテ・フォン・ジーボルトと恋愛関係にあり、婚約を交わすに至った。
ところがある日ヨハネスはアガーテにこんな内容の手紙を出す。
「貴女を愛してはいるが、束縛されたくない。貴女の元へ行くべきかどうか返事をおくれ」
アガーテはプライドを傷つけられ、婚約は破棄。二人とも心に傷を残した。

この事件に関してクララがどのように関わったかは資料に残されていないけれど、婚約者をつれなく捨てる位なので、恐らくアガーテに嫉妬したクララがヨハネスに何か吹き込んだものと思われ…

ちなみに後年のアガーテの述懐。

「どんな犠牲を払ってでも、彼と一緒になりたかった」


885 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/17 19:34:06ID:1nnrPh3S [1/1回]

まあ、ブラームスと結婚したって幸せにはなれなかったと思うけど。

理由

クララ:カミラ夫人
ヨハネス:チャールズ皇太子
アガーテ:ダイアナ妃


887 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/08/19 20:15:36ID:M3yQUiQF [1/1回]

「愛してはいるけど、束縛はされたくない」て書いておきながら
すでにクララに束縛されていたブラームス・・・

569 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 01:01:46ID:iGUXrPEP [1/1回]

ピアノ協奏曲第1番の初演で失敗した1859年、ブラームスは結婚にも失敗する。
相手はソプラノ歌手アガーテ・フォン・ジーボルト嬢。前年に婚約に至っていたが、
「愛しているが、束縛されるのは好まない。どうしたらいいだろう」
というような煮え切らない手紙を彼女に送って、結局婚約を破棄されてしまったのだった。


570 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 01:22:27ID:bwgFJFBH [1/1回]
>>569
その手紙の一部

「僕は貴女を愛しています。もう一度お目にかからなければなりません。
しかし僕は束縛されるわけにはいかないのです。貴女を僕の腕に抱き、口づけし、貴女を愛していますと言うために、戻っていくべきかどうか、すぐ返事をください。」


571 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/03 20:53:10ID:qufZ9hFb [1/1回]
>>570
ジャンボヴァカだな
親切な人に紹介されて、マジ惚れて、しかも大学教授の娘だ
「おれについてこい、必ず幸せにしてやる!」ってなんで言えなかったかねぇ

やっぱり、怒ったクララが黙って帰っちゃったのがアレだったんだな、うんうん。

573 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/04 01:27:21ID:rCpfOAoC [1/1回]

「束縛されるわけにはいかないのです」ってどう見ても結婚する気全くないじゃん。
体のいい断り文句に決まってるじゃんよ。

575 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/06/04 12:47:12ID:9mzB/brW [1/1回]

よーするに、結婚はでけへんけど一回やらせろ、ということ。

59 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 23:51:00ID:ektrfxMi [1/1回]

で、結局ブラームスはクララのまんこに中田氏したの?


60 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 00:12:00ID:CmWs2uqn [1/1回]

そりゃシューマンほどの漢が発狂するほどのセクースというのだから
恐らくゴルゴの如くクララを抱くブラームスを目撃した物と思われ。

61 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2003/12/13 00:38:00ID:UIJm1hap [1/2回]

ドアの隙間から喘いでる愛妻を目撃→ライン川くだり。ってトコか・・・


233 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 02:32:00ID:SL3NGaVg [1/1回]

クララの万個は、強烈に締まったそうだね。シューマンの話によれば。
ヨハネスも、その三段締めの虜となった。

クララの万個を称えよう。

236 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 18:39:00ID:oJmPJ62S [1/1回]
>>233
その三段締めで男をたらし込んだんだね、クララ。
・・・ったく・・とんでもねー女だな。
なのに後世の評価はロベルトより高い。
みんな騙されてるんじゃないのか?


237 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/30 19:36:00ID:NHfIsLep [1/1回]

子供を8人産んだ女性がそんなんなんですか?


238 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/30 19:55:00ID:lEtrRG6H [1/1回]
>>237
稀にいるんだよなあ。子供産んでも、ユルマン@太平洋にならない女が。

240 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/01 01:48:00ID:qInV8sFi [1/1回]

やっぱ女はマンコなんだ・・。
頑張ってマンコ鍛えて年下男喰ってやる!!
そして発狂した夫を捨てて後の世に名を残すんだーーー!!!


252 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/07 19:12:00ID:XOCfwTJd [1/1回]

いや、本当にマン○は大事だ。
俺は昨日超美人の彼女と別れたが、その向こうの理由は「最近優しくない」だった。
相手のゆるゆるぶりになんか落ち込んでセクースもしたくなかった、とは言えなかった。


256 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/09 18:35:00ID:Cqcs6ZqT [1/1回]
>>252
へぇ〜、そうなんだ。やっぱ美人でもゆるいと別れたくなるんだ・・
じゃ、私なんか美人じゃないからゆるかったら速攻でゴミ箱逝きだね(泣
これから毎日マンコ鍛えなきゃ!!
おしっこするときはいちいち途中で止めて、 お尻の穴を引き締めて・・・、
他に何すればいいですか?
マンコのゆるい美人ときつく締まるマンコを持ったブサイコはどちらがお好きですか?
美人なうえにキツマンのクララは最強ですね。

257 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/09 23:59:00ID:2pHYdEwY [1/1回]

クララ最強伝説が生まれた。


258 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/10 02:16:00ID:mjbEvdMX [1/1回]
>>256
その二人だったら絶対後者が良いよ。
緩い美人は緩くても美人だからプライドが高い。
だから喧嘩したらちょっとした事でもなかなか仲直りが出来ない。
恋人同士の仲直りなんか抱き合うのが一番いいのだけど、緩いからそれもうまく行かない。
キツイブサイコは喧嘩しても折れてくれることが多いので
お互い普通にしていても仲直りしやすいし、抱き合えばもうすっかり気分を直せるし、大げんかしても結構なんとかなる。

264 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/12 21:13:00ID:qz2iEppq [1/1回]
>>258
いや、ブスには立たないだろう、普通。

266 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/13 23:55:00ID:WCM+C1AT [1/2回]

目をつむって,エエ女をイメージしてヤル。
ブス相手のエッチのコツ。
 ちなみに、マンコそのものが問題ではない。
要するに「床上手」かどうかということ。
 クレオパトラのような、カエサルを骨抜きにする当意即妙の話術ができればベスト。
(プルターク英勇伝)


267 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/02/13 23:57:00ID:WCM+C1AT [2/2回]

 クララは、床上手

925 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/03 00:19:36ID:qALE/l13 [1/1回]

クララってオノヨーコみたい


926 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/10/04 10:06:49ID:HmapD8TH [1/2回]
>>925
だったら、フェラーリが絶妙に上手いんだ。
 ロベルトやヨハネスがメロメロになるのは当然だ。
 おばちゃんのテクは凄いもんなあ。


928 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/04 17:55:04ID:K/RMf5Ic [1/1回]
>>926
ロベルトから見ればクララはロリかもしれない
どんな世代からも受けるクララの魔力は絶大だな・・・


492 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/07 00:31:04ID:lfQEK6lZ [1/7回]

「ヨハネス!」
暑い夏の夜。 郊外の路地に甲高い声が漏れた。

「あの人はとてもいい方なんです、クララ」

ヨハネスは神妙な顔つきでクララを見上げた。
狭いヨハネスの居間は夏の湿度で蒸せかえり、余計、クララが上気しているように見える。

「あなたは、たくさんの子供を育てる強い母親です。
だからといって僕のお母さんじゃありませんよ」

「ヨハネス、あの女の魔法に騙されているのよ!」
「静かにしてくださいよ、これ以上近所での私の評判を落とさないでください」

赤みがかった顔をしたクララの呼吸が乱れているを見て、ヨハネスは自信ありげに続けた。

「彼女は歌手としての素晴らしい才能だけではなく、気品溢れる振る舞い、そして何よりも清楚な心、僕という冬の大地に吹雪いた、一つのつぼみなのです」

このヨハネスの挑戦はクララにはあまりも重大なものだった。
「へぇー」
クララは喋りの声調を変え、挑戦的な目つきでヨハネスを見つめた。

クララの目は、人妻のものでも、母親のものでも、音楽家のものでもない、野生で生き残る1人の女のものだった。ヨハネスは、時々かいま見られるクララの支配欲と独占欲には常に圧倒されていた。

「つぼみねぇ・・・そう・・・若いのがいいの?」

クララは勃起したなま暖かい乳房をヨハネスの胸に押しつけた。
汗ばんだ服越しから、クララの硬くなった乳首は彼女の胸の鼓動をヨハネスに生々しく伝える。

「もう、こんなに垂れ下がったオバサンのオッパイはいやなのかな?」

とクララは胸をさらに押しつけた。

「ああ!」と思わず叫ぶヨハネス。

すかさずクララはヨハネスの口の中に舌を押し込んだ。
男性的なクララの舌はか弱げなヨハネスの舌は締め上げ、もてあそび、彼の舌に一切の主体性を与えなかった。

「大声をだしたらダメでしょ。ご近所迷惑なんだから」

ヨハネスにもはや反抗する力はないように見える。

クララは胸をはだけた。
挑戦的に突出する真っ赤な乳首をヨハネスに突き出した。
その挑戦はヨハネスだけでなく、その背後にいる若い女性の声楽家にも向けられたものだった。

ヨハネスの顔が一瞬歪んだ。
彼の脳裏に、若く無垢で、恐れと汚れを知らない彼女の笑顔がよみがえったのだ。
クララはそれを見逃さなかった。
突発的にクララの頭の中に最大限と嫉妬と暴力性が発生した。
クララはヨハネスに飛びかかった。

強姦的なディープキスでヨハネスの声を封じると、おもむろにヨハネスのシャツを開けた。
丈夫なボタンも鍵盤楽器を駆使をする逞しい女性の腕の前には無力だった。

クララの激しい呼吸と制御のきかない彼女の舌が打ち出す、ねちねちとした音が部屋を包む。
クララはヨハネスのズホンを引きずり降ろす。
もうヨハネスには抵抗する力はなく、アマゾネスに捕獲された性奴隷となった。

「ふん!」といってクララは口を離した。
濃密な唾液が2人の口の間に垂れ下がる。
ヨハネスの顔がまた歪んだ。

クララの怒りに震えた手が、ヨハネスの男性の象徴をつかんでいた。
クララの手にしたものは、安宿の朝食にもでないような、小さく張りのない腸詰め肉そのままだった。

一糸まとわぬクララは彼女の深淵を情けないヨハネスの男性部分に押しつけた。
彼女の深淵は力に満ち、愛液が溢れ、ヨハネスの部分にも流れはじめた。
しかし抑圧されたヨハネスは盛り上がらない。
支配者として冷静になったクララは体をヨハネスから離した。
クララが冷たくヨハネスの体を押すと、強力な粘りを持った愛液は糸を引き、
ヨハネスは床にへばり込んだ。

「私の体のどの部分も使っていい、3分間以内に勃起しなさい」

クララは支配者として冷厳にヨハネスに命令した。
ヨハネスには為す術がなかった。
熱いむせかえる部屋に、新しい空気を入れるため クララをヨハネスから離れ、窓を全開にした。

ひ弱な奴隷のヨハネスを遠くからより客観的に見ることになったクララに違った感情がわき起こった。
母親としての女性の性だった。
彼女の顔に慈悲の深みが加わった。

優しく、窓を半開きに戻すと、クララはヨハネスに歩み寄った。
ヨハネスは虐げられた子犬のように怯えた。
クララはあくまでも支配者としては君臨しつつも、救援者としてヨハネスに援助の手を差し伸べた。

細く、そして強靱なクララの手がヨハネスの男性部分を優しくつつみ、規則正しく動き始めた。

「そうよ、こうすればいいの」

クララは優しくつぶやいた。
徐々にであるが、ヨハネスの山にはマグマが吹き込まれ徐々に膨張をはじめた。

ヨハネスはどんどん自律性を取り戻していった。
そして絶対的な支配者であり庇護者であるクララを忘れはじめようとした。
ヨハネスの頭に広がったのは、ヨハネスが品のない冗談をいうと困ったように恥ずかしそうに笑い、ヨハネスがいつもの調子で他人を罵倒しはじめるとムキになってたしなめ、 ヨハネスの不幸を前にすると人一倍泣き、 そして彼の成功を前にして誰よりも大きい大輪の笑顔を見せる若い乙女だった。

「○○○○!」ヨハネスは思わず叫んだ。
そしてその直後、彼が支払わなくてはならない大きな代償に気付いた。
ヨハネスはじっとクララの家を見つめた。


499 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/07 01:46:26ID:zyw1g8QQ [1/2回]

とりもなおさず、酸いも甘いも知った包容力をもった熟女に魅せられる感情と、無垢にして純粋なうら若い女に惹き付けられる感情との、この対立は、若い男にとって永遠の矛盾であるということか。

275 : クララ[] : 投稿日:2004/02/25 21:19:00ID:Hag3Psqm [1/1回]

ブラームスもクララもロベルトもそんな人じゃないわよ!!
プンプン!
死ぬまでクララはロベルトのこと好きだったんだから!


4 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/08 11:47:00ID:mCerRgWt [1/1回]

ブラームスって性欲処理の対象は売春婦に限られていたんだよね?
ブラームスの死因は肝臓癌ということがわかっているけど
肝臓癌ということは、セックスでもらったウィルス性肝炎の帰結ということも充分に考えられるぞ。
クララの死因は何だったの?同じく肝臓障害か??


24 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/10 23:02:00ID:i5Ysi+Kq [1/1回]

シューマンって、ブラームスの肖像画を描かせて、ずっと持ってたんですよねー。その絵を見たとき(美少年!)シューマンのブラームスに対する「愛情」の深さを感じました。
例えば、現代だって男の人が、少年の写真を肌身離さず持っていたとしたら、かなり・・ですよね。
シューマンの側に「同性愛」的な感情はなかったのでしょうか?

27 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/11 01:59:00ID:OgxGO813 [1/1回]

クララに対する入れ込み方も尋常じゃないものがあった人だから、
一旦「好き」だと思うと、かなり熱いものがあったんでしょうね、
ロベルトは。

47 : クララvsロベルト[] : 投稿日:2003/12/12 15:11:00ID:KfJBVEqV [1/2回]

 ・1853年10月1日 三者が初対面

 ・1854年2月27日 ロベルトのライン川投身自殺未遂事件
          精神病院入院 医師から、クララとロベルト
          の面会そのものを禁止される(面会許可が出た
          のは2年後ロベルトの死の2日前
          「私は知っている・・・」

    ・初対面〜自殺未遂事件の間に3者間に何があったのか
    ・面会禁止となったのは、ロベルトの精神病の大きな原
     因がクララ(とその周辺関係)にあると精神科の医師
     が判断したため。

 むむむ〜嫉妬・劣等感・自信喪失・(間男)・・・どろどろ〜
 

55 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/12 21:28:00ID:kAvSSOmH [1/1回]

ローベルト・シューマンは脳梅だから、ブラームスとクララが精神的影響与えたことによって発狂したというわけではない。

ちなみに同時代人であるニーチェも脳梅で発狂した。
「この人を見よ」の中でシューマンに噛み付いている。

66 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 09:38:00ID:4enFp36s [1/1回]
 >>55
 だったら精神科の医者が最愛の妻クララとの面会そのものを拒絶してしまった理由は?


67 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 11:16:00ID:vJEQAFyQ [1/3回]
>>66
当時は脳が梅毒に侵された結果の発狂だとはわからず、精神病の一種と思われていたのよ。
こういうのって一般常識だと思ってたよ。
シューベルトも梅毒だったらしいし、ベートーベンも梅毒という説があるね。


68 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 12:35:00ID:x/Qsgsnx [1/1回]

シューマンも梅毒!!
長〜い結婚お預け状態で悶々としていたのでしょうか?!

69 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 14:44:00ID:qxcwwgw5 [1/1回]
>>67 
本当に脳にまで達する程の長期間梅毒だったなら、 梅毒ロベルト(潜伏期間を含め)とハメハメしてたクララや子供も梅毒に罹っていたとおもわれるが・・・
 ヨハネスよ、クララとやってたらあんたも脳梅か?

70 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 15:48:00ID:vJEQAFyQ [2/3回]
>>69
脳を侵されて発狂する以外は目立ちにくい症状だったんでしょう。
検索で調べると末期症状ということで、なかなか想像しにくいけど。
江戸時代の日本でも梅毒は大流行していたらしいし、世界的な現象なのでは?
梅毒が大流行しても皆が罹るわけでもないし。

遊郭とかで感染した男の所帯全員が罹ってたら、日本の人口は激減したんじゃ?
クララや子供に感染しなかった(とほんとうに言えるかどうかわからないが。
早死にした子供もいるし)のは不幸中の幸いじゃないかな。

シューベルトについては詳細なレポート読んだことがある。
症状が重かった時期に創作活動も不振だったとか色々・・・

ま、喪れは専門家じゃないし、そういう説もあるってことでいいでしょ。。

71 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/13 15:51:00ID:vJEQAFyQ [3/3回]

高橋悠治さんも脳梅説支持してるんだ・・・。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/hondana/schumann02.html

72 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 18:39:00ID:OwqgzgSN [1/1回]

問題の所在は、ロベルトが梅毒か否かではなく、医者が面会を謝絶せざるを得ないほどロベルトとクララの間にあった葛藤とは何なのか、にある。

  ・いけめんブラームスはどう関係してるのか
  ・才女クララの求めるスタイル、コンセプトと自らのものとの乖離、精神的な弱さ・・

73 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/13 19:00:00ID:wMnIi62v [1/1回]

やっぱり音楽の才能は
ブラームス>>シューマン
になってしまうんでしょうか。

75 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/13 22:02:00ID:JT6QmFxN [1/2回]
 >73
 というより

  クララ=ヨハネス>>クララ=ロベルト

  ヲンナハコワイ
 な〜んかオトコはコントロールされてるよな〜
 身につまされる  

94 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/15 22:12:00ID:RhA0HIZj [1/1回]

モーツアルトの奥方も世評通りの悪妻なんですか?
映画のアマデウスの女優の乳には目をうばわれましたが・・・
クララはドイツでは良妻賢母の鏡らしいですが
ここでの話を見てると、それも眉ツバか?という気もする。


95 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/15 22:44:00ID:ZdaEcOEA [2/2回]

両者とも「非の打ち所のない良妻賢母ではなかった」というレベルであろう。
良妻賢母でなければ悪妻、という決めつけもどうかと思うが。


97 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/15 22:50:00ID:Jr9zDeam [1/1回]

アルマのように夫に勝るとも劣らぬほどの美貌と才覚を持ってる妻というのもカッコイイ。
夫にとっちゃたまったもんじゃないだろうが。


98 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/15 23:41:00ID:dOf5SUQw [2/2回]

賢い男は、美人を妻にしたらあかんね。


101 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/16 06:22:00ID:kqwz0KQl [1/1回]

リストのピアノの才能に嫉妬して援助を受けていたのに悪口を言いまくったクララ

103 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 05:12:00ID:RCSicRO0 [1/1回]

もしヨハネスがクララと結ばれていたらあれほど屈折した人格にはならなかっただろうな


104 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 08:16:00ID:zajFhVe8 [1/1回]

でも音楽史に残るほどの作曲家にはなれなかったかも知れない。
結ばれないことのもどかしさが芸術に昇華したわけでしょ。

105 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 08:57:00ID:ywrCHnMe [1/1回]

リストってすごくイイ人ですよね、女好きだけど。
彼ほどの男が何故クララをものにしなかったのか・・・
それとも関係があったとか言う話はあったんですか?

106 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 09:11:00ID:mkF8vE56 [1/1回]

リストがイイ人?とてもそうは思えませんが・・・。


107 : 105[sage] : 投稿日:2003/12/17 10:59:00ID:VVn+i3EY [1/1回]

訂正 ×イイ人
   ○イイ香具師
それでも私はリスト好き!    
 


108 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/17 12:54:00ID:ErvMruz8 [1/1回]

リストのどこがいいヤシ何だか…
ヤリチンの生臭坊主のくせに。

110 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2003/12/17 21:49:00ID:D3GEEExS [1/1回]

リストってイイ香具師と言うより単純なヤツって感じがする。

リストはショパンの事を褒めちぎってたけどショパンの反応は冷たいし。
でもあんまり気にしてないようだったり・・・。
なんとなく空気読めない人って感じかな?

113 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/18 13:21:00ID:SQWdLJ5s [1/1回]
 >105
 リストが自分のリストのなかにクララを加えなかったのは,クララの芸術的体質が自分にとってヤバいことを見抜いたからだ
とオモワレ。ナイーブヨハネスとちご−ておとなですわ。


114 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/18 19:39:00ID:PsN5QSNk [1/1回]
>クララの芸術的体質が自分にとってヤバいことを見抜いたからだ

ヤバいってどのように?

119 : 113[] : 投稿日:2003/12/19 16:15:00ID:LTGjJqci [1/1回]
 >114 
 リストの基本コンセプトは「ピアノのパガニーニ」として世に出ること。
マーケットの時流がバッハ・ベートーベンから派手で華麗な宮廷音楽などに移っていることをキチンと見抜いています。クララの父(ヴィーク)やその影響下のクララの古典保守本流主義に縛られるのはヤバい。

マーケットイン=リストVSプロダクトアウト=クララの図式。

 リストにクララやロベルトのような思想性は少なく,受け狙いのマーケッターが本質。
ちなみにロベルトは知性での古典主義と感情での浪漫主義の自己分裂のうちに破滅します。

125 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2003/12/20 20:33:00ID:oHLeYtPv [1/1回]

パガニーニはそんなに凄いお方だったんでつか?


131 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/21 11:27:00ID:DOi6EHll [1/1回]
>>125
まあ今残っている楽譜も本人が弾いたのより音を減らしたものらしいので凄かったんでしょうなー


126 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2003/12/20 22:34:00ID:3SpEU0Sm [1/1回]

「僕はピアノのパガニーニになる!」
と言ったのは若きロベルト君だったんだが・・・
猛練習の末、結局なったのはパガニーニでなく腱鞘炎
ああ、ロベルト!

130 : 113[] : 投稿日:2003/12/21 04:22:00ID:56S640nv [1/1回]
 >>126
 リストが「ピアノのパガニーニになる」と決意したのは、自分の基本コンセプトにつき青春の疾風怒涛時代のさなか
1831年、パリでパガニーニの驚異的な演奏を聴いたときからです。
もちろん、彼なりの批判的な視点も持っています。


143 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2003/12/24 19:16:00ID:/XRAAs/e [1/1回]

しかし誰も触れないけど
ロベルトとクララの結婚生活って本当にセックスも含めてうまくいってたのかなー。
ロベルトはエッチの記録をとってたというし、医者は治療の妨げになるからクララとの面会を謝絶してしまうし(うまくいってたら普通しないだろう?)、
ロベルトのロマンティカー気質は、クララやその父のヴィークさんとは違うようだし・・・・・・

147 : 錯乱棒[age] : 投稿日:2003/12/25 21:25:00ID:MYbgewmG [1/1回]

シューマン、エッチの何を記録してたですか?
十二月二十五日、夜ベッドイン ピストン1013回にてクララ到達 以上

とか何とか記してたですか?


244 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/01 21:38:00ID:uSTCtn13 [1/1回]
>>147
1846年より記録帳に、2人がセックスした日は「F」という記号を書き記していたそうだ。


245 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/02/03 00:20:00ID:UYcvtYL7 [1/1回]

Fは英語ならファックを指すんだろうが・・・。
「今日はクララとファックした」って意味か?

247 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/02/03 05:16:00ID:7HRY2Ymg [1/1回]
>>245
ドイツ語の「フェーゲルン」の頭文字とも言える。


165 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/03 01:11:00ID:TskFn2bJ [1/1回]

ヨハネスではなく、ワーグナーということも・・・・・・


166 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/03 10:09:00ID:GcQefoMV [1/1回]

ヴァーグナーやリストだと子供仕込まれちゃうから更に大変。


349 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/06/17 19:10:00ID:RGcE88sq [1/1回]

ワーグナーが次々と人妻かっさらって行ったのは
いかにも芸術家的な威勢のいい話になるのに・・・・・
ブラームスとクララになると何でこんなにドロドロなの?


350 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/17 19:37:00ID:Jab9THOd [1/1回]

それはブラームスが優柔不断だからでしょ。
欲しいものはさっさと手に入れるワーグナーとうじうじしているばっかりのブラームス。


351 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/20 01:29:00ID:q0mxOCkJ [1/1回]
ブラームスは子供まで作っちゃったらしいが、ワーグナーはどうなの?
やっぱり遊び慣れてたのかな?
不倫はするけど相手を妊娠させてたという話は無いね。


352 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/06/20 01:35:00ID:SCv4BrJi [1/1回]
>>351
あるよ!! リストの娘で、弟子のハンス・フォン・ビューローの妻だったコージマと!!
コージマはビューローと別れてワーグナーと再婚するけど、まだ別れる前にワーグナーの子を産んでいる。公式にはビューローとの娘とされたイゾルデを。

353 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/06/20 12:39:00ID:O339dTMu [1/1回]

クララの末の方の子供はブラームスが実の父親、というのは
疑惑に過ぎなかったはずだが・・・・・・


401 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/09/03 01:28:00ID:ISTujA/9 [1/1回]
>>351-352
ハンス・フォン・ビューローはクララの父フリードリヒ・ヴィークのピアノの弟子だった。

424 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/10/17 12:37:01ID:KyLWfSp3 [1/1回]

このスレ、今日見つけてざっと読んだけど、この話が出てこないな。

シューマンの長男が、両親の没後に、
「自分たち兄弟の中で、末っ子だけは半分しか兄弟ではない」
というようなことを言った、と。


450 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/11/27 18:38:45ID:657aDlRZ [1/2回]

シューマン発狂の原因は、脳梅毒説もあるが
わが子が実はY・Bの種であったと確信してしまったことが原因か?
 シューマン自殺未遂の治療を担当した精神科の医者が、クララとの面会を拒絶させた理由もこれで辻褄が合う。

464 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/05 19:21:07ID:qqo/1cmP [1/1回]

ボンへいった時、シューマンハウスを見てきた。ベートーヴェンハウスが有名だが、シューマン晩年の精神病院跡がそのままシューマン博物館になっているのはあまり知られていない。
で、もちろんクララ関係の資料もたくさん飾ってあるのだが、中にはブラームスがイタリア旅行した時 「香りのよいオリーヴを見つけたので」と枝を同封した手紙もあった。(その枝が100年以上残っているのもすごい)
クララお手製のピアノカバーというのもあり、ロベルトの死後の年代なのでこれはブラームスへ贈ったのだろうと思ったら、ヨーゼフ・ヨアヒムだったか別人への贈り物だったのでビクーリした。
墓地も行ってきますた。ロベルトとクララが一緒に葬られている。

128 :名無しの笛の踊り :2006/01/14(土) 22:34:06 ID:Pvk3wR6l

今朝の朝日新聞土曜版beに、シューマン没後クララが愛人関係になったのがキルヒナーで、シューマン愛用の遺品の金のペンをプレゼントしたことが紹介してあった。しかしキルヒナーは金遣いが荒いから、クララの熱は冷めたのだそうだ。


129 :名無しの笛の踊り :2006/01/14(土) 23:45:07 ID:c8/vxjYA

クララって、思いの外尻軽女だったのね。


130 :名無しの笛の踊り :2006/01/15(日) 16:04:35 ID:Atpg57NK

そういえばキルヒナーって伊達男風情のいけすかない顔してやがったなあ

787 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/06 19:44:44ID:39FXtluE [1/1回]

要はクララは美少年のほうが良かったわけか

801 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/31 20:59:21ID:q+nnPYF0 [1/1回]

アルゲリッチと同じ下半身がだらしない遊女。


802 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/03/31 21:37:20ID:ldrQABrn [1/1回]
>>801
いやー丸太のほうが上だろ。


803 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/04/06 00:22:46ID:6gVRumnL [1/1回]
マルタとマーラーの奥さんならどっちが遊び女?

810 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/04/23 06:27:42ID:5MUlvdHt [1/1回]

クララ・シューマンは、すごくけじめがある方だと考えてる。
ブラームスとは恋愛関係にはあったと思うが、世間の目を気にして夫の死後も独身で通してる。ここに貞操観念が見受けられる。
常識のある女性だと考えてる。


800 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/03/30 19:35:18ID:tuQMmg2K [1/1回]

末子フェリックスはヨハネスの子あげ

517 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/02/20 11:49:05ID:hMRM706x [1/1回]

クララのことに戻るけど、末っ子が種違いってネタは
身内がコワイ婆さんに反発して流したって話があるらしい。

519 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/02/23 00:49:35ID:zzS8Dgvh [1/2回]
>>517
シュ−マン博物館で末っ子の写真見たが、ローベルトにもクララにも似ていなかった。
ヨハネスの若いころにソックリなんだよな。これが。

764 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/19 15:01:37ID:0AHM6bLJ [1/1回]

シューマン家の末っ子フェーリクスがヨハネスの子であるというデマはとっくに否定されています。
ローベルトの日記には妻との交渉があった日に「F」の字を書いており、フェーリクスの誕生からさかのぼっても計算が合うので。

もしその裏でクララがヨハネスと密通していたとかいう香具師がいたら、自分のゲスさ加減を晒しているだけ。

 

767 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/19 20:11:49ID:TaW8dLtd [1/1回]
>>764
当時クララとブラームスの肉体関係を誤魔化す為にシューマンの死後いろいろと工作が行われたのは事実だと思うし、普通日記にそんな印つけてる人がいるわけないさ。
当時の人たちはブラームスと夫婦同然の仲と熟知してたのだから、どんな工作も誰にも信用されてない。


768 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/02/20 00:51:35ID:5Ajh00mT [1/1回]

日記にわざわざ妻をFuckしたなんて書くかふつう
書いたとして何の必要があるのだwww


178 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/08 13:56:00ID:bqsyoAVd [1/1回]

音楽家って、大変に変態の人が多くてたいへん 

182 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/09 11:33:00ID:RgWStMX+ [1/1回]
>>178
 当然。品行方正の秀才優等生音楽なんか聴きとうないやろ。
彼らは,底知れぬ深い闇や感覚が麻痺するような極美の世界とは無縁の衆生や。
 しかし単なる無能な変態が圧倒的。
 ファウスト的変態は誰だ?
 ロベルト,クララ,ヨハネスは、充分に変態か?

527 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/03/11 17:26:18ID:Ss3MtB/W [1/1回]

名を残した作曲家が高確率で倒錯した性癖を披露してるのは やはり関係があるのだろうか。


532 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/03/14 21:30:32ID:lbAdUr4U [1/1回]

超有名どころだと
 ブルックナー(ロリ)
 バーンスタイン(ホモ)
あたりから?


536 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/03 02:39:44ID:YLzc/fgm [1/1回]

ブルックナーにはレイープの犯歴がある。


537 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/03 10:07:45ID:OeIkLlFJ [1/1回]
>>536
皇帝に謁見したのと同じ頃のことだとも、相手は12歳だったともいう。
余談だが、ブルックナーはハンスリックが好意で勧めた縁談を断ったことがあるらしい。
相手はハンスリックの従姉妹だとか。

543 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/11 00:38:06ID:kwd0P3DE [1/1回]
>>537
大嘘こくなヴォケ

>相手は12歳
相手は大人のメイドだ


544 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/11 00:48:35ID:9Mdw7G83 [1/1回]
大人ってことは、もう3つ4つ上か。


546 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/04/11 01:20:21ID:OyY3J0So [1/1回]
>>544
おいおい・・・20歳にはなってたようだぞ。それに未遂だったとも。
あと、事件の後で責任を感じて求婚したとかいう話も。

549 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/23 14:24:37ID:/gSplWTg [1/1回]
>>546
ホテルの客室係をしていたベルリンの娘のことなら、レイプ(未遂)だかはともかく、本人もブルックナーとの結婚を承諾するつもりはあったらしい。破談になったのは宗派の違い。
娘はプロテスタント、ブルックナーはカトリックで、相手にもカトリックへの改宗を求めた。


550 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/23 20:43:21ID:alj33IVF [1/1回]

相手は18歳だったと何処かで読んだ覚えがある。

551 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/24 01:23:55ID:8guAju6I [1/1回]
>>550
通常の好みはそのあたりの年齢の女性だったらしい。
一応結婚可能な年齢のはずなので、ロリコン呼ばわりは気の毒な気もする。
しかし、件の女性はもう少し年齢が上だったという。

552 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/04/24 01:38:27ID:JT79qTxo [1/1回]

ようは行きずりの婚外交渉ってことだろ
レイプ犯と被害者が「結婚を前提とした文通」などするわきゃない


555 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/05/01 17:04:08ID:WXEOyYV+ [1/1回]

ロリに加えてメイドさんか。ブルックナーもあなどれんな。

184 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 00:01:00ID:AgyybBif [1/2回]

一番の変態は、コジマという説もあるぞ。


185 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/10 00:37:00ID:ri+OB+Vp [1/1回]
>>184
ケン・ラッセルの映画「マーラー」を連想した。


186 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 03:28:00ID:AgyybBif [2/2回]

アルマ・マーラーも。

187 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 11:16:00ID:MxfDSk/w [1/3回]

指揮者やったらクレンペラーやろな。

188 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/10 11:21:00ID:MxfDSk/w [2/3回]

美的世界を獲得するために悪魔に魂を売った音楽家

211 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 16:10:00ID:1eVxARmP [1/2回]

ヨハネスも結婚はしなかった、と言うだけでヴァーグナーやリスト、バルトークのような色魔扱いされず普通の人には実直に思われて居るんだからボロ儲けっすね。


212 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 17:20:00ID:a3OVOCZn [1/1回]
>>211
ヲヤ? バルトークは一説にマザコンと書かれていたような。


213 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 18:28:00ID:1eVxARmP [2/2回]
>>212
でも実際にはロリコン。糟糠の妻捨てて走りました。

214 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/22 22:47:00ID:248RbQzb [1/1回]
>>212-213
マザコンとロリコンなら両立すると思われ(w

217 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/01/24 22:38:00ID:Sz6433vU [1/1回]

バルトークは友人にしたくない嫌な奴みたいですけど、ブラームスを始めとする他の連中もほとんどそのような人格の持ち主なのでしょうか?


218 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/25 05:57:00ID:R90h6XXA [1/1回]

確かに彼は屈折した性格でかなりの友人を失ってることが多い。
永年の友ビルロート博士とも晩年に別れているし、ヨアヒムともしっくりいかなかった時期もあるね。

219 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/26 14:25:00ID:rwK5S8tf [1/1回]

ブラームスは嫌な奴と言うより、誤解を与えやすいタイプだったみたい。
好意のつもりで遠慮気味に言ったことが、相手にはとんでもない無礼と取られてしまったり。


222 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/27 01:06:00ID:zmG5/93x [1/1回]

他の作曲家にもイヤミっぽいこと言ったりしたらしいけどね。


223 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/27 01:12:00ID:YL5rhz/i [2/2回]

あとリストにもイヤミ言っちゃったんだよね。(ナンテコッタィ・・・


221 : 名無しの笛の踊り[???] : 投稿日:2004/01/27 01:01:00ID:YL5rhz/i [1/2回]

クララともローベルトの作品の再校訂の際、一時期絶交状態にまで逝っちゃったらしいし・・・。
そういえば、ハンス・フォン・ビューローともケンカ別れしたらしいね。
もしかして、ヨハネスって嫌なヤツなのか?

439 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/11/07 11:01:26ID:okclb+A+ [1/1回]

ローベルトの交響曲第4番は、ブラームスが初稿をいたく気に入っていて
ローベルト没後に出版までしたのだが、クララはそれが気に入らなくて
一時は絶交寸前までいったという。

224 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/27 01:19:00ID:LVVJJ3On [1/1回]

大のイギリス嫌いで、オックスフォード大学から名誉博士号の授与式の招待状が届いた時も、クシャクシャの葉書に不参と書いてよこしたし、
熱烈なブラームス党のスタンフォードがハンス・リヒターに頼み込んで会いに行った時も、あからさまに無礼な扱いをしている。

226 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/28 21:36:00ID:g8rR9WI+ [1/2回]

リストがソナタを自演してくれたのに目の前で眠ってしまったというのが信じられん。


227 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/28 21:38:00ID:Ykx017xp [1/1回]

気持ちは分からなくもないです。
なんというか、ヘビメタを聞いてると眠くなるような感じ。

228 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/01/28 21:44:00ID:JnssQws1 [1/1回]

いくらなんでも失礼すぎるすぎるよなw


229 : 名無しの笛の踊り[age] : 投稿日:2004/01/28 23:07:00ID:g8rR9WI+ [2/2回]

いや、結構いい曲だと思うんだけど、リストのソナタ。
それをまったく理解しなかったというのが信じられないの。
失礼なのは勿論だけど。

230 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/01/28 23:11:00ID:JF+VyV9O [1/1回]

ソナタと思って聴いてたらやたら巨大な幻想曲みたいなのだったんで
途中でついていけなくなったんじゃないの?


483 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2004/12/28 00:10:08ID:0de8AXQ9 [1/1回]

 クララ自身の保守的な音楽性からいえば、 ロベルト・シューマンのもつ革新性より、ヨハネス・ブラームスの方が波長が合うし癒し系だったのかもしれないね。

484 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2004/12/29 06:50:51ID:U7hEvDB1 [1/1回]

ブラームスの革新性を理解してなかったんじゃあ
結局わかりあっていなかったことになるわけだが。


618 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/08 02:09:53ID:2Bdqnc3w [1/1回]

クララって完全に古典派じゃね?
リスト曲を猛烈に批判してたし
ロベルトとは合わない事も多そう

619 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/08 02:19:21ID:6ttRYsyx [1/1回]
>>618
だからブラームスとはめはめしてたんだよw


620 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/08 08:44:31ID:AJF3Lgn1 [1/1回]

ただちょぴんと比べて、シューマソは女性には恵まれたなと思う。
エルネスティネたんもわりあいにいい奥さんになったのではと言われてたし


621 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/13 13:25:41ID:Z+UYMddq [1/1回]

ブラームスが古典派よりも古典的形式に拘ったのはそのためだったのか・・・
クララに管理されてた哀れなヤツ。

851 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/07/25 16:09:04ID:9FRVmfi+ [1/1回]

 ブラームスの音楽趣味は、結局クララの超保守主義趣味の呪縛との切ない格闘、というより妥協なんだろうな。
 第4交響曲終楽章で超古いパッサカリアなんか持ち出してアリバイ証明やっているが、ホントは俺ってもっとロマンティック趣味なんだけどなあ、っていう切ないあきらめの感情が聴き取れる。
 第一楽章最初の『はあ〜』っていうため息はブラームスの全てだよ。

622 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/17 23:02:21ID:w8yRrZ2l [1/1回]

ブラームスはMなんだよ。
きっとクララに亀甲縛りをされていたに違いない。


623 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/17 23:14:09ID:B+XVdABG [1/1回]

俺、不器用だからあの縛り方出来るやつは
尊敬するな。

626 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/18 23:48:10ID:opNzNDer [1/1回]

可哀想なロベルト!
弱いロベルト!
自己分裂に苦しんだロベルト!
誠実だったロベルト!
嫉妬と猜疑心に狂ったロベルト!

ジェイムス・ディーンと同じく永遠の青春だ。
君をわが息子として抱きしめてやりたい。

628 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/21 07:24:19ID:54ZUMU9F [1/1回]

クララが淫乱なのは確か。


629 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/09/21 16:45:47ID:2440898c [1/1回]

 くららだけじゃなくて、女はみんな淫乱だぜ。
頭が拒否しても、カラダが受け入れるのさ。

632 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/09/23 14:16:10ID:aG3iBl1N [1/1回]
膣壁守るために濡れてくるのを
すべて感じてると思うヤツだよ。>>629


486 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/01 15:04:33ID:x5DVArHP [1/1回]

「丸山真男/音楽の対話」(中野雄)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E7%94%B7-%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E9%87%8E-%E9%9B%84/dp/4166600249/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1365325254&sr=1-1&keywords=%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E7%94%B7%2F%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%80%8D

を楽しんで読む。  あの知の巨人がこんな強烈なワグネリアンでありフルトヴェングラーに入れ込んでいたとは・・
ブラームスなんか無視されてまっせ。
好きな曲のなかにシューマン「交響練習曲」「ピアノ4重奏曲変ホ長調」が入っていてよかった。

ブラームスへの言及あり。

 「ブラームスは既存の『形式』の枠のなかでしか作品がかけなかった人です」

 「なんせ話す言葉が古すぎた。」

 「若い頃は『現代音楽』の作曲家として通用していたけれど、五十歳近くになったら『生ける古典』になってしまった。」
 
 ブラームスの革新性は「若い頃」の話で、クララに入れあげてからは、クララの古典趣味に染め上げられた生けるミイラに成り果てた・・と私は感じますた。

487 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/02 10:51:08ID:eB0JYFNo [1/1回]
>>486
それではなにゆえ、シェーンベルクがブラームスを「未来を先取りした進歩主義者」と評価したのでしょうか?
とくに、シンフォニーの4番。


488 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/02 11:25:27ID:SwW8sF0E [1/1回]

第1楽章第1主題のように、3度進行だけで旋律を作ったりしたところとか、じゃない?
俺はあれはただ単に旋律を書く才能の乏しかったブラームスの苦肉の策なだけではないかと思ってるが。
4楽章もバッハの旋律のパクリだし。

489 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/03 09:41:17ID:FokBzw6c [1/2回]

第4交響曲で、生けるミイラとなったこの小心者の心情を聴いてやってくれ。

第1楽章は、この孤独な男のため息と嘆き節だ。第1VnでHア〜・・
しかし、この小心者にも反骨心はあるようだ。諦めを通り越すと第4楽章で完全に居直ってしまう。毒(クララ)を食らわば皿(バッハ)まで・・。
 ハ単調でため息をつき、ホ短調で居直りやがった。
音楽家の感情言語とは、こういうものなのか。

501 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/01/12 18:47:26ID:othP7rZk [1/1回]

ピアノ協奏曲第1番て、なんか荒々しくてエロいよな。
これを作っていた時代は、クララへの想いを必死に胸の内に隠して一人悶々としていたに違いない。
毎晩、性欲を必死に押さえようと枕に猛烈なパンチを浴びせてたりしてw


502 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/14 23:29:07ID:uARB4osc [1/1回]

うーん、そうなのかなあ? 作曲期間中に、そんなの通り越したみたいだけど。

1856年 ローベルト没
1858年 ヨハネス、ピアノ協奏曲第1番を5年がかりで完成
1859年 ヨハネス、自身の独奏でピアノ協奏曲第1番を初演、大きな不評を買う


504 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/19 12:12:35ID:coas6Bik [1/1回]

ピアノ協奏曲1番作ったときにはいい歳だったのか。
それより前なら弦楽四重奏曲やピアノ四重奏曲あたりだな。
これはもうすごい曲だ。
面白みもなんにもない、ただ悶々としてるだけw

505 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/01/19 13:50:45ID:qSzKkKe3 [1/1回]

PC1は暗い性欲をようやく解放できたという曲なんだな、納得できる


941 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/10/09 19:03:50ID:hZO83RVy BE:361897676-2BP(0) [1/1回]

ブラームスって弾くの一番すきな作曲家。
昼どら顔負けの愛憎劇・・いい!


577 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/08 13:39:29ID:zHWJDdT4 [1/1回]

ブラームスの2つのラプソディ(No.2)を練習中なんですが、
ラシララシララシララシラと出てくる三連符は、
「彼自身の心がチクチクと病んでる事を表してるかもしれないし〜」
跳躍終わった後のラシラソ〜の所は
「彼の心に潜む悪魔を表現してるかも知れないし〜」
と先生に言われて、このスレ読んだら、この曲がいやらすぃ〜曲に聞こえるようになってしまった…


578 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/10 13:28:51ID:TeWPSHtD [1/1回]
>>577
エロチックな表現目指してガンガレ!


579 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/10 18:09:38ID:M6VMmaFW [1/1回]

序盤は熱情的にしかし、甚だしくないくらいの勢いで押し倒す。
途中で「不倫は良くない」と思うがそのまま徐々に服を脱がす。
3連符でねちっこく愛撫。左手交差の箇所は喘ぎ声。
を想像して、エロい演奏のうp宜しくw


582 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/06/20 02:16:33ID:RRmmibJy [1/1回]

2つの狂詩曲でエロい表現で弾いてるのは聞いたことがない!
演奏家関係無しに、これは良い曲だなぁ〜
ブラームスのピアノ曲ってしっとり系でも上手くペダルを使って低音残しながら弾くのは難しいですね。

610 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/08/27 23:45:05ID:vF6qAaEO [1/1回]

あたしヴァイオリン弾きなんだけどさ、ブラームスのヴァイオリンソナタの1番のことをクララがさ、

「繊細でうっとりさせるような最初の楽章、そして第2楽章のあと、第3楽章で大好きなわたしの旋律と再び出会ったときの喜びをわかっていただけると思います。
(中略)
たぶんそれをよりよく理解しうまく表現できる人はたくさんいるでしょうが誰もそれをわたしのように感じることはできません。」


これ読んだとき、ほんとすごいなーと思った。
あたしもこの曲大好きなんだけど、クララはあたしよりもっとこの曲が好きで、ブラームスを愛してたんだろうな、
そしてブラームスもクララを愛してたんだと思う。
この曲を聴くと無性に泣けてくるんだよね。

689 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2005/11/15 00:13:58ID:RXYn1aPB [1/1回]

ヨハネス好きは好き者。最近やっとヨハネスの良さがわかるようにw

690 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/19 10:12:45ID:6x9pw+Jv [1/1回]

今、ピアノ四重奏曲を聴いてるんだけど、これは凄いね。
行き場の無い悶々とした欲求がぶつかってくる感じ。


693 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/19 14:45:29ID:tY2xhKIn [1/1回]

もまいら、1ヶ月禁欲してクラリネット五重奏聴いてみれ。

704 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/28 19:57:02ID:S1kD/Woz [1/1回]

ブラームスは昼ドラ向きじゃないかと思う。
ピアノ協奏曲2番の第2楽章とか、ドロドロとした男女関係のドラマにピッタリじゃないの?

695 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 16:43:37ID:2QCZt/2o [1/2回]

当時のヨーロッパでは婚前交渉というか、特に独身女性の恋愛は厳しく禁じられていた。 でも一度結婚してしまえば、恋愛はある程度大目に見てくれたらしい。
だからフランスの貴婦人なんて、男をとっかえひっかえして恋愛を楽しんでたし、フランス文学でも、独身の男が上流夫人と恋愛するのが当たり前のように描かれている。

一方ではオナニーなんてのは男女関わらず蛇蝎のごとく忌み嫌われていた。
だから当時の独身男は相当ムンムンとしてたんだろうな。
ウェルテルみたいに、一日中相手のことを思いつめて自殺までしちゃうなんて禁欲でもしてなかったら出来ないよ、そんな事。

そんな歴史的背景からブラームスとクララの関係を考えると・・・
うーむ、隠微な世界だ。


696 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 17:33:26ID:CEB5j77F [1/1回]

日本人は逆だっけ。 当時日本にいた外国人が
「日本人は処女性をまったく大事に思っていない」
って


697 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 21:06:50ID:H8qWxxDk [1/1回]

そのころ日本はムラで誰かまわずはめはめしまくりだったんでしょ。

699 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2005/11/20 21:46:22ID:2QCZt/2o [2/2回]

祭りの夜は夜這い三昧だったらしい。
そんな風紀は領主も黙認。
日頃の鬱憤を晴らさせて庶民の反発を予防したんだってさ!

825 : 名無しの笛の踊り[] : 投稿日:2006/06/04 18:01:08ID:ng/0RzRZ [1/1回]

俺最近つくづく思うに、
女は40すぎてからがええな。
おんなは40過ぎて十全なおんなに生まれる。

826 : 名無しの笛の踊り[sage] : 投稿日:2006/06/07 18:28:00ID:qHFe1xOA [1/1回]

40過ぎて良くなるのは女だけじゃないね
ブラたんだってクラリネットトリオあたりまでずっと進歩したね
ドイツレクイエムとかsym1とかPC1とかもいいけどさ

熟して後がやっぱり芸に幅が出ているよ
年取っても腐ること無く、巧い具合に干物になって行ったね
http://www.logsoku.com/r/classical/1070849395/


46 :名無しの笛の踊り:2006/12/12(火) 08:57:15 ID:Xp8sdqFl

クララがブラームスの子を産んだということはぶらーむすにを愛していたからだという証だね。

42 :名無しの笛の踊り:2006/12/01(金) 16:39:35 ID:ll9IWUsW

ブラームスは両親も母親のほうがかなり年上だったし、年上の女性に特別な感情はあったんじゃない?


44 :名無しの笛の踊り:2006/12/02(土) 22:16:39 ID:8jA+PeTr

クララたんは40代後半でもキレイだし起つだろ!!

47 :名無しの笛の踊り:2006/12/15(金) 23:44:40 ID:P857knod

キモイとかいってるやつは年増の良い女を知らないからだろ。
3年前ぐらいに図書館の司書やってる42の女性を口説いたことがあった。
見た目は30中頃ぐらいだったけど。

浮気はしたくないと言ってなかなかガードが固かったけど、2、3ヵ月の間だけ付き合って、会うたびにラブホに行った。

肌を合わせたときの感触とか、低いうめき声とか、フェラとか、経験したことないぐらい快感を味わった。

結局、浮気の罪悪感で堪えられないと、ふられてしまった。
今でも時々図書館で見かけては挨拶するけど、まだ全然綺麗だ。
もう一回だけやらせてくれないかと思う。

45 :名無しの笛の踊り:2006/12/11(月) 10:27:57 ID:1w81IqOK

塾女(40代前半)はマジええわあ。
なんでも受け入れてくれる濃密さ。
はまりまっせ
http://mimizun.com/log/2ch/classical/1162301264/

ブラームスとクララの関係

ロベルト没後150年を経た現在でも不倫説が絶えないが、それを裏付けるものは全くない。事実として存在するのは、ブラームスとクララは生涯にわたって親交が深い友人であったということだけである。「フェリックスはブラームスの子供」という噂まで飛び交うほど、親密な付き合いであったといわれている。

なお、ブラームスはクララが没した翌年、後を追うように病没している。ブラームスはクララの危篤の報を受け取り汽車に飛び乗ったが、間違えて各駅停車の列車に乗ったために遠回りとなり葬儀に立ち会えず、ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い、閉じられた棺を垣間見ただけであったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3#.E3.83.96.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.82.B9.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82


06. 中川隆 2013年4月07日 20:21:10 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


                                           ,. -―._====>ミ'ヽ、
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           ,. '"    u  /         ヽ、(   {:l/ ./l      、 ヾ,、}    ::::::::::::.Yi芽.l-‐|
        ,. '"  _,.っ,,.__o゚ノ            ヽ`゙'ー--‐'".:::::l         ノ'       ::::::::ノ'"}lメ! ,レ
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07. 2013年4月07日 22:58:43 : W18zBTaIM6


ブラームスの室内楽の名盤

恋人たち Les Amants (1958)

監督:ルイ・マル
出演:ジャンヌ・モロー アラン・キュニー

音楽:Johannes Brahms: String sextet in B flat Major, Op. 18, II. Andante, ma moderato
http://www.youtube.com/watch?v=o0B8LqiReuQ
http://www.youtube.com/watch?v=BgSJDuyrvWI
http://www.youtube.com/watch?v=Mtnf1dWh3Us

Brahms-Sextet for Strings No. 1 in B flat Major Op. 18
Isaac Stern, Alexander Schneider: violin-Milton Katims, Milton Thomas: viola-Pablo Casals, Madeline Foley: cello-Prades-1952
http://www.youtube.com/watch?v=u_e86keYgfc

Brahms Sextet No 1, Busch chamber players
Live recording 1949 (at Strasbourg, France)
http://www.youtube.com/watch?v=nibckB_Pwjk
http://www.youtube.com/watch?v=3-B78GfGwxQ
http://www.youtube.com/watch?v=ZYxvw_Ni7zE
http://www.youtube.com/watch?v=zN15eh0RtZM&playnext=1&list=PL0A527C326AD20DC0&feature=results_video


Brahms - M. Hess, I. Stern, P. Casals (1952) Trio op. 8
http://www.youtube.com/watch?v=-tNY_ZvDSOM

Brahms Horn Trio in E flat Op. 40 Aubrey Brain, Adolf Busch, Rudolf Serkin
1933 recording
http://www.youtube.com/watch?v=FdoVtmGtXgA&list=PL47FDDA19837B8DE9&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=nFfqMOJWkHg&playnext=1&list=PL47FDDA19837B8DE9&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=9VnXzfxf_DQ&playnext=1&list=PL47FDDA19837B8DE9&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=WiTC3ozl6-s&playnext=1&list=PL47FDDA19837B8DE9&feature=results_video


Brahms - Piano Quartet No. 1 in G minor, Op. 25
Hungarian String Quartet Released in 1965
http://www.youtube.com/watch?v=Y2nC91PkvAc
http://www.youtube.com/watch?v=Q9QMmkTaN90
http://www.youtube.com/watch?v=fnP3XDKEChc
http://www.youtube.com/watch?v=AHqT-e75GOQ

Brahms: Piano Quintet in F Minor Op. 34
Budapest String Quartet with Clifford Curzon.
http://www.youtube.com/watch?v=OD_UXK1NIbo&playnext=1&list=PLGr7KRkGKSAoZe28wZtp6-iu6-CA3Nf3P&feature=results_video

Brahms-Quintet for Piano and Strings in f minor op. 34 (Complete)
Rudolf Serkin: piano-Budapest String Quartet -1963
http://www.youtube.com/watch?v=ff-LGGl4wCU&playnext=1&list=PLGr7KRkGKSAoZe28wZtp6-iu6-CA3Nf3P&feature=results_video


Brahms String Quintet No1 in F
Budapest String Quartet Alfred Hobday 1936 recording
http://www.youtube.com/watch?v=ELTPiOSAmaU

Busch String Quartet - Brahms Quartet #1, Recorded in 1932.
http://www.youtube.com/watch?v=1E7pUkIh6Hk
http://www.youtube.com/watch?v=AQcMg6-QtHg
http://www.youtube.com/watch?v=4YcGeLR8YdU
http://www.youtube.com/watch?v=RnyYFvvmNWc


The Busch String Quartet, 1947 - Brahms, String Quartet in A minor, op. 51, no. 2
Recorded June 19, 1947.
http://www.youtube.com/watch?v=NC6qKsfRv94


Busch String Quartet, 1949 - Brahms, String Quartet No. 3 B-flat major, op. 67
Recorded May 17 & 21, 1949
http://www.youtube.com/watch?v=7Eqyas2zWG0
http://www.youtube.com/watch?v=7Eqyas2zWG0&playnext=1&list=PL0A527C326AD20DC0&feature=results_video

Brahms-String Quartet No. 3 in B-flat Op. 67 (Complete)
Budapest String Quartet-1964
http://www.youtube.com/watch?v=4IZ5hQjP-t4

Adolf Busch- Sonata n°1 Brahms Live recording on 13 October 1936; London
http://www.youtube.com/watch?v=W2eCcKsYLeQ&list=PLE68BA910650F7FB0&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=qFPwPu1hTT4&list=PLE68BA910650F7FB0&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY&list=PLE68BA910650F7FB0&index=3


Adolf Busch and Rudolf Serkin - Brahms Sonata in G London, May 4, 1931.
http://www.youtube.com/watch?v=KRSZB2fdYws


Adolf Busch - Brahms Sonata No 2 Rudolf Serkin, piano Rec. 1930's
http://www.youtube.com/watch?v=4zUlktSUl_w&playnext=1&list=PL4A2E5258B6B24945&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=4u1YxQc-3wg&playnext=1&list=PL4A2E5258B6B24945&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=dNkrCy9xJ7o&playnext=1&list=PL4A2E5258B6B24945&feature=results_video

Busch-Serkin play Brahms Sonata #3 Live recording on March 9 1939
http://www.youtube.com/watch?v=u1jk3uvJjSs&list=PL283836271A755294&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=DpwY1Gw9DEE&list=PL283836271A755294&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=Q14a09QSVzw&list=PL283836271A755294&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=SwlaPX7KzXg&list=PL283836271A755294&index=4

Szigeti - Brahms Violin Sonata #3 Recorded in 1937. Egon Petri, piano
http://www.youtube.com/watch?v=MO5WTCnaEUg
http://www.youtube.com/watch?v=CGr9YY6x5cU
http://www.youtube.com/watch?v=eRhRThcRd3o
http://www.youtube.com/watch?v=mD7B7cVNjaA

Brahms-Cello Sonata no.1 in e minor op. 38 (Complete)
Pablo Casals: cello-Mieczislaw Horszowski: piano-Live-Prades-1958
http://www.youtube.com/watch?v=J4Gh0gS6uBQ


Pablo Casal
s plays Brahms Cello Sonata No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=x9lVuLNMWsQ
http://www.youtube.com/watch?v=wghTIeb41ig
http://www.youtube.com/watch?v=16OMIvMY9vA
http://www.youtube.com/watch?v=hWlcC5dJd40


08. 2013年4月07日 23:43:07 : W18zBTaIM6

ブラームスのピアノ曲の名盤

グレン・グールド(Glenn Gould, 1932年9月25日 - 1982年10月4日)


グレン・グールドの神レコ ブラームス 4つのバラード Op.10
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14095943
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14302783
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14302792
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14302796

Glenn Gould plays Brahms Ballade Op 10 No 1 in D minor
http://www.youtube.com/watch?v=Tc2gUk6Ag-0&list=PLEC25B21D61251E76&index=1

Glenn Gould plays Brahms Ballade Op 10 No 2 in D major
http://www.youtube.com/watch?v=lN62IF_3Lbg

Glenn Gould : Brahms Balladen Op.10-3 b-moll
http://www.youtube.com/watch?v=rflHddNo1Nc

Glenn Gould plays Brahms Ballade Op 10 No 4 in B major
http://www.youtube.com/watch?v=ifpMALIMcCY&list=PLEC25B21D61251E76&index=3

Brahms intermezzo in A minor Op 76 no 7
http://www.youtube.com/watch?v=-y1MY5WEYYc


グレン・グールドの神レコ ブラームス 2つのラプソディ Op.79
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14302811
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14302823

Glenn Gould plays Brahms Rapsodies Op 79 no 1 in B minor
http://www.youtube.com/watch?v=d6LT4l3WuiU

Johannes Brahms - Rhapsody in G minor Op.79 No.2 - GLENN GOULD
http://www.youtube.com/watch?v=AZZwmhjY6VE

Glenn Gould - [Brahms] Intermezzo in E major, Op. 116, No. 4
http://www.youtube.com/watch?v=NRx-yB7pD7U


Brahms - Intermezzo Op.117-1
http://www.youtube.com/watch?v=YD8i0jUmbF8

Brahms intermezzo in B flat minor Op 117 no 2
http://www.youtube.com/watch?v=X7sXUA00kv8

Brahms - Intermezzo Op.117-3
http://www.youtube.com/watch?v=OxObXhtQoBY&playnext=1&list=PL8D03B0E23F4576AB&feature=results_video


Brahms: Intermezzo in a, Op.118 No.1
http://www.youtube.com/watch?v=4o2t8GVpBxQ&playnext=1&list=PL1E07D872346EA7BC&feature=results_video

Glenn Gould - Brahms Intermezzo no:2 in A major Op. 118
http://www.youtube.com/watch?v=5JwKDzPlYQs
http://www.youtube.com/watch?v=N2g21w604Bg&playnext=1&list=PL432606BB05668865&feature=results_video

Brahms intermezzo in E flat minor Op 118 no 6
http://www.youtube.com/watch?v=WMjxw08BFh0
http://www.youtube.com/watch?v=Mphx48fs6nY

Brahms Intermezzo op.119 n.1 - Gould
http://www.youtube.com/watch?v=X_K8m9H_kao


Glenn Gould plays Ten Brahms Intermezzi - Intermezzo in B-flat minor, Canon 60D
http://www.youtube.com/watch?v=tSQfbJ2sF8s

Glenn Gould: Recording Brahms
http://www.youtube.com/watch?v=ePgsdXmKixY


09. 2013年4月08日 01:08:39 : W18zBTaIM6

ヴィルヘルム・バックハウス
(Wilhelm Backhaus、1884年3月26日ライプツィヒ - 1969年7月5日フィラッハ)


Wilhelm Backhaus plays Brahms Hungarian Dances No. 6 and No. 7 rec.1934
http://www.youtube.com/watch?v=1i2iMU3O2QM

Brahms' Scherzo in E-Flat Minor, Op. 4 - Wilhelm Backhaus, piano
1933 recording
http://www.youtube.com/watch?v=bQoCr0FbI2g

Wilhelm Backhaus - Brahms: Ballade "Edward", D minor Op. 10-1
Recorded in 1932.
http://www.youtube.com/watch?v=sf9ul0ZCzmc

Wilhelm Backhaus plays Brahms Ballade in D Op. 10 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=CDw9k4UFUmw

W. Backhaus (1933) - Brahms - Ballade op. 10 n°01
http://www.youtube.com/watch?v=74V77U8foxo

W. Backhaus (1933) - Brahms - Ballade op. 10 n°02
http://www.youtube.com/watch?v=gmIecAC8BWU&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=9

Wilhelm Backhaus plays Brahms Paganini Variations Op. 35 (rec. 1916)
http://www.youtube.com/watch?v=lajRaGeMMf8

Wilhelm Backhaus Plays Brahms Op. 35 Variations on a Theme by Paganini, in a 1924 Duo Art Roll
http://www.youtube.com/watch?v=4dhzOdmvAOQ

Wilhelm Backhaus plays Brahms Paganini Variations Op. 35 recorded in 1929
http://www.youtube.com/watch?v=7slMrXTcUZk

Backhaus: Brahms Paganini Vars Book II
http://www.youtube.com/watch?v=7nVy8DKnZiE


W. Backhaus (1933) - Brahms - Waltzes op. 39 - 1 à 12
http://www.youtube.com/watch?v=D3S--aAuwig

W. Backhaus (1933) - Brahms - Waltzes op. 39 - 13 à 16
http://www.youtube.com/watch?v=i3VOcd3Rw44&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=15

Brahms Intermezzo Op.117 Waltzes Op.39 1&2 Backhaus Rec 1930
http://www.youtube.com/watch?v=ONzB_BJO48w

Brahms - W. Backhaus (1932) - Klavierstücke op 117 1 &2 + 2 waltzes op. 39
http://www.youtube.com/watch?v=VLbb3Dsvo7g


[Wilhelm Backhaus] Brahms: Capriccio in b, Op.76 No.2
Recorded from radio(station) approximative 1956
http://www.youtube.com/watch?v=SP2XHD-5mCE


Brahms - W. Backhaus (1932) 2 rhapsodies op 79
http://www.youtube.com/watch?v=4cr9TH3WmdI

W. Backhaus (1933) - Brahms - Rhapsodie op 79 n° 01
http://www.youtube.com/watch?v=BOyVdq4Wwq8

W. Backhaus (1933) - Brahms - Rhapsodie op 79 n° 02
http://www.youtube.com/watch?v=U-rXaeUPK3g&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=10


W. Backhaus (1935) - Brahms - Klavierstücke op. 117 - Intermezzo n° 01
http://www.youtube.com/watch?v=oZJatUTgwL0

W. Backhaus (1935) - Brahms - Klavierstücke op. 117 - Intermezzo n° 02
http://www.youtube.com/watch?v=rSTuftbDhUg&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=2

Brahms - Wilhelm Backhaus: Intermezzo in E flat major, Op. 117, No. 2 - Recorded November 1956
http://www.youtube.com/watch?v=n0DlXdDjLrU

Brahms: Six Piano Pieces Op.118
http://www.youtube.com/watch?v=7nexldBRyhU

Brahms - W. Backhaus (1932) Klavierstücke op 118
http://www.youtube.com/watch?v=kJyvJ7_Tnpk

W. Backhaus (1933) - Brahms - Klavierstücke op. 118 - first part (WOW!!)
http://www.youtube.com/watch?v=JG66pQ9g4MY

W. Backhaus (1933) - Brahms - Klavierstücke op. 118 - 2nd part (WOW!!)
http://www.youtube.com/watch?v=mkPkYLi3p4A&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=4

Backhaus (1933) - Brahms - Klavierstücke op. 118 - 3rd part (WOW!!)
http://www.youtube.com/watch?v=waY-NZybK38&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=5

W. Backhaus (1933) - Brahms - Klavierstücke op. 118 - final part (WOW!!)
http://www.youtube.com/watch?v=cRirwoeYsdk&list=PL01273C8A7B50C8A9&index=6

Backhaus Brahms Intermezzo, Op.118, No.2
http://www.youtube.com/watch?v=bEy_j8GelnM

Brahms - Wilhelm Backhaus: Ballade in G minor, Op. 118, No. 3 - Recorded November 1956
http://www.youtube.com/watch?v=cJ8HV5MnpM4&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=31

Brahms Intermezzo Op 118 No.6,Backhaus
http://www.youtube.com/watch?v=VL1sel5KokE


Wilhelm Backhaus, 1933-34-35 - Brahms
http://www.youtube.com/watch?v=-HNPzIaMYnk


10. 2013年4月08日 21:02:37 : W18zBTaIM6


スヴャトスラフ・リヒテル ( Sviatoslav Richter、1915年3月20日 - 1997年8月1日)

Brahms: Piano Sonata No. 1 - Richter
http://www.youtube.com/watch?v=ZcryruLBC5o
http://www.youtube.com/watch?v=3QMD5F0n-a8

http://www.youtube.com/watch?v=sUORBCz0LBA


Brahms - Piano Sonata No. 2, F sharp minor, Op. 2
http://www.youtube.com/watch?v=D63iQngnHgc&playnext=1&list=PL2F81B16318490F5D&feature=results_main
http://www.youtube.com/watch?v=z_HkEMNo7g8
http://www.youtube.com/watch?v=k-SAABsJjag
http://www.youtube.com/watch?v=dhjXqHf5J5g
http://www.youtube.com/watch?v=7fY4BhUDD7k


Richter Brahms Variations Op.21/1 Live 1988
http://www.youtube.com/watch?v=9ZHbvEBUwPs

Sviatoslav Richter plays Brahms Variations Op. 21 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=H-hsdOZ8FiU

S. Richter - Brahms (live 1988) - Variations Händel op. 24 (ma version préférée!!)
http://www.youtube.com/watch?v=8xsEW2dgkow&list=PL3B25C68D6A61A301&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=von5vy9NUMo&list=PL3B25C68D6A61A301&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=PoKvw9awE6s&list=PL3B25C68D6A61A301&index=3

Sviatoslav Richter plays Brahms "Variationen über ein Thema von Paganini" Book I Op. 35/1
http://www.youtube.com/watch?v=sCyt7Trj9Kk


Richter - Brahms, Intermezzo b-moll
http://www.youtube.com/watch?v=Htp6AwHUGhk

Sviatoslav Richter plays Brahms Ballade Op. 10, No. 2 Live recording, 1964
http://www.youtube.com/watch?v=u-TgHzOJxwE

S. Richter - Brahms Ballades 1, 2 op 10; Capriccio C major op.76/8
http://www.youtube.com/watch?v=GKXTMEWRQDk

Richter Atomica 04 - Brahms Rhapsody Op.79
http://www.youtube.com/watch?v=3GX2eAq3bxw

Sviatoslav Richter - Brahms Rhapsody G Minor Op.79/2
http://www.youtube.com/watch?v=32F9PcC31OQ


Brahms INTERMEZZO IN E MINOR, Op,116,No.5 (S.Richter)
http://www.youtube.com/watch?v=wSsobHfa37A

Sviatoslav Richter - Brahms Piano Pieces Op.116 /3,5,6,7 Op 118/1
http://www.youtube.com/watch?v=dyxQUT6Nj3Y


Sviatoslav Richter in Leipzig - Brahms Intermezzo op 118 6
28 November 1963 recital in Leipzig
http://www.youtube.com/watch?v=crrxk6ptsFc


Richter plays Brahms Klavierstücke Op.119 (Kiev, 1965)
http://www.youtube.com/watch?v=Wl0F8j54tA0

Sviatoslav Richter plays Brahms Klavierstucke, op. 119 8 January 1959 in Moscow
http://www.youtube.com/watch?v=QwFqlrTNftQ
http://www.youtube.com/watch?v=WI6ImduLgB0

S. Richter plays Brahms intermezzo Op 119 No 1
http://www.youtube.com/watch?v=ACOvOqLqCkM

Richter plays Brahms Intermezzo Op.119 No.3
live in Leipzig, November 28th 1963
http://www.youtube.com/watch?v=qWB6jsmjaGA


Sviatoslav Richter - Tokyo 1974 encores: Beethoven and Brahms
http://www.youtube.com/watch?v=kFGqRNc0geM


11. 2013年4月08日 21:35:15 : W18zBTaIM6

アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov、1920年5月5日-1993年7月29日)

Anatoly Vedernikov plays Brahms Sonata No.3 in F minor Op. 5
http://www.youtube.com/watch?v=jyXIIOVcgxc
http://www.youtube.com/watch?v=1HEfsOF0_TA
http://www.youtube.com/watch?v=vsX_tcHRBnc
http://www.youtube.com/watch?v=rfg1JD4SWjU


Anatoly Vedernikov plays Brahms Handel Variations Op. 24
http://www.youtube.com/watch?v=WHOoTQvwGg4
http://www.youtube.com/watch?v=HffIT8QEuLo

Anatoly Vedernikov plays Brahms Paganini Variations Book 1
http://www.youtube.com/watch?v=5ViZ6pdhwi0

Anatoly Vedernikov plays Brahms Paganini Variations Book 2
http://www.youtube.com/watch?v=4Ffe7kNJjW0


Anatoly Vedernikov plays Brahms Intermezzo in A major, Op.118 No.2
http://www.youtube.com/watch?v=YLfPdTHT65o

Anatoly Vedernikov plays Brahms Intermezzo in E-flat minor, Op.118 No.6
http://www.youtube.com/watch?v=unFuvCXY-O0


12. 2013年4月08日 21:41:55 : W18zBTaIM6

アンダ・ゲーザ(Anda Géza, 1921年11月19日 ブダペスト - 1976年6月14日)

Geza Anda - Brahms Variations on a Theme by Paganini Op. 35 live, 1955
http://www.youtube.com/watch?v=yr-PWQ-eZ-Y&playnext=1&list=PL6C0D44823EFD7405&feature=results_video

Brahms - Geza Anda (1957) - Intermezzi op 117 n°1&2
http://www.youtube.com/watch?v=b8wTR_nb4t4


13. 2013年4月08日 22:40:36 : W18zBTaIM6

エリック・ハイドシェック(Éric Heidsieck, 1936年8月21日 - )

Chopin - Ballade No. 1 in G minor, Op. 23 (Eric Heidsieck)
http://www.youtube.com/watch?v=1a92hbkKq9Y

Chopin - Ballade No. 2 in F major, Op. 38 (Eric Heidsieck)
http://www.youtube.com/watch?v=KTPt3MmZlMM

Brahms - Eric Heidsieck - Klavierstücke op. 118 - 04 - Intermezzo
http://www.youtube.com/watch?v=QKy4BlaEoCo


14. 2013年4月09日 18:16:50 : W18zBTaIM6

今日聴いたのは、ハスキルのブラームスの室内楽。

ハスキルがソリストとしてだけではなく、稀代の室内楽の名手であったことは、いまさら書くまでもない。とくにグリュミオーと組んだモーツァルトとベートーヴェンのソナタ集は、あまりにも有名だ。

でもブラームスの室内楽となると、1949年にコンサートホールソサエティに録音したこのピアノ五重奏曲以外に音源は残っていないのではないかしら。

ブラームスのピアノ五重奏曲というと、私には忘れられない思い出がある。

4年前の10月にサントリーホールで聴いたポリーニとブラッハーたちの演奏である。

その日は、前半がザビーネ・マイヤーたちのモーツァルトのクラリネット五重奏曲で、後半がポリーニを中心とするブラームスのクインテットというプログラムだった。

前半のモーツァルトが春を想わせる明るい暖色系の音楽であったのと対照的に、ポリーニたちが描いたブラームスの色は、ずばりブルー。それも、うっかり近づくと吸い込まれてしまいそうな深い青を基調にしたものだった。

このときほど、音楽を聴きながら「色」を感じたことはない。

ポリーニ、ブラッハー、クリスト、ブルネロといった当代きっての名人たちが思い描くブラームスとは、まさにこんな色だったのだろう。

でも、それがまたこの曲には実によく合っていた。

それに比べると、ハスキルたちのブラームスは、はるかに暖かい。

第一楽章の冒頭、16分音符を刻むハスキルのピアノが、なぜこんなに心地よく感じるんだろう。

リズムはしなやかな弾力性を持ち、ひとつひとつの音はあくまでも明瞭。でも決して冷たくない。

本当に不思議なピアニストだ。

そして、この演奏の白眉は第三楽章にある。

とりわけトリオの素晴らしさは、目頭が熱くなるほどだ。

チェロのリズミックな低音に支えられて、ハスキルのピアノが豊かに歌いあげる。
このヒューマンな暖かさは、まぎれもないハスキルの世界。

そして、ハスキルのピアノを引き継ぐヴァイオリンがこれまた素晴らしい。

このときのヴァイオリンはペーター・リバールだが、リバールといえばヴィンタートゥール交響楽団のコンサートマスターであり、名盤として知られるシェリングのバッハ協奏曲全集(一回目の録音)においても、見事な第2ソロヴァイオリンを聴かせてくれていた。

しかし、このブラームスでは、ハスキルに触発されてさらに輝いている。
彼のゆるやかなポルタメントを伴った魅惑的な歌いまわしを聴いて、心動かされない人はいないと思う。

あー、素晴らしいブラームス!

このディスクを聴いていても、ハスキルは決して前面にしゃしゃり出てこない。
しかし、彼女がいったんピアノを弾き出した途端に、周りの空気を瞬時に暖かく変えてしまうのだ。

たとえ、大胆に振る舞う場面があったとしても、その暖かい雰囲気は変わらない。
こんなハスキルと組んで演奏出来た人たちは、さぞかし幸せだったことだろう。
その幸福感は、いまディスクを通して私たちにも伝わってくる。



ブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調 op.34

■クララ・ハスキル(ピアノ)
■ペーター・リバール(ヴァイオリン)
■クレメンス・ダヒンデン(ヴァイオリン)
■ハインツ・ヴィガンド(ヴィオラ)
■アントニオ・トゥシャ(チェロ)
録音1949年(チューリッヒ)


Brahms piano quintet Clara Haskil & Winterthur Quartet
http://www.youtube.com/watch?v=jcrb-9MTkfs
http://www.youtube.com/watch?v=ZgjEFeplz2A


Clara Haskil Brahms Intermezzo op 76 n°4
http://www.youtube.com/watch?v=r4r2Yx08g2Y

Brahms - Clara Haskil -Intermezzo Op 76 No 4 in Bb Private rec 1958
http://www.youtube.com/watch?v=l3-ZgZfcd48

Brahms - Clara Haskil - Capriccio Op 76 No 5 in C# minor Private rec 1958
http://www.youtube.com/watch?v=21bZUmipRVQ


15. 2013年4月09日 18:39:36 : W18zBTaIM6

マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich[1], 1941年6月5日 - )


Brahms. Sonata in F minor for two Pianos - I. Martha Argerich & Lilya Zilberstein
(Transcription of Piano Quintet, Op. 34)
http://www.youtube.com/watch?v=O2DCu0vNJHM
http://www.youtube.com/watch?v=JWI87SYdTm8
http://www.youtube.com/watch?v=krin7b4G0lg
http://www.youtube.com/watch?v=rVH0actvDOo

Johannes Brahms Piano Quartet Op.25
Martha Argerich - piano, Yuri Bashmet - viola, Gidon Kremer - violin and Mischa Maisky - violoncello
http://www.youtube.com/watch?v=LVc3plB7ic8
http://www.youtube.com/watch?v=RnY0Ir7EAS4&playnext=1&list=PL0065B9B8B2EA07A0&feature=results_video


Brahms Variations on a theme by Haydn Martha Argerich Nelson Freire
http://www.youtube.com/watch?v=RWWc2UWNnoU

martha argerich brahms
http://www.youtube.com/watch?v=o-eeqKGzst0

J. Brahms - Rhapsody Op.79 No.1 in B Minor: Agitato - Martha Argerich
http://www.youtube.com/watch?v=6Bvf5RLujCU

J. Brahms - Rhapsody Op.79 No.2 in G Minor: Molto passionato ma non troppo allegro - Martha Argerich
http://www.youtube.com/watch?v=z3QYzlN3knY

Martha Argerich plays Brahms Rhapsody in G minor
http://www.youtube.com/watch?v=Sr2q8-Sr__A


Brahms. Waltz Op. 39 No. 14 for two pianos - Martha Argerich & Alexandre Rabinovitch
http://www.youtube.com/watch?v=O9Th78OrEVc

Brahms - Souvenir de Russie (Argerich-Ebi)
http://www.youtube.com/watch?v=OZFCCzsgl84


16. 2013年4月09日 18:49:51 : W18zBTaIM6

エリー・ナイ(Elly Ney, 1882年9月27日 デュッセルドルフ - 1968年3月31日 トゥッツィング)

Elly Ney plays Brahms Sonata No.3 in F minor Op. 5
http://www.youtube.com/watch?v=Exn8hoGeVCU
http://www.youtube.com/watch?v=cJGSK1Y_GOc
http://www.youtube.com/watch?v=SfAgXsNIMtQ

Elly Ney plays Brahms Intermezzo in E flat Op. 117 No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=OEda4ybss-M

Elly Ney plays Brahms Rhapsody in E flat Op. 119 No. 4
http://www.youtube.com/watch?v=sLEioqhSu4k&playnext=1&list=PL45836755930567BB&feature=results_video


17. 2013年4月09日 19:50:23 : W18zBTaIM6

マイラ・ヘス(Dame Myra Hess DBE, 1890年2月25日 - 1965年11月25日)

ヘス&ワルターのブラームス:ピアノ協奏曲第2番(1951年ライヴ)、


英国の偉大なピアニスト、デイム・マイラ・ヘスと共演のブラームスのピアノ協奏曲第2番は名演としてワルター・ファンの間では有名な録音。

ヘスはワルターが高く評価していた名ピアニストであり、これは貴重なライヴ録音。

女流ながら構えが大きく、決然たる威厳に満ち、すべての音が鳴り切ったシンフォニックな響きは男性的とさえ言えよう。

第2楽章の強靱でいて情熱的な弾きっぷりと前進性もすばらしい。

しかも第1楽章では、ときにリズムを崩して不健康な味を見せたり、第3楽章では音の一つ一つに心をこめぬき、極めて意味深い名演を成しとげているのだ。

それでいて流れが停滞することはいっさいないのである。

ワルターの指揮も立派だ。

終始、厚みと充実感と豊かな歌があり、むせるようなロマン、いじらしさ、熱狂的な追い込みなど、音楽を堪能させてくれる。

第3楽章における美しい情感の表出は、これがほんとうのブラームスという気がする。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53828291.html


Myra Hess plays Brahms Piano Concerto No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=EDssKb3K6vQ
http://www.youtube.com/watch?v=bvHBUpGK27A
http://www.youtube.com/watch?v=GMPlXXaEA6k
http://www.youtube.com/watch?v=XULaPShbaO0
http://www.youtube.com/watch?v=FGPGlPR1hJY
http://www.youtube.com/watch?v=OsimL9Mjasc

Brahms-Piano Trio in B Major op. 8 (Complete)
Isaac Stern: violin-Pablo Casals: cello-Myra Hess: piano-Prades-1952
http://www.youtube.com/watch?v=6ofjiwDckSM

Brahms-Violin Sonata No. 2 in A Major Op. 100 (Complete)
Isaac Stern: violin-Myra Hess: piano-Live-Edinburgh-1960
http://www.youtube.com/watch?v=edrbAGfLunI

Brahms - Waltz in A flat Op 39, No 15 - Myra Hess.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=8vpvUYA02t4

Myra Hess plays Brahms Intermezzo opus 117 no. 1
http://www.youtube.com/watch?v=pIbNDZW2dF4

MYRA HESS - CAPRICCIO IN B MINOR OP 76, NO. 2 (J. BRAHMS)
http://www.youtube.com/watch?v=pZfL0AHJcqM

Dame Myra Hess (1890-1965) plays Brahms Capriccio op.76-2 Rec.1928
http://www.youtube.com/watch?v=NeEsIGU_J78

MYRA HESS - INTERMEZZO IN A FLAT, OP. 76, NO. 3 (J. BRAHMS)
http://www.youtube.com/watch?v=_eJSUL7hHfs

Myra Hess plays Brahms Piano Pieces opus 119/3, 116/7, 76/3
http://www.youtube.com/watch?v=g-gD3C1vqQE

Brahms - Intermezzo in C, Op. 119, No.3 - Dame Myra Hess.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=cf9j_d-YTO8&playnext=1&list=PL2869B1BF90BB39BC&feature=results_video


18. 2013年4月09日 22:57:58 : W18zBTaIM6

アイリーン・ジョイス(Eileen Alannah Joyce CMG、1908年1月1日 - 1991年3月25日)


Eileen Joyce Romancing with Brahms
http://www.youtube.com/watch?v=as9VDme8JIM&playnext=1&list=PLE9C8E719EBB51CC4&feature=results_main

Eileen Joyce plays Brahms Intermezzo in A major Op. 118 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=xaACtvDl180&playnext=1&list=PLC78C2B56EE4657DA&feature=results_video

Eileen Joyce plays Brahms Intermezzo in C major opus 119 no. 3
http://www.youtube.com/watch?v=R9VQ0magVnI

Eileen Joyce plays Brahms Rhapsody in E flat major opus 119 no. 4
http://www.youtube.com/watch?v=Bbop6bHAWrA


19. 2013年4月09日 23:08:54 : W18zBTaIM6

エレーヌ・グリモー(Hélène Grimaud, 1969年11月7日 - )

Helene GRIMAUD plays Brahms piano sonata No.3-3st mov
http://www.youtube.com/watch?v=oHGk7hRyycg

Brahms : Fantasias for piano, Op. 116 (Hélène Grimaud)
http://www.youtube.com/watch?v=F0Pduvof-jw

Brahms : Diei Intermezzi for piano, Op. 117 (Hélène Grimaud)
http://www.youtube.com/watch?v=44zPts7lzyc

Brahms : Klavierstücke, Op. 118 (Hélène Grimaud)
http://www.youtube.com/watch?v=5keb4AnTFiU

Brahms : Klavierstücke, Op. 119 (Hélène Grimaud)
http://www.youtube.com/watch?v=QBS572qvoZw


20. 2013年4月09日 23:59:21 : W18zBTaIM6

Horowitz / Toscanini, 1935 - Brahms, Piano Concerto No. 1 in D minor, Op. 15
http://www.youtube.com/watch?v=g5YOIHCucBo


horowitz toscanini live brahms concerto #1
scratchy audio only. vladimir horowitz plays brahms piano concerto #1, mvt3, march 1935, nyc, live, cond. arturo toscanini, recorded from the radio. this performance was never officially released on record
http://www.youtube.com/watch?v=pfq4-Il4-dk&list=PLC72927ACC7BF84B7&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=pfq4-Il4-dk&list=PLC72927ACC7BF84B7&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=KspFtrFHXOA&list=PLC72927ACC7BF84B7&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=PfFEOElrLz4&list=PLC72927ACC7BF84B7&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=m-xrOYT3-nc&list=PLC72927ACC7BF84B7&index=5


horowitz plays brahms piano concerto #1
1935, amsterdam, bruno walter cond., live recording from radio. no official recording of this performance was ever issued.
http://www.youtube.com/watch?v=WsoiJ-nlhP8&list=PL7B7FC7664BCC37EB&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=dvBdiMfj83w&list=PL7B7FC7664BCC37EB&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=FDvvCr4KQss&list=PL7B7FC7664BCC37EB&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=Tnuf_nx51xI&list=PL7B7FC7664BCC37EB&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=Tnuf_nx51xI&list=PL7B7FC7664BCC37EB&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=egWfN-aFv8k&playnext=1&list=PL5AB03E60E803434D&feature=results_video


Brahms Concerto No.2 in B flat, op.83
Horowitz in Lucerne 1939
Orchestra of International Music Festival, Lucerne Arturo Toscanini
http://www.youtube.com/watch?v=1fW8GH6MYd0
http://www.youtube.com/watch?v=OBvZIo-uIbk


Toscanini - Horowitz - 1940 - Brahms, Piano Concerto No. 2 in B-flat major, Op. 83
http://www.youtube.com/watch?v=hQJBm44Qc3g


Brahms Piano Concerto n2 op.83 - Horowitz - Toscanini - NBC - unpublished Live rec. 1945
http://www.youtube.com/watch?v=YBGK_GKK1-Q

Brahms-Piano Concerto No.2 Op. 83 / Vladimir Horowitz-Piano
Live Recorded 1945 ,Februar 19 Carnegie Hall-New Yourk
Toscanini-Conductor
http://www.youtube.com/watch?v=Kco0RfK8XNk


Horowitz & Milstein playing Brahms Sonata no3
http://www.youtube.com/watch?v=bSfYWhkC2uw

Milstein/Horowitz - Brahms Violin Sonata No. 3 in D Minor, op. 108
http://www.youtube.com/watch?v=6ur6vzEolMI
http://www.youtube.com/watch?v=oZmMQ2GVQ6E&list=PL4AD7C1F3F29F002F&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=-bEW_HxKFas&list=PL4AD7C1F3F29F002F&index=3


Brahms Intermezzo op 117 No 2 B flat Horowitz Rec 1951
http://www.youtube.com/watch?v=RooR3nsYWzw

Horowitz plays Brahms Intermezzo op.118 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=v-wISgt84TY


21. 2013年4月10日 00:12:11 : W18zBTaIM6

トスカニーニとワルター ホロヴィッツとの相性はどちらに軍配?2006年07月11日


ホロヴィッツのブラームスの協奏曲1番を聴き比べできる珍しいレコヲドがある。1935年3月19日にトスカニーニ指揮のもとニューヨークで行われた演奏会と、1936年2月20日にアムステルダムで行われたワルターとの演奏会の2種が収められたものだが、トスカニーニの方は、1楽章の後半のみの収録で、拍手が入っている(1楽章で拍手をするのは昔の慣わしだ)。

ホロヴィッツのテンポは1年間で差はほとんどないが、白熱の度合いが全然違う。どちらが良いとか言う資格は僕にはないのでご想像に任すが、コンセルトヘボウのメリハリの利いた演奏は正にメンゲルベルク仕込のきめ細かさに裏付けられているし、トスカニーニは言わずもがなである。

基本的には共通したテンポで、洋琴弾きも同じなのだが、音楽のもつ基礎体温がまったく違う。ワルターはしばしば、ライブに限ってだが、このやうなデモーニッシュな演奏をすることがあって驚かされる。ホロヴィッツがワルターに感化されたか、互いに相まってそうなったのか、はたまた聴衆のつくりだす緊張感のやうなものがあったのか、戦争に向かっていく当時の欧州の社会的な背景が影響しているのか。

この協奏曲をこんなにまで激しく、熱狂的に、劇的に演奏したレコヲドは他に聴いたことがない。ホロヴィッツのテクニックも、この時代が絶頂にあったのだろう。この正確な技術あっての熱狂であることは間違いない。
http://blog.goo.ne.jp/tenten_family6/e/7bdc0d4c5a266ac0fa28698540bdef51

 
 「それでは、ホロヴィッツの最高の名演は何であろうか。

当然人によって選ぶところは異なるだろうが、


僕ならワルターと協演したブラームスのピアノ協奏曲第1番、

トスカニーニと協演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、

ムソルグスキーの『展覧会の絵』


をまず挙げたい。〜 チャイコフスキーは1943年のSP復刻で、腕の鳴るようなテクニック、鋼鉄のようなタッチは人間業を超えており、思いきった表情づけも聴くものを興奮させるに充分なものがある。」
(名演奏のクラシック 宇野功芳著 講談社現代新書より)
http://members3.jcom.home.ne.jp/3234275001/classic%20piano%20masters%203.htm


ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ワルター/コンセルトヘボー ピアノ:ホロヴィッツ


これは1936年2月20日のライブ録音です。1楽章の一部が欠落していますが,それでもすばらしい演奏です。ブラームスのピアノ協奏曲は,ピアニストが弱いとピアノつきの交響曲に聴こえてしまい,かつ,指揮者が弱いと,まったくつまらない曲に聴こえてしまうと言う,大変やっかいというか,難しい曲です。このような演奏を何度も聴かされました。

 しかし,さすがに人類史上最高の演奏者による演奏は違います。ホロヴィッツのピアノはこの曲がピアノ協奏曲であることを納得させてくれ,交響曲風のバックにまったく負けません。また,ワルターの演奏は,このオーケストラ部がただのピアノのバックでないことを実感させてくれます。そして,これら二つのすばらしい演奏が,ブラームスのピアノ協奏曲第1番がどういう曲なのかを分からせてくれます。

やはりすごいの一言。これ以上の演奏はありえないです。

1楽章が終わると,1948年にカーネギーホールで演奏されたワルター+ホロヴィッツ+NYPOによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のときと同様,拍手が沸き起こります。ブラームスのピアノ協奏曲1番で,途中で拍手が沸き起こるなんて,ただの名ピアニストと名指揮者の演奏ではありえません。なにせ,普通の「名演」ではそこまで興奮しないからです。だから,1楽章が終わって拍手が起こるということは,尋常ではない演奏であることの証明です。

 この盤は,1936年のライブです。このころのワルターを,VPOとのレコーディングだけで「ウィーンフィルの柔らかい音にのって美しい演奏を聞かせた大指揮者」と思っている人たちは,この演奏をどう聴くでしょう。

そういう人たちは,

「ワルターのNYPOを指揮しての激しい演奏はアメリカに行って人が変わったからだ」,

あるいは

「トスカニーニの影響を受けたからだ」

と言います。しかし,それはワルターの本質をまったく分かっておらず,ワルターの演奏を心底から聴いていない人たちです。

ワルターは当時のVPOの特質を生かしていわゆる「ウィンフィルらしい」演奏を録音したのであって,この演奏や,ウィーン国立歌劇場で録音した「フィガロの結婚」を聴いたら,この時期のワルターの演奏は,同時に厳しく激しいものであったことが分かるはずです。

NYPOはアメリカのオーケストラだから,それがことさら強調されて聴こえただけです。それを,「VPO時代のワルターは女性的演奏で,アメリカに行って男性的演奏をするようになった」などという人がいて,それを信じ込んでいる人たちがいるのですから,何を聴いているのだろうと思います。
http://brunowalter.at.webry.info/200702/article_2.html

マイラ・ヘス&ワルターによるブラームスの協奏曲第2番

マイラ・ヘスのブラームスは英國風の真面目な表現だ。ワルター指揮のブラームスでは、ホロヴィッツとやった第1番の協奏曲の印象が強烈だったが、この第2番は丹精な出来栄えで、独奏者やシチュエーションが変われば演奏も随分と異なったものになるものだ。

その点で、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュらは、いつどこでやっても独自の色を出す指揮者だった。
http://blog.goo.ne.jp/tenten_family6/e/afabbecd9a65500eac88162f02028bc6


22. 中川隆 2013年4月10日 11:32:03 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 - 1982年12月20日)


Arthur Rubinstein - Brahms Quintet in F minor, Op. 34
Guarneri Quartet, December 28,29 and 30, 1966
http://www.youtube.com/watch?v=haBMWnuQWes
http://www.youtube.com/watch?v=j37Zk7lTmWg
http://www.youtube.com/watch?v=sLUeLd1TG34
http://www.youtube.com/watch?v=aY0U6hVjUgs&playnext=1&list=PLBF817ABD1F68A497&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=O07ZJZ00Vpw

Szeryng - Rubinstein - Fournier Schubert, Schumann & Brahms Piano Trio.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=wYLFqBNyefQ

Brahm's Piano Trio No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=HJb9KGSctAw
http://www.youtube.com/watch?v=o8KzWOsCYTo
http://www.youtube.com/watch?v=_TDX0QonGfM
http://www.youtube.com/watch?v=T4LzSerED00

Heifetz - Rubinstein - Piatigorsky & Feuermann Trio.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=hdi50VnkwBo


Brahms Violin Sonata No.3 Kochanski Rubinstein
http://www.youtube.com/watch?v=T4qctb40WpY
http://www.youtube.com/watch?v=_q1TcaFdFc8

Szeryng - Rubinstein Beethoven 5,8 & 9 Brahms 1,2, & 3.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=c7QfUy73UhE

Brahms Violin Sonata No 3 - II (Rubinstein, piano; Szeryng, violin)
http://www.youtube.com/watch?v=g7tXb_St4SU


Arthur Rubinstein - Brahms Cello Sonata No. 1 in E minor, Op. 38
Gregor Piatigorsky cello
http://www.youtube.com/watch?v=GYsM2wLG3ZQ
http://www.youtube.com/watch?v=B6v8BxXaId0&playnext=1&list=PL03F5D9B7EF13FCF3&feature=results_video
http://www.youtube.com/watch?v=TkL0Xam4_-M

LP RCA RL12085 - Brahms - A. Rubinstein & G. Piatigorsky (1966) - 2 sonatas pr piano et violoncelle
http://www.youtube.com/watch?v=6_OupomyaFw

Brahms Pianosonata No3 ,Rubinstein
http://www.youtube.com/watch?v=fOIuresxQfk
http://www.youtube.com/watch?v=fYWFo6NdOXE
http://www.youtube.com/watch?v=QBTsYvqBeR0


Arthur Rubinstein - Brahms Capriccio, Op. 76, No. 2, in B minor
http://www.youtube.com/watch?v=W6Nftx-Rmz4&list=PL5F91264F398AA14C&index=12

Rubinstein Brahms capriccio h moll op76 no2 1973
http://www.youtube.com/watch?v=M9M-F9NX-R0

Arthur Rubinstein - Brahms Rhapsody Op. 79, No. 1, in B minor
http://www.youtube.com/watch?v=B2Dd_6ko4Wc&list=PL5F91264F398AA14C&index=13

Arthur Rubinstein plays Rhapsody op. 79 n. 2 in sol minor
http://www.youtube.com/watch?v=4yPQprp1PjE

Brahms Intermezzo Op 116 no 6 Rubinstein Rec 1959.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=ACkKpg218_k

Brahms Intermezzo Op 117 No 1 and 2 Rubinstein Rec 1941.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=AZtUs1qg4rQ

Arthur Rubinstein - Brahms Intermezzo, Op. 117, No. 3 in C sharp Minor
http://www.youtube.com/watch?v=W4WrtsUAv80

Arthur Rubinstein - Brahms Intermezzo, Op. 118, No. 2 in A major
http://www.youtube.com/watch?v=cqBzK5tKFVc

Rubinstein plays Brahms Op. 118 No. 5
http://www.youtube.com/watch?v=iQNXv2iCUFQ

Arthur Rubinstein - Brahms Intermezzo Op. 118, No. 6, in E flat minor
http://www.youtube.com/watch?v=Z3jatzunJNs&list=PL5F91264F398AA14C&index=16

Arthur Rubinstein - Brahms Intermezzo, Op. 119, No. 2 in E minor
http://www.youtube.com/watch?v=bxaSYZHbVP0&list=PL5F91264F398AA14C&index=17

Arthur Rubinstein - Brahms Intermezzo, Op. 119, No. 3 in C major
http://www.youtube.com/watch?v=hE0PxQnf0sw

Brahms Rhapsody Op 119 No 4 in E Flat Major Rubinstein Rec 1941.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=ci_2xW5au7I

David Rubinstein plays Brahms: Rhapsodie in E flat, Op.119
http://www.youtube.com/watch?v=wEWkwGMSnjE


Artur Rubinstein: The Brahms I Love (1970 LP - Recorded in STEREO)
http://www.youtube.com/watch?v=9824aF2mIWo


Rubinstein, Brahms, Hungarian Dance No.4 in f-sharp minor & Cradle Song op. 49 No. 4 .wmv
http://www.youtube.com/watch?v=sIzpGBNNDHc


23. 2013年4月10日 12:54:12 : W18zBTaIM6

エミール・ギレリス(Emil Gilels、1916年10月19日 - 1985年10月14日)

Gilels plays brahms piano quartet in G minor with the Amadeus qtet
http://www.youtube.com/watch?v=lFBTxeVJIz8
http://www.youtube.com/watch?v=OjyqvSlg8bk
http://www.youtube.com/watch?v=f-Y0zV3zppY
http://www.youtube.com/watch?v=2hagKRHN9H4

Gilels-Kogan-Shapiro @ BRAHMS Horn Trio Op.40 (complete) 1958
http://www.youtube.com/watch?v=U-aQ0QMdExw
http://www.youtube.com/watch?v=DmsAG8_oHWY

Gilels plays Brahms: Paganini Variations Book 1
http://www.youtube.com/watch?v=SHw2RthV2pM

http://www.youtube.com/watch?v=iiTwSK8PvIM
http://www.youtube.com/watch?v=JGLs4nOOtpA

Brahms Variations on a theme by Paganini Emil Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=Lz7pMbpEW_w

Brahms - Scherzo in E flat minor opus 4
http://www.youtube.com/watch?v=oX4VSjbKHNc


Brahms - Ballades op.10 - Gilels Moscow 1976
http://www.youtube.com/watch?v=6CjDhmcpJCY

Emil Gilels - Brahms - Ballades, Op 10
http://www.youtube.com/watch?v=VJwLU4EmZjE

Brahms - Emil Gilels, Ballade Op.10 No. 1 in D minor
http://www.youtube.com/watch?v=b6pHawY2zJg

Brahms - Emil Gilels, Ballade Op.10 No. 2 in D major
http://www.youtube.com/watch?v=4jXrQW9Begs

Brahms, Ballad in B minor, op. 10 n. 3 (1854) - Emil Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=suSGCMJmQ_8

Brahms - Emil Gilels, Ballade Op.10 No 4 in B major
http://www.youtube.com/watch?v=Ly1MOvp2lAw


Gilels - Brahms Fantasies op.116 (1983).wmv
http://www.youtube.com/watch?v=iJP8efQGbdo
http://www.youtube.com/watch?v=uIqA2XICYxs

Brahms - Fantasien op.116 - Gilels Moscow 1965
http://www.youtube.com/watch?v=_xk-eg1yflo

Brahms - Fantasien op.116 - Gilels live Tokyo 1984
http://www.youtube.com/watch?v=gp__RIjyeFw

Brahms Op.116 no.1- Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=tG5c1BQQXTg

Brahms Op.116 no.2- Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=4dXz0Csfmsc

Brahms Op.116 no.3- Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=eMHvmHnyp-g

Intermezzo en mi majeur.in E Major Op.116 no.4
http://www.youtube.com/watch?v=znzTMfBVBwc

Brahms Op.116 no.5- Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=YRjM-_x6VI0

Brahms Op.116 no.6- Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=dbVecaqz4qA

Brahms Op.116 no.7- Gilels
http://www.youtube.com/watch?v=_MHGPwQ2Y74

Emil Gilels · Live in Moscow · Vol. 1
http://www.youtube.com/watch?v=Fde_516kpJw


24. 2013年4月10日 16:09:18 : W18zBTaIM6

ディヌ・リパッティ(Dinu Lipatti, 1917年3月19日 - 1950年12月2日)

Brahms, Intermezzo Op. 116 No. 2 in A minor
http://www.youtube.com/watch?v=T1OwcwgMqq8

Brahms, intermezzo Op. 117
http://www.youtube.com/watch?v=qbhEEpBM828

Dinu Lipatti unpublished test recording of Brahms Op.118 No.6 (excerpt)
http://www.youtube.com/watch?v=C3pNpx-pITE



25. 2013年4月11日 08:42:15 : W18zBTaIM6

アルトゥル・シュナーベル(Artur Schnabel, 1882年4月17日 - 1951年8月15日)

Brahms, Rhapsody in G minor Op. 79/2 played by Artur Schnabel
http://www.youtube.com/watch?v=SqCgdbDsPyw

Artur Schnabel performs Brahms Rhapsodie, Op. 79, No. 2, Audio only
http://www.youtube.com/watch?v=YCGLGEUXpIM


Artur Schnabel (1882-1951) Brahms Intermezzo op.117-1 rec.1947 06
http://www.youtube.com/watch?v=SzOvuXZc7GE


26. 中川隆 2013年4月11日 09:47:38 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fischer, 1886年10月6日 - 1960年1月24日)

Edwin Fischer Trio (Fischer Schneiderhan Mainardi) Brahms Trio op.8 Rec.1954 Salzburg
http://www.youtube.com/watch?v=YVz6E8XPCJI


Johannes Brahms " Piano Trio No. 2" 1. Movement
http://www.youtube.com/watch?v=0JXM9pk6pB4&playnext=1&list=PL89D0BDC6F84A9927
http://www.youtube.com/watch?v=IDxnTGq4hyE
http://www.youtube.com/watch?v=qlLAKTrGFlc&playnext=1&list=PL89D0BDC6F84A9927
http://www.youtube.com/watch?v=lBkw3Vs96pk&playnext=1&list=PL89D0BDC6F84A9927

Fischer Trio plays Brahms Piano Trio no.1 op.8
http://www.youtube.com/watch?v=RkEysY5oiKk
http://www.youtube.com/watch?v=WQTt-VLNGRg
http://www.youtube.com/watch?v=pdHD0oVeZ5s
http://www.youtube.com/watch?v=0yO3DWmSDAk&list=PL89D0BDC6F84A9927&index=10


Edwin Fischer plays Brahms Piano Quartet No.1 In G minor
The member of Breronel string quartet
http://www.youtube.com/watch?v=2ZVLvjurNbE
http://www.youtube.com/watch?v=lylXHSzf9hg
http://www.youtube.com/watch?v=vX_HyGIt-MY

Elisaveth Schwarzkopff sings with Edwin Fischer Brahms 11 Lieder
http://www.youtube.com/watch?v=zhbWBjBmM_c
http://www.youtube.com/watch?v=2n21ZCvOwxE
http://www.youtube.com/watch?v=m9ZjyA_Fx4U
http://www.youtube.com/watch?v=juMt11pQ5EE

Edwin Fischer plays Brahms Piano Sonata no.3 f-mll op.5
http://www.youtube.com/watch?v=9dy2Q4l6pjc

Brahms - Edwin Fischer (1949) Sonate pour piano n°3 op 5 en fa mineur
http://www.youtube.com/watch?v=NqOiW7EskrE

Brahms - Edwin Fischer (1949) Sonate pour piano n°3 op 5 en fa mineur
http://www.youtube.com/watch?v=NqOiW7EskrE
http://www.youtube.com/watch?v=ZwGw5qTP_i8
http://www.youtube.com/watch?v=rqtq0HE4PiE


Edwin Fischer plays Brahms Variations on a Original Theme,op.21,no1
http://www.youtube.com/watch?v=1W3Qo-TScOo
http://www.youtube.com/watch?v=K6bJFYQcxaI


Edwin Fischer plays Brahms Intermezzo in E Flat mojor Op.117-1
http://www.youtube.com/watch?v=_MIFADsj3s4

Edwin Fischer plays Brahms Intermezzo Op. 117 No. 2 in B flat minor
http://www.youtube.com/watch?v=R_FXw_A-fYo
http://www.youtube.com/watch?v=P4bpXYukkfk


Edwin Fischer plays Brahms Ballade In G Minor Op.118-3
http://www.youtube.com/watch?v=H3XAcb379mQ


27. 中川隆 2013年4月11日 10:46:34 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking, 1895年11月5日 - 1956年10月26日)

Gieseking & Taschner & Hoelscher play Brahms: Trio op. 101 (live)
http://www.youtube.com/watch?v=eAgSA64GWYE

Brahms "Piano Trio op 101" Gieseking Trio live Wiesbaden, 22.XI.1948
Walter Gieseking, piano
Gerhard Taschner, violin
Ludwig Hoelscher, cello
http://www.youtube.com/watch?v=Tqk56gO4EP8
http://www.youtube.com/watch?v=tZIpL-aiVXQ
http://www.youtube.com/watch?v=1eSfyqirzgo

WALTER GIESEKING plays BRAHMS SONATA op. 5 n. 3
http://www.youtube.com/watch?v=GmnDfHOCO3M
http://www.youtube.com/watch?v=AHUEffcys2Y
http://www.youtube.com/watch?v=SmU9-HeCA_c
http://www.youtube.com/watch?v=Na4DcWnxrmo
http://www.youtube.com/watch?v=zMWVkPp7xD4


Brahms (1951)- W. Gieseking - 8 Klavierstücke op 76 - first part (1à5)
http://www.youtube.com/watch?v=eQsCxwnR_Zw

Brahms (1951)- W. Gieseking - 8 Klavierstücke op 76 - 2nd part (6à8)
http://www.youtube.com/watch?v=XRrzugSu4ss

Walter Gieseking plays Brahms "Capriccio in F-sharp minor, Op. 76 No. 1"
http://www.youtube.com/watch?v=cu9zfWzfznk

Walter Gieseking plays Brahms Capriccio Op. 76 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=l4h9PutEg_4

Walter Gieseking plays Brahms Intermezzo in A flat Op. 76 No. 3
http://www.youtube.com/watch?v=lyxvOp3G5vg

Walter Gieseking plays Brahms Intermezzo in B flat Op. 76 No. 4
http://www.youtube.com/watch?v=Hfj2VKyw_As


Walter Gieseking plays Brahms Rhapsodie in G minor Op. 79 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=BQTGk7zNATw


Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=tSj64YbWGcA

Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=_XVvuMedDAM

Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 3
http://www.youtube.com/watch?v=oALPWtg789s

Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 4
http://www.youtube.com/watch?v=4I3ODDx6JoM

Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 5
http://www.youtube.com/watch?v=4xmWDmxyAF8

Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 6
http://www.youtube.com/watch?v=9QPhQe5FCvY

Walter Gieseking plays Brahms Klavierstucke Op. 116 No. 7
http://www.youtube.com/watch?v=xvAtfPQs1Fc

Walter Gieseking plays Brahms Intermezzo in B flat minor Op. 117 No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=b-_vG7Q8n0Y

Steinway Welte-Mignon piano playing roll 3825 J. Brahms Intermezzi Op 117 pb W. Gieseking
http://www.youtube.com/watch?v=_XJxZPwqX28

Brahms - Walter Gieseking (1951) - Klavierstücke op 118 - 01
http://www.youtube.com/watch?v=rNhBltLswAI

Walter Gieseking plays Brahms Intermezzo op. 118 no. 2
http://www.youtube.com/watch?v=0u9P2WO9Ok0

Walter Gieseking plays Brahms Romance op. 118, 5
http://www.youtube.com/watch?v=YRoa_Y6QElc

Walter Gieseking plays Brahms Intermezzo op. 118 no. 6
http://www.youtube.com/watch?v=RwRT29S6qBw


Walter Gieseking plays Brahms Intermezzo in B minor Op. 119 No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=Q1FP26DMbCM

Walter Gieseking (1895-1956) plays Brahms Intermezzo op.119-2 Rec.1939
http://www.youtube.com/watch?v=AKnI_yA88ao


28. 2013年4月12日 11:30:28 : W18zBTaIM6

ルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903年3月28日 - 1991年5月8日)

Brahms-Variations and Fugue on a Theme by Händel Op. 24
http://www.youtube.com/watch?v=e7ao4H7MS2Y
http://www.youtube.com/watch?v=kfJ5KdVoJBA


Brahms - Klavierstücke op.119 - Serkin live
http://www.youtube.com/watch?v=vz4TEP7YAlU


29. 2013年4月12日 12:11:59 : W18zBTaIM6

ヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff, 1895年11月25日-1991年5月23日)

Brahms - Wilhelm Kempff 1950's legacy (op. 10, 24, 76,79,116,117,118,119)
http://www.youtube.com/watch?v=2f9aEu74Vtk

Brahms, Scherzo in E-flat minor Op.4 played by Wilhelm Kempff
http://www.youtube.com/watch?v=uka3r__32yY


Brahms - W. Kempff (1953) - Ballades op 10 n°1,2,3
http://www.youtube.com/watch?v=KRvEVPeprVk

Kempff - Brahms Ballade op.10
http://www.youtube.com/watch?v=j_4DJ8ANX7A&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=IEB03RHCu9Q&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=BJnQQqIYAWQ&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=3


Kempff - Brahms Ballade op.10 no.4 in B
http://www.youtube.com/watch?v=05oIXS1GRYA

Brahms - W. Kempff (1953) - Ballade n°4 in B major op 10
http://www.youtube.com/watch?v=EMlx04vN3Yc

Johannes Brahms Variations and Fugue on a Theme by Handel, Op 24 W Kempff
http://www.youtube.com/watch?v=Z4lCcfDboew

Kempff - Brahms Capriccio op.76
http://www.youtube.com/watch?v=ZtQEuhwcugc&list=PL95983A1C6F206D23&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=q6rrOyuZLyM&list=PL95983A1C6F206D23&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=EjVKJ69pBeY&list=PL95983A1C6F206D23&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=XeL_odFa4-Y&list=PL95983A1C6F206D23&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=XseHmN4pTVY&list=PL95983A1C6F206D23&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=FSZzSBh6sec&list=PL95983A1C6F206D23&index=6
http://www.youtube.com/watch?v=BkQ54GIDTbc&list=PL95983A1C6F206D23&index=7
http://www.youtube.com/watch?v=UZ86_y_kwvA&list=PL95983A1C6F206D23&index=8

Brahms - W. Kempff (1953) - Klavierstücke op 76 -01
http://www.youtube.com/watch?v=59usjkQYXXo

Kempff - Brahms Capriccio op.76 no.2 in B minor
http://www.youtube.com/watch?v=q6rrOyuZLyM

Kempff - Brahms Intermezzo op.76 no.4 in B flat
http://www.youtube.com/watch?v=XeL_odFa4-Y

Kempff - Brahms Intermezzo op.76 no.7 in A minor
http://www.youtube.com/watch?v=BkQ54GIDTbc

Kempff - Brahms Capriccio op.116
http://www.youtube.com/watch?v=Le3bJNpIJNI&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=12
http://www.youtube.com/watch?v=sg0muJYooTI&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=13
http://www.youtube.com/watch?v=v7XSEcIVGrg&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=14
http://www.youtube.com/watch?v=2NUmyw9UpEk&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=15
http://www.youtube.com/watch?v=7HZdSxVjgi4&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=16
http://www.youtube.com/watch?v=Vz9OVlJZ4No&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=17
http://www.youtube.com/watch?v=E91RwI9v3sE&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=18

Kempff - Brahms Capriccio op.116 no.3 in G minor
http://www.youtube.com/watch?v=v7XSEcIVGrg

Kempff - Brahms Intermezzo op.116 no.4 in E
http://www.youtube.com/watch?v=2NUmyw9UpEk

Kempff - Brahms Intermezzo op.116 no.6 in E
http://www.youtube.com/watch?v=Vz9OVlJZ4No


Wilhelm Kempff plays Brahms Intermezzi Op.117
http://www.youtube.com/watch?v=i9U4KSiqV3s&playnext=1&list=PL1845BE765E59FBDB
http://www.youtube.com/watch?v=i9U4KSiqV3s

Kempff - Brahms Intermezzo op.117
http://www.youtube.com/watch?v=d1uMFlRkRmk&list=PL72B0BDF7C51B5A5A&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=36NnTLl3vj4&list=PL72B0BDF7C51B5A5A&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=Ce3HxpcL8j8&playnext=1&list=PL72B0BDF7C51B5A5A

Kempff - Brahms Intermezzo op.117 no.1 in E flat
http://www.youtube.com/watch?v=d1uMFlRkRmk

Wilhelm Kempff (1895-1991) spielt Brahms Intermezzo op.117-1 rec.1953
http://www.youtube.com/watch?v=Zh5V28azOFw


Kempff - Brahms Intermezzo op.118
http://www.youtube.com/watch?v=PeVB4AHozHo&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=22
http://www.youtube.com/watch?v=5tdJ1NFMYQI&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=23
http://www.youtube.com/watch?v=c-eiBrUXePY&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=24
http://www.youtube.com/watch?v=EkZVlZg6Xfo&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=25
http://www.youtube.com/watch?v=Olh5Jv2oUNw&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=26
http://www.youtube.com/watch?v=GSgXX7erOBY&list=PL358DE5D67F13FEE4&index=27

Brahms - Wilhelm Kempff (live 1960) - Klavierstücke op 118 - 01
http://www.youtube.com/watch?v=s2epuhjDfAE

Brahms - Wilhelm Kempff (live 1960) - Klavierstücke op 118 - 02
http://www.youtube.com/watch?v=1-fYbITpQ_A

Kempff - Brahms Romance op.118 no.5 in F
http://www.youtube.com/watch?v=Olh5Jv2oUNw

Kempff - Brahms Intermezzo op.118 no.6 in E flat minor
http://www.youtube.com/watch?v=GSgXX7erOBY


Wilhelm Kempff plays Brahms Klavierstuecke Op.119
http://www.youtube.com/watch?v=TrrRpkE8Twk

Kempff - Brahms Rhapsody op.119
http://www.youtube.com/watch?v=IqnEF9u5-KM&list=PL1F43FE94C78B1A4B&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=wnrK94iPFOE&list=PL1F43FE94C78B1A4B&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=2vsUBLfLKmQ&list=PL1F43FE94C78B1A4B&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=jcIKYSBZBtc&list=PL1F43FE94C78B1A4B&index=4

Kempff - Brahms Intermezzo op.119 no.1 in B minor
http://www.youtube.com/watch?v=IqnEF9u5-KM

Kempff - Brahms Intermezzo op.119 no.2 in E minor
http://www.youtube.com/watch?v=wnrK94iPFOE


30. 2013年4月13日 11:49:33 : W18zBTaIM6

イヴ・ナット(Yves Nat, 1890年12月29日 ベジエ - 1956年8月31日 パリ)


Yves Nat - Brahms (1956) - Variations Händel op. 24
http://www.youtube.com/watch?v=vYnFddLuk0w

http://www.youtube.com/watch?v=jV_d8kBmK34&list=PL9123D484AF2140D2&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=lbDMviP8C5U&list=PL9123D484AF2140D2&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=RoSNLNYHnJ0&list=PL9123D484AF2140D2&index=3

Yves Nat - Brahms (1956) - Rhapsodie op. 79 n°01
http://www.youtube.com/watch?v=O8vSDMsU6Ac

Yves Nat - Brahms (1956) - Rhapsodie op. 79 n°02 in G minor
http://www.youtube.com/watch?v=2B8M23d-olM

Yves Nat - Brahms (1956) - Intermezzo op. 117 n°02 (SUBLIME:::)
http://www.youtube.com/watch?v=TjO3nPeiDnI

Yves Nat - Brahms (1931) - Intermezzo n°02, Klavierstücke op. 117
http://www.youtube.com/watch?v=3ttVYqBe1_c


Yves Nat - Brahms (1956) - Intermezzo op. 117 n°03 (SUBLIME:::)
http://www.youtube.com/watch?v=YOU4eBBDbe0
http://www.youtube.com/watch?v=YOU4eBBDbe0&list=PLF216EBE982719F20&index=3


31. 2013年4月13日 12:09:46 : W18zBTaIM6

クラウディオ・アラウ(Claudio Arrau León 1903年2月6日 - 1991年6月9日)

Brahms Liebeslieder Waltzes -- Britten/Arrau, Harper/Baker/Pears/Hemsley
http://www.youtube.com/watch?v=OpSeRwySeE0


A Brahms-Claudio Arrau Studio Legacy - op. 2,5,4,10, 24, 35
http://www.youtube.com/watch?v=BvsyYgz3AjA

CLAUDIO ARRAU SPIELT BRAHMS - KLAVIERSONATE FIS MOLL OPUS 2
http://www.youtube.com/watch?v=oCFF_gvWKJw

ARRAU PLAYS BRAHMS SCHERZO OP 4
http://www.youtube.com/watch?v=caxST63cOd4

Claudio Arrau - Brahms Piano Sonata No.3 in F minor, Op. 5
http://www.youtube.com/watch?v=wxSgmliQbbM
http://www.youtube.com/watch?v=s3Qp8BVprto
http://www.youtube.com/watch?v=G2KJKvJkdWM

Brahms by Arrau - (5th mvt) Sonata No 3 in F minor, op. 5 Recorded in 1971
http://www.youtube.com/watch?v=Yo7NrD5Bnug&list=PLA88F611F16CE4670&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=rrX9dz1HHoo&list=PLA88F611F16CE4670&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=NkLuQtzjxOA&list=PLA88F611F16CE4670&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=QOlm2l7LdZM&list=PLA88F611F16CE4670&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=LmGX2eSfaM0&list=PLA88F611F16CE4670&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=Y-4-uu97eSQ&list=PLA88F611F16CE4670&index=6


CLAUDIO ARRAU PLAYS BRAHMS HÄNDEL VARIATIONS
http://www.youtube.com/watch?v=T1zDr2fPA-8&list=PL1975CEBF6EAE3032&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=Bij0Vzidg8k&list=PL1975CEBF6EAE3032&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=S113rnRLeJE&list=PL1975CEBF6EAE3032&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=cJ8L3NLqz8s&list=PL1975CEBF6EAE3032&index=4

Claudio Arrau (Live Lugano 20 05 1963) Brahms, Ravel, Liszt, Chopin
Brahms : Variations (25) and Fugue on a Theme of Handel, for piano, in B flat
http://www.youtube.com/watch?v=0pVVu5btIrw

Brahms : Variations on a Theme by Paganini, I.
http://www.youtube.com/watch?v=jTZar0TypLE&list=PLD0ACF3AEBED5EE64&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=uFM8gBJ0w5Q&list=PLD0ACF3AEBED5EE64&index=2

Brahms : Variations on a Theme by Paganini, II.
http://www.youtube.com/watch?v=mtWZKl2GLlo&list=PLD0ACF3AEBED5EE64&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=qURjUTp7qnU&list=PLD0ACF3AEBED5EE64&index=4


32. 2013年4月13日 12:35:03 : W18zBTaIM6

ベネデッティ・ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli, 1920年1月5日 – 1995年6月12日)


Arturo Benedetti Michelangeli - Brahms: Vier Balladen, Op.10
Recorded live in Lugano, Teatro Apollo (Kursaal), 21st May 1973.
http://www.youtube.com/watch?v=z7S19Ew-fv8

JOHANNES BRAHMS - DAS GLANZLICHT 4 Balladen op. 10 1981
http://www.youtube.com/watch?v=aOToqSLw8Hw

Brahms - Michelangeli, Ballade Op.10 No. 1 in D minor
http://www.youtube.com/watch?v=eDvWFcJJjgo

Michelangeli Brahms Ballade op.10 no. 2 in D major
http://www.youtube.com/watch?v=G5Hu3VS6TNk

Brahms - Michelangeli, Ballade Op.10 No 3 in B minor
http://www.youtube.com/watch?v=E7uMTqcazOg

Brahms - Michelangeli, Ballade Op.10 No 4 in B major
http://www.youtube.com/watch?v=KNqjr8Z_O2I


Arturo Benedetti Michelangeli - Brahms: Variations on a theme by Paganini, Op.35
Recorded live in Lugano, Teatro Apollo (Kursaal), 21st May 1973.
http://www.youtube.com/watch?v=9LP7Uq0B3X8

Brahms Paganini-Variations op.35 Book I [excerpt], Michelangeli London 1948
http://www.youtube.com/watch?v=s_MCjNQz98I

Arturo Benedetti Michelangeli suona a Bregenz Brahms/Paganini Variazioni
Variazioni a Bregenz Festspielhaus 15 gennaio 1988
http://www.youtube.com/watch?v=SKNaf9LfN1U

Brahms Pag variations bk 2 l;ive in recital 1948?
http://www.youtube.com/watch?v=tLZZwr_SULY

Arturo Benedetti Michelangeli plays Brahms Paganini Variations
live - Arezzo, 1952
http://www.youtube.com/watch?v=zDPZ1ruMPCM
http://www.youtube.com/watch?v=fB0jC69vcbc

Arturo Benedetti Michelangeli plays Brahms "Variations on a Theme by Paganini" Op. 35 live - Warsaw, 1955
http://www.youtube.com/watch?v=hb8Rn2COKEE
http://www.youtube.com/watch?v=lP-63LJvxFg


33. 2013年4月15日 20:04:55 : W18zBTaIM6

マレイ・ペライア(Murray Perahia, 1947年4月19日 - )

Brahms Haydn variation n°8 for 2 Pianos Perahia Solti
2 pianos version
http://www.youtube.com/watch?v=pj-jlr-ik6Q

http://www.youtube.com/watch?v=LOaPTfAytdQ
http://www.youtube.com/watch?v=EkhfKyehF1M

Brahms - Variations and Fugue on a Theme by Händel, Op. 24 (Murray Perahia)
http://www.youtube.com/watch?v=c7oZFVs_Ixw&list=PL815EB4C7B9EABA0D&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=zBTwJYwTEWc


Brahms - 2 Rhapsodies, Op. 79 (Murray Perahia)
http://www.youtube.com/watch?v=GMveEoRmkJE&list=PL815EB4C7B9EABA0D&index=2

Brahms - Rhapsody in B minor, Op. 79/1 (Murray Perahia)
First encore from the 'live' concert at the Concertgebouw in Amsterdam, 6-22-03
http://www.youtube.com/watch?v=0h2uIaHwJrU

Brahms - 6 Klavierstücke, Op. 118 (Murray Perahia)
http://www.youtube.com/watch?v=ZSf2veLfC-w

Brahms - 4 Klavierstücke, Op. 119 (Murray Perahia)
http://www.youtube.com/watch?v=yyKFKY00NrI&list=PL815EB4C7B9EABA0D&index=4

Johannes Brahms: Intermezzo Op. 119 n. 1, en Do
Murray Perahia en el Festival Internacional Cervantino 2012
http://www.youtube.com/watch?v=WgXrURjAa6g


34. 2013年4月15日 20:11:00 : W18zBTaIM6

マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942年1月5日 - )

Pollini Intermezzo Op.119-1 (Brahms)
http://www.youtube.com/watch?v=_FgIEakcGv0

Pollini Intermezzo Op.119-2 (Brahms)
http://www.youtube.com/watch?v=TiMVaLEPjgM

Pollini Intermezzo Op.119-3 (Brahms)
http://www.youtube.com/watch?v=ybCEHJC9py0

Pollini Rhapsody Op.119-4 (Brahms)
http://www.youtube.com/watch?v=KtrgS1Zrw8M


35. 2013年4月15日 20:25:22 : W18zBTaIM6

クリスティアン・ツィマーマン(Krystian Zimerman、1956年12月5日 - )

KRYSTIAN ZIMERMAN plays BRAHMS Variations Op.18 (1982)
http://www.youtube.com/watch?v=ecrxw5ICIpw

Krystian Zimerman: Piano Sonata no. 1 in C Major (Brahms)
http://www.youtube.com/watch?v=ZcGwJ2T09C4
http://www.youtube.com/watch?v=VKIKUPpXAT4


Zimerman plays Brahms Sonata Op.2
http://www.youtube.com/watch?v=zMYanQMMa2U
http://www.youtube.com/watch?v=6szFsjaRE1E
http://www.youtube.com/watch?v=jqVrcHYazGg&list=PLC62D0509E0B1DED9&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=RwaCSmHgaqU&list=PLC62D0509E0B1DED9&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=A7TIlAK6-r0&list=PLC62D0509E0B1DED9&index=5

Brahms / Krystian Zimerman, 1979: Ballade in D minor, Op. 10, No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=8xvy6smNcwM

Brahms / Krystian Zimerman, 1979: Ballade in D major, Op. 10, No. 2
http://www.youtube.com/watch?v=ZoYLlmPboBI

Brahms / Krystian Zimerman, 1979: Ballade in B minor, Op. 10, No. 3
http://www.youtube.com/watch?v=Rt_YtznfG6o

Brahms / Krystian Zimerman, 1979: Ballade in B major, Op. 10, No. 4
http://www.youtube.com/watch?v=gd3wBLoBSZU


Zimerman plays Brahms - Intermezzo op.119 no.1
http://www.youtube.com/watch?v=_Fl7ZSq6AzM


36. 中川隆 2013年4月20日 20:13:10 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ヴィルヘルム・バックハウス 追記(Wilhelm Backhaus、1884年3月26日 - 1969年7月5日)


Brahms - Pierre Fournier & Wilhelm Backhaus (1955) 2 sonates op. 38&99
http://www.youtube.com/watch?v=uVTigm9hStE

Brahms Cello Sonata No. 1 in E Minor, Op. 38 - Fournier & Backhaus
http://www.youtube.com/watch?v=fxiUGwFUqtw
http://www.youtube.com/watch?v=xEJwhZ9a2gg
http://www.youtube.com/watch?v=SuUrBNeY9zg

Wilhelm Backhaus & Pierre Fournier - Brahms Cello Sonata No. 2 Op. 99 in F major
http://www.youtube.com/watch?v=wF7KEK9PDIM

Backhaus plays Brahms Piano Concerto No. 1
Cond.: Adrian Boult BBC Symphony Orchestra
http://www.youtube.com/watch?v=yFCvf0Tmyjg
http://www.youtube.com/watch?v=VZOnQhJol-E
http://www.youtube.com/watch?v=fBS7RUyU_hg
http://www.youtube.com/watch?v=IqVN2JlxZhw
http://www.youtube.com/watch?v=HucT66PrTSA

Brahms / Backhaus / Böhm, 1953: Piano Concerto No. 1 in D minor, Op. 15 - Complete, Vinyl LP
http://www.youtube.com/watch?v=FLeA3linKSA

Wilhelm Backhaus, 1939 - Brahms, Piano Concerto No. 2 in B-flat major, Op. 83
Sächsische Staatskapelle Karl Böhm, conductor
http://www.youtube.com/watch?v=-3MWh1_SCAk

Backhaus plays Brahms: Piano Concerto No. 2, Op. 83
Carl Schuricht conducts the Wiener Philharmoniker.
http://www.youtube.com/watch?v=mdl6-wnXatg&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=15
http://www.youtube.com/watch?v=c3fCHYl-qQo&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=16
http://www.youtube.com/watch?v=Dn0ozzsQLvg&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=17
http://www.youtube.com/watch?v=Izn6zEdVql8&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=18
http://www.youtube.com/watch?v=ka5NJhrYDEk&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=19
http://www.youtube.com/watch?v=ZWzGqRcLshI&list=PLE2F02F128B3CB20C&index=20

Backhaus & von Karajan - Brahms Concerto No. 2 in B flat Op. 83
Berliner Philarmoniker Herbert von Karajan live, 1964
http://www.youtube.com/watch?v=TBFEl5fr850

ブラームス ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83 バックハウス/ベーム
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15939654
http://www.youtube.com/watch?v=JMw1G04Reow

先週リリースされたバックハウスとベーム/ウィーン・フィルの共演によるザルツブルグ・ライヴについての感想を、一昨日書いたのですが、それを耳にしたのに続いて、同じ顔合わせでデッカにスタジオ録りされたブラームスの第2コンチェルトの録音を久々に聴いてみました。

一昨日のザルツブルグ・ライヴが68年8月の演奏だったのに対し、このスタジオ録音は67年4月のものですが、バックハウスの死去は69年7月ですので、双方とも最晩年の時期に係る録音になりますね。

両演奏を対比してみると、全4楽章の演奏時間はもとより、造型の取り方やフレージングの付け方といった特徴も概ね共通していて、バックハウスとしてほぼ盤石に固まった演奏様式であることが伺われます。

ところで、一昨日は「やはりライヴならではの良さというものはある」と書いたのですが、今回あたらめてスタジオ盤を耳にし、ライヴのそれと比べてみると、どうも逆に「スタジオ盤ならではの良さ」というものも確かにあるのだなということを感じました。それを端的に言うなら、「完成度」と「音質」という点になります。

完成度についてはスタジオ録りである以上言わずもがなですが、むしろ驚異的なのは音質でしょう。昨日も書きましたように、ザルツブルグ・ライヴの音質も決して悪くはなく、むしろ年代を考えると上質だと思うのですが、それでもこのスタジオ盤の音質と、こうしてひき比べると少なからぬ遜色感を否めない感じがします。その印象が特に強いのがウィーン・フィルのアンサンブルの響きにおいてであり、両盤を比べてみると、オーケストラの響きの強さがこちらのスタジオ盤の方が大幅に勝っていて驚かされるくらいです。

しかし、この点に関して私がむしろ印象深く思ったのは、これだけ両盤でオーケストラの響きの色彩感に差違が認められるにもかかわらず、バックハウスのタッチの感触自体は、双方において少なくともオケほどには差違が大きくないように感じられることです。なまじバックのオケの響きの色彩的な差違が顕著なだけに、なおさらそれが聴いていて強く意識されます。

この点に関し、実は一昨日は時間が無くて書かなかったのですが、今回リリースされたザルツブルグ・ライヴのブックレットには、ゴッドフリート・クラウスの簡単な演奏評が掲載されていて、それが私にはちょっと興味深く思えたのでした。

そこではバックハウスのピアニズムについて、クラウスは「A Unity of the Traditional and the Contemporary」という表現を用いて称賛しています。

つまり伝統性と現代性の融合という風に評しているわけですが、この表現は私の感覚からしても、言い得て妙だなと感じました。というのも、バックハウスのピアニズムには、確かにそういう独特の2面性があると思われるからです。

例えばこのブラームスにしてもそうで、そのピアニズムにおける造型形成やフレージング展開においては、いわゆるロマンティック様式に傾斜しない、明らかに古典的なものであって、それは新古典的という切り口からすると当時としてはモダーンな表情付けなのでしょう。しかし、そういう現代的な様式にしては、その個々のタッチの色彩感が、およそ現代的なピアニズムの華やかさに対し敢然と背を向けたような、禁欲的なくらい飾らない、枯淡で質朴な音色となっていて、それは現代的というよりむしろドイツ伝統の響きに深々と根ざしたピアニズムを指向しているような感じがします。

こういう背反性が、確かにバックハウスのピアノにはあると思うのですが、それをクラウスは伝統性と現代性の融合という言葉で端的に言い表してみせたので、それを読んで思わずハッとしたのでした。さらにスタジオ盤を聴いてみて、そのことを改めて実感したのですが、その理由は前述のとおりです。

私の印象としてもバックハウスのようなピアニズムの持ち主は、ほとんど他に例が無いように思っていたのに、何故そうなのかという理由については今一つ確信が無かったので、前記のようなクラウスの視点は、ちょっと印象深い感じがしました。
http://clamemo.blog44.fc2.com/blog-entry-404.html


37. 2013年4月23日 22:18:29 : W18zBTaIM6

アドルフ・ブッシュ追加(Adolf Busch、1891年8月8日 - 1952年6月9日)


Adolf Busch -Brahms Violin Concerto
Hans Münch Basel Orchestra
Live performance in basel: rec. on December 18 1951
http://www.youtube.com/watch?v=UgAMx-dkI00&list=PL368856F9748CDCD5&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=esBfNWFzIIw&list=PL368856F9748CDCD5&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=81aQH1IlAr8&list=PL368856F9748CDCD5&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=ycSGgmY3Nog&list=PL368856F9748CDCD5&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=hOU7jDjpsCg&list=PL368856F9748CDCD5&index=5

アドルフ・ブッシュ最晩年のブラームスのヴァイオリン協奏曲は、ハンス・ミュンヒの指揮するバーゼル交響楽団との共演。

私家版の録音のため、第一楽章冒頭に音飛びが認められる。

音質面を差し引いても、ブッシュの腕の衰えは如何ともしがたいが、その枯淡の境地に感じ入る人もあろうかと思う。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E3%83%8B%E9%95%B7%E8%AA%BF-%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3-2%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2/dp/B000UV1FZS


38. 2013年4月28日 15:24:16 : W18zBTaIM6


フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875年2月2日:ウィーン - 1962年1月29日:ニューヨーク)


Brahms Violin Concerto Kreisler/Blech
http://www.youtube.com/watch?v=cmstFzSl8eY
http://www.youtube.com/watch?v=wBvYuvlPKFc
http://www.youtube.com/watch?v=XIr6FiXHoIA
http://www.youtube.com/watch?v=vCCS56ev854

クライスラー&バルビローリ「ブラームス ヴァイオリン協奏曲」
指揮:ジョン・バルビローリ
演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1936年6月18、22日、アビー・ロード第1スタジオ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17505820

http://www.youtube.com/watch?v=urMy1GtoS2I
http://www.youtube.com/watch?v=_zAI7TwgiJ0
http://www.youtube.com/watch?v=Z4nkn5brSD4


Fritz Kreisler (1875-1962) Brahms Hungarian Dance nr.5 rec.1911
http://www.youtube.com/watch?v=N_So6tUlhe8

WE15B:Fritz Kreisler/Brahms-Hungarian Dance in G Minor
http://www.youtube.com/watch?v=WxLNDqu5Lg0

Kreisler plays "Hungarian Dance" by Brahms/Joachim. Acoustic
http://www.youtube.com/watch?v=0iCQjr1Ycxs


Kreisler plays Brahms' Hungarian Dance # 17, f minor
http://www.youtube.com/watch?v=FCeo0gFVYAA


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ(指揮)ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(録音:1927年)HMV DB1120〜1124

クライスラーのブラームスはバルビローリとの共演による新盤もありますが、どちらの演奏が良いか非常に悩ましいところです。新盤のクライスラーは、やや技術的な衰えがみられるのですが、旧盤の演奏はそのようなことはありません。

しかし、新盤の演奏には旧盤には聴かれない味わいがあります。特に第1楽章展開部のクライスラーのソロの部分は、まるで自作の小品を演奏するような語り口で演奏した新盤の味わいが断然好きです。
また、旧盤は録音も新盤よりかなり落ちます。

結論として、クライスラーのブラームスは新旧両盤どちらも捨てがたいので、いずれも手元に置き、気分によりどちらかを聴くことにしたいと思います。


コメント
クライスラーの歌いまわしは、他の誰にもない(多分真似できない)もので、現代のヴァイオリニストからはあまり聴かれない表現なので、とても新鮮ですよね!
ノイズがないと・・・という感じよく分かります!
また、HMV盤のチリチリノイズは独特の音がしますものね。
2011/4/30(土) 午前 10:03 [ ポンちゃん ]
http://blogs.yahoo.co.jp/ponchan_2007/64419658.html


39. 2013年4月28日 22:36:28 : W18zBTaIM6

エフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist, 1889年4月9日 - 1985年2月22日)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 Op.77(1946ライヴ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18499471

http://www.youtube.com/watch?v=AW8kwVeEuJ8
http://www.youtube.com/watch?v=V0pK5_1MBGY

胸に沁み、心に沁みる ― ジンバリストのブラームス/協奏曲&ソナタ3番

YouTubeにエフレム・ジンバリストの「トロイメライ」のSP盤を蓄音器再生・マイク収録したものが公開されているのに先日気付いた。この形式の録音はあまりうまくいかないことが多いのだが、このトロイメライはよかった。蓄音器の再生音の強靭さ、味の濃さが非常によくわかる収録になっている。入力レベルが高すぎて音が割れたりするが、それを補ってあまりある魅力がある。それ以上に、ここでのジンバリストの演奏がことのほか素晴らしく、この名人の魅力が最大限に集約されて発揮されているのが嬉しい。というのは、私はこの地味な往年の名人ヴァイオリニストに肩入れしている数少ないひとりだからである。

ジンバリストといえばヤッシャ・ハイフェッツ、ミッシャ・エルマン、ナタン・ミルシテインらとともにレオポルド・アウアー門下の筆頭格と目される名手だが、この中では一番人気がなく、録音も復刻も非常に少なく、今日ではほぼ忘れられた感がある。ハイフェッツは今もってヴァイオリニストの中のヴァイオリニストとして尊敬されているし(アンチも多いだろうが)、エルマンは古臭いとか前世紀の遺物などと言われながらも息の長い演奏家生活を送り、戦後も数多くの録音を残し、いまだ根強いファンが多いことはCDとしてもたびたびその録音が復刻されていることを見てもわかる。一方でジンバリストはほとんど復刻がなく、一般の愛好家の方々はもとより通ぶったマニアの間ですらほとんど話題にのぼらない。親日家だったらしく戦前何度も来日し録音まで残しているのに、日本に熱心なファンがいるというわけでもない。ジンバリストの魅力を知る者としては、この忘れられ方、存在感の薄さは残念でならない。

もっとも、無理からぬ面はあり、何しろ残っている録音が少なく、レパートリーもよくない。時代のせいもあるのだろうが、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニストが名技を披露するショー・ピースか、親しみやすいメロディーを美音とともにふりまくアンコール・ピースのような曲目ばかりが並ぶ。こうした曲ではエルマンやハイフェッツにずっと分がある。SP後期からLP時代にかけて本格派・正統派の曲目も録音できる状況になった頃にはこのひとはさっさと引退してしまい、米カーティス音楽院での教職に入ってしまっていた。十分にひける年齢で技巧の衰えもさほどなかっただろうに、もったいない話である。

SP時代の人気ヴァイオリニストというと、クライスラーやエルマンを筆頭とする「歌謡派」とフーベルマン、ハイフェッツ、プシホダのような「名技」派に二分される感がある。その間に、純音楽派というか高踏派といおうか、通俗曲をほとんどひかないシゲティやブッシュがいて、独自の存在感を持っていた。まあ、こういうのはファンの間で自然と醸成される、あるいはマネージメントが売り込みの都合上仕立て上げるイメージに基づいたもので、実際の演奏家の在り方にはあんまり関係のないカテゴライズなのだが、経緯や妥当性はともあれ、そうした序列や位置付けは確かに存在し、聴く側の理解や認識を意外に大きく左右するものだから、あまり軽視はできない。


さて、話を戻してわがジンバリストが当時どこに位置していたかだが、一応はアウアー門下の神童ヴィルトゥオーソということで名技派に属するということになっていたようだが、そのポジションでのこのひとのインパクトはハイフェッツらに比べると随分見劣りするのは否めない。技巧は非常に老朽で安定しているが、きき手を圧倒し、征服し、感嘆させるような強烈さは感じられない。では翻って歌謡派かといえば、クライスラーやエルマンのような開けっぴろげの親しみやすさ、あるいは万人受けするわかりやすいエンターテインメント性もこのひとには乏しい。派手な、人目につくような存在感、ひとことでいえばスター性がないし、かといってブッシュやシゲティのようなカリスマ性もない。つまり、地味なのだ。

こんな書き方をしてしまうとわざわざきく気にならない愛好家の方も多いだろう。それでいいとも思う。というのは、上記のようなカテゴライズから抜け落ちてしまうが、しかし熱心なファンにひそかに、こよなく大切にされているヴァイオリニストたちが存在するからであり、ジンバリストもその中に加えていいひとりだからだ。あえてレッテルを貼るなら純情派というか文芸派というか、ヨゼフ・ヴォルフシュタールやゲオルク・クーレンカンプ、少し時代を下ってリカルド・オドノポソフやペーター・リバールといったヴァイオリニストたちがそれに当たるといえば、好きなひとにはああなるほどとすぐに通じるであろう。何のことやらわからない向きには、多分説明してもわからない。生憎なことではあるが、これも彼らを愛する好楽家には同感していただけるだろう。あえてレッテルに書き込める共通項を挙げるなら、その純真でデリケートなカンティレーナの可憐さだろうか。微かに酸味と苦味を含み、翳りを帯びた独特の甘美さ。これが何とも心に沁み、愛好家の心をひきつけてやまないのだ。そして、ここに貼り付けたYouTubeの「トロイメライ」をきけばおわかりになる(ひともいる)だろうが、ジンバリストのカンティレーナには、エネスコやブッシュ、シゲティらのみが比肩し得るような深沈とした高貴さと同時に、この独特の酸味と苦味を含んだ甘さがあり、私はむしろそこに強くひかれる。

繰り返しになるが彼らはスターではなく、超絶技巧をふるって聴衆を征服するというタイプには最もほど遠い。大衆に通じやすい「売り文句」を付けるのが難しい演奏家たちなのだ。かといってインテリやスノッブの「箔付け」になるような権威性もない。スターや権威になるには「もののあはれ」に感じすぎるデリケートさ、繊細すぎる何かを備えていて、それがきき手の心の奥深い琴線に触れる。そういうごく私的でインティメートな共感の中でのみその魅力を実感でき、その魅力をわかりやすい売り文句に変えてしまえばすべてが嘘になってしまうような、そういう存在である。

なんだかくどくどとした煮え切らない前置きになってしまったが、私にとってジンバリストというヴァイオリニストはそういう意味で個人的に大切にしている数すくないひとりだ ― ということを書きたかったのである。そして、彼の数少ない録音の中から、この言葉にし難い魅力を一番端的に伝えてくれるものを選ぶとすれば、今回公開するブラームスのソナタ3番とヴァイオリン協奏曲であろう。

コンチェルトはクーセヴィツキー、ボストン響との1946年のライブ演奏で、知る人ぞ知る同曲屈指の名演であり、比較的よくきかれ、ぽつりぽつりとではあるがLP時代から何度か復刻されている。名演の多い曲だし私自身も好きな演奏はいくつもあるが、この曲をききたいと思った時に手が伸びるのはクライスラーの旧録音か、このジンバリストであることが多い。

一方で3番ソナタはジンバリスト盤など話題になっているのをほとんど見ない。何せ有名曲で名演とされる演奏も数多いからだろうが、ブラームス好きの私にして昔からなぜかこの曲はどうも気に入らず、そうした名演といわれる盤をいろいろきいたがどれもぴんと来なかった。このジンバリストの演奏をきいて初めて、私がブラームスをきく時に求めているものをこの曲でもようやく感じることができた。1楽章のあの冒頭からして、名人・名手といわれるようなたいていのヴァイオリニストでは実に俗悪で我慢ならぬものにきこえ、そこで私はたいてい先をきくのが嫌になってしまうのだが、ジンバリストにかかるとこれが何ともいえず胸に沁み、心に沁みる真実の声になる。要は先に述べた「心の奥深い琴線」に触れてくる演奏なのである。この曲の代表的名演とかベスト演奏とか、そういうことを言い立てる気はしない。そういう言葉は何かそらぞらしく、真実を損ねる。そこには言葉にすれば嘘になるしかないずっとパーソナルなものがあるのだ。

前置きはもういい加減十分すぎるだろうから、後はやはり音に自らを語ってもらうべきだろう。ついでながら、公開する音源は現状で最良と思われるものを選んだ。現在市販されている某レーベルのCDにも同じ組み合わせで収録されているが、呆れてしまうのを通り越して途方に暮れ、悲しくなるほどの酷い音だった。見かけたら燃やしておいてほしい。

ダウンロードは

「音源ライブラリー」
http://www.mediafire.com/?86miaczc2hxtn

「ジンバリスト」のフォルダー
http://www.mediafire.com/?rk53fdb2mofom

からどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/thetatoshi/archives/5874582.html

エフレム・ジンバリストといふヴァイオリニスト

アウアー門下の提琴家を多く取り上げながら、ジンバリストは初めての登場だと思ふ。1910年に、20歳でニキッシュ指揮するゲバントハウス管絃團で華々しくデビューした彼は、1949年には紐育で引退コンサートを開き、カーティス音楽院で後進の指導に専念した。弟子にはシュムスキーが居る。

今回入手したCDは、前回取り上げたトッシャ・ザイデルによるショーソン作曲「詩曲」のライブ演奏がお目当てだったが、クーセヴィツキとのブラームスの協奏曲が余白に入ってゐた(逆かも知れない)ので聴いてみることにした。

引退の3年前といふこともあってか、技術的には心もとない。しっかりしたクーセヴィツキの音楽とは対照的である。第1楽章の235小節でジンバリストが第2主題を歌い終える場面では、音程の誤差も半音くらいは許容範囲なのだらう。それとも本当に耳がお悪いのか、はたまた楽譜を覚え違えたのかよく分からないが、可能性はまだある。僕の耳が壊れてゐるのかもしれない。さらに、361小節からのスタカート、アクセント、付点音符のモティーフも独特だ。こういった解釈なのか、技術的な衰への為なのか、僕には分からないが、コルトーも晩年はこのやうなことをよくやってゐたのを思ひ出す。そして再び、470小節付近から音程の怪しい例の部分が再現されるが、今回も全く同じ不具合を生じる。それでも聴衆は、楽章が終わる度に惜しみない拍手を送るので聴いてゐて悲しくなる。

ジンバリストといふ提琴弾きは、ブラームスのやうな大曲よりも小品に真価を発揮するタイプだと思ふ。終楽章のやうにラプソディックな曲想だと持ち味が出てゐるやうに僕は感じた。特に第1楽章のやうに構築的な作品は聴いてゐて時間を持て余してしまふ。

レコヲドの方も放送録音ではあるが、いろいろと不可解な問題点がある。136小節から独奏提琴が第1主題を静かに歌う箇所でLP盤の傷のやうなノイズが延々と入るし、473小節には編集上での機械音だと思ふが「ピー」といふノイズも混入してゐる。

文句ばかりになってしまったが、クーセヴィツキ指揮ボストン響のブラームスはとても良い。同門のエルマンも晩年の演奏は精彩を欠いた。大曲の演奏は「今ふたつ」といふところも似てゐる。これは仕方のないことだ。

盤は、Eklipseが1946年3月30日の放送録音をCD化したものEKR CD1401。
http://blog.goo.ne.jp/tenten_family6/e/c6e32b6e94b071f382fc7537aed7f732


40. 中川隆 2013年4月29日 15:37:22 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


ミッシャ・エルマン(Mischa Elman, 1891年1月20日:タリノエ - 1967年4月5日:ニューヨーク)

WE15B:Mischa Elman/Brahms-Hungarian Dance No.7
http://www.youtube.com/watch?v=-o-9JTWl8B0

Mischa Elman plays Brahms - Hungarian Dance No. 7
http://www.youtube.com/watch?v=GSlI6cNtkqg

今回のCDで演奏しているのは、“エルマントーン”で当時一世を風靡したウクライナ出身のヴァイオリニストのミッシャ・エルマン(1891年―1967年)である。

“エルマントーン”とは一体何か?

一言でいうと「甘いヴィブラートと官能的なポルタメント」が特徴とでも言ったらよいのであろうか。常に音程が揺れ流れており、曲全体が甘く、官能的に聴こえてくるのである。

ここまで徹底して自己のヴァイオリンの音色を主張し続けたヴァイオリニストも珍しいのではないかと思えるほどだ。ちょっと鼻に掛かったようでもあり、ジプシーの音楽を聴いているような感覚にも陥る。多分、今こんなヴァイオリンの奏法したらたちどころに先生に矯正されるに決まっているし、リサイタルを開いたら、古い弾き方だと非難轟々となり、そのヴァイオリニストの将来はお先真っ暗になるのは目に見えている。

ミッシャ・エルマンが生きていた時代はまだおおらかな空気が流れ、充分にその存在価値を主張できたのではないであろうか。でも、今また、ミッシャ・エルマンみたいなヴァイオリニストが登場してくれないかな、と私は密に思っている。
http://blog.goo.ne.jp/classic_2007/e/b1486287087f3db0342b4b394e322b68


これはもう、エルマンの「芸」を聞くべき演奏だ。芸術を聞くつもりでいると、ムチウチ症になること間違いなしだ。

出だしからして普通じゃない。リズムの崩し方がすごい。最初に聞いた時は、のっけからのけぞってしまった。まさに大爆笑の大拍手ものだ。これを採譜しようとすると、無茶苦茶悩むことになるだろう。エルマンは日本でも明治時代から甘美な演奏家として広く知られていたようだが、その芸の集大成ともいうべき演奏だろう。大ヴィルティオーソ時代の最後のあだ花かもしれない。

たしかにこの演奏は技術的にはかなり危なっかしい部分もある。エルマンの全盛期は1930年代にはもう過ぎていたという人もいる。しかし、それでも、これらの欠点はエルマンの「芸」の凄まじさにはかすんでしまう。

エルマンは1940年代後半から1950年代前半までの約10年間、自分のスタイルを変えようとしていたように思える。英 DECCAへの録音による1950年代前半のモノーラル録音にはエードリアン・ボールトやゲオルグ・ショルティによる指揮でチャイコフスキーやベートーヴェンなどの協奏曲が録音されているが、第二次世界大戦後に起こった「楽譜に忠実」派の隆盛によって、エルマンがそういった演奏スタイルに変えようとして喘いで様が記録されている。

それは、1940年代から始まったRCAーVictorのエルマンへの冷遇(それはハイフェッツの録音量に比例している)によってエルマンを悩ませていたようだ。しかし、1950年代後半、米Vangurd と契約した頃には「自分は自分でしかない」という結論に達したようだ。

とにかく、この演奏はエルマンの奏でる「歌」を聞くためのCDだ。ピアニストで言えば、パデレフスキーやパハマンと同じように、楽譜を材料としてそれを如何に料理するかを楽しむための演奏だ。だから、ベートーヴェンやブラームスなどの音楽の根っこにある「観念」を表現しようとする音楽には向かないが、そういう背景があまりない曲では抜群に面白さを感じさせるものになる。

今日、このような演奏はまず聞かれない。それは、学術的研究の成果なのかもしれないし、あるいはコンクール全盛期の弊害なのかもしれない。
エルマンのような音楽家は今の音楽界では決して認められないだろう。

しかし、人間が音楽の上位にいた頃、それがエルマンの時代ではなかったのではなかろうか。そう考えると、果たして今のリアルタイムで聞くことが出来る音楽が当時よりも優れているかどうか、疑問が残る。
http://stokowski.web.fc2.com/jp/nattoku/elman.htm


1月20日は、ミッシャ・エルマンの誕生日です。

◆昔のヴァイオリニストです。美音でした。

しばしば、昔のヴァイオリニストは、個性的で、いまのジュリアードで習った人達はテクニックはあるけど、 つまんない、というような、ことを言います。

それほど、単純では無いと思います。今のヴァイオリニストでも、「あ、これは・・・」と音を聴いて分かる人、 弾き方の特徴(曲の解釈上の個性とでもいうのでしょうか)で、「あ、これは○○だ」と言う人はいます。

ただ、今の方が、世の中がギスギスしているのと、みんなテクニックがどんどん向上していくので、 つい、そちらの方に演奏者も聴き手も気を取られて、何だか少しカリカリしている気がします。

特にコンクールとなると、本来の演奏会じゃなくて、皆同じぐらい上手いので、ミスをした方が負け、のような(実際はそれほど単純じゃないでしょうが)状況ですから、ピリピリしています。

でも、少しぐらい間違えたっていいですよね。全部デタラメでは、お話になりませんけど。

そのようなことを、ロシア生まれのアメリカの往年のヴァイオリニスト、ミッシャ・エルマン(1891-1967)の小品集を聴いていると、感じます。

エルマンの美しい音は「エルマン・トーン」と呼ばれた、と言われています。

私は生で聴いたことがないので、本当はどういう音だったのか、分かりませんが、 そんなの今更どうしようもないんですから、ムキになることはない。


いや、失礼。


何を独りで怒っているかというと、

Wikipediaでミッシャ・エルマンの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3


を読んだら、 要するに上手かったのは、若い頃で、晩年はテクニックも衰えて、音色も、さほど大したことはなかったと、 珍しく情緒的な説明だったので、何かエルマンに恨みでもあるのか? と少々不愉快だったからです。

失礼を致しました。


◆エルマンより今の日本の若い人の方がテクニックはあるかも知れませんが・・・。


純粋に早いのを正確に弾けるかとか言うことで言ったら、それは今の学生さんの方が、 これからお聴き頂く晩年のエルマンより上手いでしょう。


そこが、逆に貴重でして、エルマンのヴァイオリンを聞くと、音楽家というのは、テクニックは身につけなければいけませんが、上手ければ良いというものではない、ということが分かります。

◆【音楽】アンコール集 エルマン(vn)セイガー(p) より。


CDは、AmazonでもHMVでもTowerRecordでも買えますが、Amazonだけ試聴できないので、 HMVのアンコール集 エルマン(vn)セイガー(p)と、 Towerのヴァンガード名盤選38::ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン・マスターピースにリンクを貼っておきます。


ガヴォット(ゴセック)
http://www.youtube.com/watch?v=EqkRbC4EC-8
http://www.youtube.com/watch?v=y3ztkHOYtDc

エルマン先生、1拍目から弾かないで、前の拍のウラからシンコペーションにして弾いてます。

たしか、楽譜はそうなっていないはず。でも良いんです。これぞ「エルマン節」なんです。


今時、こういう可愛い小品を弾いてくれる、プロのヴァイオリニストっていませんよね。

或る意味では、大変怖いかも知れません。プロを目指して所謂「英才教育」を受けた子など、小学校に入学する前に弾けていたと思います。易しい曲ですから、誰でも弾けます。素人ですら、兎に角弾くだけなら弾けます。そういう曲を大勢の前で弾くのは、間違えたらすぐにバレますから。


2曲目はこれまた泰西名曲、ドヴォルザークの「ユーモレスク」です。

N響の第1ヴァイオリンで30年弾き続けた鶴我裕子さんは、仕事ではやれ、マーラーだ、ブルックナーだ、ショスタコーヴィッチだ、バルトークだ、と難しいのを弾いておられたのに、著書「バイオリニストは肩が凝る」の中で、エルマンの「ユーモレスク」を聴くと、ホッとする、と書いています。プロですらそうなのか、と、何だかこちらもホッとしたことを思い出します。


ユーモレスク 変ト長調 Op. 101 No. 7 (ドヴォルザーク--編曲:アウグスト・ヴィルヘルミ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7897609
http://www.youtube.com/watch?v=20xtbVx8sn8
http://www.youtube.com/watch?v=MrdrXJ73Xa4

エルマンが来日した時、日比谷公会堂かどこかで、リサイタルがあり、アンコールでエルマンは、この「ユーモレスク」を弾いたそうで、それを実際に見て、聴いた人によると、今の若いヴァイオリニストだったら、照れちゃってこんなの弾きませんが、エルマンは、実に気持ちよさそうに楽しそうに弾いたそうです。


ベートーヴェン 「ト長調のメヌエット」
http://www.youtube.com/watch?v=TwjzTHF2jgw
http://www.youtube.com/watch?v=iwE_40PrJ0c
http://www.youtube.com/watch?v=n7tuuEzLvBg


お聴きになれば、「ああ、あれか。」と思われる筈です。


ここまでの曲、いずれも「ヴァイオリンが歌っ」ています。その「歌心」が、聴き手の心の琴線を震わせます。


以上は技術的には易しい曲ばかりです。このレコードは1958年にエルマンのアメリカデビュー50周年を記念して作られたとか。


エルマンの晩年ですが、Wikipediaで批判的な文章を書いている人物は「チゴイネルワイゼンに至っては、技術が衰えているため、難しいところは思い切りテンポを落として弾いている」という意味のことを書いていますが、私はそれはどうかな?と思います。

聴いて頂きましょう。


サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
http://www.youtube.com/watch?v=eFtNt0d7KHo

ハイフェッツと比べたら、それは確かにテンポは遅いです。最後モルト・ヴィヴァーチェ。ハイフェッツは一番速いところでは、テンポ180近い。全盛期のハイフェッツと比較したら気の毒です。

岩城宏之さんの「棒振りのカフェテラス」という本に書いてありますが、ハイフェッツですら最晩年は、小品すら通して弾くことができず、編集でつないでいたそうですから。


エルマン先生は思いきり遅いですが、音質は乱れていないし、音を飛ばすこともない。

左手ピチカートもきちんと鳴らしている。曲の最後の最後ではアッチェレランドをかけて非常に高いポジションの音程が狂っていない。ただ、何度も出てくる、和音が三つ続くところで、あまりにテンポを落とすし、演りたい放題なので、これは伴奏者、ジョセフ・セイダー氏の健闘を讃えるべきでしょう。


最後です。


マスネー:歌劇「タイス」 - 第2幕 瞑想曲
http://www.youtube.com/watch?v=nYsSrhamhb0
http://www.youtube.com/watch?v=eL9xlJqd0zQ
http://www.youtube.com/watch?v=eaonFKJKG7U
http://www.youtube.com/watch?v=3dL3Ozdn1SE


全体としてお分かり頂けたかと思いますが、エルマンの音は決して、刺激的に鳴らないのです。

録音が古いこととは無関係だと思います。奏者が常に「美しい音」をイメージいていなければ、ヴァイオリンのみならず、どんな楽器でも良い音が出せるようにはなりませんし、それを維持できない。

エルマン氏は、一生、理想の音を追い続けていたのかも知れません。

好き好きですが、このCDはお薦めです。とにかくエルマン聴いたこと無い、じゃ、問題外でっせ。


コメント

しばしば、言われることですが、昔のヴァイオリニストって、本当に音に個性があるのですよね。

音を聴いて、「あ、○○の音だ!」とすぐ分かるような音色や、歌い方の個性は、何故か技術の進歩と共に埋没してしまいます。

ゴセックの「ガヴォット」やドヴォルザークの「ユーモレスク」など、素人でも弾くだけなら弾ける曲でなおかつ、聴衆を魅了するということは、プロコフィエフやショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲で高度なテクニックで人を「驚かせる」よりも難しいことだと思います。

今の時代にエルマンを愛好して下さる方がいらっしゃって、とても嬉しく思いました。
投稿: JIRO | 2011.04.18 23:12


昨日、私もエルマンのジュビリーアルバムとクライスラー愛想曲集を買い、同じように、ガボットの快活さに舌を巻き、音の素晴らしさに酔っていました。そして、同じくWikipediaの分かったような解説に腹を立てていたところです。
こんなに素晴らしい小品集は他にないと思います。
投稿: kuma | 2011.04.16 23:57
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2010/01/12018911967-566.html


41. 2013年4月29日 21:55:40 : W18zBTaIM6

トーシャ・ザイデル(Toscha Seidel, 1899-1962)

Toscha Seidel - Brahms Violin Sonata No. 1 in G major Op. 78
http://www.youtube.com/watch?v=o7jQhgugrxk


Toscha Seidel - Brahms Sonata for Violin and Piano No.2
http://www.youtube.com/watch?v=RLW2CPaaZog
http://www.youtube.com/watch?v=Maj0uPfnCwU

Toscha Seidel - Brahms Hungarian Dance No 1
http://www.youtube.com/watch?v=bPC6tMoXcMI
http://www.youtube.com/watch?v=OEaTf3LHd48
http://www.youtube.com/watch?v=46udyPpFP8g
http://www.youtube.com/watch?v=dD6miHPisVM


ロシアのオデッサに生まれたザイデルは、レオポルト・アウアーの愛弟子の一人で、アウアーが1918年にアメリカに亡命してきた時、アウアーが一緒に連れてきたのは、このザイデルでした。
アウアーが亡命してくる前年に、同門のハイフェッツがカーネギー・ホールでデビューしており、ハイフェッツを「ヴァイオリンの天使」になぞらえる人は、ザイデルを「悪魔」にたとえていたのだとか。
ハイフェッツの好敵手としてアメリカのキャリアをスタートさせ、1920年代から1930年代にかけて、ザイデルは、ヴァイオリンの大スターへの道をひた走りに走っていました。

本CDに収録されているヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)とエドヴァルド・グリーグ(Edvard Grieg, 1843-1907)のヴァイオリン・ソナタの録音からも、ザイデルが名ヴァイオリニストしての活動を期待されていたのが分かります。

伴奏を受け持つのは、アメリカ人ピアニストのアーサー・レッサー(Arthur Loesser, 1894-1969)で、ニューヨークの音楽芸術研究所(現:ジュリアード音楽院)でパーシー・ゲチウスとシギスムント・ストヨフスキの薫陶を受けた人。モード・パウエルやミッシャ・エルマンなど、当時の売れっ子ヴァイオリニストの伴奏者を務め、ドイツの名歌手だったエルネスティーネ・シューマン=ハインクからアメリカ演奏旅行での伴奏者として指名されるほどの人でした。

本CDに収録されている演目は、ブラームスのヴァイオリン・ソナタの第1番と第2番、そしてグリーグのヴァイオリン・ソナタの第3番という組み合わせです。
おそらく、ブラームスの第3番のソナタも録音の予定に入っていたのでしょうが、結局実現しなかったようです。
ブラームスの第1番のヴァイオリン・ソナタは1853年に手がけられた作品で、自分の歌曲のメロディを織り込んだ作品。そのため、その織り込んだ歌のタイトルをとって「雨の歌」という副題をつけられることがあります。
ここで演奏される第2番のヴァイオリン・ソナタ(1886年作)も、ブラームスの自作の歌曲が織り込まれており、ヴァイオリンの歌謡性がしっかりと試されています。

ザイデルの演奏は、ライバルだったハイフェッツのスタイルとは違い、共演者との対話を大事にしています。第1番のソナタの第1楽章など、ヴァイオリンの音がクローズ・アップされ気味な録音バランスの不自然さを差し引いても、自分から目立とうという所作が感じられません。
微妙なニュアンスをつけて、レッサーのピアノと積極的に絡み合い、レッサーもヴァイオリンの絶妙な表情付けが引き立つよう、陰影に富んだ表現を聴かせています。
それぞれのソナタの第2楽章では、ザイデルのヴァイオリンのたおやかな音色が曲想とよくマッチしていて、しっとりとした抒情を味わわせてくれます。
ザイデルの演奏は、技巧的な華麗さよりはしっとりとした歌いくちを重視したスタイルですが、決して技巧的な弱さはありません。グリーグのソナタでは、レッサーのピアノと激しく拮抗し、スリルのある演奏に仕上がっています。
http://bosabosahanage.blog.shinobi.jp/Entry/470/

トッシャ・ザイデル&アーサー・レッサー ブラームスのソナタ2番

トッシャ・ザイデルはアウアー門下のロシアの提琴弾きである。その昔、ザイデルといえばブラームスと言われた時代があった。フィードラーとはまた違った質の、佳き時代のブラームスに触れる喜びがある。ブラームスの切ないメロディーをこのうえなく切なく歌いあげるのが僕は好きだ。音色も、それに合った控えめだが品のよい柔らかさがあって心地よい。

ピアノはアーサー・レッサーで、どちらかというとピアノが勝っているやうな録音になっている。しかし、僕としては、レッサーのピアノにも大いに興味があって、これでいいと思って聴いている。

ダイナミックスをはっきりとさせ、弱音は貧しい録音からもさぞや美しい音色だったろうと想像させるに十分だ。2回目には、是非、ピアノに耳を傾けてほしい。提琴とピアノのためのソナタだということに気づくはずだ。間違っても「伴奏」ではないのだ。控えめな提琴と豪快なピアノのコラボレーションが楽しい。コルトオやホロヴィッツの「詩人の恋」を思い起こさせる。
http://blog.goo.ne.jp/tenten_family6/e/35e97b4269066079dfa0842903637b70


42. 2013年5月10日 18:50:52 : W18zBTaIM6


Brahms' Historical Recordings
http://www.youtube.com/watch?v=msPbOWM_sb0


Johannes Brahms (1833-1897)
Hungarian Dances WoO1 No.1 in G minor

0:00 Johannes Brahms 1889
0:58 Joseph Joachim 1903
4:05 Leopold Auer 7 6/1920
6:50 Jascha Heifetz Samuel Chotzinoff 16 9/1920
9:50 Fritz Reiner; Pittsburgh Symphony Orchestra 1946
12:40 Wilhelm Furtwängler; Wiener Philharmoniker Musikverein, Vienna, 4 4/1949
15:44 Albert Spalding Anthony Kooiker 1951
19:06 Arturo Toscanini; NBC Symphony Orchestra Carnegie Hall, New York, 17 2/1953
21:54 Alfred Brendel Walter Klien 1956
24:23 Fritz Reiner; Wiener Philharmoniker Sofiensaal, Vienna, 6/1960


43. 2013年5月10日 19:00:16 : W18zBTaIM6

Brahms Plays His Hungarian Dance No.1 (Excerpt), 1889
http://www.youtube.com/watch?v=BZXL3I7GPCY

Brahms: The 1889 recordings (& Joachim 1903 recording)
http://www.youtube.com/watch?v=H31q7Qrjjo0


One of the most appraised historical recording of all time; Johannes Brahms plays an excerpt from one of his most famous piece, Hungarian Dance No.1. Recorded on December 2nd, 1889, on a Edison wax cylinder.

(Update : 11/05/03)

There is a very well written article about the history of this cylinder by German collector Stephan Puille, now available on Norman Bruderhofer's The Cylinder Archive (www.cylinder.de) website. Check it out!


Joseph Joachim - Brahms' Hungarian Dance No.2 (1903) (RARE!)
http://www.youtube.com/watch?v=lV_YXtUs_Ow&list=PLADA8A356988FD2E5

Joseph Joachim (June 28, 1831 -- August 15, 1907) (pronounced Yo-Aah-Chim) was a Hungarian-German violinist, conductor, composer and teacher. He is regarded as one of the most influential violinists of all time.

In 1903, He recorded four Violin pieces for Gramophone & Typewriter company. This is one of these four 1903 recordings, and as far as I know, it hasn't transferred any other materials like LPs or CDs.

The Sound quality is extremely poor and has a lot of surface noises, but the performance itself is excellent enough for justifying his reputation.

This record was re-released by Japan Victor company in the mid-1930s, and the Side A contains another Rare and Wonderful Historical Instrumental Performance. (You'll see it soon.)


44. 中川隆 2013年5月11日 16:50:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ(Eugène-Auguste Ysaÿe, 1858年7月16日リエージュ - 1931年5月12日ブリュッセル)

EUGENE YSAYE - 1913 - BRAHMS: Hungarian Dance No. 5 in G Minor
http://www.youtube.com/watch?v=hjvQHvWtOdk

Ysaye plays Hungarian Dance No.5 on Columbia
http://www.youtube.com/watch?v=Z02qvRpiRRk

「ハンガリー舞曲 第5番」 Eugène Ysaÿe HMV model156 蓄音機
http://www.youtube.com/watch?v=5O7Nm2y0ojg


イザイは有名なヴァイオリニストであり、自らイザイ弦楽四重奏団を設立しているぐらいだから、彼の生まれるのがもう少し遅ければ、彼自身の演奏の録音が、LPレコードで多く残されていたかも知れない。 事実、彼が1912年から1919年の間に演奏した録音が、CD化され発売されているのだ。

19世紀末から20世紀初頭に活躍したヴァイオリニストらしく、濃厚なロマンティシズムを漂わせながらも、無調へと傾斜するような不安定さを孕んでいる。そういう意味では、最後のロマン派であるとともに新しい世紀の胎動をも感じていた作曲家なのかも知れない。
http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/article/593/

ルクレール、ヴィオッティ、ヴュータン、ヴィエニャフスキ、サラサーテ、イザイと続く、フランコ=ベルギー派の伝道者。
フランコ=ベルギー派はグリュミオー、デュメイといった演奏家にまで脈々と受け継がれて来ている。

彼はベルギー生まれ、ヴュータン、ヴィエニャフスキに学ぶ。
演奏家としてのみならず、作曲家、教師、指揮者として活躍。
クライスラー、ティボーは彼を「ヴァイオリニストの王」と呼び、尊敬していたという。
最近は彼の作曲した6曲の無伴奏ヴァイオリンソナタの人気が高い。

有名なフランクのヴァイオリンソナタはこのイザイに捧げられたものである。
そのほか、ショーソンは「詩曲」をドビュッシーは弦楽四重奏曲を彼に捧げている。
彼がいなかったならば、現在これらの名曲は存在しない。
このことを見ても彼がいかに偉大なヴァイオリニストであったかが判るというものである。

現代の耳には、ポルタメント(ポジション移動のときに意識的に移動中の音を入れる)過多がちょっと気になるが、この演奏は、音量や力強さばかりを前面に押し出してくる最近のヴァイオリニストの演奏に晒された耳に、忘れていたヴァイオリンの甘美さを思い出させてくれる。
フランクが自分のソナタの譜面に託したものはこの、ヴァイオリンの持つ甘美さだったのであろう。
http://www.sarasate.net/cd/cd10.html

巨匠中の巨匠・ウージェーヌ・イザイを取り上げます。SP録音、それもマイクロフォンなしの機械式録音で私が進んで聴くのは、このイザイくらいです。

1858年ベルギー生まれ。フランス19世紀末の巨匠マッサールについてヴァイオリンを学びました。彼の猛烈な表現力と火のような情熱は、粗悪な録音を超えて聴き手に迫るものがあります。フリッツ・クライスラーもマッサールの門弟ですが、情緒的・主観的演奏に一脈通ずるところがあるように思います。晩年は太りすぎ(ギクッ!)と老齢のためにヴァイオリンの演奏不能に陥り、指揮者としてアメリカ・シンシナティーで活躍しました。

「何から何までが良い。ユージェヌ・イザイエ程の大きなスケールの上に立っている眞に音楽的な提琴家は現在一人も居ないことは私共に寂寞を感じさせる。現代はどうも小人輩の集合であるやうだ。」(『レコード音楽読本』<故・野村光一著・1934年刊) 

実に60年以上前に出版されたこの本の「提琴家の部」の第1号がイザイでした。ちなみに「小人輩」扱いされたヴァイオリニストを目次から拾うと次の通りになります・・・ハイフェッツ、クライスラー、フーベルマン、ブッシュ、ティボー、エネスコ、シゲッティ・・・。

1912年、電気を一切使わない録音。状態の良いSP盤を良質の蓄音機で聴ければ・・・とは叶わぬ願いですが、今日ご紹介するイザイ基金によるこのプライヴェート盤は、かなりの部分まで再現できているのではないか?と思わせるほど良心的な復刻です。ブラームスの「ハンガリー舞曲5番」やメンデルスゾーンの「協奏曲最終楽章(もちろんピアノ伴奏です)」は、野村氏の言わんとするところが実感できます。またワーグナーの「懸賞の歌」は軽く作品のポテンシャルを超えています。
http://blog.livedoor.jp/e86013/archives/50202591.html


ベルギーの大ヴァイオリン奏者にして作曲家でもあったウジェーヌ・イザイの作品といえば,何と言っても有名なのは『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ』です。しかしこの作品,何しろ無伴奏。印象主義のキラビヤカな和音に趣を感じるファンには,この作品だけが有名で,実際この無伴奏作品以外にはまるでCDをお見かけしないイザイは,評価しようにも評価のできない困ったお方と申せましょう。それだけに,四重奏曲を含むこのCDは,彼の和声感覚を伺い知ることのできる貴重な一枚です。

で,欣喜雀躍早速耳にしてみたのですが・・意外にも彼の伴奏書法は前近代。ルクーやコダーイあたりを彷彿させる民族色漂うロマン派的な書法で,はっきり言って余り面白みのあるものではありませんでした。

やはりこの人の『子どもの夢』は偶然生まれた佳曲だったのかなあ。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6119/museum/ysaye/

子どもの夢(rêve d'enfant) (ヴァイオリンと管弦楽のための) 作品14
Eugene Ysaye - violin, Camille De Creus - piano
http://www.youtube.com/watch?v=AFCX2YzD9Bg


45. 中川隆 2013年5月11日 18:02:22 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

「ハンガリー出身の演奏家たち」

 ハンガリー出身の音楽家で、すぐに連想する巨匠連は、なんと言ってもヴァイオリンの分野になりましょう。

 (1)ヨーゼフ・ヨアヒム(1831〜1907)

 (2)レオポルド・アウアー(1845〜1930)
    門下生:エルマン、ジンバリスト、ハイフェッツ、ミルシュテインなど

 (3)エノ・フバイ(1853〜1937)
    門下生:シゲティ、ヴァルガ、ヴェチェイ、マルツィ、テルマニー、
        レナー、オーマンディ、エレナ・ルビンシュタイン、ジェルトレル、
        セイケイ、アイターイ、ガイヤー=シュルティース、
        フランシス・ダラニー、エルダリングなど。
    この一連の人脈は、「ハンガリー・ヴァイオリン楽派」と呼ばれる。
 
 (4)カール・フレッシュ(1873〜1944)
    門下生:ジネット・ヌヴー、イダ・ヘンデル、ヘンリック・シェリング
        シモン・ゴールドベルグ、イヴリー・ギトリス、マックス・ロスタル
        ヨーゼフ・ボルスタール、アルマ・ムーディなど

 (5)ヨゼフ・シゲティ(1892〜1973)
    日本人の門下生:海野義雄、潮田益子、前橋汀子など
      (出典:BEEHIVE楽師「ヴァイオリンとヴァイオリン音楽」
          平成15年7月 敷島工藝社出版 私家本)

 これだけ見ただけで、まさにヴァイオリニストは「ハンガリー人がすべて」であるような大変な人脈です。ヴァイオリニスト以外でも、ハンガリー人の活躍範囲は広い。

 インターネット情報よりの「ハンガリー出身の音楽家達」を拾ってみますと、
次のように錚々たる人物が山脈を為しています。


 作曲家 コダーイ・ゾルターン  フランツ・ドップラー 
     エルンスト・フォン・ドホナーニ  ドラーティ・アンタル
     バルトーク・ベラ イェーネ・フバイ ジェルジ・リゲティ
     フランツ・リスト フランツ・レハール


 指揮者 ユージン・オーマンディ イシュトヴァン・ケルティシュ
     ゲオルク・ショルティ ハンス・スワロフスキー ジョージ・セル
     ドラーティ・アンタル アルトゥル・ニキシュ フリッツ・ライナー
     ハンス・リヒター


 ピアニスト アンドラーシュ・シフ ジョルジュ・シフラ ゲオルク・ショルティ 
       エルンスト・フォン・ドホナーニ フランツ・リスト


 交響楽団 ブダベストフィルハーモニー管弦楽団(1853年創立で、ハンガリー
      国立歌劇場所属)
      ハンガリー国立交響楽団(1923年創立、1949年再編成)


 四重奏団 ブダペスト四重奏団(1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団員で創設、
      1969年まで演奏活動。)
      ハンガリー四重奏団(1935年創立、1970年まで活動)


 その他 チェロのヤーノッシュ・シュタルケル、など。
http://freett.com/ncnycy/disc-sp-10-4.html


46. 中川隆 2013年5月11日 19:56:45 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ブラームスはノン・ヴィブラートのポルタメント奏法の時代を生きた

演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。

現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。

この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。

アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。

また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。

第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。

ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。

おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。

本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。

しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。

つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
 
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html

カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。

カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。

そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団― レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。 ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。 ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。

クライスラーの奥義は3点ある。第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。 云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。


第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変わり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。 この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。

このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。

これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html

19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。

例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)

上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。
そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです

「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。
http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm


ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。

しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。

ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音は ただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。 私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。

20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。 フリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、グラマーなビブラートを始めたように思われます。

1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。 しかし、ごく徐々になのです。高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。

ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、
ウィーン・フィルは1940年までありません。

ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html


メンゲルベルクの演奏を語る上で、よく取り上げられるのが弦楽器のポルタメント奏法 ( 音をずり上げ・下げする奏法 ) である。メンゲルベルクの演奏を「時代遅れ」呼ばわりする人々の多くが真っ先に問題にするのが、このポルタメント奏法であるが、実は今世紀半ば頃までは、この奏法は弦楽器奏者にとっては全く自然で、当り前のものだった。それが今世紀の中頃から、次第に新古典主義的・即物主義的音楽感が演奏スタイルの主流を占めるようになり、ポルタメント奏法は「時代おくれ」の烙印を押され、次第に姿を消して行くこととなる。

しかしながら、後期ロマン派の音楽を語る上で、このポルタメント奏法は決して無視することは出来ないのである。たとえば後期ロマン派の偉大なシンフォニスト、グスタフ・マーラー ( 1860〜1911 ) の交響曲のフル・スコアには、このポルタメント奏法をわざわざ指定してあるところが何箇所もある。

メンゲルベルクによるマーラーの交響曲の録音は、第四番のライブ録音 (1939年11月9日 ) と、第五番の有名なアダージェット (1926年5月 ) のみであるが、特に後者など、むせび泣くようなポルタメントが、この音楽の本質を語るうえに、いかに欠かせないものであるか、ということを実感させる貴重な証拠である。

今日、特にバロック音楽の世界ではオリジナル楽器で演奏される事が当り前のようになり、楽曲が作曲された当時の演奏スタイルについて、実に様々な研究がなされている。しかし反面、今まで取り上げてきたマーラーやグリークなど後期ロマン派時代の音楽については、それが今日でも広い人気を持ち数多く演奏されているにも拘わらず、ポルタメント奏法をはじめとする作曲当時の演奏スタイルが、現在まったくと言ってよいほど顧みられていないのは、私にはとても不思議な気がするし、また残念である。なぜならば、マーラーもグリークも彼等が生きていた頃のオーケストラの音〜 例えばメンゲルベルク指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団のような響き 〜を念頭において作曲していたはずなのだから。
http://www.medias.ne.jp/~pas/mengelberg.html


47. 2013年5月11日 21:01:10 : W18zBTaIM6

Brahms Plays His Hungarian Dance No.1 (Excerpt), 1889
http://www.youtube.com/watch?v=BZXL3I7GPCY

上掲左のCDはブラームス自身のピアノ演奏が録音されている貴重な記録なのです。

とはいえその録音はエジソンが発明したエジソン式ロウ管蓄音機を使ってその発明から12年後の1889年に録音されているとはいえエジソンのロウ管蓄音機の性能というよりもひとつにはエジソンの蓄音機の発明に関心をもったブラームスが自身のピアノ演奏の録音を後世に残そう…と思った時にはもはや自らのピアノ演奏の技巧が衰えてしまっていることに気付き友人のフェリンガー氏の家での録音セッションでも

 「フェリンガー夫人がピアノを演奏します!」

と自らを揶揄する言葉を発して勝手に演奏を始めてしまったために慌てて録音技師が録音を開始するとともに慌ててフェリンガー氏が

 「ピアノ演奏はブラームス博士です!」

と叫び直した?ところから記録されていますので、十分なセッティングではなく
ひとつにはそのロウ管の保存状態も非常に悪くもう一曲収録された録音(シュトラウス『とんぼ』)では世界大戦によるひびがロウ管に入ってしまっています。
(上掲CDでは未収録です)
 
ですから、その録音状態はとても“鑑賞する”などというレベルのものではなく
 何とか“音がする”という次元でしかなく、真剣に耳を傾けると、かろうじて曲がわかり真剣に耳を傾けると、かろうじて演奏速度がわかるその程度の録音だと私は思っていました。

 しかもそれはYoshii9 で聴いてもなお、それ以上の情報は得らないでいました。

 http://www.timedomain.co.jp/product/yoshii9.html

ところが…違ったのです!

 こちらでも「まとめ」として綴った様にYoshii9 に探求の限りを施した状態で再生してみると

 http://shyouteikin.seesaa.net/article/242159169.html

 なんと驚くべきことにブラームスが、その『ハンガリー舞曲 第1番』を

もともとはピアノ連弾用に作曲されたものをどの様に編み直して独奏しているか
ブラームスのタッチの具合がどの様なものであったか
ブラームスのペダル具合が、どの様なものであったか

 そこまで聴き取れるではないですか!

私はこの瞬間つくづくYoshii9 というスピーカーはあるがままをあるがままに再生してしまうのでもしもYoshii9 の再生音に何らかの不満を感じるのであればそれはYoshii9 の問題ではなく、録音音源と再生機器側の問題であることを再認識させられるとともに

つくづくブラームスは

 既述の様な自虐的な録音状況にあってもなお
 いかに音響を豊かに響かせるか
 いかに音楽を流麗に運ばせるか

 ということに腐心し尽くして演奏していたのかが既述の様なロウ管の保存状態の悪さにもかかわらず聞き取れたのです!

そしてその様なブラームスの演奏を耳にした時前項で書いた歴史的名教師でいらした先生の弟にあたられ自らも名教師でいらした先生とは
 http://shyouteikin.seesaa.net/article/75651978.html

 よく一緒にそのお弟子さんのコンクール優勝記念の演奏旅行にも同行させていただいたりその生徒さんの色々な演奏会にもお供させていただいたことがありますが
ある演奏会の演目がブラームスの作品であった際に私が

「先生、ブラームスというのは、どう演奏すればいいのでしょうか?」

 と尋ねたところ先生いわく一言

「ブラームスを演奏するには、音が豊かでなければいけません」

 とお答えになられたことを思い出しました。

そうした点からすればヴァイオリンに限ったことではありませんが

 ヴァイオリン演奏に際しては

 楽器を“擦る”のではなく
 楽器を“響かせる”ものである

 (事実、そうではなければ同じ楽器だけでも二十〜三十数名
  そこへ他の弦楽器・木管楽器・金管楽器・打楽器まで加わる
  オーケストラを伴奏として演奏される
  ヴァイオリン協奏曲という演奏形態が存在し得ません)

 従ってヴァイオリンにおいては

 運弓=右手は弓の棹自体を確実に支える必要はあったとしてもそれは、わずか55グラム〜60グラムの棹を支えるための最低限の力に留め

 決して「強く擦る」
 決して「もっと擦る」

などのことは絶対にしてはいけないことを改めて強く認識させられます。

にもかかわらず巷にはヴァイオリンの指導者において

 「もっと弓を沢山使って、よく響かせる」

あるいは

 「弓に多少腕の力を乗せると、強く響く」

等の正しい指導をされている先生がいらっしゃる一方で特に某メソッド(メソード)の指導者を中心に

 「もっと強く擦って!」

という単語を連発しヴァイオリンを“響かせる”のではなくヴァイオリンを“擦る”ことばかり教えてしまっている指導者が存在することはそのメソッド(メソード)の創始者自身も望んでいなかったことは私は、生前のその創始者ご本人に確認済みであり誠に嘆かわしい限りです。

しかしそうした創始者の意向に反する誤った指導が展開されがちな某メソッド(メソード)のみならず大抵アマチュアか、それに類した人々のヴァイオリンの弾き方が“響かせる”のではなく“擦る”という弾き方ばかりであるために例えば

 ステージ上で本人はご満悦なのかもしれませんが
 客席には、その演奏表現がさっぱり伝わらないというアマチュアや、それに類した人々の演奏はそれに気付かないのは本人の自業自得ですから、いいとしましても

 そのせいで市場に流通する弦や松脂(松ヤニ)の販売種類において本来のヴァイオリンを響かせる類の製品ではなくそうしたヴァイオリンを擦り引っ掻く人々において耳元で聞くと刺激的な音がする(しかしそれは客席には音は届かない)製品ばかりが流通してしまっている事態にも至ってしまっています。

(もっともこの

 「耳元で聞くと刺激的な音がする製品ばかりが流通してしまっている」

状況はヴァイオリンのみならず広くオーディオ機器にも似た傾向がある様にも感じています)

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それに対して上掲右のCDは
 
 JOACHIM and SARASATE THE COMPLETE RECORDINGS
 YSAYE:A SELECTION OF HIS 1912 RECORDINGS 
 OPAL CD 9851

 というCDでヴァイオリン弾きのみならずクラシック音楽ファンであれば誰もが知る

 ヨアヒム
 サラサーテ
 イザイ  

の3人の伝説の名ヴァイオリニストの自身の演奏が記録されていますが、このCDも、やはり古い録音ですので、とても鑑賞に耐えるものではないとはいえ、このCDは、既述のブラームスの自作自演に比べれば、はるかに細かく聴き取れます。

そしてそこから聞こえて来る録音を耳にする時

 様々な点で、ヴァイオリンの楽器の製作・修復・調整技術が圧倒的に向上し
 色々な点で、ヴァイオリンの奏法の方法・練習・演奏技術が圧倒的に向上している現代にあってなお私たちはこれら歴史的名ヴァイオリニストたちの前には完全に脱帽するしかないことが判り、驚かされます。


ヨアヒムの演奏では

 特にその『バッハ/無伴奏パルティータ 第1番 ブーレ』での力強く朗々と響く重音奏法を耳にするとき この様な奏法が可能なヨアヒムであったからこそ
 その独特の運弓は“ヨアヒム・ポーイング”と呼ばれていたということのみならず、この様な奏法が可能なヨアヒムであればこそそのバッハの無伴奏作品が時としてヴァイオリン・ソナタのスケッチ(下書き)ではないか?
 などと言われることもあったなかをこのバッハの無伴奏作品がまさにヴァイオリン一挺においてのみ奏でられる作品であることの真価を初めて世に知らしめ得たことが聞かれて感動的であるとともに


サラサーテの演奏では 特にその『ツィゴイネルワイゼン』の自作自演での前半部分のジプシー風の自由な作風の箇所でしかしながら、今日聞かれる様なラプソディ風の演奏ではなくまるで、バッハかベートーヴェンのソナタでも演奏しているかの様な厳格な演奏を聴く時

 まず、その様な音楽への確固たる様式感に驚かされるとともに併せて、その厳格なまでの拍子の中に、あまたの細かい音形を確実にはめ込んでいく演奏技術に圧倒され(なお、その『ツィゴイネルワイゼン』の中間部分の「ジプシー・ムーン」と呼ばれる民謡部分はサラサーテ自身の指示によりカットされているためにサラサーテの肉声が聞かれますが サラサーテの喋りもまた、下述の演奏ぶりを彷彿とさせるものなのですが)

 さらにその『バッハ/無伴奏パルティータ 第3番 プレリュード』を聴く時
 (またしても第3番とはCDに記載されていませんが)
  録音原盤の回転数の歪みから、音程がズレて聞こえてしまう点は残念ですが
 驚くべきはその一曲をまるで一拍の様に弾ききってしまっている…では大袈裟でも(笑)その曲の音符総てをまるでトレモロ(通常は同じ音を細かく急速に刻む奏法)かの如くの速度でそれでいて鮮やかに弾ききってしまっている演奏を耳にする時

 あまたの作曲家がこのサラサーテに捧げた作品において時として現代の演奏では冗長になりかねない細かい音形の連続部分もこのサラサーテが奏でた際にはさぞや鮮やかであったろうと容易に想像されるものの

 現代のヴィルトゥオーソと呼ばれる奏者のいかなる者をもってしてもとてもこのサラサーテの演奏には遠く及ばないことも聞かれて愕然とします。


そして最後のイザイの演奏では特にその『メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 終楽章』を聴く時そこではピアノ伴奏で弾かれているとはいえその軽妙洒脱で自由闊達な演奏を耳にする時

 現代のヴァイオリニストがその演奏技術においてもその音楽表現においても
 それがたとえ極めて高い水準であったとしても皆が皆、平準化されてしまった傾向にある中かつては勿論、確固たる様式感と、堅固な演奏技術の裏打ちがあってなおそれぞれのヴァイオリニストがぞれぞれにまったく独自の演奏表現をしていたことが聞かれ現代のヴァイオリニストたちが失ったものの大きさを痛感させられます。

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いずれにせよ冒頭にも書きました様にこれらのCDはとても音楽鑑賞に堪えるものではなく(特に、ブラームスの自作自演は通常のオーディオ機器は勿論
 通常の使用におけるYoshii9 でさえも、旋律を聴き取るのが精一杯です)
 決してクラシック音楽CDとして推奨されるものではありませんが

しかしながら歴史的に貴重な記録としては、一聴に値する
 音楽的な資料としては、様々なことを考えさせられる
 まさに“温故知新”な録音だと感じています。
http://shyouteikin.seesaa.net/article/75839248.html


48. 2013年5月11日 21:24:40 : W18zBTaIM6

エジソンによる蓄音器の発明は1877年(実際にはエジソンの発明の数ヶ月前に現在ACCディスク大賞として名を残しているフランス人シャルル・クロが蓄音機の原理を論文化し、エジソンに実用化を依頼)。

この画期的な発明によっていくつかの歴史的な記録が残されることとなりました。

ブラームス自身の録音もそのひとつで、ウィーンで蓄音器の実演を始めて耳にしたブラームスは、シューマン夫人のクララ宛にその発明の先進性を手紙に書いているほどです。

ブラームスの演奏が録音されたのは1889年12月2日、場所はブラームスの友人であるシーメンス社オーストリア総支配人リヒャルト・フェリンガーのウィーンの自宅。
曲はハンガリー舞曲第1番の後半部分とヨゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ「とんぼ」の2曲でした。

この録音に立ち会ったフェリンガーの手記によると、この日のブラームスは異常な興奮状態で、当初ラプソディ第2番を録音するつもりでやってきたのに、録音の準備の最中に冗談を連発していたブラームスが突然ハンガリー舞曲を弾き始めたのだそうです。
結局録音の準備が整わないままに演奏が始まったために、ハンガリー舞曲の初めの部分が欠落することになりました。

当時は円盤のレコード盤が発明される以前のことで、エジソンが発明した茶筒のような蝋管レコードです。円盤状のレコードがプレスによって大量の複製が容易なのに比べ、筒状の蝋管は複製に向かず、初期の蝋管の多くは直接録音されたオリジナルの一つしか存在しません。

実際失われたものも多く、ハンス・フォン・ビューローの「英雄」がライヴ録音されたとされていますが、今に至るも発見されていません。

このブラームス自身の演奏を記録した貴重な蝋管も、ただひとつ現在ベルリン国立図書館に保管されているオリジナルのみですが、残念なことに風化が激しく、ひびも入り、通常の形では再生することができません。

ブラームス没後100年の1997年に、北海道大学の研究チームがレーザービームによる読み取り装置を使って再生を試みましたが、残念ながら風化による磨耗のため完全な形では再生できませんでした。

幸いなことに、まだ再生可能であった1935年にこの蝋管の再生を試みた複製ディスクが残されており、これにより盛大な雑音の中からブラームス自身の演奏の概要をかろうじて知ることができます。

このディスクは、「ブラームス博士による演奏!」と誰かが叫ぶ声に続くハンガリー舞曲第1番の途中から記録されていますが、続くポルカ「とんぼ」は1935年当時すでに再生不能の状態となっていたようで、こちらは収録されていません。

名ピアニストとして鳴らし、リストとならび称せられたブラームスですが、この演奏はテンポのゆれが極端で、まるでよっぱらいが演奏しているかのようでした。

ブラームスの友人で、数々のヴァイオリン協奏曲の初演者として著名な大ヴァイオリニストのヨアヒムが残した比較的良好な状態のハンガリー舞曲の演奏が残されていますが、こちらもポルタメントたっぷりの大揺れの演奏でした。案外この演奏スタイルが当時の一般的なものだったのかもしれません。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=62


ブラームスはベートーヴェンやベルリオーズたちと同じように、自ら指揮台に立ち自作を紹介しています。

ブラームスの演奏について、「テンポ、リズム、フレージングが柔軟なことを好み、自分もそのように演奏をした。」(ボストン交響楽団初代指揮者、ジョージ・ヘンシェルの言葉)という証言が残っています。

ブラームスは自分の書いた曲にメトロノーム指示を残しておらず、一つの曲がいつも同じテンポで演奏されることを嫌っていました。

自作自演のハンガリー舞曲第1番のピアノ演奏も、初めて経験する録音という特殊な状況下の演奏とはいえ、かなり自由な演奏のように聞こえます。

第二次世界大戦前のウィーンには、「ハイドンの主題による変奏曲」の初演に参加したとか、ブラームスの指揮で演奏したという人達がまだ生き残っていて、ブラームスの指揮ぶりについて貴重な証言を残しています。

この証言によると、テンポは楽譜の指定にとらわれないものであったということですが、ブラームスの指揮は極めてぶっきらぼうで、遠慮がちな単純な動きのために自分の意図したことが演奏者に正確に伝わりにくかったそうです。

「ハイドン変奏曲」で、ヴィヴァーチェとプレストの変奏曲を明瞭に対比させることができなくて焦っていたのが目に見えていた。という証言もあり、ブラームス自身絶えず悩んでいて、現実に棒のテクニック不足のためオーケストラのメンバーに自分の意図が正確に伝わらない場合が多く、ハンス・リヒターやワインガルトナーらの職業指揮者に比べ演奏しにくい棒であったようです。

「ハンス・リヒターが振った交響曲第3番の初演のころになると、オケのメンバーもブラームスの語法に慣れてきていて演奏についてしだいに確信を持つようになってきた」というウィーンフィルの名クラリネット奏者ウラッハの証言もあり、独特なブラームスの作曲の技法がわかりにくさの原因となったこともあるようです。

この時代は、ハンス・フォン・ビューロー、やハンス・リヒターといった専門の職業指揮者たちがその地位を確立した時期でもありました。

ウィーンフィルを指揮して第2番、第3番を初演したリヒターや、マイニンゲンの宮廷管弦楽団を指揮して第4番の初演をおこなったビューローたちには、録音は残されていませんが、当時のヨーロッパにおいて、この二人による演奏が最も権威のあるものでした。

自由奔放なビューローと楽譜通りにきっちりとやるリヒター、この二人は対照的な芸風な持ち主でしたが、ブラームス自身はより柔軟なビューローの解釈を好んだようで、ウィーンで、リヒターが交響曲第1番を指揮するのを聞いていたブラームスが、「あいつを放り出せ!」と隣の友人に言ったエピソードが残されています。
一方のビューローには「君は僕の作品を好きなように指揮して良いよ」とある種のお墨付きを与えていましたが、海千山千のビューローはその言葉を拡大解釈して、かなり極端な解釈の演奏をおこない、ブラームスを閉口させたそうです。

ビューローの死後ベルリンフィルの指揮者となったアルトゥール・ニキシュがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管を指揮した交響曲第4番を聴いたブラームスがその演奏を聴いて絶賛したとか、ワインガルトナー、R.シュトラウス、モットルがベルリンフィルを率いてウィーンでブラームスチクルスを行った時に、ブラームスはワインガルトナーの演奏を最も高く評価したという話もありますが、ブラームスが自作の指揮者として、最も信頼を置いていた指揮者はフリッツ・シュタインバッハ(1855 - 1916)でした。

シュタインバッハは、ビューローからマイニンゲン宮廷管弦楽団を受けつぎ、後にケルン・ギュルツニヒ管弦楽団の指揮者も務めています。

シュタインバッハの弟子ヴォルター・ブルーメによれば、シュタインバッハは、楽譜に書かれていないブラームスが意図していたテンポやフレージング、楽器のバランスについて直接ブラームスから教えを受け、スコアに書きこんだものを使って演奏したそうです。

ビューロー、シュタインバッハからブルーメに連なる系譜について「マイニンゲンの伝統」と呼ばれる言葉があります。これはブラームスの正統な演奏の系譜として、シュタインバッハから教えを受けたアーベントロートやトスカニーニ、ボールト、そしてアーベントロートからケルン・ギュルツニッヒ管の指揮者であったギュンター・ヴァントへと伝わりました。

フリッツ・シュタインバッハのブラームス演奏について、晩年のトスカニーニが「シュタインバッハのブラームスは、音楽があるべきテンポで自由に流れ、実に素晴らしいものであった」と語り残しています。(ウオルフガング・ザイフェルト著 「ギュンター・ヴァント」より)
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=57


49. 2013年5月11日 21:44:33 : W18zBTaIM6

「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その一 私のブラームス回想録(1905年) フローレンス・メイ」


フローレンス・メイは、ロンドンでクララ・シューマンのレッスンを受けた後、ドイツのバーデンバーデン近郊にあるリヒテンタールの別荘で、クララのレッスンを受けるようになった。クララが演奏活動でスイスへ行っている間、メイはブラームスのレッスンを受けることになる。


 ブラームスのひととなり

当時、ブラームスは38歳。身長はやや低めで体格はがっしり。後年の肥満の傾向は全くなし。

理知的な額を有する堂々たる頭部と頭脳の明晰さを表わす青い瞳。挙動には気取りがなく、社交性と慎み深さが同居する、親しみのもてる人という印象だった。

ブラームスは自分について話すのを極端に嫌っており、自分の作品について話すことはめったになく、集まりではどんなに頼んでも、絶対に演奏しなかった。

ブラームスは極端な気分屋で、演奏しろといわれるのが嫌いなうえに、演奏する彼自身のムードと演奏される側、つまり作品の雰囲気がぴったり合わないと、全くだめだった。

ご機嫌なのは先生(クララ・シューマン)たちと一緒の時で、彼女にはいつも下僕のように使え、態度には尊敬の念が表れていた。それは息子が母に持つ愛情と、芸術家同士の共感とがないまぜになったような感覚−弟子のメイにはそう思えた。

ブラームスは大の散歩好きで、自然への愛着もひとしお。夏の間は4時か5時には起き、自分でコーヒーをいれ、それから朝のおいしい空気と鳥の歌を満喫しに、森へ出かけるのが日課だったという。

ブラームスのピアノ指導法

クララは「ブラームスは最高のピアノ教師」だと言っていた。実際、メイがブラームスのレッスンを受けると、「何一つ欠点のない、全ての資質を備えた理想的なピアノ教師」だった。

ブラームスの頭の中には、技術的な修練方法が、細かなことまで全て入っており、しかもそれをきわめて短時間で教えることができた。

メイがテクニックの弱点を説明して、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》を弾き始めると、その指をほぐして均等にする作業に取り掛かった。
レッスン初日から、目的に達するにはどうするのが一番なのかの解説付きで、音階、分散和音、トリル、重音奏法、オクターヴといった技術訓練を次々と与えていった。

レッスン中ブラームスは椅子に腰かけ、弟子の指を見ながら、誤った動きを指摘し、自分の手の動きで正しい形を見せながら、夢中で指導していたという。

ブラームスは、通常行われる五本指のエクセサイズがメイに有効だとは思わず、もっぱら一般の作品や練習曲を使い、自ら習得した、困難なパッセージを克服するための練習法をメイにも教えた。

メイの手首も、聞いたこともないブラームス独自の方法で、ほとんど苦労しないまま二週間ですっかりほぐれ、指の付け根の固い出っぱりが、大方消え失せた。

ブラームスは、指づかいには特にうるさかった。特定の指に頼らず、全ての指をできるかぎり均等に働かせるよう注意した。

バッハの楽譜はメイがイギリスから持ち込んだもの。指使いが書かれていなかったので、ブラームスはツェルニー版の運指を使うように(それ以外の書き込みには従わないように)指導した。

当初、レッスンの大半はバッハの《平均律》か《イギリス組曲》。メイの技術が向上すると、レパートリーも音楽の本質を学ぶ時間も少しづつ増えていった。

ブラームスは、曲の細部に至るまで厳しく気を配れと注意する一方、「フレージング」はできるだけゆったりととるように言った。繊細な詩集の外側を縫い進み、飾り付けていくように、フレーズのアウトラインを大きく一筆書きするのである。音楽の陰影を使って、フレーズをつなげたりもした。

音色、フレーズ、感覚など、ブラームスのイメージが音になるまで、バッハの一部分を十回でも二十回でも演奏させた。

ブラームスは些細なことまで信じられないほど誠実で、生徒に向かって物知りぶったり、イライラしたり貶したりしなかった。趣味はほめることで、どんな曲でもまず好みどおりに演奏すると「いいねえ、言うことなし」で、「そこはこう変えて」とはならなかった。

 ブラームスのピアノ演奏法

レッスンの終わりに、メイに頼まれてブラームスが自らピアノを弾くようになったが、一番多く取り上げたのはバッハ。

《48の前奏曲とフーガ》(平均律)を解説付きで、1曲か2曲、暗譜で弾き、その後は気分によって楽譜集から曲を選んで弾き続けた。

ブラームスは、著名なバッハ信奉者達のように、「バッハはただ流れるように演奏すべし」などとは思っておらず、彼のバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論に捉われていない。

ブラームスが弾く《前奏曲》は躍動感溢れる力強い演奏で、濃淡と明確なコントラストがついて、まるで詩のようだったという。

バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作ってゆく。たとえば深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれぬ優美さ。しかし、情緒は欠けておらず、決して無味乾燥ではない。情緒(センチメント)と感傷(センチメンタリズム)は別物なのだ。組曲では、音色とタッチを様々に変え、テンポも伸縮自在だった。

彼はバッハの掛留音をこよなく愛していた。「絶対にきこえなければならんのはここだ」と言いながら、タイのかかった音符を指し、「その後ろの音符で最高の不協和音効果が得られるように[前の音符を]打鍵すべし、でも、準備音が強くならないように」と強調した。

激しさも要求する一方、「もっとやさしく、もっと柔らかく」が、レッスン中のブラームスの口癖だった。

ブラームスは、バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなどの「小奇麗な演奏」を認めなかった。巧みで均一で、正確かつ完全な指づかいは求めたが、多様で繊細な表現が絶対条件、いうならば呼吸のようなものだった。

作曲家が何世紀の人間であろうが、聴く人に作品を伝えるために、ブラームスはモダン・ピアノの力をためらうことなく利用した。

ブラームスは「安手の表情」をつけるのを好まず、特に嫌がったのは、作曲家の指示がないのに和音を分散させること。

メイがそんなことをすると必ず「アルペッジョじゃない。」と注意した。

ブラームスは音の強弱に関係なく、スラーのかかった二つの音符の醸しだす効果に重きを置き、それを強調したため、メイは、「こういった記譜部分は、彼自身の作品でこそ特別な意味を持つことが飲み込めた」と書いている。[※これは、ブラームスが多用していたヘミオラのこと?]

メイが聴いたブラームスの演奏は、「刺激的かつ独特で、到底忘れることはできない。名人芸を自由に操るといっても、それはいわゆるヴィルトゥオーゾ的演奏ではなかった。どんな作品でも、うわべの効果は決して狙わず、細部を明らかにし、深い部分を表現しながら、音楽の内部に入り込んでいるようだった。」

メイが、ブラームスの作品を練習させてほしいと頼むと、「僕の曲は、強い筋力と手の強い掴みが必要なので、今の君には向かないだろう」。自分が書いたピアノ曲は、女性には向いていないと思っていたらしい。

「どうしてピアノ用に、とんでもなく難しい曲ばかり作曲なさるのですか」とメイが詰め寄ると、ブラームスが言うには「(そういう音楽が)勝手にこちらにやってくるんだ。さもなきゃ、作曲なんかできないよ(I kann nicht anders)。」

 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 そのニ 私のブラームス回想録(1905年) アデリーナ・デ・ララ」

クララ・シューマンのレッスンで、ブラームスの《スケルツォOp.4》の一部分を弾き終えたとき、ブラームスが突然部屋に入ってきて、「今弾いた所をもう一度」。

最初のフレーズを弾き終わると、「違う違う、はやすぎる。ここはがっちり提示するんだ。ゆっくりと、このように」。

ブラームスが自ら演奏。鍵盤の上でゆったりとくつろいでいるようにしか見えないのに、それが豊かで深みのある音を、そして雲の上にいるようなデリケートなppを紡ぎだす。あのスケルツォのオクターブを一つも外さず、ものすごいリズム感で演奏するのだ。

ブラームスは生徒が自分の作品の低音(ベース・ライン)を弱く弾こうものなら、烈火のごとく怒った。その作品はきわめて深い音で、そして左手は決然と弾かなくてはならない。ブラームスは先生[クララ・シューマン]と同じで感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティック(精神的)でなくてはならない。」

日常生活では全く飾らず、ユーモアの感覚にあふれ、冗談を飛ばす。こんな人が真に偉大な巨匠だなんて、思い出すのも難しいほど。最初に会ったとき、ブラームスは40歳だったと思う。


 「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その三 ブラームスはこう弾いた ファニー・デイヴィス」

ブラームスの演奏を文字で書き表すことは、非常に難しい。それは孤高の天才が、作品を作ってゆく過程を論じるようなものだからだ。

巨匠の演奏に向かう姿勢は自由かつしなやかで、余裕があり、しかもつねにバランスがとれていた。たとえば耳に聞こえてくるリズムの下には、いつでも基本となるリズムがあった。特筆すべきは、彼が叙情的なパッセージで見せるフレージングだ。そこでブラームスがメトロノームどおりに演奏することはありえず、反対に堅牢なリズムで表現すべきパッセージで、焦ったり走ったりすることも考えられなかった。下書きのようなザッとした演奏をするときも、その背後には楽派的奏法がはっきり見てとれた。推進力、力強く幻想的な浮遊感、堂々たる静けさ、感傷を拝した深みのある優しさ、デリカシー、気まぐれなユーモア、誠実さ、気高い情熱、ブラームスが演奏すれば、作曲家が何を伝えたいのか、聴き手は正確に知ることになったのだ。

タッチは温かく深く豊かだった。フォルテは雄大で、フォルティシモでも棘々しくならない。ピアノにもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった。

"良いフレーズに始まり良いフレーズに終る"−ドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そして、もちろん、低音部をがっちり強調していることがよくわかった。

ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う <> は、音だけでなくリズムにも応用された。ブラームスは音楽の美しさから去りがたいかのごとく、楽想全体にたたずむ。しかし一個の音符でのんびりすることはなかった。また、彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるために、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。


若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。

巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]

移調できるとかできないという次元の問題ではなく、《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。

この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-1992.html


50. 2013年5月11日 23:33:41 : W18zBTaIM6


ヴィブラートについて

皆さんは今のオーケストラの演奏と、戦前、といっても第1次世界大戦(1914~1918)以前のオーケストラの演奏が全くちがっていたことはご存知ですか。

賢明な諸兄はすぐにヴィブラートの話だと察していただけたことと思います。

かなり昔からトリルと同じくアクセントの延長線上にヴィブラートは存在していました。

しかし現在のような常時ヴィブラートをかけ続ける演奏は、諸説一致してフリッツ・クライスラーが1911年に演奏上取り入れて世界的に広めたということが認知されています。

すごいことですよね、これって。だって私たちがさんざん苦労して手に入れた、もしくは手に入れようとしているあのすべての音にかけるヴィブラートが、1次戦以前はマイノリティどころか誰もやっていなかったというんんですよ。

しかもクライスラー先生という「個人」が、長い時間をかけてという話ではなくて1911年という「特定の年号」にやり始めたということがわかっているというのは凄いことです。

例えは悪いですが「大分県速見郡日出町4丁目50番地の山田さんが1936年のとある日曜日にかつ丼を発明してそれが急速に全国に広がった」なんてことよりもはるかに世界規模なんですよ(例え悪すぎ)。

今でもカペー弦楽四重奏団の古い録音を聴くとポルタメントだけでヴィブラートを使用しない時代を反映した演奏が聴けます。

リュシアン・カペーはベートーヴェンの弦楽四重奏第14番を初演した先生に師事していましたから、演奏スタイルとしてはまさしくピリオドな演奏なわけです。

1911年ってマーラーが死んだ年です。ってことはマーラーの生前はオケでヴィブラートはアクセント程度にしか使われてなかったわけです(至極当たりまえか)。


ロジャー・ノリントンというイギリスの指揮者がいます。

彼はノンヴィブラート奏法で有名な方で、マーラーの交響曲をまさしくノンヴィブラート奏法で録音してますのでぜひご一聴を。

5番とか聞くと、いろんな意味で新鮮です。

ノリントン説では、連続して常時ヴィブラートをかける奏法は、1920年代初期にフランス・イギリスで、1930年代にドイツやアメリカで、1935年にベルリンフィルで、1940年にウィーンフィルで登場したということです。

最新流行の奏法なんですね。私個人的にはヴィブラートでエスプレッシーヴォを表現する方が好きです。

今聴いてもクライスラーのポルタメントとヴィブラートの使い方は神業です。特にそのポルタメントを入れる場所が絶妙です。同じ音程をただ伸ばすところでも見事に入れますからね。

こう考えてみると、ほとんどのクラシック作曲家の活躍当時にはヴィブラートの使用がされていなかったわけで・・・。

チャイコフスキーなんて、どうしてたんでしょうね。ヴァイオリン協奏曲なんて。

確かに私、ヨアヒムやイザイの演奏の録音を持っていますが、表情はアゴーギグとポルタメントでしてます(部分的にヴィブラートはしてます)。

あのブラームスをどうやって・・・あのカンツォーネのイタリア人が、パガニーニが、ヴィブラート抜きの演奏だとしたら、あの5番の協奏曲の第2楽章など面白くないのでは・・・きりがありませんね。

現在の常識は過去の非常識という最たる例なのかもしれませんね。
http://biorin.blog69.fc2.com/?mode=m&no=35

「ピリオド奏法について考える」


ヴィブラートについていえば、そもそもニコラウス・アルノンクールが、子供のころ(1920年代〜30年代)に生で聞いていた演奏というのは、20世紀半ばからのようなヴィブラートではなかったと証言している。

また、その頃は現在の様なスチール弦オンリーではまだなかったことは、日本において当時使われていた楽器が屋根裏物置から発見されるたびに裸のガット弦を張った状態だということからも、ある程度は察しがつく。1920年代を体験した人がまだ現役でがんばっている。決して貧弱な録音だけからなんとか想像できるような遠い昔のことではない。

1920年代以前の録音を聴いても、人によってバラバラ。いまの古楽器奏者と同じようなボウイングやヴィブラートをする人もいれば、20世紀後半の「巨匠スタイル」の人もいる。そして、忘れてはならないのは、20世紀はじめであっても、曲によって弾き方をかなり使い分けているということ。

ヨアヒムもブラームスの曲とバッハの曲では全然弾き方が違う。そしてロマン派の典型的装飾であるポルタメントを多用する時には決してヴィブラートと同時に使わない、という鉄則をきちっと守っている人もいる。いずれにせよ、19世紀から20世紀はじめにかけてもなおノンヴィブラート奏法が行われていたことは否定はできないということ。

それよりも、記譜法の変化や和声や音型のとらえ方、アーティキュレーション、舞曲のリズム等について述べているものがほとんどないというのには驚きました。少なくとも、バロック、古典派、前期ロマン派までの記譜法というのは、時代だけでなく地域によっても、作曲家によってもかなりばらつきがあったということ、そして当時の記譜法についてある程度勉強しないと楽譜に書かれたそれぞれの記号の持つ意味(または可能性)を理解できないこと。記号の意味がわからなければそもそも楽譜を正しく読んだことにはならない。これは古楽器か現代楽器かという問題などではない。まして、好き嫌い、趣味の問題では到底ない。意味、可能性がわかってその範囲内で趣味が問われる。

当時の響き、演奏など再現できるわけではなく、あくまで現代の聴衆の耳、感性に合わせて演奏するしかないというのはごもっともな意見であり、古楽器奏者もそのことは十分に承知している。ただし、それは、楽譜に書かれた記号の意味を学んだうえでのことというのが前提である。

平安時代の源氏物語や枕草子は、そこまでさかのぼらなくても江戸時代の作品は、現代人には理解できないかといわれれば、現代人は現代人なりに理解して楽しむより他はない。しかしながら、そもそも「をかし」とか「わろし」のように、言葉のもつ意味が現代と違うまたは文法が違う場合には、同じ漢字、ひらがなで書かれていたとしても、現代の言葉の意味で理解してはいけないと言うことは、中学生でも知っている。古語辞典を引きながらでないと読めない場合もある。せめてそのくらいのことはわかった上で、現代人の感覚で理解、楽しんでください。これが、ピリオド奏法をやっているまともな指揮者の考えていることだと思います。

モンテヴェルディは徳川家康と同時代人、バッハは徳川吉宗と同時代人、モーツァルトはは松平定信と同時代人である。かなり昔の曲を我々は演奏している。やはり古語辞典が必要なのでは、と思うのは極自然な流れです。

これらを学んだ上で、なおかつ、楽譜に書かれた記号の意味をあえて別の意味に解釈して演奏することの是非についてはここでは問いませんが、それってよほど自信、確信がないとできないのでは。

それはともかく、たぶん、ピリオド指揮者(エセ、にわかを除き)は、こう思っているでしょう。

「ヴィブラートなんかなくたって、彼らの音楽はこんなにすばらしく、魅力的なんですよ!」

って。やるべきことをやっていれば(でもそれがなかなか技術的にも難しくて、コンクール優勝者クラスでも一朝一夕にはできないことは、トッパンホールでも実証済なのではありますが)、ヴィブラートがなくたっていくらでも表現できる。ボウイングテクニックで表現できることはいくらでもあるということでしょうか。確かに、ヴィブラートがなければこの曲は魅力的じゃないなんて言ったら、作曲家は怒りそうですね。作曲家はヴィブラートを聞かせるために曲を書いているわけではないですから。「ヴィブラートをかけないで」という指揮者の指示は、きっと「ヴィブラートがなくたって、あなた方ほどの実力(技術、音楽性)があれば十分に魅力的な表現ができるでしょう?」という問いかけでもあるのでしょう。演奏家もプライドにかけて「自分たちには無理」なんて口に出せないものだから、「やります」ということになる。すると、ヴィブラートをかけたときにもっと魅力的になる。

ヴィブラートがなくたって十分に魅力的だけど、もっと魅力的にするためにヴィブラートを使うのってありだと思います。他の方法による表現のじゃまにならない限り、あまり本質的なことではないのかなとも思います。

それと、ピリオド奏法にはモダン楽器にバロックボウ、またはクラシカルボウなどという発想には正直「?」です。安物のバロックボウでモダン楽器を鳴らしきるのはかなり大変です。高級モダンボウに比べて魅力的な音色が出るなどという保証はまったくありません。音楽の本質を崩さない範囲内で、モダンボウを使ってボウイングテクニックでカバーする方がよいのでは、と個人的には思っています。私自身はモダンボウでそこまでやるほどの腕がないので、泣く泣くクラシカルボウで妥協しましたが、音色はさびしい限りでした。弓の形云々もあまり本質的なことではないと思います。特に古典派以降の場合には。弦を裸ガットにするというのはそれなりに意味があるのかもしれませんが。

ピリオド奏法って、日本ではまだまだきちっと理解されていないのだなあ、誤解、偏見がまだまだあるのだなあ、と改めて感じて、ちょっと怖くなりました。このシリーズやめようかな・・・。
http://bcj.way-nifty.com/kogaku/2008/03/post_7000.html

ノンヴィブラートを斬る

ノンヴィブラートといえば、ピリオド奏法の象徴。アーノンクールやノリントンの練習風景でも、「もし可能であればヴィブラートをかけないでいただきたい」というところが必ず映し出されますし、ピリオド奏法の特徴として最初に挙げられるのもノンヴィブラートです。

L.Mozartはもちろん、19世紀後半から20世紀はじめの大提琴奏者でありJ.ヨアヒムの弟子でもあるL.アウアーがなんと1920年ころ(アーノンクールは1929年生まれ。そのころはすでに初期の古楽器復興運動が起きていた)に執筆した「ヴァイオリンの奏法」ですら、まだノンヴィブラートを推奨しているということ、さらにJ.ヨアヒムのバッハ演奏や戦前のオーケストラの録音などを聞くとノンヴィブラートだなどという色々な理由で、ノンヴィブラートが古典は以降の音楽についても推奨されます。

馬場二郎さんが1922年に実際にアウアーとやり取りしながら翻訳した「ヴァイオリンの奏法」からヴィブラートに関する記述をご紹介しましょう。なお、1998年にシンフォニアから新しい翻訳が出版されていますが、1922年当時の日本における受容も合わせて雰囲気を知っていただくために、あえて当時の訳を使わせていただきます。ただし、旧字体は新字体に直します。

四.音の出し方 三.震音(Vibrato)

震音−(中略)−の目的は或る樂句に對して−そして又、その樂句内の単音に對してさへも−もつと印象的な資質を与へるためなのです。此震音はポルタメントと同じやうに、始めは其効果をたかめて、歌うやうな美しい樂句乃至は単音を装飾し美化するためのものでありました。所が、今では不幸にして、歌者も絃楽器の演奏家も(中略)此震音の効果を濫用いたします。従って、そのために最も非芸術的な性質の災禍に巻き込まれてしまうのです。(中略)

この震音を濫用する癖のある演奏家乃至は演唱家の中には、それが自分の演奏乃至は演唱にさらによい効果を与えつつあると思ひ込むで居る人達もあれば、又、もっとひどいのになりますと、この震音を用ひる事が自分の演奏−悪い音の出し方や、間違った発声法−のあら隠しには至極便利な発明方案であると信じて居る人達さへもあります。然し、こんな小細工は無用と云ふ度を越えて、遙かに有害です。(中略)

如何なる場合にでも、震音は出来得る丈け謹み深く用ひられるのが最も望ましい事を記憶して居て下さい。この方法を余りに惜しまずに用ひますと、反ってあなた方がそれを用ひる眞の目的を破壊してしまいます。(中略)私は一つの樂句の中で互に連絡を保って居る持続音の場合にでも、決してそれを濫用しないやうに忠告して居ます。

とこんな感じです。途中ではもっと延々とヴィブラートを濫用する人々と其の弊害について述べています。ノンヴィブラートが基本で、ヴィブラートは必要な時にコントロールしてかけるものであって、無意識にすべての音にかかってしまうのは病気、肉体上の欠陥とすら言っています。

これは、1760年代にL.Mozartが述べていることとほとんど同じです。我々が1950〜60年代に「伝統的だ」と思っていた演奏スタイルについて、そのわずか30年前には真っ向から反対する大提琴家がいたというのです。「伝統」というのがいかにあいまいなものかがおわかりいただけると思います。アーノンクールの子供のころは、まだこんな時代だったのです。

皆さんはこれをお読みになってどのように感じられるでしょうか?
この記述をもって、ノンヴィブラートが正しいといいきることはできるでしょうか?

しかし、よく読んでみてください。L.Mozartもアウアーも、ヴィブラートを無意識にすべての音にかける人が少なからずいることを嘆いているのです。つまり、ヴィブラートをすべての音にかけるべきという意見や演奏もかなり存在していたということです。たとえば、ジェミニアーニなどはこれよりはヴィブラートの使い方について積極的です。ヴィブラート積極派の残した文献はあまり紹介されないので、ノンヴィブラート派の意見ばかりがすべてであるような印象を受けますが、そうではありません。では、どちらが一般的で、どちらが「よい趣味」として適切なのでしょうか?

結局、過去のヴィブラートに関する記述だけでは、実際の演奏でヴィブラートをどう処理するかという結論は出ないのです。また、先日のアーノンクールの来日公演を聴いても、ウィーンフィルはもちろん、CMWですら実はかなりヴィブラートを使っています。では彼らはピリオド奏法ではない?

はっきりといえることは、「ノンヴィブラート奏法」というのは厳密に言えば間違いであり、ヴィブラートが無意識にかかってしまうのではダメで、ヴィブラートは音楽的に必要な時に自らが使いたいようにコントロールして使うことができ、音楽的に使いたくない時には使わないことができることが必要(アウアー流に言えば、「あなた方の主人としてでなく、あなた方の従僕として震音を適宜用いる」)だということです。

指揮者からここはヴィブラートかけないで、と言われたときにノンヴィブラートで演奏できるということです。ノンヴィブラートを表現の手段として使えるということです。これが簡単そうでいてなかなか難しい。無意識にかかってしまっていたので、慣れないうちは意識してかけないようにすることにかなり神経を使ってしまいます。一方、ヴィブラートであら隠しをしていたところが隠せなくなることで、音程やボウイングによる表現にもより一層注意を払わなければなりません。

それでは、具体的に何がヴィブラートをかけるかノンヴィブラートで行くのかを決めるのでしょうか?他にも色々ありそうです。
http://bcj.way-nifty.com/kogaku/2007/01/post_7c58.html

ヴィブラートについて


鈴木 ビブラートのかからない無調の音はウェーベルンの当時は、かなり新奇だったように思いますが。

野々村 このあたりは工藤さんにお伺いしたいのですが、微分音の範疇を越えて音程の揺れを伴うようなヴィブラートが多用されるようになったのは、実は第2次世界大戦後だという話を聞いたことがあるのですが...

についてだけ、コメントさせて頂きます。

まず、ヴィブラートという技術自体は、ロカテルリの「ヴァイオリンの技法」という本にも紹介されていますので、ヴァイオリンが現在の形になったのとそれほど遅れずに(あるいは同時に)用いられていたと考えられます。ただ、ロカテルリの本ではヴィブラートはその他の装飾音と似たような記号を用いて、使う場所を明記してあります。また、ロカテルリよりは大分後になりますが、レオポルド・モーツァルトの本にもヴィブラートについての記述があります。しかし、ここにも過度のヴィブラートの使用を戒める文章があったと記憶しています。つまり、この頃はヴィブラートは表現上の技術として、かなり意識した使い方をされていたということでしょう。現在多くの古楽器演奏は、この点において恐らく間違ってはいないと思います。

それが、いつ頃からヴィブラートをかけることが基本となるようになったのかというと、僕の知る範囲でははっきりとした証拠になる文献がありません。ただ、ヴィブラートを始終かけるためには左手の自由がないと無理なので、顎当てが発明されてからのことではないかと推測されます。だとすれば、パガニーニ前後の辺りになるでしょうね。また、当然、ヴィブラートをかけることによって楽器も多少は振動しますので、バロック弓のように軽くて弾くというよりは乗せるといった感じの弓の頃には多用されることは少なかったと思います。現在の弓の形になったのはヴィオッティの頃ですから、先の顎当てのこととも合わせて考えると、ヴィブラート自体が多用されるようになったのは19世紀半ば近くなってからではないでしょうか。

また、19世紀後半から20世紀前半の名ヴァイオリニストと言われた人達の語録を辿ると、「ヴィブラートは必要不可欠なものだ」的な発言が急に増えているように思われます。その人々の多くは現在復刻盤で聴くことができます。


例:
クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、
サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同)


上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

※なお、ポルタメントは専ら上昇音形に用いられるのが普通でした。下降音形に用いるのは“下品”とされていたようです。ここがパールマンとは違うところ。

そして、彼らの多くは音程も揺れ動くようなヴィブラートです。ただ、ここで注意しなくてはならないのは、上記ほとんどが技術の衰えた晩年になってから録音していること、また録音技術自体が非常に稚拙であることを考えると、必ずしも彼らの真の姿を記録しているとは言い切れないことです。

さて、野々村さんの発言にある“第二次大戦後”ということになると、おそらくオイストラフやスターンのようなロシア系のテクニックに基づくヴィブラートのことを示すのだと推測されます。クライスラーのような人とオイストラフなどを比べると、明らかに違うのはヴィブラートの“周期”です。前者は非常に細かく(そのため繊細だったり甘美だったり聴こえる)、後者は非常に大きい(そのため雄大だったり豪放だったり聴こえる)という違いがありますが、こと音程の幅という点では実際に差はないと思います。この時期で特徴的なヴィブラートをかけていたのはシゲティですが、彼の場合には完全に技術の低下によるものだと言い切れます。

一方、ジュリアードが輩出しているアメリカ楽派は、上記ロシア楽派の影響を大きく受けつつも、よりムード音楽的な、人によってはだらしない印象を与えるものとなっています。

結局、録音で聴ける範囲において、意識してノン・ヴィブラートを使いこなした演奏家ということになるとクレーメルくらいしか思いつきません。現代音楽の分野ではあまり甘いヴィブラートは用いられていないように聴こえますが、それはヴィブラートを使う類いの歌が曲の中にないことと、押さえるだけで精一杯の演奏家がほとんどである、というだけのことでしょう。


斉諧生 工藤 例:クライスラー、ティボー、イザイ、フーベルマン、ジンバリスト、サラサーテ、ヨアヒム、フレッシュ(順不同) 

上記の人は、全て僕の聴いたことのある人ですが、皆、大きなヴィブラートとポルタメントを多用しています。

何で読んだのか忘れましたが、

「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」

という文章を読んだことがあります。ハルトナックか中村稔か、そのあたりでしょう。

私はクライスラー、ティボー、フーベルマンくらいしか聴いたことがありませんので、詳しいことはコメントできませんが…

でもフレッシュも同様だったとは意外でした。(以下、御存知でしたら失礼)
フレッシュが(いつもの癖で)皆に議論をふっかけているところに偶々、エルマンがやってきた。


皆:(あ、まずいところに…)
フ:「『音』とは何ぞや?」
エ:「…そりゃー、君が持ってないものさ!」


工藤 斉諧生 何で読んだのか忘れましたが、「ああいうヴィブラートはクライスラーが始めたことで、ロゼーのような人は用いていなかった。クライスラーが若い頃にウィーン国立歌劇場管のオーディションに落ちたのは、そのためである。云々」という文章を読んだことがあります。

確かに、ヴィブラートの流儀というものがありますが、クライスラーのものは独特です。でも、それは個性的なスタイルを持っている人なら皆違うといったレベルの話で、ロゼーだって十分甘美なヴィブラートを持ってますよ。新星堂のウィーン・フィル・シリーズやBiddulphの復刻盤で聴くことができます。

完全に余談ですが、Biddulph盤には娘と共演したバッハの二重協奏曲が入っています。3楽章の途中にヘルメスベルガーによる抱腹絶倒のカデンツァが挿入されています (^^)。この娘というのはアルマ・ロゼーで、収容所で死んだのですよね。なんか録音で音が聴けることに不思議な感覚があります。

斉諧生 でもフレッシュも同様だったとは意外でした。
弦楽器では右手と左手とがきちんと同期していることが大事で、右手の流儀は多岐に渡っていますから、当然ヴィブラートもそれに応じて変わってきます。
ただ、

野々村 微分音の範疇を越えて音程の揺れを伴うようなヴィブラートが多用されるようになったのは、実は第2次世界大戦後だという話を 聞いたことがあるのですが....

ということに対しては、録音で聴ける範囲においては“同様”であると述べただけです。ですから、各奏者のヴィブラートに好き嫌いがあるのは当然ですし、音程の幅も人によってまちまちであるのもまた当然ですね。


斉諧生 フ:「『音』とは何ぞや?」  エ:「…そりゃー、君が持ってないものさ!」

こういう話って多いですよね (^^)。


野々村 鈴木 ビブラートのかからない無調の音はウェーベルンの当時は、かなり新奇だったように思いますが。


野々村 このあたりは工藤さんにお伺いしたいのですが、微分音の範疇を越えて音程の揺れを伴うようなヴィブラートが多用されるようになったのは、実は第2次世界大戦後だという話を聞いたことがあるのですが...

工藤 についてだけ、コメントさせて頂きます。(後略)

私は、ウェーベルンの初期無調SQの録音では、ヴィブラートかけまくりのジュリアードQの方が、ラサールQやアルディッティQのノンヴィブラートな録音よりも好きかもしれません。


工藤 野々村 ところで私は、ウェーベルンの初期無調SQの録音では、ヴィブラートかけまくりのジュリアードQの方が、ラサールQやアルディッティQのノンヴィブラートな録音よりも好きかもしれません。

僕もそうです。やはり、あくまでの新「ウィーン」楽派ということなのでしょうかね。ただ、“ノンヴィブラート”を意識して使いこなせる人・団体が出てきたことで、表現の幅が広がったことも確かですね。そして、ウェーベルンの音楽がそのきっかけの一つになったこともまた確かだと思います。



野々村 野々村 ところで私は、ウェーベルンの初期無調SQの録音では、ヴィブラートかけまくりのジュリアードQの方が、ラサールQやアルディッティQのノンヴィブラートな録音よりも好きかもしれません。


工藤 僕もそうです。やはり、あくまでの新「ウィーン」楽派ということなのでしょうかね。
というか、初期無調時代のウェーベルンは、世間で考えられているよりもずっとロマン派に近いと言うべきでは。むしろ、ベルクの作品3などは、ノンヴィブラートでスカッとまとめた方がいい。

工藤 ただ、“ノンヴィブラート”を意識して使いこなせる人・団体が出てきたことで、表現の幅が広がったことも確かですね。そして、ウェーベルンの音楽がそのきっかけの一つになったこともまた確かだと思います。

「ヴァイオリンのノンヴィブラートな音はきれいだなあ」としみじみ感じさせてくれるのが、ケージの『フリーマン・エチュード』ですね。LP時代のネギシーの録音(Lovely Music)も良かったけど、CDで買うとしたらやはりアルディッティの録音(mode, mode 32/37)でしょう。

ノンヴィブラートの音としては、ディスクで入手しやすい人の中ではアルディッティが一番でしょう。クレーメルの音には、どことなく濁った成分が混ざっているんですよね。クラシックで使う分には、それが「味」になる場合もありますが。


工藤 野々村 ノンヴィブラートの音としては、ディスクで入手しやすい人の中ではアルディッティが一番でしょう。クレーメルの音には、どことなく濁った成分が混ざっているんですよね。クラシックで使う分には、それが「味」になる場合もありますが。

クレーメルは、楽器の音がするんですよね。アルディッティは、弦の音、それもスチール弦の音がします。もちろん、悪い意味ではありません。だから、同じようにヴィブラートを抑制した演奏をしていても、クレーメルのピアソラは聴けるが、恐らくアルディッティのピアソラは退屈なものになってしまうだろう、というように明らかな違いが出てきますよね。僕は、曲相とマッチしていれさえすれば、どちらも魅力的だと思っています。
http://pseudo-poseidonios.net/okuzashiki/15_review_7.htm



51. 2013年5月12日 00:31:17 : W18zBTaIM6

ヴァイオリンなどの弦楽器は17世紀から18世紀にかけて一旦完成したのだが、19世紀から20世紀にかけてかなり改造されて今日に至っている。改造の目的はおもに音量の増大であった。その成果は歴然としている。

筆者は映画「耳をすませば」の音楽録音のおり、モダンヴァイオリンと古楽器であるヴィオラ・ダ・ガンバやリュートのセッションを行ったことがあるのだが、モダンヴァイオリンの音が大きすぎて他の楽器の音をかき消してしまうのに驚いた。ヴィオラ・ダ・ガンバの音などは蚊の鳴く音のように感じられてしまうほどで、ヴァイオリンの音が如何に強大になったかを思い知らされた。

音の大きさの違い以外での大きな違いは、弓の形状の違いからくるフレージングの違いである。

図の上がバロック・ボウ、下がモダン・ボウである。バロック・ボウは短いだけでなく毛の量がモダンの3分の1ほどしかない。短くて毛の薄い弓で、なるたけ派手に鳴らそうとすれば弓を大きく使って素早くアップダウンを繰り返す、ということになる。

ヤープ・シュレーダーの教本によると、リズムの重心になる強拍はかならずダウン・ボウで弾くように勧めている。こんなわけで、バロック時代の弦楽器は音は小さいけれど、歯切れのいいリズムを強調した感じのフレージングを用いていたとされるのである。まあ当時はマーラーのシンフォニーに出てくるような息の長いメロディーは滅多に無かったので、話の整合性はとれているわけだ。


もう一つ重要なポイントは、ヴィブラートの扱い方だ。

ヴァイオリンというと、どの音にもヴィブラートがべったりとついているイメージがあるが、実はこれは20世紀に入ってからの慣習だったのだ。20世紀になったばっかりの頃の、猛烈に古い録音を聴いてみると確かにヴィブラートを殆どかけずに弾いているのが確認できる。

このことは声楽についても同じなのだ。ヴィブラートべったり演奏がはびこるようになったのは1920〜30年代あたり、ちょうどヴァイオリンの弦がガットからスチールに変わり始めた頃とかさなるらしい。バッハの頃も、もちろんノンヴィブラートが普通で、特に音を強調したいときだけ装飾音としてヴィブラートを使っていたらしい。

ジャズ歌手でもアニタ・オデイやチェット・ベイカーなどを聴けば、そんな風にヴィブラートを効果的に使っている。こんな風にバロックとジャズやポップスの共通点は結構多い。
http://www.jizai.org/wordpress/?p=243

ノン ヴィブラートはうまいヴィブラートに劣らぬ表現力があると思う!

ヴァイオリン演奏においてヴィブラートを常にかける伝統は実は最近出来たもので、ブラームスのヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1907没)の録音では、ロマンチックな曲をノン・ヴィブラートで弾いてる。

その代わりポルタメントを多用してる。

1900年代半ばの巨匠たちのスタイルももう今のスタイルとは違うし、50年後ヴァイオリン演奏はどうなってるか分からないね。
http://ameblo.jp/gentlemennet/entry-11140003334.html


残念ながら現在の世界中の名弦楽器奏者の大半が、19世紀までに確立されて来た、大切な本来の弦楽器奏法の基礎を学ばなくなってしまったのです。言い換えれば伝統が受け継がれなくなってしまったのです。もうそういう状態になって数十年いや百年近くにもなりましょうか。もちろんそういった残念な事態に陥ってしまっていること自体、彼らは気付いてすらいません。

19世紀までの弦楽器の先生から見ると何と怠惰な演奏だって一喝されてしまうでしょう!! あの有名なヨーゼフ・ヨアヒムもサラサーテもヴィニェアフスキーも、今演奏を聴いてみると、そういった基礎ができていました。でなければ事実上のノンヴィブラート奏法であった世紀の大ヴァイオリニストの響きなど、誰にも賞賛されなく、もちろん現在にまでその名声が受け継がれるなどという現象はおきなかったでしょう。

ただ、基礎が失われてしまった現在のオーケストラで、完璧にピリオド奏法、すなわち弦楽器においては、弓使い(管楽器では息使い)のみによる微妙なニュアンス付けだけで音楽を、espressivoを表現するという本来の姿を再現しようとしても、現実には残念ながら限られたわずかな練習時間では、その基礎を徹底できなく、結果として中途半端でただヴィブラートが無いだけの寒々とした非音楽的な響きになってしまう
http://www.naito-akira.com/archives/230


20世紀に流行った即物主義的演奏態度のおかげでチャイコフスキー作品の演奏にはインテンポが定着してしまったように思う。また、テンポとともにポルタメント奏法も徹底的に排除されてしまった。

今日、ヴィヴラート奏法の是非が云々されている中、ポルタメントやテンポルバートの問題がまったく問題になっていないことには大きな疑問を感じる。

ノンヴィブラートの姿勢だけで自分は正しいと思い込んでいる演奏家の不勉強さと無責任さには疑問を感じる。
http://mine21.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/10/64_f6f3.html

バイオリンのテクニック (ビブラート)
http://www.youtube.com/watch?v=O0Ju1_3aPvs

バイオリン ビブラートの練習 atsushi-violin.avi
http://www.youtube.com/watch?v=supkzL3v5Rg

バイオリン ビブラートのかけ方【実践編】
http://www.youtube.com/watch?v=y0a9ZaLl508

ポジション移動とポルタメントの関係atsushi-violin.avi
http://www.youtube.com/watch?v=JOsqOtVAOUQ


52. 2013年5月12日 00:40:17 : W18zBTaIM6

私は70歳台の“青年”ですが、学生時代に弦楽器をやって以来ますますクラシックに傾斜しております。特にヴァイオリンものが好きですが、ヴィブラートは絶対必要と感じています。

例えばシューマンのチェロで弾く「白鳥」などをヴィブラートなしで聴くことを想像すると、何と味気ないものになることでしょう。バッハのあるジャンルの曲などはヴィブラートなしでもそれなりに聴けますが、モーツアルト以降ロマン派までの曲には絶対ヴィブラートが必要と感じています。
投稿: 小嶋重雄 | 2007/01/21 11:53

バロック時代も含めて、ヴィブラートをまったく使うべきではないということを主張している人は、私の知る限り誰もいません。一方で「濫用」は、塩や胡椒を入れすぎた料理のようなもので、辛いばかりで味わいがないし、素材のうまみも消してしまうのと同じように、常時均等均質なヴィブラートは音楽のうまみを消してしまいかねないということはアウアーはじめ多くの方々が述べているところです。

さて、私は演歌歌手のヴィブラートがピリオド奏法のヴィブラートにとても似ていると思っています。彼ら、彼女らは、すべての音、言葉に均等均質なヴィブラートをのべつかけるということは決してありません。森進一のヴィブラートは独特ですが、「おふくろさん」と歌う時にヴィブラートはかかっているでしょうか?まさにおふくろさんに語りかけているわけで、美声にヴィブラートをかけなくても心にしみる表現ができるいい例です。初期バロックで使えそうな表現です。美空ひばりの歌い方は、ピリオド奏法における理想的なヴィブラートの使い方に極めて近いのではと思います。ヘンデルとかでも使えそうです。

ヴィブラートの大きさや早さも雰囲気に影響を与えますね。音のはじめはノンヴィブラートで、弓でクレッシェンドしながら徐々にヴィブラートをかけていくようなやり方もよく使われます。逆に言えば、常に同じようなヴィブラートをかけるというのは、弓でクレッシェンド、デクレッシェンドをやらずにいつも同じ音量で同じ音色で弾いているのと同じようなものです。

というように、まずボウイングでの表現があって、その効果をさらに高めるためにヴィブラートを添えるというのが、ピリオド奏法に見られる考え方ですが、演歌歌手に見るように、決して特別なことではありません。世界中の歌のほとんどは(シャンソンもバラードもジャズも)演歌のようなヴィブラートの使い方をしているのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
http://bcj.way-nifty.com/kogaku/2007/01/post_7c58.html


うーん、音楽ファンはみんなヴィブラート大嫌い、ポルタメント大好きなんだけど、弦楽器をやっている人は反対に みんなヴィブラート大好き、ポルタメント大嫌いなんですね。

要するに、二流演奏家にはポルタメント奏法は無理という事ですね。


53. 2013年5月12日 09:08:20 : W18zBTaIM6

こんなブラームスもありか


最近ブラームスづいているので、ノリントンのブラームス全集を聴いてみた。

一番の始まりでずっこけた。

速い。あっさり。軽い。


ブラームスの一番は、すき焼きのような重い音楽だと思ってた。

ところがこれはまるでそうめんだ。

軽い軽い。

軽快なテンポも、軽さの理由のひとつ。

もっと重要なのは、弦だろう。

ビブラートしない。例のピリオド奏法ってやつか。

うーん、こんなブラームスは初めてだ。

あっさり風味のまま、最後までいってしまう。

一番は物足りなかった。

三番も、ややものたりない。

でも、二番と四番は、それなりに楽しめましたよ。


まあ、こういうあっさり風味もたまにはいいか。

冷や麦かそうめんのような、あるいは風呂上がりに縁側でうちわでもあおいでいるような、そんなさっぱりしたブラームス。

暑い夏には、こんな演奏もいいかも。


でも、ぼくは口直しに、ヴァント&ミュンヘンフィルのこってり風味の一番を聴いたのでした。

まあしかし、ブラームスの交響曲って、もてない音楽だよね。
http://d.hatena.ne.jp/putchees/20110725

ロジャー・ノリントンの話

ロジャー・ノリントンは、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズとのピリオド楽器による演奏(HIP)で古典からロマン派の作品に新しい光を投げかけてきました。1998〜2011年にシュトゥットガルト放送響(SWR)の首席を努め、HIPの成果を生かした新しい世界を開きました。2011年からはチューリッヒ室内管(ZKO)の首席などに就いています。

ノリントンとシュトゥットガルト放送響のブラームス4番が届いた。この演奏については、どこがどう面白いといったことはもう書きようがなくて、ただひたすら素晴らしい。音色も、ダイナミックスも、テンポも、表情も、これこそがブラ4だという感じ。当然、ノンビブラートの透明な音だ。


最近買ったブラームスでは、ほかにはボールトによる交響曲全集がなかなか面白かった。1970年代初めの録音だが、端正な演奏で、さすがノリントンの師匠だけのことはある。

同じシリーズでついでに買ってみたバルビローリ指揮の交響曲全集は、こういう時代もあったなという意味では記念碑的なものかも知れない。ボールトの録音とほんの数年しか違わないのに、これだけの落差があるのも驚くばかりだ。
http://www.kanzaki.com/music/cahier/brahms0306

Time to Rid Orchestras of the Shakes
By Roger Norrington on The New York Times, 2003-02-16.


かつて古楽運動と呼ばれていたものにとって、まだ残された未開拓のフロンティアというものはあるのでしょうか? 1960年代と70年代にモンティベルディ、バッハなどといった分野を席巻したので、そのムーブメントはピリオド楽器と密接に結びつけて捉えられるようになりました。ピリオド演奏団体は、歴史的情報に基づくスタイル(historically informed style)と呼ばれるようになった奏法によって、近年その領域をモーツァルト、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、そしてもっと後の時代の作曲家にまで拡げてきています。

しかし、古楽の演奏は常に、何を使って演奏するかよりも、どのように音楽にアプローチし演奏するかということを考えてきたのでした。そして、歴史的情報に基づく実践は、すでにずいぶん前から主流になっています。一時期は「モダンな」演奏家たちを困惑させた要点の多く -- テンポ、オーケストラの配置、弓の速度、アーティキュレーション -- は、いまやほとんど当然のこととして受け止められています。モーツァルトの交響曲のアンダンテ楽章で、本当にゆっくりしたものに出会うのは、希なことになっています。残された大きな問題は、ロマン派の時代にオーケストラが生み出していた音(sound)です。

聴き手として、私たちはすでに、モンティベルディやバッハが普通はピュアな音色(tone)で演奏されることに馴染んでいます。ビブラート、すなわち音をより強力にするために瞬間的に音程を揺らすこと、が絶え間なく使われたりはしません。ピリオドオーケストラの助けを借りて、私たちは徐々にハイドンやモーツァルト、時にはベートーベンも同じ音で奏されることに親しんできました。しかし、ここロマン派時代の入り口においては確かに、ピュアな音色については疑問を投げかけられるでしょう。少なくともベルリオーズの時代以降のオーケストラは、今日と同様のビブラートを使っていたのではないか?

全然、ちっとも。ビブラートは、1830年代の特徴からは遙かに隔たったもので、それは欧米のオーケストラでは1930年代までは一般的ではなかったのです。

しかし驚くべきことに、演奏者も聴衆も、それ以前の偉大な作曲家たちが誰一人として期待も想像もしなかったオーケストラの音に、全面的に慣れ親しんでしまったようです。ベルリオーズやシューマン、ブラームスやワーグナー、ブルックナーやマーラー、シェーンベルクやベルクがその傑作を書いた時、オーケストラの音はただ一種類だけが存在していました:暖かく、表現力豊かで、ピュアな音色。私たちが慣れてしまったグラマーなビブラートのない音。

「グラマーな」という言葉は、新しい音をよく表しています。この言葉は、1920年代以前はほとんど用いられませんでした。それはハリウッド、流線型のカーデザイン、ラジオ、遠洋定期船、そして初期の飛行機といったものとともにやってきたのです。それは、コンサートを近代化する他の試みとも一致していました。たとえば第1バイオリンと第2バイオリンを対向させずに一緒くたにしてしまうとか、ガット弦がスチール弦に置き換わるとか、交響曲やコンチェルトの楽章間の拍手が徐々に排斥されていったというような。

確かに、ある種のビブラートは、独唱歌手あるいは器楽の独奏者にとっては、良く知られたものでした。18〜19世紀において、それは表現力を高める手法であり、長い音を訴えかけたり、特に情熱的な瞬間をはっきり示すために用いられました。20世紀になって新しく加わったのは、全ての音符に、どんな短いものであっても絶えずビブラートをかけるというアイデアです。

偉大なオーストリアのバイオリニストであるフリッツ・クライスラーが、カフェの音楽家やハンガリーやジプシーのバイオリン弾きのスタイルを取り入れて、この方法を始めたように思われます。しかしクライスラーの録音を聴くと、誰もがそのビブラートの繊細さに驚くことでしょう。今日しばしば耳にする強引なピッチの変動ではなく、もっとずっと上品なゆらめき。

多くのソリストたちは一線を画していたにもかかわらず、新しいマンネリズムは急速に広まっていきます。そのなかで、それはひとつの分野においては頑強に、しっかりと拒まれていました:オーケストラ、特にドイツのオーケストラにおいて。その経過の全体像は録音された演奏からうかがい知ることができます。録音技術はちょうどビブラート時代が始まった頃に導入されました。1900年以降、偉大なソリストとオーケストラが、最初は前の世紀からのピュアな音色で演奏しており、そして今日私たちが知っているものに徐々に変化していくのを聴くことができます。

しかし、ごく徐々になのです。20年代の初期には、流行に敏感でエンターテインメント志向のフランスの奏者たちが絶え間ないビブラートを試し始め、そして20年代後半にはイギリス人がその先例に倣いました。しかし、高潔なドイツや大きなアメリカの団体の大部分は、30年代になるまで手を染めませんでした。ベルリン・フィルは1935年まではっきりしたビブラートの録音は出てきませんし、ウィーン・フィルは1940年までありません。

ですから、20世紀前半のバイオリン協奏曲の録音を聴くと、ソリストはビブラートを使っていますが、ドイツの最高のオーケストラはピュアな音色で演奏しています。当時はそれが普通だったのだと思われます。

ソリストたちを悪趣味とみなす人々もいました。オーケストラのほうが古臭いと思う人もいました。不思議なことに私たちは、この重大な変化の時代に生きた人々がこのことについて語った例をほとんど知りません。確かに、シェーンベルクは、ビブラートを雄ヤギの不快な音になぞらえました。しかし、エルガーは、彼の高貴な世界がなくなってしまう時に何を感じていたのでしょうか? そして、トスカニーニ、フルトベングラー、ワインガルトナー、クレンペラーといった指揮者たちはどうだったのでしょう。彼らは、一方の音で育ち、そして共演するオーケストラからもう一方の音を受け取ることになったのです。

演奏者たちにとっては、この変化はおそらく指揮者にとって以上に重大です。アメリカ中のオーケストラで、抵抗があったはずです。たとえば、フランスで訓練を受けたフルート奏者がボストン交響楽団やフィラデルフィア交響楽団に入団して、木管楽器に新しいアイデアを紹介していったときなど。

この闘いのまっただ中にいた人物が、アーノルト・ロゼーです。彼はウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルのコンサートマスターを、1881年からナチによって追放される1938年まで務めました。彼は、義兄弟であるマーラーが歌劇場を指揮した期間全体にわたって、オーケストラをリードしました。私たちはロゼーの四重奏団の録音を、1928年まで下って聴くことができます。そこで彼は、模範的な明晰さと自然さで演奏し、モダンなビブラートに類するものはまったく聴かれません。

というわけで、もしピュアな音色がこれらの偉大な作曲家にとって満足のいくものだったとしたら、私たちが近代のグラマーなオーケストラの音色を聴く時に、何が失われているのでしょうか? グラマーな化粧を削ぎ落としたら、オーケストラのサウンドは多くの点で得るものがあります。テクスチュアは透明になり、まさにサウンドの内部を聴くことができます。不協和音はよりシリアスで辛辣なものとなります。

音がグラマーになっていないので、フレージングがいっそう重要になります。今日のオーケストラは、形(shape)ではなく音(sound)に依拠する傾向があります。しかし、音楽は音のためのものではありません。音は単にその素材なのです(絵の具が絵画の素材であるように)。音楽が表すものは、身振り、色、形、形式、そして何よりも、感情の強さなのです。

さらに、ピュアな音色は19世紀の音楽の非常に重要な特徴を復元します:その純潔さです。私たちは、純潔はバロック音楽の専売特許であると考えがちです。しかしそれは間違いなくメンデルスゾーンの音楽の特徴であり、ブラームスやチャイコフスキーにおいても同様に重要なのです。

では、このクリアで高貴な19世紀の音は、通常のオーケストラに戻ってくることができるでしょうか? いくつかのモダン・オーケストラは、すでにその配置を、巨匠たちが作曲時に念頭に置いていたヨーロッパ型に変更しています。これらのオーケストラは、ごく容易に、そのサウンドをメンデルスゾーンやブラームスやマーラーのものに戻すことができるでしょう。

そうする理由は、ピュアな音色が「正統的」だからではありません。それは美しく、表現力豊かで、エキサイティングだからなのです。
http://www.kanzaki.com/norrington/roger-nyt200302.html


ポルタメントについて

ノリントンの「田園」でポルタメントが使われているということを書いていて、思い出した。昨年の『レコード芸術』で吉村渓がジョシュア・ベルにインタビューした記事の中で、ちょっと気になる記述があったのだ。ベルがノリントンと録音したバイオリン協奏曲のCDについて質問しているのだが、それがピリオド・アプローチでユニークであるという話の途中で、ポルタメントに関して何だか変な展開になっている。

――(前略)メンデルスゾーンではポルタメントをかなり多用していらっしゃいましたが、これについてノリントンさんとの見解に相違は生じませんでしたか?


〔ベル〕もちろん音楽史上の慣習や歴史的演奏法は常に私自身の勉強の対象ですし、確かにノリントンはそうした問題にかなりのこだわりを持ち、実際に精通している人ですから、共演に際して突っ込んだディスカッションはかなり経てきています。(略)

ポルタメントにしても、最後は自分の直感に従って、どう弾くのが作品に対して最も自然で無理がないかを判断しなければなりません。歴史的考証についても、究極的には誰がどう弾いたかは突き止めきれないわけでしょう。ですから、そのさじ加減を最後に決定するのは自分になってくるわけです。

――なぜそう訊ねたかといいますと、ノリントンさんにも昨年秋のシュトゥットガルト放送交響楽団との来日公演の際にインタビューしているのですが、彼は明確に「ポルタメントとヴィブラートは、ロゼーの時代ごろから始まった新たな装飾技法であり、それまでは一般的に使われることはなかった」と断言していたので、それを押してベルさんが違ったスタイルを採用している点に、ご自身の主張が出ているのではと推測したからなのです。
以下略(『レコード芸術』2002年12月号p.240)

ノリントンは確かにビブラートはロゼーの時代までは使われていなかったと述べているが、ポルタメントをそんな風には否定していないはず。ブラームス交響曲の演奏ノートやプラハの春のインタビューでも、「幾ばくかのポルタメント」は肯定的に言及しているし、The Cambridge Companion to Brahmsに寄せたブラームスの演奏論では、ヨアヒムのバイオリン教本で《ポルタメントは、歌において1節として歌われるべき2音の間にスラーがかかっている時の表現に対応する。ただし過度のポルタメントは良くない》と記されていることを引きながら、次のように述べている。


この技法は、20世紀初期の演奏でも聴くことができます。例えば1930年代のエルガーの交響曲など。しかし興味深いことに、ビブラートが一般的になっていったのに対し、20世紀においてはポルタメントは反対の道を辿り、しばしば趣味の良くないものとみなされ、クラシック音楽の演奏では用いられなくなってしまいました。

私たちは、ヨアヒムに従い、特別な表現効果をだすために多少(some)用いました。けれどもそれは弓を軽くして弾くのであって、2つの音を決して重く強調したりはしていません(それはヨアヒムが悪趣味な「哀れっぽい声」と批判しているものになってしまいます)。私の考えでは、この先20年の間に、何も考えていない絶え間ないビブラートは、同じように衰退の道をたどるでしょう。このやり方は、ポルタメントがそうだったように変わりうるものなのです。

Roger Norrington with Michael Musgrave, Conducting Brahms, in "The Cambridge Companion to Brahms", p.236


ノリントンは、もちろんポルタメントの“多用”を推奨しているわけではない(ブラームスの演奏としてはポルタートが重要だと書いているが、これについてはまた別の機会に)。しかし、必要な効果のために適度に使うのはむしろ普通だったと言っているわけで、吉村さんの書いているのはちょっと違うと思う。疑問のメールを送っておいたら、ずいぶん前の演奏会でばったり会った時に「こんど録音テープを確認しておく」と言っていたものの、そのご音沙汰なし。どうなっちゃってるんだろう…なんてことを、「田園」を聴きながら思い出したのだった。
http://www.kanzaki.com/music/cahier/portament0305

Cahier de la musique
ブラームスのポルタート

カペレの次の演奏会はブラームスの交響曲1番を取り上げる。今日は弦分奏で細部をかなり丁寧に練習した。普段通り過ぎてしまうような箇所をじっくり繰り返して弾き方を確かめていったので、なかなか充実していたのだが、ときどき気になる部分もあり。例えば3楽章の30-32小節目で、2nd VnとVaが半音上昇音型をスラーで奏でた後、次の小節に入る前に2つの音だけがポルタートになっている部分。

この2つの音を区別して弾くようにという指摘は結構。しかし、これをスタカートのように短く切って弾くのがいいのか? ブラームスはポルタートを重視していて、スタカートとは違う効果を想定していたはず。再び、The Cambridge Companion to Brahmsのノリントンを引用してみよう。

私たち〔ノリントン+LCP〕が多用した奏法は、ポルタート、すなわち半スラーの弓使いです。ヨアヒムはこれについて、彼の論文では直接的にはほとんど言及していませんが、バイオリン協奏曲の記号の付け方に関するブラームスとの往復書簡で、この件はしばしば登場します。(中略)

グローヴ音楽事典ではそれは「スラー付きスタカート」と分類され、

「一弓で弾かれる2つもしくはそれ以上の音符をはっきり区切ること。
個々の音符に点もしくは線を付け、ひとつのスラーでつないで示す。
中庸のスピードで弓を弦につけて(on-string)奏され、音の区切りの度合いは音楽の性質による」

となっています:つまり、弓を弦につけた、レガートとスタカートの中間の奏法ということ。よく引き合いに出される例は、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲の第2主題です。

ブラームスはこの奏法に強い関心を持っていましたが、その記譜方法についてはヨアヒムと意見が食い違っていました。ブラームスは棒とスラーの組み合わせを嫌い、全ての場合に点とスラーを使うことを好みました。そして

「君はまだこの記号をスタカートとして使っているが、僕はポルタートを意味しているんだ」

と述べ、ベートーベンが同じ用法をしていることを示して彼の選択が正しいと主張しました。フローレンス・メイ〔ブラームスの伝記作者〕は、ブラームスが2つの音をスラーでつなげる良く知られた効果を多用していたと記し、

「彼がこの点について私に示したこだわりから、この記号は彼の音楽で特別な重要性があることを理解した」

と述べています。

レガートとスタカートの中間というのは、まあ記譜の通りなので当たり前なのだが、これをどう弾くのかは何となく分かったような分からないような、曖昧なままになっていることが多い。ノリントンは、ブラームスは多彩な表現のためにいろんなアーティキュレーションのバラエティと組み合わせを用いているのだと言う。

彼は弓使いの多様性とそのコントラストを示す場面をたくさん与えてくれます。彼がよく使うピチカートも、アーティキュレーションの絶えず変化する表面の1つなのです。これが、最大の表現を引き出すために練習において私がとても苦心した点です。

スタカートといってもいろいろな表現方法があるように、ポルタート記号を一般論としてどう弾くかというのはあまり意味が無い。それよりも曲全体を表現する上で、スタカート、スラー、ピチカートなどのアーティキュレーションをどう組み合わせ、どんな位置づけとして音楽を構築するか、そのプランの中で、「我々が弾くポルタート」というものが見えてくる。まぁしかし、スタカートと同じように短くということは、まずあり得ないだろうけれど。

ついでながら、ブラームスがアーティキュレーションを細かく使い分けていたいうことを考えると、単に音型やリズムが似ているからというだけでスタカートなしの音符をスタカートがあるように弾くのは、やはりおかしいと言わざるを得ない。作曲家がスタカートを省略した? 新ブラームス全集の楽譜を校訂したロバート・パスコールは次のように述べている。

...we can readily see that the exact placement and extent of hairpins, slurs and articulation signs did matter to Brahms.

楽譜出版社の校正刷りにブラームスが書き込んだ修正などを詳細に見ると、スタカートなどのアーティキュレーション記号はもちろんのこと、クレシェンドがどの音符から始まるかということまでブラームスは気を遣って訂正していることが分かるというのだ(新全集の楽譜は、一見旧全集と違わないような所でも、微妙にクレシェンドの位置が修正されていたりする)。音楽をよく吟味した上で、やはりスタカートの箇所と同様に弾くというのなら、それはそれでもいい。しかし、何となくよく似た音符だからとか、以前にこう弾いたからとか、CDで聴いた音がこうだったからというので譜面を無視するのは、違うんじゃないか。
http://www.kanzaki.com/music/cahier/portato0305


1870年の弦楽器は構造の点では現代のものと違いはありませんでした。それらは全て19世紀の仕様に基づいて作られていたか、(もし古いものであったら)同世紀の初期のうちに改造されていました。しかし、弦はガットのものが用いられ、調律は現在よりも一般的に低く、A=435程度でした。同様に、木管楽器は古典派の時代より著しく「改善」されていましたが、現代のものほど複雑でもなく強化されてもいませんでした。ティンパニは、言うまでもなく、プラスティックではなく革張りであり、トロンボーンは近代のような大きな口径を持ってはいませんでした。

ブラームスのホルンとトランペットに対する姿勢は興味深いものです。彼は新しいバルブ・ホルンより手を使う古いホルンの方を好むと公言していましたし、半音階を吹ける楽器は過去40年にさかのぼって存在しなかったかのように、限定された「古典的」トランペットのパートを書きました。けれども、ブラームスが聴いたり指揮したりしたオーケストラはどれもバルブ・ホルンを使用していたので、私たちはここでもそれを採用することにしました。初期のバルブ・ホルンは、一体型でむしろ軽量の楽器で、その音は現代の重い、部品化された(compartmentalised)ものとは随分異なっています。

オーケストラの配置は、1750年から1950年までの期間を通して、第1バイオリンと第2バイオリンが舞台の反対側に座ったもので、さらに私たちの場合はホルンとトランペットも同様に並んでいます。ダブルベースは、ヘンシェルがブラームスと議論しつつ初期のボストン交響楽団で試みた形態、木管の後ろの両サイドに分割して配置しています。

私たちが一番驚いたのはオーケストラの規模でした。1870年代のドイツのオーケストラは、、一般に依然としてメンデルスゾーンがゲバントハウスを指揮していた1830年代と同じ人数で構成されていました。8〜10人の第1バイオリンが伝統であり、もちろん、そうした(近代と比べて)小さい編成は、弦楽器と木管、金管との自然なバランスに深い影響を与えています。そう、ハイドンやベートーベンの時代の慈善演奏会の場合と同じように、祝祭のための大規模なオーケストラもあったことは事実です。けれども、こうした機会にはそれに合わせて木管は倍管にするのが普通でした。ウィーン・フィルは特別に大きな弦パート(と高いピッチ)を持っていたので、常にそうしていました。しかし、他のオーケストラの場合、平均的な構成は、36の弦(平均して各声部に9ずつ)、9の木管と9の金管と考えることができます。

ブラームスのスコアの書法からは弦、木管、金管の3つの対等な声部がはっきりと読みとれます。私はこれを見て、彼がかつてウィーンで学び、指揮したガブリエリやシュッツの3声のモテトを思い浮かべます。近代の「壁から壁まで」並んだ70人もの弦楽奏者が彼の音楽を表現するのに絶対必要であるとは、どうしても考えられません。この録音において、私たちは皆さんに、ブラームスとその周辺にとっては明らかに標準的だったバランスを体験していただく機会を提供します。

演奏技法

私たちの歴史的検証のあらゆる段階で、非常にたくさんの同時代の証拠を見いだしたのは素敵な驚きでした。必然的に、弦楽器の演奏がその時代のオーケストラのスタイルを決定づけることになります。そしてちょうどクァンツがヘンデルとバッハについて、レオポルド・モーツアルトがハイドンとウォルフガングについて、シュポアがベートーベンについて、そしてバイヨーがベルリオーズについて教えてくれたように、大ヨアヒムが、ブラームスの時代の演奏について直接の証拠を与えてくれます。ブラームスのごく親しい友人であったヨアヒムは、ブラームスと同様に、シューマンの庇護を受けた、極めて古典志向の演奏家でした。もちろん、彼の証言(1904年のモーザーとの共著『バイオリン教本』)はそれぞれの音符をどのように弾くべきか「正確に」は教えてくれません。しかし、わずかに残されたヨアヒム自身の録音とあわせて考えるとき、それは少なくとも失われた伝統に対する多くの洞察を与えてくれるのです。

この伝統が、近代になって失われるまで、どれほど長い間大切に守られてきたかという点には驚きを禁じ得ません。なぜならヨアヒムはビオッティにまでさかのぼるバイオリン教師の流れをすっかり受け継いでおり、彼のスタイルはモーツアルトの時代とほとんど違わないのです。そう、運弓法はバラエティに富むようになり、シュポアやバイヨーの頃よりもスピッカート奏法が広まっていたことは事実でしょう。しかしヨアヒムは、「パガニーニ様式」の左手と右手の体操は「真の古典派様式」をねじ曲げるものであり、「楽器の本性を否定するもの」であり、大き過ぎるあるいは使いすぎるビブラートや誤ったポルタメントの使用は「内面的な感情が欠落したときの自然な表現の代用品」に過ぎない、こういった議論に全面的に同意していたのです。

ヨアヒムは、ポルタメントとビブラートをいつ、どのように、どれくらい使うべきかをはっきりと説明しています。彼は、弦に弓をのせたままでのスタカートを、弾ませる奏法と同じく重視していました。彼は滑らかなポルタートが依然健在であること、バッハの時代と同じように、対になった、あるいはグループになった音符は異なった重みを持つべきだということを示しています。彼は統一された弓使いは一般的には良いことだが、ゆっくりした表情豊かな音楽の長いフレーズを弾くには誤りという場合もあると述べています。何よりも彼は、フレージングは「話すように」しなければならないこと、弦楽の伝統の原点はイタリアのベルカントの「高貴な朗詠(cantilena)」であること、「古典的な運弓の技術」は歌うように自由であり、楽器の音は「客観的に美しく」、荒々しかったり「不自然な強弱のばらつき」があってはならない、こういうことを要求しているのです。

オーケストラにおいては、ポルタメントやビブラートは独奏者の場合より一層控えめであったでしょうが、私たちは彼が示唆するところではどちらも用いています。同様に、木管と金管のアーティキュレーション、弦楽器のボウイングのあらゆる面において、私たちは自分の技術が、当時一般に期待されていたこと、なかんずく演奏している音楽が求めることを実現するものであるように、努力を払っているのです。

演奏スタイル

ブラームスのもう一人の親友であり、ボストン響とロンドン響の創設者であるジョージ・ヘンシェルは、若い頃、各地を演奏して回る大指揮者の時代になる前には、いわゆる「解釈」というものはなかったと語っています。人々は音楽を最善を尽くして演奏するだけで、他と比較するための経験というものはほとんどありませんでした。今日、演奏スタイルについて語るとき、私たちは必然的に極めて主観的な意見の世界に入り込むことになります。実際、演奏は非常に個人的なものでなければ優れたものとはみなされません。げれども、私たちの考えでは、そうした創造性さえあれば、ある時代、作曲家、作品にとって適切な音楽表現であると演奏者が考えることを自らの個人的感覚にぶつけてみなくても良いということにはならないはずです。この試みで私たちが見つけようとしたのは、大きく言えばスピード、フレージング、性格といったことでした。

ブラームスは彼の作品にほとんどメトロノーム指示を残していません。このことから彼は自分の作品がいつも同じ速さで演奏されることを欲しなかったと考えることもできるでしょう。しかし伝統全体が失われてしまうと、Adagio non troppoというような単純な言葉は曖昧で歯がゆいものとなります。ブラームスが適切だと考えたであろうスピードの範囲を探るにあたって、わたしたちはわずかに残されたメトロノーム指示(『悲劇的序曲』と第2交響曲にはひとつもありませんが)を調べ、同時代の記述に目を通すことができます。フリッツ・シュタインバッハの詳細なスコアへの書き込みとマイニンゲン交響楽団のためのコメントは大変多くのことを明らかにしてくれます。また1877年のリヒターの演奏時間(最初の繰り返しを含めて43分)とビューローの時間(繰り返しなしで38分)からは、活発なアレグロというだけではなく、明らかに「古典的」緩徐楽章もぐずぐずしたものではなかったことが分かります。

楽章中でのテンポの変動は自然な、また記録もよく残された19世紀の演奏スタイルの特徴です。この習慣を作り上げたのはワーグナーによるところが大とされていますが、ブラームスの歯切れの良い反論によれば:「テンポの変動というのは別に新しいことではありませし、それは分別を持って(con discrezione)行われなければなりません。」ブラームスの音楽は、彼の生前、ニキシュのような極端な変更を行う指揮者によっても、ワインガルトナーのようなより古典的な演奏家によっても、等しく演奏されました。彼はどちらにも満足していたことでしょう。最終的には、もちろん、それは個人的な好みと直観の問題です。しかし、ブラームスの「分別を持って」という言葉は強調しておく価値があります。それはヨアヒムの「バイオリン教本」の明快な格言とつながりがあります:音楽は「生き生きとした精神」でなければならないが、テンポの変動は「メトロノームによってはじめてその変化が分かる」程度のわずかなものにとどめるべきである。スピードの変動は、公開の、オーケストラ音楽においては、明らかに激しいものではなく微妙なものだったはずです。

私たちのブラームスへのアプローチの狙いは次のように要約することができるでしょう: テンポ:雄大しかし率直、テンポの変化:繊細しかし単純、テクスチュア:ポリフォニー音楽の書法のように明快、バランス:木管のバランスを回復、動作:「音」と同じくらい重要。十分「歌い込んだ」フレージング、暖かみ、情熱そして溌剌。

ブラームスの音楽は色々な方法で演奏できます。彼は、18世紀の音楽家のように特定の場所や機会のために作曲したのではなく、少なくとも大ドイツ全体のために書きました。ただひとつの「正当な」演奏は言わずもがな、彼の音楽を演奏する唯一の方法などありません。詳細な歴史的視点を取るということの面白さは「指示に従う」ということではなく、十分信頼するに足る情報を、自分自身の現在の音楽性とイマジネーションにマッチさせることなのです。オリジナル楽器を用い当時のスタイルを採用しても、私たちが古めかしくなければならないということはありません。反対に、その結果音楽が全く新しく響くことすらあります。私たちは偉大な作品をもう一度考え直し、新しく蘇らせることができるのです。
http://www.kanzaki.com/norrington/note-brahms.html#cantilena


54. 2013年5月12日 09:30:31 : W18zBTaIM6


ノンヴィブラート奏法ではポルタメントを多用しない限り音楽にならない

最初に、「グレート」のライヴの記録から、「古いものの復興を目指した」新しいものと、「古いものの伝統を引き継いだ」ものを聴いて頂きましょう。第3楽章主部の前半部分です。

・ノリントン/シュトゥットガルト放送響(2001)
haenssler CLASSIC CD 93.044

・フルトヴェングラー/ウィーンフィル(1929)
ADD 223508 321
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/247884/208675/57596135?page=1


・・・思いのほか、似ていませんか?
・・・ただし、少なくとも一点を除いて。

幸いにして録音の残っている19世紀後半の伝統を引き継ぐ演奏では、ポルタメントを多用しているさまが伺われるのでして、ヨアヒム、アウアー、サラサーテらのヴァイオリンの録音で、このことが明確に確認出来ます。この伝統を継ぐ最後のひとりが、エルマンでしょうか?

ですから、19世紀後半には、少なくとも、ポルタメントが愛好されていた、と考えてもいいでしょうし、このことは自作の厳密な演奏を期待したマーラーが、交響曲のスコアにしばしばポルタメントを掛けるべき箇所を明示していることからも伺われると思います。

19世紀中のポルタメント各論に関してはClave Brown "CLASSICAL & ROMANTIC PERFORMING PRACTICE 1750-1900" (OXFORD 1999)に頻出しますが、いまはまとめることが困難です。一つだけ言えることは、ポルタメントという表現方法は、少なくとも後期ロマン派を特徴づける奏法の重要な一つではあったものの、それ以前においてはどの程度用いられたのかは私には分からない、という程度のことに過ぎません。

推測であり、根拠のない仮説に過ぎませんが、ヨーロッパ音楽におけるポルタメントは、能楽の謡における「弱吟」に類似するものであり、これを多用した19世紀後半にはヴィブラートの使用が控えられたことと、もしかしたら密接な関係があるのではなかろうか、との気がしてなりません。

・・・こんなことを記したのは、今回聴いて頂いた2つの演奏の差(ヴァイオリンのワルツ的なメロディの部分)をどう考えて演奏するかということについては、私たちは私たちの責任において選択しなければならないし、この点において2つの例はテンポも表現も(思いがけないほど)よく似ているにもかかわらず、

・時代的に新しいノリントンの方はポルタメントを採用していない

・フルトヴェングラーはポルタメントを採用している

違いがあり、フルトヴェングラーは明らかに後期ロマン派の先輩たちを意識した演奏をしているのである一方、ノリントンがポルタメントを採用していない理由はいまのところ明確にし得ませんので、この点、まだ「後期ロマン派」ではないシューベルトにおいては本来どうだったのか、を考えたければ、この辺はノリントンの採用した方式を含め、私たちはよくよく勉強をしなければならない、ということのみ申し上げておきたいからです。(クヴァンツは、たしか、ポルタメントの技術を身につけておくことの大切さについては記述していますが、多用を推奨するところまでのものではなかった気がします・・・確認します。)

かように、私たちは、歴史主義であろうとすると、大きな謎にぶつかります。
・・・いや、所詮、素人にはここまでしか分からない、ということであって(かつ、日本で、そのあたりの演奏法について明言した資料を、私の狭い視野ではまだ目にすることができません)、そのときどきの「現在」において「再現」されなければならない、という宿命を持った音楽においては、歴史主義への拘泥は、必ずしも望ましいものではない、と言ってもよろしかろうと思います(念のため申し添えますが、先日確認しました通り、本人のさまざまな発言にもかかわらず、ノリントンの根本は歴史主義ではないのだろう、と私は強く感じております)。

ただし、

「シューベルト当時の楽器が、いかにしたらいちばんよく鳴るか」

の究明は、「現在」という時程において「過去」の精神に触れるという意味では、体感を伴うが故に、非常に優れた方法なのではないかと思います。

そうしたサンプルとしてアニマ・エテルナの演奏をも、私たちは耳にしておく価値があるかも知れません。

(古楽器が脆弱である、というのは、年数による劣化という条件以外には根拠がなく、レプリカであれば現時点で相応の丈夫さを持っていますが、残念なことに、いい以後著書の中にもこの点への偏見は拭い去れていません。これはひとえに、私たちが歴史的な楽器そのものに触れる機会が殆どないというだけの理由によります。)

とはいえ、毎度のこんな屁理屈よりなにより、まずは私たちが、楽器が「昔のものであるか今のものであるか」を問わず、自ら「良い響き」を求めて演奏するなり、聴き手として音の渦中に身を置くなりして、無心に

「止まれ! おまえは美しい!」

と叫べるようであることが、もっとも幸いではあるのです。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/247884/208675/57596135?page=5


騙されちゃいけません!・・・ある「美響」の求めかた


ノリントンを、日本でいうところの「古楽」演奏家、と見るのは大きな誤りであることを、彼の指揮するワーグナーの前奏曲の音を聴いて、非常な驚愕をもって思い知らされました。

よくよく顧みてみれば、彼の指揮で録音されたり映像になった作品は、モンテヴェルディ作品もある、とはいうものの、現在手に入るものを探すと、古典派以降の作品が圧倒的に多いのですよね。

ただ、確かに、1998年にシュトゥットガルト放送響の首席指揮者となるまで、彼はそれらの作品を、主に、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズという、オリジナルやレプリカ楽器の専門家集団と共に演奏して来たのでした。

ですから、そのままだったら、彼は「古楽復興主義者」と色眼鏡で見続けられてもいい存在だったかもしれません。

「ワーグナーへの道」 学研 9478632001
http://www.hmv.co.jp/en/artist_Wagner-1813-1883_000000000019275/item_%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93-orch-music-Norrington-Stuttgart-Rso_2644334

と題された映像で、しかし、ノリントンは前年首席指揮者に就任したシュトゥットガルト放送響(過去にチェリビダッケ、マリナー、日本ではどの程度知られているか分かりませんがロッシーニのオペラに造詣の深いジェルメッティが歴代前任者です)という「モダン楽器のオーケストラ」で、それまで専門団体を使ってやっていたのと同じ演奏法を採らせている。

しかも、楽団員の皆さんが、それに抵抗をしめすどころか、表情を見る限りでは、楽しんで演奏している印象を受ける。

このペアでの映像は、その後、チャイコフスキー、ベルリオーズ、ブラームス作品が発売されていますが、いずれもノリントンのレクチャー付きです。ブラームスのもの(交響曲全集)は、Frisch "Brahms: The Four Symphonies" (Yale University Press ISBN 0-300-09965-7、邦訳がありましたが絶版です)で述べられているようなこれらの交響曲の特徴を、どちらかというと難しいことは抜きにして、各曲にまつわるエピソード、ノリントンなりの文学的もしくは絵画的な解釈をユーモアを交えながら語るという趣のものです。

私自身は、とくに第3番については、ノリントン流は「好みではないなあ」と思いながら、それでも彼の話が面白いので見ていました。・・・その語りの中では、彼が「論」を張る時に用いる「ノンヴィブラート」云々については、2005年時点ではもう、いう必要を感じなかったからなのでしょうか、全くもしくはそれに近いほど言及されていなかったと記憶しております。

シュトゥットガルトに着任直後のノリントンは、「ワーグナーへの道」の中では、冒頭部でこの語を少しだけ口にします。ただし、それは多分にプロパガンダ的なものに聞こえます。なぜなら、この言葉を彼が視聴者に呈示するとき引き合いに出すうちの一人、フルトヴェングラーは、じつは、残した録音をよく聴きますと、別段、ヴィブラート推進者だったとは思われないからです。

(フルトヴェングラーを例にとりますと、彼の指揮したものの録音でも、たとえば1925年のベートーヴェンの第5、1929年のシューベルト「グレイト」、そしてなんと1944年のR.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲル」は、オーケストラは殆どヴィブラートを用いずに演奏しています。)

彼は、彼がオーケストラに「ヴィブラートをかけない」演奏をさせる時に、もうひとつ重要な要素として、テンポを「重々しくないように」することを心がけています。フルトヴェングラーを引き合いに出すのは、まさにこのテンポについての20世紀の演奏にアンチテーゼを呈示する上で、フルトヴェングラーが恰好のシンボルになるからでしょう。

ヴィブラートについても、同じく、フルトヴェングラーの後を「支配」したカラヤンの名を前面に押し出すことで、話を分かり易くしている。・・・ですが、カラヤンとて、確信犯的なヴィブラート推進者ではなかった事実は、とくに堂々としたハーモニーを響かせたいときのカラヤンの演出は「ヴィブラートをかけさせないこと(代表例は「パルジファル」の録音の随所で耳にすることができます)」にあったことなどを聴いて見れば分かることです。

ノリントンは、ここまでに名前が出て来た二人よりも、はるかに「確信犯」です。
彼の、「ヴィブラート」をオーケストラに掛けさせない演出は、明らかに意図的なものです。

そしてその根本には、ブルーノ・ワルターに非常に似通った、ノリントンの嗜好があるようです。彼は、もともと、ヴィブラートを多用する演奏はマンハッタンのジャズに由来すると捉えており、ワルターのように強烈に、ではありませんが、深層では、オーケストラの響きの中に「ジャズの要素が入り込んでしまった」のが不純に聞こえて仕方がない、というところに、クラシック演奏の原点を求めているかのようです。

ただし、ノリントンがワルターと決定的に違うのは、ジャズをインモラルなものとして疎外する方向に、ではなく、「クラシックの響きに混じることは誤りである」と証明する努力の方向に進んだことではなかろうか、と感じます。・・・騙されてはいけないのです、フルトヴェングラーもカラヤンも、ノリントンはダシにしているだけです。そうすると話が分かりやすくなるからです。強いインパクトをも、彼の言葉に耳を傾ける人たちに与え得るからです。

ノリントンが目指しているのは、19世紀への回帰ではないのだ、とは、私の主観的な捉え方に過ぎないのではないか、とは、考えてもおります。ですが、ノリントンが映像の中でワーグナーの自筆譜や同時代作品を傍証に採り上げれば採り上げるほど、彼は考証学的な復古を、ではなく、新しい演奏への脱皮のための(復活>、20世紀後半に音楽に付着した不純な重みを除去することを意図しているのだ、彼のしていることは「革新」であり、「直近の過去の否定」なのだ、と、いっそう強く思わされる結果となり、私は稲妻に撃たれるように身震いしてしまったのです。

これまで彼の演奏を聴いても、彼の指揮する姿を見ても、こんなことは考えてもみませんでした。

どんなに古そうに見えるものを持ちだして話しているように見えても、彼が奏でよう、人々に聴かせようとしているのは、まさしく現代の音、命を持った響きなのです。古い屍を墓場から引きずり出してフランケンシュタインの怪物を作ることなど、まったく考えていない。

テンポにしても、ノリントン指揮の演奏は、単に

「従前の指揮者に比べると速い」

と思い込まれがちですが、これはこれで、たとえばブラームスの「ハイドン変奏曲」の録音では、録音を残すことの出来た先人たちと左程変わらない速さで演奏されていることなどから、テンポをいたずらに速めるのがノリントンの意図ではない、と知り得ます。

「ワーグナーへの道」でノリントンがレクチャーしつつ指揮するのは

・「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲
・「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲
・「パルジファル」第1幕前奏曲(部分)

の3つで、そのテンポは、先に名前の出たフルトヴェングラーやカラヤンに比べると、確かに速い。

ですが、1925年頃に残されたカール・ムック指揮の「マイスタージンガー前奏曲」、同じ頃、(作曲者であるリヒャルト・)ワーグナーの子息ジークフリートが指揮した「トリスタン前奏曲」のテンポと比較したときには、「やや速めかな?」程度におさまっているのです。

話は脱線しますが、ムック指揮の演奏では、オーケストラの方が、ムックの指示する「速さ」について行き切れない(晩年のフルトヴェングラーが指示した「遅さ」にオーケストラが追随できずにいたことが伺われる演奏があるのと正反対の意味で、「速いことについて行けない」)様子さえ伺われるのは、また興味深いことです。

ヴィブラートをかけない演奏は、とくに弦楽器においては、表現そのものが体の内側に染み付いていないと非常に困難でして、弓も決して「持たないでしっかり」持つ・・・変ないい方ですが・・・そういうことが出来、弓で楽器を歌わせられなければ、非常にみっともないことになります。まだヴィブラートをかけられない子供達で編成されたジュニア・オーケストラの音をご存知のかたには、想像がつくかと思います。

それがモダン楽器でもらくらく出来る(いや、いわゆる古楽器でだって決してらくらく出来ることではないはずでしょうが、私はその演奏経験がないので断言できません)のは、かなりの技術者たちによって初めて可能なことなのでして、安易な「ものまね」ではノリントン自身を前にした時にはノリントンの要求どおりには出来ないでしょうね。

音そのものを、真っ直ぐに、伸びやかに、解放してやる。

それが「モダン」の楽器でも可能なのだ、と確信するまでに、恐らくはノリントン自身にとって、かなり時間はかかったし、また、彼もあえて時間を掛けて来たのではないでしょうか?・・・けれど、今の彼は、それが長い時間だったとは思っていないようです。

彼の物言いには怖じ気づいたところが全くありませんけれど、それは、そうしたした準備期間を充分に置いた上での彼の自信の現れなのではないでしょうか?彼の演出を巡って現在のように賛否両論が起こることは見越した上で、むしろそうであることを望んで「確信犯」となっているのではないでしょうか?

この映像を見るまで、私はこれに全く気が付きませんでした。

いえ、「気が付いた」と思い込んでしまったことが、もう間違っているのかもしれません。

ブログのタイトル自体が「へりくつ」ですから、ああでもない、こうでもない、と述べましたけれど、本当は、途中で述べたただ一事、言葉は変えますが、

「ノリントンは私たちのいのちを前提とした、現在進行形の(美しい響き>を求めている」

・・・この事実に、いまさら気づいた自分のバカさ加減には、ただ呆れかえるしかなかった、ということだけが、ほんとうなのです。それは、好むか好まないか、とはまた別の話であり、音楽そのものに打たれる、という本来的な経験に属するものなのではないか、と、いま、稲光のせいで真っ黒焦げになってしまった自分の体を、私から離脱した魂が、茫然自失のていで眺めているような気がします。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-578a.html

要するに、ノンヴィブラート奏法は簡単だから要求すれば弦楽奏者もすぐに応じてくれるけど、ポルタメント奏法は超一流の技量が無いとできないので、なんだかんだと理由をつけて誰もやりたがらないという事なんでしょうね。


55. 2013年5月12日 11:29:34 : W18zBTaIM6

ブラームスの交響曲は、当時どのような編成のオーケストラで演奏されたのでしょうか。

1847年にベルリオーズがドイツ各地で客演した時のフランクフルト・アム・マインのオケの編成表が残っています。これによると総勢44名、10型2管の編成に多少欠ける人数です。創立時のウィーンフィルも第1ヴァイオリン奏者は10名でした。
巨大なオーケストラを好んだベルリオーズですが、これがドイツの中都市での標準的なオーケストラ編成であると書いています。

その後交響曲第3番が初演される1880年代になると、楽器の改良とともにオーケストラの規模が拡大する傾向になり、メンデルスゾーンが率いていた1838年に44名編成であったライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、1890年には90名に増強されています。
この章の冒頭で紹介したようにブラームスの交響曲は、作曲者の生前に評価が進み、ヨーロッパ各地で演奏されています。ブラームスも自作の演奏会には積極的に出かけていますが、その時代の傾向として60人以上のオケであった場合も多かったと思われます。
ブラームス自身1878年に114人編成のハンブルクフィルを指揮して交響曲第2番を演奏しています。

今でもブラームスの交響曲といえば、弦楽器を増強し、時として管楽器を補強した演奏が珍しくはありませんが、ブラームス自身は、自分がオーケストラの編成を選べる場合には弦楽器が木管楽器を圧倒しないように、できるだけ小編成を好みました。カールスーエでの交響曲第1番の初演は47人編成のオーケストラでおこなっています。

さらにオーケストラの編成が拡大する風潮の中の1886年、マイニンゲンの宮廷管弦楽団での交響曲第4番の初演は49名編成でおこなわれています。この時ブラームスは弦楽器の増強に対して強い抵抗を示したそうです。ブラームスから最も信頼されていた友人であり、ブラームスから直接助言を受けながら演奏をおこなったフリッツ・シュタインバッハは、交響曲第4番を演奏する際、第2楽章でヴィオラが分かれて第一主題を再現する部分では、各楽器1本ずつで弾かせたという記録が残っています。

おそらくブラームスの頭の中で鳴っていた理想の音は、響きが透明で各声部の見通しが良い小編成の響きオケによる、柔軟なテンポとフレージングによる演奏だったのだと思います。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=58


56. 2013年5月12日 13:00:43 : W18zBTaIM6


アルノルト・ヨーゼフ・ロゼ(Arnold Josef Rosé, 1863年10月24日:ヤシ- 1946年8月25日:ロンドン)

Bach, "Double" Violin Concerto in d minor (Arnold and Alma Rosé) 1928
http://www.youtube.com/watch?v=nQVyd2dz1rk
http://www.youtube.com/watch?v=0WMPUcXsrqY
http://www.youtube.com/watch?v=r3EtokwYZ_E


Adagio J.S.Bach played by Arnold Rosé
http://www.youtube.com/watch?v=Av6sSnqJDb0

Arnold Rose plays Beethoven Romance in F Major (1909)
http://www.youtube.com/watch?v=5wXhkH77keM

Arnold Rosé plays Mendelssohn Vn concerto 2mov
http://www.youtube.com/watch?v=jXemiPZ8Z4E

Arnold Rose plays Chopin Nocturne, Op. 9/2 (1910)
http://www.youtube.com/watch?v=rg8SU27gSDo&list=PL78540A8267B70D63


Rosé String Quartet - Beethoven #14 in C# minor, Op. 131
Arnold Rosé, 1st violin
Paul Fischer, 2nd violin
Anton Ruzitska, viola
Friedrich Buxbaum, cello
Recorded 1927
http://www.youtube.com/watch?v=1YVPGLh5k7Q
http://www.youtube.com/watch?v=MGteDCiCnkI
http://www.youtube.com/watch?v=BwgUEnoyicI
http://www.youtube.com/watch?v=Z8LZW0B4Zfw
http://www.youtube.com/watch?v=PFmU-nIUSTw
http://www.youtube.com/watch?v=gXgxSMc2ZF0
http://www.youtube.com/watch?v=186vxpSOMN8


http://www.youtube.com/watch?v=dasXU5FprG4
http://www.youtube.com/watch?v=sadutkvxrYw


懐古的ヴァイオリン
アルノルト・ロゼは、古のウィーン・フィルのコンマスである。

何でもブラームス・ブルックナー・マーラー・ワインガルトナーの棒の下でコンマスをしていたというのだから、完全に音楽史上の人物である。

そんな彼が、いくつか録音を遺している。有名(?)なのは、ロゼ弦楽四重奏団として残した一連のカルテット録音で、これはかつて新星堂が復刻していた。いまやタワレコが様々なレーベルの録音を復刻していたり、opus蔵が高音質のSP録音を世に出していたりするが、この流れは明らかに新星堂が作ったものだろう。その中にはワインガルトナー全集とか外国人すら興味を抱くような企画を行っていたのだから、その功績たるや大だったと思う。

ロゼ四重奏団は、後にシュナイダーハン四重奏団やバリリ四重奏団、そしてあのヴェラー四重奏団へと続く、錚々たるウィーンフィルのトップ四重奏団の先駆けである。そこから連想するに、筆舌につくしがたい名演を録音でも聴けるのかと思いきや、「聴くだけムダ」「ひどい演奏」と酷評されているのを見かけたことがある。

なので、今回は四重奏の録音ではなく、ソロの方を聴いてみた。
そして、ロゼ自身のヴァイオリンの音色である。現代のヴァイオリニストと比べれば、如何にも貧相な音だと思われるであろうが、私は評判ほどひどい音だとは思わなかった。ロゼのヴァイオリンをひどいと思う人は、きっとヴァイオリン演奏史を知らない人である。

有名な話だが、ヴァイオリンの奏法を革命的に変えたのはクライスラーである。「クライスラー・ヴィブラート」と呼ばれることすらあるが、彼が振幅の大きいゆったりとしたヴィブラートを導入したことで、ヴァイオリン個体の音量が増幅し、響きが豊かになったと考えられている。逆に言えば、それまではそういったヴィブラートは普遍的でなかったということである。それが一番の理由ではないだろうが、ロゼはウィーンフィルの入団試験でクライスラーを落としているのは関係があるのかもしれない。

逆に言えば、クライスラーの奏法が一般的になるまでのヴァイオリニストは現代とは全く異なった奏法で演奏していたはずである。その代表格は、私にとってはリュシアン・カペエである。彼の率いる四重奏はまさに天衣無縫という文字を具現化したもので、特にベートーヴェンの後期四重奏曲などは未だに彼らの録音を愛聴している。

もちろん、彼だけではなく、あらえびす氏曰く「快刀乱麻」のフーベルマンもクライスラー以前のヴァイオリニストなのであろう。あらえびす氏の時代では、ハイフェッツがまだ小物として扱われており、チャイコのバイオリン協奏曲といえばフーベルマンだったらしい。
http://lie-in-the-sky.blog.eonet.jp/weblog/2011/01/post-77c8.html

ロゼはルーマニア出身でオーストリアで活躍したユダヤ系ヴァイオリニスト。

1881年から1938年までの長きにわたりウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルの第1コンサートマスターとして君臨した。また弦楽四重奏団(ロゼ四重奏団)を組織し、1890年11月11日には、ブラームスの弦楽五重奏曲第2番を初演した。1902年3月11日(10日とする資料もある)にマーラーの妹・ユスティーネと結婚。1909年から1924年まではウィーン音楽アカデミーの教授も勤めた。

ロゼの演奏スタイルは、ヴィブラートを抑制しつつ絹のように繊細な音色と高度なボーイング技術によって、まさに高潔といえる演奏を成し遂げている。ヴィブラートの使用に関しては、同じウィーンの大ヴァイオリニストであるフリッツ・クライスラーとは対極にあり、音色を汚さないため多用することを避けている(これは当時のウィーン・フィルの弦楽器群の特色でもある)。また実際にクライスラーがウィーン・フィルの入団試験を受験した際に、審査員だったロゼが「音楽的に粗野」「初見演奏が不得手」という理由で、クライスラーを失格させた。

ウィーン・フィルの楽団長だったオットー・シュトラッサーは入団試験の際、ある曲でヴィブラートをたっぷりかけて歌わせた時、「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と審査員のロゼに言われたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%BC



57. 2013年5月12日 13:03:27 : W18zBTaIM6


結局、現在まともな音で残っている録音で、ブラームスの時代の奏法に一番近いのはリュシアン・カペーでしょうか:


リュシアン・ルイ・カペー(Lucien Louis Capet, 1873年1月8日 パリ – 1928年12月18日 パリ)


The Capet Quartet, 1928 - Beethoven, String Quartet No. 15 in A minor, Op. 132
http://www.youtube.com/watch?v=C2NhxrdEau0

http://www.youtube.com/watch?v=6vRR7tJzz0g
http://www.youtube.com/watch?v=SxyjsumtkxY
http://www.youtube.com/watch?v=UF2cz-Yx4ZQ
http://www.youtube.com/watch?v=4gAiwfIjuXc


VOIGT DOMESTIC HORN /Capet String Quartet/Beethoven-String Quartet No.15 In A Minor,OP.132
http://www.youtube.com/watch?v=J4YM3VSPBjA

The Capet String Quartet, 1928 - Beethoven, String Quartet No. 14 in c-sharp minor, Op. 131
http://www.youtube.com/watch?v=Xbf2KQ2ebAs

http://www.youtube.com/watch?v=UUjyejJur9k


カペーSQの演奏を特徴付けるのはノン・ヴィブラートとポルタメントである。

カペーSQの演奏は、同世代或は先輩格の四重奏団―ロゼーSQ、クリングラーSQ、ボヘミアSQらと、これらの点で共通する。そして、第1次世界大戦を境に勃興し、カペーSQの後塵を拝してゐた四重奏団―レナーSQ、ブッシュSQ、ブダペストSQの各団体がヴィブラート・トーンを基調とするのと、大きな相違点を持つ。

しかも、カペーのポルタメントは旧式で、時代を感じる。ポルタメントを甘くかける印象の強いレナーも、カペーとは世代が違ふことが聴きとれる。

ここで、最も藝術的なポルタメントを使用したクライスラーの特徴を例に挙げることで、ポルタメントの様式における相違点を検証したい。クライスラーの奥義は3点ある。

第1に、必ずしも音の跳躍―即ち運指法の都合―でポルタメントを使はない。云ひ換へれば、指使ひを変へないでも弾けるパッセージであらうとも、感興の為にポルタメントを使用する。

第2に、音から音への移行過程は最初が緩やかで、最後になるほど速く行なはれる。

第3に、フレーズの変はり目が同じ音のままの場合、敢てポジションを変へて音色を変へる。この際に同一音の連続にも関わらず、ポルタメントが入ることになる。


このクライスラーの特徴は、ティボー、エルマンそしてレナーにも概ね当て嵌まる。これに反してカペーはポルタメントの使用箇所に運指の都合が見られ、何よりも移行過程の速度が均一である。カペーの左手による表現はロゼーやマルトーと云つた旧派と同じ音楽様式に根付いてゐるのだ。


 しかし、電気録音初期に登場したカペーSQの録音が、旧派の名団体のみならず当時最大の人気を誇つたレナーSQの株を奪ひ尽くした理由は、偏にボウイングの妙技による。

1910年以前に記録されたヴァイオリニストの録音を聴くと、弓を押し当てた寸詰まりの音、頻繁な弓の返しが聴かれ、時代を感じさせる。ところが、カペーのボウイングからは、響きが澄み渡るやうに程よく力が抜けてをり、だからといつて空気を含んだ浮ついた音にはなつてゐない。凛と張つたアーティキュレーションは大言壮語を避け、ボウイング・スラーを用ゐることでしなやかなリズムを生み出した。
『運弓のテクニック』なる著作を残したカペーは、エネスクやティボーと並ぶボウイングの大家である。彼らの共通点はパルラント奏法と云ふ朗読調のボウイングを会得してゐることにある。多かれ少なかれ、あらゆるヴァイオリニストは歌ふことに心を砕くが、歌はフレーズを描くために強い呼吸を必要とし、リズムの躍動を糧とする。だから、ためらひや沈思や侘び寂びを表現するには必ずしも適当ではない。これらの表現は、繊細な呼吸、慎ましい抑揚、語るやうに送られる運弓法によつて初めて可能になるのだ。カペーが本格的に独奏者としての活動に乗り出さず、室内楽に没頭したことは同時期のヴァイオリニストにとつては幸運なことであつたらう。

 カペーSQはノン・ヴィブラートとポルタメントを演奏様式とする旧派の一面も持つが、ボウイングに革新的な表現力を持たせたカペーの元に一致団結した名四重奏団である。演奏は、清明で飄々としてゐるが、高潔で峻厳な孤高の世界を呈してゐる。それは丁度雪舟の山水画にも比せられよう。

 カペー弦楽四重奏団の録音は上記12曲しかない。録音は1928年の6月と10月のみで、同年12月にはカペーが急逝して仕舞つた。テイク数は殆どが1か2で、ライヴ録音のやうな感興とむらがあり、音程の狂ひや弓の乱れなどもありのまま残された。まさに一期一会の記録なのである。

 カペーSQを語るのにベートーヴェンから始めなくては申し訳が立たない。それも後期2作品から始めるのが礼儀といふものだらう。古来より、第15番はカペーSQの最高傑作とされてをり、現在に至るまでこの演奏を超えたものは一切ないと断言出来る。分けても第3楽章、ベートーヴェンが「病から癒えた者の神性への聖なる感謝の歌」と書き添へた曲を、カペーSQのやうに神妙に演奏したものを知らない。

ノン・ヴィブラートによる響きの神々しさは如何ばかりであらう。感謝の歌では飛翔する精神が弧を描く 。第2ヴァイオリンのエウィットが奏でる憧れに、カペーの清らかなトリルが応へ、スタッカートの軽妙洒脱な戯れが福音を語る。音楽が静かに下つて行くパッセージで、音色が侘び寂びを加へて行く様は至藝と云ひたい。好敵手ブッシュSQも相当の演奏をしてゐるが、カペーSQに比べれば青二才だ。第1楽章では、哀切極まりない音楽を感傷に貶めず、一篇の叙事詩のやうな風格を持たせてゐる。真一文字に悲劇に対峙するカペーのソロが印象的な第4楽章。緊張の糸が持続する天晴な合奏を聴かせる終楽章。何れも極上の名演。

 初演者であるモーラン直伝による第14番の演奏をカペーSQの頂点とする方は多いだらう。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の頂であるこの曲の神髄に迫ることは、19世紀においては不可能とされ、名曲かどうかも議論にされたやうな曲である。諦観、静謐、彼岸と云つた世界を音楽に持ち込み、未だに独特の位置を保持し続ける。カペーの弾く冒頭を聴いて、精神が沈思しない者は立ち去るがよい。これから始まる儀式には参列出来まいから。

この神韻縹渺としたパルラント・アーティキュレーションは空前絶後の至藝であり、変奏曲形式による第4楽章に至つては天衣無縫の奥義を示す。終楽章は一筆書きのやうな閃きに充ちた名演である。

第14番はブッシュSQが霊感あらたかな名演を成し遂げてゐる。ドイツ人の手堅さと熱情が渾然となった大伽藍のやうな楷書体の演奏で、フランス人カペーの力の抜け切つた草書体による絹糸のやうな演奏とは対照的である。全体に隙がなく立派なのはブッシュSQの方だ。しかし、断言しよう。藝格としてはカペーが一枚上手で、何人も及びの付かない美しい瞬間がある。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html



58. 2013年5月12日 13:42:01 : W18zBTaIM6

参考

アドルフ・ブッシュ(Adolf Busch、1891年8月8日 - 1951年6月9日)

Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.15"
http://www.youtube.com/watch?v=7c-GTnmQzzI
http://www.youtube.com/watch?v=JbSKzZXsnko
http://www.youtube.com/watch?v=X78RhxfrC6w
http://www.youtube.com/watch?v=hsQhAE3qD_s


Busch Quartet Beethoven "String Quartet No.14"
http://www.youtube.com/watch?v=wQrwRkJu6Vk
http://www.youtube.com/watch?v=eudAKFeXxIc
http://www.youtube.com/watch?v=0dhgu2YV5E0


59. 2013年5月12日 13:44:34 : W18zBTaIM6

イェネー・レナー (Jeno Lener 1894-1948)

Lener String Quartet_Beethoven :Quartet No.15 op.132
http://www.youtube.com/watch?v=lS2B_D9eVGs
http://www.youtube.com/watch?v=Ec3fzAq-61o
http://www.youtube.com/watch?v=aHk3R5MgMDw
http://www.youtube.com/watch?v=pRfV3gIn320


Brahms: Quartet in A minor, by the Lener Quartet (1931)
http://www.youtube.com/watch?v=EHU3eJ1nZOo


60. 2013年5月12日 14:39:46 : W18zBTaIM6

カール・クリングラー(Karl Klingler 1879.12.7 ストラスブール - 1971.3.18 ミュンヘン)


ストラスブール音楽院教授だった父にバイオリンを学び、5歳から演奏活動を始めた。1897年からベルリンでヨアヒムに師事し、同時にブルッフに作曲を学んだ。1903-35年ベルリン音楽院教授。1905年には自身の名の弦楽四重奏団、1906年からはヨアヒム弦楽四重奏団のビオラ奏者、ヨアヒム死後はバイオリンパートを演奏した。

The Klingler Quartet, 1935 - Beethoven, String Quartet No. 12 in E-flat Major, Op. 127

The Klingler Quartet
Karl Klinger & Richard Heber, violin
Fridolin Klinger, viola
Ernst Silberstein, cello

Karl Klinger(concertmaster of Berlinphil 1901-1902) plays Mozart Duo for Violin and Viola no.2 2mov
http://www.youtube.com/watch?v=91NA9j5jO4E


Recorded, 1935.
http://www.youtube.com/watch?v=TirZ9KZnt8k


クリングラー四重奏団のベートーヴェン

 写真は伝説的ヴァイオリニスト、ヨゼフ・ヨアヒムである。ヨゼフ・ヨアヒムはベートーヴェンによって絶賛されたヨゼフ・べームの高弟であり、そのべームと肩を並べて四重奏を行なった経験を持つという。

 ヨアヒムはベートーヴェン直伝の奏法を体現した人物の一人であり、ウィーン・ヴァイオリン楽派の開祖である。ヨアヒムのカルテットにはヴィオラ奏者としてカール・クリングラーなる人物がいた。ヨアヒムからベートーヴェン直伝の奏法を汲み取った数少ない演奏家のひとりであり、世界最古のベートーヴェン録音を残すことになる。

 カール・クリングラーはクリングラー四重奏団を結成し、1911年に機械録音で作品18-5の二楽章と三楽章を録音した。ベートーヴェンが没して84年後の録音であり、ヨアヒムはこの録音の4年前に世を去っている。

 この録音は現在Testamentが発売している「クリングラーSQアンソロジー」の中には収録されていない。何ということだ!聴きたい!と地団駄を踏んでいたのだが、偶然入ったレコード店(CDショップではない)で、隅のほうに埃をかぶっている新星堂盤を見つけた。そこにはこの二曲のほか、1912年に録音された作品130の四楽章、そして1935年に録音された作品127の全楽章が収録されている。

 音質は覚悟していたのだが(ふにゃふにゃの音だろうと)、思った以上に生々しく鮮明だ。竹やぶの燃える音の中から妙なる楽音が響く。SP初期であるから仕方がない。しかし、この高貴な音はどうだろう。ぴんと張り詰めた高音のきらめきに、繊細なポルタメントがかかる。大時代的な演奏ではなく、あくまで端正に演奏されている。「これがベートーヴェンに一番近い録音だ」と思うと感慨が深い。
 
 作品127になると、もうSPの録音も完成されているために、凄く良い音がする。一楽章は何の思い入れも劇的表情もつけず、あっさりと速いテンポで導入。端正にきびきびと運ぶかと思えば、ぐっと旋律の終りでリタルダンドし、寄せては返す波のような心地よい流れを生む。格調高い高雅な響きにしっとりとしたポルタメントをかけ、何ともいえない風情を残す。

 二楽章は、この演奏ではじめてこの楽章の素晴らしさがわかった!何という神々しさだろう。脱俗の境地そのものの音空間が広がる。クリングラーのヴァイオリンの美しさ!作品132の長大な緩徐楽章よりも洗練され、磨き上げられた音楽だと思わせるほどだ。

 三楽章冒頭のピッチカートからして他の演奏と全く違う。別世界が現出するのだ。天の世界で天使達と遊ぶような気持ちになるや、高雅な響きだけではなく、ずっしりとした音のドラマが展開されていく。雄弁この上ないベートーヴェンの音楽が最高に美しく奏されている。

 終楽章の主題が面白い。ここでも途中でテンポを波立たせるのだ。個人的な好みで言えば、ここはすっきりと演奏するほうが良いように思うのだが、これがクリングラーの味なのだろう。

 参考までに演奏時間を載せておく。
1st 7'20'' 2nd 16'31'' 3rd 7'17'' 4th 7'34''
 
 私はこれまで作品127がそれほど好きではなかった。第9の後に書かれた弦楽四重奏といえども、なぜ13番以降の傑作と同じ高みにあるものとして扱われるのかと不思議でならなかった。しかし、今は違う。クリングラー四重奏団の二楽章を聴いてしびれてしまった。こりゃあ、すごい。

 昔のカルテットを聴くと、くつろいだ気持ちになるのはどういうわけなんだろう。SPやLPを気軽に聴くことができれば、私はどんどんこの道にはまりそうだ(泣)。
http://kitakentobeethoven.blog.so-net.ne.jp/2007-12-15


61. 2013年5月12日 15:01:33 : W18zBTaIM6

クリングラー弦楽四重奏団/録音集(1912年〜1936年)/グスタヴ・シェック(fl) [TESTAMENT SBT 2136]

ヨアヒムと弦楽四重奏を組んだクリングラー―当時はヴィオラを担当―はヨアヒムSQの伝統を継承する生き証人であり、19世紀の弦楽四重奏団の姿を伝へる貴重な記録なのだ。

録音は3種類に分類出来る。1912年と13年のオデオン録音と1922年と23年のヴォックス録音は、全て楽章単位の録音である。真摯なメンデルスゾーンやシューマンの演奏には聴くべきものがある。侘びたモーツァルトやケルビーニにも面白みがある。

しかし、録音としての価値は電気録音である1935年と36年のエレクトローラ録音にある。ベートーヴェンとレーガーのセレナードの全曲録音で、両曲ともフルートを伴ふ三重奏だ。滋味豊かで気品のある演奏はドイツ・ロマンティシズムの粋を聴かせる。(2008.4.11)

クリングラー弦楽四重奏団/録音集(1912年〜1936年) [TESTAMENT SBT 2136]

再びクリングラーSQを聴く。2枚組の2枚目。最後期の録音であるエレクロトーラへの録音より、レーガーの弦楽三重奏曲とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番が聴け、クリングラーSQの真価を確認出来る。

クリングラーSQはスラー・ボウイングを用ゐず短いブレーズによるアンサンブルを優先してゐるのが特徴だ。トーンの均一性を重視し、高貴なロマンティシズムを醸し出すヴィブラートは練り込むやうにゆるりとした速度で掛けられ、ブッシュSQとの類似点を感じさせる。

レーガーは晦渋さと幻想性を融合させた極上の名演で、渋みのある語り口が見事だ。大曲ベートーヴェンにおける老巧で深みのある表現はブッシュSQと比べても遜色ない。余白に収録されたハイドンのラルゴはクリングラーSQの禅定の境地を聴かせて呉れる絶品だ。(2008.5.17)
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/chamber.html

なんと1904年のティボーのものだという音源がネット上にありました。

この盤、普通の蓄音機ではかかりません。どうやって再生したんだろう。


ところで、パルテータ3番のプレリュード。

あなたの演奏はエネスコのように シ ミ 強調 (あってるかな?)

で弾いていましたね。

いろいろな音源からエネスコが気に入ったのでしょうか?

ガボットとかほかの曲はまだ個性的というところまでは達してはいませんでした。

これはいろんな版や日本とドイツでの教育の誤差なんかで混乱してるという発言もあって、どうしたらいいのかなぁ。の段階なんでしょう。

秘数術の話も出て、バッハの隠しメッセージを知らないで演奏することへの抵抗もあるんでしょうね。

実は日本でも八卦の占いの方が「日本書紀」を八卦で読み解く。という記事を書いています。

ttp://www.maroon.dti.ne.jp/uqmk/k_e/index.html

古事記となっていますがテキストは日本書紀のようです。

わたしはこれはかなり当たってるところとそうでないところが混在してると思いますが大変面白い記事です。

世界中に秘数術はある…いや元々は八卦なんでしょうね。

でも、秘数術を極めなくても自分なりに演奏してみてはどうでしょうか?

いつぞや名古屋でちょっとやってみたように。

あれはかなり面白かったですョ。


たとえば、このあいだ載せたヨアヒムのバッハは決して単旋律志向の演奏ではありませんがそんな批評をしてる人がいます。

今のバッハ演奏はポリフォニーだからヨアヒムのは駄目だというんですね。

あの曲は大体ほとんどが単旋律だからあたりまえなのに…。

ブラームスは「バッハは旋律がひとつに繋がるからすごい。」と言っています
まあ美しいメロディが続かないブラームスらしい発言ですが…。

こんな批評が目立ってヨアヒムについて誤解されると困るなぁ…。


ロゼーの頃からほとんど今の演奏様式と変わらないと思います。

ロゼーより古い世代は ヨアヒム イザイ クリングラーなどでしょう。

イザイは当時の今風のヴィブラートも取り入れていますがノンビブラートでなんでも弾けたでしょうし地味なグラッベリみたいな指ビブラートをかけてますね。


私はミルシティンのバッハが好きですが、いまや聴く人少ないのかなぁ。

会場もシェリングかハーンあるいはマルツィ…(笑)


シェリングからハーンは同じ系統です。すべての音をひとしなみに出す。

いかにも技が冴えたように聴こえやすい。

ハーンは技巧は素晴らしいが解釈ではラクをしてると思うな。


ミルシティンはもっと繊細に必要な音を選んで少しだけ優遇してます(笑)

(あなたの名古屋のバッハはとても面白い声部を優遇してましたね。)


コンクールでシェリング冷遇は審査委員の大人の事情でしょう。


演奏の歴史なんかは学ばないといけませんが知識は知識として、自分なりに読んで自分なりに演奏すればいいと思いますよ。

エネスコが気に入ったのでしたら、そのままコピーではなくエネスコがなぜそんなふうに演奏したのかを考えて自分なりに演奏する。

残念ながらもうエネスコに習うことは出来ませんから。


G線上のアリアはフラウタンドですか?

なかなかいい音がしてました。あとはどこをシャキッっとしめてフーベルマンのように端然とした演奏とするかですね。


これもレコードにするに足りる人は現代にはなかなかいません。


私にとっては大変な曲ですがプロは簡単に弾いちゃうと思います。
秋のロンドンデリー。ポルタメント楽しみにしています。
http://teokuredesu.seesaa.net/article/218036136.html


62. 2013年5月13日 01:08:09 : W18zBTaIM6

ウィーン・フィル、驚愕の真実

僕の手元に一枚のCDがある。グスタフ・マーラーの弟子でもあったブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してマーラー/交響曲第九番を演奏したものだ。

Bruno Walter & Wiener Philharmoniker - Gustav Mahler Symphony No. 9 (1938)
http://www.youtube.com/watch?v=3eUKpw21ASc

http://www.youtube.com/watch?v=B4QVJVzcstY
http://www.youtube.com/watch?v=3dHwZJ4nKKw&list=PLA49F0652BE35CD62
http://www.youtube.com/watch?v=LdVaYeJ332k&list=PLA49F0652BE35CD62
http://www.youtube.com/watch?v=ndHdLGUwuSw&list=PLA49F0652BE35CD62
http://www.youtube.com/watch?v=xtyDTqnaHz4&list=PLA49F0652BE35CD62
http://www.youtube.com/watch?v=VNonm0O0cvA&list=PLA49F0652BE35CD62
http://www.youtube.com/watch?v=pJDdrc-rvQA

レコーディングされたのは1938年。ナチス・ドイツがオーストリアを併合した年である。ユダヤ人の父とドイツ人の母から生まれたワルターは身の危険を感じ、同年ウィーンからスイスのルガーノに逃れた。そして翌年の39年に第二次世界大戦が勃発すると彼はアメリカに亡命した(この経路はオーストリアのザルツブルクが舞台となった映画「サウオンド・オブ・ミュージック」のトラップ・ファミリーと似ている。あ、これは実話です)。これ以降ナチス滅亡まで、ドイツ・オーストリア圏では、マーラーやメンデルスゾーンが演奏されることはなくなった。彼らもユダヤ人だったからである。


さて、そのワルター/ウィーン・フィルを聴いて、何が驚いたってノン・ビブラートでマーラーを演奏していることである!

いや、慎重に耳を傾ければ微かな音の揺らぎはある。しかし、のべつ幕なしにビブラートを掛け続ける現在のマーラー演奏とは一線を画すものであることは確かである。

実はこの演奏、ウィーン・フィルがノン・ビブラートで弾いた最後の録音として有名なのだ。指揮者の金聖響さんもご自身のブログで言及されている。結局、ナチスという暴風雨に曝されたヨーロッパは廃墟と化し、音楽家たちは散り散りとなってその伝統様式も崩壊してしまったということなのかも知れない。

この時ウィーン・フィルのコンサートマスターだったのはアルノルト・ロゼ(1863-1946)。その地位に57年間いたという彼の記録は未だ破られていない。マーラーの妹と結婚し、自身もユダヤ人だったロゼはナチスのオーストリア併合直後に国外追放となりロンドンへ逃れた。娘のアルマはゲシュタポに捕らえられアウシュビッツで亡くなったという。

ロゼの演奏スタイルは音色を汚さないためにビブラートを抑制し、(指揮者ロジャー・ノリントンの言うところの)"pure tone"で弾いた。そしてこれは当時のウィーン・フィル自体の奏法であった。

「愛の喜び」「愛の悲しみ」の作曲で有名なクライスラーはヴァイオリニストとしても名高いが(その録音も残っている)、彼の演奏はビブラートをかけまくって甘く歌うスタイルでロゼとは対極にあった。ウィーン・フィルの採用試験を受けたクライスラーに対して審査員の一人だったロゼは「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と言い、音楽的に粗野という理由でクライスラーを落としたそうである。

今月シュトゥットガルト放送交響楽団を率いて来日するノリントンが以前NHK交響楽団を振った演奏会で、モーツァルトやベートーヴェンをノン・ビブラートで演ったのは勿論だが、エルガーやヴォーン=ウィリアムズなど20世紀の音楽まで"pure tone"で押し通したのには仰天した。その時点ではやり過ぎではなかろうかと僕は想っていたのだが、このワルター/ウィーン・フィルの演奏を聴いてしまった今考え直すと、ノリントンの方法論はあながち的外れではないのかも知れないという気がしてきた。誤った方向に進んでしまったのは20世紀後半の音楽家たちだったのではないだろうか。

ビブラートかノン・ビブラートか?21世紀に生きる私たち聴衆はこの問題に真剣に向かい合う必要性に迫られている。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_a919.html

以前、マーラーの命日に9番について書いたことがある。"pure tone"で演奏されていることを再確認。音源自体が決して素晴らしい状態ではないにせよ、1938年のウィーンフィルを聴き取るには十分な音質。ノリントンさんが自身のマーラー1番CDのライナーを書いている。その中でこの件について触れているので少し紹介しよう。要約すると以下のような事が記載されている。

「名ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーがマーラーが亡くなった1911年あたりから"continuous vibrato"をソロのレベルで一つの流行として広め始めた。少なくとも現代のヴィブラートはマーラー自身が聞くことが無かったのは事実であろう。

現代のヴィブラートを用いたウィーンフィルの演奏は1940年以降のものである。そしてハッキリしていることは、1938年のドイツやオーストリアではまだその流行的なヴィラートを"cafe vibrato"と揶揄して否定的であったことだ(少なくとも20年間は)。

ウィーンフィルとワルターの録音ではその当時の現状を聞くことができる。コンサートマスターはあのアーノルド・ロゼ、マーラーの義理の弟だ。」

マーラーが亡くなった1911年までの演奏習慣を引き継いだものとして、ワルターの記録が物語るもものは大きい。4楽章のヴァイオリンソロを聞いてもわかるが、美しく響かせる方法はヴィブラートだけではなくボウイングで作られる音色であることも認識したい。シェーンベルグがヴィブラートを「山羊の鳴き声」と言った事実もある。

ワルターの録音の中で、ウィーンフィルと連奏した5番の4楽章の素晴らしい演奏がある。これを聞くと冒頭から最高のpure toneで演奏されていることがわかる。ヴィブラートをかけたとしても程よくて、常時音程を歪めるほどの揺れではない。これを聴いけば誰しも美しいと言うだろうし、表現豊なヴィブラート云々は無いだろう。。。と僕は思う。


Bruno Walter, 1938 - Mahler, Adagietto, Symphony 5
http://www.youtube.com/watch?v=QbdJjSqgUog

実際問題だがヴィブラート論争はいつまでたっても終止符を打つことは出来ないだろう。最後は「趣味」であったり、やるやらないの判断は演奏家のもの。僕としては史実を元にしたというベーシックなアイデアは変わらないし、これからも受けとめる側(演奏者)が許容出来る範囲で挑戦していきたいと思うが、なかなか時間的な問題や、奏法の認知や知識に難があるのは事実。兎に角時間がかかる事なので、許せる範囲で根気よくやるしかない。

僕は決してヴィブラートを否定してるわけではない。以前からの録音でもそうだが、来月発売の「田園」の練習時にもいつも通りアーティキュレーションやバランスについて言及しつつも、一度たりともヴィラートをしないでくださいとお願いした事はない。OEKさんが持つ演奏知識とファンタジーをベースに僕と数年間やってきたことが、そのまま反映されていると思う。逆に「ここはかけましょう」と言った覚えがあるくらい。

書きながらアダージエットを聴いているが、凄いなぁこれ。見事なPURE TONEだよ。和声感ばしばし決まって聴いていて心地よい。そして何よりも、作曲家と音楽のスピリットに満ちあふれていて揺さぶられる。皆さんも是非一度聴いてみてください。大地の歌も良いですよ、もちろん1938年のウィーンフィルね。
http://seikyo.eplus2.jp/article/41932039.html

■[マーラー]ノリントンのマーラー9番

 ノリントンのマーラーは以前ならおそらく聞く気にならなかったんだろうけど、まあ脂っこいものが美味しいのは若いうちで、年をとると少しサラッーとしたものも良くなる。

 1番や4番もかつて聴いたはずなんだけど、脂ののったマーラーが好きなときには、気にもしていなかったので、また探して聞きなおすかな。



マーラー : 交響曲第9番ニ長調 (Gustav Mahler : Symphony No.9
Roger Norrington, Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR) [輸入盤]


 ウィーンフィルのコンサートマスターだった、アルノルト・ロゼ(マーラーの義理の弟)がオーディションを受けに来たフリッツ・クライスラーを落としたのは有名な話でその評価のひとつが、ヴィブラートのかけ過ぎだったという。

 このノン・ヴィブラートの演奏を今でも聞けるのがそのロゼがコンサートマスターとして録音している、ワルターの1938年のマーラ−9番。

 ノリントンは変わった事をしているわけではなくて、あのワルター/ウィーンフィルの歴史的名盤と同じことをしていることになる。

 その点からも、この演奏は一聴の価値ある演奏なのだと言いたい。のですが、まあーバーンスタインや、アダージョの神様カラヤンのレガート奏法を聞いてからノリントンを聴くと、味の薄さは感じざる負えないのは仕方がない。

 あとは、ワルターの演奏の1938年という時代背景、ナチスにいろいろな妨害を受けながら演奏していたワルターやロゼの精神的な緊張感に対するこちらの思いが冷静な評価を邪魔してしまうのかもしれないが〜ワルターの娘はナチスに逮捕され、ロゼのバイオリニストの娘アルマ(マーラーの姪にあたる)は後に収容所で死ぬことになる。

 第4楽章の演奏時間にしても、1970年代のジュリーニやレヴァイン以来 30分前後の長いアダージョが多いのに対し、ノン・ヴィブラートで演奏すると20分程度になってしまうということなのだろう。

 マーラーのイメージしていた9番はノリントンの演奏なのかもしれないということは、マーラーのイメージを少し変えることになるのかもしれない。


モーストリー・クラシックにノリントンの記事があって、ノリントン自身

「この曲を初演したブルーノ・ワルター&ウィーン・フィルが1938年に残した名盤がノン・ヴィブラート奏法を忠実に守ったおそらく最後の演奏だと思います。70年の時を経て、ふたたびそれを復活させたのが私たちの演奏なのです(笑い)。」

とある。そのとおりだったのね。
http://d.hatena.ne.jp/tazooma/20100725


63. 2013年5月13日 08:00:22 : W18zBTaIM6


ビブラートのこと 2007/03/28

 25日のN響アワーは投票によるベスト公演の紹介だったが、1、2位をノリントン指揮の演奏が占めたという。モーツァルトの39番が演奏されたが、どうもノリントンの日頃の言説が気になっている。

 それはオケの弦楽器がビブラートをかけるようになったのは、第二次大戦後からで、それまではかけなかったというのだ。私はそれが本当だとは思えない。また、作曲当時ビブラートをかけなかったからかけないという(単純な理由ではないだろうが、それが強調されていることは事実。)ことでノンビブラートにするなら、当時の演奏様式をできるだけ忠実に再現すべきであると思うが、そうしているわけでもない。

 どうもノリントンの姿勢には疑問を感じるのだが、評判はいいようだ。

 まず、第二次大戦前まではビブラートをかけなかったというが、私は子どものはワルター、トスカニーニ、フルトヴェングラー、メンゲルベルクらのSPレコードで音楽鑑賞をはじめたのだが、明らかにビブラートのかかった演奏だった。とくにメンゲルベルクの「悲愴」は極端といっていいほどにビブラートをかけていたと思う。彼は戦後は演奏活動を禁止されたから、残っている演奏はすべて戦前のものだが、聴いてみればわかると思う。噂では、メンゲルベルクの練習はすさまじく厳しいものだったそうで、ビブラートのかけかたが、奏者で揃うように練習させたというのもある。ビブラートをかけないのならば、こんな噂はありえない。

 また、ワルター・ウィーンフィルのアイネクライネはいまだに超える演奏がないと言われるものだが、その情緒纏綿、ビロードのような演奏はたっぷりとしたビブラートがかかっていた。トスカニーニの椿姫3幕の前奏曲は、最初のニューヨークフィルの演奏がとてもすばらしいのだが、これも徹底的に歌った演奏で、ビブラートなしであのような表情はでないだろう。

 では、ノリントンは嘘をついているのだろうか。もちろん、そんなことはないだろう。ただ、イギリス人のノリントンが小さいころにウィーンフィルやベルリンフィルなどのトップオケを聴いたことがあるかどうかは、かなり疑問だ。

 今では当たり前になっている、オケのメンバーが小さいころからきちんとした教育を受け、音大を経て厳しい試験の結果、メンバーとなれるというのは、そんなに長い歴史をもっているわけではない。おそらく、戦前のオケでみんなが優秀な技術をもっていたというオケはごくわずかだったのではないかと思われる。

 トスカニーニがニューヨークフィルを優秀なオケに育て上げたことはよく知られているが、実はトスカニーニ着任のときだって、ニューヨールフィルは有数のオケだった。ところが、当時、オケの練習というのは、まだ技術的に弾けていない状態から始め、全体練習が個々人の譜読み的なものだったという。トスカニーニはそれを徹底的に改めさせ、予め団員は譜面を持ち帰って、曲をさらい、弾ける状態でオケ練習に参加させるようにしたという。今ではあまりにも当たり前になっている練習をしたことが、ヨーロッパ演奏旅行で、ピタッと揃う演奏を披露して、聴衆を驚かせたというのだから、当時のヨーロッパのオケも想像がつく。

 そして、アメリカのオケが優れた指揮者を迎えて、鍛えられ、優れた楽団に成長する過程で、必ず技術的に劣った団員が大量に解雇されている。だから、そうでないオケには、満足に弾けない楽団員がたくさんいたわけだ。

 だから、たしかに、ノリントンが聴いたオケはビブラートを満足にかけられなかったのかも知れないが、雑誌でノリントンが言っている、「当時ビブラートはジプシー音楽の特徴で、下品だと思われていた」というのは、どう考えても納得できない。ワルターやトスカニーニの演奏には、下品さなどはまったくないのだから。

 さて、番組で紹介されていたモーツァルトの演奏では、いろいろと不思議なことがあった。

 ノンビブラートの演奏をさせている割りには、編成が大きく、弦は通常のベートーヴェンを演奏する位いたし、ファゴットだけだったと思うが、倍管だった。
 それから、当時の演奏スタイルを踏襲するという人たちで決して実行しないことがある。それは弦のボーイング問題である。

 オケがボーイングを揃えるようになったのは、19世紀に入ってからのようだ。だから、ベートーヴェンやモーツァルトの時代は、弦楽器は個々人勝手なボーイングで演奏していたらしい。最も、音符そのものが、ボーイングを規定している面があるから、まったくばらばらだったということはないだろうが、演奏の都合上、必ずしも譜面やフレージングとボーイングが正確な対応関係を保持できないことがあるから、決めない限りは揃わない部分が出てくる。

 たぶんベルリオーズのころに、フランスのオケがボーイングを揃えたところ、聴衆が驚いたという文章を読んだことがある。

 当時の演奏スタイルを踏襲する楽団は、ぜひボーイングもまちまちでやってほしいなと思うのだが、どうだろうか。
http://wakei.at.webry.info/200703/article_3.html


64. 2013年5月13日 15:33:07 : W18zBTaIM6

ノリントンの不気味なマーラー ― 2007/01/13

PCM放送(クラシック7)のユーロライブシリーズで、サー・ロジャー・ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団のマーラー交響曲第4番とブラームスのピアノ協奏曲ハ短調第1番を聞いている。

サー・ロジャー・ノリントンは、ベートーヴェンの交響曲全集やベルリオーズの幻想交響曲等をピリオド楽器で録音しているので有名。つまり、前に書いた様なピリオド楽器による演奏を古典派から後期ロマン派まで拡張・進出して来ている訳。

シュツットガルト放送交響楽団は、勿論、モダン楽器によって編成されている「20世紀的」なオーケストラである。この様なモダン楽器でも弦楽器は、特にピリオド奏法(ノンビブラートや、強弱のスケール誇張、グリッサンドの排除)を採用する事でオリジナル楽器的な響きを得る事が出来る。特に弦楽器による合奏では、独特の響きを持つ。こうした特長を生かして、ジンマン指揮のチューリッヒトーンハレ響のベートーヴェン全集の様に特色ある録音も行われ、それなりの評価を受けている。

ピリオド楽器、ノンビブラート奏法による弦楽合奏の響きを「虹色の素晴らしい響き」と評した評論家もいる。たしかに少し、気色の悪い、独特な暗い響きがある。希望がない21世紀の時代にマッチしているのだろう。

後期ロマン派の楽曲にこうした奏法が採用された場合には、奇妙な効果を産む様だ。例えば、ブラームスのピアノ協奏曲には、巨大な序奏部分がティンパニーの響きと共に始まるが、主旋律、オビリガートの進行を他のパートが和声的に支えていく仕組みとなっているが、特にブラームスの作曲技法で特色的なのは、木管楽器群に主旋律及びオブリガートを受け持たせて、絃楽器群が和声を受け持つ書き方が随所に見られる点で、通常は、この場合は、絃楽器は、トレモロで持続音を受け持たせる。これは、ベートーヴェンの第9の序奏部を見ると判るが伝統的な作曲法である。しかし、ブラームスの場合は、単なる持続音で弾かせている。

こうした場合にノンビブラートで演奏されると、中世音楽の様なポリフォニックなものが浮き彫りになるので、非常に気味が悪く独特の印象を与える。ここの部分を当たり前の演奏で聞けば、和声を保つ弦楽はビブラートがかかっているので、非常に優しい内面的な精神を表す事になるのだが、その様な事は皆無だ。

グスタフ・マーラーの場合は、ビブラートとグリッサンドの多用で弦楽器を演奏させている。交響曲第4番の演奏をメンゲルベルク指揮アムステルダムコンセルトヘボーで聞いて見ると良いだろう。マーラーは、この演奏を生前聞いて最も良いと評価している。

ノリントンの場合は、全ての旋律が教会音楽の様にノンビブラートで弦楽器を弾かしている。管楽器も出来るだけビブラートを排除、強弱もデジタリックに劇的に展開する。たしかに、この方法では、速い楽章は成功するが、特に第2楽章は、悪魔的なソロヴァイオリンを浮きだたせる様な独特の効果を挙げているが、やはり!と思ったのが、第3楽章アダージョ、「平安に満ちて」と作曲者の指示があるが、退屈極まりない音楽を展開する。最大の欠点は、絃楽器群にマーラーのシンフォニー独特の透明感が全く失われてしまっている点である。

この様な演奏の傾向が一般化すれば、そら恐ろしい事になると思う。
http://fry.asablo.jp/blog/2007/01/13/1110128


65. 2013年5月13日 16:51:10 : W18zBTaIM6

オーケストラ演奏におけるビブラートの歴史 (1)


ノン・ビブラート奏法によるマーラーの衝撃

2003年、英国の著名な指揮者であるロジャー・ノリントンは、バッハやモーツアルトのみならず、ベルリオーズやマーラーらロマン主義の作曲家の演奏にも、弦楽セクションにおいてノン・ビブラート奏法を適用すべきと主張(1)、実際に、ノン・ビブラート奏法で通したマーラーの第九交響曲の録音を発表し、国際的に大きな議論を巻き起こした。彼が特に指摘しているのが、すべてのフレーズでビブラートを用いる「弦楽セクションにおける恒常的なビブラート」の使用の是非についてである。

ノリントンの主張をまとめると以下のようになる。


1. ベルリオーズ、シューマン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、シェーンベルグ、ベルグの時代にはただ一種のサウンドだけがあった。暖かく、表現豊かでビブラート無しの純粋なトーンである。

2. 当時、弦楽奏法にビブラートは存在したものの、ソロにおける演奏においてのみ使われていた。オーケストラにおける弦楽セクションの恒常的なビブラートは20年代の初期まで導入されず、それもエンターテインメント好きのフランスで始まった。

3. イギリス人が20年代後半にそれを取り入れた。

4. ドイツやアメリカの有力オーケストラは30年代までビブラートを取り入れていない。ベルリン・フィルは1935年以降。ウィーン・フィルは1940年代以降である。

5. 故に、これからはオーケストラからビブラートを取り除き、ロマン派の作品でもクリアでピュアなサウンドを指向すべきである。


ノリントンの説には異論も多く、音源などの具体的な証拠と合致しない点もある。何より、マーラーを始めとする後期ロマン派の音楽と、ノン・ビブラート奏法が合うかという問題もある。この問題については、アメリカの評論家であるDavid Hurwitzが反ノリントンの立場から二つの論文(2)(3)を書いている。Hurwitzの分析は膨大な文献と証言に基づいて書かれているが、やや強引で感情的な論が目立つ。疑問なのは、音源について「録音が悪くて判断材料にならない」との理由で、一切考察の対象に入れていないことである。さらに、彼は映像資料については全く触れていない。よって、このページでは、ノリントンの主張を、Hurwitzの主張と対比させつつ、映像、音源、文献を用い、多角的な視点から客観的に検証することを目指したい。


ビブラートの発達

楽器のビブラート奏法がどのように発展してきたかについては諸説あるだろうが、基本は声を模すところから派生してきたものと考えられる。歌においては、ビブラートに似た手法は、草の根レベルでは非常に古い時代から使われていた。例えば、酒場などで歌を歌った場合、狭い範囲の周波数の歌声は騒音に簡単にかき消されてしまう。倍音を多く含む声を出したり(例:モンゴルのホーミー、フラメンコのカンテ)か、音の周波数を広くすることで、雑音にかき消されずに音を響かせることができる。後者がビブラートである。

楽器も同様で、ジプシーヴァイオリンが酒場などで使われるのは、あの奏法が倍音を増やし、周波数の振り幅を増やすからである。様々な周波数が交差し、互いに干渉しあうオーケストラ演奏においても同じことが言える。これに関しては、David Hurwitzは2012年の論文において、ヴァンサン・ダンディのパリ音楽院における講義ノートを例に取り上げている。そのノートによれば、

チェロ・セクションからヴァイオリン・セクションを分離させるために、ビブラートが有効である事が示唆されていたという。

これに加えて、19世紀末頃から、コンサートホールも大きくなりはじめ、音をより遠くに響かせる必要が生じたこともビブラートの普及を促進した。

ノースカロライナ大学のMark Katzによれば、20世紀前半にレコード録音が始まったことも無視できないという。彼によれば、録音における臨場感の欠陥を補うために、ビブラート奏法がさらに使われるようになったというのだ。


ロマン主義の勃興とビブラートの間にも密接な関連がある。ロマン主義以前の中世の音楽、古典音楽においても、長く引き延ばしたフレーズを彩る装飾音やメリスマが汎用されており、音の周波数を変える下地はできあがっていた。

ヴァイオリンのビブラートは18世紀以前から存在していており、レオポルド・モーツアルトが文句を言っていた程汎用されていたようだが、時代が進むにつれ。旋律は人間の情念との関係性を深めるようになり、感情表現の有効な手段としてビブラートが用いられるようになった。

ビブラートを意味する<>のマークは、シューマンの楽曲に登場し、以降、ヨアヒム、エルガー、そしてマーラーらが使用していたという。

ノンビブラート・奏法によるマーラー演奏の是非

ノリントンがノン・ビブラート奏法の根拠としてあげるのが、1938年にブルーノ・ワルターとウィーン・フィルによって録音された、マーラーの交響曲第九番の録音である。ここでは、当時ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていたアーノルド・ロゼーの影響もあって、全編にわたりノン・ビブラート奏法が使われている(と、ノリントンは主張する)。


アーノルド・ロゼーはマーラーとも親しく、1881年から1938年までウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていた。彼はビブラートの使用に批判的で、残された録音においても控えめなヴィブラートしか確認できない。ウィーン・フィルのチェアを務めたオットー・シュトラッサーは、1922年に行われた自身の入団オーディションの出来事を次のように回顧する。


私が始めてオーディションに行った時、監督のシャルク、カペルマイスター ライヒエンバーガー、コンサートマスターであるアーノルド・ロゼーらによってなる委員会だった。ロゼーは優れた芸術家だったが、大変伝統主義的だったので、だいぶ前から汎用されるようになっていたビブラートをあまり好んでおらず、時々使うのみであった。だから、難しいパッセージの後に、ロゼは私にローエングリンとエルザが教会に入るカンティレーナを弾くように命じ、私がビブラートを使って心情を吐露するように弾き始めた時、ロゼーと意見を同じくするシャルクは私を遮ってこういった。「嘶くのはやめたまえ」。

James Barhamによれば、マーラー自身、現在行われているようなビブラートを高く評価しておらず、クリーンなバロック風の音を好んでいたという。彼は親しい友人のヴィオラ奏者、ナタリー・バウアー=レヒナーに、ビブラートを指して「実態も形もないドロドロの液体」と語っている。

マーラーがビブラートを好んでいなかった根拠としてあがるのが、第五交響曲のアダージェットにある「ビブラート」の指定だ。逆に言えば、この箇所以外はビブラートを用いずに演奏せよ、と解釈できる、とノリントンは指摘する。

これには異論がある。David Hurwitzは、ニューヨークフィルでマーラーの元でヴァイオリンを弾いていたHerbert Borodkinの証言を指摘し、マーラーは「今日の指揮者よりもはるかに多くのビブラート」を要求し、歌うように要求していたという 。このマーラーの姿勢を間接的に支持する資料として、マーラーによる交響曲第5番のピアノロール録音がある。

マーラー 自作自演 交響曲第5番 第1楽章(ピアノロール)
http://www.youtube.com/watch?v=XEpvhcYc3YA
http://www.youtube.com/watch?v=MVdZ-Op1uB0


もちろん、この録音ではオーケストラのビブラートの有無を知ることはできないのだが、テンポや歌いまわしには濃厚な19世紀的ロマンチシズムがあふれている。この歌をビブラート無しに奏した演奏があったとすれば、それはかなり不自然なものになるだろう。

マーラー作品のオーケストレーションのやり方から見ても、彼が見通しの良いサウンドを志向していたのはほぼ間違いないのだが、その一方で完全にビブラートを取り去ってしまうことが正しいかどうかについては、強い疑問が残る。実際のところ、ノリントンがノン・ビブラート奏法を正当化する根拠としてあげているワルターのマーラーの第九交響曲の録音においても、ノン・ビブラート奏法とは明確に異なる、豊かで甘さを伴うソノリティが時折弦セクションから聴こえるのである。
http://www.fugue.us/Vibrato_History_1.html

オーケストラ演奏におけるビブラートの歴史 (2)

音源、および映像資料による検証

ここでは、ノリントン説を音源、および映像資料から検証してみたい。

映像記録というものは判断材料として最も信頼度が高いものだが、残念ながら、1920年代、30年代のオーケストラ映像はあまり残っていない。現在残っている最古の映像資料は、1926年に撮影された、ニューヨークフィルのものである。

一方、音源資料は数自体は多いものの、ビブラート有無の判断材料としての有用性は高くない。当時の録音技術では、ビブラートの有無がわかるほどの情報量が記録されなかったからである。もちろん、音源によっては、ビブラートの有無がある程度確認できるものもあるが、リスナーが確認できた、できなかった、というのは、実際のビブラート使用とはあまり関係がない、ということは常に留意しておく必要がある。


ウィーンのビブラート

ここでは、「1940年代までウィーン・フィルはビブラートを採用していない」というノリントン説の一つを検証する。まず、1944年に収録された、リヒャルト・シュトラウス指揮のウィーン・フィルの有名な映像がある。ここでは、ヴァイオリン・セクションにおけるビブラートの使用が視覚的に確認できる。ノリントンの「1940年代までは」という発言は、この映像を念頭に置いたものであろう。

それ以前の録音記録、つまり、ウィーン・フィルが1920年代から30年代にかけて残した録音を調べると、ビブラートの使用がはっきり確認できないもの、あるいは非常に控えめなものが少なくない。例えば、1929年に録音されたヘーゲル指揮のスッペの「スペードの女王」においては、低弦における美しいノン・ビブラートらしき音が聴こえる。

映像資料としては、ウィーン・フィルの団員が参加した映画「Maskerade」(1934)がある。ここでは、指揮者の曲の紹介に続いて、弦の強奏が一瞬映る。明らかに、ヴァイオリニストとベーシストの左手は動いていないのだが、よく眼をこらすと、指揮者の右脇から、ビブラートをしているチェリストの左手が一瞬垣間見える。


1940年以前のウィーン・フィルがビブラートを使っていたという証言はいくつかある。1919年に、ジャーナリストのRichard Specht (1870-1932)はウィーン国立歌劇場(宮廷歌劇場)管弦楽団(=ウィーンフィルの母体)以下のように書いている。


「1870年代の音楽家はほとんど消え去り、ハンス・リヒター時代の音楽家はほとんど残っていない。指揮者は変わったものの、オーケストラの特徴、仕上がり、響きは全く変わっていない。今日においては、同じランクに数えられるオーケストラはあるが、同じたぐいのオーケストラは存在しない。

ヴァイオリンセクションのビブラートや情熱的な名人芸、チェロセクションの芳しいカンティレーナ、力強いコントラバス・セクションのいずれも、真似の出来ないものがある」。


1960年のインタビューで、ブルーノ・ワルターも、

「ウィーン・フィルのサウンドは1887年から変わっていない」

「ビブラートのやり方(中略)は他では聴いたことがない」

と言い切る。実際のところ、ノリントンをしてノン・ビブラ−ト奏法の例とされるワルターのマーラーの第九においてさえ、大きく歌う箇所において、ビブラートが使われているのが確認できる。

こういった証言、資料を総合的に見て判断すると、以下のように結論できる。


まず、ウィーン・フィルはロゼーやシャルクの影響で、他のオーケストラに比べて、ビブラートを濫用することはしなかった。ただ、常にビブラートを完全に取り去って演奏していたわけではなく、場面に応じてビブラートを有効に使用していた(ただし、この傾向は程度の差はあれど戦後まであった。ウィーン・フィルが現在のような豊麗な響きを獲得するのは、1960年代中頃以降の話である)。
http://www.fugue.us/Vibrato_History_2.html

オーケストラ演奏におけるビブラートの歴史 (3)


ドイツ、アメリカのオーケストラのビブラート

ノリントンは、「ドイツとアメリカのオーケストラは1930年代になるまでビブラートを採用していない」としている。

映像では1932年の段階で、ビブラートが確認できる。例えば、フリッツ・ブッシュが1932年にドイツのザクセン(ドレスデン)州立管弦楽団を振った映像では、弦楽セクション、特にチェリストの左手ははっきりとビブラートの動きをしている。


エーリッヒ・クライバーが1932年にベルリン国立歌劇場管弦楽団を振った映像(下)にも、弦楽セクションのビブラートがはっきり捉えられている。

Musikstadt Berlin 1932 Tonfilm Erich Kleiber & Staatsoper Orchestra, Mozart in open air.
http://www.youtube.com/watch?v=Mhklw9Uzbc4

同様に、1932年、マックス・フォン・シリングスが振ったベルリン国立歌劇場管弦楽団の映像においても、ソロのみなず、バックのチェロ・セクションでビブラートの使用が確認できる。


以上の映像記録は「ドイツにおいては、1930年代以降にビブラートが使われ始めた」というノリントン説と矛盾しない。それでは、ドイツにおける1930年代以前のビブラート使用はどうだったかというと、残念ながらドイツのオーケストラに関しては、1920年代の映像が無いのである。そのため、音源、および証言をたどる他ない。

ノン・ビブラート奏法の非常の有名な例としては、アルトゥール・ニキシュが1913年に録音したベルリン・フィルとの「運命」の録音がある。ここでは、ビブラート奏法はほとんど確認できない。

しかし、ニキシュが常にビブラートを使わずに演奏させていたわけではないようだ。作曲家のNicolas Nabokovの証言によると、1920年代初頭のニキシュとベルリンフィルのとあるコンサートにおいて、「(モーツアルトにおいて)薄く鋭角だったトーンは、チャイコフスキーでは丸くなり、プーシキンの言う喜びと一種のロシアーユダヤ的な肉感性に満ちていた。そして、弦楽のビブラートの背後には、正確なイントネーションがあった」 とある。


ニキシュの後を継いだフルトヴェングラーは、密度の高い音作りを目指しており、当然ながらビブラートについても肯定的だった。David Hurwitzによれば、フルトヴェングラーが1908年に作曲した作品にビブラートの指定が登場するという。彼とベルリン・フィルの最初の録音は、1926年の「魔弾の射手」序曲だが、ここでは録音の質の問題から、弦楽セクションでビブラートが使われているかどうかは判断できない。ただし、豊麗で密度の高い弦セクションの音は、録音技術の進歩を考えたとしても、1913年のニキシュの録音のひなびた響きとは質的に異なっているようには聴こえる。


1927年、ジーグフリード・ワーグナー指揮バイロイト祝祭管弦楽団によって録音された「パルジファル」の聖金曜日の音楽においては、かなりはっきりとビブラートが捉えられている。バイロイト祝祭管弦楽団は、ドイツ国内の有力オーケストラのメンバーから構成されている混成部隊。その観点で言えば、ここの音が、当時のドイツの平均的なサウンドを表していると言っても過言ではないだろう。


1927年、カール・ムック指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団によって録音された「トリスタンとイゾルデ」前奏曲。ビブラートが弦セクションにかかっており、現代の豊麗なオーケストラの響きと変わらないのが確認できる。


重要なものとして、最古のオーケストラ映像の一つとして、ヘンリー・ハドレーが1926年にニューヨーク・フィルを振った映像が残っている。おそらく、ノリントンはこの映像の存在を知らなかったのだろう。弦楽奏者のビブラートがはっきり確認できる。「アメリカでは1930年までビブラートは導入されていない」とする彼の説を覆す強力な証拠だ。


以上の資料を見る限り、少なくとも、ドイツとアメリカのオーケストラに関しては、「ビブラートは1930年代まで登場しない」とするノリントンの主張が事実誤認、あるいは誇張であったことがわかる。

一方、ウィーン・フィルについては、現在に比べてごく控えめなビブラートが使われていたらしい、という点で、ノリントンは事実の一部を捉えている。

ただ、当時のウィーン・フィルが完全にノン・ビブラートで演奏していたかのような主張は正確ではない。それは、1938年のワルターのマーラーの第九を含む音源、証言からも明らかだ。

歌う箇所はビブラートを用い、透明な響きが必要な箇所では控え目になった。
ある意味当然のことである。

ノリントンが推進する、ノン・ビブラート奏法を奏者に徹底させるマーラーというのは、ワルターとウィーン・フィルのナチュラルなスタイルとは本質的に異なったものだ。

とは言え、ノン・ビブラート奏法をマーラーの作品で使うこと自体に問題があるわけではない。現代ピアノでバッハを弾くことができるのであれば、ピリオド奏法でマーラーやベルクを弾いて何ら悪いことはないのだ。まして、ノン・ビブラートの透明で美しい響きは、どのような曲でも一定の説得力を持つ。音楽的整合性と歴史的整合性は切り離して考えるべきである。

ただし、ノリントンがピリオド楽器を使うプロの音楽家でありながら、客観的立場である筈の研究者として振る舞い、不十分な情報に基づいて「かつて、ただ一種類のサウンドのみあった」という不正確な情報を提供したことについては、いささか問題があったと言わねばならない。映像資料と言う決定的なデータが少ないことをいい事に、自らに都合の良い歴史解釈を行った感が否めないのだ。1926年に撮影されたハドレー指揮のニューヨーク・フィルの映像は、データに裏打ちされていないノリントン説の問題を浮き彫りにしている。


彼は、世界的な影響力があるニューヨークタイムスやガーディアンを選び、センセーショナルな論文を発表、ロマン派における自己の演奏スタイルを巨大メディアを使って正当化した。しかし、彼が本当に音楽性だけで勝負してきたアーティストであったのであれば、自己正当化も、事実の誇張も必要なかった筈だ。

マーラーをピリオド奏法でやってみたかった、と正直に言えばいいだけの話である。

しかし、ノリントンはそのようなタイプのアーティストでは無く、歴史的整合性と音楽的整合性の間に矛盾があってはならない、あるいは前者が後者に優先する、と考える一派の出身だった。モダン楽器を用いた現代の演奏スタイルへを批判し、そのアンチテーゼとして活動してきた一派だ。だからこそ、音楽性以上に、自己の演奏スタイルの「歴史的正統性」とやらが絶対的に必要なのである。

マーラーにおいても例外ではなく、自らの直感に従うのではなく、何らかの歴史的裏付けが欲しくなった。つまるところ、ノリントンがあのような極端な事を言った背景には、音楽とは無関係な、一種の個人的、かつ政治的な事情があったということだ。
http://www.fugue.us/Vibrato_History_3.html



66. 2013年5月13日 17:33:15 : W18zBTaIM6

ビブラートの悪魔

小説や映画で悪魔が登場するとき、彼はしばしばヴァイオリンを弾いている。「悪魔のトリル」というヴァイオリン独奏曲があるし、ストラヴィンスキーが作曲した「兵士の物語」でも悪魔はヴァイオリンと共に現れる。

何故悪魔はヴァイオリンを弾くのか?その理由のひとつはあのギーギー擦る音が耳障りであるということと、もう一つはそのビブラートが気色悪いということが関係しているのではないかと僕は推察する(「悪魔のトリル」では音を上下に揺らすダブルストップのトリルが多用されている)。

世の中には絶対音感を持っている人が少数ながらいる。彼らは「バイオリンの音を聴いていると気分が悪くなる」と言う。

ビブラートは音の波である。単音をビブラートで延ばすとその周波数には一定の振幅が出来る。そのゆらぎが絶対音感を持つ人にとっては我慢ならないのだろう。

チェンバロ/オルガン奏者でバッハ・コレギウム・ジャパンの指揮者、鈴木雅明さんは

「終始ビブラートを掛けっぱなしの弦楽四重奏の演奏は頭が痛くなって聴くに堪えない」

という趣旨の発言をされている。恐らく雅明さんも絶対音感を持っていらっしゃるのではないだろうか?

こうして考えてみるとビブラートというのは一種の誤魔化しの行為ともいえるだろう。合奏前のチューニングで多少ピッチがズレていても、ビブラートを掛け続ければあたかも合っているように聴こえるのだ。

音楽の先生はビブラートのことを「音色を豊かにする手段」だと生徒に教える。
でも、果たしてそれは本当だろうか?

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの時代、弦楽奏者はビブラートを掛けずに演奏した。現代フルートはビブラートを掛けるが、バロック・フルートであるフラウト・トラヴェルソはノンビブラートで吹く。

ではいつ頃からオーケストラはビブラート演奏を始めたのだろう?

指揮者のロジャー・ノリントンはそれは20世紀初頭だと言う。

ロマ(流浪の民。最近では「ジプシー」という呼称は差別用語とされている)のヴァイオリン奏法を取り入れ、それが急速に広まったのだと主張している。

彼の説が正しいかどうか僕には分からない。しかし、リストの「ハンガリー狂詩曲」が出版されたのが1853年、ブラームスの「ハンガリー舞曲集」が出版されたのが1869年。彼のピアノ協奏曲第2番、第4楽章にもロマの旋律が登場する。さらにドヴォルザークには「ロマの歌」という歌曲集がある。

このように19世紀半ばよりロマの音楽に対する関心が高まり、そのヴァイオリン奏法も次第に取り入れられるようになってきたのではないかと想像する。


今、僕の手元にラフマニノフが自作自演したピアノ協奏曲のCDがある。
録音されたのは1929-41年。

驚くのはそのテンポの速さである。現代では、この疾走するテンポでラフマニノフが演奏されることはない。考えるに、そのロマンティックな文脈を強調するために、時代と共に次第にテンポが落ちて溜めて弾くスタイルへと変化してきたのではないだろうか?

テンポが遅くなると、ひとつの音を延ばす時間も長くなる。
ノンビブラートだと間が持たない。
これこそがビブラートで弾くのが好まれるようになった真の理由なのではなかろうか?

「テンポの遅延とビブラートの多用(乱用)は相関する」
というのが僕の提唱する仮説である。


ベートーヴェンの交響曲のスコアには詳細なメトロノームの指示が明記されている。しかし、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、バーンスタイン、朝比奈ら20世紀の巨匠達はこれを無視し、はるかに遅いテンポで振ってきた。その理由は、驚くべきことに20世紀にはベートーヴェンが指示したメトロノーム速度は間違っていると信じられて来たからである。

その考えに異を唱えたのが20世紀後半に台頭して来た古楽器オーケストラの指揮者アーノンクール、ブリュッヘン、ガーディナー、ノリントン、そして延原武春たちである。彼らはベートーヴェンの指示通り演奏可能であり、それこそが作曲家の頭の中に響いた音楽なのだということを示した。

そしてその速いテンポで演奏するとき、ビブラートの存在意義は消滅したのである。その潮流は現在、モダン・オーケストラにも押し寄せて来ている。これこそがピリオド・アプローチであり、21世紀の古典派音楽ルネッサンスなのだ

(参考までにベートーベンのメトロノーム指示に対するノリントンの考察をご紹介しておく。こちらからどうぞ)。
http://www.kanzaki.com/norrington/note-sym9.html

20世紀の音楽教育のあり方は正しかったのか?ということが今、問われようとしている。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_bf7e.html


知られざるヴィブラートの歴史

ルネッサンスからバロック期、そしてハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(1827年没)の時代に至るまで、装飾音以外で弦楽器や管楽器に恒常的ヴィブラート(伊: vibrato)をかける習慣はなかった(当時の教則本などが根拠となる)。

それを現代でも実践しているのが古楽器オーケストラ、例えば日本で言えばバッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、大阪ではコレギウム・ムジクム・テレマン(テレマン室内管弦楽団)等である。

19世紀半ばになると、ロマ(ジプシー)の音楽に関心が高まる。リスト/ハンガリー狂詩曲(1853)、ブラームス/ハンガリー舞曲(1869)、ビゼー/歌劇「カルメン」(1875)、サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン(1878)等がそれに該当する。

それとともにジプシー・ヴァイオリンのヴィブラートを常時均一にかける奏法(continuous vibrato)が注目されるようになった。これは従来の装飾的ヴィブラートが指でするものだったのに対し、腕ヴィブラートへの変革も意味した。


ここに、continuous (arm) vibratoを強力に推進する名ヴァイオリニストが颯爽と登場する。フリッツ・クライスラー(1875-1962、ウィーン生まれ)である。20世紀に入り急速に普及してきたSPレコードと共に、彼の名は世界的に知られるようになる。

音質が貧弱だったSPレコードに於いて、甘い音色を放つヴィブラートという武器は絶大な威力を発揮した。その”ヴィブラート垂れ流し奏法”と共に弓の弾き方(ボウイング)にも変化が起こる(このあたりの事情はサントリー学芸賞、吉田秀和賞を受賞した

片山杜秀 著/「音盤博物誌」-”さよなら、クライスラー”
http://www.amazon.co.jp/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%9D%9C%E7%A7%80%E3%81%AE%E6%9C%AC-1-%E9%9F%B3%E7%9B%A4%E8%80%83%E7%8F%BE%E5%AD%A6/dp/4903951049/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1368433753&sr=1-1&keywords=%E9%9F%B3%E7%9B%A4%E8%80%83%E7%8F%BE%E5%AD%A6

に詳しく書かれている)。

一方、当時のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はノン・ヴィブラートを貫いていた(1938年にレコーディングされたワルター/ウィーン・フィルのマーラー/交響曲第9番でもヴィブラートはかけられていない)。

クライスラーはウィーン・フィルの採用試験を受けるが、審査員の一人だったコンサートマスター、アルノルト・ロゼは「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と言い、「音楽的に粗野」という理由でクライスラーを失格させた。

しかしマーラーの妹と結婚し、自身もユダヤ人だったロゼはナチスのオーストリア併合直後に国外追放となり、ロンドンへ逃れ客死。娘のアルマはゲシュタポに捕らえられアウシュビッツで亡くなったという

(オットー・シュトラッサー 著/「栄光のウィーン・フィル」音楽之友社)。
http://www.amazon.co.jp/%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E2%80%95%E5%89%8D%E6%A5%BD%E5%9B%A3%E9%95%B7%E3%81%8C%E7%B6%B4%E3%82%8B%E5%8D%8A%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC/dp/4276217806/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1368433848&sr=1-1&keywords=%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB


第2次世界大戦後、1950年代に入りオーケストラは大きな転機を迎える。スチール弦の普及である(これは鈴木秀美さんのエッセイに詳しい)。

それまで弦楽奏者たちは概ね羊の腸を糸状に縒ったガット弦を使用していた(パブロ・カザルスもガット弦でバッハ/無伴奏チェロ組曲をレコーディングしている)。ガット弦よりスチール弦の方が強度に優れ切れにくく、湿度の影響も受けない。おまけに値段も安価である(消耗品だからその方がありがたい)。だから皆、一気に飛びついた。しかし柔らかい音色のガット弦に対し、金属製のスチール弦は硬質な音がする。

ヴィブラートの普及には様々な説があるが、その音質の違和感を緩和するために恒常的ヴィブラート奏法(continuous vibrato)が推奨されるようになったのも、理由の一つに挙げられるだろう。


その過程に於いて、フルートやオーボエなど管楽器にもヴィブラートが普及していった。フルートの場合、以前は木製のトラヴェルソであったが、19世紀半ばからリングキーを採用したベーム式が普及し始め銀製の金管楽器に取って代わられる。故に木管らしからぬ金属的響きを、ヴィブラートによって緩和する目的もあったのではないかと推測される。


ヴィブラートの普及に呼応して、オーケストラの演奏速度は遅延の方向に向かう。速いテンポではヴィブラートを十分に効かせられないからである。

ここに1920年代から40年にかけ、ラフマニノフがオーマンディやストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団と共演した自作自演によるピアノ協奏曲の録音がある。驚くべきは、現代とは比較にならないくらい速いそのテンポ感である。20世紀の間にラフマニノフがロマンティックな文脈で捉えられるよう変化していった過程がそこに垣間見られる。

ベートーヴェンの交響曲も次第にロマン派以降の価値観で解釈されるようになり、遅くなっていった。ベートーヴェンがスコアに指示した極めて速いメトロノーム記号に則して演奏すると、ヴィブラートをかける暇などない。

そこで、

•ベートーヴェンの時代は器具が正確ではなかったのでスコアに記されたメトロノーム表記は必ずしも信用できない。

•耳が聞こえなくなってから、ベートーヴェン本人が考えているテンポより速い表記になっている可能性が高い。


などといった、こじつけにも等しい説が登場した。しかし、考えてみて欲しい。まず作曲者本人を疑うとは何と無礼なことであろうか!
スコアに記されたテンポで十分演奏可能であることは、延原武春、ブランス・ブリュッヘン、ロジャー・ノリントンら古楽系の指揮者たちが既に証明済みである。


こうやってヴィブラートの歴史を見ていくと、現在盛んに行われるようになってきたピリオド奏法(=モダン楽器を使用して古楽器風に演奏すること)は理に適っているのか?という疑問も生じてくる。つまり、

金属的響きのするスチール弦をノン・ヴィブラートで演奏することに果たして意味はあるのだろうか?

という問いである。そういう意味でピリオド奏法をする弦楽奏者達は今一度原点に立ち返り、スチール弦からガット弦に張り替える勇気を持つ必要もあるのではないかという気が僕にはするのだ。

ちなみにダニエル・ハーディングやパーヴォ・ヤルヴィが音楽監督を務めてきたドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンは奏者全員がガット弦だそうである。また名ヴァイオリニスト ヴィクトリア・ムローヴァも、最近ではガット弦を張り、バロック弓を使用している。

ヴィブラートにまみれ、スコアに記されたメトロノーム指示を無視した、遅くて鈍重なベートーヴェンを未だに「ドイツ的で重厚な演奏」と褒め讃える人々がいる。ドイツ的って一体、何?僕には皆目、理解が出来ない。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/20-7b10.html


67. 2013年5月13日 17:44:44 : W18zBTaIM6

「さよなら、クライスラー」

クライスラーが西洋音楽史に画した「ヴィブラート革命」

もちろん、クライスラーの革命はヴィブラートだけではない。弓の遣い方だってそうだ。

彼より前のヴァイオリニストたちは、弓をかなり長く遣うのがふつうだったらしい。右手をいっぱいに動かし、その力や速度を加減することで、音の勢いや色を変える。

響きのヴァラエティを豊かに幅広くしようと思えば、とうぜんそのやり方で悪くないのだが、弓と腕を長くいっぱいに動かし、上半身全部を大きく使っていると、いろいろなぶれも起きやすい。弦にかける弓の圧力や、弦をこする弓の速度が、不安定にならざるをえない。結果として、音の粒は揃いにくくなる。

対してクライスラーは、響きのヴァラエティを多少は犠牲にしても、歯切れよく恰幅よく音の粒を揃えることを第一義にした。そのためにどうするか。

弓をなるべく短めに遣えばいい。むろん、たんに短いだけではだめで、右手をそれ向きに改造しないといけない。

弓を長く遣うなら、肩や上腕部に大きな負担がくるが、弓を短く、力加減もなるたけ自在に遣うとなると、弓を持つ手先から手首に下腕部までが、とりわけよく鍛えられていないといけない。

クライスラーはそんな立派な二の腕をもっていた。それで短く弓を遣えば、弓圧や弓速からぶれを追放できる。見た目にも実際にも、小粋さや速度感や安定感が出てくる。歯切れや恰幅もよくなるのである。

(片山杜秀「音盤博物誌」 P293)
http://vivaoke.com/blog-entry-1402.html


68. 2013年5月14日 14:51:30 : W18zBTaIM6

20世紀前半のベルリン・フィルを支えた12人のコンチェルトマイスター

強力なヴィルトオジティを誇るベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の陰の指揮者たちである歴代のコンチェルトマイスターの演奏とはどのようなものだったのだろうか。


ベルリン・フィルハーモニー 歴代コンサートマスター

アントン・ヴィテク 1884 - 1910
カール・クリングラー 1901 - 1902(22歳就任)
ヴァーツラフ・ターリッヒ 1903(20歳就任)
リッコ・アマール 1916 - 1920(25歳就任)
ヤン・ダーメン 1920 - 1922(22歳就任)
モーリッツ・ヴァン・デン・ベルク 1920 - 1925(22歳就任)
ヘンリー・ホルスト 1922 - 1931(23歳就任)
トッシー・スピヴァコフスキー 1926 - 1927(19歳就任)
ウィルフリート・ハンケ 1927 - 1933
シモン・ゴールドベルク 1930 - 1934(20歳就任)
フーゴ・コルベルク 1931 - 1938,1959 - 1962(33歳就任)
ジークフリート・ボリース 1933 - 1940,1945 - 1961(21歳就任)
エーリヒ・レーン 1934 - 1945(24歳就任)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3

ベルリン・フィルハーモニー

設立は1882年5月1日で、ベンヤミン・ビルゼが監督するオーケストラから脱退したメンバー54人が母体となり、6人のメンバーを加えて自主運営楽団として発足した。団員の平均年齢が30歳未満という若い人中心のオーケストラであった。最初の定期演奏会は1882年10月23日、フランツ・ヴェルナーの指揮で行われた。

1884年にはブラームスが自作の交響曲第3番を指揮し、ピアノ協奏曲第1番を弾いた。またドヴォルジャークも自作の指揮を行った。1887年にヘルマン・ヴォルフがハンス・フォン・ビューローを招き、以後、ベルリン・フィルは急速に成長し、この数年の間にハンス・リヒター、フェリックス・ヴァインガルトナー、リヒャルト・シュトラウス、グスタフ・マーラー、ヨハネス・ブラームス、エドヴァルド・グリーグらが指揮台に立っている。

1895年に、アルトゥール・ニキシュが常任指揮者に就任。1895年12月13日には、マーラーが自身の交響曲第2番「復活」のはじめの3楽章の初演を指揮した。

1922年1月23日にニキシュが亡くなると、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが次の常任指揮者に就任し、ヨーロッパ各地で演奏活動を行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3


ベルリン・フィルハーモニーは1867年に、作曲家兼指揮者であったベンジャミン・ビルゼがベルリンに創立した「ビルゼ管弦楽団」がその母体となっている。1882年に、54人の楽団員が新しい理念のもとに、ライプツィッヒからリッター・ルートヴィッヒ・ブレンナーを指揮者に招聘して、3月16日に第1回演奏会を開いたのがベルリン・フィルハーモニーのはじまりである。

楽団員の平均年齢30歳前後という若さであったが、芸術活動への気高い決意をもって創立されたベルリン・フィルハーモニーは、国家から特別の肩書きを与えられ、オーケストラ自体を「フィルハーモニー」、また楽団員それぞれを、「フィルハーモニー楽員」という呼称によって尊敬されるほどの楽団であった。

1887年、二代目指揮者のハンス・フォン・ビューローが定期演奏会を始める。ビューローは1893年、「ベートーヴェンの夕べ」の指揮を最後にその翌年に亡くなった。

1895年、おりしも4年間におよぶボストン交響楽団の指揮を終えて帰国した、アルトゥーロ・ニキッシュがビューローの後継者として招かれた。その後、ニキッシュはベルリンのスタンダードとして聴衆から尊敬と愛情を一身に集めることとなる。その神秘的な演奏スタイルは「音の魔術師」と形容されるほどで人気は絶大なものであった。

ベルリンでの後任指揮者の問題はライプツィッヒほど難しくなかった。ベルリン・フィルハーモニーの実質的な主宰者である、ルイーゼ・ヴォルフはニキッシュの後任にはミュンヘン国立歌劇場のブルーノ・ワルターをと考えていた。

このポストを巡ってワルターがフルトヴェングラーといかにしのぎを削っていたかを示す手紙がある。これは1922年3月8日にワルターから友人のオシプ・ガブリロヴィッチに宛てられたものである。

ニキッシュの後任はまだ決まっていません。ぼくは4月3日にニキッシュ演奏会を指揮するはず、そのときに決定されるかもしれない。まじめに考慮されるのは二人だけで、フルトヴェングラーとぼくです。

フルトヴェングラーのほうは、ニキッシュが死んでからベルリンに根を下ろし、天国に地獄その他あらゆる手段を総動員して、この地位を得ようと躍起になっていますが、その間に急いで指揮してきたのは、喝采のみ呼び起こすものばかり、おそらく今ごろは、イゾルデが第二幕でトリスタンを待ち受けるときの緊張さながら、その気持ちは逆であるにせよ、ぼくの演奏会の結果いかんと待ち受けているでしょう。

自分にたいして何らかの関心をかきたてるために、ぼくのほうはまったく何もしなかったし、主義としてもなにひとつしていません。ばくの全生涯にわたり、ただ業績によってのみ道を切り開くことだけに限ってきました。実を言うと、今ミュンヘンを離れるにあたって、ニキッシュの後任となるのは、ぼくには決定的に重要なことでしょう。それが手に入りそうだと、ほとんどぼくも信ずるほどです ― 全オーケストラは一致してぼくに賛成の意見を表明したそうで、ぼくの知るところでは、これをルイーゼ・ヴォルフも望んでいます。しかし ― だめな場合は、それもよし。いまさらそんなに驚くぼくではありません。


フルトヴェングラーは追悼演奏会を指揮するなど後任指揮者に最も近かったが、ベルリン国立歌劇場指揮者の地位にあるという理由でルイーゼの選択肢の中に入っていなかった。
しかしフルトヴェングラーは国立歌劇場のすべての契約を解除すると申し出たために、フィルハーモニーは全員一致でフルトヴェングラーを後継者として選出したのである。ドイツ楽壇においてこれほどの名誉と栄光に輝く地位がほかに考えることができるであろうか。だが、フルトヴェングラーの胸中には複雑な思いが駆け巡っていたことが、 フランク・ティース(脚注39)の言葉から知ることができる。

1922年1月23日、ニキッシュ亡き後は、フルトヴェングラーがゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となり、同時にベルリン・フィルハーモニーの指揮者もかねた。この指揮者としての最高位についたとき、彼は35歳であった。
http://furtrenaissance.web.fc2.com/chapter2.html#koko2



69. 2013年5月14日 14:52:06 : W18zBTaIM6



1) アントン・ヴィテク  ベルリン・フィル在籍1884-1910年

1872.1.7 チェコ西部ザーテツ - 1933.8.19 米マサチューセッツ州ウィンチェスター


2台のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調
アルマ・ローゼングレン・ヴィテク(ヴァイオリン)
アントン・ヴィテク(ヴァイオリン&指揮)管弦楽団
バイロイト祝祭管弦楽団 1928年録音
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14771349

http://www.youtube.com/watch?v=lRvsqsmKO2c
http://www.youtube.com/watch?v=3KHDV_8f434
http://www.youtube.com/watch?v=_HueSlDHRtQ


アントン・ヴィテクはベルリンフィル在籍が1884〜1910年の最初期メンバー。

ベルリンフィルの創立は1882年(!)ですから、何とオケ創立時のメンバーという事になるのですが、御年弱冠12歳!というからさらに驚きます。
当時としてはきわめて端正な解釈で、現代においても全く色褪せぬ名盤と思います。
http://rujapan.com/auction/m108608245.html



恐らくヴィテクについて知らなくても、この経歴を見て驚かない人はいないだろう。ベルリン・フィル在籍期間が、1884-1910年である。ということは、ベルリン・フィルの創立は、1882年なので最初期のメンバーということになり(この時なんと、12歳)1887年に初代の監督に就任したハンス・フォン・ビューロー(それ以前は監督不在だった)からアルトゥーロ・ニキシュ(1895-1922年)の代に渡って、コンチェルトマイスターを務めていたことになる。

しかし、ベルリン・フィルの初録音は1913年だから、これには参加していないと思われる。まるで、化石のような人物である。それで、演奏も時代遅れの旧式かと思いきや、とんでもない! あまりにも魅惑的すぎて、驚きを隠しきれない。こういうバイオリニストがいるから、優れた伝統が築かれるのである。

出身はチェコなのでプラハ音楽院で学び、ベルリン・フィル在籍中の1895年からデンマーク出身のピアニスト、ヴィタ・ゲルハルトとデュオを組んで室内楽活動も行っていた。ゲルハルトとは1910年に結婚し、同年から1918年までボストン響に移籍し、コンサートマスターを務めた。25年に夫人が亡くなった後、米のバイオリン奏者アルマ・ローゼンクラインと結婚し、この録音では夫婦で共演している。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html


70. 中川隆 2013年5月14日 19:18:13 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6



2) カール・クリングラー(前出)  ベルリン・フィル在籍1901-1902年

1879.12.7 ストラスブール - 1971.3.18 ミュンヘン


Karl Klinger(concertmaster of Berlinphil 1901-1902) plays Mozart Duo for Violin and Viola no.2 2mov
http://www.youtube.com/watch?v=91NA9j5jO4E

The Klingler Quartet, 1935 - Beethoven, String Quartet No. 12 in E-flat Major, Op. 127
http://www.youtube.com/watch?v=TirZ9KZnt8k

ヴァイオリニストだった父からヴァイオリンを学び、5歳で演奏活動を始める。


1897年よりヨアヒムに師事、同時にブルッフに作曲を学んだ。

1901〜1902年はニキシュ率いるベルリン・フィルで、最年少のファースト・ヴァイオリンを務めた。

1903年よりベルリン音楽院教授。

クリングラー弦楽四重奏団は、SP期に活躍したドイツのSQで、1879年生れのカール・クリングラーを中心に、1905年に結成され、1935年まで活動を続けた。カール・クリングラーは、1903年〜35年までベルリン音楽院の教授の地位にあり、1906年からはヨアヒムQt.のVaを、ヨアヒムの死後はVnパート担当。
http://www.kamakura-musica.com/shopdetail/011006000019/brandname/

ヨアヒムはベートーヴェン直伝の奏法を体現した人物の一人であり、ウィーン・ヴァイオリン楽派の開祖である。ヨアヒムのカルテットにはヴィオラ奏者としてカール・クリングラーなる人物がいた。ヨアヒムからベートーヴェン直伝の奏法を汲み取った数少ない演奏家のひとりであり、世界最古のベートーヴェン録音を残すことになる。

 カール・クリングラーはクリングラー四重奏団を結成し、1911年に機械録音で作品18-5の二楽章と三楽章を録音した。ベートーヴェンが没して84年後の録音であり、ヨアヒムはこの録音の4年前に世を去っている。


1912年に録音された作品130の四楽章
 音質は思った以上に生々しく鮮明だ。竹やぶの燃える音の中から妙なる楽音が響く。SP初期であるから仕方がない。

しかし、この高貴な音はどうだろう。ぴんと張り詰めた高音のきらめきに、繊細なポルタメントがかかる。大時代的な演奏ではなく、あくまで端正に演奏されている。「これがベートーヴェンに一番近い録音だ」と思うと感慨が深い。


1935年に録音された作品127
一楽章は何の思い入れも劇的表情もつけず、あっさりと速いテンポで導入。端正にきびきびと運ぶかと思えば、ぐっと旋律の終りでリタルダンドし、寄せては返す波のような心地よい流れを生む。格調高い高雅な響きにしっとりとしたポルタメントをかけ、何ともいえない風情を残す。

二楽章は、この演奏ではじめてこの楽章の素晴らしさがわかった!何という神々しさだろう。脱俗の境地そのものの音空間が広がる。クリングラーのヴァイオリンの美しさ!作品132の長大な緩徐楽章よりも洗練され、磨き上げられた音楽だと思わせるほどだ。

 三楽章冒頭のピッチカートからして他の演奏と全く違う。別世界が現出するのだ。天の世界で天使達と遊ぶような気持ちになるや、高雅な響きだけではなく、ずっしりとした音のドラマが展開されていく。雄弁この上ないベートーヴェンの音楽が最高に美しく奏されている。
http://kitakentobeethoven.blog.so-net.ne.jp/2007-12-15

クリングラー弦楽四重奏団/録音集(1912年〜1936年)/グスタヴ・シェック(fl) [TESTAMENT SBT 2136]

かのヨアヒムと弦楽四重奏を組んだクリングラー―当時はヴィオラを担当―はヨアヒムSQの伝統を継承する生き証人であり、19世紀の弦楽四重奏団の姿を伝へる貴重な記録なのだ。録音は3種類に分類出来る。

1912年と13年のオデオン録音と1922年と23年のヴォックス録音は、全て楽章単位の録音である。真摯なメンデルスゾーンやシューマンの演奏には聴くべきものがある。侘びたモーツァルトやケルビーニにも面白みがある。

しかし、録音としての価値は電気録音である1935年と36年のエレクトローラ録音にある。ベートーヴェンとレーガーのセレナードの全曲録音で、両曲ともフルートを伴ふ三重奏だ。滋味豊かで気品のある演奏はドイツ・ロマンティシズムの粋を聴かせる。


クリングラー弦楽四重奏団/録音集(1912年〜1936年) [TESTAMENT SBT 2136]
再びクリングラーSQを聴く。2枚組の2枚目。最後期の録音であるエレクロトーラへの録音より、レーガーの弦楽三重奏曲とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番が聴け、クリングラーSQの真価を確認出来る。

クリングラーSQはスラー・ボウイングを用ゐず短いブレーズによるアンサンブルを優先してゐるのが特徴だ。トーンの均一性を重視し、高貴なロマンティシズムを醸し出すヴィブラートは練り込むやうにゆるりとした速度で掛けられ、ブッシュSQとの類似点を感じさせる。

レーガーは晦渋さと幻想性を融合させた極上の名演で、渋みのある語り口が見事だ。大曲ベートーヴェンにおける老巧で深みのある表現はブッシュSQと比べても遜色ない。余白に収録されたハイドンのラルゴはクリングラーSQの禅定の境地を聴かせて呉れる絶品だ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/chamber.html

四重奏のマスタークラス見学のとき偶然私のMP3プレーヤー には クリングラー の12番の四重奏曲が入っていた 


クリングラーは ベーム ヨアヒム クリングラー とベートーヴェン 直伝 とは いかないまでも それに近い演奏の系譜をもつ楽団であるが

学生さんたちの演奏よりもテンポも遅く 
音量も無く技術もたよりなげで 
ビブラートは長い音符中心にしかかけていないし
いまなら先生に怒られそうなポルタメントも使用している

のだけれども実に素晴らしい演奏なのだ。

それでも それ以前の もっと古い時期のクリングラーに 比べると がっくり落ちているような気がする。古いクリングラーはこんなに カチカチではなかったから


技術のいい結成まもない合奏期間の短い学生さんの四重奏団はむしろカペエみたいな感じかな

途中 ああカペエがこんな感じですごい苦手なんだよなー(笑)って思ったんです。

私はカペエならブッシュのほうが好きかなあ…。

へんな話なんですが音楽って音の無いところも音楽で音の無いところがあるから
織物のように美しくてテクスチャもあって息もできて…
全部が音に埋め尽くされちゃったらもうそれはビニールか鉄板のようなもので ツルツルで息もできない…。
そのためには相手のパートをよく知ってないとダメだよね。

自分の音 相手の音 相手も自分も 音の無いところ…。

昔の大指揮者のすごいところは見通しがいいというか息がしやすい というか … 
クライスラーの伴奏のレオ・ブレッヒとか すごい息がしやすい。 クナもシューリヒトもそう。

(クライスラーは再録のは音はいいが 指揮者はかなり 落ちる)


そういう指揮者が伴奏してくれるならいいなあ。でもそうでないならリハでフレージングと呼吸を打ち合わせというか 理解してもらわないといけないだろうね。

私もふくめて今の人はしみじみしてる余裕がないんだよね
それが合奏でなにより一番大事なのに…。


がんばるとか競争とかそっちばっかり…
ああ美しいなとかたのしいなとかそっちがない…。
だからどんどん速くなっちゃったり音量が上がっていっちゃったり。

クナは普通にそれを持っているのにね。
そして 多くのクラッシックファンは現代ではなくそういった古の人の心を聴きたいんだろう

いそがしい日常をはなれて失ってしまった自分の心のいろいろなものを思い出させてくれるものとして。少なくとも私はクラッシク音楽は別次元であってほしいと思っている。
http://teokuredesu.seesaa.net/article/258768857.html


71. 2013年5月14日 21:06:21 : W18zBTaIM6


3) リッコ・アマール ベルリン・フィル在籍1916-1920年

1891.12.4 ブダペスト - 1959.7.19 フライブルグ


Licco Amar plays Bach Sonata excerpts
http://www.youtube.com/watch?v=F8FbLF1ATIo

Béla Bartók: Quartetto per archi n.2 op.17
http://www.youtube.com/watch?v=JYl7m8dNTIw


アマールはトルコ出身、マルトー門下
1912年よりマルトー四重奏団の第2ヴァイオリン
1915年よりベルリンフィルコンサートマスター
http://blogs.yahoo.co.jp/sp76rpm/folder/562028.html



ベルリンでアンリ・マルトーに師事し、1912年からマルトー弦楽四重奏団第二バイオリン奏者。ベルリン・フィルを経て、1920年よりマンハイム歌劇場。21-29年には、作曲家パウル・ヒンデミットをビオラ奏者にアマール弦楽四重奏団を結成し現代音楽を中心とした活動を行った。33年にナチスによりドイツを追われ、35年トルコ・アンカラ音楽院、57年以降はフライブルグ音楽院で指導した。ここでは、ハープシコードにギュンター・ラミンを迎えている。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html



72. 2013年5月14日 21:22:11 : W18zBTaIM6



ヤン・ダーメン ベルリン・フィル在籍1920-1922年

(Jan Damen, 1898年6月30日 - 1957年12月20日)

Jan Dahmen(Concertmaster of Berlinphil 1920-1922) plays J,S,Bach Adagio from Solo Sonata no.1
http://www.youtube.com/watch?v=gRGFclQq4Ec

Eduard van Beinum, 1956 - Rimsky-Korsakov, Sheherazade, Op. 35
http://www.youtube.com/watch?v=vgrva0o83dg



オランダ南部のブレダの生まれ。ハーグ王立音楽院でアンドレ・スポールに師事した後、ベルリンに行き、カール・フレッシュの薫陶を受けた。

1920年から1922年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務め、1924年からシュターツカペレ・ドレスデンのコンサートマスターを務めた。1946年から2年間ヨーテボリのオーケストラでコンサートマスターを務めた後、亡くなるまでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターの任にあった。
http://jiten.t-com.ne.jp/search.php?keyword=%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3


 ヤン・ダーメン・・・・・・・・・・・コンセルトヘボウの名コンマス兼世界的ソリストの一人である。 ダーメンは若いころ、ベルリン・フィルのコンマス、そしてドレスデン・シュターツカペレのコンマスも経験している。大物である。そして、自国のアムステルダム・コンセルトヘボウのコンマスに就任するわけである。

 日本では知名度低いけど、この人の存在すごい。 いい音していた。懐かしいコンマスである。
http://ameblo.jp/kbbnef/entry-11113692783.html


73. 2013年6月06日 22:42:15 : W18zBTaIM6

5)モーリッツ・ヴァン・デン・ベルク(Maurits van den Berg) 在籍1920-1925年

ヴィヴァルディ 4つのバイオリンとチェロのための協奏曲 RV580 第2楽章
Vnモーリッツ・ヴァン・デン・ベルク
http://www.youtube.com/watch?v=MNowgr-9xKk


1898.2.20 オランダ北東部フローニンゲン

14-17年ケルン音楽院でブラム・エルデリングに師事。
17-33年の期間、ストラスブール管、ケルン・ギュルツェニヒ管、ベルリン・フィルを歴任した。
33年以降はアムステルダム・コンセルトヘボウ管、49-67年オランダ放送フィル指揮者として現代音楽を多く手がけた。
ウィーンのブクスバウム弦楽四重奏団の第1バイオリン奏者も務めた。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html


74. 2013年6月08日 15:03:13 : W18zBTaIM6

6)トッシー・スピヴァコフスキー 在籍1926-1927年
(Tossy Spivakovsky, 1906年12月23日 - 1998年7月20日)


Tossy & Jascha Spivakovsky* play Brahms.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=9lxcL63ASUY

Spivakovsky plays Paganini Caprice No.24
http://www.youtube.com/watch?v=mG3VGIBkJj4

Spivakovsky plays Melodie by Tchaikovsky
http://www.youtube.com/watch?v=T97-R5soIyM

Spivakovsky plays Tchaikovsky violin concerto
http://www.youtube.com/watch?v=3gWSz3cVeJg
http://www.youtube.com/watch?v=XgXqhcBm1RQ
http://www.youtube.com/watch?v=5UZllYRoNdQ
http://www.youtube.com/watch?v=KLC8jmUOsKk

Spivakovsky plays Sibelius violin concerto
http://www.youtube.com/watch?v=yWyMXP-gdvk
http://www.youtube.com/watch?v=lv-qHg7t-O0
http://www.youtube.com/watch?v=Fg4J0Ry1q6Y
http://www.youtube.com/watch?v=OiXKUloFN9k

トッシー・スピヴァコフスキーは、1907年のオデッサ生まれで、ユダヤ系の方だったそうです。亡くなったのは1998年ですから、割と最近のこと。

いわゆる神童の一人で、幼くしてベルリンに亘り − オデッサにはドイツ系の方も多かったそうですから、何かしらドイツ文化圏とゆかりがあるのでしょう

− 10歳でコンサートを開いたり。兄弟も兄のアドルフ Adolf(1891-1958)がバス・バリトン歌手、ヤッシャ Jascha (1896-1970)がピアニスト、アイザック Isaac 愛称'Issy' (1902-1977)はヴァイオリンとチェロとそれぞれプロの演奏家兼教師として人生を過ごした音楽一家と言いましょうか。

1926年にフルトヴェングラーの率いる(常任指揮者就任1922)ベルリン・フィルのコンサート・マスターに選ばれましたが、翌年にはソロの道を選んで辞任。

その後、ナチスの台頭を見て、1933年に公演先のオーストラリアに亡命、1940年代にはアメリカに移り、クリーヴランド・オーケストラの首席ヴァイオリンを数年勤めたり、その後晩年までジュリアード音楽院で教育に携わって、、、、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番のアメリカ初演をしたとも。
http://sergejo.seesaa.net/article/93902069.html


75. 2013年6月08日 15:12:21 : W18zBTaIM6

7)ヘンリー・ホルスト 在籍1922-1931年
(Henry Holst, 1899年7月25日 - 1991年10月15日)


Henry Holst (Concert master of Berlinphil 1922-1931 )plays J,S,Bach Air on the G String "
http://www.youtube.com/watch?v=yczcxRk_KVI

コペンハーゲン出身。生地の音楽院でアクセル・ヴィルヘルム・ゲーゼに師事した後、1918年からエミール・テルマニーのもとで研鑽を積んだ。1919年にはベルリンに留学してヴィリー・ヘスの下で学んでいる。

1922年から1931年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めた後に渡英し、王立マンチェスター音楽大学とロンドン王立音楽院の教授を歴任した。1954年には帰国し、デンマーク王立音楽院の教授となった。1961年から1963年まで東京芸術大学の客員教授を務めている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88


76. 2013年6月09日 19:51:15 : W18zBTaIM6


8)シモン・ゴールドベルグ 在籍1930-1934年
(Szymon Goldberg 、1909年6月1日 ポーランド - 1993年7月19日 富山県大山町)


Brahms : Sonata for Violin and Piano No. 1 in G Major, Op. 78
http://www.youtube.com/watch?v=caj2HOYdfdY
http://www.youtube.com/watch?v=3NJzRubcwjY
http://www.youtube.com/watch?v=Y1lnZPa4S4w

Szymon Goldberg plays Bach Violin Concerto No.2 in E mojor,BWV 1042
http://www.youtube.com/watch?v=DRWyolljw1Y
http://www.youtube.com/watch?v=ZnpwM4BnKG0
http://www.youtube.com/watch?v=lsvg87R7YmQ


Szymon Goldberg plays Bach - Sonata in G minor for Solo Violin, BWV 1001
http://www.youtube.com/watch?v=lj_qoU6Onps
http://www.youtube.com/watch?v=jioBN6M_-aA
http://www.youtube.com/watch?v=GnxhnujMLuk
http://www.youtube.com/watch?v=oe5r_qUS6rM

Szymon Goldberg plays Bach - Partita in D minor for Solo Violin, BWV 1004
http://www.youtube.com/watch?v=lj_qoU6Onps
http://www.youtube.com/watch?v=mvu_y32PmeM
http://www.youtube.com/watch?v=4Dmrh4Z42ng


Szymon Goldberg & Gerald Moore: "Violin Sonata in D Major" (Handel)
http://www.youtube.com/watch?v=nQCywByIVYo

Goldberg & Lili Kraus_Mozart_Violin Sonata_K.296
http://www.youtube.com/watch?v=yV5fEQTWv5s
http://www.youtube.com/watch?v=LGzjU19Zuw0

Mozart's Violin Sonata in F major K 377 played by Szymon Goldberg and Lili Kraus
http://www.youtube.com/watch?v=GH6akxvtNps

Goldberg & Lili Kraus_Mozart;Violin Sonata in G K.379
http://www.youtube.com/watch?v=8MZ_7PpHnhA
http://www.youtube.com/watch?v=rNLGYfQaBr0

Goldberg & Lili Kraus_Mozart : Violin Sonata K.481(1936)
http://www.youtube.com/watch?v=PE9JmqvjAPs
http://www.youtube.com/watch?v=F6qluPgGL_g

Goldberg/Hindemith; DUET IN B FLAT MAJOR (Mozart, K 421)
http://www.youtube.com/watch?v=ASibsHxrmnw
http://www.youtube.com/watch?v=YrXXoJtWbck
http://www.youtube.com/watch?v=wvxBQEqrGok

Goldberg / Hindemith_Mozart : Duo for Violin & Viola K.424
http://www.youtube.com/watch?v=q9tkrp0pMS0

Szymon Goldberg(Concert Master of BerlinPhil 1930-1934) and Hindemith play Mozart Duo for Vn and Vl
http://www.youtube.com/watch?v=JQ-nQxv_A4A

Beethoven_Serenade op.8, Goldberg, Hindemith & Feuermann
http://www.youtube.com/watch?v=9Nf6h5UEFnw
http://www.youtube.com/watch?v=8d-kMtb2Kdc
http://www.youtube.com/watch?v=KUWslFxzPSo

Szymon Goldberg & Lili Kraus Beethoven Sonate für Klavier und Violine Nr.10 G-Dur , Op.96
http://www.youtube.com/watch?v=lfUjr6QWLnU

Schubert violin sonata no. 1 in D major D384
http://www.youtube.com/watch?v=o96DlEf9s6o

Schubert violin sonata no. 4 in A major D574
http://www.youtube.com/watch?v=Pzkb8_VqBgI

Schubert Fantasie for violin and piano in C major D 934
http://www.youtube.com/watch?v=QZVVIo2iqQQ

Szymon Goldberg plays Mendelssohn - Violin Concerto in E Minor, Op. 64
http://www.youtube.com/watch?v=Qmy7OJnpQDI


Szymon Goldberg plays Bartok - Sonata for Solo Violin
http://www.youtube.com/watch?v=DKIZOHQvV70
http://www.youtube.com/watch?v=SACQ84IaRRY
http://www.youtube.com/watch?v=iirTAKz2r6E
http://www.youtube.com/watch?v=gz5tTfcOeJ8


Szymon Goldberg plays Alban Berg - Vn Concerto
http://www.youtube.com/watch?v=7ty9-q-7xD8
http://www.youtube.com/watch?v=ckV_6S8jWJc
http://www.youtube.com/watch?v=r5_1T1bB1ys


1909.6.1 ポーランド中北部ヴロツウヴェク - 1993.7.19 富山県

ベルリンでカール・フレッシュに師事し、12歳でデビューした。25-29年ドレスデン国立歌劇場を経て、ベルリン・フィル。

34年ナチスに追われて辞任し、英国移住。リリー・クラウスとデュオを組み、36年初来日。ヒンデミット、フォイアマンともトリオを組んでいた。

41年オランダ領ジャワ(現在のインドネシア)へクラウスと演奏旅行中、侵攻した日本軍に捕らえられ、45年まで抑留。戦後は、カザルス、ゼルキンとトリオを組み、55年には、オランダ室内管を組織した。日本人と結婚し、晩年は日本で活動していた。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html

カール・フレッシュの衣鉢を継ぐ知性派ヴァイオリニストとしてゴールトベルクは将来を嘱目されてゐたが、野心がなく華がなかつた為に、幾つかの優れた録音を残して表舞台から退いて仕舞つた。
諄い感情表現を避けた気品ある音色による清廉なモーツァルト像の典型をゴールトベルクは創り上げてゐる。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html

ラドゥ・ルプーとの共演によるシューベルトのソナタの録音が名盤として、今日でも評価が高い。そこでは、しっとりと濡れたような音色の美しさや、20世紀のヴァイオリニストとしては控えめなビブラート、音楽そのものをいつくしむような作品への誠実な取り組みが認められる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF


モーツァルト:・ピアノとヴァイオリンのための6つのソナタ
[K.296,377,378,379,380,381]
 シモン・ゴールドベルク(vn)
 リリー・クラウス(p)
 録音:1935-7年

クラウスとゴールドベルクによるSP時代の伝説の名演。

K.296の第1楽章など、今日の感覚ではその速いテンポに戸惑うほどだが、それが爽快だ。一転遅いテンポの第2楽章では、当時、新即物主義の代表と言われたゴールドベルクがこの当時はかなり強いポルタメントをかけているのに驚かされるが、それが極めて美しい効果を挙げている。
http://www.hmv.co.jp/en/artist_%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%881756-1791%EF%BC%89_000000000018888/item_%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E9%9B%86%EF%BC%BB%E7%AC%AC24-33-34-35-36-41%E7%95%AA%EF%BC%BD%E3%80%80S-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF-vn-%E3%80%81L-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%88p%EF%BC%89%EF%BC%882CD%EF%BC%89_1370132

 「リリー・クラウスとシモン・ゴールドベルクによる、モーツァルト作曲「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ選集」はモーツァルティアンにとって永遠の憧れ。

 かつて「冷美」と称されたゴールドベルクのボウイングは、意外にも情熱的で、弦との擦れ音が間近に聞き取れる。

 クラウスのしっかりとしたタッチはもちろんだが、意外なほどに気配りをみせつつ、ゴールドベルクと息を合わせる。

 これまでこの演奏についてファンの間では、明らかにクラウスが主導権を握りテンポをリードしていると言われたものだ。

 しかしそれは大きな勘違いであるということが、この復刻で明らかになる。
 二人は綿密周到に準備し、むしろアンサンブルの経験とキャリアが上回るゴールドベルクが、「じゃじゃ馬」クラウスを手なづけた、ということがこの復刻ではっきり分かる。

 そもそもこの二人のデュオは、1934年の夏、クラウスの師匠であったシュナーベルがゴールドベルクに、

「リリーはまだ独り立ちできる腕ではないが、君が教えれば能力を発揮するだろう」

と言い、スタートした。 彼らは1934年末から演奏旅行に出かけるのだが、二人がまず練習したのが、ここにも収録されているモーツァルトのK296であったという。
http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=label/ardmore


ゴールドベルクのヴァイオリンは、SP時代には「冷美」と評されていましたが、正に言い得て妙とはこのことでしょう。

去年(2009年)が生誕100年だったシモン・ゴールドベルクは、奥さまが日本人ピアニストの山根美代子さんだったからでしょうか親日家で、日本からも最も親しまれているヴァイオリニストでした。亡くなったのも夏には晩年毎年滞在していた、立山のホテルでしたね。

古いレコードの話しをしているとゴールドベルクの話題になる事が良くあります。ラドゥ・ルプーとのモーツァルトやシューベルトのソナタの素晴らしさは極上。両盤は1970年代後期の録音だという事は誰もが分かっているはずなのに、古い演奏者のような錯覚を起こすのはヴィブラートを抑えた古風なヴァイオリン演奏スタイルからでしょうかね。

ヴィブラートを抑えたゴールドベルクの演奏が、微妙なバランスでSP時代に「冷美」と評されていた事が聴いてわかる事でしょう。もしかしたら、現代の古楽器演奏家がSPレコード時代にタイムトリップして演奏を聴かせたら冷美きわまりないと言われるのではないかしら。
http://isuite.maetel.info/?p=2773


77. 2013年6月09日 21:19:50 : W18zBTaIM6

シューベルト 幻想曲 ハ長調 ゴールドベルク ルプー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11206977

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17213717

当盤はクラウスとのデュオ録音と共にゴールトベルクの代表的な録音とされるものだが、意外にも第5協奏曲はこのCDが初お目見えとなつた蔵出し録音。モーツァルトといふ作曲家が本当に理解されるやうになつたのは新古典主義による演奏が主流を占めてからだ。

諄い感情表現を避けた気品ある音色による清廉なモーツァルト像の典型をゴールトベルクは創り上げてゐる。テンポ設定は速くないのだが、颯爽とした趣が心憎い。どの曲でも美しい瞬間を持つてゐるが、第3番が特に麗しき名演だ。
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/violin.html


78. 2013年6月10日 21:20:51 : W18zBTaIM6



9) ジークフリート・ボリース  在籍1933-1940,1945-1961年
(Siegfried Borries, 1912年3月10日 - 1980年8月3日)


フリッツ・リーガー&ミュンヘン管弦楽団、Vnジークフリート・ボリス
http://www.youtube.com/watch?v=OHonYMzuHIo


フェルッチョ・ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35a 
ヴァイオリン:ジークフリート・ボリース
指揮:アルトゥール・ローター 演奏:ベルリン放送管弦楽団
1944年7月21日、ベルリン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15565807
http://www.youtube.com/watch?v=M0UCBlhKI_Q


Ferruccio Busoni "Violin Concerto"
Siegfried Borries, violin
Philharmonic Orchestra of Berlin
Sergiu Celibidache, conductor
08.V.1949
http://www.youtube.com/watch?v=HvRN2zXmb5I&list=PL1621378DD466C637
http://www.youtube.com/watch?v=buu11heHCgQ
http://www.youtube.com/watch?v=H61IA0ZpQnM

Siegfried Borries plays Dvorak Humoresque
http://www.youtube.com/watch?v=hBuJLS3kl78

ケルン音楽院でブラム・エルデリングに師事。
41-45年はベルリン国立歌劇場。
49年以降はベルリン音楽院教授兼任。
ベルリン・フィル史上最高のコンチェルトマイスターとの評価。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html


ミュンスターの生まれ。ケルン音楽大学でブラム・エルデリングに師事した。
1933年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで第1位を獲得し、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに請われてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任。
1941年から1945年まではヘルベルト・フォン・カラヤンに招かれてベルリン国立歌劇場のコンサートマスターになったが、戦後すぐにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に復帰し、1961年に退団するまでコンサートマスターの地位にあった。ベルリンで死去。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9


ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35a

ブゾーニでのソリストはジークフリート・ボリスで、当時ベルリンフィルのコンサートマスターだった人です。・・・

どちらかというとカラヤンにべったりだった人で、1941年には自分を高く評価して長い間ベルリンフィルのコンサートマスターとしてくれていたフルトヴェングラーから「寝返って(?)」カラヤン傘下のベルリン国立歌劇場の方へ移籍していましたが、第2次大戦終了と共にベルリンフィルに復帰しています。

さっき経歴を調べるまでそういう先入観は無かったのですが、音の取り方に「器用な」ヴァイオリニストにありがちのクセがあって、安定感を欠くヴァイオリンを弾く人だなあ、と思っていました。調べてしまって、ちょっと「嫌い度」が上がっちゃったかな。調べない方が良かったかも・・・)

ブゾーニのヴァイオリン協奏曲自体は、聞きやすいと言えば聞きやすい作品ですが、独奏者の問題もあるでしょうし、作品もブラームスとブルッフを足して2で割ったような通俗臭が強く、名曲とは言えない印象でした。

ブゾーニの作品は、ブゾーニが1920年に死去すると、急速に無視され、聴衆には忘れ去られていました。彼の作品群が復活の兆しを見せるのは1980年代に入ってからだそうです。そうしたことが背景にあることに思いを致しながら聞くべきでしょう。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/5_c04a.html


79. 2013年6月10日 21:43:17 : W18zBTaIM6



10) エーリッヒ・レーン 在籍1934-1945年
(Erich Röhn, 1910年4月16日 - 1985年8月7日)


Erich Röhn & Furtwängler play Beethoven Vn Concerto
http://www.youtube.com/watch?v=0C06FgXkyoY&list=PL6559C29C03AF3B59
http://www.youtube.com/watch?v=QrAHlJt5VCM&list=PL6559C29C03AF3B59
http://www.youtube.com/watch?v=IocL4KvzfP8&list=PL6559C29C03AF3B59
http://www.youtube.com/watch?v=uKZgAvwkcCM&list=PL6559C29C03AF3B59


Erich Rohn Furtwangler s concertmaster Beethoven romance no1
http://www.youtube.com/watch?v=V3fZ_5E6cZo



ベルリン音楽院でグスタフ・ハーフェマンに師事。
ベルリン・フィルの後、45年よりハンブルグ・北ドイツ放送響、
ハンブルグ音楽院教授、
コンラート・ハンゼン、アルトゥール・トレスターとのトリオなど活発な活動を行った。68年以降は、ハンブルグ弦楽四重奏団第1バイオリン奏者を務めた。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html


グロス・ロイテンの出身。 ベルリン音楽院でグスタフ・ハーヴェマンに師事し、1934年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に入団した。

1945年からは、ハンス・シュミット=イッセルシュテットの招きに応じて、ハンブルクの北ドイツ放送交響楽団の初代コンサート・マスターに就任した。

室内楽の演奏にも秀で、コンラート・ハンゼンやアルトゥール・トレスターとトリオを組んだり、ハンブルク弦楽四重奏団に第一ヴァイオリンで参加したりしていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3


ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 二長調 作品61
指揮 フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
Vn:エーリヒ・レーン
1944.1.9


この時期のBPOの凝縮されるアンサンブルと輝かしい音色。

第2主題、オーケストラのVnが、太くまとまり、切々たる哀感と憧憬の念をもって歌い抜かれる。緩やかで豊かなカンタービレから、Ti追加部への移行のすばらしさ。グーと盛り上げていく妙味。

Vnソロ、煌きとほの暗さと渋さを併せ持つ独特の音色。それは美しいのだが、表面的な、あるいは能天気な美しさはない。時に「切なく」、「物悲しく」、時に「憂い」、時に「一筋の希望の光」として煌く。

テクニシャンではなく、決して「巧い」訳ではないが、レガートな部分とリズミカルな部分との描き分けが鮮やかで、フルトヴェングラーの芸風とマッチしている。
Vnソロの第2主題の「物悲しい」美しさ。オーケストラの弦のむせび泣くかの伴奏のもとで、哀感切々と鳴り響く。

展開部、第2主題のオーケストラは、最初以上に大きなうねりを伴う一大カンタービレで感情を爆発させる。展開部終わり近くのVnソロの哀感とうつろい。

カデンツァ、フルトヴェングラーの演奏スタイルと同じ。つまりフルトヴェングラーだったらこう弾いたであろうと思わせる。そう、フルトヴェングラーの演奏スタイルとマッチしているというか、同じなのだ。だからレーンがソリストとして選ばれたのでは。

カデンツァ直後、木管とVnソロでの第2主題の回帰部分、Vnソロは哀感切々、朗々と聴衆に訴えかける仕方で、いや会場全体を包み込むかのようにして、メロディーを歌い抜く。「祈り」でもある。

それはまるで、戦時下の中で、「このベートーヴェンのメロディーを覚え、口ずさみ、希望の光とせよ」と訴えかけているかのようだ。温かいものを感じ涙する。そう聴衆は涙したに違いない。

反面、透明感とそのもとでの美しさを求める方には向かないであろう。

レーンのソロを「レガートの洪水」と評価される方もおられる。


U.Tの最後の第2主題のVnソロの「祈り」に続いて、ここではオーケストラ全体の「祈り」から始まる。

Vnソロは透明清楚。高音の儚さと切ない美しさ。

冴えるObとファゴット。威力ある低弦との対話、オーケストラの弦楽合奏の厚みのすばらしさ。

オーケストラの第1主題は「祈り」から「訴え」に変わる。
Vnソロの第2主題、無垢の情感。Vnソロのレガートな歌い回し。
オーケストラのpizz伴奏が入る部分の慟哭のような叫び。その後、遅いテンポで、誰よりも緩やかに、レガートに、密度濃く、奏でられていく。

ブリッジ部、オーケストラのオルガン的な壮麗さと強烈なアクセント。
V.Vnソロ、音色は明るい色調であるが、その中に悲しみの色がある。

オーケストラのアンサンブルの強靭な迫力。

第2主題、Vnソロの徹底したレガート。後半では思いのたけを綿々と歌う。

カデンツァ、クライスラーによるものだが短縮されている。

その後のVc・DBの大迫力。
再現部後半からコーダ、オーケストラはビシット決まっている。
コーダ前のオーケストラの彫の深さとダイナミックな力強さ。
http://diskunion.net/punk/ct/detail/CL-1233969515_1


80. 2013年6月10日 23:20:05 : W18zBTaIM6


11) ゲルハルト・タシュナー 在籍1941-1945年
(Gerhard Taschner, 1922年5月25日 - 1976年7月21日)


Gerhard Taschner plays Brahms: Violin Sonata op. 78 (rec. 1954)
http://www.youtube.com/watch?v=u_9TW9DzKys

Taschner/Gieseking play Brahms Violin Sonata No 3
http://www.youtube.com/watch?v=3bt9YEe5AkE
http://www.youtube.com/watch?v=tKeuWh4fdE4
http://www.youtube.com/watch?v=66pGG56oG2k
http://www.youtube.com/watch?v=VSHvC3XLR4U

Taschner & Gieseking play Brahms: Violin Sonata op. 108 (live)
http://www.youtube.com/watch?v=0pWy1soo3t8


Gerhard Taschner plays J.S.Bach Chaconne
http://www.youtube.com/watch?v=4jYg1GH3yt8
http://www.youtube.com/watch?v=EwVfE8KSf_c

Gerhard Taschner plays Bach: Sonata No. 1 - Fuga (rec. 1943)
http://www.youtube.com/watch?v=BEZOUCHMJyw

Gerhard Taschner & Cor de Groot play Handel: Violin Sonata No. 13
http://www.youtube.com/watch?v=JDgM5x_n2Ys


Gerhard Taschner - Tartini's Sonata No. 4 (Devil's trill)
http://www.youtube.com/watch?v=i42yWRbs16s&list=PL8B5DC1B4AA9E1D2A


Gerhard Taschner - BPO - Georg Solti play Beethoven's volin concerto (1952)
http://www.youtube.com/watch?v=Y2yUUJ_nuYA

Taschner & Farnadi play Beethoven: Violin Sonata op. 24 "Spring" (1955)
http://www.youtube.com/watch?v=PLHu1tqg_2k

Walter Gieseking & Gerhard Taschner play Beethoven "Kreutzer Sonata"
http://www.youtube.com/watch?v=oIgULeBYbDg
http://www.youtube.com/watch?v=bSqf11wwl6Q


Gerhard Taschner plays Mendelssohn: Violin Concerto op. 64 (1953)
http://www.youtube.com/watch?v=5C4AiBl5DDs

Gerhard Taschner plays Niccolò Paganini: Caprice No. 24 (1954)
http://www.youtube.com/watch?v=NN2joACzODA

Gerhard Taschner and Gerda Nette-Rothe play Paganini: Sonata No. 12 e-minor (rec. Berlin 11.03.1942)
http://www.youtube.com/watch?v=PEDKu_jiFow

Gerhard Taschner plays Niccolò Paganini: Sonata No. 12 (rec. 1949)
http://www.youtube.com/watch?v=c6CZjf6ruu4

Gerhard Taschner (1922-1976) Plays Tchaikovsky rec.1948
http://www.youtube.com/watch?v=rJU02BsNmzE


Gerhard Taschner plays Dvorák: Sonatina op. 100 (rec. 1956)
http://www.youtube.com/watch?v=kcpDrnKlcxM
http://www.youtube.com/watch?v=wuAQp-44R6U&list=PLE9EF5DC0B76D9275&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=jyRRw4hItts&list=PLE9EF5DC0B76D9275&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=OuW4CJ93fOg


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 Op.47
ゲルハルト・タシュナー
ヘルベルト・サンドベルイ/ケルン放送交響楽団 1956
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18499598
http://www.youtube.com/watch?v=TSmgfkFPG0E


Taschner & Farnadi play Grieg: Violin Sonata op. 45 (rec. 1956)
http://www.youtube.com/watch?v=UzPFMVSemgY

Taschner & Farnadi play Grieg: Violin Sonata op. 13 (rec. 1960)
http://www.youtube.com/watch?v=1KPQUcW95Go


Gerhard Taschner plays Max Bruch with the Berlin Philharmonic "live"
http://www.youtube.com/watch?v=Y4-FaGcpKFo


Gieseking & Taschner & Hoelscher play Ravel: Trio A-minor (live)
http://www.youtube.com/watch?v=HtCzdy6l87A

Taschner & Farnadi play Ravel: Violin Sonata (rec. 1956)
http://www.youtube.com/watch?v=OYQROT8gPrU

Gerhard Taschner plays Zigeunerweisen (Sarasate) 1943
http://www.youtube.com/watch?v=oQL0pt4LLKM

Gerhard Taschner plays Sarasate: Gipsy Airs (Zigeunerweisen)(1944)
http://www.youtube.com/watch?v=-NJJ9qOEa6o

Gerhard Taschner plays Sarasate: Carmen Fantasy (rec. 1953)
http://www.youtube.com/watch?v=5E_cjJpRJko

Sarasate Carmen Fantasy for violin & orchestra op. 25 Gerhard Taschner
http://www.youtube.com/watch?v=IfhSiC8WyB0

Gerhard Taschner plays Sarasate: Carmen Fantasy op. 25 (1954)
http://www.youtube.com/watch?v=-2_cVh460TI

Gerhard Taschner plays Sarasate: Malaguena op. 21,1 (1952)
http://www.youtube.com/watch?v=MvQ4IStkjhg

Gerhard Taschner and Gerda Nette-Rothe play Sarasate: Romanza andaluza (rec. Berlin 11.03.1942)
http://www.youtube.com/watch?v=Hc4QxtEm2VM

Gerhard Taschner plays Sarasate, Zapateado op. 23/6 (rec. Berlin 1944)
http://www.youtube.com/watch?v=wKjMnVNLCeA

Gerhard Taschner (vn) , Kreisler : Praludium und Allegro on HMV #202 gramophone
http://www.youtube.com/watch?v=-LU_DfuRx3I
http://www.youtube.com/watch?v=_R9BGSZ3IEA


すでに13歳でワインガルトナー指揮の演奏会に出演。

ブダペストでフーバイ、フーベルマンに師事し、ウィーンでドルドラに学んだ。
17歳でブルノ歌劇場。

40年にベルリン・フィル・第1コンチェルトマイスターだったボリースの突然の辞任で困惑したフルトヴェングラーが、アーベントロートに相談。以前にブルノ歌劇場へ客演したアーベントロートの紹介でベルリンへ招かれた。

到着してすぐ、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの団員が見守る中でオーディションが行われ、その中央で1人、バッハのシャコンヌを独奏し、その場でただちに第1コンチェルトマイスターに就任した。

45-50年はヨーロッパ各地で独奏者として活躍し、50年以降はベルリン音楽院で後進の指導にあたった。
http://www.litutoryo.com/hoka/berlin.html

モラヴィア系の音楽家の家系だが、シレジアのクルノフ(イェーゲルンドルフ)に生まれる。

ハンガリーでイェネー・フバイ、ウィーンでブロニスラフ・フベルマンに師事、 1939年にはチェコ共和国のオーケストラでコンサートマスターになっており、その頃ヘルマン・アーベントロートに見出され、アーベントロート客演指揮、タシュナーのヴァイオリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏。

その頃コンサートマスターを探してたヴィルヘルム・フルトヴェングラーにアーベントロートがタシュナーを推薦、バッハのシャコンヌを弾いてコンサートマスター試験に合格。1941年から1945年にかけてフルトヴェングラー率いるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めた。
第二次大戦終結後は西ドイツに住む。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%BC

 オールド・ファンになじみのゲルハルト・タシュナー。
SP時代にシャコンヌを単独でレコーディングしている。

 実に雰囲気のあるヴァイオリンだ。SPのサーフェス・ノイズがよく似合う、なんとも古色蒼然たる演奏で、耳にやさしく、音律が鼓膜をなでるような快感がある。時代を感じさせるポルタメントも、ハイフェッツのような聞こえよがしなものではなく、甘美な微風として流れてくる。


 SP特有のノイズをそのまま残している。そのかわり実音も鮮明で、鑑賞に支障はない。

 このシャコンヌは1941年、ベルリンでの録音。この年、彼はベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任している。
 1941.11.25 Berlin
http://chaconnekyo.blog.fc2.com/blog-entry-28.html

タシュナーは1944年にフィンランドをツアーし、その際にシベリウスとの交友が芽生え、ヴァイオリン協奏曲の解釈についても突っ込んだ意見交換をしたそうだ。タシュナーはシベリウスに対して第3楽章のテンポを遅めにとって演奏することを提案したそうだが、この演奏ではシベリウスの指示よりも微妙に速いテンポで弾いているのが興味深いところ。(アリアCDより転載)

という記事をみて関心を持ち注文したのだが、シベリウスのヴァイオリン協奏曲については期待はずれ。いつか錦糸町で聴いた千住真理子嬢に匹敵する。音色が綺麗でない(特に高音が金属音のように感じる)のはある程度我慢できるが、音符を弾き飛ばしたり、適当に処理したりしている箇所が聴き取れ、落胆。早いパッセージで特に顕著。シベリウスと懇意だったとのことだが、聴く限りでは?疑問?

(追記)
と1回目を聴いた時には感じたのだが、2回目に確認のため聴いてみたところ、それほど貶すこともないと思い直した。自分でも不思議なのだが、1回目あれだけ嫌気が差したのは何故だろう?私の好みではないけれども、そうそう悪くはない。訂正。

逆に最後に収録されているサラサーテの「カルメン幻想曲」では伸びやかで実に見事な演奏を聴かせているだけに、シベリウスの曲とは相性が悪かったとしか思えない。

ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は彼が西側初演者(歴史を感じる表現)。こちらは可もなし不可もなし。

星はシベリウスが1つ、サラサーテが星4つ(シベリウスは星3つに訂正)。

タシュナーは1941年に19歳の若さでゴールドベルクの後任としてベルリン・フィルのコンサートマスターに招かれ、1945年までフルトヴェングラーと共に第二次大戦下の困難な時代を生き延びた。私はフルトヴェングラーのCDは殆ど持っていないし、聴かない(ファンには申し訳ないが、やはり20世紀前半の録音はまだ実験段階で、情報の量も質も高くない)ので、彼のコンマスとしての腕前についてはよく知らない。ソリストとしての適性とコンマスとしての適性は別物(両立しないとは言わない)なので、良い演奏をしているのかもしれない。
http://blog.livedoor.jp/minhir3151/archives/50377839.html


シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47  1956年録音

 楷書。どこまでも厳格で一本芯の通った律儀な演奏。必要以上に歌わないし、妙な節回しを見せたりすることもない。

 しかし最初聴き始めた瞬間から、その強い存在感に引き込まれそうになった。個性ではなく、存在感。

 この頃のヴァイオリニストには超個性的な人が多くいるが、タシュナーは明らかに違う。人を押しのけてまで自分を目立たそうとは決して思わない。が、やるときはやる。普段は地味な優等生が、弱い者いじめをする不良番長に真っ向から勝負を挑んで勝って、またメガネをかけて去っていくような。

 録音嫌いだったのもわかるし、また個性派指揮者のアーベントロートやフルトヴェングラーから寵愛されたのもわかる。

 この初出のシベリウス、並み居る超個性派名演の中にあって、ひょっとしたら分が悪いかもしれない。しかし何度聴いても飽きない、いや、聴けば聴くほど味わい深くなる。何もしていないのに、強烈なのである。これまで隠れていた音源としては異常に音質がいいことも幸いした。素晴らしい演奏である。

 ちなみに続くブルッフも、シベリウス同様の派手さはないものの、じっくり聴かせる名演。1944年。フルトヴェングラーの下ベルリン・フィルのコンマスとしてバリバリやっていた頃。アーベントロートも理解と尊敬と愛情をこめて伴奏に徹する。音質的には悪くないが、残念ながら途中音揺れがある。・・・が、こちらもやっぱり素晴らしい演奏である。
http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=label/best11

 TAHRAのタシュナーの第2集をようやく入手しました。タシュナーの録
音というと,独EMIからCDが出たのを皮切りに,独アルヒフォンや,仏
TAHRAからも続けてリリースされましたが,タシュナーの未発表録音がこ
れほど数多く残されていたとは驚きです。

 さて,それでこのCDでの演奏ですが,タシュナーの持ち味である,苦み走っていて僅かにキツめの音色がストレートに伝わるもので,最初のベートーヴェンでは,ファルナディの華のある独自のアクセントのピアノ伴奏を得て,キリリと引き締まった格調ある演奏を聴かせていて,正直なところ多少生真面目な印象もなくはないのですが,決して四角四面な演奏というわけではなく,微妙なアクセントの味わいやリズム感のよさが堪能できました。

 続くブラームスでは,加えて音色に深みと,ロマンティックなうねりを伴った旋律の流れを聴かせ,苦み走った印象はやや後退気味なのですが,毅然とした中にも作品に対する深い共感が感じられる素晴らしい演奏です。クラウゼのピアノ・ソロも落ち着きがあって,タシュナーのソロとの素晴らしい相性を聴かせていました。

 パガニーニはシマノフスキ編曲版なんだそうですが,妙に艶っぽい演奏で,加えてピアノ伴奏の和音もこれまた妖艶なもので,妖しい魅力がいっぱいの演奏であり,編曲でした。それがカルメン幻想曲になるとまたまた一転して,線の細いキツめのアクセントで,辛口でスパイシーな演奏を聴かせています。

 ドヴォルザークでは,張りつめた音色と強靱さを伴ったなカンタービレの,タシュナーならではのロマンティックな演奏で,クールな中にも優しさや思い入れの込められた,一聴すると素っ気ないようで,実は内容の豊かな演奏ではないかと思いました。

 ラヴェルのソナタはタシュナーとは相性がよさそうに思え,期待して聴きましたが,さすがに素晴らしいできばえで,斜に構えた感じの,しかも鋭敏な感覚で弾かれた聴き手の知性を刺激するタイプの演奏で,ファルナディのピアノも素晴らしいフィーリングを聴かせており,2楽章ブルースでのむやみにアクセントを強調しないところなど,作品に対する鋭いセンスが感じられました。

 最後のクライスラーは,「プニャーニのスタイル」という点を意識しての演奏であるためなのか,ベートーヴェンのソナタの演奏以上に,四角四面な印象で,お稽古ごとに付き合っているような演奏だなと聴きながら思ったのでしたが,アレグロに入ると多少自由な感じになっていました。
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/2000-3/2000081201.htm


81. 2013年6月11日 23:38:18 : W18zBTaIM6

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ウィーン・フィルハーモニー

このオーケストラの発祥は1842年3月28日、ケルントナートーア劇場(ウィーン宮廷歌劇場、後のウィーン国立歌劇場)の楽長で作曲家でもあったオットー・ニコライが指揮を執っていた。

1847年にニコライがウィーンを去ってしばらく活動は停滞したが、1860年にカール・エッケルトが宮廷歌劇場の監督に就任し、1860年1月15日にケルントナートーア劇場にて定期演奏会を指揮し、以来現在まで演奏会が継続している。

1870年には楽友協会大ホールが完成し、1870/1871年のシーズンから本拠地となった。

1875年から1882年にかけて、ウィーン・フィルのホルン奏者の出身である高名な指揮者ハンス・リヒターを定期演奏会の指揮者(首席指揮者)として迎え、リヒターを中心とした家長的な温かい雰囲気の中でオーケストラは大きな発展を遂げた(『ウィーン・フィルハーモニーの黄金時代』と呼ばれる)。リヒターはブラームスの交響曲第2番、第3番、ブルックナーの交響曲第8番をウィーン・フィルハーモニーで初演している。

リヒターの後任としてグスタフ・マーラーが首席指揮者に就く(1898年 - 1901年)と、その妥協を許さない狂熱的かつ革新的な姿勢で楽員としばしば衝突し、マーラーに反対したリヒター時代からの古参楽員は引退に追い込まれ、若い優秀な楽員への大幅な入れ替えがあった。

定期演奏会でのマーラーのプログラムはモーツァルトやベートーヴェンが主で、ベルリオーズの『幻想交響曲』やドヴォルザークの交響詩等も採りあげていたが、自作はとりあげなかった。1900年のパリ万国博覧会でも、マーラーの指揮のもと演奏を行った。これがウィーン・フィル初の国外公演でもあった。

オーケストラとの関係悪化によりマーラーが退任した後、コンサートマスターで作曲家でもあったヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世が首席指揮者に就任する(1901年 - 1903年)が、長くは続かなかった。その後数年間客演指揮者制となり、世界的に声望のある指揮者陣、フェリックス・モットル、エルンスト・フォン・シューフ、アルトゥール・ニキシュ、カール・ムック、リヒャルト・シュトラウス、若き日のブルーノ・ワルターなどが定期演奏会の指揮台に立った。

1908年にフェリックス・ヴァインガルトナーが宮廷歌劇場の総監督に就任すると同時にウィーン・フィルの首席指揮者として迎えられ、以後19年間(1908年 - 1927年)にわたって輝かしい芸術的成果を上げる。

同年にウィーン・フィルは公式に認可される協会組織となり、名称も新たに"Wiener Philharmoniker"となった。1922年夏にはヴァインガルトナーの指揮で初めて南アメリカへ演奏旅行を行い大成功を収めた。またザルツブルク音楽祭(ウィーン・フィルと同じく1842年に創設)においてオペラとコンサートの両面で活躍し、音楽祭の中心的な存在となる。このザルツブルクでの活動は国立歌劇場総監督のフランツ・シャルクとブルーノ・ワルターの貢献に拠るところが大きい。

ヴァインガルトナーの後任の首席指揮者としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者も兼任していたヴィルヘルム・フルトヴェングラーが就任する(1927年 - 1930年)が、ベルリンでの活動に専念するため数年で退任。

国立歌劇場総監督に就任したクレメンス・クラウスを首席指揮者に迎えた(1930年 - 1933年)が、クラウスが失脚してウィーンを去った後はかつて1903年〜1908年に行ったように、楽員の投票によって定期演奏会の指揮者を招聘する客演指揮者制となった。

ナチス・ドイツによる1938年のオーストリア併合で多数のユダヤ系楽員が退団に追い込まれた。ユダヤ系楽員のうちコンサートマスターのアルノルト・ロゼーなどのように大部分はイギリスやアメリカなどに逃れたが、やはりコンサートマスターのユリウス・シュトヴェルトカを含む6人は強制収容所に送られ、そこで亡くなった。

ウィーン・フィルハーモニー協会は自主運営団体であるが、そのメンバーはウィーン・フィルの基盤となるウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員としての活動が義務付けられている。オーディションの後、まず国立歌劇場の団員として3年の試用期間を経て(その間ウィーン・フィルの演奏にも待機団員として加わる)、正式にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員として採用される。

採用されるのは主にウィーン国立音楽大学出身者で、しかも先輩団員から直接指導を受けている(多くの団員は演奏活動のかたわらウィーン国立音楽大学で教鞭をとっている)。採用される前から補助団員としてウィーン・フィルの演奏に参加している者が半数以上である。

1990年代まではオーストリア(ドイツ)人または旧ハプスブルク帝国支配地域出身の男性にほぼ限定されており、女性団体などから社会的に批判されることもしばしばだった。しかし、1997年に女性ハープ奏者アンナ・レルケスを採用したのを皮切りに、女性楽員が徐々に増加している。

このオーケストラでは、管楽器はウィンナ・ホルン、ウィンナ・オーボエ、ウィンナ・トランペット、ウィンナ・パウケンなど、ウィーン・フィル独自の古いスタイルのものが使われている(近年職人の減少により日本のヤマハがこれらの楽器の開発と製作に携わっている)。

フルトヴェングラーは試みにウィーン・フィルの使っている弦楽器を当時自分が監督をしていたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(現ウィーン交響楽団)で使用してみたが、ウィーン・フィルのような豊麗な響きを作り出すことはできなかったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3


ウィーン・フィルについて考える

他のオーケストラと比較しますと、ウィーン・フィルは、たいへん「ユニーク」な面を多々持ち合わせています。

1:ごく僅かな例外を除き、団員達が全て、生粋のウィーン人であること

世界中の腕利き達をスカウトしているアメリカのオーケストラの例を持ち出すまでもなく、今のご時世においては、極めて稀少な話です。(私が以前群馬県に住んでいた頃、地元の群馬交響楽団の定期演奏会員になっていましたが、当時(約20年前)、地元群馬県出身の楽団員は、コンサートマスターの他、ごく少数だと聞いておりました)またオーケストラに限らず、日本の高校野球のケースでも、甲子園の常連校は、全国から優秀な生徒をスカウトしているようです。

さて、メンバーの殆どが生粋のウィーン人であることにより、ウィーンの伝統的な奏法を、恐らくは共通の師匠から学び、ウィーンという街の文化や風土に触れて育ったメンバーが奏でるハーモニーに独特の個性が出ない筈はありません。

ウィンナワルツに象徴される独特の3拍子にリズム(2拍目が微妙に長く、強く聴こえる)も、他のオケがけっして体現し得ない、地に足の付いたウィーンの体質そのものと思えます。

2:私有楽器の使用を認めず、楽団所有の楽器での演奏を義務づけている

昔からの古い楽器を裏方の人たちが丁寧に手入れをして、使いこなしているそうです。ウィンナホルンなど機構的な古さから、近代の複雑な曲を演奏するには極めて不利だそうですが、伝統重視の姿勢は、ここでも貫かれています。

ウィーンフィル独特の響き、特に弦楽器奏者が奏でる、艶やかな光沢を持つ流麗な響きは、この楽団所有の楽器に起因するものと、以前私は思っておりましたが、どうやら、そんな単純な話ではないようです。

あの伝説の指揮者、フルトヴェングラーが、若い頃、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の指揮者だった時、ウィーンフィル独特の弦の響きを手に入れようとして、関係者に掛け合い、ついに、ウィーンフィルと全く同じ弦楽器(ヴァイオリンからコントラバスまでの5部編成)を手に入れて彼の楽団に演奏させたそうです。

結果は悲惨なものだったそうです。極めて地味で、それどころか、くすんだ冴えない響きになったそうです。

ウィーンフィルの独特の響きは、古くからの伝統の楽器の良さを活かし切る、伝統の奏法、つまり楽員一人一人がDNAとして持っている「独特の技法(アート)」から生み出されるものと思われます。

3:ピッチ(基本音程)が、他のオケよりやや高い

演奏会が始まる前に最も音程が狂いにくいオーボエの「A」の音の先導で調律が行われます。その「A」音、他のオケでは、440ヘルツですが、ウィーンフィルは、445ヘルツと複数の楽員が証言しているそうです。

私個人の意見ですが、ピッチが高いと、やや派手に華やかに聴こえるようになり、ウィーンフィル独特の響きの一因になっていると考えます。

この高めのピッチが生理的に大変気になり、カラヤンやマゼールが少しずつ下げようとして、失敗に終わった話(最後は喧嘩別れ)を聞きましたが、どんな世界的な権威者に言われようとも、頑固に伝統を守る姿勢、もしくは、自分たちの信念に忠実で、有力者に対しての素直さなど一切無い「ネコ的な姿勢」は、まさにウィーンフィルの風土です。

4:つい最近まで「女人禁制」で男性のみの楽団だった

人権団体等からの批判を受けて、最近では女性団員の姿も見えますが、かつては伝統だからという理由で男性のみでした。

5:プライドが異様に高く、指揮者によっては極めて難しい団員達である

客演に来た指揮者が不勉強だと観ると、指揮者の言う事を殆ど聞かない。

あるいは、練習好きな指揮者が大嫌いで、あの巨匠トスカニーニを「トスカノーノー」と言って嫌がり、謹厳実直で真面目な指揮者サヴァリッシュとの練習中にパンを食べていた楽員がいたとの噂を聞いたこともあります。

また、岩城宏之氏の体験談ですが、ハイドンの交響曲を演奏する時には、「昨日は若者が多かったので、あのテンポで丁度良かったが、今日の聴衆は年寄りが多い上に、ジトジトと雨が降っているので、第1楽章と第4楽章のテンポを思い切って落としてごらん!」などと、演奏前の指揮者の楽屋に、主席奏者が指示を出しに来ることもあるそうです。

しかし自分たちが心から尊敬する指揮者との演奏会では、「ネコ型気質」の良い面が出て、丁々発止のスリル満点、閃きに満ちた素晴らしい演奏を成し遂げる。
他の楽団では、到底考えられない話です。

comments


東 賢太郎 5/2/2013 | 11:19 AM Permalink
フルトヴェングラーの話は初めて知りました。たしかN響の方の著書でしたか、

ウィーンフィルの団員たちと一緒に弾いた休憩のとき、団員が楽器を椅子に置いたまま出て行ってしまい驚いたこと、

その楽器をこっそり見るとストラディとかの名器ではなくぜんぜん普通の楽器だったこと

を書かれていました。ですからDNA、独特の技法という部分が大きいのでしょうね。

5/2/2013 | 3:29 PM Permalink
おっしゃる通りに高価な楽器ではなく、全く普通の楽器のようですね。
http://sonarmc.com/wordpress/site26/2013/05/02/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B/

フルトヴェングラーとウィーン・フィルの最初の出会い

1913年1月26日、楽友協会でのリューベック楽友協会管弦楽団との演奏会でウィーンデビューをしたフルトヴェングラーは、すぐにはウィーンに呼ばれていない。1915年にマンハイム宮廷歌劇場音楽監督に就任して成功を収めた後に、1919年から、ウィーントーンキュンストラーオーケストラに度々招かれている。ウィーンでの評判と国際的な活躍ぶりが、ウィーン・フィルとの出会いにつながったのであろう。

フルトヴェングラーとウィーン・フィルの最初の演奏会は、ブラームスを記念する、オール・ブラームス・プログラムだった。25日のチケットにはゲネプロと書いてあるので、演奏会形式で総練習をやったのであろう。ブラームスの交響曲第4番は、フルトヴェングラーの得意とする曲として知られ、残された録音の演奏評価も高い。

●1922年3月25・26日 ウィーン楽友協会 ウィーン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団
「ブラームス没後25周年記念演奏会」
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
・ブラームス:合唱と管弦楽のための「運命の歌」
・ブラームス:交響曲第4番


ウィーン・フィルとの最初の演奏会で演奏された「ハイドンの主題による変奏曲」は、フルトヴェングラーが晩年に至るまで、何度も取り上げており、残された録音も多い。巨匠お気に入りの作品の一つである。

フルトヴェングラーによるブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」の録音

●1943年12月12-15日 ベルリン・フィル 旧ベルリン・フィルハーモニー (RRG) ライヴ録音
http://www.youtube.com/watch?v=Liklb6zUqtY
http://www.youtube.com/watch?v=bD0EyhuCObY

●1943年12月18日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (Electrola) スタジオ録音

●1949年3月30日、4月2日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会(EMI) スタジオ録音
http://www.youtube.com/watch?v=-3QEIU1UJ30

●1950年6月20日 ベルリン・フィル ティタニア・パラスト (RIAS) ライヴ録音
http://www.youtube.com/watch?v=rVjz8FViHHk

http://www.youtube.com/watch?v=Kioo6owzIjg
http://www.youtube.com/watch?v=Ipiov9CLTRQ
http://www.youtube.com/watch?v=YF9-xd9bejw

●1951年10月27日 北西ドイツ放送交響楽団 ハンブルク・ミュージックハレ (NDR) ライヴ録音
http://www.youtube.com/watch?v=uLYd9LBQCTE

●1952年1月27日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (ORF) ライヴ録音
http://www.youtube.com/watch?v=TInNr_Pb9Ys

●1954年5月4日 ベルリン・フィル パリオペラ座 (ORTF) ライヴ録音


主題の出所から「聖アントニウスのコラールによる変奏曲」とも呼ばれている「ハイドンの主題による変奏曲」だが、使われた主題はハイドンの作ではないことが研究によって明らかになった。作者不詳の古い旋律か、ハイドンの弟子のイグナッツ・プレイエル(Ignaz Pleyel 1757 - 1831年)の作曲だといわれている。

ブラームスは、ウィーンフィルのライブラリアンを務める友人からハイドンの作品集を見せられ、そこから取った主題を使って作曲した。当時は、この旋律がハイドン作と考えられていた。この曲はウィーンフィルとの関わりもあり、1873年11月2日、ブラームス自身の指揮によって、ウィーン・フィルが初演した。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809年)はヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833 - 1897年)の百年前に活躍した。ブラームスは、バッハや、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを崇拝していた。

「ハイドンの主題による変奏曲」はハイドンへの敬意を表したものであろう。ブラームスは膨大なハイドンの作品を収集して研究したり、遺品のピアノを手に入れていることからも、それが理解できる。

作曲家であり音楽評論家のリヒャルト・ホイベルガー(1850-1914)は『ブラームス回想録』を残している。ブラームス本人は、この回想録の基になったメモの存在を知って「プライバシーの侵害だ」と言って、真っ赤な顔をして怒った。その回想録には、1896年2月23日にブラームスがハイドンについて述べた興味深い言葉が書かれている。

「昨今の連中は、ハイドンをほとんど理解していない。ハイドンが交響曲を次から次へと世に送り、ありとあらゆる音楽を作ったのは、僕らが生きている百年前のことだ。ずっと前からこの事実を誉め称えているのに、それを誰も考えてみようともしていない。数年後には『天地創造』(1798年)と『四季』(1801年)が作曲されて百年の記念で演奏されるであろう。

ところがみんな、それ以外のことに頭がまわらない。ハイドンは今の僕の年になって、つまり世の中を知り尽くした後で、すごい量の作品を生み出している。この時期から、さらに偉大なものへと二度目の発展を遂げているのだ。ものすごい人物だ。これに比べれば我々なんか、お粗末なもんさ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/nypky810/66037797.html

ウィーン・フィルハーモニーー 歴代コンサートマスター


ヨーゼフ・ベーム Joseph Böhm 1795-1873

ヤコブ・グリュン Jakob Grün 1795-1873

ゲオルク・ヘルメスベルガー Georg Hellmesberger 1800-1873

ヨーゼフ・ヘルメスベルガー Joseph Hellmesberger 1828-1893

ヨーゼフ・ヘルメスベルガー ジュニア Joseph Hellmesberger jun. 1855-1907

アルノルト・ロゼ Arnold Rosè 1863-1945

カール・プリル Karl Prill 1864-1931

フランツ・マイレッカー Franz Mairecker 1879-1950

ウィリー・ボスコフスキー Willy Boskovsky 1909-1991

リカルド・オドノポソフ Ricardo Odnoposoff 1914 - 2004

ヴォルフガング・シュナイダーハン Wolfgang Schneiderhan 1915-2002

ワルター・バリリ Walter Barylli 1921-

フランツ・サモヒル Franz Samohyl 1921-1999

ウィーン・フィルのメンバーを中心として結成された弦楽四重奏団


ヘルメスベルガー弦楽四重奏団(コンサートマスターのヨーゼフ・ヘルメスベルガー1世および2世が主宰)

ロゼー弦楽四重奏団(コンサートマスターのアルノルト・ロゼーが主宰)

プリル弦楽四重奏団(コンサートマスターのカール・プリルが主宰)

マイレッカー=ブックスバウム弦楽四重奏団(コンサートマスターのフランツ・マイレッカー、首席チェロ奏者のフリードリッヒ・ブックスバウムが主宰)

シュナイダーハン弦楽四重奏団(コンサートマスターのヴォルフガング・シュナイダーハンが主宰)

バリリ弦楽四重奏団(コンサートマスターのワルター・バリリが主宰)

ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団(第1ヴァイオリン奏者のアントン・カンパーが主宰)

セドラック=ヴィンクラー弦楽四重奏団(コンサートマスターのフリッツ・セドラックが主宰)

ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団(コンサートマスターのヴィリー・ボスコフスキーが主宰)

ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団(コンサートマスターのダッジ・コーノストが主宰)

ヴェラー弦楽四重奏団(コンサートマスターのヴァルター・ヴェラーが主宰)

ウィーン弦楽四重奏団(コンサートマスターのウェルナー・ヒンクが主宰)

ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団(コンサートマスターのライナー・キュッヒルが主宰)

シュトイデ弦楽四重奏団(コンサートマスターのフォルクハルト・シュトイデが主宰)

ザイフェルト弦楽四重奏団(第1ヴァイオリン奏者のギュンター・ザイフェルトが主宰)


82. 2013年6月11日 23:45:13 : W18zBTaIM6

「バリリ四重奏団を中心としたウィーンの四重奏団の誕生と闘争の軌跡」   

お話:幸松 肇氏(作曲家)

戦後、LPレコードの発展によって、新しいファン層の獲得に成功したウィーン・フィルの楽員によるクァルテット、バリリ四重奏団を中心とし、それに続くウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の活動などに触れながら、約200年に亘るウィーン室内楽の歴史を総括し、伝統奏法の理想郷を実現したウィーン最高位の弦楽四重奏団、ヴェラー弦楽四重奏団の誕生と破滅の悲劇に言及して、真の意味でのウィーンに於ける弦楽四重奏団が、崩壊を辿っていく軌跡を説明することが今回の講演の中心となる。

ウィーンにおける近代クァルテットの伝統的奏法は、ウィーン音楽アカデミーのフランツ・サモヒルの功績のよるところが大きい。

確かにサモヒルは、教育者として、アルバンベルク四重奏団のピヒラー、ウィーン・ムジークライン四重奏団のキュッヒル、ウィーン四重奏団のヒンクなどを育て、オーストリア政府から名誉章、ウィーン市から科学芸術一等名誉章、日本政府からも数多くの生徒を教えた功績により叙勲されている。

しかし、サモヒルは、作曲家が次々と新しく要求するテクニックに応えるため、昔はせいぜい二百か三百人のホールで弾けばよかったのに、現在では四千人から五千人収容のホールに合致する奏法が必要ということで、楽器の音量を大きめにする奏法を推奨したのだ。これによって、ウィーンのクァルテットの音量は、肥大化し、あの優雅で、ふくよかな伝統が失われてしまったのだとも考えられる。

1970年代に最高潮に達したウィーンらしい奏法は、徐々に変質し、今世紀に入って、ついにアルバンベルク四重奏団も解散、21世紀期待の星、アーロン四重奏団に、昔の伝統の面影が感じられることを期待したい。

こうなった背景には、一方でクラシック音楽の世界が、現在のオーケストラ中心の管弦楽曲やオペラ中心の声楽曲に偏りすぎているためとも考えられる。

ウィーンにかつてのような、せいぜい最高で八百人程度(これはコンツェルトハウスのモーツァルト・ザール程度)の聴衆を対象とした、室内楽の復興を望みたい。
http://www.geocities.jp/mozartian_verein2/letter/letter10/201002.html


83. 中川隆 2013年6月12日 00:49:22 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ワルター・ウェラー (Walter Weller, 1939年11月30日 ウィーン - )

ヴァイオリンの神童として少年時代を過ごす。

ウィーン音楽院でフランツ・サモヒルに師事し、

17歳でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団。22歳までにコンサートマスターに抜擢され、異例の昇進を果たす。その後11年にわたってその任務に就き、その間にウェラー弦楽四重奏団を結成した。

ヨーゼフ・クリップスに指揮を師事し、1969年にウィーン国立歌劇場の指揮者として活動を開始する。その後デュイスブルクに転出。1977年にイギリスに移り、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者を歴任する。代表盤にプロコフィエフの交響曲全集などがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC

ヴェラー弦楽四重奏団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター・ワルター・ヴェラーが中心となり、同じくウィーン・フィルの楽員であるアルフレート・シュタール(ヴァイオリン)、ヘルムート・ヴァイス(ヴィオラ)、ロベルト・シャイヴァイン(チェロ)によって1959年に組織された弦楽四重奏団である。

ウィーンの弦楽四重奏団らしく、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスにおいて、ウィーンの伝統を伝える、しなやかできめ細やかな、センスあふれる演奏を残している。

活動期間は短く、1969年にヴェラーの指揮者転向により解散してしまったため、残された録音は少ないが、いまだにCDの再発売が繰り返されている。

Weller Quartet Schubert - String Quintet in C
http://www.youtube.com/watch?v=rfkspmTvwXg
http://www.youtube.com/watch?v=TB5011EeWUY


ウィーン・フィルの弦楽四重奏団

ウィーン・フィルを母体とするアンサンブルの中でも、弦楽四重奏団では歴代のコンサートマスターが率いるロゼー弦楽四重奏団、シュナイダーハン弦楽四重奏団、バリリ四重奏団、そしてコンサートマスター以外の楽員によるウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団は、ウィーン・フィルの最高峰であるとともに、世界の弦楽四重奏団の最高峰とも言われた。

いずれもウィーンの伝統である「ハウスムジーク(家庭音楽)」の親密さを根に持ち、ヴェラー弦楽四重奏団も、その伝統を引き継ぎつつも、みずみずしく古さを感じさせない演奏で、期待を集めた存在であった。

しかしこの伝統は、ヴェラー弦楽四重奏団を最後に終わってしまったと言われる。

アルバン・ベルク弦楽四重奏団は、ウィーンを母体にしながらも現代音楽に積極的に取り組むなど、別の方向性を取り込んでいる(アルバン・ベルク弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者ギュンター・ピヒラーは大変な名手で、若い頃ウィーン・フィルのコンサートマスター(見習い)を務めているが、わずかの期間で退団している)。

ゲルハルト・ヘッツェルやライナー・キュッヒルらウィーン・フィルのコンサートマスターの後任も、ヴェラーとはまた違った新しい方向性を取り込んでいる。さらに、アメリカのジュリアード弦楽四重奏団のように、高度に精密なアンサンブルを行い、現代音楽を得意とする団体の台頭により、「ウィーン・フィルのコンサートマスターが率いる団体は世界最高の団体のうちの1つ、少なくともウィーンでは最高峰である」という伝統は失われてしまったと言われる。


ヴェラーの転身

主宰者ワルター・ヴェラ−は、1958年にわずか19歳でウィーン・フィルに入団し、翌1959年に弱冠20歳でミュンヘン国際音楽コンクールで優勝すると、このヴェラー弦楽四重奏団を結成している。

ウィーン・フィルに入団当初、ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団で第2ヴァイオリンを弾くなど、室内楽の経験を積んでいる。

ヴェラー弦楽四重奏団が名声を得始める時期は、ちょうどバリリ四重奏団がワルター・バリリの右肘の故障により解散する時期でもあり、世界の音楽ファンの期待を集めた。

しかし1969年、30歳のときにヴェラーは指揮者に転身してしまう。これはウィーンの人間にとって、大変に評判の悪い事件であった。団員の中には

「楽な音楽人生を送るために、練習しなくてもよい指揮者に転身した」

と言うものもおり、この転身はウィーン音楽界の汚点であるとさえ言われる。指揮者は他に多くいるが、ヴェラーのような名手は滅多にいないからである
(ウィーン・フィルの歴代コンサートマスターの中でも特に名手であったといわれる)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E5%9B%A3


ワルター・ウェラーは、指揮者に転向してしまったのですが、いまでも、ウィーンでは、それを惜しむ人が多いんですよ。それほど、卓越した奏者だった・・ということです。

ウェラーは、室内楽でも卓抜な奏者でしたから、音楽をまとめることに凄い力があったのだと思います。ちなみにウィーンフィルのコンサートマスターは純粋に音楽のリーダーで、楽団のまとめ役は別におります。

ただ・・残念というか、意外なのは、ウェラーは指揮者としては無能・・とまではいきませんが、大成はしなかった・・音楽の不思議さを感じますね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1338193998


キュッヒル & 加藤洋之 ベートーベン ヴァイオリン・ソナタ 


周知のように、キュッヒル氏のご内儀は日本人であり、ウィーン・フィル関連以外でも来日の多い人なのですが、どういうことか、キュッヒルの人気はいまひとつですね。

私もこれが初めてのリサイタル体験でしたが、正直なところ、それほど期待してはいませんでした。私はどちらかといえば予見を持つことを嫌いますので、ウィーン・フィルの第1コンマスといっても、まずは「そんな美名には騙されないぞ」という意気込みでいきます。しかし、彼がいまのような地位にあるのには、やはり、それなりの理由があることがハッキリわかりました。


技術的なことでいえば、キュッヒルより巧みな人がまったくいないわけではないでしょう。特に、この日の後半で弾いた「クロイツェル」ソナタのような技巧的な作品では、キュッヒルは必ずしも最高の弾き手とは言い難いところもあると思います。

周知のように、キュッヒルはウィーンの名教師、フランツ・サモヒルに習っていますが、このサモヒルは数々の優秀な弟子を育て、独墺系音楽の伝統をもっともリアルに伝えた指導者として知られます。

しかし、一方ではホールの大型化などに対応するため、よりダイナミックな表現をするように指導したため、従来の演奏伝統のうち一部の繊細な表現性が損なわれたとも言われます。

「クロイツェル」においては、そのような後者の批判が故のないものではないことを感じさせます。

特に第1楽章においてキュッヒルが奏でたのは、適度に削られたはずの木材をさらにカンナでゴシゴシ削りこむような質の表現であって、ほかの部分と比べて、いささか泥臭いものに思われたでしょう。こういう部分は、サモヒルの指導の悪い部分の反映といえるのではないでしょうか。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/645332/543421/64142240

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を歴史、奏者、奏法より探る。


・楽団員は国立歌劇場の管弦楽団の楽団員を兼任し,コンサート活動で”ウィーン・フィル”と名乗る.

ホルンを初め,国立歌劇場常備の古いタイプの楽器が多数用いられ,音質・奏法ともに統一されたウィーン色の濃い演奏で知られる.

オーケストラのメンバーはウィーン国立歌劇場のオーケストラから選ばれる,1997年まで女性の入団を禁じたので,批判を受けたが若干の人びとが同じく高い演奏の基準を保持するためにオーケストラ(即ち、ヨーロッパ人)について民族的な一様性を維持することが重要である.と反論した.

2006年現在は,ルーマニア人や日本人とオーストリア人ハーフの演奏者が楽団員である.女性奏者がちらほら見られる.


隔週刊の『ウィーン・フィル世界の名曲』(アスキー出版社)によると原則があり,


・ウィーン音楽院出身の演奏家しか採用しない(ウィーン・フィルの奏法を受け継ぐ観点から)

・女性演奏家は採用しない

・使用する楽器は、オーストリア製のものを貸与する(特に弦楽器)

・現在のメンバーによる直接の指導を受けた演奏家のみを採用する…


とあり、音にも人にもこだわったオーケストラなのである.

「ウィーン・フィルハーモニーのアンサンブルは常に一糸乱れぬ規律正しさを持っており,ベルリン・フィルは男性的と云おうか,ウィーン・フィルは完全無欠と云おうか…ピアニッシモでも会場の隅々まで伝わり緊張感に溢れる.」(野村)


 元楽団長のオットー・シュトラッサーは

他のオーケストラにほとんど類を見ないのだが、私たち(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)は同じオーストリア人に由来し、完全に同質のアンサンブルとして教育を受けてきた。ほとんど全員オーストリア人であること、私たちの教師はもっぱら、国立音楽アカデミー(現在は、ウィーン国立音楽大学)における現職のフィルハーモニーの人たちである。この事実によって、教養や演奏の同質化が生まれ、現在まで維持されている。

と本に記している。

・コンサート・マスターはオーケストラの顔である。
大抵はヴァイオリン奏者が成る。

ヴァイオリンとは弦を弓で摩擦することによって刺激される。弓奏楽器は、即ちヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスで構成される。ヴァイオリンの4本の開放弦は、G3,D4,A4,E5に調弦される。コンサートマスターは、オーケストラの司令塔で常にメンバーと音楽に目を配っていなければならない。

ソロでヴァイオリンを演奏することも多く、マーラー「交響曲第4番」一楽章や、R.シュトラウスの交響詩『シェーラザード』『英雄の生涯』、ブラームスの交響曲第1番の第2楽章、ラヴェルの『スペイン奇想曲』ではソリ(Soli)を、R・シュトラウスの『ばらの騎士』で難易度の高い美しいソロを聞かせる。


ウィーン・フィルのVn IとVn IIセクション.(© Wiener Philharmoniker)

指揮者の向かって左側前列がコンサートマスターである。

上写真のように楽譜は2人で1つを共有する。
弓の運びも見栄えから全員一致している必要がありコンサート・マスターが決定する。


・コンサートマスターの直ぐ前の客席側で弾いているのが第一ヴァイオリンである。コンサートマスターは、大抵第一ヴァイオリンのトップがなる。オーケストラをまとめ、指揮者の次に重要なポジションである。コンサート・マスターの隣に、フォアシュピーラー(次席奏者)が座る。


・ウィーン・フィルの弦楽器のサウンドについて述べてみましょう。

ウィーン・フィルの演奏は、弦楽器にその多くの特徴が見られ、ヴァイオリンの独自の奏法に於いて、音量より音質、絹織りのような美しさで他の楽団より勝っていると思われます。

例えば、モーツァルトの『ハフナー』の第二楽章を2005年の日本公演の際、コンマスのキュッヒル氏と次席のホーネック氏の指使いが異なっていたのは面白いことです。二人は第一ヴァイオリンで指使いは同じ事が多いですが、それぞれE線とA線を使っていたのです。それにより、音の厚みが増すのでしょう。尚、ウィーン・フィルはの音はA=440で合わせています。

・公式のウィーン・フィルハーモニーのホームページに興味深い記述があります。

「有名なウィーンの弦楽器のサウンドに関しては、まだまだ深い研究調査が必要です。これまで継続的に発展して来たことは明らかですが、完全に画一的なウィーン・ヴァイオリン流派があるというわけではありません。

但し、ヨーゼフ・ベームやヨーゼフ・ヘルメスベルガーによって築かれた”ウィーン・ヴァイオリン流派”のヴァイオリニストの特徴である暖かい、表現力の豊かな音色、そのごく自然な楽節の区切り方等はすべてその派に基づくものである。

同じことは、チェロやコントラバスにも云えるので、たとえばフンマーやシマンドル、その後継者によって、同じような楽派が形成されてきた。

ウィーンの弦楽器そのものは、管楽器の違いのようには、オーケストラのサウンドにそれ程は関係しておらず、いくつかの例外を除いては、その楽器の特別のクオリティーによるのではないようです。

それよりもむしろ、ウィーン・フィルの弦の各グループは、中世の仕事場のようなやり方で、新しく入団してきたメンバーがウィーン・フィルの特別な演奏スタイルを身につける様に指導していくことにあるようです。」


名指揮者、フルトヴェングラー氏がウィーン・フィルの弦楽器を他の楽団に持たせて演奏した所、ウィーン・サウンドは出なかったそうです(野村)。

・ウィーン・フィルのチェロ首席奏者(祖父がウィーン・フィルのクラリネット奏者)によると,ウィーンの響きは楽器だけではなく奏者の力量も関係しているのは勿論,敢えて正しい演奏から”ズラして”演奏しているという。聴者には分からないが,それが味わいに成るらしい。との事。

・上記を裏付ける証言として…ヴァイオリニストの久保田 巧氏のインタヴューによると,久保田は

「ウィーン・フィルはそんなにすごいソリストの集団という感じではありませんよね,弦の場合もよく聴くとズレていたりします.

でも,そういうズレや幅があるからかえって音に振動が生まれツヤが出たりするんです.ウィーン・フィルのサウンドが機能的にピシッとあったオーケストラよりも,溶け合った色合いの深いものになるのはそのためだと思います.」

と述べている.

・一般的なウィーンの演奏家は独奏家としてヴァイオリンの名手になる天分を示す人はほとんどいない,むしろ立派なオーケストラ・マンとしての才能を示すので自分たちの弟子にその使命に関心を向けさせるようにした.(中略)

「専門家と共演することがその人にとって将来ひきつづいて行われるべき仕事の個人的な動機とも成る体験となるのである」

・団員の証言より…

「オペラで実地に腕試しすることが「柔軟性に富む,反応に敏感なオーケストラ演奏」に導くこと」(フーベルト・クロイザマー,第一ヴァイオリン)

そしてメンバーはオペラ勤務により,丁度,室内楽の実演のように,相手の音に耳を傾け,瞬時に適応してゆく能力を養うこと(ギュンター・ザイフェルト,第一ヴァイオリン)を認識するには大きな音楽的洞察力を必要とする.(中略)

純粋のコンサート・オーケストラ(例,ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラなど)の場合には見られない,気分転換,それによる充実,熟達である.

「演奏家としての多様な活動が,演奏する喜びを蔵し,状況に応じて弾く柔軟性を養う」のである.(エルンスト・パンペルル,ファゴット奏者,定年退職)

・ウィーン・フィルの弦楽器セクションで使用している楽器は、コンサートマスター以外のメンバーは、Franz GeissenhofかJoachim Schadeかその他を使用している。

昔は、Freisleben、ハウデック、ポッラー、フーバーが使われていた。此の楽器はウィーン風の響きとして有名で、Geissenhofはオーストリアのストラディヴァリとも呼ばれる。

値段はオークションで400万くらい。一方、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の弦楽器は高いものであると6000万以上するという(独ZDF Heute)


・ウィーンの弦楽器の製作について

 10世紀当初までウィーンのヴァイオリンメーカーはヤコブ・スタイナーの楽器の上に方向づけられている南ドイツのモデルに焦点を合わせた.比較的高いアーチ作用と明るい明確な調子を持っている.Franz Geissenhofはイタリアのモデルの特徴を採用して,そして彼の計器にそれらを取り入れるウィーンで最初のマスターバイオリンメーカーであった.

 Geissenhoがただ大きさとアーチ形になることの形だけではなく同じくより明るいほのかなニスを引き取ったとき,彼がますます1800年後に作ったヴァイオリンはストラディヴァリの影響を示します.

ゲッセンホフは特に,ニコラウス・フォン・ Sawicki と同様、マーティンとベルンハルト・シュトロース、の後に従った世代のバイオリンメーカーがストラディバリ,デル・ジェスの後に熟考されたコピーであるに違いない,しかしにもかかわらず,明らかに「ウィーンの」性格を持っている楽器を作りました.

維持されていたFranz Geissenhofとガブリエル・Lembock のワークショップ道具と元帳は彼らがビジネスをした方法の中に彼らの独創的なプロセスの中にしかし同じく暴露した洞察を提供します.1870年にLembockはムジークフェライン,音楽の友人たちの協会の新たに建てられた建物でバイオリンを作るワークショップに引っ越しました,そしてバイオリンメーカーの途切れないシリーズが現在の日に下方にそこで機能し続けました.(Sammlung alter musikinstrumenteのFranz Geissenhofコーナーの説明を直訳)


フルートとファゴットを除いたウィーンの楽器には、次のようなサウンドの特殊性が挙げられます


・倍音がより豊かで、基本的にはより明るいサウンドである。

・強弱の範囲がより大きい。(「大きな」音と「小さな」音の差がより大きく出せる)

・サウンドをより変化させやすい(音楽家は音色を幅広い範囲で変化させられる)
とのことです。

・ヴィヴラートのかけ方や指使いの方法で独自の音色を醸し出しているのだと考えられます。

団員の楽器は、オーストリア製のもので特に高価な楽器と云う訳ではないが、曲を奏でると”粋”に成る不思議さがあります。

よく考えてみると、ウィーン・フィルのメンバーの一人一人の多くが室内楽団(ウィーン室内合奏団など)に属していて”ソリスト”であることが求められているそうである。ウィーンという音楽の都と相まって我々に最高の演奏をもたらしてくれるのである。


・席の順番は、基本的に早く入団したものから前に座って行く。楽譜に「div.」とあれば、第一ヴァイオリンと云えども二手に分かれて演奏する。第二ヴァイオリンのパートより弾く音は高いことが多い。

コンサートマスターを除外すれば、オーケストラのヴァイオリン・セクションの中に知名度のある奏者がいる例というのはなかなか少ないものであるが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、馴染みの名前が多く確認される。


・三拍子のワルツを弾く時、ウィーン・フィルは一泊目:長、二拍目:短、三泊目:短の様に演奏をする。

何故なら、舞踏会で踊る時にターンが入るからであり一拍目にターンをする場合に余裕を持たせるためである。と言われている。

これがウィーン気質の粋な表現と成って私たちの耳に届けられるのである。
http://www.geocities.jp/kazooou4/wien/


84. 2013年8月20日 10:56:35 : W18zBTaIM6


バリリ弦楽四重奏団 2013/04/19 09:25


昭和30年から昭和35年(1960年)の間に三つのカルテットが来日しました。57年8月のフランスのパレナンQR、12月のバリリQR、58年4月アマデウスQR、これは行きませんでした。

パレナンQRはフランスで、派手な演奏をしたことだけを記憶に残しいます。

57年12月13日のバリリQRはウイーン出身、当時話題になったウェストミンスターレコーからLPを出していたことで知っていました。

ウエストミンスターはウイーンコンツエルトハウスQR,バドラスコダ、デムス、ハスキルなど後年著名になったピアニストをとりあげた新興レコード会社、そのLPはCDに変換されています。

バリリQRは中でも有名で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を沢山残しています。手元にも(作品59−1,127,135,130,133,131,132)などが今でもあります。

出かけたのは大手町の産経ホールでした。この頃は日比谷より小ぶりなここが室内樂の演奏会に頻繁に使われました。

このカルテットは1942年に結成され、ヴィーンフィルのメンバーが主で、当初シュナイダーハンがリーダーだったのがバリリに代わりました。

曲目はベートーヴェンの18−1,95,130でした。これはブダペストQRに似た構成で、大いに期待したのですが、いざ音がでてみると、聞き手をおとなしく、優しい気持ちにはさせましたが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲という予想をうらぎりました。バリリが紳士すぎてるのではないか、と見かけから思いました。

当時のQRは変換期にあったようです。ブッシュQRで代表された独墺系のものに対し、移住者を含めたアメリカ系には、技能中心のQRが台登し、目覚しい成果をあげ始めていました。ブダベストQRはその走りのようなものでした。彼らに比べると戦後間もない頃の独墺系は技術的に一歩譲ります。かといってブッシュ流の在来のものにピッタリではなく新しいスタイルを模索していました。私はそう想像していました。

私を魅惑していた後期四重奏曲の一つである作品130は形がそれまでのベートーヴェン作品と大変変わっていて、。7楽章で出来、従来の4楽章形式を逸脱していました。当然違った雰囲気を要求します。それがバリりQRでは余り変わっていませんでした。

2年後聞いたウイーン・コンツエルトハウスQRも作品132をやりましたが、同じ印象でした。

厳しさがないのです。

そこでこのカルテット最高峰の作品群はウイーン人には無理ではないか、という短絡した結論を私は抱いた程です。


吉田秀和氏の演奏会評が当時の新聞にのっていたのが手元にあります。私の印象に近い文なので引用します。

「ただ、ここで知性より叙情を、ダイナミズムより感覚の洗練を、静かだが緊張しきった迫真力よりも微妙と節度を尊重し、すべて限界一歩手前で立ち止まる精神があったが、必ずしもそれだけでなく、もう一歩踏み込んでも音楽は損なわれないのではないかと思った。」


バリリQRの物足りなさについて当時の私には理由がわかりませんでした。
ウイーンの音楽の特殊性について思いついたのは大分後のことです。

結論を一言で言えばその特殊性とはクラシック音楽領域でのウイーンの独自性、排他性性と関係しているようです。

ウイーンはクラシックの中心であり、ウイーン人が受けついたものが唯一無二なのです。単に受け継いだものを表現すればいいと、彼らは思っていて、「新即物主義など」という主張に耳を傾ける必要を感じなかったようです。

バリリQRは端正な演奏をし、コンツエルトハウスは情緒溢れた演奏をすればよかったのです。こういうウイーン人の立場は西洋の芸術にある絶えざる革新という理念と一致しない筈ですが。
http://my-opera-music-hobby.at.webry.info/201304/article_5.html


85. 2013年11月19日 23:53:31 : 2D6PkBxKqI

Brahms Symphony no 5. (String Quintet opus 111 orchestrated by Peter Klatzow)
http://www.youtube.com/watch?v=tWvuIwuH8xw

86. 2013年11月19日 23:56:41 : 2D6PkBxKqI

Brahms Symphony no 5, third movement.m4v
http://www.youtube.com/watch?v=x1gbI5wFqgA

87. 2014年1月04日 13:01:53 : 2D6PkBxKqI

YouTube をダウンロードする方法_http://www.dvdvideosoft.com/jp/products/dvd/Free-YouTube-Download.htm#.UraNBJ2Cimx

88. 2014年4月05日 10:15:08 : 2D6PkBxKqI

Brahms: The 1889 recordings (& Joachim 1903 recording)
http://www.youtube.com/watch?v=H31q7Qrjjo0


An audio aid to deciphering the famous 1889 Brahms recordingsOn 2 December 1889 Brahms recorded two pieces on an Edison cylinder: a short version of his Hungarian Dance no.1 and an extract from Josef Strauss's Polka-Mazurka 'Die Libelle' ('The Dragonfly') Op.204. The voices of both Brahms and the engineer, Theo Wangemann, can be heard at the beginning of these recordings (as later documented by the son of Dr Fellinger, at whose Viennese house the recording session took place)This video contains 4 versions of each piece of music, to help decipher the sound on what are now extremely deteriorated, though remarkable, recordings


89. 中川隆 2015年10月29日 18:35:17 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

Brahms - Clarinet quintet - Kell / Busch live
https://www.youtube.com/watch?v=QnDjbisYdoM

Reginald Kell
Busch String Quartet (Adolf Busch - Bruno Straumann - Hugo Gottesmann - Hermann Busch)
Live recording, New York, 19.XII.1948


90. 中川隆 2015年10月29日 19:12:53 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

Adolf Busch- Sonata n°1 Brahms

https://www.youtube.com/watch?v=W2eCcKsYLeQ
https://www.youtube.com/watch?v=qFPwPu1hTT4
https://www.youtube.com/watch?v=vGoU3rRcsNY


Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano. Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano). Live recording on 13 October 1936; London


Elisabeth Grummer "Regenlied" Brahms
https://www.youtube.com/watch?v=Y1EKXRA-9sE

Elisabeth Grümmer sings "Regenlied" op 59 N0 3
by Johannes Brahms (1833-1897)
Gerald Moore. piano
1959

8つの歌曲と歌 Op.59より 「 雨の歌 」 

Regenlied from Acht Lieder und Gesänge

詩: クラウス・グロート


Walle,Regen,walle nieder,
Wecke mir die Träume wieder,
Die ich in der Kindheit träumte,
Wenn das Naß im Sande schäumte!

Wenn die matte Sommerschwüle
Lässig stritt mit frischer Kühle,
Und die blanken Blätter tauten,
Und die Saaten dunkler blauten.

Welche Wonne,in dem Fließen
Dann zu stehn mit nackten Füßen,
An dem Grase hin zu streifen
Und den Schaum mit Händen greifen.

Oder mit den heißen Wangen
Kalte Tropfen aufzufangen,
Und den neuerwachten Düften
Seine Kinderbrust zu lüften!

Wie die Kelche,die da troffen,
Stand die Seele atmend offen,
Wie die Blumen,düftertrunken,
In dem Himmelstau versunken.

Schauernd kühlte jeder Trop fen
Tief bis an des Herzens Klopfen,
Und der Schöpfung heilig Weben
Drang bis ins verborgne Leben.

Walle,Regen,walle nieder,
Wecke meine alten Lieder,
Die wir in der Türe sangen,
Wenn die Tropfen draußen klangen!

Möchte ihnen wieder lauschen,
Ihrem süßen,feuchten Rauschen,
Meine Seele sanft betauen
Mit dem frommen Kindergrauen.


雨よ降れ、降れ
子供のころのあの夢を
もう一度呼び覚ましてくれ、
雨水が砂の上で泡立つ時に

すがすがしい冷気に、たちまち
夏のものうげな暑さが和らぐ時に、
そして青い葉が雨にぬれ
麦畑がいっそう青くなる時に

裸足で雨に打たれ、
草の中に手をさし伸べ、
手で水の泡に触れるのは、
なんと楽しいのだろう

そうでなければ、頬に冷たい雨を
受けとめて、
子供の頃に還った胸が、
初めて立ち上る香りに包まれるのは

濡れて水を滴らせている、
その盃の形をした花のように、
初めての香り、天からの露に
酔った花のように、心はらくに呼吸する

身震いのするほど冷たい、全ての雨滴が
降りてきて、この鼓動する胸を冷やし、
こうして、創造の聖なる営みが
私のひそやかな命に忍び入るのだ

雨よ降れ、降れ
あの昔の歌をもう一度呼び覚ましてくれ
雨だれが外で音をたてていたときに
戸口でいつも歌ったあの歌を

もう一度、あの、やさしい湿った雨音に
耳を澄ませていたい
聖なる、子供のときに感じた畏れに
私の心はやさしくつつまれる
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/B/Brahms/S118.htm


天国に持って行きたい


自作を聴いた聴衆から「天国に持って行きたい」と言われたら作曲家は相当嬉しいと思う。そう言ったのが、親しい女性だったら尚更である。

実際にクララは、こういってブラームスのヴァイオリンソナタ第1番op78を誉めた。特に第3楽章がこの言い回しの対象だったと伝えられている。ブラームスの喜びはいかほどだっただろう。どうもこの作品は女性たちの感性に深く訴えるようだ。

才色兼備のリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグもその一人だ。あろうことか彼女はヴァイオリンソナタ第1番を自分に献呈して欲しいとねだったのだ。ところが親密度ではクララと並ぶ彼女のおねだりだが、実現していない。op78は誰にも献呈されていないのだ。

代わりにop78次の番号op79の「2つのラプソディ」がリーズルに献じられた。この2つの作品は同じ年の夏にペルチャッハで完成を見た。このことはとても重要だ。op78は絶対に献呈出来ないという事情の裏返しと見える。代わりにop79を差し出したことは明白である。代わりに差し出したのが「ラプソディ」ならリーズルも満足だろう。

ちなみに「ブラームスの辞書」op78の持ち主は我が家の次女になっている。光栄だ。

ヴァイオリンソナタ第1番op78がリーズルのおねだりにもかかわらず、誰にも献じられていないのは、深い訳がある。クララから「天国に持って行きたい」と言って誉められた作品を別の人に献ずるハズがないのだ。そしてさらに決定的な要因がある。

クララの最後の子供フェリクスは、元来病弱だった。1878年、フェリクスの名付け親でもあったブラームスは病に伏せっていたフェリクスを見舞う手紙をクララにしたためる。ヴァイオリンをたしなんだというフェリクスにちなんで、ヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章の冒頭部分の楽譜を24小節にわたって引用した手紙でクララを慰めたのだ。

薬石効無く、明くる1879年2月16日つまり129年前の今日フェリクスはこの世を去る。ヴァイオリンソナタ第1番の完成はその年の秋である。その第2楽章を聴いたクララは、ただちにそれがフェリクスへの見舞いの旋律だと察したに違いない。そして「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストをもつ歌曲「雨の歌」の旋律で始まる第3楽章中で、この旋律が回想されるのを聴くに及んで「天国に持って行きたい」と称した。

これには「持って行ってフェリクスに聴かせたい」という意味があったに決まっているではないか。当然ブラームスもその意図を察知する。いやそれが察知出来ないような男だったら、こんな曲は書けまい。この曲がリーズルに献じられたらクララをどれほど傷つけるか私でさえ想像出来る。

だから、間違ってもこのソナタを誰かに献呈出来るハズがないのだ。それがリーズルであってもである。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2008/02/post_034e.html

緩徐楽章の回想

ヴァイオリンソナタ第1番の話だ。

第2楽章の冒頭主題が、そっくりそのままフィナーレ第3楽章の第2副主題となっている。「4分の2」と「4分の4」という両楽章の拍子の違いを物ともせずに、音価の操作で聞こえを調節し、結果として同じ旋律に聞こえるという手の込んだ代物だ。

第2楽章の旋律が回想される終楽章は、「雨の歌」のニックネームの元になった楽章だ。ブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の冒頭旋律がそっくりそのまま用いられている。クラウス・グロートの手によるテキストは雨の日に楽しかった幼い頃のことを思い出すという内容だ。

第2楽章の冒頭旋律が元々クララの息子フェリックスの病を見舞うために引用された旋律だったことを2月16日の記事「天国に持って行きたい」で言及した。だからこのソナタが誰にも献呈されなかったとも述べた。それほど大切な旋律なのだ。ロンド形式の第二副主題だということにも意味がある。フィナーレ第3楽章が、このフェリクスの旋律を中央に据えて、シンメトリーな構造をしていることに他ならない。第3楽章の奥座敷にひっそりと鎮座しているということだ。

「雨の歌」のテキストが表現する楽しかった幼い頃とは、フェリクスの思い出と重なるのだ。だからフェリクスを見舞った旋律が第3楽章で回想されると解したい。長々と回想されるワケではない。一瞬かするように回想される点ブラームスのデリカシーを感じる。多楽章作品において緩徐楽章の旋律が終楽章で回想されるケースは多くない。多くないどころかこのヴァイオリンソナタ第1番だけである。幼い頃の回想とあの旋律を、どうあっても共存させたいブラームスだったのではあるまいか。あるいは、この共存を聴かせることがこのソナタの目的とさえ思える。

ヴァイオリンソナタ第1番には、フェリクス・シューマンの回想という隠しテーマがあったかもしれない。だからそれを察したクララが「天国に持って行きたい」と言ったのだ。

「雨の歌」という異名ばかりがやけに有名になってしまったが、音楽の神様か歴史の神様が、くしゃみでもしていたら「フェリクス」というタイトルになっていてもおかしくなかったと思っている。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2008/02/post_325f.html

フェリクスの調

2006年5月21日の記事「嬰ヘ長調」
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/05/post_e95c.html

で述べたとおり、クララとフェリクスの母子と「嬰へ調」は何かと関連がある。クララ・シューマンに献呈された作品2つはどちらも嬰へ短調だったし、フェリクスの詩をテキストにした歌曲は3曲のうち2曲が嬰ヘ長調だ。

その話を前提にした上で今日の記事は成り立つ。

ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78は、第3楽章の主題がブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の旋律をそっくり引用していることはよく知られている。「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストはクラウス・グロートによるものだが、ブラームスがこのテキストからフェリクスのインスピレーションを得たのではないかと一昨日の記事「緩徐楽章の回想」で述べた。私がそのように感じる理由が実はもう一つある。

ヴァイオリンソナタの引用元となった歌曲「雨の歌」op59-3は実は嬰へ短調だ。「雨の歌」は1873年の成立だ。何のことはないフェリクスの詩に付曲した「我が恋は緑」嬰ヘ長調と同じ年の生まれである。

さて原曲では嬰へ短調だった旋律が、ヴァイオリンソナタに転用されたときト短調に変換されている。嬰ヘ音を主音にするのはヴァイオリンにとってはあまりありがたくないからだ。実はこの半音の引き上げには嬉しくなるような実例がある。ヨアヒムはブラームスのハンガリア舞曲をヴァイオリンとピアノ用にと編曲しているが、原曲で嬰へ短調の5番をト短調に変えているのだ。ヨアヒムのお墨付きをもらったようなものだ。ヨアヒムはもちろんこのソナタの私的初演でヴァイオリンを担当した。

嬰へはドイツ式の音名で申せば「Fis」だ。

まさかと思うことがある。

この「Fis」がフェリクスつまり「Felix」の音名化された姿だったなどという想像は無謀が過ぎるだろうか。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2008/02/post_00ca.html

雨の歌

作品59-3を背負った歌曲。テキストはクラウス・グロートによるもの。ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78の第3楽章には、この歌曲の旋律がそっくり転用されていることで名高い。だからヴァイオリンソナタ第1番は「雨の歌」と通称されている。

2008年2月16日の記事「天国に持って行きたい」の中で、この作品がクララとフェリクスの母子と深い関係があると書いた。病に伏せったフェリクスを見舞う手紙にヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章を引用し、それが第3楽章でも回想される。このヴァイオリンソナタとクララの関係を調べていて興味深い事実を発見した。

元になった歌曲「雨の歌」にテキストを供給したグロートをブラームスに紹介したのはクララだったらしい。1856年のことだ。ブラームス23歳である。当時すでに30代半ばで社会的な名士だったクララはブラームスより顔が広かったと思われる。ブラームスは後日クララにそのお礼をする。グロートの詩をテキストにした歌曲4つを作曲して1873年のクララの誕生日に贈ったのだ。

その4曲とは下記の通りだ。

1.「雨の歌」op59-3
2.「名残」op59-4
3.「僕の傷ついた心は求める」op59-7
4.「君の青い瞳」op59-8

ヴァイオリンソナタ第1番を聴いたクララはその終曲の冒頭に、6年前の誕生日に贈られた歌曲の旋律が置かれたことをたちどころに悟ったと思われる。そして中間部には、フェリクスへの見舞いの旋律が回想されるのを聴いて「天国に持って行きたい」と漏らしたのだ。

芸が細かい。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2009/06/post-c2a9.html


報酬の送金先


作品の原稿料として出版社からブラームスに支払われる報酬は、ブラームスの口座に振り込まれたと見るのが自然だ。ジムロックはブラームスの友人にして大出版社の経営者だ。さらにはブラームスの信任厚き

財産管理人
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2009/11/post-2273.html

でもある。

だからジムロックはブラームスに作品の報酬を支払うとは言っても、原則として自分が管理するブラームスの口座に送金するだけだった。

ところがだ。「雨の歌」の通称で名高いヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78は例外だった。3000マルク(約150万円)という金額はいつもの通りだったが、その振込先をブラームスから特に指示されたのだ。その送金先を見て驚いた。

シューマン基金だ。そんな例は他に無い。

シューマン基金への寄付は、事実上クララへの送金と見てよい。ヴァイオリンソナタ第1番の報酬全額をそっくりクララに贈ったようなものだ。

ヴァイオリンソナタ第1番の引用元歌曲「雨の歌」op59-3にテキストを供給したクラウス・グロートをブラームスに紹介したのはクララだった。あるいは2008年2月16日の記事「天国に持って行きたい」を思い出して欲しい。

この珠玉のソナタはフェリクスの想い出が詰まった曲だ。天国のフェリクスに聴かせたいとクララが願った曲だ。おそらくブラームスはその願いに答えたのだ。作品をクララに献呈するという形式を取らずに、それでいてクララへの贈り物であることを記憶する方法を考えたに違いない。何故ならこのソナタはリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクから献呈をねだられたのに対し、別の曲「2つのラプソディ」op79を献呈してごまかしている。だからこのソナタを大っぴらにクララに献呈しては、今度はリーズルの機嫌を損ないかねない。

表面上このト長調ソナタは誰にも献呈されていないが、報酬全額をシューマン基金に寄付することでけじめをつけたと見た。このソナタが断固クララ母子への贈り物であることを、リーズルに秘匿しつつ表明したようなものだ。

フェリクスの名付け親
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2008/02/post_6bd9.html


でもあったブラームスのけじめ。

最近こういうのをカッコいいと感じるようになった。歳だろうか。
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2009/11/post-c9e8.html


91. 2015年10月29日 19:14:49 : b5JdkWvGxs

ブラームス:Vnソナタ第1番:デュメイ(vn)/ピリス(pf)
https://www.youtube.com/watch?v=wV66Flrta8M

92. 中川隆 2015年10月30日 07:26:14 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

ブラームスの歌曲をチェロで

#00:00 五月の夜 /Die Mainacht, op.43 No.2
#04:17 愛の歌 /Minnelied, op.71 No.5
#06:54 夏の夕べ /Sommerabend, op.85 No.1
#10:49 月の光 /Mondschein, op.85 No.2
#14:19 野の寂しさ /Feldeinsamkeit, op.86 No.2
#18:00 夢遊病者 /Nachtwandler, op.86 No.3
#22:40 死は冷たい夜 /Der Tod,das ist die kühle Nacht, op.96 No.1

ミッシャ・マイスキー(チェロ)
パーヴェル・ギリロフ(ピアノ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23705621

Brahms ~ Ich Wandte Mich Und Sahe An, Op. 121/2 Mischa Maisky and Pavel Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=s5QqHIiuUM8&list=PL29E11B09CF74F335

Brahms ~ Lieder ohne Worte. Lerchengesang op 70 No 2 Maisky & Gililov
https://www.youtube.com/watch?v=1VCjVgFnyvM

Brahms op.43 "Die Mainacht " Cello Transcription Mischa Maisky
https://www.youtube.com/watch?v=4TCocpjmJdM


Johannes Brahms: Clarinet Quintet op 115 - Kremer/Brunner et al
Gidon Kremer
Thomas Zehetmair
Kim Kashkashian
Mischa Maisky
Eduard Brunner
Recorded in Berlin Sendesaal SFB sometime in the 80s....
https://www.youtube.com/watch?v=k4wTDghcIlw


Brahms-Adagio from Clarinet Quintet- Selka-Vengerov-Rachlin-Spitzer-Maisky
https://www.youtube.com/watch?v=8VrLIy8l1yA


Johannes Brahms Piano Quartet Op.25 No.1
Martha Argerich - piano, Yuri Bashmet - viola, Gidon Kremer - violin and Mischa Maisky - violoncello play
https://www.youtube.com/watch?v=LVc3plB7ic8
https://www.youtube.com/watch?v=RnY0Ir7EAS4&list=RDLVc3plB7ic8
https://www.youtube.com/watch?v=bamotnZdsmc
https://www.youtube.com/watch?v=8cmqHEGtwkU
https://www.youtube.com/watch?v=4X1kiaP83gI


ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番 ト短調から第4楽章
☆豪華メンバー☆
クレーメル(ギドン),バシュメット(ユーリ),マイスキー(ミッシャ) アルゲリッチ(マルタ),シューマン,ブラームス,アルゲリッチ(マルタ),クレーメル(ギドン)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15190503


ブラームス 二重協奏曲 クレーメル&マイスキー
1982年9月のライブ。
ギドン・クレーメル(Vn)、ミッシャ・マイスキー(Vc)、レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
https://www.youtube.com/watch?v=1H59i5Q-mS8
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16866415
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16866714



93. 中川隆 2015年10月30日 07:37:17 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

Kathleen Ferrier - Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer
Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.
https://www.youtube.com/watch?v=u8DcWmwG5Kw


Brahms - Vier ernste Gesänge - Kathleen Ferrier
sung by Kathleen Ferrier, the pianist is John Newmark
https://www.youtube.com/watch?v=bzfJnT84-Yc
https://www.youtube.com/watch?v=nMXoPXktTiM
https://www.youtube.com/watch?v=5FSx2oxj8SU
https://www.youtube.com/watch?v=VEjlWCeXU2g

Kathleen Ferrier "Sapphische Ode" Brahms
op 94 No 4 by Johannes Brahms
Phyllis Spurr, piano
1949
https://www.youtube.com/watch?v=az7IDdNIXgM


Kathleen Ferrier "Alto-Rhapsody" Brahms
London Philharmonic Choir
London Philharmonic Orchestra
Clemens Krauss, conductor
18.& 19.XII. 1947
https://www.youtube.com/watch?v=P7S162WFNI8


Brahms Liebeslieder Walzer Op. 52 - Kathleen Ferrier 1952
https://www.youtube.com/watch?v=imJs5xxYy6M


Kathleen Ferrier - Brahms for contralto, viola and piano
1) Gestille Sehnsucht Op. 91 No 1
2) Geistliches Wiegenlied Op. 91 No 2
Performers: Contralto: Kathleen Ferrier, Viola: Max Gilbert and Piano: Phyllis Spurr
Rec. 1949
https://www.youtube.com/watch?v=DP0M1omMFQg


94. 2015年11月28日 12:05:55 : b5JdkWvGxs

Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York / Walter
https://www.youtube.com/watch?v=otpoMv9tgS4

95. 中川隆[2263] koaQ7Jey 2016年4月23日 08:50:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2442]

「武満徹 音楽創造への旅」を読んで

                     

とても分厚い本で(2016年2月刊)、頁の方も上下二段に分かれて細かい字がいっぱい詰まっており、つい読書意欲が萎えてしまうが、いざ読み始めてみるとこれがとても面白くて興味深い内容。

読み進むにつれて段々と武満氏の天賦の才が露わになってくるように感じてきて思わず慄きを覚えてしまった。この人は稀に見る天才だ!


名前だけはよく聞くものの、武満氏(1996年没)の音楽はまだ聴いたことがないので、ここはひとつ腰を据えて聴かねばなるまいという気にさせられた。

もっとも映画音楽の方はそうとう作曲しているようで、たとえば黒沢明監督の代表作「七人の侍」の音楽担当は周知のとおり「早坂文雄」氏だが、仲良しだった武満氏も参画しており木村功と津島恵子の絡みのシーンなどを部分的に担当しているそうだし、石原裕次郎の最初の主演作「狂った果実」の音楽も担当しているというので二度ビックリ。

クラシック音楽との関連では、メシアン、ウェーベルンなどの近代の作曲家の影響を多大に受けており、いわゆる古典ロマン派の音楽家たちとは無縁のようだが珍しくブラームスとモーツァルトの音楽に言及する箇所があったので紹介してみよう。

☆ ブラームスの「クラリネット・ソナタ」(604頁)

「最近ブラームスの音楽に急に目覚めましてこの人は凄いと思うようになった。〜中略〜。

晩年の室内楽、たとえば作品120のクラリネット・ソナタなんか聴くと旋律一つの中に本当に大きな世界がある。人生そのものがそこにあるという感じになってくるんです。実に見事な構造をしています。

真ん中のゆっくりした楽章にアダージョですけど非常に長い旋律がある。その最初の二小節と次の二小節が完全なコントラストになっている。

はじめの二小節はこうで(口ずさむ)、次の二小節はこうなんです(口ずさむ)。初めの方は生命感に満ち溢れているのにあとのほうは明らかに死を思わせる。

ひとつの旋律の中に生と死が見事に構造化されている。生の後ろにいつも死があるのが見える。生と死の二つが弁証法的にからんでいって、最後の方になってくると、生も死もない途方もないところに突き抜けるんですね。生死を超越した宗教的といってもいいような非常に高いところに抜け出ている。

素晴らしい音楽です。ある意味では実に単純な構造だけど、同時に実に複雑でもある。聴いていてすごく心が励まされる曲です。やはり音楽はここまでいかなきゃダメなんじゃないかと思いました。」

☆ モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364」(741頁)

「最近生まれてはじめてモーツァルトのヴァイオリン・・・を聴いてビックリしました。素晴らしいですね。典型的なあの時代の様式の曲だけど時代の古さなんてまったく感じさせない。新鮮でした。ちょっとショックを受けました。

長い間音楽をやってきて自分ではオーケストラのことがかなり分かったつもりになっていて“オレのオーケストレーションもなかなかうまくなったな”なんて思いはじめていたんだけど、とんでもない。あれを聴いたら、自分はまだまだオーケストレーションが何もわかっていなかったじゃないかと思って2、3日ショックでした。〜中略〜

モーツァルトの音楽は表面的な外観とかロジックではとらえきれないものを持っている。ブラームスなんかにしてもそうですが、ああいう人たちは長い音楽生活の中で濾過されて出来上がった直感力というか西洋音楽の伝統に鍛え抜かれた信じられないような直感力を持っていて、それでもってああいう美しいフォームを作れるんですね。ただ一本の旋律だけ見ても実に単純にして、しかし同時に複雑な内容をもった見事に美しい曲を書いてます。

モーツァルトというのは音楽が頭から流れるままにスラスラ書いて作曲の苦労なんかまるでなかったみたいにいう人がいるけど、この間、モーツァルト学者の海老沢敏さんにちょっと話を聞いたら、そうじゃなくて非常に緻密にスケッチをとったりしているというんですね。やっぱり単純なものの背景に鍛え抜かれたものがあるんですね。」
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0c544a7135c52c1b154be5de51f1dc83


96. 2016年4月23日 15:35:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2444]

武満徹・音楽創造への旅 – 2016/2/20 立花 隆 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E6%BA%80%E5%BE%B9%E3%83%BB%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%89%B5%E9%80%A0%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85-%E7%AB%8B%E8%8A%B1-%E9%9A%86/dp/4163904093


97. 中川隆[6453] koaQ7Jey 2017年1月29日 19:09:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6907]

今井信子✕波多野睦美/ヴィオラ・声・ピアノで綴る「歌」 2017年1月27日 (金)


1月19日(木)ザ・フェニックスホールへ。

今井信子(ヴィオラ)、波多野睦美(メゾソプラノ)、高橋優介(ピアノ)で、


•シューベルト:ソナチネ ニ長調 作品137

•ヘンデル:歌劇「ジューリオ・チェザーレ」より
「涙のために生まれ」

•スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番「幻想」

•マスネ:エレジー

•フランク:シルフ(空気の精)

•ウォルトン:歌曲集「3つの歌」
「ダフネ」「金メッキの格子を透かして」「老フォーク卿」

•ブリッジ:アルトとヴィオラのための3つの歌
「遠く、遠く、離れ離れに」「どこに行くの、魂は?」
「歌は、声が静かに死に、消えても」

•ブラームス:ヴィオラとピアノのための2つの歌
「しずめられた願い」「聖なる子守唄」

•ブラームス:子守唄(アンコール)

今井は言わずと知れたヴィオラの名手だが、シューベルトのソナチネでは珍しくヴァイオリンを弾いた。音は擦れ、滋味あふれる。

スクリャービンのソナタは幻夢。サイケデリックでカラフル。

プログラム後半はフランス語、英語、ドイツ語の歌曲を堪能した。


マスネに感じるのは侘しさ。

フランクに宿るのは仄かな甘さ。

ブリッジには深い悲しみと虚無があった。

ブラームスは秋の夕映えの美しさ。子守唄には愛情に満ちた優しい眼差しがあった。


生涯を独身で通したヨハネス・ブラームスにどうしてこんな素敵な子守唄が書けたのだろう?そう疑問に思い、ハタと気が付いた。

そうか、彼の視線の先にあったのはクララ・シューマンの子どもたちであったに違いない!

ロベルト・シューマンとクララは8人の子供を儲けた。

ブラームスが初めてデュッセルドルフにあるシューマン家を訪ねたのは1853年のことである。

この時長女マリエは12歳、末娘オイゲーニエは2歳だった。

そして翌年の54年に最後の子供フェリックスが生まれる。

彼には詩の才能があり、そのうち3つにブラームスが音楽を付けた

(「わが恋はライラックの茂みのように緑」 Op. 63-5、
「ニワトコの木に夕風が」 Op. 63-6、
「うち沈んで」 Op. 86-5)。

しかしフェリックスは肺結核を患い、25歳の若さで亡くなった。なんだか切ないね、ヨハネス。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-b07b.html

波多野睦美 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Mutsumi+Hatano+
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B3%A2%E5%A4%9A%E9%87%8E%E7%9D%A6%E7%BE%8E+

今井信子 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Nobuko+Imai+


98. 中川隆[-7196] koaQ7Jey 2017年7月10日 08:24:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

バルトークのピアノ演奏

Bartók plays Brahms Capriccio Op.76 No.2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=P-keprYdt08

Bartók plays Brahms Sonata for two pianos, Op. 34b - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=f6_HO5TKImU
https://www.youtube.com/watch?v=eaeor6fFmp4


99. 中川隆[-7143] koaQ7Jey 2017年7月17日 07:49:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

youtube で聴く世界の名曲


糾弾掲示板[1816] 楽しく糾弾しましょう(音楽)

youtube で聴く世界の名曲 : コメント No.426 以降
https://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=1816
https://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=1816&l=1-

糾弾掲示板[2725] 音楽を楽しもう

伝説のオーディオ名機で聴く名曲 : コメント No.1 以降
https://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=2725
____


YouTube をパソコンにダウンロードする方法
http://www.dvdvideosoft.com/jp/products/dvd/Free-YouTube-Download.htm#.UraNBJ2Cimx
 


100. 中川隆[-6935] koaQ7Jey 2017年8月04日 14:35:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ブラームス

brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5rKJCFg3yn4


Johannes Brahms (1833-1897)
Clarinet Quintet in B minor, Op. 115 (Quintet in B minor for Clarinet and Strings)

(00:05) 1. Allegro
(11:51) 2. Adagio
(24:21) 3. Andantino
(29:40) 4. Con moto


Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet

Vienna Konzerthaus Quartet (Wiener Konzerthaus streicherquartett)
 Anton Kamper, 1st Violin
 Karl Maria Titze, 2nd Violin
 Erich Weiss, Viola
 Franz Kwarda, Cello

Rec. 1952


______


Brahms - Wlach, Kwarda, Holetschek (1957) Clarinet Trio, Op.114 in A minor (1891) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-TJQBHVViR0


Leopold Wlach (clarinette)
Franz Kwarda (violoncelle)
Franz Holetschek (piano)

0:00 : I. Allegro
6:46 : II. Adagio
14:19 : III. Andante grazioso
18:45 : IV. Allegro


__________


brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=84vFArQzQHM


Johannes Brahms (1833-1897)
Sonata for Clarinet and Piano in F minor, Op. 120 No. 1

(00:05) 1. Allegro appssionato
(07:36) 2. Andante un poco adagio
(13:31) 3. Allegretto grazioso
(18:15) 4. Vivace

Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Jörg Demus (1928-), Piano

Rec. 1953

______


brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JrhqxXdjI6w


Johannes Brahms (1833-1897)
Sonata for Clarinet and Piano in E-flat major, Op. 120 No. 2

(00:05) 1. Allegro amabile
(07:06) 2. Allegro appassionato
(11:46) 3. Andante con moto

Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Jörg Demus (1928-), Piano

Rec. 1953

________


101. 中川隆[-6934] koaQ7Jey 2017年8月04日 14:36:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ブラームス

Kim Kashkashian plays Brahms Viola Sonata No. 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lkeaU2zFE1A
https://www.youtube.com/watch?v=BwkcXLBDVuQ
https://www.youtube.com/watch?v=j5jMbpC6oho  



102. 中川隆[-6933] koaQ7Jey 2017年8月04日 14:37:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ブラームス

Brahms: Symphony No. 3, Knappertsbusch (1963) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=th82p_KdqWo


ヨハネス・ブラームス
交響曲第3番 ヘ長調 作品90

指揮:ハンス・クナッパーツブッシュ
シュトゥットガルト放送交響楽団

録音:1963年11月15日 (実況録音)
クナッパーツブッシュによる同曲最後の録音。


103. 中川隆[-6932] koaQ7Jey 2017年8月04日 15:01:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Brahms Symphony No 4 Kurt Sanderling - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SgKHI4jEFEo


Symphony No 4 in E minor op 98
by Johannes Brahms

1. Allegro non troppo
2. Andante moderato
3. Allegro giocoso
4. Allegro energico e passionato


ベルリン交響楽団
クルト・ザンデルリング(指揮)

録音時期:1990年
録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
録音方式:デジタル(セッション)
プロデューサー:ハインツ・ヴェーグナー
エンジニア:エーベルハルト・リヒター


104. 中川隆[-6931] koaQ7Jey 2017年8月04日 15:08:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フルトヴェングラーのブラームスの演奏は


フルトヴェングラー名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/118.html


105. 中川隆[-6640] koaQ7Jey 2017年8月16日 19:32:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フルトヴェングラー名演集 _ ブラームス
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/118.html

106. 中川隆[-6078] koaQ7Jey 2017年10月24日 18:21:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「2018年度版!」「YouTube」の動画を安全にダウンロードする方法について
https://www.japan-secure.com/entry/blog-entry-459.html

YouTube動画変換 - MP3、MP4、AVIダウンロード
https://www.onlinevideoconverter.com/ja/video-converter


107. 中川隆[-13367] koaQ7Jey 2018年10月29日 20:39:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19663] 報告

信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。

A surprising number of great composers were fond of the bottle – but can you hear it?
http://www.spectator.co.uk/2016/12/a-surprising-number-of-great-composers-were-fond-of-the-bottle-but-can-you-hear-it/

「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。

ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。


by Joseph Morris

上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。

酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。

このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、バッハについては「飲んだくれていた」という報告がありません。ただ、2週間の旅路で支払ったビール代金がビール8ガロン(30リットル)分に相当するのでは?という指摘がされています。ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。

作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。


by Brandon Giesbrecht

しかし一方で、聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。

一方のブラームスは、死の直前までお酒を楽しむことができました。ブラームスは何とかワインの入ったグラスを口元に持っていき、「おいしい」という言葉を残して亡くなったとのことです。
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/

108. 中川隆[-13375] koaQ7Jey 2018年10月30日 06:26:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19681] 報告

因みに、クラシックの作曲家の殆どはアル中でしたが
ジャズやロックのミュージシャンはアル中ではなく麻薬中毒でした。


ジャズやロックは元々、マリファナや覚醒剤とセットになっているんです。
ジョン・レノンやポール・マッカートニーも重度の麻薬中毒者でした:

射殺、転落死…薬物に溺れた「ジャズの巨人」たちの悲劇 2016.03.08

 日本でも芸能界、スポーツ界のスーパースターたちの薬物汚染のニュースが世間を賑わせているが、そんなのはまだまだ「超絶甘い!!」といいたくなるような人々がいた。“ジャズの巨人”たちである!

 ジャズ界のスーパープレイヤーたちの歴史を紐解けば、ドラッグに溺れに溺れたとんでもない巨人たちがワンサと登場してくるのだ! いやもうその状況は『ジャズの巨人』というよりも『シャブの巨人』といってもいいくらいの壮絶なラインナップ!!

 しかも、彼らは決してドラッグの力で音楽を創造していたわけでもなんでもない。ほとんどのミュージシャンが、栄光の後にドラッグの泥沼に引きずり込まれ、往年のプレイは影をひそめ、あまりにも悲惨な結末を迎えている。

 以下、小学館の隔週刊CD付きマガジン『ジャズの巨人』に記されている、そんな彼らの生きざまである。

 あまりにもクスリをやり過ぎるので、あのジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィス・グループをクビになったのはつとに有名な話。そもそも当のマイルスもクスリで複数回逮捕されており、そのマイルスにクスリでクビにされるって、どんだけ大量にやってんだよ、って話。

“モダンジャズ創造主”といわれたサックス奏者のチャーリー・パーカーは、ドラッグで精神錯乱を起こし、療養施設に入所しカムバックを目指すが、35才の若さで死去。

 夭折の天才トランペッター、リー・モーガンはドラック治療に1年を費やすも、34才で亡くなる。死因はなんと内縁の妻からの射殺だ! しかも楽屋で!! 更にその場には本妻もいた!!!

 アート・ペッバー。このアルトサックス奏者は、ドラッグ所持による逮捕と収監を何度となく繰り返し、しまいには体がボロボロになって脾臓破裂! どうにか一命は取り止めた後、3年にも及ぶ矯正施設でのリハビリを行い、奇跡的なカムバックを果たすが、56才の時に脳溢血死。

 一番とんでもないのは、トランペッターのチェット・ベッカー。母国アメリカでドラッグ所持で逮捕された後、レコーディングで訪れたイタリアでも逮捕。出所直後に今度はイギリスでも逮捕され国外退去。かと思いきや、ギャングに襲われトラッペッターの命ともいえる前歯を折られるトラブルにまで巻き込まれる。

 そして最終的には、58才でアムステルダムのホテルから転落死。それもホテルの2階からの転落である。もう一度書く。ただの2階からの転落で死亡!! どれだけ骨が、内臓が、そして全身が、それどころか精神までもがボロッボロだったかわかるようなエンディングである。

 薬物というものが、どれだけ恐ろしく人間を蝕んでいくかわかるような巨人たちの悲劇である。巨人に憧れた番長への警鐘でもある。
https://www.news-postseven.com/archives/20160308_392240.html?PAGE=1

そもそも、ジャズ・ロックは原始民族が集団でトランス状態に入る為に行う儀式で奏する音楽そのものです。

毒キノコ、マリファナや LSD の様な 幻覚剤を飲んで、音楽と踊りで異世界に入っていくのです。

109. 中川隆[-13372] koaQ7Jey 2018年10月31日 05:27:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-19714] 報告

音楽がわからないアホがジャズやロックに熱狂する理由


プロテスタントのある宣教師は、クリスチャンに改宗した原住民たちにロックを聞かせてみたところ

「これは悪霊を呼び出す音楽である」

と言ったといいます。

彼らは、以前、自分たちが暗闇の悪魔的霊界と接触するときに使ったサイキックな刺激と同じものをロック・ミュージックの中に感じ取ったというのです。


 一般的にロックというと、その衣装・風体は実に異常であり異様です。これは何に通じるかというと、サタン、つまりサタニズムに通じるのです。そして、このサタニズムとドラッグは、昔から密接に結びついているのです。

 マヤ文明では、ペヨーテなどの幻覚剤を使って、生け贄を捧げる宗教的儀式を行っていたのです。また、古代の神官たちは、ドクニンジン、ヒヨス、アヘン、ベラドンナなどの麻薬の恍惚感のうちに霊との交信を行って“神託”を述べ、ときとして身体を傷つけたりしています。

 ロックのコンサートは、この神官の儀式に非常に似ているところがあるのです。ですから、これとドラッグが結びつき、そこに悪霊が入り込んできても少しも不思議はないのです。

 聖書には「魔術」ということばがよく出てきます。これは原典のギリシャ語では「フェルマキア」英語の「ファーマシイ」「薬局」の語源はこれなのです。つまり「魔術」とはドラッグを意味し、魔術とドラッグは同意語であり、つねに表裏一体の関係にあるのです。ですから、ロックがドラッグと結びつき、それがサタニズムと関連を深めても何ら不思議はないのです。


 ビートルズでは、全員がドラッグを使っていたそうですが、とくにジョン・レノンが多く使っており、生き延びるために不可欠だったとの証言もあります。このように、1960年代後半、ドラッグはビートルズが先導役となって、ロックの世界に浸透し、ヒッピー運動とともに若者の間に広がっていったのです。


ロック・フェスティバルでは、何が行われているのでしょうか。それは、とても音楽のコンサートとは思えないほど異常なものです。

 ロックは、心臓の鼓動の持つ自然なリズムと全く逆のリズムをとるため、聴く者の内蔵を打ち、繰り返しの反復によって脳にそれが叩き込まれるのです。 人間が苦痛を感ずる音量は約100デジベルからであるといわれます。ロックコンサートにおけるエレキギターの音は約190デジベルもあるので、苦痛に感ずるほどうるさい音なのです。

 絶えず激しく律動するビートは、高いボリュームで長時間続けられると、いつしか催眠術的な効果が生じてきます。どうしてかというと、神経組織が高音で繰り返し襲われるので、通常の聴覚がマヒしてしまうからです。そうすると超越瞑想のようになって、音楽が醸し出すイメージと歌詞のメッセージに対する深い被暗示性が生まれてくるのです。

 こういう状態になると、音楽という催眠術がかかりやすくなるので、人々は音楽の持つメッセージとイメージをまともに受け入れてしまいます。その場に、目もくらむようなレーザー光線やスクリーンに映し出されるデモーニッシュな映像があれば、乾いた土が水をまたたく間に吸収するように心の中にしみ込んでしまうのです。

 ここにサタニズムが入り込んでくるのです。ロック・ミュージシャンのあの異様な服装や行動は、こういうことと無関係ではありません。ロック・グループの中には、公然とサタン礼拝を打ち出しているものもあるのです。
 

 1970年2月13日の金曜日にハード・ロックのブラック・サパスというグループがデビューし、アルバム「黒い安息日」を発表して、魔術を曲の中に打ち出してきたのです。これと同時期に、ブラック・ウイドウズというグループが「サクリファイス」(生贄)というアルバムを発表したのですが、この頃にはドラッグと黒魔術は強く合体し、ハード・ロックの世界に定着していったのです。

このブラック・サパスとブラック・ウイドウズはともに黒魔術を曲の中に取り入れたのですが、前者は精神的なものとして取り入れたのに対し、後者はイメージカラー的な演出面で黒魔術を活用したのです。


 このようにして、ハードロックの世界に悪魔主義は完全に入り込み、その精神を受け継ぐディープ・パープル、イーグルス、ジューダス・プリースト、シン・リジィ、スコーピオンズといったグループが次々と誕生してきたのです。

 この1970年代を過ぎて1980年代に入ると、ハード・ロックは、ヘビー・メタルに移行していきます。しかし、その間の一時期に「パンク・ロック」というのが流行します。 パンク・ロックというのは、体制に反発する音楽イデオロギーのことをいうのですが伝統の崩壊、秩序の破壊、既成社会への反抗の叫びをヒステリックに主張し、日常の欲求不満をすべて音楽にぶつけたものをいうのです。

 セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、チェルシーなどは、パンク・ロックグループですが、彼らはきわめて異常な風体をしていたのです。世紀末風のファッション鋲つきの皮ジャンにチェーン、髪は逆立てて極彩色に染め、死人のような青ざめたマスカラの隈どりといえば、ピンとくると思います。

 しかし、彼らに決定的に欠けていたのは演奏力であり、長時間のコンサートには耐えられなかったのです。時代の異端児としては注目されたものの、演奏レベルの低さに人気は長続きせず、当然の帰結として、出現の瞬発力と同じスピードで姿を消してしまうのです。しかし、あの奇妙な風体だけは、若干姿を変えて次のヘビー・メタルに受け継がれることになります。

 さて、ヘビー・メタルとは何でしょうか。

 ヘビー・メタルとは、そのサウンドを表現するものです。どういうことかというと、ギター・コードの激しく鳴り響く音がデトロイトの自動車工場で、鋼鉄から車の部品をプレスする流れ作業場の、耳をつんざくような騒音と似ているところから、そう命名されたのです。

 その特徴はといえば、研ぎすまされた粗野でストレートな表現力、他の追随を許さぬスピード感にあるといえます。そして、当然のことながら、より悪魔主義と一体になっていきます。

 アイアン・メディアン(鉄の少女)というグループは、悪魔の数字といわれる666を前面に打ち出した曲「獣を野に放て、666、ナンバー・オブ・ビースト」という曲を演奏し、悪魔主義運動を起こし、ヘビー・メタルの先頭に立ちます。

 そして、ヴェノム、サタン、デーモン、ウィッチファンド、エンジェルウィツチなどのバンドが誕生するのです。まるで、地下教団的な秘密組織みたいですね。こういうヘビー・メタルのファンの56%は17歳以下の青少年なのです。・・・
http://intec-j.seesaa.net/category/4751327-1.html

▲△▽▼


新時代の寵児オノ・ヨーコ 『某業界情報紙』(一九九一年 十月 発行)より転載。


 オノ・ヨーコ は、一流銀行家の娘である。子供の頃から、学習院や三井アカデミーなどブルジョア学校で学び、皇族の一人とも親交を結んだ。

 一九五二年、二度目の渡米生活の時、ニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学し、勃興しつつあったアバンギャルドの「ビートニック」の洗礼を受けた。大学時代に麻薬を覚え、何回かの中絶をするなど乱れた男女関係を経た後、一柳俊というニューヨークのジュリアード音楽院の学生と結婚した。

二人は麻薬の巣窟、グリニッジ・ビレッジのジャズ界に入り浸りとなった。

その結婚生活もヨーコが、自殺未遂で精神病院から退院したばかりのホモの作家といい仲になったことから破局を迎えた。


 一九六二年になって、ヨーコの家族は娘をこのすさんだ生活から救おうとして日本に呼び戻したが、ヨーコはまたもや自殺をはかり、東京の精神病院に収容された。その精神病院からヨーコの脱出の手助けをしたのが、もう一つ輪をかけた悪のトニー・コックスというアメリカの麻薬売人である。コックスは、とある●●ヤ教司祭の息子と手を結んで麻薬の製造と密売を行った男で、ニューヨークにおけるLSD−25の売人第一号である。ヨーコの友人にも手広くLSDを売りさばき、FBIとマフィアの追及から逃れて日本に渡ってきた時、ヨーコと再開し結婚する。

 その時点で法的には、ヨーコは未だに最初の夫の妻だったにもかかわらずである。ニューヨークに舞い戻った二人は、幻覚症状を催す麻薬とアバンギャルド芸術の世界に憂き身をやつすことになる。

 トニーとヨーコは赤貧洗うがごとき生活を送り、夫婦喧嘩も絶えなかった。一九六六年にはロンドンに行き、アバンギャルド会議に出席した後、一年ほど滞在し、麻薬とロックとセックスの裏文化の中にどっぷりつかることになった。

当時の裏文化のメッカはインディカ・ギャラリーのかいわいであり、このインディカ・ギャラリーと称するカフェ兼アート・センターを始めたのが、ジョン・ダンパーとその妻のロック・スター歌手のマリアン・フェイスフル、およびビートルズのメンバーのポール・マッカートニーであった。

 そこでヨーコはジョン・レノンに紹介される。その数ヶ月後、ロンドンのあたりでレノンと遊び回るうちに、ヨーコはすでに妻子ある身のこの花形ロック・スターをまるめ込んでしまう。レノンはヨーコとつきあう以前からすでにLSD−25の常用者だった。ヨーコと一緒になったレノンはローリング・ストーンズなどのロック・ミュージシャンを巻き込んで手当り次第にいろいろな麻薬を試すようになった。当然のことながら、レノンもヨーコも麻薬中毒患者に転落した。

 その頃になると、ヨーコはオカルトに夢中になり、専属のタロット占い師を雇うまでになった。七〇年代後半には、コロンビアのカルタヘナ島に行き占い師の会社、リナ・ザ・ウィッチ【←おや?】に一週間通った。

 長年における麻薬とオカルトへの異常な関心の結果、一九八〇年のジョン・レノン暗殺事件の当時は、ヨーコは新時代の退廃的な哲学に夢中になっていた。相変わらず手の施しようもない麻薬中毒であった。進んで麻薬・ロック・セックスの裏文化に入り、今やその道にかけては世界的に有数な伝道者とも言える人物になっている。ヨーコこそ、まさに日本の新時代の寵児と言えよう。
http://asyura.com/sora/bd11/msg/26.html

▲△▽▼


かつてドラッグは神に近づくための道具だった。
「源氏物語」に、アヘンの吸引を暗示する場面が出てくるのを、ご存じだろうか。

「葵」の巻で、出産を控えた光源氏の妻・葵の上が、物の怪に取り憑かれる場面である。苦しむ葵を救おうと、光源氏は祈祷師を呼ぶ。場面変わって、離れた場所にいる源氏のかつての恋人・六条御息所は、葵を苦しめている霊が、自分の生霊であることを知る。髪を洗っても着物を替えても、体から芥子の匂いが消えないからだ。それは、祈祷師が護摩を焚く炎に投じた芥子の匂いだった。

当時、密教僧が祈祷の際に護摩焚きの炎に芥子や胡麻などの「焼供」を投じる習慣があったことは知られている。この芥子の実とは、何を隠そうアヘンやヘロイン、モルヒネの原料である。

かつての祈祷師たちは、アヘンの煙を吸って恍惚状態になり、病気治療に超人的な「霊力」を発揮したのではないか。国際日本文化研究センターの山折哲雄教授(宗教学)は、そんな仮説を持つ。

「幻覚剤の使用は、世界の宗教に普遍的に見られる現象です」

山折教授はそう説明する。

「古来、幻覚剤は神や天国に近づくための手段だった。ところが科学が発達して神の存在が否定され、幻覚剤は快楽のためだけの『悪魔の薬』になってしまった」

インド最古の神話「リグ・ベーダ」には、祭礼参加者が飲む幻覚剤「ソーマ」が出てくる。このソーマの正体には、大麻、幻覚キノコなど諸説がある。中南米では、幻覚キノコや幻覚サボテンが祭礼に使われた。

十六世紀にメキシコのアステカ王国を侵略したスペインの従軍僧サワグンは、ペヨーテというサボテンや、テオナナカトルというキノコを食べると「ものすごい色のついた幻覚に襲われる」と記している。先住民族は、これらを死地に赴く兵士や、神への生け贄に捧げる人間に与えたという。

民族薬理学者で、名古屋学院大学教授だった石川元助氏(故人)は、六五年にメキシコ先住民の「聖なるキノコの祭典」で幻覚キノコを食べた時の様子を次のように記している。

「私は完全に意識を失い、色彩だけのあの世へ行った。金、銀、赤、オレンジ、ブルー、緑、黒など美しい七色が、渦を巻いたり滝のように流れたりした…」

先住民族は「神の声を聞くために」このキノコを使っていた。

日本文化にも似た現象はある。「今昔物語」には、山中でキノコを食べ、恍惚と歌い踊る尼僧たちの話が出てくる。このキノコは、食べると幻覚に陥り、踊り狂うので「マイタケ」と呼ばれたが、今では「ベニテングタケ」らしいことが分かっている。 北欧ラップランドやカムチャッカ半島の先住民族にも、ベニテングタケを宗教儀式に使った形跡があるそうだ。

ドラッグが文学に残した貢献も計り知れない。ギリシア時代の詩人ホメロスの「オデッセイア」には「すべての苦しみ、怒り、悲しみを忘れさせる」アヘンらしき陶酔剤が歌われている。
http://ugaya.com/private/repo_32.html


脳にはA10と呼ばれる神経があります。 医学的には、恍惚神経とか快楽神経と呼ばれているそうです。 動物のA10神経はとても貧弱ですが、人間はこれがものすごく発達していて強力です。 わくわくしたり楽しくなったりするときには、この神経が興奮します。

実は麻薬でもこの神経が興奮することが知られています。 麻薬でこの神経が興奮して「意識の拡大」という色々な神秘的な現象が起きます。 でも、麻薬を使用し続けると、神経がボロボロになってだんだん楽しくなくなり、やがて廃人になってしまいます。

瞑想を行うと、脳内麻薬物質がこの神経の周りに分泌されます。
20種類以上ある脳内麻薬物質のうち、「β−エンドルフィン」は、なかでも非常に強力で、鎮痛作用はモルヒネの6.5倍もあるそうです。 「β−エンドルフィン」は死ぬときにも分泌され、おそらく苦痛を和らげるために出るのではないかと言われています。

ランナーズハイでも分泌され、マラソン選手が走っていて突然苦しさがなくなり恍惚とした状態になる・・・というのは、脳内麻薬物質が分泌されているからです。

麻薬は分解されませんが、脳内麻薬物質は完全に分解されるので一切害はありません。 脳内麻薬物質は普段大量に分泌されることはありません。 死ぬときとか、マラソンですごく苦しかったときに分泌されるのですが、それ以外で大量に分泌されるのが瞑想です。 瞑想をして修行が進むと大量に分泌され、とても気持ちがよくなるそうです。

でも、もっと修行が進むと、前回お話したように、鬼が出てきたり、悪魔が幻覚として出てきたりして、怖い目に逢うことがあるようです。 逆に、神様や天使、精霊などに逢うこともあります。 幻覚の中で、神様や仏様に出会って会話をしたりすると、けっこうまともな会話になったりするそうです。 現実の生活の悩みが解決されることもあるそうです。

ここで気をつけなければいけないのが、「自分はすごいレベルまで到達した!」とか「ついに「悟り」を開いた」と思ってしまうことです。 修行を極めた方々が一様に言うことは、「幻覚が出てきて神様や悪魔に会うという状況は、まだまだものすごく低いレベルの話で、「悟り」などよりはるかに遠いレベルだ」ということです。 それを知らない人は、「悟り」を開いたと錯覚して舞い上がってしまうのだそうです。

本格的に舞い上がってしまうと、そのまま精神病になってしまうことがあります。 ですから、それは脳内麻薬物質による幻覚なのですから、冷静に落ち着いて映画でも見るような気分でグッドトリップを楽しむ必要があるのです。

瞑想法、呼吸法、座禅などのごく普通の修行法も、やり方を間違えると大変危険なのだそうです。 やり方を間違えて、廃人や精神病になった例は数多く報告されています。 ですから、これらの東洋的な修行法は、必ずしっかりとした指導法にもとづいて、確かな指導者について十分注意して実行することが必要だと思います。

気功法では、このような危険な障害を「偏差」というそうです。禅では、幻覚の中で悪魔が出てきたり鬼が出てきたりすることがあるようですが、これらを「魔境に入る」という呼び方をしています。 ですから、これらの偏差を体験したり、魔境に入ったことを、精神的なものではなく、神秘体験だと錯覚する方も多いようです。
http://72.14.235.104/search?q=cache:awrxoWDLDRYJ:clover.h555.net/u/stone-field/%3Fy%3D2006%26m%3D2%26d%3D%26ca1%3D+%E9%AD%94%E5%A2%83+%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85&hl=ja&ct=clnk&cd=10&gl=jp


幻覚剤を服用することで自我への執着が喪失して、全体的な共有感が醸成されるという。そうすることで癌患者のうつ、強迫神経症、寿命末期不安、外傷後ストレス症候群とドラッグかアルコール依存症を治療することができるという。

ブッダが悟りを開いた瞬間はまさしく幻覚状態であった。宗教の根源にやはり幻覚が存在することのこれは証である。後世神学者が宗教に神学的要素を加えてわけのわからないぼやけた状態にしたが、初期の宗教は明らかに幻覚から誕生していた。

個人としての絶対的自由と真理を得る理想は、ヨガにより体験できるとし、家族から去り、悟りを求めて全ての社会的絆と責務を放棄し、隠遁生活に入ることであった。紀元前538年頃シッダッタ ゴータマという青年は、ベナレスの北160kmにあるカピラヴァストゥにある豪奢な屋敷や美しい妻や息子を捨てて、托鉢行者になった。煩悩の惨状に驚愕しながら、彼の周囲の全てに見ることができる苦痛の存在を終わらせることができる方法を必死に探し求めた。

6年間ヒンズー僧達を訪問し、贖罪に身を置いたが、得るものは何もなかった。高僧の教義も彼に訴えるものがなく、苦行は絶望をもたらすだけであった。ある夜 実行すべき方法がすっかりなくなり、自立心を捨て無我の状態になっていたら、忽然と悟りの境地が見えてきた。

それは全宇宙が退けられ、地球が揺れ動き、天国から花々が落下し、何とも言えぬ芳香が漂い、天国にいる仏達が歓喜している世界だった。それは仏達と自然と人類が大慈悲によって一体になった世界であった。

これは煩悩からの解放に対する新たな希望であり、涅槃への到達による煩悩からの解脱であった。そしてゴータマはブッダになった。
http://meimai.cocolog-nifty.com/twgt/2010/04/post-bf1b.html


仏教の創始者であるブッダは菩提樹の下で命がけの座禅をした。 何日も何日も断食をし、不眠不休の座禅。彼は精神と肉体を極限まで追い込んでいた。 それもこれも悟りを開き、人類を救済しようという大義のためだけに。

座禅瞑想の果てにブッタは遂に魔境にたどり着いた。 そこには魔羅というとてつもない力を持つ魔界の王が居たのである。

実はブッタは悟りを開く前に魔境の支配者である魔羅(マーラー)と戦っている。 一説によれば魔羅はブッタの闇の部分と言われているが彼は見事に魔羅に勝利し己の闇を克服した。 そしてブッタは深い瞑想状態から覚醒し、見事に悟りを開いたのである。 このように悟りを開こうとするものは己の中にいる魔物と戦わなければならない。

精神分析者のユングは己の中にいる魔物をシャドー(影)と言っていた。 つまり涅槃の境地を体得したいのであれば己の中に潜む魔を退治しなければならないのである。
http://religion.dot.thebbs.jp/1070291638.html


鈴木秀子さん (国際文学療法学会会長。文学博士。)が1977年不慮の事故で臨死体験をした時の描写です。 鈴木秀子さんは 愛の極致と至福感に包まれながら 生きた光からメッセージを受け取ります。

一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、一面光の世界にいたのです。まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。

それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、交流している生きた光なのでした。これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
http://blog.livedoor.jp/seitai227/archives/51655830.html
http://blog.livedoor.jp/seitai227/archives/51656333.html


臨死体験=脳内現象説

 臨死体験=脳内現象説は、臨死体験は死ぬ間際の人間が脳の作用によってみるただの幻覚の一種だという主張です。 これに関して、1920〜1940年代にアメリカの脳神経学者ペンフィールドが行った興味深い実験があります。

ペンフィールドはてんかん患者を治療するために頭蓋骨を切り開き、どこの部位を切除すれば機能が回復するかをテストしようとしました。 このとき、ペンフィールドは電気で側頭葉を刺激すると、患者が「自分の体が浮かび上がっているように感じる」 などということに気がつきました。これを聞いて学術的興味深々のペンフィールドさん。「面白いオモチャを見つけた」とばかりに患者の脳をいじくりまくります。

ぐりぐりぐりぐり。 てんかんの治療はどうしたんでしょうか?

 まず、側頭葉のある部位を刺激すると、「浮遊体験」が感じられ、別の部位を刺激すると、「自分の魂が体から離れていっている」という感覚に襲われることが判明しました。もしかしたらこの患者だけなのかもしれないので、念のためとばかりにペンフィールドは、同様の実験を他の患者にも試し、脳をぐりぐりぐりぐり。 同じような言動をすることを確認。

 また、側頭葉のシルヴィス溝を刺激された者の中には対外離脱だけではなく、神に逢ったと主張する者もいました。

 そういえば、日本で「悪魔を祓うために体を清める」と称し、いとこを殺害して体を塩で清めたという悪魔祓い殺人事件では、側頭葉てんかんを持った男が「神の声を聴いた」と主張したのが始まりでした。 側頭葉には神様が住んでいるのかもしれません。

 臨死体験=脳内現象説の理論はこれだけではありません。 もしあなたが自転車に乗っていたら、ドカンと車にぶつかってみましょう。 あなたの人生が一瞬にして早送りで再生されるはずです。

そうです、走馬灯です。

 この別名「映画フィルム式思考」と呼ばれる、死に直前で自分の一生が一瞬で思い出されるという体験は、クスリの服用でも体験できます。 クスリの名前はセントロフェノキシンという、スマートドラッグとしてアメリカでかなり出回っている代物。 これを服用すると、突然数十年前の思い出が鮮明に甦ってくることがあるのです。

 他には、LSDなどの麻薬で体験する幻覚には、


長いトンネルの映像、
まばゆい光、
別世界の住人、
生死を問わず様々な友人や家族


が登場します。  いくつかの薬物が臨死体験に酷似した幻覚を生み出すことは以前から指摘されていました。

臨死体験が脳内物質や脳内現象による幻覚であると仮定するならば、それと同様の薬物を投与することで臨死体験と同様の体験ができ、そのメカニズムと解明されることになります。

 1980年の時点で既に、精神薬理学者のロナルド・シーゲルにより、臨死体験と薬物による幻覚の類似性が指摘され、亜酸化窒素やエーテル、ケタミン、フェンシクリジン(PCP)、ヘロインなどの薬物の名が挙げられています。

 さらに、オークランド大学のイェンセン教授は、

「人間が死に瀕したとき、脳内の神経細胞を酸欠状態から防ぐために、エンドサイコシンという物質が大量に放出される。 これが臨死体験を引き起こすのだろう」

という説を発表した。

この説はあくまでも仮説であり確証はありませんが、人間が極限状態に陥ると、脳内麻薬が発生することは昔から知られていました。 死の直前というのは究極の極限状態ですから、脳内麻薬が大量に発生し、それが脳内に幻覚を生み出すのは十分に考えられます。

 大脳酸素欠乏症説というのもあります。

 肉体が危篤状態になったり、ほんの一瞬でも心臓が止まると、大脳の酸素が欠乏します。 この大脳酸素欠乏は、短時間であっても重大な損害を脳に与えます。

 この大脳酸素欠乏状態に陥ったとき、最初に幸福感や全能感がやってきて、
さらに酸素欠乏が進むと現実判断能力が失われ幻覚が生じます。  日本の武道の場合、柔道の絞め技などで「おちる」瞬間は非常に気持ちいいと言われています。

 これらは、直接 臨死体験=あの世 を否定するわけではありませんが、人間の脳に刺激を与えたり、ドラッグを服用することで擬似的な臨死体験をすることができるのは事実です。
http://psychology.jugem.cc/?eid=19


ドラッグの場合、幻覚にすぎないと本人も自覚していますが、「瞑想」の場合には、自分が「悟り」を開いた、と勘違いをして舞い上がってしまう人がおおぜいいます。
・・・・・・これは、とても危険な状態です。・・・・・・

 本格的に舞い上がってしまうと、そのまま精神病になってしまうことがあります。  新興宗教の教祖には、この程度のレベルで徹底的に舞い上がって、しかも精神がおかしくなっている人がおおぜいいます。

そんな教祖でもそれなりにカリスマ性があり、常人より「超能力」が高く、たとえば「手かざし治療」ができたりしますが、入信した人はえらい目にあうのがオチでしょう。

 ユングは、この危険性について、次のように述べております。

――― 人間が「無意識」を経験することは、本当に素晴らしいことなのですが、そこにはひとつの大きな危険性が立ちはだかっております。

 ヨーガの修行が進むと、人はいろいろと不思議な体験をします。こういった体験を自己と一体化するのを避けて、あたかも人間領域の外側にあるかのように扱うのが賢明でしょう。 もし同一化すると、あなたは魂の膨張(一種のエクスタシー的昂揚状態)に陥り、まったく道を誤ってしまうでしょう。 膨張というのは、まさしく小さな形の狂気、狂気の緩和された形なのです。

 そして、もしあなたが、完全な膨張状態まで燃え上がってしまうと、精神分裂病になります。瞑想によって見えるものも、また霊能力によって見えるものも、その見えたものに固執することはとても危険なことである。
http://sakuragainouta13.seesaa.net/archives/20060819-1.html


脳を分析しても”真我(アートマン)”の実体(実態)は出てこない。 出てくるのはせいぜい脳の一部の刺激によって記憶が消えたり(”私(自我)”という記憶が消えたり)現われたり、色や音を感じたり、幻想を見たり、怒ったり、泣いたり、不愉快になったり、快楽を感じたり、等、生命の個々の属性が現われたり消えたりするだけだ。

瞑想や荒行、座禅、護摩、加持祈祷、他力、等で”悟り”といわれるもののほとんどはこの手合いで事前に本や教科書や先輩や師匠などから吹き込まれた段階的な”悟り” と称するイメージを幻想として見て、”私(自我)”も悟ったと錯覚しそれをまた後輩に吹き込むということを繰り返して広まってゆく。

特にこれらで得られる快感は脳に対する無理で不自然な刺激よるので薬や催眠の中毒と同じように慢性化し (癖になり)、特定の音楽を聴いたり特定の匂いや視覚やしぐさ等で容易にはまり込んでしまうし、その快感を求めて再びはまり込みたくなってしまう (常習化する)。

極端になるとヨガ等の経典に出てくる空中遊泳とか物体の素通りだとか透明になるとかのいわゆる荒唐無稽な”通力”を本当に信じこむようになり極度のトランス状態(脳の痙攣)にまでなって、飛び跳ねたり手足をバタバタさせて、はたから見ると異常だが当人にとっては快感となっている。

この快感は極度の運動 (祭りやスポーツ等)などで得られるもの(いわゆる”真っ白になる”)と何ら変らないものだが、極度のトランス状態のもとでは脳に対する無理な作用、不自然な刺激によるものなので薬物と同様、後遺症、精神的副作用(人格、精神異常、意識障害等)などを伴う。

__________


何処までが正気でどこまでが狂気なのか、この判断はむずかしい。

まるでメビウスの輪のように、正気と思って走っているうちにいつのまにか、狂気になっていたり、狂気な行動が後世に正気として評価されたりするからだ。

狂気を演出する、これは正気でなければできない。

正気と思いつつも、いつのまにか狂気の世界に入り込んでしまうこともある。一般大衆の思考から離れてしまう。

それが、100年先の考えであれば天才であり、単に少し離れただけなら変わり者か変態で終わるが、接点が無くなるほど離れてしまい一般大衆と永遠に交われなくなれば、人はその人を狂人と呼ぶ。

信仰というのは怖いもので、最初正気ではじめたのが信仰がすすむにつれていつしか強信ならず狂信の世界に突入する。

やがて拝んでいるうちに祈祷性精神病になる。


真言密教の坊主には頭の狂ったのが圧倒的に多いがその理由は不思議な超能力を身につけるべく行う、求聞持聡明法・日輪観・月輪観・加持祈祷などにある。祈りをかけて祈りを叶えようとすると、祈りが叶えばそれでよいが、もし叶わざる場合には自分が壊れてしまうのだ。


熱心に祈り続けると、あるとき突然にお客様が”おいで”になる、

そうすると一人で泣き出す者、飛び跳ねる者、にやにや笑い出す者、

もうあっちの世界に飛んでしまったのだ。

こっちの世界にそれでも、もどれる者もいるが戻れなくなる者もいる。


禅の修業でも勝手に座禅などやると、現実と空想の区別がつかなくなり、あっちとこっちの世界の間に彷徨うことになる。これを空病という。

導師とはこのことを良く知り、現実に引き戻してやるための存在なのだ。
現実に戻さないでさらに背中を押してあっちの世界に追いやるのが悪の宗教であり、邪教なのだ
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/53904826.html


124:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 17:52:41 ID:otuwJkA3

気功やヨガは自己流でやるのは本当に危険だ。

私は脳波の研究で、健常者や精神分裂病、気功前と気功後の脳波の違いを比較する作業を行っていた
(苦痛で1年でやめたけどね)

禅病(瞑想時の魔境)にかかっている人の脳波は、精神病患者の脳波に限りなく近くなっている。

指導者が偏差や禅病の知識と対処法を教えることが必要だ。
ヨガにいたっても同じこと。

身体と精神面での準備が出来ていない状況でクンダリニーが上がってしまうと着実に精神異常をきたすよ。
http://2chnull.info/r/kampo/1149962009/101-200


つまり、幻覚剤や宗教やジャズ・ロックには深入りしない方がいいという事ですね。

クラシックでもそうですが、大音量でクラシックを聴く事自体が音楽の事を理解していない証拠なのです。 間違ってもジャズ喫茶で使っている様なスピーカーは家庭に持ち込んではいけないのですね。

居間で38cmウーハーのスピーカーなんか使っているのはアホだけでしょう。 あの凄まじいフォルティッシモで有名なフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュもカラヤンやバーンスタインやショルティよりはずっと小さな音しか出さなかったんですね。 演奏の凄まじさや壮大さと音量とは全く関係が無いという事です。

一方、ジャズやロックは耳を劈く大音量で聴かないとジャズやロックになりません。 トランス状態に入るのを目的とする音楽だから仕方無いですね。

110. 中川隆[-13702] koaQ7Jey 2019年11月09日 20:27:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-804] 報告

Brahms orch. Schoenberg Piano Quartet No. 1 in G minor Op. 25 (1861 orch. 1937) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ZAhrIt6Rd0I

Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.

____

Brahms orch. Edmund Rubbra Variations & Fugue on a theme by Handel Op. 24 (1861 orch. 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OXHjZI6tWZw

Originally composed for solo piano.
Performed by the London Symphony Orchestra conducted by Neeme Järvi.


ブラームス/シェーンベルク ピアノ四重奏曲第1番 - YouTube
サイモン・ラトル指揮BPO
https://www.youtube.com/watch?v=xANZT4GdyMg
https://www.youtube.com/watch?v=Yppkz1DQFsw
https://www.youtube.com/watch?v=wLOpvIiu09g
https://www.youtube.com/watch?v=225xKAM9McM

シェーンベルグ編曲より原曲の方が遥かにいいというのが何かなー


Piano Quartet No. 1 in G Minor, Op. 25 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H47HIgpeNfE
https://www.youtube.com/watch?v=6zort-YrOqM
https://www.youtube.com/watch?v=C-ZhWhF-itc
https://www.youtube.com/watch?v=wqORoyQ3mgA

Artist: Adolf Busch
Artist: Hugo Gottesmann
Artist: Herman Busch
Artist: Rudolf Serkin

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ブラームスの「交響曲第5番」?

ナチス政権の成立によってドイツを追われることとなったシェーンベルクは、パリを経てアメリカに亡命する。その地でシェーンベルクはオーケストラ作品への編曲を幾つか手がけるが、その一曲にブラームスが若かりし頃に書いたピアノ四重奏曲もあった。

シェーンベルクは出来上がったこの編曲に大変満足し、聴衆からも高い評価も獲得する。中には「ブラームスの交響曲第5番」というものまであった。しかし、実際のこの曲はブラームスが決して自らの交響曲に使わなかった楽器や特殊奏法のオンパレードであり、そして何より、ジプシー音楽的な情熱をそのまま表現した音楽それ自体、ブラームスが決して交響曲の題材に選ばなかったものである。

そのことを考えると、この編曲をブラームスの交響曲第5番と呼ぶことは、やはりあまり適当なこととは言えない。しかし、一つ視点を変えてみると、また違った様相が見えてくる時がある。

シェーンベルクはウィーンで正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれた。しかし宗教的には自由な環境で育つ。1898年、24歳の時にプロテスタントに改宗する。同化ユダヤ人となってウィーンでの社会的地位を改善するためであったが、ウィーンで勢力の強いカトリックは選択しなかった。その後、シェーンベルクはウィーンやドイツ・ベルリンで活動を続ける。しかしユダヤ的なものへのこだわりはシェーンベルクの中でくすぶり続け、「ドイツ人」を追われた1933年、亡命の経由地パリでユダヤ教に改宗する。

しかし、ドイツ時代のシェーンベルクは、自分を偉大なドイツ音楽の継承者だと信じて疑わなかった。このことは次の言葉からも推し量る事ができよう。「ドイツ民族の魂から生まれた、外国の影響を全く受けていない私の音楽は、ラテンやスラヴ民族の覇権の期待に最も効果的に対抗し得る芸術の実例である。」(1931年、エッセイ「国民音楽」より。)偉大なドイツ音楽の伝統を受け継いだその自分を放り出したナチスに対して、シェーンベルクは憤懣やるかたないことだったろう。アメリカの地で、シェーンベルクは快適な環境を容易には見つける事ができずにいた。ましてや、ヨーロッパで苦労の末獲得した作曲家としての名声や尊敬など、ここ新世界アメリカでは御伽噺でしかなかい。

そんな中での「ブラームスの交響曲第5番」という言葉は、例えそれが編曲に対しての言葉であっとしても(アメリカの聴衆にはこの作品のメロディがブラームスのものだと気付かない者もいたが)、シェーンベルクは決して悪い気はしなかったであろう。

その昔、ブラームスの交響曲第1番は初演された当時「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼ばれた。偉大なベートーヴェンの伝統を受け継ぐもの、という意味を込めてである。これを踏まえると、シェーンベルクはここにおいて、ベートーヴェン−ブラームスと続くドイツ音楽の系譜の中に位置付けられる存在となったのである。そしてこの編曲以降、シェーンベルクの作品には《コル・ニドレ》や《ワルシャワの生き残り》《現代詩編》など、ユダヤ的な作品がより目立った位置を占めるようになる。このブラームスのピアノ四重奏曲の編曲は、シェーンベルクのドイツ的なものからユダヤ的なものへの転回点の時期に位置する作品であるといえるかもしれない。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-sinphonie-5


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ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 シェーンベルク編曲版
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet

〈未完成〉との間を繋ぐ鍵としての『ハンガリー・ジプシーの音楽』

1828年に31歳で早世したシューベルトと、5年後の1833年に生れたブラームス。その接点が、1880年代にブライトコプフ社が刊行したシューベルト全集で、ブラームスが交響曲の巻の編纂を担当したことにあるのは拙著『交響曲の名曲・1』で述べたとおりだ。しかし1822年前後に作曲されたまま眠り続け1865年に初演された〈未完成〉と、それより前の1861年に完成・初演されたブラームスの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉との関係をひもとくのは一筋縄ではいかない。鍵は『ハンガリー・ジプシーの音楽』にある。


以前ハンガリーの指揮者I.フィッシャーがN響に客演して『ハンガリー音楽特集』を指揮した際に〈未完成〉が入っていたので、その理由について質問を受けたことがある。しかし、これは音楽映画『未完成交響楽』をご存じの世代には説明を要しないことであろう。そこではハンガリーの貴族エスタルハージ家の令嬢との恋の破局が、第3楽章以下を破棄させた原因として描かれていたからだ。史実を自由に取捨選択してロマンティックなフィクションを創作した古典的音楽映画にクレームをつけるなら、例えば、最晩年に作曲されることになる〈菩提樹〉が既に歌われている等、幾らでもできるが、シューベルトが高名な貴族の音楽教師として雇われてハンガリーのツェレスに赴いたのは事実(但し令嬢は、まだ12歳だったのだけれども)。そして〈未完成〉にハンガリー・ジプシーの音楽を思わせる主題が登場するのも明らかなのだ。

第1楽章が始まって直ぐオーボエとクラリネットがユニゾンで吹く主題@がそれ(以下ジプシー関係の譜例は、比較し易いようにイ短調に移調してある)。ついでに言うと、こうした単旋律を木管で呈示する場合、普通は一つの楽器のソロの方が推奨される。違う楽器2本のユニゾンだと音程が合いにくいからだが、シューベルトが敢えてリスクを犯したのはハンガリー・ジプシーの使う木管楽器の土臭い音色を、ダブル・リードのオーボエとシングル・リードのクラという異種の混合色で真似しようという意図があったからだという説もある。

brahms pq fig01

Aがハンガリー・ジプシーの短音階とされるものだが、@の↓のミ♭あたりが、クラシック音楽の一般的な短音階とは違って『こぶしを効かせた』感じとなる。これを半音高いミ・ナチュラルで演奏してみれば、この音が〈未完成〉の哀調を帯びた雰囲気の鍵を握っていることがお分かり頂けることだろう。

brahms pq fig02 03

ジプシー音楽はウィーンでも聴けたはずであり、シューベルトがツェレスで初めて接したということにはならないと思われるので、シューベルトの場合、時系列的な前後関係まで深追いしても意味はないが、ブラームスの場合は直接の伝授者がはっきりしている。17歳の時に知り合ったハンガリーからの亡命ヴァイオリニスト、レメーニだ。その成果が35歳の1868年に〈ハンガリー舞曲集〉として発表されたのはご存じのとおりだが、それより前に初演されて大成功を収めたハンガリー・ジプシー系の作品がある。それが他ならぬ、この〈ピアノ四重奏曲・第1番〉なのだ。

1861年にクララ・シューマンのピアノ他で行なわれた初演は、特に第4楽章が聴衆から最も喝采され、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムもこのフィナーレ楽章を絶賛したという。Bがその主題。この場合音程そのものは普通の旋律的短音階なのだが、6小節目(↓)で高く跳ね上がるあたりが民俗的だ(普通ならオクターヴ下になるはず)。

パソコンがフリーズしてしまったおかげで、この原稿は03年のニューイャー・コンサートを観ながら打っているのだが、アーノンクールが〈ハンガリー舞曲第5番〉をブラームスが一番気に入っていたというライヒェルトの編曲で演奏している。その中で最も目立った特徴は、主部の終わりで、旋律線が通常よりオクターヴ高く跳躍すること。この『裏返った』強調こそは、Bの6小節目と同じで、ブラームスがジプシー風と感じていたポイントの一つに他ならないのではあるまいかと、改めて実感した次第。フィナーレ楽章中間部のチェロに出てくる短調の主題Cなどは、ジプシーの嘆きそのものと言っても過言ではなく、理屈っぽい説明は不要だろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet


交響曲をどう終わらせるか。ベートーヴェンの重圧。

ハイドンが100曲以上も交響曲を書き、モーツァルトも40曲を超えたのに、ベートーヴェンが9曲しか残さなかったのは後の交響曲作曲家にとって大きなプレッシャーとなった。数の少なさではなく、作曲家が芸術家としての全能力を注ぎ、思想的な主張まで折り込んだ選りすぐりの傑作として交響曲を位置づけなければならなくなったからだ。そのためブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルジャーク等は、古典派の時代だったら交響曲としてもおかしくない内容の曲を、〈セレナード〉や〈組曲〉として発表することになる。シューベルトがロ短調交響曲を未完成のまま残した理由を、そうしたあたりに求める学者も少なくない。

シューベルトは6曲の未完成交響曲を残しているが、そのうちの5曲は〈6番〉を作曲した19歳より後に集中している。楽想は幾らでも湧いてくるのから、素材は直ぐに出来てしまうのだが、それを纏めあげてベートーヴェンに較べて見劣りしないような4楽章仕立ての大交響曲として仕上げるのが至難の業だったからだ。ロ短調の〈未完成〉の場合は、第1楽章からトロンボーンを使うのに加え、最初から大衆音楽としてのジプシーの要素を導入するなど、ベートーヴェンを越えようとする新機軸を採用して意欲満々で前半2楽章を書き終えたものの、その着地の仕方に手こずり、仕切り直し的に再挑戦したハ長調の〈グレイト〉で、一応、一つの解答を見出したところで神に召されたのである。

ブラームスの場合も2曲のピアノ協奏曲を、その内容の重厚さから『ピアノ独奏付きの交響曲』と呼ぶこともあるし、例えば〈交響曲第5番〉になるはずがヴァイオリンとチェロの〈二重協奏曲〉になったように、交響曲として着想した素材を、結局は違う形の曲に仕上げたケースも多い。

ブラームスは43歳の1876年に完成・初演した〈1番〉を含めて4曲しか交響曲を残していないのだが、シェーンベルクの堂々たる編曲でお聴きになれば、それより15年前に初演されたこの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉こそは、2曲の〈セレナード〉よりも『幻の交響曲』に相応しいことを実感されるに違いない。シェーンベルクは、冗談めかして「ブラームスの〈5番〉」と呼んでいたそうだが、原曲の成立年代を考慮するなら、ブルックナー風に〈0番〉とする方が似合いではあるまいか。しかしその場合に引っ掛かる可能性があるのが、ジプシー音楽風のフィナーレなのだ。

フィナーレを締め括る『ジプシーの音楽』による熱狂

シェーンベルクは長さや構成は原曲を尊重して、オーケストレーションだけに仕事を限っているので比較し易い。もし仮にブラームス自身が同様の試みを行なったとしたら、色彩は比べ物にならないくらい地味になったに違いないにしろ、シェーンベルクの編曲版と同じく原寸大の交響曲的な大作が出来上がったのは間違いないのだ。もし、それを〈交響曲第1番〉として発表したなら、当時の批評は、前半3楽章の北ドイツ的な重厚さを認めつつも、新進気鋭の若手が力及ばず、第4楽章で「大衆音楽へ擦り寄った」として批判した可能性が強い。

我々が、こうしたフィナーレにそれほど違和感を感じないのは、既に後の〈ハンガリー舞曲集〉の編曲者としてのブラームスを知っていることも大きい。更には、チャイコフスキーの交響曲〈第4番〉やドヴォルジャークの〈8番〉等、民俗音楽的・民衆音楽的な要素を打ち出したフィナーレを結論とする交響曲が歴史的に承認されてしまってから後の耳で聴いているという事実も忘れてはなるまい。

結局ブラームスは、交響曲の終楽章としては4曲とも構成的に凝った『芸術音楽』として誰からも後ろ指を差されないフィナーレを書いたわけだが、このシェーンベルク編曲版を体験すると、血気盛んだった20代に、こうした舞曲的な乗りで最後にエネルギーを開放するタイプの交響曲 -- ベートーヴェンの〈7番〉やメンデルスゾーンの〈イタリア〉を継承してバッカス的な熱狂で終わるタイプのシンフォニーを発表しても良かったのではと思えるのだ。少なくとも筆者は、シェーンベルクの優れた編曲に感謝しつつ、後の4曲に比すべき本格的な交響曲として演奏するつもりである。

話を〈未完成〉に戻そう。一頃〈未完成〉を完成させようという試みが真剣になされ、作曲を公募するコンクールさえ行なわれたこともある。それをブラームス=シェーンベルクによる〈0番〉的な解答から遡って考えてみると、シューベルトの場合も、ハンガリー・ジプシー的なフィナーレ楽章という選択肢もあり得たのではないかという気がしてくる。今回この2曲が並んだのは偶然の賜物だが、〈未完成〉の『幻のフィナーレ楽章』という観点から、想像を巡らすのも一興であろう。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-2


シェーンベルクの編曲と楽章の解説
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3


この編曲はナチスを逃れてロサンジェルスに定住することになったシェーンベルクに、同様の境遇で同地にいた指揮者クレンペラーが提案することで実現した。チェロやヴィオラを弾いて原曲を知り尽くしていたシェーンベルクは、ブラームスの構造をいじることなく、オーケストレーションのみに徹して編曲を行なったが、ピッコロ&バス・クラリネット、コールアングレといったブラームスの使わなかった管楽器を含む3管編成で打楽器をマーラーの交響曲ばりに総動員したために、極めて色彩的なスコアとなっている。編曲は1937年、初演は翌38年5月7日にクレンペラーの指揮によってロスで行なわれた。その時のエピソードとして、この編曲を無調・12音技法の雄シェーンベルク自身の新作と勘違いしたロスのマネージャーが「なぜ人が『シェーンベルクにはメロディが無い』と言うのか私には分からんね。あの曲は、とてもメロディックなのに」と評したことが知られている。

第1楽章 アレグロ、ト短調、4/4拍子、ソナタ形式。

第1主題はDとEからなる。ブラームスは〈4番〉の第3楽章で、こうした双頭主題を上下に重ねて同時に出すといった芸当を見せるが、ここではDが終わったらEをという普通の形。しかし再現部ではE→Dと逆にして古典派的・図式的なシンメトリーを避けるように工夫し、全体がストーリー風に発展してゆくロマン派的な展開を選択。第2主題はFとその変容Gで、苦悩を内に秘めた第1主題群に対して、若者らしく積極的に進む意志が感じられる。

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20代のブラームスはシューマンによってヨーロッパ楽壇に華々しく『天才出現』と紹介されたものの、翌年そのシューマンが入水自殺を図り、やがて精神病院で没するという悲劇を目の当たりにした。これが23歳の1856年のこと。子供達を育てながらピアニスト・作曲家として活躍する未亡人クララ・シューマンに対する想いは生涯に亙って続くが、当時は極めて熱いものがあった。この楽章には、そうした『シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)』時代の青年作曲家の心の嵐と諦念が刻印されている。

第2楽章 "インテルメッツォ(間奏曲)" アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ハ短調、9/8、三部形式。

インテルメッツォと題されてはいるがシューマン風な短いエピソードではなく、実質的にはかなり規模の大きなスケルツォ楽章。但しベートーヴェン的な哄笑や諧謔とは無縁で、主部はむしろ歌謡的。ブラームスは〈交響曲第2番〉の第3楽章で、牧歌的な主部に軽快なトリオを挟む『逆スケルツォ』を実践しているが、この楽章はその原型か。第1楽章の嘆きを継承したような暗い主部Hに、突然、光が差し込んだかのような軽快なトリオ(アニマート、変イ長調)Iが挟まれている。

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このIは5小節の変則的なメートリクを採用しているだけでなく、その中にシューマン→ブラームス楽派のDNAとも言うべきヘミオラのリズム・パターン(タイを使った2小節単位の3拍子)を含んでいるのが重要。メンデルスゾーン風のスケルツォの飛翔感にペンタゴン的な5角形の車輪を与えたようなこのトリオは、一見、ごく普通の走馬灯のように見えるが、実は、全曲中で最も過激な実験精神を秘めた箇所なのだ。後の〈ハイドンの主題による変奏曲〉の最後で5小節周期のパッサカリアを採用しているが、このトリオはテンポが速いぶん、リズム的な要素がマジカルに浮き上がってくる。

主部に戻った後のコーダは、トリオの陽光を回想しハ長調で結ばれる。

第3楽章 アンダンテ・コン・モート、変ホ長調、3/4、三部形式。

前楽章のコーダで予感されたように、ここで楽章としては初めて長調に転ずる。この楽章はオーケストラ化によってシンフォニックなスケールを獲得し、本格的な緩徐楽章としての訴えかけが一段と強まった。この主部J全体は〈交響曲第2番〉を走行試験的に先取りしているのだが、コーダでその原主題が、正に〈2番〉そのままの姿で現示されるあたりは、ブラームス・ファンにとって聞き逃せないポイントの一つであろう。

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付点リズムを特徴とする経過的エピソードを経て飛び込む中問部(アニマート、ハ長調)Kは、シェーンベルクがギャロップ風のリズムを打楽器群によって強調したために、騎馬軍団が走り抜けてゆくようなイメージが一段と鮮明になっている。

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第4楽章 "ロンド・アラ・ツインガレーゼ(ジプシー風のロンド)" プレスト、ト短調、2/4、ロンド形式。

シェーンベルクがこの楽章のジプシー風の性格を強調しているのは、冒頭のBの伴奏音型の弦に弓の木部で叩く奏法を要求して、ハンガリー・ジプシーの楽器チンバロン(棒状の撥で弦を叩くピアノの原型となる楽器)を模していることでも明らかだ。更に重要なのは、この楽章の舞曲的なエネルギーを謝肉祭的な熱狂へと開放するために、木琴、鉄琴、タンバリンといったブラームスが使わなかった打楽器群を総動員して、原色的なオーケストレーションを施していることだ。

シェーンベルクは第1楽章ではブラームスの渋い響きを尊重しているのだが、楽章を追うごとに色調を自らの時代の方に引き寄せ、このフィナーレで近代兵器としてのオーケストラのパレットを全開するのである。

3小節周期の乗りの良いメートリクを特徴とするBに対して、無窮動的なLは、祭のざわめきを感じさせるが、シェーンベルクがそこに原曲にはない不協和音によるハロウィン的なギャグを仕込んでいるあたりも聞き物だ。

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中間部でテンポが緩んで、Cを交えた新たなクープレに入るあたりは〈ハンガリー舞曲・第1番〉や〈5番〉と似たパターン。コーダ直前のカデンツァは、ストコフスキーを思わせるオルガン風な響きと、ソロ群の対比が鮮烈な効果を上げる。コーダのストレッタ(追い込み)もオーケストラ化による筋肉強化、特に金管群の音色旋律的な格闘が興奮を一段と煽り、舞曲的な熱狂が臨界に達したところで締め括られる。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/brahms-piano-quartet/page-3



▲△▽▼


Johannes Brahms - Luciano Berio Sonata for Clarinet and Orchestra (1986) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Fp96PLO9ugg

Johannes Brahms (1833-1897): Sonata for Clarinet and Orchestra in F Minor Op. 120 n.1,
trascrizione per clarinetto e orchestra di Luciano Berio (1925-2003) (1986)
--- Fausto Ghiazza, clarinetto --- Orchestra Sinfonica di Milano "Giuseppe Verdi" diretta da Riccardo Chailly ---

I. Allegro appassionato
II. Andante un poco adagio
III. Allegretto grazioso
IV. Vivace

▲△▽▼


Brahms Clarinet Sonata, Opus 120 No. 2 in Eb (orchestrated) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0YEUjECXhUM


Margaret Donaghue-Flavin performs with the Frost Symphony Orchestra - April 22, 2016.
Thomas Sleeper, conductor and orchestrator.

111. 中川隆[-14516] koaQ7Jey 2020年1月15日 10:12:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1440] 報告
クララ・シューマン ピアノ三重奏曲ト短調 Op.17
2020 JAN 14 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/14/クララ・シューマン-ピアノ三重奏曲ト短調-op-17/

廣津留すみれさんからメールとビデオをいただいた。

「クララ・シューマンのトリオを追加しましたのでよろしければお聴きください。昨年夏に演奏したもので、Chamber Music Society of Lincoln Centerで活躍するチェリストとピアニストとの3人です。」


話の成り行きは「好きなピアニストは?」からクラウディオ・アラウに、そしてハンマークラヴィール・ソナタに行き、「これ、ベートーベンの死後しばらくは弾ける人はフランツ・リストとクララ・シューマンだけだったんだよね」となった所、「ところでクララのピアノ・トリオご存知ですか?わたし弾いたビデオがあります、いい曲ですよ」ということになった。

すみれさん、いいですねえ。このトリオ、知りませんでしたがクララ27才の作品です、貴女がいま弾くにふさわしい。何回も聴いてしまいました。

これはクララがピアノ、声楽以外のために書いた初めての作品のようだがVn、Vcの扱いに何らの違和感もない。シューマンはこのトリオに触発されて自身のピアノ・トリオ(1番、op.63)を書いたらしいが、クララのOp.17の方にもシューマネスクなものがあって、和声の天才的独創性はロベルトにしかないけれど、彼にはクララからもらったものが多くあるんじゃないかと思えてしまう。

さらに言えば、第1楽章の第1主題などそのままブラームスになっちゃう。何やら深い、恐るべしだ。

こう書いてメールを返信した。

第1楽章ですが、 ベートーベンのピアノ協奏曲第3番の 第1楽章がちらっと出てくるね。どこかわかりますか? 提示部の最後と、もっとはっきりと10分42秒からです。クララは3番、4番が愛奏曲でカデンツァを残してます。ついでに、6分49秒からのパッセージは魔笛のパミーナのアリア(これもト短調)です。モーツァルト、ベートーベンがどれだけドイツロマン派の底流にあるかわかりますね。

そう、わかる。クララが若くしてドイツ保守本流の古典音楽をすでに自家薬籠中の物としていたインテリ、教養人であったことが。そのうえでハンマークラヴィール・ソナタを弾ける当代1,2を争う技巧を持っていたわけで、この人とファニー・メンデルスゾーンは作曲も一流だった女流演奏家として音楽史上双璧である。

トリオを聴きながら、そこに「女流」という形容詞をつけるナンセンスを考えていた。ファニーは弟フェリックス・メンデルスゾーンより才能があると記した同時代人もおり、18,9世紀の欧州ではまだ厳然と立ちはだかっていたジェンダーの壁は多くの傑作を闇に葬ったのではないかということを。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/14/クララ・シューマン-ピアノ三重奏曲ト短調-op-17/

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