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あなたの知らない「天皇家」の謎 皇室の祖先にワニがいた!?
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/256.html
投稿者 gikou89 日時 2011 年 1 月 13 日 10:13:56: xbuVR8gI6Txyk
 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110113-00000005-pseven-pol

今年も新年一般参賀には多くの国民が集い、日本国民統合の象徴である天皇のもと新たな年を祝った。しかしその一方で、私たちは皇室の実態についてどれほど知っているだろうか。天皇とは何か、皇室とは何か。神道学者の高森明勅氏が監修した「天皇家の謎」をもとに、日本という国、そして日本人の心を改めて考えてみよう。

【皇室の祖先にワニがいた】
 神話によると、天皇の祖先にあたるヒコホホデミの尊は海神の娘と結婚したという。出産にあたり、本来の姿に戻って子を生むので見るなといわれたが、つい覗いてしまうと「ワニ」の姿になっていた。この場合のワニとは鰐ではなく鮫。ただし、神話上のことなので、皇室の血統が海神の神秘な力をも包摂していたという思想の表われだ。

【明治天皇を胴上げする提案があった】
 明治27年9月15日、広島の大本営におられた明治天皇のもとに、日清戦争での平壌の戦いに日本軍が快勝したとの報が届いた。一同、喜びに沸いたが、1人の侍従が嬉しさのあまり、一つ陛下を胴上げしようかといい出したという(海軍中将、川島令次郎の証言)。当時の君臣のむつまじさを想像させる話だ。

【マッカーサーが昭和天皇に感動】
 昭和20年9月27日、昭和天皇とマッカーサーの第1回会見。天皇は戦争についての一切の責任を負うと言明された(『マッカーサー回想記』ほか)。副官だったバワーズの証言によれば、感動したマッカーサーは次のように述べたという。「天皇を殺すことは、イエス・キリストを十字架に架けることと同じだ」と。

※週刊ポスト2011年1月21日号

 

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コメント
 
01. 2011年1月13日 11:34:53: MiKEdq2F3Q

日本人はみんな,天皇家は精神薄弱の家系で昭和天皇も自分では何一つ決められない意志薄弱の知恵遅れだと思い込まされてきた.

しかし,それは世を欺く仮の姿だったのだ:


ある60才代の風変わりな華族は、私に英語で以下のように告げた。

「もちろん、貴君は私をたぶらかそうとしていると思う。貴君は私に何を言わせたいのかね。

私は裕仁を子供の頃から存じている。

彼は、戦争好きの馬鹿ロマンチストだったし、たぶん今でもそうだと思う。

しかし、もう数十年もご無沙汰している。私は、自分の古い時代に乱されたくはない。もし、貴君が私の名前をあげるなら、私が貴君には会ったこともないことにする。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm

昭和天皇は若いころから、宮中の書斎にはナポレオンの胸像が飾られていた(有名な話らしい)。パリを訪問したときに土産として自分で買ったもので、珍重していた。

「ナポレオンの軍隊は安上がりの徴集兵で」彼は「この軍隊を愛国心に燃える兵隊の群れに仕上げた。日本の軍隊は葉書一枚で徴兵された“民草”といわれる安上がりの軍隊で、ナポレオンの軍隊以上に愛国心に燃えていた。

ナポレオンは補給のほとんどを現地補給とした。天皇の軍隊はこれを真似た。

ナポレオンは参謀部をつくり、機動力にまかせて、波状攻撃を仕掛けた。天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。」

「あの真珠湾攻撃は、そしてフィリピン、ビルマ、タイ…での戦争は、ナポレオンの戦争とそっくりである。」と鬼塚氏は書いている。そう言われれば確かにそうだ。

 つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。

終戦の玉音放送が流れる日の朝、侍従が天皇を書斎に訪ねると、昨夜まであったナポレオンの胸像がなくなっており、代わってリンカーンとダーウィンの像が置いてあった、と…。

 この変わり身の素早さには驚かされる。つまりもう占領軍が来てもいいように、好戦的なナポレオンの像は撤去し、アメリカの受け(好印象)を狙って、リンカーンを飾り、自分は生物学に専念している(政治に無関心な)人間なのだとの印象を与えるためダーウィンを飾ったのであった。天皇は書斎からしてこうなのです…といえば、戦争責任が回避でき、マッカーサーに命乞いできるという思惑である。

戦後、天皇が海洋生物の研究家になったのは、ただひとえに自分が専制君主ではなかったというポーズであり、戦争中の責任を隠す念のいった方便だった。国民もそれに騙された。

 そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。

大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。

ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。

だから後年、阿川弘之が(あの程度の作家なのに)文化勲章を授賞したのは、海軍と天皇の戦争責任を隠してくれた論功行賞であったとしても不思議はない。

海軍の作戦を宮中の大本営で指導したのが、昭和天皇だったから、天皇としてはどうしても敗戦の責任を海軍に負わせるわけにはいかなかった。そこから「海軍善玉論」を意図的に展開させたのではないか。

佐藤氏は太平洋の作戦全般を大本営の服部卓四郎や瀬島龍三ら下僚参謀が勝手に指揮したと書いているが、知ってか知らずか、さすがに本当は昭和天皇が指導したとは書いていない。

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2

海軍の作戦を宮中の大本営で指導したのが、昭和天皇だった。

天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。

佐藤氏は太平洋の作戦全般を大本営の服部卓四郎や瀬島龍三ら下僚参謀が勝手に指揮したと書いているが、知ってか知らずか、さすがに本当は昭和天皇が指導したとは書いていない。

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。
これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。

責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。
そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。
大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。

ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。
だから後年、阿川弘之が(あの程度の作家なのに)文化勲章を授賞したのは、海軍と天皇の戦争責任を隠してくれた論功行賞であったとしても不思議はない。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

「吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。


吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

吉田茂の養父である吉田 健三。
吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。
吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇

吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。


麻生の正体                                                             
 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。
 その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。
 麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html

昭和20年8月15日には、実は広島にあった陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部は、8月6日の原爆で既に壊滅していた。だからクーデターは起こせない状況にあった。天皇一派は、陸軍による戦争継続を求めるクーデターを一番警戒していた。そのために終戦決定に当たっては、陸軍の叛乱が絶対に起きないように手を打っておかねばならなかった。  広島にあった陸軍の第二総軍司令部が原爆で壊滅したのは、偶然ではなかったのだ。

 天皇一族は、なんと昭和20年6月の時点で(!)ヨハンセングループを通じて、原爆投下の情報を実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていた。ヨハンセングループとは、米国機密文書に出てくる秘密名の日本側組織であり、参加者は、牧野伸顕・吉田茂・樺山愛輔・岡田啓介・米内光政たちであった。このグループは、当然ながら戦犯に指定されていない。

 スティムソン陸軍長官からグルー駐日米大使、さらにヨハンセングループへとルートがあり、そのルートを通じて天皇一派は戦時中も米英勢力と繋がっていたのである。
昭和天皇は20年6月にスティムソン側から、原爆投下の場所と日時を決めるよう要請を受けた。そして広島に、8月6日午前8時頃と回答したのは、天皇一派であったのだ。その仲介をしたのがヨハンセングループであった。

つまり天皇は敗戦によって自分の生命と財産が保全されることが連合軍に保障されたので、ポツダム宣言受諾という形で敗戦を決めたが、それを陸軍に邪魔されたくなかったので、米軍に頼んで広島の陸軍司令部を叩き潰してもらったのであり、広島市民40万人はその犠牲にされたのである。

 当時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日未明に割腹自殺を遂げているが、その直前に部下に「米内(海相)を斬れ!」と言い残している。阿南陸相は一連の原爆攻撃から終戦工作の経緯を知っていたのかもしれない。

 ヨハンセングループの連中は、戦後、口を揃えて、原爆投下は終戦のための「天啓」だったなどとヌケヌケと発言したのであった。 それにしても、天皇やヨハンセングループが原爆投下の場所・日時を指定していたことは、ソ連参戦をも承知していたのであろう。ソ連軍が満州に侵攻する準備が整うまで、戦争を引き延ばしていたとも取れる。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6670188e626bc9a6e9269a37b1c57f5e


02. 2011年1月13日 18:59:50: MiKEdq2F3Q

天皇の原爆しょうがない発言


昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。

この会見の場で、

「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・

こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、

広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」


と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。

http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html

      ..,,,,,ll,,,,,,,|||Illllla,,_
    : .,,,illlllll゙゙¬゙|ll|l》゙|ト砲,、
   、,llllll゙゙`″  : : `:   ``ミi、
  .:ll感l″        ..,゙ lL  
  ..,,,l巛゙l,!:      、 i、    法
  .i'フ,,l,゙l": .:igl絲!llト:″|: .,,,,iig,,,,永
  .`;ll,lト  : ]″_,,,,,┐._ .,i´  .゙て″
  : ;,lレ-・''゙‐'ゼ゙゙”`,ア~`゚゙|,゙゙゙゙lト,レ⊥
 广'i、ァ   ゙゙‐'‐'" : :::  ゚"ー'″ .|i
. ;ヒ'::;,il|      _.:::::::  .=@  ||
 .'fi,;゙l;ヒ  : : ;:  :":・lll゙l,.'l・!°   |
   ゙'!,,,い:    ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\  .,l 世界大戦は私のせいで多くの人が死んだ?
    .”゙l   /゜,,,,,lwew-ii,, ゝ ,l゙
     ll,  ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i   あ、そう! だから何?
    ,,,i'llr゚''ri,,,,,_ : :   : : _,r°
  ,,,iilllli,゙h,、`゚゙゙゙lllllllllilllllll"】 

 

昭和天皇を襲った恐怖とは


日中戦争を開始させた昭和天皇の誤算は,中国の正規軍がいくら弱くても,中国人ゲリラには勝てそうもないという事だった. 今のイラクやアフガニスタンの米軍と全く同じですね.


そのまま行ったらソ連が参戦してきて日本は占領されてしまう. そして,昭和天皇が中国で行った組織的財宝略奪と それをカモフラージュする為にやらせた(?)大虐殺の黒幕だったことが明らかになってしまう.

昭和天皇は戦犯として処刑され,天皇制は廃止,昭和天皇の悪逆非道な行為は世界中で永遠に語り継がれる事になる.

そこで昭和天皇が考えた(?)起死回生の名案とは:

負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂(スパイ名「ヨハンセン」)などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。

天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。 日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。

ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。

天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/beikoukanngagenbakutoukaseitoukawohatugen%20nihonsukuuzihibukaikouito.htm

最終通牒を遅らせた大使館員は戦後大出世


真珠湾攻撃には幾つかの不可解な事が起こっている。一つは宣戦布告の通知が遅れた事、そしてもう一つは攻撃の不徹底さである。通知が遅れた件に関しては此れは最初からそう仕組まれたものであったと云う他は無い。

 日本から発せられた最後通牒は時間的にも充分間に合う物であった。東郷外相の訓令は対米宣戦布告の最後通牒の手交をワシントン時間、12月7日、午後1時に行うものであっス。ところが野村、栗栖大使が実際に其れをハル国務長官に手交したのは午後2時であり、其の時真珠湾は既に猛火と黒煙に包まれていた。最後通牒の手交が何故遅れたかに就いては尤もらしい説明が付けられている。

 対米最後通牒の電報は14通から成り、其の内の13通は米国の12月6日中に日本大使館に到着し、既に電信課に依って暗号解読され、其の日の内に書記官に提出されていた。残り、即ち最後の14通目は翌7日早朝(ワシントン時間)に大使館に到着、同時に最後通牒の覚書を7日午後1時に手交すべく訓令した電報も大使館には届いていた。  ところが午前11時過ぎに最後通牒の手交時間が午後1時である事が解り、大使館は騒然と成った。だが日本の外務省から秘密保持の為タイピストを使わぬ様指示されて

いた日本大使館では慣れない奥村がタイプを打ち続け、終了したのが真珠湾攻撃開始後の1時25分、ハル長官に野村、栗栖大使が手交しスのは1時55分であった。

 此の外務省、日本大使館の動きは全く理解に苦しむのである。

 先ず外務省であるが、僅か残り数行に過ぎない14通目と最後通牒文である第901号電を何故態々其れ迄の13通より遥かに遅れて発信したのか。更に此の重要な時期に何故寺崎一等書記官を転任させる処置を取ったのか。又何故秘密保持と称して専門のタイピストを使用禁止にしたのか等である。

 大使館側にも深い疑惑は残る。大使館員十数人全員が丸で事の重大性を弁えぬ無神経、且つ怠慢な動きを取っている事である。此れは一体何を物語るものであろうか。答は二つ、外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、差もなくば確信犯であったと云う事である。真相は恐らく後者であろう。

戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が帰国するなり吉田茂外相(スパイ名「ヨハンセン」)に此の最後通牒手交遅延の責任を明らかにする様進言したが、吉田は結局此の件をうやむやに葬り去ってしまった。吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶の一人であった。当時の日本大使館員達は戦後何れも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。

 日米開戦の最後通牒が遅れ真珠湾攻撃が”卑怯な欺し討ち”になった事で米国人の世論は開戦派が以前の3%から90%に跳ね上がっている。日本の外務省と大使館の責任はまことに大きいと言わざるを得ない。

http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/413.html
http://www.asyura2.com/08/wara4/msg/253.html

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。

元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html


対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。

あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。

アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。

あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。

マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。

「戦後の方が食糧がなかった」というのが実態だが、占領軍が食糧を持ち去ってないような状況にして、「食糧援助」と称して恩義を売る。飢餓作戦をやっていた。

占領期の検閲問題なども暴露されていない。きれいにマインドコントロールされるようになっている。マッカーサーは45(昭和20)年9月15日、「プレスコード」(新聞紙法)を発したが、アメリカ占領軍の「検閲」の名による言論統制を四五年秋から非公然に開始した。検閲要員は1万人近くいた。その対象は、新聞・雑誌、放送・演劇脚本・映画、紙芝居・幻灯などのすべてにわたり、国民の手紙や葉書などの郵便物、電話の盗聴までやっていた。

そういうことについても、一切知らせてはならないと、徹底した検閲をやった。日本のメディアは、自分らで自主検閲するようにするし、朝日新聞なんかは自主検閲要領というのをプレスコードの線に沿ってつくっていた。それはいまでも続いているしもっとひどくなっている。一方で、GHQは新聞やラジオなどを直接にも利用して、宣伝していった。第2次大戦についてのアメリカ軍を美化する心理作戦でも、商業新聞に直接GHQが原稿を書いていたり、NHKの「真相はこうだ」という特集などもそうだ。

米軍について悪くいうことを徹底して封じた。だから原爆の実態や空襲実態についても徹底し隠した。沖縄戦なども典型的で、日本軍がみんな殺したようなイメージをつくり出す。マニラとか長沙などへのアメリカ軍の爆撃もみんな隠蔽していた。安岡の戦争体験者が長沙へのアメリカの空襲を近年朝日新聞に投稿したら、ボツにされたといっていた。

戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm


原爆投下まで


@第二次世界大戦は国際金融資本が金儲けのために仕組んだ。
原爆の開発目途はついていたので、それを使用することが目的のひとつであった。

Aその決定で、日英同盟が破棄され、アメリカでオレンジ計画がスタートする。

B日本の最高幹部と海軍は筋書きどうりに戦争を始めた。 陸軍はほとんど関知していない。昭和天皇は命令どおりに動かされただけだ。

C昭和天皇とジョセフ・グルーは、終戦時期について討議したが、原爆を二発落とすまで終戦はさせてもらえなかった。戦争が長引いたのは、原爆の開発が思った以上に遅れたからだ。

D広島は昭和天皇が決めた。だから、自分の嫌いな者達を広島に集合させ、見殺しにした。

E長崎はクリスチャンの教会が多いことで選ばれ、三菱のドックを目標とした。海軍は三菱にいたアメリカ人の捕虜を事前に救出していた。

F日本の情報機関は原爆の開発、投下時期、投下目標をすべて承知していた。もちろん昭和天皇も承知だ。

http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/02/post_b7ff.html

ルーズベルトやトルーマンは単なる飾り物で、原爆を落とす命令はすべてスティムソンによってなされた。その情報は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。
http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_3bbd.html


昭和天皇に入れ知恵した(?)ジョセフ・グルーの正体

アメリカのジョセフ・グルーは1941年日米開戦までの駐日大使であったが、在任中10年間の間に牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔らと深く関わって、牧野らから御前会議の内容や日本政府の極秘事項をスパイさせていた。白洲次郎もその一味である。

 ジョセフ・グルーは、外交史ではよく平和主義者で、戦争末期には天皇制を認めて早期に終戦を図るべき努力したとなっているが、大ウソである。

  グルーはアメリカのモルガン財閥の血族の一人である。つまりモルガン財閥が対日工作のために送り込んだエージェントであった。戦争に反対した平和主義者とは、アメリカの走狗となり果てていた当時の(今も)マスゴミによって宣伝された顔なのである。グルーはトルーマン大統領に代わってから実質的な国務長官として、原爆投下に向けてスティムソン陸軍長官と共同歩調をとったえげつない人物である。
 
 原爆は国際金融資本グループが第二次世界大戦後の世界で、核兵器で大儲けをする計画でなされた実験であった。 それが長崎に投下されたプルトニウム爆弾であった。広島に投下されたウラン型の原子爆弾はとうに完成していたが、プルトニウムでの原爆は完成に時間がかかった。だからプルトニウム爆弾が完成するまで日本が降伏しないように指示をだしたのはグルーであり、それを日本側の吉田茂、牧野伸顕、樺山愛輔ら(おそらく海軍の米内光政も)に伝える役割を担ったのが白洲次郎であった。

 憲兵隊もそれを掴んでいて、吉田茂とその反戦グループの意味で彼らを「ヨハンセン・グループ」と呼んだ。ヨハンセン・グループは、アメリカのユダヤ国際金融勢力の意を受けたグルーの指示で日本の降伏を引き延ばしていた。

http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/cat5132966/index.html

アメリカは皇居も財閥の工場も攻撃しなかった。国会議事堂も霞ヶ関も残った。


ドイツ戦ではヒットラーが標的になり、イラク戦でもフセインが殺された。対日戦では日本人は虫けらのように殺されたが、天皇は標的ではなかった。変な戦争だ。そして支配層はアメリカの単独占領を歓迎した。

支配層は日本人民が革命をやり、自分たちの地位を失うことを恐れていた。米英に支配の地位を守ってもらうために、戦争で日本国民を犠牲にし民族的な利益をみな売り渡す道を進んだ。

米に負けるため南進 目的同じ日米司令部


最初からアメリカに負けるために南進したのだ。日本人民の経験でも市民は焼き殺すが、軍や三菱は無傷だったというのが実感として語られている。

最近の史料で明らかになったことで、戦前に駐日米大使をしていたグルーなどが「日本の軍需工場を攻撃するな」と主張していた。それがウォール街の共通認識だったという。グルーはJPモルガンの利益代表だが、彼が駐日大使だったときに三菱や住友と深い関係を持ち、アメリカ資本が日本の大企業に相当投資してインフラを整備しており、今から日本の資本主義を段階を画して発達させ、収奪していくんだという狙いを持って戦争に臨んでいた。だからみずからが投資してきた三菱などの軍需工場への攻撃を避けていた。これに対して日本側の三菱などは日米開戦のときに、


「米英はこれまで通り友人だ。だから資産をきちっと守って、戦後も同じようにやっていけるよう、みんなもそのつもりでおれ」


と岩崎小弥太が檄を飛ばしていた。ウォール街の意向と一致している。

「鬼畜米英」といわせながら、日米両方の司令部が同じ目的で動いていたのだ。中国に侵略してひどいことをしたが、日本民族もさんざんに殺させる。そして民族の利益を売り渡すことで自分たちの支配の地位を守る。それが唯一の道だと。日本の支配階級の卑劣さも少少ではない。売国奴、かいらいの道を進んだわけだ。


天皇が原爆を落としてほしかったのだ。8月15日の終戦の詔勅にある「原爆が投下されたからだ」という理由ができた。

武器も食料もなしにどんどん輸送船を出すというのは「殺してください」ということだ。南方にはとり残され、戦争能力がもうないのだから、本当は戦争をやめるほかはない。みんな「おかしな戦争だった」というが他のどの戦争を見てもあんな戦争はない。


戦争なら皇居を狙うのが普通だ。将棋でも王将をとるかとられるかだ。しかし下町ばかりが焼かれた。


ドイツの場合は「ドイツ国民はわれわれと同じ人種で良識ある国民だが、悪いヒトラーをやつけないといけない」というスタンスだった。だからドイツではドレスデン空襲はあったがほとんど空襲はやっていない。

しかし日本の場合は「天皇が敵だ」とはいわず、日本人全体を「ジャップ」といい、野蛮な未開の人間ではないジャップを殺せというのが最初からの姿勢だ。インディアンと同じ扱いだ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html

原爆を投下される迄 日本が頑張った理由


第二次世界大戦中、昭和天皇は、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。

 天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。

 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。

 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。

天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。

 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。
http://alternativereport1.seesaa.net/

そして、昭和天皇は名優となった:

戦争後の四年間、昭和天皇は戦前からの擦り切れた背広のみを着て、人々とみじめさを共有する姿勢を表した。

そして1949年、アメリカの新聞が彼をぼろを着て散歩していると報じたと家臣が告げたことを契機に、昭和天皇は、彼の結婚25周年を記念して、背広を新調することを受け入れた。

その数年後、作家、小山いと子が、皇后良子について小説を書いた時、その新しい背広について書いて話を終わらせていた。

天皇はイソップやアンデルセンを好み、この作家は、彼女の「天皇の新しい服」という喩えが、昭和天皇の好感をさそうだろうことを予期していた。

 「天皇の新しい服」は、喩え話として、1950年代を飾った。1940年代の西洋の判事と報道記者の執拗な疑念は忘れ去られた。

http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


終戦後、昭和天皇は「人間宣言」のあと、全国を巡幸して歩いた。その映像は今も残る。敗戦で打ちひしがれた国民を激励すると称して(膨大な予算を使って)行幸したときの姿は、わざと古着にすり減ったクツを履いて、軍部に騙された気の毒な天皇という哀愁を演出してみせたのだった。

昭和天皇は1901年生まれだから、巡幸のころはまだ40代後半なのに、わざと猫背にして60歳くらいの老人のように見せているように、映像や写真からは伺える。

何を説明しても「あ、そう」と答えたことは有名になったが、これも自分は戦争を指揮したりしない、言われるがままの人間だったという印象を与えるためだろう。

戦前には絶対に大衆の前に姿を晒さなかった昭和天皇が、大衆に向けてソフト帽子をふりふり、愛想笑いを浮かべて「平和天皇」を演じてみせたことは、戦犯から除外してもらうための進駐軍へのポーズでもあったし、見事に国民をも騙すことにも成功したのであった。

 戦後もついにマッカーサーをも騙しきって、資産を守った天皇が、なんで古着にボロ靴なのか。その心根の深奥をわれわれ国民は知るべきであろう。

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/b2add89dad958852f4994fb54f0874b0


マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。


@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。


ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。

http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html


現人神_昭和天皇はクリスチャン

宮内庁はイギリス聖公会の信者が多いそうで、どちらにしろ、皇室はキリスト教贔屓であることはたしかなようです。 宮廷の半数をクリスチャンで固めているとも聞きます。

事実、天皇家の人選は、クリスチャンに偏っています。

今上天皇が皇太子だったころ、家庭教師にヴァイニング夫人というクエーカー教徒を選んでいますし、お后には雙葉、聖心と一貫してキリスト教系の学絞で学ばれた美智子様を選んでいます。

三谷隆信侍従長、浜尾実、杉井侍従、入江侍従、村井長正など、侍従にはクリスチャンが多く、常陸宮は無教会派のクリスチャン村井侍従の影響でクリスチャンになったといいます。 田島道治宮内庁長官、前女官長の松村淑子、現女官長の井上和子はクリスチャンです。 美智子さまのご結婚を推進なさった東宮参与の小泉信三も、臨終洗礼を受けたといいます。 浜尾実侍従の弟・浜尾伺郎は現在バチカン市国の大司教をしており、かつて天皇陛下にラテン語のご進講をしました。

浜尾実氏は、「私自身、20歳のクリスマスに洗礼を受けています。 宮内庁入りする6年前のことだし宮内庁はすべて知ったうえで、私を入れたわけですから、
クリスチャンであることはいっこうにかまわなかったわけですね」と述べました。 現在の皇太子の音楽教師もカリスマ派のクリスチャンが務めていました。

昭和天皇は美智子妃がクリスチャンだということで迫害したという話がありますが、それも誤解であることがわかっています。


昭和天皇自ら、入江侍従を通じて鈴木東宮大夫にこうお伝えになったそうです。

「このようなことは事実でないばかりか、心に思ったことさえなかった。 こういう問題がむし返されて時々出てくるので、美智子がかわいそうなので念のために……」 

明治天皇の側近には、オランダ系米国宣教師フルベッキがおり、明治天皇の和歌には信仰がなければ歌えない歌が数々あるといわれています。 昭和天皇、今上天皇皇后両陛下は、牧師を招いて聖書講義を受けています。
 

このような事実から見ますと、皇室はすでにキリスト教になっており、天皇陛下もクリスチャンであるとしかわたしには思えないのです…。

http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda/empp.htm


貞明皇后(昭和天皇の母、後に皇太后)は、戦前からキリスト教に深い理解を示していた。 敗戦後しばらくして、宮内省の職員が「宮中内部もこれから変わるだろう」と、遠回しに貞明皇太后に伝えたことがあった。皇太后は言った。

「それでは、要するにご維新前と同じことになると考えればいいのですね」

貞明皇太后は明治の時代をよく知っていた。貞明皇太后の若かりし頃、周囲はキリスト人脈で溢れていた。 三男の高松官は、後述するが、キリスト教に深く帰依していた。

天皇家は全員がキリスト教に深く帰依していた様子を読者は知ったはずである。

天皇とキリスト教を結びつける人脈で、忘れてはならない二人の女性がいる。 一人は植村環であり、もう一人は皇太子の家庭教師となったE・G・ヴァイニング夫人である。天皇が自ら、クリスチャンの家庭教師を皇太子につけようとしたことの意味は深い。 天皇自身のみならず、皇太子もキリスト教を学んでいるという姿勢をアメリカに見せて、天皇教の存続を図ろうとしたのである。 しかも、将来の天皇がクリスチャンに仕上げられることも承知のうえであったろう


天皇をキリスト者にしようと動いた主流は内村鑑三、新渡戸稲造に連なるコネクションであり、関屋貞三郎元宮内次官、南原繁、矢内原忠雄、後の最高裁長官の田中耕太郎らであった。 彼らの工作により、皇太子は美しい異国のクエー力ーの家庭教師(当時人気のあった女優イングリッド・バーグマンによく似ていた)から、
英語とともにキリスト教を教え込まれるのである。 ヴァイニング夫人の祈りは、皇太子がキリスト教徒になってほしいと願うものであった。 そしてその祈りは現実のものとなった。 年少のときに神を受け入れた者は、ほとんど一部の例外を除いてクリスチャンの道を一生歩むのである。 この時から、弟宮の義宮もクリスチャンとなっていった。


天皇は日本をキリスト教国化する事を約束して命を救われたらしい。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/735ac1195bd8bfa6bbf9ef2ce842d945


03. 2011年1月13日 21:34:45: xO1eNzjKtM
どっちみち、今の「象徴天皇家」とは血は繋がっていないから、御安心!

天皇家が、国民に内緒で宮中で祀っているのは、祟られては困る、豊秋津島の
ニギハヤヒ一族の「ワニ」氏です。ワニ氏も全国を股に掛けた、
膨大な数の子孫がいますが、全て地下に潜って、その意識は殆どないのが
大方です。外来勢力の現天皇家より、大和民族の血は、遥かに濃いのですが。

天皇家は明治までは最初の最初から「仏教」ですから。興福寺、そして
京都に天皇家の菩提寺がありますでしょ。

02さんの引用の通り、
昭和天皇の神道祭祀への無頓着・無理解・軽蔑ぶり、
国家神道という、宗教性のさらさら無い
「偽神道」を作って、一族や「忠臣」と共に、
不敬罪や治安維持法を作って、
国民を「統制」したのもうなづける。
226事件が成功していたら、
戦争の惨事は起こらなかったと思いますけど、如何に。
そういう人らは現にいる。


04. 2011年1月13日 21:49:44: xO1eNzjKtM
>A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

上記「同調者」とは、具体的にどういう集団のことを指しているのか。
答えます。

これは、戦前日本の最大の影響力を誇った、右翼的愛国者集団の
「昭和神聖会」運動のことを念頭に置くものであるのは確実。
現に、GHQが、「最大危険集団」として、解散させている。

徹底抗戦派(愛国者集団)がこれに当たるので、
天皇一族は原爆と、偽クーデターにより、
彼らを取り除いたのである。(出典:「日本のいちばん醜い日」鬼塚英昭)

玄洋社の内田良平、中野正剛や頭山満、出雲派系の大本教信徒や他、
神祇・氏子勢力、つまり古来よりの神社神道系・農本主義的・愛国者集団が
治安維持法による粛清の対象となり、財閥と結託した天皇一族のアジアでの
勢力拡大の障害物とみなされ、
抹殺・大弾圧を受けたということです。

天皇一族の出自を洗うことは、かくなるまでも重要な理由がこれなのです。



05. 2011年1月13日 22:25:15: xO1eNzjKtM
クリスチャンというより、バチカンといったが
よろしいですね。「聖書に帰れ」をモットーとした、ルター派

と血で血を洗う抗争を繰り広げた
欧州のカトリックの本体は、実はパリサイ派らしいですね。
パリサイ派というと、新バビロニアから出でた
「タルムード」派に影響を受けている。

パリサイ派が敵としたのは、「イエス・キリスト」です。
イエス・キリストは私生児であった可能性が高い。
しかも、生まれたのは北イスラエルの地です。

すると、父親は、ユダヤ人ではないことになる・・・


06. 2011年1月14日 11:37:48: MiKEdq2F3Q

天皇家のロイヤルビジネスとは

天皇のロイヤルビジネスは、日本人の素人女性を騙して、日本郵船の貨物船に乗せて海外に性奴隷として売り、外貨を稼ぐというものでした。


日露戦争などの戦費もそれで出した。同胞の日本人女でさえ騙して奴隷にして、船内で白人船員に強姦させて売春婦教育し、外国の売春宿に平気で売る事をしてきた日本人なので、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行や戦地や日本軍進駐先(前記事のタイにも進駐していた)での住民強姦など朝飯前のことです。

(そんなことを否定したり事実を争ったりする方がどうにかしています)。


日本はもともとそういう麗しい国なのです。なので、マトモな人間なら、日本人であれ外国人であれ、「反日」になるのが自然です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/


人身売買と近代日本の成立 


自国女性を海外に売るのが「ロイヤルビジネス」だった


「からゆきさん」と呼ばれたどちらかといえば普通の「娘の身売り」の陰には、さらに悪質な詐欺的人身売買が、国策として、天皇のロイヤルビジネスとして、白人商人と連携して組織的に、国策会社日本郵船(=三菱)により、大々的に行われていた。そして、その人身売買こそが、日本資本主義の原初的蓄積過程だった。つまり、近代日本国家は自国女を売って成立した。


「オルタナティブ通信」などを通じて知るようになったこの事実ですが、まとまった知識を持った人をTwitterで見つけました。

http://twitter.com/urashima2


戦前の日本は民族差別に反対してたとか言ってる方がいまだに多いが、実際のところは人身売買する上で邪魔だったというのが大きな理由のようだ。

そもそもアメリカが排日移民法を作らざるを得なかったのは日本からあまりに膨大な日本人女性が売られてきたからにほかならない。


戦前の日本が差別を許さないとか、プロパガンダにもならない妄想…。

世界最大の賤業婦人(売春婦)輸出大国だったのに。それも騙して海外へ連れ出すという極悪非道ぶり。 いわゆる「からゆきさん」なんてハイカラな名称付けられているのが、それ。

ジャパゆきさんは自分の意志でオーディション受けて、どういう場所で働くか承知で来るかも知れない、からゆきさんの大半は国策として騙された人や誘拐・拉致同然に連れだされた方々なのでまるっきり違う。


からゆきさんと言っても中国だけじゃない。世界中に貨物船の片隅に押し込められ売られており、明治から昭和にかけて、その数は30万人以上とも言われている。戦争責任を追求する大手マスコミでさえ、からゆきさんについては非情に及び腰。

理由はロイヤル・ビジネスだから。


おもに日本郵船=三菱と組んでいるが、三菱といえば岩崎弥太郎。

岩崎といえば龍馬。龍馬といえばグラバー。グラバーといえば武器商人…ってな具合に背後は真っ黒の助。そもそも武器を買うための資金として人身売買をはじめた。


グラバーといえばマセソン商会の元社員で代理人。マセソンといえばアヘン商人。ようするに茶を買うためアヘンを売るのが、武器を買うために女性を売る…にかわっただけ。長州ファイブを留学させたのもマセソン商会。

岩崎=長州閥=天皇家は一蓮托生でアヘン・武器商とつるんでた。


騙して日本人女性を売った金で武器を買う。その両方でピンハネすればボロ儲け。三菱財閥が巨大化した最大の理由が人身売買…

などとは歴史の教科書や社史にも出てくるわけない。


人身売買であげた利益で武器を買い、それで戦争を行っては国民を虫けらのように死なせた。そういうビジネスを明治以来一貫して下衆なアヘン・武器商人と結託しながらやってきた。宗教も人種も違う連中を奴隷貿易するでもなく、自国の同胞女性を詐欺まがいに海外へ大量に売り飛ばすという豪快なことをしていた日本。

さうがの毛唐も

「オーマイガッツ! ジャップのやつ正気の沙汰とは思えない。オークレイジー」

なんて驚いたことだろう。そういう背景により、クレージーなジャップによる人身売買を阻止するため、アメリカは排日移民法をつくってくれた。

それを、差別だとかいうのだから凄い。


戦争の原因について

「カリフォルニア州への移民拒否については、 日本を憤慨させるに十分なものであった」

とは裕仁天皇のお言葉。これが戦争の原因なのだというから素晴らしい。


戦前の国策による人身売買の実態を隠蔽するため「からゆきさん」と混同されるようにイメージの偽装転換が巧妙になされている。実際はからゆきさんなんてレベルをこえた国策の人身売買が壮大なスケールで行わていた。


本来の「からゆきさん」なんてのは九州の貧しい農村部の女性が女衒に連れられアジアの娼館で働くというものだが、日本郵船とかがやってたのは基本的に詐欺。


「海外で教養を身につけよう」

「あこがれのアメリカで働こう」

なんてかんじで良家の子女から寒村にいたるまで処女を集めた。


私もこのブログで、アメリカの人身売買報告書が日本に異常に厳しいことを人種差別ではないかと批判したことがありましたが、見当違いだったかもしれません。

彼らは当然ながらこういう過去の事実を知っている。この件の被害者は日本人であり、欧米商人も関与していたので、あえて言挙げはしないが、日本国がこういう体質をもっているということには留意している。このような過去の犯罪行為について、日本人がほとんど知らされておらず日本国内に批判も反省もないことも見ている。普通に「人身売買を防止する」という観点から見て、日本が要警戒国になるのは当然ですね。

これから必然的に貧しくなっていく日本ですが、日本女性は日本国家および天皇一族を警戒したほうが良いといえます。同時に、従軍慰安婦問題や南京強姦事件で騒いでくれる近隣国の人々に感謝しなければならない。

被害者が日本人だけなら、誰も騒がず、語ろうとする者は口封じをされ、そんな過去はなかったことになります。天皇と三菱とが一体になり、外国商人と連携して、国策でこのような犯罪行為を行った歴史が「なかったこと」にされている。

何の反省もない。

このままでは、日本国家にカネが必要なときにはまた同じことが繰り返されることになるでしょう。


日本国=天皇=三菱等、


はその成立時から人身売買マフィアであり、芯から腐っていると言えます。初めから腐っているものはどうしようもありません。

「日本の解体」が是非必要です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/

天皇=売春業者
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49608120.html

天皇一族は売春業者
http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html

武器販売促進のため第二次世界大戦を起こした武器密輸商人=天皇
http://alternativereport1.seesaa.net/article/73148617.html

武器密輸商人である天皇一族は兵器販売促進=自分の金儲けのため日本を戦争に引きづり込んだ
http://alternativereport1.seesaa.net/article/111703855.html

あめゆきさんの歌、山田わか


 日系アメリカ人の歴史の本を読んでいた時に、

「アメリカの日本人の嚆矢(はじまり)は日本人売春婦」

という記述に出会って、愕然としたことがある。 コロラドに、江戸時代の日本人売春婦の墓標が残されているそうだが、日米和親条約(1853年)が締結される以前の話である。日本から、アメリカに直接に向かうことができなかったので、アジアを経由して、密航者としてアメリカに渡ったらしい。

 この女性たちの歴史の発掘に尽力されたのが、サンフランシスコの日本語協会の石崎五郎さん(UCデイビス校の獣医学の教授、故人)だった。石崎さんは、そうした女性の存在を不憫に思われたようだ。
 中国や東南アジアに渡ったからゆきさんのことは、森崎和江や山崎朋子の著作で知ってはいたが、そうした事実が、このアメリカでもあったのだ。


 明治の新聞ダイジェストを読んでいた時に、オーストラリア行きの船の船倉で、日本人売春婦が窒息死体となって発見されたという記事を目にしたことがあるが、日本人売春婦は、オーストラリアにも、密航させられていたようだ。

 十九世紀末のアジアに渡った日本人売春婦を意味する”からゆきさん”という言葉から、山崎朋子(ノンフィクション作家)が、”あめゆきさん”という言葉を作り、「あめゆきさんの歌:山田わかの数奇なる生涯」という本を書いたのが、1978年。 プラムさんに、山田わかが働いていた場所を訊ねられた私は、シアトル時代の山田わかの手掛かりを求めて、この本を読み返した。

 この本の記述とシアトル旧日本人街明細図から、20世紀初頭に、彼女が白人相手の売春婦として働いていた場所が分かった。現在のシアトル・アジア人街のあるインターナショナル・ディストリクトの一角だ。

http://plaza.rakuten.co.jp/katiebooks/diary/200408240000/

______________

これはロイヤルビジネスの応用編:


昭和天皇は主席検事キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った(?)。

女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


田中隆吉は、すぐに、主席検事キーナンに親しいボディーガードとなった。二人は、両者に共通するフランス語を使い、田中はバーボンをあたかも「特級酒」ように楽しむことを覚えた。田中が出版した回顧録によれば、キーナンは田中を日本暮らしのガイドのように使った。

もし、キーナンが女性関係を望んだ時は、彼はただ会話に「Je suis fort. (私は強い)」 とだけ言えば、田中は電話をかけてその段取りをととのえた。実際、田中は何事にも明るく、靴を脱ぐのを嫌うキーナンが、靴のまま畳の間に入り込んでも問題を起こさないような、そんなくつろぎの場をも手配した。

http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


マッカーサーの部下職員の宿泊所として徴用された旧東京記者クラブでは、22人のメイドと電話交換手が、夜、そうした職員の部屋で過ごしているところを発見された。占領後半年までに、少なく見積もっても、半分以上のアメリカ軍将校たちが日本人の愛人を持つと見られていた。

 10月、幣原内閣が発足しようとする頃、特殊慰安協会はその供給について、下士官と将校を分離し、50万人の占領軍全体がすべて同じように魅力的なサービスが受けるのは難しいと強調し始めた。そしてその日より、下士官には下級のホステスバーが、兵卒には「ウィロウ・ラン」となり、上等な老舗旅館は将校向けとなった。つまり、もはやだれもが十分に満足しえるものではなくなっていた。

みごとな庭園を持つ豪奢な別荘の幾つかにはアメリカ式浴室が設けられ、そして人々の視界からは消えた。米軍士官にもっとも人気のあったのは、東京中心部のネオン街にある、招待客のみを受け入れる、プライベートクラブだった。

 そうしたクラブの筆頭が「大安」で、裕仁の弟、海軍大佐の高松宮の親友、安藤明が経営しており、戦時に便乗して暴利を稼いできていた。

トラック運送あるいは建設業界のボスとして、最初の占領軍の着陸に際し、厚木基地のまたたくうちの修復工事を成し遂げて名を売っていたのが安藤だった。

そのクラブ「大安」では、米軍の高級将校に、活発で英語の話せる貴婦人を紹介し、夜ごと、その記念にと、御木本の真珠のネックレスが贈呈されていた。

彼の気前の良い商風は、幾度も彼を倒産の崖淵に追い込んでいたが、地下商売で大当たりを上げては再起していた。そして最後に短期の刑務所暮らしをした後は、引退して安楽な生活を楽しんだ。

 そうしたクラブとは別に、内閣官房楢橋渡や東久邇元首相の別荘では、極めて興味深い享楽が繰り広げられていた。東久邇のパーティーの様は余り記録に残されていないが、楢橋のそれは、見るからに露骨な誘惑そのもので、今日。老いたアメリカ人将軍たちが当時を思い出して顔を赤らめるものとなっている。

楢橋は熱海に別荘をもっていた。熱海の入江や山々、そして名高い温泉やホステスたちと、当地はその持ち味をあえて強調する必要もなく、かつ、楢橋は名うてのもてなし上手だった。その裕福な弁護士は、戦争中、北京で最大かつ最も儲けの良い情報収集源ホテル〔北京飯店〕を経営していた。

その彼の部下の鳥尾〔鶴代〕子爵夫人が、コトニー・ウィットニー准将に仕える将官〔民政局次長チャールス・ケーディス〕の愛人となった。ウィットニーは、連合軍最高司令部民政局を動かし、日本の法制改革の草案作りをしていた。その元ホテル経営者の楢橋は、自分と自分の「貴婦人」たちが、最後にはウィットニーの部下たちすべてを「とりこ」にするだろうと豪語していた。

 性的わいろに加えて、さらに特異な投資機会も存在していた。

マッカーサーの会計担当ハロルド・R・・ルース大佐は、占領軍将兵たちは、毎月、支払われる給料より800万ドルも余計に故国に送金をしているとの報告を行った。

日本人が中国から略奪してきた数々の骨董品は、日本産の秘蔵品とともに、米国へ送られる雑のうの中に入れられていた。

天皇の叔父、東久邇宮自身も骨董業を手がけ、後になって、要職にあるアメリカ軍士官たちに安売りし過ぎて破産したと、よく語っていた。

http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_1.htm


『新日本女性に告ぐ! 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。女事務員募集。年齢十八歳以上二十五歳まで。宿舎、被服、食糧当方支給。』


 敗戦直後の昭和20年8月22日、この広告が新聞などに張り出される。「新日本女性に告ぐ!」などと勇ましいことを書いているが、これは単なる事務員の募集の求人広告ではない。

 この前日、近衛文麿国務相が「婦女子を性に飢えた占領軍兵士から守る」という狙いのもと「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。上の広告はこの施設で占領軍相手の売春をする女性を集めるものであった。大抵の女性は、はじめからこれがただの事務の仕事ではないことは気付いていたようだが、中にはやはり単なる事務の仕事だと思って応募してくるものや、慰安とは「歌でも歌えばいい」と思って応募してきた良家の子女もいたと言う。

 この売春施設の目的は性のハケ口を設けることによって、占領軍がレイプ事件などを起こさないためにという「性の防波堤」とも言うべきものであった。が、実際は占領軍によるレイプ事件は日常茶飯事であった。

 さてRAAであるが、東京の大森を皮切りに各地に作られ全盛期にはそこで働く「パンパン」と呼ばれた女性は7万人を数えるようになった。しかしその後占領軍兵士が持ち込んだ性病が蔓延し、GHQは21年3月10日慰安所への兵士の立ち入りを禁止し、RAAは崩壊する。パンパンの彼女たちの多くは私娼となって街で客を求めるようになる。

 そのころ吉原はというと、戦時中に東京大空襲で焼け野原になるも政府の援助によってすぐに復興。そして終戦を迎えると、前述のRAAの慰安施設となる。

 GHQは占領軍のRAAの立ち入りを禁止すると同時に、日本政府に対して公娼廃止を求める。日本政府はこれを受けて公娼を廃止するが、実際は特殊飲食街を指定しその地域内での売春行為は取り締まらないようになった。これが「赤線」の始まりである。

 赤線地帯は吉原や新宿二丁目など戦前は貸座敷があったところが指定され、風俗営業取締法(以下風営法)によって「カフェー喫茶」などが営業されていた。この「カフェー喫茶」であるが、もちろん「喫茶」といってもただ単にお茶を飲むのではない。かつて花魁として働いていた女性が今度は女給という呼称で売春をしていたのである。その後赤線は朝鮮戦争の特需景気により営業する店が急増した。そのころの泊まりの料金は1000〜3000円。

 赤線が一応風営法というかたちで許可をとっていたのに対し、その許可を取らないで売春行為をしていたのが青線である。青線は表向き料理屋の形をとっているが客と交渉が成立したときは店を閉め売春をする。青線のほうが基本的に価格は安く、比較的所得・階層の低い人が利用していたと言う。

 しかし、赤線・青線地帯もやがて崩壊する。昭和33年4月1日売春防止法(以下売防法)が施行される。これはこれまで黙認してきた売春行為を禁止するものであった。なぜこの次期に売防法が公布・施行されたのか。それは日本が国連に加盟するためである。国連は昭和24年「人身売買及び売春行為の搾取禁止のための条約」を決議しており、国連に加盟するためには娼婦をなくすことが必要であったからである。

 売防法について、赤線で働いていた女性は猛反対していた。もし赤線がなくなれば彼女達は生きる術を失うことになる。政府は何も生活の保障や仕事の斡旋などはしてくれない。東京では「東京都女子従業員組合連合会」を結成し、売防法に反対するビラまきなどを行った。

 しかしながら売防法は施行され、そして吉原をはじめとする赤線地帯は消えていったのである。職を失った女性たちは、厚生施設に通い手に職をつけようとした者もいたが、白線・黒線と呼ばれる結婚相談所の形をとった売春組織で働く者もいたし、それ以外の性風俗で働く者もいた。 
http://www.hit-press.jp/column/shakai/shakai26.html


「江東区女性軍」強制連行……。

「本土決戦が叫ばれた昭和二十年(一九四五年)に、国土防衛軍である「江東区女性軍」の編成にくりこまれた女性青年団埼玉第一中隊の百三人は、終戦の日に帰してもらえなかった。

「耐えがたきを耐えて、全日本婦人の楯となるべき……」

 と、お上が手早くつくった「国際親善協会RAA」(占領軍慰安婦)のうち、都内の四カ所に強制連行され、やみくもに米軍との交接を強いられた。
 そのことは埼玉らず、広島の女子青年団、そして川崎のM軍軍需工場など、他地区にも多くみられた。

 当時−−天皇のために捧げてたてまつると、血の宣紙を捧げてあった娘たちは、

「血書を捧げた君たちの忠誠を、天はみそなわしたもうたものであろう。君たちでなければ、日本人の操を、進駐軍の手から守り通すことはできない」

 占領軍慰安婦の持ちかけがお上からだされたのは敗戦直後の八月二十一日、RAAの誕生とともに二十六日には慰安婦の徴募がなされ、二十八日はRAAが宮城前で誓詞をなし、同日は厚木進駐の米兵に横浜の小町園が開所した。 RAA発表による占領軍慰安婦は、昭和二十年十一月まで二万人、最盛期七万、閉鎖時の昭和二十一年(一九四六年)三月二十七日、五万五千であり、閉鎖は性病兵が増えたという米軍側の主張によった。」

横須賀……。

「横須賀に上陸した兵は、バイラーと呼ばれる客引きに案内された。−略−
 街は建物のかげ、ボートの中、神社、学校、いたるところで性行為が見られた。

「外人が船に乗ってくるから、パンパンがよってくる。横須賀へ来た船の着くところをこわした方がいい」(『日本の売春問題』神崎清)」


「閉鎖までの慰安所料金は、ショートで百円、オールナイトで三百円であり、RAAは充分にもうかっていた。政府融資の国策事業なのに、慰安婦たちからは部屋代、食費、衣裳、雑品、化粧品などと、昔からの廓のしきたりをむしろ越えるほど取り上げ、揚句の果てに、病気や怪我も、慰安婦の自己払いであった。」


閣議より前に、業者たちを集めたという。

「前述の慰安婦指令は、閣議よりも四日も早く、広尾小学校の警視庁保安課より出されてたのだ。高橋保安課長と大竹風紀係長らが、さっそく業者を集めてかたりかけた。」


調布、三鷹……。

「RAAの仕事では、立石は黒人用慰安所とされた。
 調布の日本楽器の建物は「調布園」として、九月十日に慰安婦三十人で開店し、三鷹はキャバレー慰安所として、ニューキャッスルが開所した。」

「娘を売る光景」
「人売は昭和二十三、四、五年と、売春婦に売られたが一番多いとされている(労働省婦人少年局の調査による)。」

http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/0b9d55f0b563f7420ee0432b3a409d22


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三ミ| |:::|        /⌒ / ̄ ̄ | : ::::::::::|  
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 彡 | |::|    __,ノ   | ミソ     :..`ト-'
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07. 2011年1月14日 12:09:24: gwWBTPjrpM
★故鹿島昇氏によると、121代孝明天皇父子弑逆事件により、それまでの北朝系の血脈は断絶、明治天皇以降4代は、中世に途絶えたはずの南朝の復活ということになる。孝明天皇と激しく反目していた長州藩は天皇の排除を試み、田布施(現山口県光市田布施町)在の若者、大室寅之佑を明治天皇に仕立て上げたとの由。
この説を故太田竜氏が敷衍、副島隆彦氏、船井幸雄氏も同説を採っている。
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=200727008

★明治天皇以降、天皇は英国ガーター騎士団のメンバーの一人に数えられている。

★故ユースタス・マリンズ氏によれば、イエスはナザレ人であり、ナザレのあった北方ガリラヤ地方は、イエスと激しく対立したパリサイ人(セム・ハム系)とは異種の人々の入植地であった。イエスの容貌は金髪碧眼であったという。


08. 2011年1月15日 20:48:25: xO1eNzjKtM
イエスの出身地のナザレは、十支族の一つ、アジア的風貌とされるセム人の、ナフタリ族の町です。金髪碧眼とは、首を傾げる情報ですね。ユスタスさんの情報ソースが明らかになっていないようですし、情報を鵜呑みにするには、ちょっと難があるのでは。

一方、黒澤明の戦前の映画に出てきた大和男児の顔は、2001年頃、BBCが放映した「イエスの髭面の顔」とよく似ています。明治や江戸期に来日した英国人やドイツ人など、日本人のメソポタミア原郷説を唱えています。原典は日本語にも訳されているので、よろしければ眼をお通し下さい。
http://wolfgangmichel.web.fc2.com/serv/ek/index.html


09. 2011年1月16日 02:57:43: eBKTDLWKy2
飯島セツさんも元はからゆきさんなのかな?

10. 2011年1月16日 16:59:29: co8a5E7GMA
>>08コメント氏へ、07です。これは失礼。引用元を失念しました。
ユースタス・マリンズ著「衝撃のユダヤ5000年の秘密」日本文芸社刊です。
図書館で借りて読んでみることをお薦めします。

問題にされたイエスの容貌の「金髪碧眼」は、正確には「青い目と亜麻色の髪」でした。そして、イエスはユダヤ人ではなかったとマリンズ氏はあらゆる個所で主張しています。

当該個所はネットでも見れます。「衝撃のユダヤ5000年の秘密〜ユースタス・マリンズ」と検索してみて下さい。その第一章に書かれていますから。

Eustace Mullins(1923〜2010) ユースタス・マリンズ氏は米連邦準備委員会(FRB)が民間の銀行であることを初めて暴露した研究者です。そのため独で焚書処分の憂き目をみました。おそらくユダヤ人社会から「陰謀論者」のレッテルを張られた第一号でしょう。


11. 2011年1月16日 21:30:03: MiKEdq2F3Q

当時の人はみんな知っていた昭和天皇の「漫才」


広田弘毅 :「天皇陛下漫才!!!!!! 天皇陛下漫才!!!!!!」


三階から処刑第一組として土肥原、松井、東条、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。

『三誓偈』の初めの三頌を声高らかに私は読んだ。四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、「非常に有難うございました」とお礼をいわれた。それから松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。


仏間に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、 板垣、広田、木村さんが降りて来られた。

顔を合せると、すぐ広田さんが真面目な顔で、

「今、マンザイをやってたんでしょう」

といわれた。

「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣りの棟からでも、聞えたのではありませんか」

私も真面目に、こうこたえた。

「いや、そんなことはないが・・・・・・」

お経の終ったあとで、広田さんが、

「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」

といわれた。私も、やっと気がついて、

「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」

といった。それでやっと、マンザイがバンザイだとわかって、

「それでは、ここでどうぞ」というと、広田さんが板垣さんに、「あなた、おやりなさい」とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下漫才」を三唱された。

花山信勝 「巣鴨の生と死」  
http://www.c20.jp/1948/12senpa.html


12. 2011年1月17日 11:25:30: MiKEdq2F3Q

戦前の天皇家は世界一の大資本家であった

次の表をご覧ください。

【御資財本現在高】
慶応3年 102268万円
明治8年度始 510572円
明治9年度始 583519円
明治10年度始 805982円
明治11年度始 1072663円
明治12年度始 1085423円
明治13年度始 1218385円
明治14年度始 1320173円
明治15年度始 1442345円
明治16年度始 1710182円
明治17年度始 1927665円
明治17年度末 4374935円
(日銀・正金株編入)
明治18年度末 4505967円
明治年19度末 5157230円
明治年20度末 7885841円
(日本郵船株編入)
明治年21度末 9189268円
明治年22度末 9747517円

天皇家は封建時代の末期、慶応三年全資産の現金評価金額がわずか10万2268円でした。

この頃天皇家では、出入りの豆腐屋さんに「今日の支払いはちょっと待って下さい」と言ったことがあるほど貧乏していたという話が、京都には伝わっています。

ところが明治になって、日本が資本主義的発展を始めてからは、表にみられるように、鰻登りに資産が増え続けています。最初の頃は、当時の権力者、伊藤博文たちが、天皇に力をつけて、その力を利用して、日本を資本主義的に発展させようと考え、『金は力なり』と言って、明治維新のときに地方の大名から取り上げた、国の資産を次々に天皇家の資産にした結果のようです。それも憲法が制定され、国会が開設されてからでは、やりにくくなるからと、国会開設以前に駆け込むように行なっています。

そして日本が、アジアに侵略を開始してからは、雪だるま式に資産を増やして、経済学者の報告では、1917年ロシア革命でロシアの皇帝が倒されてからは、天皇が世界一の大富豪になったとのことです。


明治天皇は日清戦争に勝って、賠償金から二千万円を手に入れたこと。そして植民地にした台湾の最大の産業、台湾製糖の第二位の株主になって、20年後には100%の配当を手に入れていたことは前にお伝えしました。二度目の侵略戦争の日露戦争後植民地にした朝鮮に、植民地支配の動脈のように施設した、京釜鉄道の上位株主は次のとおりです。

【京釜鉄道上位株主(1903年2月現在)】
氏名 持ち株数 備考
日本皇室 5000
朝鮮皇室 2000
岩崎久弥 1000 三菱財閥
三井高保 1000 三井財閥
渋沢栄一 1000 第一銀行
大和田荘一 1000 大和田銀行
朝鮮皇室 1000
住友吉左衛門 864 住友財閥
阿部くに 509 明治生命
阿部長蔵 500 子爵


また天皇が保有していた主な株は次のとおりです。

【天皇家の保有株数(1905年)】
会社名 株数
日本銀行 65650
日本興行銀行 5000
横浜正金銀行 60400
北海道拓殖銀行 67
日本鉄道 27422
北海道鉄道 1000
岩越鉄道 2000
京都鉄道 3000
京釜鉄道 5000
北海道炭鉱鉄道 27690
日本汽船 80550
湘南汽船 4400
帝国ホテル 4400
合計 286329

【天皇家の保有株数(1942年)】
会社名 株数
日本銀行 211528
日本興行銀行 22725
横浜正金銀行 224912
北海道拓殖銀行 3000
日本勧業銀行 12750
第十五銀行 3055
第一銀行 5000
三井銀行 4500
三菱銀行 4500
住友銀行 3000
三菱信託 5000
北海道炭鉱鉄道 159776
日本汽船 161000
大阪商船 12825
台湾銀行 15132
朝鮮銀行 2600
南満州鉄道 37500
東洋拓殖 50000
台湾製糖 39600
東京電気 23842
東京瓦斯 62068
帝国ホテル 14700
合計 993103


天皇が大量の株を保有していた企業は、ほとんど日本が行なう侵略戦争に関わっている企業や戦争の結果獲得した植民地支配関連企業です。つまり天皇は、日本が侵略戦争をして、植民地を拡大すれば着実に巨大な利益が得られる仕組みになっていました。

その挙句の果てが次に紹介する、1945年日本敗戦時に米軍が調査して発表した数字です。日本の国土面積の10%を天皇家が所有していました。経済学者の試算によると天皇家の全財産の現金評価額は、当時のお金で660億円だったそうです。

【1945年当時の皇室財産資産】
種別 数量 評価額 備考
土地 1352210町歩 362293953円 平均1反歩26円70銭に当たる
木材 561519千石 592865000円 1石につき約1円に当たる
建物 約150000坪 299296657円 坪当たり約2000円
現金    24788387円   
有価証券   311871503円 購入及び出資金額による
合計    1590615599円   

http://74.125.153.132/search?q=cache:Xaua2RwYB8oJ:www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/siranai-3/d-5-3.html+%E5%A4%A9%E7%9A%87+%E8%B2%A1%E7%94%A3&cd=79&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

昭和天皇はアジアへの侵略が深まれば深まるほど儲かる銀行や会社の大株主だったのである。
 
大正、昭和にその1千万弱の資産が終戦時37億円に膨れ上がっていた。国体とは実はこのゼニであった。戦場で散って行く若者たちを盾にして支配層が守ろうとしたものはこの「神聖財閥」を頂点とするゼニの塊だったのである。

終戦時の皇室財産総額は、総司令部発表で約16億円(美術品、宝石類を含まない)、1946年3月の財産税納付時の財産調査によれば約37億円と評価された。

1887年に横浜正金銀行条例が制定され、特殊銀行として外国為替銀行となった。その後日露戦争に際しては外債募集に努め、日露戦争後は満州における中心的な金融機関となって、支店網を拡げ外国との貿易・金融の面で巨額の利益を上げた。

「昭和天皇がヨーロッパの金融市場で影響力を持つことができたのは、日本銀行ほど厳しい規制を受けない民間銀行である横浜正金銀行の株を保有していたからである。彼は全発行株数の22%に当たる22万4912株を保有する最も重要な大株主であり、二番目の大株主は2万2000株しか保有していなかった。」

『米従軍記者が見た昭和天皇』ポール・マニングHIROHITO : the ar years(Manning, Paul)マルジュ社 2005

天皇家が日清戦争で味をしめたのは有名な話である。この侵略強盗戦争で清国から奪った賠償金は三億六千五百二十五万円。何故かこのうちの二千万円が皇室の財宝となった。次の大戦のさなか参謀本部の将軍達から逐一詳細な戦況報告を受け一喜一憂しながら戦争にのめり込んで行く天皇の姿は、さながらイラク侵略の戦況に眠られぬ朝を迎える石油資本の株主たちと重なる。
http://zenkyoto68.tripod.com/zaibatu01.htm

明治維新以来、最高の財政ブレーンが皇室の富を極限まで増やすために働いてきた。賄賂がきかないくらいに天皇を金持ちにせよというビスマルクの助言に沿って、日本の一流企業や銀行の株式と年間収益の10パーセントが天皇に譲渡されたのである。(中略)

 裕仁は海外にも莫大な資産を持っていた。これには欧米の銀行、製造業、不動産への巨額の投資や、さまざまな隠れ蓑(みの)のもとでスイス、スウェーデン、ヴァチカン、ポルトガル、アルゼンチン、スペイン、英国、アメリカの銀行の金庫に預けていた金塊、白金、銀が含まれていた

 この天皇家の財産を、アメリカによる本土侵攻を予想した内大臣の木戸が、天皇の財務顧問だった有力者の勧めに従って、「手元にある天皇の流動資産のほとんどはスイスの複数の銀行が東京に置く支店に移され、本国の口座に預金された
http://www.dailytimes.jp/environment/2007/03/post_3.html

天皇家の財産が国民の前に明らかにされた時、その莫大さに国民は驚いていた。

土地 135万町歩余 3億6000万円余
木材 5億6000万石余 5億9000万円余
建物 15万坪 2億9000万円余
現金 2400万円余
有価証券 3億1000万円
合計 15億9000万円余

評価額は戦争直後の標準によったが、その後の評価では660億円以上とされている。昭和36年の物価は最初の評価の500倍以上にあたるから総計は8000億円以上に達すると思われる。

現在の価格では数兆円を軽く超えるものと言えよう。最初の評価の基礎は、土地一反が26円余という当時でも時価の十分の一、木材は一石一円で百分の一という不当に安い評価である。この評価は政府や宮内省が行ってGHQや世界の注目をまぬがれようとした小細工である。
 
土地の135万町歩は日本の面積の3%以上に当たる。5億6000万石の木材は日本全林野の8%に当たる。有価証券では配当金だけで年800万円もあった。昭和天皇は個人としては世界最大(?)の地主であった。個人としては世界最大(?)の大ブルジョワであった。
http://www.asyura.com/0411/bd38/msg/785.html

一家族で15億、、、
現金など3億3千万、、、、
昭和20年11月と言えば国民は飢餓状態、
公務員月給65円、米10キロ6円の時代。

1945年.日本の敗戦が決定的になると.天皇一族は.この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ.海外に蓄財を「逃し」始める。

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて.スイスに850万ポンド.ラテンアメリカに1004万ポンド等.広島.長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中.天皇は自分の蓄財を海外に次々と.逃がす事に専念する。

この問題を調査したマーク・ゲインは.海外に天皇が逃した蓄財は.累計で5〜10億ドルに上る.としている(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。
広島.長崎に原爆が落とされ.膨大な死傷者が出.戦後.日本を.どのように再出発させるか.を考えなくてはならない時期に.天皇は.ひたすら自分の蓄財を守るため.数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。

日銀の地下金庫からは.莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され.アルゼンチンの銀行.そしてスイス銀行まで遠路.運搬されていた。中国では.日本に逃げ戻るための船舶が無く.逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数.強姦殺人され.子供が殺害されている最中.天皇は貴重な船舶を独占し.自分の金塊を遠路.アルゼンチン.スイス等に運び出していた。

天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く.日本人の事など.何も考えていない事は.明白である(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」 マルジュ社)。

 なお.天皇が.第2次大戦中.「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の.天皇の共同経営者が.CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは.何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

 天皇は戦後.このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り.CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に.港区の不動産を次々に買収し.またハイテク産業に投資し.莫大な蓄財を.さらに莫大に膨れ上げさせて行く。 天皇は神でも「象徴」でもなく.単なる金儲け主義の.金融ビジネスマンである。 そして.ここでも.「何故か」.CIAと天皇は「共同経営者」である。

 天皇は.1940年代初頭から.スイス銀行に少しづつ蓄財を「移し」始めるが.ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが.虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。

天皇はヒトラーに請願し.ナチス・ヒトラーの口座の中に.「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい.そこに天皇一族の蓄財を隠していた。天皇と.ヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する.略奪ビジネスのパートナーであり.ナチスと天皇は一体であった(アダム・レボー「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ・・また.濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。

 1924年.米国は「排日移民法」という法律を成立させる。日米関係は.まだ険悪ではなく.日本から.余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し.それを禁止した法律であった。 天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の.「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に.1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。

「米国のカリフォルニア州への移民拒否については日本を憤慨させるに十分なものであった。」

 この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。 日本人女性を.だまし.売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した.それに憤慨.激怒し.米国と戦争を始めた.と天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は.神でも.「象徴」でも無く.人間のクズの集団である。
http://alternativereport1.seesaa.net/

昭和天皇が戦争狂になった理由


 「戦前、皇室には予算として年額450万円が国家予算から計上されていたが、一説によれば天皇の総資産は少なく見積もっても約16億円であるという。だが、宮内庁のこの数字は嘘で、本当の資産総額は、海外へ隠した資産を含めれば、信じ難いような天文学的金額であるともいわれている。

皇室予算だけではこのような金額を貯蓄することは不可能であるが、当時皇室は横浜正金(後の東京銀行)、興銀、三井、三菱ほか、満鉄、台湾銀行、東洋拓殖、王子製紙、台湾製糖、関東電気、日本郵船等、大銀行、大企業の大株主であり、その配当総計は莫大なものであった。すなわち、これら企業・銀行の盛衰は、そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。こうなると戦争で、財界が植民地から搾りとるほどに皇室は豊かになるということになる。」

 戦前の天皇家と国家、あるいは天皇家と資本家の関係がこれで言い尽くされているであろう。

天皇は昭和の大戦争に深く関与した。 いかにユダヤ金融資本から仕掛けられた戦争であろうとも、大企業、大銀行はみんな戦争経済へと誘導したのであって、その大株主であった天皇が戦争を指導したのだから、責任なしとは言えない。私は先の戦争に関して連合国に謝る理由はないと思うが、天皇に戦争の責任は重大だったと思う。

天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。当時は海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。この日本郵船が大量の移民をアメリカに送り込んだ(数十万人といわれる)し、また大量の若い女性を海外に運んだのである(娼婦にするためである!)。

 日本郵船だけでなく、天皇は大阪郵船の大株主でもあり、これを使って、日本は手に入れた外地へ、人間や物資を運ばせ、莫大な利益をあげさせた。

 鬼塚英昭氏の『天皇のロザリオ』(成甲書房)によれば、福沢諭吉は「賎業婦人(娼婦)の海外出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」と主張している。外貨稼ぎに日本の女性を使えと言ったのであるから、どこが「天は人の下に人をつくらず」だ! つまり諭吉は、娼婦の海外輸出は天皇と三菱に利益もたらすから「得策だ」と平然と言ったのである。

慶應義塾とは日本資本主義と天皇を支える私立の重要な学校であった。財界人を多く輩出したのは慶應義塾や官製の東京帝国大学であった。 そこを出た財界のトップたちは、 2・26事件を影で操り、そこから一気に戦争経済へ主導し、政府要職にも就くなどして日本を大戦争とその果ての破局へと導くのである。

 鬼塚英昭氏の『天皇のロザリオ』には、戦前の皇室が銀行支配も徹底していたことを書いている。皇室は日本銀行の47% の株を所持していた。

だから紙片を発行し、公定歩合を調整するたびに、莫大な利益が皇室に流れた、とある。日銀は発足当初からユダヤ国際金融資本の日本支店であるから、これでいかに天皇家とユダヤ資本が深い関係かがわかるだろう。

 さらに鬼塚氏は天皇とアヘンの関係も暴露している。

 「同じ手口(米国に移民を送って儲けた話)を皇室と三菱は考えた。ペルシャ(イラン)からのアヘンの輸入であった。皇室と三菱は三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起こる可能性があったからだ。三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国家はこのアヘンの金でできた。

 天皇一族はこの利益を守るために秘密組織をつくった。厚生省という組織に、天皇は木戸幸一(後に内大臣)を入れ、アヘン政策を推進させた。1938(昭和13)年12月に興亜院がつくられ、アヘン政策を統括した。日本でもケシ栽培をし、朝鮮にほうり込んだ。中国でも熱河省でケシ栽培をした。この利益も皇室の財産の形成に大きく貢献した。 

 多くの(ほとんどと言うべきか)軍人たちが、三菱と三井のアヘンの利益の一部をもらって遊興にあけくれた。」

 天皇も、財閥も、軍人も、アヘンという恥ずべき巨悪に手を染め、巨利を得ては遊興に使うために、戦争を次々に仕掛けたのだった。

このゆえをもって、天皇はついに終生、中国と朝鮮には足を踏み入れることができなかった。ちなみに沖縄も、天皇は自らの助命と引き換えに、米軍の永久使用を提供したので、これまたついに沖縄を行幸することはできなかった。

 「皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。

中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、なかでも国際決済銀行、通称バーゼルクラブは、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣ではなく、すべてを金塊で決算する銀行であった。

 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和19年1月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃すよう指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。」

 昭和天皇は大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が取り上げられることを心配したのだ(むろん実態は連合国は承知していた)。

だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。海軍の潜水艦を私的に使ってアルゼンチンに金塊を避難することまでやった。

 そして進駐軍がくると、マッカーサーに卑屈に叩頭し、朕はキリスト教徒になってもいい、日本をカソリックの国にしてもよいと申し出た。宮中の女性を東京裁判のキーナン検事に提供して歓心を買い、戦争中の陸軍軍人の内輪情報を(田中隆吉を使って)チクっては責任を全部東条らに押しつけて、彼らが絞首刑になるよう誘導した。みんな、自分の命乞いのため、そして資産保全のためである。
 
 「中島知久平(中島飛行機 ゼロ戦の製造で有名)は、陸軍が(支那事変で)未だ戦線を黄河あたりにまででとどめようとしているとき、閣僚の一人として漢口まで行かねばならないと主張した。もっとも大胆に(中国戦線)拡大を唱えたのは、鐘紡社長津田信吾である。彼は中国との全面戦争とともに、イギリスとの戦争を説いた。彼の強硬論は鐘紡の高利益の基礎に外地会社の多角経営があり、これを積極的に中国領内に拡大する希望を持ったこと、(中略)中国国内に原材料基地を見出さねばならぬという因果関係からくるものであろう。」

 中島知久平が閣僚になって戦争を主張したように、また王子製紙社長の藤原銀治郎は、海軍顧問、商工大臣、国務大臣。軍需大臣を歴任し、その地位を利用して戦争でしこたま儲けたクチである。

 戦後、自民党の大物議員で60年安保時に外相を務めた藤山愛一郎も戦前、大日本製糖社長として、戦争を煽った人物である。彼は台湾での製糖事業を一手に握っていたが、さらに南方と中国南部に製糖工場を広げるべき軍部と結託した人間である。

 こうした三井.三菱以外の中小財閥も、積極的に戦争経済を推進しようと図ったのである。それを最も喜んだのはこれらの会社の大株主だった天皇であった。

 こうして見てきたように、天皇は莫大な蓄財を行うために、財閥と組んで国民を売りとばし、戦争を仕掛けて国民を殺してきた。責任はすべて軍人と国民とに押し付けた。血も涙もない、とはこのことではなかろうか。

 終戦後、彼は「人間宣言」のあと、全国を巡幸して歩いた。その映像は今も残る。敗戦で打ちひしがれた国民を激励すると称して(膨大な予算を使って)行幸したときの姿は、

わざと古着にすり減ったクツを履いて、軍部に騙された気の毒な天皇という哀愁を演出してみせたのだった。

彼は1901年生まれだから、巡幸のころはまだ40代後半なのに、わざと猫背にして60歳くらいの老人のように見せているように、映像や写真からは伺える。

何を説明しても「あ、そう」と答えたことは有名になったが、これも自分は戦争を指揮したりしない、言われるがままの人間だったという印象を与えるためだろう。

戦前には絶対に大衆の前に姿を晒さなかった彼が、大衆に向けてソフト帽子をふりふり、愛想笑いを浮かべて「平和天皇」を演じてみせたことは、戦犯から除外してもらうための進駐軍へのポーズでもあったし、見事に国民をも騙すことにも成功したのであった。

 戦後もついにマッカーサーをも騙しきって、資産を守った天皇が、なんで古着にボロ靴なのか。その心根の深奥をわれわれ国民は知るべきであろう。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/b2add89dad958852f4994fb54f0874b0

南京大虐殺は中国からの財宝略奪をカモフラージュする為だった?


日本兵は、川岸における毎夜の鬼畜な任務にあたらされる一方、昼間、盗みに使用された。南京に居た米国人教授の一人、社会学者のルーイス・スマイスは、略奪は隠れた事業として始まったという。

「日本軍は重い負担を軽減するため、非公認の略奪引受人を必要としていた」と彼は書いている。すでにスマイスは(109)、中島の到着以後、「上官の目の前で、店という店を組織的に荒らし回る」光景を目撃していた。そして彼はこう書いている、「収容所や避難所にいる難民の多くは、日本軍によるしらみつぶしの探索の際、わずかな財産からでも、現金や貴重品しか持ち出せないでいた」。

そして、日本軍によって発見された膨大な量の戦利品は、個々の兵士の背嚢にしまわれたのではなく、公に軍の倉庫に運び込まれていた。

三ヶ月後、安全地区委員の一人は、自分の家から略奪されたピアノの行方を追っていた。彼は、ある日本人将校により、二百台のピアノがしまわれている軍の倉庫へと案内された(110)。別の倉庫には、じゅうたん、絵画、マットレス、毛布、骨董の屏風やたんすなどが満たされていた。中島を含む多くの将官たちは、ヒスイ、磁器、銀などの小さな宝物を懐にいれていた(111)。だが、ほとんどの略奪品は、後に売られて、その代金は軍の費用をまかなうために用いられた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1c.htm


日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。 そして一般人からも奪った。

一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。
この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。 略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であった.

どこから、このすべての財宝は来たのか? 今まで、アジアからの日本の略奪は、
酔っ払った兵士による盗みと暴力による、散発的なバラバラな活動として無視されてきた。 しかし、これは偽情報である。

 戦争の拡大による略奪は何も新しくはない。 しかし,日本が一八九五年から一九四五年の間に行ったことは、質的に異なっていた。これは酔っぱらいの略奪や打ち壊しではなかった。

日本人は真面目で、しらふで、計画的だった。彼らは普通の泥棒や歩兵たちには
無視されるような、価値のある書籍や写本に特別に注意を向けていた。彼らはアジアの三合会や暴力団やギャングたちなどの暗黒世界から略奪することに、特に注目し専心していた。

日本は麻薬を持って中国へどっと押し寄せた。その麻薬をギャングたちに与え、交換に黄金を得た。 麻薬は各々の隠された場所から財宝を吸い上げた。個人のレベルでは、拷問は巨頭、部族の長老、銀行家、企業家を含む金持ちの個人を襲うときには当たり前に使われた。

 日本に持ち帰られた最も価値ある物品の中に、美術品と歴史的な遺物があった。 今日まで、この世襲財産のごく一部しか盗まれた国や個人に返却されていないという記録がある。 それが問題である。黄金でできた仏像を含む幾つかの主な美術品は、フィリピンの地下に隠されていたが、最近見つかった。しかし、ほとんどの芸術品と美術品は依然として、日本で個人的に隠匿されているか、東京で皇室の蒐集物となっている。 なぜ、日本がこれを持っていることが許されているのか?

 公的には、日本の戦時中のエリート(皇室、財閥、ヤクザ、「いい」官僚たち)は一握りの「悪い」熱狂的な軍人を生け贄にして、戦争を終えた。
読者がお気づきのように、これは真実ではない。

天皇裕仁を含む日本のエリートたちは、戦争が終わったときには、戦争が始まった時よりはるかに金持ちになっていた。 ある者は終戦前後に、数十億ドルの資産をつくり出した。
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html


アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅?

昭和天皇と731部隊


欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。

 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。  1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。

 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。

 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。

 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?

 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。

 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。  マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?

 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。  731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?

 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)

 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。

昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。

新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。 その結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。

※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)

・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。

1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。

・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・

 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。


・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。

・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)

・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。

このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。

 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)

・『731部隊−天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。

・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・

 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)

・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。

・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。

・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。

・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。

・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。

・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。

・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。

(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)


・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。

日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)

http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html

そして、日米両政府の嘘の総仕上げがこれ:


【マッカーサーが昭和天皇に感動】

 昭和20年9月27日、昭和天皇とマッカーサーの第1回会見。天皇は戦争についての一切の責任を負うと言明された(『マッカーサー回想記』ほか)。副官だったバワーズの証言によれば、感動したマッカーサーは次のように述べたという。「天皇を殺すことは、イエス・キリストを十字架に架けることと同じだ」と。


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13. 2011年1月17日 11:51:38: Ts2m6xow8Q
大東亜戦争の真相
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13097894

14. 中川隆 2011年1月18日 00:01:23: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

>>13 の陰謀論のヴィデオは私ではないので悪しからず


上記の詳細は


君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html

こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html

中国人も日本人が大好き
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/291.html

間違いなく日本の朝鮮統治は全てが悪
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/392.html

朝鮮人が食っていけなくなったのは搾取だけが原因ではない _ 換金作物を作らせると餓死者が続出する
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/416.html


__________


イエスの出生に関して >>7 さんと >>8 さんのコメントが有りましたが、イエスはマリアとローマ兵の間の私生児だったという説が今は有力です。

当時のパレスチナには金髪の人間は存在しません。古代ギリシャ人も古代ローマ人も黒髪、黒目、褐色の肌


まあ、こういう事でしょうか:


それは昨年の事だった。ある筋から『ポンテオ・ピラトの報告書』なるものを手に入れた。これはキリスト教系の出版社から出ているものだった。それはイェス・キリストを処刑することに同意した時のローマのパレスチナ総督ポンテオ・ピラトが書いたと称するイエス・キリストに関する非常にリアリティーに満ちた文書であった。私はすっかりはまってしまって、皆に紹介した。しかし、読み返すうちに、
おかしな事に気付いた。それはイエスは金髪で白人だったというのである。

また、あまりにもピラトがイエスに好意的で公文書にはありそうもない感情移入が激しいことだった。イエスが金髪白人だという説はイエスがマリヤの不義の子でローマ兵士の子であったという俗説を基としている。さらに、聖書はイザヤ書五三章で「見るべき姿もなく威厳もなく慕うべき美しさもない」と予言しているようにメシヤが来たとき、決して目立つ人ではないと書いている。

しかし、その文書ではイエスはどこにいても人目 を引き全く普通のユダヤ人とは違っていたと書いている。もし、イエスがそんなに目立つ人だったら、ユダはどうしてイエスを捕らえに来たものたちにあらかじめ合図して「わたしが接吻する者が、その人だ」と言わなければならなかったのか。

この文書は実に良く出来ていて、キリストを敬う者の様に書いているが、実は 偽書だということが分かったのである。実に恥ずかしい思いをした。

http://www.geocities.co.jp/technopolis-Mars/5614/am10.html


イエスについては


イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

を参照下さい。


15. 豪太郎 2011年1月20日 16:33:46: bXIuQyr/MBF7E : tIS5Ikcxvg
最近の話題で クリスタル > グットウイル 日本最大の 人材派遣会社ってのが
あって問題になりましたが 関係者は 三菱関係の筋に頼んで アラブ諸国に
潜伏していました。 当時 日本の技術者などは 高く売れるという話を
関係筋から聞いていました。
人身売買も 姿を変えて 存在しているのでしょうか?
その後この事件どうなったのかな?

16. 2011年1月29日 11:45:50: IMsfjjti1k
鹿島 昇氏の歴史書ってこれですか。

//www.snsi-j.jp/boards/sirogane/158.html
[3957]『歴史 如何に 解読するべき』著者、鹿島 f 発行所、新国民社』からの、一部引用
投稿者:白金 幸紀(しろがね ゆうき)

・・・・

推薦の辞

この度、私の古くからの友人である鹿島昇氏が日本史、朝鮮史、中国史に関して、そのライフワークを完成して一巻の書にまとめ、『歴史』として刊行されると聞いて、心からお祝いの言葉を述べるものであります。私の家は藤原氏の一族でありますが、昔から、歴史的な事件の多くを口伝えで伝えていて、氏の本を読むとその口伝えがよく説明されているので、私もこの出版を心待ちにしていたのであります。

従来、日本史は朝鮮史や中国史と切りはなして研究されていたようですが、氏は「中国史→朝史→日本史」という大きな流れを重視して、とくに箕子朝鮮、秦韓、金官加羅、新羅、扶余、百済などを日本古代史の枕におくものであります。これを云いかえれば、東北アジア史のなかで日本史を捕えるといテことで、新しい、重要な試みと云うべきでありましょう。

私の伯母である李方子は梨本宮家の長女で晩年はソウル市に住んでいたので、私も屢々ソウルを訪れたことがありましたが、その地では、「日本の天皇家は朝鮮から日本へ行った」と云う人が多かったのであります。どうして日本の歴史学者がこの問題に正面から対処しなかったのでしょうか。氏は扶余王仇台が百済王仇首となり、さらに日本の神武となったと云って、明確にこの問題に解答されております。

また氏は本書において南北朝問題についても言及されておりますが、私たち藤原氏の先祖はある者はかつて南朝に仕え、ある者は北朝に仕えたというわけで、南北朝の対立はすなわち藤原氏の分裂ということでもありました。こういうわけで、私としては南北朝の対立ということは身内の問題というような感覚なのであります。南北朝と云えば、李方子は生前に、「明治天皇は南朝で、自分たちは北朝だということを云われた」と云っておりましたが、氏はこのような明治天皇の南朝問題などについても故人と一賃を交換しておられまし仁この問題は・学問上もっと深く研究されるべきだと思うのであります。

この度、氏の労作が一巻の書となって刊行されたことは、学問の進歩のためにも悦ばしいことと考えますので、広く皆様にご推薦するものであります。

平成五年三月吉日

廣橋興光


・ ・・・・・・・・・


まえがき

歴史というものはすべて横にも縦にもつながっている。日本という国名はただ極東という意味であって、中国を世界の中心と考へた中国人渡来者の命名である。こんな当り前のことさへ考へなかったのが歴史学者であるが、命名した人々を歴史のなかから探すと、それは中国の史書に登場する秦王国以外にはないのである。秦王国は朝鮮の慶尚道あたりから、箕子朝鮮とともに日本に渡来した人々であった。このように、日本の歴史は古代中国史や朝鮮史の延長上にあったし、また明治維新にしても、徳川幕府の体制疲労と海外からの黒船の圧力によって成立したものであった。ところが日本の歴史学は学問というよりも宗教に近く、しかもその宗教は、バアル教の分派であった朝鮮の檀君教を、道鏡が自ら天皇になろうとして仏教の技術によって勝手に作りかえたものだったから、奇妙キテレツな教義であって、歴史的にも仏教に従属して存在した。そして、宗教である以上、それは自ら独自性を主張してやがて排他的な民族宗教になったのである。その結果として歴史書も天皇の威徳をたたえるという単純な目的に整理されて、常に「天皇万才」を云い続けたのである。日本には市民の立場から論じられた史学は古来存在していなかった。

筆者はかつてソウルで女性のガイドさんから、「百済の王族が日本に行って天皇家を作った」と云われたことがあったが、百済と云えば、日本史に百済王(くだらのこにしき)氏という一族があっかことは知られているが、その人々は光仁、桓武の即位以後、やがて歴史から見失われた。
光仁は道鏡の兄で、施基皇子の孫となっているのだが、藤原仲麻呂の上秦文では道鏡は物部守屋の子孫とあって、施基皇子などとは云っていないから、道鏡が勝手に系図をデッチアゲたことになろう。だから百済王の子孫が天皇になったことをかくすために歴史の偽造があったとすれば、道鏡から桓武にかけての時代であろう。すると『秀真伝』の述べている道鏡の『日本書紀』改竄や、『神皇正統記』の云う、桓武天皇のときに、天皇が扶余、百済などの子孫だという史料を焚書したという記述が重要な手がかりになる。しかし改竄された記紀によって、変造された神道が民族精神のバックボンになったため、記紀が偽造文書であるという重要な問題は日本の歴史学者が避けてあえて取り上げなかったのである。


戦後ですら、若干の学者がしきりに古史古伝の虚構を論じているが、こういう人たちに限って記紀の虚構にふれないから、古史古伝の批判イコール記紀の擁護ということになる。このような記紀偽造に関する多くの問題はいまだ殆ど解明されていないのだが、試みに、施基皇子を百済王氏の一人とするとこの疑惑はまさに氷解するのである。百済王氏のなかではただ一人文鏡だけが出自不明となっているが、文鏡は道鏡が法王になった時に出羽守となり、その後任として、百済王敬福の子の武鏡が出羽守をついだのであった。筆者は従来から、そして本書におい
て、敬福の子供である武鏡に、文鏡と道鏡という兄弟があって、その文鏡が光仁になったことを考証した。のちの後醍醐天皇と明治天皇に始まる南朝天皇家は百済王敬福の子の文鏡が光仁として作り上げたものであって、日本の天皇家は百済人亡命者であった。日本人は長い間、朝鮮人の子孫を生き神様として奉っていたのである。

道鏡の歴史偽造は、自分が天皇になるために、その遠祖である百済王仇首、実は扶余王仇台を神武天皇として、日本史の始めにおいたことに始まる。仇台は伊都国の王として日本に渡来し、公孫氏と扶余の連合軍によって邪馬壱国を作った。仇台妃は公孫氏の女で、それがヒメタタライスズになり、中国史の卑弥呼になったのである。

それでは、このような歴史の偽造がいったいどんな人々によってなされたのか。実は日本史の偽造は不思議にも、そのマニュアルが中国古代史の偽造方法とよく似ているのである。

中国史の偽造については本書の第三部で十分考証したつもりであるが、このような偽造技術は始皇帝の秦帝国によって完成されたものであり、日本に渡来した秦氏、いわゆる秦王国の貴族たちが先祖からうけついだ技術であった。秦の亡命者は箕子朝鮮の保護のもとに辰韓に逃れていたが、箕子朝鮮が衛満によって亡びたあと、その上将卓が馬韓に逃れ、さらに九州東北部にあった豊日国、のちの金官国から、脊振山脈と鳥栖の問の地、現在の吉野ヶ里周辺を割譲されて建国し、辰韓から渡来した秦人とともに東方に移動してその王サルタヒコのもとでついに大和地方に秦王国を建設した。このことは第三部の終りで考証したように、『但馬故事記』や『伊勢風土記』などに明記されているし、また『神皇紀』によれば、サルタヒコは神武に協力して狗奴国の長髄彦と戦ったという。秦氏はのちに唐の郭務怯を旗印にして、箕子朝鮮の韓氏、金官国の金氏などとともに、藤原氏という一族を合成したのであるが、藤原氏の権力は歴史偽造という秦氏の先端技術が生み出したものであった。また朝鮮半島ででその技術によって作られたのが朴氏の先祖に当る檀君朝鮮の歴史であった。

天皇家が朝鮮人だったと云っても、日本の歴史のなかで天皇が民族と文化の求心力を果した役割は過小評価すべきではない。しかし、その時々の天皇の行為に関しては常に別の選択もありえた筈である。例えば、昭和天皇治世の前半には、かつての幕府政治と変わらないような軍閥政治が行われていたが、これも天皇が軍閥の独断専行を追認したことの結果であって、天皇の追認政治が軍閥の独断専行を許したと云へるであろう。

明治時代に不平等条約の改訂を求めた岩倉使節団が、イギリスを羨望してその帝国主義戦争に加担したことが、西郷追放に始まる日清、日露の両戦役と朝鮮合併になったのであるが、昭和時代には、石油の有無が戦争の勝敗を決することになったため、せいぜい中国としか戦へなくなった陸軍を代表して、東条たちがドイツに留学して、極言すれば日本をヒットラーの指揮下におこうという諜略にふけったために、そののち中国侵略から対米戦争をひきおこしたのである。

これを簡単に云えば、岩倉は日本をイギリスに東条はドイツに売ったものであり、まさに島国育ちの田舎者が受けた文化ショックの弊害であった。日本には明治時代をよしとする人々は多いが、切手一枚で戦争に行かせるという徴兵制度は岩倉使節団の発想であったし、この徴兵はのちの朝鮮合併の準備であったのだが、さんざん学校、警察、病院とインフラの整備に手を貸した朝鮮で、今だに反日感情が漲っていることを考へると、朝鮮合併は朝鮮人だけでなく日本人にとっても悲劇だったのではないか。イギリスのお先棒をかついで、清やロシアと戦い、あげくの果てに隣国の朝鮮を合併するということが、不平等条紺改訂のためにどうしても必要だったというなら、改訂をいそがずに、その機会がくるまで待った方がよかったのではないか。

だから、すべて歴史には原因があって結果があり、これを究明しなくてはものの役にも立たないのだが、そうすると当然、歴史的な結果に対する個人の責任も明らかになる。ところが、これらの責任は究極的には天皇の責任に行き当るので、日本人にはそれができなかったのである。

このことは終にものごとを暖昧にするという日本人の気質になったため、歴史学には学問としての厳しさが失われてしまった。しかし、歴史学は現在と未来に過去の教訓を教えるべきものであって、これを暖昧にしつづけることは許されない。本書はこのような視点に立って、従来の歴史学の陥った錯誤を正そうとする。読者おおかたの理解を望むものである。

・・・・・・・・
目次

第一部 倭国、日本国、明治王朝

序章 倭と倭人

倭人のルーツを探る-22
倭人と蒙古族--・25
瓦族と倭人-・-28
瓦族の周辺-----32
倭人と倭国-------・・--・-36

第二章 神武建国の謎

日本国は新旧二つあった------・・--・--…・42
日本語、渤海語、馬韓語の類似…45
公孫度と扶余王仇台の同盟…48
高句麗三王朝と王子罽須….51
高句麗王子罽須は扶余王仇台=神武のことだ・・54
神武、大物主命、卑弥呼の関係…56
扶余王仇台、九州に上陸して神武となる…58
神武東征と百済建国の類似…59

第三章 神武から天武まで

『東日流外三郡誌』について・・・66:
神武から懿徳まで-…69
綏靖は扶余王簡位居のことだ….72
『東日流外三郡誌』と倭国史の真相・・・74
「入鹿殺し」は朝鮮の事件だった…76
日本史と朝鮮史の関連・・・・79
「万世一系」の虚構と記紀の編纂・・・81

第四章 道鏡の南朝革命

道鏡系天皇家の謎・・・86
周辺諸国の神々-------・--------・---・-88
現行『古事記』の作成--・----・-・91
クイズ―施基・光仁・桓武の正体-----94
光仁は百済王文鏡のことだ-・--・・97
道鏡と高野新笠の謎--…---・・101
桓武を即位させた百川-----103
キングメーカーの藤原百川---・--108

第五章 明治天皇の南朝革命

南北朝の謎--…-・…-・------・-114
奴隷貿易による欧米列強の繁栄---116
アヘン戦争-------・・------117
明治維新は南朝革命だった・-------・-----120
田中光顕の告白…------・--・-…・---129
吉田松陰の秘密--・134
徳川幕府の原因-・-…--136


第六章岩倉使節団とイギリスの帝国主義

岩倉欧米使節団-----・140
西郷追放の真相--------・……-…-…-・---…・…---・……------…--------143
日本、帝国主義戦線に参入---…----・…-------・--……--……-------……-148
台湾出兵--------・-・-・-----・---…---…・-・…----……---…---…-151
伊藤憲法の制定と朝鮮合併-------・・--…--…--・-…---・…-------------:153
明治天皇の南朝正統論とウガヤ王朝-------・…------…・-・-…・-……-----……155

第七章天皇 ヒロヒトと二・二六事件

昭和天皇の右翼教育・---…---・---…・-:-・…-…--…-・--・--…・------…162
天皇ヒロヒトの資質-・…-……-・-……---…-・-…------・--・……-……--164
二.二六事件の伏線:…≡.≡≡≡≡≡…:.≡≡------・・-・-∴----・-------170
二・二六事件の伏線(続)・--…--…・・-------…・--------・-・…--…・…--…-.171
二・二六事件と天皇の失敗--…・---・-・・-・…-・-…-・-・----・-・…---・・………-…175
天皇激怒の謎-…-----・---…---…-・・--……--…・--…--・-…-…178

第八章中国侵略と帝国主義の縄張り争い

国家財政の破綻--:…----・--…----一…・--…----・------…-------…184
張作霧爆殺と満州の強奪・--…----・・--…・・--…・…・-…・-…-・・-----…---・…186
南京事件---…----・----…--…・・---…---・…-------・---------…---189
ノモンハンの敗戦とその教訓--…----・----…-:…・…--…--…-…--……----194
日独伊防共協定-----------・-------195

第九章 皇族と重臣の戦争責任と東京裁判

木戸と近衛の戦争責任------・-・・-・------・-200
統制派、東条の戦争責任--・--一・・--・------・・205
皇族の戦争責任-・-------・------------209
東京裁判の虚構・-------・・-・・212

終章 天皇ヒロヒトの責任

昭和天皇の戦争責任(一)、終戦まで--・--------216
昭和天皇の戦争責任(二)、おそすぎた終戦--・・-----220
昭和天皇の戦争責任(三)、戦後----・-・-・-------227
天皇ヒロヒトの退位問題--・------・---・-・--234


17. 2011年9月08日 13:42:13: LmAGPqQNhg
コメント長すぎる者が居る。信用出来ぬ。精神的に問題あるのでは。心を癒すべき。

18. 2011年12月10日 12:39:58: c6gF2kWcgE
糞にコメントすると糞ハエになるのでコメントせず

19. 2012年3月23日 18:35:07 : O3CUndQpAg
ワニ?

Anunnakiって事?

姿が変わる?

Shape Shiftって事?

じゃあ、エイリアンの血が濃いって事?


20. 2012年11月22日 05:46:35 : 9E4hjwkCbU
おい!

21. 2013年1月13日 18:10:21 : ZXaCg6UOQc
>>02

原爆の投下場所と、日付は、昭和天皇が指定したと云われます。
だから、そんな発言したのでしょうね。

鬼塚氏の調査結果
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1161


22. 2013年2月15日 19:55:19 : J79qdR8Qn6
間違いを正す。

>>21
原爆投下指令承認はトルーマン大統領が、計画は米国戦略航空隊が行なったものであり、
日本の天皇が決定したものではない。

>>1
日本を何も判っていない人間が良く陥る解釈である。
多くの研究や歴史的証言でも明らかだが、天皇は戦時中においても実質的なリーダであったことはなくカルト的な政治体制下において利用された象徴的存在にすぎない。
戦争責任は旧軍軍部の独走や戦争を煽った新聞マスコミである事は間違いない。
だからこそ天皇は戦犯とならなかった。それは占領軍も承知していた。

吉田氏はイギリス通であるが、元々英国は同盟国であり吉田氏を最大の売国人やスパイ
呼ばわりするのは誠におかしな話である。

>>2
>@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。
>
>A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。
>
>ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽

この天皇の評論は正しい。日本における封建的体制とは江戸幕府に遡る幕藩体制であり、
それらは厳しい身分差別制度、市場経済を否定制限した統制経済と利権構造、
そして汚職と腐敗であり地方政府の腐敗構造の改善は時間が必要であるとする評論は的を得ている。
そして当時の神道とは政治目的で利用された、人為的に作られた国家宗教なので、オリジナルや自然崇拝を原型とするものと違う。現在の土着神道とも違う。

当時の神道は宗教と国家と天皇(天皇を国の権力者と定める際に天孫降臨神話が
利用され、そのために神道も政治思想として利用されたものが、出口尾に三郎のような今日のオウム教に相当するカルト神道宗教の登場に伴って結果としてカルト化したようなもの)
をミックスしたものでそのルーツはオリジナルの神道とは大きくかけ離れている。
アジア諸国から指摘される靖国神社ですら明治に作られた国策の霊廟を神社と呼んでいるだけで、オリジナルの神道とは無関係である。
現代でも出口尾に三郎を信じている人がいるが、彼こそ現代のオウムの麻原と呼ぶ
ような存在で、決して戦争を煽った罪を逃れられるものではない。
出口尾に三郎の存在と大本教の存在も戦争犯罪という視点からみれば国家カルトを招いたという意味で悪である。



23. 2013年2月15日 20:52:59 : J79qdR8Qn6
>>6
天皇のビジネスが売春斡旋という話はこれまで国内に存在したことはないし聞いた事がない。

国内で発生した日本人女性を売買した事件は、遡れば日本が戦国時代だった16,17世紀
南蛮貿易が行なわれた奴隷売買である。
にちゃんねるなどでは宣教師のみが奴隷売買に関与したような記述が見られるが、
実際には地方政府(戦国時代の地方領主)が武器(銃火器や火薬)を欲しており、
武器弾薬を目的とした奴隷貿易が行なわれた結果、人身売買が発生したといえる。
バテレン宣教師だけ指摘し、この地方領の積極的な人身売買への関わりを指摘しないのはおかしな事だ。
当時は火薬や鉄砲などの武器は国内で製造されておらず輸入されていた。
その南蛮貿易の中心である主だった地方は現代の九州地方の諸国である。

明治政府に始まる日本の近代国家体勢は九州の薩摩長州閥の支配や影響力が強い組織である。
彼等が外貨を稼ぐ為に、かつて戦国時代に南蛮貿易で行なった人身売買を再び、
明治政府の時代に行なったとしても不思議ではないが、なぜかそうした指摘がない。
すべて天皇の責任で人身売買を行なったという奇妙な説よりも、戦国時代に遡る
武器輸入目的の非人道的な活動や各種大名と呼ばれる地方領主の人身売買、
そしてそれら地方領主にルーツを持つ明治政府内の薩摩長州閥の関わりを指摘しないのは犯罪的である。


24. 2013年2月15日 22:40:55 : J79qdR8Qn6
>>12
戦前の天皇の資産について指摘するなら、その後、それら資産はGHQに没収された、
という事実も併記しなければならない。しかし天皇所有の資産を進駐軍が得たからといって
GHQがすばらしいビジネスを行なった訳ではない。

また第二次大戦はユダヤ金融資本が仕掛けた戦争ではない。
第二次大戦はナチスドイツの戦争行為に始まるファシスト国家(日本を含む)と
連合国との戦いである。

日本について言えば、第二次大戦中の日本社会は明確な命令支持系統を持たず、
会話上においても非常に曖昧な意思疎通というものが政府軍部内でも存在した。
これは日本文化独特の「察して知るべし」という概念であり、明確にする事を避け、
遠ざけた、非常に曖昧さを含む言語表現で意思を表現するというもので、
現代ではありえないコミュニケーション手法が現実に存在した。
この習慣が軍部の誤解や暴走に繋がり、天皇の終戦間近の「平和(和平)工作」指示
を木戸が誤解し、皇室の「資産保護」と誤解し指示した原因である。
この木戸の誤解を無視することはできない。

天皇の資産が政府の人間である木戸により管理されていた事実は、これら資産は
天皇個人よりも天皇そのものが当時の戦時体制における政府機関の
1セクションという意味合いが強いといえるものだ。
そもそも当時の戦時体制下における政府予算会計の仕組みは誠に出鱈目であり、
だからこそ総力戦というスローガンが生まれ、戦後も多くの市民が困窮した
(経済面でも旧日本軍と、戦時国家体制を進めた連中は経済金融犯罪をしたともいえる)のである。
戦後発生した不明瞭な事件も、戦中の不正会計に遡る事件は多いと言われている。

こうした点は日本で生活し、日本という文化を知らなければ全く理解できない問題である。
この木戸の”誤解”の様子はポールマニングの手記にも記載されているはずである。

日本において、天皇という存在は独立した強い権力を持つリーダーではない。
それは明治から始まる近代国家体制において、政治目的の為に利用された存在である。
戦後日本において霞ヶ関官僚が強い権力を持つのも、戦前も戦後も財閥系の
影響力が強いのも
実質的な影響力を持つ階層はリーダーではなく役人や財閥という階層であり、
彼等のような存在が戦争犯罪と関わっていた事はまぎれもない事実である。
世界におけるリーダーという視点で日本のリーダーと呼ぶ人物の姿を見ると、
必ず日本という国と日本社会をミス・リードする。
日本においてリーダーは存在しない。世界と真逆なのである。

こうした基本的な理解も無いのに、思い込みで世界の地域社会や文化を理解した
かのように評論を書くことは、あなたが度々引用している
オルタナティブ通信の著者が頻繁に使う単語のように”クズ”な論評である。

731部隊がいた中国北東部は関東軍が管轄しており、正式には陸軍医学防疫研究室に属する組織である。天皇直属の部隊ではないし、そのような事実はない。
部隊関係者が単純に天皇に表彰されたというだけで、根拠もなく直接的な指令系統や
下部組織であると結びつける行為は、単なる妄想である。

731部隊の人体実験に利用された人々は民間人ではなく関東軍占領下においてスパイ活動を行なった人々である。
当時の満州で外務省の要員が731部隊の活動に気づいていた可能性はあるだろう。

彼等の行為は、現代の中国共産党が政治団体である法輪功を政治犯として弾圧し
その臓器や人体を売買する行為と似ている。
かつて東西冷戦下のヨーロッパではスパイ活動が活発に行なわれ、幾つかの国
ではその拷問の様子を現代に語り継いでいる。
中東では現代でもCIA要員がイスラム過激派に狙われ殺されているし、イスラエルのモサド要員はダビデの密使である頃から無慈悲な作戦を遂行することで知られる。
スパイ活動はある意味において最前線の兵士よりも惨たらしい残虐な殺され方をするというのは現代でも変わっていない。
それは非人道的な行為である。


25. 中川隆 2013年2月20日 14:26:42 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

>天皇は戦時中においても実質的なリーダであったことはなくカルト的な政治体制下において利用された象徴的存在にすぎない。


これ自体がアメリカのプロパガンダだよ。
終戦後まで昭和天皇は絶対権力者で、東条英機は唯の御用聞きにしか過ぎなかった:


戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。

東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。

天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は限度を越えていた。中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた。

 要するに、東条は不当な扱いへの不満を抱いており、それを訴えるに違いないと期待されていた。彼は融通が利かないほどに理屈っぽく、ほぼ西洋的な考え方をしていた。彼は受け入れた毒杯を法廷の床に投げつけ、皆に飛び散らかせるかも知れなかった。

だが、アメリカの検事、ジョン・W・フィエリーは、刑務所で東条に尋問し、彼のケースの複雑さの一部始終を知っていた。そこでキーナンは、東条を法廷で審問し彼を正しく導くことは、政治的栄光を獲得することでもあったため、フィエリーを左遷することに決め、東条の反対尋問を自らが行った。正確に言えば、彼は自分が反対尋問を行うことが許されると要求し、フィエリーにその詳細な追及をさせたが、法廷は、ウェッブ判事が異議を述べたものの、各被疑者にはただ一人の反対尋問者が許されることが最も公平であると裁定した。キーナンは自分で全責任を受け入れ、フィエリーはそれに抗議して検事を辞任したのであった。

 1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。いわんや、日本の高官においておや。

 ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

 裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、よく理解できるはずである。

まさしく、それは誰もが知っていたことだった。
そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。

東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。木戸はまた、刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。

二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm

>吉田氏はイギリス通であるが、元々英国は同盟国であり吉田氏を最大の売国人やスパイ呼ばわりするのは誠におかしな話である。


たとえ同盟国でも御前会議の内容や日本軍の作戦計画をすべて連絡したらスパイだろ。

もちろん吉田茂は昭和天皇の指示通りに動いただけだけどね。


26. 中川隆 2013年2月20日 14:33:09 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

終戦直後に日本政府と進駐軍が協力して証拠隠滅を図った。

731部隊の人体実験も東京裁判では巧妙に隠された。

南京大虐殺もすべて個人的犯罪という事にされた。

アメリカが何故そこまでして日本軍の戦争犯罪を隠そうとしたかというと

731部隊の人体実験も南京大虐殺も慰安婦強制連行もすべて昭和天皇直々の命令で、軍人も政治家もすべて昭和天皇の指示通りに動いただけだからだ。

昭和天皇を戦犯にして処刑したら日本を簡単に植民地化できなくなる。

どんな事をしても昭和天皇の戦争犯罪の証拠を隠滅しろというのがアメリカの指示だったんだ。



27. 中川隆 2013年3月02日 08:53:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ねず氏は、天皇は自分の統帥権が犯され、統帥権が奪われようとすることには敏感に反応するのであって、統帥権を断固維持しようと腐心する。これは天皇家の歴史的本能だ、という。

2・26事件は為替相場を不当に操作して儲けるために起こさせたものだった.
2・26事件が起きると、当然のことながら日本の国家信用が落ちて、為替や株価が暴落した.

もし、天皇があらかじめ為替や株価でも儲けを企図し、シナリオを書かせていたとしたら、事件で暗殺される「重臣」たちが青年将校らによって殺されることも計算のうちに入っていた、あるいは気に入らない「重臣」を消すために事件を起こさせたとも考えられる。

青年将校らにとっては、いわば天皇親政によって昭和維新を断行するのだと夢見ていたのだろうが、実際の天皇はそういう人ではなかった。つまり天皇は飾り物にされ、周囲の奸臣・奸官に取り巻かれているから正しい政治が行われないと善意に解釈していたが、そうではなくいわば奸凶は天皇自身だったのである。

 2・26事件がおきると、天皇はその40分後には情報を得て、ただちに彼らを反乱軍と断じ、鎮圧を命令している。決起した将校らにしてみれば、天皇にまさかの裏切りにあったのである。しかし、この天皇の裏切りは、「将校らにしてみれば」なのであって、私は彼ら将校は天皇・財閥側が仕掛けたワナにハマっただけではないかと思う。

天皇は、決起将校らを私利私欲に基づくものと激怒したが、当の将校らは無私の心で決起した心づもりだから、まるで話がかみあわない。むしろ、天皇のほうが、私利私欲で自分の資産の運用だけの思惑で動いていたのだ。

なにしろ、戦前の天皇家は世界一の金持ちとも言われるほどの天文学的資産家であった。天皇は、大財閥や主要銀行、大企業などの大株主であったから、国家から予算として年額150万円を支給されていたとは別に、その配当は巨額なものであった。

だから戦争をやれば、こうした大企業が巨利を得ることになり、それがそのまま皇室の持ち株への巨額配当となって返ってくる仕掛けだった。事変=戦争を起こし、植民地で搾取すればするほど皇室の懐が潤う仕掛けである。

だから天皇家は、日本が満州事変、支那事変、大東亜戦争へと打って出ることに反対しなかった。2・26事件の将校を断罪するなら、なんで満州事変や支那事変を主導した軍部を断罪し止めなかったのだ? 

それは昭和天皇が、立憲君主ではなく、実は専制君主であったからであり、実際、戦争に反対するどころか積極的に戦争を押し進めた。

大東亜戦争中は、なんと宮中に大本営を置き、作戦を指揮し、認可していたのが真相である。

2・26事件のときだけ政治的に介入し鎮圧を命じて、あとのときはすべて「君臨すれども統治せず」を貫きとおし、終戦のときだけ仕方なく決断したなんてことがありようか。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825
 

2・26事件が起きることを天皇はあらかじめ知っていたのではないか。財閥から情報が入っていたに違いないのである。というよりも、そもそも天皇と財閥(とその代理人)が2・26事件を仕掛けたと見るべきではなかろうか。

事件発生から終息までの2日間もちゃんと前もって計算されていたのであるまいか。仕掛けた闇の勢力は当然、真崎らがどう動くか、どう終息させるかも読んでいたか、指示していたに違いない。

 クーデターが起きれば為替も株も暴落するのは、あらかじめわかりきった話である。それをあえて事前にわかっていながら反乱を阻止しなかったこの不自然さ。反乱を起こす予定の将校らには財閥から資金が流れていたし、将校らには官憲が張っていたのだ。彼ら将校は六本木第一師団司令部(防衛庁跡地)前の中華料理屋でしきりに会合(飲食?)を開き、談論風発をやって、決起、決起と気勢をあげていた。それが官憲に筒抜けにならないわけがなかろう。それなのに、将校が事件直前に弾薬庫から実包(実弾)を運び出しても黙って通過せているのだから、こんな見え見えの策謀はない。

皇室も財閥も「クーデターによって為替の相場を下落させて、売買の操作によって利を求めるドル買い事件にすぎなかった」この2・26事件を、すべて芝居でやらせたのではなかったか。

つまり、すべては財閥と天皇の書いたシナリオに従っていただけで、すべては企画された事件だったのではあるまいか。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6863442c2632a11902486caa91a0cb55


日本人も2・26事件だけでなく太平洋戦争も昭和天皇とルーズベルトの書いたシナリオに従っていただけで、すべては企画された事件のに気付いた方がいい。

八百長戦争やって得したのはアメリカと国際金融資本と天皇家、三井・三菱等の財閥だけだもんね:


天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著 松崎元 訳
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_02_contents.htm#mokuji

バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史、とりわけ大正天皇以降、大正11年に裕仁が摂政になって以降、昭和天皇が日本の国家の中枢を握ったわけです。その昭和天皇の歴史の真相について、バーガミニの本が初めてそれを明らかに光を当てたんですよ。

この本がアメリカで出たら、凄い大ベストセラーになって色々な人が非常に高く評価した書評を書いたりしてるんです。ところが! これはよく熟読してくださいね。短い文章でしょう。83年の新版、新版というのは日本語の新書版が出るのでその序文を寄せたわけです。驚くべきことが書いてあります。


「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と言ってるんですよ。

これはビックリしませんか? 非常に私はビックリしましたよ、それを初めて知って。

この本が出た1971年以来、大ベストセラーになったんです。良く調べると、なんとこのバーガミニという人はアメリカの大学を出た後、ローズ奨学生になってオックスフォードに入学してます。ローズ奨学生のオックスフォード卒業生ですよ。これは欧米ではとてつもないエリートです。インサイダーの候補です。

そういう人が、自分は日本に非常に縁が深いので昭和天皇の歴史を中心とした日本史を書いてみようという訳で、アメリカの有力な権力層から日本の多くのインサイダーへの紹介状を貰って、インタビューしたりして、本もたくさん買って、京都に住んで、京都の学生・卒業生とかを助手にして、非常に詳しい調査をして、日本のインサイダー、元将軍、元なんとかという人たちのインタビューをしたりして書いた本ですよ。これは凄い本だということで前途洋々かと思うと、とんでもない。この本を出したおかげで、自分の物書きとしての経歴がおしまいになったって言ってるんです。

内輪に見積もっても200万〜500万ドル。今のドルではなくて1970年代だからもう少し価値があったんじゃないでしょうか。200万〜500万ドルが、私を押さえつけておく賄賂ないしは監視料として使われたって言うんですよ。奇妙奇天烈な話じゃないですか? いかなる手段によるにせよ、その勘定、つまりお金は日本政府からは出ていないって言うんです。じゃあ誰がそのお金を出したんですか?

「とりわけエドウィン・O・ライシャワーが、私を押しつぶす大きな蝿叩きを作るために手を貸した」って言うんですよ。ライシャワーは、気の赴くままに合衆国の大学に与える贈り物を持っていたし、日本での訓練期間中に彼に借りを作ったCIAの手の者達の中核の献身を受けていたって言うんです。

つまり、ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートが、バーガーミニを著述家として葬り去るために全力を尽くしたわけです。賄賂ないし監視料というのは、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って完全に抹殺するように米国の権力が総力を挙げて襲いかかったんですよ。奇妙奇天烈な話じゃあないですか?

本を5冊書いたけどね、出版社に持って行くと、すかさずその出版社に手がまわって、その賄賂ってわけで、これだけ金をやるからバーガーミニの本は出すな、どうのこうのって訳ですよ。アメリカの日本問題専門家は全部ライシャワーの息がかかってますからね。ライシャワーが命令して「あいつはもう一切相手にするな」って言うわけです。

そんな風にして、彼はあっという間に物書きから転落していくわけですよ。そうしてね、いまの私はマイクロコンピューターを売ったり、コンピューターのプログラムを作ったりすることで身を立てておりますって言うことになっちゃった。そして、彼は「私の愛国心は幻滅に帰した」、つまり、アメリカは自分の祖国と思っていたがとんでもない、自分が1冊の本を書いたが為に、アメリカという国家は自分に襲いかかって、自分を叩き潰そうと、もう叩き潰してしまった。愛国心ってのものは無くなったと、そう言ってますよ。

これは実に驚くべき序文ですよ。バーガーミニの本は、日本の天皇を中心とする体制にとっては、絶対あってはならない本だと考えるのは当然ですよ。ところが、日本ではなく、アメリカの国家権力そのものが、バーガーミニに襲いかかった。それはこの本が、米国つまりイルミナティにとって虎の尾を踏んだ、絶対隠蔽すべきタブー、隠蔽すべき秘密を、バーガーミニが白日の下にさらけ出してしまう。そういう悪い事をした、犯罪を犯したという評価ではないかと。従って、そういう扱いを彼は受けるわけですよ。

いいだももさんが翻訳者ですけど、いいだももさんがね、このバーガーミニの新版の序文を高く評価して、何かコメントしたかどうか、私は調べてないけど、少なくとも私は知りませんよ。

それで、アイリス・チャンという人が、すごく悪名をつけられてしまったTHE RAPE OF NANKING という本、アメリカで出たら日本の天皇教狂信者達が一斉に襲いかかって、あれはとてつもない出鱈目だインチキだ悪書だって言ってすごく悪評が充満して、一般の日本人はそういう悪評だけ耳に入っていて、本物の本は全く知らないっていうことが続いて、最近10年後に日本語訳が出ましたね。その日本語訳を読んだら、そのバーガーミニの本がいろいろ引用されてます。しかし、アイリス・チャンも、アメリカでも高名な偉い学者達はみんな、バーガーミニの本を否定してるっていう風に言ってるんです。だから、普通の人は理解不可能です。

何故そうなるのか? 日本の天皇教信者と日本の国家権力とその他、それに類する御用作者・御用学者・その他が、バーガーミニを否定するのは当然でしょう。しかし、なんでアメリカの権力がバーガーミニを葬り去ろうとするのですか。この本は全くのインチキだって否定するんですか。

それはまさしく、昭和天皇が単に日本的存在であるだけではなくて、イルミナティ、サタニスト世界権力によって育成された、極めて有能な重要な貴重な傀儡である、イルミナティ、サタニスト世界権力の道具として裕仁は機能したし、ずっとこの本が出た当時もそうだし、今に至るまでそうである、ということの明確な証拠であると私は思います。そう評価することで、バーガーミニの本の重要性と、今それを再評価して日本人がちゃんと勉強する、消化することを始めるべき緊急な必要性があることが証明されると思います。


バーガミニは、昭和初年以降の、満州事変以降の日本の戦争の主犯は、その主たる決定者は昭和天皇だという説を立てて、論証していく。だから昭和天皇の陰謀ってわけだ。日本ではいかなる実力者もいかなる人間も政治家も軍人も官僚も、昭和天皇の意思に異議を唱えることはできない。満州事変以降、日本の戦争期間中に総理大臣がたくさん替わっているでしょう。一年か二年ぐらい、ひょっとすると一年未満で辞めたりして、非常にたくさんの総理大臣が替わってます。そういう人たちが共同謀議をして一貫した日本の戦争拡大を遂行するなんてありえない。その方向の主犯、謀議の中心は昭和天皇なんです。

昭和天皇は側近を通じてその政策を実行したと一応バーガミニは書いている。その(表面の)現象は書いてある。昭和天皇の背後に存在する勢力についてはバーガミニには分からないんですよ。だから本当にちゃんと調べて自分は解明した、昭和天皇の時代の日本の歴史の真相を解明したと思ったところが、それにアメリカのためにもすごく大きな仕事をした、みんな褒めてくれるよと思ったところが、たちまち背後から襲われて、なんだか訳のわからないうちに潰されちゃうんですよ。彼には見えないイルミナティのアジェンダの中に日本が設定され、日本が取り込まれていて、その結果いろんな現象が出て来るってことがバーガミニには分からない。

そうして日本は敗戦、講和回復しても昭和天皇の言うとおりに、ずっと占領下にあります。その件について多少真相に迫った学者などが2〜3名存在します。その学者の研究によれば、朝鮮戦争が起きて米国政府が日本との講和条約交渉を始める。その時に吉田茂首相は常識として当たり前だけど、講和が締結すれば戦争は終結だから米軍は全部撤退する、それが当然と思って進めていた。ところがなんと昭和天皇が吉田首相の頭越しに、吉田首相の知らないところで裏取引、秘密交渉をやるわけですよ。秘密交渉の相手はダレスです。ダレスは共和党系だけど、民主党政権でも有力な外交顧問になってた。対日講和条約はダレスが主任となった。ダレスと言うのは1920年代からロックフェラー財団の最有力者で、イルミナティのコンコンチキですよ。そういう人物と裏取引、直取引して昭和天皇は吉田茂の方針を否定して、講和条約締結後も無期限に日本は米軍に軍事基地を提供する、というよりも米軍に無期限に日本に駐留してもらいたい、と言うわけです。沖縄に至っては50年くらい、事実上半永久的に米国の領土として日本は認める考えがあるということをダレスに対して昭和天皇は言うわけですよ。

これは何なんですか?

これを売国奴と言わずして何というんですか?

日本人が正式に選んだ吉田茂首相とその内閣、吉田茂は常識として戦争終結したら米軍は日本全土から撤退する、そういう当然の前提のもとに講和交渉を始めたんです。当たり前のことじゃないですか。それを昭和天皇が横やりを出して、ダメだというわけです。率直に言えば、日本は米国に無期限に占領してもらいたいと言うわけです。

これは何なんですか? その結果、今のようになってんですよ。これは何なんですか?

しかしこれは昭和天皇の日本に対する無数の裏切りの一つに過ぎません。しかしながら日本人はそのことを公然と報道し、論評し、批評する自由を全く与えられてないんです。というよりは、日本人がその言論の自由を行使する気力を奪われているんです。これは日本が刻々急速に滅亡していく、そういう絶対的な心理的条件以外の何ものでもないと私は思います。しかしそうなった歴史的背景は何なのか? そういうことを日本人には真剣に考える必要があります。

「軍部に操られた平和主義者の天皇」というイメージ作り

しかし、昭和天皇とその側近はそれとは全く別な形で米英との平和交渉に入っていく。そのやり方については鬼塚さんが『日本の一番醜い日』という本の中で詳しく書いてます。つまり昭和20年8月15日、昭和天皇はラジオ放送で「敗戦」といった放送をする。その時にまったく偽装の対天皇、対日本政府のクーデタを演出して、危ないところで昭和天皇の放送が実現したという話を作っているけど、それは裕仁と、三笠宮が主たる助手になって、でっち上げた話。そのクーデタによって、昭和天皇は、昭和初年来の戦争また戦争、全世界を敵にして日本が全滅する戦争を推進した軍国主義者の姿から、平和と民主主義の人、連合国の忠実なエージェントへと、一夜の内に変身する。そうした目的の偽のクーデタを実現し、連合国とは裏取引をして、昭和天皇は戦争犯罪から免責されて、占領軍の協力者として温存・保護される、という具合にひょいと変わる事を目的とした偽のクーデタを実行する訳です。それが裕仁のやり方です。

裕仁は、皇道派を復権させると自分の身に火の粉が降りかかる、自分の身すらやばい可能性が大であるし、名誉も何もおかしくなるから、東條を使って完全に消した。近衛さんを中心とする皇道派を復権させて日本が全面的に戦争を停止し、中国から自発的に撤兵して蒋介石政権と講和して、という方向に転換するのを阻止した訳です。

もしも近衛・真崎のラインで日本が方向転換すれば、敗戦後の日本は今のような状況にはなってない事は確実です。すべてを失い、民族の魂を失い、どんどん堕落して滅亡に転落していく方向になってないですよ。しかし裕仁はそこでも明確に日本民族を裏切ったんですよ。日本民族をイルミナティに売り渡した。売り渡した事によって裕仁と一族の身の安全を担保し、保障してもらった訳です。

こうして裕仁と一族は日本を裏切って裏切り続けている。その裏切りが日本民族によって完全に暴露され裁かれない限り、決着がつかない限り、日本民族はイルミナティの、天皇という傀儡を使った精神的呪縛に掛けられたまま、まあ、死んでいくしかないですね。今でも日本は精神的にはゾンビ人間です。日本民族は自分の精神を失ってますからね。近衛さんの動きが実現されればそうはなってないでしょう。近衛さんが最後のところで日本の貴族の根性、やる気、勇気を表明しようとした事は評価できるんじゃないですか。
http://tamekiyo.com/documents/ota_ryu/226.php

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?

デビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928〜1983)は、アメリカでベストセラーになった1971年の著書『天皇の陰謀』の日本語版序文(ただし1983年発行の新書版のみ)で、「私はこの著作のせいで文筆活動を絶たれることになった」と書いている。この序文は、非常に重要だが、誰も指摘していない。バーガミニを抹殺するために、200〜500万ドルの賄賂・監視料が使われた。日本政府から出た資金ではない。エドウィン・ライシャワー駐日大使(妻は松方正義の孫・松方ハル)を中心とする米国エリート勢力だった。また、アメリカの主だった学者は、揃ってバーガミニをインチキ扱いしている(日本研究の権威だったライシャワーの影響力によるものだろう)。

バーガミニ本人は、昭和天皇・裕仁の戦争責任を暴いたつもりだった。したがって、日本から非難を受けることは想定していたが、祖国アメリカから称賛はされても、まさか攻撃を受けるとは思っていなかった。その結果、バーガミニは、愛国心を喪失したと書いている。

どうして天皇のことを暴くと、アメリカ国内の勢力から攻撃を受けるのか? それは、裕仁がイルミナティの養成したロボットであり、ザビエル以来の日本破壊の計画を完成する重要な役割を担っていたからである。裕仁は「平和を愛したが軍部に押し切られた無力な天皇」でなければならなかった。


イルミナティが日本を完全に抹殺するためには、自滅の軍事力を築く必要があった。そうしてイルミナティの軍隊で占領する必要があった。遠くイギリスから軍隊を派遣することはできない。ではどうやって抹殺したのか? エージェントを養成し、西洋のような国を目指すように仕向け、大きな軍隊を作り、戦争を起こさせて、自滅させるのだ。

良識ある官僚、政治家、軍人ならば、そんなことは反対する。英米、中国、ソ連と世界のすべてを敵にするような戦争をするわけがない。その反対を押し切るためのエージェントが天皇だった。英米の言いなりになるアホをトップに据える必要があった。その仕掛けが、絶対的天皇主義。それが完成したのが二・二六の後。二・二六事件までは陸軍の圧倒的多数は中国大陸での戦争に反対していた。中国に100万の軍隊を展開しながら、太平洋でアメリカと戦うのは、自滅の戦争であることが子供でもわかる状態だった。だが、それに反対するのは、天皇が許さない。そういった仕組みが二・二六で完成した。

中国への戦争に反対していた真崎大将を二・二六事件の「黒幕」だとして刑務所に閉じ込めている間に、統制派は中国との戦争に火をつけた(1937年の盧溝橋事件)。こうして最後にイルミナティの日本滅亡計画(敗戦革命)を完了させるため、アメリカを相手に戦わせたのが「太平洋戦争(Pacific War=平和の戦争)」である。近年になって公開された米国政府文書により、アメリカがわざと真珠湾攻撃に日本を誘い出したことは明かになっている。開戦時、日本側では、内大臣の木戸幸一が中国からの撤兵反対、米国との対戦を主張して、米国の謀略に合わせていた。たが、木戸というより裕仁だ。近衛はその逆だった。終戦の半年前の昭和19年2月には「近衛上奏文」(「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞)で戦争に導いてきた軍人たち(共産主義に染まっていた)の一掃を勧めているが、裕仁はこれを無視し、特攻隊、本土空襲、原爆投下をまねいている。

太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わった。

裕仁の売国奴ぶりは終戦後も続く。吉田茂は、日米講和条約が成立すれば米軍は撤退するものだと思っていた。ところが、吉田茂の知らないところで昭和天皇が裏取引し、ダレス(ロックフェラー財団の有力者)と秘密交渉、米軍が無期限に日本に駐留することにさせた。沖縄は半永久的に米国の領土として認めるといったことをダレスに言っている。

「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」

皇道派の支持者だった山口富永(ひさなが)さんが昭和19年に陸軍に入隊するとき、真崎大将を訪ねて聞いた。「いま日本に天皇陛下はおられるのでしょうか?」

それに真崎大将は「226の将校もそれを嘆いて死んでいった」と答えている。その真崎大将も、宮中(裕仁)に抵抗することはできなかった。真崎大将の死後、その長男が裕仁の通訳を30年も務めた。この天皇の呪縛を超えない限り、日本人に未来はない。
http://tamekiyo.com/documents/ota_ryu/226.php


28. 2013年4月20日 19:16:00 : Pero5oVG8c
「天皇を殺すことは、イエス・キリストを十字架に架けることと同じだ」と。

キリストを十字架にかけた、だからキリスト教の今日がある。

天皇機関説を思い出せ 諸君!!


29. 2014年3月26日 21:51:23 : 9gky1XKKLI
そもそも、皇室の存在その物が富の平等を崩す原因になってる事に、いい加減気付くべき。
たった一つの家系が、今も特別扱いを受けている事実にこそ問題がある。
大体、天皇なる者が居なかった時代は皆が平等に働いていました。長老は存在していたけど、それは仕事をする体力が無くなり、若年者の教育とかを担っていたため。
エミシンやアイヌの生活から、それらは窺えると思います。

30. 2014年8月31日 09:38:21 : YvBzoTslQk
皇族専用の改札口が東京駅に現存している事を知ってマジ驚いた。ほんとに私ら奴隷だわよ。

31. 2015年6月23日 21:35:28 : fpt8itpB5Q
ざっと読んだけど凄い話だわな
1つのレスを除いて日本人が悪いとなっているが
現在2015年に脚光を浴びた(?)田布施システムについては、まだ知られていない時点の話だろうか

単純に言って、ロスチャイルドら外国勢力の手下となった田布施の朝鮮人らの悪事が
明治以降150年間続けられているという認識でいいと思う


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