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山口県周南市連続放火殺人現場へ行ってみた
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/862.html
投稿者 中川隆 日時 2013 年 7 月 25 日 19:58:25: 3bF/xW6Ehzs4I
 

http://www.youtube.com/watch?v=6kMNIUCx8PU

7/24 菅野ダムから山口県周南市金峰の連続放火殺人現場へ行ってみたが、進入路となる道の選­択肢は少なく、幹線道路は警官が規制を張って通行止めだった。

現地は人里離れ山深く、犯人がどこにいるかわからず怖くなった。


map data
http://ameblo.jp/harvest-tv/entry-115...  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年7月25日 20:05:02 : W18zBTaIM6

平成の「八つ墓村」63歳失踪男の素性 山口連続放火殺人事件 金田一
http://www.youtube.com/watch?v=pEWtJzzklm8


わずか約10世帯の山あいの集落が惨劇の現場と化した。

山口県周南(しゅうなん)市金峰(みたけ)で21日から22日にかけ、焼けた民家などから4世帯5遺体が見つかった連続殺人放火事件。

山口県警周南署捜査本部は周辺の山中を山狩りするなどして、犯行をほのめかす貼り紙を自宅に残して消えた男(63)の行方を追っている。

横溝正史の長編推理小説で映画にもなった「八つ墓村」を彷彿させる事件に現場は恐怖に­包まれている。

■消えた男

 のどかな山村に、重々しい緊張感が漂う。5人の他殺体が確認されてから一夜明けた23­日、現場では警察による検証が行われた。

 県警が行方を追う男は、自家用車2台を置いて行方不明のまま。

男の自宅は、遺体となって発見された山本ミヤ子さん(79)宅の隣にあり、玄関脇の窓には約2年前から「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」との貼り紙があった。

 「着の身着のまま自宅を出てそのまま近くの山間部に逃げこんだ可能性がある」(捜査幹­部)ため、午前9時から県警の捜査員約60人が木の棒などを持ち、捜索のため次々と山に分け入っ­た。

 男について、知人は

「みんな仲良しの集落なのに1人だけ浮いた存在」

だったと話す。

 住人らによると、男はかつて集落を出て川崎市内に暮らし、左官の仕事をしていたという­。

田舎には珍しく自宅に防犯カメラを付け、時々、大声で叫ぶこともあった。

 遺体で見つかった河村聡子さん(73)は生前、

「(男の)飼い犬が寄ってきたのでよけ­たら『たたき殺す気か』と言われて怖かった」

と知人に漏らしていた。


■句の謎

 精神科医の日向野春総氏は「男は集落内で孤立していたのではないか。いまのところ、孤­立との関連性は不明だが、岡山県津山市の集落で村人30人が殺害された『津山三十人殺し』といわれる事件を想起­させられる」と話す。


02. 2013年7月25日 20:07:12 : W18zBTaIM6

山口5遺体 不明男、村で孤立
http://www.youtube.com/watch?v=12fZT9X6ToM


遺体は、いずれも頭部を殴られ殺害されていた。

山口県周南市金峰の集落で21日夜から­22日昼にかけ、民家4軒から男女計5人の遺体が見つかった事件で、県警は5人とも頭­部を鈍器のようなもので殴られていたと発表。連続殺人・放火事件と判断し、火災現場の­隣に住む男(63)が事情を知っていると見て行方を追っている。

捜査関係者によると、­男は2011年の元日に1人で県警周南署を訪れ

「集落で悪口を言われ、孤立している」­

と相談していた。また、20年近く前に川崎市から集落に戻ったが、両親の死亡後、近隣­住民とのトラブルが目立っていたとのこと。住民を怒鳴りつけたり、

「俺は薬を飲んでい­るのだから、10人や20人殺したって罪にならない」

と脅したこともあった。


03. 2013年7月25日 20:13:12 : W18zBTaIM6

山口・周南市5遺体事件 男が飼っている犬をめぐってトラブルも(13/07/24)
http://www.youtube.com/watch?v=OnnHmXjiOMI

04. 2013年7月25日 20:23:46 : W18zBTaIM6

116: 名無しさん@開票速報(中国地方):2013/07/22(月) 17:01:23.38 ID:SKnF/yVU0

県民だけど、この辺はものすごく閉鎖的。山だしね。
ちなみにこの地域の近くに秘密尾っていう地区があって色々と伝承があるんだよ

121: 名無しさん@開票速報(やわらか銀行):2013/07/22(月) 17:03:54.04 ID:B+t5qtLB0
>>116
どんなん?教えて
しかし十軒ほどの家で内二軒が焼けて一軒から追加死体、そいでもう一軒が犯人かもって怖すぎw


144: 名無しさん@開票速報(中国地方):2013/07/22(月) 17:19:34.02 ID:SKnF/yVU0

うちの家系は先祖代々秘密尾に住んでたんだわ。
父が高校になってから下山して、もう秘密尾に人はほとんどいないけど。
部落とかとは違うよ。新嘗祭のときなどちょこちょこ行ってる
近くに馬糞ヶ岳などあって平家が落ち延びてきたと言われてるけど、それよりもずっと昔に建てられた神社がすごいのなんの
すごく格が高いし不思議な体験をした。結果としてありがたい気づきを得られたけど

神社のふもとでおきた今回の事件は聖域を穢したようなもんだ。悲しい…

153: 名無しさん@開票速報(東京都):2013/07/22(月) 17:25:39.03 ID:EYSLDSoh0
>>144
神社と不思議な体験について詳しく


178: 名無しさん@開票速報(中国地方):2013/07/22(月) 17:45:03.55 ID:SKnF/yVU0
>>153
それは秘密尾だけに秘密!
不思議な体験は、一般的には信じてもらえない事柄が前提になってるし否定されることが殆どだから言わないよ


185: 名無しさん@開票速報(長屋):2013/07/22(月) 17:48:25.35 ID:sl5tXcF20
>>116

25 : 名無しさん@開票速報(山口県):2013/07/22(月) 15:06:09.57 ID:F+ZHIUTQ0
金峰山って幕末にキリシタン狩りがあったときに
そこの村人が逃げのびて女子供皆殺しになった山がある

そしてその後にこの村をついだのが戊辰戦争で捕虜になった人たちと
それを奴隷にしてた地元の官吏

その子孫たちがいまもこの村では生きている
これは公になってないが地元では有名


話すぎてしまった
削除いらいしてくる

120: 名無しさん@開票速報(愛知県):2013/07/22(月) 17:03:42.05 ID:NuytcqTL0

ぬえのなく夜は怖い
http://osigotosokuho.blog.fc2.com/blog-entry-963.html


05. 2013年7月25日 20:33:46 : W18zBTaIM6

周南市鹿野秘密尾・氷見神社(ひみじんじゃ)社叢
http://www.youtube.com/watch?v=c5M-66rAKFo


周南市鹿野秘密尾にある氷見神社社叢。 今では訪れる人も少ないようですが、1000年以上の歴史のある格式の高い神社です。


06. 2013年7月25日 20:38:30 : W18zBTaIM6


【珍名】秘密尾・馬糞ヶ岳 2013/6/3(月)


山口県周南市須万に「秘密尾」という珍名の集落があります。

その集落から「馬糞ヶ岳」という珍名の山へ登ることができます。

Google Mapにも秘密尾という地名が確認できないほど、非常に奥まったところにあります。

それゆえ、場所を地図のリンクで表示することはできません。言葉で説明しましょう。

国道434号を周南市須万まで走り、県道9号を鹿野方面へ走ります。

すると、非常にわかりにくいですが「奥畑 秘密尾」は左折という小さな看板があります。

そこを右折していきます。

完全に1車線な道路をどんどん進んでいきます。

大きな対向車が来たら離合が大変でしょう。

周南市須万の中心街である、須金小学校や中学校、郵便局がある場所から車で40分。

ようやく秘密尾に到着します。

これは・・・!

予想以上に「秘密」な感じがする集落です。

最寄りのスーパーまで車で40分(周南市鹿野)、最寄りのコンビニまで車で90分(山口市徳地)もかかる地域がまだ山口県に残っているのですから。

本当にひっそりとした生活が営まれているようです。


「秘密尾」を何て読むのかは知りません。「ひみつお」でしょうか?

地元の方に伺おうにも、畑作業をされている方すらいなくて・・・本当に「秘密」です。

ネットで調べたところ、壇の浦の戦いで負けた平家の落人たちが住み着いたからという理由で地名が付いたそうです。

一軒だけぽつんと残された家々。

お隣さんまで歩いて5分はかかりそう。。。


こんなものも見つけました。

「ここは 秘密尾」

鹿野自治会連合会とあります。

鹿野町は、平成の大合併で周南市(徳山市)に合併しました。

人口は4000人ほどで、人口密度は1平方キロメートルあたり、22人程度の超過疎地域です。

廃屋も数多く見受けられます。

この秘密尾から、山口県内の登山家はだれもが知っている「馬糞ヶ岳」へ行くことができるのです。

またこれも変な珍名ですが、馬糞ってwww

標高は985.2mだそうです。しかし、秘密尾から上る登山道は荒れ果てているようです。

登山道が廃道になっていくのも今後は時間の問題かもしれません。

そして秘密尾には、非常に格式の高い神社があります。

永見神社です。

今でも奥院は女人禁制だそうで、女性の立ち入りは認められていないそうです。

さて、私は男ですのでw 行ってみることにしましょう。

原生林がすごいです。

いろいろな種類の木があるようです。

社殿まで結構の階段を上っていきます。

結構新しそうな鐘。

神社に鐘とは珍しい?だれが鳴らすんでしょうか。。。

これが中殿?

ここが奥院ではないでしょう。

おそらくもっと奥にあるのでしょうが、道がわからないので今回はスルー。


馬糞ヶ岳へ伸びる道は途中で途切れています。(未着工)

本当に秘密な集落でした。

誰とも会わずに実地調査が終わりました。

怖いほどに誰もいません。

周南市のホームページによると、この「秘密尾」の人口は5世帯9人だそうで、うち全員が高齢者ですので、高齢者率100%の超超限界集落ということになります。

このままだと、あと30年後には廃集落となります。

資料によると昔は秘密尾にも小学校の分校があったそうで、昔はそれなりに人がいたことがわかります。

私が手元に持っている地図にも「石ヶ谷」や「中村」という地名が秘密尾の近くにあります。

しかし、完全に廃集落となっているか、秘密尾に吸収合併したのでしょうか。

いずれにせよ、いちばん近いスーパーまで車で40分〜60分。

岩国市の錦町か周南市鹿野まで行かなければいけません。

過疎化や高齢化が社会問題となっていますが、私には関係ないことだとばかり思っていました。しかしこうやって、ありのままの現状をみると、いろいろと考えさせられました。
http://blogs.yahoo.co.jp/uch1991/8738809.html


07. 2013年7月25日 20:49:55 : W18zBTaIM6

秘密神体ヒミジンジャー!!

てなわけで GW最終日に我々がヒマツブシにやって来たのは、周南市鹿野から更に奥に進んだところにある謎の集落・「秘密尾」にある「氷見神社」じゃ!

「秘密尾」という集落の名前からして いかにも秘密めいているが、近くには「平家ヶ岳」という山もあって やっぱりこのあたりには壇ノ浦で敗れた平家の落人の伝説があるらしい。


この「氷見神社」、実は存在は前々から知っていて、わし的にはこの神社の敷地内にあるという「雄走りの滝」とやらが気になって居たんだが、4月の連休にTARO先生と鹿野の多賀神社とやらを調査したときに、そこでたまたま出合った参拝客に

「氷見神社の格式はかなり高いから一度拝んでおいたほうが良いよ〜」・・・

という強い忠告を受けていたのだ。



参道

氷見神社は標高985Mの馬糞ヶ岳中腹・標高515Mの位置にある。

本殿のある一帯は、標高510〜520m、シイノキを主体とする群落で、クロガネモチ、ヤブニッケイ、シラカシ等を混生する。これより奥の標高600〜700mの地には、ウラジロガシ、ハイノキを主とする群落があり、地表にはヤブコウジやミヤマトベラなどが見られる。標高800〜900mの地には、ブナ、ミズナラを主とする群落があらわれ、地表にはチマキザサが生育する。さらに高いところでは、植生がまばらとなり、アカマツ林が見られ、コバノミツバツツジが混生している。
このように、植物の垂直分布(標高が高くなるにしたがって生育する植物の種類が変化すること)がひとつの場所で観察でき、しかも自然の状態がよく保存されているところはめずらしく、学術的にも非常に貴重である。(他のサイトよりの丸写し)

鐘楼 神社なのに鐘楼があるんだな・・・(・"・;)

狛犬 狛犬もなかなか味がある顔つきをしておるのぅ (´ー`)

中宮本殿

これが氷見神社の中宮。最近になってリニューアルされたようで 全体的な雰囲気は確かに格式は高そうだが よく見るとサッシ窓などの近代装備も施されているぞ。
この氷見神社の中宮は20年ごとに遷宮が行われており、次回は平成23年に予定されているらしい。

この本殿の裏は天然記念物にも指定されている原生林になっており、その先の道無き道を進んだところに「奥宮」があるらしい。 ちなみにこの奥宮は奈良県の大峰山同様、現在でもかたくなに「女人禁制」のシキタリを守り通している数少ない神社なんだそうな。

・・・我々も一応はチ●ポなどを所有しているんで できれば奥宮も拝みたかったんだが、ルートがさっぱりわかんなかったし 神社の裏でちっちゃいマムシにも遭遇してしまったんで 当然のように戦意喪失じゃ(´□`)

社業

さすがに格式がある神社だけあって 境内の杉も注連縄を巻かれているに相応しい大木で いかにも「ご神体」って感じじゃのぅ♪

雄走りの滝

境内裏から延びている原生林の中の遊歩道(?)を進んだ先に 落差5〜6M×2段、総落差10Mくらいの綺麗な釜を持った滝が現れる。解説も何も無いんで断定はできないが 恐らくコレが体の清めのために使われた「雄走りの滝」ではあるまいか?
ただ、ネットで見つけた参考資料と比べると、形状は良く似ているが 水量に圧倒的な差があるのが気になるんだが・・・
http://pub.ne.jp/oudoiro/?entry_id=1386380


山口県周南市須万秘密尾の地図(住所検索) ゼンリン地図・いつもNAVI
http://www.its-mo.com/map/addr/123242070_474753520_13/35215091109_35215091/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E5%91%A8%E5%8D%97%E5%B8%82%E9%A0%88%E4%B8%87%E7%A7%98%E5%AF%86%E5%B0%BE/


08. 中川隆 2013年7月26日 10:37:06 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

究極の呪いの箱 -コトリバコ- 2012/8/12(日)


1860年代に勃発した隠岐の島の反乱。
その反乱から逃れた “島帰り” がもたらした、どんな恨みもはらすという秘儀


「 コトリバコ 」


村人たちは、その秘儀を使い次々と積年の恨みを晴らしていきました。


江戸時代末期から現代に伝わる殺人兵器‥ 究極の呪いの箱‥ コトリバコ


2005年6月
「 2ちゃんねる 」のあるスレッドから端を発し、
瞬く間にインターネットを席巻した恐怖の都市伝説がありました。

人には言えない深い恨み、つらみが込められた呪いの箱「 コトリバコ 」


◆◆ コトリバコ ◆◆

漢字では「 子取り箱 」とも表記され、それに近づいた女性や子供をたちどころにとり殺すことができると言われている、究極の呪いの箱です。

この恐るべき殺人兵器は、今なお山陰地方のある集落に密かに伝わっていると言われています。


真偽は定かではありませんが、その地域では、若い女性や子供が病死したり不慮の事故に遭って死んだりした場合には、必ずと言っていいほどコトリバコのことが話題にのぼるそうです。

少なくとも、戦後になってからは、表立ってそれがつくられたり使われたりしたことはないようですが、コトリバコの存在は、今も、その地域の人々の暮らしの中に暗い影を落としているようです。


恨みを持つ村に伝わった呪いの儀式‥


江戸時代末期

松江藩の支配下にあったS県沿岸部に、激しい差別に苦しんでいた集落A村がありました。

このA村は隣村のB村を始めとする周辺の村々から様々な搾取を受け、想像を絶するような貧困にあえいでいました‥

A村は、若者などの働き手を強制的に農作業に駆り出されていた上に、本来、B村が支払うべき年貢を半分以上肩代わりさせられていたと言われています。

松江藩の役人たちを頂点とする当時の地域社会の中で、まさに最下層に位置づけられていたと言っても過言ではなかったようです。


そんなある日、A村の沖合に浮かぶ隠岐の島で、松江藩の圧政に苦しんでいた島民たち3000人が一斉に蜂起するという、いわゆる「 隠岐騒動 」が勃発します。

追っ手を振り切って島から抜け出した一人の男が、命からがらA村へ逃げ込んできました。


すでに

「 “島帰り”の男を見かけたらお上に差し出すように 」

という通達を受けていたA村の人々は、神社の裏山でうずくまっていた異様な風体の男を捕らえると、さっそくB村の庄屋のところへ突き出そうとしたのですが‥
血気にはやる村人たちを一瞥し、男は悠然としてこう言い放ったといいます。


「 俺を庄屋のところへなんざ連れて行ったって、おめぇたちには一文の得にもならねぇぜ。 」

「 どうせ、庄屋一人の手柄にされちまうのが関の山だろうよ。 」

「 それよりどうだ、この命を助けてくれたら、おめぇらにいいことを教えてやる 」


最初は、どうせ苦し紛れのハッタリだろうと思い誰も聞く耳を持たなかったものの、あまりに落ち着き払った男の態度がその場の空気を一変させたのです。


男の話は、次第に核心へと近づいていきました…


「 ふふふ、おめぇら『 コトリバコ 』って聞いたことがあるかい? 」

「 島でも、その存在を知る者はほんの一握りしかいないと言われる、究極の呪いの箱だよ。 」

「 見たところ、この村はまわりの連中から随分とひでぇ目に遭わされてきたようじゃないか 」

「 コトリバコを使えば、おめぇさんたちが長年味わってきた恨みつらみを晴らすことなんざ、 」

「 造作もないことだと思うがね 」


A村の人々にとって、男の「 提案 」は思ってもみないことでした。

幸いにして、お尋ね者の“島帰り”がここへ逃げ込んできたことを知っている者は、自分たち以外には存在しない‥

村人たちは男の申し出を飲みコトリバコに関する情報と引き換えに、その命を助けることにしたのです。

やがて、縄を解かれた男の口から、コトリバコの製造方法が明かされることになったのですが、それは、誰もが思わず言葉を失ってしまうほど禍々しいものでした…


●コトリバコのつくり方●

【 1 】まず最初に複雑に木の組み合わさった木箱をつくること。
    これはちょっとやそっとじゃ木箱を開けられないようにするための細工で、
    これが一番難しい作業で、パズルみたいな箱を作る。

【 2 】次に、その木箱の中を、雌の畜生の血で満たして、1週間待つ。

【 3 】そして、血が乾ききらないうちに蓋をする。

そして、その間に、中身を作ります。
この中身の製造方法こそ、子取り箱の由来と関係しているのです。


【 4 】間引いた子供の体の一部を入れる。

●生まれた直後の子は、臍の緒と第一関節ぐらいまでの人差し指の先と、ハラワタから絞った血を。

●七つまでの子は、人差し指の先と、その子のハラワタから絞った血を。

●十までの子は、人差し指の先を。

【 5 】そして、蓋をします。

 閉じ込めた子供の数で箱の名前が変わります。

一人=イッポウ
二人=ニホウ
三人=サンポウ
四人=シッポウ
五人=ゴホウ
六人=ロッポウ
七人=チッポウ


それ以上は絶対に製造しては駄目だそうです。


ほどなくして、A村の人々は、男に言われるがままに7人の子供たちを犠牲にし、
チッポウをつくりあげました。


出来上がったコトリバコは、上納品という名目で、すぐさまB村の庄屋のもとへ送られることになりました。

まさか‥ その箱に村人たちの呪いが込められているなどとは、夢にも思わなかった庄屋の妻と子供たちは、複雑に組み込まれたモザイク模様が織り成す木箱の美しさに魅了されました。


コトリバコの効果はてきめんであり、家族全員がその日のうちに一人‥ また一人と‥

血ヘドを吐いてもがき苦しみながら死んでいったといいます…

ある人は言います‥


「 コトリバコに近づいた者は‥ 数時間いないに精神に変調を来し、 」

「 徐々に内臓が千切れて死に至ったと言われています。 」


特に、男性に比べて免疫力の弱い女性や子供に対する効果は恐ろしいほどで、その製造過程において、何らかの特殊な細菌やウイルスが封じ込められていたのではないかという説まであるほどです。


言い伝えによれば、その後、A村では


●6つのイッポウ  ●2つのニホウ  ●5つのゴホウ  ●3つのチッポウ


がつくられたと言われています。


B村の庄屋一家を全滅させたことで自信を深めた村人たちは、それまで自分たちを差別し有形無形の搾取を行ってきた周辺の村々へ、次から次へとコトリバコを送りつけていったのです…


そんなことを続けて13年が経ったある日、思いも寄らない悲劇がA村を襲いました。

コトリバコの製造方法を他村に知られるのを防ぐために、使用したコトリバコはすべて回収して一か所に保管してあったのですが、事情を知らない11歳の子供が大人の目を盗んで箱を持ち出してしまいました。


しかも‥ 最悪なことに持ち出されたのは最強の呪いがかけられたチッポウだったのです。

その日のうちに、その子供はもちろんのこと、隣近所に住むすべての女性や子供が、血ヘドを吐きながらもがき苦しんで絶命したといいます。


コトリバコの恐るべき威力を目の当たりにしたA村の人々は、このとき、初めて自分たちの罪深さを痛感しました。

そして、同時にやり場のない恐怖に駆られた彼らは、慌ててコトリバコを封印することに決めました。


基本的には、集落内に古くからある某神社に処理してもらうことになったのですが、それぞれの箱にかけられた呪いが薄まり、お祓いが可能になるまでは、それぞれの箱ごとに複数の家が持ち回りで保管することになりました。


ただし‥ どの班が、どの箱を何年保管するのかといったことは本人たちにしか知らされておらず、今なお、集落内のどこかにコトリバコが残されているのは確実な状況みたいです。

一説によれば、チッポウで保管期間が140〜150年必要とも言われており、
ちょうど2010年前後に保管期間が終了する計算になるようです。


現在‥ 呪いは現れてはいないようですが、今後も望むと望まざるとにかかわらず、再びコトリバコが我々の目の前にその姿を現す可能性があるのです。


今なお存在し続ける呪われたコトリバコ‥

決して、誰かに悪用されることなく、すみやかにすべての呪いが浄化されることを願います...
http://blogs.yahoo.co.jp/tmtm0918/37376579.html


09. 中川隆 2013年7月26日 10:39:50 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


以前、コトリバコについて書いた記憶があるんですが定かじゃございません。某2chで有名になった話なんです。

島根の猟奇的な殺人事件ではこのコトリバコとかヨツタが絡んでるんじゃないかと話題に。


612 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 02:16:21 ID:hyL3kHcH0

今テレビのニュースでやってる島根の殺人事件ってさ、山口と島根の県境にあるN倉集落の秘祭に似すぎてないか?

あの祭って、今は稲藁で作った娘神を解体してるみたいだけど、100年前までは、「ヨツタ」って呼ばれてた10〜20代の女でやってたって話だよな?

ヨツタは風紀紊乱を起こした女が選ばれ、左乳房に「キ」の刺青を彫られた後、祭で体をバラバラにされる。

それはヨツタの汚れた魂と汚れた肉体を部分に分解し、山の神のもとに返し、再生を待つ魂にして村を守ってもらうっていうそういう伝説のもとにやられたはず。

667 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/12(水) 21:09:08 ID:7fUxuA0K
>>612
あそこの集落の人らって基本的に獣肉食べなかったんだよねー

あれだけ山深い所で、食料になる動物も多いのに解体を嫌うらしい

なのにキ(忌)の入れ墨の女に対してだとちょっと異常なくらいにそういう抵抗感なくなる不思議

とある。

ですが、どうやらコトリバコもヨツタも実在していたかどうか怪しいらしい。
http://roicohi.blog90.fc2.com/?m&no=225


10. 2013年7月26日 22:00:00 : W18zBTaIM6

659 6 名前: 急所攻撃(チベット自治区) Mail: 投稿日: 2013/07/26(金) 13:15:39.73 ID: CBj2pv8Y0
www.geocities.jp

かつを氏子どころか本家かな
たしか名前 保見かつを だったろ

明治以前に出来た神社だから村でかなり深い因縁と対立残してるはず

対立してたのは白山穂河神社の宮司とそのシンパかな


県道9号徳山徳地線、朴の奥畑川傍にある。

もと下奥畑の山中にあった柿本神社を一時合祀していたが、 昭和初期、地元住民の願いで下奥畑の河内神社に遷したという。
しかし当神社ではその後も配祀神として人丸神を祀っている。

旧神社跡は、保見総昭氏宅の背戸山にあった(北緯34度12分01秒、東経131度53分20秒)。

保見氏は

「明治末期の神社整理で廃社となり、御神体は白山穂河神社(金峯朴)に合祀された。 しかし昭和8年頃、奥畑住民の願いでこの先の河内神社(下奥畑)に移した。御神体は石に彫った人丸さまである」

と話された。

裏山の山頂近くで、倒壊した石鳥居(明治32年8月建立)と「柿本神社」とある額束(約1尺×2尺の大きさで雲形縁取りのある御影石製)が半ば埋まり、 社祠基壇の石囲い残っているのを確認した。

↑私も色々と昔からのしがらみを感じた
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1374798505/


11. 2013年7月26日 23:42:09 : W18zBTaIM6


山口県周南市 5人惨殺事件 犯人逮捕の経緯


村人を殺害した容疑者が悪いのでしょうか?
それとも狭いムラ社会で容疑者を追い込んだ村人(被害者含む)が悪いのでしょうか?


山口5人殺害:63歳男を逮捕 集落近くの山中で発見


山口5人惨殺・まとめ


・容疑者は都会で左官工として働いていた。同僚からは気さくで良い人と言われている。

・両親の介護の為、山口へ戻る

・村おこしを提案したが村民に大反対される

・集落で一番若いという理由で草刈りを全部一人でさせられていた。草刈機購入費用は容疑者負担。燃料費も全部容疑者負担。草刈りの見返り(駄賃など)も何もなし。

ある日、容疑者が草刈機が草と一緒に燃やされているのを発見する。

村人が火をつけて燃やしていた。

容疑者は被害者に退職金を村人全員に配るように脅されており、断った為、胸を鋭利なもので刺された。

刑事事件となり警察もここの住民をマークするようになる。

容疑者、自治会を抜け村八分(イジメ)にあう。この頃から精神安定剤を服用し始める。

容疑者、友人から犬を貰い受け、飼い始める。2匹飼ったが一匹は事故死。

被害者が容疑者宅の敷地内で除草剤を勝手に撒く。また、近くで農薬を撒く。

容疑者「犬を殺す気か!」と怒鳴り被害者と口論になる。

被害者宅で謎のボヤ騒ぎ

容疑者が疑われる。

容疑者宅でもボヤ騒ぎ。

村人による様々な嫌がらせがエスカレートし、村人除けとして奇妙なマネキンなどを家の周囲に置いたり、悪口の詩を書いて窓に貼るなどし始める。

容疑者、警察に相談。

警察は「証拠があれば立件できる」として容疑者は監視カメラを設置

容疑者「つけびして煙よろこぶ田舎者」…つけびとは山口県で稲穂を燃やす風習の事。枯れ草を燃やす場合もそう呼ばれる。

容疑者が飼っているのは犬だが、他の糞についても容疑者の犬がしたものではと、村人に注意される。

積りに積もった恨みで、容疑者、村人を惨殺

警察は火事が収まった後、放火・殺人であることを発見し、事前に相談も受けていた事から、容疑者の仕業であるとこの時点で予測。

火事の様子を観に来ていた村人も自宅で容疑者に惨殺される。

警察は村人全員が容疑者のターゲットであると判断し、村から離れるように指示

警察は付近を封鎖。

山狩りを実施。容疑者は逃げているのではなく、村人全員を殺すまで村から離れないと予測した為

7月26日、9時、警察は森の中で半裸の容疑者を発見。「村人を殺して真実が闇の中に埋もれてしまう結末でいいのか?」と説得

警察、容疑者の身柄を確保
http://togetter.com/li/539347


12. 中川隆 2013年7月27日 15:15:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

山口連続殺人 平成の「八つ墓村」

山口県周南市の連続殺人放火事件で、県警周南署捜査本部が26日、事件後に行方が分からなくなっていた無職保見(ほみ)光成容疑者(63)を、殺人と非現住建造物等放火の疑いで逮捕した。

社会心理学専門、新潟青陵大大学院教授 碓井真史教授分析

 「八つ墓村」のモデルとなった津山事件に代表される日本の大量殺人事件の典型的なパターンだ。大都会ではなく、のどかな田舎でなぜこんな事件が、と思うかもしれない。しかし、殺人事件の件数は都会が多いが、人口1万人あたりの発生比率は郊外が多い。

 農村では、濃厚な人間関係が助け合いの社会を生む。だが、1度関係がこじれ、そこから逃れられないと、やっかいだ。人間の心は嫌なことがあると、そのことを考えないようにする働きがある。だが、嫌なことのあった相手と、毎日顔を合わせなければならない環境では「考えない」ことができない。恨みは考えれば考えるほど深まる。田舎に限らず、人数の少ない学校、会社、都市部でも濃厚な人間関係がある地域なら起こり得る。

 大量殺人犯は恐ろしい加害者だが、本人は

「自分は不当に虐げられた被害者だ」

と思っている。感情が積もり積もった時、最後の最後に

「すべて終わりにしてやる」

「孤独な被害者がついに立ち上がり、正義の鉄ついを下す」

という発想で事件を起こす。津山事件の犯人は自殺し、池田小事件の犯人は死刑を望んだ。日常生活に戻ろうと思っていないのが特徴。保見容疑者は6日目に発見されたが、山で靴すらはいておらず、あっさり自供した。山に死に場所を求めただけだろう。

 窓に

「つけびして煙喜ぶ田舎者」

という張り紙を張り、近所の人に怒鳴り、マネキンや監視カメラを設置した。

表面的には「オレは怒っている」と見えるが、裏を返せば「傷ついている」というSOSだ。

しかし、表現が不器用で理解されず、さらに孤立が深まる。2年前の正月に、集落での孤立を警察に相談したというが、正月に悩みを話せる相手が警察しかいないところまで、孤立が進んでしまっていたということだ。


◆津山事件 

1938年(昭13)5月21日、岡山県苫田郡西加茂村(現津山市加茂町)の集落で起こった大量殺人事件。

肺結核から神経衰弱に陥った犯人の都井睦雄(当時22)が、育て親だった祖母や近隣住民を猟銃や日本刀で襲撃。2時間足らずで30人を殺害、3人に重軽傷を負わせ逃走。自らも猟銃自殺した。

当時の集落は全戸数22戸で人口111人。のどかな山村集落の惨劇として衝撃を与えた。日本犯罪史上、最多の殺人事件として、今でも語り継がれている。横溝正史の小説「八つ墓村」のモデルとなり、同名映画(1977年公開)でも話題を呼んだ。

 [2013年7月27日9時15分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20130727-1163781.html

津山事件については

こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html


日本の農村については


日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

ディープ世界とは何か _ つげ義春が見たもの
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/300.html

『見張りの湯』 から玉川源流へ _ つげ義春の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/314.html

大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html

旧家の男子と乳母との心の繋がりが実の母親より遥かに大きい理由 _ 太宰治は本当に性的虐待を受けたのか?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/348.html

沖縄パナリの秘祭
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

部落と近親相姦
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/773.html


13. 2013年7月28日 11:33:34 : W18zBTaIM6

山口「八つ墓村」容疑者に衝撃証言 2013.07.27


 山口県周南市金峰(みたけ)の集落で5人が殺害された連続殺人放火事件で、県警周南署捜査本部に殺人などの疑いで逮捕された同じ集落の無職、保見光成(ほみ・こうせい)容疑者(63)。同容疑者が二十数年前、川崎市でタイル工などをしていた当時の知人らが夕刊フジの取材に応じた。昼夜問わずにサングラスを掛け、マイカーに異常な愛情を注ぎ、思い通りにいかないとヘソを曲げる…。そんな男として知られていたという。

 横溝正史の長編推理小説で映画にもなった「八つ墓村」。周囲を恐怖のどん底に陥れた猟奇事件は発生から6日目の26日、一気に解決へと向かった。

 現場周辺の山中で捜査本部に身柄を確保され、逮捕された保見容疑者は、山本ミヤ子さん(79)に対する殺人と非現住建造物等放火容疑を認め、他の4人の殺害と2軒の放火についても「私がやりました」と認めているという。捜査本部では事件の背景に人間関係の軋轢があるとみて慎重に捜査している。

 保見容疑者の自宅は、集落のほぼ中心に位置し、川沿いにへばりつくようにして建っている。

 川崎市に住む男性(70)は事件発生後、テレビに映し出されたこの家に目がとまり、思わず声を上げた。

 「写真で見たワタルの家だ」

 保見容疑者がかつて「これ、オレが建てたんだよ」と言いながら、誇らしげに写真を見せてくれたことを覚えていたからだ。

 保見容疑者は、中学卒業後の15歳で上京し、1994年の帰郷直前まで、川崎市で過ごしていた。男性は友人の紹介で同容疑者と知り合った。

 当時、同容疑者は名前を光成ではなく中(わたる)と名乗っていたという。「自己紹介するとき、マージャン牌の『中』にひっかけて『どうもチュンです』なんて言ってた。見た目はいかついけど根はいいやつだった」と男性は振り返った。

 JR南武線稲田堤駅から北西に約1キロメートル離れた住宅街にある2階建てアパートで1人暮らしをしていた同容疑者。付近の工務店でタイル工としてしばらく働き、独立開業した同僚の会社に合流する。当時、仕事上のパートナーとなった元同僚はこう話す。

 「6〜7年付き合ったけど、女遊びも、無駄遣いもしなかった。金はかなりためてたみたい。仕事の腕も良かった」

 行きつけの居酒屋で仕事仲間と酒を酌み交わすこともしばしば。周囲の信頼を得て都会暮らしになじんでいたようだが、こんな一面もあった。


「妙なこだわりがある男でね。昼夜問わずサングラスを掛けっぱなしにしていた。もともとはっきりモノを言うタイプだったけれど、酒が入ると理屈っぽくなる。そのせいか、酒の席でケンカになることがよくあった」(元同僚)

 先の男性は、自家用車に並々ならぬ愛情を注ぐ保見容疑者の姿も覚えている。

 「車には相当金をかけていた。改造した四輪駆動車に乗っていて、ホコリひとつないぐらいに磨き上げていた」。愛車には、携帯電話が普及していない当時にしては珍しく、車載電話を設置していた。

 保見容疑者は、事件の舞台となった自宅を、裸のマネキンを使って自作したオブジェなどで飾っていたが、この装飾趣味は川崎時代からうかがえ、「自宅アパートにも複数の置物を配していた」と先の男性。

 過疎化が進んだ集落で孤立を深めて暴発した保見容疑者だったが、過去には町おこしを提案したり、住民の手伝いをしていたことも。だが、最近では犬をめぐるトラブルや大音量でカラオケをして、近隣住民らとの衝突が絶えなかった。

 先の男性は「親の介護のために帰郷するぐらいだから、悪いやつじゃない。こっちにいるときも、いじめられた仲間をかばったり、正義感のあるやつだった。ただ、思い通りにいかないとヘソを曲げることもあった」と語り、こう続ける。

 「あいつが故郷に帰る前日に『明日田舎に帰るから今晩飲みませんか』と誘われたんだ。でも、どうしても都合が悪くて断った。そしたら次の日、『気をつけて帰れよ』って声を掛けたのに知らん顔しやがった。そういう所があるんだよな」

 心に抱えた闇の解明はこれからだ。

 【山口連続殺人放火事件】 事件は21日から22日にかけて起きた。21日午後9時ごろ2軒の民家から火災が発生。集落西寄りの貞森誠さん(71)と妻、喜代子さん(72)の自宅で2人の遺体を発見。約80メートル離れた山本ミヤ子さん(79)宅でもほぼ同時に出火し、山本さんの遺体が見つかった。

 その山本さん宅の隣に、保見光成容疑者(63)の自宅があり、玄関脇の窓には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」との不気味な貼り紙があった。

 捜査中の22日正午ごろには、同じ地区の河村聡子さん(73)宅、石村文人さん(80)宅でそれぞれ河村さん、石村さんが遺体となって見つかった。司法解剖などで5人はいずれも鈍器で複数回殴られ、ほぼ即死。河村さんと石村さんは体にも複数の外傷や骨折があった。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130727/dms1307271450004-n1.htm


14. 2013年7月29日 16:50:28 : W18zBTaIM6

この男は都会で左官工としてずっと暮していた。その時の同僚曰く
「気さくで良い人」

男の住んでいたアパート近くの男性(67)の証言
「私との間に車に間するトラブルがあった。うちの子供がほっぽり出された」

           ↓

両親の介護の為、田舎に戻る。元ホームヘルパーの女性(65)の証言

「いつもありがとうございます」と丁寧にあいさつし献身的だった。
壁紙が剥がれたり、テレビが壊れると、犯人はなおしてあげていた。
44歳で帰省してから村人のあらゆる雑用をずっとさせられる

           ↓

男は村おこしを提案したが近隣住人に大反対される。

           ↓

集落で一番若いと言う理由で草刈りを一人でやらされていた。
草刈り機や燃料は自腹購入。
燃料費、手間賃は、市町村や自治会費から払われたことがない、
文句言うと草刈り機に放火 
近隣住人「刈った草と一緒に燃やした。あら、あなたのだったの」

           ↓

男は被害者に胸を刺され刑事事件となる。 被害者に退職金を配るよう言われていた。

           ↓

自治会を抜け村八分(イジメ)にあう。この頃から安定剤(通院は不明)を飲み始める

           ↓

被害者宅で謎のボヤ 先祖の墓が倒される

           ↓

仲の良い近所の人からゴールデンを2匹貰い可愛がっていた。
飼った理由「死んだ親父に似ているから」

直後に犬が臭いと隣人に苦情を言われる。一頭は事故死。
犬の糞も一度だけ、始末しなかったのを野良猫や野良犬、
猪などの糞も犯人の犬がしたと、噂を流した。

           ↓

焚き火を犯人宅近くでやって、煙が犯人宅にいくのを楽しんでいた。

           ↓

被害者が男の家の近くで農薬を撒く。
風で農薬が室内に入り男は犬を(農薬)で殺す気かとどなる

           ↓

2年以上前に張り紙 「つけびして煙よろこぶ田舎者 かつを」。
「つけび」とはこの地域での稲藁を燃やす風習の事

           ↓

嫌がらせがエスカレート、警察に相談、監視カメラ設置。
事件前に被害者の一人が犬の糞に対し男に注意をした

            ↓

積もり積もった恨みからか住人を惨殺。

           ↓

3日後の27日9時5分男の身柄を確保。
1分後の9時6分愛犬オリーブが心臓発作で死ぬ(地元の愛護団体発表)


15. 2013年7月29日 16:54:54 : W18zBTaIM6

山口県周南市金峰(みたけ)の連続殺人・放火事件で、 1人に対する殺人と放火の疑いで逮捕された無職保見光成(ほみこうせい)容疑者(63)が自宅で飼っていた犬が、26日午前9時6分に死んだ。 保見容疑者が山中で身柄を確保された時間の1分後だった。

 犬はゴールデンレトリバーのオス。

推定年齢7〜8歳で、保見容疑者はオリーブという名をつけていた。

子犬だった7〜8年前、捨てられていたのを周南市内の女性が保護。
里親募集の張り紙を見て保見容疑者が引き取った。

 事件後、容疑者宅にいる犬の姿がテレビで流れ、周南市に「かわいそう」「どうなるのか」といった声が連日十数件寄せられた。

25日、警察、周南市を通じて市内の動物愛護団体が保護。
「事件を知らない飼い主の元で穏やかに暮らしてほしい」と別の団体に預けられ、新たな飼い主を探すことになっていた。

 25日午後には元気だった。
翌26日朝に調子が悪い様子を見せたため、動物病院に連れて行ったが死んだ。
心臓発作だったという。


16. 2013年7月29日 17:27:26 : W18zBTaIM6

父親が亡くなった後のことがJNNの取材で明らかになりました。愛犬家としての顔をもつ男。

7〜8年前に犬を引き取ったといいます。犬を引き取ってもらった女性は男について・・・。

「ちょっと大柄で、どっちかというと言葉少ない感じ。礼儀正しい方。
すごく優しいっていうか。
にっこりしてこの犬を見たときも、切ない顔で『僕が飼ってもいいですか』と言って連れて帰った」(男に犬を引き取ってもらった女性)

チラシを見て連絡してきたという男は、犬をみてこう言ったといいます。


「はにかんで、てれたような感じで

『こんなこと言うと笑われるかもしれないけど、この犬の写真を見たときにおやじだと思った』

と言った」(男に犬を引き取ってもらった女性)


山口連続殺人、姉が語る重要参考人の男の"素顔"
http://youtu.be/c4byJ_nwi0E
※TBS公式


17. 2013年7月29日 21:38:40 : W18zBTaIM6


山口5人殺害:中学の同級生「あの優しかった男がなぜ」

毎日新聞 2013年07月29日 

 「あの優しかった男がなぜ」−−。山口県周南市の5人連続殺害・放火事件で、殺人、非現住建造物等放火容疑で逮捕された保見光成(ほみ・こうせい)容疑者(63)と中学3年で同じクラスだった男性会社員(63)は、戸惑いの言葉を口にした。事件の残虐さと、保見容疑者の当時の印象が重ならないという。

 会社員によると、クラスに21人いた男子の中で、身長が175センチを超えていた保見容疑者は最も背が高かった。当時135センチ前後だった会社員が同級生から背の低さをからかわれた時、保見容疑者は「何しとるんか」と割って入り、助けてくれたという。「僕のことを『マメ』と呼んで優しくしてくれた」

 ただ、保見容疑者は1年時はバレーボール部に所属したものの2、3年時は部活動をしていない。勉強は好きではなく、生徒会活動もしていなかった。保見容疑者の自宅は中学校から約7キロ離れた山間部の集落にあり、当時は運行していた路線バスで通学していたという。

 会社員によると、保見容疑者は中学卒業後、地元を出て左官の仕事に就いた。高度成長期で、職人の左官は日当の高さからあこがれの仕事だったという。会社員は自動車整備工をしていたが、19歳ぐらいの頃、関東にいた保見容疑者から写真2枚を添えた手紙をもらった。写真には街中で自然体で立つ保見容疑者が写っていた。「おしゃれだなと思った。僕のことを覚えてくれているとうれしくなった」

 最後に会ったのは、保見容疑者が地元にUターンする前後の十数年前。「おい、飲もうや」と電話があり、2人で周南市内のすし屋と居酒屋をはしごした。保見容疑者は関東弁になっていたが「おやじの調子が悪いから家を直さないと」と話すなど、変わっていなかったという。

 保見容疑者が山口地検に送られた27日。丸顔になり、髪の毛が薄くなった姿がテレビで流れた。「彼の気持ちがどう変わったのか私も知りたい。唯一の救いは彼が自殺しなかったこと。洗いざらい話してほしい」。会社員は祈るように語った。【内田久光】


18. 2013年7月30日 06:57:22 : W18zBTaIM6

保見容疑者、被害者名挙げ警察相談「悪口言われた」

 山口県周南市金峰みたけで5人の遺体が見つかった連続殺人・放火事件で、被害者1人に対する殺人と非現住建造物等放火容疑で逮捕された無職保見光成ほみこうせい容疑者(63)が2011年、県警周南署に「地域で悪口を言われた」と相談した際、今回の被害者数人の名前を挙げていたことが捜査関係者への取材でわかった。県警は、保見容疑者が、以前から被害者に恨みを募らせていた可能性があるとみて、動機などを調べている。

 捜査関係者によると、保見容疑者は11年元日に1人で同署を訪れ、「集落で住民に悪口を言われて孤立している」などと相談。対応した署員に集落内での対人関係の不満を打ち明け、具体的な相手として今回の被害者数人の名前を挙げた。

 保見容疑者が名指しした数人は全員、今回の事件の被害者で、ほかの住民の名は出なかったという。保見容疑者は相談後、「すっきりしました」と話して立ち去った。同署への相談は、その時の一度きりだった。

(2013年7月29日 読売新聞)


19. 2013年7月31日 01:42:54 : L4fq2vbqP8
この事件について、ぜんぜん違う見方をする人がいます。
不正選挙の目くらまし!周南市連続殺人猿芝居
http://reptilianisreal.blogspot.jp/2013/07/blog-post_7849.html


20. 中川隆 2013年8月01日 17:20:34 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

山口殺人容疑者 草刈り機燃やされ「あんたの?」と笑われた

NEWS ポストセブン 8月1日(木)16時5分配信

 山口県周南市の小さな集落で発生した連続放火殺人事件で7月26日、保見光成容疑者(63才)が放火と殺人の容疑で逮捕された。

 この地で生まれ育った保見容疑者は、地元の中学を卒業すると上京し、左官工の仕事に従事していた。独身だったため、神奈川県川崎市のアパートでひとりで暮らしていた。そんな彼が、故郷に戻ってきたのは、1994年のこと。年老いた両親の面倒を見るためだった。

 故郷に戻ってきた当初、保見容疑者は、両親の介護だけでなく、“村のために働こう”とも考えていた。しかし、その思いは空回りしてしまう。

「彼は集落に来た当時、“何か村おこしをしたい”と熱心に提案しとったんじゃが、“都会崩れが何言っとるんや”と多くの住民に反対されてしまってね。そこからちょっと疎まれるというか、“いじめ”みたいなことが起こり始めたんですわ…」(近所の住民)

 当時40代だった保見容疑者は、集落では、いちばんの若手。“生意気な都会の若造”と陰口を叩かれる一方で、若いという理由だけで地域の草刈りや農作業をすべて任されていたという。

「“都会から来たんじゃから、金も持っとろう。みんなのために草刈り機買って、草でも刈れ”言うてな。無理矢理やらせとった」(別の近所の住民)

 保見容疑者は言われるがまま草刈り機を購入し、燃料代も自分で負担した。しかし、謝礼などは一切なかったという。それどころか、こんな嫌がらせまで受けていた。

「ある日、彼が草刈り機をあぜ道に置いて帰宅すると、ある集落の人間が、草と一緒にその草刈り機を燃やしてしまったんや」(前出・近所の住民)

 保見容疑者が、それを知って抗議すると、その住民は「あれ? あんたのもんだったの?」と笑っていたという。

 また、家の裏で勝手に農薬や除草剤をまかれたり、「犬が臭い」と文句を言われることも多かった。

※女性セブン2013年8月15日号


21. 中川隆 2013年8月01日 20:05:23 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


保見光成〜その愛と生と〜 2013年8月 1日 (木)

「 山口連続殺人 容疑者は「ジキルとハイド」だった? 8月1日 7時14分配信

山口県周南市金峰(みたけ)で起きた連続殺 人・放火事件で、保見光成(ほみこうせい)容 疑者(63)が逮捕された。集落の住民14人中5 人を次々と撲殺し、家々に火を放った男。しか し事件が起きた“限界集落”の外では保見容疑者 はまったく異なる人格の持ち主だったという。

「弟は死んでほしいです。5人も殺したんだか ら」。

そう言葉を絞り出したのは、広島県に住む保見容疑者の2番目の姉だ。

「集落へ戻って から、だんだんおかしくなった。はっきりと様 子がおかしいとわかったのは今年5月の終わ り。黙り込んだり、ひとり言を言ったりし て……」。

実際、事件に至るまで金峰の住民らの多くが 保見容疑者の“奇行”に恐怖心を抱いていたよう だ。

「レスラーのような風体で、大きな車に乗って いるので、それを見よったら

『じろじろ見て何 か用か』

と言ってくる。黙っていたら

『川に落 としてやるぞ』

とすごむ。次に会ったときは

『今度見たら血の海だ。地獄に落とすぞ』

と怒 鳴られた。背筋がゾッとしたよ。だけど、まさ か本当に集落を血の海にされるとは……」。

近所の住民は、今も怯えた表情でそう話す。

しかし、不可思議なことに、金峰の集落を一 歩離れると、粗暴な素振りはなりを潜め、会う 人々に好印象を与えていた。

保見容疑者は、集落の外で高齢者のための 「便利屋」のような仕事もしていた。事件1カ 月前に、屋根の修理をしてもらったという78歳 の老婆はこう話した。

「もう10年以上前から家の修理や草むしりなど でお世話になっている。6年前に入院したとき もわざわざ私の犬を病室に連れ、見舞いに来て くれた。頼んだ仕事もまじめによくやってくれ た。彼はマグロが好きで、1カ月前には屋根の 修理の後に2人で回転ずしを食べに行きまし た。いつも

『お母さん、長生きせなあかんよ』

などと声をかけてくれる、すごく優しい人です」

犬好きの保見容疑者にも2匹の愛犬がいた。 白のピレニーズと大きなゴールデンレトリバー だ。事件直後、逃走した際も2匹の犬のために えさ箱をいっぱいにしていたという。

ゴールデンレトリバーを数年前に譲った飲食 店経営者の女性はこう言う。「彼が一人でやっ てきて、真剣な表情で『父親の介護のために故 郷に戻ったが、最近、父が亡くなった。笑わな いでほしいのですが、犬のチラシを見て、父親 の優しい目と似ていた。父のつもりで、家族の ように大切にしますので、ぜひ飼わせてくださ い』と言ったんです。信頼できると思って、犬 を譲りました」。

保見容疑者はその雄犬に「オリーブ」と名付けた。その後も女性に、お礼のドッグフードや 犬の写真をマメに郵送するなど、律義な面も あったようだ。

保見容疑者は集落の内と外で「ジキルとハイド」のように異なる二つの顔を持っていたの だ。

※週刊朝日 2013年8月9日号 」

保見光成さん

「 山口殺人容疑者 町興し企画したが「生意気だ」陰口叩かれた
NEWS ポストセブン 7月31日 7時6分配信


山口県周南市金峰の集落で5人が相次いで殺 害された事件で、重要参考人として行方をくら ませていた同じ集落に住む男(63歳)が、7月 26日に身柄を確保された。

男は30代の時にタイル職人として神奈川・川 崎の木造アパートに移り住んだ。そして、上京 から30年を経た1994年、突如、職を捨てて郷 里へと舞い戻ったのである。

地元に戻った男は、30年振りの郷里で浮いた 存在になった。幼少時代から男を知る地元住民 が語った。

「中学卒業後、都会に行って何十年振りに地元 に戻ってきたかと思えば、もう方言も忘れてい るし、田舎の人間とはものの考えがまるで違う人になっていました。ここの人とは溶け込めな かったんですよ」

ただし、当初から男が地域住民との対話を拒 否していたわけではない。

「最初は地域のために働こうという意欲も持っ ていたんですね。彼は若者が次々と流出する現 状を嘆いて、町おこし活動を自ら企画したこと もあるんです。周囲に熱心に自分の企画を語っ たりね。でも、皆に受け入れられなかった。地 域にずっと暮らしている人間から見れば、都会 帰りの若造が生意気なことを言っているように しか聞こえなかったんですね」

既に50歳を超えた男も金峰郷では最年少の類 だった。若いのに生意気だ──集落では男への 陰口が囁かれるようになったという。

地元民との摩擦が重なるにつれ、男も周囲に 攻撃性を見せつけるようになっていった。

男はラブラドール犬を二匹飼っていた。犬の 散歩の際、途中ですれ違う住民をどなりつけることもあった。

男の口から、

「俺はクスリを飲んでいるのだ から、10人や20人殺したって罪にならない」

との暴言まで聞かれるようになったという。

「ブラジャーをつけた変なマネキンを家の前に 飾ったりして、どんどん周囲から浮いていった のもこの頃です」(同前)

ちなみに、郷里に戻ってからの男は定職に就 かず、主に親の年金や財産で暮らしを営んでい たようだ。

※週刊ポスト2013年8月9日号 」
「 山口5人殺人男 山男のような印象と神奈 川時代の近隣住民談

2013.07.30 16:00

山口県周南市金峰の集落で5人が相次いで殺 害・自宅を放火された事件で、重要参考人とし て行方をくらませていた同じ集落に住む男(6 3歳)が、7月26日に身柄を確保された。

男は1950年、金峰郷に代々住む家の次男と して生まれた。

「彼は小さい頃から大人しい人でした」とは前 出の雑貨屋店主。男は小学校、中学校とこの集 落で育ち、中学卒業とともに上京したという。

地方から集団就職で上京する若者が金の卵と 言われていた時代──高度経済成長の波に乗っ て、男も都会の土建業者を渡り歩いたと見られ る。

男は今からおよそ30年前、30代の時にタイ ル職人として神奈川・川崎の木造アパートに移 り住んだ。アパートは、10数年前に取り壊さ れ、一軒屋が建っているが、男のことを覚えて いる人間はすぐに見つかった。

「彼のこと? 覚えていますよ。うす紫のトヨ タ・ハイラックスのピックアップを持っていま した。車が大好きで随分といじくっていました ね。髭を生やして、サングラスもかけてガタイ もよかったですよ」

当時の男を知る近隣住民が複数いることを考 えると、男はこの地域で目立つ存在だったのだ ろう。

身長180cmを超える男のことを「山男のような印象」と、この近隣住民たちは口々に話し た。

同居する家族はいなかったようだが、意外な 姿が目撃されている。

「馴染みのスナックがあって、そこのホステス に入れあげていましたね。その女性はアパート によく出入りしていましたよ。普段は仲睦まじ そうでしたが、そういえばアパート前で激しく 口論してパトカーが来たこともありましたね。 随分と怖い人だなと思った記憶があります」( 別の住民)

時には近隣住人に牙がむけられることがあっ たという。

「彼の家の前に車を止めておいたら、

『これじ ゃうちの車は出せないだろう』

といきなりぶち 切れられてワケがわからなかった」


とある住人は語る。男は郷里から遠く離れた 大都会で孤立していたようだ。

※週刊ポスト2013年8月9日号 」
http://uchida-yuki.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-cbcc.html


22. 中川隆 2013年8月04日 09:40:52 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

アモック(東南アジア):無差別殺傷などの暴力衝動

心の病気の中には、その人の属する社会、文化の影響が大きい、文化依存症候群というグループに属するものがありますが、東南アジアで見られたアモックはその代表的なものです。


東南アジアの国々で起きていたアモックとは?

心の病気は、本人の体質的な要因と共に、社会、環境的な要因が組み合わさり、ストレスなどをきっかけとして発症します。ある人には気分の落ち込みが主な症状として出現したり、またある人には、頭痛、胃潰瘍といった体の症状が現れたりと、心の病気の発現の仕方は、個人個人で異なるのです。そして時には、その人の属する社会、文化の影響が大きい場合があります。

こうした心の病気は文化依存症候群と呼ばれています。例えば、若い女性に多い拒食症がそうです。拒食症の背景には、「スリムな体がかっこいい」とされる現代の風潮があります。

文化依存症候群は、地球上のある社会、文化圏で主に出現するもので、地域的にも、また、その文化の存在している時代的にも限局しています。今回は、文化依存症候群の代表的なものの一つとして、東南アジアの心の風土病、 アモック を紹介したいと思います。

人を無差別に殺傷するアモック

マレーシア、インドネシア、フィリピン。東南アジアのモンスーン気候の国々ですが、近代化される以前の部族社会では、アモックと呼ばれる、人を無差別に殺傷する事件が起きていました。

何か悲しい事があったり、侮辱を受けた後、部族の人との接触を避け、引きこもり、暗い目をして、物思いにふけっているような状態になる。そして、突然、身近の武器を手に、通りへ飛び出し、遭遇した人をかたっぱしから、殺傷してしまう。殺戮は本人が自殺、または、殺されるか、取り押さえられるまで続き、後で正常に戻った時には、人を殺傷していた時の記憶を失っている。

アモック は、大航海時代、マレー半島にやってきたポルトガル人などから、ヨーロッパへ伝えられました。エンデバー号で世界を航海をしたイギリスの探検家キャプテン・クック(1728-1779)の手記にも、 アモック についての記述があります。

アモックは、amokとして英語になりました。突然、理性を失った行動を取ることを amok または run amok と言います。アモックはマレー語由来の英語として、最も有名なものの一つです。


どうしてアモックは起きるのか?

アモックの特徴を以下に整理してみます。

・男性にほとんど限られる

・アモックを起こす前に、辛かったり、体面を失うような出来事がある

・ アモック を起こす直前は、周囲から引きこもり、うつ状態になる事が多い

・ アモック は自殺または、周りの人から取り押さえられて、終了する。本人が殺されることによって、アモックが終わることもしばしばである

・取り押さえられてアモックが終わった場合、虚脱状態になり、後で正常にもどった時、 アモック が起きていた時の記憶が失われている事が多い

精神医学的にアモックを考察すると、辛かったり、体面を失うような出来事に対して、反応的に心が解離してしまい、激しい暴力衝動が生じてしまったといったような説明が成り立つと思いますが、アモックが起きてしまう背景には、社会、文化的な何があるのでしょう?

それには幾つかの説があります。

「アモックが起きていた当時の部族社会では、悪霊の存在が信じられていて、その悪霊が乗り移って、アモックが起きる。」

「子供に非常に寛大であるが、大人は厳格な規律を守るように求められる、当時の社会では、大人になった若者が、社会に窒息感を覚え、暴力への衝動が生まれる。」

「アモックになった本人は命を失うことが多いので、自殺に関して寛容でない部族社会における、一種の自殺である。」


とにかく、アモックが起きていた当時の部族社会では、

“男はアモックする程、切れてしまうことがある”

といったような空気が流れていたのではないでしょうか。家族が亡くなった、社会的地位を失った、妻が不倫したといったような辛いことが起きた時、こうした社会の空気を吸って生きてきた人は、アモックを起こす事があるのでしょう。

しかし、社会が近代化されると、アモックは減少し、現在では、ほとんどなくなりました。かえって、いち早く近代化した欧米諸国、日本などで、アモックのように、無差別に人々を殺傷する事件が、増加しているように思われます。私たちの社会、文化の中にアモック的な暴力衝動を引き起こす何かが生じてきてはいないでしょうか? 深く考えるべき問題かも知れません。
http://allabout.co.jp/gm/gc/322039/


23. 中川隆 2015年6月25日 20:41:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs
2013-07-29

あー、8月9日号の週刊朝日

「平成の「八つ墓村」事件」
http://matome.naver.jp/odai/2141116638633868201

のタイトルにひかれて買ったものの、期待は大はずれ!

村人のイジメなどのことはほとんどなく、いかに「村の内と外」とで極端に性格が変わってしまうか。「ジキルとハイド」の二面性をもった異常な性格の犯人であることを村人へのインタビューで立証していくのだ。

(あんなイジメを村で受けてたら、村の中ではピリピリしてて、村の外へ出たらホッとして日頃のやさしい性格に戻るよな)

 もちろん田布施システムや角田(李)美代子らがやったような、村人が常時監視し嫌がらせをやったか、その村八分状態についてはあまり書かれてなかった。

 下記にこの事件で一般に言われている嫌がらせの例を参考に上げておく。


●村おこしを反対される
●自宅を放火される
●集会で胸を刺される
●先祖の墓が倒される
●退職金を村人に配るよう強要される
●村の雑用を全て任される
●自腹で買った草刈り機を燃やされる
●隣で稲藁を燃やして家が煙だらけ
●家周辺に窓から家の中に入る様に農薬を撒かれる
●保見の愛犬が、保見が森から発見された一分後に殺される。


ただ新たに知りえた点は、両親は籠売りの行商をやってた、ということ。
 (エタの中でも茶筅で千利休のような竹を扱うサンカか?)

 また村の外の人に珍しく愚痴ることがあって、さらに詳しく尋ねると

「家のカレーに農薬を入れられた。」

と言っており、これって嫌がらせじゃなく、保見容疑者は逆に村人から殺されかけた、という事だ!

(これだと誰だって家に監視カメラをつけて、村の中では険悪な状態になるわなー)

※ちなみにこの事件の裁判の初公判は2015年6月15日の予定。
http://www.geocities.jp/masakari5910/citizen_judge_death_penalty30.html

 さて山口・周南市連続殺人事件を初めて知ったとき、私は、この犯人の保見光成容疑者は村のタブーに触れてしまい、村八分にされ、いじめられたのだな、と思った。


(参考 山口県周南市・連続殺人事件まとめ)
http://matome.naver.jp/odai/2137482275117465201


 ただマスコミはその原因は曖昧にして、もっぱら住民側の意見を聞き、肝心の村八分のいじめのそもそもの発端が何だったのかは追及せずじまいで、何かを隠していることがミエミエなのだ。

 こんな時はグーグルで検索して調べていくしかない。そうしているうちに、とんでもないことが段々とわかってきたのだった。

 まずなぜこの保見は村八分にされたのか?

51 :名無しさん@13周年 :2013/07/26(金) 13:58:37.16 ID:LtALIL0N0
659 6 名前: 急所攻撃(チベット自治区) Mail: 投稿日: 2013/07/26(金) 13:15:39.73 ID: CBj2pv8Y0
http://www.geocities.jp/astpa693/s10.html

かつを氏子どころか本家かな
たしか名前保見かつをだったろ
明治以前に出来た神社だから村でかなり深い因縁と対立残してるはず
対立してたのは白山穂河神社の宮司とそのシンパかな

 そしてそこで引用されていた
山口県 周南市金峯朴 白山穂河神社合祀

 なんとそこに容疑者の父親もしくは親族なのか、「保見総昭氏」の説明があったのだ。
狭い田舎のことだから、その保見氏の一族がその近辺の土地を支配していたことが窺がえる。


明治維新後、村人達が敬う新しい高句麗系の白山穂河神社


保見氏が宮司だった百済系の由緒ある古い柿本神社だったにも関わらず滅ぼされていた。 

明治天皇を摩り替えられた秘密を握る徳川幕府の孝明天皇側(福島会津側?)


県道9号徳山徳地線、朴の奥畑川傍にある。もと下奥畑の山中にあった柿本神社を一時合祀していたが、昭和初期、地元住民の願いで下奥畑の河内神社に遷したという。しかし当神社ではその後も配祀神として人丸神を祀っている。
旧神社跡は、保見総昭氏宅の背戸山にあった(北緯34度12分01秒、東経131度53分20秒)。保見氏は「明治末期の神社整理で廃社となり、御神体は白山穂河神社(金峯朴)に合祀された。しかし昭和8年頃、奥畑住民の願いでこの先の河内神社(下奥畑)に移した。御神体は石に彫った人丸さまである」と話された。裏山の山頂近くで、倒壊した石鳥居(明治32年8月建立)と「柿本神社」とある額束(約1尺×2尺の大きさで雲形縁取りのある御影石製)が半ば埋まり、社祠基壇の石囲い残っているのを確認した。

 このことから、元々、保見氏は「柿本神社」の朝鮮 百済から来た、柿本人麻呂の一族だったが、明治維新後、新しい朴と名づけられた土地に「白山穂河神社」を敬う別の朝鮮の高句麗の人達の支配に移されてしまったのだ。


24. 2015年6月25日 20:42:27 : b5JdkWvGxs

山口5人遺体 連続放火&連続殺人事件 犯人像は?
https://www.youtube.com/watch?v=KdAag8zYxlU

25. 中川隆 2015年7月17日 08:32:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs


山口 周南 5人殺害・放火事件 保見光成被告 第9回公判 2015.7.8 遺族が極刑求める


被害者遺族 死刑求める訴え
 NHK NEWS WEB 山口放送局 07月08日 20時42分

 周南市で男女5人を殺害したなどとして殺人と放火の罪に問われている保見光成被告の裁判員裁判で、被害者の遺族あわせて7人が出廷し、「命をもって亡くなった人や遺族に報いるしかない」などと死刑を求める訴えが相次ぎました。

  保見光成被告(65)はおととし7月、周南市の山あいの集落でみずから作った木の棒で近所の男女5人の頭などを殴って殺害し住宅2棟を全焼させたとして、殺人と放火の罪に問われています。

  山口地方裁判所で開かれている裁判では、被害者の遺族あわせて7人が出廷しました。

 このうち石村文人さんの息子は「遺体を見たときあまりの残忍さに驚いた。殺されたことに家族の誰も納得できず、寂しさが残っている」と心の内を明かしました。

 そのうえで、「父が生き返ることがあるのであれば、犯人の命と引き換えにしてほしい」と訴えました。

 また貞森喜代子さんの息子は、「被告は遺族に対して謝罪する気持ちもないし、罪を振り返る気持ちもない。命をもって亡くなった人や遺族に報いるしかないと思います」と話しました。

 法廷で傍聴している人の中にはハンカチで涙をぬぐったり鼻をすすったりする人もいました。


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周南金峰連続殺人事件の裁判で遺族が極刑求める
日テレNEWS 24[ 7/8 19:55 山口放送]

 おととし7月、周南市金峰で発生した連続殺人事件の裁判員裁判は8日、9回目の公判が開かれ、出廷した被害者の遺族が保見光成被告への極刑を求めた。

 証拠の整理は全て終了し、10日、検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論を経て裁判は結審する。

 8日は9回目の公判が開かれ、亡くなった被害者5人の遺族が証言台に立った。
 そして「最後まで穏やかな生活をさせてあげたかった。」、「何でこんなことになってしまうのか、誰も納得できない」など、家族を失った悲しみや苦しみを訴えた。

 5人の遺族の訴えに対し、保見被告は目を閉じたり、時折見開いて、発言者の方向を見つめたりしながら静かに耳を傾けていた。

 この内、裁判を傍聴し、法廷での被告の言動を見てきた貞森喜代子さんの息子は、「真摯に罪に向き合い、真摯に語ってくれるのであれば、自分の中で整理がつき、前へ進めると思っていたが、全然そのような態度は見られず、死刑以外を求める気持ちはない」と強い口調で訴えた。

 また被害者参加人の意見陳述では河村聡子さんの長女が、「裁縫や歌が得意な自慢の母だった。母を殺された私達は心のバランスをどう保てばいいか。死を持って償ってもらいたいと思う」と涙ながらに語った。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/0605fb955b15ae873494f31ebbf19729

「山口 周南 連続殺人・放火事件」 山田貴之、沖本浩弁護人会見「つけびして」貼り紙の意味は

2013-08-01

「つけびして」貼り紙、容疑者が明かした意味は
読売新聞 8月1日(木)9時51分配信

 山口県周南市金峰(みたけ)の集落で5人の遺体が見つかった連続殺人・放火事件で、被害者の1人に対する殺人と非現住建造物等放火容疑で逮捕された無職保見光成(ほみこうせい)容疑者(63)の弁護人2人が31日、山口市で記者会見した。

 保見容疑者は、被害者や遺族に対して「申し訳ない気持ちはあるんだ」と語る一方、過去に被害者との間で様々な出来事があったと話しているといい、両弁護士は具体的に何があったのか聞いている段階という。

 また、保見容疑者は身柄を確保された山中で自殺するつもりで、自宅からロープを持って外に出たといい、5日間の潜伏生活の一端も明らかにした。

 会見したのは、国選弁護人に選任された山口県弁護士会の山田貴之、沖本浩(ゆたか)両弁護士。26日の逮捕後、保見容疑者に毎日接見しているという。

 5人が殺害された事件は7月21日から22日にかけて発生。両弁護士によると、保見容疑者は事件の前、「木の棒のようなものを持って家を出た」と説明。自殺するつもりで大量の睡眠薬と首をつるためのロープも持ち出していた。

 保見容疑者は事件後、「誰にも見つからない山の中で死のう」と考えて山中をさまよい、食べ物は何も口にせず、26日に捜索中の警察官に発見されるまで沢の水を飲んで過ごしていた。途中で自殺を図ったが、死ねなかったという。

 保見容疑者の自宅窓にあった「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と書かれた貼り紙は、9年ほど前に書いて掲げたという。

「つけびして」は、集落内で自分への悪いうわさを流すという意味、

「田舎者」は集落の人を指したつもりだったと説明。

周囲の人の反応を知りたかったとし、「自分の中に抱え込んだ気持ちを知ってほしかった」などと話しているという。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/a2835323887cf957b4bb54f957fa8d5a


「山口 周南 連続殺人・放火事件」 保見光成容疑者の同級生「あの優しかった男がなぜ」


山口5人殺害:中学の同級生「あの優しかった男がなぜ」
毎日新聞 2013年07月29日 13時43分(最終更新 07月29日 14時32分)

 「あの優しかった男がなぜ」−−。山口県周南市の5人連続殺害・放火事件で、殺人、非現住建造物等放火容疑で逮捕された保見光成(ほみ・こうせい)容疑者(63)と中学3年で同じクラスだった男性会社員(63)は、戸惑いの言葉を口にした。事件の残虐さと、保見容疑者の当時の印象が重ならないという。

 会社員によると、クラスに21人いた男子の中で、身長が175センチを超えていた保見容疑者は最も背が高かった。当時135センチ前後だった会社員が同級生から背の低さをからかわれた時、保見容疑者は「何しとるんか」と割って入り、助けてくれたという。「僕のことを『マメ』と呼んで優しくしてくれた」

 ただ、保見容疑者は1年時はバレーボール部に所属したものの2、3年時は部活動をしていない。勉強は好きではなく、生徒会活動もしていなかった。保見容疑者の自宅は中学校から約7キロ離れた山間部の集落にあり、当時は運行していた路線バスで通学していたという。

 会社員によると、保見容疑者は中学卒業後、地元を出て左官の仕事に就いた。高度成長期で、職人の左官は日当の高さからあこがれの仕事だったという。会社員は自動車整備工をしていたが、19歳ぐらいの頃、関東にいた保見容疑者から写真2枚を添えた手紙をもらった。写真には街中で自然体で立つ保見容疑者が写っていた。「おしゃれだなと思った。僕のことを覚えてくれているとうれしくなった」

 最後に会ったのは、保見容疑者が地元にUターンする前後の十数年前。「おい、飲もうや」と電話があり、2人で周南市内のすし屋と居酒屋をはしごした。

保見容疑者は関東弁になっていたが「おやじの調子が悪いから家を直さないと」と話すなど、変わっていなかったという。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/46ed47e2d5b148ca295a6dee4b2588fb

「山口 周南 5人殺害・放火事件」初公判 2015/06/25 保見光成被告「無実だと思います」

5人殺害放火初公判で被告「無実だと思います」
2015年06月25日 12時27分

 山口県周南市で2013年7月、男女5人が殺害された連続殺人・放火事件で、殺人と非現住建造物等放火の罪に問われた無職保見光成(ほみこうせい)被告(65)の裁判員裁判の初公判が25日、山口地裁大寄(おおより)淳裁判長で始まった。

 保見被告は罪状認否で「私は火はつけていません。(被害者の)頭もたたいていません。無実だと思います」と起訴事実を否認した。

 起訴状などによると、保見被告は13年7月21日夜から22日早朝にかけ、同市金峰(みたけ)で、同じ集落の住民5人の頭を木の棒で殴るなどして殺害し、住宅2棟に放火したとしている。

 検察側の冒頭陳述によると、被告はこの集落の出身で、1996年頃に実家に戻った。02年に母親、04年に父親を亡くして一人暮らしになった後、周辺住民から悪いうわさを立てられて挑発を受けたと、自分勝手に思い込むようになった。仕事もなく、事件当時は生活資金が底をついており、「生活が立ち行かなくなって自殺を決意し、どうせ死ぬなら住民に報復しようと思って犯行を決意した」と説明した。

 被告には、2回の精神鑑定が実施され、起訴前の鑑定では「刑事責任能力がある」とされたが、起訴後の鑑定では、空想や実際にあった出来事を基に疑念や嫉妬を膨らませる「妄想性障害」との診断結果が出た。検察側は「妄想性障害があっても、善悪を判断して行動をコントロールする能力はあった。責任能力は認められる」と主張。

 弁護側は「被害者の家に行き、5人中4人の足を木の棒で殴ったのは間違いないが、頭は殴っていない」と述べ、争う姿勢を示した。弁護側はさらに、被告が孤独を好む性格で集落での生活になじめず、人間関係のあつれきで妄想性障害となったと説明。仮に被告の犯行だったとしても、善悪を判断して行動する能力が失われていた心神喪失か、著しく低下していた心神耗弱の状態だったと述べた。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/2a78e35c8727b6519250c26bdb9b8e76

山口 周南 5人殺害・放火事件 第3回公判 2015/06/29 保見光成被告「死にます」…ICレコーダーの声再生


被告の声録音のレコーダー
 NHK NEWS WEB 06月29日 19時56分

 男女5人を殺害したなどとして殺人と放火の罪に問われている男の裁判員裁判で、検察は、男が録音したとされる、ICレコーダーに残されていた音声を証拠として提出しました。

 おととし7月、周南市の山あいの集落でみずから作った木の棒で近所の男女5人を殴って殺害し住宅2棟に火を付け全焼させたとして、この集落に住む保見光成被告(65)が殺人と放火の罪に問われています。

 29日、山口地方裁判所で開かれた3回目の公判で、検察は保見被告が逃げていた山の中で見つかった、ICレコーダーに残されていた音声を証拠として提出しました。

 ICレコーダーには「ホミ」という名前が刻み込まれていたということで、検察は5人を殺害したあと、保見被告が録音したものだと説明しました。
 法廷では保見被告とされる人物の

「周りからいじわるばっかりされた。お母さんお父さん、ごめん。これから死にます」

などとうめき声混じりのかすれた低い声が3分間余り流されました。

 音声を聞いた保見被告はハンカチで目や鼻を押さえて涙をぬぐっていました。
 また検察はICレコーダーと一緒に見つかったという被告の遺書も提出しました。

 この中には「犬をたのみます」と被告の飼い犬について書かれています。


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産経ニュース2015.6.29 21:14更新

「死にます」…被告の声を再生 自殺ほのめかす? 山口5人殺害公判

 山口県周南市金峰の連続殺人放火事件の公判が29日、山口地裁(大寄淳裁判長)であり、検察側は保見光成被告(65)が「死にます」などの声を吹き込んだとするICレコーダーを再生した。事件後に自殺をほのめかす遺書のような内容と主張し、犯行を裏付ける証拠だとしている。

 ICレコーダーは事件後に保見被告がいた山中で山口県警の捜査員が発見した。約3分間の雑音やうめき声の合間に「これから死にます」「お母さん、お父さん、ごめん」などの声が録音されていた。

 また同様に見つかった茶封筒に「犬をたのみます」「人間をおそれます」(原文のまま)などと書かれた文面も法廷のモニターに映し出した。

 検察側は「被告が収入や近隣トラブルなどから自殺を決意し、死ぬなら近隣住民に報復しようと考えた」と主張しており、これらの証拠は被告が事件の犯人であることや善悪を判断する能力を裏付ける材料としている。

 保見被告は5人を殺害したとする起訴内容を否認している。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/e25a69138291487fc499b1a4d66c01be

山口 周南 5人殺害・放火事件 保見光成被告 第5回公判 2015/7/2 被告人質問

産経WEST 2015.7.2 22:55更新

取り調べ映像を再生 山口・連続殺人放火の公判で

 男女5人が殺害された山口県周南市金峰の連続殺人放火事件で、殺人などの罪に問われた保見光成被告(65)の裁判員裁判が2日、山口地裁(大寄淳裁判長)であり、検察側は被告が逮捕後に「頭をたたいたのは私」「放火は被害者の運試しだった」などと供述する取り調べ時の映像を再生した。

 再生されたのは検事による取り調べ。被告は映像の中で、亡くなった山本ミヤ子さん=当時(79)=に関し「木の棒で足から背中、頭をたたいた」と身ぶりを交えて話していた。放火については「運が良ければ(被害者が)助かる」として、こんろに布をかざして火を付けたとしていた。

 この後、「人の命を試すというのは非道ですよね」として、調書に記載しないよう検事に願い出る場面も再生された。

 被告人質問も2日から始まり、被告は映像の内容について尋ねる検察側に対し、「覚えていない」「当時はパニックだった」などと述べ、取り調べの際には記憶通りに話ができなかったと説明した。


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朝日新聞デジタル 
山口5人殺害 被告、起訴内容を否認 「足を殴った」
2015年7月2日13時20分

 山口県周南市で2013年、5人を殺害したなどとして殺人などの罪に問われている保見光成(ほみこうせい)被告(65)の裁判員裁判の第5回公判が2日、山口地裁であり、被告人質問が始まった。保見被告は「(被害者の)足を殴った」と主張し、起訴内容を改めて否認した。

 午前中は弁護側が質問した。被告によると、事件があった13年7月21日夕、自宅に取り付けていた監視カメラのモニターで男の人影を見たため、棒きれを持って近くの貞森誠さん(当時71)方へ移動。室内で貞森さんと出くわし、「何も言わないから向こうずねをたたいた」と述べ、妻の喜代子さん(同72)の足も殴った、と説明した。

 その後、山本ミヤ子さん(同79)方でも山本さんの足をたたき、「ごめんなさい」と言われてやめたと話した。石村文人さん(同80)方には誰もおらず、河村聡子さん(同73)方でベッドの下で寝ていると、河村さんが入ってきて、やりで足をはらったと述べた。

 こうした行動の理由については「ずっと昔、いろんなことをされた。足ぐらいたたいてもいいだろうという感じを持っていた。足腰なら死ぬことはないだろうと思った」と説明。頭への殴打や放火については「ありません」と主張した。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/9b08c4ba631528c625c1d533a480ea8c


山口 周南 5人殺害・放火事件 保見光成被告 第7回公判 2015/7/6 被告人質問

2015-07-06


周南5人殺害 被告人質問
NHK NEWS WEB 山口放送局 07月06日 19時43分

 周南市で男女5人を殺害したなどとして殺人と放火の罪に問われている保見光成被告の裁判員裁判で、6日も被告人質問が行われました。

 この中で、被害者の遺族が「謝罪したいか」と質問したのに対し、保見被告は「私がやられた方が多い。しかたないと思っています」と答えました。

 おととし7月、周南市の山あいの集落でみずから作った木の棒で近所の男女5人の頭などを殴って殺害し住宅2棟を全焼させたとして、この集落に住む保見光成被告(65)が殺人と放火の罪に問われています。

 山口地方裁判所で開かれている裁判では、6日も被告人質問が行われました。
 この中で被害者参加制度で参加した遺族の1人が「謝罪したいとは思わないのですか」と質問したのに対し、保見被告は「足をたたいたくらいで」と遺族に聞き返したうえで、「私がやられた方が多い。しかたないと思っています」と答えました。

 また被告が、事件のあと山中で自殺を図ろうとしたことについて、「いまも死にたいと思うか」という遺族からの質問に対して、「思わない。刑務所にいた方がよほどいい。守ってもらっている感じがする」と話しました。

 裁判は7日、精神鑑定を担当した2人の医師に対する証人尋問が行われる予定です。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/392847b0c012c91ff54e64a6d04eca45

山口 周南 5人殺害・放火事件 保見光成被告 第8回公判 2015/7/7 医師に対する証人尋問

2015-07-07


精神鑑定した医師が証言
 NHK NEWS WEB 山口放送局 07月07日 21時10分

 周南市で男女5人を殺害したなどとして殺人と放火の罪に問われている保見光成被告の裁判員裁判で、精神鑑定を行った2人の医師が証言しました。

 保見光成被告(65)はおととし7月、周南市の山あいの集落でみずから作った木の棒で近所の男女5人の頭などを殴って殺害し住宅2棟を全焼させたとして、殺人と放火の罪に問われています。

 争点となっている被告の責任能力について妄想性障害という結果が出されていて検察は「完全責任能力があった」と主張しているのに対し、弁護側は「責任能力を失っていた」と無罪を主張しています。

 7日の裁判では被告の精神鑑定を担当した2人の医師が証言しました。

 このうち保見被告が起訴された後に鑑定にあたった医師は、妄想性障害と診断した理由として「自分の考えが正しいと決めつける被告のもともとの性格や10年前に両親を失い、集落で孤立していった周囲の環境が影響している。思い込みが孤立を深め、孤立が新たな思い込みを生んだ」と証言しました。

 その上で、被告が逮捕された当時認めていた事件への関与について「足をたたいたが頭などはたたいていない」などと裁判の中で否定していることについて、嘘を言っているのではなく頭の中にある内容そのものが思い込みなどで変わってきているためだと指摘しました。

 また、起訴前に行われた鑑定を担当した医師は「当時は精神障害は認められず、責任能力への影響はなかった」と異なる結果を示しました。

 その上で起訴後の鑑定結果について意見を求められると「鑑定の時期が違い『真犯人がいる』といった被告の陳述が変わってきているため妄想性障害という結論は妥当といえる」と証言しました。

 裁判は今月8日、証人尋問が行われたあと10日、検察による論告求刑が行われます。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/67b6b9f2dedce9db2ede83f4c608c545


26. 中川隆 2015年7月30日 07:53:24 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

【裁判】保見光成被告に死刑判決 山口・周南の5人殺害 [転載禁止]©2ch.net

1 :孤高の旅人 ★:2015/07/28(火) 16:01:09.23 ID:???

保見光成被告に死刑判決 山口・周南の5人殺害

 山口県周南市で2013年7月、5人を殺し、住宅2軒に火をつけたとして、殺人と
非現住建造物等放火の罪に問われた同市金峰(みたけ)、無職保見光成
(ほみこうせい)被告(65)の裁判員裁判の判決が28日、山口地裁であった。
大寄淳裁判長は求刑通り、死刑を言い渡した。

 起訴状によると、保見被告は13年7月21日午後6時半〜翌22日午前6時ごろ、
同じ集落に住む71〜80歳の男女5人を手製の木の棒で殴って殺し、住宅2軒に
火を放ったとされる。

 保見被告は公判で起訴内容を全面的に否認し、無罪を主張した。検察側は被害者と
トラブルを抱えていたとして殺人と放火の犯人は被告としたが、弁護側は決定的な
証拠がないとしていずれも無罪を訴えた。

 一方、検察側は被告に妄想を抱える「妄想性障害」があることを認めたが、
責任能力はあったと主張。弁護側は障害の影響は重大で、責任能力が失われた
「心神喪失」か、著しく低下した「心神耗弱」の状態だったと訴えた。

6 :名無しさん@1周年:2015/07/28(火) 16:03:35.22 ID:zvrj5WGC0

これのどこまでが事実なのか


・親の介護のため44歳で帰省してから村人のあらゆる雑用をずっとさせられる
・一番若いからという理由で草刈を全部一人でやらされる
 ⇒自費で買った草刈り機を燃やされる
・近隣住民に物を取られる
・自宅に火をつけられる
・集会で胸をサされる
・先祖の墓が倒される
・退職金を配るよう強要される
・村おこしを反対される
・農薬を撒かれる⇒愛犬一匹目亡くなる
・カツヲ捕まった直後に愛犬二匹目亡くなる


33 :名無しさん@1周年:2015/07/28(火) 16:09:18.19 ID:CNQ0/Woi0
>>6
田舎の村なんてこんなもんだ。

知り合いの住んでた田舎は、村長に10代の娘差し出して猥褻行為させてた。


188 :名無しさん@1周年:2015/07/28(火) 17:08:03.05 ID:hggLJeIm0

田舎の人間は特定の人間に嫌がらせをして後は黙ってる。
そしてやられた人間がトラブルを起こすのをひたすらじっと待つ手法をとるわ。
今回はやる相手が間違ったな。

603 :名無しさん@1周年:2015/07/28(火) 21:39:41.69 ID:74UK4DIj0

5人を殺し放火もした保見が逮捕されたとき、 村人がつぶやいた

「まだ終わってはいない」

背後にあるものが横溝正史の小説のようなんでゾ〜〜とした。

689 :名無しさん@1周年:2015/07/29(水) 00:42:59.80 ID:cYMZ9FwXO

法律よりも優先される村特有の掟や暗黙のルールがあったりするしな
それを知らずに一度でも村民の気を悪くしてしまうと
一生村八分状態になる
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1438066869/


27. 中川隆[-7776] koaQ7Jey 2017年5月03日 07:31:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


28. 中川隆[-9122] koaQ7Jey 2019年7月12日 13:28:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3566] 報告

ルポ「つけびの村」01/06 〜山口連続放火殺人事件の因縁を追う〜 2018/07/23
https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

 第23回参議院選挙投票日の2013年7月21日。前月からの猛暑が続く山口県周南市・須金(すがね)・金峰(みたけ)地区の郷(ごう)には、この日も朝から強い日差しが降り注いでいた。そよ風すら吹いていないのはいつものことだ。8世帯12人が暮らす小さな山村は、周南市街地から16キロほどしか離れていないが、半数以上が高齢者のいわゆる限界集落になる。

 隣の菅蔵(すげぞう)集落の田村勝志さん(仮名)は、集会場『金峰 杣(そま)の里交流館』で投票を済ませた。その帰りに声をかけて来たのは、義理の妹に当たる山本ミヤ子さん(79歳=当時・以下同)だった。彼女の夫は田村さんの弟にあたるが、先立たれ、一人暮らしをしていた。

「ちょっとコーヒーでも飲んで帰らんね」

 縁側で一緒にアイスコーヒーを飲んでいると、隣の家からいきなり大音量でカラオケが流れ、そこに住む男の歌声が聞こえてきた。隣では最近、朝10時と夕方5時に、カラオケが始まるのだ。周辺に気を使って窓を閉めることもせず、窓を開け放ち、歌を集落中に響かせる。いつものことなので、驚くでもなく、田村さんは男が歌う昔の流行歌を聴きながら、コーヒーを飲み干して、山本さんと別れた。
 帰りの道沿いにある、貞森誠さんと妻の喜代子さんが住んでいる一軒家を通り過ぎた。誠さんは71歳、集落の中では中堅の年齢だが、数年前から癌を患い、1歳年上の喜代子さんが自宅で誠さんの看病をしている。さきほどの男の歌声は、この家の前を通るときも聞こえていた。

 山本さんはこのあと、同じ集落の石村文人さん(80)とラウンドゴルフに出かけた。いつもの日曜日。夜から始まる惨劇を、集落のものは誰も想像すらしていなかっただろう。
 ただひとり、カラオケの男≠除いては。

 長閑な村の様相が一変したのはその日の20時59分。

「貞森さんの家が、真っ赤っかになっとる!」

 さきほどの夫婦が住む家から煌々と火が上がるのを目撃した近所の住民は、慌てて119番通報をした。

 ところが電話を切って外に出ると、もう一つ別の家が燃えていることに気がついた。

「山本さんの家も、メラメラ燃えとる」

 別の住民が21時5分ごろ、石村文人さんに電話をかけた。だが応答はなかった。
 集落では二軒の家の消火活動が行われ、22時14分、ようやく鎮火した。貞森さんの家からは誠さんと喜代子さんの遺体が、山本さんの家からはミヤ子さんの遺体が発見される。誠さんの遺体は足がもげていた。消防団が焼け跡をかき分け、片足を探した。

 この2軒が燃えたことに、村人たちは皆「何かおかしい」と感じていた。ふたつの家は70メートルほど離れていて、間に燃えるものもないからだ。

「なんでこんなことに」
「放火じゃなかろうか」

 集まった村人たちは口々にそう言い合った。とはいえ、翌日から現場検証が行われる。火災の原因もじきに分かるだろう。

 投票場だった『金峰杣の里交流館』の、はす向かいに住んでいた吉本茜さん(仮名)から連絡を受けた河村聡子さん(73)は、吉本さんの家で一緒に消防団にお茶や水を出すなどの世話に追われていた。夫の二次男さんは、友人たちと愛媛に旅行へ行っていた。

「貞森さんの家族に連絡せにゃならんね」

 吉本さんと聡子さんは、そんな話をした。

 県警の緊急配備が解かれたのち、消防団が引き上げ、片付けが終わったのが1時半。日付はすでに変わっていた。それから家に帰り、風呂に入って寝る支度を整えてから、一階の居間で二次男さんに宛てて火事のことをノートに書き置きした。大変な1日を終え、聡子さんは二階の寝室に向かった。

 だがその聡子さんも昼前に、遺体で発見される。遠方に住む娘が自宅を訪ね、二階に血まみれで倒れている聡子さんを見つけたのだった。夜から連絡がつかなかった石村さんも、その数分後、自宅を訪れた県警に遺体で発見される。すぐに、村の入り口に黄色いテープの規制線が貼られた。現場検証が始まる。

「2軒の火災による3人の死亡」が、「5人の連続放火殺人」に姿を変えた瞬間だった。

 県警はこの時点で、昨晩から自宅におらず、連絡もつかないカラオケの男≠重要参考人と睨み、その自宅を捜索。男の行方を追った。二台の車はガレージにある。遠くには行っていないだろう。

 5人は全員、撲殺されていた。遺体に共通していたのは頭部の陥没骨折、そして足の殴打痕。加えて『口の中に何かを突っ込まれた』形跡があったことだ。

 貞森さん夫妻と山本さん、3人の遺体は黒く焼け焦げ、確認のために山本さんの遺体を警察から見せられた息子は、どっちが頭なのか足なのか分からなかったほどだという。のちに司法解剖が行われ、頭蓋骨の陥没骨折や、顔に皮下出血が認められ、頭部や顔を鈍器のようなもので激しく殴られて殺害されたことがわかった。

 石村さんの遺体にも同じく、後頭部や膝の裏を激しく殴打された痕が見られた。口の中にも損傷があり、何か棒のようなものを突っ込まれた形跡があった。

 聡子さんも同様だ。首の後ろを激しく殴られたことが致命傷とみられている。その口の中は血まみれで、前歯が折れていた。

「家で寝ちょったら殺されるかもしれん」 

 連続殺人であることを悟った村人たちは怖がった。県警は、さらなる犠牲者が出ることを防ぐため、村人たちを投票場だった『金峰杣の里交流館』に避難させる。そこで寝泊りを始めた村人たちにとっては、参院選の投票結果など、最早どうでもよいことになっていた。集会場の外では投入された県警の捜査員約400名が村中を周り、男の行方を探し続けている。村の入り口に張られた規制線の外には、おびただしい数のテレビ中継車が並び、上空には報道ヘリが飛び交っていた。

 一度に5人が殺害されるという大事件が発生した村には、地元だけでなく東京からも多くの記者が詰めかけたが、そんな彼らが何よりも注目したのは、カラオケの男≠フ家のガラス窓に貼られた不気味な『貼り紙』だった。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」

 山口県周南市金峰(みたけ)で21日夜、全焼した民家2軒から3人の遺体が見つかり、翌22日に別の民家2軒から新たに2人の遺体が見つかった事件で、火災現場で見つかった3人はいずれも頭部に外傷があり、ほぼ出火と同じ時刻ごろまでに死亡していたことが、司法解剖の結果わかった。県警は、3人が殺された後、放火されたとみている。

 県警は22日、5人が殺害された連続殺人・放火事件と断定し、周南署に捜査本部を設けた。県警は同じ集落に住む男が何らかの事情を知っているとみて、自宅を殺人と非現住建造物等放火の疑いで捜索した。男は行方がわからなくなっている。
 全焼した山本さん宅の隣の民家には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と、放火をほのめかすような貼り紙があった。(2013年7月23日 朝日新聞朝刊)

 14人が暮らす集落で5人の遺体が次々と見つかった。携帯電話も通じない、山口県周南市の山間部で起きた事件。「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」。全焼した民家の隣に住む男は所在不明で、自宅には放火をほのめかす貼り紙も残る。「家族のよう」と言われる山里で、何が起きたのだろうか。(2013年7月23日 四国新聞朝刊)

 警察は山本さんの住宅の隣に住む男が、2つの住宅に火をつけた疑いがあるとして、殺人と放火の疑いで男の自宅を捜索しました。

 その際に室内から外に見える形で窓に貼り紙があり、紙には「つけびして煙り喜ぶ田舎者」と書かれていました。

 男は、現在、行方が分からなくなっていて、警察は貼り紙の内容が放火への関与を示すものとみて、男の行方を捜査するとともに、一連の事件との関連について調べています。(2013年7月22日 NHKニュース)

 村の3分の1以上が殺害され、姿を消した男の家には不気味な貼り紙。「平成の八つ墓村」などとネットでも騒がれ始めた。まさか自分の村がこんな言われようをするとは、村人たちは前日まで誰も考えたことすらなかっただろう。

 事件発生から4日が経った7月25日。警察は山中で男の携帯電話や、男性用のズボン、そしてシャツを発見。さらにその翌日朝、発見現場付近を捜索していた機動隊員が林道沿いで男を見つけた。Tシャツとパンツの下着姿で、靴も履いていない。

「ホミさんですか?」

 近づきながら機動隊員が声を掛けると、男はその場にしゃがみ込み言った。

「そうです」

 抵抗することもなく県警の任意同行に応じ、逮捕されたそのカラオケの男≠ヘ、郷集落の住民の一人、保見光成(ほみ こうせい)(当時63歳)という。

 その後、県警は山中で、側面に「ホミ」と彫られたICレコーダーを発見した。息を切らしたような雑音の中、こんな言葉が録音されていた。

「ポパイ、ポパイ、幸せになってね、ポパイ。いい人間ばっかし思ったらダメよ……。
 オリーブ、幸せにね、ごめんね、ごめんね、ごめんね。
 噂話ばっかし、噂話ばっかし。
 田舎には娯楽はないんだ、田舎には娯楽はないんだ。ただ悪口しかない。
 お父さん、お母さん、ごめん。お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、ごめんね。……さん、ごめんなさい……。
 これから死にます。犬のことは、大きな犬はオリーブです」


 保見光成の家のガラス窓にあった、この貼り紙。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」

 県警が保見を捜索している段階から、これはカラオケの男≠ノよる犯行予告なのではないか、と騒がれていた。「放火をほのめかす貼り紙」「不審なメッセージ」などと、テレビや新聞は何度も取り上げた。

 だが、それは決意表明でもなければ犯行予告でもなかったのである。

金峰行きの経緯

 そのことを知ったのは、事件から3年半が経った2017年1月。取材のために金峰地区を訪れたときだ。

 私は東京で週刊誌の記者として稼働しながら、主に殺人事件の公判を取材するフリーライターとして活動していた。取材に出向くひと月前、ある月刊誌の編集者が『山口連続殺人事件』について改めて取材して記事を書いてみないかと声をかけてくれたのだった。

 すでに保見は5件の殺人と2件の現住建造物等放火で起訴、山口地方裁判所での一審公判も、広島高等裁判所での控訴審も判決が言い渡されており、事件は最高裁に係属していた。このときも、今もである。

 逮捕当初こそ「殺害して、その後、火をつけた。私がやりました」と犯行を認めていた保見は、2015年6月25日、山口地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判でこれを翻し「火はつけていません。頭をたたいてもいません。私は無実です」と無罪を主張した。

 大量殺人を犯したとされる被疑者は、精神的な問題がないかを起訴前に鑑定し、問題がない、つまり事件当時に完全責任能力を有していたと判断されたのちに起訴されるという流れが出来ていた。この鑑定を起訴前鑑定という。さらに起訴後の公判前整理手続という非公開の手続きにおいて、争点が責任能力であるとなれば、改めて精神鑑定が行われることになる。これを本鑑定と呼ぶ。

 保見に対しては一審が開かれる前に、この2つの鑑定が行われた。起訴前鑑定では事件当時の保見は「完全責任能力」があると判断されたが、起訴後に本鑑定が行われ『妄想性障害』と判断されていた。

 これをもって、一審公判で弁護側は責任能力について「心神喪失」もしくは「心神耗弱」を主張した。それに加えて保見は放火も殺人も、自分がやったのではない、と、犯人であること自体を否認したのである。だが同年7月28日の判決公判で山口地裁は保見に「死刑」を言い渡した。『妄想性障害』は認めたが、完全責任能力は有していたという判断だった。また放火も殺人も、犯人は保見以外に考えられないと認定された。

 妄想性障害をめぐる責任能力については、山口地裁は判決で次のように述べている。

「鑑定人によると、被告は両親が他界した2004年ごろから、近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった。こうした妄想を長く持ち続けており当時、妄想性障害だったと診断できる。『自分が正しい』と発想しやすい性格傾向と、周囲から孤立した環境が大きく関係し、妄想を持つようになった。

 この鑑定は合理的であり、これを基に責任能力を検討すると、被告が当時、自己の行為が犯罪であるという認識を十分有していたことは明らか。凶器となる棒を携えて各被害者宅を訪れ、殺害後に自殺しようと山中に入っており、善悪を認識する能力も、その認識に基づいて行動する能力も欠如したり、著しく減退したりしていない。被告は当時、完全責任能力を有していた」

 保見はこれを不服として即日控訴。2016年7月25日、広島高等裁判所で控訴審の第一回公判が開かれたが、弁護側の請求証拠はすべて却下されて即日結審し、同年9月13日、控訴棄却。その翌日、保見側は上告した。

 判決では本鑑定の結果に基づき「近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった」と認定されているが、これには疑問があった。事件発生当初から、保見は集落の村人たちから村八分≠ノされていたのではないかという疑惑があったからだ。

 金峰の郷集落で生まれ育った保見は中学卒業後に上京し、長らく関東で働いていたが、90年代にUターンしてきた。しかし村人たちの輪に溶け込めず「草刈機を燃やされる」「庭に除草剤を撒かれる」「『犬が臭い』と文句を言われる」などの出来事が起こっていたのだと『女性セブン』(小学館)2013年8月15日号は報じていた。また被害者のひとりである貞森誠さんが、かつて保見を刺したことがあるという、気がかりな情報もあった。「みんな仲良しなのに、1人だけ浮いた存在」。保見の逮捕直後、新聞のインタビューに近隣住民がこうも語っていた。

 保見はICレコーダーに「周りから意地悪ばかりされた」と吹き込んでいたが、これは妄想などではなく、本当なのではないか――。

 そのようなことを思っていたが、この時の目的は少し違っていた。私に声をかけてきてくれた月刊誌の編集者は、金峰地区における夜這い風習≠ノついて取材をしてきてほしい、と頼んできたのだ。彼は私にある記事を手渡した。

 それは『週刊新潮』2016年10月20日号(新潮社)に掲載されていた山口連続殺人事件にまつわるものだった。あるジャーナリストが、広島拘置所に収監されている保見に面会取材を行い、逮捕当時に大きく報じられていた「村八分」の発端となる『ある事件』について話を聞いたというのだ。

 読めば、金峰地区には夜這い≠フ風習があり、戦中に一人だけ徴兵を免れた村人が、女たちを強姦してまわっていたという。そして、この村人が保見の母親を犯そうとしたとき、それを止めて追い払った人物が、保見光成と二十歳近く年の離れた実兄なのだ、と。

「これを、ちょっと行って来て、確かめてもらえる?」

 とその編集者は言う。

 私は保見の公判を傍聴に行きたいと一審の当時思っていたが子供が産まれたばかりだったため、長期間家を空けることができず、諦めたという経緯があった。編集者とはその話も過去にしていた。おそらくそれを覚えていて、話を振ってくれたのだろう。二つ返事で引き受けた。

 とはいいながらも、取材を終えてその結果を世に出せば、世に出ている記事の検証取材であるから、ややこしいことになる、という予感は最初からあった。しかも取材の目的が「金峰に夜這いの風習があったかどうか、確かめる」というもの。行くとは決めたものの、多忙な夫に子供を預け、遠路はるばる山口県周南市の山奥まで出向き、夜這いについて村人に話を聞いて回る……。
「夜這いの取材かぁ……」

 ノートパソコンを開いて取材前の情報収集をしながら、年末の夜中にリビングでひとり思わず呟いてしまった。この21世紀に夜這いの取材。ちゃんと話が取れるのかと不安になる。だが引き受けたからにはやらねばならない。それに件の記事には、保見へのいじめ≠ヘ存在し、その発端が戦中の強姦未遂事件≠ナあると記されているのだから、それを確かめることは、一応いじめ≠ノ絡む取材ではある。西に向かう新幹線の中で私は腹を決めた。

 民俗学者らの文献や、伝承ものの書籍には、夜這いについての記述はいくつもある。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)に収録されている「土佐源氏」は現在の高知県檮原町で乞食小屋に住む元ばくろうの老人≠ゥら聞き取った昔話で構成されているが、この老人の父親は、母の夜這いの相手≠セった。同じく同書収録の「世間師」では、宮本の故郷である周防大島でふたりの老人から聞き取りを行っている。このうちひとりは長州征伐のあった1865年に14歳だったという男性だが「戸締りが厳重になったため、娘のところへ夜這いに行けなくなってしまった」とある。

 同じく民俗学者の赤松啓介は『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(ちくま学芸文庫)で実際に様々な村へ足を運び、時に村のコミュニティに入り込んで、夜這いについて聞き取りを重ねている。また、ともに夫の転勤で徳山に来たという向谷喜久江・島利栄子によって記された『よばいのあったころ 証言・周防の性風俗』(マツノ書店)では、山口における夜這い文化について、老人たちに聞き取りを行なっているが、ここには「山間部の部落には、若衆宿が、昭和の初めごろまであった」とある。若衆宿とはその集落で一定の年齢に達した男子たちが集まる場所で、規律や生活上のルールに加え性的な事柄も伝えられていた一種の教育施設だ。こうした文献に照らせば、金峰地区にかつて夜這い文化があったとしても全く不思議ではない。だが戦中まで、となるとどうか。

(続く)
https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6

29. 中川隆[-9121] koaQ7Jey 2019年7月12日 13:34:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3567] 報告

ルポ「つけびの村」01/06 〜山口連続放火殺人事件の因縁を追う〜 2018/07/23 https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

 第23回参議院選挙投票日の2013年7月21日。前月からの猛暑が続く山口県周南市・須金(すがね)・金峰(みたけ)地区の郷(ごう)には、この日も朝から強い日差しが降り注いでいた。そよ風すら吹いていないのはいつものことだ。8世帯12人が暮らす小さな山村は、周南市街地から16キロほどしか離れていないが、半数以上が高齢者のいわゆる限界集落になる。

 隣の菅蔵(すげぞう)集落の田村勝志さん(仮名)は、集会場『金峰 杣(そま)の里交流館』で投票を済ませた。その帰りに声をかけて来たのは、義理の妹に当たる山本ミヤ子さん(79歳=当時・以下同)だった。彼女の夫は田村さんの弟にあたるが、先立たれ、一人暮らしをしていた。

「ちょっとコーヒーでも飲んで帰らんね」

 縁側で一緒にアイスコーヒーを飲んでいると、隣の家からいきなり大音量でカラオケが流れ、そこに住む男の歌声が聞こえてきた。隣では最近、朝10時と夕方5時に、カラオケが始まるのだ。周辺に気を使って窓を閉めることもせず、窓を開け放ち、歌を集落中に響かせる。いつものことなので、驚くでもなく、田村さんは男が歌う昔の流行歌を聴きながら、コーヒーを飲み干して、山本さんと別れた。
 帰りの道沿いにある、貞森誠さんと妻の喜代子さんが住んでいる一軒家を通り過ぎた。誠さんは71歳、集落の中では中堅の年齢だが、数年前から癌を患い、1歳年上の喜代子さんが自宅で誠さんの看病をしている。さきほどの男の歌声は、この家の前を通るときも聞こえていた。

 山本さんはこのあと、同じ集落の石村文人さん(80)とラウンドゴルフに出かけた。いつもの日曜日。夜から始まる惨劇を、集落のものは誰も想像すらしていなかっただろう。

 ただひとり、カラオケの男≠除いては。

 長閑な村の様相が一変したのはその日の20時59分。
「貞森さんの家が、真っ赤っかになっとる!」
 さきほどの夫婦が住む家から煌々と火が上がるのを目撃した近所の住民は、慌てて119番通報をした。
 ところが電話を切って外に出ると、もう一つ別の家が燃えていることに気がついた。
「山本さんの家も、メラメラ燃えとる」
 別の住民が21時5分ごろ、石村文人さんに電話をかけた。だが応答はなかった。
 集落では二軒の家の消火活動が行われ、22時14分、ようやく鎮火した。貞森さんの家からは誠さんと喜代子さんの遺体が、山本さんの家からはミヤ子さんの遺体が発見される。誠さんの遺体は足がもげていた。消防団が焼け跡をかき分け、片足を探した。
 この2軒が燃えたことに、村人たちは皆「何かおかしい」と感じていた。ふたつの家は70メートルほど離れていて、間に燃えるものもないからだ。
「なんでこんなことに」
「放火じゃなかろうか」
 集まった村人たちは口々にそう言い合った。とはいえ、翌日から現場検証が行われる。火災の原因もじきに分かるだろう。
 投票場だった『金峰杣の里交流館』の、はす向かいに住んでいた吉本茜さん(仮名)から連絡を受けた河村聡子さん(73)は、吉本さんの家で一緒に消防団にお茶や水を出すなどの世話に追われていた。夫の二次男さんは、友人たちと愛媛に旅行へ行っていた。
「貞森さんの家族に連絡せにゃならんね」
 吉本さんと聡子さんは、そんな話をした。

 県警の緊急配備が解かれたのち、消防団が引き上げ、片付けが終わったのが1時半。日付はすでに変わっていた。それから家に帰り、風呂に入って寝る支度を整えてから、一階の居間で二次男さんに宛てて火事のことをノートに書き置きした。大変な1日を終え、聡子さんは二階の寝室に向かった。
 だがその聡子さんも昼前に、遺体で発見される。遠方に住む娘が自宅を訪ね、二階に血まみれで倒れている聡子さんを見つけたのだった。夜から連絡がつかなかった石村さんも、その数分後、自宅を訪れた県警に遺体で発見される。すぐに、村の入り口に黄色いテープの規制線が貼られた。現場検証が始まる。
「2軒の火災による3人の死亡」が、「5人の連続放火殺人」に姿を変えた瞬間だった。
 県警はこの時点で、昨晩から自宅におらず、連絡もつかないカラオケの男≠重要参考人と睨み、その自宅を捜索。男の行方を追った。二台の車はガレージにある。遠くには行っていないだろう。
 5人は全員、撲殺されていた。遺体に共通していたのは頭部の陥没骨折、そして足の殴打痕。加えて『口の中に何かを突っ込まれた』形跡があったことだ。
 貞森さん夫妻と山本さん、3人の遺体は黒く焼け焦げ、確認のために山本さんの遺体を警察から見せられた息子は、どっちが頭なのか足なのか分からなかったほどだという。のちに司法解剖が行われ、頭蓋骨の陥没骨折や、顔に皮下出血が認められ、頭部や顔を鈍器のようなもので激しく殴られて殺害されたことがわかった。
 石村さんの遺体にも同じく、後頭部や膝の裏を激しく殴打された痕が見られた。口の中にも損傷があり、何か棒のようなものを突っ込まれた形跡があった。
 聡子さんも同様だ。首の後ろを激しく殴られたことが致命傷とみられている。その口の中は血まみれで、前歯が折れていた。
「家で寝ちょったら殺されるかもしれん」 
 連続殺人であることを悟った村人たちは怖がった。県警は、さらなる犠牲者が出ることを防ぐため、村人たちを投票場だった『金峰杣の里交流館』に避難させる。そこで寝泊りを始めた村人たちにとっては、参院選の投票結果など、最早どうでもよいことになっていた。集会場の外では投入された県警の捜査員約400名が村中を周り、男の行方を探し続けている。村の入り口に張られた規制線の外には、おびただしい数のテレビ中継車が並び、上空には報道ヘリが飛び交っていた。
 一度に5人が殺害されるという大事件が発生した村には、地元だけでなく東京からも多くの記者が詰めかけたが、そんな彼らが何よりも注目したのは、カラオケの男≠フ家のガラス窓に貼られた不気味な『貼り紙』だった。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」

 山口県周南市金峰(みたけ)で21日夜、全焼した民家2軒から3人の遺体が見つかり、翌22日に別の民家2軒から新たに2人の遺体が見つかった事件で、火災現場で見つかった3人はいずれも頭部に外傷があり、ほぼ出火と同じ時刻ごろまでに死亡していたことが、司法解剖の結果わかった。県警は、3人が殺された後、放火されたとみている。
 県警は22日、5人が殺害された連続殺人・放火事件と断定し、周南署に捜査本部を設けた。県警は同じ集落に住む男が何らかの事情を知っているとみて、自宅を殺人と非現住建造物等放火の疑いで捜索した。男は行方がわからなくなっている。
 全焼した山本さん宅の隣の民家には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と、放火をほのめかすような貼り紙があった。(2013年7月23日 朝日新聞朝刊)

 14人が暮らす集落で5人の遺体が次々と見つかった。携帯電話も通じない、山口県周南市の山間部で起きた事件。「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」。全焼した民家の隣に住む男は所在不明で、自宅には放火をほのめかす貼り紙も残る。「家族のよう」と言われる山里で、何が起きたのだろうか。(2013年7月23日 四国新聞朝刊)

 警察は山本さんの住宅の隣に住む男が、2つの住宅に火をつけた疑いがあるとして、殺人と放火の疑いで男の自宅を捜索しました。
 その際に室内から外に見える形で窓に貼り紙があり、紙には「つけびして煙り喜ぶ田舎者」と書かれていました。
 男は、現在、行方が分からなくなっていて、警察は貼り紙の内容が放火への関与を示すものとみて、男の行方を捜査するとともに、一連の事件との関連について調べています。(2013年7月22日 NHKニュース)

 村の3分の1以上が殺害され、姿を消した男の家には不気味な貼り紙。「平成の八つ墓村」などとネットでも騒がれ始めた。まさか自分の村がこんな言われようをするとは、村人たちは前日まで誰も考えたことすらなかっただろう。
 事件発生から4日が経った7月25日。警察は山中で男の携帯電話や、男性用のズボン、そしてシャツを発見。さらにその翌日朝、発見現場付近を捜索していた機動隊員が林道沿いで男を見つけた。Tシャツとパンツの下着姿で、靴も履いていない。
「ホミさんですか?」
 近づきながら機動隊員が声を掛けると、男はその場にしゃがみ込み言った。
「そうです」
 抵抗することもなく県警の任意同行に応じ、逮捕されたそのカラオケの男≠ヘ、郷集落の住民の一人、保見光成(ほみ こうせい)(当時63歳)という。
 その後、県警は山中で、側面に「ホミ」と彫られたICレコーダーを発見した。息を切らしたような雑音の中、こんな言葉が録音されていた。
「ポパイ、ポパイ、幸せになってね、ポパイ。いい人間ばっかし思ったらダメよ……。
 オリーブ、幸せにね、ごめんね、ごめんね、ごめんね。
 噂話ばっかし、噂話ばっかし。
 田舎には娯楽はないんだ、田舎には娯楽はないんだ。ただ悪口しかない。
 お父さん、お母さん、ごめん。お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん、ごめんね。……さん、ごめんなさい……。
 これから死にます。犬のことは、大きな犬はオリーブです」

 保見光成の家のガラス窓にあった、この貼り紙。
「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」
 県警が保見を捜索している段階から、これはカラオケの男≠ノよる犯行予告なのではないか、と騒がれていた。「放火をほのめかす貼り紙」「不審なメッセージ」などと、テレビや新聞は何度も取り上げた。
 だが、それは決意表明でもなければ犯行予告でもなかったのである。

金峰行きの経緯

 そのことを知ったのは、事件から3年半が経った2017年1月。取材のために金峰地区を訪れたときだ。
 私は東京で週刊誌の記者として稼働しながら、主に殺人事件の公判を取材するフリーライターとして活動していた。取材に出向くひと月前、ある月刊誌の編集者が『山口連続殺人事件』について改めて取材して記事を書いてみないかと声をかけてくれたのだった。
 すでに保見は5件の殺人と2件の現住建造物等放火で起訴、山口地方裁判所での一審公判も、広島高等裁判所での控訴審も判決が言い渡されており、事件は最高裁に係属していた。このときも、今もである。
 逮捕当初こそ「殺害して、その後、火をつけた。私がやりました」と犯行を認めていた保見は、2015年6月25日、山口地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判でこれを翻し「火はつけていません。頭をたたいてもいません。私は無実です」と無罪を主張した。
 大量殺人を犯したとされる被疑者は、精神的な問題がないかを起訴前に鑑定し、問題がない、つまり事件当時に完全責任能力を有していたと判断されたのちに起訴されるという流れが出来ていた。この鑑定を起訴前鑑定という。さらに起訴後の公判前整理手続という非公開の手続きにおいて、争点が責任能力であるとなれば、改めて精神鑑定が行われることになる。これを本鑑定と呼ぶ。
 保見に対しては一審が開かれる前に、この2つの鑑定が行われた。起訴前鑑定では事件当時の保見は「完全責任能力」があると判断されたが、起訴後に本鑑定が行われ『妄想性障害』と判断されていた。
 これをもって、一審公判で弁護側は責任能力について「心神喪失」もしくは「心神耗弱」を主張した。それに加えて保見は放火も殺人も、自分がやったのではない、と、犯人であること自体を否認したのである。だが同年7月28日の判決公判で山口地裁は保見に「死刑」を言い渡した。『妄想性障害』は認めたが、完全責任能力は有していたという判断だった。また放火も殺人も、犯人は保見以外に考えられないと認定された。
 妄想性障害をめぐる責任能力については、山口地裁は判決で次のように述べている。
「鑑定人によると、被告は両親が他界した2004年ごろから、近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった。こうした妄想を長く持ち続けており当時、妄想性障害だったと診断できる。『自分が正しい』と発想しやすい性格傾向と、周囲から孤立した環境が大きく関係し、妄想を持つようになった。
 この鑑定は合理的であり、これを基に責任能力を検討すると、被告が当時、自己の行為が犯罪であるという認識を十分有していたことは明らか。凶器となる棒を携えて各被害者宅を訪れ、殺害後に自殺しようと山中に入っており、善悪を認識する能力も、その認識に基づいて行動する能力も欠如したり、著しく減退したりしていない。被告は当時、完全責任能力を有していた」
 保見はこれを不服として即日控訴。2016年7月25日、広島高等裁判所で控訴審の第一回公判が開かれたが、弁護側の請求証拠はすべて却下されて即日結審し、同年9月13日、控訴棄却。その翌日、保見側は上告した。
 判決では本鑑定の結果に基づき「近隣住民が自分のうわさや挑発行為、嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった」と認定されているが、これには疑問があった。事件発生当初から、保見は集落の村人たちから村八分≠ノされていたのではないかという疑惑があったからだ。

 金峰の郷集落で生まれ育った保見は中学卒業後に上京し、長らく関東で働いていたが、90年代にUターンしてきた。しかし村人たちの輪に溶け込めず「草刈機を燃やされる」「庭に除草剤を撒かれる」「『犬が臭い』と文句を言われる」などの出来事が起こっていたのだと『女性セブン』(小学館)2013年8月15日号は報じていた。また被害者のひとりである貞森誠さんが、かつて保見を刺したことがあるという、気がかりな情報もあった。「みんな仲良しなのに、1人だけ浮いた存在」。保見の逮捕直後、新聞のインタビューに近隣住民がこうも語っていた。
 保見はICレコーダーに「周りから意地悪ばかりされた」と吹き込んでいたが、これは妄想などではなく、本当なのではないか――。
 そのようなことを思っていたが、この時の目的は少し違っていた。私に声をかけてきてくれた月刊誌の編集者は、金峰地区における夜這い風習≠ノついて取材をしてきてほしい、と頼んできたのだ。彼は私にある記事を手渡した。
 それは『週刊新潮』2016年10月20日号(新潮社)に掲載されていた山口連続殺人事件にまつわるものだった。あるジャーナリストが、広島拘置所に収監されている保見に面会取材を行い、逮捕当時に大きく報じられていた「村八分」の発端となる『ある事件』について話を聞いたというのだ。
 読めば、金峰地区には夜這い≠フ風習があり、戦中に一人だけ徴兵を免れた村人が、女たちを強姦してまわっていたという。そして、この村人が保見の母親を犯そうとしたとき、それを止めて追い払った人物が、保見光成と二十歳近く年の離れた実兄なのだ、と。
「これを、ちょっと行って来て、確かめてもらえる?」
 とその編集者は言う。
 私は保見の公判を傍聴に行きたいと一審の当時思っていたが子供が産まれたばかりだったため、長期間家を空けることができず、諦めたという経緯があった。編集者とはその話も過去にしていた。おそらくそれを覚えていて、話を振ってくれたのだろう。二つ返事で引き受けた。
 とはいいながらも、取材を終えてその結果を世に出せば、世に出ている記事の検証取材であるから、ややこしいことになる、という予感は最初からあった。しかも取材の目的が「金峰に夜這いの風習があったかどうか、確かめる」というもの。行くとは決めたものの、多忙な夫に子供を預け、遠路はるばる山口県周南市の山奥まで出向き、夜這いについて村人に話を聞いて回る……。
「夜這いの取材かぁ……」
 ノートパソコンを開いて取材前の情報収集をしながら、年末の夜中にリビングでひとり思わず呟いてしまった。この21世紀に夜這いの取材。ちゃんと話が取れるのかと不安になる。だが引き受けたからにはやらねばならない。それに件の記事には、保見へのいじめ≠ヘ存在し、その発端が戦中の強姦未遂事件≠ナあると記されているのだから、それを確かめることは、一応いじめ≠ノ絡む取材ではある。西に向かう新幹線の中で私は腹を決めた。

 民俗学者らの文献や、伝承ものの書籍には、夜這いについての記述はいくつもある。宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)に収録されている「土佐源氏」は現在の高知県檮原町で乞食小屋に住む元ばくろうの老人≠ゥら聞き取った昔話で構成されているが、この老人の父親は、母の夜這いの相手≠セった。同じく同書収録の「世間師」では、宮本の故郷である周防大島でふたりの老人から聞き取りを行っている。このうちひとりは長州征伐のあった1865年に14歳だったという男性だが「戸締りが厳重になったため、娘のところへ夜這いに行けなくなってしまった」とある。
 同じく民俗学者の赤松啓介は『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(ちくま学芸文庫)で実際に様々な村へ足を運び、時に村のコミュニティに入り込んで、夜這いについて聞き取りを重ねている。また、ともに夫の転勤で徳山に来たという向谷喜久江・島利栄子によって記された『よばいのあったころ 証言・周防の性風俗』(マツノ書店)では、山口における夜這い文化について、老人たちに聞き取りを行なっているが、ここには「山間部の部落には、若衆宿が、昭和の初めごろまであった」とある。若衆宿とはその集落で一定の年齢に達した男子たちが集まる場所で、規律や生活上のルールに加え性的な事柄も伝えられていた一種の教育施設だ。こうした文献に照らせば、金峰地区にかつて夜這い文化があったとしても全く不思議ではない。だが戦中まで、となるとどうか。

(続く)
https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6


ルポ「つけびの村」02/06 〜つけびして 煙り喜ぶ 田舎者〜 2018/07/23
https://note.mu/tk84yuki/n/n3cf6b0673398

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

 事件のあった「金峰地区の郷集落」は、山口県周南市の北部にある山村だ。
 その周南市は山口県東部に位置し、重化学工業を主な産業としている。2003年に徳山市、新南陽市など2市2町が合併し発足した。南側の臨海部に広がる工場群は現在「周南コンビナート」と呼ばれ、遊覧船による夜景ツアーが組まれるなど観光名所のひとつとなっている。ここは明治時代に旧海軍の石炭基地が設けられたのち、石炭が石油に代わり石油科学工場が発達。昭和初期には海軍の燃料廠や有機・無機化学、鉄鋼などが集積する工業地帯に成長した。昭和39年には工業整備特別地域に指定され、隣接する下松市、光市とともに重化学工業の拠点としての本格的な整備が進み、製造品の出荷額は山口県の5分の1を占める。
 JR徳山駅はこの「周南コンビナート」の港沿いを走る山陽本線と、東京から博多へ続く山陽新幹線が停車する周南市の中心駅だ。駅名には合併前の都市名がそのまま残る。東京から新幹線で4時間以上かかるが、それでも空路を使うより手っ取り早い。県東部の岩国錦帯橋空港から郷地区は50キロ、西部の山口宇部空港とは90キロ離れていて、乗り継ぎにかかる時間を考えると、やはり新幹線一択になる。


 駅から港に向かい数分歩いたところにある徳山港には、太平洋戦争で海軍が開発していた人間魚雷「回天」の実物大レプリカが展示されている。ここから発着しているフェリーに乗り30分ほどの距離にある大津島には、かつて回天の組立工場と発車訓練基地があった。いまも島には記念館があるが、そこを目指しているとおぼしき観光客の姿はない。
 駅を挟んで港の反対側は中心市街地だ。とはいえその規模は小さい。地方都市の宿命か、駅前のアーケード街に人は数えるほどしか歩いておらず、半分以上の店舗がシャッターを閉じていた。そんな中にも、銀行の支店や市役所、新聞社などが立ち並び、夜は酔客でささやかな賑わいを見せる。
 瀬戸内海に面しているこの辺りの気候は温暖で冬でも晴れる日が多い。滅多に雪も積もらないというが、対して北側は中国山地の一部にあたり山深く、冬の積雪も珍しいことではない。目指す金峰地区は、北側に属する。臨海部の主要産業が重化学工業であるのに対し、北側はぶどうや梨の栽培をはじめとした農業が栄えている。

 2017年1月、私は徳山駅の近くで車を借り、金峰地区に向かった。周南市に私鉄はなく、JR山陽本線も湾岸部しか走っていないので、住民は移動にバスか車を利用している。地元のバス会社はあるにはあるが、運行網は金峰地区から9キロほど離れた場所で途絶えていた。そこからタクシーを探すより、徳山駅から車を走らせた方が早い。
 新幹線の中でスマホのアプリを立ち上げて天気予報をチェックした時、週末には寒波が押し寄せ、日本海側に大雪が降ると告げていた。そのせいか、ダウンコートを着ていても寒い。車を3キロほど走らせると、あっという間にスーパーや飲食店は姿を消し、両側と前方にこんもりとした山が広がり始めた。車線も狭くなるが、それでもまだ道は綺麗に舗装されている。ここでようやく、ガードレールが白でなくオレンジ色であることに気がついた。山口県は昭和38年の山口国体開催にあたり、特色のあるものを作ろうと考え、ガードレールを県特産の「夏みかん」色にしたのである。
 オレンジ色のガードレールが両側に立つ片側一車線の山道は時折くねくねと急カーブを切らなければならないが、15分ほど走ると、ようやくコンビニと開けた小さな町が目に飛び込んできた。金峰と徳山市街地の間にある、唯一の町だ。とはいえ、コンビニぐらいしか買い物できる場所はない。ここで飲み物を調達し、さらに国道で北に向かう。すぐにまた道の両脇を山に囲まれ、先ほどまで快晴だったのが嘘のように空が曇り始めた。家も店もない道をしばらく進むと見えてきたのは菅野湖だ。ここにかかる細く古い橋を渡り、湖沿いの県道41号線をひたすら北上する。バス釣りのメッカのようで、ボートを曳いたクルーザーが何台も停まっていた。下流にスロープがあり、ボートを湖に降ろせるようだ。
 車の西側には深緑色の湖面が広がり、東側の山肌には草木が生い茂っている。まだ徳山駅から30分も走っていないのに、ここまで山深くなるかと驚いてしまう。しかも舗装が悪い。濡れた路面はでこぼこで、ところどころ深く大きな穴が空き、水たまりができていた。スリップして湖に落ちやしないかとすこし怖くなった。
 それでも、湖沿いのボロ道を抜けると、また普通の道路に戻る。ここまで徳山駅から40分ほど。距離にして20キロしか離れてないが、見渡す限り山と田畑が広がる田舎道で、もうコンビニなどどこにもない。
 ところが「金峰の郷集落」にさしかかる直前のすこし開けた平野を走っていると、突如として銀色のUFOと巨大な象が目に飛び込んできた。その脇には『宇宙の入り口』という看板が立っている。
 まだ郷集落にも着いていないのに、思わず車を停め、UFOを眺めた。
 そういえば、菅野湖沿いを走っているときから、小さなUFO型の看板がいくつも立っているのを見ていた。そこには手書きで「気をつけて安全運転」など記されていたが、『宇宙の入り口』へ向かうための案内板だったようだ。
 木材で骨組みを作り、アルミ板のようなものをかぶせて仕上げをした数台のUFOと象のオブジェのほか、幅2メートルはあろうかという巨大な太鼓や、木馬も並んでいる。「このブランコに乗ると結ばれる 愛愛ブランコ」という文字が躍った木製のブランコもあった。いわゆるB級アミューズメントスポットだが、陰惨な事件現場のすぐそばにこのような施設が並んでいると、ただ不気味でしかない。
 車に戻ろうとしたところで、男性に手招きをされた。全て手作りだという、この『宇宙の入り口』の生みの親だった。男性は保見と同い年だが、金峰地区に住むものではなかった。
 再び車に戻る。木々の生い茂る薄暗い道を数分行くと、ようやく金峰の郷集落に着いた。
 事件当時、ここは「携帯電話も通じない限界集落」だといわれていたが、実際に足を運ぶと、ほとんどの場所で携帯電話の柱も立った。
 保見光成の家は、地区名の由来にもなった一千年以上の歴史を持つ金峰神社の参道前にある。ここが郷集落の入り口だ。家は二棟あり、ピンク色の壁をした新宅と、茶色のベニヤ板でできた本宅が、土壁のガレージを挟んでいる。本宅からガレージにかけられたブルーシートは劣化して破れ、風にあおられるたび、焦げ跡のある家の壁や、倉庫の中が見えた。


 保見が関東から戻ってくる際に自力で作ったという新宅のまわりには、枯れ枝が散乱していた。それをかき分け、白い門扉の前に立つ。右脇には茶色い壺や人型のオブジェが、空っぽになって倒れた植木鉢とともに雑然と並んでいる。門の奥にはガラス戸の出入り口があるが、上半分は簾がかかっていて中は見えない。左手に目をやると陶器でできた大道芸人の人形が置かれていた。その奥に立つポストはガムテープで塞がれていて「郵便物は入れないでください 当方へ御用の折は、お手数ですが下記にご連絡ください」と携帯電話番号らしきものが書かれた紙が貼られている。試しにその番号へかけると「現在使われておりません」のアナウンスが流れた。少し下がって全景を見れば、雨どいを支える柱に、CDが貼り付けてあった。再び近づいて目をこらすと、ちょうど保見が金峰に戻ってくる直前である1993年に松任谷由実がリリースしたアルバム『Uーmiz』だ。都会での思い出が詰まっているCDなのだろうか。
 土壁のガレージは車が2台は停められる大きさで、シャッターはついていない。破れたブルーシートを少し開けて中を覗くと、汚れた国旗や工具、工具箱、段ボールやタイヤ、窓枠などで散らかっていた。上部にかけられた針金にもザルやブリキの薬缶といった様々な道具が吊られている。幅が30センチはありそうな、片刃のノコギリのような、見慣れない刃物も吊られていた。隣に無造作に置かれた資材の上には鳥かご。中にはオウムのぬいぐるみが入っていた。新宅、本宅ともに屋根の下にはセンサーライトらしきものの残骸が残る。
 本宅の出入り口引き戸の脇に表札はないが、上にはロールス・ロイスのプレートと、可愛くデフォルメされた熱帯魚のオブジェが貼り付けられていた。
 その右側には、かつてあの貼り紙が貼られていた窓がある。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 かつを」

 これもすでに剥がされていた。
 ガラス窓は汚れ、かなり曇っているが目を凝らして中を見ると、すぐ前に壁があった。11時20分で時を止めた古時計のまわりに扇子が6枚かけられていて、下に備えられた棚の上には陶器の酒樽が置かれている。その脇にあるスリッパ立てには、きちんとスリッパが4組揃えられていた。
 住む人を失った住居特有の寂れ具合を醸し出していたが、事件がなくとも、家主の個性がにじみ出ている家だったことだろう。
 保見光成に撲殺された後、放火された隣の山本さんの家は雑草生い茂る空き地になっており、同じように撲殺され、放火された貞森さんの家の跡には、小型ユンボが置き去りにされ、その脇に真っ黒に焦げた木材が積み上げられていた。3年半経っても、事件の痕跡は集落の中に色濃く残る。


 郷集落入り口の交差点は、通ってきた南からの県道41号線と、東西に伸びる県道9号線がぶつかる。ごくたまに、9号線を大型トラックが轟音を立て猛スピードで走る以外は、ほとんど車も通らない。村人も誰一人、歩いてはいない。道沿いに流れる小川のせせらぎと、山の葉の擦れる音がざわざわと鳴るだけだ。空は晴れたかと思うと雲が広がるというせわしない状態を繰り返しているが、晴れているときでも山が太陽を遮り、道が陰る。路面はやはりところどころ濡れていた。空気は刺すように冷たく、湿っぽい。私は山口県の隣、福岡県出身だが、同じ西日本でもここまで寒さが厳しいとは思っていなかった。
 保見の家のはす向かいにある、砂利が敷き詰められた広場に車を停めた。ここにはかつて廃屋があったというが、今は更地になっている。事件当時は規制線が張られていた小さな橋を渡って、住宅地図を手に、郷集落を奥へと進んだ。車が一台しか通れない細い道が、小さな川に沿って伸びていた。徳山の市街地よりも寒さが厳しく、少し歩くだけで冷えが身体中に広がる。足の先は感覚を失い、手が動かなくなってきた。
 周南市役所の集計によると、2016年12月31日時点での人口はわずか10人。一軒一軒、訪ね歩いても、誰も出てこない。橋を渡ってすぐ右側にあるオレンジ色の瓦の二階建て家屋は、一階がガラス張りで商店のような趣があるが、中を覗いてみたところ生活用品が雑然と散らばり、すでに空き家になっているであろうことは想像がついた。
 その向かいに伸びる石段を登ると、小さな寺がある。脇の寺務所の門を叩き呼びかけたが、やはり誰もいない。再び細い道に戻って集落を奥へと進んだ。道の片側に流れる小川は、冬でも雑草が高く生い茂っている。その反対側にある山を切り開き、古い家屋が点在していた。どの家も車が一台やっと通れるような私道を少し登ったところに建てられていて、脇にある車の停められる大きさの倉庫には農機具や薪などが置かれていた。古い家屋の作りはだいたい同じで、ガラス引き戸の玄関の脇に、両開きの掃き出し窓が二窓ほど並んでいる。
 寺の隣には、本来は公民館だという古く小さな木造の建物があるが、鍵がかかっていて、使われている形跡はない。脇には、殺害された河村聡子さんが名付けたという『金峰杣の里交流館』。集落にある建物の中では目新しく大きい。保見が逮捕されるまで、村人たちが避難していた場所だが、ここも扉には鍵がかかり窓は雨戸が閉められ、ひっそりとしている。
 郷集落についてから人に行き合っていないし、どの家も人の気配がない。心細くなりながら、車が一台しか通れない小川沿いの道をゆっくりと進む。気温が低すぎるせいか、手に持っていたスマホは突然電源が落ち、動かなくなった。小川の反対側には、この道路よりも少し高い位置に県道9号線が沿っている。あの県道からは村の家々が見渡せる。保見の逮捕当時は中継車が停まり、テレビもそこから村の遠景を捉えていた。
 更に細い道を東に進むと左手の高台に家が見えた。見上げると、グレーのトタン屋根一面に『魔女の宅急便』のキキが箒にまたがっている絵が描かれている。さきほどのUFOに負けず劣らずの不気味さだ。玄関前には旭日旗が掲げられ、引き戸の前に置かれたホワイトボードに夏目漱石、福沢諭吉などの名前が書かれていた。すりガラスの引き戸の奥には蛍光灯のあかりがちらちらと見える。扉を叩いて「こんにちは!」と外から呼びかけた。ところが、そのたびに中からテレビとおぼしき音がどんどんと大きくなっていく。4回ほど呼びかけたときには、騒音レベルにテレビの音が大きくなってしまった。真昼なのに薄暗い村を歩いているだけで怖いのに、この家人の対応にまた怖くなり、もう諦めた。
 郷集落の東の端にあるのは、聡子さんとその夫、河村二次男さんの家だ。そこを目指し『魔女の宅急便』の家を離れ、草の生い茂る川沿いを再び歩くと、背の高い木がみっしりと植えられた私道を登った山側の高台に、誰も住むもののいなくなった石村文人さんの家、そしてもう一軒の二階建ての家があった。こちらも不在だった。石村さんの家は家族が時折空気を入れ替えるために訪れていると聞いた。すりガラスの引き戸の奥は真っ暗だ。古く黒い木で作られた表札に『石村文人』と大きく書かれている。その石村さんは3年半前、この引き戸の奥で、保見に頭を何度も殴られ、絶命した。
 保見はこの引き戸を開ける時、何を考えていたのか……。
 隣の家の犬がけたたましく吠えた。さっきの道に戻ろう。
 河村二次男さんが不在の場合、郷集落での取材はかなわない。細道に戻り、さらに先を目指すが、道はさらに草が生い茂り、廃道のような趣になってきた。この先に家があるのだろうかと焦りが募り始めたころ、ようやく家らしきものが見えてきた。大きな物置のようなものが置かれたガレージのそばには、まだ艶のある御影石の墓。玄関引戸の脇には『キンポー整体院』『札所(六代目)』と毛筆で描かれた木の看板がある。引戸の前から呼びかけるとしばらくして高齢の男性が、玄関横の腰高窓を開けて姿を見せた。がっしりとした上半身をしていて、目はギョロッと大きく、出目金のようでもある。
「三年前の事件のことを、今取材している者です。東京から来ました。お話を聞かせていただきたいのですが……」
 駄目元で切り出すと、男性は言った。
「いま扉開けるから、中に入りない」

 その男性、河村二次男さんは事件当時、友人たちと愛媛県に旅行に出かけていた。
「はよう死刑になればいいと思うちょる。でも弁護士のアレで。やってなかったって言いよるけど5人も殺しとるんやけ。火までつけちょるのに。山口で最終弁論があったときに我々もいろいろ言ってアレしたけど、やってないっちゅうことはない。犯人はわかっちょるし火もつけとるんやしね」
 方言と、河村さんの滑舌の悪さに、何を言っているのかよく聞き取れなかったが、根気よく1時間も話を聞くと、少しずつ聞き取れるようになって来た。
「片目にもなっちょるし。こっちは目が見えんし。事故でね。鼻水が出そうになるとかむけど、そのとき耳の鼓膜がいってね。診療所行ったら『あんまり聞こえんほうがいいですよ』って。あはははは」
 かつて車の事故で頭部を負傷し右目を失明したそうだ。あっけらかんと語る様子に面食らった。確かに両目の視線の先が合っていない。それでもガレージに停めてある軽トラックを運転するというから驚いたが、この地では車の運転ができなければ何もできない。
 通された応接間には、壁にびっしりと写真やカレンダーが飾られている。孫娘と笑顔で並んで写った写真も大きく引き伸ばされ、貼られていた。山の頂上で撮影された集合写真もある。河村さんはこのとき79歳だと言っていたが、背筋も曲がっておらず、体つきもがっしりしている。かつては活発に友人らと外に出かけていたのだろう。ガラス戸棚の中には、聡子さんに宛てた孫娘からの手紙があった。整体に関する書籍も並んでいる。公務員を定年まで勤め上げたのち、整体の学校に通い、自宅で整体院を営んでいたという。
「わしは天下りをするなと役場で言ってきた。要請があったけど断ってきた。でもそりゃ、定年になったらなんかせんといかん。手を動かしたらボケん、っちゅうからやってみよう、って。1年ほど学校行きまして。60万ぐらいかかったんじゃないかな。1回3000円でやりよった」
 こうした四方山話を聞きながら、私は夜這い≠ノついて河村さんにたずねる機会を伺っていた。編集者が持っていた記事にはこうあったからだ。

―― 私【保見光成】が金峰に戻ってきた直後、竹田(仮名)が、『おめえの兄貴にはイジメられたぞ』って言い始めた/時を同じくして、近隣住民に道で無視されるといった些事から、農機具を燃やされ、挙句に刃物で切りつけられたりといった大事に至るまで/数多の“事件”が起きたという〜先の大戦当時、10代半ばだった保見の兄は、母親に言い寄る徴兵忌避の男を追い払い家を守り抜いた。実は、その男の長男こそ、帰郷直後の保見に「兄貴にはイジメられたぞ」とからんだ竹田だったという――前出記事

 記事の中で『竹田』という仮名をあてられ、年齢も伏せられている「強姦魔の息子」とは、いったい誰か。最初に手掛かりになったのは『事件後、金峰周辺の人々は、陰でこう囁きあった。「竹田こそが保見の本命だったじゃろうに……」』という記述。この書きようから察するに、『竹田』は殺害された五人ではなく、七人(事件当時)の生存者の中にいる。
 次に、「兄貴にはイジメられたぞ」発言。保見は、山口地裁で行われた一審公判の中でも、同じ台詞を口にしていた。『「お前の兄貴にはいじめられたぞ」と、カワムラさんに言われました』。
 強姦(夜這い)についての発言はなかったが、相手の名前を挙げていたのだった。となれば、郷集落で生き残っているカワムラさんは目の前にいる河村二次男さん、一人しかいない。
 いよいよ私は聞いた。

――戦時中は、河村さんのお父さんも兵隊に行かれていたんですか?
 強姦魔は徴兵忌避の男だったと記事にあったからだ。
「親父は、背が低すぎて(徴兵)検査に落ちたから兵隊にとられなかった」
 なんと。忌避ではないが、河村さんの父親は戦争に行ってなかったのだという。
 では、河村さん自身は「父親による強姦」が原因で保見の兄にいじめられ、そのことを保見に言ったことがあるのか?
「バカ言っちゃいかん! そげなことは今はじめて聞いた」
 記事の存在をまったく知らなかった河村さんは憤慨した。
 ここでようやく持ってきた記事のコピーを河村さんに見せながら、取材の目的を明かした。すると、しばらく記事を眺めていた河村さんはそこに載っていた「つけび」の貼り紙を指しながら驚くことを言ったのだ。
「これ、うちのうしろに火をつけられたことがあるんですよ。わしはこれじゃないかと思うんですよ。家の前に貼ってる。ここに火をつけて2〜3日で貼っちょったね。家の一番良く見えるところに貼っちょった。下手くそな字でね」
 そしてこう続けた。
「僕が思うにそれは犯人が違うと思うんや」
 保見は事件の時に二軒の家に火を放ったとされているが、保見の他にも火をつけるような村人がいたのか?
「うん、悪いやつおったんよ。それは人から見たら、わしも悪いんかもしれんけど」
 事件の痕跡を色濃く残した郷集落のたたずまいや、『魔女の宅急便』の屋根の変な家もあいまって、私はいよいよ怖くなってきた。
 家を出る時に河村さんは表まで出て来て見送ってくれた。ガレージの中にある物置のようなものはシイタケを乾燥させる機械だと教えてくれた。真新しい墓はやはり聡子さんのものだった。
「あいつ(妻)が先に入っちゃった」と河村さんは言いながら、目元をこすった。
 その後、近隣の集落の村人たちにも話を聞いて回ったが、皆、河村さんと同じことを話した。「河村さんの家の風呂場が焼けた」が、その犯人は「保見ではない」と。
「金峰の夜這い」についても、夜這いそのものが金峰にあったらしいことは分かったが、戦中の夜這い(強姦)を巡る河村家と保見家の禍根について知っている者はいなかった。またそもそも、河村さん自身「長男」ではなかった。
「兄貴は、公務員やなんかやりよった。39で交通事故で死んだからそんで帰った。それまでわしは外に出とった」
 件の記事は、保見の言い分のみをもとに作り上げた記事だった可能性が高まった。
 私は東京に戻り、取材で得た話を原稿にまとめた。だが、一向に記事は掲載されず「送り」になることが続く。一旦はその月刊誌で企画として動き出したが、掲載のタイミングがないのだ。発生からすでに何年も経っている事件では、その裁判に動きがあったときか、もしくは刑が確定したか、さらには、死刑判決を下された犯人に死刑が執行されたときしか、掲載のきっかけはない。だが掲載が延びればギャランティの支払いも先送りとなる。「送り」が3回続いたとき、私はこの記事を「非掲載」にしてもらい、別の実話誌に掲載してもらうことにした。
 こうして『山口連続殺人事件』の仕事は一旦終わったが、しかし私には1月の取材を通じ、もっとこの事件を掘り下げたいという気持ちが沸き起こっていた。いや、事件というよりも、村人たちの話の不吉さが頭から離れず、この不気味な村の正体を知りたくなったのだ。
「つけび」貼り紙の発端となったのが、河村邸放火事件だったことにも驚いたが、村人たちはこんなことも話してくれていた。
「何回かあったらしいよ。何かにつけてケチつけてたけね」
 なんと郷集落での火災は一度ではないというのだ。
 こう話す村人もいた。
「皆殺されて、おらんようになったから、幕引きはできた。私はほんとに安心して生活できるようになったよ。わし自身は。今はもう鍵はかけんけど、鍵をかけ忘れるときも別にどうちゅうことないし、倉庫の鍵をつけたままにしとっても別に何も盗られることもないし、以前はそんなことしよったら何もなくなりよったからね。まだ色々悪いのがおったの。名前をあげりゃ2〜3人そんなものはおったからね」
 まるで事件で村に平穏が訪れたかのような口ぶりなのである。「皆が家族みたいに仲良しだった」集落で、「鍵をかける者などいなかった」という報道に接していた私は、また驚いた。
 さらには、保見について周辺集落を訪ね歩いた時、こんな話を聞いていた。
「親父がコレじゃったけね」
 人差し指を丸めながら、ある村人は言う。保見の父親が泥棒だったというのである。
 そしてある村人は、こちらが真顔で事件のことを尋ねているのに、
「夏はね、亡くなった山本さんやら貞森さんやら、石村さんやらとね、蛍でも出たらね、夕方に『蛍見よう』ゆうてから、仕事から帰ってね、おかずの一品でも作って、皆で集まってビール飲みよったけど。みーんな、その仲間は、殺されてしもうたね。あはははは……」
 と、なぜか高らかに笑うのだ。
 一体、この村はなんなのだ。
 保見が事件を起こす前から、泥棒や放火といった悪事は村で日常としてあったのか?
 一方、保見に対する具体的ないじめ≠ノついても、このとき村人たちに尋ねていたが、確たる証拠は得られなかった。
 たしかに判決でも、近隣住民による保見への「うわさ」や「挑発行為」そして「嫌がらせ」は、保見の思い込みであり、徐々に妄想を深めて村人たちを恨んだ結果、起こした事件だった……と認定されていることは先にも書いた。
 そうはいっても、完全に妄想だけでこれだけの事件を起こすだろうか。
 公判を傍聴した中にも、その疑いを抱いた者がいた。旧知の傍聴マニアのひとりだ。いじめがあったのではと考えたそのマニアは、関東から山口地裁まで傍聴に出向き、いくつかの期日の審理を傍聴していた。保見が具体的な話をしていなかったか尋ねたところ「犬の水飲みバケツに農薬を入れられた……とかは話してました」という。だが、他にはさっぱりそれらしい話をしなかったというのだ。
「『何をされましたか』って公判で質問されたらやっぱり刺された話をするもんじゃないですか。貞森さんから刺されたことは事実ですから。でもその話はしてないんですよ。『街宣車が来ると家の前で心を入れ替えなさいと言われる』とか話し始めるんです。家の前でかならず『心を入れ替えなさい』と同じところをテープで大音量で流されるって。そういう妄想の話しか出てこなくて、肝心な話をしないんですよ」
 また保見は公判で「自宅で作っていたカレーに農薬を入れられた」という話もしていたのだが、よく聞けばそれがいじめ≠ゥどうか、怪しかった。
「一ヶ月分まとめて七輪で作るんです。普通に考えると一ヶ月分作ったら最後の方は腐って食中毒になりますよね。冷蔵庫に入れるでもなく勝手口で作っているんです。そのカレー鍋に農薬を入れられて食べて死にそうになったって保見は言っているんだけど、それは農薬のせいじゃなくて腐ってたんじゃないか? って聞いた方は思うじゃないですか」
 私が当初期待していたほど、公判で保見はいじめ≠ノついての詳細を語ることはしていなかったのだ。

 保見と同じように集落に住む一人の人間が突如として 近隣の者たちを皆殺しにする事件を、私は他にも知っていた。1938年に岡山県津山市の貝尾部落で起きた『津山三十人殺し』である。実際、山口連続殺人事件を平成の津山事件≠ニ報じるマスメディアもあった。
 田舎の限界集落で、周囲に馴染めない一人の男が突如として村人たちを殺害してまわる……たしかに二つの事件は似ている。津山事件の犯人は、当時21歳だった都井睦雄。匕首と日本刀、九連発ブローニング猟銃を携え、自宅の祖母の首を刎ねたのを皮切りに、わずか一時間半の間に三十人を殺害し、近くの山で猟銃自殺した。
 保見光成は自殺まではしなかったが、この二人が、自らも暮す集落の人々に対して、強い嫌悪感を抱いていたことも共通する。『津山三十人殺し』(筑波昭/新潮社)によれば、都井は三通の遺書を残しており、そこには集落の人々への恨みが綴られていた。一部の村人は都井が患っていた病気を毛嫌いし「肺病の一家や、近づいたらあかんぞ」などと直接言っていたといわれる。対する保見は、事件の二年前の元旦に周南警察署を訪れ、「地区で孤立している。集落で悪口を言われている」などと、のちに殺害することになる被害者たちの名を上げていたほか、逮捕直後にも、近所の人の名を挙げて「うまくいってなかった」と語っていた。
 それよりももっと、共通点を感じる大量殺人事件を私は過去に傍聴していた。2004年に兵庫県加古川市で発生した『加古川七人殺し』だ。当時47歳だった藤城康孝は8月2日の午前3時半、突如、近隣に住む親戚を次々に牛肉解体用の特殊な包丁で刺してまわり、7人を殺害したのち、自宅に放火し、ガソリンを積んだ車に乗り込み発車し、それを近所の信号柱にぶつけ、自殺を図るが警察官に引きずり出されて逮捕されたという事件だ。
 保見の逮捕のニュースに接した際、私は津山事件でなく加古川事件を真っ先に思い浮かべた。2009年に神戸地方裁判所で論告弁論を傍聴した際に、検察側が近隣住民との諍いについて述べたのだ。
「周辺は古くからの農村で人間関係が濃密。ささいな出来事も話題にのぼり、噂になる土地柄です。
 被告人一家は権利関係があいまいなまま本家の土地の一部に住み続けていました。また被告人は近所でもけんかっ早くて有名で、定職につかず、被告人の父は昭和62年に『年金を1人で使いたい』と家出します。しかし周りには『被告人の暴力から逃げる』と嘘をつきました。被告人の兄弟は自立しており、母親が靴下製造工場でパートとして働き、生計を立てていました。
 被告人は当時、老齢の母と2人で暮らしており、常に噂話の対象となっていました。被告人の母はこう述べています。
『夫が家にいた頃まではあまりにも露骨な噂話はありませんでしたが、夫がいなくなってから格好の噂の対象になりました。遠慮もなくなり、外出時には利彦の妻、周囲の住民が井戸端会議をしていました。挨拶をしても返さず、声を潜めその場を離れて行きます。娘も「あの人ら何なん。いつも悪口言ってる」と言っていました』
 また被害者のひとりと立ち話していた近所の女性は『被告人の姿はたまにしか見かけませんでした。平日の昼も家にいるようで、まともに仕事もしてないこともわかっていましたが、何か仕事しとるんやろか、と噂していました』と述べています。
 このような環境で被告人は周囲が自分を見下していると考え、怒りを募らせていったのです」
 藤城に対しては何度も精神鑑定が行われた。一審・神戸地裁では弁護側請求による鑑定と、検察側請求による鑑定。二審・大阪高裁では裁判所が職権で鑑定。一審弁護側請求鑑定と二審の鑑定では、保見と同じく『妄想性障害』という診断が下された。だがそれに伴う責任能力の有無については、保見とは扱いが異なった、一審弁護側請求鑑定で「完全責任能力を否定」し、二審の鑑定でも「判断能力に著しく障害があった」と責任能力が限定的であったとされたのだが、神戸地裁も大阪高裁も、完全責任能力があったと判断したのだ。最終的に最高裁でも『妄想性障害はあったが完全責任能力はあった』と認定されている。だが近隣住民による「うわさ」や「挨拶をしても返さない」などのいじめが存在したことは神戸地検も争ってはいなかった。

 集落にはそれぞれの性質がある。ひとくちに村八分≠ニいっても、その性質により、内容も異なる。先のふたつの事件では、都井に対しては直接的な悪口、藤城に対しては陰口や無視といった行為がそれにあたる。保見に対してはどうだったか。1月に触れた郷集落の不気味さの片鱗だけでなく、村の本当の姿を知らなければ、保見の感じていた疎外感を知ることもできない。
 私は、改めてこの郷集落における保見がいかなる存在だったのかを追うことにした。まだ梅雨は明けていなかった。

保見ちゃん

 保見光成は昭和24(1949)年12月に郷集落で生まれ、地元の金峰小学校に入学。鹿野中学校を卒業後に上京し、先に上京していた長兄と仕事をしていた。17歳の頃にボクシングを始め、ジムを何度か移ったが、そのうち兄とやっていた仕事を辞め、ジムに住み込む。パチンコ屋でも住み込みで働いていたという。
 山口地方裁判所で行われた裁判員裁判の検察側被告人質問(第七回公判)で、保見は自らの経歴を問われ、こう語っている。

検察官「金峰を出たあと、関東ではどのような仕事をしましたか?」
保見「いろいろあります。石貼り(タイル)、のろ貼り(セメント)、軽天(天井)、建築に関すること、ほとんど。住込みのパチンコも、あっ、すし屋……」

 時は高度経済成長期。若い労働者が金の卵としてもてはやされた時代だ。左官や土建業を中心に、保見はさまざまな仕事を渡り歩いた。
「東京では、やればやるだけ金がもらえた。当時は月200万の収入があった。貯金は1500万ぐらい」
 全盛期は、仕事場にシュラフを持ち込み、夜になるとそこに潜り込んで眠り、目覚めてすぐに現場仕事に取り掛かる、という生活をしていた、と村人たちは保見から聞いていた。だが、本当にずっとそんな調子で稼げていたかは、分からない。

「体の調子が悪いから、戻ってきてほしい」

 父親の友一からこんな連絡を受け、郷に戻ることを決めた保見光成は、1994年10月、元駐在所の本宅に隣接する土地を、その所有者であり事件の被害者となった石村文人さんから購入し、当時住んでいた関東と金峰を往復しながら自力で新宅を完成させた。1996年5月、拠点を金峰に移し、両親との3人暮らしが始まる。このときには1000万円の貯金があった。
 土地の購入に関しては、郷地区から少し離れた金峰谷(みたけだに)という集落に住んでいた、鹿野町(当時)の町会議員、三浦富貴人(ふきと)さんが、高齢の友一夫妻を心配し、保見へ譲ることを石村さんにすすめたのだと地元では言われている。その富貴人さんは事件が起こった年に亡くなった。
 石村さんから購入した土地の登記簿を確認すると、郷地区に戻る直前の、保見の住所が確認できた。神奈川県川崎市多摩区のアパートだ。京王・JR両線の稲田堤駅から北東に1キロほど進んだその場所を尋ねたが、すでにアパートはなくなっていた。古い平屋住宅、低層階の古いマンションやアパートが立ち並ぶ中に、造園屋や工務店などが点在している。真新しい建売の戸建てが、ところどころに出来始めていた。
「あいつのタイルの親方がこの辺にいたんだけど引っ越しちゃったんだよな。職人としての腕はよかったよ。やっこさんが住んでたところの隣に3階建てのマンションがあるのよ。そこを奴がやったんだよね。外壁を」
 当時の保見を知る男性はこう語った。確かに、アパートの跡地すぐそばに、1991年3月に建てられたクリーム色のタイル張りマンションがあった。仕事は順調だったように見える。だが、このマンションが完成して数年後に「親が体の調子が悪いから、家に帰んなきゃなんねえんだ」と言い、金峰に戻ってしまった。
 保見はこの地に住んでいる当時、稲田堤の駅前に古くからある、焼き鳥屋の常連になっていた。その店主である森さん夫妻=i仮名)が、保見と同年代で、仲が良かったという。保見が住んでいたアパート跡地の近所にある森さん宅を何度か尋ね、奥さんに話を聞いていた。「あの事件があったときは田舎(山口)からも取材が来てたのよ」という。
 多摩川沿いにあるその家で夫妻は現在、甲斐犬のブリーダーをやっている。奥から何頭もの犬の鳴き声がけたたましく響くなか、玄関で取材に応じてくれた。
「私もお店(焼き鳥屋)に出ていて、当時子供も小さかったから、保見ちゃんに見てもらったりなんかしてたんです。その当時、別にどこか異常だとか感じたこともなかったしね。ただなんか神経質っていうかな。仕事は熱心だし真面目だし。真面目なんですよ。だから逆に真面目だからこそ、融通がきかないってのはあった。でもそれって、男でも女でも、人によって性格ってあるじゃないですか。
 保見ちゃんが働いてるとこの従業員の方とか社長とか飲みに来たり、自宅にも飲みに来たりなんかして家族ぐるみの付き合いしてたね。『あいつは気は短いけどでも気持ちはいいぞ』って社長は言ってました。わたしもホミちゃんのところに遊びに行ったことあるけど。だけど別にどうってことないし、ちゃんと洗濯もきちっとしてるし支払いもきちっとしてたからね、そういう付き合いはしてたんですよ。あんまり変な人だとね、うちも子供が女の子だから付き合えないし。
 保見ちゃんは、仕事が早く終わっちゃうと『一杯飲ませてくれとか』早い時間に店に来て喋ってたり。でも仕込みなんかで私たち夫婦は忙しいから、酒も出してる暇ないからね。だから自分で出して伝票も自分でつけてくれてたり。そんな感じでみんなで和気藹々とやってましたよ」
 そもそもの出会いは、当時森さん夫妻が切り盛りしていた焼き鳥屋に、保見がタイル職人の親方に連れられて来店したのがはじまりだった。
「保見ちゃんに会ったら言っといて。稲田堤のババアが年取ったって。娘は大きくなって孫もできたよ、保見ちゃんありがとうね、って」
 ちょうど家の奥から電話が鳴り出し、ここで話は途切れてしまった。

 稲田堤に住んでいたころの保見は、タイル張りの仕事に精を出し、行きつけの焼き鳥屋で交流の輪を広げ、仲の良い友人と一緒に釣りに行き、その魚を近所におすそ分けもする、でも頑固で細かいところもあった、普通の職人のおっちゃん≠セった。
 では、金峰地区に戻ってからはどうだったのか。

ワタル

 1月と同じように徳山駅から車で菅野湖沿いの県道41号を北上する。片側が湖、片側が山になっていて車一台しか通れない道だが、6月下旬ともなると、山から生い茂る雑草が伸びてきて、車の側面に葉が触れる音がかさかさと車中に響く。たどり着いた金峰地区も同じく、緑が生い茂っていた。
 この県道41号と、それよりも道幅が広い県道9号がぶつかる地点に保見とその両親が暮らした家がいまもある。41号を挟んだ向かい、西側には金峰神社へと続く参道がのびていた。保見の家から参道の方を眺めたとき、その脇に見えるのが金峰山(きんぽうざん)だ。
 前回訪れた時と村の佇まいは変わっていないが、季節が冬から梅雨になったことで、山の木々や道路沿いの雑草はさらに青々と生い茂っていた。そして、なんといっても虫が多い。歩いていても、止まっていても、走っても、身体中に小さな羽虫がまとわりついてくる。何をしていても虫たちが耳元で小さな羽音を響かせ、とくに顔に集まってくるから堪らない。小さな叫び声をあげるが、周りには誰もいない。手に持ったタオルで顔に寄ってくる虫をはたきつつ、郷集落や近隣の集落を訪ね歩いた。
 保見光成は、もともとの名前を『中』(わたる)という。そのため皆、保見のことを『ワタル』と言って話す。
 事件直前のワタルは、関東に住んでいた時の人物像とはまるでかけ離れた攻撃的な村人として、郷地区で敬遠されていた。妻の聡子さんを殺害された河村二次男さんが言う。
「うちの田んぼがワタルんちの前にあった。そこで女房が仕事をしとると、ワタルが家から窓開けて、歌を歌うて、おびくわけ。おびく、っち分かるかな、罵る、ちゅうこと。カラオケでギャーンと流す、そういうことしよった。女房は『気持ち悪い』っちゅうけど、わしは『取り合わんがいい』と言いよったんよ。
 女の人は集まって井戸端会議とかするじゃないですか。それを、まあ、ワタルの家の前に鳥居があるからね、そこで山本さんとうちの女房が話をしよったらワタルが外に出てきて犬の散歩がてら『お前ら殺したろうか』っちゅうわけ。『お前ら二人じゃつまらんけ、もう何人か連れてきてやっちゃろか』と。そういうこと言うわけ。
 女房がワタルの向かいの家に行っとるときに車で送って、お宮の前に車止めて、向こう見とったらワタルの家の方向くでしょ。そうしたら『お前何の用事があるんか』と言ってくる。そりゃあね、わしらも多少あれやったけど、田舎のものにあげなこと言うたら恐れる。あれは恐ろしい」
 道ゆく村人たちに食ってかかり、時には殺害も仄めかす。完璧な危険人物に成り果てていたようだ。
 別の住民も「貞森誠さんがワタルに掴みかかられた」、「棒みたいなん持って犬を散歩しよった。会うと『10人くらい殺して死のうと思う』とよう言いよった。思いがあったんかなんなんか。それを私はなんでとは問わんよね、怖いから」など口々に振り返る。
「夕方にカラオケかけて歌いよった。5時ごろ出たら歌ってるよ。『およげ!たいやきくん』やらね、そういう歌よ。すごい外に大きく聞こえるように。マイクをこうね。山側のほうに向けてね」
 しかも、食ってかかるだけでなく実際に暴力も振るい、挙げ句の果てに毎日のようにカラオケで熱唱していたというのだから、確かにこれは、田舎のものでなくとも、恐ろしい。
 当のワタルは一審山口地裁の被告人質問で、当時の生活パターンを検察官から問われこう答えている。
「最後はわからなくなった。朝5時半散歩して、家でカラオケ。事件2〜3か月前はなんもやってなかった。ポケーとして声を出すこともなかった。人の話を聞きたくない」
 最初の頃に自宅の窯で陶芸をやっていたことを覚えていた村人もいたが、それもいつしかやめていた。
 村人たちにはその言動を不審がられていたが、家の中はそれにもまして不気味だった。地下のトレーニングルームを中心に、自作のポエム≠ェびっしりと壁に貼られていたのである。一審公判の証拠調べで、法廷の壁にかけられた大型モニターにその壁の様子が映し出されている。傍聴した記者やマニアは一様にこの写真のことを真っ先に挙げ「すごかった」と語るほどだ。

「何かしなければ全て認めて死ぬことになる 悪者にされ一人死んでたまるか」
「試合である 警察に訴えない 病院代の請求 遺恨残さず」
「あなたの性根の悪さがよく分かる がまん がまん がまん いつまでどこまで リオブラボー」
「もんぺ下げ 散歩の亀に 餌をやる」
「無神経 なのに 神経痛」
「玄関前に横たわる ぴくりとも動かない 仇討ち」

 エロと恨みが共存したこれら不穏なポエム≠ヘ、村人への恨みから来るものなのではないか? そう一審公判で検察官が追求していたが、ワタルはそれを否定していた。こんな調子でだ。
「ルームの紙は両親が亡くなった後書いた。どういうつもりでって……つらい気持ちで書いた。見る時はなんともないです。子供がいじめられて日記書くでしょ、死ね死ね死ねとか。吐き出してすっきりする。そういうもんです」

 そうは言っても、すっきりできなかったから事件は起こったのではないか。
 事件直前は村の危険人物に成り果て、草むしりなどの集落の作業にも、自治会の仕事も参加せず、回覧板も受け取らない生活をしていたワタルだが、最初からそうだったわけではない。
 関東に出る前の幼少期は、ガキ大将として近所の子供を引き連れて遊んでいた。連れ回されるのが嫌で、子供たちはたいてい、ワタルが遊びに来る前に外に出るようにしていたという。いじめられていた同級生を守ってあげたこともある。
 1996年5月に郷地区に戻って来たばかりの頃も、いわゆる変人ではなかった。戻った翌月には自治会の旅行に参加した。その翌月に開かれた歓迎会にも参加して、自己紹介をし、村人たちの輪の中にすすんで入ろうとしている。2日連続の公民館行事に参加もした。旅行でのワタルの様子を覚えている村人はいない。ということは逆に言えば取り立てて何も問題がなかったのだろう。だが歓迎会でワタルは、自分がこの地で何をしたいか、村人たちに提案をした。
 公判を傍聴したマニアが、この当時の情報を語ってくれた。
「本人に面接し本鑑定を行なった精神科医が、彼は『村おこしに失敗した』と言っていました。その一言だけで、具体的には何に失敗したのか言っていなかったんです。本人は手に職があるからバリアフリーをやってみたり、年寄りが多いから色々と電気の付け替えとか、便利屋さんをやろうと思っていて、戻って来た年にあの新しい家で『シルバーハウスHOMI』を開業したんです。そこでやっぱり介護とかデイサービスみたいなこともやろうと思ったんじゃないですかね」
 ワタルは自力で建てた新宅で、リフォーム業を主とする便利屋を開業しようとしていた。当時すでに過疎化が進んでいた村を盛り上げたいという意志を持っていたという。新宅は、その拠点にしようというワタルの思いが込められた造りになっている。
「気軽に集まってもらったり、お酒を飲んで歌ったり話をしたりしたら楽しいよね」
 ある村人は、ワタルからこう聞いていた。いま草に覆われている新宅の扉の奥には、カウンターバーがあり、カラオケ機器も当初から取り付けられていた。地下にはトレーニングルーム、さらには陶芸のための窯もあった。
 ワタルはここを村人たちの交流の場として作ったのだ。
 日々ドアを開けてふらっと訪れる村人たちと、カウンターでお酒を飲みながら交流を深め、地元を盛り上げるための色々な案を考えていきたい……そう考えていたという。
 当初『シルバーハウスHOMI』を訪れたことのある村人は言う。
「すごいバーを作って、外は飲み屋のようにネオンがつくようにしちょった。中もお店みたいじゃったよ」
 だがすぐに、誰もそこに行かなくなったのだという。村人は続けた。
「そうするためにはやっぱり人間関係がないとねえ」
 ワタルは自作の新宅を集落の新しい拠点として、村人たちが楽しめるような設備を作り、村を盛り上げようと胸を膨らませていた。だが真っ暗な村に一軒だけネオンが輝く様は、不釣り合いであり、浮いていた。そしてワタル自身も、まず村人たちとの信頼関係を築く前に、近代的な家の設備で村人を呼び寄せようとしていたことが裏目に出た。『Uターンハイ』とも形容できるような状態になっていたのだろう。
 都会から戻ってきた俺が、こんな家を作った。これで村も盛り上がる。さあ、皆ここに集まってくれ……。
 年長者ばかりのこの村で、それは通用しなかった。やはり村に戻ってきたからには、自治会の仕事に参加し、数ヶ月に一度行われる草むしりなどの仕事にも精を出し、先輩となる村人たちとの調和を図ってはじめて、村に受け入れられるのがセオリーだ。冷静に見ても確かに、その案は強引に映る。
 歓迎会の席上から、ワタルは村人にあまり良い印象を抱かれてはいなかった。都会帰りでハイな状態のワタルは、村人たちにとっては、うっとうしかったのかもしれない。この村を盛り上げるためのワタルなりの村おこし……新宅を村人たちの交流の拠点とする案は、あっさりと年長者たちに否定されてしまったのだ。
「最初には、光成自身が外森(仮名)に相談をしたの。年代が違わんから『金峰おこしをしようじゃないか』と相談をもちかけたのは光成のほうやね。最初に自治会で出会ってその話をしたと。その時に外森が『それじゃ二人でやろう』ちゅうて。そのままやったらよかったんじゃが、あとのあおりが怖いちゅうんで、外森がおそれて手を引いたから、光成自身が一人悪者になった」
 ワタルの村おこしの顛末を知る村人は、こう語った。外森さんとは郷地区にある玉真寺という寺の住職で、ワタルよりも少し若い男性だ。郷地区から7キロほど西に離れたところにある寺の住職も兼ねており、事件後はほぼそちらに住んでいるのだという。彼と当初は村おこし≠しようとしたが、外森さんから梯子を外されてしまったのである。
 出鼻をくじかれたことで金峰・郷集落での生活は幸先の悪いスタートを切った。集落のもやい仕事に参加したのも最初だけだ。「気が弱いところもあった」とも評されるワタルなので、理想の村おこしを反対されたことで萎縮したのかもしれない。人間関係が築かれてくれば、長期的には『シルバーハウスHOMI』を村おこしの拠点とすることも無理ではなかっただろうが、ワタルはそれをしなかった。
 そんな中でも『シルバーハウスHOMI』のために、店のチラシを印刷してあげたりする村人もいた。実際、初めの頃は徳山の方へ出向き、リフォームを請け負ったこともあるというが、そのうち開店休業状態となる。
 関東と金峰を往復して作ったこの新宅には、ワタルが思い描く郷集落での理想の生活が詰まっていた。だが『シルバーハウスHOMI』は、稲田堤の焼き鳥屋のように、地元の村人たちが集まる場所にはならなかった。いつしかトレーニングルームは自身の鬱屈した思いを書き連ねたポエムが壁一面に貼られる禍々しい空間へと変貌し、カラオケを一緒に楽しむ村人が訪れる日は来ないまま、一人でひたすら「およげ!たいやきくん」を歌っていた。

 ―― 過疎化した金峰では、子どもの住む街へ出るお年寄りが多い。そんな中、保見(ほみ)友一さん(93)の二男、中(わたる)さんが九四年、川崎市から帰ってきた。十五歳のころ、都会にあこがれ東京へ出たが、「自分の生まれたところで死にたい」という思いは消えなかった。
 工務店勤務の経験を生かし、老いた両親のために部屋の段差をなくし、手すりをつけた。一年ほど前、母のタケヨさんが病気で倒れ入院した。「うちに帰りたい」と言う母のために自宅で介護を始めた。おしめを換え、たんを取った。
 昨年十二月末、八十七歳の母をみとり、父と二人暮らしになった。「親が子どもを育て、年をとる。 そんな親をみるのは子どもの義務」。父が毎日手を合わせる仏壇の周りにも手すりを付けた。(2003年4月19日読売新聞朝刊)――

 金峰地区に住む高齢者と、その子供たちについて触れた記事だ。この翌年、友一も死んだ。村人の中には「両親が死んでから、おかしくなった」と言う者がいた。確かにこの頃から、家の前に雑然と置かれたオブジェの様子が異様なものへと変わり始めたようだ。
「ブラジャーをつけた変なマネキンを家の前に飾ったりして、どんどん様子が変になって言った」
 地下のトレーニングルームの貼り紙も、この頃から始まった。

 郷集落から5キロほど離れた別の集落に、ワタルと友一を知る村人がいた。82歳になるその男性は、この地で長らく酒屋を営んでいた。平成16年(2004年)に店を畳むまで、近隣の家へ酒の販売・配達をしていたのだという。
「お父さんはわしもよく知っちょる方じゃある。まあ椅子に座りない」
 男性は、保見の父・友一と、保見の母が生きているころ、郷集落のあの家に酒を配達していた。
「犯人のあれも、話したことがある。まあ、あれがあんなことをするとは思われんような。穏やかな人だと思うちょった。犯人の家はお父さんお母さんの家のすぐ隣に作っちょった。お酒の配達はお父さんが飲みよったけ、そっちの古い方の家に行きよった。お父さんと話するけど犯人とも話する。あそこは夫婦仲もよかったし。喧嘩ちゅうようなことはなかったですよ。犯人のほうも、大きな声をあげてどうじゃこうじゃ言う人じゃなかった」
 郷集落の人々は、酒税法が変わり酒のディスカウント店が都市部にできるまで、めいめい決まった酒屋から酒を頼んでいたという。男性は郷集落では保見家だけに配達をしていた。
 話を聞きながら、ふと、元酒屋だったというその家の土間を見回すと、ワタルとはタイプの違う、前向きな自筆の標語が壁一面にびっしりと貼られていて、そちらに気を取られてしまいそうになった。腕に蚊が止まっても、気づかないのか、そのまま話し続けていた。
「ひと月に一回注文があった。いっぺんに持って行くのが一升瓶10本。多いですよ。わっはっは。よう飲みよったです」
 酒飲みだったが穏やかな家族だった……。こう男性は言うが、郷集落とその近くでは違った評判が立っていた。
穏やかな人≠セったというワタルに関してはこうだ。
「帰った当時は集落の旅行にでも行きよったよ。それならええわけ。でも、仕事をせん! 集落の村の仕事にも出ん。はしからそうなっていったんや。そりゃ人が相手にせんにゃ」
「ものを人にあげるような人じゃなかった。うん、そういうところはなかったですね。飲みに行った人のところに次に行くときさ、ビールの一本ぐらい持って行くとかさ、そういうのが一切なかった」
「なめこがたくさん採れた年に、分けちゃろうとおもって、なめこ食べるか? って聞いたら『おう食うど。しいたけは埃臭いから好かんけどなめこならええど』って、ありがとうはない」
 都会から戻ってきた若者……と言っても、すでにこのとき40代半ばだったが……なのに、年長者たちに礼を言わず、集落の仕事にも参加をしない。川崎・稲田堤に住んでいた時とは違う尊大な態度のワタルに、郷集落の村人たちは距離を置いていった。剛に入りては郷に従え。特に人口の少ない集落においては重要かつ唯一ともいえる処世術になるが、ワタルはこれを拒否し、村人たちもそれを苦々しく思っていた。2009年にワタルが「光成」に改名したが、それを村人たちが知ったのは、事件の後の逮捕報道でだった。

 このように郷集落に戻ってきてからのワタルの、あまり良くない言動は、村人から暇なく聞かれるのだが、報じられていた具体的ないじめ行為については確たる話が出てこない。
 一審公判の冒頭陳述では、近隣住民との諍いの経緯が時系列で明らかにされているが、そこで出たのは「平成20年8月の河村さんとの農薬散布トラブル」、「平成21年5月 飼い犬を巡り河村さんと口論」、「平成25年はじめ 飼い犬のフンをめぐるトラブル」などだった。だがこういう裁判では被害者側の生前の非を隠すこともある。
 事件当時に現場を取材した記者によると、そのときは郷集落に貼られた規制線のため、中に住む村人たちへの取材はできない状況だったことから、金峰山を超えた鹿野町などでも取材が行われていた。そこで記者は、こんな話をする住民に出会ったそうだ。
「せっかくみんなのために買った草刈機を、あぜ道に置いたまま忘れて帰ったら燃やされたっていう話を聞いてました」
 そのほかにも、すでに書いたように「庭に除草剤を撒かれる」「『犬が臭い』と文句を言われる」などの出来事が起こっていたと遠くの村人≠スちは口々に言うのだが、当の郷集落の村人たちに聞いてもそのような話が出てこないのだ。
「あの人だいたい草刈機を持ってなかったから。農家じゃなければあまり草刈機はいらないよね。それに草刈機も、燃えるようなもんじゃない。草刈機をどうかされたっていったら、投げられたとか、刃を壊された、とかならまだわかるけど、草刈機のどこを燃やすんか」
「草刈機を燃やしたとかなんとか聞いたことあるじゃろ。だけどあれはわし、よう知らんのよ」
 そもそも草刈機の存在さえ怪しい有様なのである。

 河村二次男さんは日々、村で起こったワタルとのトラブルを、自分の『県民手帳』に書きつけていた。そこにはこんな記述があった。
「背負式の機械で田んぼに農薬を散布していたら犬がどうとか言っていた」
 これは2008年の出来事なので、冒頭陳述にあった『農薬散布トラブル』とみて間違いないだろう。除草剤ではなく農薬を散布した際に、ワタルが自分の犬を攻撃されていると思ったのではないか。
 一部の村人は河村さんについて「ワタルに色々言われるけえ、ちゅうて、田んぼも手放したんじゃけど、まだ田んぼをやりよるときは、よく農薬まく人じゃったんよ」と、もともと農薬を好んで使う主義だったと話した。
 事件当時取材に答えていた遠くの村人≠スちによる、郷集落でのいじめの話は、ワタルが以前にそうした被害を誰かに話したものが広まっているかのような印象を受けた。犬について文句を言った話は、郷の誰からも聞けなかった。いじめた相手にいじめの話を聞かせてくれと言ってもなかなか話してくれない。そういうことかと思っていたが「あの人がいじめていた」という耳打ちすらされないのである。
 それよりも、ワタルに対する具体的ないじめ≠フ話が村人たちから出て来ないのと対照的に、周辺集落の誰もが知っていたのが、ワタルの父・友一が泥棒だった≠ニいう話だった。

(続く)
https://note.mu/tk84yuki/n/n3cf6b0673398

30. 中川隆[-9120] koaQ7Jey 2019年7月12日 13:35:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3568] 報告
ルポ「つけびの村」03/06 2018/07/24
https://note.mu/tk84yuki/n/nee18a0ab0ef6


2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。


保見友一

 その泥棒≠フ噂高い、保見の父親は、いつから金峰の郷地区に住んでいたのだろうか。集落を訪ね歩いて話を聞くと、皆、大まかには同じことを話した。
「保見のところは、もともとは、同じ金峰でも郷とは違う山の中に住んどった。
 長男は順一。友一(ともいち)は三男。その間に徳市(とくいち)ちゅうのがおる。ワタルの父親が友一。この3人ともが皆それぞれに郷に出て来た。それは戦争前。今から70年くらい前かな。家のあったとこは、あとはなんもない」
「ワタルくんのお父さんらは、山の上の方おっちゃったらしいよ、ほんで降りてきた、わたしらも親が話しよったちゅうぐらいしか知らんからね。入るのはね、河村さんところの道を山伝いにずっと上がるんじゃけど。途中から奥まった山の方へ登るんと思うよ。家とか、もうないない。山しかない。もう誰も住んじゃないよ。昔はそこへ山をちょっと持っとったんじゃろうが、もうそれも誰かに売っちゃったみたいじゃがね。自分らも子どもの頃、あの河村さんとこの奥のところに入ったことはあるけど。山よ。集落はないね」
「なんで越して来たかは知らんね。兵隊取られるかそんな頃やから、昔の話じゃ。兵隊から帰った時にこっち来たんやね」
 たしかに、金峰神社の参道脇にあった保見家の墓や、神社に残された石柱などを確認しても、光成の父親である友一、その兄たちの順一、徳市以外の名前は見当たらなかった。

 郷集落は保見家の南隣に、3人目の被害者山本さん宅と、さらに南方に進んだところに、本来は菅蔵地区だが「もとは郷に住んじょって、そっちに移った」ため、そのまま郷集落の一員として暮らしていた最初の被害者、貞森さん夫妻が住む家がある。保見家の家の裏手にはこんもりとした山が続くが、その手前には東西からそれぞれ流れてくる小さな川が合流している。東側から流れるほうの川に沿った細い道をその上流に向かって歩くと、500メートルほどで河村さんの家に着く。ここまでが郷地区といわれる。この細い道をさらに奥に進めば、県道9号線にふたたび合流するのだが、郷集落の入り口の前よりは道幅が細くなっており、車が一台しか通ることができない。1キロほど曲がりくねった細道を進んだところで、道が南北に分かれている。この周辺にワタルの父・友一とその兄たちは住んでいたという。
 そう村人たちが言う場所は現在、道沿いに家はぽつりぽつりとあるが、朽ち果てた廃墟もあり、今も人が住んでいる家は数100メートルおきに一軒ほどしか見当たらない。山の方を見ても、もはや家らしきものはなかった。
 体に寄ってくる虫を避けながら、保見友一とその兄たちが郷集落に移り住んだ経緯や、住んでからの暮らしぶりを高齢の村人に尋ねてまわると、わりあい話が聞けた。といっても、金峰地区では高齢者しか見かけたことがない。ここでの高齢の村人というのは、後期高齢者に分類されるような者たちだ。

 金峰地区の生き字引と称され、金峰地区のことならばこの人に聞け、と名前の出る男性、田村勝志さん(仮名)は郷集落の隣、菅蔵(すげぞう)集落で長らく農家を営んでいる。友一とは20歳近く年齢が離れているものの、やはり友一とその兄たちのことをよく知っていた。なぜ郷地区に移り住んで来たのかもだ。
「生活ができんようになったから。住んでいたところは、それはもう山の中で、どうしようもない生活しよった。その山の中に一軒家があって、そこに生まれて育ったんやからね」
 友一が移り住んで来たとき、まだ郷地区を東西に走る県道9号線が東方向には伸びておらず、現在の保見家の北側から東にかかる『第二郷橋』付近に家があった。
「まあお粗末な家を作っておったよ。竹をパッと縦に割って、その中の節を落としたものを重ねて行くわけ。でそれが屋根になるわけ。そういう家じゃった」(別の村人)
 郷地区から北東方面に採石場があることから、昔からダンプカーの往来があった。集落の家々の前にある細い道を抜けていたのだが、道幅が狭かったため、1976年代にバイパス工事が行われることになった。このとき友一と妻、そして子供であるワタルとそのきょうだいらが住んでいた家は立ち退きとなり、現在の茶色の建物に移ったのだという。もともと駐在所だった建物をそのまま友一が買った。
 ワタルの父、友一とその兄たちは別々に移り住んで来ている。次男の徳市は事件の被害者となった貞森さん夫妻が住んでいた家に住んでいた。その家を建てたのだという。金峰地区の村人たちは、徳山に近いほうを「カミ」、遠いほうを「シモ」と言う。順一は「シモのほうに住んどった」というが、詳しい場所は誰に聞いても定かではなかった。
 ワタルの叔父にあたる明治生まれの長男・順一の生活ぶりを直接覚えているものは、田村さんだけだ。
「わしが小さい頃、長男は荷車を引いて荷物を運ぶ商売をしとった。ここから徳山まで馬を買って来て荷馬車にして荷物を徳山へ運んできて、徳山で、頼まれたら買って帰るというのを長男はやってた」
 同じく叔父にあたる次男・徳市になると、数名の村人が記憶していた。話は皆共通しており「ブローカーのようなこと」をやっていたという。徳市、友一と交流のあった田村さんの話はこうだった。
「どういったらええかな、請負仕事をして、そして儲かって、土地を買ったり、いろいろ商売をしたりということをやりよった。ここに昭和26年の10月に大きな台風が来たんじゃけど、この辺は死の谷ちゅうて、家もあったけれども、田んぼも何もみな川になってしもて、大変なときがあった。道路という道路、橋という橋がひとつもなくなったんや。それを改修するために土建業の人がものすごいここに入った。そういうときに保見徳市という人は、なかなか頭のいい人やから、すぐにその請負をしたわけね。それで儲かって、まあ、一代をなしたというか」
 昭和26年10月 13日から14日にかけて山口県を襲ったルース台風は、同県に甚大な被害をもたらした。この災害をビジネスの好機と捉えたのが徳市だった。それなりに財を築いたが、徳山市に出ていた徳市の長男が脳溢血で急逝したことで潮目が変わる。その妻が、家の財産を奪ってしまったのだという。
 とはいえ長男・順一も、次男・徳市も、郷地区に移り住んで来てから仕事をしていたが、ワタルの父、友一だけは違っていた。どのように暮らしていたのかと村人たちに尋ねると、こんな答えが返って来るばかりなのだ。
「あんまりに働かないおじさんでね。上手いこと言って安い酒を人に高く売りつけてお金をあれしたりとか。人の作ったカゴを自転車の後ろにつけて売ったり。それで時々仲買に出たり。体がでかいおじさんだったけど、勤勉に働くような人でもなくて。それでいつも将棋をやっていてね。バスが来てたんですよ、で、バスが止まるといつも運転手さんと早将棋をやっていた」
「カゴを売る仕事のほかは、戦後に植林ブームちゅうのがあった。山を綺麗にして、苗木を植えて、下刈りをして、下刈りもだいたい5〜6年やりよるから、ひとつ受けたら6年間は仕事がある。あんまり定職ちゅうのはなかったね」
 金峰地区の産業は、今も続いている農業や椎茸栽培のほか、かつては製炭や畜産、そして竹細工も盛んだったという。友一は付き合いのあった竹細工職人から安く仕入れた籠を、高く売りに行っていたほかは、植林ブームに乗り一時期その仕事に従事していた。友一の妻、つまりワタルの母親は「和裁ができた」というが、どこかに勤めに出ている様子はなく、近所のものたちの農作業を手伝い、報酬に農作物をもらっていたことがあった。

 1月の取材で聞いていた友一は盗人≠セという噂について村人たちに尋ねると、他の兄弟の話と同じく、皆が同じ話をした。
「あの家の中に縁側があって、そこで2〜3人集まって酒を飲んでいるちゅうのが友一の日常生活じゃった。酒を飲むのも、自分は酒がないから、来た人をうまい具合にごまかして、酒代をとって、いうような感じ。それで人をごまかす。だから相手にするなという風評が高まった」
「保見友一って誰も呼びやせん。友のアカの人≠ソゅうふうに言いよった。アカっちゅうのは、盗人のことやな。米も洗濯物も盗られる。盗んで着るんじゃから、すぐ分かるよ」
「今なら笑えるようなものを盗りよったらしいよ。まあ洗濯物とか、カボチャとかやね」
「友一は子供がたくさんいたし、非農家じゃったから、田んぼがない。終戦後、食べ物にすごく困っている時があった。昔は水車を回して米を挽いていて、農作業に出る前に水車のところに置いて出て行っとった。そして帰ってその米を炊いて食べるんじゃけど、それを盗んだとか、カボチャを盗んだとか」
 米やカボチャ、洗濯物を盗み、家に来た者から酒代を取る……友一に関しては良くない話≠オかなかった。酒代については、被害に遭えばすぐに犯人が分かる類のものなので信憑性は高い。けれども農作物や洗濯物の盗みの話は、いまとなっては本当だったか確かめようがない。同じように、本当に泥棒だったのか確信を持てないと話す村人もいたのだが、友一が盗人だといううわさ≠ヘ、話を聞いた全員が知っていた。

 田村さんは述懐する。
「保見友一は人気がなかった。自慢をしたりなんかするから、あんまり付き合いをする人がいなかった。
 今日のような暑い日に皆は田んぼや畑へ出て仕事をするが、あの人は田んぼを作らないからね。まあ左うちわっちゅうか、皆が暑い暑いと言いながら仕事しとるときに、家の中で涼しい風に当たって、夕方にちょっと出て散歩をするというぐあいに、皆と生活の態度が違ったんやな。そういうところから嫌われ始めた。わしらが汗水流して働きよるのに、働かんと、人をごまかして、生活をして、高い目線で見よるというようにな」
 金峰地区では田や畑を持っているのが一般的だ。友一は「非農家」で、田も畑も持っていなかった。ならばふたりの兄のように仕事をして金を稼ぎ、食べ物を調達しなければならない。それなのに定職についている様子はなく、農作業もやる様子はない。人から金をチョロまかして酒代を多めに取る……そのような暮らしをしていたために、村人たちから白い目で見られていた。
 また金峰地区には集落ごとに自治会があり、2年に一度、選挙で会長が決まる。役員は自治会員らで話し合いをして決めるのだが、生前、友一は役員になれなかった。それが集落の者たちの故意だったのかは定かではないが、友一はそれを気に病んでいたという。ワタルが関東から戻って来たとき、友一とその他の村人との間にはこうした空気が熟成されていた。
 都会で金を貯めて戻って来た。近代的な一軒家を建てて「村おこし」をしたいなどと言い出す。それも単なる都会上がり≠ェ都会風を吹かせているだけではない。よりによってあの盗人の家の子が、そう言うことを言っている……そんな認識が、集落の村人たちにあったのだ。快く思わなかったのは容易に想像がつく。

金峰

 金峰地区の村人たちと保見家の関係がよく分かるものが、村の中にある。保見友一の眠る墓である。
 かつて『シルバーハウスHOMI』だった保見家から県道を挟んだ向かいから伸びる、金峰神社の参道をのぼった。石段はところどころ途絶え、急勾配のけもの道になっている。左手にタオルを持って虫を払いながら、拾った長い枝を空いている右手に持ち、杖の代わりにして本殿を目指す。両脇に並ぶ高い杉の木のせいか、晴れていても山道は薄暗く、足元の土は湿っていて、何度も滑り、この杖に助けられた。
https://note.mu/tk84yuki/n/nee18a0ab0ef6

31. 中川隆[-9119] koaQ7Jey 2019年7月12日 13:36:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3569] 報告

ルポ「つけびの村」 04/06 2018/07/25
https://note.mu/tk84yuki/n/n8dbf7f16be07

2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。

『コープの寄り合い』

 相変わらずほとんど人が歩いていない金峰地区で私は、村人が恐怖する金曜日朝の『コープの寄り合い』が行われていた家に住んでいた、吉本茜さん(仮名)の現在の居所を聞いてまわった。ワタルの父・友一やその兄たちの居所を訪ねた時も感じたが、この地区の人たちは、村人の転居先にも詳しい。何人かに聞くと、だいたいの場所がわかった。
 吉本さんは事件の後に集落から離れた街に引っ越し、息子たちと住んでいるという。金峰地区の村人だけでなく、少し離れた地域の村人も、吉本さんの名前、経歴や人柄を詳しく知っていた。むろん、引っ越し先の詳しい場所もである。ワタルよりも有名人だ。
 若い頃には学生運動をやっていたとも聞いた。郷集落に戻って来てからも、熱心に環境問題に取り組んでいたという。実はこの吉本さんは、ワタル逮捕後の起訴前鑑定で名前が出ていた人物だ。鑑定を担当した山口県立こころの医療センター・兼行浩史医師は、鑑定当時ワタルが被害念慮を抱いていたことに触れ、その対象を「吉本さん以外全ての人に対して持っていた」と述べていた。
 村人がおそれる危険な『コープの寄り合い』で情報を司っていた中心人物≠ナありながら、ワタルは吉本さんだけには「被害を受けている」と感じていなかったというのである。一体全体、どういう関係性を築いていたのだろうか。
https://note.mu/tk84yuki/n/n8dbf7f16be07

32. 中川隆[-9118] koaQ7Jey 2019年7月12日 13:37:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3570] 報告
ルポ「つけびの村」 05/06 2018/07/25
https://note.mu/tk84yuki/n/ne4995dd23077



2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。


『金峰百年の歩み』

 ワタルは友一とその妻との間に生まれた5人きょうだいの末っ子ということはすでに1月の取材で知っていたが、まだ存命であるならば、誰か一人にでも話を聞きたい。
 また友一の兄である順一、徳市はすでに亡くなっているが、その子供達は、ワタルとは従兄弟の間柄である。子供時代に付き合いがあってもおかしくはない。
 周南市立中央図書館に用意してもらっていたのは『金峰百年の歩み』という本だ。金峰地区に近い鹿野町にある、周南市立鹿野図書館に問い合わせをした際、この本が所蔵されていることを聞き、あらかじめ中央図書館に送ってもらっていた。
 郷地区にある「金峰杣(そま)の里交流館」は公民館の役割を果たしており、事件当時、村人たちがここに避難していたことはすでに書いた通りである。ここは以前、金峰地区の子供達が通う「金峰小学校」だった。明治8年(1875年)に須万小学校分校として開校し、明治20年(1887年)には分校から独立。郷簡易小学校など名称は何度か変わったが、戦後に金峰小学校となり、昭和50年(1975年)に100周年を迎えた。これを記念し、卒業生らの手によって昭和51年(1976年)に刊行されたのが『金峰百年の歩み』だ。
 生徒数は明治後期から戦後がピークだった。明治42年(1909年)には117人、大正11年(1922年)には113人、そして昭和21年には最大の169人となる。昭和30年代には、須万小学校の一部だった奥畑分校が金峰小学校の分校となっていたが、両校とも生徒数の減少が続き、昭和48年(1973年)には生徒数2人となった奥畑分校が金峰小学校に統合された。100周年を迎えた頃は生徒数が11人となっていた。
 それでもこの年は、卒業者名簿の編纂や祈念碑の制作とその設置、本書の作成、記念式典のほか、金峰小学校の全室にカラーテレビが設置されるなど華々しい行事が続いたが、児童数の減少には歯止めがかからず、100周年からわずか3年後には鹿野小学校金峰分校へと改校される。平成4年(1992年)には生徒がひとりだけとなった。その児童が卒業した平成7年(1995年)には在籍児童数がゼロに。卒業式の半月後に休校式が行われ、平成15年(2003年)には廃校となった。
 ページをめくると最後のほうに「金峰小学校卒業生一覧表」があるのが目に留まった。明治27年度から、昭和50年度までの卒業生の名が並んでいる。眺めると今回の事件の被害者や、ワタルの名前も確認できた。
 別のページには一部の卒業生が刊行に合わせて学校の思い出話を綴った作文が掲載されている。そこにワタルの父親、保見友一のものがあった。
https://note.mu/tk84yuki/n/ne4995dd23077

33. 中川隆[-9117] koaQ7Jey 2019年7月12日 13:38:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3571] 報告
ルポ「つけびの村」 06/06 2018/07/25
https://note.mu/tk84yuki/n/ne6061a373ac6


2013年7月に山口県周南市で発生した山口連続殺人放火事件について、2017年に取材し、まとめたものを6回に分けて公開します。存命の関係者のお名前は全て仮名です。2017年9月7日脱稿、その後少し寝かせていました。


 ポパイが今も思いを寄せる飼い主のワタルに面会するため、広島拘置所へ向かった。その日の広島駅周辺は、朝から曇っていた。蒸し暑く、歩いていると髪が湿気を含む。ホテルから10分ほどしか歩いていないのに、広島拘置所に着く頃は髪が膨らんでボサボサになっていた。
 地方都市では城や城跡の近くに役所や裁判所が置かれていることが多い。ここ広島も例に漏れず、広島城のそばに裁判所があった。だが拘置所となると事情は異なり、必ずしも城の近くにあるというわけではないのだが、ここは拘置所が裁判所と同じブロックにある。拘置所敷地の外壁には、浮世絵のようなタッチの、海の上に多数の船が浮かぶ絵が描かれていた。拘置所の職員にこの絵の由来を訪ねたが「さぁ……なんでしょうね」と、何を知っているわけでもなかった。


 狭く古い待合室で、グレーの汚れた壁を見ながら待っていると、あっという間に番号が呼ばれた。スピーカーから流れて来る職員の声が大音量で割れている。キーンというハウリングの音とともに、こう聞こえてきた。

「四番面会室にお入りください!」

 面会室に入るとすぐに、ワタルが入って来た。アクリル板越しのワタルは、黒い半袖Tシャツにグレーのスウェットズボンを履いている。金峰地区の村人達はワタルを「体がでかいけぇね」と言っていたが、確かに背丈もあり、体格もがっしりとしていた。骨太な姿が、須金で会った長女の娘、ワタルの姪に似ている。ホームベース型の顔は、原始人のようにも見える。まず挨拶をして、面会に応じてくれたことに対する礼を言ったのだが、ワタルは聞いているのかいないのか「時間がないけぇね」と言いながらすぐにパイプ椅子に座った。挨拶をしないという噂は本当だ。
 ワタルは会話のキャッチボールをする気がないのか、面会時間が15分しかないために自分の思いをすべて伝えたいと焦っているのか、こちらが質問する隙を与えない。持っている資料の束をひとつずつ広げながらアクリル板に押し付けて私に見せながら、まくしたてた。
https://note.mu/tk84yuki/n/ne6061a373ac6

34. 中川隆[-11329] koaQ7Jey 2019年9月18日 08:32:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1462] 報告
「認知の歪み」が諸悪の根源だった 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 2019年9月18日
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?all=1


非行少年
本人の主義主張などとは関係なく、純粋にすべてが歪んで見える人たちが一定数存在している

 このところ、様々な事件やトラブルに関連して登場するキーワードが「認知の歪み」というものだ。

 もともとは心理学用語で、「レッテル貼り」「白か黒かの思考法」「拡大解釈、過小解釈」等々、さまざまなパターンがあるとされている。ごく大雑把に言ってしまえば、事実や現実を適切に解釈、受け止められない思考様式のことだと考えてもいいだろう。

 たとえば最近では、「親韓」「反韓」双方が、互いに「あっちの認知が歪んでいる」、と批判しているという見方が可能だろう。前者からすれば「反韓」の人たちは「いたずらに嫌韓感情を煽るとんでもない人たち」であり、「身の危険すら感じる」という主張をすることになる。後者からすれば、「親韓」の人たちは「現在の文政権の非道、危険に目をつぶる人たち」であり、「国益を考えていない」ということになる。双方とも、相手のことを「現実を正確に認識できていない」として、批判をしているという構図。つまり互いに「認知の歪み」がある、と考えている。簡単に言えば双方が「レッテル貼り」をしているとも言える。

 他に「認知の歪み」が話題になった最近の事例は、大雨で川が氾濫し、流域に取り残されてしまった人たちへの論評の際だ。

「大雨が降るってあれだけ警報が出ていたのになぜ川に遊びに行くの? 理解不能」

 そんな疑問から、彼らには「認知の歪み」があるのではないか、といった指摘がネット上では相次いだ。台風が来ることはわかっていたにもかかわらず、わざわざ子ども連れでバーベキューを楽しもうと考えるのは、常識的な判断とは言えない。つまり警報の意味をきちんと受け止めることができていない。ここにも一種の「歪み」が見られる。これは前述の「過小解釈」にあてはまるのかもしれない。

 ただ、ここに挙げたような例は、実際には「情報リテラシー」の問題だとも言えるだろう。情報を受け止めるところまではできているが、それぞれが抱えているイデオロギーや、あるいは思考のバイアス(「俺たちだけは大丈夫!」)によって、間違った処理をしている、ということだ。

 一方で、もっと深刻な「認知の歪み」も存在している。本人の主義主張などとは関係なく、純粋にすべてが歪んで見える人たちが一定数存在しているのだ。

 医療少年院に勤務した経験を持つ精神科医、宮口幸治氏の新著

『ケーキの切れない非行少年たち』
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%81%AE%E5%88%87%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E9%9D%9E%E8%A1%8C%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%AE%E5%8F%A3-%E5%B9%B8%E6%B2%BB/dp/4106108208/ref=as_li_ss_tl?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%9D%9E%E8%A1%8C%E5%B0%91%E5%B9%B4&qid=1568360596&sr=8-1&linkCode=sl1&tag=dshinchoweb-22&linkId=310d6548c356ee04b83e1b9ea3cf1627


には、衝撃的な事例が紹介されている(以下、引用はすべて同書より)。

 医療少年院に勤務してすぐ、宮口氏は少年院の中で最も手がかかっていた少年の診察を頼まれた。

「少年院で『手がかかる』というのは、学校で『手がかかる』というのとは次元が違います。その少年は社会で暴行・傷害事件を起こし入院してきました。少年院の中でも粗暴行為を何度も起こし、教官の指示にも従わず、保護室に何度も入れられている少年でした。

 ちょっとしたことでキレて机や椅子を投げ飛ばし、強化ガラスにヒビが入るほどでした。いったん部屋で暴れると非常ベルが鳴り、50人はいる職員全員がそこに駆け付け少年を押さえつけて制圧します。

 制圧された少年は、トイレしかない保護室に入れられ大人しくなるまで出てこられません。そういったことを週に2回くらい繰り返していた少年でした」

 そんな情報があったので、宮口氏は内心びくびくしながら診察にのぞんだ。ところが、実際に部屋に入ってきたのは、小柄で痩せていておとなしそうな表情の、無口な少年だった。質問にも「はい」「いいえ」くらいしか答えない。

 あまり会話が進まないので、宮口氏は診察中のルーチンとして行っていた「Rey複雑図形の模写」という課題をやらせてみた。下のような複雑な図形を見ながら、手元の紙に写すという課題である。認知症患者に使用したり、子どもの視覚認知の力や写す際の計画力などをみたりすることができるという。(図1)


図1
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?photo=2


 意外にも少年はすんなりと課題に一生懸命取り組んでくれた。

 が、そこで宮口氏は「生涯忘れ得ない衝撃的な体験」をすることになる。

 少年の写した絵は、下のようなものだったのだ。(図2)

図2(少年が描いたものを著者が再現)
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?photo=3

 宮口氏はこう解説する。

「これを見た時のショックはいまだに忘れられません。私の中でそれまでもっていた発達障害や知的障害のイメージがガラガラと崩れました。

 ある人に見せて感想をもらったことがあるのですが、彼は淡々と『写すのが苦手なのですね』と答えました。確かにそうかもしれませんが、そんな単純な問題ではないのです。

 このような絵を描いているのが、何人にも怪我を負わせるような凶悪犯罪を行ってきた少年であること、そしてReyの図の見本が歪んで見えているということは、“世の中のこと全てが歪んで見えている可能性がある”ということなのです。

 そして見る力がこれだけ弱いとおそらく聞く力もかなり弱くて、我々大人の言うことが殆ど聞き取れないか、聞き取れても歪んで聞こえている可能性があるのです。

 私は、“ひょっとしたら、これが彼の非行の原因になっているのではないか”と直感しました。同時に、彼がこれまで社会でどれだけ生きにくい生活をしてきたのか、容易に想像できました。つまり、これを何とかしないと彼の再非行は防げない、と思ったのです。

 私はすぐに少年院の幹部を含む教官たちにも絵を見せたのですが、皆とても驚いていました。ある幹部は『これならいくら説教しても無理だ。もう長く話すのは止めよう』と言ったほどでした。

 すぐに理解してくれたのはいいのですが、私が意外だったのは、ベテランの教官たちがどうしてこれまでこういった事実に気付かなかったのか、ということでした。

 気付かずに『不真面目だ』『やる気がない』と厳しい指導をしていたのか。だとしたら、余計に悪くなってしまうのです」


少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する


 実際に、その後、宮口氏はこういう「歪み」を抱えた少年たちと数多く出会うことになる。

「もちろん、障害のある少年だからといっても犯罪行為は許されることではありません。しかし、本来は支援されないといけない障害をもった少年たちが、なぜこのような凶悪犯罪に手を染めることになったのかが問題なのです。

 これまで多くの非行少年たちと面接してきました。凶悪犯罪を行った少年に、何故そんなことを行ったのかと尋ねても、難し過ぎてその理由を答えられないという子がかなりいたのです。更生のためには、自分のやった非行としっかりと向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察などが必要ですが、そもそもその力がないのです。

 つまり、『反省以前の問題』なのです。これでは被害者も浮かばれません」

 彼らに欠けているのは、見る力や写す力だけではない。次回では、さらにこうした「反省以前」の子どもたちの実態を見てみよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?all=1

35. 中川隆[-11313] koaQ7Jey 2019年9月18日 09:18:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1478] 報告

阿修羅掲示板でデマを垂れ流している「認知の歪み」が酷い投稿者は脳自体に障害が有るのですね:

「子どもの脳が危ない」 福島 章(上智大学教授)
 2001年 1月20日 に行われた講演より
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_01/pico_30.html

 

 私は、若い時から犯罪者、非行少年の鑑定をやってきました。簡易鑑定を300例、本鑑定を300から400例ぐらいやっています。MRI(核磁気共鳴映像法)やCTスキャン(コンピュータ断層撮影)で脳の形態を見ていますが、以前は、気脳写といって、脳の中に空気を入れて見るという方法でした。殺人のような重犯罪者、特に何人も殺したような例では、脳に異常があることが分かりました。


犯罪は増加しているか

 今、日本人全体の脳がおかしくなって、凶悪な犯罪、特に少年のそれが増えているというわけではありません。少年の犯罪検挙者数の推移をみると、戦後に大きな山があって生活型の非行、60年代前半に第2の山があり反抗型非行、粗暴な非行が中心です。豊かになった80年代に第3の山がきて、財産犯、万引きや自動車泥棒、これはスリルを楽しむためというので、遊び型非行と呼ばれます。

 90年代半ばには減りますが、ここ数年増大しています。これを第4の波として、警察、マスコミ、法務省が少年非行激増キャンペーンをしています。しかし、98年がピークで、そのあと減っています。ほとんどが窃盗のような小さい犯罪で、お巡りさんが増えたために、検挙者も増えたという側面も考えられます。

 少年による殺人事件数は、以前は年400件前後だったのが、70年代から100件以下です。昔は数が多くて、いちいち詳しく報道されなかったのです。97年に神戸の14歳の少年による連続小学生殺傷事件が起きて、大きな衝撃を与えましたが、その年は75人でした。マスコミが大きく、詳しく書くほど、似た犯罪が起きるので、翌年は150人に増えましたが、99年には111人まで下がりました。少年による殺人はここ3年やや増加していますが、激増というわけではありません。

 大人を含めた数では、60年ぐらいは年間3000件あったのが、世の中が豊かに落ち着いてくると、激減します。90年くらいが底を打った年で、最近少し増えています。しかし、日本の安全神話が崩壊したとか、「殺人列島」とマスコミが書く程ではありません。殺された人の年齢別数を見ると、69年では20代がかなり殺されていましたが、94年では、50代の方が若者より上です。今の子供は狂暴で、何をするか分からないと言っている世代の方が、若い時も今も殺されている数が多いのです。今の若者の方がむしろ全体としてはお互いに平和で、男女差も開いていません。


犯人の症例からみた形態異常

 最初は杉並の家族4人放火殺人事件です。幼児の教育をめぐってというささいな理由で家族4人を殺し、家を全焼させました。犯人は普段大人しくて内向的でした。MRIでは、脳が腫瘤によって裂け目ができていました。

 九州の妻子3人殺人事件の犯人は、最初会った時は、強いうつの状態でした。しばらくして会うと、軽い躁状態でした。MRIで、脳の形成期に起こった奇形が見られ、そのせいで、躁とうつが入れ替わる気分循環性障害になっていると診断しました。

 女子校生監禁コンクリート殺人事件の犯人では、主犯格の少年のMRIでは脳には穴があいていました。風景構成法という、風景画を書かせる心理テストをやらせると、要素をバラバラに描く構成放棄が見られました。

 連続殺人を犯した若い女性犯の例では、動機が薄弱で、衝動的な性格の境界人格障害であることが分りました。幼児期の重症のチックや、思春期危機などの病歴がありました。MRIでは、広範囲に神経細胞の脱落や、脳の皺が細かすぎるところなどが見られました。

 栃木県の幼女誘拐殺人犯は、形の上では異常はなかったものの、全体に脳が小さい、小脳症でした。

 前科もないのに急に強盗殺人で2人殺した若い女性犯は、くも膜のう胞や脳の萎縮が見られました。脳波を測ると、6サイクル陽性棘波というてんかんに似た異常がありました。


犯罪群別の有所見率の比較

所見 形態学的異常 脳波学的異常 いずれかの異常
あり なし 合計 あり なし 合計 あり なし 合計
重大殺人 15
(60%) 10
(40%) 25 21
(84%) 4
(16%) 25 23
(85%) 4
(15%) 27
その他 3(21%) 11
(79%) 14 6
(33%) 12
(67%) 18 7
(35%) 13
(65%) 20
合計 18 21 39 27 16 43 30 17 47
χ2 検定 p < 0.005 p < 0.001 p < 0.001


臨床統計で有意差

 10年で50例ぐらいの症例が集まりました。重大犯罪の方が、脳の質的な異常、量的な異常、脳波の異常のケースが目立ちました。これを集計してみると、重大殺人犯は形の異常が60%、他の人は20%と明らかに有意差が出ました。脳波の方がもっとはっきり有意差が出ました。この結果、殺人、特に重大殺人を犯す人は、脳に形態学的な、あるいは脳波的な異常があるということを、97年ころから学会に発表し始めました。脳の異常を微細な脳気質性変化症候群、英文で略してMIBOCSと命名しました。これは、胎児期から乳児期の初期までの脳形成期に形成異常があったためであると考えられます。

 ハンマーで関節を叩いて反射を診る神経学的検査という方法もあり、昨年の佐賀のバスジャック犯の鑑定では、ハンマーで叩くと右の反射が昂進していることが分かりました。MRIでは異常がなかったのですが、脳波では陽性棘波が出たので、やはり脳に異常があるということが分かりました。

 18年前の金属バット殺人事件、30年前の同級生首切り殺人事件でも、脳の萎縮がみられます。情緒性欠如の人は脳の側脳室の拡大、つまり隙間が大きく、医療少年院に入る子の多くにこれがみられることは、73年ころにすでに分かっていました。


外国での研究結果

 外国ではレインという人が系統的にやっています。研究のために英国から南カリフォルニアへ移った人です。殺人者の脳では、人間的感情や道徳心をつかさどる前頭葉で糖代謝が低下しています。PETという同位元素で脳内の代謝を見ると、衝動殺人では、前頭葉では糖代謝低下、本能をつかさどるところでは昂進していました。計画殺人では代謝の変化は見られませんでした。また別の研究では、殺人者のうち社会的な剥奪、虐待があった家庭出身者には脳の異常が見られないという結果が出ています。

 殺人に限らず、人間の行動は、バイオ、サイコ、ソーシャル、つまり生物的、心理的、環境的、それらの関数として起こるのであって、総合して考えなければならないということで、私は多次元的な診断を提唱しています。


化学物質との関連

 脳の異常に、化学物質が影響したという例がありました。92年の市川の一家4人強殺事件で、犯人の少年は、胎児期に、母親が流産防止に飲んでいた多量の黄体ホルモンに曝されました。この黄体ホルモンには男性化作用があるため、脳が超男性脳になって、高い攻撃性を獲得したという鑑定を私は裁判所に出しました。人の脳は最初はみんな女性脳として発生し、男性はアンドロジェンの働きで男性脳になります。ここで屈折するために、攻撃性、暴力性、高い活動性などの特徴が出てきます。この少年は男性化ホルモンによってさらに屈折して、超男性脳になったのです。

 アメリカのライニッシュという人が、胎児期に合成黄体ホルモンに曝された子どもの攻撃性が、そうでない子の倍以上に増大していると発表しています。

 環境ホルモンでも、男性化ホルモンが働くと、攻撃性が高まり、キレる、凶悪な非行が増えると考えられます。しかし女性化ホルモンが働くと、優しい子どもになります。今の子どもが全体としては優しくなっているのは、そのせいかもしれません。

 子どもの脳は2歳まで発達し続けるので、この間にどんな物質に曝されるかが重要になります。ダイオキシンも母親の体内や母乳から転移して、脳の中に入ります。


ADHD

 注意欠陥多動性障害ADHDが社会問題になっています。80年にアメリカで診断基準DSMができて、その時は微細脳障害MBDと言っていました。集団不適合や学級崩壊、学習障害LDなどをもたらしますが、多くは成長するとグロウンアウトと言って、健常人になります。思春期になって行為障害CDになった人も、多くは健常人に、成長して一部が反社会的人格障害や精神病になります。アメリカでは80年に3%、94年は5%に増えています。五大湖周辺では10%にもなるといいます。ADHDは症候群なので、100ぐらいの病気からなっていると言われていて、化学物質もその原因の一つとして考えられます。


子どもたちの性格の変化

 総理府からの委託で、普通の子どもがどう変わって行くか、2つの中学校を79年から追っています。バームテストと言って、樹木を書かせて自己像を探るようなことをしています。全体的には優しく、おとなしくて想像力の豊かな子が増える一方、少数だが自閉的で空虚で、衝動的、キレやすい子とに、二極分化が進んでいます。後者の割合がだんだん多くなっています。

 新しい世代は、生まれてすぐから、大量のイメージ情報に曝されて、論理的より、イメージ的に、行動原理も現実的より快楽的になっています。このため、コンピュータのOSにあたるものが大人と全く違ったものになっています。自殺もおおむね減っていますが、86年の岡田有希子の自殺で増えたり、97年の神戸の事件で少年の殺人が増えたように、マスコミ情報の影響を受けやすくなっています。


【質疑応答】

Q ADHDの治療に薬を使うことへの先生のお考えは?

A ADHDでもなにが原因でなっているか綿密に調べる必要があります。リタリンという薬は効くけれども、症状を抑えるだけの薬で、他の心理的、社会的な総合的手当てが必要です。必要な一定の時期だけ飲ませるというのは一つのポリシーだと思うが、副作用については十分に検証されていません。しかし、日本ではもっと使ってもいいのでは。アメリカは逆に使い過ぎという気がします。


Q 子どもが17歳になる前にMRI検査を受けさせた方がいいか?

A MRI検査で異常のある人の大半は何の問題もなく過ごしているので、その人に異常があると知らせた方がいいかどうか。子どもの異常は保護者が一番よく分かるので、普通に可愛い子だったら、何もしなくていいでしょう。


Q シックハウスや化学物質過敏症と脳の障害との関係は?

A 専門外で分かりませんが、市川の4人殺しの少年は赤ちゃんの時から全身のアトピー性皮膚炎でした。


Q 脳のOSが変わってしまうと、文化が変わってしまうのか?

A 人類の歴史の中で環境変化は何度もあって、それに対応して生き延びてきました。ただ、新旧世代にギャップがあるのだから、感情的にならずに、互いに理解しあう努力は必要でしょう。脳の他にいくつかの因子が全部揃った時にしか事件は起こさないので、親が暖かく愛情をもって育てれば非行にはなりませんから、安心して下さい。もし私の本『子どもの脳が危ない』が、善良な方に不安を与えたとしたら、お詫びします。


Q 少年法改正の厳罰化をどう考えるか?

A 脳には問題がなく、普通にぐれて非行に走った子の方は予後が悪く、脳に欠陥のある「いきなり型」は成人になって予後がいいのです。脳の欠陥と思春期変動が重なった時に問題が起こるので、成熟すると普通の人に戻ります。厳罰化で犯罪が減るとは思えません。むしろ犯罪報道を今の10分の1にすれば、少年非行は半分になると思います。報道に触発される要素が大きいので、市民運動で報道自粛を働きかけていただけたらありがたいです。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_01/pico_30.html

36. 中川隆[-11312] koaQ7Jey 2019年9月18日 09:20:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1479] 報告

「認知の歪み」が酷い人が日常的に体験している恐怖体験とは


【ホラー】 コワイ女 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%80%91%E3%80%80%E3%82%B3%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%A5%B3

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