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ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 19 日 02:08:26: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:01:40)

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった


Debussy - Prélude à l'après-midi d'un faune - Leningrad / Mravinsky


Debussy Prélude à l'après-midi d'un faune Inghelbrecht


DUTOIT, Debussy Prelude a l'apres-midi d' un faune


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ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」2014 NOV 25 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/11/25/ドビッシー-「牧神の午後への前奏曲」/



ピエール・ブーレーズは「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まったと評価している。


パーヴォ・ヤルヴィが98年にロンドンのロイヤル・フェスティバルでこれをやった時のことは忘れない。比較的前の方で聴いていたら、オーケストラのいる舞台空間を「音が明滅しながら移動する」のがあたかも点描画を観るように目に見えた気がしてびっくりした。70年の大阪万博のドイツ館でシュトックハウゼンの電子音楽をやっていて、ドーム状の高い天井に設置した多くのスピーカー間を音がすばやく移動していく。それを思い出してしまった。


もしかして牧神のスコアには楽器の物理的な位置(位相)というものが設計されていて、ヤルヴィがそれをシアター・ピース化して表現することを意図したのではないかとさえ思う。印象派的な音のポエムと見なされている音楽が、この日以来がぜん僕の中では現代音楽になった。


ドビュッシーは半音階、そして全音ばかりを重ねた音階を使用して、どこの民族風でもない旋法を生んだ。国籍、アイデンティティのない音のブロックに機能和声のルールは適合しないという形で、ワーグナーのトリスタンとは違う形で彼は自由を手に入れたように思う。30歳より着手し、出世作となった。


「詩人 マラルメ の『牧神の午後』(『半獣神の午後』)に感銘を受けて書かれた作品である。” 夏の昼下がり、好色な牧神が昼寝のまどろみの中で官能的な夢想に耽る”という内容で、牧神の象徴である「パンの笛」をイメージする楽器としてフルートが重要な役割を担っている」


故意に楽器が機能的に鳴りにくいcis音のpで始める。その不安定でおぼろげな感じが牧神のまどろみをイメージさせる。このcisによる印象的な開始が、ストラヴィンスキーによって楽器をファゴットに替え、やはり鳴りにくい楽器の限界に近い高いc音で意図的に開始する革命的な音楽(春の祭典)を生んだとすれば、まさにブーレーズの指摘通り、この曲をもって現代音楽は始まっている。


この開始は5年前に作曲された交響組曲「春」のそれに似たムードを持っているが音楽の密度と成熟度は格段に差がある。cisから半音階をたどってなめらかに下降した音が最も遠い増4度のgで止まる。その間の5つの音は1小節で全部使っている。伴奏のないこの旋律、調性もうつろにまどろんで聞こえる。なんとも挑発的な開始だ。


このcis-gの増4度(augmented fourth)、主調のホ長調と変ロ長調の増4度について、vagueness(あいまいさ)ということでバーンスタインが講義している。確かにこの曲はTritone(悪魔の音程、増4度)が支配している。


Bernstein discusses how Debussy creates musical ambiguity


おっしゃるようにホ長調で開始した曲が変ロ長調を経由して、ホルンがbの増4度eを通って上昇しfisに至り、11小節目で音楽はニ長調!になる。そこで f から半音だけそおっと上がるホルンのブレンドがうまくいったゾクゾクする効果 ! セクシーと書くしかなく僕はこれがたまらない。しかもこのホルンはすぐ消えて、同じfisはクラリネットに引き継がれているのだが、ほとんどの人は気づかないだろう(いや、気づかないように演奏されるのが一流の証なのだが)。


そこで微妙に色彩が変化している!
もうため息をつくしかない。ヤルヴィの教えてくれたシアター・ピース的な位相変化、そしてそのfisの管弦楽法による絶妙な色彩変化。これはストラヴィンスキーが春の祭典の各所にもちこんだし、特に後者はメシアン、シェーンベルクを通じてブーレーズに引き継がれていくのである。冒頭の彼の言葉が包含するのはそういうことなのだと僕は解釈している。


さらに、大好きなのはここだ。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2014/11/debussy1.png


オーボエの旋律が入るAnimato、次々と調を変えて音楽が大きなうねりを迎える部分だ。ここは僕の中ではギリシャだ(本当にマラルメの詩がそうかどうかは知らないが)、ダフニスとクロエの世界!もう最高である。

この先、音楽は変ニ長調で交響詩「海」を思わせる雄大で広々とした歌となる。冒頭のフルートにハープで和声がつき、調性はホ長調、ハ長調、変ホ長調、ロ長調と変化し冒頭のcisで始まるホ長調に回帰する。しかし牧神の心はまだ休まらず、三連符の旋律がかき乱す。もう一度冒頭旋律が今度は嬰ハ長調の7度和音で現れ、徐々に心は落ち着いて音楽は遅くなる。
すると突然にテンポを戻してオーボエが何かを告知するかのようなハ長調の旋律を奏でる(下のa tempo)。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2014/11/debussy2.png


そこからの2小節でホ長調に戻す和声のもの凄さには絶句するしかない。ここにくるといつも時が止まったようであり、この音楽の魔法の呪文にかかって動けなくなる。最後のすずやかなアンティーク・シンバルで我に返るまでの金縛りを味わうことになるのだ。本当に美しい。


何という素晴らしい音楽だろう!ドビュッシーはこれを書いたころバイロイトでパルシファルやマイスタージンガーを聴いて、のちにはその限界を感じてアンチワグネリアンとなる。しかしこの牧神のスコアを見ると、和声やチェロの走句など様々な部分にトリスタンやマイスタージンガーを見る。
お示ししたピアノスコアはKun版。僕はBorwick版を買ってしまい三段譜になる部分はお手上げだったが、こちらはより簡明で弾きやすい(petrucciから無料でダウンロードできる)。できればご自分で弾いて、この曲の奇跡のような和声を味わっていただきたい。

ジャン・マルティノン/ フランス国立放送管弦楽団


冒頭の模糊とした情緒、フランス的な管の味わい。オケの各パートからこれはこういう曲だという確信をこめた音が鳴っている。フルートのフレージングと絶妙なテンポの揺れはなまめかしく、オーボエ、イングリッシュホルンのアシ笛のような音色は最高だ。この音楽の雰囲気がダフニスとクロエにつながるフランス音楽の系譜を感じる。それを教えてくれる稀有の名演である。



ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団


スコアを一切デフォルメすることなくさらっと自然体で鳴らしているのにこんなに楽器のバランスが素晴らしい演奏はない。最高の気品がある分、エロティックな雰囲気はやや後退するが、耳がくぎづけになるほど各パートのニュアンスが精妙であり、演奏芸術の奥義ここに極まれりという感がある。マルティノン盤とは甲乙つけがたい。両方をぜひお聴きいただきたい。
モントゥー/BSOのライブがあったのでのせておく。デリカシーがすばらしい。



ポール・パレー / デトロイト交響楽団


旋律が動的でバレエのように表情がある。この音楽の各所の意味するものを熟知した者だけがなしえる至芸であり、デトロイトのオーケストラからフランス的な感性の音を引き出すことに成功している。楽譜をお示ししたコーダの和声変化をテンポを落してじっくりと聴かせるのを聴くとパレーさんがわかってらっしゃるのがうれしくなる。パレーはラヴェルも一級品である。

ピエール/ブーレーズ/ ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


「海」と一緒に入っており僕はこの演奏で曲を覚えた。懐かしいものであり精妙なテクスチャーに今も感銘は覚えるが精度はストラヴィンスキー録音にやや劣り、オーボエがフランス風の色香を欠いているのはこの曲の場合マイナスである。DGの新盤は精度やニュアンスがさらに落ちておりブーレーズを聴くならこっちだが、上記の3つを聴いた上で比較してみるのがお薦めである。ただし上述の「11小節目の fis」 を最もうまくやっているのはブーレーズであり、そういうものが演奏の与える感動の本質とは別種の関心であることを認めつつも、やはりブーレーズの微視的なアナリーゼ能力と聴覚の鋭さが群を抜いていることには言及せざるを得ない。


音楽鑑賞とは、知った道を演奏者という案内人と連れ立って歩くようなものだ。ここは元GHQの本営で、ここに鹿鳴館があって・・・と皇居前を散策したって、そんなことは知ってるよでおしまいだ。マッカーサーはなぜここを選んだか?鹿鳴館はこの敷地のどの辺に建っていたか?そんなことを聞かれると、ちょっとじっくりつき合ってみようかと思う。良い演奏者とはそんなものだ。
このハオ・アン・ヘンリー・チェンの指揮はなかなかだ。インディアナ大学の管弦楽団だがこのレベルにもってくるのは見事である。アマチュアなのにうまいじゃないかではなく、プロだってもうあんまりない「最後までじっくりつき合おう」という次第になった。指揮の力が大きい。弦のユニゾンだけもっとピッチを鍛え上げればへたなプロより聴けるかもしれない。



George Copeland plays Debussy Prélude à L'après-midi d'un Faune
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ジョージ・コープランド(George Copeland、April 3, 1882 – June 16, 1971)はパリでドビュッシーに4か月私淑して ”I never dreamed that I would hear my music played like that in my lifetime” と言わしめたとされ、ドビッシーの曲の一部を世界初演、多くを米国初演した米国のピアニストである。この「牧神」をドビッシーは聴いたに違いなく感慨深い。まるでオーケストラを聴くようで2手版とは思えない色彩に驚く。



ユージン・オーマンディー / サンフランシスコ交響楽団 (ライブ)


これは留学中の1984年に、亡くなる前年のオーマンディーがSFSOに客演した際のライブをカセットに録音しておいたものです。いまとなっては貴重な記録になってしまいました。この後に「海」と後半がブラームスの第2交響曲というプログラムで、その2曲も録音してあります。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/11/25/ドビッシー-「牧神の午後への前奏曲」/



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プリアンプに金をかけなさい 2020 JAN 7 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/07/プリアンプに金をかけなさい/

きのう2か月ぶりにプリアンプ(ブルメスター808)が修理から帰ってきた。たまたまテーブルにあった牧神の午後への前奏曲をかけてみる。まったくすばらしい。オーディオの存在が消える。10分身動きできず、終了。まだ動けず。


きいたのは50年も前に買ったブーレーズ / ニュー・フィルハーモニア管のLPだ。


ピエール/ブーレーズ/ ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


これをレファレンス的ニュアンスで挙げているのはフランス的な音色、エロティシズムがプライオリティーだったからだ。しかしブルメスター808が新品のように蘇って、「微視的なアナリーゼ能力と聴覚の鋭さが群を抜いている」のはドビュッシーにおいては不可欠の美質であり、マルティノンやモントゥーよりもっとエロティックじゃないかと思えてきた。俺がいままで聴いてた音は何だったんだというほど。


デジタル時代になってプリアンプ不要論が語られた。音量調節などコントロール機能はCDプレーヤーで足りフォノイコライジング機能もいらないなら介在回路は少ないほうが良い。理屈はそうだ。僕もいらないと思っていたが、ドイツ人はそう考えていなかったということだ。ブルメスターのパワーアンプをドイツで買って惚れこんでいたからひょっとしてと思い808を試聴してびっくりした。音質、音場感、空気感、定位が比較にならず軽自動車が一気にベンツの600に化けたかの激変。人生でいろんな機械を買ったが、あらゆるジャンルで満足度において808は圧倒的にNo1だ。


フラッグシップだから20年顔も変えない。この頑固さもドイツだ。車もそうだが、売らんかなでころころモデルチェンジする日本製はいかにも薄っぺらい。日独の技術の差はないだろうが、こういうアンプは日本にないのはひとえに哲学の差と思う。ハイエンドのスピーカー、パワーアンプに凝る人は多いがプリアンプに金をかける人は少ないらしい。808が高いかどうかは音楽に何を求めるかだろう。これ1台で牧神の午後への前奏曲の評価が違ってしまうなんてマジックは僕にとってほかの手段でおきようもないから妥当と思うが。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/01/07/プリアンプに金をかけなさい/


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クロード・ドビュッシー
https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー


クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)は、フランスの作曲家。
長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれることのない自由な和声法などを用いて独自の作曲を実行し、その伝統から外れた音階と和声の用い方から19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も影響力を持った作曲家である。


ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。しかし、本人は印象主義音楽という概念に対して否定的であり、テクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃い。


なお、名前は生後1890年(28歳)まで「アシル=クロード」、1890年(28歳)から「クロード=アシル」である。


1862年8月22日午前4時半、イヴリーヌ県サン=ジェルマン=アン=レーのパン通り38番地に「アシル=クロード・ドビュッシー」として生まれた(この建物は現在ドビュッシー博物館となっている)。
父親のマニュエル・アシル・ドビュッシーは陶器店を経営し、母親のヴィクトリーヌ・マヌリ・ドビュッシーは裁縫師であった。
5人兄弟の長男として生まれているが、彼が2歳(1864年7月31日)になってから洗礼を受けている。その年に一家は経営難のためサン=ジェルマン=アン=レーを離れ、母方の実家(クリシー)に同居する。


1870年、カンヌに住む伯母クレメンティーヌ(父の姉にあたる)のもと、彼女の肝煎りでイタリアのヴァイオリニスト、ジャン・チェルッティ(Jean Cerutti)にピアノを習う(期間は不明)。このカンヌでの滞在は1回だけであったが、後年ドビュッシーは鮮烈な印象を残したと手紙の中で語っている。


1871年、詩人ヴェルレーヌの義母アントワネット・モテ・ド・フルールヴィル夫人に基礎的な音楽の手ほどきを受ける。これは、偶然にも父親の知人であったヴェルレーヌの義兄でオペレッタ作曲家のシャルル・ド・シヴリー(Charles de Sivry)と出会い、シヴリーが少年のドビュッシーを自分の母親のフルールヴィル夫人に引き合わせたとされる。夫人はドビュッシーの才能を見抜き、親身に彼を教えたという。


幼少期のドビュッシーについては、後年本人が語ろうとしなかったため、どのように過ごしたのかは不明である。ただしこの時期からピアノの手ほどきを受けていたことは確かである。


音楽院入学とローマ賞
1872年10月22日、10歳でパリ音楽院に入学する。この時の合格者はドビュッシーを含むわずか33名であった。1年後、エルネスト・ギロー(作曲)、オーギュスト・バジュ(ピアノ伴奏法)、アントワーヌ・マルモンテル(ピアノ)、エミール・デュラン(作曲)、アルベール・ラヴィニャック(ソルフェージュ)らに学ぶ。元々ピアニストになるつもりで、1873年の1月29日にJ.S.バッハの『トッカータ』(BWV915)を弾いた際、「魅力的な素質」と評価されて自信を持ち、ピアニストへの道に進むことを決めたという。1874年に学内のコンクールにおいてショパンのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を弾いて第2次席賞を獲得。翌1875年にショパンの『バラード第1番』で第1次席賞を得るが、1876年には獲得できなかった[4]。 1877年にはシューマンの『ピアノソナタ第2番』(第1楽章)で再び第2次席賞を獲るが、1878年と1879年は2年続けて賞が取れずに失敗し、これによってピアニストになることを諦める決心をした。 そして結局ピアノで賞を得ることができず(1位入賞を目標にしていたため)、その年にピアノ科を去り、10月にバジュ(バズィーユ)のピアノ伴奏法のクラスに入る。


一方でドビュッシーは作曲にも挑戦している。1878年にピアノ曲『フーガ』(L番号なし)を作曲し、これは現存するドビュッシーの最古の作品とされている。1879年に歌曲『月に寄せるバラード』(L.1、紛失)と『マドリード』(L.2、近年発見[5])を作曲する。


1880年7月、18歳のドビュッシーはチャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴し、『ピアノ三重奏曲』(L.3)や『交響曲 ロ短調』(L.10)の断片を作曲した。また、『ボヘミア舞曲』(L.9)という小品を夫人の計らいでチャイコフスキーへ送るが、酷評を受けた(出版はドビュッシーの死後)。メック夫人を通して、チャイコフスキーの当時の最新作であった交響曲第4番(1877年)などのロシアの作品も勉強しており、この経験が元でチャイコフスキーやロシア5人組に影響を受ける。また貴族趣味も芽生えた。

パリに戻ったのち、この年の12月24日にギローのクラスに入る(当初マスネに師事するつもりでいた)。またセザール・フランクのオルガンのクラスに顔を出しているが、オルガンにおける「執拗な灰色の色調」に嫌気が差したため、わずか半年でクラスから逃げるように立ち去っている[6]。


1882年に歌曲『星の輝く夜』(L.4)を出版する。また10作以上の歌曲を作曲する。この年の5月にローマ賞に挑戦するも、予選落ちに終わる。

1883年5月、2回目となるローマ賞に挑戦し、『祈り』(L.40)で予選を通過。カンタータ『剣闘士』(L.41)本選の第2等賞を獲得する。
1884年に3回目となるローマ賞に挑戦し、カンタータ『春』(L.56)で予選を通過、カンタータ『放蕩息子』(L.57)でローマ大賞を受賞する[7]。審査員の中にはグノーやサン=サーンスもいた。翌1885年から1887年にかけてイタリアのローマへと留学したものの、あまりイタリアの雰囲気には馴染めず、ローマ大賞受賞者に与えられる期間を繰り上げてパリに戻った。これにはヴァニエ夫人という意中の人がいたためとも言われる。このヴァニエ夫人のために書かれたいくつかの歌曲のうちポール・ヴェルレーヌの「艶なる宴」に基づくものは後に『艶なる宴』(全2集)としてまとめられた。またローマに留学していた頃に生み出された作品は、いくつかの歌曲や交響組曲『春』、合唱と管弦楽のための『ツライマ(ズレイマ)』(L.59、後に破棄されて現存しない)である(なおローマからパリへ帰郷してから作られた作品はカンタータ『選ばれた乙女』や『ピアノと管弦楽のための幻想曲』)。


1888年の夏、銀行家のエティエンヌ・デュパンの支援によって念願であったバイロイトへ初めて行き、同地で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』と『パルジファル』を聴く。


中期
1889年は27歳のドビュッシーにとって大きな転機の年となる。1月には国民音楽協会に入会してエルネスト・ショーソンらと知り合い、新たな人脈と発表の場を得た。6月にパリ万国博覧会でジャワ音楽(ガムラン)を耳にしたことは、その後の彼の音楽に大きな影響を与えた。その後2度目に訪れたバイロイト音楽祭ではワグネリズムの限界を感じ、これを境にアンチ・ワグネリアンを標榜することになる。またこの頃、詩人ステファヌ・マラルメの自宅サロン「火曜会」に唯一の音楽家として出席するようになり、この時の体験はのちにマラルメの詩による歌曲(『ステファヌ・マラルメによる3つの詩』)や、『牧神の午後への前奏曲』への作曲へとつながっていく。


1890年の28歳のとき、名前を「アシル=クロード」から「クロード=アシル」に変えた。
1893年4月、『選ばれし乙女』が国民音楽協会の演奏会で初演され、その後同協会の運営委員にも選出された。また12月29日に『弦楽四重奏曲』がイザイ弦楽四重奏団によって初演されている。


1894年3月、テレーズ・ロジェ(Thérèse Roger)と婚約するが、ドビュッシーの恋人だったガブリエル・デュポン(愛称ギャビー)の知るところとなり破談。この出来事でショーソンと疎遠になり、ショーソンが1899年6月に事故で没したときにも葬儀に参列しなかった。12月22日に『牧神の午後への前奏曲』が初演。リリー・テクシエと最初の結婚をする。


1900年代に入ると、『ビリティスの歌』(1900年)、『夜想曲』(1900年)、『版画』(1904年)などが初演された。また、オペラ『ペレアスとメリザンド』が完成し、1902年に初演され大きな成功を収めた。これらの一連の作品で成功したドビュッシーは、作曲家としてのキャリアを確実なものとした。1903年にはレジオン・ドヌール五等勲章を受勲している。


1905年には交響詩『海』、ピアノ曲集『映像 第1集』を発表し、新たな境地を見せる。同時にこの年、エンマ・バルダックと同棲する。のちにリリーと正式に離婚し、エンマと2度目の結婚をした。エンマとの間には娘クロード=エンマ(愛称シュシュ)が誕生する。


1910年には『前奏曲集 第1巻』を発表し、ピアノ曲において作曲家のキャリアを不動のものとした。一方、この時期にエドガー・アラン・ポーの小説『アッシャー家の崩壊』に基づくオペラを作曲していたが、完成せず放棄された。もう一つの大作劇音楽『聖セバスティアンの殉教』(1911年)は、長すぎる原作戯曲の上演の失敗などがあって顧みられず、弟子のアンドレ・カプレによる『交響的断章』としての演奏会形式の編曲によりかろうじてレパートリーとして生き延びているに過ぎない。


1913年、バレエ音楽『遊戯』が完成し、同年にピエール・モントゥーによって初演され、これはバレエ・リュスの上演によって成功を収めた。しかしその2週間後に同じ演奏陣によってストラヴィンスキーの『春の祭典』が上演され、そのスキャンダルの陰に隠れてしまう。夏に『おもちゃ箱』の作曲に着手する(管弦楽化はアンドレ・カプレと協力)。12月、モスクワとペテルブルクに演奏旅行に行く(クーセヴィツキーとジロティの要請による)。


晩年
1914年、第一次世界大戦が勃発してエンマの息子(ドビュッシーにとっては連れ子)のウラルが兵士として動員されたことなどを受けて、戦争を恐れるようになっていたドビュッシーは、9月に家族とともにアンジェに避難したが、1か月後にパリへと戻る。この時すでにドビュッシーの身体は病に侵されており、大腸癌を発病していた。この頃から「様々な楽器のための6つのソナタ」に着手するも、完成したのは3曲のみであった。


1915年、『12の練習曲』や『6つの古代碑銘』などを生み出す。3月23日に母が死去、同じ頃にエンマの母もこの世を去っている。


1916年は『ヴァイオリンソナタ』の構想や、未完に終わったオペラ『アッシャー家の崩壊』の台本(決定稿)の作成に取りかかる。またこの年には2台ピアノのための『白と黒で』や『チェロソナタ』などを含む4つの作品が初演されている。私生活では、離婚した元妻のリリー(マリ・ロザリー・テクシエ)に対する月手当ての支払いが1910年以来ため、裁判所から3万フランの供託金の支払いを命令されている。

1917年7月、一家はスペイン国境付近のサン=ジャン=ド=リュズに3か月滞在する。この地は保養地として有名であったため、多くの著名人が訪れている。ドビュッシーは同地で自作の『ヴァイオリンソナタ』を演奏しているが、これが生涯最後の公開演奏となった。この時期に計画していた残りのソナタとピアノ協奏曲の作曲を想起していたが、これらの作品はいずれも実現せずに終わっている。


1918年初旬、直腸癌により床から離れなくなり、3月25日の夕方に息を引き取った。55歳。1905年から死去する1918年にかけて居住したパリ16区スクアール・ド・ラヴニュ=フォッシュ (Square de l'Avenue-Foch) 24番地の自宅だった。葬儀は29日に行われ、遺体はパッシー墓地に埋葬された(埋葬は翌年のことで、前年は仮に安置されていた)。またドビュッシーが没した翌年の1919年に娘クロード=エマがジフテリアによる髄膜炎によって夭逝、妻エンマは16年後の1934年に世を去った。


年譜


1862年 - 8月22日 誕生。
1871年 - この年から3年ほど、モーテ・ド・フルールヴィル夫人にピアノのレッスンを受ける。
1872年 - パリ音楽院入学。以後12年在籍。ピアノをマルモンテル、ソルフェージュをラヴィニャック、和声学をデュラン、作曲法をギローに師事。
1880年 - チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴。
1884年 - ローマ大賞を受賞。
1885年 - ローマに滞在。
1887年 - パリに戻る。
1888年 - 1度目のバイロイト行き。
1889年 - パリ万国博覧会で東洋芸術に接触、2度目のバイロイト行き。
1890年 - 名前を「アシル=クロード」から「クロード=アシル」に変える。『ベルガマスク組曲』。
1891年 -『2つのアラベスク』。この頃、初期のピアノ小品や歌曲を多く手がける。
1893年 - メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」に出会う。
1894年 - 『牧神の午後への前奏曲』。
1899年 - リリー・テクシエと最初の結婚。
1902年 - 『ペレアスとメリザンド』初演。
1905年 - 『海』、エンマ・バルダックと同棲。長女クロード=エンマ(シュウシュウ)誕生。
1910年 - 『前奏曲集 第1集』。
1911年 - 舞台音楽劇『聖セバスティアンの殉教』。
1913年 - バレエ音楽『遊戯』。バレエ・リュスのために作曲。
1914年 - 第一次世界大戦勃発、大腸癌を発病。「様々な楽器のための6つのソナタ」着手(完成は3曲)。
1918年 - 3月25日夕方 死去。
1919年 - 娘クロード=エマ死去。


家族
父親:マニュエル=アシル・ドビュッシー(Manuel-Achille Debussy, 1836年 - 1910年)
モンルージュ(パリの南郊)で生まれ、陶器商を経営していた。
母親:ヴィクトリーヌ・マヌリ・ドビュッシー(Victorine Manoury Debussy, 1836年 - 1915年)
車大工の父親と料理人の母親との間に生まれる。
伯母:クレマンティーヌ・ドビュッシー(Clémentine Debussy, 1835年 - 1874年)
マニュエル=アシルの姉。クロードが洗礼の際、代母として名付けを担当した。
第1弟:エマニュエル・ドビュッシー(Emmanuel Debussy, 1867年 - 1937年)
第2弟:アルフレッド・ドビュッシー(Alfred Debussy, 1870年 - ?)
第3弟:ウジェーヌ=オクターヴ・ドビュッシー(Eugène-Octave Debussy, 1873年 - 1877年)
末弟だが髄膜炎のため4歳で夭逝。
第1妹:アデール・ドビュッシー(Adèle Debussy, 1863年 - 1952年)
弟妹の中では長く生きた人物。
1番目の妻:リリー・テクシエ(Lily Texier)
2番目の妻:エンマ・バルダック(Emma Baldac, 1862年 - 1934年)
元々は銀行家バルダックの妻だった。息子のラウル、娘のエレーヌ(愛称ドリー)がいる。エレーヌはフォーレに溺愛され、一説にはフォーレとエンマの子であるとも言われた。フォーレは『ドリー組曲』を作曲している。
娘:クロード=エンマ・ドビュッシー(Claude-Emma Debussy, 1905年 - 1919年)
愛称シュシュ。父親の死の翌年に14歳で夭折。クロード=エンマが父親の死に際して異父の兄ラウルに宛てた手紙がドビュッシー博物館に展示されている。
3人の弟については資料の少なさゆえに詳細は不明であるが、妹アデールは2つの世界大戦を生き抜いた唯一の人物である。
サンジェルマン=アン=レーのドビュッシー博物館には、現代に至るまでのドビュッシー家の家系図が展示されている。


人物
気難しい性格で、内向的かつ非社交的であった。音楽院に入学してからは伝統を破壊しかねない言動(不平不満や文句)をしていたため、ギローなど担当教師らを困らせていた。また、女性関係においてのトラブルも絶えなかった。


元々18歳より弁護士の人妻マリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人(Marie-Blanche Vasnier)と8年間の情事のあと別れ、1889年から(Rue Gustave Doré)にて同棲を続けていたガブリエル・デュポン(愛称ギャビー)とは、自殺未遂騒動の末に1898年に破局を迎えた。同じ頃、ソプラノ歌手のテレーズ・ロジェ(Thérèse Roger)とも情通している。翌年にはギャビーの友人であるマリ・ロザリー・テクシエ(愛称リリー)と結婚するが、1904年頃から、教え子の母親、銀行家の人妻であるエンマ・バルダックと不倫関係になり、リリーはコンコルド広場で胸を銃で撃ち自殺未遂となり、離婚する(1905年)。この事件がもとで、ドビュッシーはすでに彼の子を身ごもっていたエンマとともに一時イギリスに逃避行することとなり、友人の多くを失うこととなる。長女クロード=エンマ(愛称シュシュ)の出産に際しパリに戻り、エンマと同棲した(1908年に結婚)。シュシュはドビュッシーに溺愛され、『子供の領分』を献呈された。


同じ印象派の作曲家とされることが多いモーリス・ラヴェルは、父親がドビュッシーとかつて交友関係にあった[8]。1898年にラヴェルが2台ピアノのための『耳で聞く風景』で作曲家としてのデビューを果たした時には、ドビュッシーはその中の1曲「ハバネラ」(1895年作曲。後に『スペイン狂詩曲』第3曲に編入)に関心を持ち、ラヴェルに自筆譜の写しを貸してくれるよう頼み、ラヴェルの方でも『ペレアスとメリザンド』に対して、自らが所属するグループ「アパッシュ」のメンバーとともに積極的に支持するなど、両者は互いの作品を評価しあい、親密な交友が続いた。だが1904年初演の『版画』の第2曲「グラナダの夕暮れ」を聴いたラヴェルは、前述の自作「ハバネラ」と類似しているとしてドビュッシーに反発。以後両者の関係は疎遠となった。しかし、20世紀初頭の作品である『水の戯れ』や弦楽四重奏曲などの作品ではドビュッシーの影響が見受けられ[9]、本人もドビュッシーの管弦楽曲をピアノ曲へと編曲し、またはピアノ曲を管弦楽曲へと編曲している。


作品と表現
初期の作品であるカンタータ『選ばれし乙女』(1888年)や『ボードレールの5つの詩』(1889年)まではワーグナーの影響を見ることができる。しかしこの辺りの作品、特にヴェルレーヌと出会って以降の3つの歌曲、『忘れられた小歌』、『華やかな饗宴』第1集などでは、より明確に独自の書法へと変化していった。


弦楽四重奏曲ト短調(1893年)においてはフリギア旋法だけではなく、様々な教会旋法を使用している。なかでも『牧神の午後への前奏曲』(1894年)、メーテルリンクの戯曲によるオペラ『ペレアスとメリザンド』(1893年頃着手、完成は1902年)など同時代の作品から現れた全音音階の使用は、その後の独特のハーモニーの基盤ともなっている。また、これらの作品は規則的な律動にとらわれない書法の先駆けでもあり、それまでの西洋音楽の概念からは異色ともいえるものだった。


印象主義音楽
ドビュッシーの音楽は印象主義音楽と俗に呼ばれている。印象派(ないし印象主義)という表現はもともと、1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ、ドガ、セザンヌら)に共通していた表現様式に対する揶揄表現が定着したものであり、音楽における《印象主義》も、若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて用いられた表現である。ドビュッシー自身も、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で、この用語に対して否定的な見解を示した。


後世への影響
ドビュッシーは20世紀で最も影響力のある作曲家の一人としてしばし見なされており、西洋音楽からジャズ、ミニマル・ミュージック、ポップスに至るまで幅広く多様多種な音楽の部類に影響を与えている。


西洋音楽においては、バルトーク・ベーラ、イーゴリ・ストラヴィンスキー[10]、初期作品の時期のラヴェル[11]、フランシス・プーランク、ダリウス・ミヨー、アルベール・ルーセル、ジョージ・ガーシュウィン[12]、ピエール・ブーレーズ[13]、オリヴィエ・メシアン[14]、アンリ・デュティーユ[15]、レオ・オーンスタイン[16]、アレクサンドル・スクリャービン、カロル・シマノフスキ、ミニマル・ミュージックに於いてはスティーブ・ライヒ[17]に対して影響力を有している。
日本の作曲家では武満徹がドビュッシーからの影響を公言している。


ジャズに於いては、ガーシュウィン、ジャンゴ・ラインハルト、デューク・エリントン[18]、バド・パウエル、マイルス・デイヴィス(彼の盟友であるギル・エヴァンスによると、マイルスの自作曲であるSo Whatはドビュッシーの前奏曲集第一巻に収録されているヴェールVoilesを下敷きにして作曲されたとの事である)[19]、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、アントニオ・カルロス・ジョビン、アンドリュー・ヒル、ビックス・バイダーベックなど。またビバップの和声法はドビュッシーとアルノルト・シェーンベルクからの影響が大きい[20]。


ポップスではプログレッシブ・ロックの括りで語られるバンドは従来の和声進行から外れたドビュッシーの音楽に影響を受けており[21]、その他にはポップ・グループ、ビョーク[22]、Anna Calviもドビュッシーからの影響を被っている。日本においてはパスピエがドビュッシーの影響を受けている(バンド名もドビュッシーの曲名を引用している)。


電子音楽では冨田勲がドビュッシーの作品を多数取り上げ、編曲したことによって影響がもたらされている。


主な作品


詳細は「ドビュッシーの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/ドビュッシーの楽曲一覧


ピアノ曲


フーガ(16歳の時に作曲された現存する最初の作品。1999年ウィーンの国立図書館で発見) - 1878年


ボヘミア舞曲 (Danse bohémienne)(18歳の時の作品。フォン・メック夫人のはからいでチャイコフスキーに送ったが、未熟だと酷評された。死後発見) - 1880年


2つのアラベスク (2 Arabesques) - 1888年~1891年


舞曲(スティリー風タランテラ)(Danse, Tarantelle styrienne)(後にラヴェルが管弦楽に編曲)- 1890年


夢想 (Rêverie) - 1890年


ロマンティックなワルツ (Valse romantique) - 1890年


マズルカ (Mazurka) - 1890年


バラード (Ballade) - 1890年


ベルガマスク組曲 (Suite Bergamasque) - 1890年
前奏曲 (Préludes)
メヌエット (Menuet)
月の光 (Clair de lune)(ドビュッシーの曲の中で最もポピュラーな曲の1つ)
パスピエ (Passepied)


忘れられた映像 (Images oubliées)(死後発見、標題はドビュッシーが付けたものではない) - 1894年
レント(憂うつに、そしてやさしく) (Lent (mélancolique et doux))
ルーヴルの思い出 (Souvenir du Louvre)(後に『ピアノのために』第2曲「サラバンド」に改作)
「もう森には行かない」の諸相 (Quelques aspects de "Nous n'irons plus au bois") (『版画』第3曲「雨の庭」の前身。「(いやな天気だから)もう森へは行かない」はフランスの童謡。ドビュッシーはこの「諸相」、「雨の庭」、歌曲「眠りの森の美女」、「管弦楽のための映像・第3曲『春のロンド』」の合計4曲でこの童謡を用いている)


ピアノのために (Pour le piano) - 1896年、1896年 - 1901年
前奏曲 (Prélude)
サラバンド (Sarabande)
トッカータ (Toccata)


版画 (Estampes) - 1903年
塔 (Pagodes)(「パゴダ」は仏教の宝塔を指す)
グラナダの夕暮れ (La soirée dans Grenade)
雨の庭 (Jardins sous la pluie)


喜びの島 (L'Isle Joyeuse) (作曲者監修のもと、イタリアの指揮者ベルナルディーノ・モリナーリ(Bernardino Molinari)により管弦楽用に編曲されている) -


仮面 (Masques) - 1904年


映像 第1集 (Images) - 1905年
水の反映(水に映る影) (Reflets dans l'eau)
ラモー礼讃(「ラモーをたたえて」とも) (Hommage à Rameau)
運動 (Mouvement)


映像 第2集 - 1907年
葉ずえを渡る鐘 (Cloches à travers les feuilles)
荒れた寺にかかる月 (Et la lune descend sur le temple qui fut)
金色の魚 (Poissons d'or)


子供の領分 (Children's Corner - Petite suite pour piano seul)(娘のクロード・エマのために作曲されたもの) - 1906年 - 1908年
グラドゥス・アド・パルナッスム博士 (Doctor Gradus ad Parnassum)
象の子守唄 (Jimbo's lullaby)
人形へのセレナード (Serenade of the doll)
雪が踊っている (The snow is dancing)
小さな羊飼い (The little shepherd)
ゴリウォーグのケークウォーク (Golliwogg's Cake-Walk)


小さな黒ん坊 (Le petit Nègre) - 1909年


レントより遅く (La plus que lente (Valse)) - 1910年


2つの前奏曲集


前奏曲集 第1巻 (Préludes 1) - 1909年 - 1910年
以下の曲名は一般の曲の曲名とは違い、各曲の最後に小さく記されている。
デルフィの舞姫 (...Danseuses de Delphes)
ヴェール (...Voiles) (「帆」とも訳される)
野を渡る風 (...Le vent dans la plaine)
音と香りは夕暮れの大気に漂う (...Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir)
アナカプリの丘 (...Les collines d'Anacapri)
雪の上の足跡 (...Des pas sur la neige)
西風の見たもの (...Ce qu'a vu le vent d'ouest)
亜麻色の髪の乙女 (...La fille aux cheveux de lin)
とだえたセレナード (...La sérénade interrompue)
沈める寺 (...La cathédrale engloutie)
パックの踊り (...La danse de Puck)
ミンストレルズ (...Minstrels)


前奏曲集 第2巻 (Préludes 2) - 1910年 - 1913年
霧 (...Brouillards)
枯葉 (...Feuilles mortes)
ヴィーノの門 (...La Puerta del Vino)
妖精たちはあでやかな踊り子 (...Les fées sont d'exquises danseuses)
ヒースの荒野 (...Bruyères)
風変わりなラヴィーヌ将軍 (...Général Lavine - excentric)
月の光が降り注ぐテラス (...La terrasse des audiences du clair de lune)
水の精 (...Ondine)
ピクウィック殿をたたえて (...Hommage à S. Pickwwick Esq. P.P.M.P.C.)
カノープ (...Canope)
交代する三度 (...Les tierces alternées)
花火 (...Feux d'artifice)


英雄的な子守歌 (Berceuse heroïque pour rendre hommage à S.M. le Roi Albert Ier de Belgique et à ses soldats) - 1914年(同年12月に管弦楽曲に編曲)
第一次世界大戦時、侵攻したドイツ軍に対して抵抗したベルギーの国王アルベール1世に献呈。


12の練習曲 (12 Études) 作曲者による運指がないことで知られる - 1913年 - 1915年
五本の指のための、ツェルニー氏による (Pour les cinq doigts, après M. Czerny)
三度のための (Pour les tièrces)
四度のための (Pour les quartes)
六度のための (Pour les sixtes)
オクターブのための (Pour les octaves)
八本の指のための (Pour les huit doigts)
半音階のための (Pour les degrés chromatiques)
装飾音のための (Pour les agréments)
反復音のための (Pour les notes répétées)
対比的な響きのための (Pour les sonorités opposées)
組み合わされたアルペジオのための (Pour les arpeges composés)
別版あり。
和音のための (Pour les accords)


負傷者の服のための小品 (Pièce pour le vêtement du blessé) - 1915年
1933年、「アルバムのページ (Page d'album)」の名で出版。


エレジー (Élégie) - 1915年


燃える炭火に照らされた夕べ (Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon) - 1917年
遺作。表題はボードレールの『悪の華』の「露台」 (Le Balcon) の一節。第一次世界大戦による物資不足の中で石炭を送ってくれた石炭商に頼まれて作曲。2001年に発見。


2台ピアノ・4手連弾のための曲
交響曲 ロ短調 (少年期の習作。第1楽章の4手連弾のみ現存) - 1880年 - 1881年


小組曲 (Petite suite) 4手連弾。ビュッセルによる管弦楽編曲版で有名。 - 1886年 - 1889年
小舟にて (En Bateau)
行列 (Cortège)
メヌエット (Menuet)
バレエ (Ballet)


スコットランド風行進曲 (Marche écossaise sur un thème populaire) - 1891年(1908年に管弦楽版に編曲)


6つの古代の墓碑銘 (6 Epigraphes antiques) 4手連弾。『ビリティスの歌』の1、7、3、10、8、12曲目より編曲。独奏版もあり。アンセルメによる管弦楽編曲版もある。 - 1914年
夏の風の神、パンに祈るために (Pour invoquer Pan, dieu du vent d'été)
無名の墓のために (Pour un tombeau sans nom)
夜が幸いであるために (Pour que la nuit soit propice)
カスタネットを持つ舞姫のために (Pour la danseuse aux crotales)
エジプト女のために (Pour l'Égyptienne)
朝の雨に感謝するために (Pour remercier la pluie au matin)


リンダラハ (Lindaraja) 2台ピアノ。 - 1901年


白と黒で (En blanc et noir) 2台ピアノ。 - 1915年
情熱に駆られて (Avec emportement)
緩やかにそして控えめに (Lent et sombre)
スケルツァンド (Scherzando)


管弦楽曲・協奏曲
交響組曲『春』 (Suite symphonique 'Printemps') - 1886年 - 1887年
最初の版には女声合唱があったが火事で焼失した。1913年にビュッセルによって再度オーケストレーション(管弦楽のみ)が行われる。


ピアノと管弦楽のための幻想曲 (Fantaisie pour piano et orchestre) - 1889年 - 1891年
作曲者がリハーサルの段階で楽譜を差し止めたため、死後初演。


神聖な舞曲と世俗的な舞曲 (Danse sacrée et danse profane) - 1904年
独奏ハープと弦楽合奏のための曲。


クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 (Ier Rhapsodie pour orchestre avec clarinette principale) - 1909年 - 1910年
「クラリネットとピアノのための第1狂詩曲」を編曲。


サクソフォーンと管弦楽のための狂詩曲 (Rhapsodie pour orchestre et saxophone) - 1901年 - 1908年
作曲者の死後の1919年にロジェ=デュカスによって管弦楽編曲が行われた。


牧神の午後への前奏曲 (Prélude à l'Après-midi d'un faune) - 1892年 - 1894年


夜想曲 (Nocturnes) - 1897年 - 1899年
雲 (Nuages)
祭 (Fêtes)
シレーヌ (Sirènes)
:第3曲には女性コーラス(歌詞なし)が入る


交響詩『海』 (La Mer) - 1903年 - 1905年
海上の夜明けから正午まで (De l'aube à midi sur la mer)
波の戯れ (Jeux de vagues)
風と海との対話 (Dialogue du vent et de la mer)


管弦楽のための映像 (Images pour orchestre) - 1905年 - 1912年
ジーグ (Gigues)
イベリア (Ibéria)
街の道から田舎の道から (Par les rues et par les chemins)
夜の薫り (Les parfums de la nuit)
祭りの日の朝 (Le matin d'un jour de fête)
春のロンド (Rondes de printemps)


室内楽曲


ピアノ三重奏曲(英語版)(18歳の時、フォン・メック夫人の元で書かれた曲) - 1879年 - 1880年


弦楽四重奏曲 - 1893年
活気をもって、決然と (Animé et très décidé)
十分生き生きと、きわめてリズミカルに (Assez vif et bien rythmé)
アンダンティーノ、おだやかに、表情豊かに (Andantino, doucement expressif)
非常にゆっくりと (Très modéré - Très mouvementé - Très animé)


クラリネットとピアノのための小品 (Petite pièce pour clarinette et piano) - 1910年


ビリティスの歌 (Chansons de Bilitis) - 1900年 - 1901年
パントマイムと詩の朗読のための付随音楽。編成は2フルート、2ハープ、チェレスタ。


フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (Sonate pour flûte, alto et harpe) - 1915年


チェロ・ソナタ (Sonate pour violoncelle et piano) - 1915年


ヴァイオリン・ソナタ (Sonate pour violon et piano) - 1916年 - 1917年


バレエ音楽


遊戯 (Jeux) - 1912年 - 1913年
1幕。ニジンスキー台本。


カンマ (Khamma) - 1912年
3幕。ピアノ譜のみ。オーケストレーションはシャルル・ケクランによる。


おもちゃ箱 (La boîte à joujoux) - 1913年
4場の子供用バレエ。ピアノ譜のみ。オーケストレーションはアンドレ・カプレによる。
プロローグ - おもちゃ箱 - 戦場 - 売られる羊小屋 - お金持ちになってから - エピローグ


沈黙の宮殿 (Le palais du silence) - 1914年
1幕。前奏曲と第1場の初めの草稿のみ現存。のちに「ノ・ジャ・リ」と変更した。ドビュッシーはこの作品を期日までに仕上げる事ができなかった。


歌曲
(カッコ内は詩人)


麦の花(Fleur des blés アンドレ・ジロー) - 1878年
美しい夕暮れ(英語版)(Beau soir ポール・ブルジェ(フランス語版)) - 1880年
星の夜(Nuits d'étoiles テオドール・ド・バンヴィル) - 1880年
中国風のロンデル(Rondel chinois 作者不詳) - 1880年
西風(Zéphyr テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
ピエロ(Pierrot テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
愛し合い、そして眠ろう(Aimons-nous et dormons テオドール・ド・バンヴィル) - 1881年
ジャヌ(ジェイン)(Jane ルコント・ド・リール) - 1881年
マンドリン(Mandoline ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年
華やかな宴(Fête galante テオドール・ド・バンヴィル) - 1882年(メロディは後に『小組曲』の「メヌエット」に流用)
ロンドー(Rondeau アルフレッド・ド・ミュッセ) - 1882年
パントマイム(Pantomime ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年
月の光(Clair de lune ポール・ヴェルレーヌ) - 1882年。「艶なる宴 第1集」第3曲の初稿。
今はもう春(Voici que le printemps ポール・ブルジェ) - 1883年
感傷的な風景(Paysage sentimental ポール・ブルジェ) - 1883年
スペインの歌 (Chanson espagnole) - 1883年。失われたとされてきたが、近年自筆譜が発見された。
顕現(Apparition ステファヌ・マラルメ) - 1884年
声をひそめて(En sourdine ポール・ヴェルレーヌ) - 「艶なる宴 第1集」第1曲の初稿。


ボードレールの5つの詩(英語版) (5 Poèmes de Charles Baudelaire) - 1887年 - 1889年
バルコニー (Le balcon)
夕暮れの調べ (Harmonie du soir)
噴水 (Le jet d'eau)
黙想 (Recueillement)
恋人たちの死 (La mort des amants)


眠りの森の美女(La belle au bois dormant ヴァンサン・イスパ) - 1890年


2つのロマンス(2 Romances ポール・ブルジェ) - 1891年
そぞろな悩める心 (L'âme évaporée et souffrante)
鐘 (Les cloches)


3つの歌曲(3 Mélodies ポール・ヴェルレーヌ) - 1891年
海は美しい (La mer est plus belle)
角笛の音は (Le son du cor s'affige)
羊の群れと立ち並ぶ生垣は(L'échelonnement des haies)


艶なる宴(フランス語版) 第1集(Fêtes galantes 1 ポール・ヴェルレーヌ) - 1891年
声をひそめて(En sourdine)
操り人形 (Fantoches)
月の光 (Clair de lune)


庭の中(Dans le jardin ポール・グラフォレ) - 1891年


お告げの鐘 (Les Angélus)(グレゴワール・ル・ロワ) - 1892年


叙情的散文(Proses lyriques 作曲者自身) - 1892 - 1893年
夢 (De rêve)
砂浜 (De grève)
花 (De fleurs)
夕暮れ (De soir)


忘れられたアリエッタ(フランス語版)(Ariettes oubiées ポール・ヴェルレーヌ) - 1886年 - 1888年
忘れられた小歌 という場合もあり
やるせなく夢見る思い (Ariettes oubiées I 'C'est l'extase langoureuse')
われの心に涙降る(Ariettes oubiées II 'Il pleure dans mon cœur' 巷に雨の降るごとく)
露包む川面の木々の影 (Ariettes oubiées III 'L'ombre des arbres')
ベルギーの風景「木馬」 (Paysages belges 'Chevaux de bois')
水彩画1「グリーン」 (Aquarelles I 'Green')
水彩画2「スプリーン(憂鬱)」 (Aquarelles II 'Spleen')


ビリティスの3つの歌(3 Chansons de Bilitis ピエール・ルイス) - 1897年 - 1898年
パンの笛 (La flûte de Pan)
髪 (La chevelure)
水の精の墓 (Le tombeau des naïades)


眠れぬ夜 (Nuits blanches 作曲家自身) - 1899年 - 1902年。全5曲を構想していたが未完に終わった。
終わりなき夜 (Nuit sans fin)
彼女がいる時に (Lorsqu'elle est entrée)


艶なる宴(フランス語版) 第2集(Fêtes galantes 2 ポール・ヴェルレーヌ) - 1904年
無邪気な人たち (Les ingénus)
半獣神 (Le faune)
感傷的な対話 (Colloque sentimental)


3つのフランスの歌(Chansons de France シャルル・ドルレアン、トリスタン・レルミット) - 1904年
ロンデル - 時は脱いだよ、そのマント(Rondel – Le temps a laissié son manteau)
洞窟 (La Grotte) - 「二人の恋人の散歩道」第1曲に再収録。
ロンデル - 喜びが死んでしまったから(Rondel – Pour ce que plaisance est morte)


二人の恋人の散歩道(フランス語版)(Le promenoir des deux amants トリスタン・レルミット) - 1904,1910年
この暗い洞窟のほとり (Auprès de cette grotte sombre)
愛するクリメーヌよ、私の言うとおりにしておくれ (Crois mon conseil,chère Climène)
私は震える (Je tremble en voyant ton visage)


フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード(フランス語版) (3 Ballades de François Villon) - 1910年
恋人に与えるバラード (Ballade de Villon à s'amye)
聖母に祈るために母の要請で作られたヴィヨンのバラード (Ballade que feit Villon à la requeste de sa mère pour prier Nostre-Dame)
パリジェンヌのバラード (Ballade des femmes de Paris)


ステファヌ・マラルメの3つの詩(フランス語版) (3 Poèmes de Stèphane Mallarmé) - 1913年
ため息 (Soupir)
取るに足らない願い (Placet futile)
扇 (Éventail)


もう家がない子供たちのクリスマス(フランス語版)(Noël des enfants qui n'ont plus de maison 作曲者自身) - 1915年


オペラ、カンタータ、劇付随音楽


『ペレアスとメリザンド』 (Pelléas et Mélisande) - 1893年 - 1895年、1901年 - 1902年
5幕15場のオペラ。メーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』をそのまま台本にしたもの。ワグネリズムの対極にある作品。完成したオペラはこの1作品のみ。


音楽劇『聖セバスティアンの殉教』 (Le martyr de St. Sébastien ガブリエーレ・ダンヌンツィオ) - 1911年
全曲は5幕の神秘劇。非常に大きなもので、編曲したものが演奏されることが多い。オーケストレーションにアンドレ・カプレの協力を得て完成。


『拳闘士』 (Cantate 'Le gladiateur') - 1883年
カンタータ。ローマ大賞二席受賞曲。


『放蕩息子』 (L'Enfant Prodigue) - 1884年、1906年 - 1908年改訂
カンタータ。ローマ大賞受賞曲。


『リア王』 (King Lear) - 1904年
劇付随音楽。本来は7部からなるものであったが、作曲されたものは2曲のみである。
ファンファーレ (Fanfare)
リア王の眠り (Le sommeil de Lear)


『森のディアヌ』 (Diane au bois) - 1884年 - 1886年
カンタータ。破棄され、一部のみ現存。ローマ大賞応募曲。


『ロドリーグとシメーヌ(英語版)(Rodrigue et Chimène)』 - 1890年 - 1893年
未完のオペラ。エル・シッド伝説を題材としたカチュール・マンデスの4幕5場の台本による。作曲は第1幕・第3幕のショート・スコアと第2幕のピアノ伴奏譜が残る[23]。リチャード・ランハム・スミス(Richard Langham Smith)による補筆をエディソン・デニソフが管弦楽化、1993年にリヨン歌劇場で初演。


『鐘楼の悪魔(英語版)』(Le diable dans le beffroi) - 1902年 - 1903年
未完のオペラ。エドガー・アラン・ポーの同名小説により作曲者が2幕3場の台本を作成したが、作曲は1幕分のスケッチのみ。一部が『ムジカ』誌の作曲者当ての匿名コンクールに掲載された『コンクールのための小品』に転用。


『アッシャー家の崩壊(英語版)』 (La chute de la maison Usher) - 1908年 - 1918年
未完のオペラ。エドガー・アラン・ポーの同名小説をもとにしたもの。作者自身による2幕の台本は完成したが、作曲は全曲の半分ほどに終わる(楽譜は作曲者の死後、妻が関係者に配ったため散逸)。フアン・アジェンデ=ブリン (Juan Allende-Blin) が補完して、1977年に上演。その後、散逸していたスケッチを元にロバート・オーリッジ(Robert Orledge)が復元・補筆し、2006年にブレゲンツ音楽祭で上演。


その他の楽曲


シャルル・ドルレアンの3つの歌 (Trois chansons de Charles d'Orléans) - 1898年および1908年
唯一の無伴奏混声合唱曲。2曲目はアルト独唱を伴う(後述の録音では、独唱パートは合唱で歌われている)。
神よ、なんと彼女を美しく見せ給うことか (Dieu! qu'il la fait bon regarder!)
タンバリンが鳴り渡る時 (Quant j'ai ouy le tambourin)
冬よ、お前は嫌なやつだ (Yver, vous n'estes qu'un villain)


シランクス (Syrinx) - 1912年
無伴奏フルート独奏曲。ムーレイの戯曲「プシュケ」のために作られたもの)


サティ:「ジムノペディ」第1番、第3番(管弦楽用の編曲) - 1897年


https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー
 

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コメント
1. 中川隆[-14333] koaQ7Jey 2020年1月19日 18:02:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1243] 報告

Debussy "La Mer" Yevgeny Mravinsky



Debussy: La Mer, Inghelbrecht & ONRTF (1964) ドビュッシー「海」アンゲルブレシュト



ドビュッシー:《海》3つの交響的スケッチ デュトワ 1989



▲△▽▼

ドビッシー 交響詩 「海」2012 NOV 1 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/11/01/ドビッシー%E3%80%80交響詩-「海」/


1905年にドビッシーが作曲した交響詩「海」(La Mer)は20世紀音楽史上、最高峰のひとつとなる名品である。そしてこのピエール・ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、同曲の演奏史に燦然と輝く不滅の金字塔である。

ドビッシーが葛飾北斎の冨嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」(右)にインスピレーションを得てこの曲を作曲したことは有名である。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/11/01/ドビッシー%e3%80%80交響詩-「海」/debussy_-_la_mer_-_the_great_wave_of_kanaga_from_hokusai2-230x300/

これが初版スコアの表紙である。そのエピソードが真実であることを証明している。よく見ると富士山と小舟が省かれており、ドビッシーがこの音楽で描きたかったものがこの「波」であったことが推察できる。

この曲は、「海の夜明けから真昼まで」「波の戯れ」「風と海との対話」というタイトルの付いた3つの楽章からなる。この音楽は一般に印象派の代表作とされ、第2楽章がこの「波」を髣髴とさせるとよく言われるが、事はそう単純ではない。版画から得た印象をベタに絵画的、アニメ的に音楽化したという意味なら全く稚拙な誤解である。

ドビッシーは版画から複数の短いフレーズ(ほぼ1−3小節の)を着想している。それを要素として、いわば物質の構成要素である分子として全曲が有機的に緻密に組み立てられている点は、印象派よりもベートーベンの交響曲にずっと近い(拙稿「ベートーベン交響曲第5番ハ短調」参照)。さらに、この曲の特筆すべき点は、「各要素そのもの」が「あたかも時計が進むように」楽章を追って微細に変化、変形されていくことにある。そんな音楽を書いた人は、彼以前に一人も存在しない。

つまりこれはオーケストラの中に「生々流転」する「4次元空間」が展開するという驚くべき試みであり、ブーレーズの作曲の先生であるメシアンなど後世に大きな影響を与えた。その「空間」を時間という変数で微分したのが北斎の版画だという着想こそ、僕はドビッシーが得たインスピレーションに違いないと思う。初演を聴いたエリック・サティは「11時45分ごろが一番良かった」と揶揄している。描写的側面を皮肉ったものと思われるが、時間という要素を指摘した点においては、逆に彼にとって皮肉なことに、正しい。

ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールという決して上等ではない音響の演奏会場でパーヴォ・イエルビがロンドン交響楽団を振った「牧神の午後への前奏曲」を聴いたとき、音響が点描のようにオケの中を移動する不思議な様を体験した。オケが3次元空間になっていた。それに「ニンフを眺めて欲情する牧神」という時間軸が加って「4次元空間」とする実験がすでになされている。ここからバレエと言うストーリー性を除却して、純音楽的に構造的にそれを達成させた、宝石のような結晶が「海」である。

僕はこの音楽が3度の飯より好きである。上記のタイトルのような詩的なものにはぜんぜん関心はなく(ドビッシーさんすみません)、物理的な音響をシンフォニーとして愛好している。好きが昂じて第1楽章をシンセでMIDI録音した「アズケン指揮」盤が存在し、自分ではカラヤン盤よりいい演奏だと思っている。演奏はキーボード(ヤマハのクラビノーバ)で全楽器の全パートを弾く。減速してゆっくりのテンポで録音できるが、それでもこの曲は非常に難しく、第2,3楽章にチャレンジする勇気と時間は、まだない。余生の楽しみとしたい。

さて、冒頭のレコードに戻る。これを買ったのは、かたや朝・昼・晩と野球に明け暮れていた高校2年の時。野球とクラシック音楽にここまで没入していたので、勉強などもちろん2の次、3の次。3年生になってもサイン、コサインが良くわかっていない冷や汗もの状態だったのを思い出す。

この演奏、「春の祭典」の稿に書いたブーレーズさんのレントゲン写真的、高精度解析的アプローチ全開で、ロマン主義的、詩的な方向性への志向はかけらもない。「春の祭典」より「海」のほうがそういうアプローチを許容するので、それをやらない指揮者の冷徹さがさらに際立つ結果となっている。両曲においてそれがピタリとはまっていることから、ストラビンスキーの初期の曲に「海」の投影があることが炙り出されるという発見すらある(併録の「牧神の午後への前奏曲」ではピタリ感が今一つである)。

BOULEZ, Debussy La Mer Trois esquisses symphoniques



何十回この演奏を聴いたかわからないが、「海」という音楽にとどまらず僕の根本的な音楽嗜好を決定的にした、つまり「耳を作った」のはまさにこのレコードである。まず楽器のピッチは完璧に合っていないといけない。リズムもフレージングも、楽器の遠近感や倍音ブレンドが最適解に至るまで磨き上げなければいけない。フランス語のClarté(クラルテ、明晰さ)こそ、この種の曲においてはもっとも美しい音楽を作るという哲学である。

写真が僕にとって神に等しいピエール・ブーレーズさん。指揮者というより作曲家がご本業である。現代における世界最高の知性。ドビッシーの「海」は38種類の音源を所有しているが、もはや彼以外のものは聴く気にもならないし、聴いても漫画か銭湯にある富士山のペンキ絵みたいにしか聴こえない。
ちなみに何か難しい問題を考えるときに僕はこのブーレーズの「海」を必ず聴きたくなる。ながら聴きなど許さないこれに耳を澄ますと、バラバラだった脳ミソの細胞が整然と直列に並ぶ気がする。のちに受験勉強で数学が強くなったのはこれとバルトークのおかげと固く信じている。

(補遺・2月16日)
永井幸枝 / ダグ・アシャツ(pf)
https://www.youtube.com/results?search_query=La+Mer++for+Two+Pianos

この曲をよく知りたい方は2台ピアノ版をお薦めする。第1楽章のポリリズムに近いリズムの複合はシンセ録音で弾くときに細心の注意を強いられたし、驚嘆するしかない独創的な和声のケミストリーや第2楽章のミニマル的エレメントは管弦楽の色彩を除去してピュアなピアノの音響で確認した方がよくわかる。このCDは録音も良く、スコアにあるすべての要素、特にオケだと聴こえない伴奏音型の形まで見事なテクニックで再現されている。ぜひ一度、科学的な眼と耳で解析してみていただきたい。

ポール・パレー / デトロイト交響楽団


第1楽章はやけに暗い。いや、出だしはどれも暗いが暗いままだ。しかし考えれば陽光が煌めくのはコーダに至ってからだ。音楽に光がさすのはチェロの分奏の部分から。時間で微分された光の増量。なるほどそういう解釈があるのか。第2楽章の精密なリズムの縁取り!波と風の乾いた肌ざわりだ。終楽章、風雨ではなく見通しが良い。管弦楽は野放図に鳴る音は皆無でコントロールされるが自発性は尊重されている。知的だが香りがある。米国の当時メジャーでもないオケからこれだけのアンサンブルを引出し、ラテン的な感性で描ききった演奏のレベルの高さは並みではない。こういう芸の重みというのは僕がブーレーズに見出す価値観とは違う、いってみれば、玉三郎の演じた阿古屋に近い。

フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団


このスコアが描いたのがそれかどうかはわからない。しかし僕が時折ここから欲しくなるのは、数千年の神話時代まで見通すようなぱりっと乾いた空気、そして水色の淡い光が透過する澄んだ海だ。PM2.5が舞う世界なんてまっぴら御免。エーゲ海クルーズで出会った真昼のクレタ島やミコノス島の世界だ。SACDで買い直したライナー盤。そんなものだ。一皮むけた音がなんとも、いい。素晴らしいピッチ!完璧なフレージング!濁りのないピュアな音響は奇跡的な均衡でスコアに秘められた音楽を純化し聴き手を陶酔させる。


ロジェ・デゾルミエール / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


音楽にはなんと多様な作用があるんだろう。ライナーの明晰、そしてデゾルミエールのアトモスフィア!これは音のケミストリーが生む奇跡のような演奏だ。ブーレーズやライナーにはない香りがここにある。音が我々の目に映るなにかのものでなく、エーテルのように漂って、すこし灰色がかった青の地中海の雰囲気を伝えてくる。これを聴くのはブーレーズとは別の海を眺めるということだ。第2楽章の後半には参る。こういう霊感をオーケストラにどうやって伝えたんだろう?

この曲のライブというと目がありません。誰のであれそそられるものがあります。これは珍しいオーマンディーが最晩年にとサンフランシスコ響を振ったもので希少品です。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2012/11/01/ドビッシー%E3%80%80交響詩-「海」/



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ドビッシー 交響詩「海」再考 2015 MAY by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/05/23/ドビッシー-交響詩「海」再考%EF%BC%88今月のテーマ%E3%80%80海/


自然の風景というと我々日本人には山、川、海は定番でしょう。なかでも海は、「海は広いな大きいな」「我は海の子」なんて懐かしい唱歌もあれば(僕は嫌いでしたが)、我が世代には加山雄三やサザンもありました。男のロマンをかきたてるものを感じるという文化ですね。

ところがクラシック音楽は川(ライン、ドナウ、モルダウ、ヴォルガetc)の音楽はあっても意外に海は少ないですね。ユーラシア大陸の北辺は氷結した海であり、南辺の地中海はカルタゴやイスラムと闘う辺境だった。ロマンをかきたてる存在ではなかったのではないでしょうか。海岸線の長さランキングで日本は世界第6位なのに対し、イタリア15位、フランス33位、ドイツ51位というのも関係あるかもしれません。

ドビッシーが「海」を書いたのは、ですから西洋音楽の視点からはやや特異と思います。彼は8才の頃にカンヌに住んで海を見たはずですが、この交響詩は単にその印象を描写したものではありません。彼は「音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ」という哲学をもっていました。この曲における海は変化する時空に色とリズムを与える画材であり、それはあたかもクロード・モネが時々刻々と光彩の変化する様をルーアン大聖堂を画材に33点の絵画として描いたのを想起させます。この連作が発表されたのは1895年、海の作曲が1905年。ドビッシーはこれを見たのではないでしょうか。左が朝、左下が昼、右下が夕です。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2015/05/MONET1_thumb.jpg

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これをご覧になった上でこのブログをぜひご覧ください。2年半前のものですが特に加えることはありません。

ドビッシー 「3つの夜想曲」(Trois Nocturnes)
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/07/08/ドビッシー-夜想曲/

「色とリズムを持った時間」!モネの絵画というメディアが33の静止画像だったのに比べ、ドビッシーの音楽は25分の動画です。それも情景の変化を印象派風に描くのではなく、音楽の主題を時々刻々変転させて時間を造形していく。それによりほんの25分に朝から夕までの時間が凝縮されます。第1楽章コーダの旋律が第3楽章コーダで再起し、音楽の時間は円環系に閉じていますが、それはモネの絵のように同じ情景を見ているという感情をも生起させるのです。

交響詩「海」はどの1音をとっても信じ難い感性と完成度で選び置かれた奇跡の名品です。全クラシック音楽の中でも好きなものトップ10にはいる曲であり、これが完成された英国のイースト・ボーンの海岸にいつか行ってみたいと望んでいる者であります。

ブログに書きました、僕のアイドルであり当曲の原点であるピエール・ブーレーズの旧盤(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)です。



ウォルター・ピストン著「管弦楽法」にはこの曲からの引用が14カ所もあり、その幾つかはドビッシーのオーケストレーションの革新性を理解させてくれます。たとえば、第1楽章、イングリッシュホルンとチェロ・ソロのユニゾン(ブーレーズの6分52秒から)が「1つのもののように混り合い、どの瞬間においてもいずれか一方の方が目立つということがない」(同著)ことをMIDI録音した際に確認(シンセの音でも!)しましたが、その効果は驚くべきものでした。

これまた予想外に溶け合うイングリッシュホルンと弱音器付トランペットのユニゾンもあり、不思議な色彩を生み出している。まさに「時間に色をつけている」のです。第2楽章のリズムの緻密な分化と変化、それに加わる微細な色彩の変化と調和!音楽史上の事件といっていいこの革命的な筆致の楽章に「色とリズム」が時間関数の「変数」としていかに有効に機能しているか、僕はこのブーレーズ盤で学んだのです。

ブーレーズはyoutubeにあるニューヨーク・フィルのライブ映像で細かい指揮はしてないように見えるのですが鳴っている音は実に精密に彫琢され、それでいて生命力も感じる。そして魔法のような管弦楽法による色とリズムの調合がいかに音楽の欠くべからざる要素として存立しているか。オケのプレーヤー全員が指揮から学習した結果なのでしょう。極上の音楽性と集中力を引き出している指揮者の存在感。凄いの一言です。

他のものは譜読みが甘くほとんど心に響くものを感じませんが、これはいいですね。ポール・パレー/ デトロイト交響楽団の演奏です。指揮者の常識とセンスと耳の良さを如実に表しております


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/05/23/ドビッシー-交響詩「海」再考%EF%BC%88今月のテーマ%E3%80%80海/
2. 中川隆[-14332] koaQ7Jey 2020年1月19日 18:12:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1242] 報告

Debussy: La Mer, Toscanini & PhiladelphiaO (1942) ドビュッシー「海」トスカニーニ



Debussy: "La mer" Toscanini (1935, Live, restored) / BBC S.O., London



Debussy: "La Mer", (Restored) Toscanini 1950, NBC

3. 中川隆[-14331] koaQ7Jey 2020年1月19日 18:22:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1241] 報告

トスカニーニ

Debussy Prélude à l'après midi d'un faune - Toscanini NBC 1943



Debussy: "Prélude à l'après-midi d'un faune", Toscanini, NBC 1953, Live Restored



Toscanini All-Debussy Concert 14 Feb 1953

4. 中川隆[-14330] koaQ7Jey 2020年1月19日 19:13:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1240] 報告

Debussy "Nocturnes No 1 & 2" Yevgeny Mravinsky




Inghelbrecht dirige Debussy: Trois Nocturnes, L. 91 "Tryptique symphonique pour orchestre et chœurs"
https://www.youtube.com/watch?v=koeFU-xpxrw&list=OLAK5uy_mdOSa79a4WDR8m70XSpSklBBZO98ze8to&index=7
https://www.youtube.com/watch?v=_JHuJ2cneFw&list=OLAK5uy_mdOSa79a4WDR8m70XSpSklBBZO98ze8to&index=8
https://www.youtube.com/watch?v=j0PPgBcSiek&list=OLAK5uy_mdOSa79a4WDR8m70XSpSklBBZO98ze8to&index=9



Claude Debussy ‒ Trois Nocturnes Performed by Montreal Symphony Orchestra, Charles Dutoit conductor



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ドビッシー 「3つの夜想曲」(Trois Nocturnes)2015 JUL 8 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/07/08/ドビッシー-夜想曲/

僕は70年代のブーレーズのLPでいろんな曲を初めて知り、耳を鍛えられた者なので良くも悪くも影響を受けていますが、その後者の方がこれです。この曲が好きな方は多いでしょう。クラウディオ・アバドはこれが振りたくて指揮者になったとききます。

しかし、僕はだめなのです。どうも真剣になれない。「海」(第1楽章)と「牧神」はシンセでMIDI録音するほどはまりましたが、これはまったくその気なしです。随所に好きな、というか好きになっていておかしくない和声や音響はあるんですが。

それはおそらくブーレーズの演奏(右がLP)がつまらなかったせいと思います。彼も万能ではなくて、牧神もポエジーに乏しくていまひとつですが「夜想曲」はさらにそのマイナスが出ていて、音に色気、霊感がないのです。

ちなみに「遊戯」の冒頭部分などお聴きなってください、春の祭典の最初の数ページに匹敵する素晴らしさです。倍音まで完璧に調和するピッチ、精巧な楽器のバランス、神経の研ぎ澄まされたフレージング、聴く側まで息をひそめるしかない緊張感!

こんなに「そそる」音楽が出てくる録音はそうあるものではなく、これを今どき多くなっているライブ録音CDと比べるならプロ写真家の式典写真と素人のスマホ写真ぐらいの差があります。それと比較してこの「夜想曲」は同じ指揮者とオケ(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)とは信じがたい。

録音プロデューサーが海、牧神、祭典とは別人でテクニカルな理由もあるかもしれません。とにかくブーレーズを神と崇め、LPはどれも微細なノイズまで耳を凝らして聴かされてしまっていた当時の僕が何回聴いてもそういうことだったので、そこには何か峻厳たる理由が横たわっていたに違いなく、本稿はその関心から書いています。

「夜想曲」の着想はペレアスを書いている1893−4年ごろと考えられています。第3曲シレーヌ (Sirènes)にヴォカリース(母音唱法)の女声合唱があるなどその一端を伺えます。これはラヴェル(ダフニス)、ホルスト(惑星の海王星)などに影響したでしょう。

最も驚くべきは第2曲祭 (Fêtes)の中間部でppのトランペット3本を導入する低弦のピッチカート、ハープとティンパニがpppでおごそかな行進のリズムを刻む部分です。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2015/07/nocturn.png

これは春の祭典の「祖先の儀式」(楽譜下)になったに違いないと僕は思います。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/files/2015/07/rite.png


こういう想像を喚起するだけでも「夜想曲」に秘められた作曲者の天才の刻印とその影響ははかりしれませんが、同時期の作曲でそれが最も認められるペレアスのスコアと比べるとこれは若書きの観が否めません。ぺレアスと同次元に達している管弦楽曲は「海」であると僕は確信します。

ということですが、全部ブーレーズに責任があるわけではなく僕自身が夜想曲のスコアからマジカルなものを見いだせていないということでもあります。いいと思うのはシレーヌの最期の数小節ぐらいです。主だった録音は持っていますし実演も聴いていますが、どうしても自分の中からは冷淡な反応しか得られない。

こちらはラヴェルによる二台ピアノ編曲で、僕はこっちの方が好奇心をそそられ満足感が高いです。

Debussy-Ravel - Trois Nocturnes for Two Pianos (1897-99)
https://www.youtube.com/results?search_query=Debussy++Ravel++Nocturnes++for+Two+Pianos

(補遺、15 June17)
そのブーレーズCBS盤です。これも発売当時の世評は高かった。僕の趣味の問題かもしれず、皆様のお耳でご検証を。



音響的にゴージャスで耳にやさしいのはシャルル・デュトワ/モントリオール響の録音でしょう。これが世に出た80年代初期、ちょうどLPからCDに切り替わる時期でクラシックのリスナーにとっては革命期でした。CD+デジタル録音というメディアにまだ一部は懐疑的だった世評も、このデュトワの見事な音彩とDeccaの技術によるアナログ的感触は批判しきれなかったと記憶します。



ドビッシーというのはラヴェルに比べてフランスの管と親和性が希薄で、ロシアはさすがに抵抗があるがドイツ、中欧のオケでもいいものがあります。クリュイタンス/パリ音楽院管やミュンシュ/パリ管の艶っぽい管に彩られたラヴェルを信奉する人たちからもドビッシーでそういう主張はあまりききません。

ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管(ACO)のこれはその好例で、名ホールの絶妙のアコースティックが見事にとらえられ、ほの暗い音彩で最高にデリケートで詩的な管弦楽演奏が楽しめます。ノクターンの夜の質感はフレンチの管でなくACOの方に分があると僕は感じます。技術的にも音楽性も最高水準にあり、ハイティンクという指揮者の資質には瞠目するばかりです。ちなみにこれの発売当初(1979年ごろ)、日本の音楽評論家は彼を手堅いだけの凡庸な中堅指揮者と半ば無視していたのでした。



(補遺、17 June17)
ヨーゼフ&ロジーナ・レヴィーン(pf)
モスクワ音楽院ピアノ科の金メダリストはアントン・ルービンシュタインからの伝統の系譜、ロシア・ピアニズムの真の後継者です。このご夫妻は両者がそれであり、僕にとってレジーナのショパンP協1番はあらゆる録音でベストです。これはラヴェル編曲の「祭り」で黄金のデュオの音彩は見事の一言に尽きます。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/07/08/ドビッシー-夜想曲/

5. 中川隆[-14329] koaQ7Jey 2020年1月19日 20:45:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1239] 報告

Claude Debussy “Pelléas et Mélisande” (Colette Alliot-Lugaz & Charles Dutoit)



"Pelléas et Mélisande" - Paris, 1955 under the direction of Désiré-Émile Inghelbrecht




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ドビッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」2014 MAR 3 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/


大学の第2外国語はドイツ語だったが深い理由はない。なんとなくだ。フランス語にすればよかったと思う時が今でもある。パリのレストランでフランス語だけのメニューがでてきた時と、フランスオペラを聴くときだ。まてよ、女性のフランス語が京都弁と似て色っぽくていいという下世話な動機もあったりするかな。

フランス語のオペラというと、なんといってもドビッシーの「ペレアスとメリザンド」、そしてけっこう忘れてるが、ビゼーの「カルメン」「真珠とり」、グノーの「ファウスト」、オッフェンバックの「ホフマン物語」、マスネの「ウェルテル」と「マノン」と「タイス」、サン・サーンスの「サムソンとデリラ」、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」、ラヴェルの「子どもと呪文」「スペインの時」ぐらいは聴いたんじゃないだろうか。

カルメンをイタリア語や日本語でやれば、変ではあるが慣れれば聴けるだろう。しかし「ペレアスとメリザンド」はそれができない。なぜなら管弦楽にフランス語が「縫い込まれている」(woven)からだ。オーケストラに声楽が「乗っかる」のが普通のオペラである。独り舞台になるアリアというのがその典型的場面であって、そこだけは「カラヤンとベルリンフィル」でも「ダン池田とニューブリード」でもおんなじ。ズンチャチャの伴奏楽団になり下がる場面でもあるのだ。モーツァルト作品をのぞくとこれは僕には耐えがたい。

そのアリアとレチタティーヴォの安っぽさに気づいてくれたのがワーグナーだ。
どういうことか?
アリアは管弦楽の生地の上に声がステッチ(stitch)された、いわゆる「アップリケ」だ。それだけが目立つ。
「うわー、*子ちゃんのスカート、キレイなお花だね」なんて。キレイなのはお花だけなの?ってスカートを縫ったお母さんは思わないのだろうか。そう思ったのがワーグナーなのだ。ええいっ、布の生地にお花も縫い込んでしてしまえ、ということにだんだんなってきて、それが最も成功したのが「トリスタンとイゾルデ」である。

トリスタンというのはリングみたいな大管弦楽は使わない。彼としては古典的な方だ。もちろんアップリケなし。生地もけばけばしい柄ではなくしっとりした布地の質感で仕上がった逸品である。その質感を紡いでいるのは「解決しない和声」であり、最も特徴的である「トリスタン和声」と呼ばれる4音は、彼を師と仰ぐブルックナーが第9交響曲のスケルツォ開始に使い、トリスタンを全曲記憶していたドビッシーはメリザンドが死んだあとオペラをその構成音のアルペジオを嬰ハ長調に解決して見せて締めくくった。

ドビッシーが「反ワーグナー」でトリスタンに対立するオペラとしてペレアスを書いたというのが通説だが僕はそうは思わない。ペレアスはトリスタンを強く意識して、その強い影響のもとに書かれ、しかしドビッシーの強い和声の個性とフランス語特有のディクションの故にトリスタンとは違うものになったオペラなのである。
ワーグナーはアリア(歌)をオーケストラに縫い込む(weave)ことに成功したが、そこまでだ。ドビッシーはもう一歩すすめて、歌だけでなく「フランス語の語感」までweaveすることに成功した、その意味でペレアスとメリザンドは革新的なオペラであり、ストラヴィンスキーの「結婚」、シェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」への道を開いた作品でもある。

ついでだが、この路線を最もストレートにいったのがヤナーチェックである。僕がチェコ語やフランス語をわかるわけではないが、音として認識でできる両言語の発音、アクセント、抑揚、ニュアンスが音楽にweaveされているオペラという点において彼とドビッシーは双璧だと思う。どちらもヴィオラやフルートのちょっとした断片のようなフレーズがフランス語やチェコ語に聞こえてくる。それは協奏曲の独奏楽器がヴァイオリンかトランペットかによって曲想まで変わってくるだろうというのと同じ意味において、リブレットがフランス語やチェコ語だから作曲家はこのメロディーを書いただろうという推定に何度も心の中でうなずきながら聴くオペラに仕上がっているということを言っている。

僕は「フィガロの結婚」や「後宮からの誘拐」を日本語で聴いたことがあるが、どうしてもいやだということもなかった。台本がイタリア語の前者とドイツ語の後者で、言語と音楽が抜き差しならぬ関係にあってぜんぜん違うタイプの音楽に出来上がっているという感じはない。何語であってもモーツァルトはモーツァルトの音楽を書くことができ、それが日本語で聴こえてきても、やっぱりモーツァルトになるという性質の音楽なのだ。ところがここでのドビッシーはフランス語の質感、もっといえば、そういうしゃべり方、歌い方をする女性のタイプまで限定して音を書いている。

僕はカルメンはもちろん、ミミや蝶々さんあたりまでは声量重視、リアリティ無視のキャスティング、ズバリ言えば体格の立派なソプラノであってもOKである。子供であるヘンゼルやグレーテルですらぎりぎりセーフだからストライクゾーンは広めだ。しかしメリザンドだけは無理だ。これはどうしようもない。舞台設定や化粧の具合でどうなるものでもなく、音楽が拒絶してしまうからだ。ここがイゾルデと決定的に違う、つまりドビッシーが意図してワーグナーと袂を分かった点だ。

僕はドイツで何回も、スカラ座でも、トリスタンを観たがイゾルデに色っぽさを感じたことがない。というよりも、感じるようなタイプの人が歌えない性質の音楽をワーグナーはこの役に書いているのだ。ではメリザンド。こっちはどうだろう?

「ペレアスとメリザンド」はドビッシーが「青い鳥」で有名なメーテルリンクの戯曲を台本として1893年に第1稿を完成した彼の唯一のオペラである。「牧神の午後への前奏曲」とほぼ同時期に着想し完成は少しあと、交響詩「海」を作曲するよりは少し前の作品だ。戯曲の筋は一見なんということもない王族の不倫物語なのだが、細かくたどっていくと不思議の国のアリスなみにファジーである。肝心なところがぼかされているのだが、詩的というのも違う。おとぎ話かと思いきや血のにおいや死臭が漂い、人間の残忍さ、欲望や嘘に満ちている。それでいて、いよいよリアリズムに向かうかなという瞬間になって、いいところで画面にさっと「擦りガラス」のボカシが入る。そんな感じなのである。

筋はこうだ。
中世の国アルモンド王国皇子のゴローが森の中で泣いている女を見つけ城に連れ帰って妻にする。メリザンドという素性も得体も知れぬ若い女であった。ところが女はゴローの異父弟ペレアスといい仲になってしまい、嫉妬した兄は弟を刺し殺してしまう。傷を負った女も子供を生み落して静かに死んでいく。

このメリザンドという女が何を考えているのかさっぱりわかないネコ科の不思議娘 なのである。それでいてペレアスが「嘘ついてない?」ときくと「嘘はあなたのお兄さんにだけよ」なんて機転のきいた嘘をついたりもする。兄弟はかわいそうなぐらいにメロメロになってしまうのである。

娘が泉の精かなにかで音楽がメルヘン仕立てかというとそうではない。女の醸し出すえもいえぬフェロモンの虜になる弟、密会を知って殺意を抱く兄。メリザンドは妖精ではなく生身の女であることは、塔の上から長い髪を垂らして弟が陶然として触れる艶めかしいシーンで実感させられる。

しかし音楽はロマンティックになることは一切ない。すべてが薄明の霧の中での出来事であったかのようにうっすらと幻想のベールをかぶっている。

「見かけはそう」という図式が次々と意味深長に裏切られる。恋でも憎悪でも死でもなく、時々刻々と万華鏡のように移ろうアルモンド王国の情景とはかない運命にドビュッシーは音楽をつけているのである。

武闘派で肉食系の兄ゴロー、草食アイドル系の弟ペレアス。メリザンドが選ぶのは弟であり、一見お似合いのカップルだ。これは「ダフニスとクロエ」対「醜いドルコン」の構図であり、美男美女カップルの勝利でハッピーエンドというのが定石だ。

ところがここでは美男のダフニスがあっさりとドルコンに刺し殺されてしまう。おとぎ話ではないのだ。

では何か?
「トリスタンとイゾルデ」というのがその答えだろう。
ゴローがマルケ王(叔父)、ペレアスがトリスタン(甥)ではないか。
不倫カップルが死んでしまうのも同じだがお騒がせ女が王族の運命を滅茶苦茶にしてしまう顛末はこれも同じである。

「X(男)とY(女)」のタイトルにもいろいろあるが、実生活でもマティルデ・ヴェーゼンドンクと不倫中だったワーグナー、やはり不倫で前妻が自殺未遂するドビッシー。ワーグナーは延々と女に歌わせドビュッシーは女を死の床に横たえてオペラを閉じている。ご両人とも眼中にあったのは女だったのだ。

メリザンドの死のシーンはラ・ボエームに影響を感じるが、ボエームの主人公がミミであったように「ペレアスとメリザンド」とはいいつつもペレアスは添え物であり、やはり主役はメリザンドなのである。

メリザンドを誰が歌っているかこそこの曲の鑑賞の要になることはご理解いただけるだろうか。

「ペレアスとメリザンド」を「王族(ゴロー)の悲劇」と解釈するか「不思議娘の幻想 物語」と解釈するか。これは趣味の問題だがご両人の作曲当時ののっぴきならぬ私生活状況を鑑みるに、僕はどうしても後者として聴いてしまう。

例えば初めて買った演奏はやはりピエール・ブーレーズのロイヤル・オペラハウスとのLP(右)だが、これは王族悲劇でも幻想 物語でもなく中性的なものだ。
エリーザベト・ゼーダーシュトレームのメリザンドはまじめ娘でフェロモン不足。これじゃあ兄弟は狂わないわな。はっきり書いてしまおう、あまり面白くない。

Debussy Pelleas et Melisande Pierre Boulez


このクールな演奏に僕が負うのは、ぜんぜん別なことだ。ペレアスの音楽史上の影響についてである。多くの人がそれに言及しているがどこまで具体的証拠に基づいてそう言っているのだろう。僕は自分で確認したことしか信用しないので、この演奏から自分の耳で気付いたことだけ列挙してみよう。

第4幕のイニョルデのシーンはほぼ直前に作曲されたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の音がする。
第1幕は「ラインの黄金」「ローマの泉」、ラヴェル「ソナチネ」、
同第3場と第3幕には「ペトルーシュカ」、
第5幕は「弦チェレ」「パルシファル」、「中央アジアの草原にて」、
第2幕で指輪を泉に落とした後に「パリのアメリカ人」

など書けばきりがない。
自作は「聖セバスチャンの殉教」、「ピアノのために第2曲サラバンド」、「牧神」「海」などたくさん。
作曲時期が近いせいだろうか「海」と似ていると言っている人がけっこういるが、どう聴いてもそこまでは似ていない。オーボエに似たフレーズがあったりはするが、海はリアリズムに接近している音楽でありペレアスはそれとは遠い。

次に買ったのはこのCDだ。フランスのディスク・モンターニュ盤でデジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏である。メリザンドのミシェリーヌ・グランシェはちょっと上品なはすっぱだが悪くはない。ペレアスを十八番にしていたジャック・ジャンセンも若気のうぶな感じが出ている。オーケストラの合奏も初演の頃はこんなだったかというムードにあふれていて、これはお薦めできる。どっちかといわれれば「王族の悲劇」型だろう。普通にこのオペラをやればそうなるのがふつうだ。台本がそうなのだから。

Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1


ところが、その後、ついに普通ではない演奏に出会うこととなった。アルモンド王国を、このオペラを、指揮者もオーケストラをも振り回す不思議娘がとうとう現れたのである。食わず嫌いしていたそのカラヤン盤をある時に聴いて、まさに脳天に衝撃を受けたのを昨日のように思い出す。

Debussy / Pelléas et Mélisande - Karajan in Vienna (1962) Artificial Stereo & Pitch-Corrected
https://www.youtube.com/watch?v=Ex3onUVOUpA
https://www.youtube.com/watch?v=dNRztf10Tys
https://www.youtube.com/watch?v=5lSVmCT6Oa4
https://www.youtube.com/watch?v=--hni29DN5I
https://www.youtube.com/watch?v=EUilr2L6Axk

カラヤンのペレアス?何だそれは、というのが第一印象。ところが一聴してこれはペレアスの最高の名盤であり、カラヤンの数多あるディスクの中でも1,2を争う出来であり、20世紀のオペラ録音のうちでもトップ10には間違いなく入る名品であると確信。どこへ行ってもそう断言するようになってしまった。

何をおいてもフレデリカ・フォン・シュターデのメリザンドに尽きる。カラヤンは「ついに理想のメリザンドにめぐりあった」と語ったそうだが、不肖、不遜を顧みずまったく同じセリフをフレデリカさんに捧げたい。

降参!参りました。この色香とフェロモンで遊びごころいっぱいのくせに手を出すと不思議なまじめさでさっと逃げる。なんだこいつは?男は迷う。メッツォだから可愛いばかりでもない。急にオトナになってみたりもする。なんだこいつは?またまた男は迷う。

リチャード・スティルウェルは、なんでカラヤンがこんな草食系のペレアスを起用したんだと思うほど頼りないが、見事にメリザンドに食われて籠絡されているのを聴くとそういう配役だったかと納得する。
ゴローのホセ・ファン・ダムは当たり役だ。このオペラほぼ唯一のTuttiである恋の語らいとキスの場面、そこに背後から闖入して弟を刺し殺すシーンは圧巻であり、そんな罪を負ってしまうことになるメリザンドという不思議娘への愛憎の表現がリアルである。

年甲斐なくやはりメリザンドの色香に迷う親父アルケル役はルッジェロ・ライモンディだ。その貫録はメリザンドの死、メーテルリンクの戯曲の主題である静かな死の場面で舞台を圧する。ここをこんなに深みを持って歌った人を他に知らない。

そして忘れてはいけないのがカラヤンとベルリン・フィルの演奏だ。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは本名をカラヤノプーロスというギリシャ人の血筋でゲルマン人ではない。オーストリア出身のドイツ系指揮者としてレパートリーを築いてきたが、ラテン系の音楽に対する思いは強かったのではないか。僕は彼のラヴェル、ドビュッシーは評価しないが、歌の入った場合は違う。彼はやはりオペラハウスで育った人だ。声を縫い込んだ特異なオーケストラ曲であるペレアスでこそ彼は自分の究極の美意識を実現できたのではないか。

そうとしか考えようのない空前絶後といっていい絶美の管弦楽演奏はドラマの抑揚をなまめかしい生き物のように歌い上げ、シュターデの声といっしょにフェロモンを発している!
こんなオーケストラ演奏を僕は後にも先にも人生一度も耳にしたことはない。
それはカラヤンの解釈なのだが、数多ある彼の指揮でもベルリン・フィルがこれほど敬服して真摯に録音に残したということ自体が驚嘆に値する事実であり、これが聴けないとなったら僕は余生に不安になるしかない。それほどのものなのである、これは。

しかしである。やっぱり、この演奏の魅力はメリザンドなのだ。これに抵抗するのはとても困難である。僕はこのカラヤン盤を「不思議ちゃん幻想 物語」の最右翼として永遠に座右に置くことになるだろう。

(補遺)
アンセルメ/ スイス・ロマンド管弦楽団、ジュネーヴ大劇場合唱団による1964年録音は悪くない。メリザンドのエルナ・スポーレンバーグはバーンスタイン / LSOおよびクーベリック/ BRSOのマーラー8番にも起用されており、アンゲルブレシュトがPOを振った録音のペレアスであるカミーユ・モラーヌと純情そうなお似合いのコンビを演じている。オケのフランス的な香りをDeccaの録音陣が良くとらえているのを評価したい。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/



6. 中川隆[-14320] koaQ7Jey 2020年1月20日 12:38:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1223] 報告

『ペレアスとメリザンド』全曲 
カラヤン」&ベルリン・フィル、シュターデ、スティルウェル、他(1978 ステレオ)(3CD)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3/dp/B00005GJV2
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%EF%BC%881862-1918%EF%BC%89_000000000034577/item_%E3%80%8E%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%80%8D%EF%BC%86%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%80%81%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%98-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666107


・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲
 
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム
 アルケル:ルッジェーロ・ライモンディ
 ジュヌヴィエーヴ:ナディーヌ・ドゥニーズ
 イニョルデ:クリスティーヌ・バルボー
 羊飼い、医者、他:パスカル・トーマ
 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団(コーラス・マスター:ヴァルター・ハーゲン=グロル)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音時期:1978年12月
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
  録音方式:ステレオ(セッション)
 1999年デジタル・リマスタリング


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カラヤンのペレアスとメリザンド 2012-asyuracom-22

$ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求-ペレアスとメリザンド

カラヤンのドビュッシー「ペレアスとメリザンド」。
「サロメ」ではベーレンスを見出し、「ペレアス」ではシュターデが一躍世界の檜舞台に立つこととなりました。

このシュターデは、まず容姿と、もって生まれた気品。当盤の解説には

「楽譜が読めず、聴き覚えだ」
「大部分の時代をパリでセールスガールやパートタイムの秘書をつとめナンニーと呼ばれていた」。

それは美しい映像の残る現代のシンデレラ(チェネレントゥラ)にも似た伝説でした。広範なレパートリー、とりわけモーツァルトの諸役です。

「ペレアスとメリザンド」は最初、ワーグナーに耽溺したドビュッシーがそこから離れ、とりわけ「トリスタンとイゾルデ」のアンチテーゼがあります。

「ものごとを半ばまで言って、その夢にぼくの夢を接ぎ木させてくれるような詩人。時はいつ、所はどこと設定されない登場人物を構想し、《山場》を頭から押し付けたりせずに、ぼくが思い通りにそこここで彼以上の腕前を発揮したり、彼の作品を完成させたりするようまかせてくれる詩人」。

その詩人をついにメーテルランクに見出したドビュッシーは、その戯曲をほとんど改編せずにそのまま用いた上、音楽を豊穣に散りばめ、まさに夢が接ぎ木されています。

一方、フランス語の抑揚をそのままに、そのリズムに音楽が即応するような書き方は劇的な進行をさまたげずに、音楽と劇が一体になっているという利点の一方、事件らしい事件がおきないというフランス的なオペラの一つの特質そのもので、退屈を覚える向きもあるでしょう。

ある意味、20世紀オペラはペレアスにはじまり、かなりなハイブロウな作品です。しかし、本作は映像が少ないとはいえ、音盤が多くつくられ、そのどれもが特徴的な演奏史を刻み、そして知識人以上に大衆に支持されたオペラ。

そこにはアリアらしいものはなく、続くシュプレヒゲザングにつながる言葉そのものが魅力。ここに清浄を見出すと、まさに肌合いにぴったりと寄りそうな心地よさに包まれるのです。

シンボリズムに彩られわかりにくいのですが「不倫」がストーリーの一環です。
それはアンチテーゼとされた「トリスタンとイゾルデ」と同様の物語。

「恋はかけひきというが、かけひきのない恋とは何か?」というなぞなぞに対し、答えは「幼い(押さない)恋」。

ここでペレアスとメリザンドの間にかわされる交歓は、無自覚である一方、純粋です。

そこには「水」の暗喩があり、井戸をめぐる指輪、メリザンドが見出される場に見出せます。出産し、母となり、そして死んでもその幼さ、少女性は減殺されません。

 こうした言葉によって牽引される作品にかかわらず、当盤が有名なのはカラヤンのディスクだからですが、通常の意味でアンゲルブレシュト、アンセルメの新旧、クリュイタンス、フルネといった往年のフランス勢、もっと現代的知性を盛り込んだブーレーズなどの盤とも違う。そこには、イタリア、ドイツの二つのオペラで成功したカラヤンが手兵のベルリン・フィルを振っています。

若い頃から得意として、演目としていたカラヤン。そして、シュターデを見出し、スティルウェル、ファン・ダム、ライモンディ、カラヤン好みのキャスト、ここにドビュッシーが紡いだ音の糸にカラヤンの接ぎ木が添えられたのでした。

作品の長さ、今は収録時間の長さから2枚に収まりますが、通常3枚のディスクになる「ペレアス」はほとんど事件らしい事件もないままにかなり長い。

このカラヤン盤が心地いいのは、この精妙な音の中にほのめかしの中に官能性があるから。それが演出巧者のうちに運ばれ、音盤では肌合いのよい音響が続くことになるのです。

吉田秀和氏
「これをレコードだけで知っていたころは、どこもここもあまり変わらないのに、二時間もつづくなんて、どうみても長すぎると思っていた。しかし、劇場にすわってきいていれば、そんなことはない。その間の一瞬一瞬が充実して流れ、しかも、あんなに音楽は寡黙なのだ!

メリザンドなんか、まるで溜息をつくだけで、まったく歌わないみたいではないか!
これほど猥雑さか遠いオペラが、プッチーニ、シュトラウス、マスネーの十九世紀に可能であったとは、まったく奇蹟だ、と私は思う」。

ウィーン・フィルとベルリン・フィルの使い分け、カラヤン美学とは何かを知るために、このディスクは欠かせません。心地いい肌合いのうちに搦めとられる官能。

78年録音。
https://ameblo.jp/fairchild670/entry-11172052269.html

7. 2020年1月20日 12:41:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1222] 報告

ペレアスとメリザンドのCD〜ドビュッシー 2012-04-25
https://ameblo.jp/kbbnef/entry-11232964252.html


 昔、苦手だったフランス音楽・・・・好きになったのは、十数年前。ドビュッシーなどはCD再生しているだけでぼけっとして聴いていてとっても良い音楽に感じた。それからはフランス音楽にのめり込む。が、ほんの一部である。ドビュッシーやラヴェルの有名どころしかわからない。

 ドビュッシーの唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」を聴くようになったのはいつごろだったろうか? カラヤンの全盛期だったころ、そのカラヤンがドビュッシーのこれを録音発売したころじゃないかな? それまでは未知の世界の音楽だった。 頭の上から足の指先まで「アロマセラピー」受けたような、または「マッサージ」受けたような・・・そんな不思議な感覚になった音楽だった。下記の@のCD。 私が最初に買ったころは当然LPレコード時代。BGM的だった。それが魅力だった。フランス語がわけわからない私だったが、その語感に憧れた。 また、このカラヤン指揮ベルリンフィルのドビュッシーは、私にとっては数あるカラヤン盤、ベルリンフィルの膨大な演奏の中で、とびきり上等な一枚だと今でも思う。ベルリンフィルの機能美、現代的人工的エロス的美しさ・・・・(言葉が不適切なのだが、ある意味「白痴美的美しさ」・・・・カラヤンってこういう音を究極的に目指したのでは?と考える。

 次に購入したのは、発売当時話題になったEのアバド盤。当然カラヤン盤と比較した。巷ではすこぶる評判がいいアバド盤。でも、どうもアバドって若いときから音楽が「軽く」「薄い」印象ある私。この盤でも、綺麗なのだがウィーンのあの濃さが半滅。いや、ある人は言う。ドビュッシーだからウィーン的濃さが出ては困ると・・・・確かにそうだが・・・。

 そして、「ブーレーズ」ってどうだ? と思った。私はブーレーズに陶酔していた人間なので、絶対裏切らないはず!と思い、これまた東京にいるころにLPで手に入れた。BのCDである。 いやぁ〜〜〜〜 すごい音の重なりには驚く。どの「音」も完璧なところで出すので、その重なりの「美」ときたらこれに並ぶものなし。 ブーレーズの耳って、そしてブーレーズに振られたオケの音階って「純正律」も「平均律」も関係ないのか? 音階の矛盾が全くなし。限界なし。あまりにも美しく割り切る音。音の層に・・・・・この世のものとは思えなくなる反面。ブーレーズが引き出す「音」というのはきわめて「自然界」の音に近いような感じさえする。

 ただ、当時の録音技術と再生技術がこのブーレーズの世界を再現し切れてないのが惜しいような・・・・。 音の方程式とでもいいたいブーレーズの指揮。

 そして、私のドビュッシー感を打ち砕く録音に出会ったのが十数年前、全く名前も知らなかったエミール・アンゲルブレシュトというフランスの指揮者が振ったライブだった。それも「初演から50周年記念」というライブ。Cである。これは録音は古いのだが、この演奏流していたら今までのドビュッシーはいったい何だったの? ドビュッシーってこういう音楽だったのか?と思った。素晴らしい音の肌さわり・・・これが「フランスの音」? と思った。そしてそして、歌手のうまさ、フランス語のあの感じ・・・惚れた。惚れた。 歌手名見ると、モラーヌ、ダンコと主演がある。知らなかった。でも、調べたらとてつもなく著名な声楽家であること知った。夢中になった。しかし、悲しいかな、ほとんどの録音が廃盤になっていた。エミール・アンゲルブレシュトの指揮も同じく・・・・・。

 数年前、今度はエミール・アンゲルブレシュト指揮の別音源がCDで出た。飛びついた。それがDのCD。これもまたライブで、この演奏の雰囲気も超感動的。一気にエミール・アンゲルブレシュト熱が出てきた時代だった。
 ここのところ、CDのデフレで、HMVなど見ていたら今度はダンコが歌うもう一枚の「ペリアスとメリザンド」発見。なんとなんと名指揮者アンセルメ盤だ。これがF・・・・・・。やっぱりいい〜〜 シュザンヌ・ダンコのフランス物はいい。

 そしてそして、驚いたことになんとなんと、あのハイティンクがパリでこの曲を振ってライブで録音した!!!! 嬉しかった。 ハイティンク命の私は当然のごとく発売と当時にゲット。聴いた。感動した。これこれこれ!!!! ハイティンクのドビュッシーって欧州ではすこぶる高評価なのがよくわかる。歌がオッターなのも魅力的。

 それから、デュトワ盤がある。だいぶ前に廃盤になっていたが、ここにきて再リリースとは嬉しい。GのCD。デュトワ的なドビュッシーもまた魅力的。

 番外なのだが、例の昔の歌手であるパンゼラが歌った音源CDがある。抜粋盤なのだが、それが下記
http://www.hmv.co.jp/product/detail/142518   パンゼラの歌唱

 かなり古い録音で針音すごいが・・・・これまた私にはとっても良く感じる。 youtubeに音源のサワリがある。

http://www.youtube.com/watch?v=QH9yxZNHEkc&feature=player_embedded


 この雰囲気〜〜 いいよなぁ。 最近の私はこういったレトロ的な音に夢中かも?

 それからYoutubeに、ブーレーズが指揮したライブ映像がある。それも全曲観ること出来る。 貴重。

http://www.youtube.com/watch?v=z7kodUT_sJs&feature=player_embedded


ただ音楽流しているだけでも私は大好きな音楽だ。不思議。

【手持ちCD】

@カラヤン/ベルリン・フィル
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム

1978年EMI
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3666107

Aハイティンク/フランス国立管弦楽団
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メリザンド),
ヴォルフガンク・ホルツマイヤー(ペレアス),ロラン・ナウリ(ゴロー),他
ベルナルト・ハイティンク(指)フランス国立管弦楽団
2000年 シャンゼリゼ劇場のライブ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/407121

Bブーレーズ/コヴェントガーデン
 ジョージ・シャーリー
 エリーザベト・ゼーダーシュトレーム
 イヴォンヌ・ミントン
 ドナルド・マッキンタイア、他
 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
 ピエール・ブーレーズ(指揮)
 
 録音時期:1970年
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3629025

Cエミール・アンゲルブレシュト/フランス国立放送
カミーユ・モラーヌ(Br、ペレアス)
 シュザンヌ・ダンコ(S、メリザンド)
 クリスティアーヌ・ゲイロー(Ms、ジュヌヴィエーヴ)
 アンドレ・ヴェシェール(Bs、アルケル王)
 マルセル・ヴィニュロン(Br、羊飼い、医者)、他
 フランス国立放送合唱団(合唱指揮:マルセル・ブリクロ)
 フランス国立放送管弦楽団
 デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(指揮)
 録音時期:1952年4月29日
 録音場所:パリ、シャンゼリゼ劇場
 録音方式:モノラル(ライヴ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4973041


Dエミール・アンゲルブレシュト/フランス国立放送

ジャック・ジャンセン(ペレアス)
ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド)
ソランジュ・ミシェル(ジュヌヴィエーヴ)
フランソワーズ・オジュア(イニョンド)
ミシェル・ルー(ゴロー)
アンドレ・ヴェシェール(アルケル)
マルセル・ヴィニュロン(医者)
1962年 パリ ライブ

現在廃盤


Eアバド/ウィーン・フィルハーモニー
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」
マリア・ユーイング(ソプラノ)
フランソワ・ル・ルー(バリトン)
ホセ・ヴァン・ダム(バス)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)ほか
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1991年ドイツグラモフォン原盤
http://www.hmv.co.jp/product/detail/46697

Fアンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団
シュザンヌ・ダンコ(ソプラノ:メリサンド)
 ピエール・モレ(バリトン:ペレアス)
 ハインツ・レーフス(バリトン:ゴロー)
 アンドレ・ヴェシエール(バス:アルケル)
 エレーヌ・ブヴィエ(メゾ・ソプラノ:ジュヌヴィエーヴ)
 フローラ・ヴェンド(ソプラノ:イニョルド)
 デリック・オルセン(バリトン:羊飼い&医者)
 スイス・ロマンド管弦楽団
 エルネスト・アンセルメ(指揮)

 録音時期:1952年4月
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3712037

Gデュトワ/モントリオール響
 ディディエ・アンリ(テノール)
 コレット・アリオット・ルガズ(ソプラノ)
 ジル・カシュマイユ(バリトン)
 フランソワ・ゴルフィエ(ソプラノ)
 ピエール・トー(バス)
 フィリップ・アン(バス)
 クローディーヌ・カールソン(アルト)、他
 モントリオール交響楽団&合唱団
 シャルル・デュトワ(指揮)

 録音時期:1990年5月
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4202551


https://ameblo.jp/kbbnef/entry-11232964252.html

8. 中川隆[-14002] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:28:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-671] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862 - 1918)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

機能和声の枠を越えて新しい音楽を開拓し、印象派の名前のとおり曖昧で繊細な感覚的音楽を書いた。

音楽による詩情の表出力は天才的であり、詩のような小品において特に力を発揮した。

しかし、大規模な作品の場合も小規模の作品と同様の手法で書かれており、壮大さや力強さや構築的な展開に欠けるため物足りなく感じる。


バレエ音楽

•カンマ 1911-12◦3.0点


強い特徴は感じられないが、わりと聴きやすい。

•遊戯 1912-13◦3.0点


鑑賞用の曲としてどうこうというより、音楽的に非常に現代音楽の管弦楽曲に近いのが面白い。調声感の稀薄さと秩序に乏しい音の動き。

•おもちゃ箱 1913◦3.0点


わりと長いので全曲聴く価値があるかというと微妙だが、バレエ音楽として普通に楽しめる。


管弦楽作品

ドビュッシーの管弦楽曲はとらえどころがない曖昧な雰囲気に慣れる必要がある。


夜想曲 1897-99 Op91

•1曲目 3.5点

穏やかな曲調の中に一つひとつのフレーズに詩情に満ちた夜の世界が表現されている。

•2曲目 3.5点

夜想曲なのに祭典的な雰囲気の曲というのも面白い。なかなか充実感のある曲

•3曲目 3.5点

女性コーラスの神秘的な海の精の表現が素晴らしい。


管弦楽のための『映像』 1905-12 映像第3集 Op122

•1曲目 3.0点

特に強く映像的なものや想像力を喚起する印象はないが、管弦楽曲として純粋に楽しめる。

•2-1曲目 3.0点

活き活きとしたスペイン情緒が愉しい。ドビュッシーにしては分かりやすく楽しめる管弦楽曲。

•2-2曲目 3.5点

これと分かりやすく楽しめる。夜がテーマだが、いつもの静寂さではなく情熱の余韻が残っている。

•2-3曲目 3.5点

この曲もスペイン情緒満載で街中のような活気もあり愉しい。

•3曲目 3.0点

活気があり、珍しくウキウキしそうになるような感情を秘めている気がする。


その他の管弦楽曲

•管弦楽組曲(第1番) 1883 Op50

•交響組曲『春』 1886-87 Op61◦2.5点


悪い曲ではないが若書きの感じが強く、個性もそれなりに出ているが確立していない。

•3つの黄昏の情景 1892-93 Op83

•牧神の午後への前奏曲 1892-1894 Op86◦4.0点


パンの笛の冒頭が印象的。神話のような夢幻的で霧の中のように儚い叙情性の音世界に浸れるようになれば、大変に楽しめる曲。

•交響詩『海』-3つの交響的スケッチ 1903-05 Op109◦3点


海をテーマにここまで多彩な情景を表出できる強靭な想像力と描写力には驚くが、喜怒哀楽などの人間的な感情をほとんど感じない音楽なので、この長さの曲は自分は聴き通せない。

•スコットランド風行進曲◦3.0点


バグパイプ風の音が鳴る。行進曲といってもドビュッシーなのでノリノリでは無い。とはいえ他の管弦楽曲よりはリズムが多少充実。


協奏曲

•間奏曲 1882 チェロ Op27

•ピアノと管弦楽のための幻想曲 1889-92 ピアノ Op73◦2.0点


ピアノ協奏曲の一種。普通の協奏曲にややドビュッシーらしい味付けをしたような感じで中途半端。ピアノもそれ程効果的ではないし、内容的にいまいちで失敗作だと思う。

•サクソフォンと管弦楽のための狂詩曲 1901-11 サックス Op98◦3.0点


古代の神秘の音楽と、くぐもった音のサックスのソロを取り合わせたのが面白い。しかし曲の中に使われている動機にやや平凡さが感じられる。

•神聖な舞曲と世俗的な舞曲 1904 ハープ Op103◦3.5点


この構成の曲と聞いてドヴュッシーが期待させる通りの内容。ハープをドビュッシーらしい和声に載せた美しい調べで見事に活用している。ハープの美しさを堪能出来る。明るくリズム感もあり、なかなか良い。

•クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 1909-10 クラリネットOp116◦3.0点


とりとめのない感じがある。クラリネットの音の甘さや諧謔性やロマンティックさなど、特徴をうまく活用して、ドビュッシーの語法と合体させることに成功している。


室内楽曲

•ピアノ三重奏曲 ト長調 1879?/80 Op3

•夜想曲とスケルツォ 1880,82 チェロとピアノ Op26

•弦楽四重奏曲 ト短調 1892-93 Op85 ◦2.0点


ドビュッシーならもっといい弦楽四重奏を書けそうだけどなあ、と残念に思う。楽章ごとの音楽の違いもはっきりしないし、正直なところ四楽章がなんとなくピンとくる位であり、よく分からない。

•クラリネットとピアノのための小品 1910 Op120

•シランクス 1912 フルート独奏 Op129 ◦3.0点


フルートの独奏。古代ギリシャを想起するのような音色で神秘的で面白い。いい曲

•チェロソナタ ニ短調 1915 Op135 ◦2.0点


渋い中に作曲技巧が凝らされているのかもしれないが、観賞して楽しむ対象としては、チェロソナタとしてもドヴュッシーの作品としても、あまり優れた曲とは感じられないのは自分だけ?短いから聞くのは苦にならないが。

•フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ 1915 Op137

•ヴァイオリンソナタ 1916-17 Op140 ◦3.5点


最後の作品。ヴァイオリンの機能や音色をうまく生かして内容のある音楽にきっちり仕立て上げられていると思う。あまり最晩年の作品という感じがしない。


ピアノ曲、連弾曲

前奏曲第1巻 1909-10 全12曲 Op117

•1曲目 2.5点

前奏曲集の前奏曲という感じ。静かに終わる。

•2曲目 4.0点

神秘的世界から沸き立つ詩情が強すぎて、匂いが漂ってきそうに感じる位すごい。

•3曲目 3.5点

野の放つ蒸気が混ざったふわふわとした風が青空と陽に照らされて舞っているかのよう

•4曲目 3.0点

神秘的な響きと静寂の活用の曲だが、少し特徴が弱い。

•5曲目 3.5点

野の中で風に吹かれるような心地よさ

•6曲目 2.5点

静かすぎて分かりにくい

•7曲目 3.0点

力強くピアニスティックな中間以降が面白い

•8曲目 3.5点

分かりやすい旋律で、この曲集では異色。人間より人形を描いたかのよう。

•9曲目 2.5点

特徴が弱くあまりインスピレーションをかき立てられない

•10曲目 3.0点

神秘的な夜の帳が落ちていく中のような風情があるが、珍しく静物的な重量感もある。

•11曲目 3.0点

妖精の踊りのようということで、躍動感はあるが力強くはなくふわっとしてる。

•12曲目 3.0点

即興的に展開する雰囲気を楽しむ曲


前奏曲第2巻 1911-13 全12曲 Op123

•1曲目 2.5点

前奏曲の前奏曲という感じ

•2曲目 2.5点

後期に多くある和音の響きと時々のパッセージだけの曲

•3曲目 3.0点

低音の響きとアラビア風の音階が印象的。

•4曲目 3.0点

運動的な音の流れがまさに妖精の踊り子

•5曲目 3.0点

曲集の中では割と輪郭がはっきりしている。

•6曲目 3.0点

ユーモラスな強面の将軍を想起

•7曲目 3.0点

曲集の中ではかなり分かりやすい曲

•8曲目 3.0点

超常現象が発生しているかのよう。

•9曲目 2.5点

重たさや運動的な場面など即興的

•10曲目 2.0点

ほぼ和音進行だけのような印象

•11曲目 3.0点

運動的で面白い

•12曲目 3.5点

華々しい花火の描写の曲で面白い


ベルガマスク組曲 1890 全4曲。1905年改訂 Op75

•1曲目 4.0点

初期ドヴュッシーの典型的な和声や音使い。清新な雰囲気で楽しめる。

•2曲目 4.0点

内容も充実の可愛らしさのあるいい曲。

•3曲目 4.0点

有名な曲。湖に映る月が鮮やかに浮かぶような映像的な曲。

•4曲目 4.0点

組曲の中では活発な曲。やはり叙情性が優れていて、中間に登場するメロディーも効果的。


忘れられた映像 1894 pf 全3曲 Op87

•1曲目 3.0点

美しい音階と和音の並行移動を楽しめる曲。

•2曲目 3.0点

静かな曲だが、音に主張と力強さがあり悲しさを内に秘めている。

•3曲目 3.0点

運動的だが激しくなく、鮮やかさがある。

映像第1集 1901-05 Op110

完全に印象主義絵画のような世界になり、聞きやすくないし、曲の内容を掴みにくい。

•1曲目 3.0点

有名な水系の曲の中で特に傑作の方とは思わないが、それなりに美しい。

•2曲目 2.5点

この曲のどこがラモーなのか分かってないのだが、曲は静かに和音を重ねるだけなので聴くのがつらい。

•3曲目 3.5点

ピアニスティックで抽象的な音の運動が愉しい。


版画 1903 Op100

版画は映像のように完全に輪郭のない印象主義絵画のような世界に突入しておらず、まだ輪郭を残しており聴きやすい。

•1曲目 3.0点

闇夜に光を発しているような幻想的な世界。

•2曲目 3.5点

穏やかな美しいスペインを見事に表現していて見事。

•3曲目 3.5点

雨がしとしとふる情景をこんなに情緒的に美しくて表せるのかと驚く。


映像第2集 1907 Op111

•1曲目 3.0点

非常に美しく印象主義的な雰囲気と音楽的な内容を両立してバランスを取ることに成功している。

•2曲目 3.0点

この曲もメロディーが少なく和音の動きによる印象主義的な曲で、深い夜の中に沈む月や荒廃した寺といったイメージの世界を極めて抽象的に描いている。

•3曲目 3.0点

三曲の中では一番運動的。やはり抽象的で内容は充実している。この曲を華やかな金粉や漆器の音化と解説するというのは、かなり抽象的で難解なことだと思う。


その他

•ボヘミア風舞曲 1880 Op9◦3.5点


書法がシンプルであるため自分で弾いたら物足らないのかもしれないが、耳で聴く限りはかなり魅力的でショパンに匹敵するような優れた小品。ボヘミア風が愉しい。

•管弦楽組曲(第1番) 1883 4手pf 全4曲 Op50

•ディヴェルティスマン 1884頃 4手 Op36

•2つのアラベスク 1888,91 Op66◦1曲目 4.5点


夢のように大変美しくて、キラキラと輝かしく可愛らしい傑作小品。初期を代表するピアノ曲。

◦2曲目 3.0点


こちらは普通の小品。やはり可愛らしさやキラキラした感じがよい。

•マズルカ 1890?/91 Op67◦3.8点


初期ドビュッシーらしい幻想的な音遣いで、あの粘り気たっぷりのマズルカが書かれており、とても面白い。聴く前はイメージが湧いていなかったが、聴けば納得の曲。

•夢 1890 Op68◦3.0点


初期らしい明確な和声に乗せたメランコリーと美しさは分かりやすくて良いが、曲としての全体の完成度や独創性は初期の中で高い方ではないと思う。

•舞曲 1890 Op69◦3.5点


当初『スティリー風タランテラ』とされていた。将来に前奏曲に入りそうな曲調。やや成熟しきっていない初期らしさはありながらも、かなり親しみやすく快活さがあるので楽しい。

•バラード 1890 Op70◦3.5点


メロディーの魅力が少な目である。その代わりに、バラードらしい自由な物語性を、初期らしい美しさと透明感の魅力で表現している点で、十分すぎるくらいに感動的に仕上げられている。

•ロマンティックなワルツ 1890 Op71◦3.0点


初期の曲の中では魅力が少ない方だと思う。エキゾチックな雰囲気を持つメロディーを活用した曲であるのは面白い。ワルツらしいのはごく一部のみ。曲の方向性が分かりにくいと思う。

•スコットランド風行進曲 1891 4手 Op77

•ノクテュルヌ(夜想曲) 1892 Op82◦3.0点


ノクターンという題名の期待値に比べると物足りない。中間からの場面は美しくて素敵だが、冒頭からしばらくが面白くない。もっと夜の世界を突き詰めて欲しかった。

•ピアノのために 1894-1901 Op95

•リンダラハ 1901 2台 Op97

•仮面 1903-1904 Op105◦2.5点


ベルガマスク組曲に入る予定だったそうだが、渋すぎて親しみやすい良さに欠けるし、耳につくメロディーもないのでベルガマスク組曲の各曲よりワンランク以上劣ると思う。

•喜びの島 1903-1904 Op106◦3.5点


ピアニスティックで曲が長くて、ラヴェルの夜のガスパールを思い出す。交響的な響きの充実がある。

•スケッチブックより 1904 Op99◦3.0点


タイトルがないぶん自由に聴ける。中期ドビュッシーらしい美しさをたたえた小品。

•コンクールのための小品 1904 Op108

•子供の領分 1906-08 Op113◦3.5点


練習曲に挑戦する子というテーマと練習曲風の冒頭が面白い1曲目と、ケークウォークの可愛い六曲目が耳につく。他もアイデアがあるいい曲ばかり。

•小さな黒ん坊 1909 Op114◦3.0点


ケークウォークに独自の捻りを入れている感じはあまりないが、聴きやすいといえば聴きやすい。

•ハイドンを讃えて 1909 Op115◦3.0点


前奏曲に入ってそうな小品。どこがハイドンなのかはよく分からない。

•レントより遅く 1910 Op121◦2.5点


ふわふわとした取り留めのないワルツ。

•6つの古代墓碑銘 1914 4手 Op131◦3.5点


完成が後期の曲にしてはかなり分かりやすく聴きやすい。前奏曲集1頃の作品に聞こえる。はるか古代へ想いを馳せるような雰囲気はドビュッシー頻出のものの一つだが、それを6曲存分に味わえる。

•英雄的な子守歌 1914 pf Op132◦2.8点


子守唄という可愛らしい題名だが、動きに力を欠きグロテスクな音の動きが支配的名ピアノ曲である。葬送行進曲に近いイメージすら抱いてしまう。

•慈善団体「負傷者の衣」のために 1915 Op133

•白と黒で 1915 2台 Op134

•12の練習曲 1915 全2巻 Op136◦2.5点


12曲もあり、ドビュッシーの音楽の語法を活用しているものの、どちらかというと普通に練習曲としての性格が強く、鑑賞用の曲としては他の小品集ほど楽しめない。

•見出された練習曲 1915◦3.5点


本家の12の練習曲より内容が充実している。いい曲。

•エレジー 1915 Op138◦2.5点


晩年の小品だが、特に着目するほどの特徴やメロディーはないと思う

•燃える炭火に照らされた夕べ 1917


合唱曲

•カンタータ『選ばれし乙女』(La demoiselle élue)◦3.3点


もやっとした神秘的な雰囲気の中で、合唱も神秘的に進む。ドビュッシーとしてはありきたりにも感じるが、オーケストラだけでないために聴きやすいのが良い。短くない曲だが、ふんわりと大きな音楽の変化なく進み、ある意味では耳に優しくて、一歩間違えればムードだけの音楽になりそうなくらいだ。しかし、独特な印象派らしい世界観の構築のもとに作られた美しい音楽であるため、飽きない。途中で一瞬だけプッチーニを連想する場面があり、面白い。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

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