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ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 21 日 00:14:00: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 19 日 02:08:26)

ドビュッシー ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」歌劇「ペレアスとメリザンド」


Claude Debussy “Pelléas et Mélisande” (Colette Alliot-Lugaz & Charles Dutoit)


Colette Alliot-Lugaz [Mélisande]
Didier Henry [Pelléas]
Gilles Cachemaille (bass) [Golaud]
Pierre Thau [Arkel]
Claudine Carlson [Geneviève]
Françoise Golfier [Yniold]
Phillip Ens [Un berger, Un médecin]


Chours de l'Orchestre symphonique de Montréal [Marins en coulisse, servantes mendiants] Orchestre symphonique de Montréal


Charles Dutoit, conductor


____


Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1


1962, live
Désiré-Émile Inghelbrecht
Orchestre National de la Radiodiffusion Française


PELLEAS Jacques JANSEN
MELISANDE Micheline GRANCHER
GENEVIEVE Solange MICHEL
YNIOLD François OGEAS
GOLAUD Michel ROUX
ARKEL André VESSIÈRES
LE MEDECIN Marcel VIGNERON


____


"Pelléas et Mélisande" - Paris, 1955 under the direction of Désiré-Émile Inghelbrecht


_____


Debussy / Pelléas et Mélisande - Karajan in Vienna (1962) Artificial Stereo & Pitch-Corrected





Karajan in Vienna 1962, Live


Hilde Güden – Mélisande
Henri Gui – Pelléas
Eberhard Waechter – Golaud
Nicola Zaccaria – King Arkel
Elisabeth Höngen – Genevieve
Adriana Martino – Yniold


Chorus and Orchestra of the Vienna State Opera
Cond.: Herbert von Karajan


Vienna State Opera, 6 January 1962, Premiere


___________



5幕の抒情劇『ペレアスとメリザンド』(仏語:Pelléas et Mélisande)は、クロード・ドビュッシーが完成させた唯一のオペラである(初期や晩年のその他のオペラの遺稿は、後世に補筆されている)。


台本には、著名な象徴派の詩人モーリス・メーテルリンクの同名の戯曲『ペレアスとメリザンド』が、ほぼそのままの形で用いられている。


1893年に着手され、1895年に一時中断されたものの、1901年に作曲を終え、1902年にオーケストレーションと最終的な改訂を済ませた。1902年4月30日にパリのオペラ=コミック座でアンドレ・メサジェの指揮により初演された。日本初演は1958年(昭和33年)11月28日、東京・産経ホールにおいて古沢淑子ほかのソロ、ジャック・ジャンセンの演出、ジャン・フルネ指揮日本フィルハーモニー交響楽団によって実現した[1]。


『ペレアスとメリザンド』は、王太子ゴローの弟ペレアスと王太子妃メリザンドによる禁断の恋の物語である。本作の録音は数多く、定期的に上演されているが、オペラ愛好家の間でも、必ずしもすぐに理解できるような作品であるとは見なされていない。しばしば印象主義音楽のオペラと呼ばれるが、しかしこのような皮相な見方は、ドビュッシー自身が遺した解題に楯突くものである。


旋律法はムソルグスキーの影響を受け、伝統的なアリアとレチタティーヴォの分離が避けられ、両者が融合されている。つまりフランス語の抑揚の変化がそのままピッチとリズムの変化に置き換えられているため、歌うというより語るような旋律となっており、伝統的な意味での旋律的な要素は目立たなくなっている。しかしこのようなドビュッシーの旋律概念の再発見(もしくは革新)は、その後のシェーンベルクのシュプレッヒゲザングや、ヤナーチェクやバルトークの旋律法(パルランド様式)にも明瞭な影響を与えている。
なお、第3幕第1場でメリザンドが歌う唯一のアリア的部分(ただし管弦楽は沈黙しア・カペラ独唱)は、このオペラでは「私は日曜の正午の生まれ」という歌詞が付いているが、これはメーテルリンクの戯曲では初版にのみ載っていたものであり、次版以降は「3人の盲目の姉妹」という歌詞に改訂されている。フォーレとシベリウスの劇音楽はこの改訂版に基づいている。


メシアンは自著で、このオペラの第1幕第1場12小節に現れる、I度長調の主和音上にVII度長調の主和音を重ねた和音を『ペレアスの和音』と呼び、自身の楽曲分析に応用している。


登場人物


主役


王太子ゴロー Golaud - バリトン
メリザンド(ゴローの后) Mélisande - ソプラノ
ペレアス(ゴローの異父弟) Pelléas - テノール または バリトン


脇役


老王アルケル(ゴローとペレアスの祖父) Arkël - バス
ジュヌヴィエーヴ(ゴローとペレアスの母) Geneviève - メゾソプラノ
ゴローの息子イニョルド(先妻との子) Yniold - メゾソプラノ(ボーイソプラノが演ずることもある)
端役
医師 - バス
牧童 - バリトン
侍女 - 無言
3人の物乞い - 無言
舞台袖の水兵たち - 合唱


楽器編成
通常の3管編成


評価


ドビュッシーにとって10年越しのオペラであり、しかもそれがワーグナーへのアンチテーゼであることはそれ以前の音楽雑誌などでたびたび語られており、パリ楽壇は満を持してこのオペラに注目していた。1896年にメーテルリンクの原作戯曲を元にロンドン公演を行うパトリック・キャンベルは、既に作曲された断片による付随音楽式の上演をドビュッシーに打診したが、ドビュッシーは完成されたオペラとしての上演にこだわりこれを拒否、代わりにフォーレがこのときの劇音楽を担当している。


オペラ・コミックでないにもかかわらずこのオペラが国立オペラ座(ガルニエ宮)ではなくオペラ=コミック座で初演されたのは、古い伝統様式であるグランド・オペラへのこだわりを初めとする国立オペラ座の悪しき旧体制をドビュッシーが避けたためである。

しかし、音楽とはまったく別の意味でのスキャンダルは発生した。それはオペラ=コミック座での上演決定後、原作者であるメーテルリンクが、歌手である愛人のジョルジェット・ルブラン(モーリス・ルブランの妹)をメリザンド役に推薦したことによるものだった。ドビュッシーはその提案に賛同できなかったものの、原作者に対して明確な拒否を伝えないまま、イギリス人歌手であるメアリー・ガーデンを主役に起用した。これに憤慨したメーテルリンクは上演に反対すると脅しをかけ、さらに著作家協会の調停に持ち込み、以前メーテルリンクがドビュッシー宛に送った改変許可の手紙(1895年10月19日付)は白紙委任状ではないと主張した。だが結局メーテルリンク側の主張は協会によって退けられた。収まりのつかないメーテルリンクは、その後もドビュッシー家に乗り込んで作曲家に暴行を加えようと企んだり、また『フィガロ』紙上でオペラを弾劾し、「即座で派手な失敗を望む」と書いた公開状を掲載(1902年4月13日)した[2]。


初演に先立つゲネプロ当日(4月28日)には、劇場入り口でからかい半分の説明が書かれたプログラムが配られ、第2幕第2場でメリザンドの「ああ、私は幸せではない」と歌うガーデンの英語なまりのフランス語に嘲笑や野次が浴びせられるなど、騒然としたものとなった。だが、音楽的な評価においてはその新しい作曲語法にもかかわらず極めて好評で、2日後の初演時には聴衆の音楽的拒否は全く発生しなかった[3]。

ワーグナーからの脱却を試みたオペラであると言われるが、一方である旋律が登場人物やその心情などを表すライトモティーフ的使用や、明確なアリアなどを持たず1幕を交響曲の一つの楽章のように流動的なものとして扱うなど、作曲語法的な面ではワーグナーの影響は大きい。しかし大仰な節回しやライトモティーフの乱用による過度に説明的な音楽は極力避けられ(例えばペレアスが愛の告白をする場面では管弦楽は沈黙し、レ・シ♭でJe t'aimeとたったの2音のみである。ドビュッシーは「もしワーグナーだったらここで長大なアリアが出てくるだろう」と述べており、特に『トリスタンとイゾルデ』へのアンチテーゼが見て取れる)、美学的見地においては明らかに新境地の開拓に成功している。

この『ペレアス』によってドビュッシーの「印象主義音楽」的評価が確立したと言っても良い。しかしこのオペラの筋書きはむしろ始まりと終わりの明確な印象を持たない象徴主義的なテクストであり、またドビュッシー自身は印象主義という言葉を必ずしも好まなかった。ドビュッシーの美学は同時代の絵画的印象よりもむしろ彼と交友のあったピエール・ルイスやステファヌ・マラルメといった文学にこそ近いものであった。


これ以降ドビュッシーの作風はあきらかに変化し、例えばピアノ曲や歌曲においてもそれまでの前世紀末的印象が強いサロン用小品から、より芸術的に思慮深い作品群へと成長していく。

『ペレアス』初演からわずか3年後の1905年、ドビュッシーは交響詩『海』を発表するが、『ペレアス』とのあまりの作風の違いとまたもや私的スキャンダル(エンマ・バルダックとの再婚と前妻リリー・テクジェの自殺未遂)によって不評を買う。このとき既にドビュッシーにとっては『ペレアス』の作曲を始めた1893年から作風の変化を遂げているのはむしろ当然であった。

オリヴィエ・メシアンは少年時代のクリスマス・プレゼントに『ペレアス』の楽譜を貰って以来この曲に夢中になり、その作風に多大な影響を与えた。後年パリ音楽院で受け持った楽曲分析のクラスでは、ペレアスの詳細な分析を取り上げた。この授業に関する文書はアルフォンス・ルデュック(Alphonce Leduc)社から全7巻で出版されているメシアン遺稿集に収録されている。旋法構成などごく一部は「わが音楽語法」にも掲載されている。


その他


ポール・デュカスのオペラ『アリアーヌと青髭』(台本は同じくメーテルリンク、ペローの童話『青ひげ』に基づく)では、青髭公に幽閉された5人の妾のうちメリザンドと名乗る女性が登場し、主役の女性アリアーヌがメリザンドの髪を誉めるという台詞がある。これはもちろん『ペレアスとメリザンド』第3幕においてメリザンドが塔から長い髪を垂らすシーンを意識した言わばパロディであり、そして『ペレアス』冒頭においてメリザンドが「遠いところから逃げてきた、途中で冠を落としてしまった」という台詞に繋がり、アリアーヌと同様メリザンドも青髭公の城から逃げてきたと思わせるようになっている。デュカスにとってこれは直接のメーテルリンクの戯曲への賛辞ではなく、むしろデュカスの少年時代からの親友であるドビュッシーへの賛辞と言える。なお『アリアーヌ』の初演は『ペレアス』でドビュッシーとメーテルリンクとの対立の原因となったその妻ジョルジェット・ルブラン=メーテルランクが主役を担当した。


演奏会用作品(管弦楽のみで声楽なし)として、「『ペレアスとメリザンド』による交響曲」と題する複数の編曲作品がある。アンドレ・メサジェによるものは3楽章構成、マリウス・コンスタンによるものは単一楽章である。ともにいくつかのCDが市販されている。
ドビュッシーは娘の夭折により直接の子孫は途絶えているが、親類の家系のうち4世代後(従兄弟の曾孫に当たる)は「ペレアス・ドビュッシー」と名付けられている(サン=ジェルマン=アン=レーにあるドビュッシー博物館に展示された家系図で確認できる)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペレアスとメリザンド_(ドビュッシー)



『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande )は、ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲。フランス語で書かれ、1892年にブリュッセルで出版された後、翌1893年にパリで初演[1]された。


登場人物


主役

メリザンド(ゴローの后) Mélisande
ペレアス(ゴローの異父弟) Pelléas
王太子ゴロー Golaud


脇役

老王アルケル(ゴローとペレアスの祖父) Arkël
ジュヌヴィエーヴ(ゴローとペレアスの母) Geneviève
ゴローの息子イニョルド(先妻との子) Yniold
端役
医師
牧童
侍女
3人の物乞い
舞台袖の水兵たち



舞台設定
時代:中世ヨーロッパ
場所:アルモンド王国(ドイツを意味する仏語「アルマーニュ」+世界を意味する仏語「モンド」の合成語)


第1幕


男寡でもう若くないアルモンド王国の王太子ゴローは、日の暮れた森の中で道に迷ううちに、長い髪の若く美しい女性が泣いているのを見つける。素性を尋ねるがメリザンドという名前、遠くから来たこと、冠をつけていてそれを水の中に落としたこと以外ははっきりしたことは判らずただ泣くのみである。ゴローはメリザンドを連れ帰る。数日後ゴローはメリザンドを妻にし、許しを得られたら塔の光で知らせるよう、もし願いが適わなければメリザンドを連れて王国を去ることを祖父の老王アルケルに手紙で告げ、目の衰えたアルケルに代わってジュヌヴィエーヴが代読する。やがて王国の城に来たメリザンドはジュヌヴィエーヴに連れられて暗い城の中を案内され、ゴローの弟で若き王子ペレアスと知り合う。城の塔の外から不吉な水兵の歌が聞こえる。



第2幕


打ち解けたペレアスとメリザンドの二人は城の庭にある「盲の泉」でじゃれて遊ぶ。「この泉はかつて盲人の目を開いた奇跡の泉と言われたが、老王アルケルが盲目同然となってからは訪れる人もほとんどいない」とペレアスは言う。メリザンドはゴローからもらった結婚指輪をもてあそぶ内にそれを泉の底へ落としてしまう。ペレアスは「落とした時に正午の鐘が鳴っていたのでもう遅くなるから帰ろう」とメリザンドを諭す。その晩ゴローは狩で落馬し負傷して担ぎ込まれる。メリザンドが指輪をしていないことに気づいたゴローは激怒するが、メリザンドは「海辺で落とした」と嘘をついてしまう。ゴローはメリザンドにペレアスを同伴させて海辺を探すことを命じる。夜の海辺でペレアスとメリザンドは乞食たちを見つけ、ペレアスは「この国に飢餓が迫っている」ことをメリザンドに説明する。



第3幕


夜に城の塔の上でメリザンドが「三人の盲いた王女」(初版では「私は日曜の正午の生まれ」、ドビュッシーはこちらを採用。フォーレとシベリウスは前者)を歌いながら髪を梳かしているとペレアスがやってくる。ペレアスとメリザンドはお互い手を伸ばし触れようとするが、メリザンドの手が届かない代わりに彼女の背丈よりも長い髪が塔を伝って落ちてくる。ペレアスはそれを掻き抱き狂喜する。しかしその場をゴローに見つかりたしなめられる。翌日ゴローはペレアスを深い洞窟に連れて行き、底なしの沼を見せる。外に出た後でゴローはペレアスにメリザンドの妊娠を告げ、刺激を与えぬようあまり彼女に近づかないようにと警告する。しかしまたその晩ゴローが先妻の子イニョルドを連れてメリザンドの寝室の中を肩車で見せると、イニョルドはペレアスが彼女と一緒にいる事をゴローに告げるのだった。


第4幕


ペレアスは明日遠くへ旅立つつもりで、その前に今晩泉で夜会いたいとメリザンドに告げる。老王アルケルがメリザンドと話しているとゴローがやってきてメリザンドをなじり、その髪を引きずり回して呪いの言葉をかける。アルケルが制止してゴローは部屋を出て行くが、メリザンドはもうゴローを愛していないことをアルケルに話す。夕方イニョルドが遊んでいると羊飼いが遠くへ去るのを見かける。夜になり、泉で待つペレアスの元にメリザンドが現れる。愛の告白をするペレアス、私も好きだと答えるメリザンド。木陰の闇で抱き合う二人、その束の間ゴローが現れ剣を抜く。ペレアスは剣を持っておらず抵抗できない。斬られる寸前までキスを求める二人を無言で襲うゴロー。ペレアスは死に、メリザンドも傷を負い逃げ惑う。



第5幕


召使によってメリザンドが「小鳥でも死なない小さな傷」によって瀕死の状態にあること、そのショックで小さな赤子を産み落としたことを噂し合う(ドビュッシーのオペラではこの部分を過剰な説明として削除している)。医者に看取られ死を待つのみで横たわるメリザンドに、ゴローは悔恨にくれつつも、ペレアスとの不義理の有無を問い続ける。しかしすでにメリザンドは黄泉の国へ旅立つ際であり、「許さなければないようなことは、思い浮かばない」などと受け答えは要領を得ない。別室へ下がったゴローをアルケルが慰め諭している最中、メリザンドは誰にも看取られず、一人静かに息を引き取る。泣き崩れるゴローにアルケルは「今度はあれが生きる番だ」と小さな赤子を見せ、静かに幕が下りる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペレアスとメリザンド



 

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コメント
1. 中川隆[-14304] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:18:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1201] 報告
ドビッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」2014 MAR 3 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/


大学の第2外国語はドイツ語だったが深い理由はない。なんとなくだ。フランス語にすればよかったと思う時が今でもある。パリのレストランでフランス語だけのメニューがでてきた時と、フランスオペラを聴くときだ。まてよ、女性のフランス語が京都弁と似て色っぽくていいという下世話な動機もあったりするかな。

フランス語のオペラというと、なんといってもドビッシーの「ペレアスとメリザンド」、そしてけっこう忘れてるが、ビゼーの「カルメン」「真珠とり」、グノーの「ファウスト」、オッフェンバックの「ホフマン物語」、マスネの「ウェルテル」と「マノン」と「タイス」、サン・サーンスの「サムソンとデリラ」、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」、ラヴェルの「子どもと呪文」「スペインの時」ぐらいは聴いたんじゃないだろうか。

カルメンをイタリア語や日本語でやれば、変ではあるが慣れれば聴けるだろう。しかし「ペレアスとメリザンド」はそれができない。なぜなら管弦楽にフランス語が「縫い込まれている」(woven)からだ。オーケストラに声楽が「乗っかる」のが普通のオペラである。独り舞台になるアリアというのがその典型的場面であって、そこだけは「カラヤンとベルリンフィル」でも「ダン池田とニューブリード」でもおんなじ。ズンチャチャの伴奏楽団になり下がる場面でもあるのだ。モーツァルト作品をのぞくとこれは僕には耐えがたい。

そのアリアとレチタティーヴォの安っぽさに気づいてくれたのがワーグナーだ。
どういうことか?

アリアは管弦楽の生地の上に声がステッチ(stitch)された、いわゆる「アップリケ」だ。それだけが目立つ。

「うわー、*子ちゃんのスカート、キレイなお花だね」なんて。キレイなのはお花だけなの?ってスカートを縫ったお母さんは思わないのだろうか。そう思ったのがワーグナーなのだ。ええいっ、布の生地にお花も縫い込んでしてしまえ、ということにだんだんなってきて、それが最も成功したのが「トリスタンとイゾルデ」である。

トリスタンというのはリングみたいな大管弦楽は使わない。彼としては古典的な方だ。もちろんアップリケなし。生地もけばけばしい柄ではなくしっとりした布地の質感で仕上がった逸品である。その質感を紡いでいるのは「解決しない和声」であり、最も特徴的である「トリスタン和声」と呼ばれる4音は、彼を師と仰ぐブルックナーが第9交響曲のスケルツォ開始に使い、トリスタンを全曲記憶していたドビッシーはメリザンドが死んだあとオペラをその構成音のアルペジオを嬰ハ長調に解決して見せて締めくくった。

ドビッシーが「反ワーグナー」でトリスタンに対立するオペラとしてペレアスを書いたというのが通説だが僕はそうは思わない。ペレアスはトリスタンを強く意識して、その強い影響のもとに書かれ、しかしドビッシーの強い和声の個性とフランス語特有のディクションの故にトリスタンとは違うものになったオペラなのである。
ワーグナーはアリア(歌)をオーケストラに縫い込む(weave)ことに成功したが、そこまでだ。ドビッシーはもう一歩すすめて、歌だけでなく「フランス語の語感」までweaveすることに成功した、その意味でペレアスとメリザンドは革新的なオペラであり、ストラヴィンスキーの「結婚」、シェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」への道を開いた作品でもある。

ついでだが、この路線を最もストレートにいったのがヤナーチェックである。僕がチェコ語やフランス語をわかるわけではないが、音として認識でできる両言語の発音、アクセント、抑揚、ニュアンスが音楽にweaveされているオペラという点において彼とドビッシーは双璧だと思う。どちらもヴィオラやフルートのちょっとした断片のようなフレーズがフランス語やチェコ語に聞こえてくる。それは協奏曲の独奏楽器がヴァイオリンかトランペットかによって曲想まで変わってくるだろうというのと同じ意味において、リブレットがフランス語やチェコ語だから作曲家はこのメロディーを書いただろうという推定に何度も心の中でうなずきながら聴くオペラに仕上がっているということを言っている。

僕は「フィガロの結婚」や「後宮からの誘拐」を日本語で聴いたことがあるが、どうしてもいやだということもなかった。台本がイタリア語の前者とドイツ語の後者で、言語と音楽が抜き差しならぬ関係にあってぜんぜん違うタイプの音楽に出来上がっているという感じはない。何語であってもモーツァルトはモーツァルトの音楽を書くことができ、それが日本語で聴こえてきても、やっぱりモーツァルトになるという性質の音楽なのだ。ところがここでのドビッシーはフランス語の質感、もっといえば、そういうしゃべり方、歌い方をする女性のタイプまで限定して音を書いている。

僕はカルメンはもちろん、ミミや蝶々さんあたりまでは声量重視、リアリティ無視のキャスティング、ズバリ言えば体格の立派なソプラノであってもOKである。子供であるヘンゼルやグレーテルですらぎりぎりセーフだからストライクゾーンは広めだ。しかしメリザンドだけは無理だ。これはどうしようもない。舞台設定や化粧の具合でどうなるものでもなく、音楽が拒絶してしまうからだ。ここがイゾルデと決定的に違う、つまりドビッシーが意図してワーグナーと袂を分かった点だ。

僕はドイツで何回も、スカラ座でも、トリスタンを観たがイゾルデに色っぽさを感じたことがない。というよりも、感じるようなタイプの人が歌えない性質の音楽をワーグナーはこの役に書いているのだ。ではメリザンド。こっちはどうだろう?

「ペレアスとメリザンド」はドビッシーが「青い鳥」で有名なメーテルリンクの戯曲を台本として1893年に第1稿を完成した彼の唯一のオペラである。「牧神の午後への前奏曲」とほぼ同時期に着想し完成は少しあと、交響詩「海」を作曲するよりは少し前の作品だ。戯曲の筋は一見なんということもない王族の不倫物語なのだが、細かくたどっていくと不思議の国のアリスなみにファジーである。肝心なところがぼかされているのだが、詩的というのも違う。おとぎ話かと思いきや血のにおいや死臭が漂い、人間の残忍さ、欲望や嘘に満ちている。それでいて、いよいよリアリズムに向かうかなという瞬間になって、いいところで画面にさっと「擦りガラス」のボカシが入る。そんな感じなのである。

筋はこうだ。

中世の国アルモンド王国皇子のゴローが森の中で泣いている女を見つけ城に連れ帰って妻にする。メリザンドという素性も得体も知れぬ若い女であった。ところが女はゴローの異父弟ペレアスといい仲になってしまい、嫉妬した兄は弟を刺し殺してしまう。傷を負った女も子供を生み落して静かに死んでいく。

このメリザンドという女が何を考えているのかさっぱりわかないネコ科の不思議娘 なのである。それでいてペレアスが「嘘ついてない?」ときくと「嘘はあなたのお兄さんにだけよ」なんて機転のきいた嘘をついたりもする。兄弟はかわいそうなぐらいにメロメロになってしまうのである。

娘が泉の精かなにかで音楽がメルヘン仕立てかというとそうではない。女の醸し出すえもいえぬフェロモンの虜になる弟、密会を知って殺意を抱く兄。メリザンドは妖精ではなく生身の女であることは、塔の上から長い髪を垂らして弟が陶然として触れる艶めかしいシーンで実感させられる。

しかし音楽はロマンティックになることは一切ない。すべてが薄明の霧の中での出来事であったかのようにうっすらと幻想のベールをかぶっている。

「見かけはそう」という図式が次々と意味深長に裏切られる。恋でも憎悪でも死でもなく、時々刻々と万華鏡のように移ろうアルモンド王国の情景とはかない運命にドビュッシーは音楽をつけているのである。

武闘派で肉食系の兄ゴロー、草食アイドル系の弟ペレアス。メリザンドが選ぶのは弟であり、一見お似合いのカップルだ。これは「ダフニスとクロエ」対「醜いドルコン」の構図であり、美男美女カップルの勝利でハッピーエンドというのが定石だ。

ところがここでは美男のダフニスがあっさりとドルコンに刺し殺されてしまう。おとぎ話ではないのだ。

では何か?

「トリスタンとイゾルデ」というのがその答えだろう。
ゴローがマルケ王(叔父)、ペレアスがトリスタン(甥)ではないか。
不倫カップルが死んでしまうのも同じだがお騒がせ女が王族の運命を滅茶苦茶にしてしまう顛末はこれも同じである。

「X(男)とY(女)」のタイトルにもいろいろあるが、実生活でもマティルデ・ヴェーゼンドンクと不倫中だったワーグナー、やはり不倫で前妻が自殺未遂するドビッシー。ワーグナーは延々と女に歌わせドビュッシーは女を死の床に横たえてオペラを閉じている。ご両人とも眼中にあったのは女だったのだ。

メリザンドの死のシーンはラ・ボエームに影響を感じるが、ボエームの主人公がミミであったように「ペレアスとメリザンド」とはいいつつもペレアスは添え物であり、やはり主役はメリザンドなのである。

メリザンドを誰が歌っているかこそこの曲の鑑賞の要になることはご理解いただけるだろうか。

「ペレアスとメリザンド」を「王族(ゴロー)の悲劇」と解釈するか「不思議娘の幻想 物語」と解釈するか。これは趣味の問題だがご両人の作曲当時ののっぴきならぬ私生活状況を鑑みるに、僕はどうしても後者として聴いてしまう。

例えば初めて買った演奏はやはりピエール・ブーレーズのロイヤル・オペラハウスとのLP(右)だが、これは王族悲劇でも幻想 物語でもなく中性的なものだ。
エリーザベト・ゼーダーシュトレームのメリザンドはまじめ娘でフェロモン不足。これじゃあ兄弟は狂わないわな。はっきり書いてしまおう、あまり面白くない。


Debussy Pelleas et Melisande Pierre Boulez



このクールな演奏に僕が負うのは、ぜんぜん別なことだ。ペレアスの音楽史上の影響についてである。多くの人がそれに言及しているがどこまで具体的証拠に基づいてそう言っているのだろう。僕は自分で確認したことしか信用しないので、この演奏から自分の耳で気付いたことだけ列挙してみよう。

第4幕のイニョルデのシーンはほぼ直前に作曲されたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の音がする。

第1幕は「ラインの黄金」「ローマの泉」、ラヴェル「ソナチネ」、
同第3場と第3幕には「ペトルーシュカ」、
第5幕は「弦チェレ」「パルシファル」、「中央アジアの草原にて」、
第2幕で指輪を泉に落とした後に「パリのアメリカ人」

など書けばきりがない。

自作は「聖セバスチャンの殉教」、「ピアノのために第2曲サラバンド」、「牧神」「海」などたくさん。

作曲時期が近いせいだろうか「海」と似ていると言っている人がけっこういるが、どう聴いてもそこまでは似ていない。オーボエに似たフレーズがあったりはするが、海はリアリズムに接近している音楽でありペレアスはそれとは遠い。

次に買ったのはこのCDだ。フランスのディスク・モンターニュ盤でデジレ・エミール・アンゲルブレシュト指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏である。メリザンドのミシェリーヌ・グランシェはちょっと上品なはすっぱだが悪くはない。ペレアスを十八番にしていたジャック・ジャンセンも若気のうぶな感じが出ている。オーケストラの合奏も初演の頃はこんなだったかというムードにあふれていて、これはお薦めできる。どっちかといわれれば「王族の悲劇」型だろう。普通にこのオペラをやればそうなるのがふつうだ。台本がそうなのだから。


Inghelbrecht, Debussy Pelléas et Mélisande - Act.1




ところが、その後、ついに普通ではない演奏に出会うこととなった。アルモンド王国を、このオペラを、指揮者もオーケストラをも振り回す不思議娘がとうとう現れたのである。食わず嫌いしていたそのカラヤン盤をある時に聴いて、まさに脳天に衝撃を受けたのを昨日のように思い出す。


Debussy / Pelléas et Mélisande - Karajan in Vienna (1962) Artificial Stereo & Pitch-Corrected
https://www.youtube.com/watch?v=Ex3onUVOUpA
https://www.youtube.com/watch?v=dNRztf10Tys
https://www.youtube.com/watch?v=5lSVmCT6Oa4
https://www.youtube.com/watch?v=--hni29DN5I
https://www.youtube.com/watch?v=EUilr2L6Axk


カラヤンのペレアス?何だそれは、というのが第一印象。ところが一聴してこれはペレアスの最高の名盤であり、カラヤンの数多あるディスクの中でも1,2を争う出来であり、20世紀のオペラ録音のうちでもトップ10には間違いなく入る名品であると確信。どこへ行ってもそう断言するようになってしまった。

何をおいてもフレデリカ・フォン・シュターデのメリザンドに尽きる。カラヤンは「ついに理想のメリザンドにめぐりあった」と語ったそうだが、不肖、不遜を顧みずまったく同じセリフをフレデリカさんに捧げたい。

降参!参りました。この色香とフェロモンで遊びごころいっぱいのくせに手を出すと不思議なまじめさでさっと逃げる。なんだこいつは?男は迷う。メッツォだから可愛いばかりでもない。急にオトナになってみたりもする。なんだこいつは?またまた男は迷う。

リチャード・スティルウェルは、なんでカラヤンがこんな草食系のペレアスを起用したんだと思うほど頼りないが、見事にメリザンドに食われて籠絡されているのを聴くとそういう配役だったかと納得する。
ゴローのホセ・ファン・ダムは当たり役だ。このオペラほぼ唯一のTuttiである恋の語らいとキスの場面、そこに背後から闖入して弟を刺し殺すシーンは圧巻であり、そんな罪を負ってしまうことになるメリザンドという不思議娘への愛憎の表現がリアルである。

年甲斐なくやはりメリザンドの色香に迷う親父アルケル役はルッジェロ・ライモンディだ。その貫録はメリザンドの死、メーテルリンクの戯曲の主題である静かな死の場面で舞台を圧する。ここをこんなに深みを持って歌った人を他に知らない。

そして忘れてはいけないのがカラヤンとベルリン・フィルの演奏だ。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは本名をカラヤノプーロスというギリシャ人の血筋でゲルマン人ではない。オーストリア出身のドイツ系指揮者としてレパートリーを築いてきたが、ラテン系の音楽に対する思いは強かったのではないか。僕は彼のラヴェル、ドビュッシーは評価しないが、歌の入った場合は違う。彼はやはりオペラハウスで育った人だ。声を縫い込んだ特異なオーケストラ曲であるペレアスでこそ彼は自分の究極の美意識を実現できたのではないか。

そうとしか考えようのない空前絶後といっていい絶美の管弦楽演奏はドラマの抑揚をなまめかしい生き物のように歌い上げ、シュターデの声といっしょにフェロモンを発している!

こんなオーケストラ演奏を僕は後にも先にも人生一度も耳にしたことはない。
それはカラヤンの解釈なのだが、数多ある彼の指揮でもベルリン・フィルがこれほど敬服して真摯に録音に残したということ自体が驚嘆に値する事実であり、これが聴けないとなったら僕は余生に不安になるしかない。それほどのものなのである、これは。

しかしである。やっぱり、この演奏の魅力はメリザンドなのだ。これに抵抗するのはとても困難である。僕はこのカラヤン盤を「不思議ちゃん幻想 物語」の最右翼として永遠に座右に置くことになるだろう。

(補遺)
アンセルメ/ スイス・ロマンド管弦楽団、ジュネーヴ大劇場合唱団による1964年録音は悪くない。




メリザンドのエルナ・スポーレンバーグはバーンスタイン / LSOおよびクーベリック/ BRSOのマーラー8番にも起用されており、アンゲルブレシュトがPOを振った録音のペレアスであるカミーユ・モラーヌと純情そうなお似合いのコンビを演じている。オケのフランス的な香りをDeccaの録音陣が良くとらえているのを評価したい。



https://sonarmc.com/wordpress/site01/2014/03/03/ドビッシー-歌劇「ペレアスとメリザンド」%ef%bc%88ネコ/
2. 中川隆[-14303] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:21:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1200] 報告
『ペレアスとメリザンド』全曲 
カラヤン」&ベルリン・フィル、シュターデ、スティルウェル、他(1978 ステレオ)(3CD)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3/dp/B00005GJV2

https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%EF%BC%881862-1918%EF%BC%89_000000000034577/item_%E3%80%8E%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%8F%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%80%8D%EF%BC%86%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%80%81%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%81%E4%BB%96%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%97%EF%BC%98-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%EF%BC%89%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_3666107

・ドビュッシー:歌劇『ペレアスとメリザンド』全曲
 
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム
 アルケル:ルッジェーロ・ライモンディ
 ジュヌヴィエーヴ:ナディーヌ・ドゥニーズ
 イニョルデ:クリスティーヌ・バルボー
 羊飼い、医者、他:パスカル・トーマ
 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団(コーラス・マスター:ヴァルター・ハーゲン=グロル)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 録音時期:1978年12月
 録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
  録音方式:ステレオ(セッション)
 1999年デジタル・リマスタリング

_______

カラヤンのペレアスとメリザンド 2012-asyuracom-22
$ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求-ペレアスとメリザンド
カラヤンのドビュッシー「ペレアスとメリザンド」。
「サロメ」ではベーレンスを見出し、「ペレアス」ではシュターデが一躍世界の檜舞台に立つこととなりました。
このシュターデは、まず容姿と、もって生まれた気品。当盤の解説には
「楽譜が読めず、聴き覚えだ」
「大部分の時代をパリでセールスガールやパートタイムの秘書をつとめナンニーと呼ばれていた」。
それは美しい映像の残る現代のシンデレラ(チェネレントゥラ)にも似た伝説でした。広範なレパートリー、とりわけモーツァルトの諸役です。
「ペレアスとメリザンド」は最初、ワーグナーに耽溺したドビュッシーがそこから離れ、とりわけ「トリスタンとイゾルデ」のアンチテーゼがあります。
「ものごとを半ばまで言って、その夢にぼくの夢を接ぎ木させてくれるような詩人。時はいつ、所はどこと設定されない登場人物を構想し、《山場》を頭から押し付けたりせずに、ぼくが思い通りにそこここで彼以上の腕前を発揮したり、彼の作品を完成させたりするようまかせてくれる詩人」。
その詩人をついにメーテルランクに見出したドビュッシーは、その戯曲をほとんど改編せずにそのまま用いた上、音楽を豊穣に散りばめ、まさに夢が接ぎ木されています。
一方、フランス語の抑揚をそのままに、そのリズムに音楽が即応するような書き方は劇的な進行をさまたげずに、音楽と劇が一体になっているという利点の一方、事件らしい事件がおきないというフランス的なオペラの一つの特質そのもので、退屈を覚える向きもあるでしょう。
ある意味、20世紀オペラはペレアスにはじまり、かなりなハイブロウな作品です。しかし、本作は映像が少ないとはいえ、音盤が多くつくられ、そのどれもが特徴的な演奏史を刻み、そして知識人以上に大衆に支持されたオペラ。
そこにはアリアらしいものはなく、続くシュプレヒゲザングにつながる言葉そのものが魅力。ここに清浄を見出すと、まさに肌合いにぴったりと寄りそうな心地よさに包まれるのです。
シンボリズムに彩られわかりにくいのですが「不倫」がストーリーの一環です。
それはアンチテーゼとされた「トリスタンとイゾルデ」と同様の物語。
「恋はかけひきというが、かけひきのない恋とは何か?」というなぞなぞに対し、答えは「幼い(押さない)恋」。
ここでペレアスとメリザンドの間にかわされる交歓は、無自覚である一方、純粋です。
そこには「水」の暗喩があり、井戸をめぐる指輪、メリザンドが見出される場に見出せます。出産し、母となり、そして死んでもその幼さ、少女性は減殺されません。
 こうした言葉によって牽引される作品にかかわらず、当盤が有名なのはカラヤンのディスクだからですが、通常の意味でアンゲルブレシュト、アンセルメの新旧、クリュイタンス、フルネといった往年のフランス勢、もっと現代的知性を盛り込んだブーレーズなどの盤とも違う。そこには、イタリア、ドイツの二つのオペラで成功したカラヤンが手兵のベルリン・フィルを振っています。
若い頃から得意として、演目としていたカラヤン。そして、シュターデを見出し、スティルウェル、ファン・ダム、ライモンディ、カラヤン好みのキャスト、ここにドビュッシーが紡いだ音の糸にカラヤンの接ぎ木が添えられたのでした。
作品の長さ、今は収録時間の長さから2枚に収まりますが、通常3枚のディスクになる「ペレアス」はほとんど事件らしい事件もないままにかなり長い。
このカラヤン盤が心地いいのは、この精妙な音の中にほのめかしの中に官能性があるから。それが演出巧者のうちに運ばれ、音盤では肌合いのよい音響が続くことになるのです。
吉田秀和氏
「これをレコードだけで知っていたころは、どこもここもあまり変わらないのに、二時間もつづくなんて、どうみても長すぎると思っていた。しかし、劇場にすわってきいていれば、そんなことはない。その間の一瞬一瞬が充実して流れ、しかも、あんなに音楽は寡黙なのだ!
メリザンドなんか、まるで溜息をつくだけで、まったく歌わないみたいではないか!
これほど猥雑さか遠いオペラが、プッチーニ、シュトラウス、マスネーの十九世紀に可能であったとは、まったく奇蹟だ、と私は思う」。
ウィーン・フィルとベルリン・フィルの使い分け、カラヤン美学とは何かを知るために、このディスクは欠かせません。心地いい肌合いのうちに搦めとられる官能。
78年録音。
https://ameblo.jp/fairchild670/entry-11172052269.html

3. 中川隆[-14302] koaQ7Jey 2020年1月21日 00:22:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1199] 報告
▲△▽▼

ペレアスとメリザンドのCD〜ドビュッシー 2012-04-25
https://ameblo.jp/kbbnef/entry-11232964252.html

 昔、苦手だったフランス音楽・・・・好きになったのは、十数年前。ドビュッシーなどはCD再生しているだけでぼけっとして聴いていてとっても良い音楽に感じた。それからはフランス音楽にのめり込む。が、ほんの一部である。ドビュッシーやラヴェルの有名どころしかわからない。

 ドビュッシーの唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」を聴くようになったのはいつごろだったろうか? カラヤンの全盛期だったころ、そのカラヤンがドビュッシーのこれを録音発売したころじゃないかな? それまでは未知の世界の音楽だった。 頭の上から足の指先まで「アロマセラピー」受けたような、または「マッサージ」受けたような・・・そんな不思議な感覚になった音楽だった。下記の@のCD。 私が最初に買ったころは当然LPレコード時代。BGM的だった。それが魅力だった。フランス語がわけわからない私だったが、その語感に憧れた。 また、このカラヤン指揮ベルリンフィルのドビュッシーは、私にとっては数あるカラヤン盤、ベルリンフィルの膨大な演奏の中で、とびきり上等な一枚だと今でも思う。ベルリンフィルの機能美、現代的人工的エロス的美しさ・・・・(言葉が不適切なのだが、ある意味「白痴美的美しさ」・・・・カラヤンってこういう音を究極的に目指したのでは?と考える。

 次に購入したのは、発売当時話題になったEのアバド盤。当然カラヤン盤と比較した。巷ではすこぶる評判がいいアバド盤。でも、どうもアバドって若いときから音楽が「軽く」「薄い」印象ある私。この盤でも、綺麗なのだがウィーンのあの濃さが半滅。いや、ある人は言う。ドビュッシーだからウィーン的濃さが出ては困ると・・・・確かにそうだが・・・。

 そして、「ブーレーズ」ってどうだ? と思った。私はブーレーズに陶酔していた人間なので、絶対裏切らないはず!と思い、これまた東京にいるころにLPで手に入れた。BのCDである。 いやぁ〜〜〜〜 すごい音の重なりには驚く。どの「音」も完璧なところで出すので、その重なりの「美」ときたらこれに並ぶものなし。 ブーレーズの耳って、そしてブーレーズに振られたオケの音階って「純正律」も「平均律」も関係ないのか? 音階の矛盾が全くなし。限界なし。あまりにも美しく割り切る音。音の層に・・・・・この世のものとは思えなくなる反面。ブーレーズが引き出す「音」というのはきわめて「自然界」の音に近いような感じさえする。

 ただ、当時の録音技術と再生技術がこのブーレーズの世界を再現し切れてないのが惜しいような・・・・。 音の方程式とでもいいたいブーレーズの指揮。

 そして、私のドビュッシー感を打ち砕く録音に出会ったのが十数年前、全く名前も知らなかったエミール・アンゲルブレシュトというフランスの指揮者が振ったライブだった。それも「初演から50周年記念」というライブ。Cである。これは録音は古いのだが、この演奏流していたら今までのドビュッシーはいったい何だったの? ドビュッシーってこういう音楽だったのか?と思った。素晴らしい音の肌さわり・・・これが「フランスの音」? と思った。そしてそして、歌手のうまさ、フランス語のあの感じ・・・惚れた。惚れた。 歌手名見ると、モラーヌ、ダンコと主演がある。知らなかった。でも、調べたらとてつもなく著名な声楽家であること知った。夢中になった。しかし、悲しいかな、ほとんどの録音が廃盤になっていた。エミール・アンゲルブレシュトの指揮も同じく・・・・・。

 数年前、今度はエミール・アンゲルブレシュト指揮の別音源がCDで出た。飛びついた。それがDのCD。これもまたライブで、この演奏の雰囲気も超感動的。一気にエミール・アンゲルブレシュト熱が出てきた時代だった。

 ここのところ、CDのデフレで、HMVなど見ていたら今度はダンコが歌うもう一枚の「ペリアスとメリザンド」発見。なんとなんと名指揮者アンセルメ盤だ。これがF・・・・・・。やっぱりいい〜〜 シュザンヌ・ダンコのフランス物はいい。

 そしてそして、驚いたことになんとなんと、あのハイティンクがパリでこの曲を振ってライブで録音した!!!! 嬉しかった。 ハイティンク命の私は当然のごとく発売と当時にゲット。聴いた。感動した。これこれこれ!!!! ハイティンクのドビュッシーって欧州ではすこぶる高評価なのがよくわかる。歌がオッターなのも魅力的。

 それから、デュトワ盤がある。だいぶ前に廃盤になっていたが、ここにきて再リリースとは嬉しい。GのCD。デュトワ的なドビュッシーもまた魅力的。
 番外なのだが、例の昔の歌手であるパンゼラが歌った音源CDがある。抜粋盤なのだが、それが下記

http://www.hmv.co.jp/product/detail/142518   パンゼラの歌唱

 かなり古い録音で針音すごいが・・・・これまた私にはとっても良く感じる。 youtubeに音源のサワリがある。

http://www.youtube.com/watch?v=QH9yxZNHEkc&feature=player_embedded

 この雰囲気〜〜 いいよなぁ。 最近の私はこういったレトロ的な音に夢中かも?

 それからYoutubeに、ブーレーズが指揮したライブ映像がある。それも全曲観ること出来る。 貴重。

http://www.youtube.com/watch?v=z7kodUT_sJs&feature=player_embedded

ただ音楽流しているだけでも私は大好きな音楽だ。不思議。

【手持ちCD】

@カラヤン/ベルリン・フィル
ペレアス:リチャード・スティルウェル
 メリザンド:フレデリカ・フォン・シュターデ
 ゴロー:ジョセ・ヴァン・ダム

1978年EMI
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3666107

Aハイティンク/フランス国立管弦楽団
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メリザンド),
ヴォルフガンク・ホルツマイヤー(ペレアス),ロラン・ナウリ(ゴロー),他
ベルナルト・ハイティンク(指)フランス国立管弦楽団
2000年 シャンゼリゼ劇場のライブ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/407121

Bブーレーズ/コヴェントガーデン
 ジョージ・シャーリー
 エリーザベト・ゼーダーシュトレーム
 イヴォンヌ・ミントン
 ドナルド・マッキンタイア、他
 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団
 ピエール・ブーレーズ(指揮)
 
 録音時期:1970年
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3629025

Cエミール・アンゲルブレシュト/フランス国立放送
カミーユ・モラーヌ(Br、ペレアス)
 シュザンヌ・ダンコ(S、メリザンド)
 クリスティアーヌ・ゲイロー(Ms、ジュヌヴィエーヴ)
 アンドレ・ヴェシェール(Bs、アルケル王)
 マルセル・ヴィニュロン(Br、羊飼い、医者)、他
 フランス国立放送合唱団(合唱指揮:マルセル・ブリクロ)
 フランス国立放送管弦楽団
 デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(指揮)
 録音時期:1952年4月29日
 録音場所:パリ、シャンゼリゼ劇場
 録音方式:モノラル(ライヴ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4973041

Dエミール・アンゲルブレシュト/フランス国立放送
ジャック・ジャンセン(ペレアス)
ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド)
ソランジュ・ミシェル(ジュヌヴィエーヴ)
フランソワーズ・オジュア(イニョンド)
ミシェル・ルー(ゴロー)
アンドレ・ヴェシェール(アルケル)
マルセル・ヴィニュロン(医者)
1962年 パリ ライブ
現在廃盤

Eアバド/ウィーン・フィルハーモニー
ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」
マリア・ユーイング(ソプラノ)
フランソワ・ル・ルー(バリトン)
ホセ・ヴァン・ダム(バス)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)ほか
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1991年ドイツグラモフォン原盤
http://www.hmv.co.jp/product/detail/46697

Fアンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団
シュザンヌ・ダンコ(ソプラノ:メリサンド)
 ピエール・モレ(バリトン:ペレアス)
 ハインツ・レーフス(バリトン:ゴロー)
 アンドレ・ヴェシエール(バス:アルケル)
 エレーヌ・ブヴィエ(メゾ・ソプラノ:ジュヌヴィエーヴ)
 フローラ・ヴェンド(ソプラノ:イニョルド)
 デリック・オルセン(バリトン:羊飼い&医者)
 スイス・ロマンド管弦楽団
 エルネスト・アンセルメ(指揮)
 録音時期:1952年4月
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3712037

Gデュトワ/モントリオール響
 ディディエ・アンリ(テノール)
 コレット・アリオット・ルガズ(ソプラノ)
 ジル・カシュマイユ(バリトン)
 フランソワ・ゴルフィエ(ソプラノ)
 ピエール・トー(バス)
 フィリップ・アン(バス)
 クローディーヌ・カールソン(アルト)、他
 モントリオール交響楽団&合唱団
 シャルル・デュトワ(指揮)
 録音時期:1990年5月
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4202551

https://ameblo.jp/kbbnef/entry-11232964252.html

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