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信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1750.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 1 月 20 日 16:07:12: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 信用貨幣論に基づく信用創造 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 29 日 10:48:14)

信用貨幣論
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96

信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。


※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
 

概要

定義
信用貨幣論において、通貨とは負債を記録したデータ(負債証明書)であると定義する。

負債証明書のことを英語でIOUという。IOUは、「I owe you(私はあなたに対しての負債がある)」の略語である(辞書exit)。

発行した人が資産を譲渡することを約束した負債証明書が、人から人へ渡っていくようになったら、それを通貨と呼ぶのである。

負債証明書は発行した人にとって負債であり、入手した人にとって資産になる。負債と資産は対義語である。簿記や貸借対照表(バランスシート)の知識がわずかでもあると、そういう理屈を理解しやすい。

発行した人が律儀に資産を譲渡することが信用されていないと、その負債証明書は通貨として流通しない。発行した人への信用があると、その負債証明書は通貨として流通する。


英国の中央銀行であるイングランド銀行の季刊誌において、次のように通貨が定義されている。
 

Money today is a type of IOU, but one that is special because everyone in the economy trusts that it will be accepted by other people in exchange for goods and services.

現代における通貨とは、負債証明書の特殊な一形式で、「他の人々が財物やサービスと引き換えに受け取ってくれる」と経済に参加する全員が信用するものである。

※イングランド銀行季刊誌2014年春号「現代社会における通貨の紹介」exit

  

手形や小切手を通貨の先駆と考える
負債証明書(IOU)で馴染み深いのが、手形や小切手である。

信用貨幣論においては、手形や小切手のことを一種の通貨と考える傾向がある。

また、歴史上で手形や小切手に酷似した負債証明書が見つかると「これは、通貨の先駆けである」と論ずるのが、信用貨幣論の特徴といえる。
 

信用貨幣論の長所
2020年現在、日本においても、世界においても、市中銀行exit(中央銀行以外の銀行)が提供する銀行預金が、流通する通貨の大部分を占めている。ちなみに、市中銀行が提供する銀行預金のことを預金通貨ともいう。

そういう銀行預金(預金通貨)の性質をきっちり説明できているのが、信用貨幣論の長所である。

銀行預金は、市中銀行の発行する負債証明書(IOU)である。預金者にとって銀行預金は債権である。預金者が支払いを要求したら、銀行は即時に紙幣や硬貨といった現金通貨を支払わねばならない。
 

信用貨幣論の短所
2020年現在の世界を見渡すと、中央銀行が発行する不換銀行券を通貨として採用している国が大多数を占める。

その不換銀行券は、中央銀行の負債として発行されているが、返済期限無期限であると同時に無利子であり、負債としての厳しさが皆無である。不換銀行券を所有する人は、発行した銀行に対して永遠に債権を主張できない。不換銀行券は、本来、所有する人にとって完全な紙屑である。

「不換銀行券は負債のように見えるが実質的に負債ではない」と論じる学者すら存在する。小栗誠治滋賀大学経済学部教授が、そうした見解を述べる学者をこの論文exitで紹介している。

また、かつて先進国で発行されたことがある政府紙幣というのも、負債性が極めて乏しい。政府紙幣は政府の資産として発行されるか、政府の返済期限無期限・無利子負債として発行されるかのどちらかである。前者なら信用貨幣論の定義から外れるし、後者だとすれば負債としての性質が極度に薄い負債である。

また、2020年現在の日本で発行されている硬貨は、政府の資産として発行されており、信用貨幣論の定義から外れている。

以上のように、政府によって通貨と認定されている不換銀行券や政府紙幣や硬貨は、信用貨幣論で説明するのが難しい。言い換えると、現金通貨を信用貨幣論で説明するのが難しい。

現金通貨を説明するのは、国定信用貨幣論か、商品貨幣論のどちらかとなる。
   

人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る
通貨の成り立ちに関する学説のうち、最も有名なのは商品貨幣論である。その学説では、「原始社会においては物々交換(barter)が行われていた。物々交換は不便なので、誰もが欲しがり価値を認める商品が交換の媒体として選ばれるようになった。それが通貨の起源である」と説明している。

この学説に対して、人類学者たちが反論をするようになった。彼らによると、原始社会では物々交換が行われていなかったという。そのうちの1人がキャロライン・ハンフリーexitという英国の学者であり、彼女は1985年の論文でそう論じている。フランスのマルセル・モースexit、アメリカのジョージ・ドルトンexit、同じくアメリカのデヴィッド・グレーバーexitもそう述べている。
 

No example of a barter economy, pure and simple, has ever been described, let alone the emergence from it of money. All available ethnography suggests that there never has been such a thing.

※キャロライン・ハンフリー『Barter and Economic Disintegration』1985exit


物々交換から貨幣が生まれたという事例はもちろんのこと、純粋で単純な物々交換経済の事例さえ、どこにも記されていない。手に入れることができるすべての民族誌を見るかぎり、そうしたものはこれまでに1つもない。

※フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16〜17ページexit_nicoichibaより引用。先ほどの論文を和訳したもの。

しかし、悩ましいのはそのようなことが実際に起こったという証拠がないことであり、むしろそんなことが起こっていないことの方を膨大な量の証拠は示していることである。

数世紀にもわたって研究者たちは、この物々交換のおとぎの国を発見しようと努力してきたが、だれひとりとして成功しなかった。

※デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』45ページexit_nicoichibaより引用

 
※資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16〜17ページexit_nicoichiba、デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』34〜64ページexit_nicoichiba、英語記事1exit、英語記事2exit、キャロライン・ハンフリーの1985年論文exit
 

原始社会の経済
原始社会では物々交換がほとんど行われていなかった、とするのが定説である。

では、ほしいものが手元に無い場合どうしていたかというと、借りパクしていたのである。借りパクされる側も、どうせ後で必要になれば勝手にもって行けばいいので気にしなかった。また、贈り物を頻繁にするという光景も良く見られた。お互い、余ったモノや必要なモノをシェア(共同所有)していたということである。

開拓初期のインディアンの風習の記録でも、りっぱなものを気前良くくれたが、それを大事に飾っていると独り占めするなと怒られた、というものがある。日本でも隣のおばちゃんが余った野菜や料理を気前良くくれたり、近所のおじさんが他人の家に上がって風呂に入りつつ(大量のお湯を沸かすのは、貴重な資材が多く必要だったし、重労働だった)帰り際におやつを失敬する、といったような昔話を聞いたことがあるだろう。

ロルナ・マーシャルexitというアメリカ人の人類学者がいて、アフリカのカラハリ砂漠exitのブッシュマンexitという部族を研究していた。現地協力者にナイフを贈ってそこを去り、1年後に戻ってみたら、その部族のほとんど誰もが一度はナイフを所有していたという。

個人限定の財産を明確に持たず、贈り物や借りパクで共同体中のモノが循環するのが原始的な経済(の一つの形態)だったのだ。個人の所有権(財産権)とか、そういう意識が無かった。これを非市場経済exitという。

この文化において、通貨は当然存在しない。


そして、フランスの人類学者マルセル・モースexitが『贈与論exit』で語るところによると、原始共同体の中での贈与の周辺には、与える義務、受け取る義務、返礼の義務が発生しているのだという。つまり、債権と債務の関係が生じていると指摘している。個人の財産というものを意識しない原始共同体の段階から、人類は、債権と債務を意識していたというわけである。
 

※資料・・・マルセル・モース『贈与論』103〜109ページexit_nicoichiba、デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』45ページ、54〜55ページexit_nicoichiba、『日本史に学ぶマネーの論理』第2章貨幣の基礎理論を知る 2.負債としてのマネーと貨幣法制説exit_nicoichiba
 

都市国家
人類の歴史は、原始共同体(集落)から都市国家exitになり、都市国家から領域国家になるのが一般的な傾向である。

農業などで人口が安定的に増えて共同体が大きくなり、原始共同体(集落)から都市国家になると、誰が誰にどれくらいの貸し借りをしたかわからなくなってくるので、借りパクで済ますというわけには行かなくなる。

そこで、「後でこれを私に渡せば、うちの品物と交換しますよ」という負債証明書(IOU)を渡して品物を受け取るというシステムが現れた、と推測されている。たとえば麦農家のAさんが収穫のための鎌を新しく必要とするとき、Aさん収穫の麦30kgと交換できる負債証明書を渡して鍛冶屋のBさんから鎌をもらい、収穫後に鍛冶屋のBさんが負債証明書とAさんの麦30kgを交換する、という具合である。

この負債証明書(IOU)は、要するに、手形である。

現代社会における手形が支払手段として使われているのと同様に、都市国家段階の古代社会における負債証明書も支払手段として使われていたのではないか、と推測されている。Aさん一家から「Aさん発行の負債証明書」をもらった鍛冶屋のBさんは、鉄を加工するための薪が欲しくなった場合、林業農家のCさんに「Aさん発行の負債証明書」を手渡して支払いをすることができる。


メソポタミアの都市国家の遺跡からは、1〜3cm程度の大きさで様々な形をした粘土製の物体が大量に出土している。これは考古学者たちの間でトークンexitと呼ばれていて、債権債務の記録に使われたと考えられている。債務者が負債証明書(IOU)として債権者にトークンを渡した、というわけである。

さらに、メソポタミアの都市国家の遺跡からは、トークンを押しつけてできた跡がある粘土板exitが出土している。これも、債権債務の記録に使われたと考えられている。トークンを押しつけてできた跡は、象形文字となり、のちの楔形文字の起源となった、とデニス・シュマント=ベッセラ教授は考えている。

さらに、メソポタミアの都市国家の遺跡からは、楔形文字を書き入れた粘土板が大量に出土している。その粘土板は、物の数量の記録に関するものが全体の85%ほどを占めている。その中には、負債証明書がいくつも見つかっている。

※資料・・・『メソポタミア文明入門』第3章文字と文書exit_nicoichiba、『日本人が本当は知らないお金の話』45〜48ページexit_nicoichiba、『金融の世界史: バブルと戦争と株式市場』19〜30ページexit_nicoichiba、『負債論 貨幣と暴力の5000年』60ページ、324〜329ページexit_nicoichiba
 

領域国家
人類の歴史は、都市国家exitから領域国家へ進んでいくことが一般的な傾向である。

都市国家は点の支配であり狭っ苦しい。領域国家は面の支配であり、広い範囲に権力が及ぶ。

都市国家というのは豊かな人口過密地域だけに引きこもっている状態だが、領域国家というのは貧しい人口過疎地域を突っ切って縦横無尽に駆け巡る軍隊というものを擁して広域を支配する状態である。(三国志を知っている方は、三国志における軍隊の活躍を思い出して頂きたい)

つまり、領域国家というのは軍隊の維持が最大の目標だった。軍隊を維持するため、兵士や軍需物資製造者に給料というものを払わねばならない。ゴツい兵士には給料の代わりに領土をくれてやって「好きなように領地で収奪・カツアゲするように」といってもいいが、軍需物資製造者にはそういう方法を採れず、なんらかの給料を払わねばならない。

政府は軍需物資製造者や兵士に対し、あらかじめ徴税して倉庫に貯め込んでおいた財物(米、麦、布、絹など)を給料として手渡すようになった。軍需物資製造者や兵士は、政府からもらった財物(米、麦、布、絹など)を農家に持ち込んで、野菜や果物や鶏肉といった好きなものと交換できた。なぜなら、農家にとっては「来年納める物の代わりが手に入って、租税負担が減って楽になる」と考えるからである。

そういう形で給料支払いを続けてきた政府は、次第に、もっとよい方法はないか、と考えるようになった。米、麦、布、絹などは、変形したり腐ったりする可能性があり、ちょっと不便なのである。

そこで政府は、軍需物資製造者や兵士に与える給料を、金属でできた貨幣に切り替えることにした。金属というのは変形しにくく腐らないので、倉庫にいつまでも貯め込むことができる。金属でできた貨幣というのは、金貨、銀貨、銅貨、鉄貨exit、そして貝貨exitである。(貝というのはカルシウムという金属でできている)

政府は、貨幣を軍需物資製造者や兵士に与えつつ、貨幣で納税することを領域国家の国民に強制することにした。関所を通ったときに貨幣を徴税し、市場で店を開いたときに貨幣を徴税し、農家にも農作物の代わりに貨幣を徴税する。そうすることで、国民は納税のために貨幣の貯蓄に励むようになり、貨幣を欲しがるようになる。国民の皆が貨幣を欲しがるので、貨幣を使って財やサービスを交換できるようになる。

米、麦、布、絹、などの現物支給と貨幣支給は、政府にとってやることの順番が異なる。現物支給は先に徴税してその後に徴税した物品を給料として支払うのに対し、貨幣支給は先に貨幣を給料として支払って、その後に徴税する。

現物支給 貨幣支給
給料として渡すもの 米、麦、布、絹など 金貨、銀貨、銅貨、鉄貨、貝貨
やることの順序 先に徴税し、徴税した物を支給する 先に給与支給し、後に徴税する

以上のように、領域国家の政府が発行して徴税で回収するものが通貨である、という学説を国定信用貨幣論という。

「政府の発行する通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部である、ということになる。

一方で、「『政府の発行する通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である』という論理は、法律学の観点からみて少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものである、ということになる。

たとえば、土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合、「Dさん所有の土地は、Eさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは、通常の法律界において行われない。

2020年5月23日時点の本記事は、後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち、「通貨は政府の徴税権を消滅させるので政府の負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。


さて、国定信用貨幣論のライバルに、商品貨幣論というものがある。「通貨は、市場に参加する全員が価値を認める一番人気の商品が変形してできたものである」という学説である。

領域国家の政府が兵士などの給料として支給した現物は、通貨のように振る舞ったものがある。古代日本の米・布・絹、古代ローマの塩である。これらはすべて商品としての需要がある。

領域国家の政府が発行する貨幣は、金・銀・銅といった貴金属を鋳造した貨幣に集約されていった。そうした貴金属は商品としての価値を持っている。

このため、商品貨幣論と国定信用貨幣論の激しい論争が起こるようになった。

商品貨幣論によると、金貨が発行されたのは次のように説明される。

金というのはピカピカ光って誰にも愛される商品である。美術品としての需要も高い。金という金属の価値が、貨幣の価値となったのである。

 

その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。

なるほど、金塊そのものに価値があることは間違いない。しかし、「金塊そのものの価値」だけでは全国津々浦々に流通した理由が説明できない。「金塊なんて、ただ光るだけの金属じゃないか」という田舎親父もこの世に存在する。金塊に全く価値を感じない人も一定の割合で存在する。

金塊に全く価値を感じない人も金貨を受け取ったのは、やはり政府の権力の後押しがあったからだ。金貨で納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素があったから、流通したのだ。

わざわざ金塊が政府に選ばれたのは、「錆びない、腐ったり劣化したりしない、鋳造する技術が必要で埋蔵量が少ないから偽造がしにくい、材料さえあれば均質なものを量産できる、宝飾品以外の実用的な使い道がなかった」などが考えられる。とくに「埋蔵量が少ないから偽造しにくい」というのが重要だ。

また、商品貨幣論によると、古代日本で布が貨幣として扱われたのは次のように説明される。

布というのは服の素材として需要が非常に高く、誰にも愛される商品である。布でできた服はとても快適で、皆が価値を認める。それゆえ物々交換の基軸となり、貨幣となっていった。

 

その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。

なるほど、布そのものに価値があることは間違いない。しかし、「布そのものの価値」だけでは広く流通した理由が説明できない。布を全く欲しがらない人も一定の割合で存在する。

古代日本の税制は租庸調exitといい、その中に「布を納税せよ」という項目がある。布には、納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素、つまり付加価値があったから、貨幣として流通した。

布を納税する地方の農家が所有している柿や栗が欲しくなったとする。そのときは布を手渡せば、農家の人たちは「来年分の納税負担が減る。喜んで受け取りましょう」と言いつつ、柿や栗を差し出してくれるだろう。

 

・・・という論争が果てしなく続けられるようになった。どちらの主張もある程度説得力があるので、まったく決着が付かなかった。

不換銀行券の時代になって、商品貨幣論は説得力に陰りが見えるようになった。このため、国定信用貨幣論の説明がすこしだけ優勢になったと言える。
  

小切手・手形に類似した負債証明書(IOU)の発達
洋の東西を問わず、領域国家の政府が発行する貨幣は、貴金属を鋳造したものに集約されていった。

貴金属で出来たものなので、かさばると重く、運搬しづらい。大量の貨幣を持ち歩くと、山賊などにひったくられる危険性が高まってしまう。

そこで、現代の小切手や手形に酷似した負債証明書(IOU)が使われるようになった。

日本においては、平安時代末期から鎌倉時代にかけて宋銭が大量に流入した後、鎌倉時代に割符(さいふ)exitというものが商人の手によって発行されるようになった。「一定の期日の後にこの証文を持ち込んで頂ければ、銭十貫文と交換いたします」と書かれていて、まるっきりの手形だった。

また、寺や神社が集めた祠堂銭exitを商人に預け、商人が祠堂銭預状という負債証明書を発行した。こちらは小切手に近い。


さらにいうと、宋銭が流入する前の11世紀の平安時代は米・絹・布が貨幣のように振る舞っていたが、この米・絹・布を支払うことを約束した負債証明書が発行されていた。これを切符系文書という。これも小切手に近い。

江戸時代になると、伊勢の国(三重県)の商人が羽書(はがき)exitを発行し、藩が藩札exitを発行し、旗本が旗本札exitを発行した。これらは幕府の発行する金貨・銀貨・銅貨との交換を保証している負債証明書である。これまた、小切手に近いものである。ただし、藩札と旗本札は、軍票に近い存在であり、国定信用貨幣論で説明した方がいいかもしれない。


※この項の資料・・・『通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで』exit_nicoichiba、『日本史に学ぶマネーの論理』exit_nicoichiba
 

金匠が発行する負債証明書
西洋のイギリスでも、負債証明書(IOU)の発行が発達していった。  
 

イギリスで金貨が流通すると、商人が大量の金貨を保有するようになった。ただ、金貨を自宅に保管しておくと、どうしても盗難の危険が高くなる。

金匠(金細工職人。英語でゴールドスミスexitという)は堅牢な金庫を持っていたので、商人たちは金貨を金匠に預け、代わりに金匠受領書(ゴールドスミス・レシート goldsmith receipt)を受け取るようになった。金匠受領書を持ち込めば、額面通りの金貨を引き出すことができる。

商人たちは、取引先に金貨を支払う場合、金匠から金貨を引きだして支払うのが面倒になってきた。金貨を持ち運ぶこと自体が危険だからである。そのため、商人たちは紙切れを発行し始めた。その紙切れは金匠宛の依頼書で、「私が預けている金貨の名義を、私からこの依頼書の所有者に代えてくれ」という内容のものだった。

この依頼書のことを金匠宛手形(ビル・アポン・ゴールドスミス bill upon goldsmith)という。現代風にいえば、小切手である。この金匠宛手形での支払いが、盛んに行われるようになった。

 
これは17世紀イギリスにおける実話である。最も古い金匠受領書は1633年発行のもので、1650年代には金匠宛手形が発行され始め、1680年には金匠宛手形での決済が盛んに行われていることに驚く日記が見つかっている。

金匠宛手形は発行した人物にとって負債証明書(IOU)であり、金匠宛手形を保有している人物への債務が宿っている。

そしてさらに興味深い現象が起こりはじめた。
 

金匠は「これからは預り証(金匠受領書)を譲渡可能にすればいいんじゃないか」と思いついた。預り証に「これを持参した人物に対して、金貨を支払う」という表現を書き込んだ。

こうした譲渡可能な預り証を金匠手形(ゴールドスミス・ノートexit goldsmith note)という。金匠手形は便利なので、金匠の近くの地域経済で支払い手段として使われるようになった。

  
先ほどの金匠宛手形は多種多様な商人たちが発行していた。このため券面の書き方にもちょっと違いがあり、受け取る人たちにとってはすこし注意が必要であった。

一方、金匠手形の発行者は、金匠ただ1人である。その金匠手形はどれも画一的な券面の書き方であり、受け取る人にとって慣れてしまえば扱いやすい。金匠手形が広まった方が地域経済にとって便利だった。このため金匠手形が広まっていった。

金匠手形もまさしく負債証明書(IOU)であり、金匠手形を所持している人物への債務が宿っている。

そして画期的な現象が起こりはじめた。
 

金匠に対して「金貨を貸してください」と言ってくる商人は多かった。金匠が金貨を貸そうとすると、「いえ、金貨は盗難の危険があるので受け取りたくありません。金匠手形だけ発行してくれれば良いのです。支払いも金匠手形で行いますから」というので、金匠手形の発行だけで貸し出しを済ますようになった。もちろん、商人からの利子・元本返済は金貨で受け取ることにする。

あるとき、金匠は、自分の金庫から金貨を引き出そうとする人物がめったに現れないことに気が付いた。「自分の金庫に眠っている金貨の量よりも多い貸し出しをしても、大丈夫なんじゃないか」と思い始め、借金を申し込んでくる人が現れるたびにどんどん金匠手形を発行していった。

いつしか金匠は、保有している金貨の20倍ほどの金匠手形を発行するようになったが、発行しすぎで破綻することは無かったという。

 
以上が、ヨーロッパにおける発券銀行の成り立ちに関する昔話である。1694年にイングランド銀行が設立されて紙幣(銀行券)を発行するようになったが、金匠手形を手本としたという。1844年にイングランド銀行がイギリス国内における紙幣発行業務を独占するようになり、中央銀行となった。

イギリスだけでなくどこの国においても、19世紀頃まで多くの民間銀行が勝手に紙幣を発行していたが、だんだんと1つの銀行に統合されていった。1つの国で紙幣発行権を独占する銀行を中央銀行という。中央銀行は政府と非常に深い関わり合いになる。


※資料・・・『マネー文明の経済学―膨張するストックの時代』84〜91ページexit_nicoichiba、『中央銀行の形成―イングランド銀行の史的展開』45〜51ページexit_nicoichiba。『マネー文明の〜』は、『中央銀行の〜』から引用している。
 

銀行の信用創造で作られる銀行預金
先ほどの昔話の中で、金匠のもとへ借金を申し込む人が現れるたび、金匠は手持ちの金貨よりずっと多くの金匠手形を発行していた。それと同じことを現代の銀行も行っている。

銀行預金は人が銀行から借りるときに生まれている。そして、意外なことであるが、銀行は保有する資金と無関係に銀行預金を作ることができる。これを信用創造という。

Aさんという人が民間銀行から住宅購入資金の融資を受けるとき、銀行はAさんの銀行口座の預金残高の数字を書き足すことで融資する。Aさんは預金残高を減らし、住宅販売会社の預金残高を増やして、そうやって支払いを済ませて住宅を購入する。住宅販売会社がAさんと同じ銀行に口座を持っている場合、民間銀行は手持ちの資金を一切減らさずに済ますことができる。銀行が資金を持たずに信用創造でいくらでも預金を創造できるのはこのためである。

現代において、現金通貨の10倍近くの量が預金通貨(銀行預金)として流通しており、経済活動の主役となっている。

預金通貨は、銀行が万年筆で帳簿の数字を変更したりパソコンのキーボードを叩いたりするだけで増えるので、預金通貨は万年筆マネーとかキーストロークマネーといわれる。

もちろん、銀行預金は、銀行にとっての負債証明書(IOU)である。銀行は、銀行預金の所持人に対して現金通貨(紙幣・硬貨)を即時に支払う債務を負っている。
 

1970年アイルランド銀行閉鎖事件
通貨というのは負債である、という信用貨幣論を裏付ける事件が1970年に発生したので、紹介しておきたい。


1970年5月1日、アイルランドの銀行業界でストライキが起こった。このときのアイルランドは高率のインフレに悩んでおり、職員の待遇改善を求める労働組合がストを決行した。

それから約6ヶ月間、アイルランドの銀行は閉鎖されっぱなしだったが、なんと、たいした混乱もなくアイルランド経済は機能し続けており、統計によると経済の水準も上がり続けたという。

アイルランド人たちはどうしたかというと、個人個人が小切手を発行して支払いをしていた。アイルランド・ポンドで値が付いている自動車を買うとき、その額の小切手を発行していたのである。自動車販売会社は小切手を発行した人の支払い能力をわりと簡単に調べることができた。その購入希望者が立ち寄るパブ(イギリスやアイルランドの酒場)に行き、そこの主人に購入希望者の支払い能力を尋ねるだけだった。アイルランドはパブでビールを飲んで交流するという文化が残っていたのが幸いした。パブの主人は、その周辺の人々の支払い能力をだいたい把握していたのである。

こうして、支払い能力がある人の小切手だけが受け取られた。この小切手が銀行閉鎖最中における通貨となった。

小切手とは「これを銀行に持ち込めば私の口座から引き出して現金にすることができます」という負債証明書(IOU)である。「通貨は負債である」という信用貨幣論の定義通りの現象だったと言える。


※資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』32〜39ページexit_nicoichiba
 

電子マネー
21世紀になって各国で急速に普及している電子マネーは、発行する企業の負債証明書(IOU)であるので、信用貨幣論において「通貨に準ずる存在」と扱われる。

電子マネーの中でも、特に、プリペイド式電子マネーは、典型的な発行企業の負債といえる。プリペイド式電子マネーは、利用者が先に現金通貨などでチャージして電子マネーの額を増やしてから、商品購入などに利用するものである。
 

様々なプリペイド式電子マネー
プリペイド式電子マネーには、次のようなものがある。

Suicaなどの交通系電子マネー、WAONなどの流通系電子マネーが典型的なプリペイド式電子マネーである。

インターネットの決済に使用できるWebMoneyやPayPalも、プリペイド式電子マネーといえるだろう。

インターネット販売サイトが発行し、そのインターネット販売サイトの中でのみ使用できるポイントというものがある。Amazonが発行するAmazonギフト、DMMが発行するDMMポイント、楽天が発行する楽天スーパーポイントなどである。これらも、プリペイド式電子マネーといえるだろう。
 

プリペイド式電子マネーのチャージ
プリペイド式電子マネーにチャージを行い、電子マネーの額を増やすには、おおよそ3種類の方法がある。日本銀行券や硬貨といった現金通貨を支払ってチャージする方法と、銀行預金を払ってチャージする方法と、クレジットカードで支払ってチャージする方法である。

いずれの方法でも、電子マネー発行企業の貸借対照表(バランスシート)の資産の部は、金額が増える。現金が増えたり、銀行預金が増えたり、クレジットカード企業への金銭債権が増えたりする。

電子マネー発行企業は、そういった資産の部の金額増加に対応して、電子マネーという負債を発行する。
 

電子マネーの定義
電子マネーというものは、発行企業にとっての負債である。発行企業は、加盟店に電子マネーを差し出されたら、即時に現金通貨や銀行預金に交換しなければならない。要求されたら即時に交換する負債を一覧払い負債とか要求払い負債といい、負債の中でも厳しい部類に入る。

ただし、利用者が電子マネーを発行企業に提示しても、発行企業は現金や銀行預金に交換する義務がない。電子マネー発行企業は、加盟店が電子マネーを差し出してきたときのみ、対応する。

Aさんが1万円の現金通貨を払ってSuicaに1万円をチャージしたとする。そうすると、もうAさんは、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要求できなくなる。

Aさんは、Suicaを扱う加盟店で、Suica1万円を使って1万円の商品を購入できる。

Suica1万円を購入者から受け取った加盟店は、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要求できる。

ゆえに、プリペイド式電子マネーは、次のように定義できる。
  

プリペイド式電子マネーは、発行企業にとっての一覧払い負債である。発行企業は電子マネーを提示する加盟店に対して、即時に現金通貨・銀行預金に交換しなければならない。ただし、利用者に対しては、現金通貨・銀行預金に交換する義務がない。

 
このように、プリペイド式電子マネーは、すこし特殊な負債と表現できる。現金通貨・銀行預金に交換する義務を果たす相手は、加盟店だけに限定されている。
 

「人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る」の項目を貸借対照表で分析する
本項目では、「人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る」の項目の序盤を貸借対照表(バランスシート)で分析する。
 

原始共同体
原始共同体というものは、共同体の構成員たちが相互に借りパクすることで成立している。

原始共同体の中で、弓を作るのが上手いAさんが弓を1つ持ち、サンダルを作るのが上手いBさんがサンダルを1足(1セット)持っていて、AさんがBさんのサンダル1足を借りパクするとする。

弓を作るのが上手いAさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。

借りパクする前のAさん 借りパクした後のAさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
弓1つ 要求があったら弓1つを差し出す債務 弓1つ 要求があったら弓1つを差し出す債務
サンダル1足を要求する債権 サンダル1足 要求があったらサンダル1足を差し出す債務
 
サンダルを作るのが上手いBさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。

借りパクされる前のBさん 借りパクされた後のBさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル1足 要求があったらサンダル1足を差し出す債務 サンダル1足を要求する債権
弓1つを要求する債権 弓1つを要求する債権
 
このように、AさんもBさんも、資産の部と負債の部の両方が変化している。「借りパクで成立している原始共同体」は、全ての構成員が債権・債務と隣り合わせになって生きており、全ての構成員が頻繁に債権・債務を背負う世界である。構成員同士の付き合いがドロドロしていて濃密である。
 

都市国家
原始共同体の次の段階を都市国家exitといい、生産が豊富な土地にみんなで住み着いている状態である。

都市国家のなかで西側に住んでいる弓職人のAさんと、都市国家のなかで東側に住んでいるサンダル職人のBさんは、互いの住居が遠いこともあって、あまり親しくない。家が遠くなって付き合いが疎遠になると、それに応じて信用が落ちていき、借りパクで済ますことができなくなる。債権・債務を何かに記録して証拠として残す、という世知辛いことをし始める。

弓職人のAさんが「3ヶ月後以降にこれを我が家に持ち込むと弓を作ってあげますよ」という意味の負債証明書(IOU)を作成し、サンダル職人のBさんに手渡して、Bさんからサンダル1足を受け取るとする。


弓職人のAさんの貸借対照表は、負債証明書(IOU)の発行とそれによるサンダル購入によって、次のように変化する。

サンダル購入前のAさん サンダル購入後のAさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル1足 期日以降に弓1つを差し出す債務を記した負債証明書(IOU)
 
 
サンダル職人のBさんの貸借対照表は、負債証明書(IOU)の受け取りとそれによるサンダル売却によって、次のように変化する。

サンダル売却前のBさん サンダル売却後のBさん
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
サンダル1足 期日以降に弓1つを要求できる債権を記した証明書
  
このように、AさんもBさんも、だいぶ貸借対照表が簡素である。原始共同体から都市国家になって、人同士の距離が離れて、人同士の付き合いが淡泊になると、債権・債務の量が減り、すっきりしたものとなっていく。
 

領域国家
都市国家exitの次の段階を領域国家という。政府が軍隊を保有し、生産が豊富な人口過密地を飛び出し、生産が乏しい人口過疎地を突っ切り、他の領域国家と国境を接して睨み合うものである。

政府は、軍隊を維持するために通貨を発行するようになる。それを民間人に支払って軍隊を編成する。最後に徴税をして通貨を民間人から吸収する。


政府の貸借対照表は、次のように変化していく。1年を終えたら「政府その1 通貨発行」に巻き戻る。

※「政府は通貨を資産として発行する」という考え方と、「政府は通貨を返済期限無期限・無利子の負債として発行する」という考え方がある。この項目では前者の考え方を採用した。

政府その1 通貨発行 政府その2 軍隊整備 政府その3 徴税
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
徴税して得た通貨と、新規発行した通貨 体を張って外敵を迎撃する義務(国民に福利をもたらす義務) 人材や軍需物資(軍隊) 体を張って外敵を迎撃する義務(国民に福利をもたらす義務) 人材や軍需物資(軍隊) 体を張って外敵を迎撃する義務(国民に福利をもたらす義務)
徴税権(通貨を要求する債権) 徴税権(通貨を要求する債権) 徴税して得た通貨
 
国民の貸借対照表は、次のように変化していく。1年を終えたら「国民その1 物資の生産」に巻き戻る。

国民その1 物資の生産 国民その2 通貨獲得 国民その3 納税
資産の部 負債の部 資産の部 負債の部 資産の部 負債の部
外敵から身を守ってもらう権利 納税義務(通貨を支払う義務) 外敵から身を守ってもらう権利 納税義務(通貨を支払う義務) 外敵から身を守ってもらう権利
生産して得られる物資 政府に軍需物資を売って政府から受け取る通貨 納税した後に残る通貨
市場で民間人に物資を売って民間人から受け取る通貨
 
政府というものは、全ての国民にとって「すぐ近くに住んでいる隣人」である。原始共同体の構成員たちが濃密な付き合いをして債権・債務の関係を作り上げるのと同じように、領域国家の国民と政府も濃密な付き合いをして債権・債務の関係を作り上げる。

政府は全ての国民に対して「納税しなさい」と迫ってくる。なんとも暑苦しい存在である。

国民は、生まれながらにして納税義務という負債を負う。政府は憲法によって「国民に福利をもたらす義務」を負う。
 

先天的な負債の存在を認める信用貨幣論・国定信用貨幣論
商品貨幣論と親和性が高い「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「人というのは先天的な負債を持ってない」という思想を生み出しやすい。詳しくは商品貨幣論の記事を参考のこと。

一方、信用貨幣論や国定信用貨幣論は「人というのは先天的な負債を持っている」という思想と親和性が高い。

「先天的な負債」をどう扱うかという点において、商品貨幣論と信用貨幣論・国定信用貨幣論は、真逆の思想である。
 

人と人の距離で決まる経済の形態
経済の形態というものは、人と人の距離によって決まっていく。そうした経済の形態は、おおむね3つに分けることができる。
 

借りパクで成立する経済
人と人の距離が近いとき、「借りパク・互酬exitで成立する経済」になる。

「俺のモノはお前のモノ、お前のモノは俺のモノ」といった調子で物事が進んでいく。個人の財産権(所有権)という観念は非常に薄く、集団によってモノを共同所有し、集団の中でモノが行ったり来たりして循環する。

債権・債務が多重に存在し、全ての構成員が負債を負い、全ての構成員が債権を主張する。

債権・債務の関係の量がとても多いので、負債証明書(IOU)を作っている暇がない。また、相互に「この人は必ず自分の債権を尊重するだろう、債務を履行するだろう」と高く信用するので、負債証明書(IOU)を作る必要も無い。双方の記憶によって成立する口約束で貸し借りを行う。

人類学者の多くは「原始共同体は借りパク・互酬で成り立っていた」と論じている。当然のことながら、原始共同体は人と人の距離が非常に近い。家庭も「借りパク・互酬で成立する経済」と言っていいが、これも人と人の距離がとても近い。昭和時代前半以前の日本の下町でも「借りパク・互酬で成立する経済」が多く見られた。昭和時代前半以前の日本の下町というのは建物の壁が薄く、隣近所がなにをしているのか丸聞こえで、プライバシーなど全くない状況だったので、人と人の距離が近い環境だった。
 

負債証明書(IOU)が飛び交う経済
人と人の物理的な距離が遠くなると、相互に「この人は自分の債権を尊重しないかもしれない、債務を履行しないかもしれない」と疑い始め、相互の信用が下落していく。貸し借りをするときは負債証明書(IOU)をきちっと発行することを求めるようになる。これが「負債証明書(IOU)が飛び交う経済」である。

メソポタミアの都市国家がこの典型例と言える。
 

即時払いの交換をする経済
人と人の物理的な距離がものすごく遠くなると、相互に「この人は自分の活動範囲をはるかに超えた遠いところに住んでいる。自分はこの人の実態を調べることができない。この人が自分の債権を尊重しなかった場合、つまりこの人が債務を履行しなかった場合、自分はどうすることもできず、泣き寝入りするしかない」と思うようになり、相互の信用が完全に消滅する。相手の負債を一切信用せず、「即時払いじゃなきゃダメだ。今すぐ支払ってくれ」と要求する。

国際貿易をする商人同士は、この「即時払いの交換経済」を形成することになる。とても遠いA国からやってきた商人が「代金は、次回来たときに支払う。その証拠に負債証明書(IOU)を差し上げよう。だから品物を渡してくれ」といっても、言われたB国在住商人は「自分は、あんな遠いA国に行く気力と財力がない」と思い、要求を断固として拒否することになる。

日本の平安時代末期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われた。九州の博多に宋王朝の沿岸都市から商人が船でやってきて、博多の日本商人と取り引きをする。そういう場所では物々交換という即時決済の交換が行われた。
 

3形態の比較
今まで述べた3つの経済形態を比較すると、次の表のようになる。人と人の距離によって経済の様子が変わっていく、というのがポイントである。
 

借りパク経済 負債証明書経済 即時払いの交換経済
典型例 原始共同体、家庭、昭和時代前半までの日本の下町 メソポタミアの都市国家 物々交換をする国際貿易の商人
人と人の物理的・心理的な距離 近い。相手と同居しているか、それに等しい状態。 近すぎず、遠すぎず、の状態。相手の本拠地に行って相手の様子を確認することが可能。 とても遠い。相手の本拠地に行って相手の様子を確認することが難しい
債権・債務の量 とても多く、煩雑である 相手の様子を見て、「これなら大丈夫そうだな」と思ったときのみ信用する。条件付きで信用し、債権を絞り込む。債権・債務の量は少ない 全く存在しない
個人の財産権(所有権)の観念 ない。モノを独り占めすることが許されず、気前よく譲り渡すことが求められる ある ある
  

信用貨幣論と商品貨幣論の違い
信用貨幣論というのは「人類の経済の原型は借りパク経済である」と主張する思想である。借りパクで成り立つ原始共同体から始まり、人々の活動範囲が広がるにつれて「負債証明書が飛び交う経済」になり、さらに人々の活動範囲が広がって国際貿易をするようになって「即時払いの交換経済」が導入されるようになった、と考えるものである。

一方で、商品貨幣論は全く逆であり、「原始共同体は物々交換で成り立っていた。つまり即時払いの交換経済だった」と主張する。「物々交換で成り立つ経済が人類の経済の原型であり、そこから物々交換の不便さを打ち消すための貨幣というのが誕生し、さらに『負債証明書が飛び交う経済』に進んでいった」というのである。

このように、信用貨幣論と商品貨幣論は真逆の思想と言える。

https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96  

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1. 中川隆[-14084] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:17:48 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[29] 報告
貨幣負債論(信用貨幣論)について
2019年01月29日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html

今回のコラムでは「貨幣負債論(信用貨幣論)」について解説します。

今回のコラムの発端は、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことになります。

今回はその第一弾として「貨幣負債論(信用貨幣論)」を、中野剛志『富国と強兵』、デヴィッド・グレーバー『負債論』、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』から紹介します。

ではまず「貨幣負債論(信用貨幣論)」とは一体何なのでしょうか?

『富国と強兵』では、イングランド銀行の機関紙(2014年春号)に掲載された解説記事『現代経済における貨幣:入門』から次のように引用しています。

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」

この引用から筆者は

「貨幣を一種の負債とみなす貨幣観を『信用貨幣論』と言う。」と定義しています。

この「負債」と「信用」とはどういった関係なのでしょうか?

『富国と強兵』ではこの答えを簡潔にまとめています。

「『負債』とは、言うまでもなく『信用』の対概念であり、AのBに対する負債は、BのAに対する信用である」

本書では更に続けて、学者の言葉を引用しています。

ケインズに影響を与えたA・ミッチェル・イネス: 

「貨幣とは信用であり、信用以外の何物でもない。Aの貨幣はBのAに対する負債であり、Bが負債を支払えば、Aの貨幣は消滅する。これが貨幣の理論の全てである。」

社会学者ジェフェリー・インガム:

貨幣とは「計算貨幣の単位によって示された信用と負債の社会関係。」

こうして本書では「貨幣が負債の一形式であるというのは以上のような意味においてである。あらゆる貨幣が負債なのである。」と結論しています。

では、そもそも、「負債」、「信用」とは何なのでしょうか?

まず「負債」について見ていきましょう。

『負債論』では、まず「義務」と「負債」の違いを確認し、そこから「負債」を定義づけ、「信用」や「貨幣」との関連を示唆しています。

「ただの義務、すなわちあるやり方でふるまわなければならないという感覚、あるいは誰かに何かを負っている[借りがある]という感覚、それとの負債との違いは正確に言えばなんであろうか?」
「負債と義務の違いは、負債が厳密に数量化できることである。このことが貨幣を要請するのである。」

「貨幣とは負債はまったく同時に登場している。」

人類最初期の文書であるメソポタミアの銘板に「記録されていたのは、信用による貸借、神殿による支給の配分、神殿領地の地代、穀物と銀それぞれの価格などである。おなじく、モラル哲学の最初期の文章のいくつかは、モラルを負債として想像すること、つまりそれを貨幣という観点から想像することが何を意味するのか、についての考察である。」

「したがって、負債の歴史とは必然的に貨幣の歴史なのである。」

まとめると、「負債」とはすなわち「数量化した義務」であり、歴史上、「貨幣」と同時に登場した、ということになります。

「このことが貨幣を要請する」とはどういう意味でしょうか?

単純に解釈すると、負債という存在があったから貨幣が必要になった、となります。

負債という概念が先にあるのです。貨幣はその後すぐに誕生したということになります。

この『負債論』での「負債」の説明は、『富国と強兵』で引用されたイングランド銀行の機関紙の説明

「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において受け入れた特殊な負債である。」
と同じです。

なお、「貨幣が負債である」というのは、貨幣の発行者から貨幣を見たときの記述です。

貨幣の保有者から見ると「貨幣は債権(資産)」になります。

この「貨幣は発行者にとって負債で、保有者にとっては資産」というのは、MMTにおいては定義になっています。

次に「信用」とは何なのでしょうか?

『富国と強兵』では負債について、以下の指摘をしています。

「負債とは、現在と将来という異時点間の取引によって生じるものであるが、将来は不確実であるから、負債はデフォルト(債務不履行)の可能性を伴う。」

「信用」とは「負債」の将来のデフォルトの可能性を勘案して決断されます。

このお客なら将来ちゃんとお金を払ってくれるだろうと。

この将来は一時間後でも構いませんし、数日、数ヶ月、数年でも構いません。

実際、わたしたちは、料理店で提供された料理を食べた後に、決済しています。

これはお店がわたしたちを信用して料理を提供し、わたしたちは発生した負債を食べた後に決済します。

また、お店と客の信頼関係によっては、ツケ払い、つまり将来のいつかの時点での決済、を許可している場合もあります。

食事に限らず、実際の財・サービスの交換には時間差があります。

例えば家のローンなどは、購入から返済までに数十年単位でかかります。

この時間差が生む不確実性を容認するのが「信用」なのです。

『富国と強兵』では、イングランド銀行の解説からこのように引用しています。

「貨幣は、この信頼の欠如という問題を解決する社会制度である。」

「負債」と「信用」の意味、そして貨幣との関係はこれで判りました。

次に、「貨幣が負債である」ことの正しさを、以下の2つの観点から確認します。

@会計上正しいこと

A歴史的に見ても正しいこと

@会計上正しいこと
これは実在する貨幣発行者のバランスシート(貸借対照表)を見れば、すぐにわかります。

わが国の国定貨幣である日本銀行券は日本銀行によって発行されていますので、日本銀行のHPからバランスシートを探してみましょう。

以下のPDFは、日本銀行のHPに掲載されている、2018年度の日本銀行の財務諸表になります。

https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai1805a.pdf

このPDFに貸借対照表が掲載されており、その負債の部の先頭に「発行銀行券」と記載されています。

日本銀行の「発行銀行券」といえば「日本銀行券」のことです。

なお、資産の部にも「現金」とありますが、その額は「発行銀行券」よりずっと少ないため、自ら発行した日本銀行券を回収して保有している、と解釈することができます。(これは誤りです。詳細はコメント欄で。)

まとめますと、日本銀行から見ると発行した「日本銀行券」は紛れもなく「負債」であり、日本銀行自身が「日本銀行券」を持つと「資産」ということになります。

(勿論これは相殺が可能ですが、相殺が必然というわけではありません。)

しかしこれだけでは、会計学上で(発行者にとって)貨幣を負債としていることは解っても、それ(貨幣を負債とする)が妥当なのかまでは判りません。

この妥当性をAで検討していきましょう。

A歴史的に見ても正しいこと
歴史学上、貨幣がどの年代に発見されたか?

これは古代メソポタミアです。

そしてこの古代メソポタミアでは、既に信用取引が一般的な決済方法でした。

例えば、彼ら古代メソポタミアの民は、居酒屋の支払いを毎回ツケ払いしていました。

居酒屋のオーナーからすると、お客を相当「信用」しないとできない行為です。

そして飲んだ客は、膨らんだ「負債」を後でまとめて、自分で収穫した農産物などで払う、というような行為が一般的であったようです。

古代メソポタミアから発掘された銘板にはこうした信用取引の記録が大量に残されています。

そして将来の支払い義務が記された銘板は、貨幣として流通していました。

(この銘板の持ち主に誰々がどれだけの支払い義務を負っているか、が記された銘板です。)

つまり、この銘板を保有するということは、銘板に記載されている支払額と同額の資産を保有するということになります。

これは現代で言えば、企業の発行する約束手形が流通するようなものです。

まさに、古代メソポタミアでは負債としての貨幣が流通していた、ということになります。

『21世紀の貨幣論』には、古代メソポタミアでは「現存する証拠資料の示すところであれば、ほとんどの取引が信用(クレジット)を基盤としていた。」と記載されています。

一般的な経済学では、物々交換経済→貨幣経済→信用経済へと発展していったと記述されていますが、人類学者の長年に渡る調査によると「物々交換経済から貨幣に発展した例は、いかなる社会にも見当たらなかった」そうです。

物々交換は部族と部族の間の取引のように、信用できるかわからない相手との取引など、限定的には見られたそうですが、決して主流にはなりませんでした。

人類学者が調査した社会の中には、古代メソポタミアのように最初から信用取引が発達していた社会が有りました。

例えば、有名なヤップ島の話です。

ヤップ島では発見当時、主要な生産物が3つ(魚、ヤシの実、唯一の贅沢品であるナマコ)しかありませんでした。あとは家畜にブタがいる程度です。

物々交換をするのにこれ以上最適な社会を探し出すのは難しいでしょう。

しかし、彼らはフェイという代用貨幣(トークン)を使って、現代的な信用取引をしていました。

『21世紀の貨幣論』から引用してみましょう。

「ヤップの島民は魚、ヤシの実、ブタ、ナマコの取引から発生する債権と債務を帳簿につけていった。債権と債務は互いに相殺して決済をする。決済は一回の取引ごと、あるいは1日の終わり、一週間の終わりなどに行われる。決済後に残った差額は繰り越され、取引の相手が望めば、その価値に等しい通貨、つまりフェイを交換して決済される。」

これは実に現代的な信用経済です。

実際、今の日本にもこれと同様のシステムが存在しています。

日本の金融機関が日銀を介して行っている、即時グロス決済と時点ネット決済です。

一回の取引ごとに行われる決済が即時グロス決済、ある時点で行われる相殺決済が時点ネット決済です。

ヤップ島では決済後に残った差額はフェイを交換しますが、これは日本では決済後の銀行間での日銀当座預金の残高の移動に相当します。

また、このフェイの交換というのも、あくまで「所有権の交換」であって「所有の交換」ではなかったそうです。

そのため、既に所有権が移ったフェイが相手に渡されること無く、今までどおり庭に置かれているという状態でした。

実際にフェイを所有する必要はないのです。

そのため、かつて海に沈んだフェイが、現在は誰も見たこともないのにその存在を信じられており、これも財産として数えられていました。

これがフェイが代用貨幣(トークン)である所以です。

「ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。」

と、『21世紀の貨幣論』には記載されています。

人類学者が調べたのは、古代メソポタミアやヤップ島だけではありません。

様々な時期の様々な社会を調べました。

長年の調査の結果に対する人類学者や一部の経済学者の同じようなコメントが、『21世紀の貨幣論』に長々と記載されていますが、その結論部を抜き出します。

「21世紀初めには、実証的証拠に関心を持つ学者の間で、物々交換から貨幣が生まれたという従来の考え方はまちがっているというコンセンサスができあがっていた。経済学の世界ではこれは珍しいことである。人類学者のデビッド・グレーバーは2011年に(引用者注:2011年は『負債論』のこと)次のように冷ややかに説明している。
『そうしたことが起きたという証拠は一つもなく、そうしたことが起きなかったことを示唆する証拠は山ほどある。』」

貨幣は物々交換から生まれたものではありませんでした。

そうすると、貨幣は何から生まれたのでしょう?

言うまでもなく負債と信用の関係から貨幣は生まれたのです。

最後にハイマン・ミンスキー(師はシュンペーターとレオンチェフ、MMTerのランダル・レイは弟子)の言葉でこの記事を締めくくります。

「誰でも貨幣を創造できる。」「問題は、その貨幣を受け入れさせることにある。」

これは「誰でも負債(借用証書)を創造できる」「問題は、その負債(借用証書)を受け入れさせることにある。」と言い換えることができます。

本当に誰でも貨幣(借用証書)を作れるのかというと、企業は手形という借用証書を発行できます。

また、個人でも小切手という借用証書を発行することができます。

『21世紀の貨幣論』には2001年のアルゼンチンでの金融危機で実際に起ったことが記載されています。

政府は銀行システムの流動性を維持するために、銀行預金の引き出しを厳しく制限しました。

お金が突然なくなるという緊急事態において、代替貨幣(トークン)が自然発生的に生まれました。

州や市はもちろん、スーパーマーケットチェーンまでが独自の借用書を発行し始め、借用書はまたたく間に通貨として流通するようになりました。

このように本当に「誰でも貨幣を創造できる」のです。

では「誰でも貨幣を創造できる」のなら、なぜ、国定貨幣がその国内の最大の主流通貨として流通しているのでしょうか?
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12436111979.html

2. 中川隆[-14083] koaQ7Jey 2022年1月24日 10:18:34 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[30] 報告
内生的貨幣供給の功罪
2019年02月26日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html
今回のコラムはMMTを解説する予定でしたが、その前に「内生的貨幣供給論」の解説を行います。

(「内生的貨幣供給論」はMMTの基盤の一つとなっています。)

「内生的貨幣論」はMMTだけでなく、ポスト・ケインジアンの中で広く論じられている理論です。

今回は、内藤敦之「内生的貨幣供給理論の再構築―ポスト・ケインズ派の貨幣・信用アプローチ」から、「内生的貨幣論」を紹介します。

(なおこの本は、L..ランダル・レイの議論の紹介が多く、MMT/現代貨幣論という言葉こそ出ていませんが、表券主義という言葉でJGPを含むレイの現代貨幣論の一部を解説しています。)

「内生的貨幣供給論」とは何か?
簡単に言えば「需要に応じて貨幣が供給されるという考え方を軸に、貨幣経済の姿を描く理論」です。

現代の内生的貨幣供給論には主に3つの派閥があります。

・ホリゾンタリズム(カルドア、ムーアなど)

・ストラクチュラリズム(レイ、ポーリンなど)

・サーキュレイショニスト(ブールヴァ、ラヴォワ、ロションなど)

ここではこの3つの派閥の説明は、議論が細かくなりすぎるため行いません。

なお、現代的な内生的貨幣供給論は、カルドアに始まる、とされています。

「内生的貨幣供給論」と対立する概念に「外生的貨幣供給論」があります。

この両者の違いを見ていきましょう。

そもそも貨幣供給が内生的、外生的とはどういった意味なのでしょう?

貨幣供給が内生的というのは、「銀行と民間という経済の『内部』の貸借で『貨幣(銀行貨幣)が生まれる』」、というものです。反対に貨幣供給が外生的というのは、「銀行と民間という経済の『外部』である中央銀行が『貨幣を生み』、それを銀行と民間の内部に供給する」、というものになります。

「内生的貨幣供給論」vs「外生的貨幣供給論」
内生的貨幣供給、外生的貨幣供給という概念自体は20世紀以前の古典派の時代から存在しています。

銀行学派が内生的貨幣供給を、通貨学派が外生的貨幣供給をそれぞれ主張し、対立していました。


 もう少し詳しく両者の理論を見てみましょう。

 「内生的貨幣供給論」は「銀行の貸出ありき」です。

銀行が民間に貸出を行った結果、預金(マネーストック)が創造されます。そして民間が銀行から借入れた預金を返済すると、預金(マネーストック)は消滅します。

銀行は貸出を行って預金を創造した後、預金額に応じた一定の額を中央銀行の当座預金に預けること(準備預金制度)が義務付けられてます。私の準備預金についてのコラムでも解説した通り、準備預金は貸出の後で銀行が用意すると想定されています。銀行は、保有現金か、インターバンク市場から掻き集めるか、中央銀行に借入れすることで、準備預金を用意します。すなわち、貸出(マネーストック)の増加に応じて、受動的に準備預金(ベースマネー)を用意することになります。このときの準備率やインターバンク市場の金利や借入れの利子率は中央銀行により「外生的」に決定されます。

 なお、「内生的貨幣供給論」は「信用貨幣説」と密接な関係があります。

(「信用貨幣説」については以前のコラムで解説しました。)

信用貨幣論では貨幣供給は内生的となるため、中央銀行は貨幣量を直接操作することは出来ません。

 一方、「外生的貨幣供給論」は、「中央銀行の意志ありき」です。

中央銀行が銀行に、買いオペや貸出などで銀行の準備預金を供給すると、銀行はそれに応じて民間への貸出を拡大できます。そして売りオペや貸出の返済などで準備預金を削減すると、銀行は貸出を縮小します。すなわち、中央銀行がベースマネーの量を制御することによって、マネーストックの量をも制御できるという理論です。(もっと簡単に言えばベースマネーの量とマネーストックの量は比例するため、ベースマネーの量を制御することでベースマネーの量を決めることができる。)

 なお、「外生的貨幣供給論」は「商品貨幣説」と密接な関係があります。

(貨幣の供給が商品と同様に、供給者が外生的に制御可能と考えるためです。)

なぜ量的緩和(QE)は目標達成できなかったか?
これは内生的貨幣供給論から簡単にわかるでしょう。

内生的貨幣供給論によれば、中央銀行は貨幣(マネーストック)の量を直接制御できないからです。

日本で量的緩和が行われる以前、マネーストックを巡って、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀職員との間で論争が有りました、

翁邦雄らの理論は日銀理論と呼ばれるもので、これは「日銀はマネーストックの量を制御できない」という「内生的貨幣供給論」と同様の理論と言えます。

「内生的貨幣供給論」は、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」という比喩で表現されることもあります。

内生的貨幣供給の功罪
 内生的貨幣供給のもとでは、銀行はアニマル・スピリッツを発揮し、企業に融資を行います。

企業側からみると、企業はアニマル・スピリッツを発揮して投資を決意、投資計画を作成した上で、銀行へ借入れを申し込みます。この投資計画では、銀行貸出の利子率を上回る利潤を獲得することが必要になります。

 こうして銀行から貸出を受けて始めて、貨幣が銀行貨幣(銀行預金)として創造されます。

企業は投資計画に従って投資し、生産を拡大していきます。

こうしたアニマル・スピリッツの発揮による預金の創造と投資・生産の拡大は、資本主義が爆発的に発展した理由のひとつとして挙げられています。

これが内生的貨幣供給の「功」の部分になります。

 内生的貨幣供給の「罪」の部分は、金融が不安定になることです。

経済が調子の良いとき、銀行はリスクを過小に見積もり貸出することがあります。(マネーストック増加)

ここで何らかのショックが起きたとき、そのリスクは拡大します。

それに反応して投資家らが資産を売却し、資産の価値が暴落していきます。

そうなると、投資家や銀行が債務超過になり、破綻に追い込まれてしまいます。

これがいわゆる金融危機であり、ハイマン・ミンスキーの唱えた「金融不安定仮説」です。

(金融危機を説明するハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」はストラクチュラリズムに大きな影響を与えています。)

 こうした金融危機に対して、銀行の預金準備率を100%にすることで銀行の貸出を抑制して金融危機を防ぐ、「ナローバンク構想」が持ち出されています。

しかし、これは先に述べた、企業と銀行のアニマルスピリッツの発揮を抑制するものです。

資本主義の成長も抑制されることになるでしょう。

内生的貨幣供給と国債発行
 最後に、「内生的貨幣供給論」と国債発行の関係の解説をしたいと思います。

ここでは、建部正義「国債問題と内生的貨幣供給理論」の議論を紹介します。
(なお、ここで議論する国債はすべて自国通貨建ての国債になります。)

政府が新規国債を発行して財政支出を行う場合、次のステップを踏むことになります。

@銀行が新規国債を購入すると、銀行保有の日銀当座預金が、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
A政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
B企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
C 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に,代金の取立を日本銀行に依頼する
D この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる

この後、銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび政府の新規国債を購入することができます。
このループを図にしたものが下図になります。(中野剛志氏が作成した図になります。)


一般通念とは逆に、銀行は民間からの預金で国債を購入するわけではありません。銀行は政府の発行した国債を購入することで、預金が生み出されます。「預金を資金源として国債発行する」のではなく「国債発行で預金が生まれる」のです。

 それ故、「内生的貨幣供給論」の立場では国債発行量に資金的限界はありません。
政府は財源を気にせず国債を発行でき、銀行はいくらでもそれを購入することができるのです。
(実際には国債発行を大量に行うと、需要と供給の関係が崩れインフレ率が向上していきます。)
このことは今の日本のようなデフレ経済にとって大きな利点と言えるでしょう。

以上で「内生的貨幣供給論」の解説を終わります。

https://ameblo.jp/sorata31/entry-12442794398.html

3. 2022年1月24日 10:20:54 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[31] 報告
日本の準備預金制度について
2019年01月18日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html

このブログは誤解されがちな思想を解説するブログになります。

記念すべき初回の記事は、某所で話題?になっている準備預金制度の解説となります。

============================================================================

準備預金制度は、一般的に、銀行が預金者の引出しに応じるため中央銀行(日本では日銀)にお金を預けておく制度と理解されています。

が、しかし、日本の準備預金制度の詳細は、ほとんど解説されることがないため、あまり知られていません。

日本銀行や市中銀行に関する書籍でも、数行触れられていればラッキーという有様です。

そこで今回は、あまり知られていない日本の準備預金制度の解説をします。

日本における準備預金制度は、1957年に「準備預金制度に関する法律」という法律で施行されました。

以下のサイトに法律原文が記載されていますが、書かれていることが難しく、一般人にはイマイチわかりません。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=332AC0000000135&openerCode=1

日本銀行も解りにくいと思ったのか、この法律の解説記事を出しています。

http://www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa195706i.pdf

今回の解説は、この日銀の解説記事の要点を掻い摘む形で、日本の準備預金制度を紹介していきます。

@法律の目的
準備預金制度は各国で施行されていますが、その目的は大きく2つあります。

『預金者保護』と『通貨調節手段』です。

『預金者保護』というのは、預金者の引出しに応じるための支払準備金を中央銀行に強制的に預け入れさせる、というものです。

もう一方の『通貨調節手段』は、後述する「準備率」を上下させることで、銀行の信用創造機能を通して、市場での資金需給を調整する、というものです。

準備預金制度は歴史的には『預金者保護』として生まれましたが、

諸外国では『通貨調節手段』として準備預金制度を設けている国が多く、

『預金者保護』と『通貨調節手段』の両方を目的としている国も存在するようです。

日本ではどうかというと、準備預金制度を『通貨調節手段』を目的として整備しました。

『預金者保護』が目的ではないのです。
実際、法律の目的が記されている第1条にも「通貨調節手段としての準備預金制度」と記載されています。
そのため、制度の名前も、『預金者保護』を意味する「支払準備制度」という名前を避け、「準備預金制度」という名前になっています。

ただし、現在は、日本含め世界各国で『通貨調節手段』の意味合いは薄くなっています。

短期金融市場を通して通貨調節をするようになっていったためです。

A日銀当座預金
中央銀行の当座預金口座とは、市中銀行などの金融機関や政府が日本銀行に開設が義務付けられている口座のことです。

当座預金なので基本的には無利子になります。

銀行が日銀当座預金口座から引き出すと、同額の現金、つまり日本銀行券が銀行に供給されます。

この日本銀行券の供給は、発券とも言われています。

これは日本銀行券は、日銀の外に出ることで初めて、紙幣に記載されている額の価値を持つからです。日銀の中にいる間は、日本銀行券は価値を持ちません。複雑な偽造防止処理を施されたただの紙切れです。

ちなみに、日銀当座預金と日本銀行券を合わせて「ベースマネー」と呼ばれています。


さて、この日銀当座預金には3つの役割があるとされています。
  (1)金融機関が他の金融機関・日本銀行・国と取引を行う際の「決済手段」
  (2)金融機関が個人や企業などの顧客に支払う現金通貨の「支払準備」
  (3)準備預金制度の対象となっている金融機関の「準備預金」

準備預金制度は、(3)の市中銀行などの特定の金融機関が日銀当座預金へ一定金額預ければならない制度、ということになります。

この一定金額、つまり日銀に預け入れる最低金額のことを、「法定準備預金額」「所要準備額」と呼び、実際に預け入れている金額を「準備預金」と呼びます。

B準備率
市中銀行等の金融機関が預金額の「一定比率」以上の金額を日銀当座預金に預け入れるというのが準備預金制度ですが、この比率が「準備率」「法定準備率」「預金準備率」です。

この法律において、準備率の最高限度は10%であり、これを越えることはできないとされています。

その一方で、準備率の最低限度は定められていません。先述したように、準備率の最低限度は『預金者保護』の意味を持つものと考えられるものだからです。

現在の準備率は1991年に設定されたもので、0.05%〜1.3%となります。

(金融機関の種類や預金等の種類によって数値が変わります。

定期預金など安定的な預金に対しては数値が低く設定されています。)

具体的な数値は日銀のHPに記載されています。

https://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/reservereq/junbi.htm/

C準備預金の二つの期問

さて、準備預金の金額はどのように計算されているのでしょう。

実は、準備預金を計算するには二つの計算期問があります。

1つ目の計算期間は、準備預金額を計算する期間です。

ある月(仮に1月とします)の毎日の終業時における預金残高に、その時の準備率をかけた額の合計をその月の日数で割ります。つまり、毎日の預金残高×準備率の平均です。

2つ目の計算期間は、預け金額の計算期間、つまり、1つ目の計算で得られた金額を維持しなければならない期間です。

この期間は当月(1月)の16日から1ヶ月間(2月15日)とされています。

ただし、毎日この準備金を厳格に維持する必要はなく、16日からの1か月間の平均額として充たされていれば良い、とされています。

上述の説明は日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。

D預け金の額が不足した場合の措置
市中銀行が預け金額を維持できなくても、即座に法律違反になるわけではありません。

ちゃんと救済措置が用意されています。

この場合、市中銀行は、不足額に対し一定比率をかけた金額を期日(3月15日)までに日銀に納めればよいのです。日銀はこの金額を期日(4月15日)までに納めます。

これまた、日銀の紹介記事に解りやすい図があるので、下図にこれを掲載します。

まとめ
3行でまとめます。

・日本の準備預金制度は『預金者保護』ではなく『通貨調節手段』。

・銀行は預金額に準備率(現在は1%前後)をかけた金額を、後日の指定された期日の間(その月の半月後から1ヶ月間)、日銀当座預金に預けなければならない。

・たとえ準備金が維持できなくても、救済措置が用意されている。

これで日本の準備預金制度の解説は以上になります。

読者様にとって、少しでもためになる知識になれば幸いです。

(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12433564528.html

4. 中川隆[-14081] koaQ7Jey 2022年1月24日 11:21:05 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[35] 報告
「租税貨幣論」概論
2019年02月12日
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html

今回のコラムは「租税貨幣論」と「債務ヒエラルキー」の解説になります。

前回の「貨幣負債論(信用貨幣論)」と同様、「進撃の庶民」様のコメント欄における論争で「貨幣負債論」「租税貨幣論」「MMT」の特徴解説を依頼されたことが今回のコラムの発端となります。

それでは、前回に引き続く第二弾、「租税貨幣論」(とおまけで「債務ヒエラルキー」)を、MMTの入門書である、L.ランダル・レイの「現代貨幣論」から紹介します。

「租税貨幣論」とは、税の存在こそが国定通貨を流通させるという理論です。

一般的には、税金には4つの機能があるとされています。

@公共サービスの費用調達機能

A所得の再分配機能

B経済への阻害効果

C景気の調整機能

今回はこのどれにも触れません。

(次回のMMTの解説では、このうちのいくつかについて触れることになります。)

つまり一般的に言われている税の機能以外にも、税には特別な機能がある、というのが「租税貨幣論」の主張になります。

不換通貨の流通
人類は、歴史を遡ると、金、銀、銅といった貴金属を通貨にしていました。

数十年前までの金本位制の時代には、貴金属ではなく紙幣を通貨にしていましたが、その通貨には「ゴールド」という貴金属の裏付けがありました。

その時代の通貨は、「貴金属」という人類史上その価値が高水準で推移してきた「モノ」に交換することが出来ました。

また現在でも「ドルペッグ」といった、特定の通貨に固定(裏付け)された通貨があります。

しかし、日本を含む先進国の通貨は、このような裏付けのない「不換通貨」が主流です。

しかも、「不換通貨」には貴金属のような内在的な価値はありません。

しかし現実に、貴金属による裏付けも内在的価値もない「不換通貨」で商取引が行われています。

コンビニやスーパーでの買い物も「不換通貨」で支払うことが一般的です。

最近ではキャッシュレスで「紙幣」や「硬貨」を使う人々が少なくなりつつありますが、このようなキャッシュレスも「不換通貨」に裏付けられています。(Tポイントなどの通貨での支払いについては後述します。)

なぜ裏付けのない通貨が流通するのでしょう?
この疑問に対する一つの回答として、「法律で決まっているから」というものがあります。

しかし、歴史的には、法律で通貨の種類を決めても、民間においてその通貨での支払いを拒否されることはもちろん、政府への支払いを拒否する例があったそうです。

これでは、「法律で決まっているから」、というのは回答になりそうにありません。

もう一つの回答として、「信頼」- 誰かしらがそれを受け取るという期待 - があります。

あなたは、他の人がその通貨を受け入れるだろうということを知っているので、あなたはあなたの国の通貨を受け入れるだろうという理屈です。

しかしこれは、哲学で言うところの無限後退にあたります。

確かに、通貨の流通は確かに「信頼」で成り立っている部分があります。

しかし、それだけでは、裏付けのない通貨がその国の主流の通貨として流通しているという現状を十分に説明できません。

それでは一体何が主流の通貨となる決め手なのでしょう?

税が貨幣を駆動する
「税金その他の政府への支払い義務」
以下では簡単のために、政府と呼ぶときは、特別な断りがない限り、統合政府のことを指します。

政府は、「どの通貨で、納税およびその他の政府への支払いができるのか」を決めることが出来ます。

その他の政府への支払いというのは、罰金や手数料といったものを指します。

ここで政府は、政府自身が発行する通貨(「日本銀行券」や「日銀当座預金」、「硬貨」など)を「納税に使用できる通貨」に指定できます。

このような通貨を、以下では「国定納税通貨」と呼ぶことにします。

なお、「国定納税通貨」は私の造語です。(レイ「現代貨幣理論」に適当な言葉がなかったためです。)

税金の未払いには罰則があります。

政府がこの罰則を確実に執行する力を持っていれば、

民間はこの罰則を回避するために、指定された通貨を取得して納税に使う必要があります。

つまり、政府は納税義務を民間に課すことができ、義務の不履行に対する罰を執行できる能力を持っていれば、民間の納税通貨に対する需要が確実になります。
言い換えると、民間には納税義務があるので、「国定納税通貨」に対する貨幣需要が生まれるのです。

納税は税務署でもできますが、大半の納税は銀行経由で行われています。

納税者の預金口座から納税額分の預金額が引かれると同時に、銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金へ納税額分の準備預金が移動します。

このとき銀行の純金融資産は変化しません。

(銀行の負債となる銀行預金と資産となる日銀当座預金で相殺されます。)

銀行は、納税者と政府の仲介者となるわけです。

納税者は納税に使ったっ通貨、つまり国定通貨を他の目的に使用することが出来ます。

政府硬貨や日本銀行券を使って、国内で買い物をすることが出来ますし、住宅ローンなどの民間債務の支払いに充てることも出来ます。

民間企業同士の取引に使うことも出来ます。

使用せずに貯金しておくことも可能です。

ですが、国定通貨のこのような使用法はあくまで派生的なもので、本来は政府への納税のためでした。

民間から政府への納税に先立って、政府は国定納税通貨を民間に供給する必要があります。

先に民間に供給しておかなければ、民間は国定納税通貨を取得できないからです。

国定納税通貨の供給手段には、政府支出や買いオペなどがあります。

政府は税金その他の政府への支払いが、政府自身が発行した通貨で行われる場合、この通貨での支払いを拒むことは出来ません。

自身で発行した借用書に対して対価(納税などの支払い義務の解除)を支払えないということは、デフォルトになってしまうからです。

これは民間からすると、国定納税通貨は政府への支払いとして確実に受領される通貨として保証されることになります。

このことが、民間が国定納税通貨を保有し流通する最大の動機になります。

このように、通貨に確実な使い途があることを、MMTでは通貨の「最終需要」と呼びます。

後述しますが、「最終需要」はどの通貨にも存在し、通貨ごとにその中身は異なります。

国定納税通貨には、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるが故に、その国の主流の通貨として流通するのです。

以上が「租税貨幣論」の概論になります。

おまけとして、「租税貨幣論」と関係が深い「債務ピラミッド」という考え方にも簡単に触れておきます。

「債務ピラミッド」には現状いろんな表現(「債務ヒエラルキー」「決済ヒエラルキー」など)がありますが、これらは全て同一の概念です。

前回のコラムでも最後に触れましたが

レイの師であるハイマン・ミンスキーは「誰でもお金は発行できる」「問題は受け入れられるかどうかだ」と言いました。

前回のコラムで説明した通り、通貨とは負債であり、負債とは数値化した義務です。

そして義務は、きっかけさえあれば、誰もが他人に負わせることが出来ます。

しかし債務者はその義務を無視することが可能です。

したがって、債務者にとってその義務を履行するメリットや、その義務を無視したときのデメリットがあれば、債務者がその義務を履行する動機になります。

「租税貨幣論」では納税しなかった時の罰が、債務者が納税義務を履行する動機になりました。

義務を履行するメリットや義務を無視したときのデメリットが、その通貨の「最終需要」となります。

通貨には色々な種類がありますが、その通貨が流通するか(通貨の受け入れやすさ)は「最終需要」によって決まります。

これはヒエラルキー構造を成しており、これを説明するのが「債務ピラミッド」になります。

「債務ピラミッド」の構成
「債務ピラミッド」は以下のような構成でなりたっています。

頂点には統合政府が発行する通貨(「日本銀行券」「日銀当座預金」等)があります。(政府のIOU)

頂点から二番目には銀行通貨(銀行預金など)が位置します。(銀行のIOU)

三番目には銀行以外の金融機関の発行する通貨、負債。(金融機関のIOU)

そしてその下に、会社等が発行する手形などが位置します。(会社のIOU)

底辺は個人が発行する借用書です。(個人のIOU)

統合政府が発行する通貨がピラミッドの頂点にあるのは、前述した通り、「租税」という「強制力を伴った」確実な「最終需要」があるためです。

その国の殆どの場所で決済できるので、その国の主流の通貨としてとして流通します。

対して、底辺の個人が発行する借用書は確実な「最終需要」が殆どないため、通貨としてはとても狭い範囲でしか流通しません。

「債務ピラミッド」には、下位の負債を上位の通貨で必ず決済できるという特徴があります。

まず、銀行による貸付は「日本銀行券」で決済することが出来ます。

銀行以外の金融機関の負債は「日本銀行券」や「銀行通貨」で決済することが出来ます。

手形も「日本銀行券」や「銀行通貨」、銀行以外の金融機関が発行する通貨で決済することが出来ます。

とは言え、ピラミッドの低い位置の負債への決済は、普通、銀行のIOUを使用します。

そして銀行は、政府のIOU(日銀当座預金)を使用して、自分のIOUを精算します。

ここでも銀行は、債務者と債権者の仲介者となるわけです。

もちろん銀行の純金融資産は変化しません。

その逆、上位の負債を下位の通貨で決済すること、は納税の例のように可能ではありますが、以下で示すように必ず決済できるとは保証できません。

Tポイントのようなポイントや電子マネー、暗号通貨も債務ピラミッドのどこかに位置します。

どこに位置するかはその通貨の信用度、言い換えると「最終需要」の確実さによって決まります。

例えば暗号通貨は、どこかの国の債務ピラミッド上位の通貨に交換できるだろうという「信頼」が「最終需要」となるため、ピラミッドの比較的低い位置になります。

上位ヒエラルキーの通貨に交換できるという「信頼」がなくなると、その暗号通貨の価値は暴落します。

したがって、現状の暗号通貨が主流の通貨に取って代わるということは有り得ません。

(暗号通貨に現状以上の「最終需要」が与えられると話は変わってきます。)

最後の個人が発行する借用書ですが、「現代貨幣論」では思考実験として「家族通貨」という通貨を考察しています。

親が子供に家の仕事をさせることで、子供に家族通貨を支払います。

ここで親は子供に納税義務を課します。家族通貨を子供から徴収するのです。

もし納税されなかった場合に罰を与えるとすると、子供は一生懸命働くでしょう。

これは政府と民間の関係と同じであることがわかります。

以上が「債務ピラミッド」の概要です。

次回は、本丸「MMT」とは何ぞや?の解説になります。

追記
「租税貨幣論」で注意すべきことがいくつかあります。

まず、「増税すると経済が拡大する」と言う理論ではないことです。

「租税貨幣論」はあくまで、納税の機能がしっかり働いていれば貨幣が流通する、という話です。

課税額の大小の話ではないのです。

また、「納税の機能がしっかり働かない場合はどうなるの」という疑問が出てくるかと思います。

発展途上国では、脱税や納税回避が横行しており、納税の機能がしっかり働いていません。
ギリシャもその典型です。
そうなると、「高い財政赤字の割に高インフレを招く」ことになります。
通貨が政府に回収されないと生産物の供給量以上に民間に通貨がダブつき、高インフレになります。

現在の日本とは真逆の状態です。

高インフレの状態では、公共事業や防衛装備などの購入はさらなるインフレの上昇を招き、結果として、財政出動による経済発展は困難になります。

このことをMMTでは「国内政策空間」の余地が減少する、と言います。

納税の機能がしっかり働かないと、経済成長を目指す政府にとっては「八方塞がり」になります。

(了)
https://ameblo.jp/sorata31/entry-12439405717.html

5. 中川隆[-14059] koaQ7Jey 2022年1月26日 22:24:49 : zDYW3YfhCs : Y05rUzEwcDhXM3M=[13] 報告
これは凄い! 大学入学共通テストで「完璧」な信用創造の問題が出た![三橋TV第500回]三橋貴明・saya
2022/01/26

6. 中川隆[-12634] koaQ7Jey 2023年4月21日 06:28:56 : 7fOrfQmazI : ZlF2UEVsOUo5NHc=[2] 報告
MMT派の信用創造理解:その貢献と限界
February 8, 2022
https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3919

筆者は、1月18日に自民党の財政政策検討本部[1]の会合に出席し、信用創造の仕組みについて報告した。MMT(現代貨幣理論)に近い参加者が多いとされる同本部で、3年前に執筆したレポートで筆者が「通説よりも実態に即したもの」と評した[2]MMT派の信用創造論について解説したことになる。筆者の基本的な理解は3年前から変わっていないが、今回はバランスシート(以下、B/S)を図式化したTバランスを使って説明したので、ずっと理解し易いものになったと思う。なお、この会合では、必ずしもMMT派の主張ではないが、日本国内に拡がっている「日銀が国債を買入れれば、国債の償還負担はなくなる」という誤解を正す説明も行なった。こちらもTバランスを使うことで明快に説明できるからである。以下では、この時の筆者の説明について、解説を加えながら紹介し、読者の理解に資することとしたい。

・信用創造の理解:貸出の場合
・信用創造の理解:国債購入の場合
・日銀による国債買いオペの場合
信用創造の理解:貸出の場合
まず、信用創造がどのように行なわれるかだが、普通は預金ないし現金(マネタリーベース)を元手に銀行が貸出を実行することで信用創造がスタートすると考えられている。しかし実際には、MMTが主張するように、「銀行が貸出を実行すると、直ちに同額の預金が生れる」のであり、事前に預金や現金を用意することは必要でない。一般の人には不思議に思われるかも知れないが、銀行員なら貸出とは「借り手の預金口座に貸出額に等しい預金を書き込む」ことに他ならないことを知っている筈だ。この時、銀行のB/Sがどう変化するかと言うと、資産サイドで貸出が、負債サイドでは預金が同額増加しており、B/Sの左右は事前にも事後にもバランスしていることが分かる(図表1)。一方、銀行が原資としての預金や現金を必要とするのは、貸出先の企業が支出を行なうと預金が自行から他行へ流出するからである。その場合の不足資金は通常、市場(日本ではコール市場、米国ではFF市場等)で調達される。これは、MMT派の源流とされるハイマン・ミンスキーが「銀行は、まず現金を手に入れてそれを財源にする貸手ではない。まず貸出を実行して、その後の預金の流出分を賄うため、現金を手に入れるのである」と述べている通りだ[3]。こう考えると、MMT派の信用創造論は従来「信用貨幣論」、「内生的貨幣供給論」などと呼ばれてきたが、「与信先行論」と捉えるのが適切ではないか(この場合、従来の通説は「現金先行論」となる)。

(図表1)信用創造:貸出の場合

出所)筆者作成。以下同

一方、MMTの限界は、3年前のレポートでも指摘した通り、会計論(簿記)に終始していて価格(金利)や均衡の概念を欠くため、どれだけの貸出が実行されるか決定できない点にある。MMT派はしばしば「貸出はどれだけでも行える」などと主張するが、営利企業である銀行が際限なく貸出を実行することはあり得ない。貸出には預金コストのほか、審査費用や貸倒れなどに伴う与信費用が掛かる。これらの費用負担は貸出額が大きいほど重くなるので、限界費用曲線は右上がりになるだろう。そうすると、初級のミクロ経済学で習うように、貸出金利=貸出の限界費用となる点で銀行の利潤は最大となるから、その点で貸出量が決まるのである(図表2・左)。

(図表2)金利と貸出量の決定

この点を理解すると、金融政策が貸出量に影響を与える仕組みも分かる。日銀が短期市場金利を引上げれば、貸出の限界費用曲線が上にシフトするため、貸出量は減少する(図表2・右)。この図では貸出市場を完全競争と見做して貸出金利を水平としたが、貸出市場が不完全競争なら貸出金利は右下がりになるので[4]、短期市場金利が上昇すると、貸出金利が上昇して、貸出量は減少するだろう。

このように、MMT派の信用創造論は銀行貸出の実態を捉えており、MMTが与信先行の信用創造論を再興した意義は大きいと考えられる。しかし、金融界では以前から教科書流の信用創造ではなく、与信先行の方が常識だった。融資の実務に携わる人から見れば、貸出実行に現金が要らないのは当たり前だからだ。実際、筆者が日銀入行後に最初に習ったのも、与信先行の考え方だった[5]。ただし、筆者らは上述の貸出金利・貸出量の決定理論と組み合わせる形で、貸出市場を理解していた[6]。

ここで、この与信先行論と通説である現金先行論の対立が「異次元緩和」の評価とも大きく関係していることを指摘すべきだろう。1990年代前半には、上智大学教授(当時)の岩田規久男氏と日銀調査統計局課長(当時)の翁邦夫氏の間で岩田・翁論争[7]が戦われたが、その根底にあったのもこの違いだった。翁氏が当時のマネーストック減少の原因を「不動産バブル崩壊に伴う銀行貸出の減少」に求めたのに対し、岩田氏は「日銀がマネタリーベースを増やせば、マネーストックは幾らでも増やせる」と主張したのだった。この岩田氏の主張が、後に日銀副総裁に就任して「マネタリーベ−スを大幅に増やせば、短期間に2%インフレを達成できる」とした「異次元緩和」の考え方に繋がっていくことは見易い。しかしこの時も、筆者を含めて日銀OBの多数派は「異次元緩和」に懐疑的だったし、金融界の実務家の間でも「そんなことをしてもブタ積みが増えるだけで、貸出は増えない」という見方が多かったと記憶している。

さらにもう一点、全ての経済学者が教科書的な信用創造論を信奉していた訳ではないことも指摘しておきたい。金融実務をよく知る学者には、与信先行の理解が存在していたのである。その代表が故・池尾和人教授だ。教授は、著書の中で、「まず与信ありき。貸出とは、貸出額に相当する金額を預金口座に記入することに過ぎない。したがって、紙とインクさえあれば、銀行はいくらでも貸出を実行できる」と述べている。典型的な与信先行論であり、これは同教授が異次元緩和の実効性に懐疑的であったことと、完全に符合する[8]。

信用創造の理解:国債購入の場合
次に、銀行が国債を購入する場合を考えてみよう(図表3)。この時、銀行が国債を購入した段階では、@銀行の資産サイドで国債が増える一方、支払いに使った日銀当座預金が同額減少するため、家計や企業からの預金に変化はなく、信用創造は発生しない。しかし、政府が国債発行で調達した資金を使うと、Aその代金は家計や企業の預金の流入するため、(銀行部門全体としては)同額の日銀当座預金が増える。この2段階を通じてみると、銀行のB/Sの資産サイドでは国債保有が増加し、負債サイドでは家計や企業の預金が増加するという形で、貸出の場合と同様に信用創造が行なわれることになる。

(図表3)信用創造:国債購入の場合

しかし、Tバランスだけでは銀行がどれだけ国債を購入するか決定できないのは貸出の場合と同じである。銀行の国債購入量は、国債金利と機会費用(短期金利の予想平均)+リスク・プレミアムの比較で決まる。もう少し詳しく言うと、銀行が求める10年国債の利回りは、今後10年間の短期金利の予想される平均値に資金を固定することに伴うリスク・プレミアムを加えたものになる。リスク・プレミアムは国債購入量が増えるほど大きくなるので、国債利回り=短期金利予想+リスク・プレミアムの所で国債購入量が決まる(図表4・左)。

(図表4)国債購入量の決定

以上では、個々の銀行の国債購入を考え、国債需要曲線と国債金利の交点で国債購入額を求めたが、代わりに市場全体の国債需要曲線と垂直の国債供給の交点で、国債金利が決まると考えることもできる。国債需要曲線は右上がりだから[9]、MMT流の信用創造の見方に立っても、国債の供給が増えれば国債金利は上昇する。また、金融政策の影響を考えると、日銀が短期金利を引上げたり、将来の短期金利上昇の予想を示したりすると、国債需要曲線が上にシフトするため、国債金利は上昇する(図表4・右)。

このように、金融政策は(ゼロ金利の場合を除き)貸出市場にも国債市場にも大きな影響を与え得る。近年、金利のゼロ制約もあって金融政策が限界に直面する中、MMT以外の主流派経済学者も財政政策の重要性を強調するようになってきている。ただ、MMT派との大きな違いは、インフレ時には(増税ではなく)金融引き締めを行なうべきだと考えている点にある[10]。ここで注意すべきは、これらの違いは信用創造のメカニズムをどう捉えるか(現金先行vs与信先行)ではなく、価格(金利)や均衡の概念を明示的に考えているか否かによるという点である。

日銀による国債買いオペの場合
次に、日銀が国債買いオペを行なう場合を考えてみよう。国債買いオペは、証券会社などを通じて事業会社が保有する国債を買入れることもあり得るが、日本では国債の大半が金融機関に保有されているため、日銀が銀行から保有国債を買入れるケースを想定しよう。その場合、結論から言えば、買いオペによって直ちに信用創造が起こることはない。と言うのも、国債買いオペで生じるB/Sの変化は、@民間銀行の資産側で国債が減って、日銀当座預金が増えることと、A日銀の国債保有と当座預金受け入れが同額増えること、の2つだけである(図表5)。家計や企業の預金が増えることはない=信用創造は起こらないということである。

(図表5)日銀の国債買いオペの場合

もちろん、近年の量的緩和政策(日銀の「異次元緩和」を含む)のように、国債買いオペが極めて大規模となり、銀行部門全体が保有する国債のストックが大きく変化するような場合は、前述のメカニズムを通じて国債金利=長期金利が低下する。そうなると、長期金利の低下が銀行の貸出意欲を刺激して、2次的に貸出が増加して信用創造が行なわれることも考えられる。ただ、これはかなり複雑なプロセスであり、簡単なTバランスで分析できるものではない。

最後に、B/S分析の応用として、「日銀が国債を買い入れれば、政府+日銀の統合B/Sから国債が消えるので、国債の償還負担は無くなる」という誤解について一言したい。これは全くのトンデモ話であり、金融市場分析を専門とするエコノミスト、アナリストにはすぐ誤りが分かるが、そうでない一般の人には(後述の理由から)大変分かりにくい誤解である。このため、経済人やマスコミ関係者と話をすると、予想以上に多くの人が惑わされていると感じる(実際には、「そんな筈はない」と思いつつ、どこが間違っているのかよく分からず、困っている人が多い)。しかし、統合B/Sをきちんと理解すれば、正しく理解できるので、少し詳しく説明しよう(以下、図表6 を参照)。

(図表6)日銀の国債買いオペと政府+日銀統合B/S


日銀が国債買いオペを行った時、政府+日銀の統合B/Sがどう変わるかと言うと、資産サイドに変化はないから、負債サイドで国債だけが消えるということはあり得ない。実際に負債サイドで起こるのは、国債の減少と同額の日銀当座預金が増えるということである。ここまでは極めてシンプルだが、問題は「日銀当座預金とはどういうものか」理解している人が極めて少ない点にある。

まず、銀行員なら殆ど誰もが「貸出とは何か」知っているが、日銀当座預金について実感を持って理解しているのは、ごく少数の資金セクションの経験者だけだろう。しかも困ったことに、(日銀に限らず)中央銀行当座預金の性質は10年余り前に一変してしまったのだ。以前は、中央銀行当座預金の大部分は法定準備預金であって、これには銀行券と同様に利子は付されていなかった。ところが、リーマン・ショック後の量的緩和を実行するため、FRB(連邦準備制度理事会)が法定準備を上回る当座預金に短期市場金利を付けるようになり、これに各国が従ったため、性質が変化したのだ。実際、現在の日銀当座預金の総額は約500兆円だが、そのうち法定準備預金は約12兆円に過ぎない[11]。ところが、金融論の教科書で中央銀行当座預金に触れる場合は、その殆どが当座預金=無利子を前提に書かれており、現実とは乖離してしまっているのである。

しかし、統合政府の観点からみれば、日銀当座預金の経済的性質を理解するのは難しくない。統合政府の短期債務で短期市場金利が付されるのだから、それは短期国債に他ならないということである。つまり、日銀の国債買いオペで起こるのは、統合政府の債務が長期国債から短期国債に置き換わるということであり、国債の償還負担が無くなる訳ではない。むしろ、以下の2点に注意が必要になる。まず第1に、現状はゼロ金利ないしマイナス金利だから日銀当座預金への付利を気にする必要はない[12]が、金利がプラスに転じれば、統合政府に利子負担が生じるということである。実際、米国ではFRBが近く利上げを行うと予想されているが、具体的には当座預金に付される金利を引き上げることで利上げが行われるのである。第2に、日銀オペによって統合政府の債務構成は短期化していることである。政府は30年債、40年債といった超長期債の発行を増やしており、それらの金利負担は市場金利が上昇を始めても暫くは増えない筈である。しかし、現実には日銀がその一部を短期国債に置き換えてしまっているため、統合政府でみると早めに金利負担が増えることになる。これは、35年固定の住宅ローンを変動金利に乗り換えるようなものであり、今のような超低金利局面では、政府債務を金利上昇に対して脆弱なものにすることを意味する。

[1] 自民党には現在、財政政策に関して「財政健全化推進本部」と「財政政策検討本部」の2つの本部があるが、後者はMMT論者の西田昌司参院議員が本部長(最高顧問は安倍晋三元首相)を務め、積極財政派が多いとされる組織である。

[2] MMT(現代貨幣理論):その読解と批判 : 富士通総研 (fujitsu.com)。ただし、当時も今も「インフレにならない限り、財政赤字には問題はない」、「インフレになったら、税金を増やせば良い」といったMMTの主張には賛成できない。

[3] ランダル・レイ『ミンスキーと「不安定性」の経済学:MMTの源流へ』、2021年、白水社から引用。ミンスキーの著書には『ケインズ理論とは何か』、2017年、岩波書店などがある。

[4] 貸出市場には地域的な分断があり、かつ銀行と企業の間の顧客関係も存在するため、不完全競争と考えるのが自然である。

[5] 筆者が習ったのは、後に日銀考査局長、ちばぎん総研社長などを務めた横山昭雄氏の著書『現代の金融構造』、1977年、日本経済新聞社だった。同氏は、その後同様の考え方を 『真説:経済・金融の仕組み』、2015年、日本評論社でも示している。

[6] 図表2の原型は、後に日銀金融研究所長、同理事、野村総研理事長などを務めた鈴木淑夫氏が『金融政策の効果:銀行行動の理論と計測』、1966年、東洋経済新報社で示したものである。

[7] 岩田規久男『金融政策の経済学:「日銀理論」の検証』、1993年、日本経済新聞社。翁邦夫『金融政策:中央銀行の視点と選択』、1993年、東洋経済新報社。

[8] 前者は『現代の金融入門(新版)』、2010年、ちくま新書からの引用であり、同氏の「異次元緩和」への懐疑論は『連続講義:デフレと金融政策』、2013年、日経BP社に示されている。

[9] 正確には、所与の価格でどれだけの数量を需要するかを示す需要曲線ではなく、所与の数量に対しどれだけの価格を求めるかを示す逆需要曲線である。

[10] 主流派経済学者の低金利下での財政政策の考え方については、ブランシャールの説明が最も広く受け入れられている。Olivier Blanchard,“Public Debt and Low Interest Rates”, 2019, American Economic Review、―,“The Mayekawa Lecture: Fiscal Policy under Low Interest Rates”, 2021, Monetary and Economic Studiesを参照。

[11] 中央銀行が当座預金(したがってマネタリーベース)の規模を大幅に拡大できたのは、超過準備への付利を行った結果である。こう考えると、安易に使われる「お札を刷る」といった表現にも注意が必要である。銀行券に付利が行われない限り、莫大なお札を刷っても、それが国民に受け入れられるとは限らないからだ。つまり、お札を刷って数百兆円の国債を買い入れることはできない。

[12] 2016年のマイナス金利政策導入後、現実の日銀当座預金にはマイナス、ゼロ、プラス金利と複雑な階層構造が設けられているが、これらの詳細はここでの議論の本質に関係しない。

https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3919

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