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アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 3 月 23 日 07:16:40: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史


今こそ合州国の正体直視を  本多勝一 週間金曜日 2003年 3月14日号「風速計」

この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。

 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。

 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。

 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。

米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。


合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。

戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。

これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451


ウンデッドニー以来…… (本多勝一)

 アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。

 合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである(注1)。合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。

 ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する(注2)。

 息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。

 その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。

 朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。

 ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。

 ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」


<注1>たとえばラス=カサスの『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(石原保徳訳・現代企画室)などに詳しい。

<注2>詳細は拙著『アメリカ合州国』(著作集12巻=朝日新聞社)収録の「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」参照。

<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386

▲△▽▼


回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達

アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。

◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。

演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」


神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。

人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。


◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。


現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。


このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。

彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html

キリスト教原理主義

キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。

プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。

英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。

また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。

もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。


ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。

自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。

「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。

一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。

聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。

旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。


まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。

聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。

第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。

人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。


米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。

なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。

恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。

世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。

戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。

例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。

潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。


エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。

信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。

潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。

「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。

次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。

それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。

そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。

武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。


物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。

良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。

貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。

重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。


【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」

キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。

特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。

1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。

どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)

そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。

聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。

しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造  投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒


旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。

聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。

その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。

ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。

「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。

「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。

聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。


ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。

清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。

聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。

「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。

 ユニタリアン・ユニバーサリスト        6%
 統一キリスト教会              12%
 アメリカン・福音ルーテル教会        21%
 エビスコーパル・チャーチ(聖公会)     22%
 統一長老派教会               25%
 統一メソディスト教会            34%
 エホヴァの証人               51%
 チャーチ・オブ・クライスト         55%
 サザン・バプティスト会議          58%
 チャーチ・オブ・ナザレン          58%
 アセンプリーズ・オブ・ゴッド        65%
 ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ  69%
 チャーチ・オブ・ゴッド           80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html


「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。


この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。

「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。


元々、ヨーロッパ自体が

「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205

により、選民思想も登場してきているという背景があります。


ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。


以下、

『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144


からの紹介です。

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■アメリカを新しいエルサレムの地にする

イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。

ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。


彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。

ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。


いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。

彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。


ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。

ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。

彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。


そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。

西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。


このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。


■宗教国家のアメリカには「妥協」がない

現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。


彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。


神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。


建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。


ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。


宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。


ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。

アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。


第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。

今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html  

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コメント
1. 中川隆[-6436] koaQ7Jey 2021年3月23日 07:20:58 : t9J5UnSZJw : Z3pWc3NXMkZ0NDY=[3] 報告
Terror Tuesday _ オバマ大統領は火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出した
【令和元年秋 特別対談】伊藤貫氏の警告、
パックス・アメリカーナと中華思想の間で摩滅する「商人国家日本」[桜R1-10-26]

https://www.nicovideo.jp/watch/so35866762

ゲスト:伊藤貫(国際政治アナリスト)
聞き手:水島総  



【特別番組】トランプ退陣、世界は何を失ったか? − 伊藤貫氏に聞く[R3/1/25]


2. 中川隆[-6394] koaQ7Jey 2021年3月24日 08:49:55 : Qa1HEgOpUs : Uno2dVJPNkVpb2M=[10] 報告
アメリカ合衆国の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/485.html

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/438.html

アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html

日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html

アメリカ人は頭がおかしい
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/556.html

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

ネオコンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/494.html

3. 中川隆[-4526] koaQ7Jey 2021年5月29日 20:29:00 : GnRMpOkTQU : R25CMktuWjhaeFE=[43] 報告
先住民の寄宿学校跡地から子ども215人の遺骨 カナダ
AFPBB News 2021/05/29 19:28


【AFP=時事】カナダの先住民の代表が、先住民を同化させる目的で100年以上前にブリティッシュコロンビア(British Columbia)州に建てられた寄宿学校の跡地から215人の子どもの遺骨が発見されたと明らかにした。

 先住民、トゥカムループス ・トゥ・ セフウェップェンフ(Tk'emlups te Secwepemc)のコミュニティーは、ブリティッシュコロンビア州カムループス(Kamloops)近くにある学校跡地で専門家による地中レーダーを使った捜索を行ったところ、この学校に在籍していた子どもたち215人の遺骨が確認されたと今月27日に発表した。

 コミュニティーの代表を務めるロザンヌ・カシミア(Rosanne Casimir)氏は、3歳の子どもの遺骨も見つかったとして、「想像を絶する犠牲だ。口づてでは聞かされてきたが、(学校の管理者によって)記録されることは一度もなかった」と述べた。

 同氏によれば、予備調査の結果は、来月に報告書で発表される。

「カムループス・インディアン・レジデンシャル・スクール(Kamloops Indian Residential School)」は、19世紀後半に設立された139の寄宿学校の中では最も大きく、一度に最大500人の生徒が在籍し、1890年から1969年まで、カナダ政府の意向でカトリック教会が運営していた。

 こうした学校に強制的に入学させられた北米先住民やイヌイット、メティス(白人と先住民との間に生まれた人)の子どもたちは合計で約15万人に上り、校長や教師から肉体的・性的に虐待され、文化と言語を奪われた。

 今日では、このような経験が要因となり、先住民社会では貧困率と自殺率が高く、アルコール依存症やドメスティックバイオレンス(DV)が多いとされている。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%AE%E5%AF%84%E5%AE%BF%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E8%B7%A1%E5%9C%B0%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82215%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%81%BA%E9%AA%A8-%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80/ar-AAKvzfl?ocid=msedgntp

4. 2021年6月08日 14:21:14 : LdxeKd6OUo : dUVRNlpNRmguZk0=[30] 報告
カナダ先住民の子供たちの大虐殺
2021年06月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1519.html

 先月、カナダの先住民の子供たちの強制収容施設から、250名を超える子供たちの遺骨が発見された。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/a2e2c1667c02aec84a330d91d221dc20d1341f1d

 カナダ・ブリティッシュコロンビア州の1978年に閉鎖された先住民の寄宿学校跡地から、この学校の児童215人の遺骨が発見されたと、先住民のグループが明らかにした。カナダのトルドー首相は28日、遺骨発見の一報を受けて「心が痛む」と述べた。

 先住民のグループによると、発見されたのはブリティッシュコロンビア州の寄宿学校の児童たち。学校は1978年に閉鎖された。先住民の代表によると、専門家が地中レーダーを使って捜索を行った。

 現在は廃止されたカナダの先住民寄宿学校を巡り、6年をかけた調査の公式報告が2015年にまとめられ、先住民の子どもたちを親から強制的に引き離す「文化的大虐殺」が行われていたと結論付けた。報告書は学校の児童15万人の多くが身体的虐待やレイプ、栄養不足、その他の様々な残虐行為にあっていたと指摘した。

 こうした学校は1840年代から1990年代まで存続し、多くはキリスト教会によって運営されていた。さらに4100人以上の児童が、学校で死亡したことも明らかになっていた。

 今回、学校の跡地から発見された215人は、その数字には含まれていないとみられる。

 カナダ政府は2008年、この制度について正式に謝罪した。トルドー首相は28日、今回の発見は「わが国の歴史における暗く恥ずべき部分を痛切に思い出させる」と述べた。

 先住民のグループは、被害者の出身地に連絡を取っていることを明らかにした。また今回の調査について、6月中旬までに中間報告がまとまる見通しだという。
**********************************************************:
 引用以上

 この収容施設は、「寄宿舎」という名で、先住民の子供たちを無理矢理、親から引き剥がして強制収容していた。記録上は、15万人が収容され、うち4000人あまりが死亡している。1925年以降なので、スペイン風邪の犠牲者ではない。
 今回発見された215名の遺体は施設の記録に含まれていない。遺体の多くに、性的虐待や不自然な暴行の痕跡があるという。

 欧州のアングロサクソン系移民が新大陸に渡り、先住民に文化的、身体的ジェノサイドを働いた例は少なくない。
 今回、発見されたカナダ先住民だけでなく、オーストラリアでも、先住民アボリジニの強制隔離や民族浄化の文化ジェノサイドを行う「白豪主義」は、まだ半世紀前まで大きな力を持っていたし、南アフリカでも同じことが起きていた。
 現代でも、イスラエルが先住民パレスチナ人に対する文化・身体的ジェノサイドをやめようとしていない。パレスチナの首都、ガザにおける虐殺は進行中である。

 子供たちを運営していたのはカトリック教会だというが、実は、カトリックによる、この種の子供収容施設では、全世界で理由不明の大量の遺体が発見されている。
 https://www.youtube.com/watch?v=Qz6r33yNCYk

 2017年にアイルランドでも、カトリック教会母子施設で、800名に及ぶ大量の遺体が発見された。
 これは1925年から1960年代までの約35年間、この施設で結婚していない母子家庭という理由で洗礼が拒否され、そのため教会墓地に埋葬できず、下水槽に捨てられたものだという。
 母子の人数は、通算数千名とだけ書かれているが、それにしても800名という遺体の数は、あまりにも多すぎ、大半が栄養失調や病死、虐待の痕跡を持っていた。これは本当に自然死者なのか、極めて疑問だ。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3016854

 カトリック教会は、実は全世界で、巨大な民族浄化や虐殺、児童への性的虐待を働いてきた歴史がある。

 カトリック聖職者の性的虐待 2018年09月14日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20180914.html

 カトリック聖職者による性的ハラスメント、あるいは暴行問題 2019年11月22日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-942.html

 他ならない、わが日本国においても、ザビエル来日以来、実はとんでもないことが起きていた。
 フランシスコ・ザビエルら、カトリック宣教師は、戦国時代だけで、日本人女性50万人を海外に奴隷として売り飛ばしたと記録されている。
 このことを知って秀吉が激怒し、日本からカトリック宣教師を追放する「バテン連追放令」を出した。それを家康も継承し、国内のキリシタン信者を激しく弾圧した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93

 https://sengoku-his.com/936
 戦国時代の日本総人口は1500万人にすぎなかったので、売り飛ばされた日本女性は、実に女性人口の7%に上った。現在に換算すれば、400万人にもなる。
 彼女らは、ポルトガル商人の持参した煙硝火薬の対価としてキリシタン大名らによって奴隷として売られた。
 だから、小西行長や高山右近らは、さも高潔な人格のように伝わっているが、評価を根底から変える必要がある。逆にキリシタン弾圧の評価も変えられなければならない。

 カトリックは、性的虐待の極めて多い集団である。それを告発しても、法王自らが隠蔽した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 それも、子供たちの集団虐待・虐殺のようなキリスト教の理念を真っ向から踏みにじるような事件が多い。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3289079

 https://www.banger.jp/movie/38529/

 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66073020R11C20A1000000/

 こうした事件を知れば、同じカトリック教会が運営していた冒頭のカナダの事件でも、同じことが行われて、子供たちが性的虐待を受けたあげく、虐殺されたのではないかとの疑問が出てくる。
 
 もう一度、冒頭のカナダ大量遺体事件を振り返ってみよう。
   https://torontogay69.com/2021/06/01/215_children_residential_school_canada/

https://www.youtube.com/watch?v=Qz6r33yNCYk

  
 215人の子供の遺骨と、カナダの宿舎学校の残酷な歴史 2021年6月1日
 
 カナダのブリティッシュコロンビア州で、先住民向けの寄宿学校の跡地から215人の子供の遺骨が発見された。過去の記録によれば、この宿舎学校で命を落とした先住民の子供の数は51人とされていたが、レーダーを使って学校の跡地を捜査したところ、記録の4倍以上もの遺骨が見つかった。

 カナダに住んでいても、先住民向けの宿舎学校がそもそもどんな場所で、そこでどんな酷いことが起きていたのか、知らない人が多い。

 宿舎学校とは、19世紀後半から近年まで、先住民の子供に同化教育を提供するために設立された施設で、キリスト教会によって運営されていた(もっと詳しく学びたい人はこちら)。
 宿舎学校の目的は、先住民の子供を家族、コミュニティ、言語、文化から切り離し、白人キリスト教を強要させ、「先住民としての資格」を剥奪するためにあった。宿舎学校に連れて行かれた子供たちは身体的虐待、心理的虐待、性的虐待を受け、劣悪な生活環境の元で感染病やその他の理由で命を落とした。

 中には人体実験に使われた子供たちもいた。宿舎学校が亡くなった子供の数は3000人から6000人ほどだと推測されているが、ちゃんとした記録が残っていないため、正確な数はわからない。

 なぜ宿舎学校というものが設立されたのかというと、それはカナダの同化政策である。同化政策というのは、権力を持つ民族が弱い立場にいる他の民族に対して文化を強いる行為で、世界各地で先住民や少数民族が同化政策によって苦しめられている。カナダの場合、フランスによる北アメリカ大陸の植民地化を経て、英国の支配下に入り、そして1867年に自治領カナダになる過程で、大量の先住民が虐殺されている。

 同化政策といえば響きがソフトだが、実際のところは他民族の浄化や除去を目指す差別的な政策であって、その政策で集団虐殺が起きた歴史を忘れてはいけない。宿舎学校もその政策の一貫であって、先住民の子供たちの命は意図的に軽視されてきた。

 宿舎学校に連れて行かれた先住民の子供たちは、親が用意してくれた服や荷物を燃やされて、長い髪の毛を短く切られた。名前は変えられて、先住民の言葉を口にすれば体罰を受け、教育を通して先住民の文化は野蛮で白人よりも劣っていると教わった。

 宿舎学校は先住民のコミュニティから遠い場所に意図的に設置されたことで、家族との面会は限られていた上に、面会できても学校に厳しく監視された。
 子供を奪われて、ずっと顔も見れなくて、突然亡くなったとの知らせを受けた親はきっとまともな説明ももらえなかったと想像できる。記録に残ってない遺骨の数からして、自分の子供がどうなったのかもわからなかった親も多かったのだろう。

 生きて宿舎学校から出れた人もハッピーエンドが待っているわけではない。言葉と文化を失ったことで先住民のコミュニティで居場所を失うケースは珍しくない。
 先住民文化に否定的な教育を受けたことで、自らのコミュニティを拒絶する人もいる。どちらにしろ、宿舎学校での過酷な経験は深い心の傷として残ってしまう。

 カナダの最後の宿舎学校は1996年まで運営していたため、自分自身がサバイバーである人に加えて、両親や祖父母にサバイバーを持つ人も多い。世代を越えたトラウマを抱えた先住民のコミュニティにとってメンタルヘルスは深刻な問題で、アルコールや薬物中毒で苦しむ人口も多い。
 こうした社会背景を知らずか、先住民コミュニティに「アル中でダメ人間」などのレッテルが貼られてしまう。

 宿舎学校を「歴史」として片付けるのはまだ早い。先住民のコミュニティは現在進行形で宿舎学校の影響を感じている上に、先住民の女性や子供の高い死亡率や失踪率は未だに解決していない(カナダのMissing and Murdered Indigenous Women運動についてはこちら)。

 ジャーナリストであるTanya Talagaはオンタリオのサンダーベイで、なぜ先住民の子供や若者が立て続けに亡くなっているのかについて調べてきた(彼女の本はこちら)。先住民のコミュニティに高等教育がないため、先住民の学生は家から遠く離れた場所で高校に進学する以外選択肢がない。

 2000年かた2011年の間、そうやってサンダーベイにやって来た7人の先住民の学生は遺体で見つかったり、原因不明の突然死を起こしているにも関わらず、政府から何も取り組みがなかった。
 自身も先住民であるTanya Talagaによる報道がなければ、こうした問題はもっと長い間無視されていたかもしれない。最後の宿舎学校の閉鎖から25年経っても、先住民の命が軽視される社会は未解決のままである。

 教育に関わる仕事にずっと携わってきて、教育を通して反差別やダイバーシティにも取り組んできたから、カナダの宿舎学校の歴史は自分に鋭く刺さる問題でもある。数年前に大学院に入学した時、最初の講義で宿舎学校について学ぶことになった。そこで読んだ文献に記されていたサバイバーの体験談はあまりに残酷で、泣いてしまってなかなかページが進まなかった。

 教育が差別や虐殺を正当化する道具として使われていたと考えると非常に悔しい。奪われた土地で教育を提供をするということは、宿舎学校の歴史の文脈を考慮しなくてはいけないし、教育に存在する二面性にも真剣に向き合う必要がある。一筋縄にはいかない問題だからこそ、勉強を怠らずに、地道に行動を重ねていくしかない。

 最後に、Chanie Wenjackの物語を紹介したい。先住民オジブウェ族だった彼は、9歳に宿舎学校に連れて行かれて、そこで”Charlie”という名前を与えられた。1966年、12歳になった彼は宿舎学校から逃走して、600キロメートルの道のりを歩いて自分の家に帰ろうとしたが、その途中で寒さと飢餓が原因で命を落とした。

 彼の経験を元に制作されたアニメーションは以下のビデオ(2:37-46:14)で見れる。
 https://torontogay69.com/2021/06/01/215_children_residential_school_canada/
 彼の死によって宿舎学校での悲惨な状況が公となり、法律の見直しや先住民の自律運動へと繋がっていった。今でも、彼は多くの人たちの心の中で強さと希望の象徴として生きている。今回215人の子供たちの遺骨が見つかったことで、先住民の自律運動がもっと前進することを祈っている。
**************************************************************
 侵略的移住者の歴史でいえば、白豪主義のオーストラリア・カナダ・南アフリカが知られているが、実は、一番残酷で桁違いに規模が大きいのはアメリカだ。
 アメリカはメイフラワー号による移住以来、ネイティブ先住民を1000万人以上虐殺したといわれる。
 https://blue.ap.teacup.com/qmss/2771.html

 アメリカという国は、731部隊と取引し、人体実験殺戮データと引き換えに731部隊員全員を無罪放免した。また自分たちでも、731同様の人体実験を自国民に対し強要した。自国民の実験犠牲者は数十万人に達したとの報告もある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%AE%9F%E9%A8%93
 
 なぜ、こんなことができるのかといえば、それは彼らに「目的のために手段を選ばない」という思想が定着していたからだ。
 今でも、アメリカ司法は、取引で刑罰を軽減する司法手段が大半を占めていて、死刑相当の犯罪を犯しても、他の犯罪者の情報と交換に、有期刑に減刑されることなど普通にある。
 https://www.sankei.com/article/20180316-WCIFRKPT6FOOZNERT3ZZKS2OMY/

 ところが、アメリカでは虚偽の自白で、他人を罪に陥れることまで許容されている 部分がある。
 日本のジャーナリスト、山崎淑子さんは、911テロ事件後、ある弁護士が自分の罪を逃れるため、山崎さんを冤罪に陥れた。
 https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2112572&id=55627333

 アメリカというのは、平気でウソが通る国なのだ。それは、アメリカを支配してきた共和党カトリック信者の道徳における二重性と関係を持っている。
 アメリカは先住民を大虐殺しながら、民主主義を国是とするような二重性を持った国だった。これはユダヤ人やアングロサクソンにも共通する発想だ。

 だから、カナダやアイルランドにおける児童大虐殺も、その根は、おそらくカトリックに深くかかわる本質であると考えるしかない。
 日本では通用しないウソ=論理破綻も、カトリック諸国では、同調圧力によって成り立ってきた。それが冒頭に掲げた事件の本質と関係しているように思われてならない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1519.html

5. 2021年6月25日 07:27:09 : Y9oTEacvoA : QzVXUGt6a1F4bmc=[2] 報告
カナダ先住民学校、墓標ない墓751基 先月に続き発見
AFPBB News 2021/06/25 02:39
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%ab%e3%83%8a%e3%83%80%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%80%81%e5%a2%93%e6%a8%99%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a2%93751%e5%9f%ba-%e5%85%88%e6%9c%88%e3%81%ab%e7%b6%9a%e3%81%8d%e7%99%ba%e8%a6%8b/ar-AALp4uo


カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民寄宿学校の跡地近くで遺骨が見つかった215人の子どもを追悼する先住民の人々(2021年6月4日撮影)。

【AFP=時事】カナダ中部サスカチワン(Saskatchewan)州マリーバル(Marieval)で、先住民の子どもを収容していたカトリック寄宿学校の跡地周辺から、墓標のない墓が751基見つかった。先住民団体の代表が24日、明らかにした。同国では先月にも、西部ブリティッシュコロンビア(British Columbia)州の先住民寄宿学校跡地から215人の子どもの遺骨が発見され、国内に衝撃が広がっていた。

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民寄宿学校の跡地近くで遺骨が見つかった215人の子どもを追悼する人々(2021年6月6日撮影)

 先住民団体カウェセス・ファースト・ネイション(Cowessess First Nation)のカドマス・デローム(Cadmus Delorme)代表は学校跡地で報道陣に対し、「きのうまでに墓標のない墓を751基発見した。集団墓地ではない。これらは墓標のない墓だ」と述べた。

 見つかった墓には過去に墓標があった可能性もあるが、「カトリック教会の代表者らがこれらの墓石を撤去した」とデローム氏は説明。カナダでは墓標の撤去は犯罪であり、墓が見つかった場所は「犯罪の現場」として扱われているという。

 カナダでは1990年代までに、先住民の子ども約15万人が強制的に国内139か所の寄宿学校に送られ、家族や母語、先住民文化から引き離された。寄宿学校では子どもたちに対する劣悪な待遇や性的虐待が横行し、4000人以上が死亡したとされる。この問題に関する調査委員会は、カナダが「文化的ジェノサイド(大量虐殺)」を行ったと結論した。

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、215人の子どもの遺骨が見つかった先住民寄宿学校の跡地近くに集まった人々(2021年6月5日撮影)。© Cole Burston / AFP カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、215人の子どもの遺骨が見つかった先住民寄宿学校の跡地近くに集まった人々(2021年6月5日撮影)。
 ジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相は今回の発見を受け、カナダは先住民に対する人種差別の歴史に向き合い、「より良い未来を築く」必要があると表明した。

【翻訳編集】AFPBB News

カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民に対する抑圧を象徴するために地面に立てられた十字架と子ども服(2021年6月5日撮影)。© Cole Burston / AFP カナダ西部ブリティッシュコロンビア州カムループスで、先住民に対する抑圧を象徴するために地面に立てられた十字架と子ども服(2021年6月5日撮影)。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%ab%e3%83%8a%e3%83%80%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e3%80%81%e5%a2%93%e6%a8%99%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a2%93751%e5%9f%ba-%e5%85%88%e6%9c%88%e3%81%ab%e7%b6%9a%e3%81%8d%e7%99%ba%e8%a6%8b/ar-AALp4uo

6. 2021年7月01日 20:50:07 : caVDg0Vgtv : Z2wxMGdxVDhidi4=[28] 報告
墓標ない墓さらに182基 カナダ先住民学校問題、教会で不審火相次ぐ
AFPBB News 2021/07/01

墓標のない墓が多数見つかったカナダ・サスカチワン州マリーバルの先住民寄宿学校跡地で、追悼集会を開く人々(2021年6月26日撮影)。

【7月1日 AFP】カナダで先住民の子どもを収容していたカトリック寄宿学校の跡地から墓標のない墓が多数見つかった問題で、同国の先住民団体は6月30日、3校目の学校から同様の墓が182基見つかったと発表した。先住民学校での虐待に対する謝罪をローマ教皇に求める声が上がっており、国内では同日、2か所の教会で放火の可能性がある火災も発生した。

 先住民団体ロウアー・クートニー・バンド(Lower Kootenay Band)の発表によると、西部ブリティッシュコロンビア(British Columbia)州クランブルック(Cranbrook)近くの聖ユージーン・ミッション・スクール(St Eugene's Mission School)で、専門家チームが地中レーダー探査を実施したところ、7〜15歳の児童・生徒の遺骨とみられるものが多数見つかった。

カナダ・サスカチワン州マリーバルの先住民寄宿学校跡地で、墓標のない墓が見つかった場所にともされた明かり(2021年6月27日撮影)。


 ブリティッシュコロンビア州では5月にも、カムループス・インディアン・レジデンシャル・スクール(Kamloops Indian Residential School)の跡地で、墓標のない墓から先住民の子ども215人の遺骨が見つかっていた。さらに先週には、中部サスカチワン(Saskatchewan)州の学校でも墓標のない墓が751基発見された。

カナダ・サスカチワン州マリーバルの先住民寄宿学校跡地で、墓標のない墓が見つかった場所に立てられた旗の間を歩く人々(2021年6月26日撮影)。


 カナダでは1990年代までに、先住民の子ども約15万人が強制的に国内139か所の寄宿学校に入れられた。子どもたちは自分たちの文化や言語から引き離され、教職員から暴行や性的虐待を受けた。この問題に関する調査委員会は、4000人以上が病気や世話の放棄により死亡し、カナダが「文化的ジェノサイド(大量虐殺)」を行ったと結論付けた。

 警察によると、6月30日にはアルバータ(Alberta)州とノバスコシア(Nova Scotia)州の教会で火災が発生。捜査当局は、放火の可能性があるとして調べを進めている。カナダでは最近、このほか6か所の教会で不審火が発生。教会の大半は先住民地域に位置しており、赤いペンキで落書きされた施設もある。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e5%a2%93%e6%a8%99%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a2%93%e3%81%95%e3%82%89%e3%81%ab182%e5%9f%ba-%e3%82%ab%e3%83%8a%e3%83%80%e5%85%88%e4%bd%8f%e6%b0%91%e5%ad%a6%e6%a0%a1%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%80%81%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%a7%e4%b8%8d%e5%af%a9%e7%81%ab%e7%9b%b8%e6%ac%a1%e3%81%90/ar-AALDp1f

7. 2021年7月02日 09:33:15 : gGFm0tJbPw : bFJOOXFDREFDS28=[12] 報告

2021.07.02
COVID-19騒動に人びとが気をとられている隙に米国は軍事的な緊張を高めている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107020000/


 ​航空自衛隊はフィリピン空軍と「HA/DR(人道支援/災害救援)」を目的とする訓練を7月5日から8日にかけてクラーク空軍基地で実施​するという。ロドリゴ・ドゥテルテが大統領に就任して以来、フィリピンはアメリカから自立する動きを見せてきた。そこでフィリピンを引き寄せるために日本を使うということなのだろう。アメリカと日本は2020年の終わり頃から中国との戦争を想定した作戦を練り始めたとも言われている。

 アメリカは1991年にスービック海軍基地やクラーク空軍基地から追い出されたが、それほどフィリピン国内の反アメリカ感情が高まっていたということだ。アメリカの手先としてフィリピンに君臨していたフェルディナンド・マルコスも1980年代に自立の道を探り始めた。

 それを懸念したアメリカの私的権力は1986年2月、マルコスを国外へ連れ出し、コラソン・アキノを大統領に据えた。この計画を指揮したのはネオコンのポール・ウォルフォィッツだと言われている。コラソンの息子、ベニグノ・アキノ3世もアメリカの手先として2010年6月から16年6月まで大統領を務め、​2012年からスービック海軍基地やクラーク空軍基地をアメリカ軍に再び使わせている​。

 そうした流れをドゥテルテは止めた。アメリカは1998年にフィリピンへVFA(訪問軍協定)を押しつけたが、​この協定を破棄するとドゥテルテ大統領は2020年2月に通告した。SM-2ミサイルの発射はアメリカから離れようとしているドゥテルテ政権に対する威嚇​にもなるだろう。

 アメリカへヨーロッパから移住してきた人びとは「インディアン」から土地を奪い、虐殺する。それが一段落すると傭兵を使ってニカラグアなど中央アメリカを侵略、さらに南アメリカを軍事的に制圧する。その当時、そこはスペインやポルトガルの植民地だった。そうした侵略戦争を推進するためのプロパガンダを繰り広げたのが新聞界に君臨していたウィリアム・ハーストやジョセフ・ピュリッツァーである。

 そうした中、1898年にキューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈する。艦長は石炭庫で火災が発生し、それが原因で爆発したと推測していたのだが、ハーストが発行するメディアはスペインが爆破したと宣伝し、政府による調査が行われる前に議会は戦争に向かう。そこで戦争に消極的だったウイリアム・マッキンリー大統領も宣戦布告せざるをえなくなった。その背後では海軍次官補のシオドア・ルーズベルトが戦争熱を高めていた。(James Bradley, “The Imperial Cruise,” Little, Brown and Company, 2009)

 スペインとの戦争に勝利したアメリカはプエルトリコ、グアム、そしてフィリピンへ矛先を向ける。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡としての役割を果たすことになるが、フィリピン侵略の際にアメリカ軍は住民を虐殺している。1900年にマッキンリーは再選され、1901年3月にルーズベルトは副大統領に就任、その年の9月にマッキンリー大統領は暗殺され、ルーズベルトが大統領に昇格、「棍棒外交」、つまり侵略政策を推進する。

 このテディ・ルーズベルトと親しかったのが金子堅太郎。ハーバード大学で金子はルーズベルトの2年先輩にあたる。なお、金子と一緒に同大学で法律を学んでいたのが小村寿太郎だ。

 アメリカの支配層にはアジア侵略を目論む集団が存在した。テディはそのひとりだが、明治維新の直後に日本へ公使として来ていたチャールズ・デロング、あるいは厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルも同類だ。台湾から帰国する途中、日本に立ち寄ったルジャンドルは、デロングから日本政府に台湾を侵略するようにけしかけているという説明を受けている。そのために日本政府は琉球を併合、そして江華島へ軍艦を派遣して朝鮮を挑発し、日清戦争、日露戦争へとつながる。

 日露戦争の最中、金子は政府の使節としてアメリカへ渡り、ハーバード大学でアングロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説、同じことをシカゴやニューヨークでも語っている。戦争後、テディは日本が自分たちのために戦ったと書いた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 日本列島から琉球諸島、そして台湾へ至る島々、そしてフィリピンはこの当時から現在にいたるまでアングロ・サクソンにとって大陸を侵略するための拠点だ。そして今、日本はアメリカの手先として中国と戦う準備を進めている。6月23日には台湾の呉サ燮も中国と戦争する準備をする必要があると語った。オーストラリアでは同国軍とアメリカ軍、1万7000名が合同軍事演習を行っている。

 人びとがCOVID-19(新型コロナウイルス)騒動に気をとられている間にアメリカは世界規模で軍事的な緊張を高めている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107020000/

8. 2021年7月06日 00:29:55 : Akzftcm60Q : VEpBdi45bmZrVk0=[2] 報告
地獄に落ちろ、ドナルド・ラムズフェルド
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1683.html
9. 2021年7月18日 07:10:12 : DNfUEHow9Q : Qi5Sb2VGaW5tRU0=[2] 報告


2021.07.18
防衛白書で中国との戦闘姿勢を鮮明にした菅政権
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107180000/


 岸信夫防衛相は7月13日の閣議で2021年版の​防衛白書​を報告した。その中で「台湾をめぐる情勢の安定」が日本の「安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」だと主張、日本が台湾問題へ積極的に関わっていくとするメッセージを発信した。こうした見解はアメリカ側の意向を反映したものであり、ジョー・バイデン政権が歓迎したのは当然だろう。

 白書が公表される前、6月28日に中山泰秀防衛副大臣はネオコン系シンクタンクのハドソン研究所で講演、中国とロシアの脅威を強調し、中国がミサイルでアメリカの東海岸やホワイトハウスに照準を定めることは可能だと語ったという。アメリカは1950年代からミサイルで中国やソ連を攻撃する能力を持ち、しかも実際に使う計画だったのだが、そうしたことは忘れている。

 勿論、中国やロシアはアメリカの東海岸やホワイトハウスをミサイルで攻撃する能力を持っているが、その能力は飛躍的に高まっている。例えば、ロシアが航行させている巨大原子力潜水艦「ベルゴロド」には津波を引き起こせるという核弾頭を搭載した原子力推進の水中ドローンが搭載され、イギリスのサン紙はこの空母を「シティ・キラー」と呼んでいる。このドローンは人工知能で航行するという。防衛副大臣ならば、そうした兵器が使われないようにすることを考えるべきなのだが、中山は脅威を煽っているだけのようにしか思えない。

 また、麻生太郎副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡で「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくるといってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をやらないといけない」と自民党衆院議員の会合で述べたという。

 「存立危機事態」とは、2015年に成立した安全保障法制で、集団的自衛権を使う際の前提条件として規定された。日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態だという。

 この前提条件で意味のある語句は「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」だけだろう。2003年3月にアメリカ軍が従属国軍を引き連れてイラクを先制攻撃する前、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラクが「大量破壊兵器」を保有し、今にもアメリカを核攻撃するかのように宣伝していた。勿論、そのような兵器をイラクは持っていなかったのだが、アメリカの「存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とされたのだ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、イラクへの先制攻撃は1992年2月にアメリカ国防総省のDPG草案という形で作成された世界制覇プランに基づく。このプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になったという認識に基づいて書き上げられた。

 当然、そうした流れに日本も巻き込まれる。アメリカのネオコンは日本を自分たちの戦争マシーンに組み込もうとするのだが、細川護煕政権は国連中心主義を放棄しない。そこで細川政権は1994年4月に潰されてしまった。

 細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその年の8月に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書を発表したが、やはり国連中心主義に基づいて書かれていた。そこでネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)を説得、ジョセイフ・ナイ国防次官補(同)らに自分たちの考えを売り込んだ。そしてナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。

 それでも日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込むことに抵抗する人もいたようだが、そうした意見を吹き飛ばすような出来事が立て続けに引き起こされる。例えば1994年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件、その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。その後、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。

 世界制覇の手始めはユーゴスラビア。すでに1991年6月の段階でスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同年9月にマケドニアが続いている。ユーゴスラビア解体を指揮していたのはリチャード・マイルズという人物だ。そのほかユーゴスラビア駐在米国大使だったウォーレン・ジンマーマンや国務副長官を務めていたローレンス・イーグルバーガーも関係していた。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 ユーゴスラビアに対する軍事侵略へ動き出すのは国務長官が交代した1997年1月から。戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンが退き、好戦派のマデリーン・オルブライトが就任、1999年5月にNATOはユーゴスラビアに対する空爆を始めた。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。中国大使館に3方向からミサイルを撃ち込み、破壊したのはアメリカ軍のB2ステルス爆撃機で、CIAが設定した目標に入っていたという。つまり中国大使館への攻撃は計画的なものだった。

 そして2001年にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとが呆然としている間にアフガニスタン、そしてイラクを攻撃したのだ。

 この当時、アメリカの支配層は自国が「唯一の超大国」で、誰も自分たちに逆らえないと信じていた。例えば​フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文​には、近いうちにアメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになると書かれている。つまり、アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通している。

 ところが、​ニューヨーカー誌の2007年3月号にシーモア・ハーシュの興味深い記事​が載った。ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうとしているというのだ。

 その記事に登場するジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のバリ・ナスルの説明によると、資金力のあるサウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフィ主義者と深い関係」があり、そうしたイスラム過激派を動員することができる、つまりそうした人びとを使おうとしているというのだ。ただ、その勢力は「最悪のイスラム過激派」であり、彼らが入っている箱を開けたなら、2度と箱の中へ戻すことはできないとも警告していた。

 ネオコンはイラクのサダム・フセインを排除して親イスラエル派の体制を築くつもりだったようだが、軍事力で屈服させることはできず、親イラン派(シーア派)の政権を誕生させてしまう。そこでフセインの残党(スンニ派)と手を組み、ゲリラ戦を始めることになったのだ。2009年にアメリカ大統領はブッシュからバラク・オバマに交代するが、方針は継続された。

 オバマ政権は2010年にムスリム同胞団を中心に戦闘員を集め、中東から北アフリカにかけての地域で体制転覆工作を開始。2011年春にはムスリム同胞団のほかサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)も加えて戦争集団を編成した。これがアル・カイダ系の武装集団。そしてリビアやシリアで侵略戦争を始めた。2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、カダフィは惨殺されたが、シリアには手こずる。

 そして2014年に登場してくるのがダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)。残酷さを前面に出していたが、これはアメリカ軍の介入を正当化するための演出だったとする説もある。2015年になるとオバマ大統領は2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、また9月に統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させる。好戦的な布陣にしたのだが、デンプシーが追い出された直後、ロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団と呼ばれていたグループを敗走させてしまう。その際、ロシア軍が保有する兵器の優秀さ、戦闘能力の高さを世界に示した。これ以降、多くの国がアメリカを恐れなくなる。

 ダーイッシュの登場と同じタイミングでオバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、香港で佔領行動(雨傘運動)を仕掛けた。この作戦がアメリカにとって裏目に出て、中国とロシアを接近させることになった。その後、両国は戦略的な同盟関係を結ぶ。しかもアメリカに対する中小国の従属度は低下していく。

 一方、日本では2015年9月に安保法制が公布された。この法律について総理大臣だった安倍晋三は2015年6月、赤坂の赤坂飯店で開かれた懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にした​という。

 1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、重要な役割を長競れるようになってきた。それは中国やロシアとの戦争で日本が最前線に立たされることを意味する。今回の防衛白書にはそうした背景がある。言うまでもないことだが、アメリカ軍は日本を守る目的で日本に駐留しているのではない。侵略の拠点にしているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107180000/

10. 中川隆[-16099] koaQ7Jey 2021年7月23日 15:50:22 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[18] 報告
2021.07.22XML
 アメリカやイギリスの金融資本を中心とした資本主義体制が限界に達したことは彼ら自身も認識、例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは昨年6月、「COVID-19(新型コロナウイルス)」のパンデミック騒動を利用し「​資本主義の大々的なリセット​」を実行すると宣言しました。

 「リセット」しないと現在の支配システムを維持できないということですが、その支配システムは2度の世界大戦を経て確立されています。そして現在、金融資本は新たな世界大戦を必要としているようです。その戦いに勝利するため、ヨーロッパでの支配力を強め、中東支配を確かなものにし、ユーラシア大陸の東岸部で主導権を握ろうとしてきました。TPP、TTIP、TiSAはそうした目的で打ち出されましたが、思惑通りには進んでいません。中東での戦いはロシアに負けつつあります。

 第1次世界大戦ではドイツを弱体化させることに成功しましたが、ロシアを金融資本の配下に置くことは失敗しました。金融資本は戦争に反対していたグリゴリ・ラスプーチンを暗殺しましたが、ドイツはロシアとの戦争継続を嫌い、即時停戦を主張していた亡命中のボルシェビキの幹部を帰国させ、それがソ連の誕生につながります。

 そうした背景があるため、ドイツとソ連の関係はその後、良好でしたが、ナチスの登場で状況が一変、ドイツ軍は第2次世界大戦でソ連を攻撃します。ナチスを資金面から支えていたのはイギリスやアメリカの金融資本でした。ドイツにソ連は勝ったものの、2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む国土の3分の1が破壊されたと言われています。アメリカは事実上、戦場にならず、軍需産業と金融資本がビジネスで大儲けし、ドイツや日本が略奪した財宝を横取りすることに成功しました。

 ところで、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏したのは1943年1月。それを見てイギリスとアメリカはあわててシチリア島への上陸作戦を実行しますが、住民に人気のあったコミュニストを押さえ込むためにマフィアと手を組みました。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)はシチリア島上陸の翌年、1944年6月のことです。その間、アレン・ダレスなど反コミュニスト派はドイツ側と善後策を協議、ナチスの幹部や協力者を逃亡させ、保護し、雇うという工作を行います。

 ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で動いていたのですが、そのルーズベルトは1945年4月に急死、5月にドイツが降伏します。その直後にウィンストン・チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を攻撃するための作戦を立てるように命令しました。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」です。1945年7月1日にアメリカ軍、イギリス連邦軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍でソ連を奇襲攻撃し、「第3次世界大戦」を始めることになっていましたが、実行されませんでした。参謀本部が拒否したからだと言われています。

 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功しています。この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可、7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下されました。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったということです。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行います。1947年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求め​、1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだった​ジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話したといいます。

 そのソ連は1991年12月に消滅、ネオコンなどはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手に何でもできる時代になったと考えます。ボリス・エリツィン時代のロシアはイギリスやアメリカの金融資本の属国になり、国内は犯罪者たちに支配されました。ロシアは破綻国家になったということで、アメリカの支配者は中国など潜在的ライバルを潰しにかかります。

 こうしたネオコンたちの計画は21世紀に入ってウラジミル・プーチンたちがロシアを曲がりなりにも再独立させたことで破綻します。そこでロシアを再び屈服させ、中国を揺さぶろうとしますが、裏目に出てロシアと中国は戦略的な同盟関係を結ぶことになりました。アメリカを中心とする勢力はロシアと中国、両方を相手にせざるをえず、アメリカが優勢だとは言えない状況です。おそらく現状では世界大戦を始められないでしょうが、米英の私的権力に残された時間はあまりありません。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107220000/

11. 2021年8月09日 06:53:54 : Dzasa0Gixw : MExBYVlRR2FTb00=[2] 報告

2021.08.08
自分たちから離れていくかつての属国を引き戻そうと必死のバイデン政権
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108080000/


 アメリカのジョー・バイデン政権はユーラシア大陸の東側で盛んに動いている。同政権は「対アジア政策」、事実上の対中国政策の責任者としてカート・キャンベルを選んだが、この人物の働きで「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が1995年2月に作成されている。このレポートによって日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

 7月25日にウェンディ・シャーマン国務副長官が天津を訪問し、翌日には謝鋒外務次官や王毅国務委員兼外相と会談したが、中国の外交分野におけるトップである中央外事活動委員会弁公室の楊潔篪主任には会えなかった。

 その直後にロイド・オースチン国防長官がフィリピンとベトナムを、またジョン・ブリンケン国務長官はインドをそれぞれ訪れたが、いずれも中国へ軍事的な圧力を加えるための拠点作りだと言えるだろう。

 アメリカは1898年にスペインと戦争を行って勝利、中央アメリカから南アメリカにかけての地域を植民地化、さらにフィリピンも侵略して住民を虐殺している。フィリピンは大陸を侵略する重要な拠点と認識されていた。

 その前にアメリカやイギリスは日本でクーデターを成功させ、新体制を侵略戦争へと誘導する。イギリスはアーネスト・サトーらが暗躍していたが、アメリカでは厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルや駐日公使だったチャールズ・デロング。ふたりは明治政権に対し、台湾へ派兵するよう煽っていた。台湾へ派兵するために琉球を併合することになる。

 そこから江華島事件、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵、「満州国」の建国、ノモンハン事件、そして1941年の関東軍特種演習。ここまでは中国からロシア/ソ連を支配するというアメリカやイギリスの戦略に合致している。

 現在、アメリカは日本を「巨大空母」化させ、自衛隊の傭兵化を進めている。沖縄での軍事力を増強、台湾の現政権はアメリカの言いなり。次にフィリピンを制圧しようとするのは必然だろう。韓国の現政権を屈服させて橋頭堡にしようとしている。明治時代と同じようなことを行っているのだ。長期戦略に変化はないとも言える。

 19世紀にイギリスが立てた長期戦略はユーラシア大陸の周辺部を制圧し、内陸部を締め上げるというもの。その戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。

 アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えたが、これもマッキンダーの理論に合致している。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされた。そこでアメリカやその手下である日本がインドへ働きかけているのだが、働きかけなければならない状況だとも言える。インドはアメリカとの距離を置き始めたのだ。インドネシアもアメリカの思惑通りには動いていない。

 アメリカはインドと中国の対立を煽ってきた。昨年5月にもインド北部のラダックと中国のチベット自治区にはさまれた場所にあるパンゴン湖でインドと中国が衝突、緊張が高まっていたが、今年8月6日に両国軍の撤退が発表された。緊張緩和の流れを阻止することがブリンケン国務長官の与えられた使命だろう。国防長官や国務長官が走り回らなければならないほど、ユーラシア大陸東部の国々はアメリカから距離を置こうとしている。

 そうしたこともあり、NATOがユーラシア大陸の反対側までやってこようとしている。例えば事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2020年6月8日に宣言したが、イギリス軍やフランス軍が東アジアへ現れるようになった理由はその辺にあるのだろう。

 アメリカのインド・太平洋軍司令部は8月3日から16日の日程で、40年ぶりの大艦隊演習だという「LSGE21(2021年大規模演習)」を実施している。アメリカの海軍と海兵隊が演習の主体だが、アメリカの陸軍、空軍、海軍、海兵隊、そしてイギリス軍、オーストラリア軍、自衛隊も合流しているという。

 周辺国を威嚇しているつもりかもしれないが、すでに空母を中心とする艦隊の時代は過ぎ去った。1982年4月にアルゼンチン軍とイギリス軍がフォークランド(マルビナス)諸島の沖で軍事衝突、5月にアルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセがイギリスの軍艦、HMSシェフィールドなどを撃沈、他の感染にもダメージを与えている。

 あわてたイギリスのマーガレット・サッチャーはパリでフランスのフランソワ・ミッテランと会談し、ミサイルを無効化するコードを教えるように要求、それでイギリスは勝利することができたと言われている。この戦争で艦隊の時代は終わったと言えるだろう。

 現在、ロシアや中国が保有している対艦ミサイルはエグゾセとは比較にならないほど性能が向上している。海上を航行する艦船はすぐに撃沈される可能性が高く、アメリカの空母艦隊はかつての「戦艦大和」と似た状況に置かれている。

 アメリカは脅しながら交渉する。例えば大統領に就任した直後、ドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した朝鮮戦争から抜け出すため、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。それを副大統領として見ていたリチャード・ニクソンはベトナム戦争の際に同じ手法を使ったともいう。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 現在、アメリカは台湾を利用し、中国に対して軍事的な圧力を強めているが、1958年8月から9月にかけての時期にも台湾海峡で軍事的な緊張が高まっていた。エルズバーグによると、1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。そして現在、​バイデン政権は同じことが国防総省で議論されている​という。脅しても相手が屈するとは限らないと言うことをアメリカが学べないなら、世界は非常に危険な状態になる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108080000/

12. 2021年8月09日 17:12:24 : m9K9ux4HhQ : NjVDV3VXWUpZN2s=[3] 報告

2021年08月08日
強大化する中国軍とアジアから引き上げる米軍
http://www.thutmosev.com/archives/86465273.html


アジアの米軍基地は日本だけになるので、アメリカは日本に依存せざるを得ない

画像引用:https://www.chosyu-journal.jp/shakai/5551 米軍肩代わりの日本版海兵隊 東アジアの緊張下で進む日本全土の米軍基地化 _ 長周新聞

米軍の姿勢に変化

数年前から米軍のアジア太平洋地域での戦略に大きな変化があり、日本にも影響していた。

ひとつはフィリピンの反米政権やタイのクーデターなど、アジア諸国のアメリカ離れが目立っていた。

アジア太平洋地域で米軍が大規模に駐留しているのは、今では日本一か国だけになった。

韓国は既に米軍撤退で合意しているが、北朝鮮問題などがあって暫定的に駐留を延長している。

北朝鮮問題が解決したら在韓米軍は少数のミサイル防衛や空軍、それらを護衛する部隊のみになる。

アジア最大の米軍基地は昔はフィリピンにあったが、反米運動で撤退し今は存在しない。


ベトナム戦争時には米軍機はタイから出撃していたがこれもなくなり、オーストラリアの基地を使わせてもらっている。

替わりに侵入してきたのが中国で、南シナ海の島を占拠して埋め立てて基地化している。

インド洋のスリランカなどの島国に資金援助して財政破綻させ、港湾を乗っ取って基地化したりしている。


中国本土には射程1000キロ以上の対艦ミサイルや、射程数百キロの対空ミサイルがずらりと並んでいる。

加えて数の上では米海軍に匹敵する軍艦を建造し、東南アジア諸国の海を占拠している。

これに対する米軍の戦略は「中国沿岸に接近しない」というもので、あっさりと負けを認めた。

中国は巨大化する軍事予算で衰退する

米空母やイージス艦は時々南シナ海に侵入するものの、デモンストレーションなのは米中とも知っている。

米軍は中国と戦争になったら東南アジアから完全に撤退し、日本とオーストラリアを拠点に反撃するプランを描いている。

アメリカとオーストラリアは同じ白人民主主義国家で、日米より親しく軍事機密も共有している。


日本は世界最大の米軍基地を持つ国で、日本を拠点に米空軍や米海軍は反撃に出る。

もし日本が中国の勢力下にはいった場合、アメリカの防衛線はカリフォルニアの砂浜まで一気に後退する。

ハワイやグアムは点でしかないのでそこで中国を食い止める事はできず、原潜や空母が米本土沖で活動するようになる。


この10年ほど経済成長を武器に中国は軍備拡大を続け、アメリカは押しまくられていました。

アメリカの軍事費は公称80兆円だがNASAや福利厚生費を入れると100兆円に達している。

中国の軍事費は25兆円だがこちらも宇宙開発や隠れ予算を含めると30兆円を超えるでしょう。


中国には治安部隊という国内鎮圧用の軍隊があり、なんと30兆円も使っています。

それだけ中国はウイグルやチベットの内乱を恐れていて、見かけほど国内は安定していません。

もう10年か20年経つと米軍は韓国から撤退し、アジアで残る米軍基地は日本だけという状況になる。


アメリカは過去に日本に再軍備を迫る一方で、「日本の右傾化」や帝国主義を非難してきた。

これは番犬に「ペットの分際をわきまえろよ」という事で、本当に軍事大国になって欲しい訳ではない。

アメリカは冷戦時に日本に核武装を要求したことがあり、米軍が核を持ち込む構想もあった。


その機会に核武装や再軍備すれば良かったのだが、そんな時に限って必ず左翼政権でした。

米軍の弱体化と中国の強大化によって逆転するように見えるが、経済力の裏付けが無いと不可能です。

中国のGDPがアメリカを超える可能性はないと考えられるようになり、従って米中の軍事力逆転も起こらない。


中国は今経済成長率を遥かに上回る軍備増強を進めていて、やがて経済を圧迫する。

その先は過去の軍事大国のお決まりのパターンで、巨大化した軍事予算によって経済が衰退します。

http://www.thutmosev.com/archives/86465273.html

13. 2021年8月12日 15:59:46 : UY3ZYusvM6 : Yk5WYjM5QTUxWDY=[35] 報告
2021.08.11
アフガニスタンでの戦争は1970年代にアメリカが始めた(1/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108110001/

 アメリカ軍の部隊2500名が9月11日までにアフガニスタンから撤退するというが、この「撤兵」でアメリカが1970年代に始めたアフガニスタンでの戦争を終わらせる可能性は小さい。​秘密裏に活動しているアメリカの特殊部隊や情報機関の工作員は残り、1万6000名以上の「民間契約者」​もいて、その中に傭兵も含まれている。

 バラク・オバマ政権がシリアへもリビアと同じように軍隊を投入する準備を進めていた2015年9月30日にシリア政府の要請でロシア軍が介入し、アメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタールなどを後ろ盾とするジハード傭兵、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)を敗走させた。

 そこでアメリカ政府は手先をクルド勢力に切り替え、ダーイッシュが支配していた油田地帯をアメリカ軍が占領していく。露骨な侵略だが、西側の政府や有力メディアは沈黙している。

 敗走したダーイッシュなどの幹部と見られる戦闘員をアメリカ軍は救出、アフガニスタンなどへヘリコプターなどで運んでいると言われている。出身国へ戻る戦闘員もいるが、その中には中国の新疆ウイグル自治区も含まれている。イドリブにはジハード傭兵がまだ立てこもっているが、アメリカに再接近しているトルコがそこから戦闘員をアフガニスタンへ運んでいるとも伝えられている。

 アメリカ軍は2003年3月、イギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊した。当初、親イスラエル派の体制を樹立する予定だったが、イラク国民の多数を占めるシーア派が同じシーア派のイランに親近感を持つことから親イラン派の政権が誕生、それを受けてアメリカはフセイン派の残党を含むスンニ派と手を組んだ。

 イラクには1960年代後半からイスラエルの情報機関に操られている勢力が存在する。ムスタファ・バルザニが率いていたクルドだ。この人物はイスラエルの情報機関モサドのオフィサーだったと言われ、その息子であるマスード・バルザニも同じだと見られている。アメリカはイラク北部にクルドの国を建設しようと目論んだこともあるが、クルド内部の反バルザニ派がこの計画に反対して挫折した。

 ジョー・バイデン米大統領はイラクのムスタファ・アル・カディミ首相とホワイトハウスで7月に会談、アメリカは戦闘任務を2021年末に終えることで合意したというが、アメリカは2017年からイラクで戦闘作戦を実施せず、戦闘部隊は存在しないことになっている。

 しかし、アメリカ軍がイラクにいないわけではない。​顧問や教官として特殊部隊が駐留し、「対テロ部隊」に同行しているとされている​。こうした「非戦闘部隊」はこれからも残るのだろう。今年に入り、NATO軍がイラク駐留部隊の規模を500名から4000名へ増やしたと伝えられたが、軍事会社の傭兵が増強されることも考えられる。シリアで敗走したジハード傭兵の一部がイラクへ運ばれたとも言われている。

 今年2月、イラクのクルド支配地域からシリア北東部のハサカ周辺へ軍事物資や装甲車両を運び込む光景を撮影した映像がインターネット上で公開されているが、ダーイッシュが一時期支配していた地域をアメリカは支配し続けようとしている。言うまでもなく、これは不法占領だ。

 ​アメリカ空軍はカタールのアル・ウデイド基地やアラブ首長国連邦のアル・ダフラ基地、あるいはクウェートのアリ・アル・サレム基地とアーマド・アルジャベル基地に戦闘機、偵察機、爆撃機などを集め​、アフガニスタンも空爆できる態勢を整えている。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108110001/

アフガニスタンでの戦争は1970年代にアメリカが始めた(2/2)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108110001/

 アメリカがアフガニスタンを攻撃、占領した利用として、オサマ・ビン・ラディンなる人物をタリバーンが匿ったからだと言われることがある。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃された直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」が実行者で、そのトップがオサマ・ビン・ラディンだと主張してのことだった。

 しかし、9月11日の出来事(9/11)にオサマ・ビン・ラディンが関係していることを示す証拠は示されていない。「アル・カイダ」なる組織は存在していない。アメリカ政府や有力メディアが作り出した悪霊の幻影にすぎない。

 イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが2005年7月に明かしたように、​「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト​。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。

 ムジャヒディンをアフガニスタンで戦闘員として使い始めたのはジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーだが、パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカがアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめたのは1973年だ。

 ブレジンスキーの作戦に基づいてCIAがイスラム武装勢力への支援プログラムを始めたのが1979年4月、ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのはその年の12月である。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争はブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、ミハイル・ゴルバチョフの命令で1989年2月にソ連軍は撤退した。

 アフガニスタンを手に入れたと判断したCIAはパキスタンの情報機関と手を組み、新体制を動かすために「タリバーン」を組織する。この集団は1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返したため、イスラム世界におけるタリバーンの評価は高くなかった。

 ところが、アメリカ支配層は違った。例えばCFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明する。ちなみに、タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。

 アメリカの石油企業はタリバーンを使い、中央アジアの油田を開発しようとする。1991年12月にソ連が消滅した後、カスピ海周辺の石油を輸送するため、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はアゼルバイジャンのバクー(B)、ジョージアのトビリシ(T)、トルコのジェイハン(C)を結ぶBTCパイプラインを計画した。その発案者は巨大石油企業のBPである。

 このBPでブレジンスキーは1990年代に顧問を務めていた。彼はアメリカ政府に対してBTCプロジェクトを支援するように求め、1995年にはビル・クリントン米大統領がアゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ大統領と会談する仲介をしている。

 BTCパイプライン計画にはライバルがすでに存在していた。チェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインだ。この競争相手を機能できなくするためにチェチェンを戦乱で破壊する計画が持ち上がり、その工作を指揮することになったのがCIAのグラハム・フラーだ。

 この人物はアフガニスタンでジハード傭兵の仕組みを作り上げた人物で、その下にはベトナム戦争でCIAの秘密工作に深く関与、イラン・コントラ事件で名前が出てきたリチャード・シコードがいた。

 シコードがアゼルバイジャンで活動の拠点として設立したのがメガ石油。またジハード傭兵数百名をアフガニスタンからアゼルバイジャンへ移動させるために航空会社を設立、1993年までにメガ石油は約2000名の戦闘員を雇い、カフカスでの工作に使ったという。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 しかし、トルクメニスタンからのパイプライン敷設計画の思惑は崩れる。1998年1月にタリバーンはトルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設計画でUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選んだのである。

 そうした動きを察知したのか、クリントン政権は1997年にウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタンの軍隊と演習を開始、アメリカ軍派遣の準備に着手している。

 そして1998年8月、アメリカにとって好都合なことに、ケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、タリバーン政権とのパイプラインに関する交渉を停止、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。また9/11の2カ月前、ブッシュ・ジュニア政権内でアフガニスタンへの軍事侵攻が計画されたと報道されている。

 9/11の2日前、ロシアやイランとも友好的な関係を結ぼうとしていたアーマド・シャー・マスードが暗殺され、9月22日にCIAはウズベキスタン南部にある空軍基地へチームを送り込む。10月にはアフガニスタンを先制攻撃、抵抗らしい抵抗がないまま12月にタリバーン体制は崩壊したと言われた。そして反タリバーン派はドイツのボンで会議を開き、新政府の樹立について話し合い、ハーミド・カルザイ大統領が誕生する。

 この段階で国連安全保障理事会はISAF(国際治安支援部隊)の創設を承認、2003年8月から形式上、NATO(北大西洋条約機構)が指揮権を握っている。建前はどうであれ、ISAFは占領軍にすぎず、相次ぐ「誤爆」で一般住民を殺害して状況を悪化させていった。その一方でケシ畑を保護してきた。

 タリバーンがアメリカに従属しない場合、アメリカは空爆と同時に地上のジハード傭兵で新たな戦争を始める可能性が高い。これはリビアやシリアで使った戦術だ。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108110001/

14. 中川隆[-16968] koaQ7Jey 2021年8月21日 18:57:34 : I2jriCFAv6 : UlhoZEVFSW9Bc3c=[38] 報告
報じられない「タリバンによるアフガニスタン制圧の裏と陰謀」! 麻薬ビジネス、ゴールド、ペド、ディープステート…ジェームズ斉藤が解説!
2021.08.21
https://tocana.jp/2021/08/post_218619_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】

──先日タリバンが首都カブールを陥落させてアフガニスタンを制圧しましたが、実際はどうなっているんですか?

ジェームズ 一言でいうとバイデン政権によるアフガンの「ポイ捨て」です。ポイ捨てした理由はいろんな利権の再分配が終わったためで、アフガン自体が必要なくなったからです。その利権の一番の要が麻薬貿易です。アフガンはアヘン、大麻の生産量が世界トップでアフガン経済のほとんどが麻薬経済に依存している状況だったんです。

──アフガン戦争中でもそうだったんですか?

ジェームズ そもそも戦争中、アメリカ兵たちが何をしていたのかというと「アフガン民主化と復興」という聞こえのいい大義名分の下でアヘン畑のパトロールですから。それは原住民の生活の糧である畑を守るという名目で行われていたんですけど、それは表向きでした。ただし、米軍がアヘン貿易の甘い汁を吸っていたのかというと、それも違うんですよ。米軍は関係ありません。関係していたのは諜報機関でした。

──CIAですか?

ジェームズ そうなんです。まさに、そこがディープステートなどのいろんな勢力の闇に繋がっていくんです。ですから、アフガン問題はいまのアメリカの闇と直結していますので、少し長くなりますが、説明させてください。

 まず、アフガン戦争ですが、意外に多くの人がソ連・アフガン戦争とアメリカのアフガン侵攻がゴチャゴチャになっていますので、そこを整理しましょう。いわゆるアフガン戦争は大きく分けて4つあります。

・19世紀にイギリスと3度戦って最後には完全独立を果たした戦争がひとつ。

・1978年から始まった内戦にソ連が介入してきたいわゆるソ連・アフガン戦争が10年間あります。

・1989年にソ連が撤退してからは内戦が起こって、97年からタリバンが政権を奪取します。

・そして2001年からは9.11を受けたアメリカの侵攻が始まります。

 ただし、アメリカは9.11以前からアフガンに関わっていました。CIAは、アフガン戦争をソ連にとってのベトナム戦争にしようと目論んで、ソ連・アフガン戦争に介入していたんです。ソ連・アフガン戦争を泥沼化してソ連の崩壊の引き金にしようとしたわけです。そのためにCIA主導で、アフガンでムジャーヒディーン(聖戦を遂行する者)を集めて彼らに武器と資金を提供していました。これがCIAによる「サイクロン作戦」です。ただし、あまり表に出ていない話をすれば、この時の資金提供は麻薬の販売によるものでした。アフガンで採れる質のいい麻薬をCIAが買い取っていたのです。要は麻薬ビジネスをしていたんです。また、これらの活動を現地で支援していたのが、我々諜報機関関係者の間では最悪のテロ支援組織として恐れられているパキスタンの軍統合情報局(ISI)でした。

──CIAは買った麻薬をどうしたんですか?

ジェームズ 中南米を経由してアメリカに持ってきたんです。CIAが監視下に置いている中南米の麻薬王、パブロ・エスコバルはその代表格でサイクロン作戦にはかなり貢献しましたが、彼らを中継ぎにして、メキシコの不法移民を使って、アフガン産の麻薬やコカインをアメリカ国内に持ち込んだんです。

──CIAが麻薬のディーラーだったんですか!?

ジェームズ そうです。イギリスのMI6なんかもそうでした。なので、ヨーロッパにも販売路はあり、ほとんどがオランダのアムステルダム等で消費されていました。アメリカの場合は黒人の居住区に売ったんです。それが原因で黒人街がスラム街と化して黒人ギャングのグループができて、いまのロサンゼルスやデトロイト等の「インナーシティー化(大都市周辺の低所得地帯)」した都市部が大量に発生したんです。特にロサンゼルスのダウンタウンは発展途上国レベルのスラム街となっており、コンプトン(全米最悪の犯罪都市のひとつ。ギャング犯罪率は全米平均の8倍)のようなギャングの巣と化したインナーシティは報告されているだけでも平均で毎日4人は銃弾に倒れるという、特殊作戦の専門用語で言う「低強度紛争」の前線と化しています。つまりアフガンに深入りしすぎたためにあろうことか米国の一部が麻薬とギャングが支配する「アフガン化」の様相を呈してしまったのです。ちなみにこれらの社会問題の頂点に君臨するのが民主党で、以前も話しましたが、カマラ・ハリス副大統領はカリフォルニア州検察総長時代に麻薬ギャング利権を牛耳っていたことで有名です。


◆アメリカがアフガン戦争を長引かせたかった理由

──CIA&民主党が自ら国内の治安の悪化を煽ったと。

ジェームズ そうです。彼らが国内の麻薬販売網を強制的に作って黒人をターゲットにしたんです。CIAの論理は、「ソ連との戦いに勝つにはこれしかない。それには犠牲は付き物だ」という論理です。その論理の裏側には「黒人の犠牲だったらいいだろう」という人種差別が無意識のレベルであります。ですから、いまのアメリカが抱える社会問題は、ソ連・アフガン戦争でCIAが行ったサイクロン作戦に起因していることがとても多いんですよ。

──アフガン問題ってアメリカの国内問題の元凶だったりするんですね。

ジェームズ そうです。であるのに、その後、アメリカは再び、アフガンに介入します。それが2011年の9.11以後に起きたアフガン侵攻です。ただし、ここでおかしなことが起きるのです。11年の12月にトラボラの戦いというのがあったんですが、この戦いでアメリカのデルタ・フォースが9.11の首謀者であるビンラディンを見つけているんです。半径100メートル以内にビンラディンがいるから空爆か、自分たちが攻撃するので指示してくれと上層部に連絡しているんですよ。ところが、上層部は「なにもするな」と言ってビンラディンを見逃しています。つまり、本当ならばアフガン侵攻は2カ月程度で終わらせることができたのです。

──長引かせたい理由があったんですね。

ジェームズ その理由がさきほど言った麻薬ビジネスです。ソ連がアフガンから撤退し、アフガンは一時内戦になったのですが、97年にタリバンが政権を取ります。この時、彼らがなにをしたのかというと麻薬の撲滅です。彼らが本気だったのは、アフガンの麻薬の国内生産量が一年で約90%減少したことでもわかります。当時はアフガン産のアヘンが世界シェアの70%以上を握っており、それほど世界はアフガンの麻薬に頼っていたんです。しかし、これで焦ったのがCIAです。一番重要な収入源が消えようとしていたんです。それがアフガン侵攻の直接の原因であることは諜報機関関係者の間では常識です。実際、アメリカのアフガン侵攻直後から麻薬の生産量が増加し、数年経たないうちに00年以上になっているんです。

──つまり、アフガン侵攻って麻薬確保の戦争だったってことですか? 

ジェームズ はい、そうです。はっきり言えば、CIAの麻薬ビジネスです。ですから、今回のバイデン政権によるアフガンのポイ捨ては純粋に戦略面で考えると賢いことをやったんです。いやむしろ、9.11直後の2002年にアフガン復興関連法案を作り、アフガン関連の利権の窓口を務めたバイデンだからできたことだと思います。なぜかというと、アフガン戦争はアメリカにとってフェイクな戦争だったからです。表向きテロとの戦いと言いながら、本当にやっていたのは麻薬ビジネスでした。もうひとつは軍産複合体のための武器の消費でしかありませんでした。こんな戦争をやる意味はありません。つまりバイデンこそが米国のアフガン利権のトップに君臨し、今回大統領となり利権を再配分して「アフガンポイ捨て」を決めたのです。

 もうひとつ、いまアフガンの中央銀行の金庫が空っぽなんですよ。一部マスコミではガニという国外逃亡した超腰抜けの大統領が持ち逃げしたと言われていますが、それはムリです。ゴールドを大量に持ち出すのに1日2日では出来ないんです。しかも彼は報道では160億円程度しか持ち出していません。国家レベルでゴールドは兆単位で貯蓄されます。ゴールドを持ち逃げしたのは米軍です。タリバン侵攻後、米軍が5000人単位でアフガン人の救助、米国大使館スタッフの救助のために表向きには送り込まれたんですけど、彼らのメインのミッションはアフガンの中央銀行の中にあったゴールドを持ち出すことだったと見ています。

◆アメリカがアフガンのゴールドを持ち去った!?
──それは火事場泥棒じゃないんですか。

ジェームズ そうです、泥棒です。いや、それが戦争の本質です。日本が100年前のシベリア出兵で撤退時にドサクサに紛れ、以前ロシア皇帝が持っていた大量のゴールドを持ち帰ったこと、太平洋戦争後にGHQが日本の隠し金をさらっていったのと全く同じことが今回アフガンでも起こりました。そもそも、アメリカはずっとQE(量的緩和)を行って大量にドルを刷っているじゃないですか。あれは実は兌換紙幣(金と交換できるお札)だという話があって、アメリカのFRB連邦準備銀行の金庫を調べてみるとゴールドはもうスッカラカンなんですよ。日本銀行の黒田総裁の所にも最近FRBが頻繁にゴールドを分けてくれと頭を下げに来るという話は国際金融関係者からよく聞きます。ですから、今回のアフガン撤退の目的は戦略論でもあるんですが、ゴールドがないからゴールドを奪いに行ったというのもあるんです。アフガンでは麻薬だけでなく、金もよく採れるんですよ。そもそも、利子を取ることが禁じられているイスラム教圏のアフガンで、国家に借金をさせることがビジネスの中央銀行が存在する自体間違っています。やはり、9.11以降誕生した米国傀儡のアフガンはその存在自体がフェイクでした。

◆中国崩壊の足音

──聞けば聞くほどなんのための戦争だったのかと思ってしまいますね。

ジェームズ そうですね。20年間で2万人のアメリカ人の死傷者が出ていますが、なにもかも無駄だった可能性はあります。だからこそ、今回、アメリカは正しいことをしたと思っています。その最大の理由は中国がタリバンとアフガンの面倒を見る形で撤退したからです。これは大きいです。アフガンは「帝国の墓場」と呼ばれ、歴史的に見てアフガンに手を出した大国はすべて崩壊するか、力を落としています。マケドニア王国、モンゴル帝国、大英帝国、ロシア帝国、ソ連、アメリカがその例ですが、そこに「中華帝国」を目指す中国が加わることになりそうです。まあ、無神論でしかもウイグル問題を抱える中共が、イスラム過激派のタリバンを手懐けることはほぼ不可能なので、長期的にはアフガン問題で中国の崩壊も十分ありえますが。

──アフガンのバックには中国がついたんですね。

ジェームズ それを裏付けるように7月28日に中国の外務大臣の王毅がタリバンと会っていますから。なので、どの角度から見ても、今回のタリバンの首都奪還とアメリカの撤退は予定されていたことです。驚くことはなにもないですし、前述のバイデンの戦略に戻りますが、アフガンを中国に「朝貢」することで、中共に墓穴を掘らせたという点でむしろ現政権の外交政策は評価されるべきだと思います。また、アフガン国民にとっては良い方向になっていくはずです。

──マスコミの論調だとアメリカがいなくなるととんでもないことが起こるみたいな話ばかりですが。

ジェームズ それはアフガンをよくわかっていない人たちの妄想です。そもそもアフガンは多民族国家で多数派はパシュトゥーン人です。彼らの一部がタリバンで、さきほどお話したようにソ連・アフガン戦争が終わったあとアフガンは内戦状態のカオスになっていたんです。そこで伝統的なマドラサ(イスラム神学校)に通う生徒(タリバン)に通う人たちを集めて作ったムーブメントがタリバンなんです。その指導者がオマル師で、タリバンがなぜ人々の人気となったのかというと、実はペドに関連してくるんです。アフガンという土地は何世紀にも渡ってずっとペドが行われてきた国なんです。中年のおじさんが10歳ぐらいの少年とかを寝取りに来るんですよ。


◆タリバンが支持を得た裏に「ペド」

──少年ですか?

ジェームズ 少女も当然狙われるんですけど、日本の衆道に近いものもあるんです。織田信長と森蘭丸に近い関係があったんです、アフガンにも。タリバンはそれを潰したので人気を集めたんですよ。ペドの中年のおじさんたちを処刑しまくって、子供たちを親のもとに返しているんです。それで民衆の支持を得て、オマル師こそ真の指導者だということで人気が出たんです。さらにパキスタンの諜報組織ISIの援助もあってタリバンのジハードを行うムジャハディーンも増えていって、一大ムーブメントになったんです。それが政権を作るまでになったのが97年です。

──しかし、タリバンってイスラム原理主義者ですよね? 原理主義者って普通あまり民衆の支持を得られないと思うんですが。

ジェームズ そこがイスラム教に無知な西側諸国の誤解しているところです。タリバンの考え方はイスラム教徒としては当たり前のことばかりなんです。

 そもそも「原理主義(ファンダメンタリズム)」とは啓典を文字通り解釈することで、戒律が無いキリスト教にしか通じない用語です。イスラム教とは、「宗教の戒律」、「社会の規範」、「国家の法律」が全て同じで、経典解釈及び実践が非常に明快になっている宗教です。要は、タリバンの理念はコーランに書かれていることを忠実に守った暮らしをしようということです。これはイスラム教徒なら真っ当な姿勢です。それが過激主義と言われる大きな理由は、我々の感覚からすると極端な男尊女卑や首切り等の残虐行為をやっているからです。それは現代社会ではあってはいけない行為です。しかし、彼らは宗教の中で生きているのです。イスラム教ではモハメッドが最後の預言者なので、彼らはいまでも7世紀時代の中東の論理から脱却出来ていないのです。

──だからこそ、近代化って話になるんでしょうけど。

ジェームズ ところが、彼らにとってそれは堕落なんです。しかも、「近代化だ、民主主義だ」と言ってる西側先進国がやっていることの中身は、大麻ビジネスで自国をスラム化していることです。タリバンたちはそれを間近で見ているんですから説得力なんかありません。

──善悪ははっきりしているけれど、簡単じゃないと。

ジェームズ そういうことです。また、タリバンとアルカイダを同じものだと見ている人も多いと思いますが、ゴールが違います。

 イスラムを信奉するという本質はともに同じなのですが、アルカイダのゴールは中東全体に真のイスラム教を取り戻すことです。彼らからすると、中東のサウジアラビアやアラブ首長国連邦等は、米国の傀儡政権でしかなくフェイクなイスラム国家なのです。アルカイダたちはフェイクなイスラム国家を潰し、カリフ制を敷き、アラブ人のオサマ・ビンラディンが全イスラム世界のカリフ(預言者の後継者)を名乗り、ウンマ(イスラム共同体)の頂点に立つことでした。

 一方、タリバンはそこまでは想定していません。タリバンはパシュトゥーン人の集まりで、パシュトゥーン人主導のアフガンでイスラム教を実践しましょうという人たちです。なので、彼らは基本的に祖国アフガンにしか興味がないんです。アルカイダのような全中東をイスラム化することまでは考えていません。

──ということはタリバンとは、いま日本のマスコミで言われているほど凶悪な人たちではないんですね? 

ジェームズ いえ、凶悪なのは確かで日本や欧米の感覚だと「悪」かもしれませんが、そのような特徴のみではタリバンの全体像は見えません。タリバンは政権奪取後、「我々は国民とアフガニスタンのサーヴァントだ」という声明を出しました。これはタリバンのプロパガンダですが、一応彼らの思想の根本であるパシュトゥーン民族主義を反映しています。これは宗教やテロとはなんら関係がなく、純粋な愛郷心の発揚です。

 確かに、アフガン国民はこれからシャリーア法の下で自由度ゼロの窮屈な生活が待っています。しかし、治安は回復し、米軍占領下でも全く統制が効かず腰抜けの支配層が汚職まみれになり毎日のようにテロが起こっていたような時代は過去のものになるでしょう。いま、身の危険を感じると騒いでいるのは米軍の協力者、人権団体関係者、そして麻薬ビジネスに協力して甘い汁を吸っていたアフガン人の可能性が高いです。彼らは西側とのパイプを持っていますから、そういう話だけしかこちらには伝わってこないだけで、これからアフガンは少なくとも国民のものにはなると思います。

──ということはバイデンの撤退はいまいろいろ批判されていますけど、悪いことではなかったと。

ジェームズ バイデンの戦略でもバイデンの手柄でもないですけど、結果的にそうなります。そもそも、タリバンとの手打ちはバイデン政権で始まったことではなく、トランプ政権時代から始まっていたことですから(笑)。実はタリバンを大統領の保養地であるキャンプデービッドに招く予定もあったんですよ。

──公式にですか?

ジェームズ そうです。トランプ大統領はタリバンの全権団と会うことになっていたんですけど、当時の政治状況でドタキャンになってしまってポンペイオ国務長官がタリバンのトップと会って、アフガン和平合意のロードマップとしてトランプ政権がガニ政権によって収容されていた5000人のタリバンの囚人を釈放することに合意しているんです。だから、撤退は数年前から予定されていたことなんです。アメリカの国民の世論もアフガンと永遠に戦争をするのは反対だったんですよ。

 確かに民主化したアフガンの方が良いですが、それは空想論です。結局、アフガンの民主化は国内が売国奴だらけになり、米国の麻薬ビジネスや軍産複合体だけが儲かるだけでした。20年に及ぶ対テロ戦争も結局イスラムテロはおろか、最近では極右・極左テロも撲滅できない始末です。究極には米国自身が疲弊し、「アフガン化」するという笑い話にもならない状況になっています。そういう中で消去法でアフガンをタリバンに任せることになったのですが、どう考えてもこの選択肢しかないと思います。

 ちなみに私は詳しくは言えませんがどちらかと言うと「反タリバン」のアフガン人脈と繋がっておりタリバンを一切認めていません。私の人脈は同じイスラム教徒でも過激主義やテロを嫌い、果敢にタリバンに立ち向かった真のムジャヒディーンです。しかし、その私でも安全保障上の理由で非常に残念ですが、今回生まれたアフガンの新しい現実を受け入れるべきだと思います。ただ、アフガンが二度とテロリストの拠点にならないよう、アフガン国外ではタリバン及びイスラム過激派とは徹底抗戦を継続するべきです。米軍撤退後も「対タリバン工作」をするために現在のカオスのドサクサに紛れて諜報員をアフガン入りさせておくべきでしょう。いずれにせよ、今回お話ししたようなイスラム教やタリバン等に関する基礎知識は今後の未来を考える上でも必須ですので長くなりましたがお話しました。

──日本の報道ではまったく見えてこないアフガン情勢がやっと見えてきました。ただ、ひとつ気になるのが、今回のジェームズさんの話を聞いてると9.11は誰がやったんだ?という疑問が芽生えるんです。まるでCIAが麻薬ビジネスのために何らかの画策をしたように感じたんですが、どうなんですか?

ジェームズ いえ、さすがにそれは違います(笑)。ただし、トカナ読者ならばご存知のように9.11はあまりにも不可解なことが多すぎるんです。そして、当然ながら9.11はアフガン問題と大きくリンクしています。次回はそのことについて、あまり表に出ていない案件も話も含めてお話しましょう。

15. 中川隆[-16920] koaQ7Jey 2021年8月23日 21:05:06 : HioEmN18ao : dG5IQzFrSFR3NGc=[8] 報告
2021年08月21日
アフガン難民がやって来る ! / 戦争で儲ける富豪達
戦争で儲ける人々
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68868589.html


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(左 : アフガニスタンを掌握した支配者のタリバン / 右 : 非常時に休暇を楽しむバイデン)

  アフガニスタンはよく「侵略者の墓場」と呼ばれる。なぜなら、この地域に侵攻した軍隊はゲリラ戦の泥沼に陥り、悲惨な結果を味わいながら撤退する破目になるからだ。かつて、「柔らかい下腹部」と評されたアフガニスタンをソ連軍は蹂躙した。すると、スティンガー・ミサイルを抱えた「ムジャヒディン(Mujahideen)」に反撃され、面目丸つぶれで引き揚げることになったのだ。ロシア兵は現地のゲリラ兵に手こずったが、このアフガン人部隊は米国の支援を受けていた。一般の日本人でもシルヴェスター・スタローンのヒット作、『ランボー / 怒りのアフガン』を観たことがあるだろう。たぶん、「あの武装した山岳民族のゲリラ兵か!」と判るはずだ。映画の中では、アメリカ人と一緒に悪のロシア軍をやっつける勇士と描かれていたが、実際は昔ながらの叛乱部隊で、アジア大陸でよく見かける匪賊集団に過ぎない。でも、別の角度から見れば、アメリカの支援を受けた現地の傭兵となる。

  冷戦の終結でソ連軍と闘うムジャヒディーンの存在は薄くなったが、2001年、何ともいかがわしい「9/11テロ」が米国内で発生し、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、親爺がやり残したイラク戦争を再開することにした。所謂「テロとの戦い」という大事業で、金の匂いがプンプンする。財界の旦那衆から大統領にしてもらったジョージ・Wは、お目付役のチェイニー副大統領にド突かれながら、「勇敢な最高司令官」を演じていたが、何とも白々しい演技であった。だいたい、仲良しのオサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)とアル・カイーダ(Al-Qaeda)のチンピラどもが「犯人」なんて馬鹿げている。ジョージ・W・ブッシュは、親爺とビン・ラディン家との関係を正直に告白できるのか?

  ブッシュ家と昵懇のジェイムズ・R・バス(James R. Bath / テキサスのビジネスマン)は、あの悪名高いBCCI(Bank Commerce Credit International)を通して、サウジ・アラビア怪しい商売をしていたが、ブッシュ家はこれを弁解できないだろう。CIA長官から大統領になったポピー(Poppy)・ブッシュは、シェイク・ビン・ラディン(Sheikh bin Laden)と“いかがわしい”ビジネス関係にあったじゃないか。(Jonathan Beaty and S.C. Gwynne, The Outlaw Bank, Washington D.C.: Beard Books, 2004, p.229.を参照。) これは有名な話だけど、ジョージ・ハーバート・ブッシュは、ケネディー大統領が暗殺された1963年11月22日、テキサス州のダラスにいたのに、記者から「何をしていたのか」と質問されたのに、はっきりと答えられなかった。ほとんどのアメリカ国民が何をしていたのか覚えていたのに、優秀なポピー・ブッシュは思い出せなかったんだって。へぇ〜。

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(左 : ジェイムズ・ロス / 右 : サウジアラビアのプリンス・サルマン・ビン・アブドゥル・アジスと会談したブッシュ大統領)

  アメリカで起きる大事件というのは、いつも怪しい臭いが立ち籠めている。もしも、指名手配された連中が本当の「首謀者」で、殺戮計画を立てた「張本人」というのであれば、ちゃんとWTCの科学的捜査を命じればいいじゃないか。どうして、ブッシュ大統領は、WTCの残骸をさっさと廃棄してしまったのか? 犯行現場の物的証拠を調べないなんておかしいぞ。それに、どうしてコンクリートの粉末が降り注いだくらいで、マレー通りに駐めてあった自動車が、みんな黒焦げになるんだ? また、火災で鉄骨の柱が錆びるなんておかしいだろう。ブッシュ大統領とチェイニー副大統領は、「大量破壊兵器があるぞ !」とイチャモンをつけてイラクを攻撃したけど、肝心の破壊兵器は見つからず、「一生懸命探したんですけど、結局ありませんでした !」という言い訳でお茶を濁した。しかし、「世界秩序を乱すテロリストは赦せない !」という建前で、アフガニスタンに攻め込んだ。ところが、いつまで経ってもアフガニスタンは平和にならず、テロリストやゲリラ兵が跳梁跋扈。痺れを切らしたアメリカ人は、政府に対し「お前等、何か別の目的があるんじゃないか?」と疑いを持ち始めた。すると、こんどは白々しく、「20年もやってきたから、この辺で足を洗います !」という終了宣言だ。アフガン人の政治腐敗なんて端っから分かっていたじゃないか ! こんな弁解で落とし前がつくのか?

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(左 : ジョージ・ブッシュ大統領親子 / 右 : オサマ・ビン・ラディン)

  それはともかく、この対テロ戦争で浮かび上がってきたのは、西歐諸国で悪名高き「タリバン(Taliban)」だ。このタリバンを創設したのは、一応、アフガニスタン出身のパシュトーン人で、ソ連軍と闘ったモハンマド・オマール(Mohammed Omar)と言われている。彼の副官はアブドゥル・ガニー・バラダル(Abudul Ghani Baradar Akhund)。「タリバン」というのは、元々イスラム教を学ぶ信徒を意味したようだが、首領のオマール師は、かつてムジャヒディーンに属していたという。国際情勢に疎い日本人にとって、パキスタンやアフガニスタンで起こる事変なんか、太陽系の外で起こる恒星の爆発と同じで、未知の領域である。パキスタンの政情や内乱は、歐米諸国の報道機関を通してのみ伝わる噂話ていど。その他の事柄は複雑怪奇で全く解らない。

Mohammad Omar 122( 左 / モハンマド・オマール )
  そもそも、日本の外務省だって、どんなアラブ人やアフガン人がムジャヒディーンにいたのか判らないし、何を目的としているのかさえも、てんで解らない。キャリア官僚が口にする「情報収集」なんて、CNNの報道を日本語に訳しただけの“まがい物”だ。ムジャヒディーンからタリバンへ流れたゲリラ兵が誰なのかも判らないし、内部の権力構造なんて悉く謎である。だいたい、ゲリラ兵の活動資金は誰が賄っているのか? たとえ「ムスリム」の名を冠した集団であっても、裏からイスラエルの資金が流れている場合もあるし、もしかすると、歐米のユダヤ人組織が操っている偽旗組織かもしれないのだ。もっと勘ぐれば、軍需産業と金融業界の大物が黒幕というシナリオも考えられる。そもそも、中東アジアで火種をバラ撒き、団扇で煽って大火にするのが「いつもの遣り口」で、火消し役になるのがアメリカの軍隊だ。消防士が放火魔というのは、世界政治にも当て嵌まる。ただし、放火魔と違うのは、何億ドルもの巨額な資金を動かし、何兆ドルもの利益を得ている点だ。

Mujahideen in-AfghanistanTalibans 6


(左 : ムジャヒディーンのアフガン兵 / 右 : タリバンのアフガン兵 )

Mujahideen in-Afghanistan 33(左 / スティンガー・ミサイルで応戦するムジャヒディーンのゲリラ兵)
  戦争は儲かる。学校で「平和教」を刷り込まれた日本人には想像できないが、外国で起きる紛争は鰻の蒲焼きよりも香ばしく、ロイヤルゼリーの蜂蜜よりも甘いビジネスだ。広島・長崎の原爆ネタで食っている左翼や、反戦活動に勤しむ大学生には理解できまい。合衆国政府が惜しみなく使う公金(戦費)は、イラク人やアフガン人に渡ることはないのだ。何億ドルもの紙幣は、戦車や装甲車を生産する軍事産業、燃料を提供するエネルギー会社、軍事施設を建設するゼネコン、兵器産業に投資をする金融業者、紛争やテロを事前に知るヘッジファンド、ピンハネを要求する政治家などに流れて行く。戦争で実際に起こるのは、国富の“消失”ではなく“移動”である。

  ここでは省略するが、どうしてバイデンは今頃になって「アフガニスタンからの撤退」を決めたのか? この先どうなるか予想は出来ないけど、何らかの「計画」に基づいた行動なんじゃないか? つまり、アメリカのエスタブリッシュメントは、わざとタリバンにアフガニスタンを支配させて、世界政治を動かそうと目論んでいるのかも知れないぞ。ホワイトハウスはアフガニスタン政府の腐敗や無能力に見切りを付けた、と述べているが、本当はタリバン政権の恐怖を復活させ、世間の注目を国内問題から逸らす目的があるんじゃないか?

  このヤラセ撤退は、裏で北京政府を助ける策略なのかも知れない。中東アジアの資源を支那に与えて、支那軍を強力にしてから、用意した戦争に導く、というシナリオだってあるのだ。つまり、米国の「敵」が弱いと大規模な戦争にならないから、適当に強くしてから叩くのが一番。もうそろそろ、血なまぐさい戦争をしないと軍需産業は儲からないし、ハリウッド映画のネタも尽きてしまうので、新たな熱戦が必要になってくる。アジア地域での軍事衝突が起これば、色々な軋轢が発生するが、こうした厄介な事は、いずれ辞任するボケ老人に押しつけて、しまえばいい。不都合な痕跡は闇に葬る。これがパトロン連中の常套手段だ。まぁ、そのために痴呆症のバイデンを大統領にしたんだから、この老人は憐れな「使い捨ての消耗品」に過ぎない。

  令和の高校生や大学生にとったら「昔話」になってしまうけど、アメリカの政界も財界と回転扉で繋がっており、経済界の大物が閣僚になったり、閣僚を辞めた者がビジネス街に戻ったりする。例えば、ニクソン政権で財務長官を務め、レーガン政権で国務長官になったジョージ・シュルツ(George P. Shultz)は、大手建設会社の「ベクテル(Bechtel)」で社長を務めていた。ブッシュ政権で副大統領になったデック・チェイニー(Richard B. Cheney)も、財界と政界を股に掛ける大物だ。彼はフォード大統領の首席補佐官を務めた後、ワイオミング州選出の下院議員になり、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領になると、その政権で国防長官になった。しかし、政界を離れていた1995年から2000年まで、チェイニーは石油掘削機の大手販売会社である「ハリバートン(Halliburton)」の経営者になっていた。女房のリン・チェイニー(Lynne Ann Cheney)夫人は、1994年から2001年までロッキード社の重役だったから、軍事産業のインサイダーとしか言い様がない。

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(左 : ジョージ・シュルツ / デック・チェイニー / リン・チェイニー / 右 : 共和党員から「裏切者」と糾弾されたリズ・チェイニー下院議員 )

  確かに、「ハリバートン」の主要な事業はエネルギー部門なんだけど、この多国籍企業は軍事関連の仕事にも携わっていた。例えば、海外に展開するアメリカ軍のケイタリング・サービスから基地の建設にまで係わっていた、というから凄い。合衆国政府が海外に建設する基地というのは、アメリカ社会の縮図というか複製で、レストランや病院はもちろんのこと、ゲーム機やビリヤード場を備えたレクリエーション施設、アメリカと同じ品揃えのスーパーマーケット、チェーン店のスターバックスやバーガーキング、ケンタッキー・フライド・チキン、さらに映画館まである。つまり、ショッピングモールがセットになった軍事複合施設という訳だ。これに加えて、トラックや装甲車などを修理する整備工場とか、スペア・パーツを保管する倉庫まであるんだから、こうした事業を請け負うゼネコンには巨大な利益が転がり込んでくる。だから、建設会社や軍需産業の重役達は平和な時代が続くとイライラし、「もう5年間も平穏かぁ〜、そろそろ戦争でも始めなきゃなぁ〜」とボヤく。すると、仲間の愚痴を聞きつけた闇組織が動き出し、「よし、わかった ! いっちょう、テロ事件で仕掛けるか!」と張り切る。

  9/11テロを利用する合衆国政府は、2001年から2021年までアフガニスタンで戦争を続けていたが、この間に使った公金は、何と、2兆2,610億ドルであったらしい。(Ronn Blitzer and Thomas Barrabi, ‘US spent nearly $2.3 T on Afghanistan over 20-year conflict that ends with Taliban back in charge’, Fox News, August 16, 2021.) これはブラウン大学の「Costs of War Project」が算出した数字であるが、そこには国防総省が作戦に使った予算9,330億ドル、軍事基地の建設関連で消費された4430億ドル、退役兵や傷痍兵の治療に使われた2960億ドル、国務省にあてがわれた590億ドル、戦時国債の利子を支払うための5300億ドルが含まれているそうだ。アフガニスタン再建特別監査長官(SIGAR)によれば、連邦議会はアフガニスタンの治安を守るために886億ドルもの予算をつけたという。

  さすがに、アメリカの一般国民も「billion(10億)」じゃなく、「trillion(1兆)」という単位を耳にすれば、「そんな金額、想像もつかない !」と驚く。大半の人は実感が湧かないから、ただ唖然とするしかないが、それと同時に、「何で、そんなに使うんだ !」と腹が立ってくる。(イギリス人が「trillion」と聞けば、ブリテン式に10の18乗、つまり「100京」と思ってしまうが、最近ではアメリカ流の単位で考えるようになったという。) 合衆国政府が使った戦費は、あまりにも桁違いなので、一般国民には理解しがたいが、1日の費用で換算すると、毎日毎日、約3億ドル使ったことになるそうだ。納税で苦労するアメリカ国民が聞けば、「ふざけんじゃねえぞ!」と言いたくなる。 温厚なアメリカ人でも堪忍袋の緒が切れてしまうが、4千万人のアフガン国民1人当たりに5万ドルを与えたことになるらしい。(Christopher Helman & Hank Tucker, ‘The War In Afghanistan Cost America $300 Million Per Day For 20 Years, With Big Bills Yet To Come’, Forbes, August 16, 2021. )

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(左 : アメリカの援助を受けたアフガニスタンの民衆 / 右 : 「一人前の軍人」を気取っているアフガン兵 )

  アメリカ軍の士官は現地のアフガン人を訓練し、対テロ部隊を養成したと報じられているが、実際のアフガン兵は使い物にならず、数を揃えただけの張り子の虎である。訓練に当たったアメリカ人は命令だから仕方なく教育にあたったが、「こんな低脳どもに軍事訓練を施したって、時間と費用の無駄じゃないか!」というのが彼らの本音らしい。募集に応じたアフガン人は、アメリカ軍から戦闘服や武器をもらって“いっちょ前”の戦士気取りだが、「捨て駒」くらいの価値しかない。そもそも、千年前と変わらぬ生活をしている山岳民族に、近代戦の装備を扱うなんて無理だし、現地兵が実際の戦闘でどれだけ機能的に動けるかどうかも分からないから、アメリカ人の教育係は匙を投げてしまうのだ。

  他方、アメリカの庶民は所得税や住宅ローンの支払いだけでなく、子供の教育費や光熱費の上昇でも青息吐息。そのうえ、健康保険料の値上げと医療福祉の高騰があるから、丈夫な人でも立ち眩みとなる。「小さな政府」を求めるリバタリアンや保守的な常識人なら、「どうして政府はアフガン人を助けているんだ ! 先ず、俺達を優先的に救うべきなんじゃないか!」と叫んでしまう。主流メディアの人気キャスターや御用学者は、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」を馬鹿にしたが、「アメリカ第一主義」は沈黙する庶民の本音である。

地下資源を争奪するアメリカ

  今や、日本の地上波テレビは、カルト宗教と変わらぬ宣伝機関と化している。製薬会社の配下となった民放は、「ウイルスの脅威」を煽りまくり、未承認のワクチンを国民に勧める。その一方で、愚民化政策にも熱心で、表面的な海外ニュースを垂れ流すだけで、肝心な分析や裏話は一切無し。朝昼晩と毎日、NHKやフジテレビをボケ〜と見ている日本人には、アフガニスタンの情勢なんか、これっぽっちも解らない。「専門家」と称する大学教授が登場しても、形式通りの説明をするだけで、後はバイデン政権にケチをつけて終わりだ。米軍撤退の真相なんてどうでもいい。マスコミが詳しく追求するのは、藝人の色恋沙汰かスポンサー企業の新製品だけである。

  建前上、合衆国政府がアフガニスタンやイラクに軍隊を派遣するのは、「テロリストの悪党を殲滅するため」となっているが、真の狙いは利権の確保と銭儲けである。(日本の学者は滅多に口にしないけど、アフガニスタンは阿片の産地で、諜報機関のワルどもは、ケシの実やコカインの密売を黙認する代わりに、「見返り」をもらっているかも知れないのだ。なぜなら、自分達で勝手に使える「へそくり」が欲しいから。) 荒寥とした大地が広がり、貧乏人が住むだけのアフガニスタンには、信じられないくらい貴重な天然資源が眠っている。アフガニスタンの天然資源を調べる「U.S. Geological Survey's Afghanistan project」のジャック・メドリン(Jack Medlin)氏によると、「アフガニスタンは鉱物資源が非常に豊富」であるそうだ。少なくとも、24種類の鉱物は世界トップクラスであるらしい。(Cahrles Q. Choi, "$ 1 Trillion Trove of Rare Minerals Revealed Under Afghanistan", Live Science, September 4, 2014.)

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(左 : 貴重な鉱物資源 / 右 : 鉱山で働くアフガン人 )

  例えば、アフガニスタンの大地からはランタン(lanthanum)、セリウム(cerium)、ネオジミウム(neodymium)、アルミニウム(alminum)、リチウム(lithium)、カーボナタイト(carbonatite)、金、銀、鉛、水銀が採れるという。「ランタン」は、セラミック・コンデンサや光学レンズ、ニッケル・水素蓄電池などに使われる素材である。(一般的に言われる「コンデンサ(蓄電器)」は「キャパシター(capacitor)」のことで、「コンデンサ」はドイツ語の「kondensator」から由来していると思われる。「濃縮」よりも「蓄積」の方が実態をよく表しているから、筆者は「capacitor」の方を用いている。) 「セリウム」はガラスの研磨剤やハードディスクの基板だけじゃなく、医薬品や触媒などにも使われるそうだ。「ネオジミウム」は一般人にも馴染みが深く、磁石やスピーカー、光学素材に用いられている。電気自動車の生産には、「リチウム」が欠かせないから、この稀少金属を持っている国は列強の標的になりやすい。

  また、アメリカ国務省はアフガニスタン再建のために「通商・安定化部局(Task Force for Business and Stability Operations)」を設立し、同国の天然資源を調べたところ、アフガニスタンの鉱物資源は9千80億ドルもの価値があると判った。しかし、アフガニスタン政府の見積もりは異なっており、その価値は3兆ドルにもなるそうだ。さらに、歐米のビジネスマンや地政学者には承知の事実なんだけど、アフガニスタンにはルビーやサファイアといった宝石がザクザク採れる。(Gary W. Bowersox, Eugene E. Foord, Brendan M. Laur, James E. Shigley, and Christopher P. Smith, "Ruby and Sapphire from Jegdalek, Afghanistan, Gems & Gemology, Vol. XXXVI, 2000.を参照。) 日本人の政治学者は、フジテレビが放映する『One Piece(ワンピース)』を観て喜んでいるが、アフガニスタンを侵掠したロシア人や、「正義」を掲げて進軍したアメリカ人は、リアルな「宝探し」をしていたのだ。日本の大学生は「ルフィー」や「ナミ」程度の海賊しか知らないが、NYのウォール街には海賊よりも強欲な豪商がいるんだぞ。

ruby 1Sapphire2(左 : ルビー / 右 : サファイア )
  ちなみに、宝石好きの女性には常識なんだけど、ルビーの名称はラテン語の「rubeus」、サファイアの名称は「saphirus」から由来し、両方とも「鋼玉(corundum / コランダム)」が原石となっている。コランダムが酸化クロムを含むと赤くなり、その赤色が鮮やかな「ピジョン・ブラッド(鳩の血)」になると高値が付く。もし、コランダムに鉄やチタンが含まれると青のサファイアになるという。コランダムは含む物質によって、ピンクや黄色、紫色になったりする。ルビーやサファイアは加熱処理で色を鮮やかにする場合もあるという。

  中央アジアと言えば、もう一つ忘れてはならないのが、石油と天然ガスだ。アフガニスタンの隣国であるトルクメニスタンには天然ガスが豊富で、世界第六位の生産高を誇っている。ちなみに、第1位はロシアで、2位はペルシア(所謂「イラン」)、3位はカタール、4位はサウジ・アラビア、アメリカは第5位となっている。トルクメニスタンの「ダウレタバッド(Dauletabad)」には、大きなガス田があって、ここのパイプラインがアフガニスタンのカンダハール(Qandahar)を通って、パキスタンのクェッタ(Quetta)やムルタン(Multan)へと伸びている。そして、このパイプラインはインドに到達するんだが、別のパイプラインはトルクメニスタンから支那へ伸びており、ウズベクスタンとカザフスタンを経由している。北京政府は「一帯一路」という策略を展開しているが、支那人はアジア大陸の天然資源をも狙っていたのだ。

国民を見棄てた大統領

Aschraf Ghani 001( 左 / アシュラフ・ガニー)
  アメリカ軍の将兵は、大金を使ってアフガン人を助けていたが、肝心のアフガン人は碌でなしの政治家や腐敗議員によって支配されていた。その代表例が、大統領でありながら、一目散に逃亡したアシュラフ・ガニー(Ashraf Ghani)である。カブール(Kabul)にあるロシア大使館によれば、庶民を見棄てたガニー大統領は、4台のクルマとヘリコプター1機に、ありったけの現金を詰め込んで、祖国からさっさと脱出したそうだ。("Russia says Afghan president fled with cars and helicopter full of cash", Reuters, August 16, 2021.) もう、情けないというか卑劣というか、一国の指導者が大金を抱えてトンズラなんて、普通じゃ考えられない。じゃあ、タリバンに支配された一般国民はどうなるんだ? タリバンの首領であるムラー・アブドゥル・ガニー・バラダー(Mullah Abdul Ghani Baradar)は、大統領官邸で王様気分だけど、イスラム教の誡律を強化されたら、一般女性は堪ったもんじゃないだろう。どの女性も「ブルカ」を身に纏って街中を歩く破目になるはずだ。 『スターウォーズ』に出てくる惑星「タトゥーン(Tatooine)」や「ジャクー(Jakku)」、「ナブー(Naboo)」でさえ、「ブルカ姿の群れ」なんて見かけないのに、現実のアフガニスタンでは異様な光景が至る所で観られる。

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(左 : ムラー・アブドゥル・ガニー・バラダー / 右 : 「ブルカ着用」を義務づけられたアフガン女性 )

  形式上、アシュラフ・ガニーは「財務相」上がりの「大統領」となっていたが、この男は国際金融業者の飼い犬だった。つまり、アメリカに仕えるアフガン人の買弁というわけ。以前、彼は世界銀行(World Bank)のアナリストをしていたが、人生の大半を過ごしていたのはアメリカで、何と、1964年から2009年までアメリカ国籍を持っていたのだ。ガニーはオレゴン州の高校に通い、ベイルート(レバノン)にある「アメリカン大学」へと進んだが、そこを卒業すると直ちに「帰国」し、NYにあるコロンビア大学に入った。彼はここで博士号(PhD)を取得し、学者の道を歩むことになる。このアフガン系アメリカ人人はカルフォルニア大学のバークレー校やジョンズ・ホプキンス大学で教鞭を執ったが、もう一つの特技を身につけたかったのか、ビジネスの勉強にも励んでいた。

  普通のアフガン人とは違うアシュラフ・ガニーは、娶る女性も違っていた。ガニー夫人となったルラ・サダー(Rula Saadah)はレバノン人で、イスラム教徒じゃなくてキリスト教徒。彼女は夫と同じくアメリカン大学で学んだことがあり、卒業後、偶然にもコロンビア大学へ留学し、そこで未来の夫であるアシュラフと出逢う。結婚した二人には息子と娘が生まれているが、彼らもアフガン国籍じゃなく、アメリカ国籍を持つ。息子のタリク・ガニー(Tarek Ghani)は学者の道を選び、「ブルッキングス研究所」の研究員となったり、「International Crisis Group」の「Future of Conflict Program」に参加するエコノミストになっていた。

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(左 : ルラ・サダー / 中央 : タリク・ガニー / 右 : マリアム・ガニー )

  娘のマリアム・ガニー(Mariam Ghani)は、ヴィジュアル・アーティストになったそうで、NYのブルックリンに居を構えて快適な人生を歩んでいる。アメリカ生まれのアフガン人だから、父親の祖国には興味が無いようで、アメリカ人の記者が尋ねてきてもノー・コメント。不愉快な質問には答えたくなかったそうだ。(Tamar Lapin, "Exiled Afghan president's daughter living artist life in NYC while women dread return of Taliban overseas", New York Post, August 17, 2021.) マリアムを見ていると、「生まれてくる家庭によって人生は違ってくるんだなぁ〜」ということが、しみじみ分かる。この道楽娘は気楽だけど、父親に見棄てられたアフガン女性はどうなるんだ? おそらく、彼女達はタリバンの恐怖政治に怯えて暮らすに違いない。大統領の娘は異教徒の国に生まれて、“都会の生活”を楽しんでいるんだから、神様は何とも不平等な世の中を創ったものだ。

アフガン人の通訳が移民となる

  アメリカ国内には戦争で儲ける商売人や政治家が跋扈する一方で、政府の暴挙により多大な被害を蒙る一般国民が存在する。民衆党や共和党の連中は、シンクタンクの御用学者とグルになって、イラクやアフガニスタン、ソマリア、ボスニアなどに米軍を派遣するが、陸軍や海兵隊の兵卒は“消耗品”のように扱われている。アクション映画に感化されて入隊した白人兵は、遠く離れた異国で命を失い、かろうじて助かった者でも、手足や目玉を失うか、大やけどで病院送り。RPG(榴弾砲)の爆風で負傷した兵卒は、体の至る所に金属片が刺さってしまい、手術をしても取れない場合がある。ブート・キャンプで健康だった白人青年も、イラクやアフガニスタンに派遣されると、「使い捨ての駒」になって命を失う。そうじゃなくても、戦友が次々と「挽肉」になる場面を目にするから、戦死の前に自殺を考えてしまうそうだ。たとえ、奇蹟的に生き残った兵卒でも、精神はボロボロになり、PTSD(心的外傷後ストレス障碍)に苦しんだりする。中には重態で還ってくる者もいるから、その家族は戦々恐々だ。まさか、自分の息子が「片輪のダルマ」になるなんて想像したくない。

  政治の失策が起きると、その尻拭きはいつも庶民に廻ってくる。忌々しいのは「人権派」と呼ばれるリベラル議員で、彼らは自国の白人兵に冷たいが、アフガン人の難民になると非常に親切。「タリバンが君臨する国家は厭だろう」ということで、「難民の皆さん、アメリカへいらっしゃい !」とばかりに、不気味な容姿の異邦人を出迎える。アフガニスタンから逃げ出す難民の群れは、サイゴン陥落時のベトナム人と一緒だ。敵対勢力の侵攻に怯えた原住民は、アメリカ人に縋ってヘリコプターに乗ろうとするが、定員オーバーで払い落とされる。置いてきぼりにされたベトナム人やアフガン人は、絶望の淵に突き落とされ、諦めの境地に辿り着く。

  一般の日本人はアフガン難民を受け容れる米国を目にして、訳が解らず「どうして?」と不思議がるが、アメリカの国務省は「特別移民ビザ(Special Immigrant Visa / SIV)」という制度を準備していたから、ドンドン異邦人を引き入れている。このカラクリは以下の通り。

  アメリカ人というのは一般的に英語以外の言葉を話さない。(スペイン語を母語とするヒスパニック系国民や南米移民、あるいは北京語とか福建語を話す支那移民は別。) したがって、外国で戦うアメリカ兵には英語を理解する現地人が必要だ。そこで、アフガニスタンに駐留するアメリカ兵には、多少なりとも英語を話すパシュトゥーン人(Pashtun)やタジク人、ウズベク人などが紹介され、部隊に追随する通訳となっている。アフガニスタンには他にも様々な民族がいて、ペルシア語系の言語を話すハザラ人(Hazara)とかバローチ人(Baloch)、チュルク系民族のキルギス人などもいる。だから、彼らの身に危険が及べば、「御褒美」というか「保険」みたいな形で、米国への避難が可能となるのだ。

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(写真 / アメリカ兵の通訳を務める現地のアフガン人)

  撤退すると決める前、アフガニスタンには約2千500名くらいしかアメリカ兵は駐留していなかった。しかし、アフガン人の「通訳」は約2万人もいたのだ。アメリカ人じゃなくても、「どうして2千名の軍人に対し、2万人の通訳が必要なんだ?」と怪訝に思うだろう。実は、答えというのは簡単で、問題はオバマ政権にあった。バラク・フセイン・オバマが大統領の時、アフガニスタンには約10万人のアメリカ兵がいたという。これだけの軍人がいれば、現地を案内する通訳が増えるのも当然で、アメリカ兵2名につき、1名のアフガン人通訳がいたそうだ。(David Greenfeld, "Saving Afghan Interpreters is a Scam That Would Bring 100,000 Afghans to U.S.", Front Page Magazine, July 23, 2021.) まぁ、歩兵部隊は現地の民衆を相手にするから当然なのかも知れない。

  既に、恐ろしい事態は始まっているようで、2007年から2017年の間に、7万人くらいのアフガン人が入国したそうだ。最終的に、いったい何人のアフガン難民が流入してくるか判らないけど、アフガン情勢に詳しいダニエル・グリーンフェルドによれば、10万人規模の難民になるらしい。なぜなら、「避難民」としてやって来るのは、米軍の通訳ばかりでないからだ。つまり、通訳の家族も一緒にやってくるというわけ。これなら避難民の数が増大してしまうのも当然だ。例えば、2016年、58名のアフガン通訳は、165名の家族を伴って米国にやって来た。人道主義に基づいた「SIV」の乱発は恐ろしく、4千283名の政府職員には、1万100名の家族がいたそうで、この家族がセットになって米国へ渡ってくるんだから、移民反対派のアメリカ人は顔面蒼白となる。

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(写真 / 近隣諸国やアメリカへ逃れようとするアフガン難民)

  だいたい、10万人のSIV移民といっても、実際のビザ申請者は3万1千名くらいで、残りの6万9千名はその家族である。アジア大陸の家族意識は西歐人のものとは大違いで、1名の通訳といっても、その家族には子供や両親のみならず、兄弟姉妹、伯父叔母、従兄弟まで含まれてしまうのだ。それゆえ、一緒に避難する「同伴者」が、10名ないし20名に膨らんでも不思議じゃない。しかし、この内情を西歐系アメリカ人が知ったら大騒ぎとなるだろう。もし、自宅の隣にアフガン難民が引っ越してきたら、英語も解らない老人や少年、居候みたいな髭面の青年、ベールを被った正体不明の女性が近所をうろつくことになる。アジア移民が大勢住み着いた地域には、必ず民族料理の素材を扱う食料品店やエスニック料理店、特殊な衣服を扱う雑貨店、移民が集う理髪店や酒場などが出現するからだ。

  こうなったら、昔ながらのコミュニティーは崩壊し、変質した故郷は元に戻らない。所得の高い中流白人は自宅を売却して、アジア人がいない郊外へと逃げ出す。しかし、低所得の白人や母子家庭、住宅ローンを抱える中堅サラリーマン、引っ越し費用を捻出できない老夫婦などは、アジアン・コミュニティーを嫌っていても、じっと我慢するしかない。白人兵が大量に死んで、大勢のアフガン人が「アメリカ国民」になるんだから、穏健なアメリカ人でもKKKに入りたくなるじゃないか。ところが、こうしたアジア難民を引きずり込んだ政治家や高級官僚は、不愉快な外人が寄りつかない要塞に住んでいる。すなわち、彼らは高い城壁と警備員に守られた高級住宅地に住んでいる。そして、彼らの子供達が通う学校も、貧乏移民が入れない難関校である。後進国で育った子供には、卓越した学力なんて皆無。そもそも、高額な授業料と教材費が要求される名門私立なんて無理、論外、夢のまた夢である。こうした学校は、在米アフリカン・スクールのような「アメリカン・スクール」じゃないぞ。

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(左 : 色人が激増したアメリカ / 右 : 「人種的多様性」を称讃するアメリカ人)

  脳天気な日本人は、テレビ局の報道を眺めて、「アフガニスタンって、何処にあるのぉ〜?」と訊いてしまうレベル。やがて日本にもアジア難民が押し寄せてくるのに、大河ドラマやアイドル番組を観て喜んでいる。難民問題とくれば、NHKやTBSの得意分野で、両局は昔から難民の受け容れに積極的だ。「可哀想な人々を助けましょう !」というプロパガンダを展開するくせに、そこで働く社員は絶対に外人を受け容れない。NHKの論説委員なんかは、「日本は人道主義で後れを取っている ! 日本も歐米諸国並みに難民を受け容れるべきです !」と叱りつけるけど、経営陣のうち、いったい何名がアジア難民を引き取っているんだ? もし、どうしても難民を受け容れたいのであれば、先ず、渋谷のスタジオで寝泊まりさせるか、NHK職員の自宅に招けばいいじゃないか。どうして一般国民に「難民を受け容れろ !」と説教するのか? アフガン難民はアメリカではなく、隣国のタジキスタンやトルクメニスタン、あるいはパキスタンに移住すべきだ。自国の不幸をネタにして豊かなアメリカに引っ越そうなんて図々しい。日本人も温情を棄てて冷徹になるべきだ。精神的に弱い民族は、身勝手な異民族に征服されてしまうだろう。支那人の侵掠を受けても目覚めない日本人は、自分の子供や孫の寝顔を見てから意見を述べるべきだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68868589.html

16. 中川隆[-16716] koaQ7Jey 2021年8月29日 16:18:02 : 81WT6IEYHk : OTBkZzJUY0I0ckU=[24] 報告
2021.08.29
カブールの国際空港で殺された人の大半はパニックに陥った米軍兵士の銃撃による
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108290000/

 カブールの国際空港に対する「自爆攻撃」が8月26日にあり、170名以上が殺されたと伝えられている。アメリカ兵13名も死亡したと言われているが、空港にいた人びとの話によると、死者の大半はパニックに陥ったアメリカ兵に射殺されたのだという。攻撃したのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の一派で、西側のメディアからはISIS-K(ホラーサーン)と呼ばれている。

 ダーイッシュは「ムジャヒディン」の一種で、その中心はサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めた​ロビン・クックが05年7月に指摘​したように、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストが「アル・カイダ」にほかならない。アラビア語でアル・カイダはベースを意味し、データベースの訳語としても使われる。その後、さまざまな国が似たシステムを使うようになる。

 パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、反体制派の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従った。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 アメリカにとってパキスタンに民主的な政権が存在することは好ましくない。そこで1977年7月にベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットの政権は軍事クーデターで倒され、ズルフィカルは79年4月に処刑された。実権を握ったのは陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハク。アメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)

 ブット政権が軍事クーデターが倒される半年前、アメリカではジミー・カーターが大統領に就任、国家安全保障補佐官はズビグネフ・ブレジンスキーが務めることになる。

 1978年にアメリカのCIAとイランのSAVAKはエージェントをアフガニスタンに派遣してモハメド・ダウド政権と接触、軍隊内の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作する。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)

 ダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まり、倒される。1978年4月のことだ。そしてモハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命される。このタラキ政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993)

 そうしたタラキの政策に反発する勢力は学校や大学を焼き討ち、治安は悪化する。そこでタラキは反対勢力の指導者約2万7000名を処刑したと言われているが、国内を安定させることはできなかった。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 1979年3月にタラキはソ連を訪問、ソ連軍の派遣を要請するが、断られてしまう。その月にイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力がイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になる。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 そして、ブットが処刑された1979年4月、ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始。その年の9月に軍事クーデターでタラキは殺され、ハフィズラ・アミンが実権を握る。アミンは1957年からアメリカのコロンビア大学へ留学、修士号を取得した上、62年にはウィスコンシン大学で学んだ経歴の持ち主だ。

 ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのは1979年12月のこと。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争はブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、ミハイル・ゴルバチョフの命令で1989年2月にソ連軍は撤退した。

 アフガニスタンを手に入れたと判断したCIAはパキスタンの情報機関と手を組み、新体制を動かすために「タリバーン」を組織する。この集団は1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返した。

 そうしたタリバーンのアメリカにおけるロビイストは当初、リチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。アメリカの支配層はタリバーンを自分たちの手先だと認識、擁護していた。

 アメリカとタリバーンが対立する切っ掛けは、1998年1月にタリバーンがTAPIパイプラインの敷設計画でパートナーにアメリカのUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選んだことにある。

 タリバーンに腹を立てていたであろうアメリカ政府にとって好都合なことに、1998年8月、ケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。

 そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。その直後、詳しい調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」の犯行だと断定、その象徴的な存在のオサマ・ビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃した。「アル・カイダ」なる武装組織は存在せず、いまだにオサマ・ビン・ラディンが攻撃に関係したことを示す証拠は提示されていない。

 アメリカ主導軍は2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を破壊した。その翌年にAQI(イラクのアル・カイダ)なる武装集団が組織され、これが中心になり、06年にISI(イラクのイスラム首長国)が編成された。

 イラクに対する侵略戦争が泥沼化、ブッシュ政権はフセインの残党を含むスンニ派の戦闘集団を編成、手先として使い始める。こうした動きは調査ジャーナリストの​シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いている​。その記事によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えたという。

 2011年春にバラク・オバマ政権はリビアやシリアに対する侵略戦争を始めるが、それはアメリカ軍やNATO軍によるものでなく、アル・カイダ系武装集団を利用した。これは本ブログでも繰り返し書いたことである。

 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が2011年10月に倒されるとアメリカは戦闘員や武器/兵器をシリアへ移動させるが、その時点でNATO/アメリカがアル・カイダ系武装集団と連携していることが明確になった。

 そこでオバマ大統領は「穏健派」を支援しているのだと強弁するのだが、それをアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月の段階で否定する。​ホワイトハウスへ提出した報告書​の中で、シリアで政府軍と戦っている主力をサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、戦闘集団としてアル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げた。つまりオバマ政権は「アル・カイダ」系武装集団を支援しているとオバマ大統領に報告している。その当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。

 さらに、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していたのだが、オバマ政権は支援を継続、2014年にダーイッシュという形で警告が現実になる。その年の8月、フリン中将は退役させられた。

 ダーイッシュは残虐性をアピール、アメリカは残虐な「テロリスト」を攻撃するという流れができはじめる。2015年2月に国防長官をチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月に統合参謀本部議長をマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させたのだが、いずれも戦争に慎重な人物から好戦的な人物への交代だ。

 デンプシーが交代させられた直後の9月30日、ロシア軍はシリア政府の要請に基づいて軍事介入してダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は敗走、占領地は急速に縮小した。アメリカ軍/NATO軍がシリアに対する戦争を始めるタイミングを逸した。しかもシリアでロシア軍は戦闘能力の高さを全世界に知らしめた。

 そのシリアからムジャヒディンの幹部をCIAやアメリカ軍は救出、その一部はアフガニスタンへ運ばれている。そこにはアメリカ軍の特殊部隊やCIAの工作員、そして1万6000名以上の「民間契約者」も残ると言われている。「民間契約者」の一部は傭兵だ。

 タリバーン政権はロシア、中国、イランなどと連携、アメリカを巻き込んで地域を安定化させようとしていたが、アメリカは中国の「一帯一路」を破壊し、ロシアを揺さぶるためにアフガニスタン周辺を戦乱で混乱させようとしている。その準備を進めていた。その準備が整う前にタリバーンはカブールを制圧、アメリカのシナリオは狂ったが、諦めることはないだろう。

 植民地化できなければ「石器時代」にする。これがアメリカ支配層の常套手段だ。それに対し、ロシア、中国、イランがどのように対抗するかが注目されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108290000/

17. 2021年9月01日 10:32:02 : H3n211rTP6 : U2ZZaGQvZXF4UWM=[21] 報告

2021.09.01
フリン元国家安全保障補佐官のクレジットカードをチェース銀行が解約する意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109010000/


 チェース銀行は9月18日にマイケル・フリン元国家安全保障補佐官のクレジット・カードを解約すると本人に通告したようだ。同行に対する評判が落ちるリスクがあるからだという。

 フリンは陸軍中将で、2012年7月から14年8月にかけてアメリカ軍の情報機関DIAの局長を務めている。フリンがDIA局長に就任した頃、バラク・オバマ政権はシリアで政府軍と戦っていた武装集団への支援を強化していた。

 この支援活動は2010年8月にオバマ大統領がPSD-11を出したところから始まる。これはムスリム同胞団を使った政権転覆計画で、後に「アラブの春」と呼ばれるようになる。2010年12月にチュニジアで政権が転覆、11年2月にはリビア、3月にはシリアで侵略戦争が始まる。

 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、カダフィ自身は惨殺された。その際、アル・カイダ系のLIFGとNATO軍が連携していたことが判明する。地上ではLIFGが戦い、空からはNATO軍が攻撃していたのだ。地上にはアメリカやイギリスなど侵略黒幕国の情報機関が侵入していた。

 カダフィ体制が崩壊した後、戦闘員と武器/兵器はシリアへ運ばれている。その輸送工作で拠点になっていたのがベンガジのアメリカ領事館だった。すでにシリアでもアメリカの手先になっていたアル・カイダ系武装集団が存在していたのだが、そこにリビアからの戦闘員は合流することになる。その集団をオバマは支援していたわけだ。

 そうした中、​2012年8月にDIAはオバマ大統領に対してシリア情勢に関する報告書を提出​した。それによると、シリアで政府軍と戦っている武装勢力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、戦闘集団の名称としてアル・ヌスラを挙げている。そのアル・ヌスラはAQI、つまりイラクのアル・カイダと実態は同じだともDIAは指摘している。オバマ大統領は「穏健派」を支援していると主張していたが、DIAはその主張を否定したのだ。

 また、そうしたオバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していた。その警告は2014年に入ってダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になる。そして2014年8月、オバマ政権の内部で孤立していたフリンは解任された。ちなみに、フリンは民主党の支持者だ。

 2014年にオバマ政権は世界制覇に向かって足を踏み出している。中東ではダーイッシュを出現させたが、その年の2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、9月から12月にかけて香港で「佔領行動(雨傘運動)」を展開して中国を揺さぶっているのだ。この勝負が裏目に出たことは本ブログで繰り返し書いてきた。

 その後、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させるため、さまざまな手段を講じ、任期が終わる直前の2016年12月には外交官35名を含むロシア人96名を追放している。

 その年の8月、ヒラリー・クリントンに近い​マイク・モレル元CIA副長官​(2011年7月1日から9月6日、12年11月9日から13年3月8日の期間は長官代理)はチャーリー・ローズのインタビュー番組に出演、そこでロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語る。司会者からロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えたのだ。

 実際、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺された。12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見され、17年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死している。その間、2016年9月6日にはウラジミル・プーチンの運転手が載った自動車へ暴走車が衝突、その運転手は死亡した。2015年11月5日にはロシア系のRTを創設した人物がワシントンDCのホテルで死亡したが、「変死」と表現する人は少なくない。

 2016年は大統領選挙の年で、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプが争い、トランプが勝利する。そのトランプに安全保障問題のアドバイスをしていた人物がフリン元DIA局長。トランプが次期大統領に決まった後、フリンはロシアのセルゲイ・キスリャクと会い、オバマ政権がロシアに対して行っている「制裁」を話題にした。オバマの挑発に乗らず、自制して欲しいと伝えたようだ。そのフリンをアメリカの有力メディア、FBI、そしてCIAは激しく攻撃する。フリンはトランプ政権で国家安全保障補佐官に就任するが、2017年2月に解任されてしまう。フリンはヒラリーやオバマの背後にいる私的権力から嫌われているだけでなく、彼らの知られたくない事実を知っている。

 クレジット・カードを使えなくしたいほどフリンを嫌っているのだろうが、この決定はアメリカが目指している「新世界」の闇を垣間見せてくれた。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」の騒動を利用して「デジタル・パスポート」を全人類に携帯させ、個人の言動を集中管理する計画がある。

 通貨が完全にデジタル化されると、カネの出し入れも「デジタル・パスポート」で管理される。私的権力が「好ましくない」と判断した人の銀行口座は凍結される恐れがある。フリンのクレジット・カードのように。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109010000/

18. 2021年9月04日 06:40:29 : lfMPkM3TSo : bnlyNS4uQTdRaWc=[1] 報告
2021.09.04
米副大統領はベトナムに対し、経済状況を無視して反中国政策を要求
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109040000/


 カマラ・ハリス米副大統領が8月22日から東南アジア諸国を歴訪したが、特に注目された国はベトナムだ。その際、​ハリスはベトナム政府に対し、アメリカに従い、中国を恫喝するように要求した​という。ベトナムと中国は領海問題で対立しているが、その一方で重要な貿易相手でもある。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」で経済は世界的に低迷しているが、それでも重要な取り引きの相手だ。経済を無視した要求にベトナムが簡単に従うとは思えない。

 アメリカの外交を支配しているシオニストは1991年12月にソ連が消滅した時点でアメリカが「唯一の超大国」になり、どの国に気兼ねすることなく行動できるようになったと認識した。国連重視を打ち出していた細川護熙政権が潰されたのはそのためだ。

 シオニストの一派であるネオコンは、世界制覇を実現するための「詰め」の作業を1992年に始動させた。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。ソ連が消滅した後、ロシアを含む旧ソ連圏はウォール街やシティに巣くうアメリカやイギリスの巨大金融資本の属国になり、中国を最も警戒すべき「潜在的ライバル」と考えた。ソ連亡き後、EUや日本も潜在的ライバルであり、叩かれることになる。

 同時にエネルギー資源の宝庫である中東にも矛先を向けるが、米英にとって好都合なことに、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとがショックを受けて呆然としている間に攻撃と無関係なイラクを先制攻撃した。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンはロシアが米英金融資本の属国だという前提で作られたのだが、21世紀に入ると、ウラジミル・プーチンを中心とする勢力が曲がりなりにもロシアを再独立させることに成功してしまう。ところがネオコンは軌道修正を嫌い、ロシアを再び属国にしようと目論む。そして2014年2月にウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させたわけだ。アングロ・サクソンの支配者は19世紀からウクライナをロシア支配の鍵を握る国と認識していた。

 このクーデターでロシアとEUを分断、それぞれを弱体化させるつもりだったのだが、思惑は外れる。ロシアとEUを完全には分断できず、ロシアと中国が接近、今では「戦略的な同盟」関係にある。アメリカの支配者やその影響下にある人びとはロシアと中国の接近にショックを受けていた。これ以降、ロシアと中国、どちらかを攻撃すれば、自動的にもうひとつの国も敵にしなければならなくなったわけである。

 ジョー・バイデン政権はバラク・オバマ政権と同じようにロシアを敵視する政策を進めているが、同時にドナルド・トランプ政権と同じように中国を挑発している。アメリカは3月8日から韓国と合同で大規模な軍事演習を実施、3月12日にはアメリカ、日本、インド、オーストラリアの「クワッド」と呼ばれる4カ国の首脳がオンライン会議を開いた。

 3月15日にはアントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官が日本を訪問、茂木敏充外相や岸信夫防衛相と会談し、その際にブリンケン国務長官は中国の「威圧的で攻撃的な姿勢」を批判した。​オースチン国防長官は3月18日、アメリカ軍は朝鮮を「今夜にでも攻撃する準備ができている」と口にしている​。

 3月18日と19日にはアメリカと中国の外交責任者がアンカレッジで会談、アメリカのブリンケン国務長官と国家安全保障補佐官のジェイク・サリバンは中国の楊潔篪中央外事活動委員会弁公室主任と王毅外交部長を威嚇したが、中国に反撃されて失敗した。

 その後、7月25日にウェンディ・シャーマン国務副長官が天津を訪問し、翌日には謝鋒外務次官や王毅国務委員兼外相と会談したものの、中国の外交分野におけるトップである中央外事活動委員会弁公室の楊潔篪主任には会えなかった。中国がアメリカをどのように見ているかが分かる出来事である。オースチン国防長官がフィリピンとベトナムを、またブリンケン国務長官がインドをそれぞれ訪れたが、アメリカが望む反応はなかったようだ。

 アメリカ海軍は中国を軍事的に締め上げるため、2018年5月に「インド・太平洋軍」を編成、太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にした。太平洋側の拠点を日本、インド洋側の拠点をインド、領海域をインドネシアがつなぐという構図だ。

 インド・太平洋軍司令部は今年、「LSGE21(2021年大規模演習)」と名づけられた艦隊演習を行っている。40年ぶりの大演習だという。当初、LSGE21は8月2日から27日までの期間、実施すると伝えられていたが、8月3日から16日に短縮されたようだ。アメリカの海軍と海兵隊が演習の主体だが、アメリカの陸軍、空軍、海軍、海兵隊、そしてイギリス軍、オーストラリア軍、自衛隊も合流しているという。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109040000/

19. 中川隆[-16591] koaQ7Jey 2021年9月05日 06:44:23 : FDWt7ypm4M : MW5mNThYUFZaaXc=[3] 報告
2021.09.05
アフガニスタンで女性の権利を踏みにじったアメリカ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109050000/


 アメリカの私的権力やその配下の人びとは侵略、略奪、殺戮などを正当化するため、「女性の権利」を口実として使うことがある。アフガニスタンでも「女性の権利」を守るために国を破壊し、女性を含む人びとを殺害してきた。

 アフガニスタンの首都カブールを8月15日にタリバーンが制圧した。その直前、アメリカを後ろ盾とするアシュラフ・ガニー大統領は国外へ脱出、アラブ首長国連邦へ逃げ込んだと伝えられている。

 ガニーは奨学生としてアメリカのコロンビア大学へ留学、1977年には修士号を、また83年には博士号をそれぞれ取得した。その年からカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執るが、1983年から91年までの期間、ジョンズ・ホプキンス大学でも教えている。1991年には世界銀行へ入った。アフガニスタンへ戻るのは2001年12月のこと。2014年9月から21年8月まで大統領を務めた。

 ガニーが大統領を務めるアフガニスタン政府はアメリカの支援を受けているものの、支配できていたのはカブールの周辺やケシの栽培地など限られていた。言うまでもなくケシはヘロインの原料であり、ヘロインを含む麻薬はCIAの重要な資金源である。

 今ではアメリカと敵対関係にあるタリバーンだが、もともとはCIAとパキスタンの情報機関ISIが組織した武装集団。ミハイル・ゴルバチョフの命令でソ連軍が1989年2月にアフガニスタンから撤退した後、新体制を運営する手先として作り上げたのだ。

 タリバーンは1996年9月にカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返した。そこでイスラム世界における評判は良くなかったのだが、アメリカの私的権力は好意的だった。例えば、CFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明する。また、タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだ。

 こうした関係が壊れる切っ掛けは石油の利権。アメリカの石油企業はタリバーンを使って中央アジアの油田を開発しよう考え、その意向を受けてジョージ・H・W・ブッシュ政権はバクー(B)、トビリシ(T)、ジェイハン(C)を結ぶBTCパイプラインを計画した。その発案者は巨大石油企業のBPである。

 しかし、BTCパイプライン計画にはライバルがすでに存在していた。チェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインだ。アメリカがチェチェンを戦乱で破壊した理由のひとつはここにあると見られている。

 このチェチェン工作を指揮することになったCIAのグラハム・フラーはアフガニスタンでズビグネフ・ブレジンスキーの下、ジハード傭兵の仕組みを作り上げた人物。その下にはベトナム戦争でCIAの秘密工作に深く関与、イラン・コントラ事件で名前が出てきたリチャード・シコードがいた。

 シコードがアゼルバイジャンで活動の拠点として設立したのがメガ石油。またジハード傭兵数百名をアフガニスタンからアゼルバイジャンへ移動させるために航空会社を設立、1993年までにメガ石油は約2000名の戦闘員を雇い、カフカスでの工作に使ったという。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 しかし、タリバーンは1998年1月にトルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設を計画、アメリカ系のUNOCALではなくアルゼンチンのブリダスを選ぶ。

 タリバーンを攻撃したいアメリカにとって好都合なことに、1998年8月にケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームにあるアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、タリバーン政権とのパイプラインに関する交渉を停止、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。またニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるの2カ月前、つまり2001年7月にジョージ・W・ブッシュ政権内でアフガニスタンへの軍事侵攻が計画されたと報道されている。

 世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃は「9/11」とも呼ばれている。ブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めた。タリバーンはオサマ・ビン・ラディンが攻撃を命令した証拠があれば引き渡すとアメリカ政府に伝えたが、いまだに証拠は示されていない。タリバーンは今でもオサマ・ビン・ラディンと9/11を結びつける証拠をアメリカから示されていないとしている。

 そもそも「アル・カイダ」なる組織は存在しなかった。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが2005年7月に明かしたように、​「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト​だ。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。

 タリバーンが1996年にアフガニスタンを制圧する前、この国では女性の権利も男性と同じように認められていた。1978年4月に革命評議会兼首相となったモハメド・タラキは女性のために学校を創設し、貧困層でも大学へ進む道を整備、医療を無料にするといった政策を推進している。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993)

 女性の権利を認めるタラキ政権をアメリカの私的権力は認めない。アフガニスタンにもそうしたタラキの政策に反発する勢力は存在、学校や大学を焼き討ちし、治安は悪化する。そこでタラキは反対勢力の指導者約2万7000名を処刑したと言われているが、国内を安定させることはできなかった。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 1979年3月にタラキはソ連を訪問、ソ連軍の派遣を要請するが、断られてしまう。その月にイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力がイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になる。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 アフガニスタンを不安定化させる工作を進めていたブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ引きずり込み、自分たちが用意した「ムジャヒディン」と戦わせて疲弊させようとしていた。ソ連はそうしたアメリカの目論見を察知していたのかもしれない。

 ジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官を務めていたブレジンスキーが務めることになる。1978年にアメリカとイランの情報機関、つまりCIAとSAVAKはエージェントをアフガニスタンに派遣、モハメド・ダウド政権と接触させている。軍隊内の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように指示したのだ。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)

 その指示に従ってダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まる。そして1978年4月に倒され、女性や社会的な弱者の権利を認めるタラキの政権が誕生したわけだ。そのタラキ政権をアメリカは潰し、ソ連軍をアフガニスタンへ引き込むことに成功した。

 アメリカの私的権力はメディアなどを使い、女性や性的マイノリティの権利、人種差別反対、気候変動などについて宣伝しているが、その一方で侵略戦争を続け、労働者から権利を奪ってきた。国の主権も奪おうとしている。彼らが掲げる「タグ」に中身はない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109050000/

20. 中川隆[-16561] koaQ7Jey 2021年9月06日 15:37:00 : TYp0qS64vk : Rkc3aFQ4TGl6YlU=[20] 報告
2021.09.06
20年前の9月11日に世界貿易センターなどが攻撃され、世界の民主主義は崩壊した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109060000/


 今から20年前の9月11日、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。いわゆる「9/11」だ。​この出来事に関するFBIの秘密情報を見直し、公開していくとジョー・バイデン大統領は9月3日に発表​した。

 攻撃の直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めている。

 その一方、国内では「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が制定された。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認してしまった。

 この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。

 勿論、愛国者法に疑問を持ち、反対する議員も中にはいた。トム・ダシュル上院議員とパトリック・リーヒー上院議員の場合、大変な災難が降りかかってる。炭疽菌で汚染された手紙が送られたのである。その出来事があってから、両議員は法案に反対するのをやめてしまった。

 炭疽菌の付着した手紙は2001年9月18日から送られ始め、5名が死亡して約20名が病気になっている。当初はイスラム過激派の犯行であるかのように伝えられたが、後に菌の出所はメリーランド州にあるアメリカ陸軍のフォート・デトリックだということが突き止められる。

 9/11によって「COG」なる政府継続計画が始動したと考える人もいる。このプロジェクトはロナルド・レーガン大統領が1981年に承認した「NSDD55」から始まる。

 COGは上部組織と下部組織に分かれ、上部組織は「プロジェクト908」と呼ばれ、そこにはジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたちが含まれていた。下部組織は「フラッシュボード」と呼ばれ、ホワイトハウスの役人、将軍たち、CIAの幹部、引退した軍人や情報機関員など数百人で編成された。

 ドワイト・アイゼンハワー政権は1957年にソ連を先制核攻撃する目的で「ドロップショット作戦」を作成した。300発の核爆弾をソ連の100都市に落とし、工業生産能力の85%を破壊するというもので、ソ連の反撃で正規の政府が機能しなくなった場合を想定、秘密政府を設置する仕組みを作った。この秘密政府計画はジミー・カーター政権下の1979年にFEMAという形で浮上、レーガン政権でCOGになったわけだ。

 ドロップショット計画に絡み、アレゲーニー山脈の中、ウエストバージニア州のグリーンブライア・ホテルの地下に「地下司令部」が建設された。いわゆる「グリーンブライア・バンカー」だ。1959年に国防総省が中心になって着工、62年に完成している。

 沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、武装したアメリカ兵を動員した暴力的な土地接収が行われた。いわゆる「銃剣とブルドーザー」による接収だが、これもアメリカの核攻撃計画と無縁ではない。この接収によって、1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になった。これが「核の傘」の実態だ。

 1992年にワシントンポスト紙のテッド・ガップ記者がグリーンブライア・バンカーの存在を明らかにするが、その直後にバンカーは放棄された。現在「地下ペンタゴン」と呼ばれているのはペンシルベニア州にある「レイブン・ロック山コンプレックス」、通称「サイトR」だと言われている。

 COGプロジェクトは極秘にされていたが、1987年7月に開かれたイラン・コントラ事件の公聴会において、ジャック・ブルックス下院議員が触れている。ノース中佐に対し、「NSCで一時期、大災害時に政府を継続させる計画に関係した仕事を担当したことはありませんか?」と質問したのだ。この計画とはCOGプロジェクトにほかならない。

 ノースに付き添っていた弁護士のブレンダン・サリバンは質問に動揺し、委員長のダニエル・イノウエ上院議員は「高度の秘密性」を理由にして、質問を打ち切ってしまう。イノウエ議員はCOGについて知っていたということだろう。

 ブルックス議員が取り上げた当時、COGは核戦争を前提にしていたのだが、1988年に変質する。大統領令12656が出され、その対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更されたのだ。そして2001年9月11日、「国家安全保障上の緊急事態」が起こった。

 9/11では複数の旅客機がサウジアラビアなど中東出身の人びとにハイジャックされたとされている。証拠はないのだが、そういうことにされ、人びとの目はサウジアラビアに向けられた。

 当時、サウジアラビアの駐米大使として赴任していたのはバンダル・ビン・スルタン。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しい関係にあった。バンダルは後にサウジアラニアの情報機関、総合情報庁を率いることになる。彼の後任大使になるトゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウドは2001年8月31日、つまり9/11の11日前まで総合情報庁の長官を務めていた。

 本ブログでも繰り返し書いてきたが、サウジアラビアはアフガニスタンでの工作でCIAに戦闘員や資金を提供している。その工作でパキスタンの情報機関ISIが協力しているが、9/11の当時、ISIの長官を務めていたのはマームド・アーメド中将。2001年9月4日にアメリカを訪問、国防総省、国務省、国家安全保障会議のメンバー、そして上下院の情報委員会委員長、あるいはジョージ・テネットCIA長官と会っている。9/11の朝には下院情報委員会の委員長だったポーター・ゴスらと会談している。ゴスは2005年4月から06年5月までCIA長官を務めることになる。

 ゴスはジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・リリーと同じように、エール大学でCIAにリクルートされている。1962年から72年までCIAの秘密工作部門に所属し、NSC(国家安全保障会議)の「オペレーション40」で活動していた。

 9/11ではイスラエルの動きも注目されている。攻撃の前後に少なからぬ「イスラエル人美術学生」が逮捕されている。イギリスのテレグラフ紙によると、攻撃の前に140名のイスラエル人が逮捕され、ワシントン・ポスト紙によると、事件後に60名以上が逮捕されている。合計すると逮捕者は200名に達する。拘束されたイスラエル人の中にはモサドのメンバーも含まれていた。後に全員が国外へ追放、つまり無罪放免になる。

 また、9/11の当日、ハドソン川沿いの公園で、崩壊するツイン・タワーを背景にして記念写真を撮っていた5名のイスラエル人が逮捕されている。FBIはそのうち2名をイスラエルの情報機関、モサドのエージェントだと断定した。

 ツイン・タワーの崩壊を不自然だと考える専門家は少なくない。そのひとりがデベロッパーで高層ビルに詳しい​ドナルド・トランプ​だ。彼は事件の直後に建造物の専門家としてABCのジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けているが、その中で、「イラクは世界貿易センターを崩壊させなかった。イラクではなかった。ほかの連中だ。その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。あなたもそうかもしれない。」と語っている。

 世界貿易センターは1993年2月にノース・タワーの地下2階にあった駐車場が爆破されている。その爆破でコンクリートの床が破壊され、4階層に渡って幅30mの穴が空いたが、ビルはびくともしなかった。トランプはその事実を熟知、高層ビルで最も脆弱な地下が破壊されても大丈夫だったビルが軽量化が図られている旅客機に激突されて崩壊するはずがないとしている。ビルの鉄骨が衝突や燃料の燃焼で破壊されるはずもない。

 実は、地下駐車場が破壊された翌年から2000年にかけて世界貿易センターではエレベーター・システムの改良工事が行われた。1996年から2000年にかけては新しい治安システムを導入するための工事が実施されている。

 また、サウス・タワーにオフィスがあったフィデュシアリー・トラストのスコット・フォーブスによると、攻撃直前の9月8日から9日にかけて動力が落ち、50階から上は電力の供給がなくなるということがあったという。その影響で監視カメラやドアのセキュリティ・ロックも機能しなくなり、修理するために多くの技術者がタワーに出入りしていたという。

 ノースタワーとサウスタワーより奇妙なのは7号館(ソロモン・ブラザース・ビル)の崩壊。このビルも爆破解体のように壊れた。このビルは47階のうち37階を金融機関のソロモン・スミス・バーニー(1988年にソロモン・ブラザースとスミス・バーニーが合併してこの名称になった)が占めていたが、それ以外にOEM(ニューヨーク市の緊急事態管理事務所)、シークレット・サービス、CIA、SEC(証券取引委員会)、国防総省、IRS(内国歳入庁)、FEMA(連邦緊急事態管理局)も入っていた。

 そのため、ビルの崩壊で多くの重要な資料が失われた。その中にはSECが保管していたシティ・グループとワールドコム倒産の関係を示す文書、「ジョージ・W・ブッシュの財布」とも言われたエンロンの倒産に関する文書も含まれていた。保管されていた金塊が消えたとも言われている。9/11に関する疑問はこれ以外にも少なくないが、すでに重要な証拠が破壊されたと見られている。

 攻撃を調査するとして「9/11委員会」が設立されたが、実際の目的は真相を隠蔽することにあったと批判されている。その委員会を事務局長として取り仕切っていたフィリップ・ゼリコウは、バージニア大学のミラー・センターとジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターなどが共同で編成した「COVID委員会計画グループ」の責任者だ。バイデンが9/11に関する重要な証拠、アメリカ支配層にとって都合の悪い情報を公開することはないだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109060000/

21. 2021年9月07日 17:03:27 : r5z45lvW9w : b2RKcGJ1YVo0ZE0=[34] 報告

2021.09.07
米国の圧力を振り払い、サウジがロシアとの軍事的な関係を強めている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109070000/


 ロシアとサウジアラビアが軍事的な関係を強めている。8月23日にはサウジアラビアのハリド・ビン・サルマン副国防大臣がロシアを訪れてロシアのアレキサンダー・フォミン国防副大臣と両国の軍事協力を発展させることを目的とする協定に署名した。ハリド・ビン・サルマンは皇太子の弟でもある。同じタイミングでヨルダンのアブドラ2世国王がロシアを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領と会談した。サウジアラビアは2009年と17年にもロシアと協定を結ぼうとしたのだが、アメリカの圧力で署名には至らなかった。

 ソ連消滅後、ロシアはウォール街やシティ、つまりアメリカやイギリスを拠点とする金融資本の属国になったが、21世紀に入るとプーチンを中心とするグループが曲がりなりにも独立することに成功した。

 しかし、アメリカの支配的な立場にある勢力は高を括っていた。例えば​フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文​では、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとしている。ロシアや中国と全面核戦争になっても圧勝できるというわけだ。

 しかし、その分析が間違っていることはすぐに判明する。2008年7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問しているが、その翌月の7日に北京で夏季オリンピックが開催された。その日、ジョージアのミヘイル・サーカシビリ大統領は南オセチアの分離独立派に対話を訴えるが、その8時間後、深夜に南オセチアを奇襲攻撃した。この攻撃が失敗に終わったわけである。ライス長官は8月15日にジョージアを再訪している。

 ジョージアの背後にはアメリカだけでなく、イスラエルが存在していた。イスラエルはジョージア軍を訓練しただけでなく、ドローン(無人飛行機)、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを提供していると報道されていた。

 サーカシビリ政権にはイスラエルとの関係が深い閣僚もいた。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリ、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当しているテムル・ヤコバシビリである。ふたりは流暢なヘブライ語を話すことができ、ケゼラシビリはイスラエルの市民権を持っていたことがある。

 ジョージア軍による南オセチアへの奇襲攻撃はアメリカとイスラエルが入念に準備した作戦であり、しかも衝突した部隊の規模はほぼ同じ。その戦闘でロシア軍は圧勝したわけだ。勝利までに要した時間は96時間にすぎない。同じ規模のロシア軍とアメリカ軍が通常兵器で戦った場合、同じ結果になるということである。(Andrei Martyanov, “Losing Military Supremacy,” Clarity Press, 2018)

 アメリカやイスラエルはロシアを軍事的な圧力を加えることが目的だったのだろうが、裏目に出たわけだ。アメリカとイスラエルの連合軍はロシア軍より弱いことを世界に知らしめることになったのである。そして2009年、サウジアラビアはロシアへの接近を図る。

 リーバーとプレスの論文が出た後、​ブッシュ・ジュニア政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた​。そのため、サウジアラビアの力を借りて「イスラム過激派」を動員することになる。

 2009年1月に大統領はブッシュ・ジュニアからバラク・オバマへ交代、2010年8月にはムスリム同胞団を使った体制転覆プラン「PSD-11」が承認される。そしてリビアやシリアに対する侵略戦争が2011年春から始まる。「内戦」ではない。

 オバマ政権は2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を倒し、カダフィを惨殺することに成功するが、その際、アメリカがアル・カイダ系武装集団のLIFGと手を組んでいることが明確になる。アメリカにとって都合が良いことに、「アル・カイダ」の象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンの殺害をオバマ大統領はその年の5月に発表している。象徴は消されていた。

 2012年に入るとオバマ政権は支援をシリアの武装勢力に集中するのだが、その武装勢力はアル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)で、戦闘員の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だとアメリカ軍の情報機関​DIAは大統領に報告​している。オバマ政権の政策はシリア東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。その時のDIA局長はマイケル・フリン中将だ。

 DIAの警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になる。その武装勢力にはサダム・フセイン時代のイラク軍将兵が合流したとも言われている。そしてダーイッシュの残虐性が演出され、アメリカ軍の介入を容認する雰囲気が作り出された。

 そうした中、フリンはオバマ政権で孤立し、2014年8月に退役させられてしまう。また2015年には2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ交代、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代した。

 ヘーゲルは戦争に慎重だったが、カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。シリアからバシャール・アル・アサド大統領を排除しようとしていたバラク・オバマ大統領とは違い、サラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていたデンプシーはシリア政府と情報を交換していたと言われている。

 統合参謀本部議長が交代になった時点でアメリカはシリアでもリビアと同じように空爆を始めると見る人は少なくなかったが、その直後、9月30日にロシアはシリア政府の要請を受けて軍事介入、ダーイッシュや「アル・カイダ」系武装勢力を敗走させる。アメリカは大規模な軍事介入を実行できなくなった。そこで地上軍をこそこそと侵入させ、敗走したダーイッシュに替わってクルドを使い始める。

 その後、ロシア軍の戦闘能力が高いことが明確になり、アメリカに怯えていた国々の中から自立度を強める動きが出てくる。2017年4月にドナルド・トランプ政権は地中海に配備されていたアメリカ海軍の2隻の駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したものの、6割が無力化されてしまう。ロシアの防空システムがアメリカのシステムよりはるかに性能が良いことが判明したのだ。

 そして2017年10月5日にサウジアラビアのサルマン国王はロシアを訪問、ロシア製防空システムS-400を含む兵器/武器の供給をサウジアラビアは購入する意向だと伝えられたが、アメリカの圧力で実現しなかった。2018年4月にアメリカはイギリスやフランスを巻き込み、100機以上の巡航ミサイルをシリアに対して発射したが、今度は7割が無力化されてしまう。前年には配備されていなかった短距離用の防空システムのパーンツィリ-S1が効果的だったと言われている。

 その後、サウジアラビアはイランとイラクを介し、秘密裏に接触しはじめる。イラン側のメッセンジャーがガーセム・ソレイマーニー。イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われるコッズ軍を指揮していた人物だが、2020年1月3日、バグダッド国際空港でアメリカ軍によって暗殺された。イスラエルが協力したと言われている。イラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディによると、その時、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。

 その後もサウジアラビアのアメリカ離れは止まっていない。すでにアメリカを支配する私的権力は「ドル後」の体制を準備している。そのための「リセット」であり、そのための「COVID-19」のパンデミック騒動だが、成功はおぼつかない。日本人は「泥船」に乗っている。

 ジョー・バイデン政権は2001年9月11日の攻撃を使ってサウジアラビアを脅そうとしているようにも見えるが、これはイスラエル、そしてアメリカの私的権力の一部に波及する可能性がある。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109070000/

22. 中川隆[-16408] koaQ7Jey 2021年9月12日 12:41:48 : s7eQxBySSI : UzR1dVVLYS5qbmM=[17] 報告
2021.09.12
バイデン政権も歴代米政府と同様、「テロとの戦争」を口実に非武装の市民を殺す
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109120000/


 アメリカ軍は8月29日、アフガニスタンにおいて自動車をドローンで攻撃、子ども7名を含む10名を殺害した。運転していたのはカリフォルニア州を拠点とする支援グループで2006年から電気技術者として働いていたゼマリ・アーマディで、仕事仲間や子どもが同乗していた。​アメリカ政府の主張とは違い、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)とは無関係​だった。20年間、アメリカ軍は同じことを繰り返してきたことをまた行ったわけだ。

 その3日前、カブールのハミド・カルザイ国際空港では「自爆攻撃」があり、180名以上が死亡したと言われているが、空港にいた人びとの話によると、死者の大半はパニックに陥ったアメリカ兵に射殺されたという。

 空港のゲートが開かれたままだったことが攻撃を容易にしたと言われているが、​CIAが拠点にしていた「イーグル基地」をアメリカ軍が破壊​したことも防御能力を弱めたと見られている。また​アメリカ国防総省は攻撃の25時間前に「ISIS-K(ホラーサーン)」の攻撃が迫っていることを知っていた​という。タリバーンからも警告があったようだ。

 20年前、アメリカはタリバーンがオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実で攻撃を始めた。2001年9月11月にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃(9/11)したのはビン・ラディンの武装勢力だとジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに断定、ビン・ラディンの引き渡しをタリバーンに要求したが、それに対してタリバーンは証拠を示せば引き渡すと回答した。アメリカは証拠を見せず、攻撃を始めたのである。

 そのタリバーンが8月15日にカブールを制圧した。ジョー・バイデン政権はシリア侵略に使しているサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵をアフガニスタンへ移動させてきた。2015年9月にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、敗走した戦闘員の一部(おそらく幹部)をアフガニスタンへ運んだのである。

 ​タリバーンの広報を担当しているザビフラー・ムジャヒドはオサマ・ビン・ラディンが9/11を実行したことを示す証拠は示されていないと今でも主張​している。これは正しい。9/11では旅客機がハイジャックされたとされ、その犯人の名前や写真も公開されているが、その人びとが旅客機に乗っていたことを示す証拠もない。その一方でアメリカ政府の描くシナリオは謎だらけだ。科学は無視されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109120000/

23. 2021年9月13日 11:24:53 : Ki5Z4UevXk : cVBCRzdGUnB6MS4=[17] 報告

2021.09.13
社会の収容所化と侵略戦争はアメリカの私的権力が一貫して進めてきた政策
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109130000/


 欧米では「デジタル・パスポート」を導入しようとしている。その中心にはアメリカやイギリスが存在、アメリカの私的権力にエリートが従属している日本も後を追っている。その目的を​2016年1月にスイスのテレビ番組で説明​したのがWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブだ。

 その番組で彼はマイクロチップ化されたデジタル・パスポートについて話している。最初はチップを服に取り付けて監視するだけだが、技術を向上させて皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間の間で情報のやりとりをさせることを想定している。人間を巨大コンピュータの端末にするつもりだとも言える。そのためにも量子コンピュータや5G(第5世代移動通信システム)が必要だ。

 WEFは今年6月、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」を利用して「資本主義の大々的なリセット」を実現しようと訴えている。第2次世界大戦後、世界を支配してきた「ドル体制」は揺らぎ、新たな秩序へ移行しなければならなくなっている。そこで「リセット」なのだろうが、すでにロシアや中国はドル体制から離脱しつつある。イラクやリビアもドル体制から離れようとして軍事的に潰されたが、ロシアや中国は簡単に潰せない。

 アメリカの私的権力が「リセット」の先に描いている世界はTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の中にある。そのキーワードはISDS(投資家対国家紛争解決)条項。私的権力が国以上の権力を握るわけで、フランクリン・ルーズベルトが定義した「ファシズム」そのものである。

 COVID-19騒動は社会を収容所化し、生産活動や商業活動が麻痺させて多くの企業や店の経営を悪化させた。必然的に倒産、失業者、ホームレス、そして自殺者も増加し、教育システムも混乱している。一部の富裕層はパンデミックで資産を増やしているようだが、庶民は大きなダメージを受けている。

 大戦でドイツが降伏する前の月にニューディール派を率いていたルーズベルト大統領が急死、シオニストの富豪や犯罪組織と関係の深いハリー・トルーマンが副大統領から昇格した。ニューディール派は力を失い、ファシストのスポンサーだった金融資本がホワイトハウスを奪還して歴史の流れは変わる。

 その後、アメリカでは社会を収容所化する動きが続いている。ひとつの切っ掛けは1957年にアメリカでは300発の核爆弾をソ連の100都市に落とするという「ドロップショット作戦」が作成され、並行して沖縄が軍事基地かされる。そして1958年、ドワイト・アイゼンハワー政権は核戦争で正規の政府が機能しなくなった場合を想定し、憲法に定められた手続きを経ずに秘密政府を設置する仕組みを作った。

 その秘密政府には9つの部署があり、その責任者が決められた。つまり緊急検閲局(セオドア・クープCBS副社長)、緊急通信局(フランク・スタントンCBS社長)、緊急エネルギー鉱物局(ジョン・エド・ウォーレン・ファースト・ナショナル銀行上級副社長)、緊急食糧局(エズラ・タフト・ベンソン農務長官)、緊急住宅局(アスケル・ニールセン)、緊急人力局(ジェームズ・P・ミッチェル労働長官)、緊急生産局(ハロルド・ボーシェンシュタイン・オーウェンス・コーニング社長)、緊急安定局(ウィリアム・マクチェスニー・マーチン・ジュニア連邦準備制度理事会議長)、緊急輸送局はフランク・ペイス・ジェネラル・ダイナミックス執行副社長)とジョージ・ピアース・ベイカー。いわゆる「アイゼンハワー10」だ。

 このシステムはジミー・カーター政権下の1979年にFEMAという形で浮上、ロナルド・レーガン政権ではCOGが作られる。FEMAは2003年から国土安全保障省の下部機関になった。

 COGはレーガン大統領がNSDD55を出したところから始まる。そして創設されたのがNPO(国家計画局)。COGは上部組織と下部組織に分かれ、上部組織は「プロジェクト908」。当時、ジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたちが含まれていた。下部組織は「フラッシュボード」と呼ばれ、ホワイトハウスの役人、将軍たち、CIAの幹部、引退した軍人や情報機関員など数百人で編成された。

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、10月26日に「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が発効した。この法律は340ページを超す文書であるにもかかわらず、議会は提出されて1週間で承認してしまった。議員の大半は条文を読んでいなかったと言われている。

 この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。なお、愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。

 国民の監視はCIAやFBIが昔から行ってきたことで、FBIは1950年代から国民監視プロジェクト「COINTELPRO」をスタートさせて反戦/平和運動を監視、尾行するだけでなく電話盗聴、郵便開封、銀行口座も実施された。

 CIAはベトナム戦争が泥沼化しはじめた1967年に反戦/平和運動を監視するために「MHケイアス」というプロジェクトを始めた。その一環として封書も開封してのだが、その事実が1974年に発覚、ウィリアム・コルビーCIA長官は工作の責任者だったジェームズ・アングルトンを辞任させている。

 1963年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺からはじまり、65年2月21日のマルコムX、68年4月4日のマーチン・ルーサー・キング牧師、そして68年6月5日にロバート・ケネディ上院議員という戦争に反対する大物が暗殺されている。

 ベトナムでテト攻勢があった1968年当時、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズやミック・ジャガー、ビートルズのジョン・レノン、ドアーズのジム・モリソン、あるいはジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどのロック・スターも戦争に反対する意思を示していたが、ジョーンズは1969年7月3日、ヘンドリックスは70年9月18日、ジョプリンは70年10月4日、モリソンは71年7月3日、そしてレノンは80年12月8日に死亡してしまう。

 最初に死んだジョーンズはレノンやヘンドリックスにグループを結成しようと持ちかけていたと言われているが、実現しないままプールで死亡した。ジョーンズの友人ふたりはジョーンズが殺されるところを目撃したと証言しているが、無視されている。

 1969年にはマフィアがヘンドリックスを誘拐、マネージャーになった元MI6(イギリスの対外情報局)マイク・ジェフリーが自身のマフィア人脈を使って救出したとされている。

 ジェフリーはヘンドリックスを麻薬漬けにした人物だと言われ、死ぬ前日に解雇されている。ジョプリンはヘロインの過剰摂取で死亡したことになっているが、死の直前、反戦コンサートへの参加を計画していたと言われている。

 レノンは1970年代に活動を休止していたが、80年10月にはシングル曲「スターティング・オーバー」をまた、11月には「ダブル・ファンタジー」というアルバムを発表して本格的に音楽活動を再開させた。その前年の12月、NATOは83年にパーシング2ミサイルをNATO加盟国に配備することを決定、反戦/反核運動が盛り上がっていた。そのタイミングでレノンは復活しようとしたのだ。レノンは1980年12月、マーク・チャップマンに射殺された。

 ヘンドリックスが戦争に反対するようになった切っ掛けはキング牧師の暗殺だと言われている。この暗殺が切っ掛けになって大規模な蜂起があり、アメリカ軍は暴動鎮圧のために2旅団(4800名)を編成した。「ガーデン・プロット作戦」だが、ケント州立大学やジャクソン州立大学で学生に銃撃したことを受け、リチャード・ニクソン政権は1971年に解散させている。

 そのほか、多くのアメリカ市民を拘束することを目的とした「レックス84」、戦争に反対する人びとの監視を含む治安作戦を定めた「ヒューストン計画」などもある。

 ヒューストン計画はリチャード・ニクソン政権の司法長官、ジョン・ミッチェルが強硬に反対したことなどから実現していないが、ジミー・カーター政権でFEMAとして再浮上、1980年代に始まるCOGに続く。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109130000/

24. 2021年9月14日 06:28:15 : meoR52NmVY : RnhYRDEzN2NDbjI=[1] 報告

2021.09.14
1973年の9/11も米英の私的権力が望む方向へ歴史の流れを変えた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109140000/


 ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されたのは20年前の9月11日のこと。この出来事を利用してアメリカの私的権力は人びとから基本的な権利を奪い、侵略戦争を公然と始めた。形骸化していたとは言うものの、かろうじて残っていた民主主義は止めを刺される。

 その28年前、つまり1973年9月11日にリチャード・ニクソン大統領はヘンリー・キッシンジャーに命じ、チリのサルバドール・アジェンデ政権を軍事クーデターで倒した。キッシンジャーの下でクーデターを実行したのはCIAの「テロ部門」とも言える作戦局(DDO)。作戦についてはCIAの内部でも秘密だった。

 DDOは1973年3月までは計画局(DDP)と呼ばれていた。議会で暗殺やクーデター等さまざまな秘密工作が明らかにされ、名前を変えたのだが、実態に大きな変化はない。

 DDPは1952年8月に創設されたが、その核になったのは極秘の破壊工作機関OPC。この機関は1948年6月にOSPとして創設され、50年10月にCIAと一体化している。当初、CIAと別の組織だったのは、第2次世界大戦後、破壊活動を行わないという条件でCIAの設立が認められたからだ。

 OPCは1943年後半にアメリカとイギリスがレジスタンス対策で創設したゲリラ戦の部隊「ジェドバラ」が母体になっている。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのはレジスタンスで、その主力はコミュニストだった。

 この当時、すでに戦争の勝敗は決していた。ドイツ軍は1941年6月にソ連へ向かって進撃を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。その時に東へ向かったドイツ兵は約300万人、西部戦線に残った兵力は90万人にすぎなかったと言われている。アドルフ・ヒトラーの命令だったという。

 ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫る。ソ連軍の敗北は決定的だとヒトラーが語ったのは10月。ウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しているが、モスクワは陥落しない。そしてドイツ軍は翌年の8月にスターリングラード(ボルゴグラード)市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になるとソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名が降伏した。

 この段階でドイツの敗北は決定的。アメリカとイギリスの動きが活発化するのはこれからだ。英両国は1943年5月にワシントンDCで会談、7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸した。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏する。この際、コミュニスト対策としてマフィアの協力を得ている。ジェドバラが編成されたのはこうした時期である。

 ドイツ軍がソ連を壊滅させられなかったことからチャーチル英首相はドイツが降伏した直後、JPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令した。

 5月22日に提出された「アンシンカブル作戦」によると、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ジェドバラの後継組織であるOPCは大戦後、ヨーロッパに秘密部隊のネットワークを築く。ソ連軍の侵攻に備えるためだとされているが、実態はヨーロッパ支配の道具だ。

 1948年頃にはCCWU(西側連合秘密委員会)が統括、NATOができてからはその新組織に吸収され、CPC(秘密計画委員会)が指揮することになる。その下部組織としてACC(連合軍秘密委員会)が1957年に設置され、NATOの秘密ネットワークを動かすことになった。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)

 こうして組織された「NATOの秘密部隊」の中でもイタリアとフランスの組織は活発に動いた。イタリアで中心的な役割を果たしたのが有力貴族でローマ教皇庁ともつながりのあるバレリオ・ボルゲーゼとボルゲーゼの下で動いていたステファノ・デレ・キアイエ。このふたりはチリでクーデターが成功した後、ピノチェトと接触している。

 ピノチェト体制下のチリを含むラテン・アメリカの軍事政権は協力して反対勢力の主要人物を暗殺したり誘拐している。「コンドル」という仕組みだが、欧米へ亡命されると簡単には手が出せない。そこで協力したのがボルゲーゼンやデレ・キアイエだ。当然、その背後にはCIAが存在している。

 チリのクーデターは単に民主政権を倒したというだけでなく、新自由主義の実験場を作ったという側面もある。ここでの経験がないと、イギリスや日本で新自由主義を導入することはできなかっただろう。1973年の「9/11」も歴史の流れを変えた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109140000/

25. 中川隆[-16288] koaQ7Jey 2021年9月19日 06:29:36 : JK0s8EymKE : NENTTXVIUHJIUWs=[5] 報告
WEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブはCOVID-19騒動を利用して「資本主義の大々的なリセット」を実現すると宣言しましたが、彼らが目指しているのは欧米の強大な私的権力が主権国家の上に位置する体制です。その布石は「民営化(私有化)」という形で打たれてきました。1970年代から情報機関や軍隊の私企業化が進められましたが、最近ではシリコンバレーのハイテク企業が検閲を実施しています。

 私有化を進めるために「布教」されたのが「新自由主義」ですが、その始まりは1973年9月11日にチリで実行された軍事クーデター。最初の「9/11」です。

 アメリカの私的権力からチリを自立させようという政策を推進しはじめたサルバドール・アジェンデ政権をオーグスト・ピノチェトが率いる部隊が倒したのですが、ピノチェトを背後で操っていたのはCIAの「テロ部門」とも言える作戦局(DDO)、その部署を動かしたのは1973年2月までCIA長官だったリチャード・ヘルムズ、その上にいたのがヘンリー・キッシンジャーでした。総責任者は国家安全保障補佐官だったキッシンジャーだと考えられています。

 このクーデターでアメリカの私的権力にとって邪魔な勢力は一掃された後、シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づいく政策、つまり大企業/富裕層を優遇する新自由主義が導入されたのです。この政策によって貧富の差は拡大していきました。

 フリードマンの先輩にあたるフリードリッヒ・フォン・ハイエクと親しかったマーガレット・サッチャーは1979年から90年にかけてイギリスの首相を務めた人物で、その間に新自由主義をイギリスへ導入しました。

 同じ時期、アメリカではロナルド・レーガンが、また日本では中曽根康弘がそれぞれ新自由主義の導入を図ります。閣内に田中角栄の懐刀と言われた後藤田正晴がいたことから中曽根はサッチャーのように徹底した政策は導入できませんでしたが、小泉純一郎、菅直人、安倍晋三らによって引き継がれています。

 レーガン政権がCOGという一種のクーデター計画を始めたことは本ブログでも書いてきました。「国家安全保障上の緊急事態」に憲法の規定を無視する形で地下政府を始動させるというものです。そして2001年9月11日に「国家安全保障上の緊急事態」が引き起こされました。

 この出来事を利用してジョージ・W・ブッシュ政権は国内のファシズム化を推進、国外では侵略戦争を始めましたが、その前にロシアが立ち塞がり、しかも中国と戦略的な同盟関係を結び、アメリカは苦境に陥っています。

 アメリカを支配する私的権力はCOVID-19で最後の勝負に出ているのでしょうが、これも成功しているとは言えません。「ワクチン」接種の強制を打ち出しているのは、そうせざるをえないからでしょう。

 このクーデターが今後どのような方向へ進むのかを考えて見たいと思います。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109190000/

26. 中川隆[-16240] koaQ7Jey 2021年9月22日 09:35:00 : xhppNR8wzo : N0FYQm1rMUM3YWM=[4] 報告
米英の私的権力は侵略する際、まずターゲットのエリートを買収、それが失敗すると要人の暗殺やクーデター、最終的には軍事侵略といったことを行う。そうした工作と並行して金融システム、警察、検察、軍を支配していく。


2021.09.22
中国でリーマン・ショック的な事態が生じているが、米国と違い、経営者は死刑に
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109210000/


 経済活動は「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)対策」で麻痺している。シティやウォール街、つまりイギリスやアメリカの巨大金融資本が縄張りにする世界に生きる私的権力は資産を増やしているようだが、生産活動を基盤にしている人びとや、そうした金融資本と対立している人びとは経済的に厳しい状況に陥った。

 米英金融資本の象徴として長い間君臨してきたジョージ・ソロスを中国のメディアは「世界経済テロリスト」と呼び、非難している。確かにソロスは資金力を使い、シティやウォール街にとって好ましくない政権や体制を破壊してきた。ロシアや中国は彼の主要なターゲット。彼が言う「開かれた社会」とは米英資本の侵略を許す社会を意味している。

 ソロスは1930年にハンガリーで生まれ、47年にイギリスへ移住、54年から金融の世界へ入った。ロスチャイルド資本と緊密な関係にあることが知られている。彼が体制転覆活動を本格化させたのは1984年にハンガリーで「オープン・ソサエティ協会」を設立してからだ。

 米英の私的権力は侵略する際、まずターゲットのエリートを買収、それが失敗すると要人の暗殺やクーデター、最終的には軍事侵略といったことを行う。そうした工作と並行して金融システム、警察、検察、軍を支配していく。ソ連消滅後、米英金融資本の植民地になったロシアでは21世紀になってウラジミル・プーチンを中心とする勢力が再独立に成功したが、それでも金融の分野はシティやウォール街の影響から脱し切れていない。中国やイランでも同じことが言える。

 ロシア、イラン、中国の中で最も新自由主義化が進んでいるのは中国にほかならない。このイデオロギーの教祖的な存在だったミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問、新自由主義が中国に広まるのだ。

 1980年代の後半に新自由主義による社会の歪みが深刻化、88年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化しする。中国政府は軌道修正を図るが、胡耀邦や趙紫陽を後ろだととするエリート学生は「改革」の継続を求めた。エリート学生は新自由主義で甘い汁が吸える立場にあり、ソロスともつながっていた。学生の活動を指揮していたと見られているのはジーン・シャープだ。

 しかし、学生の要求は認められず、労働者などからの不満に答えるかたちで軌道修正する。胡耀邦は1987年1月に総書記を辞任、89年4月に死亡した。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれることになる。

 胡耀邦が死亡する3カ月前の1989年1月からアメリカ大統領はCIA出身(エール大学でリクルートされた可能性が高い)のジョージ・H・W・ブッシュになった。そのブッシュが大使として中国へ送り込んだ人物がブッシュと昵懇の間柄にあるCIA高官のジェームズ・リリーだ。リリーの前任大使であるウィンストン・ロードは大使を辞めた後、CIAの資金を流すNEDの会長に就任している。ブッシュ、リリー、ロードの3名はエール大学の出身で、いずれも学生の秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーだ。

 結局、中国政府は経済政策を軌道修正するが、新自由主義を放棄したわけではない。こうした状態は2015年頃まで続く。その後、アメリカとの関係を根本的に見直すことになるが、その切っ掛けは2014年の出来事だろう。

 この年の2月にウクライナでバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチを大統領の座から引きずり下ろし、9月から12月にかけて香港で「佔領行動(雨傘運動)」と呼ばれる反中国政府の運動を展開して中国を揺さぶっている。これで中国政府もアメリカの私的権力が危険な存在だということを認識したはずだ。この後、中国はロシアと戦略的な同盟関係を結ぶ。


 そして2018年に中国では巨大投機会社と化していた中国華融の会長を務めていた頼小民に対する捜査が始まり、今年1月5日には死刑が言い渡され、その月の29日には処刑された。判決によると、頼は2008年から18年にかけて贈賄で17億9000万元を受け取り、横領や重婚といった犯罪も犯していたという。中国華融の後始末は容易でないと見られている。

 中国華融の大株主は金融省だが、2014年から株式をゴールドマン・サックスやウォーバーグ・ピンカスなどへ売却しはじめる。その後、投機会社へと変貌していく。

 中国華融は1999年に創設された会社。イギリスがアヘン戦争で奪った香港を中国へ返還した直後に金融危機が東南アジアを襲い、1998年まで続き、中国もその影響を受けた。その後始末をするために中国華融は作られたのである。この危機を仕掛けたのはソロスにほかならない。

 頼小民を含む人びとによる投機の規模は大きく、中国華融の破綻は連鎖倒産を引き起こすと懸念されている。アメリカでは2008年9月に大手投資会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングズが連邦倒産法の適用を申請して世界を震撼させた。いわゆるリーマン・ショックだが、破綻していたのはこの会社だけでなく、金融システム全体だった。

 この時はリーマンを生け贄にしてほかの金融会社を救済し、経営者の犯罪を事実上不問に付す。その際、「大きすぎて潰せない、大きすぎて罰せない」と言われ、ツケは金融破綻の責任がない庶民に回された。

 中国政府も中国華融を救済すると見られているが、経営者は厳罰に処せられつつある。この出来事を利用し、米英金融資本のネットワークを一掃できれば、中国の未来のためにはなる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109210000/

27. 中川隆[-16041] koaQ7Jey 2021年10月10日 16:40:42 : MKtlKLYSaM : cGpaQUJRN3pRcjI=[23] 報告
2021.10.10
ノルウェー・ノーベル委員会の政治的判断は相変わらず
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110100001/


 ロシアの新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のドミトリー・ムラトフ編集長とフィリピンのマリア・レッサに​ノーベル平和賞​が授与されるという。アメリカの私的権力に従わないロシアとフィリピンで政権と対立している「ジャーナリスト」が選ばれたわけだ。

 言うまでもなく、「ノーベル平和賞」は極めて政治色が強い。古くは「棍棒外交」で侵略、殺戮、略奪を繰り返したテディ・ルーズベルト、核兵器を保有したがっていた佐藤栄作、チリやカンボジアでの大量殺戮の黒幕的な存在であるヘンリー・キッシンジャー、イルグンという「テロ組織」のリーダーだったイスラエルのメナヘム・ベギンも受賞している。

 その後、CIAとの緊密な関係が明らかになっているポーランドの労働組合「連帯」のレフ・ワレサ、やはりCIAから支援を受けていたダライ・ラマ、CIAと連携していた人脈に周りを囲めれていたミハイル・ゴルバチョフも登場する。

 バラク・オバマは大統領に就任した年に受賞したが、任期中にドローン(無人機)を使い、アメリカ人を含む多くの人を殺害、ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を利用してアメリカへの忠誠度が低い国を侵略し、殺戮と略奪を繰り広げている。

 その一方、2009年4月に​オバマはプラハで核兵器のない世界を目指すと演説​、16年5月に広島を訪問するというパフォーマンスを演じたが、2014年9月には、​今後30年間に9000億ドルから1兆ドルを核兵器分野に投入する計画をオバマ政権は持っている​と報道されている。オバマの翌年にはコロンビア大学の研究員から中国の反体制活動家になった劉暁波も受賞した。

 そしてムラトフとレッサだが、「ノルウェー・ノーベル委員会」が言論の自由を重視しているわけではないだろう。世界中で侵略、破壊、殺戮、略奪を続けているアメリカの実態を明らかにしてきた人は少なくないが、そうした人は選ばれていない。

 内部告発を支援してきたウィキリークスはアメリカの犯罪的な行為を明らかにした団体だが、その象徴的な存在であるジュリアン・アッサンジは現在は現在、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に入れられている。アメリカの司法当局の要請でロンドン警視庁の捜査官は2019年4月にロンドンのエクアドル大使館へ乗り込み、アッサンジを逮捕したのだ。

 アメリカの当局がアッサンジを起訴するにあたり、最も重要な証人はシギ・トールダルソン。この人物はウィキリークスにボランティアとして参加していたが、後にFBIへの情報提供者になった人物だ。ウィキリークスはこの人物が寄付のうち5万ドルを横領したと疑っている。

 アッサンジは2010年の初め、トールダルソンに対してアイスランド政府のコンピュータに侵入して情報を盗むように指示したなどと主張していた。ところが、​ここにきてそれは嘘だとメディアに証言​している。トールダルソンは第三者から書類を受け取り、チェックしないままアッサンジに渡したという。

 ハッキング当時、トールダルソンは「サブ」と呼ばれていたヘクター・ザビエル・モンセガーと接触していた。この人物はハッキング・グループのリーダーだったが、逮捕される。懲役124年が言い渡される可能性があったが、司法取引でFBIへの情報提供者になっていた。アイスランド政府へのハッキングを仕掛けたのはFBIを後ろ盾とするサブだ。トールダルソンはFBIの罠にかかり、FBIの情報提供者になった。証言を変えたトールダルソンは9月24日にアイスランドで逮捕された。

 アメリカの戦争犯罪を明らかにしたウィキリークスが「ノーベル平和賞」を授与されることはないだろう。アメリカはアッサンジを逮捕、刑務所に閉じ込め、「言論の自由」に止めを刺そうとしている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110100001/
 

28. 中川隆[-16022] koaQ7Jey 2021年10月14日 08:22:29 : g44oCUBLkU : M2E2MzNnLnIvUjY=[3] 報告
2021.10.14
ヌランド国務次官がロシアを緊急訪問しなければならなかった理由は何か?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110140000/

 2019年からロシアへの入国が禁止されていたビクトリア・ヌランド米国務次官が10月11日にモスクワを訪問した。この訪問を実現するためにアメリカ政府は「制裁」リストからロシア外交官を外したという。

 それだけのことをしてジョー・バイデン政権はヌランドをロシアへ送り込んだのだが、セルゲイ・ラブロフ外相やウラジミル・プーチン大統領とは会談できなかったと言われている。それでもロシア政府と接触しなければならない理由があったのだろう。

 バラク・オバマ政権は2013年から14年にかけてウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すためにクーデターを仕掛けたが、この工作で中心的な役割を果たしたのは国務次官補を務めていたヌランド、ホワイトハウスで指揮していたのは副大統領だったジョー・バイデンだと言われている。

 ヤヌコビッチ政権の打倒を目指すクーデターが始まるのは2013年11月。首都キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会が始められ、12月になると集会への参加者は50万人に達したと言われている。

 この混乱をEUは話し合いで解決しようとしていたが、暴力を使おうとしていたヌランドは怒り、ウクライナ駐在のアメリカ大使だったジェオフリー・パイアットと電話で話している際、「EUなんかくそくらえ」と口にした。

 ヤヌコビッチは2014年2月22日に排除されるが、2月4日にこの音声はインターネットで公表されている。その会話の中でヌランドはクーデター政権の閣僚人事について指示、彼女はアルセニー・ヤツェニュクを強く推していた。実際、クーデター後にヤツェニュクが首相に就任している。

 クーデターの際、多くの人が広場で狙撃されたが、狙撃したのはクーデター派だったことは本ブログでも繰り返し書いてきた。2月25日にキエフ入りして現場を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったイギリス人のキャサリン・アシュトンへそのように報告している。2017年11月にはイタリアの放送局が狙撃手の証言を放送、パエトの報告を裏づけた。狙撃の指揮者はクーデター派の幹部だったアンドレイ・パルビーだ。

 ヌランドをはじめとするネオコンはウクライナの大統領を排除することには成功した。新体制ではネオナチが大きな影響力を持ち、今では破綻状態。クーデター政権はロシアからEUへ天然ガスを運ぶパイプラインをコントロールすることで儲けようとしたのかもしれないが、迂回ルートが作られて思惑は外れた。ウクライナもエネルギー危機に巻き込まれている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110140000/

29. 2021年10月29日 08:11:16 : FoNH31NtPM : TEhkMFkwZTNEWGc=[12] 報告
2021.10.29
米国やイスラエルが資源を狙うスーダンの軍事クーデターは事前に米国へ通告
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110280000/


 ​スーダンで今年10月25日にアブデル・ファッター・アル・ブルハーンを中心とする軍事クーデターが​あり、アブダラ・ハムドック首相が排除された。アル・ブルハーンはクーデターの前日、「アフリカの角」を担当しているアメリカ特使、ジェフリー・フェルトマンに計画を伝えていたと報道されている。

 2019年10月のクーデターでオマル・アル・バシールの軍事政権が崩壊した後に設置された暫定軍事評議会が首相に選んだ人物がハムドック。アル・ブルハーンは評議会の議長を経て、2019年8月から主権評議会の議長を務めたいた。

 アル・バシールが実権を握る前、1983年からスーダンでは内戦が続き、終結したのは2005年。2011年には南部が独立している。そうした戦乱の原因は石油にあった。その資源が欧米の巨大資本に狙われたのである。

 スーダンの油田は1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンに発見された。ところが1990年代の終盤にスーダンでは自国の石油企業が成長、アメリカの石油企業は利権を失い、中国やインドなど新たな国々が影響力を強めていく。自立の道を歩み始めた時期のスーダンを支配していたのがアル・バシールだ。

 そうした中、スーダンの南部ではSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始する。SPLMを率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるアメリカ陸軍のフォート・ベニングで訓練を受けた人物。スーダンの内戦は1983年から2005年まで続き、11年に南部が独立している。フォート・ベニングにはラテン・アメリカ各国の軍人をアメリカの傭兵として訓練する施設、WHINSEC(かつてはSOAと呼ばれた)も存在している。

 スーダンの西部、ダルフールでも資源をめぐる戦闘が2003年から激化した。当初、欧米の国々は南スーダンの石油利権に集中、ダルフールの殺戮を無視していたが、ネオコンはダルフールへ積極的に介入する。その資源に目をつけた隣国チャドの政府が反スーダン政府のJEM(正義と平等運動)へ武器を供給したことも戦闘を激化させる一因だったが、チャドの背後にはイスラエルが存在していると生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィは主張していた。

 ​2020年10月23日、ドナルド・トランプ大統領は自らが仲介してスーダンとイスラエルとの「国交正常化」を実現したと発表​した。エジプト、ヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーンに次いでイスラエルを通常の国と認めたアラブ国になったということだ。

 こうした合意に至ったのはトランプ政権の脅しが機能したということだろう。経済戦争を仕掛けているうえ、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を口実にした政策で経済活動が麻痺し、スーダンのような国々は厳しい状況に陥っている。

 イスラエルとの関係を「正常化」しなければ、スーダン国民を飢えさせるとアメリカ政府は脅したのだが、今回の合意の褒美としてイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は500万ドルの食糧支援を公表したと伝えられているが、役に立っていないだろう。

 スーダンの暫定政府が行った決定に対する反発は国民の間で強く、議会からは暫定政府への支持を止めるとする声も聞こえていた。アメリカにとっても役に立たない存在になったと言えるだろう。

 ところで、フェルトマンは1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当、ユーゴスラビア解体に関与したと言われている人物。ソ連消滅後、アメリカは従属度の低い国や潜在的なライバルを潰しにかかるが、手始めに行ったのがユーゴスラビアへの先制攻撃だった。2004年から08年にかけてレバノン駐在大使を務め、12年から18年にかけて国連事務次長を務めている。

 2005年2月にレバノンではラフィク・ハリリ元首相が殺害され、西側の有力メディアは暗殺の背後にシリアがいると宣伝した。この年の10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張し、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出している。イスラエルやアメリカの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できないと彼は考えなかったようだ。

 イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していたフェルトマンにとって好都合な内容だったが、メーリスの調査が杜撰だということが後に判明する。

 例えば、彼の重要証人だったフッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消し、レバノン当局の人間に誘拐されて拷問を受け、そのうえでシリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。メーリスは2006年1月に辞任した。

 メーリスはドイツ人だが、アメリカの情報機関との緊密な関係にあった。検察官としてアメリカやイスラエルの関与をもみ消すこともしていたと言われている。2000年代の前半にはWINEP(近東政策ワシントン研究所)の研究員になっているが、この研究所はイスラエルロビーのAIPACと関係が深い。

 この事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が2007年に設置され、イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴されている。この事件を利用してアメリカはイランやシリアへの圧力を強めたが、STLは2020年8月18日、事件にヒズボラやシリアが関与した証拠はないという結論を出した。

 この法廷は国連の1757号決議に基づいて設置されたが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はアメリカ、サウジアラビア、フランス、イギリス、レバノンだ。それにもかかわらず、暗殺にヒズボラやシリアが関与した証拠はないと言わざるをえないほど西側の主張に説得力がなかったということだろう。

 また、爆破現場には深いクレーターがあったことから、メーリスの主張とは違い、自動車による自爆テロでなかったとも考えられている。ハリリの死体を見ると、金製の腕時計は溶けているのだが、シャツの襟は残り、体もあまり炭化していない。体がバラバラになっているわけでもない。金の時計を溶かすほど高温になったが、その際に無酸素状態を作り出したと見られている。

 また、ハリリが乗っていた装甲車両に同乗、負傷してフランスの軍事病院で治療を受けたバッセル・フレイハンから濃縮ウランが検出されている。濃縮ウランを使った何らかの兵器、例えば数十センチ程度の長さのミサイルが暗殺に使われた可能性があると推測する人もいる。

 ハリリ暗殺を利用してシリアやリビアを締め上げようというシナリオはメーリスが辞任した時点で破綻したと言えるだろうが、その直後、2006年7月から9月にかけてイスラエル軍はレバノンに軍事侵攻した。その直後、ウルスター大学のクリストファー・バスビー教授はレバノンで濃縮ウランを見つけたという。

 この戦争でイスラエルの地上軍はヒズボラに敗北、その際にイスラエルが誇るメルカバ4戦車も破壊された。その後、イスラエルは地上戦を避けるようになる。

 その当時、レバノンにおけるアメリカの武装工作を指揮していたのは国務省次官補だったデイビッド・ウェルチ。その背後にはネオコンのエリオット・エイブラムズがいたという。

 この頃、アメリカ政府は中東における侵略作戦を変更している。シーモア・ハーシュが​2007年3月5日付けのニューヨーカー誌​で書いた記事によると、ジョージ・W・ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めた。その中心には副大統領だったリチャード・チェイニー、国家安全保障問題担当次席補佐官だったエリオット・エイブラムズ、そしてザルメイ・ハリルザドやバンダル・ビン・スルタンがいたという。

 2014年にバラク・オバマ政権のネオコンはウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行したが、その工作でもフェルトマンは重要な役割を果たしたと見られている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202110280000/

30. 中川隆[-15681] koaQ7Jey 2021年10月31日 09:49:27 : vuYilrOHmU : RWZPWEh2M3FMcnc=[13] 報告
アメリカはソ連崩壊後に NO.2 になった日本をどうやって叩き潰したのか
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/326.html

アメリカが No.2 になった国を潰した方法
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html

日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html

平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html

ジョン・メリウェザーだけが同じ大失敗を何度繰り返しても再起できる理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/433.html

日本を売った小沢一郎 (続き) _ 1990年代にアメリカは、日本に対しすさまじいばかりの金額の内需拡大要求をして意図的にバブルを作らせた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/233.html

CIAのエージェント 竹中平蔵物語
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html

31. 2021年11月24日 08:28:26 : 34RYzVL0Ss : dk5pdEs0MHRvU0E=[15] 報告

2021.11.23
イランと米国の小規模な衝突で犠牲者が出ているようだが、大規模な衝突は困難
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111230000/


 IRGC(イラン革命防衛隊)の海軍を指揮しているアリレザ・タンシリは11月21日、​イランはアメリカと海上で9度にわたって衝突、9名が犠牲になった​が、多くは報道されていないと語った。そのうち6回は過去18カ月の間に起こったという。

 先月の終わりにアメリカがオマーン湾でイランの石油を運ぶタンカーを拿捕し、その石油をベトナム船籍のタンカーへ移して盗もうとしたと発表された。​11月3日にイラン政府が公表した映​像にはタンカーの近くをアメリカの駆逐艦が航行している様子が映っている。その映っていたタンカーがベトナム船籍の船で、イランの石油を積んだまま拿捕された。その後、石油を抜き取られ、解放されという。アメリカ側は否定しているが、嘘をつき続けているアメリカ政府の主張に説得力はない。イラン側は自分たちの主張を裏づける映像も公表している。

 イランは中国やロシアと手を組んでいるだけでなく、サウジアラビアとの関係も改善される兆候がある。2020年1月3日にバグダッド国際空港で暗殺されたガーセム・ソレイマーニーはIRGCのコッズ軍(特殊部隊)を指揮していた人物で、その時、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。

 ネオコン(シオニストの一派)のような好戦的な勢力にとって好ましくない状況が生まれつつある。ネオコンは1980年代からイランを殲滅するべきだと考えていた。彼らの戦略はイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル派の体制を築き、トルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯でシリアとイランを分断、個別撃破するというものだった。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、1991年にはネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツはこの3カ国を殲滅すると語っていた。(​3月​、​10月​)

 その年の12月にソ連が消滅、その2カ月後にウォルフォウィッツを中心とするネオコンのグループは国防総省のDPG(国防計画指針)草稿という形で世界制覇プランを作成した。そして始まったのがユーゴスラビアへの先制攻撃。

 2001年9月11日にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、ネオコンは国内の刑務所化と国外での軍事侵略を本格化させた。その攻撃から間もない頃、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドを中心に軍事侵略する対象の国をリストにしている。そこに乗っていた国はイラク、シリア、イランにレバノン、リビア、ソマリア、スーダンだ。9月11日の攻撃とは関係がない。

 2003年3月にアメリカ主導軍はイラクを先制攻撃、サダム・フセイン政権を倒すが、親イスラエル体制を樹立できず、戦争は泥沼化する。イランはイラク以上に制圧が困難な国で、占領するためには約240万人の兵士が必要だと推計されているが、アメリカにそれだけの戦力はない。

 ジョー・バイデン政権としてはイランに対しても経済戦争を続けるか、破壊のみを目的とした戦争を始めるしかないが、経済戦争はアメリカの思惑通りには進んでいない。核攻撃で破壊するという手段もあるが、ロシアや中国が黙ってみているとは思えない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111230000/

32. 中川隆[-15143] koaQ7Jey 2021年11月25日 01:39:12 : sEqKPZ8ybM : aXRwS3RoVDZsdzY=[3] 報告
2021.11.25
JFK暗殺から58年を経ても真相は隠蔽され、世界はファシズムへ足を踏み入れた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111240000/


 今から58年前、1963年11月22日にアメリカ大統領のジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺された。​テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)​によると、アメリカの軍や情報機関の好戦派は1963年後半にソ連を先制核攻撃する計画を立てていたが、ケネディはそうした軍事行動に反対している。

 上院議員時代からケネディは戦争や植民地に反対していた。インドシナへカネ、資源、そして人間を投入することは無益であり、自滅的だと主張、1957年7月にはアルジェリアの独立を潰すために戦争を始めたフランスの植民地主義に強く反対していた。

 しかし、ケネディは1958年8月に「ミサイル・ギャップ」という用語を使い、危機感を煽っている。1960年の選挙期間中にもソ連の脅威を宣伝していた。こうした主張を彼に吹き込んだ人物は元空軍省長官のスチュアート・サイミントン上院議員だという。

 1961年当時、ソ連が保有していたICBM(大陸間弾道ミサイル)の数はNIE(国家情報評価)推計によると数機。スパイ衛星によって確認されていたのは4機だけだった。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 また、ソ連軍が保有する長距離爆撃機バイソンの数はCIAが推測していた約100機の3分の1から5分の1にすぎないことも偵察機U2によってわかっていた。(William D. Hartung, “Prophets of War”, Nation Books, 2011)

 ミサイル・ギャップも爆撃機ギャップも事実に反していた。その後の言動から考えると、ケネディのソ連脅威論は選挙向けの発言だった可能性がある。実際、大統領に就任した後、ケネディは戦争の目論見をことごとく阻止する。

 それだけでなく、彼の側近たちはFBIのJ・エドガー・フーバーやCIAのアレン・ダレスを解任するべきだと主張、大統領の父親であるジョセフ・ケネディも大統領の意思を無視して勝手に動くダレス兄弟が危険だと話していたようだが、選挙結果が僅差での勝利だったことから新大統領は両者を留任させ、国務長官にはCFR(外交問題評議会)やロックフェラー基金を通じてダレス兄弟と近い関係にあったディーン・ラスクを任命する。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 しかし、好戦派の工作はドワイト・アイゼンハワー時代から始まっていた。最初に行われたのがキューバ侵攻作戦である。4月15日に4機の爆撃機がキューバの航空機部隊を空爆、3機を除いて使用できない状態にし、17日には1543名の亡命キューバ人を主体とする侵攻部隊がピッグス湾(プラヤ・ギロン)への上陸を試みる。

 侵攻部隊の主力はグアテマラの秘密基地でCIAの訓練を受けた後、戦車、大砲、対戦車砲、自動小銃数千丁などを携えて5隻の商船に乗り込んでグアテマラを出航、途中でニカラグアから来たCIAの改造上陸艦2隻と合流している。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)

 この作戦に関するは事前に漏れていることは公然の秘密で、その行く手でキューバ軍が待ち受けていることは予想されていた。ルシアン・バンデンブロックがプリンストン大学で発見した記録によると、アレン・ダレスは作戦が成功する可能性が小さいと判断、アメリカ軍をキューバへ軍事侵攻させようと目論んでいた。(Lucien S. Vandenbroucke, "The 'Confessions' of Allen Dulles: New Evidence on the Bay of Pigs," Fall 1984)

 侵攻軍の敗北がが明らかになるとCIA副長官だったチャールズ・キャベルは航空母艦からアメリカ軍の戦闘機を出撃させようと大統領に進言したものの、却下されている。(L. Fletcher Prouty, "JFK," Citadel Press, 1996)

 ベルリンで緊張が高まっていた1961年7月、アメリカの軍や情報機関の幹部はケネディ大統領に対し、NSC(国家安全保障会議)で先制核攻撃計画について説明している。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年の後半にソ連を核攻撃するというスケジュールになっていたという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMをアメリカは準備でき、ロシアは準備できていないと見通していた。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994)

 この先制攻撃計画を大統領は拒否する一方、1961年11月にアレン・ダレスCIA長官や秘密工作部門の責任者だったリチャード・ビッセル計画局長を解任、キャベル副長官も62年1月に辞めさせられている。1961年にロバート・ケネディ司法長官はフーバーFBI長官の解任を公言している。

 好戦派は軍にもいた。そのひとりがライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長。そのレムニッツァーは1962年3月、国防長官のオフィスでキューバが爆弾テロを実行し、旅客機を撃墜したように見せかける偽旗作戦について説明している。ノースウッズ作戦だ。

 その数カ月後にレムニッツァーはキューバにアメリカ軍が軍事侵攻してもソ連は動けないと大統領に説明する。「脅せば屈する」というわけだが、これも無視された。

 アメリカの内部に先制核攻撃を目論む勢力が存在していることをソ連も知っていたはず。ICBMや長距離爆撃機で圧倒されているソ連としては中距離ミサイルで対抗するしかない。中距離ミサイルでアメリカを攻撃するにはアメリカの近くに発射基地を建設する必要がある。そこでアメリカもソ連も注目したのがキューバだ。

 ソ連がキューバへミサイルを運び込んだことをアメリカは1962年8月に察知する。U2がキューバで地対空ミサイルSA2の発射施設を発見したのだ。ハバナの埠頭に停泊していたソ連の貨物船オムスクが中距離ミサイルを下ろし始め、別の船ボルタワがSS4を運び込んでいることも判明する。(Martin Walker, "The Cold War," Fourth Estate, 1993)

 国防長官だったロバート・マクナマラは1998年のインタビューで、約162発の核弾頭がキューバへすでに持ち込まれていて、そのうち約90発は軍事侵略してくるアメリカ軍に対して使われる戦術核だったと語っている。

 レムニッツァー議長はケネディ大統領から再任を拒否され、9月30日に退任。その時にレムニッツァーへ欧州連合軍最高司令官にならないかと声をかけてきたのがイギリス女王エリザベス2世の側近として知られるハロルド・アレグザンダーだった。

 カーチス・ルメイ空軍参謀長を含む軍の好戦派が大統領に対して空爆を主張したのは10月19日のこと。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだと主張したが、ケネディは強硬派の作戦に同意せず、10月22日にミサイルがキューバに存在することを公表、海上封鎖を宣言した。

 10月27日にキューバ上空でU2が撃墜され、シベリア上空でもU2が迎撃されている。この直後にマクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がシベリア上空を飛行している。

 同じ日にアメリカ海軍の空母ランドルフを中心とする艦隊の駆逐艦ビールがソ連の潜水艦をカリブ海で発見、対潜爆雷を投下している。攻撃を受けて潜水艦の副長は参謀へ連絡しようとするが失敗、アメリカとソ連の戦争が始まったと判断した艦長は核魚雷の発射準備に同意するようにふたりの将校に求めた。核魚雷は発射されなかったが、これはたまたま乗り合わせていた旅団参謀が発射の同意を拒否したからだ。この核魚雷の威力は広島に落とされた原子爆弾と同程度で、もし発射されていたなら、現場にいたアメリカの艦隊は全滅していたと見られている。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury USA, 2017)

 ルメイなど軍の強硬派は大統領に対し、ソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたが、拒否される。この時に好戦派はクーデターでケネディ大統領を排除し、ソ連に核戦争を仕掛けるつもりだったとも言われているが、10月28日にソ連のニキータ・フルシチョフ首相はミサイルの撤去を約束、海上封鎖は解除されて核戦争は避けられた。

 キューバへ軍事侵攻した場合、アメリカ側の戦死者数は4500名とマクナマラ国防長官は予想していたが、30年後にソ連側の態勢を知り、アメリカ人だけで10万人が死んだだろうと訂正している。アメリカは楽観的な見通しから計算違いをすることがあるが、これもその一例だ。

 ケネディ大統領の親友で最も信頼されていた側近だったケネス・P・オドンネルによると、ケネディと個人的に親しかったマリー・ピンチョット・メイヤーは危機の最中、ソ連と罵り合いに陥ってはならないと強く大統領に訴えていたという。(Peter Janney, “Mary’s Mosaic,” Skyhorse, 2013)

 そして1963年11月22日にケネディ大統領は暗殺され、その暗殺に関するウォーレン委員会の報告書がリンドン・ジョンソン大統領に提出された3週間後の64年10月12日、マリー・ピンチョット・メイヤーは散歩中に射殺された。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111240000/

33. 中川隆[-15071] koaQ7Jey 2021年11月28日 12:21:25 : buDTBzriJk : RjBUa0dYTlkueS4=[6] 報告
アメリカの democratic peace とは


【伊藤貫の真剣な雑談】第2回後半「再生産される悪夢・国際政治リベラル3学派の蹉跌」[桜R3/11/27]


34. 2021年12月01日 06:49:15 : HEDeGVFvEU : bm1ERFN2dGpqNlU=[20] 報告

2021.12.01
民主主義を破壊してきた国の大統領が民主主義に関する会議を開くという茶番
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111300001/


 ジョー・バイデン米大統領は12月9日から10日にかけて​「民主主義」に関するバーチャル会議を開催、110カ国を招待する​という。アメリカはイスラエルと同様、先住の民を虐殺して「建国」した国である。

 その後、ラテン・アメリカを植民地化、フィリピンを侵略して住民を虐殺して大陸侵略の拠点にし、日本に台湾から大陸を新緑するように焚きつけたアメリカはその後も民主的な政権を倒し、殺戮と略奪を繰り返してきた。国内で民主的な考え方の大統領が登場するとクーデターが目論まれ、暗殺された人もいる。

 1991年12月にソ連が消滅すると、少なからぬ人がアメリカは「唯一の超大国」になったと考え、支配者たちはその本性を隠そうとしなくなった。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、それを利用して国内の収容所化を進め、国外で侵略戦争を本格化させている。そして何を行ったかは本ブログでも繰り返し書いてきた。

 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動を見てもアメリカが民主的な国でないことはよくわかるはずで、この国の大統領が「民主主義」に関する会議を開くなど、茶番以外の何ものでもない。その茶番を演じるのは、アメリカが民主主義国家だという幻影を人びとに見せたいからだろう。アメリカに従いたい人にとって、そうした幻影はありがたいはずだ。

 2019年の終わりに始まったCOVID-19騒動によって人びとの行動は制限され、人びとのつながりは弱められている。物流も滞って経済活動は麻痺、個人経営の店や中小企業を中心にして経営状態が悪化して倒産に追い込まれるケースも少なくない。必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。教育を受ける権利も奪われた。

 COVID-19という悪霊で人びとを脅し、その悪霊を退散させる呪物として登場してきたのが「ワクチン」。これさえできれば悪霊は退散、元の生活へ戻れると信じさせ、人びとへ「ワクチン・パスポート」を携帯させようとしている。そのパスポートを利用して人びとを管理するつもりだ。「自粛」、ロックダウン、パスポートなどで社会を収容所化しつつある。

 それと同時にアメリカの私的権力は世界を制覇しようとしている。バイデンは大統領に就任して以来、中国やロシアを脅し、屈服させようとしてきた。中東、南シナ海、東シナ海、黒海などで軍事的な圧力を強めているが、それだけでなく、3月16日にはABCニュースの司会者からウラジミル・「プーチンは人殺しだと思うか?」と問われ、「その通り」と答えている。

 それに対し、プーチン大統領はロシアに噛みつこうとする外国勢力の歯をへし折ると警告、セルゲイ・ショイグ国防大臣は5月31日、ロシア西部地域の軍事的な緊張に対処するため、新たに20戦闘単位を組織すると発表した。経済面ではアメリカが基軸通貨であるドルを発行する権利を使い、他国を攻撃しているとプーチンは非難、ロシア政府はドル離れをさらに進める意思を示している。

 また、中国の外交責任者、楊潔篪中央外事活動委員会弁公室主任と王毅外交部長をアラスカのアンカレッジへ呼び出し、アントニー・ブリンケン国務長官やジェイク・サリバン国家安全保障補佐官が恫喝したが、反撃にあった。

 中国周辺における軍事的な恫喝を強めるため、アメリカはオーストラリアやイギリスとAUKUSAという軍事同盟を作り出した。アングロ・サクソン系の3カ国だが、それだけアメリカは孤立しているということでもある。そうした状況を隠し、アメリカに従う国は多いように見せることもバーチャル会議の目的だろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202111300001/

35. 中川隆[-14784] koaQ7Jey 2021年12月07日 06:04:30 : 2zSsj4hxA6 : M1FvMG5mVWxiOGc=[42] 報告
2021.12.07
アメリカの私的権力は世界制覇プランを放棄できない
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112070000/

 ジョー・バイデン政権は「アメリカ後」のヘゴモニーをアメリカの私的権力に握らせようと必死だ。ウラジミル・プーチン露大統領と会談する目的の根底にもそうした意思がある。

 アメリカの私的権力は1991年12月にソ連が消滅した直後に国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界支配を完成させるプランを作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。ヨーロッパや東アジアは叩くべき潜在的なライバルとなり、エネルギー資源のある中東で従属度の足りない体制は破壊の対象になった。

 最初のターゲットはユーゴスラビアで、さまざまな工作の後、1999年にNATOは先制攻撃している。このときにも攻撃を正当化するための偽情報が広告会社によって作成され、有力メディアを通じて流された。

 ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのはその2年後。その出来事を利用してアメリカ政府は国内のファシズム化と国外での軍事侵略を本格化させた。

 ソ連が消滅する前年、東西ドイツが統一された。その際、アメリカ政府はソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束していたとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。またドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 それだけでなく、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。言うまでもなく、アメリカ政府はこうした約束を守らなかった。イギリスやフランスもNATOを東へ拡大させないと保証したが、守られていない。「1インチ」どころか1000キロメートル近く東へ拡大、ロシアとの国境に迫っている。

 世界支配を完成させるため、アメリカは日本を自分たちの戦争マシーンに組み込もうとするのだが、日本の細川護熙政権は国連中心主義から離れない。そこでマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表したわけである。その年、日本政府を震撼させる出来事があった。

 2001年9月11日の出来事を利用してアメリカは侵略戦争を本格化させるが、その前に立ちはだかったのがプーチンを中心とする再生ロシア。そのロシアを倒さねば、目的は達せられない。そのロシアだけでなく、中国を倒し、ヨーロッパへの支配力を強め、中東を制圧しようとしている。そのため、本格的な戦争を始める前にターゲットを疲弊させる必要がある。そのためにCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)は使われている。

 こうした戦略のベースには19世紀のイギリスで考え出された長期戦略があると見られている。海軍力を使ってユーラシア大陸の周辺部を支配し、内陸国を締め上げるというもの。その戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。大陸を締め上げる「三日月帯」の西端がイギリス、東端が日本。中東でイギリスは帯の上にサウジアラビアとイスラエルを作り上げた。

 この長期戦略をアングロ・サクソンの支配者は放棄しようとはしないだろう。放棄するのは彼らの帝国が滅ぶときだ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112070000/

36. 中川隆[-14279] koaQ7Jey 2022年1月09日 05:12:04 : ExFlQfpN42 : b1RZTFVzeWxLZFk=[2] 報告
2022.01.09
米露首脳会談の直前、露大統領に唾を吐きかけた米国務長官に戦争へ導かれる日本
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201090000/

 アントニー・ブリンケン国務長官は1月7日、「ロシアのさらなる侵略に対する強力な報復を準備している」と発言した。勿論、侵略しているのはアメリカだが、自分たちの悪事を相手が行っていると宣伝するのはアメリカの常套手段だ。ロシアはアメリカと1月10日に、またNATOと1月12日にウクライナ情勢などについて話し合う予定で、その前にジャブを出したつもりなのかもしれない。

 アメリカが東へ向かった進撃を始めたのは1990年の東西ドイツ統一からである。その際、アメリカ政府はソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束していたとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っているが、アメリカ政府が約束を守るはずはなかった。

 また、ドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたともいう。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)

 それだけでなく、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。イギリスやフランスもNATOを東へ拡大させないと保証したが、言うまでもなく、こうした約束を守らなかった。1インチどころか1000キロメートル近く東へ拡大、ロシアとの国境は目前に迫っている。そして2014年のウクライナにおけるクーデターだ。

 ウクライナにおける軍事的な緊張を一気に高めたのは、2014年2月にネオ・ナチを主力とするクーデターをウクライナで成功させたアメリカのバラク・オバマ政権である。2010年の選挙で当選したビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したのだ。ヤヌコビッチはロシア語を話す人が多いの東部と南部を地盤とし、アメリカの私的権力から見ると自分たちへの従属度が足りなかった。

 キエフのクーデター政権はヤヌコビッチの地盤で住民を虐殺し、生き残った人びとを追い出して反ロシアの住民を移住させようとする。中でもオデッサの虐殺は凄惨だった。ただ、自分たちの置かれた状況を早く察知したクリミアの住民はアメリカを後ろ盾とするクーデター政権を拒否、ロシアと一体になる道を選んだ。

 東部のドンバス(ドネツクやルガンスク)ではクリミアより対応が遅れ、住民とキエフのクーデター軍と戦闘が始まった。クーデターを拒否するウクライナの軍人や治安機関のメンバーも住民に合流、新兵主体のクーデター軍は劣勢だった。戦闘が続けば住民側の勝利は間違いなかったが、ロシア政府の意向もあって停戦、その後、キエフ側は体制の立て直しを図る。戦闘が再び激しくなったのは、立て直しできたということなのだろう。

 こうしたアメリカの行為に対し、ロシアのウラジミル・プーチン大統領はNATOが東へ勢力をこれ以上拡大させることを容認できないと発言した。安全保障上の保証を文書化することを求め、この件で譲歩しないことを明確にしている。1月7日のブリンケン発言はプーチンに対して唾を吐きかけたに等しい。

 EUの外務安全保障政策上級代表を務める​ジョセップ・ボレル​はプーチンの発言に対し、自分たちのことを決める権利を持っているのは自分たちであり、ロシアは口をはさむなと言っている。つまりNATOを東へ拡大、ロシアとの国境近くにミサイルを配備するのも自分たちの勝手だというわけだ。ボレルにブリンケンは同調したとも言える。

 アングロ・サクソンは19世紀以来、世界の覇者となるためにはロシアを支配する必要があると考え、そのためにユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、ロシアの西隣に支配地を作ろうとしてきた。

 第2次世界大戦の前、バルト海からエーゲ海までの中央ヨーロッパをカトリックで統一するために「インターマリウム」が組織されている。その組織はイギリスやフランスの情報機関から支援を受け、国家間の勢力争いと深く結びついていた。

 1922年には中央ヨーロッパの統一を目的とするPEU(汎ヨーロッパ連合)が創設された。その中心にはオットー・フォン・ハプスブルク大公がいたが、オーストリア・ハンガリー帝国のリヒャルト・フォン・クーデンホーフ-カレルギーやイタリアのバレリオ・ボルゲーゼ、あるいはイギリスのウィンストン・チャーチルもメンバー。有力貴族のネットワークとも言える。

 このプランは「ポーランド・リトアニア連邦」の復活を夢見るポーランドの勢力の思いとも一致していた。ポーランドやウクライナの西部はカトリック圏であり、ポーランドでは1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織も編成されている。ポーランドはアメリカやイギリスの私的権力を中心とする勢力の一部。ポーランドを単独で見る姿勢は正しくない。

 大戦の終盤からナチスの高官や協力者をアレン・ダレスたちを保護、南アメリカへの逃亡を助け、後に雇っているが、このプロジェクトにローマ教皇庁も強力していた背景には共通の対ソ連/ロシア政策があった。

 オバマ政権が作り出したウクライナ情勢によってロシアとアメリカの間で軍事的な緊張が高まっているが、そうした中、プーチンに対して唾を吐きかけたのがブリンケン。そのブリンケンは1月7日に林芳正外相や岸信夫防衛相とバーチャル会議で話し合っているが、その際、ブリンケンは極超音速兵器や宇宙戦力などを念頭におき、日米が新たな研究開発協定に署名すると語っている。その前日、岸田文雄首相とオーストラリアのスコット・モリソン首相は「円滑化協定」に署名、自衛隊とオーストラリア軍は相手の国へ事前に話し合いなしに入国、軍事訓練を行えるようになった。日本はロシアや中国との戦争に向かって歩き始めた。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202201090000/

37. 中川隆[-13841] koaQ7Jey 2022年2月07日 07:00:43 : oCqatUkqPM : VzByNlhuRTcyRkE=[13] 報告

2022.02.07XML
バイデン政権の国務省報道官が抱えるCIAの闇
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202070000/


 アメリカ国務省の報道官としてロシアとの軍事的な衝突を誘発しかねない深刻な主張をし、APのマット・リー記者から主張の根拠を問われて答えられなかったネッド・プライスは2006年から​2017年2月14日に辞表を提出​するまでCIAの分析官を務め、最後の時期にはNSC(国家安全保障会議)の広報官のポストにあった。辞表を提出した理由は新大統領のドナルド・トランプの下で仕事をしたくなかったからだ。

 NSCは安全保障、軍事、外交を決定する重要な場所で、議長は大統領が務める。大統領の安全保障補佐官も出席することになっているが、2017年1月に成立したトランプ大統領の補佐官、マイケル・フリンは出席できなかった。​CIAの妨害でクリアランス(国家の機密情報にアクセスできる資格)を取得できなかった​からである。その時、プライスはCIAの幹部としてNSCの広報官を務めていたわけだ。

 トランプの前のアメリカ大統領はバラク・オバマ。ロシアとの関係を悪化させようとしていた人物だが、2010年から中東から北アフリカにかけての地域でムスリム同胞団を使った体制転覆プロジェクトを推進、14年にはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを実行している。

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから10日ほど後にペンタゴンを訪れたところ、国防長官の周辺で攻撃予定国リストが作成されていることを知る。そのリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、そしてスーダンが載っていたという。

 ジョージ・W・ブッシュ政権は2003年3月にイラクを先制攻撃してサダム・フセイン政権を倒したが、オバマはその後を引き継ぎ、2010年の後半に「アラブの春」を仕掛けた。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は破壊され、並行してシリアも攻撃されたが、シリアは手強い。しかも2012年5月にロシア大統領へ返り咲いたウラジミル・プーチンがアメリカ/NATOのシリアへの本格的な攻撃にブレーキをかけた。

 オバマ政権はリビアからシリアへ戦闘員や武器/兵器を移動、集中させ、バシャール・アル・アサド政権の打倒に力を入れる。ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)への支援を強化したのだ。

 それに対し、アメリカ軍の情報機関​DIAはこの政策が危険だとオバマ政権へ2012年8月に報告​する。その中で、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、アル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)の名前も出している。オバマ大統領が言うところの「穏健派」とは、一般的に「過激派」と見なされているグループだとしているのだ。ちなみに、2012年7月からDIA局長を務めていたのは後にトランプが国家安全保障補佐官に指名するマイケル・フリン中将である。

 オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していたが、これは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)という形で現実になる。その年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧されたのだ。当初、この武装集団は首を切り落とす演出をするなど残虐さをアピールした。アメリカ/NATO軍の本格的な介入を正当化するためだったと見られている。

 2015年にオバマ大統領は政府を好戦的な布陣に作り替えた。2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させている。

 ヘーゲルは戦争に慎重だったが、カーターは2006年にハーバード大学で朝鮮空爆を主張した人物。サラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていたデンプシーはシリア政府と情報を交換していたと言われている。

 デンプシーは2015年9月25日に議長から退くが、その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、アル・カイダ系武装集団の支配地域を急速に縮小する。その中にはダーイッシュも含まれていた。その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。この出来事は歴史の転換点だと言えるだろう。

 2016年の大統領選挙中からCIAやFBIの中枢にはヒラリー・クリントンを支援する勢力が存在、反トランプ工作も行われていた。後にこの工作は発覚、責任問題になりつつある。そのクリントンを支援していたマイク・モレルは2010年5月から13年8月にかけてCIA副長官を務めた人物。選挙期間中の2016年8月、​チャーリー・ローズのインタビュー​でロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語っている。その際、司会者からロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えた。

 実際、その後、ロシアの幹部外交官らが相次いで死亡している。例えば、2016年11月8日にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見され、12月19日にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺された。

 12月20日にはロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、12月29日にはKGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見され、17年1月9日にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、1月26日にはインドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死している。その間、2016年9月6日にはウラジミル・プーチンの運転手が乗った自動車へ暴走車が衝突、その運転手は死亡する。

 また、モレル発言の前、2015年11月5日にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTを創設した人物がワシントンDCのホテルで死亡している。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202070000/

38. 中川隆[-13742] koaQ7Jey 2022年2月11日 10:33:27 : 8fbxFIojGM : N1RjM3BBSXg1Yy4=[22] 報告

2022.02.11XML
言論統制を強めるアメリカ政府
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202110001/


 アメリカの国土安全保障省は政府の公式見解に反する情報を伝えている行為は「テロリズム」だと主張している。

 2003年にイラクを先制攻撃する際、アメリカ政府は人びとに攻撃を納得させるため、偽情報を流した。その偽情報を拡散させたニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラー記者は05年に同紙を離れ、ウィリアム・ケーシーの政策研究マンハッタン研究所、FOXニュース、ニューズマックスへ移る。その一方で彼女はCFR(外交問題評議会)のメンバーにもなった。支配グループの一員として向かい入れられたわけだ。

 イラク戦争でアメリカ軍はイラクの国土を破壊、100万人とも言われる人びとを殺害した。そうした中、​アメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが非武装の一団を銃撃、ロイターの特派員2名を含む非武装の十数名が殺されている​。その情報をウィキリークスへ渡したアメリカ軍のブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニング)特技兵は刑務所へ入れられ、ウィキリークスのジュリアン・アッサンジはイギリスの刑務所へ入れられている。アメリカの支配層にとって都合の悪い情報を流す行為をアメリカやその従属国では犯罪とみなされてきた。

 この原則をアメリカ政府はCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)へも拡大させつつある。自分たちの支配力が弱まっていることに危機を感じているのか、アメリカの支配層は言論統制を強めている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202110001/

39. 2022年2月28日 08:55:14 : mkl3sc5Em6 : c05NYWpNU0h2RTY=[4] 報告
2022.02.28XML
米国や英国の支配層とナチスの関係は今でも続いている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270002/

 ロシアのウラジミル・プーチン政権がウクライナに対して軍事作戦に出た原因はアメリカがロシアを制圧する意志を変えず、経済的、あるいは軍事的に恫喝し続けてきたからである。それでもロシアは繰り返し交渉を試みているが、アメリカの元政府高官からも無理だと言われていた。

 アメリカの政策決定者が身勝手なことは日本も1980年代から90年代にかけて経験しているはずだが、そのアメリカに歯向かうことはなかった。1980年代にアメリカはソ連内部の腐敗勢力と手を組んで1991年12月にソ連を消滅させ、その富を奪った。その手先が「オリガルヒ」と呼ばれる富豪になる。

 ソ連が消滅した直後の1992年2月にアメリカの国防総省はDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プランを作成した。その最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニー。その下にいたポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 DPG草案のベースを考えたのは国防総省内部のシンクタンクONAで室長を務めていたアンドリュー・マーシャル。この人物はバーナード・ルイスなる学者から世界観を学んだのだが、そのルイスはイギリスで情報活動に従事したことがあり、イスラエルやサウジアラビアを支持。つまりイギリスの長期戦略に基づいてい動いていた。マーシャルもルイスもソ連や中国を脅威だと考えていた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 アメリカは「唯一の超大国」になったという前提で、まだ従属度の足りない国々を潰す一方、潜在的なライバルを潰すとしている。西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアがライバルに成長しないように全力を挙げるだけでなく、エネルギー資源を支配し、アメリカ主導の新秩序を築き上げるというビジョンを打ち出していた。ネオコン系のシンクタンクだったPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)は2000年に『アメリカ国防の再構築』という報告書を公表しているが、そのベースはウォルフォウィッツ・ドクトリンであり、2001年1月から始まるジョージ・W・ブッシュ政権はこの報告書に基づいて政策を決めていた。

 ブッシュ政権はアメリカ国内でファシズム化、国外で侵略戦争を推し進めたが、それを可能にしたのは2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとがショックで茫然自失している間に世界は大きく変化した。

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると語り、2001年9月11日の10日ほど後にドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという。(​3月​、​10月​)

 ヨーロッパではNATOが1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃、解体してから東へ拡大、ロシアへ肉薄していく。つまりチェコ(1999年3月)、ハンガリー(1999年3月)、ポーランド(1999年3月)、ブルガリア(2004年3月)、エストニア(2004年3月)、ラトビア(2004年3月)、リトアニア(2004年3月)、ルーマニア(2004年3月)、スロバキア(2004年3月)、スロベニア(2004年3月)、アルバニア(2009年4月)、クロアチア(2009年4月)、モンテネグロ(2017年6月)、北マケドニア(2020年3月)。そしてアメリカはウクライナへ手を伸ばした。

 ウクライナは人工的に作られた国で、何度も領土が付け加えられてきた。宗教的には西側のカトリックと東側の東方正教会で別れ、これは言語の差にも表れている。西部はウクライナ語、東部や南部はロシア語。選挙の際にも支持者が別れる。

 2004年11月の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチは東部と南部を地盤とする政治家でロシアとの関係を重視、つまり欧米支配層にとって好ましくない人物だった。そうした人物を当選させた選挙を彼らは「不正」だと宣告、社会的な混乱が仕組まれる。「オレンジ革命」だ。その結果、アメリカに好かれていたビクトル・ユシチェンコにすげ替えられた。

 ユシチェンコの下で首相になったひとりで投機家のジョージ・ソロスをパトロンにしていたユリア・ティモシェンコはネストル・シュフリチと電話で話した際、ロシア人を殺すと繰り返していたことも判明している。こうした心理が2014年のクーデター以降にも表れている。

 ウクライナの西部では反ロシア感情が強く、1920年代にはOUN(ウクライナ民族主義者機構)が組織されている。またその当時、バルト海からエーゲ海まで、つまり中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという動きがあり、インターマリウムが組織された。

 OUN・B(ステファン・バンデラ派)はイギリスの情報機関MI6やドイツのゲシュタポ(国家秘密警察)と関係があるが、インターマリウムはイギリスやフランスの情報機関から支援を受けていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 イギリスでは19世紀からユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にロシアを制圧して世界の覇権の握るという考えがあり、それをハルフォード・マッキンダーという学者が20世紀初頭にまとめている。この戦略はジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」につながり、この発想が第1次世界大戦や第2次世界大戦でも表れていた。

 ビクトリア女王の時代、イギリスの政策を決定していたグループに所属していたセシル・ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けした人物だが、1877年に彼は「信仰告白」を書いている。その中で彼はアングロ・サクソンを世界で最も高貴な人種だと表現、その人種が支配地域を広げることは義務だとしていた。ローズの告白を読むと、イギリスやアメリカを支配している人びとの行動を理解しやすい。

 マッキンダーの戦略に出てくるユーラシア大陸の周辺部を締め上げる三日月帯の東端は日本。日本はイギリスやアメリカの戦略にとって重要な位置にあり、日本人は彼らの傭兵的な役割を果たしてきた。これは本ブログで繰り返し書いてきたことだ。日本のエリートは米英の支配者に従属することで地位と富を維持してきたと言えるだろう。アメリカの支配は永遠に続き、そのアメリカは「善」であり、日本はアメリカに従うべきだと彼らが考えたいのは当然だ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270002/

40. 2022年3月01日 12:49:07 : 6oimzvqJ1E : eWhINHdRc1pwYk0=[6] 報告

2022.03.01XML
ロシアとウクライナが交渉を始めたが、米英を後ろ盾とするネオ・ナチは健在
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202280002/


 ロシアとウクライナの代表による交渉が2月28日に始まったが、戦闘の終結に向かうかどうかは不明だ。ボロディミル・ゼレンスキー大統領が軍や親衛隊を掌握できていない可能性もあり、交渉の期間を利用してアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチが戦闘体制を整えることも考えられる。

 アメリカのジョー・バイデン大統領が昨年1月、大統領に就任した。それ以来、ロシアの「縄張り」とも言うべき黒海へ軍艦を入れ、軍用機を飛行させて恫喝、あるいは挑発してきた。国境近くに数万人規模の部隊を集結させたこともある。

 2009年1月から17年1月にかけてバイデンはバラク・オバマ政権の副大統領を務めたが、その時もロシアとの関係を悪化させる政策を推進していた。オバマ、バイデン、あるいはヒラリー・クリントンの背後にいる勢力の意向だろう。

 1980年代のアメリカは旧保守と新保守が対立していたが、1991年12月にソ連が消滅してから新保守の影響力が強まり、2001年9月11日の出来事で新保守が主導権を完全に握ったように見える。2001年1月から大統領はジョージ・W・ブッシュだ。

 ネオコンに担がれていたブッシュ大統領は国内をファシズム化する一方、正規軍を使って他国を侵略、殺害、破壊、略奪を繰り返すことになるが、これは新保守が1992年2月に立てた計画に沿っていた。

 アフガニスタンやイラクは正規軍で攻め込んだが、思惑通りに進まず、オバマ時代の2010年頃からズビグネフ・ブレジンスキーが考え出したジハード傭兵を使った侵略に切り替えた。今でもジハード傭兵はアメリカの手先として活動しているが、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が使われている。

 バンデラは1920年代からOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だった人物。リーダーのイェブヘーン・コノバーレツィが1938年に暗殺されると、OUN内で反ロシア感情の強いメンバーがバンデラの周辺に集まり、41年3月に分裂、バンデラ派はOUN-Bと呼ばれるようになる。そして1941年6月にバルバロッサ作戦が始まった。

 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。

 アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていたことが明らかになっている。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどの金融機関がそうした資金を流すパイプだった。

 その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。

 プレスコットが働いていたウォール街にはアレン・ダレスという弁護士もいて、ふたりは親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュは1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めることになるが、偶然ではないだろう。

 ブラウン・ブラザース・ハリマンやユニオン・バンキングでプレスコットはW・アベレル・ハリマンと重役仲間だったが、このふたりはエール大学で学生結社のスカル・アンド・ボーンズに入っていた。ハリマンの弟子にあたる人物がジョー・バイデンである。

 JPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちとファシズムとの関係が明確になったのは1933年から34年にかけて計画されたクーデターだ。ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の大統領選挙で勝利、それに危機感を抱いたウォール街がニューディール派の排除を目論んだのである。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。

 しかし、バトラーは憲法を遵守する考えの持ち主。そこで計画を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言、議会で詳細を明らかにしている。

 バトラーから話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本は親ファシズム。第2次世界大戦の終盤からアメリカの情報機関などはナチスの高官や協力者を保護、逃亡させ、雇い入れているが、これは必然だった。

 もし、ルーズベルトが大統領を続けていたなら、大戦後にウォール街とナチスとの関係にメスが入った可能性が高いが、ドイツが降伏する前の月、つまり1945年4月に急死してしまった。そして、戦後に始まるのは反ファシスト派の弾圧、いわゆる「赤狩り」だ。

 巨大金融資本とナチスとの関係は一貫している。ウクライナでネオ・ナチが影響力を持っている理由はそこにあると言えるだろう。ロシア人がウクライナのネオ・ナチに神経を使ってきたのはそのためだ。

 ナチス時代のドイツは1941年6月にソ連侵攻を開始している。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令。西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。

 1991年にソ連が消滅して以降、NATOは東へ支配地を拡大させてきたが、これは時間をかけたバルバロッサ作戦にも見える。その最終局面でネオ・ナチが出てきたわけである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202280002/

41. 中川隆[-13542] koaQ7Jey 2022年3月09日 14:13:14 : 6RXKtDV6I6 : NldSY1NTcjE1QlE=[4] 報告

2022.03.09XML
日本がロシアと敵対関係に入った背景
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203090000/

 ​日本政府は3月8日、ロシアやベラルーシに対して敵対的な「措置」を実施すると発表した​。アメリカの属国である日本としては当然のこのなのだろうが、そうした事情はともかく、ロシアにとって日本は敵性国家のひとつになった。近日中に日本も「制裁」の対象になると見られている。

 ロシア制圧はアメリカやイギリスの支配層にとって19世紀以来、世界制覇の中心だが、短期的に考えても現在の戦いは2014年2月に始まっている。ネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、ロシア語を話すウクライナ国民を殺害し、国外へ追い出してきた。それに対し、クリミアで市民がロシアへ保護を求め、ドンバス(ドネツクやルガンスク)の市民が戦ってきたのである。

 2月19日に​「大虐殺が準備されている」という緊急アピール​を出したオレグ・ツァロフはクーデター当時、ヤヌコビッチ大統領派の議員だったが、​2013年11月20日に議会でクーデター計画の存在を訴えていた​。

 実際、その直後からアメリカ政府の支援を受けた反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で反政府集会を開き、年明け後にはネオ・ナチが前面に出てくる。そして暴力的なクーデターにつながるわけだ。

 ツァロフによると、ボロディミル・ゼレンスキー大統領はドンバスで軍事作戦を開始、かつてクロアチアで行われたように、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」する計画で、これと並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。

 先住民を殺し、追放し、自分たちにとって都合の良い人々を移住させるという手法をアングロ・サクソンの支配者は使ってきた。アメリカやイスラエルの「建国」はそのようにして達成されている。ズブグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンへサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団を中心とする戦闘員を送り込んだ時も、戦闘員に対し、そうしたことを言っていた。

 クーデター後、正規軍や治安部隊から兵士や隊員が反クーデター軍へ流れ、残された軍隊は弱体化する。そうしたこともあり、3月に「右派セクター」などネオ・ナチを中心とする親衛隊が編成された。5月になると右派セクターを中心に「アゾフ大隊」が正式に発足する。現在、親衛隊の中核はこのアゾフ大隊(またはアゾフ連隊)だ。

 そうした中、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問する。アレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が東部や南部の制圧作戦を承認するのはその間の14日だ。

 こうした動きの前、3月16日にクリミアの市民はロシアとの一体化の是非を問う住民投票を実施している。ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部ではクーデターを受け入れない人が多かったが、クリミアもそのひとつだった。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したと発表されている。

 アメリカやその従属国では、アメリカの支配層にとって都合の悪い選挙結果は不正だとされる。クリミアでもそうした宣伝がなされたが、この住民投票では国外からの監視団が入り、日本やアメリカに比べれば遥かに公正なものだったと考えられている。

 対応が遅れた地域では地獄が待っていた。例えば、5月2日にはオデッサで右派セクターが反クーデター派の住民を虐殺している。広場にいた市民に暴徒が襲いかかり、労働組合会館の中へ誘導され、そこで虐殺されたのだ。その際、建物は放火された。

 50名弱が殺されたと伝えられているが、これは地上階で発見された死体の数で、地下ではさらに多くの人が殺されたと言われている。120名から130名とも言われているが、その大半は運び去られたという。

 その1週間後、マリウポリ市に戦車などを入れて市内を破壊、非武装の住民を殺害している。5月9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、住民は外で祝っていた。そこへキエフのクーデター軍が突入したのだ。その様子を携帯電話で撮影した映像が世界に発信されたが、それを見ると、住民が丸腰で戦車に向かい、殺されていく様子が映されている。5月11日に予定されていた住民投票を止めさせることも目的だっただろうが、予定通りに投票は行われ、独立の意思が示されている。

 この制圧作戦はロシア語を話すウクライナ国民を虐殺する民族浄化作戦でもあったが、これを作成したのはアメリカ国防総省系のシンクタンク​、RANDコーポレーション​だと推測されている。

 ヤヌコビッチ支持者が多かったロシア語系の住民に対する弾圧が続く中、2014年6月にペトロ・ポロシェンコが大統領に就任した。ポロシェンコがアメリカ政府へ情報を提供していたことは​ウィキリークスの公表した2006年4月28日付けの公電​で明らかになっている。

 この新大統領は6月2日にウクライナ東部にあるルガンスクの住宅街を空爆、住民を殺している。当初、ポロシェンコ政権は航空機による爆撃を否定、住民側の自衛軍によると主張していたが、インターネット上にアップロードされた映像を見れば空爆が行われた可能性は高いと言わざるをえず、欧州安保協力機構(OSCE)も空爆があったとしている。この攻撃があった6月2日、アメリカのデレク・チョレット国防次官補がキエフ入りし、作戦の調整作業を行ったとも言われている。

 その後、ウクライナではネオ・ナチが跋扈、政治経済は破綻した。そうした状況の中、2019年に実施された大統領選挙ではロシアとの関係修復を訴えていたボロディミル・ゼレンスキーがポロシェンコに勝つ。そこに国民の意思が現れているが、その意志をアメリカなど西側の支配層は許さない。

 2020年のアメリカ大統領選挙で勝利したジョー・バイデンがロシアに対する挑発を繰り返し、軍事的な圧力を加えてきた。軍事作戦を実施する動きも見せていた。そこまで追い詰められていたとも言える。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203090000/

42. 2022年3月09日 14:16:01 : 6RXKtDV6I6 : NldSY1NTcjE1QlE=[5] 報告
アゾフ連隊: ウクライナ国家親衛隊に実際に存在するネオナチの暴力集団
2022年3月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/21097


プーチン大統領がウクライナ政権をネオナチ呼ばわりして西側諸国の顰蹙を買っているが、西洋で人気の「ファクトチェック」なるものをここでもやってみようではないか。

ウクライナ国家親衛隊

ウクライナ政府には2つの軍組織が存在する。1つはウクライナ大統領が最高司令官を務めるウクライナ軍(Armed Forces of Ukraine)であり、もう1つは内務省に所属するウクライナ国家親衛隊(National Guard of Ukraine)である。

何故2つも軍があるのかが日本人には分かりにくいかもしれないが、ウクライナ軍は国外での任務も行う普通の意味での軍であるのに対し、ウクライナ国家親衛隊は国内での軍事行動を任務としている。

「国内での軍事行動」というのも日本人には馴染みがないだろうが、ウクライナでは2014年に当時の親ロシア派のウクライナ政権が暴力デモ集団によって追放され、ロシアはこれを違法なクーデター(事実だろう)と非難、ドネツク人民共和国およびルガンスク人民共和国として独立宣言したウクライナ東部を支援し、クリミアを併合することで対応した。

ちなみにこの2014年のクーデターで欧米諸国は当時の親ロシア派ウクライナ政権が暴力デモ集団の要求を受け入れるよう制裁で脅すなどの支援をしているほか、アメリカの外交官であるビクトリア・ヌーランド氏がウクライナ新政権の人選について話し合っている音声がYoutubeに暴露されるなどしている。

ジム・ロジャーズ氏: 米国のロシア嫌いはオバマ政権によるウクライナ政権転覆が露呈して決まりが悪くなったから
こういう状況で(新)ウクライナ政権は2014年から独立宣言した東部との戦闘状態に陥っており、ウクライナ国家親衛隊はこの状況を受けて創設されたものである。つまり、ウクライナ国家親衛隊が担う「国内での軍事行動」とはウクライナ東部との戦闘を意味する。

アゾフ連隊

さて、このウクライナ国家親衛隊にはアゾフ連隊という部隊が存在する。世界的にはアゾフ大隊の名前で知られているが、ウクライナ政府はこれを後に連隊に昇格させている。

このアゾフ連隊の出自は日本人にはなかなか理解しづらいだろう。日本で治安悪化と言えばスリなどを行う犯罪者や、せいぜいが不良やヤクザであり、彼らが軍を組織してあまつさえ自衛隊に合流するなどということは有り得ない。しかしアゾフ連隊はそういう出自を持っている。

アゾフ連隊は元々ウクライナの都市ハルキウのサッカークラブの熱狂的なサポーターの集まりだった。

サッカーファンが何故軍になるのかという時点で突っ込みどころが満載だが、ヨーロッパのしかも治安が良くない国におけるサッカーのサポーターを、日本で見られるようなサッカーファンと一緒にしてはならない。

サッカーチームの暴力的なサポーターということに関しては、日本人には恐らくフーリガンの名でよく知られているだろう。サッカーは欧米では労働者階級の憂さ晴らしという側面があり、試合にかこつけて会場の内外で暴れたり、外国人の選手に差別的な言動をぶつける人々は日本でもニュースで目にするかもしれない。

ヨーロッパで不良やならず者が信奉するのが暴力行為のほかに白人至上主義やナチズムである。ウクライナの場合、住民にウクライナ系とロシア系がいるので、ウクライナのフーリガンはロシア系住民を排斥する民族主義に繋がりやすい。

ウクライナ分離で水を得た魚

フーリガンと極右思想との繋がりはアゾフ連隊に限ったことではなくアメリカやイギリスなどでも見られるが、ウクライナの場合、2014年にウクライナが分断され、新ウクライナ政府がロシア系の東部と戦闘に陥ったことでネオナチのならず者たちは格好の活躍の場を得た。もう暴力衝動を発散させるための場にサッカー場は必要ないということである。

ロシア系の人々を相手に暴力的な衝動を発散させたいアゾフ連隊と、ロシアに支援されたウクライナ東部を攻撃したい新ウクライナ政府の利害は合致し、アゾフ連隊はウクライナ国家親衛隊に組み入れられた。

その後のアゾフ連隊の振る舞いは、彼らが元々どういう人々かを考えれば明らかだろう。OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)の報告にいくつか例がある。

2016年2月16日から5月15日のウクライナにおける人権状況報告 (OHCHRホームページ上)
ウクライナの軍隊とアゾフ連隊は民間人を立ち退かせて民間の建物を広く使用しており、そこでは民間人の財産の略奪が行われている。

あるいは以下のものである。

2016年11月16日から2月15日のウクライナにおける人権状況報告 (OHCHRホームページ上)
アゾフ大隊やドンバス大隊(訳注:こちらもウクライナ国家親衛隊である)のメンバー8名から10名程度によって精神障害者の男性が性暴力などの虐待を受けた。

これらの報告書には他にもこのアゾフ連隊がどういう目的で戦闘行為をしているのかが分かる行動が報告されている。

こうした報告は日付通り何年も前のものだが、ウクライナ東部は当時からこういう状況だったということだ。ロシアの「ロシア系住民保護」という名目は、少なくとも政府側の人間のこうした行為に向けられている。

また、これらの報告を呼んでもウクライナ政府下のアゾフ連隊がただの暴力集団でネオナチとは関係がないのではないかと思う人々には、日本の公安調査庁がアゾフ連隊について書いているページを引用しておこう。

極右過激主義者の脅威の高まりと国際的なつながり (公安調査庁ホームページ)
2014年,ウクライナの親ロシア派武装勢力が,東部・ドンバスの占領を開始したことを受け,「ウクライナの愛国者」を自称するネオナチ組織が「アゾフ大隊」なる部隊を結成した。同部隊は,欧米出身者を中心に白人至上主義やネオナチ思想を有する外国人戦闘員を勧誘したとされ,同部隊を含めウクライナ紛争に参加した欧米出身者は約2,000人とされる。

「ネオナチ」としっかり書かれている。

結論

ロシアやウクライナ東部と戦っているウクライナ政府にどういう人間が含まれているのかを、日本人は知っているだろうか。

アゾフ連隊はウクライナ国家親衛隊の一部に過ぎないと言うことも出来るだろうが、完全なネオナチ組織を自軍に組み込んで連隊に昇格させている時点で現ウクライナ政権の思考はかなりおかしい上に、政府下の人間が実際にネオナチ思想に基づいてウクライナ東部の人間に危害を加えているのだから言い訳のし様がないだろう。

以下の記事で報じたように、2014年にアメリカの傀儡となったウクライナ政権をオバマ政権下でバイデン現大統領が良いように使っていたことも含め、この件で西側のことを調べれば調べるほどきな臭いことがいくらでも出てくる。

ロシアのウクライナ侵攻でバイデン大統領が犯した一番の間違い
ロシアの戦争行為を正当化するわけではない。しかしロシア側の主張には少なからぬ事実が含まれており、日本を含む西側の報道ではそれが一切黙殺されている。そして完全にコントロールされた偏向報道を西側の人々は「報道の自由」だと信じている。

こういう人々は躊躇なくシリアにミサイルを打ち込んだアメリカ人のように、大手メディアの偏向報道を論拠に戦争が行われれば簡単に戦争支持をするだろう。そしてそれこそが戦争の原因だということを彼らが理解することはない。

ロシアのプーチン大統領は西側諸国の大手メディアに頭をやられた人々に頭の病気を心配されているが、何も事実を知らず、事実を調べもせずに、ただメディアに踊らされて異国に敵愾心を向ける日本や西洋の人々は確かに頭の病気ではないのかもしれない。それが人間の平常運転だからである。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/21097

43. 2022年3月18日 07:27:30 : SruyHYNJ8U : TVdiVVlTQXpnZzI=[1] 報告
2022.03.18XML
ウクライナの戦争でも行われている歴史のぶつ切りは一種の歴史改竄
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203180000/


 ウクライナで戦争が続いている。西側の政府や有力メディアは今年2月21日にロシアのウラジミル・プーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認し、2月24日にロシア軍が巡航ミサイル「カリブル」などで攻撃したところから戦争は始まったとしているが、これはアメリカやEUの見方にすぎない。

 歴史は因果の連鎖であり、ひとつの出来事には原因がある。歴史を語る場合、始まりを設定しなければならないが、どこから始めるかで見える風景は大きく変わってくる。そうした連鎖を体制の要請に合わせて断ち切り、その断片を雇い主の都合に合わせて解釈して見せる人もいる。

 プーチンが独立を承認する前からウクライナでは軍事的な緊張が高まっていた。2月17日頃からウクライナ側からドンバスへの攻撃が激しくなっているが、その前からアメリカ/NATOはロシアに対する軍事的な恫喝を強めていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。

 ウクライナの政治家、オレグ・ツァロフは2月19日に​緊急アピール「大虐殺が準備されている」​を出し、ボロディミル・ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始するという情報をキエフから得たとしていた。

 そのアピールによると、この地域を制圧してからキエフ体制に従わない住民を「浄化」するという作戦で、西側から承認を得ているともしていた。この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。

 ウクライナへの攻撃を始めた後、ロシア軍はウクライナの生物兵器の研究開発に関する、そして​3月に予定していたドンバスへの攻撃計画に関する文書​を発見したとロシア国防省は発表している。

 西側ではロシア軍がウクライナへ軍事侵攻したと単純に表現しているが、ウクライナの現体制は2014年2月のネオ・ナチによるクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したところから始まっている。その時のアメリカ大統領がバラク・オバマだ。

 この事実を隠蔽したい人びとは2014年にロシアがウクライナを侵略したことにしている。事実を調べれば嘘だということが容易にわかるだろうが、事実を調べない人には効果があるだろう。

 その時にホワイトハウスでクーデターを統括していたのがジョー・バイデン、現場で指揮していたのが国務次官補だったビクトリア・ヌランド。クーデターの1ヶ月ほど前、ヌランドは電話でジェオフリー・パイアット米国大使に対し、ヤヌコビッチを排除した後の閣僚人事について指示している。その際、話し合いで混乱を解決しようとしていたEUに対し、彼女は「クソくらえ」と口にしたのだ。

 そのクーデターで主力になったネオ・ナチの中核は「右派セクター」だが、そのグループを率いていた人物がドミトロ・ヤロシュ。2007年からNATOの秘密部隊ネットワークに参加している。その時にアメリカのNATO大使を務めていたのがヌランド。その当時、ヤロシュなどネオ・ナチはチェチェンでアメリカが行っていた対ロシア戦争に参加、中東のジハード傭兵たちと結びついている。

 1991年12月にソ連は消滅、翌年2月にアメリカ国防総省はDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プランを作成した。その最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツ。そのため「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 このドクトリンは旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在的ライバルの中国やEUを潰し、覇権の基盤になるエネルギー資源を支配しようとしていた。つまり中東もターゲットだ。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めていたウェズリー・クラークによると、1991年の段階でウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。(​ココ​や​ココ​)

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンのベースを考えたアンドリュー・マーシャルは国防総省のシンクタンクONAで室長を務めていた人物。バーナード・ルイスなる学者から世界観を学んだという。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 ドクトリンが作成された当時、アメリカが「唯一の超大国」になったと信じた人は少なくなかった。そこで、アメリカは国連を無視して単独で行動できると考える人が出てくる。

 ところが、1993年8月に日本の総理大臣となった細川護煕は国連中心主義を維持。そこで1994年4月に倒れた。細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその考えに基づいて「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を作成するが、これをマイケル・グリーンとパトリック・クローニンは問題視、1995年2月に発表されたジョセイフ・ナイ国防次官補の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。これはウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいている。

 この当時、ネオコンやアメリカの有力メディアは旧ソ連圏への軍事介入を煽っていたが、ビル・クリントン政権は軍事力の行使に消極的。その象徴が国務長官だったウォーレン・クリストファーだ。

 この人物がマデリーン・オルブライトへ交代になった1997年から流れは変わる。その背後にいたのがヒラリー・クリントンやヌランドだ。この年、ズビグネフ・ブレジンスキーは『グランド・チェスボード』(日本語版は『ブレジンスキーの世界はこう動く』、後に『地政学で世界を読む』へ改題)というタイトルの本を出している。

 この本(原書)が出版された2年後、NATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。この攻撃ではスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅が破壊されただけでなく、中国大使館も爆撃されている。こうした攻撃を容認した西側はロシアのウクライナ攻撃を許さない。

 ユーゴスラビア攻撃の目的はコソボのアルバニア系住民をユーゴスラビアから分離してアルバニアと合体させことにあったが、少なくとも結果としてこの国を解体し、NATOを拡大させる第一歩になった。ここからアメリカは侵略戦争を本格化させていく。

 コソボでアメリカが手先に浸かっていた勢力の実態は麻薬業者。アメリカ/NATOの保護下のアフガニスタンではケシが栽培され、ヘロインが生産されてきたが、その麻薬販売ルートはコソボを通過している。彼らは後に臓器を売買していたことも判明する。

 ただ、1990年代には支配層の内部にもNATOの拡大は危険だと考える人がいた。例えば「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナンはNATOの拡大がロシアを新たな冷戦に向かわせると警告していた。こうした意見を封印することになるのが2001年9月11日に行われたニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎への攻撃、いわゆる「9/11」だと言えるだろう。

 ウェズリー・クラークによると、その直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺は新たな攻撃予定国リストを作成していた。そこにはイラク、シリア、イランのほか、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンが載っていたという。レバノンをリストに載せた理由のひとつはイランとの関係が強いヒズボラの存在にある。ハリリはそのヒズボラを連合政府へ参加させようとしていた。

 9/11の後、アメリカはアフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ソマリアなどを攻撃している。2020年1月3日にはバグダッド国際空港でイランのコッズ軍(特殊部隊)を指揮していたガーセム・ソレイマーニーを暗殺した。その時、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。

 2014年2月のクーデターで危機感を強めた人の代理人として動いたのであろう人物はヘンリー・キッシンジャー。2016年2月10日に彼はロシアを訪問してプーチン大統領と会談、22日にはシリアにおける停戦で合意した。そして大統領候補として浮上してきたのがドナルド・トランプだ。ヒラリーはオバマやバイデンと同じ流れに乗っていた。

 日本の近代史でも呼称は問題になる。典型例は日本軍の中国における戦争。「満州事変」、「上海事変」、「日支事変」、「大東亜戦争」というように歴史をぶつ切りにして別個の出来事だとする人がいる。「太平洋戦争」という呼称もある。そうした見方への疑問から「日中戦争」や「十五年戦争」という呼称が出てきたのだろうが、今でも歴史をぶつ切りにしたがる人が少なくない。ウクライナにおける戦争でもそうした手口が使われている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203180000/

44. 中川隆[-13435] koaQ7Jey 2022年3月25日 08:20:42 : wN51kKTSAK : c05GVzJZYnVwZC4=[1] 報告
世界を戦乱で破壊してきたオルブライト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1762.html

ヒラリー・クリントン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1090.html

世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html

ビル・クリントンはペドフィリア
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1163.html

火曜日夕方に必ず CIA のブレナンに暗殺指令を出したオバマ大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1137.html

ロスチャイルドの番頭で殺人鬼だったジョージ・ソロス
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1194.html

バイデン政権は、基本的に「第三次オバマ政権」でもある
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1313.html

バイデン政権は、基本的に「第三次オバマ政権」でもある (続き)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1456.html

副大統領カマラ・ハリスの知られざる正体!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1536.html

「アラブの春」とウクライナ動乱の背景
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/344.html

米国のカラー革命に資金を出している富豪はファシズム体制の樹立を目指している
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/202.html

軍産複合体 _ 戦争ビジネスの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/314.html

 

45. 中川隆[-13430] koaQ7Jey 2022年3月25日 08:26:41 : wN51kKTSAK : c05GVzJZYnVwZC4=[6] 報告
※LIVE 3/24 16:00〜『ひとりがたり馬渕睦夫 #73』ウクライナ紛争―歴史の教訓



※LIVE 3/21 16:00〜『ノンフィクション作家 河添恵子 #48』バイデン家と再燃するウクライナ・ゲート〜深い闇は真実か⁉

46. 中川隆[-13422] koaQ7Jey 2022年3月26日 05:52:11 : yCCTUAAjGk : RWlLbFNmbGpJaEk=[2] 報告

2022.03.26XML
ウォール街と関係の深いCIAと特殊部隊の危険な行動に統合参謀本部がブレーキ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203260000/


 ロシアの「十月革命」でソ連が誕生すると、アメリカの国務省はファシストの巣窟と化した。そうした外交官の中にジョージ・ケナン、ジョセフ・グルー、ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレスも含まれている。

 ケナンは人口の6・3%を占めるにすぎない人びとが世界の富の約半分を握っている情況を維持するための仕組みが必要だと考えていた人物で、フォーリン・アフェアーズ誌の1947年7月号に匿名で発表した論文でソ連を封じ込めるべきだとする議論を展開した。

 第2次世界大戦後、アメリカでは戦時情報機関OSSは廃止され、CIAが創設されるが、当初、この新機関の活動は情報の収集と分析に限定され、破壊活動は許されなかった。

 そこでケナンは1948年6月に破壊活動を目的とする機関の創設を提言、ジョージ・マーシャル国務長官や後任長官のディーン・アチソンがそれを支持し、NSD10/2という文書が作成された。そして創設されたのがOSP(特殊計画局)。名称はすぐにOPC(政策調整局)へ変更された。資金やスタッフはCIAから出ていたものの、名目上はケナンが創設した国務省のPPS(政策企画本部)が管理していた。1952年8月にCIAの秘密工作部門「計画局」が創設されたが、その中核になったのがOPCだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 OSS時代から破壊活動を統括した人物がアレン・ダレス。OPCの初代局長に就任したフランク・ウィズナーはダレスの側近のひとり。ダレス自身、1951年1月に副長官としてCIAへ乗り込み、計画局が創設されたのである。

 すでにドイツの敗北が決定的だった1944年、イギリスの特殊部隊SOEとOSSの1部門だったSOはゲリラ戦部隊「ジェドバラ」をフランスで編成した。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのは事実上、市民のレジスタンスだけだが、その主力がコミュニストだったことから、これに対抗するために作り上げたのである。この部隊の内部には93チームが存在、そのひとつを指揮していた人物が後のCIA長官、ウィリアム・コルビーだ。このジェドバラ人脈がOPCやアメリカ軍の特殊部隊につながる。この人脈を基盤にし、ヨーロッパにも秘密部隊のネットワークが作られ、後に「NATOの秘密部隊」と呼ばれるようになった。

 このように国務省、CIA、特殊部隊は根は同じで、共同して動くことが少なくない。その典型例がベトナム戦争における「フェニックス・プログラム」だ。この秘密工作は正規軍の指揮系統になく、CIAの指揮下にあった。

 1967年6月にICEXとして始動、NSC(国家安全保障会議)のロバート・コマーが指揮することになった。この人選はエバン・パーカーによるものだが、パーカーはOSS出身で、ジェドバラに参加していた。ICEXはすぐに「フェニックス・プログラム」へ名称が変更になった。

 この秘密工作の中核メンバーはアメリカ軍の特殊部隊から引き抜かれたが、実働チームはCIAが組織したPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊。海軍の特殊部隊SEALsの隊員だったマイク・ビーモンによると、PRUを構成していたメンバーは凶悪な犯罪で投獄されていた囚人たちが中心で、フェニックスは「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だという。

 1968年3月にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で引き起こされた農民虐殺事件、いわゆる「ソンミ事件」はこのプログラムの一部だとされている。

 この虐殺事件はアメリカ陸軍第23歩兵師団第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊に所属するウィリアム・カリー大尉の率いる第1小隊によって引き起こされた。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。

 この虐殺が表面化した理由は、現場の上空にさしかかったアメリカ軍のヘリコプターに乗っていた兵士が止めたからだ。ヒュー・トンプソンという乗組員がヘリコプターから地上へ降りたが、その際、彼は同僚に対し、カリーの部隊が住民を傷つけるようなことがあったら、銃撃するように命令していたと言われている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 こうした虐殺を従軍記者や従軍カメラマンは知っていたはずだが、報道していない。帰国後、議員に告発した兵士もいたが、政治家は動かない。政治家のスタッフをしていたジェフリー・コーワンからこの話を聞いた調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが取材、記事にしたものの、ライフやルックといった有名な雑誌からは掲載を拒否され、ワシントンを拠点とするディスパッチ・ニュース・サービスという小さな通信社を通じて伝えている。1969年11月のことだ。コーワンは当時、ユージン・マッカーシー上院議員の選挙キャンペーンに参加していたが、ハーシュもマッカーシー陣営に加わっていた。

 報道を受け、陸軍参謀長に就任していたウィリアム・ウエストモーランドは事件の調査をウィリアム・ピアーズ将軍に命令する。ピアーズは第2次世界大戦中、OSSに所属していた人物。1950年代初頭にはCIAの台湾支局長を務め、その後もCIAとの関係は続いていた。ピアーズの任務は事件の真相を隠蔽することにあった可能性が高い。16人が告発されたが、裁判を受けたのは4人、そして有罪判決を受けたのはカリー大尉だけ。そのカリーもすぐに減刑されている。

 ソンミ村での虐殺が告発されていた1968年7月、コリン・パウエル少佐(当時)がベトナム入りをしている。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官に就任したあのパウエルだ。配属されたのはカリー大尉と同じ第23歩兵師団。彼自身、事件後に現場を訪れて衝撃を受けたと2004年5月4日に放送されたCNNのラリー・キング・ライブで語っている。

 ベトナム戦争でアメリカはふたつの戦闘集団を送り込んでいた。ひとつは正規軍、もうひとつはCIAと特殊部隊だ。この構図は今でも続いているだろう。

 ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから3カ月後の2001年12月、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は統合参謀本部の作戦部長だったグレゴリー・ニューボルド将軍をオフィスに呼びつけ、イラク侵攻作戦について報告させた。

 ニューボルドによると、その場にいたのはラムズフェルドのほかポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、リチャード・マイアーズ統合参謀本部議長、ピータ・ペイス副議長、そして後にCIA長官となるウィリアム・ハインズ。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、世界貿易センターとペンタゴンが攻撃されてから10日ほどのち、統合参謀本部で攻撃予定国のリストが存在することを知らされたという。まずイラク、ついでシリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランの順だったという。(​3月​、​10月​)

 この計画に正当性がなく、政府が偽情報を流していることを知っていた軍の幹部は背広組と対立、アメリカの対イラク軍事作戦の内容がリークされている。

 そこで、ラムズフェルド長官は2002年7月12日付けのペンタゴン幹部宛てメモでリークを止めるように命令しているが、その内容までがロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されてしまった。

 アメリカがイラク侵攻作戦を開始する前、エリック・シンセキ陸軍参謀総長は議会でラムズフェルドの戦略を批判した。グレグ・ニューボルド海兵隊中将は2002年10月に統合参謀本部の作戦部長を辞し、2006年4月、タイム誌に「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いてブッシュ政権を批判している。(Greg Newbold, “Why Iraq Was a Mistake”, TIME, April 9, 2006)

 その記事が出る直前にアンソニー・ジニー元中央軍司令官もテレビのインタビューで国防長官を批判、同年3月にはポール・イートン少将、4月に入るとジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もラムズフェルド長官を批判している。

 バラク・オバマ政権は2011年春、ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使い、リビアとシリアに対する侵略戦争を始めた。その年の10月にカダフィ体制が崩壊、カダフィ自身が惨殺されるが、その時点でNATO軍が手を組んでいた地上部隊の主力LIFGがアル・カイダ系だということが発覚した。

 カダフィ体制を破壊した後、オバマ政権は戦闘員と武器をシリアへ集中させるのだが、その戦闘員がアル・カイダ系だということが知られている。そこでオバマ政権は「穏健派」という概念を持ち出し、「良いアル・カイダ」と「悪いアル・カイダ」という話を作り出す。

 アメリカ政府は「良いアル・カイダ」を支援しているのだというわけだが、アメリカ軍の情報機関​DIA(国防情報局)は2012年8月、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘​、シリアで戦っているアル・ヌスラの実態はAQIと同じだと報告している。

 バラク・オバマ大統領が言っていたような穏健派は存在しないということだが、その存在しない勢力へ提供された武器は「過激派」へ流れ、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。

 この警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形になって現れる。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、その勢力は6月にモスルを制圧。その際にトヨタ製小型トラック、ハイラックスの新車を連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられた。その年の8月、フリンはDIA局長のポストから外され、退役させられた。

 偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などでアメリカの軍や情報機関は武装集団の動きを知っていたはずで、そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動いていない。

 2011年10月から15年9月まで統合参謀本部の議長を務めたマーチン・デンプシー陸軍大将もアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを危険だと考えていたが、オバマ大統領はデンプシー議長の警告に耳を貸さない。やむなく​アメリカ軍は2013年秋からアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに関する情報を独断でシリア政府へ伝え始めた​。

 オバマ政権はシリア政府軍が住民を虐殺しているという偽情報を流し始める。バシャール・アル・アサド体制を悪魔化し、リビアのようにアメリカ/NATO軍が空爆を始めようとしたのだが、嘘が発覚して失敗していた。

 DIAがオバマ政権の政策が危険だとする報告書をホワイトハウスに提出した2012年8月、シリアに対する直接的な直接的な軍事介入のレッド・ラインは生物化学兵器の使用だアメリカ政府は宣言した。12月にはヒラリー・クリントン国務長官がアサド大統領は化学兵器を使う可能性があると語る。

 そして2013年1月29日付けのデイリー・メール紙には、オバマ政権がシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦をオバマ大統領が許可したという記述がイギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールに書かれているとする記事が載った。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された)

 そして2013年3月にアレッポで爆発があり、26名が死亡したのだが、そのときに化学兵器が使われたという話が流れる。シリア政府は侵略軍であるジハード傭兵が使用したとして国際的な調査を要請するが、イギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカは政府軍が使ったという宣伝を展開した。

 しかし、​攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということをイスラエルのハーレツ紙が指摘​、​国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言​している。

 オバマ大統領はシリアの体制転覆に積極的だったが、チャック・ヘーゲル国防長官やマーチン・デンプシー統合参謀本部議長は上院軍事委員会で直接的な軍事介入に慎重な姿勢を示している。議会の好戦的な要求をこのふたりが抑えていたのだ。

 しかし、ヘーゲルは2015年2月に解任されてアシュトン・カーターに交代、デンプシーは同年9月に再任を拒否され、ジョセフ・ダンフォードが後任になった。戦争に慎重な人物から好戦的な人物へ入れ替えたのである。

 デンプシーは2015年9月25日に議長から退いたのだが、その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入。その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。この時、アメリカを中心とする支配システムは揺らぎ始めた。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203260000/

47. 2022年4月14日 02:44:14 : AYYizAdVIY : Qm9wcDQueGs1Y3c=[1] 報告
2022.04.14XML
自らが行うジェノサイドは神から許されていると考えるアメリカの支配者たち
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202204140000/


 アメリカはジェノサイドで作りあげられた国である。かつては海兵隊が侵略、殺戮、破壊、略奪の手先として活動していたが、中東ではワッハーブ派やムスリム同胞団、ヨーロッパではナチス、東アジアでは日本人も使われている。

 1492年にクリストバル・コロン(コロンブス)がバハマ諸島に到着する前、北アメリカには210万人とも1800万人とも言われる先住民が生活していたが、ヨーロッパからの移民によって殺されてしまった。

 イギリスから「ピルグリム・ファザーズ」と呼ばれるピューリタンの集団がプリマスへ到着したのは1620年だが、その前にイギリス人が持ち込んだペスト菌で少なからぬ先住民は死んでいる。

 先住のアメリカ・インディアンを殲滅するためにイギリスは天然痘も利用した可能性が高い。当然のことながらイギリスの公式文書には出てこない(記録していない)ようだが、天然痘の患者が使い、汚染された毛布などを贈るという手法をイギリス軍は使っていたとされている。19世紀になっても続けられていたという。

 銃や大砲だけでなく、細菌兵器も使われたということだが、そうしたことを正当化するため、彼らは神を持ち出す。例えば、マサチューセッツ湾に到達したピューリタンのジョン・ウィンスロップは1630年、自分たちを神から選ばれた民だと主張、神との契約に基づいてマサチューセッツ植民地を建設すると語る。

 ジェノサイドで土地を手にしたイギリスの植民者は低コストの労働力を「囲い込み」で生み出された失業者を年期奉公人(年期奴隷)として使うようになった。アフリカだけでなく、ヨーロッパやアジアから奴隷がアメリカへ運ばれていたのである。

 アメリカは「WASP」の国だとも言われている。白人(W)、アングロ(A)、サクソン(S)、そして「P」。通常、Pはプロテスタントの頭文字だとされているが、ピューリタンのPだと言う人もいる。それほどピューリタンの影響力は今でも大きいようだ。

 ピューリタンは17世紀の半ば、イギリスを支配していたチャールズ1世の体制を倒した。いわゆるピューリタン革命だが、その指導者がオリバー・クロムウェル。地主や富裕な商工業者に支持されていた独立派のメンバーだ。革命の際、小農民や職人層に支持されていた水平派とクロムウェルは手を組んでいたが、革命後に水平派は潰される。

 その後、クロムウェルはアイルランドを侵略して住民を虐殺、アイルランドの人口は激減する。虐殺前の1641年には147万人だったが、52年には62万人へ減ったという。50万人以上は殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」としてアメリカなどに売られたと言われている。

 アメリカは1776年に独立を宣言するが、これはヨーロッパからの移民が先住民を無視して行った身勝手な行為にすぎない。その後も先住のアメリカ・インディアンを虐殺しながら支配地域を東から西へ拡大させていき、1845年には太平洋岸に到達した。

 1846年にアメリカはメキシコと戦争をはじめ、テキサス、ニュー・メキシコ、カリフォルニアを制圧し、フロンティアの消滅が宣言された1890年にはサウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を騎兵隊が襲撃し、150名から300名を虐殺している。

 ウイリアム・マッキンリーが大統領に就任した翌年、1898年にアメリカの中南米侵略を本格化させる引き金になった事件が起こる。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈したのだ。アメリカはスペインが爆破したと主張、宣戦布告して米西戦争が始まる。マッキンリーは戦争を回避しようとしていたが、海軍次官補だったシオドア・ルーズベルトが独断で戦争へとアメリカを引きずっていった。

 この戦争に勝利したアメリカはスペインにキューバの独立を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収することになる。ハワイも支配下におく。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡としての役割を果たすことになった。その際、アメリカ軍がフィリピンで行った先住民の虐殺は悪名高い。

 17世紀に書かれた「ウェストミンスター信仰告白」によると、「神は人類うち永遠の生命に予定された人びと」を選んだが、「これはすべて神の自由な恩恵と愛によるものであって、決して信仰あるいは善き行為」のためではないとされている。(マックス・ウェーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、1989年)

 奴隷も支配者も貧者も富豪も神が決めたことであり、社会的な強者は弱者のことを考える必要はないということにもなる。生まれ育った環境や運、そして犯罪行為もすべて神が事前に定めていたのであり、どのような手段でカネを儲けたとしても、それは神の意志だということだ。つまり、人間にとって善行は無意味であり、自分が「選ばれた人間」だと信じる人びとは何をしても許されるということになる。

 ビクトリア朝時代のイギリスで政策決定の中心にはネイサン・ロスチャイルド、セシル・ローズ、レジナルド・ブレット、ウィリアム・ステッドなどがいた。

 ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けした人物だが、1877年に彼が書いた『信仰告白』によると、彼はアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考え、優秀なアングロ・サクソンが支配地域を広げることは義務だと信じていた。非アングロ・サクソンの殲滅は神から許されているということになる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202204140000/

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