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2013年3月03日22時48分 〜
記事 [不安と不健康15] 年に3回しか食べるべきでない?養殖サーモンの危険性
http://gigazine.net/news/20110111_toxins_in_farmed_salmon/


養殖サーモンは天然サーモンと比べ安価で、ω-3脂肪酸(オメガ-3しぼうさん)に富むという利点が知られていますが、混雑したせまい養殖場では病原体も多く、水質汚染も確認されています。また、身を天然に近い健康的なピンク色にするため染料を混ぜたエサを与えられている養殖サーモンも多いそうです。


「ω-3脂肪酸が豊富」という便益と「体内に蓄積された汚染物質」というリスクを分析すると、「天然サーモンの方が養殖サーモンより健康的な食べ物で、産地によっては養殖サーモンは年に3回以下しか食べるべきでないレベルの汚染物質を含む」と言えるとのこと。


詳細は以下から。


Wild Salmon Is Healthier Than Farmed


コーネル大学やイリノイ大学、インディアナ大学などによる研究では、さまざまな産地の養殖サーモンと天然サーモンの毒性レベル(PCBなどのダイオキシンや塩素系殺虫剤など)とω-3脂肪酸の含有量を測定し、リスク便益分析を行いました。論文はJournal of Nutrition誌に掲載されています。


その結果、養殖サーモンでは天然サーモンよりω-3脂肪酸の量が多いものの、汚染物質の量は10倍程度とその便益を相殺する以上に高く、研究者たちは「消費者はスコットランドやノルウェー、カナダ東岸産の養殖サーモンを食べる機会は年3回(3食)以下に抑えるべきでしょう。メイン州、ワシントン州およびカナダ西岸の養殖サーモンは年に3〜6回まで、チリ産の養殖サーモンは年6回程度までを上限とすべきです。一方、天然のシロザケ(日本で一般に「サケ」と呼ばれる種)は週1回食べても安全と言え、ベニザケやギンザケは月2回程度、キングサーモン(マスノスケ)は月1回弱までなら安全です」とアドバイスしています。


養殖と天然を簡単に判別する方法としては、「アトランティックサーモン(大西洋サケ)」として売られているものはすべて養殖と考えてよいとのこと。野生個体群の減少を受けて大西洋でのサケ漁は現在商業的には行われていないためほとんど市場に流通することがなく、天然のタイセイヨウサケを食べるにはシーズンにカナダ東部などへ釣りに行く必要があるそうです。それに対し、「アラスカンサーモン」として売られるのはすべて天然。アラスカではサーモンの養殖は禁止されているため、養殖サーモンが「アラスカ産」として売られていれば、それは産地偽装ということになってしまいます。


日本では生鮮魚介類が養殖である場合には「養殖」の表示が義務づけられているそうです。加工食品の場合は表示義務の対象外ですが、天然であれば小売店ではアピールポイントとして必ずと言っていいほど表示するそうなので、「天然」と書いてあれば天然、書いてなければ養殖と考えてよさそうです。


サーモン養殖の裏側に迫る


http://www.asyura2.com/09/health15/msg/759.html

コメント [社会問題8] JAL本社前抗議行動に怒りの300人/日本航空はただちに整理解雇を撤回しろ!(レイバーネット) gataro
414. 2013年3月03日 22:50:45 : FF96Rb8Z5A
中学生の頃何かしらの資格に挑戦するとき周りは無理だと文句を言っていた。そんな中応援してくれたのが和美と寿恵だった。
何故か和美のブルマと寿恵のブルマを見て射精した。
コメント [経世済民79] <ヒトラーに学ぶ経済政策>「財政の崖」で分かる増税・財政再建路線が最悪の経済政策であること 会員番号4153番
04. 2013年3月03日 22:51:50 : bZBEIvudzw
大恐慌を克服したのは、シャハトのマジックと共に日本の高橋是清による日銀引き受けによる需要創出だったと記憶している。 結果として日本とドイツが恐慌から離脱できたが、日独共にその後始末に困った。 日本の場合には軍事費の縮小が軍の反乱を招き、天皇と政府の統制から離脱した満州事変を引き起こした。 これも結果論だが、陸軍の暴走による満州事変と2・26事件となり、最後には支那事変を経て太平洋戦争にまで至った。 F・ルーズベルトのニューディール政策の目玉はテネシー河開発の公共事業だったが、こっちは日本の真珠湾攻撃でアメリカが戦争に参加して戦争経済に変わるまで、景気は回復しなかったと言われる。 ナチス・ドイツにしても、アウト・バーンの建設やオリンピックでは景気の回復までは至らなかったと思う。 大恐慌の原因となったものは、第一次世界大戦中に拡大された日米の工業生産能力が、戦後になって供給の過剰を引き起こしたものと言えるだろう。 ワシントン・ロンドン条約の名前で知られている海軍の軍縮条約だが、これを成立させた加藤提督が今でも評判が良いのは如何なものか。 結果的には日本海軍の建造予算が減額され、反乱まで引き起こして抵抗した陸軍が暴走した結果が太平洋戦争につながる支那事変であり、同時に弱体化された海軍力でアメリカとの戦争を強いられたことが敗戦の一因ではなかったのか。 

現在の経済・財政危機を招いた原因が、行き過ぎたグローバリズムによって作られた中国や韓国の工業生産能力にあるとは言えないだろうか。 今さら元に戻すことは不可能なことだろうが、現状以上に先進国の工業や農業をも消滅させる恐れのあるTPPなどに参加することが必要だとは思いにくい。 N.T 

記事 [経世済民79] アベノミクスで給料は本当に上がるのか (週刊現代) 
アベノミクスで給料は本当に上がるのか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34975
2013年03月03日(日)ドクターZ 週刊現代 :現代ビジネス


 アベノミクスでデフレから脱却してマイルドなインフレになると、給料がどうなるのか気になる人は多いだろう。物価が上がっても給料が上がらないと、懐が痛むばかりで生活が苦しくなるからだ。

 まずは過去のデータを見ておこう。デフレになったのは1995年度からなので、1971年度から1994年度の24年間をインフレ時代、1995年度から2011年度の17年間をデフレ時代と分けよう。それぞれの年度で、給料の上昇率とインフレ率の関係を調べ、給料の上昇率がインフレ率を上回ったら「勝ち」、下回ったら「負け」とする。

 結果は、インフレ時代は21勝3敗であるが、デフレ時代は5勝12敗と負け越し。さらに詳しく見ると、インフレ時代の平均給与上昇率は7・4%で平均インフレ率は4・9%、デフレ時代の平均給与上昇率はマイナス0・7%で平均インフレ率もマイナス0・1%となる。

 つまりデフレ時代は、物価は下がるがそれより給料の下がりが大きいためサラリーマンに酷。一方、インフレ時代は物価は多少上がるが、それを補って余りあるほど給料が上がるのだ。

 そもそも、アベノミクスとは、おカネを刷ることによって人々の気持ちをデフレ予想からインフレ予想に変え、それがさらに株高、円安をもたらすという政策だ。これが消費、輸出、設備投資の実需を生み、その結果、実際にインフレ率が高まり、さらに実需が増えるので、雇用、給料も増えていく。

 ただ物事には順番があり、給料の増加は遅れてやってくる。給料を早く上げすぎると、企業のコストが上昇し、業績も向上せずに再びデフレに後戻りするとの声もあるが、果たしてどうなのか。

 まず、実際にどの企業の賃上げがどの程度可能になるのかは、労使交渉の世界なので、誰もわからないし、国が強制できることでもない。一般的に、労使交渉はインフレ率に企業や産業ごとに異なる生産性向上分を加えて行われる。大手コンビニチェーンのローソンが平均3%の賃上げを表明したのも、決して慈善事業のつもりではなく、先を見越した営業戦略と考えれば納得のいく話だ。

 また、正規雇用でなく非正規雇用では、需給が逼迫すると賃金の上昇は正規雇用より高くなる傾向がある。企業の儲け以上に賃金が払われることは考えにくいので、そうした通常の賃金上昇であれば、消費活動を後押しして経済活動に大きなマイナスはない。

 つまり、非正規雇用に依存する業種では、給料の引き上げを前倒しして雇用の確保を図る企業が出てきても不思議でない。

 これまでのデフレ時代、非正規雇用は不遇であった。しかし、インフレ時代では攻守所を変え、光が当たるともいえる。これは、社会公正のためにもいいことだ。

 デフレから脱却してマイルドなインフレにするのは、雇用と給料の面で労働者にやさしい政策だ。この意味で、カネを刷るという金融政策は雇用政策だともいえる。

 そもそも金融政策とは本来雇用政策なので、欧州では社民党や共産党などの左派政党が主張することが多い。ところが日本では、民主党が政権を取って雇用重視を主張しながら、金融政策を活用できずに円高・デフレで雇用の確保ができなかった。それを安倍自民党に見透かされて、先手を打たれ政権交代を許した。さぞかし民主党は悔しいだろう。

『週刊現代』2013年3月9日号より



http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/355.html

記事 [原発・フッ素30] 東電の強制捜査を求め、被災者ら東京地検囲む(OurPlanetTV)
東電の強制捜査を求め、被災者ら東京地検囲む



東京電力福島第1原発事故を受け、東京電力幹部や国の責任者を刑事告訴した「福島原発告訴団」が22日、東京地検に対して、東電への強制捜査・起訴を求める上申書と4万265人分の署名を提出。東京地検前には、全国から告訴人や支援者など600人が集まり声を上げた。その後、東電に対して要請書を提出し「東京電力は自首しろ!」と訴えた。
 
「福島原発告訴団」は、昨年3月16日に福島県民を中心に結成。福島県民だけで構成されていた第一次告訴には約1400人が参加し、6月11日に福島地方検察庁に告訴状を提出し、8月1日に受理。地震・津波対策を怠って事故を発生させ、住民を被曝させたなどとして、東電の勝俣恒久前会長、経産省原子力安全・保安院の寺坂信昭前院長、原子力安全委員会の班目春樹委員長ら33人の刑事責任を追及している。全国各地に参加を呼びかけて、11月15日に行われた第二次告訴では、告訴人は1万3000人に膨れ上がった。
 
この日、東京地検前には全国の告訴人と支援者ら600人が集まった。福島原発告訴団の代表者3名と弁護士3名が東京地検に対して、上申書と署名を提出。東電への強制捜査と一刻も早い起訴を迫った。この日のために福島県から来た蛇石郁子さんは、「原発震災以来、ずっと苦しみの中にいる。今すぐ起訴してください」と訴えた。告訴団の河合弘之弁護士は、「東電が刑事処罰されないというのは不正義である」と強制捜査と起訴を強く求めた。
 
告訴団はその後、東京電力本社に向かい、東電の廣瀬直己社長宛に要請書を提出。要請書では、東電が加害者であることを自覚し自ら進んで真相を明らかにし、罪を認め刑罰を受けることを求めている。要請書は広報部の會田満男所長が受け取った。大熊町で農業を営んでいた渡部さんは「あたなたちに強制避難させられたんだ。放射能汚染された土地を今すぐ返して欲しい。東京電力は自首しなさい」と訴えた。
 
福島原発告訴団
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/535.html

コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
4486. 2013年3月03日 22:53:44 : FnsgwNyZyU
ま、聴いてみよ!

http://youtu.be/OSr-NQHvhUM

コメント [政治・選挙・NHK144] (耕論)TPP、理念はあるか/化けの皮がはがれ始めた TPPに反対する経済評論家・内橋克人さん〔朝日新聞〕 gataro
14. 2013年3月03日 22:56:07 : yDLvkZvHNg
10さん、内橋氏の「ビジネス展望」は私もいつも聞いています。NHKはいろいろ言われていますが、内橋氏がレギュラーで出演しているのは今やNHKラジオのみという事は考慮すべき事であるとおもいます。
12,13さん、それはつまり「なぜ今頃になって朝日が内橋氏の記事を載せたのか?」という事ですね。内橋氏はずっとぶれていません。しかし朝日が内橋氏のインタビューを今頃載せたのは、やはりアリバイ作りなのでしょうね。

コメント [政治・選挙・NHK144] 海江田氏、鳩山元首相と会談調整 オロンテーア
06. 2013年3月03日 22:56:08 : EVjAFofuSR
これも遺産目当て?
コメント [経世済民79] 円安か?円高か? 伏兵"ブラックスワン"が鍵を握る!・・出撃の機を窺う金融マフィア!? 墨染
03. 2013年3月03日 22:56:08 : YGMN9KyYv6
ネットの討論で情報を得てるけど
当時のアルゼンチンと日本の置かれた状況はまるで違うだろう
経済学のシュミレーションとしてどうなんだろう?
みんなこんなもんなのだろうか?
コメント [政治・選挙・NHK144] ネット弁慶が街中に現れた理由  小田島隆 ダイナモ
13. 2013年3月03日 22:56:25 : 7oSKGju5kA
>>10
> だから権力に迎合し自分が権力の一員になった様な気になっている。

「サムライジャパン」で高揚する「にわか侍」の群集心理と根底の部分で『浅く』繋がったメンタリティだと思います。
あんなにサムライが居た筈なら皆餓死してますものね。
だから本当は御百姓なんですよ。
しかしそれを認めたくない皆さんがいらっしゃる。
サッカーみたいなお祭りなら「にわか」だった皆さんも、「ゃぁ!今回もサムライのコスプレパーティーは最高に楽しかったね!」「またやろうね!」と
現実のお百姓生活にそれぞれ戻って行くわけですが…。

そういう事が出来ない。夢と現実の区別が出来ない「にわか侍」の皆さんが
現実の社会に侍コスプレを持ち込んでしまっているのが所謂「アレ」なんでしょう。
しかし所詮は「紛い物」ですので永田町のリアル侍の輩供の様なスマートさを身に付ける事は無理なんですよね。
連中の あのヤクザチンピラ紛いの形振りってのは、
その結果として現れたスタイルなのでは無いかな、と感じています。

ヤクザチンピラ紛いと云えば、
凱旋右翼が「政治結社何某」式に自称してる事が多いですが、
これもまた良く似た形ですね。
両者のメンタリティーは『深く』繋がって居るのかも知れません。

コメント [原発・フッ素30] 避難地区ではない福島駅周辺で毎時40マイクロシーベルト (とある原発の溶融貫通(メルトスルー))  赤かぶ
20. 2013年3月03日 22:57:07 : aKxVB6hf0M
なんでも調べたり、試さなくてはわからない人は愚者です。予測力がないんです。手に入る断片的なデータから可能な限りの対策をたて、決断する。戦場で調べてみないとわからない指揮官はむのうです。わかるころには戦機を逃し壊滅してますよ。今はその状態。放射能の戦力が完全にわかるころには残存部隊はとても少ないでしょう。さて、そのときどのような戦略がとれるやら。おおくの方が元気で生き残ることを祈るのみです。再起をはかる戦力が残るように。
コメント [カルト10] バビロンの弱点は古代イスラエルとも無関係でキリストとも無関係で両者の正統を名乗ってきた事で世界はカンカンである。 ポスト米英時代
01. 2013年3月03日 22:57:08 : yj5FnYZ31o
「我々にお金を盗まれても愛で受け止めなさい、土地を盗まれても妻や娘をさらわれても愛で受け止めなさい、と連中が略奪し易いようにその後に暴れないように鎮痛剤のノリで怒らない、怒らない!我慢、我慢!そうすればキリストみたいに磔にされても相手を許せる包容力のある人間になれて神に天国へ一泊二日のご招待!となる訳ですと被害者を煙に巻くのに都合がよかった訳である。」

・・昔からぼくもずっと思っていたこと米英さんが言ってくれました。
  信者さんって よくそれで納得するなあって。
  僕というか日本人の男なら妻や娘をさらわれたら新選組じゃないけどこのやろ  う成敗!ってたぶん立ち上がり、たちむかいますしね。戦前は皆兵隊さん特攻  隊に出撃していったわけです。

  日本の神道というかやまと魂では清い心の美しい生き方の正しい考え方。
  だからなんだかローマのキリスト教よって近づいてこられてもピンとこない   し、男が 大将をパンツ一丁みたいな姿で洗濯ばさみでぶら下げられたみたい  な姿を・・・拝む気にはなりませんね。それよりあらってきちんと埋めてあげ  てほこらをたててあげます。

西欧人とくにバビロン人と日本人とでは・・・まあずいぶんちがうもんですね。 そんなへだたりのあるなかで世界経済政府=TPPでいっしょになんていうのはすぐに一緒にできるものではないでしょう。というか人種間っていうのは2000年以上も争いつづけてきている現在進行形ですしね。それはまあ未来永劫続くと思う。
 

コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
4487. 烈 2013年3月03日 22:57:18 : 8XDoF0CE86B6w : rJnmzANDaw
そうですね、パックインジャーナルが終わった時点で立ち消えするのは心苦しいけど、

欣々ファンの後押しもあって、ここまで1年間やってきたけど 民主党のバカを見て、
やっと ”実現しそうな夢” が     ” 遠い遠い夢はとっても辛い ” くなってしまった今、
欣也さんの引け時でしょうかね。  10年も先輩ですけど、よくやってくれましたよ。 乾杯!!

この国のジャーナリズムはおかしい ; ピーター・バラカン(英) も言っている。
多摩さんこの頃、語尾が関西風になってる。 九州も一応関西 か?

コメント [政治・選挙・NHK144] TPP:背後でうごめく多国籍企業の無国籍強欲集団、 (いかりや爆氏の毒独日記) 運否天賦
01. 2013年3月03日 22:57:21 : vgQVMWdybs
 TPPに参加すると、やがて、日本のテレビや新聞などのマスコミ全体もコントロールされる。
アメリカの批判は全て許されず、米兵の数々の犯罪も現行犯逮捕でさえ出来なくなる。
 ハッキリと云えば、完全な植民地と化した日本には、強欲なアメリカ人による人権無視が横行し、財産横領や教育破壊が平然と行われる。
 売国奴の集団である日本のマスコミは、目くらましの「農業問題」で情報操作し、他の分野で社会の基盤を破壊される事を隠している。
 庶民派を気取る愚かなアナウンサーが、彼のファンである市民の生活を破壊する「TPPに賛成する」と云う。



コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢一郎代表「TPPでのアメリカの狙いは農業ではなく保険、医療、知的所有権というデカいものを狙っている!」  赤かぶ
84. JohnMung 2013年3月03日 23:00:17 : SfgJT2I6DyMEc : 8Nq1e32F8M

78> 事実.... GfP4iuTpms
     ↑
 こいつは、卑劣極まりない「成りすまし極道」である。
 コメ内容は、ガセデマ、憶測妄想満載で、論外、外基地、阿修羅の嗤いモノ!!


コメント [議論30] フラクタル構造と黄金比に基づく社会を グッキー
03. グッキー 2013年3月03日 23:01:08 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>02さん

核融合は軽い原子核が融合し、エネルギーが外に発散する
ものだと記憶しておりますが。
爆縮にしても、外部で爆発させ、内部のものを圧縮させる
方法だと記憶しております。
核爆発は爆薬を爆発させ、内部の濃縮ウランを圧縮し、
核爆発を起こさせる。
水素爆弾は外部のウランを核爆発させ、内部の重水素を爆縮し、
核融合を起こさせるものだと記憶しております

エネルギーは発散しなければエネルギーに成らないのでは。
エネルギーが収縮するのなら別の宇宙の法則ではないですか。

記事 [戦争b10] 《沖縄が危ない》 市民運動の域を越えた反基地運動とオスプレイ (ZAKZAK) 
            反対派による妨害行為が続く米軍普天間飛行場


【沖縄が危ない】市民運動の域を越えた反基地運動とオスプレイ
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130303/plt1303030718003-n1.htm
2013.03.03 夕刊フジ


 昨年暮れ、私は元極左の活動家から、絶対に名前を公表しないことを条件に次のことを打ち明けられた。

 「20年ほど前、県内の左翼活動家が本島の山岳地帯に集められて、対米軍基地テロ訓練を受けた。指導員の中には、明らかに中国語を話すものがいた」

 この事実は、公安当局も把握しているはずだ。

 最近、沖縄における米軍基地反対運動は市民運動の域を越えている。「中国軍の三戦(世論戦・心理戦・法律戦=2012年版防衛白書より)」を実践するかのように、巧妙に統制がとれている。これで爆発物が使用されれば明らかにテロの域に達する。

 一方、彼らの活動の焦点は、米軍普天間飛行場封鎖と新型輸送機「オスプレイ」の配備阻止に集中している。われわれ、元軍人(海自士官)からみれば、その目的は一目瞭然である。島嶼(とうしょ)奪還戦の切り札、米海兵隊の撤退、または無力化にあるのだ。

 現在、中国民兵または人民解放軍による沖縄県・尖閣諸島上陸の可能性は日に日に高まっている。万が一、彼らが上陸すれば、直ちに反撃して奪還しなければならない。尖閣に対空ミサイルなどを敷設されると、奪還に要する負担は一挙に10倍以上に跳ね上がる。

 従来の海兵隊主力ヘリCH46は、作戦行動半径が170キロ、長崎県・佐世保を母港とする揚陸強襲艦に搭載して尖閣沖に向かうには最短でも10日を要する。一方、オスプレイは、行動半径600キロ、約50分で普天間飛行場から尖閣に直行して帰還できるのである。また仮に朝鮮半島で有事が発生しても、オスプレイであれば速やかに対応できるのだ。

 普天間飛行場は国連指定基地である。日本国民はこの機能を理解していないが、朝鮮半島有事をにらんでいるのだ。もしも、北朝鮮が停戦協定を破って南下すれば、米軍は日本政府との事前協議なしに核を持ち込めるのみか、戦闘地域に直接兵力を投入できる。

 そのような臨戦態勢の基地を、民間団体が約1日封鎖したということは、米国への宣戦布告に等しいのである。しかも、沖縄県警への反対派排除の要請は本来、行政官である沖縄県知事が行うべきであったが、仲井真弘多知事は一切対応しなかった。

 普天間飛行場の進入路付近で、反対派がたこや風船を揚げる行為が恒常化しているが、最近、飛行場のフェンスに廃品やゴミを貼り付けて嫌がらせも行っている。

 近隣に住む市民たちが見かねてクリーン作業を行ったところ、触れれば指先を切り裂けるように、ガラス片やカミソリがテープで巧妙に仕掛けられていた。また、傾斜地のフェンスには、触れれば岩が落下する巧妙な仕掛けが施されていた。

 たこや風船を揚げるのは、航空危険行為処罰法違反、フェンスの仕掛けでけが人が出れば傷害罪に抵触する可能性がある。基地反対運動は法律を無視して展開されている。

 有事になれば、フェンスの各所で起爆または発火装置が施されることは火を見るより明らかである。=おわり

 ■惠隆之介(めぐみ・りゅうのすけ) 1954年、沖縄コザ市生まれ。78年、防衛大学校卒業、海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て、艦隊勤務。82年に2等海尉で退官し、銀行へ就職する。97年 米国国務省プログラムにて国際金融、国家戦略などを研修。現在、拓殖大学客員教授、八重山日報論説委員長。著書に「誰も語れなかった沖縄の真実」(WAC)など。3月中旬、「沖縄が中国になる日」(育鵬社)を緊急出版する。



http://www.asyura2.com/12/warb10/msg/742.html

コメント [政治・選挙・NHK144] リーク草案でわかったTPPの正体とは? (Democracy Nowより) sarabande
17. 2013年3月03日 23:02:25 : Fpf4Bn917Y
ここは、安倍さんが下痢で突然辞めることも、日本のTPP交渉脱落カードとして
是非、残しておきたい。
コメント [政治・選挙・NHK144] あなたは、安倍内閣を支持しますか。 支持する 74.2% オロンテーア
21. 2013年3月03日 23:03:18 : NQ8KHADk8w
>>17
生活の党、マジやばいな。・・・最悪0もあり得る

あんたさー、認識が遅いの。生活なんて、はじめっから「次選挙でゼロ議席」は決定事項なんだよ。小沢がいまさら何をどうあがこうが、これは変えられない。先の選挙で、ぬぐいようもない小沢の罪の臭いを、国民全員がもう知っているんだよ。

コメント [音楽11] Notorius B.I.G , 2pac & Akon - Ghetto Gospel オコチャマ
01. 2013年3月03日 23:04:18 : TptWbq9ytU
あまり知られていないエピソードです
Special Interview:
>>Snoop Dogg Speaks about 2Pac
(Interviewed by AllHipHop.Com
http://www.2pacjapan.net/interview/index0609.html
コメント [昼休み52] インド人とは何か? 富山誠
09. 中川隆 2013年3月03日 23:06:13 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6


【インド・アーリア人社会の浸透】

 インドにおいて、本源性がどれほどあるのか?それを探るため、前回は先住民族である「ドラヴィダ人」に焦点を当てました。

 その中において、ドラヴィダ人は現在も母系制であることから、本源性を大きく残していると考えられます。

 では、そのインド社会の上層部を占める「インド・アーリア人」はどうであったのでしょうか?

 今回は「インド・アーリア人」に焦点を当てていきます。
 


●インド進出以前のアーリア人

 アーリア人は、歴史以前の時代に、どこに居住していたか?
その原住地は未だに不明であり、学者の間で種々論議されているが、定説はない。  
ドナウ河畔の沃地に生存していたのであろうとも、あるいはヴォルガ河畔のステップ地帯に遊牧民としての生活を送っていたとも考えられている。  

また、「ぶな」の木を意味する語がインド・ヨーロッパ諸語において、ほぼ共通であるという事実を手がかりにして、原住地はバルト海岸の北ドイツ地方であったという説が、一時有力であったが、定説にまでは至っていない。  

近年では、コーカサス地方の北方地帯であったという説が有力である。


●自然崇拝の遊牧民

 原始アーリア人が、牛・馬・犬等の家畜の群れを引き連れて、一つの草原から他の草原へと移動して、遊牧の生活を送っていたことは確かである。何故そのように断定できるかというと、インド・ヨーロッパ語族を通じて、家畜の名前に類似したものが多く、農産物の名前は各民族によって異なっているからということである。

 石器または銅製の道具の使用も、相当に行われていた。石器または銅製の武器を用いて、狼・熊等の野獣の来襲を防いだ。また、近隣の諸部族と物々交換を行って、自分らの草原に産出しないものを入手していた。彼らが、鉄器を使用したのは、ある時期以後のことである。  彼らの信仰は、原始民族に多い、悪霊崇拝ではなかった。彼らは自然崇拝を行い、空・太陽・月・曙・土・火・水・風・雷等、あらゆる自然現象が彼らには神として映じた。彼らは、それを畏れ敬い、その恵を請うた。神々を、天空にあり、明るく輝くものと考えていた。  

そうして、天を最高の神と見做していた。インドにおける天の神ディヤウスは、ギリシアのゼウスに相当する。天そのものに「我々の父なる神よ」と呼びかけていた。ゼウスもジュピテルも、共に天空を支配する神である。「天なる父」という信仰は、この時代に由来する。


 また彼らは、家庭の内部では、祖先崇拝を行い、祖先に供物をあげてなだめ喜ばせ、その福を授かろうとした。しかし、民族の公の宗教としては、天界の神々を崇拝することが盛んに行われていた。神々に対する供犠としては、穀物と牛乳との供物を聖火の中に投ずること、特殊の酒(ソーマ)を水盤に盛って献ずること、及び動物を犠牲に供することが主として行われた。火は供物を天に運ぶものとして、特別に尊崇された。

 彼らにとって、竈の神(アヴェスタ)は同時に氏神(ペナテス)となり守護神(ラアレス)であり、祖先の超人的な霊魂である。竈を象徴するゆえ、祭壇には火が絶やされることはなく、その一族の家長が取り仕切った。

 後期ヴェーダ時代になると、父親を家長が取り仕切る集団は徐々に分化して行き、アーリア人社会全体の統合ができなくなるにつれて、彼らは、彼ら全体を統合する観念としての、宇宙全体に関する原始的な哲学的自覚を成立させていった。宇宙は神々とは独立に、それ自身で存在し、神々はその宇宙に内在する。宇宙は一定の秩序、即ち天則によって維持されていると考えた。

 これがやがて、ウパニシャッド哲学として体系化されることになる。

●移住――原住地の草原をあとに

 アーリア民族は、ある時期(前1700年頃)、人口の増加、あるいは干ばつ等、その他の理由で原住地の草原を出て、他の地方へ移住を開始した。  若干の部族は西方へ向かったが、ついにヨーロッパに定住し、現在のヨーロッパ諸民族となった。

 また、他の諸部族は、東方へ向かって移住を開始した。彼らはアジアに入り、カスピ海の南東に当たる西トルキスタンのステップ地帯に数世紀間定住して共同生活を送っていたらしい。ここに住んでいた諸部族を総称して、インド・イラン人という。彼らは半ば遊牧、半ば農耕の生活を送っていたと考えられている。

 このインド・イラン人の宗教及び思想は、インド最古の文献で、バラモン教の聖典「リグ・ヴェーダ」と、イラン最古の文献で、ゾロアスター教の聖典「アヴェスター」との比較対照を手がかりとして、推知することができる。しかし、彼らはその後再び移住を開始し、その一部は西南へ移動してイランの地に入り、アーリア系イラン人となった。

「世界の歴史B〜古代インドの文明と社会〜」より

●インド進出

 アーリア人の一部は、ヒンドゥークシュ山脈を越えて西北インドに入り、インダス川上流のパンジャーブ地方に到達した。彼らをインド・アーリア人と呼ぶ。彼らが進出した時期は、前1500年頃と言われており(まだ確定はされていない)、インダス文明が前1800〜1700年の間に衰退したことから、インド・アーリア人の侵略によって、インダス文明を築いた先住民が滅んだという説は成り立たなくなっている。  それにより、先住民が都市から離散した跡地に、インド・アーリア人が、断続的に進出してきたと考えられ、インド・アーリア人のインド進出当初は、先住民との接触はほとんどなかった。  しかし、前1000〜600年にかけて、ガンジス川流域へ進出するようになると,次第に先住民との接触も増え、互いに友好を結ぶ場合もあったが、争う場合も次第に増え、アーリア人による先住民支配が大々的にはじまる。この支配の最たるものが、「カースト制度」であり、その支配の様子が、ヴェーダに描かれている。

 彼らはなぜ、わざわざヒンドゥークシュ山脈を越えなければならなかったのだろうか?新天地を求めようとすれば、行き易いほうを選ぶはずである。

 おそらくは、イラン高原への進出の際に、アーリア人同士の争いが起こり、その負け組みが仕方なく山を越えなければならなかったのだろう。そう考えると、初期のアーリア人と先住民との間に争いが無かった理由もわかる。日本で言うなら、縄文後期から弥生初期に江南地方の負け組みがやってきた時にもほとんど争いは起こらず、次第に融合していき、その後渡来人が、先住民を支配下に置いたのと、同様のことが起こったのだろう。


 
●婚姻様式

 彼らは父系制社会を営み、ヴェーダ時代のアーリア人社会は祭儀を頂点とした、家父長制家族であり、一夫一婦制を中心にした基盤を持っていた。つまり、祭儀も神官である父から息子へ伝えられ、竈を維持し祖先神に礼拝する権利も授けた。

 女子は子供を授かる役目にしか過ぎず、娘が夫を選ぶ場合は家長である父が、その権利を持ち、父が死んでいる場合は自分の男系兄弟の長子が権利を継承していった。このように、女子は男子と違い祭儀についての処遇も違い、家族神とは父方のみを指し、母方の祖先には供物も捧げられなかった。つまり、女子が嫁ぐと言うことは自分の血族集団と別れると言うことを指し示していた。

 このように、女性に対する低い扱いは、そのまま続き、後期ヴェーダ時代の終わりになると、浄・不浄の観念が発達し、月経中の女性に対する蔑視が極度に高まった。

 この父系制社会が、母系制社会であった先住民にも浸透するにつれて、愈々、女性蔑視が社会全体に広まり、女性の存在不安は一気に増大することになる。

 そして、カースト制度が成立すると、その存在不安は女性だけでなく、様々な人々の間にも広まることとなり、そのような状況を打破しようと、様々な思想が起こるようになる。


 以上、見てきましたように、インド・アーリア人は、原始的な自然崇拝(≒精霊信仰)の形態を残しつつも、遊牧に特有である「父系制社会」の構築により、女性の存在不安が増大するといった結果になっています。

 では、その土台を成す、インド哲学とは一体何なのか?
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/06/001086.html

インド哲学はなぜ起きたのか

インドを調べ始めて2ヶ月、いよいよインドの本質であるインド哲学について迫っていきます。

インド哲学の始原はヴェーダーにあります。アーリア人が持ち込んだヴェーダー教は土着のドラビダ人の思想体系を組み込み、リグベーダーとして大成しました。

紀元前1000年の頃です。リグヴェーダーとは讃歌集であり、哲学とは程遠いものでした。

また、アーリア人がドラビダ人を支配する上で作り出したバラモン教という祭祀至上の考えは、リグヴェーダーに祭祀の複雑な手順や意味を書き記した事から、祭祀というものをこの上なく意味の高いものに作り上げるために必要なものでした。すなわちアーリア人はドラビダ人を配下に組み込む為に壮大な歴史文集を作り上げたのです。この辺りはどの国も同じで日本では古事記がそれに相当します。

インド哲学はこのヴェーダーを元に発展していきます。

しかし、先に書いたように、アーリア人はドラビダ人を武力で支配していません。ドラビダ人の持っている認識体系を組み込んだ祭祀体系を作り上げ、それを実践することでドラビダ人を配下に置く事に成功したのです。

バラモン教とはバラモンを頂点とする絶対的な階層を正とする戒律であり、私権社会の根幹である序列原理を社会の秩序原理とするある意味、非常にストレートな宗教であると言えます。しかし、序列を絶対であると認めさせるにはいかに理論体系を精密に作ったところで、所詮正当化観念に過ぎず、外圧が緩めばたちまちボロが出ます。

或いはバラモン自身に大衆(下)からの白い目圧力が加わればあっという間に秩序はバランスを崩します。当時はインドは軍隊もなければ、大衆を制圧する自衛軍もありません。紀元前6世紀のインドの状況は、私権社会成立と同時に発生した貧困が拡大し、見え透いてきた序列に対する大衆の違和感や反のエネルギーが渦巻いていました。

仏教やジャイナ教はそういった空気の中で登場したのです。そしてインド哲学もほとんど同時期に活期を迎えています。

仏教とインド哲学はこの時期(紀元前5世紀〜紀元後2世紀まで)対立構造として相互に議論を重ねています。

これら2600年前に登場した背景とは、世界中の他の地域同様に私権社会が大衆化する時の反のエネルギーであり、同時にその反によって混乱する社会秩序不安への統合化のエネルギーでした。仏教が反の方であるとしたら、ウパニシャッドを初めとする哲学体系の創出は(私権社会)統合化=ヴェーダーや歴史の正当化の側の力によって作り出されたのではないでしょうか。

また、アーリア人は当時、紀元前1500年にインドに入り込んだ新興民族で、すでにインドに定着していたドラビダ人を初めとする土着民の人口に対してまだ少数派でした。仏教の登場によって自らの宗教体系であるバラモン教が排除される危機に対面したのです。

元々武力によって支配していないので、アーリア人はひたすら考えたのでしょう。
どうやって大衆を味方につけるか?そこで登場したのが、ウパニシャッド哲学を延長させたヒンズー教の登場です。ウパニシャッドとはそれまでのヴェーダーによる規範集や讃歌集をより実際に使える認識体系にまとめなおしたものです。ヒンズー教とはそれまでのバラモン教を大衆に布教するための多数派戦略として登場しました。

以降、この時に作られた6つの学派はヒンズー教を支える認識体系として現在まで継続されています。


下記にインドの哲学誕生までの流れを図解化します。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/INDO.pdf

http://web.joumon.jp.net/blog/2010/07/001093.html


インド哲学は何を解明したか?

さて、インド哲学、具体的にはどういうものなのか?

さわりだけですが紹介してみたいと思います。インド哲学の第一人者の宮元啓一氏の書籍からの紹介です。



実在論哲学

インド哲学というとなにか神秘的なもののような印象を持たれがちなのだが、それはことの一面に過ぎない。他の一面では、インドは論理的反省としての論理学に裏打ちされたたいへん合理的な哲学体系をいくつも生み出してきた。

ヴァーイシェーシカ哲学体系とはその最たるものである。この哲学体系は紀元前2世紀に、西北インドを支配したギリシャ王国の勢力圏内で、インド古来の哲学的思考とギリシャ哲学が正面から出会ったところから生まれたものである。ヴァイシェーシカ学派は後のインド哲学に多大な影響を与えている。

その哲学を一言で言えば、徹底した実在論哲学である。すなわちすべては知られるものであり、言語表現されるものであり、また逆に知られるもの、言語表現されるものはすべて実在である。というのがその根本的な主張である。つまり、この場合の実在論とは、観念論との対比でいわれる実在論ではなく、唯名論との対比でいわれる実在論である。

「知られる」というのは「知覚される」だけでなく「推理される」ということも含み、西洋哲学が推理、推論にほとんど関心がない事に相対している。


インド哲学の最初

インドにおける最初の哲学者は「有(あるもの)は有からしか生ぜす、けっして無からは生じない」という論理的反省の上に「有の哲学」を展開したウッダーラタ・アールニ(紀元前8世紀〜7世紀)である。

かれによれば、世界のすべての事象は「ただ有る」としかいえない唯一無二の根本有が、ただ自己のみを契機として流出したその結果であり、名称によって多様であるかに見えるが、本質的には「有」にしかほかならない。彼の哲学は流出的一元論であるとともに、唯名論でもある。


実在論における絶対無

無を扱う事に慣れていない西洋哲学の発想法からは考えにくい事であるが、インド人の無からすれば何という事もない。インドの言語では

「この床に水がめがない」

という文は、簡単に

「この床に水がめの無がある(実在する)」

とか、

「この床は(実在である)水がめの無を有する」

と言いかえられるのである。ちなみにインドの哲学者は、西洋の哲学者と違って、抽象的な無を考える事はない。無は「ただの無」ではなく、あくまでも水がめの無であるし、また無は根無し草のような「どこにあるともない無」ではなく「この床における無」である。インドの哲学者はこのように無と相対者と場の3つをワンセットにして考えるのである。


さらにインド人の特徴として記憶力がなぜよいのか について著書は触れている。

インド人の持っている資質のうちで特筆すべきものは彼らの論理的思考と共に記憶力である。インド人は私達が信じられないような膨大な記憶容量を持っている。子供がシバの千の異名をとなえるなどは当たり前で、あるパンディシャットは言われるままに一晩中哲学の学説を語り続け、朝になったら一冊の本ができあがったなどという逸話もあながち嘘とは思えないのである。

記憶力の良さは単に能力の問題ではなく、それを生かすための記憶術の問題でもある。基本的に口伝が知識を伝える手段であった頃、記憶するのに便利なように、教義や学説を警句や金言のような短い散文の形にして、まるで美しい花びらを糸に通して花輪を作るように、それらをまとめていた。そしてこれをスートラ(糸)と呼んで、弟子達は師の注釈とともにそれを学び、記憶していったのである。したがってインドの多くの学者はみずからよりどころとなる教説をスートラとしてもっている。

以上いくつか紹介しましたがいかがでしょうか?

インド哲学に馴染みの薄い私達は、これを聞いてもなんじゃこりゃ?となるわけで少なくとも、なぜ有やら無や宇宙を議論して考え尽くさなければならなかったのか、その背景がよくわかりません。しかしギリシャ哲学にせよ、インド哲学にせよ、2600年前、宗教の誕生とほぼ時期を一致して登場しました。この時の世界の状況はほぼ同じです。

それまでの部族連合が、国家という大きな枠組みに変化する直前の時期です。言い換えればそれまでの顔の見える共認という手法の集団原理から顔の見えない国家という超集団原理へ転換する時期です。この時に起きたのが宗教にせよ、哲学せよ、未明なもの、未秩序なものを統合したいという統合機運だったのだと思います。

ギリシャ哲学は数世紀も経つと風化し、その後どんどん新しい科学体系が生まれ実践場面からは消えていきました。しかしインドの場合はその本質は現在までヒンズー教という宗教の中に落とし込まれ、使われています。

インド人がなぜ理論的に物事が考えられるのか?この問いに対して著者はサンスクリット文字を引き合いに出しています。サンスクリット文字は当時バラバラであった民族間の言語を統合する為に生まれた人工言語です。サンスクリット文字を作り出す中でインド人は文法学を編み出し、その過程で公理体系を作り出したのです。この公理体系は世界最古の論理体系で、インド哲学がギリシャの哲学に比べてはるかに論理的志向性を有している根拠でも有り、現在のインド人がなぜ議論好きで理数系が得意なのかの理由もここにあるのです。

また、インド哲学はその前に作られたウパニシャッドを下敷きにしています。ウパニシャッドはさらにその前のヴェーダーを下敷きにしています。

つまり、インド人のすごいところは、良くも悪くも古代から現在まで一貫して断絶せずにに思考体系が繋がっており、新しいものを取り入れ古いものを否定して変化していく世界の諸地域と一線を画しているからでもあるのです。

おそらくその理由はインド哲学の本質の中にインダス文明、それ以前に培われた自然を対象とした認識体系が基本にあるからではないかと推察します。

インダス文明は世界でも突出して非常に発達した農業文明です。インド人(ドラビダ人)達はインダス文明やさらにそれ以前の経過の中で天文学と高度な計算能力を身に着けていったのです。

それはインダスの農法が気候を利用した氾濫農法という手法を取っていたことと関係があるのかもしれません。

インドでは数学も非常に早くから発展し、ゼロの認識や数々の数理公式が既に紀元前には定着していた可能性があり、その洞察力や追求力は私権時代以降に発生した他地域(西洋やイスラム)に比べて比較にならないほど早く、レベルの高いものが登場しています。なぜインドにそのような頭脳が登場したのか?インドの乾季と雨季を繰り返す厳しい自然の循環とそこから培った認識体系が基盤にあるのではないかと思います。
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/07/001094.html

インドにカーストが発達した理由、継続した理由〜

 
参考
カースト(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88


 インド社会を考えるとき、避けて通れないのが、インド独特の厳しい身分制度カーストです。  今回は、何故、インドでは独自の身分制度であるカースト制度が強固に発達し現在も強い影響力を持っているのか。について考えてみたいと思います。

■カースト制度が誕生した直接的理由とその意義

 アーリア人によるドラビダ人の支配を武力を用いずに行なうためのドラビダ人を納得ずくで従える制度である。

 この制度が誕生し、社会共認になった時にアーリア人のドラビダ支配は成立した。そして、武力によらずに秩序、序列制度を確立しえた点においては他の地域に比べて優れた制度と言える。
 


●カースト制度の初期形態=ヴァルナ制度

 「ヴァルナ」とは「色」のことで、侵略者アーリア系白色人種とインド先住民族の有色人種を区別するために作り上げた身分制度が「ヴァルナ制度」 で、アーリア人がドラビダ人を支配する際の観念として使った。

 これを正当化する為にヴェーダという体系を作り出したのである。

 BC10世紀頃とみられるインド最古の文献リグ・ヴェーダの次の一節は有名です。

 彼ら(神々)がプルシャ(巨人)を切りわかちたるとき、いくばくの部分に分割したりしや。彼(プルシャ)の口は何になれるや、両腕は何に。両腿は何と、両足は何と呼ばるるや。  彼の口はバラモンなりき。両腕はラージャニヤ(クシャトリヤ)となされたり。彼の両腿はすなわちヴァイシャなり。両足よりシュードラ生じたり。

●ドラビダ人がなぜ身分差別を受け入れたか

 インドの気候は雨季と乾季がはっきり分かれており、乾季の間に干上がった大地は雨季の到来とともに蘇る。そしてあたり一面緑の世界となり、地中では虫どもが活動を始める。

 こうした雨季・乾季の循環が見られるインドの大地で生と死を繰り返すという輪廻思想が自然を表す思想体系として誕生した。

 そして、アーリア人は既にドラビダ人の中にあったこの輪廻思想を、身分序列を正当化する理屈としてヴェーダに組み込み、ドラビダ人に追共認させた。

 来世で、どのような姿をとって再生するかは、前世の行為(業)によってきまる。祭祀や布施や善行に努めた者はバラモンやクシャトリヤとして生まれ、悪を行なった者はシュードラや畜類などとして生まれる。  この世の生まれは前世の業の結果であるから、シュードラに生まれようと、不可触民に生まれようと、宿命として甘受しなければならないのである。

 現在でも、保守的な農村地帯であるパンジャブ州では、国会議員選挙に、大地主と、カースト制度廃止運動家が立候補した場合、大地主が勝ってしまうという。現世で大地主に奉仕すれば、来世ではいいカーストに生まれ変われると信じられているからだ。


●カースト制度はインドの生産基盤と密接に連動していた。

 村の経済活動の中心は土地保有農民(大多数はシュードラ)である。

 雨季と乾季がはっきりしたインドで、農業において最大の収穫を上げるためには、限られた時期に大量の労働力を用いる必要がある。しかし、そうした労働力の提供者を、農繁期のためだけに、村に常住させておくことはできない。

 一方、職業の専門化がカーストの形成というかたちで進み、またヒンドゥー教の浄・不浄思想が浸透した結果、他カーストの労働に頼られねばならない種類の仕事が増えた。たとえば、宗教儀礼の執行、大工・陶工・理髪・洗濯の仕事、死畜の処理や汚物清掃といったさまざまな労働である。

 そこで農民は、これらのカーストの成員に住む場所と生活の保証を与えて、彼らを村に抱え込んだ。彼らはバラモンなどを除き、農繁期における農業労働を提供した。

 こうして農民は、日常生活において自分らにふさわしい浄性を保ち、農繁期に安定した労働力を確保するという、二重の希望をかなえることができたのである。

●カーストを継続させるための装置⇒不可触民制度

 4つのヴァルナの下には、被差別階級である不可触民の諸カーストが存在した。
 グプタ時代(550年頃)以後の社会でシュードラ差別が徐々に消えたのとは逆に、不可触民差別はさらに複雑に発達した。

 かれらは村の生活における「不浄」部分の分担者として、また農繁期の労働者として迎え入れられた。

 不可触民の存在は村人たちに一種の優越感を与え、そうした感情によって、不平等に起因する村内の緊張関係が緩められた。こうした安定は、地方の権力者や地主・土地所有農民の期待に応えるものであった。

 つまり、シュードラの不満、反発を防ぐために最低の身分を人工的に作り出したのである。

〜これは日本の鎌倉以降の河原者、江戸時代のエタ、非人と全く同じ仕組みである。


■カースト制度の2面性〜単なる身分制度ではない

 カースト制度は身分序列制度であると同時に血縁や出自を重要視しそれが共同性を高めた為、ドラビダ人の集団性を高め、かえって歓迎される部分もあった。

 さらにそれをインド全体を包含する統合宗教であるヒンズー教に組み込む事で、神によって定められた役割として身分制度は規範化された。

通常の身分制度との決定的な違いはここにある。

 他地域の制度=やむを得ず追共認する制度

      武力が必要。常に転覆の可能性がある。

 カースト制度=宗教に組み込まれた社会規範であり、共同体規範でもあり、宗教によって主体的に追求する制度

      武力は不要。転覆の可能性は低い

◆上記をまとめると

・アーリア人侵入による白人と黒人の並存〜どうする?という課題が登場 
 敗北遊牧民であるアーリア人が武力は使わずに統合する方法を考えた。
 それが、ドラビダ人の輪廻思想を組み込んで作り上げたヴァルナ制度であり、
 さらに、農業の発達とともに、血縁による共同体意識と結びつきついて強固なカースト制度となった。

 そして、カースト制度はヒンズー教によって保護、正当化され、発展してきた。


しかしさまざまな新産業の登場でカースト制度はきしみ始めている

IT技術などはその先端事例  

多くのインドの子供たちにとって出身カーストが低くても能力が高ければチャンスがつかめる「IT技術者」「ソフトウェア設計者」「医師」は将来なりたい人気の職種になっています。
   
〜即ち、インドで新産業が起き、そこを求めて可能性収束するのはすでにカースト制度が崩壊過程に入っている事を示しているのではないか?
 
 インドの可能性とは脱カーストをしながら新産業へ緩やかに転換している事であり、それらも含めて認めるヒンズー教の奥の深さでもある。

 インドに仏教が根付かなかったのは、このインドの社会秩序の根幹であったカーストを否定するばかりであらたな統合軸を提示できなかったからである。否定の論理はいつの時代も定着はしないと言える。

 
コメント

投稿者 tama : 2010年07月19日 21:34  
発見は・・・・

>ドラビダ人がなぜ身分差別を受け入れたか。
>カースト制度はインドの生産基盤と密接に連動していた。
>カースト制度の2面性〜単なる身分制度ではない。

インドになぜカーストがこれだけ長く続いたのかという問いに対してはカースト民であるインド人自身に身分差別という意識があまりなかったからではないでしょうか?

それがインド人が貧困に対してあまり悲観的にならない現象と一致します。ヒンズー教の教義の中にもあります。

カースト(職能)は神から与えられたものであり、それを全うする事が現世を生きると言う事で来世の繁栄を保障する。(〜そんな感じの事です)

・・・・日本の天職にも相当しますね。
インド人の労働観についても探ってみたいものです。


投稿者 tano : 2010年07月21日 01:31
>アーリア人によるドラビダ人の支配を武力を用いずに行なうためのドラビダ人を納得ずくで従える制度である。

 この制度が誕生し、社会共認になった時にアーリア人のドラビダ支配は成立した。そして、武力によらずに秩序、序列制度を確立しえた点においては他の地域に比べて優れた制度と言える。

なるほど。面白いですね。力づくの武力支配ではなく、ともに認める形での併合支配なのですね。

しかし、当時のインドの圧力状況があまり見えてきません。農業における雨季と乾季の自然圧力はわかりましたが、他国との圧力や大国との圧力、市場社会との圧力や他宗教とのせめぎあいなどはどうなっていたのか知りたいところです。

その圧力のなかで、彼らが、生み出していった技術は、イスラム諸国や欧米諸国に伝わって大いに発展した経緯があります。彼らが生み出したその圧力とは一体なんだったのでしょうか?

教えてほしいです。


投稿者 2310 : 2010年07月30日 06:00
よくわからないので教えて欲しいのですが、現在のトラビィダ人の分布と古代のアーリア人の侵入ルートから考えて、以下予想していたのですが

@トラビィタ人の分布は南方ほど純度が高そうで、北方にはあまりいないor混血?

Aカースト制も地方によりかなり濃淡があり、インド南方ほど共同性が強い?

・・・実際どうなんでしょう?


投稿者 Hiroshi : 2010年07月31日 19:31
@、A共、インドを知る上で的をついた質問だと思います。

ドラビダ人の分布はドラビダ語の分布図を見ればよくわかります。やはりデカン高原から、南に現在でも分布しており、その移動は紀元前から始まっていたようです。

また北インドにもドラビダ人は残っていますが、ほとんどがアーリア人との混血で純度は低いと思います。
過去のインドシリーズを参照下さい。

カースト制度については地方による濃淡はあると思いますが南側がカーストが緩いと言う事はありません。むしろ北インドより厳格で、カーストでの上昇をめぐってカースト下位のドラビダ人は上位のアーリア人と婚姻関係で繋がる事が多かったのではないかと思います。インドでは南方が共同性が強いというのはたぶんあっていると思いますが、まだその方の追求がなされていません。今後の追求にご期待ください。


投稿者 tano : 2010年08月01日 16:18
>しかし、当時のインドの圧力状況があまり見えてきません。
>他国との圧力や大国との圧力、市場社会との圧力や他宗教とのせめぎあいなどはどうなっていたのか知りたいところです。


 カースト制度が生まれた頃は、周りに特に大きな国もなく、市場も未だ発達していませんでした。そんな中で、アーリア人の流入が500年以上に渡って続き、土着のドラビィ他人と新参のアーリア人の民族間の圧力が高まり、軋轢を伴いつつ混血が進んだと考えられます。そんな中で、カースト制度が徐々に形作られたのでしょう。

 詳しくは、シリーズ「インドを探求する」第9回〜なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか その1〜
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/07/001102.html をご覧ください。

>彼らが(そのような優れた技術を)生み出した(もとになった)その圧力とは一体なんだったのでしょうか?

 インダス文明は世界でも突出して非常に発達した農業文明です。つまり市場が発達し、私権社会が拡大する前に農耕が非常に発達したのです。そのことがゼロの認識など、他の地域と比べて、強い追求力や洞察力を生んだ可能性が考えられます。
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/07/001098.html

インド理解のキーワード---ヒンドゥーイズム--- 山上 證道
《京都産業大学世界問題研究所所報『世界の窓』第11号(1995年)に掲載》


0 はじめに

 ヒンドゥーイズム(ヒンドゥー教)は、狭義では宗教を意味するが、広義では、インドの社会、インドの心ともいうべき概念である。そのことは、このレクチャーによって明らかとなるであろう。

 インドで暮らした2年間を振り返っていつも思うのは、インドほど不思議な国も珍しい、ということである。渡印直後はカルチャーショックというもので、我々日本人の理解を超えることがあまりにも多すぎて、実に驚愕の連続である。そのうち、数カ月してこの国に馴染んでくると、この国の生活が、心穏やかで、気持ちをゆったりさせてくれる日々であることに気づいてくる。

このような経験は、何もインドに限らず、長い外国生活をしたものは誰でも経験するに違いない。しかし、インドの場合は、カルチャーショックと、その後にくる充足感との落差が大きいのが特徴である。

 まず、インドに到着して、誰しも目を見張るのは、様々な肌の色をし、様々な顔をしたあふれんばかりの人の群であり、その多くがあまりにも貧しいことである。しかし、少し時間が経ってみると、多くの人の中には裕福そうな人もいて、多くの使用人を引き連れて優雅に暮らしている場面にも遭遇する。

しかも、不思議なことは、貧しい人々が、自分の生活をそれほど悲観している様子もなく、その表情は意外に明るい。ジタバタしても始まらないと言う表情すら見える。これは一体どうしたことであろうか。

 インドから日本へ帰って後、時間が経過するにつれ、インドの生活がますます懐かしく思われる。

あまり肉の入っていないカレーばかり食べながらーー実際インドの人には菜食主義者が圧倒的に多いーー、ゆっくり流れる時間に身を任せ、不思議と自然との一体感を持った心の豊かであった生活が無性に懐かしくなってくる、生活そのものは何一つ決して豊かではなかったにもかかわらず、である。

 また、町には最新式の車が走っている一方で、馬車やリキシャーが入り交じり、それでいて不思議に新旧が調和して流れていく。この猥雑にして調和的という風景は独特である。さらに、都会、田舎を問わず、神像が多く、年中お祭りのような感じがするほど宗教色が濃い社会をも感ずる。

このようなインドの不可解なことや不思議な魅力について、その根底にあるものを、歴史的・思想的に考察していきたい。

1 誤解されているカースト制度

(1) ヴァルナ制度

 インドで実生活を営み出すと、この疑問に関する一つの手がかりがすぐに見つかる。家を借りるとまず人から勧められるのは、人を雇うことである。コック・掃除人・雑用係などを雇うこと、つまり自分が多くの人々の就職先となることに驚かされる。さらに、それらの職種は厳密に定められたもので、掃除人の場合は、床を拭く人、卓上を拭く人、トイレを掃除する人、と細分化している。

つまり、まず最初に遭遇するのがインド独特の「カースト制度」と間違って呼ばれている身分制度なのである。

 カーストという語はポルトガル語カスタに由来する。ポルトガル語のカスタは、種族、血統を意味し、15世紀末に南インドにやってきたポルトガル人が、インド人の社会には、ある集団ごとの区別があるのに気づいて、その集団ごとの社会をカスタと呼んだのである。

1)つまり、それは、区別された集団が多く存在している社会に対して、漠然と、カスタと呼んだことであり、後にイギリス人がその用語をカーストという語で使用することになるが、この事実が後に大きな混乱のもととなったのである。

ポルトガル人がカスタと呼んだ集団が、一体何を基準にして区別されていたかにあまりこだわらず、漠然とカスタと呼んだことが問題をややこしくしたのである。

 さて、インドの身分制度の起源はきわめて古い。ちなみに、BC10世紀頃とみられるインド最古の文献リグ・ヴェーダの次の一節は有名である。これは、プルシャと呼ばれる巨人を解体し、その部分より宇宙を創造していく宇宙創造神話の一種である。


   彼ら(神々)がプルシャ(巨人)を切りわかちたるとき、いくばくの部分
   に分割したりしや。彼(プルシャ)の口は何になれるや、両腕は何に。両
   腿は何と、両足は何と呼ばるるや。
  彼の口はバラモンなりき。両腕はラージャニヤ(クシャトリヤ)となされ
   たり。彼の両腿はすなわちヴァイシャなり。両足よりシュードラ生じたり。

2) インドの文献は一概に時代を決定できない特徴があるが、上記の引用は、今から、ざっと3000年も昔にバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという四つの階級制度が始まっていた可能性を示している。

 これは、長年の間、インドの悪名高きカースト制度として一般に知れ渡っていたものであるが、近年この四つの階級制度をカースト制度と称したことは誤解であったことが知られ、歴史の教科書も訂正された。バラモン以下のこの身分制度を示すインドの言葉は、現在でも「ヴァルナ」(varna)という語であり、リグ・ヴェーダより数百年後の文献であるブラーフマナ文献に「四ヴァルナ」という語がすでにみられる。


3)このことよりしても、このヴァルナ制度がきわめて古いことは確実である。

このBC1000年という年代を日本の歴史と対照して考えてみれば、如何にこれが古いかが理解できるであろう。

 さらに、その成立が古いことは、次の事実からも推察されうる。つまり、ヴァルナという語は「色」という意味でも普通に用いられる単語であるという事実である。この事実は何を暗示しているか。

それは、ヴァルナ制度成立に「色」が何らかの関わりを持っていたことを示しているのである。

 そこで我々は、BC1500頃といわれるアーリヤ人のインドへの進入を想起しなければならない。

白色のアーリヤ人が北西インドに進入したとき、彼らはそこに「色」の黒い土着の民を見たのであった。

アーリヤ人の記したリグ・ヴェーダは次の讃歌を残している。


  ・・・汝(インドラ神)は、5万の肌黒き(悪魔)を打ちのめし、砦を壊
   し、・・・(4.16.13)

  ・・・魔術を使う祈りを知らぬ悪魔ダスユを沈没させたまえ、(インドラ
   神よ)・・・(4.16.9)

  ・・・(インドラ神は)武器をもって悪魔ダーサの頭を粉砕せり・・・
    (4.18.9)4)


 これらの讃歌から容易に想像できることは、白色のアーリヤ人が進入してそこに見たのは、肌の色が黒い、異なった信仰を持った人々であり、その土着の民を有力な武器でもって駆逐していったということである。さらにこのことから、また、容易に推察されることは、戦いに敗れた色の黒い土着の民が、白色の勝者により、容赦なく酷使され、軽蔑され、差別されたであろう、ということである。

5)かくして、「色」を意味するヴァルナの語が、後に、身分階級をも表すに至ったとみられるに十分値する資料であるといわれるのである。

 ところで、これらの肌黒き土着の民とは誰であったのか。それは、長年謎であったが、現在の進行中のインダス文字の読解の最新の研究では、それらの人々は、現在南インドに住むタミル人などに代表されるドラヴィダ族の人々で、しかも、彼らは、インダス文明の担い手であったのではないか、と推察されるようになってきた。6)確かに、現在の南インドの人々は、北インドの人々と肌の黒さ、顔立ちが全く異なっており、一目でわかることは事実である。もちろんこのような結論が出されたわけではない。しかし、この結論は、インドの古代の歴史を考えるうえで、最もわかりやすい筋書きを我々に提示してくれることになる。インドには土着の民としてドラヴィダ族が住んでいて、BC2300年頃、北西インドに彼らによるインダス文明が栄えた。その後、その文明が衰退した頃に、アーリヤ族が北西インドに進入して北インドではドラヴィダの人々が駆逐され、あるいは、混血が進んだが、南インドは、北インドほど重大な影響は受けなかった。かくして、現在でも南インドはドラヴィダの人々が中心である、と。


(2) ジャーティ制度

 さて、以上のように、古代においてヴァルナ制度がいち早く始まったインドで、その後古代から中世にかけて、さらに、別の身分制度が築かれ始めた。それは職業に関するもので、世襲制を伴った中世的身分制度であり、現在ジャーティ制度と呼ばれているものである。このジャーティ制度がいつ頃から、どのようにして成立したかは、現在では明確になっていない。今後の研究の成果を待たねばならない。ジャーティの意味するところは、「生まれ、出生」で、その意味からも想像されるように、氏族制度にあたるゴートラ制度等の中世的社会に特徴的ないろいろな要素が
絡み合って、このような職業世襲制を核心とした煩瑣きわまりない職業身分制度であるジャーティ制度となったものと思われている。

7)現在も厳然として存在するこのジャーティ制度は、それと並列的に
存在している前述のヴァルナ制度よりもはるかに厳しい閉鎖性を持っており、一般によく言われるインドの厳しい身分制度とは、このジャーティ制度の方を指しているのが実状である。

 ここで前述のポルトガル人がカスタと呼んだことを想起してほしい。15世紀といえば、ジャーティ制度が完全に確立している時代であり、ポルトガル人が見たインドの集団別の社会とは、ヴァルナ制度とジャーティ制度という元来全く別の二種の身分制度が複雑に入り交じった現在インドに見るのと同様の社会であったはずである。それをカースト制度という名の下に単一の身分制度としてみなして
きたところに混乱の原因があったといえよう。

 かくして、当初に述べた、インドで生活を始めると多数の人を雇うはめになる、というのはこのようなジャーティ制度によるものである。

 しかもこのジャーティ制度は厳格で、我々の理解をはるかに超える。確かに人口の多いインドにあって、限られた職種の確保、職業分担という点では、この制度の肯定的一面は認めうるかもしれない。

しかし、これらの職種は、浄・不浄の概念につながっており、貴賎の差別が明確にあり、身分差別というべきことが平然と行われていることは事実である。しかし、差別している人々も差別されている人々も、意外に平気であるのは、このような社会に対する慣れからであろうかと思ったり、上述のように、数千年に及ぶ長いヴァルナ・ジャーティ制度の歴史のなせる技であろうかと、思ったりもする。

しかし、それでも、これほどの不合理がなぜもこのように平然と、現代社会でまかり通っているのか、やはり不思議である。国家としてもこの制度が近代化を大きく妨げていることは否定できない。

優秀な人材が、低い身分に多く埋没してしまっている可能性も多いであろう。当然インド政府も最下層の人々を「神の子」(ハリジャン)と呼んで保護の手をさしのべたり、時には、かなり思い切ったクオータ制、つまり、職場に一定の枠を作って低い身分の人を採用させる制度などを実施したりして努力はしているものの、反発が激しく、なかなか効果が現れない。ヴァルナ・ジャーティ制度の改革が、なぜ、思うようにいかないのであろうか。この問題は、これから述べることと関わってくる。


2 ヒンドゥーイズム

(1) インド社会の根底を成すヒンドゥーイズム

 さて、インドに住みはじめて人々とつきあい出すと、当然、思ってもいなかったことが次々と起こってくる。今述べたような、信じがたいヴァルナ・ジャーティ制度に驚かされるのみでなく、民族・人種が実に複雑で多様であること、従って、言葉も多様であり、一家で4種類も5種類もの新聞が購読されていること、紙幣に14の言語で金額表記がなされていること、など枚挙にいとまがない。

また、時間があって無きかのごとくであることには、誰もが当初全く閉口させられる。これらのことは、すべて、インドが数千年の歴史の中で築いてきたことであり、インドほど古代からの文化が現代まで継続している国も珍しい。一国の現代を学ぶには、その国の古代からの歴史・思想・文化の知識が不可欠であることは言うまでもないが、インドに関する限り、他に類例を見ないほどこのことが重要となる。現代インドを学ぶには古代の知識が大前提となっていることがほとんどである。

なぜそうであるのかも逐次述べるであろう。

 さて、戸惑うことが多いインドでの生活で、私の注意を引いた一つのことは、休日が多いということであった。実際に日本と比較してそれほど多くはないのであるが、なぜかやたらに休みが多いように感じた。休日の理由を聞いてみると、ヒンドゥー教の神様に関連する日であることが多く、それだけ宗教を重視する国なのだ、と自らを納得させようとしていたが、そのうちに驚くことに出会うことになった。仏教の開祖釈迦の誕生日も国民の休日であるという。イスラムのラマダンの断食明けの日も国民の休日であるという。よく爆弾テロで耳にするシク教の開祖の誕生日も休日であるという。ついには、12月25日はクリスマスであるから国民の休日である、という。

これは一体どういうことか、と不思議に思うのも無理はあるまい。そこでインドの宗教と言われるヒンドゥーイズム(=ヒンドゥー教)なる宗教は、一体どのような宗教であるのか、と誰もが考え出すに違いない。現在、9億人ともいわれるインドの人口のおよそ80%はヒンドゥー教徒といわれている。それ以外は、10%ほどイスラム教徒が占めている他は、シク教、キリスト教、パルシー教、仏教、それぞれが1〜2%ずつ存在しているのみである。このようなヒンドゥー教国において、先に述べたようにマイナーな宗教の休日を国民の休日としているのが不思議であるが、後述するように、これがまさにインドなのであり、ヒンドゥーイズムなのである。そして、そのヒンドゥーイズムを知るにつれインドの不思議さが何となく理解できるようになるのである。

そしてまた、ヒンドゥーイズムを知ることは、インド数千年の文化のおさらいをさせられることでもあり、また、現代インドのあらゆる問題に立ち入ることにもなるのである。

(2) ヒンドゥーイズムの成立ーーブラフマニズムからヒンドゥーイズムへーー
 それではいかにしてヒンドゥーイズムが成立し、インドの国土に浸透したのであろうか。

その歴史と経過をしばらく考察してみよう。

 またしても話は再び数千年以前に遡る。BC1500年頃にアーリヤ人が北西インドに侵入したと述べた。その地には、それより遡ること1000年も以前に、インダス文明という高度な文明が存在していたこともすでに述べた。アーリヤ人は、土着の民であったドラヴィダの人々を駆逐して、北インドにアーリヤ文明を開いたのである。その文明の結晶が、ヴェーダ文献であり、その宗教をブラフマニズム(バラモン教)と呼んでいる。従って、ブラフマニズムは、本質的に、アーリヤ人が、自分たちが以前に定住していた土地(それは黒海とカスピ海の間といわれるが)で持っていた文化を中心としたものであったといえる。西方へ進行していったアーリヤ人の別のグループが現在のヨーロッパ文明を築いたことはよく知られていることである。インドにバラモン文化・ブラフマニズムを築いたアーリヤ人達も、やはり、半遊牧民であったらしく、動物を神に捧げる犠牲祭に代表される祭儀文化を持っていたのである。人々の生活は祭儀を中心として成り立っていたと考えられる。ヴェーダと呼ばれる文献も、すべてこれは祭儀のためのものであったのである。

先に引用したリグ・ヴェーダとは、祭儀の時に祭官が神をたたえて歌う讃歌集なのである。それ故、その祭儀を実行する立場にいたバラモンが、最高の位置に立ったのも当然といえる。

 バラモンが取り仕切る祭儀を通じて、王族や庶民は、神に祭儀を捧げるかわりに神から恩恵を受けるというギヴアンドテイクの取引を神としたのである。これがヴェーダ初期のブラフマニズムの宗教である。ある意味では非常にドライな関係が神と人の間に成立していたといえよう。まだこの時代、すなわち、ブラフマニズム初期には、輪廻や業という思想は存在していなかったと思われる。しかし、次第に、祭儀を取り仕切るバラモンの力は絶大なものとなり、祭儀を正しく執行することにより恩恵を得ることが出来るという結果のみが一人歩きをしだしたのである。このような傾向が、バラモンを堕落させると同時に、人々にも祭儀中心の宗教に不満を持たせ、バラモンと庶民との距離が時代とともに広がっていったと思われる。

 ちょうど、この時期に、輪廻の思想が登場してくる。(輪廻思想の成立については、別の機会にゆずる。)BC5、6世紀の古ウパニシャッドには、輪廻の思想が明確に見られる。バラモンは、宇宙の根元であるブラフマン(梵)を中心とした深遠な哲学理論(梵我一如)を展開した。

学習と苦行或いは瞑想によって輪廻から解脱すると説く彼らの解脱論は、思想としてはそれなりの深まりを示し、宇宙と人間が一体であると感得することにより解脱するというこの基本思想は、実際に、後のヒンドゥーイズムに受け継がれていくことになる。しかし、同時に、これを契機に禁欲主義の傾向も強まってくる。つまり、ペシミズム的思想の流れが出来たことも事実である。

 これ以後インドにおいて輪廻思想は最も重要な思想として人々のこころから離れることはない。

解脱しない限り、我々は永遠に輪廻を続けるのであり、現世は永遠の時間の一部でしかない、と人々は考えるようになる。

 しかし、難解な教理・難行苦行による解脱の思想は、もとより、一般大衆に浸透するはずはなく、大衆は、自分たちの祖先から伝えられた土着的な信仰対象など素朴な民間信仰を大切にしていたと思われる。その土着信仰の多くには、非アーリヤ的要素が多く見られることは見逃せない。

それを土台として形成されることになるヒンドゥーイズムの源に非アーリヤ的要素の存在が考えられるということは、インダス文明以来の土着要素が連綿とインドには伝わっていた可能性を示すからである。難行道に背を向け、易行道を求める民衆の力は、大きなうねりとなりインド全土へと広がる気配を見せた。このような大衆の要望に応える形で仏教、ジャイナ教などの新しい宗教が勢力を拡大していく有り様に、バラモン達が危機感を持ったことは想像に難くない。彼らバラモンは、民衆の求めに応じなければならなくなったのである。

かくして、民衆を巻き込んだ土着信仰・民間信仰の広がりによって、ブラフマニズムの変質が始まるのである。バラモン達は民衆が身近なところで大切にしていた土着要素・民間信仰を自らの宗教に取り入れだしたのである。さらに、民衆に理解可能で到達可能な解脱の道を説かねばならなくなったのである。しかし、その一方で、彼らバラモンは、自分たちの信ずるダルマを宇宙の正しい法則として教示することにより、結果的に、バラモン優位の社会体制を巧妙に固めてもいくのである。このように、民衆を意識して次第に
変質していったブラフマニズムをヒンドゥーイズムと呼んでいるが、宗教の大衆化とそれに対するバラモン・支配階級の採った対策とが微妙に交差するところに、後世複雑なインド社会が生まれる一因があったといえよう。


(3) ヒンドゥーイズムの拡大

(i) リグヴェーダではマイナーな神たち

 上述のように、ヒンドゥーイズムとはブラフマニズムが土着要素を取り入れて変身した姿といえるが、そのようなヒンドゥーイズムに独特な広がり方を見ることにより、その特色がより明確となる。

ヒンドゥーイズムといえば、ヴィシュヌ神とシヴァ神の名称が即座に挙げられるが、ごく初期には、ブラフマー神(梵天)も有力であったと見られている。しかし、この神は、宇宙の根元ブラフマンの神格化ということもあり具体性に欠けていたためか、その後ヒンドゥーイズムの表舞台から後退してしまい、ヴィシュヌ、シヴァの2神が中心となる。

 ヴィシュヌ神は、すでにリグ・ヴェーダにその名を見ることが出来るが、数ある神々の中では、全く目立たないマイナーな存在であったといえる。そこにみるヴィシュヌ神は、太陽の光照作用を神格化した神と見られる。リグ・ヴェーダでは、わずか5編の讃歌しか与えられていない。


  「彼(ヴィシュヌ)は地界の領域を測れり、最高の居所(天界)を支えたり、
  歩幅広き[神]は三重に闊歩して。・・・彼の大いなる[三]歩の中に一切
  万物は安住す」(1.154.1-2)8)

 一方、シヴァ神は、リグ・ヴェーダでは、暴風雨の神ルドラの尊称として用いられた形容詞「吉祥な」(Siva)という表現から、前身はルドラであるとされる。しかし、ルドラもそこではそれほど大きな存在ではなく、後世シヴァ神として人々に崇められるようになる兆候は見られない。

しかし、後にシヴァ神のもつ特徴につながるものは、若干見いだされる。ルドラは雷光をともなう暴風雨神とみなされるが、同時に、次にように医薬により、恵みを与えるものとしても描かれる。

また、ルドラは牡牛ともいわれている。

  なが与うる・最も効験ある医薬により、ルドラよ、われ願わくは、百歳の
  [齢]を全うせんことを。(2.33.2)9)

 このようにリグ・ヴェーダにおいてはむしろマイナーであったヴィシュヌ、シヴァの両神がどのようにして現在のような大きな存在となったのであろうか。

さきほど、民衆は身近で素朴な神に救いを見いだしたと述べたが、そのことが重要な要素として浮上してくるのである。シヴァ神、ヴィシュヌ神が現在持つ特徴を考察することで、この問題にいくばくかの光を当てることが出来よう。それらの特徴とは、シヴァ神に関しては、その象徴がリンガ(男性性器)であること、さらには、その妻や子供など、一族とされる神々が非常に多いことである。また、ヴィシュヌ神に関しては、その生まれ変わり、化身とされるものが非常に多いということである。このような特徴が両神の築いた地位を物語ってくれるのである。

(ii) シヴァ神

 狂暴なルドラを前身とするシヴァ神は、宇宙の破壊をその特徴とし、時間・運命・死を意味するカーラと同一視される(マハーカーラ=大黒天)。そのシヴァ神は、まずリンガ信仰と結合した。

リンガ信仰とは、人間の生殖作用による創造を神聖視したもっとも原始的な土着宗教の形態で、元来、どこの国にもみられる性器信仰のことである。この信仰が、シヴァ信仰と結びつき、リンガがシヴァ神の象徴として祭られるようになったのである。どのようにして結びついたかは、いまのところ明らかではない。今後の研究に待たざるをえない。シヴァ神の持つ狂暴で男性的なエネルギーが関連しているともいわれる。かくして、今日でもシヴァ神のご神体はリンガである。どこのシヴァ寺院でも、中に入っていくと一番奥に、リンガがおかれている。10)


 さらに、このリンガ信仰との関わりでもあろうし、またシヴァ神の持つ男性的精力を強調する側面でもあろうが、シヴァ神の妃が多数存在することもその特徴である。ところが、その妃の多くが、実は、もとはといえば、インド国内諸地方の人々が信仰する女神であったのである。これらの多くの女神がシヴァ神と結婚させられたのである。これもシヴァ信仰が、インド全土に広がった大きな理由であろう。

たとえば、インド女性の鏡として讃えられる美女であるパールヴァティー(山の娘の意味)は、その名の示す通り、ヒマラヤ地帯で大いに人気のあった女神であった。それをシヴァ神の妃とすることによって、ヒマラヤ地帯をシヴァ信仰に取り込むこととなったのである。また、ドゥルガー、カーリーの二女神は、ベンガル地方で多くの人たちに信仰されていた女神であったが、それがまたシヴァ神の妃とされることで、この地方もシヴァ信仰に取り込まれた。

このようにして、シヴァの妃は、サティー(貞淑)、アンナプールナー(豊饒)、などなど女性の持つあらゆる側面を神格化した女神がすべてシヴァ神の妃とされるにいたった。(もっとも、ヒンドゥーの人々は、シヴァ神の妃は一人であり、その一人の妃が女性の持つあらゆる側面を表す多くの女神に姿を変えているだけであるというのであるが。)それと同時にこれらの女神を信仰していた人々も当然シヴァ信仰へと取り込まれていったのである。

このように女神がシヴァ神の妃としてシヴァ信仰と結びついていく過程には、女神信仰に関するインドの特殊性も考慮されねばならないであろう。ヴェーダでは女神の勢いは決して大きくない。それは、ヴェーダを生んだアーリヤ民族は、「父の宗教」を持っていたからである。そのヴェーダを中心としたブラフマニズムが衰退を始めた頃と、インド各地に女神信仰が台頭する頃とがたまたま一致したこともあろう。一部の女神は、たとえば、ドゥルガーなどは、シヴァ神以上に信仰を集めることになる。村々の土着の神は、その多くが女神であり、その女神誕生の物語が、シヴァ神の妃として語られるようになったのであろう。

11)さらに、女神のみでなく、現在もボンベイ地方でことに人気のある知恵の神であり、また、富の神でもあるガネーシャという半象半人の奇怪な神を、シヴァ神の息子とすることによって、ガネーシャ信仰の人々もシヴァ信仰へと取り込んでいくのである。

 また、古代の民衆は、身の回りにいる動物や自然に対して篤い信仰心を持っていた。その典型が、古代のインドにおける牛の信仰であろう。重要な労力であることはもちろん、ミルクからとれるあらゆる食料は実に貴重であり、また、その糞までもが貴重な燃料となったことを思えば、彼らが牛に対して特別の信仰を持って当然であったであろう。ルドラが牡牛の意味を持っていたことも関連するであろうが、牡牛はシヴァ神の乗り物ナンディン牛として神聖化されてシヴァ信仰に結びついていったと思われる。これが有名な、インドにおける牛の信仰の源となったのである。

 牛の信仰もインダスの遺跡にみられ、これも非アーリヤ文化であろうといわれる。ヒンドゥーイズムの中心であるシヴァ信仰の重要な部分が非アーリヤ文化である、ということは、現在のインドを理解する上で重要である。先に述べたように、インダス文明の担い手であったドラヴィダの人々が、アーリヤ人の支配下に入った後にも、その文化は土着性となり、民衆に伝承され続け、ついには表面化してヒンドゥーイズムとなった、という筋書きが可能である。

 このように、シヴァ信仰の広がりを見るとき、ありとあらゆる信仰を飲み込んでいくそのエネルギーにはただ驚嘆するばかりである。

(iii) ヴィシュヌ神

 一方、ヴィシュヌの信仰はどのようにして広まっていったであろうか。それは、化身という手法を使って国民的英雄や人気の高い人物、動物などの信仰を取り込んでいったのである。化身とは、原語でアヴァターラといい、それは、「上から下へ降りてくる」、「降下」を意味している。つまり、下界が悪の支配により乱れると、神=ヴィシュヌが姿を変えて、世界を悪から救うために地上に降りてくる、という思想である。その典型が有名な叙事詩ラーマーヤナの英雄ラーマである。

 この物語は、マハーバーラタと同様、庶民の間に好まれていた英雄伝説であったが、人々はこの国民的英雄であるラーマを見逃すはずはなく、そのラーマをヴィシュヌの化身としたのである。

本来のラーマーヤナ物語は、王子ラーマが妃であるシーターを悪魔から取り戻す冒険物語で、無事に妃を取り戻して大団円で幕となるものであったはずである。ところが、いつのまにかその物語に、プロローグとエピローグとが追加された。天界で神様たちが相談をしている、今下界に悪魔がのさばり人々は苦労している、誰かあの悪魔を退治にいかないか、と。その役がヴィシュヌ神に決まり、かれはある王妃の体内に子として宿ってこの地上に出現した、それがラーマ王子であった。

これがプロローグである。かくしてラーマは英雄として大活躍し、悪魔を退治して妃を連れ帰る。

しかし、そこにエピローグが追加されている。その話は、こうである。無事、妃のシーターを救ったラーマは、シーターを妃として迎え入れようとしない。悪魔に幽閉されていたことで、もはや体が汚れていると冷たく言い放つ。悲しみに打ちひしがれたシーターは、大地の神に自分の身の潔白を証明するよう依頼する。大地の神はシーターの潔白を証明せんと、シーターを大地の奥深く抱き取ってしまう。大地の奥深くシーターが沈み込んだのをみてラーマは後悔するがもはや如何ともしがたく、ついには、元のヴィシュヌ神の姿に戻って天へ帰っていった、というのである。巧みにこのように前後をつけることによってラーマをヴィシュヌ神の化身と
してしまったのである。

 このような手法により、一般に理解されているだけで、ヴィシュヌ神には10の化身が想定されている。いずれも、古代からの民話に登場する動物であったり、英雄であったりするのである。ことに、化身の一つとみなされるクリシュナ信仰との融合も重要であるがここでは省略する。

 先にインドの休日のところで釈迦の誕生日までもが国民の休日になっていることにふれたが、実は、釈迦もヴィシュヌ神の化身なのである。インドの人々が、日本人を兄弟とみてくれるのは日本が仏教国であること(少なくとも、彼らにはこのように思われる)の故なのである。それにしても不思議である。インドにおいて仏教は反ブラフマニズムの立場で登場し、その思想もインドの伝統的思想とは鋭く対立し、インドの思想界で全くの異端者であり(たとえば仏教の無我の思想などはその典型である)、また、仏教の勢力は一時隆盛をきわめ、それ故、仏教以外の思想界からの敵意も相当であったのにも関わらず、釈迦がヴィシュヌ神の化身とされているのである。その取り込み方が実に巧妙でおもしろい。インドの伝統に真っ向から対立した釈迦その人を、偉人視するわけにはいかない。

しかし、衰退しかけていたとしても、仏教徒の勢力は無視できない。現在の1〜2%という弱小教団ではなかったのである。


12)そこでこのような話が作られた。ヴィシュヌ神は人間の姿をとり、釈迦となって、一見ヴェーダの宗教を守っている振りをしながら、実は、悪法を説きまくったのである、と。


13)かくして、釈迦の説く悪法に惑わされた悪魔どもはことごとく地獄に落ちて滅んでしまったのである。

かくして釈迦はヴィシュヌ神の化身としてヒンドゥー教徒からも大切にされると同時に、多くの仏教徒をヒンドゥーイズムに取り込むことに成功したのである。このしたたかな策略は誰が考えたのかはもちろん不明であるが、驚嘆に値する、と同時に、先のラーマの例と同様、ヴィシュヌ信仰がインド全土に広がっていった一例として我々の理解の助けとなる。かくして、釈迦の誕生日が国民の休日であって当然である。ひょっとすると近いうちに、シク教の教祖グル・ナナクも、いやそればかりか、キリストも、マホメットも、マルクスも(もっとも、最近彼の価値は下がったが、)ヴィシュヌ神の化身ということになるかもしれない、と真面目にいうインドの人もいるくらいである。

ここでもシヴァ信仰の拡大と同じく、あらゆるものを飲み込んでいくエネルギーが感じられる。

 このようなシヴァ・ヴィシュヌ信仰の拡張のあり方をみると、共通の特徴が明らかである。

それは、新しい土地に対して、そこにあった信仰をいったん否定して消しさり、その後に新たな信仰を植え付ける、というヨーロッパや中東にみられる方法と大きく異なっているのに気づくであろう。その土地の信仰をそのまま受け入れ、あるいは、化身とすることで、巧みにシヴァ・ヴィシュヌの信仰に取りこんでいく。当然、シヴァ・ヴィシュヌを最高の存在とみるものの、シヴァ・ヴィシュヌにまつわるその他の神々も同様に信仰対象として大切にしていく。すべてが、シヴァ・ヴィシュヌ信仰に飲み込まれていく、これがインドゥーイズムの本質である。


(4) ヒンドゥーイズムの光と影

 このようなシヴァ、ヴィシュヌ両神の信仰の拡大を眺めてみると、バラモンの意図は別にして、かくも、なにもかも巻き込み飲み込んでいくという傾向は、インドという土地に古来からある土着性のものであろう。しかし、宗教活動面で、民衆から遊離してしまっていたバラモンは、民衆の信仰に迎合し、自らの変身を始めると同時に、彼らは、リグ・ヴェーダ以来説かれてきた宇宙の法則(リタ=ダルマ)を基準とした自らのバラモン世界の価値体系の整備を謀ってもいるのである。

14)それが明確な形を取ったのが、マヌ法典の名で代表される法典類の整備である。
マヌ法典が成立したのは、およそ、紀元前後と言われるが、法典の整備自体はBC5〜6世紀から始まっていたと思われる。

15)必然的に、その内容はヴァルナ体制に沿ったものであり、それら法典類の作成は、ヴァルナ体制の維持強化の役を果たすことになる。ヴァルナ体制が確固たるものとなれば、下位の人々は上位の真似をすることで少しでも上位たらんと欲するものである。不殺生(アヒンサー)の戒をまもるバラモンの菜食主義を下位の人々も真似をし、少しでもバラモンに近づく努力をした。

かくして、リグ・ヴェーダ時代には、人々は肉を食した記録があるにも関わらず、時代が下がると、バラモンのみでなく下位のヴァルナの人々も菜食主義となり、現在のような事態に至っている。

 このようにブラフマニズムからヒンドゥーイズムへ変化していく過程で、バラモンたちは、民衆に迎合せざるをえない局面では、民衆に容易い道を与える一方で、ヴァルナ制度の維持というバラモンにとっての重要課題を巧妙に宗教の中に織りまぜつつ、次第に現在のようなヒンドゥー社会に移行していったのである。そのようなヒンドゥーイズム生成期にあって、偉大な叙事詩マハーバーラタに挿入されたバガヴァッド・ギーターは、一般大衆の絶大な人気を博し、ヒンドゥーイズム・ヴィシュヌ派最大の聖典となるにいたったのである。そこには、上記に述べたバラモンが民衆の信仰を意識した面と、ヴァルナ体制の維持を意識した面の両面が如実に現れている。重要な部分を少し引用してみよう。

 対戦の火蓋が、まさに、切って落とされようとするその時、弓の名人アルジュナは、相手陣内に自分の同胞・親族の姿を見て、一族同士が殺戮しあわねばならないこの戦いを嫌う。

そこで、馬車の御者を勤めていたクリシュナ(実はヴィシュヌ神)が、

「汝戦うべし」

と檄を飛ばす。そのクリシュナの教示が、バガヴァッド・ギーターそのものである。


  人が信愛(バクティ)をこめて私に葉、花、果実、水を供えるなら、その敬
  虔な人から、信愛を持って捧げられたものを私(神)は受ける。

  たとい極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、彼はまさしく善人
  であるとみなされるべきである。彼は正しく決意した人であるから。

  実に、私に帰依すれば、生まれの悪い者でも、婦人でも、ヴァイシャ(生産
  業者)でも、シュードラ(従僕)でも、最高の帰趨に達する。

  いわんや福徳あるバラモンたちや、王仙(クシャトリヤ)である信者たちは
  なおさらである。この無常で不幸な世に生まれたから、私のみを信愛せよ。
  私に意(こころ)を向け、私を信愛せよ。私を供養し、私を礼拝せよ。この
  ように私に専念し、(私に)専心すれば、あなたはまさに私(神)に至るで
  あろう。

  更にまた、あなたは自己の義務(スヴァダルマ)を考慮しても、戦慄(おの
  の)くべきではない。というのは、クシャトリヤ(王族、士族)にとって、
  義務に基づく戦いに勝るものは他にないから。

もしあなたが、この義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉と
  を捨て、罪悪を得るであろう。

  あなたは殺されれば天界を得、勝利すれば地上を享楽するであろう。それ故、
  アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。

苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いの準備をせよ。そうす
  れば罪悪を得ることはない。


16) ブラフマニズムの説く抽象的な解脱論では、もはや民衆には訴えるものはなくなっていた。

苦に他ならないこの生を無限に繰り返す輪廻から逃れるためには、厳しい修行をし、禁欲・苦行をして自己の中にある自己の原理アートマンが、宇宙原理ブラフマンと一体であることを認識するほかはない、というウパニシャッドの思想は、毎日の生活にあくせくする一般の庶民にとってはなにの救いにもならなかった。また、リグ・ヴェーダ時代の祭儀は、形骸化し、バラモンの立場を守りこそすれ、庶民の悩みに応えてくれるものではなかった。かくして、一般民衆は、救いを何に求めたか、それがここにみられるバクティとプージャーであったのである。日常生活を
営む中で神へ信愛(バクティ)を捧げ、沐浴により身を清め、身近な花や水を神に供える供養(プージャー)により解脱できる、という易行道がここには説かれている。これにより、ヒンドゥーイズムは一般民衆に爆発的に受け入れられていった。ちょうど、日本の鎌倉仏教が民衆に受け入れられたように。

 しかしバラモンもしたたかであった。最高の真理の世界としてのブラフマンはそのままヒンドゥーイズムにも受け継がれる一方で、自己の義務(スヴァダルマ)の遂行もしっかりとこれに付随させていたのである。宇宙の法則ダルマの教示は、自ずと各自が自ら持つ社会的責務の遂行へとつながる。

それ故、自己の義務(スヴァダルマ)の起源もリグ・ヴェーダに遡ることが出来るのである。


17)
またしても古来からの思潮を切り捨てることなくその上に諸思想を重ねていくというパターンがここにも見られる。


3 まとめーー未来に向けてーー

 輪廻を繰り返すこの世界で、人々は神にバクティを捧げつつ、自己の義務を遂行することが解脱への道でありブラフマンの世界にいたる道である、と説く上記のギーターを民衆はなににもまして重要な聖典として大切にしたのであった。かくして、貧しくともヴァルナ・ジャーティ制度に疑問を持たず喜々として自分の仕事に精を出し、神にバクティを捧げる現代のインドの人々の心の中には、このようなヒンドゥーイズムの聖典の言葉があるのである。前述したように、長年に渡る政治的努力にも関わらず、ヴァルナ・ジャーティ制度が改善されない理由もここにある。

18) 何度も輪廻を繰り返すうちに必ずこのような最高の世界に到達できる、と信ずる心では、時間はまさに無限に見えるであろう。今、この時間とても、無限に続く一瞬であるにすぎず、輪廻の一こまにすぎない、と感じるに違いない。先に述べたインドの人に時間の観念が希薄であるのは、このことも無関係ではないであろう。

 また、宇宙との一体を説くウパニシャッド以来の宇宙根元ブラフマンの思想は、自然との共生を前提としたもので、無限の時間の中で自然と一体となって生きる喜びを説いているともいえる。

このように、ありとあらゆる思想を飲み込み、ヒンドゥーイズムとしてしまう土着性に気付けば、新旧が並行していても違和感を与えないのも当然といえる。
 以上で最初に述べた、インドにおける様々な感想が、実は、まさにインド的なるもの、インド土着のヒンドゥーイズムを根底として生じてきているのに気づくであろう。まさに、ヒンドゥーイズムという語はインド理解のキーワードなのである。
 時間の都合でこれ以後、現代に至るまでの詳細は別稿を期すこととして、重要なポイントだけを以下に挙げておく。

8世紀以後、北インド、殊にパンジャブにはイスラムが根を下ろす。それ以後、
北インドはヒンドゥーイズムとイスラムの相克の地となる。しかし、そのような中においてもヒンドゥーイズムはたくましく生き抜いていった。何でも飲み込んで自分のものにしてしまうという社会は、イスラムをも飲み込んでいったのである。

イスラム側からのヒンドゥー融和策があったにしろ厳しいイスラム支配の中で人々は依然として、神へのバクティを捧げ、力強く生きていったのである。そのような中で、15世紀、ヴィシュヌ教徒であったラーマーナンダは、イスラムの影響を受けてカースト否定、男女平等を訴えた。その彼の思想は弟子カービルをへてナナクへと継承されていく。ナナクは、やはり、15世紀に、ヒンドゥーの子に生まれたが次第にイスラムに傾倒していき、ヒンドゥー・イスラム両者の相克の中で彼が確信に至ったことは、両方の宗教によって神は種々に説かれるが、真の神は唯一であるということであった。その神に近づくのは、バクティによるほかはない、と主張したのである。

つまり、ヒンドゥーとイスラムの折衷的宗教・シク教の誕生である。ヒンドゥーイズムを中心としてこのように複数の宗教を統一しようとする努力は後に18世紀19世紀のラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダの運動へと続いていき、インド独特の宗教運動が展開されることになる。その象徴が、カルカッタにあるラーマクリシュナ・ミッションの世界本部の建物である。それは、ヒンドゥー教寺院・イスラムモスク・キリスト教会の三様式を取り入れた建物となっている。このような発想から、いま世界を悩ませている宗教戦争や民族紛争の解決の手がかりがつかめるかもしれない。そのように考えると、すべてを飲み込むヒンドゥーイズムが奇怪に映る一方で、人類を救う可能性を持っているともいえないであろうか。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~yamakami/hinduism.html

コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢一郎代表「TPPでのアメリカの狙いは農業ではなく保険、医療、知的所有権というデカいものを狙っている!」  赤かぶ
85. 2013年3月03日 23:07:06 : rWn9PLlcps
>cIkmTyypTY 79、82、83

マジですか?もといマゾですかぁ?

コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢氏、原点「どぶ板」回帰? 今月から地元行脚 (河北新報)  赤かぶ
01. 2013年3月03日 23:07:42 : NQ8KHADk8w
だからさ、どぶ板から足踏み外してドブヘドロに頭から突っ込んで、てめえの口臭より臭いドロを肺いっぱいに吸い込んで、さっさと悶え狂い死ねっての。
コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
4488. 2013年3月03日 23:08:21 : FnsgwNyZyU
哀愁を感じたいなら!http://youtu.be/OSr-NQHvhUM

コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢氏、原点「どぶ板」回帰? 今月から地元行脚 (河北新報)  赤かぶ
02. 2013年3月03日 23:08:22 : wllhaaOeDQ
小沢氏「民主が受け皿呼びかけて」 参院選での共闘に期待感
生活の党の小沢一郎代表は16日のテレビ番組で、
夏の参院選について「野党第一党の民主党が呼びかけ大きな受け皿を作ることが一番自然だ。
呼びかけがあればいつでも協力する」と述べ、民主党を中心とする野党共闘に期待を示した。

一方、日本維新の会との連携に関しては「旧体制の自民党に近い立場なので、それ以外のグループでやらざるをえない」と語り、
否定的な姿勢を示した。
http://news.livedoor.com/article/detail/7416970/
>民主党を中心とする野党共闘に期待を示した。

衆院選惨敗の教訓。民主党も含めて結集しなければ、選挙には勝てない。

選挙制度の知識を少しでも持ち合わせていれば、当然の結論。

コメント [経世済民79] 竹中平蔵 「正社員は解雇が困難だから企業に負担かかる。だから首切り自由化する」(2ch) 会員番号4153番
78. 2013年3月03日 23:10:10 : l3yTPs8USs
ただでさえ、都心の鉄道は毎日数件の飛び込み人身事故があり、列車が止まる。
どんな人が飛び込み自殺してるか知らないけれど、これ以上自殺者出してどう
すんのと言いたい。経済が人間より大事なはずがなかろう。無駄な部分があっ
てもいいと思う。人間殺してまで経済を優先させる必要はなかろう。
アメリカのように一度ころんでもすぐ這い上がれる社会だったら、まだ救われ
る面もあろうが、日本とアメリカは違うし、競争もほどほどにしないと、人間
、なんのために生まれてきたか分からなくなる。タケナカはお腹いっぱい、も
うたくさんだ。
コメント [政治・選挙・NHK144] 「安倍礼賛」にまとわりつく危険な空気を憂う  田原総一朗 ダイナモ
08. 2013年3月03日 23:12:32 : IgfdyAmz0U
最近は言論界で相手にされていないので、アイドルAKBに絡んで必死です
コメント [日本の事件30] PC遠隔操作の容疑者、今度は日航機爆破予告で再逮捕へ (まるこ姫の独り言) メジナ
06. 2013年3月03日 23:13:25 : IgfdyAmz0U
やってくれたなクソ警察

これ冤罪だったら、関係者全員処刑な

コメント [政治・選挙・NHK144] (耕論)TPP、理念はあるか/化けの皮がはがれ始めた TPPに反対する経済評論家・内橋克人さん〔朝日新聞〕 gataro
15. 2013年3月03日 23:14:32 : g9jLm1zljE
「庶民派」内橋さんは心の優しい人格者です。「市場原理」論者じゃないから、利権屋には好かれないのだ。

国の赤字貿易収支を見れば、素人の私でもわかるよ。売れるもの(輸出)が少なくて、買わなければならないもの(輸入)が多いとの事でしょ!専門家の説明は要らないね。交易の原点は「物々交換」ですね。

<人間生存と環境を主軸にすえた「共生社会」>そして、自立した国家が目標である。
他国の「牛」や「馬」になってしまったら、【お終い】だよー。

コメント [原発・フッ素30] 避難地区ではない福島駅周辺で毎時40マイクロシーベルト (とある原発の溶融貫通(メルトスルー))  赤かぶ
21. 2013年3月03日 23:14:56 : pvbRnSKIY2

20よ、バカはお前だよ。とっくの昔に、ほとんど汚染の状態はわかっているんだよ。戦争もわからんくせに戦争を語るなよ。

漢字もロクにわからんとは韓国人のような奴だな。むのう→無能(わからんのか?)

>決断する


あんたは師団長か?(笑)、師団長は偵察隊という耳目を使って状況を把握する。流動的な状況を常に見ているんだよ。

遂には、百姓が戦争のやり方まで語りだしてきた。どんだけのバカだよ。



記事 [音楽11] Jay Graydon (feat.Marc Jordan ) - Secret Love + 竹内まりやバージョン
これさぁ、竹内まりやのために書き下ろした曲だと思うんだけど、いい曲だからセルフカバーしたんだね。
そのボーカルをマークジョーダンにやらせてるんだけど、多分もともと女性ボーカル用の曲なもんだから、ジョーダンちゃんキー高くて苦しそう・・・w
ボーカル以外はほんの少ししか手直ししていないね。
下の竹内まりやバージョンは、前に投稿したけど削除されてたから再掲。
やっぱ日本人が英語で歌ってるから発音とか気になるのかなぁ?
オレはまりやバージョンの方が好きだなぁ。


Jay Graydon (feat.Marc Jordan ) - Secret Love


Mariya Takeuchi - Secret Love


http://www.asyura2.com/13/music11/msg/394.html

コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
4489. 2013年3月03日 23:15:33 : rJnmzANDaw
スメタナ作曲; モルダウ 
高校の頃気に入って聞いた気がする。    明日ゆっくり聴かせてもらいますわ。

いや、きっと反骨の多摩さんでしょ! 

記事 [ペンネーム登録待ち板6] バビロニア・タルムードの基礎知識など
諸兄諸姉のみなさまへ 調べたことの報告です。未整理ですが、共有のために公開します。ポストさんのコメント欄に書こうと思いましたが、独立させています。----------------

タルムードには二つある。パレスチナ・タルムードとバビロニア・タルムード。パレスチナ・タルムードの方が、紀元前千年頃のダビデの時代のユダヤ教の経典。バビロニア・タルムードの方は、紀元前600年頃のバビロン捕囚の際に、捕囚先のバビロンにおいて、その土地の宗教の影響をたぶんに受けて出来上がった教典。
http://itisyugyousya.dousetsu.com/yudayatarumudo1.html
通常、「タルムード」と呼称されるものは、「バビロニア・タルムード」のことを指す。阿修羅掲示板のこれもそう。http://asyura.com/data003.htm

これは、捕囚先のバビロンに置いて、シオンへの帰還を心から望むユダヤ人たちの共同体意識により作られたものだったが、その選民意識が行き過ぎ、「異邦人はゴミ同然」「異邦人は皆殺しにすべき」「異邦人は家畜のごとく飼えばよい」などの感覚を得るにいたった。有名な用語「ゴレム」のこと。http://hirukawamura.web.fc2.com/syutyou/yudaya2.htm
その同時期に始まった会堂(シナゴーグ)での(旧約)聖書の解き明かしを行なう教師・ラビにたいしては、「(旧約)聖書よりも、ラビの教えを重んじる」などの倒錯した意識を得たまま、キリストの時代(紀元1世紀)にいたり、キリストにほんの三年間でコテンパンにやられたが、キリストをぶっ殺して、一息ついたかと思えば、その弟子たちが俄然、力を帯びて来て、パウロとかいう超頭のいい学者も乗り込んで来て、地中海世界にキリスト教がぐぐっと、ひろまった。それをうけて、偽ユダヤの初期の組長たちは、ローマ帝国に入り込み、キリスト教を徹底的に弾圧した(ネロの取り巻きたちのこと)。http://james.3zoku.com/kojintekina.com/monthly/monthly100101.html

バビロニア・タルムードは、紀元6世紀に今の形に定着した。7世紀に整理したハザール王国がイスラム教国とキリスト教国に挟まれたときに採用した宗教は、この「バビロニア・タルムード」を教典とする歪なユダヤ教であって、本来のユダヤ教ではなかった。ハザール人は、その後、(彼らにとっての)暗黒の中世をとおりすぎたあと、ルネサンス期に息を吹き返し、有名なロスチャイルドなどを生み出し、金融詐欺を繰り返して、いまではほとんどのものの実権を握っている。

ロスチャイルドらは、バビロニア・タルムードを信奉し、「なりすまし」人生を闊歩していたが、911で大失態をした。それは、お尻の大きく破れたズボンをはいたまま、ネクタイを締めているような滑稽な姿を全世界にさらしたのであったが、にもかかわらず、ズボンを繕うこともしないまま、いまでも、大和魂を忘れた多くの日本国民を無限のATMとして利用しようとしている。小泉と竹中のバカがバカをやってくれたお陰で、馬鹿だった国民は、対岸の911を見ながら、覚醒して、ネット世界を駆け巡り、真実を知るに至った。

第一ニカイヤ会議(紀元後325年)において、採択された全世界のキリスト教会(カト・プロ・正教など)が守っている「ニカイア信条」(別名、使徒信条)にたいして、「バビロニア・タルムード」の思想がどのように影響を与えたか、与えていないか、については、フォローできていない。
これにこだわるのは、今日のキリスト教会の基本的信条だからであって、もしもこれが崩されれば、ポスト氏のいうように、30億人のキリスト教信者が、本来のユダヤ教の流れを汲む、日本ヤマト魂教、すなわち「新党」いや「神道」に鞍替えすべきという、意見が現実のものとなる。
6世紀に成立した「バビロニア・タルムード」が、成立以前にどのくらいの論理立てた内容を以て、キリスト教を改竄したのかは、今後の課題。

ルターがユダヤ人に対して批判的に書いた文書「ユダヤ人と彼等の嘘」の抜粋は下記で読める
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/yumoku.html
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2938.html

コメント [政治・選挙・NHK144] 2月28日 「小沢検審議決が架空議決と誰でも分かる」第4弾!「44人もいるはずの審査員の声はなし」(一市民が斬る!!) メジナ
29. 2013年3月03日 23:15:48 : ggiJgzHxEc
>28さん全く同感です
いつも何にでも口を出す橋下がこの件については無視
弁護士である橋下はこの小沢さんの一件が国策操作であり無罪である事は我々よりも百も承知の輔だと思うのですが・・・・・
何も言えない何か大きな物が裏で蠢いているのでしょうか
不思議でなりません(やはりあれか・・・)
コメント [政治・選挙・NHK144] 「本日は新しいチラシの配布。受けとってくださる方が増えてきたように見え、嬉しかったです。:三宅雪子氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
09. 2013年3月03日 23:15:58 : cCz4ye6Qk7
TPPもアメリカの市民団体の反対の追い風が吹きそう。
TPP反対!

三宅さんあなた達は正しい。
国賊を退治しろ。

コメント [戦争b10] まるで昔の玩具? イランの最新鋭戦闘機がネットで話題に  CNN ダイナモ
05. 2013年3月03日 23:17:22 : WkOWWoICok
リベットから違う技術を得たのか。

軽い素材強化したカーボンは静電気等実用的ではない。
なんだろう、やっぱり強化プラスチックか。


コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢一郎代表「TPPでのアメリカの狙いは農業ではなく保険、医療、知的所有権というデカいものを狙っている!」  赤かぶ
86. 2013年3月03日 23:18:06 : YGMN9KyYv6
知ってるよ、2年前にch桜の討論で見たからね
自民党議員のほとんどがTPPに反対

賛成してるのは開国ぜよとか言ってるNHK 福山龍馬くらいだよ

コメント [政治・選挙・NHK144] TPP:背後でうごめく多国籍企業の無国籍強欲集団、 (いかりや爆氏の毒独日記) 運否天賦
02. 2013年3月03日 23:19:14 : cIkmTyypTY

 TPP大賛成!!

 バクチを打つのには ショバ代を払う必要がある

 パチンコに行けば 金をスル 

 ===

 じゃ〜〜 パチンコにも行かず バクチも打たず ノミにも行かず

 女も抱かず 品行方正で 出すものを出さない ケチな一生を終わっても

 だ〜〜れも 誉めちゃ〜〜くれないように

 ===

 アメリカ様には 今までだって ショバ代を 散々払わされたが それでも

 女は抱けるし ノミにも行ける バクチも出来るし パチンコにもいける


 商売だって 出来るんだ!!

 ===

 殿様がいれば 家来もいるよね! 天皇がいて 宮内庁がある

 宮内庁は 雅子様には 手間がかかるけど 宮内庁が うまくやらないので

 雅子様も ダメになるし 皇位継承を 止めてくれなんて 事になったら

 一大事だ

 ===

 日本がアメリカ様に ケチをつけても ロクなことはない

 日本は アメリカの家来とし 生きていけばいいだけの話!!

 ===

 TPPなんて 徳川幕府の 武家書法度 みたいなものだろうから

 あまり か〜〜としないで 穏やかに 行きましょう
 

コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢一郎代表「TPPでのアメリカの狙いは農業ではなく保険、医療、知的所有権というデカいものを狙っている!」  赤かぶ
87. 2013年3月03日 23:20:03 : yj5FnYZ31o
>>ここはTPPの論議。
世界企業政府の下に日本が組み込まれたのち日本が存在しているのかどうか?

>>憲法の上に条約がかぶさってくるのだから、国のもとにいる国民ではなく
世界企業政府のもとで核兵器云々などはもうなくなる可能性もある。

>>また米英600企業が儲かるしくみなので日本が今までのように蓄財できる
可能性はなくなってきてお金のない一島国になってしまったらそのときはもう
なにももうできなくなっていく可能性があるのです。


それと阿部君たちの自民党、それに官僚の諸君はこの条約の締結については
天皇陛下にもご相談が必要なことでありましょう。
日本政府の上に 民間企業世界政府 が上位にくるとすれば 2600年の
日本の国体が変更されうることなのでだまって進めてはだめで、そのようなこと
をすればあとで必ず日本は国民の総意でもって脱退することになるものと思います。

それであれば最初から加入などしないほうがいいのです。


コメント [自然災害18] 有感地震連発「富士山大噴火」秒読みで 専門家が注目する“低周波異常” (リアルライブ)  赤かぶ
03. 2013年3月03日 23:20:55 : pvbRnSKIY2

週刊実話ってエロ週刊誌だろう。そんな週刊誌の記事が信憑性あるのか?


コメント [政治・選挙・NHK144] ネット弁慶が街中に現れた理由  小田島隆 ダイナモ
14. 2013年3月03日 23:21:41 : 7oSKGju5kA
始めて見たダンビラが珍しくてしょうがないと、手にしてみたり、手にしたら振り回してみたくなるのでしょうね。
で、どういう物か大体解ってくると今度は試し斬り辻斬りをしたくて仕方がない。
「にわか」だからその手加減も解らない。 今まさにその真っ最中なのでしょう。
ネットでの傍若無人然り。街頭での傍若無人然り。

ちょっと面白い物見つけました。
http://youtu.be/HA1SjVB_3fg
現実はこの様な結末にはならんでしょうね。其処が彼らの不幸です。

コメント [政治・選挙・NHK144] 「権力側の結論ありきの態度こそ怖いものはない。こういうことを言える裁判長は貴重だ:江川紹子氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
02. 2013年3月03日 23:21:49 : YfLZROKTU6
> 税務署から申告を求められても一切申告せずに4億円を未申告だった人気脳学者の「忙しかった」という弁解は信じてお咎めなしとした国税当局が、

税務署から申告を求められも一切申告もせずに数億円を未申告だった鳩山由紀夫首相の「知らなかった」という弁解は信じてお咎めなしとした国税当局が、・・・

>>01. 2013年3月03日 15:12:22 : uYehYjHrck
> 小沢事件で、多くの国民が、裁判所、裁判官も悪、冤罪を作る一端を担っていると、わかってきた。

小沢事件で、多くの在日が、裁判所、裁判官も悪、冤罪を作る一端を担っていると、大嘘を吐くことがわかってきた。

小沢の金庫に入っていた数億円の現金にも、お咎めなしとした国税当局。
裁判官ではなく、確かに国税局はおかしい。

コメント [日本の事件30] 《衝撃事件の核心》 泥沼のW不倫の果てに… 売春クラブに入り浸り、個人情報を漏らしたベテラン刑事の悪行(ZAKZAK)  赤かぶ
01. 2013年3月03日 23:22:10 : tofdL6fQXo
冤罪臭いですね。
仰々しく並べ立てられているが、何と一つとして証拠が明記していない。
腐痔惨刑ですか…「吐き捨てた」って、あんた…(唖然)


コメント [ペンネーム登録待ち板6] バビロニア・タルムードの基礎知識など 仙芳丸
01. 仙芳丸 2013年3月03日 23:22:39 : tfZsKI4/C.rBA : bQNPdDA01w
管理人様

http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/297.html
こちらの文章を三回音読しました。
処理の方、よろしくお願いします。
ありがとうございます。

コメント [経世済民79] 竹中平蔵 「正社員は解雇が困難だから企業に負担かかる。だから首切り自由化する」(2ch) 会員番号4153番
79. 2013年3月03日 23:23:18 : WkOWWoICok
>>78
大丈夫だ、天の思うままに進んでる。

絶望するな、希望を持て。
それだけだ。
命はこの世だけでは無い。



コメント [原発・フッ素30] 東電の強制捜査を求め、被災者ら東京地検囲む(OurPlanetTV) gataro
01. 2013年3月03日 23:25:13 : OiAJXL8WnY
捜査するには現場検証がいる。
でも現場に行けないからな、誰も。
そもそも加害者が現場の後始末やってるって、そんな「事件」ってあるかよ。
コメント [政治・選挙・NHK144] 北方領土「面積等分」の解決策 プーチン氏の“伝家の宝刀”(ZAKZAK)  かさっこ地蔵
02. 2013年3月03日 23:26:05 : cIkmTyypTY

 ソ連は 失う物は何もない

 日本も 得るものは 何もない

 日ロ平和条約なんて あまり意味のないものだろうけど

 ===

 何か 良いことのような 一里塚にはなるよね〜〜〜

 結局 みんな 嬉しそうになるのだろうけど

 人間って どうして こんなに 単純なのだろう って思う
 

コメント [経世済民79] 海外資産5000万円超 申告を義務付け・韓国に資産持つ在日は対応を・・2chで騒然! 墨染
04. 2013年3月03日 23:26:08 : kFSBHHnrzo

>福島、東京、新潟、他も、どうなってるの?
>日本国、国取り物語が始まっている? 南米チリの
>農民が農地を失い放浪者とかの記事もありましたし
平野秀樹『日本、買います 消えていく日本の国土』新潮社によると、
大阪の92%、東京の97%は、地籍がない。
北海道には所有者不明の山林が4万ヘクタールもある。
外資のほとんどは土地を所有しても登記をしない。
沖縄、五島、対馬・・・。とりわけ島峽部での土地の買収が進む。
 (1ヘクタール 100m正方面積)
↑上記は↓本文の下部にあり
太田龍 二・二六事件の真相、全面開示
♪ペリマリ♪安倍晋三 田布施一族 統一教会
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/721.html



コメント [原発・フッ素30] 原発作業員をないがしろにする、TEPCOは悪魔やがな! (いまにしのりゆき)  赤かぶ
02. 2013年3月03日 23:28:01 : S9LOGq3HBb
明らかに、目前の悪魔、殺人鬼と言えば、どうする、どう動く。
心技体、気剣体一致。
取り押さえ、墓の下に、石を上に置き、閉じ込め。
法律、社会契約、規則、法則で、決まってんだ。
そんな事もわからない、はぐらかし野郎がいて困る。
よほど、法をないがしろにし、でたらめ政治を崇拝してるんだな。
悪魔の手先、大嘘つき。
悪魔と言わない、思わなければ、何も無いし、どうにもならない、動かない。
記事 [日本の事件30] <PC遠隔操作事件>起訴猶予で釈放、別件で再逮捕について弁護人が語る(江川 紹子)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130303-00023718/


【PC遠隔操作事件】起訴猶予で釈放、別件で再逮捕について弁護人が語る
江川 紹子 | ジャーナリスト
2013年3月3日 21時51分



愛知県豊田市の会社のパソコンを利用して犯行予告のメールを送りイベントを妨害したとして威力業務妨害の疑いで逮捕・勾留されていた片山祐輔氏について、東京地検は3日、処分保留として釈放した。続いて、警視庁など4警察によるPC遠隔操作事件の合同捜査本部は、かつて大阪府警が誤認逮捕した2件について、偽計業務妨害とハイジャック防止法違反の疑いで再逮捕した。弁護人の佐藤博史弁護士は、処分保留となったことについて、「現時点では起訴できる証拠はない、ということ。検察は正しい判断に一歩近づいた」と評価しつつ、匿名で様々なコメントを発信している警察の姿勢を厳しく批判した。


本人は「処分保留になってよかった」


片山氏が留置されている東京湾岸警察署佐藤弁護士によれば、逮捕状を執行した警察官は関西弁とのこと。この2件は大阪府警が取り調べを行いたいらしい。ただ、片山氏は「身に覚えがありません」と述べ、弁解録取書の作成には応じたが、録音・録画がなされない取り調べには応じない旨を告げると、警察官はすぐに留置場に戻す手続きを始めた、という。


片山氏は、弁護人に対して「処分保留となったのはよかった」と述べ、落ち着いて受け止めたようだった。数日前までは「3月3日が限度です。気付いたら独り言を言っていたり、床や壁を叩いたりして留置場の係官に注意された」と語るなど、精神的に疲弊している状況だった。しかし、再逮捕後の接見では「あと20日が限度」とは言うものの、動揺はなく淡々としていた、という。


「鯛は頭から腐る」と警察批判


新聞報道の中で「捜査関係者」「警視庁幹部」が匿名でコメントし、「弁護士に励まされているうちに、自分が無実だと思い込んだのではないか」「今回も誤認逮捕というなら真犯人からのメールが逮捕以来途絶えていることをどう見ればいいのか」などと述べていることを挙げ、佐藤弁護士は「いったい何を考えているのか」「真犯人からのメールは1/5以降途絶えているのではないか」「こういう馬鹿なことを言う人が幹部というのはとんでもない」となどと憤慨。「鯛は頭から腐るというが、警察組織はおかしくなっている」と批判した。


「 ウィルスの痕跡や通信履歴など客観証拠を積み上げれば有罪は揺るがない」という「警察幹部」のコメントに対しても、佐藤弁護士は強く反発。


「誤認逮捕の時も、それなりの客観証拠はあった。その客観証拠を被疑者に突きつけて、反論や弁解を聞くべき。言い分も聞こうとしないで、有罪に持ち込もうなどとありえない目の前にいる被疑者が真実を知っている。その言い分に冷静に耳を傾けるべき。そうではなく自白を取ろうというのは間違っている、というのが足利事件の教訓だったはず。(警察にとって)有力な情報があるのは認めるが、それを1つひとつ本人に当てて聞いていけば、犯人ではないと分かるはず。取り調べもやらないのは、職務放棄だ。しかも再逮捕までして煽っている」


一方で、「冷静に考えれば、検察は決して警察に同調していない。今日、処分保留になったことがそれを示している」として、検察の対応に期待を寄せた。そのうえで、「録音・録画をして、しっかり取り調べを行って欲しい」と、改めて要望したことを明らかにした。


米国サーバーの「痕跡」に疑問


Dropboxの米国のサーバーに、問題のウィルスが保管されており、そこに片山氏の派遣先のPCで作成した「痕跡」が残っていると報じられていることについて、弁護人が聞いても、「全く分からない」と首をひねるばかりだという。


佐藤弁護士は、「米国のサーバーにあったウィルスと、日本で遠隔操作されたPCに残っていたウイルスは完全に一致しているはず。米国で『痕跡』が見つかったというが、なぜ、日本で遠隔操作されたPCから、その『痕跡』が見つからないのか」と疑問を呈した。


「彼は、C#でプログラムが作成できないだけでなく、Visual Studio 2010というプログラム作成に必要なソフトもインストールしていないし、使ったこともない」という点を挙げ、彼がウイルス作成に関わっていないと強調した。また、彼が職場以外で使っているのは、自宅に自作のデスクトップPCがある以外は、スマートフォンとiPadで、ノートPCは持っていないことを明かした。


「あるべき報道に戻れ」


さらに、佐藤弁護士は一連の報道や記者の姿勢について、次のように厳しく批判した。


「最初に大げさに報道され、報道の責任を言ってきたが、このあたりで冷静になって、本来あるべき報道の姿勢に戻ってもらいたい。自分がペンやマイクを握ることにしたのは何をやるためだったのかを思い出してもらいたい。君たちは、まるで彼が無実であるということを証明しろと言わんばかりの態度ではないか。反省するべき」



江川 紹子
ジャーナリスト


早稲田大学政治経済学部卒。神奈川新聞社会部記者を経てフリーランス。司法、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々。著書『人を助ける仕事』(小学館文庫)、『勇気ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)など。

http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/766.html

コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢一郎代表「TPPでのアメリカの狙いは農業ではなく保険、医療、知的所有権というデカいものを狙っている!」  赤かぶ
88. JohnMung 2013年3月03日 23:28:57 : SfgJT2I6DyMEc : 8Nq1e32F8M

 愛くんは、もういいから、おトイレすまして、早くお寝んねしなさいネ。
 書けば書くほど、ネトウヨ・バカウヨどもと同じに見られるよ!

 日本は、自立と共生で、アメリカにも中国やロシアにも媚びず諂わず、対外的にはどの国・地域とも平等互恵の関係を築きましょう。
 従米屈米隷米はもとより、媚中や媚ロもお断りしましょう。

 それゆえ、アメリカと国際資本・多国籍企業の意のままにされかねないTPPには断じて参加する必要はない。
 なぜなら、農業や製造業に止まらず、商業・サービス業、金融・保険、福祉、医療・保健、地域の文化・慣習、自治等々まで、蹂躙されかねないからです。

 原発、TPP、消費税増税、官僚主権には、はっきり「No」と言い、日本人と日本国は、「原発ゼロノミクスの成長戦略」で十分発展可能です。

 ところで、このスレには、「ゲロひき」や「成りすまし極道」はじめネトウヨ・バカウヨがちょこちょこ出没しているが、此奴らは、まともに議論をできず、バカ丸出しの書き捨て、アホを晒しており、論外・外基地です。

 小沢信者とかカルトとかいう輩は、その時点で社会のゴミ・ネットのくずと言われて仕方ないでしょう。

コメント [政治・選挙・NHK123] パックイン・ジャーナルを存続させろ フクイタカノリ
4490. 2013年3月03日 23:29:09 : FnsgwNyZyU
激しい怒りに立ち向かう戦士のように!
http://youtu.be/AdzKJ0BuIGw
コメント [原発・フッ素19] 被ばく 排出 放射能 内部被曝 対策 放射線 防護 抗酸化 甲状腺 キレート サプリ SaveChild厨
240. 爺さん 2013年3月03日 23:29:39 : pkMRoq8j2xu8g : r37kiUmuyA
素人の独り言(風評被害かも)

日本版ビタペクトの販売サイトにある摂取量を、マルチミネラルの補給なしに長期間続けたらどうなるか。
多分続ける人が多発すると思います。
最悪の場合、ビタミンとミネラルが不足して、セレニウムとベータカロチンが入っていないから、甲状腺癌になるリスクが増すかもしれない、と言ったら、言いすぎでしょうね。
オメガ3の類の摂取にも触れていなくて、悲しいかな、アメリカのただのペクチン剤のボトルに書かれた、「多価脂肪酸および処方薬摂取の前後2時間はのむな」という警告文が光り輝いて見えました。
ボトルには書いてあるのでしょうか?

自分で試してやれと、ロト氏に反発して自分の体で実験した身としては、ため息が出ます。

コメント [政治・選挙・NHK144] 片山容疑者を再逮捕=誤認逮捕の殺人予告で−ハイジャック防止法違反容疑も・警視庁 (時事通信)  赤かぶ
09. 木曽の山猿 2013年3月03日 23:29:52 : YnLQsTybFStJg : ZLqYwwjz1c
私が1番心配するのは、
今回の片山氏の逮捕に関わる事柄が、
もともとの遠隔操作事件の実行者ではなく、
犯人逮捕ができず誤認逮捕で失点続きのない警察権力が、
過去に逮捕歴があり有罪であった片山氏を対象に、
周到に犯人のでったあげを図っているのではないか、
ということです。
警察権力が遠隔操作事件の手法ににせて、
片山氏のパソコンや彼の勤務先のコンピュータに外部から操作をして証拠を仕込み、
彼の行動を何らかの方法であらかじめ知った上で、
作り上げたモノなら、
それらしき証拠は出てくるのではないでしょうか。
当初報道された江ノ島の防犯カメラの映像も示されていません。

本来の犯人も自分の犯行とは関わりがないとすれば、
一切名乗り出ることはないでしょう。

警察権力が、
冤罪を作り出した汚名挽回のために、
さらに大がかりなでっち上げの冤罪を作り出しているという可能性は皆無でしょうか。


記事 [音楽11] Gene Page - Close Encounters Of The Third Kind (Disco Mix) 
Gene Page - Close Encounters Of The Third Kind (Disco Mix)


http://www.asyura2.com/13/music11/msg/395.html
コメント [政治・選挙・NHK144] TPP交渉参加に必要な献上品、日本植民地化計画の第一歩が郵貯とかんぽの300兆円 (Shimarnyのブログ)  笑坊
04. 2013年3月03日 23:31:45 : OH5QYqiedc
>安倍総理に交渉参加を断念させるか、事前協議を時間切れに追い込むかしかない。
事前協議、いい案ではありませんか。「朴クネ大統領が1000年経っても…」と言うので、日本の国会議員の誰が「TPPを推し進め日本を米に売るか、反日・売国議員は誰か」、今すぐ調べましょう。小泉構造改悪で日本の若者1800万人を潰し、さらにゆとり教育でバカ育てし、塾を儲けさせた国会議員は亡国推進議員、さらに「日本滅亡作戦のTPPに賛成するバカか、否か」を調べましょう?

自公党議員は日本国民を守るか否か、すぐ解ります。日本国民がどうなろうと「自分さえよければ日本人など関係ない!」と、世耕議員が国会で力を発揮している。そこで特に自公与党議員を三代遡り、「反日の者がいない家系」かを正確に調べませんか。

「アメリカでは、国会議員が立候補する際は、家系と血統と信仰を公表する『義務』が法律であります。嘘の家系(血統)を公表した者は公職選挙法違反とし、禁固刑です』【ヤフー知恵袋・在日朝鮮人の国会議員のメンバー公開】より。

米は『征服者が勝つ法を環太平洋諸国に押し付け、主眼は日本を餌食にする』まだ野蛮国から抜け出せない幼稚な国。太古、ジャングルで出会った人間を、すぐ敵と見なして食い殺す『人食い』時代から脱してない。日本の「困った時はお互いさま」の国民皆保険を人類の最高法と褒める勇気がまだ出せない段階ですね?

戦争で「勝って奪う」時代は終わったと解らない安倍首相も、米軍がアフガンやイラクに懲りて引き上げ軍備縮小の今「中国を刺激するな!」サインが解らない人?

安倍の日本自衛隊の国軍化と戦闘態勢は米には「迷惑だ!」という、不思議な「ケリー訪日情報」もある。安倍はまだ(日本が米の肩代わりし軍事力を振るって見たい幼稚園児?
「岸お馬パカパカ」の味が忘れられず、原発戦争を「起こしてしまう」恐れのある安倍頭しかないのですか。ではどうぞジャングルで、一週間彷徨ってみて下さい。

中曽根がレーガンに騙され、プラザ合意後の日本経済はどん底に落ち、青息吐息。レーガノミックスをまねたアベノミックスは「日本絶滅宣言」ですか。だから世界中が『馬鹿のミックス』と蔑むのでしょう、オバマは軍縮しなければ危ない米経済
のために、(中国と波風を立てるな、早く解れ!)と内心は叫んでいるのかも?

日本メデイアはどうしようもないトンチンカン、世耕の玩具、情けないです。



コメント [日本の事件30] 高知白バイ事件7年目の節目 〜 脱国民洗脳・・・ (街カフェTV) メジナ
01. 2013年3月03日 23:32:08 : OiAJXL8WnY
これくらいで再審決定するくらいなら、ハナから裁判所は有罪にしないよ。
腐れ警察にとことん協力する裁判所が一番の極道なんだ。
彼らは警察の意向に逆らうと命を取られるとかになるわけ?
官官接待とか仲間意識とかだじゃ全然理解できない裁判官の常軌の逸し方。
コメント [政治・選挙・NHK144] TPP交渉参加に必要な献上品、日本植民地化計画の第一歩が郵貯とかんぽの300兆円 (Shimarnyのブログ)  笑坊
05. 2013年3月03日 23:35:44 : cIkmTyypTY

 ほほう〜〜

 >郵政民営化が進むに連れて、郵貯・かんぽマネーの300兆円をハゲタカが狙っている事実に気付き国会議員が郵政民営化反対に回ったのである。

 どうやって 300兆円 取り上げるのかな〜〜〜

 教えてほしい!! この金が ドルに変われば 日本円は 超超超 円安に

 なっちゃうぞ〜〜  ばんざ〜〜い!!

 アベノミクスなんて いらないや〜〜〜 カンポで円安 円安カンポ!!

 カンポ ポカ〜〜〜〜ン ポンカ〜〜ン 
 

コメント [日本の事件30] <PC遠隔操作事件>起訴猶予で釈放、別件で再逮捕について弁護人が語る(江川 紹子) gataro
01. gataro 2013年3月03日 23:35:58 : KbIx4LOvH6Ccw : UJqCMvLDog
写真見出しが記事本文に紛れ込んでいた。

訂正:

本人は「処分保留になってよかった」

片山氏が留置されている東京湾岸警察署佐藤弁護士によれば、

 ↓    ↓

本人は「処分保留になってよかった」

佐藤弁護士によれば、


コメント [昼休み52] インド人とは何か? 富山誠
10. 中川隆 2013年3月03日 23:36:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

IT関連産業を牽引役に高度成長を続けるインドですが、まだまだ多くの人が貧困に苦しみ、社会的下層民に対する差別意識も残存しているというのが、現在のインドの姿ではないでしょうか?

この間、追及してきたように、インドの序列原理の根幹には、カースト制度があります。

このカースト制度は、圧倒的多数を占める下層民の私権追求の可能性を封鎖することによって、私権をめぐる争いを制御してきたという側面と、下層民の社会に対する当事者意識に蓋をし続けたという側面を併せ持ちます。

そこで、今回は、この視点からカーストの歴史をおさえなおすと同時に、経済成長にともなう大衆の意識状況の変化→政治状況の変化をおさえ、今後につながる可能性の実現基盤を探ってみたいと思います。

                   

インドのカースト制度とダリット 《引用・編集》

○カーストの歴史【支配観念の捏造と洗脳】

カースト制度の起源は不明瞭であるというのがほんとうのところである。しかし、アーリア人の移動仮説のいくつかの解釈が、カースト制度が侵入の産物であったことを理論づけている。それは、アーリア人が自分たちのために、より高いカーストを用意して、彼らが征服したより暗い皮膚をした在来の住民をより低いカーストおよび不可触身分に降格させたという考えである。

つまり、アーリア人が先住民を支配するために、ヴァルナ制が作られていったと思われる。すなわち人種差別・民族差別がカースト制の根幹にあった。


後期ヴェーダ時代に宗教の名のもとに、力と権威の地位にある人々によってカースト制度は正当化され利用された。彼らの目的は、バラモンの支配を貫徹して、支配階級への競争を抑えることであった。一つの世代からもう一つの世代まで口伝形式でヴェーダの知識を受け渡す伝統のおかげで、ヴェーダの呪文が操作され、いくつかの新しい詩が、カースト制度を正当化しバラモンの支配権を確実にするために如才なく故意に初期のヴェーダ聖典に組み入れられた。 リグ・ヴェーダの巨人の歌は確実にリグ・ヴェーダへの後日の添加であるとされる。 カースト制度は、義務しか持っていなかった圧倒的多数の下位カーストを社会から疎外し、彼らの時代の出来事に無関心で無関係にした。

○ダリット(不可触民)の起源【支配階級から最も遠い人々】

ダリットの起源は、カースト制度と同様に不明瞭である。不可触の考えが生まれるのは、マヌ法典以降ともいわれる。紀元後3・4世紀になっても、あらゆる賤民が不可触民ではなく、いわゆる、不可触民という概念が確立するのは、インド中世の紀元後8〜11世紀頃であるともいわれている。マヌ法典や仏典にはっきり現れているように、差別すべき人間を差別することこそが規範であり道徳であった。カースト制では、同一カースト内部の結婚が厳重に強制され、他のカーストと混血したものはその共同体から追放された。


元来、狩猟文化(「殺生」、皮はぎ、肉食)と密接なつながりを持っていた文化的に異質な集団が、定住農耕社会の周縁に組み込まれて、人々の忌避するような仕事をするようになり、さらに血統意識が加重されることによって、代々穢れがみについて、けっしてのぞくことができない存在という、賤民観念が生まれたとも考えられている。
 


○大衆の意識状況の変化→カースト制度の変化

ダリット出身の初の大臣としてインド憲法を起草したアンベドカルに導かれた新仏教徒が、1960年代以降の解放運動の中心だった。新仏教徒は、1970年代はまだ600万ほどだったが、今日では約1000万人に達している。キリスト教徒やイスラム教徒のダリットも、それぞれ独自の立場で解放運動をやっていたが、1992年に宗教の各宗派を統合したダリットの全国連絡会議「ダリット連帯プログラム」が初めて結成された。


こうした解放運動や時代の進展につれてカースト制度も変化してきている。インド憲法は、不可触民制の廃止を宣言し、「指定カースト」、「指定部族」、下級カーストの「後進諸階級」の三集団に対する特別措置を設けることを定めた。すなわち、教育と公的雇用と議会議席の三分野で、留保システムの実施が宣言され、国家が定めた委員会によって次々に新政策が実施されてきた。

1991年に国民会議派のナラシマ・ラオ首相が市場の自由化政策を導入し、新産業路線を実施した。国家による経済統制を大幅に緩和して、外国からの投資に門戸を開いた。IT関連産業の開発を最優先課題として、大学を各地に増設した。その結果、国内総生産は6%をこえる高度成長が毎年続いた。外貨準備高も増え、一人当たりの国民所得も倍増した。知識人階層が増え、アメリカなど外国への留学生も増大した。社会意識や文化的価値観の分野でも、大きい構造的変動をもたらしつつある。ラマ政権は文化面における開放政策も実施した。テレビを中心としたメディア改革で、報道管制は大幅に緩和され、国営TVだけだったのが今では30チャンネルをこえるTV番組が放映されているという。

大学でも人権教育が始まり、世界の新しい情勢を学んだ若い人たちは、カースト制そのものを原理的に問題にするようになった。

戦後インドを指導してきた「国民会議派」は、今日では国会で過半数をとれず、下層カーストとダリット出身の議員が多い「中道・左派グループ」が進出してきている。残りは、北インドの上位カーストを中心に組織されたヒンドゥー教至上主義を唱える「インド人民党」があり、パキスタンとの紛争や原爆実験など保守系の民衆を煽って国家権力を握っている。


誰が大衆の当事者意識に蓋をしているのか?その答えは、明白ではないでしょうか。
既に、日本が経験してきたように、【貧困の消滅→私権の強制圧力▼→序列原理の無効化】は普遍的な構造です。

そこで求められるのは、旧観念に代わる新しい構造認識=答えに他なりません。
支配階級から最も遠い位置に生き続けてきた人々こそ、「インドなるもの」=共同体的体質を残存しており、これからの恐慌→脱市場社会で答えを出せる可能性を秘めた層ではないでしょうか?
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/08/001113.html#more

ダリットの置かれている現状の報告

インドではダリットは生まれながらにしてダリットです。 ダリットの人たちは独自の文化を持っていて、それは何千年も前にさかのぼり、インダス文明のころから伝わっています。

しかしアーリア人のインド侵略によって法典が入ってきました。 その教えによって法典のほうが重要になるようになりました。

アーリア人の侵略の前にはカースト制はなく、人々はみんな平等でした。 三千五百年前にアーリア人が入ってきたことによってカースト制ができました。その頃からダリットはカースト制を受け入れることを拒否していて、アーリア人と一緒に生活することを拒否してきました。そういった人たちを触ることはもちろん、見ることもできないアンタッチャブル(不可触)としてきました。ダリットがいるところに人が近づいてきたら、ここにダリットがいると音で知らせました。

その不可触制は法律で禁止され、そういったあからさまに見てはいけない、触ってはいけないということは無くなってきていますが、違った形で差別は残っています。


ダリットの現状の歌を歌ってくれるスタッフ

サンダルを履いてはいけない、トイレなどの公共施設を使えない、ダリットの人が亡くなったときにどこに埋めてもいいというのではなく、埋める所を決められています。

特に、ダリット女性の状況は深刻で、低賃金で限りない重労働を課せられ、不可触民、穢れているといった差別を受けているにもかかわらず、夜になるとセックスを強要されたり、性暴力を受けます。その時だけ、不可触民であるということが忘れられています。 そういったことがインドのダリットの中で女性のおかれている状況であります。

ダリットの教育問題は大変深刻になっていて、インドの教育が民営化されたことによって、お金のある上位カーストは私立の学校へ子どもを行かせ、お金のないダリットの子どもは公立の学校へ行きます。公立の学校は教師の給料が低く、設備も全く整っていません。 そういう中で、たとえ学校に行ったとしてもあまり良い教育を受けられていないというのが今の問題となっています。

カースト制のために持つべき権利を奪われているし、権力を持っている人たちはダリットがどんどん力を付けていくこと、政治に参加していくことを許さない。ただ、選挙の前になると票のためにその時だけ良い扱いをするけれどもそれは一票のためにやっており、政治に参加してくることは望んでいません。

ダリットの人たちが自分たちの権利を主張した時にはどういったことが起こるかの事例を挙げると、1つは団体で賃金を上げるための要求運動をした時に、40人が集まっていた家に放火され焼き殺されてしまいました。
2つ目は、他カーストの人たちも住んでいる村でダリットの人が村長に選ばれたが、他カーストの人がそれに従いたくないので村長とダリット6人がバスに乗っている時、7人全員が首を掻き切られて殺されました。この事件は2000年に起こった事件です。

いくつかもう少し差別の事例を挙げると、学校での一つの例は、8歳の女の子がのどが渇いたので冷水機から水を飲もうとした時に、「この水は他カーストのための水だ。おまえの物ではない。」と言って教師に叩かれ、片目を失明してしまったという事例があります。

また、警察によるダリットやダリット女性に対する暴力の事例ですが、夫が盗みをしたという容疑で職務質問のために警察に呼び出されて行った後、その夫が全然帰ってこなくなってしまいました。そのときにも暴力を受けていたのですが。 すぐに帰ってくるというのに帰って来なかったので妻が食事をもって面会に行くと、そこで叩かれて暴力を受けて、その場でレイプされたという事例もあります。こういった事例はたくさんあります。

もう一つ事例を挙げると、子どもが水浴びや体を洗ったりするのにタンクの中に入っていたことがあった。そこに上位カーストの人たちがきて、電気を走らせて感電死させたという事件がありました。

この事件に対してダリットの人たちが運動を起こしました。 こんな事があっていいのかとかなり大きな運動となり、この事件を訴えたが政府は全く見向きもせず、何のサポートしませんでした。そして、運動をした結果、その問題を分かってもらえたのではなく、上位カーストからやっぱりダリットは水を持つべきではない。ほらみてみろということを言われました。 その村は、ダリットが全く力を持っていない村で、仕事もなく、食べる物もろくにありません。運動がない村はやはりそういう状況にあります。

ダリットの人たちが家を持てるようにする政府の政策があるが、ダリットの人たちに直接行うのではなく、村の村長を通して事業が展開されています。しかし村長を通して家を建てていくことになるので、ダリットの人たちは賄賂を渡さないと家を建ててもらえないという状況があります。

家を建ててもらうために村長に2000ルピーの賄賂を渡して訴えたけれども、賄賂を払ったにもかかわらず、だまされて家を建ててもらえなかったということもありました。お金を払ったのに家を建ててくれないのかと訴えると、訴えを起こしたことに対してその人は木に縛り付けられ、「これがおまえたちの食べる物だ。」と人糞を食べさせられたという事件がありました。この事件でこんな事があってはならないと状況報告のレポートを作成して政府に訴えつづけているが、今のところ何の対応もありません。

インドには留保制度というのがあります。 政治家や村の村長など代表の18%がダリットでなければならないという制度です。それはすべての政党の中でも適用されていて、ダリットがその政党の代表になることもありますが、その人たちはダリットの代表としてではなく政党の代表として話をするので、そのひとたちによってダリットの問題が表に出ることはありません。ダリットの問題について話をしたいという人が代表になろうとするとなかなか代表になれません。ダリットの問題を公にすることは許されない状況にあります。

ダリットの人は人がしたくない仕事、穢れるという状況があります。 なぜそのような特別な仕事を与えられるかというと、それはカースト制に基づいています。

カースト制とヒンドウー教というのは結びついています。 ダリットの人たちがそういうことに気付き始めると、ヒンドウー教を否定したり、ヒンドウー教徒になりたくないといって仏教やムスリム(イスラム教徒)、キリスト教に改宗していく人が今増えています。政府はそのようにダリットの人たちが改宗していくのを避け、人がやりたくない仕事をダリットの人たちにこれからも押し付けていきたいので、ヒンドウー教から改宗させないための法律をどんどん成立させています。

このような事件がどんどん起こっています。
私たちはどんどん運動を起こして、こういう状況を変えていかなければなりません。
ファティマや色々な人がここで活動しているように、草の根レベルで広げ、国内レベルへ広げていく、そして国際レベルに訴え、あらゆるレベルに広げていくことだ大切だと思っています。だから、日本から来た皆様に話ができたことを大変うれしく思っています。
http://www.fujimoto-mariko.net/activity/20040206_0


宗教ってなに?番外編〜インドに仏教が根付かなかったのはなぜ?@〜

  

まずは、問題意識から書いていきたいと思います。

 元々の疑問は、仏教はインドで誕生したにも関わらず、現在のインドにおいて、人口の約8割がヒンドゥー教を信仰しているのはなんでだろう?という疑問です。仏教が他のどの国でも信仰されていなければ、仏教が統合観念として不十分であったと考えることができますが、仏教は西アジアを除くアジア全域に広がり、現在は東南アジアを中心に約3億8000万人の信者を有する世界三大宗教の一つとなっています。このことから、発祥の地であるインドで根付かなかったのは、仏教が統合観念として不十分であったのではなく、インドという国に何か原因があったと考えた方が自然であると言えます。

 仏教が誕生する以前のインドで信仰されていた宗教といえば、バラモン教です。バラモン教になじみのない読者も多いのではないかと思いますので、簡単にバラモン教の概要を書いてみたいと思います。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  


●バラモン教の成立ち
 インダス文明が衰退する紀元前1500年頃に、インダス川流域に侵入してきたアーリア人が先住民の宗教と融合させた自然現象を神格化した宗教がバラモン教のはじまりです。


●カースト制度
 バラモン教の名称の由来は、アーリア人社会の身分制度=カースト制度の最上級バラモン(神に仕えるもの)によるものです。カースト制度は4つの身分に分けられ、ヴァルナ(四姓制度)と呼ばれています。ヴァルナは肌の色の意味で、肌の色による差別をあらわしたことがもとになっています。

 カースト制度は上から順にバラモン(神に仕えるもの)、クシャトリア(王侯・武士)、ヴァイシャ(庶民)シュードラ(奴隷)となっており、バラモンからヴァイシャまでがアーリア人、シュードラは非アーリア人によって構成されていることから、バラモン教は征服民の宗教であることが分かります。


●バラモン教の教義
 バラモン教の教えは、輪廻転生の考え方が基本的なものとなっています。人間は生きているときの行為(カルマ・業)から判断されて、死後人間に生まれ変るか、他の動物あるいは植物などに生まれ変るかが決まるというものです。

 この世で善く生きることが出来ると最終的に輪廻から脱して解脱ができるのです。ヒンズー教も仏教も、バラモン教の輪廻思想が基盤となっています。

 バラモン教の聖典「ヴェーダ」は神の啓示によってつくられたといわれており、4編からなる文書となっています。「ヴェーダ」はバラモンによって掌握されており、バラモンは絶大な力をふるっていたと考えられます。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 仏教の創始者であるブッダは、このようなバラモン教が信仰されていた、北インドの王族の息子としてこの世に誕生したのです。  
                       


コメント


仏教はインドにとっては後発の宗教です。

あるいはそれまでカースト支配が進行していた、アーリア人によるバラモン教に対する反として登場した、民間宗教です。

他にもジャイナ教などバラモンが社会の頂点であり、特権身分であるという事を疑いはじめた大衆の心理に呼応して登場したのです。

仏教がインドに根付かなかったのはカースト制の否定の為という目的にあったのからではないかと思います。結局、その後のインドにカースト制が残り続けたように仏教は決して大衆レベルで根付く事はありませんでした。

言い換えれば、インドにとって仏教は最初から体制否定のマイノリティの宗教に過ぎなかったという事ではないでしょうか?

注目すべきはその後、中国、朝鮮半島、日本で定着する事になったのはなぜか?という後者の方です。

我がインドチームでも仏教についてはいずれ取り組む予定ですが、先行してぜひその道筋をつけていただければと期待しています。
投稿者 tano : 2010年06月08日 20:35
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/05/001072.html


なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか その1〜

インドにおいて誕生した仏教。 アジア各地に広まり、日本に定着しました。

しかし、インドにおいて仏教は、13世紀以降その姿を消しました(現在は復活の兆しがありますが)。

学者からは、様々な説が出されており、定説では、イスラムによる攻撃となっていますが、だとしたら、仏教以外の宗教、とりわけヒンドゥー教が残ったのは何故なのか?

どうも、仏教徒だけを攻撃したとは考えにくいのです。

そこで、今回は、その仏教衰滅の謎に迫っていきます!

 


インド仏教史の概略を下の図にまとめました。

その1 では、仏教が誕生する直前のインドの状況を押えていきます。

1.仏教成立の時代背景

○バラモンの思想

 紀元前15世紀ころ、西方よりインド西北部に進入したアーリア人たちは、先住民族と同化しながら定住し、農耕生活を始めました。その中で、次々とインドに進入してくる異民族との抗争を避けながら、アーリア人たちは西北インドからガンジス川の下流地域へ東漸するに従って、それまで経験したことのない厳しい気候・風土にさらされることになります。そこで、登場するのが呪術的信仰です。

 なぜなら、呪術的信仰は、人をして災いを逃れしめ、福を得させるという現実生活の直接的な欲求に応えようとするところに生まれるためです。
 インドの場合、東漸により、新しい環境・風土の厳しさがいや増してアーリア人に襲いかかってきました。

 ガンジス川流域のジャングルを切り開き、開墾しつつ、東漸していくアーリア人の前途は多難であったであったろうし、予期せぬ災厄や病気が、いつ降りかかるかも知れぬ危険にさらされていたでしょう。そのような状況により、人間に恵みと喜びを与える自然の諸現象を、人格的な神として崇め讃える、多神教的なおおらかで明朗な信仰は維持できなくなります。そして、いかにして予期せぬ災厄や病気が降りかかるのを防ぎ、生活上の直接的な福徳を招くかが課題となっていきました。

 そこで、土着の民が行っていた呪術的な信仰を取り入れていくことになります。そうやって、彼らは神々への祭式を発達させ、祭式を通して神々を動かし、闘いに勝利したり豊穣をもたらそうとしました。そして、その神々への讃歌や祭式の方法が述べられたヴェーダとよばれる聖典が編纂されました。

 そのヴェーダ哲学は、一言で言うなら祭式の意義、祭式の時唱える言葉についての哲学的考察、祭式の対象である神々についての考察などです。ヴェーダの祭式の伝統では、人生の節目、毎年の季節の節目毎に種々の儀式が行われていました。つまり、時間の経過とともに人生や自然からは、創造的なエネルギーが失われ混沌と化して行くので、種々の儀式によって力を補ってやり、再び人生や世界を調和へと導くことができる、と言うのです。

 人々が自然とともに生き、自然に畏敬を感じつつ生活していた時は、毎年毎年円を描きながら循環していました。

 ヴェーダ文明の最前線地帯、ガンジス河中下流域は、盛んだった稲作による穀物流通で、非常に潤っていました。

 当然、そのような時代状況では、富と財力を背景とした物質的、享楽的風潮も広がっていました。バラモンと呼ばれたヴェーダ祭式文化の中心者たちの中には、それを嘆かわしい堕落と考える人もいました。その人々にとっては、ガンジス河中下流域は「堕落の地」でしたが、彼らはただ、ヴェーダの伝統を墨守するだけでした。

 また、バラモンの中にも、物質的、享楽的風潮に流され、追従する輩が出てきました。

 そんな物質的繁栄をただ一つの目的として生きる人が恐れるのは、貧困、病気と老いと死です。自分の望みの追求が、それによって断絶してしまうからです。今の自分への固執は、他の状態、異なるものへの嫌悪、恐怖となります。

 それで、その人々は儀式を行い、財産・子孫・長寿を得る祈祷をバラモンに行ってもらうことで、功徳を積み、その望みの達成を願ったのです。ここで、「循環的な時間観」から「蓄積的な時間観」へと、大きな変化が生じ、祭式の意味について思索が深められ、前6世紀にはウパニシャッドと呼ばれる哲学的思索の書が形作られました。そのウパニシャッドの中で展開されたのが輪廻と解脱の思想でした。

○輪廻と解脱、カースト制度

 「輪廻」とは、生き物がそれぞれの業(過去の行為による報い)によって生と死をくり返すことをいいます。つまり、現在の生のあり方が次の生のあり方を決定するというのです。しかし、エジプトとは違いインドの過酷な自然のもとでは、生と死の繰り返しは苦痛だったのでしょう。この輪廻転生は、何とかして断ち切られるべきものと考えられたのです。

 この「輪廻」を循環的な時間観と捉えがちですが、輪廻が業報(がっぽう)思想と結びついた時、それは無限の因果の連鎖になってしまいます。もはや、人は元いたところには戻れず、善業も悪業も蓄積され、無限にその連鎖が続くのです。循環ではないのです。しかも、その場合の、善業は現実の欲望(自我)を満たすという目的にかなったものが、善とされているだけなのです。

 そして、祭式を司っていたバラモン(祭祀階級)たちは、祭式を行いその意味を知る者だけが、神秘的な智慧と儀式の力によってその善業を積み、輪廻から抜け出し得ると言い、その解脱の境地を、個々の人間の魂であるアートマン(自我)と宇宙の原理ともいうべきブラフマン(根本原理)との合一(梵我一如)であると説いたのでした。
 
 こうした祭祀の根底には、行う側、行ってもらう側双方に、自分を呪縛する「欲望(自我)」があります。それを釈迦は発見し、「祭式」を強く批判しました。『人々が祭式を行うのは、「今の自分」に執着しているからである。老いなど「今の自分」と異なるものに不安と嫌悪を抱くから儀式を行うのである』と。

 「今の自分」は「今の社会の仕組み」「今の世間の常識」に複雑に呪縛されています。「今の自分」「今の境遇」の延長に対する欲望は、「今の社会の存続」を何の疑いもなく受け入れることなのです。しかし、実際には自分は変化し、世間も、社会も変化する。変化する自分が変化する世界と出会う。その出会いの瞬間の多様なきらめきを如実に捉えようとしたのが、釈迦でした。釈迦の「慣習的祭式」批判は、祭式の深層に潜む「欲望(自我)」からの解放の運動だったのです。もちろんその批判の対象として、「カースト制度」も含まれてきます。「カースト制度」というものは、変わることを恐れるが故に、生涯固定の身分を作り出し、上層(バラモン)階級に至っては、そこに安住することを求めた結果なのです。

○女性蔑視の思想

 バラモンを頂点とするカースト制度に縛られたヒンドゥー社会においては、上記の輪廻観と、浄・不浄観の広まりによって、月経の際に血を流す女性は、本質的に「不浄」「邪悪」「軽薄」「淫ら」なものとされ、「女は出産の手段」「男児を産んでやっと一人前」「娘は厄介者」とされていました。

 そして、宗教的にはシュードラと同位相に位置づけられ、「三従(子供の時には父親に従い、嫁いでは夫に従い、夫の死後は子に従う)」が規範化されていました。

○商工業の発展→自由思想家の登場

 紀元前7世紀を過ぎると、先にも述べたように、農業の富が蓄積され、富と財力を背景とした物質的、享楽的風潮も広がっていき、次第に商工業が栄え、いくつもの都市国家が成立するようになり、いよいよ本格的に私権時代に突入して行くことになります。。
 
 私権時代になり、新しく力を持った王族や商工業者は、従来のバラモン的祭祀では、新たな貨幣経済においては、何ら役に立たないことを痛感し、これまでのバラモンの思想に代わる新しい思想を求め始めました。また、王族や商工業者に富が集中するに従って、人工的な貧富の格差が生じ、シュードラより下位の階級の民衆は、その苦しみからの脱出を願っていました。
 
 そして、それら脱出への勢力を代表する思想家が多数出現しました。その中の1人が釈迦です。彼らはヴェーダの権威を認めず、ウパニシャドが主張した、宇宙原理が実在するとは認めませんでした。そして独自に、この苦しみの世界からの脱出、輪廻的生存からの解脱を追求したのでした。それらの主張の中には、私権を肯定する快楽論を説く者や、徹底した唯物論を展開する者など様々でした。
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/07/001102.html

なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか その2〜


2.仏教誕生

 仏教は、一般的には釈迦が真理を悟った時を以って、誕生と言われています。前回(シリーズ「インドを探求する」第9回〜なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その1>〜)は、その仏教が誕生するまでの時代背景をまとめました。仏教は、インド社会において、共同体による共認社会から、貨幣経済による私権社会への移行期に誕生しました。つまり、私権への違和感から発生したのです。

 そこで今回は、釈迦が得た真理とは何なのか?そして彼は、何を人々に伝えたかったのか?について、まとめていきたいと思います。



○ブッダの誕生

 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、釈迦族の王子として現在のネパール南部に生まれました。16歳で結婚し一子をもうけ、何不自由のない生活を送っていました。そのような王子がなぜ家を出悟りを求めようとしたのか。仏典には次のような出来事が起こったと書かれてあります。

 ある時彼が外出のため東の門から出たところ老衰のため哀れな状態となった老人に出会う。別の日南の門から出たところ重病人を見て病の避けられないことを知り、さらに西の門から出た時には、死人が担架に乗せられ嘆き悲しむ遺族がつき従うのを見かける。最後に北門から出たとき、彼は柔和平静な出家者に出会ったというのです。

 生老病死を始めとして、世界が苦しみに満ちていると知った彼は、なぜ苦しみに満ちており、なぜ誰もが(自分自身も含め)苦しむのかと考えた末、出家者の生き方を選び(当時は、出家するのが当たり前でした)、妻子を捨てて王宮を出たのでした。29歳のときです。その後彼は6年間、他の修行者に混じって苦行を行いますが、結局真理を得ることはできませんでした。
 
 そして、いたずらに肉体を痛める苦行は人生の苦しみから脱却する方法にはならないと判断した彼は、苦行を止めて川で沐浴をします。疲れ切っていた彼は、その川で倒れてしまいます。その時、傍を通ったスジャータという少女が差し出した乳粥で体力を回復すると、彼は静かに菩提樹の下で瞑想を行います。そして、今まで出会った人々のことを思い返しはじめます。そこでようやく真の智慧を得、ブッダとなりました。


○釈迦の悟った真理

 仏教において、釈迦は真理を悟った人であり、人々は釈迦の教えを学びながら、自らも真理を悟る(ブッダになる)ことを目標にします。これが例えばキリスト教のように、唯一絶対の神による救済といった考え方や、ヒンドゥー教のように限られた人間(バラモン)だけが悟りを得る、といった考え方とは異なるのが、仏教の大きな特徴です。では、その釈迦が覚った真理とはどのようなものだったのでしょうか。                         

釈迦が世の人々に説こうとした教えの本質は、一人一人に与えられた固有の人生を、積極的に肯定しつつ生き抜いていくことのできる智慧と、たくましい生命力が、人間の内なる心に厳然として実存していることを明らかにすることでした。
 しかし、この教えの本質をそのまま明かすことについては、釈迦はかなり慎重であったようです。なぜなら、人生を積極的に肯定して生きる、ということを人々にストレートに語れば、人々が誤解する恐れがあったからです。その誤解というのは、現在、自分たちが生きている煩悩(自我的欲望)と、自己中心的な人生をそのまま肯定して、それ以上の高い人生を生きようとは思わなくなるからです。

 もし、教えの結果がこのような態度を与えるものならば、釈迦の同時代に支配的であった快楽主義、現世主義と何ら異なるものではなくなります。そこで、釈迦はいったん、人々が生きている人生を「苦」として否定し、煩悩や享楽に振り回される自己中心的なあり方を、徹底的に克服することを強調しました。そして、その否定的な教えを通して、人々が目前の人生に対して、懐疑の眼を持ち、より高い次元の人生へと眼を向け直すことを願いながら、教えを説いたのです。

 ところが、仏教徒の一部の人々(主に上座部派)は、この釈迦の教えを、その奥にある真意に気付かずに、文字通り受け止めたため、仏教を厭世的・消極的なものとして、展開してしまったのです。それが終には、「灰身滅智(けしんめっち)」といって、煩悩を起こす自らの身体を灰にして無くし、様々な迷いを生じる人間の智慧を滅することこそ悟りであると捉えて、結果的に、この現実の生とこれを取り巻く社会から逃避することとなったのです。

 この傾向を是正し、釈迦の本来の真意に立ち返って、仏教の真実の精神を躍動的に継承したのが大乗派でした。ここにおいて、単に形式的に、人間の煩悩や迷いの心を断ち切るというような考え方ではなく、人間一人一人の生命の奥底に内在する仏の智慧と生命の力を、引き出し顕在化することによって、煩悩の持つエネルギーを正しく活かす道を浮かび上がらせました。

 これが、煩悩を菩提へ、生死の苦を涅槃の悟りへと転換する原理として、大乗派では特に大切にされた道です。それゆえに、大乗の教えは、極端な禁欲に囚われるのではなく、かといって煩悩・欲望に翻弄され、享楽に流されるというのでもなく、その「中道」を生きるあり方を積極的に切り開いたものと言えます。


○智慧と慈悲、そのための事実の追求へ

 釈迦は、自らの覚った真理を自分一人の中にとどめるのではなく、全ての人々に伝えようとしました。仏教においては世界を理解する智慧は常に、人々の苦しみを取り除き、楽を与えようとする慈悲の実践(抜苦与楽)と結びついています。抽象的な論議、議論のための議論は必要ではありません。

 この世界で、苦悩や欲望に囚われた人間は矢に当たった男と同じだと釈迦は言います。その男にとっては、何よりもまず矢を抜き、傷の手当をすることが必要であるのと同様に、人々に必要なのは苦しみの原因である煩悩や欲望(自我)という矢を取り除くことであって、世界は永遠であるとか、死後どのようになるかなどという問に答え、単に好奇心を満足させることは、本来の目的の妨げになると考えたのです。

 ある時釈迦は、川を渡る筏の譬えを用いて、こう弟子たちに言いました。

「みんなに言いたい。私の教えもこの筏と同じなのです。私の教えは大河を渡るための手段であって、執着する目的ではないのです。だから、私の教えに執着してはなりません。時には捨てるべきなのです」と。

 釈迦は、インド中を命がけで法を説いて歩いた(何度も殺されかけた)にもかかわらず、その法ですら捨てる場合があると言いました。法はあくまでも人を救うためのものであって、法自体が目的なのではないのです。つまり、釈迦は命がけで法を説いたというより、命がけで人を救いました。様々に工夫しながら、様々に心を尽くしながら、教えを説き、さらにその教えさえも捨てて、新たな教えを工夫し続け、どこまでも事実を追い求めたのでした。

 そして、仏教においては、事実の追求を男達が担い、女達がその事実を素直に受け入れ、広める役割を担うという流れができました。


 以上見てきた様に、仏教は一般に言われているように、現実逃避だとか、ただ単にヒンドゥー教(カースト制度)を批判しただけといった理解では、不十分であると思われます。

 釈迦にはじまる仏教は、日常起こる現象から、事実を突き詰めた結果として、カースト制度批判、私権否定となったのでした。決して、現実から目を逸らすことはありませんでした。

 シリーズ「インドを探求する」第11回〜なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか<その3>〜は、仏教の発展から、衰退への流れを見ていきます


コメント

>「みんなに言いたい。私の教えもこの筏と同じなのです。私の教えは大河を渡るための手段であって、執着する目的ではないのです。だから、私の教えに執着してはなりません。時には捨てるべきなのです。」

なるほど、教えは手段であり目的ではない。釈迦の教えは宗教ではなく法だと言われる所以がここにあります。後の弟子たちが法典をまとめあげていきましたが、この釈迦の「執着するな」という教えが次々と新しい法を塗り重ね深めていく幹になったのだと思います。

>教えの本質は、一人一人に与えられた固有の人生を、積極的に肯定しつつ生き抜いていくことのできる智慧と、たくましい生命力が、人間の内なる心に厳然として実存していることを明らかにすることでした。


宇宙とかカルマと言われる人の中に内在するエネルギーを釈迦は肯定という言葉をもって説いています。たぶんこれを聞いた人が自らの中にまだ未開発な大きなエネルギーを感じ、それを作り上げ、きっと生きていく希望を得た事だと思います。
そしてこの部分はインドのヴェーダ思想からしっかり引きついでいます。

仏教についてこれまで知らなかった点をよく調べて投稿いただきました。勉強になりました。
投稿者 tano : 2010年08月03日 21:07


 釈迦の目指したことが、キリスト教やヒンズー教との違いが良く分かり勉強になりました。

 釈迦の言う「苦悩や欲望に囚われた人間」とは私権意識に染まった人間といえそうですね。

 自我を捨て、ひたすら法(事実の認識)を追及する姿勢は、私たちの目指すところと同じです。

 ただ、貧困にあふれた、私権の拡大期に、私権を否定すれば、社会から遊離するしかなく、仏教が厭世的と言われるのも仕方のない面があったのだと思います。

 「るいネット」には「現在は、(本源価値の)実現の時代である。」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=7453 とあります。

 釈迦がどうしても超えられなかった壁を、突破する基盤が既に存在しているのです。そのことに感謝して、皆で(本源価値を)実現していきたいですね。
投稿者 tama : 2010年08月03日 22:12
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/08/001103.html

なぜインドで仏教は誕生し、衰退したのか その3〜

3.仏教の発展、そして衰退へ〜早すぎた仏教誕生〜

 インドにおける仏教は、先行するヒンドゥー教に対抗して出現し、アショーカ王による仏教の国教化政策によって一挙に広域波及しました。その後はヒンドゥーの国教化等により、盛衰を繰り返しますが、クシャーナ朝(1〜3世紀頃)の全盛期カニシカ王の時代に、今一度仏教が保護され、小乗仏教と大乗仏教の複線的な発展が加わって、インド全域に広がりました。

 ところが、そのインド仏教が13世紀には、廃れてしまったのです。これはなぜなのでしょうか。

 このことについては一般的には、1203年に東インドの密教の根本道場だったヴィクラマシラー寺が、イスラム教徒の軍隊によって破却され、多くの僧尼が殺害されたことを以って、インド仏教の終焉とみるのが“常識”になっています。

 しかし、大道場ではあってもその拠点が破壊されたというだけのことで、インド仏教全体が廃れるというのは考えにくく、むしろ、それ以前から仏教は民衆離れを起していたのではないか?(中村元氏)といった説もありますが、果たしてそれは、大乗仏教時代にも言えるのか疑問が残ります。

 また、仏教が貴族層や商人層に受け入れられた割に、もともと家庭儀礼や日常儀礼を重視しなかったために、社会の底辺にゆきとどいていなかったのではないか?(奈良康明氏)といった説もあります。

 しかし、どれも決定的な理由にはなりえないように感じられます。なぜなら、そのようにインドで廃れた仏教は中国や日本では蘇ったばかりか、歴史家によって認められているように、むしろインドの外で世界宗教としての力を発揮していったからです。
 ここには、インド社会独自の原因が潜んでいるのではないでしょうか。

 今回は、その辺の謎に迫っていきたいと思います。



○大乗仏教への発展

 初期の仏教教団を取り囲む社会は、相変わらずのヒンドゥー(バラモン)的社会でした。釈迦が、ダルマ(法)に基づいて四姓・男女の平等を説いたといっても、それが実現されていたのは、厳密には教団内に限ってのことでした。教団の外では、相変わらずヒンドゥー的女性観が根強く横行していたのです。

 また、教団内を見ても、50%以上がバラモン階級出身ということがあり、釈迦の滅後、特に上座部、そして小乗と呼ばれる時代に、ヒンドゥー的女性観が次第に教団内に影響を及ぼすようになります。

 さらに、バラモン的考え方から、在家に対する出家の優位の強調もはじまり、厳格な戒律主義が横行するようになります。そんな中から、大衆の中に入って、大衆とともに語り、悩み、修行に励んでいこうとする集団が現れます。それが大衆部でした。ここに、戒律・出家優位を説く「上座部」と、在家を中心とした、釈迦の時代に戻るべきだとする「大衆部」とに根本分裂します。

 後のアショーカ王の時代(紀元前三世紀頃)には、その上座部も大衆部も興隆をみましたが、それ以後は、またバラモン教を国教とする王が立ち、バラモン教が勢力を盛り返し、仏教は衰退の一途を辿ります。それは、バラモンがインド社会と一体化していたのに対して、上座部仏教は世俗の社会から離れた閉鎖集団であったと同時に、自ら分裂を繰り返しながら、互いに閉鎖集団化していった事実にもよります。

 この時代に、大衆部仏教の延長として、各地で大乗仏教が興起します。彼ら大乗教徒は、政治的(ヒンドゥー)勢力による弾圧の危機に直面したことによって、仏教徒としての原点に帰る運動をもう一度興したのでした。彼らは僧院に閉じこもるのではなく、仏教を社会に開かれたものにしました。大乗の諸経典には、政治上の権力者である「王」のあるべき姿も説かれ、仏教の理念である「法」の立場から政治にも発言するようになります。それだけ弾圧も厳しいものがありましたが、その弾圧をはねのけて社会に挑戦しようとするエネルギーが上座部(小乗)と大衆部(大乗)との明確な違いとなって現れました。

 そして、ここに改めて、四姓平等、女性の地位向上が成されることになり、特に女性が先に仏教に帰依し、それを受けて夫が帰依するという流れが出てきます。
 これは、いつの時代も、女性が先に可能性に収束する、ということの現われだと思います。

○大乗仏教から密教へ

 原始仏教から部派仏教、そして大乗仏教へと形を変えていったインド仏教でしたが、ヒンドゥー教が国教化され、弾圧が強まるに従って、一部の僧侶達は、徐々にヒンドゥー的な要素(祭式や呪句等)を取り入れてゆき、密教と呼ばれる新たな形態を生み出しました。しかし、密教化する過程で、次第にヒンドゥー教との区別が曖昧になっていき、僧侶はバラモン的存在になり、一子相伝が当たり前になっていきました。その過程で出家修行者が特定の大寺院に集中する傾向も見られ、その結果、ともすれば出家修行者と民衆の信仰が乖離しがちでありました。

○イスラム進攻→インド仏教衰滅

 そのような中で、8世紀初頭から、イスラム勢力が西北インドに進攻してきます。そして、1203年、イスラム教徒の襲撃により、東インド・ベンガル地方のヴィクラマシラー寺院が破壊されました。この時期には、その他多くの大寺院も破壊され、同時に多くの仏教僧が殺されました。そして、辛うじて生き残った者たちはチベットやその他の周辺地域に逃れていきました。一般にはこの一連の大寺院の破壊を以って、インド仏教の滅亡と見做しています。

 しかし、なぜヒンドゥー教は姿を消さずに、仏教だけが姿を消したのでしょうか?ヒンドゥーの寺院も破壊されたはずです。
 
 この疑問を解くに当たって重要なのが、上記のイスラム教徒によって破壊された仏教寺院は主に、小乗あるいは密教がほとんどだったことです。大乗の寺院の破壊はほとんどありませんでした。その理由は、大乗派のほとんどは、農村に住む人々であり、村全体で仏教を信仰されていたためです。
 では、なぜそれが破壊に繋がらなかったのかを以下、見ていきたいと思います。

 農村の仏教(大乗)信仰は比較的柔軟性の高いもので、それが仏教の良いところでもあり、弱点でもあったのです。

 その仏教には、特に固定的な実現基盤というものはなく、その時代時代に合わせて、その現実を見据えながら、可能性のある方へと、変化していく特性がありました。

 それは、言い換えれば、仏教独自の普遍主義・平等主義ともいえるもので、カースト制に基づいたヒンドゥー教とは全く違っています(ヒンドゥー教も、他の宗教を取り入れるといった柔軟性はありますが)。しかしそれゆえに、その平等主義がアダとなって、そこに、私権時代に適応し、しかも共同体的体制を残し、宗教教団内での平等を打ち出しているイスラムの容易な進入を許してしまったのです。

 インド社会においては、バラモン教の誕生以降、宗教による身分固定(カースト)により、宗教は生活の一部となり、切っても切れない存在となっていました。そこで、仏教は長らく反カーストの装置、あるいは抗ヒンドゥーの装置としての社会的な役割を果たしていましたが、その社会装置としての役割が、インド進出を頻繁に繰り返すイスラムに取って代わられてしまったのです。

 また、ここにはもうひとつの原因も重なっていました。それは、イスラムの進出とヒンドゥー教の再興隆が時期を一にしていたということです。これが8世紀から11世紀のことです。

 元々イスラムは、土着宗教には寛容なところがあり、いずれはなびくという過剰な自信を持っていました。しかし、抵抗する勢力には決定的な蹂躙を辞さないものも持っており、これが世間にしばしば「剣か、コーランか」と言われるものです。

 イスラムがインド社会に怒涛のごとく進攻していったとき、そこに立ちはだかったのは仏教徒ではなく、ヒンドゥー教徒だったのです。仏教徒はイスラムとヒンドゥーのパワー・バランスの中で、イスラムに着いた方が有利な状況にさえ立たされたといって良く、記録によれば、多くの仏教徒はスムーズにイスラム教徒に鞍替えをしているという事実も少なくなく、特に大乗仏教はそのような柔軟性に富んでいました。こうして、イスラムは仏教徒を味方につけつつ、ヒンドゥーに対峙していったのです。
 
 しかし、新興勢力としての密教徒だけはこれらに抵抗し、密教の根本道場だったヴィクラマシラー寺が破壊されたのは、その一例です。

 そして、密教がチベット等に去り、やがてヒンドゥー教の抵抗も落ち着いてくると、イスラム側もヒンドゥー側と抗争することもなくなり、インド国内において共存することとなりました。

 こうして仏教はインドにおいては廃れていき、故郷のインドを離れて、その類い稀な柔軟性(普遍主義・平等主義)から、西域や中国や東南アジア、そして日本へとその土地の土着宗教と習合しながら、現代まで残っていくこととなるのです。


 以上、インド仏教の発展から、衰退までを見てきましたが、仏教はそのはじまりから、特にこれといった実現基盤を持たずに発展してきました。そのため、貧困にあふれた、私権の拡大期に、私権を否定すれば、社会から遊離するしかなく、釈迦の戒律等を重視した小乗派や密教においては、中村元氏が指摘するように、民衆との乖離が増していき、釈迦の柔軟性を重視した大乗派においては、逆に、より強大な(私権的な)ものに飲み込まれるといった傾向が見られました。

 やはり、実現基盤・実現イメージの有無が、社会を変えていくには最も重要なファクターであり、今現在は、私権の圧力(序列原理)が衰弱する一方であり、逆に、共認原理という実現基盤ができつつあることが、最大の可能性なのです。
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/08/001107.html


ヒンズー教からインドの謎にせまる
 
今回はインドの歴史や文化・因習等に深く結びついて存在しているヒンズー教について紹介していきたいと思います。
 
ヒンズー教とは言っても、日本人にとっては、あまり馴染みのない宗教ではないでしょうか。インドカレー好きなら「あ〜、インド料理店で飾ってある、派手な神様のやつだね」といった反応でしょうし、旅行好きだと、ワーラーナシー(ベナレス)のガンガーでの沐浴風景を思い浮かべるでことでしょう。
 
実際、ヒンズー教の広がっている地域は、インドとその周辺地域以外では、インドネシアのバリ島くらいであり、後は世界に点在する印橋の街で、インド人が崇拝している程度の民族宗教といってもいいようで、日本において、その信者がほとんどいないことも、イメージしにくい一因になっていることでしょう。
 
それでは、このインド独特の宗教について順に見ていくことにしましょう。
 


●ヒンズー教の概況
 
ヒンズー教はインドの8割が信奉するインドの民族宗教である一方、ヒンズー教徒は、8億人(94年時点)の規模を擁し、キリスト教徒、イスラム教徒に続いて3番目に大きな集団をなしています。
 
ヒンズー教徒とは、神話体系、宗教儀礼、社会制度、文化伝統、生活形態、宗教観念、因襲にいたるまですべてが分かちがたく結びついた文化要素によって緩やかに規定される集団です。
 
ヒンズー教から他宗教への改宗はあっても、他宗教からヒンズー教への改宗はふつう起こらない。ヒンズーになるための特定かつ共通の入門式や洗礼があるわけでもない。ヒンズー教徒になるのではなくヒンズー教徒に生まれる。

 
 
●ヒンズー教の歴史
 
ヒンズー教の歴史について、「ヒンズー教〜インドと言う謎 山下博司著」にまとまっているので引用したい。
 

ヒンズー教の成立をいつに求めるかにはさまざまな説がある。

インダス文明からという説もあれば、アーリア人のヴェーダーが編集された時期に源流を求める向きもある。ヒンズー教の成立を最も遅く定義したのが、仏教、ジャイナ教が興って以降、つまり紀元前5世紀以降の発展を一番有力とする説が多い。

ヒンズー教は仏教など新しい宗教の隆盛を契機に旧来のバラモン教の衰えに対して発生しており、宗教全体が再編の動きの中で成立している。ヒンズー教の形成と共にバラモン教で主役の座にあった神々の勢力も大きく後退する。ヒンズー教の誕生とはこのようにインドの宗教史の中で位置づける事ができる。
 
ヒンズー教は一人の開祖によって統一的な教義・体系をともなって形成された宗教ではない。ヴェーダー的・バラモン的な価値観や社会制度の枠組みの中で、民間信仰に発する要素や非アーリア的なものを含むさまざまなレベルの神観念、儀礼、習俗、論理、社会制度、生活様式などが一定の纏まりを保ちつつ、ながい時代を経ながら、再編されて出来上がった「宗教文化的複合体」ということができる。
 
ヒンズー教は、ある種の折衷主義を特徴としている。時には互いに矛盾するような考えかたも実践も併用しつつ、統一を保っていられるのは、ヒンズー教の折衷主義的な性格によることが大きい。
 
ヒンズー教的な傾向・運動は紀元前に始まり、グプタ朝が栄えた4〜5世紀以降、仏教、ジャイナ教とともに次第に決定的なものとなっていく。この時にヒンズー教の2大抒事詩「マーハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」が完成し、後の人々の価値体系や生活様式を定めた「マヌ法典」も出揃う。
 
7〜8世紀にヴェーダー時代に目立たない存在だったシヴァやヴィシェヌが最高神の地位に上りつめ、それらの神々に帰依を捧げる信仰態度が支配的になったことでひとつの達成を見る。帰依信仰は南インドでまずは盛んになり、16世紀頃までにインド全域に拡大していく。同時に新たらしい様式の寺院の広がりを見せ、8世紀に建築様式の革新が成された。
 
それまでは岩を掘り起こして作った様式にかわり、石積み式の寺院が登場し、どこにでも寺院が建てられるようになった。寺院建築が盛んになると、巡礼という宗教行為も盛んになっていく。
 

山下氏は紀元前5世紀以降をヒンズーの歴史とみているようだが、その源流・根底には、インダス文明を築いたドラビダの影響を受けているという説もあるので、合わせて紹介しておきたい。  

後世のヒンズー教に大きな地位を占めるシバ神信仰やそれとまつわる生殖器崇拝、沐浴を重視するある種の浄・不浄観などがすでに見て取れる他、カーストとはいえないまでも、そこには明確な職能集団の形成があった。それらはむしろ、のちに教義として確立・展開し、時代や地域によって変わる大伝統とは異なって、常に一貫して民衆のあいだで、生き続けてきた底流の、時代の上での源流をなすものであったかのように見える。

「インド 小西正捷編」    

ヒンズー教から感じられる、どこかしら本源的な匂い、原始宗教的な色彩は、こうしたドラビダとの融合の上にヒンズー教が成り立っているからではないだろうか。   最後に、ヒンズー教がインドに広がり隆盛していったグプタ朝の時期について、少し詳細に紹介しておきたい。
 
バラモンへの土地の施与は、グプタ朝時代からさかんになった。 古代インドでは、「全土地は王のもの」という観念があって、王は行政権、司法権の他、租税徴収権、埋蔵物の所有権、一定地区の未墾地の所有権など多大な権利を持っていた。村落施与によって王がバラモンに譲渡したのは、租税収入(注釈:租税の徴収を取りまとめる権利のことと思われる)が主な内容だった。   それに対して、土地の施与は、王の所有地を移譲したものであり、それは村落施与とは実質的に相違があった。村内に施与地があれば、村落施与では、その土地は除外された。 (注釈:租税がかからないことを説明していると思われる)

バラモンにとって、村落や土地の施与の意味は大きかった。彼らはその土地に定住し、村落の租税分を獲得して、バラモンとしての権威と王朝の威光を背景に村落を支配し、その地域社会に勢力をふるった。バラモンは王のための祭式を施行すると同時に、村落の秩序維持にあたり、ヒンズー教を浸透させたのである。

ヒンズー教はグプタ時代になってからさかんに建立された。寺院にも村落や土地が寄進され、寺院の祭祀を行うバラモンたちが、財産を管理した。バラモンの職務はヴェーダの祭式の施行であったから、寺院のバラモンは低く見られていたが、寺院が巨大な財産を蓄えたのに伴って、かれらの地位も実質的に高くなっていった。

「悠久のインド 山崎 利男著」


こうして時の支配者が、当時土着の宗教であったヒンズー教を上手く利用することで、領土内の秩序の安定を図っていったことが事わかります。
   

 
ヒンズー寺院  
 
●ヒンズー教の特徴
  
ヒンズー教じゃその成立過程からして、多様な要素が絡みあい、つかみ所の無い様にも思えるヒンズー教ではあるが、一定共通する特徴があります。
 
・多くの宗派が聖典「ヴェーダ」を啓示の書と崇めている。
 
・全ての行為が必ず結果を生むというカルマ(業)の法則によって決定される輪廻転生とその輪廻からの開放が救済であるという信仰によって特徴づけられている。
(業と輪廻の説は、アーリア人が外からインドの地に持ち込んだ観念ではないらしい。アーリア人の手になる古いヴェーダ文献にこの考え方はあまり出でてこない。むしろインドに土着の思想であるらしく前数世紀頃より表面化し一般に信ぜられるようになった)
 
・歴史上の開祖を持っていない
 
・信仰の統合的な体系を持っていない
 
・超越的な神を信奉、その神は現象世界を超えていると同時にすべての生類の中に存在していると考えている。神は、寺院の尊像、自然現象、あるいは生きた導師や聖者を通じて建ち現れる。ヒンズー教は多数の神々が崇拝の対象ではある一方、これら神々を唯一の聖なる力の顕現と見ている。
 
・ヒンズー教徒とは、インド人の社会集団、すなわちヴァルナの中に生まれ、浄性と婚姻に関わる規制に従い、シヴァ神やヴィシュヌ神といった多くの神々のうち、一つの神を最高神として信奉する者の事をいう。
 
上記の特長だけを挙げても今ひとつヒンズー教の全体像、統一性に焦点を定めにくいが、もう少しその焦点を絞ると、ほとんど全てのヒンズー教徒が共有しているものは、一つがヒンズー特有の神話・叙事詩群の共有であり、もう一つが、すべてを一元的にとらえるウパニシャッドの思想やヴィシュヌ派に顕著な化身の観念、つまりすべてのものは単一の神、の顕現であり、いかに異質なものも結局は単一・同一のものの異なった側面にすぎないという観念の共有であろう。
 
これらが、ヒンズー教の底辺での統一性を醸し出しているといえるのではなだろうか。そして、この思想性ゆえに、あらゆる異質なものも、観念上、共存可能となり、他を排除することなくあらゆる多面性をその思想性の中に組み込んでいくことになる。(逆に言えば、一見すると何もかもが、まぜこぜの様相を呈すように感じられてしまう)
 
上記の歴史紹介のところで
 
「ヒンズー教は、ある種の折衷主義を特徴としている。時には互いに矛盾するような考えかたも実践も併用しつつ、統一を保っていられるのは、ヒンズー教の折衷主義的な性格によることが大きい。」

と表現していたが、こうした思想性が、ヒンズー教の背後にあるからだともいえるだろう。
 
 
●ヒンズー教における人生の目的
 
ヒンズー教は、宗教ではあるが、一方で文化や生活形態、因習、日常の規範等とも分かちがたく結びつき絡み合って存在している。このようなヒンズー教を信奉する人たちは、ヒンズー教の何を指針としながら生活を送っているのだろうか。
 
ヒンズー教においては、人生の理想の生活として、指針となるべき規範が定められている。
 
ヴェーダ聖典成立時代の後期(紀元前2世紀頃)に人がこの世において追及すべき目的や義務、あるいは価値基準として別々に論じられてきたものが次第にまとめられてプルシャ・アルタ(人生の目的)と称されるようになった。

プルシャ・アルタには、ダルマ(法)、アルタ(実利、財)、カーマ(性愛)の3つがある。

これにモークシャ(解脱)を加え、四大目的とする場合もある。
 
この人生の四大目的は、「四姓制度と四住期の法」に組み込まれている。四姓制度はいわゆるカースト制度のことで、四住期の法が上記を指す。四住期とは、人間の一生を時間的に、学生期、家住期、林住期、遊行期の四期に分けたもの。

 
学生期:師匠を定めて勉学生活を続ける

家住期:結婚し、カーマを楽しみ、アルタを得、祖霊祭を行い、子供を作る。

林住期:子供が大きくなった後、引退し、林に住んで礼拝と祈りの生活に入る。一切の世俗を捨て、宗教生活を送る。

遊行期:一所を定めず、遊行し、宗教的真理をひたすらに追究する。世俗との縁を完全に切る。

 
これらは、人生の理想としての生活を表している。
 
 
●ヒンズー教の神々
 
ヒンズー教はシヴァやヴィシュヌなどを絶対神としているが、実際にはそれらと神話的に関連づけられる神々や村の精霊などに対する信仰も並んで行なわれており、多神教的な様相も強く帯びている。

キリスト教、ユダヤ教などの排他的かつ明瞭に定義された一神教とは異なり、ヒンズー教は無数の神々を化身として許容し、荒ぶる女神たちや名もない神々を、大きな枠組みの中に包摂する。信者たちは最高神の威力、権威を是認し、その関係の中に自らの神を組み入れる事で、ヒンズー教の中に消化、吸収されるのである。
 
ヒンズー教では多くの神々が信仰されているが、最高神としては、ヴィシュヌとシヴァ、ブラフマーが有名です。一般的には、ヴィシュヌを最高神と仰ぐ人はシヴァをその低位の神とみなし、シヴァを最高神と仰ぐ人はその逆となる。いわば、ヒンズー教における宗派のような様相となっている。
 
概してカーストの高いものほど全インド的な偉大な神とのかかわりあいが深く、下位に行くほど地方的、村的なレベルの神や鬼霊の祭りが増える傾向にある。
またヒンズー教には多くの神がいるが、それぞれ機能がことなるため、どの神を信じてもいいし、何人かの神を同時に信じることもできる。
 
 
 
三神一体(ブラフマー、
ヴィシュヌ、シヴァ)
 
   
●まとめ
 
以上ヒンズー教について掘り下げ紹介してきたが、最後にヒンズー教の全体像について、再び山下氏の著書にまとまった文章があるので、紹介によって、全体のまとめにかえさせていただきたい。
 

われわれはこれまでヒンズー教を狭く定義し、同じく南アジアに興ったジャイナ教、スィク教、仏教などと区別して論じてきた。しかし、名目的な宗教的違いこそあれ、人々はかなりの程度生活習慣を共にし、南アジアという地理的領域の中に共存共生している。それはイスラム教徒やキリスト教徒にも当てはまる。

たとえばインドのキリスト教徒の中にもヒンズー教と同じような、浄不浄の観念、「右」の優越、ヒンズー的儀礼要素、カースト意識やカースト内婚が維持されている場合が、まま見られるのである。インド人は、宗教の違いを超えて、多くのものを共有していることは否定できない。インドの人々が、宗教、宗派の違いを超えて分かちもっているものこそ、「インド的なるもの」であり、共通するものの多くはヒンズー教的な諸観念と連合し、通底しているのである。こうした意味においてヒンズー教はその影響が広範かつ汎インド的であり、インド的伝統そのものであるとすら言えるのである。

ヒンズー教的諸要素は、ヒンズー教徒の観念的なレベルでの大伝統、上位文化を構成するだけでなく、いわば生活の一部として人々の意識に上らないレベルで、暮らしの隅々までいきわたっている。ヒンズー教徒は精緻な哲学思想や洗練された文学理論など、高度に発達した「知」の体系としての上位文化がある一方、生活文化とも言えるような、ふだん意識しないレベルでのヒンズー文化もまた存在している。「知」の担い手が一部のインテリや特殊な階層であり、実際大多数のヒンズー教徒は神への崇拝や日常の儀礼を欠かさない、哲学や神学理論とは全く没交渉の中で暮らしている。
 
 
ヒンズー教は、その異文化への受容性の高さが、すべてを飲み込み、ヒンズー化=インド化していくという特質を持つ。
 
またヒンズー教の教義や理論を受け継ぐバラモン層だけでなく、すべての階層の人々にとって、生活や因習と密接に絡まりあったその有り様は、カースト制というインド独特の身分制度を残存させる要因である一方で、いざとなれば広大で多様なインドの諸民族を精神的にも一つにまとめる潜在的な力を持ち続けているようにも見える。
 
また主に農村地域においてカースト制度を基板とした村落共同体的な色彩を色濃く残存させており、人々の心の中にも共同体的な側面を持ち続けているという面もあるだろう。
 
ヒンズー教という深いバックボーンを背景に持ったインド人にとって、西洋の近代思想など、底の浅い思想としか映らなかっただろうし、このことが、イギリスに支配される歴史を持ちながらも、なお、インドがインドとして存在してこれた理由であろう。
 
しかし、インドにも弱点があるとすれば、歴史上、インドの地から出て、その外の地域へと、影響力をほとんど示してこなかった点であろう。
  
仏教の伝播や、交易による東南アジアへのヒンズー教の伝播はあったものの、国家集団として統合されたものではなかっただろう。むしろ、インドの中だけでの王朝の隆盛のみにとどまっていた。そのことは拡大思想がなかったからとも言えるし、多様かつ広大なインドの中の統合だけで手一杯だったとも言えるだろう。
 
こうしたインドが、この21世紀における大転換期を迎え、はたして世界をリードしていくだけの力を発揮していけるのだろうか。
 
11億の民を抱えたインド。現在インドは経済発展に沸き返っているが、民衆の貧困解消の兆しが見えたその時、果たして、インド人の奥底の本源性が可能性として顔をのぞかせるだろうか。

コメント

宗教は、皆が私権をむさぼることによって、本源集団が解体された結果、失われた本源欠乏=本源充足を得るために生まれてきた、と認識しています。その意味で、ヒンズー教がアルタ=私権と、カーマ=本源の両方を人生の目的としていることは、非常に興味深いことだと感じています。私権の獲得も奨励し、本源充足も奨励する、その意図は如何に・・・・
投稿者 カッピカピ : 2010年08月16日 00:28


>ヒンズー教は、その異文化への受容性の高さが、すべてを飲み込み、ヒンズー化=インド化していくという特質を持つ。

その受容性の高さから、

>いかに異質なものも結局は単一・同一のものの異なった側面にすぎないという観念の共有であろう。

といった様に、本源的な側面があるかと思えば、

>四住期の法

の世俗と縁を切るといった、いわば現実否定のような側面も出てきてしまったのかなと思います。

インダス文明あるいはそれ以前に醸成された、思想?のようなものが、ヒンズーの奥底にはあるのではないかと思います。

なんか、日本に似てますね。
投稿者 たかし : 2010年08月17日 21:14


>すべてのものは単一の神、の顕現であり、いかに異質なものも結局は単一・同一のものの異なった側面にすぎないという観念の共有であろう。

インドの強さとはこの考え方に集約されるのかもしれません。

この発想をいろんな事に適応していればおのずとあらゆるものが肯定感をもって受け入れる事ができます。これを宗教の中に取り入れ、もう当然なものとして体幹として肉体化している事がインドの強さだと思います。

世界的な恐慌や混乱が起きる可能性が高くなる次の時代は否定発の欧米的選民思想では秩序は維持できません。インドや日本のような肯定性や受け入れ体質の基盤を持つ国が秩序を維持し、次の世界の中心になる可能性が開かれてくるように思います。
投稿者 tano : 2010年08月17日 21:29


>私権の獲得も奨励し、本源充足も奨励する、その意図は如何に・・・・

アルタ=私権と、カーマ=本源と読み解いたのは、なかなか鋭い質問だと思います。

まず、原始的な形態である精霊信仰を根っこに残した、多神教であることが、西洋の一神教の宗教とありようが異なる、一つの要因ではないでしょうか。地方では男根信仰なども残っており、性に対しては、肯定的な傾向が強いのではと思います。

アルタ=私権、と置き換えられたのは、まだまだ貧困が残るインドではイメージしやすいとは思いますが、実利や物資的利益全般を指すアルタは、そのの代表的経典とされる「カウティリヤのアルタ・シャートラ(実利論)」では、主として国益の追求を目指しており、本来は、必ずしも己の私権性の追求のみを指向してるわけではないようです。特に上位層にとっては、人々を統合する上での規範としての側面も持ち合わせているのではないでしょうか。
投稿者 yuyu : 2010年08月24日 22:32


>インダス文明あるいはそれ以前に醸成された、思想?のようなものが、ヒンズーの奥底にはあるのではないかと思います。
>なんか、日本に似てますね。

確かに、ご指摘のように、日本に似て、潜在思念上捉えられる、「本源的な何か」を感じますね。

先に、カッピカピさんにも返信しましたが、やはり精霊信仰を根っこにもつ、多神教という側面が大きいように感じます。日本人に比べやや観念的な感じもしますが、あらゆるものに神が宿るというといった感覚は、日本人ににてるように感じます。

四住期の法の世俗と縁を切るというのは、貧困が色濃く残るインドでは、現実=逃れられない私権社会からの脱出の方法として、世知辛い世俗と縁を切るしか、平穏を得られる方法はなかったということではないでしょうか。死ぬまで私権に執着せず、最終的には、私権追求から離脱し、隠遁生活を指向するあたりは、日本人に通じる感覚なのかも知れませんね。
投稿者 yuyu : 2010年08月24日 22:58


>この発想をいろんな事に適応していればおのずとあらゆるものが肯定感をもって受け入れる事ができます。これを宗教の中に取り入れ、もう当然なものとして体幹として肉体化している事がインドの強さだと思います。

肯定感を伴った受け入れ体質がインドの強みというのは、私も同感です。

インドの潜在的な生産能力を現すのに、かつてよく、「部品のねじから人工衛星まで、インドでつくれないものはない」といっていたように思いますが、現在はこれにITが加わり、技術的な受け入れとその応用力の高さは、実証済みです。

技術的な面はもとより、秩序の維持と統合という観点でも、日本と同じように、インドの奥底に残存している本源性が顔を出す事可能性は高いのではないでしょうか。
投稿者 yuyu : 2010年08月24日 23:19
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/08/001109.html

コメント [芸能ニュース等2] 嵐・大野智の"大麻3P疑惑"当事者女性 故・AYAさんの自殺真相が明らかに! 姉葉大作
131. 2013年3月03日 23:37:18 : Lmc8wCx4dk
嵐って何????
コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢一郎は20年前から言っていることは同じ。全くブレない、というか日本社会が変わってない事がよくわかる!連続ツイート  かさっこ地蔵
03. 2013年3月03日 23:37:21 : 00QBum6chA
政治は20年間何も変わっていないということは、政治家として20年間何もしてこなかったと言うことでしょう、2009年からの変革のチャンスをもらったが結局与党としての重圧に耐えきれず自ら責任を放棄してしまった。というより日本政治の最大の変革のチャンスを破壊した責任はとてつもなく重い。
コメント [カルト10] 原発とTPPというのはバビロンの最後の抵抗であり日本が盾となり他国をフリーにして英国本部を攻撃させればいいのである。 ポスト米英時代
13. 2013年3月03日 23:37:26 : Y7Ki54w7ww
宮内庁にはソウカCIAの侍従が入り込んでるそうなので、
いろいろチクチクやってるんでしょうね。

てか、ソウカは警察に1割ぐらい入ってるらしいし、
日本国中ウジャウジャ乗っ取っているんでしたね。トホホ。

コメント [政治・選挙・NHK144] 「尖閣、武力衝突なら日本に全責任」 中国報道官 政治協商会議前に会見(日経新聞)  かさっこ地蔵
17. 2013年3月03日 23:38:37 : DYO6vdSoGE
>中国は昨年9月、国連に独自の海図を提出。その中で、東シナ海にある大陸棚は中国領土の自然な延長であり、係争中の尖閣諸島も含まれると主張
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE90O03Z20130125
?
国際法に基づき、尖閣諸島は日本の領土。シナも法を守りなさい。
日本もシナも法治国家であることを忘れてはいけません。
コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢氏、原点「どぶ板」回帰? 今月から地元行脚 (河北新報)  赤かぶ
03. 2013年3月03日 23:39:12 : yWJRFD9wyQ
小沢さんがんぱってください。
ただ気になるのは地方組織への動きがまだないことです。
私などは「声がかかればいつでも」という気持ちですが。


コメント [原発・フッ素30] 避難地区ではない福島駅周辺で毎時40マイクロシーベルト (とある原発の溶融貫通(メルトスルー))  赤かぶ
22. 2013年3月03日 23:40:06 : TUc623t79o
20は、例え話だろ。そんなにやっかむなよ
コメント [政治・選挙・NHK144] 北方領土「面積等分」の解決策 プーチン氏の“伝家の宝刀”(ZAKZAK)  かさっこ地蔵
03. 2013年3月03日 23:40:54 : A0odizEwa2
【酒井充の××話】
森元首相の訪露同行取材で考えたこと
2013.3.3 18:00

 ちょうど2年ぶりのモスクワ訪問となる往路の飛行機から見下ろしたシベリアの大地は、相変わらず雪に覆われたタイガ(針葉樹林)と特有の大きく湾曲した河川のみが広がり、人家など見つけようもない風景が延々と続いていた。

 ロシア全体の面積に占める北方領土の割合は0・03%、人口に至っては0・01%に過ぎない。もちろん北方領土がロシアのものとは認めないという前提であえて計算すると、そうなる。旧ソ連が侵略でかすめとった北方領土は、ロシアにとっては「第二次世界大戦勝利の成果」であり、たやすく手放せないということは百も承知だ。だが、「そんなちっぽけな島になぜロシアはこだわるのだろうか」という素朴な疑問がぬぐえないまま、モスクワに降り立った。

 今回の訪露は、2月20〜23日の日程でロシアを訪問した森喜朗元首相の同行取材のためだった。安倍晋三首相の特使として親書を携えた森氏は21日にクレムリン(大統領府)でプーチン大統領と会談した。4月末にも実現するであろう首相訪露に向けた地ならしが目的で、会談では北方領土問題の「双方受け入れ可能な解決策」に向け首脳間の活発な対話を行うことなどで一致した。

 会談の中身はすでに産経新聞紙上であらかた報じたので重複を避けるが、久しく停滞する領土問題進展の糸口をつかんだといえ、一定の成果を挙げたと思う。

 森氏は座談の名手として知られる。政財界に限らずスポーツ界、各国要人にも豊富な人脈を築き、話題のネタに事欠かない。ときに脱線し、物議を醸すこともあるが、そこが森氏の魅力でもある。

 そんな森氏だが、今回の訪露では、どこか奥歯に物が挟まったような言動が目立った。

 「これでいいか?」「これは言っちゃあいかんのか?」

 森氏はプーチン氏との会談後の記者会見やモスクワ国際関係大学での講演で、同行した外務省の上月豊久欧州局長らに常に「お伺い」を立てていた。首相特使としての訪問である以上、機微に触れる話題、特に領土問題で「四島返還」を主張する日本政府の立場から逸脱するわけにいかない。「首相に迷惑をかけてはいけない」との心遣いだったのだろう。

 森氏はロシア側が求める日露両国による北方領土の共同管理や開発に意欲的とされ、プーチン氏との会談でも話題に取り上げる意向だとの情報を事前につかんでいた。当面の四島返還が困難である以上、妥協策として日露両国が北方領土の主権の問題を棚上げし、北方四島での経済や開発協力を進めていくという話だ。

 共同管理・開発は現実的な妥協策との評価がある一方、なし崩し的な対応は北方四島の全面返還を遠のかせる危険性もある。森氏だけでなく、日本政府もかつて前原誠司元外相らが模索したことがある。

 そのことを会談後の記者会見で質問したが、森氏は「そんな話はまったく話をする必要はないですよ。あまり憶測で書かないでくださいね」と答えた。

 正直、会談での本当のやりとりは分からない。だが、森氏の意欲は会談翌日の大学での講演と質疑でにじみでていた。

 領土問題の具体的な解決策を尋ねられた森氏は「政治はお互いに譲り合うことが大事だ。国境なんてだんだん低くなってくる。だから、あまりこだわることはない」と語っていた。もっとも、この回答の直前に同時通訳者に向かって「いいですか、あなた、通訳している人!」と指をさし、発言が正確に訳されるかどうかを気にしている様子だったが。

 帰国後のテレビ出演では、北方四島の返還のあり方に関し「半々にしろとかいろいろ意見はあるが、もう少し双方が満足でき得る使い方(を検討すべき)だ」と語った(3日放映のTBS時事放談)。「憶測だ」とのお叱りを受けそうだが、「使い方」とは、日露両国が共同管理も含めて「北方領土の使い方」を議論すると解釈するのが一般的だ。

 同じ番組で、プーチン氏が日本に協力を求めている極東開発については「素直に(手を貸して)やらなきゃ。島をどうしよう、平和条約がどうだといって手をこまねいていたら中国と韓国ばかり向こうに行く」とも述べた。日露関係を強化するためには、北方領土問題を棚上げしてでも極東開発への協力を加速すべきだということではないだろうか。

 ここで思い出すのは、平成20年6〜7月にビザなし交流訪問団の一員として国後、択捉両島を訪れたときのことだ。

 両島では舗装道路すら見あたらず、見るからに北方の僻地(へきち)だった。人の手が入っていない山野も歩き、雄大な自然には感動したが、初夏でもコートが手放せず、「この地に経済的な魅力はないだろうな」とも思った。

 だが、在住の一般のロシア人は胸を張って「ここはロシアのものだ」と主張し、役人は笑みを浮かべて「日本も島の開発にドンドン投資して協力すればいいのに」と挑発的な誘いをかけてきた。北方領土返還への思いは全く伝わってこず、返還の難しさを肌で感じた。同時に、一緒に訪問した元島民の人たちの落胆した姿をみるにつけ、「日本人としてこの屈辱を忘れまい」と心に誓った。

 いずれにせよ、外交を行うのは安倍首相であり、安倍内閣である。首相は2月28日の施政方針演説で、こう語った。

 「ロシアとの関係は、最も可能性に富んだ二国間関係の一つであります。本年に予定されているロシア訪問を、日露関係の発展に新たな弾みを与えるものとしたいと考えています。アジア・太平洋地域のパートナーとしてふさわしい関係を構築すべく、日露関係全体の発展を図りながら、最大の懸案である北方領土問題を解決して平和条約を締結すべく、腰を据えて取り組みます」

 最近の施政方針演説で「最も可能性に富んだ二国間関係」との表現でロシアとの関係強化を訴えた首相は記憶にない。並々ならぬ意欲の表れだろう。

 首相は18〜19年の第1次政権のときも、大統領だったプーチン氏と3回首脳会談を行っている。いずれも主要国首脳会議(サミット)やアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に際しての会談で、相互の公式訪問はなかった。ロシア外交で目立った成果もなかったといっていい。

 前回の任期中に最後の会談となったのは辞任4日前だった。実はこのときも首相は「(日露関係を)新たな次元に引き上げるためには、平和条約の締結が不可欠だ」と訴え、プーチン氏は「双方が受け入れ可能な解決策を見いだすことに関心がある」と応じていた。両首脳は、平和条約締結交渉加速に向け、事務当局に指示することでも一致していた。現在の状況とあまり変わっていないのだ。

 あれから5年半。日本の首相として10年ぶりの公式訪露となる安倍首相は、今度こそ真価が問われる。日米首脳会談のような鮮やかな交渉を期待したいが、「北方領土は日本のもの」という原点だけは忘れないでほしい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130303/plc13030318000007-n1.htm

コメント [政治・選挙・NHK144] 小沢代表の憲法の博識。その思いは小手先のものではない。 (かっちの言い分)  笑坊
24. 2013年3月03日 23:41:46 : c3MGH08xSU
小沢が博識か薄識かは知らんが、いとも容易く母屋を奪われるとは、博識とは思われん。
 大久保さんが不当逮捕された時点で、鬼奴等の謀略を悟り、対処しなければならなったのではないか。弁護団にヤメ検を起用するようでは、博識とは思えないよ。
 然も、鳩山のボンボンも説得できないようでは、間抜けとしか思えないよ。
 ましてや、空き官、野豚ら前腹一味らのクーデターを阻止でできないようでは、博識とはいえない。何年政治家をして来たのだ!空き缶らの目論見を見抜けないようではね。(涙)この投稿は「小沢褒め殺し」にシフト変えかな?
コメント [近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
09. 中川隆 2013年3月03日 23:43:50 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

インド人とは何か? _ ヨーロッパのY遺伝子分布
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/680.html

コメント [原発・フッ素30] 東電の強制捜査を求め、被災者ら東京地検囲む(OurPlanetTV) gataro
02. 2013年3月03日 23:44:47 : 7oSKGju5kA
ちょと違う、ちょと違う。
加害者は現場の後始末で被害者を量産中。
犯罪は現在も進行中。
コメント [原発・フッ素30] 「オイラの七回目の一時帰宅は来月でし。でもオイラ一時帰宅したからって何するわけでもないんだ:ハッピー氏」 (晴耕雨読)  赤かぶ
49. 恵也 2013年3月03日 23:46:09 : cdRlA.6W79UEw : kAbBzIwYb2
>>41 韓国もハングルだけど、謝罪を撤回した事が書かれている。

ハングル語が読めない人間に、そんなものを出しても猫に小判。
相手の役にも立たないものを見せる理由ってなんだろう。
「俺はこんなことも知ってるんだぞ!」
「この印籠が見えないのか、下がれ!」

とでも言いたそうな感じだけど、どっちにしても他力本願。
自分の中に説得力がないのを自覚してる虎の衣を借る狐に過ぎん。

コメント [自然災害18] 有感地震連発「富士山大噴火」秒読みで 専門家が注目する“低周波異常” (リアルライブ)  赤かぶ
04. 2013年3月03日 23:50:44 : AHMCaiHB5l
箱根山の山体膨張のソースある?
コメント [政治・選挙・NHK144] 石原慎太郎氏、緊急入院していた 風邪こじらせ…(ZAKZAK)  かさっこ地蔵
31. 2013年3月03日 23:55:29 : ruh0fVo3UU


今もしものことがあっても

可哀想にと言って涙を流す人が何人いるか

あーよかったざまあ見ろと言って喜ぶ人が何人いるか

私は後者だ。




コメント [政治・選挙・NHK144] 安倍首相に対する「不快感」を世界に晒したオバマ大統領:安倍自民党政権の誕生により民主党政権より悪化した日米関係 あっしら
34. 2013年3月03日 23:57:25 : cCz4ye6Qk7
実力も無いのにアメリカの威をかりて中国にでかい態度を取る安倍に怒っているのではないか。
戦争でもやりかねないように国内を煽っているからこれを冷ます意味もある。
中国にはアナタのほうが大切ですよというメッセージを送っている。

アメリカが中国との戦争を望んでいるわけなんかあるめえ。勝手にしろアメリカは知らないよというメッセージ。
アメリカは金儲けに忙しいそのパートナーは中国であり経済戦争では日本は敵。これが本音だろう。

コメント [カルト10] バビロンがTPPをごり押しすれば我々も捕囚以前の記憶を取り戻し連中はバビロンシステム全てを失う事になるのである。 ポスト米英時代
10. 2013年3月03日 23:58:50 : HnW5pVQCyU
ポスト先生 即答有難うございます。

私って結構真面目なんですね。
今バビロンを勉強しているけどネブカドネザルとアフマドネザルがこんがらがって
中途半端なEU本部ビルを建てたのはドラキュラ家の末裔(バビロン人)だったのかしら?なんてね。
バビロンの幻影が夢にでそうでアホである。

コメント [政治・選挙・NHK144] 生活の党 - ニコニコチャンネル:開設 20130302  (天命に遊ぶ) メジナ
11. 貝瓜525 2013年3月03日 23:59:05 : FXM5y/uL06zjc : 7ZQRBH0wJ2
小沢さん、デフレ戦犯日銀の罪をわかってないな。

小泉改革で格差が増えたのは、量的緩和でデフレ対策を資する一方、デフレのもとで緊縮財政をしたから。

右肩上がりの時代でないという前提だが、それも間違い。デフレのせいなんだよ、右肩上がりでないのは。資本主義は右肩上がりでないと死ぬんだ。泳がないと死ぬマグロみたいに。日本はこれからも成長できる。

小沢さんは、元日銀の鈴木とか円高論者の榊原に影響されすぎてる。

大まかに行って、安部政権のマクロ経済策は正しい。これで日本は救われるだろう。小沢ファンの俺にとっては悲しいが。

小沢さん、あなたはデフレをわかってない。デフレ戦犯日銀系のエコノミストに毒されすぎ。これじゃだめだ

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