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2013年12月31日00時02分 〜
記事 [政治・選挙・NHK158] 「親韓派」の安倍首相夫人、1年前に靖国参拝していた!韓国に衝撃―韓国メディア(livedoor)夫のタカ派色を薄める役割
                 夫唱婦随のタカ派カップル


「親韓派」の安倍首相夫人、1年前に靖国参拝していた!韓国に衝撃―韓国メディア(livedoor) 安倍夫人は夫のタカ派色を薄める役割を忠実に演じているだけ
http://financegreenwatch.org/jp/?p=39708
12月 30th, 2013 


2013年12月29日、日本の安倍晋三首相の妻・昭恵夫人は、1年前に靖国神社に参拝していたことを明かした。30日付で韓国・朝鮮日報(中国語版)が伝えた。

昭恵夫人は首相の原発政策に反対するなど、「家庭内野党」を自任してきた人物。夫人は日ごろから韓流ドラマを見たり、日韓交流イベントに参加したりするなど、「親韓派」としても知られる。このため、夫人の靖国神社への参拝は意外だった。

日本メディアの取材に応じた夫人は、安倍首相の靖国神社参拝について「国のために命をささげた英霊に感謝し、平和を誓うために参拝したと理解している」と述べた上で、「私も去年(12月)、夫が首相に就任した後に参拝した」と明かした。

これはつまり、安倍首相の「靖国参拝は国家のために命をささげた英霊たちへの尊敬の念を表するものだ」という考えに同意するということになる。これについて一部では、これまで昭恵夫人が韓国に関心や誠意を示してきたことは、政治的な目的によるものだったとの見方も出ている。

安倍首相が推進している集団的自衛権の行使をめぐる問題については、「私は以前、夫に冗談で『本当に戦争を起こすのなら、まず私を殺して』と言ったことがある」とし、「今は抑止力が働いているから戦争は起こらない。まして、一人の力で戦争を起こせるはずはない」と付け加えた。(翻訳・編集/北田)

http://news.livedoor.com/article/detail/8393541/



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/704.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 「金正恩、朴槿恵、安倍晋三の3人が砂場で遊んでる姿を見れば、幼稚園の先生ぐらいな気持ちにはなるわな」 小田嶋隆氏 
「金正恩、朴槿恵、安倍晋三の3人が砂場で遊んでる姿を見れば、幼稚園の先生ぐらいな気持ちにはなるわな」
http://sun.ap.teacup.com/souun/12997.html
2013/12/31 晴耕雨読


小田嶋隆氏のツイートより。https://twitter.com/tako_ashi

「人権とは、分けて与えることです」by曽野綾子(「人間にとって成熟とは何か」p86より) 

って、これ、一見奥ゆかしい言葉に聞こえるけど、この設定だと、人権は与える側の恣意に委ねられることになる。

「ほらあ、百姓ども、今月分の人権だぁ、ありがたく頂戴しろ」  だぞ。

安倍ちゃんは、(`・ω・´)キリッ がしたいだけという気がしてきた。

「北方領土の日と重なるのでソチ五輪開会式には出席しません。(`・ω・´)キリッ」  って、自分の側から交渉の窓を閉ざすだけだよね。

「スパイクが汚れているので練習には出ません。(`・ω・´)キリッ」  とか言ってる野球部の一年生とどこが違うんだ?

アメリカの東アジア担当者(←色々いるけど)が、生活指導主任みたいなふるまい方をすることに前々からイヤな感じを抱いていたわけなんだけど、金正恩、朴槿恵、安倍晋三の3人が砂場で遊んでる姿(←各人各様に孤立してるw)を見れば、幼稚園の先生ぐらいな気持ちにはなるわな。

もしかして、オレらをおじいちゃんからもらったおもちゃだと思ってないか?

「おまえには失望した」って、グローバリズム的には、部屋中をケチャップだらけにした幼稚園児に対して言う言葉らしいですね。

曽野綾子さんは天賦人権論の「天賦」を「添付」ぐらいにしか思ってない……っていうか、もしかして、「テンポラリー」のtempで、テンポラリーファイル扱いかもしれない。

そもそも人権と人件費の区別がついてないんだろうし。

トップが二代目だったり三代目だったりする極東アジアの国々は、アメリカの交渉担当者の目から見ると個人商店か零細企業ぐらいにしか見えない……って書いてて思い出したけど、アメリカの皆さんも、ついこの間まで二代目トップの幼児性に手を焼いていたのでしたね。

他人に謙虚さを求めることほど謙虚さと遠い態度は無いわけで、曽野綾子さんが、他者に「分際をわきまえること」を要求している姿を拝見するにつけ、実にもって分際をわきまえない態度だという感慨を禁じ得ないのですね。

フェイスブックに「そこにシビれる!あこがれるゥ!」ボタンがあったら、安倍ちゃんは宣戦布告してるだろうな。

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三代目


http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/707.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 明日に向けて(776)安倍首相の靖国参拝強行を批判する 
明日に向けて(776)安倍首相の靖国参拝強行を批判する
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6d978d00f11d19df86ffd24e9cf5fb18
2013年12月30日 23時00分00秒 明日に向けて


守田です。(20131230 23:00)

年末の諸事に奔走していて、明日に向けての更新が滞ってしまいました。申し訳ありません。
小泉原発ゼロ宣言の背景にある自民党政治の変容を論じていましたが、ある意味ではそれを象徴するような安倍首相の靖国参拝の強行と、中国、韓国政府の猛反発、アメリカ政府の不快感、EUやユダヤ人団体の批判などが行われました。

もちろん僕も安倍首相の靖国参拝強行を許せません。しかしこの問題をめぐっては賛否両論を含めて、かなり論理が錯綜していることを感じています。歴史的経緯を追って考えている論考が少ないのが残念です。

なぜ首相の靖国参拝は認められないのか。論点を整理しておきたいと思います。
まず中国や韓国が非常に強い抗議を行っているのは、靖国神社に、第二次世界大戦後の東京裁判でA級戦犯とされた人々が合祀されているからです。合祀とは、申請のあった人物を靖国神社側が認めて「魂を招き」、それまで祀られていた魂と一緒に祀るということです。

これに対して、中国が激しく批判するのは、中国がA級戦犯を、日本の進路を誤らせて中国侵略戦争を起こし、中国民衆、のみならず日本民衆をも悲惨な戦火の中に巻き込んだと捉えてきたからです。この点は、日本民衆にとって極めて重要なポイントながらほとんど論じられていません。

中国は日本との国交回復のときに、戦争における対日賠償請求を国家としては自己放棄してくれているのです。なぜか。先にも述べたごとく、中国は大多数の日本民衆をも軍国主義者の犠牲者と捉えたからです。中国の賠償請求が、犠牲者である日本民衆の上にのしかかることをよしとしなかったのです。これは当時の中国政府が、世界の民衆の利害は一つであるという「国際主義」の立場をとっていたことに影響されたものです。残念ながら現在の中国政府はこの素晴らしい観点をまったく継承していません。

私たちにとって考えなければならないのは、A級戦犯は、「国のために命を捧げた」のではなく、国の進路をあやまり、多くの人々に命を捧げることを強制した人々であるということです。だから中国がA級戦犯合祀を認めないと宣言したのは、私たち日本の民衆の立場にも合致するものです。こうした人々を祀る場に日本の首相が赴くことが許されてよいはずがないのです。

これに対して「右翼」の人々は、繰り返し、東京裁判は戦勝国の側が行った一方的なものであるから無効だと主張しています。安倍首相も本心はそちらの側にあるのでしょう。アメリカはこれに反発して「失望」を示しているわけですが、しかしだから安倍首相の参拝は国益を損ねたという批判は僕は妥当だとは思えません。

東京裁判は、確かに戦勝国側の裁判です。しかしそこには日本軍のむごい侵略を受けたアジア民衆の怒り、苦しみ、嘆きが強く反映されており、単なる戦勝国の側の一方的な裁きだったのではありません。その点で、A級戦犯らが裁かれたことには社会的正義があるのです。
東京裁判に決定的に欠けていたのは、むしろ戦勝国の側の戦争犯罪への裁きです。アメリカによる日本全土の空襲、原爆投下、沖縄上陸作戦の強行による民間人の大量虐殺が裁かれていないことこそ、東京裁判の欠陥なのです。

しかし日本政府も右翼勢力も、ただの一度もこの点を批判などしてきませんでした。その意味で、東京裁判の不当性を批判してきたなどとはまったく言えないのです。右翼など「愛国」といいながら、日本に住まう人々がこれほど酷く殺された歴史を一度も批判してこなかったことが僕には理解できません。というよりこの人たちの国を「愛する」気持ちに少しも誠意など感じられないのです。この点で、右翼による東京裁判批判はまったく的を得ていないことをおさえる必要があります。

一方で問題にしなければならないのは、靖国神社にA級戦犯が祀られていなければそれで良いのかという点です。この点で、朝日新聞や、毎日新聞は、昭和天皇がA級戦犯合祀に非常に強い不快感を示し、合祀後は一度も参拝をしなかったこと。現天皇も参拝を行っていないことを紹介しています。天皇ですらが参拝などする気になれなかったのがA級戦犯であることを紹介することから、安倍首相の参拝を批判していることになります。

これは正しい批判だとは僕には全く思えまえん。そうではなく、靖国神社という「国家装置」そのものが、日本民衆を戦争や国策に駆り立てるものであったこと、このことが批判されなければならないのです。
そもそも靖国神社は本当に「国のために死んだ人」を祀っているのでしょうか。断じて否。もともと天皇のために、より正確には天皇を担いだ時の政権のために、命を投げ出した人々、ないし投げ出させられた人々を祀っているのでしかないのです。

多くの人々が知らないのは、例えば幕末で、幕府の側についた新撰組をはじめ、戊辰戦争で敗れていった側の藩兵などはすべて除外されている点です。西南の役をおこした西郷隆盛もそうです。
さらに第二次世界大戦を前にして、この国の進路をあやまらせないために、戦争に果敢に反対し、特高警察につかまって監獄の露と消えた人々なども入っていません。政府の戦争政策を積極的にせよ消極的にせよ受け入れ、侵略戦争に駆り出されていった人々のみが祀られているのです。これで「国のため」と言えるでしょうか。

しかも戦場に送られた兵士たちは本当に悲惨でした。もともと日本軍に人権意識が乏しく、暴力的虐待が構造化されているとともに、戦場における作戦指揮が極めて雑で、軍事的に意味がなく、徒労としか呼べないような多くの作戦が強行されたからです。
これには枚挙のいとまがありませんが、兵士たちは本当に消耗品のように扱われ、米軍に次々と酷く殺されたり、飢餓地獄の中を彷徨ったりしました。その意味で大半が国家政策の犠牲者なのです。

もちろん犠牲者である彼らの多くが、自らの受けた構造的虐待を、アジア民衆の側に向けていったこと、それこそ鬼のようになって、何千万ともいわれる命を奪ったこともけして忘れてはなりません。僕自身は、犠牲者である彼らの大きな罪を、背負っていきいたい、そうすることで犠牲になった人々の魂を安らげたいと思いますが、多くの兵士たちが、アジアの人々にとって自分たちの肉親を虐殺した「下手人」であったことはけして忘れてはならない事実です。

これらの人々を、「国のために殉じた英霊」としてしまってよいのでしょうか。絶対にいけません。それでは、これらの人々に犠牲を強い、さらには鬼へと転化させていった軍部や、戦争遂行者たちの罪がまったく消えてしまいます。
実は安倍首相が本当に求めるのもこの点にあります。自らの祖父である岸信介氏をはじめ、戦前の指導者が日本とアジアの民衆に対して犯した罪を、己のアイデンティティの問題としても永久に消し去りたいのでしょう。そしてそれこそが最も許されないことです。

私たちは、靖国に合祀されている人々を、国のあやまった政策の犠牲者としてとらえ、追悼していくことこそが問われています。英霊と呼ばれてこれらの人は満足でしょうか。けしれそんなことはない。あれほどひどい境遇に自分たちを陥れた社会構造にこそメスを入れてほしいと願っていると僕は思います。

そしてその中に僕は、先にも述べたように、私たちがその人々の罪を背負うことが含まれていると思います。罪を私たちが償うことで、罪を犯したまま亡くなった人々の魂を救いたいし、ぜひ多くの人々にそうした優しさを持って欲しいと思います。もちろんその優しさは、殺されたアジアの民衆の怨嗟を、片時も忘れるものであってはなりません。

その意味で、靖国神社は廃止されなければなりません。これにかえて、国家的な「追悼と反省」の場を作り出すべきです。そこに私たちはこう書きこむべきです。「安らかにお眠りください。二度と過ちは起こしません。あなたたちの受けた被害に謝罪します。あなたたちの罪を私たちが償います」と。

安倍首相は、本当に戦争の犠牲になった人々のことなど考えていません。アジアの民衆の痛みなど、なにほどのものとも思っていない。それだけではないのです。戦争に駆り出された日本軍兵士たちの苦しみ、悲しみ、その中で犯した罪への痛みもなにもない。兵士たちへの思いやりなどほんのかけらも感じられません。

これらの観点から、アジアと日本の戦争の中で亡くなった人々の魂を踏みにじる安倍首相の靖国参拝強行を僕は心の底から批判します。
「積極的平和主義」などとまたも大嘘をついて平和の心を踏みにじるこの首相をけして許してはなりません。本当の平和のために行動しましょう!



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/708.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 「大戦の過去に誠実に」=靖国参拝で注文−ドイツ  時事通信
 【ベルリン時事】ドイツ政府のザイベルト報道官は30日の記者会見で、安倍晋三首相の靖国神社参拝に関連して、各国は第2次大戦の過去に誠実に向き合うべきだとの認識を示した。

 報道官は「日本の内政にはコメントしない」と述べながらも、「各国は20世紀の恐ろしい戦争で果たした役割に応じて誠実に行動しなければならない。それによりかつての敵と未来を築ける」と訴えた。また「これがドイツの心からの信念であり、全ての国に当てはまるだろう」と呼び掛けた。


http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013123100002
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/709.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 「普通なら相手にされないのだが、自民党が総裁にしたから、民族の悲劇になってきた:兵頭正俊氏」 
「普通なら相手にされないのだが、自民党が総裁にしたから、民族の悲劇になってきた:兵頭正俊氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/12991.html
2013/12/31 晴耕雨読


https://twitter.com/hyodo_masatoshi

今年を振り返ると、選挙の判断ミスで、国民が戦争までもってゆかれる、そんな年だった。

政治をバカにしたツケが国民に返ってきたわけだ。

国民に政治をバカにさせ、諦めさせ、棄権させ、あるいは自民党に投票させる。

これがメディアに課せられた仕事である。

それが実を結んだ暗い1年だった。

安倍晋三を一言でいうと、幼稚な狂気である。

普通なら相手にされないのだが、自民党が総裁にしたから、民族の悲劇になってきた。

日本人は政治的民度が低いので、まだ気付いていないが、世界はこの男の危険性を見抜いている。

靖国参拝を批判したのは、米国・中国・韓国・ロシア・EU・台湾などだ。

もしヒットラーやナチスが祭られている墓地があって、そこにメルケルがお祈りにいったら、おバカ日本国民も仰天するだろう。

外国が安倍晋三の靖国参拝を見る目は、これと同じなのだ。

靖国にはA級戦犯が祭られている。

すると戦後世界秩序の否定、敗戦の否定に繋がるわけだ。

これを日本人は平気でやる。

安倍晋三の靖国参拝の世界的な余波が続いている。

米国務省は26日に「失望した」とのサキ報道官声明を発表。

27日に予定していた小野寺防衛相とヘーゲル国防長官の電話協議も延期された。

余計なことをやって国益を損ねる。

安倍はいかにも日本的政治家だ。

「幼稚な狂気」。

これはまだ続くよ。

安倍の靖国参拝に、ニューヨーク・タイムズが、日本が戦後の平和主義から離脱しようとしていると懸念。

また、外交的には米国にとって日本は、中国との緊張を高める「アジアの問題」になろうとしていると指摘。

「世界の問題」(米国)からいわれたらお終いだ。

幼稚な狂人を降ろさなければならない。

ニューヨークタイムスが、安倍晋三は中国との緊張を高める「アジアの問題」と。

これはやくざが、チンピラの高校生を捕まえて、「てめえら、かたぎの衆に迷惑をかけずに、ちゃんと勉強しな」と説教するさまを思い出させる。

どっちもどっちだよ。

てめえを知れ、というのだ。

自民党の石破茂が27日のテレビ朝日番組で、安倍晋三首相の靖国神社参拝に反発する中国や韓国に対し、首脳会談に応じるよう求める。

「日本を代表する安倍首相が『直接話をしたい』と言っており、聞く耳を持たないのはおかしい」と。

相手を殴ったら、もう殴らない、というのが先決。

傲慢だね。

安倍晋三の靖国参拝を受けて、韓国が日本提供の銃弾返却へ。

韓国内では、この銃弾提供が、安倍の「積極的平和主義」に利用されているとの批判が出ていた。

安倍は、支持率回復のためにバカな手を打ったものだ。

幼稚なために人のこころがわからない。

自分中心でやるしか術がないのである。

わたしたちが目指すべきは、戦争ではなく、平和である。

欧州において独仏和解が可能だったように、アジアにおいても日中和解は可能である。

平和こそが歴史ある両国の叡智である。

戦争は破滅しかもたらさない。

わたしたちは子供や孫の未来に責任がある。

戦争は、未来から住むべき祖国さえ奪ってしまう。

日本の野党は、結局、党利党略でしか選挙を考えない。

それもきわめて近視眼的な党利党略だ。

民主党が舛添要一に乗る可能性がある。

つまり脱原発候補は連合との関係で乗れないのだ。

もし舛添に乗れば、特定秘密保護法に反対した努力は全て吹き飛ぶ。

そして益々党勢は衰退する。

指導者間の対話が閉ざされた現在、日中戦争を防ぐには、民間の交流が非常に大事である。

その最大の障害になっているのが、日本のマスメディアである。

これが、とりわけ安倍晋三のような好戦的な首相のときに、「積極的平和主義(戦争主義、と読め)」のもとに国民を洗脳・誘導する。

日中和解を壊す。

日本維新の会の「近畿ブロック維新政治塾」への応募者が、たった105人。

当初見込みは300人。

昨年は全国から3000人を超える応募があった。

もう橋下徹は終わった。

もともと正直な男ではなく、正義感もなかった。

ひたむきを演じたが、化けの皮が剥がれたね。

慎太郎と組んで、すべて終わった。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/710.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 厳しい現実を見ないで自国を甘やかす日本は幼稚すぎる (安倍首相の靖国公式参拝に対する海外からの反応から) 村野瀬玲奈の…


日本国と日本人は、安倍首相の靖国公式参拝についての海外の批判が厳しいことを知らなければなりませんが、日本国内のマスメディアではそれが甘く伝えられている傾向があるのではないでしょうか。そういう目で日本国内の報道を見なければなりません。というか、外国語を少しでも理解する人はこういう機会に積極的に海外の報道を見て、日本と日本人が海外からどのような目で見られているかを知って大いに冷や汗を流すべきです。いくつかツイートの端的な指摘を引かせていただきます。








では、なめぴょん (@namepyon) さんが指摘している豪州紙と日本の共同通信の記事を記録して比べてみましょう。

●The Australian
Shinzo Abe's unhelpful shrine visit
From:The Australian
http://www.theaustralian.com.au/opinion/editorials/shinzo-abes-unhelpful-shrine-visit/story-e6frg71x-1226790856500
December 28, 201312:00AM

JAPANESE Prime Minister Shinzo Abe has been unnecessarily provocative by visiting the Yasukuni war shrine despite being forewarned that doing so would cause grave offence, particularly to China and South Korea, at an extremely dangerous juncture in the deepening East China crisis.
Yet he went ahead, and while he clearly anticipates domestic political advantage in having done so it is hard to see the visit as anything but an own goal for Japan's international relations.
By, in effect, thumbing his nose at Beijing and Seoul, as well as Washington, Mr Abe has made things more difficult for friends and allies like Australia that have gone out on a limb to support him in the confrontation over the disputed Senkaku/Diaoyu islands.
His actions have played into the hands of Chinese leaders trying to use the spectre of revanchist Japanese militarism to justify their regional expansionism.
Japanese officials have argued Mr Abe's visit was no more significant than an American president going to Arlington National Cemetery.
However, the shrine in central Tokyo venerates 2.5 million Japanese war dead, including notorious characters such as wartime leader General Hideki Tojo and other war criminals responsible for the most egregious and inhumane excesses.
They were the men who ran the brutal war in China and Southeast Asia in which millions were killed, with Japanese forces routinely massacring, raping and attacking civilians with chemical and biological weapons.
Mr Abe can hardly be surprised by the ferocity of the reaction, or the way the Yasukuni visit is being used to stir up anti-Japanese sentiment.
Since returning to office, Mr Abe has left no doubt about his strident nationalism and belief that the trials which convicted Japan's wartime leaders were "victor's justice". He is determined to achieve revision of Japan's post-war "peace constitution" so it can rearm itself and counter China's growing regional military power.
He has won support for these moves, even from countries that suffered previously from Japanese militarism. That backing is unlikely to be sustained if Mr Abe is seen to be deliberately provoking aggression. The crisis in East Asia needs cool heads.
More provocation is not the answer. Mr Abe's allies, including Australia, must leave him in no doubt about the need to act more responsibly. His Yasukuni visit was not helpful.

(転載ここまで)

● nikkansports.com
首相靖国参拝は「日本のオウンゴール」
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20131228-1237027.html
2013年12月28日23時19分

 安倍晋三首相の靖国神社参拝に対する海外からの批判や懸念が止まらない。28日には、これまで静観していたアジア太平洋諸国の有力メディアからも“火の手”が上がった。日米と安全保障協力を進めるオーストラリアの有力紙オーストラリアンは同日付の社説で「日本のオウンゴール」との表現で、自ら招いた外交的失点と指摘した。
 同紙は、安倍氏が憲法改正など安保戦略の抜本的見直しを進めていることについて「日本の軍国主義に苦しんだ(フィリピンなどの)国々からも支持を取り付けている」とする一方、他国の反発を招くような行動を続ければ「支持を失いかねない」と苦言を呈した。
 日本の友好国インドネシアの有力紙コンパスも28日付の社説で、中国が東シナ海上空に設定した防空識別圏や沖縄県・尖閣諸島問題で緊張が高まっている中、参拝が行われたことに言及し、「タイミングは適当ではなかったと認めざるを得ない」と論評した。
 米国の不信感も収まらない。米紙ワシントン・ポスト(電子版)は27日、靖国参拝は「安倍氏の国際的立場と日本の安全を弱める挑発的行為」と社説で批判。安倍氏の行動を「危険なナショナリズム」と非難したライバル紙、ニューヨーク・タイムズの社説に続いた。
 韓国と共に激しく反発する中国の英字紙チャイナ・デーリーは28日付で「世界各国が非難で結束」と題した記事を1面トップで掲載。共産党機関紙、人民日報系の環球時報は同日、今後の対日姿勢に関する世論調査を発表、日本に強硬姿勢を維持すべきだと答えた人が75%に上った。
 ラヂオプレス(RP)によると、北朝鮮の海外向けラジオ、平壌放送は28日、安倍首相の参拝について初めて報じ、「無分別な行為」だと非難した。
 中国外交を統括する楊潔■国務委員は28日、安倍氏が「誤り」を認めなければ「歴史の舞台で徹底的な失敗者となるだろう」と非難した。
 国連の潘基文事務総長は27日、報道官を通じ「(第2次大戦という)過去から生じる緊張がいまだに(北東アジア)地域を悩ませていることを非常に遺憾に思う」と憂慮した。(共同)
※■は、竹カンムリに后の一口が虎
 [2013年12月28日23時19分]

(転載ここまで)

"He has won support for these moves, even from countries that suffered previously from Japanese militarism. " と「ザ・オーストラリアン」の記事にあります。しかし、「ザ・オーストラリアン」紙がこの一文によって具体的に何を指しているのかはっきり示していないことに私個人としては大きな不満を持ちます。アジア諸国に対する安倍外交は、安倍自民党が実際に日本で実行中の軍事大国化、国民主権廃止、基本的人権の縮小、第二次大戦をめぐる史実の隠ぺいと歪曲を正直に説明しておらず、きれいな言葉による建前ばかりだからです。アジア諸国が今まで安倍政治、安倍外交について表面的にどういうメッセージを受け取って、それをどのように理解したかわからないからです。安倍自民党政治は言っていることとやっていることが全く一致していないことを忘れてはなりません。この靖国参拝はその典型的な一例です。したがって、「日本の軍国主義からかつて被害を受けた国々からさえもこれらの動きへの支持を得ている」という一文は正確な報道とは言えません。

このような意味のあいまいな一文にすがって自分を慰めるのではなく、外からの厳しい批判に身をさらさないと日本は確実に道を誤ります。いえ、今まさに道を誤りつつあると思います。どこで日本は現在進行中の誤りに気付いて引き返せるかが重要なのです。

だけど、報道機関の幹部が大挙して安倍首相と会食を繰り返しているようではねえ...。


厳しい現実を見ないで自国を甘やかす日本は幼稚すぎる (安倍首相の靖国公式参拝に対する海外からの反応から)村野瀬玲奈の秘書課広報室
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5158.html
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http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/711.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。 「澤藤統一郎の憲法日記」

澤藤統一郎の憲法日記

http://article9.jp/wordpress/


宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。

私は、当ブログで、「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」に「宣戦布告」をします。今日はその第1弾。

念のために申し上げれば、開戦は私の方から仕掛けたものではありません。宇都宮君側から、だまし討ちで開始されました。だから、正確には私の立ち場は「応戦」なのです。しかし、改めて私の覚悟を明確にするための「宣戦布告」です。

昨夜、私は「数の暴力」というべき「強行採決」によって、「人にやさしい東京をつくる会」の運営委員から解任されました。「追い出された」というのが正確なところです。さすがに、「お・も・て・な・し」を期待はしていませんでしたが、まさか「だ・ま・し・う・ち」に遭うとは思ってもいませんでした。もちろん、ここまでにはいろんな経過があります。当然、宇都宮君側にも、それなりの言い分はあろうというもの。詳細は、おいおい当ブログでご説明します。

外野からは、誰にも、つまらぬ「内ゲバ」と見えることでしょう。「相互に相手の弱点を暴露し合って双方とも得るものはない」「それこそ利敵行為ではないか」などというご批判は当然に予想されるところです。私も、そのように思って1年の我慢の期間を、自浄作用が働くことを期待して忍耐強く待ちました。その結果が「だまし討ち解任」です。よほどうるさいと疎まれたのでしょう。私は岐路に立ちました。この仕打ちを甘受して物わかりよく何も言わず黙って身を退くべきか、それとも不合理に声を上げ敢然と闘うべきか。迷いがなかったわけではありませんが、熟慮の末に後者を選択しました。

「宣戦布告」の動機の半分は私憤です。一寸の虫にも五分の魂。私の五分の魂が叫ばずはおられません。その五分のうち三分ほどは、これまでの自分の言動との整合性を貫徹したいとの思いです。私は、「少数者の人権」や「個の尊厳」をこの上なく大切なものと思い、これを圧殺する国家や社会、あるいは企業や集団の多数派と闘うべしと言ってきました。その集団が、政党や民主団体あるいは選挙対策本部であっても原則に変わりはありません。誰かの代理人としてのことではなく、いま、私自身が闘わねばならない立ち場にあることを自覚しています。改めて、たった1人で、組織や社会と闘っている人の気持ちを理解できたように思います。私も、公益のためにホイッスルを吹き鳴らす覚悟です。

五分の魂の残りの二分ほどは、私のプライドの叫びです。感情的に屈辱を受け容れがたいとと言ってもよいし、汚いやり方への怒りと言っても良い。これはこれで、きわめて強固な動機になっています。

「宣戦布告」の動機のもう半分は、私憤とは無縁の公憤です。冷静に客観的に見れば、「惨敗」と「泡沫」の烙印を押された魅力のない候補者、そして無為無策の取り巻き連では、選挙に勝てるはずもない。また、勝敗は別としても、せめてリベラル・民主派陣営の団結や力量を高める選挙であって欲しいと思いますが、前回の教訓からはこれも無理。目前に迫っている都知事選を、「急なことで他の適切な候補者の選定が間に合わないから、やむを得ず再度宇都宮候補で」として、前車の轍を踏み、あの屈辱的な惨敗の愚を繰り返すことのないように願っています。

私を解任した宇都宮君とその取り巻きは、問答無用の数の力を誇示しています。彼らの論理は、明らかに、「多数決が民主々義で正義だ」というもの。その考えこそ、私が忌避し続けてきた体制側の論理なのです。しかし、数で劣る者、力のない者は実力で対抗すべき術をもちません。できることは、言論で対抗すること。多数派の横暴・不当を、広く社会に訴えるしか方法がありません。

幸い、私にはブログというツールがあります。「貧者のツール」でもあり、「弱者のツール」としても機能します。また幸い、この社会には、真摯な見解に耳を傾けてくれる人々もいると信じています。そのような思いで、当ブログを手段として、「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」の非を明らかにして、皆様の公正な判断を仰ぎたいと思います。

私の目的は、宇都宮君は2014年都知事戦候補者としてふさわしくないことを明確にして、立候補を断念してもらうこと。少なくとも、社会に十分な警告を発して、彼を支援するには、それなりのリスクを引き受ける覚悟が必要であることを心得ていただくことです。

私は、昨年の選挙では、宇都宮君の同期の友人弁護士として、彼を積極的に支持し、柄にもなく選対委員にもなって、同君を素晴らしい候補者だと率先して説いてまわったのですから、今回は豹変したことになります。昨年、私の話しに耳を傾けていただいた多くの皆様には、たいへん申し訳ないと謝るしかありません。自分の不明を恥じいるばかりです。それだからこそ、今は、宇都宮君の候補者不適格を敢えて発言しなければならない責任を痛感しています。私は、信頼すべきでないものを信頼し、もっと強く発言すべきときに躊躇してきました。自分の迂闊さと、人を見る目のなさ、判断力の欠如と優柔不断に、いまさらながら臍を噛んでいます。

経過は込みいっており、問題の根は深く、考えねばならない問題点は多々あります。私は、宇都宮君が立候補を断念するまで、順次丁寧に一つ一つ問題点を明らかにして行くつもりです。ぜひ、今日からの私のブログに、ご注目ください。そしてぜひとも、ご理解をお願いします。

「宣戦布告」第1弾の今日、お知らせし、お考えもいただきたい最初の問題は、前回宇都宮陣営選対(上原公子選対本部長・熊谷伸一郎事務局長)がした複数の選挙違反容疑の一端についてです。私は、公職選挙法上のつまらぬ手続規定の形式違反や、弾圧立法としての選挙運動の自由制限規定の違反などを言挙げするつもりは毛頭ありません。市民選挙と銘打った宇都宮選挙が、そのような市民主体の選挙にふさわしいものであったかを問題にしたいのです。民主々義の根幹に関わる選挙のあり方についての問題だけを取りあげます。

いうまでもなく、公職選挙法の定めでは、選挙運動は無償(ボランティア)であることを原則としています。選挙の主体は、主権者国民です。一人ひとりの国民が、自分の支持する候補者を当選させるため、あるいは支持しない候補者を当選させないように、有権者に働きかける行為が選挙運動です。その選挙運動は、原理的に金をもらってやることではありません。また、選挙の公正が金の力でゆがめられてはなりません。金がものを言うこの世の中ですが、選挙運動が金で動かされるようなことがあってはなりません。経済的な力の格差を、投票結果に反映させてはならないのです。

市民選挙においてこそ、そのような健全な民主主義的常識が生かされるのだと思います。そのような思いを一つにする多くの人々が、前回宇都宮選挙にボランティアとして参加しました。私も知っている方々が、あの選対事務所に長時間張り付いて、黙々と証紙張りをしたり、ビラ折りをしたり、宛名書きをしたり、選対事務局員の指示に従って労務を提供しました。また、多くの人が、都内各地でポスティングやビラ配りも分担しました。そのようなボランティア参加者は当然のこととして、交通費自弁、手弁当で無償でした。ところが、これに指示をする側の選対事務局員の多くは有償、交通費支弁、弁当支給でした。これは、健全な市民的常識からおかしいことではありませんか。同じ部屋で、同じ仕事を同一時間して、どうして有償と無償の区別が出て来るのでしょうか。これは健全な市民感覚にてらして合理的なことでしょうか。

極めつけは、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、報酬を受領していたことです。支出の目的は二人とも「労務者報酬」と明記されています。私は、選挙が終わって約半年後の6月17日付で東京都選管から選挙運動報告書の写しをもらって、初めてこのことを知りました。さすがに、これには驚きました。多くの無償(ただ働き)ボランティアを募集し運動をお願いする立ち場の人が、ちゃっかり自分は報酬をもらっているのです。お手盛りと言われても、返す言葉はないでしょう。

「おまえも選対の一員でありながら、どうしてそんな不正を許したのか」という、お叱りはもっともなことと甘受せざるを得ません。こんなことになっているとは夢にも知りませんでした。おそらくは、このことを知っていたのは、選対本部長と事務局長、出納責任者、その他のごく少数者だけだったと思われます。情報も会計も極めて透明性の低い選対の体質でしたから。

私に印象が深いのは、「日の丸・君が代」強制に服従できないとして訴訟を継続中の退職教員の方が大挙して選対事務所に詰めて、黙々と労務の提供をしていたことです。もちろん、交通費自弁、手弁当、無報酬です。それだけではありません。たとえば、Fさんは、定期収入のない身で10万円の選挙カンパをしています。都政の転換を願ってのことです。同じ事務所で、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、隣り合わせで働いていました。Fさんのカンパは、一度選挙会計をくぐって、「労務者」として届けられた上原公子選対本部長の懐にそっくり移転したのです。

市民選挙における選挙カンパとは、選対事務局員への報酬のカンパではないはずと思うのです。少なくとも、選挙カーでマイクを握る選対本部長への報酬のカンパであろうはずはありません。そもそも市民選挙の選挙運動は皆無償、皆同じ資格で運動に参加しているはずではありませんか。

どなたでも、東京都選挙管理委員会で選挙運動費用収支報告書が閲覧できます。都庁第第一本庁舎N39階。担当職員は親切で、嫌がる顔などしません。少し時間がかかりますが、コピーもとれます。ついでに、猪瀬や石原宏高(総選挙東京3区)の報告書も入手できます。ぜひ、選対本部長(上原公子)・出納責任者(服部泉)が「労務者」として報酬の支払いを受けていた旨の報告届出と、添付の領収証をご確認ください。

上原公子選対本部長に限ってお話しを進めます。選対本部長がマイクを握って選挙演説をしていたことは誰でも知っていることですし、たくさんの写真も残っています。明らかに選挙運動者にあたります。けっして「労務者」ではありません。この人に金銭が支払われたのですから、選挙運動無償の原則に反し、公職選挙法上の犯罪に当たります。この報酬を支払った者が買収罪、支払いを受けた者が被買収罪にあたります。報酬を支払った者は、選挙運動収支報告書には直接の記載はありません。その実質において、おそらくは選対事務局長ということになるでしょう。報酬を受けとったのは、上原公子選対本部長と明記されています。

公選法上の買収には、「投票買収」と「運動(者)買収」との2種類があります。「投票買収」は直接に金で票を買うという古典的な形態ですが、いまどきそんな事案はありえません。摘発されているのは、もっぱら「運動買収」の方です。これは、「人に金を渡して選挙運動をさせる」ということ。あるいは、同じことですが、「選挙運動員に金を渡す」ということです。これを許せば、選挙運動無償の原則は崩れて、金のある者が、金にものを言わせて、経済的な格差を選挙結果に反映することができるようになります。

なによりも、市民がカンパした浄財の一部を、金額の大小にかかわらず選挙対策本部長が報酬として受けとるということは、市民選挙に参集したボランティアや、カンパ提供者の感覚から見て批判さるべきことではないでしょうか。

当不当の議論は別として法律上は、車上運動員(ウグイス嬢)・手話通訳者と、ポスター貼り・封筒の宛名書きなど純粋に単純労務を提供する者には、所定の日当を支払っても良いことになっています。この人たちの氏名と日当額とは事前に選管に届出ることになっています。選対本部長も、出納責任者もこのような名目で「労務者」として届け出て、「労務者報酬」を受領したのです。明白な脱法行為です。もし、「労務者」として届けられた人が、単純労務の範囲を超えて、少しの時間でも人に働きかける実質的な選挙運動に携わっていれば、運動買収(日当買収ともいう)罪が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となります。総括主催者が有罪となれば、場合によっては、連座制の適用もあるのです。

適用条文を引用すれば、公選法221条1項1号の「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をした」に当たり、買収罪として最高刑は懲役3年の犯罪です。選挙運動の総括主宰者または出納責任者の実質がある者が行った場合は公選法221条1項1号(運動買収)だけでなく、3項(加重要件)にも該当して、最高刑は懲役4年の犯罪に当たります。多数回の行為があったとされれば、さらに加重されて5年となります(222条1項)。仮に、候補者自身が関与していれば同罪です。

以上のとおり、宇都宮選挙を支えた選対には、選対本部長が「労務者」として届出て貴重なカンパから金をもらうという市民感覚に反した不当な金銭の扱いがあっただけでなく、明らかな公職選挙法違反の犯罪もあるのです。宇都宮君も、自分自身の陣営の違法については、政治的道義的な責任を免れません。しかも、弁護士であり、元弁護士会長ではありませんか。みっともなく、「ボクは知らなかった」「選対本部長か事務局長に聞いてくれ」などという、猪瀬のような弁明は通用しません。

だから、宇都宮君に忠告します。再度の立候補はおやめになることが賢明ですよ。
(2013年12月21日)

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその2

私は、2012年東京都知事選における宇都宮健児候補陣営の選対本部委員になりました。自分なりに当選のための努力は尽くしたつもりでしたが、大差で惨敗したことの衝撃は大きく、シビアな総括が必要だと考えました。下記の文が、昨年末ちょうど1年前(12月22日)時点で作成した私の「私的総括」です。

私と宇都宮選対の「対立」は、私がこの「私的総括」を1月5日付ブログで公表したことに端を発します。この公表が怪しからんというのです。その意味では、この「総括」は、「歴史的文書」であるかも知れません。事情あって、その直後にブログからの掲載を下ろして今日に至ったものです。改めて当時のまま再掲載いたします。

宇都宮選対メンバーの大勢的な見解は、「1月6日に予定されていた総括会議の前の私的総括の公表は選対内部の信頼関係を損なう」というものでした。しかし、私は、市民選挙に参加した者がそれぞれの立ち場で総括をすることは歓迎すべきことであり、ある程度中心にいた者にとっては責務ですらあると考えています。当然のことながら総括は公表しなければ意味がありません。どんな時点でもかまわない、それぞれが「私的総括」を発表し合うことには、積極的な意味があるはずです。多数の人がお互いに情報を交換することによって、事実認識は多面的に豊富になり間違いがあれば訂正されます。意見の交換を通して、それぞれの意見を深めることが期待されます。

また、市民運動の原則からいえば、討論の過程が広く公開され、透明性が徹底されることこそが原則だと思います。、宇都宮選対メンバー(念のため、全ての人ではないことを申し添えます)の言い分は、愚かなものとしか考えられません。

やや長文ですが、以下の「歴史的文書」を、私が「宇都宮君、立候補はおやめなさい」というに至った「対立」の発端として、お読みください。今読み返して、なんと腰の引けた、奥歯にものが挟まったような、具体性を欠いた物言いだろうと思わずにはおられません。今書けばもっと歯切れ良く明確な、別のものになったとは思います。しかしそれでも、私が、「革新の統一」と「革新勢力の伸長」を真摯に願う立ち場から発言をしていることについては、十分にお分かりいただけるものと思います。

わたしが、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」という現在の立ち場も、その点では一貫していることをご理解いただきたいと思います。まさしく、「革新の統一」と「革新勢力の伸長」のために、宇都宮君は再度の立候補はすべきではないのです。
(2013年12月22日)

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      2012年東京都知事選・私的総括  2012/12/22
                                          澤 藤
※はじめに−「革新統一」を目指す立場から
*2012年12月16日東京都知事選と総選挙とのダブル選挙の投開票は、両選挙とも最悪の「惨憺たる大敗」の結果となった。悪夢が現実となった思いを禁じ得ない。
苦い敗北の味を噛みしめて、「この事態を打開するための覚悟が必要だ」と自分に言い聞かせている。

* たまたま、私は候補者の友人であることから、都知事選選対メンバーの一員となった。都知事選の「敗北」には、少なからぬ責任を負うべき立場にある。外部の人よりは事情を知る者として、自分なりの「敗北の総括」をすることが責務だと考えた。「この事態を打開するための覚悟」にもとづいてこの私的総括を綴っている。

* 美濃部都政を支えた「革新統一」や「革新共闘」が解体して久しく、時代の移り変わりのなかで、かつての「統一」の枠組みが成立しえなくなった。しかし、石原都政のあまりの酷さを耐えがたいとする「反石原」統一候補を擁立すべきとする気運は高まってきた。
そのような雰囲気の中で、前々回(2007年)都知事選における「革新」統一候補擁立が不成功に終わったことの無念の印象が深く、統一への期待と相乗効果への期待は大きかった。
同選挙において「革新」勢力が推した候補の獲得票数は以下のとおりである。
    浅野史郎   1,693,323
    吉田万三     629,549
    合計      2,322,872(得票率41.7%)
周知のとおり、浅野史郎の選挙運動は無党派市民の「勝手連選挙」として注目され、独自候補を出さない民主党・社民党の支援、生活者ネットワーク・新社会党などの支持を受けた。吉田万三は「革新都政をつくる会」を確認団体とし日本共産党から推薦を受けた。敗れたとはいえ両候補の合計得票率は40%を超えた。統一した候補者擁立に成功すれば、その相乗効果によって過半数獲得も不可能ではない。「美濃部革新都政の再樹立」もけっして夢ではないと考えられた。個人的には、浅野・吉田の両陣営とも「日の丸・君が代」強制に反対の立場を明確にしたことに注目して、候補が統一されればとの思いは強かった。

* 2007年都知事選の選挙結果に、統一の相乗効果が加われば‥。この期待が今回選挙の、統一候補擁立の実現の原動力であり、選挙運動参加者のエネルギーの源泉であったと思う。
その統一の願いが今回知事選で実現した。反貧困の運動の旗手である宇都宮弁護士が市民の要求に応じて立候補を決意した。そして、市民運動が擁立した候補者を、複数政党が後景で支持するという統一の枠組みができあがった。候補者の選任や政策の策定、運動の進め方について、公式に各政党に意見を聞く機会は設けられず、候補者と各政党との政策協議も協定もなかった。すべては、阿吽の呼吸のもとにことが運んだ。また、政党以外の市民運動体として、各地域・各界に「勝手連」が形成された。その余に、労働組合や市民団体の支援の活動もあった。
この形での共闘の成立は、まさしく2007年に壊れた夢の実現であった。しかし、この期待は実らなかった。「なぜ‥?」と問わねばならない。

* 私は、革新の統一を心から願う立場にある。「統一」にまで至らずとも、革新の「連携」も「連帯」も、「共同行動」も歓迎する。この立場は、今回の都知事選に関わる以前も現在もまったく変わるところはない。しかし、選挙が終わった今、革新の統一とは極めて困難な事業であって、周到な準備が必要であり、智恵と工夫とたいへんな労力と能力とを要するものであることを実感している。
今回の都知事選は、革新の政策をたて、革新統一候補を擁立して、革新都政の樹立を目指した貴重な試みであった。にもかかわらず「惨憺たる敗北」に終わったのは、なぜなのか。私なりに、革新統一の成功を願う立場から、この貴重な試みを通じての見聞と教訓とを記しておきたい。
(なお、ここでの「革新」の定義は厳格である必要はない。今回の場合、改憲阻止・脱原発・反貧困・反石原がメルクマールであったろう)。

※総括の姿勢−運動の教訓を引き出すために
* 敗北の総括が傷の舐め合いであってはならない。次の展望を切りひらく手がかりをつかむためには、厳しい敗因の掘り下げが要求される。相互批判が不可避であり、自分自身を批判の対象外とすることも許されない。責任の一端を担う立場となった私も、自らの不明と無能を告白しなければならない。
また、運動の総括は評論ではない。実践的な教訓を引き出すものでなくては意味が無く、そのための視座・視点が必要である。獲得目標が何であったかを明確にして、目標達成に至らなかった原因を見極めなければならない。
なお、闘い終わっての将が兵の強弱や巧拙を語ることはない。むろん、支持政党が社交辞令以上の本音を語ることもあり得ない。この選挙に関わった者のすべてが、それぞれの立場と体験に基づいて、教訓を探る姿勢での忌憚のないそれぞれの総括をなすべきである。選対内部に身を置いた者にとっては最小限の責務であろう。私もその一端を果たさなくてはならない。

* 私的な総括においては、バランスに考慮して客観的な情勢や条件、主体的な運動のあり方の長所・欠点を羅列することはしない。安易に「不利な情勢と条件」を強調して、これを「敗北」の主要な原因とすることは意識的に避けたい。「厳しい情勢に悪条件が重なった中での選挙だった。だから、よく闘いはしたがこの結果はやむを得ない」「厳しい情勢を考慮すれば、むしろ、評価すべき票を得た」式の、外向け公式見解的総括では何の実践的教訓も引き出すことはできないと考えるからである。
 
※総括の視点−獲得目標は何であったか
* 今回の選挙戦の第一義的獲得目標は選挙に勝つこと、宇都宮候補補の当選を実現して、革新都政を再樹立することであった。これが、最大限獲得目標である。
また、当選には至らずとも、「革新諸勢力の統一した選挙運動の有効性を確認し、しかるべき時期における革新都政実現の第一歩とすること」が現実的な最小限獲得目標であった。
* 獲得目標は二方向にあった。一つは選挙民に働きかけて票を獲得することである。獲得票数ないし得票率が追求の対象となる。もう一つは、革新の共同に向けての運動の前進である。前進とは、選挙戦を通じての革新諸勢力の連帯・連携・共同の基盤を作り固めることである。その両者は相関しているが別のものであり、各獲得目標の達成如何は、前者は目に見える形で結果が現れるが、後者については検証が容易ではない。検証困難ではあっても、選挙戦を通じて革新諸勢力間の信頼感や連帯感を醸成し、今後の諸課題の行動における連携への第一歩を築けたかが問われなければならない。
私的総括においては、このことを中心としたい。このことは、「革新」諸勢力の統一した選挙運動の枠組みの有効性の確認でもあり、有効性を確保する条件の検証でもある。

* 今回の都知事選は極めて貴重な革新統一の試みであった。その試みが結果として「敗北」に終わったその原因が、今回の統一の枠組み自体にあったのか、今回の統一の枠組みの有効性を生かしきることのできない運動のあり方にあったのか、が問われなければならない。二項対立図式の設定が過度に問題を単純化する危険は承知の上で、「正しい枠組みを生かし切れなかった」のか、「十分な運動をしたのにこの枠組みの有効性の限界が露呈したのか」である。
換言すれば、選挙には敗北したが、革新諸勢力が連携して運動する土台を築き得たか、また今後どのようにすれば、その土台の上に共同の館を築くことができるか、という視点からの総括である。

※期待された相乗効果はなかった
* まず、選挙結果においては「大敗」を認めざるを得ない。第一義的な獲得目標達成にはほど遠い票数であるというだけでなく、「候補者統一による相乗効果」が見えていないことが重要である。
* 選挙得票数は、猪瀬4,338,9360、宇都宮968,960であった。選挙当日の有権者総数は10,619,652人、有効投票者数は6,647,744人。有効投票者数に対する得票率は、猪瀬65.3%、宇都宮14.6%である。当選に届かなかったというだけではない。ダブルスコア、トリプルスコアの域を超えて、得票比は4.48倍となった。「惨憺たる大敗」というほかはない。マスコミの一部に「不戦勝」の語が見える。まともな取り組みにすらなっていなかったという厳しい評価である。

マスコミの予測報道は一貫して「猪瀬リード」というものであり、選対の電話掛けでも「A票は10%前後」との報告は得ていた。しかし、「猪瀬リード」がこれほどの大差とは思わなかったし、A票の割合がそのまま得票率(対有権者比)になるとも考えなかった。開票結果の大差は予想を遙かに超えるものであった。

* 現実的な獲得目標に照らして、主要な問題は、得票の絶対数よりは、統一による相乗効果の有無にある。
相乗効果とは統一候補を擁立したことによる革新票全体の底上げの効果である。統一選挙の効果として、各勢力がそれぞれ独自に立候補して獲得するであろう各予想得票の総数を上回る統一候補の得票増をいう。それが、統一選挙戦の成功不成功のメルクマールとなる。選挙戦前はそう考えていた。

今回思いがけなくも総選挙とのダブル投票となって、もう一つの「相乗効果」が浮かびあがった。都知事選候補者についての得票増効果ではなく、革新諸政党の側にとっての得票増効果の有無である。都知事選への革新統一候補擁立によって革新票が底上げされ、革新政党の側に総選挙での得票増の効果が生じたか否か。

*都知事選と同時におこなわれた総選挙比例代表東京区の確定投票数は以下のとおり。
    共産   484,365  7.4%(前回2009年総選挙時9.6%)
    未来   448,689  6.8%
    社民   136,899  2.0%(前回2009年総選挙時4.3%)
    3党合計 1,069,953
宇都宮票968,960は、その合計に及ばない。
しかも、いくつかの出口調査によれば、宇都宮候補への投票者は、共産・社民支持層の3分の2、未来支持層の半分、無党派層の4分の1であったという。各陣営が統一したことによる宇都宮票増の相乗効果は、極めて乏しかったというほかはない。
毎日新聞出口調査が「宇都宮健児氏に投票したのは、‥無党派層の26%にとどまり、広がりを欠いた」と指摘していることの意味は重い。

* 前回(2011年)都知事選における「革新」候補は共産推薦の小池晃一人であり、その得票数は623,913票(10.35%)であった。前回の共産単独の小池得票率10.35%に対して、「未来・社民・緑の党・勝手連」を支持母体に加えた今回の宇都宮得票率14.6%は、4%ほどの上積みでしかない。正確な検証は困難であるが今回知事選の構図からは、小池が今回単独推薦で立候補していた場合、前回得票率を大きく下回ることは考えにくい。
結局は、各党分立した場合の単純合計の票すら確保できなかったのではないか。少なくとも、相乗効果が見えないという意味において「敗北」というほかはない。

*また、共産・社民とも前回(2009年)総選挙票を減らしている。未来の退潮は、東京都内の選挙こおいても顕著であった。定量的な検証は難しいが、政党の側にも都知事選統一候補擁立の相乗効果はなかったといってよい。

※「敗北」の原因・政党の側について
* 今回選挙の枠組みが有効に機能したかについては、枠組みの骨格を形づくる選挙対策活動を担った「市民運動」の側(以下「市民選対」、私もその一員である)と、候補者を支持した「政党」の側のそれぞれの事情を見なければならない。
各政党にとって今回知事選はいかなるものであったか。政党の側は各党とも、統一の原則を堅持する立場で極めて自制的に行動した。そのことは高く評価できるとしても、各党とも「自分の選挙」として積極的に取り組む姿勢には欠けたと言わざるを得ない。
所詮は各党にとって、都知事選は「我が党の選挙」ではなかった。ダブル選挙となって、そのことは際立った。各党に都知事選を「我が党の選挙として闘う」モチベーションを持てなかったその責任は、主として市民選対の側にある。市民選対は、各政党に「我が党の選挙」として取り組んでもらうべく熱意を示すことはなく、そのような戦略ももたなかった。働きかけが弱かったというよりはむしろ、「口は出すな」、「自党の候補者であるという顔をしてもらっては困る」「しかし、労働力と票だけは出していただきたい」という、虫のよい要求を言い続け、結局は政党の持つ力量を生かすことに失敗した。共闘の難しさが露呈した点である。

* 各政党の側に立てば、(市民選対の側にそれなりの配慮はあったものの)、基本的には、押し付けられた候補、押し付けられた政策、割り当てられた実務の分担による選挙において、「口は出すな」、「自党の候補者であるという顔をしてもらっては困る」と言われつつ、「労働力と票だけは出す」ことを要求されていたのである。これで、「我が党の選挙」となるはずはない。

* 各政党は、市民選対に無理な要求をすることなく、統一を擁護するために必要な信義を守る努力を惜しまなかったが、市民選対の側のこれに接する態度において、十分な配慮があったとは言いがたい。各政党や政党支持を表明している諸団体の提言や要望に謙虚に耳を傾けようとする姿勢に乏しく、共闘を構成する各政党、各団体の対等平等性が確保されていることへの信頼確保の努力も見えなかった。
市民選対は、漫然と政党の支持を期待するだけでは足りないことを自覚すべきである。各政党に対して、統一の大義だけを語るのではなく、統一による具体的なメリットをつくりだし具体的なメリットの大きさを示して説得し、各政党が積極的に統一選挙に参加することについての戦略をもたなければならない。
また、共同する仲間としての連帯をつくり出すための連絡や協議を徹底し、情報を共通にして運動の透明性を確保しなければならない。

※「敗北」の原因・勝手連について
* 各地区・各界の勝手連については未だにその実態も活動内容もよく分からない。無数の自主的な勝手連の活動があって到底把握しきれない、からではない。要するに把握する努力がないからである。少なくとも報告はない。選対が、その自発性を尊重しつつも勝手連の諸活動を把握し、自覚的に経験を交流して相互の刺激の上に活動を盛り上げようという戦略も戦術もなかった結果である。

* 目に見える限りでの勝手連の実体は、各地区の無所属議員グループである。都政要求についての市民運動体ではなく、各議員個人の実績作りが第一義となった活動とならざるを得ない。この人たちが街宣カーのウグイス嬢となった地元で、自分の名前を売り込んでいたとの苦情も耳にはいっている。選対は、勝手連を称する無所属議員には街宣車に乗せる機会を与えて、政党の議員にはそのような機会を与えていない。私には、選挙が終わってようやく見えてきた問題点であるが、各地区の政党支持者には当時から意識されていたことであろう。

* 告示直後のポスター貼りは、各地の勝手連が引き受けたと報告されていたが、結局は勝手連を称する無所属議員が、第一次の中継地点となったにすぎない。街宣なども、このような無所属議員を軸として予定が組まれた。中には、地元での各勢力の連携が上手にとれて街宣成功という報告も受けたが、特定の地元議員を中心にしたことによる不満も聞かれた。

* 勝手連は当初爆発的に広がるかと思われた。しかし、告示後のひろがりは見えなかった。
東大にも、早稲田にも、明治にも、学生勝手連は立ち上がらなかった(東大職組の勝手連はあった。早稲田卒の弁護士が数回早稲田でビラ撒きをして、学生の受け取りはよかったという報告はあった)。愛媛大からの学生一人の支援が話題となるほどに、学生の支援運動は乏しかった。労働組合の機関決定を乗り越えた勝手連の活動もなかった。作家や劇団や音楽家やスポ−ツ関係者の勝手連もなかった。アニメ問題の関係者の運動参加はあったはずだが、ひろがりについての報告はなかった。
脱原発運動グループと、日の丸・君が代強制反対の教育関係者の動きが目立ったが、反貧困・反格差の運動体も、クレ・サラ問題の運動体も、消費者団体も、中小業者も、オリンピック反対運動も、築地移転反対運動も、いずれも選対への結集はなかった。
市民運動がつくる選対の最大メリットであるはずの、市民運動諸組織の都政革新に向けた糾合という図式を描くことはできなかった。

※「敗北」の原因・労働組合等について
* 労働組合は、組織性をもって活動するグループとして、その行動力と集票力には大きな期待がかけられる。本来であれば、労働組合の勢力地図を分析して、オルグ活動を担当する部門が必要であった。
偶然の所産で寄り集まった選対メンバーにそのような能力はない。事情に通じた活動家から情報と意見を聞かなければならなかったが、選対にそのような発想はなかった。

* それでも、全労連・東京地評の系列労働組合には、支援決議をしていただいた。教育関係の労働組合諸組織についても支援決議がなされた。しかし、これは、自覚的な組合が自発的にしたもので、選対の働きかけによるものではなかった。

* 明るい革新都政をつくる会など選挙運動に経験をもつ運動体や、吉田万三氏などとの連携の必要性については、何度か意見が出された。その経験や情報、あるいはノウハウを受継することの重要性は自明だったが、生かされるに至っていない。
 
※「敗北」の原因・市民選対の能力の不足について
* 1000万有権者を相手に都政の革新を目指す選挙を担う組織として、選対の能力不足は自明であった。準備期間も不足し、担当者の経験も不足している以上は、まずはこれまでに蓄積された経験と智恵とを陣営のものとする努力が必要であった。
しかし、そのような努力はおよそなされなかった。たまたま候補者を中心として集合した集団の能力の限度で「可能なことをやればよい」というのが選対の一貫した姿勢で、「当選のためには何をなすべきか」という追求はなされなかった。
まさしく、今にしての後智恵からの後悔であり、私自身の不明・無能の責任も大きい。

* 選挙運動に参加する者のアマチュアリズムは最大限尊重されなくてはならないが、選挙戦を組織する者にはプロフェッショナルな構想力と手腕が要求される。都民の要求を把握し、その要求を政策化し、政策を争点化して、票を掘り起こすこと、また、選挙民の感性に訴える候補者イメージをつくりあげることは、豊富な経験に基づくプロの仕事というべきであろう。また、ガラス細工のような寄り合い所帯の良好な関係を保って、各陣営の運動の熱意を昂揚することも困難な業である。
このような難事をおこなうには、我が選対はあまりに非力であったと言わざるを得ない。その非力は当初は明らかでなく、次第に明確になっていくが、「今さらどうにもならない」という空気の中、最後まで外部からの助力を得る方向で改善されることはなかった。

* 小さなエピソードがある。開票直後の選対事務所での記者会見の席で、たまたま隣り合わせた選対本部長から「東京都の有権者数って、何人でしたっけ?」と聞かれた。
これには驚いた。選対本部長たる者が、得票の獲得目標や具体的な目標到達度の基礎となる数字を頭に叩き込んではいないのだ。そのような選対であった。

※「敗北」の原因・市民選対の体質について
* 選対が選挙運動のボランティア参加者に期待したものは、選対の指示を忠実に実行する労働力の限りであったように印象をうけている。
当然のことながら、選対の方針に従う者との間には軋轢は生じない。しかし、自主的な意見をもつ者や、選対の方針や事務能力に批判的な者は疎まれた。自発性や献身性に優れた者が排除の対象となった具体的な実例を挙げることが可能である。しかも、排除は極めて権力的に行われた。まったく「人へのやさしさ」を欠いた選対であったというほかはない。

* ボランティアで候補者の随行員をしていたT(女性)とS(男性)とは、選挙最終盤において問答無用で随行の任務からはずされた。何の理由も示されることもなく、何の説得もなかった。納得を得る試みはなく、弁明の機会すら与えられなかった。傲慢な石原流そのままの強権発動である。突然の要員交代に候補者も驚いたことであろう。その後のTとSからの「命令撤回と謝罪を求める」要求に、選対本部が応答することはなかった。
事後の事務局長メールでは、「選対の同意を得ずに、街宣現場が恣にTの随行員人事を決めた」「その中心にSがいた」ことが問題とされているごとくである。しかし、実際には現場の人手不足に選対本部が応えることがなかったことから、車長、副車長、随行員、古参ボランティアなどが協議して、現場の必要から随行員を補充したものである。

* もちろん、無償のボランティアの任務の取り上げであって、解雇や配転などの経済的な不利益が伴うものではない。しかし、献身的にボランティア参加した本人にとっては屈辱的な仕打ちであることに変わりはない。
選対本部長は小さな権力を振りかざして運動参加者に「命令」し、「市民運動参加者に対する命令の権限はあり得ない」とする者を、実力で排除したのである。市民運動の原則上見過ごしがたい。
このような選対の体質が運動参加者の意欲を殺いだことを否めない。

* 革新統一の要の地位にある市民選対には高い道義的な正当性が求められる。その要請に照らして、この件は今回の市民選対の権力的体質を露わにした象徴的事件であり汚点である。このような「事件」は表に現れにくく、表に現れても事実の確認が困難である。たまたま、私の身近に起こった事件として明らかにしておきたい。外にも多くの「小事件」があったことを仄聞する。
このような体質の選対に、革新統一の要をなす資格があろうとは思えない。今からでも遅くないから、選対本部長と加担者は、非を認めて誠実に関係者に謝罪すべきである。それ以外に、道義的な権威を回復する術はないと思われる。

※「敗北」の原因・選対事務局の情報開示の不透明について
* 私が選対メンバーに名を連ねることとなったとき、市民運動型選挙であれば当然のこととしてすべての情報の透明性が徹底されるのだろうと考えた。
たとえば、どのような団体や集会に候補者の参加が要請されており、あるいはいつのどこの街宣活動が誰によってどのように計画され、選対は各要請にどのように応答したのかが誰にも明瞭になるのだろうと考えていた。
しかし、現実には情報は事務局長に集中し、そこから選択された小出しの情報しか降りてこなかった。

* 街宣行動についての私の事前のイメージは、各地での小集会の連続ととらえていた。各地の選挙運動参加者が、市民運動も政党も無所属議員も勝手連も共同してどのような街宣行動にするか企画を練り上げ実行する。その企画の立案実行を通じて革新の共闘が進むことになる、漠然とではあるがそう考えていた。
しかし、街宣のスケジュールは(終盤には若干の改善をみたが)、前日にならなければ分からなかった。また、選対メンバーも候補者自身も、街宣計画の立案には参加していない。各地の誰からどのようなリクエストがあるかについては事前に明確にされることはなく、誰がマイクを握るか、誰が何をしゃべるか、そのことがどう決まるかは不明確なままであった。

* 以上の情報の不透明は、選挙参加者の参加意欲を殺ぐものであった。

※選挙政策の優位性について
* わが陣営の選挙政策は優れたものだった。単なる要求の羅列ではなく、体系として整合性のとれたものとなっている。今後の運動に有効に使えるものとして有用であり、「4本の柱」は都政における革新統一の旗印となるものと考えられる。

* 問題は、この政策を争点化して、各有権者の関心に応じて、具体的に論争的に宣伝しなければならない局面での弱点の露呈である。このことは、永遠の課題であるのかも知れないが、せっかくの優れた政策を生かし切れなかった点のもどかしさが残る。

※ 弁護士グループに関して
* 弁護士グループの活動は、各界勝手連活動の一種ではあるが、候補者が弁護士であることからの特別の期待もあり、法律家として公選法をクリアーする運動を先進的に示すことへの要請という特殊性もあった。
選挙活動に参集した弁護士は「会」を作って定期的に会合をもち、集会・賛同アピール・法定ビラ配布・電話掛け・カンパ要請活動をおこない、銀座ウォークなどのイベントを企画した。各行動への参加者はたいへん熱心だったが、ひろがりに欠けたことは否めない。

* 運動のひろがりを欠いた最大の原因は日弁連会長選挙の後遺症であった。しかし、それだけではなく、選挙政策を弁護士集団に訴える工夫と努力が足りなかったことを、私自身の問題として反省しなければならない。
脱原発も、反格差貧困も、日の丸君が代強制反対も、憲法改悪反対も、過半の弁護士に支持を得られるはずの政策である。しかし、消費者問題や格差貧困問題に取り組む弁護士を取り込むような動きにはならなかった。働きかけが一通りのもので終わった憾みが残る。

* 弁護士グループの役割として特筆すべきは法対の活躍である。
告示以前の公選法学習会とレジメの作成、告示後の電話相談張り付きの態勢作りと、事態への迅速な対応には瞠目すべきものがあった。
法対は問題が発生した後の事後処理担当であるよりは、運動員が自信をもって活動を行えるような環境をつくるという積極的な役割がある。そのことを意識させた、法対の活躍であった。

* 法対の活躍は、公選法による不当な運動規制や住居侵入罪を適用しての弾圧の存在を前提とするものである。優れた法対参加の弁護士たちに、継続して、公選法改正や住侵適用の不当を世論化する運動の先頭に立ってもらいたいと希望している。

※今後に生かすべき教訓
* 革新統一の方向の正しさに私自身は疑義がない。今回は、十分な成果をあげることができなかったとはいえ、革新諸勢力の共同行動が現実に可能であることが確認された意味は大きい。
前記の問題提起に答えれば、「十分な運動をしたのに革新統一の枠組みの有効性の限界が露呈した」とは到底言えない。「これしかない革新統一の枠組みを運動は十分に生かし切れなかった」と言わざるを得ない。
今回選挙の革新統一の枠組みは、「まず市民運動が先行し、その運動を各政党が横並びで支援するという形」での試みとして実践され、その現実性も実証された。しばらくの間、地方自治レベルでの共闘は、この枠組み以外での現実性はなさそうである。

* この枠組みの有効性を十分に引き出せるか否かは、革新諸勢力の姿勢如何にあるが、とりわけ要の地位に立つ市民運動の力量と資質が死活的に重要となる。
市民選対を受け持つグループはその力量と真摯性と献身性において十分な信頼を勝ちうるものでなくてはならない。
最低限、選挙運動に参加する各団体・政党に十分な情報を提供し十分な意思疎通によって、信頼関係を保持する能力と努力とが求められる。

※「会」を残すことには賛成する。
その基本的な役割は、今回選挙の貴重な経験を正確に次に伝えること、都政監視活動を継続して、市民運動と革新諸政党との貴重な連携の場を保存し、次の都知事選の準備に遅れかないように備えることである。
そのほかには、今回選挙を通じて露わとなった選挙運動妨害法制の改善運度などに取り組むことも考えられるが、会や会のメンバーが各級の選挙に関わるようなことがあってはならない。選対の中心メンバーであった者は、会が存続する間は各級選挙に出馬しないという申し合わせをすべきではないか。今回の会の運動が、特定のグループや特定の人物の選挙運動のステップとしてなされたと誤解を受けるようなことがあっては、せっかくの「革新統一」の貴重な試みに傷がつくことになることを恐れる。


宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその3

私は、宇都宮君とは同期の弁護士という間柄になります。ともに、1969年春にに大学を中退して司法修習生となり、そこで知り合いました。ですから、付き合いの期間は40年を遙かに超えることになります。

ともに71年に東京弁護士会に登録をしましたが、活動の分野を異にすることとなりました。私は主として労働事件に携わる弁護士となり、青年法律家協会や自由法曹団などに拠って活動をする立ち場となりました。彼が何をしているのか、しばらくはよく分かりませんでしたが、次第に「サラ金問題の宇都宮」として知られるようになってきました。

私の関心の分野が労働問題オンリーから、憲法訴訟や教育問題、医療事件などを経て消費者問題にも拡がり、東京弁護士会の消費者委員長を務めました。そのころ、宇都宮君は「サラ金問題」のエキスパートとして6代目の日弁連消費者委員会の委員長に就任しました。彼の後塵を拝して、私は8代目の委員長となりました。(なお、中坊公平さんが2代目でした。)

同じ「消費者族」と見られる立ち場となって、当然に宇都宮君を仲間と思って信頼もし、彼の温和な人柄も好もしいものと思ってきました。それだけでなく、サラ金問題を個別事件としての解決に終わらせず貸金業法改正問題に取り組む姿勢も、「反貧困」の運動に足を踏み出したことも大いに評価していました。

そんなことから、2012年暮れに降って湧いた東京都知事選では、喜んで宇都宮健児候補陣営の選対本部委員になりました。友人としての自発性に支えられたもので、何の組織的な背景を背負ってのものでもありません。

「人にやさしい東京をつくる会」の中の、「人にやさしい」のネーミングは私の発案です。私は、傲慢な石原都政に我慢がならず、宇都宮君であれば、その対極として、一人ひとりの都民にやさしい都政を実現してくれると、心から期待したのです。とりわけ、弱い立場にある者、貧しい者、差別されている者、少数者の側、たった1人で孤立する公益通報者にも、意識的に味方してくれるはず。そう信じての精いっぱいの応援でした。

私的なことですが、私は肺がん手術後の身で、十分な体力はありませんでした。それでも、自分の影響力の及ぶ限りは、宇都宮君を「弱者の味方」として、大きく声を上げて推薦してまわりました。

その私の内部にあった、宇都宮君の虚像は選挙に関わったころから、徐々にメッキが剥がれて瓦解を始め、ちょうど1年かかって完全な崩壊に至りました。この選挙に関わるようになってから1年余。今は、自分の「人を見る目のなさ」を嘆き、深く恥じいるばかりです。1年前、このような候補者についての私の推薦に耳を傾けてくれた皆様、とりわけ熱心に選挙を支えていただいた都教委と闘う退職教員の皆様にお詫びの言葉もありません。

前回選挙が終わって、宇都宮健児君という人物が候補者としてふさわしかったのかどうか。これまで、私を含めて誰もきちんと検証する発言をしていません。民主的な「市民選挙」にあるまじきことではないでしょうか。選挙戦が終わるまでは、候補者の能力や資質を攻撃するのは愚かなこと。しかし、これだけ大差で敗れたあとでも、適切な候補者であったかをきちんと検証しないことはさらに愚かなこと。一年経って再びの選挙に、その適格性の検証のないまま再び候補者として擁立しようというのは、愚の極みといわざるを得ません。

私は、宇都宮君が、都知事としても革新陣営の候補としても不適格だと確信するに至っています。その理由を整理すれば、
(1) 彼は都知事選候補者としての資質・能力に欠けます。到底、「魅力のある、勝てる見込みのある候補者」ではありません。このことは既に実証済みと言えましょう。
(2) 彼は、弱者の立場に寄り添おうという誠実さに欠けています。「勝てないとしても推すべき候補」というべきではありません。
(3) 彼の流儀はけっして正々堂々としたものでなく姑息で、道義的に問題が大きく候補者としてふさわしくありません。
(4) 前回選挙において、彼と彼の取り巻きのした行為には明白な違法があって、仮に当選した場合には、追及を受けて油汗をかかなければならない危険な立ち場にあります。

反対のご意見があることは当然だと思います。その方たちが、宇都宮君を擁立するという選択もあり得ましょう。しかし、意識的に宇都宮君をチヤホヤするだけのコマーシャルメッセージで判断されることのないよう、ご忠告いたします。賢い消費者として、売らんがための宣伝を鵜呑みにすることなく、シビアな自分自身の目で商品の品定めをしていただきたいのです。私が知る限りの材料は、このブログで提供いたします。できれば、その材料も吟味してご判断をいただけたら有り難いと思います。私のように、1年前の自分の判断を悔やむことのないようにお願いいたします。

私の願いは、革新の共同行動の先頭に立つにふさわしい、清新な候補者の選定作業が迅速に進展することです。宇都宮君の存在を意識して、その作業が遅滞することを恐れています。人を見る目のないことにおいては実証済みの、私の出る幕ではありません。都政のことを深く考えたことのない一夜漬け・俄か勉強の候補者ではなく、常々都政の問題に取り組んでいる市民グループを中心に、宇都宮君以外の候補者の人選を進めていただきたいのです。

特定秘密保護法反対運動では、著名な多くのジャーナリストや作家、表現者が忌憚のない声を上げて運動の先頭にも立ちました。このような人々に白羽の矢を立てることは十分に可能ではありませんか。

「時間がないからしょうがなく」「ほかに手を上げてくれそうな人がいないから不戦敗よりはマシ」などという消極的な理由で前回選挙で「泡沫」「惨敗」の刻印を深く押された宇都宮君を再び革新共闘の候補者にはすべきでありません。およそ有権者にたいする魅力に欠ける宇都宮君を再び擁立しての再びの惨敗は、宇都宮君自身の惨敗であるだけでなく、「革新の惨敗」でもあるのです。再びあの苦い味を噛みしめたくはありません。

さて、昨日のブログで、私が「宇都宮君、立候補はおやめなさい」ということに至った「対立」の発端としての「私的総括」を紹介しました。この中には、選対の無能・無為無策について触れてはいますが、候補者の無能・不適格については触れていません。私の、腰の引けた批判の姿勢が露呈しています。

その程度であっても、宇都宮選対のメンバーはこの公表を問題としました。私は、批判を封じようとする集団の圧力を感じざるを得ませんでした。内容的に最も問題とされたのは、私が文中で指摘した、選挙最終盤での選対本部長と事務局長による「問答無用の複数随行員に対する任務外し強行」の指摘です。

これについての私の言い分は、不当極まりない選対本部長・事務局長の「小さな権力の横暴」で、選対の体質の象徴的な表れ、だというものです。最も献身的で、最も有能な選挙運動参加者を恣意的に切って捨てたということは、世にブラック企業があり、ブラック官庁もあるが、ここには「ブラック選対」があったということなのです。こんなやりかたで、市民選挙が発展するはずもない。選対の体質は、「選挙運動は気のあった者どうしだけで楽しくやればよい」というものではないか。「真剣に選挙運動をしようとする市民の参加は邪魔として抑えてきたのだ」というものでした。これに対して、選対本部長・事務局長は、任務外しにはそれなりの理由があるのだということでした。この件については、後に詳しく述べます。

多少のやり取りがあって、この点に関して宇都宮君が問題解決のために調停にはいるということになって、1月5日掲載の「私的総括」は、その調停作業が進行中はブログ掲載から下ろすことを承諾し、数日を経ずして「当たり障りのない総括文」に差し替えました。

もちろん、私は大いに不満だったのですが、「大人の態度」で妥協したのです。私には、その時点で、宇都宮君にまだ幻想がありました。弁護士でもあり、日弁連の会長も務めた人物です。弱者の立場に立つ人とも思っていました。彼が調停してくれるという事案は、さほど複雑でも、解決困難な深刻なトラブルでもない。解決のためにそれなりの知恵を発揮してくれるだろう。そう、期待したのです。

しかし、私は甘かった。期待はまったく裏切られました。形ばかりの「調停」の作業は、実効的な進行をすることのないままグズグズと時を過ごしました。そして、最終的には、ほぼ1年を経た今年の12月19日、私の「解任決議」が行われた「人にやさしい東京をつくる会」運営会議の席上で、「いったいこの事件の調停作業の結論はどうなったのか」という私の問いかけに、「あれは、選対本部が責任をとるべきことではないと認識しています」というのが宇都宮君の結論の言い渡しでした。

この件は、宇都宮君の姿勢や能力をよく表しています。彼は、人にやさしい資質を持っていません。弱い立場にある人の側に立とうという気概もない。人の屈辱や悩みを理解できない。ただ、ただ、集団の多数派に身を寄せる保身にしか考えが及ばないのです。弱い立場にある者が、強者や多数派の横暴に被害を受けたという訴えがあったとき、これに真剣に耳を傾け、たとえ能力が及ばなくても解決をはかろうという誠実な姿勢がありません。せめては、公正な第3者委員会の体裁を作って、選対側の唐突な随行員解任の理由を特定して「被害者」に示し、被害者側からの十分な反論を聞こうという常識的な最低限の行動くらいはすべきだったのです。しかし、彼はそれさえやろうとしませんでした。

彼には、身近な小さなトラブルを解決する能力がまったく無いのです。紛争の両当事者を説得し納得させる力量もなく、度量も迫力も持ち合わせていません。革新共闘の候補者としてのレベルの問題ではなく、通常の弁護士としての能力にも欠けるものと指摘せざるを得ません。

到底、推すことができないとする具体的理由について、明日から順次詳細に報告いたします。私は現役の弁護士ですから、依頼者のために仕事をすることが本分です。ブログの作成に費やせる時間には自ずから制約があります。おそらくは、あと10回くらいで、一通りのことを述べることができるでしょう。ただし、宇都宮君に、再出馬の意向がないことが確認できれば、必ずしも、「立候補をおやめなさい」と呼び掛け続ける意味はなくなります。

また、一通りのことを述べたあとも、宇都宮君の立候補断念が確認できなければ、さらに声を上げ続けなければならないと決意しています。
(2013年12月23日)

宇都宮健児君、立候補はおやめなさい−その4

本日は「だ・ま・し・う・ち」の顛末をお伝えします。
私が、宇都宮君を見限った最後の決定打が、このだまし討ちでした。私は、宇都宮君をこのような姑息な小細工のできる人物とは思っていませんでした。優れた人物であるかどうかはともかく、少なくとも汚いやり口とは無縁の人と思っていたのです。その人格への信頼が崩壊した経過です。

猪瀬退陣が確定した12月19日(木)の午後5時28分に、以下のメールが届きました。発信人は、「人にやさしい東京をつくる会」の熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)です。その全文を掲載します。

皆様 まことにご無沙汰しております。
「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議メンバーの皆様にお送りしております。
宇都宮先生と中山先生より、会議招集の要請がありましたので、ご連絡を差し上げます。
ご存知の通り、猪瀬知事の辞任という事態を受けまして、会としての対応を緊急に話しあうため、下記の運営会議を緊急に開催したいと存じます。遅い時間になってしまい、恐縮です。
前回の運営会議で、今後の取り扱いについては宇都宮先生と中山先生に一任するということになっておりました。この会議は宇都宮先生と中山先生からの招集ということになります。
ご出席できない方は、恐縮ですが、どなたかに委任のご連絡をお願い致します。
日時:2013年12月20日(金) 午後9時〜
場所:東京市民法律事務所
【議題】・新しい情勢にあわせた取り組みについて
なにとぞよろしくお願いいたします。

私には、事前に議題についての意見の打診も、日程の都合の問い合わせもありません。夕方のメールで、翌日午後9時からの会議の設定です。しかも、はじめての「委任のご連絡」という言及。不自然な感じは拭えませんでしたが、私も運営会議メンバーの一人ですから、招集された会議には出席の義務はあります。さすがに、午後9時には日程差し支えの事情もありません。出席することにはしました。

念のために、会の代表の立場にある中山武敏君に電話をしました。なかなか、電話がつながらなかったのですが、翌日の10時54分に彼から電話をもらいました。電話で聞きたかったことは2点ありました。

その一つは、議題「新しい情勢にあわせた取り組み」に関連しての、発言内容の準備です。「結局今日の会議では、宇都宮君の再出馬の是非をめぐる議論になるんだろうね」と聞いたのですが、中山君は「自分はどのような議事になるかは知らない」と言っていました。会の代表が「知らない」と言うのも不自然なのですが、「宇都宮君は出馬の意向なのか」と聞いたのですが、「宇都宮は推されれば出る、ということだと思うよ」という以上は語りませんでした。私は、今日発言すべき自分の立ち場を明確に伝えておきました。「私は宇都宮君の再出馬には反対だ。前回選挙で彼の非力は明らかではないか。それだけでなく、彼も選対も、法的に大きな傷を抱えている。立候補すれば問題になる」。このことについて、中山君がどれほど深刻に受けとめたかは、よく分かりません。

もう一つ。昨年選挙の最終盤で任務外しをされた二人の随行員の名誉回復措置について、宇都宮君と中山君・上原さんの3名で、どう処置するか預かりになっていたはずだが、その結論はどうなったか、という問題。

これについては、中山君は率直に「自分の力ではどうにもならなかったんだよ」と言っています。解決できなかったことを自分の非力の結果とする、誠実さをみせてはくれました。

その夜。ビルの7階にある市民法律事務所で、午後9時10分ころ、これまでになく議長席にふさわしい場所に宇都宮君が着席して会議が始まった。中山君が議長を務めるのが自然なのだが、同君から「議長はボクじゃなく、宇都宮君にお願いする」との発言があって、宇都宮君が「では、私が議長を務めます」となりました。

ここで、私が、「夜が遅い。私は体調も良くない。ぜひ大事な議題から手際よく議事を進めていただき、11時には終わるようにお願いしたい」と発言し、「分かった」という宇都宮君の答がありました。

そして、宇都宮君が「今日の議題を準備していますので、熊谷事務局長から配布してください」と議長として発言しました。メールでは会議の議題は具体化されていなかったけど、事前に議題を練っていたのだ。そう思いつつ配布された「議案」に、目を通して驚きました。なんということ。

2013年12月20日 人にやさしい東京をつくる会運営会議
議案1:現在の運営会議を本日付で解散すること。
理由:現在の運営会議については、前回2012年の都知事選挙に対する取り組みの終了にともない役割を終えたため、本日をもって解散することとしたい。

議案2:会の新しい協議機関の選任・招集については宇都宮・中山の両氏に一任すること。
理由:議案1の運営会議解散を受けて、新たな協議機関を設ける必要があるが、これについては、宇都宮氏と会代表の中山氏に一任することとしたい。 以上

以下は、専ら、私の発言です。もっとも、発言の順序は必ずしも、正確ではありません。
「何ですか、これは。運営会議委員の全員を解任して、うるさい誰かだけを除いて、仲良しだけを再任しようというのですか」「こんな議題の通知は事前にはなかったではないですか」「こういう汚いやり口を、普通は『だまし討ち』というんじゃないか」「こんなことをたくらんで、私を除いてこっそりみんなあつまって相談したのか」「だいたいがおかしい。都知事選挙に対する取り組みの終了にともない役割を終えたため『会』を解散するというのなら話は分かる。どうして会は存続して、今ごろになって運営会議だけが役割をおえたというのか。どうして、『人にやさしい東京をつくる会』の役割が終わったとは言わないのか」

これに対する応答は、「ともかく議案が提出されているのだから賛否の意見だけを言ってもらえばよい」「あなたは、ほかのメンバーと信頼関係を築けないんだから、袂を分かつのはやむを得ない」というものでした。

なお、一点印象に残っているのは、熊谷事務局長の「運営委員会の解散も、会の解散も同じことですよ」というものだった。もしかするとこの人は、会の解散を決議したものと理解しているのかも知れない。

「恥を知れ」「恥ずかしくないのか」という言葉は呑み込みました。私が、この会から追い出されることが明確になった以上、二人の随行員外し問題については、確認しておかなければなりません。

「この問題の解決方法については、前回会議の終了時点で、中山・宇都宮・上原の三君に預かりとなっていたはずだ。会が解散するかも知れないということだから、その結論を聞かせていただきたい。上原さんは当事者だから意見は聞きません。順序から言えば、まず中山君」。中山君の答は、「私の力では解決できない。どうすることもできない。残念だが、やむを得ないので、双方ともこのまま、相手方を攻撃しないということで、大人の解決をして欲しい」

「で、宇都宮君、君は?」「ぼくも同じですよ」
「大事なことだ。同じなんて言うな。自分の言葉で語れ」
「結局はやむを得ない処置で、選対本部長や事務局長の責任を問うべき事件だったとは思わない」

「そうか。分かった。これまでは君が仲裁に入るということだったから、批判を控えてきた。今後の発言には遠慮をしない」

ここで上原さんからひと言ありました。「事実でないことを言われては困りますよ」「あなたには、求釈明をして、事実確認を求めている。お返事をいただきたい」「返事はしません」

このあたりで、「採決をしましょう」「みんな忙しいんだから」という声があがりました。「採決に反対する。そもそも、こんなことが多数決で決められるのか疑問だ」という私の発言は取りあげられず、

「議案1の賛否を求めます」「賛成」「反対1名で議決が成立しました」
「議案2の賛否を求めます」「賛成」「反対1名で議決が成立しました」

これで終わり。9時40分でした。会議時間は30分余。なるほど、多勢に無勢とはこういうこと。それにしても、これはついこの間、どこかで見た景色。同じことを、やっぱり薄汚い連中がやっていた。

全部終わってから、ようやく見えてきた。そうか、だから委任状が必要だったのか。
「【議題】・新しい情勢にあわせた取り組みについて」と言って招集して、実は「澤藤解任決議」を準備していたのか。中山君が事前の電話で「今日の議事についてはよく知らない」と言ったのは、真っ赤な嘘だったのか。

「澤藤解任」の議案では、解任の理由を特定しなければならない。そんな面倒なことをせずに、うるさい私を解任する方法を考え出したのだ。いかにも、労務屋が考えそうな汚い手口。会社解散ということで全員解雇しておいて、会社に忠誠を誓うものだけを再雇用するあの手口だ。革新共闘で選挙に出馬しようという候補予定者のとるべきやり方ではない。宇都宮君、そしてあの会に出席していた諸君、恥ずかしくないか。

どうして、もっと正々堂々とものが言えないのか。「澤藤の言動は独善的で、協調性に欠ける」というなら、真正面から批判したらいいだろう。もちろん私にも反論の言い分があるが、当たっているところもあるかも知れない。十分な議論を尽くせばよいではないか。

「時間がない。会期延長には応じ難い」として、特定秘密保護法の強行採決をやった安倍自民と同じことを宇都宮君はやったのだ。いや、もっと姑息で、薄汚い「議論封じ」でだ。これは、忌むべき数の暴力ではないか。問答無用で少数者を排除するこのやり方は、国会の保守派以上のひどいやり口ではないか。

宇都宮君よ、君は今、ほくそ笑んでいるだろうか。「うるさい奴をうまく切ってやった」と。しかし、ボクを切った君の薄汚い手口が、君の革新共闘候補としての不適格を雄弁に物語っている。そのことを肝に銘じて欲しい。

だから、宇都宮君、来るべき都知事選に立候補はおやめなさい。
(2013年12月24日)

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその5

2014年都知事選が、1月23日告示、2月9日投開票に決まった。保守側の候補者の名は賑やかに取り沙汰されているが、革新陣営の候補者擁立の動きは私の耳には聞こえてこない。

革新陣営・市民運動参加者がこぞって、一日も早く、しかるべき候補者の擁立を進めるよう願っている。前回の革新(統一)候補者であった宇都宮健児君に気兼ねし、あるいはその擁立の可能性にこだわって、統一候補選任の進展を遅らせるようなことがあってはならない。彼は、前回選挙の惨敗で到底勝てない泡沫候補であることを実証済みではないか。都知事候補として、選挙民を惹きつける情熱と力量と魅力を持っていない。しかも、けっして「人にやさしくない」。弱者の権利救済に意欲も力量もない。しかも彼のやり口は、姑息で狷介だ。到底革新統一の御輿に乗る資格はない。それだけではない、前回選挙では彼自身に違法の疑惑がある。仮に彼が当選するようなことがあれば、再びの百条委員会開催問題となりかねない。3年続けての都知事選は、悪夢だ。

前回選挙を経験した多くの人が、宇都宮君の候補者としての適格性に疑問をもっていることは明々白々と言ってよい。しかし、その多くの人が、善意から「では誰が候補者として出馬してくれるのだろうか」「急なことで、結局は宇都宮さん以外に候補者がないのが現実ではないか」「候補者として清新さも魅力もなく、勝てそうにもないけれど、宇都宮さんでしょうがないじゃないの」「不戦敗よりは、宇都宮選挙の方がましではないか」「現実的な候補者案を出さずに宇都宮さんを批判するのは無責任」などとお考えではなかろうか。

私は、このような考えを払拭しなければならないと思う。こんな考えが頭の隅にでも残っているから、ずるずると時を過ごして、候補者選びが遅滞しているのではないだろうか。まず、「宇都宮君は候補者として不適格。別の共闘候補者を本気になって選任する」というスタンスに立つべきである。

申し上げておきたい。宇都宮君を候補者として推薦することは無責任だということを。前回選挙における問題行為を指弾されるおそれが濃厚であることを。敢えて言う。仮に候補者が見つからなければ、不戦敗の方が「まだマシ」なのだ。宇都宮君の再びの惨敗は、「革新の惨敗」と記憶される。それは望ましいことではない。そして、それ以上に宇都宮君の擁立は危険なのだ。

不戦敗が望ましくないという陣営は、各グループ独自の都知事候補を立てるべきであろう。宇都宮候補では勝てないことが分かりきっているのだから、同じ負けるにしても、歯がゆい共闘をして負けるよりは、「わが陣営独自の候補」を擁立して、精いっぱい「わが陣営の政策」を訴え切る政治戦を行うのが筋ではないのか。

誤解されては不本意なので、ハッキリさせておきたい。私は、革新統一選挙の実現を強く願う立ち場にある。統一のための政策協定が締結されて、選挙民に訴える力のある、魅力的な候補者の選任が一刻も早く実現することを希望している。宇都宮君はそのような候補者としての資格はない。

特定秘密保護法反対運動の中で、知る権利の重要性が強調された。そこでは、行政の秘密主義が、国民の政策選択の基礎であって、正しい政策判断に到達する権利を奪うものであることが熱く語られた。「国民に知らせることが適当でない情報があることは当然」「全てをさらけだしては、効率的な行政はできない」などという、政府見解が厳しく指弾された。

私は、行政と国民とのこの局面における関係は、「市民選対」と「市民選対を支える市民」との関係とまったく同じだと思う。市民選対は、市民を舐めてはいないか。「市民は由らしむべし、知らしむべからず」とでも思っているのではないか。選対が許容する範囲の情報だけを流しておけば十分という誤りを犯してはいなかったか。

市民選挙が市民に開かれたものであり、市民にカンパや労力の提供を求め、支持の拡大を図るものであるからには、選対はできる限りの選挙関連情報を提供しなければならない。市民には、選対の動向について「知る権利」がある。ネット社会において、情報の発信は難しいことでもなく、手間や費用のかかることではない。にもかかわらず、選対の一部が情報を独占して秘匿し、これを小出しにするということは、市民の権利を侵害することである。

市民すべてが、十分な情報に接することによって、宇都宮君再出馬の是非について検証しなければならない。少なくとも、私が当ブログで提供する情報については、判断材料としていただきたい。

そんな意味合いで、本日は、金にまつわる問題の一部について、事実の提供と若干の意見とを申し上げておきたい。

前回2012年選挙における宇都宮君の立候補供託金(300万円)は、私の妻が捻出した。妻の即断で、妻名義の預金を下ろして用立てた。立候補届出直前に彼が用意できないとなったからだ。選挙運動収支報告にも、政治資金収支報告にも記載はないが事実である。

そのとき、ふと私の脳裏をよぎったものがある。「もしや、法定得票数に達せず、供託金が没収されるようなことがあったらどうしよう」というもの。まさかとは思ったが、あり得ないことではない。「そのときに、いま300万円を用立てることができない人物からの回収が可能だろうか」と。

しかし、「当選を目指して選挙運動を始めようという自分が、初めから惨敗を予想してはいけない」と自分を抑え、「仮に、供託金没収になったら、そのときはやむを得ないとあきらめよう。潔く300万円カンパしたと思えばよい」。そう夫婦で話し合った。このときには、一切の書類の作成はない。

結局は大敗ではあったが、幸い法定得票(有効投票数の10%)はクリヤーして、供託金は没収を免れた。当然、宇都宮君自身が直ちに供託金を取り戻して、返済してくれるだろうと思ったが、しばらく何の音沙汰もない。借用証書の一枚もないのだから不安になって返還を請求した。「え〜、まだ返していないの。会計責任者がやっていたと思っていた」という他人事のお返事。4月12日付で「4月末までに返済をする旨の誓約書」が差し入れられ、4月16日に返済された。正直なところホッとした。

次の話題。
12月21日付の当ブログで、上原公子さんが「労務者」として金銭を受領していることについて、次のように書いた。

「極めつけは、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、報酬を受領していたことです。支出の目的は二人とも「労務者報酬」と明記されています。私は、選挙が終わって約半年後の6月17日付で東京都選管から選挙運動報告書の写しをもらって、初めてこのことを知りました。さすがに、これには驚きました。多くの無償(ただ働き)ボランティアを募集し運動をお願いする立ち場の人が、ちゃっかり自分は報酬をもらっているのです。お手盛りと言われても、返す言葉はないでしょう。」

「選対本部長も、出納責任者も、「労務者」として届け出て、「労務者報酬」を受領したのです。明白な脱法行為です。もし、「労務者」として届けられた人が、単純労務の範囲を超えて、少しの時間でも人に働きかける実質的な選挙運動に携わっていれば、運動買収(日当買収ともいう)罪が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となります。総括主催者が有罪となれば、場合によっては、連座制の適用もあるのです。」

前の文章が選対本部長の道義的責任を問うたもの。後のものが法的責任を問うたもの、端的に言えば選対本部長と事務局長に犯罪の容疑があるという指摘である。

このブログを書いたのが4日前。連休明けの昨日・今日には、「知らなかった」「驚いた」「許せない」「カンパしたことが馬鹿馬鹿しい」などという、もっともな反応に接している。ところが、「道義的に問題だとは思いますが、上原さんの行為が本当に犯罪になるのですか」という率直な声にもぶつかった。言外に、「法は厳しすぎるのではないか」というニュアンスが感じられる。そこで、もう一度、この点に触れなければならない。

明らかに犯罪になるのだ。これは、選挙運動収支報告への届出の有無や届出内容とは無関係。「労務者としての届出が間違い」というレベルの形式犯罪ではない。労務者としての事前の届出対象者が、純粋の労務提供をしている限りおいては、労務提供の対価としての金銭の支払いは違法ではない。しかし、人に働きかける選挙運動としての実質を持つ行為を行った者は、労務者としての届出があろうとなかろうと、金をもらってはならない。これに金銭の授受があれば支払った側も、支払いを受けた側も犯罪になるのだ。

面倒だが、適用条文を引用する。
「第221条1項 次の各号に掲げる行為をした者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
1号 当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき。
4号 第1号…の供与、供応接待を受け若しくは要求し、第1号…の申込みを承諾し…たとき。」

この条文には、投票買収と運動買収の両方が含まれているので、必要な箇所だけを書き抜けば次のとおりとなる。

「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をしたとき」(法221条1項1号)、または「第1号の供与を受けたとき」には、金を払った側は、買収罪(1号)、金をもらった方は被買収罪(4号)として、最高刑が懲役3年の犯罪になる。

そもそも選挙運動は金をもらってやるものではない。金を渡して選挙運動をさせても、選挙運動員に報酬を渡しても犯罪なのだ。金を払った方も、受けとった方も処罰される。このことがよく分かっていない人が多いように思える。漫然と、「選挙事務所に詰めて働くのだから、報酬をもらって当然」という感覚があるとすれば、一掃してもらわねばならない。これは弾圧立法ではない。民主主義社会の常識が法の条文に結実したものと考えなければならない。徳洲会や石原宏高や、猪瀬事案を批判しながら、宇都宮選対の違法に目をつぶってはならない。

なお、市民選対の本部長や、出納責任者には、高い道義性や献身性が求められる。運動の中心にあって、多くの人にカンパや労力の提供を呼び掛ける地位にある人は、自分がその金をもらってはならない。これは市民常識であり、市民運動に携わる者の健全な道義感覚である。しかし、それはあくまで道義的責任であって、「私の道義感覚や基準は違う」「このくらいの金額、金をもらってどこが悪い」「長時間詰めているのだからこのくらいもらわなくちゃ」と開き直られれば、批判はそれぞれの市民が自分の判断でするしかないことになる。「ご苦労様なのだから、金をもらったくらいでは、私は責めない」という人もいておかしくはない。しかし、それは道義的責任のレベルの問題でのこと。法律解釈においては、そのようないい加減は許されず、本人の主観的見解を問題とすることなく犯罪が成立する。

次の話題。
インターネット公開されている「人にやさしい東京をつくる会」収支報告書によれば、2012年12月23日に「会食会 206,500円」の支出がある。支出先は、「中華料理 日興苑」。選挙終了後であっても、選挙運動者の飲み食いに、20万円が支出されている。市民のカンパから、これだけの金額の「供応接待」に当たる支出がなされているのだ。誰の裁量で支出したのかは知らないが、これはやばい。少なくとも、道義的には大きな問題であろう。

もうひとつだけ書いて、今日は終わりにする。

11月29日午前0時39分に中山武敏君から、次のメールをいただいた。
中山君とは、携帯電話で気軽に話し合う中である。わざわざのメールは、記録を残しておきたいということだと印象を受けた。

「人にやさしい東京をつくる会」の名で契約しているウエイブサイトやサーバーの処理、持っている什器類の整理等の実務的な問題を前回会議での決裂で処理ができなくて実務方が困っています。どこかの段階で会議を開かなければなりませんが、出席の有無の意向についてお知らせください。

私も、電話ではなく、メールで回答の記録を残しておこうと考えた。以下に回答の全文を掲載する。

「澤藤です。
狭山再審も、東京大空襲弁護団としての特定秘密保護法反対運動もご苦労様です。
久しぶりにメールをいただきましたが、「前回会議での決裂」とはまったく意外なご認識。意見の相違は以前からありましたが、前回会議での「決裂」はありません。

「出席の有無の意向」は会の全メンバーに尋ねているのでしょうか。それとも、特定の者についてだけ?
前回会議では、中山・宇都宮・上原の3者で協議して、今後の議論の進め方をどうするか素案をつくってみんなに提案することを「確認事項」としたはずです。

会議には議事録を作成するということで、書記役が会議に参加していました。これまで、その議事録を見せていただいていませんので、ぜひ拝見したいと思います。郵送か、メール添付でお送りください。

前回会議のあと、私は中山君に電話して、確認事項に基づく3者の協議は進行しているのか尋ねたことがあります。ご記憶あるはずです。あなたの回答は、「まだ協議はしていない」ということでした。また、その際には、「間にはいってくれる人がいる。その人から(澤藤に)連絡があるはずだ」とも聞いています。
しかし、今日に至るも「前回会議の確認事項」について何の進展の連絡もなく、「間にはいってくれる」はずの人(誰かは知りませんが)からの連絡もありませ
ん。

問題の中心は、選対本部長と事務局長から、強権的に任務剥奪の処置を受けたSとTさんの救済措置にあります。これをどう解決する予定であるのかご連絡をください。人権課題に関心をもつ者であれば、権利侵害を放置して済ませることができないことはよくお分かりいただけるはずです。

会議が必要であれば、当然に出席します。しかし、事前に議題や議事の進行方法などについて、きちんとお知らせください。会議で唐突に資料を示されても十分な検討ができません。その点についてはくれぐれも十分なご配慮をお願いします。

取りあえずは、実務方が処理に困っているといわれる「実務的な問題」について、その内容と処理方針を全メンバーにメールでお知らせいただくようお願いいたします。

なお、徳洲会の運動買収事件が猪瀬陣営に飛び火して、会計上の不正が大きな話題となっています。私は、宇都宮陣営の会計にはまったくタッチしていませんが、清廉なはずの革新リベラル候補の陣営に、保守の選挙とよく似た問題の指摘がなされるおそれを払拭できません。

東京都の選管に報告された選挙運動収支報告と政治資金収支報告とを閲覧した限りでは、収支の内容がよくわかりかねます。辻褄の合わない疑問点も多々あります。いまさら、引っ込めることはできませんが、よくもこんな内容を公開したものと驚くこともあります。

「会」の代表である貴君は、報告書によく目を通していらっしゃるのでしょうか。
もし、まだということであれば、公職選挙法上の選挙運動収支報告は都庁の選管で、政治資金規正法上の政治資金収支報告はインターネットで閲覧可能です。よくお読みください。

そのうえで、少なくとも選対メンバーには、会の立ち上げから現時点までの正確な会計報告をしていただくよう、正式に要請いたします。

また、選挙費用としてカンパをいただいた金銭の余剰分について、どう処理をすべきかお考えでしょうか。石原慎太郎が尖閣の購入資金として集めた寄付の処理については、批判が集中したところです。その二の舞をしてはならないと思います。

選挙直後には、政治団体である「会」への寄付だったのだから「会」の運動に使って問題はない、という雰囲気でした。私も、その時には異議を差し挟むことはしませんでした。しかし、今は違います。選挙のためのカンパとしていただいたものですから、選挙以外の目的に使うべきではないというのが筋の通った考えだと思います。

面倒でも、費用がかかっても、カンパした人に按分して返還しなければならない
と考えています。
貴君に腹案あればお知らせください。」

その後何の連絡もなく、12月19日の「だまし討ち会議」招集の通知に接した次第。その会議の席でも、会計報告はなかった。
私は、会計報告にごまかしがあるとはまったく思っていない。まさか、私物化もなかろう。しかし、この不透明性には我慢がならない。どうして、みんなのカンパの集積である会計の徹底した公開ができないのだろうか。

ズケズケとこんなことを言うから、解任されてしまったのだろう。
(2013年12月25日)

宇都宮健児君、立候補はお辞めなさいーその6

本日のブログはかなりの長文になる。長いが、是非最後までお読みいただきたい。インパクトがあるはずだ。

本日は2部構成となっている。
第1部は、澤藤統一郎の息子の澤藤大河が執筆している。彼が、宇都宮選対で随行員として働き、不当な任務外しを受けた「被害者」の一人だ。もちろん、任務外しをした、上原選対本部長、熊谷事務局長の側にも、あるいはこれを「責任を問うような事件ではない」と看過した宇都宮君にも、それなりの言い分がないはずはない。

しかし、まずは、「被害を受けた」という側の言い分に、耳を傾けていただきたい。その後に、「加害者」と指摘された側の言い分もじっくり聞いて、ご自身で、このような選対のこのような候補者が、都知事選の候補者としてふさわしいか否かをご判断いただきたい。

第2部は、本日唐突に強行された安倍首相の靖国神社参拝に対する憲法の立ち場からの評論である。このブログの訪問者数は、平均1500程度。それが、今毎日4000に近くなっている。「宇都宮君、立候補はおやめなさい」の記事を読みにいらしている新来の方が、半分以上と推察される。私のこのブログは、宇都宮君糾弾のためのブログではなく、「日々の憲法問題」を取り扱う「憲法日記」である。

一日も早く、宇都宮君の出馬断念を確認して、日常の「憲法日記」に戻りたいと願っている。今日の安倍靖国神社参拝については、どうしても書かずにはおられない。宇都宮君の出馬の是非についての関心でこのブログを閲覧される方も、第2部まで目を通していただくよう、お願い申し上げたい。お読みいただくにふさわしい内容だと自負している。

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           私の経験した宇都宮選挙
 私は、2012年の都知事選挙で、宇都宮候補の選挙運動員となった。当時、私は、勤めていた会社を退職し、司法試験の受験準備をしていたので選挙運動の時間をとることができた。候補者の宇都宮さんが父の知り合いだったことからの紹介だったが、強権的な石原都政の承継を阻止したいと強く願っての選挙戦への参加であった。

 その際、以下の三つの私の経験が生かせると考えた。
 まず、私は東大教養学部の学生自治会の委員長を2期務め、その際有権者8000人の選挙を経験している。私の経験した選挙戦は、選挙の原点を学ぶにふさわしい、普遍性に富む充実したものだった。
 また、工学修士号を有し理科・工学の基礎的な知識のあることは、脱原発を訴える宇都宮選挙で重要な援助をなし得るものと考えた。
 さらに、司法試験を目指している立ち場で、法律についての素養があることも、政策論争や選挙弾圧対策において重要な意味があると考えた。

 わたしは、選挙の始まる以前の11月19日から、解任される12月13日夜までの全期間、ほぼフルタイムでボランティアとして選挙に参加した。場合によっては早朝から深夜まで。当然のことながら一円も受け取っていない。選挙とはそのようなものだと心得ていた。宇都宮さんの秘書的な立場にあって選挙運動開始以前から彼と行動を共にした。私の任務はスケジュールの管理である。具体的には、常に候補者に同行し、その安全をはかるとともに、彼が過ごしやすいように配慮して、必要な時刻に必要な場所に彼を送り届けることだった。

 私は、候補者本人とは誰よりも長く時間をともにした。スケジュールを策定する本部とも密に連絡を取り合っていた。おそらく、私ほどにこの選挙の全体像を見てきた者はなかったと思う。その立場から、率直に申しあげる。宇都宮陣営の選挙は、およそ選挙の形をなしていなかった。候補者についても、選対についても、負けるべくして負けたというほかはない。

 以下に、候補者と選対について、見聞した事実を語ることにする。事実を語れば、否定的な評価は避けられない。できることなら触れないでおきたいとは思う。それでも、やはり率直に語らねばならない。再びの過ちを繰り返さないという大義のために、である。

宇都宮候補について
・候補者としての魅力に欠けること
 私が、宇都宮さんの随行員を買って出た動機のひとつには、宇都宮さんから多くのことを学ぶことができるだろうとの思いがあったから。きっと、魅力的な人物なのだろうとの期待が大きかった。しかし、一緒にいて、その期待が崩れるのに、たいした時間はかからなかった。その後は、宇都宮さんの魅力に感じてではなく、任務として頑張った。
 候補者には、人と話をして魅了する資質が必要である。ところが、彼はそもそも話をしない。話しかけても膨らませて会話が弾むことがない。私も、最初は頻繁に話しかけたのだが、話しに乗ってくることがなかった。

 彼の演説は毎日聴いたが、聴衆を魅了する憲法訴訟の経験談や、人権擁護の熱意がほとばしるという魅力に溢れた演説は一度も聞いたことがない。私の期待が、そもそも無い物ねだりだったのだ。人を感動させたり引きつけたりする内容のある話ができないのは、候補者として不適格というしかない。そもそも政治家としては向いていないのだと、どうして誰も言わないのだろうか。

 選挙戦の初めのころ、ある運動員が宇都宮さんに話しかけたことがある。「是非、よい弁護士さんに都知事になってほしい。そして憲法の理念を都政に生かしてほしい。私は常々憲法13条こそ一番重要な条文であり、これを生かすような政治が必要だと考えている」
 私は、弁護士が候補者であることの最大の利点は、法律を、とりわけ憲法を縦横に語れることにあると考えていた。これは、猪瀬や松沢、その他の候補者には全くできないことだ。弁護士が憲法13条を語ることは、まるごと自分の憲法観を語ることであり、自分の職業的な使命観を語ることでもある。宇都宮さんが弁護士としてがんばってきた今までの反貧困運動、クレサラの活動などが凝縮された、具体的で理想に満ちたすばらしいやりとりを期待した。
 ところが、宇都宮さんの返事は「そうですか」というだけのもの。あとでその運動員は、大変がっかりしたと語っていた。

・都知事候補者としての政策能力が十分ではない
 さらに候補者としての不適格な点は、具体的に都政を語る力が十分とは言えないことだ。
 これは、彼だけの責任に帰するのは気の毒な面もあるが、都政について語るべきものをもっているとは言いにくい。これまでの蓄積のないことが見えてしまう。
 街頭での演説は、常に同じ内容の繰り返し。選挙戦の進展に伴って、演説の内容が深化していったり、訴えるべき言葉の完成度が高まるということはなかった。

 宇都宮陣営の政策は、抽象的には優れたものかもしれないが、具体性に乏しく、このままでは候補者の演説にはならない。この難題をこなすには多大な能力を必要とするが、明らかに宇都宮さんには重荷に過ぎた。候補者が、広大な東京都の中で、演説する場所に応じた、地域的な課題について触れることもなかった。あえて言えば、秋葉原で表現規制問題に触れた程度だろうか。

 テレビにおける公開討論は総選挙と重なったことで2回だけだったが、宇都宮さんが他候補との議論において切り結び、圧倒するような場面は一度もなかった。切られないようにハラハラしながら祈るばかり。公開討論の回数が少なかったことは、猪瀬の傲慢さを都民に伝える機会が減った点で残念なことであったが、同時に、宇都宮さんの都政への知識不足と熱意不足が明らかにならなかったことは、むしろ陣営に利益だったといえるだろう。

 以下、私が彼に失望した具体的事件を述べる。
・バッヂ事件(NHKでの収録)
 弁護士の世界は別として、ささやかなりとも宇都宮候補が社会的知名度があったのは、年越し派遣村の名誉村長となり、湯浅誠氏などと反貧困運動に関わったから。宇都宮さん自身も、反貧困運動に取り組んできたことを周囲に誇らしげに語っており、どこに行くにも反貧困バッヂを背広に付けていた。
 ところが、政見放送収録のため、渋谷のNHKに出向いたときのこと、収録直前にNHKの職員がそのバッヂを外すように指示してきた。
 これには二重の問題がある。
 一つは、表現の自由との関係である。およそ弁護士として、「表現手段としての大切なバッヂ」を外せと言われて簡単に応じられるはずはない。政見放送が完全に自由に収録されねばならず、あらゆる制限がなされるべきでないこと、それを争った憲法訴訟もなされたことは、広く知られている。憲法を擁護する立場を鮮明に打ち出した候補者として、表現の自由に対する制約に対して常に闘う姿勢を示すべきでないのかという問題が第一。
 次に、反貧困運動を行ってきた仲間に対して、そして「自分のトレードマークはこのバッヂである」と語り真剣に行ってきた運動に対しての裏切りにならないのか、という問題が第二。
 私は、NHKの職員にその指示の根拠となった文書を見せるように要求した。NHK職員が手渡したのは、上司からのメールの一部だったが、その後半には「それでも候補者がバッヂを外すことに同意しない場合はそのまま収録、放送すること」という指示が書かれていた。
 私は、政見放送において、あらゆる制限は認められないという原則をNHKの職員に主張するとともに、選対の法対に連絡し、バッジを外すことを拒否した場合の法的リスクについて判断を仰いだ。法対の判断は外す必要はないし、なんらかの訴訟になれば憲法訴訟として受けて立つに足るものだというものだった。
 私は、法対の判断と、NHK職員のメールから絶対的な要求ではないという先方のハラを宇都宮候補に伝え、どうするか相談した。
 まったく意外にも、宇都宮さんは「ああ、はずしますよ」と理由も言わずバッヂを外してしまった。これには、唖然とした。NHKが政治的に偏向していることは周知の事実ではないか。彼は、何の抵抗も示すことなく、その指示に従ってしまった。たたかう姿勢皆無の人なのだと、私は失望した。
 後日、宇都宮候補は、「マスコミ対応には彼(澤藤大河)よりも、私(宇都宮自身)の方がなれているから」と、私のいないところで語ったという。人権も、運動への誇りも、仲間を裏切る葛藤もなく、NHK職員の指示に従うことが「マスコミ対応になれている」ことにあたると宇都宮候補が考えているのならば、都知事になったところで、官僚や議会多数派の指示に従うだけの都知事になるだけだろう。

・収録時間超過事件(MXTVでの収録)
 NHKでの政見放送の他に、民放各局合同の政見放送収録があり、MXTVに赴いた。
 ここでの収録の際、宇都宮候補は、予め決められていた時間枠を数秒オーバーしてしまった。
 事前に説明があったとおり、他の候補との平等取り扱いのため、収録のやり直しは認められない。さすがに、発話中に突然終わってしまうことは防ぐために、一番最後の「皆さん、ともに都政を作っていきましょう」という呼びかけを削除するのでよいかと、スタッフから質問された。しかし、これでは終わり方が不自然になってしまう。
 私は、何度もビデオを見直して、カットするなら最初の頭を下げる挨拶部分を切ることはできないかと、提案した。最初は、「前例がない」というだけの答えだった。食い下がって、それが不可能であるか問い合わせてほしいと求めたところ、収録スタッフがわざわざ電話をかけて局長に問い合わせ、それが可能だとの答えを得た。
 その結果、幸い冒頭のお辞儀の3秒ほどをカットすれば、時間内に収まることが現場で繰り返し再生することで確認され、無事に最後の呼びかけまで政見放送されることになった。
 この件に関して、宇都宮候補は現場で一切発言しなかった。私のやり取りを傍観していただけ。しかし、やはり事後、この件について、「澤藤は何もしていない。局側スタッフがよいようにしてくれただけだ」と語っている。これには、呆れた。
 そもそも、何百回でも練習して、きちんと時間内に演説できるように訓練してくることすらできない点で候補者としての熱意にも能力にも欠けている。そのうえ、自分の陣営の利益に誠実に活動する者を、守ろうとしない点でも候補者としての資質に欠けることになろう。

・同窓会
 宇都宮さんの同窓会にも同伴した。東大駒場の文T(法学部進学)のクラス会だった。
 30人も出席していただろうか。当時、宇都宮選対内のメールマガジンやツイッターでの情報発信のために、私は宇都宮さんの人となりについての情報をできるだけ集めて選対に送っていた。
 宇都宮さんがどんな学生だったのか、学生時代の友人は彼をどう語るのか、最高の取材の場であると考えて、出席者に話を聞いてまわった。弱い立場の者に寄り添った話や、自分の信念を貫いた話が何か聞けるかと期待した。
 しかし、みな口をそろえて言うのは、「地味だった」「目立たなかった」というものだった。具体的なエピソードについては一切聞けなかったのは、実に驚くべきことだった。
 その場で誰かが、「立候補に当たっての供託金はどうしたんだ?借りたのか?」という軽口が飛んだ。宇都宮さんは、それに「自分で用意した」と答えていた。自ら用意すると一旦は言いながら、結局用意できずに、他人から借りた事情を知っている私の前で、なぜそのような嘘を申し述べるのか、理解に苦しんだ。
 その上、その場で旧友に対し、供託金が高すぎて負担が大きいとの持論を繰り返し述べていた。供託金が高いことを問題視するならば、自分で用意できないほど高いのだと率直に語った方が、かわいげがあったのではないだろうか。

ずいぶん、長くなった。今日は、ここまでとする。明日は、私を切った選対の体質について、お話しをしよう。


宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその7

 昨日に引き続いて、本日も2部構成。第1部が、宇都宮選対に参加して不当な「任務外し」を経験した、澤藤大河(澤藤統一郎の息子)の執筆による報告。
そして、第2部が安倍首相の靖国神社参拝への、昨日とは別の切り口。興味をもってお読みいただけるように、工夫をしたつもり。是非お読みいただきたい。

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            宇都宮選対の体質と無能力について
・スケジュール管理の問題
昨日述べたとおり、宇都宮選挙での私の任務は候補者のスケジュール管理だった。
 候補者の予定は多岐にわたる。主なものとして、各種支援団体への挨拶、マスコミへの取材協力、テレビ局での収録、運動を行っている団体と共に現地の視察、各種集会での幕間挨拶、そして街頭宣伝などがある。

 この候補者スケジュールの設定に大きな問題があった。まず、「貴重な」宇都宮候補の身柄の時間的分配をどうするのかその基本的な原則がない。それだけでなく、意思決定の手続のあり方が全くわからない。
 多くの団体・個人が集会を企画し、宇都宮さんに参加してほしいという要望を選対に寄せてきた。確かに、この全てに参加することはとてもできない。しかし、少なくともどういうルールで宇都宮さんが参加するのか原則の公開と、個別的にどのような理由で参加できないのかを誠実に説明することは最低限のマナーとして絶対に必要であった。しかし、現実には、選対は参加要請にきちんと返答することもなく、「メールしたのに返事がない」「返事を約束しておきながら、すっぽかしだ」という苦情が絶えず、宇都宮さんに同伴している私にも多くの方が不満が訴えられ、選対へ伝えるように依頼があった。私はその都度常に、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店編集部従業員)に伝えたが、苦情は終盤まで絶えなかった。

 多くの政党や政治勢力が対等な立場で支援をしていたのだから、支援してくれる各政党や政治勢力に、実質的に等距離で接し、なによりも外形的に公平に扱う必要があることは明らかだった。このことは、総選挙と同時選挙になって、宇都宮さんが各党の衆院議員候補者と相互に応援し合う関係が生じてからは、とりわけ重大な問題となった。しかし、宇都宮選対の作成した実際のスケジュールが、公平なものでなかったことは誰の目にも明らかだった。どうして、選対内部や事務局から、あるいは支持政党の側からこのような非原則的な運営に批判が出なかったのだろうか。
 候補者との個人的知り合いだったからか、選対本部構成員の誰かとの関係が深かったからか、例えば初鹿衆院議員候補への応援には2回行っているし、山本太郎衆院議員候補への応援も2回計画されていた(私を解任した後の無能な随行員の不手際により2回目は参加できていない)。各党の全候補者を平等にひと回りする時間的余裕はないのだから、特定候補者の応援に2度駆けつけるのは明らかに不公平。これに対して、例えば日本共産党やみらいの党(生活)などの衆院選候補者の多くは1回の応援も得ていない。

 また、候補者スケジュールの決定は信じがたいほど不手際で、遅すぎた。これは、単なる事務的な能力不足という問題ではない。むしろ、この選挙の意義を自覚して勝とうという本気さが足りなかった。いや、足りないというのは不正確、皆無だったというべきだろう。アルバイト気分の選挙事務局スタッフには、選挙に勝ちたい、勝つために工夫をし、そのための努力をしよう、この選挙を勝ち抜くために人の意見も聞こう、苦い批判にも耳を傾けようというまじめさがなかったからではないか。「仲間内のなかよしを重視した楽しい選挙戦」に終始し、重要な選挙戦にふさわしい、選対事務が行われていたと胸を張れる者はいないはずだ。

 驚くべきことだが、選挙序盤では、熊谷伸一郎事務局長(岩波)の「安全上の問題から、宇都宮候補の予定は公開されるべきでない」という馬鹿げた方針によって、選対に宇都宮候補はどこにいるのか問い合わせても、教えないし答えられないという状況だった。

 一回一回の街頭宣伝に多くの人に集まってもらい、勢いのある様子を都民に見てもらうことが街頭宣伝チームの任務だと考えていた私は、選対事務局の秘密主義には困惑した。この選対事務局長の秘密主義により、街頭宣伝に全く人が集まらないことが続いた。あまりの事態に、私だけでなくチームのみんなが不満を述べた。その結果、この秘密主義は修正され、街頭宣伝の予定が公開されるようになる。熊谷さんはどうして、このような馬鹿げた指示を出したのだろうか。彼限りの判断だったのだろうか。誰が「秘密主義方針」の決定に賛成し、また方針変更することになったのか。こんな「大失敗」がきちんと内部的な総括の対象になっているとは今まで聞いていない。

 しかし、秘密主義の方針撤回以後がたいへんだった。スケジュールの決定は極めて遅く、前日の夜になっても翌日の予定がよくわからないことがたびたびであった。これには、宇都宮さんも閉口し、私に対して、選対本部にスケジュールの早期決定を要求するように何度も指示している。この指示を受けての私と選対事務局との交渉が、先鋭的な対立の具体的な理由となった。

 とにかくスケジュールの決定が遅いのだから、明日の街宣の予定が立たない。予定地付近の支援団体や勝手連に事前の告知ができない。その結果として行く先々の街頭宣伝に人が集まらない。候補者の行く先々が大変寂しい状況が続いた。これで宇都宮支持の熱気が盛りあがるはずもない。この状況を打開するためには、とにかくスケジュールを早く決めて、そこにたくさんの人が参加するように時間の余裕をもって呼びかける必要があることは自明だった。私だけでなく、街宣車の車長(杉原氏)も、その他の街頭宣伝メンバーも皆一致した認識だった。街宣車の主要なメンバーでの話し合いは頻繁にもたれ、選対本部に対してもっと早期のスケジュール設定と開示を求めることになった。

 選対本部との交渉の役割を誰が担うべきか、特に任務分担があるわけではない。候補者はやらない。車長もやろうとはしない。候補者を予定通りに現場に連れて行くことが私の任務であり、その予定を得るためでもあるので、私がその役割を引き受けることになった。もちろん、選対には最初から厳しく要求したわけではない。電話でメールでFAXで、予定を求め続けた。しかし、選対の対応は、信じがたいほど緩慢だった。通常の企業であれば到底許容できない水準の怠慢といってよい。

 私が、選対本部にスケジュールを求めると、「未だ決まっていない」と言う。じゃあ、いつ決まるのか、と問うと「分からない」と言う。誰がどのようにして決めるのか、聞いてもさっぱり要領を得ない。最終的には熊谷事務局長が決めるという。熊谷事務局長はどこかと聞けば病院に行ってしまい、いつ戻るかわからないという有り様。挙げ句の果てには、「街頭宣伝などでは大きな票を動かすことはできない。事務局はマスコミ対策で手一杯であり、街宣はその後に位置づけられている、スケジュールが出なくてもそのまま待っていればよい」と言われる始末。
 ようやく熊谷事務局長をつかまえて、決定権者が不在で決定できないなら、別人が決定できるような仕組みを作るべきではないかと言えば、「おまえの仕事はそんなことではない。僭越だ。言われたとおりの仕事をやっていろ」というのが熊谷伸一郎事務局長(岩波)の言だった。言われたとおりの仕事をしようにも、どう仕事をすべきか事務局長が決めるべきスケジュールが決まらないから、仕事が出来ず困っているのだ。この人の言うことは非論理的でよく分からない。ともかく、これでは選挙戦の体をなさない。このときは、街宣車が大東京の中の「迷える仔羊」になったようで心細い限りであった。

・熊谷事務局長「居留守」問題
 熊谷伸一郎事務局長(岩波)のその任に適さない事実をもう一つ挙げておこう。
 四谷三丁目の選挙事務所を借りる前、東京市民法律事務所を間借りして選挙運動の立ち上げ準備をしていたころ。私が選対に参加して2日目だから、11月20日の出来事である。
 「明るい革新都政を作る会」の中山伸事務局長が、熊谷伸一郎事務局長(岩波)と連絡を取ろうと、何度も何度も電話をかけてきた。
 私はその度の電話を受け、帰ってきた熊谷事務局長に伝言し、返電するよう伝えた。
 それに対する熊谷さんの言に驚いた。「ああその人には電話しない」「その人には(熊谷は)いないっていって」「ぼくはその人が嫌いなんだ」「その人が、出馬会見前に支持表明しようとして、生活の党からの支持が吹っ飛ぶところだった。大変な迷惑を被ったんだ」というのだ。

 中山伸さんは、さらに熊谷事務局長が在室している時にも熊谷さん宛に電話をかけてきた。熊谷さんは、電話を受けた者に対して、声を出さないまま両手の人差し指をあごのひげの前で交差させ、居留守を使うように指示した。

 勤務2日目の私も、さすがに批判を口にした。「居留守なんか使わずに、電話に出てお話しすべきでしょう。選挙戦は短いんですよ」と言ったところ、「そのうち電話するからさ」との返事だった。ああ、この人は、不誠実きわまりない人物なのだ。

 この「明るい革新都政を作る会居留守事件」が、熊谷事務局長と宇都宮選対全体の体質についての、私の第一印象として深く刻みこまれた。その後の事態の推移は、この第一印象を訂正するものではなく、正しさを確認するものだった。

 この選対は、共闘の結節点としての重責を担う資格がない。共闘を成功させるための選対は、高い道義性によって信頼を勝ち得なければならない。その観点からは、共闘の重要な構成団体の事務局長への「嫌いだから、居留守」は、不適格を明らかにしたものではないか。意見の相違があれば、政治的に指摘すべき問題点があれば、会ったうえでそれを批判するのが当然の道義だろう。また、ひとりの社会人のあり方としても、居留守を使うのが恥ずかしいこととは思わない感性の持ち主は信頼し得ない。周囲の選対スタッフに、自らが裏表のある信頼できない人物であると公言しているに等しい、という認識がない。熊谷伸一郎事務局長の能力の不足は後に知ることになるが、道義の欠如はここで明らかだった。

 また、生活の党からの支持を得ることが重要だという、選対(あるいは熊谷)の政治判断もまた批判的に検討されねばならない。生活の党の支持を得ることが「明るい革新都政を作る会」との友誼の形成を二の次としてた優先課題であったか、それがどれだけの効果を生じさせたのだろうか。この検証はされていない。

・随行員としての任務外し
 私は、選挙戦を3日残した12月12日午後9時30分に、突如上原本部長から、選対事務所に呼び出され、そこで、随行員としての任務外しを言い渡された。青天の霹靂のことである。これは事後にわかったことだが、後任の人選まで事前に済ませており、周到に準備された「だまし討ち」だった。
 熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、「翌日休むように命令しただけで、任務を外す命令ではない」と言っているようだが、詭弁も甚だしい。選挙戦はあと3日しかないこの時期に、候補者のスケジュール管理に責任をもっている私を、慰労のために休まようとしたとでも言うのだろうか。一刻も選挙活動のための時間が惜しいこの時期に、私を休ませる理由があるはずはない。実際、私を外したことによる後任の不慣れによる不手際は現実のものとなっている。上原本部長や熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、選挙運動の円滑な運営よりも、私への「小さな権力の誇示」と「嫌がらせ」を優先したのだ。
 企業が、邪魔な労働者に嫌がらせをする際には、まやかしの理由でカムフラージュするものだが、「疲れているようだから休養の指示」というのは、もっともらしい理由にもなっていない。
 私が、任務外しの理由を問い質したところ、まずは「疲れているから」というものだった。それに加えて、「女性は厳禁とされた随行員に、選対本部の許可なくTさんを採用したこと」も、理由とされた。なんと馬鹿馬鹿しい理由。
 私は反論した。ここで一歩も退いてはならないと思った。直感的に、これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、「民主陣営」の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっていると考えたからだ。
 まず、「命令」なのか確認をしたところ、上原公子選対本部長は「命令」だと明言した。私はこれは極めて重要なことと考え、上原選対本部長には「命令」する権限などないことを指摘した。お互いにボランティア。運動の前進のために、合理的な提案と説得と納得の関係のはず。上命下服の関係を前提とした「命令」には従えない、ことを明確にした。このときの上原公子本部長の表情をよく覚えている。彼女は、熊谷事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、「この人、私の命令を聞けないんだって」と笑ったのだ。私はこの彼らの態度に心底怒った。
 それでも、論理的に説得しようと務めた。逃げ腰の上原公子選対本部長を制して、この不当な措置に対する私の言い分を聞くよう要求した。その結果、私は上原公子本部長にようやく2分間だけ弁明の時間を認めさせた。上原公子選対本部長は、夜の9時半にわざわざ私を呼び出しておいて、「忙しいから2分間だけ」ということだった。
 私は、その2分間で、「ボランティアのTさんに随行員となってもらったのは、車長も含む街宣チーム全員の話し合いの結論だったこと。選対事務局に人員増強の要請をしても応じてもらえず現場の必要に迫られての判断だったこと。そして、市民選対の誰にも、命令の権限も服従の義務もないこと」を喋るつもりだった。
 しかし、このわずか2分間の約束も守られなかった。私の弁明は途中で打ち切られた。上原公子選対本部長は、「会議に呼ばれているから、そっちに行かなくちゃ」と、結局は1分半で席を立って姿を消した。

 得難い経験だった。不当解雇された労働者の無念の気持がよく分かった。理不尽な「小さな権力」の横暴の恐ろしさが身に沁みた。「この人、私の命令を聞けないんだって」という上原と熊谷の薄ら笑いを忘れることはないだろう。

 こうして、私とTさんとは、随行員としての任務から外された。翌日のスケジュールにしたがって、いつものとおり街宣車に乗ろうとしたが、気の毒そうに車長から拒否された。

 私は、その後は本郷の自宅付近で、近所の勝手連の人々と一緒に街宣活動やビラ撒きに参加した。Tさんは、心配して遠巻きに候補者を気遣い、ある局面では後任者の手際の悪さから、うろうろしていた宇都宮さんを誘導して昼食がとれるように案内したことがあったという。このとき、内田聖子運動員(選挙運動報告書によれば選挙運動報酬5万円受領)から、「あなたは任務を外されたのだから余計なことをしないで」と面罵されたそうだ。これは、宇都宮さんの面前のことだったが、宇都宮さんは見て見ぬ振りだった。そう、涙ながらに聞かされた。

 この任務外しの真の目的が何であったのか、今冷静に考えても私にはわからない。残り3日という最終盤になって、人事をいじって混乱を持ち込む必要は全くないはずだった。私が選対に過度に批判的だったとしたところで(もちろん、私は正当な要求だと考えているが)、この選挙最終盤には私は候補者と共に移動し続け、選対事務所に戻る機会さえなかったのだから、選対事務に実害が及ぶはずがない。結局は、「小さな権力を誇示したい」「澤藤に嫌がらせをしておきたい」という動機しか考えようがない。その機会は、選挙が終わってからでは間に合わない、最終盤を迎えた選挙運動への影響はどうでもよい、今のうちにやってしまえ、と考えたのであろう。ボランティアのTさんは、あきらかに私の巻き添えで、申し訳ないと思う。しかし、私にとっての救いは、全ての経緯をよく知っているTさんが、私と一緒に、選対と候補者に怒りを燃やしていることである。選対にはそのやり口の汚さ、宇都宮さんには弱者の側に立たない優柔不断さに憤っておられる。

・市民選対内部の「権力関係」について
 そもそも、市民選対において、選対本部長だろうが事務局長だろうが、ボランティア参加者に命令ができる権限があろうはずがない。この点で、あたかも「業務命令権限」をもっているかのごとき感覚の両名に反省を促したい。そんな感覚だから、人が集まらない。参加した人が生き生きと活動できないのだ。このような、市民運動を担うにふさわしくない人物が運動の中心に坐ったことが、選挙の失敗の大きな原因であったろう。

 まずは、対等・平等な立場で市民が参加し結集していることを確認しよう。すべての参加者が自発性に支えられて活動をしている。そこには、命令服従の関係はなく、誰の誰に対する命令権限も服従義務もない。あるのは、合理的な提案と、自発的な賛意に基づく行動の原則である。提案には丁寧な説明・説得がともない、それに対する納得があって、個人が行動に立ち上がる。意見の齟齬があれば、批判の権利が保障されたうえで、説得と納得によって人を動かすしかない。問答無用で人を動かすことはできない。うっかり、そんな権力的な人に権限をもたせたらたいへんなことになる。

 選挙運動参加者はあくまで平等である。もちろん、寄付の金額の大きな人が、大きな影響力を持ってはならない。誠実な運動参加者こそが、自ずから影響力をもつことになるだろう。
 敢えて、選挙運動参加者の立場の上下に触れるとすれば、一円ももらっていないボランティアの運動員が本来的な選挙運動の主体である。金をもらった労務者(上原公子10万円・服部泉10万円・石崎大望17万円など)、あるいは派遣元から金をもらっている者は、実質的な意味での選挙運動、すなわち選挙政策の決定・宣伝・人事等に関わってはならない。「会」と、「労務者」「事務員」「車上運動者」との間には、単純な労務の提供、純粋な事務作業を目的とする雇用契約が成立し、そこでは職務命令が可能になる。つまり、会の運動を支えているボランティアと、金をもらった労務者との間には、明らかに法的な立場の区別がある。金をもらっている労務者に、ボランティアが命令されるという、本末転倒な状況が生じていたのだ。

 私は随行員としての任務を誠実に遂行してきた。常に陣営の利益のために、4つの柱の政策のもと、時には候補者本人よりも原則的に対応してきた。現場に候補者を連れて行けなかったことは一度もない。これは、そう当たり前の簡単なことではない。交通事情・事故情報を勘案しながら、目的地に最も早く到着する方法を常に考え続けなければならない。宇都宮さんがタクシーで移動する時間を調整し、携帯電話で会話できる状況を作り上げ、三鷹公団団地弾圧事件の被害者と電話で会話できるように舞台設定もした。選対本部と相手先に到着予定時刻を刻々と報告し続ける。街宣車での自動車移動では間に合わないと判断し、途中で電車に乗り換え、集会に遅刻せず到着したこともたびたびある。
 私が解任された後の後任の随行員は、漫然と街宣車での移動を続け事故渋滞に巻き込まれ、選挙戦最終日の前日、街頭宣伝集会に宇都宮候補を大幅に遅刻させ、集会参加を断念するという不手際を演じている。私は十分にその任を果たしたと自負している。

 一方、スケジュール一つ決めることのできない選対本部長・事務局長・選対本部は、選挙戦全体を統括する能力に欠けていたというほかない。
 その選対が、私を切ったのだから、何とも奇妙な本末転倒の出来事というしかない。

 思い出すと、止めどがない。今日はこれまでとしたい。私も、受験生の身でこの作業に多くの時間を割く余裕はない。明日で一応完結としたい。明日は、私とTさんの、権利侵害回復の要請に、宇都宮さんと「人にやさしい東京をつくる会」がどのような対応をしたかについて、お知らせをしたい。

 私は、このことは、重大なことと考える。明日の私の報告をお読みになった上で、宇都宮さんを本当に推せるのか、「人にやさしい東京をつくる会」の再度の活動が認められるのか、よくお考えいただきたい。


宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその8

本日の毎日朝刊に、「宇都宮氏出馬へ」の記事がある。「支援者らは26日に対応を協議。別の候補者擁立を探る意見も出てまとまらなかったが、宇都宮氏が他陣営に先駆けて出馬表明を決断した」とやや奇妙なニュアンスを伝えている。推す人がなくとも、君は出たくてしょうがないようだが、みっともない。立候補は辞めたまえ。

昨年の選挙では、誰よりも強く君を支持し、家族を上げて、君を「素晴らしい候補者だ」と言ってまわった私だ。その私が、君には都知事候補としての資格がないと言っている。昨年の惨敗を繰り返すだけだから出ても無駄だ、と言っているのではない。もっと積極的に、きみは出るべきではない、と言っているのだ。その理由は、今日で8回目となるこのブログに綴っているとおりだ。このブログは終わらない。君が立候補を断念するまで、私は書き続ける。

もしかしたら、君は、批判の風当たりを強く受けている「上原公子選対本部長・熊谷伸一郎事務局長(岩波)」体制を清算し、新しい選対体制で再出馬することによって批判を避けうる、とでも思っているのかも知れない。しかし、それは間違っている。問題は、君自身の資質、能力、そして法的リスクにある。君が、立候補を断念することが最も賢明なことなのだ。仮に君が当選したとして、再びの百条委員会や、3年続けての都知事選は悪夢だ。

また、もしかしたら君は、裏交渉で、各政党や政治勢力に、それなりの支持の感触を掴んでいるのかも知れない。しかし、まだ正式に君を支持すると名乗りをあげたところはない。正式支持の表明まで、私のブログはあらゆる事実を提供し続ける。裏の約束が、表のものになる保障はないとお考えいただきたい。

私は、君を誹謗する立場にはない。消費者問題弁護士群の一員として君が真面目にやってきたこと、反貧困問題に足を踏み出したことは評価している。生涯、そのような立ち場でコツコツとやるのが君に似合っている。革新統一の都知事候補は、君の柄ではない。

君よりも、遙かに有能で、魅力に富む、適格な候補者はたくさんいるだろう。君は、そのような人選に汗をかくべきだ。そうすれば、私は君を見直す。ところが君は、早期に立候補表明をすることで、幅の広い革新統一の候補者選びを邪魔しているのだ。是非とも、立候補はおやめなさい。そして、出馬宣言もおやめなさい。

本日が、私の息子・大河の(おそらくは)最後の報告である。

     **************************************************************    
 宇都宮健児さんと宇都宮選対に対して、一昨日・昨日と続けて批判の文章を公表した。しかし、思いの丈を書き切ってはいない。多くの人の目に触れることを意識した自制が働いている。
 私も法曹を目指す者として、名誉毀損や侮辱の構成要件は心得ている。民事上の損害賠償請求権の要件事実についてもだ。受けとりようによっては辛辣な批判となっているかも知れないが、人格攻撃は避けている。けっして、批判されている者の社会的評価をおとしめることを目的としているわけでもない。
 あくまでも私は、宇都宮さんについては、都知事という公職の候補者してふさわしい能力や姿勢をもっているかを問題にし、また、選対については、革新統一の選挙を担うに足りる能力や適格性を問題視しているに過ぎない。
 仮に、私の文章の中に「公然と事実を摘示して」、外形的には「人の名誉を毀損」する部分があったとしても、摘示した事実は公共の利害に関する事実にかかり、事実摘示の目的はもっぱら公益を図ることにあり、摘示した内容は真実なのだから、当然に違法性はない。そもそも、言論は自由であり、とりわけ公職に就こうとする者についての批判が封じられてはならない。

 私の指摘の事実はすべて、東京都知事選という巨大な自治体の選挙に関することであって事実の公共性は当然に認められる。有権者に正しい情報を提供して、次の都知事選挙に臨んでもらいたいという私の目的は、もっぱら公益を図ることにある。そして、何よりも摘示の事実として真実以外のことは語っていない。

 以上の枠を意識しての私の文章の内容であるから、どうしても自制せざるを得ない部分がある。すべては真実であって誇張はない。むしろ、筆を抑えての報告である。
   ****************************
      不当な任務外しに対する権利救済をめぐって
 2012年12月12日不当に任務を外された私は、上原・熊谷両名に対し、解任の経緯の確認と理由を尋ねる何通かの公開質問状を作成し発送した。今に至るもこれに対する応答は一切ない。その内容は、当ブログにおいおい発表されるだろう。

 なお、私は、この公開質問状を多くの関係者に見てもらおうとした。ところが、私の解任直後、投票日を迎えないうちに、全く事前の告知のないまま、私は選対のメーリングリストから排除されていた。私は、随行員としての任務の剥奪だけでなく、選対に結集する運動員としても排除されたのだ。これは理解に苦しむ。彼らが自分たちのしたことを、理由のある正当なことだと考えているのであれば、私の批判を恐れたり、発言の場を奪う必要はない。一切の批判を封じようという、露骨な姿勢を見せつけられた思いだった。

 宇都宮候補の政策に共鳴し、選挙に協力したいと結集してきた者を、選対本部長と事務局長が追い出し排除することができるのだろうか? かつて安倍政権はその論功行賞による露骨な仲間内人事で「お友だち内閣」と揶揄された。宇都宮選対は、多くのボランティア参集者を排除した「お友達選対」になっていたというほかない。しかも、選対本部長や事務局スタッフについては、仲良く選挙カンパの分け前に与ってのことだ。

 私は、選挙で知り合った知人に問題を知らせた。多くの知り合いから、選対の体質に批判的な意見が寄せられた。恣意的な人事、各党派に対する不平等な対応、要請に対して意図的とも思える無視や放置など、私に起きたことは氷山の一角だったことが少しずつ明らかになった。

 宇都宮さんは、私とTさんが訴える、随行員外し事件の解決を約束した。しかし、積極的に動こうとはしなかった。問題解決の場を作ることは大変難航したが、私の父が運営委員として強く求めたため、渋々とではあったが、2013年2月28日に、1時間だけ事情聴取の場が作られることになった。この時点で父に友好的な運営委員は既に誰もおらず、父もまた「外部」の人と認識されていた節がある。結局、「内部」から自主的な解決の動きはなかったといってよい。
 しかし、この事情聴取は到底公正・公平な形をもったものではなく、公正・公平な運用もされなかった。そもそも、宇都宮さんと宇都宮選対に、公正さを求めたこと自体が間違っていたのだ。

 不当な解任劇の一方の当事者は解任された私とTさんであり、他方当事者は解任した上原選対本部長・熊谷事務局長ということになる。
 一応公平な問題解決の場を作ろうとするのであれば、当事者以外の者が、両当事者の話を聞いたうえで事実を確定し、裁定する必要がある、というのが常識的な考えになろう。
 しかし、私や父の、「当事者を除いた公正な「三面構造」の形をつくるべきだ」という要求は通らなかった。「そんなことをしたら、会が不当な解任を認めたことになる」と信じがたい発言をした委員(高田健)もいた。何が起きたのか、真摯に事実を解明しようという態度ではなく、不当な事実はなかったという結論の決めつけがそこにはあるだけだ。 父を除く全ての運営委員が、そのような仕組みに賛成し、あるいは反対しなかった。しかも、その場での発言内容は一切秘密であり、外部で話さないことを条件とされた。私はこの条件を拒否した。市民に開かれた選対が、選対が批判にさらされている点について秘密にするなど、自己矛盾としかいいようがない。父以外の出席した全ての運営委員が秘密にすることに賛成した。
 私はこのような事情聴取そのものを拒否したかったが、「どんな形でも、訴えを聞いてもらった方が良い。中には、真面目に耳を傾けてくれる人もいるはず」という父の説得を一部分受け容れた。結果は、父の判断が甘かったことを示している。

 結局は、上原・熊谷が当事者でありながら事情を聴取する側にいるという、糾問的なお白州状態となった。政府や政権党の秘密主義を批判し、特定秘密保護法に反対するかのような態度を示しつつ、自らが小さな権力を持てば、すぐに秘密にしたがる運営委員の体質と宇都宮さんの人間性は強く批判されなければならない。
 私とTさんは解任された当事者側からの事実主張を1時間ほど行った。
 その間、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店)は、机を叩いて立ち上がり、「侮辱だ!撤回しろ!」と私を罵倒したり、川添誠(首都圏青年ユニオン)運営委員は、「げす!げす!」と大声で怒鳴り続け、さすがに中山武敏代表にたしなめられるほどの醜悪さだった。

 なるほど、この場は、選対に批判的な者をこのように罵倒するための場であり、罵倒したことを秘密に保ちたいからこそ秘密を要求したのかと、腑に落ちた。

 私とTさん、そして事情を知る立ち場にあって、私が要請した証人のお二人が発言した段階で、私とTさんは退席した。私は、不当な質問があった場合や、運営委員会の在り方について疑問を持った場合に、それを公開する権利を留保することを譲れないとしたが、それが受け容れられなかったからである。

 結局、その場で事実の解明も裁定もなされず、宇都宮さん・中山代表・上原選対本部長に解決方法を一任するという確認がなされた。一方当事者である上原に解決を一任しても何の意味もないことは明白だが、私はそれでも、間に入ると明言した宇都宮さん・中山代表を信じて、ずっと待ち続けた。

 宇都宮さんの「何とかする、このまま放置はしない」という言葉を私は重く受けとめた。いやしくも彼は、信用を職業上の生命とする弁護士である。その弁護士が一度口にした以上、解決まではできなくとも、何らかの提案はなされると期待した。それができなくても少なくとも報告くらいはあるだろう。

 ところが、ほぼ10か月が経過し、何も解決されないまま、猪瀬辞任、再選挙という運びとなった。問題は今に至るも放置されたままであり、責任の所在は明らかにされていない。それでも、会は再び邪魔者を排除して動き出そうとしている。

 私は、これだけの手順と時間をかけ、選対や運動の内部での解決を訴えてきた。なんらかの解決の提案が約束されていたのに、それが反故にされてしまったのだ。
もう、黙っている必要はないだろう。外に向かって、事実を明らかにしてもよいだろう。

 多くの人が結集し運動をすすめるうえで、意見が異なることがあるのは、当然のことだ。その解決は面倒でもじっくりと話し合うしかない。
 宇都宮選対は、この解任劇の収拾程度の些細な問題について、意見の違いがある場合に、話し合うことをせず、多数派を批判する少数派を罵倒して追い出すことしかできなかったのだ。このような選対が、意見の相違のある都政の政策問題について、じっくりと話し合うことができるだろうか。わたしは、この選対には、幅広い都民の結節点となり、都知事選を勝ち抜く能力はないと思う。
 積極的に私を排除する策動をした上原公子(前国立市長)・熊谷伸一郎(岩波書店勤務)・服部泉(東京プロデュース)・川添誠(首都圏青年ユニオン)、「お白州構造」に賛成し秘密会にするべきだと主張した高田健(市民運動)、その場では黙って何も発言しない海渡弁護士、調整のできない会の代表中山弁護士、運営委員の誰もが話し合いで問題を解決する姿勢も能力もない。

 なによりも、解任直後には、私に、「随行員としての任務執行に何の問題もない」、「よくやってくれた」と言っておきながら、手のひらを返して、私の「コミュニケーション能力に問題があった」とした卑怯な宇都宮弁護士には、怒りを禁じ得ない。不足していたのは、前言を翻すことをためらわないあなたの良心と誠実さである。
 選対も候補者も、選挙を担う能力も資質もない。

 一般社会の常識に従い、丁寧に事情を聞き取り、一人の人間として尊厳を認めたあたりまえの対応がなされていれば、私もここまで態度を硬化させることはなかっただろう。
 不当な解任までのあの一ヶ月間、ほぼ全生活を選挙に専念し、家族よりはるかに長い時間を共に過ごした私に対して、宇都宮さんから、一言のねぎらいも感謝の言葉もなかった。
 端的に言って、宇都宮さんは人にやさしい弁護士ではない。弱者の側に寄り添おうという基本姿勢がない。不当な扱いを受けたと訴える人の気持が理解できない。真剣にその人の言い分に耳を傾けようという、人権を大切にする弁護士としてのひたむきさに欠ける。

 彼には、同調圧力の中で、いじめの一端を担ったという自覚がないのだろうか。クレサラ問題、反貧困運動など彼の取り組んできた運動において、関わってきた社会的弱者に、これまでどういう態度で接してきたのだろうか。

 そういえば、選挙期間中、彼に救われたと感謝して応援に駆けつけた人を一人も見ることはなかった。
(2013年12月28日)

宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその9

宇都宮君、今日はほかならぬ君自身の、公職選挙法違反の事実(運動買収罪)を指摘する。正直なところ、やや気が重い。しかし、やはり指摘しなければならないと決断した。今日指摘する君の行為は、徳洲会や石原宏高陣営が行った違反行為と変わらないのだから。

本日の赤旗が、君の「都知事選への出馬の意向を表明」を伝えている。奇妙なことだが、誰の推薦とも書かれていない。「人にやさしい東京をつくる会」の名さえまったく出てこない。昨年は、有識者40氏の声明を先行させて、候補者選定手続の正当性にそれなりの心配りをしたが、今回はそれもない。君の立候補によって、革新・リベラル陣営が、反石原・猪瀬、そして反改憲・反安倍・脱原発の勢力結集に、適任の候補者を探し出そうというプロセスが抑え込まれようとしている。「推す人もなしの出馬の意向」は、とにもかくにも「自分が出たい」という君の気持ちだけがぎらついて、他の候補者選びへの牽制の意図が見苦しい。

本日の赤旗は、共産党の宇都宮支持を報じてはいない。「政策を支持していただけるすべての団体、政党に支援を訴えたい」という君の言を紹介するだけだ。君は、これから政策を作って「この指とまれ」と声を上げるつもりのようだ。どなたが政策を作るのかは知らないが、その政策を実現するにふさわしい有能で魅力ある別の候補者を捜すべきではないか。

少し驚いたのは、君が記者会見で、「徳洲会からの5000万円裏献金疑惑について徹底解明し追及していく」と表明したとか。ほんとに、そんなことが君にできることなのか。君にそう言う資格があるのか。省みて、疚しいところはないのか。

同じ赤旗の別のページに、維新関連の不祥事が3件報道されている。一見すると「軽微」な事件、しかし、さすがに赤旗は政治がらみの違法に関する事件はきちんと報道している。

私は、選挙制度を大切に思っている。公選法の弾圧法規としての部分には断固反対し闘ってきたが、選挙の公正を確保するための公選法の規定は、大切にし、これを武器として保守陣営の金権政治の横行と闘ってもきた。

この点に、ダブルスタンダードがあってはならない。私は、自分のブログで、誰よりも熱心に、石原宏高を叩き、徳洲会を叩いてきた。宇都宮君、君の選挙だから例外というわけにはいかない。とりわけ、革新陣営には、高度な廉潔性、清廉潔白性が求められる。都知事選の候補者たらんとする革新統一候補となればなおさらのことだ。

ところが、君には廉潔性が欠けている。それどころではない。今日の赤旗が報道している事件と同列の疑惑がある。君が立候補の意向を表明したというのだから、そのことを指摘せざるを得ない。そして、まだ、宇都宮君を推すとは決めていない、各政党や政治勢力、各民主団体、そして選挙運動に参加しようという志をもつすべての市民に、警告を発したい。宇都宮君を推すことは、私が指摘するリスクを引き受けることになる、それでも敢えて宇都宮君を推すのかどうか。

本日の赤旗が報道する維新関連不祥事3件のうちの1件は、松井一郎大阪府知事が「政治資金収支報告書に、自分の会社からの『寄付』を記載しなかったこと」について告発された事件の不起訴の報道。これは、松井の政治団体への単純な金銭寄付の報告書不記載ではない。松井が経営する電気工事会社から二人の社員(秘書)が、政治団体の職員として派遣されていた。二人の給与全額は派遣元の電気工事会社から支払われていた。この、「給与相当分を寄付金として記載しなかったこと」が政治資金規正法違反に当たるとして市民団体から告発されたもの。その告発を支える法解釈は総務省見解に基づいてのものだ。不起訴の理由は「嫌疑不十分」だが、何がどう不十分だったのかは報道ではさっぱり分からない。

松井は、自分が経営する会社の社員を、自分が主宰する政治団体の職員として派遣して使ったのだ。松井の頭の中では、会社も政治団体も、自分が主宰し金を出しているのだから、何の区別もないのだろう。このことが良識ある市民からの大きな批判となった。松井の告発代理人には、私もなったし、宇都宮君もその一員だったではないか。

労働契約にだけ拘束される立ち場の労働者が、使用者の政治的立場を押し付けられてはならない。会社の従業員が、社長の主宰する政治団体に派遣や出向をさせられてはならないのだ。そのような事実があれば、きちんと事実関係を追跡することができるように、透明性が確保されなければならない。政治資金規正法による報告書に記載の義務がある。政治団体に派遣された「秘書」の給与相当分の報告書不記載は、単なる形式犯ではない。

問題は、この労働者の派遣先が、一般的な政治団体の活動ではなく、具体的な選挙運動となった場合のこと。このばあいには、公選法に明確に違反する犯罪「運動員買収罪」が成立する。派遣元も、派遣された労働者も、処罰対象となる。宇都宮君、君には心当たりがないか。保守陣営は汚い、違法を繰り返してきたと、我々は告発してきた。君には、その先頭に立つ資格があるか。

徳洲会は強く批判されている。君が追及するという猪瀬は、その徳洲会から金をもらっている。さて、その徳洲会とは何をしたのだろうか。

昨年12月の衆院選で、徳洲会は傘下の病院職員を鹿児島3区の選挙運動に送り込んだ。「徳洲会では選挙は業務が当たり前。ある意味、本業の医療より優先される」との職員談話も報道されている。病院職員が、労働契約上は生じ得ない選挙運動業務に動員されているのだ。

おそらくは、徳田虎雄の頭の中は、病院職員は自分の子飼い、医療をやらせようと選挙運動をやらせようと同じ賃金を支払っておけば何の問題があるものか、というものであろう。しかし、選挙運動は、無償でなくてはならない。病院職員としての賃金を支払いながら、選挙運動をさせれば、典型的な運動買収罪(公選法221条1項)に当たる。強制性が問題なのではない。無償原則違反が問題となるのだ。

そこで、脱法のためのカムフラージュが必要となる。この種のカムフラージュの常套手段は、「欠勤の扱い」か「有給休暇の取得」かのどちらか。まったくのボランティアとして自主的に、無償で選挙に参加したという形づくりが必要なのだ。徳洲会では、「欠勤による給与の減額分は賞与で加算支給するほか、1日3000円の日当が賞与に上乗せする形で支払われていた」と報道されている。つまりは、形だけの「無償の選挙運動」の体裁をとりながらも、実質において選挙運動に対価を支払うことが、犯罪とされているのだ。

徳洲会と言えども、脱法の形づくりくらいはやっている。宇都宮君、君の場合は、どうだったろう。君は、雇傭している複数の事務職員を選対事務所に派遣していなかったか。何のカムフラージュさえもなくだ。君の頭の中も、松井や徳田と同じように、自分の法律事務所の事務員なのだから、選挙運動をさせたところで何の問題もない、というものではなかったか。君の指示に従わざるを得なかった職員の方をまことに気の毒に思う。君の罪は深い。

事態を飲み込めない人のために、解説をしておこう。公職選挙法221条1項は、「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき」というのが構成要件となっている。分かりやすく、抜き書きをすれば、「選挙運動者に対し金銭(この場合はいつものとおりの給与)の供与をしたとき」は、運動員買収として犯罪なのだ、選挙運動はあくまで無償が原則、「いつものとおり賃金は払うから、選挙事務所で働いてきてくれ」というのは、運動員に対する金銭供与として、この条文の典型行為としての犯罪に当たるのだ。

徳洲会側が運動員買収の犯罪主体となった場合は、最高刑は3年の懲役。しかし、候補者本人が犯罪主体となった場合は、「4年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金」となる。宇都宮君、君は大丈夫か。徳洲会とは規模が違う、ことはそのとおりだ。しかし、徳洲会よりも人員も金額も少ないから問題がない、ことにならないことはお分かりだろう。

話題となった最近の類似事案として、2010年7月の参院選に民主党公認で立候補して落選した野村候補の事件がある。候補者自らが経営する不動産会社の複数従業員に給与を支払う約束をして投票依頼の電話をかけさせた。これが公職選挙法違反(選挙運動報酬約束罪)に当たるとして、起訴され一・二審とも有罪となり、最高裁でも上告棄却で確定した。給与相当額の金銭は合計70万2664円であったが、供与の約束だけで支払いはされなかった。それでも逮捕され、勾留され、有罪になった。運動員買収では、小林千代美衆院議員、後藤英友衆院議員の実例もある。

もちろん、すべての違反が摘発されるわけではない。このまま、公訴時効が完成する可能性は高いと思う。しかし、それまで君はそのリスクを抱えたままでいなければならない。万が一にも、当選したときには、君が「百条委員会」で脂汗を流すことになろう。3年連続の都知事選という悪夢ともなりかねない。君を推した政党や市民にも、迷惑をかけることになる。

なによりも、革新の候補者は清新で、高度の廉潔性を要求されるのだ。その点、君はまったく不適格。だから、潔く、立候補をおやめなさい。
(2013/12/29)


宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその10

宇都宮君と「人にやさしい東京をつくる会」のだまし討ちでみごとに討ち取られ、リベンジの「宣戦布告」をしてから10日が経った。「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズも、今日が「その10」である。

私は、10日前に、「自ら反みて直くんば、千万人と雖も吾往かん」(孟子)という、やや高揚した気分でルビコンを渡った。これまで付き合ってきた仲間からの孤立無援も、あるいは袋叩きも覚悟したうえでのこと。しかし、10日経って、「ルビコン」の対岸の景色もさして変わらぬことを知って、少し大袈裟だったかと苦笑している。

私がこのような形で、ルビコンを渡る決断をしたについては、河添誠さん(首都圏青年ユニオン)の発言に負うところが大きい。

彼は、12月19日の、だまし討ち決議をした会議の席(「人にやさしい東京をつくる会・運営会議」)で、私にこう言っている。
「澤藤さん、あなたはいいよ。しかし、息子さんのことを本当に考えたことがあるのか。これから先、運動の世界で生きていこうと思ったら、そんなこと(会と宇都宮君の責任の徹底追及)をやってどうなると思う。よく考えた方が良い」

「それは恫喝か」「いや忠告です」「君がそのように言えば、君の人格が、君の言葉を恫喝にしてしまう。私には恫喝としか聞こえない」。これが最後の会話。私は、このときに、ルビコンを渡らねばならないと決意した。

河添誠さんの類似の発言は以前にもあった。総合して、彼の発言内容を、私はこう忖度した。
「ここに出席している運営会議のメンバーは、みんなそれぞれの革新的な政党や政治勢力あるいは民主運動、さらには民主的なメディアまでを背負っているのだ。その大きな革新・リベラル勢力の結集体として、『やさしい会』があり、宇都宮選対がある。この会や選対に刃向かった場合には、革新・リベラル勢力全体を敵に回すことになる。そうすれば、あなたもあなたの息子も、この世界では大手を振っての活動できなくなる。あなたは老い先短いから、もう活動ができなくなってもよかろうが、将来ある身のあなたの息子さんについてはそれでよいとは言えないはずだ。息子のためを思って、会に刃向かうような愚かなことをしない方が良い。それでも、やるというなら、こちらも総力をあげて対抗して、思い知らせてやることになる」

発言者は河添誠さんただひとり。しかし、その場で彼をたしなめる者はなかった。私が感得したのは、議長を務めた宇都宮君を初めとするその他の出席者全員の暗黙の了解。そうか、そんな「会」なら、そんな宇都宮選対なら、私も覚悟を固めて徹底してやらなければならない。腰の引けていた私だったが、ようやくこれで決意ができた。はやり言葉で言えば、このときにようやく「倍返し」を決意した。

宇都宮君は、12月28日の「出馬意向表明記者会見」で、「今度はリベンジだ。倍返しで200万票を目指す」と言ったと聞く。しかし、倍返しの使い方を完全に間違えている。ドラマ「半沢直樹」が視聴率を上げ「社会現象」にまでなったのは、企業社会において不当な圧力に忍従を強いられているサラリーマン階層の共感を得たからだ。「倍返し」とは、サラリーマンだけでなく、この社会で不合理に鬱屈している弱者が夢みる、空想の抵抗の構図。こうあって欲しいというその願望の結実なのだ。だから、「倍返し」「リベンジ」を君が口にするとしらける。私こそ、君に、いや君が象徴した「運動の世界の不合理」に、「倍返しでリベンジ」をしなければならない。

従業員の人間としての矜持を圧殺するのがブラック企業だ。その伝で言えば、ブラック官庁、ブラック病院、ブラック学校、ブラック教室…、至るところにブラック集団がある。宇都宮選対はブラック選対であり、さしずめ悪口雑言を得意とする河添誠さんはその労務担当という役回りだった。

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私は、騙し討ちは嫌いだ。騙し討ちされるのが不愉快極まることは当然として、騙し討ちすることも性に合わない。私が、このブログで述べていることは、突然に言い始めたことではなく、事前に宇都宮君や選対メンバーには伝えてあることばかり。とりわけ、会の代表である中山武敏君には、電話で何度も伝えている。しかし、結局は、彼らが私の指摘を重大視することなく、何の対応をすることもなかった。

昨日お伝えした宇都宮君自身の選挙違反(運動員買収)の事実については、選挙が終わってしばらく、私は知らなかった。このことを私が知ったのは、岩波書店と熊谷伸一郎選対事務局長との関係を問題にしようとした際に、偶然宇都宮君自身から聞かされてのこと。

今年の2月のある夜。宇都宮君の法律事務所の一室で、会合があった。その席上、私は、熊谷伸一郎(岩波書店従業員)事務局長に質問した。

「あなたは、1か月も選対に詰めていたが、岩波からは有給休暇を取っていたのか」

既にこの頃は、私と他のメンバーとの亀裂は大きくなっていた。彼は、警戒してすぐには回答しようとしなかった。
「どうして、そんなことを聞くんですか」

私は、こう言った。
「たとえば、東電が自分の社員を猪瀬陣営の選挙運動に派遣して働かせたとする。有給休暇を取っての純粋なボランティアならともかく、給料を支払っての派遣であれば、まさに企業ぐるみ選挙。私たちは黙っていないだろう。それが味方の陣営であれば、あるいは岩波であれば許されると言うことにはならない」

このとき血相を変えんばかりの勢いで私を制したのが、高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)さん。
「澤藤さん、そんなことを言うものじゃない。岩波と熊谷さんには、私たちがお願いして事務局長を引き受けてもらったんじゃないですか。その辺のところは、澤藤さんもご承知のはず。今ごろそんなことを言っちゃいけない」

このとき、熊谷伸一郎事務局長(岩波)は「大丈夫ですよ。私は有給休暇をとっていましたから。それに、ウチはフレックス制ですから」と言っている。

思いがけずに、このとき宇都宮君が発言した。その発言内容を明確に記憶している。
「えー澤藤さん。岩波が問題なら、ボクだっておんなじだ。ボクも、事務所の事務員を選対に派遣して選挙運動をお願いしたんだから」

これには驚いた。本当は、続けて発問したかった。いったい何人を派遣した? 誰を? いつからいつまで? 選挙運動って具体的にどんな仕事だったの? 賃金はいくら払ったの? 勤怠管理はどうしたの?…。しかし、制されて私は黙った。これ以上、彼らを刺激したら、大河(わたしの息子)と、とばっちりを受けたTさんの権利救済(名誉回復)の道は途絶えてしまうと考えてしまったからだ。

もちろん、私は、岩波書店従業員の熊谷伸一郎事務局長が、有給休暇をとって選挙運動にボランティアとして参加したとは考えていない。入社3年目の従業員が、あの時期にまるまる1か月の有給休暇が取れたはずはないからだ。また、彼が、真に有給休暇をとっていたとすれば、フレックス制に言及する必要はない。自ら有給休暇を取ってはいなかったことを自白したに等しい。なお、請負制の個人業者であればともかく、フレックスタイム制の従業員であったことが、公職選挙法違反を免責することにはならない。岡本厚岩波書店現社長も、選対メンバーのひとりである。熊谷伸一郎事務局長に便宜が図られたのであろうと考えている。

以上の経過のとおり、宇都宮君の選挙違反の事実は、彼自身の口から語られたもの。おそらくは、違法性の意識はなかったのだろう。しかし、この件での違法性の意識の欠如が故意の欠缺の理由にも責任阻却事由ともならない。犯罪の成立には何の影響も及ぼさない。

また、違法性の意識の可能性の存在は否定のしようもなく、疑うべくもない。宇都宮君は法律家だし、日弁連の会長までした身だ。法律を知りませんでした、というみっともない言い訳が通用するはずもない。

しかも、宇都宮君、君は革新統一の要の立場に立とうとしている。そのためには、極めて高い水準でのコンプライアンスの徹底が求められるのだ。君は既にその資格を失っている。

なによりも私は、選挙運動に派遣された君の法律事務所の事務員の方を気の毒に思う。君は、きちんと謝罪をしただろうか。彼/彼女らは、君の指示に従うしか術のない弱い立ち場だ。君は、その人たちにに公選法違反の行為を指示したのだ。事務員の方には、君の指示を拒否する期待可能性がなく、犯罪が成立することにはならないだろう。また、捜査機関の君に対する訴追の可能性はともかく、事務員の方たちに及ぶ現実性はない。是非、そう説明してあげていただきたい。わたしの息子に対してしたような「忘恩」の態度ではなく、人への優しさを示していただきたい。

君が、再びの立候補をすれば、問題は再燃する。いろんな人に迷惑がかかる。それだけでなく、君の廉潔性の欠如は、到底革新統一候補にふさわしくない。だから、宇都宮健児君、都知事選への立候補はおやめなさい。
(2013年12月30日)
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「宇都宮君立候補をおやめなさい」の件に関して、宇都宮君の立候補断念を確認するまで、私はこのブログだけで発言を続ける。ブログ以外の場所で発言するつもりはない。
今のところ、唯一の例外が下記の集会。主催者の強い要請があって、15分間時間厳守の「特別発言」をすることになった。これも、主催者の要請があって、当ブログに企画の広告を掲載する。
                    記
「活憲左派の共同行動をめざす会」発足記念集会
時 2014年1月19日午後1時30分開会
所 文京シビックセンター(後楽園)3階 A会議室

記念講演:伊藤誠さん  「日本経済はどうなるか?」
特別発言:澤藤統一郎 15分
参加費  700円

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/712.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 世界支配層は「世界政府」樹立を小沢一郎代表に期待、安倍晋三首相の「憲法9条改正(国防軍)」実現しない (板垣 英憲) 
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/044e7da8cc61742d8598e8280f1d8627
2013年12月31日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」

◆自民・公明連立の巨大与党の日本政治は、いつまでも続くはずはない。2016年7月の「衆参同日ダブル選挙」までの栄耀栄華である。「奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」というではないか。

 世界支配層(主要ファミリー)から「新帝王」に指名されている生活の党の小沢一郎代表は、英国流「2大政党政治」「議会制民主主義」が日本に定着するよう尽力しており、決戦場を「衆参同日ダブル選挙」に設定している。

 2大政党であるから、政策の「対立軸」が鮮明でなくてはならない。2013年末現在、日本政治において、「対立軸」となる政策として考えられるのは、以下の通りである。

 「原発推進」VS「原発ゼロ」、「日本国憲法9条改正=国防軍創設」VS「日本国憲法9条改正=国連正規軍(平和維持軍・地球防衛軍)参加部隊創設」、「官主導地方分権」VS「地域主権(権限・財源委譲)」、「官僚政治」VS「国民の生活第1政治」など。

◆「原発推進」VS「原発ゼロ」で言えば、この対立軸は、2012年12月16日の総選挙では、大きなテーマにならなかった。

 だが、いまは違う。小泉純一郎元首相が、「原発ゼロ」を打ち上げたのが、強烈な衝撃波となり、「原発ゼロ派」を勇気づけ、再び大きな「塊」となり始めている。
もちろん「原発推進派」は、依然として強大な勢力を誇示しており、「原発ゼロ派」にとっては、打倒すべき抵抗勢力である。朝日新聞は12月30日付け朝刊「経済面(13面)」の企画記事「原発迷走6」で、「衆参で大勝 増える電力族 推進に走る自民」「募った候補 組織で支援」「議連に140人超」「かき消される脱原発」という見出しをつけて、「原発推進派」のとくに自民党国会議員の勢力を炙り出している。つまり、自民党の「電力安定供給推進議員連盟」(細田博之会長=第2次小泉内閣、第2次小泉改造内閣、第3次小泉内閣の官房長官、衆院島根1区当選8回)の幹部たちだ。

 野党のなかでも「原発推進派」が、数多く存在している。民主党のなかの「旧民社党系」このうち、労組「連合」の「電力総連系議員」と労組員は、「原発ゼロ派」にとっての難敵であり、「原発利権」とガッチリ癒着しているので、侮れない。

◆「日本国憲法9条改正=国防軍創設」VS「日本国憲法9条改正=国連正規軍(平和維持軍・地球防衛軍)参加部隊創設」の対立軸は、国際政治のなかで、これからの日本の進路を決定づけるもので、大問題となる。

 「日本国憲法9条改正=国防軍創設」は、自民党が1955年11月15日に結党以来58年にわたって実現を目指してきた最大政治目標である。「日本国憲法改正」、それも「自主憲法制定」を綱領に掲げてきた。自民・公明連立の巨大与党を形成しているだけに、「実現寸前」にある。失敗すれば、再び絶好のチャンスに恵まれるかどうかが、わからなくなる。それだけに、安倍晋三首相の力の入れ方は、尋常ではない。

 しかし、「世界政府派」が、「世界新秩序派」を打倒して、世界支配権(覇権)を握っているいま、安倍晋三首相が「日本国憲法9条改正=国防軍創設」を実現するのを望んでいない。世界支配層(主要ファミリー)とその配下の米国オバマ大統領は、新帝王に指名されている小沢一郎代表による「日本国憲法9条改正=国連正規軍(平和維持軍・地球防衛軍)参加部隊創設」実現を求めているのである。米CIA要員によって構成する「ジャパン・ハンドラーズ」も、小沢一郎代表支持に「宗旨替え」している。この中心人物であるハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は「日本は憲法を改正しなくてよい」と発言している。従来の教え方を変えているのだ。この意味で、自民党綱領が、すでに破綻しているという現実を直視しなくてはならない。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/713.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 「悪魔」の日本完全統治が進行している!(マッド・アマノ) 
(画像と本記事は、パロディストのマッド・アマノ氏。)


http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2013/12/post-291b.html
2013年12月31日  神州の泉


ところで、安倍政権は衆参ネジレ解消により、やりたい放題です。

首相の靖国参拝で例によって中国と韓国がいきり立っていますがこれは想定済みでしょう。米国が遺憾の意を表明していますが、これはポーズに過ぎないでしょう。

実は参拝を事前に承諾していたのは米国そのもののはず。その理由は日中が仲違いすることで漁夫の利を得たいと考えているから。

アジアの外交が平和裏に進行したのでは沖縄の米軍基地は不要となり日米安保そのものの根本的な見直しを迫られかねないからです。

辺野古にV字滑走路などは不要なばかりか沖縄の米軍基地そのものも今や無用の長物だ、と日本総合研究所理事長の寺島実郎氏が今朝(29日)の朝のテレビ番組で話していた。

得票率はわずか20%に過ぎない安倍政権が我がもの顔で突っ走っています。

沖縄の仲井真知事がついに軍門に下った。つい先日、状況の際に体調を崩して緊急入院したのも勘ぐればある筋から一服盛られた可能性がなくもない。

そして、沖縄の米軍基地移転を承諾しなければ家族の命に差し障りがあることを覚悟せよ、といった恫喝を受けたかも知れない。いや、これは単なる邪推にすぎないものだから真に受けないでいただきたいのだが、、、。

辺野古移転を承諾した仲井真県知事への沖縄県民は怒りとなかば諦めが相半ばしているように見える。

「政府がかつてない誠意ある補償を約束した」ことに仲井真知事が理解を示したわけだが、沖縄県民の民意とはかけ離れていることは間違いない。

果たして「誠意ある補償」とは具体的には何か?

恐らく予想以上の金額なのだろう。

しかし、来年1月15日に行なわれる名護市町選は辺野古移転に反対する現職の稲嶺知事の圧勝に終わる可能性は大きい。ただし、安倍政権はアメリカ政府の後ろ盾で多額の選挙資金を投入するはず。

この続きは12月30日(月)配信の有料メルマガまぐまぐ!「マッド・アマノの“世界は嘘ばっかり”」をお読みください。
http://www.mag2.com/m/0001598646.html


http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/714.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 「安倍のニッポン」の孤立ーー来年は倒閣の年と位置づけられます (生き生き箕面通信) 
http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/1d72cb301a622bfed47c50bb4538ae84
2013-12-31 07:46:50

 今年も「箕面通信」に関心をお寄せいただきまして、ありがとうございました。老骨に鞭打って、来年ももう少しがんばってみます。なにしろ安倍政権の暴走を止めなければ、おちおちくたばっておれないという気持ちです。

 安倍政権に対する世界の反発は、年末の靖国神社参拝で急速に強まりました。中国や韓国ばかりでなく、頼みのアメリカも反発する異例のコメントを出しました。EUやロシアからも、安倍政権の方向性に疑念が寄せられています。

 世界の指導者が警戒するのは、安倍首相の歴史認識です。「皇国史観」を基礎とする「神の国・ニッポン」をめざすものと受け取られています。安倍首相の歴史認識が、第二次大戦後の歴史をくつがえそうとしていると警戒されています。

 そう断定するにいたった直接のきっかけは、「靖国参拝」でした。靖国には、A級戦犯が「神」として祀られています。中国、朝鮮をはじめインドネシア、マレーシア、フィリピンなど東南アジア諸国に侵攻して、多くの人を殺りくした戦争を指導した責任者。太平洋ではアメリカとの戦闘では、特攻というやってはいけない闘い方まで強行し、戦争を遂行した責任者。その責任者を、東京裁判では、A級戦犯として裁きました。

 東京裁判は、「日本ファシズムの解体、せん滅」が目的でした。そして、日本が「世界にとって、安心安全な国」であることを義務づける意味で、マッカーサー憲法を押し付けたのでした。

 たしかに、東京裁判には、戦勝国による一方的な裁判という側面があるのも事実です。保守派には、受け入れがたい。東京裁判の結果を何んとかしてくつがえしたい。

 保守派が画策したのは、A級戦犯の靖国合祀でした。靖国に一国の総理大臣が参拝することで、戦後秩序の見直しが実質的に進むことを狙いました。

 そうしたいわくつきの靖国参拝を、今回、安倍首相がやってみせたのです。保守は、「ついにやってくれた」と、感涙にむせたことでしょう。しかし、それはまさしく、戦後秩序の見直し、つまり戦後秩序の否定と受け取られても仕方のない所業でした。

 アメリカは、この靖国参拝を想定して、わざわざケリー国務長官とヘーゲル国防長官を日本に派遣。二人は揃って千鳥が淵の国立戦没者墓苑に参拝しました。これは、安倍首相に「靖国への参拝はやめといて下さいよ。参拝するなら、千鳥が淵墓苑へ」という強烈なメッセージでした。

 それをあえて蹴っ飛ばした安倍首相。アメリカにとっては、虎の尾を踏まれた思いだったでしょう。中国にとっては、とくにそうです。安倍首相とは、断絶です。話し合いは、絶対にできない。

 中国との首脳会談が行われないまま、日本外交が立ちいくでしょうか。そんなことはあり得ません。アメリカとの首脳会談ですら、危うくなったといえます。「安倍のニッポン」の孤立です。

 日本は世界との密接なかかわりの中でこそ、生きていける。それなくてはやっていけない。「孤立」などしておれない。国会議員レベルでは、野党がばらばらで「倒閣」するパワーがない。となると、大衆レベルからがんばるほかにということになります。

 来年は、大衆パワーが頑張らなければならない年。「倒閣」の年です。

 今日は大みそか。今年一年をじっくりと振り返り、歩んできた道を眺めていっぱいやりましょう。

 では、どうぞ良いお年を。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/715.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 安倍政権に亀裂が走った 靖国参拝 、米国政府との暗闘がはじまった(自民党的政治のパンツを剥ぐ) 
http://blog.livedoor.jp/pat11/archives/51537143.html
2013年12月31日


動けば表裏の影響がでてしまう

中国・韓国に対し 安倍政権は 負けたのではない
米国に負けた
中国・韓国に対し 安倍政権は 米国と共に闘う

これが安倍政権のスタンスである
と宣言する段階での行動が
靖国・秘密保護問題だが

中国韓国に対し 安倍政権は 「米軍の裏」と共に闘うの意味であり
中国韓国に対し 安倍政権は オバマ・ケリー・ケネディと共に闘う
意味ではない

オバマは「米軍の裏」と対立関係にあり
米国は 二つの頭脳 4本の手足を使うモンスター国家だ

その一つであるオバマ政権は 習・プーチン・オバマが手を組み
@シリア問題 化学兵器 
Aイラン融和
Bスノーデン問題
C米中露経済連携
Dさらに宇宙開発と進んでいく

更に 米中韓にEU&国連が加わり
安倍参拝も加わり従軍慰安婦問題と共に
日本に対し歩調が揃ってしまう

キャロラインケネディが「国務省の靖国参拝批判」を伝える
立場になったということは 

米国大使館は「米軍裏部隊の巣窟=安倍首相の裏仲間」と
米国政府がギクシャクしてきたことを意味する

安倍政権が米国と仲良くするという意味
は「米国政府」と「ぎくしゃく」しても
「米軍裏仲間」と仲良くするとう
意味であり
米国政府との暗闘がはじまった



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/716.html

記事 [政治・選挙・NHK158] <左翼の方にお尋ねします>極左毛沢東主義者西村修平氏の街宣右翼への転向は本国からの指示ですか?
「西村修平を毛沢東主義、マオイスト、転向エセ右翼、極左への先祖返り・・・」


日中友好協会の工作員が、いつの間にやら街宣右翼。

本国からの指令ですか?


<活動目的>

・在日批判、中国批判を右翼・人種差別として封じる

・愛国者を右翼とのレッテルを貼る

・慰安婦や戦争体験者のデマへのシンパシーを誘う


お仲間が、街宣右翼になっていますが、毛沢東主義者の同志の方はどう思っているのですか?
憎むべき、街宣右翼の正体が、ゴリゴリの極左活動家=お仲間だという事実に対して。


右や左の政治活動には裏があると思ったんですよね。

略歴[編集]

秋田県男鹿市出身。大叔父は西村祥治海軍中将[要出典]。専修大学中退[1]。日中友好協会(正統本部)の派遣で文化大革命当時の中国を1ヵ月間旅行した[1]。大学は2年で中退、アルバイトをしながら経理学校に通う[1]。
民間企業に経理担当として勤務する傍ら、酒井信彦の「中国によるチベット問題」を訴える活動に共鳴して活動家となる[1](この頃に転向したと思われる)。その後、国民新聞記者を経て[4]、政治活動家[2]として主権回復を目指す会代表、靖国会理事[要出典]、英霊にこたえる会委員[5]を務める。維新政党・新風千葉県本部・元代表。北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会元幹事。河野談話の白紙撤回を求める市民の会代表[6]。「村山談話の白紙撤回を求める市民の会」代表[7]を務める。
・・・


主な活動[編集]

「主権回復を目指す会」も参照
1972年(昭和47年)8月4日、日中友好協会(正統本部)が派遣する「学生学習訪中団」の一員として、当時、未だ国交が結ばれていなかった中華人民共和国を訪問している[8][9]。
動画サイトに活動の様子をアップロードするなど、インターネットを積極的に利用した活動を展開している。中国、北朝鮮、韓国、マスコミ、創価学会、自民党、民主党、Google、生活協同組合、慰安婦謝罪要求運動などの活動を行っているキリスト教会、都道府県警察、外国人観光客など批判対象は多岐にわたる。運動としてはその時々にマスコミに取り上げられた物が多い。特定の支持政党は無く、自民党、民主党、公明党、社民党、共産党のことを「利権分配集団」と位置付けている。皇室典範の改正の是非については女系天皇容認の立場である。
平成13年(2001年)には女性国際戦犯民衆法廷を取材したNHKに放送前に抗議した。その活動はNHK番組改変問題に関連してのものだった。
平成16年(2004年)には、南京大虐殺や百人斬り競争を虚構とする立場から、正気塾らが「集英社の不買運動を検討する会」「本宮ひろ志の歴史偽造を糾弾する会」なるグループを立ち上げ、本宮ひろ志が事実として描いた『国が燃える』を掲載した集英社への抗議行動に加わったとされる。
平成17年(2005年)の中国における反日活動に対する抗議デモの幹事を務めた。
平成19年(2007年)10月、沖縄県宜野湾市で、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に沖縄で起こったとされるいわゆる「軍強制による集団自決」に関する県民集会に関し朝日新聞に抗議活動を行った。また「検証の結果、集会参加者が当初発表された参加者11万人には遠く及ばない1万8千人に過ぎなかった」と指摘した。
平成20年(2008年)、東村山市における街頭宣伝の際に、朝木明代万引き被疑事件の現場となった洋品店へ押しかけ、創価学会関係者であると攻撃するスピーチを行い、名誉毀損で提訴されるなど、三件の裁判で被告となっている(こちらを参照)。
平成21年(2009年)発売の雑誌WiLLによると過去に毛沢東主義者であったとする記述がされたことについて、抗議をおこなった[10]。日中友好協会(正統本部)が派遣していた「学生学習訪中団」の一員であり一ヶ月に渡って中国を旅行し文化大革命を直に目にした[1][11]。現在は政治活動の参考として毛沢東を評価していると言っている。11月8日には五百旗頭真・防衛大学校長の職員官舎へ押しかけ“辞職勧告”の街宣。五百旗頭の通報を受けた警察と警務隊が駆けつける騒ぎになる[12]。
平成22年(2010年)、環境テロリストのシーシェパードによる日本の捕鯨・イルカ漁、調査捕鯨船や監視捕鯨船など日本船舶への、白人至上主義に基づく人種差別的で過激なテロ行為に対し、日本政府が主権国家として断固たる抗議の意思を表明しないことに憤慨、数々の抗議行動を開始。シー・シェパードが和歌山県太地町のイルカ漁を盗撮した映画「ザ・コーヴ」に対しても、これを反日プロパガンダ映画として上映中止に追い込むなどの激しい抗議行動を展開した。これら一連の模様はロイターやアルジャジーラなど海外の主要メディアで大きく報道された。後に同じ反シー・シェパードで親日派の「テキサス親父」ことトニー・マラーノとの親交のきっかけともなる。しかし抗議行動が激化するさなか、数度にわたってYouTube動画サイトの「主権回復を目指す会」アカウントが停止になる。
平成23年(2011年)、国家公務員共済組合連合会(KKR)による中国大使館都内一等地買収問題で、中国共産党政府により日本国首都の土地が合法的に取得されることに対し、尖閣問題よりむしろ直接的具体的で深刻な国土侵略行為だとして座り込みの抗議活動を行う。同年3月11日の東日本大震災・福島原発事故発生では、その後の東京電力の対応や原発利権村に抗議し、東電本社を始め住友化学、経団連本部や米倉弘昌経団連会長自宅前街宣などの一連の抗議行動を展開。10月には「脱原発!愛国デモ行進」開催。11月、自称元従軍慰安婦らが日本政府に謝罪と補償を求めて来日するという「韓国水曜デモ1000回アクション」に反対し、毎週水曜日に韓国大使館前で無言抗議形式でのアンチ「水曜デモ」を始める。

(WIKIPEDIA)


※偽装左翼 偽装右翼 北朝鮮 中国 政治活動

<参考リンク>

■西村修平
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E4%BF%AE%E5%B9%B3


■自称保守の人達に知って欲しい偽装保守勢力の実態
 http://50064686.at.webry.info/201202/article_10.html


■毛沢東の犯罪を忘れるな!
 http://www.page.sannet.ne.jp/mhvmhv/BunkaDaikakumei.html


■宇都宮健児、梓沢和幸弁護士らヘイトスピーチデモに対して人権救済申立
 http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/25128138.html


■しばき隊男組・高橋直樹により添うあの朝鮮人!
 http://hannitikennkenkyu.seesaa.net/article/369103416.html

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/717.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 規制緩和に経済特区…行き着く先は「世界一賃金が安い国」 《2014年午年はこの国最大の岐路》(日刊ゲンダイ) 
                財界人らの会合で講演する安倍首相/(C)日刊ゲンダイ


規制緩和に経済特区…行き着く先は「世界一賃金が安い国」 【2014年午年はこの国最大の岐路】
http://gendai.net/articles/view/news/146961
2013年12月30日 日刊ゲンダイ


「世界一ビジネスしやすい環境をつくる」というスローガンを掲げ、国家戦略特区の設立に邁進(まいしん)する安倍政権。関連法も成立し、いよいよ14年から「大胆な規制緩和」の波が本格的に押し寄せてくる。

「特区の主眼は、海外企業に多くの特権を与え、呼び込むこと。そのためにあらゆる労働規制を撤廃していくのでしょう。今回、関連法への明文化は先送りされましたが、いずれクビ切りの自由化や残業代ゼロが導入される。そうやって日本の労働コストを削り、極端に言えばアジアの途上国レベルまで引き下げ、世界と勝負する。それが安倍政権の発想なのでしょう。その根底には『とにかく国際競争に勝って世界一の国になりたい』という幼稚な感情しか見えません」(元相愛大学学長・高橋乗宣氏)

 途上国と本気で労働コスト競争を仕掛けようというのだから、狂気の沙汰だ。今は国境を越えて「ヒト・モノ・カネ」が自由に行き来する。いくら日本がコストを引き下げたところで、より労働単価の安い国が現れれば、企業はそちらになびいていく。それでも意地になって張り合えば、終わりなきチキンレースだ。本気でやるなら、その先に見えるのは「世界一賃金が安い国」である。

「外国人が『ぜひ日本で働きたい』という理由は『思いやり』『絆』『おもてなし』などで表現される日本人の心の豊かさです。しかし、質の高い労働力を低賃金で差し出すようなことをすれば、雇用はメチャクチャになり、人心は荒廃し、社会全体がすさんでいく。世界一を目指し、すでに『世界一の心の豊かさ』を失うとすれば、安倍政権がやっていることはナンセンスの極みです」(高橋乗宣氏=前出)

 多くの労働者の犠牲の上に成り立つ「世界一」は無価値だ。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/718.html

記事 [政治・選挙・NHK158] しばき隊男組・高橋直樹により添うあの朝鮮人!(反日研究倶楽部) 画像あり 宇都宮弁護士も応援するしばき隊の正体
宇都宮弁護士としばき隊、朝鮮総連ですか。

どんな背後関係があるんでしょうか?


反日研究倶楽部から
http://hannitikennkenkyu.seesaa.net/article/369103416.html


しばき隊男組・高橋直樹により添うあの朝鮮人!

ランキング応援よろしくお願いします!

去る7月7日、「日韓国交断絶行動in帝都」のデモ行進が東京・渋谷で行われ、その後、17時から渋谷ハチ公の近くで鈴木信行候補(維新政党新風)が街宣をしました。

渋谷にはデモ行進や鈴木氏の街宣を妨害しようと、ゴロツキ集団のしばかれ隊の皆様ご一行も来ておりました。
http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2233.jpg

▲ピンクのシャツの男、腕に刺青。しばき隊男組の高橋直樹氏ではありませんか?

http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130713-437.jpg
▲6月29日、「人権侵害救済法案&TPP反対デモin新大久保」が行われた際、デモ関係者を恫喝する高橋。
[動画] http://youtu.be/eeQ-2MhFda0


http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2226.jpg
▲注目!高橋のそばに立つ、黒いシャツの男。


▼黒いシャツの男の顔。見覚えありませんか?
http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2229.jpg

▼朝鮮総連強制捜査を妨害したあの朝鮮人!
画像「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんより転載
http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2212.jpg

▼KARAのマネージャーは朝鮮総連関係者と騒がれたあの男!
http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2210.jpg

http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/2013y07m12d_6.jpg
「フラッシュ」(光文社) 2012年2月28日号
(一部抜粋)
日本の大型掲示板には〈KARAのマネージャーは朝鮮総連所属?〉〈KARAは北朝鮮と組んでた〉などと書きこまれ、片山さつき参院議員もツイッターで「写真を見る限り(略)同一人物!なぜこんなこと、続けてきたのか?」とつぶやいた。朝鮮総連中央本部は本誌の取材に「対応しません」。だが、男性は確かに以前、朝鮮総連の職員だった。

「彼は現在36歳のCさん。朝鮮大学校政治経済学部を卒業したエリートで、その後朝鮮総連職員になり都内の支部で働いていた。体育会系の熱くて明るい性格で、朝鮮青年同盟に所属し、地域の青少年向けイベントを企画・運営していた。だが現在は朝鮮総連を退職している」(朝鮮総連関係者)
http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2213.jpg


▼渋谷に現れた男は、やはりあの朝鮮人だった!
http://blog-imgs-59.fc2.com/i/t/i/itikado/20130712-2230.jpg

[動画] http://www.nicovideo.jp/watch/sm21315984

元朝鮮総連関係者で朝鮮青年同盟に所属しているこの男と「しばき隊」(反原発家多し)、そして反原発運動(朝鮮人多し)、だんだん見えてきましたね。


※宇都宮健児 ヘイトスピーチ 北朝鮮 朝鮮総連 政治活動

<参考リンク>

■レイシストしばき隊の正体・領土にも拉致にも「差別」と抗議・中国の脅威を周知するデモin池袋
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5023.html


■レイシストしばき隊と、ある朝鮮人団体との関係
 http://togetter.com/li/542641


■2013/09/25 ヘイトスピーチに反対する新たな市民団体発足──共同人に村山富市元首相や宇都宮健児氏元日弁連会長など
 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/103394


■【特定秘密保護法案】 特定秘密保護法反対デモ、しばき隊主導だったwww なぜ?反対論者の中心が「在日朝鮮人、左翼、共産党、中核、革マル」ばかりなのか?
http://blog.livedoor.jp/sokuhoujapan-news/archives/1452275.html



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/719.html

記事 [政治・選挙・NHK158] なぜ捜査当局は極秘の捜査情報をマスコミにリークするのか (3) 前田恒彦(元特捜部主任検事) 
なぜ捜査当局は極秘の捜査情報をマスコミにリークするのか (3)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/maedatsunehiko/20131231-00031031/
2013年12月31日 7時0分 前田恒彦 | 元特捜部主任検事


政府は、検察によるリークの問題が国会で取り上げられるたびに、検察が捜査情報や捜査方針を外部に漏らすことなどないといった答弁を繰り返してきた。

しかし、こうした答弁が事実に反する虚偽のものであることは、法務・検察はもちろん、現にそこから様々な捜査情報のリークを受けているマスコミが一番よく分かっていることだ。

警察でも、その状況に変わりはない。

【記者との接触】

(現場の捜査官の場合)

特捜部の検事ら現場の捜査官は、折りに触れ、出勤時や帰宅時、官舎近くなどで待つ記者から、捜査中の事件に関して取材を受けることがある。

しかし、現場の捜査官が記者に捜査情報を漏らして記事にさせ、その記事を見た事件関係者の逃亡や証拠隠滅を誘発させるといった愚かなことをすることはない。

それこそ、逮捕勾留中の被疑者の取調べを担当する捜査官が、取調べ室の被疑者の言動を記者にリークし、記事にさせるようなことなどあり得ない。

被疑者から「検事に何かを話せばマスコミに筒抜けになる」などと猜疑心を持たれ、信頼関係も崩れ、以後の取調べが困難となるからだ。

記者も現場の捜査官にはストレートに聞かず、「遅くまでお疲れ様です。今日は激励のごあいさつに参りました。○○の件、いよいよ××を事情聴取するようですね。大変でしょうが、がんばってください。応援しています」といった言い方をする。

検察幹部から内々で得た捜査着手に関する情報や関係者の供述、証拠関係などを現場の捜査官にも当て、その表情の変化などを見て、情報の正確さや記事にすべきタイミングなどを見極めるためだ。

(幹部の場合)

他方、特捜部長や副部長、次席検事といった記者対応の窓口役となっている幹部は、毎夕刻、「出入り禁止」の社を除き、記者クラブの記者による個別取材に応じている。

出勤時や帰宅時には連日のように「夜討ち朝駆け」を受けるし、懇意の記者と私物の携帯電話でやり取りをする者もいる。

高検や最高検といった上級庁の幹部らも同様だ。

彼らは現場から上がってくる報告で様々な捜査情報に接するので、そこから拙稿「なぜ捜査当局は極秘の捜査情報をマスコミにリークするのか (2)」で挙げたような理由に基づくリークが生まれる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/maedatsunehiko/20131203-00030300/

【出入り禁止】

検察は、記者クラブに所属するマスコミ各社に対し、取材や報道に関する一定のルールを示しており、これに違反した社には「出入り禁止」の措置をとるとしている。

そこでは現場の捜査官に対する取材は許されておらず、事件関係者への直接取材など捜査妨害となるような取材や、検察との信頼関係を破壊するような取材・報道もルール違反だとされている。

現場の検事らも、記者から「夜討ち朝駆け」を受けた場合には、記者の名刺を受け取った上で、記者とのやり取りを記載した報告書を作成し、その名刺を添えて速やかに幹部に報告しなければならず、これを怠っていたことが発覚すれば、特捜部追放といった措置を受けることとなっている。

記者の氏名や社名が不明の場合には、記者の顔写真が貼られ、その氏名などが記載された冊子を確認することで、どの社の誰だったのかを特定するといったことまでしている。

どのような場合に「検察との信頼関係を破壊するような取材・報道」に当たると判断するのか、また、ルール違反を犯した社を「出入り禁止」とするのか、するとしてどの範囲で行うのか(特捜部までか、地検までか、高検までか、検察庁全体かなど)、その期間をどの程度のものとするのかなどは、全て幹部の胸三寸だ。

メディアコントロールは全て幹部が行うという明確なシステムが確立しているのだ。

【情報漏れの例】

(上げると漏れる)

ある事件で、逮捕予定の被疑者を任意同行するため、早朝、現場の捜査官が被疑者方に赴いたことがあった。

しかし、既に「もぬけの殻」となっており、手付かずの朝食が残されたまま、食卓の上には「本日逮捕へ」との大見出しが踊っている朝刊が広げられていた。

被疑者は記事を見て逮捕を知り、大急ぎで逃げたのだ。

その後、被疑者の立ち寄り先を探し、何とかその身柄を確保できたが、もしこの被疑者がその報道で精神的に追い詰められ、自殺に至っていれば、事件はおろか、被疑者の人生までもが潰されていた。

現場だけで極秘に内偵捜査を進めている時には決してその情報が記者に漏れることなどないのに、幹部らに報告を上げた途端、その内容がマスコミに漏れてしまう。

被疑者の供述内容など、着手後の捜査で判明した事実関係や証拠についても同様だ。

(記者への配慮)

検察とマスコミは「持ちつ持たれつ」の関係にあるが、幹部ごとに懇意にしている社や記者が異なる。

ある事件で、着手の際に幹部らに上げた報告書の内容が、着手直後、あるマスコミに流れ、詳細に報道されたことがあった。

その報告書を記者に見せるか、コピーを渡さなければ、絶対に書けない内容だった。

もともとその事件は、別のマスコミがある幹部に持ち込んだ情報を端緒として内偵捜査を進めたものであり、本来は真っ先にその社に情報を流すことで、見返りを与える必要があった。

当然ながらその社も快く思わないから、その社との関係を考慮し、代わりに何か目玉となるような別の捜査情報を流してやるべきではないかとの話にもなったほどだった。

【捜査当局のリークを裏付ける取材メモ】

(大阪府枚方市発注工事を巡る談合事件)

大阪地検特捜部に逮捕起訴された元市長が、ゼネコン業者から複数回の接待を受けていたとの日経新聞の報道は虚偽であると主張し、同社を訴えた。

日経側は、この民事訴訟の過程で、記事の裏付けとして、当時の検察幹部2名に対する取材メモや、記者間で交わされた幹部の肩書き入りのメールなどを証拠として提出した。

2012年11月、日経側が元市長に対して解決金400万円を支払うなどとの内容で和解に至ったが、図らずも「夜討ち朝駆け」による検察幹部と記者との非公式の接触やその際の幹部によるリークが現に存在しているとの事実を証明した形となった。

(警察も同様)

2012年7月、読売新聞の記者は、福岡県警幹部から同県警の警部補による汚職事件に関する捜査情報を得たが、その取材メモを社内向けにメール送信する際、誤って他社の記者らに送信し、取材源や取材内容を公にした。

2013年8月には、共同通信社の記者が、愛知県内の強盗殺人事件に関して県警幹部からオフレコで捜査情報を得た後、幹部の個人名が特定できる取材メモを社内向けにメール送信する際、誤って他社の記者らに送信し、取材源や取材内容を公にしている。

このように警察でも幹部と記者との非公式の接触やリークは現に存在するのであって、これらの事案はあくまで「氷山の一角」にすぎない。(続)


前田恒彦
元特捜部主任検事

1996年の検事任官後、約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事事件、朝鮮総聯ビル詐欺事件、防衛汚職事件、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、西村眞悟弁護士法違反事件、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件、厚労省虚偽証明書事件などで主任検事を務める。獄中経験もあり、刑事司法の実態や問題点などを独自の視点でささやく。
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記事 [政治・選挙・NHK158] 私利のために国益を犠牲にした安倍首相:政治稼業「岸−安倍商店」三代目の宿命:批判的世論調査結果でリバランスの支配層

私利のために国益を犠牲にした安倍首相
 2013年12月30日15:37

 日本の安倍晋三首相は先日、靖国神社を「電撃参拝」した。中韓両政府は直ちに極めて強く反応し、米国など他の国々も次々に驚きと不満を表明した。これによって最も損なわれたのは表面的には中日関係、韓日関係だが、本質的には日本自身の国益である。(文:張雲・新潟大学准教授。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)

 第1に、中韓両国を見てみる。中日関係、韓日関係は過去1年間非常に緊張し、歴史問題や安全保障政策における安倍内閣の言動に中韓は強く警戒してきた。3カ国の最高指導部が同時に交代するという黄金の時期にあって、日本と中韓の首脳会談はまだ行われていない。安倍氏は対話のドアはオープンだと主張し続けているが、参拝の伝えたメッセージは、日本が外交的配慮において中韓をほぼ完全に無視しているということだ。中韓としては、日本側が自国を無視するとの最後の一線をすでに示した以上、対日政策の確定がかえって一段と容易になった。安倍氏は在任中、近隣国との関係で長期的孤立に直面する可能性が高い。この孤立が日本経済に影響を与えるのは必至だ。

 第2に、米国を見てみる。日本の首相による靖国参拝の問題において、米国は通常と異なり明確な姿勢を初めて表明し、周辺国との関係の扱いに日本が失敗したことに失望をあらわにした。米国は、日本は戦略的対話を行えるパートナーではないと考えるにいたった。「米国は自らの力が相対的に下降する中、東アジアの安全保障において日本のプレゼンスの強化を求めており、日本が安全保障政策を『積極的』に調整すれば、歴史問題では沈黙を保つ」と安倍氏は考えているのかもしれない。だが日米同盟は安保同盟であって、歴史問題同盟ではない。歴史認識に関して、ワシントンは日本の共感者ではない。米国外交において理想主義という道義的一面は虚偽性を備えるが、基本的な道義原則を放棄することはない。その上、靖国参拝による北東アジア情勢の一層の緊張は、米国の安全保障上の利益そのものにとって現実的脅威となる。安倍氏は就任以来日米同盟の強化を仰々しく宣伝しているが、参拝の結果、反対に日米関係は弱まっている。

 第3に、日本国内を見てみる。靖国参拝によって、ようやく得られた国内政治の相対的な安定に分裂が生じ、貴重な政治資源・力が分散し、最重要の政治目標である景気回復の実現もぐらつく。安倍氏の首相再登板を可能にした国民の支持は、主に経済立て直しへの期待と、政治の安定への切望の2点によるものだ。自民党は衆参両院選挙で多数議席を獲得し、長年失われていた政治的安定を実現した。これは大胆な経済改革に貴重な政治資源を提供した。だが靖国問題において、日本国内の考え方には以前から重大な対立が存在する。「アベノミクス」実施の正念場において、靖国参拝は政治・社会・世論の分裂を招き、日本が発展のチャンス期を逃すことにもなる。経済成長と国際競争力が確保されなければ、日本の国益は語りようがない。

 安倍氏は靖国参拝について日本の長期的国益を考えてのものだと弁解するかもしれないが、周辺外交を見ても、日米同盟を見ても、さらには国内政治を見ても、この行動のもたらす客観的結果は、その主観的願望とは正反対のものだ。安倍氏は自分だけの利益のために日本の国益を犠牲にしたのである。(編集NA)

 「人民網日本語版」2013年12月30日

http://j.people.com.cn/94474/8499537.html


http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/721.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 今年の◯と☓ (誰も通らない裏道) 
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2013/12/post-b626.html
2013/12/31


当ブログは2006年の開設。雑誌「NAVI」を真似て「今年の◯と☓」を始めたのが2008年。
まずは以下に過去の◯と☓を振り返ってみる。

・2008年の◯と☓
 http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2008/12/post-7652.html
・2009年の◯と☓
 http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2009/12/2009-6f6d.html
・2010年の◯と☓
 http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2010/12/post-7652.html
・2011年の◯と☓
 http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2011/12/2011-b0e5.html
・2012年の◯と☓
 http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2012/12/2012-e884.html

こうしてみると2009年の政権交代と鳩山政権樹立というのは、日本におけるプラハの春のようなものだったんだナとつくづくと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E6%98%A5

もっともこの年の3月には、すでに検察による小沢弾圧が始まっている。そして、この時(もっと遡れば、自民と民主の大連立構想あたり)から、今日にいたるまでの政局は、すべて直線的な因果関係で結ばれていると思う。
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2008/03/post_648f.html

それは霞ヶ関独裁と民主改革勢力の対立を軸としており、マスメディアをほぼ全面的に味方につけた前者が司法権力を駆使して後者を殲滅、今日に至っている(その過程で有史以来、最悪の原発事故が起きた)。

ということで、今年の◯と☓。

まずは安倍政権に最大の☓。当ブログでは昨年の衆議院選挙後に「平成の大政翼賛 〜 改憲勢力455議席という時代の到来」というエントリーをアップしたが、予想通りに凄まじいまでの反動ぶりであり、ついには特定秘密保護法までが成立した。
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2012/12/450-2348.html

霞ヶ関独裁がここまでネジを巻いたそのモチベーションの源は、閉鎖されたブロク「独りファシズム」氏が指摘したごとく、福島第一原発事故にあると私も思う。
いまや表面的には「アベノミクス」で経済はイケイケということになっているが、その足元には「東京電力が何回倒産しても、たとえ日本が破産しても贖うことができないほどの被害」(京都大学・小出裕章助教)という爆弾を抱えている。本来、この最大のリスクを捨象して経済を語ることなどできるはずはないが、そうするとこの国の本当の現実が知れ渡ってしまう。したがって当然、特定秘密保護法「福島第一原発隠し」に用いられることになる。
ただし、私はそれでも福島は隠し切れないと思う。なぜなら、百年、千年、万年単位で影響の残る事故を、たかだか霞ヶ関の独裁権力がコントロールすることなど到底できないことは明らかだからだ(ソ連という統制国家がチェルノブイリの事故から5年で崩壊したことを、くれぐれも記憶されたい)。

長くなってしまったので、急いで。

沖縄知事の年末最後の「転び」に同じく最大の☓。
ただし、この闘いは来年も続く。まだ負けたわけではない。

東京五輪の誘致に☓。これから2020年までメディアを通じた五輪ファッショが続くだろう。そしてすべては五輪再優先になるわけだが、東日本大震災の被災地、そして福島第一原発という難題の方がはるかにプライオリティが上であることを指摘しておく。

その東京五輪に「最後の一人になっても反対する」と宣言した久米宏に◯。それに比べて、スポーツジャーナリストの玉木正之は、東京開催礼賛をぶち上げて、ぶざまな醜態をさらした。

遠隔操作ウイルス事件に☓。まともな証拠もないままに拘束され続けている容疑者がいる。にもかかわらず、メディアはこの異常事態をほとんど報じない。
このブログでは何度か紹介しているが、岡庭昇氏の著書の引用をしておく(ちなみに同書は30年近く前に書かれた本である。電子版は志木電子書籍より刊行)。

「マスコミと裁判所は権力の手法のニ大武器だ。そして、それらはみごとに重なっている」(『この情報はこう読め』)

ということで今年もマスメディアに☓。これも毎度、同じことを書いているが、マスメディアはジャーナリズムではないということをニュースを見る側は深く肝に命じるべきだと思う。
こちらのリンクは安倍晋三のfacebookに掲載された写真だ。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=410640465726069&set=a.132334373556681.21871.100003403570846&type=1&theater
安倍の誕生日を前にプレゼントを渡す女性記者たち。彼女たちはジャーナリストではなく、単なる勝ち組である。
それにしても、どうしてこうなってしまうかといえば、それは彼女たちの上司が政権とベッタリだからだ。安倍晋三が靖国を参拝した日の晩はメディアの報道部長と会食したという。お話にならない堕落ぶりである。

民主党に☓。歴史的な政権交代を、「自らの手で意図的に」破壊したこの政党の役割はすでに終了した。

と、ここまて書いて、☓ならいくらでも思い浮かぶが◯がなかなか思い浮かばない。
なかで、、、

今上天皇のご健勝に◯。最良のリベラリストの存在はこの国の最後の砦である。

中日ドラゴンズのGMに落合博満氏が復帰したことに◯。

田中将大を含めて楽天の日本一に◯。落合派の私は星野仙一は好きではないが、今年は素直に「おめでとう」と言いたい。

「あまちゃん」と「ごちそうさん」に◯。
(能年玲奈より)橋本愛に◯。とにかく美しいデス。

電子書籍の普及に◯。私は現在、電子書籍データの検品、校正をしているのだが、今年は本当に多くのデータを読んだ。なかでも旧作が大変面白い。SF、ミステリー、歴史小説を山のように読んだが、こういう本が電子版として復活するのは嬉しい限りである。

今年の浦和レッズは最後にズッコケて☓。来年は最低でもACLへ。

最後に。
7月22日にアップした『民主惨敗の理由は「もし山本太郎が原発賛成派に転じたら?」と考えればすぐわかる』はYahooニュースに掲載されたこともあり、1日で24万5千アクセスを記録。
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2013/07/post-3f6b.html
これまでの当ブログの記録を圧倒的に塗り替えた。当日はココログのアクセスも1位だったが、にもかかわらず、その後、あまりこのブログを更新できなかったことに☓。
来年は心を入替えて奮起したいと思います。
ただ、facebook版は日々、更新しておりますので、こちらもよろしくお願いします。

それではみなさま、良いお年を。
来年こそは反転の年といたしましょう!



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/722.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 安倍をゴーマン化させた国民の変わり身を期待+秘密保護法の轍は踏まないぞ! (日本がアブナイ!) 
http://mewrun7.exblog.jp/21513374/
2013-12-31 06:21 

 今日で2013年も終わりだ〜〜〜。(・o・)

<昨日でやっと仕事納め。今日は恒例のお正月用カレーを作りながら、小掃除をしなくちゃだわ。(・・)>

 まずは、この1年、ブログを読んで下さった方々、コメントやTBを下さった方々、応援や評価のクリックをして下さった方々には、どうも有難うございました。m(__)m 

 今年は仕事も実生活もアレコレと忙しかったので、コメントの返信も、TBのお返しもほとんどできず、本当に申し訳ありませんでした。<特に1年を通して、たくさんコメントを下さったさえぐささん、xtcさんには、心からの感謝&おわびを申し上げます。m(__)m >

 ただ今年もそれ相当の数の方々がブログに来て下さった&コメントやクリックで励まして下さったお陰で、何とかこの1年も、ほぼ毎日、記事を更新をすることができたのは幸いでした。"^_^"
<かなり手抜きの日もあったかも知れないけど。ご容赦を。_(。。)_>
 
 来年はどうなるかわかりませんが。mew的には、このブログでずっとこだわって来た『集団的自衛権の行使容認」だけは、何とか絶対に阻止したいと考えているので、できるだけ毎日、何とか時間をやりくりして、安倍政権の問題点(とりわけ超保守的な思想に基づく政策や安保軍事&外交に関する政策の問題点)を訴えて行きたいと思っています。どうかよろしくお願いします。m(__)m 

* * * * *

 さて、05年9月に、このブログを始めてから8年余りになるのだが。安倍政権(再び)の下の1年は、国政の面では、MYブログ史上最悪のブル〜(憂鬱)な日々だったと言えるかも知れない。(-_-;)

 しかし、これほどまでに国政のほぼ全ての分野において、考えが合わない首相というのは滅多にいないような気がする。(~_~;)

 mewは、「平和で平穏な生活が一番!」だと思っているわけで。現憲法の理念である平和主義、自由&民主主義(人権尊重含む)に基づいて築かれた戦後の日本をこよなく愛しているし。
 自由主義を基調にしながらも、教育、医療、福祉などの社会政策もきちんとケアするリベラルな国柄、無用な争いを好まず和を大切にする国民性、治安のよさなどなども含め、世界に誇れる国だと思うし。そして、何とかそれを守り続けたいと思っているのだけど。(・・)
 
 ところが、安倍首相は、今政権では、mewがいいと思うことと、ほぼ正反対の政策の実現を目指しているわけで。安保軍事はもちろん、経済、社会政策も含めて、毎日のようにイヤ〜なニュースばかりを目にする日々だったからだ。^^;

 何分にも、安倍氏は、ただの保守を通り超えて、日本の戦後体制を否定する(=戦前志向の)コアな超保守(真正保守)派であって、国家主義、国粋主義的な思想を有している上、軍国主義的なタカ派であるし。しかも、米国式の極端な新自由主義に基づく経済、社会政策をとる道を選ぶことに。<昔はもう少し優しい性格の持ち主で、困った人のことを考えたりしていたのにな〜。>

 しかも、超保守思想(安倍カラー)丸出しで、中韓朝の国や民族を敵視し、日本が経済的にも軍事的にも中国などに勝って、アジア、ひいては世界のTOP国になることを目指して、ひたすらに富国強兵策を進めようとしていわけで。根本的な思想も、将来のビジョンも、ほぼ皆無に近いほど共有できるものがないのである。(-"-)

* * * * *

 いつも言うように、mewは世の中には色々な考えの人がいてもいいと思っているし。<むしろ皆が考えが同じという方がコワイ&アブナイと思う。>別に戦前志向の超保守派の政治家やネトウヨがいたっていいとは思うのだけど。
 ただ、そのネトウヨのような超保守派の人が、日本の首相となって、政治権力を握るとなると、黙ってはいられないところがある。(**)

 それでも、日本は民主主義の国ゆえ、もし国民の多くが、安倍氏&仲間たちの思想や政治理念、目標などを知った上で、それを理解&支持するなら、止むを得ないと思える部分もあるかも知れないのだけど。<とはいえ、mewは長い物に巻かれるタイプではないので、ミュ〜ミュ〜と抵抗し続けるだろうけど。^^;>

 たぶん、mewが、今、一番イヤだと思っている&イラついてしまうことは、日本の国民の多くが、安倍氏らの思想や国づくりの目標などについてきちんと把握せずに、安倍内閣や自民党を何とな〜く支持していることかも知れない。(-"-)

 同時に、国民が気づかないうちに、また仮に気づいたとしても、もはや国民がそれを止めることができないような形を作られて、安倍カラーの安保軍事、教育政策が進んで行くほど、コワイ&アブナイと思うことはない。(ーー)

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

 その最たる例が、秘密保護法案だった。(-"-)

 この法案に関しては、200以上の事項を記した自民党の公約(政策集)にも載っていないし。安倍首相が臨時国会の冒頭で行なった所信表明でも、全く触れられていなかったのだ。^^;

 安倍内閣は、当初は来年春に実行に移す予定だったNSC(国家安全保障会議)の創設を前倒しすることに決定。秋の臨時国会でNSC創設法案を成立させることにしたのだが。
 その際に、他国から情報を収集するには、もっとしっかりした秘密保護の法律が必要だという話が出たことから、内閣情報調査室が法案を準備。8月末には、自民党の「インテリジェンス・秘密保全等検討プロジェクトチーム」(座長・町村信孝氏)が法案の概要を了承し、9月にパブコメの募集が行なわれることになった。

 実はこの法案の準備については、公明党も全く知らされておらず。
 9月初めには「公明党の石井啓一政調会長は5日、外交、防衛などの機密保全を図る
特定秘密保護法案を巡り、政府が同党の了承を得ないまま、国民の意見募集を始めたことについて、自民党の高市早苗政調会長に抗議した(毎日9.6)』という記事が出ていたほど。^^;

 しかも、当時は法案の概要しか公表されていなかったこともあって、野党もメディアも半ばスル〜状態だった。_(。。)_

<もしかしたらこの法案について、一番最初に、多くの一般国民に知らしめたのは藤原紀香さんだったかも知れない。紀香さんは、9月13日に自分のブログで、この法案について取り上げ、パブコメへの応募を呼びかけたからだ。『藤原紀香も懸念するアブナイ秘密保護法の問題点・・・』>

* * * * *

 10月になり、15日に臨時国会が召集される直前になって、公明党PTが「知る権利や報道の自由への配慮」を明文化すべきだと主張し、修正案が作られることになったのだが。
 この頃には、一部のジャーナリストや弁護士などが集会を開いて、積極的に法案の問題点をアピールしたり、リベラル系の新聞やブログもこの法案を取り上げたりするようになっていたのだが。そのような情報は、国民の目には届いていなかった。(-_-;)

<NHKが10月12〜15日に行なった世論調査では、「特定秘密保護法案」の内容を「知っている」と答えた人は23%、「知らない」と答えた人は74%だったのよね。^^;>

 残念ながら、一般国民の多くは政治に関心が薄いこともあって、日ごろ、新聞の政治に関する記事を読むことはないし。ネットで政治に関する情報を得ることもないのが実情だ。(~_~;)
 それでも、一部の人たちは、TVのニュース番組やワイド・ショーは目にするので(とりあえず、それらを通じて重要なニュースを確認する)、mewは秘密保護法案に関して、早くTVで取り上げて欲しいと願っていたのだけど。
 大手TV各局は、恐ろしいほど、この法案をきとんと扱おうとしなかった。(>_<)

 報道関係者の中には、「こんなズサンな法律が通るとは思っていなかった」と釈明した人もいたし。TV局が、この法案を扱うことに消極的な姿勢だったと指摘する人もいた。^^;
<ジャーナリストなどが集まる反対集会に誘っても、「自分も反対の立場だけど、局の意向があるので、署名をしたり集会に出たりできない」と断った人も少なからずいたという。>
 
 この辺りのことは改めて書きたいと思うのだが。自民党は、野党時代からTVをチェックする体制をとっていた上、安倍政権にはいってからは、TV局を押さえ込む戦略を着々と実行に移していたのである。(-"-)

* * * * * 

 実際、このブログにも何度も書いたように、こんなズサンで欠陥だらけの法案を国会に提出すること自体、アニビリーバボーなことだったし。<知る権利や報道の自由だけでなく、罪刑法定主義や刑訴法にも違反するかも。>
 国会審議を見てもわかるように、法案を担当した森まさ子大臣でさえ、条文の内容を理解していない上、法解釈も定まっておらず。答弁が二転三転せざるを得ない法案だったのであるが。
 
 安倍内閣は10月25日に法案を閣議決定し、国会に提出することに。
 この頃から、ようやくペンクラブやら民放、新聞協会やらが次々と反対声明を出すものの、もはや安倍内閣はきく耳を持たず。ひたすら審議時間を稼いで、衆参院選で法案可決することに力を注いでいたのであった。^^;
<11月下旬や12月初旬になって、有名な芸術系の人たちが反対声明を出していたのだけど。もう少し早く動けなかったものかと、残念に思う。(-_-;)>

 TV各局がまともにこの法案を取り上げるようになったのは、それこそ、そろそろ衆院で法案の強行採決が行なわれるかも知れないと言われ始めた11月後半になってからだった。<マジ、遅いよ!(`´)>
 正直なところ、mewには、何も報じないのもマズイかなという感じで、いわば後付でとってつけたように報道を行なったとしか思えないような番組がたくさんあった。(-"-)
 要は、彼らは本気でこの法案を阻止する意欲はなかったのである。(>_<)

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

 でも、mewは国民の責任も大きいと思っている。(・・)

 mewの周辺の人たちから察すると、一般国民の多くはおそらく、いまだに安倍首相がどのような思想や目標を有しているか知らないし。気にも留めていない人が少なくない。^^;
 
 何か民主党はダメっぽい感じだし。よくわからないけど、アベノミクスの経済効果が出たらいいな〜と期待して、衆参院選で自民党に投票。安倍内閣を高支持率で支え続けているのであるが。
 主権者として、国政に自分の意思を反映しようという気は全くないし。安倍内閣が、経済政策でも安保軍事政策でも、具体的に何を行なおうとしているのか積極的に知ろうともしないのだ。(-_-;)

 安倍内閣は、脱原発を望む人が7割以上いるにもかかわらず、原発再稼動の準備を進めているのだが。だからと言って、支持率が大きく下がることもない。
 TPPや消費税率増アップに慎重な人もかなりいたはずなのだが。安倍内閣がそれを実行に移しても、支持率が落ちることはない。^^;
<各社が発表している支持率が、必ずしも正しいとは思わないけど。でも、mew周辺を見る限り、安倍首相の国政に強く不満を訴えている人は、ほとんどいないような感じだ。^^;> 

 安倍内閣&自民党が、国民の要望をいくら軽視しようと、公約に違反するようなことをやろうとも、選挙にはしっかり勝てるし。支持率もさして落ちないのである。^^;
 選挙で勝利し、支持率も高ければ、自民党内でも安倍首相や仲間たちが、多少、問題のある言動を行なっても、文句を言えないような状態になるわけで。これでは、「図の乗るな」という方がムリかも知れない。(~_~;)

 その奢りやゴーマンさが、秘密保護法案の国会審議や強行採決につながったのではないかと思うし。さすがに、この後には10%ほど支持率が落ちたものの、首相就任から1年立っても50〜60%の支持率をキープしているとなれば、上出来だと見ることもできよう。^^;

 今月下旬になって、安倍首相が、強引な手法を用いて、辺野古移設の実現をはかったのも、靖国神社に参拝したのも、国民をナメて、タカをくくっていたからではないかと察する。
 どうせ沖縄県以外の一般国民は辺野古移設には関心がないし。靖国神社の参拝も、中韓が反対するからマズイぐらいの感覚しかないので、さしたるダメージはないと。仮に多少批判を受けても、年末年始の休みをはさめば、国民はそんな批判も忘れてしまうだろうと考えたに違いないのだ。^^;

 米国政府にまともに批判声明を出されたのは、チョット誤算だっただろうけど。<小野寺防衛大臣とヘーゲル国防長官の電話会談も中止になったんだってね。>
 もともと中韓とは仲良くする気はないのだし。下手すれば、中国と対立が深まった方が、対中政策の必要があるとして、安保軍事政策を強化しやすいので、都合がいいと思っているかも知れない。(-_-)

<ちなみに安倍首相は、29日には早速、朝から大好きなゴルフへGO!30日には、首相として初めて東京証券取引所の大納会に参加。今年最高値の16000円台で引けた株価ボードを前に、「来年もアベノミクスは買いです」とご機嫌だったとか。(@@)>
 
* * * * *

 でも、mewは、あきらめてはいないのだ。(**)

 来年にはいれば、一般国民は、アベノミクス効果が自分たちのところには簡単に訪れないことを、そして、いわゆる勝ち組との間で経済格差が拡大していることを実感することになる可能性が大きいし。おまけに消費税+αのアップ、医療や社会保障の負担増も含め、アレコレの値上がりで支出が増えて行くことに疑問を覚えることになるはずだ。(・・)

 安倍自民党が07年の参院選に惨敗した時もそうだったのだが。何やかんや言って、やはり経済的なダメージを被ると、国民の支持は離れて行く傾向にある。<民主党政権だって、リーマン危機やEU危機の後遺症や東日本大震災がなければ、もう少し違う展開になったかも。^^;>

 それに、集団的自衛権に関しては、来年、年明けから、また書きまくりたいと思うのだけど。
 共同通信が22〜23日に行なった世論調査では、『憲法解釈の見直しによる集団的自衛権の行使容認に反対するとの回答は53・1%で、賛成の37・0%を上回った』とのこと。(共同通信13年12月23日)
 どうやら民主党も結いの党も、解釈改憲反対を前面に打ち出すつもりのようだし。(維新の橋下くんもこの立場。)96条改憲のように、野党やメディアが早くから騒いでくれれば&支持率が低下すれば、強行策がとりにくくなる。(++)
<あとはどれだけ、国民を巻き込んで、施行前に秘密保護法を修正させられるかも大事な目標に。>

 ・・・というわけで、来年は、ともかく集団的自衛権の解釈改憲を絶対に阻止すべく、また早く安倍氏を首相辞任に追い込むべく、ネット界の片隅で「日本がアブナイ!」とわめき続けるぞ〜と意欲満々のmewなのだった。(@@)

p.s. 皆さまには、よいお年を。(^^♪
                          THANKS



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/723.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 頼りの米国も「disapointed(失望した)」〜世界の常識に目をそむけた安倍靖国参拝(レイバーネット日本)
http://www.labornetjp.org/news/2013/0101matu


http://www.labornetjp.org/image/2013/matumotologo2
第10回 2014.1.1 松本昌次(編集者・影書房) 

真の「歴史認識」のために


 第2次世界大戦の敗戦から、70年近い歳月が経っているにも拘らず、中国・韓国などアジア近隣諸国によって、いまなお「歴史認識」の無知を問われつづける日本の為政者たちの頭は、一体どんな構造になっているのだろうか。いや、アジアだけではない。このたびの安倍晋三首相の靖国参拝によって、とうとう頼りにしていた米国からも「disapointed」(失望した、失恋した)とまで言われたのである。そればかりか、ロシア・EU、いわば世界各国からも批判は続出。つまり、かつて日本がアジア諸国を植民地支配したり、侵略戦争で加害の限りをつくしたことは、世界の「歴史認識」の常識になっているのだ。その常識に目をそむけ、まともに認めようとしないのが、その当事者である日本自身だからなんとも情けないとしかいいようがない。

http://www.labornetjp.org/image/2013/1230manga
      *「諸外国が…」という前に日本人の手で止めよう靖国参拝(漫画=壱花花)

 安倍首相が靖国神社に参拝したということは、ドイツのメルケル首相が、ヒトラーやアイヒマンなどの墓(あるかどうか知らないが)に参拝したことと同義なのである。もしそんなことをしたら、メルケル首相は法的にも、そして民衆からも即刻クビになるだろう。ヒトラーなどと同じく、東条英機以下7人、東京裁判で断罪され絞首刑になった人たちは、戦争犯罪人なのである。ヒトラーと手を結び、天皇制支配のファシズム体制を推進し、内外の多くの人命を犠牲にした責任者なのである。安倍首相の祖父の岸信介はA級戦犯だったが辛うじて命をながらえ、戦後、首相として返り咲き、60年安保闘争を弾圧したことはよく知られている。

 それはともかく、安倍首相が「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊(ご丁寧に「御」が冠せられている)に対して、哀悼の誠を捧げ」「世界の平和と安定」を願うと、例によって例のごとく、現実の政治行動とは裏腹の美辞麗句・常套句を撒き散らしているが、世界の良識がそんなことでごまかされると思ったら大間違いだ。しばらく前、テレビのあるインタビューで、靖国神社の宮司の一人が、戊辰戦争(1868〜69)での新政府軍(旧幕府軍は賊軍としてのぞく)の戦死者から、太平洋戦争に至る戦死者「246万6532柱」は、個人別々ではなく、一つの「かたまり」となって祀られていると話しているのを聞いて、びっくり仰天した覚えがある。従って合祀に反対しても、個人の「御英霊」はもはやとり出すことはできない。つまりA級戦犯として処刑された人も、一兵卒で戦死した人も、誰も彼もが一緒くたの「かたまり」になっていて、靖国神社に参拝するということは、その「かたまり」に参拝するということなのである。

http://www.labornetjp.org/image/2013/1230abe

 またふたたびそれはともかく、安倍首相は、靖国神社参拝のみならず、NHKの経営委員を自分のとり巻きで固めたり、歴史事項に対する政府見解を求める教科書検定基準を改定したり、特定秘密保護法案の推進とともに、いまや戦争中の「愛国行進曲」を日々奏で、酔い痴れているかのごとくである。安倍首相の靖国参拝を全面的に評価する産経新聞によると、安倍首相のフェイスブック(写真)には、参拝後、「いいね!」というボタンが4万回押されたという(小田嶋隆氏談話・朝日12月29日付)。これらの曖昧な大合唱をあたかもみずからを支持してくれるものと錯覚し、研究者・芸術家・ジャーナリスト・市民運動家・民衆など広範な人びとの反対の声を無視した先には、一体何が横たわっているか。敗戦につづく第二の「歴史の審判」以外の何ものでもあるまい。

 過去のあやまちをあやまちとして認めることは、決して恥ずべきことではない。逆にそれらを隠蔽することこそが恥なのだ。他国のことをとやかく言う前に、まず自国のかつての戦争責任を直視し、真の「歴史認識」を回復すること、そのためのたたかいは、まだまだつづきそうだ。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/724.html
記事 [政治・選挙・NHK158] サンデーモーニング 安倍首相が靖国参拝...中韓の反発と米の異例の反応/辺野古埋め立て承認でどうなる­?


サンデーモーニング 12月29日

▽安倍首相が靖国参拝...中韓の反発と米の異例の反応
▽辺野古埋め立て承認でどうなる­?

出演:寺島実郎 澤地久枝 目加田説子 安田菜津紀 荻上チキ 岸井成格 関口宏






http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/725.html
記事 [政治・選挙・NHK158] 「韓国製品は買わない」が75% 後戻りのきかない(!?)日本の反韓感情(週刊SPA!) 
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131231-00539615-sspa-soci
週刊SPA! 12月31日(火)9時21分配信


現在35歳の読者が学生だった頃、つまりほんの十数年前まで「韓国が大嫌いだ!」という日本人はそう多くなかった。ところが今や「嫌韓派」は堂々たるマジョリティ。夕刊紙は嫌韓記事を日々連発、韓国批判がテーマの新書はたちまち増刷。一体なぜか? それを検証すべく、’00年代以降に起きた韓国関連の主な事件をピックアップ。300人アンケートから「当時、韓国への反感が増した」と回答した人の割合を年表(http://nikkan-spa.jp/539569)にまとめたところ、’11年頃を境にムカツキ度は絶賛加速中。その背景を「嫌韓」の最前線にいた人々の証言から読み解いていく。

◆日本の反韓感情は、もはや後戻りのきかないところに……

 日本と韓国がケンカしても中国と北朝鮮を喜ばせるだけ――と憲政史家・倉山満氏は警鐘を鳴らすが(参照:「韓国人の歴史観はすべてファンタジー」)、もはや日本の国民感情は後戻りのきかないところまで来ている。

「当然の形に着地しつつあるだけ」(48歳・通信)と「嫌韓」に胸を張る人の多いこと。今後の韓国との付き合い方を聞いてみれば、「韓国製品を買わない!」「韓流ドラマは見ない!」がいずれも70%超えと、すでに韓流が“オワコン”なのは明白だ。

 一方、積極的な嫌韓推進活動を行う人は、数の上ではまだ少数派。とはいえ、「韓国の悪いところを友人・知人に積極的に広める」という“信念の人”は、すでに20%近くに達している。「行きつけの美容院の奥さんは韓国歴史ドラマが大好き。しかもドラマの世界が真実だと勘違いしていたので、本当の韓国というものの写真を見せたりして教えてあげた」(40歳・主婦)。

 極め付きに、いずれ「日本海経由で竹島に上陸」して、日本領土であることを訴えんと気炎を上げる国士は男性ビジネスマンの18%にも(全体では11%)! くれぐれもむちゃはしないでもらいたい……。

取材・文/SPA!日韓関係研究班 写真/アフロ 撮影/岡戸雅樹 難波雄史 イラスト/サダ



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/726.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 稲田朋美行革相の新年外遊に安倍政権の緩みきった外交姿勢を見る思いだ (天木直人のブログ) 
http://www.amakiblog.com/archives/2013/12/31/
2013年12月31日

 稲田朋美行政改革相が1月早々に訪米するという記事がきょう大晦日の新聞に小さく掲載されていた。

 ワシントンのシンクタンクで安倍政権の規制改革の取り組みについて講演するという。

 クールジャパン担当相としてニューヨークのNPO法人で日本の戦略を説明するという。

 再チャレンジ担当相としてシリコンバレーで若手企業家やIT関連企業を施設するという。

 絵に書いたような「外遊」だ。

 気楽な大名旅行だ。

 巨額の血税の無駄遣いだ。

 稲田朋美大臣がいま米国で緊急にしなければならない外交はただ一つしかない。

 それは安倍首相の靖国参拝を米国に説明して理解を得る事だ。

 しかも稲田朋美大臣は安倍首相の靖国参拝を最も強く支持し、安倍首相の真意を一番よく知っている閣僚の一人だ。

 なぜ今度の訪米の目的をそのことに置かないのか。

 オバマ政権の主要閣僚や米国議会要人を訪ね歩いて説明し、理解を得ようとしないのか。

 いまや安倍首相の靖国参拝を正しく説明し、理解してもらう事は日本外交の最重要課題である。

 そのことを安倍首相も自ら語っている。

 それなのになぜ稲田大臣は、ワシントンに行くのに逃げるのか。

 その理由は簡単だ。

 稲田朋美大臣が説明すると火に油を注ぐことになるからだ。

 ますます批判されて安倍政権が危うくなるからだ。

 ここに私は安倍首相の弱さを見る。

 安倍政権の自信のなさを見る。

 安倍政権が必死になって真剣な外交をしていない証拠である(了)



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/727.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 沖縄県知事も創価学会も本物だ。 本物の詐欺師だ。


基地を作ることにGOサインをだした、沖縄県知事
その知事を支えてきた、公明党と沖縄創価学会員


もしも知事を非難するなら、公明党も創価学会も、沖縄県知事の辞職を要求すべきである。


それをしないのは、いつもの公明党と創価学会のポーズである。この詐欺師の知事をこれまでどおり支えていくことだろう。


公明党を支える創価学会員


沖縄県の創価のホームページを検索して思った。


沖縄県知事も創価学会も本物だ。
本物の詐欺師だ。


池田大作さんの詐欺師の才能には、だれも勝てない。
わたしも池田大作さんには騙されたが、みなさんも用心しよう。


池田大作
永遠たれ平和の要塞     (一部省略) 
http://www.okinawa-soka.jp/pdf/yousai.pdf
青き空に
情熱の太陽は燃え
珊瑚礁の海は エメラルドに光る
彼方に白銀(しろがね)のしぶきは踊り
岸辺に赤きデイゴの花は微笑む

おお 沖縄!
美しき海の邦よ
白き砂浜を洗う波は静かに
水はどこまでも澄みわたり
陽光は深き海底を照らす
色とりどりの魚の舞いは
夢の竜宮城へと誘うか

海は母―
生物を生み育み
豊かな資源を恵む母
海は道―
遥かなる国々より
文化と友誼を運ぶ道

海は 時に荒れ 時に逆巻くも
静寂の朝(あした)には 銀の鏡となり
涼風の夕べには 金の帯を広げ
優しく 強く 大きな腕(かいな)で
人々の心をつつみ 励ます

あなたたちは言う
その豊かさを称え
「かりゆしの海」と
いつの日も沖縄は
この美しき海とともにあった

私は 沖縄を詩(うた)う
私は 沖縄を愛する
私は 沖縄に涙する
そして 私は 沖縄に
民衆の幸の凱歌の潮騒を聞く

かつて琉球王朝栄え
古より薫り高き
固有の文化の花咲く沖縄
人には
おおらかなる海洋人(かいようびと)の気風があふれ
気宇は広大にして 勇気猛く
荒波を越えて
中国 東南アジアの国々に渡り
大交易時代の要衝となる

平和を愛する心強く
義に厚く 情また深く
難破せる異国の友を
救いもてなすこと数を知らず

ああ されど
歴史の濁流は うるま島を襲い
圧政のくびきは始まる
苛酷なる年貢に喘ぎ
嵐 日照りあらば
毒もてるソテツさえ食いて
飢えをしのぐか

星ながれ 時は移れば
あの大戦の惨禍あり
本土防衛の「捨て石」となり
緑の山河は血に染まり
この世に現じた阿鼻の叫喚

戦火に逃げ惑う無辜(むこ)の民に
「鉄の暴風」は容赦なく吹き荒れ
砲弾は丘を崩し 大地を砕き
火炎は壕にこもれる兵士を 母を
学徒を 乙女を 幼子を焼く
はたまた 集団自決の命さえ下り
ついに 二十万の尊き命を奪う

敗戦の後(のち) また悲しく
米国の統治の下 基地の島となり
各所にミサイルの黒き影あり
あのベトナムへも
ここより爆撃機は飛び立っていった

ああ 沖縄!
忍従と慟哭の島よ
誰よりも 誰よりも
苦しんだあなたたちこそ
誰よりも 誰よりも
幸せになる権利がある
そうなのだ
ここに安穏なくして
真実の世界の平和はない
ここに幸の花咲かずして
人の世の幸福はない

悲惨なる過去の歴史に
ピリオドを打て!
国土の宿命をば転じ
必ずや 必ずや
この天地に この島々に
常楽の民衆の都を創らねばならない

やがて あなたたちは
悲しき過去の
運命の呪縛を断ち切らんと
懊悩の洞窟より出でて
決然と未来の星を仰ぎ
愛する郷土の建設に立ち上がった

我が脳裏に去来する 
悲惨なる戦争の種々(くさぐさ)
戦火に散った罪なき民衆の
声なき叫び 無告の号泣

沖縄の 世界の
平和への誓願を込め
たぎり立つ熱情のほとばしりを
熱き 熱き感慨を
ペンに託して私はつづった

戦争ほど 残酷なものはない
戦争ほど 悲惨なものはない…
―それは 沖縄が
あなたたちの悲願が
喚起せしめた
我が生命の叫びなのだ

君たちよ
胸に手を当ててみたまえ
きっと 思い当たるばずだ
人間誰しも
敵に負ける前に 己に負ける
弱気の人 臆病の人は
立ちはだかる壁に逡巡する前に
己の影に ひるんでいるのだ
己の幻影に 脅えているのだ
心中の賊に 敗れているのだ

強気の人 勇気の人は
常に胸中を制覇しゆくがゆえに
何ものをも 恐れない
何ものにも くじけない
何ものにも ひるまない
何があっても
「賢者はよろこび愚者は退く」の
御聖訓のままに
無常の雲間に
燦然たる王者の太陽 我なりと
猛る怒涛に 胸張り進む

ああ 広宣の
瑠璃の思い出を刻みたる友よ
私は忘れない
あなたたちと過ごした
懐かしき金玉のあの日あの時を

大地を焦がす炎熱の太陽の下
車に氷柱を積み
汗にまみれながら
友の激励に走ったあの日

ともに記念のカメラに納まり
一葉の写真に
永遠の誓いをとどめ
勇躍の旅立ちを期したあの時

また 我をたずね来りし国頭(くにがみ)の友
桜の枝を差し出せる少女の真心よ
基地の町に
「平和の砦」を築かんとする
コザの友の決意の笑顔よ

石垣はヤドピケの浜で
歓呼の網を引き
ともにハチマキをして
踊った八重山の友よ
亀も舞い出で
万年の栄えの前途を祝うか

激しき嵐を越え 越えて
我を待ちたる宮古の友よ
来りし春の喜びに
平良(ひらら)の市民会館に
広がり起こった歓喜舞

はたまた 青年の君たちと
語り合うこと 幾たびか
皓々たる月光を浴びて
未来を託し 次代を頼み
対話した日もあった

私は青年に期待した
青年に魂魄を 注ぎ
我が腕(かいな)にいだき 鍛え 育んだ
この大地より
真実の民衆の大指導者が
陸続と巣立つを願い 信じるがゆえに

そして今 君たちは
自らの悲哀と感傷を制覇し
小我の岩穴(がんけつ)にくすぶる憤怒の火を
妙法流布の大歓喜をもって
新しき平和の大道へと開きに拓いた

そして
沖縄市の陸上競技場での
あの感動の平和文化祭
あの日
降り出した雨は
次第に激しさを増し
あなたたちの姿は 煙り 霞むも
瞬時のためらいもなく
演技は続いた

さらに
滝のごときスコールをついて
ぬかるみのフィールドに躍り出た友
莞爾として 広がる歓喜の乱舞
顔を濡らすは
雨滴なるか 涙なるか
おお 踊るは
雨を乞う「クイチャー」の舞いだ

私は詠んだ
「三万の 平和を祈る 雄叫びは
諸天を動かし 銀の雨降る」
豪雨にもたじろがず
いな それさえも
自然の演出と変え
美事(みごと)なる感動のドラマを演じた
あなたたちの心意気よ
それは 沖縄の心の結実だ
それは 民衆のもてる
強き 逞しき力の象徴だ

ああ いま 恩納村のミサイル基地は
平和創造の研修道場となり
紺青の海より渡り来る風に
緑葉はそよぎ
紅きハイビスカスの花は
平安の微笑を交わし合う

かつて 荒涼たる野に
おぞましき威嚇の砲口を
大陸に向けし発射台は
いま 装いも新たに
平和の記念館となり
その前面には
沖縄の青年の誓願により
「世界平和の碑」が建ち
若人の青春賛歌のブロンズ像が並ぶ

二十万の友 ここを訪れ
平和の光源に触れ
誓い新たに
勇躍の出発を告げる
これまさに
三変土田の原理なるか

そして また
懐かしき石垣島にも
八重山の研修道場は
白亜の偉容を現し
我らが船出を見守り
待ちに待ってる

使命深き沖縄の友よ
平和の開拓者たちよ
我らの手で
ここに
永久平和の堅塁の砦を
崩れざる幸の楽園を創りゆこう

友よ
あなたたちよ 君たちよ
知ってくれたまえ
それは 着実なる日々の
精進の持続のなかに築かれゆくことを

あの名高き鍾乳洞の
玉泉洞の景観を生み出せしもの―
それは
石灰をはらんだ一滴一滴の水だ
わずかなるも
間断なくにじみ出る水滴は
悠久の歳月のなかで
石のつららとなり
石筍を育み
妙境の世界を形づくる

御聖訓に
「火をきるに・やすみぬれば
火をえず」と
一歩でもよい 半歩でもよい
今日も 明日も 前へ 前へと進み
何ごとにも くじけず へこたれず
自らの課題を
一つ また一つと仕上げ
己が信念を貫徹しゆくことだ
そこにこそ 広布と人生の最後の勝利の
栄冠が輝くことを忘れまい

さあ 沖縄の友よ
あの澄んだ海のような
清き心と心のスクラムを組もう
嵐にも敢然と抗し
青々と葉を繁らせる
ガジュマルの樹々(きぎ)の強さ―
そのうっそうたる樹冠(じゅかん)を
支えているのは
決して一本の幹ではない

幹や枝から垂れた気根が
大地に根を下ろし
幹を守り 寄り集まって
天に広がる緑の大傘(おおがさ)を担っているのだ
時に それは
古木を覆い 岩をもいだく
団結の強き力なるか

時代はまさに民衆の世紀
一人一人が主役なればこそ
いや増して
衆知と衆力を連動 結合させる
強き絆が肝要となるのだ

バルチック艦隊発見の打電に
一昼夜にわたりクリ舟を漕ぎ続け
荒波を渡った かの久松五勇士―
それは民衆のもつ力だ 輝く知恵だ
その力が結ばれ
不戦の大波となって寄せ返す時
平和の海原に
生命の世紀の太陽は昇る

沖縄には「守礼の邦」の
床しき伝統あり
まことの礼とは
真心の自ずからなる発露にして
陶冶された人格の所作 自律の力

御聖訓に
「礼儀いささか・
をろかに思うべからず」と
陽光もて 旅人のマントを脱がす
かの太陽のように
守礼の人でなくてはならない

「礼」の力は
また「文化」の力だ
おお―
沖縄の文化の逞しくも巨大な
包容力 そして淘汰力
多くの外来者 征服者さえも
膝を屈せしむる同化力
力によらず 威武によらず
「文」をもって「化」する力

おお 沖縄の友よ
太陽の子らよ 大海の勇者たちよ
かつて
首里城の大鐘に
「万国津梁之鐘銘」あり
船を自在に操り 荒波を乗り越え
世界の諸国と交易を結び
文化の橋を架けし
新興黎明の気魄をとどめる

いままた沖縄に
新たなる平和と文化の
「万国津梁」の先駆けの時は来た
戦略 軍略の見地から
「太平洋の要石」と呼ばれ続けた
運命の天地・うるま島は
まばゆい妙の光につつまれて
アジアへ 世界へ
「海のシルクロードの要石」であれ

その旗印も翩翻(へんぽん)と
その厳たる平和の旗持ち
いざや悠然と君ら行け
正義のために
波浪も恐るるな
怒濤も恐るるな
正義の航路を一筋に君らゆけ

見よ!
世紀の旭日は昇る
空には虹の微笑の祝福
水面(みのも)に真白き波の喝采
諸手を挙げて
君たちを照らしゆく
旭日の光彩を浴びて
平和の道を
平和の海へ
君たちよ 胸張り進みゆけ

沖縄よ!
永遠に゛平和の要塞゛たれ

一九八八年 二月十七日
沖縄研修道場にて

沖縄の友の安穏とご多幸を祈りつつ
更には 沖縄の永遠の平和国土たる
ことを祈念しつつ  合掌
桂冠詩人

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/728.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 政党助成金導入以来19年間に助成金を受け取ったのは32党。うち24党は助成金を受け取って消えてしまった。





http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/729.html
記事 [政治・選挙・NHK158] 問われているのは過去の戦争に対する日本の態度(Internet Zone::WordPressでBlog生活)
問われているのは過去の戦争に対する日本の態度(Internet Zone::WordPressでBlog生活)
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2013/12/30140012/

今日の毎日新聞に、中国の程永華駐日大使が安倍首相の靖国参拝にかんして寄せた論文が載っている。

http://ratio.sakura.ne.jp/uploads/2013/12/mainichi20131230.jpg

「毎日新聞」2013年12月30日付


大使は、「中国は一貫して日本の軍国主義者と日本人民を区別し、戦犯と一般兵士を区別して考えている」「戦争の責任は一握りの軍国主義者が負うべきだ」として、「我々は一般市民が自らの親族を弔うことに異議はない」と述べるとともに、同時に「日本の指導者の参拝は侵略戦争の性格と責任に対する認識にかかわるもので、中国は絶対に受け入れることはできない」と指摘している。

さらに、靖国神社が、現在も「侵略戦争を躍起になって美化し、歪曲し、現在の国際世論とは全く相いれない間違った歴史観を宣揚している」と述べて、「日本の指導者がこうした場所で『英霊』を参拝し、侵略戦争を発動した当時の元凶に対し、『平和』『不戦』を言っても、被害国の人民は受け入れられないし、国際社会も信じないだろう」と指摘する。

こうして問題は、日本が過去の戦争にたいしてどういう態度を取るのか、侵略戦争だったという反省にたってのぞむのか、それとも「自衛のための戦争」「アジア解放のための正義の戦争」と美化するのか、その点についての日本政府の立場と認識にあることが分かりやすく丁寧に指摘されている。

「不戦の誓い」場所が違う――程永華・駐日中国大使が寄稿

[毎日新聞 2013/12/30朝刊]

 安倍晋三首相の靖国神社参拝について、中国の程永華駐日大使が毎日新聞に寄稿し、「不戦の誓い」をする場を間違えていると厳しく批判した。
      ◇
 日本を代表する政府の指導者が第二次世界大戦のA級戦犯も合祀されている靖国神社を参拝することは、日本政府の過去の戦争に対する認識と姿勢、戦後の中日関係の回復と発展の政治基盤、広範な被害国人民の感情にかかわるものであり、日本の進む方向にかかわるものである。これ自体が政治、外交問題だ。
 中国は一貫して日本の軍国主義者と日本人民を区別し、戦犯と一般兵士を区別して考えている。日本軍国主義が発動した戦争で中国人民は甚大な災難に遭い、日本人民もその害を深く受け、あの戦争の責任は一握りの軍国主義者が負うべきだと考えている。ポツダム宣言と極東軍事法廷の裁判を受け入れたことが日本の戦後の再生の前提であり、日本政府は約束を守り、侵略戦争の性格とA級戦犯の戦争責任問題に対する明確な責任ある姿勢をとるべきだ。我々は一般市民が自らの親族を弔うことに異議はないが、日本の指導者の参拝は侵略戦争の性格と責任に対する認識にかかわるもので、中国は絶対に受け入れることはできない。
 日本に自らの死生観、宗教観があるのはいいが、それを日本の指導者がA級戦犯を含むいわゆる「英霊」を参拝する理由にすることはできない。A級戦犯も死ねば、尊崇に値する「英霊」になるというのだろうか。生前の犯罪行為と戦争責任も帳消しになるのだろうか。人はみな最低限の善悪、是非の観念があり、これは宗教、文化とは関係がない。我々はドイツの政治家が自らの死生観、宗教観を理由に、ヒトラーをはじめとする戦争狂が死をもって罪をあがなったからと墓を建て、参拝したということを聞いたことがない。
 安倍首相は参拝後の談話で、過去への反省の上に立って「不戦の誓い」を堅持していく決意を新たにしたと述べた。しかし、靖国神社での「不戦の誓い」というのは場所を間違えており、世界の良識ある人に強い反感と疑念を抱かせた。靖国神社は戦前、日本軍国主義の対外侵略の精神的な支柱であり、現在もA級戦犯をまつっているだけでなく、侵略戦争を躍起になって美化し、歪曲し、現在の国際世論とは全く相いれない間違った歴史観を宣揚している。その中の「遊就館」は典型だ。日本の指導者がこうした場所で「英霊」を参拝し、侵略戦争を発動した当時の元凶に対し、「平和」「不戦」を言っても、被害国の人民は受け入れられないし、国際社会も信じないだろう。これは平和に対する冒とくと言わざるを得ない。
 また、安倍首相は中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりはないと強調し、敬意を持って友好関係を築いていきたいと願い、中国の指導者に直接説明する機会を得ることを希望した。だが、侵略戦争を美化する靖国神社を参拝したことで、国際社会と中国の民衆が見たものは当時の加害者に対する「敬意」と「尊崇」であり、想起したものは日本軍国主義が発動した侵略戦争によって中国人民とアジアの隣国にもたらされた甚大な災難だ。歴史をかがみとしなければ未来を志向できず、中日関係も正しい発展の方向を堅持することはできない。
 日本の指導者が靖国神社を参拝することは侵略戦争に対する日本政府の認識と中日関係の政治基盤、また日本とアジアの隣国、国際社会の関係の政治基盤にかかわるもので、日本の内政若しくは一個人の問題では決してない。我々は日本の為政者が問題の本質を認識したうえで、日本国内の平和勢力の声に一層耳を傾け、アジアの隣国と国際社会の正義の声を重視し、歴史の教訓を深くくみ取り、平和的発展を真に堅持し、隣国と真に平和共存することを希望する。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/730.html
記事 [政治・選挙・NHK158] 橋下氏VS朝日“因縁の闘い” テーマ変え続く「衝突」(ZAKZAK) 
大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長と朝日新聞の衝突は長期戦に入っている。橋下氏は「トップである僕に聞くなら、朝日も社長に来てもらって」と現場記者の取材を政務に関しては拒否する姿勢を崩さない。この闘いは越年しそうだ


http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20131231/plt1312311031000-n1.htm
2013.12.31


【関西の議論】

 大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長が、朝日新聞に対する「敵意」を燃やし続けている。9月の堺市長選で投開票日直前に政党広告の掲載を拒否されたとして政務に関する取材を拒否。朝日側は事態打開のため「私たちは権力者に対して取材する立場」などと取材を仕掛けたが、橋下氏はときには沈黙で、ときには「社長を連れてきて」などと返り討ちにした。これまで自身の慰安婦発言、子会社が発行する週刊朝日の連載などをめぐり衝突を繰り返してきた橋下氏は「朝日に表現の自由を語る資格はない」と怒りを募らしており、両者の闘いは年を越しそうだ。

■同じ質問…朝日「NG」他社には雄弁

 「市政に関係ないので朝日には説明しません」

 11月8日夜、橋下氏は市役所を退庁する際の囲み取材で、審議中だった特定秘密保護法案への見解を尋ねる朝日記者を冷ややかにはねのけた。

 「では聞きますが、どういうご意見ですか」

 民放の記者が後を引き継ぐと、何事もなかったかのように「僕は原則、秘密は嫌ですね」と雄弁に語り始めた。

 囲み取材には報道機関約10社の市政担当記者が参加し、次々と質問を飛ばす。そんな中で、橋下氏は朝日記者が挟み込む政務関連の質問をしっかりと分別し、「答えません」を貫いた。

 発端は9月に行われた堺市長選。大阪市と大阪府を再編する大阪都構想への堺市の参加が争点となり、都構想推進を掲げる維新は「大阪都の設計図を一緒に創りませんか」などと書いた広告を各新聞に掲載していた。この広告をめぐり、橋下氏と維新幹事長の松井一郎大阪府知事の怒りは沸点に達した。

 「(内部告発者から)橋下嫌いの幹部が強引にキャンセルしたと聞いた」

 維新の候補者が落選した夜、橋下氏と松井氏は記者会見で突如、朝日批判を始めた。橋下氏は掲載が仮契約まで進んでいたのに突然拒否されたと主張し、取材拒否を宣言した。

 「(朝日が)説明責任を果たすまでは僕らも(取材に)応じるわけにはいかない」

■「話をする相手ではない」駆けつけた編集幹部をばっさり

 朝日側はすぐさま、橋下氏の「幹部が強引にキャンセルした」との主張を否定。「堺市長選の投票日が差し迫った時期に、複数回掲載することは、投票を読者に呼びかける『選挙広告』となる恐れがある」として掲載を見送ったことを説明した。

 しかし、橋下氏は過去の選挙で朝日が他党の広告を投開票日直前に連続して掲載していたと主張。「説明は不十分」と受け入れず、「朝日新聞に表現の自由を語る資格はない」「朝日新聞はアンフェアすぎる」と舌鋒を強めた。

 膠着状態にしびれをきらしたのは橋下氏の取材を担当する朝日の現場記者と、デスクとみられる編集幹部だった。10月18日夜、2人は退庁時の囲み取材で論戦をしかけた。口火を切ったのは記者だった。

 「極端な話だが、すごくお金をもっている政治団体がいて、政党の広告を選挙期間中、毎日載せてくれと。そういう場合でも載せないといけないのか」

 唐突感のある質問に現場に戸惑いが広がる中、橋下氏は「ルールを明確化しないとダメ。朝日新聞の誰の判断で、どういう手続きで(維新の広告掲載拒否を)判断したのか教えてほしい」と切り返し、「トップである僕に聞くなら、朝日も社長に来てもらってください」と突き放した。

 編集幹部がすかさず「橋下さんは権力者。私たちは読者の代表として、権力者に対して取材する立場」と応戦したが、橋下氏も譲らなかった。

 「僕は市民の代表、国民の代表だ」「(編集幹部は)話をするカウンターパートじゃない」

■朝日の論調を逆手に強烈カウンター

 橋下氏と朝日は常に対立を繰り返してきた。今年5月の慰安婦発言をめぐり、橋下氏と朝日記者が囲み取材で激論。朝日記者が「私たち新聞記者は記事を書くときに言葉の細かい意味にこだわる」と詰め寄ると、橋下氏は「僕は何も用意せずにここで話している。揚げ足をとるのではく文脈でしっかり判断しろ。朝日は最低だ」と怒り、一時的に囲み取材対応を打ち切る事態になった。

 昨年、橋下氏の出自に関する連載を掲載し、社会的に批判を浴びた週刊朝日が今年4月、「賞味期限切れで焦る橋下市長」とする記事を掲載したことも火種となった。橋下氏の怒りの矛先は発行元の親会社である朝日に向かい、ツイッターでは朝日の論調を逆手にとって皮肉った。

 「日本国は謝り続けろ、アジア諸国に配慮しろ、傷つけた相手には配慮しろ、いつも言っているじゃないか。自分たちのことでも実践しろよ」

 政治的な価値観、信条で埋めがたいギャップのある橋下氏と朝日はテーマを変えながら対立を綿々と続けてきた。因縁の構図は年をまたいでも揺るがなそうだ。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/731.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 安倍首相に厳しく警告した米国の本心(朝鮮日報)
安倍首相の靖国参拝に対する、朝鮮日報の分析ね。
日米関係に関して、彼らの立場からして、「楽観視していない」ことが分かるでしょ。
靖国問題だけではない、いろんな要素が、日米関係にはあるからね。

それでは良いお年を。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/12/31/2013123101292.html

【コラム】安倍首相に厳しく警告した米国の本心

今年会った米国の対日専門家たちとの対話記録を整理した資料を取り出して読んでみた。安倍晋三首相について、専門家たちがどのような評価をしていたか、再確認したかったからだ。

 専門家たちはほぼ共通して、慰安婦問題などをめぐる安倍首相の言行を批判しながらも「安倍首相は非合理的な人物ではない」と話していた。最高点をつけた部分が「首相になった後も靖国神社を参拝していない」という点だった。歴史認識には問題があるが、少なくとも周辺国を意識して「マジノ線」を越えない自制力は示しているというわけだ。日本の高官層と随時接触しているマイケル・グリーン戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長も、こういう理由から最近まで「安倍首相は靖国神社に行かないだろう」という見通しを持っていた。

 こういう状況の中、クリスマスの夕方(米国時間基準)に飛び込んできた安倍首相の靖国参拝強行のニュースに接し、米国の感じた当惑がどれほどのものだったか、想像することができる。米国政府の声明に繰り返し登場する「失望(disappoint)」という表現は、同盟国に対して気軽には使いにくい。ワシントンの外交消息筋は「仮に、韓国政府の何らかの行為に対し、米国が『失望した』という声明を出したと考えてみよ。おそらく対米外交ラインは全て吹き飛ぶだろう」と語った。公式発表されるレベルがこれほどだったということは、水面下で米国の当局者はもっときつい表現を使ったことだろう。

 安倍首相の「オウンゴール」で、韓米は久しぶりに声を合わせて日本を批判している。これまで韓国に「日本との関係改善」を要求してきた米国としても、韓国の立場をより理解できるきっかけになった。

 とはいえ、米国の懸念は「安倍首相の歴史認識」そのものよりも「周辺国との対立」の方に、はるかに集中している。この点で韓米間には根本的な認識の差があり、そのため今後の解決策をめぐっても意見の違いがあらわになる可能性が高い。

 こうした差は、ニューヨーク・タイムズが社説で「米国も日本を圧迫するが、最終的には韓中首脳が安倍首相と直接会って対話すべき。安倍首相の行為に『ライセンス』を与えたのは、逆説的に韓国と中国の圧迫だった」と分析した点にもうかがえる。韓中が日本の歴史認識を批判し続け、安倍首相との会談を拒否したことで、日本国内で韓中に対する反感が高まり、そのため安倍首相が韓中の反発を無視して参拝を強行できたというわけだ。米国外交当局の関係者がしばしばニューヨーク・タイムズの論説委員と会い、外交上の懸案について意見交換をしていることを考慮すると、この社説を「幾つかある主張の一つ」と軽く流すのは難しい。

 「北東アジア戦略の中心軸」たる日本を放棄できない米国は、安倍首相に痛烈な警告を行ったが、これにとどまらず別の「懲戒」をする手段はほとんどない。結局、韓日に向けて「好きなように対話で解決せよ」というメッセージを投げ掛けた可能性が高い。とはいえ、米国の後頭部も簡単にたたけることを立証した安倍首相との対話に乗り出すという危険な手段を、うかつには選べないだろう。あれやこれやで新年の韓国外交にまた一つ大きな宿題が残された。


イム・ミンヒョク・ワシントン特派員



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/732.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 〔社説〕知事承認と世論 「もう、だまされない」 底堅い辺野古ノーの民意(琉球新報)
【社説】
知事承認と世論 「もう、だまされない」 底堅い辺野古ノーの民意

琉球新報 2013年12月31日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-217320-storytopic-11.html

  「もう、だまされない」。沖縄の未来に禍根を残す県知事の背信と政府の対応の欺瞞(ぎまん)性を、県民は冷静かつ毅然(きぜん)と受け止めている。
 仲井真弘多知事が、米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古埋め立て申請を承認したことを受けた緊急県民世論調査で、「支持しない」が61・4%に上り、「支持する」は34・2%だった。
 普天間問題の解決手法を問うと、県外・国外移設、無条件閉鎖・撤去が計73・5%を占め、辺野古移設は15・9%にすぎなかった。県内への新たな基地建設を拒む民意は岩盤のように底堅い。
 7割を超える住民が反対する辺野古移設の強行は不可能だ。

安倍政権の狙い不発

 知事再選時に「県外移設」を掲げていた仲井真知事の承認判断を公約違反とみなす回答は72・4%に上った。知事の支持率は過去最低の38・7%に下がり、不支持率は53・9%で、5割を超えた。
 最大懸案である普天間問題で、沖縄県政の舵(かじ)取り役が有権者との契約である公約をいともたやすく放棄したことに、大多数の県民が失望し、憤っている。
 辺野古埋め立てにお墨付きを与えつつ、「県外移設」の公約を維持しているという詭弁(きべん)は破綻し、知事の主張が通用しないことが明白となった。
 基地問題で沖縄の県益に沿った主張をする知事は保革を超えて高い支持率を獲得する傾向にあるが、今回の支持率急落は、歴史の歯車を逆に回して期待を裏切ったことへの拒絶反応だ。知事は、県民世論の厳しさを自覚すべきだ。
 残り任期が1年を切った仲井真知事は「公約違反」を否定し続ける限り、さらに求心力を失い、「死に体」に近づくだろう。
 注目されるのは、自民党県連と所属国会議員、仲井真知事に圧力をかけ、県外移設の公約を撤回させた政府・自民党の対応に関し、「納得できない」が7割を超え、安倍政権への不支持率が54・8%を記録したことだ。
 国会議員に離党勧告をちらつかせて屈服させた政府・自民党の対応は、「21世紀の琉球処分」とも称される。
 沖縄の「自己決定権」を踏みにじり、屈従を強いた安倍政権の強権性は見透かされ、県民に諦めを植え付けようとした狙いは完全に外れた。
 安倍首相が知事との会談で示した基地負担軽減策については、評価しないが約7割に上った。
 仲井真知事は「普天間飛行場の5年以内の運用停止」などについて「最大限努力する」という首相の発言を確約とみなすが、県民はその実現性を既に見限っている。

効力失う「アメとムチ」

 1999年、稲嶺恵一知事が移設先に辺野古を選定し、岸本建男名護市長が受け入れた際に繰り出した15年使用期限の条件は日米政府内で一顧だにされなかった。
 基地負担軽減の核心的な要求がはぐらかされ、消えていった経緯を知る県民は、あらためて政府への不信感を呼び起こされた。
 安倍首相が、2021年度までの3千億円台の沖縄振興予算を約束し、「空手形」との批判を浴びながら示した基地負担軽減策は、沖縄に対する新たなアメの性格をまとっている。その一方で、安倍政権は辺野古移設を強いるムチを猛然としならせ、仲井真知事はそれに陥落した。だが、主権者である県民は、基地受け入れの代償として沖縄振興予算を手当てする「補償型安保維持施策」、アメとムチの沖縄懐柔策の効力が失われていることを深く認識している。
 一方、共同通信の全国世論調査では、対照的に知事の埋め立て承認への評価が56%、辺野古推進への支持が49%に上った。
 沖縄に基地を押し付けて、平然と安全保障の恩恵を受ける国民が多数を占める現実がある。この「人ごとの論理」が息づいていても、地元沖縄の県内移設ノーと政権批判の強固な民意は、辺野古埋め立てを強いる安倍政権に立ちはだかる大きな障壁となるだろう。

http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/733.html
記事 [政治・選挙・NHK158] 文民統制の不徹底を認めた韓国が日本を追い込む事になる  天木直人 
文民統制の不徹底を認めた韓国が日本を追い込む事になる
http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/ebda8f288c1b57bf03c4ff0418907812
★「天木直人氏の視点ー(2013/12/31)」★ :本音言いまっせー


 きょう12月31日の各紙が報じた。

 南スーダンPKO活動における銃弾1万発要請に関し、韓国国防省幹部は12月30日、韓国国会において、現地の派遣部隊長が韓国国防省への報告の前に直接自衛隊派遣部隊に要請していた事を明らかにしたと。

 すなわち、国防省幹部はこう説明したという。

 「状況が急に悪化したので部隊が国連に問い合わせ、日本と米国が銃弾を支援できるとの回答を得て日本に問い合わせた」と証言したのだ。

 韓国叩きの産経新聞は、これを見て韓国政府を悲嘆する。

 それみたことか。「緊急性がなかった」と言って日本側と意見の食い違い発言をした、あれは嘘だったではないか。

 「韓国軍の不十分な装備に対する批判が高まる事が予想され、こうした批判をかわす狙いから虚偽の説明をした可能性がある」と。

 しかし、これはピント外れのコメントだ。

 さもなければ意図的な論点外しである。

 私はこの事件が発覚した時の第一報(12月25日メルマガ第978号)で書いた。

 これは日韓双方の重大なシビリアンコントロール逸脱ではないか、と。

 それが図星だったということだ。

 そして韓国政府は恥を忍んでそれを認めたのだ。

 それを潔く認めた上で、今後の日本側と応酬について先手を打ったのだ。

 すなわち、今度の銃弾1万発要請・提供事件の真相は、少なくとも韓国側においては、
出先の派遣部隊長と韓国政府の間の連絡体制に不備があったことがこれでわかった。

 それは事実であるが、決してそれ以上の政治的な意図や背景は韓国側にはなかったという事を言っているのだ。

 政治的意図に基づいて嘘を言っているのは日本だと迫ったのだ。

 問われるのは、これを受けた日本側の対応である。

 韓国政府は国会で追及され、国会で堂々と自らの非を認めた。

 日本政府は何としてでも閉会中審査に応じ、日本側の実情を国民の前に明らかにしなければいけない。

 おそらく実情はこうだろう。

 韓国PKO派遣部隊長からの要請を受けたわが自衛隊派遣部隊長は、これは人道上の緊急必要性があるので一刻も早く供与せざるを得ない、させてくれ、と防衛省の了承を求めたに違いない。

 いや、ひょっとしてすでに現場の判断で供与した後に防衛省の事後承認を得た疑いすらあることは
メルマガ第978号で書いた通りである。

 あわてた防衛省は官邸に通報し、もっとあわてた官邸は、出来たばかりの日本版NSCの真価が問われかねないとして、現地の状況を何も確認しないまま一夜にしてこれを追認したに違いない。

 あの時、銃弾提供を決めた理由について、小野寺防衛相や菅官房長官がことさらに人道上の緊急性を強調していたのはその証拠だ。

 今度の銃弾提供はあくまでも例外であり、武器輸出三原則の問題とは無関係である事を強調していたことも本音に違いない。

 これを要するに日韓双方ともシビリアンコントロールが不十分であったということだ。

 今回はたまたま、悪質なシビリアンコントロールの逸脱ではなかったのかもしれない。

 しかしそのいい加減さが戦争につながることがあるのだ。

 少なくとも韓国政府はそれを認めた。

 もし日本が何も説明責任を果たさないようであれば、日本政府は今後、あらゆる局面で大きな負い目を追う事になる。

 そして将来大きな過ちを犯す危険性がある。

 産経新聞のように韓国政府たたきで終わるなら、その間違いは何倍にもなって日本政府にブーメランのように跳ね返ってくるのである。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/734.html

記事 [政治・選挙・NHK158] アメリカが総理の靖国参拝が嫌いなのは、自分の国のレジデマシーを疑われてしまうからでしょう。 清谷信一
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu302.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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アメリカが総理の靖国参拝が嫌いなのは、自分の国のレジデマシーを疑われてしまう
からでしょう。そうでないとアメリカ人というアイデンティティが崩壊してしまうからです。

2013年12月31日 火曜日

◆アメリカが総理の靖国参拝が嫌いな訳 12月30日 清谷信一
http://blogos.com/article/76968/

アメリカが総理の靖国参拝が嫌いなのは、自分の国のレジデマシーを疑われてしまうからでしょう。

 日本にしろ英仏にしろ神話は遠い昔のお話です。ある意味お伽話の世界です。
 当時アコギなことをやったでしょうが、それらは神話ですから、で済まされてしまう。

 ところがアメリカは300年も立っていませんから建国以来の悪さは隠しようがないわけです。
 インディアンを殺し犯し、土地を奪い、メキシコの土地を奪い、米西戦争では因縁をふっかけ戦争を起し、独立を約束したフィリピンでそれを反故にし、独立派を拷問して殺しまくり、戦略爆撃で、民間人を虐殺し、あまつさえ原爆を落とし、ベトナム戦争では枯葉剤という化学兵器を使用し、パナマに侵攻して国家元首を誘拐し、中南米の独裁者を支援してきたなんぞというのは、歴史的なスパンでいえば、「つい最近」で一括りにされるタームです。

 ですから先の戦争も「ファシズムと民主主義の戦い」というフィクションを維持ししたわけです。ところがその民主主義=正義は戦略爆撃で民間人を殺しまくり、アパルトヘイト時代のい南アも真っ青の人種差別国家だったわけです。黒人兵はライフルをもたさず、コックとか砲兵のでも弾運びです。末期になって黒人の戦闘機部隊ができました、これは例外です。
 それは黒人が鉄砲の撃ち方を覚えると、自分たちの身が危ないからです。

 戦後になっても黒人、有色人種は銀行の口座も作れませんでした。アパルトヘイト時代の南アよりも差別的です。なんとか差別がなくなったのは80年代ぐらいからでしょう。
 南アは94年に黒人大統領が誕生しましたが、米国はオバマが最初です。
 
 それでも自分たちは民主主義=正義と自称しなければいけない。そうでないとアメリカ人というアイデンティティが崩壊してしまうからです。だから世界中でサダム・フセインやれノリエガ将軍やら悪いやつ(バッドガイ)を攻撃する。攻撃する自分たちはいいもの(グッドガイ)という理屈です。アメリカがしょっちゅう戦争しているのはこの偏執狂的な国民性のためでしょう。


 ですから、第二次大戦に関してもあの戦争は正しかった、ということにちょっとでもオブジェクションが感じられる発言に対しては神経質になるわけです。
 「戦後レジームからの脱却」なんてとんでもない話、なのでしょう。

 アメリカ人が一番嫌うのは自分たちがアンフェアと言われることです。
 ところが実際にはアンフェアなことを山ほどやってきた。だけどそれは「無いこと」になっている。だからアメリカのレジでマシーを疑うことを許さないわけです。


 ぼくは個人的にA級戦犯合祀は問題だと思います。勿論東京裁判は茶番ですし、本来無罪の人間が多数有罪にされています。ですから、これを認めるつもりはありません。
 あれが文明的な裁判であればブッシュもオバマも最近の戦争の戦争犯罪を裁く法定で被告席にすわるべきです。で縛り首か銃殺ですよ。

 靖国神社は戦死した人間と、負ける戦争を始めた人間は分けるべきでしょう。「生きて虜囚の辱めをうけず」といってい捕虜になるなら死ね、と言っていた連中が自分たちは虜囚になって生きながらえたわけです。これを是とできません。

 戦前の戦争も自衛の戦争と呼べるものと、軍部の都合でやった戦争に分けられるでしょう。日華事変なんぞ不要な戦争でした。陸海軍上層部は自分たちの予算が増えるから楽しかったでしょうが、現場の兵隊はたまったものじゃありません。またダラダラと戦争してイタズラに国力を浪費しました。
 第二次大戦も現実を分析することなく、内向きの社内政治の論理で、当事者意識が希薄なのに開戦しちゃったわけです。石油の備蓄なんぞもいい加減に勘定しておりました。

 ぼくはA級戦犯の合祀には反対ですが、だからと行って安倍首相が参拝してはいけないとも思いません。合祀の是非の結論がでるまで参拝するなと主張する「識者」と称するのがいますが、これは暴論です。
 これは国内問題です。外国にとやかく言われる話ではない。

 それに文句があるならばアーリントンから人種差別主義者と戦争犯罪者を完全に排除してから言って欲しいものです。

 それからドイツがあれこれ言っていますが、あれも言いがかりです。自分たちがナチで味噌をつけたから、そのいいのがれに使っているだけです。彼らの主張はアレはナチがやったことでドイツ人がやったことではないとなっています。
 ですからヒットラーの山荘とか当時の「遺物」は更地にしています。あれは無かったことにしようと。

 ユダヤ人の件も本当に反省しているのかどうか。ネオナチは多いし、人種差別も多いです。ぼくが欧州で一番人種差別にあうのはドイツです。

 
 てなわけで、外国様がと騒ぐのはあまりにナイーブですよ。

 高々20〜30年ぐらいまで、日本人は生魚を食べるから野蛮だとよく言われていいました。欧米の「常識」では火を通さないのは「料理」じゃないというイメージがあったからです(でも、お前ら生牡蠣やらタルタルステーキは喰うよな?)。
 外国から野蛮と批判されたらといって刺し身や寿司を食べるのを止めましたか?


 実際に海外に行ってご覧なさい。
 アメリカ人がどれほど嫌わているか。アラブにしろアジアにしろアフリカにしろ。
 対して日本の評判はいいですよ。

  日本はこんなに素晴らしいのだと過剰に宣伝する選民主義プンプンの内弁慶的なプロパガンダを聞いて日本は常に正しいと、自己陶酔することは問題ですが、ちょっと悪口言われて位で右顧左眄する必要はありません。
 国際社会と付き合うのに一番必要なのは語学ではなく、面の皮の厚さと度胸です。


(私のコメント)

日本の総理大臣が靖国神社を参拝すると連合国である米中露英仏韓北と言った国々が大騒ぎするのは、自分たちの国の政治的正当性や存在価値がいい加減であることがばれてしまうからでしょう。日本と言う国が戦争犯罪国家であり、そのような犯罪を懲罰したことで自国の正当性を主張しているからだ。

しかし日本の首相の靖国参拝を批判している国々が後ろめたいことを全くしていないという事は無く、戦争犯罪を犯しているのですが、戦争自体は外交の一手段であり正義か正義でないかは時代が経たないと判断できない。アメリカでは1950年代頃まで黒人を丸焼きにして女子供までもが楽しんでいました。

第二次世界大戦中も黒人兵は銃は持たせられずに、炊事や輸送任務などしか与えられていなかった。黒人奴隷が銃を持ったら自分たちが殺されてしまうからです。日本はそのよう悪にと戦争をして、アジアを植民地から解放して、人種差別を国際連盟などで主張してきましたがアメリカがそれを葬ってしまった。

大東亜戦争は戦闘は終わりましたが、思想戦や言論戦は終わってはおらず、インターネットの時代になってようやく日本国民は連合国諸国に反論をし始めた。アメリカ大使館のフェイスブックにも抗議のコメントが殺到して炎上中ですが、アメリカ大使館側はまだ反論のコメントは出していない。

東京裁判が正しいのならば、東條英機や広田弘毅などの処刑は正しかったと反論すべきだ。本来ならば日本国民が戦争犯罪人を探し出して処分すべきなのでしょうが、戦争を煽った朝日新聞などが処分の対象にならなければならない。しかし朝日新聞などはGHQなどと一緒になって東京裁判史観の旗振り役になっている。

「株式日記」では米内光政や山本五十六の戦争に拡大させた事を告発していますが、確かに三国同盟に反対はしても、米内は日中戦争を始めた張本人であり、山本はしなくてもいい真珠湾攻撃をして日本を敗戦に導いた。米内は日中戦争開始時の海軍大臣なのだから東京裁判のA級戦犯になってもおかしくない人物ですが、終戦工作を遅らせたのも米内だ。

大本営は不拡大方針を取っていましたが、軍の統制がつかずに拡大させた軍部にも責任はありますが、新聞に煽られた強硬な国民世論に一番の責任がある。もし「中国から兵を引くべきだ」と言ったら当時の国民は「非国民」と呼んで非難しただろう。当時は鉄も石油もアメリカから輸入していたからアメリカと戦争できるわけがない。

この時点で日本が悲劇的な結末を迎えるのは自明の事となりましたが、当時において戦争反対を主張する国民がほとんどいなかったという事も検証の対象にしなければなりません。軍部が勝てる見込みは無いというのに戦争に踏み切ったのは愚かとしか言えませんが、だれが一番の責任があるのだろうか?

戦争に突入したターニングポイントは仏印進駐ですが、近衛文麿首相の判断がルビコンの川を渡った事になった。それは先日もNHK特番でやっていましたが、当時のワシントンの海軍情報武官は仏印進駐すれば戦争になると警告していた。このような海外からの情報をはねつけてしまうほどの判断は誰がしたのか分からない。

日本では大事な会議録ほど残していないのは責任追及を恐れたためだろう。御前会議の発言なども断片的な事しか分からない。だから原因の追及資料が無いから本当の原因追及のしようがない。東京裁判の証言でも一回しか許されていないから本人たちの真意がよく分からない。巣鴨に収監中でも回顧録でも書いていてくれればと思うのですが、わずかな資料しかない。

靖国神社にA級戦犯が合祀されたという事が今日の靖国参拝騒動の原因ですが、確かに政府の高官であり軍部の首脳でしたが、東條英機も止めようとしても止められないほど戦争への意志が固くなってしまった。おそらく血気にはやる青年将校たちに一番の責任があるのでしょうが、多くが戦後口を噤んでしまって責任を逃れた。

日本が無謀な戦争に走ったのは、結局は誰が責任者かわからない無責任体制に問題があるのであり、憲法上は天皇に一番の責任がある。しかし東條英機が身代わりになる形で天皇の戦争責任は逃れた。だからこそ天皇こそA級戦犯が祀られた靖国神社に行幸されなければならないはずですが、天皇陛下が靖国に行かない事で一番悲しんでいるには身代わりに死んでいったA級戦犯たちだろう。

天皇陛下が中国から兵を引けと命令すれば戦争は防げた。226事件を収めた時のような決断があればできたはずだ。その命令に逆らえば首相は不敬罪に問われて職を辞さなければならなかった。しかしその辺の事情は天皇は一切語らず亡くなられたので一切わからない。このように歴史を検証しようとしても重要な事ほどわからないから、壁に突き当たってしまう。

思想戦、言論戦を戦う上においては、自国の立場を説明しなければなりませんが、当事者の意図が分からなければ説明のしようがない。このままでは日本はいつまでも東京裁判の不当性を証明する事が出来ませんが、敗軍の将ほど多くを語って間違いの繰り返しを防がなければなりません。

歴史的に見て、間違いの根本は日本の朝鮮半島の支配であり、ロシアや中国の支配下になっても朝鮮半島は放置すべきだった。アメリカの韓国支配も間違いであったと将来気が付くだろう。地政学的に地続きの中国やロシアとでは争っても勝てないからだ。韓国が中国に接近するのは歴史的に見ても韓国は中国の一部になる事は避けられない。

韓国を守るためにアメリカや日本は力を貸すべきではなく、韓国自身に決めさせればいい。結果的に韓国を見捨てる事になりますが、後背地の無い韓国では北朝鮮や中国が攻めてきたらアメリカ軍でも止められないだろう。明治初期の征韓論も挑発によるものですが、朝鮮半島は放置すべきであり日本は関与すべきではない。だからパククネが何を言おうが相手にしない事だ。

現在のアメリカは韓国を抱えて戦前の日本と同じ状況に立たされていますが、北朝鮮や中国からの挑発に常にさらされることになる。オバマにとっては日本よりも韓国の方が大切なようですが、韓国問題はオバマに任せて日本は関与しない方がいい。アメリカは結局は韓国に裏切られていた目に遭うだろう。その点では韓国とイスラエルは状況はよく似ている。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/735.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 明治維新の闇と安倍晋三首相推進の戦前への回帰 (植草一秀の『知られざる真実』) 
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-6c30.html
2013年12月31日

いつか見た光景が広がっている。

安倍晋三氏は東証の大納会に参加して、株価上昇を自画自賛した。

そして「2014年もアベノミクスは買い」だと述べた。

政治家が成果に見えることをアピールするのは当然のことかも知れないが、日本人の感性からすると、興ざめだ。

日本人の感性は枕草子や徒然草などに典型的に示されるが、謙譲の美徳、抑制の美学にあるから、これができた、あれができたと、口角泡を飛ばして自画自賛するすがたはわびしきものである。

党首討論でも安倍氏はいつも、自画自賛のオンパレード。

その自画自賛が慢心を生む。

他者に対する配慮を欠く行動につながってくる。

いつか見た光景と言ったのは、マスメディアの取り扱いである。

CIAの差し金で創設されたと言われる日本テレビ放送網。

早速、安倍晋三礼賛報道を展開しているが、まったく同じ光景が小泉純一郎政権のときにもあった。

2009年9月の鳩山由紀夫政権樹立の際、国民の支持率は圧倒的に高かったが、マスメディアは、政権発足直後から鳩山政権攻撃を全面始動させた。

この違いが何に由来するものなのか。

その違いが意味することとは何なのか。

メディアに接する私たちは、流される裏側にある意図、背景を考察する必要がある。

それに気づかないと、メディアの流す情報に洗脳されてしまうのだ。


安倍政権は特定秘密保護法を強行成立させた。

沖縄県の仲井真弘多知事を誘導して、辺野古海岸埋め立て許可を出させた。

消費税の税率を2014年4月から8%に引き上げることを表明した。

TPP交渉に参加し、TPPに参加する方向を明瞭に示した。

原発を再稼働させる方向に舵を切り替えた。

憲法を大改訂する意志を鮮明に示した。

これだけの大方針を明瞭に示している。

これらの方針に賛成する国民もいるだろう。

しかし、これらの方針に反対する国民も多数存在する。

どちらが多いかは調べてみなければ分からないが、恐らく拮抗する結果になるだろう。


2013年は日本政治の分水嶺になる可能性を有している。

「明の日本」から「暗の日本」への転換である。

安倍政権が策定している「エネルギー基本政策」では、原子力を

「重要なベース電源」

と位置付ける方針が示されている。

福島の原発事故など存在しなかったかのような振る舞いである。

福島県民は安倍政権のこの姿勢を容認するのか。

常識的感覚からすれば「狂気の政権」としか思えない。

安倍政権が目指す憲法改定では、基本的人権が強力に抑制される。

安倍氏の頭の中では、公益及び公の秩序>基本的人権 なのである。

人が生まれながらにして持つ永久に不可侵の人権という考え方が捨てられる。

そして、天皇を国の元首と定め、国家と国旗に対する忠誠の義務を課す。

要するに、日本を戦前に引き戻すことを意図しているのである。

天皇を元首とする国家というのは、必ずしも天皇崇拝の国にすることではない。

天皇の権威を利用して、独裁政治を行う状況を生み出そうとするものである。


そもそも、明治維新には重大な疑惑がつきまとっている。

明治の新体制は天皇の権威を利用して独裁政治を行うシステムとして構築された疑いがある。

そのシステム構築に深く関与しているのが長州である。

安倍晋三氏の祖父にあたる岸信介氏が戦犯容疑者として収容される際、ある人物は「いずれ総理になる」と告げたという。

その人物が創設した宗教の本部が山口県熊毛郡田布施町にある。

私たちは明治維新の真実をもう一度見つめ直す必要に迫られている。


http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/736.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 米「『失望』は靖国参拝でなく関係悪化への懸念」(TBS) 
米「『失望』は靖国参拝でなく関係悪化への懸念」


 アメリカの国務省は、安倍総理の靖国参拝後に「失望した」とするコメントを発表したことについて、靖国参拝そのものではなく、近隣諸国との関係悪化に懸念を表明したと強調しました。


 安倍総理の靖国参拝後初めてとなる国務省の会見では、参拝直後に国務省が出したコメントの「失望」という表現に対して質問が集中しました。


Q.失望という言葉は靖国参拝についてのものか?それとも参拝で中国や韓国が反発するという結果に対してのものか?
 「日本の指導者の行動で近隣諸国との関係が悪化しかねないことに対するもので、それ以上言うことはありません」(ハーフ副報道官)


 ハーフ副報道官はこのように述べ、「失望」という言葉は参拝そのものではなく、中国や韓国との関係悪化を懸念したものと強調しました。


 「失望」という表現については、アメリカの一部の有識者から「戦没者の追悼方法を他の国がとやかく言うべきではない」という指摘が上がっており、この日の会見では、改めて、靖国参拝そのものに論評を加えたものではなく、同盟国としての日本との友好関係には変わりがないと強調しました。(31日09:12)


http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2093031.html



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/737.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 世襲政治家の北東アジア 反目しつつ支え合う:安倍首相、習国家主席、朴大統領、金正恩第1書記

[中外時評]世襲政治家の北東アジア 反目しつつ支え合う

論説委員 飯野克彦


 「太子党」という中国語がある。共産党政権の高官の子弟たち、といった意味だ。現在の中国の最高指導者、習近平国家主席は典型といえる。
 ここではもっと範囲を広げて、血縁をバックにした政治家、という意味で使いたい。そうすると、太子党トップは東アジア全域で目につく。わが安倍晋三首相、韓国の朴槿恵大統領、北朝鮮の金正恩第1書記、フィリピンのアキノ大統領、タイのインラック首相、シンガポールのリー・シェンロン首相――。

 東アジア17カ国・地域のうち4割を超える7カ国を太子党が率いている。特に北東アジアでは6カ国・地域の3分の2に及ぶ。安倍首相と習主席、朴大統領、金第1書記。4人の太子党が北東アジアを動かしている。
 習主席と朴大統領がわりあい仲良くみえるのを除けば、彼らの関係はどれも緊張をはらんでいる。それぞれに根深い背景があるが、4人に共通する一つの心情的な傾向が緊張を増幅している印象は強い。未来志向ではなく過去志向の傾きだ。26日、象徴的な出来事があった。
 この日は中国共産党政権にとって「建国の父」毛沢東主席の生誕120周年。習主席は北京・天安門広場の一角にある施設に安置された毛主席の遺体に、敬意を表した。1時間ほど後、東京・靖国神社に安倍首相が参拝した。
 かたや事前の手配に沿った公式行事。こなた「私的」とも指摘される電撃的な行動。形の上では対照的だったが、いずれも「自国の過去に正しく向き合っていない」という批判を浴びた点で、よく似ていた。

 靖国を巡ってはA級戦犯の合祀(ごうし)を軸にいろんな意見があるのは周知の通り。一方の毛主席には、3千万を超える餓死者につながったとされる大躍進運動や中国全土に破壊と混乱をもたらした文化大革命を発動した責任などを問う声がある。
 安倍首相や習主席は行動によって、過去を問いただす意見を無視し自らの歴史認識を声高に主張したといえるだろう。

 振り返れば、安倍首相と習主席は就任前後に掲げたキャッチフレーズも似通っていた。「日本を取り戻す」と安倍首相。「中華民族の偉大な復興こそ中国の夢だ」と習主席。自分の手で未来を構想するのでなく、過去の幻影を追いかけているのでは、といぶかりたくなる。
 そして北朝鮮の金第1書記は2年前に亡くなった父親の「遺訓」を大々的に掲げている。韓国の朴大統領は未来をにらんで日本と国交を結んだ父親に反発するかのように、未来志向の日韓関係に背を向けている。

 「胡錦濤前国家主席は番頭(ショップキーパー)だった。対して習主席は太子党なので果敢に大胆な決断ができる」
 世界的な人権擁護団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチの高級研究員として中国の人権問題に取り組んでいるニコラス・ベクイリン氏は先ごろ、こんな見解を披露した。
 確かに、習政権が発足から1年余りでなし遂げたことは少なくない。特に11月に明らかにした改革の青写真は、優柔不断な印象が強かった前指導部との違いを内外にみせつけた。

 ベクイリン氏の見解は安倍首相にも当てはまりそうだ。黒田東彦日銀総裁を起用しての強力な金融緩和や、特定秘密保護法の制定、国家安全保障会議の創設などが目につく。
 金第1書記にいたっては、果敢とか大胆といった言葉では足りないほどに激しい動きをみせてきた。2年ほどの間に後見役とみられていた幹部を次々と失脚させた。義理の叔父にあたる張成沢・元国防委員会副委員長に対する粛清は衝撃的だった。
 ベクイリン氏の言うとおり、太子党には果敢で大胆な面があるのかもしれない。それは一概に悪いわけでもなかろうが、未来の構想より過去の幻影を追う姿勢には危うさが漂う。
 ともに繁栄できるアジアを目指し協力を深めるため国内のナショナリズムを制御するのではなく、ナショナリズムをあおって政権の求心力を高めようとしているようにみえるのだ。事実、北東アジア情勢は不穏だ。

 緊張の高まりは国民の自由への制限を強めたり、軍事費を増やしたりするのに格好の口実ともなっている。その結果さらに緊張が高まる、悪循環。
 太子党たちは反目し合うことで実は支え合っているようでもある。割を食うのはもちろん、各国の国民だ。

[日経新聞12月29日朝刊P.9]


http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/738.html

記事 [政治・選挙・NHK158] 「やしきたかじん」よ、安倍晋三と橋下徹の責任を取れ! (simatyan2のブログ) 
「やしきたかじん」よ、安倍晋三と橋下徹の責任を取れ!
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11740088856.html
2013-12-31 13:45:02NEW !  simatyan2のブログ


安倍晋三内閣総理大臣の暴走が止まりませんが、このKY男を
ここまで傲慢にさせた責任者がいます。

大阪芸人で歌手でもある「やしきたかじん」です。

関西以外の方、特に関東の人には馴染みがなく、知らない人も
多いと思いますが、しかしこの男がいなければ今の安倍晋三は無く
政治も大きく変わっていたと思われるのです。

とにかく大阪での影響力が強いのです。

在阪テレビ界ではドン、ボス的存在の彼が自分の持ち番組で安倍
晋三を強烈に宣伝し、勇気付けさえしなければ安倍晋三は第一次
安倍内閣を放り投げた後、そのまま消えていたはずなのです。

持病の悪化で総理大臣を退き、落胆と途方にくれていた安倍晋三
を積極的に自分の番組(読売テレビ)に出演させ、温泉に一緒に
浸かって、

「あなたならもう一度総理が出来ます。
 応援するのでやって下さい」

と一度や二度ではなく、数年にわたって説得していたんですね。

http://blog-imgs-37.fc2.com/o/m/o/omoixtukiritekitou/RIMG3041s.jpg

読売テレビの「やしきたかじん」の番組に、当時まだレギュラー
出演者だった橋下徹、辛坊治郎、故三宅久之、金美鈴の面々、

それに準レギュラーの桜井よし子、田母神俊雄、惠隆之介などと、
新たにレギュラーに加わった津川雅彦、いわゆる似非右翼の連中も

「あなたは総理になる器です。
 次の総理はあなたしか考えられない」

と「やしきたかじん」と一緒に煽て上げたのです。

もちろんはじめは安倍晋三も、

「いやーもうだめです」

と尻込みしていたんですね。

そりゃそうでしょう。

途中で自分の都合で総理を辞職するなんて前代未聞のことで、
国民の誰もがこの人はもうだめだと思い込んでいましたからね。

だからテレビを見ていても悪い冗談を言うにもほどがあると
思ったものです。

しかし何度も番組出演して励まされてるうちに安倍晋三の表情
が変わっていったんです。

安倍晋三が自信を持ち出したのがこのころからで、本気で首相に
再び挑戦する気になったようですね。

そのうち民主政権が崩壊しだしたと思ったら、嘘から出た誠で
見事な復活劇を果たしました。

不思議なのは今でこそ「安倍ちゃんGJ]とはやし立ててるネト
ウヨは、このころにはまだ下痢三だとか揶揄してたことです。

それが去年辺りから「安倍ちゃん」と呼ぶようになったんですね。

たぶん自信を取り戻した安倍晋三を電通とチーム世耕が更に掲示
版などで暗躍し始めネトウヨの誘導に成功したんだと思います。

その前に同じ番組に出ていた橋下徹を知事に押し上げ、市長に
転向する時の相談役になっていたのも「やしきたかじん」です。

当初から橋下徹の師匠でもありブレーンでもあった彼は、大阪の
テレビ局を最大限利用したのです。

関西芸人は誰一人として彼に逆らうことは出来ないのです。

もちろんテレビ局も例外じゃありません。

東京には放送されない、大阪独自の高視聴率の番組を幾つも
持っていたのですから彼に逆らえるはずが無いのです。

森田実(政治評論家)にさえ、

「大阪での橋下批判はタブーです」

と言わしめたほどです。

その影響は今も続いており、大阪市民、大阪府民は彼の悪政に
酷い目に合っているのです。

こうして関西だけでなく日本の国家まで悪影響を及ぼした、安倍
晋三と橋下徹を世に送り出した「やしきたかじん」の罪は万死に
値すると思います。

それを恥じてか今は体調悪化を口実にテレビ界から姿を消して
いますが、彼の番組は今も続きその悪影響は消えていないのです。



http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/739.html

   

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