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2017年2月06日22時31分 〜
記事 [経世済民118] 「やっぱり日本はスゴい!」と韓国ネット絶賛=世界100大革新企業ランキングで米国に次ぐ2位、韓国の順位は…
「やっぱり日本はスゴい!」と韓国ネット絶賛=世界100大革新企業ランキングで米国に次ぐ2位、韓国の順位は…
http://www.recordchina.co.jp/a162718.html
2017年2月6日(月) 9時30分


グローバルコンサルティング会社クラリベイト・アナリティクス (Clarivate Analytics)の調査結果によると、世界100大革新企業のうち34社が日本企業で、米国に次いで世界第2位、アジアで第1位を記録した。この調査では、特許件数・特許応用の有無・特許のグローバル化の程度と影響力など4項目が革新的企業選定の主な基準となった。国別順位世界1位は、アップル、グーグル、マイクロソフトなどの巨大IT(情報通信)企業を含め、計39社の企業が選ばれた米国だ。クラリベイト・アナリティクスは、「日本とアメリカ両国が2016年の革新的企業の73%を占めた」とし、「両国は、世界の主要な技術革新のハブ(Hub)」と述べた。韓国はサムスン電子、LG電子、LS産電の3社が選ばれ世界第5位を記録した。第3位は10社が選ばれたフランス、第4位は4社が選ばれたドイツだった。

このようなランキング結果を受け、「やっぱり先進国はちがうな」「日本は、零細企業でも世界トップクラスの部品を造る国だからな」「日本には強力な技術力を持っている中小企業があるから…」「やっぱり日本はすごい。いつか日本を超える日がくるのだろうか?」など、日本を意識した意見が多く寄せられた。中には、「日本は、韓国が弓矢を使っていたときに空母を造っていたような国だからな」と、実情を誇張し自国を卑下する声もあった。(翻訳・編集/三田)
http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/744.html

コメント [戦争b19] 日本の真の軍事力は中国軍に勝る?=「日本は戦争経験豊富で実力を隠している」「日本人という民族は本当にちょっと恐い」―中国 赤かぶ
1. 2017年2月06日 22:32:00 : 1xowL8UA62 : 3Nv3TtE4PIo[58]
原発を通常ミサイルで破壊されたら一貫の終わり。
なに寝言いうてるねん。
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/623.html#c1
コメント [経世済民118] あなたが「お金持ち」になれないのは、もう一人の自分に騙されているから?(ZUU online) 赤かぶ
2. 2017年2月06日 22:32:39 : hKRNRNsg7U : ZKs9_WJa1ss[244]
全員がお金持ちになれるわけではない、ということを考えればすぐわかる。

それと、金持ちになろうという努力で儲かる連中がいる。

http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/742.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK218] 「日本スゴイ」なんて自己陶酔する「この国」はアホの限界(サンデー毎日) 赤かぶ
97. 2017年2月06日 22:33:15 : GbmoH7gCqQ : UT0YPIchyjg[5]
※93 読点の打ち方を朝鮮学校で習わなかった方なのかしら。
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/872.html#c97
コメント [原発・フッ素47] NNNドキュメント 「お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」 「素晴らしい番組!泣いてしまった…」 赤かぶ
26. 知る大切さ[7106] km2C6ZHlkNiCsw 2017年2月06日 22:33:32 : rXmQVSTR26 : wmfWUboB@Eg[3126]
岩波書房の下記の本シリーズが
https://www.amazon.co.jp/見捨てられた初期被曝-岩波科学ライブラリー-study2007/dp/4000296396

>なんだこの本棚は…なんとかの・か・が・く・がずらりと…( ̄▽ ̄;)

とか

高村 昇の詐欺グラフをまるでコマ&ケンが使っているかの如きコメント

>観察人数や期間が異なる集団なのに甲状腺がん(または悪性疑い)
>の発見数目盛を揃えるというマヌケぶり。そのグラフは観察期間は
>違うが患者年齢層を見比べるもの。

明確な悪意を持って今回の番組を見てるんだろう。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/452.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK220] 「祖国に帰れ」はヘイトスピーチ 法務省が具体例示す  朝日新聞 ダイナモ
4. 2017年2月06日 22:33:42 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[13]
>>2 >>3

お前こそ売国奴、米軍が日本の空域を支配しているのはいいらしい。モンゴリアンが白人に媚びへつらうの典型。アメリカ人からみてお前は韓国人、中国人と区別はつかんよ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/323.html#c4

記事 [経世済民118] 毎日自宅勤務が可能!カルビーの新制度に中国ネット「うらやましすぎる」「私もこういう会社で働きたい」
5日、中国版ツイッター・微博で、カルビーでは毎日自宅勤務ができるようになったと伝える投稿があった。これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。資料写真。


毎日自宅勤務が可能!カルビーの新制度に中国ネット「うらやましすぎる」「私もこういう会社で働きたい」
http://www.recordchina.co.jp/a162766.html
2017年2月6日(月) 10時30分


2017年2月5日、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で、カルビーでは毎日自宅勤務ができるようになったと伝える投稿があった。

カルビーは4月から、自宅など社外で勤務する「テレワーク」の上限日数を、これまでの週2日までから上限なしとすることを決めた。これにより、毎日自宅勤務も可能になる。

これまでの制度では、社員は前日までに許可を得る必要があり、しかも仕事をする場所は自宅に限られていた。しかし、新たな制度では、自宅以外の場所でも勤務が可能となり、カフェなどでも勤務できるようになるという。しかし、カルビーによれば、実際には「顔を見て話しあう必要もあり、週1回程度は出社することになるだろう」とのことである。

投稿者は、総務省の調査によると、日本では16.2%の企業がテレワーク制度を導入しているが、全面的なテレワークを認めた企業はほとんどないと紹介した。

これに対し、中国のネットユーザーからは、「うらやましすぎる」「私もこういう会社で働きたい」など、うらやむコメントが多く寄せられた。

また、「毎日髪を洗って化粧をして渋滞の中出勤する時間が省ける。在宅勤務は私の夢」とその利点に注目する一方で、「こういう勤務形態は一長一短だと思う」「うらやましい話だが、自宅で仕事だと効率は間違いなく落ちる」など、懐疑的な意見もあった。

いずれにしても「未来の勤務形態だな。でも中国はまだまだ先の話だ」とのコメントにあるように、中国に導入されるまでには時間がかかるだろう。(翻訳・編集/山中)

http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/745.html

コメント [政治・選挙・NHK220] 小林よしのり氏「天皇の弟を皇太子と呼ぶのはムチャクチャ」(SAPIO2017年3月号) 赤かぶ
18. 2017年2月06日 22:36:10 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[192]
>弓削の道鏡のような男が 取り入って女帝の夫君に成って その子供が天皇になる事には、尊崇に抵抗がある。 男系の権威はそこにあるのではないだろうか。

でもって、藤原氏のようなのが娘たちを幾代にも渡って天皇の妃にしては御子を産ませて皇位に就け、天皇は事実上「藤原氏の人」で、藤原一族の当主が摂政関白として実際の権力者になって仕舞うのを許してしまったのが古代日本の歴史ですね。それでも「男系」ということなら構わなかったんでしょう。

いわゆる「Y染色体」には「男性化せよ」という指令以外、情報は何もないということですが。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/245.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK220] 自民党の内紛を面白がるマスメディアのバカさ加減。(日々雑感) 笑坊
4. 2017年2月06日 22:36:23 : rLlWXq2dUA : G2hFj8Cl0w0[173]
自民党もマスコミも4野党共闘を恐れ、それをブチ壊すことが狙い。

そのためならコイケだろうがトランプだろうが何でも使う。

4野党共闘から国民の目を逸らすことなら刺激的ニュースの捏造までやるよ。

自民党が持つ既得権益を守るって大変な事なんだよね。



http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/291.html#c4

コメント [戦争b19] 日本の真の軍事力は中国軍に勝る?=「日本は戦争経験豊富で実力を隠している」「日本人という民族は本当にちょっと恐い」―中国 赤かぶ
2. 2017年2月06日 22:36:49 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[14]
ある意味日本人は恐ろしいよ。集団になると何も考えずに恐ろしいことをすることがある。個が組織に対しては力がない。

日本人はそのことを自覚した方がいい。
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/623.html#c2

記事 [中国10] 在日中国人のアパホテル抗議デモ、中国で賛否両論、「外国人のデモ認める日本の寛容さ」感心する声も
5日、日本のアパホテルが南京大虐殺などを否定する書籍を客室に置いているとして中国で批判が出ている問題で、日本在住の中国人ら約100人が、東京都新宿区の同ホテル周辺で抗議デモを行った。中国国内では賛否両論が巻き起こっている。


在日中国人のアパホテル抗議デモ、中国で賛否両論、「外国人のデモ認める日本の寛容さ」感心する声も
http://www.recordchina.co.jp/a162824.html
2017年2月6日(月) 12時0分


2017年2月5日、日本のホテルチェーンのアパホテルが南京大虐殺などを否定する書籍を客室に置いているとして中国で批判が出ている問題で、日本在住の中国人ら約100人が、東京都新宿区の同ホテル周辺で抗議デモを行った。

デモは日本在住の民間の中国人らが臨時に立ち上げた「中日民間友好委員会」の呼び掛けによるものだ。メンバーによると、デモは(アパグループの)元谷代表の挑発的な動画を見た数人が「何も声を上げないのでは怒りを抑えられない」として呼び掛けたものであり、いかなる政府当局も後ろ盾になっていないという。

スマートフォンのチャットアプリなどを通じて参加者を募り、数百人が支持を表明した。警視庁にデモを申請し、3日に許可が下りたが、デモ前日の4日にメンバー内で意見の対立があり、退会者なども出た。そのため最終的な参加者は100人程度になったという。ある中国系の記者は「彼らはスローガンもなかなか決まらなかった。デモ申請方法についても古くから日本に住んでいる中国人に教えを請うような状態だった」と経験不足を指摘する。メンバーの行動を随時ツイッターに投稿していたある日本人は「おそまつだ」と評している。

デモ参加者は、新宿の繁華街沿いに新宿御苑付近にあるアパホテルまで約2.5キロを行進した。現場周辺ではデモに抗議する対抗団体のメンバーが、警戒に当たっていた警察官に静止される場面も見られた。参加者は日本の警察の対応や仕事ぶりに感激している。

デモの様子は、中国中央テレビなど主要メディアで報じられ、中国国内では賛否両論が巻き起こっている。

ネット上には「自分自身や大衆の利益のためにデモを行う人は少なくない。だが国家や民族の尊厳のために行動する人は多くない。これこそが中国人の偉大さだ」「在日中国人が民族の尊厳を守るために日本の街頭を練り歩いたのは今回が初めてではないか。彼らに敬意を表すべきだ」などと賛同する声が少なくない。

一方で異なる意見も出ている。「デモをする側もされる側も同じレベルだ。日中両国の民間感情を損なうような行動には賛成できない」「一つのホテルが本を数冊置いただけで、(中国の)観光局がアパグループの利用停止を呼び掛け、ネット民が騒ぎ出し、デモまで起こし、他人を従わせようとする。恥ずかしいと思わないのか」「信念を持つ自由は誰にでもある。右翼も違法ではない。彼らも国を愛している」「日本人が中国で抗議デモを行ったらどう感じるか。他人の思いや価値観を軽視すべきではない」「外国人のデモを認める日本の寛容さに感心させられる」などの声もある。(編集/レコードチャイナ編集部)

http://www.asyura2.com/16/china10/msg/866.html

コメント [経世済民118] 日本はデフレではない、グローバル化で海外の安い物価に近づいているだけ、物価が高い明確な証拠 公平君
4. 2017年2月06日 22:37:40 : rXdsMFQkZM : b8vrQPgmHgU[34]
数日前の阿修羅の記事です。

≪うわっ≫日本のガス料金高すぎ!家庭用で米国の4倍・産業用で米国の7倍 
http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/639.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 2 月 03 日 22:28:45:

●当方の投稿です。
http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/639.html#c5
http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/722.html#c4

記事 [アジア22] 釜山の慰安婦像を管理する地元自治体、「日本を愛して」ビラ放置で猛批判浴びる=「ちゃんと仕事しろ」―韓国ネット
5日、韓国・聯合ニュースによると、市民団体が昨年末、釜山の日本領事館前に設置した慰安婦少女像を、一時強制撤去したにもかかわらず世論に負け設置を容認した釜山東区庁が、今度は「慰安婦少女像を管理する」とした約束を守らないと非難を受けている。写真は釜山駅。


釜山の慰安婦像を管理する地元自治体、「日本を愛して」ビラ放置で猛批判浴びる=「ちゃんと仕事しろ」―韓国ネット
http://www.recordchina.co.jp/a162818.html
2017年2月6日(月) 12時20分


2017年2月5日、韓国・聯合ニュースによると、市民団体が昨年末、釜山の日本領事館前に設置した慰安婦像を、一時強制撤去したにもかかわらず世論に負け設置を容認した釜山東区庁が、今度は「慰安婦像を管理する」とした約束を守らないと非難を受けている。

東区庁は1月31日、慰安婦像を建てた市民団体と会い、慰安婦像の管理方法を協議する組織を作り、慰安婦像周辺に防犯カメラとフェンスの設置など、法的・制度的管理方案を議論することにした。朴三碩(パク・サムソク)東区庁長は、積極的に慰安婦像を管理するという立場を何度も明らかにしているが、東区庁はこのような方針とは異なり、実際には慰安婦像の管理をしていないという指摘を受けている。

1月から慰安婦像の周辺で1人デモを行っている男性は、「日本人を愛しなさい」「反日感情扇動を止めろ」「日米韓同盟の強化」「東区庁長は辞任しろ」と書かれたビラを慰安婦像の周辺に貼り付けた。

これに対し市民団体は、東区庁に「男性が貼り付けた違法掲示物を撤去してほしい」と要請したが、東区庁は「権限がない」と繰り返すだけで特別な措置をとらなかった。このような東区庁の態度に業を煮やした釜山海雲台に住むハ氏(41)は、「慰安婦像を非難する掲示物をインターネット記事で見てから、腹が立って一晩中寝られない」という理由で、自ら掲示物を撤去した。

しかし、その2時間余り後、1人デモを行っている男性が再び現れ、「東区庁は違法設置物(慰安婦像)を撤去せよ」「条約を実施せよ」「今は和解」と書かれたビラを貼り付けて行った。すると当日の午後7時ごろに一人の女性がそのビラを剥がして行った。しかし、真夜中に再び1人デモを行っている男性が現れ、「反日感情を悪用する従北左派扇動団体を告発する」と書かれた印刷物を貼り付けるなど、今も攻防が続いている。

このような状況に、「東区庁に務める公務員はちゃんと仕事をしろ」「仕事をしない公務員に給与を支給する必要はない」「東区庁の公務員は韓国国民なのか?」など東区庁に対して多くの批判的意見が寄せられた。また、「心からの謝罪もしない日本を、なぜ愛さねばならないのだ」「彼の活動が理解できない」「日本がそんなに好きなんだったら、日本に行って住め」など、1人デモを行っている男性を批判する声もあった。(翻訳・編集/三田)

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/283.html

コメント [政治・選挙・NHK220] 日本一厳しく、的確な安倍批判を見つけた!!  赤かぶ
46. 2017年2月06日 22:39:05 : GbmoH7gCqQ : UT0YPIchyjg[6]
※30 「〇ね」はまずいよ、いくら何でも。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/253.html#c46
記事 [アジア22] 北朝鮮の開城工業団地、韓国企業が残した炊飯器を中国で転売―米メディア
6日、環球網は昨年2月に閉鎖となった北朝鮮の開城工業団地について、「韓国企業が残した炊飯器が中国で売られている」と報じた。写真は中朝国境。


北朝鮮の開城工業団地、韓国企業が残した炊飯器を中国で転売―米メディア
http://www.recordchina.co.jp/a162836.html
2017年2月6日(月) 12時40分


2017年2月6日、環球網は昨年2月に閉鎖となった北朝鮮の開城工業団地について、「韓国企業が残した炊飯器が中国で売られている」と報じた。

この情報は韓国・東亜日報が米メディアの報道として伝えたもの。北朝鮮の情報に詳しいある人物は「北朝鮮は開城工業団地で生産された韓国ブランドの炊飯器を中国で販売している」「工業園区に残った韓国製品は昨年12月中旬ごろから販売され始めた」などと話している。

また、中朝国境の街で韓国商品を扱っている店の関係者は昨年12月上旬、商品購入話を持ち掛けられたとコメント。日ごろ付き合いのない4人から「開城工業団地で作った炊飯器を安値で買いたいと思わないか」と尋ねられたと明かし、「開城工業団地で作られた商品には『韓国製』、同じ企業が中国山東省で生産する商品には『中国製』と記載される。中国や北朝鮮の人にとって人気が高いのは開城で作られた商品」と説明している。(翻訳・編集/野谷)

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/284.html

コメント [原発・フッ素47] 米山・新潟県知事 原発再稼働に「規制委『合格』はお墨付きにあらず」〈週刊朝日〉 赤かぶ
1. 2017年2月06日 22:41:09 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[15]
鹿児島の三田園とはだいぶ違う。(今のところ)まともに対立せずに冷静は議論をしている。これは泉田前知事に学んだものだろう。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/454.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK220] ≪狂気≫「日本の安倍総理」が「日本人の金(年金含む17兆円)」を使って「アメリカの雇用70万人」を創出へ! 赤かぶ
76. 2017年2月06日 22:41:25 : GbmoH7gCqQ : UT0YPIchyjg[7]
>75 だから積み立てじゃないって。

馬鹿だなあ。相変わらずここでコメントしてる連中のほとんどは。


http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/168.html#c76

記事 [中国10] 日本が300人のシリア難民を受け入れ=中国ネット「たったの300人?」「ただのパフォーマンス」
6日、中国メディアの観察者網は日本メディアの報道を引用し、日本がこの先5年間で300人規模のシリア難民を受け入れる方針だと伝えた。これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。写真はシリア。


日本が300人のシリア難民を受け入れ=中国ネット「たったの300人?」「ただのパフォーマンス」
http://www.recordchina.co.jp/a162837.html
2017年2月6日(月) 13時0分


2017年2月6日、中国メディアの観察者網は日本メディアの報道を引用し、日本がこの先5年間で300人規模のシリア難民を受け入れる方針だと伝えた。

記事によると、日本政府は国際協力機構(JICA)の技術協力制度を活用して、年間20人の留学生を受け入れる予定だという。対象はレバノンとヨルダンに逃れたシリア人難民で、留学生は家族を帯同できるため、5年間の受け入れ数は300人規模になるという。

日本政府は各留学生に月14万円の手当を支給することに加え、妻に1万3000円、子どもに1人当たり6500円の手当を支給する。留学終了後は必ずしも帰国する必要がなく、事実上家族とともに日本に定住できるという。

このニュースが中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で伝えられると、中国のネットユーザーからは「たったの300人?」「ただのパフォーマンスだな」「大幅増で300人とは、日本人はなんて寛大なんだ」「ハハハ!300万人受け入れるようになってからニュースとして流せよ」など、その受け入れ数の少なさを指摘するコメントが相次いだ。

しかし、「日本の方が中国より難民に対する待遇がいい。たった300人というが、中国はいったい何人受け入れているんだ?」と指摘するユーザーもいた。(翻訳・編集/山中)

http://www.asyura2.com/16/china10/msg/867.html

記事 [アジア22] 朴大統領が初の意見書を提出、弾劾理由を全面的に“否定”=韓国ネット「1人で生き残ろうと?」「弾劾は必ず棄却される」
6日、韓国メディアによると、韓国の朴槿恵大統領が国会の示した朴大統領の弾劾理由を全面的に否定する意見書を憲法裁判所に提出したことが分かった。これに、韓国のネットユーザーがコメントを寄せた。写真は韓国国会。


朴大統領が初の意見書を提出、弾劾理由を全面的に“否定”=韓国ネット「1人で生き残ろうと?」「弾劾は必ず棄却される」
http://www.recordchina.co.jp/a162815.html
2017年2月6日(月) 13時40分


2017年2月6日、韓国・朝鮮日報によると、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が国会の示した朴大統領の弾劾理由を全面的に否定する意見書を憲法裁判所に提出したことが分かった。

朴大統領の代理人は5日、報道陣に送った文書で「(国会の)弾劾訴追の理由のうち、朴大統領が認める部分を(記した意見書を)憲法裁判所に提出した」と明らかにした。朴大統領が代理人の答弁書形式ではなく、本人名義の立場を憲法裁判所に提出するのは今回が初めて。

意見書は、国会が朴大統領の弾劾理由として示した8件の法律違反と5件の憲法違反を全て否定する内容が中心となっている。朴大統領は意見書で、「チェ・スンシル(朴大統領の親友で、国政介入事件の中心人物)氏に演説文の一部の表現について意見を聞いたが、大統領府の機密を漏らすよう指示したことはない」「ミル財団とKスポーツ財団(チェ被告が実質的に支配した文化支援財団)は文化を発展させる目的で設立された」という趣旨の主張をしている。また、チェ氏の知人が経営する自動車用吸着剤製造メーカーのKDコーポレーションが現代自動車と約10億ウォン(約9990万円)の納品契約を締結したことについては、「(大統領府の秘書に)KDコーポレーションという会社について話したことがあるが、それは中小企業を育成するためだった」と明らかにしたという。一方、2014年4月16日に起きたセウォル号沈没惨事については、これまでに明らかにしたこと以外の具体的な内容の主張は行わなかった。

この記事に寄せられた韓国のネットユーザーのコメントは朴大統領に批判的なものが多く、「国民の精神の健康のため、大統領府側の意見は記事化しないでほしい」「そんなに自信があるのなら、堂々と特別検察の捜査に応じるべき」「最後まで1人で生き残ろうとするのか…」「親友の悪巧みに気付かなかったことも大きな罪になる」「一言『悪いのは私です』と言いなよ。ずうずうしい大統領の姿を見ていると火病を起こしそう」などの声が多くの共感を得ている。一方、「弾劾は必ず棄却される。もう少しの辛抱だ」「関与していないものは関与していないと主張するべき。なぜ韓国国民やメディアはない罪まで作り出そうとするのか…」などの声もみられた。(翻訳・編集/堂本)

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/285.html

コメント [政治・選挙・NHK220] <むむっ>安倍晋三さん、大学時代「政治学」の評価「不可」との情報。 赤かぶ
18. 唐行きさん[859] k4KNc4KrgrOC8Q 2017年2月06日 22:44:15 : aoJkLKGwdc : X8@kOQpVOWo[12]

しかし、こんな「恥さらし」は・・、「見たこと」も「聞いたこと」もない!

「前代未聞」の「どアホ」!

そいつが・・、「この国」の「アイムソーリー」とは・・?トホホ
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/264.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK220] 日本史上最大の朝貢外交  小林よしのり 赤かぶ
33. みずほ[38] gt2CuILZ 2017年2月06日 22:45:29 : CjGYIrX9yM : HW6FCFPn_hQ[39]
アメリカは3億の人口があり市場としては巨大です。ただ国内経済が停滞していたのでトランプ氏が大統領に選ばれたわけですから、日本としてはなんとかアメリカの国内市場を開拓したいわけですよね。そこで外貨を稼いで日本に貢献するという構図を狙っているんではないかと思います。商売は競争ですからシェアを獲得するにはなんでもしないとね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/282.html#c33
記事 [中国10] 中国人科学者、トマトの風味が損なわれる原因を特定―中国メディア
中国農業科学院深セン農業ゲノム所の研究員・黄三文氏が率いる科学研究グループはこのほどトマトの風味を調べる研究で、トマトの風味の遺伝ベースを特定した。これはトマトの風味を改良するための重要な理論となるという。


中国人科学者、トマトの風味が損なわれる原因を特定―中国メディア
http://www.recordchina.co.jp/a162736.html
2017年2月6日(月) 14時10分


中国農業科学院深セン農業ゲノム所の研究員・黄三文氏が率いる科学研究グループはこのほどトマトの風味を調べる研究で、トマトの風味の遺伝ベースを特定した。これはトマトの風味を改良するための重要な理論となるという。関連の研究成果は、世界的な学術誌「サイエンス」にトップ記事として掲載されている。人民日報が伝えた。

近年消費者から「今のトマトは以前ほど風味がない」との声が高まっている。この問題を解決するため、黄氏は米国フロリダ大学のHarry Klee教授ら20人からなる研究チームを結成し、4年以上かけて研究を実施した。その結果、トマトの風味をコントロールするメカニズムを発見した。

同研究チームによると、トマトの風味がなくなっているのはできるだけきれいで多くの実がなることばかりを追求した品質改良が原因ということだ。風味をコントロールする一部の遺伝子座が喪失し、風味の決め手となる物質13種類の数値が明らかに低くなっており、トマト本来の味わいが失われてしまったのだという。(提供/人民網日本語版・編集KN)

http://www.asyura2.com/16/china10/msg/868.html

コメント [原発・フッ素47] 2号機のデスペル内部探検隊 何故に専門家よりド素人が正確なのか? 知る大切さ
3. 2017年2月06日 22:48:34 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[16]
私は基本的に原子力村関係者の説明は信用していない。今まで彼らはどれだけのうそをついてきたかは知っている。

御用学者など、どれだけのうそを垂れ流してきたか。彼らはもうテレビに出て顔をさらさない。裏で規制委員会とか電力会社に知恵をつけている。東大教授などの肩書などを信用しないことだ。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/453.html#c3

記事 [中国10] 知らなかった!中国でも人気のキヤノンの社名由来に、中国ネット「これは勉強になった」「日本人には適さない」
5日、中国のポータルサイト・今日頭条が、キヤノンの社名の由来について紹介する記事を掲載した。これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。資料写真。


知らなかった!中国でも人気のキヤノンの社名由来に、中国ネット「これは勉強になった」「日本人には適さない」
http://www.recordchina.co.jp/a162768.html
2017年2月6日(月) 16時10分


2017年2月5日、中国のポータルサイト・今日頭条が、キヤノンの社名の由来について紹介する記事を掲載した。

キヤノンのカメラは中国でも非常に高い人気を誇っている。特に一眼レフカメラでは、ニコンと並んで中国における2大メーカーと言ってよいだろう。

キヤノンは、中国語で「佳能」と表記するが、アルファベットの「Canon」のロゴも一緒に使用されており、中国人の間にもよく浸透している。記事は、「Canon」の社名の由来が「観音菩薩」の「観音」であると紹介。

キヤノンの前身である精機光学研究所が、1934年に完成した国産初の精密小型カメラの試作機を「KWANON」(カンノン)と命名したのが始まりで、創業者の吉田五郎氏が敬虔(けいけん)な仏教徒だったため、慈悲深い観音菩薩にあやかりたいという思いで命名したのだという。

その後、1935年に現在の「Canon」の社名を採用。西洋の発音に合わせたほか、カメラに観音様と全く同じ名前を付けるのは不敬だとの意見もあったことを考慮しての命名だと伝えた。

これに対し、中国のネットユーザーから「てっきりミラクルという意味なのかと思っていた」「これは勉強になった」などのコメントが寄せられ、やはり社名の由来を知らなかった人が多いようだ。

しかし、「つまり日本人は観音を売っているということだ」「観音菩薩は日本人が崇めるに適さない」など、中国でも仏教徒は少なからずいるためか、反発するコメントも少なくなかった。(翻訳・編集/山中)

http://www.asyura2.com/16/china10/msg/869.html

記事 [アジア22] 韓国の沿近海漁業生産量、この44年で最悪に、中国の違法操業が影響―韓国メディア
6日、韓国の昨年の沿海・近海漁業の生産量が、中国漁船による違法操業の影響などにより、この44年で最低を記録した。写真は中国漁船。


韓国の沿近海漁業生産量、この44年で最悪に、中国の違法操業が影響―韓国メディア
http://www.recordchina.co.jp/a162863.html
2017年2月6日(月) 18時10分


2017年2月6日、韓国の昨年の沿海・近海漁業の生産量が、中国漁船による違法操業の影響などにより、この44年で最低を記録した。韓国・聯合ニュースの中国語ニュースサイトが伝えた。

韓国海洋水産開発院(KMI)が6日公表した報告書によると、韓国の昨年の沿海・近海漁業の生産量は前年比12.7%減の92万3000トンにとどまり、1972年(95万6276トン)以降で最低の水準となった。

漁船1隻当たりの生産量を見ると、沖釣りは1972年が370.3トンだったのに対し、昨年は251.6トンに減少した。沿岸漁業も10.1トンから6.2トンに減っている。数十年の間に漁業技術が発展したにもかかわらず、漁船1隻当たりの生産性はむしろ低下している。KMIは、こうした状況について、水産資源が1972年の62%水準にまで減ったためだと分析している。

サバやイカ、タチウオ、ワタリガニ、イシモチなど韓国人が好んで食べる魚種が釣れる沿海・近海の生産量の減少は「食卓物価」の上昇につながっている。統計庁によると、昨年の魚類と貝類の消費者物価指数の上昇率は3.1%と過去5年間で最も高く、全体の物価指数の上昇率(1.0%)を大きく上回った。

水産資源急減の主犯とされるのは中国漁船による違法操業だ。KMIによると、中国の違法操業による水産資源の損失は10万トンから最大で65万トンに上ると推計される。韓国水産業協同組合中央会は昨年、中国大使館に送った抗議文で、中国の違法操業が水産業に及ぼす被害規模は年間1兆3000億ウォン(約1285億円)に達すると主張している。

中国漁船の違法操業は近年、西海5島だけでなく、韓国の南部、東部の海域でも猛威を振るっている。

昨年10月、違法操業の中国漁船が韓国海洋警察の高速艇に衝突・沈没させた後逃走した事件を受け、韓国海洋警察は同年12月、違法操業の中国漁船に初めて共用火器を使用。これが中国との外交的葛藤につながった。

韓国政府は、沿海・近海の水産資源回復のための対策作りに乗り出し、総合的な対策を盛り込んだ「6大革新案」を設け、早ければ来週に発表する予定だ。解決には両国政府の協力が不可欠となる。韓国と中国の当局は、違法漁船が鉄格子などで重武装した場合、直ちに処罰できること、北方限界線(NLL)近くの韓国西部の海域に中国の海洋警察艦艇を常時配置することで合意した。

韓国海洋水産部の関係者は「両国水産当局間の交渉ルートを通じて、被害を最小限に抑えることができように努力する」と述べている。(翻訳・編集/柳川)

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/286.html

コメント [政治・選挙・NHK220] 東京の自民党支持者は総崩れ 千代田区長選の衝撃(J-CASTニュース) 赤かぶ
7. 2017年2月06日 22:52:09 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[17]
「風」ですぐ動く人が多い。ということは安倍内閣支持率が60%が正しいとしても風が吹けばそんな数字はたちまち吹き飛ぶということ。

マスゴミが本当のことを報道するだけで吹き飛ぶ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/325.html#c7

記事 [中国10] 「これは確かに学ぶに値する!」=日本人の教育方針を中国ネットが大絶賛
4日、中国のポータルサイト・今日頭条が、日本の一般的な家庭における子供の教育方針について紹介する記事を掲載した。これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。資料写真。


「これは確かに学ぶに値する!」=日本人の教育方針を中国ネットが大絶賛
http://www.recordchina.co.jp/a159328.html
2017年2月6日(月) 18時40分


2017年2月4日、中国のポータルサイト・今日頭条が、日本の一般的な家庭における子供の教育方針について紹介する記事を掲載した。

まず記事は、日本で子供を産んだなら祖父母が子育てを手伝ってくれることを期待すべきではないと指摘。日本では親が子供を育てるもので、中国のように祖父母が子育てをして両親は働きに出るのとは大きく異なっているとした。

また、中国のように大学受験の会場に警察が出動することもないと紹介。これは日本の子供は自分で試験会場に行くからで、中国のように親が付き添うため会場周辺が大混乱になることはないからだと伝えた。

大学卒業後も、日本の子供は就職先を自分で探し、結婚相手も自分で探すなど、親は関係なくとても独立していると紹介。中国のように親が子供のために就職先を探し、お見合いを手配するのとは全く違うと論じた。

最後に、日本では中国のように結婚する時に子供のために親が家を準備することもないと指摘。結婚時には賃貸に住むのがごく普通であり、収入に応じた分相応の部屋に住むのだと、中国との違いを強調した。

これに対し、中国のネットユーザーからは、「ますます日本が好きになった」、「世界的にも日本のように子供がとても自立している国はほとんどない」など、日本の教育方針を称賛するコメントが多く寄せられた。

また、「日本の美女は、自転車の前と後ろに子供を乗せて笑顔で走っている。中国の美女は、祖父母が子供の面倒を見る上にお手伝いさんも雇う」、「もう学ぶこともできないよ。日本は進歩し続けているのに、わが国は退歩し続けているのだから」と、日中を比較したコメントも少なくなかった。(翻訳・編集/山中)

http://www.asyura2.com/16/china10/msg/870.html

コメント [原発・フッ素47] 即死の燃料デブリ残骸でわかった廃炉のデタラメ皮算用 何兆円使おうが廃炉なんてできっこない(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
36. 2017年2月06日 22:53:29 : rLlWXq2dUA : G2hFj8Cl0w0[174]
実害が増えてマスコミが情報操作できなくなるまで国は嘘をつき続けるのか?

真実を知って悲観して死ぬより、普通に運命だと思わせて死なせるってこと?



http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/444.html#c36

記事 [経世済民118] 海外航空券が「白菜価格」に、大型連休後の旅行事情―中国
春節(旧正月、今年は1月28日)連休が終わり、海外旅行の価格はオフピーク価格となり、時期をずらして海外へ出かける人にとっては好機到来だ。資料写真。


海外航空券が「白菜価格」に、大型連休後の旅行事情―中国
http://www.recordchina.co.jp/a162880.html
2017年2月6日(月) 19時10分


春節(旧正月、今年は1月28日)連休が終わり、海外旅行の価格はオフピーク価格となり、時期をずらして海外へ出かける人にとっては好機到来だ。航空券とホテルがついた個人旅行を購入するにしろ、団体ツアーに参加するにしろ、価格は連休期間より明らかに値下がりし、北京から広州や上海などへの航空券は超安値の「ハクサイ価格」で売り出され、どれも高速鉄道より安くなっている。また時期をずらした旅行なら長い行列に並ぶ必要もなく、コストパフォーマンスは非常に高いといえる。北京晨報が伝えた。

▽ディズニーで並ぶ時間が短く

上海ディズニーランドは開業以来、北京からの観光客に熱く支持されてきたが、春節長期連休が終わると、ディズニーリゾート一帯の観光客は連休のピーク期に比べ目立って減少し、人気アトラクションに並ぶ人もガクッと減った。春節は出勤したという上海市の曾さんの一家は、このほど振り替え休日にディズニーに遊びに来て、「人が少ない、列に並ぶ時間が短い」と感じることしきりだったと言い、「昨日は大勢のサラリーマンが通常勤務に戻った日で、ディズニーに来る観光客は思ったよりも少なかった」と述べた。

▽航空券価格が「ハクサイ価格」に

時期をずらしたツアーは、観光地で黒山の人だかりを避けることができるだけでなく、航空券価格が安いというのが一番の特徴だ。旅行予約サイト・携程旅行網の調査によると、2月末の北京発上海行き航空券価格は7割前後値下がりしてて約360元(1元は約16.4円)になり、空港建設費の50元を足しても410元で、両都市を結ぶ京滬高速鉄道より約140元も安い。北京-広州路線も非常に安く、420元前後で同じく高速鉄道を下回る。

中国南方航空の関連部門責任者は、「春節連休明けの北京から大連、長春、ハルビン、瀋陽、ウルムチ、昆明、貴陽、長沙、桂林、南寧への路線、上海から瀋陽、長春、大連、武漢、長沙、鄭州、烏魯木斉などへの路線は、販売促進のため大幅な割引を実施中」と話す。

海外路線をみると、春節連休後の特に旧暦1月15日にあたる元宵節の時期にドバイ、デリー、日本、韓国、東南アジアなどに向かう航空券は、いずれも割引でかなり値段が下げっている。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/746.html

コメント [近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
335. 中川隆[6573] koaQ7Jey 2017年2月06日 22:54:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7030]
>>312, >>313, >>314 に追記

バフェットの遺言。億万長者を生む「インデックス投資」の秘密とは?=東条雅彦 2017年2月5日
http://www.mag2.com/p/money/32649


ウォーレン・バフェット氏が、自分の死後に備えて、妻に「資金の90%を S&P500に投資せよ」という言葉を残していることをご存じですか?

バフェットは、プロではない人々に「インデックス投資」を薦めています。
これは誰でも安全に億万長者になれる、最も合理的な投資手法と言えるでしょう

バフェット推薦!安全に億万長者になれる投資法のポイントを解説

『バフェットからの手紙』の1ページ目に書かれていること

ウォーレン・バフェットが毎年、自身が会長兼CEOを務める世界最大の持株会社、バークシャー・ハサウェイの株主宛てに送っている書簡(通称『バフェットからの手紙』)を読んだことはありますか?バークシャーのWebサイトでは、1977年から現在までの『バフェットからの手紙』が公開されています。

そして、2000年からの『バフェットからの手紙』では、必ず最初の1ページ目で、バークシャーとS&P500(配当込み)の投資成果を競い合わせています。

これは、1965年から2015年までの両者の成績を比較したものです。


1.バークシャー(BRK)の1株当たり純資産が年間何%変動したのか?
2.バークシャー(BRK)の株価が年間何%変動したのか?
3.S&P500(配当込み)の株価が年間何%変動したのか?
4.1965年から2015年までの51年間の平均年利
5.今までの合計リターン


バークシャー vs. S&P500 投資成果の比較(配当込み)
出典:Berkshire’s Performance vs. the S&P 500 (2015) [PDF]
http://www.mag2.com/p/money/32649


※『バフェットからの手紙』に記載されているリターンは名目リターンです。
そのため本稿でも名目リターンを元に話を進めます。
インフレ率を考慮した実質リターンについては次回以降のメルマガにて解説します。

投資資金が約15,983倍に!

バークシャーの1株当たり純資産と株価が、S&P500(配当込み)に対してどのような動きをしているのかを、わかりやすく提示していますね。


バフェットの生涯運用成績は年利20.8%です。


これを51年続けると、1,598,284%の資産上昇をもたらします。

1965年にバークシャー株に投資していた株主は、投資資金を51年間で約15,983倍に増やしているわけです。

100万円を投資していたら、約160億円に増えている計算です。

いかにバフェットの年利20.8%という成績が凄いのかを物語っています。

バークシャーの純資産も年利19.2%のペースで増えていて、過去51年間で798,981%のリターンを得ています。

(2)の株価だけではなく(1)の純資産(株主資本)を記載している理由は、これが株価の裏付けとなっているからです。この純資産の伸び率を記すことで、バフェットは、株価は企業の利益や資産からその価値を求めることができると、暗に伝えようとしているのでしょう。

さて、いっぽうで50年前に S&P500(配当込み)に投資していた場合でも、年利9.7%のペースで資産が増加します。過去51年間では11,355%のリターンを得られます。

1965年に S&P500に投資していた場合、2015年の終わりには資産が約114倍に増えます。
100万円を投資していた場合、約1億1400万円に増えている計算です。

バークシャーの成績と比べると、かなり見劣りはしますが、それでもかなり高い成績です。

※前回のメルマガでも触れたように、近年ではバークシャーの成績が大幅に落ちており、S&P500と良い勝負を繰り広げています。2001〜2015年の期間ではバークシャー:年利7%/S&P500:年利5%です。

なぜバフェットはS&P500と競争しているのか?

ここで、S&P500指数とインデックスファンド誕生の経緯を簡単に説明します。

S&P500とは、米国投資情報会社「スタンダード・アンド・プアーズ社(S&P)」が算出している米国の代表的な株価指数です。ニューヨーク証券取引所、アメリカン証券取引所、NASDAQに上場している銘柄のうち、代表的な500銘柄の株価をもとに算出されます。

バンガード・グループの創設者であるジョン・C・ボーグル氏は1975年に、このS&P500と同じ成績を出す世界初のファンドを立ち上げました。「バンガード500インデックス・ファンド」というファンドで、今でも継続しています。

それまでのファンドは投資家から資金を集めて、ファンドマネージャーが選定した銘柄に投資していくスタイルでした。

いっぽう、「バンガード500インデックス・ファンド」は、S&P500を構成する500銘柄と同じ構成比で投資を行ない、ベンチマークである同指数に連動した投資成果を目指すものです。

やがて、このような市場平均に追従するファンドは「パッシブファンド」、そして市場平均以上のパフォーマンスを目指すファンドは「アクティブファンド」と呼ばれるようになりました。

それまでの常識では、「S&P500に追従するだけで良いリターンを出せるはずがない」という考えが大勢を占めていました。しかし統計を取ると、実際には次のような結果になっていたのです。

米国でインデックスファンドを下回ったアクティブファンドの比率(〜2005年)

1年間:48%
3年間:68%
5年間:68%
10年間:79%
20年間:82%

なんと、年数が経過すればするほど、アクティブファンドはインデックスファンドに負けてしまうという現実が明らかになったのです。

ボーグル氏の『インデックス・ファンドの時代』(2000年出版)は、これでもかというぐらいに過去の統計データを使用して、インデックスファンドの優位性を説いた本です。

『北斗の拳』の「お前はもう死んでいる」ならぬ、「お前(アクティブファンド)はもう負けている」状態を、広範なデータを使って証明しています。

手数料の多いアクティブファンドは、まず「負けている」ところからスタートするので、もともと不利な立場にあります。ボーグル氏によると、これは「信託報酬」「売買の際に生じる手数料と税金」の2つが主因だとしています。

この説明に感銘を受けたバフェットは、「よし、それならば、バークシャーとS&P500の成績を比較して提示することで、客観的にバークシャーのことを株主に評価してもらおう」と考えたのです。


バフェットが妻に託した遺言

2013年度の『バフェットからの手紙』で、バフェットは、S&P500に連動するインデックスファンドへの投資を薦めています。

以下に発言部分を引用します。


米国のビジネスは時代を超えて素晴らしい成果を上げてきたし、今後もそうでしょう。プロでない人々が目指すべきなのは、勝者を当てることではありません。自分だけではなく、助力者にもできません。代わりに幅広い領域にわたる企業を買えば、必ずうまくいきます。S&P500種株価指数に連動する低コストのインデックスファンド(指数連動型投信)を使えば目標を達成できます。

プロでない人はS&P500に投資するように呼びかけています。さらにバフェットは、自分の妻への相続のための信託で次のように述べています。


現金の10%を政府短期債で、残り90%はS&P500のインデックスファンドで運用するよう指示しました(超低コスト投信で知られるバンガード社の投信を勧めます)。こうした方針をとることにより、高額な手数料をとる運用者を抱えている他の投資家よりも、長期では優れた結果を残せると確信します。

まさに、インデックス投資を強力プッシュしていますね。

バフェットはインデックス投資について過去にも前向きな発言をしていましたが、ここまで明確に話したことはありませんでした。その意味でも、2013年度の「バフェットからの手紙」は異例で、示唆に富む内容だったと言えます。

株式投資にあと一歩を踏み出せない人の思考パターンと「利き手」の関係

バフェットは、プロではない普通の人に対して、資産の90%を株式に投入せよと薦めています。

バフェット推奨の資産配分率

政府短期債:10%
S&P500(株式):90%

このアドバイスを聞いて、「はい、わかりました。明日から銀行預金を辞めて、すぐさま資産の90%をS&P500に当てます」と実際に行動する人は、果たしてどのぐらいいるのでしょうか?

おそらく、100人中1人いれば良いほうではないでしょうか?

1965年から2015年までの51年間の計測では、S&P500(配当込み)への投資は平均年利9.7%のリターンをもたらします。

100万円を投資すれば、約1億1400万円、1000万円を投資すれば、約11億4000万円という大きな資産を築けます。

しかし、統計上のデータでは明らかでも、私たちは論理ではなく感情で行動します。

子どもの時、毎年もらうお年玉は勝手に銀行に預けられていた人が多いと思います(または私のようにいつの前にか「抹消されてしまった」人も多い!?)。また、親や学校の先生からは、お金は大切なものだから銀行に預金するのが正しい行動だ、と刷り込まれます。そうすると、思考に「くせ」ができてしまいます。

例えば、右利きの人が明日から「右手ではなく左手を中心に使ってください」と言われたとしましょう。

朝、起きて、洗面所の前に立って、左手で歯ブラシを持って歯を磨こうとするも、なかなかうまく磨けません。着替えをする時も、無意識のうちに右手の力に頼って、服を脱いだり着たりします。朝ごはんを食べる時も、左手で箸を持って茶碗にあるご飯を口まで運ぶのは、相当難しい作業になることが容易に想像できます。

元々、左利きの人は、左右を逆にして想像してみてくださいね。こんなことを実際にやっていたら、学校や会社に遅刻するし、スムーズに日常生活を送ることが困難になるはずです。

世間の多くの人は次のようなイメージになっています。


株式投資に疑心暗鬼な人の資産配分

右手(利き手):銀行預金(90%)
左手(非利き手):株式投資(10%)

人に利き手があるように、人の思考にもある種の「利き手」があります。急に利き手を変えるのは、難しいかもしれません。

2013年度の『バフェットの手紙』における普通の人へのアドバイスが、「資産の90%をS&P500に投入せよ!」という内容だったのは、実に衝撃をもって受け取られました。

バフェットが推奨している資産配分

右手(利き手)・・・・株式投資(90%)
左手(非利き手)・・・銀行預金(10%)

このバフェットの教えが正しいのなら(もちろん、正しいのですが)、自分の利き手を左右反対にする覚悟で、ゆっくりでもいいから、銀行預金から株式投資にシフトしていく必要があります。

インデックス投資は「社会の発展」を信じる超高勝率の投資法だ

インデックス投資とは、「社会の発展」「人類の発展」を信じる投資法です。

私たちは、株式会社の作った製品やサービスを利用して生活しています。また、会社に行って働いて、給料を得て生活しています。

インデックス投資では、「資金を株式に投入して、その会社が倒産してゼロ円になったらどうするの?」といった不安を感じる必要はありません。なぜなら、S&P500を構成する500社がすべて同時に倒産するような状況では、そもそも私たちはまともに社会生活を送れないからです。

今、この文章を読むのに使っているパソコン、スマホ、タブレットPCは、株式会社が作った製品ですね。また、インターネットを利用するための回線を施設したのも株式会社ですし、各種サービスを提供しているのも株式会社です。

今、着ている服も、座っている椅子も、洗面用具も浴槽で使う洗面器も、寝るベッドも…すべて株式会社から提供されているものです。

それでも「株式投資は怖くて危険だ」と見なすのなら、いったい私たちの普段の生活は、「恐怖」に囲まれているのでしょうか?いやいや、そんなことはないはずです。

冒頭で取り上げた『バフェットからの手紙』に記されている、1965年から2015年までの51年間には、S&P500が暴落する年も確かにありました。

しかしながら、1年間で値上がりする確率と値下がりする確率は、明らかに非対称の関係にあります。

値上がりした年を「◯」、値下がりした年を「×」として、1965年から2015年までの51年間を左端から記号にして並べると、次のようになります。


S&P500:値上がり=◯ 値下がり=×

1965年〜1974年:◯×◯◯×◯◯◯××
1975年〜1984年:◯◯×◯◯◯×◯◯◯
1985年〜1994年:◯◯◯◯◯×◯◯◯◯
1995年〜2004年:◯◯◯◯◯×××◯◯
2005年〜2015年:◯◯◯×◯◯◯◯◯◯◯
結果:51試合中40勝11敗

このように視覚的に見ると、S&P500の勝率がいかに高いのかが、はっきりとわかると思います。51試合中40勝11敗、勝率に直すと78.4%となり、概ね8割の確率で勝つ勝負なのです。

インデックス投資家が「無一文」になることはあり得ない

さらに、それでも「株価が大幅に下がって大損してしまったら、どうしよう」という不安を抱えている人のために、下落してしまった年(11年間分)だけをピックアップしてみます。

下落率が20%以上の年には、目印として先頭に「◎」印、連敗した年には後ろに「※連敗」印をつけています。

S&P500:下落した年

・1966年:−11.7%
・1969年:−8.4%
・1973年:−14.8% ※連敗
◎1974年:−26.4% ※連敗
・1977年:−7.4%
・1981年:−5%
・1990年:−3.1%
・2000年:−9.1% ※連敗
・2001年:−11.9% ※連敗
◎2002年:−22.1% ※連敗
◎2008年:−37.0%

人によっては「株式投資をすると、最悪は無一文になる」と思っている人もいるかもしれませんが、S&P500へのインデックス投資の場合、そういうことは絶対にあり得ません。

過去51年間の中で、20%以上の値下がりが発生した年はわずかに3回です。それ以外の8回の下落は、大きく下げても15%以内の値下がりに収まっています。

仮に100万円を投資していた場合、年によっては70万円ぐらいに下がる可能性もありますが、ずっと落ち続けるわけではありません。

しかも、連敗する可能性もとても低いことがわかります。連敗したのは、過去51年間の中でわずか2回(1973〜1974年、2000〜2002年)だけでした。

誰でも安全に億万長者になれる、最も合理的な投資手法

反対に勝った年を見ていきましょう。上昇率が20%以上の年には目印として先頭に「◎」印をつけています。

上昇率が20%以上の年(◎印)が、なんと17回もあります。前ページの「下落した年」と見比べてみると、視覚的にも「S&P500は上昇する確率がとても高い」ことは一目瞭然です。

S&P500:上昇した年

・1965年:+10.0%
◎1967年:+30.9%
・1968年:+11.0%
・1969年:+3.9%
・1971年:+14.6%
・1972年:+18.9%
◎1975年:+37.2%
◎1976年:+23.6%
・1978年:+6.4%
・1979年:+18.2%
◎1980年:+32.3%
◎1982年:+21.4%
◎1983年:+22.4%
・1984年:+6.1%
◎1985年:+31.6%
・1986年:+18.6%
・1987年:+5.1%
・1988年:+16.6%
◎1989年:+31.7%
◎1991年:+30.5%
・1992年:+7.6%
・1993年:+10.1%
・1994年:+1.3%
◎1995年:+37.6%
◎1996年:+23.0%
◎1997年:+33.4%
◎1998年:+28.6%
◎1999年:+21.0%
◎2003年:+28.7%
・2004年:+10.9%
・2005年:+4.9%
・2006年:+15.8%
・2007年:+5.5%
◎2009年:+26.5%
・2010年:+15.1%
・2011年:+2.1%
・2012年:+16.0%
◎2013年:+32.4%
・2014年:+13.7%
・2015年:+1.4%

ウォーレン・バフェットが妻に「資金の90%をS&P500に投資せよ!」という言葉を残している理由がよくわかります。

この約8割という圧倒的な高勝率が、社会の発展に賭けるインデックス投資の根本となります。インデックス投資は、誰でも安全に億万長者になれる、最も合理的な投資手法だと言えるのです。
http://www.mag2.com/p/money/32649
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c335

記事 [アジア22] 韓国・大邱に慰安婦像新設の動き、推進団体と行政で摩擦も=「親日都市がどう対処するのか見もの」「大邱でもこんな動きがあるの
5日、韓国・聯合ニュースによると、民間団体が「3月1日に大邱広域市に慰安婦像を設置する」として、行政当局との間に摩擦が生じている。この報道に、韓国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられている。写真はソウルの日本大使館前の慰安婦像。


韓国・大邱に慰安婦像新設の動き、推進団体と行政で摩擦も=「親日都市がどう対処するのか見もの」「大邱でもこんな動きがあるのか」―韓国ネット
http://www.recordchina.co.jp/a162245.html
2017年2月6日(月) 19時40分


2017年2月5日、韓国・聯合ニュースによると、民間団体が「3月1日に慶尚北道大邱広域市の中区東城路に慰安婦像を設置する」として、行政当局との間に摩擦が生じている。

建設予定地を管轄する中区庁は、道路法などを理由に「東城路に慰安婦像を設置することはできない」とする見解を固守している。「大邱平和の少女像建設市民推進委員会」は、昨年末から中区庁と慰安婦像の問題に関連して2回協議会を行っている。この席で同推進委は「東城路大邱デパート前広場に慰安婦少女像を設置したい」と申し入れたが、中区庁は「道路法上、慰安婦少女像が道路占用対象ではないない」とし、「(設置は)不可能」とした。中区庁は、デパート前広場の代わりに、東城路近くの国債報償運動記念公園から中央図書館の間か、3.1運動路周辺にある小規模公園の2カ所を代案として提示した。しかし、同推進委側は議論の末、「提案された2カ所は少女像を立てるには不適切な場所」と結論を下した。双方は、近いうちにさらに協議を重ねる計画だ。

朴槿恵(パク・クネ)大統領の故郷であり、韓国の中でも比較的親日的傾向が強いとされる大邱でこのような動きが起きたことに、「大邱でもこんな動きがあるのか」「親日派の聖地に慰安婦少女像を設置して、問題にならないか心配」「大邱に設置はできないと思う。設置しても、どうせ撤去される」「親日の大邱がどう対処するのか見もの」など、意外性をもって受け止められており、今後の成り行きに注目する意見が多く寄せられた。(翻訳・編集/三田)

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/287.html

記事 [アジア22] 朴大統領友人の元側近が証言「朴大統領の演説文を修正する姿を見た」=韓国ネット「終身刑に近づいている」「映画よりもスリリン
6日、韓国の朴槿恵大統領の親友、崔順実被告による国政介入事件で、崔氏の元側近が「朴大統領の演説文を修正する崔氏の姿を見た」と明らかにした。これに、韓国のネットユーザーがコメントを寄せた。写真は韓国大統領府。


朴大統領友人の元側近が証言「朴大統領の演説文を修正する姿を見た」=韓国ネット「終身刑に近づいている」「映画よりもスリリング」
http://www.recordchina.co.jp/a162879.html
2017年2月6日(月) 20時40分


2017年2月6日、韓国・聯合ニュースによると、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の親友、崔順実(チェ・スンシル)被告による国政介入事件で、崔氏の元側近である「ザ・ブルーK」のコ・ヨンテ前理事が「朴大統領の演説文を修正する崔氏の姿を見た」と明らかにした。

コ氏は6日、ソウル中央地裁で開かれた崔氏と安鍾範(アン・ジョンボム)前大統領府政策調整首席に対する裁判に証人として出席し、「演説文を修正するのを目撃したというのは事実か」との質問に対し、「はい」と答えた。

コ氏は「ザ・ブルーKの事務室で崔氏が『プリンターが壊れた』と言うので見に行ったところ、ノートブックの画面に演説文のような文章が書かれていた」と明らかにした。また、崔氏と朴大統領の関係を問う質問に対しては、「崔氏は大統領府によく出入りしていたようだ。大統領府の秘書は崔氏の個人秘書のように動いていた」とし、「崔氏は何をする時も『大統領のために働いている、大統領の信義を守って働いている』と言っていたので、2人の関係はとても近いものと考えていた」と明らかにした。

また、コ氏は14年末に崔氏が運営していたブティックを辞めた理由について「私が知らないところで不適切なことが行われていると考え、危険を感じた」と述べた。

この報道に、韓国のネットユーザーからは「崔順実が少しずつ終身刑に近づいている」「国民に真実を語ってくれるのは彼しかいない」「コ・ヨンテの勇気に拍手」「彼の身が危険。徹底的に真実を暴いて、崔順実が一生韓国の街を歩けないようにして」「次の裏切り者は誰だ?映画よりもスリリングな展開」「崔順実が演説文を修正していたことはすでに朴大統領が自白したけど?」などのコメントが寄せられた。(翻訳・編集/堂本)

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/288.html

コメント [中国10] 知らなかった!中国でも人気のキヤノンの社名由来に、中国ネット「これは勉強になった」「日本人には適さない」 赤かぶ
1. 2017年2月06日 22:59:19 : rXdsMFQkZM : b8vrQPgmHgU[35]
当方の友人は、一眼レフの望遠レンズを横から見ると、大砲 Cannon みたいに見えるからキャノンと言うのだと思っていたそうだ。(爆)

ところで日本語ではキャノンと発音するが、表記は「キヤノン」だよね。自動車用変速機のジャトコも「ジヤトコ」と書くよ。
http://www.asyura2.com/16/china10/msg/869.html#c1

記事 [音楽18] ハナタラシ Hanatarash - Cock E.S.P



http://www.asyura2.com/16/music18/msg/447.html

コメント [経世済民118] 笑ってしまう、アパホテルの支援。これ、支援になってないんじゃないか  赤かぶ
20. 2017年2月06日 23:06:10 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[193]
で、アパは結局、外国人宿泊客と日本のリベラルの客は捨てたわけだね。
好い度胸だ。見直したよ。私は泊まらんけどな。w

昔、近くに建ったアパのマンションに完成前から元谷夫人のデカい顔が垂れ幕で掛かってたのと(別に容姿がどうとか言うわけではないが、普通の感覚では経営者の妻をあのような形で「広告塔」にはしないだろう。それとも元谷氏はよほどあの夫人がご自慢なのだろうか?)そのマンションで耐震偽装が見つかり、知人がトラブルの巻き込まれて以来、アパには良い感情を持てない。

http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/706.html#c20

コメント [国際17] 政権の退陣迫り、民衆が怒りの結集50万人!!  赤かぶ
3. スポンのポン[5666] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年2月06日 23:07:18 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[319]
 
 
>日本ではこれほどの市民運動は起きないだろう。

■日本ではルーマニア以上に政権は腐敗しているけど。
 
 
http://www.asyura2.com/17/kokusai17/msg/826.html#c3

コメント [番外地6] バフェットの2面性 庶民を装う超富裕層の素顔 中川隆
8. 中川隆[6574] koaQ7Jey 2017年2月06日 23:07:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7031]

バフェットの遺言。億万長者を生む「インデックス投資」の秘密とは?=東条雅彦 2017年2月5日
http://www.mag2.com/p/money/32649


ウォーレン・バフェット氏が、自分の死後に備えて、妻に「資金の90%を S&P500に投資せよ」という言葉を残していることをご存じですか?

バフェットは、プロではない人々に「インデックス投資」を薦めています。
これは誰でも安全に億万長者になれる、最も合理的な投資手法と言えるでしょう


バフェット推薦!安全に億万長者になれる投資法のポイントを解説

『バフェットからの手紙』の1ページ目に書かれていること

ウォーレン・バフェットが毎年、自身が会長兼CEOを務める世界最大の持株会社、バークシャー・ハサウェイの株主宛てに送っている書簡(通称『バフェットからの手紙』)を読んだことはありますか?バークシャーのWebサイトでは、1977年から現在までの『バフェットからの手紙』が公開されています。


そして、2000年からの『バフェットからの手紙』では、必ず最初の1ページ目で、バークシャーとS&P500(配当込み)の投資成果を競い合わせています。

これは、1965年から2015年までの両者の成績を比較したものです。


1.バークシャー(BRK)の1株当たり純資産が年間何%変動したのか?
2.バークシャー(BRK)の株価が年間何%変動したのか?
3.S&P500(配当込み)の株価が年間何%変動したのか?
4.1965年から2015年までの51年間の平均年利
5.今までの合計リターン


バークシャー vs. S&P500 投資成果の比較(配当込み)
出典:Berkshire’s Performance vs. the S&P 500 (2015) [PDF]
http://www.mag2.com/p/money/32649


※『バフェットからの手紙』に記載されているリターンは名目リターンです。
そのため本稿でも名目リターンを元に話を進めます。
インフレ率を考慮した実質リターンについては次回以降のメルマガにて解説します。


投資資金が約15,983倍に!

バークシャーの1株当たり純資産と株価が、S&P500(配当込み)に対してどのような動きをしているのかを、わかりやすく提示していますね。


バフェットの生涯運用成績は年利20.8%です。


これを51年続けると、1,598,284%の資産上昇をもたらします。

1965年にバークシャー株に投資していた株主は、投資資金を51年間で約15,983倍に増やしているわけです。

100万円を投資していたら、約160億円に増えている計算です。

いかにバフェットの年利20.8%という成績が凄いのかを物語っています。

バークシャーの純資産も年利19.2%のペースで増えていて、過去51年間で798,981%のリターンを得ています。

(2)の株価だけではなく(1)の純資産(株主資本)を記載している理由は、これが株価の裏付けとなっているからです。この純資産の伸び率を記すことで、バフェットは、株価は企業の利益や資産からその価値を求めることができると、暗に伝えようとしているのでしょう。

さて、いっぽうで50年前に S&P500(配当込み)に投資していた場合でも、年利9.7%のペースで資産が増加します。過去51年間では11,355%のリターンを得られます。

1965年に S&P500に投資していた場合、2015年の終わりには資産が約114倍に増えます。
100万円を投資していた場合、約1億1400万円に増えている計算です。

バークシャーの成績と比べると、かなり見劣りはしますが、それでもかなり高い成績です。

※前回のメルマガでも触れたように、近年ではバークシャーの成績が大幅に落ちており、S&P500と良い勝負を繰り広げています。2001〜2015年の期間ではバークシャー:年利7%/S&P500:年利5%です。


なぜバフェットはS&P500と競争しているのか?

ここで、S&P500指数とインデックスファンド誕生の経緯を簡単に説明します。

S&P500とは、米国投資情報会社「スタンダード・アンド・プアーズ社(S&P)」が算出している米国の代表的な株価指数です。ニューヨーク証券取引所、アメリカン証券取引所、NASDAQに上場している銘柄のうち、代表的な500銘柄の株価をもとに算出されます。

バンガード・グループの創設者であるジョン・C・ボーグル氏は1975年に、このS&P500と同じ成績を出す世界初のファンドを立ち上げました。「バンガード500インデックス・ファンド」というファンドで、今でも継続しています。

それまでのファンドは投資家から資金を集めて、ファンドマネージャーが選定した銘柄に投資していくスタイルでした。

いっぽう、「バンガード500インデックス・ファンド」は、S&P500を構成する500銘柄と同じ構成比で投資を行ない、ベンチマークである同指数に連動した投資成果を目指すものです。

やがて、このような市場平均に追従するファンドは「パッシブファンド」、そして市場平均以上のパフォーマンスを目指すファンドは「アクティブファンド」と呼ばれるようになりました。

それまでの常識では、「S&P500に追従するだけで良いリターンを出せるはずがない」という考えが大勢を占めていました。しかし統計を取ると、実際には次のような結果になっていたのです。


米国でインデックスファンドを下回ったアクティブファンドの比率(〜2005年)

1年間:48%
3年間:68%
5年間:68%
10年間:79%
20年間:82%

なんと、年数が経過すればするほど、アクティブファンドはインデックスファンドに負けてしまうという現実が明らかになったのです。

ボーグル氏の『インデックス・ファンドの時代』(2000年出版)は、これでもかというぐらいに過去の統計データを使用して、インデックスファンドの優位性を説いた本です。

『北斗の拳』の「お前はもう死んでいる」ならぬ、「お前(アクティブファンド)はもう負けている」状態を、広範なデータを使って証明しています。

手数料の多いアクティブファンドは、まず「負けている」ところからスタートするので、もともと不利な立場にあります。ボーグル氏によると、これは「信託報酬」「売買の際に生じる手数料と税金」の2つが主因だとしています。

この説明に感銘を受けたバフェットは、「よし、それならば、バークシャーとS&P500の成績を比較して提示することで、客観的にバークシャーのことを株主に評価してもらおう」と考えたのです。


バフェットが妻に託した遺言

2013年度の『バフェットからの手紙』で、バフェットは、S&P500に連動するインデックスファンドへの投資を薦めています。

以下に発言部分を引用します。


米国のビジネスは時代を超えて素晴らしい成果を上げてきたし、今後もそうでしょう。プロでない人々が目指すべきなのは、勝者を当てることではありません。自分だけではなく、助力者にもできません。代わりに幅広い領域にわたる企業を買えば、必ずうまくいきます。S&P500種株価指数に連動する低コストのインデックスファンド(指数連動型投信)を使えば目標を達成できます。

プロでない人はS&P500に投資するように呼びかけています。さらにバフェットは、自分の妻への相続のための信託で次のように述べています。


現金の10%を政府短期債で、残り90%はS&P500のインデックスファンドで運用するよう指示しました(超低コスト投信で知られるバンガード社の投信を勧めます)。こうした方針をとることにより、高額な手数料をとる運用者を抱えている他の投資家よりも、長期では優れた結果を残せると確信します。

まさに、インデックス投資を強力プッシュしていますね。

バフェットはインデックス投資について過去にも前向きな発言をしていましたが、ここまで明確に話したことはありませんでした。その意味でも、2013年度の「バフェットからの手紙」は異例で、示唆に富む内容だったと言えます。

株式投資にあと一歩を踏み出せない人の思考パターンと「利き手」の関係

バフェットは、プロではない普通の人に対して、資産の90%を株式に投入せよと薦めています。


バフェット推奨の資産配分率

政府短期債:10%
S&P500(株式):90%

このアドバイスを聞いて、「はい、わかりました。明日から銀行預金を辞めて、すぐさま資産の90%をS&P500に当てます」と実際に行動する人は、果たしてどのぐらいいるのでしょうか?

おそらく、100人中1人いれば良いほうではないでしょうか?

1965年から2015年までの51年間の計測では、S&P500(配当込み)への投資は平均年利9.7%のリターンをもたらします。

100万円を投資すれば、約1億1400万円、1000万円を投資すれば、約11億4000万円という大きな資産を築けます。

しかし、統計上のデータでは明らかでも、私たちは論理ではなく感情で行動します。

子どもの時、毎年もらうお年玉は勝手に銀行に預けられていた人が多いと思います(または私のようにいつの前にか「抹消されてしまった」人も多い!?)。また、親や学校の先生からは、お金は大切なものだから銀行に預金するのが正しい行動だ、と刷り込まれます。そうすると、思考に「くせ」ができてしまいます。

例えば、右利きの人が明日から「右手ではなく左手を中心に使ってください」と言われたとしましょう。

朝、起きて、洗面所の前に立って、左手で歯ブラシを持って歯を磨こうとするも、なかなかうまく磨けません。着替えをする時も、無意識のうちに右手の力に頼って、服を脱いだり着たりします。朝ごはんを食べる時も、左手で箸を持って茶碗にあるご飯を口まで運ぶのは、相当難しい作業になることが容易に想像できます。

元々、左利きの人は、左右を逆にして想像してみてくださいね。こんなことを実際にやっていたら、学校や会社に遅刻するし、スムーズに日常生活を送ることが困難になるはずです。

世間の多くの人は次のようなイメージになっています。

株式投資に疑心暗鬼な人の資産配分

右手(利き手):銀行預金(90%)
左手(非利き手):株式投資(10%)

人に利き手があるように、人の思考にもある種の「利き手」があります。急に利き手を変えるのは、難しいかもしれません。

2013年度の『バフェットの手紙』における普通の人へのアドバイスが、「資産の90%をS&P500に投入せよ!」という内容だったのは、実に衝撃をもって受け取られました。


バフェットが推奨している資産配分

右手(利き手)・・・・株式投資(90%)
左手(非利き手)・・・銀行預金(10%)

このバフェットの教えが正しいのなら(もちろん、正しいのですが)、自分の利き手を左右反対にする覚悟で、ゆっくりでもいいから、銀行預金から株式投資にシフトしていく必要があります。

インデックス投資は「社会の発展」を信じる超高勝率の投資法だ

インデックス投資とは、「社会の発展」「人類の発展」を信じる投資法です。

私たちは、株式会社の作った製品やサービスを利用して生活しています。また、会社に行って働いて、給料を得て生活しています。

インデックス投資では、「資金を株式に投入して、その会社が倒産してゼロ円になったらどうするの?」といった不安を感じる必要はありません。なぜなら、S&P500を構成する500社がすべて同時に倒産するような状況では、そもそも私たちはまともに社会生活を送れないからです。

今、この文章を読むのに使っているパソコン、スマホ、タブレットPCは、株式会社が作った製品ですね。また、インターネットを利用するための回線を施設したのも株式会社ですし、各種サービスを提供しているのも株式会社です。

今、着ている服も、座っている椅子も、洗面用具も浴槽で使う洗面器も、寝るベッドも…すべて株式会社から提供されているものです。

それでも「株式投資は怖くて危険だ」と見なすのなら、いったい私たちの普段の生活は、「恐怖」に囲まれているのでしょうか?いやいや、そんなことはないはずです。

冒頭で取り上げた『バフェットからの手紙』に記されている、1965年から2015年までの51年間には、S&P500が暴落する年も確かにありました。

しかしながら、1年間で値上がりする確率と値下がりする確率は、明らかに非対称の関係にあります。

値上がりした年を「◯」、値下がりした年を「×」として、1965年から2015年までの51年間を左端から記号にして並べると、次のようになります。

S&P500:値上がり=◯ 値下がり=×

1965年〜1974年:◯×◯◯×◯◯◯××
1975年〜1984年:◯◯×◯◯◯×◯◯◯
1985年〜1994年:◯◯◯◯◯×◯◯◯◯
1995年〜2004年:◯◯◯◯◯×××◯◯
2005年〜2015年:◯◯◯×◯◯◯◯◯◯◯
結果:51試合中40勝11敗

このように視覚的に見ると、S&P500の勝率がいかに高いのかが、はっきりとわかると思います。51試合中40勝11敗、勝率に直すと78.4%となり、概ね8割の確率で勝つ勝負なのです。

インデックス投資家が「無一文」になることはあり得ない

さらに、それでも「株価が大幅に下がって大損してしまったら、どうしよう」という不安を抱えている人のために、下落してしまった年(11年間分)だけをピックアップしてみます。

下落率が20%以上の年には、目印として先頭に「◎」印、連敗した年には後ろに「※連敗」印をつけています。


S&P500:下落した年

・1966年:−11.7%
・1969年:−8.4%
・1973年:−14.8% ※連敗
◎1974年:−26.4% ※連敗
・1977年:−7.4%
・1981年:−5%
・1990年:−3.1%
・2000年:−9.1% ※連敗
・2001年:−11.9% ※連敗
◎2002年:−22.1% ※連敗
◎2008年:−37.0%

人によっては「株式投資をすると、最悪は無一文になる」と思っている人もいるかもしれませんが、S&P500へのインデックス投資の場合、そういうことは絶対にあり得ません。

過去51年間の中で、20%以上の値下がりが発生した年はわずかに3回です。それ以外の8回の下落は、大きく下げても15%以内の値下がりに収まっています。

仮に100万円を投資していた場合、年によっては70万円ぐらいに下がる可能性もありますが、ずっと落ち続けるわけではありません。

しかも、連敗する可能性もとても低いことがわかります。連敗したのは、過去51年間の中でわずか2回(1973〜1974年、2000〜2002年)だけでした。


誰でも安全に億万長者になれる、最も合理的な投資手法

反対に勝った年を見ていきましょう。上昇率が20%以上の年には目印として先頭に「◎」印をつけています。

上昇率が20%以上の年(◎印)が、なんと17回もあります。前ページの「下落した年」と見比べてみると、視覚的にも「S&P500は上昇する確率がとても高い」ことは一目瞭然です。


S&P500:上昇した年

・1965年:+10.0%
◎1967年:+30.9%
・1968年:+11.0%
・1969年:+3.9%
・1971年:+14.6%
・1972年:+18.9%
◎1975年:+37.2%
◎1976年:+23.6%
・1978年:+6.4%
・1979年:+18.2%
◎1980年:+32.3%
◎1982年:+21.4%
◎1983年:+22.4%
・1984年:+6.1%
◎1985年:+31.6%
・1986年:+18.6%
・1987年:+5.1%
・1988年:+16.6%
◎1989年:+31.7%
◎1991年:+30.5%
・1992年:+7.6%
・1993年:+10.1%
・1994年:+1.3%
◎1995年:+37.6%
◎1996年:+23.0%
◎1997年:+33.4%
◎1998年:+28.6%
◎1999年:+21.0%
◎2003年:+28.7%
・2004年:+10.9%
・2005年:+4.9%
・2006年:+15.8%
・2007年:+5.5%
◎2009年:+26.5%
・2010年:+15.1%
・2011年:+2.1%
・2012年:+16.0%
◎2013年:+32.4%
・2014年:+13.7%
・2015年:+1.4%

ウォーレン・バフェットが妻に「資金の90%をS&P500に投資せよ!」という言葉を残している理由がよくわかります。

この約8割という圧倒的な高勝率が、社会の発展に賭けるインデックス投資の根本となります。インデックス投資は、誰でも安全に億万長者になれる、最も合理的な投資手法だと言えるのです。
http://www.mag2.com/p/money/32649

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/715.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK220] りゅうちぇるの激論番組での意見が真っ当すぎる! 空気を読んだ保守的主張だらけの中で多様性を肯定し続ける勇気(リテラ) 赤かぶ
27. ボケ老人[1282] g3uDUJhWkGw 2017年2月06日 23:08:35 : DPIHWzSy2A : ryp5mYY74JA[658]
>19.FIegHVh54rI:あんた確か日本人だよね?もっと勉強しなさい。

勉強しなければならないのはあなたの方じゃないかい?
iRONNAのようないい加減な解釈を真に受けて

太政官指令「竹島外一島」が示していたもの
現在、多くの学者・研究者によって明治10年の時点で日本の政府が朝鮮の鬱陵島と共に今日の竹島に当たる島を「日本の領土ではない」

これが定説となっているのはなぜか
徳川幕府の竹島一件を受けてのものだ。
「日本の領土ではない」(=朝鮮のものである)と判断したものと解釈
これはiRONNAの浅薄な解釈に過ぎない。

1904年中井養三郎による竹島開発申請に対して、これを契機として海軍省水路部長・肝付兼行等が対ロシア電探台利用のために領土化を図った。
それまでは徳川幕府、明治政府とも竹島を国外と認識していた。
ただし、イコール朝鮮領土ということではない。
有史以来1952年の李承晩による武力占拠まで、朝鮮半島の公権力は一度として足を踏み入れたことのない島が竹島なので、1905年以降は日本の領土として正当性があった。
ただ日本の実効支配はたかだか40年間、韓国の実効支配は既に65年
現代の国際法の観点からすると、国際司法裁判所に訴え出ても、日本が勝つかどうかわからない、そんな状態である。
だとすると、竹島半分こというのも荒唐無稽ではない。

リュウチェルがそこまで分かって言ったとは思えないが。

    
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/270.html#c27

コメント [原発・フッ素47] 恐ろしや!! 警報知りながら「知らさなかった」関電!  赤かぶ
5. 2017年2月06日 23:11:46 : 38zhU29AVA : W@4M_ixU95M[4]

現場を監督していたのは元請けの大成建設(東京)だろうが。
何で請け負った会社が問題にならないんだろう?
普通は工事を請け負った会社が監督責任を負うべきもの、当たり前だろ
契約した会社が何故知らせないといけないのか疑問だね。

しかし、普通の家なら完全に壊れるぐらいの衝撃に、庇が壊れただけ
って堅牢性を証明出来たって事だね。



http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/448.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK220] <悲報>日本維新の会、衆院選でフリーアナウンサーの長谷川豊氏を擁立!問題発言連発でクビになるも・・・ 赤かぶ
11. 2017年2月06日 23:13:10 : IrmDLHrW8c : 9ZHgm@oC084[23]
つまり、こんなヒトデナシの長谷川豊を喜び勇んでスカウトするほど維新って党はとんでもなくロクデモナイ党って事だ。
人の命なんてどうでも良い奴でも何でも、兎に角有名なら誰でも良いからスカウトして、人数を集めろ、って党だな、維新は!
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/258.html#c11
コメント [原発・フッ素47] 2号機のデスペル内部探検隊 何故に専門家よりド素人が正確なのか? 知る大切さ
4. 2017年2月06日 23:13:26 : BxxPxxZBYc : X0bEBVEg5c0[7]
>>3
でも京大助教や熊取六人組の肩書きは簡単に信じちゃうんだろ
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/453.html#c4
コメント [国際17] <<トランプ大統領/インフルエンザワクチンは最大の屑>> ー 歴代米大統領で医療利権の中核をここまで非難した者はいるか お天道様はお見通し
20. 2017年2月06日 23:13:31 : Lt9hHB9xEM : Mtuy4M5QQiY[-1]
ここまでずばり言うのはスゴイ。私も間近でこのケースを見たことがあるが沈黙した。カルトが9割前後支配する斜陽社会では本質を端的に描写するのはタブーなのだ。真実よりも集団的帰属感の優先、それが和の精神だからネ。
http://www.asyura2.com/17/kokusai17/msg/805.html#c20
コメント [政治・選挙・NHK220] 「実質賃金、5年ぶりプラス」 はあ?にわかに信じられない数字が躍る(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
2. 2017年2月06日 23:16:58 : ME8qJ8oPSI : v_IKVI52REQ[5]
発表されている公務員の平均給与は管理職を除く一般職だから、
この場合は中小企業を除く、あるいはマイナスだった企業を除く
実質賃金と考えて下さい。

今や統計も都合良くいじくるまでに堕ちています。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/320.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK214] <日本のマスコミまで拡散する南京大虐殺の捏造>捏造に加担するマスゴミの神奈川新聞  南京大虐殺の事実を知って 捏造写真展 怪傑
9. 2017年2月06日 23:17:20 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[3]
再審「南京大虐殺」
世界に訴える日本の冤罪
The Alleged 'Nanking Massacre'
Japan's rebuttal to China's forged claims

竹本忠雄 大原康男
Takemoto Tadao & Ohara Yasuo
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
全文


註釈

●序言

[一]いわゆる〈南京大虐殺〉については様々な表現がこれまで使われてきた。例えば、Nanking Massacre (南京虐殺事件)、the Rape of Nanking (南京暴行事件)、Nanking Atrocities (南京残虐事件)、Nanking lncident (南京事件) などである。官営英字紙「チャイナ・デイリー China Daily」(一九九九年七月九日) などを読むと、近年、中国政府は主として Nanking Massacre を使っていることから本書もそれに倣うこととする。なお中国では〈南京大屠殺〉と称されている。

[二]ジョシェア・A・フォーゲル「アイリス・チャンの描く南京事件の誤認と偏見」『世界』(岩波書店) 一九九九年十一月号二五二−二五七頁。

[三]アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』の背景に中国政府の影があるとの見解については、浜田和幸「『『ザ・レイプ・オブ・南京』中国の陰謀を見た」(『文藝春秋』株式会社文藝春秋、一九九八年九月号)やロス・H・マンロー「中国は『戦争章任ゲーム』で日本を無力化し、アジアの支配を狙っている」(『SAPIO』小学館、一九九九年七月十四日号)などを参照。なお官営英字紙「チャイナ・デイリー」二〇〇〇年四月二十九日付によると、南京大虐殺があったと証言している元日本兵、東史郎氏が日中戦争時の旧日本軍による人権侵害を国連人権委員会やハーグの国際司法裁判所に提訴する方針を北京で表明し、その活動を、中国の官製組織「中国人権発展基金会」(呂東会長) が全面的に支援していくことを決定したという。

●第一章

[一〕「北清事変に関する最終議定書」第九条 清国政府は千九百一年一月十六日の書簡に添付したる議定書を以て各国が首都海濱間の自由交通を維持せむが為に相互の協議を以て決定すべき各地点を占領するの権利を認めたり。即ち此の各国の占領する地点は黄村、カ房、楊村、天津、軍糧城、塘沽、蘆臺、唐山、ラン州、昌黎、秦王鳥及び山海関とす。

[二]一九三七年七月十一日、香月清司中将が新たに支那駐屯軍司令官として中国に赴任したことを開かれた昭和天皇は、宇佐美侍従武官長に対し「香月司令官に対し、直接不拡大方針をよく伝え、また支那には外国の権益が錯綜しているので、この点についても十分注意すべきことを言いたかった」と述べられ、香月中将あてに信書を送られた。(児島裏『天皇V』一八九−一九〇頁)

[三]いわゆる「安全区 Safety Zone」についてはほかにも「中立区 Neutral Zone」「難民区 Refugee Zone」という呼び方もあり、みな同じ区域を指すと思われていた。しかし南京攻略戦に参加した犬飼總一郎氏(陸士四十八期)の調査によれば、南京安全区委員会(非政府組織)が十一月二十二日に指定した「中立区」(後に「安全区」「安全地帯」と呼杯)と、中国軍(南京衛戌軍)が十二月一日に指定した「難民区」とは別であった。「難民区」は、安全区委員会が設定した「安全区」のほぼ西半分だったのである(「拉月日記に見る南京安全区の中立違反と赤十字の濫用 上」『偕行』平成十一年九月号、財団法人偕行社)。

つまり安全区委員会は日中両国の当局の許可なく、また治安を維持する警察力もないまま一方的に日中両国から中立の「安全区」を設置した。その「安全区」に徴兵された中国兵たちが身の安全を求めて逃げ込み始めた。兵の逃亡を憂慮した中国軍は日本軍による南京攻略が決定した十二月一日に、難民だけを収容する「難民区」を設定したのである。ところが、当時、そうした実情を知らずに日本側は「安全区」と「難民区」を同じと見て、できる限り安全区委員会の意思を尊重したわけである。
なお、安全区委員会は「難民区」外(上海路以東)の「安全区」に十八ヵ所の難民収容所を設けて市民を収容したのみならず、投降を拒否する敗残兵まで匿い、入城した日本軍による掃蕩作戦まで妨害した。その結果、日本軍が直接管理した「難民区」ではほとんど問題が起こらなかったにもかかわらず、安全区委員会が管理した難民収容所では掠奪や強姦事件が相次ぐことになった。
[四]実際には、上海の「安全区」に中国の敗残兵が逃げこんだため、日本軍は「安全区」を掃蕩した。ところが、敗残兵たちはすぐ北隣のフランス租界に逃げこみ、逮捕することができなかった。

[五]犬飼總一郎「南京問題について」(『偕行』平成十一年五月号、財団法人偕行社)。

[六]「極東国際軍事裁判速記録第二一〇号」、洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 第一巻』(青木書店、一九八五年)。東京裁判に弁護側証人として出廷した日高信六郎(南京日本大使館参事官)は宣誓口供書で次のように証言している(反対尋問を受けた)。
「日本軍はこの所謂「安全地帯」を公式に承認しなかったのであります。その理由は、一、この地区の位置が、軍事上から見て南京市内で戦闘が行われた場合、その安全を保障するのに都合が悪く、二、その地区内に中国側の高級武官が幕僚と共に居住しており、三、委員会自体がこの地区内の秩序を確保し、外部から敗残兵その他の好ましからぬ分子が立ち入ることを防止し、もってその「中立性」を保持するだけの実力を持たなかったからであります(これらの条件が充分であった上海の「安全地帯」の場合には、日本軍はこれを認めました)。(中略)

上海における安全地帯(所謂「ジャキノ・ゾーン」)(中略)を日本国が認めたのは、一、この地区は純粋の支那町であり、又ジャキノ神父始め委員全部の公正無私な気持や態度が明瞭であったこと。二、委員会は戦闘のある場合、中国非戦闘員を収容保護し、戦闘終了後はしばらくの間引き続き彼等を救護するが、地区内の行政や取締は日本軍の全権力の下にあることを認め、委員会はこれに関与せぬことを始めから明らかにしたこと。三、この地区に隣接した仏租界当局の好意的協力があったため、委員会は戦闘中同地区の「中立性」を維持する実力を持つと認められたこと。四、同地区の位置に顧み、戦闘が近くで行われた場合、その「安全」を尊重することができると認められたこと等の理由に基づくものでありました」
[七]『南京戦史』(財団法人偕行社、平成元年)一四八頁。「投降勧告文」は以下の通り。
「日軍百万既に江南を席巻せり。南京城は正に包囲の中に在り。戦局の大勢よりみれば今後の交戦はただ百害あって一利なし。惟ふに江寧の地は中国の旧都にして民国の首府なり。明の孝陵、中山陵など古蹟、名勝蝟集し、宛然東亜文化の精髄の感あり。日軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆及び敵意なき中国軍隊に対しては寛大を以てし之を犯さず、東亜文化に至りては之を保護するの熱意あり。而して貴軍交戦を継続せんとするならば、南京は必ずや戦禍を免れ難し。而して千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営は全く泡沫とならん。仍って本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す。即ち南京城を平和裡に開放し、而して左記の処置に出でよ」

[八]当時の日本軍は、軍服を脱いだ中国兵のことを「便衣兵」「便衣隊」と呼び、国際法違反だと認識していた。その認識は東京裁判においても採用され、「便衣兵」は「the Chinese plain-clothes soldiers who hid thier wepons and pretended to be civilians (武器を隠し市民に偽装した平服の兵士)」と英訳された。一方、便衣兵を安全区に匿った安全区委員会側は「former soldiers (元兵士)」と表現していた。この「便衣兵」に対する認識の違いが、日本軍と安全区委員会の対立を生むことになった。

●第二章

[一]T・ダーディン「ニューヨーク・タイムズ」一九三七年十二月八日。「防衛地帯内の障害物が中国軍によって焼かれ続けた。昨夕焼かれたものの一つに中山陵園地区内の中国高官の高級住宅があった。南京の周りは立ちのぼる黒煙に包まれた。半径十六キロ以内の建物や障害物もまた昨日中国軍に焼かれ続けたからだ。車で前線に行くと、中山門外、中山陵東南の谷全体が燃えているのを、本紙特派員は見た。中山陵沿いの幹線道路を走って孝陵衛に行くと、そこの村は焼け落ちて、燻る廃墟であった。この数日間に避難しなかったそこの住民たちが、哀れにも僅かばかりの物を持って、ぞろぞろ南京へと歩いていた。そして時々立ち止まっては、かつての我が家を今一度見るため悲しそうに振り返っていた」

[二]洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 第二巻』(青木書店、一九八五年)一二六頁。なお、南京安全区委員会は南京陥落後の一九三七年十二月十四日から翌年二月十九日まで、六十九通の文書を作成した。宛先は主として日本大使館宛だが、内十通はアメリカ大使館等にあてたものである。この文書に通し番号をつけてまとめたものが、中国国民政府外交顧問の徐淑希編『DOCUMENTS OF THE NANKING SAFETYZONE/南京安全区档案』(KELLY & WALSH, LIMITED, 一九三九年)である。その日本語訳は『南京大残虐事件資料集 第二巻』に収められている。書名の邦訳を本書では『南京安全区の記録』とする。また、通し番号も同書に従う。

[三]Dr. Lewis S. C. Smythe, War Damage in the Nanking Area, December, 1937 to March, 1938, (Shanghai: Mercury Press, 1938) Table.1. なお『南京大残虐事件資料集 第二巻』に掲載されている同書の邦訳によれば、巻末の表一「調査家族と堆定人口」の「註」には次のように記されている。「*十二月末から一月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録にもとづいて、安全区委員会のメンバーが堆定したところでは、当時の南京の人口は約二十五万人であって、数週間前に彼らがとくに慎重に推定した数をはっきりと上回るものである。・・・・・・われわれが推定してみたところでは、三月下旬の人口は二十五万ないし二十七万であって、このうち調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動の途中の人々もあった。調査した人員は二十二万一千百五十人である。五月三一日に市政公署の5つの地区で登録された住民(下関を含むが、あきらかに域外のその他の地区を含まない)は二十七万七千人であった」(前掲書二五一頁)

[四]邦訳は、加々美光行・姫田光義訳・解説『証言・南京大虐殺』(青木書店、一九八四年)

[五]『証言・南京大虐殺』一四頁。

[六]「極東国際軍事裁判速記録第五八号」、洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 第一巻』(青木書店、一九八五年)一四二〜一四五頁。「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」は以下の通り。
「一、調査の経過

本検察処は敵人罪行調査を命ぜられてより、所用の文書を印刷して市民一般に明らかに告示すると共に、南京市中央調査統計局・軍事委員会・調査統計局・南京警察庁・南京市党部・南京市区憲兵司令部・三民主義青年団南京本部・南京市商会・南京市農会・南京市工会・南京市弁護士公会・南京医師公会・紅卍字会南京分会及び本院等、十四単位に宛て通牒し、《各代表を民国三十四年十一月七日午後二時、本院会議室に参集を請いて第一次会議を開催、会議において南京敵人罪行調査委員会の組織を決議しこれを成立す。
又、各代表者はそれぞれ文書を以て関係各方面に移牒し、市政府は各区町村の保甲を督励し、警察庁は各区警察分局を督励し、各々分担責に任じ、その他の各団体は各その性質に応ずる調査の対象を確定して、以て調査の重複を避けることを議決す。
この間、敵側の欺瞞妨害激烈にして民心銷沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者甚だ少なきのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際においても、冬の蝉のごとく口を噤みて語らざる者、或いは事実を否認する者、或いは自己の体面を憚りて告知せざる者、他処に転居して不在の者、生死不明にして探索の方法なき者等あり》(編者註《 》内は英文の議事録からカットされている)
以上のごとき理由によりこの五百余件の調査事実は何れも異常なる困難を経て調査せる者にして、特別の注意を払いて慎重調査を期し、種種探索訪問の方法を講じ、数次にわたり行われたる集団屠殺に関する貴重なる資料を獲得する毎々一々これを審査し、確定せる被殺者既に三十万に達し、このほか尚未だ確証を得ざる者合計二十万を下らざる景況なり。
二、敵人罪行の種類
6.その他に関するもの
・・・・・・捜索せる資料を総計するに、
被殺害者確数  三十四万人
焼失又は破壊家屋 四千余戸
被姦及び拒姦の後殺害されたる者 二、三十人
三、戦犯及び関係資料
2.集団屠殺の証拠
被屠殺者たる我同胞  二七九、五八六名
新河地域 二、八七三名(廟葬者盛世徴・昌開運証言)
平工廠及び南門外花神廟一帯 七、〇〇〇余名(埋葬者丙芳縁・張鴻儒証言)
草鞋峡 五七、四一八名(被害者魯甦証言)
漢中門 二、〇〇〇余名(被害者伍長徳・陳永清証言)
霊谷寺 三、〇〇〇余名(漢奸高冠吾の無主孤魂碑及び碑文により実証)
その他、崇善堂及び紅卍字会の手により埋葬せる屍体合計一五五、三〇〇余」
[七]A級戦犯容疑者を起訴するため、一九四五年十二月八日、GHQ内部に設置された。局長は首席検事のJ・B・キーナン。

[八]『証言・南京大虐殺』一九〇頁。

[九]「速記録第五十八号」『南京大残虐事件資料集 第1巻』一四一頁。「南京地方法院検事への魯甦による証言」は以下の通り。「敵軍入城後、まさに退却せんとする国軍及び難民男女老幼合計五万七千四百十八人を幕府山付近の四、五箇村に閉じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者頗る多し。一九三七年十二月十六日の夜間にいたり、生残せる者は鉄線を以て二人を一つに縛り四列に列ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。

しかる後、機銃を以て悉くこれを掃射し、更に又、銃剣にて乱刺し、最後は石油をかけてこれを焼けり。
焼却後の残屍は悉く揚子江中に投入せり。・・・・・・
当時、私は警察署に勤務しあるも、敵市術戦に際し敵砲弾により腿を負傷し、上元門大茅洞に隠れ居り、その惨況を咫尺の目前に見し者なり。故にこの惨劇を証明し得る者なり」
[十]「特務機関員が見た陥落後の『南京』」、月刊『明日への選択』(日本政策研究センター発行、平成十年十二月号)二二−二七頁。丸山進氏の証言は昭和史研究所(代表・中村粲獨協大学教授)が作成したビデオに収録されている。

[十一]『南京大残虐事件資料集 第一巻』三八六頁。

[十二]ジョン・ラーベ著、エルヴィン・ヴィツケルト編、平野卿子訳『南京の真実』(講談社、一九九七年)三一七頁。ラーベはドイツ人で、ジーメンス社の南京支社長。安全区委員会の委員長をつとめた。通称「ラーベ日記」。原文はドイツ語だが、邦訳には誤訳が多く、その問題点を桑原草子・昭和女子大学助教授が「『ラーベの日記』日本語訳を検証すると題して二日にわたり『月刊評論』平成十一年六月二十五日号、七月十五日号に掲載している。

[十三]『南京の真実』二五四頁。

[十四]『南京戦史』三五一頁。南京戦史編集委員会は「南京戦闘詳報」を分析し、十二月四日から十二日夕方までの戦死者を一万二千三百六十六人と推測している。

[十五]別名『戦争とは何か』。Harold J. Tiperler, WHAT WARMEANS: THE JAPANESE TERROR IN CHINA (Lodon: Victor Gollancz Ltd, 1938)。ただし表紙には Not for sale to the public (一般には販売しない)とあり、内部資料扱いであった。なお、Japanese terror in China という書名でニューヨークでも同時期発刊されている。『マンチェスター・ガーディアン』紙中国特派員であったティンバーリー(オーストラリア人)が南京を中心に日本軍の暴行についての資料を集め、発刊したもの。本文は一、南京安全区委員会の委員たち(マギー、ペイツ、フィッチら)の手紙、二、安全区委員会が南京の日本当局に提出した日本軍兵士による「被害届」四百四十件のうちの百三十件、三、安全区委員会が日本当局や英米独大使館へ送った書簡、南京「百人斬り」報道(『ジャパン・アドバタイザー』)の記事など。邦訳は 『南京大残虐事件資料集 第二巻』に収録されている。なお、鈴木明著『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社、一九九九年)によれば、ティンバーリーは一九三七年から、中国国民党中央宣伝部顧問であった。

[十六]「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六七─一七一頁。

[十七]「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六六─一六七頁。検察側書証として提出された「一九三八年一月十四日付の、上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」には次のように記されている。
「日本軍当局はその部隊に対して明らかに命令権を失ったごとく、部隊は占領後数週間にわたり、市街を掠奪し、約二万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民(その中には発電所の四十三名の従業員を含む)を残虐な方法によって殺害し(機関銃火による大量殺人は人道的処刑の中に数えられる)、また外国人居住地区に侵入することを梼躇せず・・・・・・」

[十八]南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』 のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」

[十九]「速記録第四八号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』八九頁。東京裁判に検察側証人として出廷したマギーは次のように証言している。「私共これだけの外国人は家のバルコニーから外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。それは中国人が私の家の前を歩いておったのでありますが、それは何れも絹の着物を着ておりました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。そうしますとこの中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去ろうとして、丁度その先の所にありました角の所を曲がろうと致しましたが、そこは丁度竹垣がありまして行き詰まりになったために、逃げることが出来なかったのであります。それを日本の兵隊は追いかけまして、そうして殺したのであります」

[二十]『南京大残虐事件資料集 第二巻』一一四〜一一五頁。『南京安全地帯の記録』の「第三十七号文書」には次のように記されている。「第百八十五件一月九日朝、クレーガー氏とハッツ氏は、安全区内の山西路にある中央庚款大慶の真東にある池で、日本軍将校一名と日本兵一名が一人の市民服姿の哀れな兵士を処刑するのを目撃した。・・・・・・〔クレーガー、ハッツ〕
(一)われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、これがあまりに非能率的で残虐なやり方で行われていることは確かである」

[二十一]「速記録第三五号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二一〜二二頁。東京裁判に検察側証人として出廷したロバート・O・ウィルソン(南京大学病院の副外科医)は次のように証言している。
「○岡本弁護人 入院を拒絶した数はどれ程であるか、概数は御覚えはございますか。

○ウィルソン証人 私は南京占領後、昼夜を問わず手術に忙殺されておりまして、手術室にいましたためにどれ位の数が入院を拒絶されたかということは外の人が知っておりましたので、申し上げることは出来ませぬ」
[二十二]「速記録第四八号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一〇三頁。東京裁判に検察側証人として出廷したマギーは反対尋問を受けて次のように証言している。
「○ブルックス弁護人 マギー証人、それではただ今の御話になった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなた御自身いくら位ご覧になりましたか。

○マギー証人 私は自分の証言の中ではっきりと申し上げてあると思いますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃いたしました」
[二十三]「第五十四号文書 南京イギリス大使館ブリドー=ブリュン様への手紙」、「南京安全地帯の記録」『南京大残虐事件資料集 第二巻』一四九頁。

[二十四]『南京の真実』三一七頁。

[二十五] 孫元良将軍については犬飼總一郎「南京問題について」(前掲)参照。龍大佐と周大佐についてはラーベが「日記」にこう書いている。
「十二月十二日
 夜の八時少し前、龍と周がやってきた。ここに避難させてもらえないかといってきたので、私は承知した。韓と一緒に本部から家に帰るまえに、この二人は、本部の金庫に三万ドル預けていった」(『南京の真実』一〇五頁)

[二十六] 一九三七年十一月から十二月初旬にかけて安全区の中立性を守るため、ラーベら安全区委員会はたびたび中国軍に対し、安全区から出ていくよう要請した。しかし、唐生智らはその要請を拒否。この事実を知られたら「安全区」は日本軍によって攻撃されることになる。そこで、ラーベらは「安全区には中国軍兵士はいない」との嘘のメモを新開発表用に作成した。その経緯についてラーベは十二月五日の日記にこう記している。
「ペイツ、シュペアリングといっしょに、唐司令官を訪ねた。なんとしても、軍人と軍の施設をすぐに安全区から残らず引き揚げる約束をとりつけなければならない。それにしてもやつの返事を聞いたときのわれわれの驚きはいったいどう言えばいいのだろう!
『とうてい無理だ。どんなに早くても二週間後になる』だと? そんなばかなことがあるか! それでは、中国兵士を入れないという条件を満たせないではないか。そうなったら当面、『安全区』の名をつけることなど考えられない。せいぜい『難民区』だ。委員会のメンバーととことん話し合った結果、新聞にのせる文句を決めた。なにもかも水の泡にならないようにするためには、本当のことを知らせるわけにはいかない・・・。」(『南京の真実』八二頁)

[二十七] ゲルハルト・クレープス Gerhard krebs「在華ドイツ軍事顧問団と日中戦争」『軍事史学』第百三十号(蹄正社、一九九七年)二九九─三一八頁。

[二十八]『南京の真実』二四六頁。

[二十九] 東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書(下)』(講談社学術文庫、一九八四年)五六〇─五六一頁。

[三十] 洞富雄他編『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社、一九八八年)九九頁。

[三十一] 東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、一九九八年)五一頁。

[三十二] 上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」(『南京戦史』二七三頁)

[三十三] 南京アメリカ大使館通信、エスピー報告、三八年一月二十五日」『南京事件資料集 第一巻』二三八頁。

[三十四]「松井石根大将戦陣日記」『南京戦史資料集』二二頁。

[三十五] 松井大将が一九三七年十二月十八日、慰霊祭において日本軍の「規律違反」を涙ながらに批判し訓示を行ったという説は偕行社の編集委員会が調べた結果、間違いと判明。詳しくは『南京戦史』四〇三─四〇九頁。

[三十六]「速記録第二八五号」『南京大残虐事件資料集 第1巻』二二一頁。

[三十七]『南京戦史』二四九─二五八頁。

[三十八] 便衣兵つまり市民に偽装した兵士の存在に日本軍は大変苦労した。東京裁判に出廷した、当時、第三師団野砲兵第三連隊第一大隊観測班長の大杉浩(陸軍砲兵少尉)は宣誓口供書において次のように証言している(「速記録」第三〇九号)
「作戦の全期間を通じて最も困ったのは便衣隊であります。即ち急追されると武器をかくして常民を装い、我々が心を許すと再び武器をもって抵抗します。武器を捨てたときは常民との区別が全くつけにくいので、遂にわたしたちは必要に応じ全部村民を村の一隅に集結させ監視する方法を採ったこともあります」

[三十九] 安全区委員会委員長ラーベは十二月十八日付の南京日本大使館宛「第九号文書」において「問題なのは、安全区を捜索する日本軍将校の精神状況であります。彼らは、当所は『便衣兵』で充満している、と考えているのです。十二月十三日の午後、武器をすてて安全区内へ入ってきた中国兵の存在については、既に再三あなた方へ通知してあることであります。しかし、現在では、地区内には武装を解除した中国兵の集団が一つとして存在しないことは、まちがいなく保障できます」(「南京安全地帯の記録」『南京大残虐事件資料集 第二巻』一三〇頁)と、日本軍の掃蕩作戦を非難している。

ところが、ラーベは二月三日付目記に、上海のアメリカ人が発行している一月二十五日付『大陸報(チャイナ・プレス)』を転載し、安全区に中将を筆頭に約二千名近い将兵が大量の武器を保有したまま潜伏し、ゲリラ活動を展開していたことを間接的に認めている。『大陸報』の要旨は以下の通り。
「中国の将校が隠れていた!
報道によると、高級将校が外国大使館に隠れていた。十二月二十八日に安全区で摘発、高級将校二十三名、初級将校五十四名、下士官、兵一千四百九十八名。南京保安隊長は難民区四区の工作を指導、八八師副師長馬宝山中将と警察局高官もいた。馬将軍は反日感情と動乱を扇動、王新堯保安隊長は部下三名と掠奪強姦、市民に対する脅迫をしていた。また発見された武器は、大砲一基、チェコ製マシンガン二十一丁、ライフル五十丁、手榴弾七千発などである」(The Good man of Nanking 一七二−一七三頁)なお、ラーベ日記の日本語版はこの部分を削除している。
[四十]足立純夫『現代戦争法規論』(啓正社、一九八三年)六九−七〇頁。

[四十一]『南京戦史』三二九頁。ただし、こうした「戦闘詳報」では将来の論功行賞を配慮して、鹵獲兵器の数、遺棄死体や捕虜の人数に水増しがなされる場合がしばしばあることに留意する必要がある。

[四十二]『南京戦史』三七五−三七八頁。

[四十三]リチャード・フィン(米アメリカン大学名誉教授)「誇張と曲解から教訓は生まれない−『レイプ・オブ・ナンキン』の読み方」『This is 読売』(読売新聞社)一九九八年八月号。

[四十四]デビッド・ケネディ(スタンフォード大学歴史学部長)「南京虐殺はホロコーストではない」『諸君!』(文藝春秋)一九九八年八月号。『アトランティック・マンスリー』一九九八年四月号より転載。

[四十五]「交戦法規の適用に関する陸軍次官通牒」(陸支密第一九八号、昭和十二年八月五日)は以下の通り。
(『南京戦史資料集』五六三頁)
「四、軍の本件に関する行動の準拠、前述の如しと雖も、帝国が常に(略)戦闘に伴う惨害を極力減殺せんことを顧念しあるものなるが故に、此等の目的に副う如く、前述「陸戦の法規慣例に関する条約其の他交戦法規に関する条約」中、害敵手段の選用等に関し之が規定を努めて尊重すべく(略)」

[四十六]『「南京虐殺」の徹底検証』九二頁。

[四十七]「飯沼守日記」『南京戦史資料集』一四二頁。

[四十八]『南京戦史』三二五−三二七頁。

[四十九]「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三九頁。東京裁判に弁護側証人として出廷した第九師団第三十六連隊長の脇吸次郎(陸軍大佐)は宣誓口供書をもって次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。「私の部隊が南京に入った直後、ある主計中尉が公用外出の途中、支那婦人靴が片足遺棄してあるのを発見し、その美麗な型式を友人に見せる積もりで隊に持ち帰ったところ、これを憲兵が探知して奪掠罪の嫌疑で軍法会議に書類を送付したので、その中尉は私の面前で涙を流して自分の無罪を主張し、私もその事実を認めて上司に伝えました。結果は微罪却下となったと記憶します。当時、南京における日本憲兵の取締りは厳重を極め、如何に微細な犯罪も容赦しませんでした」

[五十]「速記録第四九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一〇三頁。東京裁判に検察側証人として出廷したマギーは反対尋問を受けて、次のように証言している。
「○ブルックス弁護人 あなた御自身が、強盗であると思われ、もしくはあなた御自身が強盗されたという事件を、あなたはどのくらい御自身で御経験、或いは見ましたか。

○マギー証人 私は実際に先程申しましたように「アイス・ボックス」を盗んでおったのを見ましたことは覚えております」
[五十一]「『南京の状況』ワシントン国務長官宛、一九三八年一月八日、アリソン」『南京事件資料集 第一巻』一〇七頁。

[五十二] 郭岐「南京陥落後の悲劇」〔『侵華日軍南京大屠殺史料』より〕、『南京事件資料集 第二巻』二三四−二三五頁。

[五十三]『「南京虐殺」の徹底検証』二七五頁。

[五十四] たとえば、東京裁判に弁護側証人として出廷した上海派遣軍参謀長の飯沼守(陸軍少将)は宣誓口供書において次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。(「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五三頁)
「部隊として家具などを持ち出したことを聞いている。これは集団宿舎の設備補充の用途に充てたとのことである。この徴発の際にはそれぞれ損害を補償するか、管理人が逃亡して不在のことが多く、これらの家には代償を支払うべき証明書を貼付しておいた、とのことである。

個人として無断持ち出しをしたものも少しあった。又外人の家財を侵したものがあったので、これらはそれぞれ現物を返還し又は補償金を与え解決し、犯罪者は処罰した。決して司令部として不法行為を命令したことは勿論ないし、またこれを容認したこともない」
[五十五]「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六六−一六七頁。

[五十六]「速記録第三六号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』五〇−五一頁。東京裁判に検察側証人として出廷したペイツは強姦事件について次のように証言している。ペイツ自身が強姦現場を目撃していないことを証言している点も興味深い。
「○ペイツ証人 ・・・・・・占領後一箇月して安全区委員会委員長ラーベ氏及びその同僚はドイツ官憲に対して、少なくとも二万人の強姦事件があったことを信じていると報告しました。それより少し前私はずっと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もったのであります。

・・・・・・私はそういう(強姦事件のような)非常に変人じみた、或いは特に残虐な場合に関してあまり多くの場合を知っていないのであります。自分の個人としての知識はそういうことについては余りないのであります」
[五十七] 一九三八年二月九日付「シカゴ・デイリー・ニューズ」によれば、十名以上の日本軍将兵が軍紀素乱を理由に重罰に処せられた(『「南京虐殺」の徹底検証』二六二頁)。

[五十八] 東京裁判において弁護側証人として出廷した塚本浩次(上海派遣軍法務官)は宣誓口供書において次のように証言している(反対尋問は受けた)。
「私は松井司令官の命令を帯し、作戦要務令に従い、軍紀・風紀を破る者に対しては厳重にこれを処断し余すところはなかったと考えております。各部隊としては上海派遣軍法務部があまり厳罰を科し微細な罪をも糾明する態度を非難することもあった程でした」(「速記録第三一号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一九一頁)

[五十九]「速記録第五八号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一四二−一四五頁。

[六十]「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三五頁。たとえば、前述した大杉浩少尉は東京裁判において次のように証言している。
「(十三日夕刻)私は城門(中山門)から一キロくらいしか入らなかったが、その間の銀行、官庁には既に憲兵が配置されており、日本軍の立入禁止の札が貼付されていた。(中略)十三日、湯水鎮の本隊に帰り、部隊を誘導して南京の南方土山鎮に集結したが、その時上司の指示により、将兵の外出を一切禁止した。また公用で外出する者も、南京市内西南隅の地区は難民街として指定されているので、一切立ち入ってはならない旨示達した。当時同僚から聞いたところによると、この難民街には敗残兵が武器を持って遁入し、便衣を着て常民を装っているから危険であり、立ち入らせないようにしているのだ、ということであった」

[六十一]『南京大残虐事件資料集 第二巻』一八二頁。

[六十二]『南京大残虐事件資料集 第一巻』一五五−一五六頁。

[六十三] 犬飼總一郎「拉貝目記に見る南京安全区の中立違反と赤十字の濫用 上」『借行』平成十一年九月号。

[六十四] 日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。
「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。

その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)
[六十五] WHAT WAR MEANS, p.284. 邦訳は『南京大残虐事件資料集 第二巻』一五八頁。

[六十六] 鈴木明『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社、一九九九年)三〇六−三一三頁。

[六十七]「向井敏明他判決文本文」『南京事件資料集 第二巻』三六一−三六四頁。

●第三章

[一] 佐藤振壽「上海・南京、見た、撮った」『南京戦史資料集』

[二] 秦郁彦「『南京虐殺』"証拠写真"を鑑定する」『諸君!』一九九八年四月号。なお、この論文の英訳が『JAPAN ECHO』(JAPAN ECHO INC)一九九八年八月号に掲載されている。

[三] 阿羅健一『聞き書 南京事件』(図書出版社、一九八七年)二〇九頁。

[四]『開き書 南京事件』

[五]「速記録第二二号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一九二頁。

[六]「速記録第一二四号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二〇六頁。

[七]「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二四五頁。

[八]『南京大残虐事件資料集 第一巻』三七八−三八〇肩。なお「埋葬記録」は検察側書証として提出され「法廷証拠三二六」として受理されたが、朗読されなかったので「速記録」には載っていない。

[九]「戦争とは何か」『南京大残虐事件資料集 第二巻』四七頁。

[十] 何應欽『中国現代史料叢書 何上将抗戦期間軍事報告』(台北・文星書店、一九六二年)

[十一] Chiang, Kai-shek, The collected wartime messages of Generalissimo Chinag Kai-shek, 1937-1945 (New York: The John DayCompany, 1946)八三−八八頁。

[十二]『「南京虐殺」の徹底検証』三二六−三三九頁。

[十三] LEAGUE OF NATIONS Official Journal 19th year, No.5-6

[十四] 当時の華字紙の報道については『南京事件資料集 第二巻』が詳しい。

[十五]『新「南京大虐殺」のまぼろし』第十三章。

[十六] 上村伸一『日本外交史 日華事変・下』(鹿島研究所出版会、一九七一年)

●第四章

[一] 瀧川政次郎「揚州十日記と南京大虐殺事件(上)」『祖国と青年』昭和六〇年七月号(日本青年協議会)。

●結 語

[一] ヒレル・レビン『千畝』(清水書院、一九九八年)二六七−二六八頁。

[二] アルフレッド・スムラー『アウシュヴィッツ 186416号日本に死す』(産経新聞社、一九九五年)

[三] Karel Bartosek, Andrzej Paczkowski, Jean-Louis Panne, Jean-Louis Margolin, The Black Book of Communism: Crime, Terrot, Repressiont (Harvard University Press, 1999)

[四]一九九六年十一月二十七日付産経新開によれば、米議会調査局は二十六日までに上下両院議員の資料用に「日中関係・現状と展望そして米国への意味」と題するる報告書を作成した。同報告書は、日中関係の特徴の一つとして中国側の日本軍国主義非難をあげ、中国政府がこの非難を「国内のナショナリズムを強めるとともに、日本政府を守勢に立たせ、経済援助や貿易で中国側にとって、より有利な譲歩を日本側から獲得するための手段として使ってきた」という見方を明記している。

[五] アイリス・チャンが自著『ザ・レイプ・オブ南京』を執筆するきっかけとなったのは、中国系米国人団体「世界抗日戦争史実維護連合会 the Global Alliance for Preserving the History of World WwaII in Asia」が一九九四年にカリフォルニアで開催した「南京大虐殺」五十七周年世界記念会議に参加したことであった。この「連合会」が中心となってチャンの本の拡販運動を繰り広げ、アメリカにおいて日本の戦争犯罪を追及する運動を展開している。ちなみにこの「連合会」は一九九九年十二月、日本の社民党本部などを会場に、「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム」を主催した。このフォーラムには、中国政府の研究機関の研究者などが多数参加しており、中国政府と連携して日本の戦争犯罪を告発する活動を繰り広げていることが分かる。

[六] 戦前、アメリカでどのような反日親中宣伝活動が繰り広げられたかについては、長尾龍一著『アメリカ知識人と極東』(東京大学出版会、一九八五年)などが詳しい。ちなみにアメリカの著名な外交官であるジョージ・ケナンはその著『アメリカ外交五〇年』(岩波書店、一九九〇年)の中で、戦前のアメリカ政府の政策が親中反日であったがために戦後、中国大陸と北朝鮮の共産化を許してしまったという痛切な反省を述べている。また、連合軍D・マッカーサーは昭和二十六年(一九五一)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会において「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」と証言している(小掘桂一郎編『東京裁判日本の弁明』講談社学術文庫)。

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Notes
[1] The so-called 'Nanking Massacre' has been expressed in various ways, for example, Nanking Massacre, the Rape of Nanking, Nanking Atrocities, Nanking Incident etc. In recent years, the CCP (the Chinese Community Party) has mainly called it 'Nanking Massacre' in a semi-government English paper, the China daily. Therefore we follow it.

[2] Joshua A. Fogal, "The Controversy over Iris Chang's Recent Book, The Rape of Nanking". Sekai (November 1999), p252-p257.

[3] The very cause of which Iris Chang was motivated to write her book, called The Rape of Nanking was when she attended the Global Memorial Conference of the 57th Anniversary of the "Rape of Nanking" held in California, in 1994, sponsored by the 'Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia'. This Alliance was centered to develop the sales campaign of her book, and to pursue the movement of accusation within the U.S. against the war crimes committed by Japan. This Alliance also held a forum, called 'International Citizen's Forum on War Crimes and Redress' at the Japan Socialist Party's Headquarters in December 1999. To this forum, many researchers sponsored by the CCP attended, and this proved that they were cooperating with the CCP to develop the movement of accusation against the war crimes committed by Japan.

[4] The KMT, which in essence was the government of the Republic of China, represented a loose alliance of militarists, bureaucrats, landlords and commercial interests.

[5] In five major 'Bandit Suppression campaigns,' starting in December 1930 and lasting until 1935, Chiang Kai-Shek attempted to exterminate the Communist forces in China. These campaigns were launched as follows: (1) December 1930; (2) May 1931; (3) June 1931; (4) April 1933; (5) October 1933.

[6] United States. Dept. of States, United States relations with China, with special reference to the period 1944-1949 (Washington. D.C., U.S. Government Office, 1949) read as follows:

In January 1936 the Chinese Communist Party publicly offered the "hand of friendship" to Generalissimo Chiang Kai-Shek if he would take up arms against Japan. On August 26, 1936, the Chinese Communist Party proclaimed to the Kuomintang, "we are prepared to form a strong revolutionary united front with you as was the case during... the great Chinese Revolution of 1925-1927... [that] is the only proper way to save our country today."
Coming at a time of growing patriotic resentment against Japanese aggression, the stepped-up demands for a "united front" by the Chinese Communist Party were an effective propaganda weapon for use against the troops to which the National Government had assigned the task of "bandit suppression" in northwest China. By the end of 1936 the army of Chang Hsueh-liang, the former warlord of Manchuria, was in no mood to fight against the Communist forces. In December 1936 the Generalissimo and his staff visited Sian in Shensi Province to map out a sixth "Bandit Suppression" campaign. Rather than carry out Nationalist orders to resume operations against the Communists, Chang Hsueh-liang decide to "arrest" the Generalissimo.
[7] The Boxer Protocol read as follows :

Articles 9. The Chinese Government has conceded the right to the Powers in the Protocol annexed to the letter of January 16, 1901, to occupy certain points, to be determined by an agreement between them, for the maintenance of open communication between the capital and the sea. The points occupied by the powers are :
Huang-tsun, Lang-fang, Yang-tsun, Tientsin, Chun-liang-cheng, Tang-ku, Lu-tai, Tang-shan, Lan-chou, Chang-li, Chin-wang-tao, Sham-hai-kuan. (How the Far Eastern War was begun edited by Shuhsi Hsu, Shanghai : Kelly & Walsh, Limited, 1938, p.19.)
[8] On July 11, 1937, when hearing that Lieutenant General KOHZUKI Kiyoshi was assigned as the Commanding General of the Expeditionary Army in China, the Emperor Showa (Hirohito) said to his Chamberlain USAMI, "directly tell General KOHZUKI the non-expansion policy, and also be aware of the sensitive situations which many foreign interests entangle." And, the Imperial letter was sent to the General. (KOJIMA Jo, The Emperor Showa III, pp.189-190.)

[9] On July 29, 1937, some 3,000 Chinese soldiers proceeded to raid Japanese shops, inns, and private homes. Approximately 250 of the 380 Japanese residents of Tungchow were slaughtered.

[10] Karl Drechsler, "Deutshland-China-Japan 1933-1939", Das Dilemma der deutschen Fernostpolitik (Berlin : Akademie-Verlag, 1964)

[11] The so-called 'Scorched-earth policy' was namely a Chinese traditional tactic by which everything of valuable such as assets and houses in the field would be burnt down so that nothing might be left for enemy.

[12] HIDAKA Shinrokuro, the councilor of the Japanese Embassy to Nanking at that time, testified in his affidavit in the IMTFE as follows :

In other cities than Nanking where the Chinese Army retreated, public functionaries of municipal offices or local personages remained behind the military retreat and coordinated between the incoming Japanese Army and the general public, so that their presence resulted in making smooth relations between the Japanese Army and the general public.
When Nanking surrendered the city was completely in a state of anarchy. On 17th, right after the occupation, I witnessed the followings :
When the Chinese commander of the Nanking Garrison retreated before Nanking surrendered, all the military and civilian organs disappeared and ofticials absconded from the city all together. Neither a municipal government nor a police organ existed. No responsible person relating to the municipal administration was available. All the stuffs necessary for a daily administration such as documents to record resident registration and real estate were taken away. The police department was dissolved and no policeman was witnessed. Only a couple of private guard men belonging to each Embassy and legation were seen on respective premises. (The Tokyo War Crimes Trial , pp.21457-21458.)
[13] To put it more precisely, since Chinese stragglers in Shanghai took refuge in the Safety Zone, the Japanese Army tried to mop up the Safety Zone. However, these stragglers immediately ran into the French concession bordering the Safety Zone, so that the Japanese Army could not arrest them.

[14] HIDAKA Shinrokuro testified in the IMTFE as follows :

The Japanese Army did not officially approve the above-mentioned zone, the so-called 'safety Zone.' The reasons were (1) that the location was thought inconvenient for safekeeping, from a tactical point of view, in case of a battle in the city (2) that high ranking Chinese officers and their staff lived there, (3) that the committee did not have enough power to keep defeated Chinese soldiers and other undesirable persons out of the zone and to maintain its 'neutrality.' (The 'Safety Zone' in Shanghai was considered to differ on these points and was approved by the Japanese Army.) (The Tokyo War Crimes Trial, pp.21459-21460.)
The reason for which the plan (the Safety Zone in Shanghai) was approved by Japanese authorities was as follows :
(1) The Area was purely a Chinese town and it was clear that Father Jaquinot and other committee member were all impartial and disinterested.
(2) The committee would take in and protect non-combatant Chinese when there was a battle, and relief and protection would continue for a little while after the battle was over, but the committee would agree not to interfere in the government and supervision of the area, which was to be completely in the hands of the Japanese Army.
(3) As the authorities of French concession adjacent to the area willingly cooperated the committee was thought to have enough actual power to maintain 'neutrality' when there was a battle.
(4) Judging from the location of the area, it was believed possible to maintain 'safety' in the area despite there being a battle near here.
(The Tokyo War Crimes Trial, pp.21461-21463.)
[15] The Hague Convention of 1905, Convention Respecting the Laws and Customs of War on Land, Article 26

[16] Languages spoken in each region varied so much that communication among soldiers coming from different regions was difficult for each other.

[17] Shuhsi Hsu (ed.), Documents of the Nanking Safety Zone (Shanghai : Kelly & Walsh, Limited, 1939) pp.14-15.

[18] The IMTFE was established on April 29, 1946 until November 13, 1948. As to the IMTFE, see Antonio Cassese and B. V. A. Roling (Contributor), The Tokyo Trial and Beyond (Polity Press, 1995).

[19] According to the Document No.17 issued by the Safety Zone Committee, dated on December 17, the number of refugees whom the Safety Zone Committee managed to accommodate in eighteen places of refugee camps in the Safety Zone were only about 50,000 Chinese people among 250,000. Another 200,000 were living in the 'new residential district' where Japanese troops managed.

[20] Dr. Lewis S. C. Smythe was recording the survey result with regard to the population of Nanking in the following manner in his book War Damage in the Nanking Area (Shanghai : Mercury Press, 1938).

Table 1 Families studied and estimated population
* On the basis of incomplete registrations carried out by the military authorities between the end of December and the end of January, members of the International Committee estimated the population of Nanking at that time to approach 250,000, a figure decidedly above their deliberately cautious guesses of earlier weeks... We venture an estimate of 250,000 to 270,000 in late March, some of whom were inaccessible to the investigators, and some of whom passed by; 221,150 are represented in the survey. On May 31, the residents registered in the five district offices of the municipal government (including Hsiakwan, but apparently no other sections outside the gates), numbered 277,000.
[21] Summary report on the Investigations of Japanese war crimes committed in Nanking, prepared by the Procurator of the District Court, Nanking
1. The Progress of the Investigations.

As soon as the orders for the Investigation of Japanese war crimes were received, the people were notified by means of printed documents of the official proclamations, and the following 14 organizations in Nanking were notified of them; Nanking Municipal Government; the Military Affairs Committee; Nanking Central Bureau of Investigative Statistics; Metropolitan Police; Branch Headquarters of the Kuomintang; Branch Headquarters of the Military Police; Nanking Chapter of the Three People's Rights Youth Organization; Merchant's Association; Agricultural Association; Industrial Worker's Association; Lawyer's Association; Medical Doctor's Association; Nanking Chapter of the Red Swastika Society (Translator's note, a religious organization); and the Procurator of the District Court. The Procurator of the District Court asked the representative of respective organizations to gather in the conference room of the District Court at 2:00 p.m. on Nov.7, 34 of the republic year and held the 1st meeting. In the meeting the organization of the Nanking investigation committee of Japanese War Crimes was decided and established.
The meeting also confirmed to prevent from duplicated investigations by means of deciding objects of investigations each organization would make, taking consideration of characteristics of each organization.
During investigations, as the enemy's deception and disturbance were severe the mind of the people was dispirited. Not only there existed very few people who voluntarily stated about the crimes of murders, but also there existed many people who did not speak like a cicada in winter, denied the facts and did not state for the sake of appearances even if the member of committee visited them. Besides such a situation, the committee could not contact some people because of house moving or disappearance.
For the reasons mentioned so far, since these over 500 cases were to be investigated with extreme difficulty, the cautious investigation was made paying particular attention, by means of various interviews and inquiries. Whenever obtained vitally important evidence on the mass murders executed over several times, each evidence was examined thoroughly. As the result of the investigations over 300,000 victims were reported, and it is believed that over 200,000 more are not yet to be confirmed besides.
2. Classification of Japanese War Crimes
(6) Particulars Regarding Other Atrocities
The materials investigated up to this time discloses more than 340,000 persons killed, more than 4,000 houses burnt or destroyed, 20-30 persons raped of killed for refusing intercourse, and 184 persons missing.
3. War Crimes and associated materials
(2) Evidence of mass murders
The number of victim killed totaled 279,586.
2,873 were killed in the HSIN-HO District. (This evidence furnished by SHENG ShihCheng and CH'ANG K'ai -sing, who buried the bodies.)
More than 7,000 were killed in the neighborhood of the Army Arsenal and in HUASHEN-MIAO just outside the South Gate of NANKING. (This evidence submitted by JUI Fang-yuan, CH'ANG Hung-ju, and YANG Tu-t'sai, who buried the bodies.)
Approximately 57,418 persons were killed in the TS'AO HSIEH-HSIA District [Straw Shoes Gorge]. (This evidence submitted by a victim, LU Su).
More than 2,000 were killed in the HAN-CHUNG-MEN [Hanchung Gate], (this evidence submitted by two victims who later recovered, WU Chang-te and CH'EN Yung-ts'ing.)
More than 3,000 were killed in LING-KU-SZU [Ling Gu Monastery]. (This evidence submitted by KAO Kuan-wu, a traitor, and also obtained from an epitaph, WU-CHU-KU-SIPEI, meaning, 'a tombstone extolled by nobody.')
Furthermore, the total number of bodies buried by the CH'UNG-SHAN-T'ANG [Advance Benevolence Society]. (Translator's note; a charity institution.) and the HUNGWAN-TZU-HUI [Red Swastika Society]. (Translator's note; a religious organization) totaled more than 155,300. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.4540-4548.)
[22] It was set in GHQ on December 8, 1945 to prosecute A class suspect of war criminals. Chief procurator Joseph B. Keenan was a chief of the Section.

[23] Statement made by Lu Su to the procurator of the Nanking District Court was as follows :

Upon entry of the enemy troops into Nanking, refugees of Chinese civilians of both sexes and all ages, as well as retreating soldiers, totaling 57,418, were interned by Japanese troops in four to five villages at Mu-Fu Hill. Many died since neither water nor food was given. Many were frozen to death. In the evening of Dec. 16th, 1937, those who were still alive were marched off to Tsao-Hshie-Hsia [Straw Shoes Gorge], at Shia-Kuen [Hsiakwan], in a column of four, while each two were bound together by lead wire.
There they were machine-gunned, followed by repeated bayonet thrusts. Corpses were burnt by kerosene and, at last, the remains of the burnt corpses were thrown into the Yangtze River...
I was then working in the Police Office. During street fighting, an enemy shell wounded my thigh. As I was then hiding at Ta-Mao-Tung, at Shang-Yuen Gate, very near the scene of massacre, I was therefore able to witness this tragedy. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.4538-4539.)
[24] The Good Man of Nanking, p.197

[25] The Battle of Nanking, p.351. Battle of Nanking Editorial Committee estimates that Chinese soldiers were killed in action with 12,366 from December 4 to 12 evening, based on the Nanking Garrison Battle Report.

[26] The Tokyo War Crimes Trial, p.4601

[27] The Tokyo War Crimes Trial, p.4593-4594

[28] Clarence E. Gauss, U.S. total consulate to Shanghai, sent the Secretary of State in Washington the letter of confidential report, on January 5, 1938 (Record of U.S. Embassy to China, Correspondence American Embassy Nanking), and it ran as follows :

Enclosed is the memo regarding the situation of Nanking after Japanese troops occupation that Dr. S. Bates (professor of sociology and history in the Nanking University) wrote. The copy of this memo is the one that A. Steele of the Chicago Daily News handed the total consulate personnel of Shanghai.
[29] As to this case, Rev. John G. Magee testified in the IMTFE as follows :
Rev. John G. Magee... We, foreigners were looking outside from the balcony of the house and actually witnessed a Chinese was killed. The Chinese was walking along the street before this house with a long silk gown, two Japanese soldiers challenged him from behind, and he was so frightened, he was trying to get away. He hastened his pace, and was trying to get around a corner in a bamboo fence, hoping there was an opening, but there was no opening. The soldiers walked in front of him and couldn't have stood more than five yards in front of him, and both of them shot him in the face. (The Tokyo War Crimes Trial , pp.3900-3901.)

[30] Documents of the Nanking Safety Zone, p.78. as follows :

185. On the morning of January 9, Mr. Kroeger and Mr. Hatz saw a Japanese officer and soldier executing a poor man in civilian clothes in a pond inside the Safety Zone on Shansi Road, just east of the Sino-British Boxer Indemnity Building.
Note : We have no right to protest about legitimate executions by the Japanese army...
[31] Robert O. Wilson, associate in Surgery at the University Hospital in Nanking testified following the cross-examination in the IMTFE as follows :
Counsel OKAMOTO : About how many patients did you turn away, do you remember the ballpark figure?
Wilson : I would have no way of telling that, principally because my work was in the operating room and I was there busy most of the time day and night for a few weeks after the occupation. The others outside the operating room handled the outpatients and had to turn away patients when there were no beds. (The Tokyo War Crimes Trial, p.2552.)

[32] John G. Magee testified following the cross-examination in the IMTFE as follows :
Counsel : Now, how many of these acts of murder did you personally witness, Mr. Magee - approximately?
Magee : I thought I made that clear in my testimony. I only personally witnessed the killing of one man. (The Tokyo War Crimes Trial , pp.3929-3930.)

[33] Documents of the Nanking Safety Zone, p.1 12.

[34] Rabe was recording about Chinese officers in his diary as follows :
"Shortly before eight o'clock Colonels Lung and Chow arrive (Ling has marched off by now) and ask if they can take shelter in my house. I agree. Before Han and I left for home, these two gentlemen deposited 30,000 dollars in the committee's safe." (The Good Man of Nanking , p.64.)

[35] The Safety Zone Committee frequently requested the Chinese Troops (Nanking Garrison) to leave from the Safety Zone to defend its neutrality. However, Commander Tan refused the demand. If the Japanese Army had known this fact, they would attack the Safety Zone. Thereon, Rabe and other members of the Safety Zone Committee made the memo for a press release lying that 'there were no Chinese soldiers in the Safety Zone.'

Rabe was writing in his diary dated on December 5 regarding the details as follows :
"Together with Dr. Bates and Sperling I pay a call on General Tang, who is in charge of the city's defense, in order to get his consent to have all military personnel and establishments removed from the Zone at once. Imagine our amazement when General Tang tells us that this is quite impossible, that at best it will be another two weeks before the military can vacate the Zone. A nasty blow. It means that the Japanese condition that no Chinese soldiers are to be allowed in the Zone will not be fulfilled. For now at least we cannot even think of claiming to have a 'Safety Zone', at most it's a 'refugee zone.' The matter is discussed at a long committee meeting and a text prepared for release to the press, because if we don't want to see our work destroyed, we dare not let the press learn the whole truth yet..." (The Good Man of Nanking , p.50.)
[36] Gerhard Krebs, "German Military Advisers Reconsidered," Gunji Shigaku vol.33 (Tokyo : The Military History Society of Japan, 1997)

[37] The Goodman of Nanking, p.190.

[38] Radhabinod Pal, Dissentient Judgment of Justice Pal, (Tokyo : Kokusho-Kankoukai, 1999) p.606.

[39] J. Rabe described a similar sight in his diary as follows :

23 November... A steady stream of wounded men are arriving at Hsiakwan station. Dr. Smythe sends some student volunteers to the station to receive them. (The Good man of Nanking , p.29.)
13 December... Three of us committee members drive out to military hospitals that have been opened in the Foreign Ministry, the War Ministry, and the Railway Ministry, and are quickly convinced of the miserable conditions in these hospitals, whose doctors and nurses simply ran away when the shelling got too heavy, leaving the sick behind with nobody to care for them... The dead and wounded lie side by side in the driveway leading up to the Foreign Ministry. (The Good man of Nanking , pp.65-66.)
[40] The Tokyo NichiNichi carried a special dispatch sent from Shanghai on December 8, 1937 as follows :

Since the morning of December 7, Tang Sheng-zhi, commander-in-chief of the Nanking Garrison has further bolstered security in the city, fearing those residents will become violent amid the turmoil. Anyone who seems the least bit suspicious is gunned down. Chinese newspapers report that 100 persons have been shot dead so far.
[41] The Tokyo War Crimes Trial, p.21413.

[42] Source Material Relating to the Battle of Nanking, vol.1, p.22.

[43] The Justice, Radhabinod Pal in his dissenting judgment at the IMTFE asserted that "China also did not want to give the name of 'war' to this hostility before Japan became involved in war with the United States of America by her attack on Pearl Harbor. China did not give it the name of "war" perhaps because she needed the assistance of the so-called neutral countries who were anxious to avoid being openly at war. America also did not give it that name : perhaps she desired to escape the disabilities of her neutrality legislation whereby the shipments of arms and munitions of war to belligerents were automatically forbidden. America certainly could have openly acknowledged a state of war." (Radhabinod Pal, Dissentient Judgment of Justice Pal, Tokyo : Kokusho-Kankoukai, 1999, p.581.)

[44] The Tokyo War Crimes Trial, pp.21895-21897.

[45] T. Durdin wrote in the New York Times dated on January 9, 1937, as follows :

It may be that Tang made some efforts to save the situation on Sunday by arranging for a general withdrawal under protection of small units left to hold up Japanese penetration far into the city. Appearances indicate otherwise, and in any case the situation was not saved and Tang's departure, unknown even to many members of his own staff, left the army leaderless and was the signal for complete collapse.
[46] For example, the China Press in Shanghai, January 25, 1938 wrote as follows :
Claiming that many Chinese army officers and other ranks were seeking refuge in the International Safety Zone established in Nanking following the evacuation of the capital by Chinese troops, Colonel Nagai, army spokesman, announced the report of the Nipponese gendarmerie in Nanking at yesterday's press conference...

It was ascertained, the report claimed, that high officers of the Chinese army were hiding in buildings, foreign embassies and legations after these buildings were evacuated by their staffs. Up to December 28, it said, 23 Chinese officers, 54 non-commissioned officers, and 1,498 privates were seized by the Japanese in the various buildings in the zone. Among them, it is claimed, was the commander of the Nanking peace preservation corps, Wang Hsing-lau, "who masqueraded as Chen Mi" and was in command of the fourth branch detachment of the international refugee zone, Lieutenant-General Ma Pou-shang, former adjutant of the 88th Division, and a high official of the Nanking Police, Mi Shin-shi.
General Ma, it is claimed, was active in instigating anti-Japanese disorders within the zone, which also sheltered Captain Hwan An and 17 men with a machine-gun and 17 rifles, while the report states that Wang Hsing-lau and three former subordinates were engaged in looting, intimidating and raping.
In dugouts adjoining foreign embassy and legation quarters evacuated by their foreign staffs, the report continued, were found caches of arms. A search in one particular dugout disclosed :
One light artillery gun
21 machine guns of Czechoslovakian manufacture with 60 rounds of ammunition
three other machine-guns
10 water-cooled machine guns with 3,000 rounds
50 rifles with 420,000 rounds of ammunition
7,000 hand grenades
2,000 trench mortars shells
500 artillery shells.
[47] As to the original, refer to page 186 and 187 in The Battle of Nanking.

[48] The Battle of Nanking, p.329.

[49] This is Yomiuri, August 1998

[50] Source Material Relating to the Battle of Nanking, vol.1, p.142.

[51] The Battle of Nanking, p.325-327.

[52] The Battle of Nanking, p.193.

[53] As shown in paragraph 2, it is understood that his principle was not to 'immediately execute' stragglers picked out of 'the Safety Zone' but to 'intern' them into a camp first of all.

[54] As described in paragraph 4, any unit except the selected 'mopping-up unit' has been forbidden to enter the 'Safety Zone'.

[55] As understood if read paragraph 4 and 5, the Japanese Army has been extremely sensitive over that the language issue will result in unnecessary friction with the westerners who live in Nanking, that is, the member of the Safety Zone Committee.

[56] As to how thoroughly enforced the principle that intended to prevent looting, WAKISAKA Jiro, testified by means of the affidavit in the IMTFE as follows :

Immediately after my units entered Nanking, a certain paymaster lieutenant found a Chinese ladies' shoes left off on the way while he was out to discharge an official business. He brought that shoes back to his quarters in order to show its wonderful fashion to his comrades. A military police, however, found out this fact and submitted a document to the court-martial on suspicion of plunderage. The lieutenant, shedding tears in my presence, asserted his innocence, and as I admitted him to be innocent, I respected to my superior official to that effect.
I remember that this case was finally found to be a minor offense not liable to prosecution. The supervision of the Japanese military police in Nanking was extremely strict, and an exposure without mercy was shown even to any minor offenses. (The Tokyo War Crimes Trial , p.32607.)
[57] As to this case, John G. Magee testified following the cross-examination in the IMTFE as follows :
o A counsel : And how many acts of robbery did you personally witness, whether you actually knew it was robbery or yourself were robbed, that you can remember?

o Rev. Magee : I remember, as I said before, that I actually witnessed of the robbing of those electric iceboxes. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.3929-3930)
[58] Nankins Incident Source Material, vol.1, p.107.

[59] Guo Qi, The Nanking Massacre, Zhongwai Magazine Publishing, Taipei, 1979.

[60] IINUMA Mamoru, ex-Lieutenant-General, the chief of staff under MATSUI, the Shanghai Expeditionary Force testified in the IMTFE as follows :

I was told that some troops removed articles of furniture but they said that they did so to facilitate quartering for troops. They said that when in requisition they compensated for the loss, but in most cases managers of those houses fled, so they put an evidence note of requisition at respective houses to guarantee the compensation.
A few soldiers removed articles of furniture privately and some removed articles of furniture belonging to foreigners, but the matter was settled by returning the articles in the question to the owners or by compensating for the loss, and the offenders were punished. Of course Army Headquarters did never order to commit unlawful acts nor admitted them. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.32651-32652.)
[61] The Tokyo War Crimes Trial, pp.4593-4594.

[62] The Tokyo War Crimes Trial, pp.2633-2634.

[63] TSUKAMOTO Hirotsugu, judge advocate of the Shanghai Expeditionary Force from August 30, 1937 to February 8, 1938, testified in the IMTFE as follows :

I am convinced that I was strict enough to punish those who violated the military discipline, being charged with the Commander MATSUI's orders and in conformity with the Field Service Legislation. So strict was the attitude of the Judicial Department of the Shanghai Expeditionary Force even to trifling crimes as well as excessively severe punishment to crimes that each unit often criticized it with sharp comments. (The Tokyo War Crimes Trial, p.21562.)
[64] Artillery Second Lieutenant OSUGI Hiroshi, the leader of an observation section of the 1st Battalion, the 3rd Artillery Regiment, the 3rd Division testified in the IMTFE as follows :

In the evening on the 13th of December 1937 I went within the walls (Chungshan Gate) only a kilometer from the city gate but I saw military police already posted at the banks and government offices with signs of off limits to Japanese soldiers...
On the 13th of December, I joined my unit at Tang-chui-chen and led them to Tushanchen in the south of Nanking. At this time, according to the instructions of the higher commandant, I strictly forbade my soldiers to go out on passes. Even going out on official business, the soldiers were ordered not to enter the southwest corner quarters of the city of Nanking as they were set aside as refugee's quarters. At that time, I heard from my colleagues that this prohibition was due to the danger of the armed defeated enemy soldiers wearing civilian clothes who pretended to be refuge in these quarters. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.32590-32591.)
[65] J.Rabe was writing to his diary as follows :

26 December, later
And now the Japanese authorities have come up with the fabulous idea of erecting a military bordello, and with hands clenched in horror, Minnie [Vautrin] is forced to watch as authorized underling force their way into her Girls Assembly Hall filled with hundreds of gungyangs [=Virgins]. She is not going to hand over even one of them willingly. She would rather die on the spot; but then something unexpected happens. A respectable member of the Red Swastika Society, someone whom we all know, but would never have suspected had any knowledge of the underworld, calls out a few friendly words into the hall-and lo and behold! A considerable number of young refugee girls step forward. Evidently former prostitutes, who are not at all sad to find work in a new bordello. Minnie is speechless! (The Good Man of Nanking, p.99.)
[66] Nanking Incident Source Material, vol.1, pp.155-156.

[67] Miss Minnie Vautrin was assigned to the representative of the refugee reception centers located in Ginling College of Humanities and Sciences in which 4,000 of only women and children refugees were accommodated.

[68] There were a few rapes by Japanese soldiers. As to the rape cases, OGAWA Sekijiro, the chief of Judicial Affairs Department of the 10th Army, testified in his 'affidavit' in the IMTFE as follows :

During my moving to Nanking from November 5, 1937 to December 14, 1937, I dealt with about twenty cases of offenses against military discipline and public morals. In the course of my dealing with crimes or public morals, I found it very difficult to decide whether the cases were fornication with female consent or violation.
The reason was that on the part of the Chinese women some of them were not so rare to take a suggestive attitude towards Japanese soldiers, and once found as having committed adultery with Japanese soldiers by their husbands or other people, they suddenly changed their attitude and asserted exaggeratedly that they had been raped. Whether adultery or rape, however, I punished indictees in accordance with the law, weighing the relative importance of the facts. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.32675-32676.)
[69] SUZUKI Akira, The illusion of a great Nanking Massacre; New version (Tokyo: Asuka Shinsha, 1999) pp.306-313.

[70] SATO Shinju, "I took the photos and eyewitnesses in Shanghai and Nanking." Source Material Relating to the Battle of Nanking, vol.1.

[71] John W. Dower is expressing in War without Mercy (New York: Pantheon Books, 1986) pp.15-18. as follows :

Shortly after the United States entered World War Two, Army Chief of Staff George C. Marshall summoned Frank Capra, the Hollywood director, and asked him to prepare a series of orientation films for viewing by American troops...
Only one film in the series was devoted exclusively to the war in Asia. Titled The Battle of China and completed in 1944, this was an epic paean to the resistance of the Chinese people against Japan's aggression...
Viewed by some critics as Capra's most exaggerated portrayal of pure good versus pure evil, The Battle of China was temporarily withdrawn because it omitted any mention whatsoever of problems among the Chinese themselves...
[72] HATA Ikuhiko, "The Nanking Atrocities: Fact and Fable", Japan Echo, vol.25, No.4 (August 1998) pp.47-57.

[73] ARA Ken-ichi, Interviews with Witness of the Nanking Battle, p.209.

[74] The Tokyo War Crimes Trial, p.21563.

[75] The Tokyo War Crimes Trial, p.21913.

[76] The Tokyo War Crimes Trial, pp.32626-32627.

[77] For example, the CCP printed the following article, entitled "Support for massacre diary writer" in the governmental English paper, the China Daily dated on April 4, 1999.

NANJING [Xinhua] - AZUMA Shiro, a Japanese soldier who took part in the massacre of 300,000 people in Nanjing in 1937, has lost a series of lawsuits in Japanese courts over attempts to reveal details of the mass killings in his wartime diary. Recently, however, the 87-year old man has found strong support in Nanjing, the capital of Jiangsu Province. An exhibition dealing with Azuma Shiro's court trials has been on display in Nanjing since early February.
[78] HORA Tomio (ed.), Source Material Relating to the Nanking Massacre, vol.1 (Aoki Shoten, 1985) pp.378-380.

[79] Timperley, What War Means: The Japanese Terror in China, p.59.

[80] Chiang Kai-Shek, The collected wartime messages of Generalissimo Chiang Kai-Shek, 1937-1945 (New York: The John Day Company, 1946) pp.83-88.

[81] League of Nations Official Journal 19th year, No.5-6.

[82] Nanking Incident Research Group (ed.), Nanking Incident Source Material, vol,2: Chinese Reference (Tokyo: Aoki Shoten, 1992)

[83] SUZUKI Akira, The illusion of a great Nanking Massacre: New Version (Tokyo: Asuka Sin-sha, 1999)

[84] UEMURA Shin-ichi, History of Japanese Diplomacy: China Incident (Tokyo, Kashima Institute Publishing, 1971)

[85] Hillel Levine, In search of Sugihara, p.168. as follows :

It is around this time in December 1938 that the most authoritative proclamation regarding Jews was made. Attributed to the Gosho Kaigi, it virtually dictated - though other proclamations would follow-norms of thought and action for the time to come :
No.1 Outline of Responses to Jews: To maintain good will and close relations with both Germany and Italy is central to the diplomacy of the Empire at the present time. So on principle we should certainly avoid tolerating Jews in our Empire whom our allies so vehemently reject. But taking the attitude of shunning them completely, as do the Germans, does not accord with the spirit of racial equality which our Empire has insisted on for many years.
Not only that but we must consider the fact that we need to introduce foreign capital for economic construction to accomplish the war in this state of emergency which the Empire now faces. And also we must avoid making relations with the United States worse. It could cause disadvantageous results. So we should treat [Jews] in accordance with the Guidelines on the left [below] :
Guidelines: 1. We will treat the Jews living in Japan, Manchuria, and China at present with fairness, in the same manner as we treat other foreigners and we will not take special measures to reject them. 2. We will treat the newly arrived Jews to Japan, Manchukuo, and China fairly, generally within the regulations of controlling the entry of foreigners. 3. We will avoid making special efforts to invite Jews to Japan, Manchuria, and China. But this policy dose not include people who are worth using such as capitalists and technologists.
[86] The China Daily dated on January 15, 1999, "'Rabe's Diary' hits big screen"

[87] According to the Sankei Shimbun dated on November 27, 1996, the Library of Congress, Congressional Research Service has completed the report, titled Japan - China Relation, Present and Future Prospective, and their meanings to the United States. The report points out one of its characteristics which is the accusation made by the CCP has been using this accusation 'to stir out its internal nationalism and to put Japan in the defensive position, in order to gain economical and trade benefit from Japan.'

[88] For the detailed information how the U.S. had developed the anti-Japanese, and pro-Chinese activities in the pre-war U.S. are provided in NAGAO Ryuichi's book, titled America's intellectuals and Far East (Tokyo University Publication, 1985). America's famous diplomat George F. Kennan wrote his book, titled American diplomacy, 1900-1950 (London: Seeker & Warburg, 1952), and he expressed his painful regret that the pre-war American diplomacy had been pro-Chinese and anti-Japanese which allowed the Continental China and North Korea to become inclined to the Communism.

On May 3, 1951, in the hearing before the Committee on Armed Services and the Committee on Foreign Relations of the Senate of the United States, General of the Army Douglas MacArthur also said, "It is own personal opinion that the greatest political mistakes we made in a hundred years in the Pacific, was in allowing the Communists to grow in power in China." (the New York Times dated on May 4, 1951)
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コメント [経世済民118] 経団連は人殺し企業の集まりなのか?ひどすぎる残業時間上限値の実態が明らかに!(お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ
5. 2017年2月06日 23:18:30 : mtCLJJPOuw : p3EofZiVPsY[15]
トヨタぁ? お前は誰だ? ボクだ。奥田だ。
キャノンの便所。
殺人企業モンサルトの丁稚、米倉。

この顔ぶれだけで売国奴せいぞろいだ。


>中小零細企業は大企業の下請けになっていることが普通です。

これがおかしい事に一般国民が気づかれないように、これらの売国企業と糞完了、犯罪から逃げ廻る時効政権に洗脳されているだけです。

糞完了や時効政権のクズどもらが牢に繋がれ、真っ当な官僚や政治家が中小零細企業でもゴミみたいな経団連企業の言う事を聞かなくてもいい法律や仕組みを作れば、腐った経団連企業などはアメリカのハゲタカについばまれて朽ちているはずだ。
すでに腐った経団連企業は、ハゲタカに乗っ取られた浮き草のような存在だ。

いらないよ。日本にこんな糞企業なんか。
実態は中小零細企業が大企業の下請けになっているのではなく、糞外資経団連企業が中小零細企業に寄生しているだけなんだよ。

我慢比べをしたら中小零細企業には糞官僚や時効政権からの助け舟が出ないため、勝ち目がないだけだ。

払い戻し税? バカじゃないのか?
なんで、国民の虎の子を、外資に落ちた糞企業にばら撒くんだ?
キックバック目当てがミエミエだろ。

大企業だって、糞官僚や糞政治屋が無視したり陥れれば、山一證券みたいに大企業でも簡単に潰れるんだよ。

人殺し集団経団連=守銭奴=我良し人間
 
間違いなくこういう連中だよ。コイツらが掃討されれば日本は世界一住み良い国になる。

http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/714.html#c5

記事 [アジア22] 居眠りした、と裁判なしで銃で公開処刑!! 
居眠りした、と裁判なしで銃で公開処刑!!
http://79516147.at.webry.info/201702/article_67.html
2017/02/06 22:50 半歩前へU


▼居眠りした、と裁判なしで銃で公開処刑!!
 韓国の聯合ニュースによると、金正恩委員長に逆らったり、会議中に居眠りをしたりという理由で犠牲になった人物も相次いだ。

 15年初めには辺仁善(ピョン・インソン)軍総参謀部作戦局長、趙永男(チョ・ヨンナム)国家計画委副委員長も金委員長に異を唱えたという理由で粛清された。

 同年4月には当時の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長(韓国の国防部長官に相当)が会議中に居眠りしたとして裁判も行われず銃で公開処刑され、金正恩体制の残忍さを国際社会にあらためて示した。

 翌月の同5月には、金委員長が進める山林緑化政策に不満を示したなどとして、崔英健(チェ・ヨンゴン)副首相が処刑された。16年7月には副首相だった金勇進(キム・ヨンジン)氏が会議中の姿勢が悪かったという理由で公開処刑された。

 金正恩体制で処刑された幹部は12年に3人、13年に約30人、14年に約40人、15年には約60人なるなど急激に増加していると関係当局は推計している。

 このほかに崔竜海(チェ・リョンヘ)党副委員長は韓国ドラマを見たことが発覚した息子と共に、15年11月北朝鮮東北部の咸鏡道にある協同農場で思想教育を受け、金委員長の寵愛(ちょうあい)を受けていた馬園春(マ・ウォンチュン)国務委員会設計局長も14年に左遷された後に復権した。

 韓国・東国大北朝鮮学科の金榕R(キム・ヨンヒョン)教授は、恐怖政治は権力基盤が相対的に弱い金委員長が選択した統治方式だと指摘した上で「根本的な解決方法がない限り恐怖政治の強度と範囲はさらに拡大するだろう」と予想した。

http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/289.html

コメント [政治・選挙・NHK220] 天皇退位は一代限りという決定は、今回のことを今上陛下の我儘とする意図だ。(かっちの言い分) 笑坊
2. 無段活用[1593] lrOSaYqIl3A 2017年2月06日 23:19:28 : gi41MwNhGg : 6KjotEgixgw[1]

「我儘」、か。

身の程知らずだよね。

そのようなことを考えているから、「逆賊、安倍晋三を討て」というコメントを方々に出される羽目になる。

確かに、天皇を押しのけて「日本国王」の称号を明の皇帝から賜った足利義満以来の逆臣として、安倍氏は日本史に名を残すことにはなるだろうが。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/327.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK220] 天皇退位は一代限りという決定は、今回のことを今上陛下の我儘とする意図だ。(かっちの言い分) 笑坊
3. 2017年2月06日 23:19:57 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[194]
>天皇陛下は、父の時代の戦争戦禍を、自分の十字架として償っているように見える。

そうかもしれない。一方、安倍さんの方は祖父、岸さんの戦前時代の日本の「大陸進出」や日本の傀儡国家だった満州国経営を失われた栄光として憧れているように見える。
話が合わないのも当然だろうね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/327.html#c3

記事 [アジア22] 金正恩体制下でいまも続く「恐怖政治」!! 
金正恩体制下でいまも続く「恐怖政治」!!
http://79516147.at.webry.info/201702/article_66.html
2017/02/06 22:46 半歩前へU


▼金正恩体制下でいまも続く「恐怖政治」!!
 韓国の聯合ニュースによると、北朝鮮政権の実権を握る人物とされていた金元弘(キム・ウォンホン)氏が朝鮮労働党組織指導部の調査を受けて国家保衛相を解任されたことは、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の恐怖政治史に記録される事件になりそうだ。

 2011年末の金正恩体制発足後、金委員長は北朝鮮の権力層を解任したり粛清したりする、いわゆる「恐怖政治」を通して自身の権力基盤を強化してきた。

 粛清は党・政府・軍で地位の上下を問わず無差別に行われ、粛清を主導した金元弘氏を含む、権力の頂点にいる中心勢力さえもその刃を逃れることはできなかった。

 韓国の情報機関、国家情報院所管の国家安保戦略研究院は、このほど発表した「金正恩執権5年失政白書」に「金正恩が3代世襲権力を強固にするため、自身の叔父でナンバー2だった張成沢(チャン・ソンテク)をはじめとする幹部と住民340人を公開銃殺したり粛清したりする反人倫的行為を働いた」と記した。

 金正日(キム・ジョンイル)総書記の死後、軍部のトップに浮上した李英鎬(リ・ヨンホ)朝鮮人民軍総参謀長(当時)が恐怖政治の最初の犠牲者になった。金委員長は12年7月、自身の権力基盤を構築する過程で非協力的な態度を見せたとの理由で李氏を突然解任した。 

 李氏を含め、金正日総書記の葬儀で霊きゅう車に付き添っていた金正覚(キム・ジョンガク)氏、金永春(キム・ヨンチュン)氏、禹東則(ウ・ドンチュク)氏の軍幹部4人は金正恩体制下で粛清されたか、または一線から退いた。

 金委員長が13年12月に、国防副委員長などを務め北朝鮮のナンバー2として君臨していた叔父の張成沢氏を国家転覆の陰謀を理由に処刑した件は、ナンバー2の存在を許さない金委員長の唯一指導体制の構築が目的だったとみられている。

 金正恩委員長に逆らったり、会議中に居眠りをしたりという理由で犠牲になった人物も相次いだ。
 15年初めには辺仁善(ピョン・インソン)軍総参謀部作戦局長、趙永男(チョ・ヨンナム)国家計画委副委員長も金委員長に異を唱えたという理由で粛清された。

続きはここをクリック
居眠りしたと裁判なしで銃で公開処刑!!
http://79516147.at.webry.info/201702/article_67.html

居眠りした、と裁判なしで銃で公開処刑!! 
http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/289.html


http://www.asyura2.com/17/asia22/msg/290.html

コメント [番外地7] 「しょぼくれたアメリカ」への怒りが より過激なトランプ新大統領を生み出した 中川隆
15. 中川隆[6575] koaQ7Jey 2017年2月06日 23:24:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7032]

逆説の日本復活論。「トランプの関税」は我が国を再びバブルに導くか=児島康孝 2017年2月5日
http://www.mag2.com/p/money/32625

トランプの保護主義で日本は大変だ!という見方が広がっています。しかし対米輸出関税で国内販売が伸び、内需が拡大する可能性も。かつてのバブル景気がこのパターンでした。

トランプは正しい。日本は今こそ自国の消費市場を拡大すべきだ

対米輸出で儲けているのはグローバル企業

対米輸出で儲けているのは、グローバル企業。内部留保を拡大しています。メディアの相次ぐ報道では、トランプ政権の保護主義で「日本は大変だ」という印象ですね。

しかし、よく考えてみて下さい。これまでの日本は良かったのかというと、良いことはなく、デフレや貧困化で大変だったわけです。例えば、仮に対米輸出の関税が増えたとして困るのは、グローバル企業の経営陣の報酬の不安、グローバル企業の内部留保の拡大ペースの鈍化です。

逆に、関税がかけられると、対米輸出よりも自国(日本)で販売する必要性が高くなり、日本の内需拡大の機運が高まります。1980年代の日本が好況からバブルへと進んだのが、こうしたパターンです。

トランプ政権、驚異の新政策

トランプ政権の新政策は、非常によく考えられています。

つまり、こういうことです。今後の米国民の雇用回復と所得向上で、景気が上昇する。これはよくあるパターンですね。しかし、これまでのアメリカでは、この次の段階から経常赤字と貿易赤字の拡大に悩まされます。好景気で米国民が商品を大量に購入すると…貿易赤字が拡大する。米国の購買力が強く、国際的に自由な市場であるためです。

しかし、トランプ政権の政策は、この問題にも対応しています。アメリカで販売する企業には、アメリカで雇用し、アメリカで生産してもらうということです。

つまり、外国の企業がアメリカで生産すれば輸入の必要性はなく、アメリカでつくられたものを購入すれば良いのです。こうすれば、景気が回復して需要が拡大しても、アメリカ「国産品」を購入することになり、貿易赤字は抑制されます。さらに、雇用面でもプラスですから、好循環は驚異的です。例えば、トヨタにしても、アメリカでつくってアメリカで売っていれば「ウエルカム」というわけです。


トランプ大統領は、メラニア夫人もスロベニア出身ですし、大統領の戦略政策フォーラムに加わることになったテスラCEOのイーロン・マスク氏は南アフリカ出身。最近の不法移民対策で多くの批判ニュースが流れていますが、トランプ大統領にとって出身地は関係ない=能力重視という考えです。
※アメリカの不法移民の数(人口)は現状でも1000万人以上といわれ、主にメキシコ国境から、中米各国からの越境が大量に続いていました。

内需拡大を促した前川リポート

さて、日本の話に戻りましょう。1986年、前川リポートは、当時の日銀総裁「前川春雄氏」を座長としてまとめられました。中曽根政権のもとで、対米輸出問題(経常黒字問題)への対応が必要となり、まとめられたものです。

この前川リポートの評価には賛否両論があり、バブルの原因をつくったとか、いいや内需に注目した良いリポートだとか、評価は様々です。内容的には、内需拡大(経常収支の均衡)を目的として、日本の住宅建設の促進、国民の所得の増加、輸入の拡大、金融市場の自由化などを提言しています。この前川リポートの内容および内需重視の考え方は、現在でも十分通用するでしょう。

反面、当時「ウサギ小屋」と世界から嘲笑されていた「日本の住宅問題」に過度に対応して、住宅建設に大きな配分を置いている印象です。考え方は評価できる一方、住宅・不動産投資への偏重は「問題あり」と思います。

その後の日本のバブルは、おそらく対米配慮的な「数合わせ」の必要から住宅・不動産投資に拍車がかかり、不動産バブルへと向かうことになったのでしょう。

ブラザ合意の時代背景と似ているトランプ政権の主張

前川リポートの前年の1985年には、プラザ合意(9月)で1ドル=240円付近から、1985年末には200円付近へと大幅に円高ドル安に誘導されました。

会場となったニューヨークのプラザホテルは、セントラルパークのすぐ南側(東南側)にあり、ホワイト系の色の外壁にエメラルドグリーンの屋根が美しい歴史的な建造物です。セントラルパークをめぐる馬車が、このあたりから出ています。また、5番街のトランプタワーへも、南側に歩けば数分。

前川リポートは、そのプラザ合意でもなかなか減らない日本の経常黒字の是正と、それぞれの先進国の内需拡大への努力を反映したものです。おそらく、トランプ政権の言い分は当時と似ていて、「アメリカの景気が回復しても“タダ乗り”しないでいただきたい」「商品を売りたければ、アメリカでつくるか、自国の内需を拡大して自国で売ってください」ということです。

一言でいえば、トランプ政権の経済政策は、アメリカの内需拡大策。雇用が回復すれば、それがさらに国民の消費を呼び、驚異的な景気の上昇もあり得ます。中間層の回復や国民の消費拡大は、景気効果が強いのです。

ところが、アメリカがそうしても、他の先進国が内需拡大努力をせずにアメリカ市場が良いからと対米輸出をすると、その国にアメリカの努力を吸い上げられてしまいます。自国の内需拡大をせずにアメリカ市場で安易に儲けようとする、こういう国は許されない。こういうことです。ですから日本も、アメリカが作り出したアメリカ市場に安易に頼ることがないよう、自国の内需拡大を求められるでしょう。

保護主義が話題になると、日本製品の方がいいから売れるのはあたり前、という話になりがちです。しかし、ではその消費市場は誰が(どの国が)どういう努力で作り上げたものでしょうか? これは、重要な問いかけです。

日本は、「自国の消費市場を拡大すべきだ」とアメリカに言われても、それはそのとおりとしか言いようがありません。


トランプ大統領の政策

トランプ大統領の政策は、雇用創出+減税+申請などの手続き簡素化。オーソドックスな、共和党の伝統的な景気浮揚策です。

雇用創出の側面は一見すると保護主義的に思えますが、減税や申請事務の簡素化などはオープン化です。減税し、めんどうな手続きを簡素化し、アメリカの景気浮揚と活性化を図る。こういう考え方です。

閣僚の布陣は重厚で、本格政権。正統派側のユダヤ人脈、米英協調など、安定政権の要素を兼ね備えています。

人件費の「ピンハネ」は許さない

これまでのアメリカでは、グローバル化や人権を大義名分にした、「人件費のピンハネ」が横行していました。例えば、NAFTAを「悪用」して、国境すぐのメキシコで安い人件費で雇い、輸出はアメリカ。

何も、メキシコが単に悪いというわけではありません。メキシコでアメリカ人と同等の人件費を払い、しっかり雇えば、まっとうな企業活動での国際化です。しかし、現実はどうかというと、アメリカ人より安いメキシコ人で雇用を代替するもので、実際は「人件費のピンハネ」というわけです。

また、不法移民の問題。これも不法移民をアメリカ人と同等の給与で雇えば、問題は拡大しなかったでしょう。現実は、不法移民という立場につけこみ、安く雇う。アメリカ人にとっては、賃金デフレと雇用の喪失です。「人権」を大義名分にして、アメリカ人の正規雇用が直接・間接的に置き代わり、人件費をピンハネしていたというわけです。

トランプ大統領は、こうした人件費のピンハネは許さないという政策です。対外的には、自国民を保護。

これまでは「グローバル化」「人権」という大義名分のもとで、実際は人件費のピンハネが横行し、オバマ政権はこれを放置していました。難しい経済理論を言っても、実際は「人件費のピンハネ」が横行していたわけです。

人件費のピンハネは、当初は企業収益の拡大を生みます。しかし、ゆくゆくは所得低下による消費の低迷で、国力の衰退につながります。いわゆる亡国政策です。アメリカの繁栄には、国民所得の向上、中間層の回復が不可欠なわけです。

国民所得の向上による消費拡大は、GDPにも好影響です。そして、GDPのパイが大きくなれば、それは軍事力、研究開発力、技術力にも余力が生まれ、軍事面で世界をリードする力を持つことになります。

大手メディアによる異常なトランプ・バッシングが続いていますが、NYダウが2万ドルを超えたのは、まだ序章に過ぎないでしょう。

超長期のコンドラチェフサイクルが上昇へと転換していることもあり、これまではリーマンショックで見たことがない安い株価が出現しましたが、今後は逆に、見たことがない高い株価が出現する可能性があります。


トランプ大統領は時代に選ばれた「適任者」とも言える

トランプ大統領は、大手メディアの異常なバッシングの中で、大統領選挙を勝ち抜きました。もちろん本人のタフさもありますが、一方で、時代の大きな変化の中で「適任者」として時代に選ばれたという側面もあります。

そういえば、大統領就任式のパレ─ドを歩いた、メラニア夫人(46歳)のファッションも、好況の1980年代風。その1980年ごろには、スウェーデンの男女4人組、ABBA(アバ)のダンシング・クイーン(1976年リリース)が流行していました。YOU CAN DANCE〜♪という歌詞が印象的ですが、まさにメラニア夫人は、スロベニア(当時:ユーゴスラビア)出身で1970年生まれ、ミラノ・パリ・NYでモデル活動をして米国籍を取得。ABBAのダンシング・クイーンの歌詞の「体現者」でもあるのです。

現状の各国の動きをみますと、大半はまだトランプ大統領を理解できないようですが、時代は大きく変化しています。さすがに英国は、常に戦勝国側にいた過去の歴史のとおり、変化への対応が早い。常勝であり、情報収集力が強いのを実感します。英国は諜報活動が強いので、はずさないということなのでしょう。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/105.html#c15

記事 [中国10] 春節の香港 未明のホテルで大富豪を拉致! 
春節の香港 未明のホテルで大富豪を拉致!
http://79516147.at.webry.info/201702/article_63.html
2017/02/06 21:42 半歩前へU


▼中国公安が香港から富豪を拉致!
 中国の億万長者、大富豪の肖建華が旧正月(春節)の前日、1月27日未明に、住まいとしている香港フォーシーズンズホテルから拉致された。

 突如、中国本土から来た5〜6人の公安警察が押し入り、ボディーガードたちをなぎ倒し、富豪を高級ホテルから連れ去ったのだ。富豪をこっそり本土へ運ぶためだ。

 まるで下手なスリラーの筋書きのようだ。英フィナンシャル・タイムズ紙(2017年2月2日付)が伝えた。

 英国が1997年に香港を中国へ返還したとき、中国政府は香港に50年間の「高度な自治」を保証し、香港の独立した裁判所や報道の自由、効率的な官僚機構にはおおむね手をつけなかった。

 この取り決めには、中国本土の機関を含め、香港以外のどんな法執行機関も香港領内で活動することは許されないという重要な規則がある。

 香港の書店関係者5人が中国の工作員によって拉致された事件から1年あまり。中国の指導者たちの私生活に関して体面の悪い本を出版したのが理由だった。今回の香港法の違反は、香港の信頼性にひどい打撃となる。

 香港の地位は今、書店関係者の失踪事件以上に大きな傷を受けた。あの事件では、諸外国の企業人や銀行関係者、そして実際、報道記者らは恐らく納得できた。

 つまり拉致された人たちは中国の政治家に関する噂から何とか生計を立てている小者の出版関係者だったからだ。

 だが、肖建華は60億ドルの資産を持つ富豪で、その政治的なコネには、少なくとも3人の「太子党」(共産党の指導者の子供たちの呼称)との緊密な関係が含まれる。あるときには、習近平の姉から会社を買った。

 近年、グラクソ・スミスクラインやリオ・ティント、オーストラリアのクラウンカジノを含め、数多くの西側企業の経営幹部が中国本土で拘束された。

  今まで香港は、警察と司法の恣意的な行為から逃れられる安全な場所と見なされていた。だが肖の失踪を受け、グローバル企業はこれを考え直さなければならない。

 中国本土でも肖建華の拉致は、すでに習近平に戦争を仕掛けられたと考えている超富裕層には恐ろしいメッセージだ。資本逃避のペースを加速することにもなるだろう。

 肖建華がなぜ、これほどあからさまな作戦で香港から連れ去られたのか、正確なところはっきりしない。だが、この一件がすでに、中国という国家が伸ばす長い腕から「誰も逃れられない」と見せつけたことは間違いない。

 肖建華を知る一部の人は、今回の拉致は、肖建華が親密だったどこかの政治派閥へ出された警告だったか、あるいは中国の最高幹部らのビジネスについて肖建華が知り過ぎていたか、どちらかだと考えている。

 一方で、肖建華が保有する大手金融機関の大量の持ち株を共産党が国有化しようとするかもしれないと見る人もいる。

 今回の件に通じたある人物はこう話す。「中国の億万長者はカモと似ている――政治的なコネと党幹部との緊密な絆で肥えていくが、どこかの時点で、皇帝はフォワグラを食いたいと心に決めるのだ」

http://www.asyura2.com/16/china10/msg/871.html

コメント [政治・選挙・NHK220] ビートたけしが安倍総理の「1億総活躍」を批判!「せっかくなら『一億総活躍・欲しがりません勝つまでは』の方が良かった」 赤かぶ
6. 2017年2月06日 23:25:14 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1786]
「日本の鉄道は世界一」という人がヤバい理由

実はあまりにも度を越した「電車の正確さ」というのは、ファシズム(全体主義)に陥った社会特有の現象だからだ。

ピーター・ドラッカー氏
「『イタリアの印象を聞かれて、「乞食がいなかった。汽車が時間通りに走っていた」と答えた老婦人を馬鹿にしてはならない。なまじの論文よりも、よほどファシズムの本質をついている。ファシズムにおいては、汽車が時間通りに走り、乞食が大通りから追い払われる。南大西洋で最高速の船を運航し、世界一道幅の広い道路をつくる。組織と技術の細部それ自体が目的と化す。技術的、経済的、軍事的な有用性さえ、二の次となる』(経済人の終わり)」
http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/161222/ecn16122221530027-n3.html

日本は、「欲しがりません勝つまでは」の時代から、抜け切れてません。
いまだに全体主義です。
だって電車がダイヤどおりに走るでしょ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/300.html#c6

コメント [番外地6] グローバリズムの世界 中川隆
40. 中川隆[6576] koaQ7Jey 2017年2月06日 23:25:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7033]

逆説の日本復活論。「トランプの関税」は我が国を再びバブルに導くか=児島康孝 2017年2月5日
http://www.mag2.com/p/money/32625
トランプの保護主義で日本は大変だ!という見方が広がっています。しかし対米輸出関税で国内販売が伸び、内需が拡大する可能性も。かつてのバブル景気がこのパターンでした。

トランプは正しい。日本は今こそ自国の消費市場を拡大すべきだ

対米輸出で儲けているのはグローバル企業

対米輸出で儲けているのは、グローバル企業。内部留保を拡大しています。メディアの相次ぐ報道では、トランプ政権の保護主義で「日本は大変だ」という印象ですね。

しかし、よく考えてみて下さい。これまでの日本は良かったのかというと、良いことはなく、デフレや貧困化で大変だったわけです。例えば、仮に対米輸出の関税が増えたとして困るのは、グローバル企業の経営陣の報酬の不安、グローバル企業の内部留保の拡大ペースの鈍化です。

逆に、関税がかけられると、対米輸出よりも自国(日本)で販売する必要性が高くなり、日本の内需拡大の機運が高まります。1980年代の日本が好況からバブルへと進んだのが、こうしたパターンです。

トランプ政権、驚異の新政策

トランプ政権の新政策は、非常によく考えられています。

つまり、こういうことです。今後の米国民の雇用回復と所得向上で、景気が上昇する。これはよくあるパターンですね。しかし、これまでのアメリカでは、この次の段階から経常赤字と貿易赤字の拡大に悩まされます。好景気で米国民が商品を大量に購入すると…貿易赤字が拡大する。米国の購買力が強く、国際的に自由な市場であるためです。

しかし、トランプ政権の政策は、この問題にも対応しています。アメリカで販売する企業には、アメリカで雇用し、アメリカで生産してもらうということです。

つまり、外国の企業がアメリカで生産すれば輸入の必要性はなく、アメリカでつくられたものを購入すれば良いのです。こうすれば、景気が回復して需要が拡大しても、アメリカ「国産品」を購入することになり、貿易赤字は抑制されます。さらに、雇用面でもプラスですから、好循環は驚異的です。例えば、トヨタにしても、アメリカでつくってアメリカで売っていれば「ウエルカム」というわけです。


トランプ大統領は、メラニア夫人もスロベニア出身ですし、大統領の戦略政策フォーラムに加わることになったテスラCEOのイーロン・マスク氏は南アフリカ出身。最近の不法移民対策で多くの批判ニュースが流れていますが、トランプ大統領にとって出身地は関係ない=能力重視という考えです。
※アメリカの不法移民の数(人口)は現状でも1000万人以上といわれ、主にメキシコ国境から、中米各国からの越境が大量に続いていました。

内需拡大を促した前川リポート

さて、日本の話に戻りましょう。1986年、前川リポートは、当時の日銀総裁「前川春雄氏」を座長としてまとめられました。中曽根政権のもとで、対米輸出問題(経常黒字問題)への対応が必要となり、まとめられたものです。

この前川リポートの評価には賛否両論があり、バブルの原因をつくったとか、いいや内需に注目した良いリポートだとか、評価は様々です。内容的には、内需拡大(経常収支の均衡)を目的として、日本の住宅建設の促進、国民の所得の増加、輸入の拡大、金融市場の自由化などを提言しています。この前川リポートの内容および内需重視の考え方は、現在でも十分通用するでしょう。

反面、当時「ウサギ小屋」と世界から嘲笑されていた「日本の住宅問題」に過度に対応して、住宅建設に大きな配分を置いている印象です。考え方は評価できる一方、住宅・不動産投資への偏重は「問題あり」と思います。

その後の日本のバブルは、おそらく対米配慮的な「数合わせ」の必要から住宅・不動産投資に拍車がかかり、不動産バブルへと向かうことになったのでしょう。

ブラザ合意の時代背景と似ているトランプ政権の主張

前川リポートの前年の1985年には、プラザ合意(9月)で1ドル=240円付近から、1985年末には200円付近へと大幅に円高ドル安に誘導されました。

会場となったニューヨークのプラザホテルは、セントラルパークのすぐ南側(東南側)にあり、ホワイト系の色の外壁にエメラルドグリーンの屋根が美しい歴史的な建造物です。セントラルパークをめぐる馬車が、このあたりから出ています。また、5番街のトランプタワーへも、南側に歩けば数分。

前川リポートは、そのプラザ合意でもなかなか減らない日本の経常黒字の是正と、それぞれの先進国の内需拡大への努力を反映したものです。おそらく、トランプ政権の言い分は当時と似ていて、「アメリカの景気が回復しても“タダ乗り”しないでいただきたい」「商品を売りたければ、アメリカでつくるか、自国の内需を拡大して自国で売ってください」ということです。

一言でいえば、トランプ政権の経済政策は、アメリカの内需拡大策。雇用が回復すれば、それがさらに国民の消費を呼び、驚異的な景気の上昇もあり得ます。中間層の回復や国民の消費拡大は、景気効果が強いのです。

ところが、アメリカがそうしても、他の先進国が内需拡大努力をせずにアメリカ市場が良いからと対米輸出をすると、その国にアメリカの努力を吸い上げられてしまいます。自国の内需拡大をせずにアメリカ市場で安易に儲けようとする、こういう国は許されない。こういうことです。ですから日本も、アメリカが作り出したアメリカ市場に安易に頼ることがないよう、自国の内需拡大を求められるでしょう。

保護主義が話題になると、日本製品の方がいいから売れるのはあたり前、という話になりがちです。しかし、ではその消費市場は誰が(どの国が)どういう努力で作り上げたものでしょうか? これは、重要な問いかけです。

日本は、「自国の消費市場を拡大すべきだ」とアメリカに言われても、それはそのとおりとしか言いようがありません。


トランプ大統領の政策

トランプ大統領の政策は、雇用創出+減税+申請などの手続き簡素化。オーソドックスな、共和党の伝統的な景気浮揚策です。

雇用創出の側面は一見すると保護主義的に思えますが、減税や申請事務の簡素化などはオープン化です。減税し、めんどうな手続きを簡素化し、アメリカの景気浮揚と活性化を図る。こういう考え方です。

閣僚の布陣は重厚で、本格政権。正統派側のユダヤ人脈、米英協調など、安定政権の要素を兼ね備えています。

人件費の「ピンハネ」は許さない

これまでのアメリカでは、グローバル化や人権を大義名分にした、「人件費のピンハネ」が横行していました。例えば、NAFTAを「悪用」して、国境すぐのメキシコで安い人件費で雇い、輸出はアメリカ。

何も、メキシコが単に悪いというわけではありません。メキシコでアメリカ人と同等の人件費を払い、しっかり雇えば、まっとうな企業活動での国際化です。しかし、現実はどうかというと、アメリカ人より安いメキシコ人で雇用を代替するもので、実際は「人件費のピンハネ」というわけです。

また、不法移民の問題。これも不法移民をアメリカ人と同等の給与で雇えば、問題は拡大しなかったでしょう。現実は、不法移民という立場につけこみ、安く雇う。アメリカ人にとっては、賃金デフレと雇用の喪失です。「人権」を大義名分にして、アメリカ人の正規雇用が直接・間接的に置き代わり、人件費をピンハネしていたというわけです。

トランプ大統領は、こうした人件費のピンハネは許さないという政策です。対外的には、自国民を保護。

これまでは「グローバル化」「人権」という大義名分のもとで、実際は人件費のピンハネが横行し、オバマ政権はこれを放置していました。難しい経済理論を言っても、実際は「人件費のピンハネ」が横行していたわけです。

人件費のピンハネは、当初は企業収益の拡大を生みます。しかし、ゆくゆくは所得低下による消費の低迷で、国力の衰退につながります。いわゆる亡国政策です。アメリカの繁栄には、国民所得の向上、中間層の回復が不可欠なわけです。

国民所得の向上による消費拡大は、GDPにも好影響です。そして、GDPのパイが大きくなれば、それは軍事力、研究開発力、技術力にも余力が生まれ、軍事面で世界をリードする力を持つことになります。

大手メディアによる異常なトランプ・バッシングが続いていますが、NYダウが2万ドルを超えたのは、まだ序章に過ぎないでしょう。

超長期のコンドラチェフサイクルが上昇へと転換していることもあり、これまではリーマンショックで見たことがない安い株価が出現しましたが、今後は逆に、見たことがない高い株価が出現する可能性があります。

トランプ大統領は時代に選ばれた「適任者」とも言える

トランプ大統領は、大手メディアの異常なバッシングの中で、大統領選挙を勝ち抜きました。もちろん本人のタフさもありますが、一方で、時代の大きな変化の中で「適任者」として時代に選ばれたという側面もあります。

そういえば、大統領就任式のパレ─ドを歩いた、メラニア夫人(46歳)のファッションも、好況の1980年代風。その1980年ごろには、スウェーデンの男女4人組、ABBA(アバ)のダンシング・クイーン(1976年リリース)が流行していました。YOU CAN DANCE〜♪という歌詞が印象的ですが、まさにメラニア夫人は、スロベニア(当時:ユーゴスラビア)出身で1970年生まれ、ミラノ・パリ・NYでモデル活動をして米国籍を取得。ABBAのダンシング・クイーンの歌詞の「体現者」でもあるのです。

現状の各国の動きをみますと、大半はまだトランプ大統領を理解できないようですが、時代は大きく変化しています。さすがに英国は、常に戦勝国側にいた過去の歴史のとおり、変化への対応が早い。常勝であり、情報収集力が強いのを実感します。英国は諜報活動が強いので、はずさないということなのでしょう。

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/711.html#c40

コメント [政治・選挙・NHK220] 千代田区長選惨敗の自民 これから始まる瓦解と離党者続出(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2017年2月06日 23:30:22 : IrmDLHrW8c : 9ZHgm@oC084[24]
あべこいけ、どっちにしても自民党
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/314.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK220] <むむっ>安倍晋三さん、大学時代「政治学」の評価「不可」との情報。 赤かぶ
19. スポンのポン[5667] g1iDfIOTgsyDfIOT 2017年2月06日 23:30:48 : ub3Hx2T5Ns : HiNKVHdYRfQ[320]
  
 
>>15.
>一方、民進でも分数ができないのに議員になっているのがいますしね

■一方、山尾しおりは東大法学部卒。
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/264.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK220] 「祖国に帰れ」はヘイトスピーチ 法務省が具体例示す  朝日新聞 ダイナモ
5. 2017年2月06日 23:33:13 : YT5K8ZIrWQ : 0zSE8JwNWDE[4]
アレな人は説明をなんでも「明らかに」で済ます傾向があるけど(それしかできない?)
具体的にどういうのが「明らかに」というんでしょうね?
「明らかにあきらかだとわかれば明らかだろ」と答えた国士さまがいましたけど。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/323.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK220] ビビった安倍政権 マティス国防長官に異常な“おもてなし”(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 2017年2月06日 23:33:16 : unA9hWYW1I : ZvrK62aHhUQ[271]
●いわゆる自称「嫌韓」「晋三の道」、もうただ安倍隷米腐敗一味ヨイショヨイショと、薄汚いシッポ振りコンペで、一、二を競う、使い捨てネトウヨゾンビ外道野郎、フザケルナ!!

@勝手な年金の株式投資欠損の転嫁を、自国民には支給カットやら、プレカリアートの増加で格差拡大等、不当極まる痛みを押し付けながら、その「年金基金」を、トランプの雇用対策やらインフラ計画に悪用の、率先提供を企むアベ!!

A選挙で示された、沖縄の民意を尽く無視蹂躙の弾圧排除で、住民の暮らしの断じて許せぬ、破壊と犠牲に供してまで、高江、辺野古等吉増設強行に狂奔するアベ!!

Bいわゆる自称「安保法」やら、「秘密保護・盗聴法」の強行から、「共謀罪」だの、「憲法改悪」を企み、メディア篭絡支配による、更なる監視恫喝体勢の強化で、ますます私物化暴政のキバを研ぐアベ!!

Cたかが有権者の24%、総人口の17%の得票率で、圧勝だの絶対多数などと、嘯く欺妄詐欺腐敗政冶の元凶、かかる最たる悪辣政治屋として、将に前代未聞のアベ!!

これでもほざくか、ネトウヨゾンビ野郎!!



http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/225.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK220] ガンジーが指摘した「七つの社会的罪」を日本に当てはめてみる(第二弾) (お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ
1. 2017年2月06日 23:34:01 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1787]
ガンジーに賛成です。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/328.html#c1
コメント [経世済民118] 経団連は人殺し企業の集まりなのか?ひどすぎる残業時間上限値の実態が明らかに!(お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ
6. 2017年2月06日 23:34:13 : mtCLJJPOuw : p3EofZiVPsY[16]
訂正
×糞官僚 → ○糞完了

追加
人殺し時効政権=守銭奴=我良し人間
無能糞完了=守銭奴=我良し人間
http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/714.html#c6

コメント [戦争b19] アフガン民間人死傷者、16年は1.15万人で過去最多 3分の1が子ども  AFP ダイナモ
3. ダイナモ[157] g1@DQ4Npg4I 2017年2月06日 23:35:52 : xbvVrGFwh2 : XI84yJCmKuA[76]

>パキスタンで3発の爆弾が投下された

桁が3桁ほど少ないな。
 

http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/620.html#c3

コメント [原発・フッ素47] NNNドキュメント 「お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」 「素晴らしい番組!泣いてしまった…」 赤かぶ
27. 2017年2月06日 23:35:58 : RyJeXb42Ur : XMM_2txZLkA[3]
おしどりさんご夫妻や知る大切ささんを始め、原発事故の被害や危険に向き合う方々は

自分より誰かのためを思っていらっしゃる。

原発を推進される方や原発事故からの直接的な被害・危険などないとされている方々は

自分のためだけを思っておられます。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/452.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK220] 「天皇生前退位」ヒアリングメンバーや学友が安倍政権の議論誘導を批判!「一代限りを最初から決めていた」(リテラ) 赤かぶ
1. 2017年2月06日 23:36:23 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[195]
>ようするに、天皇は皇居に閉じこもって祭祀を行っていれさえすればよい、外に出ず「存在」さえすればよい、というのだ。

此処がキモでしょうね。そういう天皇であってくれれば、誰かにとって一番都合よく、利用しやすいので。
平和・人権憲法を尊重される天皇、それについて一般国民に向けて話をされる天皇なんてのは「最悪」なわけです。
そんなことは今どき、中学生にだってわかります。大人を騙すにはもう少し上等な手段にしてください。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/329.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK220] ビートたけしが安倍総理の「1億総活躍」を批判!「せっかくなら『一億総活躍・欲しがりません勝つまでは』の方が良かった」 赤かぶ
7. 2017年2月06日 23:37:45 : O8h0FKCOxY : TS4LBvaBovU[63]
そうだよね
テレビで言ってこそでしょ

一部のファンしか読まない本で吠えても意味がない

バーニングビートたけしがテレビで言ってこそ意味がある
ただ活舌悪いから何言ってるか伝わらんかもしれない
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/300.html#c7

コメント [原発・フッ素47] 恐ろしや!! 警報知りながら「知らさなかった」関電!  赤かぶ
6. けろりん[2068] gq@C64LogvE 2017年2月06日 23:38:06 : ECjf10sQlw : SsGV36BfDk4[160]


いつもの・・( なんや、コイツ? )
カンデンの回し者か?__と思いきや__ 
いつもの工作__名無しの
『 新・共産主義者 』ネトウヨくんじゃぁ〜、
あ〜りませんか?


____________________________
>5.  [ W@4M_ixU95M コメント履歴  ]
>契約した会社が何故知らせないといけないのか疑問だね。
>庇が壊れただけって堅牢性を証明出来たって事だね。

10. 新共産主義クラブ[2793]   W@4M_ixU95M[1]
4. 新共産主義クラブ[2794] W@4M_ixU95M[2]
36. 2017年1月19日 W@4M_ixU95M[3]
____________________________


ところで、
かの、”あ〜りませんか?” _の
チャーリー浜はいずこへ?



http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/448.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK220] ビートたけしが安倍総理の「1億総活躍」を批判!「せっかくなら『一億総活躍・欲しがりません勝つまでは』の方が良かった」 赤かぶ
8. 2017年2月06日 23:40:46 : IrmDLHrW8c : 9ZHgm@oC084[25]
大学教授の兄を「政治と金がね〜」だけで何度も何度もTV出演させて稼がせた?

http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/300.html#c8
コメント [自然災害21] トランプ旋風にかき消された? 実はヤバイ、地球に迫る隕石の恐怖(まぐまぐニュース) 赤かぶ
4. 2017年2月06日 23:41:11 : AzlVdxdZnk : K4mI1@K65lY[19]
>>1.

此処、見れば別に珍しい事では無いね
http://blogs.nasa.gov/Watch_the_Skies/


ロッシュ限界やシューメーカーレビー彗星が木星圏でどうなったか
勉強すれば解ります。

ポールシフトは2種類あります
君の言ってるのは火星クラスの惑星が衝突した場合に起こる物
疑似科学です。SF小説ではよく使われている素材ですね。
それがもし起れば、残念ながらExtinction Level Eventですので
生き残る種は皆無ですから騒いでも無駄です。

極シフトは頻繁に起こってますよ
数万年〜数十万年の頻度でN極とS極が反転していることも知られているからね

http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/757.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK220] 北工作会員リストにNHK職員の塚本壮一や官僚ら日本人名多数!ハッカー集団アノニマスが公開(一部動画PDF追加) お天道様はお見通し
3. 2017年2月06日 23:41:47 : PcK0OtbPoE : MJcE0x3r4S0[2]
 元投稿で出てきた「リスト」がどんな性格のものなのか?という疑問もあるが、部分的な話をすれば、
>731部隊による生体実験が本当にあったと思い込む日本人や支那人が大量発生した
って、生体実験の証拠は「満州猿」を実験材料にした医学論文という形で残ってるんだけどね。それに、そもそも731部隊の話は「現代医学」の範囲内で起こったことでありますから、
>現代医療産業と既存の多くの国家群を崩壊・転覆させる事態を最終的しかも確実に招いてしまう他に選択肢をもたない絶対的将来
http://www.asyura2.com/17/kokusai17/msg/811.html
>投稿者 お天道様はお見通し 日時 2017 年 2 月 05 日 23:55:27: I6W6mAZ85McLw gqiTVpO5l2yCzYKojKmSyoK1
の件を考えれば別に必死になって否定する話でもないわけで。元投稿した「お天道様はお見通し」はこの点どう考えておるのやら
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/317.html#c3
コメント [国際17] 傲慢トランプがまたも敗れた!  赤かぶ
18. 2017年2月06日 23:43:02 : YT5K8ZIrWQ : 0zSE8JwNWDE[5]
橋下のとききも同じようなことを言っていた人がいたな
「選挙に勝ったんだから文句いうのはおかしい」って
http://www.asyura2.com/17/kokusai17/msg/813.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK220] りゅうちぇるの激論番組での意見が真っ当すぎる! 空気を読んだ保守的主張だらけの中で多様性を肯定し続ける勇気(リテラ) 赤かぶ
28. 2017年2月06日 23:45:00 : O8h0FKCOxY : TS4LBvaBovU[64]
俺はテレビメインに活動している人間とその発言内容を一切信用しない
例え良いことを発言しているとしてもね
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/270.html#c28
コメント [原発・フッ素42] 2016年には物凄い数の人たちがバタバタ死に始める(アマさん)_さうさう 会員番号4153番
30. 2017年2月06日 23:46:25 : ZIHSw7nG6s : tEu84aXEwNU[6]
 多摩散人です。

 今はもう2017年だけど、放射能のせいでバタバタ人が死に始めているなんて聞いたことがないけど。
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/200.html#c30

コメント [原発・フッ素47] 恐ろしや!! 警報知りながら「知らさなかった」関電!  赤かぶ
7. けろりん[2069] gq@C64LogvE 2017年2月06日 23:46:49 : ECjf10sQlw : SsGV36BfDk4[160]


五月蝿い__ハエのような
原発板・タマ三モドキの__『 新共産主義クラブ   』
政治板・新共産モドキの__『 多摩の三ちゃんクラブ 』

多摩の三ちゃんは、とっくに速攻で削除指定の鬼籍入り__だ。
タマ三モドキの『 新共産主義クラブ 』・・・・



http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/448.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK220] <むむっ>安倍晋三さん、大学時代「政治学」の評価「不可」との情報。 赤かぶ
20. 2017年2月06日 23:47:54 : 5HJovQupwo : tj6sUjd2M2o[2]
 JW4kQkOW9o:dSI7DqbtatE=木卯正一の方が安倍晋三様よりも学歴が高い疑惑があるのだが、無駄に差別意識の発達した木卯が自分よりも格下のはずの安倍様に好意的なのはどういうわけなのか。ついでに文系の安倍様が国の頂点に立っていることに対し、木卯正一はどのような意識を持っているのであろうか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/264.html#c20
コメント [政治・選挙・NHK220] 安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相、岸田文雄外相、世耕弘成経済産業相が訪米、曲者トランプ大統領は何を企む?(板垣 英憲 笑坊
3. 2017年2月06日 23:49:37 : mtCLJJPOuw : p3EofZiVPsY[17]
>日本経済の発展は 日本人奴隷による 長時間労働で 達成されたものだが

さすが、哀 の考えは俺には分からん。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/290.html#c3

コメント [経世済民118] 日米首脳会談でプラザ合意の再現も!?トランプがドル安要求の恐れ!内閣参与の浜田宏一氏が指摘 赤かぶ
3. 2017年2月06日 23:49:41 : 1TtNdVrBlU : kZZ4ejPz1QE[6]
あなたはいったい何を心配している。

長期の反則金利で為替も反則状態の円高=ドル安となっている、
金利が正常回帰で利上にもどせば反則状態のドル安も正常回帰でドル高戻しとなる。、
アメリカの反則金利がデフレ格差の元凶との認識で世界の金融が合意、米金融主導でFRBに先駆けて利上げに動いた。

デフレ格差が米国の最大の問題である以上修正利上げは当然で、ドル高戻しも当然、
トランプが反対する理由はないし
日本の関与外で起こっていることだ。

勝手にプラザ合意など持ち出して
勝手に心配する必要はない、
国民はありがた迷惑だ。


http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/703.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK220] GPIFの高橋理事長、前言撤回か。「アメリカのインフラ整備のために年金資金を活用することはあり得る」  赤かぶ
9. 2017年2月06日 23:50:22 : O8h0FKCOxY : TS4LBvaBovU[65]
ちゃんとリターンが見込める投資なのかね
単なるお布施じゃないの

日本が買ってる米国債はFRBの地下にあるとか無いとか
売ろうとすると殺されるとかされないとか
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/203.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK220] 「翁長さん、弾はまだ一発残っとるがよ」ー(植草一秀氏) 赤かぶ
32. 2017年2月06日 23:51:33 : 4aNu6KGiCg : kCwEEpLPtUQ[673]

  沖縄問題は大切ですよ・・・
  トランプは今後どうなるかは分からない。
  米国内では、ネオコンとシオニストと金融界にポピリズムと、
  三つ巴四つ巴になり、閣僚も辞任者が多数でそうで予想は付かない。
  翁長さんは粘り強く頑張ってほしいですね・・・

  =======

  といってる間に、五寸釘劇場が勢いを増す。
  千代田区選挙も、選挙カーが、ハシシタ、五寸釘は使用した車が利用された。

  まだ、みどりが裏で操っている。石破や笹川も応援に駆けつけてた。

  国政にも出るそうで、ハシシタがコケて維新が伸び悩み、公明は戦争法案に
  は???、棄民党は大幅に議席を減らす予定。
  そこで、五寸釘新党を立ち上げ、小泉劇場の第三弾。

  ★:戦争法案や、緊急事態条項を通すつもりだ。

  =======

  本土の人間は、沖縄問題と真摯に向き合わなければ、明日はわが身になる。

  ●:徴兵制を始めたい棄民党の本音・・・中学卒業後、5ヶ月を軍事訓練し、9月から高校へ
    https://www.youtube.com/watch?v=9zhh2J_J1fY  
      (1)<13s〜>    強制的に軍事訓練をさせる
      (2)<2m28s〜>


http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/199.html#c32

コメント [政治・選挙・NHK220] 日本一厳しく、的確な安倍批判を見つけた!!  赤かぶ
47. 2017年2月06日 23:53:29 : uTaJLmCrjQ : 9tgFBj98zX4[1]
「8」さま
1です。
ありがとうございます。
出典は分からなかったのですが、記憶に残っていたのでコメントしたのですがわかって良かったです。

後藤田 正晴さんの言葉は私も聞いたことがあります。

「あいつ(安倍晋三)は気をつけろ。あいつだけは総理大臣にはしてはいけない。
あいつは岸の孫だ。」

昔の自民党はまともだったというかしっかりしていたというかこういう認識をしている方もいたのですね。

今の状況を見たら後藤田さんはなんというだろうか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/253.html#c47

コメント [政治・選挙・NHK220] 山下幸夫弁護士が警鐘 共謀罪「一般人に適用しない」の罠 注目の人 直撃インタビュー(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 2017年2月06日 23:53:29 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[18]
政権の進める政策に反対の意見を持つ人は一般人ではない。
これがやつらの言い分。
http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/304.html#c2
コメント [マスコミ・電通批評15] 「報道ステーション」視聴率急降下 古舘後任の無害な優等生(週刊新潮) 赤かぶ
31. 2017年2月06日 23:56:07 : 4aSYQra9Po : eVH87UMIG0s[19]
週刊新潮の発行部数も急降下しているよ。金を払ってゴミを買うようなもの。

最近、電車の中で週刊誌を読む人はほとんど見かけなくなった。
http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/303.html#c31

コメント [経世済民118] あなたが「お金持ち」になれないのは、もう一人の自分に騙されているから?(ZUU online) 赤かぶ
3. 無段活用[1594] lrOSaYqIl3A 2017年2月06日 23:56:50 : gi41MwNhGg : 6KjotEgixgw[2]

「もう1人の自分」と仲良くすることを考えた方が成功することもある。あなたは自分に厳しすぎるのだ。だから、もう1人の自分から仕返しをされる。

ケーキを楽しむためにダイエットに励む人がいても良い。要は、収支のトータルが良い方に行けばいい。

その方が長続きすることもある。人に依るだろうが。


http://www.asyura2.com/17/hasan118/msg/742.html#c3

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