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阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 12 月 19 日 18:34:43: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい


パラノイア・統合失調症患者の症状


妄想というのは,強固な信念で,明らかに間違っているのに決して訂正されず,
本人が確信しているものをいいます。私たちが,「あの人は私のこと嫌ってて
イジワルしているのかもしれない...」などと半信半疑に思っているのは妄想とは
言いません。

例えば,

「○○が自分の才能を妬んで様々な嫌がらせをしてきている。
電話は盗聴されているし,電子メールも全てハックされている。
このままでは私の発明は全て盗まれて先に特許をとられてしまうに違いない」,

こういうことを言っている人に「そんなことあり得ませんよ,大丈夫ですよ」

と忠告してあげると,

「いや,これは確実なことだ。証拠もある。さてはお前も〇〇の回し者だな!」

などと言われた場合,これはかなり妄想に近いと言えるでしょう。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~yasuq/schizophrenia2.htm#14


パラノイアの例

ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、
オーストリア・ハンガリー帝国のガリチア・ドブジャニツァ出身の精神分析家。
学生時代から精神分析について学び、敬愛するジークムント・フロイトからも指導を受けた。


オーストリア生れの精神分析学者。

ウィーン大学卒業後、ウィーン精神分析診療所で、精神分析とマルクス主義の統合を目ざして活躍する一方、精神分析技法ゼミナールを主宰して、研究と指導に専念した。

患者の態度やふるまいに現れる性格抵抗 (主要な抵抗) に注目した〈性格分析〉の理論と技法とを追求して、 《性格分析》 (1932) を発表し、古典的精神分析から現代の自我心理学的精神分析への発展の端緒を切り開いた。

社会学的見地に立ち、社会適応を重視した性格形成論、性を社会的抑圧から解放し、〈性器性欲の優位性〉を確立して、健康なオルガスムの体験能力を獲得することこそ健康の基盤であるとする性革命理論などが知られている。

著書はほかに《衝動的性格》 (1925)、 《ファシズムの大衆心理》(1933)、《セクシャル・レボリューション) 》(1945) など多数にのぼる。
 
ライヒは子供時代に関してあまり語らない人間だった。その理由として、父と母が共に自殺している点があげられる。

13歳の時、母・セシーリアが自分の家庭教師と性交している現場を目撃してしまう。ライヒはそのことを父・レオンに告げた。

精神バランスを崩した父は母を自殺に追いやった。そして自身は、わざと真冬の凍った池に何時間も立ち続け肺炎で死んだ。両親が自殺したのは自分のせいではないかと、ライヒは後悔し続けることになる。

こうした中で、全ての人間は「性欲」(リビドー)に支配されているというフロイトとの出会いは衝撃的であった。やがてライヒはユングが抜けた後の精神分析学会で精力的に活動を行う。

しかし晩年のフロイトも、さすがに「性欲理論」は無理があるとして放棄しつつあった。またユングはリビドーを「性」ではなく生命エネルギーと定義し、右脳と左脳のメカニズムにまで迫ろうとしていた。

 

しかしライヒは時代に逆行する形で、性欲理論を補強していった。

「全ての人間はオルガスム(性的快感)を求めて生活している」

彼は、神経症で悩むオールド・ミスの患者にマスターベーションを勧めた。自虐癖のある患者に「では実際に打ってみようか」と臨んだ。どれも確かに症状は好転した。

そして、性の解放と称し

・未成年の避妊教育の実践
・堕胎の権利の確立

遂には、性の全面的な解放を行えば、神経症や性倒錯、そして犯罪の一切存在しない理想郷が誕生すると主張した。

ライヒの思想は進歩的ともいえるが、いささか過激すぎる点も多い。

 

・・・ライヒの思想は禁欲を重んじる20世紀初頭のヨーロッパ社会で、当然受け入れられるような内容ではなかった。師匠フロイトも、この「明らかに行き過ぎた理論」に不信感を抱きつつあった・・・
 
 

共産主義者としても積極的に活動していたが、 33 年ドイツ共産党から、 ついで 34 年国際精神分析学会から除名され、ストックホルムやオスロ を経て、39 年アメリカに亡命した。ライヒが主張する「性の解放」を全ての人間が嘲笑したのだ。

そのころから精神に変調をきたし、「オルゴン(オルガスムの)・エネルギー」と名付ける宇宙エネルギーの存在を信じこれに熱中するようになった。

世界には至るところに「オルゴン・エネルギー」が満ちている。それが細胞を動かしているのだ。愛するものと別れるとオルゴン・エネルギーが不足して病気になる。しかし休養すればオルゴン・エネルギーが充電されて再び健康になるのだ・・・

このエネルギーを集める力を持った〈オルゴン・ボックス〉に入ると、すべての性障害が治ると称して、ライヒは金属箱を販売した。しかし、これがアメリカの薬事法違反に問われることになる。

それまでのライヒは、思想は別として精神科医として極めて優秀な評価を受けており、裁判に負ける可能性は低かった。しかし、ライヒは陪審員達にこういった。

「オルゴンエネルギーを暴発させて大洪水を引き起こしてやるぞ」

ライヒは裁判中、法廷侮辱罪で投獄され、不遇のうちに獄死した。

 

尚、ライヒの心身相互作用に着目した療法は、今日の心身医学やボディワークの始まりとされている。

http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/kora9.htm

初期フロイトの路線を強調した上で、精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。性的エネルギーの社会による抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動が嫌われ、後に精神分析協会からも共産党からも除名された。

1934年ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命、オスロ大学で性科学を
研究中滅菌した肉汁中の小胞バイオンと1939年バイオンの研究中オルゴンを発見、
アメリカ合衆国のテオドール・ヴォルフ博士の招きで渡米、ニューヨークに住む。

1940年メイン州レーンジュエリーに転居、支援者によりオルゴン研究所
「オルゴノン」でロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組んだ。

1941年にはアルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)
でオルゴンを見せている。よく知られている物としては、オルゴン蓄積器
(オルゴン・アキュムレーター、蔑称としてオルゴン・ボックス、セックス・ボックスなどとも呼ばれた)という箱と1951年にラジウムとオルゴンの研究中発生したというオラナーとデッドリーオルゴンの雲をなくすため発明したオルゴン放射器のクラウド・バスターなども作成していたことがあげられる。

1954年、UFOを目撃DORを利用した侵略者の宇宙人の宇宙船と直感しクラウド・バスターで撃墜の必要を訴える。1954年にFDAにオルゴン・アキュムレーターの販売が、がん治療機を不法製造販売にあたると裁判を起こされ、裁判所の命令に従わなかったため、有罪判決を受け1957年投獄された。

精神分裂病(統合失調症)の可能性が疑われ、精神鑑定が行われた。オルゴンに
まつわるいくつかの妄想的な言動がみられるが、その他の点では正常だったと
いわれる。出獄することなく、1957年11月3日コネチカット刑務所で心臓発作で死亡した。
http://musical7.org/83948342838B8377838B83808145838983438371/

身近に観察できるパラノイアの例


宇野正美講演会・傍聴記「反ユダヤ伝道師」かく語りき

7月20日(1995年)に、神田の日本教育会館・一ツ橋ホールで開かれた、
宇野正美氏の「1996年 国家存亡の危機が来る」という講演会を聴きに行った。

そうか。この人物が、H氏やA氏やY氏と並んで、「ユダヤによる世界支配の陰謀」
を唱えて、日本の言論界の一角で、異様な気炎をはいてきた宇野正美氏か。

この人が「ユダヤの陰謀」という恐ろしいテーマをひっさげて,もう二十年も言論
活動をやっている人なのか。もし本当に氏が「陰謀」なるものを暴いてしまった人
だったら、とっくの昔に殺されていないのはなぜだろうという疑問が脳裏をかすめた。

 宇野氏ら陰謀評論家は、世界の一般民衆を操る支配階級の人びとの、さらにそのまたごく少数の限られた人びとの秘密クラブの存在を確信することから、自分たちの言論活動を開始する。

「1990年にバブル経済が破裂したあとの5年間で、世界で、日本で、〇〇、〇〇の事件がありましたね。

これは、〇〇が〇〇して、〇〇になったものでした。その背後に、世界を操る〇〇〇〇の存在があるのです」。

要約するならば、宇野氏の話は、このスタイルに終始している。

「〇〇という事実がありました。これは、皆さんもご存知のとおり〇〇〇〇だったのですが、これも実は〇〇〇〇がからんでいるのです」。

 この語り口調は、なかなか小気味よいのである。そうか、あの事件も、この事件
も、やっぱり裏に秘密があったのか。自分もヘンだな、と思っていたんだ。

聴衆は、宇野氏の推理いつしかのめり込んでいく。開場は静まり返って、みんな真剣に聴き入っている。

いろんな厳しい人生経験を積んでそれなりの生き方をしてきたあとでも、人間はこの程度のホラ話に一気のめり込むことができるのである。


「この1月17日の関西大地震は、人工地震の可能性が、1%はあります」

「3月のオウム事件は、地下鉄サリン事件は、北朝鮮が裏で糸を引いているのです」

「最近起きたソウルのデパートの倒壊事件。奇妙でしょ。ビルの中央部分だけが、
一気に崩れ落ちるなんて。これは、低周波兵器でズーンと低周波をかけると、起こるのです」

 この三年ほどで、宇野氏の考えは二つの点で大きく変化している。かつて文芸春秋系のネスコ社から出していた本では、単純素朴な、ユダヤの秘密組織による日本征服説が説かれていた。これは、若い頃からの氏の聖書研究と愛国感情が混じり合った産物だった。

最近は、

「ユダヤ人には、アシュケナージ・ユダヤ人というニセものがおり、スファラディ・ユダヤ人という本物のユダヤ大衆を抑圧するためにイスラエルを建国したのだ。

そしてこのイスラエル建国主義者たちがシオニストであり、国際陰謀をめぐらす諸悪の根源である」

という考え方をしている。

 かつての論調ではフリーメーソン、ビルダーバーグ、イルミナティ、TC(米欧日三極会議)、CFR(外交問題評議会)などの秘密結社や国際機関と、ユダヤ人の秘密結社との関係がどうなっているのかはっきりしなかった。ところが、今回の講演では、「ザ・クラブ・オブ・アイルズ」というヨーロッパの旧来の王侯貴族達の裏結社が、これらすべての秘密クラブの上に君臨し、序列を作りそのずっと下の方で使われているのがユダヤ人たちである、という簡単な理論になっていた。


フリーメーソンやイルミナティなどの秘密結社の存在はさておくとして、TC
(トライラテラル・コミッション、米欧日三極会議)は公然と存在する。

私は、「陰謀」の存在自体は否定しない。世の中に「陰謀」の類はたくさんあると
思っている。世界覇権国であるアメリカ合衆国の、政治・経済の実権を握っている支配層の人びとの間に、多くの「陰謀」があるのは当然のことだと思う。

 そして、1990年以来の、日本のバブル経済の崩壊によって深刻な不況に陥っている現状は、やはりニューヨークの金融界が、日本の経済膨張を抑え込むために陰に陽に仕組んで実行したものであると信じないわけにはいかない。薄々とだが、ビジネスマン層を中心にこのような話は語られ広まっている。

 私の友人のなかに銀行員が何人かいる。昔、いっしょに『ニューヨーク・タイムズ』紙の早朝読み合わせ会という勉強会をやっていた友人のひとりは、ニューヨーク駐在勤務から帰ってきた後に、私にははっきりと語ってくれた。

「ニューヨークの金融センターは、ユダヤ系の人びとに牛耳られており、彼らの意思に逆らうと商売ができない恐ろしいところだ」

 彼は、宇野理論のような直接的なユダヤ陰謀論は説かないが、そのような傾向が
存在することを信じている。株式の大暴落を引き起こし、ついで地価の下落、そして円高による波状攻撃で日本の大企業の力を弱体化させ、日本国民の金融資産の
3分の1は、ニューヨークで解けて流れて、消失してしまった。日本の資産の運用先の大半は、その金利の高さゆえに、アメリカの政府債(TB、トレジャリー・ビル)や社債で運用されてきたからである。それが、円高で元金の方がやられてしまった。
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=0&mode=new_sort

怪文書の宝庫!
 
 あ、そうそう。yahooの方で出くわした怪文書も一つ、ご紹介しましょう。sinobu_10という、静岡県にお住まいの男性の方がお書きになったものです。挙げられているURLもオススメ度大です。「神が推薦するパソコン…」なんて、もお、死にます。
 
      *
 
目を覚ませよ、国際連合の地下に核爆弾情報
投稿者: sinobu_10 (男性/静岡県)
メッセージ: 113695 / 116578
アメリカの精神の支柱である基督教の神であるヤーベ(八百重)は、
日本にいる事をアメリカの人達に伝えて欲しいのです。
以下の文書を真剣に考えて読んで下さい。そして、国際都市である
ニューヨーク市にある国際連合の地下に核爆弾情報が流れているの
です。爆発する前に友人や知り合いに伝え、引っ越すか警察に真剣に
取り扱う様に伝えて欲しいです。
 
初めまして、忍と申します。

現代科学のタブーである霊界の存在を考慮して、
今、現実問題として、イルミナティ共産主義問題を考えて置きたい
です。其れは、約2億人の虐殺があったのでは無いかという問題で
す。其れは、遠く遡れば、バビロンの時代まで遡れます。

近代は、イルミナティ教団が出来、フランス革命から始まって
一連の共産主義革命を起こした国際金融グループに対して何も
罪を問わない現状になっているのです。其れもユダヤ系列のマ
スコミと歩調を合わせて行動を執っているのです。但し此れは
戦略で行っているので、頃の見境を考えながらの行動であるか
ら、注意深く年数掛けての戦いなのです。

後、もう一つ大きな問題点はスカラー波の技術開発による武器
開発です。其れに関連してインターネットの通信問題も深く考
えなければならないのです。今、一番大きい
問題は、未だ科学が未完成の状態(物理学上の問題)を
解決しないで、それを前提とした意見が権威を持って発
表している所が問題なのです。

現実問題としては、テスラ波による武器開発です。別名「スカラー波」又は「気」
とも言っていますけれど、このテスラ波は物質の根源に
なすもので磁気的な性質を持っています。宇宙の構造
は、磁気法則で全てが成り立っているのです。

磁子の活動が電流を生み、そして力を発生するのです.「テスラ
波(スカラー波)」は、磁子の縦方向に振動している状
態を指しているのです。その悪用は、宇宙そのものがバ
ランス(平衡性)が無くなり、太陽系そのものが崩壊す
る危険性があり、又、精神作用にも動作するので、「洗
脳」にも使われる可能性があるのです。そしてDNAに
も作用するので、奇形児が出来る可能性があるのです。

又、マイクロ波の衛星通信の拡大は、電子レンジの中に
地球が入るという恐ろしい結果が待っているのです。それらの
問題をマスコミは真剣に考えていないのが現状なのです。
そして、環境問題の考え方も対処療法的で、物理療法的
に問題を考えていないのです。それが欠点なのです。
つまり、公害の原因を全て化学化合物で説明し、化学反応
の物理的説明を含んでいないのです。そこに免疫の問題を
考慮する事が出来ないのです。

 
神の言葉
http://page.freett.com/syouhou/kaminokotoba1.html
最後の審判の理由
http://page.freett.com/syouhou/reason_of_last_judgement.html
正しい性道徳とは
http://www.musesworld.co.jp/web2/syouhou/index.html
この侭だと本当に地球が崩壊する
http://page.freett.com/syouhou/index.htm
神が推薦するパソコンPC9821
http://page.freett.com/syouhou/suisennPC.htm
 
これらの問題を真剣に考えないと、やはり異星人は自衛の為に
最期の手段を使用されるのです。

 日本人が中心になって、神の言葉を、お伝えてこの問題を
解決する方向に考える必要があるのです。

神のいる場所
エルアール出版
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1−4−9 サンエルサビル101号
TEL 03-5453-1870
 
アメリカ国内
HORKOM International Corp.
P.O.Box 282713
San Francisco, California 94128-2713
 
「人が全世界を儲けても、自分の命を損したら、何の得になろうか。又、
人はどんな代価を払って、其の命を買い戻す事が出来ようか。
邪悪で罪深いこの時代にあって、私と私の言葉とを恥じる者に対しては、
人の子も又、父の栄光の内に聖なる御使達と共に来る時に、
其の者を恥じるであろう。
(マルコ福音書第8章34節〜38節)」
http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=17590&genre=sougou

電波系というのは、つまりまあ頭の中で電波がささやくのでしょうから、分裂症か薬物中毒の系統になりましょう。sinobu_10さんの方は「パラノイア」系のように思われます。思考にまとまりがありますからね。
もっとも、「症例:G・W・F・ヘーゲル」などのレベルになりますと分裂症と見分けがつかなくなってまいりますが。

 チマタで見かける「ユダヤ陰謀史観」みたいなのと一緒で、いちおうの一貫性はあるのですね。ただその、決定的な証拠は? と言われると「ない!」となって、ならなんで? と言われると「証拠がないのも陰謀だ!」という形で無事に着陸。

こうなるともう誰が何を言っても聞き入れるもんじゃありません。
 
 実は、sinobu_10氏に関しては「教祖様」ではないのです。
「教祖様に疎んじられている一信者」らしいのです。彼が掲示板上で開いたトピックは、「千乃先生」なる教祖様の意を体したと称する信者各位がsinobu_10氏の信条の矛盾を突きまくり、それも彼らの「教義」に基づいてのことですから、さながら宗教戦争の様相を呈し、そこへ「ウォッチャー」を名乗る一般人が面白おかしくチャチャを入れるという展開になっておりまして、なかなかに楽しめる一大エンターテイメントになっておりました。
http://ime.st/members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/past-log/spring/log00000118.html

たこさんご紹介のサイトをちょこちょこ見て回った印象では明らかに病的、すなわち初期の分裂病もしくは妄想を伴う躁鬱病、痴呆などの傾向が感じられるのに対して、sinobu_10さんのはソノ分野に浸かっているヒトなりに理路整然に近く、文章の構成もしっかりしています。

一括りにして良いものかどうか。臨床精神病理は難しくて、実はまだ余り勉強してない分野です。
 
 電波受けるヒトを実際知っております。仕事ができ、礼儀正しく義理堅く、言葉使いが綺麗で、想像力・情緒・感性も豊かで、発明の才もあり、倫理観もしっかりしていて、善意に溢れている。難を言えば少しまじめ過ぎる。

そういう誠に好ましい人望のあるヒトなんですけど、電波が入るんですね。それを普通の事のように言うので、こちらも普通の事のように受け答えしております。

 随分昔からその状態のまま変化がないようで、さらに聞こえるのはドク電波ではなく、善意の宇宙人からの助言が中心だったりしますので、ま、様子を見ています。数年前まではサイババが夢枕に立って「来い」と言ったからというのでインドに行く計画を立てていましたが、現在はモンゴルの平原でUFOとコンタクトする計画を楽しげに語ってくれます。

まじ。ホントに聞こえてるらしいのです。それを蔭で笑う奴がいるのも自覚しているようなのです。

「目を覚ます」という類の話じゃなくて、これ、はっきり言って症例なのです。しかし長年進行してないし、生活に支障がある訳でもないから、無闇にいじらない方が良いのです。


じつは、stomachmanは見積書作成要領の見本を作ったんですが、うっかり本物と間違えられて無用の混乱を起こすことが絶対ないようにと思い、
 
「荒矢田産業株式会社」発行の「重力遮断板セット」の見積書
 
って見本にしまして、発注先に配布したんですよ。そしたら彼がやってきて「あなたなら理解してくれると思う」と語りだした訳でして…
 
理解はすれども、同意はせず。得意の奴で対応しております。


目を醒まさせてあげなくていいの?
念力も自分だけで使ってるぶんにはいいんだけど・・・
自分だけでとどまってないとこが厄介だぁ―!
もうそろそろ、目を細めて笑って見てるばかりでもいられない。

テレビが俺の悪口を流している!
あのCMは俺の事をあざ嗤うのが目的…
 
てのが、典型的な公共電波系電波系さんですが、こちらは公共デンパでナンパするのが怪しからんという、これもまた、割合論から言って、別物ですな。
 
最近、街ですれちがう美女という美女が皆、秋波を送ってくるので困っているstomachmanです。


症例ってのは、夢を壊さないで、みたいなアマイ話ではないんですよ。
 
この彼の場合には、多分初期で停滞している分裂病だと思われます。悪化させないように、stomachmanとしても注意を払っておる訳です。もちろん、症状に悪化が認められたら直ちに治療を開始するよう促す積もりでいます。すなわち、確かに聞こえる電波が、彼の集中力を乱すようになってくると、本当に生活に支障をきたしはじめ、ついには外部とのコミュニケーションが取れなくなってしまう。


 

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コメント
 
1. 中川隆[-5755] koaQ7Jey 2017年12月19日 18:37:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

パラノイア・統合失調症は伝染病として感染する

阿修羅で流行しているアホ陰謀論は憑依型の感応精神病 フォリ・ア・ドゥ folie à deux


1.精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。

 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。

もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。

これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。

Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。

最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

 この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。


フォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。

必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。

2人は同じ妄想を共有していたのだった。


 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。

 今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


古いタイプの感応精神病

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。

あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。

そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。


 悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。

 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いた


こっくりさん
http://homepage3.nifty.com/kazano/kokkuri.html


の例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。


 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。

 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき

「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」

などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。

これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師K に祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

 こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、

「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」

と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。

次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、

「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、

「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、

「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、

ものもいえず苦しげにもがいているもの


など憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が

「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」

と提案した。すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。

 これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。


家庭内幻魔大戦


 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。

 Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。

「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、

「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、

「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば

「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。

 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。

 昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。

見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」

「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

 笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。

 きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。入院3日目より陽子は

「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」

と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」


などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」

と語り合っていた。


 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」


と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」

と逃げ出した。主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、

「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。


 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。

「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」

と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」

と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」

と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。


 入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、

「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には

「先生! オールマイティになってください」

と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。しかし飛べずに興奮し始め、「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。

 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。

「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。
http://homepage3.nifty.com/kazano/folie.html


という訳で、


創価学会による電波攻撃とか、

地震兵器、ムサシによる不正選挙とか

放射能汚染による病気の激増とか

相対性理論が間違っていたとか


阿修羅で実しやかに語られている陰謀論がどういうものか大体わかって来ましたね。

阿修羅掲示板は中世の人里離れて隔離された山奥の村落と同じで、すぐに憑依型の感応精神病が猛威をふるってしまうのです。



[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

2. 中川隆[-5754] koaQ7Jey 2017年12月19日 18:40:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症に良く見られる症状としては同じ言葉を繰り返す、言葉のサラダ(意味のない単語の羅列)、宇宙人と交信しているという、霊と話をする、チャネリングが出来るというetc.

そして何より、自分が統合失調症であることを認めない患者が多いのがこの病気の最大の特徴であり、統合失調症が発病してから、5年放置した場合、脳の萎縮が前頭葉に達し二度と現実の世界に帰ってこれなくなってしまうのです。

つまり、統合失調症であることを否定し続け、5年間何も対処せずに放置した場合、もう手遅れであるということです。

私は霊能力がついた、ハイヤーセルフとつながっている、という人たちのブログも読みましたが、統合失調症の初期症状が出ているとして間違いないと思います。 ← 大川隆法先生はコレ

あの時の私と完全に症状が一致している。

統合失調症は現在では治療可能な病気であり、予後も良い病気になってきています。

薬も副作用の少ないものがたくさん出てきています。しかし、早期治療が何よりも重要であることには間違いがありません。

どこか思い当たる節があるのなら、一度病院に行って検査されることをお勧めします。
何もないとしたら、それはそれでめでたいことです。しかし、手遅れになってしまえば
人生を台無しにしてしまうこともありえるのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/kuukuumaromaro/diary/200806050000/

ののしりアバター、統合失調症患者の「声」との闘いに有効
2017年11月24日 12:27 発信地:パリ/フランス


【11月24日 AFP】「お前はクズだ、役立たずだ、いない方がいい」──統合失調症患者の若い女性が画面に向かうと、コンピューターのアバター(分身)が手加減せずに非難の言葉を浴びせる。「あっちへ行ってくれない?」と、最初はおどおど頼む女性。だが、しばらくすると勇気を得て力強く言い切る。「もうあなたの言うことなんか聞かない!」

 このやり取りは、「声が聞こえる」統合失調症患者のために英ロンドンとマンチェスターの研究者らが開発した革新的治療法の一幕だ。研究チームは24日、この治療法には効果があるようだと報告した。

 英精神医学専門誌ランセット・サイキアトリー(Lancet Psychiatry)に発表された研究論文によると、この「アバター治療」を試験的に3か月間受けた75人のうち、7人が「完全に声が聞こえなくなった」という。

 論文の主執筆者であるロンドン大学キングスカレッジ(King's College London)のトム・クレイグ(Tom Craig)教授は、全ての被験者において「声に関連して感じる苦痛、1日のうちで声が聞こえる回数、声に圧倒される感覚の程度などが実に大幅かつ有意に減少した」と説明した。

「アバター療法」の代わりにカウンセリングを受けた比較群の75人では、幻聴が止まったと答えたのはわずか2人だけだった。

 統合失調症患者の約3分の2が、「声」とともに生きている。想像上の人物が自分に「話しかけ」てきて、通常は侮辱したり脅かしたりするのだ。クレイグ氏は「恐ろしく苦痛」な状態だと語る。大半の患者はその声を支配的で全能とさえ感じ、それに比べて自分は劣っていて無力だと感じるのだ。

 研究によると、大半の患者は薬で症状が緩和されるが、約25%の患者には声が聞こえ続ける。平均して3種類か4種類の声が聞こえるという。

「アバター療法」では、中でも最も患者にとって苦痛となっている「声」と、その「声の主」だと患者が想像する顔を用いてアバターを作成。声音や口調、言葉遣いまで「声」を再現したアバターと患者を50分ずつ6回にわたって対面させた。対面中は別室にいる療法士がマイクを使って患者をサポート。「今の対応はいいね。でも、もうちょっと強く言ってみてくれないか。背を伸ばして、相手を見て、あっちへ行けと言ってみよう」などと励ます。治療が進むにつれ、患者は強く主張できるようになり、アバターはやがて患者の強さを認める。

「一連の経験によって、何か非常に恐ろしいものが自分でコントロールできるものに変わっていく」とクレイグ教授は説明している。(c)AFP/Mariëtte Le Roux

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幻聴か独語か Dr林のこころと脳の相談室
http://kokoro.squares.net/?p=6497


1

【3535】無意識の独り言を幻聴だと勘違いしていた の質問者は次のように述べている。

息を止めてみたところ幻聴が収まり、口を閉じて、鼻で呼吸することにより幻聴はなくなるということを発見しました。幻聴が聞こえているとき、リラックスして半開きになった口の近くにボイスレコーダーを押し当てて録音してみたところ、自分の考えに合わせて不規則に変化する声に聞こえる息が録音されました。どうやら、自分の口の無意識の動きによって発生する独り言を他人が言っているものだと勘違いしていたようです。

すなわち幻聴と独語の混同。統合失調症におけるこの現象は、実はかなり前からよく知られている。たとえば 『安永浩 著作集 4 症状論と精神療法』に収載の『分裂病の症状論』(1978年)という論文中に次のような記載がある。以下、太字はこの論文からの引用である。

p.31
ある患者は「”幻聴”をテープにとってきました・・・・・」と録音テープを持参した。テープを聞いてみると、実際にささやくような声が録音されているのである。「どうやってこれをとったのか?」という問いに対して、彼はマイクを自分ののどにあててとったのである、と答えた。改めて聞きただすと、彼はそこに録音されているのが自分の声でると認めた。しかしそれは自発的にしゃべった言葉ではなく、外力に操られて「しゃべらされた」言葉なのだ、というのであった(させられ体験)。しかもこの患者は、最初は自ら”幻聴”といっていたのである。この例の場合、幻聴と”させられ独語”とは、本人にとってそれほどに区別できない一塊の体験であったことがわかる。

この患者には独語がある。まずこれが出発点としての客観的事実である。一方、患者の主観としては幻聴がある。主観体験の有無は本人にしか判断できない以上、これもまた事実である。そして実際には、客観的事実である独語と、主観的事実である幻聴は、同一の現象だったことがわかった。この患者はそれに気づいた・・・という表現は厳密には正確ではない。彼は「”幻聴”をテープにとってきました」と言っているのである。それが独語であることを医師から指摘されて認めたという形である。【3535】はこれに似ているが、「自分の口の無意識の動きによって発生する独り言を他人が言っているものだと勘違いしていたようです」と自分から気づいているという点が、安永のケースとの一つの大きな違いである。もう一つの大きな違いは、安永のケースは「外力に操られて「しゃべらされた」言葉なのだ」という、「自分の意志ではなく、外部からさせられた」という体験であるのに対し、【3535】はそうではない。したがって【3535】は ”させられ独語”とは言えないが、「”自分の意志で喋っている”という自覚がない」とまでは言える。つまり独語が自分の意志によるものではないという意味では共通点がある。言い換えれば(独語という)行為の起点が自己ではないという意味では共通点がある。

同様の現象は 【3532】妻の独語がまったくおさまりません にも見られている。すなわち【3532】の独語は、

機械から私に情報が送られてくるといって日常に関係があることを自分の知っている人が言っている形で独り言を続ける

という形を取っており、これは(独語という)行為の起点が自己ではないという意味では安永のケース及び【3535】と共通しており、その起点が外部にあるという点では安永のケースと共通しており、さらにその外部の起点を「機械から私に情報が送られてくる」と述べることで、いわば、より「妄想らしさ」が感じられる症状になっている。

【3533】勝手に口が喋る。馬鹿にされている。見られている。BDSMの嗜好。の体験にはこの「機械」にあたる要素はないが、(独語という)行為の起点が自己ではないという点は共通している。次の通りである。

・ 自分は言いたくないのに、勝手に口が喋ってしまう(心では、そんなこと言いたくない!違う!!と思っているのに、口が私を無視して話してしまう)
・ 自分が何を話しているのか理解できない時がある(これも、勝手に口が喋っています。私自身が自分の意志で話しているという意識はありません)


2

安永の論文からの引用に戻る。

p.31
実際、独立に”させられ独語”を訴えている患者はしばしば同時に”幻聴”の形の訴えをもっている。ときにどちらかのニュアンスがはっきり前景にでるとはいえ、根本において幻聴で聞かれる内容は、同時に内語として発語されているのであることをうかがうに足る。

幻聴とは何か。それは、本来は自分の考えている内容、ないしは内言語が、外部から聞こえると体験される — すなわち、外部の空間に定位されたものである。ここまでだと理論的考察にすぎないが、独語と幻聴の区別が曖昧なケースが示されると、この理論的考察が説得力を持ってくる。上記「幻聴で聞かれる内容は、同時に内語として発語されているのであることをうかがうに足る」はこのことを述べている。
安永のケースも【3535】も、幻聴か独語かを本人は明確に区別できない(または、できなかった)例であるが、さらには、そもそも幻聴や独語があるのかないのかもよく自覚できない場合も統合失調症では少なからずある。

たとえば【3194】自分に幻聴があるかどうかわからないですの質問者は

私に幻聴や独語はあるのでしょうか?
診察の時、なんて答えたらよいのでしょうか?

と困惑している。他方、

通院を開始したのは24歳のとき。でも前の主治医はいうには、中学2年生ぐらいから自分に語り掛ける幻聴があったみたいだねと言われています。

という記載からは、医師が診察すれば、幻聴があったことは明らかであることが窺われる。
ここで注意すべき点は、この場合、「医師が診察」といっても、何かハイテクな技術が適用されたわけではないことである。幻聴の有無の診断材料は本人の話以外にはあり得ない。ということは、医師との対話の中で幻聴体験を自分の口で語っているにもかかわらず、それでも本人は、自分に幻聴があったか否か、明確にはわからないのである。

【3194】にはその後の経過がある。【3355】複数の人がざわざわと話している声が聞こえる である。そこにはこう記されている。

よくわからなかったのですが聞こえるという事はこういう事なんだと思いました。

主観的なレベルでは、【3194】では幻聴は明確でなく、【3355】では幻聴は明確である。このような場合、【3194】と【3355】のどちらの時点のほうが病態が進んでいるかという判断は慎重にくだす必要がある。仮に単純に(自覚的な)「幻聴の有無」を指標にするならば、【3355】のほうが重い、すなわち病態が進んでいるということになろう。だが、「それまでは幻聴と認識できなかった体験を、幻聴だと認識できるようになった」のだから、むしろ症状は軽くなったのだという全く逆の解釈もできる。個々の症状の有無や症状の個数だけに着目する重症度判定法のナンセンスさをここに見出すことができるが、それはともかくとしてこの【3355】では、さらに次のような症状が現れている。

それともう1つ気になる事は、職場の同僚が私のことをよく思っていないということ
です。話題にしたり噂になったりして気になります。

統合失調症に非常によく見られる典型的な症状がここに来て現れている。この情報が加わることで、【3355】の病態が【3194】の時期より進んでいるという判定を導くことができる。


3

独語のテーマに戻る。安永論文の”させられ独語”についての記載の続きはこうだ。

p.31
この発語は、実際に高声の独語になるものから、ほとんどつぶやく程度のもの、さらには舌、のどのわずかに動く程度のもの(客観的には、幻聴に相当する現象をさして「舌が動いてしまう」という患者はまれでない)を経て、機械的検出装置によってのみ発声筋の活動を検出できる段階に至るまで、連続的に移行している。

【3535】は「リラックスして半開きになった口の近くにボイスレコーダーを押し当てて録音してみたところ、自分の考えに合わせて不規則に変化する声に聞こえる息が録音されました」であるから、安永のいう連続的に移行する段階の中の「舌、のどのわずかに動く程度のもの」と「機械的検出装置によってのみ発声筋の活動を検出できる段階」の間に位置するとみることができる。
そして

p.31
「”声”がうるさい」と訴える患者に「自分ののどをつまんでおさえてみよ」と教示したところ、少なくともそのあいだだけは「”声”がとまった」と述べた患者もある(土居)。

【3535】の「息を止めてみたところ幻聴が収まり、口を閉じて、鼻で呼吸することにより幻聴はなくなる」という体験は、上記土居のケースと本質的に同じ現象であろう。

p.31
そもそも”独語”は客観的に外から見つけやすい症状であって、病症のいろんな時期にみられる。慢性者の病棟などでぶつぶつ何かつぶやいている患者をみるとき、幻聴があるな、と察するのは経験者には周知のことであるが、これは単純に想像されるような声の主との対話では必ずしもない(もちろんそういう場合もあるが)。

上記「経験者には周知」の「経験者」とは、統合失調症というものを一定以上観察した経験ある者(家族、医療者など)を指している。本人の主観の中では幻聴という「声」と対話しているのだが、客観的には「声」は存在しないので、客観的に観察される症状としては「独語」になる。確かにそういうケースはある。だがここでのポイントは「単純に想像されるような声の主との対話では必ずしもない」という部分である。独語という症状は時に不気味で理解し難いものであることから、「独語=幻聴との対話」と整理したくなるし、そう説明すれば納得されやすい。しかし統合失調症の独語とは必ずしもそういうものではない。というより、幻聴との対話 は独語のある一つの型にすぎないのであって、決して典型ではない。独語に限らず、統合失調症の症状を健常者が追体験できる範囲で理解しようとすると、統合失調症という病気の本質を見誤ることになる。

p.32
実際にはかなりいろんな場合があって、文字どおりのひとり言の場合もあろうし、”させられ独語”という自覚形態の場合があり、さらに本人としては独語というより幻聴として体験されていて、自分の口の動きには気づいていない場合がある。さらにはこれらの区別そのものが本人自身明確になされていないのではないか、と思われるような場合もまた多い(小倉参照)。

「小倉参照」と示されているのは 1965年に小倉日出麿が発表した『独語症状の研究』と題された論文である(精神神経学雑誌 67巻12号 1187-1196)。その論文の中にはいくつもの実例の紹介とともに、次のような記述がある。

「対話形式の独語では幻覚は客観化されたもので、独語は自我に意識され得るものといえるが、この体験の区別は必ずしも明確でなく、幻覚と独語は混乱して体験されることもある。即ち、独語していてもそれを意識することなく、幻覚として体験する場合もある」

「幻聴と独語は同一事象の両面といえる。従来から「独語」は低い声で語るのを聞くところに成りたつ」(Baillarger)ともいわれる。」

また、次の記述は前記【3533】の「自分は言いたくないのに、勝手に口が喋ってしまう(心では、そんなこと言いたくない!違う!!と思っているのに、口が私を無視して話してしまう) 」に一致するものである。

「独語症状の認められる患者で、自己の体験を反省して供述できるものも少なくない。独語に伴う主体的体験の第一は主体の意志に反して独語が語られ、口を衝いて出るという強迫-衝迫(obsession-impulsion)である。」

そして、

「衝迫性独語は時としては、他人から聞かれている、察知されると体験されるものである。このように思考、言語は自我の能動的支配から脱して外界へ伝播し、客観化される傾向をもってくる」

これは本稿4に後述の【3296】自分の考えを口に出して漏らしているような気がする という体験に重なるものである。


4

本稿、「幻聴か独語か」と題した。幻聴と独語の境界はときに曖昧である。というより、「幻聴」と「独語」は、観察される症状を理解しやすいように恣意的に別々の言葉を割り当てたにすぎないのであって、本質的には同じ症状なのではないか。少なくとも症状発生の根本にある「何か」は共通しているのではないか。ここからさらに敷衍すれば、多彩に見える統合失調症の症状すべてに共通する「何か」が見えてくる。たとえば「自分の考えが人に伝わる」という考想伝播。最近では「サトラレ」と表現されることも多い(【0790】私はサトラレです、【2208】友達が、サトラレで悩んでいます など)、統合失調症に典型的なこの症状にも、独語-幻聴-考想伝播 という一連の流れが透けて見えるケースがある。
たとえば

【3296】自分の考えを声に出して漏らしているような気がする

2年ほど前から自分の考えが人に伝わっている、というか、実際声に出ていて周りに聞こえているのではないか? と思うようになりました。

この短い記載の中に、まさに独語-幻聴-考想伝播の要素を見出すことができる。
この【3296】の質問者はさらにこう述べている。
周りに聞こえたのではないか?と思うときは、自分が何か嬉しいことやテンションが上がる出来事があったときに、自分では心の中で声を出したつもりなのに周りに聞こえているかもしれないせいで見られる時です。

.
「見られる」。統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴えである。

【3296】はさらに次のように述べる。

今少し声がでちゃったのかな?とも思うのですが、それならそうと友達であれば「なに?」とか「なんか言った?」 と言うのでしょうが、私を見てくる人はさして仲良くもない仕事関係者だったり通りすがりの人に限っています。

.
「通りすがりの人」が「私を見てくる」。これもまた、統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴えである。ここの【3296】のケースにおいては、 (1) 通りすがりの人が自分を見る  (2) それは自分の考えがばれているからではないか (3) すると私は自分の考えを無意識に口に出しているのではないか という論理構造で症状が形成されているように見え、すると(1)が出発点なのではないか(実際に見られていたかどうかはともかく、本人の主観の中では見られていると感じられたことが出発点なのではないか)と推定したくなるが、これは独語を幻聴との対話であるとする前記解釈と同様の推定で、このような通俗心理学的解釈は、統合失調症という病気の理解では禁物である。もちろん仮説としてなら価値がある。その仮説は正しいかしもれない。だが正しそうに感じられる、自然な理解として納得できる、という理由で、その仮説を正しいものとして採用するのは軽率である。
【0717】寝言を盗聴されている気がしますも【3296】に類似している。

数ヶ月前から、盗聴されている気がしてなりません。
お恥ずかしい話ですが、頭の中で性的なことを考えていて、それを寝言でいい、職場の人がそれを盗聴して自分のことを笑っている気がするのです。
 最近では寝言を聞かれているのを見越して、頭の中で盗聴している人たちのことを口汚く罵り、それを寝言で言って不愉快な思いをさせてやろうと考えています。そうしないと我慢がならないのです。

「自分の考えている内容」が「外に出る」ため「人が反応している」という構造は【3296】と全く同じである。
「外に出る」が【3296】では独語、【0717】では寝言という形を取っている。独語は発せられれば直ちに人に聞かれるが、寝言はそうではないので、【0717】では「盗聴」という中間項が挿入されているとみることができよう。
「自分の考えている内容」は様々なものがあり得るが、【0717】では「性的なこと」であるため、それを知った人の反応は「自分のことを笑っている」になっている。そして対抗手段として「頭の中で盗聴している人たちのことを口汚く罵り、それを寝言で言って不愉快な思いをさせてやろう」と考えている。【0717】は「自分の考えている内容」が「外に出る」が寝言という形を取っているため、対抗手段も寝言が活用されているが、もし「外に出る」が独語という形を取っていた場合には、攻撃的な独語という手段になっていたであろう。
以上のような症状構造分析はそれなりにもっともらしいものだが、しかしこれもまた仮説にすぎない。但し、統合失調症という病気が治療されずに悪化していけば、攻撃的な独語が発せられたり、言葉だけでなく攻撃的な行動が生まれることがあるのは事実である。


5

前記の通り、「幻聴」にしても「独語」にしても、それらは、観察される症状を理解しやすいように恣意的に別々の言葉を割り当てられているにすぎない。そもそもある現象に(症状とは限らない。現象一般)言葉を割り当てる、すなわち名前をつけるとはそういうものであって、言葉にした途端に本質からの逸脱が始まることは否めない。「幻聴」は統合失調症の症状として最もわかりやすいものの一つであるが、「幻聴」という言葉のために、かえって病気への気づきが損なわれる場合もよくある。【1072】幻聴がなくても統合失調症ですかはそんな一例である。【1072】の質問者は次のように述べている。

Q: 医師から統合失調症と診断されている、20歳の女性です。
お聞きしたいことは、本当は私は統合失調症ではなく人格障害なのではないかということです。
現状は、
・自分の心の中が周囲の人に知られている。きこえている。
・他人の会話の内容がすごく気になる。
・音に対して敏感。
・人や物に自分の思考を吸い取られそうで怖い。
・働いていないので、食べることに罪悪感がある。
・自分が演技しているみたいに感じる。
・周りの人が私を追い込もうとする。私を騙す。
・他人の言動が自分のことを指しているのではないかと思う。
・人を信じられない。嫌われていると思う。
上記の通り、幻聴はありません。なので、自分は人格障害だと思うのです。

【1072】の回答の通り、このケースが統合失調症であることは間違いないが、「幻聴」という言葉へのとらわれが、「幻聴がなくても統合失調症ですか」という質問(診断への疑問)を生んでいる。
前述の通り、統合失調症の「幻聴」とは、
本来は自分の考えている内容、ないしは内言語が、外部から聞こえると体験される — すなわち、外部の空間に定位されたもの
であって、聴覚性の有無は本質ではないのである。現に、「聞こえているのか自分が考えているのかよくわからない」とか「声ではなく考えが入ってくる」というような訴えは統合失調症の、特に初期にはよくある。
【1290】声ではなく気持ちがわいてくると言う10歳の息子は統合失調症でしょうかでの

「心の中の悪いやつが・・・・・と言っている」と言うことが増えてきた。ただし、これは前に書いたように第三者の声が聞こえてくるときもあるが、ほとんどはそのような気持ちがわいてくるような感じということでした。

.

という体験も同種のものである。もっとも、10歳という年齢での統合失調症の診断はかなり難しいが、この【1290】の体験は統合失調症の診断を強く推定させるものである。(なおこのケースは気持ちが「わいてくる」というのは慎重に判断すべき表現である。自分の中に「わいてくる」という表現は健常者でもしばしばある。これが「入って来る」となれば、かなり統合失調症らしいと言えるが、「わいてくる」だけだと何とも言えない。だがこの【1290】では、「第三者の声が聞こえてくるときもある」ことから、「わいてくる」も統合失調症らしい体験であると推定することができる。(安永も次のように記載している: p.33 自分の中の現象という自覚は保たれながら感覚性としては知覚形態に近づくという類の現象がある)


6

独語は自己が発する言葉として自覚される。すなわち起点は自己である。
幻聴は他者が発する言葉として自覚される。すなわち起点は他者(または非自己)である。
【3535】や安永のケースでは、独語と幻聴が混同されている。起点が自己である独語の、その起点が逸脱して自覚され、幻聴として体験されている。
それが行為であれ、思考であれ、自分の行為は自己が起点であり、自分の思考は自己が起点である。これはあまりに自明であるため通常あえて意識されることはないし、自分の行為や思考の起点が自己でなくなるなどということは考え難いことだが、その考え難いことが発生しているのが統合失調症である。起点の逸脱。それを自我障害と呼ぶこともできる。


7

表象と知覚。
自分が考えていること。それがある意味内容であれ、言葉で表したものであれ、視覚的なイメージであれ、それは「表象」である。先の「起点」という語を用いるならば、表象の起点は自己である。
知覚は外部からのインプットである。知覚の「起点」は非自己である。
表象と知覚の起点は健常では截然と分離している。両者を混同することはあり得ない。統合失調症ではこの起点をめぐる障害が発生する。それは「表象の擬知覚化」である。
統合失調症の最もわかりやすい症状の一つである幻聴。それもまた表象の擬知覚化である。すなわち、「自分の考えた内容」という表象が、主観の中では「外部から聞こえる声」に擬知覚化する。

そして、【3535】や安永のケースでは、表象からの擬知覚化の中間項に独語が挿入されている。言い換えれば、幻聴も独語も、表象の擬知覚化という症状を構成する要素にすぎない。

前記【3296】の「通りすがりの人」が「私を見てくる」という、統合失調症に非常に高率に見られる典型的な訴え。【3296】についての前述の通俗心理学的解釈(仮説)の正否はともかく、これもまた表象の擬知覚化として理解できる現象である。すなわち、「通りすがりの人が自分を見ているように思う」という表象にすぎないはずのものが、本人にとっては「実際に自分を見ている」というように擬知覚化している。

前記【3355】に、

それともう1つ気になる事は、職場の同僚が私のことをよく思っていないということ
です。話題にしたり噂になったりして気になります。

という統合失調症に非常によく見られる典型的な症状について、【3355】の回答で私は

それも幻聴といっていいでしょう。「職場の同僚が私のことをよく思っていないような気がする」という段階が関係念慮または関係妄想、そしてそれが「話題にしたり噂になっているのが聞こえる」という段階になれば幻聴があるということになります。

と説明した。この説明はもちろん間違いではないが、「関係念慮または関係妄想」も「幻聴」も、表象の擬知覚化という意味では同じものである。そして実際の臨床での患者の症状も、それが「関係念慮または関係妄想」なのか「幻聴」なのかは区別がつきにくいことは非常によくある。両者は互いに移行するといってもよい。


8

ところで、「擬」知覚化というのは、第三者から見てのことであって、本人にとっては「擬」が外された「知覚化」である。さらにいえば「化」も外された「知覚」である。「知覚」そのものである。だからこそそれが幻聴だとか妄想だとか説明されても、またどんな証拠を示されても納得しない。本人にとってはまごうことなき「知覚」だから。それが統合失調症の病識欠如の基盤にある重要な要素である。サトラレは病気の症状であるという説明が【3099】 のように 私は、私の思ったことや考えたことが他人に聞こえる、いわゆる「サトラレ」です。100%統合失調症ではありません のように頑として受け入れられないのは、また、幻聴が幻聴であるという説明が【3513】林先生の答えには納得できません。悪口を言われているのは事実です のように頑として受け入れないのは、「表象の擬知覚化」が本人にとっては「知覚」そのものだからである。(もちろん病態の重さによって病識にもレベルがある。【3158】病識の無さのレベルについて参照)

「表象の擬知覚化」は先の安永の論文中にある表現である。「起点の逸脱」という表現自体は同論文にはないが、「起点」という語を使った説明はある。

p.37
幻聴の”内容”は本来の思考と平行的に存してその傍流をなす思考であるようにみえる面と、本来の思考とむしろ一体であるようにみえる面とがあるが、いずれにせよ本来能動的な或る思考、内語運動の発動に由来しているようにみえる。ただその起点たるべき部分の定位が自我中心とずれて知覚される、とでも表現されるべき事態がそこにあるのではなかろうか。

これが、統合失調症の症状を統一的に説明する、安永の壮大なファントム理論につながっていくのであるが、メモとして書き始めた本稿、すでにほぼ1万字になってしまった。ここまでとする。


付記
本稿のタイトル「幻聴か独語か」は、実のところ意味に乏しい問いである。いや、もちろん現象レベルでは意味がある。幻聴と独語は別の現象である。だがどちらも「起点の逸脱」という単一の障害の表れである。さらには統合失調症のいかなる症状も「起点の逸脱」が様々に形を変えて表れているものにすぎない。おそらく。
http://kokoro.squares.net/?p=6497

連合弛緩 Dr林のこころと脳の相談室
http://kokoro.squares.net/?p=6591
1

連合弛緩は統合失調症にきわめて特徴的な症状で、古くはブロイラーが統合失調症の基本障害であると位置づけている。
だが連合弛緩は実に説明のしにくい症状である。
精神科ポケット辞典(弘文堂)には次のように記されている。

ある表象が別の表象を意識に呼び起こしたり、この過程を助けることによって要素的な精神内容が統合することを連合という。このような意識内容の意味のある結合が障害されて弛緩した状態を連合弛緩という。

これは正確な説明であっても、抽象的でよくわからない。もっと具体的に言ってくれと言いたくなるであろう。
そもそも「意識」とか「精神内容」というのはその人の内界にあって外からは見えないものなのだから、たとえこの説明が完璧に理解されたとしても、ではそれが目に見える症状としてどう現れるかを理解するのはまた別の問題である。
通常、精神内界はその人の発する言語の中に表出されると考えることになる。
そこで現代の診断基準であるDSM-5には、主要な5症状に位置づけられるA項目に、まとまりのない発語(例: 頻繁な脱線または滅裂); Disorganized speech (e.g., frequent derailment or incoherence) があり、これが診断基準中では連合弛緩に最も関係が深い症状とみていいであろう。
言葉は精神内界よりははるかに具体的だが、しかしそれでも、「まとまりのない発語」と言われてもかなりの種類・幅があるし、「頻繁な脱線または滅裂」もまた、まだ統合失調症の連合弛緩の特徴を示す表現としては非特異的にすぎよう。

【3555】自己診断では「理論的に考えられる」が「考えすぎるタイプ」だという結論ですには比較的よく連合弛緩が表出されている。以下2に【3555】からそのまま引用する。

2

【拝啓】○○様への【申告】 これらは単なるこじ付けに過ぎない「怪文書」であると「明言」します。何かが起きれば、「回文書」のように言葉が「逆さま」になり、「まさかさ」と思うような、「意味不明」な「事態」が起こるかもしれないということに「気付いて」、次は「築いて」ください。その「神」が「深刻」だと思われている「事態」「自体」に、「忌み」があるか「不明」だということです。「紙」に残るかもしれません。ただ、いまは「深刻」はなく、神は寛大なので「申告」されているだけです。神は「天罰」を与えるために「天災」を誰にも気付かれずに起こす「天才」だと思っています。でも神の「意思」はいつ「石」に変わるか分かりません。そして「次」の「告ぎ」がいつかは分かりません。その「時期」は「次期」です。「世」が「夜」に変わるかも知れません。「明言」は「名言」になるのかもしれません。 こちらは、名前も生年月日も言いにくいことから、匿名を希望しており、著作権など全ての権利は公的な立場の人間や、機関に譲りたい。既に「放棄」しています。著作権が移ったということがメディアでの報道や裁判所の公示を行なえば、私は知ることが出来るし、知っていて当然の状態になります。私は匿名ですが、そちらの連絡先は全て把握できる状態です。なので、私はいつでも「公道」で「行動」を取ることが出来るということに「気付い」てください。そして「築いて」ください。 これは「特命」を受けた「匿名」の活動です。既に権利を「放棄」したので、その後、秩序が戻り、「法規」が整うのかもしれません。「権」を失ったので、「剣」を失うということかもしれません。 これから「カオス」を越えて「静寂」を取り戻せる可能性があります。なので私は、周りから、「すごいな〜」って言われるようになりたいです。でも、「匿名」なんです。でも、「至急」、「子宮」について問題に取り組むための「特命」なんです。 ちなみに、「以上」の後に起こることは「異常」なのかもしれません。今までの常識であった「正常」ではありませんから。ですが、「異常」は異なるというだけで、良い意味にも悪い意味にも捉えられます。「捉え」方を間違うと「捕らえ」られます。「誤魔化し」は「誤った悪魔に化し」ます。ですので、次期が「正常」であれば、「政情」に繋がるということです。そして、ピリオドなどと呼ばれたりする句読点は、「終了」を意味します。 以上。

3

上の【3555】の文章でまず形式として目立つのは、同音異義語の並列である。
「気付いて」と「築いて」
「天災」と「天才」
「意思」と「石」
「世」と「夜」
「特命」と「匿名」
「放棄」と「法規」
「至急」と「子宮」
などなど。
この中には、部分的に取り出してみれば、あえて同音異義語を唐突に持ち出すことによる効果を生む詩的センスを感じさせるものも含まれているが、(たとえば「意思」と「石」など)、関連がなさすぎて無意味と言うしかないもの(たとえば「至急」と「子宮」)も含まれている。つまり同音異義語が不合理に繁用されている。単なる思いつきによる利己的・自閉的な使用と言ってもいいかもしれない。そして全体としては、筆者が自分の思想を主張しようという意志は感じ取れるものの、空虚で実質的な意味に乏しい文章であると言わざるを得ない。

安永浩は次のように述べている(文献1)。

(統合失調症の)思考障害のいま一つの様相は、一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱、逆にいえば患者は、ある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。

文脈を無視した同音異義語の繁用は、その一つの表れとみることができる。

4

上記安永の記載もブロイラーの記載も、表出された言葉についてのものである。言葉として表れる症状は精神内界を反映している。言葉は脳を映す鏡であるとも言えよう。一方、ブロイラーが基本障害としている連合弛緩はあくまでも精神内界の存するものである。ブロイラーは彼の有名な著書『早発性痴呆または精神分裂病群』に次のように記載している(文献2; 以下「翻訳書」と記す)。

翻訳書p.24
無数の現実の、あるいは潜在している表象群は、正常な観念過程においては、それらの惹き起こす作用が個々の連想を規定するものであるが、分裂病の場合には、一見無法則的にその表象群のいくつかの組合せ、ないしは組合せ全体が活動を停止していることがある。その代わりに主観念とまったく関連がないか、あっても不十分であり、そのために思考過程から排除されねばならぬ表象群が活動しはじめることもある。その結果思考は滅裂し、衒奇的となり、不適当なものとなり、切れ切れになる。しばしばすべての思考の糸が働かなくなり、思考過程はまったく中断される。この途絶の後に、以前の観念とはまったく関連のない観念が浮かび上がって来ることがある。

このあたり、安永とブロイラーの論は一致している。安永は先の引用(・・・患者は、ある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない、という形で現れる。)に続けて次のように述べる。

それでも日常の会話でたいした混乱が起きないのは、そのときの状況、文脈がその意味をほぼ決定してくれるからである。病者の場合その文脈の規定力が明らかに弱まっており、一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう。

文脈の規定力が弱まっている。文脈と無関係な言葉の産生。ソフトの誤変換に近いイメージである。ソフトの誤変換は、文脈を無視して、入力した文字列を(PCが利己的・自閉的に)対応する漢字に変換することによって発生する。【3555】の文章を書いている脳内でも同様のメカニズムがあると考えられる。たとえば「こうどう」という言葉が浮かんだとき、「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」が発生し、「逆にいえばある言葉なら言葉の意味を正確、単一につかみえない」ために、「私はいつでも「公道」で「行動」を取ることが出来る」という文章となって表出されたのであろう。

そして、「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」は、同音異義語という形でのみ表れるわけではない。【3555】の「逆さま」と「まさかさ」や、「神」と「深刻」などは、誤変換ではまず出て来ないもので、「一つの言葉についての連想」が同音異義語以外の形で表出されたものであると言える。

同音異義語が日本語のように多くない外国語で表れるのはこの形になる。たとえばドイツ語では、「(統合失調症においては)語音による連想も多い Häufig sind ferner Assoziationen nach dem Wortklang」 とブロイラーが記している(文献3; 文献2の原書。以下「原書」と記す)。

原書p.19
Kopf — Tropf; Frosch — rost — rostig;
sauber — Tauber; geschlagen — betroffen — beglagen

ブロイラーはさらに次のように述べる。

翻訳書P.27
・・・語音の同一性、いや実に類似性だけでも連想の方向を決定するのに十分であることをわれわれに示してくれる。
 音連合もしばしば衒奇性という分裂病的性格をおびている。
 ある女性患者は、カレンダー(Kalender)は岩石販売である。岩石は不毛(kahe)だから、と語った。ある女性の緊張病患者の前でFischmarkt (魚市)のことを話すと “私もHaifisch (鮫類の魚)なのですと悲しそうに言う。彼女はまったく特殊な、分裂病者以外の醒めた人間には不可能な音連合 “Fischmarkt —– harfisch” を、彼女がまったく悪い人間であることを表現するために用いている。その際この種の同一化がまったく不可能であることが無視されている。

5

連合弛緩の表出としての滅裂な文章は、ブロイラーも安永も実例を挙げているが、やはり翻訳では弛緩のニュアンスは伝わりにくい。安永のほうを引用しよう。

(連合弛緩について)
顕著な場合には誰の目にも異常が明らかになる。この場合、思考の渋滞、阻害を伴い、みた目にもたどたどしく苦しそうで、強制すればなお滅裂が顕著になり、といった受け身型の場合もあるが、しばしばかえって能動的かつ自発的に、滅裂的文章が奔出する場合がある。

安永はこのように述べた後、「滅裂の程度としては中等度」の例として、患者の文章を引用している。それは次のように始まる。

きのうは十二日でしたけれども私があまりに仕事念(熱)心なので気体(期待)されているだけにこわい。たましいだけれど性活(格)は明郎(朗)なので五月生れの人は秀才とまでいわれているので、それならまだ自分の思い道理(通り)の道を一人で散歩するなら、建国紀(記)念日の平和を祈って自分の生きたいところにはばたいてほしい。小さい時は手をとり足をとりお互いにむかって話のあえるところにいってほしい。
(以下略)

安永はこの引用の後に次の「注」をつけている:
明らかに誤字と思われるところは圏点、を付し正しい字を補っておいた。これはもちろん知識不足や”うっかり”だけの問題ではなく、あて字を”意に介しない”ということ自体が目立つ。

とは言うものの、上記の引用文に見られる誤りは「知識不足や”うっかり”だけの問題」と解釈する余地もあり、むしろ【3555】の方が安永のいう「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」をよく反映しているように思われる。

6

「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」は脳内のメカニズムに言い換えれば、不必要な情報を不活性化し、必要な情報を活性化するプロセスということになる。
現代脳科学の知見に従えば、これは視床の機能である。この機能の障害が、言語症状にも反映することが、Nakajimaらの2017年のAphasiologyの論文に示されている(文献4)。
同論文には視床出血をきたした患者の発語が次のように記されている。

「口の中100度になったり10度になったりしてあまり高い音にはならないけれど、100度とか120度になるから」

意味性ジャルゴンと呼ばれる言語症状である。
この記載部分だけを読めば、これが統合失調症の滅裂言語とは違うことは明らかであるが、論文に引用されるのは特に典型的な症状が選ばれるのが常であって、実際にこの患者の発語すべてを見渡せば、中には統合失調症の滅裂言語と区別がつきにくいものもあったに違いない。そもそもDSM-5の記載のように「Disorganized speech」という語でくくってしまえば、上記の意味性ジャルゴンもDisorganized speechに違いなく、統合失調症の滅裂言語と脳損傷の意味性ジャルゴンは区別困難になる。
と言っても実際に診察すればやはり違いは明白なのであるが、ではその違いを言葉で説明してみよと迫られるとなかなか難しいものがある。
何であれ、「経験ある専門家がみればわかる」という説明には限界がある。発展性がない。職人芸は価値あるものであっても、徒弟制度によって綿々と繋ぐことまでしかできない。
そこで統合失調症の言葉をより客観的に分析し、特徴を抽出せんとする研究は昔からよく行われている。
比較的最近ではBritish Journal of Psychiatryの論文があり、統合失調症患者が書いた文章は健常者に比べて I が少なく they が多い などの結果が記されている(文献5)。これは興味深い論文ではあるものの、まだまだpilot studyの域を出るものではなく、また、人称代名詞の使い方が大きく異なる日本語にそのままは応用できないので、日本人の統合失調症の言語分析という観点からはかなり遠い結果である。
もっとも、現代ではAIを駆使した言語分析研究が急速に進行しているので、文章や発語にみられる「統合失調症らしさ」を客観的に示すことができる日が来るのは意外に早いかもしれない。そうなれば統合失調症の脳障害の本質はすぐ手の届くところに接近するであろう。
視床損傷の言語症状の分析によって、視床の機能を見出すことができることに見られることが示しているように、言葉は脳を映す鏡なのである。

7

しかしいずれにしても、統合失調症以外の病態でも「わけのわからないことを言う」という症状はいくらでも認められる。Disorganized speechは決して統合失調症に特有の症状ではない。脳器質疾患等でも十分に現れ得る。
「Disorganized speech」を「連合弛緩」と言い換えたとしても、そしてそれを統合失調症に特有な症状だと主張したとしても、それは「私のいうところの連合弛緩は、統合失調症に特有な連合弛緩を指しているのだ」という主張に等しく、これは同語反復にすぎない。意味性ジャルゴンも、やはり連合は弛緩しているのである。
さらに言えば、たとえ統合失調症に特有の連合弛緩の特性を客観的に示すことができたとしても、それは他の脳疾患に見られる連合弛緩とは違ったタイプの独特の連合弛緩であることを示したというにすぎない。
そして連合弛緩のメカニズムを「一つの概念の意味の拡散、多義化による混乱」「一つの言葉についての連想が雲のように湧き、浮動してしまう」と記したとしても、それはたとえば視床損傷による意味性ジャルゴンのメカニズムを考えたとき、説明としては同じ表現になってしまう。
それでもなお 連合弛緩を統合失調症の基本障害に位置づけることができるか。

8

ブロイラーの主張にあらためて目を向けてみる。彼は著書の後半で次のように述べている。

翻訳書p.393
われわれはそこで、連合障害を、それが連合親和性(Affinität)の低下あるいは平坦化という意味である限り、一次性症状と考える。阻害(Sperrungen)や系統的分裂は二次性である。

原文は次の通り

Wir halten also Assoziätiosstörung für primar, soweit es sich um Herabsetzung oder Nivellierung der Affinitäten handelt; sekundar sind die Sperrungen und die systematischen Spaltungen.

そして次のように記されているので、先に挙げたような表出は二次性ということになろう。

翻訳書p.396
二次性症状にはまず、連合弛緩の直接の結果として思考における単なる概念断片の使用(その結果はおかしなものになってしまう。)、概念の移動(Verschiebungen)、象徴化、濃縮、思考の滅裂などがある。

(ちなみに、ブロイラーの時代には視床失語についてはほとんど何もわかっていなかった。失語症学の誕生をBrocaが後にブローカ失語と呼ばれる大脳皮質損傷の第一例を学会報告した1861年とするとしても、視床失語をはじめとするいわゆる皮質下性失語の概念が生まれたのはそれよりはるかに後である。1959年にはPenfieldが「視床は皮質の言語領域を統合する機能を有している」と述べたが、当時もなお視床損傷による失語症例の学会報告や論文はほとんどなかった。1967年に我が国で発刊された大橋博司の『失語症』(文献6)には「視床病巣の失語症例の報告も少数ながら存在し、・・・ しかしこれらの症例の症状分析はなお不充分であり、今後の検討を必要とする」と記されている。ブロイラーが教科書を著したのはそれよりはるかに以前の1911年である。)
(なお上記翻訳書の「その結果はおかしなものになってしまう」は、文脈から見て不器用な表現だが、原文は次の通り自然に流れる文章である: der Gerauch blosser Begriffis bruchstucke zum Denken mit seinen unrichtige Resultaten )

滅裂などの言語症状を、基底にある基本障害としての連合弛緩の表れである二次症状であるとするブロイラーの論は十分に首肯できる。だが基本障害というからには、統合失調症のあらゆる症状を、その障害の表れとして説明できなければならない。
では統合失調症で最も目立つ症状である幻聴は連合弛緩からどう説明できるのか。ブロイラーは次のように記している。

翻訳書p.432 
いかにして現実の歪曲が妄覚の形で示現されるか、われわれはそれを知らない。

(原文は Wie die Wirklichkeitsfälchungen sich in Sinnestäuschungen ausdrücken können, wissen wir nicht. )

この記載には失望を禁じ得ない。
いや、ブロイラーの著書は1911年に発刊されたものであって、それから100年以上が過ぎた現代の目から批判するのは不公正であろう。だがそうは言っても、「統合失調症に見られる症状を何らかの基本障害の表れとして説明する」のは、必ずしもニューロサイエンスの知見を必要とするものではないから、時を超えた論考として成立すべきものであるし、何より最も目立つ症状である幻聴を説明できず「われわれはそれを知らない」と開き直るようでは、基本障害という地位を連合弛緩に与えることには無理があろう。

対照的に安永は、幻聴という症状の成り立ちの説明を試みている。幻聴か独語かにメモした内容すなわち独語と幻聴の連続性、共通性がその一つであり、さらに統合失調症にしばしば見られる関係づけを言語症状との関連で次のように述べていることは大いに示唆的である。

臨床場面でみても、それが一つの文脈の中に明瞭に位置するときでさえ、その文脈の決定する通常の意味が優越権をもてぬところに不思議さがある。ある他者の言葉が、「まったく別様の意味を暗示しているようでもある・・・」 (中略) このような意味のだぶりと浮遊とは、”言葉”にとどまらず、一般の知覚刺激の受け取り方にそのような面がみられるのである。
「店の男の人がこっちをみたとき、眼の光がすごかった。猫がのびをすると棒のようで不気味である。・・・風呂場の壁が一部青く塗ってあるのは何か意味があるようで不思議だ・・・。」

そして連合弛緩については安永は次のように述べる。

分裂病の病的体験の構造を偏見なく検討してゆくとき、これ(連合弛緩)もまた単独で他の症状を誘導してゆくだけの位置をもたない

むしろそれらと相並んで、同じ方向の基礎的変質を被っている事態、と理解すべきであることがわかってくる。 

すなわち連合弛緩、あるいはそれを反映する言語症状は、統合失調症の根底にある基本障害ではなく、他の症状と並列される統合失調症の一症状にすぎないというのが、安永の論である。私も全く同感である。

文献

1. 安永浩: 安永浩著作集 症状論と精神療法

2. E. ブロイラー: 早発性痴呆または精神分裂病群. 飯田・下坂・保崎・安永訳. 医学書院 東京 1974.

3. Eugen Bleuler: Demtentia praecox oder Gruppe der Schizophrenien
(Unveränderte neuauflage der Ausgabe von 1911)
Psychosozial-Verlag

4. Nakajima A and Funayama M: Attentional dysfunction and word-finding difficulties are related to semantic jargon after a thalamic lesion: a case report.
Aphasiology 2017

5. Fineberg SK et al: Word use in first-person accounts of schizophrenia.
British Journal of Psychiatry 206: 32-38, 2015.

6. 大橋博司: 失語症学. 中外医学社. 東京. 1967年.


05. 10月 2017 by Hayashi
http://kokoro.squares.net/?p=6591


統合失調症患者の幻聴との会話
幻聴と会話してる方他にいませんか?


01: 名前:george(" ") 投稿日:2009/08/17(月) 08:39

僕は幻聴と普段から時折話しています。

麻雀やらせたら、ちゃんと正しく捨て牌を選び、ロト6の数字を選ばせたら六つ数字を選びます。

たいした会話はしませんが、自らを「幻聴」ではないと主張します。

しますが名前を聞いても、ごまかし、住所を聞いても答えません。
出てきて欲しくない時は出てこず、此方が話しかけると答えます。

手のかからない幻聴さんです。
他に、幻聴が聞こえる方、どんな様子でしょうか?


02: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/08/17(月) 09:14

自分も幻聴聞こえるのですが、会話型ではなく一方的に聞こえてきます。

”ほかの人の話し声が自分の事言われている感じ”がしたり

“テレビの声が、自分の事言われている感じ”がします。

あと、”鳥の声や工事の音が暗号化されて自分の事言われている感じ”がしたりして怖くなることがあります。


03: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/17(月) 19:00

会話型幻聴って珍しいのでしょうか?

知らない道を案内されたことは無いんですが、散歩で道を選ばせたりしていると、一度通った道を覚えたりもします。

どうにも不思議で、他の会話型幻聴の人の経験も聞いてみたいです。


04: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2009/08/18(火) 06:35

私の場合は幻聴と会話というより、戦いといった感じであります。

「おまえはこうしくちゃならない」

ということを、耳にするのですが、それに対して、自分がどう対応するのか迷ってしまうのです。

それと以前ある精神科医が言ってたのですが、(基本的には)幻聴とは自分以外の
声だとの事です。

その意味においては当てはまらないのですが、私は自分の(と思っている)感情・思考がスパイラルすることがよくあります。

ラジオをつけっぱなしの如く、言葉が頭でぐるぐるになり、自分を責めるのです。
そのような体験をしています。

ただ、一時的な発作のようなもので、24時間ずっと続くわけではないのですが・・。


05: 名前:心 投稿日:2009/08/18(火) 12:09

私は会話というより予言する幻聴なら聞えますよ。

思考伝播もありました。

集団ストーカーの被害でもうけてるのかなとも思いましたけど最近は思わなくなりましたよ。


06: 名前:tako 投稿日:2009/08/18(火) 21:38

私も週末はベットにごろごろしながら、幻聴と話をしています。

最近は名前は言わなくなりましたが、前は登場人物がいっぱいいました。
一番出てきた子は”ゆう”という名前の男の子でローソンにいくと”これ、
買って”とかまで言ってきました。

でも会話ができるようになったのはまだいい事でその前は命令ばかりされて、
変な事をいっぱいしてました。

初めて病院に行った時には、トイレの天井に抜け道があると言われて探したり、
診察室の手前にある事務所のドアを突然開けてみたり、他の人の目を見たら
声がうつると言われていたので、初めての診察は先生の後ろにあるランの花
を見ながら”入院して休んでください。医療保護入院ですので断れません”
とかいうのを何となく聞いていました。

入院中も入院患者なのに夜以外はベットに寝ころぶ事を許されなかったり、
勉強をしてもいけないし、買う雑誌もおやつも全部決められて、ご飯はお米
一粒たりとも残させてもらえませんでした。

先生にも幻聴が聞こえる事を言うことを許されず、嘘を言って退院しました。

その後も仕事を探す時にこの仕事はだめとかいいとか指示を出し、ある会社
の面接に行った日の夕方に”今日、電話がある”と言われたので、もう夕方
だしないよ・・・と思っていたら、夜遅い時間に電話があり、仕事が決まりました。

仕事をはじめたら、今度はパソコンに入力してたら、”漢字違う”とか注意
されていました。

ジャイアンツさんの言われている症状も全部ありましたね。
他の人に言われている事はいまだに自分の事のように感じる時があります。

急性期はエアコンの音がメッセージに聞こえて、エアコンつけれませんでした。
笑っていいともでタモリが私の話していると感じました。

変な症状ですよね。
何年たっても、完治しないのでしょうか?


08: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/18(火) 23:22

幻聴は自称女性なんですが、自分のことをあまり答えないので、話題が広がりません。しゃべるといっても最近では、此方から話しかけないと滅多に話しかけてきません。

最初、幻聴のコトを昔好きだったある女性だと思って話しかけていたんですが
ある日幻聴が 「XXXにはなれない」と叫びだし、自分はその人物ではないと言い出し今に至ります。

最初の頃は色々、ドコソコにいるから来てくれ、振り回されました。自分も幻聴だとは思っていませんでした。


09: 名前:心 投稿日:2009/08/19(水) 12:20

某芸能人がニュースでハワイで挙式と放送される何秒前かにそとでハワイと聞えました。

それと郵便局に行った時、あいのてと、聞えて何日か後にラジオであいのてを入れたい曲というのをやってました。


georgeさん:

私の幻聴は昔好きだった男の子から始まり、その後、いろいろな人がその子に
会わせる前にしっかりしつけすると言っていろいろうるさく言い始めました。
私も幻聴と思わず、半年位、精神科の先生に嘘を言っていました。

今は誰でもありませんが、今気になる人がいるので、その人に嫌われてるだの
そんな事ないだの・・・週末はだらだらと言いあいしています。


心さん:

私も頭に浮かんだことを、偶然に前を通りかかった人が言ったりします。

一時は私の考えていることばかりがMSNのホームページに書かれているので、
インターネットが怖くなって、コンピューターの電源がつけれませんでした。


11: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 00:53
>心さん
「あいのて」は偶然のような気がしますが、「ハワイ」はびっくりですね!
他にもあるのでしょうか?


>takoさん
うちの幻聴があまり多弁でないのに比べて、よく話し相手になってくれる幻聴のようですね。

まだテレパシーだと思っていた頃、うちの幻聴を精神科の先生と話させようとしたことがあったんですが、その途端、何もしゃべらなくなって、がっかりしたことがありました(苦笑

今も何か書き込めと言うと「なんで私がそんなことしなきゃならないんだ」
と言って、意味にならない単語を入力させようとするので、止めさせました。


12: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 01:06

幻聴を説得して、掲示板に発言させてみました。
ぶつくさ、言いながら、以下の発言を記述するにいたりました。
「念話者」は定着しちゃった幻聴さんの呼称です。

「takoさんの幻聴さんこんにちわ、私はここにいます。念話者です。
なんでこんなこと考えるでしょうね、georgeは,」


13: 名前:tako 投稿日:2009/08/20(木) 20:21

georgeさんの書き込み見て、”私の幻聴は何か言うかな?”と思ったら、

”アホか?” って聞こえました。(私は関西人です)

まあ、よく似たものですね(笑)


14: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 22:14

こんばんは、
幻聴は「そっか、なるほどね」って言ってました。


幻聴同士会話したら、何を話すかな?って思ったんですけど、
ダメでしたね、すいません、つき合わせてしまって。


15: 名前: 投稿日:2009/08/21(金) 01:05

幻聴一月目の者です。

誰か見ててくれれば、嬉しいのですが・・・皆寝てるかな・・

之は私の実体験ですが、一度誰かと右の脳なのか耳なのかで話したことがあります
でその方とは会えたのですが私の知ってる人ではなかったと思います。
ですが、腹の下辺りが熱くなりその方も同じ症状でした。嘘だと思ってもらってもいいです。

今はその方とは話ができませんが、今度は左の脳?の耳鳴り?が
私の頭で考えてることをシグナルのように自分の考えが自分で聞こえる?

表現が難しいですがそんな感じです。之も統合失調症の現れでしょうか?

病院へは行きました。勿論今は心因何とかと診断されていますが、処方されている薬を飲んでも欝っぽくなるだけで全く症状は改善されません。

最初は物凄く小さな耳鳴りでしたが今は少し大きくなってます。

女性のようです。怖いや好きなどの声を聞きます。


19: 名前:機動戦士パンダム 投稿日:2009/08/23(日) 20:52

私も幻聴がひどくて、薬を飲む前はいわゆるテレパシーがあると半分信じ込んでいました。

治療前でも、科学的にはそんなことありえないと落ち着いて考えれば判断できたのですが、そもそも落ち着いていられるときが少なかったので、徐々に妄想に押し
流されてしまいました。

幸いなことに薬がよく効く体質らしく、薬を飲んでからはそのような妄想から、かなり早いスピードで脱することが出来ました。しかし、今でも幻聴は残っていますし、暇だと会話してるときが多いです。

最近は幻聴に幻聴が答える事もあったりして、思わず笑ってしまいます。

幻聴の主は多数居て、実在の人物の過去の発言やそれに類する内容の発言と、架空の(抽象的な)人物が現在の行動や考えてに対して行う発言とに分かれます。


21: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/25(火) 21:44

私は、幻聴に時計の代わりをさせてみて、まともに時間を知らせることが出来ないことを知り、ああ、これは幻聴さんだな、と思えるようになりました。

普通の人なら、家に時計があり、携帯電話なり腕時計で時間を確認できますからね。

幻聴同士が会話するっていうのはすごいですね。
どんな話をするんでしょうか?
幻聴さん何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか?

僕の場合最初幻聴が始まってすぐの頃、大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」という演技を某さんがテレパシーでしたと考えてました。

複数の幻聴さんの声が聞こえたのは後にも先にもその数分の間だけでした。


24: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 15:37

名前が何も表示されなかった者です。それ以降幻聴に指示された場所に行っても誰にも合えませんでした。これです私もこれでした。

その後も何度というより私の頭で考えてることがアッチに筒抜けと思い、切ってくれと頼んだらいつの間にか消えてました。

ただ私の場合はこの女性が自分は私の初恋の相手だと名乗りました。勿論、幻聴でです。

14年見ても無かったので私の記憶が正しければ、別の人だったと思います。かなり記憶が新しいので、その女性に会ったのは皆既日食の次の日でした。

その頃は余りにも怖かったので、その女性の家に行き(本物)が住んでいるだろう場所に行って事実確認をしました。結果は恥ずかしくて顔は見ませんでしたが結婚されてました。

同じような幻聴を聞いて、たまたま同じ場所に幻聴を聞いたもの同士が集まってしまったのでないことを確認されましたか?

またそのような現象が起こったら確認しようと連絡先など交換してませんか?
残念ながらしていません。ですが会ったのがカフェでして逆ナンではないですがライターの火が付かずカチカチしていましたのでライターは上げました。そして何も話していません。

その自分を私の初恋の相手だと言い、もし○○なら足を動かせと言えば動かしました。チョット面白かったです。

それともう一人女性がいました。この方の方は全く記憶にはありません。もしかしたら、その様にして出会った一人だったのかもしれません。

大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」

これです!!私もありました。多数の人間が同時に同じ事を言ってる声です。

何でしょうか?未来予告みたいな事もありましたが、私の信条的に未来は誰にも分からないと思っていましたので、その時はなぜか舞い上がってましたが、紙に書いて残していましたが捨てました。

この2ヶ月の間に憑依?もされました。3回です。

最初は女性、次に3つの考えがある男、最後は人に雷落としたり疫病ばら撒いた事のある歴史上の日本人です。

今は左側の耳鳴り、脳鳴り?で治まってくれただけで奇跡かもしれません。うざいですけどね。しかし、何かに集中していたり、仕事をしていたりすると全く気にならないのでまぁいいかなということになってます。今度脳ドックへ行きます。


28: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 21:48

私の場合幻聴さんの声にあわせて、何かを指でコツコツと叩くと何故か、声がよく聞こえたので、しばらく、そのようにしてました。

なるほど、私の場合さっきもですが今は脳鳴りは聞こえていません。ですが面白いことに喋ってるとき(私の妄想ですが)脳鳴りが聞こえない時、体がその喋ってる動きに合わせて動いている時が殆どです。

尻の下ぐらいから振動のように聞こえてくる声もあります。幻聴の声を自分で喋るですか・・・私の幻聴はチョット卑猥な発言もしますので喋ることは難しいですね。

憑依のときは凄かったです。もう部屋中ぐるぐる自分では決して動けない動きをしましたね。

最初の女性のときでしたが幻覚もその時のみ見ました。透明で冠みたいなのを被ってましたね。

あれはきつかった。その女性が言うにはというより、私にも体や声は自由に動かせませんが自覚がありました。それが凄いと後々の憑依された方々に言われました。精神力が強いと(笑)

精神も糞もねーと思っていましたが、まだ沢山の声が聞こえているときに今度取り付いたら許さんと言ってもうそれは無いと言われたのでホッとしています。

それが取れたとき今でもそれが見えるんですが体から白い煙がブワーッと出ているのを見ました。(普通はチョロチョロとしか見えない)


31: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:00

幻聴に口を貸すのですが、貸すといっても、いつでも自分で割り込めるので・・

実はこの頃左の後ろ側の脳鳴り?がとても小さくなって凄く聞こえず楽なってし
まいました。

幻聴さんには、最初、ブッダの生まれ変わり扱いされました

実は3人目の憑依された方から、お前は俺の力と魂の生まれ変わりだと言われました。 その時、私が頭の中でそれは無いと言ってたのですがそうらしいです。名前は菅原道真といいます。

私も今は話せるのは一人だけですね(女)。と言っても今は会話になりませんw

病院へは行ったのですが・・薬はきつくてもう飲んでいないのに完全に回復してきています。 相変わらず体から出る煙は見えるのですがこうなるまでに実は私がそうだと思っている原因があります。


32: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:11

最初はある神社からでした。岩戸?岩室?と言う所で願い事をしました

そして、その夜(体から煙がでてから)体のへそ辺り(丹田)に熱いなんか蛇かなんか? がぐるぐると動いていて、その頃ヨガをやってまして瞑想をしていました。

丹田呼吸をやっていたのですが、イメージでその丹田にあるエネルギー(本当は何も無い)を眉間に持っていくイメージですwをやっていると無茶苦茶気持ちよくなりました。なんでしょうか?

卑猥な表現になりますがセックスをしている時の射精をする感覚が2時間ぐらい続くみたいな事があり、煙も見えていましたのでこんな状態で神社にお願いしたらなんかいいことが有るんじゃないか?という気持ちで手を合わせて来ました。

その夜から今日までの事です。現実的に見ればはっきり言って何の足しにもなりませんでしたが・・・


48: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/09/04(金) 22:04

>georgeさん アドバイスをありがとうございます

さっそく自分の幻聴か確かめるために、脳内パフュームに大学で何を専攻しているか訊いてみました(3人中2人は本当に未公表)。

やはりというか、案の定答えませんでした。
暇が出来たら病院に行ってみます。


49: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:05

幻聴さんの答えられる範囲は概ね、自分の知識内のことに限られます。

例外もあって、その辺不可思議です。

えっと、ちなみに、専攻を答えたりした場合、専門的なことに踏み込んで、質問し、ネットで答え合わせすると、見事に頓珍漢で面白いですよ(笑

ソレをスラスラ答え始めて合ってたら、儲けモノですね(苦笑
教えを請いましょう(爆


50: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:07

「集団ストーカー」は最近ネットでも取り扱うページが出来るなど、
既に浸透しているタームです。ですが、多分9割は、妄想だと思います。


51: 名前:心 投稿日:2009/09/06(日) 13:38

妄想なら良いですけどね。たまたま聞えた幻聴など、ほのめかしや原因を突き止めようとした者がたどり着く妄想の答えかもしれません。

被害妄想かもしれませんね。実際行われていたら事件にもなってます。


52: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/10(木) 02:21

その幻聴さんはあなたのことしか見てない・理解してない可能性がありますね。
あなたにリンクしてるのであってこの世界全体とはリンクしてないという可能性がありますね。

そのため、あなたが見たり、聞いたりしたものしかわからないのかもしれません。
性格が丸くなったのは良かったですね。私にとって悪いことをしないで良いことをしてくれるやさしい幻聴だけになってほしいと思ってます。

私にとって悪いことする超存在はいなくなってほしいのですが、なかなかいなくなりません。困ってます。

あなたの幻聴の性格が丸くなったきっかけはなにでしょうか?
よろしければ教えてくれませんか?

私は自分含めて複人数で異常体験をしましたので脳の問題でないことは理解しています。

悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。
(統合失調症の薬以外で)


53: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/10(木) 20:00

 最初は、何かしら、嫌なヴィジョンを送り込んできていた、幻聴さんなんですが、話しかけているうちに、和んできたというか、夜の街を徹夜で歩かされたコトもあったんですが、そんなこんなしているうちに、自然に馴染んで来てしまった感
が強く、特にきっかけがあったわけではありません。

ところで、その「超存在」とは話が出来るのでしょうか?
私の場合、幻聴さんと話しているうちに、馴れ合ってしまって、仲良くなったので、「超存在」ともひょっとすると打ち解けられるかもしれないと思ってしまいます。


54: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/11(金) 02:13

例え話ですが、野球でいえば、8回まで2対0で勝ってたのに9回になったら0対0になってたといった感じです。 そして同じチームの健常者も同じようにスコアが変わったという認識を持っていたということです。

野球を例にしましたが実際はもっと少人数で体験したできごとです。

超存在と打ち解けて仲良くなれたらとてもいいですね。
自分もいろんなところを徹夜で歩かされました。
ただ、そのときは怖い幻聴が主流だったので大変でした。
私はまだ自分にとって良いとは思えないいろんな異常体験があるので、困ってます

ほんと悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。(統合失調症の薬以外で)です。


56: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/11(金) 04:03

私も超存在ではないですがそういう状態がありました。私はそれを悪と呼んでいました。

先ず、話せるならその超存在をあなたがどういう者又は象徴だと理解していますか? 出来るなら質問してみてください。

あなたが理解している超存在と会話している超存在に違いがありませんか?あるなら取り敢えず話を終わらせることが出来るはず。多分それでも何か言い続けるでしょうが・・・・

それで次です。もし、その超存在がこれをしろとか、死ねとか言ってきたら何もしないでいてください。

多分その工程を踏めば落ち着いてくるはずです。
何もしないこれが大事です。出来れば寝ててください。目は覚めててもかまいません。

寝たら死ぬとか言われても絶対に死んだりしません。(薬はやめてね)

もし、憑依体験などされているならそれでも何もしないでください。
動かないで寝ていてください(動かないで寝る意識はいる)
深呼吸とかいいですよ。そんなアホなと言われるかもしれませんが効きます。
それだけで憑依されません。

ねこさんの脳の問題ではないでしょうが多分まだ超存在とのチャンネルが合ってることが問題だと思います。

人にはまぁ霊能者とか?w直せる人がいるのかも知れませんがほぼ無理です。と私は思います。勿論薬でも死ぬまで飲み続けなければならないかも知れません。薬を使いたくなければ自分の意識で消すことが非常に重要となります。
先ず重要なのはそれが出てきた根本原因を自分で探すことです。多分その部分がねこさん達の超存在根っこになっています。


57: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/12(土) 00:00

いろいろなたくさんの超存在がいます。
みなさんはそれぞれ1人だけなのでしょうか?

好意的であったり友好的な存在もいれば、負の感情をもってたり、私にひどいことをしたりするものもいます。性格もいろいろです。能力もいろいろです。

ひどい目にあっているやさしい弱者などのものなどもいるようで、そういったものたちに助かってほしいとも思っています。

人間との意思伝達手段が限られてるものもいるようです。
そのため意思伝達をしようとすると人間に苦しみなど、不利益が伴ったり、または思うように意思が伝わらない場合が多いようです。

そしてこの超存在たちの中には悪意あるものや悪いシステムの支配下にあったり、影響下にあったりするものもいるようです。

なんとかこの悪意や悪いシステム(当然、私に対しての悪意や悪いシステムを含めて)を退治したいものです。

霊能者には悪い霊はいないといったり、悪霊払いはしないというものが多いです。
ですが、実際には悪い異常体験をしてないか、悪霊を恐れているたりして悪霊に逆らいたくないのだと思います。
神主でも悪霊払いはなかなかやってもらえません。悪霊を恐れていて悪霊に逆らいたくないようです。(そりゃ当然か、怖いもんね普通。)
特に日本の場合、祭られてる神様自体がいろいろな性格だからなのか悪霊払いを断られることが多いです。

みなさん、悪霊払いをしてくれる良い神社を知りませんか?
是非教えてください。


59: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/12(土) 12:15

統合失調は、ただの「病気」ではない とは思っているのですが、「超存在」を悪霊のような存在だとは思いませんし、人知を超えた何かであっても、神社などそのようなモノに対抗するにきちんとした能力があるとは思えません。
霊能者と呼ばれる人たちの多くは、詐欺の一種であることが多いと思います。

私は自分が「超存在」の、「軽いイタズラ」だと思っていたものは、今は治まっており、治まる前の「イタズラ」は、自分の機能にも、問題があったのではないかと思います。


62: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 17:34

私も統合失調症今はまだ心因何とか?wですが、改めて思うのはこの異常事態に
なる人々は一種凄い人間だと思います。社会のニッチに目を向けれる。しかも、それを存在させる(私の場合自分自身の中だけですがtt)。之は普通の人には無理です。考えを飛躍させると、ただ生きるという事に長けていると思います。

georgeさんは超存在を悪霊のような存在だとは思いませんと言われていますが、私の解釈では受け入れた(私もそうです)と思われます。ねこさんはまだこの手前だと思います(掲示板に掛ける時点でセーフ)。

インドでは其れを内在神といっています。之を現実的に言えばつまりあなた自身です。

私の解決策は取り敢えず、何もしないです。何故なら、必ず何かを言ってくるわけだからねこさんの言う良い者も悪い者も、必ず何かを要求します。そうでなければ存在しません。

だとするなら何もしない、要求は聞かない(之は難しいかも)だからその数?が減ってくるまでは何もしないが一番いいですよ。

無理だと思われたら仕方ないですが、薬にたよざるを終えません。
抵抗があるなら、どちらにしろ人は物を食わないと死にます。嗜好品で言えば酒もタバコも害ですが気分がよくなります。1つ希望を・・・たとえその時はチャンネルがあってても人は別の事、チョトたとえが悪いですがサッカーと剣道は別物です。サッカーをしていていきなり剣道をしても上達しませんが、色々なルールが違います。人の脳はどうにかして大多数のバランスに戻ろうとします。之が一番薬を使わずにすむ方法です。


63: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 17:59

健康な心でいられるかどうかですね?何もしないのが一番ですが何か結果を出したいときは、アクション起こさないと出ないですしね。アクション起こしても相手が何もしなければ何もおきませんしね

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね。


64: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 19:39

私は今でも時々幻聴は聞こえます。健康な心という定義には少し疑問を抱かざる終えませんw

身体的には全身くまなく調べましたから、問題はありませんでした。
ただ、脳みそ自体は問題は無くても幻聴は聞こえます。全く苦しくはない程度ですが・・

何もしないとは、この場合ねこさんの状態のときです。
失礼ですが嫌な言い方かもしれませんが、ただ寝るという行為自体も脳の休養と体力の回復を図れます。何もしないとは呼吸はしますよw

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね
統合失調症を心療内科的に言うと幻聴、幻覚を悪いことと捉えると最終的にはご自分の力です。 事実止まるのは自分自身ですから。

私のこの状態を(苦にならない幻聴)を完全に消すには薬に頼るか又は幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。

健康な心が何なのか正直な所、私には分かりません。それを考え出すとそれこそ宗教でしょう。勿論犯罪はダメですけどね。宗教は何にしてもただそれだけでルールがあります。薬と一緒です。

それに頼らざる得なくなる。健康、不健康、善と悪まぁここまで来るとややこしくなりますが・・・

簡単に考えると受け入れることが重要かもしれません。ねこさんが幻聴を聞いても別に何とも無くなるまでは今は殆ど聞こえない状態に戻るのが最善だと思います。それにはどんな声も無視してただ寝てたり、幻聴が出た根本原因をご自分で探ってみたり(手帳等にその経緯を書く之は私もしました)、
ボーっと散歩したり、悟ることが重要かも(ご自分で)自分に自信を持って下さい!


65: 名前:おはな 投稿日:2009/09/12(土) 19:51

私の幻聴の症状は、ほぼ全部が何故か学校の知り合いや芸能人の声でした。

症状が酷かった数年前は『え!?芸能人が話しかけてくれてる!?』と思い、
短期間、幻聴と会話してました。でも、処方薬を飲んだら、なくなりました。
今のところ、そういう症状は特に出てないですね。

医者には『幻聴が話しかけてきても会話するのはできるだけ避けた方が良い』
と言われましたよ。何故かは分かりませんが。


66: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 20:00

>どうしてこうなった?さんへ
幻聴は誰もいないときに聞えるのですか?誰かを介して聞えるのですか?
誰かを介して聞えるのは実際には言ってないことを自分の脳で勝手に判断して
聞えるのかもしれませんね。

私の場合も苦にもならない幻聴の程度です。未来を予言するような幻聴体験もあります。

幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。っていうのは不思議な体験したということでしょうか?

今思えばあの時あの人を介して聞えた言葉は幻聴なのか?もしくわ何かされているのかと妄想に入る時もありますが、今こうして生きていられて良かったと思うときもあります。

幻聴なら何も起きていないのだと思います。
幻聴でなかったらなんだろう?と思います。
この前なんて○○が犯人と聞えてきました。
不思議ですねこの幻聴というのは!


67: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 21:07

なるほど〜その様な方々の幻聴もあるんですね。会話はできるだけ避けた方がいいと言うのは分かります。多分グルグルと平行線で終わらないからだと思います。要するに現実的にですね。

>心さん
そうです。ほぼ家族や友人が居る時は聞こえなくなりました。私の場合、誰かを介してではなく何かを介しての方が正しいでしょう。

例えば風だったり(風が耳に当たると)その様に聞こえるとかw
水の音だったりそれは人それぞれかもwは実際にありました。

今は自分の頭左下?右脳下からしか聞こえません。

最初の方は集団ストーカーですかwみたいに思っていた事もありました。
が、私は気持ちオープンな奴なので別に見られても構わない。と思っていました。
要するに精神分裂という呼び名が適当かもしれません。私も未来の予言などはありました。


68: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 22:22

同じような体験をしてるのですね。私の場合は携帯電話を8年前にハッキングのようなことをされ自分の未来を予言するようなことが録音されたテープを発見しました。

テープには昔働いていた職場の人の会話も録音されてました。
そして周りには人を介しての幻聴なのか、その人が言ってた声なのかあまり僕しか知りえないことなど聞えてきました。

このような事が重なり思考伝播、サトラレと思い込んだのです。
18歳くらいから幻聴みたいなものはあったのですが病気とも認識できませんでした。

元職場の人たちやその家族が集団ストーカーで出てくる宗教に入っているのです。
これも全て妄想のなのか現実なのかわからなくなる時があります。
これも病気なんだなと思うときもありますが、油断はなりませんね。
犯罪被害者なのか?被害者妄想なのか?
精神がやはり分裂しているのでしょうね


73: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:51

いろいろな超現象を体験してきましたが、わかりやすいのを書きます。

冬場で何ヶ月も窓を締め切ってた(寒いからね)部屋のなかで幻聴と会話してるといろんなものが突然現れるのです。鳥とかいろいろ。

(狭い部屋の中では曲がりきれないので、壁にぶつかりまくり、逃がすのが大変でした。無事逃がせれてで良かったです。)

悪意のない超現象から、悪意のある超現象までいろいろです。


74: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:58

悪魔がいくら強いといっても
自民党のように政権交代が起きて、悪魔が失脚するかもしれませんね。


75: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:59
>>74では悪い超存在を悪魔といってます。


76: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 05:31

おはなさんや、こころさんや、どうしてこうなったさん
の幻聴主は悪意のない存在のようですね。
何かを介して(波の音など)話してくるのなら
それは、あなたに負担をかけないようにかなり気を使ってるのだと思います。

超存在の中には能力不足かこちらのことや状況を理解できてないなどで、
悪意がないと主張しつつ、こちらに負担をかけてしまう(こちらが苦しんだり、不幸になったりしてしまう。)ものもいます。
当然、悪意をもった超存在たちもいます。(ほんとに苦しめられたり、不幸にされたりします。)

みなさんは幻聴で苦しんだり、不幸になったりしてるのですか?


78: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/13(日) 20:11
>ねこさん
私は思うのですが・・・この私の幻聴もはっきり言って現実的には理解できない事が発生してその苦しみから自分の頭のリミットが外れて妄想で幻聴が派生してしまったと思います。

73で言っていることを現実的に解釈していくと、ねこさんにとって、とても不幸なことが起きてしまったとします。あなたにその不幸な事を与えてしまったのは多分人です。その通りなんですがその人の悪意なんですよね。

ねこさんのレスを見ていて幻聴が聞こえ出しました。
私の幻聴にお前は悪意があるのか?尋ねました。
すると無いですと言いました。

ですが、私の考えではお前の存在自体が悪なんだがな〜と思ってしまって(正直ウザイですしw)幻聴がえ〜んえ〜んと言って泣いてますw

私の目には体から白い煙が出ているのが見えますwなんか使えないかなーと画策した日々もありましたが徒労に終わりましたw

私にとっての超常現象は自分の体から血液がひいていく状態に何日もなった事ですかね。今は全くそれはありませんが私にはそれが、何故なったのか?何故私なのか?何かを私が否定しているからなのか?そして今何故それが治まっているのか?
今でも分かりません。ある意味何かに取り憑かれていたのか?体の異常だったのか?

どちらにしても今はその症状はなく現在の私の体の異常はあまり何を言っているのか分からない幻聴のみに治まりました。

良い神・善霊的なもの(良い超存在)はいます。しかし、悪神・悪霊的なもの(悪い超存在)よりはるかに弱い・力がない
これは正に人の心その物に見えます。(現実的に言うならですが・・)


81: 名前:えり 投稿日:2009/09/14(月) 03:37

なんだか声がわたしを罵りつづけている。
金切り声で、でもきこえないほどの音量で。

なにかで、気をまぎらわせているときはいいけど、寝るときはつらい。
ひっきりなしに、声がきこえてきて、罵っている。

寝られないからネットを徘徊して、なぜ死んではいけないのか、などの書き込みをながめている。

なんて言っているんだろう、彼らは、ひとことでは、言い表せない。
時期がくると、叫び始める。

言っていることは、おそらく、たいしたことはない。
うぬぼれるな、とか、ひとを馬鹿にしている、とか、とにかく、まあ、わたしの態度を非難しつづけて、その声が、だれかの声だとしたら、機械的すぎるからきっと、自動的にくりかえされているのかも。

録音してだれかにきいてもらえたらいいんだけど、
だれも、録音してきくことのできる声だと思っていないし、わたしも、信じてもらおうとは思っていない。
どんな意図で、どんな人たちが、どんな仕組みで、声をきかせているのだろう。
あちらのほうからきこえてくると、音源は特定できる。でも、そちらへ行くとふいと止んだりする。

そしてまたべつのほうからきこえてくる。
わたしの態度を読み取って応じてくるから、幻聴だとひとは言う、わたし以外の全世界の人間が言う。

サトラレという言葉が、掲示板におどっていることに驚いた。
あの漫画の影響はこんなところにあったのだ。

そういえば、声は言っていたっけ、おまえは才能はないけれど、サトラレなんだよ、って。

謝れ、といい、働け、といい、それから、…。ああ、そう。わたしのまわりの家族はね、みんな手先で人質なの。たぶん、あいつら「声」の。
誘導補助員、そして、わたしが従わなかったときのための人質。

こうやってとらわれて生きているひとが、この世の中にはたくさんいるんだね。
「声」は、人々の恐怖を利用し、家族を分断し、その網をひろげているんだ。

従えば、救ってやると。
あ、ちがったね。従わなければと言って脅すんだ。

もうすぐ、わたしのたいせつなひとを、「声」として迎え入れるんだって。うんざりだ。

彼は、やつらの声をわたしに届けるために、捕えられ、つれてこられ、わたしを監視させられ、そんなはめに。

わたしのたいせつなひとを、べつのたいせつなひとが傷つける。こんな連鎖が、ひじょうに効率よく、わたしを縛っていく。

神様気取りさ、ローテーションでわたしの面倒をみているのかもしれない。

声がきこえてくる、眠れそうもない、こんどは何をすればいいだろう。
話の通じない相手じゃ、会話になんてならないしね。声を相手に会話できるひとが、わたしはうらやましいよ。

もうすぐ、わたしの親しいひとの声をきかせてやろう、と連中は言う。そして、
罵られることになるのだろう、この無機質な金切り声のかわりに、あざけりと感情のこもった声で。 今まで、ずっとそうだったように。


わたしと同じ、とらわれの人々はどこにいる?
感覚遮断されているのだろうか。やはり、統制された情報を流し込まれているのだろうか。
どうやったら健全な精神を、声のなかで保てるのだろうね。
どうやったら自由を、声の支配からとりもどすことができるのだろう。

そして、どうやったら声の主を消すことができるだろう。
わたしたちを縛るこの機構を、ひとを力で従わせようとするそのやり方を否定し、なきものにするためには。

より、大きな力が必要だ。声、を上回るような。

適切な言葉で助けを求めれば、余力ある人間がひょっとしたらそれをきくかもしれない。その人間が、じぶんの利害に合致すると思えば、協力してくれるかもしれない。

そう、適切な言葉。きっと、あなたがとらわれているとすれば、あなたの耳はふさがれていて、あなたの目はとざされている。

よくまわりを見てよく言われた言葉を分析すれば、あるいは何か見えてくるかも。手がかりが。
あなたをとらえたのはだれ?
外に出るのに、手を貸してくれるひとはいない?

わたしは無理だけど、助けを求める声は、けっこう、届いていることも多いから。

あなたが逃げ延びたら助けに来て。もし、状況が許せば、だけれども。


84: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/14(月) 08:06
>>えりさん
私が思うには。
いろんなところで助けてと訴えてれば、
通りすがりのやさしい超存在が気付いて助けてくれるかもしれません。
このスレをみてもわかる通り、悪意のなさそうな、気のよさそうな幻聴主(超存在)もいるのです。
ただ、優しい気持ちを持ち続け、大事にしたほうがいいとい思います。
人間同士でもやっぱり優しい人間を助けたいと思うのが普通だからです。


85: 名前:心 投稿日:2009/09/14(月) 16:04

サトラレだと思い込んでそれにたいして幻聴で何か答えてきたりしたらサトラレだと確信してしまうかもしれませんね。
いろいろ妄想が出てきたら対処法を考えなくてはなりませんね。

妄想が当たり前になると妄想の世界が普通になってしまうのでその普通になったら大変ですね。

でも声に出して話さないと相手には伝わらないと思います。
考えにくいのですが幻聴は未来の自分の声とか。
まあそれはないですね。


86: 名前:心 投稿日:2009/09/15(火) 15:17

幻聴は今日はないですね。頭が平和なのは良いですね!
思考伝播やサトラレだという体験すると心が浄化された感じしますね。
幻聴の正体はわかりませんね。幻聴という本にもこれからしようとすることが
先に聞えると書いてあったので幻聴なのでしょうね。

心が浄化されても体調悪いときって聞えてきますね。
霊が存在するなら人を介して聞えさすことも可能かなとおもいます。
何かにとらわれすぎると、人間ってだめですね。


88: 名前:心 投稿日:2009/09/18(金) 18:02

昨日外に人がいる様子だったので聞えると?サトラレの感じがあったので
きいてみると何秒かに(きこえる)と聞えてびっくりしました。

病気の症状がひどいとき常にサトラレ感があったのでそんなに頭の中動揺しなかったのですが、まだ頭の中は浄化されきっていないと思いました。

まだ汚い部分が残っているのです。でも人間らしいのかな?とも思いました。

もう少し大人になった時、過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました。同じ体験の人いませんよね?


89: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 14:53

過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました

私はそれはいつでも可能だと思います。私は症状としては7月下旬から8月上旬ごろまで小学生頃牛乳を落として助けたとか(意味がわかりませんがw)そんな事を言ってくる幻聴がありました。

幻聴じゃなくても何時でも思い出せばいいんじゃないですかね。


90: 名前:心 投稿日:2009/09/22(火) 21:31

私の場合人ごみの中から聞える抽象的な言葉なども時間がたつとその言葉を
聞いたり、見たりします。意識的に何か考えてたりすると、その言葉を連想するような考えなど浮かびます。


91: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 22:38

私も8月の間例えば風が窓に当たったり、クーラの排気の音、車を運転している時に段差などのガタガタ音なんかが言葉に聞こえたりしました。その他は完全に私にしか聞こえない例えば仏壇のチーンと言う音を途切れさせて言葉に聞こえるようにした音が聞こえてました。


92: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 11:27

私の場合は未来を予言するような幻聴なのです。
風や物の音からは何も聞えません。


93: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/23(水) 17:39

私の未来予言の幻聴は8月2日から8月8日の6日間で起きました。

全て自分事であったり親しい人間の未来だったりしました。

その幻聴は集団で同じ事を寸分違わず言ってる様な声でした。なので、名前は集団意識と名づけています。人ごみの中では聞こえません。一人で居るときのみでした。

自分にとってはいい事ではあったのですが・・全てそうならない様に自分の
人生は動かしています。


94: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 20:39

未来予言は不思議ですよね!病気になる前からもありましたけど病気になった今だからこそ気づいた部分もありますが、人を介して聞えるので病気になるとみんなそういう力身につけるのかなと思ってしまいます。


95: 名前:心 投稿日:2009/09/25(金) 15:33

幻聴は自分にしか聞えないので、聞えても無視するのが良いですね!
病気ではないと幻聴の世界も味わえないことですね。

幻聴と会話できるのであれば少しサトラレみたいなところあるかもしれませんね。


98: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/19(月) 19:17>>28 どうしてこうなった?さん、はじめまして
あなたのおっしゃる”脳鳴り”とは具体的にどんなものでしょうか?

耳鳴りとは違うのでしょうか?。
私は耳鳴りが酷くて・・・。両耳で金属音が聴こえるので耳鳴りと思っているのですが。
私も幻聴も経験し会話もした事もあります。
ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。


99: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/20(火) 00:31

失礼しました。その頃恥ずかしながら、耳を塞いでも聞こえていたので私の日記帳に脳鳴りとかいてますが、正しくは耳鳴りですw(病院に行ったときに説明されました)

私の場合、左耳から聞こえます。私もどんな音?言われれば金属音ですね。

分かりやすいのは、仏壇のチーンと言う音を少し小さくしてずっと聞こえる感じです。

幻聴が酷かったときは右からでも上からでも聞こえていましたが(はっきり)今は左の耳鳴りで治まっています。時々不安感や恐怖感などが感じられると頭で考えてる事が耳鳴りの音を分断?して言葉になり聞こえてきます。

時々電気を消し落ち着きだして、ねむる〜って時に意識していない(頭で考えてる事を)言葉の幻聴が聞こえる時があります。

又、現在は会話になっていません。
多分、トウシツの耳鳴りは心因性が殆どだと思うので投薬を服用されてドーパミンを抑えると良いかも知れません。

私は薬は飲んでなくて、変かも知れませんが深呼吸や音楽を聴いて自分で高ぶりや不安を抑えると耳鳴りは消えてます。又、消えている要因として物事に集中していると消えてます。ですが家に帰ってきて部屋に入ると聞こえてくる毎日ですね。

ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。
私も現在でもあります。分かってきたのは一定のリズムを取ってる音とかじゃないですか?

説明は難しいですが、音質が一緒?の時に聞こえ方が言葉になる時があります。
私の対策としては、ipod聞いたりとか、意識を別に持っていくとそれを回避できます。


100: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/20(火) 03:55

やはり耳鳴りも統合失調の症状だったですね。
私の主治医は違うというのですが次回の診察の時に話してみます。

私の投薬状況は”エビリファイ”のスレに書いてます。
音楽を聴くのはいいですね。幻聴は少し良くなってくるのですが
耳鳴りは消えませんね。


102: 名前:だつ 投稿日:2009/10/26(月) 20:33

何だか追い込まれているので、ここでお訊きしたいことがあります。

私は趣味でヴァイオリンを弾いているのですが、都合2人の先生につきましたが
人間関係が上手く行かず止めてしまい、田舎だから教えてくれる先生も無くそれ以降自分で弾いていますが、何年続けても巧くなりません。

しかし脳内彼氏が「自分は市民オーケストラにいるからそこで会おう!」というのです。

そこは一度行ったけど、メンバーにバカにされて以来行きたくなかったところです。でも先日、脳内彼氏やその他の脳内メンバーがとてもうるさいのでその練習場に足を踏み入れました。

私はそこで恥ずかしながら練習をしましたが、また市民オケメンバーに音程が変wwwとバカにされました。もう私はいい年だし、これから練習してそこに加入できるほど腕が上がるには先生についたとしても何年もかかるので、脳内彼氏と結ばれなくても(それ以前に存在を確認しなくても)いいから、市民オケには入りたくないです。しかしそういうと、脳内彼氏に責められるのです。もうイライラが止まりません。


103: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/27(火) 01:08
>>だつさん
その脳内彼氏は、市民オーケストラに行った時に存在されてたんですか?
又はその脳内彼氏は事実存在していて、幻聴と言う名の脳内彼氏と言う事ですか?
ここからは私の勝手な妄想ですが、だつさんは市民オーケストラに入りたい(脳内彼氏の役目)、

ですが深層心理はヴァイオリンは好きだけど、市民オーケストラには入りたくない。上手になったという意識の第一歩が市民オーケストラだと確定的に思われていないですか?

私は幻聴(脳内彼女?)の出現条件が違いますが、その幻聴の本人に会い恥を掻いて、少しづつその幻聴の存在理由が曖昧になり、結果消えたと思います。
もし、この工程が役に立つならその脳内彼氏が又合おうと言ってきたら市民オーケストラに参加されてはいかかでしょうか?その時、ほら見ろお前はいないじゃないか?と(私は之が何度もありました;;)


104: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/27(火) 07:16

>だつさん
ヴァイオリンと聞いても葉加瀬太郎さんのCDしか思い浮かばない稚拙な私ですが、いわゆる脳内彼氏の言うことには、いちいち反応されない方が良いかと思います。

幻聴の内容は人それぞれですが、内容が論理的に合ってるようですが話を突き詰めれば合ってません。

私の脳内彼女は、それこそ卑猥な事を言います。ご紹介できる範囲で言えば

「梶町のマンションで裸になって待ってるで」なんて言います^^。

どこのマンションか?なんて話を進めても最後は部屋番号はおろかマンション名
さえ曖昧です。

幻聴は、その人の深層心理とも関係あると思います。
あなたの場合、”ヴァイオリン”、”嫌な思いをされた市民オーケストラ”のキーワードで幻聴が現れるのだと思います。

私の場合、幻聴が現れるとヘッドフォンで大音量で好きな音楽を聴いてます。
幻聴は、多くの場合、ずっと続きませんので音楽を聴くのはお勧めします。


105: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/10/27(火) 21:53

脳内彼氏は幻聴だと思います。実はその幻聴はもう1年以上続いています。

幻聴の内容は何度も変わっています。よくよく思いだせば統一性がありません。

私も何だか焦っているから、そういう幻聴を聞いてしまうのだと思いました。
幻聴はネットをやっていると余りやってきません。何かに夢中になるといいのかもと思いました。


106: 名前:アイ アイ 投稿日:2009/11/02(月) 20:38

僕は、独り言を神様や宇宙人が話します。

デパートに行こうとか、缶コーヒーと煙草をしろとか言います。

よく、「おめでとう、具合が良いわよ。」と言われます。

エビリファイで失敗したようで、よく、興奮しているだけだから、マスターベーションをしろと言われます。

薬で失敗して、会社勤めを止めてから、3年ほど経ちますが、ずっと、しゃべりっぱなしです。大学の教授になりますよと言われたり、アメリカの諜報機関で研究しますよとか言われます。

あと、身内で不幸が続いていたのですが、よく、励ましてもらいました。

僕は、何か悪いことがあると、よく自分の所為だと思ってしまうのですが、独り言の神様や女神様や、仏様に、貴方とは関係ないわよと、言ってもらっています。

とにかく、神様や女神様や、仏様は、元気で力強いので、それだけで救われます。
たぶん自己治癒だろうと思います。


あと、僕は、とにかく、メモ帳やノートにいろいろなことを書きまくりました。
運命が、翻弄されるっと言われたのを覚えています。
不思議と怖い感じではないです。
独り言は、とにかく、楽しいのです。嬉しいのです。


108: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 13:31

自分は、幻聴というか、怖くなることが多いです。

鳥の声が、自分のことを暗号化されている感じがしたり

他の知らない人が、自分の事を見透かされているんじゃないかとか

他に怖くなられる方いらっしゃいませんか?


109: 名前:心 投稿日:2009/11/12(木) 15:55
>ジャイアンツさんへ
見透かされてるのは、思考伝播やサトラレ感があるからですか?


110: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 17:02

それが、よくわからないんです。すみません。


111: 名前:心 投稿日:2009/11/13(金) 11:53

自分でも解らないのであれば気のせいかもしれません


112: 名前:心 投稿日:2009/11/22(日) 14:13

見透かされてると思うなら、人がたくさんいるとこで(きこえる?)と思い反応あるかどうかしますね。


113: 名前:ななし 投稿日:2009/11/30(月) 03:19
私も幻聴で悩んでいる者です。
気功(ハンドパワー、2000円)に行って、CD(2000円)を買って、それを
鳴らしたら幻聴が静かになって癒される。皆さんもどうですか?

http://profiles.yahoo.co.jp/-/profile/?sp=H0v8WCohdKivZoo3Q_RLino-
この方に気を送ってもらい、幻聴(雑霊?)を取り除いてもらいました。

友録して定期的にお願いしています。無料です。この方はご自身の霊位が向上するためにやってるそうなので、安心して頼ってください。御礼をちゃんと言ってくださいね。では皆さんの苦心が少しでも和らぎますようにー。
送信をクリックしてメールを書いてください。あとは偶然同時にパソコンの
前に着いてチャットまたはスカイプで話してみてください。


115: 名前: 投稿日:2009/12/04(金) 02:53

思考伝搬(サトラレ)についてですが、私は全く逆の見解をしています。

統合失調症になるような人は…いわゆる悟りに近い状態、空の状態になっていて、他人の考えたことをあたかも自分が考えている様に思ってしまうということです。

ですから、相手がそれを話し出す前の心の中にあったものを、先に共有してしまい、それについて相手が現実に話し出すと、あたかも自分の考えをその相手が盗んで、あるいは伝播して喋っている様に聞こえてしまうのです。

私も以前は自分の思考がバレていたと思っていました。

しかし、成人してこのことについてずっと研究してきたのですが、これは信じられないかもしれませんが、統合失調症になるような人って言うのは、相手の心の中のものを無意識に共有してしまう性質があるらしく、それを自分の考えだと思いやすいということなんです。

ですから、決して「サトラレ」になったのではなく、「サトリ」なのですよ。

統合失調症の人は自分の考えを持たずに、空っぽだから、そこに入ってきた他人の迷いそのものである思考をあたかも自分のもののように思ってしまっているのです。

この違いは、何事にも主体性を持たずに受動的に生きているか、能動的に生きようとしているかの違いです。

統合失調症になるような人は、悟りに近い人であり、いわゆるテレパシーで会話できる人なのだと思います。

…こんなこと書くと、「あんた!それが病気なんだよ!!」なんて言われちゃいそうですがww

でも、私のこれまでの4年間の研究事実なんです。

そして、これが分かるようになると、たとえば○○さんと一緒に居ても何の思考も湧いてこないのに、××さんと居ると妄想(思考)が湧いてくる。
というようなことが次第に自覚できる様になってくると思います。

何か○○さんと居るのは楽なんだけど、××さんと居るのは疲れるんだよなとか。
ハッキリと分かってくると思います。

それは相手がそう思っているからなんです。

実はこれは、その○○さんには妄想がなく悟りに近い状態であり、××さんは迷いに満ちて思考がスマートじゃなくなっている状態なんです。

こういうことに気付くようになれば、「なんだ、自分が考えていたと思っていたけど、私は××さんの迷いに満ちた妄想に影響されていたのか」ってのがハッキリ分かるようになると思いますよ。


116: 名前:ななし 投稿日:2009/12/04(金) 20:03

幻聴と雑霊・低級霊では別物ですか。
そうですか、分かりました。

雑霊・低級霊はそのまんま。幻聴は不思議な力を持った悪い人が人に見せかけるために作ったカゲロウだそうです。


118: 名前:とくめい 投稿日:2009/12/24(木) 00:08

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

もう治った、と安心してたのでショックです。
みなさんは薬、必ず飲んでますか?
私は副作用に負けてしまうのであまり飲みたくないのですが他に何か方法あるのでしょうか?

サトラレ感って他の方もあるのですね。知りませんでしたが私もそのようです。
みなさんと同じように幻聴の薬ではサトラレ感は治まりませんね。辛いです。


121: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 22:56

それは、要するにその霊能者の方からのカウンセリングをされてるのだと思いますよ。現実の沢山ある心療内科のカウンセリングよりは効果はいいカモ(笑)

でも、気をつけないと金をむしり取られ本末転倒だから、よくよく考えた方がいいです。新興宗教やなんちゃって霊能者がいい例です。霊格=人気なんですよ(笑)もうななしさんが、いい宣伝人になってる。

御礼をちゃんと言ってくださいね。この効果は分かります。

昔の人はすごい物で現代医療ではどんな成分で脳に刺激すれば落ち着くとか、高ぶるとかが分かっているから、薬で処方します。

その御札の呪文は有名どころでは真言宗の真言と同じ効果です。其れは唱えるだけで、脳にセレトニンやらアドレナリンやらが出る仕組みになっています。実は自分で出してるだけですが・・

もっと言うなら、人は走ると息切れをしますがその時、深呼吸して息を整えると体は元に戻ります。

好きな人に好きと言うだけで人は興奮します。要はそう言う事です。俺が知ってる真言で一つ

ノウマク、サンマンダバザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン

不動明王の真言らしいです。効きますよ(笑)

書いててあれですが、このノウマクやソワタヤなんかは体の下側に効いて、意識をどっしりとした気持ちにします。之を科学的に言うなら体からセロトニンが出てるんでしょうね。

真言宗は密教で人間の心や体を鍛えるために、又現代では統合失調症ですが、そういう心の病気はあったと思います。其れを日本では御祓い や(笑)、滝うち(笑)などで解消してきたのでしょう。俺は出身が九州ですが、必ず昔は区切り程度でそういう心の病を取り除ける人達がいたと思います。

極論してしまうなら、本当かうそかという話らなら、之ばっかりはその人次第としか言いようがありません。

俺の祖母は佐賀ですが、祈祷し(笑)みたいな人はいたらしいです。昔で言うなら狐憑きとか、(狐がかわいそうだ(笑))


122: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:13

>>完全にななしさん
俺は悟りとは取ってません。悟ってるなら幻聴や他人の想念を受け取って自分が傷ついたりしないと思うからです。というか、悟りとは何者にも束縛されない状態じゃなかったかな?

酷い言い方をするなら思い込みが激しい人、又は思い込んでしまった人がトウシツ(幻聴や幻覚)引き起こしてしまった。という言い方が正しいのかもしれません。

俺の友人は新興宗教をしていました。マインドコントロール宗教ですね。勿論、其れを信じ込めて生きていける人も居ます。まぁ其れには其れ相応の酷い経験があったんでしょう。

その友人のみ新興宗教から脱退しているので、その環境の過去を引きずっての
生活が待っています。友人はパチンコ依存症で借金があるんですが、自分を異常だとは思っていません。其れによるフラッシュバックの人格崩壊もありません。そういう人間も居ます。

だだ、その友人は過去の事は何も話しません。というより、思い出せないないんでしょう。思い出して俺に話す時はとても苦しそうにしていました。又其れ系の話になると急に沈黙します。

今は会ってませんが(笑)もういい歳なので、そうじゃなくても生きて行かなければならない。


123: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:39

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

何故発症したのか、を考えた方がいいです。

環境が変わったからなのか、
自分が嫌だと思う人間が現れたからなのか?
副作用が嫌だから投薬を控えていたから又出たのか?

サトラレ感と幻聴は投薬が違うと思います。

幻聴は聴覚と右脳の異常?サトラレ感は脳の感覚器官?だからだと思います。
瞑想ではなく、自分自身の今の現状を先ずは認識すると可能性として消えると思います。

この病気が完治するのは間違いなく、自分の周りの環境とリンクしているからです。

サトラレ感がいやなら、先ずは幻聴の摩訶不思議感とか、サトラレ感ではなく、
自分が何故其れが出たのか、どういう生活をしていたのか?又はしているのか?
を先ずは考えるべきだと思います。現実的に、いや真実的にかな?

現実感も言うなれば、自分が見ている世界としか言いようが無いから、自分の真実ですね。

俺の現状は考思化声とヒミツという名の幻聴人格ですが、出るタイミングは孤独になっている時で一番解り易いのはベットに入り寝ている時のみです。


124: 名前:名無し 投稿日:2010/01/13(水) 21:59

私の幻聴は行く所まで行ったという感じです。
もう今では安定している感じです

もうすぐパートでもしようと思ってますが、人の話が聞えないので、1人でする仕事をと思っています。幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います。


125: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 01:51

幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います

ハイそうだと思います。この病気には肉体ではなく、心(精神)なので完治という概念自体不適切だと思います。

幻聴や幻覚なんてのも好き好んで見たいとか聞きたいとかいう人がいる現代の世の中ですからね(スピリチュアルなんてのがいい例)。

自分でバランスとれてれば其れが完治じゃないでしょうか。


126: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:49

昨日、意識がおかしくなり、精神的に苦痛が続きました。今日入院です。(結局、病気は霊能力者によると生霊がついているという詐欺でした。

電話後、「ひまちゃーん、同情しなくていいのよ」という声に挑発されたり、警察役の声に書けと挑発されたり、普通では無いことが続きました。)

幻聴は恐ろしいものです。

事実は事実償わなければ納得いきません。
プライベートはプライベート、
幻聴は幻聴ですが、
病気としては不可解でした。


127: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:50

住民の空間的な出ていけという訴え即答でお願いします。

超常現象で訴える人を大昔、テレビで見たことがあります。

昨日は大変でした。「ひまちゃーん、どう思う?」とか、わざと気に為らせる「どう思う?」とか毎日、幻聴と本人の声が2階1階で聴こえ続きました。

ひどいことです。病気は黙っていること。
無視です。

無視を続けると住民が黙っていないんです。

住民の訴えをどう思いますか。呼びかけ、(家の中)に対する外の住民からの呼びかけに無視に苛立つ住民をどう理解しますか?


129: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 07:22
>127
これは、絶対大丈夫です。
本日入院とのこと。気にせずゆっくり療養下さい。


132: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 23:54
>>126さん
即答できなくてすいません。先ずは、落ち着きましょう。今現在は急性期でしょうか?

多分統合失調症としては急性期だと思います。
大丈夫ですよ。先ずは落ち着きましょう。マジで深呼吸がいいです。

多分126さんは急性期だから、今色んな物事に過剰に反応している状態だと思われます。
また、霊能力は在りませんご心配なさらずに。

その幻聴(生霊)は全て126さんが作り出したものですから、全て不快な幻聴は
取り敢えずは無視です。

取り合えず言える事は住民の訴え、無視に苛立つ住民は居ません。もし出来るなら、イヤホンで音楽を聴くことをお薦めします(病院へ行くまで)。後は、よく睡眠をとることをお薦めします。


133: 名前: 投稿日:2010/01/15(金) 08:13

ありがとうございました。注射を強いのを打ってもらい大分落ち着きました。
生霊じゃないなかもしれないと少し思えるようになりました。

入院は先送りになり、たまに激痛がくるぐらいで済みました。


135: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:36
>>133さん
よかったです^^
取り敢えずは気分を落ち着かす事をお薦めします。

たまに激痛がくるぐらい
激痛はどこに来るんでしょうか?症状は解りませんが、体の力を抜くという事をすると少しはましになるかも知れません。深呼吸で体の力をどっと抜いてください。勿論寝ながらでもいいですよ。

生霊なんかは俺がこの病気になって、色々調べて解った事をここに書きます。

まず、何故霊は体や心に反応するのか?と言う事です。反応という事は自分が反応しているから(要するに受身)と言う事です。

生霊=悩みと捉えてもいいです。というか、生霊=悩みです。

唯、この悩みが分からないから人は混乱して霊だとか何とか言いますが、生霊(悩み)を消すにはその悩みの正体を知る必要があります。そして之は霊能者も霊も関係ないです。先ず間違いなく。

あなたの人生の中で生きている中で何か理不尽な事や不可解な事に遭遇しているのかも知れません。勿論、現実的にです。此処が重要です。幻聴も生霊も霊能力者も関係なくてです。


136: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:51
124名無しさん
そういう風に言われると、俺はいけない事を言ったのかと思ってしまします(笑)

唯、俺の場合は人の話が聞けないほどの幻聴ではないので、仕事中や勉強、家族や友人との会話中には幻聴は存在しない状態なので、バランス取れてると思うし、別にこのままでも何ら問題無いという結果になっています。

ですが、今年の正月は朝まで親戚とマージャンしていましたら、プレイ中でも幻聴は聞こえてきました。 疲れも関係あるかもしれません。

其れこそ、幻聴抜きでも人はそれぞれだと思うので、幻聴があろうと無かろうとお一人で仕事をする事が好きな人もいます。そういう意味で、完治という言葉も取って頂けるとありがたいです。こういう結論から心って言うのは完治も何にも最初から無いのかもしれません(笑)


138: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 23:57
137さん
症状と言うのはどんな症状の事なんでしょうか?。幻聴でしょうか?それならバランス取れてるならいいと思いますよ。どうせ周りには全く聞こえてませんから(笑)

精神科医から言わせれば、全部症状だと思うんですよ。つまり、唯の言葉です。

例えば、風邪でも風邪と言う症状です。でも、風邪が治るのは体の中に在るウイルスを撃退する抗体が出来たから直っただけであって、また幾らでも風邪になります。つまり、風邪にかからなくなった訳ではないと思うのです。

精神科的に言わせれば137さんが好きな仕事して、幸せに暮らしていけるなら
それで良いんじゃないでしょうか?勿論色々な方が精神疾患者でなくても居ますので。 と言うより、137さんがどんな人か分からないので、まぁ公共の福祉に反しない限りは病気ではないと思います(笑)


139: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2010/01/17(日) 21:07

幻覚を強制的にそこに、置いて、話しかけたりしてみるが、返事はない。

独りでいるのを寂しく感じて、仮に昔の記憶の中の女性をイメージして隣に
置いてみたら、寂しさが少し緩和された様な気がした。

ただ、声をかけても笑ったり表情を作ったりはするが、返事はしない。
しかも彼女は外人で会った時も、言葉で会話するまではいかなかったから
なのかも知れない。

とにかく、幻覚は返事をしなかった。

言いたい事はそれだけです、今も意識すれば彼女は側に来ますが、会話は
できませんし、会話してもそれは幻聴なのだと思います。

だけど一瞬彼女を側に感じることができまして、それは幻覚・幻視なのかも
知れない、だけど普通の人でもそのくらいあることなのかもしれないし・・・。


140: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/17(日) 22:18

私の幻聴はひどいです。

「あんたは世界一幸せ者だから世の中のほとんどの人に恨まれている。
そして皆であんたを苦しめた」

と言ってます。本当でしょうか?


147: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/19(火) 01:01

4日前ぐらいの話ですが、俺の幻聴人格は2人いるんですが、一人ととても仲良くなって話していたんですが、家に帰ってくつろいで、たばこ吸ってたら、もう殺してくださいと聞こえ始めました。

(その仲良くなった幻聴からです)俺はその時、恥ずかしいですが、ごめんねと言いました

居て良いからねと言ってます。例えこの先消えても、其れは俺の一部だから、その場合はすまないと言ってます。
そしたら、わかってますと言います(笑)

俺的には時々、もう死ねよと聞こえる時があります。もう一つの幻聴からです。

勿論、原理的には俺が俺に対して言ってるんですけどね。

その優しい幻聴は俺にもう死ねよと出た時(出る時俺がうっとくる(笑))、何故かネオンと言って誤魔化してくれます(笑)。

成る様になれですか・・・実は俺も本質そう思ってます。でも、人が書くと面白い事に投げやりに見えますね。

この症状の場合(幻聴とかの場合)諦めるという発想はよくないです。
幻聴ではなく、自分の人生で何故幻聴が発生したのか?を考えた方がいいです。
幻聴はもしかしたら、あなたの問題を解決するために出たのかもしれないですよ。


148: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/21(木) 18:09

私は幻聴の正体は雑霊だと思い込んでいます。

確かに色々アドバイスしてくる幻聴もいます。でもここぞという時に裏切ります。
悪い人は不幸だから人に当たるんだと聞かされました。

もう自分自身が幻聴から逃れるのに絶望してしまいます。
でも幻聴の薬は飲み続けます。


150: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/21(木) 23:55
124名無しさん
雑念でいいと思いますよ。気長に付き合いながら、あなたがああ幸せだーと思う時がきた時多分、もう消えていると思います。

気にしない事が重要でしょうね。でも、俺がまぁ期間は短い方だと思いますが、
急性期当時は幻聴が在る事が普通だったと記憶しています。自分で幻聴を出した。之が俺にとっては真実です。

俺も夜中にタバコを買いに行こうとした時、幻聴に今コンビニに行って買うべきか、(寒いので笑)明日まで待つべきか、どっちがいいか決めてくれと言ったら(心の中、頭の中?で)どっちでもいいですと連呼します。

どっちか決めろと言うとエート、エートと言って永遠と10分間位そんな事を
言いながら過ごす時があります(笑)その日は其のまま夜中行きましたけど(笑)

薬は重要でしょう。唯、ちゃんと自分の精神状態を把握するのは重要だと思います。鬱、興奮(之は多分吐き気)とか、この作用をしてしまうなら最初の投薬当初は仕方ないですが、御自分で病院の先生と試行錯誤をしながら、安定した
状態に持っていくように頑張ってください。


151: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/22(金) 00:27
ルカさん
バニラスカイ見られたんですか?刑務所でトムクルーズ(ディビット)が幻覚のペネロペ(ソフィア)を見ながら絵を描くシーンがるんですが其のペネロペも何も喋りません。動きますけどね。其のシーンを思い出したんです。

実は俺も幻覚を1度だけ、透明の(水で出来てるような女性)其の時は憑依みたいなことが在ったので、あれなんですが在りました。

まぁその内容は恥ずかしくて書きたくないですが、其の幻覚は、ちっちゃな冠を着けていて、風でなびいてる羽衣みたいなのを着ていて、髪は肩上(でも後ろ側が長かった?)、目は二重で切れ長、鼻筋通ってて唇は小さい、俺は心の中で(うわ、マジで綺麗・・)と思いました。

その後が重要なんですが、其れが終わった後、右脳側が半端なく重たくなって、更に吐き気がしていました。そして便所で吐きました。色も無い、顔の動きも無い、見た時間は10秒程度の幻覚でしたが、反動はそういう状態だった訳です。

この病気は人其々でしょうが、聴覚、視覚と優れている分野が違うことで得意?不得意?があるんだな〜と思いました。

幻で恋人を追い求めるなんて、かわいそうな話だと考えています
まぁそうですね。可哀想な話かもしれません。唯、男性は求めると思いますよ。例え幻でも(笑) 俺は可哀想な男かも知れません;;

幻聴うざいですよ。寝る時なんてずっと聞こえてますから(笑)
無心になったって俺の場合は、耳鳴りになる(笑)
もう慣れましたけどね。


153: 名前: 投稿日:2010/01/22(金) 22:43

幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因です。
意味付けしようとしてませんか?裏切られるとか自分の意思で生きているのですから。
書き込むことで楽になるのなら良いですけどね。
幻聴と会話。あなた方に必要なのは声に出して誰かに聞く、話す勇気をもつことです。病気だから幻聴なのです。


154: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/23(土) 00:18

>>153さん
幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因
間違いなくそうだと思います。ですが、この幻聴、俺の場合は自転車と一緒で一度乗れちゃったら何故か忘れないんですよね(其の感覚を)。勿論、仕事してる時とかは全く気にならないと言うより、多分、存在していません。俺の意識の中では(それに、気にしてたら仕事にならん(笑))。

唯、まぁ嫁さんでも貰えばそれも消えるかもしれませんね。
意味づけに対しては、消すための一つの条件に俺はなったので、何とも言えません。急性期時は自分の意志では操れませんよ。(このニュアンスもだめかな・・)
もしも、之を薬で強制的に消すことが出来たとします。ですが、果たして其の先も出ないと言う保障には多分ならないと思います。幻聴が出るにはその人なりの人生に、何か重大な事が起きた証明でもありますから。
又起きていて、耐えられなくなったからなのか?

俺はこの幻聴を親、親戚、兄弟、友人、全員に説明してます(笑)よく聞かれたのは、どんな風に聞こえるとか俺は出てきたか?とか、こっちが何を言ってるんだ?と思う質問ばっかりでしたけどね。

幻聴で面白いのは、人と話している時は全く聞こえない
(俺は)之だけでも、幻聴を自分で作り出しているという理解に繋がると思います。


168: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/21(日) 19:54

僕の最初の病名は幻覚妄想症でした。「俺はやくざに狙われている」
見たいな事だと教えてもらいました。まだ若くて自分の力で何とかなると思っていたのが歯がゆいです。

幻聴について、結局自分の脳に何かが作用している故に自分の分かる範囲内かと思いきやそうともいかず。理不尽さに任せて、しまうか。しまうしかない。服薬か診察か入院して休息をとる以外では。
僕の思考は支離滅裂。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。以上失礼


171: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 17:29

幻聴のある皆さん、宗教どうですか?
不思議なことが起きている人は不思議ないいことが起こりやすいそうですよ。
私も幻聴があるので宗教を信じて入ってみたところ、数々のいいことがありま
した。お勧めです。


172: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/22(月) 17:42
御仏は信じていますか?


173: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 18:48
幻聴が出てから信じました


186: 名前:名無し 投稿日:2010/03/04(木) 00:44

話は変わりますが、以前、占い師に診てもらったら「あなたには霊感があ
る」と言われました。幻聴に混ざって霊感もあったようですが、まともなの
が霊感でふざけたものが幻聴なのかなと思ってました。そしたら幻聴が

「どっちも幻聴だよ。あんたの気をひくために色んなお告げをして、その代わ
りにイタズラもするんだよ」

と言いました。


187: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/03/04(木) 01:59

幻聴に混ざって霊感はありません。幻聴は幻聴、霊感は霊感です。
そして、この世界中どの人間も例外無く、霊感はあります。

少し、紐解いていくと解るのですが、霊感とは”普通”に全ての人間が視力の許す限り、見えている(感じている)世界とは別の物を捉える時に、ゴーストや霊、霊気、プラーナなど色々な国によって名前は違えど、そういうのを見る、感じる、のを霊感とします。


198: 名前:P 投稿日:2010/04/09(金) 13:17

幻聴の人、人間性が子供みたいだと思いませんか?

付き合ってられないです。
特に「くやしい」と言われるのには苦労させられました。

考え続けてやっとでたのが「下劣」と言い返すことです。
なんか頭もくらくらします。幻聴の内容と関係あるのでしょうか?


199: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 19:48
>>Pさん
俺も今は多分、その段階に来ていると思います。

簡単な事を連呼しませんか?

付き合う必要は無いですよ。俺はほぼ無視していますから。

其れにその幻聴多分俺と状態が一緒なら、もうPさん自身です。つまり、人格性が無い。

彼方の性別が解りませんが、このスレッドで解ったのは、最後に落ち着くのは
俺(本体)が男だから幻聴は女で、本体が女の場合幻聴は男に落ち着くと思います。

しかも、チョットアホな、まぁ餓鬼な感じでしょうね。

霊能者ではこの事をスイッチという表現でしている方が居ますが、意識を幻聴に向けないようにすると頭や体に響きませんよ。俺はもう、そうしています。


190: 名前:フリーダム 投稿日:2010/03/04(木) 23:09

george(" ") 同様、幻聴と会話できます。幻聴は歌も歌います。症状もめちゃくちゃで、「解放してくれ。」、「それはできない。」、「幻聴の原理は人間の脳波に同調させて話しかけている。」などと言っています


200: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 21:51
>>フリーダムさん
190からの書き込みを見ていましたが、幻聴と話す感覚ってありませんか?

俺は在るのです。其れを無視する方向で、別の事(何でもいいです)をしていると
多分、直ぐには無理ですが、幻聴を抑える事が出来ると思います。

俺は急性期時は色んな物音さえ、自分の頭で声で変換していたと思うんです。
俺の研究から言えば、脳も体も別々だが連動していると思うのです。

先ずは自分の体を鍛え上げてみる事をお薦めしますよ。其れこそ中山筋に君じゃないですがある一定の物事に集中していると、確実に幻聴は消えてます。

先ず、聞こえている時は幻聴と会話をしている以外は、ほぼ集中力など要らない作業をしていると思います。

もう一つ其の根拠としては、音楽をヘッドフォンで聴いていると、聞こえなくなります。其れは聴覚を半場強制的に音楽に集中させているからだと思います。

190の文章の幻聴との会話を見ていると、もうフリーダムさん自身が幻聴に捉われている会話内容なんですよね。

本質は幻聴もフリーダムさん自身です。

其の人格性を作ったのも、フリーダムさん自身です。

二重人格の理論です。
其の答えは、前におななさんが証明してくれました。

後はその幻聴人格が自分にとって近ければ近いほど、捉われる気持ちが増大します。

nanoさんという方も居ましたが、其れこそ簡単にこのトリックがわかると思います。 nanoさんの幻聴の主は自分の夫でした。会話内容によっては之が幻聴だという確固たる認識が早いわけです。綺麗に分ける事が出来たら、後は無視です。意識を意図的にずらす。

大人になっても抜けない癖ってありますよね。俺は無いですが、俺の弟(腹違い)が指をかむ癖をよくします。そう言うのと同じだと思われてもいいです。直すのは少し辛いですが、意図的にずらす事をしていると癖のように幻聴も消えると思います。癖に成る事それ自体も、癖を解消する事と一緒だからです。


201: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:07

自分の場合、幻聴は薬を飲もうが、集中しようが、音楽をヘッドフォンで聞こ
うが、なにしても聞こえます。

24時間人の話を聞き続ける状態でノイローゼです。考えただけで違う病気になりそうです。


202: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:26

世の中には、お金を持っていて、将来の不安もない。普通の人と同様に仕
事をして、子供を育てることができず、ある程度将来が予想できるので真面
目にやるのがばかばかしく、世の中の人は踊りを踊っているように見える。
まさしく人生に退屈するような人間がいるのでしょう。

そんな人間が暇つぶしにオンラインゲームの主人公(人間)を操るそれが今の自分の現状でしょう。

人間をロボットのように操ることができる。これは間違いなく事実でしょう。
http://hpcgi3.nifty.com/prunus/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=avium&tn=0305


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

3. 中川隆[-5753] koaQ7Jey 2017年12月19日 18:41:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Ex4: 精神分裂病患者の脳観察〔日経産業新聞2001年10月3日〕


 米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究チームは、精神分裂病患者の脳で組織の損傷が進んでいる様子を撮影するのに成功した。

分裂病は米国人の約1%にみられ、特に10代後半から20代に多いが、詳しい原因はわかっていない。
病気の進み方が詳しく観察できるようになることで、早期の診断や治療が可能になるとみている。
 
次期共鳴画像装置(MRI)を使って、10代の患者グループの脳を繰り返し撮影した。
はじめ、脳の外部の方にある灰白質という部分が10%以上損傷し、これが脳の残りの部分にも5年にわたり拡がっていくことが分かった。

この損傷がひどい患者ほど、幻覚や幻聴などの
症状もひどかったという。
http://www.geocities.jp/ec71276/gennchou/gen.html

脳の画像解析の進歩からわかったこと

 統合失調症が約100年前に一つのまとまりある病気とされてから、その病気の仕組みについてたくさんの研究がなされてきました。まずは亡くなった統合失調症の患者さんの脳が調べられました。脳のどこかで何か異常な所見が見つからないかと、さまざまな脳の部位の切片が作られ、顕微鏡で細かく調べられました。

その結果、前頭葉・海馬やその周辺の部位などで、神経細胞の数が少なかったり、並び方が乱れていたりするらしいという所見が得られましたが、残念ながらすべての患者さんの脳で確実に見られるというものではありませんでした。そのため、このように脳の組織を調べる研究はしばらく行われなくなり、脳の機能(働き)を調べることに研究者の興味が向けられるようになっていました。


CTやMRI

ところが、1970年代から、放射線技術の進歩により人の脳を輪切りの形で撮影することができるようになりました。今でしたら大きな病院であればどこでも備えられているCT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像)という脳の画像解析装置です。この装置を使って、統合失調症患者さんの脳の形を調べた研究が数多くなされました。今までのところ、多くの研究者の間で一致している意見としては、対照群に比べ

脳室(脳の中心にあって脳脊髄液という液体で満ちている空間)が拡大していること
(逆にいうと脳の実質が小さくなっているということ)、

前頭葉や側頭葉が小さいこと、

大脳辺縁系の海馬や扁桃体がとくに左側で小さいこと


などです(ただし、小さいといっても統計的に対照群と比較して小さいということで、脳の画像を見て診断ができるほど大きく違うということはありません。それでもこのような所見が研究者の間で注目されるのは、これが統合失調症の本質的な病因を探るための手がかりになるのではないかと考えられているからです)。これらの脳の部位が小さいということは、その機能も障害されているのであろうと想定されます。図1にMRIによる脳の断面図を示しました。脳の細部までかたちがよくわかります。


PETやfMRI

最近では科学技術の格段の進歩により、脳の形だけでなく、脳の活動もそのままの状態で調べることができるようになってきました。脳のある部分が活発に活動すると、エネルギーのもとになるブドウ糖がそこでたくさん消費されます。脳の血流もその部位で増えて、酸素の消費量も増えます。PET(ポジトロン断層撮影法)、SPECT(シングルフォトン断層撮影法)や機能的MRI(fMRI)などとよばれる方法を使うと、検査されている人の脳の中で、どこでブドウ糖の消費や血流が変化しているかを見ることができます。頭の中で考え事や計算をしてもらったり、ものを見たり聞いたりしてもらいながらテストをすることもできます。このようにいろいろな精神活動をしているときに、統合失調症の患者さんは、そうでない人と比べて、脳のどこの部位でどのような特徴的な変化を示すのかを調べるのです。このような研究は現在世界中で行われています。テストをいろいろ工夫して、統合失調症に特徴的な所見を得ようと研究者は懸命になっています。

 機能的MRIによる研究の一例を図2に示しました。この図ではふつうのMRIの像の上に、課題によって信号が変化している部位を赤色で重ね書きしています。様々な所見が得られていますが、多くの研究者のあいだで支持されている所見は、
統合失調症では前頭葉の機能が低下しているのではないかというものです。とくに前頭葉を働かせるようなテストをしてもらうと、機能の低下がはっきりしてきます。それ以外にも、左側の側頭葉(言語に関連する領域です)の機能が低下しているという研究者も少なくありません。

また、PETを使うと脳内の神経伝達物質の受容体なども可視化することができます。図3では、FLB457というドーパミンD2受容体に結合する標識化合物を使って、ヒト脳でのD2受容体の分布を調べたものです。


2-2脳の生理的機能の研究からわかったこと


人の脳の機能を丸ごと調べようとするのは、脳の画像診断技術が進歩する前から、脳波や目の動きなどを指標として行われてきていました。残念ながら、当時の脳波や目の動きなどの生理的指標を用いた研究では、統合失調症の病因に直接アプローチするには限界があったといわざるをえません。それでも、統合失調症の患者さんは振り子を見てもらったときに、目の動きがぎこちなくなることや、特定の図形を見てもらったときに視点があまり動かず固定しがちであることなどが明らかになっていました。

最近では、いろいろな刺激を与えた後に出現する脳波をコンピュータで分析し、事象関連電位という脳波上の微妙な変化を抽出することによって、刺激が脳の中でどのように情報処理されているかを調べる方法がさかんに行われています。このうち、聴覚刺激を突然与えた時、約300ミリ秒後に出現するP300という脳波の波形がよく調べられています。P300は聴覚刺激後脳内で複雑な情報処理を経てから出現するものと考えられ、統合失調症の患者さんではP300の出現がよくなかったり、出現が遅れたりすることから、脳の情報処理過程の障害が推測されています(図4)。
http://www.smilenavigator.jp/science/sci02_01.html


統合失調症の原因ははっきりとわかっていませんが、統合失調症の症状が発現しているときの脳の働きがどのようになっているのかについては、徐々に明らかにされつつあります。

統合失調症の症状発現に大きく関与しているのが、ドパミンやセロトニンなどの神経伝達物質*の異常です。幻覚や妄想などの陽性症状はドパミン神経系の機能が過剰亢進しているために引き起こされ、また一部のドパミン神経系では逆に機能が低下するために陰性症状が現れるなど、ドパミン神経系の機能異常が統合失調症の病態に深く関与しています。

また、セロトニン神経系の機能異常でも幻覚などが発現することが知られています。一方、セロトニン神経系はドパミン神経系に対して、抑制的な調節をすることが知られています。また、最近では、グルタミン酸なども病態に関与しているのではないかと考えられています。

陽性症状と陰性症状の発現に関与するドパミンの機能異常 統合失調症ではドパミンの機能異常が病態に大きく関与しています。統合失調症の病態を説明するものとしてよく知られているのがドパミンの過剰です。ドパミン遮断作用をもつ抗精神病薬が陽性症状に対する治療効果をもっていること、また、ドパミン活性作用をもつ薬剤が統合失調症に似た幻覚・妄想を引き起こすことから、統合失調症ではドパミンの機能亢進が1つの病態として考えられています。

脳内のドパミン神経系にはいくつかの経路があり、それぞれ異なった生理機能をもっています。統合失調症の精神症状に関係している1つの経路が中脳辺縁系で、この経路でドパミンの機能が亢進しているために幻覚、妄想などの陽性症状が引き起こされているとされています。

一方、すべてのドパミン経路においてドパミンの機能亢進がみられるわけではなく、一部の経路においては逆にドパミン機能の低下がみられることも明らかになっています。中脳皮質系の経路においてはドパミン機能が低下しており、これが意欲減退、感情鈍麻などの陰性症状を引き起こしていると考えられています。
統合失調症では、中脳辺縁系においてドパミンの機能亢進が、中脳皮質系にてドパミンの機能低下が引き起こされているために、陽性症状と陰性症状という一見相反する症状が併存する背景となっています。


陰性症状の発現に関与するセロトニン系:セロトニン仮説 ドパミン遮断作用のみの抗精神病薬では陰性症状が改善されず、ドパミン遮断作用に加えてセロトニン遮断作用のある抗精神病薬において陰性症状への効果がみられることから、セロトニンが陰性症状の発現と関連しているのではないかと考えられています。ただし、セロトニン遮断作用のみを有する薬剤では抗精神病作用がみられず、抗精神病薬との併用で陰性症状への効果がみられることから、ドパミン神経系とそれを抑制的に作用するセロトニン神経系とのバランスが崩れ中脳皮質系におけるセロトニン系の優位が陰性症状の発現に関係しているとされています。

統合失調症の病態に関与すると考えられる他の神経伝達物質:グルタミン酸仮説 一部の麻酔薬が陽性症状のみならず、陰性症状や認知機能障害に類似した症状を引き起こし、それら薬剤に共通してグルタミン酸遮断作用があることから、グルタミン酸が病態に関与していると考えられています。特に、麻酔薬ではNMDAとよばれる受容体の機能が阻害されているため、NMDA受容体を介したグルタミン酸機能の低下を病態の背景として想定しているのがグルタミン酸仮説です。この仮説では、統合失調症の一次性の障害としてグルタミン酸の機能異常があり、それを背景にドパミンの機能亢進やセロトニンの拮抗優位が二次性に生じて陽性症状と陰性症状が現れると推測されています。
http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/rikai/kasetsu.html



[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

4. やもめーる[-1398] guKC4ILfgVuC6Q 2017年12月19日 20:34:16 : Qmnk3gs5bE : Czg2LCiXylE[-14]
すべてバカ川の妄想でそれこそパラノイアの
㋖印の精神異常な頭の構造だろ?(笑)

[32初期非表示理由]:担当:アラシコメントが多いので全部処理
5. 中川隆[-5751] koaQ7Jey 2017年12月20日 20:14:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

本物の憑依は統合失調症ではなく解離性同一性障害(多重人格)


解離性障害は、元々はヒステリー症状から派生したものです。

ユングは、ヒステリーの中でも夢遊状態や憑依状態、多重人格状態に注目しました。それが現代でいうことろの解離性障害と繋がっています(昔の名称は解離型ヒステリー)。


解離性トランス状態

  特定の地域および文化に固有な単一の、または挿話性の意識状態、同一性または記憶の障害。

  解離性トランスは、直接接している環境に対する認識の窮窄性、常道行動または動作で、自己の意思の及ぶ範囲を超えていると体験されるものに関するものである

憑依性トランスは、個人としてのいつもの同一性感覚が新しい同一性に置き換わるもので、魂、力、神、または他のものの影響を受け、情動的な不随意運動または健忘を伴うものに関するものである。

たとえば…イタコや巫女などもこれに含まれるでしょう。

別人格を憑依しているような状態ですね。
解離性同一性障害の中にもこの人格が含まれることも多いです。
http://www.geocities.jp/minako_0108/sinri-kairi.html


古代から、感応ヒステリーを利用して、神様と巫女は交信してお告げを得ていたと言います。宜保愛子さんや六星占術の細木数子さんなんかをはじめ、たいてい、ヒステリー性格の人が多いと思います。

この性格の人は、非暗示性が高く、自己顕示欲も強いし、悪気もなくうそをつけることができます。ぼくは、印鑑販売のため易学院などで、数霊や姓名判断を学んだことがあります。ここでの先生は、男性の方が多かったのですが、やはり、ヒステリー性格が強く、話が上手くて、詐欺師のように、完全になりきって講義をされていたのを思い出しました。

わたしは、このヒステリータイプの女性とのつきあいが多いので、一つの仮説として、うそと現実が区別の付かないようなことが、これらの性格の人には見られることから、科学的に検証しようとするなら「ヒステリー性格」についての研究も必要だと思います。

実際には、経験していないうそごとを、あたかも体験してきたかのように、これらの人は話す能力を持っています。
クラブのホステスなど、水商売のおばさんに多いタイプです。
まあ、私自身信じていないので、説得ある回答がかけないのが残念です。

でも、インチがあるからといって、すべての人を否定するのはやめて欲しいと思います。わたしは、自分の部屋に、仏像を持っているのをあてられたこともあります。これは、やはり、その霊能者に、その程度の能力があったと思います。しかし、株式の価格の変化などは、自分でも分からないから、あてられないのかもしれません。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa447943.html


統合失調症の幻聴と多重人格(解離性同一性障害)の幻聴


・統合失調症の幻聴=頭の外から他者の声がきこえる。

・解離性同一性障害の幻聴=頭の中から別人格たちの声がきこえる。


幻聴は幻聴でも、まったく違う種類のものです。


統合失調症の場合には、脳の器質異常から妄想が起こり、その妄想から発展して幻聴や幻覚が起こります。 この場合、基本的に本人に自覚はありません。

一方多重人格の場合には、脳に器質異常はまったくなく、よって妄想もなく、無意識下に抑圧されたトラウマが生み出した『別人格=別意識』が基本人格にコンタクトをとろうとして、それが幻聴として意識されます。 この場合、本人にはっきりとした自覚があります。


つまり多重人格の場合の幻聴は抑圧された自分自身の心の声であり、統合失調症の幻聴は脳の器質異常からくる妄想の中の他者の声です。

まったく性質のちがうものです。

解離性同一性障害(多重人格)が疾患として認識されるようになったのはごく近年になってからであり、それ以前は幻聴があるものはみな統合失調症(以前は精神分裂病)だと片付けられていたのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413936964?fr=rcmd_chie_detail


わたしは、統合失調症という病気で多重人格とはかなり違うのですが、幻聴が人格を持ち実在の人物を考えるとその幻聴が現れました。

もしも多重人格の兆候があるとしたら楽しむ余裕などないと思います。
幻聴という幻聴すべてが人格を持ち、次から次へと現れました。
もしも多重人格だった場合恐ろしいことだと思いました。
わたしが子供の頃遊んだこっくりさんで呼んだ霊を名乗る大量の幻聴が現れました。
そんなこと忘れていたのに、現れたのです。

多重人格の恋人を持った人のHPを読んだのですが、

「鏡を見ながらもう1人の自分を作りあげた。」という部分は、ぞっとしました。
わたしは、思春期に冗談半分で鏡に向かって名前をつけて顔を変えて鏡の自分と話してたのです。

Yという人格です。幻聴としても現れました。

「悪いことをするとき、必ずわたしのせいにするの。ひどいわ!」

といわれました。(幻聴なのであくまで頭の中でもことですが…。)

別の人格を持った幻聴が

「あなたは、人のせいにして酷い人ね!」

というし、またKを名乗る幻聴は、私自身でもあるのですが

「わたしは、風呂が大好きで、男が大好き。お願いだから不潔なことしないでよね!」

と言ってきました。YもKも女性です。

わたしの声なのですが別の人格でした。
多重人格の参考になるかわかりませんが…。
http://psychology.log.thebbs.jp/1105620975.html


前世を覚えていると主張する人は世界中に数多く存在する。しかし、よく耳にする批判の一つとして、有名な歴史上の人物の生まれ変わりと称する人があまりにも多すぎるというものがある。

1930年代には、ジョアン・グラントというイギリス人女性が、古代エジプト(ギリシアと並んで前世の話によく出る行き先)の華やかな人生の思い出を続けざまに脚色してみせて名声を得た。他にも、スコットランド王ジェームズ四世としての前世を思い出した女性や、チャールズ二世の愛妾ネル・グウィンだったと称する女性などがいる。

しかし、アメリカにおける188件もの事例を対象とした最近の調査では、大半の被験者が矛盾だらけのお粗末な前世を思い出していることが分かっている。


◆逆行催眠と前世

 逆行催眠というものがある。催眠術を使うことで、人を青春時代や子供時代、幼児期へと年齢退行させ、忘却の彼方にある過去の記憶を取り戻そうというものだ。この逆行催眠を徹底すると、胎児の状態を超えて前世にまで遡ることができるという。輪廻転生の研究においては、当初、意識的に前世を思い出すケースが対象となる事例の中で大部分を占めていたが、1950年代初めに催眠術の被験者が誕生の瞬間からさらに前世まで逆行することで、輪廻の証拠となる比類ないほど大量の情報を採集できることが発見され、この分野の研究は飛躍的に進歩した。俗に『前世逆行』と呼ばれる初の重要な事例は、1952年コロラド州で行なわれている。
 
 モーリー・バーンスタインという名のアマチュア催眠術師が、ヴァージニア・タイという若い女性に催眠術をかけ、精神を前世まで逆行した結果、彼女が1798年から1864年まで中流階級のアイルランド女性ブライディー・マーフィーとして生活していたことが分かったというものだ。
その時、タイは中西部アクセントからアイルランドなまりにすっかり切り替わると、19世紀前半のコークやベルファストでの日常生活について、説得力ある細かい内容をとうとうと述べたという。バーン・スタインが1956年にこの事例の記録を出版すると、たちまち大評判となり、彼に倣って催眠術による前世逆行実験を行おうとする者が雨後の筍のように続出した。
 
 もっとも当時のアイルランドに関する記録はほとんど残っておらずタイの話を確認することは難しいことから、バーンの実験に疑問を呈する人も少なくない。結局、逆行催眠で得られた記憶が本当に前世の記憶なのかどうかは、歴史的にも確認できる詳細な前世記録を収集し、その中に時代錯誤と思われるものを探すことでしか証明され得ないのだ。催眠術によって極めて暗示にかかりやすい状態にある被験者が、催眠術師の誘導的な尋問によってヒントを得たか、あるいは知っている歴史記録をもとに空想を作り上げただけという可能性を完全に除外することはできないだろう。
 
 例えば、ハリー・ハーストという被験者は、前世逆行によってラムセス三世時代のエジプトに古代都市テーベが存在したことを記憶していた。その他にも、彼はローマで広く使用されたセステルティウス硬貨を持っていたと述べた。

しかし、ハートの証言の細部を確認するように依頼されたエジプト学者は、そこに明らかな矛盾点を数多く見出した。ラムセス時代のエジプト人なら、この都市を“オン”とは呼んでも“テーベ”とは言わない。テーベとは後代のギリシャ人作家たちがつけた地名なのだ。さらに、エジプト人は歴代のファラオに番号をつけたりはせず、誕生や王位や治世の名前を複雑に大系立てて、同名異人の支配者を区別していた。

当時のエジプト人がラムセス“三世”などという現代的な称号を知ってるはずがないのだ。また、セステルティウス硬貨が初めて流通したのは、ラムセスの治世から1千年後のことだった。しかし、このような決定的な矛盾点にさえ、逆行催眠による前世の記憶の妥当性が完全に否定されるわけではないと主張する研究者もいる。前世の記憶が現世の体験にどの程度ふるいにかけられるかの問題にしかならないと言うのだ。研究者たちがこうした前提を認める以上、前世でイタリア人だった人がその記憶を英語で述べたとしても、被験者が空想にふけっているという決定的証拠にはならないということになる。一方で、被験者が異国語を話した数少ない事例を調べれば、前世の記憶の信憑性をより確実に評価することができるという主張も確かであろう。
 
 心理学者イアン・スティーヴンソンは、逆行催眠の被験者がノルウェー語を的確に交えながら当時のスウェーデン語を流暢に話したという事例を紹介している。しかし、こうした事例に対して心理学的な立場から有力な批判・反駁を行おうという研究者も存在する。その一人イアン・ウィルソンは人間の驚異的な記憶力を証明するある事例を挙げている。ジャンというマージサイト出身の若い被験者は、1556年にチェルムズフォードで行なわれた巡回裁判で魔女として裁かれたジョアン・ウォーターハウスという少女の劇的な前世を思い出したと言う。ウィルソンは古い記録を徹底的に捜索し、確かに同名の女性がこのときの巡回裁判で魔女として裁かれたことを確認した。
 
 では、ジャンの事例は輪廻転生の確固たる証拠になり得たのかというと、それとは逆だったのである。当時の資料によれば、実際に裁判があったのはジャンが述べた日時から10年後の、1566年7月だったことが分かったのだ。この混乱の元凶と思われる情報源は巷に流布していた巡回裁判に関する書籍であった。

ジャンの語った1556年とは植字工が犯した致命的な写植ミスであったのだ。ジャンが、どこからその記憶を仕入れたのかは正確には指摘できなかったが、安っぽいラジオ・ドラマか少女漫画、あるいは図書館で隣の人が開いていたページから偶然的に拾った記憶だったのかもしれない。ウィルソンは自分の研究結果をまとめて、次ぎのような結論を下している。
 
 催眠術下で得られる前世の記憶は、実際は、脳が記憶とは認識しない内容を想起するときに起こる無意識の剽窃、つまり“隠された記憶”という心理学的現象の例である。ウィルソンはさらに、催眠術下でさまざまな人生を思い起こすのは、一般的には子供時代の精神的外傷(トラウマ)の結果として、一部の精神病患者に現われる多重人格になぞらえることができるとも示唆している。生まれ変わり現象に対して、多重人格障害を理由に持ち出したウィルソンの主張は物議をかもしたが、1950年代以降、多重人格障害は催眠逆行療法と並行して増加傾向にあり今や世界的な広がりを見せている以上、彼の論点は軽視されるべきものではないであろう。


◆シャーマニズムと人格分裂

 興味深いことに、多重人格症の患者の中には分裂した人格のほかに不可解な人格、例えば死んだ人間の“魂”の人格が存在する例があり、『悪魔憑き』や『憑依現象』と勘違いされることがある。また交代人格が、自分は複数の人間に乗り移っていた『霊』だと主張したケースもあり興味深い。当然、そのような死者の記録を調査して、実際に該当する人物が見つかった例は皆無に等しく、被験者が潜在意識の奥で作り上げた空想上の“魂”であることは歴然としている。このように近年、退行催眠で“思い出した”記憶には多分に被験者の空想が混在することが分かったため、すでに欧米では退行催眠の妥当性に対する信頼は大きく後退している。

確かに被験者に催眠術かけ、記憶を遡って昔の自分に戻させることで、顕在意識の上では忘れてしまった潜在的記憶を呼び起こす退行催眠は、現在でも幼少時のトラウマをさぐる目的で心理カウンセリングなどで活用され、また宇宙人に連れ去られ記憶を消されたと主張する人たちの記憶を取り戻す目的で用いられることがある。しかしその一方で、催眠術師あるいは心理療法師の誘導の仕方如何によって、退行催眠が偽の記憶を作り出してしまう可能性も警告されている。カールトン大学のニコラス・スパノスと共同研究者は、このことに関する興味深い実験を行っている。
 
 スパノスらは被験者に、「自分の眼球運動と視覚探索能力がよく連動している」と信じさせ、それはベビーベッドの上で揺れるモービルのある病院で生まれたからと説明した。そして、被験者の半数には「実際にそう確かめる」という名目で退行催眠をかけ、半分には幼児期の体験をイメージするようにという“記憶再構成誘導”を施した。すると、催眠をかけられた人の56%、誘導を受けた人の46%が、実際にはなかった揺れるモービルの病院の様子を思い出したのだ。あるいは退行催眠に依って前世を思い出したという事例は古来から存在したシャーマニズム、ないしシャーマンによる憑霊現象などと比較することができるかもしれない。
 
 多くの部族社会で重要な地位を占めるシャーマンは宗教や呪術を司る特殊技能者で、シベリア、中央アジア、北アメリカ、オセアニアなどの狩猟採集文化に広く見られる。シャーマニズムは、シャーマンを中心とする宗教形態で、通常、そこでは精霊や冥界や霊の世界が一般的に信じられている。シャーマンは恍惚状態に入ることで自己の魂を霊の世界に送り込み、霊と意思を通じ合わせる特殊な存在であるとされる。その際シャーマンはしばしば幻覚や幻聴を引き起こす――彼らに言わせれば“神聖な薬物”を使用する。例えばシベリアのシャーマンは、トランス状態や幻覚を起させる薬として、ベニテングタケやカラカサタケなどのキノコを煎じた液を飲む。

多数の人類学者や古代宗教の研究者によれば、このように意識の変革を起させるためにキノコなどの幻覚性物質を用いるのは極めて古い時代、おそらく人類の歴史と同じくらい古いのではないか、と述べている。古代ギリシアでは、エレウシスの神秘宗教の新入会員に“女神の姿が見えるようにするため”、特殊な菌類を飲ませた。同じように、古代インドでは、ソーマというものが“神々の食物”であると同時に、神々の顕現に接したいと考える人々のために選ばれた食物でもあると言われていた。このソマの正体が、シャーマンが飲んだ何らかの幻覚性物質のようなものであろうことは現在では異論がない。
 
 さらにスペインの年代記作家ゴンサロ・ドビエドによれば、ネイティブ・アメリカンのシャーマンたちは、霊と意思を通じ合わせることができる秘密の手段を持っていたという。「シャーマンは恍惚状態にあるように見え、また不思議な苦痛を感じているようでもあった。……彼は意識もなく地面に横たわり、族長やその他の人々が自分たちの知りたいと思うことを尋ねると、霊がシャーマンの口を通して、きわめて正確な答えを与えた」と彼は書いている。しかし、古代のシャーマンたちと同様、トランス状態に入る現代の霊媒師たちは幻覚性物質など用いていない。彼らが霊を憑依させる(厳密にはそう信じ込む)ための主要な手段はおそらく“自己催眠”であろう。
 
 先に多重人格障害について述べたが、シャーマンや霊媒師が“支配霊”とか“霊の導き”と呼んでいるものの大半は、この多重人格症の一例に過ぎないのではないか、という解釈である。この場合“別の自我”は、表面に現われると本来の人格を完全に乗っ取ってしまうため、当人には別の人格になっていたときの記憶はまったくない。こういうと、通常の多重人障害のパターンと、シャーマニズムの憑霊あるいは交霊会で霊媒が支配霊を呼び出すときの様子はあまりにも違いすぎる、という反論もあるだろう。

しかし、シャーマンや霊媒師は霊魂を呼び出す際に、ほぼ例外なくトランス状態に入る。とすれば、トランス状態の下で、霊媒が自分でも気付かないうちに別の人格を出現させたと考えることも可能なのだ。
 
 実際、この現象は精神病歴のない正常な人に催眠術をかけた際にも、不意に起こる場合があることが知られている。ではこの場合、霊媒の出現させた“第二の人格”が特定の限られた人しか知り得ない情報を知っているのはなぜだろう。これを説明するには、人間の心に潜む驚異的な力、俗に『神話作成』として知られる能力を引き合いに出さねばならない。神話作成とは、誰かが催眠術にかけられてトランス状態にあるときに、よく“過去生”という形で語られるものだ。これは非常に説得力のある詳細な話や、神話を創作する能力を伴っており、その結果が一部の霊媒に“潜在意識の偽造”の能力を与え、死者の声や生前の癖や筆跡、さらには作曲やデッサンのスタイルまで真似る力を与えるという。
 
 実際に、催眠術にかかった被験者が、突然、通常の生活では気付いてもいなかった才能を示す場合があることはよく知られており、ある人は催眠状態で見事な絵を描き、またある人は巧みな歌を歌う。人間は通常、脳細胞の1割しか使っていないといわれ、残りの9割の部分は無意識状態で普段は意識できない領域である。催眠中に失われていた記憶を呼び戻したり、あるいは非常に重たいものを軽々と運んだりするなど、催眠術には脳細胞の残りの9割を活性化させる働きがあると言えるのだ。潜在意識の偽造は、交霊会の霊媒師や恐山のイタコなどに特有の心理現象というわけではない。意識的であれ無意識的であれ、おそらくは死人の生まれ変わりを称する多くの人々に適用できると言わなければならないだろう。

いわゆる前世を記憶していると主張する人々は、宗教的に輪廻転生が認められてるインドやスリランカ、その他アジア地域などで出生している場合が多い。ヴァージニア大学の朝心理学者、イアンスティーヴンソンがインドで収集した事例の3件のうち2件は、貧しい境遇の子供が上位カーストの一員として前世を記憶していたという。この場合、子供の側に願望的思考が窺えるだけでなく、生まれ変わった人格が元の家族に財産の所有権を主張する可能性も認められる。実際、ヴィア・シンという子供が、前世での父親ラクシュミ・チャンドに財産の三分の一の分与を公然と要求したが、チャンドが不運にみまわれて新しい父親より貧しくなってしまうと、元の家族への関心を失ってしまったという妙に現実的な事例まである。
 
 スティーヴンソンが収集した有力な事例には、前世で負った傷跡に相当するアザを持った子供たちが数多く含まれている。その一例がラヴィ・シャンカールというインド人少年の場合で、この少年は前世で惨殺されて首をはねられたアショーク・クマーという少年だったと主張した。実際、スティーヴンソンはシャンカールの顎の下にナイフの傷跡に似た、細長いアザがあるのを発見している。しかし、アザは生まれ変わりが実在する決定的証拠にはとてもなり得ないのが実状である。むしろ、このようなアザに合理的な説明をつけるために、わざわざ前世の記憶を作り上げたというのが本当のところだろう。とはいえ、多くの事例の中には、虚言や精神分裂症そして催眠による神話作成だけでは説明できない事例があることも確かである。このことに関する突っ込んだ考察は、また別の機会に行いたい。
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinrei/rinnetensei.html


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6. 中川隆[-5750] koaQ7Jey 2017年12月20日 20:18:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症ではない本物の憑依現象の実例は


イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html

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7. 中川隆[-5749] koaQ7Jey 2017年12月20日 20:19:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

分裂病とSF schizophrenia and science fiction


 言語新作の項目を書いたとき、44歳の男性分裂病患者のこんな妄想を紹介した。

数億年前、宇宙人が地球に降下し、真にして善なる国を建設した。その末裔がイザナギ、イザナミの命であり、この血脈はさらにアマテラスとスサノオ、ヤマトタケル等を経て天皇一家に伝えられているが、われわれ人類も多少ともその血を継いでいる。

しかるにいつの頃からか、次第に邪悪な力が世界を堕落させ、現在は虚偽を打破して昔のような真実の世界に戻そうとする大いなる全能者(彼はそれを「おやじ」と呼ぶ)と、ますます堕落させようとする力が戦っている最中である。

彼は生後間もなく「おやじ」に戦いに参加するよう求められ、「おやじ」に心身ともに委ねて、その指示通り働くことを約束した。そして「おやじ」の指令により、「人間構成の素粒子論」や「心理プラズマ」や「運動の周期律」等々を研究する。新しい言葉(漢字)を創るのも「おやじ」の要請で、すでに腐敗した既成の文字では新しい世界の真理を発見できないからであるという。

 まるで、40年代のスペースオペラみたいではないか。書きようによってはヴォクトばりのワイドスクリーン・バロックになるかもしれない。

 考えてみれば、分裂病患者は異常体験を説明するのに「電子頭脳」や「テレパシー」などSFの言葉を使うことが多いが、「魔術師に魔法をかけられた」などとファンタジー用語を使う人は見たことがない。

 これはなぜだろう。

 それはたぶん、SFと分裂病の妄想との間には共通点があるからなのだろう。

 まず、SFは世界を描く小説だということ。ファンタジーではあくまで異世界における人間が描かれるのに対し、SFには世界そのものを疑い、新しく構築しようとする意志がある。一方、分裂病患者に特徴的とされている症状に、世界没落体験というのがある。これは「世界はいまや危機に瀕している。世界の終末は近い」という、周囲から迫ってくるような絶対的な確信のこと。

分裂病患者にとって、世界はグロテスクに変貌をとげつつあるのだ。それじゃホラーじゃないか、だと思われるかもしれないが、ホラーの理不尽な世界で人間が長いこと生き続けるのは難しい。グロテスクで不条理な世界の中で自己を守るためには、SF的な論理を使ってでも世界を論理の中に位置づけるしかないだろう。それが、分裂病者がSF用語を選ぶ理由なんじゃないだろうか。

 さらに、SFには、形而上的なものを強引に形而下に引きずり下ろしてしまうという特徴がある。抽象的な思想も無理やり「絵」として見せてしまう。バリントン・ベイリーの諸作を思い出してもらえばわかるように、これはSFのパワーであると同時に安っぽさの源泉でもあるのだけど、一方で分裂病の思考にはコンクレティスムス(Konkretismus(独) 英語ではconcretism。具象化傾向と訳されている)という特徴がある。分裂病者は比喩や抽象を理解できず、そのまま具体的に受け取ってしまうというのだ。

 たとえばこんな例がある。

 雑誌『精神療法』1992年9月号の「海外文献抄録」というコーナーに、「抑圧と分裂――言語構造論的端緒に基づく神経症と精神病の境界設定に関する考察」という、やたらと長ったらしいタイトルの、ドイツ語の文献の抄訳が載っている。

 この文献で取り上げられている患者は20歳で、10歳のときからペリー・ローダンを読み始めたので、「人生の半分はペリー・ローダンのことばかり考えてきた」のだという。そして、「15歳のとき女の子と恋愛関係を持ったことがあるが、その後学校へ行けなくなり、ますますSFにのめりこむようになった」「友達と会うでもなく、ペリー・ローダンのことにだけ専心するようになった」のだそうだ。ついには、入院していた病棟を抜け出し、ちょうど行われていた講義に侵入し、マイクを奪って「ペリー・ローダンは私の精神の父です。電波をかわし合う相互関係が、私とローダンとの間にはあるんです。私は過去、現在、未来です。私は3次元で神のようなものです。自分は神だと思います」と叫んだという。

 つまりこれは、「ペリー・ローダンを神とし、ついにはペリー・ローダンと自分とを同一視するようになった」という症例なのである!

 医師との会話がよく理解できなかったこの患者が、窓辺で何かを飲み込むような動作をして「情報を飲み込んでるんです」と言った、というのがコンクレティスムスの典型例。それどころか、この事例をもとにして、1982年、ホルム-ハドゥラという医師が「コンクレティスムス」の概念を導き出したのだった。

 コンクレティスムスの概念誕生とSF小説との間に密接な関わりがある、というのも何かの因果というべきか。しかし、この患者の場合、これは本当に分裂病独特の思考なのかな。この思考は、この患者が分裂病だったことより、SFファンだったことの方に関係あるような気もするんだけど……。

 ただし、SFと妄想に共通点があるからといって、分裂病者の妄想を病者の豊かな想像力のあらわれだと考えるのは間違いである。彼らは決して、想像の翼を羽ばたかせているわけではない。彼らはこのような観念の中で身動きが取れなくなっているのであり、それは想像力とは正反対のものである。彼らは、妄想世界を想像しているのではない。妄想世界を生きているのだ。

 そして、その妄想に触れ、驚異を感じたりユーモラスに感じたりと、いろいろと想像を働かせることができるのは、我々非分裂病者の特権なのである。

 しかし、例外というものは必ずあるもので、きわめて豊かな想像力を感じさせる症例もごくまれにだが存在する。

 たとえば、1958年の「精神神経学雑誌」に載っている「Neophasieの生成機序について」という論文に紹介されている症例がそうだ。地味なタイトルだが、これが、言語新作から始まり、ついにはまるまるひとつの惑星と文明を創造してしまったという驚くべき人物を紹介した論文なのだ。

 著者はヤラスラフ・ストックリックといって、チェコのプラハ精神衛生研究所の主任教授。ふつう、日本の専門誌に外国人の論文が載ることはあまりないのだが、この論文は、著者が特に日本の精神医学雑誌への掲載を希望して寄稿したものなのだという。なんでわざわざそんなことをしたかというと、この論文で扱っている症例が日本に縁があるからということのようだ。

 症例はチェコ人の患者で、名前はドクター・D・ドッド(仮名)。1910年生まれの一人っ子。幼少の頃から数々の重い病気にかかったが、よく勉強し、大学は医学部に進学。医学のさまざまな分野について非凡な知識を習得し、結局精神科医になったというエリートである。

 彼は医学論文を書き、音楽を作曲し、独特な速記術を編み出すなど多彩な才能を発揮し、特に、夢の解釈、ロールシャッハ・テスト、脳腫瘍その他について大きな著作をものしている。順風満帆な人生である。

 しかし、1945年のこと、広島に原爆が落とされたことを知った彼は激怒し、たったひとりである強烈な平和運動を開始する。宣伝ビラを街中に貼り、教会の円頂に声明文をひろげる。大統領やローマ法王にも激しい手紙を送りつけ、友人や親戚には新しく築かれた国家では官職に任命することを約束した。そんなことをしているうちに法に触れ、精神鑑定を受け、患者として釈放されたのだそうだ。そんなに変じゃないように思えるんだがなあ。

 このときに彼が担当の精神科医に語ったのが、実に驚くべき物語なのであった。

 1942年のある日のこと、プラハ近郊に惑星間を飛ぶ航空機が墜落して燃え上がった、と彼はいう。彼は急いで燃えている機体に駆け寄ったが、救い出せたのは一人の少女だけ。少女の名はDehorjane(読めん)。アストロンという惑星(一名テティスともいうらしい。「地球」と「世界」みたいな関係のようだ)から来たという。彼女は徐々にチェコ語を覚え、彼に身の上話をした。父はアストロンの大学教授であり、彼の最初の惑星間飛行で命を落としたのだという(その後いろいろと長い話があるらしいのだが、この論文には書かれていない)。

 その後彼はDahorjaneと結婚、アストロンの歴史や文化について教わるのだが、そうしているうちに、彼は徐々に前世をアストロンで過ごしていたことを思い出していく。彼はアストロン人の生まれ変わりであり、来世には再びアストロンに戻り、日本とテティスの皇帝として君臨するのだ。彼によれば、日本人は惑星系を支配する任を追うべき運命にあり、彼自身がその指導者なのだ!

 なんだか日本のアニメのようなストーリーである。
 さてなぜ彼が日本にこだわるかといえば、彼の自伝(長大な自伝を書いているのだ!)によれば「4歳から6歳にかけて、母の買ってくれた日本人形を愛し、着物を着替えさせながら愛撫した。こうして日本女性の形象によって、早い時期に性愛がめざめた」からだという。「子供の頃から天皇が陽の女神の後裔であることを、単なる象徴ではなく事実であると信じた。その力は世界支配に適うものである」とも書いているらしい。なんともなあ。

 6、7歳の頃、一人っ子だった彼は、人形や箱で街を作っては一人遊びをしていたという。さらに住人のいうことを親に理解できないようにするために、彼は自分で新しい言葉を考え出したという。しばらくしてこの遊びはやめてしまったが、大人になるまで新しく作った言葉のことは忘れず、Ishi語と名づけて徐々に洗練させていき、ついにはこのIshi語で小説や科学論文を書いたり、福音書を翻訳したりもするようになった(論文には、彼の書いたIshi語の文章が図版として掲載されている。見たこともない文字だが、きわめて整った字で、ひとつも訂正がない)。

 そんなときに、彼はDahorjaneと出会い、自分の考え出した言語は、前世の記憶であったことを悟るのだ。

 その後、彼は、アストロンのさまざまな民族の言語を作り上げた(というか、思い出したんだな、前世はアストロン人なんだから)。しかも、彼はそれぞれの言語がどのように発生し、利用され、消滅していったか、そしてどの言語でどんな古典的著作が書かれ、どこに保管されているか、などすべて具体的に述べることができる。つまり彼は、言語だけではなく、惑星アストロンの歴史をまるごと作り上げてしまったのである。

 Barnum語は名詞には8つの語尾変化があり、性の区別がある上、生物は無生物とは違った語尾変化を示す。合計22の語尾変化があるのだそうな。動詞はきわめて不規則に変化し、214の異なった変化形がある。その上、6つの完了形、3つの未来形、3つの条件形などがあるのだとか。こりゃ難しそう。

 Tvad語は現在は死語だが、かつてはアストロンの強大な種族の言語だった。この言語の言葉は2音節からなり、例外なく子音で始まり子音で終わる。

 Kimbal語はKim語とも言われ、アストロンの黒人種の言葉である。わずか666語からなり、象形文字で書かれる。

 などなど、ドクター・ドッドが作り上げたさまざまな言語が、論文には紹介されている。精神病であったにせよ、そうでなかったにせよ、少なくともこのドクター・ドッド、非凡な才能の持ち主であることは確かなようだ。彼の書いた膨大な量の自伝というのを読んでみたい気がする。

 なお、この論文の最後には、「きのうは一日中雨が降った」という文をアストロンの各言語に訳したもの、というのが載っている。

Ishi語……Rububi irsxhwae sut o dyn
Stehut語……Betschive giphir savjeijifopu
Barnum語……Rukabut kab matschcharjapan
Kimbal語……Schescho kschajikofba onom
Mirrsch語……Dom lechi kafimriju siba pseche
Tobol語……Dajpi bintiti rinuch pjar
Rischi語……Bareck kulka aba tantaharetanra
Kvad語……Meop kidzuntschopon nomoma

 はあ。もう、ここまで来ると著者ストックリック先生も、医学的考察なんてどうでもよくなってますね。分析も考察もせず、「ただ発明の産物として驚嘆に値する」とだけ書いて終わりにしてしまってるし。

 一つ気になるのは、この人、スペオペを読んでたのかなあ、ということ。1940年代のプラハでSFは手に入ったんだろうか。語学に通じた彼のことだから、たとえチェコ語に訳されてなかったとしても、英語のままですらすら読んでしまいそうである。「Kimbal語」なんていう名前をつけてしまうあたり、E・E・スミスくらい読んでそうな気もするんけどなあ。まあ「Kimbal」の一語で決めつけるわけにはいきませんが。
http://homepage3.nifty.com/kazano/psysf.html


本物の天才がパラノイアになった例


ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、
オーストリア・ハンガリー帝国のガリチア・ドブジャニツァ出身の精神分析家。
学生時代から精神分析について学び、敬愛するジークムント・フロイトからも指導を受けた。

ウィーン大学卒業後、ウィーン精神分析診療所で、精神分析とマルクス主義の統合を目ざして活躍する一方、精神分析技法ゼミナールを主宰して、研究と指導に専念した。
患者の態度やふるまいに現れる性格抵抗 (主要な抵抗) に注目した〈性格分析〉の理論と技法とを追求して、 《性格分析》 (1932) を発表し、古典的精神分析から現代の自我心理学的精神分析への発展の端緒を切り開いた。

社会学的見地に立ち、社会適応を重視した性格形成論、性を社会的抑圧から解放し、〈性器性欲の優位性〉を確立して、健康なオルガスムの体験能力を獲得することこそ健康の基盤であるとする性革命理論などが知られている。

著書はほかに《衝動的性格》 (1925)、 《ファシズムの大衆心理》(1933)、《セクシャル・レボリューション) 》(1945) など多数にのぼる。
 
ライヒは子供時代に関してあまり語らない人間だった。その理由として、父と母が共に自殺している点があげられる。

13歳の時、母・セシーリアが自分の家庭教師と性交している現場を目撃してしまう。ライヒはそのことを父・レオンに告げた。
精神バランスを崩した父は母を自殺に追いやった。そして自身は、わざと真冬の凍った池に何時間も立ち続け肺炎で死んだ。両親が自殺したのは自分のせいではないかと、ライヒは後悔し続けることになる。

こうした中で、全ての人間は「性欲」(リビドー)に支配されているというフロイトとの出会いは衝撃的であった。やがてライヒはユングが抜けた後の精神分析学会で精力的に活動を行う。

しかし晩年のフロイトも、さすがに「性欲理論」は無理があるとして放棄しつつあった。またユングはリビドーを「性」ではなく生命エネルギーと定義し、右脳と左脳のメカニズムにまで迫ろうとしていた。
 
しかしライヒは時代に逆行する形で、性欲理論を補強していった。
「全ての人間はオルガスム(性的快感)を求めて生活している」
彼は、神経症で悩むオールド・ミスの患者にマスターベーションを勧めた。自虐癖のある患者に「では実際に打ってみようか」と臨んだ。どれも確かに症状は好転した。
そして、性の解放と称し

・未成年の避妊教育の実践

・堕胎の権利の確立

遂には、性の全面的な解放を行えば、神経症や性倒錯、そして犯罪の一切存在しない理想郷が誕生すると主張した。
ライヒの思想は進歩的ともいえるが、いささか過激すぎる点も多い。
 
・・・ライヒの思想は禁欲を重んじる20世紀初頭のヨーロッパ社会で、当然受け入れられるような内容ではなかった。師匠フロイトも、この「明らかに行き過ぎた理論」に不信感を抱きつつあった・・・  

共産主義者としても積極的に活動していたが、 33 年ドイツ共産党から、 ついで 34 年国際精神分析学会から除名され、ストックホルムやオスロ を経て、39 年アメリカに亡命した。ライヒが主張する「性の解放」を全ての人間が嘲笑したのだ。

そのころから精神に変調をきたし、「オルゴン(オルガスムの)・エネルギー」と名付ける宇宙エネルギーの存在を信じこれに熱中するようになった。

世界には至るところに「オルゴン・エネルギー」が満ちている。それが細胞を動かしているのだ。愛するものと別れるとオルゴン・エネルギーが不足して病気になる。しかし休養すればオルゴン・エネルギーが充電されて再び健康になるのだ・・・

このエネルギーを集める力を持った〈オルゴン・ボックス〉に入ると、すべての性障害が治ると称して、ライヒは金属箱を販売した。しかし、これがアメリカの薬事法違反に問われることになる。

それまでのライヒは、思想は別として精神科医として極めて優秀な評価を受けており、裁判に負ける可能性は低かった。しかし、ライヒは陪審員達にこういった。

「オルゴンエネルギーを暴発させて大洪水を引き起こしてやるぞ」

ライヒは裁判中、法廷侮辱罪で投獄され、不遇のうちに獄死した。

 
尚、ライヒの心身相互作用に着目した療法は、今日の心身医学やボディワークの始まりとされている。

http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/kora9.htm

初期フロイトの路線を強調した上で、精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。性的エネルギーの社会による抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動が嫌われ、後に精神分析協会からも共産党からも除名された。

1934年ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命、オスロ大学で性科学を
研究中滅菌した肉汁中の小胞バイオンと1939年バイオンの研究中オルゴンを発見、
アメリカ合衆国のテオドール・ヴォルフ博士の招きで渡米、ニューヨークに住む。
1940年メイン州レーンジュエリーに転居、支援者によりオルゴン研究所
「オルゴノン」でロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組んだ。
1941年にはアルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)
でオルゴンを見せている。よく知られている物としては、オルゴン蓄積器
(オルゴン・アキュムレーター、蔑称としてオルゴン・ボックス、セックス・ボックスなどとも呼ばれた)という箱と1951年にラジウムとオルゴンの研究中発生したというオラナーとデッドリーオルゴンの雲をなくすため発明したオルゴン放射器のクラウド・バスターなども作成していたことがあげられる。

1954年、UFOを目撃DORを利用した侵略者の宇宙人の宇宙船と直感しクラウド・バスターで撃墜の必要を訴える。1954年にFDAにオルゴン・アキュムレーターの販売が、がん治療機を不法製造販売にあたると裁判を起こされ、裁判所の命令に従わなかったため、有罪判決を受け1957年投獄された。

精神分裂病(統合失調症)の可能性が疑われ、精神鑑定が行われた。オルゴンに
まつわるいくつかの妄想的な言動がみられるが、その他の点では正常だったと
いわれる。出獄することなく、1957年11月3日コネチカット刑務所で心臓発作で死亡した。
http://musical7.org/83948342838B8377838B83808145838983438371/


オルゴン理論

オーストリア生まれの精神科医兼マッドサイエンティスト、ウィルヘルム・ライヒが提唱した、超自然的生命エネルギー「オルゴン・エネルギー」に関する理論です。

若かりし頃のライヒはフロイト学派に属する精神分析医で、フロイトの伝統にのっとり、性衝動(リビドー)、特にオルガスムを中心にすえた精神分析の分野で卓抜した研究をしていました。 ところが1930年代の末、性的エネルギーの研究に関連して、「オルゴン・エネルギー」の存在を発見した(と思い込んだ)ことから彼の人生は大きく転回します。 彼はこの発見をコペルニクス革命に匹敵するほど重要なものと考え、それ以後は自分を精神科医というよりも、生物物理学者とみなすようになります。 そして思う存分研究に打ち込むために、反対者の多かったヨーロッパから逃れ、自由の国アメリカに移住します。

ライヒによれば、オルゴン・エネルギーとは自然界のあらゆるものに浸透している非電磁的な力で、生命力の基礎となるエネルギーです。 それは青い色をしていて、空や海の青さは青い光の乱反射によるものではなく、オルゴンのせいだということです。

人間ではオルゴンは性エネルギーの元となっていて、それはフロイトの言うイド(無意識領域での精神活動)が性エネルギー的な実体となったものと考えられます。 またそれは性交の最中には性器に集中し、オルガスムと共にまた全身に流れ戻ります。 さらにオルゴンは呼吸によって赤血球に充電され、生命力の源となります。 ライヒはオルゴンを吸収すると赤血球が青くかすかに光る現象を、顕微鏡によって観察したと主張しています。 また詳しい原理の説明はありませんが、オルゴン・エネルギーをガイガー計数管で測定したとも言っています。

1940年代になると、彼はオルゴンを利用した医学的治療箱「オルゴン・エネルギー蓄積器」を発明し、医療事業に乗り出します。 それは内側には鉄板を、外側には有機材料を張った電話ボックスのようなもので、その中に入ってじっと座っているとオルゴンを吸収することができ、色々な病気に効果があると彼は主張しています。

当然のことながら、オルゴン理論はまともな学界からは無視され、良心的な科学者から反論されましたが、ライヒは彼らを辛辣に批評し、反論の反論としてオルゴン理論をますます壮大なものにしていきました。 彼によれば万有引力と原子力の根本原理、物質と大宇宙の起源、空間と時間の秘密など、ありとあらゆる自然現象をオルゴン理論によって説明することが可能となります。

そしてその著書「聞け小人よ!」の中で、世の中の”小人たち”に何と言われようと、「私はお前に生命と宇宙的本性の無限に広大な分野の秘密を暴いて見せた。 これが私の偉大なお返しだ!」と叫んでいます。

1950年代になって、ついにFDA(アメリカ食品医薬局、日本の厚生省に相当)がオルゴン蓄積器の調査に乗り出します。 FDAの依頼を受けた専門の科学者達が慎重に厳密な試験をした結果、「オルゴン・エネルギーなるものは存在せず、同器は医療上有害無益」との結論が得られ、ライヒは連邦裁判所に逮捕されてしまいます。

オルゴン理論は典型的な疑似科学で、ライヒは典型的なマッドサイエンティストと言えます。 マッドサイエンティストには多かれ少なかれパラノイア(偏執狂)の傾向があり、次のような特徴を持っています。

• 自分を天才と考える。
• 自分以外の者を無学な愚か者とみなす。
• 自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。
• 最も偉大な科学者や最もしっかりと確立された理論に攻撃を集中する。

以前はニュートンと万有引力の法則が最高の標的でしたが、 現在はアインシュタインと相対性理論がそれに代わっています。

• 複雑な特殊用語を使って文章を書く傾向があり、その特殊用語は自分自身で創り出した造語であることが多い。

これは精神分裂症患者の「ネオロギズム(新語。 患者にとってしか意味のない、チンプンカンプンな造語)」と呼ばれる症状と似たところがあります。

マッドサイエンティストは似非科学者や本物のペテン師とは違って、本質的には好奇心に溢れた誠実な人間であり、他人に迷惑さえかけなければ、本来は愛すべき人々です。 ライヒも、オルゴン蓄積器などを作って医療事業に乗り出しさえしなければ告発されることもなかっただろうにと、少々気の毒な気がします。

時代的に考えて無理なことはわかっていますが、彼がプラセボ効果というものを知らなかったのは本当に残念なことです。
http://www.snap-tck.com/room04/c01/kanwa/kanwa02.html


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

8. 中川隆[-5748] koaQ7Jey 2017年12月20日 20:22:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症とは


統合失調症の症状

妄想というのは,強固な信念で,明らかに間違っているのに決して訂正されず,
本人が確信しているものをいいます。私たちが,「あの人は私のこと嫌ってて
イジワルしているのかもしれない...」などと半信半疑に思っているのは妄想とは
言いません。

例えば,

「○○が自分の才能を妬んで様々な嫌がらせをしてきている。
電話は盗聴されているし,電子メールも全てハックされている。
このままでは私の発明は全て盗まれて先に特許をとられてしまうに違いない」,

こういうことを言っている人に「そんなことあり得ませんよ,大丈夫ですよ」

と忠告してあげると,

「いや,これは確実なことだ。証拠もある。さてはお前も〇〇の回し者だな!」

などと言われた場合,これはかなり妄想に近いと言えるでしょう。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~yasuq/schizophrenia2.htm#14

統合失調症の症状妄想と幻覚

統合失調症の初期症状でよくみられるものに、「妄想」と「幻覚」があります。
妄想とは「明らかにありえない考えを正しいと思い込むこと」です。

しかし、これは私たちの経験上珍しいことではありません。単なる思い込みは誰にでもあるし、現在正しいといわれている知識でも、やがては誤りであることが証明されるかもしれません。また生活文化の中には、はるか以前から脈々と受け継がれてきた迷信もあります。

しかし統合失調症の妄想には、誤りを訂正できない思い込みと、強烈な不安感が認められます。また、妄想は宗教と異なり個人的体験といえます。妄想にはいくつかのパターンがあります。


妄想の種類

迫害妄想 自分は周囲から迫害されていると思い込む
誇大妄想 大発明をしたとか、大金持ちで何でもできると思い込む
関係妄想 自分がある事件に絶対に関わっていると思い込む
身体妄想 自分の身体が変わったと思い込む
罪業妄想 犯罪を犯したと信じ込む
嫉妬妄想 妻(夫)が不倫をしていると思い込む
*他宗教妄想などもあります。

このとき、自分が考えていることが周囲に漏れる、あるいは自分以外の考えを吹き込まれる、思考を乗っ取られる、と訴えることも多いのです。


もう1つの幻覚では、幻視よりもむしろ幻聴の形をとることが多いといわれます。


幻覚の例

誰か知らない人の声が聞こえる。
話しかけてきたり、自分を批判したり、命令したりする。
たとえ遠方であっても、声はきちんと聞き取れる。
特に命令されることに対して、患者さんは従わざるを得ない心境になり、それが大変に辛いといわれています。

__________________________________________


統合失調症において、頻繁に発症する症状は、幻聴や幻覚などといったものです。

これはそのまま妄想につながる事もありますし、独立した症状として発展していく事もあります。統合失調症における最も基本的な症状のひとつと言って良いでしょう。

幻聴は、実際にはない音や声が聞こえているかのような状態になる事です。

少なからず、常態の方であっても起こり得る症状ではあります。

ストレスなどで身体が弱っている時、誰かの声が聞こえたような気がするということはないでしょうか。

知っている人が声を掛けてきたと思い込んだり、誰かが家を訪ねてきた時の声がした、と感じたりする事は、誰もが経験する事だと思います。

しかし、統合失調症における幻聴は、そういった単発的なものではなく、常に声や音が聞こえている状態です。

例えば、自分の悪口が聞こえてきたり、命令する声が聞こえたりというような、自分にとってマイナスとなる声が聞こえてくるケースが多いようです。

よく、殺人事件などが起こった際に、その弁明に「悪魔の声が聞こえた」などという供述がされていますね。

この場合も、まず統合失調症が疑われるようです。

実際にそうだったのかどうかは、精神鑑定によって明らかとなります。

こういった幻聴の症状を周りの人が判断する場合は、いくつかの基準があります。
例えば、独り言を延々と言っている人や、何もない、誰もない所に向かって話したり怒鳴ったりしている人に関しては、幻聴を疑っていいかと思います。
この症状は、患者にとってはかなり深刻で、日常生活を送れない状態になる事が多々あるようです。
http://www2.gz-sf.com/post_23.html


嫉妬妄想・恋愛妄想

統合失調症における妄想は、恋愛に関してもかなり大きく現れるようです。

恋愛がらみで統合失調症になったという人も、少なからず存在しています。

それは、恋愛というものが大きな精神的苦痛を伴う事が多々あるからです。

統合失調症の要因のひとつであるトラウマにしても、大きなストレス、ショックにしても、恋愛にはよく起こりうる負荷なのです。

まず、「嫉妬妄想」がこれに該当します。

嫉妬妄想というのは、簡単に言えば病的な嫉妬です。

浮気や不倫をされていると信じ込み、携帯電話を逐一チェックしたり、浮気の痕跡がないか衣服や財布などを念入りに調べたりと、常軌を逸した執着を見せる場合、嫉妬妄想という診断が下されるでしょう。

これは、少なからず多くの人が該当するものと言えるかもしれません。

嫉妬深いというのは性格として普通に存在します。

その程度によって病気か否か、という事になるのは、ボーダーラインの設定が非常に難しいのですが、明らかに自我に異常があり、殺傷の可能性もあるという状態になると、精神疾患とみなされるようです。

また、「恋愛妄想」という直球の妄想もあります。

これは、相手に対して過剰な量の好意的なメールを送ったり、電話を時間に関係なく掛け続けたり、家の前でじっと覗いていたりなど、いわゆるストーカー的な行動を取る人に対して診断される疾患です。

簡単に言えば、ストーカーの要因という事になります。

これも性格的なものとのボーダーを引きにくくはありますが、明らかに被害者が存在しているという場合は、恋愛妄想とみなされるようです。
ドラマや漫画などでは割とよく見るタイプかもしれませんが、現実世界では病気とみなされます。
http://www2.gz-sf.com/post_22.html


幻覚・幻視

統合失調症においては、「幻聴」と並び、非常に多く見られる症状のひとつに数えられるのが、幻視・幻覚です。

幻覚というのは、実際にないものが見える症状の事です。
当然、それは正常な状態ではありません。
ただ、こういった症状に関しては、統合失調症特有のものというわけではありません。

また、精神疾患特有のものというわけでもありません。
それどころか、正常な状態の人であっても、幻覚を見たことがあるという人は沢山います。

全人口の4分の1くらいは、一度は幻覚を見たことがあるという調査結果があるそうです。

疲労やアルコール摂取によってそういった症状が一時的に起こるという事は珍しくないとされています。

ただ、統合失調症の幻覚の場合はかなり危険です。

頻度が高く、より鮮明に映るようです。

その為、その幻覚に対して戸惑いを覚えるのではなく、その幻覚が実際に存在しているものとして認識し、それに対して何らかの反応を示します。

その結果、周りから見ると異常な行動を取っているように映りますし、その行動が原因で他者を傷つけることもあるようです。

幻覚という症状は、麻薬やアルコールによって引き起こされる事が多いとされています。

その為、統合失調症とみなされる前に、まず麻薬やアルコールの中毒を疑われます。
これによって、さらに患者が心に傷を負うこともあるようです。
特に、麻薬に関しては、疑われれば相当に傷つく事になります。
そういう意味では、幻視・幻覚の症状をきたす統合失調症は、発見が難しい病気なのかもしれません。
http://www2.gz-sf.com/post_24.html


被害妄想 ←大川隆法先生の症例1

統合失調症における陽性症状にはいくつかの種類があります。

その中のひとつが妄想ですが、この妄想もいくつかの種類に分類できます。

そうやって細分化された中にあって、特に近年増加しているタイプというのが、被害妄想です。

統合失調症において、ある意味一番スタンダードな部分が被害妄想かもしれません。

同時に、一般人にとってもかなり馴染みのあるもので、それ故に統合失調症という病気とは結び付けられないケースが多々あります。

実際、性格的な部分で処理される事が多い症状です。

被害妄想というのは、実際にはそうではないのに、自分が被害にあっているという思い込みが極端に強い状態の事です。

小さい点で例を挙げると、周りの人が皆自分を中傷しているような妄想にかられる状態です。

これは思春期によく起こる例ですが、道や廊下を歩いていて、そこでひそひそ話をしているグループを見かけると、その人たちが皆自分の悪口を話していたり、自分を蔑視したりしているのではないかという思考に囚われるという事はないでしょうか。

これが被害妄想の一番顕著な例です。

これが酷くなると、誰に対しても自分に何か被害を及ぼすような画策を練っているとか、常に自分を落としいれようという考えがあるとか、自分を軽視、蔑視しているとか、そういった考えしかできない状態になっていき、その妄想に対して攻撃的、あるいは悲観的、絶望的なイメージを膨らませていくようになります。

その結果、暴力を振るったり、引きこもりになったり、あるいは自ら命を絶とうとしたりする事になるのです。
周囲とのトラブルが絶えない人の場合、この被害妄想という症状がかなりの確率であてはまります。
被害妄想は立派な病気なのですが、そう認識される事は少ないようです。
http://www2.gz-sf.com/post_15.html


血統妄想 ←大川隆法先生の症例2

統合失調症における誇大妄想は、様々な種類に分類できます。
その中にあって、「血統妄想」というのも症状のひとつとみなされています。
血統妄想も、自分を誇大する為の妄想です。

統合失調症の血統妄想とは、自分が高貴な血を引く人間であると信じ込んでいる状態の事です。

これが例えば実際に高貴な生まれであるならば、特に問題はありません。
性格的に他者を見下す、あるいは高圧的な態度を取るというのは、ただのパーソナリティの問題です。
ですが、血統妄想の場合、実際はそうではないのに、そうであると確信している状態である事が問題となります。

統合失調症は、思い込み、盲信といったものが主だった症状となります。
血統妄想の場合は、自分をより偉く、より強く見せるという願望から、自分の血統を誤った状態で信じ込んでいるというケースに至ることが多いようです。
ただの思い込みのレベルではなく、実際にそうである者として行動、言動を行うという点に問題があります。
周りの人から見れば、やはりそれは「危険な人」という認識をせざるを得ないでしょう。

血統妄想は、天皇陛下の隠し子であるとか、織田信長の生まれ変わりとか、そのような思い込みが多いようです。

つまり、現状の自分で満たされない部分を、血統という安易なステータスの向上によって補うというものです。一種のブランド志向に近いかもしれません。

ただ、本人にしてみれば、それが真実なので、親は本当の親ではない、天皇陛下の子供なのだから何をしても良い、何を買っても良い、などという思想に発展し、実生活に影響を及ぼす事になります。
http://www2.gz-sf.com/post_18.html


誇大妄想

統合失調症において、最も顕著な症状と言えるのが、「誇大妄想」かもしれません。
統合失調症のほとんどの妄想は、この誇大妄想が発展した形と言えるでしょう。

誇大妄想というのは、自分自身に特別な力があると信じるとか、自分だけが社会から、周りの人から嫌われ、ないがしろにされていると考えるとか、そういった事実を大きく飛躍、誇張した思想を元に行われる妄想です。
統合失調症における妄想の多くは、この誇大妄想から派生した形で行われていると考えて良いでしょう。

ありもしない事を事実であるかのよう認識してしまうというのが、この病気の基本的な在り方ですが、誇大妄想はその典型と言えます。

誇大妄想の厄介な点は、躁鬱両方の場合に発生する事です。
躁の場合は、自分にできない事はない、自分は神だ、といった、宗教妄想や血統妄想などの類を引き起こします。

一方、鬱の場合は、自分は周りの人間から常に中傷を受けているとか、常に誰かから監視されているといった被害妄想などを引き起こします。
いずれにしても、精神的にはかなり不安定な状態に陥る可能性が高いと言えます。

誇大妄想というものは、低い程度であれば少なからず誰しもが一度や二度は抱くものです。

自分に対する過大評価、あるいは過小評価からくる周囲とのズレ、そして摩擦というのは、別段珍しいものではありません。
ただ、統合失調症になると、これが際限なく大きくなり、そして固定観念として患者の精神を追い詰めていく事になるのです。
http://www2.gz-sf.com/post_20.html


注察妄想・追跡妄想

統合失調症の陽性症状は、幻覚を見たり、幻聴を聞いたりするという症状が主にあります。それらは妄想の部類に入ると言って良いでしょう。

実際に幻覚や幻聴を覚えるというのは、肉体的な問題によって引き起こされるケースもありますが、統合失調症におけるそれらの症状は、肉体的に何ら問題がない場合の妄想が生み出すものなのです。

その中にあって、自分自身をその幻覚や幻聴が追い込むという類の妄想もあります。
それは、「注察妄想」や「追跡妄想」です。
いずれも、統合失調症におけるスタンダードな妄想かと思います

注察妄想というのは、自分が常に監視されているという妄想にとり憑かれている状態の事を指します。

常に誰かに見られているという感覚から、自分を見ている人の幻覚を見ることもあるようです。 これは、被害妄想の一種でもあります。
ただ視線を感じるというだけではなく、実際に見られている状態であると確信し、外を出歩けなくなるという状態が、注察妄想です。

それに対して追跡妄想というのは、常に誰かから追われている状態だという妄想が働いている状態を指します。

幻覚、幻聴によって、それがより一層顕著になる事も多々あるようです。
追跡妄想も、注察妄想と同じく、外を出歩けない状態となります。

こういった症状は、精神的に参っている状態の人にも比較的訪れやすいといえます。
ただ、統合失調症ではない人の場合、そこで気のせいだと割り切ることができます。
一方、統合失調症の人の場合は、精神的にどんどん追い込まれ、自分が何者かから命を狙われているという認識で支配され、それを純然たる事実として他者に話したり、一切の交流を遮断するという方向に流れていってしまいます。
http://www2.gz-sf.com/post_19.html


心気妄想・被毒妄想

統合失調症には、陽性症状と陰性症状があります。

妄想の類は陽性症状という分類ですが、「心気妄想」と呼ばれるものは、むしろ陰性症状のひとつとみなされています。

それは、この妄想には幻聴、あるいは幻嗅といったものが大きく関わってくるからです。

これらは通常、統合失調症における陰性症状とみなされますから、心気妄想も陰性と言って良いでしょう。

心気妄想というのは、自分から臭いにおいが発せられている、あるいは自分の身体の形がおかしい、などという誤認識を思い込みとして信じている状態の事です。
実際にはそういう事実はないにも拘らず、そう思い込む原因はいくつかありますが、一番はやはり被害妄想によるものでしょう。

統合失調症の状態だと、周りからヒソヒソ話が聞こえてくる時、自分が中傷を受けているという被害妄想が働きますが、その中傷される原因が自分の身体にあるのでは、という考えから、こういった心気妄想に発展するケースが多いようです。
酷くなると、身体の中に虫が入り込んでいるような幻覚が現れるようです。

また、「被毒妄想」というものもあります。

被毒妄想も被害妄想の一種で、自分が毒を盛られるのでは、という思い込みに囚われ、食事をとれない状態になるようです。
家族の手料理にも一切口をつけなくなります。
この場合は、1人でこっそり食事をするという状態になります。
この症状は、被害妄想の中でもかなり厄介で、酷くなると何も口にできなくなるという状態になります。
http://www2.gz-sf.com/post_21.html


宗教妄想 ←大川隆法先生の症例4

統合失調症の陽性症状には、「宗教妄想」という分類をされる症状もあります。
これは、誇大妄想に近い、あるいはその中のひとつという分類をされる事もありますが、ここでは独立したひとつの種類として取り扱います。

統合失調症における宗教妄想というのは、簡単にいうと自分を神、もしくはその生まれ変わりであると信じ、それを実際に周りの人に話すというタイプの症状です。
誇大妄想に近いというのは、自分を極限まで誇大しているからですね。

世界は自分を中心に回っている。
自分は世界の救済者である。
来るべき時に備え、自分は神となって自分を信じる民を救う使命がある。
現在の世の中を壊し、新たな楽園を作る。
などといった、漫画などでよく見られがちな思想にふける状態がよく見られます。

また、自身を神と信じるだけでなく、他の何かを神と信じ、その神の為には手段を選ばない状態も宗教妄想といえます。
こういった精神疾患は、度々大きな事件を呼び起こしていました。
一番有名なのは、大きな社会問題ともなったオウム真理教でしょう。

宗教妄想というのは、ある意味最も危険な状態といえます。
宗教にはまるという言葉がありますが、この極限状態がこの宗教妄想です。
厄介なのは、自身、もしくはその宗教に対して、盲目的な状態になっている為、理想実現の為には他者を傷つける事を厭わないという点です。
その為、大きな事件になりやすいという性質があります。

病気の診断に関しては、比較的易しい部類と言えます。
だれでもその異常性には気付くことができるからです。
そして、この宗教妄想は統合失調症の中では多い部類に入ります。
こういう時代だからこそ、多くなっているのかもしれません。
http://www2.gz-sf.com/post_17.html


関係妄想

統合失調症における妄想は、いくつかの種類に分類されています。
その中のひとつに、「関係妄想」という症状があります。
被害妄想とも通じるところがありますが、分けて考えるのが一般的のようです。

統合失調症の妄想の中にあって、関係妄想はある意味基礎的な部分と言えるかもしれません。
というのも、関係妄想は、他者の行動や表情などが、自分と関係しているという妄想をするというものだからです。
例えば、街を歩いている時に、後ろから笑い声がしたとします。
すると、その笑い声は自分を嘲笑しているのではないかという妄想が働きます。
これが関係妄想です。

この例だけを見ると、普通の人でも多少なりともあり得る発想ではないかと思われるかもしれません。
実際、それは正しいでしょう。

しかし、統合失調症における関係妄想というのは、これを常に断定する状態に陥っているのです。
その結果、常に自分は好奇の目に晒されている、笑われている、という妄想にとり憑かれ、精神を蝕んでいく状況になってしまいます。
これは、被害妄想ともかなり近い部類と言えます。

関係妄想は酷くなってくると、ヒソヒソ話は全て自分の事を話していると断定したり、特定の歌の歌詞が自分の事を言っていると思い込んだり、テレビや新聞で組まれた特集が自分の事を指し、笑いものにする為にやっていると思い込んだり、という症状がでてくるのです。
こうなると、最終的には自我が崩壊してしまう可能性もあります。
http://www2.gz-sf.com/post_16.html

_______________________________


陽性症状と陰性症状


統合失調症とは、10代から40代くらいまでの比較的若い世代に起きやすく、約100人に1人の割合でかかる病気です。

症状には個人差がありますが、主な症状として、実際には存在しない声や音が聞こえる幻聴やあり得ないことを信じ込んでしまう妄想、頭の中が混乱して考えがまとまらなくなる思考障害、興奮症状等があり、これらはまとめて陽性症状と呼ばれます。

また意欲の低下や自閉傾向(閉じこもりがちなこと)など、エネルギーが無くなったような状態になることも多く、これらは陰性症状と呼ばれます。

このような症状をともなって、多くは20歳前後に発病します。しかし幻覚や妄想は、本人にとって全くの現実と感じられるため、発病を自覚できないことがあります。本人より先に家族や友人が異変に気づくことも多いようです。

脳内には神経伝達物質と呼ばれる物質が存在し、その量の異常も関係していると考えられています。薬物療法では、抗精神病薬という、神経伝達物質の量を調整する薬を用います。薬の進歩は目覚しく、最近の抗精神病薬は幻覚や妄想を取り去るだけでなく、従来の薬では難しかった陰性症状の改善にも効果があります。

統合失調症の症状は、大きく2つのグループに分類することが多く、陽性症状と陰性症状に分けられます。

陽性症状と陰性症状は一見無関係のように見えても、実は根本のところで共通した要素があります。

それが「社会性の欠如」です。

私たち人間は社会の中で暮らしています。そこには法律や生活習慣といったルールがあり、また共通の言葉を使ってお互いの意志を通じ合ったり、常識として情報や知識を共有しています。

これらは社会が存在するためには、必要不可欠のものですが、逆にいいますと、これらのルールを守り互いのコミュニケーションが成立できれば、私たちは社会の一員として生活を送ることができるのです。

ところが、統合失調症は幻覚や妄想、自閉といったように、社会生活上のルールが当てはまらなくなる、あるいは社会との連絡を拒絶するようになります。

これを「社会性の欠如」と呼びます。このことが統合失調症の特徴ともいえますし、治療を難しくしている原因でもあります。

治療の最終的な目標は、欠如してしまった「社会性の回復」にあります。
http://www.karacli.com/schizophrenie.html01.html


陽性症状

陽性症状とは幻覚・妄想・興奮・昏迷などの急性期症状を指します。典型的な統合失調症では、
この陽性症状によって発見されることが多く、薬がよく効きます。

主な陽性症状

幻視  正常な人には見えないものが見える
幻聴  正常な人には聞こえない声が聞こえる
妄想  明らかにありえない考えを正しいと信じ込む
焦燥感 イライラ
激しい興奮 精神運動興奮
奇異な行動 奇怪な格好や空笑
無意味な行動を繰り返す
攻撃的な行動など
思考形式の障害 支離滅裂な言葉、不可解な返答など
場にそぐわない感情


陰性症状


陰性症状は発症した時点から現れることもありますが、通常は発症後数年経つうちに目立ってくるものです。

陰性症状は陽性症状と反対に、正常な心理状態にまで及ばないものを指します。
「及ばない」というのは、普通の人よりも感情の揺れや言葉・行動の動きが鈍くなり、通常の状態にまで至らなくなることです。


代表的な陰性症状

自閉  引きこもり、自分の殻に引きこもること
無為  意欲が低下し、何に対しても関心がなくなること
情動の平板化
情動鈍麻 表情が乏しくなる、自発性がなくなる、感情の変化が少なくなる 声の抑揚がなくなる
思考の貧困 会話が少なくなる、会話内容が貧しくなる、すぐに返答できなくなる。使う単語が少なくなる
意欲・発動性欠如 身だしなみに気を遣わなくなる、だらしなくなる
仕事や勉強が長続きできない
快感消失・非社交性 趣味や娯楽などへの関心が薄れる、性的関心の低下 親近感を感じなくなる
注意力の障害 ぼーっとしている、物事に集中できない


これらの症状は、従来の抗精神病薬では効果がないとされてきました。
しかし近年では非定型抗精神病薬という新タイプの薬が登場し、陰性症状にも有効との報告が多くなされています。
http://www.karacli.com/schizophrenie.html02.html


躁うつ病との鑑別診断 ← 大川隆法先生の引き籠りを鬱病だと誤解している人が多い


躁うつ病(双極性障害)の躁状態が陽性症状に、うつ状態が陰性症状に類似することからときに鑑別が難しい場合があります。

大きな違いは統合失調症が「思考」の障害であるのに対して躁うつ病は「気分」の障害であることから、症状が気分に関連して変動する場合には躁うつ病として鑑別が可能です。
また、躁うつ病は躁の病期とうつの病期がはっきりと分かれ、病期と病期の間は正常な機能レベルに回復しますが、統合失調症の場合にはそのような病期があることはまれで、正常な機能レベルに回復することはありません。
http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/shindan/kanbetsu2.html


25家族に一人いる割合であり極めてありふれた病気。
心の肺炎というくらいありふれた病気。

100年前は不治の闘病と言われていた。
中身は違う。8〜9割が社会の中で生活している。


実際問題として、半分以上の人が入院しても退院する。一年以内。
一年たっても一割が退院できない人がいる。
つまりタイプが違う。
三年たっても退院できない人は直り難いタイプ。

統合失調症はありふれた病気だ。統合失調症は原因が不明である。
ショックやストレスでなるという訳ではない。

なりやすい体質
内因性の病気。早い人で中学生
就職したて。思春期青年期の人がなりやすい。
特有の精神症状。被害的な幻覚妄想。
陽性症状という。かんかい収まっている状態。
いろいろなきっかけで再発を繰り返すケースが多い。

頭の中に一度この病気が起きると、何かのきっかけで発症する。
インストールしてしまうと幾らシャットダウンしても起動されてしまう。
インストールされたソフトはものすごく丈夫である。容易に繰り返す。

履歴現象、慢性の経過をたどりやすい。
後遺症を残す。地味な症状。
なおったと言う矢先に、頭の働きが落ちる。
認知症状が出る。生活に支障が出ることもある。
仕事についても続かない。物忘れがある。
はっきりした症状のない影に隠れた症状。

脳の機能障害。中枢の失調障害。
「からっぽやみ」などは心の病気
反応が重い。コンピューター(脳)の働きが微妙にかんばしくない。
陽性症状として幻覚が見えて恐怖がはっきりしている。
気分障害、躁の元気が出て出てという場合認知症がでてぼーとかんばしくない。

このために世の中で自立して生活していくのが難しい
前駆期、神経症みたなのがずるずる伸びる
何かへんだなぁと思っている間に緊迫感が襲ってくる。妄想気分。何か起こりそうだ。
世の中、何か変だ。気分がそのうちに結実していく。
妄想の形が被害妄想に、恐ろしい言葉が聞こえてくる。

恐怖で人を拒絶する。それが続くと興奮してくる。
急性期を経て発祥したと言う。
薬で回復してくる。眠気、だるいと病気疲れが出る
くれらを繰り返す・・履歴現象
なかなかすっきり治らなくなる。

ずるずるとして院生症状が出てくる。
言葉が豊かでなくなる。
言葉をかけてもどうですかと言葉をかけても
「なに?」と怒る反応をしてくる。
無関心、脳の躍動が低下していく。

もっともひどいと膝を抱えて無為となる。
今は薬が進んでそういう人はいない。
関係の無い人を被害妄想の対象にする。
幻聴、自分にコメントする。
思考仮性、ものが聞こえてくる。
思ってもいないのに、声が聞こえてくる。
思考電波、自分だけでなく人にも聞こえていると思う

させられ体験。混迷。おかしいおかしい、とフリーズする。
それがいきなりスイッチが入り止らなくなる。
笑いながら歩く、なども陽性症状。
急性期では自分が病気だとは思わない。
言葉が聞こえたり見えたりすると恐怖で恐怖に襲われる。

頭、感情が低下してくる。表情がなくむすっとしている。
若い頃に起きてくる。怖い怖いと急性的に出る場合
薬でシャットダウンするとスパンと治る。
妄想型はなかなかやっかい。
本人には執拗に妄想に翻弄される。
なかなか病院につなげるのが難しい。

ぎゅと悪くなってすぐ治る人と
治らないタイプの人もいる。
多くは繰り返すうちにだんだん治らなくなる人が多い。
何回か再発したが何とか世の中で生活している
すっぱり治ったというひとが4分の1。

再発しているひとが4分の1くらい。
何とか繰り返しながら生活しているのが半分くらい。
治療が遅れると治りが悪い。
かんかいに進みずらい。
いかに上手に治療していくか。

頭がなぜぼーとしてくるのか。
グルタミン酸、伝達物質がやたらに
多く働くと脳の働きが障害されるという説がある
何度か繰り返すと治り難くなる
悪くなってもなかなか治療を導入できないと
かんかいまで持っていけず治り難くなる。
治療とは薬物療法。

前駆期で症状に気がつき早めに治療。
予防する方がいい。がなかなか進まない。
陽性症状、陰性症状が良くなっても
頭の回転がどうも芳しくなくなる。
つまり認知症状が出てくる。
それが最近になってわかってきた。

具体的に言うと、物覚えが悪い。
今言ったことが思い出せない。
二つくらいしか覚えられない。
人の話が理解できない。
ニュースの意味が分からない。
知識が無いと勘違いする。
二つのことが同時に出来ない。調理が出来ない。
スピードについていけない。

スピードの慣れ、が出来ない。
集中力がない、世の中は雑音だらけ。
われわれは雑音を排除しているがすべてはいってくる。
だから疲れる。そして傷つきやすい。誇り高い。
人の表情が読めない。ジョーダンを取れない。
そんな辛さがある。
そのために就職が出来ない。

金銭管理、身だしなみ
人付き合い、気配りが出来ない
作業能力が出来ない。柔軟に対応できない。
ということから元気そうにみえても
就職できないという事を引き起こす。

脳の情報処理が微妙に障害されている
記憶の障害。最近は病気になる前から
不器用さがあったのではないか。
脳のコンピューターの重さがあったのではないか
と言われている。
なるべく早く治療かせ必要であり再発を防ぐ。

世の中で何とかやっていくには、この認知機能障害の
方が実は大きい。頭の働きの方が左右する。
何も症状がなくすっかり治っても認知機能症状が
あるとどうしても社会復帰は難しくなる。
作業療法など訓練をする必要がある。

30〜40パーセントと双子を比較した場合の数値
その結果から遺伝とは言い切れない
養育環境と昔言われた。現在完全に否定。
家庭環境や養育環境は、予後にはものすごく関係。
家族の対応がその後の経過に影響する。

親とか家族関係は発症に関係がない。
退院した人の予後を研究した。
ぶり返した人とそうでない人の比較。
一人暮らしの人の方が家族と暮らす人より再発が少ない。
一人暮らしの人の方が再発が少ない。

関係のあったのは感情表出。家族の対応で変わる。
ネガティブの感情を外にあらわす。
軽蔑、敵意、それらを言葉にだして言う。
家でごろごろしていることに小言を言う。
本人にとって嫌な感情を表現する

小言とか叱る、軽蔑する、おおげさな過保護な言葉
疲れてしまう。それらを言わない。
それを言う家庭と言わない家庭ではずいぶん違う。
いつも言っているとすぐ再発する。
思っても言わないという家族の協力が必要。
文句を言わない。ちょとでもほめる。いい所を認める。
そういう対応が再発を防ぐ。

自分が一番つらい。
塩で傷をなめられる感じとなる。
「さっき言ったしょ」という言葉。
「また」というネガティブな叱責はしない。
本当に心から言わない人は「無関心」な人
思う人は一生懸命小言を言う。それを少し変えてみる。

ご家庭においてもご主人に対しても子供に対しても対応は同じ。
右向いたら「右むいてだめでしょ」としょっちゅう言われる人がいる。
子供は特に注意が必要、配慮かせ必要。
薬を飲まなくなったら再発するがそれよりもいい環境をつくること。
小うるさい家庭の中にいて定期的に薬を服用しても半分は再発してしまう。脳に対するストレスの大きさ。http://blog.livedoor.jp/nekomalo/archives/50923897.html


[32初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数、規定違反多数により全部処理

9. 中川隆[-5726] koaQ7Jey 2018年1月03日 17:07:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

パラノイア患者の典型として以下も参考にして下さい:


太田龍 昭和天皇はイルミナティ世界権力の道具だった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/111.html


10. 中川隆[-5580] koaQ7Jey 2018年3月02日 17:36:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

統合失調症患者の恐怖体験はこの動画に上手く描写されています:

【ホラー】 コワイ女 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM


11. 中川隆[-5506] koaQ7Jey 2018年3月07日 10:22:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

精神科救急24時 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E6%95%91%E6%80%A524%E6%99%82part

12. 中川隆[-5505] koaQ7Jey 2018年3月07日 10:27:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

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統合失調症患者は「進化形人類」だった!?
脳の進化の副作用だったことが判明、脳内の遺伝子に566の変異(最新研究)
2018.03.06.
http://tocana.jp/2018/03/post_16230_entry.html

 最新の研究により、統合失調症は人類が進化する上で必然の副作用だった可能性が高いことが判明した! 

意識高い系オンラインニュース「Big Think」(4日付)が報じている。

 妄想・幻聴などの症状を呈す統合失調症は、普通、治療すべき「脳の異常」だと見られている。医療系のドキュメンタリー番組で、奇声を発しながら暴れる統合失調症患者がベッドに拘束され、鎮静剤を投与されるシーンなどを観ると、ますますその確信は強まるだろう。

 だが、言語や発話能力の獲得は、同時に自閉症と統合失調症を生み出したといわれるように、統合失調症の発症リスクは人類がこれほどまでに進化するための必要悪だった可能性がある。実際のところ、無秩序で乱雑な喋りは統合失調症の目立った兆候の1つであるし、複雑な言語体系を持つ人間だけが統合失調症を発症する。

 2008年にオープンアクセスのジャーナル「Genome Biology」に公開された研究によると、人類は進化において、脳の認知能力の限界点に到達し、この限界を克服するため、脳は代謝速度を速め、驚くべき速度で進化したかもしれないという。脳で起こった急激な分子構造の変化が、副次的に統合失調症を生み出したというのだ。

 また、2015年の別の研究では、HARsと呼ばれる急激に進化したとみられるゲノム領域における特定の遺伝子が、統合失調症に関連することが判明している。これらの遺伝子は人類の脳にとって重要な役割を担っているとともに、多大なリスクを抱えこんでもいる。

 今回、科学誌「npj Journal」(2月20日)に公開されたオーストラリア・フロリー神経科学・メンタルヘルス研究所のエリザベス・スカー博士らの研究は、こういった先行研究で示唆されていた「統合失調症・進化副作用説」を裏付けるものだ。

 博士らは、統合失調症を患っていた15人の患者の脳とそうでない15人の脳を解剖し、大脳前頭極と呼ばれる認知能力や計画や推論に関係する脳の領域と、その周囲にある帯状皮質や背外側前頭前皮質といった統合失調症に関係する部分を調査した。その結果、統合失調症を患っていた患者には566の遺伝的変異があることが判明したという。論文共著者のブライアン・ディーン教授は、全てが解明されたわけではないものの、「前頭葉に大規模な遺伝的変異がみられるため、今回の研究は、統合失調症・進化副作用説を支持するものだ」と語っている。

 ということは、統合失調症患者は「進化形人類」だと言うこともできるかもしれない。今のところ統合失調症は副作用だと解釈されているが、自然選択の結果残ったものだとすれば、実は人類の生存にとって不可欠の要素なのかもしれない。果たして統合失調症は克服されるべきものなのか、受け入れられるべきものなのか…今後の研究に期待したい。


13. 中川隆[-5499] koaQ7Jey 2018年3月22日 20:30:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8570]

聞こえても存在しない声
http://stalker.johoguard.com/?p=107

本人には聞こえていても、存在していない声がある。

集団ストーカーの被害を訴える人には「声が聞こえる」と言う人が多いが、その声は本当に実在するのか?

その一つの答えがこれだ。

動画プレーヤー
http://stalker.johoguard.com/wp-content/uploads/2015/02/REC.mp4


これは集団ストーカー被害を訴える人が録音したICレコーダーの録音ファイルをスペクトラムアナライザーで解析した映像だ。

本人は聞こえる声に対して二度返事をしているが、音の波形は本人の「ハイ」と答える声以外に際立った変化は示していない。

声の波形はこの人の「ハイ」と言う時の波形の様に、全体的な変化を示すが、この人の「ハイ」と言う前後にそうした変化は見られない。

定期的に波形に変化がある部分があるが、それはアナログの目覚まし時計の音であり、それは録音者にも確認している。

つまり、相手の声は存在していない事を示している。


集団ストーカーの被害を訴える人は、証拠を取ろうとボイスレコーダーで録音しようとする。

しかし、ボイスレコーダーに録音されなければ「機械の性能が悪い」若しくは本人にしか聞こえない「脳内送信」などと考える。

また、自分の行動を指摘される内容が聞こえる為、「盗聴や盗撮」を疑う。

また、自分にしか聞こえないのは、超音波やらマイクロ波やらテレパシーを使ったテクノロジー犯罪が行われていると言う人も多い。

しかし、このファイルを録音した人は、録音ファイルの同じヶ所で同じ声が聞こえると言う。

これは録音データなので、電波やテレパシーなどが出る様な類の物ではない。

またファイルの再生は私の事務所で行っているので、異なる環境でも同じ様に聞こえている。


では何故本人には聞こえるのだろうか?

それが「脳の補完」なのだ。


この録音ファイルには本人の声以外に「ノイズ(雑音)」が録音されている。

この録音ファイルから聞こえる雑音は「雨音」と「目覚まし時計の秒針の音」が録音されている。

問題はこのノイズである。

脳の補完は、こうした雑音などのノイズを声として変換する場合と、「雑音の中に何か隠れているかも知れない」と脳が感じ、雑音の中に脳が勝手に声を作り出してしまう為に起きる。

その為、ノイズや雑音の無い「無音」の所で補完は起らない。

無音の場合、耳がボーンとした様になる場合が多い。

補完により聞こえる声は、その人の精神状態によって補完される為、自分しか知らない内容が使われる。

別の言い方をすれば、自分の行動を全てを知っているのは自分だけなので、補完によって聞こえているのであれば、自分の行動を指摘されたり考えているだけの事が声として聞こえるのは当然と言える。

また、自己否定している様な人であれば、悪口や誹謗中傷として聞える人も多い。


問題は、聞こえている人が何処まで自覚しているかである。


私の知人で双極性障害と思われる病気を発症した者がいるが、その人は弟や母が精神科に強制入院された経験から病状を知っており、自分が発病する以前から症状などの知識を持っていた。

その知識は形式知ではなく、経験知として持っていた。

その為、発病を自覚する事が出来た。

その人に声が聞こえ始めた時、私にこう言った。

「幻聴が聞こえ始めて、もう一人の自分と会話するまで酷くなった」

病気の症状である事を発病前から経験知で認識していた為、「誰か」ではなく「幻聴」との自覚を持てた。

これが全く症状などの知識を持っていなかったり、形式知だけの知識であれば自覚する事は難しいだろう。


こうした補完によって聞こえている場合、聴覚過敏も同時に出ている場合が多く、音に敏感になっている人が多い。

原因で最も多いのはストレスである。
http://stalker.johoguard.com/?p=107


14. 中川隆[-5495] koaQ7Jey 2018年3月23日 06:16:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8578]

2016-01-12
「統合失調症ビジネス」の誕生─妄想の統一化とその根源─
http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2016/01/12/234535


はじめに

統合失調症、それは極めて身近な病気だ。発症確率は全人口のうち1%とも言われ、つまり一学年の中に数人は統合失調症患者がいる(あるいは将来的に発症する)ことになる。

統合失調症患者に対する偏見は数限りない。殺人を犯す、凶暴になる、人格を失う…。これらの世間に流布しているイメージは、実はある一面では事実である。具体的にはネットで有名な林先生ことDr.林(林公一)氏の書いた『統合失調症─患者。家族を支えた実例集』の中に取り上げられている。統合失調症は治療で抑えることはできるのだが、この治療をしなかった場合最悪の出来事が─あなた方が統合失調症に抱くイメージ通りのことが─起こりえるのである。



統合失調症―患者・家族を支えた実例集
作者: 林公一
出版社/メーカー: 保健同人社
発売日: 2007/01/06
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/483270334X/hatena-blog-22/


とにかく、統合失調症は今や非常にありふれた病気である。そしてこれら「かなりの数がいる」統合失調症患者相手に悪どい商売をする連中も存在する。今回の記事では統合失調症患者相手に悪質なビジネスを行う者を「統合失調症ビジネス」と称して解説をしていきたい。(この言葉は完全な造語です)

統合失調症の概説

この記事では統合失調症患者がなぜ悪質なビジネスの対象にされてしまうのかを説明したい。これにはまず統合失調症の特徴の一つである思考障害・認知機能障害を上げねばならない。

統合失調症はよく知られているように妄想・幻聴等の症状がある(よくイメージされがちな幻覚の症状は実は少ない)。妄想は被害妄想と関係妄想に大別され、被害妄想では自分が尾行されている・未知の手段で攻撃されているなどの妄想が生じる。集団ストーカー妄想や電磁波攻撃妄想─これらはツイッターでも見受けられる─などはこれらの被害妄想に当たる。関係妄想は本や新聞、テレビやネットが全て自分のことを言及しているのではないかと考え始める。ツイッターで「あなたのことには言及していないのに、なぜあなたは私のツイートにしつこく絡んでくるのか?」というような事態に遭遇したことはないだろうか?これらはもしかしたら関係妄想によるものかもしれないのだ。これらの妄想とは若干マイナーだが思考に関する妄想というものがあり、この場合患者は相手の心が読めたり、また自分の心が読まれていると感じるようになる。わかりやすく言えば、さとり妖怪とサトラレと全く同一の状態と言っていい。この思考に関する妄想もインターネット上では見ることができるだろう。何度も言うように統合失調症は身近な病気であり、あなたは自覚がなくとも日常生活・ネット双方で(治療中・未治療問わず)統合失調症患者たちと幅広く遭遇しているはずだ。

だが、これは統合失調症の持つ多くの側面の一つに過ぎない。統合失調症ビジネスを語る上で特に重要なのが先に述べた思考障害・認知機能障害である。これらの障害は米国メルク社が発刊する医療マニュアル『メルクマニュアル』で詳細に述べられているのだが、これを要約すると下記のようになる。

1.統合失調症の思考障害は解体した思考、話題がとりとめのないものになる等が含まれる。

2.統合失調症の認知機能障害は注意力・判断力・社会的相互関係の理解力・問題の解決力の低下等がある。これらの患者は思考の柔軟性に欠け、他者の意見に耳を貸し、また経験から学び取る力の低下が見られる。加えて機能遂行障害を伴うのが典型で、仕事や家族関係が破壊され、自己管理能力が喪失し、社会や家庭からの孤立化が発生する。

つまり、統合失調症は世間一般で思われているような妄想・幻覚・幻聴に悩まされるだけではなくこれらの脳機能の全体的低下が見受けられるのである。統合失調症患者が悪質ビジネスのターゲットにされるのは主にこれが関わってくる。

統合失調症患者はなぜ「鴨」にされるのか1─妄想の根源─

統合失調症患者がなぜ「鴨」にされてしまうのか?これは一言で言えば、統合失調症患者の妄想と判断力低下がからみ合って「非合理的思想」が生まれ、この非合理的思想に浸けこんで儲けようとする連中が発生するからである。

だがあなたはこう思わないだろうか?

「なるほど、統合失調症患者の妄想や機能低下に浸けこんで商売をしようとする連中がいるのはわかった。しかしだね、統合失調症患者の妄想は患者ごとにひとりひとり異なって、多岐に渡るのではないか?そんな色んな症状の患者にぴったりあった商品を用意して売るのは、コスト的に割にあわないのでは?」

だが、統合失調症患者の妄想は実は似通っているのだ。これには統合失調症患者の妄想 の根源を探求せねばならない。そして統合失調症患者の妄想がなぜ「統一化」されたのかを知れば統合失調症ビジネスの仕組みもわかってくるだろう。

まず現在の統合失調症患者の統一化された妄想が具体的に何であるのかを列挙したい。気になった方はこれらのキーワードでぜひ検索してみてほしい。実例を見ることができるだろう。

1.集団ストーカー妄想:これらの妄想は「不特定多数の敵意ある者達」にストーキングされているという妄想である。ガスライティングとも呼ばれる。

2.電磁波攻撃妄想:これらは電磁波、あるいは未知の電波で攻撃されていると訴えるものである。自衛隊のレーダーサイトから未知の電波が発せられ攻撃されている、とか隣の家が電磁波攻撃をして私の頭のなかをめちゃくちゃにしているなどがこれに当たる。311後ではこれに付随して放射線を攻撃に使っていると主張する者も発生している。

3.盗聴妄想:自分の部屋が何者かに盗聴されていると考える。このために部屋中の壁を引き剥がして盗聴器を探したりしてしまう。

これらの妄想はネット内で幅広く見られる。これらの根源にあるのは「自分が何者かに被害を受けている」という考えである。ここでポイントなのが、統合失調症患者の被害妄想のメカニズムはあなた方が考えるメカニズムと全くの逆だということだ。

例えば集団ストーカーを例に挙げよう。あなたは街中で数台の車があなたを付け回しているのに気づく。あなたは不審に思い、こう考える「私は集団ストーカーにあっているのではないか!」と。

さて、統合失調症の場合はどのようなメカニズムだろうか。統合失調症患者の場合の被害妄想の発生はこのようになる。患者は日頃から「私は何者かに何らかの攻撃を受けている」と確信していた。しかし何に攻撃されているのだかわからない。その時、街に出るたびに不審な車によく会うことを思い出した。そこで患者は理解した。「私は集団ストーカーにあっているのではないか!」と。

つまり、患者は「私は何かに攻撃を受けている」という確信や疑念が初めにあって、その疑念に理由付け─大抵の場合これはこじつけに近い─を行うのである。先に述べた認知機能障害もこれに拍車をかけ、理由付けが更に非合理的なものになってしまう。統合失調症患者にいくら「集団ストーカーなどは存在しない」と説得しても、それは無意味である。なぜなら彼らは自身が被害を受けているという確信がコアにあるので、いくら被害妄想の「理由付け」を否定しようがその根本である確信は一向に崩れないのである。

これらの被害妄想の「理由付け」の部分が肝心なのだ。統合失調症患者の妄想が、正確には妄想の理由付けが統一化した理由。それにはインターネット上の統合失調症患者たちのやり取りが大きく影響しているのである。

統合失調症患者はなぜ「鴨」にされるのか2─妄想の統一化─

未治療の統合失調症患者たちは盛んにネットで自分が受けている「被害」について意見交換をしている。これらの意見交換の中で妄想の理由付けの統一化が図られていったのだが、いくつか紹介してみたい。然れども統合失調症の症状に(病識がないながらも)苦しめられている個人サイトやYoutubeの動画を槍玉に挙げて批判するのはいかがなものか。なので、既に2chやツイッター、その他の媒体で有名になったものを主に紹介したい。

統合失調症の妄想の典型例とも言える「集団ストーカー妄想」を広めたサイトは明らかになっている。それがこの『An Anti-Governmental Stalking Activity Site(AGSAS) 〜 疾病偽装、医療偽装、安全安心偽装ストーキング情報サイト 〜』と名乗るサイトだ。

AGSAS 〜疾病偽装、医療偽装、安全安心偽装ストーキング情報サイト〜

このサイトが何をしたかといえば、海外で既にあった概念である「集団ストーカー」を国内の患者たちに広めたことである。具体的にはこのサイトは、様々な嫌がらせを列挙している『Gaslighting: How to drive your enemies crazy』という洋書を国内で(おそらく)初めて紹介した。そして、この本を根拠として集団ストーカーが存在する、あなたを傷つけていると述べ立てた。これが日本国内における「集団ストーカー妄想」の源流と言っていいだろう。換言して言えば、国内における集団ストーカー妄想の典型例はこの本に書かれていることと同一である。集団ストーカー妄想を抱いている者の訴える「集団ストーカーの実例」はこの洋書に書かれていることなのである。

ここでポイントなのは、この本は統合失調症患者の妄想を書き連ねた本では決してなく、「嫌いな人に嫌がらせするにはこのような手段があるでしょう」といったいわば嫌がらせ指南書なのである。このような指南書を根拠として扱うのは実に非合理的なのだが、洋書という一種の権威があるためか国内では未だに集団ストーカーの根拠や手口の「聖書」として使われている。余談だが、Youtubeなどに大量に上がっている、「集団ストーカーの証拠」などとして(無関係の)車を盗撮するような行為はこのAGSASが広めたと考えられている。


Gaslighting: How to Drive Your Enemies Crazy

Gaslighting: How to Drive Your Enemies Crazy
作者: Victor Santoro
出版社/メーカー: Loompanics Unlimited
発売日: 1994/06/01
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このサイトは「私は何らかの被害を受けている」と悩む統合失調症患者たちに大きな衝撃を齎した。監視妄想やスパイ妄想といった曖昧、非統一的だった妄想はこのサイトによって「理論付け」され、統一化を果たすことに成功した。実際これまで支配的だった監視妄想などは「隣人が窓からずっと監視しているに『ちがいない』」とかで、理論的に整ったものではなく個人個人で訴える内容が大きく異なるため、統合失調症患者同士の交流も少なかった。集団ストーカーというある種の規則だった妄想が「理論」として広まることで、皮肉なことに統合失調症患者の交流が活発化したのだ。統一だった妄想の理論付けが如何なる結果を齎したかといえば、集団ストーカー被害者の会ネットワークなどをご覧頂きたい。患者たちは結束し、交流し、集団ストーカー妄想は更なる深みにはまっていくことになる。今や統合失調症患者の抱える不安や疑念に関するキーワードを検索すればこれらのサイトが出てくるのだ。もちろんそうした統合失調症患者たちは残念ながら治療の機会を逃すことになる。周りが如何に諭そうが「それが集団ストーカーの手口だ!」と聞く耳を持たないだろう。

電磁波攻撃妄想や盗聴妄想もこのように(統合失調症患者の中で)決定的影響力を持つサイトが広めた「理論化された妄想」だ。「何らかの被害を受けている」と悩む患者は電磁波攻撃のサイトを見て、自分の被害が電磁波攻撃だったと誤った理解をする。そしてまたこの患者も同じような電磁波攻撃に関するサイトを立ち上げ…このような一種無限ループのような構造で妄想は統一化され、支配的となっていったのである。

とはいえ、電磁波攻撃妄想と盗聴妄想に関しては広まったのはネットが原因だとはいえ、おそらく発端は別にあると思われる。例えば電磁波被害は左翼系団体が自衛隊のレーダーサイトにケチを付けるために古くから方便として利用していたし、盗聴に関してはテレビなどで何度も「美女の部屋から盗聴器発見!」のような番組を流してきた。加えて映画などで盗聴はよく使われるモチーフだ。このように電磁波攻撃や盗聴に関しては妄想の理由付けとしては古くから存在していたと思われ、「目につくようになった」理由はネットの発達で患者たちの主張が可視化されたからだろう。放射線攻撃妄想はもちろん3.11で放射線障害などがテレビで何度も取り上げた結果、また反原発団体が恣意的に放射線の被害を煽った結果、急速に広まったのは言うまでもないだろう。

ここまでを纏めると、ネットによって「理論付けされた妄想」が紹介された結果、統合失調症患者たちは自らが抱いていた被害妄想の理由付けにこれらを利用することになった。洋書という権威付けや電磁波といった一見科学的で正しそうな理論─もちろん非合理極まりないのだが─は患者たちの中で広く受けいられ、2016年現在妄想が幾つかのパターンに分類できるまでに統一化されたのである。これらの誤った科学で理論武装した統合失調症患者たちは互いに統一化された妄想を持って交流することで「私以外にも同じ被害を受けているものがいる!やっぱり集団ストーカーは存在するんだ!」と妄想を更に強固にしてしまった。これは悲劇としか言いようが無いだろう。

そんな強固で、パターン化された妄想を有する患者たちに近づく者達が発生し始めた。そう、統合失調症ビジネスの誕生である。

統合失調症ビジネスの誕生

これまで述べてきたように、ネットの発達により妄想は統一化され、同じような被害を訴える統合失調症患者が多くなった。このような患者たちは同じ願いを持っている。すなわち早く集団ストーカーや電磁波攻撃から楽になりたいという切実な願いだ。ここで彼らが病識を持っていたら精神科に行き、それで解決する。だが、残念ながら妄想の統一化と交流により強固な妄想を抱いた彼らが病識を有することは稀で結果として悪質な統合失調症ビジネスに騙されることになる。認知機能障害などで判断力が鈍っていることもこれらに騙されることを後押ししてしまう。また、あなたがもし実は統合失調症だとして、他人に「あなたは統合失調症だ。治療が必要だ」と言われてもすぐに納得できる方はいないだろう。狂気は本人では気づかない。よって患者たちは自らの苦痛を削減する手段を精神治療以外の何らかに求めることになる。ここに統合失調症ビジネスは浸けこんでくるわけである。

統合失調症ビジネスは統合失調症患者の苦痛を和らげることを高らかに謳いあげる。謳いあげる中身は先に紹介した統一化された妄想とマッチしている。これら悪質なビジネスを営む者にとって顧客のニーズは妄想が統一化されたことで把握しやすくなり、また「より顧客にあった商品・サービス」を提供することが可能になったのだ。具体例をあげれば、

1.集団ストーカーを撃退するとしている各種企業

2.電磁波攻撃に対処するとしている各種企業

3.盗聴器を発見するとしている各種興信所

などがある。これらの企業について詳しく知りたい方は「電磁波攻撃」や「集団ストーカー 対策」「盗聴器発見」などのキーワードで検索してみてほしい。(最初は具体的な企業名とURLを上げていたのだがビビリなので消してしまった)妄想が統一化されたことで今やこの3つのサービスだけで統合失調症患者たちの「ニーズ」のほとんどは満たせてしまうのだ。

ところで、3の盗聴器発見に関しては「妄想ではなく、実際に仕掛けられているのでは?」と思う方もいるだろう。私は盗聴器に関する全ての事例が統合失調症だと論じたいわけではない。然れども興信所の側からこんな話が提示されている。


盗聴・盗撮機器の発見業務は、依頼者の被害妄想の場合である割合が高く、トラブルに発展する可能性があるので、電話相談の時点で怪しい場合は依頼を受けないようにしております。
自分や親しい人間しか知り得ない事を、第三者が知っているとしたら、会話を盗聴されている可能性はあります。
しかし、ここまでなら盗聴器発見を依頼する動機として成立するのですが、寝ているとベットから痺れるような感じになる時があるとか、洗濯機やその他の家電品が勝手に動き出したり停止したりするという話が出てきたら、尋常ではありません・・・(茨城県探偵事務所・興信所のステルスリサーチブログ)

すなわち、(良心的な)興信所の側から示されているように、盗聴器に関する依頼は統合失調症の妄想の可能性が高いのである。その割合は詳しくは分からないが「高く」とあるので過半数以上は妄想なのだと推定できる。盗聴器発見に関してはこのように良心的企業も存在するため、全てが統合失調症ビジネスだと論じるつもりはない。詐欺などではなく、実際に盗聴器発見を請け負う企業がそれと気付かずに統合失調症患者から依頼を受けることもあるだろう。然れども、集団ストーカーや電磁波攻撃。これらは擁護できない。

このように企業として統合失調症患者にサービスを提供する以外にも商品としてモノを売る場合もある。


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出版社/メーカー: エコロガジャパン株式会社
メディア: ヘルスケア&ケア用品
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このような電磁波攻撃遮断に効果があるとする商品が典型例だが、中には盗聴器を強力な電波で破壊する、とか放射線攻撃を弾き返すなど荒唐無稽な商品も存在する。そんな「アリエナイ商品」でも苦悩している患者たちは藁をもつかむ思いで購入してしまう。まるでがん患者に霊験あらたかだという高い壷を売りつける霊感商法や健康に良いと理論不明な商品を高値で売りつける疑似科学商法のようだが、それとは別に統合失調症患者をピンポイントでターゲットにしたこれらの商法も増えているのである。

これが統合失調症ビジネスの現実である。雑誌やテレビなどで何度も批判されてきた霊感商法などと違って統合失調症ビジネスは(私が確認した限りでは)未だに取り上げられることがない。加えて認知機能障害や思考障害によって判断力や認知力が大いに鈍り、また家族関係や社会関係が破壊された統合失調症患者には、これらの商品を買わないように食い止めてくれる周りの人間もいない。このような商品を購入する統合失調症患者はかなり病状が進行しており、裁判沙汰などになりにくい(訴える能力すら消失している)というのも統合失調症ビジネスが「安全なビジネス」として広まっている理由かもしれない。結果として患者たちは自らの苦悩を病気のせいだとは気づかずに、原因をありもしない電磁波や放射線に求め、泥沼式にどんどんこれらの商品を買いあさるのだ。しかし、当たり前のように効果がない。そうこうしているうちに病状もますます悪化し、悪化したために出てきた新たな妄想に対処するために商品を買いあさり…こうした地獄めいた無限円環が発生している。このようにして病状が致命的に悪化し、それが周囲の人にわかるまでになった時に待っているのはトラジャディーだ。具体的事件を上げれば、周囲の者が盗聴して私を貶めていると主張し、隣人を刃物で刺した者。公道を走っていた無関係の車を集団ストーカーの手先だと勘違いし、殺してやろうと思い自分の車で突っ込み、双方が重傷を負った事件。市役所が盗聴し、また集団ストーカーしていると勘違いし、市役所に車で突っ込んだ事件。例を上げればきりがないが、このような最悪の結末が待っているのである。このような患者たちは容易に外に出てくることはできない。閉鎖病棟(より詳細に言えば一般の「閉鎖病棟」より更に隔離された場所である)などで長年過ごすのだ。もちろん、無実の被害者にとっても悲劇そのものであり、患者・被害者双方に深刻な、ともすれば回復不可能な後遺症を齎すのである。統合失調症ビジネスが統合失調症患者たちに悪影響を与えているのを見過ごすことは出来ない。

終わりに

ここまで統合失調症ビジネスについて長々述べてきた。これらの悪質なビジネスは統合失調症患者という弱者を食い物にし、また精神科に行くことを遅れさせ、患者にとって悲劇的結末を齎す。加えてツイッターや各種SNSを通した統合失調症患者同士の交流は、残念ながら妄想の強化にしかなっていないのが現状だ。類は友を呼ぶ、ではないが同じ妄想の者同士で集まり、外部からの声を排除してしまっては妄想が強固にならざるをえないのだ。また、妄想の特徴として外部から妄想を否定すればするほど妄想は強固に、複雑になるという厄介な性質がある。ツイッターなどで善意で統合失調症患者に「それは妄想だ」と訴える方がいるが、実はそれは逆効果なのである。一番良い方法は最初に上げた本の著者、林公一が述べているように、とにかく精神科に連れて行く以外にないのだ。

私がこれらの記事を書いたのは統合失調症患者の現実を知ってほしいからだ。統合失調症患者を取り巻く状況は、抗精神病薬の発明以前よりマシだとはいえ、ネットや統合失調症ビジネスのせいで年々悪化しているといっていいだろう。そんな中、あなたたち健常者の方々もこのような現実を知っていればなんらかの希望が生まれるかもしれないと判断し、このような長い長い駄文を書き連ねたわけである。どうか、少しでも患者たちの現実を伝えられたのならば幸いである。

この文には欠落が多い。例えば、統合失調症ビジネスの別の面、すなわち新興宗教などが統合失調症患者を食い物にしている実例や統合失調症自体の解説も十分とはいえない。新興宗教などが行う「除霊」には統合失調症患者たちが数多く参加している・させられている現状がある。つまり、古代日本で統合失調症患者たちが「狐憑き」として扱われ、村の柱に縛り付けられひたすら狐を祓ってくれるように神に祈ったように、新興宗教も統合失調症患者を「悪霊憑き」などと称し、除霊を行うのである。もちろん莫大な金銭を要求して。これらの実態についてはまた別の記事で解説したいと思う。また統合失調症患者を食い物にする悪質なビジネスの名前を表すのにいいものがあったら、どうか教えてほしい(統合失調症ビジネスじゃ微妙ですよね…)
http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2016/01/12/234535


15. 中川隆[-6805] koaQ7Jey 2018年3月31日 12:29:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9553]

淡路島5人殺害事件

淡路島5人殺害事件とは、2015年(平成27年)3月9日午前7時過ぎに兵庫県淡路島の洲本市中川原町中川原で、犯行当時40歳の住民の男Xにより、2家族の男女5人が殺害された殺人事件。


2015年3月9日午前7時15分頃、洲本市中川原町中川原の民家から「人が刺された」と110番通報があった。兵庫県警察洲本警察署署員が駆け付けたところ、この民家に住む兵庫県洲本土木事務所嘱託職員の男性A(当時62歳)、その妻B(当時59歳)、その母親C(当時84歳)が殺害されているのが発見された。また近くに住む無職男性D(当時82歳)、その妻の無職女性E(当時79歳)も遺体で発見された。

Aの娘は事件当時家にいたが、父親のAから「逃げろ」と言われて別の民家に逃げ込み難を逃れた後、午前7時15分頃に「お父さん、お母さんが刺された」と110番通報した。通報により洲本署員が駆けつけ、家の外でAが、家の中でB・C両名が倒れている状態で発見され、いずれも搬送先の病院で死亡が確認された。また周辺家屋を調べたところD夫婦の遺体も発見された[1][2]。

午前7時45分頃、現場近くの路上で血の付いた衣服を着ていた男X(犯行当時40歳)に署員が職務質問したところ、事件への関与を認めたため、A一家に対する殺人未遂の容疑で現行犯逮捕した。


被害者5人の遺体の状況などから、兵庫県警はXが強い殺意を持った上で就寝中もしくは寝起きのD・Eを襲撃し、その後A一家を襲撃したとみた。

また、Xの自宅から複数の刃物が押収され、うち1本は凶器に使われたとみられるサバイバルナイフだった。

逮捕当時Xは刃物は持っていなかったため、犯行後にいったん帰宅して刃物を自宅に置いてきた可能性がある。

Xが事件前にインターネットでナイフを購入していたことも判明した。

被害者家族とXとの間には近隣トラブルがあったのではないかと推測されている。

洲本市役所によると、Dの娘が事件直前の3月4日に同市による無料法律相談に参加し、応対した弁護士にXに関係すると見られるトラブルについて対処法などを尋ねたという。事件当時、Dの娘と孫は外出していたため難を逃れていた。


X宅と被害者家族の家はいずれも半径約50mの範囲に存在する。

Xは両親が離婚しており、自宅で父親と祖母の3人暮らしだったが、Xは離れで1人暮らししていた。

Xは会員制交流サイトである Facebook や Twitter などに本名で登録し、2009年夏頃にD一家とトラブルになって以降、その数か月後から被害者家族やそれ以外の近隣住民を「集団ストーカー犯罪とテクノロジー犯罪の常習犯」などと、実名を挙げて一方的に誹謗中傷する書き込みを繰り返していた。

殺害されたAは知人に対し、事件の1、2カ月前に

「矛先が自分に向いてきた。わしが変な宗教に入っとることにされとる」

などと話しており、さらにXはA・Dら近隣住民や親類のほか、警察、行政、病院関係者ら約140人・団体の実名、住所を「スパイリスト」としてネットに公表し

「電磁波犯罪とギャングストーキングを各地で行っている」

などと一方的な誹謗中傷を行っていた。


2015年になってから近隣住民への批判が増え、事件直前の3月5日にはAの家族の実名や自宅の地図・外観写真、D一家の顔写真や自宅地図を掲載した上で誹謗中傷した。

Twitterでは事件前に被害者やその親族の名前を挙げて「人類の敵」などと攻撃的な書き込みの他、勤務先などを書き込んでいた。

書き込みの中には「人類の敵」の他、

「(近隣住民や被害者が)工作活動を行なっている」

「電磁波兵器で他人の心を破壊工作」

等と辻褄の合わない記述もあり、Xの刑事責任能力の有無や程度について調べられている。

他にもFacebookの自己紹介欄には「管理ネット代表」と称し好きな言葉は「勧善懲悪」、

またアメリカ合衆国軍や日本政府、日本の警察に対する批判も書き連ねており、XのFacebook・Twitterそれぞれのカバー写真には

「米軍、日本政府はストーカー行為を行っている」

と書き込まれていた。

Twitter にはXが書籍を贈りつけた日本共産党からの礼状がアップされているが、同党関係者によると「書籍を贈ってこられたので礼状をお送りした」という以上の関係がないという。

Xは2010年にインターネットでDの孫を中傷したとして名誉棄損容疑で洲本署に逮捕されていた。しかし言動が不自然だったため留置されることなく、精神科に入院した。

D夫妻は就寝中に寝室でXに襲われた可能性が高く、寝室から血痕が発見されている。

Xの言動や精神状態にはXの家族も心配して、10年前から洲本市や明石市にある兵庫県健康福祉事務所(保健所)に計4回の相談をしていた。

県警は、2004年の加古川7人殺害事件や2012年に発覚した尼崎事件を受けて住民相談への対応強化を進めてきたが、行政と連携して事件を防ぐことはできなかった。


刑事裁判

神戸地方検察庁は4月10日から8月31日までの約5カ月間、Xを鑑定留置した上で専門家による精神鑑定を実施した。その結果、責任能力に問題はないとして、勾留期限の2015年9月8日にXを殺人罪、銃刀法違反で起訴した。


第一審(神戸地裁・裁判員裁判)

2017年2月8日、裁判員裁判の初公判(長井秀典裁判長)が神戸地方裁判所で開かれた。

検察側は冒頭陳述で

「向精神薬の副作用で体にかゆみが生じたことを電磁波の攻撃と思い込むようになった」

と指摘し、Xが事件の際に被害者らとのやりとりをレコーダーで録音した上でインターネットに「復讐一部成功」と投稿していたと明かし、刑事責任能力が問えると主張した。

これに対し弁護側は事実認定を全面的に争う姿勢を示し、Xの主張を補足した上で

「あり得ない話だとするなら病的な妄想に支配され、心神喪失もしくは心神耗弱としか言えない」

と述べ、責任能力の欠如を主張した。

長井秀典裁判長はXに「無職ですか」の質問をしたがXは「サイトのサポーターをしている」と答え、さらに

「電磁波兵器によって殺害を強制された」

「本当の被害者は私で、被害者とされる5人らに仕組まれた完全な冤罪だ」

と語り、罪状認否では手元の紙を見ながら独自の見解をまくしたて

「(殺害した5人は)サイコテロリストである」

と中傷した。


2月14日の被告人質問で、弁護側から質問を受けたXは5人の殺害を認めた一方で

「電磁波兵器によって無意識下で自由を奪われ肉体を操られた」

と述べ、自分の意思ではなかったと主張した。

A一家・D夫婦の2家族が対象になったことについてXは

「両家族は電磁波兵器を使う工作員で、自身の私生活の情報を盗み見ていたため、その報復だった」

などと主張し、殺害状況をボイスレコーダーで録音していたことについては

「身の潔白を証明するためだった」

と答えた。また、事件前にXを強制入院させた兵庫県の「措置入院」を巡る質問については

「人体実験をするためで精神科医は全く信用できない。
(裁判前に精神障害と診断された精神鑑定の結果も)おかしい」

と話した。

翌15日の公判では殺害されたAら3人の被害者遺族がXに対し「家族を亡くす気持ちが分かるか」「謝罪の気持ちはあるのか」など計15の質問をしたが、Xは「答えたくありません」と繰り返し、証言に応じなかった。

3月3日に行われた論告求刑公判では検察側は

「Xは犯行当時、完全責任能力を有していた。5人を次々に殺害した残忍な犯行で、反省の念も見られず、更生の余地もない。死刑に処すべきである」

として、Xに対し死刑を求刑した。

一方で弁護側は最終弁論で動機や責任能力をめぐり検察側の主張に反論し、犯行当時Xは心神喪失もしくは心神耗弱だったと主張し、無罪もしくは死刑回避を主張して結審した。

3月22日、神戸地裁はXの完全責任能力を認めた上で「一定の計画性の下で非常に強い殺意があり、動機も身勝手。落ち度のない5人もの命を奪った上、犯行を正当化し続けている」として、検察側の求刑通りXに対し死刑判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として大阪高等裁判所に即日控訴した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B65%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 

【死刑囚と面会】サラリーマン風の淡路島5人殺人犯・平野達彦の主張に衝撃! 日本政府の「電磁波犯罪」とは? 2017.07.26.
http://tocana.jp/2017/07/post_13959_entry.html


 ドラマや小説では、精神障害のふりをして罪を免れようとする殺人犯がよく描かれる。だが、現実の刑事裁判はどうかと言えば、むしろ明らかに重篤な精神障害の殺人犯があっさりと完全責任能力を認められ、死刑や無期懲役などの重罰を科されているケースが圧倒的に多い印象だ。その1人が今年3月、神戸地裁の裁判員裁判で死刑を宣告された淡路島5人殺害事件の平野達彦(42)だった――。


■死刑判決に動揺した様子は微塵もなし

shikei03.jpg神戸地裁の判決公判には傍聴希望者が殺到

「被害者一家らは工作員で、自分のことを攻撃してきていたという被告人の認識は妄想であり、そこには薬剤性精神病の影響がある」

 今年3月22日、神戸地裁の第101号法廷。裁判長の長井秀典は判決で、平野が5人の近隣住人を惨殺した動機の形成過程について、そう述べた。だが結局、次のように言葉をつないで、平野に完全責任能力を認めたのだった。

「そこから殺害を決意した思考過程には、被告人自身の正常な心理が作用しており、病気の影響は小さい」

 そして長井は平野に対し、「被告人を死刑に処する」と宣告したのだが、私の感想は「ああ、やっぱり」というものだった。私はこれまで精神的に壊れているとしか思えない殺人犯があっさり完全責任能力を認められ、重罰を科される事件に何度も遭遇してきた。たとえば当欄で以前取り上げた加古川7人殺害事件の藤代康孝や山口5人殺害事件の保見光成などもそうだった。そのため、平野の死刑判決も予想できたことだった。

 やや間があり、被害者参加制度を利用して公判に参加していた被害者遺族がパチパチと拍手し、長井が「そういうことはやめてください!」と怒鳴りつける一幕もあり、法廷は不穏なムードとなった。そんな中、平野は顔色一つ変えず、悠然とした足取りで刑務官と共に法廷から出ていった。死刑判決を受けたことに動揺した様子は微塵も感じられなかった。


■薬剤性精神病に陥っていた

平野が勾留されている神戸拘置所
http://tocana.jp/2017/07/post_13959_entry_2.html


 事件が起きたのは2015年3月16日の早朝だった。兵庫県・淡路島の小さな集落で生まれ育った平野は当時40歳。精神障害による入通院歴があり、長く実家で引きこもり生活を送っていたという。そんな男が近所の2家族の寝込みを襲い、計5人をサバイバルでメッタ刺しにして殺害した事件は、社会に大きな衝撃を与えた。そしてすぐにインターネット上に残された平野の活動の形跡に注目が集まったのだった。

「日本政府は何十年も前から各地で電磁波犯罪とギャングストーキングを行っています」

 平野は事件前からツイッターやフェイスブックでそんなことを訴えていた。その一環として近隣住人たちの写真をネット上で公開し、「工作員」呼ばわりしていたのだが、それが殺害された被害者たちだった。平野は精神刺激薬の大量服用を長期間続けたのが原因で、事件当時は薬剤性精神病に陥っていたのである。


平野のツイッターより
http://tocana.jp/2017/07/post_13959_entry_2.html


 平野は今年2〜3月にあった裁判員裁判でも、

「事件はブレインジャック(=脳を支配)されて起こしたのです」
「本当の被害者は私であり、私の家族です。祖父も自殺に見せかけて殺されたのです」

 などという特異な冤罪主張を繰り広げた。さらに事件前からネット上で訴えていた日本政府の「電磁波犯罪」を改めて法廷で告発したりした。

 そのように荒唐無稽なことばかりを言うのだが、平野の見た目はグレーのスーツと銀ブチめがねが似合う普通のサラリーマン風で、話しぶりも真面目なだけにいっそう異様さが際立った。


■「死刑以上のことを何年もされていた」


平野のフェイスブックより
http://tocana.jp/2017/07/post_13959_entry_2.html


 私が神戸拘置所で平野と面会したのは、平野が死刑判決を受けた翌日の朝だった。透明なアクリル板越しに向かい合った平野に対し、私は何より気になっていたことを単刀直入に質問した。

「平野さんは死刑が怖くないのでしょうか?」

 平野はサラリとこう言った。

「私は電磁波攻撃という死刑以上のことを何年もされていますから」

 電磁波犯罪とは一体何なのか。そう質問したところ、平野は「脳内に音やかゆみ、刺痛を送ってくるのです」と真顔で説明してくれた。では一体、誰が何の目的で平野にそんなことをしているというのか。

「“五感情報通信”というのをご存知ですか。日本政府はそのための人体実験として私に電磁波攻撃を行っているのです」

 私は“五感情報通信”なるものを知らなかったので、それは何かと尋ねたところ、平野は「総務省のホームページに出ているので、あとで確認してください」と言った。そこで面会後に総務省のホームページで確認したところ、“五感情報通信”とは、電話やネットでは伝達できない触覚や嗅覚、味覚なども含めた五感すべての情報を伝える通信技術のことらしく、現在は国が中心になって研究を進めているという。日本政府がその人体実験のため、自分に電磁波攻撃をしかけていると、平野は思っているわけだ。

 このように平野の話の内容は荒唐無稽だが、話の中に実在する人や企業、組織、団体もチラホラ出てきた。たとえば、平野は「黒木昭雄さん(※筆者注・2010年に死去した元警察官のジャーナリスト)も暗殺されたのです」「イスラム教や創価学会もテクノロジー犯罪を行っています」などと言っていたが、ネット上には同じようなことを言っている人が散見された。検察官は裁判で「被告人は自宅で引きこもる中、インターネットで情報を収集し、独自の世界観を築いたのです」と説明していたが、平野は実際、ヘヴィーなネットユーザーだったのだろう。


■「私は精神障害ではないです」

 平野によると、事件を起こした動機は「刑事裁判をうけ、日本政府の電磁波犯罪を国内外に知らしめること」だったという。

「しかし、実はそれも工作員にブレインジャックされたゆえの考え方だったんです」

 平野はそんなことも大真面目に言うので、私は「弁護人は平野さんのことを精神障害だと言っていましたが、不満ではなかったですか」とも尋ねてみた。すると平野は「もちろん、不満です。私は精神障害ではないですから」と言った。そしてこう付け加えたのだった。

「弁護士は精神障害のでっち上げに協力したのです」

 何もかも真顔で話す平野だが、少しだけ様子が変わった時がある。平野の父親が裁判に証人出廷し、「生命をもって償いたい」と声を震わせて謝罪したことに話が及んだ時だ。この時ばかりは平野も悲しそうな顔になり、こう振り返ったのだった。

「父は泣き寝入りしているのでしょう。電磁波犯罪の被害者は泣き寝入りをしてしまうのです」

 私は、平野の父親に同情を禁じ得なかった。

 その6日後、改めて神戸拘置所まで面会に訪ねると、今度は面会を断られた。最初に面会した際、平野は私に対し、「何も知らないんだな」と思っているような雰囲気を醸し出していたので、私の取材を受けても意味がないと考えたのかもしれない。

「冤罪」を訴えながら死刑判決を受けた平野は現在、大阪高裁に控訴している。その考えを完全に理解するのは難しいが、控訴審の法廷でも日本政府の電磁波犯罪を告発するつもりだろう。


16. 中川隆[-7841] koaQ7Jey 2018年4月07日 09:36:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10006]

<虐待>40代障害男性を20年以上檻に 兵庫・三田
4/7(土) 7:00配信 毎日新聞

 兵庫県三田市で40代の障害男性が20年以上、自宅に隣接するプレハブ内の檻(おり)で生活を強いられていたことが6日、捜査関係者への取材で分かった。目立った健康被害は確認されていないが、市は70代の父親らから事情を聴き虐待に当たると判断、男性を福祉施設に入所させた。県警は監禁の疑いもあるとみて捜査を進めている。

 市によると、今年1月16日に「障害のある男性が家族に行動を制限されている」と通報があった。担当職員らが2日後に訪問。プレハブ内に南京錠がかけられた木製檻(高さ約1メートル、幅約1・8メートル、奥行き約90センチ)があり、男性が生活していた。プレハブに暖房器具やエアコンがあり、檻にペット用トイレシートが敷かれていた。一日の大半を過ごしていたとみられる。

 男性は長男で、自宅には父親の他、女性の家族もいるとみられる。家族の市に対する説明では、男性が16歳ごろから暴れるようになったためプレハブで過ごさせ、壁などをたたかないよう檻を作って入れた。食事は自宅で家族と一緒に食べ、入浴させていたが、家族の留守中は檻に入れた。父親は市に対し、「長男は精神疾患がある」と説明している。

 男性が義務教育を終えてから市に転入。福祉サービスの利用もなく市は通報まで障害者と把握していなかった。一方、檻にいるのを確認した1月18日の後も約1カ月間、警察に連絡していなかった。

 大阪府寝屋川市では昨年12月、精神疾患と診断された娘が監禁されて衰弱の末に凍死し、両親が監禁と保護責任者遺棄致死の罪で逮捕、起訴されている。三田市は取材に対し、「異常な状態だったが、男性の健康状態や家族の対応から緊急性はないと判断した」と説明している。【粟飯原浩】


17. 中川隆[-7840] koaQ7Jey 2018年4月07日 09:39:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-10006]

寝屋川監禁事件から考える「真実を知る意味」
2018年3月1日 林公一 / 精神科医



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 大阪府寝屋川市で起きた悲しい出来事が2018年1月、報道されました。精神疾患に罹患(りかん)していた柿元愛里さんが、親に約15年間自宅に監禁され、ついに衰弱死したという事件です。前回までの「依存症」シリーズをいったんお休みし、今回はこの悲惨な事件から「精神の病の真実」を知る意味について考えたいと思います。

「監禁ではなく療養」

 報道によると、愛里さんの監禁が始められたのは、彼女が16歳ごろ、精神科で診断を受けてから間もなくのことでした。両親は家を間仕切りした2畳の部屋に二重の扉をつけて施錠し、愛里さんが外に出られないようにしていました。「暴れるので部屋に閉じ込めていた。監禁ではなく療養のためだ」と両親は述べているそうです。

 以前この連載で、かわいそうだからといってわが子に治療を受けさせなかったために悪化して悲惨な経過をとった統合失調症のケース

(「『かわいそう』だから引きこもりの治療を拒否する悲劇」)
http://mainichi.jp/premier/health/articles/20160705/med/00m/010/005000c

をご紹介しました。16歳から33歳まで両親に監禁されてついに亡くなった愛里さんは、それをはるかに上回る悲惨さです。病気の子どもに治療を受けさせず、のみならず監禁し、死なせてしまった。当然に違法な行為ですから、両親は起訴されました。今後、裁判でより詳しい状況が明らかにされることでしょう。

かつては合法だった「自宅監禁」

 ところが、両親のこの行為が、かつての日本では合法だったと言ったら驚かれるでしょうか。いえ、合法どころか、そうすることが家族の義務であると法律に定められていたのです。それは1900年に制定された「精神病者監護法」で、当時うたわれていたこの法律の目的は「精神病者の監禁を家族に義務づけ、自宅に監禁すること」でした。つまり今回の愛里さんの両親の行為は、当時であれば合法的であったどころか、逆にそうしなければ違法だったということです。当時はこの法律に従い、日本全国でとてもたくさんの精神疾患の患者が自宅に監禁されていました。場所は改造した物置や、座敷牢(ろう)と呼ばれる室内に作られたおりの中です。愛里さんは現代版座敷牢に監禁されていたということになるでしょう。十分な食事も与えられず、適切な室温管理もされないまま15年が過ぎ、衰弱して亡くなりました。

 精神病者監護法が施行されていた当時の座敷牢は、それ以上に悲惨でした。全国調査をした呉秀三先生(東京大学医学部精神科の初代教授)が1918年にまとめた本(「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其<その>統計的観察」)には、座敷牢の実態が赤裸々に記載されています。呉先生は「ほとんど見るに堪えざる程悲惨なる光景」と書かれています。この本に収載された写真はまさにその通りの様子を証明しています。衛生状態の悪い薄暗い空間に、ぼろぼろの服を着て、あるいは全裸で、監禁されている何枚もの写真をその本の中に見ることができます。さらに呉先生は「精神病者の私宅に監置せらるるものに至りては、実に囚人以下の冷遇を受くるものと謂(い)うべし」とお書きになっています。当時、日本には精神科の治療施設がほとんどありませんでした。入院できる病院が十分になかったことが、そんな悲惨な状況を生んでしまったのです。呉先生は現状を広く伝え、精神科の病院を日本に建てなければならないという強い信念を持って、この調査を実施し、本にまとめたのです。まえがきには有名な文章がつづられています。

 「わが国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

 精神疾患になってしまったという不幸に重ねて、日本という国に生まれてしまった不幸−−。この文章は、日本の精神科の病院に欠陥があるという意味であるかのような誤った形でしばしば引用されていますが、それは大きな間違いです。精神科の病院がほとんどないことによって、精神科の治療を受けられないことが大変な不幸であることを、切実に訴えるのが呉先生の真意だったのです。

新法制定で病院はできたが…

 そしてこの調査の後、新たに「精神病院法」が制定され、精神科の病院が次々に建設されました。治療法も大きく進歩し、現代ではとてもたくさんの精神疾患の人が、精神科に通院して治療を受けながら、健康な人とほとんど変わらない生活を送っています。

 けれども、病院がいくらたくさんあっても、受診しなければないのと同じです。いくら良い治療法があっても、受けなければないのと同じです。柿元愛里さんは、複数の精神科で診断を受けたということです。両親は、わが子が精神疾患だという診断が受け入れられず、何人もの医師の診察を求めたのかもしれません。そして精神疾患に間違いないとわかったとき、両親が選んだのは治療を受けさせることではなく監禁して社会の目から隠すことでした。

 両親の行為は犯罪ですから、もちろん容認されることではありません。しかし、ただ非難するだけでは何も解決しません。なぜ両親はそのような行為を取ったのか。「監禁でなく療養」という言葉は、あるいは両親の真意だったのかもしれません。現代でも「精神病には治療法がない」と思っている人は少なくありません。「精神科を受診すると監禁されて薬漬けにされるだけ」だと思っている人も少なくありません。もっと多いのは、「精神科で治療は受けたとしても、それは恥だ」と考えている人々です。恥だと考えるから、人に知られないようにします。家族が精神科にかかっていることはひた隠しに隠します。この姿勢から監禁までには距離がありますが、根はつながっていると言っていいでしょう。

真実が知られなければ悲惨な事件が繰り返される

 心の病と呼ばれるものの中には、本当に病気の範囲に入るか入らないか微妙なものもたくさんあります。けれどもその一方で、はっきりと病気といえるものもたくさんあります。統合失調症などの精神疾患もその一つです。そして統合失調症は、100人に1人が発症する、とても多い病気です。昔と違って今は有効な治療があるのに、それが知られていなかったり、病気ではないと思われたり、病気だということをどうしても認めようとしなかったりすることが、幾多の悲しみを生んでいます。

 精神の病の真実が広く知られなければ、今回のような悲惨な事件は繰り返されるでしょう。美しい真実も醜い真実も、すべて公開されてはじめて、真に不幸な人々が適切な支援を受けられる道が開けます。亡くなられた柿元愛里さんのご冥福を祈りたいと思います。
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20180228/med/00m/010/007000c?inb=ys


18. 中川隆[-11166] koaQ7Jey 2018年4月23日 20:23:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-12070]

池上 司さん 精神科医
出来心が命とりに 覚醒剤の恐怖 2014年6月2日


「統合失調症」を実験的に作り出す覚醒剤

出来心が命とりに 覚醒剤の恐怖覚醒剤(薬品名:アンフェタミン、メタンフェタミンなど)が「統合失調症」を実験的に作り出す薬剤であることを知っていますか?

覚醒剤は、使用すれば、覚醒、高揚、疲労回復、自信増強、多幸・万能感、快感などの作用が得られるため、乱用が後を絶たず、日本では1995年頃から第3次乱用期に入っているとされています。こうした薬理作用は、覚醒剤が脳内神経伝達物質であるドーパミンの神経細胞による取り込みを抑えることにより、脳の神経細胞間のシナプスの隙間があり得ないほどのドーパミンで溢れるためにもたらされます。

統合失調症の幻覚妄想の原因のひとつは、脳内ドーパミンの過活動によるとされており、覚醒剤を動物に投与すると、ヒトの統合失調症と似た異常行動を生じさせることができます。

高揚感や快感を得て反復使用すると急速に耐性が上昇

覚醒剤による人格の崩壊は、3つの段階を経て起こります。まず、覚醒剤を使用すると段階によらず上記の薬理効果が得られます。脳は異常に覚醒し、眠気はとれ、頭が冴え渡ります。注意・集中力が増し、疲れを感じなくなり、気分が高揚し、何でもできるような万能感を覚え、また性感が高まります。交感神経が刺激されるため、脈拍・血圧が上がり、食欲は低下します。やせ薬に使われる所以です。

魔法の薬効のように思えますが、使用後、数時間で醒めてしまいます。後に待っているのは、薬効のリバウンドとして「全く何もする気が起こらない」虚脱状態、うつ状態で、これが数日間続きます。この虚脱状態では、当人は意識がもうろうとし、問いかけにも応えられないほどで、会社にも行けません。一種の禁断症状で、これが非常に辛いために再び高揚感や快感を得ようと薬を繰り返します。酒の精神的依存の時期にあたります。この乱用の時期が第一段階です。

覚醒剤の恐ろしいところは、反復使用すると急速に耐性が上昇する(同じ量では効果が出なくなる)ことです。通常の数百倍使用しないと初回と同程度の効果は出なくなるとされています。覚醒剤常習者が注射を使うのは、このためです。注射により、速やかに且つ強度に禁断症状から逃れ薬効を得ることができます。さらに、覚醒剤を連用すると次第にある種の「陶酔感」が加わります。全身がすーっとする感覚と性的な絶頂感に似た快感と言われています。注射で急速にこの陶酔感に至れる「スピード」(覚醒剤の別称)にイカレて、第二段階の身体的な依存が完成します。こうなると「骨までシャブられても薬を止め」ません。不眠、疲弊、うつ、やせ、焦燥、怒りっぽさなどが目立ってきます。

わずか2?3ヶ月で「覚醒剤精神病」が発症

覚醒剤の大量を静脈注射し続けた場合、わずか2?3ヶ月で、統合失調症に酷似した「覚醒剤精神病」が発症します。覚醒剤使用の終着駅です。スピードの名の通り特急で。被害的な幻覚妄想を中心とするのが特徴です。脳に不可逆的な変化を残すため、薬を止めていったん症状が消えても、少量の再使用によって再発します。また、発症後も覚醒剤を続けた場合、覚醒剤を使わないのに他の依存性薬物の使用や感情的なストレスだけでも再発が起こるようになってしまいます。

統合失調症と違う点は覚醒剤による被害的な幻覚妄想には特徴があり、「誰かが自分の悪口を言っている」「誰かが見張っている、つけてくる」「誰かが殺しにくる」というふうに常に誰かに狙われているという観念に付きまとわれることです。幻覚妄想に追いつめられ禁断症状の焦燥感・易怒性により攻撃性がエスカレートすると、最悪の場合、まれにですが、突発的で無差別な凶悪事件にも至りうることは周知のごとくです。ですから、覚醒剤は「ダメ。ゼッタイ。」なのです。
https://asqmii.com/jijico/2014/06/02/articles10157.html


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【覚せい剤】電波に命令されて6人を殺害
白いブリーフのシャブ中通り魔殺人鬼、ゾッとする発言とは? 2016.02.12.
http://tocana.jp/2016/02/post_8860_entry.html


 元プロ野球選手の清原和博が、覚せい剤所持容疑で警視庁に逮捕される前、「代償」というタイトルでブログに書き綴っていた内容は、覚せい剤依存による妄想の有様を如実に現していたといえるだろう。

 内容をかいつまんで説明すると、こうだ。

 清原が知人と食事していたところ、店に入ってきた2人の客が清原に気づきその中の1人が何度も、自分を笑いながら指を指してきたように思えた。ぶち切れそうになりながらも、歯を食いしばって我慢したが、「やっぱり、あかん!」と手元の灰皿をたたき割った。

 このブログでは清原はケンカを我慢したことが綴られているが、覚せい剤依存が重くなると、止まらない妄想が原因で殺人にまで至ってしまうケースも珍しくない。


■ある覚せい剤依存症の殺人鬼の証言

sasakirryuzo.jpg画像は、『深川通り魔殺人事件 (文春文庫)』

「心理的電波・テープによる男と女のキチガイのような声に、何年ものあいだ毎日毎晩、昼夜の区別なく、一瞬の休みもなく、この世のものとは思えない壮絶な大声でいじめられ続けたことが、原因なのであります」

 犯行に至った経緯を、奇妙な言葉で法廷で語ったのは、川俣軍司。昭和56年6月17日に、6人の死傷者を出した深川通り魔殺人事件を起こした男だ。作家の佐木隆三が書いた『深川通り魔殺人事件』(新風舎文庫)は、テレビ朝日系の「月曜ワイド劇場」でドラマ化された。


■深川通り魔殺人事件 川俣軍司が狂うまで

「俺は日本一の板前になる」

 中学を卒業した川俣が、希望を抱いて銚子から東京に出てきたのは、昭和42年3月末。築地の鮨屋に住み込みで働き、見込みがあるとも言われていたが、その店を3年半で辞めた。

 そこから、転落の道を辿り始める。

 昭和46年6月、恐喝罪により東京地裁で懲役2年執行猶予3年の判決を受ける。昭和47年3月、暴行傷害事件により東京簡裁で罰金3万円の判決。昭和47年9月には、やはり暴行傷害事件で、東京地裁で懲役10カ月の実刑判決を受け服役した。出所後の昭和51年7月に、暴力行為など処罰に関する法律違反、脅迫罪により、東京地裁で再び懲役10カ月の判決を言い渡された。


■覚せい剤を使用し「電波・テープ」と交信するように

 昭和52年4月に出所した川俣に手をさしのべたのは、父親だった。自分の仕事である“しじみ掻き”を継がないかと誘ったのだ。最初の頃は身を入れて働いていたが、両親に暴言を吐くようになった。この頃から、覚せい剤を始めていたのだ。

 その後も事件を起こし、昭和54年と昭和55〜56年、いずれも府中刑務所で服役している。

 昭和56年4月21日に出所すると、川俣は兄に電話する。

「今回の懲役ほど、苦労したことはなかった。親兄弟までグルになって、俺をいじめるとは思わなかったが、おかげで電波・テープにひっつかれた。俺は黒幕から、麻酔を注射して殺される。その前にいっそ、舌を噛んで死んでやるが、それでも兄貴は平気か?」

 不気味に思った兄は、川俣に会って4万円ほど渡すと、「家には絶対に近づくな」と釘を刺した。

■働き口を失い、転々とする川俣

 その後、川俣は鮨職人として働き始めるが、遅刻するなどして半月ほどしか続かない。女子店員にぞんざいな口を利き、2日でクビになった店もある。覚せい剤をやっていると疑われて、解雇された店もある。いくつもの店を渡り歩き、2カ月足らずの間に勤めた店は7軒に及ぶ。

 そして、運命の就活日がやってくる。

 6月16日、銀座のチェーン店の鮨屋の本部で、川俣は面接を受けた。「明日電話ください」と言われたので、「これは採用される」とほくそ笑む。

 6月17日午前11時半頃、川俣は築地の公衆電話からかけた。面接をした部長が応対する。

「当社の規定にちょっと合わない部分がありますので、今回は勘弁していただけませんか」
「おう、おう、おう」

 電話を切った川俣は、森下2丁目商店街を進んだ。そして、バックから刃渡り22センチの柳刃包丁を取り出したのだ――。


■商店街を駆け回る、地獄の包丁

 喫茶店「ロアール」の前には、ベビーバックに乗せた1歳の男児と2歳の女児を連れた、27歳の主婦がいた。バギーghを投げ飛ばす勢いで、川俣は包丁を振り回し、3人を傷つけた。そして、商店街を歩いていた女性、Nさん(33歳)、Kさん(71歳)、Yさん(39歳)の女性を次々に刺した。

 午前11時40分頃、歩いていたIさん(33歳)の喉元に包丁を突きつけて、中華料理店「萬來」に引きずり込んだ。そこにいた経営者夫婦を脅して追い出すと、彼女を人質にして、調理場奥の6畳間に籠城する。駆けつけてきた警官が、曇りガラスごしに呼びかけた。Iさんは川俣の言葉を口述筆記させられる。

「電波でひっついている役人の家族をすぐつれて来い。次に書くすし店の夫婦を、全員連れてこい。銚子の水産会社の夫婦も連れてこい。半日以内に来なければ人質を殺す。おれがこういうことをしたのも、みんなひっついている役人が悪いからだ。電波でひっついているからだ。人が死んだのも、役人とグルになっておれを苦しめた、すし店と水産会社が悪いからだ」

 その紙を、川俣は外の警官に向かって投げた。

 店内のテレビをつけた川俣は、ニュースを見て自分が刺したうちの4人が死亡したのを知る。それでも、要求して差し入れさせたカレーライスや牛乳、ジュースを平らげた。

■白いブリーフに白いソックス姿で…

 すし職人に変装した捜査官が店の外にやってきていた。川俣の要求に応じた振りをして、隙をつく計画だ。

 午後7時前、川俣が気を緩めた時に、Iさんは6畳間から調理場へと逃げ出した。捜査官たちが突入、柳刃包丁を振り回す川俣を取り押さえ、逮捕した。

 店から連れ座された川俣は、白いブリーフに白いソックスだけという姿。靴も履いていなかった。そして、口には、自殺防止のため白い布を咥えさせられた格好で姿をあらわした。

 逮捕された川俣は、覚せい剤を使っていたことを認めようとしなかった。だが、警視庁の科学捜査研究所は、川俣の尿と血液を捜査して「2、3日以内に覚せい剤を使用したとみられる」と鑑定した。

 取り調べでも法廷でも、川俣はいつも「電波」を口にした。黒幕である役人が電波を使って、すし店に自分をクビにさせたり、親兄弟に冷酷なことを言わせたというような内容だ。

 法廷では、こんなことを言った。

「府中刑務所に服役中は、テープの内容もだんだん異常になって、『同囚にケツを掘らせてやる』とか、『女装しろ、オカマになれ、刑務所を出てもすし屋なんかやらせないぞ』とか、電波と一緒になってテープの内容を想像させられたりして、イライラさせられました」

 昭和57年10月22日、東京地裁において、検察官が川俣に求刑したのは、「死刑」ではなく「無期懲役」だった。その理由は、こう述べられている。

「被告人は本件犯行時に、是非善悪を弁識しその弁識にしたがって行為を制御する能力が減弱していたと認められるので、刑法第32条2項にのっとり、被告人を無期懲役に処すると相当と思料する」

 12月23日に、東京地裁で、無期懲役の判決が下った。川俣は控訴を考えていたが、「被害の重大さを考えなさい」「命が助かれば上々ではないか」と弁護人に諭され、「模範囚になる」と言って、刑を受け容れた。
http://tocana.jp/2016/02/post_8860_entry.html



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同じアパートの住人を包丁で襲い、7人の死傷者を出す・橋田忠昭
長年覚醒剤を使用し続けた男は幻覚や幻聴・被害妄想に取りつかれ、夫婦喧嘩を発端に怒りが一気に爆発した。


▼事件発生

昭和57年2月7日、大阪市西成区で、覚醒剤常習者の男が、自分の住んでいるアパートの住人を次々と包丁で刺すという事件が起きた。

男の名は橋田忠昭(47)。15歳の時から覚醒剤を使い始め、事件の数年前からは絶え間なく幻覚や幻聴に襲われていたという。普段から些細(ささい)なことにでもすぐに逆上し、完全に情緒不安定になっていた。


西成区の文化住宅「グリーンハウス」の二階で、妻(34)と子供(11)と三人暮らしをしていた橋田は当時無職であり、生活保護を受けていた。この生活保護と妻の仕事の収入で生計を立てていた。

2月7日、午前9時30分過ぎ、橋田はこの日も特にすることがなく自分の家にいると、妻が出かけようとしていた。宗教活動の会合に出かけるという。

橋田が「朝メシの用意ぐらいして行け!」と怒鳴ったが、妻は無視した。頭に来た橋田は妻の手を掴(つか)み、口ゲンカとなった。

妻は「やめてよ!このぐうたらが!」と叫び、橋田の手を振り払った。仕事もせずブラブラしている橋田にとってはこの言葉は強烈で、橋田の怒りが一気に爆発した。


台所に走って行って刃渡り20cmの包丁を持って戻ってきた橋田は、妻の胸をいきなり包丁で突き刺した。妻は悲鳴を上げ、その場に倒れ込む。(一時間後に病院で死亡)

母親が刺されたを見てびっくりした息子は「お母ちゃんに何するんや!」と、橋田を止めに入った。
しかし橋田は無情にも、この自分の息子さえ包丁で刺して振り払った。(二週間の怪我)

しかし橋田の犯行はこの二人だけにとどまらなかった。
普段からアパートの住人が大きな音をたてて自分に嫌がらせをしているとか、陰口を言っているなど、筋違いの恨みを持っていた橋田は、このまま一気に部屋の外へ飛び出し、アパートの住人を次々と襲う。


三人目と四人目の犠牲者となったのは、橋田の隣の部屋に住んでいた夫婦である。この部屋に飛び込んで来た橋田は、まずいきなり夫(34)を刺し、すぐに妻(47)を刺した。二人の悲鳴が上がる。

二人とも刺された直後はまだ動けたので、何とか部屋を飛び出し、血だらけになりながらも二階の廊下部分を走って逃げた。(夫は重傷・妻は40分後に病院で死亡)


この三人目・四人目の夫婦の悲鳴を聞いて、同じ二階に住む別の女性(34)がびっくりして廊下に飛び出してみると、この二人が血だらけになりながら走って逃げて行くのを目撃した。

驚いた女性は、すぐに部屋に戻り、自分の夫(39)に「あんたあ!救急車呼んで!」と叫んだ。しかしこの声を聞いた橋田は更に逆上し「何をすんのやぁ!」と、今度はこの女性を追いかけ始めた。

女性は自分の家に逃げ込んだが、ドアを閉める暇もなく、橋田が一緒に飛び込んできた。

女性の家の中には、その女性と夫、そしてたまたまこの部屋を訪問していた、同じアパートの女性(49)の、合計三人がいた。包丁を持って襲いかかった橋田は、一番近くにいた、この「訪問客の女性」の胸をいきなりメッタ刺しにした。(40分後に病院で死亡)夫婦は無事だった。犠牲者は五人となった。


そして橋田は今度はアパートの一階へと降りて行く。すると橋田の目の前で突然ドアが開いた。タイミング悪く、ちょうどこの部屋に住んでいる娘(20)が出勤するところだったのだ。

いきなり顔を合わせた形となった橋田は、間髪入れずこの娘の顔を切りつけた。六人目の犠牲者である(怪我)。部屋の中にいた父親(56)が急いでドアの外に出てみると、ここでいきなり橋田に胸を刺された。これで七人が刺された。

この父親を刺したのを最後に橋田は逃げ始める。最後の犠牲者のこの父親は橋田を追いかけたが、無念にも力尽きて途中で倒れ、死亡した。

5分後、通報を受けて駆けつけた西成署員が街にいる橋田を発見し、すぐに逮捕した。手にはまだ包丁を持ち、服は血に染まっていた。

橋田がアパートで凶行を行った時間はわずかに5分程度であった。その間に四人が殺害され、三人が重軽傷を負った。


▼犯行に至るまで

15歳で覚醒剤を覚えた橋田は、この頃から恐喝や詐欺などで警察から補導されるワルであった。親が覚醒剤を止めるよう何度も説得するが聞く耳を持たず、18歳で実家を出て行き、繁華街を転々としながら生活を続ける。

スリや空き巣を繰り返して五回逮捕され、そのうち三回は刑務所行きとなった。そのうち、あるホステスと知り合って言い寄り、同棲を経て結婚するが覚醒剤は相変わらず続けていた。

橋田忠昭
橋田は覚醒剤を買う金欲しさに妻にソープランドで働くことを強制し、妻が嫌がると子供に危害を加えると脅したり、妻を殴ったりしてでも命令に従わせた。しかし妻の稼ぎだけではまだ少ない。橋田は自分の両親から金を吸い上げることを思いついた。

実家へ行って両親に頭を下げ、「二度と覚醒剤はやらん。これからは真面目に働く。」などと言って両親を安心させ、「それでな、実は結婚して子供が出来たんやけど・・。なんやかやと金がかかるが都合してくれへんか?」

などと更正を装って両親から金を引き出した。孫が出来たことに喜ぶ両親は、橋田が真面目になったことを信用し、頼まれるがまま貯金通帳や家の権利書などを渡す。

しかし両親の気持ちも平気で裏切る橋田は勝手に家を売却し、それらの金を全て覚醒剤につぎ込んだ。両親が橋田の本性に気付いた時にはすでに遅かった。

自分の息子にだまされ、財産の全てを失った父親は、精神科の病院に入院することになり、恨みと後悔の中、この病院でこの世を去った。


一方、妻とはまだ一緒に生活を続けていたが、長年の覚醒剤の乱用で幻覚や幻聴がたびたび訪れるようになり、頭の中で「殺せ」という声が聞こえたり「妻が浮気をしている」などと思い込むようになり、突発的に包丁を持ち出して妻を刺したことがあった。この時は妻は一命を取り止めたものの、橋田は殺人未遂で3年の刑に服した。

妻も子供も、服役を境に橋田が覚醒剤を止めてくれると信じていたが、出所してからの橋田は期待をあっさりと裏切り、再び覚醒剤に染まっていった。頭の中はますますひどくなっていき、アパートの住人が階段を昇る足音や、干した布団を叩く音など日常での音が過剰なほど気になり、「奴らは騒音を出してワシに嫌がらせをしとる。」「ワシを追い出そうとしとる。」などの被害妄想を抱(いだ)くようになっていった。


仕事には就(つ)いておらず、月14万円の生活保護と妻の収入で暮らしていたが、妻との中は険悪で、夫婦喧嘩や家庭内暴力が絶えず、アパートには怒鳴り声がしょっちゅう響いていた。同じアパートの住人も不安を感じて怖がり、また、覚醒剤をやっているという噂も広まり、一度警察に相談したのだが、「ただの夫婦喧嘩でしょう。何かあるようだったら連絡して下さい。」と言われただけであった。

たび重なる暴力と奇行に耐えられず、妻は薬を飲んで自殺を図(はか)ったが、この時は幸いにも一命を取りとめ、退院後は救いを求めて子供を連れて宗教団体に入信した。既(すで)にすがるものは宗教しかない状態であった。

橋田は事件を起こした頃には毎日覚醒剤0.02gを注射しており、逮捕後に橋田の腕を見た警察官は、注射部分の腕の変色に驚いたという。


▼判決

昭和59年4月20日、大阪地裁で橋田には無期懲役の判決が下された。三人に重軽傷を負わせ、四人を殺害した判決としては軽過ぎるとの意見が上がったが、当時橋田は覚醒剤により心神耗弱(しんしんこうじゃく)の状態にあったと判断され、極刑である死刑から減刑されて無期懲役という判決となったのである。

※心神耗弱(しんしんこうじゃく)者:意思能力はあるが、精神機能の障害のため、その結果を正しく認識しえずに行為をするおそれがある者。

刑法によれば心神耗弱の状態にあった者は、刑を軽くするように定められており、また、心神喪失においては処罰されない。

心神喪失者:精神機能の障害のため、意思能力を欠く状態にある者。

覚醒剤を使用し続けた結果に引き起こした事件において、果たして心神耗弱による減刑が妥当かどうかは賛否両論あるところである。
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/026nishinari.htm



19. 中川隆[-12502] koaQ7Jey 2018年5月22日 03:38:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14161]

統合失調症患者の妄想と恐怖体験はこの映画に上手く描写されています:


【ホラー】 コワイ女 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1SYZG44duWM

1本の電話が謎の死を招くホラー・サスペンス! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YEeMQmZDbIE



20. 中川隆[-12892] koaQ7Jey 2018年6月05日 07:29:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14935]

サイコパスが選ぶ職業、トップ10


サイコパスを見抜くことは難しい。彼らは、映画や小説で描かれる「切り裂きジャック」とは違う。多くの場合、サイコパスは一般の人たちと変わらない。特定は困難だ。


アメリカ精神医学会の「精神障害の診断と統計マニュアル」の第5版、いわゆるDSM-5は、サイコパスの性格について、傲慢で、過大な自尊心を持ち、他人を操ることに長けた者と定義している。だが、診断は往々にして、一筋縄ではいかない。

1つだけ、サイコパスには共通点が見受けられる。職業だ。例えば、サイコパスは非情さ、カリスマ性、恐れを知らないといった特質を持つため、リーダー的なポジションについていることが多い。サイコパスは即座の判断に優れたセンスを発揮する。逆に、看護やセラピーなど他者への共感が必要な仕事には向いていない。

心理学者のケヴィン・ダットン(Kevin Dutton)氏は、サイコパス研究が専門。著書『サイコパス 秘められた能力』において、同氏はサイコパスが選ぶ職業をリストにまとめた。

「有能なサイコパス(Functional psychopath)」とダットン氏が呼ぶ人たちは、「私情に流されず、臆することなく、カリスマ性を生かして、社会の表舞台で成功を収める」。言い換えるなら、人とは違った特徴はあるものの、サイコパスはごく普通の人と変わらない生活を送っている。

サイコパスが選ぶ職業トップ10を見てみよう。

(※全ての写真は記事上部のリンクからご覧になれます)
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10位 公務員

実際、2014年にはイギリス政府の職員は、特に「秩序の維持」を目的に、サイコパスの採用を検討した。

なぜならサイコパスは「危機的な状況への対応に優れ」、そして「他者への関心や倫理規範に欠け、非常に知的能力が高く論理的な傾向があるため」だ。
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9位 シェフ

ほとんどのサイコパスは、他人に危害を加えることに興味がない。だからシェフが毎日、火や包丁を使うからと言って、心配する必要はない。

サイコパスは、他の人なら失敗してしまうようなカオス状態が得意。なので大忙しのキッチンで活躍できる。

8位 聖職者

サイコロジー・トゥデイ(Psychology Today)のブログで、FBIのベテラン捜査官ジョー・ナバロ(Joe Navarro)氏は、サイコパスが聖職者を選ぶ理由を述べた。

いくつかの理由の中で同氏は、宗教組織は、他者を食い物にする手段を与え、また自らの行為を正当化する手段になると語った。加えて、連帯感を築くことも簡単なため、人を操ることに長けた人にとっては、個人的な情報を手に入れ、有利な立場を得やすい。
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7位 警察官

サイコパスが必ずしも、隠されたモチベーションを持っているわけではない。

彼らの特徴の1つは、ストレス下でも極めて冷静なこと。警察官は激務で危険な仕事。危機的状況でも落ち着いていられることは、大きなメリットになる。

警察官がサイコパスに人気の職業なのは、これが理由かもしれない。
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6位 ジャーナリスト

ダットン氏はサイコパスの特徴として、人を引きつける魅力、集中力、高い意識、非情さ、そして行動的であることをあげた。

これらは全て、ジャーナリズムの世界では有利な性質。特に厳しい締め切りがあり、情報源から答えを引き出す必要がある場合はなおさら。
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5位 外科医

イングランド王立外科医師会の会報に、外科医には本当にサイコパスが多いのかを調べた研究が掲載された。

研究によると、研修医を抱える外科医は、一般的な病院の外科医よりもサイコパス的性格のスコアが高かった。また一般的な病院の外科医は、一般の人よりもスコアが高かった。

この理由について、研究チームは「ストレス耐性が、医師にとって最も重要な特徴」であり、外科医は毎日、難しい決断を即座に下さなければならないという事実をあげた。
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4位 セールスマン

サイコパス的な人が営業部門で働いた場合、厚かましい売り込み、客の横取り、一番稼ごうとする執拗な欲求、チームワークの欠如といった特徴が表れるだろう。

働く組織次第では、最悪の結果となることもあれば、最高のセールスマンとして称賛を受けることもあり得る。

3位 テレビやラジオのキャスター

サイコパスの中には、ナルシシズム的性格を示す人もいる。多くの人から注目を集めることが不可欠な職業では、間違いなく役に立つ性格。

また、この職業はプレッシャーのかかる状況で冷静さを保つ必要がある。これもサイコパスに好まれる理由だろう。
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2位 弁護士

『ソシオパスの告白』の中で、自らもソシオパス(社会病質者)を自認するM・E・トーマス(M. E. Thomas)氏は、ソシオパスであることが優秀な弁護士になることに有利に働いたと述べた。

一方、サイコロジー・トゥデイのブログで、弁護士のルース・リー・ジョンソン(Ruth Lee Johnson)氏は、自信、冷酷さ、人を欺ける魅力といったサイコパス的な特徴は、弁護士にとって役立つと認めながらも、こうした特徴だけで十分とするのは単純すぎると釘を刺した。

だが、時と場合によっては、非常に優秀に見えるだろう。
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1位 CEO

サイコパスは、「カオスへの耐性」と呼ぶべき特徴を持っている。これは単に、ストレスがかかる中でも冷静さを保っているという意味ではない。

彼らは時に、混乱状態を作り出す。周囲の誰もが苦戦している中で、自分を優れた存在に見せるために。

サイコパスの中には、この手段を使って出世の階段を上がり、トップの座に就く者もいる。

一方、周りを操る必要のないサイコパスもおり、自らの能力だけでトップに登りつめる。

[原文:http://www.businessinsider.com/professions-with-the-most-psychopaths-2018-5

(翻訳:長谷 睦/ガリレオ、編集:増田隆幸)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180604-00010003-binsider-sctch&p=1


21. 中川隆[-13016] koaQ7Jey 2019年1月13日 21:37:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22222] 報告

阿修羅掲示板の頭がおかしい投稿者のリスト

・天橋立の愚痴人間
・Kse53zYp5s = Mnxczxr6Dw
・佐伯まお=おおたこうじ=シノブ
・ポスト米英時代
・お天道様はお見通し
・魑魅魍魎男
・日高見連邦共和国
・けろりん
・BRIAN ENO


阿修羅掲示板の中国工作員
・赤かぶ

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具体的には

天橋立の愚痴人間氏と Kse53zYp5s氏は強迫性人格障害者

ポスト米英時代氏と お天道様はお見通し氏は統合失調症

佐伯まお氏、魑魅魍魎男氏と BRIAN ENO 氏はパラノイア

日高見連邦共和国氏と けろりん氏は IQ が低いだけ


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参考

強迫性人格障害者


この人格の基本的な特徴は、

「秩序、ルール、完全主義などにとらわれすぎて、柔軟性や効率性がない」ことです。

強迫性格の特徴は几帳面、倹約家、わがままでした。

具体的にあげていきますと、人に仕事を任せられなかったりするのです。

その他、「硬さと頑固さ」という特徴もあります。

これは、ひとつだけの「正しいやり方」や「物事の原則」を主張し、他人の視点や考えに妥協することを拒むのです。

もしも、そういったように自分の思ったようにいかなかったり、完全にできなかったりしたら、抑うつ状態に陥りやすいのです。そして、頑固で柔軟性に欠けているので、ひとつのことにこだわってしまうのです。

では、実際の症例をみてみましょう。


(症例)

55歳男性、公務員。

仕事でも家庭でも自分の思い通りにならないとよく口論になり、ときには暴力沙汰になることもあった。

ふだんから生活のスケジュールが分単位で決められたような細かい生活をしている。

家族にはお箸の持ち方から、食べる順番、お風呂に入る順番など事細かに決め、それに従わないときは、烈火のごとくはらを立てる。

娘が予定した帰宅時間を過ぎようものなら、それは一大事であり、大騒ぎになる。

家計の管理が自分で行っており、1円でも帳尻が合わないとそれはそれは大変なことになる。

あまりにも几帳面すぎて耐えられないため、奥さんが相談にやってきた。
http://akatan.cool.ne.jp/jinkaku.htm#history


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強迫性人格障害者 Kse53zYp5s の文章


22. 2013年5月20日 07:55:44 : Kse53zYp5s   
>>21さん、
常人には得体の知れない憎悪に取り憑かれ、ひとりで火病を起こして掲示板荒らしを続けている>>01の変態常習犯罪者については、下記をみれば簡単にプロフィールがわかります。ご参考までに。
  ↓
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1365829311/41


41 :地震雷火事名無し(家):2013/05/08(水) 14:52:16.46 ID:dsy2PwdC0
自称「中川隆」こと W18zBTaIM6 は、「富田誠」その他の複数のハンドルネームを使い回し(←投稿規定違反の累犯!)、しかも歴史板などに明らかに板違いの投稿を執拗に繰り返してきた(←投稿規定違反の累犯!)。

歴史板(http://www.asyura2.com/09/reki02/index.html)で「中川隆」「富田誠」で
検索すると、この変態犯罪者の山のような累犯の事例が一目瞭然となる。

「中川隆」が作ってきた板違いスレッドの事例(大量の犯行のほんの一部)
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あの伝説の名湯は今_ 幻の秘湯 戦慄の二股ラヂウム温泉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/350.html
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ミラーマンの世界
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/299.html
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小沢一郎先生は政治家の鑑
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/293.html
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副島隆彦は本当にアホだね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/343.html
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釈迦は何故日本に再誕したか 1__我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/341.html
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史上最強の投資銀行 ゴールドマン・サックス_その強さの秘密に迫る_1
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/360.html
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しかも「中川隆」「富田誠」W18zBTaIM6 は、小沢一郎と「朝鮮人呼ばわり」して
執拗に誹謗中傷を続けながら、なぜか在日朝鮮人の過去の犯罪を告発するスレッドに出没して、朝鮮人擁護と日本人攻撃の書き込みを執念深く続けている。

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民主党議員の 『小沢先生と行った中国ハニートラップの旅』 - 富山誠  
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/722.html
衝撃!! 小沢一郎民主党代表の美人秘書(韓国籍)の真実 - 富山誠
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それだけではない。
「中川隆」「富田誠」は猟奇性犯罪と児童ポルノを、アスキーアートを貼り付けて自慰を行ないながら執拗に阿修羅掲示板に貼り付けつづけ、この掲示板に対する
強姦行為を行なっている。

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温泉四方山話1 - 富山誠 2013/4/10 18:06:58  
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/734.html
部落と近親相姦話1 - 富山誠 2013/5/01 17:09:05
多重人格者だった恋人の話 - 富山誠 2013/4/11 19:39:30
秘湯〜夢蛾はここにいる〜 - 富山誠 2013/4/11 18:36:27
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沖縄パナリの秘祭 _ 臨月になった美女を引き出して洞の中で行う秘密の儀式とは - 中川隆 2012/10/08 00:07:10 (コメント数:4)
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/446.html

大阪 飛田遊郭 - 中川隆 2012/10/07 10:31:54
  http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/445.html
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ヒマを持てあました無職の変態朝鮮人が、阿修羅掲示板でルール違反をものともせず掲示板レイプを繰り返している。 
そんな連続強姦魔が「中川隆」「富田誠」 W18zBTaIM6 だってことだ!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1365829311/41


05. 2013年5月11日 16:37:29 : Kse53zYp5s
「従軍慰安婦」神話を擁護しながら天皇攻撃を執拗に行ない
その一方で投稿規定違反の複数ハンドルネーム使い回しと
板違い不当占拠(サイバー土地ドロボー)と
児童ポルノや猟奇ポルノによる掲示板荒らしを
延々と続けている変態犯罪者がまたこっそりと掲示板破壊工作をしています。
   ↓
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LB 投稿者: 中川隆: W18zBTaIM6 2013/5/11 11:12

ミラーマン 植草教授にお尻を撫でられた女子高生のパンティにもウンスジが付いていたのか? 中川隆
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/406.html#c8

シミパン・下着画像掲示板
http://www.wifes-h-pantie.com/bbs2/bbs2.cgi
                                    
妻のシミ付きパンティ
http://www.shitagi.org/simipanty/index.shtml


▲△▽▼


関わると一番厄介なのが
天橋立の愚痴人間氏と Kse53zYp5s氏の様な強迫性人格障害者なんですね。

くれぐれも強迫性人格障害者にだけは近づかない様にしましょう。

22. 中川隆[-12246] koaQ7Jey 2019年2月12日 13:06:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234] 報告

保江邦夫 _ アメリカの調査の結果、日本人の精神は祖先である宇宙人に由来することが明らかになった

1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


_____

ジャパニズム 40 (青林堂ビジュアル)
[対談] UFOが日本人に教える「保守の精神」 佐藤守 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-40-%E9%9D%92%E6%9E%97%E5%A0%82%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%A6%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E-ebook/dp/B0789B6BYL

カスタマーレビュー
富士と桜 2017年12月10日

佐藤守氏と保江邦夫氏の対談「UFOが日本人に教える保守の精神」が面白い。
俄かには信じがたいが、両氏の体験からくる数々のUHO談からもその存在を否定できない気がする。

UFOの霊力が日本古来の神道に結び付くとしており、特にUFOに係る霊能者が佐藤空将を導き、嘉手納基地において日米の慰霊碑を建てたこと、開眼供養の時に現れた幻覚など神国日本の奥ゆかしさを感じさせる。

▲△▽▼

2019.02.09
【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
https://rondan.net/976


Contents

1 スピリチュアル系保守
2 日本人は宇宙人の子孫
3 真の保守的精神と、その復活法


スピリチュアル系保守

保守論壇はトンデモ議論がまかり通る不可思議な世界であることを、これまで何度も言及してきました。

「重大事件の背後には共産主義者がいた!」という類のコミンテルン陰謀説が今現在大人気ですが、かつてはユダヤ陰謀説も大人気でした。さすがにフリーメーソン陰謀説とかイルミナティ陰謀説が現れることは稀です。あまりに現実離れしていて、読者の心を掴みにくいのかもしれません。

しかし大人気のコミンテルン陰謀説も、既に飽和状態でネタ切れ状態が続いています。そろそろ次の市場が開拓される時なのではないかと観察しています。

そんな観察の折、突然、目に飛び込んできたのは、佐藤守×保江邦夫「UFOが日本人に教える「保守の精神」」『ジャパニズム』40(2017.9)です。

保守もとうとう来るところまで来てしまったか…と感慨に浸らずにはいられません。稲田朋美氏が「多様性尊重が保守の本来」と仰っていましたが、きっとそれはこういうことなのでしょう。

日本人は宇宙人の子孫

この対談「UFOが日本人に教える「保守の精神」」をまず開くと、地球の高度文明はUFOがもたらしたとか、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたとか、左足で祠を蹴ったら戦闘機の左エンジンが故障したとか、ぶっ飛んだ話が目につき、流行りの保守本とは一線を画したハイレベルさに圧倒されます(さらに保江邦夫氏は、量子脳理論を専門とする、大学教授だったというので驚きです)。

肝心の「UFOと保守精神」の関係性については余り言及がないのですが、僅かな言葉のなかにも強力なインパクトを残しています。UFOと日本人と占領軍の関係について次のように説いてあります。


保江 アメリカのUFOは本来エリア51にあって、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からあった異星人のもの、その延長で異星人と協力して作ったものですが、日本上空を飛んでいるものとは種類、概念が違います。もちろんアメリカ政府が宇宙人との密約でつくったものも来ていますが、日本にもともとあったものも飛び続けているんです。

これは日本を守るという意味合いがあります。アメリカ政府も第二次世界大戦の途中から気づき始め、占領下で徹底的に日本のことを調べました。日本人は霊力が強い。特に先帝陛下は非常に強い方でしたから、なぜそこまで強いのかと研究し始めたのです。……

小さな島国にあそこまで手こずったアメリカは何かおかしいと思っていた。そして立ち去っていた宇宙人のようなものが、日本国民の遠い祖先で、現代まで脈々と続き、その精神は神道の世界に隠されている。だから占領軍は神道を解体させて骨抜きにするために、神社庁から意味のある祝詞を全部排除して、意味のない表面的なものだけに作りかえ、神道を形骸化してしまったんですよ。

内容もさることながら、日本語自体が不明瞭なのですが、恐るべき(?)事実を提供しています。次の点が確認できます。


1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


あまりにもスゴすぎてびっくりしますが、こういうトンデモ日本スゴイ論というのは昔からあり、今も絶えることのない現象のひとつです。たとえば、大本教や真光などは、ムー大陸の直系子孫が日本人だというような説を今でも信じています。「ムー大陸」の代わりに「UFO(宇宙人)」が入れ替わっているだけで、共に論理の構造は大体同じです。

真の保守的精神と、その復活法

日本人が宇宙人の子孫だというトンデモ説を用いて、民族の優位性を説くお二人ですが、その根拠は日本人は「どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない」からだそうです。


保江 おそらく日本人が、唯一向こうから来て残った連中の末裔のような気がします。小野田少尉のように、どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない。日本人でなければあんなことはできません。他の国の兵士はあんなふうには絶対できないと思うんです。


ここで宇宙人の末裔たる理想の日本人として言及される小野田寛郎氏は、終戦を知らず29年間もフィリピンでゲリラ戦を続け、帰国の際に「天皇陛下万歳」と叫び、その後は保守活動に専念された方です。小野田寛郎氏のような旧日本軍兵がいるから、日本人が唯一の宇宙人の末裔に違いないという理論は、あまりにも崩壊しすぎていて逆に頷いてしまいそうな勢い持っています。

ところで、同じく28年間グアムに潜んでいた横井庄一氏がここで言及されないのは、きっと彼が戦後の日本社会になじんでしまったからでしょう。

もちろん今の日本を見渡せば、両氏が思い描いているような理想の日本人が極少数しかいないことは誰の目からも明らかです。この事態について両氏は、現代日本人は社会の乱れにゆえに「気づかない」だけで、それに気付けば「本来あった日本の保守の姿」に戻ると説きます。


佐藤 しかし肝心の現代日本人が気づかない、気づかないようにさせられている。尤もやっと気づいた人たちが出始めていますが、その人たちでさえまだ現代の政治の乱れにまだ惑わされているため、本来あった日本の保守の姿になかなか戻れないだろうと思います。
保江 占領下に作られた現状の社会システムの中で、本来の保守に戻るのは難しいですね。皆さんがわからない間に覚醒させる。ふっと気が付く、今のこの生活じゃだめなんじゃないかと。自発的に気づくようなやり方が必要です。例えば一部の古い神道の祝詞の力とか、読経の音とかです。それらは気がつくと「ああ、そうか」と思える精妙さを持っています。

祝詞や読経の音を聞けば、「本来あった日本の保守の姿」を、つまり宇宙人の末裔たる日本人の精神に気がつくことがあるようです。しかしそれに気づいたところで、小野田寛郎氏のようなコテコテの旧日本軍兵になってしまうのですから、気がつかないままのほうが幸せというものでしょう。
https://rondan.net/976

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保江邦夫 - Wikipedia

保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の理学博士。
専門は数理物理学・量子力学・脳科学。
岡山県出身。ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。


量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。
少林寺拳法武道専門学校[1]講師。冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。大東流合気武術宗範佐川幸義直門。特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。アメリカ数学会会員。身体運動文化学会会員。日本サイマティクス・セラピー研究会顧問。

経歴

1970年 岡山朝日高校を卒業。

1974年 東北大学理学部天文学科を卒業。

1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程前期課程を修了。名誉教授だった湯川秀樹が提唱していた「素領域理論」を題材として修士論文を提出し、当時日本唯一の理論物理専門の欧文学術雑誌『Progress of Theoreical Physics』に掲載された(Vol.57,pp.318-328 1977)。

1978年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程後期課程を修了。高林武彦教授に師事。その2年で8編の論文を欧米の数理物理学専門誌に発表。「量子摩擦を含む開放系の量子力学理論」の論文を提出し、理学博士号を取得。

1978年 スイス連邦共和国へ渡欧。ジュネーヴ大学理学部理論物理学科講師。

1982年 東芝総合研究所の研究員。

その後、岡山のノートルダム清心女子大学大学院に教授として勤務し、現在に至る。

研究テーマは、

1.量子場脳理論による脳の基礎的情報処理過程と生命素過程の物理的解明についての理論的研究

2.武術極意における脳機能の役割についての理論的並びに実験的研究

3.確率過程による量子力学の数理物理学的基礎づけ、確率変分学の基礎とその応用[2][3]


2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころを大切にする党から比例区で出馬するも落選。

武道の探求

高校時代から武道に憧れを抱いていた保江は東北大学時代、合気道部に所属。先輩である橋本敬三がたびたび合気道部に訪れ、彼から操体法を学ぶ。

ある理由により保江は2年次に退部を申し出る。それでも合気道部の仲間は保江を気遣い籍を残したままとし、4年次には副将の肩書を与えて復部するのを待ってくれていた。

名古屋大学大学院時代には合気道を再開する。また、同大学院にて木村達雄と邂逅。木村の合気道に対する純粋な思いに感銘を受ける。そして木村と共に名古屋大学の合気道部創設に関わり、山口清吾師範に学ぶ。

スイス滞在時において現地の合気道道場へ通う。ところがドイツ山岳地帯出身の大男には保江の合気道の技は通用しなかった。そうした折、たまたまスイスを訪れていた木村達雄から鍛練方法の一つである四股を学んだ。木村からは一日に2000回四股踏みを行えと言われたが、保江は一日300回四股を鍛練した。すると、そのドイツ人の大男を難なく投げれるようになる。

「秘伝日本柔術」(新人物往来社 松田隆智編)大東流篇佐川宗範の項を何度も読み返し、佐川宗範の自然で崇高な姿に魅せられた保江は木村に佐川道場の入門を取り次いでもらうよう懇願する。いったん断られるが「まあ、入門のためにスイスから帰国するくらい覇気のある奴なら許可してもいいだろう」との返事を得て、ようやく手に入れた職を辞し、帰国する決意をする。

1982年、佐川道場に入門するためにスイスから帰国。木村達雄の紹介により佐川道場に入門。佐川幸義直門となり大東流合気武術を学ぶようになる。後に佐門会への参加を許され、100回を越える稽古に参加する。ある時に妻の持病のため岡山へ帰らざるを得ない旨を佐川宗範に告げたところ、特別に10日間にわたる一対一の直伝講習を受けることを許された。これを最後に佐川宗範の直伝講習はなくなる。その後しばらくたって、岡山から東京へ行く機会を得るようになり、また佐川道場の稽古に参加できるようになる。

地元岡山にて戦前天才少女と言われた畠瀬幸枝に薙刀・天道流剣術を学ぶ。加えて、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父から修道師に伝わる護身技法を学ぶ。その技法が後の冠光寺流柔術の基礎となる。

現在は、合気道星辰館道場(岡山市:責任者 北村 好孝 合気会所属)において、合気道の指導も行っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


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amazon.co.jp 保江邦夫作品一覧
https://www.amazon.co.jp/l/B004L58AS4?_encoding=UTF8&qid=1549941494&redirectedFromKindleDbs=true&ref_=sr_ntt_srch_lnk_3&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true&sr=8-3

23. 中川隆[-12163] koaQ7Jey 2019年2月14日 10:24:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22240] 報告

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

原発の専門家だった武田邦彦は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/238.html


理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/239.html

24. 中川隆[-11433] koaQ7Jey 2019年3月14日 22:21:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[562] 報告

「連合赤軍」という闇 ― 自我を裂き、削り抜いた「箱庭の恐怖」1995年4月
http://www.yoshiteru.net/entry/20110227/p1


 

序  

 1971年末から72年にかけて、この国を震撼させた大事件が起こった。「連合赤軍事件」がそれである。

 連合赤軍とは、当時最も極左的だった「赤軍派」と、「日本共産党革命左派神奈川県委員会」(日本共産党から除名された毛沢東主義者が外部に作った組織)を自称した軍事組織である、「京浜安保共闘」が軍事的に統合した組織で、その最高指導者に選出されたのは、赤軍派のリーダーである森恒夫。更に組織のナンバー2は、京浜安保共闘のリーダーである永田洋子。

 彼らは群馬県と長野県にかけて、「榛名山岳ベース事件」と「浅間山荘事件」(注1)を惹き起こした。とりわけ前者の事件は、組織内の同志を「総括」の名において、次々に凄惨なリンチを加え、12名を殺害、遺棄した事件として、この国の左翼運動史上に決定的なダメージを与えた。

 なお、「浅間山荘事件」は前者の事件で生き残り、逮捕を免れたメンバー5人よる、時の警察当局との銃撃戦としてテレビで実況中継され、当時の国民に鮮烈な印象を与えたが、それはあくまで、「榛名山岳ベース事件」(「総括」の死者の多くが「榛名山岳ベース」において現出したことから、以降、筆者はこの名称を使用)の一連の流れの中で突出した事件であった。従って、「連合赤軍事件」は、この「榛名山岳ベース事件」がなぜ惹き起こされたかという、その構造性を解明することこそ、私は緊要であると考える。

 本稿は、事件の当事者の同世代の者としての問題意識から、看過し難いこの震撼すべき事件を、主に心理学的アプローチによって言及したものである。

(注1)1972年(昭和47)2月、連合赤軍のメンバー5人が、軽井沢町にある「浅間山荘」(河合楽器の保養所)に、山荘の管理人夫人を人質に立てこもり、警官隊と銃撃戦を展開し、3名の犠牲者を出した末に全員が逮捕された事件。               
 

 連合赤軍事件は、この国の革命運動というものが、もう「やさしさの達人」を生む一欠片の余地もないことを露呈した極めつけの事件であった。

 事件に関与した若者たちの過剰な物語を支えた革命幻想は、彼らの役割意識を苛烈なまでに駆り立てて、そこに束ねられた若い攻撃的な情念の一切を、「殲滅戦」という過剰な物語のうちに収斂されていく。しかし彼らの物語は、現実状況との何らの接点を持てない地平で仮構され、その地下生活の圧倒的な閉塞性は若者たちの自我を、徒(いたずら)に磨耗させていくばかりだった。

 ここに、この事件をモノトーンの陰惨な映像で突出させた一人の、際立って観念的な指導者が介在する。当時、先行する事件等(「大菩薩峠事件」、「よど号ハイジャック事件」)で、殆ど壊滅的な状態に置かれていた赤軍派の獄外メンバーの指導的立場にあって、現金強奪事件(M作戦)を指揮した末に、連合赤軍の最高指導者となった森恒夫(注2)その人である。
 
 この事件を、「絶対的な思想なるものを信じる、若者たちによる禍々しいまでの不幸なる事件」と呼ぶならば、その事件の根抵には三つの要因が存在すると、私は考える。
 
 その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。

 その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。
 
 ―― 以上の問題を言及することで、私はこの事件の構造性が把握できると思うのだ。
 

(注2)1944年、大阪で生まれる。大阪市立大学在学中に田宮高麿と出会って大きな影響を受け、社学同の活動家となり赤軍派に参加。当時、多くの派内の幹部が検挙されたこと(「大菩薩峠事件」)で、派内のリーダー格的存在となり、金融機関を襲撃し、多額の資金を手に入れていた。同時期に、銃砲店を襲って武器を調達していた京浜安保共闘との連携を図ることで、「連合赤軍」を結成するに至る。               

 ―― 以下、それらの問題について、詳細に言及していこう。

1.最高指導者  

 森恒夫はかつて、赤軍派の内ゲバの恐怖から敵前逃亡を図り、組織から離脱したという過去を持つ。当時、赤軍派の創立者であった塩見孝也の意向により組織への復帰を果たすが、実は、この消しがたい「汚点」が、後の連合赤軍事件の陰惨さを生み出す心理的文脈に無視し難い影響を与える波動となっていて、しばしば党内の過剰なラジカリズムの奔流が、一個人の「汚点」の過去の補償行程であったと心理解析できるような側面をも、事件は宿命的に抱え込んでいたように思えるのである。

 連合赤軍事件は、多くの部分で本質的に、この森恒夫という男の事件なのである。

 国家権力と苛烈な「殲滅戦」を戦い抜くという、極めつけの物語に生きる若い攻撃的な情念を束ねる組織の最高指導者としては、この男はあまりに相応しくなさ過ぎた。これはもうミスマッチで済ますには、とうてい処理し切れないほどの莫大な代償を払い過ぎている。

 絶対に選ばれてはいけない男が最高指導者に君臨し、絶対に回避しなければならない状況がその指導者によって開かれてしまったとき、状況に拡散する様々な人間的な思いを鋭利に削ぎ落としていく暗い旋律を胎動させながら、事件は足早に上州の厳冬を駆け抜けていったのだ。

 最高指導者になった森恒夫という人格には、最高指導者に相応しい強靭で、不屈な指導者を演じ切ることが絶対的に要請されていた。彼の自我は、彼の内側からのこの要請に応えていくという文脈にしか、その安定の根拠を見出せなくなる世界を既に開いてしまっている。

 森恒夫の自我の跳躍のうちに、私は事件の最も深い所に潜む、何かドロドロと液状化した澱みのような風景を垣間見てしまうのである。
 
 森恒夫の跳躍は、恐らく、彼の能力の範疇を遥かに超えた地平を開かせてしまったのだ。

 事件のコアとも言える、「共産主義化論」(完璧な共産主義的人間を目指すための党内闘争を、実践的に選択していくことで、来るべき殲滅戦に備えるというもの)の登場は、彼の自我の跳躍を検証する集中的表現であって、その限りにおいて、跳躍の実態そのものであったと把握できるだろう。

 組織的指導者としての彼の貧弱な能力は、多分に、人間一般に対する精緻な観察眼や、個々のケースにおける心理学的洞察を欠如させたところに集中的に現れていて、「共産主義化論」の身体化というものが分娩してしまうであろう状況の負性過程への洞察と、この過程を統御する戦略を構築できない能力的劣性は否定し難いものがあるのだ。

 森恒夫は、自己の立場の優越性を確保することに必要以上に配慮したと想像できる。

 山岳ベースでの彼の自己批判は、自らの「汚点」を指導者自身が晒すことによってもなお、自らの党内ポジションが絶対に変わらないという確信を前提にすることで成立し、そのことによって、寧ろ、他の下位同志からの心理的共感と信望を手に入れるばかりか、却って今後の自己のイニシャティブの掌握を容易にするというコスト計算が、彼の内側に脈打っていたように推測される。それは、この男がドロドロした人間的感情の体現者であることを思い知らされる仮説である。

 私の推測によると、森恒夫という男は、ごく普通の感受性、認知力、洞察力、指導力、且つ、人並みの理性的能力を持つが、しかしそれ以上ではなかった。そして、内に抱えた劣性意識を無化し得ると信じられるまで事態を感情的に処理できない限り、容易に充足できない自我を、いつもどこかで引き摺っているようなタイプの人物であるとも考えられる。私には、彼の攻撃性や残虐性が病理的様相を示すに足るほどのものであるとは到底思えないのである。

 赤軍派時代からの盟友、坂東国夫(注3)は「永田さんへの手紙」(彩流社刊)の中で、森恒夫の人物像を正確に伝えている。

 「指導者として一切を放棄しないで頑張ろうとしていること、人にやさしいことで私は信頼していました。しかし同時に人に対して迎合、妥協したり、すぐ動揺する信念のなさが、何度か矛盾とあつれきをつくり出していることを知っていました」

 この指摘は重要である。

 何故なら、この文脈の中にこそ、森恒夫という自我が果たした危険な跳躍の心理的背景があると思われるからだ。

 森恒夫という自我は、恐らく、自分の劣性がどこにあるかについて正確に見抜いていた。正確に見抜いていたが故に、彼の自我はそれを他の同志に見透かされることを恐れていたのではないか。就中、党派としての力関係を常に意識し、競合さえしていた京浜安保共闘の年少の闘士たちに、「森恒夫という指導者は大したことないな」と侮られることを最も恐れていたと思われるのである。

(注3)京大卒。事件当時、25歳。赤軍派出身のメンバーとして、「浅間山荘事件」においてリーダー格的役割を担い、逮捕後3年目、昭和50年、「クアラルンプール米大使館占拠事件」における「超法規的措置」によって、釈放されるに至る。

 因みに、虚栄心とは、私の定義によれば、「見透かされることへの恐怖感」である。

 それは、見透かされることを恐れる自我が、見透かされたら困る内側の何かを隠そうという心情であり、紛れもなく、そこに、「隠さねばならない何か」を抱えているという心理的事実がある。「隠さねばならない何か」を抱える自我は、いつでも関係の内側に、ある一定の緊張を運んでくるのだ。

 人間の自我は生命の羅針盤であると同時に、社会的関係付けの羅針盤なのである。自分が他者の劣位に立つときは、劣位に立つことの方が状況適応に有効であると考えるからだ。劣位に立った相手が自分を攻撃して来ないという確信がなければ、人は決して、自ら敢えて劣位に立つことを選ばない。「君子危うきに近寄らず」の如く、相手からの有効攻撃距離を解体し得るスタンスの辺りにまで後退することで、常に難に遭う確率を低減する努力をするのもまた、人間の自我の枢要な機能である。これは本能ではない。全ては、人間の二次的学習の産物である。
 
 更に付言すれば、心理学では、「ホウレン草は体に良いから食べる」というのを一時的学習と呼び、「ホウレン草は体に良いから食べなさい」と言い続ける母の気を引くために、ホウレン草を食べるという文脈を二次的学習と呼ぶが、この心理は階層的秩序を成している。「これが人間の性格を形成していく」、と国立小児病院の崎尾英子は、「現代の母親像」という論文の中に書いている。(「思春期と家庭」より所収 誠信書房刊)

 これは元々、ダブルバインド仮説で有名なアメリカの社会学者、グレゴリー・ベイトソンが提起した概念として有名だが、人間の自我は「二次的学習」の中で社会化を果たし、その中で巧みに敵味方を嗅ぎ分け、優劣関係を複雑に拵(こしら)え上げていく。

 しかし、自分を決して攻撃して来ない「良き理解者」の前では、特段に虚栄心の発動を必要としないから、人間の自我は限りなく裸になれるのである。自我には、自らを裸にする休息の時間が絶対に必要なのだ。人間が落ち着いて睡眠を確保できる場所こそが、自我のレストステーションである。何故なら、そこは「誰も自己を襲わない場所」であるからだ。

 以上の推論から、私は森恒夫という男の自我に張り付く、虚栄心という名の、「見透かされることへの恐怖感情」を無視し難いと考えたのである。

2.箱庭の帝王  

 森恒夫と永田洋子が上州の山奥に構築した場所は、およそ人間の自我を適度に休ませる場所から最も隔たっていた。
 
 人間の自我に恒常的に緊張感を高める場所にあって、森恒夫の自我は常に裸にされることを恐れつつ、必要以上の衣裳をそこに被せていたと思われる。彼の虚栄心の対象は京浜安保共闘に集中的に向けられていたから、例外的に裸の自我が洩れ出すことがある。

 それを目撃する機会が最も多かったのが、盟友であった坂東国男である。坂東の伝える森恒夫像の正確さが根拠を持つ所以である。

 京浜安保共闘が山岳ベースに入る際に、既に、二人の粛清犠牲者を出したという報告を坂東から受けたときの森恒夫の動揺は、この男の平均的な人間性を、寧ろ余すところなく伝えていると言えるだろう。

 森はそのとき、「またやったか。あいつらはもはや革命家じゃないよ」と言った後、暗鬱な表情で暫く視線を落としていたと言う。(以上のエピソードは、植垣康博著「兵士たちの連合赤軍」彩流社刊参照)

 森恒夫が坂東からの報告を受けたときのインパクトは、想像するに余りある。

 森はこのとき、自分が相当の覚悟を括って対峙していかないと、状況が自らの脆弱さを醜いまでに晒しかねない恐怖感を感じ取ったと思われる。

 「覚悟」と「胆力」―― 決定的な状況下で、その状況を拓く役割を担っている者に常に問われるのは、この二つのメンタリティ以外ではないだろう。「覚悟」とは、「逃避拒絶」であり、「胆力」とは、「恐怖支配力」である。私の定義である。まさにこのとき、森恒夫という男には、このような強靭な精神性が求められていたのである。 

 幸いにして、自らは連合赤軍の最高指導者の地位にあるから、自らの跳躍によって「箱庭の帝王」を貫徹することが可能であり、そこでの「あるべき革命家像」の仮構によって自己史を止揚し得ると踏んでいたのだろうか。いずれにせよ、山岳ベースに入ってからの森恒夫の変身は、赤軍派内の同志たちに近寄り難い印象を残したようだ。
 
 京浜安保共闘からの遠山美枝子批判に端を発する、「内なるブルジョア性」との戦いは、やがて「総括」を日常化するに至り、ここに、「共産主義化論」を大義名分とした粛清の嵐が澎湃(ほうはい)していくのである。狭義に括られる所の、「連合赤軍事件」である。

 今、この事件を改めて整理してみる。

 この事件を考えるとき、連合赤軍の「殲滅戦」の思想を避けて通ることができないだろう。「殲滅戦」の思想こそ、この事件の母体となった思想である。この事件にまつわるあらゆる不幸は、全て「殲滅戦」の遂行という基本命題から出発しているとも言えるのだ。

 「殲滅戦」とは、敵(国家権力)を倒すか、敵に倒されるかという絶対状況を作り出すことである。彼らの意識において、それは革命戦争以外ではなかった。この思想は京浜安保共闘の根幹を成すマオイズム(毛沢東主義・注4)の影響もあって、山岳ベースの構築に帰結していくことになるが、そこには既に、不幸な事態の過半の要因が出揃っていた。

 山岳ベースという閉鎖的空間の選択が、「殲滅戦」の思想の理論的帰結と言っていいかどうか多いに疑問が残る所だが、若い攻撃的な情念は自らの思想と肉体の純化を、明らかに、都市と隔絶した「聖なる空間」に求めたのである。

(注4)農村が都市を囲繞し、都市ブルジョアジーを打倒することで達成されると考えられる労農一体の革命理論だが、農民がどこまでも中心的主体と看做すところがあり、階級闘争を絶対視する。このラジカルな思想が、後の「大躍進」や「文化大革命」という国内的大混乱を惹き起こしたと言っていい。その影響力は、カンボジアの「キリング・フィールド」を起こしたポル・ポト思想や、ネパールのマオイストらの行動に多大な影響を与えた。

 この文脈から言えば、「殲滅戦」を戦い抜く不屈な意志と強靭な肉体によって武装化されたスーパーマン(「共産主義化された人格」)に変身する(「自己変革」)までは決して下山しないという実践的テーゼ(「共産主義化論」)の登場は、彼らが山岳ベースを選択した時点で、半ば開かれた行程であったと言えるだろう。

 最高指導者によって提起された「共産主義化論」は、それがどのような理論的枠組みを持っていたにせよ、本質的には、最高指導者の権威と権力を強化していく方向にしか動かないのは自明である。何故なら、「共産主義的人間」のイメージは、ある特定の個人の観念の恣意性に依拠しなければ、そこに統一的な把握が困難なほどに漠然としたものであるからだ。

 「殲滅戦」の思想は、当然、「軍」の創設を必然化し、「軍」の創設は強力な上意下達の臨戦的な組織を要請する。山岳ベースは、この要請に応える形で構築されたのだ。この状況下で提起された実践的テーゼは、それを提起した最高指導者の観念の恣意性に全面依存する以外にないのである。

 有体に言えば、最高指導者が白と言えば白になり、黒と言えば黒になってしまうのだ。最高指導者の正義こそ組織の正義であり、「軍」の正義なのである。

 「共産主義化論」の登場は、本人がそれをどこまで自覚していたかに拘らず、最高指導者を神格化する最強のカードであったのだ。最高指導者としての森恒夫の変身は、自らが出したカードの効用の加速化と軌を一にして成ったものと見ていいのである。

 同時に、特殊な状況下にあって、森恒夫に内深く求められていたであろう、「覚悟」と「胆力」という強靭なメンタリティによる武装は、最高指導者を神格化し得る「共産主義化論」の提示によって、そこに構築された関係を権力性の濃度の深い様態に変容せしめるプロセスの内に収斂され、その過剰な観念系を仮構されていくに至ったと思われる。

 坂東国男や植垣康博に、「土建屋」を思わせるまでに変貌した、自らの風貌から滲み出る押し出しの強さと威厳性。総括等で、しばしば見せる迫力ある弁舌によって年少の同志たちを煙に巻き、二言目には、「力量の違いだよ」と驕って見せる態度などが求心力となって、「聖なる空間」において、森恒夫の神格性をより際立たせていく。

 森は恐らく、自らのヒロイックな自己総括を含めた印象的なパフォーマンスによって、年少の同志たちの思いを束ねることができたという実感に、一時(いっとき)漬かっていたはずだ。この実感は尊敬感情であると言っていい

 尊敬感情とは、関係における能力の落差に価値観を挿入することで、その関係を「優劣性」によって際立たせていく感情傾向である。それを被浴することは、人が人を動かすときに無視し難い力の源泉にもなる。尊敬感情を浴びることは、全ての権力者が均しく熱望するものであり、これを手に入れるために、彼らがどれほど醜態を演じて見せてきたかについては、私たちの知る所でもある。

 そして、この類の尊敬感情が、しばしば畏敬感情に繋がり得る心理的文脈については殆ど自明であるだろう。畏敬感情の本質は、恐れの感情である。恐れの感情を相手の人格に抱かせてしまうこと―― それが権力者の最も簡便な支配の様態であるということだ。
 
 森恒夫は、相手に畏怖感を与える一定の人格表現によって、「軍」と「党」の覇権を掌握し、自らも威厳的な態度を選択的に押し出していく。植垣康博は森の変貌に驚き、そこに越え難い距離感を覚えたことを自著に記していた。

 越え難い距離にいる者に対する普通の人々の基本的対応は、三つしかないだろう。

 「拒否」、「無視」、「同化」である。

 相手の権威を絶対に認めず、権威が自己に侵入してくることを毅然と拒むか、それとも、「自分とは無縁である」と言って、関係上の接点を持たないか、或いは、相手の権威に同化していくかのいずれかの対応である。

 ここで問題となる対応は、同化という態度である。

 人々が極限状況にでも置かれない限り、そうは易々と、他者の前で卑屈な自我を晒す訳にはいかない。そこで大抵の人間は、相手が垣間見せる「弱さ」や「寛大さ」を、自分(または自分たち)だけに特別に届けた表現であると思い込むことで、そこに都合のいい物語を創作していく。

 曰く、「天皇は私たちの苦難に心を痛めている。天皇をこれ以上苦しめてはならない」

 曰く、「毛沢東主席は私たちの心を分っている。主席の指示に誤りがあるはずがない。悪いのは全て、走資派(注5)のブタたちだ。革命を進めていくしかない」(「四人組」との闘争の勝利後に提起された、「毛沢東主席の決定を守り、その指示に従え」という、華国鋒の「二つのすべて」論も、そのイデオロギーの基幹には、この物語が横臥する)

 更に曰く、「金日成将軍は、本当は自分の銅像なんか作りたくないのだ。私たち国民が未熟だから悪いんだ。皆で将軍を守っていくしかない」等々。
 
 このような「確証バイアス」(自分が都合の良い情報によって、事態を把握すること)が一人歩きしてしまったら、権威への同化はほぼ完成したと見ていい。こうして人々は卑屈な自我を脱色しつつ、心地良く甘美な物語に陶酔していくことになるのだ。

(注5)劉少奇・ケ小平に代表される実権派のこと。中国文化大革命で、資本主義への復活を目指す党内幹部として打倒の対象にされた。

 
 森恒夫が自己総括の場で、自分の「汚点」を告白したという行為は、まさしく「天皇の涙」であり、「毛沢東の呻吟」であり、「金日成の苦渋」である。
 
 森恒夫はこの夜、「箱庭の帝王」になった。
 
 彼の重苦しい総括は、その後の忌まわしい総括の方向性を決定付けたのである。

 これが一つの契機となって、自己の過去と現在を容赦なく暴き、抉り出し、迸(ほとばし)る血の海の中から奇蹟的な跳躍を果たしていく厳しさが強要されるという、この「箱庭」の世界での総括のスタイルが定着するのである。

 この夜、最高指導者の一世一代の大芝居を聞く者の何人かは、明け方には疲労で眠りに入ってしまったが、それまでは、感極まって啜り泣く者もいたと言う。

 このようなエピソードには、厳冬の自然に抱かれて、生命を賭けた革命のロマンを語る若い情念の熱気を彷彿させるものがあり、時代さえ間違えなければ、語り継がれる感動譚の定番となる2、3の要素が揃っていたとも言えようか。

 いずれにせよ、このエピソードは、森恒夫の権力性が山岳ベースにおいて形成されていったことを雄弁に語っている。

 つまり森は、山岳ベース構築の当初から同志たちの肉体と精神を苛烈に管理していった訳ではないということだ。彼の「共産主義化」論の提示も、京浜安保共闘の永田洋子らの遠山美枝子批判(会議中に髪を梳かしたり、化粧をしたり等の行為によって、ブルジョア的とされた)への誠実な反応と理解・把握されたのである。

 しかしこれが、遂に自力で覚醒に逢着し得なかった全ての悪夢の始まりだった。榛名山岳ベースでの、「死の総括」の始まりである。
 
 髪を梳(と)かすことに象徴される、男女のエロス原理がブルジョア思想として擯斥(ひんせき)されるのだ。これは男の中の男性性と、女の中の女性性の否定である。

 その極めつけのような、森の表現がある。

 「女は何で、ブラジャーやガードルをするんや。あんなもん、必要ない」

 森はそう言ったのだ。

 彼は女性の生理用品の使用すら否定し、新聞紙で処理しろと要求したのである。こうした森の批判は、女性に「女」であることを捨てて、「戦士」としてのみ生きることを求めたもので、当時、女の中の女性性を否定していたはずの永田洋子は、獄中で記した「十六の墓標」(彩流社刊)の中で、これを「反人間的行為」であると批判している。

 森恒夫のエロス原理否定の思考は、山岳ベースに集合する若者たちを名状し難い混乱に陥れたであろう。

 大槻節子(京浜安保共闘)に恋情を抱いた植垣康博(赤軍派)が、大槻が過去の恋愛事件を理由に、「死の総括」を受けているとき、自分との関係を問題化され、「総括」を求められることの恐怖感に怯えていた日々を、彼は「兵士たちの連合赤軍」(彩流社刊)の中で率直に語っている。

 閉鎖的小宇宙の中で、森の「共産主義的人間」観は、男女の感情を惹起させる「性」の否定にまで行き着いたのだ。
 
 同様に、女性同志への恋愛問題が理由(後に、3人目の犠牲者となる小嶋和子と恋愛関係にあった)で、最初に総括を求められた後に、4人目の総括死に至る加藤能敬(京浜安保共闘)は、自らの性欲を克服すると総括した後、森に「性欲が起こったら、どうするのか?」と問い詰められた。

 この問いに対して、加藤は何と答えたか。

 「皆に相談します」

 ここまで来ると、殆ど喜劇の世界である。

 しかし、この小宇宙の基本的旋律は安手の喜劇を彷彿させるが、その内実は、一貫して悲劇、それもドロドロに液状化した極めつけの悲劇である。この小宇宙が喜劇なら、加藤のこの発言が他の同志たちの爆笑を買い、「この、ドアホ!」と頭を軽く叩かれて、それで完結するだろう。

 ところが、加藤のこの発言は森の逆鱗に触れて、総括のやり直しを求められることになり、遂に死の階梯を上り詰めていってしまうのである。

 この小宇宙にはもう、自らを守るための人間の愚かな立居振る舞いをフォローしていくユーモアの、些かの余裕も生き残されていなかった。

 因みに、私の把握によれば、ユーモアとは「肯定的なる批判精神の柔和なる表現」である。そんな精神と無縁な絶対空間 ―― それが革命を呼号する若者たちが構築した山岳ベースだった。その山岳ベース内の闇の臭気の濃度が自己生産的に深まるにつれ、若者たちの自我は極度に磨り減って、アウト・オブ・コントロールの様相を呈していく。

 追い詰める者も、追い詰められる者も、自我を弛緩させる時間を捕捉することさえ為し得ず、「総括すること」と、「総括させること」の遣り切れなさを客観的に認知し、その行程を軌道修正することさえ叶わない負の連鎖に、山岳ベースに蝟集(いしゅう)する全ての若者たちは搦(から)め捕られていたのである。

 そんな過剰な状況が小さな世界に閉鎖系を結ぶとき、そこに不必要なまでに過剰な「箱庭の帝王」が現出し、そこで現出した世界こそ、「箱庭の恐怖」と呼ぶべき世界以外の何ものでもないであろう。

3.箱庭の恐怖   

 ある人間が、次第に自分の行動に虚しさを覚えたとする。
 
 彼が基本的に自由であったなら、行動を放棄しないまでも、その行動の有効性を点検するために行動を減速させたり、一時的に中断したりするだろう。

 ところが、行動の有効性の点検という選択肢が最初から与えられていない状況下においては、行動の有効性を疑い、そこに虚しさを覚えても、行動を是認した自我が呼吸を繋ぐことを止めない限り、彼には行動の空虚な再生産という選択肢しか残されていないのである。

 このとき自我は、自らの持続的な安寧を堅持するための急拵(きゅうごしら)えの物語を作り出す。即ち、「虚しさを覚える自分が未熟なのだ。ここを突破しないと私は変われない」などという物語にギリギリに支えられて、彼は自らを規定する状況に縋りつく以外にないのである。

 彼には、行動の強化のみが救済になるのだ。

 そこにしか、彼の自我の安定の拠り所が見つからないからである。行動の強化は自我を益々擦り減らし、疲弊させていく。負の連鎖がエンドレスの様相を晒していくのである。

 平和の象徴である鳩でも狭い箱に二羽閉じ込められると、そこに凄惨な突っつき合いが起こり、いずれかが死ぬケースを招くと言う。

 これは、コンラート・ローレンツが「ソロモンの指輪 動物行動学入門」(早川書房刊)で紹介した有名な事例である。

 全ての生物には、その生物が生存し得る最適密度というものがある。人間の最適密度は、自我が他者との、或いは、他者からの「有効攻撃距離」を無化し得る、適正なスタンスを確保することによって保障されるだろう。
 
 最適密度が崩れた小宇宙に権力関係が持ち込まれ、加えて、「殲滅戦」の勝利のための超人化の達成が絶対的に要請されてくるとき、その状況は必ず過剰になる。その状況はいつでも沸騰していて、何かがオーバ−フローし、関係は常に有効攻撃距離の枠内にあって、その緊張感を常態化してしまっている。人間が最も人間的であることを確認する手続き、例えば、エロス原理の行使が過剰な抑圧を受けるに至って、若者たちの自我は解放への狭隘な出口すらも失った。この過剰な状況の中で、若者たちのエロスは相互監視のシステムに繋がれて、言語を絶する閉塞感に搦(から)め捕られてしまったのである。

 欲望の否定は、人間の否定に行き着く。

 人間とは欲望であるからだ。

 人間の行為の制御を、その行為を生み出す欲望の制御というものもまた、別の欲望に依拠せざるを得ず、そのための司令塔というものが私たちの自我であることを認知できないまでも、少なくとも、それが人間に関わる基本的経験則であることを、私たちは恐らく知っている。私たちの欲望は、その欲望を制御することの必要性を認識する自我の指令によって、その欲望を制御し得る別の欲望を媒介項にして、何とか制御されているというのが実相に近いだろう。

 例えば、眼の前に美味しいご馳走が並べられているとする。

 しかし今、これを食べる訳にはいかない理由が自分の内側にあるとき、これを食べないで済ます自我の戦術が、「もう少し我慢すれば必ず食べられるから、今は止めておけ」という類の単純な根拠に拠っていたとしよう。

 このとき、「今すぐご馳走が食べたい」という欲望を制御したのは、自我によって引っ張り出されてきた、「もう少し我慢した後で、ご馳走が食べたい」という別の欲望である。後者の欲望は、自我によって加工を受けたもう一つの欲望なのである。

 このように、人間の欲望は、いつでも剥き出しになった裸の姿で身体化されることはない。もしそうであったなら、それを病理と呼んでも差し支えないだろう。欲望を加工できない自我の病理である。欲望の制御とは、自我による欲望の加工でもある。これが、些か乱暴極まる私の「欲望」についての仮説である。

 もう一つ、事例を出そう。

 愛する人に思いを打ち明けられないで悩むとき、愛の告白によって開かれると予想される、素晴らしきバラ色の世界を手にしたいという欲望を制御するものは実に様々だ。

 「今、打ち明けたら全てを失うかもしれないぞ。もう少し、『恋愛』というゲームに身を委ねていてもいいじゃないか」

 そんな自我の急拵えの物語よって引っ張り出されてきた別の欲望、つまり、「もっとゲームを楽しもう」という欲望が、元の欲望を制御するケースも多々あるだろう。ここでも、欲望が自我の加工を受けているのである。

 或いは、「諦めろ。お前は恋愛にうつつを抜かしている場合ではない。お前には司法試験のための勉強があるだろう」などという物語が自我によって作り出されて、「愛の告白」によるエロス世界への欲望が制御されるが、このとき、自我は「司法試験突破によって得られる快楽」に向かう欲望を、内側に深々と媒介させているのかも知れない。欲望が別の欲望によって制御されているのである。

 また、ストイックな禅僧なら、「耐えることによって得られる快楽」に向かう欲望、例えば、尊敬されたいという欲求とか、自己実現欲求等が、自らの身体をいたずらに騒がせる性欲を制御するのかも知れないのである。

 このように、欲望を加工したり、或いは、全く異質の欲望を動員したりすることで、私たちの自我は元の欲望を制御するのである。欲望の制御は、本質的には自我の仕事なのだ。私たちの自我は、「A10神経」から流入するドーパミンによる快楽のシャワーを浴びて、しばしばメロメロになることもあるが、欲望を制御するためにそれを加工したり、全く異質の欲望を作り出したりことすらあるだろう。

 人間とは欲望であるという命題は、従って、人間とは欲望を加工的に制御する、自我によってのみ生きられない存在であるという命題とも、全く矛盾しないのである。私たちができるのは本質的に欲望の制御であって、欲望自身の否定などではない。欲望を否定することは、美しい女性を見ただけで、「触れてみたい」という殆ど自然な感情を認知し、それを上手に加工する物語を作り出す自我を否定することになり、これは人間の否定に繋がるだろう。

 森恒夫に象徴される、連合赤軍兵士たちが嵌ってしまった陥穽は、理念系の観念的文脈、及び訓練された強靭な身体の総合力によって、人間のドロドロした欲望が完全に取り除かれることができると考える、ある種の人間の自我に強迫的に植え付けられた、それもまた厄介な観念の魔境である。

 まさしく、それこそが唯物論的な観念論の極致なのだ。その人間観の度し難き楽天主義と形式主義に、私は殆ど語るべき言葉を持たない。

 彼らが要求する「総括」というものが、本来、極めて高度な客観的、分析的、且つ知的な作業であるにも拘らず、彼らの嵌った陥穽はそんなハードなプロセスとは全く無縁な、過分に主観的で、感覚的な負の連鎖の過程であった。

 自らを殴らせ、髪を切り、「小島のように死にたくない。どう総括したらいいか分らない」と訴える遠山美枝子に、永田洋子が発した言語は、「ねぇ、早く総括してよ」という類の、懇願とも加虐嗜好とも看做し得る不毛な反応のみ。かくも爛(ただ)れた権力関係のうちに露呈された圧倒的な非生産性に、身の凍る思いがするばかりだ。

 生命、安全という、自我の根幹に関わる安定の条件が崩れている者は、通常その崩れを修正して、相対的安定を確保しようと動くものである。自我の基本的な安定が、理性的認識を支えるのである。死の恐怖が日常的に蔓延している極限状況下で、最も理性的な把握が可能であると考えること自体、実は極めて非理性的なのだが、元々、山岳ベースを選択させしめた彼らの「殲滅戦」の思想こそが非現実的であり、反理性的、且つ、超観念的な文脈以外ではないのだ。

 森や永田は、総括を要求された者が、「死の恐怖」を乗り越えて、自己変革を達成する同志をこそ、「共産主義的人間」であると決め付けたが、では、「死の恐怖」からの乗り越えをどのように検証するのか。また、そのとき出現するであろう、「共産主義的人間」とは、一体どのような具象性を持った人間なのか。

 「総括」の場に居合わせた他の同志たちの攻撃性を中和し、彼らの心情に何某かの親和性を植えつけることに成就した心理操作の達人こそ、まさに「共産主義的人間」であって、それは極めて恣意的、人工的、情緒的、相対的な関係の力学のうちに成立してしまうレベルの検証なのである。

 要するに、指導部に上手く取り入った人間のみが「総括」の勝利者になるということだ。しかしこれは、本来の人柄の良さから、森と永田に適正なスタンスをキープし得た植垣康博のみが例外であって(それも状況の変化が出来しなかったら、植垣も死出の旅に放たれていただろう)、「総括」を要求された他の若者たちは、このダブルバインドの呪縛から一人として生還できなかったのである。

 「12人の縛られし若者たち」を呪縛した「ダブルバインド」とは、こういうことだ。
 
 遠山のように、知的に「総括」すれば観念論として擯斥(ひんせき)され、加藤のように、自らの頭部を柱に打ちつけるという自虐的な「総括」を示せば、思想なき感情的総括として拒まれるという、まさに出口なしの状況がそこにあった。そのことを、彼らの極度に疲弊した自我が正確に感知し得たからこそ、彼らは、「生還のための総括」の方略を極限状況下で模索したのである。

 仮に貴方が、自分を殺すに違いないと実感する犯人から刀を突きつけられて、「助かりたいなら、俺の言うことを聞け」と命令されたら、どうするだろうか。

 過去のこうした通り魔的な事件では、大体、皆犯人の命令どおりに動いているが、これは生命の安全を第一義的に考える自我の正常な機能の発現である。

 然るに、森と永田は、「総括」を求められた者が自分たちの命令通りに動くことは、「助かりたい」という臆病なブルジョア思想の表れであると決めつけた挙句、彼らに「総括」のやり直しを迫っていく。指導部の命令を積極的に受容しなかったら利敵行為とされ、死刑に処せられるのである。

 「12人の縛られし若者たち」が縛られていたのは、彼らの身体ばかりでなく、彼らの自我そのものであったのだ。

 この絶対状況下での、若者たちの自我の崩れは速い。
 
 あらゆる選択肢を奪われたと実感する自我に、言いようのない虚無が襲ってくる。生命の羅針盤である自我が徐々に機能不全を起こし、闇に呑まれていくのだ。「どんなことがあっても生き抜くんだ」という決意が削がれ、空疎な言動だけが闇に舞うのである。

 連合赤軍幹部の寺岡恒一の、処刑に至る時間に散りばめられた陰惨なシーンは、解放の出口を持てない自我がどのように崩れていくのかという、その一つの極限のさまを、私たちに見せてくれる。兵士たちへの横柄な態度や、革命左派(京浜安保共闘)時代の日和見的行動が問題視されて、「総括」の対象となった寺岡が、坂東と二人で日光方面に探索行動に出た際に、逃げようと思えば幾らでも可能であったのに、彼はそうしなかった。

 その寺岡が、「総括」の場で何を言ったのか。

 「坂東を殺して、いつも逃げる機会を窺っていた」

 そう言ったのだ。

 俄かに信じ難い言葉を、この男は吐いたのである。

 この寺岡の発言を最も疑ったのは、寺岡に命を狙われていたとされる坂東国男その人である。なぜなら坂東は、この日光への山岳調査行の夜、寺岡自身から、彼のほぼ本音に近い悩みを打ち明けられているからである。坂東は寺岡から、確かにこう聞いたのだ。

 「坂東さん、私には『総括』の仕方が分らないのですよ」

 悩みを打ち明けられた坂東は当然驚くが、しかし彼には有効なフォローができない。寺岡も坂東も、自己解決能力の範疇を超えた地平に立ち竦んでいたのである。坂東には、このような悩みを他の同志に打ち明けるという行為自体、既に敗北であり、とうてい許容されるものではないと括るしか術がないのだ。自分を殺して、脱走を図ろうとする者が、あんな危険な告白をする訳がない、と坂東は「総括」の場で考え巡らすが、しかし彼は最後まで寺岡をアシストしなかったのである。

 逃げようと思えばいつでも逃げることができる程度の自由を確保していた寺岡恒一は、遂にその自由を行使せず、あろうことか、彼が最後まで固執していた人民兵としてではなく、彼が最後まで拒んでいた「階級敵」として裁かれ、アイスピックによる惨たらしい処刑死を迎えたのである。

 寺岡恒一は、「あちらも、こちらも成り立たず」というダブルバインドの絶対状況下で、生存への固執の苦痛より幾分かはましであろうと思われる死の選択に、急速に傾斜していった。

 彼の生命を、彼の内側で堅固にガードする自我が、彼の存在を絶対的に規定する、殆ど限界的な状況に繋がれて、極度の疲弊から漸次、機能不全を呈するに至る。ここに、人間に対する、人間による最も残酷な仕打ちがほぼ完結するのだ。

 人間はここまで残酷になれるのであり、残酷になる能力を持つのである。

 人間に対する最も残酷な仕打ちとは、単に相手の生命を奪うことではない。相手の自我を執拗に甚振(いたぶ)り、遂にその機能を解体させてしまうことである。人間にとって、拠って立つ生存の司令塔である自我を破壊する行為こそ、人間の最も残酷なる仕打ちなのである。

 「自我殺し」(魂の殺害)の罪は、自我によってしか生きられない最も根本的な在り処を否定する罪として、或いは、これ以上ない最悪の罪であると言えるのかも知れない。

 「12人の縛られし者たち」は自分たちの未来を拓いていくであろう、その唯一の拠り所であった自我を幾重にも縛られて、解放の出口を見つける内側での一切の運動が、悉(ことごと)く徒労に帰するという学習性無力感(この場合、脱出不能の状況下にあって、その状況から脱出しようとする努力すら行わなくなるという意味)のうちに立ち竦み、ある者は呻き、ある者は罵り、ある者は泣き崩れるが、しかし最後になると、殆どの者は、まるでそこに何もなかったかのようにして静かに息絶えていった。

 そして「12人の縛られし者たち」が去った後、彼らを縛っていたはずの全ての攻撃者たちの内側に、「最も縛られし者たちとは、自分たちではないのか」という、決して言語に結んではならない戦慄が走ったとき、もうその「聖なる空間」は、「そして誰もいなくなった」という状況にまで最接近していた、と私は考察する。この把握は決定的に重要である。何故なら、この把握なくして「浅間山荘事件」のあの絶望的な情念の滾(たぎ)りを説明することが困難だからである。

 「浅間山荘事件」の被害者の方には、不穏当な表現に聞こえるかも知れないが、「浅間山荘」は、紛れもなく、山岳ベースでの、「そして誰もいなくなる」という極限状況からの少しばかりの解放感と、そしてそれ以上に、同志殺しの絶望的ペシミズムに搦め捕られてしまった自我に、身体跳躍による一気の爆発を補償する格好のステージであったと言えようか。

 束の間、銃丸で身を固めた者たちの自我もまた、山岳ベースの闇に縛られていたのである。縛る者たちの自我は、昨日の同志を縛ることで、自らの自我をも縛り上げていく。明日は我が身という恐怖が、残されし者たちの自我に抗いようもなく張り付いていく度に、縛る者の自我は確実に削り取られていく。削り取られるものは思想であり、理性であり、感情であり、想像力であり、人格それ自身である。

 こうして闇は益々深くなり、いつの日か、「そして誰もいなくなる」というミステリーをなぞっていくかのように、空疎なる時間に弄(もてあそ)ばれるのである。

 残されし者たちの、その自我の崩れも速かった。

 自我が拠り所にする思想が薄弱で、それは虚空に溢れる観念の乱舞となって、自我を支える僅かの力をも持ち得なくなる。山岳ベースで飛び交った重要な概念、例えば、「共産主義化」とか、「敗北死」とかいう言葉の定義が曖昧で、実際、多くの同志たちはその把握に苦慮していた。
 
 「実際のところ、共産主義化という概念はじつに曖昧で、連合赤軍の生存者たちは一様に、まったく理解できなかったと述べている。彼らは、いわゆる自己変革を獲得しようという心情的呼びかけはよく理解できた。問題は、変革を獲得した状態とはどういうものなのか、獲得する変革とはいったいなんなのか、何も描き出されていないことだった」

 これは、パトリシア・スタインホフ女史(注6)の「日本赤軍派」(河出書房新社刊)の中の共感する一節であるが、「共産主義化」という最も重要な概念が把握できないのだから、「総括が分らない」と訴えるのも当然であろう。
 

(注6)1941年生まれ.ミシガン州デトロイト出身.ミシガン大学日本語・日本文学部卒業後,ハーバード大学にて社会学博士号を取得.現在,ハワイ大学社会学部教授.戦前期日本の転向問題をはじめ,新左翼運動の研究で著名。(「岩波ブックサーチャー・著者紹介」より)

 「私は、山崎氏と土間にしゃがんで朝の一服をしながら話をしていたが、しばらくして、加藤氏が死んでいるのに気がついた。

 『大変だ!死んでいるぞ!』
 と叫ぶと、指導部の全員が土間にすっ飛んできた。皆は、加藤氏の死を確認すると、『さっきまで元気だったのに』といい合い、加藤氏の突然の死に驚いていた。特に加藤氏の弟たちの驚きは大きく、永田さんは二人を抱きかかえるようにしてなぐさめていた。

 『どうして急に死んでしまったんだろう』といいながら話し合っていたが、話し合いを終えると、永田さんが、指導部の見解を、『加藤は逃げようとしたことがバレて死んだ。加藤はそれまで逃げることが生きる支えになっていた。それが指摘されてバレてしまい、絶望して敗北死してしまった』と私たちに伝えた。

 誰も陰鬱な様子で何もいわなかったが、私は加藤氏の急な死が信じられない思いでいたため、永田さんの説明に、なるほどと思った。

 そして加藤氏の死因を絶望したことによる精神的なショック死と解釈し、この段階で、初めて『敗北死』という規定が正しいのだと確信した。それまでの私は、『敗北死』という規定がよくわからず、総括できずに殺されたと思っていたのである」(筆者段落構成)
 
 これは、植垣康博の「兵士たちの連合赤軍」からの抜粋であるが、同志たちの死に直面した一兵士が山岳ベースの闇の奥で、どのようにして自我を支えてきたのかということを示す端的な例である。

 「革命」を目指す人間が、同志殺しを引き摺って生きていくのは容易ではない。普通の神経の持ち主なら、例外なく自我の破綻の危機に襲われるだろう。自我の破綻の危機に立ち会ったとき、その危機を克服していくのも自我それ自身である。

 その自我は、自らの危機をどのように克服していくのか。

 同志殺しを別の物語に置き換えてしまうか。或いは、それを正当化し得ないまでも、心のどこかでそれを生み出したものは「体制」それ自身であるとして、引き続き反体制の闘士を続けるかなどの方略が考えられる。
 
 後者の典型が、後に中東に脱出した坂東国男や、獄内で死刑制度と闘うと意気込む永田洋子だろうか。然るに、山岳ベースの只中で闇の冷気を呼吸する若い自我が、なお「革命家」として生きていくには前者の選択肢しか残されていない。彼らは、「同志殺し」を「敗北死」の物語に置き換える以外になかったのだ。

 植垣康博の自我は、「総括」で死んでいった者は「総括する果敢な自己変革の闘争に挫折し、敗北死した」という把握に流れ込むことによって救済されたのである。だからこそ、寺岡恒一の指示で死体を殴れたのであり、その寺岡の胸をアイスピックで突き刺すことができたのである。

 しかし、植垣康博の自我の振幅は大きく、度々危険な綱渡りを犯している。

 指導部に入ることで人格が変貌したように思えた坂東国男に向かって、彼は「こんなことやっていいのか?」と問いただす勇気を持っていた。

 「党建設のためだからしかたないだろう」

 これが、坂東のぶっきらぼうな解答だった。

 連合赤軍兵士の中で、相対的に激情から最も程遠い自我を有していると思われる植垣は、結局、「敗北死」という物語に救いを求める外はなかったようだ。

 激情に流された遠山美枝子は、吉野雅邦(注7)らの指示で裸にした同志の死体に馬乗りになり、こう叫んだのだ。

 「私は総括しきって革命戦士になるんだ」

 彼女は叫びながら、死体の顔面を殴り続けた。その遠山も後日、死体となって闇に葬られる運命から逃れられなかったのである。彼らの自我は死体を陵辱する激情でも示さない限り、自己の総体が崩れつつある不安を鎮められなかったのだ。

(注7)事件当時23歳。横浜国立大学中退。京浜安保共闘出身。猟銃店襲撃事件や「印旛沼事件」(組織を抜けた二人の同士を永田の命令によって殺害した事件)に関与した後、山岳ベース事件後の「浅間山荘事件」に参加し、逮捕。1983年、東京高裁で無期懲役の判決を受け、上告せず、刑は確定した。なお、11番目の犠牲者となった金子みちよの事実上の夫でもあった。

 
 しかし事態は、悪化の一途を辿る。

 いったん開かれた負の連鎖は次第に歯止めがきかなくなり、「総括」に対する暴力的指導の枠組みを超える、処刑による制裁という極限的な形態が登場するに及んで、その残酷度がいよいよエスカレートしていくのだ。

 森と永田が、金子みちよ(京浜安保共闘)の母体から胎児を取り出す方法を真剣に話し合ったというエピソードは、最高指導部としての彼らの自我の崩れを伝えるものなのか。何故なら、「総括」進行中の金子から胎児を取り出すことは、金子の「総括」を中断させた上で、彼女を殺害することを意味するからであり、これは指導部の「敗北死」論の自己否定に直結するのである。

 森と永田の理性の崩れは、彼らが金子の腹部を切開して胎児を取り出せなかった判断の迷いを、事もあろうに、彼ら自身が自己批判していることから明らかであると言えようか。

 それとも「総括」による激しい衰弱で、もはや生産的活力を期待すべくもない肉体と精神を早めに屠って、未来の革命家を組織の子として育てた方がより生産的であるという思想が、ここに露骨に剥き出しにされていると見るべきなのか。

 いずれにせよ、こうして少しずつ、時には加速的に、人間の、人間としての自我が確実に削り取られていくのであろう。
 
 削り取られた自我は残酷の日常性に馴れていき、その常軌を逸した振舞いがほぼ日常化されてくると、同志告発の基準となる彼らの独善的な文法の臨界線も、外側に向かって拡充を果たしていく。

 これは、どのような対象の、どのような行為をも「総括」の対象になり得るということであり、そして、一度この迷路に嵌ったら脱出不能ということを意味するのだ。この過程の中で崩れかかっていた自我を一気に解体に追い込み、そして最後に、身体機能を抹殺するという世にもおどろおどろしい「箱庭の恐怖」が、ここに完結するのである。
 
 連合赤軍のナンバー3であった坂口弘は、遠山の死後、「敗北死」論によってさえも納得できない自我を引き摺って、遂に中央委員からの離脱を表明するが、しかし彼の抵抗はそこまでだった。

 パトリシア・スタインホフの言葉を借りれば、坂口のこのパフォーマンスは一時的効果をもたらしただけで、状況の悪化の歯止めになる役割をも持ち得なかった。

 彼女は書いている。

 「実際には何一つ解決してはいなかった。粛清への心理的ダイナミズムは相変わらずで、ただ延期されていただけなのだ。しかもその延期状態も不完全なものだった。すでに犠牲者となった人、弱点を警告された人、まだターゲットになっていない人、この三者のあいだに明確な区別は何もなかった」(前掲書より)

 今や、「箱庭」の空気は魔女裁判の様相を呈して、重く澱んでいたのである。

 16世紀から17世紀にかけてヨーロッパに猛威を振るった魔女裁判の被害者は、身寄りなく、貧しく、無教養で陰険なタイプの女性に集中していたという報告があるが、やがてその垣根が取り払われて、「何でもあり」の様相を呈するに至るのは、抑止のメカニズムを持たない過程に人間が嵌ってしまうと、必ず過剰に推移してしまうからである。
 
 人間の自我は、抑止のメカニズムが十全に作動しない所では、あまりに脆弱過ぎるのだ。これは人間の本質的欠陥である。

 いったん欲望が開かれると、そこに社会的抑制が十全に機能していない限り、押さえが利かなくなるケースが多々出現する。上述したテーマから些か逸脱するが、ギャンブルで大勝することは未来の大敗を約束することと殆ど同義である、という卑近の例を想起して欲しい。

 これは脳科学的に言えば、ストレスホルモンとしてのコルチゾールの分泌が抑制力を失って、脳に記憶された快感情報の暴走を制止できなくなってしまう結果、予約された大敗のゲームに流れ込んでしまうという説明で充分だろう。「腹八部に医者いらず」という格言を実践するのは容易ではないのである。ましてや六分七分の勝利で納得することなど、利便なアイテムに溢れる現代文明社会の中では尋常な事柄ではないと言っていい。

 因みに、戦国武将として名高い武田信玄は、「甲陽軍鑑」(武田家の軍学書)の中で、「六分七分の勝は十分の勝なり。八分の勝はあやうし。九分十分の勝は味方大負の下作也」と言っているが、蓋(けだ)し名言である。私たちの理性の強さなど高が知れているのだ。

 榛名山の山奥に作られた革命のための「箱庭」には、適度な相互制御の民主的なルールの定着が全くなく、初めから過剰に流れるリスクを負荷していたのであろう。

 二人の処刑者を出した時点で、この「箱庭」は完全に抑止力を失っていて、「そして誰もいなくなる」という戦慄すべき状況の前夜にあったとも言えるのだ。

 連合赤軍の中央委員であった山田孝の「総括」の契機となったのは、何と高崎で風呂に入ったという瑣末な行為であった。

 これを、土間にいる兵士たちに報告したのは永田洋子である。
 
 「山田は、奥沢君と町へ行った時、車の修理中に風呂に入ったことを報告しなかったばかりか、それに対して、奥沢君と一緒に風呂に入ったのは指導という観点からはまずかったとは思うが、一人ならば別にまずいとは思わないといった。これは奥沢君はまだ思想が固まっていないから、そういう時に風呂に入ればブルジョア的な傾向に流れるが、山田の様な思想の固まった人間ならば、町に出て風呂には入ってもよいということで、官僚主義であり、山の闘いを軽視するものだ。山田は、実践を軽く見ているので、実践にしがみつくことを要求することにした」(「兵士たちの連合赤軍」より)
 
 要するに、二人で町の風呂に入った行動を批判された山田が、「一人で風呂に入れば問題なかった」と答えた点に対して、それこそ、「官僚主義の傲慢さの表れ」だと足元を掬われたのである。

 逮捕後、まさにその官僚主義を自己批判した当人である永田のこの報告を受けた兵士たちが、異口同音に、「異議なし!」と反応したことは言うまでもない。

 続いて森が、山田の問題点を一つ一つ挙げていき、恫喝的に迫っていく。
 
 「お前に要求されている総括は実践にしがみつくことだ」

 その恫喝に、山田の答えは一つしかない。

 「はい、その通りです」

 更に森は、冷酷に言い渡す。

 「お前に0.1パーセントの機会を与える。明日から水一杯でまき拾いをしろ」
 
 これが、最後の「総括」者、山田孝粛清のプロローグである。
 
 森恒夫は、自著の「銃撃戦と粛清」(新泉社刊)の中で、山田孝の問題点を以下のように記している。

 @ 尾崎、進藤、加藤、小嶋さんの遺体を埋めに行く際、彼が動揺した様子で、人が居ないのに居るといったりした事。 
 A 70年の戦線離脱の頃から、健康は害していたが、そうした自己を過度に防衛しようという傾向がある事。
 B 常に所持すべき武器としてのナイフを、あるときは羽目板を夢中で刺したりしながら、置き忘れたりする事。
 C これらと軍事訓練ベースの調査報告を厳しく行い、自然環境の厳しさのためには科学的対処が必要だと称して、多くの品物を買い込んだ事、等々。
 

 以上の山田の問題は、階級闘争への関わり方の問題であり、常に書記局的、秘書的な活動に終始した問題であり、更にかつて、「死の総括」を批判しながら、「これは革命戦士にとって避けて通れない共産主義化の環である」、という森らの見解にすぐに同調する弱さなどを指摘した。

 この最後の「すぐに同調する」という指摘は、当時の森恒夫による兵士たちへのダブルバインド状況を証明する貴重な資料となるものだが(批判を許さず、且つ、同調を許さずという二重拘束状況)、それにしても、@〜Cに網羅されてあることの何という非本質性、末梢性、主観性、非合理性。

 まさに重箱の隅を突っつく観念様式である。こんなことに時間をかけて労力を費やすなら、いかに殲滅戦を結んでいくかということにエネルギーを傾注したら良さそうなのに、とつい余計なことを嘆じてしまうほどだ。

 しかしこれが、抑制系のきかない過程を開いてしまった者の、その過剰の様態なのである。果たして、誰がこの冥闇(めいあん)の袋小路から脱却できるだろうか。

 ところで永田洋子は、巷間で取り沙汰されているように異常なサディストではない、と私は考えている。

 例えば、一審で中野裁判長は、永田洋子の人格的イメージを、「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格と共に、強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵している」と決め付けたが、この巷間に流布された「悪女」伝説には、「こんな禍々(まがまが)しい事件を起こした女」という先入観によって、かなりラベリングされたイメージが色濃く反映されている。

 私には、永田の手記、書簡や他の者たちの手記から受ける彼女のイメージは、山岳ベース内で下位の同志たちに、「鬼ババア」という印象を与えていた事実に見られるように、確かに、以上に列記した感情傾向を内在させていなかったとは思わないが、それでも、「極めつけの悪女」とは縁遠いという印象が強いのだ。寧ろ、外国人のパトリシア・スタインホフが提示する永田評の方が説得力を持つと思われる。

 彼女は書いている。
 
 「ことさら内省的な人間でも分析的な人間でもないが、すべてうまくいくと信じて、一つの行動方針に頑固にしがみつくずば抜けた能力をもっている」(前掲書)
 
 この指摘には、とても鋭利なものがある。
 彼女の犯した誤りの奥にある何かが垣間見えるからである。

 これだけはほぼ確信的に言えることだが、森や永田の執拗な追及は、所謂、「ナンバー2を消せ」というような心理的文脈とは殆ど無縁であり、ましてや、「気に入らない者」を排除するという目的のためだけに、そこに考えられ得る全ての罪状を並び立てていくというような文脈とも異なっているということだ。

 彼らは、「排除のための排除」という論法に、狂気の如く憑かれた権力者などではない。誤解を恐れずに言えば、彼らは本気で「革命戦士」であろうとしたのである。本気で、資本制権力との殲滅戦を結んでいこうとしたのだ。

 確かに、森恒夫には権力に固執する態度が見られるが、だからといって、自らの権力を維持するためだけに「総括」を捏造(ねつぞう)するという言動を一度も晒していない。

 森は寺岡恒一を裁くとき、「お前はスターリンと同じだ」と言い放ったが、極めてスターリン的行動に終始した森恒夫が、悪名高い「粛清王」のスターリンと別れる所は、キーロフ事件(大粛清の発端となった、党幹部への暗殺事件)に見られる、「邪魔者は殺せ」という体質の有無である。

 森恒夫と永田洋子は、単に「革命戦士」としてあるまじき人間的資質が我慢できなかったのである。ましてや、森は自分の過去に「汚点」を持つから、それが他者の中に垣間見えてしまうことが我慢ならなかったのだ。そう思えるのである。

 因みに、人間はなぜ他者を感情的に嫌い、憎むのか。

 他者の中に、自分に内在する否定的価値を見てしまうか、或いは、自分に内在すると信じる肯定的価値を見出せないか、いずれかであるだろう。

 これは、それらの価値にセンシブルに反応する自我ほど根強い傾向であると思われる。真面目な人間ほど、この傾向が強いのだ。潔癖であることは、しばしば罪悪ですらある。連合赤軍の兵士たちもまた、あまりに潔癖たる戦士たろうとしたのである。
 
 森恒夫の遺稿を読んでいくと、この男が物事を杓子定規的に把握する性向の持ち主であることが良く分る。しかし、物事を合理的に解釈する人間が、非合理的な発想といつでも無縁であるとは限らない。一つの人格の内部に、際立った合理主義と極端な非合理主義が同居するケースがあっても、別に不思議ではないのである。森恒夫のロジックは、しばしば信じ難いほどの精神主義によって補完されていたし、彼のパトスはロゴスを置き去りにして、暴発する危険性を絶えず内包していた。

 当時の「革命派青年」の多くがそうであったように、史的唯物論者であるが故と言うべきか、森恒夫の極めて観念的な傾向は、恐らく、同様の観念傾向を持つ下位の同志たちの、その思想性を被せた振舞いのスタイルの方向付けにとって明らかな障壁になったし、それが「総括」を要請された者の内側に軽視し難い混乱を与えたことは事実であろう。

 森と永田は、連合赤軍という「思想家族」の子供たちにとって威厳に満ちた父であり、また些かの怠惰をも見逃してくれない厄介で、嫉妬深い母でもあった。彼らは我が子を支配せずには済まない感情から自由でなかったばかりか、子供たちの隠れ遊びの何もかも把握しないではいられない地平にまで、恐らく、知らずのうちに踏み込んでしまっていたのだ。それと言うのも、彼らのそうしたフライングを抑止し得る必要な手続きを、「箱庭」の小宇宙の内側に彼ら自身が作り上げてこなかったからである。

 一切は、「革命戦士」への変革という絶対命題の産物でもあった。

 彼らは好んで、自らの子供たちへのダブルバインドを弄(もてあそ)んだ訳ではあるまい。プライバシーの垣根を取り払い、誰が誰に対してどれほどの愛欲に煩悶したかという、それ自体、至極人間的なる振舞いを、山岳ベースに侵入するまではさして問題にされなかった事柄に及ぶまで、彼らは悉く革命思想の絶対性の名によって裁いてしまう世界を強引に開かせてしまったのだ。
 
 ある種の捨て難き欲望が別の厄介なる欲望によって裁断を下されるという、踏み込んではならない禁断の世界を開いた行為のツケが、理性の継続力が困難な厳寒の上州の冬に、集中的に、且つ爆発的に表現されたのである。

 プライバシーのボーダーが曖昧になることで、相互の人格の適正なスタンスを確保することが困難になり、「有効攻撃距離」の臨界ラインが容易に超えられていく。関係の中に序列が持ち込まれているから、序列の優位者が劣位者の内側に踏み込んでいくという構図が般化される。

 序列の優位者によって過剰に把握された下位者のプライバシーは、不断に「革命戦士」という極めて恣意的な価値基準によって日常的に検証されるから、極度な緊張状態の下に置かれることになるのだ。当然の如く、強度な緊張が作業ミスなどを生んでいくだろう。そして、そのミスを必死に隠そうとするから、緊張状態は飽和点に達する。また絶えず、上位の者の眼差しを捕捉して、そこへの十全な適応を基本戦略にするから、自分の意見や態度などの表出を極力回避してしまうのである。

 これは自我の戦略なのだ。

 自我の疲弊が加速化するから、それが崩れたときのリバウンドが、あまりに呆気ないほどの死というインパクトをもたらすケースも起こり得る。これが「敗北死」の心理メカニズムである。

 ともあれ、パーソナルスペースの適正なスタンスの解体が、「有効攻撃距離」を日常的に設定してしまうという畏怖すべき状況を生んでしまうのだ。序列の優位者からの下位者に対するダブルバインドが、ここに誕生するのである。

 「有効攻撃距離」の日常的設定が、序列の優位者の支配欲を益々増強させ、序列の下位者の自我を益々卑屈にさせていく。序列の下位者はポジションに対応した有効な適応しか考えないから、その卑屈さを見抜いた優位者によって、解答困難なテーマが連続的に放たれることになる。これが、ダブルバインドのメカニズムである。

 Aという答えしかあり得ない状況の中で、Aという答えを表出することが身の危険を高めることを予測し得るとき、人は一体、何と答えたらいいのであろうか。ここには、人間の自我を分裂に導く最も確度の高い危険が潜む。人はここから、どのように脱出し得るのか。

 人間はこういうときに、或いは、最も残酷な存在に変貌する。

 自分以外に自分の行為を抑止し得る何ものなく、且つ眼の前に、自分に対して卑屈に振舞う下位者の自我が映るとき、Aという答えしかあり得ないのに、Aという答えを絶対に表出させない禅問答の迷路に追い詰めたり、AでもBでもCでも可能な答えの中で、いずれを選択しても、必ず不安を随伴させずにはおかない闇に閉じ込められてしまったりという心理構造をダブルバインドと呼ぶなら、それこそ、人間の人間に対する残酷の極みと言っていい。

 何故なら、相手の自我を分裂させ、それを崩壊に導く行為以上の残酷性は、自我によって生きる人間世界には容易に見当たらないからだ。
 
 ここに、山岳ベースの恐怖の本質がある。
 
 山岳ベースで起こったことは、そこに蝟集(いしゅう)するエネルギッシュな自我をズタズタに切り裂き、遂に闇の奥に屠ってしまったということ以外ではない。自我殺し(魂の殺害)の罪こそ、縛りし者たちが一生背負っていかねばならぬ十字架なのである。

 ここで、以上の仮説を整理しておく。

 題して、「総括という名の自我殺しの構造」である。(これについては、本章の最後に一つの表にまとめたので、参考にされたい)

 これは、「榛名ベースの闇」の心理解析である。
 
 連合赤軍は、最強のダブルバインドを成立させてしまったのだ。ここに「箱庭の恐怖」が出現し、常態化してしまったのである。

 「箱庭の恐怖」のコアは、「箱庭」に蝟集(いしゅう)した特定の物語(革命幻想)を厚く信仰する、「優しさの達人」の志願者たちの自我をズタズタに切り裂いて、闇に屠(ほふ)ってしまったことにある。「人民法廷」の向こうにいる者もこちらにいる者も、押し並べて、精神に異常を来していた訳ではない。彼らは一様に、「革命の捨石」になろうと考えていたのであり、強大な資本制権力と殲滅戦を結んで、立派に殉じようと願っていたのである。

 少なくとも、彼らの主観的心情はそうであった。

 そんな彼らの「ピュア」な思い入れが、「榛名ベースの闇」にあっという間に呑み込まれていく。「箱庭」状況と「箱庭の帝王」の出現を接合したのが、「帝王」もどきの人物による「共産主義化論」の唐突なる提示であった。これが、状況の闇を決定づけてしまったのである。加藤能敬への総括過程の初期には、加藤を立派な革命戦士に育てようという思いがまだ息づいていて、加藤自身もそのことを感知していたから、眼の輝きも失っていなかった。

 榛名ベースに遅れて参加した植垣康博は、その辺の事情について「兵士たちの連合赤軍」の中で書いている。
 
 「小屋内には張り詰めた雰囲気がみなぎり、大槻さんにも共同軍事訓練のようなはつらつとした感じが見られなかった。土間の柱の所には一人の男が縛られていた。加藤能敬氏だった。加藤は憔悴した顔で静かに坐っていたが、眼には輝きがあった。私は、彼が総括要求されている男だなと思い、総括要求のきびしさを感じたが、この張り詰めた雰囲気に負けてはならないと思った」
 
 実はこの時点で、既に加藤への「暴力的指導」が開かれていたのだが、しかし殴打という重大な制裁をきちんと定義するための確認が、まだそこでは行われていて、加藤への最初の殴打が、単に感情的暴発の産物ではなかったことが分るのである。 

 詳細に言及しないが、「革命左派」だった加藤の様々な問題点が左派の側から報告された後、森恒夫は以下のことを言い放ったのだ。
 
 「革命戦士としての致命的な弱さを抱えた加藤を指導するために殴る。殴ることは指導なのだ。殴って気絶させ、気絶からさめた時に共産主義化のことを話す。気絶からさめた時に共産主義化のことを聞き入れることができるはずや」
 
 森はそう提起して、それを指導部が受け入れたのである。(この辺については、坂口弘の「あさま山荘1972・下」や、永田洋子の「続十六の墓標」に詳しい。共に彩流社刊)

 このとき永田洋子は、自らが「今から殴ろう」と提案しつつも、心中は穏やかではなかった。

 彼女は書いている。
 
 「私はこたつのなかに入れていた手がブルブル震えていた。殴ることに抵抗があったうえ、指導として殴ることの殺伐さに耐えられない思いがしたからである。しかし私はこの震えを隠し、指導として殴るならば耐えねばならない」
 
 これが、「悪女」と罵られた一被告の、暴力的総括への心理のブレの断面である。

 しかし、全てはここから開かれていく。

 気絶させるまで集団暴行を加えるという行為が、「革命戦士」として避けられない行程であると位置づけられることで、物語は脚色され、一人歩きしていく。「気絶による共産主義化」という、森の信じ難い人間理解の底知れぬ鈍感さは、恐らく、彼の固有の欠陥であった。森は加藤を殺害する意志など毛頭なかったのだ。これは、赤軍派時代から身に付けてしまった、ある種の暴力信仰の悪しき産物でもあったと言える。

 しかし、ここは都市ではなかった。

 叫びを上げる者が緊急避難する僅かのスペースもここにはなく、裸の自我を強制的に晒されて、もはや隠そうとしても隠し切れない卑屈さが、周囲の冷厳な眼差しの中に引き摺り出されてくる。ここに、「箱庭の恐怖」が出現するのである。

 まもなく、暴力の加担者の自我にも、相手の卑屈さに怒りを覚える感情がまとってきて、却って攻撃を加速させることになる。「こいつは革命戦士であろうとしていない」と感受してしまうことで、益々相手が許し難くなってしまうのだ。序列の明瞭な関係が「箱庭」状況を作り、そこから脱出困難な事態に直面したり、過剰な物語によって補強されてしまったりすると、極めて危険な展開が開かれてしまうことがある。人民寺院事件(注8)やブランチ・ダビディアン事件(注9)を想起して欲しい。「榛名ベースの闇」こそ、まさにこの典型的な突出だった。

 誰も、ここで犯罪者になろうとしたのではない。誰も、ここで「敗北死」による死体であろうとしたのではない。様々に異なった因子が複雑に重なり合って闇に溶けるとき、そこに通常の観念ではおよそ信じ難い過程が突如開かれてしまい、「これは変だな」と思いつつも、誰もそれを軌道修正することができず、唯、いたずらに時間だけが流れていく。

 人間は過去に、こうした闇の記憶を嫌というほど抱え込んできているのに、記憶の正確な伝達が理性的に行われてこなかったために、いつでも同じような誤りを重ねてきてしまうのだ。人間はなかなか懲りない存在なのである。

(注8)1978年に、ジム・ジョーンズという男が率いる米国キリスト教系カルト宗教団体(「人民寺院」)が、南米のガイアナで集団自殺を行ったことで知られる事件。

(注9)1993年、アメリカ・テキサス州で起きた事件。デビッド・コレシュ率いる「ブランチ・ダビディアン」というカルト的宗教団体が、武装して篭城した挙句、集団自殺した事件だが、自殺説には今も疑問が残されている。当時警官隊の突入の際、その映像が全米で中継され衝撃を与えた。

 
 ここに、あまりに有名な心理実験がある。

 1960年代に行われた、エール大学のスタンリー・ミルグラムという心理学者による実験がそれである。パトリシア・スタインホフ女史も、「日本赤軍派」の中で紹介していたが、私もまた、この実験に言及しない訳にはいかない。連合赤軍事件の心理メカニズムにあまりに酷似しているからである。

 実験はまず、心理テストに参加するごく普通の市民たちを募集することから始めた。応募した市民たちにボタンを持たせ、マジックミラーの向こう側に坐る実験対象の人たちのミスに電気ショックを与える仕事のアシストを求める。

 こうして実験はスタートするが、事前に実験者たちから、あるレベル以上の電圧をかけたら被験者は死亡するかも知れないという注意があった。それにも拘らず、60パーセントにも及ぶ実験参加者は、被験者の実験中断のアピールを知りながら、嬉々としてスイッチを押し続けたのである。これは、学生も民間人も変わりはなかった。

 勿論、実験はヤラセである。電気は最初から流れておらず、被験者の叫びも演技であった。しかし、これがヤラセであると知らず、実験参加者はボタンを押したのである。このヤラセ実験の目的は、実は、「人間がどこまで残酷になれるか」という点を調査することにあった。
 
 そして、この実験の結果、人間の残酷性が証明されたのである。

 しかし実は、この実験はこれで終わりにならない。この実験には続きがあるのだ。即ち、被験者がミスしても、今度はどのようなボタンを押してもOKというフリーハンドを許可したら、何と殆どの市民は、最も軽い電圧のボタンを押したのである。

 この実験では、人間の残酷性が否定されたのである。

 これらの実験は、一体何を語るのか。

 人間の残酷性か、それとも非残酷性か。その両方なのである。人間は残酷にもなり得るし、充分に優しくもなり得るのである。

 両者を分けるのは何か。

 一つだけはっきり言えることは、命令系統の強力な介在の有無が、人間の心理に重要な影響を与えてしまうということである。つまり人間は、ある強力な命令系統の影響下に置かれてしまうと、そこに逆らい難い行為の他律性が生じ、これが大義名分に深々とリンクしたとき、恐るべき加虐のシステムを創造してしまうのである。

 就中、平等志向が強く、且つ、「視線の心理学」に振れやすい私たち日本人は、多くの場合、横一線の原理で動いてしまう傾向があるから、隣の人のスイッチ・オンを目撃してしまうと、行為の自律性が足元から崩れてしまうようなところがある。

 しかも、ここに「傍観者効果」の構成因子の一つである、「責任分散の心理学」(自分だけが悪いのではないと考えること)が媒介すると、加虐のメカニズムは構造化するだろう。

 これは疑獄事件の中心人物に、「私だけが悪くない」と言わしめる構造性と同質であり、この国の民がアジア各地で傍若無人の振舞いをしておきながら、「国に騙された」と言ってのける醜悪さとも大して変わりないだろう。
 
 人類学者の江原昭善氏は自著の中で、人間の内側に潜む「殺戮抑制」について言及しているが、これは、このような醜悪極まる私たち人間を救う手がかりと言えるかも知れない。

 江原氏は、「十九世紀の中頃には捕虜を射殺することを命じられた十二名の兵士の銃のうち、十一丁には実弾を、一丁には空砲をこめておくのがふつうだった」というクロポトキンの言葉を紹介したあと、つまりどの兵士も、自分は殺害者ではないと考えて自らの良心を慰めたことを指摘し、そこに人間の「殺戮抑制」を見ようとするのである。

 私は人間の「殺戮抑制」というものについて、否定も肯定もしない。人間には「何でもあり」と考えているから、性善説とか性悪説とかの問題の切り取り方にどうしても馴染まないのである。

 因みに、死刑制度を維持するわが国の処刑手段が、刑法11条1項によって絞首刑であると定められている事実を知る人は多いだろうが、実際に処刑のボタンを押す人が複数存在し、その中の一つが、処刑を成功裡に遂行する本物のボタンであるという事実を知っている人は少ないに違いない。この国もまた、刑務官の心の負担を軽減するためのシステムを維持しているのである。

 ただ、これだけは言える。

 人間は感情関係のない相手を簡単に殺せない、ということである。

 人間が人間を殺すことができるのは、通常そこに怨念とか、思想とか、使命感とか、組織の論理とかが媒介されているからであり、役職とはいえ、法務大臣にしたって、自らの在任中になかなか死刑執行の許可を与えにくいのである。仮に死刑執行の赤鉛筆署名をした法務大臣が、刑務場を事前に確認する行為を回避するという話もよく聞く所である。司法行政の最高責任者もまた、様々な感情を持った一人の人間であるということだ。

 翻って、連合赤軍の死の「総括」は、感情関係がドロドロに液状化した澱みのような溜りで噴き上がっていて、際立って人間的だが、しかし、あまりに過剰な狂宴に流され過ぎてしまったと言えるだろうか。

 残されし者たちの自我も跳躍を果たせずに、侵蝕による崩れの危機に立ち会って、じわじわと自壊の恐怖に呑み込まれつつあった。殲滅戦という本番に備えたはずのトレーニングの苛酷さの中で、肉体と自我のいずれもがブレークダウン(この場合、生体機能の衰弱)を起こしてしまって、本番を見ずに朽ちてしまいかねなかったのである。

 「箱庭の恐怖」は最も危険な心理実験の空気の前線となり、全ての者が電気スイッチを掌握し、誰とは言わずに被験の場に引き摺り出されるゲームの渦中にあって、ひたすら「革命幻想」の物語に縋りつく他はない。もうそこにしか、拠って立つ何ものも存在し得ないのである。人間はこうして少しずつ、そして確実に駄目になっていく。

 残されし者たちの何人かが権力に捕縛され、何人かが権力との銃撃戦に運命を開いていくことになったとき、残されし者たちの全ての表情の中に、ある種の解放感が炙り出されていたのは、あまりに哀しきパラドックスであった。

 「それまでの共産主義化の闘いの中で、見えない敵とわけのからない闘いを強いられ、激しい重圧によって消耗しきっていたところに、やっと眼に見える敵が現れ、共産主義化の重圧、とりわけ多くの同志の死に耐えてきた苦痛から解放され、敵との全力の闘争によって、多くの同志を死に追いやった責任をつぐなえると思ったからである。私は、本当に気持ちが晴れ晴れとしていた。皆も、同様らしく、活気にあふれていた。しかし、そうした気分とはうらはらに、凍傷と足の痛み、体の疲労が一段とひどくなっており、はたしてこの山越えに私の体が持つだろうかという不安があったが、体が続く限り頑張るしかなかった」(「兵士たちの連合赤軍」より)

 これは本稿で度々引用する、連赤の一兵士であった植垣康博の手記の中の、実に印象的な一節である。

 「総括」を要求され続けていた植垣の運命を劇的に変えた山岳移動の辛さを、「解放」と読み解く心理を斟酌するのは野暮である。兵士たちを追い詰めた「箱庭の恐怖」が去ったとき、彼らの崩れかかった自我は信じ難いほどの復元力を示して見せた。そこでの反応には勿論、それぞれの置かれた状況や立場による個人差があるだろうが、少なくとも、植垣のような一兵士にとって、それは魔境を閉ざす険阻な壁の崩壊を実感するほどの何かだったのだ。

 この山越えの先に待っていたのが権力による捕縛であったにせよ、山越えは兵士たちにとっては、「箱庭の恐怖」を突き抜けていく行為であった。

 山を越えることは恐怖を越えることであり、恐怖を越えることによって、崩れかけた自我を修復することであった。

 それは、もうこれ以上はないという苦痛からの解放であり。この解放の果てに待つものが何であったにしても、兵士たちには難なく耐えられる苦痛であると思えたに違いない。「榛名ベースの闇」に比較すれば、それは均しくフラットな苦痛でしかなかったのだ。

 連合赤軍の兵士たちが上州の山奥に仮構した世界は、人々の自我が魔境にアクセスしてしまうことの危険を学習するための空間以外ではなかった。

 そして兵士たちは、最後までこの小宇宙からの脱出を自らの意志によって果たせなかった。小宇宙の外側で起こりつつある状況の変化を読み解くことによってしか、兵士たちは自らの自我を縛り続けた小宇宙からの脱出を果たせなかったのである。

 まるで、自らの墓穴を黙々と掘り続ける絶滅収容所の囚人のように、縛られて凍りついた自我は、いたずらに時間に弄(もてあそ)ばれていただけだった。人々の自我は限りなく絶望の極みに嘗め尽くされてしまうとき、声も上げず、体も起こさず、思いも表さず、ひたすら呼吸を繋いでいくばかりとなる。生存の内側と外側を分ける垣根がそこになく、季節の風も、それを遮る力がない自我を貫流し、凍てつく冬をそこに置き去りにしていくのだ。
 
 兵士たちは、そこで何を待っていたのか。

 何も待っていないのだ。 彼らの自我は長い間、待つことすらも忘れていたのである。

 待つことすら忘れていた自我に、一陣の突風が吹きつけてきた。突風は、自我が自我であることを醒ますに足る最も刺激的な何かを運んできた。

 兵士たちの自我は突き動かされ、通俗の世界に押し出されていく。

 このとき、「箱庭の恐怖」の外側に、もう一つの別の世界が存在することを知った。兵士たちは、この世界こそ自分たちが、自分たちの信仰する教義によって破壊されなければならないと覚悟していた世界であることを、そこに確認する。

 崩れかかっていた兵士たちの自我は、この世界を前にして見事に甦ったのだ。自分たちのこれまでの苛酷は、この世界を倒すために存在し、その苛酷の補償をこの世界に返済してもらうことなく、自分たちの未来が決して拓かれないであろうことを、兵士たちの自我が把握したのである。
 
 兵士たちは山を越えることで、苛酷の過去を越えていく。恐怖を越えていく。自らを縛り上げていた闇を明るくしていく。

 時間を奪還する兵士たちの、無残なまでに独りよがりの旅が、こうして開始されたのだ。

 

〔総括という名の自我殺しの構造〕(連合赤軍というダブルバインド)

           組織の誕生と殲滅戦の思想の選択
           (序列の優位者と下位者への分化)
                  ↓
「箱庭状況の出現」= 山岳ベースの確保と革命戦士の要請
           (「共産主義化論」の下達)
                  ↓
「箱庭の帝王の出現」=「共産主義化論」による「総括」過程の展開
                  ↓
           「総括」過程の展開によるプライバシーの曖昧化
              (個と個の適性スタンスの解体)
                  ↓
「箱庭の恐怖の成立」=有効攻撃距離の日常的設定による
               暴力的指導の出現
                  ↓
「箱庭の恐怖の日常化」=序列の優位者と下位者間の緊張の高まりと、
            自我疲弊によるアウト・オブ・コントロールの日常化
                  ↓
    卑屈さの出現(下位者→優位者)と支配力の増強(優位者→下位者)
    
            最強のダブルバインドの成立
      (Aしか選択できないのに、Aを選択させないこと、或いは、
        あらゆる選択肢の中からいずれをも選択させないこと)

4.恐怖越えの先に待つ世界  

 しかし兵士たちの山越えは、兵士たちの運命を分けていく。

 時間を奪還できずに捕縛される者と、銃撃戦という絶望的だが、せめてそれがあることによって、失いかけた「革命戦士」の物語を奪還できる望みがある者との差は、単に運命の差でしかない。この運命の差は、同時に、抑え付けていた情念を一気呵成(かせい)に噴出させる僥倖(ぎょうこう)を手に入れるものができた者と、それを手に入れられなかった者との差であった。

 もっとも坂口弘のような、同志殺しの十字架の重みで崩落感の極みにあった「革命戦士」がいたことも事実であった。しかし本人の思いの如何に拘らず、銃撃戦という劇的な状況展開のリアリティが、「榛名の闇」で集中的に溜め込んだストレスを、束の間、吐き下す役割を果たしたことは否定できないであろう。

 銃撃戦に参加した戦士たちは一気に通俗の世界の晒し者になるが、5人の内側で殲滅戦という極上の観念が銃丸を放つ感触の中に、何某かの身体化を獲得するような徒(ただ)ならぬ快感をどれだけ踊らされていたか、私は知る由もない。

 いずれにせよ、彼らが山荘の管理人の夫人に対して慇懃(いんぎん)に対応し、それは恰も、「人民からは針一本も取らない」という物語を実践する、彼らの固有のストイシズムが自壊していなかったことを思えば、「革命戦士」という物語へのギリギリの固執をそこに見ることができる。

 彼らは管理人の夫人を人質にしたというよりも、人民の生活と権利を守るための自分たちの戦争に、人民が加担するのは歴史の義務であるという思いを抱き、そのことを啓蒙するという使命を持って夫人に接近したようにも思われた。

 彼らの内側では、自分たちの行為はあくまでも革命の切っ先であり、そのための蜂起であり、都市叛乱に引火させる起爆的な決起であったと考えたのであろう。

 だがそれは、どこまでも彼らの方向付けであり、それがなくては支え切れない苛酷の過去からの眼に見えない脅迫に、彼らの自我が絶えず晒されていたことを、私たちは今読み解くことができる。兵士たちはここでも、自分たちを縛り続けた過去と戦争していたのである。
 
 この戦争については、これ以上書かない。

 当然、「浅間山荘」という代理戦争にも言及しない。言及することで得られる教訓は、本稿のテーマに即して言えば、殆ど皆無だからである。

 一切は、「榛名ベースの闇」の奥に出現し、そこに戻っていく。縛りし者たちの自我が、縛るたびに自らを縛り上げていく地獄の連鎖に捉われて自らを崩していくさまは、私たちの日常世界でもしばしば見られる風景である。

 「自立しろ」と説教を垂れた大人が、その説教をうんざりする位聞かされていた、子供の自立への苦闘を目の当たりにして、「こうやるんだ!」とか、「そっちに走れ!」とか叫んで過剰に介入してしまうフライングから、私たちは果たしてどこまで自由であり得るのか。子供の自我を縛るたびに、私たちは私たちの自我をも少しずつ、しかし確実に縛り上げているとは言えないか。

連合赤軍の闇は、実は私たちの闇ではなかったか。連合赤軍の兵士たちが闘い抜いたその相手とは、国家権力でも何でもなく、解放の行方が見定められない私たちの近代の荒涼とした自我それ自身であったのかも知れない。

 兵士たちは残らず捕縛された。
 
 そして、そこに十二名の、縛られし者たちの死体が残された。そこに更に、二名の死体が発見されるに至った。凍てついた山麓に慟哭が木霊(こだま)する一方、都市では、長時間に及んだアクション映画の快楽が密かな自己完結を見た。

 それは、都市住民にとっては、簡単に口には出せないが、しかし何よりも格好の清涼剤であった。このアクション映画から、人々は絶対に教訓を引き出すことをしないだろう。「連合赤軍の闇」が、殆ど私たちの地続きの闇に繋がっていること(注10)を、当然の如く、私たちは認知する訳がない。狂人によって惹き起こされた狂気の宴とは全く無縁の世界に、自分たちの日常性が存在することを多くの人々は認知しているに違いない。

 それで良いのかも知れない。

 だから、私たちの至福の近代が保障されているのだろう。それは、森恒夫というサディストと、永田洋子という、稀に見る悪女によって惹き起こされた、殆ど理解不能な事件であるというフラットな把握以外には、いかなる深読みも無効とする傲慢さが大衆には必要だったのだ。

 私たちの大衆社会は、もうこの類の「人騒がせな事件」を、一篇の読み切りコミックとしてしか処理できない感性を育んでしまっているように思われる。兵士たちがどれほど叫ぼうと、どれほど強がって見せようと、私たちの大衆社会は、もうこの類の「異常者たちの事件」に恐喝されない強(したた)かさを身につけてしまったのか。

 連合赤軍事件は、最終的に私たちの、この欲望自然主義に拠って立つ大衆社会によって屠られたのである。私たちの大衆社会は、このとき、高度成長のセカンドステージを開いていて、より豊かな生活を求める人々の幸福競争もまた、一定の逢着点に上り詰めていた。人々はそろそろ、「趣味に合った生き方」を模索するという思いを随伴させつつあったのだ。

 そんな時代の空気が、こんな野蛮な事件を受容する一欠片の想像力を生み出さないのは当然だった。大衆と兵士たちの距離は、もう全くアクセスし得ない所にまで離れてしまっていたのである。

 これは、本質的には秩序の不快な障壁を抉(こ)じ開けるという程度の自我の解放運動であったとも言える、1960年代末の熱狂が、学生たちの独善的な思い込みの中からしか発生しなかったことを自覚できない、その「思想」の未熟さをズルズルと引き摺ってきたツケでもあった。彼らの人間観、大衆観、状況観の信じ難い独善性と主観性に、私は言葉を失うほどだ。彼らには人間が、大衆が、その大衆が主役となった社会の欲望の旋律というものが、全く分っていなかったのである。
 
 人間に善人性と悪人性が、殆ど同居するように一つの人格の内に存在し、体制側にもヒューマニストがいて、反体制側にも極めつけの俗物が存在してしまうということが、その人間観の本質的な把握において、彼らには分っていなかった。この把握の圧倒的な貧弱さが、彼らの総括を、実は更に陰湿なものにしてしまったのである。

(注10)「箱庭の恐怖」が人間の棲む世界において、どこにでも形成されてしまうことを、私たちは認知せねばならないだろう。

 即ち、以下の条件を満たすならば、常に「箱庭の恐怖」の形成はより可能であるということだ。
 
 それは第一に閉鎖的空間が存在し、第二に、その空間内に権力関係が形成されていて、第三に、以上の条件が自己完結的なメカニズムを持ってしまっていること、等である。そこに、何某かの大義名分や思想的文脈が媒介されれば、「箱庭の恐怖」の形成は決して困難ではない。例えば、閉鎖的なカルト集団や、独善的な運動団体、虐待家庭、等々。

 加藤能敬の自我を裸にして、その性欲の蠢動(しゅんどう)を引き摺り出してきたときの、森や永田の当惑のさまは、人の心の様態を世俗の水準で洞察できない理論居士の、ある種の能力の著しい欠損を晒すものであった。 

 彼らには、「性欲の処理で悩む革命戦士」は絶対に存在してはならない何かであったのか。当然の如く、欲望は生み出されてしまうもので、生み出されてしまった欲望は、欲望を生み出した、極めて人間的な学習過程の不可避な産物であり、それを自我が十全に統御し得なかったから、少なくとも、それを噴出させるべきではない状況下でギリギリに制御する仕掛けを、内側に拵(こしら)え上げていくように努めるというような文脈の中でしか処理できないのである。
 
 「共産主義化をかちとれば、本当に人間を知り、人間を好きになることができる」
 
 これは、森恒夫の常套句。

 自分でも恐らく、深く考察しなかったであろう、この「人間音痴」の命題の底流に脈打っている理性への過剰な信仰は、実は、自分が拠って立たねばならないと考えているに過ぎない内側の事態処理システムであって、森恒夫という自我自身によって、充分に検証を受けたものではないことが推測される。資料で読む限り、森恒夫という人間ほど非合理的で、非理性的な人間はいないからである。
 
 例えば、山崎順(赤軍派)の処刑の際、山崎が呻くようにあげた「早く殺してくれ」という声を、森は、「革命戦士の自己犠牲的誠実さ」という風に規定してしまうのである。

 これは、山岳ベースにおいてではなく、逮捕後の獄中での比較的冷静な、彼の「総括」の時間の只中においてである。山岳ベースでの遣り切れなさが、ひしひしと伝わってくるようだ。

 こういう遣り切れなさが、最も陰惨な風景の中で語られてしまうのは、もう一人の処刑者、寺岡恒一のケースである。

 寺岡は追い詰められたとき、「銀行強盗をやるつもりだった」とか、「宮殿をつくって、女をたくさんはべらせようと思った」とか、「女性同志と寝ることを年中夢想する」などという戯言を吐いたのである。

 最後の告白は、寺岡の本音かも知れないが、前二者の告白は明らかに、どうせ何を告白しても告発者を納得させられないという、自暴自棄的なダブルバインド状況が生んだ産物以外ではない。ここに、寺岡恒一の生産性のない自我の、底なしの冥闇(めいあん)を見る思いがする。

 ところが、居並ぶ告発者たちの自我も劣化しているから、この寺岡の告白が死刑相当であるという解釈に直結し、ここに最も陰惨な同志虐殺が出来してしまうのである。寺岡の自我は回復不能なまでに裂かれ、破壊されてしまったのだ。
 
 ここで事件のサブ・リーダーであった、永田洋子の手記を引用してみる。そこに、永田洋子の浅薄な人間観を伝えてくれる印象的な記述があるからだ。
 
 「坂東さん、覚えていますか。

 『共産主義化』のための暴力的総括要求中でのことでしたが、森さんが、『共産主義化をかちとれば、本当に人間を知り、人間を好きになることができる』と述べていたことを。それは、共産主義の理念に基づいたものでしたが、同志殺害時もそれを心していた私は、敗北後もこの理念は間違っていないと思うのでした。

 そうして、獄中での看守との接触に新鮮さを感じました。やさしい看守がいることには驚き、なかなか慣れませんでした。

 勿論やさしい看守も、結局東拘(注:東京拘置所のこと)の指示に従い獄中者支配の一翼を担っているのですが、そのやさしさが私の心をはずませ、楽しくさせ、私の生を心楽しいものにしてくれることを感じるのでした。獄中者と看守の関係ですから大きな限界があるわけですが、そのため楽しさは大きくなるのでした」(「獄中からの手紙」彩流社刊より/筆者段落構成)
 
 この永田洋子の人間観の根柢には、「看守=権力の番人=人民を抑圧する体制の直接的な暴力マシーン=卑劣な冷血漢」という、極めて機械的な把握の構造がある。

 そしてそんな把握を持つ人格が「心やさしき看守」の出現に当惑し、驚き入ってしまうのだ。唖然とするばかりである。信じ難いようなその狭隘な人間観に、寧ろ、私たちの方が驚かされる。

 この人間観からは、「親切なお巡りさん」とか、「社員のために骨身を削って働く経営者」という存在様式は決して導き出されることはなく、「経営者」とは、「鞭を持って労働者を酷使する、葉巻タバコを咥(くわ)えたブタのように太った輩」という極端にデフォルメされたイメージが、どこかで偏狭な左翼の人間観に影を落としていて、これは逆に言えば、「共産主義者は完全なる者たちである」という信仰を定着させることに大いに与っているということだ。

 「東拘の指示に従い、獄中支配の一翼を担」う、「やさしい看守」のその「やさしさ」に、「心をはずませ」る感性を持つ永田洋子は、それでも、「獄中者と看守の関係」に「限界」を感じつつ、「楽しさ」を「大きく」する幅を示している。

 しかしそのことが、何ら矛盾にならないことを認知できないという、まさにその一点において彼女の「限界」があるのだ。

 「看守のやさしさ」が「看守」という記号的な役割、即ち、「体制の秩序維持」という本来的役割から必ずしも発現するとは限らない所に、まさに人間の自由があり、この自由が人間にしばしば心地良い潤いを与えることを、私たちは知っている。

 役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。そこに人間の、人間としての自由の幅がある。この自由の幅が人間をサイボーグにさせないのである。

 因みに、私の愛好する映画の一つに、リドリー・スコット監督の「ブレード・ランナー」があるが、ここに登場するレプリカント(地球を防衛する有限生命のロボット人間)はロボットでありながら、彼らには自らの生命を操作する自由が与えられていない。所謂、「レプリカントの哀しみ」である。その哀しみは深く、その結末の残酷さは比類がなかった。だから、コンピューター社会における暗鬱な未来をイメージさせる、「サイバーパンク」の先駆的作品として、それは何よりも重い一作になったのだ。

 言わずもがな、拘置所の看守は断じてレプリカントなどではない。

 「獄中支配の一翼を担う」などという、ニューレフト特有の表現は思想的規定性を持つものだから、いちいち、異議申し立てをするべき筋合いのものではないが、しかし、このような厄介な規定性が、殲滅戦を闘うはずの軍事組織を率いた「女性革命家」の、その抜きん出て偏狭な人間観のベースになっていることは否定すべくもない。人間の行使し得る自由の幅までもが役割によって決定されてしまうならば、人間の未来には、「未来世紀ブラジル」((注11)や、ジョージ・オーウェル(注12)の文学世界しか待機していないことになるだろう。

 然るに、それは人間の能力を過大評価し過ぎているのである。

 人間には、役割によって全てが決定されてしまうに足る完全な能力性など全く持ち合わせていないのだ。それに人間は、人間を支配し切る能力を持ってしまうほど完全な存在ではない。いつもどこかで、人間は人間を支配し切れずに怠惰を晒すのである。

 これは、人間の支配欲や征服感情の際限のなさとも矛盾しない。どれほど人間を支配しようとも、支配し切れぬもどかしさが生き残されて、遂に支配の戦線から離脱してしまう不徹底さを克服し得るほど、私たちの自我は堅固ではない。

 人間の自我能力など、高々そのレベルなのだ。私たちは相手の心までをも征服し切れないからである。ここに人間の自由の幅が生まれるのである。この幅が人間を生かし、遊ばせるのだ。

 人間とは、本質的に自由であるという存在の仕方を、何とか引き摺って生きていくしかない、そんな存在体である。

 人間は、この自由の海の中でひたすら自我に依拠して生きていくという、それ以外にない存在の仕方を引き受けるのだ。 自我はひたすら、十全に適応しようと動いていくのである。どのようなシフトも可能だが、一切の行程が時間の検証を受けていく。適応の成功と失敗に関わる認知が、自我によって果たされていく。成功が単一の行程の産物でないように、失敗もまた、それ以外にない行程の産物であるとは言い切れないのだ。

 しかし、いつでも結果は一つでしかない。この結果が、次の行程を開いていく。自我がまた、駆動するのだ。自我のうちに、加速的に疲労が累積されていくのである。

 シビアな状況下では、自我はフル回転を余儀なくされるだろう。

 確かに人々には、状況から退行する自由もある。しかし自我は中々それを認めない。退行はリスクを随伴するからだ。退行のコストは決して安くない。自我は退行する自由を行使しないとき、そこに呪縛を感知する。この呪縛の中でも、自我は動くことを止めようとしない。止められないのだ。自我はそこに出口を見つけられないでいると、空転するばかりとなるだろう。

 人間は自由である外はないという存在でありながら、しばしば、自由であることの重圧に押し拉(ひし)がれていく。人間は同時に、過剰なまでに不自由な存在でもあるのだ。そのことを自我が認知してしまうとき、人間は一つの、最も苛酷な存在様式と化すであろう。

 絶対的な自由は、絶対的な不自由と同義となる。

 結局、人間は程々の自由と、程々の不自由の中で大抵は生きていく。人間の自由度なんて高が知れているし、また、人間の不自由度も高が知れている。この認知の中で全うし得る「生」は、幸福なる「生」と言えるだろうか。

 ともあれ、永田洋子が「やさしい看守」の中に見たのは、程々の自由と程々の不自由の中に生きる平均的日本人の、その素朴な人間性である。永田にとって「やさしい看守」の発見とは、どのような体制の下でも変わらない、人間の持つある種の「善さ」=「道徳的質の高さ」の発見であると言っていい。

 然るに、このような発見を獄中に見出す他にない青春を生きた、一人の女性闘士のその偏狭性は、殆ど圧倒的である。彼女は過去に何を見、何を感じてきたのかについて、その偏狭性によって果たして語り切れるか、私には分らない。

 彼女のこの発見が、同時に、「冷酷なる共産主義者」の発見に繋がったのかどうかについても、私には分らない。しかし彼女の中で、「共産主義者はやさしい」という命題が、「やさしい人間こそ共産主義者である」という命題に掏(す)り替ったとしても、私から言わせれば、そこにどれだけの「学習」の媒介があったか知れている、という風に突き放つしかない次元の「学習」のようにしか思えないのだ。

(注11)1985年米英製作。テリー・ギリアム監督による、近未来の管理社会を風刺したブラック・コメディ。

(注12)20世紀前半に活躍したイギリスの作家。「動物農場」、「1984」という代表作で、社会主義的ファシズムの危険性を鋭く風刺し、未来社会の予言的文学とされた。

 坂口弘にしろ、植垣康博にしろ、大槻節子(京浜安保共闘)にしろ、彼らの手記を読む限り、彼らが少なくとも、主観的には、「やさしさの達人」を目指していたらしいということが伝わってくるのは事実である。次に、その辺りを言及してみよう。

 ここに、大槻節子の日記から、その一部を引用する。

 断片的な抜粋だが、彼女の心情世界がダイレクトに伝わってくるので参考になるだろう。彼らが「凶悪なる殺人者集団」であると決め付けることの難しさを感受すると同時に、メディアから与えられた、通り一遍の「物語作り」によって括ってしまうことの怖さを痛感するに違いない。

 「私にはどうすることもできない、何ができようというのか、この厳然とした隔絶感の中で、なお私は見えてしまい、私の中に映像化し、暗転する。一つの死に焦がれて邁進する狂気した情念と、それに寄り添う死の花・・・」

 「テロル、狂気した熱い死、それのための生、許してよいのか?許す―とんでもない、そんな言葉がどうして吐かれようというのか、許すもへったくれもなく、厳然としてそこに在るのだから・・・」

 「そして打ちひしがれた、その哀れで、コッケイな姿態と位置から起上がって来るがいい。お前には死ぬことすらふさわしくない。アレコレの粉飾は鼻もちならない。“死”と流された鮮血を汚すな、汚してくれるな、その三文劇で!」

 「ああ愛すべき三文役者―お願いだから。その時、私は温かいしとねにもなれるだろうに・・・.私自身の傷跡もぬぐいさられるだろうに・・・」

 「わかって欲しい、わかって下さい。孤独な演技者よ、孤独な夢想者よ。私を殺さないで欲しい、私を無残に打ちのめさないで欲しい。あかくえぐられた傷口をもうこれ以上広げないで欲しい。助けて欲しいんです。もうどうしようもない」

 「優しさをクダサイ。淡いあたたかい色調の優しさをクダサイ」

 「既に奪われた生命と流された血を、せめて汚すまい、汚してはならない」

 「否が応でも、去る日は来る。それが幸いとなるか、悲しみを呼ぶか、一層の切実さを与えるか、全てを流す清水となるか、それは今、私は知らない。ただ、素直でありたい、自然でありたい」

 
 以上の大槻節子の日記のタイトルは、「優しさをください」。

 因みに、彩流社刊のこの著書のサブタイトルは、「連合赤軍女性兵士の日記」。
 上記に引用した文章は、1968年12月13日から71年4月4日にかけて大槻節子が書いた、この日記の肉声の断片である。

 正直言って、極めて稚拙な表現のオンパレードだが、しかしそれ故にと言うべきか、技巧にすら届き得ないその肉声から、彼女の自我が状況の激しい変化に必死に対応していこうともがくさまが、直接的に伝わってきて、とても痛々しい限りである。

 彼女にとって革命家であり続けることは、正義の貫徹のための確信的テロリスムを受容し切ることを意味していたが、それでもなお、それを受容し切れないもどかしさを認知してしまうとき、却って、不必要なまでの自虐意識を内側で加速させてしまうのだろう。

 沸々と煮え滾(たぎ)った状況下で、どうしても怯(ひる)んでしまう自我に何とか既成の衣を被せて、状況の先陣を疾駆するが、しばしば虚空に晒され、狼狽(うろた)えて、立ち竦むのだ。

 彼女もまた、「共産主義者はやさしい」という命題に憑かれているが、これがテロルを合理化する方便に安直に使われることを許せない感性と、拠って立つ思想との均衡に少なからぬ波動が生じていて、彼女の自我はそれを充分に処理し切れていないのである。

 恐らく、自我が状況を消化し切れないまま、大槻節子は跳躍を果たしていく。
 
 大槻には助走のための充分な時間が与えられることなく、ギリギリの所で「物語」が内包する圧倒性に引っ張られていった。しかし、この内側の貧困を仲間に見透かされてはならない。等身大の世界から決別するには、それなりの覚悟がいるという含みを内側に身体化していく過程を拓いたとき、ここに誰が見ても感激する、「気丈で頑張り屋」の「女性革命家」が誕生するのである。

 大槻節子という自我は、それがいつもどこかで感じ取っていたであろう、言語を絶する困難な未来にやがて嬲(なぶ)られ、噛み砕かれていく。彼女が欲した「優しさ」は、「共産主義化」という苛酷な物語が開いた闇の世界の中で宙吊りにされ、解体されていくのだ。

 彼女は、「死刑囚」としての寺岡恒一の顔面を殴り、熱心な粛清者を演じて見せた。その果てに、彼女自身の煩悶の過去が「人民法廷」の前に引き摺り出された挙句、末梢的な告発の連射を執拗に浴びて、自らも縛られし者となっていくのである。

 大槻節子の死は、一切の人間的感情を持つ者のみならず、一切の人間的感情を過去に持った者をも裁かれる運命にあることを示して見せた。

 「共産主義化」という苛酷な物語は、「プチ・ブル性」という名において、人々の意識や感情や生活のその過去と現在の一切を、執拗に裁いていくための錦の御旗であったのだ。

 考えてもみよう。

 このような裁きによる対象から、果たして自由であり得る者が、一体どこにいるというのか。この裁きによって生還を果たす者など、理論的にはどこにもいない。一歩譲って、これを認めるなら、裁かれし者の筆頭には、「敵前逃亡」の過去を持つ森恒夫が指名されて然るべきなのである。

 大槻節子の死は、圧倒的なまでに理不尽な死であった。
 
 彼女はその理不尽さに抗議するが、それが虚空に散っていくことを知ったとき、絶望的な空しさの中に沈んでいく。ギリギリまでに持ち堪(こた)えた彼女の自我は、遂に崩れ去っていったのだ。

 これは、一つの青春の死ではない。人間の、人間としての基本を支える、それなくしては生きられない、互換性を持たない何かの全き生命の死なのである。

 彼女の自我は遂にテロルの回路に搦め捕られてしまったが、その想像力の射程にはなお、「貧困と圧制に喘ぐ民衆の哀しさ」が捕捉されていた。「全人類の解放」という甘美な物語が紡ぐ極上の快楽のうちに、「やさしさの達人」への跳躍が準備されたに違いない。

 しかし大槻を始め、少なくない若者たちを捉えた大物語の大時代性は、既に拠って立つ基盤を失いかけていた。少なくとも、大槻たちが呼吸を繋いでいた社会には、彼らの殉教的なテロルによって救済されるべき「民衆の哀しさ」など、もう殆ど生き残されていなかったのだ。

 高度に成熟しつつあった大衆消費社会の出現は、自分の意見を暴力によって具現する一切の思想を、明らかに弾き出す精神文化を抱え込んでいたのである。連合赤軍事件の悲劇の根柢にあるのは、このような大衆文化の強靭な世俗性である。この社会では、彼らは最初から凶悪なテロリスト以外ではなかったのだ。

 大槻節子がどれほどの跳躍を果たそうと、彼女はヴェーラ・ザストリッチ(19世紀から20世紀にかけて活躍したロシアの女性革命家)にはなれないし、ローザ・ルクセンブルク(注13)にも化けられないのである。ローザがその厖大な書簡の中で表出したヒューマニズムを、大槻節子はもはや移入することさえできないのだ。

 彼らがどう主観的に決めつけようと、もうこの社会では、「やさしさの達人」を必要としないような秩序が形成されている。時の総理大臣を扱(こ)き下ろし、それが不可避となれば、首相経験者を逮捕するまでに発達した民主主義を持ち、アンケーをとれば、つい先年まで、9割以上の人が「中流」を自認するような大衆社会にあって、人を殺してまで達成しなければならない国民的テーマの存在価値などは、全く許容すべくもなかったのである。

 「やさしさの達人」を目指すなら、どうぞ国外に脱出した後、思う存分やってくれ。その代わり、国の体面だけは傷つけてくれるな、などという無言のメッセージがこの国の文化にたっぷりと張り付いていて、大衆の視線には60年安保のような、「憂国の青春」へのシンパシーが生き残されていなかったのだ。

 高度成長という日常性のカーニバルは、この国の風土を変え、この国の人々の生活を変え、この国の人々が拠って立っていた素朴な秩序を変えていった。それは人々の感性を変え、文化を変え、それらを紡ぐ一つのシステムを変えていったのである。

 大物語の大時代性に縋り付くテロリストだけが、そのことを知らない。

 彼らは時代に置き去りにされたことを知らない。人々の現在を知らないから、人々の未来を知らない。人々の心を知らないから、人々の欲望を知らないし、その欲望の挫折のさまを知らない。井上陽水の「傘がない」(注14)のインパクトを知らないし、ハイセイコー(注15)への熱狂を知らない。

 人々の心を知らないテロリストは、とうとう仲間の心までも見えなくなっていたのである。彼らはもう、「やさしきテロリスト」ですらなくなった。人々を否定し、仲間を否定したテロリストは、最後には自らをも否定していくのだ。これが、森恒夫の自殺であった。

 彼らは切っ先鋭く、「欺瞞に満ちた時代」を砕こうとして、激情的興奮を求める時代の辻風に屠られたのだ。ここからもう何も生まれない。それだけなのである。

 因みに、反日武装戦線(注16)によるテロルの拡散は、連合赤軍事件で否定されたものに固執するしか生きていけない情念が、醜悪にも演じて見せた最後の跳躍のポーズである。

 彼らは「左翼」であることの矜持すら打ち捨てて、殆ど、大義名分だけで動いたかのような杜撰(ずさん)さを晒して見せた。大衆社会の反応は、言葉の通じぬ犯人の闖入(ちんにゅう)によって被った、理不尽極まる大迷惑以外の何ものでもなかった。従って、それは通り魔的な事件を処理される文脈のうちに終焉したのである。
 
 世の中は、すっかり変わってしまったのだ。

 時代は、森恒夫や永田洋子はおろか、もはや、一人の大槻節子すらも求めることはない。事件に対する関心などは、アクション映画の快楽を堪能したらもうそれで完結したことになり、それを気難しく解釈する思いなど更々ない。まして裁判をフォローする理由などは全くなく、永田や坂口の死刑判決の報に接し、胸を撫で下ろすという程度の反応で擦過してしまうであろう。

 連合赤軍事件は、最初から過去の事件として処理されてしまったのである。

 それは事件の開始と共に既に過去の事件であり、そこでどのような陰惨な活劇が展開されたにせよ、どこまでもそれは、現在に教訓を引き出すに足る類の事件とは無縁の、おぞましい過去の事件の一つでしかなかったのだ。

 連合赤軍事件は、こうして最初から、政治とか思想とかいう次元の事件とは無縁の何かとして、高度大衆消費社会から永久に屠られてしまったのである。 
 

(注13)ドイツ革命の象徴的存在。ポーランド生まれのユダヤ人で、ドイツ移住後は「スパルタクス団」を結成、やがて組織はドイツ共産党に発展的解消。1919年に武装蜂起を指導するが、カール・リープクネヒトと共に虐殺される。

(注14)“都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨  傘がない 行かなくちゃ  君に逢いに行かなくちゃ  君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ・・・”という歌詞で有名なフォークソング。時代や社会よりも、個人の問題を優先する思いが歌われている。

(注15)1970年代半ばに活躍した、アイドル的な競走馬。増沢旗手による「さらばハイセイコー」というヒット曲でも有名。

(注16)正式には、「東アジア反日武装戦線」。1970年代半ばに、三菱重工ビル爆破事件を嚆矢とする、所謂、「連続企業爆破事件」を起こし、日本社会を震撼させた。

5.魔境に搦め捕られた男の「自己総括」  

 稿の最後に、「連合赤軍」という闇を作り上げた男についてのエピソードを、ついでに記しておく。永田洋子と共に、仲間が集合しているだろう妙義山中の洞窟に踏み入って行った森恒夫は、そこに散乱したアジトの後を見て動揺する。黒色火薬やトランシーバーなども放り出されていて、山田隆の死体から取った衣類も、そのまま岩陰にまとめて置かれていた。(因みに、この衣類が凄惨な同志粛清の全貌を解明する手懸りとなる)

 そのとき、森は上空にヘリコプターの音を聞き、下の山道に警官たちの動静を察知して、彼の動揺はピークに達する。彼は傍らの永田に絶望的な提案をする。
 
 「駄目だ。殲滅戦を戦うしかない」
 
 永田はそれを受け入れて、ナイフを手に持った。二人は岩陰に潜んで、彼らが死闘を演ずるべき相手を待っている。

 ここから先は、永田本人に語ってもらおう。
 
 「私はコートをぬぎナイフを手に持ち、洞窟から出て森氏と一緒に岩陰にしゃがんだ。この殲滅戦はまさに無謀な突撃であり無意味なものであった。しかし、こうすることが森氏が強調していた能動性、攻撃性だったのである。

 私はここで闘うことが銃による殲滅戦に向けたことになり、坂口氏たちを少しでも遠くに逃がすことになると思った。だから、悲壮な気持ちを少しももたなかった。私はこの包囲を突破することを目指し、ともかく全力で殲滅戦を闘おうという気持ちだけになった。

 この時、森氏が、『もう生きてみんなに会えないな』といった。

 私は、『何いってるのよ。とにかく殲滅戦を全力で闘うしかないでしょ』といった。

 森氏はうなずいたが、この時、私は一体森氏は共産主義化をどう思っていたのだろうかと思った。『もう生きてみんなに会えないな』という発言は、敗北主義以外のなにものでもなかったからである。

 しばらくすると、森氏は、『どちらが先に出て行くか』といった。

 私は森氏に、『先に出て行って』といった。

 森氏は一瞬とまどった表情をしたが、そのあとうなずいた。

 こうした森氏の弱気の発言や消極的な態度に直面して、私は暴力的総括要求の先頭に立っていたそれまでの森氏とは別人のように思えた」(永田洋子著・「十六の墓標・下」彩流社刊/筆者段落構成)
 
 
 この直後に二人は警察に捕縛され、粛清事件などの最高責任者として「裁かれし者」となるが、周知のように、森恒夫は新年を迎えたその日に獄中自殺を遂げたのである。 ともあれ、以上の永田のリアルな描写の中に、私たちは、森恒夫という男の生身の人間性の一端を垣間見ることができるだろう。

 自分の命令一下で動くことができる仲間たちと別れ、傍らには、下山以来行動を共にしてきた気丈な「女性革命家」しかいない。山中では、彼女を含めた殆ど全ての同志たちの前で、「鋼鉄の如き共産主義者」というスーパーマンを演じていて、それは概ね成功していたかに見えた。

 しかし事態は、同志殺しの連鎖という、恐らく、本人が想像だにしなかったはずの状況を生み出してしまった。

 自らが積極的に関与したこの負性状況の中にあって、彼はますます「鋼鉄の如き共産主義者」という、等身大を遥かに越える役割を演じ続けて見せた。この心理的文脈の尖った展開が、忌まわしい粛清の連鎖に見事なまでにオーバー・ラップされるのだ。

 彼の人格が、「共産主義者」の「鋼鉄性」(冷酷性)の濃度を増していく度に、同志の中から人身御供(ひとみごくう)となる者が供されていくのである。このような資質を内在させた人格があまりに観念的な思想を突出させた武装集団の最高指導者になれば、恐らく、不可避であったに違いないと思わせるほどの、殆ど予約された悲劇的状況が、厳寒の上州の冬の閉鎖系の空間の只中に分娩されてしまったのだ。

 一つの等身大を越える役割を演ずるということは、長い人生の中でしばしば起こり得るということである。しかし、それを演じ続けることは滅多にない。人間の能力は、等身大以上の役割を演じ続けられるほど、中々その継続力を持ち得ないのだ。等身大以上の役割を演じ続けるということは、自我のリスクを高めるだけで、自我を必要以上に緊張させることになる。緊張はストレスを高めるだけだ。

 セリエ(カナダの生理学者)のストレス学説によると、ストレスとは、「生物学的体系内に非特定的にもたらされた、全ての変化に基づく特定症候の顕在化状態」であり、これには、ユーストレス(良いストレス)とディストレス(悪いストレス)がある。

 人間が環境に普通に適応を果たしているとき、当然、そこにはユーストレスが生じている。適度なストレスは適応に不可欠なのだ。

 ディストレスは、アンデス山中に遭難(「アンデスの聖餐」/注17)してしまうとか、阪神大震災に遭うとか、殺人鬼にナイフを突きつけられるとか、アウシュヴィッツに囚われるとかいうようなケースで生じるストレスで、しばしば、自我を機能不全化してしまう。いずれのストレスも自我の臨界点を越えたら、本来の自我の正常な機能に支障を来たすのに変わりないのである。

 人間が等身大以上の役割を演じ続けることに無理が生じるのは、自我に臨界点を越えるほどのストレスが累積されることによって、自我内部の矛盾、即ち、等身大以上の人間を演じることを強いる自我と、そのことによって生じるストレスを中和させるために、等身大の人間を演じることを要請する自我との矛盾を促進し、この矛盾が自我を分裂状態にさせてしまうからだ。人間は、分裂した自我を引き摺って生きていけるほど堅固ではないのである。
 

(注17)1972年、ラグビー選手たちを乗せたチリ行き旅客機がアンデスの山中で遭難し、生き残るためにやむなく人肉食いを余儀なくされた衝撃的な事件を描いた、ブラジルのドキュメンタリー映画。『生きてこそ』(フランク・マーシャル監督)というアメリカ映画も話題になった。

 
 森恒夫が演じ続けた「鋼鉄の共産主義者」は、あくまでも彼が、「そうであるべきはずのスーパーマン」をなぞって見せた虚構のヒーローであった。

 然るに、そのヒーローによる虚構の表出が、彼をして、「箱庭の帝王」の快楽に酩酊させしめるほどのものであったか、些か疑わしいい所である。森恒夫の自我に、「箱庭の帝王」の快楽がべったりと張り付いていなかったとは到底思えないが、私には、彼の自我が浴びた情報が快楽のシャワーであるよりも、しばしば、等身大以上の人間を演じ続けねばならない役割意識が生み出した、厖大なストレスシャワーであるように思えてならないのだ。

 自我が抱え込めないほどのストレスはオーバーフローせざるを得ない。「鋼鉄なる共産主義者」を演じ切るには、考えられる限りのパフォーマンスの連射が要請されるに違いない。「敗北死」を乗り越えていく意志を外化させることで、自らの「鋼鉄性」を検証する。「鋼鉄性」の濃度が、「冷酷性」によって代弁されてしまうのである。この「冷酷性」こそ、実は、オーバーフローされたストレスの吐瀉物なのである。

 従って、森恒夫が等身大以上の人間を演じ切ろうとすればするほど、オーバーフローしたストレスが「冷酷性」として身体化されることになる。「鋼鉄なる共産主義者」への道という等身大以上の物語の仮構が、その物語が抱えた本質的な虚構性の故に、更にその虚構性を観念の範疇に留めずに、「あるべき身体」として押し出してくるとき、そこに極めて危険な倒錯が発生するのだ。
 
 即ち、「あるべき身体」であらず、「あるべき身体」であろうとしないと印象付けられた全ての身体、就中、「あるべき身体」でないために、「あるべき身体」を欲する身体を成功裡に演じ続ける器用さを持たない、真に内面的な身体、例えば、大槻節子のような身体が、「総括」の名によって烈しく否定されてしまうという状況を生み出すのである。

 「あるべき身体」の仮構が、「あるべき身体」であらない身体を拒むとき、そこで拒まれることのない身体とは、「あるべき身体」以外ではない。そこでの「あるべき身体」の検証をする身体もまた、「あるべき身体」でなければならないのである。だが、「悪魔」が「神」を裁けないのだ。

 では、「あるべき身体」としての「神」の存在を前提にすることで成立し得るこの状況性にあって、その「神」を担う身体は、一体どのような身体なのか。

 それが、「鋼鉄なる共産主義者」を演じ切ることを要請された、森恒夫という固有なる身体である。森恒夫という身体は、「あるべき身体」として、他の全ての「あるべき身体」を目指す、「あるべき身体」ではない身体を相対化する、唯一の絶対的な身体となる。少なくとも、それ以外には粛清を合理化するロゴスはないのである。「あるべき身体」ではない身体が、他の「あるべき身体」ではない身体を否定することは理論的に困難であるからだ。
 
 こうして、森恒夫という身体は、「あるべき身体」の体現者を演じ切らねばならないという十字架を負っていく。
 
 これが私をして、「箱庭の帝王」=「森恒夫の快楽」という風に、安直に決め付けることを困難にさせる根拠がある。問題はそれほど単純なものではないのである。

 森恒夫の跳躍は、まず「あるべき身体」を仮構するという困難さの中に端を発し、ここに埋没して果てたと言うべきか。どだい、その跳躍自体に問題があったのだ。「覚悟」と「胆力」を不足させた男の自我の、その過激な、あまりに過激な跳躍が、この陰湿極まる事件の根柢にあったとは言えないだろうか。
 
 高度大衆消費社会のとば口で、山岳ベースに依拠して殲滅戦を結ぶという、およそ信じ難い倒錯(この場合、社会的規範から外れた行動を示すこと)を生き切るには、それを内側で支えるに足る烈しく狂信的な物語と、その物語に殉教し得る持続的なパトスが不可欠であった。

 森恒夫という身体の内側に、それらの強靭な能力が備わっていたかどうかの検証が、少なくとも、山岳ベースではギリギリの所で回避されていた。森恒夫という能力の検証が回避されたことは、森恒夫という身体が、山岳ベースで、「あるべき身体」を仮構し得ていたことを意味するだろう。

 彼の能力の検証の回避は、同時に、「箱庭の恐怖」=「榛名ベースの闇」からの解放の可能性が開かれないことを意味していたのである。平凡な能力しか持ち得ない一人の男の、その過激な跳躍が、単なる愚行を忌まわしい惨劇に塗り替えてしまったのか。

 しかし、このドラマ転換は、恐らく、男の本意ではなかったように思われる。男はただ、演じ切ることが殆ど困難な役割を、一分の遊び心を持たないで、男なりに真摯に、且つ、徹底的に演じ切ろうと覚悟しただけなのだった。

 男のこの過激な跳躍を保証した山岳ベースとは、男にとって魔境であったのだ。

 男はこの魔境に嘗め尽くされ、翻弄された。この魔境は、平凡な能力しか持たない男に制御され、支配されるような宇宙ではなかったのである。男が支配したのは、男によって縛られし者たちの肉体のみであって、それ以外ではない。男もまた、その忌まわしい宇宙に縛られていたとしか説明しようがないのだ。

 男は恐らく、この魔境に入らなければ権力にきついお仕置きを受けた後、「俺の青春は華やかだったんだぞ」と声高に回顧する、理屈っぽい中年親父に転身を遂げたのではないか。

 男を擁護するつもりなど更々ないが、私にはこの男が、このような秩序破壊の暴挙を貫徹する能力において際立って愚昧であることを認知しても、その人格総体が狂人であるという把握をとうてい受容できず、誤解を恐れずに言えば、男の暴走の当然の帰結とは言え、男が流されてしまったその運命の苛酷さに言葉を失うのみである。

 ともあれ、最高指導者としての自分の能力の「分」を越えた男の所業の結果責任は、あまりに甚大であり過ぎた。踏み込んではならない魔境に侵入し、そこで作り上げた、「箱庭の恐怖」の「帝王」として君臨した時間の中で、この最高指導者は「同志」と呼ぶべき仲間の自我を裂き、削り抜いてしまったのだ。

 詰まる所、「箱庭の恐怖」の凄惨さは、最高指導者としての男の自我の凄惨さをも、存分に曝け出してしまったのである。

 ――― 男を縛った魔境は私たちの日常世界にも存在していて、それがいつでも私たちの弱々しい自我を拉致せんと、甘美な芳香を漂わせて、木戸を開けて待っている。それが怖いのである。その怖さは、或いは、近代文明の諸刃の剣であるだろう。

 近代文明の快楽は、いつでも快楽に見合った不条理を懐深く包含させているのだ。エール大学での心理実験が炙り出した根源的問題は、まさに私たちの自我の脆弱さが、その栄光の陰にまとっていることの認知を私たちに迫るものだった。そのことを少しでも認知できるから、私は近代文明への安直な批判者になろうとはゆめゆめ思わないのである。

 もう既に、私たちの文明は、私たちの欺瞞的な批判によっては何ものをも変えられないような地平を開いてしまったのである。甘い飴をたっぷり舐(な)め尽した後、虫歯になったからと言って、ギャーギャー泣き騒ぐのはフェアではないし、誠実さにも欠ける。誰のせいでもない。私自身の何かが欠落していたのである。文明の問題は、畢竟(ひっきょう)、私自身の問題であるという外はない。

 感傷的な物言いは止めて、男についての私の最後の感懐を記しておく。

 男は魔境の中で、遂に裸になれなかった。

 男が最後まで裸になれなかったなら、恐らく、私は本稿を書こうとは思わなかったであろう。終始、男と共に魔境にあった女が、「十六の墓標」という本を上梓しなかったら、私は「連合赤軍の闇」について、思考を巡らすことをしなかったかも知れない。

 私はこの本を読み進めていくうちに、次第に胸が詰まってきて、男の内側の見えない風景の中に、何とも名状し難い煩悶のようなものが蠢(うごめ)いているのが感じられたのである。この男は、自分の能力ではどうすることもできないような魔境の磁場に引き摺られて動いている、という思いが痛切に伝わってきて、これが逮捕劇の醜態を読み解く伏線になっていた。

 私には、この男の「弱気な発言や消極的な態度」に、何の違和感も覚えない。男は逮捕に至る酷(むご)く閉鎖的な状況下で、一瞬、仮面を脱ぎ捨てて、「最高指導者」としての決定的な役割を放擲(ほうてき)しようとしたのである。男は革命劇の最後のシーンで、裸の自我を完全に曝して見せたのだ。そしてこれが、過激な跳躍を果たした男の、最初にして最後の、赤裸々な自我の表出となったと言えるか、私には分らない。

 或いは、男が首を括ったとき、その顔は男が執拗に求め続けた「あるべき身体」の、威厳に満ちた、しかし情感に乏しい表情に戻っていたと言えるのだろうか。

 男は最後まで、「鋼鉄の如き共産主義者」という物語を捨てられなかったのか。それがせめてもの、男の死出の旅の拠り所であったのか。私には何も分らない。ただ、人間は死んでいくにも、何某かの物語を必要としてしまう何者かであることだけは分っているつもりだ。

 男は「自死」というあまりに見えやすい身体表現によって、「自己総括」を果たしたのか、それとも、それが男の「敵前逃亡」の自己完結点だったのか、今となっては、一切は想像の限りでしかない。少なくとも、魔境に搦め捕られた男の「自己総括」が、「自死」という見えやすい身体表現によって完結点を結んだと括るには、男が魔境で吐瀉した情動系の暴走は突き抜けて過剰だったと言えるだろう。
 
 その過剰なる暴走に対して、もう男は全人格を持って引き受ける何ものをも持ち得なかったに違いない。あのとき男は、自らが倒すべき標的だった権力機関の一画に捕捉されて、それと全人格的に闘争する合理的文脈の欠片をも所有することなく、その絶望感の極みを、あのような見えやすい身体表現のうちに、辛うじて、かつて「最高指導者」であった者のギリギリの矜持(きょうじ)を鏤刻(るこく)したのであろうか。             

(1995年1月脱稿)                          

〔尚、本稿の中での全ての注釈、本稿の一部については、本稿を「Word」に転記していく際に、若干の補筆を加えながら、2007年1月に記述したものである〕

 
【余稿】
 
 本稿を擱筆(かくひつ)後、2ヵ月経った3月20日に、「地下鉄サリン事件」が発生した。所謂、一連の「オウム真理教事件」として世を震撼させる事件が顕在化する契機となった凶悪犯罪である。

 事件の真相が明らかにされるにつれ、「サティアン」と呼ばれる特殊空間の中で、生物化学兵器である物質を製造し、あろうことか、それを既に使用したという現実を、この国の人々は目の当たりにすることになったのである。
 
 私が瞠目したのは、事件の凶悪さそれ自身よりも、寧ろ「サティアン」という名の、特定的な権力関係の暴走を許す小宇宙が、富士山麓の風光明媚な国土の一角を占有していたという現実だった。

 そこだけが閉鎖系に自己完結する、おぞましい空間が生み出した権力関係の内実は、まさしく「箱庭の恐怖」の様相を呈するものだったのだ。当然の如く、そこには「箱庭の帝王」が君臨し、その「帝王」によって支配される偏頗(へんぱ)な階級構造の仮構によって、その小宇宙の権力関係は、紛れもなく、ラインを判然とする暴力機構の機能を発現していたのである。

 この事件は、「箱庭の恐怖」の最もおぞましい様態を晒していて、必ずしも不可避な現出を検証する事態であるとは言えないだろう。

 それにも拘らず、近代文明社会の只中に物質文明の自然科学の情報のみを吸収しつつも、精神文化の異様な尖りを見せた世界が、そこだけは偏頗(へんぱ)な様態を顕在化させて、長きに渡って継続力を持ってしまったという事実に着目する限り、常に私たちのこの秩序だった社会の隅に、私たちが拠って立つ一般的な規範を逸脱する事態の出来が裂かれるようにして、一つの禍々(まがまが)しい「状況性」を結んでしまう恐怖感 ―――まさにそこにこそ、この事件の本当の怖さが伏在していたと考えるのである。
 

 「連合赤軍の闇」という本稿の冒頭に、「榛名ベースの闇」を形成した因子として、私は三つの点に注目した。それらを、ここで改めて確認する。

 その一。有能なる指導者に恵まれなかったこと。
 
 その二。状況の底知れぬ閉鎖性。

 その三。「共産主義化論」に象徴される思想と人間観の顕著な未熟性と偏頗性。
 
 この三つの要因が組織的に、構造的に具現化された世界の中で、私は「箱庭の恐怖」の出現の可能性がより増幅されると考えている。

 まさに「オウム真理教事件」の「サティアン」こそ、「箱庭の恐怖」以外の何ものでもなかったのである。そして、「サティアン」というカルト教団が作り出した「箱庭の恐怖」は、以上三つの形成因子を堅固にリンクすることで立ち上げられていたということだ。

 「サティアン」という名の小宇宙の闇の本質は、支配命令系統の絶対化と、脱出不能の閉鎖系の時間を日常化させていた所にある。就中、そこでの権力関係の組織力学は、およそ大衆的な宗教団体の柔和性と融通性とは完全に切れていて、「ハルマゲドン思想」という危機な物語の共有化によって、より極左集団の硬直性と酷似する苛烈さを内包するものであった。

 まさに「権力関係の陥穽」を存分に炙(あぶ)り出す、その組織の硬直した構造性こそ、このカルト教団の闇を貫流する、その本質的な暴力性を必然化する決定的な因子であると言っていい。
 
 このような問題意識によって、私は事件直後に、「権力関係の陥穽」と題する小論を書き上げた。それは、「権力関係の陥穽」というものが、ある一定の条件さえ揃ってしまえば、私たちの日常性の中に容易に出来してしまうという把握を言語化したものである。
 
 以下、本稿をフォローする「補論」として、それを記述していきたい。

(2007年1月記)

 

補論 「権力関係の陥穽」  

 人間の問題で最も厄介な問題の一つは、権力関係の問題である。権力関係はどこにでも発生し、見えない所で人々を動かしているから厄介なのである。 権力関係とは、極めて持続性を持った支配・服従の心理的関係でもある。この関係は、寧ろ濃密な感情関係の中において日常的に成立すると言っていい。
 
 例えば、極道の世界で生まれた階級関係に感情の濃度がたっぷり溶融したら、運命共同体に呪縛が関係を拉致して決して放すことはないだろう。

 或いは、最も非感情的な権力関係と見られやすい軍隊の中でこそ、実は濃密な感情関係が形成され得ることは、二.二六事件の安藤輝三隊(歩兵第3連隊)を見ればよく分る。決起に参加した下士官や兵士の中には、事件そのものにではなく、直属の上司たる安藤輝三大尉に殉じたという印象を残すものが多かった。
 
 心理理学者の岸田秀が折りに触れて言及しているように、日本軍兵士は雲の上の天皇のためというより、しばしば、彼らの直属の上司たる下士官や隊付将校のために闘った。また下士官らが、前線で驚くべき勇士を演じられたのも、普段から偉そうなことを言い放ってきた見知りの兵卒たちの前で、醜態を見せる訳にはいかなかったからである。まさに軍隊の中にこそドロドロの感情関係が澱んでいて、そこでの権力関係の磐石な支えが、視線に生きる人々を最強の戦士に育て上げていったのである。
 
 因みに、「視線の力学」は、この国のパワーの源泉の一つであった。

 この力学が集団を固く縛り、多くの兵卒から投降の機会を奪っていったのは事実であろう。日本軍将兵は単騎のときには易々と敵に平伏すことができたのに、「視線の力学」に呑まれてしまうと、その影響力から解放されることは極めて困難であった。この力学の求心力の強さは、敗戦によって武装解除された人々のうちに引き続き維持され、深々と温存されていることは経験的事実であると言っていい。

 こうした「視線の力学」の背後に感情関係とリンクした権力関係が存在するとき、そこに関わる人々の自我は圧倒的に呪縛され、その集合性のパワーが状況に雪崩れ込んで、しばしばおぞましい事件を惹起した。その典型例が、「連合赤軍事件」と「オウム真理教事件」であった。

 そこでは、個人の自我の自在性が殆ど済し崩しにされていて、闇に囲繞された「箱庭の恐怖」の中に、この関係性がなかったら恐怖の増幅の連鎖だけは免れていたであろう、様々にクロスして繋がった地獄絵図が、執拗なまでに描き込まれてしまったのである。

 権力関係は日常的な感情関係の中にこそ成立しやすいと書いてきたが、当然の如く、それが全ての感情関係の中に普通に生まれる訳ではない。
 
 ―― 例示していこう。
 
 ここに、僅かな感情の誤差でも緊張が生まれ、それが高まりやすい関係があるとする。

 些細なことで両者間にトラブルが発生し、一方が他方を傷つけた。傷つけられた者も、返し刀で感情的に反撃していった。相互に見苦しい応酬が一頻り続き、そこに気まずい沈黙が流れた。よくあることである。しかしそこに感情の一方的な蟠(わだかま)りが生じなければ、大抵は感情を相殺し合って、このように一過的なバトルが中和されるべき、沈黙という緩衝ゾーンに流れ込んでいくであろう。

 そこでの気まずい沈黙は、相互に感情の相殺感が確認できて、同時に、これ以上噴き上げていく何ものもないという放出感が生まれたときに、殆ど自然解消されていくに違いない。沈黙は手打ちの儀式となって、後は時間の浄化力に委ねられる。このようなラインの流れを保障するのは、そこに親和力が有効に働いているからに他ならないのである。

 このように、言いたいことを全て吐き出したら完結を見るという関係には、権力関係の顕現は稀薄であると言っていい。始まりがあって終わりがあるというバトルは、もう充分にゲームの世界なのだ。

 然るに、権力関係にはこうした一連なりの自己完結感がなく、感情の互酬性がないから、そこに相殺感覚が生まれようがないのである。関係が一方的だから、攻守の役割転換が全く見られない。攻め立てる者の恣意性だけが暴走し、関係が偶発的に開いた末梢的な事態を契機に、関係はエンドレスな袋小路に嵌(はま)りやすくなっていく。

 事態の展開がエンドレスであることを止めるためには、関係の優劣性を際立たせるような確認の手続きが求められよう。「私はあなたに平伏(ひれふ)します」というシグナルの送波こそ、その手続きになる。弱者からのこのシグナルを受容することで、関係の緊張が一応の収拾に至るとき、私はそれを「負の自己完結」と呼んでいる。権力関係は、しばしばこの「負の自己完結」を外化せざるを得ないのである。

 然るに、「負の自己完結」は、一つの始まりの終わりであるが、次なる始まりの新しい行程を開いたに過ぎないも言える。権力関係は、どこまでいってもエンドレスの迷妄を突き抜けられないのである。

 ―― 他の例で、具体的に見ていこう。
 
 ある日突然、息子の暴力が開かれた。

 予感していたとは言え、その唐突な展開は、母親を充分に驚愕させるものだった。母親は動揺し、身震いするばかりである。これも予測していたこととは言え、母親を守るべきはずの父親が、父親としての役割を充分に果たしていないことに、母親は二重の衝撃を受けたのだ。

 父親は口先では聞こえの良いことを言い、自分を庇ってくれている。しかしそれらは悉(ことごと)く客観的過ぎて、事態の核心に迫ることから、少しずつ遠ざかるようなのだ。父親は息子の暴力が反転して、自分に向かって来るのをどこかで恐れているようなのである。

 母親は急速に孤立感を深めていった。父親と同様に、息子の暴力を本気で恐れている。最初はそうでもなかった。髪をむしられ、蹴られるに及んで、自分を打擲(ちょうちゃく)する身体が、自分がかつて溺愛した一人息子のイメージと次第に重ならなくなってきて、今それは、自分の意志によっては制御し得ない暴力マシーン以外ではなくなった。
 
 何故、こうなってしまったのかについて、母親はもう理性的に解釈する余裕を持てなくなってしまっている。それでも、自分の息子への溺愛と、父子の対話の決定的な欠如は、息子の問題行動に脈絡しているという推測は容易にできた。

 しかし今となってはもう遅い。何か埋め難い過誤がそこにある。でも、もう遅い。息子の暴力は、日増しに重量感を強めてきた。ここに、体を張って立ち向かって来ない父親にまで、息子の暴力が拡大していくのは時間の問題になった。
 
 以上、この畏怖すべき仮想危機のイメージが示す闇は深く、絶望的なまでに暗い。
 
 母と息子の溺愛を示す例は少なくないが、必ずしも、その全てから身体的暴力が生まれる訳ではない。しかしドメスティック・バイオレンス(DV=家庭内暴力)の事例の多くに、溺愛とか愛情欠損といった問題群が見られるのは否めないであろう。

 その背景はここでは問わないが、重要なのは、息子の暴力の出現を、明らかな権力関係の発生という風に把握すべきであるということだ。母子の溺愛の構図を権力関係と看做(みな)すべきか否かについては分れる所だが、もしそのように把握したならば、ここでのDVは権力関係の逆転ということになる。
 
 歴史の教える所では、権力関係の逆転とはクーデターや革命による政権交代以外ではなく、その劇的なイメージにこの暴力をなぞってみると、極めて興味深い考察が可能となるだろう。

 第一に、旧政権(親権)の全否定であり、第二に、新政権(子供の権利)の樹立がある。そして第三に、新政権を維持するための権力(暴力)の正当性の行使である。

 但し、「緊張→暴力→ハネムーン」というサイクルを持つと言われるDVは、革命の暴力に比べて圧倒的に無自覚であり、非統制的であり、恣意的であり、済し崩し的である。

 実はこの確信性の弱さこそが、DVの際限のなさを特徴付けている。暴力主体(息子)の、この確信のなさが事態を一層膠着(こうちゃく)させ、無秩序なものにさせるのだ。権力を奪っても、そこに政治を作り出せない。政治を作り出せないのは、自分の要求が定められないからだ。要求を定められないまま、権力だけが動いていく。暴力だけが空気を制覇するのだ。

 この確信のない恣意的な暴力の文脈に、息子の親たちは弱々しい暴力回避の反応だけを晒していく。これが息子には、許し難い卑屈さに映るのだ。「卑屈なる親の子」という認知を迫られたとき、この文脈を解体するために、息子は暴力を継続させる外になかったのか。しかし継続させた暴力に逃げ惑う親たちを見て、息子の暴力はますますエスカレートしていった。「負の自己未完結」の闇が、いつしか「箱庭」を囲ってしまったのである。
 
 母親の屈従と、父親の沈黙。

 その先に父親への暴力が待つとき、この父親は一体、息子の暴力にどう対峙するのだろうか。
 
 近年、このような事態に悩む父親が、専門的なカウンセリングを受けるケースが増えている。その時点で、既に父親は敗北しかかっているのだが、かつて、そんな敗北感を負った父親に、「息子さんの好きなようにさせなさい」とアドバイスをした専門家がいて、一頻り話題になった。マスコミの論調は主として、愚かなカウンセリングを非難する硬派調の文脈に流れていった。

 私の見解もマスコミに近かったが、ここで敢えて某カウンセラー氏を擁護すると―― 息子の暴力に毅然と対処できないその父親を観察したとき、某カウンセラー氏が一過的な便法として、相手(息子)の感情を必要以上に刺激しない対処法を勧めざるを得なかった、と解釈できなくもない。

 某カウンセラー氏は常に、敗北した父親の苦悶に耳を傾けるレベルに留まらない、職域を越えた有効なアドバイザーとしての、極めてハードな役割を担わされてしまっている。だから、彼らが敗北した父親に、「息子と闘え」という恐怖突入的なメッセージを送波できる訳もないのだ。それにも拘らず、彼らが父親に、「打擲に耐える父親」の役割のみを求めたのは誤りだった。この場合、「逃げてはいけません」というメッセージしかなかったのである。

 敗北した父親に、「闘え」というメッセージを送っても、恐らく空文句に終わるであろう。そのとき、「我慢しなさい」というメッセージだけが父親に共振したはずなのだ。

 父親はこのメッセージをもらうために、カウンセリングに出向いたのではないか。他人をこの苛酷な状況にアクセスさせて、自分の卑屈さを相対化させたかった。他者の専門的な判断によって、息子との過熱した行程の中で自らが選択した卑屈な行動が止むを得なかったものであることを、ギリギリの所で確認したかったのではないか。そんな読み方もまた可能であった。

 結局、父親も母親も息子の暴力の前に竦(すく)んでしまったのだ。彼らは単に暴力に怯(おび)えたのではない。権力としての暴力に竦んだのである。DVというものを権力関係というスキームの中で読んでいかない限り、その闇の奥に迫れないであろう。
 
 息子の暴力の心理的背景に言及してみよう。

 以上のケースでの父子関係に、問題がない訳がないからだ。
 
 このケースの場合、ここぞという時に息子に立ち向かえなかった父親の不決断の中に、モデル不在で流れてきた息子の成長の偏在性を見ることができる。立ち向かって欲しいときに立ち向かうべき存在のリアリティが稀薄であるなら、そのような父親を持った息子は、では何によって、一人の中年男のうちに、より実感的な父親性を確認するのだろうか。

 そのとき息子は、長く同居してきた中年男が、どのような事態に陥ったら自分に立ち向かって来るのか、という実験の検証に踏み出してしまうのだろうか。それが息子の暴力だったというのか。DVという名の権力の逆転という構図は、こんな屈折した心象を内包するのか。

 いずれにせよ、これ以上はないという最悪の事態に置かれても、遂に自分に立ち向かえなかった父親の中に、最後までモデルを見出せなかった無念さが置き去りにされて、炸裂した。息子に言われるままに買い物に赴く父親の姿を見て、心から喜ぶ息子がどこにいるというのだろうか。
 
 「あ、これが父親の強さなのだ。やはりこの男は、俺の父親だったんだ」
 
 このイメージを追い駆けていたかも知れない息子の、あまりに理不尽なる暴力の前に、イメージを裏切る父親の卑屈さが晒された。

 卑屈なるものの伝承。

 息子は、これを蹴飛ばしたかったのだ。

 本当は表立った要求などない息子が、どれほど父親を買い物に行かせようとも、それで手に入れる快楽など高が知れている。そこには政治もないし、戦略も戦術も何もない。あるのは、殆ど扱い切れない権力という空虚なる魔物。それだけだ。

 家庭という「箱庭」を完全制覇した息子の内部に、急速に空洞感が広がっていく。このことは、息子の達成目標点が、単に内なるエゴの十全な補償にないことを示している。彼は支配欲を満たすために、権力を奪取したかったのではない。ましてや、親をツールに仕立てることで、物質欲を満たしたかったのではない。

 そもそも彼は、我欲の補償を求めていないのだ。

 彼が求めているのは自我拡大の方向ではなく、いつの間にか生じた自我内部の欠乏感の充足にこそあると言えようか。内側で実感された欠乏感の故に、自我の一連なりの実在感が得られず、そのための社会へのアクセスに不安を抱いてしまうのだ。

 欠乏感の内実とは、自我が社会化できていないことへの不安感であり、そこでの免疫力の不全感であり、加えて自己統制感や規範感覚の脆弱感などである。

 息子が開いた権力関係は、無論、欠乏感の補填を直接的に求めたものではない。もとより欠乏感の把握すら困難であるだろう。ただ、社会に自らを放っていけない閉塞感や、社会的刺激に対する抵抗力の弱さなどから来る落差の感覚が、内側に苛立ちをプールさせてしまっているのである。
 
 何もかも足りない。決定的なものが決定的に足りないのだ。

 その責任は親たちにある。思春期を経由して攻撃性を増幅させてきた自我が、今やその把握に辿り着いて、それを放置してきた者たちに襲いかかって来たのである。

 当然のように、暴力によって欠乏感の補填が叶う訳がなかった。

 そこに空洞感だけが広がった。もはや権力関係を解体する当事者能力を失って、かつて家族と呼ばれた集合体は空中分解の極みにあった。そこには、内実を持たない役割記号だけしか残されていなかったのである。

      
            *        *       *       *

 ここで、権力関係と感情関係について整理してみよう。それをまとめたのが以下の評である。
           
      ↑              感情関係   非感情関係
     関自
     係由   権力関係       @       A
     の度  非権力関係     B       C
       低        
       い          ← 関係の濃密度高い

  
 
 @には、暴力団、宗教団体、家庭内暴力の家庭とか、虐待親とその子供、また大学運動部の先輩後輩、旧商家の番頭と丁稚、プロ野球の監督と選手や、モーレツ企業のOJTなどが含まれようか。

 Aは、パブリックスクールの教師と寮生との関係であり、警察組織や自衛隊の上下関係であり、精神病院の当局と患者の関係、といったところか。

 また、Bには普通の親子、親友、兄弟姉妹、恋人等、大抵の関係が含まれる。

 最も機能的な関係であるが故に、距離を保つCには、習い事における便宜的な師弟関係、近隣関係、同窓会を介しての関係や、遠い親戚関係といったところが入るだろうか。
 
 権力関係の強度はその自由度を決定し、感情関係の強度はその関係の濃密度を決定する。

 ここで重要なのは、権力関係の強度が高く、且つ、感情関係が濃密である関係(@)である。関係の自由度が低く、感情が濃密に交錯する関係の怖さは筆舌し難いものがある。

 この関係が閉鎖的な空間で成立してしまったときの恐怖は、連合赤軍の榛名山ベースでの同志殺しや、オウム真理教施設での一連のリンチ殺人を想起すれば瞭然とする。状況が私物化されることで「箱庭」化し、そこにおぞましいまでの「箱庭の恐怖」が生まれ、この権力の中心に、権力としての「箱庭の帝王」が現出するのである。

 「箱庭」の中では危機は外側の世界になく、常に内側で作り出されてしまうのだ。密閉状況で権力関係が生まれると、感情関係が稀薄であっても、状況が特有の感情世界を醸し出すから、相互に有効なパーソナル・スペースを設定できないほどの過剰な近接感が権力関係を更に加速して、そこにドロドロの感情関係が形成されてしまうのである。そこには理性を介在する余地がなく、恣意的な権力の暴走と、その禍害を防ごうとする戦々恐々たる自我しか存在しなくなる。いかような地獄も、そこに現出し得るのだ。

 ―― この権力の暴走の格好の例として、私の記憶に鮮明なのは、連合赤軍事件での寺岡恒一の処刑にまつわる戦慄すべきエピソードである。

 およそ処刑に値しないような瑣末な理由で、彼の反党行為を糾弾し、アイスピックで八つ裂きにするようにして同志を殺害したその行為は、暴走する権力の、その止め処がない様態を曝して見せた。このような状況下では、誰もが粛清や処刑の対象になり得るし、その基準は、「箱庭の帝王」の癇に障るか否かという所にしか存在しないのだ。

 実際、最後に粛清された古参幹部の山田孝は、高崎で銭湯に入った行為がブルジョア的とされ、これが契機となって、過去の瑣末な立ち居振る舞いが断罪されるに及んだ。山田に関わる「帝王」の記憶が殆ど恣意的に再編されてしまうから、そこに何か、「帝王」の癇(かん)に障(さわ)る行為が生じるだけで、反党性の烙印が押されてしまうのである。

 そしていつか、そこには誰もいなくなる。

 そのような権力関係の解体は自壊を待つか、外側の世界からの別の権力の導入を許すかのいずれかしかない。いずれも地獄を見せられることには変わりがないのだ。

 感情密度を深くした権力関係の問題こそが、私たちが切り結ぶ関係の極限的様態を示すものであった。従って私たちは、関係の解放度が低くなるほど適正な自浄力を失っていく厄介さについては、充分過ぎるほど把握しておくべきなのである。

 ―― 次に、介護によって発生する権力関係について言及してみる。

 ある日突然、老親が倒れた。幸い、命に別状がなかった。しかし後遺症が残った。半身不随となり、発語も困難になった。

 倒れた親への愛情が深く、感謝の念が強ければ、老親の子は献身的に看護し、恩義を返報できる喜びに浸れるかも知れない。その気持ちの継続力を補償するような愛や温情のパワーを絶対化するつもりはない。しかしそのパワーが脆弱なら、老親の子は、看護の継続力を別の要素で補填していく必要があることだけは確かである。

 では、看護の継続力を愛情以外の要素で補填する者は、そこに何を持ち出してくるか。何もないのである。愛情の代替になるパワーなど、どこにも存在しないのである。強いてあげれば、「この子は親の面倒を看なければならない」という類の道徳律がある。しかしこれが意味を持つのは、愛情の若干の不足をそれによって補完し得る限りにおいてであって、その補完の有効限界を逸脱するほどの愛情欠損がそこに見られれば、道徳律の自立性など呆気なく壊されてしまうのである。

 「・・・すべし」という心理的強制力が有効であった共同体社会が、今はない。

 道徳が安定した継続力を持つには、安定した感情関係を持つ他者との間に道徳的実践が要請されるような背景を持つ場合である。親子に安定した感情関係がなく、情緒的結合力が弱かったら、病に倒れた親を介護させる力は、ひとり道徳律に拠るしかない。しかしその道徳律が自立性を失ってしまったら、早晩、直接介護は破綻することになるのだ。

 直接介護が破綻しているのに、なお道徳律の呪縛が関係を自由にさせないでいると、そこに権力関係が生まれやすくなり、この関係をいよいよ悪化させてしまうことにもなるだろう。

 介護の体裁が形式的に整っていても、介護者の内側でプールされたストレスが、被介護者に放擲(ほうてき)される行程を開いてしまうと、無力な親は少しずつ卑屈さを曝け出していく。親の卑屈さに接した介護者は、過去の突き放された親子の関係文脈の中で鬱積した自我ストレスを、老親に向かって返報していくとき、それは既に復讐介護と言うべき何かになっている。

 あれほど硬直だった親が、何故こんなに卑屈になれるのか。

 この親に対して必死に対峙してきた自分の反応は、一体何だったのか。そこに何の価値があるのか。

 何か名状し難い感情が蜷局(とぐろ)を巻いて、視界に張り付く脆弱な流動体に向かって噛み付いていく。道徳律を捨てられない感情がそこに含まれているから、内側の矛盾が却って攻撃性を加速してしまうのだ。この関係に第三者の意志が侵入できなくなると、ここで生まれた権力関係は、密閉状況下で自己増殖を果たしていってしまうのである。

 直接介護をモラルだけで強いていく行程が垣間見せる闇は、深く静かに潜行し、その孤独な映像を都市の喧騒の隙間に炙り出す。終わりが見えない関係の澱みが、じわじわとその深みを増していくかのようだ。

 ―― 或いは、ごく日常的なシーンで発生し得る、こんなシミュレーションはどうだろうか。

 眼の前に、自分の言うことに極めて従順に反応する我が子がいる。
 この子は自分に似て、とても臆病だ。気も弱い。この子を見ていると、小さい頃の自分を思い出す。それが私にはとても不快なのである。

 人はどうやら、自分の中にあって、自分が酷く嫌う感情傾向を他者の中に見てしまうと、その他者を、自らを嫌う感情の分だけは確実に嫌ってしまうようだ。また、自分の中にあって、自分が好む感情傾向を他者の中に見てとれないと、その他者を憧憬の感情のうちに疎ましく思ってしまうのだろう。多くの場合、自分の中にある感情傾向が基準になってしまうのである。

 我が子の卑屈な態度を見ていると、自分の卑屈さを映し出してしまっていて、それがたまらなく不愉快なのだ。この子は、人の顔色を窺(うかが)いながら擦り寄ってくる。それが見え透いているのだ。他の者には功を奏するかも知れないこの子の「良い子戦略」は、私には却って腹立たしいのである。それがこの子には分らない。それもまた腹立たしいのである。

 この子に対する悪感情は、家庭という「箱庭」の中で日増しに増幅されてきた。それを意識する自分が疎ましく、不快ですらある。自分の中で何かが動いている。排気口を塞がれた空気が余分なものと混濁して、虚空を舞っている。

 そんな中で、この子がしくじって見せた。

 他愛ないことだが、私の癇に障り、思わず怒気が漏れた。卑屈に私を仰ぐ我が子の態度が、余計私を苛立たせる。感情に任せて、私は小さく震えるその横っ面を思わず張ってしまった。それが、その後に続く不幸な出来事の始まりとなったのだ。

 以来、我が子の、自らを守るためだけの一挙手一投足の多くが癇に障り、それに打擲(ちょうちゃく)を持って応える以外に術がない関係を遂に開いてしまって、私にも充分に制御できないでいるのである。

 感情の濃度の深い関係に権力関係が結合し、それが密閉状況の中に置かれたら、後は「負の自己完結」→「負の自己未完結」を開いていくような、何か些細な契機があれば充分であろう。

 ここでイメージされた母娘の場合も、父の不在と専業主婦という状況が密室性を作ってしまって、そこに一気に権力関係を加速させるような暴力が継続性を持つに至ったら、殆ど虐めの世界が開かれる。

 虐めとは、身体暴力という表現様態を一つの可能性として含んだ、意志的、継続的な対自我暴力であると把握していい。それ故、そこには当然由々しき権力関係の力学が成立している。

 母娘もまた、この権力関係の力学に突き動かされるようにして、一気にその負性の行程を駆けていく。

 例えば、この暴力は食事制限とか、正座の強要とかの直接的支配の様態を日常的に含むことで、関係の互酬性を自己解体していくが、これが権力関係の力学の負性展開を早め、その律動を制御できないような無秩序がそこに晒される。もうそこには、別の意志の強制的侵入によってしか介入できない秩序が、絶え絶えになってフローしている。親権のベールだけが、状況の被膜を覆っているようである。

 ―― 虐めの問題を権力関係として捉え返すことで、この稿をまとめていこう。

 そもそも、虐められる者に特有な性格イメージとは何だろうか。

 結局、虐められやすい者とは、防衛ラインが堅固でなく、それを外側でプロテクトするラインも不分明で(母子家庭とか、孤立家庭とか)、そのため人に舐められやすい者ということになろうか。

 しかしそこに、少なからぬ経験的事実が含まれることを認めることは、虐めを運命論で処理していくことを認めることと同義ではない。

 虐めとは、意志的、継続的な対自我暴力であって、そこには権力関係の何某かの形成が読み取れるのである。この理解のラインを外せば、虐めの運命論は巷間を席巻するに違いない。

 虐めの第一は、そこに可変性を認めつつも権力関係であること。第二は、対自我暴力であること。第三は、それ故に比較的、継続性を持ちやすいこと―― この基本ラインの理解が、ここでは重要なのだ。

 虐めによる暴力の本質は、相手の自我への暴力であって、それが盗みの強要や小間使いとか、様々な身体的暴力を含む直接、間接の暴力であったとしても、それらの暴力のターゲットは、しばしば卑屈なる相手の卑屈なる自我である。ここを打擲(ちょうちゃく)し、傷つけることこそ、虐めに駆られる者たちの卑屈なる狙いである。

 卑屈が集合し、クロスする。

 彼らは相手の身体が傷ついても、その自我を傷つけなければ、露ほどの達成感も得られない。相手が自殺を考えるほどに傷ついてくれなければ、虐めによる快楽を手に入れられないのだ。対自我暴力があり、その自我の苦悶の身体表現があって、そこに初めて快楽が生まれ、この快楽が全ての権力関係に通じる快楽となるから、必ずより大きな快楽を目指してエンドレスに自己増殖を重ねていく。

 そして、この種の暴力は確実に、そして果てしなく増強され、エスカレートしていく。相手が許しを乞うことで、一旦は暴力が沈静化することはあっても(「負の自己完結」)、却って、その卑屈さへの軽蔑感と征服感の達成による快楽の記憶が、早晩、次のより増幅された暴力の布石となるから、この罪深き関係にいつまでも終わりが来ないのだ。

 虐めというものが、権力関係をベースにした継続的な対自我暴力という構造性を持つということ―― そのことが結局、相手の身体を死体にするまでエスカレートせざるを得ない、この暴力の怖さの本質を説明するものになっていて、この世界の際限のなさに身震いするばかりである。

 「虐め」の問題を権力関係として捉え返すことで、私たちはこの世に、「権力関係の陥穽」が見えない広がりの中で常に伏在している現実を、いつでも、どこでも、目の当たりにするであろう。それが人間であり、人間社会の現実であり、その宿痾(しゅくあ)とも呼ぶべき病理と言えるかも知れない。

 結論から言えば、私たち人間の本質的な愚昧さを認知せざるを得ないということだ。人間が集団を作り、それが特定の負性的条件を満たすとき、そこに、相当程度の確率で権力関係の現出を分娩してしまうかも知れないのである。

 繰り返すが、人間の自我統御能力など高が知れているのだ。だから私たちの社会から、「虐め」や「家庭内暴力」を根絶することは、殆ど不可能と言っていい。ましてや、権力関係の発生を、全て「愛」の問題で解決できるなどという発想は、理念系の暴走ですらあると断言していい。

 しかし、以上の文脈を認めてもなお、「虐め」を運命論の問題に還元するのは、とうていクレバーな把握であるとは思えないのだ。「虐め」が自我の問題であるが故に、その自我をより強化する教育が求められるからである。

 人間は愚かだが、その愚かさを過剰に顕在化させないスキルくらいは学習できるし、その手段もまた、手痛い教訓的学習の中で、幾らかは進化させることが可能であるだろう。少なくとも、そのように把握することで、私たちの内なる愚昧さと常に対峙し、そこから逃亡しない知恵の工夫くらいは作り出せると信じる以外にないということだ。

 人は所詮、自分のサイズにあった生き方しかできないし、望むべきでないだろう。

 自分の能力を顕著に超えた人生は継続力を持たないから、破綻は必至である。まして、それを他者に要求することなど不遜過ぎる。過剰に走れば、関係の有機性は消失するのだ。交叉を失って、澱みは増すばかりとなる。関係を近代化するという営為は、思いの外、心労の伴うものであり、相当の忍耐を要するものであるからだ。

 人は皆、自分を基準にして他者を測ってしまうから、自分に可能な行為を相手が回避する態度を見てしまうと、通常、そこでの落差に人は失望する。どうしても相手の立場に立って、その性格や能力を斟酌(しんしゃく)して、客観的に評価するということは困難になってくる。そこに、不必要なまでの感情が深く侵入してきてしまうのである。

 また逆に、自分の能力で処理できない事柄を、相手が主観的に差し出す、「包容力」溢れる肯定的ストロークに対して、安直に委託させてしまう多くの手続きには相当の用心が必要である。そこに必要以上の幻想を持ち込まない方がいいのだ。自分以外の者にもたれかかった分だけ拡大させた自我の暴走は、最も醜悪なものの一つであると言っていい。そのことの認知は蓋(けだ)し重要である。

 私たちはゆめゆめ、「近代的関係の実践的創造」というテーマを粗略に扱ってはならないということだ。それ以外ではない。
http://zilx2g.net/index.php?%A1%D6%CF%A2%B9%E7%C0%D6%B7%B3%A1%D7%A4%C8%A4%A4%A4%A6%B0%C7


74. 中川隆[-11464] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:05:12: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[531] 報告
▲△▽▼

2011-02-27 連合赤軍って何?

実は私、連合赤軍とよど号ハイジャック事件とかテルアビブ空港乱射事件を起こした日本赤軍って同一組織だと思ってたんですが、違うんですね(そもそも名前が違う)。正確には、母体は同じだけど違う組織。では連合赤軍とはどういう成り立ちで、どういう思想を持っていたのか。

赤軍派

名前からも推察されるように、この組織は二つの過激派組織が合わさってできたものです。ひとつはもちろん赤軍派。1969年9月結成ですが、前身はもう少しさかのぼれます。思想の基本は、創立者で後に議長となる塩見考也の「過渡期世界論」つまり世界同時革命、そして権力の象徴である機動隊の殲滅が基本にあります。後に連合赤軍の最高指導者となる森恒夫はこの赤軍派にいました。彼らは、69年に首相官邸突入を企てたときも「わからないけどとにかく最後までやるしかないんだと」くらいの考えしかありませんでした(もちろん失敗)。70年のよど号ハイジャック事件でも、もともと彼らは北朝鮮を支持していないにもかかわらず結局北朝鮮に亡命するのですが、「俺らの心意気を見たら必ずキューバまで送り出してくれるだろう」などと言っていたらしいですし、重信房子がパレスチナに出国しても、あまりにも知識がなく理念先行に過ぎかつ首相官邸占拠とか言っているのでパレスチナの活動家に「ザッツ チャイルディッシュ レフティスト」と言われる始末でした。要するに考えなしだったのです。

そんな赤軍派も、当初は全共闘運動のゆきづまりなどから武装闘争論が人気を集めてはいたのですが、幹部が逮捕されたり出国したりで、結果的に森が「押し出されるようなかたちで」最高指導者になってしまいました。彼はやさしいが小心者で、強く言われると迎合しやすいたちでした。また内ゲバ(他の組織との暴力を用いた争い)でも逃走したことがあり彼自身負い目を感じていたのですが、このことも後の事件に作用します。

革命左派

連合赤軍を構成するもうひとつの組織は革命左派です。ルーツは66年4月結成の「警鐘」というグループで、もともとは労働運動を行っていました。後に連合赤軍の最高指導者になる永田洋子はこちらに所属していました。彼女の小学校時代からの友人によると、彼女はものごとを突き詰めて考える人で、(共立薬科大の学生だったが)薬が患者のためよりも病院やメーカーのために使われている現状を変えたいが、そのためにはまず社会を変えないと、と話していたとのことです。私は彼女に「リンチを主導した冷血女」というイメージを持っていましたが、もともとは生真面目なヒューマニストだったようです。

しかし、創立者の一人川島豪が権力を持ち、他の組織に対抗しようと武装闘争路線に進み始めたことで、組織は変わっていきます。いきなり軍事パンフレットを渡されたメンバーは戸惑いました。またこのころ、川島は妻が外出中に永田をレイプしますが、永田は組織のためにそれを秘密にします。

以後革命左派は、「反米愛国」をスローガンに(ただしこれは50年代にはやった思想で、当時はもう時代遅れだった)、過激な行動をとることで目立つ組織となっていきます。例えば川島は、愛知外務大臣のソ連訪問を阻止するため決死隊に空港で火炎ビンを投げさせた際、作戦が失敗しても空港突入を知った段階で「やったぜベービー」と破顔一笑したらしいです。作戦の成否よりも目立てるかどうかを大事にしていたようです。彼はその後も、新聞社のヘリコプターを奪って首相の乗る飛行機にダイナマイトを投下しろとか(新聞社にヘリがあることも調べず、しかもメンバーにヘリを操縦できる者がいないにもかかわらず)荒唐無稽な作戦を指示します。逮捕されても獄中からこれを続けました。

このため、赤軍派同様、逮捕者が続出、組織の崩壊が進行します。こんな中、森と同様、押し出されるようなかたちで最高指導者になったのが永田洋子でした。選挙で3票集めての結果でした。資質(人格・理論力)だけでなく健康にも問題(バセドー氏病で頭痛持ち)があったため、周囲にも本人にも意外な結果でした。

なお、このような状況でも、組織は「救対」(逮捕されたメンバーへのサポート)部門がなく同志をほったらかしでしたが、そんな状況を見かねて行動したのが金子みちよでした。彼女は武装闘争路線に疑問を持ち一時期脱退を考えましたが、恋人の吉野雅邦に説得されてとどまります。彼女は後にリンチで殺害されることになります。

また、同じく武装闘争路線に疑問を持っていた大槻節子も脱退を考えましたが、自分が逮捕された時の自供がもとで逮捕された恋人の渡部義則に説得されとどまります。彼女も後にリンチで殺害されます。

赤軍派と革命左派を比べてみると

さて、両組織を比較してみましょう。()内は、前者が赤軍派、後者が革命左派についての記述です。

共通点: 深く考えずに行動する、暴力を用いた活動を行う、指導者になった人物は周囲からの評価が高いためその地位についたわけではない、逮捕者等が多く組織が崩壊にひんしている

相違点: 思想(世界同時革命、毛沢東支持の反米愛国)、女性観(女性蔑視、婦人解放で女性メンバー多数)


こんな組織が一緒になって物事がうまく進むはずがありません。なのになぜ両者は合同したのでしょうか。また、「同志」への凄惨なリンチはどのようにして始まり、進行していったのでしょうか。次回はそのあたりをメモしてみます。
http://www.yoshiteru.net/entry/20110227/p1

25. 中川隆[-10912] koaQ7Jey 2019年4月05日 16:52:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1116] 報告

【誰だってマイノリティー】注意で「攻撃対象」に……電車での独り言、障害のある人が望む対応とは? 4/5(金) 14:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci

電車で出会う、「独り言」を話す人たち。一体、どんな理由でつぶやいているのでしょうか?「ちょっと怖い」と思ったことのある人、一緒に考えてみませんか?=(c)Takami Kizu


【誰だってマイノリティー】

 電車に乗ると、時折ひとりで話している人を見かけます。「ブツブツと何かつぶやいていて、驚いた」という経験談は少なくありません。実は障害が原因で、やむにやまれず口にしている場合があるんです。ただ、声のかけ方によっては、衝突してしまう可能性も……。障害のある人に聞いた「独り言」を口にする理由とは? 先入観なく向き合うため、どんなことができるのか、調べてみました。(withnews編集部・神戸郁人)

【漫画】「ブス!」馬鹿にするのは誰だ…って幻聴!? 統合失調症の女性、「独り言」体験を赤裸々に漫画化
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怖くて距離を取ったことも

 実は筆者も電車で移動中、誰もいない場所で話す人に出会ったことがありました。わずかな恐怖心を抱きつつ、距離を取ってしまったことも、少なくありません。

 でも当事者の皆さんにとっては、きっと何か意義が存在するはず。そう考え、今回の記事を書きたいと思い立ちました。

 この記事では、独り言との関わりが深いとされている、二つの障害にフォーカス。背景事情を深掘りしました。

 まずは最初のケースです。分かりやすくするため、架空の物語から始めましょう。
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ケース1・誰もいない方向に謝る彼女

 ある朝の通勤時、いつものように電車に揺られているあなた。ターミナル駅でたくさん人が降り、目の前の席が空きました。

 「どれ、座って一息つこうか……」。腰をかけ、スマートフォンでお気に入りの漫画を読み始めようとした時のことです。

 「スミマセン……スミマセン……わたしだって……」。隣り合った女性が、何やら謝り始めました。話し掛けている方向を確認してみても、誰もいません。

 状況が飲み込めないあなた。その場をやり過ごそうと、再びスマホ画面に目を落とし、時が過ぎるのを待つことにしたのでした……。
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無いはずのものを見聞きしていた

 これ、もしかしたら「似たような体験をした」という人もいるのではないでしょうか?

 乗客の女性は、どうして謝っていたのでしょう。実は、「統合失調症」という障害の当事者であると考えられます。

 専門家に、少しかみ砕いてもらいしょう。精神科医の阿部大樹先生に聞きました。


◆統合失調症とは?

 統合失調症とは、考えや行動がうまくまとまらなくなる状態のことです。およそ二十歳前後に現れることが多く、およそ100人に1人が当事者です。


 特徴の一つが、幻聴などの「陽性症状」と呼ばれる症状です。症状が強い場合は、「他人に悪口を言われている」などの妄想に発展する場合もあります。

 幻聴が聞こえてくるのに返事をしてしまうことで、周りからは「誰かと話しているような独り言」というように見えることもあります。

 お薬を規則的に飲むことで、数か月で症状が落ち着くことが多いですね。


 特徴の二つ目は、元気がなくなったり、考えるのがゆっくりになったりする「陰性症状」と呼ばれる症状です。

 周りの人にまで気が回らなくなって、「疲れたー」などの独り言が出てくることもあるかもしれません。

 陰性症状の結果として情報を整理するのが難しくなり、会話が難しくなる時もありますが、カウンセリングなどを通して生活リズムを整えることで問題なく日常生活を過ごせるようになります。


 原因はよく分かっていませんが、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることが原因ではないか、とも言われています。

 思春期の対人関係の変化や、進学や引っ越しなどの生活環境の変化をきっかけにして起きることが一般的です。

脳内の「3人」が馬鹿にしてくる

 幻覚を体験する時、当事者はどのような状態にあるのでしょうか? エッセーコミック『統合失調症日記』(ぶんか社)の作者で、漫画家の木村きこりさん(28)を取材しました。

 木村さんが異変に気づいたのは、高校3年生の頃でした。美術系大学に入るため、受験勉強に打ち込んでいると、急に脳内で3人の人物の声が響くようになったといいます。

「男性と女性、子どもが後ろから話し掛けてくるんです。それぞれに役割があり、女性は料理を食べていると『まずそう』と罵倒してきたり、男性は両親との関係に口を出してきたり。子どもについては、ずっと私を小馬鹿にする、といった調子ですね」

 しばらくすると、「ストーブに焼き殺される」といった被害妄想が顕著に。家族に手をあげてしまうこともあり、21歳の時、精神科で正式に診断を受けました。
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注意を受ける→幻覚が加速

 木村さんは、幻覚によるストレスが極まると、大声を出して心を落ち着けています。

 苦労するのは、人目が多い場所に出かける時です。特に電車の中で、子どもや学生の集団と鉢合わせると、監視されているような感覚に襲われるといいます。

 「お前を見て笑っているぞ」――。そんな幻聴まで聞こえ、人がいない方向に「うるさい」と叫んでしまったこともありました。

 そして他の乗客から不審そうに見られるたび、気まずくなって途中下車したり、別の車両に移動したりしてきたそうです。

 当事者が独り言を発している際に、乗り合わせた人はどう対すればいいのでしょう?

「独り言を注意されると、その人のいる方面からも、幻覚が現れることがあります。脳が相手を『攻撃対象』と見なすためか、余計につらくなってしまうんです」

「だから怒らず、まず『もしかしたら統合失調症かな?』と思って欲しい。苦しそうに見えたら、車掌さんや駅員さんに、それとなく助けを求めてもらえるとうれしいですね」
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ケース2・「甲子園の実況」を繰り返す彼

 では、二つ目のケースに移りましょう。こちらも、フィクションから考えてみます。

 仕事を終え、帰路についたあなた。電車に乗り、「夕飯は何を食べようか」と思いを巡らせています。

 「はいっ、やってまいりました夏の甲子園!」。途中で乗り込んできた男の子が、勢い良く話し始めます。どうやら、高校野球の試合中継を再現しているようです。

 その「実況」ぶりは、まさに立て板に水。しかし、よく聞くと、同じフレーズを繰り返しています。

 突然のことに、びっくりするあなた。驚きのあまり、夜の献立のことを忘れてしまったのでした……。

「いつものパターン」に見いだす安心

 この場合に考えられる障害は、「自閉症スペクトラム障害(ASD)」です。ASDは発達障害の一種とされています。阿部先生に再び解説してもらいましょう。

◆ASDとは?

 「相互的な対人関係の障害」「コミュニケーションの障害」「興味や行動の偏り」の三つの特徴をあわせもつ状態のことを言います。それぞれ説明してみますね。


 最初の二つの特性がありますから、対人関係を結ぶのがあまり得意でないかもしれません。好き・嫌いの表し方が独特で、周りの人が理解できないこともありえます。

 例えば、視線の置き方が不自然に感じられる場合や、立ち話をするときの距離が近すぎたり遠すぎたりすることもあります。


 また、繰り返しの行動を好む人が多いです。同じ服を毎日着たり、お風呂の温度が決まっていたり、といった具合です。周りからは独特の「こだわり」と思われていることもありますね。

 逆に言えば、いつものパターンを繰り返すことで安心感を得られる方が多いようです。その一つとして、同じ単語を繰り返すような独り言が現れることもあります。

 普段のリズムが乱されない限りは、日常生活を問題なく送れる方がほとんどです。
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一人で話すのは、呼吸のようなもの

 「彼が自分だけで話すのは、呼吸のようなものなんです」。ASDの息子がいるイラストレーター・中尾佑次さん(59)は語ります。

 知的障害もある一人っ子の秀真(ほつま)さん(27)は、当事者が対象のグループホームで共同生活をしています。実家で暮らしていた幼少期から、独り言が多かったそうです。

 繰り返すフレーズは様々です。お気に入りのテレビ番組やCM、ネット動画のセリフ。音楽番組などで聞いたメロディー……。障害の特性上、予想通りに事が運ばなかったり、生活リズムが崩れたりすると、回数が増えました。

 ストレスが高まると、過去の嫌な記憶が、脳内で再生されたと思われる言葉を口にする場合も。気持ちが不安定な思春期までは、そのケースが多かったといいます。

「電車などのシートが満席だった場合は、特に盛んでしたね。本人は『座れるもの』と考えているけれど、実際は違うこともある。そうしたイレギュラーな出来事が苦手なため、理解が追いつかなかったんです」

「無視」と「具体的な声かけ」のバランス

 しかし年齢を重ね、秀真さんは公共の場で、かなり自分の衝動を抑えられようになりました。中尾さんは、プライドを保つためルールを守っている、と考えているそうです。

「僕が彼の独り言を、その場に居合わせた人に謝ったため、より情緒不安定になったことがあります。他人に注意されたとなれば、なおさらです。『俺は一人前の人間だ』という気持ちが折れてしまうんでしょうね」

 こうした経験から、電車で独り言を話す人と出会った時は、「見て見ぬ振り」をして欲しいと訴えます。

「よく乗るタクシーの運転手さんたちが、息子の独り言が激しい時も、黙って送迎してくれるんですよ。これが、すごくうれしい。電車の中でも同じように、『積極的な無視』をお願い出来たら助かりますね」

「ただ、電車が長時間動かない場面などでは、落ち着きを失うことがあります。そうした際は、『あと●時間で動く』と紙に書き、具体的に示してもらえたら。障害を理解した上での対応は、本人や家族にとって、とてもありがたいです」
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独り言の否定=その人自身の否定

 障害の有無にかかわらず、誰しもに「自分自身」がある。取材を通して確認したのは、そんな当然の事実でした。

 荒唐無稽なことを話しているようでも、当事者は必要に迫られています。独り言の否定は、その人の否定でもあるのです。

 記事に登場した中尾さんは「今は昔と比べ、障害の当事者が外に出やすくなった。『世の中にはこんな人もいる』と感じてもらえるといい」と話していました。今も、強く印象に残っている言葉です。

 生き方は、人の数と同じだけ存在する。私自身、そのことに思いをはせ続けたい、と考えています。


※必ずしも、障害が独り言の原因になるわけではありません。その人自身の特性や、性格が影響している場合もあります。

◇ ◇ ◇

 この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる連携企画記事です。多様な人々が生きる現代社会は、誰もがマイノリティーになりうる社会といえるかもしれません。4月4日から5回にわたる連載を通じて、「障害者」「健常者」を分ける枠組みそのものについて考え、誰もが生きやすい社会にするためのヒントを探ります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci


原発板の魑魅魍魎氏と同じ症状ですね

26. 中川隆[-10831] koaQ7Jey 2019年4月08日 08:10:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1200] 報告

阿修羅の住人が全員 反原発、反安倍になった理由


17 dead in 'horrific' high school shooting - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=xgIJosk0pnA


暴力も自殺も、まるで伝染病のように人々の心に乗り移るという事実を知れ2019.04.08
https://blackasia.net/?p=12486
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私たちは「伝染病」と言えば、ウイルスが人から人へと伝染していくインフルエンザのようなものだけを想像する。

しかし、伝染するのは病原菌だけではない。

強い感情もまた人から人へと伝染していく。たとえば、憎悪だ。それはとても強い感情なので、共鳴するにしても反発するにしても、相手と同じ憎悪が当事者に発生して、どんどん広がっていく。

憎悪は理性ではなく感情である。感情は往々にして理性を超えるので、憎悪が蔓延すると理性は働かない。

個人的な憎悪もそうだし、集団的な憎悪もそうだ。それが国家的な規模の憎悪になることもある。そういった憎悪は、しばしば紛争や対立を生み出す元凶となる。そして言うまでもないが、暴力もまた伝染する。

秩序だったデモの一角で暴力が発生すると、それが見る見るエスカレートしていくのは、それが紛れもなく「伝染」するものだからだ。(鈴木傾城)

「強い感情」が拡散していく

フランスは2018年11月17日から「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト運動)」という政府に対する抗議運動が始まった。「燃料税を引き下げろ」「自動車税を引き下げろ」「貧困層の生活水準を改善しろ」という要求が、マクロン政権の退陣要求へと広がっていったものだ。

このデモはしばしば破壊と暴動につながっているのだが、いったん暴動が起きるとその暴動はすぐに全国規模で広がっていく現象が知られている。

過激な言動がテレビやインターネットで克明に映し出されると、それがより過激行動を生む。暴力は伝染していったのである。

ベネズエラでも首都カラカスで激しいニコラス・マドゥロ打倒のデモが起こると、それは瞬時に地方都市に伝播して広がっていくのが知られている。暴力が吹き荒れると、それは「伝染」していくのである。

これは別に今に始まったことではない。

殺人も同じく、伝染していく。世界のどこかで一度でも耳目を集めるような巨大テロが起きると、世界各国でテロが「伝染」して暴走していく。

2014年から2018年までシリア・イラク一帯で猛威を振るった超過激イスラム暴力集団「ISIS」の指導者は、インターネットで斬首や爆破によって損壊した遺体の動画を上げ、「世界中でテロを起こせ!」と扇動していた。

どうなったのか。インターネットでリアルな暴力を見せつけられた人々に「暴力感情」が乗り移り、まるで伝染病のようにテロが世界に広がっていったのだ。

暴力は人種や国をやすやすと超越して放射状に影響力を放っていく。

爆破が起きると爆破事件も伝染して続いていく。自爆が起きるとそれも伝染して自爆事件が続く。戦争が起きると戦争まで伝染して広がっていく。

暴力は人間の感情を激しく興奮させる伝染的効果がある。その「強い感情」が拡散していく。激しい感情は分かりやすく、一方的で、強力なので、その伝染力もまた強力なのだ。

自殺もまた伝染するという事実

2018年2月16日。フロリダ州にあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、退学処分を受けたニコラス・クルーズという19歳の男が、武装して高校に乗り込み、火災報知器を作動させ、生徒が避難を始めたところでAR-15ライフルを乱射するという事件を引き起こした。

この事件では、17人の生徒や教職員が死亡した。

ところで、最近になってこの銃撃事件で生き残った生徒たちが相次いで自殺を図っていることが報告されている。

生き残った生徒は親友が目の前で死んでいく姿を見て大きなショックから抜けられず、自らも引き寄せられるように死を選んでいったのだった。憎悪や暴力と同じく「死」もまた人から人へと伝染していく。

自殺とは何か。自殺とは「自分自身に対する暴力」である。暴力が他者に向かうか自分に向かうかという違いだけで、自分に向かった暴力が自殺となるのだ。

カリスマ的な有名人が自殺や死亡すると、それは強い感情を放射状にまわりに引き起こして、感受性の強い人を巻き込んでいく。日本でも、香港でも、アメリカでも、芸能人が自殺した後に、ファンが後追い自殺をしていく現象はよく知られている。

マイケル・ジャクソンが突然死したのち、世界各国で後追い自殺するファンが続出したこともあった。

全世界でそのような現象が起きており、自殺もまた伝染することが何度も何度も確認されている。

サダム・フセインが絞首刑にされたあと、その映像が出まわってアラブ圏の人々にはとりわけそれにインパクトを受けた。そこでどうなったのかというと、それからアラブ圏で首吊り自殺が次々と拡散していったのだった。

西側諸国にとってサダム・フセインは悪人だったかもしれないが、アラブ諸国の一部の人々にとって、サダム・フセインは神にも等しいカリスマだったのである。カリスマの死は、伝染病のように死を伝播させていた。

人間は感情の伝染病に無防備である

他人が死んだから自分も死ぬというのは、もちろん理性的なことではない。しかし、それは「強い感情」によって突き動かされているものであり、理性を超えたところにあるものだ。

だから「憎悪や暴力や死」の伝染というのは、いったんそれに取り憑かれると、理性ではコントロールできない。激しい感情が人々の熱狂を生み出し、理性を消し去り、終点に向けて突き動かしていく。

憎悪が伝染し、暴力が伝染し、死が伝染する。それは、もう「経験則」ではない。科学的に証明された現象でもある。

人間の感情が伝染する理由のひとつとして、科学の世界では「ミラーニューロン」という脳神経細胞が作用していることが突き止められている。ミラーニューロンとは何か。直訳すると「鏡の脳神経細胞」となる。

ミラーニューロンは1996年に確認されたものだ。他人が行動しているのを見ると、見ているだけで自分もまた脳の同じ部位が活動していく。

相手があくびをすると自分もあくびが出る。相手が泣いていると自分もまた涙が出てしまう。相手が興奮していると自分もまた興奮する。それは、あたかも自分が同じ行動をしているかのように感じさせる。

相手が何らかの感情を発火させることによって、ミラーニューロンは反応して同じ感情を呼び起こす。

ところで、それは何の役に立つのか。それは「他者の行動を即時に理解する」ことに対して役に立っている。ミラーニューロンがあることによって人は相手の感情や気持ちを推し測ることができる。人間が社会性を確立するために、ミラーニューロンは必要不可欠なものだったのだ。

しかし、それは「負の側面」もある。それが「憎悪が伝染し、暴力が伝染し、死が伝染する」というものだった。だから、人々は他人の感情に影響されて、憎悪がそこにあったら憎悪を感じ、暴力がそこにあったら暴力の感情に巻き込まれる。

にも関わらず、感情が伝染病のように伝播していくという事実はあまり意識されていない。自分が「感情の伝染病」にかかるということも意識されていない。意識されていない以上、人間は感情の伝染病に無防備である。(written by 鈴木傾城)

「憎悪や暴力や死」の伝染というのは、いったんそれに取り憑かれると、理性ではコントロールできない。激しい感情が人々の熱狂を生み出し、理性を消し去り、終点に向けて突き動かしていく。
https://blackasia.net/?p=12486

27. 中川隆[-10687] koaQ7Jey 2019年4月18日 13:01:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1368] 報告

ドラマ『鈴木先生』、精神分析的レビュー(第1〜3話)
http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/cat22172508/index.html

ソクラテスの弁明〜『鈴木先生』最終回レビュー(by哲学的対話法) )

     

     

           ☆          ☆          ☆

お勧めに従って、たまたま5日の連休特番の中盤以降(第1話の後半中心)

を見た『鈴木先生』。実績も話題性もないテレビ東京のドラマだし、主役や

生徒役の俳優は全く知らない。おまけに原作マンガも、大ヒットと言うほど

のメジャー作品でもないようで、正直あまり期待せずに見たわけだが、予

想以上に面白くて、つい簡単な感想記事を書いてしまった。

   

 cf.テレビ東京の学園ドラマ『鈴木先生』、マイナーだけどお勧め☆

   

ただ、放送日の月曜はもともと一番スケジュール的に詰まってる時だし、

22時からという放送時間帯は、基本的にテレビを見ない時だ。当サイトは

2年前から、ドラマ長期お休みモードに入ったままだし、もう『鈴木先生』を

見ることはほとんど無さそうだな・・・と思ってた。

       

ところが、その感想記事のアクセス状況が、最初からかなりイイ。視聴率

は相当低いはずだし、ウチの読者層ともほとんど重ならないはずなのに、

次々と視聴率や感想を求めるアクセスが入って来る。特に、信頼できる

発表が見当たらない視聴率を求める動きは強くて、「なぜ低い」とか、「ホ

ントに低いのか」なんて検索まで入って来た。

    

 (P.S. 8日に書きこまれたウィキペディア情報によると、第1話2.6%、

       第2話1.9%とのこと。出典はスポニチ。

       空飛ぶイカ=紙飛行機がファンタジックだった、大沢たかお&

       綾瀬はるか『仁』第4話の20.7%と比べると、約10分の1だ。)

       

これは、少なくとも、見てる人の評価は高いなと思って、試しに土曜(7日)

の特番(第2話中心)もチェックすると、やっぱりディープで面白い☆ 弱小

テレビ局や時間帯、マニアックな内容を考えても、視聴率8%には到達しな

いだろうけど、5%くらいなら不思議はない出来だと思う。

         

という訳で、昨日の月曜日、裏のNHK教育の自転車番組が終了した後、

22時25分から、『鈴木先生』第3話を見た。ますます過激でアグレッシブ

な内容に感心したから、微力ながら再びプッシュしとこう。ただし、録画も

メモもほとんど無いし、昔みたいに本気でレビューする状況でもないので、

念のため。あくまで、軽い感想&考察のまとめ記事程度のレビューだ。

         

       

         ☆          ☆          ☆

ここまで、第1話の後半、第2話全体、第3話後半を見て、思い出したの

は、3年前の冬ドラマ『あしたの、喜多善男』だ。おそらく、『鈴木先生』の

視聴者とはほとんどカブってないだろうが、私は色んな意味で、かなり似

たドラマだと思う。

    

まず、表面的な話として、どちらも主役があまり数字を持ってない。『喜多』

は小日向文世、『鈴木』は長谷川博己。それなりに活躍してる役者ではあっ

ても、激戦区のプライムタイム(19時〜23時)の数字をしっかり確保でき

るほどの人気ではない。木村拓哉、福山雅治、山下智久らとは違うのだ。

また、どちらも原作の人気がビミョーだ。『喜多』の原作は、人気・実力・実

績のある島田雅彦の『自由死刑』で、私も読んで面白かったが、ヒット作品

というほどではないし、万人受けする内容でもない。

            

だから、『喜多』も『鈴木』も、世間一般でのドラマ視聴率は低いわけだが、

見てる人の評判はどらちも結構高いのだ。もちろんそれは、内容によるも

のであって、その共通点は、暗い精神世界を深く描いてる点だろう。精神

医学的と広めに言ってもいいし、もう少し限定して、精神分析的ドラマと言っ

てもいい(特に『鈴木』)。

    

『喜多』の場合は極端、陰の極致であって、中心テーマが中年男性の自殺

だった。一方、『鈴木』は、比較的若い大人と少年・少女における、欲望・

抑圧・深層意識・攻撃などを扱ってる。少し違う言葉を使って、両者をまと

めるなら、どちらも「下に向かう傾向」を扱ってるのだ。その意味で、「上に

向かう傾向」の強いフジテレビ・月9とは好対照だろう。。

              

          ☆          ☆          ☆

『喜多善男』の場合、「下に向かう傾向」を「マゾヒズム」という別名で語って

おいた。マゾヒズムは、俗世間的には変態プレイでイメージされがちだが、

究極のマゾヒズムが自殺願望だということは、100年前から既に指摘され

ている。自殺、つまり自分で死ぬことを求めるということは、自分によって

虐待されることを欲するということ、つまり被虐性の欲望だ。性的欲望かど

うかはともかく。

             

『鈴木先生』の場合、「下に向かう傾向」は、もっと広がりのある形で示され

ている。まず、遥か年下の少女に向かう、秘められた性的欲望。対象が年

「下」だし、心の「下」=奥の方へと、常に呼び戻されるのだ。それは、世間

的、社会的に「下」の世界に近づいてしまうことでもあるし、「上」の立場で

「下」を攻撃することでもある。さらに、物語は常に、心の「下」=奥とのつな

がりを示している。「深層意識」のようなものを指す言葉として、フロイトらに

よる「無意識」が有名だが、同時代のジャネは「下意識」と呼んでたわけだ。

        

具体的に見てみよう。ドラマ全体は、教師を中心とする学園ものであって、

鈴木(長谷川)にせよ、山崎(山口智充)にせよ、ここまでずっと、男性教

師(上の立場)による女生徒(下の立場)への性的欲望に覆われている。

特に、スペシャルファクターと呼ばれる、大人びた知的美少女、小川蘇美

(土屋太鳳)への性欲。

             

一方、第1話の中心的エピソードは2つ。男子生徒による女子小学生への

性的行為と、男子生徒による低学年のクッションの切り裂き。もちろん、クッ

ションとは、柔らかく女性的で、自分の思いのままになるもの。つまり、9歳

の女の子の比喩=メタファーになってる。 

      

続いて、第2話の中心的エピソードは、給食のマナーと献立。食べる時に

左手を添えずにはいられないし、添えない他人を見るだけでも我慢できず、

幼児的な攻撃を行ってしまう男子生徒。あるいは、死んだおばあちゃんの

味を思い出すからと言って、やや不人気な酢豚にこだわる女生徒。どちら

も下の意識に支配されており、同時に、過去=下の年代の記憶に縛られ

てもいるわけだ。

     

         ☆          ☆          ☆

さらに、第3話。女生徒が行った先生の人気&不人気投票と、男性教師

の風俗店通い&嫉妬がメイン・エピソード。投票はもともと、嫌いな(=位

置付けが下の)教師を攻撃するためのものだが、結局は跳ね返って、感

心しない企画を実行した女生徒自身を攻撃することになる。

        

つまり、意図しないサディズム=マゾヒズム的な交錯・反転が生じてるの

だ。実際、首謀者は、もともと好意を抱いてた他の女生徒とも、気まずい

仲になってしまったようだ(前半を見てないので公式HPからの推測)。

       

一方、山崎先生による攻撃的言動も、風俗店でのマゾヒスティックな行

動と表裏一体になっている。ただし、女生徒と違うのは、大人であるゆえ

に、それが意図的に行われてる点だ。欲望と嫉妬による攻撃的衝動は、

本来は他人(女生徒や同僚教師ら)に向けられるべきものだが、大人と

して、あまりそういった事は前面には押し出せない。いわゆる「超自我」

が発達してるので、現実世界で「エス」(根源的衝動)に溺れることなく、

自らを自動的に抑えてしまうのだ。

        

抑えられた攻撃的衝動は、現実の他人へと向かうことが出来ず、非現実

の世界(風俗店)で、自らに向かうことになる。つまり、好きな女生徒(おそ

らく小川)と同じソックス(身体の一番下の衣服)を店員に履かせ、その足

の更に下へと潜り込み、頭(身体の一番上)をすり寄せて、恍惚感に浸る

ことになる。サディズムからマゾヒズムへの意図的な転化だから、二次的

マゾヒズムという言葉を使ってもいい。    


       

マゾヒズムは、フェティシズム(足フェチ)としばしば結びつく。それは、下劣

な自らを崇高な対象の下に置きたいからだ。その対象が足=脚(身体の

下部)である時には、特にマゾヒズムと結びつきやすい。男性性器との身

体的・発達論的類似を考えて、男根=ファルスという言葉を使うことも可能

だ。視野を文学まで広げるなら、ウチでは以前、谷崎潤一郎の足フェチに

ついても、マゾヒズムと結びつけて論じている。代表作『春琴抄』は、足型

の墓石の下に眠りたいという、過激な内容なのだ。

      


ここで、あのソックスの特徴についても付言しとこう。赤いワンポイントの

刺繍のある、白いハイソックス。明らかに、女子高生以下の女の子用の

ファッションで、特に赤の刺繍は珍しいだろう。あれは、処女性とか初体

験の象徴になっている。

            

最近では、去年の秋ドラマ『流れ星』第5話で、「初夜」の婉曲表現として、

白いシーツと赤い花ビラが使われてたのを思い出すし、精神分析の創始

者・フロイトの『精神分析入門』に書かれた症例にもある、象徴表現だ。こ

う考えると、なぜ第1話であれほど処女にこだわっていたのかも、納得し

やすいだろう。

        

そう言えば、昨夜の月9『幸せになろうよ』でも、白と赤が効果的に使われ

ていた。捨てられた若い女・黒木メイサの終盤の服装は、上が白で、下が

赤のミニボトム(ショートパンツか)。それに対して、藤木直人によって選ば

れた女は、ラストシーンで妊娠していた。この場合、赤は処女性の表現で

もあるし(直前のお見合いデートも含む)、心の深い傷(血のような涙)の象

徴でもあるだろう

         

最後に、鈴木先生自身も、明らかに「下に向かう傾向」を示していた。妄想

シーンでは、小川によって下の世界に連れ込まれそうになっていたし、きち

んと座る小川に対して、ひざまずくようにして下方からすがりついていたの

だ(幻想)。ただし、現実世界で「向こう側」に完全に行ってしまうことは必死

に拒否する。その意識的・良識的努力が成功するかどうかは分からないが。

なお、些細な事に一生懸命になるという鈴木の性格は、神経症的でもあるし、

分析技法的でもある設定だと、指摘しておこう。。

     

           

         ☆          ☆          ☆

ここまで、残念ながら触れることが出来なかったのが、麻美(臼田あさ美)

だ。私が見てない箇所で色々と重要なシーンがあったようで、細かい話は

出来ないが、明らかにカウンセラー=分析家の位置にいる。その場合、患

者が鈴木先生だ。

     

しかし、相談的意味合いの強いカウンセリングならともかく、本来の精神

分析では、分析家自身も患者であるという考えが初期からハッキリとあっ

た。もちろん、フロイト自身が神経症患者だし、分析家自身の欲望や無意

識も問題にされて来たわけだ(逆転移分析、教育分析など)。

       

その意味で、カウンセラーの位置にいる麻美が第3話で大きく崩れた(らし

い)のは、非常に興味深い。相談を受ける側、支える側が崩れてしまう設

定としては、9年前のドラマ『First Love』も思い出される所だ(渡部篤郎、

和久井映見、深田恭子)。

       

個人的には、山崎先生=ぐっさんが学校から去ったのは残念だが、あのま

まにするとも思えないから、何らかの形での復活に期待しよう。ちなみに、

来週の第4話の予告を公式HPで見ても、また女生徒の白いシャツに赤い

点が滲んでいる。映画や小説ならともかく、テレビドラマでそこにあまり執着

するのは不利だと思うし、個人的にも苦手だが、数字より型破りやインパク

トを狙うのなら、アリなのかも知れない。私がガマンできるかどうかはともか

くとして。。

   

とにかく、この『鈴木先生』というドラマは、『喜多善男』と並ぶ問題作で、テレ

東には頑張って欲しいと思う。レビューや感想記事はともかく、見るだけな

ら、今後も続けるかも知れない。
http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/cat22172508/index.html

28. 中川隆[-9240] koaQ7Jey 2019年6月28日 12:32:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3265] 報告
「大人のひきこもり」の多くは既婚者で正社員経験者という現実/msnニュース
マネーポストWEB
2019/06/26 16:00
http://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%e5%ba%83%e6%9c%ab%e6%b6%bc%e5%ad%90%e3%80%81%ef%bc%95%ef%bc%90%e6%ad%b3%e3%83%bb%e6%a3%ae%e9%ab%98%e5%8d%83%e9%87%8c%e3%81%ae%e7%be%8e%e8%b2%8c%e3%81%ab%e6%84%9f%e5%98%86%e3%80%8c%e3%81%84%e3%82%84%ef%bd%9e%e3%80%81%e7%b4%a0%e6%95%b5%e3%81%a7%e3%81%99%ef%bd%9e%e3%80%8d/ar-AADsaqN?ocid=iehp

 社会問題としてクローズアップされている「大人のひきこもり」の問題。内閣府は今年3月、初めて中高年(40〜64才)を対象にひきこもりの実態調査「生活状況に関する調査(平成30年度)」を実施した。調査では、中高年のひきこもりが全国に61.3万人いることがわかった。

「家族構成」に目を向けると、内閣府調査では、ひきこもりの半数以上が「母」と同居する一方で、3人に1人以上(36.2%)が「配偶者」と同居する既婚者であるという驚きの事実も浮かび上がった。同居対象としては、3位に「父(25.5%」、同率3位に「子(25.5%)」と続く。

 ひきこもりの夫を持つ主婦・岸田さん(57才・仮名)が話す。

「夫は自動車部品を作る技術者でした。夫が50才の時、社内でも評判の悪い、年下の上司の下に就くことになったのです。もともと真面目で気の優しい人だから、乱暴な物言いやパワハラにも耐えていたのですが、毎日罵倒されるうち、不眠になり、些細なことにこだわり始め、気が立つようになりました。どんどん悪化して、気づいた時には、一歩も外に出られなくなっていた。退職後、転職活動もしていましたが、それも最初の半年だけ。なし崩し的に5年が経ちました」

 岸田さんは、住宅ローンがまだ10年残っていたが、幸い夫の親が援助してくれ、路頭に迷わずに済んだという。

「夫は、もう昔の優しい夫ではありません。ちょっとでも想定外のことが起こると、パニック状態になり、ひたすら謝ったかと思えば、次は何かに強く怒り始めます」(同前)

 ひきこもりの相談に携わってきたSCSカウンセリング研究所の臨床心理士である桝田智彦さんが解説する。

「40才以上の人がひきこもるきっかけでいちばん多いのが『退職』です。ただし、直接的な引き金が『退職』だったとしても、その多くは、子供の頃から自己肯定感が低かったり、自己主張を控えるなど、人間関係に疲弊する傾向がある人も多い印象があります。彼らは、学生時代から不登校や退学を経験するなどして、その延長線上で、大人になってからひきこもりになると感じています。

 実は、ひきこもりのほとんどが正社員経験者であり、復帰を望むのかと思いきや、6割以上が復帰を望んでいません。もう社会は“こりごり”なのでしょう。ひきこもって必死に“自分を守っている”のです」

 典型的な中高年のひきこもりのイメージは、年老いた両親(80代前後)がひきこもりの子供(50代前後)の生活の面倒をみる「8050問題」のように、「老親と同居する独身の子供」というものかもしれない。

 だが現実には、正社員として就職した後に家庭を築いてから、仕事や職場でのつまずきがきっかけで退職し、配偶者や子供と同居しながらひきこもりを続ける人も多いのだ。統計上、ひきこもりには男性が多いので、「妻や子供と暮らす夫がひきこもる家庭」がかなり存在すると考えられる。レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク理事長の田中敦さんが話す。

「実は、各種統計の中には、『早期リタイア』や『定年退職』をした後、地域や近所との人間関係がうまく作れなかったり、外出のきっかけになる趣味がなかったりして、家から一切出なくなった人もひきこもりにカウントされています」

 ひきこもりが続くと、同居する配偶者や子供は、経済的に困窮するだけではなく、別の問題にも直面する。ひきこもりの自立支援を行うワンステップスクール代表の廣岡政幸さんが話す。

「ひきこもりが長引くと、本人の精神に悪影響を及ぼします。孤独状態が続くことで五感の刺激が乏しくなり、精神異常や家庭内暴力に発展するケースも少なくない」

 心理学者の富田隆さんが話す。

「そうした行動は、妄想にとらわれてしまう『パラノイア(偏執病)』という病気に特徴的な傾向です。特に40代後半から50代の男性に多い。また、男性ホルモンの影響で、年を重ねると過剰に男らしさを取り戻そうとして、攻撃的な行動につながることもあるようです」

※女性セブン2019年7月4日号

29. 中川隆[-11338] koaQ7Jey 2019年9月18日 08:04:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1453] 報告
「認知の歪み」が諸悪の根源だった 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 2019年9月18日
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?all=1


非行少年
本人の主義主張などとは関係なく、純粋にすべてが歪んで見える人たちが一定数存在している

 このところ、様々な事件やトラブルに関連して登場するキーワードが「認知の歪み」というものだ。

 もともとは心理学用語で、「レッテル貼り」「白か黒かの思考法」「拡大解釈、過小解釈」等々、さまざまなパターンがあるとされている。ごく大雑把に言ってしまえば、事実や現実を適切に解釈、受け止められない思考様式のことだと考えてもいいだろう。

 たとえば最近では、「親韓」「反韓」双方が、互いに「あっちの認知が歪んでいる」、と批判しているという見方が可能だろう。前者からすれば「反韓」の人たちは「いたずらに嫌韓感情を煽るとんでもない人たち」であり、「身の危険すら感じる」という主張をすることになる。後者からすれば、「親韓」の人たちは「現在の文政権の非道、危険に目をつぶる人たち」であり、「国益を考えていない」ということになる。双方とも、相手のことを「現実を正確に認識できていない」として、批判をしているという構図。つまり互いに「認知の歪み」がある、と考えている。簡単に言えば双方が「レッテル貼り」をしているとも言える。

 他に「認知の歪み」が話題になった最近の事例は、大雨で川が氾濫し、流域に取り残されてしまった人たちへの論評の際だ。

「大雨が降るってあれだけ警報が出ていたのになぜ川に遊びに行くの? 理解不能」

 そんな疑問から、彼らには「認知の歪み」があるのではないか、といった指摘がネット上では相次いだ。台風が来ることはわかっていたにもかかわらず、わざわざ子ども連れでバーベキューを楽しもうと考えるのは、常識的な判断とは言えない。つまり警報の意味をきちんと受け止めることができていない。ここにも一種の「歪み」が見られる。これは前述の「過小解釈」にあてはまるのかもしれない。

 ただ、ここに挙げたような例は、実際には「情報リテラシー」の問題だとも言えるだろう。情報を受け止めるところまではできているが、それぞれが抱えているイデオロギーや、あるいは思考のバイアス(「俺たちだけは大丈夫!」)によって、間違った処理をしている、ということだ。

 一方で、もっと深刻な「認知の歪み」も存在している。本人の主義主張などとは関係なく、純粋にすべてが歪んで見える人たちが一定数存在しているのだ。

 医療少年院に勤務した経験を持つ精神科医、宮口幸治氏の新著

『ケーキの切れない非行少年たち』
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%81%AE%E5%88%87%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E9%9D%9E%E8%A1%8C%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%AE%E5%8F%A3-%E5%B9%B8%E6%B2%BB/dp/4106108208/ref=as_li_ss_tl?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E9%9D%9E%E8%A1%8C%E5%B0%91%E5%B9%B4&qid=1568360596&sr=8-1&linkCode=sl1&tag=dshinchoweb-22&linkId=310d6548c356ee04b83e1b9ea3cf1627


には、衝撃的な事例が紹介されている(以下、引用はすべて同書より)。

 医療少年院に勤務してすぐ、宮口氏は少年院の中で最も手がかかっていた少年の診察を頼まれた。

「少年院で『手がかかる』というのは、学校で『手がかかる』というのとは次元が違います。その少年は社会で暴行・傷害事件を起こし入院してきました。少年院の中でも粗暴行為を何度も起こし、教官の指示にも従わず、保護室に何度も入れられている少年でした。

 ちょっとしたことでキレて机や椅子を投げ飛ばし、強化ガラスにヒビが入るほどでした。いったん部屋で暴れると非常ベルが鳴り、50人はいる職員全員がそこに駆け付け少年を押さえつけて制圧します。

 制圧された少年は、トイレしかない保護室に入れられ大人しくなるまで出てこられません。そういったことを週に2回くらい繰り返していた少年でした」

 そんな情報があったので、宮口氏は内心びくびくしながら診察にのぞんだ。ところが、実際に部屋に入ってきたのは、小柄で痩せていておとなしそうな表情の、無口な少年だった。質問にも「はい」「いいえ」くらいしか答えない。

 あまり会話が進まないので、宮口氏は診察中のルーチンとして行っていた「Rey複雑図形の模写」という課題をやらせてみた。下のような複雑な図形を見ながら、手元の紙に写すという課題である。認知症患者に使用したり、子どもの視覚認知の力や写す際の計画力などをみたりすることができるという。(図1)


図1
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?photo=2


 意外にも少年はすんなりと課題に一生懸命取り組んでくれた。

 が、そこで宮口氏は「生涯忘れ得ない衝撃的な体験」をすることになる。

 少年の写した絵は、下のようなものだったのだ。(図2)

図2(少年が描いたものを著者が再現)
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?photo=3

 宮口氏はこう解説する。

「これを見た時のショックはいまだに忘れられません。私の中でそれまでもっていた発達障害や知的障害のイメージがガラガラと崩れました。

 ある人に見せて感想をもらったことがあるのですが、彼は淡々と『写すのが苦手なのですね』と答えました。確かにそうかもしれませんが、そんな単純な問題ではないのです。

 このような絵を描いているのが、何人にも怪我を負わせるような凶悪犯罪を行ってきた少年であること、そしてReyの図の見本が歪んで見えているということは、“世の中のこと全てが歪んで見えている可能性がある”ということなのです。

 そして見る力がこれだけ弱いとおそらく聞く力もかなり弱くて、我々大人の言うことが殆ど聞き取れないか、聞き取れても歪んで聞こえている可能性があるのです。

 私は、“ひょっとしたら、これが彼の非行の原因になっているのではないか”と直感しました。同時に、彼がこれまで社会でどれだけ生きにくい生活をしてきたのか、容易に想像できました。つまり、これを何とかしないと彼の再非行は防げない、と思ったのです。

 私はすぐに少年院の幹部を含む教官たちにも絵を見せたのですが、皆とても驚いていました。ある幹部は『これならいくら説教しても無理だ。もう長く話すのは止めよう』と言ったほどでした。

 すぐに理解してくれたのはいいのですが、私が意外だったのは、ベテランの教官たちがどうしてこれまでこういった事実に気付かなかったのか、ということでした。

 気付かずに『不真面目だ』『やる気がない』と厳しい指導をしていたのか。だとしたら、余計に悪くなってしまうのです」


少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する


 実際に、その後、宮口氏はこういう「歪み」を抱えた少年たちと数多く出会うことになる。

「もちろん、障害のある少年だからといっても犯罪行為は許されることではありません。しかし、本来は支援されないといけない障害をもった少年たちが、なぜこのような凶悪犯罪に手を染めることになったのかが問題なのです。

 これまで多くの非行少年たちと面接してきました。凶悪犯罪を行った少年に、何故そんなことを行ったのかと尋ねても、難し過ぎてその理由を答えられないという子がかなりいたのです。更生のためには、自分のやった非行としっかりと向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察などが必要ですが、そもそもその力がないのです。

 つまり、『反省以前の問題』なのです。これでは被害者も浮かばれません」

 彼らに欠けているのは、見る力や写す力だけではない。次回では、さらにこうした「反省以前」の子どもたちの実態を見てみよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/09180700/?all=1

30. 中川隆[-11324] koaQ7Jey 2019年9月18日 08:50:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1467] 報告

「認知の歪み」が酷い人が日常的に体験している恐怖体験とは

【ホラー】 コワイ女 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%80%91%E3%80%80%E3%82%B3%E3%83%AF%E3%82%A4%E5%A5%B3

31. 中川隆[-11314] koaQ7Jey 2019年9月18日 09:10:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1477] 報告

阿修羅掲示板でデマを垂れ流している「認知の歪み」が酷い投稿者は脳自体に障害が有るのですね:


「子どもの脳が危ない」 福島 章(上智大学教授)
 2001年 1月20日 に行われた講演より
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_01/pico_30.html

 

 私は、若い時から犯罪者、非行少年の鑑定をやってきました。簡易鑑定を300例、本鑑定を300から400例ぐらいやっています。MRI(核磁気共鳴映像法)やCTスキャン(コンピュータ断層撮影)で脳の形態を見ていますが、以前は、気脳写といって、脳の中に空気を入れて見るという方法でした。殺人のような重犯罪者、特に何人も殺したような例では、脳に異常があることが分かりました。


犯罪は増加しているか

 今、日本人全体の脳がおかしくなって、凶悪な犯罪、特に少年のそれが増えているというわけではありません。少年の犯罪検挙者数の推移をみると、戦後に大きな山があって生活型の非行、60年代前半に第2の山があり反抗型非行、粗暴な非行が中心です。豊かになった80年代に第3の山がきて、財産犯、万引きや自動車泥棒、これはスリルを楽しむためというので、遊び型非行と呼ばれます。

 90年代半ばには減りますが、ここ数年増大しています。これを第4の波として、警察、マスコミ、法務省が少年非行激増キャンペーンをしています。しかし、98年がピークで、そのあと減っています。ほとんどが窃盗のような小さい犯罪で、お巡りさんが増えたために、検挙者も増えたという側面も考えられます。

 少年による殺人事件数は、以前は年400件前後だったのが、70年代から100件以下です。昔は数が多くて、いちいち詳しく報道されなかったのです。97年に神戸の14歳の少年による連続小学生殺傷事件が起きて、大きな衝撃を与えましたが、その年は75人でした。マスコミが大きく、詳しく書くほど、似た犯罪が起きるので、翌年は150人に増えましたが、99年には111人まで下がりました。少年による殺人はここ3年やや増加していますが、激増というわけではありません。

 大人を含めた数では、60年ぐらいは年間3000件あったのが、世の中が豊かに落ち着いてくると、激減します。90年くらいが底を打った年で、最近少し増えています。しかし、日本の安全神話が崩壊したとか、「殺人列島」とマスコミが書く程ではありません。殺された人の年齢別数を見ると、69年では20代がかなり殺されていましたが、94年では、50代の方が若者より上です。今の子供は狂暴で、何をするか分からないと言っている世代の方が、若い時も今も殺されている数が多いのです。今の若者の方がむしろ全体としてはお互いに平和で、男女差も開いていません。


犯人の症例からみた形態異常

 最初は杉並の家族4人放火殺人事件です。幼児の教育をめぐってというささいな理由で家族4人を殺し、家を全焼させました。犯人は普段大人しくて内向的でした。MRIでは、脳が腫瘤によって裂け目ができていました。

 九州の妻子3人殺人事件の犯人は、最初会った時は、強いうつの状態でした。しばらくして会うと、軽い躁状態でした。MRIで、脳の形成期に起こった奇形が見られ、そのせいで、躁とうつが入れ替わる気分循環性障害になっていると診断しました。

 女子校生監禁コンクリート殺人事件の犯人では、主犯格の少年のMRIでは脳には穴があいていました。風景構成法という、風景画を書かせる心理テストをやらせると、要素をバラバラに描く構成放棄が見られました。

 連続殺人を犯した若い女性犯の例では、動機が薄弱で、衝動的な性格の境界人格障害であることが分りました。幼児期の重症のチックや、思春期危機などの病歴がありました。MRIでは、広範囲に神経細胞の脱落や、脳の皺が細かすぎるところなどが見られました。

 栃木県の幼女誘拐殺人犯は、形の上では異常はなかったものの、全体に脳が小さい、小脳症でした。

 前科もないのに急に強盗殺人で2人殺した若い女性犯は、くも膜のう胞や脳の萎縮が見られました。脳波を測ると、6サイクル陽性棘波というてんかんに似た異常がありました。


犯罪群別の有所見率の比較

所見 形態学的異常 脳波学的異常 いずれかの異常
あり なし 合計 あり なし 合計 あり なし 合計
重大殺人 15
(60%) 10
(40%) 25 21
(84%) 4
(16%) 25 23
(85%) 4
(15%) 27
その他 3(21%) 11
(79%) 14 6
(33%) 12
(67%) 18 7
(35%) 13
(65%) 20
合計 18 21 39 27 16 43 30 17 47
χ2 検定 p < 0.005 p < 0.001 p < 0.001


臨床統計で有意差

 10年で50例ぐらいの症例が集まりました。重大犯罪の方が、脳の質的な異常、量的な異常、脳波の異常のケースが目立ちました。これを集計してみると、重大殺人犯は形の異常が60%、他の人は20%と明らかに有意差が出ました。脳波の方がもっとはっきり有意差が出ました。この結果、殺人、特に重大殺人を犯す人は、脳に形態学的な、あるいは脳波的な異常があるということを、97年ころから学会に発表し始めました。脳の異常を微細な脳気質性変化症候群、英文で略してMIBOCSと命名しました。これは、胎児期から乳児期の初期までの脳形成期に形成異常があったためであると考えられます。

 ハンマーで関節を叩いて反射を診る神経学的検査という方法もあり、昨年の佐賀のバスジャック犯の鑑定では、ハンマーで叩くと右の反射が昂進していることが分かりました。MRIでは異常がなかったのですが、脳波では陽性棘波が出たので、やはり脳に異常があるということが分かりました。

 18年前の金属バット殺人事件、30年前の同級生首切り殺人事件でも、脳の萎縮がみられます。情緒性欠如の人は脳の側脳室の拡大、つまり隙間が大きく、医療少年院に入る子の多くにこれがみられることは、73年ころにすでに分かっていました。


外国での研究結果

 外国ではレインという人が系統的にやっています。研究のために英国から南カリフォルニアへ移った人です。殺人者の脳では、人間的感情や道徳心をつかさどる前頭葉で糖代謝が低下しています。PETという同位元素で脳内の代謝を見ると、衝動殺人では、前頭葉では糖代謝低下、本能をつかさどるところでは昂進していました。計画殺人では代謝の変化は見られませんでした。また別の研究では、殺人者のうち社会的な剥奪、虐待があった家庭出身者には脳の異常が見られないという結果が出ています。

 殺人に限らず、人間の行動は、バイオ、サイコ、ソーシャル、つまり生物的、心理的、環境的、それらの関数として起こるのであって、総合して考えなければならないということで、私は多次元的な診断を提唱しています。


化学物質との関連

 脳の異常に、化学物質が影響したという例がありました。92年の市川の一家4人強殺事件で、犯人の少年は、胎児期に、母親が流産防止に飲んでいた多量の黄体ホルモンに曝されました。この黄体ホルモンには男性化作用があるため、脳が超男性脳になって、高い攻撃性を獲得したという鑑定を私は裁判所に出しました。人の脳は最初はみんな女性脳として発生し、男性はアンドロジェンの働きで男性脳になります。ここで屈折するために、攻撃性、暴力性、高い活動性などの特徴が出てきます。この少年は男性化ホルモンによってさらに屈折して、超男性脳になったのです。

 アメリカのライニッシュという人が、胎児期に合成黄体ホルモンに曝された子どもの攻撃性が、そうでない子の倍以上に増大していると発表しています。

 環境ホルモンでも、男性化ホルモンが働くと、攻撃性が高まり、キレる、凶悪な非行が増えると考えられます。しかし女性化ホルモンが働くと、優しい子どもになります。今の子どもが全体としては優しくなっているのは、そのせいかもしれません。

 子どもの脳は2歳まで発達し続けるので、この間にどんな物質に曝されるかが重要になります。ダイオキシンも母親の体内や母乳から転移して、脳の中に入ります。


ADHD

 注意欠陥多動性障害ADHDが社会問題になっています。80年にアメリカで診断基準DSMができて、その時は微細脳障害MBDと言っていました。集団不適合や学級崩壊、学習障害LDなどをもたらしますが、多くは成長するとグロウンアウトと言って、健常人になります。思春期になって行為障害CDになった人も、多くは健常人に、成長して一部が反社会的人格障害や精神病になります。アメリカでは80年に3%、94年は5%に増えています。五大湖周辺では10%にもなるといいます。ADHDは症候群なので、100ぐらいの病気からなっていると言われていて、化学物質もその原因の一つとして考えられます。


子どもたちの性格の変化

 総理府からの委託で、普通の子どもがどう変わって行くか、2つの中学校を79年から追っています。バームテストと言って、樹木を書かせて自己像を探るようなことをしています。全体的には優しく、おとなしくて想像力の豊かな子が増える一方、少数だが自閉的で空虚で、衝動的、キレやすい子とに、二極分化が進んでいます。後者の割合がだんだん多くなっています。

 新しい世代は、生まれてすぐから、大量のイメージ情報に曝されて、論理的より、イメージ的に、行動原理も現実的より快楽的になっています。このため、コンピュータのOSにあたるものが大人と全く違ったものになっています。自殺もおおむね減っていますが、86年の岡田有希子の自殺で増えたり、97年の神戸の事件で少年の殺人が増えたように、マスコミ情報の影響を受けやすくなっています。


【質疑応答】

Q ADHDの治療に薬を使うことへの先生のお考えは?

A ADHDでもなにが原因でなっているか綿密に調べる必要があります。リタリンという薬は効くけれども、症状を抑えるだけの薬で、他の心理的、社会的な総合的手当てが必要です。必要な一定の時期だけ飲ませるというのは一つのポリシーだと思うが、副作用については十分に検証されていません。しかし、日本ではもっと使ってもいいのでは。アメリカは逆に使い過ぎという気がします。


Q 子どもが17歳になる前にMRI検査を受けさせた方がいいか?

A MRI検査で異常のある人の大半は何の問題もなく過ごしているので、その人に異常があると知らせた方がいいかどうか。子どもの異常は保護者が一番よく分かるので、普通に可愛い子だったら、何もしなくていいでしょう。


Q シックハウスや化学物質過敏症と脳の障害との関係は?

A 専門外で分かりませんが、市川の4人殺しの少年は赤ちゃんの時から全身のアトピー性皮膚炎でした。


Q 脳のOSが変わってしまうと、文化が変わってしまうのか?

A 人類の歴史の中で環境変化は何度もあって、それに対応して生き延びてきました。ただ、新旧世代にギャップがあるのだから、感情的にならずに、互いに理解しあう努力は必要でしょう。脳の他にいくつかの因子が全部揃った時にしか事件は起こさないので、親が暖かく愛情をもって育てれば非行にはなりませんから、安心して下さい。もし私の本『子どもの脳が危ない』が、善良な方に不安を与えたとしたら、お詫びします。


Q 少年法改正の厳罰化をどう考えるか?

A 脳には問題がなく、普通にぐれて非行に走った子の方は予後が悪く、脳に欠陥のある「いきなり型」は成人になって予後がいいのです。脳の欠陥と思春期変動が重なった時に問題が起こるので、成熟すると普通の人に戻ります。厳罰化で犯罪が減るとは思えません。むしろ犯罪報道を今の10分の1にすれば、少年非行は半分になると思います。報道に触発される要素が大きいので、市民運動で報道自粛を働きかけていただけたらありがたいです。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tsuushin/tsuushin_01/pico_30.html

32. 中川隆[-11323] koaQ7Jey 2019年9月21日 16:38:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1475] 報告

グリホサートの影響で、自閉症、ADHD(注意欠陥多動性障害)など、子どもの体に異変が起きている

農薬「グリホサート」、世界は削減・禁止の流れなのに日本は緩和!?
ハーバービジネスオンライン 2019/09/21
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e8%be%b2%e8%96%ac%e3%80%8c%e3%82%b0%e3%83%aa%e3%83%9b%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%88%e3%80%8d%e3%80%81%e4%b8%96%e7%95%8c%e3%81%af%e5%89%8a%e6%b8%9b%e3%83%bb%e7%a6%81%e6%ad%a2%e3%81%ae%e6%b5%81%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e7%b7%a9%e5%92%8c/ar-AAHBoR7?ocid=ientp#page=2


グリホサートは農薬「ラウンドアップ」の成分© FUSOSHA Publishing Inc. 提供 グリホサートは農薬「ラウンドアップ」の成分
世界各国が削減・禁止に動く中、日本は残留基準値を緩和

 昨年から今年にかけて、農民連食品分析センターが国内で販売されている小麦粉やパン、パスタなど小麦製品の農薬残留検査を行ったところ、そのほとんどから農薬の成分グリホサートが検出された。(参照:国内で販売される小麦製品の約7割からモンサントの除草剤「グリホサート」検出)

 国内産の小麦からは検出されていないことから輸入小麦に原因があると思われる。安全な農薬と考えられてきたグリホサートだが、2015年にWHOの専門機関(IARC 国際がん研究機関)によって発がん性物質に分類されて以降、世界各国はグリホサートの使用削減・禁止に動いている。そんな中で日本は何の対策もとらないばかりではなく、食品残留基準値を緩和しているのだ。

グリホサート生産量は2002年の約3倍に

 消費者にとってグリホサートは「除草剤耐性遺伝子組み換え作物」に使われる農薬「ラウンドアップ」の成分として知られている。日本では、1996年に遺伝子組み換え作物の輸入が解禁され、除草剤耐性大豆やナタネなど最初の遺伝子組み換え作物が食卓に上り始めた(食用の遺伝子組み換え作物は、消費者・生産者の反対が強いため、国内では栽培されていない)。

 それから20年が経過し、除草剤耐性大豆やナタネの栽培面積は拡大した。大豆の9割、ナタネのほとんどは遺伝子組み換えとなった。遺伝子組み換え作物の栽培拡大につれて、グリホサートの使用量も増大。2002年に5000万トンだった生産量は約3倍に増えている。

体内のグリホサート量増加は、食品からの摂取が原因!?

 除草剤耐性作物が増え、グリホサートの使用量が増えるにつれて、遺伝子組み換え作物の最大の生産国・消費国である米国では、健康への不安が高まっていった。

 特に、ハワイ州には4つの島(モロカイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島)に1141もの遺伝子組み換え作物の屋外試験圃場がある。モンサントやデュポンパイオニア、シンジェンタなど、遺伝子組み換え化学会社の試験圃場が米国一多く存在する「遺伝子組み換えの島」なのだ。

 住宅地や学校など、生活の場の中に圃場があり、人々の住居や学校などと圃場の間には緩衝地帯もなく、フェンス1つで仕切られているような状態だ。1年中多量の農薬にさらされる住民たち、特に子どもたちへの健康への影響が懸念されている。

 グリホサートの使用量が増えたことで、実際に人が曝露する量は増えたのだろうか。

 カリフォルニア大学家庭医学と公衆衛生学のポール・ミルズ教授が1993〜1996年、2014〜2016年に、南カリフォルニアに住む50歳以上の高齢者の尿中のグリホサートを検査した。その結果、20年の間に尿中のグリホサート量は500〜1000%増加していたという(2017年「ジャーナルJAMA」より)。

 この増加が環境からの曝露によるものなのか、食品からの摂取によるものかは分かっていない。ミルズ教授は、食品からの摂取を疑っているという。

「子どもの体の異変はグリホサートの影響!?」と疑う母親たち

 グリホサートによる健康への懸念はハワイ州だけの問題ではない。「グリホサートの影響で、アレルギーや自閉症、ADHD(注意欠陥多動性障害)など、子どもの体に異変が起きている」と感じている米国の母親たちが、『Moms Across America』を結成。子どもの食事から遺伝子組み換え食品とグリホサートを除去するために、グリホサートの代替品を勧め、有機食材を選ぶ運動などを展開している。

 しかし、グリホサートが使われているのは遺伝子組み換え作物だけではなかった。1980年代から30年以上、小麦の収穫を容易にするために「乾燥」と呼ばれて収穫前に除草剤散布(プレハーベスト)が続けられてきた。その結果、小麦粉を使ったパンやパスタ、ピザなどからも残留農薬が検出されている。

「ラウンドアップは飲んでも牛乳と同じくらい安全」と開発企業

 ラウンドアップの安全性に関しては、2002年の段階ですでにレイチェル環境基金が「ラウンドアップは先天性奇形の増加に関係があり、神経発達障害が3倍に増える」という、2つの研究について紹介している。

 内でラウンドアップ(グリホサート)農薬を販売する日産化学工業は、この農薬について「急性毒性が低く、催奇性、奇形性、発がん性もなく、非常に安全性が高いことが国際的に認められている」と安全性を強調している。

 さらに、ラウンドアップの開発企業であり、遺伝子組み換え作物を推進してきたモンサント社はこれまで「ラウンドアップは飲んでも牛乳と同じくらい安全」と言ってきた。

 飲んでも安全な農薬があるとは思えないが、ラウンドアップの主成分であるグリホサートは米国環境省(EPA)によって「ヒトにガンを引き起こさない化学物質」に分類されているのが現状だ。

ラウンドアップに添加された補助成分が遺伝子を傷つける!?

 2000年頃には、イタリアの国立ガン研究所が「ラウンドアップに添加されている補助成分(不活性成分)が遺伝子を傷つける」と報告。その後不活性成分「非イオン系界面活性剤ポリオキシエチレンアミン(POEA)」が、グリホサートの3倍以上毒性が強いということがわかってきた。

 農薬にどのような不活性成分が使われているかは「企業秘密」であるとして、明らかにはされていない。しかし一部の研究者たちは、グリホサートとPOEAの混合物であるラウンドアップは「グリホサート単独の場合と比べて明らかに毒性が強い」として、「補助成分を含めたラウンドアップの安全性について当局は見直すべき」と主張している。

超低濃度でも先天性異常、脂肪肝を引き起こす!?

 アルゼンチンやパラグアイなどでは、2000年頃から大規模に遺伝子組み換え大豆が栽培されるようになった。小型飛行機でラウンドアップの空中散布が行われるようになると、周辺住民の間で小児がんや先天異常、皮膚障害などが増えてきた。

 ラウンドアップは「分解も早く催奇性がない」と言われてきたが、2010年にブエノスアイレス大学のアンドレス・カラスコ教授(医学部・分子胎生学研究所長)らが、「カエルや鶏の胚で実験した結果、極めて低い濃度であってもラウンドアップが先天異常を引き起こした」との研究結果を発表した。

 さらに、大豆栽培が盛んなアルゼンチン・チャコ州政府は「グリホサートと、小児がんや脳腫瘍、先天異常などの発生は関連がある」とするレポートを発表している。

 グリホサートは2015年にWHOの専門機関(IARC=国際がん研究機関)によって発がん性物質に分類された。2017年には、ロンドン大学の研究チームが「超低濃度のグリホサートでも、長期間摂取すれば脂肪肝を引き起こす」という研究結果を発表している。

 2019年8月、産科医の国際組織である国際産婦人科連合(FIGO)は「グリホサートはガンや神経発達障害、先天性欠損症との関連が疑われる。またメチル水銀同様、胎盤を通過する可能性があり、予防原則の立場から使用を避けるのは社会的責任である」として、グリホサートの使用禁止を勧告している。

世界で広がるグリホサート使用禁止

 20〜30年にわたって大量に使い続けてきたグリホサートは、パンやパスタだけではなく、水道水やワイン、ビールや蜂蜜など、さまざまな飲食料品から検出されている。米国では子どものワクチンからも検出されて、母親たちに衝撃を与えた。

 アジアではベトナム、スリランカがグリホサートの輸入を禁止、EUではオーストリアやドイツがグリホサートの全面禁止を決めた。フランスは2023年までに段階的に廃止する。チェコは2018年収穫前にグリホサート散布を禁止、デンマークもすべての作物の出芽後の散布を禁止している。イタリアは公共の場での使用を禁止、ベルギーやオランダは専門家以外への販売を禁止した。

 ブラジルは昨年、連邦裁判所が「連邦政府が毒性を再評価するまでグリホサートの使用を禁止する」と決定。その他の国や地域、自治体、学校などでも、グリホサートの使用禁止や削減に取り組み始めている。インターネットの署名サイト「アバーズ」は、グリホサート使用禁止を求める署名を実施、全世界から140万件もの署名が集まったという。

 それに比べて、日本政府は何の対策を取らないばかりか残留基準値を緩和、その使用量も増加している。日本の多くの環境NGOなどは「世界中で使われなくなったラウンドアップが日本に集まってくるのではないか」と恐れている。

33. 中川隆[-10412] koaQ7Jey 2019年10月31日 10:27:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2465] 報告

魑魅魍魎氏はこれに近いね:

パーキンソン病患者の幻覚体験 _ 伝説の遭難者 yucon氏の体験について
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/700.html

34. 中川隆[-14744] koaQ7Jey 2020年1月09日 10:00:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1705] 報告

植松聖。妄想と錯乱で支離滅裂な男が起こした重度障害者大量殺人の行方2020.01.09
https://blackasia.net/?p=16662

植松聖は神奈川県相模原市緑区千木良の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持って忍び入り、意思疎通のできなかった知的障害者を次々と殺害していった男である。いったいこの男はなぜこのような事件を起こしてしまったのか。


「重度障害者は安楽死すべき」という持論

2020年1月8日。植松聖(うえまつ・さとし)の初公判があったのだが、植松聖は「深くお詫び致します」と述べた後に口の中に手を入れて暴れ出し、裁判は休廷になった。

植松聖は言うまでもなく、神奈川県相模原市緑区千木良の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持って忍び入り、意思疎通のできなかった重度知的障害者を次々と殺害していった男である。

殺害前からすでに友人やインターネットで犯罪予告を出していて、入所者の知的障害者を明確に殺害する意図を持って施設に侵入し、刃物で次々と首や身体を刺していた。結果的には19名が死亡し、26名が重軽傷を負うという凄惨極まりない事件となった。

植松聖はこの施設で働いていた職員だった。施設に入居している障害者たちに暴行したり暴言を吐いたりする問題行為もあった。

その上、介護職員でありながら「重度障害者は安楽死すべきだ」という主張を繰り返し、施設側から批判されていた。

植松聖が激しくそれを主張して意見を変えなかったために解雇に近い形で自主退職に追い込まれて、「危害を加える恐れがある」と警察に通報されていた。それほど「重度障害者は安楽死すべき」という持論を強く持っていたということだ。

この男は中学の頃から酒とタバコに染まり、大学生になるとクラブで出回っているドラッグをやり始めるようになり、身体に刺青を入れて、半グレたちと付き合うようになっていた。

植松聖は帝京大学卒業だが、卒業してから運送会社の仕事やデリヘルの運転手などの職を転々として、「津久井やまゆり園」に非常勤職員と勤務するようになっていた。

しかし、ここで植松聖は重度障害者と接触し、独自の持論を持つようになった。「重度障害者は安楽死すべきだ、抹殺すべきだ」という持論である。

この極端な持論は、かなり強い思い込みとしてこの男の脳に刷られたようだが、この「思い込みの強さ」は、この男の行動を説明する一つのキーワードでもある。

植松聖は中学の頃から酒とタバコに染まり、大学生になるとクラブで出回っているドラッグをやり始めるようになり、身体に刺青を入れて、半グレたちと付き合うようになっていた。


私は障害者総勢470名を抹殺することができます

ドラッグが思い込みの強さを深化させていた可能性は十分にある。

植松聖は働きながらも相変わらずクラブに出入りし、マリファナや危険ドラッグに高じていたことが分かっている。「マリファナは効かない」というので、徐々に危険ドラッグの方に移行していたということなのだが、マリファナと危険ドラッグではその悪影響は相当違う。

ヘヴィードラッグに似た成分が含まれた危険ドラッグは、マリファナと違って著しく精神を破壊してしまうのである。

2015年には介護施設の非常勤職員の仕事以外に、刺青の彫り師の仕事にも弟子入りしていたのだが、師は「ドラッグを使用している可能性が濃厚だ」と判断して植松聖を破門していた。

植松聖はこの彫り師にも「重度障害者は抹殺すべき」という持論を語っていたのだが、その持論は、この男が衆議院議長・大島理森氏公邸に訪れて渡した手書きの手紙によって明らかにされている。ちなみに、この手紙には冒頭からこのように書かれていた。


『私は障害者総勢470名を抹殺することができます』

植松聖がこの狂気に満ちた手紙を衆議院議長の大島理森氏に渡そうと思っていたのは、この男が「重度障害者を安楽死すべき」というのを大島理森氏に支援してもらうつもりだったからだ。


日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。


私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。


「本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐため」の実行

植松聖は手紙の中でこのように持論を進めている。


私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

植松聖はそれが常軌を逸する発言であることを認めながら、保護者の同意を得て安楽死できる世界にすることは「本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐかもしれない」と述べている。

障害者を抹殺すると言って、唐突に「世界経済の活性化」だとか「本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐため」というのだから、この男の頭の中は何かしらの異様な妄想が詰まっていることが分かる。

妄想でなければ錯乱だ。様々な「思い込み」が妄想になり、錯乱になり、この男の頭の中を彩っていた。

実はこの手紙には奇妙な飛躍や文章が散見されている。いかに「思い込み」で生きていて現実感が喪失しているのかがよく分かる。


外見はとても大切なことに気づき、容姿に自信が無い為、美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳、小さい顔、宇宙人が代表するイメージ。それらを実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。

障害者を抹殺すると言って、唐突に「世界経済の活性化」だとか「本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐため」というのだから、この男の頭の中は何かしらの異様な妄想が詰まっていることが分かる。

精神的に何が異常があるのは感じられる

さらに、この手紙には犯行計画も書かれていた。以下のようなものだ。


見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します。2つの園260名を抹殺した後は自首します。

作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。

新しい名前(伊黒崇)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。これらを確約して頂ければと考えております。

手紙の冒頭には「障害者総勢470名を抹殺」と書いているのに、後半ではいつの間にか「260名を抹殺した後は自首」という話になっていて整合性が取れていないのが分かる。

整合性がないと言えば、他にも「重度障害者の安楽死」というテーマとはまるっきり関係のない医療用マリファナの話やパチンコの話やフリーメーソンの話などが、延々と書かれていた。全体を通して読むと、妄想と錯乱が混じっていて支離滅裂なのである。

植松聖は、当初は衆議院議長の確約が取れてから実行しようと考えていたようだが、それを前倒しにしたのは、「暴力団が自分を狙っている」と思い込んだからだ。ここにも妄想と現実の区別がついていない状況が見える。

「誰かが自分を狙っている」という妄想は覚醒剤使用者に多い症状なのだが、覚醒剤の成分が入った危険ドラッグによって生まれたものであったとしても不思議ではない。

犯行前日に、この男は彼女と高級焼き肉を食べて最後の晩餐にしているのだが、その後にマリファナを吸って高級デリヘルで女性を呼んで性サービスを受けている。強い妄想を持ちながら、こういう計画性は持ち合わせていた。

植松聖は小学生の頃は「まとも」で「優しい」子だったと当時の級友は語っている。おかしくなったのは、アルコールやドラッグに溺れるようになってからだ。

もともと思い込みの激しい性格がアルコールやドラッグで強化されて、強固で自分勝手な思い込みが妄想と錯乱を生み、それが悲惨な事件を引き起こしたのではないか。

裁判ではこの男に責任能力があったのかどうかが問われるのだが、事件時は心神喪失状態だったと判断されたら無罪になる。心神喪失とは「精神上の障害のため是非善悪を弁別できない状態」である。

「重度障害者は安楽死すべきだ、抹殺すべきだ」と強く思い込んで、正義のためにそれをしたと考えていた植松聖は心神喪失状態だったのだろうか。

最近は日本の司法もおかしくなっているのだが、日本がこの男をどのように裁くのか、私は注目している。

『大量殺人の“ダークヒーロー”――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?(フランコ・ベラルディ(ビフォ) )』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4861826411/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4861826411&linkId=63cbc4852f4ea8548939cf6b87aa5826


https://blackasia.net/?p=16662

35. 中川隆[-12757] koaQ7Jey 2020年3月13日 14:40:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[801] 報告
ゴミ屋敷の生活保護父子が「2人で3万円」のすし屋に通い続けたワケ
安藤 知行 2020/03/13
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/ゴミ屋敷の生活保護父子が%ef%bd%a22人で3万円%ef%bd%a3のすし屋に通い続けたワケ/ar-BB117pyD?ocid=ientp

© PRESIDENT Online 生活保護費が出る月初め、老父が現役時代に通っていた高級寿司店をタクシーで訪ねるのが、親子にとってたったひとつの楽しみだった。そんなことをしていれば行き詰まって当たり前、と指弾する人もいるだろうが――。(写真はイメージです)


SOSを出せず「共倒れになる親子」

2019年6月、東京・練馬区の自宅で、農林水産省の元事務次官(76)が、精神科に通院していた無職の長男(44)を殺害するという痛ましい事件が起きました。裁判では、発達障害に悩む息子を何とか支援しようと努力してきた両親が、社会や地域にSOSを出すことができずに孤立していく過程も明らかになりました。
このような問題は決してこの家族だけのものではなく、同じような境遇で孤立している家族は今も、日本全国に多く存在します。

私は精神保健福祉士として1995年から25年間にわたり、精神疾患や障害を抱えながら地域で暮らす患者と、その家族を支援してきました。ここではこの事件のように「共倒れになる親子」の事例として、統合失調症を患う中年男性と、男性を支える立場だった高齢の父親が、2人そろって精神科への入院を余儀なくされたケースを紹介します。


濡れた衣服や惣菜パックが至るところに散乱

私には忘れられない親子がいます。2004年、担当していた精神科デイケアで出会った統合失調症の男性Aさん(37=当時)とその父親(69)です。

頼れる身寄りもおらず、1カ月計13万円の年金と生活保護費でほそぼそと暮らす2人。私たち専門職が数年にわたりサポートを続けましたが、親子が互いに傷つけあって次第に疲弊し、数年後には2人そろって精神科に入院するほどに追い詰められてしまいました。

支援のため自宅を訪れましたが、そこは足の踏み場もないほどのゴミ屋敷でした。濡れた衣服や惣菜パックが至るところに散乱し、大量のうじ虫やゴキブリにも遭遇しました。2人がここまでの状況に陥るまでには、長年にわたる、いくつもの不幸な出来事の積み重ねがありました。


家事や片付けが非常に苦手だった息子

Aさんは元々「吃音(きつおん)」があり、人と接するのが苦手でした。小中学校では授業についていけず、学力も低かった様です。中学校を卒業後は、自動車部品関連の仕事に就きました。しかし同僚や上司に厳しく叱られて仕事が長続きせず、4度も転職します。

35歳頃、最後となった勤務先で周囲への被害的な発言が目立つようになり、解雇されました。当時定年退職して一人で暮らしていた父親に連絡が入り、迎えに行ったところ、早口で意味不明の発言をしていたといいます。程なく精神科で統合失調症と診断され、治療が開始されました。

こうして始まった父と子の2人暮らし。父の年金は毎月8万円で、足りない分は退職金を充てる生活でした。ここで分かったのは、Aさんは家事や片付けが非常に苦手だったということです。このため父が調理や掃除を行っていました。しかしAさんが40歳になる頃、父の退職金が底をついてしまったことで生活が困窮し、親子の言い争いが増えていきました。本来であれば、Aさんは2週間に1度の受診でしたが、お金がないため2カ月に1度の受診となることもありました。

「カネのことをいちいち干渉するな!」

このため、外来ソーシャルワーカーの強い勧めにより、父親は生活保護の受給に踏み切りました。父親は世間体を気にして受給に消極的だったものの、月5万円の生活保護により計13万円の生活費が確保されるように。しかし、Aさんの通院状況は改善されませんでした。ソーシャルワーカーが2人から生活費の使い方を聞くと、父親は不機嫌に強い口調で「カネのことをいちいち干渉するな」と言い、話題を避けていました。

こうして何とか均衡を保っていた父子の生活が崩れたのは、Aさんが43歳の時です。父親が体調を崩し、Aさんが家事を担うようになって家が荒れていったのです。体調が悪化したためか、父親の口調も荒くなり、Aさんは父親が自分を責めていると感じ始め、徐々に落ち着かなくなっていきました。そんな息子と接する父親も、自暴自棄的な発言や疲弊した発言が目立つように。主治医が、このままでは2人の精神状態が悪化すると判断し、2人とも精神科への入院を余儀なくされました。

温かく迎えられるのがうれしくて

父親の体調悪化の原因のひとつは、熱中症です。光熱費を滞納したことで、空調が使えなくなったのです。入院してしばらくして私は病棟でAさんから、13万円でどのような生活をしていたのか伺いました。

そうすると驚くべきことに、2人は月初めに入る生活保護を頼りに、高級すし屋にタクシーで行くことを楽しみにしていました。すし代は2人で3万円、タクシー代が往復で1万円。2人を温かく迎えてくれるお店の対応がうれしく、通い続けていたといいます。これは父親が働いていた頃からの唯一の楽しみであると共に、生活をここまで逼迫させた最大の原因だということが、後になってわかりました。

多くの人は、生活保護費で高級ずしを食べる親子を軽蔑し、2人の転落を「自業自得」と片付けるかもしれません。しかし私は、たったひとつの楽しみとして、カウンターで肩を並べておいしそうにすしを食べる2人を想像すると、Aさんを責めるどころか、ねぎらう思いにかき立てられました。精神疾患が当事者とその家族の生きがいまでも断ち切ってしまうことに、支援者としての無力さを感じました。


当事者たちは、人との交流を求めている

Aさんは果たして何に苦しみ、父親と「共倒れ」してしまったのでしょう。精神科疾患の当事者を医療や地域で支えてきた「浦河べてるの家」の理事を務める向谷地生良氏は、「多くの当事者には『関係の障害』がある」と言います。実際に当事者のエピソードを聞いてみると、対人・親子・学校・職場・地域との関係に苦労している人が少なくありません。Aさんは、自分の父親に対して疑心暗鬼になっていました。まさに、「親子関係の障害」に苦しんでいたのだといえます。

また、若いころのAさんを苦しめたのは「職場関係の障害」です。ある当事者は「能力以上の取り組みを求められ、途方に暮れた」「職場への足が遠のき、自己喪失感に押しつぶされたが、自殺する勇気もなく、自宅にこもってしまった」と悲痛な声をあげます。

精神疾患の当事者は、身内も含めた対人交流の中で、冷やかしや批判、のけ者扱いを受けたと感じたり、他人より自分が劣っているという劣等感にさいなまれたりし、自ら交流を絶ってしまうケースが多いです。そうしないと、自尊心を保てない状態になっているのです。しかし実際に関わってみると分かるのですが、当事者たちは、実は人との交流を求めているのです。


支える家族が「泥沼」にはまらないために

一方で、支える側である親や兄弟の立場はどうでしょうか。当事者の親の相談には、「子供のころはおとなしく、従順だった」「中学生頃から急に怒り出したり、会話を避けたりするようになった」「社会人になってからは独り言が多くなった」という内容が多く聞かれ、当事者が苦労している姿を見て、親も同じような苦しみを感じてしまっています。

先に紹介したAさんの父親も、息子が苦しむ姿を見て、ついには自分までもが病んでいきました。このように「支え方」がうまく見いだせず、支援者までもが泥沼にはまっていくケースは決して少なくありません。

この問題を解消するためには、何よりも「支え方」の技を磨くことが有効です。まず当事者が、自分で自分の支え方を身につけ、主体性を回復する。一方で親や支援者は、「自分はしょせん他人であり、本人に代わって苦労を請け負うことはできない」とわきまえる。この姿勢が大切です。周囲の人間ができるのは、当事者が「自分を助ける」ことを支援するところまでです。

親や支援者がとるべき姿勢は、当事者の性格や立ち居振る舞いを責めず、起こっている現象に着目して、その本質的な意味を考えることです。「引きこもっている長男」ではなく、「引きこもらざるを得なかった長男の背景」に着眼し、同じ目線に立って、新たな「自分の助け方」を一緒に探すのです。


住民票の住所が病院になってしまう人も


現在、精神科病棟に入院している方は全国でおおよそ30万人と言われています。そのうち、入院が1年以上の方は約20万人という実態です。

実践知ですが、この20万人のうち精神科状態が寛解されており、地域での保健福祉サービスを活用すれば退院可能な方は3割、少なくとも6万人はいると思われます。しかし彼らは実生活に戻った途端、人づきあいや家事、お金のやりくりで挫折してしまいます。この「当たり前の苦労」でつまずき、再入院する方も多いのです。
当事者を受け入れた家族や親族も、精神疾患者の身内がいる後ろめたさから近隣と距離を置き、当事者支援サービスの受け入れを拒むケースが少なくありません。さらには、当事者と関与することすら拒否し、退院を阻止しようとする家族もいます。

いわゆる長期入院と言われている方の多くは、不穏、興奮状態がずっと続いているわけではなく、退院後の受け入れ態勢が整っていないことから、ひっそりと病棟で過ごしているのです。悲しいのは、入院されている当事者も高齢化してしまい、食事やトイレといった日常生活動作の介護が必要なため、退院できない方もいること。精神科病棟が自宅となり、住民票が病院という方もいるのです。


あなた自身が「当事者」となる可能性もある

ここ数年は、精神障害者の方も、アパートや障害者グループホームに単身で退院することが増えました。しかし精神疾患者への偏見から、拒絶反応を示す地域住民は少なくありません。

私自身、入院中の当事者と退院先のアパートを探しにある不動産屋に行ったところ、精神疾患があると話した途端にけげんな表情をされました。「精神科にかかっている方は受け入れられない」と、きっぱり言われたこともあります。私の知る医療法人は精神疾患者のグループホームを立てる予定でしたが、地域住民が署名までして反対運動を起こしました。

こういった現状の打開に向けては、何はともあれ当事者とふれあってみてほしいのです。実はあなたの隣の家に、自分の支え方で苦労をしている当事者がいるかもしれません。あなたの知人は、過去にうつ病を患った方かもしれません。ちょっと神経質な言動をしている同僚は、実は精神科に通院しているのかもしれません。そのような人は身近にたくさんいるのです。あなたはその方々にひどい仕打ちを受けたでしょうか。彼らは普通の住民、同僚、仲間なのです。

ある当事者に「地域の方が自分にどう接してほしいか」と問いかけてみたところ、彼は「普通の住民と思ってほしい」と答えました。環境や状況によって、あなた自身も「当たり前の苦労」でつまずき、当事者となる可能性があるのです。「お互いさま」の気持ちで受け入れられる寛容さが広がってほしいと願っています。

---------- 安藤 知行(あんどう・ともゆき) 精神保健福祉士 25年間精神医療現場に携わる。千葉県精神保健福祉士協会理事。千葉県精神保健福祉協議会常任理事。聖徳大学心理・福祉学部非常勤講師。精神保健福祉に関する理解促進と精神障害者の社会参加を目的に16年間「心のふれあいフェスティバル」を実行委員として運営。趣味草野球。 ----------


https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/ゴミ屋敷の生活保護父子が%ef%bd%a22人で3万円%ef%bd%a3のすし屋に通い続けたワケ/ar-BB117pyD?ocid=ientp

36. 中川隆[-12730] koaQ7Jey 2020年5月12日 05:07:00 : vmV5cSelDA : Si9WdWlTeVNGU0U=[2] 報告


統合失調症患者が体験する世界


【ホラー】 コワイ女 2017


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