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20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/116.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 22 日 05:57:34: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: れいわ新選組 大西つねき : 資本主義の仕組みは既に破綻している 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 21 日 09:32:57)

20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか?

マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

脳動脈硬化症で晩節を汚した(?)レーニン _ 実際は若い時から…
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

プーチン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

▲△▽▼

中国は共産主義国ではなく古来の皇帝が支配する儒教国家

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html

中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html

▲△▽▼

北朝鮮は共産主義国ではなく古来の儒教国家

朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html

チュチェ思想は朝鮮古来の儒教思想であって、共産主義とは何の関係も無い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/566.html  

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コメント
1. 2020年6月14日 12:32:12 : DpuNCXvzKk : T3VxNEk4M1UzWnc=[12] 報告

武器としての「資本論」– 2020/4/10
白井 聡 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96%E3%80%8D-%E7%99%BD%E4%BA%95-%E8%81%A1/dp/4492212418


書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊) - 内田樹の研究室
2020-06-12
http://blog.tatsuru.com/2020/06/12_1352.html


 私事から始めて恐縮だが、経済学者の石川康宏さんと『若者よ、マルクスを読もう』という中高生向けのマルクス入門書を書いている。マルクスの主著を一冊ずつ取り上げて、石川さんは経済学者という立場から、私は文学と哲学の研究者という立場から、中高生にもわかるように噛んで含めるように紹介するという趣向のものである。
 第一巻で『共産党宣言』、『ヘーゲル法哲学批判序説』『ユダヤ人問題によせて』。第二巻で『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』と『フランスにおける階級闘争』。第三巻で『フランスの内乱』と「マルクスとアメリカ」についての共同研究。そこまでは出した。最終巻で『資本論』を論じて、それでめでたくシリーズ終了という計画だったが、「次は『資本論』だね」と確認してから2年が経過してしまった。停滞しているのは、私が忙しさに紛れて書かずにきたせいである。
 しかし、ここに白井聡さんの『武器としての「資本論」』が出てきた。一読、あまりの面白さに、「そうか、こういうふうに書けばいいのか!」と膝を打ったのであった。そして、いまは自分の『資本論』論が書きたくて、うずうずしてきた。コロナ禍でしばらく暇が続くので、書き始められそうである。届かない原稿を待ち続けていた編集者のために白井さんは陰徳を積まれたことになる。
 私が膝を打った「なるほど! こういうふうに書けばいいのか!」の「こういうふう」とは「どういうふう」のことなのか。それについて書きたいと思う。

 白井さんのこの本は「入門書」である。「『資本論』の偉大さがストレートに読者に伝わる本を書きたい」という白井さんの思いを託した入門書である。マルクスについて基礎的な知識がない若者を読者に想定している。そういう人たちにマルクスの「真髄」をいきなり呑み込ませようという大胆きわまりないものである。そして、それに成功している。
 たいした力業と言わなければならない
「入門書」の良否は、想定読者の知性をどれくらいのレベルに設定するかという初期設定でほぼ決まると私は思う。
 凡庸な専門家は「一般読者を対象に」と言われると、いきなり「啓蒙」というスタンスを取る。想定読者の知性をかなり低めに設定するのである。そうすることが「リーダー・フレンドリー」だと思っているからである。そして、たいていは失敗する。
「啓蒙」は「書き手は博識であり、読者は無知である」という「知の非対称性」を前提にする。そういう構えはコミュニケーションを阻害することはあっても、活性化する役には立たない。「啓蒙」的態度をとる人は、自分が読者を威圧したり、屈辱感を与えたりしている可能性をあまり気にかけない。書き手が読者に対して十分な敬意を示さない場合、読者がそれを敏感に感じ取り、心を閉ざすということを知らない(人は自分が相手から愛されているかどうかはよくわからないが、自分が相手から敬意を払われているかどうかは、すぐわかるのである)。
でも、書き手がほんとうに読者に伝えたいことは、ほとんどの場合、読者に「心を開いて」もらわないと達成できない。読者たちが、これまでの自分のものの考え方をいったん「かっこに入れて」、しばらくの間だけ自分の手持ちの「物差し」をあてがうことを自制して、書き手の言い分を「丸呑み」にしてくれないと、ほんとうに伝えたいことは伝わらない。だから、ほんとうにたいせつなのは、読者に「心を開いてもらうこと」だけなのである。
「コミュニケーションの回路を立ち上げる」という遂行的な営みに成功しない限り、その回路を行き来するコンテンツの理非や真偽はそもそも論じることさえできないのである。
一人の読者が、一冊の本を読みながら、今読んでいる箇所を理解するためには、自分自身の考え方感じ方を一時的に「かっこに入れる」「棚上げする」必要があると感じたならば、その本はコミュニケーションの回路の立ち上げに成功したと言うことができる。私はそう思う。
 いま「心を開く」という比較的穏当な動詞を使ったけれど、ほんとうはそんな生易しいものではない。読者が「心を開く」というのは、どこかで「自分を手離す」ということだからである。自分が自分のままである限り、この頁に書いてあることは理解できない。この頁が理解できるようになるためには、自分は今の自分とは別人にならなければならない。そういう「清水の舞台から飛び降りる」ような決断を下すこと、それが「心を開く」ということである。そして、そのようなきびしい決断を読者に迫る書物がこの世には存在する。白井さんのこの本はそういう書物である。

 白井さんは読者たちに「清水の舞台から飛び降りる」ことを求める。きびしい要求である。そのことを白井さんもわかっている。「はい、これがパラシュートね、あの目標点めざして飛び降りてね。じゃ、いくよ」くらいのあっさりした声かけでは、たぶん足がすくんで、ついてきてくれない。だから、飛び降りてもらう前に、入念なストレッチを行い、これから行ってもらう「跳躍」が、どういう歴史的な文脈のうちで形成され、なぜ知的成熟にとっての必須科目とされるに至ったのかを、諄々と説く。読者に「怖いこと」をさせるつもりでいる本はフレンドリーな顔をして近づいてくる。そういうものなのである。
 この本はとても丁寧に書かれている。でも、それは繰り返し言うが、「啓蒙的」な意図に基づく丁寧さとは違う。白井さんが、たいへんに丁寧に説明するのは、読者にこれから「たいへんなこと」をしてもらうためだからである。
 白井さんは「思索の人」であると同時に「行動の人」である。彼は(社会人としての立場上あまり広言はされないが)機会があれば「革命をやりたい」と思っている。
だから、すべての書物を通じて、実は白井さんは「ともに革命をする同志」を徴募しているのである。「読者にこれからたいへんなことをしてもらう」という「たいへんなこと」というのはそれである。
 レーニンは『国家と革命』の「あとがき」で「革命の経験をやりとげることは、それについて書くことよりもいっそう愉快であり、またいっそう有益でもある」と書いている。
きっと白井さんもそう思っている。
 だから、彼の本は「読者をして行動に導くための本」である。読んでもらって「よくわかりました。いや、『資本論』のことがよくわかりました。ありがとう」では済まされないのである。「よくわかりました。資本制社会の仕組みが理解できました。で、次は革命のために何を始めたらいいんですか?」という読者が欲しいのである。
 そういう本を書く人は少ない。
 前に、桑原武夫は人を評価するときに「一緒に革命ができるかどうか」を基準にしたと聞いたことがある。これはなかなかすてきな基準だと思う。
 革命闘争というのは、そのほとんどの時期が地下活動である。弾圧され、警察に追われ、逮捕投獄されて、拷問され、処刑されるリスクに脅かされる日常である。だから、それでも革命運動ができるとしたら、それは、レーニンが言う通り、日々の活動がたいへんに「愉快」だからである。「そうだ、革命をやろう」と思い立って、仲間を集めて、組織を作り、機関誌を出したりしている日々がそうでない日々より圧倒的に「愉快」だから、弾圧から処刑に至る不吉な未来についての「取り越し苦労」が前景化してこないのである。
 ということは、「一緒に革命ができる人」というのは、「一緒にいると、生きているのが愉快になってくる人」だということである。一緒にいると、日々の何でもないささやかな出来事が輝いて見え、現実の細部にまで深く意味が宿っていることが実感できる、そういう人が「ともに革命ができる人」である。白井さんはそのような書き手であろうとしている。これは現代日本にあってはまことに例外的な立ち位置というべきだろう。

 白井さんの「リーダー・フレンドリーネス」について書いているうちに内容の紹介をする前に予定の紙数が尽きてしまった。わずかな行数ではとてもこの本の中身を要約はできない。私が個人的に一番面白く読んだのは、白井さんが、どうして人間は「資本に奉仕する度合い」に基づいて格付けされることを(それが自分自身をますます不幸にするにもかかわらず)これほど素直に、ほとんど嬉々として受け入れるのか、という問いをめぐって書いている箇所である。
 われわれの時代の新自由主義的な資本主義は「人間のベーシックな価値、存在しているだけで持っている価値や必ずしもカネにならない価値というものをまったく認めない。だから、人間を資本に奉仕する道具としてしか見ていない。」(70頁)
 ほんとうにその通りなのだが、問題は、どうして人々はそれに抵抗しないのか、ということである。それは資本の論理は、収奪される側の人間のうちにも深く内面化しているからである。この倒錯をマルクスは「包摂」と呼んだした。
 この「包摂」と「本源的蓄積」がイングランドの農業革命期の「囲い込み」から始まったというのはマルクス主義の教科書には書いてあるが、白井さんの説明ほどわかりやすいものを私はこれまで読んだことがない。
 人間たちが現に自分を収奪している制度に拝跪する心性の倒錯に気づき、自分の身体の奥底から絞り出すような声で、その制度に「ノー」を突きつける日が来るまで、資本主義の瑕疵や不条理をいくら論っても革命は起きない。問題は革命的主体の形成なのである。
だから、白井さんは、本書の結論部にこう書いている。
「『それはいやだ』と言えるかどうか、そこが階級闘争の原点になる。戦艦ポチョムキンの反乱も、腐った肉を食わされたことから始まっています。『腐った肉は我慢ならない』ということから、上官を倒す階級闘争が始まったわけです。」(277−8頁)
 最終的に「反抗」の起点になるのは人間の生身である。かつてアンドレ・ブルトンはこう書いた。
「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」
 その通りだと思う。「生活を変える」ことなしに、「世界を変える」ことはできない。一人の人間が血肉を具えた一人の人間が、その生物として深い層から「それは、いやだ」という反抗の叫び声を上げるときに、労働者は資本主義的な「包摂」から身を解くのである。そして、「包摂」から逃れた労働者の眼前には「資本の本源的蓄積」以来の資本主義の全歴史が一望俯瞰される。だから、その次に労働者が選択するふるまいは、どのようなものであれ、その語の正しい意味において「革命的」なものとなるはずなのである。

 令和の聖代に「懦夫をして起たしむ」かかる「革命的」な書物が登場したことを喜びたい。

http://blog.tatsuru.com/2020/06/12_1352.html

2. 中川隆[-12368] koaQ7Jey 2020年6月18日 19:47:39 : mclIHZvJWY : dktVRmUwWHZQY1E=[23] 報告
武器としての「資本論」– 2020/4/10
白井 聡 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%B3%87%E6%9C%AC%E8%AB%96%E3%80%8D-%E7%99%BD%E4%BA%95-%E8%81%A1/dp/4492212418

『武器としての資本論』 著・白井聡
書評・テレビ評2020年6月18日

 『資本論』といえば、資本主義の全体系を本質的に解明したカール・マルクスの古典的労作である。だが、その重厚な内容とともに抽象的な論理的記述が、とくに初心者には難解な印象を与える。そのため、数多くの入門書が出版されてきた。本書は、その新たな一冊ともいえるが、これまで見られたような原書の要約や学術的な解説書ではない。そのことは、とくに新自由主義に直面する現在の若者の生活実感と問題意識に寄り添い、混沌とした現状から脱却し、未来を展望する武器として『資本論』をどう読み解くのかという、著者の姿勢に示されている。

 著者は、人々が日常生活で感じている息苦しさがどこから来るのか、政府や上司の言動など納得できぬまま過ごしてきたことの意味が、『資本論』のなかに鮮やかに描かれていると強調している。われわれが現実に直面するさまざまな馬鹿げたことは、すべて資本主義のシステムのなかで起きているからだ。そして、「『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラッと変わり、生き方が変わってくる」と。

 産業革命以来、社会の生産力は未曾有の勢いで発展し、社会全体は物質的に豊かになった。不断の技術革新による生産性の向上は人々を幸福にするはずだった。だが、そのもとで労働者の困窮は極まり、明るい未来が見えてこない。AI化は労働時間を短くするといわれるが、現実にはそれが増大する一方で、過労死が大きな社会問題になっている。学生の就職活動は本来、「職業選択の自由」を謳歌して社会に貢献できる契機なのだが、だれもが切羽詰まった表情をしている。

人間の労働力も商品に 資本増殖の本質

 本書では、こうした不合理がどこから来るのかについて、『資本論』の重要なフレーズを引用して解明していく形で進行する。著者はとくに新自由主義のもとで、資本主義が人間社会と不可分のものであるかのような空気が社会を覆い、自己責任論が当然のようにみなされ、「人間の思考・感性に至るまでの全存在が“資本の魂”に包摂されてきた」ことに着目している。そして、マルクスがそうしたように、今こそ資本主義が歴史の一時点の生産様式にすぎず永遠に続くものではないこと、それは資本の運動に内在する根本的な矛盾によって乗りこえられる宿命を背負ったシステムであることを再確認すべきときだと強調している。

 資本主義社会は、近代に入って人々が生活するうえで不可欠な物質代謝の大半を商品を通じておこなうようになって生まれた。それは、人間の労働力も商品となった社会である。資本の増殖の本質は、労働力を使用して生み出す剰余価値の追求にある。

 著者は、農民を封建的身分制度から自由にする形で、土地や道具など生産手段をはぎ取り無一文の賃金労働者を生み出していく資本の本源的蓄積の説明に力を入れている。そして、農村の共同体から労働者を都市にかり出す暴力的な手段は、古今東西の資本主義化に共通していることを、明治維新に始まる日本資本主義の発展過程からも明らかにしている。また、それが恐慌、戦争その復興需要などでもくり返されてきたことも。

労働者の既得権をはぎ取る 新自由主義で

 本書では、そのような観点から、新自由主義が「資本の側からしかけた戦争であった」ことを強調している。さらに「階級闘争は古くなった」のではなく、現実の問題であると訴える。労働者階級がそのような言辞にまどわされているあいだに富裕層は階級闘争を強力におし進めてきたからだ。

 それは、資本の側が労働力の価値を引き下げるために、これまでの労働者の既得権をはぎとる形でおこなわれてきた。この間の非正規・不安定雇用はもとより、生産拠点の海外移転や、外国人労働力の輸入もひとつながりに見えてくる。

 著者によれば、高度成長期の生産性向上・福利厚生政策のもとで、労働組合を通じた労働者の要求が一定程度受け入れられたのは、資本にとって労働者を生かす(労働力の再生産を成り立たせる)必要があったからで、それは労働者への人道的な慈愛というものではなかった。そして、それに安住していた労働組合や「労働者の利益」を掲げる党も、新自由主義にとり込まれざるをえなかった。

 そのような資本の剰余価値の追求(=搾取)によって「1%vs99%」という未曾有の経済格差が生まれた。著者は「自由・平等・人権」はあくまでたてまえであり、資本による労働者の支配の現実は「過去の奴隷制とつながっている」とのべている。

 本書のもう一つの特徴は、『資本論』の観点から階級闘争についての考え方を見直すよう提起していることである。それは、「資本家をやっつける」といったものではなく、資本制社会全体を一つのシステムとしてとらえて、「等価交換を廃棄する」ことをめざす闘う主体を地域共同体から形成することだという提起である。

 また、労働力の価値(労働賃金)を高めるたたかいとかかわって、この間労働者に影響を与えてきた「スキルがなければしょうがない」という資本側の考え方を克服し、人間としての尊厳をとり戻すための闘いとしてとらえることが必要だとのべている。そのうえで、労働力の価値とは社会的で文化的なものであり、うまいものを食べたいとか豊かな生活がしたいという「ベーシックな感性」の部分からもう一度立て直すよう提起している。

 本書の論述は、コロナ禍で噴出するさまざまな不合理、資本と人間の逆立ちした関係を鋭く照射するものともなっており、新たな時代を開くうえで鍵となる一冊だといえる。

 (東洋経済新報社発行、B6判・294ページ、1600円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/17593

3. 中川隆[-8363] koaQ7Jey 2021年1月11日 12:33:20 : 3NBb5fpKfI : Y0tGbi83VmpNM2s=[43] 報告
ソルジェニーツィン作「イワン・デニーソヴィッチの一日」木村浩訳
2010年01月04日
https://blog.goo.ne.jp/moritake123-2007/e/0470876a9f8f529a113b18453c4c3b41

 この作品「イワンデ二ーソヴィチの一日」はアレクサンドル・イサエヴィッチ・ソルジェニーツィンの作品であり、この作品で彼は1962年11月にソ連文壇にデビューする。その内容はスターリンの大粛清時代に題材をとり、「反逆者」として逮捕され、25年のシベリア流刑の処分を受けたイワン・デニソヴィッチ・ショーロフの獄中での一日の生活を描いたものであり、その極限状態を収容所(ラーゲリ)の内と外において表現する。この作品を掲載した「ノーヴイ・ミール(新世界)」誌は空前の発行部数を誇り、のちに発行された単行本は70万部という驚異的な発行部数を記録した。さらにこれに続く一連の作品(「ガン病棟」、「煉獄の中で」、「1916年10月」)によって彼はノーベル文学賞を受賞し世界的文豪の栄誉を担ったのである。

 私はこの作品の内容を紹介する前にこの作品の背景にあるソ連の状況を述べていこうと思う。

 1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、その年の暮にはルーマニアのチャウシェスク独裁体制が民衆の怨嗟の中で打倒されチャウシェスク夫妻は銃殺された。同年夏のポーランドにおける「連帯(ワルサ議長)」主導政権の成立、1990年の東西ドイツの資本主義的統一によって拍車のかかった東欧「労働者国家圏」の雪崩を打った崩壊はソヴェート政権には衝撃的事件であったにもかかわらず、何もなしえず、そのソヴェート政権もゴルバチョフ、エリツィンによる民主化が進展し、1991年には最終的に崩壊した。それはまさに歴史を画する「革命的」大変動でありスターリンなきあとのスターリン体制の破産と崩壊を意味していた。

 このようにソ連、東欧の社会主義化は世界中の労働者、民衆の希望の星であったにもかかわらず無残な結果に終わったのである。

 その原因はどこにあったのであろうか?

 トロッキーはその著「裏切られた革命」の中で革命後のソ連社会を「過度期社会」と名付けている。それは「資本論」に反する革命(グラムシ)だったからである。マルクスは社会主義革命を高度に発展した資本主義国から移行するものと考えていた。だからトロッキーは遅れた資本主義国から社会主義化したソ連は長期にわたる過度期を経験したのちでなければ、真の社会主義に移行できないと考えたのである。この過度期を真の社会主義に導いていくものをプロレタリア独裁に求めたのである。そしてこのことが重要なのだがこの過度期を特徴づけるものとして、その進む先を、社会主義への進化の道か、その逆に資本主義への後退の道かの二つの可能性を示した。トロッキーは真の社会主義の道を「高度の労働生産性」と「世界同時革命」の二つの柱に求めていた。そしてレーニンも考えていたように西欧の資本主義国の革命の成功により、そこからの資金及び技術の援助によって、ロシア革命は成功に導かれると考えたのである。しかし、トロッキーはレーニンの死後スターリンとの路線論争に敗れメキシコに亡命する。後にスターリンによって送り込まれた刺客(=ラモン・メヂカル=トロッキーの秘書の恋人=映画ではアランドロンが演じていた)によって頭にピッケルを打ちこまれ惨殺される。

 スターリンは西欧先進資本主義国での革命が夢となった段階で、世界同時革命を幻想と考え、一国社会主義革命の総和としての世界革命を考えた。スターリンは一国社会主義革命という困難な課題を、それ以上に困難な課題(内外での敵対勢力との対決)を解決しつつ実現していかねばならなかったのである。この為には強固な指導体制をを必要とした。スターリンによる独裁体制は必然だったといえるであろう。強固な中央集権国家が生まれ、個人崇拝のもと絶対的権力が彼に付与されたのである。この権力は大粛清時代を通じてさらに強化された。

 スターリンにとっての課題は社会主義建設であって、それ以外の発展の道は考えられなかった。資源と労働を一つ(国家)に集中(社会主義的原始的蓄積)し、これを必要な部分に計画的に配分していく。これによって社会主義的工業化と農業の集団化を達成していかなければならなかった。しかしそれは経験則のない史上初の試みであり、試行錯誤の連続であった。その結果としての非効率的運営は経済の停滞を生み出した。NEP(新経済政策:一時的な資本主義的経営の容認)によって生まれ、育ってきた私企業者に工業においても、農業においても勝ることが出来なかった。ネップマンと呼ばれる豊かな私企業者が生まれ、貧農を雇用する富農層が生まれてきた。ここに一つの可能性が芽生えていた。それはこの私的経営者が資本家に転じていく道である。NEPでは国家に供出した残りの生産物を市場で売ることが許されていた。個人的利益を保証する制度は、生産者の労働意欲を高め、その総生産高を増大させたのである。NEPは純経済的に見れば成功を収めていた。この状況は「イワン・デニソヴィッチの一日」の中でも述べられている。コルホーズの停滞、そこで働く人のネップマンのところでのアルバイトをする状況が叙述されている。

 この時ソヴェート政権には二つの道が考えられていた。一つはいわゆる修正主義的道で、それを主張する学者には修正主義の理論的創始者と云われるドイツのベルンシュタインがおり。ソ連国内にはブハーリンがいた。共に過激な政策を排し、資本主義の利点を生かし、否定面を修正していこうというものである。資本主義社会は自由競争の社会であり、優勝劣敗の社会である。その結果、敗者が生まれる。それは資本主義社会の抱える構造的矛盾であり、敗者を自己責任に帰することはできない。そこで修正主義を国是とする国にとって必要なことは、優勝劣敗を放置するのではなく、いかに敗者を救済するかにあった。その方法として国家のとる政策は勝者から多くの税金を取り立て、これを敗者に配分するという福祉政策であり、極端な金持も、貧乏人もいない中間層を中心とした社会を作り、自由と平等を同時に実現していこうというものである。しかしこれを実現するためには経済の発展を必要とする。福祉政策には多くの財源が必要だからである。これは現在、北欧諸国(デンマーク。フィンランド)で行われている政策であり、本来的社会主義(正当)に対し民主社会主義(異端)と呼ばれている。日本の共産党、社民党はこれを目指している政党である。管理された資本主義を目指すのである。

 この種の考えはスターリン統治下においてもブハーリンに見られるように当然生まれていた。これ以外にも多様な考えがあり、一つの考えによって統一されてはいなかった。ブハーリンたちはNEPの結果生まれてきた豊かな私的経営者(ネップマン、富農)を保護育成し、そこから生まれる利潤を税金として一部吸収し、それを社会主義工業やソホーズ、コルホーズに投資し、徐々に社会主義化をしていく漸進的な道を考えていたのである。しかしこのような漸進的な道はスターリンによって資本主義への後退への道と退けられた。そして第2の道である全面的な社会主義的工業化と農業の集団化の道が選択されたのである。ネップマンや富農層は当然これに反発した。当然大きな混乱が生じた。穀物の供出が拒否され、武力衝突も起こった。スターリンはこれに対して武力制圧を行った。富農は逮捕されシベリア送りとなる。その財産は没収された。このような高圧的な政策は政権内部にも反発が生じた。しかし権力の中枢を握ったスターリンはこれらの反権力者に対しては容赦をしなかった。ことごとく逮捕され処刑された。政権内部にいたブハーリンも逮捕され銃殺刑に合う。スターリンの盟友でありライバルでもあったキーロフは暗殺される(この事実は「イワン・デニーソヴィッチの一日」の中でも述べられている)。大粛清時代が始まった。スターリンは自分に反対するものは政権内部の幹部、軍関係者等々政権を担当するものでも容赦をしなかった。自身の指導体制を脅かすと思われる人間はゲーペーウー(総合国家政治保安部)の後を継いだエヌ・ケー・ヴィ・デー(内部人民保安部)を使い、ことごとく逮捕し、後には裁判もなしに処刑した。そこにあったものは派閥争いであり、権力闘争であり、スターリンに気に入られようとする者たちの闘争でもあった。この大粛清は、路線闘争などという単純なものではなく、まさに食うか食われるかの争いであり、相手を食わねば自分が食われるという凄まじさであった。この大粛清はスターリンによってはじめられたにもかかわらず、後には自動的に動き出しスターリンの手を離れた感があった。このような政権内部の粛清とは別に「普通」の人々=労働者、農民、教師、司祭、音楽家、軍人、年金生活者、バレリーナ、乞食等が処刑された。密告が奨励され、子が親を、恋人を友人を、それぞれがそれぞれを密告した。そうすることが自身の安全を保つ方法だったのである。「娑婆じゃーマッチがないといただけで逮捕されるそうだ」、と「イワンデニーソヴィッチの一日」の中で囚人は言う。告発者が逆に告発され処刑に合った事件も述べられている。ラーゲリ内で密告者が殺された事件も書かれている。密告者は極端に嫌われてはいたが、それが正義と考えられていた。お互いがお互いを疑心暗鬼の目で見てだれも信用することのできない不幸な事態が、この時代を特徴づけていた。政治的ヒステリーの嵐が吹き荒れていた。

スターリン自身「私はもうおしまいだ、誰も信用できない。自分自身さえも」という言葉をフルシチョフとミコヤンに云ったということが伝えられている。スターリン自身、絶えず政敵からの暗殺の危機にさらされていた。未遂事件も報告されている。それ故、彼は多くの影武者を用意し、絶えず数人のボデイガードとともに行動し、執務室も幾つも用意し、そこを渡り歩き、その居場所を決して明らかにしなかったという。このように彼の心は決して休まることはなかったのである。そこには独裁者の抱える孤独がある。恐れられてはいても決して親しまれることの無い寂しさ、悲しさがそこにはあったに違いない。その意味では不幸な人間であったと言えよう。天寿を全うできたのが不思議なぐらいである(1879〜1953年 74歳没)。古くはシーザーが最近ではフセインが悲惨な最期を遂げている。大体において独裁者の末路は哀れである。この時代に抹殺された人の数は正確な統計資料がないので、確かなことは言えないが諸説があり、500万人程度の人間が抹殺されたり流刑に処せられたといわれている。

 この時代に抹殺された人の中には多くの外国人も含まれているが、その数、略歴については省略するが、その数は膨大なものがあり、ポーランド共産党中央委員のほぼ全員が処刑されたという資料もある。
 日本人に関して言えば、手に手を取り合って、ソ連に恋の逃避行を行った女優の岡田嘉子とその愛人演出家の杉本良吉は、不法入国ということもあり、当時の日本はソ連にとって潜在的な仮想敵国であったことから、スパイ容疑で逮捕され、岡田嘉子は10年にも及ぶ強制労働、杉本良吉は銃殺刑に合っている。そのほか共産党員の山本懸蔵、留学中の医師国崎定洞が処刑されている。ソ連社会主義に希望の光を見出しその社会で自らを生かしたいと望み、スパイなど考えたこともない純粋な人までもスターリンは抹殺したのである。そこにはスターリンの危機意識があり、その結果としての過剰反応があったといえよう。この時代はソ連の歴史に汚点を残す暗黒時代であった。この大粛清の時代の後社会的混乱と経済の停滞は長期にわたって続いた。さらに否定的要因として生まれたのがノーメンクラツーラという特権階層であり、彼らは官僚世界を生み出し労働者の上に君臨した。プロレタリア独裁ではなく、プロレタリアに対する独裁が生まれた。ソ連社会の崩壊は、上からのものであったが故に官僚社会は残った。しかしいずれにしてもロシア共和国(ソ連改め)はトロッキーが危惧し、ブハーリンが望んだ民主社会主義的道を選択したのである。今ロシア共和国はソ連時代を引き継ぎ、アメリカに次ぐ大国ではあるが、その内部には多くの矛盾を抱えており、安定していない。ロシアはどこへ行くのであろうか?

 ソルジェニーツィンはこの作品の中で宗教論、芸術論も展開している。社会主義ソ連においても宗教は人々の心に深く根付いていることを示し、さらに当時の芸術家が時の権力に迎合しているがこれは当時の状況下では仕方がなかったのだという元映画監督ツェーザリの意見に対して、「天才というのは、独裁者の趣味なんかで解釈を変えたりしない」とX-123番(収容所内では名前でなく番号で呼ばれていた)の口を借りてソルジェニーツィンは自身の意見を述べている。さらに「芸術とは何をではなくいかにじゃないですか?」という意見に対しては「いかにではなく何をだ」とX‐123は反論する。「如何に」は技術であって、「何を」はテーマである。これは当時の社会主義リアリズムにおける芸術論争を反映している。
 私は今までこの作品が成立した時代背景を中心に述べてきたが、これからはこの作品の内容を中心に述べていきたい。

 ソルジェニーツィン自身は、スターリンを批判した罪で逮捕され、8年間のシベリア流刑に処せられている。その流刑地は一つに限られておらず、その一つにカザフスタンのエキパストーゼにある政治犯のみを収容する特別収容所があった。ここでの実体験が「イワン・デニーソヴィッチの一日」に結実したのである。

 この作品「イワン・デニーソヴィッチの一日」はイワン・デニーソヴィッチ・ショーロフというロシア農民のシベリアでの収容所(ラーゲリ)での一日、その起床から始まって、員数検査、現場作業、食事風景、点呼、就寝を、マロース(極寒)という劣悪環境の中で描き、それを通して大粛清時代=1935〜1939年)のソ連社会主義の過酷な現実を描いている。

 この作品の主人公ショーロフはドイツ戦の時にドイツの捕虜になり、そこから命がけで脱走し、森の中で友軍に助けられたのだが、「反逆罪」で捕えられ25年間の流刑に処せられた。誰もが何故と問うであろう。「反逆者」と「捕虜」の因果関係が分からないからである。その答えは次の叙述で明らかになる。「書類によるとショーロフの罪は祖国への裏切りということになっている。いや彼はそう自白までしたのだ。つまり、自分は祖国を裏切るために捕虜になり、ドイツ諜報部の任務を遂行して、帰還が許されたものである」と。そこにはあるものは自白への強要であり、それを拒否すれば死が待っていたのである。スターリン語録の中には次の言葉がある。「赤軍には捕虜は存在しない。存在するのは「反逆者」のみである」。反逆者にならないためには死しかない。日本にも「死しても虜囚の辱めを受けず」という言葉がある。沖縄での米軍との戦いにおいて、多くの民間人が降伏せず死を選んだというのも共通性を感じその非人間性には怒りを感じる。

 この作品を読んで思い出すのはドストエフスキーによって書かれた「死の家の記録」である。これもドストエフスキーの実体験をもとに書かれたものである。共にシベリアでの過酷なラーゲリ内での生活を描いたものであるが、ドストエフスキーの描くラーゲリ内での生活には笞刑5000回等という過酷さがある反面その生活の中にはおおらかさもある。囚人と村人の間には交流があり手作りの芝居を披露したり看守の目を盗んで(目こぼしを受けて:勿論賄賂を必要とする)ではあるが街の女との接触も出来る。ペットの飼育も出来る。囚人の手創りの品を村人に売り、小遣い稼ぎも出来る。看守の囚人を見る目は優しい。共に虐げられた民という共通意識があるからであろう。しかしこの作品「イワン・デニーソヴィッチの一日」には、そんなおおらかさは一切ない。過酷な生活があるだけである。この作品を特徴づけているものの一つはマロース(極寒)である。ドストエフスキーの作品にはこの表現はない。気温はマイナス40度にもなる。「一本の木立ちもない荒野の上を風がヒューヒューと吹き荒れている。夏はからからに乾ききった風、冬は肌身を刺すマロースの風。この荒野には昔から一本の木立ちも生えたことはないのだ。まして、周りを鉄条網に囲まれた今はなおさらだ」要するに人間の住める環境ではないのだ。その作業とはどんなものだったのだろうか?「囚人は煉瓦を焼いたり、畑を耕したり、壁を塗ったり、家を建てたりさせられる」何のために?勿論工業化のためである。工業化のための資材は運ばれなければならない。だから、鉄道は敷設されねばならないし、トラック輸送のためには道路も作られねばならない。中継地には駅も必要であろう。管理者の住居も建設されねばならない。シベリアには森林がある。木材資源があり、その他の天然資源も豊富である。それらは切り出され、発掘され運ばれなければならない。これらの労働に囚人は動員されたのである。その苛酷さは十分に想像できる。その苛酷さをこの作品は余すことなく描いている。そこにあるのはまさに奴隷労働である。体を温める十分な暖房も無く、身なしの粥のために、一本の煙草のために右往左往する。強靭な肉体と精神なくしては刑期を全うできない。全うするためには生活の知恵を必要とする。仕事の場において、食事の場において、休憩の場においてすらそれを必要とする。管理者に対する袖の下はそのひとつである。そこには生存競争があり、勝ち抜いていかねばならない。それと同時に、そこには同胞愛があり、協調があり、協力がある。生活の知恵を持たない元海軍中佐のヴィノフスキーにはショーロフは手を差し伸べる。

 終戦を控え、日ソ不可侵条約を破り満州(当時)に侵攻したソ連軍はそこに住む日本人の住民、軍人を捕虜として、シベリアに拉致し、そこで強制労働に従事させたがその生活環境はもっと苛酷なものであったであろう。その奴隷労働に耐えきれず多くの日本人は死に至った。中国での残留孤児の問題も生じている。

 第2に特徴づけられるものは、囚人の性格である。ドストエフスキーの描く囚人は一般の囚人である。しかしこの作品で描かれる囚人はいわゆる政治犯である。元官僚で娑婆では自動車を乗り回し威張り散らしていたおエラ方のなれの果てのフェチコーワを除けば、すべて心の自由を求め劣悪の条件下でも毅然として生きる人たちである。囚人の持つ暗さはない。心のプライドを失わず、与えられた苛酷な労働を神から与えられた使命と考え、それを喜びと感じている。そこには本来的な労働がある。労働に精を出し、汗をかくことによって、マロースの寒さを忘れる。仕事終了の合図があっても、ショーロフは立ち去ることなく、しばし立ち止まり、仕事の出来栄えを確かめる。まだこの腕もおいぼれていないと自画自賛する。そこには労働の喜びがある。本来的な労働とは生産者と対象との間の物質代謝であり、それによって生産者は精神の高揚を体験する。利潤を求める疎外された部分労働ではない。バプテスト信者のアリョウシャはショーロフに云う「人間には素晴らし者でも神様のお眼には卑しいことなんですから!精神的なことをお祈りしなければいけないんですよ」と。本来の労働の精神性を考えると神につながるものを感じる。

 いわれなき攻撃には反撃する「この毒虫め、貴様らが勝手に刑期を伸ばせる時代は終わったんだ。 今日が娑婆の見納めになるぜ」と看守のデールに班長のチューリンは言う。うしろには副班長のパウロがシャベルを高く振り上げている。他の連中もデールを睨めつけている。デールは震え上がる。引き下がる以外にない。そこには囚人の持つ卑屈さはない。スターリンに対する批判も公然と行われる。「ひげの親爺(スターリンの愛称)がお前らを憐れんでくれるだと!あいつはな血をわけた兄弟でも信じようとはしなかった奴だぞ、お前らみたいなどこの馬の骨か判らない野郎を憐れんでたまるかい」。ここには言論の自由がある。密告があっても保安部は取り上げない。囚人は怖いし、手続きは面倒だ。過酷な生活に苦しみ、右往左往しながらも、彼らは大切なもの=高潔な心を失っていない。

 登場人物を紹介する。


 ヴィノフスキー元海軍中佐 エリート育ちであるが故に生活の知恵を持ち合わせていない。英国に協力し、戦後英国の提督から記念品を贈られたためにラーゲリ入りする。英国はソ連と同じ連合国の一員なのになぜ?

 元映画監督ツェザリ・マルコーヴィチ しばしば芸術談義を戦わす不思議なインテリ。映画監督と云っても1本しか映画は撮っていない。反権力映画であろう。

 バプテスト信者のアリョーシャ:全てを神のおぼしめしと信じ現実を肯定している。「されどもしキリスト教徒としてならば、恥ずることなかれ、かえって、かかる運命(さだめ)の故に神をたたえよ」という福音書の言葉を絶えず唱えている。

 班長のチューリン:父親が富農であったため赤軍を追放され、後にラーゲリ入りする。囚人たちの信望は厚い。白髪の老人

 副班長パウロ:ドイツ戦での英雄

 官僚のなれの果て:フェチコーワ

等々ここでは紹介を省略した囚人たちを含めてソヴェート社会のあらゆる階層(農民、軍人、インテリ、オールドボリシェヴィキ、バプテスト信者、元富農、元官僚等など)を代表する人物が織りなす人間模様がこの作品を彩っている。ソ連(当時)を代表する文芸誌「ノーブイミール(新世界)」の編集長トワルドフスキーは、この作品の「序にかえて」で次のように述べている。「作者は登場人物たちの運命に対して読者の心に哀傷と痛み引き起さざるを得ないが、その哀傷と痛みが、絶望的な打ちひしがれた感情とは少しも共通点がないという点に芸術家としての疑う余地のない勝利がある」と。ソルジェニーツィンは、この作品の中に登場する囚人たちの中に、いや、これらの人と同じ心を持つ人々の中にロシアの未来を託したのである。これらの何に対してもめげることのないロシアの大地に深く根を下した人々に栄光あれと叫びたい。これらの人がいる限りロシアの未来は明るいと信じたい。

ソルジェニーツィン作「イワン・デニーソヴィッチの一日」木村浩訳 新潮文庫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81%E3%81%AE%E4%B8%80%E6%97%A5-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4102132015

https://blog.goo.ne.jp/moritake123-2007/e/0470876a9f8f529a113b18453c4c3b41


詳細は

ソルジェニーツィンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1236.html

4. 中川隆[-6914] koaQ7Jey 2021年3月05日 09:16:24 : ERMXrJ34fI : blFVOGd3LjJ2Ym8=[13] 報告

2021年03月05日
止まらない中国のソ連化、急速な成長のあとに人口減少と経済崩壊
http://www.thutmosev.com/archives/85254226.html


共産主義とは王の代わりに共産党が支配者となる制度で、民主化など起きない(ロシア革命のレーニン)
img_e9a08a736bb3446ec5d2c702ed8ac46a285492
画像引用:https://toyokeizai.net/mwimgs/e/9/-/img_e9a08a736bb3446ec5d2c702ed8ac46a285492.jpg


絶対王政のロシア・中国が共産化した

近年の中国の急速な膨張と矛盾の噴出は、かつてのソ連の膨張と限界露呈、そして崩壊に向かった過程を連想させる。

ソ連は1922年から1991年まで存在した国家で、厳密には世界連邦つまり国連みたいなものを目指していたようです。

全世界を共産主義で統一した世界連邦がソ連だったが、現実には世界の半分で頭打ちになり「国家」のようなものになった。

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ソ連の特異性は思想によって全世界を統一しようとした点で、オウムが世界連邦を作ったのに等しい。

ソ連の始まりは資本論という一冊の本で、「共産主義にすれば問題はすべて解決する」と書いてありました。

現代の人は資本論がウソなのを知っているが当時の人々は真に受けて、本気で世界共産化を目指した。


共産主義を一言でいうと「王の資産を奪えば民衆は豊かになる」という原理で、金持ちから金を奪えば自分が金持ちになるという単純な思想です。

20世紀が始まった第一次大戦前には世界には王政国家が多く、土地などの資産を貴族と王が所有していました。

ロシアではロマノフ王朝が全国土を独占し国民に私有財産はなく、英米より圧倒的に貧しかった。


「王が全国土を独占し国民に私有財産はない」のが絶対王政で、共産党が王に変わっただけで国民に私有財産がないのは同じです。

共産化するのは王が資産を独占する絶対王政の国で、日本や英仏のような封建制の国は共産化しない。

中国も秦の始皇帝以来、皇帝がすべてを独占する絶対王政だったので、王が倒れると容易に共産化しました。

共産主義とは絶対王政の現代版

日米欧は封建国家で、朝廷の下に将軍が居て将軍の下に大名、大名の下に武士団がいるが僧侶や神官も権限があり商人は大名より豊かだった。

朝廷や貴族は名目上土地の支配者だったが、実際は京都御所周辺の土地しか所有していませんでした。

朝廷は御所の雨漏りの修理代すら出せず、信長や家康のような有力武将に「征夷大将軍」などの官位を販売して生活していました。


こうした国では王は絶対的支配者にはなりえず、封建制の次に議会制民主主義と資本主義に移行していった。

李氏朝鮮は絶対王政であり、韓国が”変な民主国家”にしかならないのはこれが理由です。

ロシアのような絶対王政国家が共産国家になると、目覚ましい軍事的経済的発展を遂げます。


民主国家や封建国家では「抵抗勢力」が強力だが、絶対王政=共産主義では遮るものが何もないからです。

ロシアは欧州最弱だったが共産化するや最強国家に変身し、これを見誤ったドイツは手痛い敗戦を喫した。

第二次大戦前の日本は日露戦争の経験から「ロシア人は弱い」と学習したが、共産化したソ連軍は強大になっていました。


ソ連は第二次大戦後の短期間に経済が急成長し、1950年代から70年代には「すぐにアメリカ経済を抜く」と思われていました。

アメリカの政治家や経済学者すらソ連に抜かれるのは時間の問題と考え、恐れおののいていました。

ソ連の急成長と崩壊

だがソ連の急成長は1980年を境にピタリと止まり、1990年には経済も軍事も崩壊していました。

全盛期からたった10年で崩壊するのも共産主義の特徴で、崩壊を遮るものも支えるものも存在しません。

徳川幕府が薩長軍に包囲された時、江戸城にはわずか500人の武士しか居なかったそうですが、それでも500人は玉砕覚悟で将軍を守ろうとしました。


ロマノフ王朝や清朝が滅んだ時、組織は内部崩壊を起こしたが、徳川幕府は組織として最後まで機能を保っていました。

共産国家は急速な発展のあと急速な崩壊を起こすのが常で、北朝鮮もこれに当てはまる。

今では考えられないが1950年代には北朝鮮経済は韓国より発展しており、だから北は南に侵攻しました。


ところが成長期を過ぎた北朝鮮は急速に衰退し、日米の全面支援を受ける韓国とは100倍以上の差がついています。

これは共産主義は絶対王政の為、国民は共産党の所有物に過ぎず、党(王)が豊かになっても民衆は貧しいままだからです。

中国も同じ欠陥をかかえていて、香港やウイグルでは問題が噴出しています。


中国の成長の最大の原動力は人口増加だったが、意外にもその人口が最初に減り始めた。

2020年の出生率は2016年(2000万人)のたった半分の1000万人に落ち込み、すぐに1000万人も割り込むでしょう。

これもソ連と同じであり計画経済のような計画出産というシステムが破綻してこうなっています。
http://www.thutmosev.com/archives/85254226.html

5. 中川隆[-6658] koaQ7Jey 2021年3月10日 15:53:41 : Uj2DKea5PM : ZUhYTnd1dThoMDY=[23] 報告
【真相はこうだ!桜便り】篠原常一郎〜共産主義の現在[R3/3/10]


6. 中川隆[-5584] koaQ7Jey 2021年4月18日 07:11:39 : cVvh3vnihc : SkQ4eVFEeU43Y0U=[3] 報告
【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第1回
「民族無き世界を目指す2つのグローバリズム〜ロスチャイルド家とカール・マルクスの繋がり」[桜R3/4/17]


7. 中川隆[-5008] koaQ7Jey 2021年7月14日 11:09:37 : PZddMrZD2w : c1ZOSXVQWldZMVU=[13] 報告
私が共産主義者にならなかったワケ
2021年07月13日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1554.html

 私は、今から半世紀以上も前のことだが、高校生時代、マルクス主義に没頭した時期がある。
 高校の社研サークルは、毎日のように党派のオルグがやってきて、革マル派・中核派・ブント・反帝学評など盛りだくさんの新左翼系活動家が来ていた。当時は、さすがに資本論は荷が重いので、「共産党宣言」とか「家族国家私有財産の起源」とか、10冊くらいの岩波文庫版を使って、その意味を討論しあった。

 学校の授業など興味はなかったが、新しい知識の宝庫だった古典共産主義文献は、何でも知りたい私の知的好奇心を激しく刺激した。
 私は中学生の頃から「弁証法」について興味があって、マルクスの弁証法的唯物論に夢中になった。これは、マルクスに言わせれば「ヘーゲル弁証法を逆さまにひっくり返したもの」というものだ。
 弁証法三原則に「否定の否定・対立の統一・量質転化」というのがあって、事物現象は、かならず三段階の発展プロセスをもって、「止揚」されるというものだ。

 始めて聞くと、何が何だか分からない極端な抽象論にすぎないのだが、三段階発展論の原点、最初に「鶏が先か卵が先か?」という論争があって、ヘーゲルは、最初に霊的カオスがあって、否定されて物質的存在になり、もう一度否定されて霊的存在に還る。つまり、人類は、あらゆる矛盾を克服して絶対精神に向かって歩み続ける、という理屈だった。

 この最初に存在した「霊的カオス」を、物質的カオスに置き換え、逆立ちさせたのが、マルクス流、弁証法的唯物論だった。
 これは宇宙の存在は、最初に物質があり、そのなかに意思が生まれ、思索が生まれるが、やがて倒錯して、宗教的な世界=霊的世界が登場してくる。しかし、それもいずれ否定されて、再び究極の矛盾のない物質的世界に還るというものだ。

 小難しい理屈を並べたが、私の70年近い人生経験によれば、「哲学者」なんていったって、特別な存在ではなく、精神障害を患ったような偏執狂的兄ちゃんが、人の理解を超えた難解な屁理屈を並べて、自分は特別な存在であり「宇宙の叡智」であると勘違いして、他人に対して偉そうにふるまっているだけのことだから、怖れ多がる必要はない。ただの屁理屈・妄想狂マニアによる言葉の遊びにすぎないのだ。

 しかし、はじめて哲学に触れる若者にとっては、宇宙の深淵に触れたような気分になり、ヘーゲル弁証法を数ページでも理解したなら、宇宙の真理を自分のものにしたかのような快感・興奮に陥り、自分が人類に超越する特別な存在になったかのように錯覚し、他人の意見に耳を貸さない優越感に浸るものだ。

 この優越感を利用して、特権的存在になったかのように舞い上がらせ、他人の意見を嘲笑しながら自分たちだけが真理の領域にいると思い込んでしまった妄想的宗教団体がたくさんある。
 例えばオウム真理教がそうで、幹部たちは優越感に有頂天になり、自分たちが選ばれた人間だと勘違いして、人々の人生や命まで支配できると思い込み、あのザマになった。
 同じように、子供の頃から「優秀」とおだてられて調子に乗った若者を、ヘーゲル弁証法のエッセンスに触れさせて優越感で支配したのが文鮮明の統一教会だ。

 宗教だけなら、まだマシだが、これが政治団体となると、社会に大きな波風を引き起こす。
 例えば、私が若い頃、公安警察にメンバーに違いないと思われて、散々な目に遭わされた赤軍派とか、日本共産党や新左翼諸党派なども、弁証法的唯物論に触れて調子に乗った優越感に支配されながら暴走したグループだ。

新左翼諸党派の本質を一言でいえば、オウム真理教も幸福の科学も同じだが、一種の優越感といえるだろう。自分たちは選ばれた特別の存在だから、自分たちの理屈通りに世の中が変われば、すべて問題が解決すると妄信してしまった連中だ。
 自分たちは「最高存在」だから、他人の意見など聞く必要がないという傲慢さが共通点でもある。

 「最高存在」という言葉は、どこかで聞いた。そうだ北朝鮮だ、中国だ。そうだ、共産主義思想を掲げた独裁専制国家は、必ず「最高存在」という言葉を使いたがる。
 日本共産党も同じだ。「最高存在」の志位和夫は、実に30年を超えて共産党の全実権を掌握している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E4%BD%8D%E5%92%8C%E5%A4%AB

 一つの組織で、30年間もトップが変わらないということは何を意味するのか?
 例えば、一般的な企業の場合、幹部クラスは3〜5年程度で、半強制的に転勤させられる。理由は「流れない水は腐る=流れる水は腐らない」ということだ。
 一カ所に権力者が数年もいれば必ず権力や利権が集中し、反対者が排除されて独裁体制が成立する。組織よりも、自分の利益を優先させるようになるのが人間というものなのだ。

 ベラルーシのルカシェンコは、大統領を28年間続け、対立候補を弾圧して独裁体制を堅持している。ムガベは37年間ジンバブエに君臨した。プーチンも20年以上、ロシアに君臨している。
 いずれも超長期政権に君臨し、その腐敗ぶりが世に知られてきた。志位和夫も事実上、30年間以上だから、負けていない。

 なんで、こんなことが許されるのか? といえば、私が学んだ「共産主義」の書かれざる綱領に「優秀な人物が、優秀な思想で、社会を正しく指導すれば最高の社会が成立する」という不文律が、巨大な壁のように君臨していたからだ。
 組織というのは「優秀」が好きだ。日立も東芝も三菱も、優秀な人物が巨大組織のトップを務め、企業全体を牽引したわけだが、いずれも 無様な結末を迎えて、東芝など社名さえ失いかねないほどに追い詰められているのだが、その本当の原因は、私にいわせれば、「流れない水は腐る」という原理である。

 「優秀」という定義が根本から間違っている。日本では「学歴信仰」が深く根付いていて、東京大学を卒業すれば「優秀な人物」というレッテル、お墨付きをもらえることになっている。
 だから、もちろん志位和夫も東京大学出身だ。上に述べた巨大企業の最高役員の大半も東大出身だろう。
 本当にそうなのか?
 
 「東大卒は優秀」という恐ろしい勘違いのせいで、日本社会は根底からねじ曲げられてきた。
 例えば私を個人攻撃している大垣市民病院の岩田洋介という医師は、自分は旭丘高校を出て東大医学部を卒業したのだから超一流人間だと錯覚してしまって、私を「無学歴」と誹謗嘲笑し、延々と凝りもせず、8年間もツイッターで低俗下劣な嫌がらせを繰り返している。

 なるほど、東大を出ると、こんな下劣なことをやるようになるのか? と私は深く納得した。だが、病院側に抗議しても、東大信仰のゆえんか、無視されたままだ。
(余談、ツイートが大垣市民病院の医療者用Wi-Fiからであることを発見したので訴訟を起こそうとしたら、予想賠償金額は20万円、訴訟費用が90万円という見積もりだった。復讐するなら長期服役を覚悟するしかない)
 https://twitter.com/tokaihomo

 まあ、「優秀」といったって、この程度のゴミのような人間性だと思って間違いない。共産主義を体系化したともいわれるマルクス・エンゲルス・レーニンも「優秀マニア」だったとともに、何よりもユダヤ人だった。トロツキーもブハーリンもそうだ。
 ユダヤ教の経典タルムードには、「神に選ばれたユダヤ人は、それ以外の民衆をゴイム(奴隷)として使役し、利用してかまわない」と書かれている。だから、「優秀なユダヤ人は、それ以外の人々を見下しているわけだ。

 そんなわけで、共産主義というのは「優秀な人間が正しい理論で人々を領導すれば、何もかもうまくいく」というユダヤ流の自分勝手な思い込みで成立していることを知り、私は共産主義者になることを断念したわけだ。
 そんな思い上がった連中には、虫唾が走るなんてもんじゃない。

 ホセ・ムヒカのような苦労人は、絶対に他人を見下したりしない。自分を優秀だと勘違いすることもない。もし、人間社会に本当に信奉すべき人間と思想があるとすれば、それはホセ・ムヒカだ。
 つまり、人間苦労してナンボというのが唯一の真理なのだ。

 共産主義そのものの理屈は決して間違っているとは思わないが、「優秀」というのが大好きな人物ばかりが集まっていれば、それは思い上がって自滅崩壊する定めにある。
 そもそも、「優秀」というのは、「優生保護」に直結するものだ。

 実は、日本で優生保護思想を実現しようとした人々の多くが、革新側の人物だった。
 優生保護法の実現に尽力したのは、日本社会党の加藤シズエや市川房枝だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E3%82%B7%E3%83%85%E3%82%A8
 その結果、多くの障害者が強制的に断種させられた。

ファッシズムと優生保護 2017年02月25日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-78.html

 再び優生保護思想 2018年04月30日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html

 早い話、共産主義者もまた優生保護思想が大好きだ。人道の仮面を被っている分だけ始末が悪い。これも「優秀病」の脅迫観念から必然的に派生するのである。
 もしも、私が共産主義者になっていたなら、たぶん真っ先に粛正されていたことだろう。「優秀」という発想が大嫌いだったからだ。

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 ちょっと待て! その染色体検査=NIPT
2021年07月12日 (月) 10:51
カテゴリ : 未分類

NIPTというのは、大半の妊婦がダウン症など染色体異常を周産期前に検出するための遺伝子検査として大々的に宣伝されている。
 https://niptjapan.com/
 https://nipt.hiro-clinic.or.jp/lp/down-syndrome/?gclid=Cj0KCQjwraqHBhDsARIsAKuGZeGvwTukjxuzwhTApzWyU3_B-QdfGg7Ph4dXTuhHBE7dUPgOVB4G0qAaAly5EALw_wcB#what

 ところがNIPTの本当の呼び名はニフティといい、それは中国共産党軍事組織が開発したもので、世界中の妊婦・胎児の遺伝情報を収集して、生物兵器を研究している疑いが出てきた。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/db208c6f9f5ca2014bf5737c91dfc66bbef56fca


 ロイター2021年7月8日 中国大手が軍と開発した出生前検査、遺伝子データが当局に渡る可能性
 https://jp.reuters.com/article/health-china-bgi-nifty-idJPKCN2EE0AU

 [7日 ロイター] - 中国の遺伝子解析最大手BGIグループ(華大集団)が中国軍と共同開発した出生前検査のデータを二次利用し、診断データが国家安全保障に直接関連する場合には中国当局に提出可能な規定となっていることが分かった。同社の出生前検査は世界中の妊婦数百万人に利用されている。ロイターが公開資料などを基に調査した。

 BGIが人民解放軍と協力して出生前検査を開発し、診断データを保管・分析していることが明らかになったのは初めて。
 BGIは2013年に出生前検査の海外での販売を開始。同社の「NIFTY」は非侵襲的出生前検査(NIPT)として世界で最も販売されている検査の1つで、母体からの採血によって胎児の異常を調べる。

 BGIによると、これまでに検査を受けた女性は世界全体で800万人余り。NIFTYは英国や欧州諸国、カナダ、オーストラリア、タイ、インドなど少なくとも52カ国で販売されているが、米国では販売されていない。

 ロイターの調査で、検査を受けた女性500人以上の遺伝子データが、BGIが運営する深圳の「国家基因庫(ナショナル・ジーンバンク)」に保管されていることも分かった。国家基因庫には中国政府が資金を提供している。

 またロイターの調査によると、BGIは香港の自社研究所に送られてくる検査後の血液サンプルやデータを人口調査に利用していることを認めた。
ロイターの調査では、BGIによる個人情報保護規定や規則の違反は見つからなかった。同社は、検査の際に同意を得ており、海外のサンプルやデータは5年後に廃棄しているし、検査や分析にあたって個人情報にアクセスすることはないと説明した。

 ただ、BGIの検査の個人情報保護規定によると、収集したデータが中国の国家安全保障に直接関連する場合には当局への提供が可能となっている。
同社によると、これまでにNIFTYのデータについて中国当局から提供の要請を受けたことはなく、提供したこともないという。

 米国家テロ対策センターはロイターの取材結果について、NIFTYを受ける海外の女性は中国の情報機関へのデータ提供を認めている個人情報保護規定に注意すべきだと指摘した。
 専門家の話に基づくと、出生前検査を販売し、研究のためにデータを利用している企業は複数あるが、いずれもBGIほど大規模ではない。またBGIは政府とつながりを持ち、軍と協力してきた実績もある。

 ロイターの調査によると、BGIは2010年に軍と組んで胎児の遺伝子の研究を開始。軍の研究者と共同で出生前検査について数十件の研究結果を報告している。
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引用以上

 中国共産党=人民解放軍は、何の目的で、世界中の妊婦胎児の遺伝情報を大規模に収集しているのか?
 それは、どうやら生物兵器の研究であるらしい。
 以下は本日の「新唐人テレビ」の記事。

 中国バイオ大手が軍と提携 世界中の妊婦の遺伝子データを収集【禁聞】2021年7月12日
 https://www.ntdtv.jp/2021/07/51082/

 ロイターは7月7日、中国バイオ大手の華大基因(BGI)が中共軍と共同開発した出生前検査を通じて、世界数百万人の女性の遺伝子データを収集して、民族や人種などのグループに分けて全面的な研究を行っていると報じました。

 ロイターは7日、中国バイオ大手のBGIグループが中共軍と出生前検査方法を共同開発し、それを使って数百万の女性の遺伝子データを収集することによって、「人口の質」を向上させるほか、兵士の聴力喪失や高山病などへ対処するためにも遺伝子研究を進めていると報じました。

 BGIは2013年からこの「胎児染色体異常非侵襲性出生前遺伝子検査(NIFTY)」を推進していました。この検査は妊婦の血液を検査するだけで、胎児のダウン症の有無が分かるとしています。BGIはさらに、妊婦の遺伝情報のほか、国籍や身長、体重などの個人情報を保存していますが、氏名は含まれないとしています。

32歳のポーランド人、アメリアさんはNIFTY(にふてぃ)の検査を受けたことがあります。

 ポーランド人のアメリアさん
 「私は、私に関係するそれらの敏感なデータに何が起きたのか知りたかった。例えば私のゲノムと私の子どものゲノムについてだ」

 NIFTY検査は出生前に行われる一般的な検査の一部ですが、研究に役立つようなデータを提供する必要があります。例えばBGIには、スーパーコンピューターを使ってNIFTYのデータを分析し直し、中国人女性におけるウイルスの流行状況を作図したり、彼らの精神疾患に関する指標を見つけたり、チベット族やウイグル族をはじめとする少数民族をえり分けて、彼らの遺伝子と特徴の相関関係を見つけるという研究テーマがあります。

 アメリアさんは、同意書に署名して自分の遺伝子データが保管され研究に用いられることにも同意しましたが、自分の情報が最終的に中共に送られるとは知らなかったし、同意書にもそれに関する説明はなかったと話しています。

 アメリアさん
 「私の情報が中国政府に把握されると知ってショックを受けたことを認めなければなりません」

 これまでに世界で800万人以上の女性がNIFTY検査を受けています。NIFTYは英国や欧州諸国、カナダ、豪州、タイ、インドなど世界52か国で販売されていますが、米国では販売されていません。

 大紀元時報コラムニストの王赫氏
 「中共は1950年代からバイオ戦争に特に興味を示していた。21世紀に入ってバイオ科学が飛躍的に発展し、遺伝子戦争が中共内部で一つの重点的核心項目となった。彼らは遺伝子兵器を新たな戦略分野に位置づけてそれによる軍事覇権を熱望している。よってその分野のことを長い間継続して行っている」

 BGIは中国人の関連データを収集していることについては認めていますが、ロイターは出生前検査を受けた外国人を含む少なくとも500人の遺伝子情報が、中共政府の支援を受け、BGIが運営する深圳の「国家基因庫(ナショナル・ジーンバンク)」に保管されていると報じました。ロイターは、現在のところBGIによる個人情報保護規定や規則の違反は見つからなかったが、NIFTY検査ウェブサイトのプライバシーポリシーには、収集されたデータが中国の国家安全保障や国防に直接的に関係するものであれば、当局への提供が可能になっていると記されています。
 
 これまでに、BGIが中共軍と出生前検査の分野で提携したとの報道はありませんでしたが、ロイターは、BGIが2010年から、中共軍と組んで遺伝子の研究を開始し、出生前検査について数十件の共同研究結果を発表していると報じています。これにはテストと出生前検査の改善やデータの分析が含まれています。

 米国は、BGIが収集・分析した遺伝子のデータはすでに米国にとって国家安全保障上の脅威となっていると考えています。米国政府顧問は今年の3月に、BGIはAIを使って大量の遺伝子データを収集・分析し、中国共産党のために最大かつ最も多様なヒトゲノムを入手し、それによって軍事戦略的に優位な立場を獲得できるようにしていると警告しました。また、「遺伝子組み換え兵士」の出現や、米国人や食品に対し、有害な遺伝子操作を行う可能性もあるとしています。

 在米独立研究者で時事コラムニストの戈壁東氏
 「中共は生きた人間からの臓器を収奪して利益を得るほどの邪悪な政権で、ウイルスを故意に広めて世界に災いをもたらすこともできる、極めて邪悪な反人道的な政権だ。武漢ウイルスが世界に与えた危害はまだ終わっていない。中共はこんどは人間の遺伝子に目を付けたが、そのことがあなたの幸せにつながるとあなたは思うだろうか」

 アメリアさんは、もし彼女がBGIテストの研究範囲を知っていたら、他社の出生前検査を選択しただろうと話しています。

 アメリアさん
「出生前検査を選ぶときに、非常に重要なことは、自分にとって正しいかどうかだ」
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 引用以上

 先に、新型コロナウイルスは、中国共産党によって生物兵器として開発されたもので、武漢における人体実験の途上で誤ってパンデミックを引き起こしたが、中国共産党は収拾不可能な事態になったことで、世界中にこのウイルス感染者を観光客として送り出し、全人類にウイルスを拡散伝播させる道を選んだとWHO調査員、閻氏の決死の報告があった。
 
閻魔様の恐ろしい告発 2021年07月06日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1547.html

 中国共産党は、自国民の体制批判派を不法に拘束して、生きたまま臓器を抜き取って殺害し、臓器を世界中に売りさばいてボロ儲けするという、ナチス以来の凄まじい悪魔、巨悪である。
 この中国共産党軍が、世界中の妊婦の遺伝子データを集めているとすれば、当然、目的は中国共産党の権益拡大、領土拡張戦争に利用する生物兵器研究しか考えられない。

 参考情報
 中国、出生前診断のミスで健常胎児1.5万人が中絶か 2018年09月27日
 https://www.epochtimes.jp/p/2018/09/36594.html

 https://www.sankeibiz.jp/business/news/210705/prl2107051705151-n1.htm

 この問題は、もう少し調査し、成果が得られたら報告したい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1554.html

8. 中川隆[-5006] koaQ7Jey 2021年7月14日 11:13:59 : PZddMrZD2w : c1ZOSXVQWldZMVU=[16] 報告
不破哲三の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/650.html

日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html

9. 中川隆[-11265] koaQ7Jey 2024年3月16日 09:05:09 : K7e7fGe11s : Z3FieHlkMHRXUDI=[13] 報告
<■76行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
雑記帳
2024年03月16日
江田憲治、中村勝己、森田成也『世界史から見たロシア革命 世界を揺るがした一〇〇年間』
https://sicambre.seesaa.net/article/202403article_16.html

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%9D%A9%E5%91%BD%E2%80%95%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%8F%BA%E3%82%8B%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%80%E3%80%87%E3%80%87%E5%B9%B4%E9%96%93-%E6%B1%9F%E7%94%B0-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4806807168


 柘植書房新社より2018年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は2017年に開催されたロシア革命100周年記念シンポジウムの書籍化です。本書は、ロシア革命から100年となる2017年11月4日に開催されたシンポジウムの書籍化です。このシンポジウムでは、リーマンショックなど21世紀になって「社会主義に勝利した」はずの資本主義の問題点が顕在化する中で、ロシア革命の現代の世界史的意義が改めて討論されました。ロシア革命を全面的に肯定するわけではないとしても、ロシア革命を否定したり、ロシア革命の結果成立したスターリン体制がナチ体制とともに「全体主義」の枠組みで把握されたりする傾向に異議申し立てをする、というわけです。私の歴史認識や政治的立場とは大きく異なりますが、それだけにロシア革命に詳しくない私にとって教えられるところが多いのではないか、と考えて読みました。なお、このシンポジウムの参加者はほとんどが70歳前後だったようで、やはりこのシンポジウムのような問題意識が若い世代にはなかなか浸透していないようです。以下、本書の興味深い見解を備忘録としてまとめます。

 森田成也氏は、ロシア革命を一国の革命とは把握しないよう、提言します。ロシアが中心になっているものの、第一次世界大戦など世界的激動の一環として把握すべきというわけです。これは、ロシア革命が起点となり、その影響が世界中に広がっていったことも重視した認識です。「革命」自体はヨーロッパも含めてほぼ失敗しましたが、マルクス主義の影響は日本も含めて世界中の「非」もしくは「反」共産主義諸国にも広がった、というわけです。森田氏はロシア革命について、単なる必然史観でも単なる逸脱でもなく、偶然的側面も客観的に条件づけられた側面もある、と指摘します。また森田氏は、ヨーロッパ「先進諸国」に対するロシアの「後進性」と、それ故のロシアのブルジョアジーの「反動化」と労働者階級の大都市における集中度の高さを指摘します。また森田氏は、農奴制廃止が中途半端に終わった故の農民の「革命性」と、反ユダヤ主義が強かったことに起因する抑圧されていた少数民族の「革命性」とともに、第一次世界大戦における「後進的」農民と「先進的」労働者との従軍経験の共有も指摘します。

 中村勝己氏は、ロシア革命をめぐる同時代のレーニンとカール・カウツキーの論争のうち、ほぼレーニンの主張のみ翻訳されている戦後日本における左翼の言説空間の歪みを指摘します。カウツキーの言説には、公開性の原則や複数政党制(複数前衛党論)の重要性の指摘など、現代にも通ずる価値がある、というわけです。中村氏は、ロシア革命を同時代に経験したローザ・ルクセンブルクもロシア革命でのボリシェヴィキ独裁を批判しており、カール・カウツキーとローザ・ルクセンブルクには、民主主義における多元性保障の論理を必要とするヨーロッパ自由主義伝統の視点が根づいていた、と指摘します。湯川順夫氏は、ボリシェヴィズムとスターリニズムを一直線に結ぶことはできず、両者の間には質的断絶がある、と指摘します。

 江田憲治氏は、中国における共産主義の受容と定着での陳独秀の役割を重視します。江田氏は、陳独秀の民主主義闘争(革命)から社会主義革命への移行論(永続革命論)はトロツキーに学んだもので、民主主義と社会主義の同時並存論はそれを発展させた、陳独秀独自の思想の到達点と見ることができるかもしれない、と評価しています。なお、江田氏がかつて、中国共産党指導者が親族にいる中国史研究者に毛沢東の理論面での評価を尋ねたところ、毛沢東には理論などなく、せいぜいゲリラ戦の理論くらいだった、との返答があったそうです。さらに江田氏は、ゲリラ戦の理論も、毛沢東の思想的営為の結果ではなく、他の軍人(曾中生)の発案だったそうです。つまり、「毛沢東思想」とは、レーニン以来の社会主義の政治的指導者は同時に理論的指導者であり、そうあるべきという「政治文化」の所産か、実態を超えて指導者の正しさを強調する「政治文化」が、ロシアから中国、スターリンから毛沢東へと伝わったのではないか、と江田氏は指摘します。

https://sicambre.seesaa.net/article/202403article_16.html

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