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[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
17. 中川隆[-12813] koaQ7Jey 2020年5月02日 10:10:05 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[1]

JTが第1四半期決算発表!コロナの影響や如何に!? 2020-05-01
https://www.sogoshoshaman.com/entry/jt-financial-2020q1


こんにちは!総合商社マンです!JTが2020年第1四半期の決算を発表したよ!!


JTが4/30に2020年第1四半期の決算発表をしましたのでその内容を見ていきましょう!

JTが2020年第1四半期の決算を発表(2020年12月期)

JTが2020年第1四半期の決算を発表しました。JTは12月決算の会社なので、このタイミングで第1四半期の決算発表なのですね。これからJTの決算内容を見ていきますが、先日以下記事でちょうどJTのビジネス構成について分析していました。

決算の内容を見る前に、上記の記事の簡単なおさらいをしておきましょう。そのほうがスッと入ってくると思いますので。こちらがJTのばくっとした概要です!
•JTのビジネス構成は@タバコ事業、A医薬品事業、B加工食品
•タバコ事業だけで全体の100%以上の営業利益を稼いでいる(100%以上というのは他の事業はマイナスという意味)。
•そしてたばこ事業の営業利益の内、7割が海外、3割が国内で稼いでいる。

こんな感じです。従い、今回の決算内容もタバコ事業にだけ注目していきます(他の事業部で働いている方、ごめんなさい笑)。それでは早速中身を見てみましょう!

これが第1四半期の決算短信です。

jt-kessan-tanshin-2020q1

参照元:JTホームページ決算短信

大事な部分を赤枠でリマークしたのですが、上から@決算、A配当予想の変更の有無、B業績予想の変更の有無になります。この表では見ずらいので、下で一つずつ見ていきましょう。

2020年12月期第1四半期連結決算

まず2020年12月期第1四半期の業績です。
•売上高:519,620百万円(+2.8%)
•営業利益:128,953百万円(▲29.4%)
•当期純利益:86,373百万円(▲28.5%)

※()は対前年比

御覧の通り増収減益ですね。営業利益及び当期純利益は前期比で大幅減益となっていますが、2020年12月期の年間利益予想は3,050億円(2019年実績は3,482億円)ですので、第1四半期を終えた時点での対予算進捗率は28%とまずまずの出だしと言えます。

jti-financial-result2

参照元:JTホームページCFOプレゼンテーション

対予算比で好調だったのは、やはり稼ぎ頭の海外たばこ事業がこのコロナの状況でも比較的堅調だったことが理由のようですね。顕著なプライシング効果というのは、要は値上げが上手くいっているということでしょう。

2020年12月期業績予想・配当見通し

業績予想及び、配当見通しについてはどうでしょうか。

jti-financial-result3

まず業績見通しについてですが、今回下方修正はありませんでした。ま、進捗率28%ですからね。笑 ただし、このスライドの上の赤枠にもある通り、4月以降のコロナの影響を勘案して精査とあります。2Q以降に下方修正することには含みを持たせた格好です。

次に配当予想についてですが、上のスライドの下の赤枠に記載のある通り、配当予想には変更はありませんでした。つまり上期77円、下期77円、年間合計154円の配当を据え置いています。

コロナの影響はいかほどか?

コロナの影響は実際どうなのでしょうか?それについてこのスライドがあったので見てみましょう。

jt-covid19-impact

まず赤枠部分ですが、「現時点で顕在化している重大なリスクない 」と言い切っています。笑 JT強し!こういう時、嗜好品ってのは強いんだなー。ちなみにこのページには書かれていませんが、工場の稼働も継続しているとのことです。

そして青枠部分ですが、人の移動が止まり空港での免税店ビジネスも落ち込んでいることを指しています。ただ、免税ビジネスはJTの売上の3%程度なのでそこまで心配する必要はないと思います。一方、コロナの影響がタバコの需要にどう影響を与えるかは不透明であることを懸念事項とあげています。ネットでニュースを見た方もいるかもしれませんが、喫煙者のほうがコロナの死亡率が高いといった情報が流れていたりするので、そのあたりは引き続きの懸念事項でしょう。

JTの株価動向

最後に最近のJTの株価の動向を見ておきましょう。

jt-stock-chart

年初は2,400円台だった株価が一時1,862円の年初来安値を付け、4月30日現在2,000円を少し回復した水準で推移しています。配当利回り驚異の7.64%です。今回の業績が思いのほか堅調だったことを考えると株価も底堅く推移しそうな気がしますね!



最後に

いかがでしたでしょうか?私は結構コロナで決算やられているんだろうなーと勝手な想像をしていたので、正直びっくりしました。そして期待を裏切られた気分です。笑

なぜかというと、実は私、先日以下の記事でオリジナルの高配当株ポートフォリオを作り、その中にJTも入れていたのですが、欲を出してしまったばっかりにJTの指値が刺さらずにいまだに買えていないのです!笑笑 今回の決算が悪ければそこで下がったところで買えばいいやと思っていたのですが、そうはいかなそうですね〜。シクシク。

https://www.sogoshoshaman.com/entry/jt-financial-2020q1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c17

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき : MMTは詭弁、赤字国債大量発行は貧富の差を拡大し階級社会を完成させる 中川隆
4. 中川隆[-12812] koaQ7Jey 2020年5月02日 10:58:00 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[2]

コロナショックの自粛の中でも、不労所得が入って生活に困らないのが富裕層 │ 鈴木傾城
https://fullinvest.xyz/?p=5624
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/711.html#c4
[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
34. 2020年5月02日 11:21:19 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[3]
ワルターのベストパフォーマンスは1910年から1938年ごろくらい。
異議は認めない

ワルターはノンヴィブラート・ポルタメント奏法で極端に早いテンポの時代の指揮者だよ
ヴィブラート・ノンポルタメント奏法に変わった1945年以降のオケとは合わない
それでアメリカ録音から無理をした力ずくの演奏に変わってしまった
1945年以降の演奏はすべてテンポが遅すぎてもたれる
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c34

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
35. 2020年5月02日 11:24:51 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[4]
19世紀はノンヴィブラート ポルタメント奏法でテンポは極端に速かった。
ブルーノ・ワルターの初期のSP録音でもテンポは滅茶苦茶速いよ。
カペー四重奏団もテンポは滅茶苦茶速い。

1940年代にオケの弦楽器がガット弦から スチール弦に変わってから
早いテンポで弾けなくなった、ポルタメント奏法も難しくなったんだよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c35

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
36. 中川隆[-12811] koaQ7Jey 2020年5月02日 11:30:02 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[5]
ワルターのベストパフォーマンスは52年から56年ごろくらい。
というのは宇野功芳の思い込みだよ

マーラー大地の歌も1952年盤を評価しているのは宇野功芳だけだ
柴田南雄は1936年のSP盤しか評価していない

柴田南雄はワルターはSP時代以降ダメになったと何度も指摘している
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c36

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
37. 中川隆[-12810] koaQ7Jey 2020年5月02日 11:33:22 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[6]
遠山行雄も
戦後のワルターは何か無理して頑張っている様で痛々しかった
と追想している
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c37
[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
38. 2020年5月02日 11:35:43 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[7]
ワルターの性格が良くなったのは、二流指揮者になって楽員からバカにされる様になってからみたいだね

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c38
[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
59. 中川隆[-12809] koaQ7Jey 2020年5月02日 11:41:37 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[8]
ブルーノ・ワルターPart8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1588205234/l50

1名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 09:07:14.45ID:73RDi+cR

大巨匠ブルーノ・ワルター。
特にモーツァルトの指揮が得意。
ベートーヴェンの田園は名盤。
マーラーの弟子。


前スレ
ブルーノ・ワルターPart6
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1397229125/
ブルーノ・ワルターPart5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1345824545/l50
ブルーノ・ワルターPart4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1311177531/l50
ブルーノ・ワルターPart3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classical/1266542690/l50
ブルーノ・ワルターPart2
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1224773347/l50
ブルーノ・ワルター
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/classical/1142021039/l50
※前スレ
ブルーノ・ワルターPart7
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1454617348/


3名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 11:43:03.06ID:jYkOhE49
コーホーあこがれの指揮者だった

4名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 12:30:41.96ID:2V2EOwMh
ファンレター書いたらお返事くれた
だけだよね

5名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 13:09:20.04ID:7iA2D+lf
SP時代からワルターに心酔していたコーホー

6名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 16:08:25.52ID:zmJJfxIW
コーホーに騙されたファンが如何に多い事か
嘆かわしい

7名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 16:34:51.78ID:ZnVpzSjM
ワルターといえばコーホー
コーホーといえばワルター
レコ芸時代からクラオタに定着したイメージ

8名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 17:08:24.85ID:FlQtvYGX
またステレオのモーツァルトはコーホーが失敗作と言ったとか
書き込むキチガイが現われるんだろうな
いっそテンプレに入れておくかw

9名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 17:46:57.17ID:yDLZQMmu>>10
コーホーはモノラル時代のNYフィルとの40番、41番を大絶賛していた

10名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 06:12:50.86ID:CgiLwIu/
>>9
だからどうした ?
全てコーホーの受け売りでしか考えられない低能バカなのか ?
お前自身の感性による感想が全く無い無知無学のアホなのか ?

11名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 07:07:49.24ID:VaerpKln
文通を通じてワルターと魂の交流をおこなった宇野師こそ
ワルター評論の第一人者でありその評論は傾聴に値するのである

12名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 07:13:39.47ID:2XdTT1w+
ワルターの名を日本に浸透させたコーホーの功績は大きい

14名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 09:43:01.36ID:Fmqq+aeW
コーホーのおかげでワルターの良さを知った

15名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 10:15:51.97ID:19xPP3Mh

レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。

「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

16名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 10:17:14.56ID:19xPP3Mh
コーホーのおかげでワルターの性格の悪さが知られなくなった


19名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 22:21:57.35ID:5kyboyQc

最近気が付いたのだが、ソニーはSACDプレーヤーをもう作っていない。ワルターのマイヤー版を日本だけSACDハイブリッドで出す意味って、どの程度あるのだろう。と思い、在庫が店頭から消えつつあるコンプリート77枚ボックスを買ってしまった。

目的のひとつは、レブレヒトの言う偽善者ぶりを、彼の肉声から確かめてみたかったから。あと、許光俊の「こんな名盤はいらない」にある通り、モノラルの頃の演奏がステレオ録音より優れていることには同意しているが、マイヤー盤でも確認してみたかったから。


20名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 22:48:58.97ID:WKD+fgLu

評論家に精神依存してるやつ多いねー
何のために音楽聴いてるのやら

22名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 23:54:58.24ID:FI9NJT+E
コーホー推薦のワルターのLPは何枚も買った

23名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 06:55:52.98ID:H0WJ1R4Z
俺は評論家のひとりよがりの批評など興味ないし信じない


ただし宇野先生だけは別だ

24名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 07:00:00.42ID:ChUYtgeG
レコ芸愛読者にとってコーホーは神のような存在だった。

26名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 07:30:45.66ID:xmwM057B

ワルターのベストパフォーマンスは52年から56年ごろくらい。

異議は認める


27名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 09:26:23.64ID:fx45UB5h

ワルターはラッキーな指揮者であった
ステレオ時代に間に合ったんだから

28名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 10:46:24.32ID:iDBPdJh8

フルトヴェングラーにしろトスカニーニにしろ
ステレオ時代に間に合ってればよかったのに
じつに惜しい

29名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:19:49.64ID:E2t0l423

ワルターのベストパフォーマンスは1910年から1938年ごろくらい。
異議は認めない

ワルターはノンヴィブラート・ポルタメント奏法で極端に早いテンポの時代の指揮者だよ
ヴィブラート・ノンポルタメント奏法に変わった1945年以降のオケとは合わない
それでアメリカ録音から無理をした力ずくの演奏に変わってしまった
1945年以降の演奏はすべてテンポが遅すぎてもたれる


30名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:24:06.85ID:E2t0l423

19世紀はノンヴィブラート ポルタメント奏法でテンポは極端に速かった。
ブルーノ・ワルターの初期のSP録音でもテンポは滅茶苦茶速いよ。
カペー四重奏団もテンポは滅茶苦茶速い。

1940年代にオケの弦楽器がガット弦から スチール弦に変わってから
早いテンポで弾けなくなった、ポルタメント奏法も難しくなったんだよ。

31名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:29:29.35ID:E2t0l423

ワルターのベストパフォーマンスは52年から56年ごろくらい。
というのは宇野功芳の思い込みだよ

マーラー大地の歌も1952年盤を評価しているのは宇野功芳だけだ
柴田南雄は1936年のSP盤しか評価していない

柴田南雄はワルターはSP時代以降ダメになったと何度も指摘している


32名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:32:32.58ID:E2t0l423

遠山行雄も
戦後のワルターは何か無理して頑張っている様で痛々しかった
と追想している

33名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:34:43.72ID:E2t0l423

ワルターの性格が良くなったのは、二流指揮者になって楽員からバカにされる様になってからみたいだね
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c59

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
60. 中川隆[-12808] koaQ7Jey 2020年5月02日 12:03:19 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[9]
34名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:40:24.68ID:8bOb7cGH
>>32
遠山一行

35名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:01:59.83ID:E2t0l423

アメリカのダメオケ相手に必死に頑張っているんだけど、何かなー

ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95, B. 178
ロサンゼルス・スタンダード交響楽団 - Los Angeles Standard Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 16 July 1942
https://www.youtube.com/watch?v=XcnlQwJXLHs&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=4oYC-dPMxEM&feature=emb_title

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c60

[番外地7] メモ帳 _ 音楽・オーディオ 中川隆
39. 2020年5月02日 12:46:02 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[10]
36名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:26:07.15ID:1U0SFvwu
評論家の意見は知らないが、ワルターの最盛期が戦前だとしても、SP復刻はさすがに今のオーディオで聴く気がしない。
引退前の50年代のモノラル録音は、磁気テープ録音になったせいもあるだろうが、デッカであれコロンビアであれ、演奏と録音の両面で満足できるものが多い。趣味としてはそれで十分と思う。
ステレオ録音は田園とブラ4以外はほとんど聞かなったが、マイヤー盤で聴いたらブル9が以外と良かった。

37名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:39:10.51ID:E2t0l423
曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。
音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。
SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。
驚きの音が、しました。感激しました。

復刻されたSP原音は、できるだけ忠実に再生したいと思いませんか。
さて、そのための道具ですが・・・
先ず第一に機械式蓄音機。
LPやCDになってもSPの音は蓄音機に回帰しましょう。
これをプレーヤーとしてではなく、ホーンスピーカーとして使います。
LPやCDの音をどうやってそこから出すかですが、蓄音機に付いているサウンドボックスに換え、ソガフォンという小型スピーカーを取り付けます。
あとはプレーヤーとアンプですが、種々試行して音の違いを自分の好みに合わせ完成です。
ちなみに現在は以下の組み合わせを楽しんでいます。
CDプレーヤー:SONY D-2
アンプ:VintageJoin
蓄音機:DECCA 型番不明
Sogaphonの種明かし - yuihi310のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yuichis3010/23571576.html
HMV 157 Meets Sogaphon
https://www.youtube.com/watch?v=WDiUzsfqPZU
https://www.youtube.com/watch?v=vvSXOqJkDMg
The magic of Sogaphon 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NNVliaIqy4s&feature=plcp
https://www.youtube.com/results?search_query=Sogaphon+

38名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:42:23.22ID:E2t0l423
ブルーノ・ワルターは SP録音したものの方が LP録音より遥かにいい音で入ってる
弦楽器はクライスラーでもアドルフ・ブッシュでも SP の方がLPより遥かにいい音だからね
SP録音すると原音よりいい音になるんだ

手廻し蓄音機は楽器だからね
原音再生の スピーカー+アンプ より倍音成分が沢山入って原音より遥かに いい音に変わるんだよ
今でもクレデンザよりいい音の装置なんか存在しないからね
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c39

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
61. 中川隆[-12807] koaQ7Jey 2020年5月02日 12:51:58 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[11]
36名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:26:07.15ID:1U0SFvwu

評論家の意見は知らないが、ワルターの最盛期が戦前だとしても、SP復刻はさすがに今のオーディオで聴く気がしない。

引退前の50年代のモノラル録音は、磁気テープ録音になったせいもあるだろうが、デッカであれコロンビアであれ、演奏と録音の両面で満足できるものが多い。趣味としてはそれで十分と思う。

ステレオ録音は田園とブラ4以外はほとんど聞かなったが、マイヤー盤で聴いたらブル9が以外と良かった。


37名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:39:10.51ID:E2t0l423

曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。

音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。
SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。
驚きの音が、しました。感激しました。

復刻されたSP原音は、できるだけ忠実に再生したいと思いませんか。
さて、そのための道具ですが・・・

先ず第一に機械式蓄音機。

LPやCDになってもSPの音は蓄音機に回帰しましょう。
これをプレーヤーとしてではなく、ホーンスピーカーとして使います。

LPやCDの音をどうやってそこから出すかですが、蓄音機に付いているサウンドボックスに換え、ソガフォンという小型スピーカーを取り付けます。
あとはプレーヤーとアンプですが、種々試行して音の違いを自分の好みに合わせ完成です。

ちなみに現在は以下の組み合わせを楽しんでいます。

CDプレーヤー:SONY D-2
アンプ:VintageJoin
蓄音機:DECCA 型番不明

Sogaphon-system | Facebook
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.715939808421718.1073741844.517195038296197&type=3

Sogaphon-system
作成: 関西蓄音機倶楽部 · 2013年9月13日 ·

古い録音の名演奏をLPやCDでゆっくりと聴くシステムです。
本来の使い方は歴史的に貴重なSPレコードを軽針圧のプレーヤーで再生しレコードの保存を図るというものでした。

このセットももちろん78rpmのプレーヤーを繋いでいます。
しかし再生する音が蓄音機 (Victrola"COLONY"1925年製造) から流れるのでいい雰囲気になります。


HMV 157 Meets Sogaphon
https://www.youtube.com/watch?v=WDiUzsfqPZU
https://www.youtube.com/watch?v=vvSXOqJkDMg

The magic of Sogaphon 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NNVliaIqy4s&feature=plcp
https://www.youtube.com/results?search_query=Sogaphon+

38名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:42:23.22ID:E2t0l423

ブルーノ・ワルターは SP録音したものの方が LP録音より遥かにいい音で入ってる
弦楽器はクライスラーでもアドルフ・ブッシュでも SP の方がLPより遥かにいい音だからね
SP録音すると原音よりいい音になるんだ

手廻し蓄音機は楽器だからね
原音再生の スピーカー+アンプ より倍音成分が沢山入って原音より遥かに いい音に変わるんだよ
今でもクレデンザよりいい音の装置なんか存在しないからね
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c61

[リバイバル3] 資産を増やすには ほったらかし投資法が断然優れている 中川隆
40. 中川隆[-12806] koaQ7Jey 2020年5月02日 13:19:45 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[12]
2020年05月02日
投資信託で利益を得る人と、損失で終わる人の行動パターン


含み損が気になって仕事中にスマホでチェックするようでは、投資を辞めた方がいいです


投資信託で何割が損をしているか

何度も投資信託を勧めてきたが、その一方で投信で投資した人の半数が損をしているというデータがある。

金融庁が2019年1月に発表した投信調査では、銀行が販売した投資信託の5割で客が損をしていた。

また2018年8月の調査ではネット証券で投信を購入した人の36%が評価損を抱えていた。


これはどちらも現在のポジションの含み益、含み損の調査であり過去に決済した利益や損失は含めていない。

これらで分かるのは「含み損に耐えている投資家が多い」事で銀行投信でこの傾向が強い。

人間の本質として痛みに耐えて利益はすぐ手にしたがるそうで、「痛みに耐えてよく頑張った」と言った総理も居ました。


投資家の本能として仮に10万円で何かに投資して100円でも含み損だったらムカついて仕方が無くなる。

含み損が1万円なら仕事が手につかなくなり、トイレでこっそり確認したり夜も寝れなくなる。

含み損を決済すると損失が確定するので耐えられるだけ我慢し、やっと利益が出るとすぐ決済する。


こうした人間の行動からは過去に決済した人の割合では、利益を手にした人も多かった可能性がある。

だが投資では昔から「9割が損をし1割が独占する」ゲームなので、全員が勝つようにできていません。

パチンコや競馬で手数料を払って損をする人たちが居るが、実は株や投信も仕組みは同じです。


1生涯通算で考えたら投資信託で利益を手にするのは3割以下で、大多数は損をすると思います。

勝者は勝つべくして勝つ

毎月定額積み立て型の投資信託を推奨してきたが、このタイプは相場が下落すると安く買える性質があります。

日経2万5千円なら2万5千円だったものが1万円になったら4割の値段で買えることになる。

その代わり持っている日経の評価も4割に下落するので、なんと含み損が60%にも達します。


だが積立投信は過去の安い時に安く買っているので、最高値で買った人の含み損が60%でも、もっと小さく収まるでしょう。

1万円台が続くと投信の買い付け価格も1万円台なので、次第に平均買い付け価格が下がります。

1年か数年後に日経平均が2万円台に回復し、2万5千円で決済したら大儲けになります。


日経が上昇して含み益が増えると「天にも昇る気持ち」になるが、実はこの時は高値で買い付けています。

上昇期に決済せず積み立て続け、バブル崩壊したら膨大な含み損を抱えていた、というのが典型的な敗者の投資です。

積立投資のキモは安い時にコツコツ積み立てて、上昇したら適度に決済しポジションを軽くすることです。(リバランスと言います)


どんな積立投信でも良いかというと、少しでも手数料総額が低い投信が多くの利益を手にできます。

証券会社のサイトで比較すると手数料には10倍以上の開きがあるが、純粋に手数料だけで比較し安い投信にしたほうが良いです。

手数料の高さと投資成績は比例せず、まったくなんの関係もない場合がほとんどだからです。


手数料が高ければファンドの運用成績が同じでも、手数料を投資家が払っているので損をします。

銀行は手数料が自分のかせぎなので、手数料が高い投信しか販売せず、したがって銀行から投信を買うと損をします。

証券会社も手数料が安い投信は儲からないので、なるべく投資家が見つけにくいようにサイトに掲載しています。


証券会社や銀行にだまされず下落時に積立を続ければ、最後は勝つべくして勝ちます。
http://www.thutmosev.com/archives/82841835.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/975.html#c40

[近代史4] ミヒャエル・エンデの世界 中川隆
1. 中川隆[-12805] koaQ7Jey 2020年5月02日 14:25:28 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[13]

『モモ』ミヒャエル・エンデ|松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1377.html


ミヒャエル・エンデ モモ
岩波書店 1979
Michael Ende
MOMO 1973
[訳]大島かおり

モモが住む廃墟のような円形劇場。
そこへやってくる時間銀行御用達の灰色の男たち。
このお話は凄腕の時間泥棒の暴挙を
可愛いいけれども果敢なモモが
すっかり退治しました、というお話ではない。

ニンゲン本来の時間をついに取り戻しましたというお話でもない。
お金を銀行に預けておくと、利子が利子を生むということを告発した物語だった。
いやエンデは、その多くの作品で貨幣経済社会を問題にしてきたのである。

これから数夜にわたって、エンデの物語とその遺言を少しく案内したい。


 読書には「ドッキ」というものがある。ドッキは「読機」だ。その本をいつ読んだのかということ、いつ通過したのかということ、そこにその本とわれわれのあいだにひそむドッキがある。

 ドッキは容易には掴めない。だからドッキなのである。念のために言っておくが、果物に旬があるようにその本に旬があるのではない。そんなものはない。どんな本もその気になればいつだって旬になる。これはシュンドクというもので、「旬読」という。旬読は版元がそれをこよなく願っていて、その本が時代の中に提示されたときに買って読むことが大いに期待されているのだが、けれども本そのものには、実は旬はない。アリストテレス(291夜)も太宰治(507夜)もつねに旬なのだ。だから本というものはいつだって旬読を待っている。

 ところが旬読はなかなかおこらない。それを読み食べるこちら側の時機に問題があるからだ。その本をいつどんな心境やどんな状況で読んだかが、その本についての印象や感想にひどく関係してしまうのに、それがずれるため旬読がおこらない。これはドッキのせいなのである。

 ドッキはそもそもが潜在的なものなので、これを制御したり有利にすることはできない。太宰の『女生徒』や『葉桜と魔笛』をぼくが読んだのは高校時代だったけれど、このときはドッキがよかった。だからやたらに感動した。だからといって、こういうことを自慢してもしょうがない。セレンディップな恩恵として有り難く感じるしかない。ドッキとはそういうものなのだ。

 日本で『モモ』が岩波から刊行されたのは1976年で、ぼくは「遊」の第2期をぶんぶん編集していた頃だった。寝るなんてことが惜しくて、ともかくいろんなディープで過激なことに挑んでいた。

 そんななか、それでも話題になっていた本にはなんとか目を通すという作業だけは欠かしていなかったので、噂の『モモ』も一読した。時間泥棒というアイディアにはなるほど感心したが、全体に寓意が勝ちすぎていておもしろくなかった。ビビガールという“完全無欠な人形”がちらちらと印象に残ったにすぎない。

 このころはSFを片っ端から読んでいた。劇画を読んだのもこの時期だったが、これは勢いで読んだにすぎなかった。なかでJ・G・バラード(80夜)やレイ・ブラッドベリ(110夜)にはついに会いたくなってロンドンやロスアンジェルスにまで行った。きっとチャンスがあればアーサー・クラーク(428夜)やフィリップ・K・ディック(883夜)やトマス・ピンチョン(456夜)とも会っていただろう。

 そういう時機に『モモ』を読んだのだから、いけない。きっと劇画のように読んでしまったのだろう。実はトールキンの『指輪物語』やC・G・ルイスの『ナルニア国ものがたり』もこのあとしばらくして読んだのだが、残念ながらつまらなかった。いずれもドッキが悪かったのだ。『指輪物語』は別役実に薦められたので読んだのだけれど、やはりその一定した寓話力や寓意力に、どうしても感心できなかった。

 というわけでぼくはエンデを旬読すらできなかったのである。それからずいぶん時間がたった。『モモ』を再読したのはごく最近のことで、10カ月ほど前なのである。

 きっかけは河邑厚徳らがまとめた『エンデの遺言』(NHK出版)を読んだせいだった。その『エンデの遺言』を読んだのは反グローバリゼーションの見解を片っ端から読んで、その傍らでハイエク(1337夜)の貨幣論、たとえば『貨幣発行自由化論』(東洋経済新報社)を知り、さらにケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(岩波文庫)にとりあげられているシルビオ・ゲゼルの「スタンプ付き貨幣」のアイディアに、エンデがひとかたならない関心をもっていたことを知ったからだった。

 そこからはジグザグとした読書が数カ月ほど続いて、一方では経済学の本を啄(ついば)みながら、エンデの『遺産相続ゲーム』や『鏡のなかの鏡』を遊ぶというようなことの“折り紙読み”が、あれこれ前後したと思われたい。こういうことはぼくにはよくあることで、新たな集中ドッキをつくりながら世界読書の渦中に自分でどんどこ入っていくという読み方になる。

 ともかくはこうして、ひとつにはゲゼルの自由貨幣論が、もうひとつにはエンデの「お金」に対する思想の片鱗が手元に残ったのだ。ゲゼルのほうのことについては、このあとの千夜千冊にまわすとして、今夜は初読のドッキをまちがえたぼくが、あらためてエンデに“再会”できた感想を、以下、ごくかんたんに披露しておきたい。


 まず、『モモ』である。

 物語はよく知られているだろうから紹介しないが、モモという少女が大きな街の古びた廃墟のような円形劇場に住み着く。モモには人の話にじっと耳を傾けるだけで、人々に自信を取り戻させるような不思議な力がそなわっているらしい。

 そのモモのところに「灰色の男」たちがあらわれる。「時間貯蓄銀行」からやってきた灰色の男たちは、人々から時間を奪っていくのが専門の職業になっている。時間を節約して、時間貯蓄銀行にその時間をせっせと預ければ、利子が利子を生んで人生の何十倍もの時間をもつことができるというふれこみだ。モモはこれは時間泥棒だと思う。

 けれどもその街の人々は時間泥棒たちの言葉巧みな説得に誘導されて、しだいに余裕のない生活に追い立てられていく。気がつくと時間とともに人生の意味も失っている。モモは盗まれた時間を人々に取り戻すため、カメやカシオペイアとともに灰色の男たちとの戦いに挑んでいく‥‥。ざっといえば、そういうお話である。

 モモは孤児に設定されている。身寄りのない「みなしご」だ。「棄人」や「みなしご」や「孤児」は内村鑑三(250夜)や野口雨情(700夜)が最も重視した社会存在のモデルだった。「歌を忘れたカナリア」を連れてモモのところにやってきた少年も出てくる。

 そんなモモにも親友が二人いる。道路掃除夫のベッボ爺さんは自分で建てた煉瓦とブリキの小屋にいる。どんな話にもにこにこ笑えるが、自分ではほとんど喋らない。観光ガイドの若者ジジは何でもよく喋る。けれどもほとんどが空想で、この街の神話を勝手に作っている。つまりはこのモモを含めた3人は、何も所有していない無所有者たちなのである。当然、無産者でもあった。

 そこへ時間貯蓄銀行の灰色の男たちがやってきて、「みなさん、時間はどこから手に入れますか」と聞き、「それは倹約するしかないでしょう」と説得しまわっていく。たくさんの計算と数字も見せる。すべてを損得勘定で説明できる連中である。時間銀行の銀行員は「時間をあずけてくれたら5年で同額を利子として払う」と言い、時間の節約の仕方を説明する。

 仕事はさっさとすます。老いた母親は養老院に入れて、自分の時間を大事にする。役立たずのセキセイインコの世話の時間ももったいないから、捨てる。とくに歌を唄ったり、友達と遊ぶのを避ける。このようにして時間を節約したぶん、幸福が確実にたまっていく。そう、言うのだ。住人たちは次々に時間が倍になって戻ってくることに狂喜する。


 いったいこのお話は何を書いたのか。

 失った時間を取り戻したという話ではない。「時間」を「幸福」と見立てたのでもなかった。エンデはあきらかに時間を「貨幣」と同義とみなしたのである。「時は金なり」の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせたのだ。ドッキを失うと、こういうことすら読めてこなかったのである。

 さて、あらためてエンデの作品群をつらつら読んでわかったのは、エンデは同じことを『鏡のなかの鏡』でも、また初期の戯曲の『遺産相続ゲーム』でもメタフォリカルに書いていたことだった。同じことというのは「お金」をめぐるということだ。

 『鏡のなかの鏡』(丘沢静也訳)はカフカ=アインシュタインふうの一種の迷宮小説で、モモに代わってホルという少年が主人公になるのだが、『モモ』よりもずっと挑戦的である。文字だけでできている紳士、デュシャンのガラス絵のような花嫁と花婿、売春宮殿、部屋になっている砂漠、貧しい女王、輪郭を溶かせる男、伝達力を問うブリキ缶、格子のある螺旋階段、市街電車に合図をする白髭‥‥。

 なんともいろいろなものが出てくるが、エンデはこれらを巧みに組み合わせて話を進める。とくに「列車の来ない駅カテドラル」の全面が紙幣でできていることを証かすと、この街のどこかで「奇蹟の金銭増殖」がおこっていることを仄めかす。
 どうやらカテドラルの祭壇がお金を増殖させているらしい。案の定、祭壇についている説教師は大声で「真なるものも商品である!」「お金は万能である!」などと叫んでいる。その意味するところは、「われわれは永遠にわれわれ自身の債権者(グロイビガー)であって、かつまたわれわれ自身の債務者(シュルドナー)である」ということだった。

 なるほど、われわれは何かの債権者であって債務者なのである。何を担保に債権し、債務を感じているのかといえば、生命と社会がもたらすイレギュラーなものいっさいに、債権し、債務を感じているのだ。セイゴオ流にわかりやすくいえば、われわれは生と死という両端の無明(むみょう)に挟まれて危険な日々を生きる不断のリスク・テイカーなのである。いや、そのはずだったのだ。

 ところが「お金」が発達するにつれ、われわれのリスクはすべからく値段に換算されることになった。いまや出産も葬式も、結婚も病気も、洗濯も食事も、教育も音楽も、おいしい水も山の空気さえ、マネーゲームに関与しないものはない。リスクはすっかり貨幣に乗っ取られてしまったのだ。

 エンデが『鏡のなかの鏡』で現代の貨幣経済の陥穽を突いていると最初に指摘したのは、おそらくは『金と魔術』で『ファウスト』の錬金術の近代的意味を解剖してみせたビンスヴァンガー(1374夜)だった。

 ビンスヴァンガーはエンデの遺作となった『ハーメルンの死の舞踏』でも、その問題がとりあげられていると見た。金貨の報酬を得られなかったハーメルンの笛吹き男に子どもたちが誘い出されたことを、エンデは資本主義社会からの次世代の救済というふうに読み替えたというのだ。

 ぼくはエンデが救済の物語を書いたとは判定しないけれど、多くの作品に貨幣経済の影を描こうとしていることは明白だった。

 こうしてやっと『遺産相続ゲーム』を、3ヶ月ほど前に読むことになった。エンデが36歳のときの戯曲処女作である。『モモ』が発表されたのは43歳のときだから、その10年前の作品だ。フランクフルトで上演されながらさんざんな酷評に見舞われたことで有名になった。

 岩波のエンデ全集(9巻)の解説では、平田オリザがなぜに『遺産相続ゲーム』が失敗作なのかをしつこく書いていたが、それは上演上の問題にすぎない。むしろ興味深いのは、エンデはこの戯曲ですでに貨幣経済社会の矛盾を暴こうとしていたということにある。

 そもそも、いったい何がその人間の財産目録かということは、時代によっても社会によっても異なるはずである。15世紀のロンドンの貴族にとっての財産目録とドゴン族の財産目録は一致しっこない。かつては田畑を保有すればそれが石高になったわけだが、いまでは日本の農民の財は土地ではなく農協の作物買い上げ額によって決まる。

 もっとはっきりいえば、財産目録なんていっときの国家の管理物にすぎないともいえるわけで、そのリストと価格には何の普遍性もない。それが今日の社会では、税務署や金融機関が認定する価値判断によって財産が規定されていくばかりなのである。たとえばぼくの財産なんて金高にすればおよそ知れているが、しかし「誰によってもとうてい算定できないもの」とも言えるはずなのだ。
 エンデはこの財産目録が明示できるということに疑問をもった。そのため作品の中では、財産をとりまく人物たちを異様にも、多様にも仕立てた。

 この戯曲の第3幕には、保険会社の社長エーゴン・ゲーリュオンが財産目録を作成している場面が出てくる。思考磁石、星時計、ミツバチの天の梯子、精霊の卵の殻といったわけのわからない財産ばかりが並んで、ゲーリュオンは多幸感に酔いしれ、そのくせそれがどのような値打ちになるのか、焦燥感を禁じえない。ゲーリュオンという名はダンテの『神曲』(913夜)の冒頭近くに出てくる地獄の番人、ジェリオーネのことである。ダンテは「堅気の顔をした竜」と書いたが、エンデはこの人物をブレヒト流の「搾取する者」になりすぎないように設定した。

 もっといろいろな人物が出てくる。公証人のレーオ・アルミニウスは義務を忠実にはたすことでいっさいの紛争に巻き込まれないようにしている。女教師のクララ・ドゥンケルシュタインは論理的なシステムが大好きで、「公平」とは何かということをつねに主張する。年輩の前科者ヤーコプ・ネーベルはどんなときでも大儲けをしようとしている。ゲーリュオンの妻はどんな難問からも逃れてばかりいる。将軍マルクス・シュヴェーラーは全員の幸せのためには暴力が必要だと考えている。

 こんな連中によって遺産相続ゲームはとんでもなく頽廃的になっていく。誰も、何が本当の遺産であるか、わからない。そういう物語なのだ。ここにはエンデがその後に書き綴っていこうとした“モモ的なるもの”がすべて用意されていたわけだった。

 諸君、ドッキとは掴めぬものなのだ。

 よほどにセレンディップでないかぎり、本は2度目の読みに入ったほうがいい。ぼくにとっては『モモ』とはそういう物語だったのである。

 では、エンデのドッキが次に何を呼びこんだかということについては、次夜に説明したい。エンデは長らく「老化する紙幣」や「時計がついた貨幣」を夢想しつづけたのだ。それをシルヴィオ・ゲゼルやルドルフ・シュタイナー(33夜)に学んでいたのだ。これ、「エイジング・マネー」とは何かという、とんでもなく大きな問題である。


【参考情報】

(1)ミヒャエル・エンデについて、その略歴を感想を交えて書いておく。次夜の千夜千冊の下敷きとされたい。

 エンデは1929年に南ドイツのバイエルンに生まれた。父親のエドガーは画家で、初期にはエンデのための挿絵も描いた。母親はレース・アクセサリーの店を開いていた。子供時代は父親の絵がよく売れていて、ミュンヘン郊外のパージングに住んだりしていて、そこでエンデのメルヘン風の気質も育まれた。そのころまでは街にやってくるサーカスの一団とも存分な交流をしたようだったが、やがて父親がナチスの文化政策を拒む姿勢を見せたため、経済状態がたちまち悪化していった。のみならず、あろうことかミュンヘン美術館は父親の絵を「無用の長物」と断罪した。

 小学校時代のエンデはあまり勉強をしていない。両親も諍いが多くなり、その仲裁をするような子供になっていた。親友も肺炎で死んだ。太っちょのこの親友の死はそうとうに衝撃だったようで、のちに『はてしない物語』のバスチアンとなった。こうなれば、魚やトカゲやカメを飼って遊ぶしかなくなった。そのせいか、10歳前後には「ドリトル先生」シリーズ(55夜)を全部読破した。あっぱれ、あっぱれ。家計は母親が医療体操とマッサージの免許をとって支えるようになっていた。しかしドイツは第二次大戦に突入、生活はとてもひどいものになっていた。エンデはヒトラー・ユーゲントを逃れ、馬との日々を選んだ。

 以上の日々の一端は、『ものがたりの余白』(岩波現代文庫)に切々と語られている。インタヴューを担当した田村都志夫は、エンデにおける「負の余白」こそがエンデを形成したと見ている。

(2)エンデが14歳のとき、ミュンヘンの空襲が激しくなった。夏休みにハンブルクの伯父を訪ねると、そこでも大空襲に会った。翌年はついにカウルバッハ通りの住まいが爆撃され、父親の油絵800点がすべて焼失した。

 父親がこのように「社会的に傷めつけられる」ということが、少年の心に何をもたらすかは、ぼくには十分な予測がつかないが、もしも「アンチアンチ・オイディプス」ということがあるのなら、きっとそういう擦傷こそがおこったことだろう。召集令状を受け取ったエンデがそれを破り捨て、ガルミッシュからミュンヘン郊外プラーハに疎開していた母のもとに80キロを歩き続けたというのは、そして「バイエルン自由行動」という反ナチス抵抗組織の16歳の伝書係りとなって爆撃の町々を走り抜け続けたというのは、社会的軍隊性というオイディプスに対する反撃でもあったにちがいない。

 戦後がやってきた。ひどいドイツの戦後だ。17歳のエンデはシュタイナーの「キリスト者共同体」に出入りするようになった。そこで3年歳上の少女に恋をするのだが、その仲を少女の両親が裂くため、エンデはシュトゥトガルトのシュタイナー学校に転校させられた。その両親が授業料を負担したらしい。しかし、ここはエンデの才能を開花させる編集学校だった。たちまち演劇に傾倒し、友達と屋根裏を借りて「屋根裏劇場」をつくると、コクトーの『オルフェ』を翻訳上演したり、ヒロシマに捧げる処女戯曲『時は迫る』を書いたりした。

 こうしたなか、敗戦ドイツに通貨改革が施行されるのだ。一方で、エンデは働いてその通貨を受け取り、他方では社会がもたらす貨幣価値の変転に疑問をもっていく。もっと表現を過激にしたくなったエンデは、19歳でオットー・ファルケンベルク演劇学校に進み、ブレヒトの演劇理論を浴びた。このころ、ラジオで聞いたインゲボルグ・ホフマンの朗読を聞いて魂が震えた。インゲボルグはのちのエンデの伴侶となった。8歳の年上だった。

(3)23歳から26歳まで、エンデはミュンヘンのキャバレー(97夜)に出入りして、歌やコントを書いて糊口をしのぎ、さらにバイエルン放送局で6年にわたって映画批評の番組をもった。黒沢明や溝口健二に惹かれたのはこのころだ。のちにラフカディオ・ハーンの怪談にも魅せられ、『牡丹灯籠』をラジオドラマに仕立てたりもしている。

 しかし、精気を取り戻した父親にはてこずった。エンデと同年代のロッテ・シュレーゲルと同棲を始め、母親を絶望させた。母は父の絵にナイフを入れ、自殺をはかったが、エンデがなんとかこれをとりなした。やっとの思いで、エンデはイタリアのサンアンドレアを旅行する。27歳のときにはどうやら父との和解をはたしたようだ。

 28歳はひとつの転機になっている。ひとつにはブレヒト理論に見切りをつけた。リアリズムでは自分の表現がまとまらないと見通したのだ。もうひとつはグラフィックデザイナーになった友人から絵本の共同制作をもちかけられて、筆に任せて書いたところ500枚の大作となった。これが『ジムボタン』のプロトタイプで、その後に『ジムボタンの機関車大冒険』になり、ドイツ児童文学賞を受賞した。

 30歳代、エンデはインゲボルグと結婚、『遺産相続ゲーム』を組み立てた。上記にも書いたように、この作品はフランクフルトで初演されたのだが、さんざんな酷評にあった。演出家がまったく戯曲を理解できなかったという、お寒いマッチングだった。そんなところへ西ドイツ放送局からテレビ・ドラマの依頼がきた。そこで構想されのが『モモ』である。1966年、37歳のときだ。このあたりのことについて、エンデは井上ひさし(975夜)と『三つの鏡』(朝日新聞社)と語りあっている。

(4)『モモ』は1972年に完成出版された。センダックの挿絵を希望したが果たされず、やむなく自分で絵を描いた。どうもエンデのやることは計画通りにいかない。しかし、それでも少しずつ根底にひそむものが起爆していった。翌年、母親が死に、次の表現作品に向かうことになった。

 それは3年がかりで50歳のときに脱稿する『はてしない物語』なのだが、そのため、エンデは日本を訪れている。約半月にわたる滞在で、佐藤真理子の案内のもと、能・歌舞伎・禅寺・弓などを堪能している。『M・エンデが読んだ本』(岩波書店)には、『荘子』(726夜)とともにヘリゲルの『弓と禅』が大事そうにとりあげられている。

 ちなみに『M・エンデが読んだ本』には、ノヴァーリス、ゲーテ、シラー、マイリンク、グリム兄弟、ドストエフスキー、カフカ、リルケ、ストリンドベリ、ボルヘス、シュタイナー、ガルシア・マルケス、ルネ・ホッケ、トールキンなどが挙げられている。

 実はエンデの名が世界的に知られるようになったのは、やっと『はてしない物語』のあとからで、このときついでに『モモ』がベストセラーになった。1980年、51歳のときだ。いくつかの賞も受けたが、ポーランドのヤヌシュ・コルチャック賞は全額を児童施設に寄付した。ナチスの犠牲になった子供たちのために自身の命を懸けたヤヌシュを記念した賞であったからだ。

 『はてしない物語』は映画化にも着手された。しかしエンデは自分が指定した脚本と監督ではないチームによって映画化が進行していることを知らず、抗議のために撮影所に駆けつけるのだが、入所を拒否される憂き目にあっている。なんともいつもバツが悪いのだ。やむなくエンデはタイトルロールから「原作者」の名を削らせた。こうしてエンデが10年来の鬱屈を作品に昇華したのが、タルコフスキー(527夜)ばりの『鏡のなかの鏡』なのである。

 しかしこのころ、エンデこそ時間を泥棒されていたのだろう。63歳には食道炎に罹り、翌年には胃潰瘍となり、65歳でウルム大学病院でガンを発見され、抗ガン剤治療に入ったのだが、1995年8月28日、65歳で亡くなった。モモは駆けつけなかったのだろうか。

https://1000ya.isis.ne.jp/1377.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html#c1

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
62. 中川隆[-12804] koaQ7Jey 2020年5月02日 14:36:23 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[14]
41名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 14:34:06.31ID:E2t0l423

ワルターはアメリカのオケだと むきになって強引な演奏になるんだ:

Bruno Walter: Schumann: Symphony 3 & 4 (R.1941 & 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H3H3r9gyzGk




• Symphony No. 3 in E-Flat major, Opus 97 (“Rhenish”)
New York Philharmonic
February 4, 1941; Liederkranz Hall

• Symphony No. 4 in D minor, op. 120
London Symphony Orchestra
April 26, 1938; Abbey Road Studio No. 1, London

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c62
[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
63. 中川隆[-12803] koaQ7Jey 2020年5月02日 14:46:50 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[15]
42名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 14:45:48.28ID:E2t0l423

マーラーとメンゲルベルクはトスカニーニに負けてアメリカ楽団を去ったから
ワルターは意地でもトスカニーニに負けまいとしたんだな
それで自分に合わない演奏スタイルに変えて、結果的に二流指揮者になったんだ

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c63

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
64. 中川隆[-12802] koaQ7Jey 2020年5月02日 15:05:17 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[16]
44名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:04:16.46ID:E2t0l423

バルトークもシェーンベルクもストラヴィンスキーも
アドルフ・ブッシュもワルターもハイフェッツもホロヴィッツも

アメリカに行ったヨーロッパの音楽家は全員ダメになってる
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c64

[近代史4] ミヒャエル・エンデの世界 中川隆
2. 中川隆[-12801] koaQ7Jey 2020年5月02日 15:20:51 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[17]

1999年5月4日 エンデの遺言 金融資本主義の問答。




続エンデの遺言 坂本龍一 銀行の"未来"



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html#c2
[近代史4] ミヒャエル・エンデの世界 中川隆
3. 中川隆[-12800] koaQ7Jey 2020年5月02日 15:29:08 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[18]
『エンデの遺言』松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1378.html


河邑厚徳+グループ現代
エンデの遺言
「根源からお金を問うこと」
NHK出版 2000


ミヒャエル・エンデが最後に望んでいたのは、
利子が利子を生まない貨幣だった。
そういう貨幣が使える新たな社会だった。

エイジング・マネー。
時間の経過とともに変化する貨幣。
自由貨幣、補充貨幣、スタンプ貨幣、代用貨幣。

この卓抜な発想には、何人かの先覚者がいた。
ゲゼル、ケインズ、シュタイナーである。
エンデはかれらの著作から
新たな社会経済の青写真を汲み取っていく。
かつてのNHKの番組がその余波をあきらかにする。

 この本のもとになった番組をぼくは見ていない。1999年5月4日の放送だったようだが、見逃したのではなく、知らなかった。この本によってそういう番組があったことを初めて知った。これを読むかぎり、けっこう充実した番組になっていただろうと予想する。

 河邑厚徳といえばNHKの教養番組ドキュメンタリー派の鬼才で、「がん宣告」「シルクロード」「アインシュタイン・ロマン」「チベットの死者の書」などで鳴らした人物だ。その河邑がエンデが残したたった1本のテープから番組を組み立てていったというのだから、それだけでも構想力や構成力がどんなものであるかが想像できる。もっとも書物になるにあたっては、共著者の「グループ現代」が選んだ森野栄一、村山純子、鎌仲ひとみの3人の準備力と執筆力が大きかったはずである。森野栄一についてはあとで紹介する。

 エンデが残した1本のテープというのは、1994年2月にミュンヘンの自宅で語った2時間のものらしく、それもカメラの回っていない音声録音だったようだ。その翌年にエンデは亡くなった(1995・8・28)。

 このときエンデは冒頭で次のように言っていた。

 「よろしいですか、どう考えてもおかしいのは資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことのすべて、つまり個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはないのですが、問題の根源はお金にあるのです」。

 これを聞いた河邑はカメラが回っていなかったことを悔しがり、それならその声のテープに新たな映像を加えて、独自のドキュメンタリーに再浮上させようと決断したようだ。

 それからのことは知らないが、ついには本書に見るように取材先をいろいろ加え、多様な編集戦線をつくりあげていったのだろう。「あとがき」によると小泉修吉プロデューサー、村山純子ディレクターの寄与も相当なものだった。

 本書はそういう成り立ちの本であるが、実はエンデ本人をクローズアップしつづけているのではない。『モモ』や『はてしない物語』の作家としてのエンデをほとんど掘り下げてはいない。むしろエンデの周辺、エンデが影響を受けた経済思想家、エンデの衣鉢を継いだ者たち、さらには今日におけるエンデの貨幣感覚の実践者たち、そういう方面を追っている。テーマはサブタイトルにあるように「根源からお金を問うこと」、それこそが『エンデの遺言』だったのではないかということにある。

 では、ぼくの本書を読んでの感想を綴っておく。番組を見ての感想ではない。大きくかいつまんでいくが、ところどころに本書でとりあげていないエンデの作品や時代についてのことや、これまで千夜千冊してきた貨幣論や経済社会論との関係についての感想などを挟む。

 まずは、ここから話していくのがいいと思う。シュタイナー(33夜)のことだ。エンデにはどこかシュタイナーに振幅しているところがある。

 エンデが青少年期をルドルフ・シュタイナーの影響のもとに過ごしたことは、前夜に紹介した。そこでは書かなかったのだが、シュタイナーのアントロポゾフィ(人智学)には父親エドガー・エンデが傾倒していた。エドガーは「見えない世界」を油絵などにしようとしていたので、シュタイナーのみならずあれこれの神秘思想の本を読んでいた(どんな本だったか、知りたいものだ)。

 エンデはその父親より、もっとシュタイナーに近づいた。6歳でシュタイナー学校に入ったということは、シュタイナーのことをある程度知る者ならおおむね見当がつくだろうが、ほとんど生涯の価値観を決定づけるに足るものだったはずである。

 シュタイナー学校は正式には「自由ヴァルドルフ学校」という。1919年にシュトットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。工場に働く師弟が“学衆”だったので、職業学校としてスタートしたものだった。

 いまや世界各地に800校以上を数えるシュタイナー学校は、日本にも1975年に刊行された子安美知子の『ミュンヘンの小学生』(中公新書)を通して、本格的に紹介された。この本には「娘が学んだシュタイナー学校」というサブタイトルがついている。言語芸術、演劇的活動、オイリュトミー(舞踊体操=Eurhythmie)、農業活動、肥料製造、設計、デザイン、ドローイング、絵画、医療、カウンセリングなどを組み合わせた独特の学習教育をしている。ぼくもオイリュトミーの天才と言われたエリゼ・クリンクが来日したときは、なぜか記念講演をさせられた。踊りは風が翻るようですばらしく自在だった。

 ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)はオーストリア・ハンガリー帝国の辺境の町クラリエヴェク(現在のクロアチア)に生まれ、小さな頃から神秘的なことや幾何学的なことに異常な関心を示していた。

 10代は実業学校に通い、物理にも機械にも興味をもつとともに、レッシングやカントを読むようになった。やがてウィーン工科大学で自然科学を、ウィーン大学で哲学・文学・心理学を学んだ。その活動の出発点は22歳から携わったワイマール版『ゲーテ全集』の編集にある。ゲーテ(970夜)はシュタイナーのすべてなのである。だからドルナッハに最初のゲーテアヌムを設計開館すると(1913)、各地にシュタイナー学校が広まるとともにゲーテアヌムを併設していった。

 エンデはそういうシュタイナーに少年時代から馴染んできた。影響が少なかろうはずがない。

 そのシュタイナーに経済社会論をめぐる著作がある。おもな主張は『社会問題の核心』(人智学出版社)や『シュタイナー経済学講座』(筑摩書房)にまとめられている。おそらくエンデが熱心に読んだ本だろう。そこに「老化する貨幣」が提唱されている。

 大意、次のようなことが書かれている。

  健全な社会においては、貨幣は他人の生産した財貨の“小切手”にすぎない。その“小切手”が経済領域においてどのような財貨とも交換しうるのは、その小切手所有者が社会の生産部門の労働をして、生産物を社会に供給する責任をはたしているかぎりにおいてのことである。

 しかしいま、貨幣は生産活動の表象としての機能を失っている。こうしたときは、貨幣はその貨幣価値をその所有者に足して効能を減じていく処置をされるべきである。たとえば、貨幣所有権が一定の期日を過ぎれば、なんらかの手段で社会に還付されるようにする。本来は生産活動に投下されるべき貨幣が死蔵されないためにも、こうした方法が考案されるべきである。

 シュタイナーは貨幣に「25年ほどの期限」をもうけることを提案した。それによって貨幣価値に高低のカーブをつけ、さまざまな決済・融資・贈与のあいだで自動的な調整がおこなわれていけば、きっとオーガニックな経済社会のバランスがとれるだろうと考えた。

 これが「老化する貨幣」だ。当初の価値がしだいに減衰していくという貨幣という意味をもつ。経済学では「エイジング・マネー」と呼ばれている。「加齢する貨幣」である。時を経過するとともにその価値を変化させ、ときには衰えていく。
 そういうエイジング・マネーをミヒャエル・エンデも夢想した。

 そもそもエンデは戦火の渦中のドイツにいて、祖国のマルクが未曾有の混乱を見せつづけていたことをいやというほどに体験している。このような国家は当時はドイツのほかにはなかった。

 ナチス体制のもとで流通していたのはライヒスマルクである。しかし激しいインフレの進行でほぼ信用を失っていた。そのため敗戦直後のドイツは事実上、いまでは想像もつかないだろうけれど、“物々交換”がまかりとおっていた。なんとタバコが価値尺度と交換手段の役割をはたしたのだ(タバコはこういうときに大事なのです。むやみに禁煙運動など広げないように‥‥笑)。

 タバコのことはともかく、ドイツを占領した連合国はさすがにこの原始的現状を見て、焦った。高度な合理を求める資本主義社会では「原始的な交換」こそ最もヤバイことなのである。カール・ポランニー(151夜)の言う「社会に埋めこまれた経済」が発生してしまうからだ。

 そこで一刻も早く通貨改革を施行しようとしたのだが、紙幣の印刷をどの政府のもとでおこなうかについて、ソ連との合意が得られない。そのため全ドイツの通貨統一はあっさり見送られ、ソ連占領地区を除いた暫定通貨の導入に踏切り、紙幣の印刷をアメリカ本土が担当し、それをこっそりフランクフルトのライヒス銀行に空輸で送りこむという非常手段を決行した。

 ドイツは国民の意志とはまったく関係のない暫定通貨、いや擬似通貨とさえいいうる通貨によって、真っ二つに分断されたのだ。

 こうした事情を目の前で見ていたエンデは、貨幣や通貨というものが勝者に強く、敗者には酷(ひど)くなっていくことを実感した。また国際通貨や基軸通貨というものが資本主義と社会主義の苛烈な競争のためにのみ大手をふっていることに気がついた。

 かくてエンデは、「パン屋でパンを買うためのお金」と「株式取引所で扱われる資本としのてのお金」を厳しく峻別すべきことを、しだいに考えるようになっていく。

 このような体験をしたエンデが、貨幣や通貨のありかたに疑問をもったとしても不思議はない。エンデはNHKの番組では、こんなふうに言っている。

 私が見るところ、現代のお金がもつ本来の問題は、お金自体が商品として扱われていることです。本来、等価代償であるべきお金がそれ自体で商品となったこと、これが決定的な問題だと私は思います。お金自体が売買されるのが現代です。これは許されることなのか。そのことにおいて貨幣というもののなかに、貨幣の本質を歪めるものが入るのではないか。これが核心の問題だと思います。

 エンデは貨幣を否定しているのではない。そういうことではない。おそらくどんな思想家も革命家もエコノミストも、貨幣を否定する者なんて、めったにいるはずがない。貨幣は言語や大工道具や運送機関のように必然なのである。そのことは『貨幣と象徴』(1371夜)にも書いておいた。

 しかし、言葉づかいによっては人が傷つくように、英語教育で世界中を統一することが愚挙であるように、大工道具で手が頻繁に切断されてはならないように、尺貫法で大工が仕事をしたっていいように、小さな町を機関車が横断するべきではないように(それでは『ねじ式』の悪夢がくりかえされる)、自動車は森首相の悪ったれ息子だからといって酔ってコンビニに突っ込んではならないように、貨幣にもそれなりの使い勝手があっていいはずなのである。

 エンデはこのことを説明するのに、シュタイナーが説いた「社会有機体三層論」を援用した。

 人間の社会というものは、さまざまなレベルやレイヤーやゾーンで成立している。これをシュタイナーは大きく3つに分けた。第1には国家や法や政治のもとに生きている(法生活)。第2に生産や消費のもとに生きている(経済生活)。第3に文化や教育のもとに生きている(文化生活)。

 これらはそれぞれが相互に自律しあっている「生の領域」なのである。これを一緒くたにしないほうがいい。たとえばフランス革命は「自由・平等・友愛」を掲げたが、「平等」は政治や法が律しても、「自由」は精神や文化が担うべきであろう。もしも「友愛」を問題にしたいなら、それこそ経済における友愛が追求されるべきなのだ。

 そもそも「所得と職業」が、「報酬と労働」が一つになってしまったことが問題なのである。われわれは「働く」ということを「同胞のために働く」という場合にもいかすのだし、逆に、決まった収入を得ることと好きな仕事をもっとしたいということが一致しないことだって、しょっちゅうあることなのである。まして表現活動や冒険の旅に出ることは。

 そう、シュタイナーは主張したわけだ。社会は有機体として「法制・経済・文化」の三層になっているというのだ。ヴァルター・クグラーの『シュタイナー 危機の時代を生きる』(晩成書房)などを読まれるといい。『社会問題の核心』では次のようにも書いている。

  純粋な生産活動によって得られる収入と、すぐれた経営手腕によって得られる収益と、貯蓄によって得られる収入とは、それぞれ区別して考えるべきである。社会における資本のはたすべき役割は、個人がその能力によって発現する役割にも寄与するべきである。資本主義の問題は、資本がそのすべてを経済領域に向けすぎたことにある。むしろ本来の創造的な機能にこそ資本が機能できるようにしなければならない。

 エンデもこのようなシュタイナーの主張を継承して、経済が「自由」と「平等」を謳っていることに疑問を呈し(まさに新自由主義がその合唱のようになったのだが)、社会が分業によって成り立っているのだとしても、その分業によってすべての市場経済が許容されるべきではないし、株式経済のルールが人々を法令遵守させるべきではないと考えた。

 シュタイナーもエンデも、資本はもっと社会的なものであるということを考えていたのだ。銀行だってそうである。社会のためのソーシャルバンクがあっていい。
 しかし、そんなことがありうるのだろうか。それは夢物語にすぎないのではないか。番組では、ここでドイツにあるGLS銀行を取材する。

 「贈ることと貸すことの共同体の銀行」という奇妙な名をもつこの銀行は、預金者が自分で投資するプロジェクトを選び、同時に自分で預金の利率を決められるようになっている。たとえば有機農業のプロジェクトを促進したいと思えば、銀行が選定した有機農業ファンドに投資する。そのとき、自分で自由に利率を選ぶ。銀行側も利子の最高額の設定を通常の利率にしておいて、それ以下でもかまわない投資者を募る。その投資者が多く、その有機農業プロジェクトが成功すれば、投資者は存分なリターンが得られるわけである。

 ここまでくると、前夜にも少しふれたように、エンデがハンス・ビンスヴァンガーの『金と魔術』(1374夜)にひとかたならぬ関心をもったことは、容易に予想がつく。

 あらためて言うまでもなく、ゲーテが『ファウスト』で描いた錬金術は紙幣を勝手に印刷する近代の錬金術だったわけだが、それは連合国アメリカがドイツマルクにしてみせたことであり、ソ連がこれを無視したことに通じていた。戦勝国はたえず貨幣を牛耳ったのだ。それとともに、そのことは現代の貨幣資本主義や株式資本主義のすべての常識にもなっていったのである。ファウストとメフィストフェレスの会話は、資本主義社会にはまったく届いていなかったのだ。

 前夜にも述べておいたように、ビンスヴァンガーはのちにはエンデの『鏡のなかの鏡』にも注目した。映画化をすればきっとアンドレイ・タルコフスキー(527夜)の『ストーカー』のような作品になるような趣向だが、内容は一つのシティの祭壇から金銭価値が増殖していっているという恐怖を描いている。エンデがいつごろ『金と魔術』を読んだのかは知らないが、エンデはビンスヴァンガーに、そのビンスヴァンガーはエンデに影響されてきたのであろう。

 ビンスヴァンガーは、本書のインタヴューでは次のような発言をしている。成長と失墜をもたらす貨幣経済の根底に株式市場があることを問題視した発言だ。
 株式経済は重要な企業形態ではあるけれど、成長を基盤にせざるをえない。しかもこの経済では分配された利益配当が主題であって、株価が主人公なのである。かつ、株式経済の利潤は手元に戻ってくることを当てにした投資で成り立っている。そこに問題がある。エンデはそうした株式市場の外で動く貨幣経済の可能性を模索していたのではないか。

 いささかシュタイナーの思想に加担しすぎたかもしれないが、エンデがこのような経済思想の持ち主だったことは、これまであまり知られてこなかった。本書はエンデに対する取材を通じて、この面を取り出した。

 それでは話を次に進めよう。

 エンデがシュタイナーに続いて、いや、シュタイナーその人がその経済思想に影響されたであろうからエンデも注目しつづけた、もう一人の経済思想家がいた。それが知る人ぞ知るシルヴィオ・ゲゼルなのである(以下、シルビオ・ゲゼルと表記する)。

 ゲゼルは、ケインズ(1372夜)が『雇用、利子および貨幣の一般理論』でとりあげた「スタンプ付き貨幣」を発想したドイツの商人である(以下、スタンプ貨幣と言う)。ケインズはかなりゲゼルの影響を受けている。

 しかしゲゼルは、ケインズが言うようなたんなる商人ではなかった。革命的な経済思想家であり、画期的な貨幣論の提案者であった。むろんケインズもそれはわかっていた。ケインズは「シルビオ・ゲゼルは不当にも誤解されている。しかし、将来の人間はマルクスの思想よりもゲゼネの思想からいっそう多くのものを学ぶはずだろう」と書いた。

 ついでにいまのうちに言っておくが、実はアインシュタイン(570夜)もゲゼルにぞっこんだった。「私はシルビオ・ゲゼルの光り輝く文体に熱中した。貯め込むことができない貨幣の創出は、別の基本形態をもった所有制度に私たちを導くであろう」と褒めている。

 けれどもゲゼルは一貫して無視されてきた。何か危険な思想の持ち主だったのか。それともユートピア主義者だったのか。あるいは極左主義なのか。そのいずれにもあてはまらない。では、いったいゲゼルとは何者なのか。何がケインズやシュタイナーやエンデにもたらされたのか。スタンプ貨幣というアイディアなのか。いや、それだけではなかった。

 ともかくも、この異質な人物のアウトラインを知っておくべきだろう。本書『エンデの遺言』にもそれなりのページ数がさかれている。日本で「ゲゼル研究会」を主宰している森野栄一の執筆担当だった。

 シルビオ・ゲゼルは1862年にドイツ帝国のライン地方に生まれた。マルメディ近郊というところで、ドイツ文化とフランス文化が混じっていた。父親は会計局の役人、母親は教師。9人兄弟の7番目で、家の中ではフランス語、外に出るとドイツ語を喋った。

 16歳でギムナジウムを卒業すると、父親が公務員に就かせたいというので郵政局の職員になるが、すぐに退職してしまう。年長の兄の2人がベルリンに出ていたので、兄弟で歯科用の医療器械を扱う店を開いた。その後、語学力をいかしてスペインのマラガに赴き、ほどなく軍務に服役、その後に退役すると機械メーカーの通信員となる。アンナ・ベッカーとも婚約する。

 1886年、24歳のゲゼルはアルゼンチンに行く。兄のパウルが製造した歯科治療器具をブエノスアイレスで販売することが仕事だが、アルゼンチンはインフレとデフレを繰り返す金融混乱時代になっていた。ゲゼルはこの地でアンナと結婚し、輸入業者としての荒波をくぐりはじめた。とくに国内の不換通貨に金の価格の変動が重なって、国際為替相場が暴力的なほどに擾乱していくのを体験する。

 好調に見えた投機ブームが2年ほどたつと、アルゼンチンの経済は最悪になってきた。政府はデフレ政策をとり、金の流出と引き換えに追加的な対外債務を求めるのだが、いっこうにうまくいかない。銀行も不振に喘ぎはじめ、投資家たちは政府の債務返済猶予を認めない。すぐさま紙幣の価値が低落し、破産企業が続出すると、闇の投機が躍り、貨幣の売り買いが始まった。

 それなりの仕事をしていたゲゼルは、ここで一念発起する。ことごとく事業を整理して(段ボールプラントも仕事にしていた)、工場の売却益でラプラタ川に浮かぶ島をひとつ買うと、そこで農地を耕しつつ、理論活動に耽ったのである。こうして第1弾の『社会的国家への架け橋としての通貨改革』という画期的な論文が生まれる。インフレ期に貨幣の売買が安定するには、「指数通貨」と「自由貨幣」の両方が必要だというものだった。

 反応はなかった。しかしゲゼルは続いて『事態の本質』『貨幣の国有化』を著し、1897年には『現代商業の要請に応える貨幣の適用とその管理』を刊行して、アルゼンチン政府と経済界に問うた。反応はあいかわらず、ない。それでもゲゼルは『アルゼンチンの通貨問題』というパンフレットを作り、政界・実業界・新聞社をまわった。しかしあまりの無反応に、ゲゼルは段ボールのプラントビジネスを再開し、自分の事業の展開によって政策と通貨の問題を実験してみせた(このやりかたは、ぼくが親しい原丈人のやりかたに似ている)。

 しかし、それでもまだ反応はなかった。けれども、ゲゼルの予想はずばり当たっていたのである。物価水準を切り下げようとする経済政策はことごとく失敗だったのだ。アルゼンチン経済は1年後に破綻、4万人の失業者が街に溢れた。ゲゼルのほうはかえって財を得た。34歳になっていたゲゼルは、1900年にヨーロッパに帰ってくる。

 ヨーロッパに戻ったゲゼルはスイスを選んだ。ヌシャーテル県のレゾート・ジュネヴィに農場を購入すると、そこでみずから農民となって6年間をおくった。スイスの長い冬がゲゼルに新たな思索と表現をもたらした。

 アルゼンチン時代とちがって、ゲゼルは今度は「土地」のことを考えた。そこで最初の活動として「貨幣と土地改革」という雑誌を創刊した。「自由地」という概念もこしらえた。あいかわらず世間の反応は冷たかったが、エルンスト・フランクフルトが共感を示した。すでに『不労所得』『シルバーリバーからの手紙』といった著作をものしていた経済学者である。フランクフルトはのちにゲゼルの主要大著『自然的経済秩序』の協力者になっていく。

 ついでスイスの国営銀行法の議論に介入して、『スイス銀行の独占』を書き、1906年には『労働全収権の実現』を、続いて『アルゼンチンの通貨過剰』を、さらにフランクフルトと共著の『積極通貨政策』を刊行した。

 ここでスイスからベルリンに拠点を変えたゲゼルは、ゲオルグ・ブルーメンタールと雑誌「重農主義者」を発刊するかたわら、これまでの著作を編集再構成し、いよいよ『自然的経済秩序』をまとめていった。この主著は、日本では『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』(ばる出版)という大著になっている。カウツキー研究者の相田慎一の訳である。2007年に翻訳刊行されたものだが、ぼくはこれを読んでぶっ飛んだ。

 どういうふうにぶっ飛んだかは、以下のゲゼルのこのあとの事歴の紹介のところにも少しはふれるが、詳しくは次夜の千夜千冊にまわしたい。ここにはピエール・ジョセフ・プルードンが蘇っているからだ。プルードンがどういう思想家だったかということも、今夜はふれない。

 第一次世界大戦のさなかに『自然的経済秩序』は出た。ゲゼルは勇躍、1916年にはベルリンで「金と平和」を、翌年にはチューリヒで「自由土地、平和の根本条件」を、1919年にはふたたびベルリンで「デモクラシー実現後の国家機関の簡素化」を、それぞれ講演した。

 3番目の講演は「小さな政府」を提唱したものだった。しかしゲゼルはそうした驚くべき先駆性とはべつに、1917年に始まったロシア革命によるマルクス主義的な反資本主義の思想と行動に警戒を強めた。いったい社会主義や共産主義によって世界は変革されるのか。ゲゼルは以降、ボルシェヴィズムを批判し、マルクスの経済思想の限界を見極めようとする。

 思想的にマルクスを批判しただけではなかった。1919年にバイエルン共和国のホフマン政府から社会化委員会への参加が要請されると、ミュンヘンで友人のテオフィール・クリスティン、ポレンスケ弁護士らとともに「自由経済顧問団」を結成し、ギュスターブ・ランダウアーの新政府(クルト・アイスナー政府)の樹立に協力をする。ゲゼルは『自然的経済秩序』第4版の序文にこんなふうに書いている。

  自然的経済秩序は新たな秩序の人為的な組み合わせではない。分業から生まれた発展は、われわれの貨幣制度と土地制度かがその発展に対立するという障害に直面する。この障害は取り除かれなければならない。それがすべてだ。

  自然的経済秩序は、ユートピアとも一時的熱狂とも無縁である。自然的経済秩序はそれ自身に立脚し、役人がいなくとも生活する力をもっており、あらゆる種類の監督と同様に国家それ自体を無用なものとする。それは、われらが存在を司る自然淘汰の法則を尊重し、万人に自我の完全な発展の可能性を与えるのだ。

  この理念は自分自身で責任を負い、他者の支配から解放された人格の理念であり、これはシラー、スティルナー、ニーチェ、ランダウアーの理念である。

 だいぶん過激になっている。しかし、ゲゼルが新政府の財務担当人民委員に就任して1週間で、クルト・アイスナー新政府はモスクワの指示に従う共産主義者によって転覆されてしまった。これがバイエルン第二共和国である。ランダウアーは逮捕され、殺害された。

 ゲゼルは憤然として「全貨幣所有者への呼びかけ」というパンフレットを撒いた。また、国内物価水準の安定のために国際為替レートの協調会議の招待状を認(したた)めた。が、ゲゼルらは共産主義者の嫌疑をかけられ、大逆罪で告発される。

 その後、ゲゼルは高等裁判所での法廷闘争を展開、結局は釈放されるのだが、さすがに暗澹たる気分になっていた。国家というものが大逆罪によって何を仕掛けているのか、あまりにもよく見えすぎたからだ。もはや国家には脱出口はないのではないか。さすがのゲゼルも絶望したようだ。

 第一次世界大戦は終わった。しかしヴェルサイユ条約の経済政策はなんともひどいものだった。黙っていられないゲゼルは、1920年に『ドイツ通貨局、その創設のための経済・政治・金融上の前提』というパンフレットを発表する。時のドイツ銀行の総裁ハーフェンシュタインに宛てた。むろん何の対応もなかった。

 もはやドイツ一国を相手にできないと見たゲゼルは、まずは『ドイツ国民への宣言』を書き、ついで「世界貨幣」を構想した『インターナショナル・ヴォルタ・アソシエーション』を発表した。今日のIMFとは異なる国際通貨協会を創設して、どの国民通貨に対しても中立的な通貨を発行するという構想である。このときどうやら、ケインズがゲゼルに注目したようだ。おそらくシュタイナーもこのころにゲゼルの自由貨幣論に触発されて、「老化する紙幣」を発想したものと思われる。

 それならいよいよもって“ゲゼルの奇跡”が近くなってきつつあるはずだったが、もうゲゼルの余命のほうがなくなりつつあった。1927年、渾身をふりしぼって『解体する国家』を書くと、世界が大恐慌に見舞われていったさなかの1930年3月11日、69歳の誕生日を前に、ゲゼルはベルリン郊外のエデンに没した。いま、ぼくが少しずつ近づきつつある年齢だ。

 ミヒャエル・エンデがどのようにシルビオ・ゲゼルを知ったかははっきりしない。NHKの番組では、金融システムの問題を話していたエンデが、その話が華僑に入ったあたりで突然にゲゼルのことを持ち出し、取材班を驚かせたという。NHKチームはゲゼルのことをまったく知らなかったからだ。

 のみならず、エンデはゲゼルの経済思想が実践された例を持ち出した。オーストリアのヴェルグルという町のことだった。

 シルビオ・ゲゼルという人物がいて、「お金は老化しなければならない」と説きました。お金で買ったものはジャガイモにしろ靴にしろ、消費されていく。しかしその購入に使ったお金はなくならない。モノは消費され、お金はなくならない。モノとしてのお金と消費物価とのあいだで不当競争がおこなわれているのです。ゲゼルはそれはおかしいと考えたのです。ゲゼルはお金も経済プロセスの進行とともに消費されるべきだと考えたのです。

  このゲゼルの理論を実践し、成功した例があります。1929年の世界大恐慌の後のオーストリアのヴェルグルという町のことで、その町長のウンターグッゲンベルガーが町の負債と失業対策のため、現行貨幣とともに「老化するお金」を導入したのです。

 ヴェルグルはザルツブルグ近郊にある。その町で、1932年に画期的な実験がおこなわれた。世界大恐慌のあおりをくった人口5000人ほどのヴェルグルは、400人の失業者と1億3000万シリングの負債をかかえていた。そこで町は、通常貨幣とは異なった「労働証明書」という形の新しい通貨を発行し、公共事業の支払いに充てた。

 世界史上初の「エイジング・マネー」の導入だった。しかしオーストリア政府とオーストリア中央銀行は紙幣の発行は国家の独占的な権利であるので、この行為は認められないとして、ウンターグッゲンベルガー町長を国家反逆罪で起訴、すべての新紙幣を回収してしまったため、この実験はあえなく潰えた。

 ヴェルグルで発行された「労働証明書」は、ゲゼルが構想し提案した「自由貨幣」のうちのひとつの、「スタンプ貨幣」である。特定の地域で短期間にわたって使うためのものなので「地域通貨」とも「代用紙幣」ともいえる。

 ヴェルグルのスタンプ貨幣(厳密には紙券)は12カ月分の枡目が印刷されていて、そこに使用者たちがスタンプを貼るようになっている。スタンプ紙券の額面はいろいろだが、どの紙券も毎月1パーセントずつ減額していく。そのため町民は月末までに減価分に相当するスタンプを当局から購入して貼らなければ、額面を維持できない。町はこうしたスタンプ収入をさまざまな救済資金に充てたのだ。

 スタンプ貨幣は“期限のついた紙幣”であって、“減価する紙幣”なのである。使用者の“痕跡が残る紙幣”でもある。とくに「勝手に増殖しないようになっている」という最大の特色がある。

 ゲゼルは1週間で0・1パーセントずつ減価するスタンプ貨幣を提唱した。年間に換算すると5パーセントになる。これは一般の通貨レートの変動に接近した変動幅だと想定できるので、ゲゼルの構想がすぐれていたことを暗示した。


ヴェルグルで発行された地域通貨「労働証明書」

写真は5シリングのもので、裏側(下)に宣言文が記されている。

 いったいゲゼルからエンデに伝わった自由貨幣の構想は、資本主義の世の中で現実化可能なものなのだろうか。

 むろんゲゼルは可能だと考えた。ゲゼルは資本主義をよくするにはそれしか方法はないと考えていた。ゲゼルもエンデも、またシュタイナーも、お金や資本主義を廃止する必要はまったくないと考えている。むしろ現状の通貨・紙幣・資本主義がこのまま進んでいけばしだいに悪化するだろう、取り返しがつかなくなっていくだろうとみなしていた。

 どのようにゲゼルに発した自由貨幣を議論していけばいいのか、またゲゼルが「土地」を“自由地”として再解釈していったかということをどう議論すればいいのか、それを正確に語ろうとするとけっこう難しい。だから、そのことについては次夜に視点を変えて案内するとして、ここでは、こうした自由貨幣構想が各地で現実化した小さな例を、NHKの取材に従って紹介しておくことにする。

 ★1932年の早い時期、ドイツのバイエルンの石炭鉱山の町シュヴァーネンキルヘンで、鉱山所有車のヘベッカーが「ヴェーラ」という自由貨幣を発行した。ヴェルグル同様にすぐに政府が禁止したため、わずか10カ月ほどの実験だったというが、このあとドイツは経済悪化が深刻になり、ナチスが台頭してきた。

 ★1932年10月、アメリカのアイオワ州ハワーデンで30万ドルの自由貨幣が発行された。ハワーデンは人口3000人。自由貨幣は失業手当の調達に使われた。3セントの印紙を貼る方式だった。

 ★1933年、ロングアイランドのフリーポートで、失業対策委員会が5万ドルの自由貨幣を3種類の紙券として発行した。スタンプ紙幣方式だった。同じ年、アラバマ出身のバンクヘッド上院議員とインディアナ州のピーテンヒル下院議員がそれぞれゲゼル理論を咀嚼して、連邦政府に代用貨幣の発行を認めるという法案を提出、緊急時の通貨対策として承認をされたが、これは実施されることはなかった。

 ★1934年10月、スイスのバーゼルに本店をおくヴィア銀行は、協同組合銀行として経済リング「ヴィア」を開始した。そのころのスイスには5万人ほどのゲゼル派がいたらしい。その出資にもとづいて4万2000フランが資本金になった。翌年には会員3000人、年間売上は100万フランになった。1938年に“時間とともに目減りする通貨”を発行するために、「ヴィア」という経済単位での取引ができるようにした。有効期間1年で、毎月、印紙を裏に貼るようにした。理念は利用者間の相互扶助におかれたため、利子率は最低限のものだった。こうしてその取引額は1960年には1億8330万フランに達した。いまでは、スイス企業の17パーセントにあたる7万6000社がヴィア・システムに参加し、1995年以降はヴィアカードによる決済が可能になっている。

 ★1983年、カナダのバンクーバーで、コモックスのマイケル・リントンが「グリーンドル」という物やサービスを交換できるシステムLETSを始めた。地域交換取引システム(Local Exchange Trading System)の頭文字をとってLETSという。物やサービスの提供を受けたい住民が、そのつどグリーンドルという計算単位で代価を発行するしくみになっていて、口座ゼロから出発してグリーンドルを使うと口座からその分がマイナスになることでスタートできた。リントンはこのマイナス口座からのスタートをLETSへのかかわりを示す“積極的な負”とみなした。

 ★1991年、ニューヨーク州イサカで「イサカアワー」という地域通貨が誕生した。「グリーンスター」という生協型のスーパーマーケットのポール・グローバーが始めたもので、非営利の委員会でこれを管理した。1イサカアワーは10ドル。現在も使われていて、8分の1アワー、4分の1アワー、2分の1アワー、1アワー、2アワーの5種がある。表面には「ここイサカでは私たちはお互いに信頼しあっている」というフレーズが刷られ、裏面には「この紙幣は時間の労働もしくは交渉のうえでの物やサービスの対価として保証されています。イサカアワーは私たちの地元の資源をリサイクルことで地元の経済を刺激し、新たな仕事を創出する助けとなります。イサカアワーは私たちの技能・体力→道具・森林・野原・川などの本来の資本によって支えられています」と刷られている。

 ★1992年、ドイツのザクセンアンハルト州のハレ市に、「交換リンク」という仕組みが始まった。現金をまったく使わずに通帳上の中だけで物や仕事やサービスを交換するシステムで、通帳の中で交換されるのは「デーマーク」という経済単位である(1デーマーク=1ドイツマルク)。これは会員全員が見る交換可能リスト誌を媒介にして、日本にもよく見られる「売ります」「買います」の“交易”が成立すれば、あとは年会費や通帳発行料金などを収めれば、そのほか自由だった。その後、「交換リンク」はデーマーク型のものがドイツで200あまりの地域で、フランスでは「SEL」という単位の300あまりの地域が実施されている。


上図:旧東ドイツ・ハレ市の交換リング「デーマーク」

下図:交換リンクの仕組み。サービスと単位の動き。

https://1000ya.isis.ne.jp/1378.html

 ざっとではあるが、こんなふうにゲゼルの自由貨幣運動は各地に広まっていったのである。ここではふれなかったが、ドイツの「緑の党」などのムーブメントにも、つねに自由貨幣論は出入りしてきた。

 しかしながらこれらは、いまでは地域通貨論や電子マネー論の範疇で片付けられているだろう事例になっている。そうなる理由もあるのだが、ゲゼル→ケインズ→シュタイナー→エンデという系譜を考えると、その程度の議論でいいのかどうか、そろそろ問われるべきときがきているはずである。

https://1000ya.isis.ne.jp/1378.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/846.html#c3

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
65. 中川隆[-12799] koaQ7Jey 2020年5月02日 16:23:09 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[19]

45名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:22:11.70ID:HO8GJSzU
どういう感じでダメになっていると思う?

46名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:31:45.92ID:JsorVt2n
俺もそこを知りたい。詳しくお願い。



47名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:33:46.33ID:E2t0l423
1
ブッシュ四重奏団

渡米前と後では音色が変わってるよ。響きも薄くなった:

Beethoven - String quartet n°11 op.95 - Busch SQ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QqA1cM4OQMs

Busch String Quartet (Adolf Busch - Gösta Andreasson - Karl Doktor - Hermann Busch)
Studio recording, London, 19 & 20.IX.1932

_______

Beethoven - String quartet n°13 op.130 - Busch SQ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ppjXCXpcXs8

Busch String Quartet (Adolf Busch - Gösta Andreasson - Karl Doktor - Hermann Busch)
Studio recording, New York, VI.1941



49名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:37:50.60ID:E2t0l423

バルトークも渡米後の作品は響きが全く変わってしまった

Anda / Fricsay - Bartok piano concerto No 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=p5MeSUzBS5I

Geza Anda plays Bartok piano concerto no. 3 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9WJhLz4C70U



50名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:48:29.34ID:sNEqvkiS
>>49
バルトークのアメリカ時代は、病気もあって苦労したが、
『管弦楽のための協奏曲』や『ピアノ協奏曲第3番』は、
アメリカ時代に書かれ、この大作曲家の代表曲に含めて、
まったく差支えない

51名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:53:16.57ID:sNEqvkiS
>>47
両者ともに素晴らしい演奏だと思うが
アメリカに行って、こいつらダメになったと
貶されるような演奏に聞こえるの?
一体、どんな耳してるんだ?

52名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 16:02:39.93ID:E2t0l423

ブッシュ四重奏団 の戦前の録音はすべてその曲の最高の名演
戦後の録音はベストテンにすら挙げられてないよ

柴田南雄さんは
Beethoven - String quartet n°13 op.130 - Busch SQ
を聴いてその余りの凋落ぶりに衝撃を受けていた



54名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 16:18:48.19ID:E2t0l42

>バルトークのアメリカ時代は、病気もあって苦労したが、
『管弦楽のための協奏曲』や『ピアノ協奏曲第3番』は、
アメリカ時代に書かれ、この大作曲家の代表曲に含めて、
まったく差支えない


バルトークの代表作は

中国の不思議な役人
青髭公の館
ピアノ協奏曲第2番
弦楽四重奏曲

アメリカ時代の作品はすべて駄作だというのが定説だよ
響きの緊張感や密度が全然違うんだ

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c65
[近代史4] 新型コロナに「アビガン」は使えない? 注目の治療薬が普及しない理由 中川隆
2. 中川隆[-12798] koaQ7Jey 2020年5月02日 18:25:53 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[20]

『アビガン、厚生省にコネのある人はみんな飲んでます』児玉龍彦(東大先端研がん・代謝PT)
2020年05月02日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1109.html

http://www.asyura2.com/20/senkyo272/msg/180.html
投稿者 てんさい(い)

新型コロナの真実〜長期戦を闘うために【新型コロナと闘う 児玉龍彦×金子勝】
https://youtu.be/biRtZzoM9NA?t=789

 動画
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=1115&v=biRtZzoM9NA&feature=emb_logo

アビガン
(新型コロナと)診断付いたらすぐ飲み始めたほうが良い。
いろんな病院も厚生省に届ければアビガンはお医者さんの判断で投与できるように変わりました。
逆に言うと変なことになっちゃってまして、厚生省にコネのある人はみんな飲んでます。

検査も格差、治療も格差で、非常に不透明になってます。
私これが最大の問題になっていると思ってますが、専門家委員会が結局治療に関して何らの見解も出さない。

それで自分達だけはドンドン使えるようにしている。

 これがですね、今一番やってはいけない。
 専門家委員会は、専門家の意見というのは、公平にこの薬がいいとなったならば、外国でやったから良いとかそういう問題じゃ無しに、やはり日本の判断としてどうかということをきちんと出して国民に広く、まぁ、こういう時代ですからそんな何年もかけた治験ができるわけ無いわけですから、使いたい方は使えるようにするのを一刻も早くやらなければいけない。

これがかなり良い薬ができてる、ということ。

*********************************************************

 引用以上

 “武漢型”コロナ終息も強毒化の懸念…感染研「変異」を発表(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/20/senkyo272/msg/186.html
 
「やっぱりそうか」と納得した人もいるだろう。国立感染症研究所は28日、中国から日本に流入した新型コロナウイルスはほぼ終息し、いま全国に広がっているウイルスはヨーロッパや米国から入ってきた可能性が高いと発表した。同研究所は新型コロナの遺伝子の変異を調査。その結果、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」などで見つかったウイルスは検出されなかった。“武漢型”は終息したことになる。

  ◇  ◇  ◇

 現在、日本に蔓延しているウイルスは3月末から全国で確認されている“第2波”で、これはヨーロッパや米国からの帰国者によってもたらされたものだという。日本政府が、中国からの渡航者に気を取られ、欧米との出入りを制限しなかったためにウイルスが侵入、拡散されたわけだ。

 ハーバード大学院卒で医学博士・作家の左門新氏(元WHO専門委員)によると、武漢で発生した新型コロナはまず中国国内でA型からB型に変異。A型は中国人に感染しにくく、A型に感染しやすい米国人が武漢から米国にウイルスを持ち帰った。そのため米国でA型が流行した。
一方、B型はC型に変化してヨーロッパに広まり、帰国者を介して日本に流入した可能性があるという。

 懸念されるのは、変異によってウイルスの「感染力」や「毒性」が強まっている恐れがあることだ。

「最近、中国の研究者がサルのベロ細胞を使って実験したところ、新型コロナは型によって増殖が最大で270倍異なり、高い増殖のウイルスに感染させた細胞は死亡した。なので型によって毒性が違うことが実験で初めて確認されました。
この結果が事実なら、型によって重症化がかなり違うと考えて間違いないでしょう。心配なことに、これから日本に広まっていくウイルスはこの重症化しやすいC型の可能性が高いのです」(左門新氏)

 武漢市のウイルスは収まったが、イタリアやスペインでは2万人以上が死亡し、いまだに深刻化している。「ウイルスの毒性が違うんじゃないの?」と疑問だった人もいたはずだ。

 心配なのは南半球だ。アフリカや南米に新型コロナが押し寄せたらどうなるのか。さらに強毒化する恐れはないのか。

「医療体制が貧弱で栄養状態が悪いアフリカや南米で市中感染が起きて、ウイルスが変異を繰り返し、さらに強毒化したウイルスが生き残る可能性は否定できません」(左門新氏)

 その時、日本政府がアフリカや南米との往来をストップすればいいのか。

「問題は油断です。日本国内で新型コロナがいったん終息したら、つい気が緩んでアフリカなどと行き来し、感染することも考えられます。そうなれば今より怖いウイルスが入ってくることになりかねません。このウイルスは自国だけでなく、世界的な視野で監視しなければならないのです」(左門新氏)

 南半球はこれから本格的なウイルスの流行を迎えると思われる。「5月6日に自粛解禁できるのか」「来年7月までに五輪を開くぞ」なんて言っている場合じゃない。
***********************************************************

  引用以上
 厚労省は、すでにアビガンでもオルベスコでもない、米国策企業ギリアド社のレムデシビルを最初に承認する意向を明らかにしている。
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58758130S0A500C2MM0000/

 ギリアド社は、知る人ぞ知る米国防長官ラムズフェルドが君臨した軍事医薬品企業で、この会社が開発した抗インフルエンザ薬タミフルは、たいした効き目もないのに、服用した青少年が高所から飛び降り自殺を繰り返す、精神錯乱作用をもたらすことで知られながら、日本政府は、この薬だけに現在までに延べ数千億円の備蓄投資を行っている。
 https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=34800

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%BA

タミフル服用させられて飛び降り死亡が50件超
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23849330U7A121C1CR0000/

レムデシビルに関しても、国連WHOの一部職員が、治験データが、致死率を増すだけの否定的なものだったことを(故意に)漏らしている。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3280121

 それにもかかわらず、日本政府は、明らかにギリアド社だけを優遇し、タミフル同様、積極的に承認し、政府予算で巨額の備蓄を進めている。
 現実問題として、新型コロナウイルス感染症には、アビガンやオルベスコが特効的に効くことが世界的に明らかになっていて、日本政府は、すでに80カ国に対しアビガンの無償供与を行ったという。
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57756440X00C20A4PP8000/

 一方で、アビガンとオルベスコは、正式に認可されておらず、厚労省の特別許可がないと新型コロナ肺炎の医療現場でも利用することもできない。
 ところが、冒頭に紹介した、児玉龍彦氏の報告によれば、なんと厚労省にコネのある現場では、事実上無制限に使用されているという。
 オルベスコは、喘息吸入薬としては副作用も少ない一般的な薬でありながら、これを新型コロナウイルス肺炎の治療目的で使うことには厚労省から足枷がかけられているという。

 アビガンは、胎児に対する催奇形性という危険性があるものの、新型肺炎にかかったと自覚した段階で、ただちに服用すると、ほぼ特効的な効果が確認されている。
 だから、現在では、医療関係者が感染を自覚したなら、間髪をいれず葛根湯のように服用するようになっているという。
 オルベスコも、現在、世界的に爆発的な需要と囲い込みがあって、これまで輸入代行通販でも入手できたものが不可能になっていて、近似した喘息吸入ステロイド薬の大半も、価格が暴騰した上、入手しにくい状況になっている。

 また、ノーベル賞を受賞した大村智教授が開発したイベルメクチンにも、新型コロナウイルス肺炎に特効的作用が確認された。
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58525110X20C20A4I00000/

 これが報道されると、輸入代行では一気に10倍近い高値がついているが、まだ通販は可能なようだ。オルベスコは不可能になっている。
 https://www.sorashido.com/item/detail?item_prefix=TF&item_code=707478&item_branch=001

 結局、新型コロナに対する効果が確認されたと報道された瞬間から、該当医薬品は世界中から買い集めが殺到し、入手が困難になってしまう。
 SARSのときも、「麻黄湯」が効くという情報が出ると、ほとんどの薬局から麻黄湯が姿を消し、予約も不可能になった。

 私の判断としても、「証」を主体にした漢方の場合、薬理エビデンスなど、どうでもよいことで、一定の症状に対しては、経験的な薬理が示されるので、ウイルスの種類や特性などのエビデンスに、あまり拘泥せずに、証に応じた薬方を利用した方がよいと思う。
 http://www.jsom.or.jp/universally/examination/howto.html

 この意味で、私は新型コロナウイルス肺炎に対しても、初期には葛根湯・麻黄湯、中期には小青竜湯、柴胡桂枝湯などが効果を示すと考えるが、新型コロナ肺炎の場合、間質性肺炎を引き起こすことが明らかにされているので、柴胡剤は薬剤性間質性肺炎を引き起こす疑いがあって警戒すべきだと思う。
 やはり、葛根湯や麻黄湯は常備すべきではないだろうか?

 葛根湯については、新型コロナウイルス肺炎の主な死因であるサイトカイン症候群に対する特別の作用が指摘されている。
 
 葛根湯・麻黄湯は、サイトカインの放出を抑制する作用がある https://www.awaji-doctor.com/wp-content/uploads/2019/09/a0feceeb7f5837e919d630d4264cf91f.pdf

 葛根湯に含まれるシンナミル関連化合物のサイトカイン産生調節機序の解析 : 炎症 (2)
 https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10948110_po_ART0002036339.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

 上のリンクは、非常に期待の持てる論文で、新型コロナウイルス性肺炎の生物学的毒性の大半を占めるサイトカイン症候群を、葛根湯が抑制することを示していて、これなら、今すぐにも薬局に飛んでいって、葛根湯だけは常備しろよと書いておきたい。

 だから、アビガンやオルベスコが手に入らなくとも、とりあえず葛根湯・麻黄湯だけは入手しておきたい。なお同時服用はまずい。この二つは麻黄エフェドリンによる効果だから。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1109.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/826.html#c2

[近代史4] コロナ・ウイルスには漢方薬が一番効く? 中川隆
3. 中川隆[-12797] koaQ7Jey 2020年5月02日 18:43:56 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[21]
新型コロナに対する効果が確認されたと報道された瞬間から、該当医薬品は世界中から買い集めが殺到し、入手が困難になってしまう。
 SARSのときも、「麻黄湯」が効くという情報が出ると、ほとんどの薬局から麻黄湯が姿を消し、予約も不可能になった。

 私の判断としても、「証」を主体にした漢方の場合、薬理エビデンスなど、どうでもよいことで、一定の症状に対しては、経験的な薬理が示されるので、ウイルスの種類や特性などのエビデンスに、あまり拘泥せずに、証に応じた薬方を利用した方がよいと思う。
 http://www.jsom.or.jp/universally/examination/howto.html

 この意味で、私は新型コロナウイルス肺炎に対しても、初期には葛根湯・麻黄湯、中期には小青竜湯、柴胡桂枝湯などが効果を示すと考えるが、新型コロナ肺炎の場合、間質性肺炎を引き起こすことが明らかにされているので、柴胡剤は薬剤性間質性肺炎を引き起こす疑いがあって警戒すべきだと思う。
 やはり、葛根湯や麻黄湯は常備すべきではないだろうか?

 葛根湯については、新型コロナウイルス肺炎の主な死因であるサイトカイン症候群に対する特別の作用が指摘されている。
 
 葛根湯・麻黄湯は、サイトカインの放出を抑制する作用がある https://www.awaji-doctor.com/wp-content/uploads/2019/09/a0feceeb7f5837e919d630d4264cf91f.pdf

 葛根湯に含まれるシンナミル関連化合物のサイトカイン産生調節機序の解析 : 炎症 (2)
 https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10948110_po_ART0002036339.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

 上のリンクは、非常に期待の持てる論文で、新型コロナウイルス性肺炎の生物学的毒性の大半を占めるサイトカイン症候群を、葛根湯が抑制することを示していて、これなら、今すぐにも薬局に飛んでいって、葛根湯だけは常備しろよと書いておきたい。

 だから、アビガンやオルベスコが手に入らなくとも、とりあえず葛根湯・麻黄湯だけは入手しておきたい。なお同時服用はまずい。この二つは麻黄エフェドリンによる効果だから。


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1109.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/717.html#c3

[近代史4] コロナ治療候補薬「レムデシビル」効果なし 中国で臨床試験、改善見られず 英紙報道 中川隆
4. 中川隆[-12796] koaQ7Jey 2020年5月02日 18:47:16 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[22]
『アビガン、厚生省にコネのある人はみんな飲んでます』児玉龍彦(東大先端研がん・代謝PT)
2020年05月02日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1109.html


 厚労省は、すでにアビガンでもオルベスコでもない、米国策企業ギリアド社のレムデシビルを最初に承認する意向を明らかにしている。
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58758130S0A500C2MM0000/

 ギリアド社は、知る人ぞ知る米国防長官ラムズフェルドが君臨した軍事医薬品企業で、この会社が開発した抗インフルエンザ薬タミフルは、たいした効き目もないのに、服用した青少年が高所から飛び降り自殺を繰り返す、精神錯乱作用をもたらすことで知られながら、日本政府は、この薬だけに現在までに延べ数千億円の備蓄投資を行っている。
 https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=34800

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%BA

タミフル服用させられて飛び降り死亡が50件超
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23849330U7A121C1CR0000/

レムデシビルに関しても、国連WHOの一部職員が、治験データが、致死率を増すだけの否定的なものだったことを(故意に)漏らしている。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3280121

 それにもかかわらず、日本政府は、明らかにギリアド社だけを優遇し、タミフル同様、積極的に承認し、政府予算で巨額の備蓄を進めている。
 現実問題として、新型コロナウイルス感染症には、アビガンやオルベスコが特効的に効くことが世界的に明らかになっていて、日本政府は、すでに80カ国に対しアビガンの無償供与を行ったという。
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57756440X00C20A4PP8000/


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1109.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/827.html#c4

[近代史4] 新型コロナに「アビガン」は使えない? 注目の治療薬が普及しない理由 中川隆
3. 中川隆[-12795] koaQ7Jey 2020年5月02日 18:48:58 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[23]

148名無しさん@おだいじに2020/04/29(水) 00:04:17.46ID:LdNALdjT

〜新型コロナの治療手順〜

@まず、陽性で「アビガン」の早期投与!
A肺炎・咳を「オルベスコ」の吸入で鎮める!
B急性増悪で「アクテムラ」の最終手段!

これ知らないと死ぬぞ?
俺は、某大学病院の呼吸器内科の主治医に「俺がコロったら」この治療をする様に既に伝えてあるし. . .

俺が3ヵ月前から「アビガン、アビガン
」って散々ステマして良かったw

でも、国民の9割は知らないw
まぁ、8-2の法則だよなぁ. . .
求めないから、どんどん死ぬ. . .

https://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1587237410/l50

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/826.html#c3

[番外地7] 天皇制と奥の院の共通点とは・・・「すべて裏から支配」 中川隆
1. 中川隆[-12794] koaQ7Jey 2020年5月02日 19:11:14 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[24]
天皇制と奥の院の共通点とは・・・「すべて裏から支配」

金貸しの世界は古くは海賊に遡る。4000年前〜3000年前に海の民と呼ばれる海賊が地中海に登場し、3200年前にカルタゴを建国。以後交易民として地中海を制覇するが、2200年前にローマ帝国に滅ぼされて一旦消滅。以後イタリア、スペインに再結集してサボイ、デルバンコ等の氏族となり、銀行を生み出し、現代に繋がる金貸しの親玉、奥の院を形成した。

この金貸しの最大の特徴は決して表舞台に出ない事。現在も世界中の企業や資本家を牛耳っているロスチャイルド家を実質上コンロールしているのも彼ら奥の院の存在である。この金貸しの特徴は、「資力第一」で「裏から操る方が利益大、損失小」という鉄則を持っており黒幕であり裏の存在として十字軍遠征以後の世界を支配してきた。宗教革命を引き起こし、近代思想を生み出し、共産革命を仕掛けた。

第一次、第二次大戦も彼らが絡んでいる。今回のコロナ禍においても彼らが仕掛けた騒動である可能性が透けている。しかし、マスコミ初め彼らを決して上げる事はできない。政治的にも企業としても登場せず、常に為政者や国をそそのかし、対立を生み出し、その両者から利益を得てきた。市場とはそれ単独では存在せず、国家に巣食う寄生虫のようなものとはよく言うが、奥の院の存在そのものが市場の本質と近似しており、それは彼らの出自が海賊であり、略奪という最も効率の良い商売をしていたからだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

日本の天皇制。実はこの奥の院に極めて似ている。

いくつか似ている点を挙げてみる。同時に過去のるいネットの記事にその根拠が掲載されているのでそれも紹介したい。

1)出自は海の民。中国や朝鮮半島からたどり着いた徐福や秦氏、百済の一派が天皇制を立ち上げた。

2)天皇制は天皇自体が政治を担わない事。一国の長という位置づけを与えられながら、役割は祭祀だけであった。

3)表の天皇の存在そのものは江戸時代まで存在薄く、大衆にとっては居ても居なくてもよい存在。しかし天皇が時の為政者を任命し、承認する制度は変わってない。つまり本当の支配者は天皇の奥に存在する秦氏であり、百済王族の末裔 藤原氏である。

彼らは裏に隠れる事で天皇制を使って日本をこれまで2000年間間接支配してきた。

4)天皇は祭祀の長であり、全国の神社、寺社の総元締めになってきた。

5)国家や為政者であればトップの力が落ちれば取って代るが、天皇制を敷く日本は建国以来、史実上は天応家の交代がなく国としては一度も分裂せず続いている。南北朝という危機はあったが、それも両者の話し合いと実質的な奥の院である秦氏のコントロールの中で制圧されてきた。

奥の院も天皇システムも似た構造。

・出自は商人、
・表舞台に出ない、裏から操作
・資力が第一
・歴史が永続してきた
・国家に寄生している


天皇は 中国の皇帝に匹敵する役職であるが、中国の皇帝が政治も神事も統合する実質上の最高権力者であったのに対して天皇は神事のみを扱う最高位であった。神事は政治の上位に位置づけられていたため、天皇は形式上の最高権力者であったが、実質上の政治権力は太政官である藤原が握っていた。

大宝律令は藤原不比等自身がプロデュースしており、最初から実質と形式を分離する為政者側の思慮があったものと思われる。

なぜこのような制度を執ったのか、これについては様々な理由が考えられるが、邪馬台国の時から政教を分離していたように、日本の政治体制は伝統的に神事を政の上に置く事で集団を統合するというシステムが構築されており、それが天皇制の母体になっているのではないかと推察する。

西洋の法王制と日本の天皇制、どちらも政教分離で共通しているように見えるが、似て否なるものである。西洋の場合は皇帝という絶対権力者が後に大衆を支配するために宗教を使って法王という位を作る事で宗教を支配の道具にしたが、日本の場合は地域の土着豪族集団を中央に統合するために宗教(神話)が使われた。神話の世界で架空の祖霊(天皇)を物語として地域に定着させる事で武力を使わずにクニを統合する手法を編み出している。その点で神事は常に上位であり、政治は神事に仕えるという位置にあった。

西洋でも中国でも皇帝が武力で滅ぼされると国の名前が変わる。日本の場合は幕府が倒されても天皇血縁が継続している限り国名は変わる事がない。この日本独自の政教分離システム=天皇制があったからこそ、大きな戦乱を起こさず、時の為政者が倒れても建国以来日本の歴史は継続することが出来たと言えるだろう。http://web.joumon.jp.net/blog/2020/04/3687.html


つまり、

江戸時代までの奥の院は秦氏と藤原氏
明治以降の奥の院はJPモルガンとロックフェラー

という事ですね。

▲△▽▼

正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室弱体化施策また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために
日清製粉と結びついた。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教を
そのツールに使った。そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。
他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の
低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との親交他。GHQ派遣のアップルトン女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。

正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから
追放されていた時代です。
外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに
反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。

雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/605.html#c1

[番外地7] 天皇制と奥の院の共通点とは・・・「すべて裏から支配」 中川隆
2. 中川隆[-12793] koaQ7Jey 2020年5月02日 19:30:41 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[25]
天皇制と奥の院の共通点とは・・・「すべて裏から支配」
金貸しの世界は古くは海賊に遡る。4000年前〜3000年前に海の民と呼ばれる海賊が地中海に登場し、3200年前にカルタゴを建国。以後交易民として地中海を制覇するが、2200年前にローマ帝国に滅ぼされて一旦消滅。以後イタリア、スペインに再結集してサボイ、デルバンコ等の氏族となり、銀行を生み出し、現代に繋がる金貸しの親玉、奥の院を形成した。

この金貸しの最大の特徴は決して表舞台に出ない事。現在も世界中の企業や資本家を牛耳っているロスチャイルド家を実質上コンロールしているのも彼ら奥の院の存在である。この金貸しの特徴は、「資力第一」で「裏から操る方が利益大、損失小」という鉄則を持っており黒幕であり裏の存在として十字軍遠征以後の世界を支配してきた。宗教革命を引き起こし、近代思想を生み出し、共産革命を仕掛けた。

第一次、第二次大戦も彼らが絡んでいる。今回のコロナ禍においても彼らが仕掛けた騒動である可能性が透けている。しかし、マスコミ初め彼らを決して上げる事はできない。政治的にも企業としても登場せず、常に為政者や国をそそのかし、対立を生み出し、その両者から利益を得てきた。市場とはそれ単独では存在せず、国家に巣食う寄生虫のようなものとはよく言うが、奥の院の存在そのものが市場の本質と近似しており、それは彼らの出自が海賊であり、略奪という最も効率の良い商売をしていたからだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

日本の天皇制。実はこの奥の院に極めて似ている。

いくつか似ている点を挙げてみる。同時に過去のるいネットの記事にその根拠が掲載されているのでそれも紹介したい。

1)出自は海の民。中国や朝鮮半島からたどり着いた徐福や秦氏、百済の一派が天皇制を立ち上げた。

2)天皇制は天皇自体が政治を担わない事。一国の長という位置づけを与えられながら、役割は祭祀だけであった。

3)表の天皇の存在そのものは江戸時代まで存在薄く、大衆にとっては居ても居なくてもよい存在。しかし天皇が時の為政者を任命し、承認する制度は変わってない。つまり本当の支配者は天皇の奥に存在する秦氏であり、百済王族の末裔 藤原氏である。

彼らは裏に隠れる事で天皇制を使って日本をこれまで2000年間間接支配してきた。

4)天皇は祭祀の長であり、全国の神社、寺社の総元締めになってきた。

5)国家や為政者であればトップの力が落ちれば取って代るが、天皇制を敷く日本は建国以来、史実上は天応家の交代がなく国としては一度も分裂せず続いている。南北朝という危機はあったが、それも両者の話し合いと実質的な奥の院である秦氏のコントロールの中で制圧されてきた。

奥の院も天皇システムも似た構造。

・出自は商人、
・表舞台に出ない、裏から操作
・資力が第一
・歴史が永続してきた
・国家に寄生している


天皇は 中国の皇帝に匹敵する役職であるが、中国の皇帝が政治も神事も統合する実質上の最高権力者であったのに対して天皇は神事のみを扱う最高位であった。神事は政治の上位に位置づけられていたため、天皇は形式上の最高権力者であったが、実質上の政治権力は太政官である藤原が握っていた。

大宝律令は藤原不比等自身がプロデュースしており、最初から実質と形式を分離する為政者側の思慮があったものと思われる。

なぜこのような制度を執ったのか、これについては様々な理由が考えられるが、邪馬台国の時から政教を分離していたように、日本の政治体制は伝統的に神事を政の上に置く事で集団を統合するというシステムが構築されており、それが天皇制の母体になっているのではないかと推察する。

西洋の法王制と日本の天皇制、どちらも政教分離で共通しているように見えるが、似て否なるものである。西洋の場合は皇帝という絶対権力者が後に大衆を支配するために宗教を使って法王という位を作る事で宗教を支配の道具にしたが、日本の場合は地域の土着豪族集団を中央に統合するために宗教(神話)が使われた。神話の世界で架空の祖霊(天皇)を物語として地域に定着させる事で武力を使わずにクニを統合する手法を編み出している。その点で神事は常に上位であり、政治は神事に仕えるという位置にあった。

西洋でも中国でも皇帝が武力で滅ぼされると国の名前が変わる。日本の場合は幕府が倒されても天皇血縁が継続している限り国名は変わる事がない。この日本独自の政教分離システム=天皇制があったからこそ、大きな戦乱を起こさず、時の為政者が倒れても建国以来日本の歴史は継続することが出来たと言えるだろう。http://web.joumon.jp.net/blog/2020/04/3687.html


つまり、

江戸時代までの奥の院は秦氏と藤原氏
明治以降の奥の院はJPモルガンとロックフェラー

という事ですね。

▲△▽▼

正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室弱体化施策
また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために日清製粉と結びついた。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教を
そのツールに使った。そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

正田美智子様は父親は被差別同和部落出身で、母親は朝鮮人とイギリス人のハーフ(売春婦の父無し子?)

それで15歳の時から何度お見合いしてもすべて断られていた。美智子さんを、お見合い相手にとお勧めされたのは皇太子以外にもいて、その中の一人が、あの三島由紀夫。良く言って中流の三島にお勧めされてお断りされた女性が、軽井沢の恋、で皇太子妃になった。

「ちゃんとした皇太子妃候補」なら常磐会は大反対しなかったでしょうね。、「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきている。「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。

「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。
ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。
他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の
低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との親交他。GHQ派遣のアップルトン女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/605.html#c2

[近代史4] コロナ治療候補薬「レムデシビル」効果なし 中国で臨床試験、改善見られず 英紙報道 中川隆
5. 中川隆[-12792] koaQ7Jey 2020年5月02日 19:39:10 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[26]
1年前「レムデシビル」ギリアドのCEOに就任したダニエル・オデイ氏はロシュ&中外製薬時代を通じて厚労省と旧知の間柄


ギリアドのCEOに就任して1年しか経たないダニエル・オデイ氏は、ギリアドのCEOに就任するまで、中外製薬の取締役を務めていた。
彼は、

「2001年、東京に移り日本ロシュ株式会社の経営企画部長に就任、その後デンマークで社長を務めました。2006年、カリフォルニアでロシュ・モレキュラー・ダイアグノステイクス社社長に就任、その後ロシュ本社に戻り診断薬事業部門を率いた後、現職に至りました。オデイ氏は、F・ホフマン・ラ・ロシュ社の経営執行委員会の委員であるほか、ロシュ製薬(上海)、ロシュホールディング(中国)、ロシュ・ファーマ・スイス、ジェネンテック、中外製薬株式会社、Flatiron Health社およびFoundation Medicine社の取締役を務めています。」

というように、日本の厚労省の医薬承認部門と旧知の間柄である。

CEOに就任してわずか1年で、膨大な費用をかけて開発したのにお蔵入りした(世界中で未承認の新薬)「レムデシビル」を大きな金が成る木に仕立て上げたのだから、噂通りのやり手だ。

彼が「レムデシビル」のプロモーションにどれほどのお金をかけたのかはわからないが。

[関連参照投稿]

「抗ウイルス薬「レムデシビル」特例で早期承認目指す:加藤厚労相:安倍と加藤は早く辞めたほうが日本のため」
http://www.asyura2.com/20/senkyo272/msg/133.html

「米ギリアド、抗コロナ薬の治験失敗 WHOが誤って公表―英紙報道:“誤って公表”ってなんだ!」
http://www.asyura2.com/20/senkyo271/msg/778.html

「レムデシビル 米機関は“回復早める” 英医学雑誌“効果なし”:株式市場は米にすがって上昇したが、英に軍配」
http://www.asyura2.com/20/senkyo272/msg/132.html

「米、レムデシビル投与許可 新型コロナで緊急使用:「風邪患者に抗癌剤を投与したら回復」で風邪治療に抗癌剤を投与許可する?」
http://www.asyura2.com/20/senkyo272/msg/189.html

=================================================================================================
<報道関係各位>
2018年12月12日
ギリアド・サイエンシズ株式会社
当資料は、米国ギリアド・サイエンシズ・インクが、2018年12月9日(現地時間)に発表した英文プレスリリースを日本語に翻訳、一部編集したものです。正式な誰は英語であり、その内容ならびに解釈については英語が優先します。

      ギリアド・サイエンシズ、
  ダニエル・オデイ氏(Mr.Daniel O’Day)を
     会長兼最高経営責任者に任命
グローバル製薬企業で広範な地域・疾患領域を率いた経験をギリアドに

ギリアド・サイエンシズ・インク(本社:米カリフオ/レニア州フォスターシティ、ナスダック:GILD、以下「ギリアド社」)は本日、2019年3月1日付でダニエル・オデイ氏(Mr.Daniel O’Day )を会長兼最高経営責任者に任命することを本日発表しました。オデイ氏は現在、ロシュ医薬品事業CEOとして活躍中です。オデイ氏は2012年に現職に就任する前は、ロシュ診断薬事業部門を率いていました。オデイ氏は30年間にわたり、北米、アジア太平洋地域や欧州において様々な領域で指導的役割を担ってきました。

また取締役会は、2019年1月1日からオデイ氏が着任する2019年3月1日までの期間中の暫定的にグレッグ・アルトン(GreggAlton)をCEOとして指名しました。アルトン氏は、20年間にわたりギリアドで各種の上級管理職をつ七め、法務、メディカルアフェアーズ、行政関連業務に経験を有します。アルトン氏はジェネラルカウンセルをつとめた経験があり、また本年8月にはチーフ・ペイシェント・オフィサー(Chief Patient Officer)に着任しています。

ジョン・C・マーティン(Ph.D.)取締役会長は、次のように述べています。「包括的な検討の結果、取締役会は、ギリアドの未来を率いるリーダーはダンがふさわしいと確信しました。彼は高い専門性を持ち、競争の激しい各種疾患領域において数々の成功を収め、世界各地で発展しつつある医療環境を深く理解し、事業の全領域でイノベーションを引き出してきました。彼はギリアドでの本役職にふさわしい人物であり、ギリアドとステークホルダーに尽くしてくれることでしょう。また、ダンが持っ専門知識と価値観は、ギリアドと方向性と同じくするものであり、私も、またギリアドの取締役会全体も、彼がギリアドの才能あふれるリーダーシップチームと共に活動し、私たちの掲げる目標を達成できると確信しています。」

オデイ氏は、1987年にロシュー・ファーマに入社した後、米国内にて様々な役職を経験し、1998年にスイスのロシュ本社に異動しました。スイス本社では、グローバルマーケテイングとライフサイクルマネジメントの指揮をとりました。2001年、東京に移り日本ロシュ株式会社の経営企画部長に就任、その後デンマークで社長を務めました。2006年、カリフォルニアでロシュ・モレキュラー・ダイアグノステイクス社社長に就任、その後ロシュ本社に戻り診断薬事業部門を率いた後、現職に至りました。オデイ氏は、F・ホフマン・ラ・ロシュ社の経営執行委員会の委員であるほか、ロシュ製薬(上海)、ロシュホールディング(中国)、ロシュ・ファーマ・スイス、ジェネンテック、中外製薬株式会社、Flatiron Health社およびFoundation Medicine社の取締役を務めています。欧州製薬団体連合会の理事としても活動しています。オデイ氏は、米国ワシントンD.C.のジョージタウン大学で生物学の学士号を得た後、ニューヨークのコロンビア大学のコロンビアビジネススクールにてMBAを取得しました。

オデイ氏は次のように述べています。「私はかねてより、HIVやウイルス性肝炎の治療を根本から変えたギリアドの医薬品開発に敬服していました。ギリアドはグローバル企業へと成長し、世界中で医療へのアクセスを推進しつつ、革新的な科学分野に特化した開発を展開してきました。私は、取締役会、リーダーシップチームと、ギリアドの11,000名の従業員の皆さんとともに、私の信念であり、ギリアドのミッションである、何百万人もの人々の生活を変革する道を進んでまいります。」

既に発表の通り、マーティン博士は、オデイ氏が着任する2019年3月1日をもって取締役を退任します。また既に発表の通り、ジョンF.ミリガン(Ph.D.)は、2018年末をもって会長兼CEOと取締役を退任します。

ギリアド・サイエンシズについて

ギリアド・サイエンシズ・インクは、医療ニーズがまだ十分に満たされない分野において、革新的な治療を創出、開発、製品化するバイオファーマ企業です。会社の使命は、生命を脅かす病を抱える世界中の患者さんのために医療を向上させることです。カリフォルニア州フォスターシティに本社を置き、世界35か国以上で事業を行っています。ギリアド社に関する詳細は、www.gilead.comをご覧ください。
将来予想に関する記述

本プレスリリースは、1995年米国民事証券訴訟改革法(Private Securities Litigation Reform Act of 1995)で定義される「将来予測に関する記述」該当し、いくつかのリスクや不確定要素などの要因を含む場合があります。これらのリスクや不確定要素、その他の要因により、実際の結果が「将来予想に関する記述」と著しく異なったものとなる可能性があります。本記述の内容は確定したものではありませんのでご注意ください。これらのリスクやその他のリスクについては、米国証券取引委員会に提出している、2018年9月30日までの四半期のギリアド社四半期報告書(フォーム10−Q)で詳細に説明しています。将来予想に関する記述はすべて、ギリアドが現在入手できる情報に基づいており、ギリアドは将来予想に関する記述を更新する義務を負いません。
https://www.gilead.co.jp/-/media/japan/pdfs/press-releases/12-12-2018/daniel-oday-ceo181212.pdf?la=ja-jp&hash=311E9A36BE22D93E483F8D2EDF34A3C2
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/827.html#c5

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
66. 中川隆[-12791] koaQ7Jey 2020年5月02日 22:06:57 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[27]

59名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 20:30:36.18ID:X10Hokoa

バルトークのピアノ協奏曲2番と3番で緊張感と密度が違うのはバカでもわかる
ただ優劣とは別の話だ2番の方がいわゆるバルトークらしいのは間違いないが私はモーツァルトを思わせる3番の方が好きだベートーヴェンよりモーツァルトの方が密度が薄いから劣るとか抜かす人ならもう何も言わんが

ワルターについていってることもどうも同様の誤り…とまでは言わんにしても論理の飛躍があるように見える


60名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 20:46:32.52ID:E2t0l423

ワルターは元々テンポが滅茶苦茶速いんだよ
ワルキューレもフィガロの結婚も他の指揮者の倍近く速く感じる:

Lotte Lehmann - Lauritz Melchior - Emanuel List -Die Walküre acte 1 Walter 1935 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=McL9XgzhkPo

LE NOZZE DI FIGARO - Ezio Pinza, dir Bruno Walter, 1937 (Complete Opera Mozart) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5ZPpBwqm4iM

しかし、アメリカに行ってからはテンポが他の指揮者より更に遅くなっている
トスカニーニみたいな大音響を出すにはテンポを落とすしかないからね
しかし、そうすると間延びして聴くのが辛くなるんだ


61名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:08:33.31ID:sNEqvkiS
>>60
つくづく、いいかげんなやつだ

https://youtu.be/EGDpCRVEAZM
Le Nozze di Figaro 29/1/1944 Met


62名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:21:40.46ID:E2t0l423

40年代は前の延長で早いけど、56年の魔笛は遅くなってるよ

Die Zauberflöte 3/3/1956 English MetOpera (Sullivan, Uppman, Amara, Peters, Hines - Walter) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ


63名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:30:48.80ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Bruno Walter / VPO - Mozart : Eine kleine Nachtmusik (1936) Pitch/ A=445 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bbkIVTfoaW8
https://www.youtube.com/watch?v=viE4e_aabf4

Mozart: Eine Kleine Nachtmusik, Walter & ColumbiaSO (1958) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=v3KhenlaaeM


64名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:34:10.88ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Haydn Symphony No.100 in G major "Military" (Walter , Wiener Philharmoniker 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=inbLPp-5HHQ
https://www.youtube.com/watch?v=gO1TkD7opIU
https://www.youtube.com/watch?v=bLLTbe2LsJM

Haydn: Symphony No. 100 (Military), Walter & ColumbiaSO (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=J5kwvtS3Ca0


66名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:41:30.59ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Mozart: Symphony No. 41 `Jupiter`, Walter & VPO (1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ipYZagI7Bx8
https://www.youtube.com/watch?v=n2s81CP-1UY
https://www.youtube.com/watch?v=veRJrJSAwK0

Mozart - Symphony n°41 "Jupiter" - Columbia / Walter - YouTube
Studio recording, Hollywood, 25, 26, 28 & 29.II.1960
https://www.youtube.com/watch?v=9Psr7qr5Lx8

68名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:51:01.40ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Mahler: Symphony No. 9 (Walter 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uAw5b9anOhQ

Mahler: Symphony No. 9, Walter & ColumbiaSO (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EMarpnKzflY

69名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:55:06.95ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Fpe3m728XXY

Mahler - The Song of the Earth / Presentation + New Mastering (Century's rec. : Kathleen Ferrier) - YouTube
Recorded in 1952, at Vienna
https://www.youtube.com/watch?v=iqCMTQ3uaPI
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c66

[近代史4] ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合 中川隆
67. 中川隆[-12790] koaQ7Jey 2020年5月02日 22:22:28 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[28]
71名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 22:08:27.58ID:E2t0l423

テンポは速ければ速い程いいんだよ


73名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 22:19:05.70ID:E2t0l423

遅いテンポでも聴けるのはクナッパーツブッシュとかフルトヴェングラーくらいだよ
チェリビダッケ程度では聴く気が起きない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html#c67

[近代史4] コロナで各国が食糧輸出規制、日本は農政のつけで生産困難 中川隆
2. 中川隆[-12789] koaQ7Jey 2020年5月02日 22:53:14 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[29]
コロナ禍が炙り出す食の脆弱性と処方箋〜ショック・ドクトリンは許されない〜 東京大学教授・鈴木宣弘 2020年5月2日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/16951


はじめに

 新型肺炎の世界的蔓延への対処策で、物流(サプライ・チェーン)の寸断や人の移動の停止が行われ、それが食料生産・供給を減少させ、買い急ぎや輸出規制につながり、それらによる一層の価格高騰が起きて食料危機になることが懸念されている。日本の食料自給率は37%、我々の体を動かすエネルギーの63%を海外に依存している。輸入がストップしたら、命の危険にさらされかねない。

 輸出規制は簡単に起こりうるということが、今回も明白になった。FAO・WHO・WTOは共同で、輸出規制の抑制を要請した。しかし、輸出規制は国民の命を守る措置であり、抑制は困難である。かつ、3国際機関は、いっそうの食料貿易自由化も求めている。自由化しすぎて輸出規制も起こりやすくなり、自給率が下がって輸出規制に耐えられなくなっているのに、もっと自由化しろ、とは論理破綻も甚だしい。コロナ・ショックに乗じた「火事場泥棒」的ショック・ドクトリン(災禍に便乗した規制緩和の加速)であり、看過できない。
 過度の自由化への反省と各国の食料自給率向上こそが解決の処方箋である。

輸出規制の抑制はナンセンス
 〜自給率向上策とともに国民を守る正当な行為

 すでに、小麦の大輸出国ロシア、ウクライナ、コメの大輸出国ベトナム、インドなどが輸出規制に動き出している。輸出規制は簡単に起こりつつある。これを受けて、4月1日、FAO・WHO・WTOの事務局長が連名で共同声明を出し、輸出規制の抑制を求めた。しかし、これは無理だ。

 2008年の食料危機に際しても、筆者は指摘した。「輸出規制を規制すればよいだけだ」との能天気な見解もあるが、国際ルールに、かりに何らかの条項ができたとしても、いざというときに自国民の食料をさておいて海外に供給してくれる国があるとは思えない。もしあったとすれば、むしろその方がおかしい。

 食料確保は、国家の最も基本的な責務だ。同様に、最低限の食料自給率を維持するための措置も、当然のことであり、他国から非難されるべきものではない。(鈴木宣弘・木下順子『新しい農業政策の方向性〜現場が創る農政』全国農業会議所、2010年など参照)

原因は自由化なのに解決策は自由化だと言うのは狂っている

 しかも、FAO・WHO・WTOのトップの共同声明では、九州大学の磯田教授が指摘しているとおり、食料貿易を可能な限り自由にすることの重要性も述べている。輸出規制の根本原因は貿易自由化の進展なのに、解決策は自由貿易だというのは狂っている。2008年の食料危機の経験から何も学んでいない、情けない提言である。

 2008年の食料危機、輸出規制について、筆者は次のように解説した【図も参照】。

 米国は、自国の農業保護(輸出補助金)は温存しつつ、「安く売ってあげるから非効率な農業はやめたほうがよい」といって世界の農産物貿易自由化を進めて、安価な輸出で他国の農業を縮小させてきた。それによって、基礎食料の生産国が減り、米国等の少数国に依存する市場構造になった。そのため、需給にショックが生じると価格が上がりやすく、それを見て高値期待から投機マネーが入りやすく、不安心理から輸出規制が起きやすくなり、価格高騰が増幅されやすくなってきたこと、高くて買えないどころか、お金を出しても買えなくなってしまったことが今回の危機を大きくしたという事実である。つまり、米国の食料貿易自由化戦略の結果として今回の危機は発生し、増幅されたのである。

 米国などが主導する貿易自由化の進展が、少数の輸出国への依存を強め、価格高騰を増幅し、食料安全保障に不安を生じさせると考えると、「2008年のような国際的な食料価格高騰が起きるのは、農産物の貿易量が小さいからであり、貿易自由化を徹底して、貿易量を増やすことが食料価格の安定化と食料安全保障につながる」という見解には無理がある。(鈴木宣弘『食の戦争』文春新書、2013年参照)

 ハイチ、エルサルバドル、フィリピンで2008年に何が起こったか。コメの在庫は世界的には十分あったが、不安心理で各国がコメを売ってくれなくなったから、お金を出してもコメが買えなくてハイチなどでは死者が出た。米国に強要されてコメの関税を極端に低くしてしまっていたため、輸入すればいいと思っていたら、こういう事態になった。原因は貿易自由化にある。

正しい処方箋は各国の食料自給率向上

 コロナ・ショックにおいても、またしても、自由貿易が原因なのに、うまくいかないのは貿易自由化が足りないのだ、というショック・ドクトリン(人々の苦しみにつけ込んで規制緩和を加速して自分たちが儲ける)のような議論になってしまっているのは、まさにショックである。

 貿易自由化も含めた徹底した規制緩和を強要して途上国農村の貧困を増幅させて、グローバル企業が儲け、貧困が改善しないのは規制緩和が足りないせいだ、もっと徹底した規制緩和をすべきだ、と主張しているのと同じである。

 我々は、このような一部の利益のために農民、市民、国民が犠牲になる経済社会構造から脱却しなくてはならない。食料の自由貿易は見直し、食料自給率低下に本当に歯止めをかけないといけない瀬戸際に来ていることを、もう一度思い知らされているのが今である。

畳みかける貿易自由化と規制緩和にストップを

日米貿易協定(FTA)を合意した日米首脳(昨年9月)
 TPP11、日EU、日米協定と畳みかける貿易自由化が、危機に弱い社会経済構造を作り出した元凶であると反省し、特に、米国からの一層の要求を受け入れていく日米交渉の第2弾はストップすべきである。

 食料だけではない。医療も、米国は日本に対して米国型の民間保険の導入、営利病院の進出を追求し続けている。米国では、今回、無保険で病院から拒否された人、高額の治療費が払えず、病院に行けない人が続出した。こんな仕組みを強要されたら大変であることはコロナ危機で実感された。

 国内的には、一部の企業的経営、あるいは、オトモダチ企業に農業をやってもらえばいいかのように、既存農家からビジネスを引き剥がすような法律もどんどん成立させてしまった。

 「国家私物化特区」でH県Y市の農地を買収したのも、森林の2法で私有林・国有林を盗伐して(植林義務なし)バイオマス発電するのも、漁業法改悪で人の財産権を没収して洋上風力発電に参入するのも、S県H市の水道事業を「食い逃げ」する外国企業グループに入っているのも、MTNコンビ企業である。有能なMTNは農・林・水(水道も含む)すべてを「制覇」しつつある。

 一連の種子法廃止→農業競争力強化支援法8条4項→種苗法改定を活用して、公共の種をやめてもらい→それをもらい→その権利を強化してもらうという流れで、種を独占し、それを買わないと生産・消費ができないようにしようとするグローバル種子企業が南米などで展開してきたのと同じ思惑が、企業→米国政権→日本政権への指令の形で「上の声」となっている可能性も指摘されている。

 すでに、メガ・ギガファームが生産拡大しても、廃業する農家の生産をカバーしきれず、総生産が減少する局面に突入している。今後、「今だけ、金だけ、自分だけ」のオトモダチ企業が儲かっても、多くの家族農業経営がこれ以上潰れたら、国民に安全・安心な食料を、量的にも質的にも安定的に確保することは到底できない。

種や労働力も考慮した自給率議論の必要性

 今回のコロナ・ショックは、自給率向上のための課題の議論にも波紋を投げかけた。日本農業が海外の研修生に支えられている現実、その方々の来日がストップすることが野菜などを中心に農業生産を大きく減少させる危険が今回炙り出された。メキシコ(米国西海岸)、カリブ諸国(米国東海岸)、アフリカ諸国(EU)などからの労働力に大きく依存する欧米ではもっと深刻である。

 折しも、新しい基本計画で出された食料国産率(鶏卵の国産率は96%だが飼料自給率を考慮すると自給率は12%)の議論とも絡み、生産要素をどこまで考慮した自給率を考えるかがクローズアップされたところである。例えば、種子の9割が外国の圃場で生産されていることを考慮すると、自給率80%と思っていた野菜も、種まで遡ると自給率は8%(0.8%×0.1)となってしまう。同様に、農業労働力の海外依存度を考慮した自給率も考える必要が出てくる(九州大学・磯田教授)。

 海外研修生の件は、その身分や待遇のあり方を含め、多くの課題を投げかけている。一時的な「出稼ぎ」的な受入れでなく、教育・医療・その他の社会福祉を含む待遇を充実させ、家族とともに長期に日本に滞在してもらえるような受入れ体制の検討も必要であろう。また、フランス、ドイツなどEU諸国では、政府がマッチングサイトを運営して、国民への「援農」の呼びかけを強化している(北海道大学・東山教授)。日本でも、こうした対応が国全体としても、各地域でも必要になっている。

水産業界の技能実習生
和牛商品券の波紋〜コロナ・ショックは追い打ち

 もう一つ波紋を広げたことがあった。
 コロナ・ショックによる外食需要などの激減で和牛やまぐろの在庫が積み上がったので、経済対策の一環として「和牛券」や「お魚券」が提案されたが、それが報道されるやいなや、それだけがクローズアップされ、世論を「炎上」させてしまった。

 全国民が大変なときに贅沢品に近い特定の分野だけの消費にしか使えない商品券を出すとは利権で結びついた族議員と業界の横暴だという非難だ。苦しむ農水産業界を何とか救いたい思いが、大きな非難の的にされるという極めて残念なことになってしまった。

 長年、日本の農家は農業を生贄にして自動車などの利益を増やそうとする意図的な農業悪玉論に苦しめられ、我々はその誤解を解こうと客観的なデータ発信に尽力してきたが、これでは、やはり農水産業は利権で過保護に守られているのだという誤解を増幅してしまう。努力が水の泡だ。

 過保護どころか、農林漁家からビジネスを引き剥がす法律が立て続けに成立し、かたや畳みかける貿易自由化とで、いま日本の農林水産業界は苦しめられている。直近では、日米貿易協定が発効するや、1月だけで米国からの牛肉輸入が1.5倍になるなど、輸入牛肉の想定以上の増加で国産が押しやられている。

 コロナ禍の影響の前に、こうした打撃が積み重なり、そこにコロナ禍が上乗せされたことを忘れてはならない。

 消費者を支援する形で生産者も支援するのは有効な手段だ。だが、このタイミングで、特定分野が優遇されている誤解を与えたら、国民理解醸成に完全に逆効果である。

 米国でも農業予算の64%も食品購入カードの支給で一定所得以下の食費支援に使っている。米国は価格低下時の農家への差額補填システムも充実している。生産・消費の両面から徹底的に農家を支えている。米国は、今回も、追加的に2兆円規模の食肉・乳製品の買い上げ、農家の所得補填などを打ち出した。

 日本の牛肉農家の所得の30%程度が補助金なのに対してフランスでは180%前後、赤字(肥料・農薬などの支払いに足りない分)もすべて税金で補填している。農業全体でも、日本の農家の所得の30%程度が補助金なのに対して、英仏が90%以上、スイスではほぼ100%、日本の水産にいたっては所得に占める補助金は2割に満たない。諸外国に比べたら極めて保護されていない【表参照】。

 「所得のほとんどが税金でまかなわれているのが産業といえるか」と思われるかもしれないが、命を守り、環境を守り、地域を守り、国土・国境を守っている産業を国民全体で支えるのは欧米では当たり前なのである。それが当たり前でないのが日本である。

 世界的にも最も自力で競争しているのが日本の農林漁家。牛肉券の想いはわかるが、過保護と誤解され、国民を敵に回したら元も子もない。何とか、これを農林水産業への正しい国民理解醸成の再構築の機会に反転させなくてはならない。

量だけでない、質の安全保障も

 米国産の輸入牛肉からはエストロゲンが600倍も検出されたこともある。エストロゲンは乳がんを増殖する因子として知られる。米国でもホルモン・フリー牛肉が国内需要の主流となり、オーストラリアは日本にはホルモン牛肉、禁止されているEUにはホルモン・フリー牛肉を輸出している。つまり、米国やオーストラリアから危ないホルモン牛肉が輸入規制の緩い日本に選択的に仕向けられている。

 農民連の分析センターが調べたら、ほぼすべての食パンから発がん性のある除草剤が検出された。国産、十勝産、有機小麦のパンからは検出されていない。輸入小麦には、日本で禁止されている収穫後農薬の防カビ剤(米国がかけるのは「食品添加物」と日本が分類してあげている)も輸送時に振りかけられている。米国農家は「これは日本人が食べるからいいのだ」と言っていたという。トウモロコシ、大豆の遺伝子組み換えの不安だけではない。日本人は、世界で一番、遺伝子組み換え、除草剤の残留、防カビ剤の残留の不安にさらされている。

 米国では乳牛にも成長ホルモンを注射する。米国内では消費者運動が起きて、大手乳業などがホルモン・フリー宣言をした。やはり、危ない乳製品は日本向けになっている。国産シフトを早急に進めないと、自分の命が守れない。さらに、輸入依存を強めて、こんな危機になったら、お金を出しても、その危ない食料さえ、手に入らないかもしれない。

 もう一度、確認しよう。成長ホルモン、除草剤、防カビ剤など発がんリスクがある食料が、基準の緩い日本人を標的に入ってきている。国産には、成長ホルモンも、除草剤も、防カビ剤も入っていない。早く国産シフトを進めないと、量的にも、かつ質的にも、食の安全保障が保てない。つまり、「国産は高くて」という人には、安全保障のコストを考えたら「国産こそ安いんだ」ということを認識してもらいたい。

 現時点で、小麦、大豆、とうもろこしなどの国際相場に大きな上昇はない。コメはかなり上昇している。コメの輸入依存度が大きい途上国には2008年の危機の再来が頭をよぎる。日本は、今もコメは過剰気味なので、かりに小麦などが今後逼迫しても、当面はコメで凌ぎ、いざとなれば、農水省の不測の事態対応にもあるように、もっとも増産しやすいさつまいもを校庭やゴルフ場にも植えるといった措置が選択肢となる。しかし、これでは「戦時中」になってしまう。

自分たちの命と食を守ろうという機運

牛舎でエサを食べる乳牛(北海道)
 現時点で、日本国内で顕在化している影響は「まだら模様」である。業務用野菜の中国からの輸入減少、家庭内食の増加による小売店及び生協経由での野菜需要の増加で、野菜需要は増加し、特に、生協を通じた購入の増加は、有機野菜などの価格の高い野菜への需要の増加となって表れている。

 一方、中国からの海外研修生の減少による作付け減少などの要因で生産は伸びず、価格が上昇している。野菜の生産が追いつかなくなっている。農家の人手が足りないから、消費者も近所の農家に出向いて一緒につくるくらいの産消連携が必要になっている。

 牛乳、乳製品などは、外食や給食需要の減少で在庫が増え、生乳の廃棄の懸念すら出ており、農水省も先頭に立って、消費を呼びかけている。牛肉は、ここにきて、海外産が敬遠され、国産が伸びているとの情報もある。

 ネットなどのコメントでも、これを機に生産者とともに自分たちの食と暮らしを守っていこうという機運が高まってきていることがうかがえる。
 それが購買行動にも表れてきているとしたら、明るい兆しである。

 「戦後初めてであろうこのような国難の時だからこそ、本当に我が国を支えている第一次産業の重大さや自国で生産したものを食べることができるという有り難さ、そして農家の底力をすごく感じます。私事ですみませんが、父や母が一生懸命汗を流し愛情込めて作ってくれたお米、野菜、肉、卵で育ちました。世界一美味しかったです。亡くなってしまった今になって、もっと食べたかったなと本当に思います。農家の方々、それに携わるすべての方々、コロナウイルスに負けず、体に気をつけて頑張って下さい! よろしくお願いいたします。」

 「今の我が国は、エネルギーも食糧も海外頼みでは、首根っこを押さえられているも同然。我が国のように両方海外に多くを依存している先進国はないのでは。このコロナ問題をいい機会にして、エネルギー、食糧、工業部品等の生産のあり方を時間をかけてでも見直す必要が更に深まったと考える。未知のウイルス・細菌は、益々人類の脅威となるのは間違いないし、その感染スピードは更に増して行く。その時にエネルギー、食糧が海外頼みでは、心もとない。」

 「農家は日本の宝です。政権は効率や貿易のカードとしてどんどん食料自給率を下げていますが、コロナが長引けば食料の輸入が減って食べ物もなくなるのではと不安です。」

 「私達を支えている第一次産業。厳しい今だからこそ基本に立ち返る事を考える良い機会。何不自由なく過ごせているのも農家さんのお陰です。本当にお陰様と有り難う。」

 「国内の農家を守ってこそ、日本の家庭は守られます。農民の作った食べ物を食べて人間は生きている。農民が人間を生かしている。農民の生活を保障すると人間の命も保証できる。今は農民の生活が保障されていない。」

 厳しいコロナ禍の中で、このような機運が高まっている今こそ、安全・安心な国産の食を支え、国民の命を守る生産から消費までの強固なネットワークを確立する機会にしなくてはならない。

 農家は、自分達こそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者は、それに応えてほしい。それこそが強い農林水産業である。

 特に、消費者が単なる消費者でなく、より直接的に生産にも関与するようなネットワークの強化が今こそ求められてきている。世界で最も有機農業が盛んなオーストリアのPenker教授の「生産者と消費者はCSA(産消提携)では同じ意思決定主体ゆえ、分けて考える必要はない」という言葉には重みがある。全国各地域で、行政・協同組合・市民グループ・関連産業などが協力して、住民が一層直接的に地域の食料生産に関与して、生産者と一体的に地域の食を支えるシステムづくりを強化したいところである。

 政策的には、慌てて緊急対策ではなく、危機で農家や中小事業者や労働者が大変になったら、最低限の収入が十分に補填される仕組みが機能して確実に発動されるよう、普段からシステムに組み込んでおく。国民の命と暮らしを守れる安全弁=セーフティネットのある、危機に強い社会システムの構築が急がれる。危機になって慌てても危機は乗り切れない。

アジア、世界との共生に向けて

 今回のコロナ・ショックは、世界の人種的偏見もクローズアップさせた。アジアの人々が欧米で不当な扱いを受けるケースが増えたことは残念だ。逆に、アジアの人々の間に助け合い、感謝し合う連帯の感情が強まった側面もある。

 「山川異域、風月同天」(山河は違えど、天空には同じ風が吹いて同じ月を見て、皆つながっている)

 この機会を、日本の盲目的・思考停止的な対米従属姿勢を考え直す機会にし、アジアの人々が、そして、世界の人々が、もっとお互いを尊重し合える関係強化の機会にしたいと思う。対米従属を批判するだけでは先が見えない。それに代わるビジョン、世界の社会経済システムについての将来構想が具体的に示されなくてはならない。

 筆者が参加した多くのFTAの事前交渉でも、米国に対しては「スネ夫」の日本がアジア諸国には「ジャイアン」よろしく自動車関税の撤廃を強硬に迫り、産業協力は拒否し、「自己利益と収奪しか頭にない日本はアジアをリードする先進国としての自覚がない」と批判されるのを情けなく見てきた。

 まず、日本、中国、韓国などのアジアのすべての国々が一緒になって、アジアの国々の間でTPP型の収奪的協定ではなく、お互いに助け合って共に発展できるような互恵的で柔軟な経済連携ルールをつくる。

 農業の面でいえば、アジアの国々には小規模で分散した水田農業が中心であるという共通性がある。そういう共通性の下で、多様な農業がちゃんと生き残って、発展できるようなルールというものを私たちが提案しなくてはいけない。

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すずき・のぶひろ 1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業。農学博士。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学教授。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員などを歴任。『岩盤規制の大義』(農文協)、『悪夢の食卓 TPP批准・農協解体がもたらす未来』(KADOKAWA)、『亡国の漁業権開放 資源・地域・国境の崩壊』(筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農)など著書多数。

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/16951
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/773.html#c2

   

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