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2010年11月22日17時44分 〜
コメント [経世済民67] 打ちひしがれる超大国/日高義樹(ハドソン研究所主席研究員) gikou89
18. 2010年11月22日 17:44:31: dlF7nIMjXg
日高義樹と石原慎太郎はズブズブの関係。何しろ、石原慎太郎が、今までの反米言動を詫びに、デイヴィッド・ロックフェラーのもとへ行った際、石原の通訳を担当したのが日高だ。日高と石原が、「CIA=共和党ネオコン=ロックフェラー」の手先だと分かるエピソードである。

あと日高は、ブッシュ(子)政権の頃、イラク戦争を支持しまくり、日米同盟賛美のプロパガンダ言論を展開した。それと、2008年のアメリカ大統領選挙の時には、『アメリカ狂乱』という本で、次の米大統領はマケインになる、と予測し、見事に大ハズレに終わった。この人が共和党ネオコンのポチだと分かる学者活動ぶりだ。

何しろ、日高は、共和党ネオコン系のハドソン研究所で働いている。最新刊『アメリカにはもう頼れない』は、日本は憲法改正しろ、核武装しろ、とタイトルとは正反対に、媚米反中ぶりの戦争屋ぶりが溢れている。
http://www.asyura2.com/10/hasan67/msg/736.html#c18

コメント [マスコミ・電通批評11] 古いメディアが、記者クラブや著作権などの情報のボトルネックを作り出している。今回の事件は、情報統制もきかないことを示した TORA
03. 2010年11月22日 17:49:17: AQqyLULhMc
管理人さんへ、02のコメントを削除しないことを望みます。
私の、赤かぶ氏が不法に転載している旨の指摘コメントは
削除されました。管理板に書けという理由で。
しかし、私のコメントも、02のコメントも、投稿者が
社会のルールを破って投稿していることを指摘するもので
阿修羅の掲示板として対処しろとまでは言っていません。
私のは政治板でしたが、ここはマスコミ板。
インターネット掲示板に著作権を無視して書きこむ人がいる
ことの指摘はこの板に合っていると考えます。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/242.html#c3
コメント [Ψ空耳の丘Ψ58] 世界をめちゃくちゃにした、書かれるべきでなかったかもしれない10冊の本 kokopon
10. 2010年11月22日 17:49:30: 9ZXdmifUEY
>>09
狂信者は歴史に関心は無いのか。なるほど。
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/855.html#c10
コメント [戦争b5] 日米冤罪の競演:911の重要情報をつかんでいたために社会的に抹殺された二人の女性の話を聞こう!(9月11日) バルセロナより愛を込めて
30. 2010年11月22日 17:59:19: xS9eyw4txs
>29

指摘どおり間違っておりました。訂正します。

(誤)14万5千ドル
     ↓

(正)1万4千5百ドル

なので、為替レート130円とする

188万5千円 約190万円であるな。
これでも、まだ何も営業実体がなかった事務所にポンと、190万円もらえるなんぞおいしい話です。

うそつきバルセロナこと童子丸開(江熊ひろし)も、山崎淑子氏の演技力を見習って、お金もうけすれば。

http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/606.html#c30

記事 [昼休み44] 「blog83、小沢は民主主義の道筋をつけてから死のうとしている」(デモる阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損です)
503 :無党派さん:2010/11/22(月) 15:39:03 ID:6mfbkPHN
「デモは弔いの祭祀」 by インナーマザー

この運動(ムーブメント)は上からの動員ではなく横軸に広がる集合的無意識の発露です。
その意味で主催者と参加者は権利的に同格です。ですから主催者の諍いは小さな差異だと思います。私はどちらの主催者にも感謝しています。

ですから小沢を嫌う人がいてもいい。小沢の年齢から「老害」を連想する人がいても自然だと思っています。主催者も人間ですから六道輪廻を
動きます。小沢を排除する畜生になることは人として正常なことです。地獄の対立をしていても天の感覚に必ず輪廻します。原点に回帰すればよいのだと思います。
おそらく3回深呼吸するだけでお互いに見えなかったお陰様が見えてくると思います。

小沢は総理になることに執着しているのではなく民主主義と国民主導の道筋をつけてから死のうとしているだけです。総理になってもならなくても「道」がつけば
後生の人が引き継ぎます。 天がこの世を作るなら、これまで続いて来た官僚政治も正しいのです。それを必要悪として認めながらも、しかしいよいよ限界に来ていることを
察知したのが小沢と国民なのだと思います。

小沢は未来に向けて修正しようとしている。いまここで自分が捨て石になって、過去から未来へ「道」を繋ぐための「時間の蝶番」になろうとしている。自分が検察と官報の総攻撃を
受けているのも国民に真実を可視化するプロセスとして必要なことだと小沢は悟っています。彼の「犠牲の精神」を察知した国民の無意識が刺激されて、かつてない国民運動が始まったのだと思います。
503 :無党派さん:2010/11/22(月) 15:39:03 ID:6mfbkPHN
「デモは弔いの祭祀」 by インナーマザー

この運動(ムーブメント)は上からの動員ではなく横軸に広がる集合的無意識の発露です。
その意味で主催者と参加者は権利的に同格です。ですから主催者の諍いは小さな差異だと思います。私はどちらの主催者にも感謝しています。

ですから小沢を嫌う人がいてもいい。小沢の年齢から「老害」を連想する人がいても自然だと思っています。主催者も人間ですから六道輪廻を
動きます。小沢を排除する畜生になることは人として正常なことです。地獄の対立をしていても天の感覚に必ず輪廻します。原点に回帰すればよいのだと思います。
おそらく3回深呼吸するだけでお互いに見えなかったお陰様が見えてくると思います。

小沢は総理になることに執着しているのではなく民主主義と国民主導の道筋をつけてから死のうとしているだけです。総理になってもならなくても「道」がつけば
後生の人が引き継ぎます。 天がこの世を作るなら、これまで続いて来た官僚政治も正しいのです。それを必要悪として認めながらも、しかしいよいよ限界に来ていることを
察知したのが小沢と国民なのだと思います。

小沢は未来に向けて修正しようとしている。いまここで自分が捨て石になって、過去から未来へ「道」を繋ぐための「時間の蝶番」になろうとしている。自分が検察と官報の総攻撃を
受けているのも国民に真実を可視化するプロセスとして必要なことだと小沢は悟っています。彼の「犠牲の精神」を察知した国民の無意識が刺激されて、かつてない国民運動が始まったのだと思います。

http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-761.html
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-761.html
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/241.html

コメント [経世済民70] 大前研一氏 600万円で買った車が半年後に300万円台になり嘆く gikou89
15. 2010年11月22日 18:09:30: 0EnepPI2VA
大前研一
こいつはサブプライムローン問題が発覚するまえ、  アメリカにあって日本人に
ないものは金融工学である。   これが著しく劣っていると、したり顔でほざいていた。  ただの金融詐欺じゃないか。

このときの反省はまったくしない。  無責任男の代表者である。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/234.html#c15

記事 [カルト7] 池田名誉会長がマサチューセッツ大学ボストン校の名誉博士号授与式に出席して瀬戸ちんの妄想は粉々…(りゅうオピニオン)
りゅうオピニオン:池田名誉会長がマサチューセッツ大学ボストン校の名誉博士号授与式に出席して瀬戸ちんの妄想は粉々。黒田大輔は3・16に何をやらかした?
http://blog.livedoor.jp/ryuopinion/archives/51502906.html

2010年11月22日
池田名誉会長がマサチューセッツ大学ボストン校の名誉博士号授与式に出席して瀬戸ちんの妄想は粉々。黒田大輔は3・16に何をやらかした?


★さて、きょう22日の聖教新聞を見た方なら、もうおわかりでしょう。

1面だけはネットでも22日の間は公開されています。(1)

明日になったら見れませんから、購読していない方は今日中にチェック。

まあ、小さい写真だけなら後日でも見れるのかな。(2)

アメリカのマサチューセッツ大学ボストン校から、池田名誉会長に名誉人文学博士号が贈られたそうです。

これは11月21日のこと。

場所は信濃町の恩師記念会館だということですね。

さんざん池田大作重病説を唱えていた瀬戸弘幸さんの妄想も粉々になりました。ヾ(@°▽°@)ノ

しかし、なんつーか瀬戸弘幸さんが11月20日に重病説で床屋談義。(3)

→21日に池田名誉会長登場。

・・・というのは、やはり瀬戸弘幸さんのブーメラン能力は天性のものだということを感じさせます。

日頃、創価学会の話題には触れてこない桜井誠まで、何か言い始めたようです。(4)

桜井誠さんは毎日新聞を購読してるのかな?

該当記事は、これのようです。(5)

検索してみたら、産経新聞にも載ってた。(6)

あれあれ? 逃げなくていいのかな?

桜井誠さん。ヾ(@°▽°@)ノ

信濃町での朝木明代市議転落死事件に関する桜井誠さんの暴言はまだネット上に残ってますよ。

住所も本名もジャーナリストの安田さんにつかまれているのにねえ。

★ 黒田大輔君が、なんだか知らないけど慌てています。(7)

在宅会および日護ファンの皆様にお願い
3月16日の生放送(アーカイブ)の録画をお持ちの方は至急、高山までご連絡ください。

似たような出来事が以前もありましたが、 そのときは日護会の京都支部長けんけんが、創価学会の会館に建造物侵入をしたとして、事情聴取を受けていたときでした。

ですから、刑事事件が起こったときなどに、日護会はこういう反応をするようです。ヾ(@°▽°@)ノ

で、3月16日に何があったかというと、映像やブログが残っていますね。(8)

黒田大輔たちが創価学会本部周辺でビラ配りをしていた日です。

ちなみに3月16日は創価学会の記念日です。昭和33年3月16日に、自民党の岸信介首相が大石寺にやってくるという連絡があり、式典が行われましたが、結局、岸首相は欠席。

戸田第2代会長が亡くなる直前でもあり、青年に後を託す式典が行われた日・・・ということで記念日になってます。

黒田大輔も、記念日を狙って学会本部周辺を徘徊するのが行動パターンになっていますが、それもこの頃から始まったことでしたね。

私のブログでも、少しだけ取り上げていました。

目覚めよ、黒田支持者さん。黒田大輔先生のお言葉です。「人間、疑問もちだしたら自分で調べ出すから」「真実知って目覚めないならただのバカだよ」(9)

一体、この日、何があったんでしょう??

動画を見返してみたんですが、最初は、「ちくわん隊から集団で肖像権の侵害訴訟でも起こされたのか?」と思いました。

相当数のちくわん隊の顔がネットでさらされてますからね。

1人10万円でも数百万円規模の賠償金を取れるんじゃないかと。

・・・まあ、これも可能性はあるでしょうが、前回の例を見ると刑事事件なんじゃないかと想像できますよね。

で、気になるのが3本めの動画の8分くらいから写っている場面。(10)

学会本部前でビラ配りを行おうとしている黒田大輔君を公安が制止しています。

(公安の人と揉め出す。交通の邪魔になるから学会本部の入り口でビラを配るなと止められたらしい)

信者の皆さんにじっくり読んでもらうために・・・。

交通の邪魔になんないから。

えー、これ出入り口かんけーねーもん。

ここはゆずれねー。

許可証とってんだから。次回おりなくてもいい。

ここはゆずれねー。

それは110番向こうがするかどうかでしょ。

許可証あるんだから。

わかるけど、わかるけど、下手に譲歩すると向こうはつけあがるんだから。

不思議なのは、これほど「ここはゆずれねー」と言い張っている黒田君が4本目の動画になると、あっさりと学会本部前から撤退しているのです。

この間に何があったのか。

・・・何かあったんでしょうねえヾ(@°▽°@)ノ

黒田君たちが編集してアップせざるをえない何かが。

・・・で、ついに創価学会が刑事か民事か知らないけれども訴えたという可能性があるわけですなあ。

刑事でも民事でも、何か進展あったら報告しましょうね。クロダイ君
ヾ(@°▽°@)ノ

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投稿者注

1
SEIKYOnet 聖教新聞社の公式サイト
http://www.seikyoonline.jp/
2
SEIKYOnet (聖教新聞社):池田SGI会長 世界から300番目の名誉学術称号
http://www.seikyoonline.jp/news/headline/2010/11/1193331_2459.html
3,4
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:池田会長の姿なし・後継問題で混乱か
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52598658.html
5
創価学会:池田大作氏、名誉学術称号300に - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101122ddm041040082000c.html
6
創価学会の池田名誉会長、海外からの称号300個に - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101121/trd1011211759005-n1.htm
7
日本を護る市民の会(日護会)-ニコニコミュニティ
http://com.nicovideo.jp/community/co155284
8
動画紹介 日本を護る市民の会(日護会)のブログ(仮)/ウェブリブログ
http://seaside-office.at.webry.info/201003/article_14.html
9
りゅうオピニオン:目覚めよ、黒田支持者さん。黒田大輔先生のお言葉です。「人間、疑問もちだしたら自分で調べ出すから」「真実知って目覚めないならただのバカだよ」
http://blog.livedoor.jp/ryuopinion/archives/51369919.html
10
YouTube - B3.16 創価学会広宣流布記念日、信者に池田大作ビラを撒く!
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=lbFYIrgOj7Q

ちくわん隊 とは、創価学会の役員のこと。どの位の役員かは不明。

> 日頃、創価学会の話題には触れてこない桜井誠まで、何か言い始めたようです。
この部分はたぶん、下の記事を示すはずだったと思われる。

今朝の毎日新聞|Doronpaの独り言
http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10714523302.html
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/685.html

記事 [ペンネーム登録待ち板6] サービス業は斯くあるべし 7 _ エロスの深層

おお、人間よ。心して聞け。

深い真夜中は何を語る?

私は眠った、私は眠った――

深い夢から目覚めた――

世界は深い。昼が考えたより深い。

世界の痛みは深い。

悦び――それは心の悩みよりいっそう深い。

痛みは言う、去れ、と。

しかし、すべての悦びは永遠を欲する――

深い、深い永遠を欲する。

__________________


1. 泡姫は現代の巫女 _ 本当のエロスの世界とは

巫女は神と交わる聖なる女性

しかし本物のエロスは無意識の深い領域にまで降りて行かない限りは絶対に到達できません。

性愛とは本来、神との対話、そして泡姫というのは現代の巫女なのです。

エロスの仮面を被った泡姫は、既に人間ではなく全く別の存在へと変貌を遂げています。


            ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
           '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i   
              ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i   あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
        __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/
  /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://
 /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/
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;;;/~":、---、___/´ ,,i:'''  ::   ヽ. ヽ.`'''"´  /´    :::..,/        .:::ヽ
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:::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;.     ヽ /"     .::..   '::,,:ヽ.     i     :::::
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オルギア、狂宴(Orgy)

ギリシア語の o[rgia に由来する語で、「秘密の礼拝」を意味した。
ほとんどの秘教の礼拝には、エレウシス、カビリア、シャクティスム、スーフィー教、キリスト教の一派の拝蛇教などの秘儀におけるごとく、性の儀式が含まれていた。
「宗教は、自然と密着したすべての祭儀につきもののオルギア的傾向をもはやとらなくなったときでさえ、……つねに性愛的な一面を持っている。
……遠くさかのぼればさかのぼるほど、性愛と聖礼の違いを見分けるのはますます困難になる。
そして『遠くさかのぼる』のは単に時間的な意味だけでなく、経験の深さをもまた意味する」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/orgia.html

少女が娼婦に身を落として、自分や親の罪を贖うという物語は実は世界中のあちこちにある。
お姫様や絶世の美女が苦界に落ち、我が身を男たちに与えていくが、本当の優しさにめぐり合った時、天女になって天に召されるという草紙だ。
古来、神に仕えるものと娼婦は同一視されていた。
日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に娼婦でもあった。
神に身を捧げることと、誰にも分け隔てなく我が身を与えることは、同じことだからだ。
民俗社会においては、巫女は、神の妻であり、人間にとっては処女であり(誰の妻でもなく)、、同時に娼婦でもある(誰の妻でもある)。
巫女との性行為を通じて人は神と対話した。
http://blog.livedoor.jp/deal_with0603/archives/51331139.html


シュメール人と言えば、史上最古の民族とされ、紀元前3000年頃にはメソポタミア南部に都市国家をつくり、楔形文字を発明したことで知られる。

このシュメールに「神殿娼婦」と称する、性交に熟達した女達がいた。

後にギリシア人は、彼女達を「ヒエロドゥロス」と呼んだ。

各地から男達が貢ぎ物を持って神殿にやってくる。

神殿娼婦達は、そうした男達のすべてと性行為を行う義務があった。

彼女達は神の側女とされ、性交為はいわば接待であり、見知らぬ男達との性交は、神秘的な夫婦関係と見なされた。

つまり彼女達が性交するのは神へ奉仕するのと同じこととされたのである。

また、シュメールの娘達は、神殿で処女を捧げるのが習慣になっていた。

処女が流す血は神の好む供物とされていたから、娘達は祭壇の前で、神の代理人である祭司に身をまかせ、処女の血を流した。

その神をイシュタルといい、愛と結婚、性愛、豊穣の女神だった。

しかしイシュタルは同時に男神でもあり、両性具有神なのである。

したがって娘達は、祭司を男神としてのイシュタルの神聖な化身と信じて疑わなかった。


逆に言えば、娘達は聖職者からそう思い込まされていたのである。

こうして処女を捧げると、娘達は祝福を受け、初めて結婚が認められた。

イシュタルは結婚の守護神であると同時に神殿娼婦達の守護神でもあった。

ところでシュメールの結婚は、男が妻を買うということでまとまった。

基本的には一夫一妻制だが、既婚の男が他に妾を持っても、あるいは神殿娼婦とセックスを楽しんでも、背徳の行為として非難されることはなかった。

娘を誘惑し、性交為におよんだ場合、独身の男ならその娘と結婚しなければならない。

既婚の男であれば娘の父親に慰謝料を払って償う必要があった。

この地域は、やがてバビロニアとなるが、それでもこうした性習慣は引き継がれた。

バビロニアの娘達は神殿で処女を捧げてから結婚したり、情事に耽った。

無論、神殿娼婦もいたが、彼女達はもはや慈善的な性交為をするのではなく、金をもらって相手をする神殿内の売春婦となっていた。
http://tig.seesaa.net/article/11028153.html

ヒンズー教のデヴァダシスdevadasis(寺院娼婦)のように、古代の中東の神殿では、娼婦-巫女が女神の恵みを分け与えた。
彼女たちは美と善意の比類ない結びつき(カリスcharis、ラテン語のcaritas)に関わっていたため、しばしばカリスたち、あるいは美の女神たちとして知られていた。
charisはのちに「慈善」charityと訳されるようになる。
実際にはカリスは、母の愛、優しさ、慰め、神秘的啓示、そして性交、がすべて一体となったヒンズー教の慈悲karunaと同様のものであった。
 古代の娼婦はしばしば高い社会的地位を占め、彼女たちの持つ学識は尊敬を受けていた。
パレスティナにおいてカデシェト(偉大なる娼婦)と呼ばれた天界の女王の化身のように、娼婦はギリシアと小アジアのミノア島の学問の中心地において、女王のように崇敬された。
実際に女王になった者さえあった。ユスティニアヌス帝の妻であるテオドラ皇后は、最初は神殿娼婦であり、コンスタンティヌス帝の母である聖ヘレナは、皇后-聖人になる前は娼婦であった。
 エジプトの物語では、ブバスティスのある巫女は、彼女の愛の一夜の代償として、男の現世の財産すべてを要求した。
彼女は「私は神に捧げられた奴隷である。すなわち私は人間ではない」と言った。
最近までエジプトには「神聖娼婦」ghazyeと呼ばれた階級があった。
ghazyeはマルムーク王朝(1250-1517)の時代には大いに尊敬され、奉仕の期間が終わると花嫁として重んじられた。

 神殿娼婦は病気を治癒する者として崇められた。
彼女たちの分泌物そのものが医療的効力があると考えられた。
スーウィー教徒の「女性の膣には治癒力がある」という諺は今もなおこの考え方を暗示している。
彼女たちの唾液でさえ病気を治すことができた。
イエスが唾液で盲人を治す話(『マルコによる福音書』第8章 23節)は、母権制社会の伝承を模倣したものである。
ニネヴェ(古代アッシリアの首都)から出土した粘土の銘板は、眼の病気が娼婦の唾液で治ることを示している。
娼婦はまた魔術師、預言者、占い師であった。
ヘブライ語のzonahは、娼婦と女予言者の両方を意味する語である。

 霊を持つ女性としても知られ、多くの男性と交わった日本の巫女-シャーマンは、「聖なる母たち」と呼ばれていた。
彼女たちは神の花嫁となって神殿に入り、神の霊の乗り移った神主とともに横たわった。
同様の慣習は、天界のみだらなニンフを模倣したインドの寺院娼婦デヴァダシスdevadasisの特徴となっていた。

 娼婦という職業は一般的な職業であった。エリュクス、コリント、キプロスその他の地にある アプロディテの神殿には1000人の神殿娼婦が仕えていた。
古代ギリシア人が妻を召使いの地位にまで引き下ろしたとき、高等娼婦hetairaiは法的にも政治的にも男性と同等の地位にとどまった。
ローマの貴族で最も身分の高い女性は、啓示が必要なとき、ユノ・ソスピタの神殿で、自ら娼婦となった。
バビロニアの女性はみな、結婚前に神殿で娼婦となった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/prostitution.html


そもそも巫女とはどういう存在かというと、「神と交わる人」だ。

ここで、「交わる」の意味が問題となる。

遠まわしな表現でいえば「神と一つになる」だが、それでもわからなければ「神と寝床を共にする人」だ。

だから、「神」が男神であれば巫女は女性であり、女神であれば逆になる。

そして人は「神の子孫」となる。
もちろんこのような話は、王室の正当性を主張するために作られる神話だ。

吉野裕子さんによると、古代の日本は蛇信仰のメッカだったという。
そして、吉野論の極めつけは、「日本人は蛇の落とし子である」というものだ。

日本人は古来より、蛇に対して畏敬の念をもつと同時に強烈な嫌悪の対象として見るという、アンビバレントな感情を抱いていた。

だから蛇に対する信仰は、多くの場合は隠された形で、隠喩として示されてきた。
だから、その謎を解明するのは困難を極める。
蛇信仰が縄文時代からあったことは、縄文土器に多く見られる蛇の形からもわかる。
だが、吉野説では、その「縄文」自体が蛇とかかわりがあるという。

さて問題の蛇巫の話だ。

吉野裕子著の『蛇−日本の蛇信仰』では、「蛇巫の存在」として1章を当てている。

そこで吉野は、『常陸風土記』のヌカヒメ伝承と大和の「箸墓伝説」、つまり大物主神とヤマトトトヒモモソヒメ命の神話を比較して、この二つに見られる共通点を以下のように挙げている。

 蛇巫が夜ごと、神蛇と交わること。

 幼蛇を生むこと。

 幼蛇を小さい容器の中で飼うこと。


先に、巫女とは神と交わる者だと書いたが、それに習えば、蛇巫とは「蛇と交わる者」ということになる。

吉野は他にもいくつかの例証をあげ、以下のように結論づける。

日本古代蛇信仰では、神蛇とはまず人間の巫女と交わることをその第一義としたから、「祭り」とは要するに巫女による蛇との交合であったとさえ思われる。

また、、太古の諏訪大社の主祭神であったと思われるミシャグチ神についても、諏訪大社の代々の最高神官であった大祝(おおはふり)はミシャグジ神の蛇巫だったとしている。

諏訪大社ではたしかに蛇あるいは龍神とのかかわりが密のようであり、そのことは現在の諏訪大社の主祭神である諏訪大明神つまり建御名方神においても受け継がれているようだ。
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20041009/1202903595


何者かと深くつながるとき、たとえそれが神という存在であっても、結婚という形をとるのですね。

神に所有されるというのとは、やはりニュアンスは違うようです。

人の痛みを知るため、自らを不幸の中に置くというよりも、逆に神との結合・一体化のエクスタシーを通じて、神の意図をダイレクトに感じ、知るという面が強いようです。

実際、ここで紹介した根間さんが神とつながったときの表情は、非常にエロチックに見えました。

一般人である我々には理解しがたい境地ですが、案外その歓喜を知ってしまったら、かえって人間の男では到底満たされないのかもしれません。

おそらくは、離婚されたカミンチュの方々も、もともと人間の男性には満たされていなかったのではないか、とも思います。

一つ確実に言えることは、宗教的感性とは、本来決して反性的なものではなく、非常にエロチックなものであるということです。

とくに、インドの神々のエロチックさったらないですね。
http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-55.html

蛇は何のシンボルだったのか? 

 古代の宗教のあちこちで姿を見せる「蛇」。

 古代の宗教における「蛇」というと、『創世記』冒頭でイヴをそそのかす蛇がもっとも有名だ。
キリスト教的な解釈では、直ちにそれは原罪の誘引となった「悪」のシンボルと捉えられる訳だが、それは「蛇」に対して非常に偏った捉え方にすぎない。
ちなみにユダヤ教は、原罪という意味合いを読み込むことはしない。
それは、人間が当然犯す過ちの一つ、という以上の意味はないのである。

 「蛇」がネガティヴでない意味をもって登場する箇所を若干挙げてみよう。

 「主はモーセに言われた。
「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。
蛇にかまれたものがそれを見上げれば、命を得る」。
モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。
蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(『民数記』21:8-9)。

 ここで「蛇」は生命を付与するものとして捉えられているが、これはギリシア神話の「アスクレーピオス」の蛇とも共通して、広く地中海一帯やインドにまで広がっていた蛇観であるそうだ。
脱皮を繰り返しながら生を更新していく蛇のうちに、個体の生死を超えて続けられる生そのものの連続性を古代人は見たのだという解釈がよくなされるようだ。
 さて、このモーセと蛇の結びつきは、新約聖書の一人の作者によって利用された。

 「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」
(『ヨハネによる福音書』3:14-15)。 

 蛇=悪という教義が障害となって、この箇所と『民数記』の上の箇所との関連が追及されることはこれまでなかった。 
 しかし、宗教的カリスマを蛇のイメージにおいて捉えることは決して珍しいことではなかった。

たとえば、福音書が書かれた時期にはまだ地中海一帯で命脈を保っていたディオニューソスには蛇のイメージがついて回る。

ヨハネ福音書の作者がイエスを造形するに際して、「解放者」ディオニューソスをモデルにしたという解釈はすでに相当あるようだ。
たとえば、イエスが甕に入っていた水をたちまちワインに変えてしまう箇所などが典型的だと見なされている。 
 翻訳もあるケレーニーの『ディオニューソス』で、ケレーニーはディオニューソスの由来をクレタ島のミノワ文明に求めたが、
過去に遡るにつれて、ディオニューソスとゼウスの区別は薄れ、
それらは時には牛に時には蛇に近接していき、
「牛は蛇を生み、蛇は牛を生む」
という謎めいた呪文(おそらく何らかの儀式で唱えられた呪文)に行き着くのだが、

ケレーニーによればこの蛇や牛は「破壊されることのない生命」のシンボルだった。
 (クノッソス宮殿で発見された蛇を掲げる女性像ととぐろを巻く蛇をいただく女性像。
おそらく蛇巫(へびふ)と呼んでいいのだろう)  
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-06-12


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」
というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。


「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。


いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、

「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。

あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。

             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。

おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。

シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。

神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、
「排尿をガマンできない人間」、
「性器を持たない人間」、
「よろよろして立ち上がることができない人間」
など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。

http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967

『アルコーンの本質』 『ナグ・ハマディ文書』より

■3.「不滅性」の自己啓示とアダムの創造

 「不滅性」は下なる領域を眺め降ろした。両性具有のアルコーンたちは、水面に映ったその像を見て欲情するが、弱さのゆえにそれをつかむことができない。
アルコーンたちは協議して、土の塵から人間を造り、「不滅性」がそれに近づいてくるようにと策略を立てる。
彼らは、彼らの身体に似せて、また、水の中に現れた神の像に従って、一人の人間を造った。
サマエールは人間に息を吹き込み、それによって人間は心魂的なものとなるが、彼はいまだ立ち上がることができない。
アルコーンたちは上なる神を欺こうとしてこれらのことを行ったが、これらすべてのことは実は、「万物の父」の意志によって生じたものであった。
父からの「霊」が「アダマンティネーの地」(堅固な地、の意)から到来し、それによって人間は生ける者となり、アダムと名づけられた。
アルコーンたちは地のあらゆる獣と天の鳥を集め、アダムに名前をつけさせた。

■4.アダムの楽園への拘禁とエバの創造、「霊的な女」の到来
 アルコーンたちはアダムを拘束して楽園に閉じこめ、「善と悪の知識の樹から食べてはならない。食べる日に必ず死ぬだろうから」と告げた。
次にアルコーンたちは、アダムの上に忘却をもたらし、アダムの脇腹を開いて、その肋骨を生ける女に変えた。
そしてアダムの脇腹に、代わりの肉を詰めた。
これによってアダムは心魂的なものとなってしまい、起き上がることができないが、「霊的な女」が到来し、アダムを立ち上がらせる。アダムは彼女を賛美した。

■6.「霊的な女」が蛇になって行なう啓示と楽園追放
 霊的な女は、蛇の、とはすなわち教示者の姿で、アダムとエバのところにやってきた。
そして、知識の木から取って食べても「決して死ぬことはない。
なぜなら、彼がそうお前たちに命じたのも、妬んでいるからなのだ。
むしろお前たちの目が開くことになるであろう。
そして、お前たちは善と悪とを知る神々のようになるだろう」と啓示する。
これを聞いて二人は、知識の木の実を取って食べ、自分たちが「霊的なもの」を剥がれて裸であることに気づいた。
アルコーンたちは二人が知識の木の実を食べたのを知り、蛇を呪って、アダムとエバを楽園から追放した。
それは、彼らが生活の労苦に追われて、聖霊に心を配る時間の余裕がないようにするためであった。
http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth005.html


人類最初の女性 リリス( Lilith )

旧約聖書では、神によってアダムが土から生まれ、その次にイヴがアダムの肋骨から生まれたとされていますが、実はアダムと同様にリリスという土から生まれた女性がいて、アダムと結婚していました。

リリスは、アダムと同様に土から生まれたので、アダムとは対等な存在であるため、アダムとの性行為において、正常位によるアダムの支配的地位を拒否し、彼女は空を飛び、エデンの園を去り、紅海沿岸に住みつきます。


神はリリスを説得しますが、彼女は聞く耳を持たなかったので、罰としてリリスは下半身を蛇に変えられ、毎日おびただしい数の子供(リリン)を産み、そのうち100人を殺される運命を負うことになります。

彼女はこれに大変ショックを受け、海に身を投げて死んでしまいました。 


旧約聖書で、アダムとイヴが禁断の果実を食べるシーンがありますが、この2人をそそのかした蛇こそがリリスの化身なのであります。  

 これは、パリのノートルダム大聖堂にある彫刻にも、リリスが蛇として描かれていることからも分かるでしょう。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1033.html

人間は大地母神によって泥から造られて、神々のために「これ(エデンの園)を耕させ、これを守らせ」るようにエデンに置かれた(『創世記』第2章 15節)。


なぜならば神々はたいそう怠惰で農耕をしようとせず、植え、穫り入れ、自分たちに捧げ物をする奴隷が欲しかったからである 。

神々は奴隷たちが自分たちより偉くなって働こうとしなくなるのを恐れて、神々の持つ不死の秘密を決して彼らに知らせてはならないことを申し合わせた。

エデンの神は、同僚の神々に向かって言った。

「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知る者となった」。

したがって彼は「命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」ので、ただちにエデンの園から追い出さなければならない(『創世記』第3章 22節)。

蛇の教えは、人間を、生を征服し神のような存在にしたであろうに、これは神々elohimの意志に反することであった。

 『支配者たちの本質』Hypostasis of the Archonsは、蛇は女神のトーテムとしての姿であることを示している。

蛇は明らかに、女神の創造した死ぬ運命を持った生物を憐れんで、永遠の生命に到達する方法を教示しようとした。

「女性の霊的原理が『教示者―蛇』の中に入り、蛇は彼らに教示して言う。

『あなたがたは死ぬことはないであろう。

神がそう告げたのは、あなたがたを嫉妬したからである。

それどころか、あなたの眼を大きく開きなさい。そうすれば、あなたは善悪を識別して神のようになるであろう』」。

そこで「傲岸な支配者(神)」は、蛇と女性を呪ったのである 。

 聖書の物語の現在の型は、太女神と蛇の本来の話を明らかに大幅に改定したものである。

バビロニアの図像は、蛇にかしずかれ、人間に不死の食物を捧げている女神の姿を描いている。

ピラミッド・テキストは、永遠なる生命の食物を提供したのは蛇であると述べている
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/serpent.html

 ユダヤ・キリスト教において、「この世の天国」とまで謳われたはずのエデンの園は、グノーシスにおいては造物主の牢獄として扱われる。
そしてこの《善悪を知る木》の実を食すことを禁じたヤハウェは、先述したように造物主に割り当てられ、人間を無知のままにとどめおく、知識による救済の可能性を閉ざす存在となる。
逆にそれを食すことをそそのかした蛇は、ユダヤ・キリスト教においては人間に原罪を負わせたものとして、忌むべき存在とされていたが、グノーシスではそうではなく、至高神からの人間へ知識を授け、救済への道を開示する啓示的役割を担った聖なる存在へと変貌するのだ。

 忌むべき悪魔のような役割から、救済者として、あるいは啓示的存在としての役割へと一変した《蛇》は、人間が救済への道を切り開くための秘密の鍵を握る存在として、グノーシス主義において神聖視された。
尻尾を銜えた円環状の蛇《ウロボロス》は、《完全なるもの》としての意味を含んでいる。
この救世主としての《蛇》は原初においてはソフィアとされた。
http://homepage3.nifty.com/kiraboshi2/Abraxas/Gnosis_intro4.html


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7. 神とは

Carl Gustav Jung SYMBOLS OF TRANSFORMATION  P392 
神は自己(元型)のことです。
心理学と比較宗教学の観点から言って、キリストは「自己」が現実の世界に現われた(認識できる形として現われた)典型的な例です。
心理学的には神のイメージとして現われてくるものが自己であり、経験的にも自己と神の区別はつきません。ですから自己と神は本質的には同じものです。.
http://maglog.jp/yumeken2/Article130925.html


ユングの「宗教精神と個性化」

人間が宗教と呼ぶものはいくつかの段階を経て進化してきたものである。
シャーマンや呪術による太古の時代、預言者、司祭による古代文明の時代、神学者や哲学者によるキリスト教の遺産の時代である。
この種の宗教的なかかわりあいをもつ人間に共通する要因は何か。
それは、内なる神性の経験とも言うべき体験であろう。
ユングは、これをヌミノース(現前する神を意味するラテン語のヌーメンあるいはヌミナからのもの)体験と呼んだ。
シャーマンが部族の神の声を聞き、キリスト教神秘家が内なるキリストの声を経験する。
これらは、ユングによれば、「全体性の元型」や「自己の元型」ということになる。
そして、これこそが、神のイメージとして、我々人間に対して現れるのである。
個人的な自我と関係なく、その人間の本性が意識を超越する全体的なものが存在することは、大抵の宗教でいわれることである。
つまり、全体的なものとしての「ヌミノース体験」とは、シャーマンや聖職者だけの特権ではないと考えられる。
自己の全体性を探求しようとする人間なら誰しもが持つ最終目標なのである。
内なる神性ともいうべき「ヌミノース体験」は、「個性化の過程」ということになる。

ユングが主張したかったことは、全体性と個性の対立的二項関係を認識するとともに、「個性化の過程」による「個性の確立」のプロセスを明確にすることではなかったか。
「個性化の過程」とは、心理学的主体性、すなわち全人格的存在となるプロセスを表現しているものである。
そして最終的には「自己実現」に至るわけだが、「世俗的な個性」を培うことではない。
なぜなら、「世俗的な個性」とは、個人の主体性で一定の集合的あるいは文化的レベルでの流行を受け入れて同一化することと変わりがないのであって、ユングによれば、「ペルソナ」のレベルでの問題にしかすぎないということになる。
ここでの考察は、個々の自我主体としての本来的な個性への同一性(回帰)→「個性の確立」についてこそ議論されるべきものである。

それでは、ユングの「自己実現論」と「他者の関係」はどうであろうか。
心的現象や心的現実としての経験が素材としてみなされるので、ユングは他者そのものを扱うことはない。
あくまで自己の内面の確立が重要であり、これが達成されれば、他者との関係も、自然な形で投影されるのである。
従来、心理学は、自然科学的認識に立って様々な事象を検討していくことが、その出発点であった。
何か一部分だけを見て、全体を見渡さない。
おそらく、部分の総和が全体といった考え方が、その背後にあったのだろう。
それでは、人間が感じたり、理解したり、意味をなしたりする作業は、全体的にその事象をとらえてはいないのであろうか。
ここでの自我と自己というのは、専門用語としての使用するには、いささか逸脱したものがあるように思う。
ユング心理学では、全人格的存在としてのオールマイティーな自己と、主体が同一化する自我とは、大きな隔たりがあり、これらの隔たりは一種のコンプレックスが存在していると。
これは、最初から他者を同一化するほど極端ではないが、しかしながら自我は心の中心たらんとする反面、このことが逆に他者性に対する恐怖心を誘う。
これは、自我意識の外部性に対する暗黒面を拡大させる要因となっている。


心的世界は、自我によって支配することは困難であるし、自我と対立する無意識的なものが優勢である。
この無意識的なものは、なにひとつ純粋に個人的な生育歴に根拠を置くものではなく、人間心理の共通な構成要素としての「元型」に依拠する。
自己とは、これらの意識と無意識を含んだ心の全体性だが、このような自己は個人的レベルではなく、「集合的無意識」にその根拠を置く。
それゆえ、ユングの理論は、自我意識では到底、統御不可能な部分にまで侵入し、自己というものが、あくまで他者との関わり合いを通して、個性化されていくものであると論理付けるヒントを与えた。
ところで、ユングは、「4」という数字に関して、錬金術の研究の中では、重要であると指摘している。
錬金術とは、卑金属から金を得る術として古代より伝説的(比喩的)に語り伝えられてきたものである。
ユングは、錬金術の研究を通して、卑金属から金に変容するまでの過程と、患者が次第に「真の自己」を実現していく人格変化の過程とが、不思議なほど酷似していることに気がついた。
おもしろいように、患者の変化していく「夢と錬金術」の中の言葉が意味を同じくしている。
夢の中に象徴的に現れた「4」という数は、錬金術では「完全性」を表している。
しかしながら、キリスト教では、」「三位一体」という意味で、「3」が重要視される。
キリスト教の「3」は、天上の調和であるが、錬金術では、ここに地上の肉を加えて「4」という数で「完全」を示すのである。

そもそも、キリスト教のような宗教的な見地と臨床心理学の見地を融合したものとしては、宗教心理学という学問領域が考えられるわけであるが、その意図するところは、
人間の心的状態を宗教という見地から、その意味内容を把握し、理解することだと思われる。

一般的に宗教とは、上意下達的な客観的視点というものを集団心理として与え、個々人の中では、様々な事象的な現象として宗教家本人の体験とが含まれている。
通常の宗教的感受性からも、通常でない熱狂的な宗教体験からも「自己開示」を当然ながら必要とするものである。
よく、この点で引用されるのが、ルドルフ・オットーの「ヌミノース体験」であるが、宗教心理学では、絶対的な人間の創造物を抱く感情、要するに人間の心理における経験への反映を研究することなのである。
ここでいう「ヌミノース体験」とは、一種の心霊的要素を含んだ宗教体験である。

つまり、「ヌミノース体験」とは、人間の超越した感情、又は、強力で魅惑的な感受性、更には宗教的な熱狂性を誘発する心的体験をいう。
分かりやすくいえば、大自然の壮大な景色に出くわした時などに、人間誰しもが感じる一種の感動にも似た気持ちではないだろうか。
従って、ユングは、この「ヌミノース体験」を認め、注意深く良心的に暖かく見守ることが宗教であると考えていたようである。
換言すれば、真に宗教的なるものは、教義や戒律、その宗教組織そのもののことではなくて、一人ひとりが心の中に抱く「ヌミノース体験」を暖かく見守ることなのである。
ユングの宗教心理学は、「宗教的救済」を「心理学的自己実現」に置き換えて記述するものであった。
そこでは、狭い自我がそれとは他なるものに直面することで、他なるものに生まれ変わるプロセスが記述される。
http://phenix2772.exblog.jp/9907733/


1) 個性化の過程


今まで、タイプ論や、ペルソナ、アニマ・アニムスについて書いてきましたが、これらが互いに補償しあう関係にあることは理解いただけたと思います。
例えば、外向型と内向型、思考と感情、感覚と直観、ペルソナとアニマ・アニムス等、
これらは対極に位置すると共に、お互いを補い助けます。
つまり、相補的な関係にある。

ひとりの人間が成長しようという時、これらのどちらかに頼るというよりは、両方をうまく統合することで事が成されるのは今まで述べたとおりです。
(相反する存在が、自身に欠けているものを補ってくれるわけですね)。
人はある時期、何かを完成させようと頑張ります。
しかし、それだけでは完成されず、むしろその偏りや一面性による不具合を抱え込むようになってしまう。
それを反対側のものを取り込むことで、補います。
バランスを回復させる。


ひとりの人間を考えてみると、意識は自我を中心に、ある程度統合性を持っており、安定しています。
それゆえ、ひとりの人格として成り立ち、それぞれが「わたし」と言えるのです。
また、外界もその個人を認識してくれます。

このように人間はある程度、安定しているものですが、その安定を崩してまででも、より成長しようとする傾向があります。
これは個人にも言え、社会にも言えるようですね。
その意図は別にしても、結果そうなることが多い。


まず何かに向かってまい進し、やがて安定の時期を迎える。
それが長く続けばいいのですが、なかなかそうもいきません。
ひとつには、バランスの悪さが顕在化してくる。
なぜなら、何かに一生懸命の間、別の何かは放ったらかしになっているから。
その放置された部分により、何か問題が出てくる。


また別の要因としては、状況が変わったりする。
それまではよかったことが、通用しなくなる場合もあります。
それは技能かもしれないし、態度かもしれない。
あるいは、考え方や生き方だったりする。
ともかくいろんなものが、以前は問題なかったのに、急に問題になったりする。
そうなると、変わらざるを得なくなります。


このように、人間というものは、内的にも、外的にも、変わることを要求されるような時期が来ます。
そしてそんな時、表面だけではなく奥のことまで考えていると、そこに無意識的な働きが見え隠れしたりする。
別の問題を悩みとしていても、それを掘り下げていると、変容することの必要性が見えてきたり、すべてが終わった時には、結果として、変容していたりします。
それも、悩んでいた本人だけが変容することは少なくて、周囲を含めた人々が、何らかの変容を遂げたりする。


そんなことを体験すると、人間の意識外の部分に、人を変容させようとする何か、人を成長させるような何か、そんな導き手のような存在を感じずにはおれません。

ユングは、「個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の過程」を、ユングは『個性化の過程』、あるいは『自己実現の過程』と呼んでいます。

人は何らかの可能性を、無意識に有している。
それははじめ、自我には意識されませんが、やがて、活動しだす。
種から芽が出るように、土から新芽が顔を出すように、無意識から可能性が萌芽する。
その芽を育てる過程が、個性化の過程。
そして芽が育ってきたとき、自我は高次の全体性へと向かう。
欠けた部分が補われ、全部を足りている状態にするような、人間の完成形へと向かう。

(完成するわけではなく、そのような方向に向かう。したがって、過程になる)

そういう意味では、個性化とは、完全なる人間になるとか、個人が有している理想像に近づくとか、そういう意味にも取れます。
普遍的無意識といった深い部分での人間の完成形や理想像は同じでも、今の時代を生きる個人に顕現するカタチは、それぞれ異なってきます。
芯は同じでも、表に現れるカタチはそれぞれ違う。
そういう意味でも、個性化という言葉は意味深いですね。
「それぞれの自分になる」というニュアンスがある。


また、ある見方をすれば、問題に悩む人というのは、そういう要請を拒否しているから、余計に苦しいのかもしれません。
低次の場合は、直すべき態度があるのに、頑なに直さないとか。あるいは、社会的に問題ない場合でも、社会が要請する態度や生き方と、内在する個性が要求する態度や生き方がせめぎ合い、葛藤を起こしているような場合も、あるかもしれません。(葛藤に堪えられないから別の症状が現れるという見方もあります)

後者のような場合、個性化の入口にいるような感じもしますよね。そして、社会という立ち位置にいる場合、それは困ったもののように見える。しかし、内なる個人を尊重すると、それはむしろ、好ましい導き手のようにも見える。

こういうのは、それぞれの価値観によって見方が変わるものなのですが、ちょっと現代は、悩みや問題に対するアレルギー反応のようなものが強すぎるような気もします。悩みや問題を避けるあまり、余計に問題を大きくしたり、悩みを深くしているように思える。ある意味では、問題を避けるから問題が消えないし、悩むことを避けるからいつまでも悩んだまま、という捉え方もできます。

問題や悩みと向かい合うのはつらいのですが、避けられないものに対しては、むしろとことん向かい合った方がいいというのは、少なくとも半分としては、真実だと思えます。なのにどうも、その半分が無視されているように感じる。

で、個性化というのも、このような避けられない問題や悩みとして、顕在化してくるようです。いろんな対決を、要求してくるんですね。でも、そのおかげで、無いものが足される。補償されてくる。それは、今までの章でも、書いた通りです。

参考:ユング心理学辞典『個性化/個性化の過程』


【自己の定義】


ある人の意識が安定した状態であっても――つまり自我が変化する必要を感じなくても――ある時、無意識下の内的問題や現実世界の外的問題により、自らが変容することを強要されることがあります。
(「価値観の崩壊と再構築」とか、「生き方の変更」とか、「誰かを赦すこと」とか、「認めたくないものを認める」とか、いろいろあるでしょう。更には、内的に出てくるものもあれば、外的に突きつけられる場合もあるでしょう)

「中年の危機」といわれるものも、この類かもしれませんね。ある程度の地位を築き、自分でも、世間でも、ある程度社会で成功を収めたり、社会に適応していると思っている人が、ある日突然に、説明のできない不安に襲われたりする。あるいは、長年適応した社会に新たな価値観が現れ、それとの適応を急に迫られ、心身ともにまいってくる。

これは自我にとっては、非常に理不尽で、つらいことですが、それでも問題が投げかけられてしまいます。変われ、適応せよ、と要求される。で、その要求は、時に内的であったり、時に外的であったり。

このように、こころは(あるいは魂は)、自我の崩壊や既存の価値観の崩壊という危険を冒してまで、ひとりの人間の成長を要求することがある。そしてこのような布置を考えるとき、ユングは『自己』の概念を構築しました。

ユングは、自我が意識の中心であるのに対し、自己は意識と無意識を含んだ「心の全体性」であると考えました。自己は「意識と無意識の統合機能の中心」であり、「人間の心に存在する二面性を統合する中心」とも考えられます。

ユングはある論文の中で「二重人格として生じるものは、新しい人格の発展の可能性が何らかの特殊な困難性のために妨害され、その結果、意識の障害として現れたものである」と述べています。

これは何も二重人格に限らず、「ふたつのものの統合という発展の可能性が、何らかの要因により妨害されるとき、それは表面的な問題として生じてくる」と、言えるのかもしれません。

問題や悩みというとどうしてもマイナスのイメージが付きまといますが、このように、そこには発展の可能性が隠されている場合があるんですね。


ユングはその臨床の中で、一般的には異常とも取れるものの中に、意識と無意識の持つ相補的な働きを見出し、心の持つ全体性(自己)を見出してきたのですが、これは彼が東洋の思想に触れることにより、より明確になったようです。

中国に『道(タオ)』という考えがありますが、この「相対立する陰と陽の相互作用と、その対立を包含するものとして把握される点」にユングの思想との共通点が見受けられます。

ユングは次のように述べています。「我々が意識の世界のみを重んじることなく、無意識も大切なものであることを知り、この両者の相補的な働きに注意するときは、我々全人格の中心はもはや自我ではなく、自己であることを悟るであろう」 「自己は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものではなく、大きい円が小さい円を含むように、自我を包含する」


ここで注意がちょっと必要で、このようなユングの考えは、無意識や自己という概念が軽んじられた当時の西洋世界に対して述べられた言葉であるということを、忘れてはならないと思います。
というのも、日本は割合、無意識的なものに開かれている面があるから。そして時には、無意識に超常的な効果を期待し、自我的な努力なしに、無意識的な作用に問題解決をゆだねてしまう面もあるからです。

無意識にゆだねるというのは、ある意味では間違ってはいないのですが、それは自我による努力の放棄というのとは、少し違うんですね。確かに、自我の力を弱めて、自己の作用を観察し、何かを悟らねばならないようなことはあります。そうしてやっと、やり直しや変容ができる。ただしそれは、「自己にやらせる」というのとは、違うんですね。むしろ、「自己の導きに従い、自我がやる」というものです。ある意味では、自我が頑固に拒んでいたものを、自己に教えられ、自我がやる、といった感じ。なので、実際的な努力は、自我がやることになるのです。


自我の力だけでは、人間の発展には限界がある。だから、ユングは、自己という概念を導入しました。しかし、自我の力なしには、何も成せません。西洋では特に自我を鍛えるということが当たり前に行われるようですが、場を大切にする日本においては、そうでもないようです。なので、自我を鍛えるということも、大切になるようですね。特に近年の日本には、状況判断や合理性というものが、欠けているように思います。情緒に流されることが多く、また、合理性のないものに合理性があると信じられたりする。(また、この辺は、父性の欠如と、関係するのかもしれません)。

ただ、自然の理を鑑みれば、無いものは足されるわけで、著しく日本に欠けている合理性や父性も、足されることになるのかもしれません。何らかの痛みや対決を通して。そして、その時には、単なる反転になることなく、補償的なものになるように、期待します。

ユングは、このような言葉を残しています。

「全て良いものは高くつくが、人格の発展ということはもっとも高価なものである」

この言葉にはふたつの意味が含まれていますよね。ひとつには、人格の発展というものは、この上なく高価であること。ただその反面、よいものは高くつく。人格の発展には、いろんな苦しみや悩みが付きまとうようです。

自己は内的に存在する発展の可能性を萌芽させようとします。しかし、そのために、今までを壊そうとしたり、問題を突きつけたりもする。その一つひとつの過程が、今まで書いてきた「影」であったり、「ペルソナ」であったり、「アニマ」や「アニムス」であったりします。それぞれとの対決を通して、人は成長する。欠けたものを補ったり、社会に適応しようとしたり、あるいは、再適応という仕事を行ったり、自分の深い部分との関係を構築したりする。

しかし、その最初の現れ方は、概ね問題や悩みとして、現れるようです。時には、実際的な問題として、また時には、もやもやした不安やいらいらなど、目には見えない問題として、生じる。

我々はそういう事態に疲弊したり、右往左往してしまったりするのですが、悩みを深めることで奥にある問題が見えたり、あるいは、聴くプロに対して語り続けているうちに、ふと、見逃していたものに気づいたりします。そういう、つらくしんどいことを通して、人間を成長させ、発展させていくんですね。

まさに、「全て良いものは高くつくが、人格の発展ということはもっとも高価なものである」というわけ。人格の発展は尊いが、それだけに高くつく。


またユングは、こんなことも言っています。

「個性化は二つの主要な面を持っている。まず一つは、内的・主観的な統合の過程であり、他の一つは同様に欠くことのできない客観的関係の過程である。ときとして、どちらか一方が優勢となることもあるが、どちらも欠かすことができない」


個性化のひとつの側面は、己の深い部分と向き合うことです。時には自我を弱め、無意識的要素の言わんとするところを観察する。自我の防衛や、頑なな態度、願望などを置いといて、純粋に、眺めます。ただ、これは半分。

個性化には同時に、実際的なものと向き合うことも含まれます。例えば、影との対決にしても、相手なしに自身の影を知ることは難しい。投影という映し鏡によってこそ、我々は自身の態度や生き方に気づくことができるのです。また、アニマやアニムスに関しても、そこには実際の相手というものが出てくる。アニマやアニムス自体は内的なものですが、それを映し出す存在が出てくるし、また、影やアニマ・アニムスを自分の生き方に組み込むということは、それらを実際的な場面に顕現させることになる。態度や行動、生き方のうちに統合したり、何らかの表現でこの世に表したりするのです。

人には好みがあって、どちらかといえば自分と向き合うのが好きな人もいれば、どちらかといえば社会で活動するのが好きな人もいます。個性化というのは、その両方に関わっているんですね。ということは、ここでもまた、逆の態度を補うことが求められることになります。自分と向き合った結果を、何らかの手段で社会に表現したり、社会と関わるために、自分の深い部分と向き合ったりする。方向や順序はいろいろあると思うのですが、どちらにせよ、その両方と関わり合いになるようです。

というか、個人の自己というのは、実際の目の前の世界とも関わり合いを持つものなのかもしれません。

2.自己の表現、そのかたち


「自己実現」や「個性化」は人間の究極の目標として捉えられるわけですが、そこに到達点があるかというと、そうではありません。人は自己実現の過程で、ある種の理想像のようなものを設定するでしょうが、その像は永久不変なものではなく、むしろ日々変化するものです。というか、自我の定めたそれを見直させ、新たに目標を教えるのが個性化なので、理想は変遷するでしょうね。また、明確な理想像というのは、なかなか見えてこないかもしれません。それよりは、いろんな元型と対決し、結果として、成長したり、補われたり、人格が発展したりする。そういう意味では、自我にとっては、「させられる」といった面が多いかもしれません。

我々は歳を重ねるうちに自分の可能性をある程度の枠の中に収めようとしますが、自己の試みはそうではない。自我の知らない潜在能力を使えるようにするために、頑張ります。実は持っているのに使っていないものを使わせようとしたり、奥にしまってあるものを活性化させ、表面に出させようとしたりします。それによって、全人格というものを確立させようとする。

個性化とは、そういった過程のことです。

我々は、自身の魂そのものを見ることができないように、自己そのものを見ることはできません。しかし、自己の象徴的表現を通して、その働きを知ることはできる。意識化することができます。

自己の象徴は様々なカタチをとるのですが、それが人格化した姿としては、男性における「老賢者」、女性における「至高の女神」などが挙げられます。この姿は個人の夢にも、世界中の物語の中にも現れます。主人公が苦難の旅の中で身動き取れない状況に陥ったとき、老賢者や至高の女神は、その閉塞を打ち破るだけの、価値ある助言や忠告を与えてくれます。

実際、自我の力で問題を解決しようと努力に努力を重ね、しかし解決には至らず、疲弊し、まさに絶望しようかというとき、我々の知らない自己に働きが生じ、我々の知りえなかった高次の解決法を授けてくれる場合も、あるでしょう。(この辺は、禅の公案にも通じるものがあるかもしれません。禅の場合、考えて考えてなお分からず、ふと考えることを放棄した瞬間に、(葉が落ちるなどの)ふとした自然現象などをきっかけに、悟りを得る場合もあるようです)

老賢者の像は、時に「老人の知恵を持った子供」として現れることがあるといいます。このモチーフは、夢などにもよく現れますが、一見、弱そうであったり、価値が低いと思えるものが、実際には価値ある知恵を持つ存在であるというところが非常に興味深いですよね。また、別の見方として、子供という可能性に満ちた姿をとっている点も興味深い。

現実問題でも、若い者や子供の意見の中に、有用な知恵が隠されている場合もあるし、若くして経験を積んだ者が深い洞察や見識を示すこともあります。そしてこのような時、受け取る側が、若さや幼さを理由に、その知恵を簡単に無視したり否定したりすれば、大事な宝を失うことにもなるようです。(ここでも「聞く耳」が必要になります)


自己実現は素晴らしいものですが、同時に苦難の道でもあります。ユングが「自己実現は高くつくものだ」と言ったように、実際にはできれば避けて通りたいくらいの苦難の道だったりする。自己実現の道を歩もうとしてからも、投げ出したいと思ったり、実際一時的に投げ出すこともあるでしょう。

ただ、ある種の症状に苦しむ人は、「苦しい自己実現の道から逃げ出そうとしているために、ほかの意味の苦しさを味わっている」という見方もできます。自己実現の道は確かに苦しい、しかし、それを経れば、それだけではないものが待っています。そして、そういった自己からの要求を拒否することで、別の苦しみを味わうわけですから、それを踏まえると、どうなるか。

確かに、我々人間には頑ななところがあって、ちょっと態度を改めればよくなることでも、そうしようとはしなかったりします。そして、態度の修正というちょっと苦しい道から逃げ出すことで、別の苦しみを味わい続けることになる。ちょっと気をつければよくなることでも、そのちょっとを頑なに拒み、結果、いつもの失敗で、周囲も自分も苦しんだりする。我々は、「ちょっと」をしないことで、より多くの苦しみを味わっていたり、味わわせていたりするようです。


個性化では、ふたつの要素の統合ということが、テーマになったりします。意識的な態度と影なる態度、表面に出ている男性性や女性性と奥に眠っていた異性性(アニマ・アニムス)、主機能と劣等機能、それらを何とか統合し、より成長するのが、「個性化の過程」や「自己実現の過程」だともいえるようです。

そして、このような統合性を示す例として、「男女の結婚」や「男女の結合」、「陰と陽の結合」などがあります。これは夢や物語のモチーフであるとともに、宗教的なモチーフでもあるように思います。

そして、このような二者の合一による全体性の象徴で、人格化されたものではないものに、『曼荼羅』があります。ここでは、統合による全体性が、幾何学的な図形として表れています。
ユングは、自身の夢の中で、曼荼羅の夢を度々見たそうです。これはユングの著作にも残っています。

このような曼荼羅は、ある個人が心的な分離や不統合を経験している際に、それを統合しようとする心の内部の働きの表れとして生じる場合が多い、とユングは言っています。更にユングは言います「これは明らかに、自然の側からの自己治癒の企てであり、それは意識的な反省からではなく、本能的な働きから生じたものである」

そして河合隼雄先生も言います。「意識的には分裂の危機を感じ、あるいは強い不統合性を感じて解決策もなくて困っている人が、この曼荼羅象徴が生じることによって心の平静を得、新たな統合性へと志向していく過程を経験すると、人間の心の内部にある全体性と統合性へ向かう働きの存在、自己治癒の力の存在を感ぜずにはおれないのである」


自己の象徴としては、他に、「宝石」や「動物」があるといいます。物語などでは、「宝石」を求めて冒険する話も多いですよね。これは曼荼羅に共通する幾何学的な精密さと、得がたい高価なもの、という2点が強調された姿でしょうか。また、未だ意識化されない面が強調されると「動物」の姿で現れることもあるようです。無意識的要素は、夢の中などでも度々動物の姿などをとって現れます。おとぎ話などで、この「動物」が主人公を助けることがあるのも興味深いことです。

さらに、不可思議な面が強まると、それはお化けや物の怪として、夢などに現れるのかもしれません。


閑話休題:『夢の中の曼荼羅』

ある人の夢に現れた曼荼羅について書きます…


わたしは外に出て、家の隅のガソリンスタンドの傍を通り、ゆるやかな坂を下った。
わたしは浴衣姿に、下駄履きである。
空にUFOが見えた。
それはやがて太陽に重なると、二つに分身し、最後には五つに増えた。
UFOは「ダビデの星」のようであり、「曼荼羅」のようでもあった。


詳しい解釈は省きますが、ガソリンスタンドは「補給の意味合い」を、ゆるやかな坂を下る件(くだり)は「無意識へ下ること」を、浴衣や下駄履きは「その時のペルソナの状態」を、UFOは「未知なるもの」を、それぞれ匂わせるところがあります。

そして「ダビデの星」や「曼荼羅」は、人間の域を超えた「超越的な機能や統合性」を感じさせる。

3.「時」


「自己実現の過程」や「個性化の過程」を歩もうとする際に重要となる要素に、「その時」というものがあるかもしれません。

ユングは「自己実現は高くつく」と言いましたが、その通り、自己実現は偶然出会う幸運でもなければ、簡単なアドバイスにより達成されるような甘い話でもないようです。それよりは、理不尽な不幸に巻き込まれて、旅に出発し、幾たびの苦難を乗り越えながら、なんとかお宝を手にするといった物語との方が、共通点が多いように思います。そして、そこには危険が常に付きまといます。まさしくこれは冒険でしょう。


人生の後半において、自分の内面と対決せねばならない「時」が来るのは、容易に想像できるのではないでしょうか? 世間から人生の成功者のように思われる人でも、「その時」には、自分の空虚な心に気づき絶望するかもしれません。会社から仕事を奪われた人は、「その時」には、仕事以外に何もなかった自分に気づき、立ち尽くすかもしれません。あるいは、家庭を支えてきた人は、「その時」に、自分の中で何かに突き動かそうとしている動きに気づき、戸惑うかもしれない。


河合隼雄先生は『寿命の話』として、グリムの面白い話を提供してくれています。

神様はロバに三十歳の寿命を与えようとしましたが、ロバは荷役に苦しむ生涯の長いのを嫌がったので、神様は十八年分短くすることを約束しました。次いで、犬もサルも三十歳を長すぎると言って辛がるので、神様はそれぞれ十二歳と十歳分だけ短くしました。さて、そこに人間がやって来たのですが、人間が三十歳の寿命が短いというので、神様は、ロバ、犬、サルから取った年齢分、十八、十二、十歳の合計を人間に与えたので、人間の寿命は七十歳になりました。

人間はそれでも不満げに退いたのですが、この物語のよると、それ以来人間は、三十年の人間の生涯を楽しんだ後、あとの十八年は重荷に苦しむロバの人生を送り、続く十二年は噛み付こうにも歯の抜けてしまった老犬の生活をし、後の十年は子供じみたサルの年を送ることになったそうです。

これは非常に興味深い物語です。「重荷に苦しむロバの人生」、「噛み付こうにも歯の抜けてしまった老犬の生活」、「子供じみたサルの年」これらの喩えは単純には笑えない真理を含んでいる。このような物語は、論理的な人生の説明よりも、よほど胸を打つものだと思います。読む各人に様々な情動を与えてくれるのではないでしょうか。(そういう意味では、夢と同じような効果がありそう)

この物語を読むと、長寿を得た人間の不幸話の印象が強いのですが、現実世界に生きる人間の一人としては、せっかく得た寿命という貴重な「時間」を有効に使い、動物の人生を送るのではなく、せめて人間として年齢の分だけ価値ある人生を送りたい、そう願います。

ただ、三十歳まで生きた人生を、そのまま晩年にまで生きようとしても無理があるかもしれませんね。実際の世界でも、「若さ」や「強さ」に固執し、それを売り物にしようと努める人もいます。しかし、それが限界に達したとき、急降下が始まるようです。この急降下は悲劇につながりやすい。逆に、急降下ではなく、自負を持ってゆっくり下る、これができる人は「人生の達人」なのかもしれませんね。

年齢の分だけしっかり生きた人には、老いというよりは、そこに成熟がみられるように思います。そして、そこには老いを受け入れた人の美しさがあるのではないでしょうか。


自己実現の「時」がいつ来るかは誰にも分かりません。このような「時」は、一般に言う時計で測定できるような「時」と区別して考える必要があるようです。

神学者パウル・ティリッヒは時を以下の二つに分けて考えたといいます。

ひとつは「クロノス」で、これは時計で測定できる時間です。数字に換算できる時間。一方、「カイロス」は時間の質の体験で、例えば、何かに熱中していて時計の時間的には長いのに、感覚としては瞬間にさえ感じてしまう、そんな体験です。これはいわば、感覚的な時間。

もともと「時」とは後者の感覚的な意味合いが強く、あのニュートンは、時間を感覚から解放するために数学的な時間「絶対時間」を提唱したといいます。

我々の生活に、もはや時間は欠かせませんが、時計で測定できる時間(クロノス)と、もっと感覚的・主観的な時間(カイロス)、両方と接しているようですね。

時間を守るというときは、前者の意味合いが強いようです。スケジュールなんかも、そう。ただ、人と過ごす時間というのは、むしろ、後者の意味合いの方が強いように感じます。授業なんかは、開始と終わりは前者だけど、その途中はというと、後者的な感じもしますね。
(余談ですが、カイロスを「神が定めた時」という人もいるそうです)

「!」とくる瞬間、そういうのも、カイロスに関係するのかもしれません。そして、自己実現の問題と、このカイロスの問題とは密接な関わり合いを持つようです。

例えば、外向的に生きてきた人が、内向的な生き方にも意義を見出さねばならなくなった「時」、家庭を顧みなかった人が家族の病気に際して、家族と深く向き合わなければならなくなった「時」、自分の中の弱さや欠損を否定したり抑圧して生きてきた人が、それに気づき、なお逃れられず、どうしても向き合わねばならなくなった「時」、いろんな時がある。

カイロスとは機会を神格化した神だと言われますが、「チャンスの神は前髪しかない」という言葉があります。これは、「好機はすぐに捉えなければ、次はない」という意味なのでしょう。そして、これと同じように、カイロスを大切にしないと、我々は自己実現の道を誤ってしまうかもしれません。

ただ、カイロスを大切にするばかりに、クロノスを忘れてしまうと、外界に対して適応した態度であるペルソナを損なう恐れがあります。勤務時間、面接時間、劇場の開演時間、いろんな約束の時間、これらのクロノスを守ることは社会人として最低限の常識です。

このように、クロノスのみに囚われると大事なカイロスを見逃してしまうし、カイロスのみに囚われると大事なクロノスを見誤ってしまう。ここでも、バランスが問題になります。そしてその「時」を見極め、何を選択するかというのも、重要になってくる。


自己実現もそうですが、人生の重要な「時」に、我々は不思議な現象に出会うことがあります。それは偶然という言葉でくくるには、あまりにも意味深い現象であり、心にぐっときたりする。

例えば、「夢のお告げ」といわれるような夢を見ることもあるでしょう。祖母がやさしく笑う夢を見て、覚醒した瞬間に電話が鳴り、祖母の死を知るようなこともあるかもしれません。あるいは、夢の中のアニマが現実世界にも現れるかもしれない。

このような『意味ある偶然の一致』をユングは重要だと考え、これを因果律によらない一種の規律であると考え、非因果的な原則として『共時性』(シンクロニシティー:synchronicity )と名づけました。

ここで注意せねばならないのは、「因果律によらない」ことです。上記のような例でも、祖母の夢を見たから祖母が死んだのではありません。仮に、地震の夢を見たとしても、その夢を見たから地震が起きた訳ではないのです。このような共時性の現象を因果律によって説明しようとすると、偽(ニセ)科学や偽魔術、宗教モドキなどに陥ります。
祈ってもらった「から」、症状がよくなった。信心しなかった「から」、悪くなった。そんな都合のいい解釈はないでしょう。よいことは神のおかげ、悪いことは本人のせいでは、本人の努力が価値の低いものになります。というか、神のおかげと言いつつ、特定の人間を神格化するのでは、訳が分からない。


話を戻すと、共時性の現象を見るときは、原因を探るよりは、その現象が当人にとって何を意味するのか考えるほうが、より建設的なようです。共時的現象が、何と何をつなぎ、何を教えようとしているのか? それが大事なのかもしれません。

ユング心理学辞典:「共時性」


「個性化の過程」は自分だけの理想像、なるべき姿、人生の仕事を模索し、それを成し得ようとする作業であり、過程です。それは既存の価値観でもなければ、誰かに押し付けられたものでもないし、世間の流行によるものでもありません。そして、自我も知らぬ未知のものでもあります。

無意識の深遠から突き動かされ、自我と自己とがタッグを組み、この人間の深い部分からの要求を我々が生きる世界で体現することが、個性化の過程です。

我々は意識できない領域に、何らかの可能性や貴重な潜在能力を有している。まだカタチにしていない未知なるものを、持っているのです。自己はそれを、何とか育てようとする。

我々はそれを拒否することで、悩みを大きくしている面があります。なので、そんな時は、自我の力を弱め、無意識のメッセージに耳を傾けるのも、意味あるようです…
http://starpalatina.sakura.ne.jp/kouza/08.html


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8. 女性の〈オーガズム〉と〈クンダリニー覚醒〉

女性のオーガズムには、何かスピリチュアルと関係があるのではないかと予想しています。
脳とスピリチュアルは、切っても切れない関係ですから。
女性のオーガズムを経験することを一部の神秘家(ほとんど男)は、目指していたのではないだろうか。
「神との一体化」を語るような、クンダリニー覚醒といわれている状態も、実は女性のオーガズムを男が数秒体感したものじゃないかと。
女性のオーガズム(俗にいう「イク」)を感じる状態…かもしれない(?)。

そこで、女性がオーガズムを感じた時の脳波は、どうなのだろうかと思い現代の研究に頼って調べてみました :

セックスの際にはオーガズムに達した時にシータ波が観測されます。
この脳波はマラソンなどいわゆるランニングハイでも認められています。
シータ波が快感の尺度であるとしたら、女性はオーガズムに達している間、脳全体がシータ波を発しており、男性に比べても10倍近くに及んでいます。
したがって、このシータ波がオーガズムの強さに比例しているとするならば、女性は男性とは比べようにならないほどの快感を味わっていることになります。
卑近な言い方をすれば、仮に女性のオーガズムをそのまま男性の脳に伝えれば男性はショック死する危険すらありますが、今までそれを実践して亡くなった男性はいません。
それはそうでしょう。男性は決して女性にはなれないのですから。

金子氏は性同一性障害(脳は男性でも体は女性、あるいは脳は女性でも体は男性)の方が性転換手術を受けた後の体験を例に、女性の快感の凄さを説明しています。

「仮に女性のオーガズムをそのまま男性の脳に伝えれば男性はショック死する危険すらあります」
仮ではありません。
実際に『ヨガの真義』などの実践者でクンダリニー・ヨーガで覚醒をしたと自称していた日本人男性が怪死をしています。
それらの事実を知っている彼の弟子(?)や信奉者は、ホームページ上で「クンダリニー・ヨーガは自己責任で」と正し書きを行なうようになりました。
しかし、クンダリニー・ヨーガでの覚醒状態が、女性のオーガズムと同程度だとしたら、どうなのでしょう。
たしかに肉体的な快感や一体感を感じられる時間をクンダリニー・ヨーガで実際に感じることができるかもしれませんが…
クンドゥン(ダライ・ラマ14世)やその他の方が仰るには、日常的に目覚めて温厚な人柄で生きていなければ、簡単にいえば菩提心を持たなければ「クンダリニー・ヨーガ」や「覚醒体験」は、子供に駄菓子を与えるようなものと同じかもしれないと思います。

女性にバカにされそうですが、
「あぁ、昨夜体験した状態が覚醒なわけね」
「私なんて何回でも体験してるよ」とか言われちゃって。

女性は凄いなと思うわけです。子供も産めますし、女性は神秘的であります。

オーガズムを日常的に感じてしまう病気もあるそうで、セックスとは関係なく、どんな時でも、どんな場所でもオーガズムの状態に陥ってしまうという病気らしいです。
これは性的興奮、生殖器の充血とは全く無関係に、自然発生的かつ持続的な性的快感を受けるもの、らしいです。

・ 日常的に性交の快感が続く”持続性性喚起症候群”とは
・ 一日に200回オーガズムを迎える英女性―持続性性喚起症候群

インドの人のなかに、これと似たような人いませんでしたか。
脳波がいつもシータ波状態ってことは、すごい恍惚とした表情で生活しているわけですから、いっけんアホっぽい男性とか(?)。
キチガイの悟りって状態でしょうか。 病気の場合は、可哀想ですが。

持続性性喚起症候群の原因は様々である。
例えば塩酸トラゾドン(トリアゾロピリジン系抗うつ剤)の副作用として発症する場合もあり、その場合は摂取をやめることで症状が消えたと言われる。
またある報告によれば、原因は骨盤の血管(ペニスやクリトリスに分岐する血管)の異常であったため、その患者は外科手術によって治療されたという。

あと、クンダリニー・ヨーガでの覚醒を目指した性欲を抑えた激しい禁欲状態でも、この病気と同じようになるという記事もありました。
クンダリニーって精神的か肉体的な病気なのかもしれない部分も捨て置けません。

女性がオーガズムを感じた瞬間の状態が「クンダリニー」に似ているので、その状態を列挙しますね。

● 眼球の動きが止まる
オーガズムに達したときは、ほんの数秒だけ、眼球の動きがとまります。
眼球は、ふだん必ず動いているものだから、彼女の目があいていれば、相手の眼球が急にとまり、放心状態になります。

● 呼吸が止まる
一、二秒ですが、エクスタシーの瞬間に呼吸がとまります。
よく、映画などでは、ベッドシーンにあえぎ声がつかわれますが、実際は、その瞬間に、息の音が聞こえなくなるものです。

● 汗をかく
オーガズムに達するとき、体全体がカッと熱くなり、汗をかきます。
セックスはスポーツと同じ運動だから汗をかくのかというと、それは間違いです。
性中枢が視床下部にあり、発汗中枢が近いため、といわれています。
しかも汗のかき方には特徴があって、全身にうっすらとかいていれば確実に達した証拠です。

● 筋肉が堅くなった後に訪れる
エクスタシーの直前に、女性の筋肉は急に緊張します。
そしてその後、エクスタシーに入るやいなや、緊張が緩みます。
彼女が力を入れると、イッたかと思っている男性がいるようですが、実はその後の脱力状態の数秒がエクスタシーを感じている瞬間なのです。

● 顔の表情は放心したようで、必ず左右対称
筋肉の緊張と緩和は、顔の表情にも表われます。
その瞬間は、緊張がとれ、放心状態で声はでないものです。
また、顔の表情は、その瞬間なら、意識的に左右を変えることなんて不可能です。
顔を片方だけ歪めていたら、それは間違いなくイッたフリです。
自然に左右対称で、止まったような表情をしていれば、絶対に感じているはずです。

このほとんどが、クンダリニー覚醒といわれているものと、ほぼ同程度というわけで、クンダリニー覚醒などはあまり…という感じの記事でした。
男の方は、奥さんや彼女に聞いてみてください。
女性の場合は、いつでも模擬体験することができるんですから、
「これが一体感で覚醒した気なのね」とか。
そのようなものかもしれません。
女性の神秘家って少ないですが。何ででしょう?
http://teruterulog.jugem.jp/?eid=449


オーガズム時の身体の変化

Orgasm explanation
http://www.youtube.com/watch?v=hypJuDQxbeY&feature=player_embedded

男性でも女性でも、オーガズムの際はさまざまな無意識的な身体反応が起こる。
性器の充血、発汗(ただし発汗はオーガズム時よりも少し後れるという観察もある)、発声、下肢の筋肉の硬直、性器周辺の筋肉の痙攣などが一般的には観察される。
女性の場合、バルーン現象や膣奥の規則的な収縮が確認できることが多い。
また、オーガズム前後では性器以外の皮膚感覚や視覚・聴覚が鈍くなる。
さらに、オーガズム中の脳は

θ波と呼ばれる睡眠初期のときに出る脳波で充満した状態となり、
ドーパミンやセロトニンと言った脳内の快楽系神経伝達物質も活性化し、
A10神経も反応を強くする。

また近年の近赤外光吸収を使った研究では、

前頭葉の血流の著しい減少が見られるが、

脳細胞はヒトの細胞の中でも、最も酸欠に弱い細胞であるので注意が必要である。


オーガズム時の性的快感(絶頂感)

性的反応は、マスターズ夫妻(en:Masters and Johnson)によれば4つのサイクルによって示すことができるとされる。
興奮期(快感が目覚めはじめる)
高原期(快感が一定の強度で続くか一時的に快感を得にくくなる
絶頂期(最高の快感を得る瞬間)
後退期(快感を得られなくなり、性反応が消失する)

絶頂期に当たるオーガズムでは、強烈な性的快感(気持ちよさ)を感じる。
この快感の強弱は個人のその日その時の体調(脳の感受性)に左右されるため、筋肉の不随意収縮(俗にピクピクと表現されるPC筋などの括約筋のリズミカルな収縮)などのオーガズム反応があっても、快感をわずかしか感じない時がある。
性的快感は、高原期からオーガズム期に移行するわずかな時間、オーガズムの直前にもっとも強烈な快感を得る。
このときに性的刺激をやめると、快感を消失しつつ括約筋の不随意収縮がみられることがあり(快感を伴わないオーガズム)、不随意収縮が収まると精神的満足感を得ることがある。
この不随意収縮が収まった後、性的刺激を再開すると再びオーガズムへ移行することができる。
オーガズム快感は、大人のみならず、小児であっても感じることができる。
小児が性器いじり(マスターベーション)によってオーガズムを得るとそのまま頻繁に同じ行為を繰り返すようになる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%BA%E3%83%A0


坐禅をして禅定に入ると、脳波が平常のβ波からα波になり、さらに禅定が深まるとθ波になると言われています。
精神の安定した、リラックスした状態の時の脳波はα波であると報告されています。

坐禅は安楽の法門とも言われていますが、身も安定しますし(調身、調息)、精神も安定します(調心)。
ですから脳波も当然そうなるのでしょう。

古来、投機の偈には自然と共鳴したものが多いようです。
宇宙意識と言うか、自分の境界や垣根が取れて隔てがなくなり、自然と一体になるということです。
梵我一如と言います。
「天地我と同根、万物我と一体」と詠ったのは肇法師です。

香厳は竹に石が当った音を聞いて悟り、霊雲は桃の花を見て悟り、蘇軾は渓川の音を聞いて悟りました。
その聞いたり見たりしたものと自分との隔てが何もないのです。
その時自分は空じられている、無になっているのですから。

平生の私たちは自分というものがあるというふうに感じています。
自分の境界、垣根を作っています。
そして自分というものに執着しています。
それは本来の自己ではありません。
作られた、抑圧された、捉われた自己にしか過ぎないのです。

「放てば手に充つ」(道元)と言います。
手を放せば、執着がなくなれば、自己が無になれば、全世界、全宇宙が自己です。
本来の自己、宇宙的な自己です。
http://www3.tokai.or.jp/counseling-zen/link2.htm


坐禅(ざぜん)のすすめ 〜自然治癒力で心身を癒す〜

 坐禅を科学的に分析したパイオニアといえば、東京大学医学部教授の笠松章と、東大医学部付属病院分院神経科医長の平井富雄である。
平井は、精神病やノイローゼにかかった患者の診察である。
 1955年7月初めから9月の終わりまでの3カ月、笠松と平井は、修行年数20年以上になる曹洞宗の僧侶14名を対象に、坐禅をしているときにどういう脳波が出るかという実験を行う。
そして、その研究成果は1960年に「坐禅の脳波学的研究」という論文で発表された。
 脳波の単位はヘルツでの表示。
1ヘルツは「1秒間に1回の周波数・振動数」があることを指している。
一般人が起きて日常生活を送っているときに出るのはベータ波で、波の振動は20〜30ヘルツ。
目を閉じて平静な状態で出てくるのがアルファ波で8〜13ヘルツの波で、ベータ波よりゆっくりしている。
アルファ波が出ているとき、人は心身共にリラックスした状態にあり、「癒しの脳波」といえる。
そして、それよりも遅いのが4〜7ヘルツのシータ波で、中程度の睡眠の時に表れる。

 笠松・平井の実験では、僧侶に目を開けた状態で坐禅をやらせている。
僧侶たちは坐禅を始めると数分でアルファ波が出てきて、時間が経つにつれ振動はゆっくりとしていしてき、中にはシータ波が出る僧侶もいた。
比較として、坐禅をやったことのない人に同じように坐禅をやらせてみたが、ベータ波が出るだけであった。
 坐禅を長く実践すると、緊張を解きほぐし人々を癒すアルファ波が生じ、それ以上のリラックス効果を与えるシータ波が出る場合もある――
ということを実験は示している。
平井は、坐禅こそが神経症(ノイローゼ)など、心の病を癒す精神療法になると結論づけた。

 神経症の人は日ごろ非常に強い精神緊張の状態にあり、そのために日常の生活が上手くいかない。
坐禅の実践は精神緊張を解きほぐし、その結果、神経症の治癒につながる。
平井は坐禅の効果を「根源的な生命力というものをときはなつ」と形容した。
 最近では、脳生理学の専門家で東邦大学教授の有田秀穂氏が坐禅の効用に関する研究を発表している。
坐禅を20〜30分間続けると、脳幹のセロトニン神経が活性化され、脳全体を覚醒させる神経伝達物質のセロトニンが増加するという。
セロトニン神経とは脳内にある150億の神経細胞の1つで、セロトニンを合成し、それを神経の情報伝達に利用する。
 精神医学の通説では、うつ病はセロトニンが不足して起こるといわれている。
坐禅をすることでセロトニンが増加すると、頭はすっきりし、不安感も取り除かれた壮快な精神状態になれる。身体的にも、顔つきも締まって背筋が伸び、腰が据わる。
 大学でも坐禅の効能に目をつけたところがある。
2006年2月、花園大学(京都府)は社会福祉学研究科に臨床心理士養成課程を設置、それに併せてカウンセリングセンターを開設した。
座禅を採り入れた心理療法をするために8畳の和室を用意されている。
坐禅に関心が高まっている一例とも言えるだろう。
どうすれば坐禅をできるか。方法はいたって簡単だ。
まず、座布団の上にすわり、足をくむ。
足のくみ方には、ももの上に両足をのせる結跏趺坐(けっかふざ)と、片足をのせる半跏趺坐(はんかふざ)がある。
体のかたい人は後者をやればいいだろう。
背筋は伸ばしてあごを引き、重ねて輪をつくった手はへその前に置く。
視線はおよそ1メートル前方、約45度の角度におとしたままにして、深々と息を鼻から吸い込み、これを徐々に口から吐き出す。
この深呼吸を数回行った後は、自然と鼻からの呼吸にまかせる。

 坐禅において、大切なのは「調身」「調息」「調心」だ。
姿勢を正し、呼吸を整え、雑念を払う。
ストレスを多く抱えている人は、坐禅をして気持ちを整え、心を癒すといいだろう。
http://www.pot.co.jp/oikenparis/%e5%9d%90%e7%a6%85%ef%bc%88%e3%81%96%e3%81%9c%e3%82%93%ef%bc%89%e3%81%ae%e3%81%99%e3%81%99%e3%82%81.html

【一】〔脳波をコントロールする坐禅〕

「脳」という闇の箱の中で行われる精神活動を、なんらかの形で人間の目で見えるものに置き換えてくれるのが「脳波」です。
この脳波の存在に最初に気付いたのは1924年ドイツの精神医学者ハンスベルガーであり、人の頭から波型の電位変動が記録される事を確認しました、彼はこの歴史的発見から5年後論文を発表しました。

その後アメリカのブレーメ、フランスのリンズレイ、などの学者によって精神の働きに従って、脳波がどの様に変化するのかという関係がその微細な脳波のパターンによって解明されてきました、
人間の精神活動に応じて時々刻々移り変わる姿そのままの形で、全く忠実に表現する現象であるのです。

要するに精神活動がだんだんに強くなるに従って、

緊張の度合いにあたかも比例するように、脳波がベータ−波からさらにガンマ波へという、速い周波数(高サイクル)をもった波形に移り変わっていくのです。
ではその脳波をサイクル別に説明しますと。

@ ガンマ波(30〜50サイクル)
人がカーとして大喧嘩するなど、精神が非常に興奮したとき出る波


A ベータ波(20〜30サイクル)
正常な人が眼を開けて、活発に日常活動するとき出る脳波  別名活動型脳波という


B アルファ波(10サイクル)
最も基準になる脳波とされる。
この波は正常な人間が、心身ともに安静な状態で眼を閉じて、くつろぎリラックスしたとき、脳が安静に向かうときに現れる脳波であり、坐禅中は眼を開けていても現れ、これを安静型脳波・ 坐禅型脳波という。
このアルファ波は眠りに移行するにつれて次第に遅くなり、精神活動が緩慢になるほどゆったりとした大きな波に変わって行く、別名〔幸福の脳波〕


C シータ波(4〜7サイクル)
寝入りばなのウトウトとしたとき出る波、
超能力はこの状態のとき出るといわれる、
坐禅の熟練者になると目をあけていてもこの状態になる。


D デルタ波(0,5〜3サイクル)
非常に深い眠りの状態のときの波です。


さて以上をふまえ、宗教的方法の対極の位置にある、現代科学の先端技術を扱う科学者である 平井富雄博士が、なぜ坐禅に興味を持ったかといえば、
一番目として、過去多くの実例から坐禅の経験者は、悩みや心配から解放され、運命に打ち勝ち、安心立命を得ることを身をもって体験している事実があることです。

例えば、明治維新の立役者であった勝海舟は「自分をつくったのは禅と剣だけだ」と言い切りましたし、
また海舟と親交があり、同じく維新で活躍した有名人・無刀流の創始者で剣豪の山岡鉄舟は、坐禅によって・縦横自在・活殺自在の働き、つまり〔禅気〕という気合を会得し、師匠であった浅利又七郎も及ばない境地に達した話は有名なエピソードです。
熟練者になると、精神の絶対安定状態「悟り」を開き、「解脱」という理想の心の境地に達するのです。

今一つの理由として、平井博士が各種の患者の脳の病気を治療する過程において、
精神障害患者の脳波が正常人との違うことに疑問を持ったこと、
それ以外に、健康な人でも例えば睡眠に陥ると、脳波が目覚めているときとは全く違うということ、
よく聞く話として坐禅のとき「無念無想」の意識になるといわれるが、それもきっと脳波に現れるに違いないと思われたからです。


坐禅は眼を開けて行います。
しかし坐禅中は眠っている時よりも心が深く安定しています。
それならこの様なときの脳波は、どの様な現われ方をするのだろうか?
脳の中の機能・働きを忠実に波形の曲線として記録できる脳波が、坐禅のとき変化しているのであれば、神秘のベールに包まれていた坐禅を、現代科学の土俵に引き出すこととなり、そしてそれがハッキリと証明されれば、すごい発見になるのではないか・・・・・

そしてこのとき発生する脳波が、脳生理学的理論に合致するのであれば、坐禅こそ他に類を見ない精神操縦法として科学的に確たる普遍性を持つこととなり、「健康」に坐禅がほんとうに役立つことが証明できるのではないかと考えて、坐禅中の脳波変化の研究を思い立ったのです。
さていよいよ禅の長い歴史始まって以来の大事件である実験が開始されたのであります、
(このときの記録ビデオはNHKテレビで放映され大きな反響を呼びその後世界中の精神医学会に大きな影響を与えました。
私も当時大きな感銘を受け我が事のように嬉しく坐禅の力を納得しました。)
さて1955年平井博士は、同じ東京大学の精神医学者である、笠松章博士と研究スタッフともども、東京都港区の青松寺という由緒ある寺院において、脳波測定の機械を搬入し禅僧が14名が協力し、その歴史的な実験は始められました。
(同年6月には再度横浜市にある曹洞宗大本山・総持寺においてベテラン禅僧18名の協力のもと坐禅中の脳波をより高度な測定器において実験された)


実験結果は驚くべき発見の連続であった。

坐禅中は目を開けているから、当然ベータ波が記録されるだろうとの予測は完全に裏切られた。
坐禅を始める前は当然ベータ‐波が現れた。

しかし坐禅が始まり1分もしないうちに、目を開けているにもかかわらず、きれいなアルファ波が現れた。
目を開けていながら、外部の世界とのあいだに緊張した関係が無い、ゆったりした精神状態が続き、
外部世界を見ているようで、しかしそれにとらわれない状態、
すなわち、自分の外部環境にそのまま囲まれていても、決してそれらに支配されていない心の状態といえる。
まさに驚くべき結果であり、しかも

坐禅が始まって2〜3分後にはシータ波(7〜8サイクル)が定期的に出現している、


このシータ波はアルファ波よりゆっくりした波形で、寝入りっぱなのうとうとした状態でないと絶対現れないものであり、
この精神状態は深い安定、幸福な気分や大変深いリラックスのときにしか現れない、
目を開けての坐禅中であり、もちろん彼らが眠っていない事は臨床的には明らかである、

さて30分経過し坐禅が終わっても坐禅の余韻が残りアルファ波が出現したまま残り、実に5分間も続いた人も居た。
この結果坐禅が意識の変化をもたらし、人間の精神状態を自由にコントロールできることが科学的に証明されたのです。
しかももっと驚いたことは坐禅の効果が、坐禅が終了し、組んでいた足を解いたあとも、歴然と残存している事実をつきつけられたことです。

ではこの様な事実は、専門的なプロの坐禅修行者だけに現れる現象であるのか?
そうで無ければ誰にでも起こる現象なのか?
この問題を究明するため、同じ場所、同じ条件で坐禅の全く経験の無い若い人たちに正しい姿勢、や呼吸のしかたを教えて坐禅をさせた結果、

最初はやはりベータ−波が多かったが、しかし1〜2秒続くアルファ波がときどき現れていることが、確認されたことは驚嘆に値することであった。

ここで平井富雄博士は大変貴重な資料を得たこと、それは専門化の坐禅の熟練者が、味わった無念無想の境地は、彼らだけの専売特許ではないということであります。
坐禅の経験を一度も経験した事が無い人達も、坐禅で行う正しい姿勢と、正しい呼吸法を練習すれば、
誰でも禅僧のような無念無想の境を一時的にしろ味わい、
又継続すれば誰でも禅僧と同等の〔三昧の境〕(心が集中統一された精神の絶対の安定状態)になれることが脳波が教えてくれたのです。
坐禅は人間の精神状態を自由にコントロールできるという事実が、近代科学で証明されたのです。


【二】〔精神電流現象〕

さて平井富雄博士らは、坐禅と睡眠の両者の相違を確認し、脳の機能的変化の差を知る為に、今度は脳波を離れて、別の識別法によって、坐禅の脳科学的解明の研究がなされた。
それが精神電流現象(GSR)です。
これは人が精神的に動揺すると、皮膚の汗腺が影響を受け、電気抵抗が変わる現象です。
よく警視庁で犯人を取り調べに使うウソ発見器は、この原理を応用したものです。


ウソをつくと、態度や表情は平然としていても、ウソをついたという心理的動揺が起こるので、その反応がポリグラフ上に現れるのです。
犯行を否認する犯人も、色々攻められるとやはり精神的に動揺し、手のひらの電気抵抗が変化し、その変化がポリグラフにハッキリと描かれます。

よく「手に汗握る」といわれますが、やはり測ってみれば精神電流現象が認められます。
この精神電流現象は、人が起きて日常生活の活動をしているときは、ひんぱんに起こる現象です。
しかし睡眠中は起こりません。
ですから座禅中に、アルファ波やシータ波など睡眠に良く似た波があるときに、この現象があるかどうかを調べれば、坐禅と睡眠の極致を比較できると平井博士は考えられた。

実験は坐禅中の禅僧に刺激装置から(カチィ)という音を自動的に流して聞かせ、その音に対する反応を脳波でみるのです。
その結果ハッキリと音に気付いており、眠っていない事が確認された、
しかしもっと大きな発見があったのです。

たとえば坐禅に関係なく、普通の人を寝かせ、目を閉じさせて、ゆったりとさせてから、刺激装置から定期的に刺激を与え、精神電流現象を出させても、2〜3回続くとその刺激に慣れや、習慣性が出て、あとはいくら刺激しても反応がなくなってしまいます。
これが普通の常識的な人間の生理現象です。
ところが坐禅はこの「慣れが起こらない」のです。

これは非常に重要な事なのです。
この「慣れ」がなく、常に刺激に反応するということは、脳波から見ると睡眠に等しいほど、精神がすごく安定したアルファ波、シータ波などの平穏な波型を示しながら刺激に対しては常に新鮮な反応を持続する、
すなわち意識は休息していながら、活動しているという、とても驚くべき離れ業を演じている事です。

坐禅とよく似ている「催眠」=「催眠術」でも決してこんな複雑な形にはなりません、

人は「催眠」の暗示に掛かれば眠ってしまい、
シーター波を示した段階で、外部より刺激を与えても全く無反応になってしまいます。
医学的に強調しますと、実は坐禅のこの「矛盾した脳活動」こそ人間の「健康」に非常に有益で大変役立つ生理現象なのです。

〔外部からの刺激には平時より反応は鋭いが、精神状態は絶対の安定を保たれている〕、

〔脳活動が新鮮で長く持続されいるが、意識は絶対の休息状態にあるという、〕

一見矛盾した脳活動こそ、俗にいわれる

(融通無碍)=
(心と体はゆったりと安定し、何ものにもとらわれないが、どんな事態が起きても最善の対応できる)

という仙人や超人的な心の境地なのです。
坐禅を行えばストレスが消え、精神力は強くなり、能力がアップし、どんな事態にも沈着冷静で、能力を全てだしきれる精神状態にあるといえる意味が徐々にお分かりになってきたと思われます。

【三】〔動静一如〕(どうじょういちにょ)とは

さて禅の言葉に「剣禅一如」(けんぜんいちにょ)とか「弓禅一如」(きゅうぜんいちにょ)とがあります。
「動静一如」とは、動と静とが全く差別なく一つになって、人間の心の中で一体化している状態の事です。
静とは眠ったような状態、動とは意識が緊張している状態ですが、互いに矛盾した状態の共存は、けっして超論理の世界のことではなく、脳波を見れば、誰でも納得のいく事です。

安静型のアルファ波が出ているとき、外部から刺激を与えると、精神電流現象が起き、脳波は活動型のベーター波にすぐ変わります。
医学用語では静的な脳波が動的な脳波に変わることをアルファ抑制(アルファ・ブロッキング)と言いますが、
座禅中はこのアルファ抑制に対して「慣れ」が起こりません。
医学的な常識では、普通何度も刺激を繰り返していると、いつの間にか慣れてしまって、アルファ抑制の効果がなくなるものですが、坐禅ではそれが無く、安静と動が、常に共存しつづけます。
これが禅マインドとして知られる動静一如の科学的な説明になります。
他の表現を用いれば、

さざ波一つ立たない青い水をたたえた湖のように、
妄想の無い静かな心と、大海のようにどんなものでも飲み込んでしまう心
とが同居しているわけで、矛盾のある見事な包含を表現しています。

仏教でみる「色即是空」(しきそくぜくう)「空即是色」(くうそくぜしき)とか「無心有心」「明鏡止水」なども相反した矛盾がバランスをとって一如として体得される状態であり、科学的にも納得のいく事なのです。
言い換えますと、「極めて高度な精神と肉体の調和状態といえるのではないでしょうか。」

【四】〔自律神経〕
私たちの体は、自分の意思に関係なく、休み無く働いています。
心臓を動かしたり体温を維持したり、運動をすると心拍が高まり、物を食べれば消化します。
これは私たちが意識して行っているのではありません。全ては自律神経の働きによるものなのです。

すなわち自律神経とは人間の意志とは無関係に、その神経自体の自律的な働きで動いています。
血管、心臓、胃腸、子宮、膀胱、内分泌線、汗腺、唾液腺、膵臓などを支配し、これらの機能を自動的に調節する神経であります。
自律神経には交感神経と副交感神経とがあります。
この神経のやっかいなところは、人間の意志になかなか従ってくれないところにあります。

言い換えますと「人間」の生命維持という目標には従っても、各個人の意思には従はないのです。
さて自律神経のうち、交感神経は心臓の働きを促進し、血管を収縮させたり血圧を上げたりします。
主に昼間働いて、体を活動的にする神経であります。
一方の副交感神経は、血管を広げ血行を促し高い血圧を下げ、栄養と休息を与えてくれます。

主に夜働いて体を休める神経です。

平井博士は脳波と平行して調べられた、皮膚の電気抵抗の度合いを示す、精神電流現象は感情の変化や精神の動きを伝えるだけでなく、じつは自律神経とひじょうに密接な関係があることが、大脳生理学で明らかになってきました。
坐禅中に脳波が安静型に移行し、脳の働きが平静になった時、精神電流現象は逆に活発になったこと。
これはすなわち自律神経の活動のレベルが上昇する事が確認さたことであり、
このことは自分の意思ではどうにもならなかった自律神経が坐禅によって自由にでき、鍛えれれたたことであります。
平井富雄博士らは実験中、大胆にも、坐禅中の禅僧にお願いし、数ミリリットルの血液を坐禅中に採らせてもらい調べてみました。

確かに酸素消費量は、それほど目立って増加していませんでした、
しかし、乳酸の量は減っている事実が確認されました。
このことから、坐禅により、交感神経から神経転移がおこり、副交感神経が優位の状態で活動していることが証明されたのです。
詳しくいいますと、坐禅を行う事により、活動型で刺激に反応して肥満の原因となる食欲を抑制したり脂肪燃焼を促すなど、刺激に敏感に防衛機制をとる交感神経が鎮静し、抑制型で精神の安定と休息を与えてくれる、副交感神経の働きが活発になるのです。
脳波をコントロールできた坐禅はそれにも増して、人間の意志ではなかなかコントロールしにくい自律神経の働きまで変えることが証明されたのであります。
昔から坐禅は「人類の宝」と言われてきましたが、坐禅の偉大な効能を世界的に証明した研究成果といえるでしょう。

【五】〔坐禅で行う腹式呼吸法は精神力と健康を大いに高める〕 

 呼吸が速くなればそれだけ多く酸素が得られるのでしょうか?
いいえ全く逆であります。
かえって呼吸が浅くなる為に、せっかく吸い込んだ空気が肺の奥にある肺胞まで達することなく、気管支の周辺で出たり入ったりしているだけであり、
一回の呼気で、肺から出てゆく空気の量が少なくなり、炭酸ガスを含んだ悪い空気がそのまま肺に残留する事になる。
この様な状態では、新しい酸素を多く含んだ空気を吸い入れる余地が無くなり、しかもこれでは無理をしなければ息が吸い込む事ができません、
反対に、はく息をゆっくりすることは、じつは効率的な呼吸法であり、ゆっくりと、肺の底に残留する空気までしぼりだすような感じで息を吐ききると、空っぽになった肺と外の空気との間に気圧の差が生じ、無理に息をしなくとも、空気が自然に肺の中にドット流れ込んできます。

このように呼吸をゆっくりさせ、普通の人の呼吸数は安静時一分間に約18回ですが、
これを坐禅中に行うと一般人でも呼吸数は一分間に、4〜5回となります。


呼吸法を生理的にみますと、大きく二種類の方法があります。

一つ目は、普段私たちが無意識に胸で行う胸式呼吸です。これは胸で息をするやり方です、
肺は肋骨で囲まれているため、胸式呼吸は肺が大きく広がらず空気を大量に取り入れることが出来ません。

二つ目は坐禅で行う腹式呼吸です。
生まれたての赤ちゃんはみんな腹式呼吸をしています。
しかし成長するに従い、胸式呼吸に変わってきます。
腹式呼吸法の、空気を取り入れる量は、胸式呼吸より約5倍ほど多くなるといわれます。
腹式呼吸は一言でいうと、腹が出るように息を吸うことです。なぜ腹が前に出るかというと、横隔膜(胸部と腹部を隔てるドーム形の筋肉の膜)が下方に下がるから腹が出るのです。

横隔膜が下部に下がれば胸の中の容積が下方に広くなります。
また息を吐くときはお腹を引き込ませて背中の方に引きつける。
このときには横隔膜は上方に押されて上がる。
横隔膜が上に上がると、肺に残った悪い空気が全部外に押し出される。
このために腹式呼吸が酸素供給面から見ても、一番よい呼吸法といえます。
腹式呼吸は横隔膜運動によって行われており、この運動はその下部に位置しているすなはち、へその下の下腹部は太陽神経叢と呼ばれ、ここの活動を促し、その結果、自律神経の働きも活発になります。
これはまた全ての内臓の活性化に直結します。
又腹式呼吸は横隔膜の筋肉と丹田=(臍下丹田=せいかたんでん=へその下の下腹部=へその下5センチ)の筋肉を強化させます。
これは健康に必要な強い腹圧(腹の力)をつくります。腹圧が強くなければ坐禅のときの、細く長い呼吸はできません、

私たちの肺には筋肉が一筋もありませんが、腹式呼吸によって横隔膜の上下運動による、この横隔膜の上下運動をさせる主な筋肉が丹田(たんでん)に繋がっています。
結局私達が意図する静かな坐禅の呼吸は、「丹田」=「臍下丹田」強化の運動だということです。
じつはこの「臍下丹田」=(へその下5センチ)こそ最も重要な人間の中心であり、私たちが坐禅をするときに精神を集中するところなのです。
武道などでよくいう「腹が坐る」とか「胆力がつく」というのはここのことです。

このように坐禅で行う腹式呼吸は単に肺活量が大きくなるだけでなく、体中の細胞に胸で行う胸式呼吸より何倍もの酸素を行き渡らせ、又新鮮な栄養を細胞に供給します。


【七】「エネルギー代謝」(基礎代謝)の減少(極めて高度な心身の統一状態)

人間の体のエネルギー代謝のうち、最も最低と考えられているものが基礎代謝です。
この基礎代謝は、朝眼を覚まして朝食を取らずにそのままベッドに静かに寝ている状態のときはかります。
つまり人間が生きて行くのに、最低必要なエネルギー量を算出するわけです。
さて坐禅中のエネルギー代謝を、平井富雄博士とそのグループが実験計算したところ、またもや大変な結果が出ました。
坐禅中のエネルギー代謝は基礎代謝より、20パーセントも下っていたのです。
つまり朝目覚めて朝食を取らず、そのままベッドに静かに寝ている状態よりもエネルギーが消費されない状態ということになります。
何と驚異的なことでしょう、
眼を開いて坐禅をしているのですから、当然使われるエネルギーは基礎代謝より多くなると予想していたのですが

事実はこれとは全く逆だったのです。
http://honmono.co.jp/zazen_chair/uraduke.html

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9. エロスは梵我一如の世界

梵我一如とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。
古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。
梵とは神ではなく、あらゆるところに始めから存在する生命の源と考えられている。
また人間が梵を吸収することにより生命力が増すという思想もある。
仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは遍在する原理、または真理を指していた。
一方、我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。
ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82


ブラフマン
ブラフマン (Brahman) は、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根本原理。自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一(等価)であるとされる(梵我一如)。

サンスクリットの「力」を意味する単語からきている。
特に、物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の力を意味する。

神聖な書物であるウパニシャッドにあるように、ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派 (Vedantic) の思想によれば、この単語が指しているのは、外界に存在する全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の現実である。

それは純粋な存在と意識そのものであり、ある意味では「世界の魂」とも呼べるものである。

ブラフマンは宇宙の源である。神聖な知性として見なされ、個々人の魂を含む全ての存在に浸透している。
それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は1つのブラフマンの現われである。
初期の宗教的な文書、ヴェーダ群の中では、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされる。

ウパニシャッドの哲学者は、ブラフマン = 「世界の魂」は、アートマン(atman、真我) = 「人類の内なるエッセンス」と同一であるとする。

ヒンドゥーの神々の体系では、ブラフマンはブラフマーと同一のものと見なされる。
ブラフマー(創造者)は三神一体(Trimurti)の神々の1つであり、ヴィシュヌ(保持者)と、シヴァ(破壊者)とは本来同一とされている。

ブラフマンは物質的宇宙の全体の背後にあるため、理性により提供される道具だけを使ってそれを説明しようとすると、人間の精神はすくんでしまう。
ブラフマンは感覚を超えており、精神を超えており、知恵と知性を超えており、想像を超えている。


アートマン
アートマン(Atman) は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。
真我とも訳される。
最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。
それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。

初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。
その属性を「…である」と定義することはできないという。
したがって、「…である」ものではない。
すなわち、「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」「有るものではないもの」がアートマンで、これは仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。
ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/62.html#id_622e274d

死を恐れ、永遠の生命を望むのは、古今東西、どこでも見られる現象です
そのため、古代人はさまざまな空想を駆り立てて、死後も生き残る自己の物語(エジプトのミイラ、中国の仙人、キリスト教の復活、インドのアートマン、日本の魂、など)を創造してきました。
さいわいなことに、古代インド人は彼らの思想を伝達することにきわめて熱心で、たとえば、リグ・ヴェーダ経典は世界最古(おそらく西暦前1200年頃成立)の残存する経典となっています。
そこで、彼らの古代の経典を調べることによって、どのようにして、古代インド人がアートマンというものを信じるようになっていったか、その初期の状況をかなりくわしく知ることができます。
たとえば、『ブリハッド・アーラヤヌカ・ウパニシャッド』には、アートマンが次のように説明されています。
「アートマンとはどのようなものか」

「認識からなり、諸機能のうちに、(また)心臓に存在する内部の光であるこのプルシャ(神人)であります。

彼は(かなたの世界とこの世界に)共通ですから、両世界を往来します。
(かなたの世界では)沈思するかのようであり、(この世界では)動き回るかのようであります。

彼は夢となって、この世界…、死のさまざまな形を超え出ていくのです……。

まさしくプルシャ(神人)には、実際には二つの状態があります。
(目覚めて)この世にあることと、(熟睡して)かなたの世界にある状態とであります。

夢の状態は(両者の)つなぎ目になる第三のものであります。
そのつなぎ目の状態にあるとき、彼はこの世に在ることと、かなたの世に在る状態という、この二つの状態を見るのです……。

彼は眠っているとき、万物を包蔵するこの世界から物質素材をとり、自ら破壊し、自ら創造し、自らの光輝により、自らの光明によって夢を見るのです。
この場合、神人は自らを光明とするのであります……。

その点について次のような詩節があります。

黄金の神人、一羽の鷲鳥は、
眠りによって、身体にかかわるもの(この世)に打ち勝ち、
自らは眠らず、眠った者たちを観察する。

彼は光を得て(目覚めて)、もとの位置に戻る。

黄金の神人、一羽の鷲鳥は、
下方の巣(身体)を、気息によって守りつつ、
不死となって、巣(身体)から外に歩み出で、
望むところに、不死のものとしておもむく、

夢の中で、あるいは上昇しあるいは下降し、
神として、さまざまな形像をつくり出す。

……

人々は彼の巣である園林を見るが、
だれひとり彼を見るものはいない。

……彼は、実に、この安全な安息(熟睡状態)のなかで楽しみ、徘徊して、善いこと悪いことを見た後に、もとのところへと進路を逆にたどり、夢へと馳せ戻るのです。」
(長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』より)

アートマン(永遠の魂)という概念が、ここでは、夢の中で自由に行動する自己と同一視されています。

そして、夢の中の世界や熟睡状態の世界をもう一つの事実の世界であると見なしています。

このような夢の内容をそのまま事実の世界と思い込む現象は、決して、古代インド人だけに特有のものではなく、現代人のなかにもしばしば見られるものです。

たとえば、「ベッドに横たわる自分の姿を上から見ていた」、という内容の夢を見た人が、夢を事実と取り違えて、

「身体から抜け出した魂が抜け殻の身体を上から見ていた」、

というふうな解釈したりする話を、今日でもときどき聞きます。


上記の「自らは眠らず、眠った者たちを観察する」という表現も、そういうことを意味してるのでしょう。
しかし、古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、目覚めているときにも体験しようと執拗に試みたところにあります。
それが、ヨーガ(瞑想)だと思われます。
ヨーガ(瞑想)に関する教典から、古代インドのバラモン教の実践者たちが、現実の世界よりも夢(空想)の世界の内容を「より真実の世界」であると思い込んでいたことがうかがえます。
夢における知は、夢の中で拝んでいた、神の美しいすがたを対象としている。

目覚めたときの静かな心で同じ神の姿に凝念すれば、ヨーガ行者の心は安定に達する。
(「ヨーガ・スートラ」、同上)

このように、ヨーガ行者は夢の中と同じ体験を瞑想のなかに求めます。

さらに、夢の中で自由に徘徊する自己、という考えをエスカレートさせて、

ヨーガ行者は水上を歩き、蜘蛛の糸の上を歩き、光線の上を歩き、さらに虚空を自由に行くことができる。(同上)
とか、
心が身体を離れて外的に働くときは、大離身といわれるのである。
この大離身によって、ヨーガ行者は他人の身体に入る。(同上)


などともいわれます。

夢のなかで「自己」が身体を離れてゆく現象を、目覚めているときに意図的につくりだす心理的テクニックが本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、

後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、いわゆる「空中浮遊」などが信じられるようになります。

いずれにしても、夢や空想を現実から区別をしようとしない独特の宗教的習慣が古代インド人の間にあったことは否定できません。

このような考え方の中で、死後、身体を離れてゆく永遠の魂(アートマン)を想定することは、何でもないことです。

つまり、アートマン(永遠の魂)の思想は、もとをたどれば、古代のインド人たちが、身体とは別に夢の中で自由に徘徊する自己を「真実の自己」と思い込んだところから、生まれてきたものと考えられるのです。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul02.html

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「サーンキヤ思想」における「プルシャの独存」

「プルシャ」というのは、純粋精神とも言えるもので、これは或る意味でアートマンの言い換えでもあるのです。

つまり、精神の現象と世界などの物質現象の現れについて、これを理論的に説明する思想がサーンキヤ思想なのです。
そしてサーンキヤ思想では、「プルシャの独存」という仏教だと「解脱」に対応するような、純粋精神の実現の課題を考えます。

どのようにプルシャの純粋性を達成するか。

実は、サーンキヤ思想のこのような課題に対応する「実践的修行体系」として、古典ヨーガの瞑想修行や思想のシステムが構想され築かれています。
つまり、古典ヨーガでは、プルシャの独存の達成のための修行の段階を説明し、
最終の「独存」に至るまでの瞑想修行の過程が解説されているのですが、
このような古典ヨーガの瞑想修行過程において、「得られる体験」が、梵我一如の真理の確認体験の一つだとも言えます。

なぜなら、先にプルシャとは、アートマンの言い換えだとも言いましたが、
「プルシャの独存」とはどういう事態なのかを考えると、これが「梵我一如」と密接な関係を持つことが分かります。

「プルシャの独存」は、マーヤーの幻からの「完全な離脱」を意味します。

このとき、個々の人のプルシャは、その「本質」が明らかになる訳で、

独存状態においては、プルシャは「誰かのプルシャ」ではなくなり、
個々人の精神の根柢にある、原型としてのアートマンそのものに一致し、

アートマンはこのとき、個々人のアートマンではなく、本来の「唯一なるアートマン」となり、
この「唯一のアートマン」とは則ち、「ブラフマン」に他ならないからです。


ブラフマンがマーヤーにおいて現象を展開してゆくことにおいて、
わたしとかあなたなどの「個人」の区別が生まれ、
その個人の主体精神の本質としてアートマンが考えられているのであって、
マーヤーから脱した純粋なアートマン、つまり「独存のプルシャ」は、結局、ブラフマンと一致することになるのです。


インドにおいては、古典ヨーガの瞑想修行を通じて、梵我一如の真理が体感されるのだとも言えます。
(古典ヨーガとは、『ヨーガ・スートラ』に述べられている瞑想修行体系とその実践思想で、ヨーガはこの後、様々に展開し多様なものとなりますが、しかし、根本には、古典ヨーガの思想が流れています。

ヨーガ一般の最終目標は、マーヤーからの離脱、
従って、プルシャ、アートマンの独存なのです。
従って、ヨーガの瞑想修行を通じて、梵我一如の真理の確認が試みられるとも言えます)。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1094165.html

「輪廻」というのは、サンスクリット語で「サンサーラ」と言い、元々ウパニシャッド思想(紀元前8世紀から6世紀頃)において、梵我一如(「ブラフマン=梵」と「アートマン=我」は本質的に同一であるという思想)の原型と共に、輪廻の思想も形成されました。

ウパニシャッドの輪廻の考え方では、「太陽の道」と「祖霊の道」というものが考えられ、後者は、「転生」の概念にほぼ近い考えで、
死んだ後、魂は、雨水などと一緒になって、天から下りてきて、また女性の胎内に入り、生まれて来るというような考えです。

「太陽の道」は、「祖霊の道」を歩むと、どこまで言っても、転生を繰り返すに対し、死後、ある方法で、太陽の道に進ことができると、もはや、この世には、再び転生して来ない道があるという考えです。

「輪廻」とは、
転生のなかで、「業(カルマ=行い=生前にどういう行動・生き方であったか)」によって、次の転生先や転生のあるようが決まり、
この決定規則は厳密なもので、機械的に起こり、
動物をむやみに殺していると、転生先は、殺していた豚や牛になるとか、
ブラフマ階級の者は、儀式を行っている限り、転生してもブラフマ階級であるとか、
非常に細かく規則が決まって来ます(それには、長い時間がかかりましたが)。

ヒンドゥー教、ヒンドゥー思想では、この運命決定論的「輪廻思想」が正しいとされています。
その一方で、
「不二一元論=ブラフマンとアートマンは本質は一つであるという思想」
もヒンドゥー思想の中核にあり、輪廻論と、不二一元論は、どう調和するのかは、結局、輪廻もこの世の生も、すべて「幻(マーヤー)」であるということになります。

マーヤーから脱し、個人のアートマンが覚醒して、ブラフマンと一致するとき、輪廻の幻からも脱出するのであり、これを、「独存」とも言います
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa503252.html


今、テレビや雑誌などで、ヨガや瞑想が取り上げられ、若い女性を中心に流行っていますが、何も知らずに興味本位や健康法、趣味などで生活に取り入れると、取り返しのつかないことになります。

 何故、ヨガや瞑想が危険かと言うと、これらの起源は一般には良いこととしてしか知られていませんが、およそ健康法などとは全く関係の無いものだからです。
もともと、ヨガや瞑想は一般の人たちには縁の無い、インドやチベットなどの行者が「悟りを開く」と言う目的で行なっている修行法です。


 ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。
「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。
死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。
しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。


これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。

 この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。
それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。
その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。

シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。

その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。

彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。
ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。


 ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。


天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。
この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。
その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。
この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。

 この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。
ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。


星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。

 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。

 上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。
稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。


 というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。

 そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。

ヨガや瞑想が危険であるのは、健康法などとごまかしてヨガのポーズをとったり、瞑想したりしている内に、知らず知らずに黒魔術の儀式を行なっていることになり、そこに数多くの悪霊を呼び寄せ、額にある霊的な目(第三の目)を横目(正しくは縦目)に開き、サタン(悪魔)との契約を結ぶことになり、悪の強靭なエネルギーを得て、自らの体内に取り入れて、魂を悪魔に捧げることとなり、それが密教で言う「悟り」であるとされていますが、ヨガや瞑想に関わり続けることで、人生を台無しにし、魂をも堕落させ、取り返しのつかない過ちを犯すことになるからです。 
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html

尸林の土着信仰
 尸林(しりん)、シュマシャーナとは中世インドの葬儀場のことである。
大きな都市に隣接して、この寂しい尸林が存在する。
死者の遺骸は、都市部から尸林に運ばれ、荼毘に付されるか、そのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられた。
しばしば、尸林は処刑場をかねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていた。
 これらは、まともな神経の人間には、実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所でもあった。
そして、しばしば、魑魅魍魎が徘徊する場所として、恐れられていた。
インドの尸林には、嘗て女神が祀られていた。
そして、尸林自体もバドラカーリーなどのように女神の名前がつけられていた。
これらは土着宗教の女神たちであり、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か、仏教の女神(守護女尊)として崇拝されている。
それぞれの尸林の女神の祠には、巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術(Necromancy)を生業としていた。
その巫女は、苦行母(ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)という。
大神シヴァの神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に、彼女たちは、侍女兼巫女として仕えている。
その聖地(ピータ)に土着(クセトラジャー)の女性たちは、多くはアウト・カーストの出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていた。
彼女らは一年の特定の祭日、または、月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物(<三昧耶>(サマーヤ))をとり、酒を呑み、歌舞音曲を楽しむというオルギアを行った。

古代のディオニュソスの祭儀か、どちらかと言うとキリスト教によりディフォルメされた魔女のサバトに似た狂乱の宴である。
もちろん、この土着の「尸林の宗教」は、文献も残さず、伝承も不確かな存在であり、ヒンドゥー教や、仏教サイドの文献から存在そのものを再構築するしかない。
しかし、その痕跡は現代にも残されている。
津田博士が1975年にカルカッタのカーリー寺院を訪れたときは、暗い回廊の下に黒衣をまとったダーキーニーが、黒い羊の首、四、五体を並べた前にひとり座していたという。


 もちろん、多かれ少なかれ性的儀礼を含む自然崇拝的宗教は、世界中に伝播している。
『旧約聖書』においても、IHVH神はバアル神と鋭く対立した。

何故なら、バアル(男性原理)及びバアラテ(女性原理)とは大地の豊饒を司る精霊で、その集合体が神格化、宗教化したバアル神だったからだ。
夫婦の神の交わりにより、土地を肥やし、作物を生む。
農民は、その神々に帰依する者となり、神々の交わりを模倣して神聖な性交を行うことで豊饒を祈る。

遊牧民の神であるIHVH神は、この性的な豊饒儀礼とは無縁であった。
性的祭儀はハムの子孫であるカナン人が発展させ、イスラエルに教えたのである。
聖書は、これを避難して<アモリ人の悪>(『創世記』15章16)と呼び、その祭儀に参加する者を「高きところでバアルと頸城をともにする者」と呼んだ。
潔癖主義のユダヤ教は、カナン人の信仰だけでなく、神殿娼婦を置き性の崇拝を織り込んだ古代の有力な宗教と対決を続けてきた。


 しかし、農耕神の素朴な性的儀礼と尸林の宗教は、かなり異なる。
バアルの聖なる交合は、大地の実りをもたらす開放的な営みであるが、墓所における性の儀礼は、人間の心の深奥部へ辿り着こうとする閉鎖的な営みだからだ。

 この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式である。
中世インドまでの中期密教において、九想観等の死体が崩壊する様を瞑想する技術はすでに確立しており、宗教者が修行のためや、純粋に供犠のために尸林を訪問する機会はあったのである。
インドにおいて宗教者とは常に男性であり、タントラ行者は、土着宗教の巫女たちと性交を含む儀式を行ったと考えられている。

 ガナチャクラの構成員は9名である。 つまり、
破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神パイラヴァを召喚した男性行者が1名、
そして、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名
の計9名で行う儀礼である。
天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽する。
この位置変換を<瑜伽女の転移>(サンチャーラ)という。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者ではない女性)を1名加えた9名という説もある。
その場合は、中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女一組に対して、円形に8名の女性行者が並び、曼陀羅が常時成立することになる。
この結果、中央の男性行者は、すべての女性行者と平等に和合することになる。
この儀式は、インドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっている。

 星辰の回転を象徴しながら、都合、8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は、<大楽>(マハースーカ)と呼ばれ、この<大楽>が行者を<梵我一如>の境地に連れ去るのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/2smshna.html

クンダリニー・ヨーガの瞑想においては、骨盤下部で覚醒したクンダリニーという蛇が脊柱に沿って上昇していくさまを観ずるのだが、この蛇の通り道には七つの中継点がある。
それらをチャクラと呼ぶ。
チャクラは神秘的な眠れるエネルギーの貯蔵センターである。

 クンダリニーは各チャクラを通過するとき、ひとつひとつに特有なエネルギーを解放していく。
すると、行者は身をもってそれらの働きを経験することになるのである。

主要なチャクラは七つあり、各々がクンダリニーの通り道、つまり脊柱沿いに位置を占めている。
これはもちろん目には見えないが、多くの先人のイマジネーションによって、たしかにその通りの造りになっていると認められてきた、からだの元型的内部構造なのである。
  http://www.transview.co.jp/02/text.htm

クンダリニーは、悟りを得るために必要なシャクティ(性力)のこと。
クンダリニーの活性化を念頭においたヨーガは、「クンダリニー・ヨーガ」と呼ばれる。
クンダリニーを象徴化したものとしては、密教の軍荼利明王がある。

クンダリニーは、普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラに眠っているが、ヨーガの実践や宗教の各種修行によって活性化し始め、生涯をかけ各チャクラを開花させグランティ(=結節。ブラフマー結節、ヴィシュヌ結節、ルドラ結節の3種類がある)を破壊し、最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱に至る。
今世で解脱できる魂は極一部といわれている。
性欲を昇華させたものがクンダリニーとなるため、梵行(性的な事柄を避ける)修行が重要となる。


クンダリニー・ヨーガ (Kundalini yoga)
ムーラーダーラに眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中の気道やチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガ。

ナーディとの関係
ナーディとチャクラの位置を表した図体内(霊体)にあると言われるナーディ(管)の中でも代表的なものは、
動的で男性的性質のピンガラー・ナーディ(別名・太陽の回路)、
静的で女性的性質のイダー・ナーディ(別名・月の回路)、
そして身体の中央を貫いており、調和をもたらすスシュムナー・ナーディ

の3つがある。ピンガラー・ナーディとイダー・ナーディの調和のとれた活性という条件の下、瞑想時にスシュムナー・ナーディ内をクンダリニーが上昇した結果訪れるサマーディに入定することが、サマーディより出定後も安全に高い霊性を維持していくための条件となる。

クンダリニー症候群

クンダリニーを思い通りに、意図的に上昇させようとするクンダリニー・ヨーガを実践する場合、その「思い通りに、意図的に」とは真我ではなく個我にとってのそれであるため、クンダリニーが動的なナーディであるピンガラー・ナーディのみを通ってサマーディに入定してしまうことがある。

そうなるとサマーディから出定後、クンダリニー症候群(英:Kundalini syndrome 中:走火入魔)と呼ばれる症状が現れ、程度の深浅こそあれ、自律神経系のうち交感神経系の暴走からくる自律神経失調症を呈し、そこから全身の激しい脈動、心拍数の増加と血圧の上昇、片頭痛、慢性疲労症候群、統合失調症、うつ病、神経症などを発症するおそれがあり、最悪のケースでは脳溢血や自殺などを招いてしまうという説もある。

よってイダー・ナーディを強力に活性化させる技法を知らぬままクンダリニー・ヨーガを行うことは無謀ということができる。
また、クンダリニー・ヨーガを実践するつもりでなくても、急進的な解脱願望を抱いた状態または神への絶対帰依を欠いた状態での修行の継続の結果や、さらには交通事故や出産時のショックなどによっても上記のような現象が起こる場合が稀にある。
このため、クンダリニー覚醒を目指す実践者はベジタリアニズムを実践し、刺激物の摂取を避け、過食、不規則な食事、わがままで否定的な態度を避けるべきである。
安全な隠遁生活がなかなか難しい現代社会において、社会生活を営みながら安全にクンダリニー覚醒を得るためにはどうしたらよいか、霊的潜在能力覚醒における課題である。

イマジネーションの拡大

クンダリニー覚醒が一定のレベル以上に達すると、人間に果てしない「イマジネーション」の拡大がもたらされるといわれており、実際その事例を見ることも多い。
クンダリニーの覚醒者と自称する人(その多くは覚醒者とはいえないレベルではあるが)は多くいるが、彼らの中の一部に「空想的世界観」を見ることができる。

人間が自分を”実際以上”のものである(あるいは実際以上のものでありたい)と思うたびに、イマジネーションの力がそこで働いている。
イマジネーションの力は、過去において不可欠であったのであり、さらに人類にとって今後もまだまだ必要な力である。
あまりに現実を見てしまうと、世界の進歩が阻害されてしまうのであり、クンダリニーにより神の夢を個々の人間の器に応じて実現させることができるのである。
しかし、修行者がイマジネーションの拡大に溺れてしまい、それを自分の力だと思い込み「欲望」のままに行動してしまうならば、「悟り」への道を逸脱することになってしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC#.E3.82.AF.E3.83.B3.E3.83.80.E3.83.AA.E3.83.8B.E3.83.BC.E3.83.BB.E3.83.A8.E3.83.BC.E3.82.AC_.28Kundalini_yoga.29


クンダリーニ・ヨーガと云う言葉は、今日多くの人に浸透しているように思えるが、人体におけるクンダリーニの役割や機能について、また、その現実的な活用についての理解・実践となると、まだまだ、実際には普及していない印象がある。
 そもそも、クンダリーニ自体の存在が、手足や内臓などのように、物理的に確認出来る人体の部位ではない。
 活動する人間の精神や魂が、聖なる事業の実現のために、肉体に生成されるエネルギーと結びついて、聖霊が住む高次な世界の扉を開こうとするとき、クンダリーニの覚醒が重要なプロセスとして存在する。
そして、その手段が、ヨーガであり、瞑想である。
 C.G.ユングが提唱したアクティヴ・イマジネーションの実践は、ミトラ教の大いなる時の神、デウス・レオントケファルスを彼自身に感得させた。
その姿は、巨大な光を放射する身体、炎の弓を持って振り上げられた腕、下半身は蛇で、下(しも)は大地を裂いて地獄にまで至り、上(かみ)は不思議な魔力で空から星を降らせた。
密教の甘露軍荼利もまた、星を降らせ、炎の光輪(大威日輪)を戴く。
三股金剛杵や輪宝を執って腕を振り上げ、全身に蛇を巻き着けている。
青蓮華を用いて盤石の上に立ち、或いは座して、毘那夜迦(魔族)の地上への出口を塞いでいる。

ユングは、1932年10月12日の「クンダリーニ・ヨーガの心理学」の講義の中で、チベット密教の曼荼羅の象徴学を熱心に語る傍ら、クンダリーニの覚醒法に関する興味深い見識を述べている。
 「クンダリーニは、正しい行ない(修行)に拠らなければ覚醒させることが出来ない。
私の心理学でも、無意識に対するはたらきかけはたったひとつだ。
それは、正しい行ないによって心を浄化させて、天の恵みを待つこと。
それが、クンダリーニなのだ。」と。
 
ユングがヨーガの取組み方について、
「自らの心の闇を避けて通っていくような始め方をするなら、ヨーガは何も実を結ばないし、無益である。」
と語ったのは、神仏の信仰による心の浄化が前提にある。

当たり前のことだが、ヨーガは元来、エクササイズではないし、美容と健康のためのお手軽な体操でもない。
スワミ・ヴィヴェカーナンダの米国でのヨーガの普及活動について、カイザーリングは、米国人を高次な世界に同通させるどころか、かえって病院や療養所行きになった者を多く出したと批判している。
さらに、本場のインドにおいても、クンダリーニ症候群が古代から現代まで連綿と後を絶たない。
その原因は、ユングが指摘するように、正しい行ないの認識不足によるものだ。

 空前のヨーガ・ブームを引き起こした日本でも、信仰を持たず、神秘思想を学ばずにいい加減なアーサナを指導した者や、また、その指導の下に、エクササイズだと思って神の姿を真似た人々は、今、米国やインドで起きている同じような大きな付けをやがて支払わなくてはならないときが必ずやって来る。
その時、心身の不調を訴えても、異常を裏付ける医学的な根拠がないため、誰も責任を取る者はいないだろう。
ヨーガを通じて幸福を与えると云うヒンドゥー教のドゥルガーやカーリーは、信愛厚き者の心の覚醒や人生の繁栄をもたらすと同時に、不信心なヨーガ行者を容赦なく殺戮してやまない。
彼女たちこそ、世界で最も恐ろしい血を好む女神たちであることを決して忘れてはならない。

 ユングが西洋人に対してヒンドゥー・ヨーガを積極的に奨励しない背景は、こうしたインドの女神たちの激しい気性を、彼自身が体験しているからだ。
 ユングは、1937年にインドを訪れた折、知らずに神殿儀礼を欠いたことで、カーリー女神の怒りを買ってカルカッタで赤痢に罹っている。
地元インドの敬虔なヒンドゥー教徒でさえ、女神の威光を畏れて、生きた動物による血の生贄の供養を現在も怠らない。
最近では、旅行気分でいそいそとわざわざインドにまで出向いて行って、形式ばかりのヨーガを少し修しただけで、さも深遠な教えを体得した気になって箔が付いたと思っている輩が多い。
全く救いようのないお馬鹿たちだが、こうした人は、むねに手を当ててよく考えて欲しい。
自分が本当に悟っているのかどうか。
ヨーガによって人を導く資格があるかどうかを…。

 それでは、クンダリーニ・ヨーガにおける正しい行ないとは何んであろうか? 
インドから中国に伝わった密教は、三武一宗の法難によって廃れた。
また、朝鮮半島の仏教も李氏朝鮮時代の弾圧によって壊滅状態になり、スリランカや東南アジアは上座部仏教が主流になって、密教の体系は失われた。
辛うじて、ひとりチベット密教だけがモンゴル帝国の庇護の下に無上ヨーガを完成させたが、クンダリーニ・ヨーガについては、トゥモのヨーガの断片的な発展を除いて、専門的な研究を進められないまま動乱の時代を迎えている。
わが国においても、内乱の世にいくつかの迫害や打撃を経験したが、比叡山や高野山は、民衆による法灯擁護の兵力を備えて果敢に危機を乗り越えてきた。
したがって、クンダリーニ・ヨーガが無傷のまま整然と体系化されるに至ったのは、日本密教のみである。

 さて、秘密仏教は概ね二つの修行形態が存在する。
一つは清浄ヨーガ(日本密教)の教理に基づくものであり、
もう一つは性ヨーガ(チベット密教)の教理に基づくものである。
前者は心身の霊的磁場を単身で樹立する瑜珈であり、後者は心身の霊的磁場を双身で樹立する瑜珈である。
清浄ヨーガの体系(ヨーガ・タントラ)の体現者を金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)とし、
性ヨーガの体系(無上ヨーガ・タントラ)の体現者を持金剛(ヴァジュラダラ)及び金剛界自在母(ヴァジュラダートゥヴィーシュヴァリー)
としているが、修法の違いこそあれ、法界における悟りの境涯は同等である。
 
 クンダリーニ・ヨーガを何れの修行形態で実践するにしても、注意しなければならないのは、『ギュー・シ』や『アーユルヴェーダ』などのタントラ医学の修得が必須条件であることだ。

法華経などに説かれている文殊菩薩の女人成仏における五障を克服するサトル・ボディの救度法は、神変加持やクンダリーニの覚醒のプロセスで、女体に現れる無月経などの症状に対して、修道に則した解決法が時の医学や法律の良識にそぐわない点が懸念されるため、無上ヨーガを宝珠に譬えて悉地を与える法門が秘密裏に伝承されてきた。
ただ、そうした事例は現代において極めて稀であり、相当な法器に限られる。
女人への秘密仏教の伝授は、女体がこのような胎生のメカニズムを保有する性質上、クンダリーニ・ヨーガではなく、専ら桜閣生起(巫女型)の儀軌によって霊道を開かせることが多い。
女人成仏のメリットはまことに大きいが、無上ヨーガが如法によらず、あまりに世俗的な方向に傾くと、行に停滞が生じてデメリットが多くなり成就が得られない。
これが、釈迦仏教や高野山が教団発足当初、女人禁制とした決定的な理由である。
http://star.ap.teacup.com/senokublog/6.html


密教には 仏教には存在しない多くの呪法が数多く存在する。

それらは タントリズム行者たちが執り行った呪法をそのまま採用したものが大部分であり 硬直法・隠身法・招入法・恫喝法・粉砕法・呪殺法・解毒法・治病法といったこれら呪法は 本来仏教とは無縁ではある。

しかし実際仏教タントリズムが誕生する以前の初期仏教において呪法への依存から人々を遠ざけようとしたこと自体 密教時代 俗信・呪法が仏教の中に流れ込んでいた証拠と考えられる。

呪法自体はタントリズム以前の初期密教の時代から存在するものであり 遙か太古に遡る原始的心性に基づくシャーマニズムだ。

それら過去における禁止された呪法は 仏教タントリズム展開の過程で世間的・実践的重要な部分に値し 大衆の要求に合致したタントラ密教の思想の下敷きであることは間違いない。

こうして タントラ密教は 俗信や白魔術・黒魔術的な呪法を取り入れた新たな組かえと編集により変化してゆく。

密教には 仏教には存在しない多くの呪法が数多く存在する。

それらは タントリズム行者たちが執り行った呪法をそのまま採用したものが大部分であり 硬直法・隠身法・招入法・恫喝法・粉砕法・呪殺法・解毒法・治病法といったこれら呪法は 本来仏教とは無縁ではある。

しかし実際仏教タントリズムが誕生する以前の初期仏教において呪法への依存から人々を遠ざけようとしたこと自体 密教時代 俗信・呪法が仏教の中に流れ込んでいた証拠と考えられる。

呪法自体はタントリズム以前の初期密教の時代から存在するものであり 遙か太古に遡る原始的心性に基づくシャーマニズムだ。

それら過去における禁止された呪法は 仏教タントリズム展開の過程で世間的・実践的重要な部分に値し 大衆の要求に合致したタントラ密教の思想の下敷きであることは間違いない。

こうして タントラ密教は 俗信や白魔術・黒魔術的な呪法を取り入れた新たな組かえと編集により変化してゆく。


ガナ曼荼羅は,定まった日 ある特定の場所を選んで行なわれる集会(儀礼)である。

八人の瑜伽(ヨーガ)女と釈尊の役を演じる阿闍梨の合計九名が最少必要人員とされ現実態としての曼荼羅を実践する。

入檀希望の新たな弟子との飲食と性の饗宴をもってその実態とする。

動員される八人の女性はヘーヴァジュラ曼荼羅の八女尊に相応する生身の瑜伽女である。


阿闍梨が弟子を曼荼羅に引き入れ目を布で覆う。

次に弟子に曼荼羅を見ることが許される。

ガナ曼荼羅では 弟子は金剛阿闍梨によって受認される。

▼人身供犠

ところで中世インド社会では特異な儀礼内容の集会を行う瑜伽(ヨーガ)女たちの魔女集団が存在した。

へーヴァジュラの徒、瑜伽女たちは 節会をもち人身供犠を行う儀礼の集会日を月の満ち欠けによってを定めた。

ヘーヴァージュラ瑜伽女集団にとって人身供犠 つまり人間の殺害儀礼において 輪廻転生を前提とする仏教タントリストの論法により 「犠牲の合意のもと」集会へ招待する。

自己犠牲となったものから提供される丸薬は成仏の因として扱われ犠牲となった者は 輪廻転生から逃れ最終解脱を果たす。


また人身供犠の犠牲七生人(7回目の輪廻転生)の選別では 男女問わず話す声が麗しく 切れ長の眼に濁りなく麝香か樟脳のごとき芳香を持ち 同様に大いなるオーラの具え 影が7つとして存在するものである。

これを七生人と印づけ 吟味した上で丸薬を作りそれを食することで「虚空行」を果たす。(虚空行=空中飛翔)これらの儀礼は、ヨーロッパ古代ギリシア ローマへ入ったオリエントの密儀宗教の崇拝を想起させる。

瑜伽女たちの集会が人身供犠を伴うことは仏教徒外部からの影響と考えられるのではないだろうか。

以上後期密教としてのタントラ密教は その後ヒンドゥー教の隠された異端によって受け継がれていく。
http://d.hatena.ne.jp/mminazuki/20050619/1119188314

中期密教ではヒンドゥー教の隆盛に対抗できなくなると、理論より実践を重視した後期密教が誕生した。
後期密教では仏性の原理の追求が図られた。
ヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受けて、
男性原理(精神・智・方便・金剛界)と女性原理(肉体・感・般若・胎蔵界)との合体(性交)
を修行する無上瑜伽も後期密教の特徴であり、
男尊(男性原理)と女尊(女性原理)が性交する歓喜仏も多数登場した。

ヨーガ・タントラの修行方法が探究されるにつれて、下半身のチャクラからプラーナを頭頂に導くこと(ジョル)が最上とされ、性交がその最も効果的な方法とされた。
しかし男性僧侶が在家女性信者に我が身を捧げる無上の供養としてセックスを強要したため、仏教徒の間には後期密教を離れて戒律を重視する部派仏教(上座部仏教)への回帰もみられた。
また僧侶の破戒に対する批判を受けて、無上瑜伽も実際の性行為ではなくクンダリニー・ヨーガによる性的な瞑想へと移行する動きも生じた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99


中世のインドでは、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教という宗教の枠を超えて、性を重要なテーマとする宗教「タントリズム」が爆発的に流行した。
つまり後期密教がこの方向に走ったのは時代の潮流がその背景にあったということだ。

性的ヨーガ
仏教徒が輪廻からの解脱を実現する方法として、努力して少しずつ煩悩を排除してゆくという一般的方法をあえて採らず、ある秘密の技法によって一気に解脱に達しようとする方法が性的ヨーガ。
タントラとは、密教経典、とくに性的ヨーガの実践を主張する経典のこと。
それはつまり、「無上瑜伽タントラ」のことだ。
ある高名なタントラの成就者は、タントラの道について、それは選ばれた者だけが知ることができるのであって、余人に知らしめてはならぬという意味の文を書き残したそうだ。

「無上瑜伽タントラ」は「父(ふ)タントラ」「母(も)タントラ」「双入不二タントラ」に分けられ、それぞれにまた複数のタントラが存在する。
父タントラには敵を調伏する修法が多く、母タントラは性的ヨーガの実践に積極的だった。
双入不二タントラは父・母両タントラを統合止揚しようとするもの。

後期密教では、人間の体の中に「霊的な器官」があると思われていた。


身体論を導入したものとして大日経の「五字厳身観」がある。
これは、地水火風空を象徴するア・ヴァ・ラ・ハ・カの5字を身体の5箇所に観想する。
この5字に加持された行者の身体は大日如来の五輪塔となり、清浄な仏の身体に転化する。
このような身体の中の特別な場所は、後期密教ではチャクラと呼ばれるようになる。

「ヘーヴァジュラ・タントラ」では4つのチャクラが説かれ、それらは身体の臍・心臓・喉・頭頂にあり、そのうちの3つが如来の応身・法身・報身に対応する。
チャクラは蓮華の形をしていて、花弁の数はチャクラによって異なる。
また身体にはチャクラの他に脈管がある。
脊髄のそばに1本、その左右に各1本。
並行して走るこの3本は、上端・下端とチャクラの部分でだけ接合している。
これが当時のインドの生理学説で、「四輪三脈」説という。
脈管の中はそれぞれ精液、血液、その混合物が通る。

母タントラでは精液が「世俗の菩提心」と呼ばれ重視された。
精液は快感の源であり、これを脈管の下端から次第に上のチャクラへと送る。
それぞれのチャクラで得られる快感には名前が付けられ、4つ目の「倶生歓喜」を成就することが生理学的ヨーガの課題とされた。
前述のように精液は菩提心なので、射精は菩提心の放棄でありタブーだった。
行者は睡眠中の夢精すら許されなかった。
なお、上述の快感が下から上へ行く説の他に、上から下へ降りるとする説もあった。

一番下のチャクラは会陰部にあり、これはまだ性的な力にすぎない。
この力を順次上のチャクラに送り、次第に浄化し、頭頂にある最上のチャクラに送ると修行者は解脱するという。
現代では実際に性的な行為をするのでなく、観想によって精神的に修行するそうだ。
しかし8−10世紀頃のインドでは修行者が実際に女性と性交することでヨーガを実践していたらしい。


後期密教の灌頂はそれ以前のものよりも複雑になっている。
それは4つに分かれていて、まず瓶灌頂は、瓶から香水を取り出し受者の頭頂に灌ぐのでこの名が付いている。
この瓶灌頂では受者の本尊も決める。
またそれ以外にも複雑な儀礼が付加されている。
瓶灌頂は中期密教の灌頂の内容を継承したものになっており、もともと国王の即位式を真似たものだった。
そういえばキリスト教の洗礼ともどこか似ている。ここまでなら私にも納得できる。
ところが後期密教は、この国王の即位式を真似た最高の儀礼であるはずの瓶灌頂を格下げして灌頂の第1段階とし、その先におぞましいものを持ってきた。

第2の灌頂である秘密灌頂から先は、後期密教になって付け加えられた灌頂だ。

秘密灌頂では受者が阿闍梨に女性を献ずる。
あるいは阿闍梨が瞑想に入り女性を観想する。
阿闍梨はこの女性と交わり、「金剛杖の中の菩提心」つまり精液を取り出し、指でつまんで受者の口に入れる。
これで「菩提心を授けた」ことになる。
なお、精液だけでなく赤白二滴(経血と精液の混合物)を授けるとする文献もある。

次の般若智灌頂では、こんどは受者は阿闍梨から与えられた女性と交わる。
女性と交わりつつ受者はヤブユムの本尊の境界を悟る。
受者は射精を我慢して究竟次第の4つの歓喜を体験しなければならない。
そして受者が射精を我慢できなくなった時は女性の体内に菩提心を放出し、赤白二滴(経血と精液の混合物)を服用する。
最後の第4灌頂は、阿闍梨が受者に「言葉によって」大切な教えを授ける。

人は死ぬと「中有」になる。 最大で四十九日間。
中有はやがて未来の父母の性行為の場面に遭遇する。
それを見て失神し、赤白二滴(経血と精液)の中に吸着される。
父母の性行為をまのあたりにして
父に愛欲を起こして母に嫉妬すると中有は女になり、
母に愛欲を起こして父に嫉妬すると男になる。
http://blueclouds.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300688127-1


[3.85 射精し終わるや、ゆっくりと、適正に精液を吸い上げることを習熟すべし。

男性はもちろん、女性でもヴァジローリーに熟達することができる。]
(『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』より。)


ヴァジローリー(性器による吸引)に関しては「実際見せてもらったことがある」というスナックのママさんの話を聞いたことがあります。

曰く、温泉場で同伴した長年ヨーガを実践している女性が性器から湯を吸い上げたり、吐き出したりすることを自在にやって見せたそうです。

私は当時沖正広師の著作を読んでいたので、周囲の人ほど驚くこともなく聞いていましたが、ほとんどの人は話そのものを信じていない様子でした。

ただし、この女性はおそらくこれを「性技」として活用しているのだと思われました。

私の考えでは、ヴァジローリーとは、修練すれば性器でさえ自在にコントロールすることができる証しなのだと思うわけです。

もう少し突っ込んでいうなら、交接時に「受け身」である女性は性器を巧みに絞ったりゆるめたりすることで、男性の射精を適宜操ることができるのです。そしてこれは「女性の修行法」に相当します。

[3.88 ヨーガの道を心得た人は、かようにしてビンドゥを保全して、死を克服する。ビンドゥを漏らすことによって死があり、ビンドゥを保全することによって生がある。]

[3.90 人間の精液は心に依存し、生命は精液に依存する。それ故に、精液と心の保全につとめなければならない。]


「ビンドゥ」は精液と同義のようです。

「接して漏らさず」的な考え方がここにも表れています。


[3.98 ヨーギニー:男子が適正な行法を巧みに行なってビンドゥを回収した時、婦人がヴァジローリーをもってラジャスを保全するならば、彼女はヨーギニー(女行者)である。]


「ラジャスとは、ここでは交接時の女性の分泌物であろう」

との佐保田師の解説があります。

3.101には「ラジャスを回収し保全するならば、空中を歩むことができる」という記述もあります。

そしてこの部分も「女性の修行法」に相当すると思われます。

これはこの著作の際だって特異な記述です。

つまり、ヴァジローリーはともかくとして、女性も男性同様に「もらさない(下世話にいえば、イカナイ。多量の愛液をもらさない)」ことが健康法レベルでの禁欲的な実践になるのでしょう。

そしてヴァジローリーができない限りは、「絶頂感」は男女ともに慎んでおくべきなのです。
http://redsnake.seesaa.net/article/94566521.html

性的パートナーと性的ヨーガ 2008年 10月 27日

チベット仏教に精通している人っておられますか?
もち、密教は仏教のなかの一部なんだけど、歴史的にインド仏教が後に興隆したヒンドゥー教に押されてしまいインド仏教の高僧が人里はなれたチベットに移り住みそこでインド仏教を根付かせた。
チベット密教の本を手に取ればそこには性的パートナーっていう、俗に言うセックスフレンドというかセックスパートナーを公認している。
そのセックスパートナーとは性的ヨーガによりつながり互いの性の力の高まりにより悟りを開くというものだから、、、ちょいと驚くよね。

このセックスパートナーって言うのは夫婦関係以外のことも多いからよけい驚く。
インドの仏画をみたりしたら男女が裸体で性器を突き入れているっていう感じのものがよくあるよね。
それが性的ヨーガを一部現したようなものなんだそうな。

ただし注意しないといけないのは、この性的ヨーガをするならばチベット密教の密教的原理だけを理解していて実践するのは絶対にダメだということ。
釈迦が説いた数多くの説法を読み込んでからにしたほうがいい。
そうじゃないと女性がいいように他人に操られるようになってしまう。
おそらくしっかり仏教経典を読み込んでいれば人間の生命場をあらわした超能力的な不思議な目に見えないような世界の話もでてくることがわかるだろう。
だがそれだけじゃなくて仏教の土台を理解してそのうえにひとつの教義としてチベット密教の考え方がある、そう受け止めちゃえば変ないかがわしい人間の甘言や脅しなどにも抗し得るだろう。
そうやって仏教に対してのバランス感覚がよくなった人ならば安心だろう。
チベット密教はやはり私たちの常識では計り知れない叡智がある。
性的ヨーガで得られる悟りを開けるほどのトランスとエクスタシーはそれを我が身で体験した女性は性的に熟練し若さを保て魅力的になるにとどまらず人生観までも転機するといったような。。。。。。。

ぞくぞくっとするような。あのチベット密教の寺院にこだまする読経の声こそ深くこの世の世界から天界へと意識をトリップさせるためのマントラのパワフル極まりないエネルギーに満ちたものだった。
そのことは僕が実際に女性とのセックスをしたときにBGMがチベット密教の寺院で読経された音源だったからこの身をもって体感した。
だけどもチベット密教での性的ヨーガはヨーガの修行体系のひとつでもあり瞑想の行でもあるわけだから、それなりに男女とも修行って言うものがひとしきりする覚悟がないといけない。
そこは安直な簡単で短時間にとかいったような浅薄なことに慣れて面倒なことをしたくないっていう人には向かないよね。
それにチベット密教の行をする過程でリンガといった男性性器が力をつけていくしヨーニという女性性器も変わっていくのを感じた。
セックスのとき極々従順にすべてを受け入れてくれる女性が、セックスの回数を重ねるたびに美しくなっていくっていう秘密のひとつがこういったものなんだよね。
性的パートナーとして整体師さんである僕の性技を味わえば、セックスで整体していく感覚を持てるのかもしれない。
http://sexbody.exblog.jp/8834718/

 初期仏教から7、8世紀頃までの仏教は、その最大の手段は、業と煩悩の止滅を追求する<止滅の道>であった。
この多分に都会的な形而上学的、自己探求型の宗教は、当時の豊かな商業経済に裏付けられた都市型の文明に支えられていた。
シッタータ王子も生まれてから青年に達するまで宮殿をほとんど出たことがない。
仏教は、アーバンな衒学的な色彩を有した貴族の宗教たり得たのである。
ところが、貿易相手の西ローマ帝国の滅亡とともに、社会のあり方が、重商経済国家から、帰農国家に様変わりしていったのだ。
農村中心の社会が再構成されるに従い、仏教も土臭い庶民の心に対応していくことになる。
つまり、出家僧個人の精神的至福の追求から、在家信徒の現世利益追求型へのゆるやかな転換である。


 その過程において、4、5世紀頃から徐々に7、8世紀頃にかけて、護摩祭などの集団的祭礼、血骨皮を用いる土着信仰儀礼の浸食、性的オルギア、そして、憑依現象の利用などが顕著になってきた。
ただし、こと憑依に関しては、完全な忘我状態にあるのではなく、自意識を有して観想状態に入るというというという優位性を主張できたのではあるが。


 チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパは、ラマ行者ウマパに師事し、<成就法(サーダナ)>を収めて、文殊菩薩に会い、その姿をいつでも目の当たりにすることができたと言う。
のちに、かれは『大真言道次第』(ガクリムチェンモ)という著作のなかで、生起次第を本格的に履修してから約1年ほどで「神々が面前にはっきりと現れる」ことを示した。
かれは文殊菩薩から直接教えをもらっていたのである。
これは現代風に言えば、チャネリングになるのだろう。
心霊科学では<憑依>と呼ばれる。
ある精神回路が開き、かれの心は見神状態で固定されたのだ。
この種の宗教体験は珍しいものではない。
ラーマクリシュナは、いつでも母神カーリーを現前に見ることができた。
主イエス・キリストの花嫁として恍惚状態に陥る尼僧ヒルデガードの例など枚挙に暇はない。
しかし、チベット仏教の場合は、その手段をシステム化することに成功している。

たとえば、後世のゲルク派は、<ヤマーンタカ成就法>を完成させた。
<閻魔を殺す者>(ヤマーンタカ)とは、宗祖ツォンカパの<守護尊>(イダム)となった神であり、ヒンドゥー教の破壊神シヴァが憤怒の相を表したときの神格ヴァジュラ・パイラヴァと同一視されている。
また、ヤマーンタカはゲルク派自身の守護尊とも呼ばれ、後世のゲルク派の<三密教>(サンデジクスム)とは、父タントラに属する<秘密集会>、母タントラに属する<チャクラサンヴァラ>そして、<ヤマーンタカ>である。

さて、その修行法は、次の三段階に区分される。

 その1は、<初加行三摩地>である。
この段階では、本尊であるヤマーンタカを観想し、修行者がヤマーンタカ神そのものにほかならないことを体得する。
このとき<死の光明>を通過し、歓喜とともに<空性の智>の体験が得られる。
さらに<中有>において、身体が浄化されると<幻身>が構成される。
その後、月輪観及び日輪観を経てヤマーンタカが種字から顕現する。
そして、ヤマーンタカが単体ではなく本尊(ヤプ)と明妃(ユム)になり、種字が性器となり交合するさまを観想する。
修行者は双子のアンドロギュノス的体験をする。
明妃を貫く本尊の男性的快楽と、本尊に貫かれる明妃の女性的快楽の双方を<大楽>として感じるのである。
しかも、それら全てが万物の空性の故であると悟らねばならない。
むろん、神格と自己の融合は、一種の憑依現象であるが、修行者は手綱を放すことなく、憑依をコントロールしている。


 その2は、<曼陀羅最勝王三摩地>である。
ヤマーンタカの十三尊からなる曼陀羅全体を観想する。
その曼陀羅は修行者の心臓のなかに置かれる。
交合する本尊(ヤプ)の全身から光明が発せられ、そのなかに万余の仏と菩薩が招来され、本尊の口から呑み込まれて凝集されひとつの滴(ティクレ)となる。
ティクレは、喉から、心臓へ、そして男性器へと下降し、明妃(ユム)の女性器のなかに射精される。
ティクレは女性器から明妃の心臓へと上昇し、そこで2分割される。
片方のティクレは、宮殿と座を表象する種字となり、もう一方のティクレは、十三対の歓喜仏となり、先の座につく。
<生起の門>の完成である。
この曼陀羅となってティクレは、心臓から女性器に再度降下し、本尊の男性器に吸い込まれて本尊の心臓に戻る。
そこで、修行者は曼陀羅を身体の外に放出する。
<放出の門>である。
曼陀羅は虚空に無限に拡散し<行為の門>となり、極微に収斂し点となり<集約の門>となり、再度、拡大し正しい位置に戻り<安住の門>となる。
これが五門の成就である。
魔術の召喚技法において、神格を纏った術者が、神の権威で下位神格や、霊を統制する場面を想起してもらいたい。
また、I∴O∴S∴の神殿儀式における精密なアストラル・ライトの投射も、同様の(性魔術部分は、通常の祭儀には執行されないが)プロセスを辿る。


 その3は、<羯摩最勝王三摩地>である。
細部を記述するときりがないが、<外供養>、<内供養>、<秘密供養>の三つの供養を行い。微細な生起次第を学び。
生起を思念し。念踊を行い。ヤマに供物を捧げて謝し、曼陀羅を収斂させて終える。
技術的には豪華絢爛な儀軌の連続であり、いかに視覚的な細部を固めながら人間の精神を変質させていったかが理解できる。
住する段階を越えるダイナミックな変化を<変容>というが、まさしく儀典による精神の変容を目的としている。


 これまで見たとおり、召喚の根源となる仕組みは<憑依>のプロセスであり、それは世界の主要な宗教のなかに変質して潜んでいる。
チベット密教は、その<憑依>のプロセスを応用、改善し、より高度な意識変容システムを完成させた。
そして、<憑依>のシステムに力動的な推進力を与えているのが、初期の古怪な性魔術(尸林の儀軌)とは、一線を画する精密な性の哲学と技術である。


 むろん、他のシステムにも性の密儀は存在する。
カバリストは、完全な性的結合の上にシェキナーが訪れることを知っていた。
ハシドたちによって発展した<神聖なる交わりの奥義>は、ラビ・フリッシュが「・・・家庭を神殿とし、寝室を至聖所となす。
・・・低き交わりと高き交わりをともに完成させるために、性愛のさなかに・・・」
と語り、ラビ・ヴィダスが
「男女が性の交わりにおいてひとつの霊魂とひとつの身体になり、ついに一個の人格に融合するとき、聖なるかな、誉むべき主はその上に宿られる。」
などと語ったことなどが含まれている。

 その本質は、性の喜びをシェキナーに帰することであるが、性愛の前後の複雑な手順と最中の瞑想を含んでいる。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/3posss.html


大印契(ザ・グレート・ライト)
 チベット仏教がインド後期密教からその精緻な教えを伝承したとき、当然のことだが、大印契(マハー・ムドラー)などの教義に融合した尸林の土着信仰の残滓を飲み込むこととなった。
密教が象徴主義による直接的な悟りを得る技法を追求した段階で、人間の営みの全てを捧げることになるのは、ある意味で自然の流れである。
むろん、宗祖である釈迦の<現法的梵行>という枠を大きく逸脱しているのは事実であるが。

 尸林の宗教において、性交を伴う儀式集会(メーラー)が行われたことはすでに述べた。
その儀式に召喚される主神は、パイラヴァ神であったが、これがチベット化してヘールカ神となり、同様の儀式構成を取るようになったのが<ヘーヴァジュラ・タントラ>である。

 ガナチャクラは、通常のパターンのほかに、儀式の施主を招いて灌頂を授けるという参入儀礼スタイルのものも実施されていた。
中央の阿闍梨を囲む8人の女性たちは<印>(ムドラー)と呼ばれる。
<印契女>たちは、性ヨガの経験を積んだ在家信者たちであるが、入門儀礼のために初めて参加する<大印>(マハー・ムドラー)と呼ばれる「月経期間中の16歳の美しい処女」が準備される。
彼女が祭礼の中心になる。
8人の<印契女>たちは、女尊を召喚し、独自のヨガに入る訳だが、この霊威が円の中心において最初に阿闍梨と交わる<大印>にすべて集中する。
従って、すべての<印>を束ねる<大印>たりうるのだ。
入門儀礼でなければ、阿闍梨は、<印契女>たちを転移させながら、都合8回和合することになるか、さらに複数の侍僧が円の外周で同時に<印契女>と和合するという次第になるが、入門儀礼では転移するのは阿闍梨の側である。


 入門儀式は、いくつかの段階に分かれる。

 第1の段階では、先に述べたように阿闍梨自身が性魔術を実践する。

 阿闍梨は、<大印>と交わる。
このとき般若波羅密を体現する処女(大印)と阿闍梨の和合により生じた体液の混合物(アレイスター・クロウリーならば、「Birth of Elixir(精液)とElixir Rubaeus(月経血)の混合物」と呼ぶであろう。)を<菩提心>と呼び、この液体を志願者の口に含ませる。
いや、植え付けるのである。
これが<秘密灌頂>である。


「みめ美しい一六歳になる女を得て、加持の三句をもって秘密裡に供養を始めるべし。
如来の大いなる妃であるローチャーナー等として観相すべし。
二根交合によって、仏(となる)悉地を得ることになろう。」


 第2の段階では、阿闍梨は脇に移動し、志願者は先ほどの16歳の乙女と和合する。
志願者は、射精しないように自己をコントロールしながら、性魔術ではカレッアと呼ばれる技法であるが、菩提心を下から徐々に頭頂に導き、サンスクリットの種字に変成し、いわゆる<ポワ>を完成させる。
これが<般若智灌頂>である。

 ここまでで精緻な象徴主義により、構築された入門儀礼は終了する。


 だが、さらに、第3の段階がある。
<第4灌頂>と呼ばれるその儀軌は、逆説的に言葉で伝授される。
これまでの課程が、性エネルギーによって活性化された自己の変容であるとすると、言葉での伝授は即時性はなく、その意味が志願者の心に徐々に染み込んでいくまで完成はしない。
津田博士は、<第4灌頂>を密教の自己否定、つまり。<反密教>と捕らえている。
密教の方法論を自ら否定することで、自らを完結させる。
このとき伝授される秘密の言葉は公開されていない。
しかし、『ヘーヴァジュラ・タントラ』の末尾にある次の偈のようなものであろうと推測される。


「この智慧はきわめて微妙であり、金剛曼陀であり、

 虚空のごとくである。

 離塵であり、静寂であり、解脱をもたらす。

 『汝は自ら、汝の父である』。」

 これが象徴化され洗練されてチベットに導入された。

 ゲルク派の『大印契の滴』(チャクチェン・ティクレ)によると<大印契>とは、四灌頂を正しく授かり、生起次第の修行を満了した後に収める行である。

「『手(チャク)』とは空性の智慧であり、

 『印(ギャ)』は輪廻の在り方から解放されることである。

 『大いなる(チェンポ)』は、二つのものが合一することであり、

 『大いなる手印(チャクチェン)』と呼ばれている。」


 その技法には、金剛身たる修行者の外的な手段、つまり、儀軌、呼吸、その他の条件付けなどによる環境整備を行い、修行者の内的手段、主として観想技法により、<風>(ルン)を中央脈管に導き、停止させ、溶解していく。
この過程で生まれるのが純粋な歓喜、性的歓喜を超越するとも呼ばれる<大楽の光明>である。
しかも、この<光明>を通じて<空性>をイメージとして理解することが必要とされている。
ゲルク派は、サムィエーの宗論のカマラシーラの末裔とも言える立場にあり、かれらは中観思想の立場を発展させ、<無自性>を中心に組み立てていく。
従って、<大印契>の行においても、光明によって空性を直接自覚することが重視されている。

 このとき方便(手段)である<大楽>は、智慧である<空性>と不可分一体になるのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/4gtrite.html


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10. ユングのマンダラと密教の曼荼羅

――西洋と東洋の深層心理比較,自我と無我について――

人間のこころの探究を無意識の領域にまで広げたユング(1875〜1961)は,東洋思想の内面性,特に仏教思想に強い関心をもち,私たちは多くのユングの著書からもそのことを感じ取ることができます。
しかし残念なことに,実際には仏教のもつ多様性,ならびに両者の基本的なコンテクストの相違については,当時ユング自身あまり理解していたとは言えないようですし,その後のユンギアンもほとんどこの基本的問題には触れてきませんでした。
他方仏教サイドのほうはと言えば,伝統的に西洋心理学の無意識に対して無関心であったこともあって,結果として両者の間で根本的なカテゴリーの相違について,客観的検証がなされていないのが現状です。
一方,1960年代から70年代にかけて,一部ユング心理学の流れを受け,東洋思想を取り入れたカウンターカルチャー運動,いわゆるニューエイジ,ニューサイエンス運動がアメリカ西海岸を中心に広まりました。
この運動自体は現在ではほとんど姿を消しましたが,この流れの延長線に位置するのが,東西思想の統合を唱えるウィルバー(1949〜)に代表される,トランスパーソナル心理学です。
しかしこれもユングの場合と同様と言うか,さらに両者のコンテクストの違いを不明確にしたまま,安易にいいところ取りをした考え方のように思われます。
そうした背景を踏まえた上で,よくユングと仏教の類似性の例として一般的に挙げられるのが,「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」および「ユング心理学と唯識思想」です。
本文では,これらの例を通して両者の本質的な相違点を,東西比較思想の視点に立って比較検証してみたいと思います。
さらに両者のコンテクストの底流にある「自我と無我,空の思想と実在論」「仏教思想史の釈迦仏教と大乗仏教」の問題も併せて考えてみたいと思います。

1) ユングのマンダラと密教の曼荼羅

(1)ユングのマンダラ

苦難のナチ時代,ユングは
「その時の自分の内的状態にふさわしいと思われる小さな円と四角の図形」
を描いていましたが,当時彼が知っていたチベット密教の瞑想道具の曼荼羅に似ていたことからこれをマンダラと名づけました。
最初は図形の意味が分かりませんでしたが,そのうち「自己の中心」「人格の全体」を表していることに気がついたということです。
こうしたユングのマンダラの特徴は,第1に自分の心の投影ですので,密教の曼荼羅と異なり決められた形式がないということです。
第2にはマンダラの構成としては,周囲の円または四角形,中身の図形,ならびに核となる中心の3つからなっています。
そしてマンダラ全体は,自我(意識)または自己を表しているということになります。
したがって周囲の円または四角形は,自我(意識)を外部(無意識)から守る防御柵に当たり,通常ははっきりした境として,城壁あるいは堀などとして図示されています。
中身の図形は,
安定した全体性を象徴する円,四,四の倍数の角形や放射線
で仕切られており,
上下,左右,白黒,明暗,昼夜,太陽と月,善悪,男女などを象徴する対立物
が調和して配置されています。

中心は,対立物の統合の象徴として,星,宝物など最も貴重なものが描かれ,
自我の中心,価値観の中心となっています。

マンダラの外側は無意識の大海を表し,
防御柵に守られた内側は自我意識となっており,
全体として個体または個性の秩序の確立を象徴しています。

外部(無意識)と神秘的融即して自我を喪失することのないよう,
separated,but undivided personality(individuality)を育てること,
これがユング心理学の目標である「個性化」概念であり,
それを集中的に表現したのがマンダラと言えるのではないかと思います。


(2)真言密教の曼荼羅
7世紀インドの密教経典,大日経,金剛頂経から生まれ,
大日如来を中心に四仏,多くの菩薩,明王,天部などの眷属をまとめて描いた図形
が,胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の両界曼荼羅です。

その中の胎蔵曼荼羅を取り上げてみます。
そもそも曼荼羅という言葉は,サンスクリット語のmandala の漢訳語です。
語源から言うと「本質を得る」で,一般には円とか円壇を意味しています。
曼荼羅には時代場所によってさまざまなものがありますが,この胎蔵曼荼羅は中期密教(純密)のもので,ほかに初期密教(雑密)のもの,後期密教にはシャクティ(女神信仰)が入った官能的なチベット密教の曼荼羅などもあります。
この曼荼羅には,大日如来を中心とした仏の世界であるとともに,仏性をもつ人間の心の世界でもあるとの考えから,
手に仏の印を結び,口に仏の真言を誦し,心を三昧の境地に置いて,曼荼羅(仏)の世界と一体になる修行,
つまり三密加持の密儀によって,空海のいう「秘密荘厳住心」(十住心論の10番目のレベル)の境地に即身成仏する法具としての役割があります。
密教の曼荼羅は,ユングのマンダラが自我または自己の小宇宙であるのに対し,大日如来を中心とした大宇宙です。
ユングのマンダラが自我の確立にあるのに対して,
密教の曼荼羅は無我になって大宇宙あるいは仏の世界に,自身を投入または神秘的融即することにあります。
したがって両者の図形は類似していても,内容と役割はまったく正反対です。

2) ユング心理学と唯識思想の心のしくみ

(1)ユング心理学の心のしくみ
人間のこころは,自我意識と無意識からなり,

無意識には,幼児体験とか忘れた過去の体験などの個人的無意識と,
遺伝的本能的なものも含めた人類の普遍的無意識または集合的無意識があります。

両者の関係は,大海が集合的無意識だとすると,浮き沈みする小島が自我意識というイメージになります。
この場合,小島の周囲の沿海が個人的無意識ということになりますね。

ユング心理学の核心は,あくまで価値体系の主体である自我の確立です。
これは自我(光)が,影の個人的無意識とうまく補償関係を保ち,
闇の集合的無意識の奔流から自らを守りながら必要なものだけ取り入れ意識化(個性化)する
ことにより,自我を完成すること,つまり自己になることが目標になります。

基本的には,マンダラと曼荼羅におけると同様,自我のユング心理学は無我の仏教とは正反対の立場にあるといえます。

(2)唯識思想の心のしくみ
唯識とは「すべては心が生み出した表象にすぎない」という意味で,このことをヨーガ修行によって実証しようとするのが,大乗仏教の唯識・瑜伽行派の思想です。
心のしくみに関するユング心理学との用語の対比は次のとおりです。

唯識思想の表層意識は六識(眼,耳,鼻,舌,身,意)あるいは視覚,聴覚,臭覚,味覚,触覚,感覚の六感覚からなり,これはユング心理学の自我意識に対応します。

唯識思想における潜在意識はユング心理学の無意識で,その内訳であるマナ識は個人的無意識,アーラヤ識は集合的無意識に対応します。

さらに言えば,唯識の梵行はユングの個性化で,唯識の円成実性の境地(悟り)はユングの自己に当たると言えます。
しかし,前述のように内容のほうは大違いです。
ユング心理学では,自我意識が実在の中心であるのに対して,
唯識では意識は仮象(したがって当然無我となる)であり,すべては仮の唯一の実在であるアーラヤ識から生起すると考えますが,
円成実性のレベルになると仮の実在であるアーラヤ識も消えてしまうという,空の思想(非実在論)になってしまいます。

心のしくみの名前は対応していても,中身は,
自我と無我,実在論と空の思想
という基本的にクリティカルな関係にあるので,無理に両者を結びつけようとするとカテゴリーエラーに陥る危険性を常にはらんでいます。
しかし現実には,こうした前提を無視した統合の議論が多くみられます。


3) 自我と無我,空の思想と実在論

仏教の自我と無我について,ここでまとめて考えてみましょう
西洋の自我に対し,仏教の基本的な考え方は無我の立場であるといちおう言えると思います。

次に問題は,日本の仏教学が「有」すなわち実在論に立っているか,「空」すなわち非実在論の世界観に立っているかということです。

大乗仏教が成立する前の部派仏教の時代では,説一切有部の名のとおり法(事物)は実在するという立場でした。
ところが3世紀になって大乗仏教中観派の竜樹が書いた『中論』の中の,いわゆる「空」の思想が,従来の実在論を大きく転換させる契機になったと言われています。
それでは,こうした「空」の思想が,当時どう理解され,その後どのように伝えられていったかを考えてみたいと思います。
まずこれに関連する中論の中の3つのキーワードを取り上げてみます。
それは,
空(シューニア),無自性(ナスバータ),縁起(プラティティアサムツパーダ)
で,4世紀に鳩魔羅什が,括弧内のサンスクリット語を現在の漢字に翻訳し,それが日本で通説の「空」論,あるいはダルマ(諸法=事物)非実在論の根拠になっています。

それでは,これらのサンスクリット語の漢訳ははたして正しい訳であったかということが問題になります。
これについて日本の仏教学界には,シューニアを空としたのは羅什の世紀の誤訳であったとする少数学説があります。

当時,竜樹はサンスクリット語のシューニアを仏教の最高のレベル状態と考え,
中国で主流であったタオ思想の最高のステージである玄あるいは無に準えて,空と漢訳した
という見解です。

確かにシューニアには,空のほかに諸法実相つまり「ありのままである」との意味もあるということから,もし後者のラインでいけば,

無自性は「すべてのものには実在がない」
ではなく
「ダルマの主観的な独自性を否定した」

だけと言えるし,また

縁起は「すべては相互的依存関係であって実在がない」ではなく,
本来の意味の「眼に見える総合的関係」

と考えるのが適切と言えるというものです。
特に日本の仏教学会で空の思想が多数説になったのは,明治以降の圧倒的な西洋の実在論に対抗するために,独自の世界観を求めたことにあったからだとも言われています。


4.仏教思想史における釈迦仏教と大乗仏教<仏教はひとつではない>

仏教というと,インドを連想しますが,現実にはインドの仏教徒は1%程度で,大多数がヒンズー教徒,次にイスラム教徒となっています。
紀元前15世紀のアーリア民族の侵入から現在まで3500年のインド思想史から眺めてみても,その仏教の盛んだったのは紀元前3,4世紀からせいぜい500年くらいの期間で,それもそれまでのバラモン教と共存していたと考えられます。
つまりインド思想史の大勢は,バラモン教とヒンズー教を通して業・輪廻・解脱・梵我一如のラインにあるアートマン(我)思想,現世肯定の実在論(有の思想)であるといってもよいと思います。

こうした流れの中で誕生した釈尊の悟り(四諦=苦集滅道)とは,

前世を含むバラモン教徒であったそれまでの自身の生き方(自利利他の現世主義)を,しょせん無駄であったと言って全面否定して,
梵行により煩悩(渇愛)を断ち,出家主義によって自利を求めたものと思います。

つまりは釈迦仏教(原始仏教)は,本質的に現世を否定した宗教と言えると思います。
現世否定の当然の流れとして,無我を標榜し,その延長線上には空の思想への土壌があったと考えても不思議ではと思います。

悟りの内容は,言葉では言えないし,言えたとしても煩悩が好きな衆生は受け入れない
と言って,当初梵天勧請を断った釈尊の予想どおり,本国インドの釈迦仏教は現世肯定のヒンズー教に取って替わられました。

しかし,国外では仏教自身が自利利他の現世主義に大変容することによって,大乗仏教,密教として中国,日本,チベットで受け入れられたと考えられます。
この大転換と釈尊との関係は,一言で言えば,
原始仏教が釈尊の悟りの四諦を即実践しようとするのに対して,
大乗仏教では,釈尊自身が前世を含めて仏陀になる前までバラモン教徒としてやってきた利他行(菩薩行)のプロセスを追体験しようとする宗教と言えるかと思います。

仏教思想史をこうした視点でみると,
大乗仏教の中でも,竜樹の空・中観派,
その流れの無着・世親の唯識・瑜伽派の,生きている間には到底達成できない三劫成仏の菩薩行に対し,
誰でも仏性(本覚思想)ありとする如来蔵派(以上を大乗仏教三派と言います。),現世利益的色彩の強い即身成仏の密教への流れを考えれば,
日本の近代仏教学の多くの学者が,無我論はともかくとしても,いまだに非実在論あるいは空の思想に固執しているのは,いったいどうしたものでしょう。
しかしいずれ近い将来には日本仏教学も,これらの問題を乗り越える時期が来るでしょうが,その時こそはじめて西洋の宗教,心理学とカテゴリーを共にした真の研究がスタートのではないかと期待するところです。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/u-jung/page7/page7.htm


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10. 光が乱舞する心の深層の世界

仏教タントラではブラフマン(創造神)とアートマン(真我)の合一を体験することをサマジー(三昧耶)・・・暝想の極致という。
ダンマ(真理)に接近しこれと合一する(即身成仏)ことを目的にした、究極的な高度で、深い暝想のはてに、浄化がある。


○想像力は目にみえないものを見させる

 ハワイのフラダンスは、もともと神に奉げれていた神舞であった。
フラの巫女には、女神ペレのマナ(霊力)が感応してくる。
ハワイ語でマナとはスピリチャル・パワーのことだという。
そこで、もともとフラは神霊との交流の儀式であった。

 始めに、詔(みことなり)や、リズムと歌で、神々しい雰囲気と聖なる場を整える。
「真如」の導入である。

次に、フラのダンサーは、そのリズムで踊りながら陶酔し、やがて「没我」となる。
そこに、神霊が「感応」する。
恍惚が踊り手を支配する。
すると、神からの返答が現れ、「天恵」が現象化する。

こうしたプロセスをもつ古代儀式は、世界中に普遍的にある。
ダンスがそもそも交霊術であることを示してくれる明確な例はスーフィのダンス、鎌倉時代に起きた一遍の「踊念仏」などが上げられよう。
不乱の舞は、「没我」に至るには欠かせなかったのだろう。


 古代的な交霊は、表面的にしか物事を見ない人々には理解できない。
エンタテインメント化されたショウとしてのフラよりも、マナ(スピリチャル・パワー)と一体になったフラは偉大で神聖である。
ハワイ島では、古代と同じ”のり”で女神ペレへの感謝のフラが、今でも行われている。
これが奇跡なのだろう。

 なんであれ、音楽とダンスとは一体であり、それは神楽(かぐら)だった。
日本の祭の神輿(みこし)の”のり”が、それなのだろうか。
洸惚感、あの陶酔感は、御輿(御神体)を担ぐことによって、はじめて感じることができる。
神輿を担ぐことは、スピリチャル・ダンスだった。
真の芸能には、「真如」「天応」「没我」「天恵」の4つのプロセスが必ず組み込まれている。
だからこそ喜びと生きる力を与えていた。
現代では、真のイベントは少なく、その一部か、残り物だけとなってしまっている。
それは、大音響のロックの陶酔感とはあきらかに違うものである。

http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/008.html


○男性原理と女性原理


 マンダラは金剛界マンダラと胎蔵界マンダラと2つのマンダラが常に一対のものとして見られている。
般若とは完全な知恵という意味があるが、ヒンズータントラでは、般若(プラジニヤ・ー)といい、女性原理(シャクティ)を示し、行動と知恵であり、男性原理は方便(ウ・パーヤ)シヴァといい、自らは何の活動もしない。

方便(シヴァ)と般若(シャクティ)が一体になったときをアーナンダ(恍惚たる喜び)という。

後期のチベット密教の無上ヨーガタントラは性的技法が説かれている。

タントラの根本は男性より女性のほうが多量の霊的エネルギーをもっていると信じられ、このため男性は女性との性的結合によってはじめて悟りの境地に到達し、神的なるものを認識するという後期のタントリズムを生んだ。
基本的には男性は射精によって精力を費やすことなく、女性のオルガスムスによって生じた液体を吸収し、長時間性交を保ち、大楽の観相をする生理的ヨ−ガである。

女神との合一している神仏の当体のごとくなろうとする儀式の体系を秘密灌頂という。

 後期の無上瑜伽タントラはヒンズー教、梵教の神母信仰と習合したもので、本来、禁欲的な仏教とは相容れないので、「タントラ密教」として本来の仏教と区別する。

 インドのカジュラーホーのヒンズー寺院群、コナーラクの太陽寺院の外壁を飾る男女の交歓像(ミトナ像)は、けた外れに官能的な浮き彫りで、おびただしく曝している。
リンガをヨーニに結合し、女性は永遠のオルガスムスに至福の笑みを浮かべている。
シヴァ神とカーりー女神の合一を表すリンガ(男根)・ヨーニ(女陰)がそもそも神体であるので、ヒンズータントラは性的結合が万物の根本であるという原理にたったものである。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_MJ.html


○マンダラの普遍性
 
 マンダラはタントラ(仏教教典)によった仏界の見取り図といわれている。
しかし、単に「金剛頂経」のから生まれ出た産物なのではない。
この幾何学的な構図や色彩は、真実の仏界と心のリアリティ=元型(イデア・プリンシパル)の像であり、かつ普遍的なものである。
だからこそ、太古からその像は連綿と描かれてきた。
そもそも、マンダラは意図されることなく、始まりのない宇宙そのものであった。

ところで、瞑想ってなんだろう? 
チベットの僧侶たちは、「マンダラ」に対座して暝想をする。
チベットの密教では暝想が必須の行だ。
暝想を実践しなくては、生ある間に、どんな人間も聖なる領域へつながることはない。
チベットの僧侶の暝想は、朝、昼、晩、夜にと、各時間帯に継続して行なわれている。
ゴンパ(寺)の中は暗く、蝋燭の火で灯す。
すると、マンダラは眼前に迫るように浮き上がり、揺らめく炎が煙のようにその前を立ち昇る。
その煙は、自分の体から立ち昇る気の炎であることに気づく。
と、やがて、目の前は青紫色に、やがて黄金色に輝き始める。 
それは、次元を透過する超越した偉大なる光だ。
「空性」の体験はこうして現われる。
大空の世界からの橋渡しが為されており、それは、この幻の光に他ならない。


 マンダラは超越しており、特定の人間のものだけではない。
マンダラを外なる図画として語るだけでは、マンダラに近接できないと言ったのは、実は、こうした体験こそ大切なことだからだ。
マンダラは内なる存在として、すべての俗的な権威を越える至高の存在であり、それは、同時にあなた自身であるからだ。
マンダラは「空」の世界の究極の「相」であり、空の本質であり、円く輝くさまざまな色彩に満ちた光の像となって顕れる。
永遠なるもの、マンダラの本質、それは、同時に一人一人の「魂」に輝き、万物に平等にある。
生あるものは、それがマンダラなのだ。

 暝想は誰もが大悟を得るために通らねばならない偉大なステップだ。
宇宙原理(ブラフマン)と個我(アートマン)とは本来、同一であるという考え方は、バラモン正統派の伝統的な疑いえない真理なのだ。
アートマン、その表れはあくまで肯定的な「有」の存在であり、肯定的な有産力をもった力となって表れる。
さまざまなトーンをもち、色彩をもち、形をもって存在し、あらゆる存在するものなかをつらぬいて全空間をおおいつくしている。
それゆえに、アートマンは現象のすべてを包み、生産するむシャクティ(母性)の役割を担う。
それは、空域と物質界がもともと一つである事の確証であり、2つの領域は別物ではないことを示している。
そして、それと不二だと思うとき、彼は至福をえるのである。
彼の外からけっして来るものでなく、それははじめから内蔵されていたものであった。


 さて、インドでは仏教はヒンズー教に、また、イスラム教に圧倒されてしまったが、チベットにはタントラ仏教(ラマ教)がいまでも残されている。
そして、チベットには数々のゴンパ(寺)があり、なかでもリンチェンサンポ方式の堂は、ただ、ひたすら暝想を行なうための場とされている。

とりわけ堂内の壁にはマンダラが所狭しと描かれ、そのなかで、独り、宇宙と自分の合一を体感するために暝想に耽る。

宇宙のエネルギーが彼自身を全く貫いている。
すべては、原初仏のもとに一つなのだと・・・。


 密教タントラのあらゆる実践は、ラマによって灌頂、直接伝授されなければ成就できないとされる。
また、タントラ密教の三帰依戒は、導師(グル)、守護神(デーヴァ)、ダーキニーで、仏教とは出発から異なっている。
仏教の三宝帰依は”仏法僧”である。

 チベットの修行で、導師は一人とは限らない。
はじめは何人もの導師に教えを乞う。
しかし、最終的な悟りに導く導師を根本導師といい、グルに絶対的に帰依する。
口伝だけでなく、あらゆる動作を含めて、それらは書物だけでは伝えることができない。


 ヨーガとはサンスクリット語で、馬をくびきに「縛りつける」といった意味だ。
肉体の感覚器官を暴れる馬にたとえると、その統御を意味する。転じて、暝想という意味の言葉になった。
荒々しい五感煩悩に、手綱をつけるという伝統的な意味をもっている。
それが、ヨーガである。
 タントラとは、[tantri]が語源で「縦糸、織物」を表し、転じて、「知識を広める」という意味。
自らに目覚めるための知識、体験の体系を意味し、単純に教典をさすようになった。
タントラのうち、第4の無上ヨーガ(最高のヨーガ)は中国・日本には伝わらなかった。
一方、いわゆる後期の密教がチベットでは一世を風靡し、土着的ボン包含しながら発展したといわれる。
チベットでは、タントラヨーガに、無常の魂の励起が約束されており、多くの人々を高い境地に導く実践がいまでもなされている。
日本の密教は、中期の密教に属している。

 瞑想のビギナーは、瞑想中に不思議な挙動をしめす光にでくわす。
それらは、ブラフマンを顕す兆候だ。
なぜなら、その光はまさしくわたしの意志によらない挙動をしめし、わたしはただ感動しているからだ。
禅では、これと魔境(雑念、妄想)と区別しない人が多い。
しかし、これらは、たいへん良い瑞兆なのである。

「密教は4つの段階に別れている。
一、所作タントラ 
二、行タントラ 
三、ヨーガタントラ 
四、無常タントラ。 

第1の「所作タントラ」は、呪文、陀羅尼、諸仏の供養の仕方、壇の作り方、手印の結び方などの作法を主要な内容とする。「蘇悉地経」、「蘇婆呼童子経」、「不空絹索経」などがある。 

第2の「行タントラ」は7世紀の成立と言われる「大日経」で、マンダラをつくり、悟りを中心にした観想法を発展させた。観想法とは、精神集中によって眼前に神仏をありありと描くことである。しかし、この行タントラの大日マンダラはほんのわずかの点数が残されていること以外、あまり知られていない。 

第3の「ヨーガ・タントラ」は「金剛頂経」である。この教典の出現は8世紀で、行者はこの金剛界曼陀羅と一体になる暝想を行じる。 第4の「無上ヨーガ・タントラ」は精神・生理学的なヨーガの技術を用いる。さらに、奥深い秘密を残しているが、この暝想は、ある観相マンダラを持ちいて直接、光の場に降り立とうとする。 

 チベットの観相修業にもちいる第4段階以降のマンダラは、日本に知られていなかった。
「悟り」の第一段階は、シューニャータ(空)の光とエネルギーが、いつも真我に透過しているという真実を見ることからはじまる。
それが透過しているゆえに、万物がマンダラの(構成の)一部であり、わたしたちもマンダラの元型を刻印された「仏」に他ならないことを感得することができる。

○チベット・ゾクチェン密教
「無意識をさらに突き抜けたところに光の領域があらわれる。この光の領域こそ、意識の原初の場を示している。

これは、『ダルマ(法)の本性』ともいうべき(光の)場、精神現象の「法」すべてが、この『法の本性』の場に立ちあらわれる。

『法の本性』という光の場において、輪廻する現象界のすべてと、それを抜け出した解脱の状態を示すものすべてがあらわれである。

したがって、この『法の本性』とは違うところからあらわれでるものはなにひとつとしてない。

すべては、とぎれることなく、『法の本性』という場の中にあり、その場から立ちあらわれる。だからこれを、一切の土台と呼んでもいい。

仏教の修業は最終的には、ここに直接おりたとうとする。

 経験的な知覚意識よりもさらに奥深く、光の領域がある。
この光の元型がマンダラである。
そのマンダラはまさに「ダルマ」の本性であり、さまざまに呼ばれるているが、もともと一つのものだ。
この他に、「空」とも「中道」とも、さらに「縁起」とも名づけられる。
これらも、そう名づけられているが、皆、一つのものを言い表している。
マンダラは光の領域、または、光の場にあり、自然(じねん)的で、なにものにも影響されない(無碍)ばかりか、いっさいの精神現象のエネルギーの源になっている。
つまり、ここから、無限の生命力が絶え間なく供給されている。すべてのエネルギーがそこから流出している。
ダルマカーヤ(法身)とはマンダラにほかならない。
マンダラは永遠で無限の光を、他からエネルギーを与えられずに活動する超越的な存在である。
つまるところ、原初の太陽といってもいい。
この太陽は、なにものにも影響されず、消滅せず、また、なにものにも汚されない純粋な光を放つ性質をもっている。
その存在する領域は空性であり、永遠で、清浄で、破壊されず、減ることも増えることもない。終わりなく、始まりもないので、創造した、あるいは創造されたということもない。

 この永遠の光の領域は、3つの純粋な光に分かれ、それらは堅く結び合わされている。
そして、図画としてのマンダラもまた、光の法身を直接顕そうとする。
マンダラがパンテオンのようでもあるが、実は、一つである。
したがって、マンダラはわたしたちに秘密をもって立ち表れる。

自己の内部には、必ず光り輝く空性の領域(仏の世界)がある。
外なるマンダラは、内なるマンダラを招来するための聖なる像であり、同時に伝法の手段である。 

そもそも、マンダラを自己のものとしてとらえるのには暝想する以外にない。
暝想はマンダラを捉える最上位の手段である。マンダラが描かれた訳はたとえていうなら、図画は多くの情報を瞬間的に訴えることができるからといえる。
無意識の内奥に刻印された形は、文書で説明するのは極めて難しい。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_MJ.html


仏の世界は「空」の場、そのものなのだ。
般若心経の解釈では「空」は「実体がない」つまり、相がないと学者は解釈するが、実は心の目で見ると全く反対となる。
空は、全く形なきものではなく、「光」(クリアーライト)で成り立ち、実は形もあり、動き回わる。
それがマンダラなのだ。
無と空 そもそも、「無」を対象として、それと合一することはできない。
「無」とは、主語ともなりえず、また、一切の形容を受けつけない。
空性はわれわれの意識と連続しており、万象がまた連続しており、一切が一つの空性(マンダラ)のなかに息づいている。
なにもないことを無というのでない。
存在のなかに無がある。

彼は、はっきりと実在の「光」を観相する。
それは現実の光線ではない。
そして、しばし己れを忘れる。
そういった体験から、空性は「無」ではなく、輝き、あるがままに自在に運動する実体なのである。
激しく活動する光り・・・マンダラは、その所在地を「空」の場に置く。
空界がイコール、そのままマンダラなのだ。 


マンダラはわたしたちをも包含した神仏の世界、それは広大なる、「空」である。
そこには、実在の「光」があり、それは振動の乱舞であり、エネルギーに満ちている。
無限のエネルギーの波動であり、永遠に尽きず、宝石のような美しさに溢れている。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_MJ.html


                                 こんにちは、カエルの血だす!!
                                 ヽ、,,,__  ______ノ
                    _,, ィェ 、,,,,,__             ノノ
               _,, ィ ''"~壬丑圭圭圭~"''ャ 、,,_
           _,, ィ '"壬圭圭午丑圭圭圭圭圭圭圭~"''ャ 、,,_
       _,, ィ '"壬圭圭圭午圭丑圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭圭''ャ 、,_
    _,, ィ '壬壬壬壬壬午ヱヱヱヱエエエエヱヱヱヱヱヱヱヱヱヽ、
   イ壬方シン亠''''''""~'三(ハ,-、i! _,,-    ,,_ )ヽ≡ヽ≡ヽ≡ヽ≡ヽ~''-ヽ
  /-'''""≡/≡/≡/≡/≡_i`!、!.i! ィ_・ュ  ィ・シ三 \三\≡\三=--'''"
  `'''-==---------ー'フ''"⌒~"ヽi!     ィ、 j  i、   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            / ◆,,,,,,,,_◇入   ー=ァ ノ )
            〉' ◇  !、 ヽ、 ヽ、_____/゙/`┌──,──┐
            | `ー、,,, >テ>-、 /(人)'____,゙ |. .冰( ; . . .....:|
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記事 [外国人参政権・外国人住民基本法01] 在特会徳島県教職員組合威力業務妨害事件公判傍聴記 6 〜EH被告人の父親…(凪論)
凪論 : 在特会徳島県教職員組合威力業務妨害事件公判傍聴記 6 〜EH被告人の父親は活動をどう考えていたか〜
http://blog.livedoor.jp/patriotism_japan/archives/51712456.html

2010年11月22日06:26
草の根市民クラブの裁判在特会徳島県教職員組合威力業務妨害事件公判傍聴記 6 〜EH被告人の父親は活動をどう考えていたか〜

 RN被告人の母の次は、EH被告人の父である。

弁護人「あなたはEH被告人の父親か。」
父「そうだ。」
弁護人「EH被告人の母親は。」
父「通訳をしている。」
弁護人「EH被告人が在特会に関心を持っているのをいつ知ったか。」
父「09年暮か10年頭ころ知った。」
弁護人「EH被告人は20歳のときにアメリカに留学してそこで在特会の活動を知ったそうだが、知っていたか。」
父「在特会に興味を持ったと聞いた。」
弁護人「EH被告人はアメリカで見て活動したいと思ったそうだが、帰ってきたときに知っていたか。」
父「インターネットを見ていたのは知っていた。」
弁護人「EH被告人は平成20年9月に沼津や浜松で弁当屋の正社員として勤めていたが、在特会の活動については知っていたか。」
父「やっていないものと思っていた。」
弁護人「EH被告人は平成22年6月に植木屋となったが、仕事ぶりはまじめだったか。」
父「そう聞いている。」
弁護人「当時、在特会の活動がそれまで以上に発展するとは思っていたか。」
父「仕事に一生懸命で忘れたものと思っていた。」
弁護人「4月の事件は直後にわかったのか。」
父「そうだ。」
弁護人「インターネットで見てどうだったか。」
父「行き過ぎだと思い、やめろと言った。」
弁護人「それに対して本人はどう答えたか。」
父「わかったと言った。」
弁護人「行き過ぎを認めたということか。」
父「そうだ。」
弁護人「保釈後EH被告人と話したか。」
父「話した。」
弁護人「本人はその後活動していないが、あなたと何か約束したのか。」
父「活動しないよう約束した。」
弁護人「拘留中には会ったか。」
父「私の考えとして活動をやめてほしいと強く伝えた。」
弁護人「活動しないようどう指導するか。」
父「情報を入手して監督する。個人の人生を大切に生きろ、人生を犠牲にするなと言う。」
弁護人「厳しく指導できるか。」
父「できる。」
弁護人「妻はあなたと同じ考えか。」
父「そうだ。」
弁護人「今後は植木屋に勤めることになるのか。」
父「植木屋については本人も気に入っていたようだ。」
弁護人「退職したと聞いたが。」
父「退職したが、会社が籍を残していると聞いた。」
弁護人「今後は在特会と距離を置いて欲しいのか。」
父「そうだ。」

 検察官の証人尋問はなかった。

http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/654.html

記事 [昼休み44] 「kennryoku-teikou、Cubalibre82」(渋谷デモを撹乱した仙谷広務82が自ら退場したようです)
28. 2010年11月22日 17:15:22: jUeppjzbbQ
>24さん 他 みなさまへ
Cubalibre82氏は退会されました。

権力とマスコミの横暴を正し、人権を守る国民の会のHPより 確認しました。
http://kennryoku-teikou-kok.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/twitter-a63c.html
11月22日付 以下の通りです

当会のスタッフのtwitterでの発言に関して。
日頃、当会をご支持、ご支援いただき、誠にありがとうございます。

昨日、弊会のデモのスタッフ、twitterアカウント旧@torrecolombia氏、改め
@cubalibre82氏(21日にアカウント名を、HNを変更。)より、小沢一郎代議士支持者の方々をtwitterのタイムライン上、すなわち公開で侮辱するツイートを行い、小沢一郎代議士支持者の皆様の名誉と尊厳を著しく傷つけることとなった事から責任を取り、この会の運動から身を引きたいとの申し出がありました。

残念ながら、氏の公開でのtwitter上のつぶやきは、小沢一郎代議士支持者のみならずデモへの参加者の皆様、日頃からご支持、ご支援をいただいている全国の良識ある皆様方にも不愉快な思いを抱かせる結果となりましたので、氏の申入れを受理する事と致しましたことを、ここにご報告致します。

尚、氏は問題のツイートを削除、撤回し、謝罪のツイートも行い、十分反省しておるようではありまが、事の重大さを鑑み、申入れを受理いたしました。

(さらに氏はツイッターの公式アカウントを管理しておりますが、この件に関しましては、当会の別スタッフのメールアドレスにて新たに立ち上げます。その際、貴重なフォロワー様の履歴、及び過去のツイートが消去されることとなり、この点に関しましても大変なご迷惑をおかけすることをお詫び申し上げます。)

ここに、ご報告及び皆様に重ね重ねお詫びを申し上げる次第です。

今後とも、当会について、ご指導、ご助力を賜りたく、何卒宜しくお願い申し上げます。
代表 矢野健一郎


29. 2010年11月22日 17:25:07: WUTmDUvDSa
小沢氏支持のプラカードがあってもよいではないか。頭でっかちの実行委員などどうでもよい。まあ、Cubalibre82なるものの正体もそのうちわかるね。今回の一般市民のデモは生活の中から生まれた、なにか言いたいこと、それだけの緩やかなデモで成功していると思うよ。 自分で考えたプラカードこそ、大切。気軽に自由な社会をめざそうよ。注意することは、セクトに拘るような指導者はごめんだということだ。


30. 2010年11月22日 17:49:25: bbN5U6UIQo
矢野さん、お疲れ様。
丁寧な説明、ありがとうございます。

雨降って地固まるで、がんばりましょう!!

検察とマスコミとの闘い。民主主義を守る運動。
その共通の目的のため、我々が排他的にならないよう!

共に、がんばりましょう!


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/242.html

コメント [雑談専用38] 中国の恐怖がまじかに迫っています 唖然
29. 2010年11月22日 18:43:36: cIzIWh0PxM
大本の神示が本当になってくってこと???
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/807.html#c29
記事 [昼休み44] デモの主催者は、泣いて武村を斬る、泣いて空き缶七奉行を斬る、泣いてトロイの木馬を斬る、ができるナイスガイのようです。
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/665f7f01b5afbc4c4e60c11c75e882be
市民運動を破壊する工作員に気を付けよう!
2010-11-22 14:20:40 | 政治・社会

私は昨日11月21日(日)の渋谷デモに参加しましたが、デモを主催した市民団体代表の矢野健一朗氏が今朝発信された

ブログ記事「当会のスタッフのtwitterでの発言に関して」には驚きました。

昨日のデモの実行委員の一人で団体の公式Twitterアカウントの管理人でもあった人物がデモ当日の朝に小沢支持者を

侮辱する「反小沢」の罵詈雑言を公式Twitterで流していたとのことです。

この人物のTwitterを読んでデモに行くのを辞めた方が相当数いたと推測されます。

この人物はアカウント名を当日変更して@cubalibre82を名乗って昨日の午前8時かた9時の一時間に7件の「反小沢」Twitterを流 しています。

デモ当日の朝にこのような妨害情報を流したのは当日のデモをつぶすか参加者を少なくするためであり明白な意図を感じます。

この人物は「反小沢」のネット右翼かあるいは米CIAや公安警察か統一教会などにつらなる破壊工作者なのでしょう。

検察批判、政権批判、小沢一郎支持を表明して活動する市民団体の幹部の皆さんは、今回のことを教訓にして破壊工作や情報取集目的で近づいてくる破 壊工作員への警戒を

一層高めて組織と運動を防衛しなければなりません。

下記に「権力とマスコミの横暴を正し、人権を守る国民の会」代表の矢野健一朗氏の今朝のブログ記事を転載します。

____________________________________

2010年11月22日

▼ 当会のスタッフのtwitterでの発言に関して。

http://kennryoku-teikou-kok.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/twitter-a63c.html

日頃、当会をご支持、ご支援いただき、誠にありがとうございます。

昨日、弊会のデモのスタッフ、twitterアカウント旧@torrecolombia氏、改め

@cubalibre82氏(21日にアカウント名を、HNを変更。)より、小沢一郎代議士支持者の方々をtwitterのタイムライン上、すな わち公開で侮辱するツイートを行い、

小沢一郎代議士支持者の皆様の名誉と尊厳を著しく傷つけることとなった事から責任を取り、この会の運動から身 を引きたいとの申し出がありました。

残念ながら、氏の公開でのtwitter上のつぶやきは、小沢一郎代議士支持者のみなら

ずデモへの参加者の皆様、日頃からご支持、ご支援をいただいている全国の良識ある

皆様方にも不愉快な思いを抱かせる結果となりましたので、氏の申入れを受理する事

と致しましたことを、ここにご報告致します。

尚、氏は問題のツイートを削除、撤回し、謝罪のツイートも行い、十分反省しておるようではありまが、事の重大さを鑑み、申入れを受理いたしまし た。

(さらに氏はツイッターの公式アカウントを管理しておりますが、この件に関しまし

ては、当会の別スタッフのメールアドレスにて新たに立ち上げます。その際、貴重な

フォロワー様の履歴、及び過去のツイートが消去されることとなり、この点に関しま

しても大変なご迷惑をおかけすることをお詫び申し上げます。)

ここに、ご報告及び皆様に重ね重ねお詫びを申し上げる次第です。

今後とも、当会について、ご指導、ご助力を賜りたく、何卒宜しくお願い申し上げます。

代表 矢野健一郎  2010年11月22日 (月)
___________________________________

また@cubalibre82が昨日朝8時9分から8時50分の間に流した7つの「反小沢」Twitterを「日々坦々」様のブログから以下に転 載します。

これらの文章は「笑止千万」「バカ」「大バカ者」「B層」「狂信的小沢信者一匹」「小沢氏は病持ちではないか」などの差別用語を羅列しているだけ の

典型的なネット右翼が書く文章です。

蛇足ながらアカウント名Cubalibreは「自由キューバ」を意味しますが、このスローガンを今も使っているのがカストロ暗殺を含め半世紀にわ たって

キューバ政権転覆工作を続けている米CIAと亡命キューバ人です。
____________________________________

2011.11.21 日々坦々

http://etc8.blog83.fc2.com/

以下、渋谷デモに出かける前の「クーバリブレ(@Cubalibre82)」氏のツイートを紹介する。

@ Cubalibre82 2010.11.21 08:09

日本の民主化を阻害している最大の要因は、目的と手段を取り違えている人間だ!例えば、小沢一郎氏が権力者として復活することを目的としている 輩。小沢氏は68歳。

10年、20年間総理を続けられると思っているのだろうか?笑止千万だwww via web

A Cubalibre82 2010.11.21 08:13

小沢一郎氏を総理にするのが目的の輩は、小沢氏が総理になれば、1年、2年で日本の官僚機構が劇的に変わると思っているらしいwww小沢氏は病持 ちではないか!?

wwwバカとしかいいようがない!! via webCubalibre82

B2010.11.21 08:17

目的と手段を取り違えていて、小沢一郎氏を総理にするのが目的の輩こそ、B層だと分かった。新聞、テレビに洗脳されている大多数の国民よりタチが 悪い。 via web

C2010.11.21 08:20

狂信的小沢信者にとって、小沢氏はアイドルらしい。奴らは追っかけをしているグルーピーと同じような大バカ者! via webCubalibre82

D2010.11.21 08:22

小沢一郎大好き!などと抜かしている連中は、全員ブロックする。バカとは付き合っていられない。 via webCubalibre82

ECubalibre82 2010.11.21 08:28

狂信的小沢信者一匹、駆除(ブロック)なう。 via HootSuiteCubalibre82

F Cubalibre822010.11.21 08:50

さあ、反検察、検審、マスコミデモに行ってくるぞ!小沢グルーピーは一匹も来て欲しくない!

______________________________________

(終わり)



http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/243.html

コメント [マスコミ・電通批評11] ネットユーザーへの受信料支払を画策するNHKの愚 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜) pochi
16. 2010年11月22日 18:54:37: AGkMkbNIzQ
これは酷い。つまり、メーカー出荷パソコンにチューナーを内蔵させて
己らの高級維持のために、受信料を毟り取ろうとしているのですね。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/238.html#c16
記事 [ペンネーム登録待ち板6] 投稿可能になりました。本番投稿をお願いします。
お手数をおかけしております。

投稿可能になりましたので、

本番投稿をお願いします。

これから★阿修羅♪掲示板にどんどん投稿をお願いします。

管理人

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/873.html

記事 [ペンネーム登録待ち板6] 投稿可能になりました。本番投稿をお願いします。
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管理人

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/874.html

コメント [経世済民70] 日本が移住しやすくなれば外国人労働者流入し多様な人材育つ gikou89
07. 2010年11月22日 19:03:22: 8LQMpSZJfU
 国際的な人道、人権問題での難民受入は、もう少し考慮さるべきと思うが、大量移民容認の前に、なぜ日本人が少子高齢化に打つ手なし無策状況になっているのかも議論されるべき。フランスも少子高齢化で悩んでいたが、近年にきめ細かい総合的家族、職場、育児、教育対策により出生率が上向いた。政府、経営者、労組(フランスでは労組の力がはるかに強力だ)、各種市民団体が協力している。将来への投資として捉えており、厳しい財政事情のなかでも共通した社会認識で支えている。これは、特にフランスに家族で長期滞在した日本人なら痛感することだろう。日本では若い世代が子どもを2人以上持つことなど贅沢視される酷い時代になっている。教育費負担も重いが、日々の過酷かつ過労死的労働下ではゆったりと子育てなどできない。非正規労働で使い捨て酷使されて、正規でも業績評価でノルマに追いまくられては息つく暇もないだろう。家族を扶養するには、健康で文化的な生活を送れる基本的条件が必要だが、まともな住生活を確保するのも容易ではないのが現実。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/238.html#c7

コメント [経世済民70] 来年1月の風営法改正で半減?全国のラブホテルが存続の危機 gikou89
03. 2010年11月22日 19:06:02: lQxKdebwsE
みんな貧乏になったから、ラブホも不況です。
だから、“かー・せくす”が増えてます。
エンコーで捕まった男たちは、ほとんどそうしていたようで。
暇なラブホを潰して、実際の需給関係に合わせて調整するだけの話なんじゃあないですか。
それをいかにも、私たちは仕事をしました、というような。
そう思います。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/236.html#c3
コメント [戦争b6] 警視庁と検察当局: 国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検し、年内に刑事処分 (ロイター hou
01. 2010年11月22日 19:13:50: iUqPWksjJ6

処分と表彰でチャラにはできんか?

http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/491.html#c1
コメント [経世済民70] 大前研一氏 600万円で買った車が半年後に300万円台になり嘆く gikou89
16. 2010年11月22日 19:14:05: 3792ylHJic
大前さんは、今更ですが、かなり知能が低いとしか言えませんね。
デフレとは何か。こんな簡単なマクロ経済学の基礎知識もなく、
政治家を志したとは信じられませんが、恥ずかしい限り。
卑しくも経済を語る政治家なら、この局面では
中央銀行の金融政策、及び政府の財政政策の失敗に
言及するのが当然でしょうに、それすら分からないようですな。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/234.html#c16
コメント [戦争b6] 中国 尖閣諸島へ来年6月「800隻大船団で上陸」計画が進行中(NEWSポストセブン) 木卯正一
07. 2010年11月22日 19:17:19: FqDvXxU8vI
世襲官僚とヤクザとチンピラ右翼が発狂して、民主党政府に対するクーデターを模索中に、此れも「煽るネタ」の一部。
フリーメーソンだの御託を捏ねて「火が着かない」粘着気質を攻撃するのは発狂した工作員側だからだ。
この記事自体は、馬鹿右翼として阿修羅版で最も有名な投稿者に依るあから様ながせネタに過ぎない物を、同類項が応援する。
何故なら、既に理性も知性も全く持たない輩だから。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/470.html#c7
コメント [戦争b6] NATOのラスムセン事務総長: 「NATOとロシアは初めて、互いを防衛するために協力する」(読売新聞 hou
04. 2010年11月22日 19:17:26: iUqPWksjJ6

ロシアと手を握ったらNATOの存在意義は無い。

http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/475.html#c4
コメント [中国2] 中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 「中国」という「国」はない〜尖閣諸島の問題を機に〜 gikou89
01. 2010年11月22日 19:17:34: CRer5rROIE
>中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 「中国」という「国」はない

随分前から、2chでは普通に言われていることだよなw
今さら阿修羅で取り上げるのは、最低5年は遅れているなw
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/667.html#c1

記事 [社会問題8] 尼崎市当局の対応の遅れについて(介護報酬の不正受給問題)(良人の部屋のブログ)
尼崎市当局の対応の遅れについて(介護報酬の不正受給問題)(良人の部屋のブログ)
http://d.hatena.ne.jp/asuka200/20101121

*****************

介護報酬を不正に受給していたことが発覚(『不正受給の返還命令』2009-02-27)し、尼崎市当局から返還命令を受けていた有限会社なかよしグループ(以下、「なかよしグループ」)は、この行政処分を不服とし、当該市に対して、「行政不服審査」の申立てを行なっていたことが、平成22年6月の尼崎市議会会報の健康福祉委員会「議案第98号」会議録(『議案第98号 訴えの提起について(介護給付費返還等請求事件)』2010-10-05)で明らかになり、皆さまにも確認することができるまでに至りました。

それを示すものとして、議会録の田中淳司議員の発言とそれに対する市側の応答、及び義憤を真摯に訴えている松村ヤス子議員の発言の一部を抜粋して紹介しておきます。

『 ◆(田中委員) この処分ですね。今回の議案の提出に至るまでの手続のことで教えてもらいたいんですが、この問題の業者は平成20年2月下旬に県の監査等によって指定取り消し処分を受けてるんですが、その後の4月に審査請求を提起したと。審査請求が提起された場合は、例えばその時点で相手方の財産等を仮処分等することは手続上不可能なんでしょうか。


◎(介護保険事業担当課長) そういったことはございません。提起することは可能でございます。ただその場合、もしこの審査請求が覆った場合に逆に尼崎市が訴えられるというようなリスクも背負う形になりますので、今回そういったこともございまして慎重に対応してきたというようなことで、今回のような形で、ちょっと委員がおっしゃりたいような、早期にもっとできたのではないかというようなことだとは思うんですけども、慎重に対応した結果、ちょっと今回の訴えの提起という時期になりました。 』

『 ◆(松村委員) 事業所の指定を受けるときには正常であったのかどうかもちょっとよくわからないんですけれども、非常に被害を受けてから後から裁判にかけてというので、もう自治体が非常に大変な思いせないきませんね。それだけに、こういう事件が再発しないように、許可をする、指定をする権限のある県ともよく未然防止策というのを検討していただくような方向でいかないと、被害が出て取り戻すいうのはなかなか大変だし、実際にサービスを受けた人がいないのではないかという先ほどの話だったので、まるっきりだまし取られているいう感じとして聞いたんですけどね、実際そうやと思うんですが、それだけに、それにまた不服審査請求までやるとかいうような非常に悪質だなというふうに私自身思うんですよ。だから未然防止策というのは十分、難しいとは思いますけども、県とも協議をしていただいて、きちっとこういう業者がないようにするのと、やっぱりあと民事だけで済まさないでということも田中委員もおっしゃってましたけども、その辺についても十分積極的な取り組みを要望しときます。 』

上記の発言の前後から明らかに見えてくることは、「なかよしグル―プ」が尼崎市側の不正受給返還命令に対して、不当にも「不服の申立て」を行なっていたゆえに、当該市側としては、それが足枷となって、この「なかよしグループ」の申立てに慎重に対応しつつ、その結果を見定めた上での動きであったことが容易に推測できましょう。したがって、行政側(尼崎市)が介護報酬の返還命令を迅速に成しえなかったのは、「なかよしグループ」のこのような画策があったためという事実が裏側に隠されていたわけで、真実はこうした背後関係から徐々に浮かび上がってきたといえます。

さて、私は別段、対応の遅い尼崎市当局を庇い立てするつもりはございませんが、対応の遅れにはそれなりの理由があったことを皆さまにも知っていただきたく、それを既知の事実として提示することは無意味でないと思ったからでございます。

そうして、さらにここから先に進んで明らかにしなければならないことは、行政不服審査には、提出しなければならない必要書類があるのですが、不服申立てを行なった「なかよしグループ」から行政に対して提出のあったと思われる「審査請求書」の内容を開示できないかということです。

そこには、審査請求の趣旨及び理由を記載しなければならないことが義務付けられていますから、端的に申せば、「なかよしグループ」の経営陣(k社長、M統括責任者、S顧問社会保険労務士の3名)が不正受給返還を拒む理由が明確に記載されている可能性が大いにあるからです。

返還金の総額に及んでは、追徴金を含め2000万円近くの公金になりますから、それを騙し取られたというだけでは、何の解決にもなりません。市民に対して納得できるような回答がなければ、この問題はいずれ形を変えて他の介護事業所の不正受給問題へと飛び火するかもしれません。


*****************

http://www.asyura2.com/10/social8/msg/193.html

コメント [雑談専用38] 臨死体験者が語る ちょいと先の世界 唖然
17. 2010年11月22日 19:20:25: cIzIWh0PxM
これは大本の神示とはあまり関係ない?
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/794.html#c17
コメント [経世済民70] 11.19 株価1万円突破の本当の意味とは gikou89
07. 2010年11月22日 19:23:50: lQxKdebwsE
証券会社による上げ下げのコメントなんて、文字通り言い訳にすぎません。
この世の支配者さまたちの利益を出すための数字操作、アリバイ作りの言い訳です。
それを利用して稼ぐかどうかが、私、個人株主の技量です。
今年は、株ではなくゴールドで数年前の買値から倍以上の利益が出ています。
国際通貨のスーパーマジックが使われたときには、一気に下落するかも知れません。
あるいは、マジックへの不信が大きくなれば、価格高騰ともなります。
私たちは、嵐に揉まれる小舟のようなもの。
けっして主人公ではありません、現実は。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/224.html#c7

コメント [戦争b6] 警視庁と検察当局: 国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検し、年内に刑事処分 (ロイター hou
02. 2010年11月22日 19:24:47: FqDvXxU8vI
韓国国籍の妻を持ち、義父は韓国系米国人、と言う輝かしいスパイ的な人生を歩む、漏洩保安官に祝福の拍手を!
きっと、米国で表彰されるだろう!
自衛隊の南洋シフトをバックアップした功績で、だ!
売国奴、万歳!
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/491.html#c2
コメント [戦争b6] 911の虚構ZERO(日本語字幕) 姉葉大作
14. スットン教 2010年11月22日 19:25:59: CmuKS.2SNuq/E : KSYvAzhTgw
浮ついた雰囲気のない良いドキュメンタリーでしたね。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/291.html#c14
コメント [戦争b6] 中国農業省所属の漁業監視船「漁政201」と「漁政310」: 「釣魚島は中国の神聖なる領土」 (チャイナネット hou
01. 2010年11月22日 19:26:42: FqDvXxU8vI
此れで尚、中国側は漁業法の「棚上げ合意」から逸脱しては居ない。
口先で「聖なる領土」とは「合意違反」にはならない。
日本の拿捕は違反になるんだけどね!
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/472.html#c1
記事 [昼休み44] 2、解散の場合、国民は、15年ぶりに、非自民政権を裏切った社さ=旧民主、を審判する事ができます。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/giin/1290051077/l50
539 :ドクターK ◆WKtPxA3Y3s :2010/11/22(月) 17:53:37 ID:98MqJn1w
新党によって戦うメリットはもう一つある。
政党助成金という軍資金を、現執行部から奪い、弱体化することができる。
また、民主党の負の遺産を引き継がなくてもいい。
現執行部の失政は彼らが取るべきなのだ。もう誰のせいにもできない。
ただ一つの杞憂はは機を見るに敏な事だけが取り柄の前原がくること
ざっと、現時点では、妄想としか言いようのない、
小鳩新党による内閣不信任案賛成による解散総選挙をシミュレーションしてみたが。悪くない。
妄想に終わり、民主党が賢明な判断をするのか否かはこれからだが、
新党による総選挙。既に小沢氏は想定しているという情報もある。
革命はまだ終わっていない

年内に離党しないと政党助成金はもらえないんだけどなぁ・・・
新党結成するなら年内がいいよね

世論調査で1位だからね 小沢総理www^^
ど〜〜んとかまえて頑張って頂きたいですねwww^^



http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/244.html

コメント [戦争b6] アメリカ財務省海外資産統制室: 朝鮮大聖銀行と朝鮮大聖貿易総会社 制裁対象機関に追加指定 (東亜日報 hou
01. 2010年11月22日 19:33:38: FqDvXxU8vI
一方、米国の公式発表を信じるアメリカンドッグ以外にとっては、パキスタンのカーン博士をバックアップしたのは米国であろう、との説が既に定説化しつつある。
ま、この程度の偽造なんて、殊に冷戦下では常識だったが。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/473.html#c1
コメント [マスコミ・電通批評11] 尖閣問題 - YouTubeを見下すテレビコメンテーター gikou89
02. 2010年11月22日 19:35:19: iUqPWksjJ6

TVや新聞が報道しないのが分かってるから、YouTubeに流したんだよ。

それに、TVや新聞の報道には捏造も偏向も一切無いって言うのか?


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/241.html#c2

コメント [戦争b6] ロシアのメドベージェフ大統領: 「平和条約を検討する際のアプローチを変え、経済を前面に出そう」(時事通信 hou
13. 2010年11月22日 19:37:39: FqDvXxU8vI
…。
そもそも日本にとって、沖縄と北方領土はセットだった!
過去の、米国に依る「(基地付き)沖縄返還」が成る迄は特にそうだった。
ま、故意に其れを思い出させまいと、こうして工作員も今尚活動する訳だけども。
当時、冷戦構造キャンペーンに因り「善玉・米国V.S.悪玉・ソ連」を煽る必要があった。
今、却って逆効果って奴の所為で思い出したんだけども。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/430.html#c13
コメント [外国人参政権・外国人住民基本法01] 船から見たみすぼらしい北朝鮮、清津は地獄の入口だった(joins.com)より日本政府から月13万生活保護受給発覚 木卯正一
04. 2010年11月22日 19:37:44: dJqSr1tTYM
第三者の視点から、追い込まれて火病
起こしてんのは3のほうだ。
返信しても誤魔化しているのがバレバレ。
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/650.html#c4
コメント [戦争b6] NATOのラスムセン事務総長: 「NATOとロシアは初めて、互いを防衛するために協力する」(読売新聞 hou
05. 2010年11月22日 19:41:12: w8VAlvF1fY
04さんへ
地球が統一される過程で軍隊組織がどういう地位を確保するか考えれば
当然。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/475.html#c5
コメント [戦争b6] 北朝鮮: 2000基の遠心分離機を稼働 (時事通信 hou
01. 2010年11月22日 19:42:04: FqDvXxU8vI
「>超近代的」とか、口が滑り過ぎ。
却って物凄く胡散臭い。
トータルの情報として「ちぐはぐさ」が過ぎる。
いっその事、思い切ってリトルグレイでも登場させて下さい。
其れとかスターゲートか何か?
「学者馬鹿でボキャブラが貧困」では済まされない、専門分野だろーに!
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/474.html#c1
コメント [戦争b6] ノーベル平和賞:中国VS西側諸国、対立が深刻化(下) (朝鮮新報 hou
01. 2010年11月22日 19:45:20: FqDvXxU8vI
前代未聞は其の通りではあるが、一方で此れに因りノーベル賞側も傷を負った。
其処がガチンコ勝負ってもんだよ、な?
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/496.html#c1
コメント [戦争b6] NATOのラスムセン事務総長: 「NATOとロシアは初めて、互いを防衛するために協力する」(読売新聞 hou
06. 2010年11月22日 19:51:20: FqDvXxU8vI
ロシアはミサイル防衛網に懐疑的(自国が的にされてんだから当然だ!)な為、まだまだ紆余曲折があるだろう。
しかし、欧州が基本的なエネルギー政策を既にロシアに頼った時点で、NATOは当然ながら次第次第に存在が軽くなる事は約束されていた。
時間の経緯と共に、限り無く。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/475.html#c6
コメント [戦争b6] 北大西洋条約機構ラスムセン事務総長:「NATOの加盟国28カ国の指導者はロシアのメドベージェフ大統領と会議」(中国 hou
01. 2010年11月22日 19:53:20: FqDvXxU8vI
北方領土は自民党日本にとって、明白に対米問題だった。
其の事実を忘れるべきでない。
恐らくは、こっち絡みでも密約らしき物があるのだろう。
今の自民党員が覚えてるか忘れてるか知らんが。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/478.html#c1
コメント [戦争b6] 2島返還を含めて領土返還に応じることはない      (レコードチャイナ hou
01. 2010年11月22日 19:57:56: FqDvXxU8vI
何故か此れに関しては一言も冷戦とは言わんな!
何と言う胡散臭さだ!!!
過去の経緯に於いて、冷戦が歴然と存在した事は事実なのに。
新冷戦だの、今も冷戦はアジアで続いてるだの、言う奴に限っておくびにも出さん!
因みに現実としては、此れで言う「>路線のぶれ」は中間地帯の国に対する明白な「取り合い」の表出だった。
親ソ国V.S.親米国の「陣地取り合い」的な意味合いの。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/482.html#c1
コメント [戦争b6] 中国政府: 「劉暁波を支援する国家には、相応の結果がもたらされるだろう」 (朝鮮日報 hou
01. 2010年11月22日 19:58:44: NDqBZWrDM6
盲腸以外全ての国家が中国無視したらどうするつもりだろ。

また、中国は開発途上国だと言い出すつもりなんだろうな。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/497.html#c1

コメント [中国2] 中国は1600年間"占領国" 中国の歴史 「中国」という「国」はない〜尖閣諸島の問題を機に〜 gikou89
02. 2010年11月22日 20:07:14: VanKVA5zSk
>今さら阿修羅で取り上げるのは、最低5年は遅れているなw

wwwこれ、逆じゃない?
阿修羅の2ちゃん化ということだろ。
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/667.html#c2

コメント [戦争b6] ロシアのメドヴェージェフ大統領: イランはIAEAとの協力用意を証明すべき (ロシアの声 hou
01. 2010年11月22日 20:16:34: FqDvXxU8vI
事実上「核クラブ」なるものは急速に拡散しており、今更「関心」とやらを持っても、そりゃ確かに意味ねーからな。
そりゃ、そーだろ!としか。
「不都合な真実」とやら以降の、民生核発電所の増設振りは地球規模で凄まじい。
後で核のゴミがどうなるやら!
ベトナム戦争の枯葉剤と並び、遺伝子に傷を着ける発明品は恐ろしい。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/480.html#c1
コメント [医療崩壊3] 「こいつバカだ、ぴっ」と私の「身体」は信号を発する。私の「頭」が、「この人は立派な人だ」といくら主張しても/内田樹 藪素人
15. 2010年11月22日 20:19:11: 38lDYW3Kgg
>>14

仲の良い夫婦はケガが早く治る
http://takedanet.com/2010/06/post_4f9a.html


仲の良い夫婦はケガの治るのが早いという研究がアメリカのオハイオ大学から発表されている。
そんなバカな!と誰しもが思うだろう。夫婦が仲が良いということと、ケガとは関係がないじゃないか!と言うのは少し前の考えだ。
自分の頭が固定的だからそう思う。

(中略)

夫婦仲が良いとケガの直りが早いという研究結果はあるが、まだ本当かどうかは判らない。でも、人間の健康が「楽しいか苦しいか」で大きく変わることも確かだ。
かつて、擦り傷をするとガーゼをあてて厳重に殺菌したが、最近ではガーゼは推奨されていない。自然の治癒力を利用するのだ。
多くのガンは自分の体の中にあるガン壊死因子次第だし、外からの若干の刺激は生きる意欲を沸き立たせる。物理的にはタバコは体に打撃を与えるが、ヘビースモーカーが長生きなのは,タバコでリフレッシュすることができるからだ。

(中略)

楽しく生活すること、生き甲斐のある時を送ること、のんびりと時間を楽しむこと・・・そんな時代が目の前に来ている。
そんな中でもっとも良いのが男女関係だが、気楽に男女がつきあえて、それが人生の張りになる時代はくるだろうか?

(平成22年6月9日 執筆)

武田邦彦
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/367.html#c15

コメント [戦争b6] 『911事件に関する私の立場を明確にしておきます』(一部の「ツルーサー」は公式論者の手の内にある) バルセロナより愛を込めて
14. 2010年11月22日 20:21:24: 9Qs0DhMZV6
バルセロナ
みんな真っ白です。
真っ黒なのはバルセロナです。
千早氏と話し合って、真っ白になってから出てきなさい。
できないなら、もう、出番はありません。

13 hero
誰が見ても、普通のビルの爆破解体です。
地上の粉塵の中の残存ナノ・テルミットやその量から、
推定10t〜100tのナノ・テルミット使用量、という論文が出たようです。
「911、WTCの粉塵の中に大量の爆破物質を発見」
http://www.youtube.com/watch?v=MYN7ITW1a2E

地下の量は閉じ込められているから分かりません。
そこに新型爆薬や多量のナノ・テルミットが使われたかは分かりません。

長時間、長期間の金属の溶解溜まりがあったようですが、
普通の金属は、自身で溶解を持続できません。
加熱が必要です。
多量の残存ナノ・テルミット系が燃焼し続けたんだろうというのが、
無理の無い、普通の考え方です。

テルミット系は、自身の含有酸素で無酸素でも燃焼するようです。
ですから、宇宙ロケットにも使われるようです。
あなたの言う爆薬は、あとからでも充分間に合います。
爆薬がなんであれ爆破解体です。

爆破解体ではないというCIA系がいますが、
あれらのビルの崩壊を見て、爆破解体でないというのは、まずいません。
爆破解体のようにみえるけれど、実はそうでないというなら分かりますが、
CIA系は間抜けですから、偉そうに頭ごなしに語ります。

太地のイルカ映画「コーヴ」の製作者たちも同じように語っています。
イルカを殺すな! オスカー受賞映画「ザ・コーヴ」
http://democracynow.jp/video/20100816-2

ここは、日本であり、アメリカでも中国でもスペインでもありません。
伝統も文化も自然も社会の進み方も歴史も異なります。

自然や伝統や文化や社会や歴史を根底から破壊しようとしているが、
拡大主義のキリスト教やユダヤ教やイスラム教や国家神道系のカルト工作員です。
ボスは、政官財軍界隈のトップ連中です。
特に、ロシアや中国やアメリカなどの大国のボスが親分です。
ヤクザの小沢が訪中・大参詣したのもそういうことです。
庶民や本当の事や真っ白には、関係ありません。
真っ黒くろけです。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/452.html#c14

コメント [医療崩壊3] 「こいつバカだ、ぴっ」と私の「身体」は信号を発する。私の「頭」が、「この人は立派な人だ」といくら主張しても/内田樹 藪素人
16. 2010年11月22日 20:22:46: 38lDYW3Kgg
タバコを考える パート9 イエス様はどう言われるか?
http://takedanet.com/2010/10/post_ab3b.html


(中略)

アメリカ人がイエス様の教えを理解していないのも不思議だが、事実は「神からいただいた人生を楽しむ」というところを忘れてしまった。それが人間らしいと言えば人間らしいが。

・・・・・・・・・

「タバコ」をイエス様にお聞きしたらどう言われるだろうか?
「神を信じ、敬いなさい. そしてあまり他人に迷惑をかけない範囲でタバコを楽しみなさい。」
といわれるように思う.そこでおそるおそる「副流煙の問題が・・・」とお聞きしたら、(推定だが)次のように教えられるだろう
「人は誰もが他人に迷惑をかける.一つ一つのことに気を煩わすのではなく、吸いたい人には吸わせてあげなさい。」

・・・・・・・・・

人間というのは、朝起きて歯を磨き、顔を洗い、ご飯を食べ、働き、そして寝るだけの生活をすることはできない。時に笑い、時に泣き、悩み、喜び、自棄になり、希望を持つ。
そんな人間には、神も、家族も、恩師も、お酒も、タバコも、時に葉巻やパイプまでもが必要なのだ。
タバコはサタンではない. むしろサタンはタバコを忌み嫌い、社会から追放しようとする人の心にあると私は思う

(平成22年10月13日(水) 執筆)

武田邦彦
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/367.html#c16

記事 [国際5] <ネパール>マオイストの党拡大会議が始まる
アジアプレス 11月22日(月)14時20分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101122-00000000-asiap-int

21日、中部ネパールにあるゴルカ郡パルンタール村で、マオイスト(統一ネパール共産党毛沢東主義派)の第6回中央委員会拡大会議が始まった。約6000 人の党員が集まったこの会議は、マオイスト兵士の国軍編入問題など、ネパールの和平プロセスの将来にも大きく影響を与えると見られている。

今回の拡大会議では、プスパ・カマル・ダハル議長とモハン・バイデャヤ副議長、バブラム・バッタライ副議長の3人のトップ幹部がそれぞれ今後の方針案を提出しており、22日から始まる閉鎖部会で議論される。

マオイストは2006年11月にネパール政府とのあいだで包括的和平協定に調印をして、正式に武装闘争に終わりを告げたが、党の“過激派”を率いるバイデャヤ副議長はこの方針が謝りであったとし、革命を完了するために反乱を起こすべきとする方針案を出している。
一方、“現実派”を率いるバッタライ副議長は、現在進行している和平プロセスを継続して、新憲法を制定する作業を完遂べきと主張している。ダハル議長はバイデャヤ副議長とバッタライ議長の中間ともいえる方針案を打ち出している。

2人の副議長は、国会での首相選挙で議員を買収しようとしたり、汚職や犯罪にかかわった人を党が保護することにより、党のイメージが壊れたとし、これにダハル議長が関わっていると非難している。

バイデャヤ副議長は方針案文書のなかで、党にとって“右派”のバッタライ副議長よりも、“中間派”のダハル議長のほうが危険であると指摘。議長が贅沢な暮らしを送っていることを非難しているだけでなく、党が汚職や密輸、違法な商売に関わっていることまで指摘している。

一方、ダハル議長は自身の方針案文書のなかで、バッタライ副議長とはこれまで大半の場合、“闘争の関係”にあったとして、2人の間の関係が良好でないことを暴露した。

今回の拡大会議では、3人のリーダーを支持するグループが、党員の支持をとりつけるために、活発にロビー活動をしている。ダハル派はバイデャヤ派を巻き込んで、バッタライ派の孤立化を計っているという報道もある。

拡大会議には、約1200人のマオイスト軍のメンバーが参加していることも問題となっている。約19000人のマオイスト軍の元ゲリラたちは、現在、国連ネパール政治ミッションの監視の下に、全国28か所にある宿営地に滞在している。

マオイスト軍の早期解体を求めてきたネパール会議派をはじめとする他の政党は、元ゲリラたちが党拡大会議に参加することが包括的和平協定に反する行為であると非難してきた。しかし、マオイスト側はこれを無視した形で元ゲリラを参加させているわけだ。

マオイスト軍と国軍の統合問題や、新憲法制定の問題など、ネパールの和平プロセスは、最大の山場に差しかかっている。25日まで続くことになっているマオイスト拡大会議で、どんな決定がなされるかが注目されている。

(カトマンズ=小倉清子)

http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/177.html

記事 [戦争b6] ローマで、ケムトレイルとHAARPに抗議する集会が開かれる - 同時多発テロはヤラセだよ!ブログ
ケムトレイルの掲示板にリンクが投稿されていたニュース。

イタリアはローマで20日、ケムトレイルとHAARPに反対し、人々の間にこれらの問題を知ってもらおうというイベントが開かれました。当日の模様は下のビデオで

といってもイタリア語なので、途中から最後まで語り続けるおじさんのスピーチはチンプンカンプンなんですが(^^;、

MANIFESTAZIONE "STOP SCIE CHIMICHE" - 20 NOVEMBRE 2010 - ROMA - NOI C'ERAVAMO !
http://www.youtube.com/watch?v=CZGcN34-kcs

関連して、そのビデオに出てくるリンクのブログ(当然、イタリア語)

通りかかった市民が興味深げに覗いているのがわかりますね。

グーグルの英訳ページで見ていますが、

2010年11月20日、「土曜の午後2時から、サンティ・アポストリ広場でAICA(イタリアン・アソシエーション・オヴ・ブルー・スカイズ=イタリアの青空同盟って感じ)などの主催で環境、気候、農作物と人間の健康への害を強調して」のイベントだそうで。

「above the 90s」って「90年代以前」のことかな? とにかく「どこよりも早くから撒かれていたイタリア*」で初の「反ケムトレイル&HAARP抗議行動」が公に行われたことは快挙、大きな前進だと思います。(^^)

*実はこうした毒の散布(実験)は、50年代にもすでに米国で行われています。イタリアは結構早くから大々的に撒かれていたのかもしれませんが。

そのブログ・ページには、「他の欧州の国ともどもイタリアでも議会で取り上げられた問題だ」と書かれており、3月、小さな町での散布に関する質問状に答えた軍事、最高国防評議会からの文書には「特定の法律によって規定されていること」で、「国防省が(単独で)実施している」とあった由。豪州でもカンタス航空が撒いている映像がYouTubeにあるし、アリタリア(民間航空会社)も撒いているんじゃないかと思うので、この回答は興味深い。

しかし、9/11と並んでここオーストラリアでも、またそこら中で撒かれている日本でもこうした人々に知ってもらうための街頭活動は必要でしょう。私も、配っている9/11のチラシには早くから他の問題ともどもケムトレイルも入れていますが、皆さんも是非何かやってみてください。だって、本当に 青空を返せ!! なんだもの。


★転送・転載の際は、この記事のURL
http://insidejobjp.blogspot.com/2010/11/haarp.html
を必ず入れてください。

一人でも多くの人々に読んでもらうため、応援のクリック↓をよろしく!
そして、これを読んだあなたも周りの人々に知らせてくださいね。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/500.html

コメント [戦争b6] 10月28日 ロシアと米国の特殊部隊: アフガニスタンのナンガルハル州で麻薬製造施設4カ所を急襲(しんぶん赤旗 hou
01. 2010年11月22日 20:28:41: FqDvXxU8vI
さぞかし米英イスラエルは苦虫を噛み潰したような心境で、冷ややかに眺めている事だろう…。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/487.html#c1
記事 [テスト20] Re: テスト
それにしても変わり身が早いな。FNNの世論調査より。

テスト
http://www.asyura2.com/10/test20/msg/676.html

コメント [雑談専用38] 日本には居丈高な中国・ロシアには口がきけないようだ 唖然
02. 2010年11月22日 21:01:16: VanKVA5zSk
>日本には居丈高な中国・ロシアには口がきけないようだ

単に、オマエの無知による。
国際政治に無知な者が、この種のコトには口出さない方がいいんじゃない?
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/820.html#c2

コメント [経世済民70] 再度のEU金融危機 (国際戦略コラム) Orion星人
02. 2010年11月22日 21:08:31: MTr4UKAM0w
アメリカが破綻するほうが先だ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/240.html#c2
コメント [Ψ空耳の丘Ψ58] 元気の出る聖書の言葉---日本も滅びるのか(岩本遠億さんのメルマガ) もみの木
04. 2010年11月22日 21:13:07: 8AD3rH10x6
罪のある元気、ヤクザの元気がいいのでしょうか。悪いことをする元気
は本当の元気ではありません。罪を悔い改め、神の真理の道に帰らないと
日本だけではなく、アメリカも中国もロシアも朝鮮もみんな滅びます。
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/886.html#c4
コメント [Ψ空耳の丘Ψ58] 世界をめちゃくちゃにした、書かれるべきでなかったかもしれない10冊の本 kokopon
11. 2010年11月22日 21:18:19: 7IpsRZdKJk
いや、ブタに関心がないだけ。
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/855.html#c11
コメント [マスコミ・電通批評11] ネットユーザーへの受信料支払を画策するNHKの愚 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜) pochi
17. 2010年11月22日 21:33:00: xtlWVCU5v6
書店コンビニなどで無料配布『月間NHK』:誰でも自由に読めるので購読料徴収します。
同じく『週刊NHK』:同上
同じく『日刊NHK』:同上
街中にポスターNHK:誰の目にもとまるので購読料徴収。
ポスティングNHK

法律をかえたら、いくらでも集金名目はあります。


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/238.html#c17

コメント [雑談専用38] 日本には居丈高な中国・ロシアには口がきけないようだ 唖然
03. 2010年11月22日 21:41:29: JoaTrAMjEk
投稿者は国家間の紛争を子どもの喧嘩と同じに考えてるんだよ。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/820.html#c3
コメント [マスコミ・電通批評11] ネットユーザーへの受信料支払を画策するNHKの愚 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜) pochi
18. 2010年11月22日 21:43:18: sG3STloHOQ
NHKの民営化論には反対である。
民放の広告主重視の報道姿勢には辟易とさせられている。

かといって国税化=国営化はもっと酷いのだが、
現状はまるで国税によって運営され電通を介した放送局という最悪形だ。
しかし、もう民放には既に無い節操がまだ残ってる点だけは評価できる。

純粋に「皆様の視聴料金によってのみで運営され、公共の立場で放送する
放送局」というのなら何故スクランブル化を徹底させないのか疑問である。

国税化などといった安易な策を取った時点でNHKの番組品質も劣化するだろうし
存在意義も消えるだろう。常に楽な道を選ぶやつには進化はないのだ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/238.html#c18

コメント [マスコミ・電通批評11] 転載:朝日新聞が国民新党の定例記者会見に出入り禁止になった 888(スリーエイト)
38. 2010年11月22日 21:46:54: rWrKoTRk1E

33さま、同意!

1つのスレは氷山の一角。
阿修羅の本体は、深くて大きな知性と良心の塊です。
それは、これからの日本人の主体的な良心を育む土壌です。
私も、33さま同様に阿修羅に育てられました。
これからも多くの人が阿修羅を土壌として目覚め続けるでしょう。
それはきっと小沢さんが理想とする自分の頭で考え行動する真の日本人です。


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/235.html#c38

記事 [昼休み44] 「alternative、13世紀スイスを研究しなければ、現代の事は分からない」(だんだんお金のカラクリがみえてきました
http://alternativereport1.seesaa.net/article/100576557.html#trackback
ロスチャイルドのボス達
拙稿「ダイアナ元皇太子妃を殺害した一族」より続く。


 13世紀のスイスの都市を研究しなければ、現代の事は分からない。

 古代ローマ帝国と、その末裔であるハプスブルク帝国の皇帝の絶大な権力による支配は、その部下である貴族達に大きな不満をもたらした。人間、誰しも他人に支配等されたくはなかったのである。しかし、そこにはローマ・カトリックに対する、異端・キリスト教原理主義(その原型であるドルイド教)の教義、「人類絶滅を至上目的とする」が深く関与していた。

この異端を信奉する貴族達は軍事力を持ち、また領地で農民を働かせ、農産物を農民から暴力で奪い、その富を蓄積していた。金と軍隊を持ち、皇帝など居なくても「自分で独立できる」と考えたのである。

そこで、各地で皇帝に対する闘争・戦争を引き起こし、時には異民族であるトルコ軍を招き入れ、皇帝と戦争を行わせる。

この絶え間無い戦争は「人類絶滅」の目的に沿って実行された。

皇帝は戦争の費用で借金だらけになる。この金を皇帝に貸し付けたのがロスチャイルドである。

皇帝は担保として土地を差し出し、やがては借金が返済出来なくなり、担保の土地をロスチャイルドに取られてしまう。

そして、この銀行家ロスチャイルドの資金をロスチャイルドに与えていた預金者が、皇帝からの独立を狙う騎士・貴族達であった。

エッシェンバッハ一族、レーゲンスベルク一族、サヴォイ一族(ダイアナ元皇太子妃の暗殺犯)、キーブルク一族、フローブルク一族、ラッパースヴィル一族、トッゲンブルク一族と言った貴族達が、ロスチャイルドに資金を貸し、ロスチャイルドがその資金を皇帝に貸し付けていた。

 ロスチャイルドは、こうした貴族の「使い走り」でしかなかった。

借金が払えなくなった皇帝からロスチャイルドが担保の土地を取り上げると、当然、その土地は、資金提供者であった貴族の所有物となる。

こうして皇帝の権限の届かない土地が貴族・騎士達によって、都市として独立する。

 産業革命が起こる以前、農業以外の産業としては綿織物等の手工業が主流であった時代は、河の水流を使った水車が動力であった。この動力が得られる、スイスのような山間部が産業地帯となり、さらにスイスでは、現代の時計につながる鉄砲、刀等の精密機械業、金属加工業が発達し、山間部で火薬原料も採掘された。

産業と兵器が、スイスにあった。

綿花はインド製の物等がヴェネチアから荷揚げされスイスに届き、スイスとヴェネチアは姉妹都市であった。

やがて貿易で富を作ったヴェネチアの貿易業者=金融業者がスイスに移住する。

皇帝に反逆した貴族達は、兵器と富と産業を求め、スイスに結集した。これが、やがて現代の金融国家スイス、マネーロンダリング天国スイスを形成する。

こうして、西暦1200年以前に成立した、原初形態のスイスの都市国家は、わずかに35都市、その中で人口が2000人を上回るのは11都市に過ぎなかった。しかし、この都市が連合し、やがて国家を形成して行く。

 これが現在の国家の出発点であり、国家とはローマ皇帝の「質流れ品の寄せ集め」であった。国家制度の起源は、ここにある。

西暦1200年という、現代から800年以上、時代を遡る事で、ロスチャイルドを支配し、その背後にいる一族達の姿が浮かび上がって来る。
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記事 [ペンネーム登録待ち板6] 小沢さん ご苦労様!
私は小沢さんに熊本の細川さんのように、さっさと政界に見切りをつけ、余生を好きなことに時間を費やして欲しいなと思う。

小沢さんの支持者の意思は堅い、熱望する気持は強い。だけどB層満載の日本では悪徳連中を抑えることなんか今の時点では無理だ。なんたって日本は選挙による議会制民主主義だ。大切な1票をB層も持っているわけだから政治の世界が良くなるわけが無い。B層のようにどうにでもリモコン可能な連中が溢れている日本でまともな政治家は少数にしかなりえない。だからこそ悪徳連中は安泰だ。

日本がさらに酷さを増して行き、失業者が更に増え、若者は現実を見なくなり、産業も連鎖的に壊れてゆく。この流れと勢いは止められないだろう。だからこそ、小沢さんという旗頭に続けと立ち上がりデモなど直接的行動をする人が増えてきた。これはこれで素晴らしいとは思うけれど、国民の側に立って意見を言おうとする人、先頭に立って導こうとするもの、旗頭になろうとする人はあっという間に敵に狙われこの世の地獄を見る。

小沢さんに熱い気持を注ぎ、期待を持ち続けたい人は多いだろうけど、小沢さん一人にあまりにも大きな荷物を背負わすのは酷というもんだ。ここは、今までの小沢さんの生き様に対して「ご苦労様!」と言ってあげましょう。

B層の情けなさと悪徳連中の悪事の数々は、やがては日本を確実の破壊してゆく。今なんて「酷い日本」なんて言ってはいるが周囲で今日の食事に困っている人は少数に過ぎない。要するに、まだまだ世界の最低、歴史上最悪から考えれば天国みたいなものだ。どんどん酷くなってゆきB層本人の今日の食卓に飯が無くなればよいのだ。いくらアホなB層でも、流石に目の前の飯が無くなり、明日も明後日も食える見込みが無くなれば、B層でいることの罪を思い知るだろう。結局は自業自得なわけで、B層はそういう未来を自分で選択した結果を自らが体験することになる。こうして自分の身が生き死の瀬戸際にならないと目覚める人は多くは成らない。勿論、こういう瀬戸際に遭遇してもなお、B層のままでいるという可能性も結構有り、気の毒というか情けないというか・・・。

「これ以上日本を酷くしてはいけない」と志を新たにした人、行動を始めた人は増えてきているが、私は「今、世の中をなんとかしよう」と小沢さんを守って、彼について行こうとは思わない。不正が幅を利かすこの世にあって、その不正を叩こうと正面から戦いを挑んでも勝利は得られない。その意味は・・・、権力競争が起こり、別のものが権力を握っても、そんなに長くこの世の春は続いてくれない。民主党の政権交代から小沢さんを省いて考えればよく分かる。自公が酷い!だから民主に!と政権交代が起こっても、1年もしないうちに自民党より酷い管政権になってしまいっている。革命を起こそうとした人、政権交代を実現しようとした人、口先だけの理念の持ち主は、自分が権力側になったとたんに豹変するのは特別なことではない。今の管政権の不幸は偶然でも何かの間違いでもない。小沢さんのような確固たる理念と意思の持ち主が権力を持てば一定の成果はあるとは思う、がしかしそれも長くは続かない。そんなふうに私は思う。権力を握る立場になると聖人君子のままでいられないという人間の元々持っている性故かどうかは知らないが、大半の人の志などその程度の代物だ。

とにかく、今の日本は酷いとは云え、まだまだ序の口、平和ボケの真っ最中。B層がボケて居られる内は本当の危機でも最悪でもない。B層の半数が餓死が我が身に起こる現実と認識できるほどになるまで待つのも案外良いかもしれません。私なんか「阿修羅の日さん」に共鳴する者の一人だから、そんな地獄絵も案外怖くは無い。


http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/875.html

コメント [ペンネーム登録待ち板6] 太陽光発電の売電は電気を捨てる(無効電力・資源浪費) 偽善撲滅
01. 2010年11月22日 22:04:43: 2x41b1WttY
偽善撲滅さん

私もソーラー発電による売電には同じような認識を持っています。
国立大学の教授が・・・・で大半の国民は騙せます。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/870.html#c1

記事 [昼休み44] 67、ランダマイズ関数(富士ソフトは、検察審査会に責任転嫁しないと、不良ソフトの汚名をかぶります)
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/855.html
67. 2010年11月22日 18:29:10: INFhxZIBpO

 無作為抽出には 「ランダマイズ関数」を使う
 ところで 抽出された結果が 0.006%の確立なら

 その 「ランダマイズ関数」が 壊れているってことになる

 ===

 そこで マイクロソフトに メーカーのお前のところが 変なソフト 作りやがって
  
 って クレームつけたとすると その回答は

 ===

 「バカヤロウ」

 「そんな 0.006%の 結果が出るわけ ね〜〜〜じゃないか」

 マイクロソフトの基本ソフトは 世界中で 何億本って使われていて

 絶対正しい
 
 「悪いのは 富士ソフト か 検察 の どっちかだ!!!」


  ってなことになる
  

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/246.html

コメント [経世済民70] ジョン・ポールソン、ゴールドマン・サックスの持ち株すべて売却? kokopon
03. 2010年11月22日 22:16:30: q39ytNH0yk
上のブログ、「生活防衛サバイバルプロジェクト」って商売サイトの他、ググったら「イーグルヒット クラブG-1 小出宏実の恐慌情報レポート」ってとこからもリンクしてるけど、今みたいな景気になるとこの手の魑魅魍魎が地から這い出てくるわけね。宗教系かな?
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/231.html#c3
記事 [昼休み44] 「読売、朝日、6年連続減収…広告減響く」(5大マスゴミは、嘘を報道しない、という当たり前の事を実践すべきです)

--------------------------------------------------------------------------------

朝日新聞社、中間期で6年連続減収…広告減響く
1 :関西直撃三文字φ ★:2010/11/22(月) 21:38:04 ID:???0
 朝日新聞社が22日発表した2010年9月中間連結決算は、
景気低迷で企業からの広告収入が減少し、売上高は前年同期比
1・7%減の2287億円と中間期としては6年連続の減収だった。

 経費節減などで、本業のもうけを示す営業利益は33億円と
3年ぶりに黒字となった。前年同期は43億円の赤字だった。

 経常利益は50億円、税引き後利益は2億円で、
いずれも3年ぶりに赤字から黒字に転換した。


※元記事: http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20101122-OYT1T00935.htm
読売新聞 平成22年11月22日

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/247.html

コメント [マスコミ・電通批評11] テリー伊藤よ ふざけているのはお主の方だ! (暗黒夜考) pochi
54. 2010年11月22日 22:26:58: obAOejNvnU
電通つぶそうぜ
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/202.html#c54
コメント [戦争b3] 超低周波音の権威 Professor Vladimir Gavreau 現存する唯一の実験シーン #40855;
29. 2010年11月22日 22:30:44: 9Qs0DhMZV6
戦争と社会正義 ハワード・ジン Democracy Now
http://www.youtube.com/user/iidesan1#g/c/52FBA9A836BBF6F5

ソマリアへ自衛隊、めちゃくちゃ違憲!伊勢崎賢治
http://www.youtube.com/watch?v=siOuDEmLN_s

イラク・アフガン戦争の自衛隊参戦の大犯罪、違法、違憲。
日本政府は、イラク・アフガンに謝罪、保証をしなければなりません。

戦争は、もううんざりの、ゴマカシと捏造の極致です。

軍、兵器は解体するものです。
経済や文明の進化は、生命の土台ですが、
バランスや多様性や歴史を欠いた方向は、
公共の福祉や人道や精神の進化と同一ではありません。

http://www.asyura2.com/10/warb3/msg/389.html#c29

コメント [お知らせ・管理18] ツイッター配信再開しました。 管理人さん
17. 2010年11月22日 22:34:28: FUoLxEj9hg
郵便局が破綻します。
http://www.asyura2.com/09/kanri18/msg/777.html#c17
記事 [マスコミ・電通批評11] YouTubeが教える6つの「視聴者を増やす工夫と収益増加のヒント(基本編)」
>ネット井戸端会議の時代に?
>どんどん進化深化、TVは渡し船や人力車の様に消えるのか?
>TVを観て、それらをネットで裏取り検証が普遍になってしまった現実。
>検索で様々な関連情報が見れ、知的好奇心を刺激し意欲を駆り立てる。
YouTubeが教える6つの「視聴者を増やす工夫と収益増加のヒント(基本編)」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20101122_youtube_account_optimization_basic/

ニュース動画を“ながら見”したいときに便利な「テレビなう デスクトップ担当」
http://www.forest.impress.co.jp/docs/review/20101122_408869.html
最新のNHKニュースをデスクトップで再生し続けてくれる「テレビなう デスクトップ担当」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20101111_tvnow_desktop_nhk/
ねえちょっと部屋見せて Part3! 気になるみんなのパソコン周りの写真190枚
http://digimaga.net/2010/10/190-interesting-interior-design-of-the-room-part3
スタートアップチェッカー プロセスの管理・設定変更を簡単に行えるソフト
http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/101120/n1011201.html

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http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/243.html

コメント [経世済民70] 日本が移住しやすくなれば外国人労働者流入し多様な人材育つ gikou89
08. 2010年11月22日 22:59:33: 3XxuGSAvBo
1960年代のヨーロッパ域外からの移民は、オランダ工業の近代化を遅らせた。
1980年代に近代化が行われた結果、移民は解雇され社会保障に頼るざるを得なくなった。
今日、オランダの福祉政策が、外国人の流入を招いている。
結論、移民はオランダに高くついた。
http://www.nrc.nl/international/Features/article2514448.ece/Immigration_comes_at_hefty_price
スイスでは逮捕者の70.2%が外国人で占められている。
http://bazonline.ch/schweiz/standard/Haeftlinge-in-der-Schweiz-sind-zu-70-Prozent-Auslaender/story/22243843
ドイツでもイギリスでもフランスでも、移民が問題にされている。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/238.html#c8
コメント [経世済民70] 来年1月の風営法改正で半減?全国のラブホテルが存続の危機 gikou89
04. 五月晴郎 2010年11月22日 23:01:11: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
歓楽街の近くにラブホが密集する都会地と、車社会の都会地以外の地域のラブホは経営側からすると違うカテゴリーなんでしょうな。
商品(サービス)とはそういうもんだと思います。
名前や言葉の解釈でない、商品学というかマーケティングの基本、っつうやつかなと。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/236.html#c4
コメント [戦争b6] ノーベル平和賞:中国VS西側諸国、対立が深刻化(上)    (朝鮮日報 hou
01. 2010年11月22日 23:01:17: 9Qs0DhMZV6
ノーベル賞は、もともと自然科学です。
拡大主義を玩ぶ、癌大国は解体しなければならぬといわねばなりません。
化け物オバマのノーベル平和賞の取り下げが先決事項です。
人類の声です。

http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/495.html#c1
記事 [ペンネーム登録待ち板6] 投稿可能になりました。本番投稿をお願いします。
お手数をおかけしております。

投稿可能になりましたので、

本番投稿をお願いします。

これから★阿修羅♪掲示板にどんどん投稿をお願いします。

管理人

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/876.html

コメント [マスコミ・電通批評11] ネットユーザーへの受信料支払を画策するNHKの愚 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜) pochi
19. 2010年11月22日 23:04:27: GvQMXj3zio
NHKに負けず劣らずアホな民放の記事がこちら
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20101119/354362/

広告収入の落ち込みがCM飛ばし機能が原因とでも言いたいのでしょうか?
余りにアホ過ぎる発言に思わず笑った
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/238.html#c19

コメント [戦争b6] 北朝鮮: 2000基の遠心分離機を稼働 (時事通信 hou
02. 2010年11月22日 23:09:04: 9Qs0DhMZV6
アメリカの学者は北朝鮮と親密なようです。
拉致被害者を全員連れて帰れば学者ですが、
金正日の化け物とグルでは、学者取り下げです。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/474.html#c2
コメント [ペンネーム登録待ち板6] 創価のマスメデアコントロールのやり方 ああ疲れた
01. 管理人さん 2010年11月22日 23:13:01: Master
200文字以上で。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/866.html#c1
コメント [経世済民70] 11.19 株価1万円突破の本当の意味とは gikou89
08. 2010年11月22日 23:13:26: FJYNrUmfWM
07さんのおっしゃるとおり、”後付け”でどうとでも言えます。
同じ理由でも、上がれば「材料が出たから」下がれば「出尽くした」。

今回だって、円高一服・円安に推移!と伝えられていますが、
阪神大震災→地下鉄サリン→円が売られる、と言われていましたが、実際は、史上最高値の円高!
理屈なんて評論家やアナリストの後付け解釈に過ぎません。どうでもいいのです。
「森派政権誕生後は(良かった)」のも、所詮、アメリカがbubbleだったから上がったに過ぎません。
竹中氏は、まるで自分が上げたかのように宣っておりますが。
不可解な高値での介入で日本の資産を減らしたことについてはノーコメント。
経済評論家=都合よく言うペテン師=専門家で一番役に立たない、ということを皆が解かれば、
金融マフィア牛耳る世界から脱却できるのかも。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/224.html#c8

コメント [マスコミ・電通批評11] 尖閣問題 - YouTubeを見下すテレビコメンテーター gikou89
03. 2010年11月22日 23:19:44: 8LQMpSZJfU
you tubeがgoogleに買収されてからは、あまりこの自由投稿公開という宣伝も信用できなくなった。親会社のグーグル帝国がグーグルマップで国境紛争を発生させ。ストリートヴィユーで個人情報を国内隅々まで収集しまくり、また著作権紛争も起こした。米国務省やペンタゴンとも密接であるともいい、米議会への多額のロビー活動でも有名だ。中国ではグーグルによる情報浸工作を懸念して制限をかけた。軍事偵察衛星による監視と、カバーしきれない住宅家屋までくまなく情報取集するのは市街戦に備えての活動かと訝る。そそそもグーグルの収益システムがいまいち理解できない。グーグルを単なる検索エンジンと考えているととんでもない。ましてやその下請けのユーチューブへの投稿映像の出所など自らぼかすことなど手慣れたものだろう。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/241.html#c3
コメント [経世済民70] 日本が移住しやすくなれば外国人労働者流入し多様な人材育つ gikou89
09. 2010年11月22日 23:22:12: m85xa7pBZg
日本の国力は、現在の日本人全部を対象にしたベーシックインカムが可能であろうと考える。そろそろ、仕事、仕事(雇用、雇用)といわないで、お金、お金と言って回ったほうが良い。原資は、大企業が税金として払ってくれる。中国に進出してカントリーリスクを抱え込むよりは、日本に残って、一杯税金払ったほうが、結果、その会社にとってはハッピーだと思うよ。
その社会の中に単純労働者を個人税なしで呼び込めば、WinWinだと思うよ。
みんなが、経済的に成り立っていれば、犯罪は起き難い。食えない人住めない人着れない人がいる格差社会が犯罪の現況である。
衣食住足りてなお、自分にチャレンジしようとする人が出て、世の中全体の富の産出に寄与してくれる。分け合う富が増えれば、分け前で文句言う人もいなくなる。
これは、資本主義の成功の後に来る真の社会主義というものなのであろうか。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/238.html#c9
コメント [戦争b2] 欧州各国、パンツの中まで見える特殊装置の空港配備に突っ走る! バルセロナより愛を込めて
08. 2010年11月22日 23:27:40: 1XF6qwXPoU
アメリカではこのTSAの新しいセキュリティ基準(full body scan,pat down)に非難ごうごうです
プライバシーの侵害、性的暴行を訴える人もいます
実際に酷いケースが次々に報告されて、You tube などにも投稿されています
感謝祭の前日の11月24日にNational Opt Out Dayというプロテストをしよう、という運動までもりあがってます

http://www.optoutday.com/
http://www.youtube.com/watch?v=XSQTz1bccL4
http://www.msnbc.msn.com/id/40291856/ns/travel-news

http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/454.html#c8

記事 [ペンネーム登録待ち板6] 都条例改正案、「非実在青少年」削除して再提出(ニコニコニュース)
私は表現規制に反対しており、下記ニュースに対して、暗澹たる気分を隠せない。
今回の条例改正案は、6月に提出され否決されたものよりも、条文の表現が曖昧で、
規制対象範囲も広がっており、より悪辣なものになっているが、産経、読売、日経、
毎日等のマスゴミは、好意的な記事を書いている。ただ、下記ニコニコニュースでは
比較的まともな意見が最後に綴られている。
表現規制に熱心な自公は今回もまた前回と同様に全員賛成に回るのだろう。
東京都議会で多数派を占める民主党都議の健全な判断が望まれるが、
民主党は現在中央がごたごたしている上に、マスゴミの声こそが最大の民意と
思っているふしがあり、心配だ。それに、我々反対者の声が6月に比べ大いに
トーンダウンしているのもいただけない。
日本の2次元コンテンツを愛する皆様、改正案が可決されてからでは遅いのです。
今こそ条例改悪反対の声を上げるべきです。

-----------------------------------------------------------------------
http://news.nicovideo.jp/watch/nw8036

東京都は2010年11月22日、漫画やアニメ、ゲーム等で描かれた過激な性描写を規制する、都青少年健全育成条例改正案を30日開会の12月議会に再提出すると発表した。改正案は、条文から「非実在青少年」という文言を削除し、規制対象を強姦などの「刑罰法規にふれる性交」や近親相姦など「社会規範に反するもの」として、そのキャラクターの年齢は問わないことにした。

明らかになった改正案は、自主規制の対象となる項目に、次のように記している。

「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

6月議会で否決された改正案は、マンガなどで描かれた18歳未満のキャラクターを「非実在青少年」と位置づけ、そのキャラクターの性行為を肯定的に描いているものを「青少年性的視覚描写物」として、青少年が購入、閲覧できないようにする努力義務を事業者や都民に課していた。つまり、今回の改正案では、規制の対象となるキャラクターから「年齢」の要件を外し、「非実在青少年」という文言を削除した。

また、このうち、強姦や近親相姦など社会規範に反する行為を肯定的に描いたものを不健全図書指定できるとしていたが、この項目は、否決された条例案と同じ内容になっている。児童ポルノ対策については、「単純所持の禁止」項目は削除されている。また、「児童ポルノのまん延の抑止」という表現を削除した。

■ 「改正案は規制範囲が拡大していて、前回より問題」という批判も

このほか、ジュニアアイドルの規制も、否決された条例案と同様の内容が盛り込まれた。「児童ポルノ及び青少年のうち十三歳未満の者であつて衣服の全部若しくは一部を着けない状態又は水着若しくは下着のみを着けた状態(これらと同等とみなされる状態を含む。)にあるものの扇情的な姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性欲の対象として描写した」図書や映画等の対象にならないように、保護者や事業者の努力義務とした。

6月議会では条例改正案に対して、漫画家や出版社、漫画ファンを巻き込んで反対の声があがり、民主などの反対多数で否決されていた。一方、石原慎太郎・東京都知事は、否決直後から再提出について言及。11月19日の記者会見では、「都議会と話をしている。修正案を提示するわけですよ、これから」などと、12月議会での条例案再提出を示唆していた。
 
「マンガはなぜ規制されるのか」(平凡社新書)の著者、長岡義幸さんは、条例案の再提出について、「改正案の内容は、規制範囲が拡大しており、むしろ前回よりも問題だ。条例改正案が6月定例会で否決されたのだから、本来、都は反省すべきだ。今さら再提出するのはいかがなものか。そこまでこだわりを示すのはなぜか」と話している。

(渋井哲也)
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/877.html

記事 [テスト20] Re: テスト
明日、その辺もお聞きします。







参考:産経記事

http://www.asyura2.com/10/test20/msg/677.html

記事 [経世済民70] 大人気の某府知事と支持者の会話 (1)(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
{投稿者による転写}

大阪府民C(大阪府税納税者): もうかりまっか。

ハシモトシ(芋畑の支配者): あきまへんな。

大阪府民C: 大阪府の財政は改善しましたか。

ハシモトシ: 相変わらずだめですね。府庁の職員が働かないから。

大阪府民C: 仕事中に公用車でフィットネスクラブに行く職員が多いとか?

ハシモトシ: ...。

大阪府民C: 府知事からの愚痴メールを読んだり返事したりするのに忙しくて府の職員は本来の業務ができないとか?

ハシモトシ: ...。

大阪府民C: なら、どうやって府の財政を改善しますか?

ハシモトシ: カジノでも作らないと収入は期待できませんね。

大阪府民C: ああ、それはいいアイデアですね。やはり府知事選ではあなたを支持した甲斐がありました。だけど、カジノって、そんなにもうかるものなんでしょうか。

ハシモトシ: そりゃあもちろん。カジノ一つ作っておけば、いくらでも儲かりますよ。世界中から大勢観光客が来てお金を使ってくれますからね。日本人だって、日本では競輪競馬がこれだけ盛んで、パチンコやゲームセンターがこれだけたくさんあるんだから、潜在的な客は多いと思います。早くカジノを作れるように、カジノ法案を通さないと、日本はますます貧乏になって、お坊ちゃま、お嬢ちゃまの国になって、世界に負けますよ。

大阪府民C: だけど、カジノは世界中どこにでもありますよ。ラスベガスとか、モナコとか。カジノ法をつくって、カジノを作ったとして、そんな世界中のカジノとどう競争するんです?

ハシモトシ: 大阪を魅力的な観光都市にして、カジノをどんどん誘致して、観光客を引き寄せます。

大阪府民C: 府から補助金も出すとか府条例でカジノ向けの減税措置を講じるとかするんですか?それって、府税の無駄遣いになるんじゃないかなあ。

ハシモトシ: ...。いやまあ、そこまでは考えてません。(独り言:と、とりあえずは言っておこう。あまり深入りした発言をしたらまた揚げ足をとる奴がいるしなあ。)

大阪府民C: ふーん、そうですか。で、どういう路線を狙いますか?

ハシモトシ:  大阪だから、エンターテインメントやわいざつなものでアピールすべきですね。

大阪府民C: ということは、大衆路線ですね。新興国の新興成金狙いですか。だけど、カジノって、香港やマカオにもありませんでしたっけ?新興国の新興成金はそちらの方に行きたがるのでは?

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C: で、採算はとれますか?真面目にカジノを作って金儲けをしようというなら、やっぱり収益の見通しがしっかりしていないといけませんよね。どのくらいの投資をしてカジノを作って、何人くらいの客が来て、どのくらいのお金を賭ければ、どのくらいの期間でどのくらいの収入が出るか、どのくらいの期間で投資が回収できるか、試算はしました?どれくらい補助金を出したらどれだけの税収を後で回収できるかも試算が必要ですよね。どの程度勝たせればどのくらいのリピーターが出るか、そういうことも試算したでしょうね?カジノって、作るよりも作った後の方がたいへんですよ。必死になって大阪に誘致したはいいけど、採算が取れなくてカジノ業者に訴訟を起こされたらどうします?ははは。

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C: まさか事業計画をたてて試算してないなんてことはないですよね?カジノ法だけ作ればいいんじゃないですよ?民間だったら、利益のあがる事業計画を立案するのは常識ですよ。あなた弁護士しかやったことがないから、民間企業で働いたことないでしょう。ははは。カジノ法を作る手間や誘致する手間だけでも、下手したらあなたが散々批判していた税金の無駄遣いになるんじゃないですか。そうなったら、府庁あげて真っ青ですよ!!組織ががたがた震えます。大騒動。大激震。あなたのボーナスなんて簡単に吹っ飛ぶでしょう。わははは。まあ、そうなったら、われわれ府税納税者としては、そんなことに手間をかけて無駄になった金を府知事から必死になって返してもらいますけどね。わはははは。

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C: まあ外国客はあてにしないとして、日本国内の客についてはどうです?まさか、貧乏人をギャンブル依存体質にしてカジノのリピーターにして、そこから金を絞り取って、ついでに貧乏人にギャンブルのための借金をさせて、その利息でも経済効果が出る、なんて考えてませんよね?まさか、そうすればそういう件を某綜合法律事務所で受任してお金が取れる、なんて考えてませんよね?

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C: では、金持ちの客は大勢カジノに来ますよね?やはり金持ちが来て、どしどし大金を賭けてもらって、賭け金をすってもらわないと、カジノは儲かりませんよね。

ハシモトシ:  (気を取り直して)その通りです。金持ちをリピーターにしなければなりません。

大阪府民C: でも、どうやって彼らをカジノの常連にするんですか?日本の金持ちには財産をしっかり貯め込む人が多いですよね。ドイツの富裕層やアメリカの富豪からは「金持ちからもっと税金を取れ」という主張が聞こえてくるのに、日本の富裕層からはそういう人が出てきませんよね。ですから、日本の富裕層からはカジノに来る人は少ないような気がするんです。となると、一定以上の年収や一定以上の資産を持つ人にはカジノに定期的に通うように義務付ける法案も一緒に作らなければいけないですね、絶対。一定以上の年収や資産があるのにカジノに来ない人には所得税の税率を上げるとか。あ、そうなったら、府知事、収入の多いあなたもカジノにお金をたくさん賭けに来るんですよ。それはわかってますよね?

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C: 客が負ければそれはそのままカジノの収入。そこに税金をしっかりかけて府に吸い上げるんですよね?客が勝てばそこにも税をかけて、府に吸い上げましょう。ほら、キャピタルゲインなんかの不労所得にも税をかけるのと同じですよ。どっちにころんでも税収になる。さすが府知事、本当に素晴らしいアイデアです。府知事が金持ちの皆さんの先頭に立って、どんどん府の財政に貢献してくださいね。ははは。

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C:  それに、人気者の府知事自らカジノに来て大金を賭ければ、宣伝効果絶大、教育効果絶大、大勢の人がカジノに遊びに来ますよ。そうなったらさらにカジノは収益があがって、そこから税収もたっぷり取れます。やるならそこまでやらないとダメですよね。なんなら、公用車で府庁の勤務時間内に来てもらってもいいのですよ。ははは。

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C:  あっ、ひょっとして、そのカジノの顧問弁護士になって顧問料をたっぷり取ろうと考えてません?

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C:  とにかく、ギャンブルを積み重ね、勝負師にならないと世界に勝てないわけですから、お金持ちの方々にはどんどんギャンブルをやってもらって、賭け金は負けてもらう代わりに世界に勝ってもらって、カジノを儲けさせて、そこからたっぷりと税収をいただきましょう。ねえ、府知事さん。火事の大阪府財政をカジノが救うか、さらに赤字が巣食うか、なんちゃって。ははは。

ハシモトシ:  ...。

大阪府民C:  あれ?いつもはよくしゃべるあなたがさっきからほとんど黙ってますけど、どうしました?あなたの方針は良いと思うんですよ。でもね、それを本当に全部実行しようとするとけっこうたいへんだと思いませんか?そのへんどうなのか、大阪府民みんなにわかるように説明してほしいなと思って今日はこうしてお尋ねしているんです。大阪府民みんながあなたに期待しているんですから、そこをきちんとしてほしいですよね。

ハシモトシ:  (キレる)いいかげんに黙りなさいっ!!私に賛成しているだけであなたは満足してなさいっ!!


(これは、フランスのある政治風刺テレビ番組の数年前のギャグにアイデアを得た記事です。また、登場人物はすべてフィクションです。念のため。)

以下の報道はフィクションじゃないです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
YOMIURIONLINE(読売新聞)
橋下知事「ちっちゃい頃からギャンブルを」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101029-OYT1T00243.htm
2010年10月29日

 カジノ誘致に意欲を示す橋下知事は28日、東京都内で開かれた「ギャンブリング・ゲーミング学会」の総会に出席し、「(日本は)ギャンブルを遠ざけてお坊ちゃま、お嬢ちゃまの国になっている。ちっちゃい頃からギャンブルを積み重ね、勝負師にならないと世界に勝てない」と述べ、カジノの合法化を訴えた。

 総会には、ギャンブルやゲームを研究する学識者や企業関係者のほか、カジノ法案を準備している国際観光産業振興議員連盟(カジノ議連)のメンバーも参加。橋下知事は「増税の前にカジノ。兵庫や京都の知事がダメといっても関係ない。エンターテインメントやわいざつなものは全部、大阪が引き受ける」とアピールした。
(2010年10月29日12時17分 読売新聞)

(転載ここまで)


●asahi.com(朝日新聞社)
パチンコ熱中のお年寄り急増 年金つぎ込み家族借金も
http://www.asahi.com/national/update/1108/TKY201011070287.html
http://www.asahi.com/national/update/1108/TKY201011070287_01.html
2010年11月8日5時0分

 パチンコに熱中するお年寄りが急増している。独り暮らしの寂しさをまぎらわせるためだったり、定年後の毎日の退屈しのぎだったり。3年前の規制強化でギャンブル性の高いスロット機が禁止され、客離れが深刻になっている業界も、高齢層からの集客に「生き残り」への期待を寄せる。借金を重ねて大金を浪費する依存症も目立ち始めており、新たな社会問題になろうとしている。
 10月15日、東京都板橋区の私鉄駅に近いパチンコ店は白髪の目立つ高齢客で埋まっていた。
 「オススメ台」の札がかかる台の前を行き来していた女性(79)は近くで独り暮らしをしている。階段がつらくて遠出ができなくなり、数年前から月数回、この店に通っている。年金は月額約11万円。この日は下ろしたばかりの2万円を持って来た。「お金はかかるけど、ほかにやることもないので。顔なじみに会って気が紛れるのもいい」
 偶数月の「15日」には、2カ月分の国民年金と厚生年金が全国一斉に支給される。どの店舗でも、この日は年金を元手に遊ぶ高齢者で台の稼働率が2〜3割上がるとされている。
 公益財団法人「日本生産性本部」(東京)が15歳以上の男女を対象に調査した結果によると、60歳以上のパチンコ遊技人口(推計値)は過去10年間は200万〜300万人で推移していたが昨年は急増し、約430万人にのぼった。遊技人口全体の25%を占めている。

■広がる「依存症」 弁護士らに相談相次ぐ

 パチンコ店通いのために借金を重ね、家族関係をも崩壊させる――。お年寄りたちにもそんな「依存症」の広がりが心配されている。
 弁護士や司法書士でつくる「依存症問題対策全国会議」(事務局・熊本市)には最近、高齢者の家族らからの相談が相次いでいる。
 70代の義父について相談してきた熊本県の男性は「家族内で救おうとしたが、どうにもならなくなった」と打ち明けたという。義父は退職後にパチンコ通いが激しくなり、老後の蓄えを使い果たし年金にも手を出し始めた。立ち直らせたくて援助するうち、自分もヤミ金融などに300万円の借金を抱えた。
 患者数の正確な統計はないが、専門家の間では、パチンコ依存症は全国で100万人以上にのぼると試算されている。全国会議代表幹事の吉田洋一さん(74)は「高齢者の場合、パチンコが唯一の趣味になっていることが多く、依存症であることを自覚できていないため問題が表面化しづらい」と話す。(小寺陽一郎)

(転載ここまで)

さらに参考に。
■橋下徹の支持率が高い地域では子どもの学力が低かった (by kei999さん)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1055.html

{投稿者による転写終了}


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/243.html

コメント [雑談専用38] 中国の恐怖がまじかに迫っています 唖然
30. 2010年11月22日 23:43:26: en0Jmnveik
糞みたいな捏造記事だな。
ネトウヨって醜いね。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/807.html#c30
記事 [戦争b6] 自衛隊に冷たい民主党政権 手当なしでアフガン派遣(手当てより派遣中止すべき!では?)
 この「暴力装置」の派遣には如何なる意味合いがあるのか、地上波や新聞マスコミでは良い解説が見られない。  
 米軍支援と見られれば標的にされるのは明らかだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ここから)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101120/plc1011200103002-n1.htm
「自衛隊に冷たい民主党政権 手当なしでアフガン派遣」
2010.11.20 01:02

このニュースのトピックス:民主党
 仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と呼んで批判されたが、民主党政権の自衛隊への“冷たい対応”が19日、明らかになった。

 菅政権は、自衛隊の防衛医官らをアフガニスタンに派遣する方針だが、防衛省設置法上の「教育訓練」の名目での派遣を検討している。防衛省は19日の自民党外交・国防合同部会で、アフガン派遣の防衛医官らについて「教育訓練として派遣する場合、出張扱いとなるため手当などでの特別待遇はできない。国連平和維持活動(PKO)やイラクに派遣した際と同じような処遇はできない」と説明した。

 自民党議員からは「危険な場所に派遣される隊員の気持ちを考えていない」との批判が相次いだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ここまで)
 危険な場所なら自衛の為の人員を派遣は出来ない。
実際ペシャワール会の医療支援ボランティアも帰国を余儀なくされている。

■アフガンに自衛官派遣検討=医・看護官、米の要請受け―政府
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/338.html
投稿者 めっちゃホリディ 日時 2010 年 11 月 06 日 20:43:52: ButNssLaEkEzg

■自衛官アフガン派遣へ(植草事件の真相掲示板)
http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/888.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 11 月 07 日 12:57:08: twUjz/PjYItws
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/7796


http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/501.html

記事 [テスト20] Re: テスト
「柳田法相一斉攻撃の背景には法務官僚の検察の在り方検討会議$l選への危機感が」郷原信郎 岩上安身氏ツイート 晴耕雨読

http://sun.ap.teacup.com/souun/3696.html
2010/11/22

「柳田法相一斉攻撃の背景には法務官僚の「検察の在り方検討会議」人選への危機感が: 岩上安身氏」岩上安身氏のツイートより。

今、帰京したとたん、大事な知らせが。

これから柳田法務大臣が、法務省前で、重要な発表でぶら下がり会見。

官僚の抵抗にあい、きちんとした会見をセットされず。

今すぐ法務省にダッシュで向かう。

> まさか、日曜日に「辞任」でしょうか?帰京早々御苦労さまです。

ダッシュで法務省に向かったが、Ustはできず。

辞任ではありません。

戦う姿勢を見せたはずです。


法務大臣の会見内容は、刑訴法47条にかかわるものと思われる。

この法律を利用して、これまで法務官僚は歴代の法務官僚を縛ってきた。

柳田大臣が批判されてきた、例の二言とは、この法律を根拠として、法務官僚がふりつけしたもの。

この縛りに公然と反旗を翻す。

バタバタしていて、やや間が空きましたが、どうも柳田大臣は、私が事前に得ていた情報ほどには歯切れよく、断言したようではないようです。

結果として、マスコミは「辞任せず」と報じるのみ。

法務官僚から、相当の抵抗があったと思われます。

いつものことですが、マスコミが集中砲火を浴びせるときには、何かしら背景があるものです。

今回の柳田法相への一斉攻撃の背景には、法相直属の諮問機関として「検察の在り方検討会議」に郷原さんや江川さんなど、気骨のある人が選出されたことへの危機感が、法務官僚にあると思われ。

法相が「答弁は二つだけ覚えておけばいい」と発言して問題とされたお決まりフレーズの一つが、「個別の案件はお答えできない」というセリフ。

これ、実は自民党政権時代から、歴代の法務大臣がずっと繰り返してきたセリフ。

その法的根拠は刑事訴訟法47条にある。

刑訴法47条に「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない」とある。

法務大臣が形式的な答弁を余儀なくされる法的根拠なのですが、しかし実は法文はこう続く。

「但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない」と。

つまり、47条が法務大臣の発言を制約するとはいっても、「公益上、相当と認められる」なら、個別の案件についても法相がコメントすることは可能なのである。

こうした法律論議を私のような門外漢が唱えていても説得力がないので、明日、郷原さんに開設していただくことにした。

午後6時から、Ust中継するので、ご覧ください。

> 「検察批判を強めている元検事」、「可視化に熱心なジャーナリスト」が会議に入るのがなぜいけないのか不明。【主張】在り方検討会議 検察弱体化につなげるな(産経):http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101121/crm1011210315004-n1.htm

明日、その辺もお聞きします。








参考:産経記事
↓-----------------------
【主張】在り方検討会議 検察弱体化につなげるな
2010.11.21 03:15

このニュースのトピックス:主張
 大阪地検特捜部の証拠改竄(かいざん)・犯人隠避事件を受けた「検察の在り方検討会議」が動き出した。

 千葉景子前法相が座長を務める検討会は、来春をめどに改革案の作成に向けて、特捜部の存廃や取り調べの可視化について議論を進める。地に落ちた信頼を回復するには徹底的な改革の断行が必要だが、だからといって検察を弱体化させてはならない。

 とりわけ巨悪の摘発や抑止の役目を担う特捜部に対する国民の期待は依然大きい。取り調べの可視化については冤罪(えんざい)の温床にメスを入れる必要があるとされる一方、捜査力の低下も懸念される。その範囲については、均衡ある議論を十分に尽くしてほしい。

 そもそも検察改革の担当閣僚に問題を指摘せざるを得ない。国会軽視発言で資質が問われた柳田稔法相は「検察改革を何としても成し遂げたい」と留任意欲を強調したが、柳田氏の「法相はいい。2つ覚えておけばいいんですから」との発言は司法そのものをおとしめた。国民の信を失った大臣に改革を任せる必要はない。

 柳田氏は検討会委員の選考基準について「検察に厳しい立場の方というのが最低限の条件」としていた。委員には検察批判を強めている元検事、可視化に熱心なジャーナリストや、仙谷由人官房長官の民事代理人を務めたかつての同僚弁護士までが含まれている。

 何よりも、千葉氏の座長起用には首をかしげる。

 7月の参院選で、法相の仕事ぶりも含めて国民の審判を受けて落選した。しかも証拠改竄事件の舞台となった郵便不正事件公判時の法相である。法相退任後は「特捜部という形が本当に必要とは思えない」などの発言を繰り返し、柳田氏も「どういう発言をされているか承知している。その思いでやってもらいたい」と述べた。

 これでは、結論ありきの検討会議と疑わざるを得ない。

 「政治主導」の改革で最も危ぶまれるのは、検察の独立性が損なわれることだ。検察が政権や政治の指揮下に置かれては、巨悪の摘発など望みようもなくなる。

 検察の信用失墜は、大阪地検の事件だけが理由ではない。那覇地検が政治的判断に手を伸ばし、尖閣諸島沖で衝突事件を起こした中国人船長を不自然に釈放し、その後の大混乱を引き起こした事実も忘れてはならない。
↑-----------------------

投稿者: 早雲


http://www.asyura2.com/10/test20/msg/678.html

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