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2011年4月18日21時41分 〜
コメント [社会問題8] 何処までも堕ちていく大手マスメディア 怪童
160. 2011年4月18日 21:41:15: JFHY7hLwQp
 全く、その通りです。
 自分の身は、自分で守るしかありません。

 政府もマスコミも東電もエセ専門家も、その発表のほとんどが嘘であるとの前提で判断するしかありませんよ。

 貴方が今までに、学んできた全ての知識と経験と、手元にある道具や測定器の全てと、信頼できる真の仲間の意見、、その全てを総合的に駆使して、自ら判断し、指示を待つまでもなく自分で避難したりするしかないですね。

 いい大学へ進学するためや、いい会社に就職するために、真の学習があるわけではありません。
 紙テストの偏差値は、その人の優れた判断能力を示す指針でもありません。

 真の学びとは、いざと言う時に、自分と、自分の大切な人やモノを守るために、あるのです。

 被曝して病になってから、知らなかった、、、というのは、悲しい言い訳です。
 指示されなくても、早めに避難できたはず。 それまでに学び、考えなかった、自分にも責任がある。

 もし、福島の方々全てが、放射性物質について真に学んでいたなら、原発誘致に賛成など、誰もしなかった。 悲しい、悲しい、言い訳です。

 東電や政府が「安全だ」といったから? 鵜呑みにしたの? 貴方の知識による判断は、そこになかったの? 学ばなかった、学ぼうとしなかった自分達には全く責任がないの? 

 今、悲しいけど、ようやく学んだ。 東電も政府もエセ専門家もマスコミも、当たり前のように嘘をつくことを。

 だから、指示を待ってないで、自分で判断し、自分の身は自分で守ろう。
 
 地元に拘らないで、どこにいても、信頼できる仲間といれば、必ず未来は拓けるのだから。
 
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/336.html#c160

コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
12. ダイナモ 2011年4月18日 21:43:20: mY9T/8MdR98ug : oz3zVsEkfw

>>09

水田にするためには15cmの深さまでトラクタで耕さなければなりません。

トラクタで耕せば表面にある放射性物質は表面から15cmの間に均一に混ざり合うことになります。

だから15cmの深さまでの土を採取しなければ正確な放射線量を求めることができないのです。

仮に表面から2cmまでの土だけを調査しても実際の水田における放射線量よりも8倍近く強い値が出てしまいます。

お判りですか?
 

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c12

コメント [原発・フッ素9] 東電の英語ホームページがすごい件。日本人は舐められている? なんじゃこりゃー
10. 2011年4月18日 21:43:25: 7lx2tt9KhI
自民党 子孫に残す 放射能
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/465.html#c10
コメント [原発・フッ素9] 関係者も愕然!東電“嘘っぱち”工程表「あくまで希望的観測」(zakzak) 赤かぶ
08. 2011年4月18日 21:44:46: Get9aY0xRA
>>07
無駄な改行と記号の連打…そんな獣のようなことしている暇があったらもう少し人間らしい知能を使いなさい
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/503.html#c8
記事 [原発・フッ素9] 不気味な静けさに満ちた原発の町   福島原発避難区域の浪江町で捜索活動
http://jp.wsj.com/Japan/node_224237
福島原発避難区域の浪江町で捜索活動

http://jp.wsj.com/Japan/node_224326
 不気味な静けさに満ちた原発の町 
【双葉町(福島県)】コインランドリーの乾燥機の中には、オレンジ色のスエットシャツと緑の作業ベスト、ジーンズ2本が残されており、湿ってカビ臭を放っている。
110418futaba.jpg Ko Sasaki for The Wall Street Journal

 駅近くのレストランには、ベーコンとナスのトマトクリームパスタをはじめとするランチメニューが掲げられている。洋品店の入り口のドアには5日間の「在庫処分」セールを宣伝するチラシが貼られている。町の中心を貫く道路上には、白地に青い文字で「原子力 正しい理解で豊かなくらし」と書かれた大きな看板が掲げられている。

 だが、福島第1原子力発電所からわずか数キロメートルに位置するこの町では人々の生活がおおむね失われている。

 かつて7000人が暮らしていた福島県双葉郡双葉町は、3月11日の震災で福島第1原発で事故が発生して以来、退避を余儀なくされている8つの町のうちの1つ。事故発生後の数日間に避難した原発から半径20キロ圏内の住民は数万人に上る。日本政府は4月11日、原発から20キロ圏外の一部地域を新たに「計画的避難区域」に指定した。

 東京電力は17日、事故収束に向けた作業工程を発表し、6−9カ月で原子炉内の圧力と温度を安全な水準にまで低下させ「冷温停止状態」にもっていくことを目指すとした。海江田万里・経済産業相は、冷温停止状態になれば避難者の一部は帰宅できる可能性があるとしながらも、全員帰宅は困難であることを認めた。

 一方、双葉町の井戸川克隆町長は町に帰れたとしても「何年も先」になると述べた。東京電力は15日、原発から半径30キロ圏内の避難・屋内退避区域の住民を対象に、1世帯当たり100万円、単身世帯は75万円の補償金を仮払いすると発表した。だが、避難者の一部は金額は不十分であり、一時的なご機嫌取りに過ぎないとしている。

 避難区域を東西に走る国道6号線には、警察によって通行規制が敷かれている。原発から半径20キロ圏内については退避指示が出され、20キロ〜30キロ圏内の住民に対しては屋内退避が指示されている。退避指示区域ではパトカーや救急車、消防車が時々巡回を行っている。退避指示区域への立ち入りは、違法ではないものの、控えるよう強く要請されている。

 通りを歩いていた一人の記者に消防隊員が、何をしているんですか、と尋ねた。助手席に座った別の消防隊員の手には放射線モニターが見える。消防隊員は、ここは立ち入り禁止区域であり危険なため、すぐに立ち去るようにと指示した。

 なかには双葉町には二度と戻れない可能性もあるとの認識から、自分たちの荷物を取りに戻るため、通行規制をかいくぐり、狭い裏道から区域に侵入している地元住民もいる。

 14日、一人の女性が美しい伝統的な日本家屋に慌ただしく出入りしていた。その女性は自らを「高崎」と名乗っていた。高崎さんによると、一家は現在約100キロほど内陸にある福島市の親戚の家に身を寄せているが、30分でできる限り多くの荷物を持ち出そうと、夫と娘、義理の父で双葉町の自宅に戻ってきた。

 高崎さんは透明の雨合羽に身を包み、フェースマスクとサングラスを着用していた。靴は透明なビニール袋で覆われ、足首の周りはテープで留められていた。

 とても急いでいる、と高崎さんは洋服の入ったケースを自動車のトランクに積み込み、腕いっぱいに抱えた冬用のコートを別の見知らぬ人物に手渡しながら言い、それでもここに戻ってくるのは恐らくこれが最後になるため、持ち出さなければならないものがあるのだと述べた。

 私道に大型のスポーツタイプ多目的車(SUV)が止まった。中には高崎さんの夫と娘が乗っていた。二人は金庫を取りに親戚の家に立ち寄っていたという。二人は急いで自宅から洋服を持ち出した。それが済むと、靴を覆っていたビニール袋と雨合羽を私道に置いてあった手押し車に脱ぎ捨てた。そして前のドアをロックせずにそのまま走り去った。

 原子炉の冷却作業が終息しない限り、退避指示区域の放射線レベルや被害状況がどの程度になるかは明確には分からない。日本の当局は、現在までのところ放出された放射性物質の量は数十万テラベクレルに上るとしている。これは、1986年に発生したソ連のチェルノブイリ原発事故で放出された放射性物質の量の約10分の1に相当する。

 主に漏出した放射性物質はヨウ素131で、8日で放射線量は半分になるため、数カ月たてば放射線量はかなり減少する。だが、国際原子力機関(IAEA)は、福島第1原発から約40キロに位置する福島県相馬郡飯舘村では、半減期が30年に及ぶセシウム137に関して、許容範囲を超える量が検出されたことを明らかにした。

 双葉町の一部地域では、放射線の被ばく量を測定する線量計が1時間当たり10マイクロシーベルトを示していた。この量の放射線を1年浴び続ければ、防災業務に従事する原子炉作業員や警察官、消防隊員の最大許容被ばく量の2倍近くに達することになる。これだけの放射線量が検出されたとなると、双葉町の農家にとって米や野菜、花の栽培を再開するのは難しい可能性がある。

 双葉町周辺地域には荒廃と絶望感が漂っていた。双葉町と同じく福島第1原発の一部が立地する大熊町では、さらに高い放射線量が検出された。そこでは、避難した家畜農家が残した牛が痩せ細った状態で通りをふらふらと歩いていた。ある納屋の中では、少なくとも5頭の牛が柵に鎖でつながれたまま死んでいた。母牛の隣で死んでいる子牛の姿も見られた。

 住民の帰宅時期が大きな問題となりつつあるなか、双葉町や大熊町をはじめとする原発周辺地域の状況は今や政治問題にまで発展している。13日、菅直人首相の側近の一人が、菅首相が「福島第1原発周辺は10年、20年は住めない」と語ったと発言した。その後、菅首相はそれを否定し、同側近は発言を撤回した。

 だが、この発言に対し、福島県当局は、ただでさえ萎縮している避難者の気持ちに追い打ちをかけかねないとして怒りをあらわにした。側近の発言をめぐる議論は、一部で菅首相の退陣を求める声にまで発展している。

 原発から数キロに位置する町は荒涼とし、絶望的な雰囲気に満ちている。福島第1原発から約16キロ南に位置する楢葉町では、スズキ・エイコさん(80)とヨシオさん(48)が政府から避難指示が出ているにもかかわらず依然自宅にとどまっていた。エイコさんは糖尿病を患っており、震災直前に膀胱の一部を取り除く手術を行って以来おむつを着用しているため避難所では暮らせないと話す。ヨシオさんもてんかんを持っており、避難所暮らしで症状が悪化することを恐れている。

 外に設置されたプロパンガスのタンク1本が彼らにとって残された唯一の燃料だが、それもなくなりつつある。食料品店は閉鎖され、近隣住民も全員避難してしまっていることから、家族の家で見つけた米やみそ、缶詰めの魚などで食いつないでいるという。

 ヨシオさんは「放射能がなくなったら、みんな戻ってくると思う」と述べた。二人は部屋の隅に置かれた小さなテレビで震災のニュースを見ながら日々過ごしている。ヨシオさんは、原発はここの住民の重荷であり、破壊すべきだと腹立たしげに述べた。

 楢葉町議会副議長の山内左内氏は、二人に避難を促したが拒否されたと述べた。避難指示が出されてから数週間、自衛隊員と共に定期的にスズキさん宅を訪れ、食べ物や水を届けていたという。だが、ここ5日は彼らの訪問は途絶えている。

 エイコさんは「ここに残るのが間違っているんだってことは自分でも思っている。でも、どこで死ぬのも同じだ」と述べた。

記者: Daisuke Wakabayashi
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/520.html

コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
13. ダイナモ 2011年4月18日 21:46:21: mY9T/8MdR98ug : oz3zVsEkfw

>>11

そりゃ放射線量は少ないに越したことはありません。

私が言いたいのは管理人さんがとんでもない間違い投稿をして多くの人に誤った認識を与えてしまったということです。
 

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c13

コメント [原発・フッ素9] 「家族逃がした枝野、党内会議で「家族はたまたまシンガポール」と認める!」二階堂ドットコム 玄米
108. 2011年4月18日 21:46:45: EUYs48qpeg
誰だって 自分の子供はかわいいからね。

ほんとだったら 福島県人は黙ってないぞ。


http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/412.html#c108

コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
01. 管理人さん 2011年4月18日 21:46:57: Master
不正誘導コメントとは認められず。削除せず。

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c1
コメント [議論30] 腐蝕管菅!!!!(人類の咽元を締めつける腐蝕管の)緊急摘出手術が必要である。[政治板] 天のあゆみ
01. パルタ 2011年4月18日 21:47:16: BeExvDE2jO5d2 : fhqMEypoT6
菅だけでなく、必ず仙石も辞めさせばならない。
仙石こそ自民とに大連立を画策した張本人である。
そして、これだけでは終わらない。
一体、誰が原発を推進してきたのか、こここそが鋭く問われねばならない。
自民・民主が今何を画策しようとしているのか、である。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/411.html#c1
記事 [お知らせ・管理19] 管理人さん、板違いで削除された記事紹介コメントの削除方法ですが、
コメント欄のチェックして管理人に申告という形での削除方法か
こちらの板から、削除依頼をかけるのかどちらでもいいのでしょうか?

すみませんが、ご指導願えますでしょうか?

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/743.html

コメント [雑談専用39] 今日に想う あっしら
09. 2011年4月18日 21:48:35: fmTrjANR0w
何事も一色になるのは良くない 第一に気持ちが悪い

無駄な事でもこうやってちゃんと言っといてやらなくちゃな
これは知能の高い人間の義務だ
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/308.html#c9

コメント [原発・フッ素9] 原発まとめ(10)4月12日〜 レベル7検討…最も深刻 関東・東北から離れろ! という情報が華僑社会を駆け巡った てんさい(い)
52. 2011年4月18日 21:50:48: bagXH0lhII
福島1〜3号機核燃料、保安院「溶融」と初見解
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/515.html

(ずっと前から溶けていたと多くの人が予想していたが、
 とうとう大本営発表で認めた。
 ということは、実際今の状況はもっととんでもなくひどい事になっていると思われる。)

必見!上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」、2号機の周辺近づくだけで即死する!(原子力安全基盤機構エンジニア)
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/513.html
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/138.html#c52

コメント [原発・フッ素9] 必見!上杉隆氏ら自由報道協会による「原発事故」、2号機の周辺近づくだけで即死する!(原子力安全基盤機構エンジニア) ジャック・どんどん
04. 2011年4月18日 21:51:58: D21tg04GGK
ジャック・どんどんさん、下に今日の小出先生のお話をコメント欄に入れました。
さっきのお話から、ジャック・どんどんさんの投稿の信憑性が証明されています。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/513.html#c4
コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
14. 2011年4月18日 21:52:05: EnFXcTIUl2
別に15センチでもなんでもいいけど、最終的に出来上がった米に10ベクレルでもセシウムが入ってたら絶対食べたくないので、出来上がった米はきちんと検査してほしいですね。

私は西日本に引っ越したので、東の食物をあえて選ぶ事は一切ありませんがw
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c14

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
251. 2011年4月18日 21:52:21: Z8vRqo8phA
ヒラリーいる間地震ないな。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c251
コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
02. 平成の坂本竜馬 2011年4月18日 21:52:22: KvTxn/v4K5oQ2 : ahjuhBL0za
それっておかしくないですか?
アクセス元IPを勝手にリレーサーバ経由でログ取りしようとしているではないですか!
それは、本記事どおりではありません。不正ですよ。

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c2
コメント [原発・フッ素8] 風力発電フル稼動、被災地支える 三谷商事、地震耐え無傷(福井新聞) tk
04. 脱原発推進派 2011年4月18日 21:52:22: ljG9t/A8kxvJ6 : sRjalSVNBI
こういうのをもっと前面に推し出して欲しいと思います。
原発なんてコストはかかるわ環境適合性はないわで。温暖化の1つの原因である原発は危険なものから順次停止し将来的には全て廃炉が望ましく思います。
今後は安定供給が得られる小型ガスタービンの普及や太陽光・風力・波力・潮力・地熱など日本独特の自然エネルギーへの転換が妥当だと思います。
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/890.html#c4
コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
15. 2011年4月18日 21:52:36: N0ecmP8qLE
調査をした農水省はどう言ってるのかな?
ネット上の情報だと,15p耕すからっていう以外,水田云々なんてのは一言もないようだが。野菜畑だって15pくらい耕すだろう?
しかも,水田だと一定期間水を張るから,土だけの場合とは条件が違ってくだろう?

言い訳にしか聞こえないね。

こんなことじゃぁ,もう福島県周辺の米を食べる奴は誰もいないな。
風評被害は広がる一方だ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c15

コメント [経世済民71] 再送:復興国債の発行必要、財源は増税で確保すべき=民主幹事長 sci
04. 2011年4月18日 21:52:51: 8BF6RNP36S
財源は、いくらでもある。

まずは、「埋蔵金の捻出」。
そして、国債の日銀直受けを決断するべき。
(国民のほとんどは、国債日銀直受けや政府紙幣という手段があることを知らないから、増税しかないと思い込んでいる。
っていうか、大マスコミ&官僚&御用学者にそう思うよう洗脳されている)

■国債整理基金特別会計という「埋蔵金」が10兆円ある。
国債整理基金の余りカネが10兆円あってそれを震災復興に回す話がなぜ取り上げられないか。
日本で財政学者は、減債基金や60年償還ルールを金科玉条のように教科書に書いていて、
それを崩す話はいえない。そんな制度は海外にはなく、国債整理基金特別会計も海外にはないのにね。
posted at 15:25:33
http://twitter.com/YoichiTakahashi/status/59502741499822080
国債の減債基金制度(国債整理基金特別会計)は意味ないのでやめる検討をしていたのに、
盲信好きな連中が跋扈しているのかな。
それに余りカネは何度も使ったことがあるけど国債の信認なんか問題にならなった。
今回の大震災のような国の大事なのだから、過去に使った時よりもっと問題なし
posted at 15:37:52
http://twitter.com/YoichiTakahashi/status/59505838473220096

■原発関連の埋蔵金もある。
■積立金3兆円!!「原子力村」天下り団体は今こそ、カネを吐き出せ
●トップの理事長は元東電役員 これを損害賠償に使うべきだ
東電がこれから支払う巨額の損害賠償を捻出するために、「電気料金の値上げは必至」といわれるが、ちょっと待って欲しい。
“原子力村”の天下り団体が、使用済み核燃料の再処理に備えて、3兆円を超える積立金を持っているのだ。
このうちの4割は東京電力の拠出金。これを損害賠償に使うべきだ。
団体名は「公益財団法人 原子力環境整備促進・資金管理センター」。
使用済み核燃料をリサイクルして使う「核燃料サイクル事業」の推進を前提に、
法律にのっとって、放射性廃棄物の再処理と最終処分のための積立金を電力会社から集め、管理している。
10人いる評議員のうち8人が電力会社役員や原発関連団体理事長といった原子力村の出身者。
12人の役員には経産官僚OBの名前もある。トップの常勤理事長は、元東電執行役員(原子力・立地本部副本部長)だ。
団体が管理する資金(10年度末運用残高見込み)は、再処理等積立金が2兆4416億円、最終処分積立金が8374億円。
核燃料の再処理で作るリサイクル燃料(MOX燃料)には危険なプルトニウムが含まれる。
事故を起こした福島第1原発の中でも、3号機はMOX燃料を使っていた。
だからなのか、狂ったように水をかけ続けたのは記憶に生々しい。
以前から核燃料の再処理に反対してきた自民党の河野太郎衆院議員は、ブログでこの団体と積立金を取り上げて、こう書いている。
「これだけの事故を引き起こして、まだ新規立地を進めるのか。再処理を進めるのか。
絵空事を言う前にきちんと損害賠償を行わせるべきだ」
できもしない再処理のために巨額の資金を積み立てておく必要はないだろう。
http://news.livedoor.com/article/detail/5480619/

そして、国債の日銀直受け
■復興資金の調達はリレー方式で/飯田泰之(駒澤大学准教授)
■必要な資金の総額は40兆円?
(前略)慢性的な財政悪化のなかで、年間の国税収入に匹敵する財源をいかに確保するか。
自民党の谷垣総裁は震災直後の3月13日に菅首相との会談のなかで時限的な増税を示唆し、
櫻井財務副大臣も17日の記者会見で一時的な増税に積極的な姿勢を示している。
今次の震災を奇貨として財政再建のための増税を推進すべきだとの声は強い。
しかしながら、一時的な増税を財源とすることは財務の原則に反する。
避けることができない偶発的なショックは、できるかぎり広く全国的に、薄く時間をかけて吸収する必要がある。
仮に本年から数年間の臨時増税による資金調達を行なった場合、
空間的な負担の分散にはなっても、時間的な意味での負担の分散にはならない。
したがって復興資金は公債によって調達される必要がある。
ただし、大規模な公債による資金調達については二つの懸念がある。
第一の懸念が、どのように返すのかという償還の問題、第二が、すでに大量の公債が発行されているなかでの消化の問題である。
そこで本稿で提案したいのが、二つの懸念に対する短期・中期・長期のリレー方式での対応だ。
短期的な消化の困難を緩和するために、当初の10兆円から15兆円の公債は日銀引き受けにより行なう。
公債の日銀引き受けは法律で禁止されていると考えている人が多いが、
財政法5条では国会の決議を得れば実施できるとされており、これまでも借り換えのためには適用されてきた。
新発債への適用は日銀引き受けによる歳出拡大に歯止めが利かなくなることから疑問視されてきたが、
「震災被害推計額の半分」といった限定を付ければ、それが恒常化する懸念は薄い。
引き受けによる財政支出がもたらす副作用は、教科書的には、インフレと円安圧力であるが、これは現時点では問題ではないだろう。
インフレと円安による景気の下支えは、被災地域以外の日本経済が復興を支えるためにも必要である。(後略)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110413-01-1401.html

■「日銀引受は禁じ手」の虚妄 実は「毎年行われている」
▼「日銀引受は禁じ手」は文学的表現
(前略)なぜ、一般物価、為替、金利のうちどれか一つでもいいから、数字でいわないのだろうか。
一般物価の上昇の悪い例としてハイパーインフレがよくでてくる。
これは経済学では定義されていて、年率1万3000%(130倍)だ。
こうなると、私も通貨の信認は失われると思う。
国際会計では年率30%上昇でも不味く、ハイパーインフレという。
これでも通貨の信認は失われているといってもいいだろう。
その時は金利も30%以上になっているから、10年国債の価格は9割以上も下落するので、
さすがに国債の信認も損なわれるといっていいだろう。
日銀・財務省は、こうした国際的に通用する数字を言うと、
今議論している20兆円程度の日銀引受額ではそうならないのでいえない。
そして、「日銀引受は禁じ手」という文学的表現で逃げる。
それは、毎年日銀引受が行われているという、日銀・財務省に不都合な真実を隠して、喧伝されている。
これは大学でも教えてくれないし、新聞でも報道されない。
というのは、学者もマスコミも日銀・財務省のポチばかりで、彼らから教えてもらっていないからだ。
今2011年度の国債は、新規財源財44.3兆円、借換債111.3兆円、財投債14兆円の計169.6兆円、発行される。
この分類は財務省の便宜的なもので、市場関係者から見ればどの国債も同じであるので特に意味はない。
これらを金融機関や個人が157.8兆円、日銀が11.8兆円を消化する
http://www.mof.go.jp/jgbs/issuance_plan/yoteigaku221224.pdf)。
この日銀11.8兆円が日銀引受だ。その根拠は毎年度の予算書にも書かれている。
毎年行われていることが禁じ手のはずないが、なぜか学者やマスコミはころりと騙される。
この11.8兆円を30兆円にしたところで、一般物価が年率30%も上昇するはずない。
ちなみに、私が官邸にいた2005年度は、財務省にささやいたら、23兆円まで奮発してくれた。
それでも、物価は上がらなかった。
数百兆円かそれ以上も日銀引受をすれば、一般物価は年率30%くらい上昇するかもしれない。
そうした数量関係もわからずに、通貨の信認の定義もなしで、政府の決定が行われるとは、関係者の専門知識を疑ってしまう。
明確な定義もできずに、合理的な理由もなく拒否するのは、被災者より組織のメンツを大切にしているからだろう。
http://www.j-cast.com/2011/04/14093074.html?p=all
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/534.html#c4

コメント [議論30] 呪われた管帝が権力にしがみ付く。みなの衆’蹴りカン遊びの時でやんす~生き延びるには  天のあゆみ
03. パルタ 2011年4月18日 21:53:01: BeExvDE2jO5d2 : fhqMEypoT6
何の為に管内閣の批判をやるのか?
これは単なる遊びや気晴らしではない。
真剣な追求なのである。他の国ではなく、日本の話なのであって、
遊びでやるべきではない。ふざける奴は不可である。
内閣にとどまらず、日本の行政構造にまで踏み込まねばならない問題だ。
ただの一時的なうさ晴らしを求めているのではない。
今、必要なのはそんな不確かなもんじゃない。
もっと安心できる確実なものを求めている。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/410.html#c3
コメント [原発・フッ素9] 東電の英語ホームページがすごい件。日本人は舐められている? なんじゃこりゃー
11. ファルコンZ 2011年4月18日 21:54:17: Jl5A8BvX2jnUQ : yitARvme5o
東電は恥という言葉を知らなさすぎる。調子こいて政府にだだこねて結局は国民に重税させてるだけじゃねーか。発電事業の自由化をもっと促進して東電を潰すべき
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/465.html#c11
コメント [カルト7] 独占インタビュー 元弟子が語るイエス教団「治療」の実態!! 中川隆
08. 中川隆 2011年4月18日 21:55:13: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

春画とは江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵だが、そこには人々の性への願望も描かれている。日本が世界と比べても自慰が盛んな国だったことは、数々の春画が証明している。

 かつて西欧では、自慰は生殖に直結しないというキリスト教的観念から禁じられ、中国では「接して漏らさず」の『養生訓』の教えのごとく精液の節約という意味で良しとされていなかった。ところが日本の春画は自慰シーンのオンパレード。その方法は実に多岐にわたり、現代からは想像もつかないような性具や媚薬が豊富にあったことがわかる。

 男性器を模した“張形”を使ったり、他人の行為を覗き見て、あるいは想像で手淫するなど、設定はバラエティに富んでいる。
男性器に巻きつけることで挿入時に女性を刺激する“肥後芋茎”や、金属の玉を女性器の中に入れて性行為をすると女性が快楽を得られるという“琳の玉”、また女性器に塗る媚薬など多彩だった。

 江戸時代は、『四つ目屋』というアダルトショップが堂々と表通りで営業されており、この手の性具は簡単に手に入ったという。

http://www.news-postseven.com/archives/20110119_10417.html


性の文化が花盛りだった江戸時代。さまざまな性に関する工夫があったようだ。たとえば、江戸時代の性指南書『好色旅枕』によると、射精を遅らせる鍵は「蟻の門渡り」だという。

発射しそうになったら、蟻の門渡り(肛門と陰嚢の間)を中指で押さえよ、と説き、また、左の人差し指で睾丸の根元を押さえ、両足の親指を強く反らして10回ほど呼吸をしても、射精を止めることができる、と解説している。

また、江戸時代は一流絵師たちが競いあって春画や艶本を描き、豊かな性文化を形成した。性指南書『房内経戯草』によると、女性の陰部には48の名があるという。

良い名は、「しほいずみ」(皺泉)、「りんゑのごう」(輪廻刧)、「てんやくのすけ」(典薬助)、「ちごのて」(稚児手)、「みずはじき」(水弾)、「さこめ」(小籠)など。悪い名は、「すぎばり」(杉針)、「あしのよ」(葦節)、「ふるせ」(旧瀬)、「にもちゐ」(似餅)、「ひきめ」(蟇目)など。

そして、江戸時代の人々は西洋的な性意識に縛られていなかったために、生活に根付いた色事の文学である浮世草子や、男女の性愛を活写した春画に記された書き入れなどを男女の隔てなくおおっぴらに愉しんでいた。そんな時代の性指南書は、女性器の鑑別や品定めが必須事項でもあった。『好色訓蒙図彙』によると、良い女性器の陰毛は「ラッコの皮」だという。

上開(良い女性器)の陰毛は濃すぎず薄すぎず、やわやわと柔和であり、猟虎(らっこ)の皮を想像させるばかりである。「猟虎の皮」は、手で撫でるとその方向になびくといわれる。

http://www.news-postseven.com/archives/20110307_14349.html


江戸の大ベストセラーとなった艶本『閨中紀聞枕文庫』(青林堂)。作者は淫乱斎主人白水こと渓斎英泉で、文章のみならず挿絵も自ら手がけた。そこでは、交合の秘術を10に細分し、詳しく開陳している。

「三峯採戦」とは上峯つまり唇、中峯の乳房、下峯の女陰という3つの性感帯を同時に責める技だ。「セックスの前戯としては、まず戯れにおかしき噺などして、乳を捻りなどして、そろそろ股へ手を入れろ」

 江戸期のセックスにおいて、前戯としてのキッスは皆無だと知りおきいただきたい。「三峯採戦」の法にもあるように、女の心を動かすトークで迫ったら、速攻でタッチに入っていく。しかも、攻撃目標は乳房よりも下半身重視だ。これを「くじる」という。

「パンティーを穿かない文化だったこともあるのでしょう、江戸の男はその気になったら、すぐ着物の裾をめくって女陰に手をやりました。さらに、春画の題材をみても歴然としているのですが、乳房や尻といった女性の第二次性徴には女性器ほど興味を抱かなかったようです」

 また、本書における女門の品別と解説の詳細さや、図版のリアリティー、さらには度を越した誇張(どの艶本、春画も性器をビッグサイズにデフォルメして描いている)を見ても、江戸のセックスにおける性器の重要視ぶりが理解できよう。

http://www.news-postseven.com/archives/20110308_14361.html

浮世絵

http://www.youtube.com/watch?v=qqKarRHRtaM
http://www.youtube.com/watch?v=3fAY9gBqjLs

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro

http://www.akantiek.nl/shunga.htm


Ukiyo-e, UTAMARO, 'Michiyuki koi no futusao, shunga, erotic
http://www.degener.com/1793.htm

Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka


http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/super.html
http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/toku.html

http://www3.tokai.or.jp/youko45/0602edayo/edayo00mokuzi.htm


浮世絵の展示室
http://homepage3.nifty.com/itoti/index.html


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A. 西洋の画家にとってジャポニズムとは何であったのか?

 デフォルメされた男のイチモツが天井まで届かんばかりに隆々とそそり立ち、枕、炬燵(こたつ)、火鉢、食器も打ち遣る、アクロバティックな体位でねっとり絡み合う男と女。

 葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣といった江戸時代最高峰の浮世絵師も、多くの春画を描いた。外国では、日本人の男性器を指して「ウタマロ」と呼ぶこともあるほどにメジャーなジャンルだ。19世紀の終わりごろ、ヨーロッパでジャポニスム・ムーブメントがあり、印象派やアール・ヌーボーの画家たちに大きな影響を与えた。

http://www.cyzo.com/2009/12/post_3371.html


ゴッホやモネなどの印象派画家 春画から大きな影響受ける


江戸時代の人々の性生活を題材にした浮世絵である春画は、明治時代以降、西欧の影響を受け、「性」に対する意識が変化するとともに海外に流出。大英博物館にも所蔵されている。

春画は、描かれている内容だけでなく、構図や色彩感覚など、アートの技法に対しての評価も非常に高い。春画で特徴的な性器の誇張表現は、西欧の美術理論に多くの影響を与えたのだという。

「性器を大きく描く“デフォルメ”という表現は、当時写実主義全盛だった西欧にはない発想でした。日本には、現実そのままの描写では面白くない、いかに絵画を絵空事にするかという芸術理論があったのです。こうした日本絵画の装飾性は、『ジャポニズム』という形でブームを呼び、ゴッホやモネなどの印象派画家を生むきっかけとなりました」

http://www.news-postseven.com/archives/20110117_10354.html


33. ノイズn(コネチカット州) 2009/11/13(金) 09:11:26.65 ID:kurydIXX

いや真面目な話し、絵画を学ぶ者にとって、春画は貴重な良い手本なんだよ。

女性の毛髪の一本一本がもの驚くほど繊細に表情豊かに描かれていたり
デフォルメされた人間の絡み合う姿の動きある四肢の描き方だとか
それまでの西洋絵画にはなかった技法だったので
当時の海の向こうの画家達は、それこそ度肝を抜かれたらしい。

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


浮世絵を学んだ印象派


1986年オルセー美術館がオープンしたとき、「ジャポニズム展」がパリと上野で開催された。その副題は「19世紀西洋美術への日本の影響」というもので絵画だけでなく版画・彫刻・工芸・建築・写真など400点が出品された。浮世絵は印象派の画家はほとんど学んで影響を受けている。あまり学んでいないのはピサロ、シスレー、スーラなど少数である。

モネは北斎の「富嶽三十六景」をもとに描いた、また200点をこえる浮世絵を収集して居間にも飾っていた。日本趣味がこうじて庭に太鼓橋をつくり、屏風絵のような庭園を造っている。「衣装・扇子・団扇のモネ夫人」という絵がある。ゴッホには広重の模写の絵がある。「タンギー爺さん」の背景には浮世絵の画がある。日本びいきで「僧侶としての自画像」という画も描いた。マネは日本の団扇、扇子を描いた屏風の画がある。セザンヌの絵の構成は浮世絵の影響が強く出ているといわれる。異国趣味もあるがジャポニズムとして多かれ少なかれ影響を受けていたことは確かである。

http://www.tranzas.ne.jp/~smikio/insyouha.html

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B. ファン・ゴッホにとってキリスト教とは何であったのか?


Fields of St. Etienne - Mary Hopkin
http://www.youtube.com/watch?v=s2UX7_kpNHg


Vincent van Gogh 画像

http://commons.wikimedia.org/wiki/Gogh
http://artchive.com/ftp_site.htm
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh-2.html
http://www.vggallery.com/
http://www.vangoghmuseum.com
http://www.vangoghgallery.com


フィンセントは最初の記念碑的大作「馬鈴薯を食べる人々」を完成させた後、もう一度正式な絵の勉強をしてみる気になっていました。 1885年11月、フィンセントはアントワープに向かいます。 有名なアントワープの美術アカデミーに入学するためでした。 美術アカデミーは1月開始予定でしたので、それまでの間、フィンセントはモデルを雇い、人物画を描きました。その一方で、アントワープにあるルーベンスの絵画に熱中します。ルーベンスが描くピンク色に輝く裸体にすぐにフィンセントは影響されます。「馬鈴薯を食べる人々」にみられた灰色がかった陰鬱な色彩がかき消え、女性の肖像画には、唇や肌に混じりけのない強烈な赤が使われています。


 1月にようやくアカデミーに入学しました。しかし、アカデミーの教師たちは超保守的な時代遅れの連中で、フィンセントはすぐに衝突してしまいます。毛皮の帽子に家畜商人の青いスモックという異様な風体でアカデミーに現れたフィンセントは、恐るべき勢いで男性モデルの描き始め、たちまちのうちに、カンヴァスも床も絵の具だらけにしてしまいます。アカデミーの校長は怒り狂い、すぐに、フィンセントをデッサンクラスに格下げしました。

デッサンクラスでも、フィンセントは持参したデッサンを床いっぱいに広げて教師にみてもらおうとして、騒動を巻き起こします。フィンセントが床に広げたのは古典的な端正なデッサンとは似ても似つかぬ荒々しいデッサンでした。たちまち、学生たちが一斉に集まってきて、収拾がとれなくなります。学生の多くはその珍妙なデッサンを嘲笑いました。しかし、その強烈な線に魅了され、まねようとするものも現れ、教師を激怒させます。

油絵コースから外され、陳腐なデッサンを強要するアカデミーに飽きたらなくなり、フィンセントはアカデミーの学生たちが夜間行っているデッサン・クラブにも顔をだしてみました。しかし、モデルを描くことができる以外、アントワープでの絵画修行は得ることがほとんどありませんでした。


 アントワープでフィンセントはルーベンス以外にもう一つ強烈な絵画体験をしていました。日本の浮世絵です。浮世絵の大胆な構図と明快で単純な色調に魅了されたフィンセントは下宿の壁を浮世絵で埋め尽くします。

ルーベンスと浮世絵に開眼したフィンセントはさらに新しい絵画経験を熱望するようになります。そのためには方法は一つしかありません。さまざまな傾向の絵画芸術が渦巻いているパリにでることです。そして、実際、パリで、フィンセントは新たな絵画を切り開こうとしている天才たちとその傑作絵画群に出会うことになります。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


アムステルダムのファン・ゴッホ国立美術館について教えてください ケンさん
07/03/31 17:01


ご質問の内容とは異なりますが…。 nonann
07/04/01 01:05


「浮世絵」がある、と表示のある階にはお子様をお連れにならない方がよろしいかと。

今は違うかもしれませんが、13年前の「浮世絵」はほとんど春画でした。
ゴッホの本当の趣味はこっちだったの?と目がパチクリな経験があります。

その階の展示は大人だけでお楽しみください…。日本でもあれだけのコレクションはめったにみられないと思います。逆に今はあれが見られないとなると大変残念。貴重です。

http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/thread2.php/id/221950/-/parent_contribution_id/221950/


ゴッホ

あの炎の人と呼ばれた画家ゴッホ。

彼は世界的にも有名な春画のコレクターでした。

浮世絵全般に大変な興味を持ち、その影響を多大に受けたと言われています。歌川広重の「名所江戸百景亀戸梅屋舗」という作品をはじめ、400点以上もの名画を集めたそうです。 江戸時代の日本は鎖国状態にあったため、海外との流通は長崎が起点になっていました。オランダにいたゴッホにとっては好都合だったのかも知れませんね。

特に葛飾北斎のファンで、彼の春画や画集はいつも手元に置いていたそうです。又、歌川派の浮世絵も多数所有していたと言われています。

そんなゴッホの名作、「雨中の大橋」と「花咲く梅の木」には日本の文字がデザインとして一体で模写されています。

まさに春画は日本が世界に誇る芸術。その良さは海の向こうでもしっかりと評価され、多数のアーティストたちを虜にしていました。ゴッホばかりではなく、セザンヌは北斎の「快晴の富士」を、モネは鈴木春信の「蓮池舟遊び美人」といった、浮世絵や春画・枕絵をそれぞれ好んで手本とし、模写したそうです。

http://makurae.lovely-lovely.biz/archives/post_2.html

57. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:21:42.49 ID:U12kjNMv

ゴッホ

・生涯に一点しか絵が売れなかった貧乏画家だったが、400点以上に及ぶ浮世絵をコレクションしていた。弟テオのコレクションも含めた数は477点。


・当時、作品は所有者の死後、オークションで処分されるのが一般的だったため、他の印象派画家のコレクションの日本の浮世絵はほとんど残っていないが、例外的にゴッホだけは、近親者の子孫たちの努力もあり現在まで全てが完全な形で残されている。

・複数の絵師が共同で一枚の浮世絵を描いたりすることを知ったゴッホは、アルルのアトリエにゴーギャンたちを招いて共同生活を始めた。 しかし結局この試みは失敗に終わり、ゴッホは激昂して発作的に自分の耳を切り落とした。 その「耳切り事件」の直後に耳に包帯を巻いた一枚のポートレートを描いたが、その絵の元となったのも浮世絵。


56. ノイズn(関東) 2009/11/13(金) 10:20:21.30 ID:U12kjNMv

ゴッホ

「日本人が、稲妻のように素早くデッサンするのは、その神経がわれわれよりも繊細で、感情が素朴であるからだ」

「僕は日本人が何をやっても極めて正確に行うのを凄まじく思う。

それは決して退屈な感じを与えず、決して大急ぎでやったようにも見えない。

彼らは息をするのと同じくらい簡単で、狂いのない二、三本の線で同じように楽々と人物を描いてしまう。まるでチョッキのボタンをはずすかのようだ。」


「僕達印象派の画家達(モネ、マネ、ロートレック等)は日本の浮世絵を愛しその影響を受けている。」

http://www.nihongodeok.net/thread/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258043676/


ファン・ゴッホが弟テオに宛てた手紙で、北斎のことを次のように言っている。


「日本美術を研究すると、間違いなく聡明で博学な哲学者を発見することになる。 その男は何をして時間を過ごしていると思う? 地球と月の距離を測っている? ビスマルクを勉強している? 違う。 一枚の葉を探求しているのだ。

しかし、この葉の探求のおかげで全ての植物が描けるようになり、次に季節が、広大な風景画が、動物が、そしてついには人間が描けるようになるのだ。 こうやってこの男は人生を送っているが、すべてを完成させるにはこの人生は短すぎるのだ。

いいか、日本人が教えてくれているのは真の宗教だ。

 彼らはとても純粋で、まるで自分自身が花の如く自然の中を生きている。」

(ゴッホは「富嶽百景」の北斎の自跋(2-1参照)を読んだのであろうか!!!)
http://www.muian.com/muian08/muian08.htm


 アントワープでフィンセントは乏しい資金を画材やモデル代に回してしまったために満足に食事も摂れず、肉体的にぼろぼろになってきました。 歯も10本以上が抜けかかっていました。栄養失調が原因でしょうが、他にも歯が抜ける理由があったようです。

歓楽の街アントワープでどうやら梅毒に罹患してしまったようなのです。

但し、アントワープ時代にフィンセントが梅毒の診断を受けた時、既に彼は33歳でした。それから、アルルでのクリスマス直前の最初のクリーゼ(発作性精神変調)まで2年ちょっと経過しているにすぎません。第2期梅毒から麻痺性痴呆発症までには最低15年の潜伏期間があるはずですから、フィンセントの精神病が麻痺性痴呆の可能性は低いといえます。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

私の好きな小説「罪と罰」 ソーニャについて


当時のロシアペテルブルグは梅毒蔓延が社会問題で客の8人に一人は梅毒持ちのロシアンルーレット状態だったそうな。

黄色い鑑札を受けるってのは、何週間かおきに、警察に出頭して発症してないか性器を調べられるという意味。

ラスコがねちねちねち「君は確実に病気で死ぬ」といじめるのも、意地悪いが事実の指摘だね。

 小説にも出てくるが、一般の家族と娼婦は同じ部屋に一緒にいることはない。

ソーニャが父の葬儀の出席依頼をしにラスコの下宿を訪ねて来る場面がある。 そこに偶然、ラスコの母と妹がいるのだが、それを見たソーニヤは決してラスコの部屋に入ろうとせずにドアの外で用件を伝えようとする。
 
 たぶん、性病への感染リスクがある為だと思う。

http://psjfk.blog23.fc2.com/blog-entry-797.html

フィンセントの弟テオの病気とは


死の4年前、1886年頃からテオは激しい咳を伴う体調不良に悩まされ、心臓が弱っていました(「テオというもう1人のゴッホ」マリー=アジェリーク・オザンヌ フレデリック・ド・ジョード著 伊勢英子 伊勢京子訳 平凡社)。しかも、原因不明の発作におそわれ、脳溢血の後のような麻痺が一時的に出現したこともありました。

その後、フィンセントがアルルに移った直後の春にも体調を崩したようで、テオがかかりつけ医の「グリュビのところへ行った(No 489. 1888年5月20日頃)」ことを知ってフィンセントは心配しています。 治療の一つとしてヨードカリが使われていたようで、さらに、女性に接することを控えるようグリュビが言うだろうとフィンセントは予測しています。

「唇を固く結んで「女はいかん」と言うときのグリュビの顔をみたかね。あんな風な顔は見事な一枚のドガになるよ」

などと書いていますから、フィンセントも同じことをこの医者から言い渡されたことがあったようです。


1990年6月10日にはテオがヨハンナと甥のフィンセントをつれてオーヴェールにやってきました。フィンセントはおもちゃ代わりに小鳥の巣をとってきて甥を歓待しました。 その後もフィンセントは旺盛な創作活動を続け、麦畑の連作などを計画します。アルル時代の強烈な色彩は影を潜めたままですが、相変わらず、円熟した技法で自在に絵を描いていました。しかし、やがて、その絵のなかに影がさすようになります。

 オーヴェールからパリに戻った後、甥のフィンセントが牛乳のせいで体調を崩しました。ヨハンナの必死の看病でようやく一命をとりとめますが、7月6日、心配したフィンセントはパリに駆けつけます。しかし、そこでかれがみたものは、看病に疲れ果てたテオとヨハンナでした。しかも、この頃、テオは画商として独立しようと画策していて、そのことでテオとヨハンナの意見が対立していました。さらに、テオはその後悪化することになる精神的身体的不調もみせていたようです。

 このように、もともと思わしくなかったテオの健康状態はヴィンセントの死によって一挙に悪化します。 テオはパリの病院に収容されます。入院後、ある程度落ち着きを取り戻したため、オランダでの治療を要望するヨハンナの意向もあり、テオはユトレヒトの精神病院に移されます。 しかし、転院時、痴呆症状は急速に進行、わずかに「フィンセント」という言葉にだけ反応するようになります。舌がふるえ、食事がとれなくなり、嘔吐を繰り返し、げっそりやせ細って、衰弱がすすみ、1891年1月25日、兄の自殺の6か月後、テオは死にます。34歳でした。

 尿がでなくなり、幻覚症状を伴う意識レベルの低下がみられたことから、ピサロの息子は父親にテオの死因を尿毒症と報告しています。この腎臓病死因説は長い間信じられ、1989年にゴッホの伝記を上梓したスウィートマンも「厄介な腎臓病にかかり」と書いています。ですから、1989年の時点までは一般的にはそのような認識だったわけです。

 ところが、1992年、例のオランダのヴォスクイルが、テオが最後に入院したユトレヒトの精神病院から公開されたデータをもとに、その死因について従来とまったく異なる事実を明らかにしました(Voskuil pha(1992) het medisch dossier van Theo Gogh. Ned Tijdschr Geneeskd 136, 1770−1780)。

ヴォスクイルによれば、ユトレヒトの精神病院の診療録には、転院時の症状として歩行障害、言語障害、失認、異常興奮、誇大妄想、瞳孔不同が記載されていたとのことです。また、パリの病院からの紹介状には麻痺性痴呆と同義語である全般性進行性麻痺 paralysie progressive generalの診断名が記載されており、ユトレヒトでの最終診断も「急速に進行する麻痺性痴呆」だったというのです。

1886年にみられた一時的な片麻痺が麻痺性痴呆の初発症状だったようで、1890年7月にフィンセントがテオ夫婦と甥に会いにパリにでてきたときには、麻痺性痴呆の症状はもっとはっきり認められたはずだとヴォスクイルは指摘しています。そのことがフィンセントの自殺に影響を及ぼした可能性すらあるというのです。

 麻痺性痴呆は梅毒の晩期症状です。 テオの末期症状はたしかに神経梅毒症状と考えると矛盾なく説明できるのです。とくに、瞳孔不同の所見は決定的で、眼底出血でも起こさないかぎり腎不全で瞳孔の左右差をきたすことはありません。
また、「死の4年前から心臓が弱っていた」というのは、梅毒のいまひとつの晩期症状である梅毒性大動脈炎のせいだった可能性があります。梅毒性大動脈炎では、主として、上行大動脈が脆弱となり、大動脈弁閉鎖不全、冠状動脈狭窄をきたし、これらは最終的に死に直結します。

 テオの時代、梅毒は不治の病でした。水銀治療などというものが一応ありましたが、これは、治療効果より副作用のほうが圧倒的に勝るという悪夢のような治療法でした。さらに、グリュビがテオにも処方しているヨードカリも抗菌剤として当時用いられていましたが、梅毒を根絶するにはほど遠い薬です。

 テオやフィンセントの頃は梅毒の「全盛時代」で成人の梅毒罹患率が8〜14%でした。 20世紀への変わり目、パリなど西欧諸国の大都会でいかに梅毒がありふれた病気であったかがわかります。 実際、ゴーギャン、ニーチェなどテオやフィンセントの同時代人で梅毒に罹患していた有名人は少なくありません。 19世紀から20世紀に移り変わる頃、中年の中枢神経疾患、循環器疾患の主要病因は梅毒だったといわれています。

 神経梅毒にてんかん発作がみられることは先ほど述べましたが、中には、神経梅毒によるてんかん発作出現後に痴呆症状があきらかになる患者もいました。 現在、てんかん発症によって痴呆に到ることは、特殊な、まれな病気に罹患した人をのぞき、まず、ありません。その理由の一つが、てんかんと痴呆を合併する代表的疾患、神経梅毒の激減ではないかと思われます。

 進行性麻痺は梅毒の初感染から15年〜20年で発症しますから、テオが梅毒に感染したのは13歳から18歳にかけてということになります。 17歳頃からテオは「灼けるような性欲に苦しめられ」ハーグの娼館「快楽列島」に足繁く通っていたました。時間的経過を考えると、テオが梅毒に罹患したのはこのときだと思われます。

 ヨハンナや息子のフィンセントの手記をみる限り、ヨハンナはテオの死因が梅毒だとは知らなかったようです。

 麻痺性痴呆が発症するのは初感染から15年から20年してからで、その間、第二期梅毒から10年以上まったく無症状です。 主治医はテオの末期症状の原因として梅毒を疑っていた可能性はありますが、確証がないのですから、そのことをヨハンナに告げなかったとしても不思議はありません。

梅毒は第二期梅毒あたりで一番感染力が強く、性行為を通じて人から人に感染したり、胎内感染を起こしたりする可能性がありますが、発病から4年を過ぎる頃から感染性が急速に低下します。麻痺性痴呆症状が出る時期には、梅毒スピロヘータは性器や血液中には存在せず、他人にうつることはありません。ですから、ヨハンナやその子のフィンセントが梅毒に罹患する可能性はまったくなかったわけです。実際、二人とも、長寿を保ち、梅毒症状も出現していません。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


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伝道師を目指したゴッホ


「よきサマリア人」は、中世から近代までの数多くの美術作品に描かれている。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh56.html

サマリア人をイエス、宿屋を教会に見立てて、ユダヤ教の祭司が見捨てた人間をキリスト教が救済したと言う寓意として、教会のステンドグラスを飾ったりもしている。 遠景に急ぎ足で去っていく人物を描く絵も多く、ゴッホの作品でも、画面の左側に小さく2人の人物が描かれている。遠くに見えるのが最初に通りかかった祭司、手前に見えるのが次に通りかかったレビ人である。いずれも、見て見ぬふりをして遠ざかる足早な後ろ姿で描かれている。

無心に旅人を抱き抱えるサマリア人に対して、遠ざかる人影の背中には、いかにも小心翼々として事なかれ主義がにじんでいる。一度は伝道師を志し、狂信的なまでに献身を尽くしたゴッホとしては、この後ろ姿には容赦ない批判があったに違いない。

ゴッホはオランダの厳格な牧師の家庭に生まれている。 そして、ヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名前は、なんとゴッホの誕生日に1年前に同じ日に死産した兄の名を継いでいる。 家が教会だった為に、ゴッホは幼い頃から教会墓地のヴィンセント・ファン・ゴッホと言う名を刻んだ兄の墓石を見て育っているのである。

恐らく、その反動だろう。若い頃からゴッホは、病的なまでに自分自身のこの世における存在意義と言うものを探求している。 死んだ兄の代理として自分自身が生存している事への、恐ろしいまでの自責の念を抱き続けていたに違いない。 そうした心情と家庭の事情からすれば、ゴッホが伝道師を志した事へ当然の結果と言える。ところが、この伝道師への道は、破門と言う手ひどい形で閉ざされている。

原因は、ゴッホの余りに献身的な生活にあった。 極貧の炭鉱街に派遣された見習い牧師のゴッホは、人々の貧しさに衝撃を受け、衣服から寝具まで全てを与えてしまい、自分自身は藁の中に寝起きしていたという。最低限の衣類しか身に付けず、家畜小屋のような住居に暮らすゴッホの姿に伝道師協会へ怒り、協会の威厳を損なうものとして破門にしてしまった。 困窮する人々と苦難を分かち合おうとしたゴッホの情熱は、理解されないどころか、むしろ狂気の沙汰と見られこれが原因で伝道の世界から追放されてしまうのである。

この時の痛手は、終生ゴッホの心から消えず、以降、彼は形骸化した教会を批判し続けている。彼が手紙に書いた「宗教はうつろい、神は残る」と言う言葉には、痛切なでもにこうした思いが語られている。

イエスの弟子としてのゴッホ


「よきサマリア人」は、そんなゴッホが激しい発作の合間に精神病院で描いた作品。南フランスのアルルで試みたゴーギャンとの共同生活が破綻、口論の挙句、自分で自分の耳を切り落としてしまったと直後に描かれている。この共同生活は、ゴッホがアルルに構想した画家の共同体の第一歩として始められたのだが、こうした構想にしても多分に修道僧的である。

絵柄はオリジナルではなく、ドラクロアの原画の複製版画を模写している。この他にもレンブラントやミレーの宗教画を版画で見て、自分なりに色を着けて模写しているが、ゴッホのオリジナルの宗教画は1点も残されていない。

手紙によれば、ゲッセマネの園で祈るイエスの苦悩(第7章)を描こうとした際に、どうしても描く事が出来ず画面を引き裂いてしまったらしい。 友人に宛てた手紙には、聖書の場面を借りなくとも、人間の苦悩を描き、心に癒しをもたらす作品は描けるはずだと書いている。

その実、必死に祈るイエスを描こうとして描けず、断念したと言う事実を思えば、この主張自体も痛々しい。そんな彼が、宗教に代わるものとして選んだのが自然であった。

「ラザロの蘇生」は、その事を物語るような作品。

http://stundenbirne.jugem.jp/?eid=92

レンブラントの「ラザロの蘇生」を模写したものだが、奇跡を起こしたイエスは画面から省かれ、代わりに白熱する太陽が描かれている。あたかも太陽の熱線が死者を蘇らせたかのようである。作品は「よきサマリア人」と同じ精神病院で描かれており、この少し後にはゴッホは、絵の具を飲み干すほどのすさまじい発作に襲われている。

どうやら太陽の描写は発作の誘因になるようで、代表作「ひまわり」にも見られる黄熱の色彩は、ゴッホに極限までのエネルギーを費やさせると言う事は、本人も手紙に書いている。これ以降は、好んで夜空の星を描いている。 うねるような夜空にまたたく有名な作品「星月夜」も、この時期に描かれた作品である。 この星について、ゴッホは手紙にこう書いている。

「それまでもなお、僕はやはり、何というか、宗教がどうしても必要だと感じる。そんな時、僕は、夜、外に星を描きに出る」

絶とうとして絶てない信仰への思いが滲む文章である。

「それでも人間は、何か偉大なものなしにはやって行けないと思う」

この言葉は、ゴッホの脳の奥に潜む考え方の本質であると同時に、人が信仰というものを求める際の最も基本的な心情を語った言葉と言える。 ゴッホは、膨大な数の独創的な索引を描きながら、宗教画に限っては、どうしても自分なりのイエスの顔を描く事が出来なかったのである。 が、その実、ゴッホは「宗教はうつろい、神は残る」と言う精神において、律法学者達の偽善を突いたイエスに、最も忠実な画家の一人であったのだろう。

http://www.geocities.jp/tomoching2/goch.html

ベルギー時代のヴァン・ゴッホ 


<ボリナージュでの伝道>

ベルギー・プロテスタント教会ユニオンの1789-1880年の年報にワムという項目があり、伝道師ゴッホのついての言及があります。そこにはゴッホが誠心誠意で怪我人や病人を看病して面倒を見たこと、自分の衣服を裂いて包帯代わりにしたこと等が書かれています。しかし、最後に「伝道師としての資質に欠ける」と断定したうえ、任期更新は行わずに、すでに現地入りしていたユトン氏を後任者として任命したと結んでいます。

 中略

それではワム村の村民達はゴッホのことを実際にどのように見ていたのでしょうか。私の手元に、隣のフラムリ村出身でベルギー普通選挙の父と呼ばれるルイ・ピエラール代議士の書いた「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの悲劇的人生」という本があります。氏は30数年間モンス選出の代議士として活躍し、戦後は王立学士院の会員にもなりました。1920年頃に書かれたこの著書は、半世紀に渡りゴッホ研究者が頻繁に引用しましたが、現在では入手不可能な幻の名著です。現在出回っているゴッホの伝記の多くはこの本の焼き直しといっても言い過ぎではありません。

その中に、1910年代にワム村で元鉱夫達に伝道師ゴッホに関して取材をした箇所があります。ゴッホがワムを去って30年も経っていたにもかかわらず、“ゴッホが坑内から出てきたばかりの鉱夫たちの姿を縦坑出口のすぐ横で素描していたこと”を老鉱夫が覚えていたり、下宿していたドウニ家の息子の“ゴッホが作った子供向け聖書教室”の鮮明な記憶などに代議士は驚嘆しています。

ゴッホの記憶はワムの村人から消えてはいなかったのです。その証拠に、早くも1925年9月13日にゴッホの妹エリザベツの立会いの下で、ドウニ家の外壁に記念大理石プレートが住民によって付けられました。この記念碑は今も荒れ果てた家とともに残っています。それには「オランダ人ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853−1890)がこの家に1878−1879年に住んだ。伝道師で後にその時代で最も偉大な画家の一人となった」と刻まれています。この記念プレートが付けられた際、妹エリザベツは当時プチ・ワム村で牧師をしていたピエール・スクレタン・ロリエールに、ゴッホがボリナージュ時代に愛用したという聖書の詩篇集を贈りました。この詩篇集は後にアムステルダムのゴッホ美術館に寄贈されました。

また1924年、ピエラール代議士の求めに応じて、前述のボントウ牧師は伝道師ゴッホの思い出について3ページ半にわたる書簡を送りました。その中で牧師は

「ゴッホは最も不幸な者、怪我人、病人を好んで訪ね、彼らの傍に長い間とどまりました。苦しむ者のためにすべてを捧げようとしていました」

「彼の奥深い感受性には人間愛を超えたものがあって、動物たちやさらに虫けらの類にいたるまで大事にしていました」

ワム村を追われて半世紀近くたってからゴッホに贈られた元上司の賛辞といえます。

聖職者というのは医者と同様に、苦しむ者から一歩距離を隔てて活動すべき職業かもしれません。ミイラ取りがミイラになってはいけないのです。その意味ではゴッホは確かに伝道師失格だったかもしれません。しかし、自分の持ち物をすべて分け与えて、貧しい者や苦しむ者のみならず動物や昆虫まで愛したクリスチャン、ゴッホの生き方はそれゆえに村の人々の心に末永く生き続けたのでしょう。

すべてを神への奉仕の為に捧げたにもかかわらず、伝道師失格の烙印を押されてストライキ扇動者と罵られたゴッホは、失意の中、信頼していたピーターセン牧師を頼ってメヘレンに、着の身着のまま徒歩で北上しました。その一年前の夏、手っ取り早く宣教師になる道を探していたゴッホは、父と英国滞在中に世話になったジョーンズ牧師に付き添われてベルギー北部とブラッセルの牧師たちを訪ねて歩きました。その時に世話になったのがピーターセン牧師でした。


<牧師を志す>

ゴッホ自身の手紙によるとオランダでは聖職者になるには最低5年間大学で神学を学ぶ必要があり、しかも神学部入学にはラテン語とギリシャ語の知識が予め必要でした。ゴッホはその語学の勉強につまづき、アムステルダム大学入学を断念した苦しい経緯がありました。「息子はオランダでは牧師になれないが、ベルギーでなら何とかとなる」と判断した父のアイデアだったのでしょう。そのゴッホにブラッセルの北、ラーケンにあるベルギー・プロテスタント教会ユニオンによって創設されて間もない小さな宣教師養成学校から3ヶ月の試用期間付で入学許可がおりたのです。ここではたった3年間で宣教師を養成していました。しかも試用期間中はフレミッシュの学生と同様に、学費無料で宿泊代と食費のみを払えばよいという好条件でした。この学校の詳細は残念ながら詳しくわかっていません。またゴッホの書簡に出てくるボクマという教師についても記録がみつかりませんが、名前から判断する限りオランダのフリスラントウの出身者のようです。そうであればこの入学に関しては当然ゴッホの父のコネが効いたことでしょう。

残念ながらここでも彼は挫折してしまいました。彼の非社交的な性格と宣教師として不可欠な仏語の雄弁術に欠けていたのが最大の理由でした。当時の同級生はゴッホについて「従順さに全く欠けた」と回顧しています。

そして同年11月15日にテオに送った長文の手紙でボリナージュで伝道したい旨を説明して、最後に追伸で学校の試用期間に失敗したと告白したのです。その手紙にゴッホは有名な「炭鉱」というデッサンを添付しました。

彼はなぜこのデッサンを手紙と一緒に送ったのでしょうか。

当時、ボリナージュで採掘された石炭の多くはフランスに輸出されていましたが、一部はモンス・シャールロワ間のソントウル運河とブラッセル・シャールロワ運河を使って船でブラッセルに運ばれていました。船といっても現在のようにエンジン付の船ではありません。運河の両側に設けられた小道で、人や馬が石炭や貨物を満載した船にロープを付けて引っ張って行ったのです。そしてブラッセルの運河には、この作業道に沿って様々な工場や会社が並び、多くの労働者が肉体労働に従事していました。

ゴッホの描いた「炭鉱」はこういう肉体労働者の為に設けられた休憩所です。そこは労働者がお弁当を食べたり、水代わりのビールを飲んだりするところでした。また夜は綺麗所の来るキャバレーにもなりました。いわば「キャバレー炭鉱」だったのです。ゴッホはこの絵を描きながら、まだ行ったことのない炭鉱地区ボリナージュを思い浮かべたことでしょう。彼自身はこのデッサンを「くだらないデッサン」と書簡に書いていますが、私は非常に個性的で誠意に満ちていると評価しています。しかも画面の上の三日月や、意図的に直線を避けた建物のラインと、瓦と石畳の曲線は後にアルルで制作した「夜のカフェ」、サン・レミの「星と糸杉のある道」を彷彿させます。

神学校を3ヶ月で落第したゴッホはそれにもめげず、1879年の12月に自費でボリナージュに伝道に出かけ、モンスの南にあるパチュラージュ村の行商人ヴァン・デル・ハーフンの家に月30フランで下宿しました。子供に読み書きを教えたり、病人を見舞って看護したり、文盲の鉱夫や農民達に聖書を朗読したりといった活動をしながら、伝道委員会に伝道師任命を懇願しました。幸い前年に、それまでワム村の一集落にすぎなかったプチ・ワムは独立した村に昇格しました。当時の習慣で、村民が望めば村専属の牧師を国費で呼び寄せることができました。村から要請をうけたベルギー・プロテスタント教会ユニオンは、適任の牧師が直ぐに見つからなかった為に、とりあえず、ボリナージュにいたゴッホを6ヶ月の期限付きで伝道師として任命し、プチ・ワムに送ったのでした。

<ボリナージュでの再出発>

さて失意と疲労にもかかわらず、メヘレンまで訪ねてきたゴッホをピーターセン牧師は温かく迎えてくれました。恐らく久しぶりにオランダ語で話し合えたのでしょう。そして牧師の趣味だった水彩画を見せられたゴッホは、息を吹き返したかのように元気になってまたボリナージュに戻っていきました。でも今度は画家として修業を始めたのです。そして、クエム村のフランクという伝道師が借りていた鉱夫の家の離れに1879年の8月から翌年の10月まで居候しました。彼が住んだ離れ家は今はなくなっていますが、荒れ放題になっていた母屋は近年「ゴッホの家」として修復されています。

ここで画家になる決意を固めた彼は デッサンの習得の必要性を感じて農民や鉱夫のデッサンに没頭します。その修業期間中に、彼がお手本として重宝したのがミレーの「種まく人」や「鋤を使う人」の版画でした。弟のテオが勤める「グーピル画廊」が名作の版画コピーを主たる商売としていたので、ゴッホは1880年の夏にテオに宛てた手紙でミレーの「畑仕事」という数枚の版画を郵送してくれるよう頼んでいます。

現在の「ゴッホの家」には彼がこの家で制作したミレーのコピー「鋤を使う人」が展示されています。ミレーの原作はパステル画ですが、当時のコピーが白黒の版画で売られていたのでゴッホはその版画を手本としました。ゴッホはずっと後、1889年にも油絵の具でまた「鋤を使う人」を制作しています。構図は原作と同じですが、油絵コピー上の土と空の部分を注意して見ると、まるで波打っているかのように描かれています。また原作では単純に暗く描かれた胸の部分がブルーで置き換えられています。対象となる農民への限りない愛情と信仰心という点では、ミレーとの共通点を持ち続けたゴッホですが、ミレーを乗り越え独自の芸術を築いていった過程がうかがえます。

クエム時代のゴッホに関しては 残念ながらクエムの教会には記録が残っていません。しかし、クエム時代のゴッホを知る地元のデルソーというプロテスタント信者がピエラール代議士に宛てた手紙に次のように回想しています。

「彼は大変質素な生活をおくり、朝起きると二切れの乾パンを食べて、大きなコップで冷えたコーヒーをブラックで飲み、食事以外には水を飲んでいました。いつもたった一人で食事を取って、他の人と一緒に食事をしないようにしていました。食べながら膝の上で素描するか本を読むといった具合に、一日中素描に充てていました」

「ゴッホが私の義姉の家に滞在していたとき、彼が描いた一枚のデッサンが義姉の記憶に鮮明に残っています。それはジャガイモを収穫する農民の姿を描いた絵です。何人かが鋤でジャガイモを掘り起こし、他の者がそれを拾い上げる姿でした」

このデッサンは残っていませんが、この回想によって、ゴッホが5年後にオランダのヌエネンで制作した代表作「ジャガイモを食べる人」のコンセプトがクエム期にすでにできつつあったことを思わせます。

ゴッホのボリナージュ期は1880年10月にブラッセルの美術学校入学で終了します。彼が下宿したブールヴァール・ドゥ・ミディ72番地は現在の国鉄ミディ駅の真横で、今では大きな交差点と国鉄の高架になっていて当時の面影は偲べません。

http://blogs.yahoo.co.jp/prof_japonais/3946797.html

再びフィンセントは「女性問題」を引き起こします。 こんどの相手は、あばた面の年上の娼婦でした。

ハーグに舞い戻った年の冬、フィンセントは「一人の身ごもった女」にでくわします(No 192. 1882年5月)。このシーンと呼ばれる女は「男に捨てられ、その男の子どもを宿して」いました。

「みもごったおんなが冬の街頭に立たねばならなかった、パンを得なければならなかった」のを見過ごすことができず、フィンセントはシーンをモデルとして雇います。

「十分なモデル代は払ってやれ」ませんでしたが「家賃は払ってやれ」ました。「自分のパンを彼女と分けることによって、女とその子どもとを飢えと寒さから守ってやれた」のです。かれは、シーンを産科病院連れて行き、シーンの住まいをたびたびたずねるようになります。

旧約聖書の「ホセア書」の冒頭に述べられた「汝ゆきて淫行の婦人(をんな)を娶り淫行の子等を取れ」というエホバの命令をそのまま実行に移したかのようでした。


組んだ腕の中に頭を埋めた妊娠した裸婦の側面像を描いた素描「悲しみ」はこの頃のシーを描いたものです。フィンセントとしては珍しくロマンチックなイラスト風の絵で、「僕の一番よくできた素描(No 219. 1882年7月23日)」とフィンセントは誇らしげに書いています。この妊婦は聖書にあるように男の子を産むことになります。

しかし、まもなくシーンが出産という時になって、フィンセントはシーンにうつされた淋病のために入院を余儀なくされます。3週間してなんとか退院し、シーンが入院している病院に着くと、前日、シーンは難産の末、男の子を産んでいました。生まれた赤ん坊をみて感動したフィンセントはシーンと二人の子どもを引き取るために大きな屋根裏部屋を借りて移り住みます。夢にまで見た家庭生活でした。

この頃、フィンセントはベビーベッドに寝ている赤ん坊とそれを見守るシーンの娘の素描も描いています。そこには「家庭生活」の一コマが何気なく描出されていて、「悲しみ」以上に印象的なスケッチです。この子どもたちのスケッチを忘れがたいものにさせているのは、画家の憧れかもしれません。

司馬遼太郎がいうように「分際に応じて適当に愛され適当に嫌われ適当にずるっこけて甘えて暮らして」いれば、たいていは子どもの一人や二人はできてしまうものです。しかし、ケーに失恋して愛情が「枯死するのを」感じて以降、フィンセントにとって、たったそれだけのことが、この世で金輪際実現しえない夢物語と思えるようになっていました。それだけに憧れも強烈でした。フィンセントは誇らしげに次のように書き記します。

「陰気な気持ちになったとき、荒涼とした浜辺へ歩いていて、長く白い波が糸を引いている灰緑色の海を眺めるのはなんといいことだろう。しかし、何かしら壮大なもの、何かしら無限のもの、何かしら神のことを呼び覚まさせるように感じさせるものがほしいと感じたら、それを見出すために遠くまで行くには及ばない。大洋よりももっと深く、もっと無限でもっと永劫の何かが、朝眼ざめてゆりかごに輝いている日光に喉を鳴らしたり、笑ったりしている小さな赤ん坊の眼の表情の中に見えるように僕は思う(No 242. 1882年11月5日)」。

たとえ、その赤ん坊が見知らぬ男の子どもであっても、フィンセントはかまわなかったのです。 フィンセントはシーンが出産から戻ってきたら結婚するつもりでした(No 198. 1882年5月14日)。そして、そのことによって世間の信用をなくすことは覚悟の上でした。

 しかし、世間の風当たりは予想以上に厳しく、フィンセントは四面楚歌の状態に追い込まれます。生活費を弟に頼る身でありながら、えたいの知れない売春婦、父親もしれぬ子どもたちを養い、結婚しようとしているフィンセントにテルステーフもマウフェもコル叔父も驚き呆れ、許容することができなかったのです。テルステーフもコル叔父もフィンセントの絵を全く購入してくれなくなります。

マウフェは手足の石膏像をデッサンするか否かでフィンセントと言い争いになった後、全く会ってくれなくなりました。たまたま砂丘で出会って、フィンセントがもう一度教えを乞うたときも「俺はけっして君には会いには行かない。万事おしまいだ」「お前は卑劣な性格を持っている」と非難するだけでした(No 192. 1882年5月3日)。フィンセントは親戚一同とかつての仕事仲間の顔に泥を塗る恥知らずな人間と軽蔑されるようになっていたのです。両親も同意見でした。

 最後の頼みの綱はテオでした。テオからの送金が途絶えれば、シーンたちを養えなくなり、結婚するどころではありません。

 送金をやめるという強硬手段にはでませんでしたが、テオはハーグまでやってきて、散らかし放題のフィンセントの「家庭」のあまりのひどさに驚きあきれ、必死になって結婚を止めようとしました。「ヘール事件」のときのように両親がフィンセントを禁治産者にしてしまうかもしれないとまで脅しました。


 実際、シーンは投げやりで無気力でだらしない、とてもまともな「家庭」生活など営むことのできない女性でした。売春婦になったのも、生活に追いつめられてというよりも、それが手っ取り早かったからにすぎません。叔父たちのいう「自堕落な女」という表現がぴったりの女性だったのです。

絵画のための費用を差し引くと、テオからの送金だけでは生活費の捻出も間々ならず、やがて、フィンセントは借金をせざるを得なくなります。フィンセントはこのような状況にあっても絵画を精力的に描き続けており、マウフェの教えを受けられなくなったにもかかわらず、絵画において長足の進歩を遂げていました。絵を描き続けているということでテオは金を送ってくれているのですし、それ以上に、フィンセントにとって絵画は人生において残された唯一の生きる糧であり、これをやめるわけにはいきませんでした。しかし、このような経済状況にあっても絵画のために金と時間を「浪費」する男は、シーンにとっては不可解な存在でしかありません。彼女はだみ声を張りあげ、フィンセントを罵ります。

 やがて、母親の煽動もあって、シーンは再び体を売って金を得る生活に戻ろうとします。テルステーフやマウフェや叔父たちにいわれなくともシーンの「性格が損なわれている」ことはフィンセントもはじめからわかっていました。シーンとの家庭生活を夢見るにあたっては「彼女が立ち直ること」に望みをかけていたのです。

その前提条件が崩れてしまうのではどうしようもありません。シーンを更生させるためにがんばってきたフィンセントは精根尽き果てます。そして、結局、彼女と別れる決心をします。自分がいなくなれば彼女がもとの生活に戻るだろうという思いが彼の心を苛みました。しかし、どうしようもありません。

 つらい別れでした。とくに、シーンが出産した男の子をフィンセントは我が子同然にかわいがっていました。

「あの小さな男の子は僕にとてもなついていた。すでに僕が列車の席についたときも、僕はあの子をひざの上にのせていた。こうして僕らはお互い別れたが、お互い口では言えぬ悲しい気持ちだった(No 326. 1883年9月22日)」

とフィンセントはのちに書いています。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm

フィセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1853-1890)のハーグ時代(1882年から1883年9月までのおよそ20ヵ月)に「悲しみ」(1882年、ロンドン・ウォルソン美術館蔵)という黒チョークで描かれた作品がある。ゴッホは自ら「最上の作品」と呼び、石版画にもしている。上掲の図版「シーンの娘」のモデルはシーンの長女で、暗い表情、やせこけた頬に不幸と貧しさが哀しくも表現されている。

1882年1月、ゴッホは街頭で酔っ払いの妊娠した娼婦に出会った。クリスティーヌ(ゴッホはシーンとよんだ)を拾い、20ヵ月間同棲生活が始まる。やがて赤ちゃんも生まれた。テオへの手紙には次のように書いている。

「ちょうど今ここに、女が子供たちといっしょにいる。去年のことを思い出すと大きなちがいだ。女は元気になり、気むずかしさがなくなってきた。赤ん坊は、およそ想像がつく限りで最も可愛らしく、最も健康で、陽気なちびになっている。

そしてあの可愛そうな女の子はデッサンを見れば分かるけれど、彼女が受けた恐ろしい不幸が未だ拭い去られてはいない。このことがしばしばぼくの気がかりになるのだ。しかし去年とはすっかり変わった。当時は全くひどかったが、今では彼女の顔はあどけない子供のような表情になっている」

この手紙を読む限りでは、貧しいながらも4人で暮らすありふれた幸せな家庭が築けそうな期待がする。しかしゴッホとシーンに破局がやってくる。1883年12月、ゴッホは両親のいるヌエネンに戻る。シーンの2人の子供たちがその後どうなったのか、それは誰も知らない。

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html

歴史の中のゴッホ ― 有川 治男


ゴッホの社会的、個人的環境


 ゴッホの個人的な生活を成り立たせていたいくつかの要素がありますが、たとえば、印象派の画家たちとゴッホの個人的な環境の違いといえば、彼はオランダ人でした。つまり、マネ以降、今回のシリーズで取り上げた画家たちはみんなフランス人であり、フランスで活躍します。これらの画家たちは、19世紀後半から世界の美術の1つの中心になったフランス文化に初めから接していたのに対して、ゴッホはオランダ人だったことが、彼個人の特別な事情であるわけです。

 さらに言えば、幼少時代に暮らしていたのはオランダの中でも都市部ではなく、南部の農村地帯ですが、農村地帯の出身だったことは彼の個人的な環境が持っている特殊性であるわけです。

いま左側には、ゴッホがオランダ時代に描いた農家の様子とか、農夫の頭部とかが映っていますが、ゴッホにとってこれはとてもなじみの深いものでした。たとえば、農村出身ではない印象派のモネもルノワールも農村地帯を描いています。ピサロも描いていますけれども、彼らは都会で育った後、自分たちとは違うものとして農村に接したわけです。ゴッホは、農民の子どもではなかったわけですが、生まれたときから農村地帯に暮らしていました。そういう意味では、ゴッホが描く農村とか農民の姿は、大人になってから自分と違う世界として初めて知ったものではなくて、子どもの頃からその中で知っていたわけですから、ずいぶん大きな違いがあるわけです。

 ゴッホはオランダ時代にも、アルルへ行っても、こういう農民の姿を描いています。アルルへ行って初めて知ったわけではないのです。ゴッホの生涯にわたって、こういう農民に対するまなざしはあったわけですし、ゴッホは自らの姿を都会に暮らす都会人というよりも、農民と同じような粗末な麦わら帽をかぶって自分の足で道をテクテク歩いて行くといった姿でも描いています。

たとえば、左側はパリ時代に描かれた自画像ですけれども、都会の住民とは思えない田舎っぽい服装をして、服は青い上っ張りのようなものを着ています。当時の証言がありますが、これは農民の服装ではないんですね。工事人夫などが着ていた青い上っ張り、つまり労働着を着て絵を描いていたという証言があります。

右側もそのような服を着ている。これはアルルで描いています。写生のスケッチに行くために麦わら帽をかぶって、労働着を着て、道を歩いているといった農民、あるいは労働者として自分の姿を描くところにも、都会の知的な環境の中で育ったわけではない、むしろ自分の手で働く農民たちの中で育ったゴッホの個人的な環境が大きく働いているように思われるわけです。

 初期のオランダ時代から、アルル時代、サン=レミ時代に至るまで、ゴッホは繰り返し繰り返し「大地の上で働く農民の姿」を描いています。そういう点で言えば、農民画家と言われているミレーも農村地帯で育ったということで、フランスの19世紀後半の絵画を担ってきた画家たちの流れでみると、ゴッホは生い立ちの点でもミレーに共感する部分があったと思われます。

 ゴッホが生まれたのは南オランダのフロート・ズンデルトというところなんですが、このあたりで一番近い町はブレダという町です。ブレダの町から、ずっとこういう農村地帯、畑が続いています。そういう環境の中で育っているわけです。 オランダの平坦な地面がどこまでも続いていく大地の上で育ったということは、たとえばパリという都会で育ったのとはずいぶん違うものをゴッホの絵画に及ぼしていると思われます。

 ゴッホは、アルルでも、わりと何ということのない、取り立ててどうということのない、ただ耕した、堀り返された畑といったようなものを描いています。印象派の画家たち、モネなんかでも、こういうものは題材にしないですね。つまり、色彩的にもそう面白いわけでもない。そういう何の変哲もない、ただの土塊だけの大地を描いているところには、ゴッホの個人的な生活環境、成長してきた環境が影響しているように思われます。これはサン=レミ時代の麦畑です。 ゴッホの場合は、とりわけ生涯にわたって農地、畑、麦畑を描き続けたことには、そういう個人的な要素が大きく関わっていたと思われます。これも何の変哲もない、一面に広がる麦畑。これは晩年のオーヴェール時代の作品です。

宗教の影響


ゴッホのお父さんはプロテスタントの牧師であり、主に南オランダの各地、フロート・ズンデルトとか、エッテンとかヌエネンとかというところの小さな町、村の牧師をやっていた人です。お父さんが牧師だった。農村地帯に暮らし、農民の労働、土というものを知っていると同時に、牧師と言えば知的階級ですから、知的な教育も受けた。これがある意味ではゴッホの持っている2つのルーツであるわけで、ゴッホにとって宗教は生涯にわたってとても重要な役割を果たしています。
 たとえば、右側の(機を織る男)でも、男は家の中で機を織っている。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weber_vor_offenem_Fenster_mit_Blick_auf_den_Turm_von_Nuenen.jpeg

女の人は外で仕事をしている。その向こうに教会の墓地にあった塔が描かれています。ゴッホは単独でもこの塔をしばしば描いていますけれども、こういうように労働と宗教が結び付いている。その点でもミレーとも共通するところがあるわけで、大地で手に汗して働くということと、それが人間としての務めであるといったことが宗教的に解釈されている。それが南オランダに育って、しかも牧師の息子として生まれたゴッホの2つのルーツが融合したところであるわけです。

 ゴッホの宗教観が非常にハッキリしているのは左側の作品で、ここに描かれているのはゴッホのお父さんが使っていた聖書です。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Stillleben_mit_Bibel.jpeg

お父さんが亡くなった後、ある意味では記念のようなものとして描いているわけです。ゴッホは子どもの頃からよく聖書に親しんでおり、ゴッホの手紙等には非常にたくさん宗教的な発言があり、聖書からの引用もあります。こういうようにお父さんの思い出として聖書を描いているわけで、牧師であったお父さんからとても大きな影響を受けつつ、同時にお父さんに対する反発のようなものもあって、ゴッホにとっては宗教は、単にとても大事なものであるだけでなく、とても複雑な要素を持っているわけです。

 教会の姿ということで言えば、これは一番有名な晩年のオーヴェール時代に描いている、オーヴェール時代の締めくくりのような作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise


そこにも教会の姿が出てきています。こんな具合に、彼はオランダ時代に宗教的なものを身に付けたわけですけれども、それは生涯ずうっと流れています。たとえばゴッホがしばしば描いた農民の姿に、(種まく人)とか(刈り取る人)がありますけれども、彼が手紙の中で書いていることを見ると、ゴッホは「種まく人」とか「刈り取る人」に宗教的なイメージを重ねています。


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たとえば「種まく人」は「神の言葉をまく人」といったような意味でしばしば出てきます。
 
 ミレーの(種まく人)についても、しばしば宗教的な意味合いが考えられていますけれども、ゴッホの場合はもっとハッキリと、

「種まく人は神の言葉をまく人なんだ」

という意味が重ねられています。特にこの作品の場合は、種まく人の後ろに沈み行く太陽を描いていますが、ちょうどキリスト教の聖者の頭の後ろに付いている「ニンブス」、「円光」、「光輪」のようなものが付いていて、ここではハッキリと種まく人に「聖なる意味」をかぶせているわけです。こんなふうに、実は宗教画でないものにしても、ゴッホの作品は、見ていくとずいぶん宗教的な意味合いがたくさん重ねられていることが分かるわけです。

 たとえば(ルーラン夫人)は身近にいる人、近くにいる人の肖像画ですが、ひまわりを両方にはさんで、宗教的な三幅対、祭壇画のように仕立てているわけです。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm

風景画であるけれども、宗教的な意味合いがあるし、肖像画であるけれども、宗教的な意味合いがあるわけです。


宗教画は不得手


 第1回目でお話しましたが、ゴッホはどうも人物画より風景画のほうが得意である。とりわけアルル時代以降、人物画から風景画に重点を移していくと申し上げましたが、宗教的な主題に関しても基本的にはそうで、ハッキリと聖書の中に出てくる物語を描いたゴッホの作品は基本的にはゼロです。聖書の中の物語を描いたものが何点かありますけれども、それはいずれもゴッホが自分で独創して描いたものではなくて、先人のものをコピーしたものです。左側はドラクロワが描いた(良きサマリア人)という作品をもとにしたもの。右側は、レンブラントの(ラザロの復活)がもとになっています。実はゴッホがお手本にしたレンブラントの作品は版画ですし、左側のドラクロワのものも、直接お手本にしたのはドラクロワの油絵を版画にしたものです。したがって、ゴッホは白黒である作品の構図を借りながら色を付けているという点ではかなり創作の部分もあるんですけれども、しかし、人物の組み合わせとか物語の情景のとらえ方を自分でつくり出すのではなくて、模写という形でこういう宗教画を描いているわけです。

 ゴーギャンは「頭で描け」と言った。たとえば宗教的な物語にしても、実際に見たことがないから描けないゴッホに対して、ゴーギャンは「頭で想像して描け」というわけです。ゴッホは何かお手本があって描くことはできるけれども、自分で宗教的な場面を想像して描くことは得意ではなかったし、実際に目にすることができないものを描くことに関してはかなり抵抗があったようです。それに対して、実際に目の前にあるものよりも、むしろ目の前にあるものをもとにしながら想像力でいろんな概念を込めた絵を描くというのがゴーギャンの主張で、たとえば左側の(黄色いキリスト)であるとか、右側の(オリーブ園のキリスト)あるいは(ゲッセマネの園のキリスト)などでは、宗教的な場面を自分の頭の中でこしらえています。ゴーギャンは人物画がメインですし、宗教的な意味合いを込めた作品もたくさん描いています。たとえば右側の作品では、ゲッセマネの園で一人苦悩し、思いをこらすキリストを描くときに、ゴーギャンは自画像を使っています。つまりまったく想像で描くのではないのだけれども、自分の顔をキリストになぞらえて描くというかなり大胆なことをやっているわけです。ゴッホはそういう大胆なことはできない。

 ゴーギャンが右側の絵を描いたのは、アルルでゴッホと一緒に暮らした後、つまりゴッホとゴーギャンのいさかいがあった後ですけれども、それでもゴッホとゴーギャンは文通等はしているわけで、あるとき、ゴーギャンはこういう絵を描いて「自分はこういう絵を描いた」と説明して、簡単なスケッチを添えてゴッホに知らせています。しかし、ゴッホは、こういうような、まったく空想で描くような絵はどうも受け付けなかったようです。

 それに対するゴッホのひとつの答えがこの作品です。ゴーギャンは苦悩するキリストの姿に自分の姿を重ねている。つまり「苦悩するキリスト」に「苦悩する芸術家」を重ね合わせて作品を描いているわけです。それに対して左側はオーヴェール時代にゴッホが描いた有名な(ガッシェ博士の肖像)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_gachetb00&picture=%83%7C%81%5B%83%8B%81E%83K%83V%83F%88%E3%8Et%82%CC%8F%D1%91%9C%81i%83K%83b%83V%83F%94%8E%8Em%82%CC%8F%D1%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_gachetb


ゴーギャンの(オリーブ園のキリスト)が首をうなだれて何か物思いにふけっているのに対して、この作品ではガッシェ博士にほおづえをつかせて、物思いにふけっている姿を描いていますが、ゴッホはそういう人間の苦悩とか悩みをあらわすにしても、ゴーギャンのように宗教画の形を借りるのではなく、(ガッシェ博士の肖像)という肖像画の形を借りています。

 ですから、ゴッホが持っていた宗教観は、ストレートに宗教画を描かせるようなものではなかった。彼は肖像画なり風景画なりに仮託して描くという、従来の宗教画とはかなり違う描き方をしている。ゴッホの宗教観は必ずしも彼の作品にストレートに出てくるわけではない。そこがゴッホの作品を複雑にしている要素であるわけです。

さらに、ゴッホはゴーギャンに対して、「見たこともないようなゲッセマネの園、オリーブ園を描くぐらいだったら、目の前にあるオリーブの畑を描くほうがずっとましだ」というようなことも言っています。「想像力で変な宗教画を描くよりも、目の前にある風景を描くほうがいいじゃないか」とゴッホは言っています。

そんな発言から考えると、まったく人物のいないこういうオリーブの園といった風景画でも、そこには何かしら「宗教的なこだま」のようなものも感じられるわけです。 「ゴッホは人物画よりもむしろ風景画だ」と言いましたけれども、その風景画は、これまでこの講座で見てきた、たとえばモネの風景画とはちょっと性格が違う。同じ風景画であっても、そこにかなり人間の世界、あるいは宗教的な意味合いとか象徴的な意味合いとかいうものも重ねられていると思われるわけです。

 これはサン=レミ時代の(星月夜)ですけれども、夜空の月とか星が渦巻くようになっている。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night


この夜空を見ていると、「これはただの風景画ではなくて、もっと意味が込められているのではないか」という気がしてくるわけです。実際、この作品の場合は、ここに地上のサン=レミの村、そこにハッキリと天に突きささるような教会の塔も見えていますし、これは単なる星月夜、目の前に見える綺麗な星月夜を描いただけのものではなさそうです。

ということで、これまでいろんな研究家がこれを宗教的に解釈しようとして、新約聖書の最後のところ、世の終わりを記述している「黙示録を背景にしているのではないか」とか、いろんなことを言っている人がいます。ゴッホの作品の場合、何か1つの解釈にうまく収まるかどうかは分かりません。いろんな見方ができると思いますけれども、確かに何か天と地の間で大きなコスミックなドラマが展開されているような気のする風景画であるわけです。

 ゴッホにとっての宗教はとても複雑なものであろうということは、いろいろあって、先程言ったように、お父さんは牧師であったけれども、お父さんとゴッホは常にいさかいをしているわけですね。いさかいをして家を飛び出るんだけれども、結局なかなかうまくいかなくて、また家に戻って来るようなことを繰り返す。そのこともあって、おそらくゴッホにとって、お父さんは、ゴッホからみるとプロテスタントの牧師なんですけれども、伝統的な宗教観にとらわれていて、ある意味では現代の人間の生き方に対してうまく対応していないとゴッホは反発するわけですから、ゴッホにとっての宗教は非常に複雑なものがあったという気がします。


ゴッホの個人的な背景 家族との関わり

 
お父さんはちょうどこの絵が描かれた頃、ヌエネンの教会で牧師をしていました。お父さんとの関係はそれほど簡単なものではなかったわけで、お父さんが亡くなるときに、ちょうどゴッホもヌエネンにいましたが、うまくいかなかった。しょっちゅう喧嘩を繰り返している。その中でお父さんが死んでしまうということがあった。お父さんが死んで、一方では精神的に楽になったという部分と、ずっと反発してきて、とうとううまく和解しないままお父さんが死んでしまったという後悔のようなものと、ゴッホにはとても複雑な感情が残ったと思われます。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_bible00&picture=%90%B9%8F%91%82%CC%82%A0%82%E9%90%C3%95%A8&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh

この作品は、ある意味ではお父さんとの関係を象徴しているわけで、この作品に描かれているバイブルと火の消えた蝋燭、これはお父さんか死んだことのひとつの象徴ですね。

 それともうひとつ重要なのは、ここに黄色い表紙の本が置かれていることです。これはゴッホが愛読していたフランスのゾラの現代小説です。 ゾラの小説は当時非常に流行っていた。絵画で言えば、印象派ではなくて、もっと社会の底辺に暮らす人々を描く写実主義から自然主義の絵画があるということをお話しましたが、印象派ではなくて写実主義とか自然主義というところに関わっているのがゾラですね。ゾラは当時次から次へと大都会の底辺でいろいろ苦しむ人々の姿を描きだしていたわけです。誰が見ても明らかに分かるこの黄色い表紙の小説本、ここには題名までちゃんと書いてあります。

 これはどういうことかというと、いろんな解釈があります。しかし、間違いなく、こちらはお父さんの世界ですね。2000年近く続いてきている伝統的な世界です。それに対して、こちらは自分の世界ですね。つまり現代の、しかもオランダではなくて、近代文明の先を行っている新しいフランスの最先端の文化であるわけです。しかも、色も白から灰色と黄色で対比になっていますし、何よりも印象的なのは、過去はとても巨大であって、それに対して近代の文明はまだとても小さい。たとえばお父さんとゴッホとの関係を重ねてみれば、お父さんはある意味では大きな存在で、自分は小さい。新旧の世代とか親子の関係とか、オランダとフランスとか、いろんな関係がここに重ねられているわけで、そういう意味では、ゴッホはいろんな思いを込めてこの作品を描いたのでしょう。

 家族関係のことで言うならば、まさに偉大な父親、常に正しいと思われることを人々に対して説いているお父さんと、この作品を描いた時点で言えば、いろんな職業を転々として、どれもうまくいかないで、しかも親のところに居候していて、この先もどうなるか分からない画家といった仕事に手を染めている、お父さんからはどうしようもない出来損ないだと思われている自分。そういう立派なお父さんと、そうではない自分という対比が込められているわけで、まさにこの作品は、家族の中でゴッホがどのような立場にあったか、自分をどのようなものとしてとらえていたかを大変分かりやすく示している作品です。

 宗教的なものも、個人的な家族関係といったものも、この作品からは読み取ることができると思われます。ゴッホは生涯にたくさん肖像画を描いています。これはゴッホの肖像画のひとつの特徴なんですけれども、ほんとうに親しい、描きたいと思う人を描いたものは少ない。つまり、家族の肖像画は基本的にはない。あれほど親しかった弟のテオに関しても、パリ時代、テオを描いたらしいと言われている素描が1点残っているだけです。お父さんの肖像画はありません。お母さんに関しては1点ありますが、実際お母さんを目の前にして描いたのではなくて、写真を送ってもらってそれを元にしたものです。当時ですからモノクロの写真です。これもある意味では直接描いたのではなくて、模写のようなものです。
それから左側はゴーギャンに影響を受けて、ゴーギャンからすすめられて想像で描いた(エッテンの庭)です。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

自分の子どもの頃のエッテンの庭の思い出ですが、しかし子供の頃ではなくて、お母さんと妹ですから、現在なんですね。そういうとても不思議な作品であって、これはやはり想像で描いたものです。そういう意味では、家族を実際に目の前にして描いた肖像画というのは、まったくないわけです。これもまた家族とゴッホとの関係、あるいは家族に限らず、身近な者との関係を示しているもので、こういう肖像画のあり方を見ても、ゴッホと家族との関係はなかなか難しいものだったんだろうと考えられるわけです。

 弟のテオとの関係はどういうものだったかというと、とても親しかった。テオは、兄フィンセントが画家になることを志して以来、経済的援助を一手に引き受けていたわけで、経済的な面からいえば一方的に「借り」なんですけれども、ゴッホは負い目を感じながらも、いろんなことにおいて常に「自分はお兄さんだ」ということで、テオには常にお兄さん顔をして助言を与えたりしていくわけで、精神的にはテオのほうでもお兄さんを尊敬している。けれども、現実の生活の上では、テオはちゃんと仕事を持って、お金を稼いで、しかもそれを一文も稼いでいないお兄さんに仕送りしている。その兄弟の関係、これも「ねじれ」ですね。つまり、年長と年下、精神的な指導者とそれに従う者の強弱の関係が現実生活では逆転しているという、とても複雑なものがあると思われるわけです。先程、宗教関係の「ねじれ」を説明しましたが、そういう意味では、ゴッホは、家族関係の中でも、かなり「ねじれた環境」を持っていたと考えられるわけです。

 ゴッホの身近にいた人といえば、ある時期、オランダのハーグでゴッホと生活をともにしていたシーンという女性がいました。何人かの子持ちで、ときには他に生活の方法がなくて、身を売るようなことをしていた女性ですけれども、その女性とかなり長いこと一緒に暮らしています。ハーグ時代には、既に油絵を描き始めており、シーンに関しても素描はたくさんありますけれども、油彩での肖像は描いていません。


http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_bd9f.html
http://www009.upp.so-net.ne.jp/aoitori/tenkan/Gogh.htm


 アルル時代には、アルルで一番親しくしていた郵便配達夫ルーラン一家の一連の肖像を描いたことについてもお話しました。ゴッホが描いた肖像画の中で、一番親親しかった人といえば、せいぜいこのルーラン一家ぐらいかと思います。ルーラン一家に関しては、お父さん、お母さんの他に、2人の息子、長男、次男がいる。それからゴッホが滞在しているときに、もう一人赤ん坊が産まれるわけですけれども、その赤ん坊まで含めて描いています。ルーラン一家のこれだけたくさんの人物をそれぞれ赤ん坊までも取り上げて1点の肖像画として描いています。ルーランの肖像画を描いたとき、ゴッホは手紙の中で「家族の肖像を描きたいんだ」と言っています。ゴッホは自分の家族とは必ずしもうまくいっていなかったのですが、ある意味では理想的な家族に対する憧れは常にあったわけです。

 ハーグでは子どもを抱えたシーンと同棲生活をしています。ほんとうは結婚するつもりだったんですが、周りからいろいろ反対があって、どうもうまくいかなくて、最終的には自分から手を引くことになります。家族を持ちたいと思ったけれども、うまくいかなかった。そういう意味では、自分が持てなかった家族の姿をアルルでルーラン一家に見ていたのではないかと思われます。

 シーンを描いた絵の中にも子どもを抱いたものがありますが、ゴッホは肖像画とか人物画の中でも「母と子」をオランダ時代から繰り返し描いています。ここでもルーラン夫人が赤ん坊を抱いている姿を描いています。これはサン=レミ時代です。両方とも模写です。右側はミレーが描いた版画をもとにしているもので、農家にお父さんとお母さんがいて、赤ん坊がいる。英語で言うと(ファースト・ステップ)という題名になっていますけれども、赤ん坊がヨチヨチ歩きを始めたという微笑ましい家族の姿を示しています。左側は、デュモン=ブルトンという女性の画家が描いた母子像の版画をもとにして描いたものです。ゴッホの作品の中には、生涯、「母親」、「子ども」、「家庭」といったイメージが、常に自分が得たかったものとしてあったと思われます。けれども、自分は最後まで家庭、子どもを持つことはできなかった。

対人関係が苦手


 家族にかかわらず、ゴッホは対人関係をつくるのがうまくなかったようです。たとえばこのパリで描いた(タンギーおやじ)とか、右側のアルルで描いた(ウジェーヌ・ボック)というような、それほど重要でない、毎日顔を突き合わせるような関係ではない人の場合には、わりと気軽に肖像画が描けたわけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh20.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh69.html

両方とも、パリ時代の肖像画として、あるいはアルル時代の肖像画として代表的な、とてもよくできた肖像画です。

先程、ゴッホは家族の肖像画を描いたことがないと言いましたけれども、大事な人を描きたいと思うと、なかなかうまくいかないということがあります。その典型的な例が、まさにゴッホが対人関係の中で最も苦労したゴーギャンですね。ゴッホにとってゴーギャンはとても大事な人でしたし、シーンとか家族を除いては、数カ月でしたけれども、同じ部屋で生活をした、とても重要な画家だったわけです。ゴーギャンがアルルにやって来たときに、お互いに肖像画を描き合うことにしたようです。画家仲間で、肖像画、自画像、あるいは相手を描いたものを交換するのは、19世紀のヨーロッパでは、たとえばドイツ・ロマン派あたりからずっとありました。ゴーギャンとかゴッホの仲間うちでも肖像画を交換し合うことがありました。


 ゴッホの自画像の中にも、仲間の画家に贈るために描いたものが何点かあります。ゴッホとゴーギャンは、アルルでお互いの姿を描き合うということをやりました。ゴーギャンがゴッホを描いたのは、先々週お見せした有名な(ひまわりを描くゴッホ)という作品です。それに対してゴッホが描いたゴーギャンはどうだったかというと、この左のものです。

これはどう考えても失敗ですね。ともかく正面からうまく見ることができなくて、斜め後ろから見ている。実際のゴーギャンが目の前にいるんだけれども、どう描いたらいいか、ゴッホは戸惑ってしまうわけです。 左の絵は、顔だちからしてゴーギャンだろうということは昔から言われていて、しかも現在アムステルダムのゴッホ美術館にあります。つまりゴッホが残した作品の中に含まれていたわけで、ゴーギャンを描いたことは明らかだ。けれども長いこと、「いくら何でもこんなに下手なものはゴッホの作品ではないだろう」と言われていたものです。

 長いことゴッホの作品カタログの中から省かれていたのですけれども、近年になって、絵が描かれているキャンバスとか絵具を科学的に調べた結果、この絵が描かれているキャンバスは、間違いなくアルルにおいてゴッホとゴーギャンがこの時期に使っていたキャンバスと同じものであって、その巻のどこからとったかや絵の具までほぼ分かっています。そのことから、これを描いたのは「ゴッホかゴーギャンに違いない」ということで、ゴーギャンでないとすると、ゴッホしかない。ということで、何年か前から、これはゴッホが描いたゴーギャンの姿であると認められているわけです。一時期、「いくら何でもゴッホではあるまい」と思われていたぐらい、どうもうまくいっていない。鼻なんか、どうなっちゃっているのかというようなものです。

つまりゴッホという人は、何か大事な意味を持ったものを描こうと思うと、かえってうまくいかないということがあって、これはゴッホの人間関係の特徴で、まさにゴーギャンとの共同生活がそうですけれども、「頑張ろう」「ほんとうに大事にしたい」と思うと余計悪いほうへ悪いほうへと行ってしまう傾向があるように思われます。

 したがって、ゴーギャンとゴッホという関係をあらわす場合も、人物や想像で描くより、こういうやり方のほうがうまくいったようです。これも有名なもので、(ゴーギャンの椅子)と(ゴッホの椅子)です。


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http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_chaise00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%83S%83b%83z%82%CC%88%D6%8Eq%81i%89%A9%90F%82%A2%88%D6%8Eq%81A%83p%83C%83v%82%AA%8D%DA%82%C1%82%C4%82%A2%82%E9%88%D6%8Eq%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_chaise


つまり、ゴーギャンが座る椅子と自分の座る椅子。ゴーギャンの椅子には、ゴッホが精神の糧と考えていたフランスの小説であるとか、明かりのついた蝋燭が置かれています。先程のお父さんの絵には、明かりの消えた蝋燭がありました。明かりが点いているということは、まだ生きている光という意味です。さらにそれを強調するように、光を放っているランプがあります。ゴーギャンの椅子が立派で、ひじ掛けもついているのに対して、ゴッホの椅子は粗末な藁で出来ていて、ゴッホが好んでいたパイプタバコが置いてある。これは対になる作品ですが、こんなふうに自分とゴーギャンを表す場合も、肖像画で対にするのではなくて、物であらわす。こういうやり方のほうがゴッホにとってはうまくいくようで、人間と直接対して、人間の姿として表すことは苦手だった。そう思われるわけです。

男女関係も苦手


 もう1つゴッホにとって苦手な対人関係で、作っていくのが難しかったのが男女関係です。シーンとは一生に生活しているし、その他、生涯に大きな失恋を3回か4回経験しています。そういうものとか、お母さんとの関係、妹との関係も含めて、ゴッホの女性関係はどうだったかという本が最近出たばかりです。ゴッホの女性関係も彼の個人的なキャラクターからいうと、とても重要です。

 ゴッホはパリ時代に2〜3点ヌードを描いています。けれども、ゴッホがヌードを描いたのはパリ時代の2〜3点のみです。生涯にわたって油彩画はこれだけです。パリ時代に若干、その前のアントワープ時代にはデッサンのための女性ヌードがありますが、油彩画で描いたヌードはこれだけです。


http://kaigastory.seesaa.net/article/143700634.html
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Weiblicher_Akt_auf_einem_Bett.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Liggend_naakt_anagoria.JPG
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Liegender_weiblicher_Akt.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_van_Gogh_-_Liggend_naakt_1887.jpg

この女性ヌードにしても、一体女性のヌードに何を求めていたかがどうもよく分からない。伝統的な西洋絵画で女性のヌード画に求められていたものは、ここではほとんど感じられない。つまり、女性の裸の体の美しさ、あるいは曲線の美しさであるとか、肌の白さ、滑らかさなどが見られない。


(中川隆 注 : アントワープ時代は毎日朝から晩まで日本の春画ばかり見ていていて、娼館にも入り浸って梅毒に罹ったから、戒めに女性を態と醜く描いただけでしょうね)


 今日の我々の見方からすると、19世紀の画家たち、ルネッサンス以降の西洋の画家たちが女性の裸の姿を美しいものとして、とりわけ男性が鑑賞するものとして絵画の中で描き続けてきたことに関してはフェミニズムの問題とか、ジェンダーの問題があります。つまり、男性が社会を支配している中で、女性は単に見られるものとして描かれてきたという女性ヌードについての問題が、美術を見るときの重要な問題として最近浮かび上がっています。しかし、ゴッホが描いた女性のヌードは、ルネッサンス以来伝統的な、男性が目で見て楽しむようなヌードにはなっていないわけです。ゴッホがこういうヌード画をどういう視点をもって描いていたのかは、伝統的な女性美を描くといった、西洋の伝統的な絵画の描き方の中では必ずしもうまく説明できない部分があります。

 人物のプロポーションといった点でも、これがもし当時の美術学校で学生が習作に出したら、「こんなプロポーションはないだろう」と先生からすぐに突っ返されるような大変おかしなプロポーションになっています。左のものは美術学校にしばらく通っていた頃のモデルを描いたものですけれども、これなんかも、伝統的な女性のデッサンに見られる女性らしい体つきとか、理想的なプロポーションとはずいぶん大きくかけ離れています。右側は油彩画に描かれたもので、ここにある女性のヌードは、見てもお分かりのように石膏のモデルです。


http://blogs.yahoo.co.jp/pagannudes/17171225.html

けれども、ここでも女性の体が持っている、たとえば胸とか肩の線とか、お尻の線というものがあまりうまく表現されていないように思われます。

 この右側の作品における女性の体、ヌードは、作品を構成している意味からしても、けっこう重要なものなのです。と言いますのは、やはりここにもゴッホが愛読していた精神の糧としてのフランスの小説本があるのです。それからその外に、誰が見ても疑いない愛の象徴としてのバラがあるわけです。精神の糧としての現代小説、愛の象徴としてのバラがあるわけですから、当然そこにあるのは「たまたま自分の近くに画家が訓練するための石膏像があった」というだけではなくて、女性のヌードであることが深く関係しているに違いない。「愛」「精神の愛」あるいは「美」、そういったものが関係しているに違いないのですけれども、しかし、それを表すにしては、ヌードの石膏像は、必ずしも我々が一般に考えるような女性美をあらわすものにはなっていない。ゴッホが愛とか女性とか女性との関係といったものをどのように捉えていたかは、そう単純には読み解けないという要素がこの作品の場合にも示されているわけです。

 ゴッホが女性美をどう考えていたかに関しては、いくつか考える手だてがあります。たとえば、こういうものも、ゴッホが考える女性美が我々が一般に考えるものとは違うと思わせる例です。

ゴッホは独学で勉強した人ですから、美術学校へ行ったわけではない。独学で素描の勉強から始めるわけですけれど、そのときに、当時フランスで出ていた素描のお手本集という画集があった。それを全部うまく模写する。しっかり模写すると、だんだん素描の腕が付いてくる。基本的には素人画家のためのお手本集なんですが、そういうものがあって、それをゴッホは模写しています。生涯に3度ほどやっていますけれども、これは最も最初のものです。

左側はオリジナルです。もともとはルネッサンス期のスイスの画家であるホルバイン、肖像画で有名だったホルバインの素描です。そのお手本集にこれが複製で載っているわけです。右側は、ゴッホが一生懸命それに似せて描いたものですが、左のホルバインが描いた若い女性の美しさが、右側ではほとんど飛んでしまっている。顔だけ見ると、武田鉄矢じゃないかと思えるような顔になっているわけで(笑)、女性美に対する感覚は、ちょっと特異なものだったのではないかなと思われます。


ゴッホの特異な女性像


 そういうふうに見てくると、ゴッホが生涯で描いた女性の姿には、あまり美しいものがないですね。右側は先週「失敗作だろう」と言ったもので、左側は晩年のオーヴェールで描いたものです。


http://ameblo.jp/hansehi/entry-10215346033.html

下宿をしていた宿屋の若い娘さんの姿です。写真が今日残っていますが、とても可愛らしい、美人の部類に属する人です。しかし、目と眉のところをしかめたような顔をしていて、顔の色もちょっと青ざめたような色になっています。

 これは、やはり晩年、オーヴェールで描いたガッシェ博士の娘さんです。 晩年のゴッホが肖像画を描いているわけですから、何らかの形で親近感を感じていた、身近にいた数少ない若い女性だったと思われますが、両方とも、若い女性の持っている魅力が引き出されているかというと、必ずしもそうではないように思われます。ゴッホが生涯、実生活において女性とうまくいかなかったことが、ゴッホの描いた女性像にも反映されているように思われます。

 そういう意味で、ゴッホは、これまで見てきた印象派の画家たち、あるいは19世紀後半の画家たちの中でもちょっと変わったところがあるという気がするわけです。と言いますのは、これまでシリーズの中で見てきた画家たちの中でも、たとえばマネの場合は、大変なスキャンダルになった最初の作品からして、そもそも女性の裸婦がメインになっていたわけですし、ルノワールも風景画というより若い女性ですね。印象派の画家の中でもルノワールは、19世紀末から20世紀にかけて、ピアノを弾いていたり、水浴をしていたりといった美しい健康的な女性美を描くことを中心にしていたわけです。後期印象派の中でもスーラには(ポーズする女たち)という大作があるし、80年代にモネと一緒に風景画をメインとしていたセザンヌにしても、生涯最も大きな大作は、こういう(大水浴図)と言われているようなヌード像であるわけです。それから、言うまでもなく、ゴーギャンがこの後タヒチで描くのは基本的に裸婦の世界ですし、ゴーギャンの仲間であり、ゴッホと親しかったベルナールにしても、やはりこういう人物像を描いています。さらにもう1つ、次の世代のマティスにしても、ピカソにしても、初期を飾る最も重要な大作と言われるものは、たとえばマティスの(豪奢)と言われている作品とか、ピカソの(アヴィニョンの女たち)のようにヌードを主題にしています。マネ、印象派、後期印象派からフォーヴィスム、キュービズムに至るまで、画家たちがここ一番という大作を制作するときにに出てくる主題は「ヌード」なのです。

 そういうことからすると、生涯にわたってヌードをほとんど描かなかったゴッホは、この時代においてもかなり例外的な存在だったわけです。生涯にわたってほとんどヌードを描かなかったもう一人の例外はモネです。ゴッホが例外になった理由の1つには、ゴッホの女性関係という個人的な条件もある程度関わっていたと思われます。

 もちろん、それだけではないわけで、一方ではモネがなぜヌードを描かなかったのかといった問題とも関連します。先程申し上げたように、ルネッサンス以来、脈々と続いている女性ヌードという流れ、美術史の流れ、社会史の流れの中にジェンダーの問題があります。社会史の流れ、近代社会の中で、男性と女性の役割がどうなっていたかという観点も考えなければならないわけですが、そのようなものも含めて、ゴッホの女性像の特異さは一つの重要な要素としてあると思います。


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画家としてのゴッホの特殊な環境

 
ゴッホは基本的には画家としてきちっとした教育を受けていない。つまり素人画家から始まったということがあります。そういう意味では、ゴーギャンと似ているところがあります。ゴーギャンも最初から画家になろうと思ったわけではなく、株式仲買人として金融業に勤めるところから始まったわけで、ある程度の年齢に達してから画家を始めたということで、ゴッホはゴーギャンに親近感を持っていたのだと思われます。しかし、大きく違うのは、ゴッホは自分が正規の教育を受けていないことをかなり気にしている。と同時に、正規の教育を受けていないことがある意味ではゴッホの強みになった部分もあります。

 ゴッホが油絵を描きだしたのは1880年というずいぶん遅い時期であるわけです。画家になることを志してからも、ずいぶん長い間、彼は素描しかやっていなかった。つまりペンで描いたり、鉛筆で描いたり、木炭で描いたり、チョークで描いたりという作品だったわけです。

ハーグ時代から油絵を始めるわけですが、たとえばヌエネンで描いた左側の油彩画と右側の素描を比べてみると、左側の油彩画はそれほど出来のいいものではない。まぁ平凡な出来です。たとえば木の葉の部分など、全体としてとても平坦だし、これは柳の一種ですけれども、太い幹から枝がシュッシュッと出ている様子は、右側の素描のほうがとても力強く、木の生命力を感じさせます。油彩画の柳はヒョロッと立っていて、しかも素っ気なく葉が出ている。あるいは枝が出ていて途中で消え入りそうなところなどを見ると、この時代のゴッホは筆の使い方、油絵の具の使い方に慣れていないようです。

 自分でやってみると分かりますが、絵具をどれくらい固くするか、柔らかくするか、油で溶くか、どれくらいの太さ、どのくらいの固さの筆を使うかの選択は難しい。毛の種類によって筆の反発力が違うし、それを使いこなしていくのは結構大変なことです。ゴッホはオランダ時代には、まだ筆と絵の具の使い方に慣れていなくて、それよりも右側の作品のように、自分が慣れ親しんでいるペンの素描のほうがずっとうまくいっています。このオランダ時代のものには、主に固いペンを使って、縦方向と横方向の細かい線を重ね合わせていくハッチングというテクニックによって、奥行きや濃淡、ボリュームなどを大変見事に描き出しています。19世紀の素描作品として見ても、これは第一級の作品と言っていいと思います。


素描の腕前は一流


 それに対して、左側のオランダ時代の油彩は、もしゴッホが描いたものでなければ、今日とうてい美術館に入るような代物ではありません。彼は長い間、素描を描いていたわけですが、素人であって、油絵に慣れていないから描いていたという域を超えて、初期から素描に関しては大変な腕前を示していたと言えます。素描に親しんでいただけではなくて、素描がうまかったと言っていいと思います。

 これは、同じヌエネン時代の同じような並木道を描いた油彩画と素描です。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm


道がずうっと奥まで続いていく遠近法を使った様子も、右のほうがずっとうまく、明暗の感じ、光がどういうふうに射しているかという感じも素描のほうがうまく出来ていると思います。オランダ時代には、若干水彩を加えた作品も残していますけれども、これなんか、とても見事な水彩ですね。鉛筆の下書きの上にペンと水彩を非常に巧みに使っています。空間の描き方、対象の描き方、ボリューム、雨が降った後でぬかるんでいて、そこに吊り橋の影が映っている様子、空気とか天候とか、そういうところまで大変見事に描き出している。専門的な訓練を受けた当時の画家の作品と比べてもまったく遜色のない、あるいはそれ以上のたいへん見事な作品です。

 当時の画家は、素描の訓練をある程度受けて、すぐ油絵に移っていきます。当時の絵画の概念から言えば、素描や水彩より油絵のほうが本格的な絵ですから、ある程度の技量がつけば、すぐに油絵の訓練を受けるのが普通のやり方で、美術学校へ行けばそうなるわけです。しかし、ゴッホの場合はそういう教育を受けなかったために、非常に長いこと素描だけに専念できた。ある意味では、そのことで、伝統的な美術教育の中では発揮されなかったゴッホの素描の展開がもたらされたのではないかと思われます。

 これも初期の素描の一部ですが、細かい鉛筆、太いチョーク、白いハイライト、いろんな素描の材料を使用し、描く対象にふさわしいいろんなタッチを使って描いています。そういう意味では、ゴッホの素描は細部まで見ても見応えがあるもので、とりわけオランダ時代には、素描のほうが油彩画より実際見ていて面白い、見応えのあるものがたくさんあります。


アルル時代に素描と油彩画が対応


 先程は「主に直線」と言いましたが、直線だけではなくて、木の幹のこういう膨らみは回るようなタッチで描いている。また、縦の草の部分なども、まったく一様ではなくて、アクセントをつけながら、重なり具合によって濃いところ薄いところと、たいへん見事に線を使い分けて画面を構成しているわけです。左側のオランダ時代の柳を描いた作品における素描の線の扱い方は、ゴッホがアルルで獲得した油彩画における自由な筆のタッチとある意味では対応していると思われます。まったく同じような主題を描いているわけですが、ヌエネン時代、オランダ時代には、まだこれに対応するような、油絵の具でのうまい筆の使い方ができなかったわけです。

 アルルまでくると、素描でやっていたようなシュッシュッと長いタッチとか、放射状に広がるようなタッチとか、細かい部分の短いタッチとか、油絵の具にしても、いろんなタッチを使い分けて対象を描けるようになっている気がします。そういう意味では、ゴッホは、オランダ時代に素描でずいぶん長い時間を費やしたわけですが、それは決して遠回り、あるいは時間の無駄ではなかった。オランダ時代に素描という分野でいろんなやり方、いろんなタッチの使い方、いろんな線の引き方を訓練しました。パリでは新しい絵具のタッチの使い方、点描とか、平面的な塗り方を学びました。それがオランダ時代に獲得した素描の技法と合わさって、アルルでは、油彩画においても自由なタッチを獲得できたのではないかと思います。

 このように、ゴッホが最初からきちっとした画家の勉強を受けたのではなく、ずいぶん長いこと素描に取り組んだことは、ゴッホの油彩画の展開にとっても、きっと重要なものだったのでしょう。

 正直言って、パリ時代でも、まだ素描、水彩のほうがうまいですね。パリ郊外の工業地帯を描いた左側の作品は、構図からいっても、空間の奥行きからいっても、あまり出来のいい作品とは思えません。右側の素描の上に水彩を乗せたもののほうが、ずっと自由に画面構成も出来ていると思われます。ですから、パリ時代までは、ゴッホにとっては素描のほうがやり慣れた使いやすい技法だったと思います。それがアルルに行くと、素描と油彩画がほぼ対応するようになってきます。

 これは今回も来ている(種まく人)ですけれども、アルル時代あるいはアルルからサン=レミ時代に描いた重要な作品に関しては、それに対応する素描があります。その素描には2通りあって、1つは油絵を描く前の習作として描いたもの。もう1つは、油絵を描いた後、それをもとにしてパリにいる弟や画家仲間のベルナールに「こういう作品を描いたんだ。でもこの作品はアルルにあるから見せることができない。だからこういう素描を描いた」ということで、素描を描いておく。その2つがあります。

 この素描と油彩画を見比べると、性格がよく似ています。どういう性格が似ているかというと、それぞれの部分に使われているタッチの扱いがほんとうによく似ています。たとえば、地上の部分はこういうブツブツとしたタッチ、この部分は点描、麦の部分ではこういう縦長のタッチ、空の部分は放射状に少し点々が混じったようなタッチになっている。ゴッホは、基本的に、油絵と、それを基に描いた素描あるいはその基になった素描で、同じようなタッチの使い分けをしているわけです。したがって、ゴッホは、アルル時代に素描と油彩画をほぼ同一のものとして並行して描いていくことができる。自分が油彩画でやったことに関しても、色は抜けるけれども、ある程度素描で伝えられる。それを弟やら画家仲間のベルナールに伝えられるとゴッホは思っていたわけです。

 そういう意味では、ゴッホにとっては、色も重要だけれども、それ以前に何よりも重要なのはタッチである。ゴッホが油彩画のタッチを素描に移し得る、あるいは素描のタッチを油彩画に移し得るということが、こういう作例を見るとよく分かると思います。

 有名なアルルの(ラクローの野の収穫)といった作品でも実にさまざまなタッチが使われていますね。長いもの、曲線のもの、点々のもの。そのタッチが、油彩画の上でも、油絵具を使った筆のタッチとして、ほとんどパラレルに実現されています。さらに言えば、油彩画の基には水彩画があります。ゴッホというと、とかく色を使ったネットリとしたツヤのある油絵と思われていますが、実はゴッホにとっては、素描もとても重要だったわけで、ゴッホが素描でやっていることと油絵でやっていることにかなり密接な関連があるということは、たとえばこういう作品をご覧いただければお分かりかと思います。これなんかも、ほとんど色は1色で、「タッチで見せている油彩画だ」とお話したと思いますけれども、まさにエッセンスとしてのタッチは右側の素描にあります。ほとんどの重要な作品には、それと対になる素描が残っています。

 ゴッホにとって素描は、アルル時代以降、ずっと絵画の裏側にしっかりとくっついており、表裏一体を成しているものです。左側の麦の刈った束、そのタッチそのままが素描の上にあります。そういうことから考えると、ゴッホの油彩画におけるタッチは、ある意味でとても素描的です。とりわけアルル時代のゴッホはペン、葦のペンを使っています。葦の茎を切ったペンを使うと、グイグイッとした太い線が引けるのですが、ゴッホが素描において実現した線がそのまま生きている。そういうことからすると、印象派やゴーギャンと比べても、ゴッホの油彩画における絵具のタッチは素描的だ、デッサン的だと言えると思います。

 積み藁を描いたこの作品の面白いところは、実際の油彩画ではない、積み藁の渦巻くようなペンのタッチが見えていることです。この素描でも、いろんなペンのタッチの絡み合いが見どころになっています。こういうふうに見ていると、「なるほど、ここのタッチの動きは素描のこういうところに対応しているのだな」という感じがします。これは植物が絡み合うアルルの公園の様子です。この作品をお見せしたときは、「ほとんど風景画なんだけれども、抽象的なタッチの渦になっている」と申し上げましたが、それを素描にしてみると、一層抽象的な画面構成という感じが強くなっています。

水墨画に近づく素描


 これはアルルの近郊の風景で、ほぼ同じような場所を描いています。これなんかを見ると、ここでは岩や木のタッチの処理がどうもうまく出来ていない感じがするんですが、右側では、岩のゴツゴツとした感じとか、木が威勢よく葉を伸ばしている様子が非常に見事に描かれています。

 右側の素描に関しては「ペンの使い方の巧みさは西洋絵画を超えて、日本の水墨画のような感じがある」とよく言われます。場合によっては、ジャポニスムという部分もあると思います。日本の水墨画の画家たちは1本の筆を使いながら、それを様々に使い分け、濃淡を使い分けて、岩や葉っぱや流れを描き分ける。タッチの使い方、濃淡の使い方によって、1色なんだけれども、風景の全体をつくり上げるといった水墨画のやり方を感じさせるような素描の巧みさをゴッホは見せているわけです。

 アルル時代のこういう作品を見ると、ゴッホにとっては素描が油彩画を考えるうえでも重要な要素だったことが分かると思います。油彩画と素描を比べると、明らかに素描のほうが面白いというものもあります。これはゴッホがアルルから地中海にあるサントマリーというところへ出掛けたときに描いたものですが、右側を現地で描いて、アルルに帰って来てから左の油彩画を描いています。この草の生い茂る様子などは、油絵になると、タッチの変化がなく、おとなしいものになってしまったような気がします。これも現地で描いたものですが、こちらのほうがずっと力があるような感じがします。そういう意味では、アルル時代においても、画面のタッチの力という点では、素描が油彩画をある程度リードしていた面もあるかもしれません。

 これはやはりサントマリー、地中海を描いたものです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh26.html

現場で油彩画を描いて、アルルへ戻って来てから、それを基にして素描を描いています。たとえばこれなんかもハッキリしています。現地で描いた油彩画の場合は、波のような不定型で動いているものをどう扱ったらいいのかよく分からない。ところがペンで描いたもだと、実に見事に波の砕ける様子が描けている。こういうものに関しては、油絵ではどう処理していいか分からないけれども、素描ではきちっと処理できていると言えると思います。


サン=レミで完成したタッチ


 これも同じものを基にした作品で、もう1点、これは現地で描いた油彩画です。このへんがうまくいっていませんね。波がどうなっているかはっきりしません。しかし、それを素描にすると、こういうふうに出来るわけですね。波が押し寄せて砕けていく。ですから、サントマリーへ行った時点でも、まだゴッホは海のような難しい対象に関しては素描のほうがうまく扱えたようです。これもそうですね。まさに渦巻く波の様子が見事に描かれています。最初にお話したように、ゴッホはまだアルルにおいては完璧には自分のタッチを完成させていなかったわけで、それが完成されるのはサン=レミです。

 右側の素描に見えているような渦巻く様子、あるいは空の部分の雲でもそうですね。油彩画では頼りなくフワフワ浮いていますけれども、素描の場合は、渦を巻いて、しっかりとした雲という存在感を持っている。こういう存在感を持った対象を油絵で描くには、アルルはもう一歩であって、ゴッホがこういうことを達成したのはサン=レミだった。それをタッチのところでお話したわけですけれど、こうして素描で比べてみると、そのことが一層よく分かるかと思います。海を描くときには、アルルでもうまくいっていなかったように思われるわけです。

 これは右のものと対応している油彩画ですけれども、この油彩画の場合、波の部分は素描に見えているようにうまく処理されています。雲の部分もさっきのような頼りない様子ではなくて、しっかりと実在感を持った、まさにゴッホがサン=レミ時代に達成したようなしっかりとしたタッチをもっています。

 ただし、左側の作品はゴッホの真作ではなく、贋作です。かなり前まで真作だと思われていたのですけれども、贋作です。科学的な調査の結果、それが明らかになったのですが、これは様式的にも明らかに贋作です。どうしてかというと、先程見たように、アルル時代においては、ゴッホはまだこんなタッチは達成できていなかったわけです。素描においては既に達成できていたけれども、油彩画においてこのようなタッチが達成できるのはサン=レミへ行ってからです。ですから、アルル時代にこのテーマでこのような作品が描かれることはない。その意味でも間違いなくこれは贋作であるわけです。

 贋作者は当然サン=レミ時代のこういう作品を知っているわけですから、これとこれをうまく対応させているわけです。こういう渦巻くような空を描くんだったらこういうものを描くだろうと。贋作者が失敗したのは、アルル時代の主題なのにサン=レミ時代の様式で描いてしまったことです。

 そういうことから考えても、サン=レミに達成されたものはアルル時代にはまだ達成されていなかった。しかし、素描においては達成されていたものが、サン=レミに達成されたということが場合によっては言えるわけで、1時間目にお話した、ゴッホがいかにして自分の様式を達成したかという話の裏には、そもそもゴッホが個人的に素人画家として素描から出発したことが大変な強みとして働いていると言えるわけです。


サン=レミ時代


 サン=レミ時代になると、素描と油彩画が完全に1対1で対応するようになります。これが(星月夜)に対応する素描です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_Starry_Night_Drawing.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:VanGogh-starry_night.jpg


サン=レミの病院の庭を描いた油彩画と素描です。試しに左側の油彩をモノクロで撮って素描と並べてみると、こうなります。絵の性格としてはほとんど同じであることが分かるとかと思います。タッチの部分、空の部分なんかも、よくよく注意しないと、どっちが素描でどっちが油彩画だか分からなくなってしまう感じさえあるわけです。

 これも病院の窓から見た麦畑の油彩画と素描です。これも油彩画のほうをモノクロにしてみると、こんな具合です。つまりゴッホの素描は、色を抜いた油彩画とほとんど変わらないような性格のものであるわけです。これはサン=レミ時代の(糸杉)。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen1.jpeg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Zypressen.jpeg


糸杉の渦巻くようなタッチ、空の渦巻くようなタッチは、素描で実現されているものと同じです。これは、大変抽象的な絵になっていると申し上げた(オリーブの果樹園)と、それに対応する素描です。素描を見てみると、油彩画に見られる「うねっている線」が、油彩画の線というより、もともと自由に動くペンで達成された「素描の線」であることが見てとれるかと思います。

 オーヴェール時代にも、その自由な線をもった素描、あるいはそれに水彩をさした作品は、こんなふうに見られます。オーヴェールの農家の藁葺き小屋を描いた作品。こういうものにしても、特に右側のようにちょっと淡い色がついているものは、素描と油彩画がほんとうに近い性格のものであることが分かると思います。そういう意味では、ゴッホの作品は、油彩画であっても、とても素描に近いものである。素描は素描であっても、ゴッホの油彩画にとても近いものである。右側は水彩画、左側は油彩画ですけれども、こういうところのタッチなんかも、この油彩画から色さえ抜けば、素描じゃないかと思われるような作品になっているわけで、ゴッホの画家としての特殊性、素描家としての特殊性、素人画家という特殊性が、美術史の中でゴッホの油彩画を考えるときにも、とても重要なものであることがお分かりいただけたと思います。


静物画の意味するもの


普段はあまり重要視されないんですが、ゴッホにとってとても重要なものに静物画があります。最初の時間にご覧いただいた表の中で、パリ時代にとても静物画が多いことをお話しました。パリ時代に風景画よりも人物画よりも多いのが実は静物画なのです。

 たくさんの静物を描いています。最後に「パリ時代の静物画にはどういう意味があったか」に触れておきたいと思います。パリという大都会にあって、ずいぶん人もたくさんいて、仲間もたくさんいるにも関わらず、たとえば大都会の風景とか、周りにたくさんいる人物とかではなくて、なぜ、どんな場所でも描けるような静物画を描いたのか。静物画には場所とかまったく関係ないわけで、どこにいようと花とか果物とかさえあれば描けるわけです。どうして場所に関わりのない静物画を描いたのだろうか。これも一つの謎です。ゴッホはパリにいて、一番人々との交わりもある中で、どうして自分だけの一番小さな静物の世界に閉じこもったのか。そして、なぜそれだけ作品が多いのかは謎ですけれども、その理由は別としても、ゴッホがやったことは、とても重要です。

 これはゴッホが描いた静物画です。最初の時間にお話したように、こういう静物画において、ゴッホはタッチの盛り上げをたいへん強調して使っています。そのようなタッチに関して、ゴッホは、とても尊敬していたモンティセリという画家から、何ということのない花瓶をゴツゴツと盛り上げた絵具で粗いタッチで描いていくことを勉強したに違いないわけです。

 これはモンティセリの(花)の部分図です。間違いなくこういう作品において、ゴッホはモンティセリから大変大きな影響を受けたと思われます。これはゴッホの作品の部分図です。花びらをグイグイと盛り上げた絵具で構成していくのは、ゴッホのパリ時代の初期の静物画の特徴です。それに対して、こういうモンティセリに習ったようなゴツゴツとした、しかしタッチとしては全体としてまとまりのあるものがなくて、雑なタッチが画面全体に満ちているといったようなものに比べて、パリ時代の後半になると、ゴッホは静物画において、ある意味では違う実験を行います。

(ひまわり)の実験


 それはどういものかと言えば、アルル時代の(ひまわり)に見られるような実験を既にゴッホはやっています。アルル時代の(ひまわり)は、黄色の中に黄色を描く。どうやって背景といろんなものを区別していくかというと、たとえば背景の部分はザラザラとしたタッチで見せる。そして花弁の部分はグイグイと放射線状のタッチで見せる。それからこういう部分はまた別のタッチを使うといったような、タッチの描き分けをやる。同じ色なんだけれど、タッチの使い分けで示していくということをやっているわけです。実は静物画においてタッチを見せていくことは、アルルで初めて起こったことではなくて、パリにおいて既に行われていることでした。

 これはパリ時代の中で最も注目すべき静物画です。まさにこれはアルル時代の(ひまわり)の先駆であって、画面全体真っ黄色です。しかも、ゴッホがつけたオリジナルの額まで真っ黄色です。その真っ黄色の中に、梨とかブドウといった果物を描きながら、それをタッチの描き分けで見せています。これが部分図です。こういう長いタッチであるとか、回っていくようなタッチ、それからハイライトの部分では点々。この静物画に見られるこういうタッチの使い方は、今日お話したような、ゴッホが素描でやってきた使い方、あるいはアルルの風景画でやっていたこと、それらにある意味では対応しているわけです。それから、たとえばこういうところでは濃淡を線でつけていく。暗い部分には暗い部分で線をつけていく。こういうハッチングもそうですね。油彩画の場合、明暗をつけるときには、暗い部分から明るい部分までをなだらかに塗っていくわけですが、このように線を重ねることによって、暗い部分、明るい部分を描き分けていく。これはどちらかというと素描のやり方なんですね。

 ですから、ある意味ではこの作品も油彩画ではあるけれども、ゴッホが素描で試みていた様々なタッチで構成されている。しかもこの場合はモノクロームです。モノクロームは普通白黒ですけれども、黄色一色でもモノクロームなんで、黄色という一つの色の中で、白から一番濃い黄色にちょっと緑がかかったところまでの範囲の中で、明暗とタッチの違いで画面を構成していくといったこのやり方は、実はパリの静物画の中で一番ハッキリしてきます。そういう意味では、おそらくパリのたくさんある静物画は、ゴッホが一番慣れた、一番身近で自由に扱いやすい静物画を素材にして勉強していた証拠でしょう。静物画は自分でテーマを決められるし、どういうものをどう構成していくか、自分で組み立てることができるわけです。机の上に置けばいい。いつでも果物さえ買ってくればできるわけですから一番簡単である。

 そういう一番簡単な素材を使って、自分がそれまで勉強してきた素描の使い方、タッチを組み入れながら一つの勉強をしていく。そういう場であったように思われるわけです。これなんかでもそうですね。「梨」といった対象だけを扱いながら、そこにどういうタッチを見せていくか。これなんかも机の上に置いてあり、これにしてもこれにしても、ここに何があるかよく分からない。机の上にこんな渦巻いているわけはないんですけれども、ここで対象の周りにタッチをつくり上げている。こういう放射状のタッチは、この後、アルルでもサン=レミでも空なんかに見られますね。人物の背景とか空とかに見られます。具体的に何を描いているわけではないけれども、画面全体を統一して、画面に描いている対象に視点を集中させるといった意味で、何を描いているかということからすると、ほとんど意味のないようなものを描いていく。この素描なんか一番ハッキリしていると思います。

 パリ時代の油彩画は、こういうふうに見ていくと、ある意味では実にシュールレアリスム的ですね。空間の中に果物が自分の生命をもって浮かび上がっているようです。そのような感じを生み出しているのは「タッチ」であるわけで、ゴッホの風景画における生命の源であったタッチがパリ時代にはそれを先取りする形で静物画に生かされていると言えると思います。

 最後にパリ時代の静物画のひとつの頂点をお見せして終わりたいと思います。(ひまわり)といえば何といっても有名なのはアルル時代の(ひまわり)です。しかし、個人的には、見方によってはパリ時代の切り花を描いた(ひまわり)の方がすごいものだという気がします。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Van_Gogh_-_Vier_verbl%C3%BChte_Sonnenblumen.jpeg

つまり、もう「枯れてしまったひまわり」という、ただそれだけの対象を机の上に置いて、それをどう見せるかというときに、色彩としてはそれほど大きなバリエーションがあるわけではない。右側はほとんど黄色から緑まで、左側は基本的に黄色と青との2色です。色彩的にはそれほど変化がない。しかも、さほど花弁がたくさん伸びているわけではない「枯れたひまわり」という、それほどの対象ではないものを2つボンと置いて、それをどう見せるか。この作品を見せている力は、タッチ以外にはないです。それもこういうザクザクとした、絵の具でしかあらわせないタッチから、画面の上にペンで描いたかと思われるようなこういうタッチまで使っている。つまり、油彩画のタッチと、素描におけるペンのタッチの両方を知り尽くした画家が、その両方を動員して、ここに「ひまわり」を描きだしている。アルルのひまわりは生命の象徴であり、光であり、躍動であり、生命力であるわけですけれども、このひまわりの場合には、枯れてはいても、なおかつ「生命を持っているような力強さ」があるわけで、それはまさにゴッホが素人の画家として駆け出しの頃から熟達してきた素描の力のに基づいているのだと思われます。

 もう1点、これは私が個人的にゴッホの(ひまわり)の最高傑作と思っているものですけれども、背景は何だかほとんど分からないですね。

赤の点々は何だろう。この明るい部分は何だろう。縦に通っている筋は何だろう。ほとんど抽象絵画としか思えないような背景。そこに4輪のひまわり。しかも切られたひまわり。特にこのひまわりは、手前のところで切った切り口が見えていますけれども、それがグイッとわれわれのほうに突き出しているようです。ゴッホの作品の持っているゴッホらしい、ある意味では最良の部分が、既にパリ時代の「ひまわり」にあらわれていると思うわけで、そういう意味では、ゴッホの作品における静物画も、決して無視できないものだと思われるわけです。

烏のいる麦畑


 最晩年の代表作である(烏のいる麦畑)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


これはもちろんゴッホがメインにした風景画の主題で、ゴッホが好んできた麦畑の主題です。青と黄色という色彩をぶつけ合わせて、なおかつその間に地面の赤という色、草の緑といったようなアクセントを配しながら、地面の部分でも地上の部分でも様々なタッチのうねりを絡み合わせており、この前に立つと、我々はこの道をたどって奥にも行くようだし、また向こうから烏が我々のほうに向かって飛んで来るようでもある。とても単純な構成ではあるけれども、横長の画面に幅広い空間がつくられていて、その空間の前に我々が立っている。その空間の前に我々はただ止まったものとして風景を見るのではなくて、我々が歩いて行くし、またその中で雲が渦巻いているし、麦畑は風に揺れているし、烏は声を上げて向こうから飛んで来る。その空間の中で、植物も動物もあるいは天も地も動いて、その揺れ動きが1つのタッチの絡み合いの中で1つの画面を構成している。タッチ自体の性格はずいぶん違っていますけれども、基本的なことから言えば、右側のパリ時代の横長の(ひまわり)にも共通するものではないかと思われるわけです。

 そういうことから考えてみると、風景画と静物画は必ずしも切り離されるものではなくて、ゴッホの全体像を考えるときには、メインのものだけではなくて、サブのもの、他の画家ならあまりやらないもの、あるいはゴッホの特殊な状況の中から生まれてきたものにも目を注いでみると、またメインの部分に対しても、いろいろな新しい光が投げかけられるのではないかと思います。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari3/ar3.htm


オランダ時代の主題


 右側はゴッホがまだ画家になろうと決める以前、ごく初期に描いた作品です。ゴッホは画家になる前にさまざまな仕事を転々としました。一時は貧しい人びとや労働者たちに教えを伝える伝道師になろうと心掛けましたが、うまくいかなかったのです。その一環で、ベルギーのボリナージュ炭鉱地帯で教会へ行くこともできない労働者たち、鉱夫たちのあいだを巡回しながらキリスト教を説くという仕事をしています。(袋を担ぐ女たち)(1879年)は、そのときの体験を基に描いた絵ですが、炭鉱地帯で重い袋を背にかついで歩いていく女性労働者たちの姿が描かれています。
 左側はセシル・ドゥアールという、先ほど見た、くたくたになって休憩している炭鉱夫を描いている画家の絵です。やはり炭鉱地帯、しかも女性の、とても過酷な労働を描き出しています。それと同じような様相をゴッホは描いているのです。ゴッホは、ただそれを絵にしたのではなく、むしろ画家以前に、その炭鉱地帯へ入り込んで彼らと一緒に寝起きしており、まさに最下層の人びと、ほんとうに生きているだけの最低限の生活を共にしています。かつキリスト教を伝道するという活動に挑んだわけですから、当然のこと、後に画家となったゴッホのスタート地点においては、社会の明るい面ではなくて、むしろ社会を底辺で支えている人たちの姿、人物を描こうということが一つの目標であったわけです。とりわけオランダ時代のゴッホの関心は、田舎の人びとの生活という「主題」に向けられることになります。

 ハーグ時代、ゴッホは画家になることを志していましたが、とにかくたいへんな貧乏生活でした。彼が描きだすのは、彼と同じように苦しい生活をしている人たちであり、ハーグの町中の風景を描くにしても、歩いているのは裕福そうな人たちよりも、むしろ労働者ふうな人びとですね。右側は国営宝くじ売場に群がる貧しい人びとの姿を描いたもので、こういうような都会の姿をゴッホは絵にしています。

 ゴッホは、農民の姿を描いた画家としてミレーを非常に尊敬していました。有名なミレー(種播く人)を基にしたゴッホの素描があります。ゴッホは生まれがオランダ南部の農村地帯で、子供の頃から農業に大変に親しみがありました。それもあって、偉大なる先輩ミレーをお手本にしたわけですが、まさにこれはミレー(種播く人)を手本にして模写した作品ですね。が、そういう模写をするだけではなく、オランダ時代、ヌエネンに暮らしていた頃には、実際の農夫にポーズをとってもらって、やはりミレーの絵で見たポーズが手本になっているのですが、農民の労働の絵を描いています。

人物画の割合が多い


 その時期の人物画のうち、圧倒的多数は農民の姿を描いたものでした。ゴッホが、たとえば種播く人という農民たちの姿を描いたのは、アルル時代からサン=レミ時代まで続いていきます。これは先週も見たアルル時代のゴッホ(種まく人)(1888年)です。ここでのポーズはやはりミレーを借りていることが分かるかと思います。

 ミレーやクールベと同じように、ゴッホの場合も田畑で働く男や女をいろんな形で描きだしています。腰を曲げて草を刈ったり、土を掘り返している女性の姿を描いた右側の絵はヌエネンで1884年に制作したものです。

 左側の絵で描かれているのはもっと過酷な労働かもしれません。本来は馬に引かせて地面を掘り返す鉄製の「馬鍬」というものですが、馬を雇えないので、その重い道具を農夫が自分で引っ張っている姿ですね。これは手紙の中の素描ですが、オランダ時代のゴッホは、たいへん苦しいけど大地に密着した農民の仕事振り、労働の様子を繰り返し描き、制作しています。それがオランダ時代ゴッホのメインの「主題」であったと言えます。

 左側のオランダ時代の絵には農民の顔、パイプも見える。ただ働いている姿のほかにも、農民のさまざまな様相、ヌエネンに過ごしていた男や女の顔を丹念に描いています。本来、画家は農民たちの肖像画を描こうなんて考えません。普通、肖像画というのは、誰かが自分の姿を描かせたり、誰か有名人を描くということです。だから、農民から肖像画の依頼など基本的にあり得ない。農民が注文することはないし、特定の農民の顔を見たいから絵を買うという人もいません。だけど、ゴッホはヌエネンで、何人でもはっきり区別できる個性あるものとして農民の顔を何十点となく描いています。そのゴッホの農民を描く興味は、アルル時代にも続いていくわけです。

 オランダ、ヌエネン時代の農民の姿を描きたい、あるいは農民の現実生活の場を描きたいという狙いの頂点にあるのがゴッホ(馬鈴薯を食べる人々)(1885年)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


彼は、できるだけ多くの人たちに見てもらいたいと考えて、自ら版画も作っているわけです。このように見てくると、ゴッホがオランダ時代に主たる関心をもって描いた作品は、印象派時代の絵画の中で考えれば、大都会の人間が見た近代化と明るい未来へ向かって展開していく近代社会や工業化の明るい側面というよりも、むしろ近代化を大地に立って支えているという側面でした。少なくともオランダにいた時期までは、それを自身の関心の中心に置いていたと言えます。要するに、印象派の画家たちの興味よりも、むしろそれとは違う、同時代に流れていたクールベからの写実主義ないし自然派リアリズムの流れにゴッホの主題、様式があったということです。

 これはまさに農民の素朴な食事の様子です。しかし、家族というものが目的を共にして働いて、共に糧を得て、生きているという一つのあり方をゴッホは描きだしているわけです。その意味でも、オランダ時代のゴッホの社会的関心は、いわゆる印象派の画家たちとはかなり異なったものであったと言えます。

 (馬鈴薯を食べる人々)を見ると、とても苦しいのだけど、みんなで一つの働きをして、ジャガイモのような寒冷地にしか育たない、地味悪い土地でも育つような最低限の食物を得ている。とにかく家族一緒に同じ場所で生きていく。ある意味ではミレーから流れてくるような、大地にしっかり根を下ろした農業共同体社会といったものが描かれています。

 しかし、ゴッホが描いていたヌエネンという南オランダの農村地帯では、何百年も続いていた農業共同体あるいは家族の生活が実は変わりつつあったのです。それを示す機(はた)織りのテーマは、今回の展覧会にもちょっとしたコーナーがありました。左側は農村地帯の農家ですが、大きな機織機を使ってはた織りをしている人々の姿を描いています。なんとなく女性の仕事と思われますが、実はここで織機に従事しているのは男性なのです。左側はゴッホの絵で、右側は同じ時代のドイツ人、リーバーマンという画家が描いたものです。ドイツの農村地帯でも同じようなことが見られました。狭くて暗い農家の部屋の中に、入りきれないくらい大きな機織り機械が置かれて、はたを織っているのは男性です。こういうテーマがドイツでもオランダでも共通してこの時代に見られます。

 農村地帯に工業が入ってくる、いわゆる工業化展開の中では、家内制手工業はかなり古くからあったのですが、その次の段階に問屋制家内工業と言うか、大きな問屋という資本が機織り機という設備も原材料もすべて提供して、それぞれの家で加工させて、できた製品を問屋が引き取り、各戸に手間賃を払う形態があります。さらにその次の段階が工場制労働形態となりますが、これはその前段階で、農村の労働力を、まずそれぞれの家にいるままで、資本は全部問屋が出して製品をつくるという、この時代にオランダやドイツの農村地帯で共通して起こっている現象ですね。大きな織機で能率を良くする。そして、しっかり織るためには、女性ではなく、力強い男性労働力が必要である。

 女性はどうなるか。このゴッホの作品が典型的ですが、ヌエネン墓地の塔も見えますけど、外に見える畑で働いているのは女性たちです。ゴッホが描いたこういう姿が意味するのは、農村の中で男女が一緒に畑を耕すという昔ながらの情景がこの時代の工業化によって崩れつつあったということですね。

 つまり、より多く現金を稼げるものとして、男は農地へ出るよりも機を織る方が魅力になってくる。そうなると、畑の方は女性が主に耕すわけです。右側もゴッホが描いた素描ですが、男が機を織っており、その狭い部屋の中に赤ん坊もいる。男は赤ん坊の面倒を見ながら機を織る。お母さんは外で畑仕事をしている。そのように近代化が農村地帯ヘ進展していくことによって農村が解体されていく状況をゴッホは描きだしていたのです。なにげなく窓の外に見える情景ですけど、やはりこの当時、1870年代のオランダの農村地帯における近代社会化の流れ、真実を的確に映し出していますね。

 そう考えれば、ミレー(晩鐘)に表されていたような姿は1870〜80年代にかけては、ある意味で、もう過ぎ去った昔の理想のような世界になっていたと思うわけです。

 オランダ時代のゴッホは農村の実際の姿を描きだしていましたが、それに対して印象派の画家たちはどうだったでしょうか。先ほどモネやルノワールが大都会を描くときに影の部分より、もっぱら光の部分を描いたというお話をしました。農村を描くときにも、やはり、印象派の画家たちは、どちらかというと農村の明るい面を正面に押し出していますね。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm


印象派の中でのゴッホの位置


今日お配りした資料の裏側の年表をご覧いただくと分かりやすいかと思いますけれども、ここに「印象派・後期印象派の主要な画家たち」が並べてあります。

 ピサロから始まってシニャックまで、生まれが早い順に並んでいますが、「マネからゴッホまで」ということになります。そして、それらの画家が、印象派の1回目から8回目までの展覧会に参加しているか、していないかを示す○を付けてあります。ここでハッキリすることは、一番初めのマネと、最後のゴッホというのは、実は印象派の展覧会自体には出品していない画家であることです。

兄貴格のマネと弟分のゴッホ


 マネは印象派の画家たちからとても尊敬され、親しいグループの仲間であったのですが、印象派の展覧会には参加していません。言ってみれば、印象派の兄貴格といったようなところにあたります。またゴッホは、自ら画家になることを志したのが遅かったこともあり、印象派の画家たちとは直接接触はありませんでした。けれども、印象派からとても強い影響を受け、そのすぐ後に活躍した、言わば印象派の弟分と言ってもいい人です。

 年齢からいっても、ピサロという年長の印象派の画家を除いては、マネの1832年生まれからゴッホの53年生まれまでの間に大体入ってしまう。ちょうど印象派の世代の前後をマネとゴッホが囲んでいることになります。


画家としてのスタートが遅かったゴッホ


 ゴッホは印象派の展覧会にはまったく参加していません。それどころか、ゴッホがパリへ出て来たのは、まさに印象派の最後の展覧会があった1886年のことです。もちろんゴッホは画家になる前に画廊の店員としてロンドンの支店、あるいはパリ支店に勤めていたことがあるので、パリをまったく知らないわけではないのですが、彼が画家を志したのは、いろんな職業を転々とした後の1880年になってからです。そして、80年から85年まで、地元のオランダで、ほとんど独学で絵の勉強をしています。そして、アントワープを経て86年にパリに来て、そこでいろいろな印象派の作品にもある意味で初めて接して、そこから彼の画業というのが一気に進んでいくのです。つまり、ゴッホの実質的な意味でのスタートは「1886年」で、それはまさに印象派最後の展覧会の年であったわけです。


短期間に一気に学び、制作した


 それからゴッホは、パリに2年ほどいた後、アルルに1年、サン=レミに2年、そしてオーヴェールに数カ月という、南仏からパリ近郊にたどり着くまでの本当に短い間に、今日我々が見てパッと「ゴッホだ」と分かるような作品の多くを制作していきます。

 今日からの3回の話の大きな枠組みとして申し上げておきたいことは、ゴッホが活躍し始めた1886年は印象派最後の展覧会となった年ですが、そこから数年の間に、印象派が1870年代から80年代の半ばまで15年ほどかけていろいろと開拓してきたことを一気に学んで、自分の作風を展開させていったことです。

オランダ時代のゴッホ


 ここに出しているのは、ゴッホがまだオランダにいた頃に描いていた絵です。ゴッホが油絵を始めたのは1881年で、左側の絵はごく初期の油絵の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv061.htm

木立の中の少女を描いたものですが、右側のものはゴッホのオランダ時代の作品で、ずいぶん後の1885年に農家の様子を描いたものです。オランダ時代の5年間は、ゴッホの様式、たとえば色彩の使い方であるとか、絵具のタッチの使い方は大きく変化はしていません。


オランダ時代の作品


 ゴッホのオランダ時代の作品は、これまでみなさんがご覧になってきたような印象派の作品とはずいぶん違います。風景画もずいぶん違っていて、まだ印象派以前の、あるいは印象派たちが60年代に見せていたような茶色とか黒とか、灰色とか、そういう色を使っています。ひとつ前の時代の、たとえばクールベ、ミレーなど、バルビゾン派の画家たちの作風に似ています。もちろん、それに並行するようなフランスの19世紀半ばの影響というのがオランダでもあって、ゴッホの先輩たちはこういう絵を描いていた。それをまずゴッホは学んだわけです。またゴッホは、オランダ時代には、風景画だけではなくて、こういう広い意味で言う人物画もたくさん描いています。

 左側のものは、ゴッホ美術館にある大変有名な(馬鈴薯を食べる人々)という作品で、ゴッホが接していた農民の生活を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_mangeurs00&picture=%94n%97%E9%8F%92%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81i%82%B6%82%E1%82%AA%82%A2%82%E0%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%81X%81A%83W%83%83%83K%83C%83%82%82%F0%90H%82%D7%82%E9%90l%82%BD%82%BF%81A%90H%91%EC%82%C9%82%C2%82%A2%82%BD5%90l%82%CC%94_%96%AF%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_mangeurs


右側は、ゴッホが生活していたヌエネンというゴッホのお父さんが牧師をしていた町です。正確に言うと、オランダの発音では「ニューネン」といいます。今回の展覧会では「ヌエネン」ではなく、「ニューネン」という表記になっていますけれども、我々は「ヌエネン」という言葉に慣れているので、今日のお話でも「ヌエネン」と呼ばせていただきます。これはヌエネンの、ある農家での機織りの様子を描いたものです。タッチがずいぶん荒くて、ゴツゴツしている。そういう意味では、ずいぶん新しい要素も含んでいるのですが、しかし、基本的なタッチの使い方とか、色彩全体があまり派手でない暗い色彩であるといった使い方は、まさにゴッホのオランダ時代の典型であって、古い様式を示しています。

 これはオランダ時代、ヌエネンで描かれた静物画です。右側のものは(聖書と本のある静物画)と呼ばれるヌエネン時代の代表作で、今回の展覧会でも最初の部屋に出ている、とても立派な堂々とした作品です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv054.htm

ここに描かれているのは、フランスで当時はやっていた「黄表紙本」という黄色い表紙のゾラの小説です。この絵からは、ゴッホがオランダにいたときもフランスの文化にたいへん憧れを持っていたことが偲ばれます。しかし、この作風は、当時の印象派の向かっていた方向からはほど遠い作風を示しています。左側はリンゴの入ったバスケットですが、これもやはり同じような暗い色調を示しています。左側の作品は、1885年の(ヌエネンのポプラ並木)という題名の作品で、ゴッホがオランダを去って、アントワープを経てパリへ行く直前のオランダでの最後の作品の1点です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv065.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv001.htm


右側は逆に、アントワープを経てパリへ出た1886年の一番初期の作品です。


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1886年パリへ

ゴッホを待ち受けていた印象派の画家たち


 オランダからパリへ着いた直後のゴッホはどういう様式を持っていたかを示す作品が右側の作品で、このようにオランダの最後の作品とパリの最初の作品を比べてみると、パリへ到着した時点では、ゴッホは、まだそれほど新しいものを学んでいるわけではありません。オランダの様式をそのまま引き継いでいる。ただ、オランダのヌエネンの教会の見える田園風景から、パリのちょっと気のきいたレストランへと主題は移っていますが、まだこの最初の段階では、色彩の扱いはオランダ時代とまったく変わっていないことがお分かりいただけると思います。

 さて、70年代からヨーロッパ各国、あるいは日本の画家たちの間で、美術の都としてのパリの名声が高まっていきます。そこにいろんな様式が流れ込んでくる。そして、パリ自身が次から次へと新しい美術の動向を生み出す。そのパリにあって、ゴッホはすぐにいろんなものを吸収していくことになります。

 たとえば同じレストランを描いた絵ですが、右側もレストラン。左側はもちろん違うレストランですが、左側になると、もうみなさんがこのシリーズの中でご覧になってきたのに近い、鮮やかな色彩で、タッチなんかも細かい点々を使っています。暗い茶色でも、いろんな色を混ぜ合わせてつくるという筆触分割で表現し、絵具の鮮やかな色をできるだけ失わないように、画面の上でそれを併置していく印象派の典型的な色の使い方、タッチの使い方があらわれています。右の作品と左の作品の間は1年ほどしかないのですが、ゴッホがもうすっかりパリの最新流行の印象派の作風を吸収したことを示しています。

 これが部分です。こういう部分なんかでも、ほんとうに明るいタッチを並べていくという描き方で描いています。こちらは1887年にパリで描かれた、なんということのない主題なのですが、パリ郊外の傾斜地にある木と草とかを描いたものです。全体がとても明るい。そして点々であるとか、やや短めの、あるいはやや長くてスッとしたいろんなタッチを重ねることによって、郊外の明るい自然光の下の印象をサッと素早く描き止めるといった方法をゴッホはここで学んでいます。


モネ


 たとえば、主題は違うのですが、右側は1887年のゴッホの作品で、左側のモネの作品は1886年の、ちょうどゴッホがパリへやって来たぐらいの年に描かれたものです。たとえば空のタッチであるとか、地面の草をあらわすタッチ、全体の色調といい、まばゆい程の夏の明るい印象を生み出している絵具の色遣いと言い、筆の使い方といい、ゴッホが左のモネのような作品に学んだことが良く分かると思います。あるいは、右側はゴッホの作品、左側はモネが1878年に描いた作品ですが、たとえば、町中に三色旗が溢れている。その三色旗がチラチラと揺れている印象を、ザクザクッとしたタッチで描いている意味で有名な作品ですが、モネのものに比べると、ゴッホの場合には、もう少しタッチが大きなまとまりを持っています。ゴッホが右のような作品を描くにあたっては、左のモネの作品などをお手本としたことは、まず間違いないと考えています。

 もちろん、印象派の中にも、あるいはモネの中にも、いろんなタッチの使い方があるわけで、もう一つ違う作例をお見せしますと、左側はモネの作品の中でも全体がとても細かいタッチになっている。セーヌ河沿いのポプラ並木で、木の葉がチラチラと光を照り返す様子を大変細かいタッチに分割して表現しています。右側はゴッホのセーヌ河を描いた1887年の作品ですが、木の葉あるいは川岸の草が夏の明るい光をチラチラと反射する様子をあらわすために、こういう細かいタッチを散りばめています。この手法を見ると、やはりゴッホは印象派から、とりわけモネから学んだと言えると思います。

後期印象派の影響


 しかし、ゴッホは、印象派の展覧会に出品していたような、つまり自分より1世代ちょっと上のモネとかルノワールとかいう画家だけではなく、当時パリにいて新たに活躍を始めた、ちょうどゴッホと同世代で、後に我々美術史家が「後期印象派」と名付けることになった画家たちからも多くのものを学びます。その1例をここにお見せします。両方ともゴッホの作品ですが、ゴッホは印象派のようなタッチをモネ等から学ぶと同時に、それをもっとシステマティックにした「点描」を身に付けている。画面全体を点々点々で描いていく。点で描くことによって、より一層明るい状況を描きだすといった手法も身に付けることになります。

スーラ


 右側はパリ郊外の道の様子を描いたもの。左側はゴッホが転がり込んだ弟のテオの住居から眺めたパリの町の様子で、こういうところにまだ少し長めのタッチがありますけれども、全体を細かい点々で表現していくポワンティリスム、「点描派」の様式をゴッホはここで学んでいます。そして、その点描の様式の代表者がスーラです。ゴッホと並んで後期印象派の中に数えられます。スーラはゴッホより6つも年下ですが、ずっとパリで暮らしていて、最後の印象派展である1886年の第8回印象派展に出品しています。ゴッホからみれば、6歳も年下なのだけれども、これから本格的に絵の勉強を始めようかという状態で、出て来たばかりのまったく無名の自分に比べて、印象派の次の世代として頭角をあらわしてきた、それも印象派の手法を展開させて、印象派とは違う新たな点描の様式を紹介するような大胆な試みをやっている、言ってみれば当時の前衛画家の最先端を走っていた画家なわけで、そのスーラから、ゴッホは点描のやり方を学んで、自分でも試みます。

シニャック


 左側はスーラの典型的な点描の作品です。右側はそれを学んだゴッホの作品です。これはスーラの仲間であったシニャックの作品です。ゴッホはスーラにひかれてこういう典型的な点描の作品を描いていくわけです。ゴッホとの関係から言えば、何回か会ったことはあるのですが、それほど親しいというわけではない。それに対してゴッホとシニャックとは、個人的にもわりと親しいところがあったようです。それで、アルルでゴッホがゴーギャンとの問題を起こして入院した後、ちょうど南仏に行きがけだったシニャックが、ゴッホのことを心配してアルルに立ち寄っています。

 シニャックのこういう作品は、もしかすると、右側のゴッホの作品の直接のお手本になったのではないかと思われる節もあります。主題の点でも、ゴッホがずいぶんシニャックから学んだと思われるのは、左側はシニャックが描いたパリの郊外のアニエールにあったガスタンクが見える工場街ですが、そのアニエールの工場街をゴッホも描いています。様式の上からいうと、シニャックほどの点描ではなくて、もう少し印象派風の長いタッチなんかも見えますけれども、テーマから言うと、パリの郊外の工場地帯なんていうのは、シニャックから学んだものかも知れません。あるいは、テーマが似たもので言えば、左側は、ここにサインがあるように、シニャックが84年に描いたモンマルトルの風車です。右側はゴッホが86年に描いたモンマルトルの、風車がここにあるところで、風車の前の手すりと街路樹なのですが、同じような一連のものですね。同じような手すりと街路樹とガス灯があります。

 こんなふうに、ゴッホはパリへ出て来て、それまで自分があまり扱ったことがない都会的な風景、そういう主題、パリという町、そしてパリで活躍していた画家たちから学んでいくわけです。ゴッホはパリで風景画も描きますし、静物画もたくさん描いています。静物画といえば、先程オランダ時代のところで右側に(聖書のある静物画)と左側に(リンゴの入ったバスケット)をお見せしました。右側の作品は、バックが暗くなっていますけれども、手前の花瓶から花のところ、手前の机のところなんかは、ずいぶん鮮やかな色彩で描かれています。たとえば左側はモネが描いた静物画。モネは風景画を主体とした画家ですが、けっこう静物画にもいいものがあります。これはモネが描いた(ひまわり)の静物ですが、ゴッホはパリへやって来て、印象派の静物画のタッチもずいぶん学んだように思われます。

 これなんかは右のものに比べれば、さらに一層パリで学んだものがハッキリしているわけで、こういうところは大変鮮やかな色彩、ザクザクとしたタッチ、背景のところには、スーラとかシニャックから学んだような点々の点描のタッチが見えています。左側の作品なんかは、どう見てもオランダの画家の作品ではなくて、まさにパリの画家の作品になっています。

 
ジャポニスムの洗礼


 みなさんご存じだと思いますけれども、ゴッホがパリで学んだもう1つ重要なものがあります。それは日本の浮世絵です。「ジャポニスム」です。調べてみると、ゴッホは既にオランダにいた頃から、ある程度日本の浮世絵、日本の美術には興味を持っていたのですが、それを本格的に勉強して自分でじっくり研究したのはパリに行ってからです。

左側は安藤広重がつくった(名所江戸百景)の中の(大橋あたけの夕立)という作品ですが、それをゴッホは自分で持っていて、コピーしています。彼なりに翻案して、周りに日本風の文字などを書き込んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_bridge.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_sluie00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%89J%82%CC%91%E5%8B%B4%81i%91%E5%82%CD%82%B5%82%A0%82%BD%82%AF%82%CC%97%5B%97%A7%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_sluie


ここでゴッホが学んだものは、いくつかありますが、たとえばよく言われる「大胆な視点」ですね。橋を上から見下ろす鳥瞰図の試みや「色使い」です。あるところをハッキリと青、ハッキリと緑と塗り分けるような大胆な色使いとか、いろんなものを学んでいます、

 もう1点お見せします。やはり広重の(名所江戸百景)の中から(亀戸の梅屋敷)ですが、特にここでは広重の作品が持っている「地面は緑色」(緑色の地面なんてどういう地面だろうと思いますが)「空は赤い」というこの大胆な「緑と赤」という、いわゆる補色、ぶつかり合う色を平面的に処理していくやり方。あるいは、テーマである「梅の木」を、全体像を見せるのではなく、一番手前に持ってきて、上下左右どちらもトリミングしてしまう大胆な構図の取り方などをゴッホは学んだのです。ゴッホは印象派から学んだものとは別のものを学んでいます。


http://www.salvastyle.com/menu_japanese/hiroshige_kameido.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_prunier00&picture=%93%FA%96%7B%8E%EF%96%A1%20:%20%94~%82%CC%89%D4&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_prunier


印象派の作品からゴッホが学んだものは、言ってみれば、全体はとても明るく、そして同時に全体を細かいタッチに分割していくことによって全体の明るさ、光の様子をあらわすという手法です。

 ところが、ゴッホが日本の浮世絵版画から学んだものは、それとは逆で、全体を細かいタッチに分割するどころか、むしろどちらかと言うと、タッチを見せないで、大きな平面的な塗りに還元してしまうことです。

それはまさに日本の浮世絵が持っていたものですね。あんまりハッキリとした陰影付けもなく、たとえば木の幹の部分は若干濃淡のあるベタ塗りである。版画なのですから当然そうですね。1つの版の上に絵具を塗っていくときに若干濃淡をつけることによってしか差がつけられないわけで、本来、日本の木版画はとても平面的な表現を持っている。ゴッホがパリで日本の浮世絵版画から学んだものは、印象派から学んだものとはずいぶん違う。

 1つ共通しているのは「非常に鮮やかな色彩」です。けれども、それをどう表すかという表し方からすると、

日本の浮世絵版画からゴッホが学んだものは、むしろ平面的なベタ塗り、強烈な色彩のぶつかり合い。

それに対して、印象派から学んだものは、どこかで強烈な色彩がぶつかり合うのではなくて、さまざまな青も緑も黄色も使われているけれども、それがどこかで直接ぶつかり合うのではなくて、細かい点に分割されて画面全体に散りばめられている。


絵具を塗っていくやり方からすると、ずいぶん相反するような、その2つのものをゴッホは同時にパリで学んでいます。 もしこれがゴッホのような画家でなければ、いきなりそれが出てくるのではなくて、たとえば2〜3年は一方の方向に進んでみて、それで行き詰まったと思ったら別の方向を試みるような行き方があったかも知れないのですが、ゴッホの場合は年齢も考えて、そんな悠長なことはやっていられない。しかも、パリにいつまでいられるか分からないという事情でしたから、とにかくものすごく旺盛にさまざまなものを吸収していくことになります。

ゴーギャンとの邂逅


 ちょうど、当時ゴッホの近くにいて、ゴッホに影響を与えつつ、一方で自分自身も日本の浮世絵の表現から強い影響を受けた画家にゴーギャンがいます。左側はゴーギャンが1888年にブルターニュで描いた(説教のあとの幻想)と呼ばれる作品ですが、たとえばこの左側のゴーギャンの作品には、ゴッホが手本にしたような日本の浮世絵の影響が歴然としています。たとえばゴーギャンは、重要なモチーフである木の幹を画面の一番手前のところでぐっと部分だけ見せるという表現、地面の色としてあり得ないような赤い色を完全にベタ塗りするようなやり方を日本の浮世絵から学び、また別の部分は、ヨーロッパ中世の伝統的なステンドグラスから学びながら、大胆な色彩を輪郭線のハッキリとした平面的な色面によってぶつけていくという表現を開拓していたわけですが、ゴッホは日本の浮世絵と同時に、こういったゴーギャンのやっていたことも近くにいて十分学んでいたと思います。
 
 ゴッホがパリで学んだものは、まず先輩格であった印象派、とりわけモネなんかのタッチ、それから、そこを引き継いで、彼と同じような世代の前衛の先頭に立っていたスーラの点描のやり方、それから、後にゴッホやスーラと一緒に後期印象派にくくられることになるゴーギャンが示していた強烈な色彩による平面的な画面構成です。そういうさまざまな異なるものをゴッホはパリで吸収し、そしてそれをまとめていく次の段階に入っていくのです。

印象派の発展的解消と後期印象派の台頭


 1886年から88年にかけてがゴッホのパリ時代ですが、実は86年にパリへやって来て、88年頃までパリに暮らしたというのは、たまたま偶然だったのですが、西洋の印象派以降の絵画史の中でとても重要な偶然だったと思います。というのは、先程も申し上げたように、1886年というのは最後の印象派の展覧会の年でした。最後の印象派の展覧会をゴッホは見ることができたわけです。さらに重要なのは、たまたま最後の印象派の展覧会のあった1880年代の半ばというのは、印象派の画家たち、60年代後半から活動を始めて74年に第1回の印象派展というデモンストレーションから世にだんだん知られるようになっていった印象派の画家たちが、ある程度世の中から評価を得る一方で、同時にひとつの曲がり角に差しかかった時期でもありました。

 1886年の印象派展というのは、参加している人を見ても、それまでの印象派展とはずいぶん違います。当初からのメンバーで参加しているのはドガとピサロだけです。シスレーもセザンヌもモネもルノワールも参加していません。それに代わって、第4回から参加していたゴーギャンが最後にも出品しています。それから先程お話をした前衛のトップを走っていたスーラ、そしてシニャックが参加しています。つまり第8回の印象派展というのは、もう印象派展というよりも、今日の我々からすると、後期印象派展のような様相を呈していたわけです。

 さらに言うと、1886年の第8回の印象派展には、今日の我々からすると想像もつかないような画家の名前が見られます。その代表格は誰かというと、ルドンです。ルドンというと象徴主義の画家であって、印象派とはまったく反対のように思われる画家ですが、そのルドンが参加しています。そういうことから考えると、もう第8回の印象派展というのは、ほとんど印象派展とは言えないものです。

印象派の中でも、その周辺でも、次の世代が80年代から登場し始める。そういう状況があって、印象派の画家たちもちょっと売れるようになってきている。けれども、もう次の世代が新しい様式をもって追いかけて来るときに、自分たちはどうやってそれに対抗して世の中に訴えかけていくかということを印象派の画家たちが本気で考えなければならない。それが1880年代に起こったのです。 そのような印象派と後期印象派、新旧の世代がちょうど交差する、その一番いいときにゴッホはパリにやって来たわけです。

印象派の画家たちの中でも、ほんとうに「風景画がメインだ。風景画が勝負なのだ」というのは、実はモネ一人ぐらいなわけで、考えてみると、印象派の画家たちは風景画をずいぶん大事にしたわけですが、彼らが美術界の中で、あるいはパリの画壇の中で、ここ一番勝負というと、やっぱり伝統的な人物画を描く。これは西洋絵画の長い伝統ですから、それに逆らえない部分があります。

 ゴッホが86年にパリへやって来て出会った印象派の画家の多くは、その心中にまだ根強く人物画の重要度を認識している人たちで、印象派の画家たちが曲がり角に差しかかって、人物画が再びクローズアップされつつあった。まさにそういう時期でした。この86年から88年という時点において、風景画をメインに描いていたのは二人。一人はセザンヌ、もう一人はモネだったわけですね。左側はセザンヌが82年から85年にかけて描いた南仏のエスタックの風景です。右側は86年から90年頃だろうと言われているエスタックの風景です。

 印象派の中で風景画を描くセザンヌとモネの二人のうち、ゴッホがパリにやって来たとき、セザンヌは既に南仏へ帰っていて、こういう南仏風景をパリへ送って発表していたわけです。もう一人、モネという人は、最初から風景画家になるつもりはおそらくなくて、できれば人物画で成功したかったはずです。モネが初期にサロンに送ろうとしていた、あるいは送った作品は、こういうものだったわけですね。等身大の大画面の人物画ですが、それがうまくいかなかったのでモネは風景画に転向していったという部分もあると思います。この左側の1886年の(日傘をさす女性)、これは2点あって、対になっています。それから右側、これは西洋美術館にある(舟遊び)という作品ですが、この2点がモネが大画面で描いた人物画のほとんど最後のものです。86年、87年にもう一度こういう人物画を描いたのを最後として、モネは決然として大画面での人物を捨てて、風景画へ戻っていくことになります。

 このように、ゴッホがパリにいた86年、87年というのは、まさにモネにとってもルノワールにとっても大きな曲がり角でしたし、印象派の中で風景画がどういう位置を占めるかということにとっても、とても大きな曲がり角であったわけです。そして、もう1つ、非常に興味深いことは、そのような印象派の中でも、風景画を自分の当面のメインのフィールドと考えたセザンヌとモネという二人の画家が、ちょうどこの頃、二人とも南仏風景を描いていたことです。先程も言ったように、セザンヌは1882年にエクスへ戻って、それからしばらくは、もちろんパリと行ったり来たりしますけれども、彼の主題は南仏風景なります。他方、これは、両方ともモネが描いた、モナコの近くのボルディゲラの風景ですが、モネは1884年に初めて南仏へ行って、こういう南仏の植物が生い茂るような、そして青い海がある地中海の風景を発見します。そして84年に地中海を発見したモネは、もう一度88年に南仏へ行って、このような作品を描きます。

 これは偶然なのですが、84年代の半ばから後半にかけて、印象派を代表する二人の画家たちが、自分たちの風景画の新たなテーマとして南仏を発見した。これはとても重要なことで、なぜこのことを強調して申し上げるかというと、ゴッホがパリでいろんなものを吸収した後、パリを離れて、何か独自のものを描きたいと思ったときに選んだのが南仏だったからです。


パリを去るゴッホ

南仏の開拓者になりたい

 パリを去ったとき、ゴッホはいくつかの選択をしました。その1つの重要な選択は、パリでいろんなものを見てきた末、自分は人物画ではなくて、風景画を当面メインにしようという選択です。それをゴッホは決意したと思います。そして、自分が風景画で生きていくために、風景画で新しい分野を開拓していくために、どこへ行けばいいのかと考えたときに、ゴッホの重要なお手本になったのは、セザンヌとモネであったと思います。南仏の明るい光、まだパリの人達があまりよく知らなかった新鮮な南の明るい光の中での風景画を自分が開拓したい。ゴッホは手紙に書いています。アルルから弟のテオに宛てて、「自分はいまようやく始まった南仏の開拓者の一人になりたいのだ」と言っています。

何のために?


 ゴッホは、当時の印象派の風景画の中で、明るい色彩と明るい絵具のタッチで戸外の風景を描きだしていく印象派に最もふさわしい主題として、これからは「南仏があるんだ」ということをセザンヌやモネの作品から学んで、そして南仏へ行く。ゴッホはなぜ南仏へ行ったのだろうか。そして、南仏の中でもなぜアルルだったのかは分かりませんが、南仏という選択は、ゴッホが風景画という選択をしたことと強く関わっていると思います。

 ゴッホが実質的に絵画を制作していた期間は10年にならないんですね。その間に880点の油彩画を描いていますから、1年間に90点近く。これはものすごい制作力です。そのことは別として、いまこの話の中で参照していただきたいのは、油彩画の中で、風景画と人物画とその他がどれくらいの割合であるかということです。ゴッホは最初は人物画でいきたいと思っていました。誰でもそうです。最初から風景画でいこうなんて思う画家は、この時代にはまだいなかったでしょう。

 絵画として一番ランクの高いのは人物画ですから、画家を志そうとした人は、まず人物画を描きたいと思うわけです。たとえば本格的に絵画を始めた最初の頃の作品数を見ると、ハーグ時代は25点、ドレンテは10点ですから、ある程度の有効な統計的な数字があらわれるのは、ヌエネンでの190点ですが、その190点のうち、風景画はたった25%で、大部分、半数以上が人物画です。(馬鈴薯を食べる人々)を含めて、様々な農民の姿とか(機を織る人)とか、風景が背景にあっても、メインに人物が大きく描かれた作品、これがゴッホのメインです。

 そしてゴッホがやりたかったことが一番典型的にあらわされたのは、テーマはもちろん「農民の家族」ですが、複数の人物。実際に彼が描いた(馬鈴薯を食べる人々)はそれほど大きくない作品ですが、あれを大画面に描くことが彼の夢であった。大画面の複数の人物からなる群像構成が彼の夢であったわけで、ヌエネンで描かれた、たくさんの農民の頭部などは、そういう大画面構成の群像構成の習作であったわけです。そういう意味では、ヌエネンでのオランダ時代の彼の興味は人物画にあった。それからアントワープの10点というのは、これはちょっと過渡的なところで、あまり参考にならない数字ですが、人物画が7点です。

 パリに行くと、これはとても不思議なのですが、人物画も風景画もパーセンテージは減って、その他が多くなります。その他の圧倒的多くは静物画です。 その後、アルル、サン=レミ、オーヴェールと行くにしたがって、彼のたくさんの作品の中で風景画の占める割合がだんだん高くなっていきます。それに対して、人物画の占める割合がだんだん少なくなっていきます。ハッキリと統計的な数字から分かることは、ゴッホがかなり意識的に自分のメインをだんだん人物画から風景画へ移していったことです。

 美術史という学問は、ただ何となく感覚的に見ているだけではなくて、このようにある程度数字で出してみる。そうすると、特にゴッホのように作品点数が多い画家の場合は、ある程度有効な統計的な数字が出て来ます。これを見ても、ゴッホがパリを発ったとき、アルルで何をやろうかと考えたときのメインは、おそらく風景画にあった。風景画をやりたいと思ったからこそ都会を離れた。風景画のテーマとして当時セザンヌやモネが開拓しつつあった南仏へ行ったのは、気まぐれの思いつきではなく、自分の道はどこにあるかを考えた上での結論だったと私は思っています。


アルルで明確になった進路


 ゴッホの進む道は、アルルへ行った時点でかなりハッキリしていたと思います。アルルでゴッホがやることは戸外の明るい風景画です。自分が使う様式、手段は、「明るい絵具」と、印象派から学び、部分的にはスーラから学んだ「点描」、モネから学んだ「自由なタッチ」であることをゴッホはハッキリと意識していたと思います。2月にアルルに行くのですが、左は最初の花咲く時期に描いた作品で、右は夏の盛りになってきた時期のものです。こういう明るい戸外の花咲く庭ですが、とりわけ右の絵は花の1つ1つが点々というタッチで描かれていて、アルル時代の作品の典型的な様式を示しています。こういう自由なタッチで明るい風景を描くことをゴッホはアルルで展開していきます。 

 テーマからすると、もうほとんど何ということのない、何かとりわけて見どころがある風景というわけではなくて、身の回りにある明るい光の中の風景を手当たり次第にゴッホは描いていくことになります。アルルという町は地中海に面してはいないのですが、地中海に面したサントマリーというところに3泊程で遠足に出掛けて、地中海の海の様子とか、サントマリーの町、青い空の下でラベンダーの花が咲いている典型的な南仏の風景をゴッホは熱につかれたように描いていくことになります。アルルの周辺は穀倉地帯であり、6月も盛りになってくると、あたり一面、小麦が黄金色に実ります。何が描かれているかというモチーフからいっても構図からいっても、とても単純なものですが、右の作品も左の作品も、そうした様子を明るい色彩と活き活きとしたタッチで描いているところが見どころです。

 ゴッホは弟のテオ宛ての手紙で、南仏の明るい太陽に照らされた運河の水を「エメラルド色のような」と表現していますけれども、そういう水の美しさをゴッホは描きました。海、空、麦畑、花畑、運河、そういったものをゴッホは描き続けていく。今日われわれが典型的なゴッホだと思うような作品が次から次へと生み出されていくことになります。それだけではなくて、夜の風景、とりわけ青い空に星が輝く、澄みきった南仏の深い青い空に星が輝く、そういう夜景も描いています。右側のものは、一昨年日本でやった「ゴッホ展」にきていたもので、左側は今回の「ゴッホ展」にきている、アルルで描かれた夜景の中でも代表的な作品です。

人物画を描きたい


 こういうふうにゴッホは、アルルで次から次へと風景画の素晴らしい作品を生み出していったわけですが、もちろんある程度、人物画も描いています。またアルルでも、ゴッホは最終的には人物画を描きたいという希望を捨ててはいません。何しろ自分と同じ世代で、自分より先を走って行くスーラやゴーギャンが人物画でとても素晴らしい作品を描いていることを知っています。だから「自分はできれば人物画を描きたいのだ。でもまだ自分は人物画を描くほどの力がない。力がないから、とにかく、いまは風景画を描いているのだ」と弟のテオには言っていますけれども、それでもモデルが得られて人物画を描くチャンスがあれば、肖像画のようなものを描いています。

 たとえばアルルで描いた代表的な肖像画でいえば、アルルにたまたま滞在していたベルギー人の画家であるウジェーヌ・ボックという人を描いた左側の作品、それから右側はアルルで知り合った年老いた農夫を描いた作品ですが、こういうような、とても力強い肖像画も何点か残しています。ただ、アルルで描いた肖像画に共通することなのですが、風景画と比べると違う。


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アルルでの風景画で、ゴッホは、パリで学んだものの中で言えば、モネとかスーラから学んだものを生かしていたのですが、たとえばこの2点の肖像画はどうでしょうか。ゴッホがパリで学んだものからすると、お手本は何でしょうか。モネやスーラではないですよね。たとえばゴーギャンとか、日本の浮世絵とかいうものですよね。

つまり、輪郭線がハッキリしていて、その中であんまり細かい筆のタッチを見せない。大胆な色彩、たとえば「オレンジと青」とか、「青と黄色」とか、強烈にぶつかり合う補色関係に近いような強烈な色面を、いきなり輪郭線を通してぶつけ合う。つまり日本の浮世絵とか、ゴーギャンやその仲間のベルナールがやっていたような「クロワゾニズム」、黒い輪郭線の中に鮮やかな色彩を埋めていくやり方に近いものを示しているのです。

 メインは印象派、スーラの流れを引く鮮やかな細かいタッチで色彩を散りばめていく風景画だったのですが、一方では、このような違う様式を持った人物画、肖像画もアルルでは並行して描かれていました。そのようなゴッホの持っているアルルでの二面性が、ゴーギャンが来ることによって大きくバランスを崩すことになります。言うまでもなくゴーギャンはこちらの様式を持った人ですね。そして人物画をメインとする画家であるわけです。


人物画への傾斜


 1888年の秋にゴーギャンがアルルにやって来ると、これはハッキリとパーセンテージ的にも言えますけれども、ゴッホの中では人物画が増えます。これは、私が学生時代にクレラー・ミュラー美術館で手持ちで撮影したものなので、ちょっとぼけているかもしれませんけれども、今回の展覧会にきている(ラ・ベルスーズ)と呼ばれている、ゴッホがアルルで親しくしていた郵便配達夫、左側のジョゼフ・ルーランという人の奥さんの肖像ですが、こういう人物画が多くあります。


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この2点とも、ゴーギャンが来てからゴッホが描いたものです。秋から冬に向かうにしたがって、南仏でも寒くなりますから、戸外での風景画より室内での人物画ということはあると思いますけれども、何よりもゴーギャンが来てから人物画が増えたのは、ゴーギャンの圧倒的な影響によるものに間違いありません。

 これは先程右側に出ていた、オーギュスティーヌ・ルーランという同じモデルをゴッホとゴーギャンがイーゼルを並べて描いたものです。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_-_Madame_Roulin.jpg

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv009.htm


中央にモデルがいて、右側と左側から描いています。たとえば、このゴッホの作品の場合は、左側のゴーギャンの作風ですね。画面全体を輪郭線をもった大きな色面で構成していくことが非常によくあらわれていて、とにかくキャンパスを並べて描いていますから、影響がないわけはない。とりわけゴッホはゴーギャンのことをとても尊敬していますから、ゴーギャンの影響がとても強く出てきます。
これもゴーギャンを手本にしたもの。ゴーギャンがアルルで描いたアルルの公園の様子。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin20.html

ゴッホはそれを見た上で描いた。これはアルルの情景ではなくて、ゴッホが(エッテンの庭の思い出)、つまり昔両親と一緒に暮らしたオランダの様子を思い出して描いているものです。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh86.html

 タッチからすると、まだここにはスーラ張りの点描が見えます。けれども、スーラ張りの点描はありながら、画面の構図とか、それぞれの部分を大きく輪郭線でくくって色と色をぶつけ合うといったところは、完全にゴーギャンの影響下にあります。そして何よりもゴーギャンの影響が最も強くあらわれているのは、そもそも(エッテンの庭の思い出)という主題自体です。

 それはどういうことかというと、ゴーギャンという人は、とにかく人物画を描く。そして

「人物画でも最高のものは、宗教画とか歴史画とか物語画とかいうもので、そういうものを画家は想像力で描くんだ。あくまでも一人一人の人物はモデルがいて、描くのだけれども、たとえばイエス・キリストを描くときに、イエス・キリストそのものがいるわけではなくて、誰か男のモデルを写した上で、しかし描かれる世界は空想の世界なのだ。絵画は頭で描くのだ。テキストを読んで、そのテキストをどうやったら視覚化できるかを考えて頭で描くものなのだ。抽象のものなのだ」

という考え方をゴーギャンは持っていました。 ですから、ゴーギャンはゴッホにいつもこう言います。

「君はとにかく目の前にあるものしか描かないけれども、それでは画家としてほんとうの歴史画とか宗教画は描けない。ほんとうに歴史画とか宗教画とかを描きたければ、目の前にある人物をモデルにしてもいいけど、作品の主題自体は頭でこしらえて描かなければいけない」。

そのゴーギャンの言うことを受けた上で、ゴッホはゴーギャンがいるときに何点か頭で描く作品を描いています。そのうちの1点がこれです。つまり、いま目の前にはない、自分の記憶の中にしかないエッテンの庭の光景、実際いま目の前に見えていない人物、具体的に言えば自分のお母さんと妹なわけですが、それを自分の想像力で描くことをゴッホはここでやっている。

 ただ人物画であるというだけでなく、あるいは構図とか色彩の扱い方にゴーギャンの影響が強くあらわれているだけではなくて、作品の描き方、描く態度、主題自体が実はゴーギャンの影響をとても強く受けているのです。ゴッホがそれまであまりやってこなかったことを、ゴーギャンとの共同生活の中でゴッホは行っています。

 先程お見せした絵で描かれているモデルは、オーギュスティーヌ・ルーランという、当時アルルに暮らしていた郵便配達の奥さんですが、しかし、この作品は単にオーギュスティーヌ・ルーランの肖像であるだけではなくて、ここに(ラ・ベルスーズ)とわざわざ題名が書いてあります。「ラ・ベルスーズ」とはどういうことかというと、「子守女」あるいは「子守歌」ということです。ゴッホは自分の弟のテオに宛てた手紙の中で「この作品はこういうふうに飾ってほしい」と書いています。真ん中に「ラ・ベルスーズ」を置いて、両脇にひまわりを置くという構成は、昨年、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でやった「ゴッホと花の展覧会」でこういう飾られ方をしたので、覚えていらっしゃる方もあるかと思います。

 結論だけ言うと、ゴッホはこういうふうに飾ることによって、宗教的な三幅対、真ん中に聖母子像があって、両脇に複数の聖者たちがいる三幅対を考えているので、ゴッホはこれを宗教画として考えている。

つまり実際に描かれているのは、目の前にいるオーギュスティーヌ・ルーランという個人なのですが、そこに描きたかったものは、個人であるよりも、むしろ母親、たとえば聖母マリアといったものだった。

そういう意識があるわけで、そういうことからすると、やはりこれもゴーギャンがいたからこそ描かれた、とても概念性の強い作品だと言っていいと思います。
 これもやはりゴーギャンの影響下で描かれたもので、左側はゴーギャンがアルルの酒場を描いたものであり、この手前に描かれているのは、その酒場の女主人であったジヌー夫人という人です。

http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin18.html


この作品を見て、ゴッホはこういう作品を描いています。人物画です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_ginoux00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%8F%97%81i%93%C7%8F%91%82%B7%82%E9%83W%83k%81%5B%95v%90l%81A%96%7B%82%F0%8E%9D%82%C2%83W%83k%81%5B%95v%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_ginoux


そして、ここでもゴッホは、単にジヌー夫人の肖像画ではなくて、ここに本を置いており、(読書する人)というような、単なる肖像画ではない意味を与えています。これも、主題の上でも描き方の上でもゴーギャンの影響がとても強いものです。くっきりした赤、緑、黄色、青というような色をぶつけ合っています。

本領を封じられたゴッホ


 けれども、ゴーギャンの影響下で描かれたこういう作品、とりわけ概念性の強い人物画の大多数は、結論から言ってしまうと、失敗作だったと言っていいと思います。つまり、ゴッホは本来目の前にあるものを目の前にあるように描く。それから何よりも、きっちりとした枠取りの中にものの形をおさめるよりも、自由なタッチを使って描く。自由な色彩を画面全体に散りばめて描くのがゴッホの本領だったと思うわけで、ゴーギャンに強くひかれたアルル時代の88年の秋から89年の初めまでは、ゴーギャンが来なければ、本来ゴッホがパリで印象派から学んだことからアルルの風景画で一気に進められたものが、ちょっと逆戻りした時代だと私は思っています。

 本来ゴッホが持っていたものに本来のゴッホとは異質なゴーギャン的なものが入ってきたことが、単に美術史の上だけではなく、、ゴッホとゴーギャンが個人的にぶつかったことの1つの原因でもあったと思います。 様式の上で、ゴッホとゴーギャンがアルルで暮らしていた時代は、ゴッホにとってはちょっと不本意ながら、ゴーギャンに強くひかれ過ぎた時代だと私は考えています。


アルル時代に描かれたゴッホの駄作


 ゴッホがアルルで描いた、ゴッホの全生涯を含めて最も駄作と思われる作品をここでお見せします(笑)。これは日本の個人蔵となっています。もしかすると、この中にお持ちになっている方がいらっしゃるかもしれません(笑)。そうでしたら大変申し訳ないと思うのですが、これはゴッホが想像で描いたものです。まさに右にあるのと同じような(読書する)という絵。ここに電球か太陽かよく分からないものがある。つまり「読書」によって「精神の光」をあらわそうとした、とても概念的なものです。しかし、電球だか太陽だか分かりませんし、図書館の中で本を読んでいる女性なのですが、手といい顔といい、デッサンも何もなっていなければ、構図もないというような作品です。これもゴーギャンの影響で、「読書は精神の糧なのだ。光なのだ」ということを無理やり表現しようとした結果、どうしようもない作品になっている(笑)。

 やはり本領はこういうところにないという1例と思っていただきたいと思うわけです。ゴッホの本領はこういうところですね。これは残念ながら今回の展覧会にはきていませんけれども、クレラー・ミュラーが持っているとても素晴らしい作品ですが、何の変哲もない平べったい平地を縦にくるタッチ、横にくるタッチ、細かいタッチ、様々なタッチのバリエーションをつけながら見せていく作品です。
 これは先程右側に出ていた作品の部分です。全体として、どこが緑色、どこが青というように大きな塊はないけれども、画面全体にいろんな色彩があり、花とか草とか木とか、それぞれ描く対象に応じて、それを描くのにふさわしいタッチを見せていく。これがやはりゴッホの本領だと言っていいと思います。これもアルルの作品です。これはアルルの郊外のモンマジュールというところに修道院の廃墟があるのですが、そこの風景です。これは部分図です。

 部分図だとよく分かると思いますけれども、ゴッホにとって絵具は単にものを描写する手段、たとえば木の幹だとか葉っぱを描写する単なる描写の手段ではなかった。まさに画面の中に絵具というツヤのあるものを置く。しかも同時にそれが葉っぱであったり、雲であったり、木の幹であったりする。絵具であると同時に葉っぱであり、葉っぱであると同時に絵具である。そのようなものとして、筆を使って絵具を画面に置いていく。場合によっては、指を使ってこねていくといったように。

 ゴッホにとって絵は、概念的なものであるというより、絵具、絵具のタッチ、筆が画面の上に残していく痕跡といったようなものです。目の前にある葉っぱとか岩とか雲がダイレクトに黄色い絵具とか緑の絵具に結び付くのが彼の制作のあり方です。もちろん、そういう制作のあり方を最初に開拓したのは印象派の画家たちです。中でもとりわけモネだったと思いますが、そのようなモネが開拓した、絵具と目に見える世界との関係をさらに先へ進めたのはゴッホであった。その道を如実に示しているのがアルルでの風景画だといわれています。 

 左側はアルルでの風景画の1つの極です。細かいタッチよりも長いタッチで、枯れていくような、あるいは夏の光でまっ黄色になった草と柳の枝が描かれている。太陽から発する光を絵具の筋、タッチだけで示している。

 右側の絵は、アルルの運河に輝く光、水の輝きを、単なる色だけではなく、タッチであらわしていくというゴッホの目指していたもの、印象派からゴッホが引き継いで完成させていったものを示していると思います。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Starry_Night_Over_the_Rhone.jpg

こういう作品を見ると、ゴッホにとっての印象派は、必ずしも鮮やかな色彩が充ち満ちているものとは限らなかったのですね。

 たとえば印象派の中でも、ほとんど色彩がない「雪景色」などがけっこう重要な役割を果たしていますから、「印象派の作品=鮮やかな色彩」とは必ずしも言えないのですが、ゴッホの作品の中でもそうです。たとえば、左側の(星月夜)にしても、色からすると単なる青と部分的な黄色だけです。


http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh49.html

だけど、その青と黄色という非常に単純な2色が、さまざまな絵具のタッチの組み合わせによってこれだけ複雑な画面を生み出し得ることをゴッホは示しています。左側の作品には鮮やかな青があります。


色彩、タッチ、絵具のツヤ


 右側の作品なんかには、ほんとうに色らしい色はない。みんな中間色、もやっとした灰色に近い色です。これは耕された畑をあらわしています。印象派の作品と比べると、とても地味な作品ですが、この作品が何でもっているかと言えば、まさに掘り返された畑のうねの盛り上がった土の様子、ここの部分図です。鋤(すき)を押して畑を耕している人物が描かれている部分ですが、こういう畑の土の盛り上がり、あるいは人物、馬、空の雲、そういうものが、まさにハッキリとした手応えをもった絵具のタッチでこしらえられている。ゴッホにとってほんとうに風景画で大事だったのは「色彩、タッチ、絵具」なんですが、こういう作品を見ると、その中でもほんとに「タッチ」がとても重要だったことが分かると思います。


絵具のツヤ


 スライドで見るとよく分かりませんが、ゴッホにとって絵具が大事だったことは、展覧会の会場で見ていただくとよく分かります。今回の展覧会の会場には30点のゴッホの作品の他に、ゴッホに影響を与えたシニャックとか、ゴーギャンの仲間だったラバールであるとか、セザンヌの作品も出ています。それをご覧になっていただくとよく分かるのですが、そもそもセザンヌにしてもゴーギャンにしても、こういう「盛り上げ」というのは使っていません。わりと全体に層の薄い絵具です。それをゴッホと比べてみると、とにかくゴッホは絵具の盛り上がりがものすごいことが分かります。 

 もう1つ違うところは、ゴッホがセザンヌやゴーギャンやシニャックとハッキリ違うところは「絵具のツヤ」です。ゴーギャンやセザンヌやシニャックの画面の表面はカサッとしています。セザンヌやゴーギャンやシニャックは、絵具をわりと多くの揮発性の油で溶いて、表面をカサッと仕上げます。とりわけゴーギャンという画家は、ちょっと粉をふいたような、白っぽくなったくらいの表面のテクスチュアを好むのですが、ゴッホは絞り出したまま、ほとんど揮発油で溶かないツヤツヤとした絵具を好みます。会場でご覧になると、そのことがとてもよくお分かりになると思います。

 ゴッホはそれほど絵具のツヤを大事にした。セザンヌやゴーギャンやシニャックにとって、絵具は、自分が描きたい対象なり主題なりを描くための手段という部分があります。けれども、ゴッホの場合は、絵具が単なる手段ではなくて、絵具がそのもの自体としてツヤを持ち、盛り上がりを持ち、存在感を持っている。絵具は「畑の土であると同時に絵具である」といったこと、それはゴッホがパリで印象派に学び、スーラやゴーギャンからもいろいろ刺激を受けながら自らの道としてアルルで確信し、展開していったと思われています。

 これなんかも、色彩からいってもテーマからいっても何の変哲もないもので、まさに「絵具のタッチを見せる」「絵具のタッチを感じてほしい」それだけで成り立っているような作品ですね。あるいは、今回来ているアムステルダムのゴッホ美術館の(種蒔く人)。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh35.html
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh36.html

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_semeura00&picture=%8E%ED%82%DC%82%AD%90l%81i%8E%ED%82%F0%82%DC%82%AD%90l%81A%94_%95v%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_semeura


この左側の(種蒔く人)は6月に描かれたもので、まだゴーギャンが来る前のものです。ですから、画面全体はわりと単純であるし、(種蒔く人)という主題は、ゴッホにとっては概念的なものなのですが、種蒔く人の姿もそれほど大きくはなっていません。

 先程の話にもう一度戻ると、同じ(種蒔く人)でも、これはゴーギャンが来る直前に描いたものです。種蒔く人が風景画全体の中で一番小さくなっている。色彩の点でも地味なものになっていて、むしろ畑のごつごつとした土がメインになっている。ゴーギャンが来る直前には、ゴッホはここまで風景画の試みを進めているのですが、ゴーギャンが来ると、この同じ(種蒔く人)という主題でも、ずいぶん違ったものになります。

 これがゴーギャンが来たときに描かれたもので、ゴーギャンが来る前はこうだったものが、ゴーギャンが来ると、いきなりゴーギャン張りのものになって、「種蒔く人」も画面の後ろのほうにいるのではなくて、中央に出て来ることになります。そして、これが一番ゴーギャンの影響の強い(種蒔く人)です。先程、ゴーギャンが来たことによって人物画がメインになってきたと言いましたけれども、風景画の中でも、たとえば(種蒔く人)を描いた風景画の中では、これだけハッキリとゴーギャン張りの作風が強くなってきます。

 これなんかは、ゴーギャン張りであると同時に、パリで学んだ広重、日本の浮世絵から学んだようなものが強く反映されています。あるいはゴーギャンが直前に描いたこういうものの影響は明らかです。それから、ゴーギャンの影響という点で忘れることができないのは、左側のゴーギャンが描いた(青い木のある風景)。これも当時のゴーギャンの典型的な風景画で、ゴーギャンはこういう様式を持っていたのですが、おそらく「風景画もこういうふうに描け」とゴッホに言ったのでしょう。
 それがよく分かるのは、ゴーギャンがゴッホと机を並べて描いた(ルーラン夫人)です。背景にあるこれ、何だと思いますか? 実はゴーギャン自身の絵なんですね。おそらくゴーギャンは、この絵をアルルへ持って行き、ゴッホに見せることによって、ゴッホの目の前で「風景画はこう描くものだ」と示したのでしょう。
 これだけではありません。これはゴーギャンがアルルで描いた有名な(ゴッホの肖像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paul_Gauguin_104.jpg

ゴッホが(ひまわり)を描いているところ。アルルで、ゴッホの前でゴッホの肖像を描いた、その背景にも、やっぱり同じ作品の部分があります。ちょっと構図は違いますけれども、黄色い道があって、緑の道があって、青い木が生えている。だからゴーギャンはゴッホの前で、風景画においても「とにかくこう描くのだ」ということを、とてもハッキリと強要したと言ってもいいと思います。そういうことをやっている。ですから、人物画ではなくて、風景画においても、ゴッホの中には大変ハッキリとゴーギャン張りがあらわれてきます。 

 これはアルルの有名な名所である古代の石のお墓が並んだ並木道です。実際のアルルの景色を前にゴッホが描いたものですが、これは明らかにゴーギャンのこの作品を手本にしていますね。


http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin98.html

ゴーギャンの作品を手本にして、それを非常に単純にしたようなもの。
ですから、ゴーギャンが来たことによって、人物画がメインになっただけではなく、風景画においても、ゴッホがそれまで持っていたアルルで獲得した持ち味がなくなって、言ってみれば、紋切り型というか、型にはまったような風景画になってしまったのです。


サン=レミからオーヴェールへの旅立ち


 もう1点、これなんかも典型的ですね。左の絵なしにはあり得ないもので、これなんかも、ゴッホの作品の中では、ほんとうに型にはまった身動きのとれないものになっています。もちろん、手前に木の幹を並べて、画面の上とか下で切ってしまうというのは、広重の作品なんかでも見たような、日本の浮世絵の影響がありますが、そういう日本の浮世絵から受けた影響なども、とても図式的なものになっていると言わざるを得ないと思います。

 こういうふうに、88年の10月からゴーギャンの影響があって、12月にゴーギャンとの決定的な衝突があって、耳切り事件があって、ゴッホは入院する。その間にゴーギャンは怪我をして入院したゴッホを置き去りにして、パリに逃げ帰ってしまうわけです。しかし、ゴーギャンがパリに逃げ帰ったことは、個人史としてはともかく、美術史の立場からすると、ゴッホにとってはとてもよかったと思います。つまりゴーギャンがいなくなったことによって、制作の上ではゴッホはすぐに自らを取り戻します。

 自らを取り戻したところ。これは、ゴッホが入院していたアルルの病院の中庭を描いたものです。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_jardin00&picture=%83A%83%8B%83%8B%82%CC%95a%89@%82%CC%92%EB%81i%83A%83%8B%83%8B%82%CC%97%C3%97%7B%89@%82%CC%92%EB%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_jardin

もうここでは、ちょっと前の、とてもゴーギャンの影響の強かった、画面全体を非常にハッキリとした輪郭線で描き、タッチが見えないほど激しい色彩をぶつけ合っていくといった様式は、すでに跡形なくなっています。たとえば、直前に見た作品と比べてみれば、ゴッホがここで再び、画面全体に散りばめられた鮮やかな細かいタッチを取り戻していることがわかります。

 左側も1889年の初めに描かれたもので、主題から言えば、手前に木を置いて、日本の浮世絵の構図の影響があるものですが、画面全体は青、白から水色、青緑という1つの色調に整えられており、その中で、手前の部分はこういう方向へ、この部分はこう、幹はこういうふうにうねるような色彩で、花咲く果樹はこういう色彩と花をあらわすプツプツとしたタッチで、空の部分は横の方向へ進む短いタッチで、というふうに、ゴーギャン滞在中に抑えられていた様々なタッチのニュアンス、バリエーションといったものが再び登場しています。

 ゴーギャンが去った後、すぐにまた本来の自分の様式を取り戻したゴッホは、この後、誰にも邪魔されず、アルルから離れたサン=レミの病院に閉じ籠もります。個人史からすると、「病院に閉じ籠もる」というのは大変なマイナスですが、誰の影響も受けず、誰からも何も言われずに、自らの思うまま、周辺にある自然を相手にして描く、そういう環境が生まれたという点においては、アルルからサン=レミに移ったことも、美術史からすると、ゴッホの様式の展開のためには幸運だったという気もします。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari1/main.html


重工業化、近代工業化とともに、前の時代までの支配階層(王候貴族等)と市民と農民階層(平民たち)という身分制社会構造が、いわゆる資本主義の構造へと変化していく過程として急速に出現してくる。それが19世紀半ばから第1次世界大戦までの時期です。

 その間に大変な転換が見られるわけで、いわゆるバブル期もあれば、その反動としての恐慌もあるといったバブル・恐慌を繰り返しながら雪ダルマ式に近代資本主義世界が展開していく時代が、まさに美術史の上で言う印象派の登場からゴッホが死ぬあたりまでの大きな転換期であったわけです。 印象派やゴッホの絵画には、そのような社会的な大きな流れがいろいろな意味で深い関係を持っていたということがきょうのお話になります。

ゴッホの自画像

 
このスライドは、左右両方ともゴッホが描いた(自画像)です。左側のパリで描いたものは、印象派あるいはスーラなどの影響を感じさせます。明るく鮮やかな色彩、細かいタッチで描いていくという作風だったわけですね。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:WLANL_-_MicheleLovesArt_-_Van_Gogh_Museum_-_Self-portrait_1887_-_1888.jpg


 それに対して、右側はアルルで描いた(自画像)です。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vincent_Willem_van_Gogh_111.jpg


先週見たように、アルルでは、風景画でずいぶん大胆な展開がいろいろあったわけですが、人物画の場合にはどちらかというと、奔放なタッチを見せるというよりは、わりと輪郭線がはっきりとして、大きく色の面が並べられるといった作風になっています。もう一つアルルでの人物画の特徴は、わりと抽象的な概念が付いているということでした。これも有名な、日本のお坊さんとしての(自画像)というものですが、かなり概念性の強いものですね。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memec00&picture=%91m%97%B5%82%C6%82%B5%82%C4%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


 アルルでの人物画の特徴をいちばん典型的に示している(自画像)といえば、この作品です。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_memeb00&picture=%83p%83C%83v%82%F0%82%AD%82%ED%82%A6%82%E9%95%EF%91%D1%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81i%93%AA%82%C9%95%EF%91%D1%82%F0%8A%AA%82%AB%96%D1%94%E7%82%CC%96X%8Eq%82%F0%94%ED%82%C1%82%BD%83p%83C%83v%82%CC%8E%A9%89%E6%91%9C%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh


ゴーギャンとの事件があり、入院して、まだ退院できるかできないかという頃に描いた、パイプをくわえて、耳を切ったあとの包帯がある(自画像)ですが、まさにゴーギャンの影響が典型的に表れていますね。

 ちょうど同じころゴーギャンが描いたゴーギャンの(自画像)もずいぶん概念性の強いものです。頭の上にはまるでキリスト教の聖者であるかのように光輪が付いています。このゴッホの(自画像)は、ゴーギャンの作品に典型的に見られる、輪郭線がはっきりして、背景なんかもキッチリ色で分けて塗っていくようなやり方を示しているわけです。

 しかし、遂にゴッホはゴーギャンの影響から脱して、サン=レミからさらにオーヴェールへ移り住みます。そして最晩年の作品になると、完全にゴーギャンを越えてゴッホ自身の様式を確立しています。

 たとえば、これも有名なサン=レミでの代表的な(自画像)ですが、画面は鮮やかな色彩がぶつかり合うというよりも、ほとんどもう1色で、顔のオレンジっぽい色と背景の薄青というほとんど2色になっています。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:SelbstPortrait_VG2.jpg

画面がどう構成されているかというと、特に重要なのは背景の部分で、べっとりと二つの鮮やかな色に塗られていたアルル時代の(自画像)に比べれば、後ろの部分は1色で、しかし、その1色の部分に炎のように渦巻くような筆のタッチが見られます。こういうふうに、色彩、絵具の力、それ以上にタッチのうねり、タッチの組み合わせで画面を見せていく作風が、このサン=レミの(自画像)にも非常にはっきりと表れています。


サン=レミからオーヴェール


 このようなことが典型的にサン=レミ時代の油彩画に見られます。これなども、パッと見ると風景画というより抽象絵画ではないかと思われるぐらいです。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv032.htm


サン=レミの近くにあった岩山や洞窟地帯の風景画ですけど、画面に何が描かれているかというよりも、われわれの眼前には「絵具のうねりがある」「タッチの絡み合いがある」といった作品です。ほんとうにパッと見ると抽象画じゃないかと思えるような絵具の力を見せている。そのタッチのうねり、組み合わせで見せていくことが、もうサン=レミ時代にはごく当たり前のことになっています。

 タッチの使い方にもいろいろあります。これはもう少し分かりやすい、サン=レミの病院の入口を描いたものですが、空の部分、木の部分、幹の部分、地面の部分と、さまざまなタッチを組み合わせている。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hospital_in_Saint-Remy.jpg

もしこれが平面的にペタッと塗られていると、ずいぶん違った感じになるだろうと思わせる作品です。

 ゴッホのサン=レミの病院の窓から見た風景があります。病院の近くの麦畑とか(オリーブの果樹園)です。


http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv034.htm


先ほどの岩山の様相などと並んで、このオリーブ園などは、「オリーブが描きたい」「山が描きたい」というよりも、山やオリーブの樹という形を借りて「タッチの躍動感を見せたい」というか、「絵具がうねるような世界」といった感じの作品になっています。そういう意味では、ゴッホのサン=レミ時代の作品の中では最も抽象性の強い作品だと思います。


 この麦畑もそうですね。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh110.html


(刈取る人のいる麦畑)ですが、画面全体がほとんど真っ黄色になっている。そして、地面の刈り取られた麦の部分と空の部分とは、タッチの違いだけで対象の違いを描き出しています。

 次はサン=レミ時代、ゴッホの見事なタッチの頂点にくる2点です。左側は(星月夜)(何年か前MOA展覧会で日本にも来ている)、右側は(糸杉と星の見える道)(1890年)(今回のゴッホ展に来ている)です。


http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_night00&picture=%90%AF%8C%8E%96%E9-%8E%85%90%99%82%C6%91%BA-&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_night

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_cypres00&picture=%8E%85%90%99%82%C6%90%AF%82%CC%8C%A9%82%A6%82%E9%93%B9%81i%96%E9%82%CC%90%AF%8B%F3%81A%89%D7%8E%D4%81A%92%CA%8Ds%90l%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_cypres


この(星月夜)は、ほんとうの空には渦巻きなんてないのですが、夜空の星の輝き、星と月の光が満ちている夜空をこういう大胆なタッチの渦で描いていくことをゴッホは行っています。

 つづいて、最後の半年ほどのオーヴェール時代の作品をお見せします。サン=レミで培われた彼の手法はオーヴェールでも一層展開されています。右側は広島美術館所蔵の(ドービニーの庭)という作品ですが、色彩の変化はそれほど大きくありません。

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv079.htm
http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/vv080.htm


ゴッホは色彩の画家と思われがちですが、サン=レミとかオーヴェール時代の作品だと色の幅はそれほど大きくない。どちらかといえば、わりと一つの系統の色ですね。(ドービニーの庭)にしても、白から青と緑の幅を越えていないのです。でも、それほど大きくない色彩の揺れの中で、濃淡と明暗、タッチの違いで画面をこしらえているわけです。

 有名な(オーヴェールの教会)と(カラスのいる麦畑)といった作品は、どちらかといえば色の塗り方が平面的で、鮮やかな色彩がぶつかり合っています。

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_eglise00&picture=%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%8B%B3%89%EF%81i%83I%81%5B%83%94%83F%81%5B%83%8B%82%CC%90%B9%93%B0%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_eglise

http://www.salvastyle.org/menu_impressionism/view.cgi?file=gogh_champ00&picture=%89G%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81i%83J%83%89%83X%82%CC%82%A2%82%E9%94%9E%94%A8%81j&person=%83t%83B%83%93%83Z%83%93%83g%81E%83t%83@%83%93%81E%83S%83b%83z&back=gogh_champ


しかし、同じ麦畑でも、ほとんど同じ時期に描かれた、黄色と青の色彩のぶつかり合う(麦畑)もあるかと思えば、先ほどの(ドービニーの庭)と同じように、白から青、水色、薄緑、青、緑といった辺りまでのおとなしい控えめな色彩でタッチの変化を見せていく麦畑も描かれています。

http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh109.html

 ゴッホにとって、手段は単に強烈な色彩だけではなくて、タッチがとても重要な役割を果たしていたのです。

http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/ari2/ar2.htm

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
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|__|__|__|_   __((´∀`\ )< というお話だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
||__|        | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\  /   ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 =



http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html#c8

コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
34. 平成の坂本竜馬 2011年4月18日 21:56:30: KvTxn/v4K5oQ2 : ahjuhBL0za
>>32
>>33
のコメントにあるURLからアクセスすると、ご自身のIPアドレスがキャッシュ
サーバで抜かれます。絶対にアクセスしないで下さい。
また、削除依頼を管理者さんに依頼しましたが、拒絶されています。

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c34
コメント [原発・フッ素9] もしもの時はどうする 古我孚鵠
04. 2011年4月18日 21:57:16: EnFXcTIUl2
文系のバカは黙ってろ。
役人も会社役員も文系のバカばっかりだから論理的、合理的な判断が出来ない。

文系の99.999%は人間関係と、いい加減な事をもっともらしく言葉にする能力しか無い。究極無能な奴らだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/508.html#c4

コメント [原発・フッ素9] 社民 脱原発に行動計画策定へ めっちゃホリディ
04. 2011年4月18日 21:57:23: 8BF6RNP36S
これはよいことだ。

大躍進しているドイツのみどりの党にならって、
いっそのこと、みどりの党と党名を変更してはどうか。

その際、みどりの未来などの脱原発勢力と合併する。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/498.html#c4

コメント [原発・フッ素9] 関係者も愕然!東電“嘘っぱち”工程表「あくまで希望的観測」(zakzak) 赤かぶ
09. 2011年4月18日 21:57:45: Get9aY0xRA
>>06
東電が工程表を「表向き」に出したということならば、表にいる私たちは工程表通りに進まなかった場合「想定外でした」などという「責任逃れ」をさせないようにしなくてはいけません。
工程表をより具体的に説明させること。それに対しさらに具体的に切り込んでいくこと。
とまあ、自分も東電の記者会見の場にいるジャーナリストだったり、科学的な提案が出来る科学者じゃないので、やれることをやるだけですが。
「〜に過ぎない」などとクールを気取らず、これからも引き続き記者会見なりを注視し、必要な情報を交換しあって行きたいものです。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/503.html#c9
コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
16. ダイナモ 2011年4月18日 21:58:24: mY9T/8MdR98ug : oz3zVsEkfw

>>15

「大気中に放出されている放射性物資の農地への影響について、農水省は関係する県に協力するかたちで水田を最優先に土壌調査を行い、 田植え前の4月中旬にも検査結果などを示す方針を3月30日に明らかにした」

http://www.jacom.or.jp/news/2011/03/news110331-13126.php

つまり田植え時期が迫っているので田植えが可能かどうかを早急に調べたということですな。
 

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c16

コメント [原発・フッ素9] 茨城の魚“出入り禁止” 風評で息の根を止められる(zakzak) 赤かぶ
13. 2011年4月18日 21:58:33: Avk0UB9uoQ
風評で息の根を止められる→これは間違い。

原発に息の根を止められる→これが正解。

当たり前のこと。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/505.html#c13

コメント [原発・フッ素9] 原子炉建屋にロボット、内部状況は (TBS)1号機と3号機で検出された値は通常の数千倍  赤かぶ
02. 2011年4月18日 21:58:51: EnFXcTIUl2
ほぼ燃え尽きるまで30年。放射線が安全なレベルになるまで10万年。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/507.html#c2
コメント [原発・フッ素9] 必読「週刊金曜日」、東京電力に群がった原発文化人 gataro
48. 2011年4月18日 21:59:38: gFyHqNyn2g
そろそろ全国の天下り官僚の名前と写真と家族構成や住所、天下りの経歴などまとめたサイトが必要な時代じゃないかな。何か起きるのを期待して。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/453.html#c48
記事 [よいモノ・よい話1] 日本人のしなやかさを示す。津波災害地域のどまんなかに共同風呂を設立。
Pass the soap: Defiant residents take an out-door bath amidst the tsunami devastation in Minamisanriku town, Miyagi

おーい石鹸: 津波による廃墟のどまんなかで野外の風呂に入る大胆な住民。宮城県南三陸町で。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1377337/Japanese-resilience-setting-communal-bath-middle-tsunami-disaster-zone.html

Japanese show their resilience by setting up communal bath in the middle of tsunami disaster zone

日本人のしなやかさを示す。津波災害地域のどまんなかに共同風呂を設立。

By Daily Mail Reporter
Last updated at 11:15 AM on 16th April 2011

デーリーメールレポーター
最終更新日:2011年4月16日午前11時15分

They've had to endure earthquakes, a tsunami and an ongoing level-7 nuclear crisis.
But don't believe for one moment the Japanese are feeling sorry for themselves because they're having a bath.

彼らは地震と津波、さらに進行中のレベル-7核危機に耐えなければなりませんでした。
しかし、ちょっとまった。日本人が自分たちのためにかわいそうだと思っていると信る必要はなさそうです。なぜって。彼らがひと風呂浴びていましたのです。

These resourceful chaps weren't going to let the trifling matter of their houses being destroyed stop them having a proper wash so they set up an outdoor communal tub amidst the ruins of their home town.

彼らの家々が破壊されたなどという些細なできごとは、彼らの適切な入浴を止めることはできませんでした。それで、彼らは彼らのホームタウンの廃墟のどまんなかに共同の露天風呂を作りました。

It's a testament to the incredible spirit of the Japanese people as they pull together to overcome the appalling series of disasters they've had to endure.

これは、彼らが耐えなければならなかった恐ろしい一連の災害に、手を取り合って打ち勝つという、日本人の人々の信じがたい精神の証拠(testament)です。

http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/177.html

コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
17. ダイナモ 2011年4月18日 22:00:37: mY9T/8MdR98ug : oz3zVsEkfw

>>15

管理人さん。こういう人がいますがどうします?
 

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c17

コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
03. フシギ空間 2011年4月18日 22:00:41: OmtZW.QhVGmO2 : mpcnH9jm56
管理人さん。

たしかに
http://replay.waybackmachine.org/20100605101925/http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0
これは削除されるべきです。テストして投稿すればよかったんですが、たしかにおかしな動きをしますので。

もっとも、ipアドレスがどうのはおそらく嘘ですけどね。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c3

コメント [原発・フッ素9] 原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」(J-CAST)大量の放射能を閉じ込めるのは極めて困難、と認める  赤かぶ
102. 2011年4月18日 22:01:06: p0QOSljdPs
>>94
TVタックルに河野太郎出てたなあ。
電力会社によるTV電波の統制は多少は緩んだのかな?

でも一番面白かったのは「後ろから鉄砲で人を撃つような
真似をする小沢は瓦礫と一緒撤去されるべき」(大意)と
発言した箇所であることは内緒だ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/394.html#c102

コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
05. 2011年4月18日 22:01:20: UDhoXfRFSU
団塊の世代で学生運動などに関して、いわゆる情報操作などの工作があったそうである。現在のような技術の状況ではないが、その基本状況は似ている(均等性が存在する)のではないか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c5
コメント [原発・フッ素9] 関係者も愕然!東電“嘘っぱち”工程表「あくまで希望的観測」(zakzak) 赤かぶ
10. 2011年4月18日 22:02:46: Get9aY0xRA
>>07
もう少し丁寧に言いますね。大事なのは「切れない」こと
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/503.html#c10
コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
06. 2011年4月18日 22:04:06: UDhoXfRFSU
熊取この発音はくまとり、か熊取谷、これは、いすがや、とも読む、発音する。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c6
コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
35. フシギ空間 2011年4月18日 22:04:59: OmtZW.QhVGmO2 : mpcnH9jm56
平成の坂本竜馬
たしかに>32での2行目はおかしいな。
それは認めるが、嘘がばれないために
The Wayback Machineまで否定するのはどうかな?
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c35
コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
18. 2011年4月18日 22:05:14: cqRnZH2CUM
>1kgの土で5000ベクレル以下であれば稲作可能

この程度なら
もし美味しい米が十分安ければ、どんどん買うね


>>07 私は出来上がった米に10ベクレルでも入ってたら食べない

ちなみに普通に売っているバナナ毎日1本食べると週に3520Bqだ
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/560.html#c4
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c18

コメント [原発・フッ素8] 被爆と人間 第3部 ある原発作業員の死(中国新聞)五〇・六三ミリシーベルトの被ばく線量で白血病死 tk
03. 2011年4月18日 22:07:09: LPsvkArKT2
原発の作業従事者なんていっぱいいるんだから、そのうちの数人が白血病になったって原発と関係ないやろ。なんでもかんでも原発や放射線のせいにしてはだめだろ
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/416.html#c3
コメント [原発・フッ素9] 関係者も愕然!東電“嘘っぱち”工程表「あくまで希望的観測」(zakzak) 赤かぶ
11. 2011年4月18日 22:07:36: FKVMEhzyKM
チェルノブイリ事故とスリーマイル事故からの教訓

事故からの教訓
(1) 事故は思いがけないことから起こり、予想外の経過をたどる。
(2) フェイルセーフ、フールプルーフはあり得ない。
(3) 事故の際の現場担当者は、信じられないほど楽観的である。
(4) 事故の通報は遅れる。
(5) 関係者はあらゆる手を尽くして事故を秘密にする。
(6) 事故の影響は過少評価される。
(7) 経済性のためには、少々の安全は犠牲にされる。
(8) 被害者は、因果関係がはっきりしないのをいいことに切り捨てられる。

[「原発事故 −その時、あなたは!−」著:瀬尾 健 風媒社 P88-P94より]
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/503.html#c11

コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
36. 2011年4月18日 22:08:05: bagXH0lhII
>>34 はぁ?
グーグルと、過去のWEB情報をせっせと保存してくれているサービスwebarchive.org
と、ユーチューブに、「IPがキャッシュで抜かれるから?」アクセスするな、と?

34平成のサカモトさんは情報弱者でしょうか?
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c36

コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
07. 2011年4月18日 22:08:58: jGKzU7J4XE
茂木も山名もその他の御用学者も顔が貧相で下品。男の顔は履歴書だからな。
小出さんにしろ、高木さんにしろ真摯な研究者は顔が違う。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c7
コメント [原発・フッ素9] 不気味な静けさに満ちた原発の町   福島原発避難区域の浪江町で捜索活動 sci
01. 2011年4月18日 22:09:19: 8BF6RNP36S
自民党市議を飲酒運転で逮捕! 福島県
酒気帯び運転逮捕 森喜朗の次は町村派元議員の息子/福島
7日、坂本剛二元衆院議員(自民党・福島5区)の長男で福島県いわき市議の坂本竜太郎容疑者(30)が、
福島県警いわき南署に道交法違反(酒気帯び運転)容疑で現行犯逮捕された。
7日午前9時半ごろ、自宅近くの市道で、坂本容疑者が運転する車がセンターラインをはみ出し、
反対車線を走行中の貨物自動車に衝突。現場に駆け付けた警官が、酒気帯び状態と確認した。
議員の息子の酒気帯び運転といえば、思い出すのは森喜朗元首相の“放蕩(ほうとう)”長男だ。
逮捕され石川県議の職を辞した。
シャブ中で繰り返し逮捕され、三重県知事の父親を退任に追い込んだ“トンデモ”長男もいたっけ。
甘やかされて育つからなのか、どうも政治家にはドラ息子が多い。
「坂本剛二氏は衆院6期。長男の竜太郎は、ずっと東京でオヤジの秘書をやっていましたが、
09年の衆院選でオヤジが落選し、仕事にあぶれてしまった。
それで、衆院選直後(09年9月)にあったいわき市議の補欠選挙に出馬したら、親の七光で当選した。
現在1期目です。酒好きですが、森氏の息子のようなバカではない。ただ、見るからにお坊ちゃん育ち」(地元関係者)
坂本元議員は、次の選挙もヤル気マンマンで、地元固めのために長男を市議にしたらしいが、判断ミスか。
それとも森がいた町村派に所属しているから、森の呪い?
http://news.livedoor.com/article/detail/5201357/

福島県、自民党元衆院議員の長男、飲酒運転容疑で市議逮捕
福島県警いわき南署は7日、道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで、
自民党の坂本剛二元衆院議員の長男で、同県いわき市議の竜太郎容疑者(30)=いわき市植田町本町=を現行犯逮捕。
逮捕容疑は同日朝、自宅近くの市道を酒気帯び状態で車を運転した疑い。
「昨晩、酒を飲んだ」と容疑を認めているという。
同署によると、軽自動車を運転中にセンターラインをはみ出し対向のトラックと衝突した。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1207&f=politics_1207_012.shtml

●飲酒運転で市議逮捕、自民党元衆院議員の長男/福島
福島県警いわき南署は7日、道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで、
自民党の坂本剛二元衆院議員の長男で、同県いわき市議の坂本竜太郎容疑者(30)=いわき市植田町本町=を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は7日午前、自宅近くの市道を酒気帯び状態で車を運転した疑い。
「昨晩、酒を飲んだ」と容疑を認めているという。
同署によると、竜太郎容疑者は午前9時半ごろ、軽自動車を運転中に対向車線にはみ出し、トラックと衝突。
署員が駆け付け、酒気帯びが発覚した。トラックの男性運転手(27)と竜太郎容疑者ともにけがはなかった。
いわき市議会事務局によると、竜太郎容疑者は昨年9月の市議補選で初当選し、現在1期目。
坂本剛二事務所は「コメントする立場にない」としている。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20101207/dms1012071615014-n1.htm
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/520.html#c1

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
252. 2011年4月18日 22:09:59: DvZYFLGtNs
>>249

キモイ。
おっさん顔想像するから止めな
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c252

コメント [原発・フッ素9] 敦賀市長選、揺れる有権者の声 原発共生と安全 尾張マン
07. 2011年4月18日 22:10:03: uyxljQbnUs
敦賀原発銀座で一番危ないのは大阪でも京都でもなくて名古屋だ。北西の風で数時間で名古屋に到達する。
福井市なんぞ北西の風では死の灰は降らない。
関電は名古屋に電気はくれない。死の灰だけ寄こす。

大村知事、河村市長何とかしてくれ。



http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/490.html#c7

記事 [原発・フッ素9] 佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見(ビデオニュースドットコム) 国策の原発を拒否すると検察に逮捕される国
http://www.videonews.com/press-club/0804/001839.php


佐藤栄佐久前福島県知事が外国特派員協会で会見


無料放送中>>>18日 15:00〜http://www.videonews.com/asx/press/110418_sato_300.asx


前福島県知事の佐藤栄佐久氏は18日、外国特派員協会で記者会見した。
 ビデオニュース・ドットコムでは、18日15時からの会見の模様を生放送した。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/521.html

コメント [原発・フッ素9] 不気味な静けさに満ちた原発の町   福島原発避難区域の浪江町で捜索活動 sci
02. 2011年4月18日 22:10:54: Get9aY0xRA
チェルノブイリ周辺地域でも同じような人々がいた。というか、今も多分いる。老人が多いらしい。
「放射能が怖くて何も食べないで死ぬか。放射能に汚染されていると知っていても、たくさん食べてガンで死ぬか」
悲しいほどに相似形
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/520.html#c2
記事 [原発・フッ素9] 「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官(読売新聞)
 カタストロフィーの一歩手前だったのかよ。
 恐ろしい話だな。

 まだ安心できないような気もするが・・・

**********************

「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000375-yom-soci

細野豪志首相補佐官は16日午前のBS朝日の番組で、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生直後の状況について、「どん底までいった。ほとんど制御不能のところまでいった」と述べ、一時、かなり危機的な事態に陥っていたことを明らかにした。

 その上で、「少しずつだが、コントロールできるようになった。冷却機能の回復という大きな壁を乗り越えないといけない」と強調した。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/522.html

コメント [お知らせ・管理19] 管理人さん、板違いで削除された記事紹介コメントの削除方法ですが、 平成の坂本竜馬
01. 管理人さん 2011年4月18日 22:13:32: Master
どちらでもよいです。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/743.html#c1
コメント [原発・フッ素9] 東京電力の会見から希望は見えてくるのか(ジャーナリスト 木下黄太のブログ) gataro
02. 2011年4月18日 22:14:11: 33OTvncEeU
東京電力、独占的利権構造が、モンスターを作ってしまったのでしょう!
今日の参議院予算委員会に参考人として出席した東電の社長の態度を見て、
この人は、ことの重大性を認識しているのだろうか?
責任を感じているのだろうか?
そう感じてしまいました。

この社長を見れば、社員も知るべしでしょう!
東電全体が、世間離れした体質であったのでしょう!

こんな会社は、日本の将来のために、潰した方が良いと、心底感じました!
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/512.html#c2

コメント [原発・フッ素9] 東電の英語ホームページがすごい件。日本人は舐められている? なんじゃこりゃー
12. 2011年4月18日 22:14:45: qXf90Muuko
これ見て気が変わったわ。
浜岡絶対止めるなよ。
人類の負の遺産として永遠に残せるようにしとけ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/465.html#c12
コメント [原発・フッ素9] 「家族逃がした枝野、党内会議で「家族はたまたまシンガポール」と認める!」二階堂ドットコム 玄米
109. 2011年4月18日 22:15:10: WkjjsZiplI

「安全です」と連呼していたはずの枝野、自分だけ対放射線用の重装備で視察

 画像
 http://housyanou.com/picture/image/192031358.jpg
 http://img.47news.jp/PN/201104/PN2011041701000418.-.-.CI0003.jpg
 http://aug.2chan.net/dec/53/src/1303075237265.jpg

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/412.html#c109

コメント [原発・フッ素7] ガイガーカウンター出荷停止命令 個人、組織問わず、出荷させない通達 てんさい(い)
221. 2011年4月18日 22:16:06: 4YIXkrlLM6
ガイガーカウンターの政府流通統制は
商社に勤める親戚から同様のことを聞きました。
どうやら本当のようです。
ロシアからガイガーカウンタを買い付けた商社も
政府の流通統制で日本に運ぶことができないでいるようです。

http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/309.html#c221
コメント [原発・フッ素7] 放射線防護委員会委員長「放射線は微量なら安全、むしろ体にいい影響が…」(たかじんのそこまで言って委員会) 馬鹿まるだし
76. 2011年4月18日 22:17:15: NO0tfSf1e2
ウラン劣化弾と比較したら? 戦場での被爆。
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/922.html#c76
コメント [原発・フッ素9] 福島原発震災(29) 農水省の水田放射能調査…深く掘って値を小さくしている! 15cm掘って放射線計測。そんなに掘るな 管理人さん
11. 2011年4月18日 22:17:31: cqRnZH2CUM
これが元投稿か

最終的には、最終生産物(精米か玄米)の放射線量で判断すれば良いと思うから
この程度の線量ではほとんど問題にはならないだろう

>水田において表面から15cmまでの土を含めて放射線量を測定することは理にかなったことなのです。

まあ心配性の人は何もなくても心因性ストレスでもおかしくなるから無理に食べる必要はないが、
いずれにせよ、今後は第3者機関がきちんと測定したデータを出すことが重要だな



http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/460.html#c11

コメント [原発・フッ素9] 浪江町3地点、避難基準超える=放射線推計20〜34ミリシーベルト・福島原発事故(時事ドットコム) 赤かぶ
06. 骨が爆発ボーン! 2011年4月18日 22:18:42: Gsvue0NDrByo6 : rzkC6mdupc
うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ\(^O^)/ ふざくんな
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/497.html#c6
コメント [原発・フッ素9] 官邸のホームページをみて、驚きました。 尾張マン
06. 2011年4月18日 22:18:46: Avk0UB9uoQ
汚い手段で自分達の既得権益を守るためにウソ八百がまかりとうる国に成り果てたか。

それでもこの日本をいい国にはしたい。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/478.html#c6

記事 [原発・フッ素9] 福島第1原発:大気中放射線量、4県で通常値超え(毎日新聞) 今月中に年間被曝許容量超え確実
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110419k0000m040090000c.html

福島第1原発:大気中放射線量、4県で通常値超え

文部科学省は18日、福島県内の先月23日から今月17日までの累積放射線量が、福島第1原発から北西約30キロの浪江町赤宇(あこう)木手七郎(ぎてしちろう)で17.98ミリシーベルト、西北西約30キロの浪江町津島仲沖で7.902ミリシーベルト、北西約32キロの飯舘村長泥で10.39ミリシーベルトになったと発表した。

 都道府県に設置するモニタリングポスト(自動観測局)は、前日と同様、4県で通常値を超えた。福島県(福島市)では18日午後2時までの1時間当たりの大気中放射線量が前日よりやや下がって1.9マイクロシーベルトだった。

 原発から20〜60キロ離れた福島県内の61カ所の屋外で午前6時〜午後4時14分に実施したモニタリングカーによる調査では、1時間当たりの大気中放射線量は0.1〜49.8マイクロシーベルトだった。【日下部聡】


福島第1原発:20キロ圏内の富岡簡裁、業務を移転
福島第1原発:「飯舘牛」危機…計画避難で肥育困難
福島第1原発:対策本部の映像公開 東電
福島第1原発:30キロ圏 300人、透析に苦慮
福島第1原発:経産省幹部の電力会社への天下り当面自粛

毎日新聞 2011年4月18日 20時54分(最終更新 4月18日 22時01分)

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/523.html

記事 [原発・フッ素9] DarkCircle
1982年のアメリカ映画。サンダンス映画祭・国際エミー賞受賞作。
1980年代、世界的規模で保有されるプルトニウムの驚異を、女性作家のアーヴィングが綿密な取材と多くの資料をもとに作り上げたドキュメンタリー。タイトルは核廃棄物の­処置を危険視した"暗黒の循環"という意味。主にアメリカの放射能汚染に関係した民間人や反核団体のグループが出演している。

DarkCircle 1/9
http://youtu.be/y9Q7kKzgenk

DarkCircle 2/9
http://youtu.be/qUkP6_O1El8

DarkCircle 3/9
http://youtu.be/wKCMfzyh4hk

DarkCircle 4/9
http://youtu.be/UvK-xb971no

DarkCircle 5/9
http://youtu.be/brqv-hSYw8I

DarkCircle 7/9
http://youtu.be/4-IutG5vZK4

DarkCircle 8/9
http://youtu.be/E4RnLQv9oYg

DarkCircle 9/9
http://youtu.be/rIL37D6h-8o


http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/524.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 主イエスからサブリナに口述された手紙 山依
01. 2011年4月18日 22:19:27: qSlbXVySMQ
 深さ

 何か面白いものはないものかと  外へ向かって追い出すと  

 いつしか子供のように  愚図らずにはいられなくなる

 じっと物足りぬまま  物足りぬ味の深さを 凝視{みつ}めていると

 そこには  青空のような  底知れぬ深さがある

     内山 興正「大空が語りかける」より・・
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/501.html#c1

コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
04. 管理人さん 2011年4月18日 22:19:42: Master
>>03 コメント投稿者のフシギ空間さんのご指摘もあったので、
その1行だけ削除しておきました。

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c4
コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
253. 2011年4月18日 22:20:16: QS6rXyi9EI
>>250
これはwww

■2010/6/5時点の動画タイトル
FEMA NLE 2010 Simulated Nuclear Attack : False Flag Los Angeles

■現在
Illuminati Nuclear Meltdowns In Progress at Fukushima thanks Stuxnet HAARP NLE 2011

補足
>>250さん紹介のウェイバックマシーンはいろんなサイトの過去が見れます。
世界中のサイトを巡回してアーカイブを記録する、みんな大好きダメリカの自動魚拓マシーンです。
Y!もGもmixiとかたぶん阿修羅の過去も見れます。
保存状態はローテクな言語で書かれたサイトの方が見た目そのまま残ります。

>>252
俺で妄想すんなキメェw
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c253

コメント [自然災害17] 「ちきゅう」関係者の証言=人工地震等を発生させまして、その地震波を測定するための装置です=自白!? 888(スリーエイト)
06. 2011年4月18日 22:21:17: aNDtNcu53Q
地震兵器が存在することも今では当たり前のことだからね。

金のない米国が日本を揺すりに来てもおかしくない。

外交の本質は陰謀だからね。

平和ボケしている米国の占領下にある日本国民は現実を見た方がいいな!

日本がどれだけ米国に貢いでいるでしょうか?
もちろん脅されてるわけだがww
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/185.html#c6

コメント [原発・フッ素9] 卒・原発デモ新潟御礼 『心から笑って生きていたいですね。』 天地人
05. 居酒屋ポレポレ 2011年4月18日 22:21:27: EqXbgQv0k.dcU : 5mLKoGR47s
01番さん

ご指摘ごもっともです。
次のデモも予定しています。
スタッフは少なく、私達が主導すると変わり映えしないかもしれません。
実行委員会を多く開きたいた思っていますので、ぜひご協力ください。
このサイトでご案内しております。

http://www.world-walker.com/niigata/

愚民党さん

デモ実況の案内いただきまして、ありがとうございます。
らくさんにみなさまのお話を伺いました。
僕も田中さんと同じように原発を止めたいと思っているので
これからもがんばります。
またよろしくお願いいたします。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/495.html#c5

記事 [経世済民71] スペインはユーロ圏債務危機のドミノか、それともダムか
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_224036【コラム】スペインはユーロ圏債務危機のドミノか、それともダムか 
2011年 4月 18日 11:34 JST 
 ドイツ政府当局者は、ギリシャ政府が国際金融支援による借り入れを全額返済できるとの作り話を放棄した場合に備え、債務再編計画を用意していることを認めた。債務再編とは、債務履行(デフォルト)のことだ。ギリシャ政府はこのほど、追加的な財政赤字削減策を発表したが、それでも財政赤字の対国内総生産(GDP)比は10%を超え、2013年の債務残高の対GDP比は160%に達する見通しだ。
イメージ Reuters

スペインのサルガド財務相

 ギリシャ国債の利回りは上昇を続け、同国経済は縮小している。オリ・レーン欧州委員(経済・通貨担当)は、ギリシャの債務再編は選択肢にはないと否定しているが、年間の成長率がマイナス3%超で、2年物国債利回りが18%近くに達している国がどのように債務を返済していくのかは説明していない。

 アイルランドとポルトガルが、ギリシャの次に債務再編に追い込まれるかどうかは分からない。というのも、ポルトガルは財政緊縮策の詳細をまとめていないからだ。有力格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスはアイルランドの国債を、投機格級にあと1段階まで引き下げている。欧州中央銀行(ECB)がインフレ高進を受けて利上げに踏み切ったことで、アイルランドの債務返済も困難さが増している。

 デフォルトになれば、欧州の多くの銀行のバランスシートはめちゃくちゃになるだろう。ドイツの銀行は、ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、さらにスペインの国債を465億ユーロ(約5兆6000億円)保有している。このためドイツのメルケル首相はこれらの国に対する金融支援に前向きになっている。しかしこれら中小国ではなく、経済規模が支援を受ける3カ国合計の2倍でユーロ圏第4位のスペインの場合は、話は別だ。

 スペインのアルフレド・ペレス・ルバルカバ第1副首相は、「スペインはもう一つのドミノから、ユーロ圏を守るダムに変貌を遂げている」と強調し、懸念の払しょくに躍起となっている。経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長も、スペインは労働市場や年金、財政赤字、金融機関の改革により難局を切り抜けられると、楽観的な見通しを表明している。

 スペインがこれまで金融支援を受けた国よりは強固なのは疑問の余地がないが、決して盤石ではない。同国政府は今年の成長率を1.3%、来年については2.3%と予想している。だが、同国中央銀行は今年が0.8%、来年が1.2%との見通しを示し、シティグループ・グローバル・マーケッツは「ほぼゼロ成長」を見込んでいる。成長が止まってしまえば、今年の財政赤字の対GDP比を昨年の9%超から6%に縮小するとの目標達成は極めて難しくなる。

 同国では失業率は20%超、若年労働者では40%に高止まりの様相をみせており、実質可処分所得は急減している。しかも、住宅と金融の両セクターの双子の問題がある。売れ残り住宅が約100万戸に達し、在庫は一人当たり換算では米国の3倍となっている。

 住宅価格が低下し、住宅ローンの返済不履行は増加に向かっており、スペイン政府はすでに過小資本のスペインの銀行が不良債権償却のため約200億ユーロの資本調達が必要になるとの予想を示している。ムーディーズは、資本調達必要額が最高1200億ユーロに達する可能性があると述べている。

 誰を信じればいいのか。それを判断する上で、ヒントになる話がある。スペイン政府は中国の政府系投資ファンド(SWF)の中国投資(CIC)がスペインの銀行に90億ユーロを投資すると発表した。だがCICは事実無根と否定し、スペイン政府は当惑しながら「意思疎通に問題があった」と釈明した。

記者: Irwin Stelzer
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/541.html

コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
19. 2011年4月18日 22:24:18: lFlXfPxguk
ヨウ素やセシウム、ストロンチウムなどをカリウムと同じ毒性と考えても大丈夫ですか??

こういうサイトだし間違えか正しいかなんて管理人に全部背負わせるのは酷だと思います

間違えがあるならダイナモさんみたいに投稿すればいいだけで・・・管理人批判してサイトが閉鎖されるのが一番怖いです

米は大丈夫だとしても野菜や魚は???
基準値自体を引き上げてきたことを考えると米だけが異常に厳しい検査をしてるなんてありえるのでしょうか?不安です

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c19

コメント [原発・フッ素9] 「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官(読売新聞) 最大多数の最大幸福
01. 2011年4月18日 22:25:12: GaerX0jM5g
>「少しずつだが、コントロールできるようになった。」

ウソつけ!!なだめすかしているだけであろう。
どうコントロール出来ているんですか!?

コントロールって何なんだ!!どこがどう、何がどのくらい、エッ!!??
具体的に聞いてくれ記者さんよ!!
広報マンは不要じゃ!!っつうの!!
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/522.html#c1

コメント [原発・フッ素9] 勝間和代女史は何故謝罪したのか?(文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』) 七転八起
11. 2011年4月18日 22:25:33: iQinVlOl1c
勝間のバカはコロコロ変わるな。アイデンティティの無い女。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/488.html#c11
コメント [原発・フッ素9] 東京電力の会見から希望は見えてくるのか(ジャーナリスト 木下黄太のブログ) gataro
03. 2011年4月18日 22:25:58: Avk0UB9uoQ
断言してもよい。この事態収束工程は『無理』と見た。

原因の特定も現状の数値も正確につかめていない集団に今後の的確な予定、工程など望むべくもない。現状はどう見ても対症療法に留まっており、根本的な解決方向に向かっていない。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/512.html#c3

コメント [原発・フッ素9] 必読「週刊金曜日」、東京電力に群がった原発文化人 gataro
49. 2011年4月18日 22:26:14: 5ZS9RKdAos
そもそも原発など事が起こったら、人間の力でどうにもならないものには手を出すべきではない。何も考えずに、金のためなら何と言ってもやるのが河原乞食ですよ。タレントを、持ち上げて手先にし、たきつけるのがマスコミだよ。マスコミは東電をはじめ財界はおいしいスポンサーだから、悪口は絶対に言わない。そのちょうちんを持つのが御用学者です。おいしいおこぼれが来るから。こいつらと学閥でつながっていて、天下り先を確保するのが高級官僚。政治屋(自民、公明・民主も元自民が多いからね)は業界からの献金を戴く。その一部を、何も知らぬ国民に選挙資金として使う。要するにこいつらの中だけで金を回して潤っているんだよ。肝心な情報は(今回の件では原発の危険性を指摘した2006年の国会質疑はマスコミは無視している)意図的に流さない。マスコミ、特に新聞・テレビはたちが悪い。いかにも公平で正義ぶって。新聞標語とは裏腹に。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/453.html#c49
コメント [雑談専用39] 今日に想う あっしら
10. 乃依 2011年4月18日 22:27:46: YTmYN2QYOSlOI : xhQEbS1hzQ
>>09

一色にはならないでしょう。
資料を引用し検証するという姿勢を持った
幾多の投稿者がここで生まれています。

「人気者」がいらっしゃることで、
場の空気が安定するという側面はあります。
むしろ、「場」の注目を引き受けてくださるとありがたい。
自分は、「注目」されることがあまり好きではありません。

自分は、やるべきことをやるのみです。

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/308.html#c10

コメント [原発・フッ素9] 原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」(J-CAST)大量の放射能を閉じ込めるのは極めて困難、と認める  赤かぶ
103. 2011年4月18日 22:28:03: gFyHqNyn2g
とりあえず全員福島原発で労働していただきましょう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/394.html#c103
コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
05. フシギ空間 2011年4月18日 22:28:23: OmtZW.QhVGmO2 : mpcnH9jm56
管理人さん。

ご迷惑をおかけしました。

今後URLを貼るときは先にテスト板で試してからにします。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c5

記事 [原発・フッ素9] 京大原子炉、小出裕章「工程表、被曝環境、今後数千人の作業員必要」毎日放送ラジオたねまきジャーナル4月18日
今日もまたまたありがたいことに、
毎日放送ラジオ、たねまきジャーナル 4月18日、21:00〜22:00
の小出先生の原発事故解説の放送内容コメント頂きましたので、感謝するとともに、貼付けて新たに投稿します。
小出先生の後は、伊集院静の震災話、これもなかなかよかったです。
また、どなたか有志の方が you tube でラジオ紹介してくれるでしょう。

ほんでから、上杉隆さんら自由報道協会の会見で、民主党の川内議員が、ちょこっと「原子力安全基盤整備機構のエライサん、エンジニアが2号機の周辺は近づいただけでも即死する!」と衝撃発言がありましたが、今日の小出さんのお話からも、やっぱりホンマかもと思わせる内容でした。

あと、骨太のジャーナリズムを体現している関西のローカル放送、毎日放送ラジオ「たねまきジャーナル」のスタッフの方々にエールをい送ります。
みなさんも、激励のメール、FAXをお願いします。ここにはお抱え解説者や御用学者は見かけません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2011年4月18日 21:36:10

ジャック・どんどんさん、4月18日の小出先生のお話が来ました。

やはり、工程表は、被曝環境から甘すぎるとの批判です、

 毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も放送がありました。水野晶子さんと、毎日新聞ほっと兵庫の平野幸夫さんの案内でお話がありました。

 まず、原発事故のニュース、福島第1の事故、水素爆発後の1,3号機の建屋にロボットで放射線量を測り、
50ミリシーベルト/時間程度(通常は0.01ミリ、つまり今回はその数万倍!)、4.5時間で被曝限度なのです。ロボットの測定したのは建屋の入り口付近、40m離れた扉のところで270ミリシーベルト/時間もあるのです、
つまり位置により放射線量は変わるのです。2号機では格納容器が壊れ、さらに高い数値も予想されます。

 トレンチの水位は上がり続けて、3cm上昇、地上まで82cmです。水漏れ防止工事をやっています。

 国会では菅総理と集中審議であり、工程表を実現するように菅総理は言いましたが、ステップ2で住民は戻れると言っています。原発増設計画の撤回をしており、菅総理は財政再建をしたくて、退陣を否定しています。東電の清水社長が謝罪し、津波後最善を尽くしたと言っています。原発海外戦略の見直しも言いました。

 で、小出先生、リスナーからの質問で、東電の工程表が出ましたが、これで収まるかということは、収めて欲しいが、出来ないと思う、東電の見通しは今までも甘く、今回も甘いということです。

作業員の被曝環境がひどすぎて、この通りに出来ないのです。建屋内部で3号機57ミリシーベルト/時間、作業員の被爆線量から4時間半ですが、一般の人は1ミリシーベルト/年、小出先生は20ミリシーベルト/年!(放射線従事者)が上限なのですが、異常事態で、こんなことを言っていられない、事故収束のため一人100ミリシーベルトを基準にしたのですが(我慢しろ!)、とてつもない被曝を我慢しろといって、それでも足りずに250ミリにした、それを満たすのにも4時間しかダメであり、それほどひどいのです。1時間57シーベルトなら、翌日に同じ作業員は働けなくなるのです(事故収束のため)。そのため、膨大な作業員を連れてきて、被曝させないといけないのです。6〜9ヶ月なら、何千人もの作業員がいるのでは、という推測でした(つまり、長引けばもっとたくさん必要になる)。

 もうひとつ、前日に1号機建屋で40mはなれたところで、270ミリシーベルト/時間も出た、どうしてこんなことになったのかは、ロボットで測ったのが最大値ではない、ロボットは決められたところを走って図ることしか出来ない、こっちは高い、こっちは低いとはならない、正確な測定をしていないのです。

 もし、甘い見積もりで労働時間を考えて6〜9ヶ月というなら、作業員に過度な負担となり、それを負わせられないなら日数が延びるのです。

 水棺のこと、漏水の続いている時に大丈夫かということは、到底出来ないということなのです。格納容器が壊れていて、水で満たせないのです。格納容器が壊れていない前提でこの工程表が作られており、2号機サプレッションチェンバーは壊れているので、これを補修しないと水は漏れる、修理は放射線量で無理なのです。つまり、水をかけて待つしかないのです。水棺は無理であり、工程表の大前提は成り立たないのです。しかし、東電のやろうとしているのは小出先生の以前から言っていることと同じ(循環ラインをやる、格納容器に水をかけて、出たものを圧力容器に入れる)なのです。循環機能を作るのに、とてつもない放射線量の高いところであり、汚染水すら排出できない(また水位が戻った)、外から水を入れたら溢れる、トレンチに溢れるのは当たり前で、外からの冷却は、溢れて作業現場が汚れて、循環ループは出来ないのです。

 循環ループ、安全なところで作って原子炉につけることをしたいのですが、最後は放射能の高い原子炉に、生身の人がつけないといけない、膨大な汚染水をどうかしないといけないのです。

 作業員の方への不安もあります。1号機の格納容器に窒素を入れているが、1週間の予定なのに、10日続いている、これは漏れているからです。窒素を入れたら内圧は上がるはずなのに、格納容器が破損して漏れてしまうのです。窒素も、小出先生の考えでは、必ずしも入れ続けないわけではない(1号機がそうなら、2,3号機も窒素を入れないといけない)のです。アメリカから言われてやっている模様です。

 近隣の住民の帰還については、工程表の甘さからであり、今までも政府は甘い予測ばかりで来た、避難も3kmからで、それも万一として、それを10km、20kmと拡大した、次々甘いのをして、それでも政府はちゃんとやってきたと言っていますが、住民の方には申し訳ないが、必ずしもそうはならないと言うことでした。現実はものすごく厳しいことを言うのが、正確に言うのが住民のためなのです。

 この予測の当たることを祈り、小出先生のお話は終わりました。

 私も番組に、工程表は甘いのでは、とメールをして答えが出ました。この工程表、放射能の専門家から見たら甘いのです。それをお伝えいたしました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やはり、水野クリスタル晶子アナの質問はなかなか鋭いです。千葉(アナ)ちゃんの時はいつも歯がゆいです、ガンバレ千葉ちゃん!
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/525.html

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
254. 2011年4月18日 22:29:01: QS6rXyi9EI
ごめん、阿修羅の過去は見れんかった。
残念w
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c254
コメント [自然災害17] 「ちきゅう」関係者の証言=人工地震等を発生させまして、その地震波を測定するための装置です=自白!? 888(スリーエイト)
07. 2011年4月18日 22:30:16: aNDtNcu53Q
>PtSvWbypCU 、N0ecmP8qLE

この投稿者は『ちきゅう』が犯人だなんて言ってません。
釣りでもないでしょう。
無知な国民に人工で地震は起こせるんだよって教えたくて投稿したのでしょう。
そのぐらい察してやれよ。

あなたたちも外交がどういうものだか、世界の仕組みや現状ぐらい勉強したほうがいいな。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/185.html#c7

コメント [原発・フッ素9] 原発まとめ(10)4月12日〜 レベル7検討…最も深刻 関東・東北から離れろ! という情報が華僑社会を駆け巡った てんさい(い)
53. 2011年4月18日 22:30:43: bagXH0lhII
DarkCircle (無料動画URL)
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/524.html
GP 524 2011/4/18 22:19:14
投稿者: gataro

1982年のアメリカ映画。サンダンス映画祭・国際エミー賞受賞作。
1980年代、世界的規模で保有されるプルトニウムの驚異を、女性作家のアーヴィングが綿密な取材と多くの資料をもとに作り上げたドキュメンタリー。タイトルは核廃棄物の­処置を危険視した"暗黒の循環"という意味。主にアメリカの放射能汚染に関係した民間人や反核団体のグループが出演している。


http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/138.html#c53

コメント [原発・フッ素9] 茨城の魚“出入り禁止” 風評で息の根を止められる(zakzak) 赤かぶ
14. 2011年4月18日 22:31:07: lFlXfPxguk
濃縮始まりますかね?
大型の魚に回遊されたらなにがなんだか・・・W
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/505.html#c14
コメント [原発・フッ素9] 福島第1原発:大気中放射線量、4県で通常値超え(毎日新聞) 今月中に年間被曝許容量超え確実 なんじゃこりゃー
01. 2011年4月18日 22:31:56: A4GQ7o9O02
なんで最も影響のあると思われる、3月12日〜22日までが、カットされてんのん?
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/523.html#c1
コメント [雑談専用39] 今日に想う あっしら
11. 最大多数の最大幸福 2011年4月18日 22:32:07: d1qFhv8SE.fbw : SjbY2bHCYM
 驚いた。 あっしらさんが復活してる^^

 うれしい限りです。

 また、博覧強記の書き込みを期待していますよ。

 特に、ベーシックインカムは、当時と違って、
 最近かなり話題になってきてます。

 あっしらさんのオピニオンパワーで、あと一押しを
 是非ともお願いします。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/308.html#c11

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] ホモと結婚された日本は女なのかホモ男なのか
ドナルド・キーんが日本と結婚して日本人になるらしい。
だが、キーン先生は在日米人の間ではホモとて有名で、三島由紀夫を肇として新宿二丁目のホモだちが多く、それで日本に住み着いていたことは有名な話だ。そうなるとキーン先生の結婚相手に選ばれた日本は、大和撫子と言うよりはホモだちということになりそうだ。そういうことに関しての意見はどういうものだろうか。
<貼り付け>


「私は日本という女性と結婚」 ドナルド・キーン氏、永住へ帰化手続き MSN・産経ニュース 2011.4.17 11:52
参照先:http://sankei.jp.msn.com/life/news/110417/art11041711580005-n1.htm

(転載開始)

日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が日本に永住する意思を固め、日本に帰化する手続きを始めたことが15日分かった。関係者が明らかにした。関係者は「東日本大震災で大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住への思いが固くなったようだ」と話している。

 キーンさんは1922年、ニューヨーク生まれ。学生時代に「源氏物語」の英訳を読み、日本文化に興味を抱いた。日米開戦後は海軍情報士官として、玉砕した日本兵の遺書を翻訳したり捕虜を尋問。復員後、英ケンブリッジ大、米コロンビア大、京都大で日本文学を学んだ。「日本文学の歴史」「百代の過客」「明治天皇」などの著作で知られる。

 三島由紀夫とは京大留学中の54(昭和29)年に知り合って以来の友人で、三島作品の翻訳も行った。2008(平成20)年に文化勲章を受章した。

 松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をし、英訳も出版。東北大(仙台市)で半年間、講義したこともある。それだけに、被災地の状況を心配している。平泉の中尊寺は難を逃れたが、何度も訪れた松島や多賀城など芭蕉ゆかりの地は大きな打撃を受けた…。

 キーンさんはこれまで1年の半分ほどを東京都北区の自宅で過ごしてきたが、26日にコロンビア大で最終講義を迎えることもあり、日本に永住することを決めた。周囲に「日本が大好きだから」などと説明しているという。

「危機だからこそ」

 法務省は15日、震災直後の3月12日から4月8日までの4週間に日本から出国した外国人は延べ53万1000人で、このうち発生後1週間では24万4000人だったと発表した。震災発生前の1週間は14万人だった。

 震災と福島第1原発事故を受けて、各国が一時的な出国検討を勧告したり、被災地からの帰国支援を実施したことが影響した。

 NHKのインタビューに応じたキーンさんは「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたりしているが、そういうときに、私の日本に対する信念を見せるのは意味がある」と語った。

 「私は自分の感謝のしるしとして、日本の国籍をいただきたいと思う」とし、夏までに日本国籍を取得する考えだ。

 独身を通してきたキーンさんは「私は『日本』という女性と結婚した。日本人は大変優秀な国民だ。現在は一瞬打撃を受けたが、未来は以前よりも立派になると私は信じる」と、新たな祖国になる日本の復活を信じている。

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/502.html

コメント [経世済民71] 東電、発電実績データを密かにHPから削除(オルタナ) 赤かぶ
04. 2011年4月18日 22:33:35: gFyHqNyn2g
天下り官僚の氏名、写真、家族構成、住所、天下りの経歴などまとめたサイトとかできればいいのに。
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/526.html#c4
コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
08. 2011年4月18日 22:33:57: EevgVGbxIQ
茂木健一郎プロフィール

◎2008年まで3年間にわたって、著書の印税や講演料、テレビ出演料など約4億円の収入が申告漏れだったことを東京国税庁に指摘され、あわてて納付した。


◎海老蔵の記者会見欠席とケンカについてコメント
「記者会見に身体的、精神的に耐えられなかったというのはおそらくは本当で、それだけ生真面目だということである。その前日に飲むということを、学級委員はけしからんというのだろうけれども、歌舞伎役者としての以上のような過酷な生理に寄り添って考えれば、よくわかる話である。

結局、悪いのは殴った方。ぼくは何があろうと市川海老蔵さんを支持する。一日も早い回復をお祈りしています。。」
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c8

コメント [お知らせ・管理19] 二重投稿です。削除をお願いします。 sci
02. 2011年4月18日 22:34:22: 6A1QsVIKOU
二重投稿です。

「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官(読売新聞)
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/522.html
投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2011 年 4 月 18 日 22:12:36: d1qFhv8SE.fbw

先行投稿
「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官(読売新聞)
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/683.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 4 月 16 日 14:59:49: igsppGRN/E9PQ
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/730.html#c2

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
255. 2011年4月18日 22:34:24: 6vIitP3fb2
「盲目的に信じる人」と「頭ごなしに否定する人」は
非論理的、非科学的という面で同類だと思います。
ただただ事実を積み重ねていけばおのずと真実は見えてくるものではないでしょうか。

ところで
「Illuminati Nuclear Meltdowns In Progress at Fukushima thanks Stuxnet HAARP NLE 2011」
は2008年10月24日に投稿されていることから
証拠として決定的な動画ですが、
YouTubeでは動画タイトルの変更や説明の変更がきくようなので、
こんな情報前から知っていたよ〜みたいな地震後の愉快犯的投稿者でないこと、
内容が書き換えられていないということはどこで判断していますか?
投稿時から全く内容が変わっていないということの証明が欲しいなぁと思います。
英語ができないのでそのあたりよく分かりません。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c255

コメント [経世済民71] デビ爺包囲網 金融詐欺を重ね世界から富を奪った揚げ句に、ずっこけて破産寸前。D・ロックフェラーの本丸が、音を立てて崩壊中 hirokumm
20. 2011年4月18日 22:34:29: JhGQ2IbR7I
ゴールドマン・サックスはロスチャイルド系の金融機関だよ。
本社はウォール街だが、実際の政策を決定しているのはロンドンのシティにあるゴールドマン・サックス インターナショナルだよ。

まぁ、ロスチャイルドも「財政担当」なんだろう。

だって、真の支配者は姿は見せないだろ?(爆


http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/477.html#c20

コメント [原発・フッ素9] 東京関東地方で鼻血の出血者が増えているという。 チュルノブイリでも少量被爆で鼻血出血、から痰、喉のイガイガなどの症状があ てんさい(い)
204. 2011年4月18日 22:36:08: H5XKH7DiKw
>>191
>先日、某掲示板で、関東の人間を対象に鼻血についての質問をしたところ、10人中7人くらいが

ほー。参加人数がわかる掲示板なんですね。お仲間内のところなんでしょうか。
その割に仲間みんなで検査にもいかずに阿修羅掲示板に書いて済ませてるみたいですが
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/298.html#c204

記事 [よいモノ・よい話1] 震災機に解散、ボランティアになった暴走族(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110418-OYT1T00295.htm?from=tw

震災機に解散、ボランティアになった暴走族

 茨城県大洗町を拠点に活動していた暴走族の解散式が17日、水戸署で行われた。今後、津波で大きな被害を受けた同町の復興のため、がれきの後かたづけや浜辺の清掃などを行うボランティアチームとして再出発する。

 解散したのは、同町の高校生など15人で構成された「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」。メンバーが入れ替わりながら約30年間、同町や水戸市などで、集団でバイクを乗り回し、爆音を響かせてきた。

 解散のきっかけは東日本大震災。避難所などで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から「飲む水はあるのか」などと気遣われ、「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが強くなったという。泥まみれになった町役場の清掃に参加するメンバーも現れた。

 解散式では、暴走族の少年総長(16)が「今まで地域の人に迷惑をかけた。今後、暴走行為は行わない」などと宣誓書を読み上げた。「族旗」も水戸署大洗交番所長に手渡し、同町職員や警察官らから拍手が送られていた。総長は「これからは同じ境遇の少年たちも巻き込んでボランティアとして頑張りたい」と誓った。
(2011年4月18日10時42分 読売新聞)

http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/178.html

コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
09. 2011年4月18日 22:37:22: GaerX0jM5g
いやはや茂木さんも東電に騙された被害者であろう。
まさか原子力発電の安全性よりもコスト削減を優先するような人物が東電の社長になっていた、なんて、普通の人は思わないし、まして脳学者ならまずそう思わないであろう。

やはり、東電は普通の脳、否、脳学者でも理解を超えた脳を持った人がトップに君臨した会社であったのである。
安全を最優先にする、このことをないがしろにしてきた東電!
そしてそういった脳を持つ人もいる、ということを見抜けなかった茂木さん。
それだけではないか!!
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c9

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
256. 2011年4月18日 22:38:09: bagXH0lhII
阿修羅の過去、みれたよ。asyura2.com で一番ふるいのはこれ
http://replay.waybackmachine.org/20040202000053/http://www.asyura2.com/index.html

以前のURL asyura.com で一番古いのはこれ
http://replay.waybackmachine.org/19980110022158/http://asyura.com/index.html
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c256

コメント [原発・フッ素9] 元GE原発技術者が語る 福島原発建設時のトンデモ事実! と 浜岡原発 が危ない! [日々坦々) 純一
04. 2011年4月18日 22:38:27: EevgVGbxIQ
どなたか、これは文字化してアップしてくださらないか?

内部被ばく、軽視は禁物 沢田昭二・名古屋大名誉教授に聞く
「核兵器を使う側が被害を低くみて、日本も受け入れてきたのでは}
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/02/d42f7e32d4b9634ab60c3ac3be13c9b6.jpg
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/511.html#c4

コメント [原発・フッ素9] DarkCircle gataro
01. gataro 2011年4月18日 22:39:11: KbIx4LOvH6Ccw : FwMBPf5y36
ダーク・サークル(1982) ― allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=13383

 核兵器の脅威を訴える「アトミック・カフェ」と同じ年に登場したドキュメンタリー作品で、こちらではプルトニウムや核廃棄物の危険性がテーマに挙げられている。放射能による人体への影響などのレポートがメインだが、中でも、放射能で汚染されていた土地に住む一家の一人娘の身にふりかかった悲劇などには胸を抉られるような衝撃がある。1990年に全米で放映されエミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。それを受けた形で、日本でも「NHK特集」の枠でオンエアされた。


http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/524.html#c1

コメント [IT11] 菅内閣が急いだコンピュータ監視法案の“本当に危険な箇所” 尾張マン
03. 2011年4月18日 22:39:18: 6EZZRTuqGI
警察官僚が法律を作る手法だ。
http://www.asyura2.com/09/it11/msg/620.html#c3
記事 [自然災害17] 首都直下地震起きたら帰宅難民650万人、避難所生活460万人(女性セブン)
首都直下地震起きたら帰宅難民650万人、避難所生活460万人
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110418-00000016-pseven-pol
NEWS ポストセブン 4月18日(月)16時5分配信 :女性セブン

国の防災基本計画を作成する「中央防災会議」の「首都直下地震対策専門調査会」が2005年7月に公表した、首都直下地震が起きた場合の被害想定によると――

●避難者
地震発生初日に700万人。うち避難所生活者は460万人で、1か月後も270万人が避難所で暮らす。

●帰宅困難者
東京都内で390万人、1都3県(東京、神奈川、千葉、埼玉)では約650万人。

ちなみに3月11日、東日本大震災当日の夜に都内で発生した帰宅困難者は約10万人とみられる。実にその39倍の人々が都内に取り残されることになる。首都直下地震避難対策専門調査会委員で危機管理アドバイザーの国崎信江さんが「(中央防災会議の想定した)数字はむしろ甘いという見解もある」と前置きしたうえで、続けた。

「都内の帰宅困難者は100万人単位になるのではないでしょうか。都内全域が東京マラソンのようなイメージになる。直下型地震直後となれば、超高層ビルからいろいろなものが落ちてきて目の前でバタバタと人が倒れる、火災が起きても逃げるに逃げられないということになりかねません。学校や事業所は、生徒や社員をその場にとどめ帰宅させないようにすべきです」

※女性セブン2011年4月28日号

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/186.html

コメント [原発・フッ素9] 「原発ほぼ制御不能の所まで行った」細野補佐官(読売新聞) 最大多数の最大幸福
02. 2011年4月18日 22:39:55: Avk0UB9uoQ
単に危機に慣れてきただけでは?
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/522.html#c2
コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
257. 2011年4月18日 22:40:09: DvZYFLGtNs
「人工地震発生させて〜」と普通に言ってるよ
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Ca9jnd5iJr4

2:05あたりをちゃんと見てみな。

「人工地震は起こせない」
と言ってるB層はこれも捏造だと言う?

低レベルな揚げ足取りはキモイなー

>>253

頭の悪さがにじみ出てるな〜
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c257

コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
37. 平成の坂本竜馬 2011年4月18日 22:40:57: KvTxn/v4K5oQ2 : ahjuhBL0za
>>35
だから、元のURLより上に余計なサーバー経由させてるだろうが、
そんな中継サーバなんか不要!
キャッシュなんか通らなくていいの。
元IPの情報盗むな!
「目的バレバレ」
あんたも二度と来るな。

>>36は「工作員」か「荒らし」さん
あんたは来るな。

オリジナルへアクセスできない方がいれば私に問い合わせして下さい。
工作員は信用しないように!


http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c37

コメント [原発・フッ素9] 福島第1原発:大気中放射線量、4県で通常値超え(毎日新聞) 今月中に年間被曝許容量超え確実 なんじゃこりゃー
02. 2011年4月18日 22:41:24: 0GJJznkobY
>>01
朝日新聞は3/16からの累積出してたりしてたのにな。
まぁいつもの手口だよ。
土を計る時は15センチも下まで掘り起こすし、
野菜を計る時は、よく水洗いして場合によって皮までむいてから計るし、
牛乳は他の牛乳と混ぜて計るし。

人間の被曝を計るときも、高い数字が出たときは
計測方法に間違いがあったとかいって、
被曝度が低い箇所で測定し直したりしてるんじゃないかとか
いろいろ思ってしまいそうになるね。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/523.html#c2

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] ホモと結婚された日本は女なのかホモ男なのか あおによし
01. 2011年4月18日 22:41:52: GIvCq0wFSg
日本という女性。

英訳します:

The bitch (who is) called Japan.
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/502.html#c1

記事 [経世済民71] 日銀がコアCPI見通しを上方修正へ、物価安定「1%」をより明確に
4月18日(ブルームバーグ):日本銀行は28日公表する経済・物価情勢の展望(展望リポート)で、2011年度の消費者物価指数(除く生鮮食品、コアCPI)前年度比上昇率の見通しを0%台半ばに上方修正する見通しだ。一方で、政策委員の大勢が1%程度を中心とみていた物価安定の理解から「大勢」という表現を削除し、1%をより明確に打ち出す方針だ。複数の関係者への取材で明らかになった。

  日銀は4月と10月の年2回、展望リポートを作成して先行き2年ほどの経済、物価の見通しを公表し、7月と1月に中間評価を行う。昨年10月の前回展望リポートで示された11年度のコアCPI見通し(委員の中央値、以下同じ)は0.1%上昇だったが、国際商品市況高の影響から、今年1月の中間評価で0.3%上昇に上方修正されていた。

  ニューヨーク原油先物相場は、昨年10月時点の1バレル=80ドル台半ばから、今年1月には同90ドル台半ばに上昇。足元では同110ドル前後とさらに騰勢を強めている。物価見通しの上方修正により実質ゼロ金利政策の時間軸が揺らぐのを防ぐため、日銀は望ましい物価上昇率として1%を明確に打ち出すことでバランスを取る構えだ。

  白川方明総裁は7日の会見で、3月11日に発生した東日本大震災が物価に与える影響について「供給力が低下すると同時に、それに伴って需要も減少しているため、足元の需給ギャップについて正確に捉えることはなかなか難しいように思う」と述べ、現時点では明確に判断できないとの見方を示した。

           物価安定の理解も修正へ

  白川総裁は一方で、「財によってはボトルネック(供給制約)が生じると思うので、その面からは短期的には物価が少し上がる要素があるように思う」と指摘。「このところ国際商品市況がさらに上昇していることから、こちらの面でも物価は上昇していく要素がある」と述べた。関係者の1人は、国際商品市況の上昇により、11年度のコアCPI見通しの上方修正は避けられないだろう、と語った。

  日銀は昨年10月に包括緩和を打ち出し、政策金利を0−0.1%とするとともに、物価の安定が展望できるまで実質ゼロ金利政策を継続すると表明。いわゆる時間軸を導入した。日銀の物価安定の理解はCPI前年比で2%以下のプラスで、委員の大勢は1%が中心と考えている。日銀は毎年4月の展望リポートで物価安定の理解を見直す。

  昨年4月の見直しでは、多くの委員が「1%程度を中心値として上下0.5%ないし1%の範囲内」、1人の委員が「0.5−2%で中心は1%より幾分上の値」としたのに対し、ある委員は「1%よりゼロ%に近いプラスを中心」と考えており、「1%を過度に強調するのは望ましくないのではないか」と述べた。

      成長率は11年度下方修正、12年度上方修正

  3月末で退任した須田美矢子前審議委員は06年7月の講演で「私の物価安定の理解の中央値はプラスであるものの、かなり低め」と述べており、最後の1人と考えが一致する。みずほ証券の上野泰也チーフマーケットエコノミストは、須田委員が退任したこともあり、「物価安定の理解の表現を修正することで、間接的に超低金利政策の『時間軸』を強める可能性は、8、9割はある」と予想する。

  一方、日銀は東日本大震災を受けて、11年度の実質国内総生産(GDP)成長率を1.6%から下方修正し、12年度は2.0%から上方修正する見通し。上野氏は「サプライチェーン分断と電力不足による供給制約で夏場までの景気は弱い動きとなる」が、秋以降は「供給制約が解消すること、補正予算による公共投資上積みの効果が出てくることなどから、輸出主導の緩やかな回復局面が再開する」とみている。

記事に関する記者への問い合わせ先:東京 日高正裕 Masahiro Hidaka mhidaka@bloomberg.net
更新日時: 2011/04/18 18:19 JST



http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/542.html

コメント [経世済民71] スペインはユーロ圏債務危機のドミノか、それともダムか sci
01. 2011年4月18日 22:44:01: cqRnZH2CUM
ギリシャ、全債務の期限延長を要請との報道を否定−独政府も確認 
  4月18日(ブルームバーグ):ギリシャ政府は、ユーロ圏諸国や欧州連合(EU)に対して全債務の期限延長を求めたとの報道を否定した。

  米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、ギリシャがユーロ圏諸国に対し全債務繰り延べの検討を求めたと報じた。事情に詳しい複数の関係者の話として、関係者の名前は示さずに伝えた。

  ギリシャ紙エレフテロティピアは、ギリシャのパパコンスタンティヌ財務相が8、9両日のハンガリーでの会合でEUの財務相らに全債務の期限延長を求め、4月にアテネを訪れたEUと欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)の代表団に対しても要請したと報じた。

  ギリシャ財務省の報道官は、報道は事実ではないと述べた。政府の方針だとして、匿名を条件に話した。

  ドイツ政府のクリストフ・スティーグマンズ副報道官もベルリンで記者団に対し、債務再編に関するギリシャ財務省の否定について独政府も同意すると述べた。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:アムステルダム 木下 晶代 Akiyo Kinoshita akinoshita2@bloomberg.net Editor: Fumihiko Kasahara記事に関する記者への問い合わせ先:Mark Deen in Washington at markdeen@bloomberg.net.Rainer Buergin in Washington at +49-30-70010-6228 orrbuergin1@bloomberg.net
更新日時: 2011/04/18 20:11 JST
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/541.html#c1

コメント [原発・フッ素9] 原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」(J-CAST)大量の放射能を閉じ込めるのは極めて困難、と認める  赤かぶ
104. 2011年4月18日 22:44:11: QnMuNgA5bw
>>100氏、シールド条件は、パワー・周波数トランスミッション率と周波数チャープ率の一致、もしくは超越が、「我々」の求めるべき「臨界条件」ではないでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/394.html#c104
コメント [経世済民71] スペインはユーロ圏債務危機のドミノか、それともダムか sci
02. 2011年4月18日 22:44:11: cqRnZH2CUM
ユーロ下落、欧州債務懸念で一時118円台−ドル円82円後半へつれ安 
  4月18日(ブルームバーグ):東京外国為替市場ではユーロが下落し、対円で一時、今月1日以来の1ユーロ=118円台に突入した。ギリシャの債務再編の思惑に加え、フィンランドの総選挙でユーロ圏の高債務国救済に反対する欧州懐疑派の政党が躍進したことが嫌気された。

  また、ドル・円相場は1ドル=83円ちょうどを割り込み、一時、3月31日以来の水準までドル安・円高が進んだ。欧州債務危機の悪化懸念を背景にリスク回避の動きが強まるなか、ユーロ・円などクロス円(ドル以外の通貨の対円相場)での円買いが波及した。

  クレディ・アグリコル銀行外国為替部ディレクター、斎藤裕司氏はギリシャの債務再編問題について「外堀が埋まりつつようだ」とし、フィンランドの選挙の話も材料となり、欧米のイースター休暇を前にユーロの買い持ち高の調整が出ていると指摘。「買われていたものは売られるし、リスクを回避する意味でもこれまでと反対のオペレーションをしなければならない」と説明した。

  ユーロは今月11日に対円で昨年5月以来の高値となる123円33銭まで上昇、翌12日には対ドルで昨年1月以来の高値となる1.4520ドルを付けていた。ブルームバーグ・データによると、ユーロは18日午後3時15分現在、多くの主要通貨に対して前週末終値比で下落している。

           フィンランド議会選挙

  週明けの東京市場では朝方からユーロ売りが先行。国際通貨基金(IMF)がギリシャの債務が持続不可能で、同国政府が来年にも債務再編を検討すべきだと考えている、と米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が報じたことが手掛かりとなった。

  また、17日に実施されたフィンランドの議会選挙では、納税者がギリシャやアイルランドの救済を支援すべきでなかったと主張するソイニ党首率いる「真正フィン人党」が得票率を約15ポイント伸ばし、19%の票を獲得。今月7日にはポルトガルがユーロ圏諸国で3番目となる救済要請を申請したが、今回の選挙結果を受けて、欧州の危機対応措置への取り組みが混乱する恐れが浮上した。

  みずほコーポレート銀行国際為替部のマーケット・エコノミスト、唐鎌大輔氏は、ギリシャの債務再編問題について、「同じようなことがポルトガルやアイルランドにこの先ないかというと自信が持てないというのがユーロ・ベア(弱気)の理由」だと指摘。その上で、高債務国への一段の支援が必要となる可能性があるなかで、フィンランドの選挙結果は「最悪の材料だ」と語った。

  ユーロは対円で一時、前週末のニューヨーク時間終値から約1円もユーロ安・円高が進み、今月1日以来の安値となる1ユーロ=118円94銭まで下落。対ドルでも1ユーロ=1.44台ドルから一時、1.4350ドルと今月8日以来の安値まで値を下げた。

          ドル・円が83円割れ

  一方、ドル・円相場は1ドル=83円台前半でもみ合っていたが、徐々に円買いが優勢となり、一時、先月31日以来の水準となる82円86銭までドル安・円高が進んだ。

  唐鎌氏は、ドル・円相場について「クロス円の影響を受けやすく、それゆえに83円を割っているわけだが、かつてのようなスピードを伴った下落も厳しいのではないか」と予想。「日米である程度金利差が確保されている以上、ドルの下値も限定的で、しかも日本の貿易黒字も減ってくるということを考えると、何を理由に円を買うのか」と話していた。

  ブルームバーグ・データによると、円はすべての主要通貨に対して前週末の終値比で上昇。1−3月(第1四半期)の消費者物価指数の伸び率が予想を下回ったニュージーランド・ドルに対しては1%値を上げた。

記事に関する記者への問い合わせ先:東京 小宮 弘子 Hiroko Komiya、 hkomiya1@bloomberg.net
更新日時: 2011/04/18 15:32 JST
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/541.html#c2

コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
38. 2011年4月18日 22:44:11: QS6rXyi9EI
>>35のThe Wayback Machineの詳細が知りたい人はこちら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96

↑長ったらしいURLですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/インターネット・アーカイブ
こういう意味です。

「インターネット・アーカイブ」部分をURL用にUTF-8でエンコードするとこうなります。
それでも心配な人は%以下の文字をデコードしてみてください。

そもそもURLがウィキペディアなんでこれもIP抜かれるとか言ってると笑われます。
そもそもIPなんてどこのサイトでもぶっこ抜いてますしw
そもそも証拠能力無いこと隠蔽することやめろよw
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c38

コメント [原発・フッ素9] 茨城の魚“出入り禁止” 風評で息の根を止められる(zakzak) 赤かぶ
15. 2011年4月18日 22:44:28: EnFXcTIUl2
魚に関してはマトモな考えの奴が多いみたいだな。
魚うまいもんなー、魚食えなきゃ日本人に生まれた意味無いよなー

魚も野菜も風評被害じゃなく、実被害。

ドイツ放射線防護協会は「日本における放射線リスク最小化のための提言」として

「評価の根拠に不確実性があるため、乳児、子ども、青少年に対しては、1kg あ
たり4Bq 以上の基準核種セシウム137 を含む飲食物を与えないよう推奨される
べきである。成人は、1kg あたり8Bq 以上の基準核種セシウム137 を含む飲食物を摂取しないことが推奨される。」と書いている

成人でも8ベクレル以上摂取するなって発表してる専門家もいるのに、いい加減な基準で検査すらしてない魚なんか食えるか!!


ドイツ放射線防護協会「日本における放射線リスク最小化のための提言」

http://icbuw-hiroshima.org/wp-content/uploads/2011/04/322838a309529f3382702b3a6c5441a31.pdf
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/505.html#c15

コメント [原発・フッ素7] 放射線防護委員会委員長「放射線は微量なら安全、むしろ体にいい影響が…」(たかじんのそこまで言って委員会) 馬鹿まるだし
77. 2011年4月18日 22:45:01: Ew6sSgC3sg
現段階で外部被爆なんてどうでもいい。

すこしくらい浴びたって影響なし。

今、一般の人が恐れなきゃならんのは内部被爆だけ。

モニタリング結果を注意深く見守ろう。
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/922.html#c77

コメント [原発・フッ素9] 関係者も愕然!東電“嘘っぱち”工程表「あくまで希望的観測」(zakzak) 赤かぶ
12. 2011年4月18日 22:45:31: GdJAMKBIOQ
本来なら、統合本部名で工程表を公表すべき。
菅政権の罠にはまって、遅延した場合の全責任を東電が押し付けられた格好に。
東電に批判の矛先が集中することは(批判されてしかるべきだが)、菅の思う壺だろう。
ちなみに工程表は、現時点での世論の反応を考慮して作られたもの。ぎりぎり許容範囲と考えて日程を決めたのだろう。
9ヵ月後には会長も社長も辞任してるだろうし、二人にとってはどうでもいいはず。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/503.html#c12
コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
258. 2011年4月18日 22:47:48: svP4hQWkUI
<251 Z8vRqo8phA 様


<ヒラリーいる間地震ないな。

ですよね。私も思いました。

今日も落ち着いちゃってます。何度も度重なる震源地の近くに住んでますが、いつもと違います。
また菅は大金を持ってかれそうなアホな約束させられちゃったんじゃないですかね。

なんたってコソコソとやってきたのは、韓国の後ですから。どっちが被災地だ?
それも日曜日を狙って、たった数時間だけ、専用機に乗ってやってきた。

その目も当てられない老醜ぶりに、いかに精神的に追い詰められてるかわかる。
「ばれてる」って聞くと、「ばれてる」って答える。以下同文。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c258

コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
39. 平成の坂本竜馬 2011年4月18日 22:48:36: KvTxn/v4K5oQ2 : ahjuhBL0za
>>34
馬鹿にするなよ。「日本人」

こんな記事なんか書かないよ。
「2011/4/16 18:31 原発まとめ(10)4月12日〜 レベル7検討…最も深刻 関東・東北から離れろ! という情報が華僑社会を駆け巡った てんさい(い) 」

「工作員」「華僑」の方ですか?
出て行って下さい。


http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c39

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
259. 2011年4月18日 22:48:45: QS6rXyi9EI
>>255
こっちで投稿者が必死こいて隠蔽しようとしているよ。

前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c35

>>256
おー見れた見れた。ありがと。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c259

記事 [国際5] ロシアの原子力専門家 日本政府に提言 (イズベスチア紙から抜粋)、ロシアの声。22.03.2011, 14:02
転載開始。

http://japanese.ruvr.ru/2011/03/22/47793818.html より。

ロシアの原子力専門家 日本政府に提言 (イズベスチア紙から抜粋)

特集: 自然災害 (48 記事)
タグ: 日本関連, サイエンス, 自然災害, 国内, 記事一覧

22.03.2011, 14:02

Photo: EPA

 日本で支援活動にあたっていたロシアの原子力専門家、ウラジーミル・アスモロフ氏が20日、ロシアに帰国しました。アスモロフ氏は、「ロスエネルゴアトム」の第一副総裁を務めるとともに、クルチャトフ研究所の副所長でもあります。

アスモロフ氏は、長年にわたって、チェルノブイリ原発事故の処理作業を率いてきた人物です。
(なお、「モスクワ情報エクスプレス」3月22日放送分、および23日再放送分では、「日本の原発事故:ロシアからの視点」をテーマに特別番組を放送しています。サイト上「ラジオ」のタグから、アーカイブをお聴きになることができます。)

イズ)日本からの帰り、サハリンに立ち寄り、プーチン首相に日本の現状を説明されましたね。個人的な印象も含めてお話を伺えますでしょうか。

アス)日本の方々は、原子力発電所の管理について

素晴らしい腕前を持っているにも関わらず、

 
  一番重要な時にコントロールを失ってしまいました。


日本の複雑で硬直的な官僚的運営モデルによって、

事故への対応が遅れてしまったのです。

問題を検討する場所が、現場から離れれば離れるほど、

政策決定は遅くなり、運営状況が悪化します。

ロシア人にとっては5分で済んでしまうようなことでも、

日本ではまず委員会を立ち上げ、会合を重ねることが必要で、

しかも肝心な責任者は1人だけで、常に連絡を取れるとは限りません。副大臣より下の人と話しても、何も決定できないようになっているのです。

イズ)いま、政策決定のスピードが遅い、ということに触れられましたが、具体的な例を挙げていただくことはできるでしょうか。

アス)いくらでも挙げることができます。事故があって停電してから9日間、原発には電力が供給されませんでした。

ロシアならば、即座に地面にコイルを伸ばして、予備発電機を投入したことでしょう。

もしも放水ポンプをすぐに動かすことが出来ていたならば、

最悪の事態は避けられていたことでしょう。

日本の人々がなにも手をこまねいていたとは言いませんが、

独自の官僚的政策決定が長引いている間に、原発は燃えてしまったのです。

イズ)どうしてロシアの専門家が日本に受け入れられるまで数日間かかったのでしょうか。

アス)受け入れに時間がかかったのはロシア人専門家だけではありません。原子力調整委員会を代表していたアメリカ人専門家の受け入れにも時間がかかりました。その委員会は、アメリカ大統領直轄の委員会ですが、福島原発はアメリカの設計によってつくられたものです。日本側は、外国の経験や助言を活用することは、欠点をさらけ出し、自らをおとしめることになると考えていたようです。また日本国内の政治状況も、問題をさらに複雑化させました。現在、政権についている与党は、40年間野党の立場であって、運営することよりも、批判することになれてしまっていたわけです。さらに危機管理ともなればなおさらでしょう。

イズ)ロシアの専門家らによる助言を、日本側は受け入れましたか。

アス)最終的に日本側は、ロシア側からの助言、提言を受け入れました。


ヘリコプターによって、上空から水を散布するなどということは

  全く意味のないことですが、

我々の提言に従って、中止されました。

またもう一つの例を挙げましょう。日本では放射線を懸念して、消防車を建物の50メートル以内には近づけないようにしていました。その結果、ホースから発射される水が拡がってしまい、意味がありませんでした。私たちは、ホースの先をディーゼルエンジンに近づけたうえで、建物の間近から発射するように提言しました。というのも、その作業に人は必要ないからです。

日本側はとても驚いた様子で、

  一日中検討していましたが、最終的に我々の提言を受け入れました。

  また最も重要な提言としては、危機管理の責任者が、東京の本省ではなく、

 実際の現場である原発で指揮をとるべきだ、ということを申し上げました。

 (以上、21日付けイズベスチア紙より抜粋)


            転載終了。


投稿者コメント。

  日本人の悪い癖です。いつものパターン。

   企業しかり。


  以前、オーストラリアの某大手企業経営者が、言及していた。


    日本人は、決定が、遅すぎる。

   しかし、一旦決定したら、見事な統率力で、やり抜く。

   長い付き合いを、してくれる。

   しかし、緊急事態には、遅い。


   何故か、国家の危機、企業の危機には、

    二通りの準備が必要なのです。


     即座の判断を必要とする事案では、

      親分、どうしましょう?  

         と、

      子分が、携帯電話で、命令を聞いている間に、


        まあ、撃たれて、死にます。


       遅かったのね、です。


     さて、今後は、現場の責任者の人材が、如何に大事か、が、

      身に染みてくるでしょうねえ。


     日頃の安全な時に、現場の即座の決定権を、訓練しておく事。

     命に関わる現場では、災害では、

     三年寝太郎、明後日、決めるわ、では、みんな、怪我するか、

          死ぬ。
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/649.html

コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
10. 2011年4月18日 22:50:42: EP1BU3jhxI
>09

妙にアマーイ  (@@;)
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c10

コメント [原発・フッ素9] 東京関東地方で鼻血の出血者が増えているという。 チュルノブイリでも少量被爆で鼻血出血、から痰、喉のイガイガなどの症状があ てんさい(い)
205. 2011年4月18日 22:50:50: HnA0WvoB5U
健康への影響の初期的サイン

リンパ節肥大と鼻孔の炎症を訴える東京区域に住む人たちから私たちは情報を受けています。このことから、これらの人たちはプルトニウムとウラニウム粒子を吸い込んでいる可能性があります。

http://moritagen.blogspot.com/2011/04/llrc.html

Monday 11th April 2011 1st paragraph updated 12th April
Advice for the people of Japan

Early signs of health damage: We have received information from people in the Tokyo region stating that they have swollen lymph nodes and sores in their nostrils. These are indicators that they have probably inhaled particles of Plutonium and Uranium.

http://www.llrc.org/index.html

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/298.html#c205

コメント [経世済民71] 財政タカ派が繰り出した異例の財政改革案 財政再建重視派にアピールする一方、高齢者の支持を失う可能性 sci
01. 2011年4月18日 22:51:46: cqRnZH2CUM
米シティの1−3月期:32%減益、予想ほどは落ち込まず(1) 
  4月18日(ブルームバーグ):米銀3位、シティグループの1−3月(第1四半期)決算は、前年同期比32%減益となった。引当金を減らしたことや消費者向け事業の改善で、減益は市場予想よりも小幅にとどまった。

  18日の同行発表によると、純利益は30億ドル。1株当たりは10セントとなった。前年同期の利益は44億3000万ドル(1株当たり15セント)だった。ブルームバーグ・ニュースがまとめたアナリスト21人の予想平均では1株当たり利益9セントが見込まれていた。

-Editors: Steve Dickson, Dan Reichl

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:アムステルダム 木下 晶代 Akiyo Kinoshita

akinoshita2@bloomberg.netEditor:Tsuneo Yamahiro記事についての記者への問い合わせ先:Donal Griffin in New York at dgriffin10@bloomberg.net
更新日時: 2011/04/18 21:38 JST
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/537.html#c1

コメント [経世済民71] 財政タカ派が繰り出した異例の財政改革案 財政再建重視派にアピールする一方、高齢者の支持を失う可能性 sci
02. 2011年4月18日 22:51:56: cqRnZH2CUM
FRB議長、低金利の長期維持を強調する公算−来週の初定例会見で(1 
  4月18日(ブルームバーグ):バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は来週の連邦公開市場委員会(FOMC)終了後に行う定例化後初の記者会見で、このところ市場から忘れられた印象のある、政策金利を「長期にわたり」低水準にとどめる方針を強調する公算がある。

  シカゴの先物市場が示す12月までに米利上げが実施される確率は29%。銀行間融資を対象にしたユーロドル取引は、近く利上げを実施すべきだとの一部の地区連銀総裁の発言とインフレの上昇傾向を背景に年末までの0.5%への金利上昇を織り込んでいる。

  BNPパリバの北米担当チーフエコノミスト、ジュリア・コロナド氏(ニューヨーク在勤)は「またもや市場はFRBより先走っている」と指摘。「バーナンキ議長の記者会見は、FOMCの総意からますます離れていながらも極めて声高に意見を表明する一部のメンバーの影響を緩和するのに寄与するだろう」と説明した。

  バーナンキ議長は定例会見を開くことで、決定されたばかりの金融政策を最初に説明する機会を持てることから、日本や欧州の中銀総裁と同様、市場の観測の誘導ないし修正が可能になる公算だ。これまでは、米カンザスシティー連銀のホーニグ総裁など必ずしもFRBの見解を代表していない連銀総裁が最初に意見を表明することが多かった。今年、定例会見は4、6、11月の2日間にわたるFOMC終了後に実施される。

          「一部連銀総裁の発言で混乱」

  バーナンキ議長と、同議長を補佐するイエレン副議長とダドリー・ニューヨーク連銀総裁はこの数週間の講演で、物価上昇加速が喚起する脅威は「一時的」なものにとどまるとFOMCの中核メンバーは信じていると発言。年内に利上げの可能性があるとのホーニグ総裁らの発言に基づいた投資家の憶測の打ち消しに回った。

  コロナド氏は、「FOMCの一部の非主流メンバーが自分の見解を好き勝手に表明しているため、市場は大きく混乱していた」と指摘。バーナンキ議長の定例会見によって「市場は主流のメッセージに焦点を絞ることができる」と説明した。

  バーナンキ議長の会見は米東部時間27日午後2時15分(日本時間28日午前3時15分)から始まる。27日も含め、会見の行われる日のFOMC声明の発表時間は同午後零時半に繰り上げられる。それ以外の1日のみのFOMCでは従来通り同午後2時15分。

          「会見の重要性徐々に高まる」

  3156億ドル(約26兆2000億円)相当の資産を運用するLPLファイナンシャルのエコノミスト兼投資ストラテジスト、ジョン・カナリー氏は、この定例会見の重要性はこの先、次第に高まる公算が大きいと指摘。「27日の会見は、さまざまな調整や議長が質問への受け答えに慣れるための場となるだろう」とした上で、会見を伴うFOMC会合は「徐々に重要性を高め」、やがては「欧州中央銀行(ECB)のように全てのFOMCで会見が行われるようになるだろう。また、最終的にはFOMC議事録や毎日のように行われる当局者の講演などが従来ほど重要でなくなるとみている」と予想した。

  FTNファイナンシャルのチーフエコノミスト、クリス・ロー氏は、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標をゼロ近辺に長期にわたりとどめるとのバーナンキ議長の方針を受け、投資家が利益を得る方法は2通りあると分析。「FRBが間違っているとみる人は、インフレ関連の取引に向かう傾向がある。こうした人たちは商品とインフレ連動債(TIPS)を選好している」が、「FRBが正しいと信じる人は伝統的な債券に向かい、より長期の債券を志向する」と指摘した。

  ロー氏は、FRBが正しいとみる投資家に同意すると表明。「利回りが上昇しないと確信しているなら、5年債のリターンは2.12%と、2年債の0.69%を大きく上回っている」ため、期間が長めの債券への投資で「大きな利益が見込まれる」と説明した。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:東京 城塚 愛也 Aiya Shirotsuka 2482 ashirotsuka@bloomberg.net Editor:MasashiHinoki記事に関する記者への問い合わせ先:Joshua Zumbrun in Washington at 1984 or jzumbrun@bloomberg.net
更新日時: 2011/04/18 13:15 JST
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/537.html#c2

記事 [自然災害17] 南三陸町志津川高校から見た津波の様子/余りのすごさに息をのむ
南三陸町志津川高校から見た津波の様子
http://youtu.be/8vZR0Rq1Rfw

投稿者: saitoart | 作成日: 2011/04/10

東日本大震災で、南三陸町志津川高校から見た津波の様子をデジカメで撮影いたしました。最後の方で、畑を逃げている人たちは全員助かっています。

追記
9.11テロの際には、報道の流す映像によってPTSDの症状が出た方がいたようです。このようなショッキングな映像を見続けることは心の健康にプラスにはなりません。ご­注意ください。
私自身この津波で家を流され、飼っていた猫も失いました。あまりこの動画を見たいとは思いませんので、散々迷った挙句アップロードいたしました。
これを見ることが被災者の気持ちを理解することにつながるとは思いませんが、何が起きてどんな感じだったのかを誰かに知ってもらいたいと思って公開してしまいました。


http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/187.html

コメント [原発・フッ素9] 必読「週刊金曜日」、東京電力に群がった原発文化人 gataro
50. 2011年4月18日 22:53:44: GRXF7YmM3E
ACのコマーシャルと東電のコマーシャルが、同じトーンに聞こえるんだけど、制作会社は、同じなんだろうか?
気になる。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/453.html#c50
コメント [原発・フッ素9] 東京関東地方で鼻血の出血者が増えているという。 チュルノブイリでも少量被爆で鼻血出血、から痰、喉のイガイガなどの症状があ てんさい(い)
206. 2011年4月18日 22:55:57: QsXzEDbHRM
>>ほー。参加人数がわかる掲示板なんですね。お仲間内のところなんでしょうか。
その割に仲間みんなで検査にもいかずに阿修羅掲示板に書いて済ませてるみたいですが


はい?回答者数えたらだいたい10名くらいだったということですけど?
こんなの説明する必要ありますかね?w
ちなみに1人1人と絡んだので、なりすましはないと思われますよ。

意味不明なこと言いますねw
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/298.html#c206

コメント [原発・フッ素9] あっぱれ、城南信用金庫! (「日本人」の研究!) 七転八起
38. 2011年4月18日 22:56:39: XlYOiajk12
>「日本人」の研究

預金をするには、金融機関の信用で選ぶべきで、
節電プランを策定したからではない。

信用金庫を選択するなど、金融に関してなはだ合理性にかける
行動である。日本にも未だ低開発国なみの思考の人間がいることは
興味深い。



http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/384.html#c38

コメント [原発・フッ素9] 農水省の水田放射能調査 表面から15cmまでの土の放射線計測 これは理にかなっています。 ダイナモ
20. 2011年4月18日 22:57:26: bEe299OenM
ダイナモさんは、東電、強欲どもの被害者を加害者もしくは共犯者にするつもりですか?
飛散し積もった放射性物質は消えることのない毒物です。
毒があるとわかっていながら、おいしいですよとか、農家の汗の結晶デスなどと言うのは、あまりにも悲しい犯罪です。
福島原発由来の放射性物質が降り注いだ土は、殺されたのであり、土を殺したのは東電とその陰に連なる権益者たちです。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/510.html#c20
コメント [原発・フッ素9] 必読「週刊金曜日」、東京電力に群がった原発文化人 gataro
51. 2011年4月18日 22:58:24: GRXF7YmM3E
39さん>
ありがと。

竹中や、竹中のメカケの大田弘子も書きたかったんだけど、とりあえず本文を読んで抜書きしただけ。

どんどん、追加していただけると、嬉しいです。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/453.html#c51

コメント [原発・フッ素9] 茨城の魚“出入り禁止” 風評で息の根を止められる(zakzak) 赤かぶ
16. 2011年4月18日 22:59:46: 0GJJznkobY
被災したのはお気の毒だけど、
放射線が出ている魚を食卓に並べていいかどうかは
別問題。

漁業したい気持ちは分かるけど
本当に消費者のこと考えているのかな?
幼児だって食べるんですよ?

もうね、自分でガイガーあてて計るしかないね。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/505.html#c16

記事 [経世済民71] 米格付け見通しを「安定的」から「ネガティブ」に引き下げ=S&P
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20680720110418

2011年 04月 18日 22:47 JST

トップニュース
米GM、15年までに中国自動車販売台数の倍増目指す=中国部門社長
今回の津波の大きさ想定できず、甘かった=清水・東電社長
債務再編は好ましくない=ギリシャ中銀総裁
バグダッドの「グリーンゾーン」再び標的に、爆発で3人死亡

 [ニューヨーク 18日 ロイター] 格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は18日、米国の格付け見通しを「安定的」から「ネガティブ」に引き下げた。

 その理由として、米議会が長期的な財政問題への対処で、合意にこぎ着けることが出来ない可能性がある、との見方を示した。

© Thomson Reuters 2011 All rights reserved.
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/543.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 「言い過ぎ」と圧力をかけられたNHK水野解説委員 jesusisinus
03. 2011年4月18日 23:01:07: GCLkjdiXmU
真実を語れば叩かれる国。それが日本の正体。
政府官僚の大本営発表だけを垂れ流していれば出世して給料+ボーナスが増える。
腐敗まみれ
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/738.html#c3
記事 [経世済民71] 2次補正の財源に「復興再生債」発行へ=与野党政調会長会談
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20679720110418

2011年 04月 18日 21:24 JST
 
米GM、15年までに中国自動車販売台数の倍増目指す=中国部門社長
今回の津波の大きさ想定できず、甘かった=清水・東電社長
債務再編は好ましくない=ギリシャ中銀総裁
バグダッドの「グリーンゾーン」再び標的に、爆発で3人死亡

 [東京 18日 ロイター] 民主党の玄葉光一郎政調会長は18日夕、国会内で自民党の石破茂政調会長、公明党の石井啓一政調会長らと相次ぎ会談し、2011年度第2次補正予算の財源として「復興再生債」を発行する考えを伝えた。

会談終了後、玄葉政調会長は記者団に対し、復興債の発行をめぐる与野党間の考えに「大きな違いはない」ことを明らかにした。同時に会談では、石破政調会長が復興基本法案の策定を共同で進めるよう申し入れた。 

 玄葉政調会長は会談で、第2次補正予算の財源について、既存歳出の削減と特別会計の見直しに加え、復興再生債を充てる案を野党に提示。発行する国債は従来の国債と区別して管理し、償還財源も担保する考えを伝えた。今後、法人税減税などの11年度税制改正案も含めて、財源確保について与野党協議を進める。 

 復興基本法案について玄葉政調会長は「(自民党の提案は)非常に貴重。最大限努力をして共同作業で(国会へ)提出できるような方向にしたい」と述べた。基本法に復興財源を明記するかは、今後の協議で詰める。基本法案は「1次補正と同時に成立させないと復興が遅れる」として、20日にも与野党協議で論点整理を行う予定。公明党も共同作業を呼び掛けた玄葉政調会長の提案に、前向きな姿勢を示したという。 

 総額4兆0150億円の第1次補正をめぐっては、玄葉政調会長が28日に国会へ提出する方針を伝えたが、子ども手当などを見直して安定財源を確保するよう求める野党との距離は埋まらず、合意には至らなかった。

© Thomson Reuters 2011 All rights reserved.
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/544.html

コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
260. 2011年4月18日 23:02:17: QS6rXyi9EI
>>257
人工地震が起こせないじゃなくて、東日本大震災が人工地震かどうかが争点じゃないの?

地盤のゆるいであろうウチの建物はダンプが走っただけでしっかり揺れるぞw
早朝なら地下鉄走ってるのもわかるしw
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c260

コメント [自然災害17] 前回記事からお見せできなかったオリジナル画像を一部紹介します。 平成の坂本竜馬
40. 2011年4月18日 23:02:31: bagXH0lhII
http://www.archive.org/web/web.php
で、
http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0
を検索すると、これが出て、
http://waybackmachine.org/*/http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0
一つだけ選択可能だからクリックすると、
http://replay.waybackmachine.org/20100605101925/http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0
このURLが出てくる。
で、過去のタイトルとか、説明書きとかがみれる。
で、2010年6月5日に保存してあったタイトルは


FEMA NLE 2010 Simulated Nuclear Attack : False Flag Los Angeles


ところが、この投稿ではこうある
-----------------------
* 証拠3 *
なぜ、今、日本の福島原発が狙われたのか?
2008年の時点ですでにターゲットになっていることが予告(予言では無く)されている。(証拠のYouTube画像)
証拠保全対象「Illuminati Nuclear Meltdowns In Progress at Fukushima thanks Stuxnet HAARP NLE 2011」
http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0
証拠保全を!できれば、動画だけでなく、登録日も表示されている画面ハードコピーも!
ついに出た! Illuminati(イルミナティ)の文字
-----------------------

しかし、この根拠が崩れてしまう。

まとめると、動画のタイトルが昔と今と違う。

http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0

↓2010年6月5日のタイトルは↓
FEMA NLE 2010 Simulated Nuclear Attack : False Flag Los Angeles

Illuminati Nuclear Meltdowns In Progress at Fukushima thanks Stuxnet HAARP NLE 2011
↑同じ動画の今のたいとる↑

ユーチューブになにかの動画をアップしてみればわかるけど、
タイトル、コメント、さらに、キャプション、字幕など、
いつでもあとから変更可能。←これテストに出ます。
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/173.html#c40

コメント [原発・フッ素9] 福島1〜3号機核燃料、保安院「溶融」と初見解 吐息でネット右翼
01. 2011年4月18日 23:02:44: oWbillhalg
爆発直後から溶融確実など判ってたことだ。いまさら何を!
事前待避のための予測にも何もならなかった、気象庁の後出しSPPIDEと同じことで、「溶融しちゃった。仕方ないので今やっぱり認めます」だと?
「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と現実と希望を混同し、「溶融している」ものとした危機感を持って対処してなかったんだろう。バカ目が!!

地震や津波の話しや避難区域設定の話と同じだ。

「これほど大きい地震や津波は絶対来ないと思ってました。でも今来ちゃいました」
「30km範囲は屋内待避で大丈夫。でもやっぱり放射能だらけだったので逃げましょう」

ミッドウェー以降の敗戦につぐ敗戦と同じく現実と希望を混同し、毎回敗戦処理だ。少しも歴史の教訓を学ばないどうしようもないやつらだ。

「今後、メルトダウンして水蒸気爆発が起こる可能性もあり、その場合福島第一原発施設に作業員が近づけなくなり原発全号機が破局に陥る恐れがある。したがって風下になりがちの○○、△△、××他各県で原発から○○○km以内の住民は、念のため避難準備をしておいて下さい」ということを今のうちに言っておけ!

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/515.html#c1

コメント [原発・フッ素9] 茂木健一郎が原発事故についてほとんどTLしない訳「脳と原子力、じつは切っても切れない関係です」 sci
11. 2011年4月18日 23:03:06: GaerX0jM5g
>10さんへ 09は親類縁者ではありません。

だって、胆略的に非難するのもどうかと。つまり茂木さんは

「原子力は巨大システムである。その運営には、高度の技術、経験の蓄積、そして細心の配慮がいる。安全なオペレーションを実現す
るためには、フェイル・セイフ、ヒューマンファクターの考慮など、さまざまな工夫が不可欠とされる。
 一般の人々の原子力に対する期待に応えるためにも、関係者には本当にご苦労だけれども、がんばってもらいたいと思う。万が一にも起きてはいけない不測の事態-----」

と。東電が安全最優先で茂木さんのこの発言というか、理解度であったなら、ここまでの人災は防げたはずであるし、リスクはレベル4ぐらいで収まっていたのでは!

どうも阿修羅人としては胆略的な批判人が多いと思ったので、擁護に回っただけです。



http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/516.html#c11

コメント [原発・フッ素9] 浜岡原発の即時廃止訴え 静岡で相次ぎ講演会(静岡新聞) Ustreamで公開中 馬鹿まるだし
05. 2011年4月18日 23:03:09: EevgVGbxIQ
普通は、安全でないことが判ったら、ただちに停止して安全点検するのが「常識」というものではないかい?

安全でないものを今もずっと運転しているというのは「未必の故意」ではないかい?
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/422.html#c5

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] HAARP乱れてます 本日より危ない 〜 「黄金の金玉を知らないか?」 JPLAW
04. 2011年4月18日 23:04:18: DYUmfs4epA
大量虐殺兵器搭載の艦船、「ちきゅう」関係者の証言

目の前のパイプをさして、
「これは、LWD(掘削同時検層)といわれるもので、パイプの先につけて、孔内の状況を測定するためのツールです。
具体的にはこの中には、地上のガンマ線を測定する装置、それから中性子検層、それと比抵抗検層、方位傾斜

●その他【人工地震等を発生させまして、その地震波を測定するための装置】です。」

と阿部剛が証言した。
このビデオの中ではっきり言っている!!!
何所までの人工地震が起こせるのか!?
http://www.youtube.com/watch?v=Ca9jnd5iJr4&feature=player_embedded#at=26

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/487.html#c4

記事 [原発・フッ素9] 米南部の竜巻で死者40人超、原発が停電で自動停止
米国だと竜巻で原発が止まるのか
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20665020110418
米南部の竜巻で死者40人超、原発が停電で自動停止
2011年 04月 18日 10:19 JST
 
フィンランド議会選で反EU政党躍進、党首はポルトガル支援変更言及
米GM、15年までに中国自動車販売台数の倍増目指す=中国部門社長
今回の津波の大きさ想定できず、甘かった=清水・東電社長
債務再編は好ましくない=ギリシャ中銀総裁

 [ローリー(米ノースカロライナ州) 17日 ロイター] 米南部のノースカロライナ州やアラバマ州などで14日から相次いで竜巻や暴風雨が発生し、17日までに少なくとも43人が死亡した。停電のほか、建物にも大きな被害が出ている。

 ノースカロライナ州では、これまでに22人が死亡、80人以上が負傷した。少なくとも23の郡で大きな被害が報告されており、停電も広範囲で起きている。

 死者はアラバマ州とアーカンソー州でそれぞれ7人、ミシシッピ州で1人、オクラホマ州で2人となっているが、気象学者によると、今後さらに犠牲者が増えるとの見方もある。

 最初の竜巻は、14日にオクラホマ州で発生し、州南部へ進行。16日には東海岸でも発生し、これまでに240件以上が報告され、50件が竜巻と確認されている。

 また、バージニア州南東部にある原子力発電所では、竜巻の影響で電力供給が止まった16日、原子炉2基が自動停止した。補助電源が作動したため、原子炉は安定した状態にあるという。

© Thomson Reuters 2011 All rights reserved.
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/526.html

コメント [原発・フッ素7] 仰天!最近出すっぱりの保安院・西山審議官は、文系法学部出身(なんじゃそら、日本の誇るテクノクラートはどうしてんねん!) ジャック・どんどん
36. 2011年4月18日 23:05:44: 7IGBX7zvk2
西山さんには、隠しきれないある種のチャームがある。
魅力的に感じている女性は、意外に多いと思う。
あの時期に、こんなサンドバック役を引き受けるなんて性根の座った男らしい人だ。
髪具合なんて、どうでもいい。
すごい色気の持ち主。
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/738.html#c36
コメント [原発・フッ素9] 福島第一原発の元女性モニターの証言 てんさい(い)
03. 2011年4月18日 23:07:04: CrSPO7aj1k
>東電社員の奥さんは90km離れれば(安心)・・・
と言ってたとか、いう意味のことをビデオではいってる。

米軍の退避距離は、80kmだそうが、
東電には、90kmという数字が、内部に、あったのだろうか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/450.html#c3

コメント [原発・フッ素9] 京大原子炉、小出裕章「工程表、被曝環境、今後数千人の作業員必要」毎日放送ラジオたねまきジャーナル4月18日 ジャック・どんどん
01. 2011年4月18日 23:07:28: lI29enkwe2
でも、甘い見通しをいわなければ、マスコミから無責任だといわれますからね。
菅総理もマスコミの顔色ばかりうかがって、住民に本当のことを伝える勇気がない。
本当は原発政策を推進してきた、自民党の政治家は福島原発の現地に赴き、放射能を浴びてもらいたい。
昔の太平洋戦争の時と同じで、誰も本当のことをいわない。

http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/525.html#c1
コメント [お知らせ・管理19] 二重投稿です。削除をお願いします。 sci
03. 管理人さん 2011年4月18日 23:07:28: Master
>>02 今回は削除せず
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/730.html#c3
コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
261. 2011年4月18日 23:08:11: DvZYFLGtNs
>>257

ほう、ということは「人工地震が起こせる」
ということは認めるというわけだな?

それは良い証拠の一つだよ。

なら話は早いだろう

これで今回のも100%自然地震じゃない可能性もあるという事がわかったよな?
人工地震説である可能性もあるということだよな?

あとは他の事象や事実を積み合わせて検証してみろよ
それをやらないで頭から批判するから
B層と言われるんだよ

少し頭良くなってよかったね〜。

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c261

コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
06. 平成の坂本竜馬 2011年4月18日 23:08:17: KvTxn/v4K5oQ2 : ahjuhBL0za
管理人さん

貴方、今「日本人?」
http://web.archive.org/web/*/
http://replay.waybackmachine.org/20100605101925/
http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0

これだけで充分だけど・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=r2DbyNHy6y0

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c6

コメント [原発・フッ素7] 放射線防護委員会委員長「放射線は微量なら安全、むしろ体にいい影響が…」(たかじんのそこまで言って委員会) 馬鹿まるだし
78. 困ったもんですね 2011年4月18日 23:08:52: C4/GoxAL/3bC2 : 1RzC3bJwx2
日本は医師免許を取れば、そのあと勉強しなくても医師、専門家を名乗れるいい国です。
古い医学知識や古い常識をもとに、いとも気軽に「安全」と言っている専門家が多いのは困ったものです。

ヨウ素の問題だって、常識的になったのはチェルノブイリ以降だといいます。しかも、詳しい知見は実際に治療に当たった医師でしかわからないほど、それまでの医学常識から乖離しているようです。

同じくちっとも勉強しないマスコミが、見た目と弁舌の巧みさだけでコメントを求める人選をしているから、トンデモ専門家が横行する訳です。

松本市長で、医師の菅谷昭さんの言われていることを聞いてから、中村仁信とか、稲恭宏とかが話している理論を見てみることです。

http://www.city.matsumoto.nagano.jp/aramasi/sityo/kaiken/teirei20110322/index.html

それでも中村、稲を信じるのは、科学ではなく信教の自由の問題です。

あっ、稲は早稲田卒で、東京電力のお金で東大の学位を得た人だそうですから、医師とはいえませんでしたね。

http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/756.html


http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/922.html#c78

コメント [原発・フッ素9] 「家族逃がした枝野、党内会議で「家族はたまたまシンガポール」と認める!」二階堂ドットコム 玄米
110. 2011年4月18日 23:10:39: FdlGhzNeuo
信憑性が明確になってからスレ立てろよ
阿修羅も2chと同レベルか
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/412.html#c110
コメント [自然災害17] 緊急報告)3/11地震テロ特定!証拠保全完了!井口氏に連絡を! 平成の坂本竜馬
262. 2011年4月18日 23:11:26: QS6rXyi9EI
>>261
ありがとなw
でも、それはそれなw
なぜそれが東日本大震災が人工地震だって言う証拠なのかはどうやらB層の俺には理解できんがww
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/158.html#c262
コメント [雑談専用39] 今日に想う あっしら
12. 2011年4月18日 23:11:33: gf7OQcxcqA
遅いですね
これからが長い冷静
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/308.html#c12
コメント [原発・フッ素9] 枝野氏家族について海外避難を否定(時事通信) 公平性のため敢えて掲載します  玄米
03. 2011年4月18日 23:12:39: 0GJJznkobY
「水道水を持って行かせた」と書いてあるけど、
水道水を飲ませているとは書いてない。
たとえば「飲料水としてそれとは別にミネラルウォーターを持っていかせた」
かどうかは分からない。

「東京の議員宿舎にいる」と書いてあるけど、これの主語がない。
あとの文章で「地方選挙の対応で動いているが」と書いてある。
これは家族ではなく枝野自身の話かもしれない。
そもそも選挙対策で動く度に家族を引き連れていくとも思えない。
いずれにしても、家族がずっと東京にいる、とは書いてない。

そう読めるような雰囲気づくりがしてあるだけ。

この状況下で明晰に否定しないこと自体どうなんだろうと思う。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/440.html#c3

コメント [経世済民71] スペインはユーロ圏債務危機のドミノか、それともダムか sci
03. 2011年4月18日 23:12:43: cqRnZH2CUM
フィンランド議会選で反EU政党躍進、党首はポルトガル支援変更言及
2011年 04月 18日 17:21 JST
 
米GM、15年までに中国自動車販売台数の倍増目指す=中国部門社長
今回の津波の大きさ想定できず、甘かった=清水・東電社長
債務再編は好ましくない=ギリシャ中銀総裁
エジプト前首相と前財務相を起訴、ムバラク前政権与党には解散命令

 [ヘルシンキ 18日 ロイター] 17日投開票のフィンランド議会選挙で大きく躍進した反欧州連合(EU)・反ユーロの政党「真のフィンランド人」党首は、ポルトガル支援計画は変更されるとの見方を示した。

 同党のソイニ党首は18日、ポルトガル支援計画の質問に「もちろん、変更が必要になるし、変更されるだろう」と答えた。同党は第3党に躍進し、ソイニ党首は今週にも、連立政権協議がはじめるとの見通しを示した。

 選挙で第1党となったのは中道右派与党の国民連合で得票率は20.4%にとどまった。同党のカタイネン党首が連立協議を進める。真のフィンランド人党が連立政権入りして閣僚を出すかなどまだ不透明だが、同党の躍進はEUによる債務国支援をめぐる論議が高まることは必至だ。

 フィンランド議会は他のユーロ圏諸国と違い、EUによる救済資金要請に対し投票する権利を有しており、ポルトガル支援などを保留できる。

 真のフィンランド人党の得票率は19.0%(07年選挙は4.1%)で、連立協議に参加する可能性が高い。第2党は得票率19.1%の野党・社会民主党で、EUそのものは支持しているが、ポルトガル支援策には批判的だ。

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http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/541.html#c3

コメント [原発・フッ素9] DarkCircle gataro
02. 2011年4月18日 23:13:34: A4GQ7o9O02
昔、学生の頃、大阪よみうりテレビの「シネマ大好き」という、夏休みか、冬休み、深夜日替わりの映画特集があったのを覚えています。アトミック特集だったかな。
「カレン・シルクウッドの生涯」「ダーク・サークル」「アトミック・カフェ」「未知への飛行」「博士の異常なる愛情」だったかな?ドリスデイの How insensitive がかかった番宣のBGMが秀逸だったのを覚えている(うろ覚えですが)
アトミック特集以外にも、渋いラインナップでした。サラリーマンネオのヒントにもなったといわれる中島らもの「どんぶり5656」や「投げやり倶楽部」もありましたね。なつかしい
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/524.html#c2
コメント [原発・フッ素9] もしもの時はどうする 古我孚鵠
05. 2011年4月18日 23:15:54: f5NLaB3436
いいじゃないか、文系の力もいる。

非常事態は、総合力だ。三人集まれば文殊の知恵を知らないのですか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/508.html#c5

コメント [雑談専用39] あっしら氏がいた頃の阿修羅なら パルタ
23. 2011年4月18日 23:16:03: gf7OQcxcqA
予想どおり現出でしょうか
あっしら読んで無いんで
本物でしょうか
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/305.html#c23
コメント [自然災害17] 南三陸町志津川高校から見た津波の様子/余りのすごさに息をのむ gataro
01. 2011年4月18日 23:17:45: bagXH0lhII
 最初、とりあえず避難してみた、という感じで海を見ている。

 遠くの方が霧がかっていて、それがだんだん近づいてくるが、
 まだ人ごと。

 それがどんどん近づいてくる。

 あれ? なんか、違う!

 あれ? 家が流れてくる。

 あれ? ここも危ないかも。

 あれあれ? 下のほうから人が逃げてくる。あ、津波がそこまで!!!危ない!


http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/187.html#c1

コメント [お知らせ・管理19] 私の記事のURLが変わっているとの不正な誘導コメントを削除して下さい。 平成の坂本竜馬
07. 平成の坂本竜馬 2011年4月18日 23:18:03: KvTxn/v4K5oQ2 : ahjuhBL0za
管理人さん

余計なことすると、「阿修羅」のへの信用失うけど。
いいのかな?
なぜ、抜こうとするのか、説明して下さい。
www.youtube.comに直接アクセスするひとは「やつら」
この記事から行く人は、別のサーバ経由で「読者」
特定しようとしてるのが、バレバレ!
今更、IP制限も掛けれないだろ。誰が誰だか分か判んないし・・・。
これ、明らかな詐取行為だけど。
管理人さんも「やつら」の仲間かい?
この記事ばらまくよ。いいね?

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html#c7

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