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2019年3月14日時分 〜
コメント [国際25] 米財務省、ベネズエラ支援のロシア銀に制裁 ベネズエラ、大規模停電続く 病院での死者相次ぐ 国ぐるみ麻薬  うまき
1. 2019年3月14日 00:00:27 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[258]
ベネズエラ「マドゥロ最終段階」閉鎖、デモ、軍事介入【NET TV ニュース】Venezuela Commission 2019/03/13
.
JRPtelevision
2019/03/13 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=B9RSpbKFTZE
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/654.html#c1
コメント [カルト20] 週ポ・元号・本命は喜永で対抗は景永、馬鹿・安心を上奏。一億人が軽蔑してる奴の名など論外である。 ポスト米英時代
12. 2019年3月14日 00:02:01 : 5SE1NlciOn : L21RdEZvN2Q1TnM=[5]
>>11

例えば英国領インドを欧米に分類できましたか。Japanを欧米の一国として平等に扱うのか使い捨ての奴隷として扱うのかでは天と地ほども差がありますよ。

Jap`s eyeつまり日本人の目はチンコの先端のように小さくて細いと言っているのです。当然良い印象ではない。福沢諭吉は脱亜入欧言う前にあのキモい仏頂面をマイケルジャクソン風に整形すべきでしたね。

http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/488.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK258] 谷垣禎一よ、自由な立場で正論を吐け!   赤かぶ
1. 赤かぶ[6469] kNSCqYLU 2019年3月14日 00:02:39 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1506]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/460.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK258] 京都でたった4人のヘイトデモを大量の警察官が守る異様な過剰警備! 差別批判や政権批判デモには弾圧を加える一方で(リテラ) 赤かぶ
17. 2019年3月14日 00:03:12 : quMKleKEOA : andmOS5lY2dYN00=[29]
>>12
「竹竿部隊」というものが、
アメリカの反トランプデモで商店のガラス破壊や自動車放火などは行っても
窃盗はせずに消えてしまう覆面部隊(窃盗は一般黒人にまかせる)に相当する
扇動係なのですか?

ところでそんな大昔は朝鮮人と日本人はデモなどでなく
どんな場所ででも直接闘っていたと聞きますが
今は腰が抜けてしまったのか


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/424.html#c17

コメント [マスコミ・電通批評13] 国民の8割がNHKの解体を望み若者の3割がテレビを見ない(simatyan2のブログ)  かさっこ地蔵
126. 2019年3月14日 00:04:47 : J3nUrZGckA : clF2N1dQYXhYckE=[124]
って言うか、何でNHKだけを特別扱いするのかが分からん。
何でNHKだけが視聴料を取るのかが分からん。
NHKもCM入れて、その上がりで経営すればいい事だ。
今は、録画で見るから、CMが入っていても視聴者は別に困らない。
どうせNHKは、公正な放送なんかしないのだから、正確な情報を知るにはNHKではない民放を観た方が良い。

で、

何でNHKなんてあるの?
NHKがある為にみんな視聴料を盗られる。
NHKがなければみんな助かるのに。



http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/858.html#c126

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
4. 2019年3月14日 00:07:52 : quMKleKEOA : andmOS5lY2dYN00=[30]
韓国紙幣は清潔なのか、
それともインクとか成分脱落がすくないのか

工業製品でなく自然産物のコカインを使うならば正しいのは麦わらストローか

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
40. 前河[1657] kU@JzQ 2019年3月14日 00:08:30 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[13]
まあ、星さんも自民議員でも誰も額面とおりに受け止めてる人はいない。とは言ってたけどね。

任期が来て辞めてると決まってると士気が下がるので、党内の引き締めじゃないかと言われていると言ったのは後藤さんかな?

四期目の信憑性はあまりないと思うが、とにかく安倍だからなあ…アホだからその気になりそうだ。

また、チョイ不満を表すのが相変わらずの情けなさだ。

党内で「有り得ない」と言う人がいないのが今の自民の情けなさだな。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c40

記事 [経世済民131] 『官製春闘』が終焉(在野のアナリスト)
『官製春闘』が終焉
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/archives/53110851.html
2019年03月13日 在野のアナリスト


Brexit案はやはり議会で否決されました。延長がメインシナリオですが、離脱強硬派は延長案を否決し、29日で離脱を確定するのでは? とも噂されます。延長だと改めて国民投票が行われ、離脱を否定されるのが怖いのです。あくまでそのシナリオで、メイ首相が打てるウルトラCが、北アイルランドの領有を一旦空白とし、北アイルランドで国民投票を行って英領にとどまるか、アイルランドに帰属するかを決めさせる。これだと最長で1年は猶予ができ、国境管理も必要ない。今の離脱案で国境管理のところを省けば、英国議会も同意を得られるでしょう。今では、メイ氏はBrexitを骨抜きするための案しかEU側と合意しない、ともされており、離脱反対派にとっても強硬派にとっても邪魔。そんな話すら聞こえてきました。まだまだ予断を許しません。

春闘では賃上げが昨年水準にとどかず、秋の消費税増税に向けてハードルが上がります。官製春闘が不発になった途端、NHKでは「春闘に興味なし、という国民が増えた」などと報じます。小泉政権のころから非正規が増えており、今さらの話ですが、安倍政権が官製春闘などをしている間は報じなかった。NHKの官製メディアぶりをよく伝えるものとなっています。昨年10月から始まった景気減速、企業サイドからみれば半年、その波にのまれた形です。米中貿易協議もまとまっておらず、賃上げを約束できる状況ではありません。

安倍政権が「景気がいい」と嘘をつくので、まともな景気対策も打てない。そもそも中国の景気動向にふらされる時点で、国内景気は著しく弱いのですが、それも認めていない。だから構造改革もすすまない。こんな状況で企業が安倍政権の成果を喧伝させるためだけに、春闘で賃上げに妥協できるはずもありません。機械受注の減少などをみても、企業が警戒モードに突入していることをうかがわせ、将来的な減速に備えています。それなのに安倍政権は現実から目を背け、統計データを偽装したり、都合よく用いたりして、景気がよいと思わせようとしているのですから、企業サイドにとっても日本の景気など期待できるはずもないのです。

大阪府知事選で、自民がタレントで俳優の辰巳琢郎氏を擁立か? と記事が流れました。通常、最終局面とされる二階幹事長との面談もあったので、メディアも踊らされましたが、辞退されるとすぐに小西元府副知事が出馬を表明、自民が推薦をだしたので、知名度がない小西氏の出馬表明を大々的に取り上げさせるために、一芝居打ったとみられます。そもそも辰巳氏は京大卒のインテリとして有名ですが、政治的発言がめだつわけでもなく、またレギュラー番組ももっていた。ハードルが高いからインパクトがでて、引き立て役にされたのです。

反維新で糾合、としますが、こんな浅ましい三文芝居をみせられ、逆に維新以外の党はのっかりにくくなった。そもそも維新と自民は同じ穴のムジナ、どっちに転んでも保守の地盤という計算も見え隠れする。維新と自民が票を奪い合えば、第三の選択肢にもチャンスがある。知名度のある、魅力的な候補者をみつけられるか? それによってダブル選挙の帰趨は大きく変わってくる。こちらもまだまだ帰趨は不透明と言えます。

安倍首相はまだ、消費税再増税の先送りを諦めていない、とされます。参院選、目玉候補のいない自民がとれる策、それが『先送り』だからです。幼保の無料化に対しても、産経などが猛烈に批判し、少子化対策が先という記事をだす。保守層にとって、神経を逆なでした移民受け入れに舵を切った安倍政権に、少子化を何とかしないと保守層も離れる、産経も一緒につぶれるとの危機感もあるのでしょう。しかし『官製春闘』などとして、その成果を報じてきたメディアが、今年からは『閑静春闘』として扱いを小さくするほど、安倍政権の成果を報じにくくなってきた。むしろ『管制春闘』に失敗するほど、その力が殺がれてきたのも国内で溜まりに溜まった膿のせいだとしたら、安倍政権の『慣性(官製)力』にも愈々陰りが見えてきた、といえるのかもしれませんね。




http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/500.html

コメント [政治・選挙・NHK258] 天皇陛下は大東亜戦争終戦から74年、在位30年間、1度も戦争に巻き込まれず平和な時代を築かれて、皇居・宮中三殿に譲位を… 笑坊
2. 2019年3月14日 00:11:13 : quMKleKEOA : andmOS5lY2dYN00=[31]
戦争は政治の範疇なのだから天皇には関係ない

天皇の担当は、地震その他天災や災害の発生を防ぐ(ために祈る)こと

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/435.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK258] <これは物凄い国会答弁である!>天皇陛下のお言葉を国会で否定した安倍首相の衝撃  天木直人  赤かぶ
27. 2019年3月14日 00:15:07 : imhmuQvnXg : aDBVeEFqT1dYRXM=[10]
〈コメントより〉

【譲位後も、内廷費に含まれる上皇・上皇后両陛下の生活費が減額されることはないという」
…そうですか。院政をやる気満々なのですね。

ご隠居なさるのかと思っておりましたが…。
称号も、「皇太后」じゃなく「上皇后」ですか?
身分は皇后様の下になるのに、「上皇后」って失礼に感じます。自分の方が上って意味ですね。

また、お着物も豪華にしなければ老いて醜く見えてしまうのでお金がかかるのは分かります。
でも、雅子様のお洋服がバブル時代のもので、明らかに着回しでおられるのを見ますと悲しいですよ。

新天皇皇后両陛下に譲位されるということの意味を謙虚にお考えいただき静かにシンプルにお暮しいただきたいです。】

【オランダ国王の戴冠式に出席された雅子様のドレスも、既に8回も着回しされたドレスだったとか。上等な物でしょうが、着回し回数の多さで生地に張りもなくなり、しかもシワシワで本当に可哀想でした。】

【「立つ鳥跡を濁さず」
引き際はどうぞ静かに美しく
後進に道を譲ってください】

【4月は盛大に結婚記念パーティーですよ】

【えっ、即位30周年式典に加えて
何回もお茶会したばかりなのに、
>4月は盛大に結婚記念パーティー
まであるんですか!
ずいぶんとど派手な引退ですね(苦笑】

【本当に引き際は美しくないと…
もう汚しまくって、フンだらけですからね。
次の新天皇皇后両陛下は後始末が大変です。】

【天皇陛下は明らかに疲労しているし、失礼ながら認知症も進んでいると思う
これ以上引っ張りまわさない方がいいのに
そうまでして人前に出たいんですかね、皇后は】

【シニアになると、
自分の素がはっきり出てくる
=我が強くなるということだと
聞いたことがあります。

目立ちたい、前へ出たい、
ちやほや持ち上げられたい
自分の素を押さえれない
老化現象かもしれませんね。】

【何だか皇室はこれから国民の重荷になる気がする。
小室事件を皮切りに皇族が本当に尊敬に値する人々でない事が露呈した。
国民はこれからも苦しい生活を強いられるかもしれないのに、皇族に税金がかかり過ぎている。
当の皇族方は国民の事を財布だと思っているのか?】

【皇室は、存在意義や存在価値を
今後益々問われていくと思います。

今回の秋篠宮家の不祥事に加えて、
日本では消費税が上がり、
世界的な水不足や食糧難が
心配されている中で、
皇室崇拝教育をされてない世代は
皇室敬おうなどと思わないでしょう。

新天皇陛下時代の後、
日本はどうなるのでしょうか?】
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/423.html#c27

コメント [マスコミ・電通批評13] 国民の8割がNHKの解体を望み若者の3割がテレビを見ない(simatyan2のブログ)  かさっこ地蔵
127. 2019年3月14日 00:16:03 : J3nUrZGckA : clF2N1dQYXhYckE=[125]
風が吹けば桶屋が儲かる

もしNHKが無くなったら → 視聴料が無くなる → 視聴料がないとTVが売れる → TVが売れればニッポン経済が上向く → 経済が豊かになれば国民も豊かになる →国が豊かになれば国民みんなが幸せになる

つまり

NHKが無くなれば → 結果 → ニッポン経済が上向く→ 国民幸せ

逆に言えば

NHKは存在自体が国民を不幸のどん底に叩き込んでいる。

http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/858.html#c127

コメント [政治・選挙・NHK258] 「悪夢だ、自民党に人はいないのか」と小池晃!  赤かぶ
26. panbet37[1210] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2019年3月14日 00:17:58 : ofVf3edJeg : WGllVjRhM1VOVDY=[4]
僕は、異常なドイツ第三帝国、ヒットラー・ドイツの中で、”砂漠のキツネ”ロンメル将軍だけはわりと好きだ。

 彼も、最後はヒットラー暗殺計画に加担したんだよね。まともな人間なら、安倍晋三のような人でなしと心中なんかしないはずなんだけど。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/427.html#c26

記事 [経世済民131] 大塚家具、中国系企業の実質支配下に…経営陣刷新要求、久美子社長は父・勝久氏に泣きつき(Business Journal)
大塚家具、中国系企業の実質支配下に…経営陣刷新要求、久美子社長は父・勝久氏に泣きつき
https://biz-journal.jp/2019/03/post_27036.html
2019.03.13 文=編集部 Business Journal


大塚家具の大塚久美子社長(写真:Natsuki Sakai/アフロ)


 経営再建中の大塚家具は、日中の投資家や米系投資ファンドから資本を受け入れる財務強化策を発表した。最大で76億円を調達し、財務基盤の強化を図る。同時に、家電量販大手のヤマダ電機と業務提携した。大塚久美子社長は引き続き経営トップにとどまる。

 第三者割当増資を行い、2019年3〜6月に1株290円で1311万株を発行する。2月14日の終値(460円)からは4割安い水準で、発行済み株式数は現在の1940万株から7割近く増える。

 越境EC(電子商取引)を手掛けるハイラインズが組成し、日中の企業などが資金を拠出する投資ファンドに18億円、米系投資ファンドのイーストモア・グローバルに20億円の第三者割当増資を実施する。

 さらに、ハイラインズと同社代表取締役の陳海波氏、ならびにイーストモアに対して新株予約権を発行する。権利がすべて行使されれば、第三者割当増資と合わせて最大で76億円の資金調達となる。新株予約権が行使されると発行済み株式数はさらに830万株増える。

 大塚家具の大株主は、大塚家具の資産管理会社ききょう企画が6.66%で筆頭株主。2位は資本・業務提携している貸し会議室大手のティーケーピー(TKP)で6.65%(17年12月31日現在)。

 ファイナンス後、持ち株比率はイーストモア・グローバルが19.58%で筆頭株主。2位はハイラインズ日中アライアンス2号匿名組合の13.34%、3位がハイラインズの11.76%、4位に陳海波氏の5.88%と続く。ききょう企画は3.17%で5位に後退する。

 ハイラインズは1号匿名組合(持ち株比率1.90%)と合わせるとグループで32.88%の株式を保有することとなり、実質的な筆頭株主に躍り出る。

■ハイラインズの陳海波氏が新しいオーナー

 経営不振に陥った大塚家具は昨年6月ごろから支援先を探してきた。第2位の株主のTKPや家電量販店大手など10社と交渉したが協議は難航。昨年12月に業務提携した中国の家具販売大手「居然之家(イージーホーム)」との資本提携を探ったが、同社は株式上場の準備を理由に出資を見送った。

 実は、大塚家具をイージーホームに紹介したのはハイラインズだった。今回そのハイラインズが大塚家具ファイナンスの枠組みづくりを主導した。

 ハイラインズは中国のIT企業の日本法人、ユー・シー・エル(陳海波代表取締役)が越境EC事業を分離して16年11月に設立した。

 イーストモア・グローバルはケイマン諸島に本拠を置く投資ファンドで、大塚家具が独自に探してきた支援先だ。大塚家具株式の高値売り抜けが目的とみられている。一方、ハイラインズは役員を派遣して業績回復を優先する方向だ。

 大塚家具の18年12月期の単独決算の売上高は前年比9.0%減の373億円、営業損益は前年とほぼ同じ51億円の赤字、最終損益は32億円の赤字となった。17年同期の最終赤字は72億円。最終赤字は3期連続となり、年間配当はゼロ(17年同期は40円)となった。昨年12月20日に昨年来安値250円を記録した。

 再建策をさらに詰めるため19年12月期の業績見通しは「未定」とした。事業継続のリスクがあるとして投資家に注意を促す「継続企業の前提に関する注記(ゴーイングコンサーン)」が決算短信に付いたままだ。

 今回の増資によって、筆頭株主が大塚家から中国のハイラインズに交代。派手な父娘ゲンカを演じながらも、創業以来続いてきた大塚家の支配は事実上、終わる。中国企業にとって、日本の上場企業を手に入れるメリットは大きい。資金調達の打ち出の小槌とすることができるからだ。

 窮余の策ともいえる資本・業務提携に対する投資家の視線は厳しい。2月15日の大塚家具の株価の終値は388円(前日比72円安)。一時、380円(80円安)まで下がった。3月4日の終値は374円。

■久美子社長が父親へ和解呼びかけたワケ

 久美子社長は3月4日、陳氏と東京都内の日本外国特派員協会で記者会見を開き、2月までにまとめた業務提携・資本増強について説明した。

 久美子社長は「守りから攻めに打って出る体制が整った。日本から一歩踏み出す」と述べ、中国市場に熱い視線を送った。

 陳氏は「(ハイラインズの)役員を大塚家具に派遣する。日本だけでなく中国の富裕層取り込みも目指す」と資本業務提携の狙いを語った。

 久美子社長は、家具販売振興を目的とする団体の設立を検討していることも明かした。「価値観を共有できるメーカーや販売会社でつくれないか考えている。その団体には父にも参加してほしいので、声をかけたい」と述べ、かつて経営権をめぐり骨肉の争いを演じた実父・大塚勝久元会長との関係改善に意欲を示した。

「父・勝久は業界一の目利き」「子供の頃、店でかくれんぼをして父に怒られた」「父から価値観やいいものとはどういうものかという美意識を受け継いだ」など、7分間にわたり父について語った。

 久美子社長の唐突な父親との“和解”表明は、陳氏の意向によるものだ。

「いい家具を長く使う価値観は父と同じだ」とも述べた。お家騒動がブランドイメージの悪化を招き業績不振に陥ったことから、勝久氏との関係改善で、ブランド力を回復させたいとの思惑がある。しかし、「対決から一転して融和路線を打ち出したが、言葉だけが上滑りしている感がある」(会見に出席したジャーナリスト)と、冷ややかな声もある。

 勝久氏が会長を務める家具販売会社・匠大塚との経営統合の可能性については、「経営合理性の観点に応じて検討する」と濁し、「(現時点では)考えが及ばない」とも述べた。

 陳氏は久美子社長の続投を認める方針だが、「赤字を継続すれば続投できなくなる。今年は最低でもトントンにする必要がある」と全国紙のインタビューでクギを刺している。ほかの取締役については、「3年間の実績を見れば、アドバイザーとして機能していない」と指摘。経営陣の大幅な入れ替えを示唆した。

 3月25日に開かれる株主総会で“新しいオーナー”となる陳氏の主導により大塚家具の経営再建が図られることになるが、前途多難であることに変わりはない。

(文=編集部)



http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/501.html

コメント [政治・選挙・NHK258] 京都でたった4人のヘイトデモを大量の警察官が守る異様な過剰警備! 差別批判や政権批判デモには弾圧を加える一方で(リテラ) 赤かぶ
18. 長州山口に原爆を落とせ[13] krePQo5SjPuCyYy0lJqC8JeOgsaCuQ 2019年3月14日 00:20:59 : PtOsz5pBmk : REpEMmtIbkFLQWM=[32]
>>10
沖縄の騒音を撒き散らしと狼藉を働く鬼畜駐留米軍には
何も言わないのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/424.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK258] 「悪夢だ、自民党に人はいないのか」と小池晃!  赤かぶ
27. 2019年3月14日 00:26:02 : LFdj7v4TY2 : Wjd2WFhmd1NEbzI=[83]
自民党は企業の人材難を心配する前に自分のところを心配した方がいい。
旧田中派や平成研、宏池会が破壊され清和会の天下になったが、彼らは人を育てない。
二世議員連中がほとんどだから有能な議員が出てきたときのクーデターを懸念したのだろう。
安倍がいなくなればもう次はいない。石破も岸田もいまいち。菅は手を振って固辞している。結局小泉が放り込んでいった息子しかいなくなる。ところがこの息子がマスコミ受けしているのでなんとなく自民党まだ行けそうみたいな空気が漂っているのだ。若手と中道の議員は「最後は進次郎を支持すればいい」と楽観しているのではないか?
だが進次郎はずる賢い。農協改革に失敗すると親父と自分は違うと早くも見切り、安倍を批判しておいて採決のときは賛成票を入れるような姑息な奴である。マスコミは過大な期待を抱かない方がいい。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/427.html#c27
コメント [政治・選挙・NHK258] 震災報道は1日だけ 次の日からは復興五輪PRの浅ましさ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. 2019年3月14日 00:26:46 : CzDm4mOt6Y : MzB0WHVNNUx5MG8=[13]

利権大好きのバカどもが、とうけふ汚倫ピックと騒ぐが、復興を言ふなら

せめて福島の放射能駄々漏れ原発の廃炉が完了し、耳掻き一杯の放射性物質も

出なくなってから、お祭りせいや! 現状、毎年放射能被爆で死者は右肩上り

に増え続けている。芸能人やスポーツ選手など有名人、いわゆるセレブな連中

が死んだら騒がれるが、その何十倍、何百倍の一般の人達が亡くなってもマス

ごみのハイエナどもは騒がない。チェルノブイリ以上に危険な福島だし、日本

だろ。海外から放射能汚染アイランドJAPANと呼ばれてる鴨な。


 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/456.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK258] 麻生氏ポロリ本音 “アベノミクス偽装”は「支持率のため」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
17. 前河[1658] kU@JzQ 2019年3月14日 00:31:46 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[14]
麻生は腹の中では、俺はあのバカども(安倍&菅)とは違うと思ってんじゃないか?

安倍に頼られて助けてやってる感が強いから、愚痴が出たんだろうな。自分を誇示することが一番のおひとだな。

あの根拠のない自信が、故竹下に「あれは竹馬に乗った男だ」と言わしめた。

しょうもない奴だが、救いは安倍&菅の様な陰湿さがない点かな。陰湿さはないが単純短絡人間だわな。

菅的工作からの脱宣言か?

早く引退して欲しい政治家のひとりだな。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/450.html#c17

コメント [国際25] 全人代「中国の国防費」は脅威か──狙いは台湾統一 日本に安保対話を求めた蔡英文を蹴った日本(ニューズウィーク) 赤かぶ
5. 2019年3月14日 00:33:29 : 5SE1NlciOn : L21RdEZvN2Q1TnM=[6]
>>02

台湾が中国領になった場合、たぶん高雄から毎日のように軍艦が出港してバシー海峡をパトロールするだろうし戦闘機も毎日パトロールするだろう。バシー海峡は日本から東南アジア、インド、中東に向かう航路なんだが。日本のタンカーと中国の軍艦が仲良く並んで航行し、その上を中国の戦闘機が飛んでいる。そんな素敵な光景を想像してみたまえよw

もっと問題なのは台湾は原子力潜水艦の基地として最高なんだよな。中国と何か揉め事があった時に東京湾やサンフランシスコ沖で核ミサイル積んだ中国原潜が「事故った」とか言って急浮上して見せたら?

日本人もアメリカ人も生きた心地がしないと思うよw

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/675.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
5. 2019年3月14日 00:33:36 : InvnRrBgrs : TzEveWVzb1hWbHc=[1]
何故、韓国紙幣なのかと不思議に思った。

当方、コカインなどは未経験なので、あれは紙幣で吸うものなのかと思ったし、いや、もしかすると韓国紙幣には特殊な成分が含まれていて、それがコカインの効き目を強くするのかとかマジで考えてしまった。w

あるいは紙幣なら何でもいいのだが、瀧氏は愛国者なので日本銀行発行の日本の紙幣は使えず、旅行に行ったときかなんかに余ってた韓国のにしたのかとか思ったよ。w
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
41. 2019年3月14日 00:34:48 : UgHwutVFKQ : WDZIblpuNjlGN3c=[1]
安倍 ← 経産省OB、特に今井 ← 原子力村&米国支配層

といった構図で操られてるんだろう。

だから安倍のかわりに菅あたりに操られ人形役をやらせればいいんだろうがね。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
6. 2019年3月14日 00:39:08 : DDEDkCtB4U : ZW9TcE05elZta28=[147]
案の定というか、こういう報道をするから一斉に韓国叩きをやるようにとネトサポに司令が出ていたろ。こういうのをスクラムという。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
42. 2019年3月14日 00:40:54 : of1jUkAqnw : RnlFbXlYWEJ4eXc=[9]
日米合同委員会というのは実質内政干渉だと思う。
アメリカは泥棒のグレーゾーンだと思う。
お上のアメリカが泥棒であって、それをお上とたてまつる阿部とその同調者も実質泥棒だと思う。
泥棒に社会的責任をとれ、といっても無理だろうな。
泥棒の泥棒による泥棒のための無責任国家。
この国がどうなっていくか見極めつつ、選挙には行くようにしよう。
 


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c42

コメント [政治・選挙・NHK258] 谷垣禎一よ、自由な立場で正論を吐け!   赤かぶ
2. 2019年3月14日 00:45:26 : CzDm4mOt6Y : MzB0WHVNNUx5MG8=[14]

>日本に保守政党の存在は絶対に必要だ。

憲法を守る本物の保守政党・共産党の存在はありますがね。。

次から次に良きものを壊し続けている自民党は保守政党では無いですよ。

壊悪土建政党とでも言ふのかな? 数世紀に1匹というやうな粗末なキチガイ

が総裁・総理をやって美しい日本を放射能塗れ世紀末のキチガイ国家に仕上げ

ますたわ。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/460.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK258] ロボットになった思考停止の与党議員!   赤かぶ
12. 2019年3月14日 00:45:57 : Rb5qT6gC1U : c09FRkp0T2tpWGs=[3]
CSISがパクリ、翻訳、起草
アーミテージ、マイケルが親分
ヤクザ日本財団、子分東京財団の
竹中、経団連、パペット安倍
創価、統一、日本会議
簡単な構造体だが
劣化したコピー機と
頷くゾンビ、百済から
漢字を習ったのは670年
歴史も知らず、多摩廃人化


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/387.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK258] 「悪夢だ、自民党に人はいないのか」と小池晃!  赤かぶ
28. 前河[1659] kU@JzQ 2019年3月14日 00:46:45 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[15]

自民は、誰を長にすれば一番国民のためになるのか?。とか、誰が一番国益を守れるか?ではなく

自民議員の利権を守りたい。

から、安倍を押すんでしょ。正しい政治とか関係ない。自分等の利益に都合がいいだけだろう。情けないが。

安倍を立てれば選挙に勝てると思ってるんじゃないか?

もう既に風向きは変わってるんじゃないか?

安倍では勝てなくなっていると思うが。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/427.html#c28

コメント [政治・選挙・NHK246] 参院議員会館で大麻栽培? 記者の通報で現場は一時騒然〈dot.〉  赤かぶ
17. 2019年3月14日 01:04:50 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[259]
は本当に体に悪いのか?」大麻が禁止された本当の理由とは?【NET TV ニュース】朝堂院大覚 麻薬白書 2019/03/10
.
JRPtelevision
2019/03/09 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=dpoGggXEV_U
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/639.html#c17
コメント [経世済民131] 中国は日本の「失われた10年」に学ぶ必要=人民銀行前総裁 米中通商交渉、数週間で終結する可能性=USTR代表 うまき
3. 2019年3月14日 01:04:59 : Km4RH97UL6 : N25BVFFzVnloa3c=[1]
>>1>>2

私が書きたいことをお二人で代弁して呉れた。
ありがとう。
 
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/493.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
43. 前河[1660] kU@JzQ 2019年3月14日 01:07:34 : eYgQOu0cNU : Y0JoSm9IMXhuMjI=[16]
40ですが、単語(主語)が抜けてました。

>また、チョイ不満を表すのが相変わらずの情けなさだ。

これは、安倍4選発言に対する岸田の反応についての感想でした。


主語を入れてさらに修正すると、
「岸田は、また、チョイ不満を表す程度で、堂々とモノを言えない不甲斐なさが相変わらずの情けなさだ。」

でした。



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c43

コメント [政治・選挙・NHK258] 露大統領報道官「島を返すかどうかでない」 大統領府筋「北方領土を日本への引き渡す計画がない」 赤かぶ
1. 赤かぶ[6470] kNSCqYLU 2019年3月14日 01:14:44 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1507]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/462.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
7. 2019年3月14日 01:33:24 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[33]
条件反射的にヘイトに走る国民が大勢いるということは、普通なら憂うべきことだが、安倍政権は逆にこれを喜んでいるのだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK247] 安倍昭恵夫人と怪しい新興宗教(文春オンライン) 赤かぶ
6. 2019年3月14日 01:39:03 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[260]
「安倍晋三」の妻、「安倍昭恵」が在日朝鮮人である根拠 【NET TV ニュース】内外タイムス 2017/12/12
.
JRPtelevision
2017/12/21 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=Vr5RafheHIQ
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/307.html#c6
コメント [ホロコースト6] 現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。(PEAT) こーるてん
1. 2019年3月14日 01:45:47 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[261]
フルフォードレポート(3/11)教皇フランシスは13の血統として解雇、グノーシス・イルミナティは西側の内戦の終了を交渉する
.
ch 国際政経
2019/03/13 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=HJ-KH2EgTFk
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/215.html#c1
コメント [カルト20] AI(人工知能)は、人間の職を奪っていくというが、どのくらいの仕事を奪っていくのだろうか マシマヒロト
10. 2019年3月14日 01:51:35 : cVPW7NYb7c : ZWRDMW9EZWVZNkU=[28]

テスト7


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/370.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK258] 麻生氏ポロリ本音 “アベノミクス偽装”は「支持率のため」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
18. 2019年3月14日 01:53:29 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[34]
それほど支持率に執着するようでは、やはり民間の調査機関やマスコミにも手を回しているのか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/450.html#c18
コメント [政治・選挙・NHK258] <妄信ほど、怖いものはない!>安倍4選はあり得る(もっとやりたくて仕方がない安倍首相) 天木直人  赤かぶ
12. 2019年3月14日 02:00:22 : DDEDkCtB4U : ZW9TcE05elZta28=[148]
安倍はマクロンではなく、ゴーンだ。
一目瞭然の犯罪事実を前にしてもボク無実!ボク無実!と連呼するだけの無能ぶり。
そもそも傀儡にすぎない奴で、能力も権限も実は無い。
入れ知恵している奴が後ろにいる点で共通している。

だからマクロンは絵を描く立場として追い込まれれば謝罪もするし譲歩するなど懐柔を図ることができるが、安部は謝罪も譲歩もせず、ただ言い張って居直り、居座り続けているだけだ。

フランスではゴーンの結婚式、ベルサイユ宮殿のメセナ資金の件で捜査が決まった。
あれだけ喧しかったゴーン擁護の声も消えた。
もしこれが日本なら、安倍は絶対に握りつぶしたろうが、マクロンは不利と見ればそういう判断はしない。オトモダチじゃなく植民地の奴隷、使用人なんだろうね。

考えるにゴーンと同じで安倍が倒れるときも突然ポキッと折れるだろう。
対話が不可能な奴だから、もし国民が決起したらマクロンのような交渉はできず、一瞬も保たずに官邸から逃げ出す。
第一次安倍政権がそうだった。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/446.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
44. 2019年3月14日 02:09:56 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[35]
二階氏に、安倍首相を持ち上げるだけ持ち上げて、梯子を外すという芸当ができるだろうか。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c44
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
1. 赤かぶ[6471] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:13:14 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1508]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
2. 赤かぶ[6472] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:14:00 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1509]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK258] 「感情的な反対をする人たちと議論をしても意味がない」(中西経団連会長)。「議論が必要」ってほざいてたくせに… 赤かぶ
31. 2019年3月14日 02:14:30 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[88]
原子力ムラは、科学的な議論をしたら決定的にやり込められて負けるので、
議論から逃げているだけ。

経済的に見ても、原子力に将来がないのは明らか。

「原子力礼賛大推進の日経新聞ですら原発が最もコスト高と
認めざるを得なくなった」
http://www.asyura2.com/17/genpatu49/msg/203.html
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/394.html#c31

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
3. 赤かぶ[6473] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:14:47 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1510]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c3
コメント [原発・フッ素51] 怖ろしや!あの大熊町で4月にも一部が避難解除!   赤かぶ
12. 2019年3月14日 02:15:36 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[89]
被ばく死したい方はどうぞお帰り下さい。

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/191.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
4. 赤かぶ[6474] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:16:53 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1511]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
5. 赤かぶ[6475] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:18:02 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1512]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
6. 赤かぶ[6476] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:18:54 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1513]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
7. 赤かぶ[6477] kNSCqYLU 2019年3月14日 02:20:20 : 90EZJT5uPI : YU9qMWtEWURTcUk=[1514]



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK258] 健康被害が続出 豊洲市場の“黒い粉塵”は高濃度の猛毒物質(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 2019年3月14日 02:26:25 : hE3PRSoheQ : aDMueWFCSkFsbkU=[182]
 
 豊洲市場 別名 殺人市場
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/458.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK258] 「悪夢だ、自民党に人はいないのか」と小池晃!  赤かぶ
29. 2019年3月14日 02:27:57 : uNDSKAys4E : NmtHcnMvTHZYalE=[36]
再来年の話をしてるようだが、腹の中では、遠からず病気が悪化して寿命が尽きると考えているものと見る。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/427.html#c29
コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
45. 2019年3月14日 02:37:26 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[55]
  自民党の中の話だから党首を誰が何期やろうと余程の支持者以外はどうでも良く、あえて電波に流すような話では無い。
    しかしながら、二階氏が総理総裁と言うが如く、総理大臣の役目と総裁の役目との二足の草鞋ゆえ困った事になっているのである。
   永らく最大多数の議員を獲得した政党が政権を担うにつき、党首が総理大臣を兼務する慣行が定着しているが、周知のとおり党利党略のために尽力する総裁と、野党支持者も含めた全ての国民納税者の代表として国際会議等で自国の方針を報告する総理大臣とは、任務の性質や心構えが違う筈である。
   自民党という政党は、地盤看板カバンを世襲し公金を知人友人後援者などに優先して回す口利きが生業であり、それが出来る代議士こそが有能だとされ、その成果が、支持率の高さや政権獲得に表れていると言える。
    だが内閣を張ったからには、公金を地盤看板カバンを以て特定の有権者に配分する保守政党のやり方では国家全体の成熟とはならないのであり、大所高所から最大多数の最大幸福の解を得るには、自党の支持者のみでは無く全ての納税者の意向を把握すべく、国会を開かれた真摯な議論の場としつつ、拠って立つべき法的根拠としての最高法規の理念とそれに準じた基本法原則に整合性ある公金の歳出事務に関し、事務方に同調することなく厳しく管理監督責任を果たさねばならない。
    安倍首相はそれが出来るだけの能力に乏しく、勝利した後に国会審議に臨んでも尚自党の支持率の高さや政権確保の成功を自賛、返す刀で野党議員を侮蔑する有様であり、内閣を張ったからには現最高法規を拠るべき法根拠とし、与野党全ての代議士による、より良い国造りの為の論戦の舞台を整えようとの構えが無い。
    安倍氏は典型的な、選挙に勝つことを政治活動の最終目標とするタイプの人物であるところ、党が安倍氏を総裁として担ぐのは勝手だが、総理大臣の衣を着つつ心はあくまでも自民党総裁であるところが問題であり、安倍総裁率いる自民党の方針が国際社会で独り歩きすることで、例えば好戦的な国家として、日本国民全体が世界から誤解を招く原因となるのである。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c45
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
8. 2019年3月14日 02:47:20 : 0kvLO6zmSU : Yzd6T1NpV0R0RlE=[52]
>>統計不正問題について、7割以上の国民が解明されていないと考えているにも関わらず、安倍政権の支持率は下がらない。その理由は簡単だ。野党が安倍政権を追い詰める事が出来ないからだ。

と天木氏は言うが、大間違いだろう。統計で不正を行う安倍政権が、支持率を野放しにするはずがない。支持率は、実際は大幅に下がっていると考えるのが妥当だろう。

しかし、嘘の支持率が発表されて、国民の目をそらしているうちに、多くの国民が安倍はまだ支持されていると錯覚する羽目になる。

これほど明確な統計不正をこれ以上解明などする必要は全くない。マスコミが発表する支持率を無視して、選挙活動をすることである。その中で、この問題を放置していては、国が亡ぶことを全野党が声を合わせて、国民に訴えることである。あとは、選挙に不正が無ければ、確実に勝てる戦いである。これで勝てなければ、野党は永遠に勝てない。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK258] 国(環境省)が示す毎時0.23マイクロシーベルトの算出根拠 追加被ばく線量年間1ミリシーベルトの考え方 うまき
2. 2019年3月14日 02:49:10 : Dvz5pxVxe2 : M05EaHNIUnQ2bnM=[3]
 いつもの騙し。計算式を見れば分る通り、内部被爆の分が全くカウントされてない。

これに当てはまるのは、呼吸も食事も必要のない死人だけ、実にくだらん。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/441.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
8. しんのすけ99[274] grWC8YLMgreCrzk5 2019年3月14日 02:59:18 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[36]
まあ どうせ ネトウヨの一時の憂さ晴らしだ ロクなもんじゃない事はどうせ時間と共に明らかになる

安田純平さんの報道に かってにお祭り騒ぎしていたのと ほとんど同じでしょう どうせあいつ等は
馬鹿ばっかりなんだから

【安田さん解放】ネトウヨ「両親の折った千羽鶴の形が変だ。韓国式だ!」→昔から日本にありました
http://blog.livedoor.jp/nanyade/archives/13240112.html


何かしら犯罪に韓国が関わっていたら、鬼の首取ったように燥ぎまくるネトウヨ 暇人だねぇ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
9. 2019年3月14日 03:05:01 : DDEDkCtB4U : ZW9TcE05elZta28=[149]
「会話が成立していないから」だ。
1+1=2という常識を共有していない者は自分が追い詰められているという自覚が無い。
だから追い詰められない。

国民の意志の直接的な表明、街頭行動、実力行使以外に方法が無い。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK258] 何度でも言う! 安倍首相こそが福島原発事故の最大の戦犯だ! 第一次政権で津波による冷却機能喪失対策を拒否(リテラ) 赤かぶ
23. 2019年3月14日 03:17:53 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[56]
  21のギャグは幼児的で面白いが、地震や津波は自然災害だが原発事故は人災であることは、最早否定仕切れない周知の事実である。
   何にしろ危機には最大限の防御体制を敷くべきは、例えば安倍内閣が必至で要塞の如くに日本列島を不沈空母として米国と共に敵国から守ろうと防衛装備で固めているのと同様だ。外交という手段を信じずに武力による制圧を信じ防衛装備を巡らせる安倍内閣が、こと原発政策となると万が一に備える意志が全く無かったのは理解できない事である。故に、事故は人災であり人災には容疑者が存在するというのである。
   原発を作るというからには、それなりの自然災害対策が必要なのは言うまでも無く、様々なアクシデントで必ず事故調査が行われるのも不可抗力であったとして済まさないためである。
    さて、原発事故は初めて起きた訳では無く、スリーマイルやチェルノヴィりなど教訓となるべき事故が起きているのであり、地震列島日本であれば尚更のこと、こうした教訓を対策に生かさねばならなかった筈だが、頑なに事故対策を否定したのは保守政党としての体質が前面に出たからではないか。
    安倍氏は首相でありながら党総裁として常に選挙で勝つことを目標とする保守政党のリーダーであるところ、企業利益優先主義が自ずから一般納税者とは対立関係となり、納税者や知識人の考えが企業利益に合致しない場合には真向から反論、冷静な検証を行う意志を放棄してしまうのである。
   先の大戦に続き、木を見て森を見ない保守の体質が常に世界を揺るがす大きな失敗を招いているのであり、そういう意味では戦犯と呼ばれても仕方のない体質を戦前から引き継いでいると見做さざるを得ないのである。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/385.html#c23
コメント [カルト20] AI(人工知能)は、人間の職を奪っていくというが、どのくらいの仕事を奪っていくのだろうか マシマヒロト
11. 2019年3月14日 03:19:51 : zDKwjsrvNY : ZDQ0ZmN2Lzk2U0E=[1]

テスト8


http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/370.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK258] <これは物凄い国会答弁である!>天皇陛下のお言葉を国会で否定した安倍首相の衝撃  天木直人  赤かぶ
28. 2019年3月14日 03:31:24 : AiChp2veWo : OXNVYjJodXEvVFE=[7]
●正しく善良でしっかりした日本人の若者も学生も多いが、害国系の学生も動倭系も増えて、くず(屑)、まるだしの犯罪【例えば最近の京都での学生による女子大生風俗売り飛ばしの犯罪、背景はやくざだろう】を見ても、スーフリや慶應の破廉恥強姦事件を見ても、一般の店舗やスーパーで店長ですと言って何の経験もない若いのが客に偉そうにして物を言っているのを見ても、或いは様々な犯罪や詐欺、残虐殺人を見ても、若い連中が基地外破廉恥で腐れの生き方をしていることがわかる。これらはまずは市中引き回しの上獄門さらし首の死刑が妥当だ。身内親族には賠償金をきっちり背負わせるが良い。
●また、JDや若い女性らが女同士で夜の繁華街で飲み歩くなんてのはこれも基地外沙汰である。街中でナンパされてついて行くのもあほすぎ。女とやりまくりと言うう男は最低の人間。何の約束もちぎりもないのに交際したらすぐやらせる女も基地外沙汰。
女子も基本がぐちゃぐちゃであるが親は何を教えてるんだ!。
●学校や塾の教師、裁判所関係、公務員、警察、ロリコン性犯罪事件やロリ買春
が多い。これも税金かかるが20年は刑務所へ。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/423.html#c28
コメント [Ψ空耳の丘Ψ60] <マイノリティ支配の現実>大津中学生「殺人」事件と「さいなら原発・びわこ集会」を巡る日本のタブー 会員番号4153番
14. 2019年3月14日 03:47:32 : AiChp2veWo : OXNVYjJodXEvVFE=[8]
9・日本の闇とは、日本を乗っ取ろうとしている朝鮮人とそれを操る北朝鮮政府だ。
➡日本の闇とは、日本を乗っ取ろうとしている朝鮮人とそれを操る米国ディープステートだ。
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/781.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
46. 2019年3月14日 04:13:58 : EhlnLQ1Iok : aWg1eDY1Z1pneUE=[1]
自民党議員は全員、国民から殺害されるのも自覚してるでしょ。
じゃないとこんな発言できない。大麻で脳ミソやられてる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c46
記事 [原発・フッ素51] 放射線リスク、国連勧告と政府説明に大きな乖離 --除染作業員と子どもを守れ (グリーンピース) 

「放射線リスク、国連勧告と政府説明に大きな乖離 ーー除染作業員と子どもを守れ」
(グリーンピース 2019/3/8)
https://www.greenpeace.org/japan/sustainable/press-release/2019/03/08/6876/

国際環境NGOグリーンピース・ジャパンは(東京都新宿区、以下グリーンピース)、本日8日、放射線調査報告書『原発事故の最前線 : 労働者と子どもへのリスクと人権侵害、福島県浪江町と飯舘村における放射線調査』(注1)を発表し、現在除染等の作業が行われている帰還困難区域の放射線レベルは非常に高く、そこで働く労働者の権利が侵害されていると指摘しました。また大規模な除染後に避難指示が解除された地域で、国内外の基準年間1ミリシーベルトをはるかに超える高い放射線量が続いていること、放射線の影響をより受けやすい子どもを含め帰還させることは、子どもの権利条約などの国際条約やガイドラインに違反していることなどを指摘しました。国連特別報告者や国連子どもの権利条約委員会は、日本政府に対し、労働者や子どもの人権を守るよう勧告しています(注2)。

調査結果概要

放射線調査は、2018年10月11日から10月28日に、飯舘村、浪江町の避難指示が解除された地域、および浪江町の帰還困難区域で行い、民家や森、労働者が除染作業をしていた地域を測定。
飯舘村、浪江町の避難指示が解除された地域、および浪江町の帰還困難区域の放射線レベルは、国際的に推奨されている一般人の被ばく限度(年間1ミリシーベルト)の5〜100倍で、子どもを含む住民への被ばくが大きく懸念される。来世紀に入ってもその状況が続くと見られる。
労働者が作業していた浪江町の大堀地区(帰還困難区域)で測定した放射線レベルは平均値が毎時4マイクロシーベルトだった。1日8時間その場所にいたとすると、1年に100回以上胸部レントゲン(一回あたり60マイクロシーベルト)を受けた場合の放射線量に相当する。
避難指示がすでに解除された浪江町の小学校と幼稚園の側の森では、平均値が毎時1.8マイクロシーベルトであった。測定した全1,584地点で、政府の除染基準毎時0.23マイクロシーベルトを超えた。全地点の28%で、子どもの年間推定被ばく量は国際的に推奨されている基準の10〜20倍となる。
また、元除染作業員や原発労働者、その支援団体からの聞き取り調査や文献資料から以下を明らかにした。
労働者の搾取が横行している。労働者には、貧困者層やホームレスも含まれる。放射線防護の教育が不十分で、身分証明書や健康診断書の改ざんもあり、被ばくに関して信頼できる公的なデータの蓄積がない。
調査に参加し、報告書を執筆したグリーンピース・ドイツ、核問題シニア・スペシャリストのショーン・バーニーは、「除染作業員が作業していた場所は、もし、原発構内なら緊急措置が取られるほどの放射線レベルでした。しかし、労働者は十分な放射線防護の訓練も受けず、低賃金で、声を上げれば仕事を失うようなリスクを負っています」と語ります。

グリーンピースの調査に協力した元除染作業員の池田実氏は、「私は人間扱いされていないと感じました。奴隷に例える人もいました。現場に入った者として、何が起きているかを世界の人に知ってもらいたい。日本政府には、労働者の健康に配慮し、危険な作業をやめさせ、また、適切な補償をするようにと訴えたい」と話しました。

グリーンピース・ジャパン、エネルギー担当の鈴木かずえは、「日本政府は、原発事故の被害の規模や複雑さ、放射能のリスク、労働者の状況、子どもの健康などについて、何も問題がないかのように国連に説明しています。政府は国連の勧告を真摯に受け止め、高線量地域の除染作業や避難指示解除をやめ、被害者へ十分な賠償をし、労働者や子どもの人権を守るべきです。原発事故とそれに続く人権侵害の根本原因は、日本の間違ったエネルギー政策にあります。政府は原発の再稼働を急ぎ、同時に気候変動を悪化させる石炭火力も推進していますが、日本で多くの人々が求めているのは、持続可能な自然エネルギーへの転換です」と述べました。

なお本日、スイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会においてIADL(国際民主法律家協会)の代表がグリーンピースの代理として、東電福島原発事故をめぐる日本の政策による人権侵害についてスピーチを行う予定です。

※関連する写真と動画はこちら

(注1)『原発事故の最前線 : 労働者と子どもへのリスクと人権侵害 福島県浪江町と飯舘村における放射線調査』
https://storage.googleapis.com/planet4-japan-stateless/2019/03/956480df-frontfksm_jp.pdf

(注2)ブリーフィングペーパー『国連人権理事会、特別報告者、子どもの権利委員会からの東電福島原発事故をめぐる政策への勧告・指摘』  
https://storage.googleapis.com/planet4-japan-stateless/2019/03/3e0966c7-bpunhr20190308.pdf

--------(引用ここまで)-------------------------------------

(注1)の調査報告書は必読です。
60ページ以上ありますが、第1章「概要」に内容が要約されているので、
そこだけでも読んで下さい。

綿密な測定を行ない、そのデータを基に、現在の期間困難地域は当分の間、
安全なレベルに線量が下がることはないと科学的に判断し、
避難指示解除計画を撤回するよう求めています。

また住民、とくに子どもや作業員の健康を守るよう要求しています。

当然のことです。


(関連情報)

「放射線管理区域で暮らせますか? (GREENPEACE)」 (拙稿 2017/2/25)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/582.html

「放射線調査結果:福島の川岸の汚染、琵琶湖の最大2千倍 福島から関西への教訓、
『水に沈む放射能』レポート発表 (Gピース)」 (拙稿 2016/7/25)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/219.html

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/200.html

コメント [政治・選挙・NHK258] 驚き!安倍晋三が一晩に123万円の豪遊!   赤かぶ
1. 2019年3月14日 04:26:22 : F6RC9RWxpo : emR0ODBLVU0vQTY=[1]
一晩で8軒って。。ほんまかいな?
奢るにしたって食い過ぎというか食わせ過ぎ。しかも高級料理でしょ?
皆さん肥満、糖尿、痛風など大丈夫か。
実は大量に残しているとかならそれはそれで勿体ないしなぁ。

安倍にとってエンゲル係数増大が豊かになった証拠に見えるのはそういうわけか。
満腹では思考も計算も鈍るよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/461.html#c1

コメント [原発・フッ素51] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) :政治板リンク 赤かぶ
6. 茶色のうさぎ[-10046] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 04:30:12 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[1]

 ぷっ♪ なぁーんだw

>アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか?

 ↓ 外国人避難は、3月17日からです。 80km圏内
https://photos.google.com/photo/AF1QipPXzgNwBxg_0is8G47rNQToxXYnoEt0fyQaYdmq
http://www.worldvillage.org/jishin/report_pdf/session_01.pdf

>SPEEDIは3月11日の夕方から、文部科学省、経済産業省の原子力安全・保安院、内閣府の原子力安全委員会に送られており、SPEEDIの情報を活用していた。

原子力安全・保安院は、官邸に3月11日の時点でSPEEDI情報を官邸に上げていた(通信で)が、官邸から何の音沙汰もないので、3月12日以降は、官邸にSPEEDI情報を上げていない。

これは、文部科学省、原子力安全委員会も同様。

>佐藤雄平知事はSPEEDI情報を隠して、福島県人の人たちを避難させなかったのです。

>「年間20mSv」は文部科学省が決定し、この決定における主導的な役割を果たしたのが鈴木寛(すずきかん)副大臣です。

結論: 菅直人、側近が悪い! 悪質なのは、佐藤雄平知事ですね!!ぺっ♪

 ↓ コメント51見てね♪ 証拠です。 佐藤雄平 ←責任?犯罪、、、 長文省略 うさぎ♂
http://www.asyura2.com/18/genpatu50/msg/306.html#c51


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/199.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
9. 2019年3月14日 04:35:41 : aj0dWp1jwY : di9EQ1dtQ1RuUi4=[1]
頭イかれてる日本人集団、
騒いでる奴らの方がよっぽどジャンキーだよ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c9
コメント [カルト20] NHK・ちきゅう和歌山掘削、本日・和歌山震度4。311サックスの時に震源地にいたのもちきゅうサックスである。 ポスト米英時代
5. 2019年3月14日 04:40:40 : 13J2DkcihM : ZTgyM29XU3N0clU=[1]
今日はピエールサックスもありましたね
和歌山失敗?地震とピエールサックスをぶつけてきたと言う事で
今日は裏で何かあったのかな?
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/498.html#c5
コメント [原発・フッ素51] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) :政治板リンク 赤かぶ
7. 茶色のうさぎ[-10045] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 04:56:52 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[2]

 文科省は、法律、基準を伝えただけですね。 年間20mSv 緊急時

 緊急決定は? 佐藤雄平知事と思います。 菅直人は、4月21日、正式にお願いしたと思います。

 以後、住民代表、南相馬、桜井市長も容認、納得したんでしょ!!💢

 最終決定権は、、地元住民にあるんだよ!!あほ つまり、桜井が悪いんじゃん!!ぺっ♪ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/199.html#c7

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
74. 中川隆[-11464] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:05:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[531]

2011-02-27 連合赤軍って何?


実は私、連合赤軍とよど号ハイジャック事件とかテルアビブ空港乱射事件を起こした日本赤軍って同一組織だと思ってたんですが、違うんですね(そもそも名前が違う)。正確には、母体は同じだけど違う組織。では連合赤軍とはどういう成り立ちで、どういう思想を持っていたのか。

赤軍派

名前からも推察されるように、この組織は二つの過激派組織が合わさってできたものです。ひとつはもちろん赤軍派。1969年9月結成ですが、前身はもう少しさかのぼれます。思想の基本は、創立者で後に議長となる塩見考也の「過渡期世界論」つまり世界同時革命、そして権力の象徴である機動隊の殲滅が基本にあります。後に連合赤軍の最高指導者となる森恒夫はこの赤軍派にいました。彼らは、69年に首相官邸突入を企てたときも「わからないけどとにかく最後までやるしかないんだと」くらいの考えしかありませんでした(もちろん失敗)。70年のよど号ハイジャック事件でも、もともと彼らは北朝鮮を支持していないにもかかわらず結局北朝鮮に亡命するのですが、「俺らの心意気を見たら必ずキューバまで送り出してくれるだろう」などと言っていたらしいですし、重信房子がパレスチナに出国しても、あまりにも知識がなく理念先行に過ぎかつ首相官邸占拠とか言っているのでパレスチナの活動家に「ザッツ チャイルディッシュ レフティスト」と言われる始末でした。要するに考えなしだったのです。

そんな赤軍派も、当初は全共闘運動のゆきづまりなどから武装闘争論が人気を集めてはいたのですが、幹部が逮捕されたり出国したりで、結果的に森が「押し出されるようなかたちで」最高指導者になってしまいました。彼はやさしいが小心者で、強く言われると迎合しやすいたちでした。また内ゲバ(他の組織との暴力を用いた争い)でも逃走したことがあり彼自身負い目を感じていたのですが、このことも後の事件に作用します。

革命左派

連合赤軍を構成するもうひとつの組織は革命左派です。ルーツは66年4月結成の「警鐘」というグループで、もともとは労働運動を行っていました。後に連合赤軍の最高指導者になる永田洋子はこちらに所属していました。彼女の小学校時代からの友人によると、彼女はものごとを突き詰めて考える人で、(共立薬科大の学生だったが)薬が患者のためよりも病院やメーカーのために使われている現状を変えたいが、そのためにはまず社会を変えないと、と話していたとのことです。私は彼女に「リンチを主導した冷血女」というイメージを持っていましたが、もともとは生真面目なヒューマニストだったようです。

しかし、創立者の一人川島豪が権力を持ち、他の組織に対抗しようと武装闘争路線に進み始めたことで、組織は変わっていきます。いきなり軍事パンフレットを渡されたメンバーは戸惑いました。またこのころ、川島は妻が外出中に永田をレイプしますが、永田は組織のためにそれを秘密にします。

以後革命左派は、「反米愛国」をスローガンに(ただしこれは50年代にはやった思想で、当時はもう時代遅れだった)、過激な行動をとることで目立つ組織となっていきます。例えば川島は、愛知外務大臣のソ連訪問を阻止するため決死隊に空港で火炎ビンを投げさせた際、作戦が失敗しても空港突入を知った段階で「やったぜベービー」と破顔一笑したらしいです。作戦の成否よりも目立てるかどうかを大事にしていたようです。彼はその後も、新聞社のヘリコプターを奪って首相の乗る飛行機にダイナマイトを投下しろとか(新聞社にヘリがあることも調べず、しかもメンバーにヘリを操縦できる者がいないにもかかわらず)荒唐無稽な作戦を指示します。逮捕されても獄中からこれを続けました。

このため、赤軍派同様、逮捕者が続出、組織の崩壊が進行します。こんな中、森と同様、押し出されるようなかたちで最高指導者になったのが永田洋子でした。選挙で3票集めての結果でした。資質(人格・理論力)だけでなく健康にも問題(バセドー氏病で頭痛持ち)があったため、周囲にも本人にも意外な結果でした。

なお、このような状況でも、組織は「救対」(逮捕されたメンバーへのサポート)部門がなく同志をほったらかしでしたが、そんな状況を見かねて行動したのが金子みちよでした。彼女は武装闘争路線に疑問を持ち一時期脱退を考えましたが、恋人の吉野雅邦に説得されてとどまります。彼女は後にリンチで殺害されることになります。

また、同じく武装闘争路線に疑問を持っていた大槻節子も脱退を考えましたが、自分が逮捕された時の自供がもとで逮捕された恋人の渡部義則に説得されとどまります。彼女も後にリンチで殺害されます。

赤軍派と革命左派を比べてみると

さて、両組織を比較してみましょう。()内は、前者が赤軍派、後者が革命左派についての記述です。

共通点: 深く考えずに行動する、暴力を用いた活動を行う、指導者になった人物は周囲からの評価が高いためその地位についたわけではない、逮捕者等が多く組織が崩壊にひんしている

相違点: 思想(世界同時革命、毛沢東支持の反米愛国)、女性観(女性蔑視、婦人解放で女性メンバー多数)


こんな組織が一緒になって物事がうまく進むはずがありません。なのになぜ両者は合同したのでしょうか。また、「同志」への凄惨なリンチはどのようにして始まり、進行していったのでしょうか。次回はそのあたりをメモしてみます。
http://www.yoshiteru.net/entry/20110227/p1



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c74

記事 [戦争b22] 日本の軍需産業、存続が危ぶまれている理由は?(チャイナネット)


http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2019-03/13/content_74566987.htm
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2019-03/13/content_74566987_2.htm


日本の軍需産業、存続が危ぶまれている理由は?


タグ:軍需産業 同盟関係 自衛隊 装備品


発信時間:2019-03-13 15:14:47 | チャイナネット |



日本自衛隊車両製造大手のコマツは、今世紀初頭の生産停止に続き、このほど一部の新規開発事業の停止を発表した。情報によると、軍用航空装備品を手がける三菱重工や川崎重工などの企業も、同様の問題に直面している。長期的に自主発展に力を入れてきた日本の軍需産業の存続が危ぶまれている。

日本の軍需産業が苦境に陥っている直接的な原因は、自衛隊の拡大を続ける装備品購入費の多くが、米英製の購入に割かれていることだ。軍事企業が開発を強化しても、防衛省から重視されていない。日米軍事同盟に依存する国家安全戦略は根本的に、日本の政治大国の理想を叶える上で不利である。これは日本の軍事企業がこれまで、彼らが「仕事に使命感を持っている」と述べていた理由だ。

ところが現実の国家安全戦略は、このような理想をまったく支持していない。戦後日本は米国と同盟関係を結び、日米軍事同盟を自国の安全保障の礎としている。この戦略により、自衛隊の建設は米軍との共同作戦の需要を見据えなければならない。自衛隊の装備品の発展も、徐々に米軍に合わせなければならない。軍事企業は自衛隊の軍事費拡大による受注に期待できず生産・開発停止を選ぶしかない。かつて独立していた強国の軍需産業が徐々に苦境に陥り、政治大国及び自立した軍需産業という国の願いからそれていくのを手をこまねき見ているしかない。

日本の高い科学技術革新力と工業生産能力も、役立てる場がないわけではない。実際に、日本と米国の安全戦略関係の強化は、装備品の協力の面に現れている。日本は自国の技術力により、各種装備品の共同開発と大量の部品の生産に参加している。米国の軍需産業には日本が不可欠と言える。この研究開発と生産の融合は、経済グローバル化の時代における同盟国の相互補完を示している。これは日本が同盟国としての自尊心を維持する上で有利であり、さらには日本に対して同盟国と軍需産業の基礎と装備品の保障を共有するという幻想を抱かせている。ところが日本には整った軍需品生産能力がなく、本当に平等に共有できるか否かは当事国の日本が最もよく理解しているはずだ。

より日本を懸念させている問題は、同盟国の国際政治・安全戦略の混乱と失策だ。今後の国際安全・発展のすう勢において、日本は同盟関係により絶対的な安心化を得ることができない。このような未来が待ち構えていることは、日本国民、政界、さらには軍も完全に信じることができないだろう。信じることができたとしても、それは日本の政治大国という期待に完全に合致するとは限らない。

米国が相談もせず各種組織から離脱し、国際構造が変化を加速するなか、日本は別の政治・安全の未来に期待しているかもしれない。安倍晋三首相とその閣僚が世界各地を訪問し、かつ同盟関係を結んでいない地域の大国との関係改善にも力を入れている。東アジアと大東亜一体化の未来を見据え、日本は新たな協力先を切り開き、日本の各種工業企業の自主生存と復興の能力をつけることができる。これは日本の長期的な利益に合致するため、国内の軍・政治・企業の各界もこれについて議論し、選択肢を多様にしていくことだろう。(筆者・楊育才 国防大学国家安全学院教授)


「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年3月13日





http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/567.html
記事 [経世済民131] 日本でもモバイル決済は普及するか 普及を阻む4つの原因(人民網日本語版)


http://j.people.com.cn/n3/2019/0313/c94476-9555741.html
http://j.people.com.cn/n3/2019/0313/c94476-9555741-2.html


日本でもモバイル決済は普及するか 普及を阻む4つの原因


人民網日本語版 2019年03月13日10:37


現在、中国人の暮らしの至るところでスマホ(スマートフォン)を手放せない。だが、中国人観光客が日本に行って気づくのは、中国でのようにスマホを使ってスムーズに決済できないことだ。日本ではフィーチャーフォン(ガラケー)を使う人もまださくさんおり、安倍晋三首相もこのほど衆院予算委員会で、「私はスマホを持っていない」と明かした。「光明日報」が伝えた。

実際、日本社会では中国で急速に進む「キャッシュレス化」に驚きの声が広がっている。日本メディアは、「中国はスマホを基礎に、顧客にさまざまな新サービスを提供しており、サービスの数量も規模も世界トップレベルだ。一方で、日本では、携帯電話の応用サービスが普及していないため、中国のように便利にオンライン配車、シェア自転車、フードデリバリー、宅配便などのサービスを利用することはできない」と報道した。


▽モバイル決済が日本で急速普及できないさまざまな原因


今の中国では、スマホなどによって実現したモバイル決済がすでに「生活インフラ」になったが、先進国の日本では普及していない。日本銀行(中央銀行)が行った調査によると、モバイル決済利用率は日本がわずか6%に対し、中国は98.3%となっている。日本でモバイル決済が普及しない原因は多方面に及ぶ。

第1の原因は、日本社会は新しい物事を受け入れるのに相対的に時間がかかり、新しい技術や方法などがなかなか順調に普及しないことだ。新しいサービスが登場しても政府や企業など複数の機関によるたくさんの煩雑で複雑なプロセスを経なければ普及拡大できず、効率が低く、さまざまな原因で流れが止まってしまう可能性がある。モバイル決済の中国での発展プロセスは日本よりずっとスムーズで、たどってきたプロセスの違いがモバイル決済のような革新的サービスの境遇を中日で異なったものにしている原因だといえる。日本は「失われた20年」に陥った後、いまだに泥沼の中から抜け出せず、同じ場所で足踏みしているが、中国は多くの点で「カーブでの追い越し」を達成した。スマホの普及とスマホにより提供される新サービスモデルがその好例だといえる。

第2の原因は、日本国民が個人のプライバシーを非常に重視し、資産情報や個人情報を信頼度のそれほど高くない企業に「明かしたくない」と考えていることと、モバイル決済にセキュリティ面で懸念を感じていることだ。そこで日本国民がモバイル決済のセキュリティ性能を徹底的に知ってもらい、その懸念を解消することが、モバイル決済を日本でスムーズに発展させるためのカギになる。

第3の原因は、現金払いが日本人に根付いていること、スマホが日本では十分に普及していないことだ。日本では現金への依存度が高い人が多く、クレジットカードですら完全に普及しているとは言いがたい。大規模なショッピングセンターや大手チェーンのコンビニエンスストア、星がつくホテルを除き、多くの店舗はいまだに現金しか受け取らず、カードが使えない。日本社会は消費者が現金で支払い、店側が現金を受け取るというやりとりでバランスが取れている。消費者が現金でいいというなら、多くの小規模資本の店舗がカードなどの決済方法に対応しないのは当然のことだ。カード決済にすると、店舗から決済会社へ3.25〜6%ほどの手数料を支払わなければならないのだ。

第4の原因は、人口高齢化がモバイル決済の発展を制約していることだ。日本は高齢化がますます深刻化し、それによってもたらされた人手不足という客観的状況が関連サービスの発展を直接制約している。デリバリーサービスを頼もうと思ったとしよう。中国ならスマホで簡単にできるが、日本では注文サービスを提供するソフトウェアがあったとしても、配達員の人件費が高く、「注文は簡単だが、配達が困難」という状況になる。これも日本のモバイル決済が中国ほどスムーズに発展しない原因だ。


▽日本で「モバイル決済」の試行スタート


日本メディアの報道によると、中国がスマホの普及をよりどころに、新しい「スマホ社会システム」を発展させたことに、誰もが賞賛の念を禁じ得ないという。これほどの大きな発展に直面して、日本企業は対応策を見いださなければ、生き残りのチャンスをつかむことはできない。また日本メディアの中には次のような見方を示すものもある、変革に直面しようとする時、日本企業の反応は非常に鈍く、イノベーションの技術とサービスで出遅れ、人工知能(AI)でも他の先進国との差が開くばかりだ。中国企業はその中でチャンスをつかまえ、困難を乗り越えて日本市場上陸も果たした。東京の中国人観光客のいる場所には、支付宝(アリペイ)や微信支付(WeChatペイメント)が使える店があり、中国人観光客に便利なサービスを提供するとともに、日本の店舗のモバイル決済への対応を後押しし、日本の人々にもある程度便利さを感じさせている。

実際、日本にもそれなりのスマホ決済はあるが、種類が多すぎて、一定の影響力をもつことは難しい。たとえばQRコードやバーコードの読み取りで決済を行う企業が7社以上あり、それぞれ特徴がある。チャットアプリで決済ができる、スマホ決済で割引きになる、ポイントをためられるなどだ。スマホ決済を利用するならそれぞれアカウントを登録しなければならず、使い勝手もそれほどよくない。日本のネットユーザーは、「混乱している。どれを使えばいいのかわからない」と嘆く。

安倍首相は今年2月、日本の商店街でキャッシュレス決済を初めて体験し、「スマホがないので、iPad(アイパッド)でQRコードをスキャン(して決済)した。お年寄りでも簡単にできる」と感想を語った。日本のモバイル決済サービス分野では、鉄道事業者のJR東日本の「モバイルSuica」や移動体通信事業者のNTTドコモの「iD」などの非接触決済が一歩先んじるが、読み取り装置の導入費用の負担が大きいことから、中小規模店舗になかなか普及しない。中国などで普及したスマホのQRコード・バーコード決済では、店舗側もモバイル端末を利用して決済することができ、コストが抑えられたことが大きい。

現在、モバイルインターネットの大きな波が激しく押し寄せている。日本の専門家は、「現金決済を好む日本でも、消費者の利便性が向上し、店舗側の導入コストが低下すれば、スマホ決済がこれから普及する可能性がある」と分析する。(編集KS)


「人民網日本語版」2019年3月13日





http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/502.html
コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
75. 中川隆[-11463] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:16:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[532]

2011-03-04
連合赤軍はなぜ「同志」を12人もリンチ殺害したのか
http://www.yoshiteru.net/entry/20110304/p1


このメモでは、連合赤軍事件最大の悲劇、いや、日本の「学生運動」「社会運動」中最大の悲劇である、連合赤軍が「同志」12人をリンチ殺害した事件について、小熊英二さんの大著「1968」をもとに整理します。


1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 – 2009/7/1
小熊 英二 (著)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4788511649/gardenmemo-22/


連合赤軍はどのように誕生したのか、また「同志」へのリンチはどのようにして進行していったのか。そしてそれはなぜ起こったのか。

連合赤軍の母体−「一緒になってはいけない二つの組織」


連合赤軍は、そもそも一緒になりそうにない二つの過激派「革命左派」(ルーツは66年4月結成の「警鐘」というグループ)と「赤軍派」(1969年9月結成)が合同してできた組織です。


•両者の共通点: ◦深く考えずに行動する
◦暴力を用いた活動を行う
◦指導者になった人物は周囲からの評価が高いためその地位についたわけではない
◦逮捕者等が多く組織が崩壊に瀕している

•相違点: ◦思想(世界同時革命、毛沢東支持の反米愛国)
◦女性観(女性蔑視、婦人解放で女性メンバー多数)


これって、「一緒になってはいけない組織」そのものだと思うのですが・・・なぜそんな両者が一緒になってしまったのでしょうか。


連合赤軍誕生の経緯

簡単に言えば、両者が壊滅の危機に瀕していた頃、革命左派創立メンバーの一人・川島豪の指示があり、仕方なく一緒になったのです。

経緯の詳細は以下の通りです。

革命左派は、逮捕された川島豪を奪還するため民間の鉄砲店を強盗し銃を奪います。彼らが信奉する毛沢東が「人民のものは針一本、糸一筋とってはならない」と言っているのにです(毛沢東が実際にどんな人物だったかは別として。※このメモの末尾で関連メモをご紹介しています)。これで革命左派は世間に知られるようになりました。

赤軍派もこれに影響を受けて「M(マフィア)作戦」を開始します。要は金融機関強盗です。

両者、悪いことは真似するんですよね・・・彼らはこのようにして武器やお金を集めました。

一方警察は、こういった過激派摘発のためにアパートや旅館25万か所を4万5000人の警官でしらみつぶしに捜索するようになり、結果彼らからは多くの逮捕者が出ました。

対する革命左派の永田らは冬の札幌などで息を殺し続ける生活に疲弊していき、都市部から出て山にこもるようになります。これがアジト・山岳ベースの発端です(なお、この山岳ベースができた背景には、永田が批判者を都市にばらけさせずに集めておきたがっていたからではないかという元「同志」の回想もあります。これが、後の悲劇の遠因になります。)。

赤軍派も同様に組織が壊滅状態に陥ります。

そんな中、川島が獄中から赤軍派との合同を示唆します。そして71年夏に連合赤軍が誕生。

このように、つぶれかけの集団が仕方なく一緒になったのです。しかし、この相容れないはずの両者が一緒になることで、悲劇は進行していきます。

処刑開始のきっかけは「大言壮語」と「生真面目」

連合赤軍は山岳ベースにこもり続けます。そんな中、革命左派の山岳ベースからは脱走者が出ます。

これに対し赤軍派の森は「処刑すべきではないか」と発言。すると革命左派は脱走者2名を殺害します(印旛沼事件)。

それを聞いた森は「頭がおかしくなったんじゃないか」と言ったそうです。

え?自分が「処刑すべき」と言ったのでは??

赤軍派の森が「言うだけ言ってみた」ら、革命左派が「決めたことは実行すべき!」と後先考えずに殺害に走る・・・もともと「大言壮語だが実行力のない」赤軍派と「生真面目」な革命左派の相違が生んだ悲劇と言えます。

また森は、この事件から革命左派への政治的な負い目を感じ、革命左派より優位に立つには赤軍派による殲滅戦しかない、と考えるようになります。

両者は悪影響を煽りあうようになっていくのです。

この印旛沼事件をきっかけに、リンチ事件へまっすぐ伸びるレールのような原理が構築されてしまいます。

それは、「自分が逮捕される危険を逃れるため逃亡者を処刑し、自分の地位を追い落とす危険のある者を共犯者にして犯行を封じる」という原理です。

もはや、曲がりなりにも「武装闘争で革命を起こし世の中をよくする」という建前すらも実質的にはなくなり、エネルギーは上層部(森と永田)の保身のために燃焼されるようになっていくのです。

それがこの山岳ベースでの「同志」12名のリンチ殺害です(ちなみに私はこのリンチもあさま山荘で行われたと思っていました・・・)。

ところでその山岳ベースは、どんな状況だったのでしょうか。


山岳ベースの環境もリンチ発生を後押しした

先に山岳生活を始めていた永田が、まだ都市にいた森を訪ねたとき森が肉を食べているのを見てショックを受けている記述があります。肉を食べているだけでショックを受ける生活環境だったというわけです。

その後、ベースは警察に見つからないために次々変わっていきますが、例えばリンチが多発した榛名ベースは次のようなすさまじい環境でした。


•居住空間は横4メートルに縦2.5メートル

•ここに革命左派約20名と赤軍派約10名が居住

•そして夜は氷点下15度

•トイレは満足に機能しない

•風呂はまれなので体臭がひどい(買い出しに行った際体臭が原因で通報され逮捕されたメンバーがいるくらい)

•これに重労働(薪割り等)の疲労

•逮捕の恐怖


以上をあわせて考えると、本書の著者小熊さん曰く「判断能力も正常でなくなるのは無理もない。事件の描写はこれを念頭に読む必要がある。」


榛名ベースがあった群馬県榛名山 地図
https://www.google.com/maps?ll=36.470667,138.847954&z=9&t=h&hl=ja&gl=JP&mapclient=embed&q=%E6%A6%9B%E5%90%8D%E5%B1%B1+%E3%80%92370-3348+%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E9%AB%98%E5%B4%8E%E5%B8%82%E6%A6%9B%E5%90%8D%E6%B9%96%E7%94%BA

山岳ベースでの「同志」リンチ殺害

71年12月下旬〜72年2月、ここで何が起こったのか。

森と永田が「同志」に言いがかりをつけてリンチしていくのです。

目的は「共産主義化(意味は誰にもわからなかったとの証言あり)」。

詳細に書いても気分が悪くなるだけなので端的にメモします(小熊さんも同じ理由でこの箇所を簡潔に書いたとのことですが、その分実態が明確にあぶりだされている感がありました)。


■リンチされ始めたきっかけ

•夕食会で「私の中にブルジョア思想が入ってくること闘わねばならない」と告白→森「入ってくるというのはこの闘いを放棄したもの」→リンチ

•「交番襲撃のさい日和った(学生運動中、権力に対し怖じ気づいた)」と告白→「日和見主義克服」→リンチ

•「ルンペン的」→リンチ

•「すっきりした、という発言がまじめではない」→リンチ

•「女学生的」→リンチ

•「主婦的」→リンチ

•リンチ殺害の輪の外でうろうろしていた→リンチ

•運転の不手際を叱咤され「革命のお手伝いをしに来ただけだ」と反論→リンチ

•カンパ集めに失敗→リンチ


■リンチの内容

•殴打(主に全員で)

•自分自身による殴打強要

•緊縛し氷点下の屋外に放置→飢えと寒さで死亡

•アイスピックで心臓を刺したが死ななかったので絞殺

■被害者のプロフィール(一部)

•赤軍派の人数が足りないので数合わせに連れてこられたもともと忠誠心のない人物

•メンバーでなくシンパで、妻子を連れてピクニック気分で来ていた人物(妻子は無事)

•妊娠8ヶ月の女性(金子みちよ。殴打された際も「何をするのよ!」と叫ぶ、リンチ中抗議したのは彼女ただ一人、リンチに10日間も耐えたのも彼女だけ。本事件を裁いた石丸裁判長が金子の友人に送った手紙には「36年間の裁判官生活で・・・金子さんはもっとも感慨深い心にしみこむ『被害者』でした」と記述)

■リンチ死を「敗北死」と呼ぶことの「効果」

有名な話ですが、これらのリンチは「総括」と呼ばれています。「共産主義化」を達成するための反省・自己批判の一環らしいのですが、実態は完全にリンチですよね。

そして、このリンチによる死亡については、森が「敗北死」という名前をつけました。死亡した人間は、総括しきれずに敗北して勝手に死んだ、という理屈です。行為の実態は単なるリンチでも、このように特別な名称や理屈付けを行うことで、集団の感覚麻痺が一層進んでしまったものと思われます。

実際、永田は取り調べで「なぜ殺したのか」と訊かれて初めて自分は人を殺していたのだと自覚できた、と語っています。


■川島豪

なお、革命左派メンバー天野勇司によると、後日革命左派創立者の川島豪にこのリンチ事件について問うと「ゲリラノ鉄則ドオリニシタノデハ」との電報が返ってきただけで、まったく反省していなかったようです。そしてこの事件の全責任を永田に転嫁していたといいます。

この人物、森や永田ほど言及されませんが、個人的には、この悲劇に及ぼしている彼の影響はかなり大きいと見ています。生真面目な労働運動団体だった革命左派が暴力を使い始めたのも、赤軍派との合同を促したのも彼ですからね。ちなみに1990年に死去しています。


■個人的な感想

私はこのリンチ事件を初めて耳にしたときは「どうせ狂信的政治思想の持ち主が同じように狂信的な人間を殺したんだろう。殺された人は気の毒だけど自業自得な面もあるんじゃないか」などという感想を持ちましたが、今回この本を読んで自業自得と切り捨てるのは相当不適切で思考停止だと強く感じるようになりました。そして反省。

リンチ殺害が行われた理由

なぜこんなことが起こったのか。私もそれが大変気になっていました。


■これまで論じられた理由

著者小熊さんによれば、関連書籍を渉猟し整理した結果、これまで論じられた理由は主に4つに分類されるそうです。


•外部の敵と戦えなかったので内に向かった

•異なる両派がどう新路線を作ろうとするかを議論しようとすると森は個々人の共産主義化(リンチ理由)に問題をそらした(永田の回想による)

•高校時代に剣道部主将だった森の体育会系気質

•永田が気に入らない人間を総括し森がそれを合理化

■小熊英二さんの挙げた理由

しかし、小熊さんは、以上の理由は潤滑油程度のものでしかなく、本質は「指導部が逃亡と反抗の恐れを抱いたのが『総括』の原動力だった」と指摘します。理由は次の通りです。


•リンチは反抗か逃亡の怖れがあった人物に集中

•メンバー全員に被総括者を殴打させたのも「全員共犯にし脱走させなくする」ため(傍証多数)

•買い出しの場合、人選が慎重に行われた。上層部がいかに逃亡を恐れていたかの例と言える。 ◦まず関係の弱い者同士で行かせる(相談して脱走しないため)

◦また、ベース内に恋人や身内がいれば必ずどちらかをベースに残す(人質)。


とはいえ、上層部はこれを計算していたわけではなく、当初は勢いでやっていたがそうした計算が半ば無意識的に入って固定化したというのが実態ではないか・・・これが小熊さんの考察です。

私はこれを読んで、え?それって新しい説なの?むしろ、それ以外考えにくいんじゃないの?と思いました。それくらい、様々な資料で描かれている状況と「指導部の保身」のつながりが明確だったからです。


なぜこんなシンプルな理由が今まで出てこなかったのでしょうか。小熊さんはそのわけをこうではないかと推測しています。


•実は連合赤軍関係者の回想記などが出揃ったのはここ数年で(永田の回想記はずっと前から出ていたが、やはり記憶の改変があるし、あくまで永田視点の記述であるため完全に依拠できるものではない)、今までは分析しようにも材料が少なかった

•世の中、特に日本の社会運動に大きな影響を与えたこの事件の理由が「保身」のような矮小なものであってほしくないという思いも影響していたのでは


なるほど。時間がたってはじめてわかったこともあるし、時間がたってやっと客観的に分析できるようになった、ということなのですね。


■よしてるの感想−ポル・ポトとの類似

ちなみに今回、リンチの経緯を知って私が真っ先に連想したのはカンボジアのポル・ポトのやり方です。


井上 恭介・藤下 超「なぜ同胞を殺したのか―ポル・ポト 堕ちたユートピアの夢」
http://www.yoshiteru.net/entry/20060209/p1


彼らも、規模は異なるものの(170万人を処刑したという説*1もあります)、以下の点が連合赤軍に類似しているように思います。この点からも、私にとっては小熊さんの「連合赤軍の同志リンチ理由は保身」説が納得しやすくなっています。


•リンチは共産主義の名の下行われたがその意味の説明はなかった

•言いがかりをつけて人をどんどん殺す(眼鏡をかけている→知識人→処刑、など)

•攻撃されることを極度に恐れ、疑心暗鬼になっていた(政権をとるとすぐ首都にいた200万人を全員地方に移住させたが、その理由のひとつは「そうしないと暴動が起こって政権を覆されるから」など)。


1つ目の共通点について。ポル・ポトも革命革命と連呼していましたがその意味を人民に説明することはなかったらしいです。

2つ目と3つ目の共通点からは、小熊さんのいう「保身」というキーワードが浮かび上がってきます。

人間、保身に走ると、我が身を守るためには何でも −同志をリンチで殺害したり国民を100万人以上処刑したり− してしまう生き物なのかもしれません。逆に言うと、人間、居場所があって安心できることがとても大切な生き物、とも言えるのでしょう。

まとめ

連合赤軍はなぜ「同志」を12人もリンチ殺害したのか?


•そもそも、連合赤軍の母体となった2グループは仲間割れをし互いに暴力をふるう背景があった(「深く考えず行動する」「暴力を用いる」点が共通している反面、思想面では相容れなかった)

•そんな「一緒になってはいけない組織」を革命左派の創立者・川島豪が一緒になるよう指示した

•彼らのアジト「山岳ベース」のコンディションが劣悪なため、判断能力が正常でなくなっていった

•リンチによる死亡を「敗北死」と称することで「死亡した人間は敗北して勝手に死んだ」ということになり、集団の感覚麻痺が一層進んでしまった

•そして最も根本的な理由は、連合赤軍指導部が他のメンバーの逃亡と反抗の恐れを抱いたため


(参考)この事件をモデルにしたまんが

上記の小熊英二さんの本は非常に興味深いですが分厚く値段もかなりします。この事件のことをもう少し手っ取り早く知りたい方には、連合赤軍をモデルにしたまんが「レッド」をおすすめします。

モデルといっても組織と人物の名前が変えてあるだけで、非常によく調べてありほぼ実録といっていい内容です。

たとえば、このメモに登場した人物と作中の人物はこんなふうに対応しています。

•森恒夫 → 北(大阪弁をしゃべっているリーダー)
•永田洋子 → 赤城(一番髪が短い女性)
•金子みちよ → 宮浦

また、混乱しがちな多数の登場人物に番号をふって判別をつきやすくしてある点も理解の助けになります。

以下の8巻では、榛名ベースで最初の犠牲者が出るところまでが描かれています。グロテスクな画は(まだ)出てきません。空虚な理論のもとに同志を殴り続ける様子は読んでいて精神がこたえるものの、この事件の現場イメージを理解するには非常に適した作品といえると思います。なお、Kindle版は単行本の半値近くで入手しやすくなっています。

レッド 1969〜1972(8) (イブニングコミックス)
山本 直樹 講談社 2014年02月
https://www.amazon.co.jp/dp/B00IXC9MHO?tag=maftracking222142-22&linkCode=ure&creative=6339


http://www.yoshiteru.net/entry/20110304/p1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c75

コメント [原発・フッ素51] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) :政治板リンク 赤かぶ
8. 茶色のうさぎ[-10044] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 05:19:03 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[3]

 2015年7月と思うけど、、

 南相馬、地元住民、20ミリ裁判中なのに、、

 田中俊一の説得に、桜井市長が、納得したんだよ!!ぺっ♪ 裁判中だよ!!ぺっ♪

 つまり、20ミリ裁判も負けるね!!あほ うさぎ♂ 地元住民=国民代表じゃん!!💢


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/199.html#c8

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
76. 中川隆[-11462] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:20:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[533]

2011-03-10
連合赤軍リンチ殺害事件をどう受け止めていくのが適切か
http://www.yoshiteru.net/entry/20110310/p1

1回目のメモでは「連合赤軍とはどういう集団だったのか」を、2回目のメモでは「リンチはどのようにして進行し、『同志』12名の殺害に至ったのか。そしてそれはなぜ起こったのか。」についてメモしてみました。今回は、最後に、この事件をどう受け止めるのが適切なのかを考えてみます。

これまでの受け止められ方

1994年の「全共闘白書」には、元活動家に1970年前後にあれほど活発だった学生運動をどういう理由で離脱したのかを問うアンケートが掲載されています。1位は「内ゲバ」(暴力による組織抗争)、2位は「連合赤軍」となっています。この事件が、学生運動にとどめを刺すものであったことがよくわかります。実際には、この事件の起きた1972年頃はすでに学生運動は下火になっていたのですが、それに決定打を与えたのは間違いなさそうです。

その後はどうかというと、私も、1989年(平成元年)に大学に入学するときには、親から「せっかくなので好きなことをすればいいが、学生運動だけはやめてほしい。まあそんな時代でもないけれど。」と言われた記憶があります。また私自身も、学生運動=「子どもっぽい正義感を振りかざす狂信的な人々のごっこ遊びで、最後は仲間をリンチする」という印象を強く持っていました。連合赤軍事件について詳しく知っていたわけではないけれど、学生運動とこのリンチ事件をかなり強く結びつけていたのです*1。

当時のバブル末期という世相も影響していたのかもしれませんが、とにかくその頃は、個人的な皮膚感覚ではありますが、社会運動、特に政治に関わるものは「まともな学生はやらない」「危険」「狂信的」というイメージがかなりありました。これらすべてを連合赤軍事件に結びつけるのはやり過ぎかもしれませんが、ある程度の影響力はあったのでは、とは思います。少なくとも政府はそれを望んでいたようです。

政府による「演出」

まず、あさま山荘事件について。警察庁長官後藤田正晴は犯人を射殺し「殉教者」とすることは避け、必ず生け捕りにするよう厳命。そして、機動隊の突入は2月28日月曜日に行われましたが、「夕刊の出る平日なら新聞が2回この事件を報道し事件がより大きくなる」との判断があったそうです。そして長官の命令通り犯人全員を生きたまま逮捕した後、今度はリンチ事件が明るみに出ると、いっそうの「演出」が披露されます。

警察は被害者の埋められた死体を発見後また埋め戻し、それからマスコミを呼び「公開捜査」の名の下「死体発見」を見せるようとりはからいます。当時のマスコミもなぜ必ず死体が出てくるのか不思議に思ったそうですが、一方でこれほどの「ネタ」もないわけで、報道は過熱していきます。しかも警察は犠牲者全員を一気に「発見」するのではなく、何度かに分けてマスコミに公開。警察側の言い分では検視する医師の数が不足していたためとのことですが、ショッキングな「死体発見」を複数回報道させるための「演出」と捉えたほうが自然に思えます。これらの「演出」が日本政府と警察の「政治運動にネガティブイメージを植え付けさせる」意図のもと行われたとしたら、これは大成功だったと言えるでしょう。

事件をどう受け止めていくのが適切か

著者小熊英二さんは、多くの文献を例に挙げ、この事件はこれまで「党組織の問題」「理想・正義」の限界などのような普遍的なテーマで論じられてきたことを示しています。しかし、これまでの検証結果から判断すると、この事件の本質は「幹部の保身という矮小な理由」に集約されます。このギャップの理由の一つとして、小熊さんは当時この事件にショックを受けた人々が「あれほど自分たちに衝撃を受けた事件は普遍的なテーマにつながっている大きな問題であるはずだ、という先入観があったのでは」と指摘しています。

このような同時代人の「せめてこうであってほしい」という先入観と政府の巧みな演出により、この事件はいびつなかたちで捉えられてきたようです。それは平成の大学生にも一定の影響を与えていました。そんな普通でないバイアスがかかったこの事件、いったいどう受け止めていくのが適切なのでしょうか。

小熊さんは、この事件を記述した章を次の言葉でまとめています。

感傷的に過大な意味づけをしてこの事件を語る習慣は、日本の社会運動に「あつものに懲りてなますを吹く」ともいうべき疑心暗鬼をもたらし、社会運動発展の障害になってきた。しかし時代は、そこから抜け出すべき時期にきているのである。


私もまったく同感です。この事件は、その残虐性のみならず、その後の社会運動を停滞させたという点でも非常に大きなマイナスの影響を日本社会に与えてきました。しかし今世紀に入ってから、多くの当時の関係者が証言を始めるようになったことでこれまでメモしてきたような「この事件の本質」が明らかになってきました。この事件のもたらした呪縛から解き放たれるには十分すぎる時間が過ぎました。「社会運動に熱心にかかわるとろくなことにならない」というイメージは完全に捨て去るべきときに来ているのではないかと思います。

最後に、私がこの事件から学んだ、身近に起こりうること2点についてもメモしておきます。ひとつは「身体的に不快な環境は精神を病ませる」ということ。連合赤軍メンバーの証言から、彼らが食事・住環境において悲惨な状態にいたことがどれほど人間性を抑圧し思想行動に影響を与えたかをつぶさに感じました。出発点がいくら精神的に高尚なものであっても、厳寒の狭い山小屋に押し込められ貧しい食事と不潔なトイレが続く毎日を送っていると道も踏み外しやすくなるということを痛感しました。

もうひとつは、組織がおかしな方向に進んでいっても、メンバーがそれを察知して制御できる段階は限られており、それを過ぎると組織メンバーは制御するより逃げ出すようになり、それが崩壊を加速させるということ。連合赤軍も、もとの組織のひとつは革命左派、さらにその前身は労働運動を生真面目にやる組織「警鐘」だったわけです。永田洋子は、共立薬科大で学ぶうち薬が患者のためよりも病院やメーカーのために使われている現状を変えたいと思いこの「警鐘」(正確にはその前身となる組織)に入ったものの、最終的には12名リンチ殺害の首謀者に変わり果てている。このような組織の変容に彼女がどこまで自覚的だったのかはわかりませんが、変容の段階を経るにつれほとんどのメンバーが組織から抜け出ています。転落していく組織は制御されるより見捨てられ、それにより転落に拍車がかかる。誰も永田(や森)の変容と暴走を止められなくなる。そんな悲劇を連合赤軍のたどった経緯から感じ取った次第です。

(参考)指導者たちのその後

リンチを主導した森恒夫は1年たたないうちに拘置所で自殺。森と共に事件を進行させた永田洋子は先月(2011年2月)確定した死刑が執行されることなく脳腫瘍で死亡。この事件の遠因を作り出した(と私は思います)革命左派元議長の川島豪(リンチ事件には直接関与していない)は1979年に出獄、1990年に死亡。


http://www.yoshiteru.net/entry/20110310/p1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c76

コメント [政治・選挙・NHK258] <森ゆうこが怒った!>予算を出し直すべき! なぜなら、消費税増税を前提に作られた予算だから。  赤かぶ
13. 2019年3月14日 05:22:57 : 0AQYrsACSk : NTFtRHQ5aXNOLjI=[1]
>>6 同意!

支持率なんか捏造だ。そして、選挙結果も改竄されている。
電通支配の民放・電通と官邸・三菱(上田良一)が支配するNHKがウソを垂れ流している。
あんな安倍自民党が選挙で5連勝するなど、不正・改竄以外にあり得ない。
下記の裁判を報道しろってことだ! 野党も本気でやれよ!

>腐敗権力の手先犬HK
https://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/46522075.html

>決して報道されない数多くの裁判があるけど、知ってた?
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99%E8%A3%81%E5%88%A4



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/452.html#c13

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
77. 中川隆[-11461] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:26:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[534]

このブログが赤軍事件の細部まで一番詳細に記録しています:


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)
https://ameblo.jp/shino119/entrylist.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c77

コメント [政治・選挙・NHK258] 驚き!安倍晋三が一晩に123万円の豪遊!   赤かぶ
2. 2019年3月14日 05:27:27 : Ph4a5gNldU : aHFUbjdkWkJJL1E=[1]
ちなみに、小沢一郎はスーパーのパックの刺身らしい。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/461.html#c2
コメント [原発・フッ素51] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) :政治板リンク 赤かぶ
9. 茶色のうさぎ[-10043] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 05:29:05 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[4]

 その後、浪江町、馬場町長も納得ですね。💢

 つまり、浪江町の、2万人裁判も負けるね。ぷっ♪ ばか 

 原発誘致だって、地元の理解、地元の意見、地元優先なんだよ!! あほ うさぎ♂ 朝麦3


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/199.html#c9

コメント [戦争b22] 米軍が中東占領を続ける中、ロシア、シリア、イラン、イラク、トルコが関係強化(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
3. 2019年3月14日 05:29:07 : p8VPtCAeX2 : VC5ycHFrNmV0eUE=[3]
「そしてリビア人とエチオピア人は彼の歩みに付く。」ダニエル11:43
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/564.html#c3
コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
78. 中川隆[-11460] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:32:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[535]


1970年5月10日 重信房子逮捕(赤軍派)   
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)
https://ameblo.jp/shino119/entry-10482856215.html


■1970年5月10日 赤軍派・女闘士を逮捕(朝日)


 重信逮捕といえば2000年11月の大阪府高槻市での逮捕を思い浮かべるが、この記事は明治大学時代(24歳)のこと。遠山美枝子(連合赤軍リンチで死亡)とホステスのアルバイトをやっていた頃と思われる。

よど号ハイジャック事件以来、赤軍派に対する捜査はいっそう厳しくなり、残った幹部が次々と逮捕された。そんな状況の中、まだ無名だった重信房子が逮捕された。この時代の重信については「婦人公論」に連載された「時代を創る女たち」(島崎今日子)に詳しい。


 女性活動家には男と同等に闘おうとジグザグデモの前に立つタイプと、「私は女よ、女でなにが悪い」と開き直るタイプがいた。重信は後者で「女を武器化している」とと批判されても「ブントのため」と平気だった。

 昔の週刊誌には、重信のオルグ率は98%とある。優しく笑いながら「ねえ、一緒にデモ行かない?世界が変わるわよ」。重信の「微笑外交」、またの名は「ポン引きオルグ」で思想研はみるみる膨れ上がった。そこには遠山のほかによど号ハイジャックの田中義三がいた。

 重信が目に見えて変わったのは赤軍派に入ってからだと、明大の仲間たちは異口同音に口にする。教師になるつもりだったが、高原(遠山美枝子の夫)にさそわれるまま赤軍派に加わった重信は、激しい内ゲバ・リンチの真っ最中に居合わせ、人生を変えた。「ルビコン川を渡った日です。党派の理論を知らないまま当事者になり、やるしかないとアクセルを踏みました」。

 赤軍派は男社会で、軍隊化はジェンダーの差異を明確にする。そんなとき田中美津がウーマン・リブのアジビラ「便所からの開放」を一晩で書き上げる。それに新左翼の女たちも激しく共振したが、しかし重信は「男を糾弾するより、主体的に世界を変えることに熱中していた」。

 すでに多くの逮捕者を出し、主たるメンバーは指名手配されていた。重信は神出鬼没で、運動資金を稼ぐために獄中手記を書き、テレビに出演した。彼女派赤軍は時代に公安条例違反等で3度逮捕されている。

(「婦人公論」2007年12月7日号「時代を創る女たち・重信房子 この空を飛べたら(2)」より抜粋)

 文中の「思想研」とは赤軍派の合法組織。獄中手記とは「週刊現代」1970年7月16日号「赤軍派"女隊長"初々の獄中記」のこと。サブタイトルが「日航機乗っ取り謀議の容疑で逮捕された明大生・重信房子の愛と闘争」となっている。


 赤軍派は、よど号ハイジャックで幹部が北朝鮮へ流出し、国内でも幹部逮捕が相次いだため闘争は完全に行き詰っていた。革命をあきらめるメンバーも多い中、重信は国外に活路を見出そうとしていた。そして彼女がテルアビブ空港乱射事件(リッダ闘争)の奥平剛士と出会うのは、この年の秋のことである。

https://ameblo.jp/shino119/entry-10482856215.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c78

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
79. 中川隆[-11459] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:34:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[536]

1971年2月28日 重信房子レバノンへ旅立つ(赤軍派)   
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)
https://ameblo.jp/shino119/entry-10656233989.html


■1971年2月28日 重信房子レバノンへ旅立つ

 ちょうど赤軍派がM作戦(強盗)を開始したころ、森恒夫と折り合いの悪かった重信房子がレバノンへ旅立った。空港に見送りに行った遠山美枝子(後の山岳ベースで死亡)は、「ふーが先に死ぬのね」と涙を浮かべたが、重信に悲壮感はなかった。


 前の年に、友人に連れられて重信は京大バルチサンの奥平剛士にカンパを求めに行ったところ、奥平が語ったゲバラやパレスチナ問題にすっかり逆オルグされてしまった。そして、彼女のほうから奥平にパレスチナ行きを持ちかけたのだった。


 2月26日、まず奥平がレバノンへ旅立つ。2月28日、奥平と偽装結婚して「奥平房子」のパスポートを取得した重信が後を追った。レバノンのベイルートで合流した2人は、PFLP(パレスチナ人民解放戦線)の庇護と支援を得ることに成功する。

 森恒夫は重信のレバノン行きを「国内で資金を集めろ」と引き止めたが、赤軍派をやめてでも行くと伝えると、「なら、赤軍派として行ってくれ」と指令が下った。森にとって重信は制御不能な存在だった。歴史に「もし」はないが、重信が日本にいたなら連合赤軍事件は起こらなかったと言う人、真っ先に粛清されたと言う人、2つの見方がある。


 森はアラブの重信にお金を送ったことで遠山美枝子に自己批判を求めている。重信は、逮捕後独房で、親友の遠山が総括の名の下で殺されていく過程をつぶさに読んだときの苦しい胸のうちを明かす。


「リーダーたるべき人が次々いなくなり、できもしないのに責任感で頑張ったのが私であり、また森さんでしょう。森さんの遠山さんへの恨みは私の分もあるという人がいます。私の、女でいいじゃないかという甘えと、ダメな男への軽蔑の流れが、遠山さんへの批判と死をもらたした気がしました・・・」


「婦人公論(2007年12月22日・2008年1月7日号) 時代を創る女たち この空を飛べたら(3)」

■1971年3月15日 赤軍女リーダー潜入 アラブゲリラと接触か(毎日)

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-1971-03-15 毎日ベイルートに重信潜入

 3月15日、毎日新聞に「赤軍女リーダー潜入 アラブゲリラと接触か」の見出しが躍り、クウェートにその記事が流れた。これをきっかけに、重信と奥平の短い"新婚生活"は終わりを告げる。・・・PFLPは「これでは秘密が守れない」と、重信は合法組織である情報宣伝局アルハダフに配属され、奥平は希望して軍事訓練所に赴くことになる。・・・


 映画監督の若松孝二が、後に日本赤軍のスポークスマンになる足立正生に「パレスチナに行こう」と誘われ、ベイルートに足を向けたのは5月だった。・・・その秋、『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』のフィルムを積んだ真っ赤なバスの上映隊が日本全国を回り、若者の血を駆り立てた。その中には、テルアビブ空港襲撃でひとり生き残り、イスラエルに逮捕される岡本公三もいた。


(「婦人公論(2007年12月22日・2008年1月7日号) 時代を創る女たち この空を飛べたら(3)」)

■テルアビブ空港乱射事件への道


 奥平は京都パルチザンの仲間を呼び寄せる準備を始めていた。安田安之、山田修、檜森孝雄の3人がベイルートに到着、軍事訓練に入る。PFLPの指揮の下、テルアビブ空港を襲撃するリッダ作戦が動き出し、討議が繰り返された。だが、重信がこうした事実を知るのは逮捕後の2002年2月、檜森から「語っておかなければならないことがある」と差し入れられた手記を読んだときだ。重信は、奥平の下に仲間が結集しているのを知ってはいた。・・・だが、彼らが重信に軍事機密をもらすことはなかった。


 72年1月、山田が寒中水泳の訓練中、心臓麻痺で急死。奥平は、泣いて拒む檜森を強引に遺体と帰国させる。山田の死で日本人グループの存在が明るみに出ると、PFLPは作戦決行を決定。・・・間もなく、重信は奥平から「退路を断つ闘いに行く」と告げられる。重信は衝撃を受け、猛反対してPFLPに意見書を上げるが、決死作戦を願い出たのは奥平だった。


(「婦人公論(2007年12月22日・2008年1月7日号) 時代を創る女たち この空を飛べたら(3)」)


 1972年5月30日にテルアビブ空港を襲撃したのは、奥平剛士、安田安之、岡本公三の3名だった。岡本公三は京都パルチザンのメンバーではなかったが、帰国した檜森に誘われた。


 檜森にどのような言葉で誘われたのかは不明だが、岡本が日本を後にしたのは、アラブゲリラと共闘しようとしたのでも、テルアビブ空港襲撃に加わるためでもなかった。逮捕後の岡本のインタビューが残されている。


−日本を出るときから、こういう計画(テルアビブ空港襲撃)に参加するつもりだったのか。
「いや、日本を出るときは単純に兄に会える期待と、軍事訓練を受けるつもりしかなかった」
(兄はよど号事件の次兄・岡本武のこと)


−その一員にどうしてなったのか。
「自分でもなぜボクに白羽の矢がたったのかわからない。たぶん、兄のせいだろう」


−その兄に会えるからといってレバノンへつれてこられて兄に会えず、だまされたとは思わなかったか。
「奥平が、お兄さんに合わせられなくて申し訳ないと謝ったので納得した」


(「週刊文春 1972年7月24日号 「テルアビブで岡本公三と一問一答」)

 このような経緯からわかるように、テルアビブ空港襲撃は京都パルチザンメンバーが主体となって行った闘争であり、重信は関与していなかったのである。また、事件当時、「アラブ赤軍」なる組織も存在しなかった。 しかし、重信は「アラブ赤軍」としての声明を出し、後に改称した「日本赤軍」を「リッダ闘争を行った組織」と宣伝したのである。


 日本赤軍コマンドだった和光晴生は、2010年の著書「日本赤軍とはなんだったのか」の中で、この宣伝を「うそつきの始まり」と辛らつに批判している。


※日本では「テルアビブ空港」と報道されたが、テルアビブの「ロッド空港」のこと。アラブ側呼称は「リッダ空港」という。日本赤軍は「テルアビブ空港襲撃事件」のことを「リッダ闘争」と呼称している。


https://ameblo.jp/shino119/entry-10656233989.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c79

コメント [政治・選挙・NHK258] 「安倍総理の4期目もあり得る」 二階幹事長の発言に期待が集まる : 安倍政権も自民党も 高い支持率が続く中 十分あり得る 真相の道
23. 罵愚[7237] lGyL8A 2019年3月14日 05:35:28 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[52]
 理由は、ただひとつ、代わりがいないってことだろう。野党にも、自民党内にも…政界全体の人材不足ってことさ、
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/433.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
47. 2019年3月14日 05:39:52 : 0AQYrsACSk : NTFtRHQ5aXNOLjI=[2]

すべての原因は、黄色いサルの国の「インチキ民主主義」でございます。
そして統一・創価の朝鮮勢力に奪われ,殺されていることにも気付かないのです。
同じ過ち、同じ策にはまり、またもや戦争と原発で大量の日本人が殺されるのでしょうか?
__________________________________________
 https://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/2c281f65199e30646e210b9086bf27a9

いやあ、めでたい めでたい お目出度い。日本人はお目出度い。
どんなにデモを繰り返しても、当選するのは自公議員。どうして?
開票0%で自公議員が当選する。文句も言わずに信じる有権者。
いやあ、めでたい めでたい お目出度い。日本人はお目出度い。

マスコミ・選管・ムサシを押さえれば、総務省が全てを決める。
どんなに悪政続いても、どんなにデモをくり返しても、当選するのは自公議員。
票など数えなくとも 当選が決まる。いつも自公議員が当選する。

文句も言わず国民は、それを信じて受け入れる。何とお目出度いことか。
売国・貧困・棄民政策の次は戦争の道。国民の意思とは無関係。
CSIS・米国資本・財界・日米合同委員会そして官僚機構も高笑い。

>開票0%で’当確’がでる?【不正選挙・メキシコと日本】http://enzai.9-11.jp/?p=13470
〜『票を投じる者が決定するのではない。票を数える者【集計ソフト?】が決定するのだ』メキシコの民主主義は、葬られた。今年のメキシコ大統領選では投票数と開票数が異なる不正、裁判では白。日本でも同じ結果になるだろう。

>続・不正選挙は今や常識となった 〜イラクの不正選挙について、元米軍人、ブラッドリー・マニング氏が述べている。米国は各国で不正選挙を実施している。日本もその一つである。
http://blogs.yahoo.co.jp/leben0773/26847379.html


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c47

コメント [政治・選挙・NHK258] <妄信ほど、怖いものはない!>安倍4選はあり得る(もっとやりたくて仕方がない安倍首相) 天木直人  赤かぶ
13. 罵愚[7238] lGyL8A 2019年3月14日 05:42:06 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[53]
 議会でも、ちまたでも、感情論が先走って、政論にはなっていないね…
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/446.html#c13
コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
80. 中川隆[-11458] koaQ7Jey 2019年3月14日 05:55:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[537]

1972年3月14日 連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)


■ベイルート入りの重信に赤軍派が毎月送金 青砥自供(毎日)

 青砥は「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と接触を深める目的で、ベイルートに潜入した幹部、重信房子(25)に対して赤軍派は毎月現金を送り続けていた」と自供した。

自供によると、赤軍派には5,6人のメンバーによる国際部があり、青砥もその構成員だった。青砥は昨年夏ごろ、森恒夫に送金の話を聞き、森の指令を受けて送金用の現金を集めたという。「わたしはある特定の人から3回にわたって30万ずつ受け取った」といい、"特定の人"については「絶対にいえない」といっている。


 森と重信はソリが合わなかった。森は重信のベイルート行きに反対したが、重信が赤軍派を脱退しても行くというと、しぶしぶ了解し、それなら赤軍派として行ってほしいと言ったという。
https://ameblo.jp/shino119/entry-10281884901.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c80

コメント [原発・フッ素51] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) :政治板リンク 赤かぶ
10. 茶色のうさぎ[-10042] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 05:58:08 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[5]

 世界基準は、緊急時、年間20mSv、徐々に、年間1mSvにもどす。

 ↓ 「20ミリシーベルト」と幻の安全・安心論 今中哲二
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/kagaku2017-7.pdf#search=%27%E7%B7%8A%E6%80%A5%E6%99%82%E5%B9%B4%E9%96%93%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BD%8D%EF%BC%B3%EF%BD%96%27

 ↓ 避難指示区域の見直しにおける基準(年間20mSv基準)について
http://www.reconstruction.go.jp/topics/11_6kijyun.pdf#search=%27%E7%B7%8A%E6%80%A5%E6%99%82%E5%B9%B4%E9%96%93%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BD%8D%EF%BC%B3%EF%BD%96%27

結論: まぁ、徐々に、自由解散、廃村♪www うさぎ♂ 朝麦4💢 東日本全滅♪www ばか


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/199.html#c10

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
81. 中川隆[-11457] koaQ7Jey 2019年3月14日 06:01:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[538]

1970年3月 塩見孝也議長逮捕(赤軍派)   
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)


後にパレスチナで日本赤軍を結成する重信房子は11月11日に明大周辺の無届デモで都公安条例違反で逮捕、48時間の拘置期限が切れた13日には凶器準備結集罪で再び逮捕されている(いずれも不起訴)。

「情緒的で、すぐくずれそうなのに、くずれない。
取り調べの最中にセックスについてあけすけに話したりして煙にまき、時間をかせぐ。まったく調べにくい女だった」

というのが、捜査員たちの一致した重信評であった。

____


1970年3月 塩見孝也議長逮捕(赤軍派)


■1970年3月6日 武器頼まれ銃砲店襲撃を計画(朝日)

 岩手県水沢署に猟銃や散弾を盗んだ疑いで逮捕された元自衛隊員(23)が4日夜「赤軍派の武器調達を頼まれていた」と自供、警視庁に逮捕されていた赤軍活動家(23)とともに、秋田市内の銃砲店を襲う計画を立てていたこともわかった。この実行寸前に大菩薩峠で赤軍派が一斉逮捕されたため、あきらめたという。

 調べによると、昨年10月ごろ、赤軍派幹部から武器調達のために8万円を受け取り上野を出発、手始めに海上自衛隊のころ知り合った医師宅から上下2連銃と散弾68発を盗んだ。


■1970年3月16日 赤軍派委員長を逮捕(朝日)

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-1970-03-16 朝日 朝14 赤軍派・ 塩見議長逮捕


 塩見は田宮(後によど号)、小西(後によど号)、前田と討論をした後、前田と2人でタクシーで駒込駅へ向かったところを警官にとめられた。降りたとたん、逃亡をはかった。

 


 ところが、陸橋のところに派出所があったのが運のつきだった。そこに若い警官がいて、彼に差をつめられた。「止まれ!」なんて叫んでいるもんだから、近所の6,7人の小中学生が、泥棒か何かと間違えて、わあわあ騒ぎ一緒になって追いかけてくる。「オレは人民のためにやっているのに、なんでガキ共に追いかけれれるんだ」(笑い)・・・。警官はピストルまで抜いて追いかけてくる。追いつめられ、しゃあない、という感じで逮捕された。まあ、それから僕の「20年」というのが始まるわけです。

(「赤軍派始末記」)


 押収された塩見の手帳には「HJ」のメモ書きがあったが、警察はそれが「ハイジャック」を意味するとは気づかなかった。


 ちなみに 「ハイジャック(hijack)」 とは乗り物を占拠すること。日本では 「Hight Jack」 と誤解され(?)、航空機に対してのみ用いられ、他の乗り物の場合は、シージャックとかバスジャックという和製英語で表現される。


 このころ、内ゲバを敵前逃亡し活動をはなれていた森恒夫が赤軍派に復帰する。重信房子は独自の活動をしていたようだ。


 後にパレスチナで日本赤軍を結成する重信房子は11月11日に明大周辺の無届デモで都公安条例違反で逮捕、48時間の拘置期限が切れた13日には凶器準備結集罪で再び逮捕されている(いずれも不起訴)。「情緒的で、すぐくずれそうなのに、くずれない。取り調べの最中にセックスについてあけすけに話したりして煙にまき、時間をかせぐ。まったく調べにくい女だった」 というのが、捜査員たちの一致した重信評であった。


 大菩薩峠のあと、赤軍派は中央政治局員7人のうち、花園紀男、堂山道生、上野勝輝、八木健彦が逮捕され、作戦を練るのは、塩見孝也、田宮高麿、高原浩之の3人になっていた。政治局員の補充に塩見は森恒夫を推したが、田宮は 「あんな度胸のないやつはだめだ。ゲバ棒一本持てんやつに戦争ができるか」 と反対した。しかし塩見は 「あの男には理論がある。一平卒からやりなおさせよう」 と納得させた。12月に大阪からボストンバッグ1つで上京した森は一平卒から出直すことを承諾し、翌日からビラ配りに従事した。


 12月12日、京大全共闘議長にして赤軍国際部長の小俣昌道が、国際根拠地建設のためアメリカ、キューバに向け旅立った。アメリカではイリノイ大学の集会などで大みえをきり、極左集団に精力的に働きかけた。キューバではカストロ首相に面会しようとするが、相手にされるはずがなく、滞在期間がオーバーして200ペソの罰金をとられるありさまだった。


 1月16日、お茶の水の電通会館で再起のための政治集会「1・16赤軍派武装蜂起集会」を開き、「国際根拠地論」 を披露し、すでにキューバに1人送り込んだと発表した。この日は1500円払えば報道関係者も傍聴できたが、これは大菩薩峠の痛手からよみがえったことを印象付けるための演出だったと思われる。
(「連合赤軍・この人間失格」より要約)

 森恒夫は臆病者だといわれているが、そのエピソードは次のようなものだ。


 1965年11月11日、日韓条約批准デモで逮捕されたとき「おっちゃん、かんにん、おっちゃん、かんにん」と泣声であっさり自供した。

 1969年6月28日、内ゲバで森恒夫と藤本敏夫が監禁され、自己批判を迫られたとき、藤本は拒否したためリンチを受けひん死の重傷を負うが、森はあっさり自己批判し、「リンチにかけないでくれ」と泣きわめいた。

 1969年7月2日、赤軍派は藤本リンチの報復のため敵陣に乗り込むが、まさに乗り込もうとする直前、敵前逃亡した。そのあとしばらくして森はすべての任務を放り出して仲間の前に姿を見せなくなった。


 森が連合赤軍のリーダーになったとき、「もう2度と逃げない」 と心に誓い、それが総括をより過激にさせたと考えられている。
https://ameblo.jp/shino119/entry-10361265024.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c81

記事 [原発・フッ素51] 50M走で骨折、片足で立てず…子どもの体に何が?  (読売新聞)

「50M走で骨折、片足で立てず…子どもの体に何が?」 (読売新聞 2019/3/13)
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20190311-OYT8T50009

「走っただけで、骨折してしまう」「片足立ちでフラつく」……。自分の体をコントロールできない子どもが増え、簡単な動作をしただけで大けがを負うケースも目立つという。日本体育大学の野井真吾教授(教育生理学)がその背景を解説し、子どもたちを守るための対策を提言する。大切なのは、幼児期の体を使った「遊び」だという。

■ 子どもの体に異変

全国の養護教諭から、以前にはあまり見られなかった、子どもたちの“信じられないけが”の例が報告されるようになりました。ある中学校では、50メートル走のタイムを計測していたところ、走り始めた子どもが20メートル付近で転んで動けなくなったそうです。病院で調べると、股関節のはく離骨折が確認されました。転んで骨折したのではなく、走るときの筋肉の収縮に骨が耐えきれず、筋肉に引っ張られて骨の一部がはがれてしまい、そのために転んだというのです。
この他にも、小学校では「雑巾がけで腕を骨折した」「跳び箱に手をついた際に骨が折れた」といった報告もあり、日常的な動作や軽い運動での骨折が目立っています。
 また、「うまくしゃがめない」「片足立ちでふらつく」など、自分の体をうまくコントロールできない子どもも増えています。

■ 異変の原因 

 簡単な動作で骨折してしまうのは、かつての子どもたちに比べて骨が弱くなっているのが一因と考えられます。骨は古くなった組織を壊し、新たに形成する――というサイクルを繰り返しています。この再生のサイクルは、ジャンプのように骨に強い負荷をかける動きでスイッチが入ります。言わば、骨は負荷に耐えられるように自らを作り替えようとするので、骨を強くするためには、ある程度の負荷が必要なのです。

■ 運動能力が低下している

では、自分の体をうまく使えない子どもが増えているのはなぜでしょうか。実は、子どもたちの体力が時代とともにどう変わってきたかを示すデータがあります。1964年から全国で行われているスポーツテストの記録です。同じ測定項目で続けられていた97年までの記録を11歳時で比較すると、「垂直跳び」「握力」などの体力を示す項目は横ばいですが、「走り幅跳び」「ハンドボール投げ」などの運動能力は著しく低下しているのです。
 この事実からわかるのは、体力はあるけれども、その力をうまく組み合わせて使えない子どもが増えたということです。例えば、筋力や瞬発力はあるのに、走り幅跳びの記録は伸びない。98年から項目が変わり、比較しにくくなっため、20年ほど前のデータが最後ですが、当時と比べても現在は“信じられないけが”をする子どもの報告は増えています。骨が弱くなっているほか、無理な動きをしてしまう――。そうした傾向はさらに強まっている可能性があります。

■ 子どもの遊びに変化

都市部で空き地などの遊び場が減ったことや、テレビゲームやスマートフォンなどの登場で、子どもたちが体を動かして遊ぶ機会が減りました。また、エレベーターやエスカレーターなどの普及で、日常生活の中でも体を使う場面が減ったことが指摘されています。
 骨をすぐに折ってしまう子どもは、こうした環境の中で増えつつあるのではないかと考えられます。

■ スポーツと遊びの違い

 一方、体力はある程度・るけれども、運動能力が低下しているという子どもたちについてはどのように考えればよいのでしょうか。
 以前から「子どもの体力が低下している」と指摘され、学校でも持久走やなわ跳びなどを行うようになりました。しかし、体力の向上、または維持ができたとしても、運動能力の向上にはつながっていません。運動能力は体の使い方がポイントなので、体力を付けても変わらないのです。
 子どもの運動能力はかつて、外遊びの中で培われた面がありました。空き地や里山はアスファルトと違って起伏があり、足元が平らではない不安定な場所に立つことも多かったのです。人間は不安定さを察知したら、真っすぐ立てるように左右のバランスを調整します。山登り、木登りをすれば、こうしたバランスを保つ調整能力を全身で養うことが自然にできます。走り回っているときに、小さな水たまりや小川を飛び越えるなどの動作を行うことでも、運動能力を自然と高めることができたのです。

■ スポーツでは補えない場合も

では、スポーツをさせれば、体力も運動能力も身に付くのかといえば、私は必ずしもそうではないと思います。スポーツは成長期を終えた大人が楽しむために考え出されたものが多く、例えば、利き腕の使用頻度が高いなど、体の特定の部分を中心に使うケースが目立ち、その箇所だけが発達することも多いのです。
 また、スポーツでは指導者にもよりますが、子どもたちは「やらされる」ように感じることも多くあります。一方、遊びは自分から「ワクワクドキドキ」と感じるものに自発的に取り組むものです。この違いは、脳の発達にも影響を与えます。

■ 自発性が前頭葉も成長させる

宇都宮市の幼稚園で40年以上続いている「じゃれつき遊び」という取り組みがあります。朝、時間を設けて、部屋の中で、「何をやっても、何を使ってもよい」というルールで自由に遊ばせます。高さ1メートルくらいのロッカーの上から飛び降りたりもします。
 この幼稚園の園児に関して、大脳で感情や意欲を担う前頭葉の働きを調査し、こうした遊びをしていない園児たちと比較したことがあります。
 教育生理学では、集中を持続させることができずに、いつもそわそわして落ち着きがないという特徴の子どもを「不活発型」と分類していますが、この「不活発型」は「じゃれつき遊び」を導入している幼稚園では6.7%であるのに対し、導入していない別の幼稚園では34.4%でした。
 幼児期に体を使った遊びを体験することが、体の成長だけではなく、脳の働きにも効果があることがわかってきているのです。

■ 外遊びが難しい時代にするべきこと

現代は子どもの外遊びが難しい時代です。それと似たような状況作りを、大人が積極的に仕掛けていかないといけないのです。
 こうした取り組みをする場合、保護者はけがを心配します。「じゃれつき遊び」でも、周りで先生たちが目を配り、さらに「頑張れ」と声をかけて無理をさせないことを意識します。無理をさせれば危険が生じるからです。
 しかし、擦り傷などの小さなけがを嫌い、体を使った遊びをさせないようにすると、先述のように、子どもたちは骨が弱くなったり、体がうまく使えなかったりするなど、体の成長に影響が出てしまう可能性があります。ささいなことで大きなけがを負ってしまうことにもなりかねません。幼少期の子どもたちに「ワクワクドキドキ」するような、全身を使った遊びを体験させることが大切なのです。

-----(引用ここまで)--------------------------

子どもの骨が弱くなっている、運動能力が低下しているのは、放射能被ばく、
とくにストロンチウム90による被ばくの影響です。

運動不足どうのこうの言っていますが、そんなことは数十年前から指摘されており、
ここ数年間に起き始めたこれらの異常を説明できません。

明日の日本を担う子どもたちにこれだけ被ばくの影響が顕著に出てきていることは、
きわめて深刻であり、政府は一刻も早く被ばく回避策を取らなければいけません。


(関連情報)

「『老化』する小中学生 つまづいて骨折 和式トイレでかがめない… (産経)」 (拙稿 2016/12/12)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/122.html

「真っ直ぐ立てない子供たち「まるでゴリラ」…足指に“異変”も (産経ニュース)」 (拙稿 2015/5/17)
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/800.html

「マスコミが盛んに報道する子どもロコモは、被ばく被害そのものである 」 (拙稿 2015/4/13)
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/533.html
http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/201.html

コメント [政治・選挙・NHK258] 健康被害が続出 豊洲市場の“黒い粉塵”は高濃度の猛毒物質(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 前河[1661] kU@JzQ 2019年3月14日 06:03:37 : AIIfKHKDEM : bnpCUmw2RFJRVEE=[6]
元々あんな毒が地下にあるような場所を埋め立てて市場などに利用する事自体が異常だ。

日本の技術力ならという思い上がりが不幸を生む。

小池は止めるかと思ってたが、結局止めなかった。何か健康被害が出たら責任は重い。

今からでもあの場所から撤退した方が良いんじゃないか?

とにかく、食品検査、水質検査、空間浮遊物の検査などあらゆる検査を行い、詳細にデータを発表すべき。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/458.html#c5

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
82. 中川隆[-11456] koaQ7Jey 2019年3月14日 06:10:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[539]

1971年12月  
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

 森氏は遠山さんに関して、彼女が重信房子さんに金を送ったはずだから、そのことを聞き出し、その報告文を書かせるように指示した。

森氏は重信さんがパレスチナへ行く際、森氏と意見が一致しなかったということで、重信さんにきわめて批判的だった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 森と重信は水と油の仲だった。
遠山は重信と親友で、パレスチナにいる重信と連絡を取っていた。
遠山への厳しい批判は、重信の分まで入っているといわれている。

____


1971年12月 遠山・進藤・行方への総括要求(赤軍派・新倉ベース)


 永田と坂口が帰った後の赤軍派・新倉ベースの出来事を追いかけみる。このあと連合赤軍になるので、赤軍派単独としては最後の出来事になる。


 森は、進藤、遠山、行方の3人は、「連合赤軍メンバーとしての資格がない」 とし、新倉ベースの赤軍派メンバーを1軍と2軍に分けた。


(1軍)
森恒夫(理論家。過去、内ゲバから逃走したトラウマあり)
坂東国男(森の懐刀。酒もタバコも女もやらない硬派)
山田孝(理論家。塩見の秘書役で森より格上だが、一から出直すため森配下へ)

青砥幹夫(森の秘書。合法部との連絡役。革左女性との関係を批判される)
植垣康博(爆弾作りなど実用技術に優れる。革左女性への痴漢で批判される)
山崎順(M作戦途中で坂東隊へ入隊。女性問題で批判される)


(2軍)
進藤隆三郎(M作戦に惹かれて坂東隊へ入隊。同棲女性の問題で批判される)
遠山美枝子(救援対策から新倉ベースへ。女を利用していると批判される)
行方正時(救援対策から新倉ベースへ。消極的態度が批判される)


 こうしてみると女性問題が多いことに気づくが、別に女性とつき合ったからいけないというわけではない。それぞれの批判理由があった。


 この記事では、森恒夫が何を語り、進藤隆三郎、遠山美枝子、行方正時の3人がどのように批判されていくかに着目してほしい。


■1971年12月11日 「総括ができていない。銃の訓練を続けろ!」(森恒夫)


 森氏は、全員に、

「いいか、総括するには、それまでのことをああだったこうだったというだけではだめだ。それまでのここの実戦にどのような意識で関わってきたか、その意識は今からとらえ返せばどのような意識であったか、それを今後どのように止揚していくかを、自分ではっきりさせる必要がある」

と延べ、進藤氏、遠山さん、行方氏に対して、

「何が自分の飛躍にとって決定的な問題かは、自分で見つけ出さなければだめだ。そのためには、討論だけでは不十分だ。銃の訓練をしてよく考えろ」と命じた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 森は銃の訓練をしている遠山・行方・進藤をそれぞれ呼んで、「銃を握っていて何を考えた?」などと聞いたが、森の期待する答えではなかった。結局3人とも、「総括ができていない。銃の訓練を続けろ」と却下されてしまった。


■1971年12月12日 「遠山さんにカチカチ山というあだ名をつけた」(植垣康博)

 遠山さんが山の急斜面で何度か転んだのに対して、私たちはその様子が不恰好で狸みたいだといって笑い、柴を背負った狸ということで、彼女に「カチカチ山」というあだ名をつけた。それは遠山さんを蔑視する差別的な言動だった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

■1971年12月13日 「森氏への信頼は絶対的なものになった」(植垣康博)
 もうすぐ上赤塚交番襲撃事件一周年の「12・18集会」(柴野追悼集会)が行われる。そこでアピールをするため、これまでの赤軍派の闘争の総括の討論会開いた。2軍の3名は参加させてもらえなかった。


 森氏は赤軍派の総括をとうとうとよどみなく語り、私たちは圧倒されてしまった。この総括によって私たちの森氏への信頼は絶対的なものになったのである。私たちが森氏の総括に感心していると、森氏は「力量の違い」といって得意そうな顔をした。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 森の語った総括は長いので省略するが、ブント以降の闘争を、「銃−共産主義化論」 の観点から、否定的に総括したものである。ところが「銃−共産主義化論」がうさんくさいと思って読んでいると、怪しい総括としか思えない。


 しかし、逆に言えば、これまでの闘争を否定的に総括することによって、「銃−共産主義化論」の正当性を主張するものになっている。つまり、「12・18集会」で、「銃−共産主義化論」をアピールするために、つじつまを合わせた、ということだろう。そういう観点でみると、やはり森の理論構築力は大したものである。なんといっても当時27歳の若者なのである。


■1971年12月14日 「ナイフと金を取り上げて隠せ」(森恒夫)

 この日、山田は12・18集会のため東京へ出発した。進藤、遠山、行方の3人は、雪の上の足跡を消してくるように命じられた。


 4人が出かけたあと、森氏は、私たちに、進藤氏たちに対する逃亡の警戒の必要性を強調し、彼らからナイフや金銭をすべて取り上げ、弾薬と金銭を隠すように指示した。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 ナイフを取り上げたのは、彼らが立ち向かってくることを恐れたからである。この猜疑心は尋常ではない。


 心理分析(「ヘボ」がつくが)→ 決め付け → 常軌を逸した防衛行動、というのは、精神疾患(統合失調症)の被害妄想によくみられる。森がその種の病を発病していたかどうかはわからないが、病的なまでの人間不信(恐れ)があった。これはそのまま連合赤軍に持ち込まれる。


■1971年12月15日 「銃の訓練以外のことをさせてはならない」(森恒夫)
 この日、森と坂東は、翌日から会議のため一週間ほど革命左派の榛名ベースへ行くことをメンバーに告げた。そして、留守の間、「進藤、遠山、行方には銃の訓練以外のことをさせてはならない」 と言い残した。


■1971年12月16日 「遠山がお前をたぶらかすから気をつけろ」(森恒夫)


 森氏は、私と青砥氏に、進藤氏たち3人を甘やかしてはならず、きびしく監視するようにいった。特に、遠山さんに関して、彼女が重信房子さんに金を送ったはずだから、そのことを聞き出し、その報告文を書かせるように指示した。森氏は重信さんがパレスチナへ行く際、森氏と意見が一致しなかったということで、重信さんにきわめて批判的だった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 森と重信は水と油の仲 だった。遠山は重信と親友で、パレスチナにいる重信と連絡を取っていた。遠山への厳しい批判は、重信の分まで入っているといわれている。


 また、森氏は、私に対して、「遠山がお前をたぶらかして取り込もうとするかもしれないから、気をつけろ。甘い第度をとるな」といった。そんなことはどう考えてもありえないことなので、私は、森氏のそういう見方に驚いたが、そんなものだろうかと思い、遠山さんに厳しい態度で臨むことを表明した。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 午後、森と坂東は、革命左派の榛名ベースへと出発した。


 この夜、植垣と青砥は、「おやじさん(森)いったいどうするつもりなんだろう?」「まったくあの3人のおかげでえらいことになってしまったなあ」と話し合った。

■1971年12月17日 「夜は総括のことを忘れて酒を飲み、歌を歌った」(植垣康博)

 午前10時ごろ、山崎氏が大変な剣幕で進藤氏たちに怒っており、私たち(植垣・青砥)に、「あいつら、みんなが出かけてから俺の言うことを少しも聞こうとしない!総括する気がないんじゃないのか!」といった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 批判されている3人にしてみれば、うんざりしていたところで、森と坂東がいなくなったので、タガがはずれたのであろう。しかし、植垣、青砥、山崎は、彼らの総括の責任を負わされていたから、甘い顔をするわけにはいかなかった。


 遠山、進藤、行方はあいかわらず銃の訓練をさせられたが、午後、遠山を呼んで、重信房子との連絡ルートや金を送った額などを紙に書かせた。


 こうして私たちは、この日以降、坂東氏が迎えに来る12月29日まで、昼は遠藤氏たちに銃の訓練をさせ、夜は総括のことを忘れて酒を飲み、歌を歌ったり雑談をしたりしてにぎやかに過ごしたのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■1971年12月19日 「座禅でもはじめたのか?」(植垣康博)
 3人に銃の訓練だけさせるということは、お互いにあきあきすることだった。そこで植垣は総括討論をやることにし、行方に質問しながら総括を聞いたが、行方は答えられなくなり、行方はうなだれて正座してしまった。植垣は「座禅でもはじめたのか?」と冷やかした。


■1971年12月20日 「お前は金が目当てだ」(植垣康博)
 この日は進藤を呼んで総括討論を行った。そして彼の行動を金銭欲などで解釈した総括を押し付けてしまう。彼女と付き合ったのは、旦那から金をせしめるためであり、赤軍派に関わったのはM作戦(銀行強盗)の金が目当てだった、というものだった。そして「克服するには、共産主義化を通して銃による殲滅線に全力をあげることだ」と結論をいった。


 進藤氏は「よくわからんけど、そういうことになってしまうな。しかし、そういう総括の仕方ははじめてだ」といい外に出て行った。(中略)
 その夜、私に「おい、バロン、やっぱりあの総括はおかしいよ」といった。だが私は冷たく、「おかしくもなんともない。よく考えろ」といって、考え直そうとはしなかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■1971年12月21日 「最高幹部・高原の妻という特権的地位を利用した」(植垣康博)
 この日は遠山を呼んで総括討論を行った。


 私は、遠山さんのそれまでの活動を、高原氏に依存し、高原氏の妻という特権的地位を利用した活動でしかなかったと解釈した総括を押し付けた。これに、遠山さんは、「そういう風に自分の問題を考えたことがないので、よくわからない」と答えていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■1971年12月22日 「女にもてようとする英雄欲だ」(植垣康博)
 この日は再び行方を呼んで総括討論を行った。


 「市民社会から遠ざかるのが恐いといいながら赤軍派の活動に関わってきたのは、そのことによって英雄気取りをし、女にもてようとする英雄欲からではないか」と批判すると、行方氏はうなだれてしまった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 私たちは、その後も、進藤氏たちに銃の訓練を強制しながら総括討論を行っていったが、これによって私が彼らに押し付けた総括が、後に彼らを死に追いやっていくことになるのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 植垣の総括の押しつけは、これまでの森の批判を踏襲したものだと思われる。だが、夜になると3人を含めて酒を飲んだり歌を歌ったりしていたのだから、本気でやっていたのか疑問である。森に対するポーズだったに違いない。


 「銃−共産主義化論」はまったくやっかいな代物である。銃の訓練ばかりやらされた3人はたまったものではないし、銃を握ったところで総括が進むわけではなかった。


 「総括が進む」とは、「森の価値観に同化する」ことに他ならなかった。森は、「何が自分の飛躍にとって決定的な問題かは、自分で見つけ出さなければだめだ」といって、ヒントをくれなかったから、「正解」は闇の中であった。


 総括を要求されている3人と、そうでない3人の差はほとんどなかったのだから、指導などできるわけなかったのだが、しかし、植垣、青砥、山崎は、これまで一緒に活動してきた仲間3人に対し、次第に蔑視的な態度をとるようになった。


 森と坂東のいない新倉ベースで、植垣、青砥、山崎、遠山、進藤、行方の6名はこのように過ごしていた。そして、年の瀬も迫った12月29日に坂東と寺岡が迎えに来て、革命左派の榛名ベースへ合流することになる。


 それは墓場への招待だった。榛名ベースでは、より進化した「総括」が彼らを待ち受けていたのである。この6名のうち、生き残るのはたった2名しかいないのである。

https://ameblo.jp/shino119/entry-10883575003.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c82

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
10. 2019年3月14日 06:25:53 : HVXP2CUzKg : TDRndm0zTlZkcEU=[5]

NHK NEWS WEB〈ピエール瀧容疑者 自宅から丸めた韓国紙幣 吸引に使用か〉
TBS NEWS〈ピエール瀧容疑者、コカイン吸引に韓国紙幣使用か〉
朝日新聞〈ピエール瀧容疑者、韓国紙幣で薬物吸入か 自室から押収〉
時事通信〈韓国紙幣でコカイン吸引か=ピエール瀧容疑者〉______

これはさ、徴用工問題で提訴されている日本企業の思惑もあって、反韓感情を広げようってことだろさ。安倍と関係のある三菱、麻生太郎の麻生セメントも提訴されている。だから三菱出身の上田良一が会長となった犬HKも電通支配の民放も三宝会に加入者がいるジジイ通信なども足並みをそろえているんだわ。反韓でさ。難しい問題だよね、麻生タコ部屋炭鉱も過去を暴露されると立場がないからね! だからひょっとこの顔でやり過ごそうとしてるんだろね!

>徴用工訴訟、70社超が対象に 訴状未着の企業多く 2018/10/30 19:52
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37131870Q8A031C1FF2000/

>● マスコミが書かない麻生財閥の深い闇
https://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/f8a7c348d2cc74b5e6e93ef3117484da
・・・戦前の麻生炭鉱で10,000人の強制連行朝鮮人を強制労働させ賃金をそっくり搾取することなくしては、現在の麻生財閥はありえず、したがって今の麻生太郎内閣総理大臣もありえなかったといっても過言ではありません。・・・戦前の麻生炭鉱での劣悪な労働条件の実態は、下記URLの調査報告書「麻生炭鉱の強制労働」(戦時強制労働の調査「人権平和・浜松」)に詳しく書かれています。
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それも大きな問題だけどさ、さらに大きな問題は、

__ 朝鮮血筋の小泉・安倍という売国奴が半島勢力と組み、選挙の不正で権力を握り続け
__ 国を売り、日本を破壊し、奴隷労働を深化させ、日本人殺しに邁進しているってこと。でもって、
__ AKBなどのピチピチ・アイドルを芸能界の闇に引き込んで、バッコ・パコパコ__だぜ! 

韓国系に支配された芸能界・メディア界・ヤクザの世界では常識なんだろね! 裏AVには、かつての巨乳アイドル・熊田曜子も出演してたぜ。秋元康は児童強姦・未成年買春・管理売春で逮捕投獄・死刑にすべきだよね! 羨ましいって思うかい? それとも許せないって思う? 同時並行で大量の日本人殺しが進行中だぜ! この国は、悪性腫瘍が日本全体を蝕んでおり、極めて深刻な状態にあるってこと!
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>小泉と安倍のルーツは朝鮮人であ る重複コメントリンク認定
>安倍晋三は 李晋三である http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/595.html#c1

>経団連と東レは朝鮮人 崔定征 通名 榊原定征に乗っ取られた! 消費税増税と法人税減税 血税泥棒 國賊 パソナ竹中平蔵 ハニートラップの舘 仁風林 小野寺五典 米倉弘昌とモンサント
http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2115315.html

>整形美が大半のAKB・その裏で売れる為に行われてきた【枕営業】-
https://matome.naver.jp/odai/2141714943230983301

>何度も言うが、元凶は不正選挙だ__現在の政治状況で有効なカードは「不正選挙の追及」「国際的な選挙監視団の招聘」以外にない。もちろん自民党は汚物だし、野田は豚だが、安倍に文句を言うヤツも、野田や「民進党の心ある議員」にアドバイスをするヤツも、不戦選挙の追及を柱に立てないのなら、共謀罪の成立や現支配体制の補強に寄与しているのと変わらない。プロレスでヒールに野次を飛ばそうがベビーフェイスの戦い方に文句をつけようが、筋書きを変化させることなどできはしないだろう。

>報道されない不正選挙裁判__https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E9%81%B8%E6%8C%99%E8%A3%81%E5%88%A4
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http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c10

コメント [原発・フッ素51] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) :政治板リンク 赤かぶ
11. 茶色のうさぎ[-10056] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 06:31:48 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[-6]

 2014年2月

 桜井なんて、東京で、街頭演説だよ!!あほ

 南相馬へ、戻って、こーい♪www ばか 確信犯

 まぁ、茂木健一郎 ←確信犯
https://www.huffingtonpost.jp/kenji-sekine/minami-souma-sakurai_b_4743189.html

結論: 南相馬なんて、一番、最後、避難ですね。ぺっ♪ 死ね♪ばか

 まぁ、汚染マップ、、300年は無理ですね。 うさぎ♂ 半減期、勉強??ぷっ♪ばか 東大?


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/199.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
48. 2019年3月14日 06:44:02 : egpEoPLIfw : Y1dhYVR4Mmd3NVU=[27]
 安倍というよりも朝鮮人自体を早く消さないとね。
朝鮮人はなぜ、こんなよその国に居るのに
日本人よりも幸せを享受できるのか。
日本人なら知っておく必要がある。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c48
記事 [国際25] 実行犯一部、CIAと関係か 北朝鮮大使館の襲撃〜スペインの首都マドリードの北朝鮮大使館/朝日デジ
・実行犯一部、CIAと関係か 北朝鮮大使館の襲撃/朝日デジ
パリ=疋田多揚 2019年3月13日23時32分
https://www.asahi.com/articles/ASM3F6G0QM3FUHBI030.html?iref=comtop_8_04

スペインの首都マドリードの北朝鮮大使館が先月22日に複数の男に襲撃された事件で、スペイン紙エルパイス(電子版)は13日、スペイン当局の情報として、10人の犯行グループのうち、少なくとも2人が米中央情報局(CIA)と関わりのある人物だったと報じた。

同紙によると、スペイン警察と同国の情報機関、国家情報局(CNI)は、現場付近の防犯カメラや逃走に使われた車の分析、大使館員の証言などから、犯行グループの一部のメンバーを特定。少なくとも2人がCIAと関わりを持つ人物とみられるという。

事件が起きたのは、ベトナムでトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が会談する5日前。会談に先立つ米国との実務協議を担っていた北朝鮮の金赫哲(キムヒョクチョル)氏は、2017年まで駐スペイン大使を務めていた。

 エルパイスなどによると、犯行グループは拳銃で武装して大使館に押し入り、8人の館員らの頭を袋で覆って目隠しした上、手錠をかけて殴打。数時間かけて外交官を尋問し、パソコンや携帯電話を奪い去ったという。


・北朝鮮大使館襲撃され、館員が数時間拘束 マドリード/朝日デジ
パリ=疋田多揚 2019年2月27日19時49分
https://www.asahi.com/articles/ASM2W5WQJM2WUHBI04W.html?iref=pc_extlink

スペインの首都マドリードの北朝鮮大使館が22日に襲撃され、館員が数時間拘束されていたと、スペインのニュースサイトのエルコンフィデンシャルが27日、報じた。詳細は不明だが、数人が軽傷を負い、情報機器が盗まれたという。

 エルコンフィデンシャルによると、複数の男が22日、大使館に押し入り、館員らを数時間束縛。その後、大使館から逃げた女性が助けを求め、事件が発覚した。警察が大使館に急行すると、男らは車2台で逃げ去ったという。(


http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/678.html

コメント [経世済民131] 大塚家具、中国系企業の実質支配下に…経営陣刷新要求、久美子社長は父・勝久氏に泣きつき(Business Journal) 赤かぶ
1. 2019年3月14日 06:51:20 : vopBsAEHwo : NmcvSlVTWDNkY00=[19]

家電と家具を融合して新しいコンセプトを打ち出さないと難しいな。

洋服ダンスなどの大型高級家具は地方の平屋の旧家屋敷にしか置けない。

今はリフォームでクローゼットタイプにすると思う。地震も家具に対する見方を変えた

大きな要素だ。


http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/501.html#c1

コメント [原発・フッ素51] ドンブリに顔を突っ込んで眠りこける"つけ面"大流行 これではせっかくのイケメンもだいなしです  魑魅魍魎男
6. 茶色のうさぎ[-10055] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年3月14日 06:53:44 : it0aYc9VmM : dmxCNUI1bnFBdGM=[-5]

 んんとーに、

 日本共産党って、、ばかやろー♪ぺっ

 茶坊主、児玉龍彦なんて、、4兆円、除染サギだよ!!あほ

 ちゃんと、会計検査しろよ!!あほ

 4兆円、、保育所問題、マンガ喫茶4000人、貧困女子、、過重労働、、、

 赤旗、志位和夫 ←殺せ!! うさぎ♂ 朝麦6? ばか


http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/196.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK258] 京都でたった4人のヘイトデモを大量の警察官が守る異様な過剰警備! 差別批判や政権批判デモには弾圧を加える一方で(リテラ) 赤かぶ
19. 2019年3月14日 07:05:56 : rDmscMyVoc : c0liNkpDdHdueTY=[1]
警察は左翼嫌いは 嘘です 商売上の建前
共産党は大切なお客様 飯の種
本当に嫌いなのは市民オンブズマン
商売上の、最大の障害組織
しかも難敵、弁護士中心組織しかもバックに日本国民がついている
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/424.html#c19
コメント [政治・選挙・NHK258] <遂にタス通信が報じた!「正恩氏、近くロシア訪問準備」>そして、安倍首相ひとりになる  天木直人  赤かぶ
21. 2019年3月14日 07:08:39 : 9QLJwF5irk : dFJtdTBIQ0FNQ3M=[5]
どう見ても米朝会談が破談したので慌てて泥縄でプーチンに泣きつこうとしている
だけだし、プーチンもアメリカの武力行使に反対はするだろうけど、アメリカを
納得させる非核化を金正恩に約束させることはできない。
つまりせいぜい現状維持で何も変わらない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/407.html#c21
コメント [政治・選挙・NHK258] 驚き!安倍晋三が一晩に123万円の豪遊!   赤かぶ
3. むらまさ[14] gt6C54LcgrM 2019年3月14日 07:24:27 : TuhGXMSNbY : ZzZlOEk3YnVxMlk=[14]
サイコパスだな
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/461.html#c3
コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
83. 中川隆[-11455] koaQ7Jey 2019年3月14日 07:24:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[540]

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

1971年12月 永田洋子の怒り爆発(革命左派・榛名ベース)
https://ameblo.jp/shino119/entry-10887076486.html


 今回は、連合赤軍結成直前の革命左派の動向である。


 この時点でのメンバーを確認しておくと、共同軍事訓練 に参加したメンバーが、永田洋子、坂口弘、寺岡恒一、吉野雅邦、前澤虎義、金子みちよ、大槻節子、杉崎ミサ子、岩田平治の9名。参加しなかったメンバーが、尾崎充男、小嶋和子、加藤倫教(次男)、加藤元久(三男)、伊藤和子、寺林真喜江、山本順一の7名である。


 山岳ベースに入るきっかけは、指名手配されているメンバーが潜伏するためだったが、永田は合法部隊も呼び寄せていた。加藤倫教の「連合赤軍少年A」によれば、それは、獄中指導者の川島豪からメンバーを引き離す目的があったからだという。川島豪の獄中からの指示や批判に対し、永田は面白くなかった。そこで、永田はメンバーを目の届くところにおき、川島豪から引き離そうとしたというのである。


 さて、この記事でのポイントは、まもなく開催される12・18集会(上赤塚交番襲撃事件 の1周年記念集会)の段取りに不満を抱いた永田たちが、集会に乱入(?)を企てるところだ。このことが後に、連合赤軍の暴力的総括の遠因となる。


■1971年12月13日「大見得を切ってきた以上、共産主義化を獲得してもらわねば困る」 (永田洋子)

 指導部会議のため赤軍派の新倉ベースに残っていた永田と坂口が、完成間近の榛名ベースに戻ってきた。永田は赤軍派との指導部会議の内容をメンバーに報告した。


 4,5日すると永田、坂口の2人が榛名に帰ってきた。2人は全員を集め赤軍派との論議について説明した。「今回の共同軍事訓練の最大の成果は、両派が共産主義化による党建設という点で一致したことである」と報告し、それに関して革命左派が主導権を持って論議を進めたことが強調された。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 実際のところは、「指導部会議はほとんど森氏が主導した」(永田洋子・「十六の墓標(下)」)のだった。


 永田は、女性解放という観点から、組織内の女性が男性メンバーと同様に、重い荷物を持ったり小屋の建設に参加したり、武力闘争でも実行部隊に入ることなどを、男女平等の実現だと考えていた。

 また、女性メンバーが活動上、必要もないのに化粧をしたり、指輪などの装飾品を身につけたがるのは、「男に媚びる女性蔑視のブルジョア思想」とみなしていた。そして、革命戦争を闘うには、これらのブルジョア思想の克服が不可欠だと語った。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 永田の考える「女性解放」とは、「女を捨てて男並みになる」ということだったが、これが後に女性への暴力的総括の原因となってしまう (ちなみに、当時の女性解放運動は男並になればそれでよいというような単純なものではない)。


 同時期、ウーマンリブ運動の中心にいた田中美津は、永田について以下のように語っている。


 他の人、男や、権力や金を持つ人、自分より力のある人が求めるもの、求めるイメージを生きようとする限り、結局は化粧も媚び、素顔も媚びになってしまう、ということに永田は気がついていなかったと思います。永田がもし毅然としている一方で、私もイヤリングをつけたい、イヤリングつけて革命して何が悪いのヨって思っていたら、あの群馬県の山中での出来事は起きなかったかもしれない。
(田中美津・「かけがえのない、大したことのない私」)


 田中は、真岡銃砲店襲撃事件 のあと、永田に誘われて革命左派の丹沢ベースを訪れたことがある。このとき彼女は、革命左派に取り込まれることを警戒して、わざと戦士にふさわしくないミニスカートで行ったそうだ。


 永田はわれわれに、「赤軍派に対して、革命左派が離脱者の問題にぶち当たり、組織のメンバーが自己分析に基づいて自分の中に巣食うブルジョア思想と闘うことによって、革命戦争を闘う党建設を進めてきたと大見得を切ってきた以上、皆が自己を革命戦士化する『共産主義化による党建設』の地平を獲得してもらわねば困る」 と話した。

 こうした説明は、一部のメンバーを悩ませることになった。特に、共同軍事訓練への参加から外された者は、深刻だった。自らが皆より遅れているから外されたのだといわれたに等しい。そう受け止めていたからだ。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 共同軍事訓練は、赤軍派のメンバーが9名だったため、革命左派も人数合わせのために9名に絞ったいきさつがあった。


 そのあと、尾崎氏が沈痛な面持で、「上京して京谷さんと会う手はずをとったけど、京谷さんは待ち合わせの場所に来なかった。そのため12・18集会の準備さえどうなっているのか聞いてくることはできなかった・・・・・全く頭にきた」と報告した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 12・18集会とは、上赤塚交番襲撃事件(柴野が死亡)の1周年の記念集会である。京谷は救援対策で、獄中のメンバーとの連絡役をしていた。

 この日の夕食は、私と坂口氏が沢山買ってきた豚の脂身を入れた雑炊であったが、これは好評だった。皆は、「脂身は安くて豚肉の香りがして脂肪が沢山とれるのだから、これからはこういう肉をたびたび買おう」といっていた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 このころの食事は、押麦の雑炊に中国製アヒルの缶詰かサバの缶詰、採ってきた山菜が主なメニューだった。たまに即席ラーメンを食べる程度だった。豚肉の「香り」や「脂肪」で喜んでいるのだから、当時としても極貧の食事であった。後に逮捕され拘置所で出される食事で栄養回復したという話もある。


■1971年12月14日〜16日「私は山で産む」(金子みちよ)
 14日の朝、大槻と岩田が12・18集会のアピール文を持って上京した。永田は小嶋といっしょに小屋のスキマを新聞紙で目張りしたり小屋の建設を手伝った。


 小屋建設の間、永田は杉崎ミサ子、金子みちよ、寺林喜久江など、女性たちから異性関係のことや組織活動のことで相談にのっている。永田は下部メンバーの個人的な相談にも丁寧に応じるから、相談しやすかったようだ。そういえば、赤軍派の進藤や行方も、永田をよき相談相手としていた。


 永田は、吉野の子供を宿していた金子みちよに、「産婦人科に行ったらどう?」とすすめたが、金子は「私は山で産む」といって、産婦人科には行かなかった。


 革命左派の山岳ベースは家族雰囲気で、問題も起きるが、楽しそうでもあった。だが、それもこのあたりまでの話である。


■1971年12月17日「永田は聴き手の心を揺さぶった」(坂口弘)
 再び京谷に会いに行った尾崎が帰ってきた。尾崎の報告によると、これまでのように京浜安保共闘(革命左派の公然大衆組織)と革命戦線(赤軍派の公然大衆組織)の主催ではなく、革命左派と赤軍派の主催になっていたということだった。そして、京谷は獄中からのアピールを尾崎に渡すとさっさと帰ってしまったという。


 組織名について解説しておくと、革命左派も赤軍派も、逮捕者の救援活動など合法活動を行う表の組織が別にあった。革命左派の場合「京浜安保共闘」で、赤軍派の場合「革命戦線」だった。新聞では革命左派のことを京浜安保共闘と報じているが厳密には正確ではない。


 もっとも、メンバーは流動的だったし、山岳ベースに合流したので、どちらも同じと思っても差し支えない。だが、12.18集会の主催名については、組織名が問題にされたのである。


 獄中からのアピールを読んで永田は激怒した。川島豪(革命左派指導者)は挨拶程度の電報文であり、渡辺正則(死亡した柴野とともに上赤塚交番を襲撃)は、「爆弾闘争ひとつもしていないじゃないか」と指導部を批判するものだったからだ。


 そこで私は、これらのアッピールと京谷氏が指導部との打ち合わせを拒否し、独断で革命左派の主催として12・18闘争を準備したことと関係があると考え、さらに京谷氏は、獄中革命左派が銃の問題を理解せず獄外革命左派に批判的であることから、12.18集会の打ち合わせを拒否したのだ、12・18集会には銃の観点はない、そうであれば12.18闘争一周年記念集会は何の意味もないと判断した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 要するに、永田は、京谷が獄中幹部とグルになって、銃による殲滅線を封じ込めようとしている、と疑ったのだ。

 永田はメンバーを前にしてアジ演説を行った。彼女には独特のアジテーションの才能があった。


 夜になると彼女は、「革命左派の主催にされた以上、銃の観点を打ち出す集会にしなければならない。そのためには軍から代表を送り、銃の観点を打ち出す発言を勝ち取る必要があると思うがどうか」と提起した。全員が「異議なし!」と答えた。それで積極的に賛成した前澤虎義君と伊藤和子さんの2人が上京して集会に参加し、軍の発言を勝ちとることになった。

 永田さんの怒りには激越さがあった。ちょっと口に出した碇でも、内心では煮えたぎっている場合が多く、切っ掛けを得ると凄い勢いで爆発した。怒りを爆発させると雄弁家になり、相手を激しく攻撃したかと思うと、ホロリとするようなことも言って、聴き手の心を揺さぶった。意識的というよりも自然にやっているので、情感に訴えた。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 翌18日、前澤虎義と伊藤和子が12・18集会へ出発した。


 それにしても、革命左派を名乗ったのを口実にしてメンバーを送り込んだのは強引過ぎた。それは、集会を準備したK君らの苦労を考えず、まったく一方的にこちらの意思を押し付けるものだった。私は、この時も彼女を制しなかった。弁解めくが、彼女のアジ演説はなかなかのものだったのだ。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 そして、前澤と伊藤は忠実に責任を果たそうとした。ところが、この一件が後の暴力的総括の発端につながっていく。


■偶然集まった連合赤軍メンバー

 ここまでで、連合赤軍になるメンバーが出そろったわけだが、赤軍派にしても、革命左派にしても、連合赤軍になったメンバーは、志願したわけでも、選抜されたわけでもない。偶然そこにいただけである。


 逮捕された人とか、連絡がつかなかった人とか(当時電話はあまり普及してなかった)、山岳ベースに向かう途中ではぐれてしまった人とか、そういう人たちは、たまたまその場にいなかった。


 その場にいなかった者たちは、後日、あさま山荘の闘いをテレビでや新聞でみて拍手を送っていた。だが12名の同志殺害が発覚すると、その手は凍りついてしまった。自分がその場にいなかったのは偶然の成り行きでしかなく、彼らと自分を区別するものは何もなかったからである。


 一方、政治運動とは無縁の者にとっては、さしあたり異常者のレッテルを貼っておけばよかった。しかし後年になって、好奇心から当事者の記録を読むと、それではすまなくなった。彼らの常識や判断は、自分とさほど変わりがなかったからである。


 関係者であれ、部外者であれ、「自分と同じ」というのは都合が悪かった。自分も仲間を殺害できる人間だとは断じて認めたくない。彼らが異常者であってくれれば安心できるが、そうでないとすると、安心するための唯一の方法は、彼らがどこでどんな間違いを犯したかを見つけ出すことである。


 ここまでのところ、間もなく12名の同志殺害が起こる気配はない。しかし、実際に起こった。このあと彼らは、どこでどんな間違いを犯したのか、途中で引き返すことができなかったのか、という観点でみていくことにする。
https://ameblo.jp/shino119/entry-10887076486.html

1971年12月20日 森恒夫・坂東国男が榛名ベースへ
https://ameblo.jp/shino119/entry-10909393556.html


 森と坂東が、指導部会議のため、完成したばかりの革命左派の榛名ベースにやってきた。イラストは植垣がボールペンで描いたものである。


 (山の斜面に建てられた榛名ベース 「十六の墓標(下)」 植垣の作品)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-榛名ベース・外観


■「遠山らは総括した」(森恒夫)
 再会した森と永田は、互いに宿題の報告を交わした。永田は正直に「共産主義化の観点から革命左派の党史の総括をやってみたけど、できなかった」といったが、森は「遠山らは総括した」といった。森がいったことはウソである。遠山、進藤、行方の3名は総括できていないどころか、2軍扱いされるまでになっていた。


 雑談のあと、赤軍派からの状況を森同志が報告しました。12・18集会を皆で祝ったことなどを。しかし、このとき、進藤同志、行方同志、遠山同志達を「2軍」とし、この集会に参加させずに、銃の訓練を科していたことは報告しませんでした。いろりのまわりで私たちが集会を祝い、酒を飲んでいるとき小屋の片すみの土間で、銃をかまえていた同志達の姿が今も目に浮かびます。自分たちを「1軍」として祝うことのうちろめたさから、彼らのほうをそっと見ました。ときどきこちらをみては、頑張らねばという建前と、しかし納得できないという晴れ晴れしない表情で、再び銃を構えるというような情景にこれでいいのかと思いました。

 しかし、そんな弱音をはいてはだめだ。これに耐えていかねばならない、そんなことでは共産主義化もできないと自分にムチうつという感じでした。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


■坂東のアジテーション 「支離滅裂な内容だった」(坂口弘)
 革命左派のメンバーは歓迎の気持ちや決意を表明した。このとき、小嶋和子は「私の中にブルジョア思想が入ってくることと闘わなければならないと思っています」と述べたが、これがあとで問題になる。赤軍派の番になると、森は挨拶程度ですまし、坂東に代表発言を促した。


 坂東氏は身を乗り出すようにしてアジテーション調で相当長く発言したが、何をいっているのかよくわからなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 支離滅裂な内容で、何を喋ればいいのかわかってないようだった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 そのあと私が赤軍派を代表することになったわけですが、これは、「銃−共産主義化論」を未消化のまま、森同志のうけうりで、いいカッコしてアジテーション調にやったため、みんなわかりにくいなあという表情でしたね。素直に自分の感情を言うことは、何か価値の低いものでもあるかのように思っていたものですから、人間蔑視もいいところですよね。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 ずっと森の傍らにいた坂東でさえ、 「銃−共産主義化論」 をわかっていなかったのである。


■森恒夫の個人批判 「私はますます不愉快になった」(永田洋子)
 夜になると指導部会議が始まった。指導部は赤軍派が森恒夫・坂東国男、革命左派は、永田洋子・坂口弘・寺岡恒一・吉野雅邦である。指導部が会議を行う場所は、土間とカーテンで仕切られ、コタツが備え付けられていた。


 (榛名ベースでの指導部会議 「十六の墓標(下)」 植垣の作品)


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-榛名ベース・指導部会議


 森はまず小嶋発言を問題にし、「ブルジョア思想とは闘うべきなのに、自分の中に入ってくるというのはこの闘いを放棄したものであり、自己合理化だ」と批判した。このときから森は革命左派のメンバー個人個人を批判するようになっていたのだった。


 (森氏は)今度は他の革命左派の1人ひとりの評価を始めた。小嶋さんへの批判でいやな思いをした私は、驚き、ますます不愉快になり下を向いて目をつぶり、どうして森氏がこのようにいうのか考えながら聞いていた。森氏は金子さんを全面評価したが、それ以外の人、特に尾崎氏を軍人らしくないといって細かいことまで批判した。

 私は、革命左派の皆は頑張っており赤軍派にあれこれいわれることはないと思っていたので、腹が立った。しかし、森氏の批判に断固拒否することはできなかった。坂口氏らはどう思っているのだろうと思って、私は彼らのほうを見たが、彼らは姿勢正しくおとなしく聞いているだけだった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 共同軍事訓練のときからずっとそうだったが、森の批判に反論するのは、常に永田と寺岡の2人だった。坂口と吉野はただ黙って聞いていた。


 私は革命左派内における個々人の評価を表明することで、森氏の批判に反対した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 これでは、森の土俵に乗ってしまっただけである。もし永田が本気で個人批判をやめさせようとするなら、「革命左派内部のことに口をださないでよ」とピシャリと門を閉ざしておくべきだった。


■「今後は女性の問題についても関心を持つことにした」(森恒夫)

 個人批判の問題がひとまず終わったあと、森氏は、それの延長のようにして、「今後は女性の問題についても関心を持つことにした。これまで、関心を持たなかったのは自己批判的に考えているが、生理のときの出血なんか気持ち悪いじゃん。だから、そういうこともあったのだ。もうそれではやっていけないことがわかった」といい出した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 革命左派のメンバーには女性が多かった。そこで森は「今後は女性の問題についても関心を持つことにした」という。だが、生理のときの出血が気持ち悪いというように、森の「女性の問題の関心」とは、ちょっとズレているようなのだ。


 森の「女性の問題の関心」とは、どんなものだったのか。永田の冴えない反論も編集して紹介する。

森「女はなんでブラジャーやガードルなんてするんや。あんなもん必要ないじゃないか」
永田「ブラジャーやガードルが必要ないとはいい切れない。私もするときがある」


森「それに、非合法の女の変装で若い女の格好をし、化粧をしたり、都会の女の装いをするのはおかしい。農家の主婦の格好をすべきや。前々から僕はそうおもっていた。山を当面の拠点にする以上はこれは大原則だ」
永田「農家の主婦や娘の格好といっても、わからないのだからすぐにはできない」


森「どうして生理帯が必要なんや。あんなものいらないのではないか」
永田「出血量は人によるけど、どの人も必要だと思う」


森「今後、トイレで使うチリ紙は新聞紙の切ったものでいいんじゃないのか。チリ紙などもったいない」
永田「生理のときは必要だし、新聞紙では困ることもある」

(永田洋子・「十六の墓標(下)」 より編集)


 どうやら森は、女性の 「母なる身体」 に対し異物感を持っていることがわかる。ブラジャーや生理帯やチリ紙を排除したところで、何か問題が解決するのだろうか? 永田はどう思っていたのか。


 「今後は女性の問題についても関心を持つことにした」という森氏の発言は、明らかに女性の性そのものを否定した女性蔑視の観点を女性の革命戦士化の問題として持ち込むというものであった。しかし、それは、まず人間として生きることを掲げて、女性としての独自の要求をもとうとしなかった私の婦人解放の志向を徹底化させたものであったため、私は極端なことをいうと思っただけで、女性蔑視の観点そのものを批判していくことができなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 永田のいっていることもよくわからない。「女性の性そのものを否定」=「婦人解放の志向を徹底化させたもの」と解釈してしまうのは理解に苦しむところだ。


■毛沢東の評価 「森氏の展開を目の覚めるような思いで聞いた」(永田洋子)
 森は、「会議は徹夜でやろう」と張り切っていた。森は、中国の革命戦争と文化大革命の歴史的評価を通して、共産主義化の闘いを新たな次元に位置づけた。


 私は森氏の展開を目の覚めるような思いで聞いた。寺岡氏もほーうという感じでいたし、坂口氏、吉野氏も強い関心を持って聞いていた。私は、森氏が毛沢東思想を私たち以上にしっかりと理解していると思い、理論的指導者としての信頼の気持ちを深めた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 革命左派は毛沢東主義であった。この日、森が毛沢東思想を持ち出して、共産主義化を正当化してみせたのは、革命左派に影響されたともとれるし、そうすることによって、革命左派と取り込んでしまおうという意図があったともとれる。


 森の意図はともかく、直前まで森に対して不愉快だったり、何かおかしいと思っていた永田は、これでコロっとイカれてしまうのである。というより、それを望んでいたといった方がいいだろう。


私は睡魔に勝てず、うつらうつらしていたが、森君は相変わらず、独りで延々と喋りまくった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


雑談はその後も続いていたようであるが、私はいつの間にか眠ってしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 共同軍事訓練 のときもそうだったが森はタフなのであり、それが自分の意見を通す武器にもなっているようだ。


 初日の指導部会議は森のペースで終わった。この日のポイントは、ひとつは森が革命左派メンバーに対する個人批判を持ち込み、永田がそれを許してしまったことで、もうひとつは、赤軍派が毛沢東を評価したことで、革命左派に歩み寄ったことである。


 そして2日目の指導部会議で、いよいよ「われわれ」になるのである。
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1971年12月21日 われわれになった日
https://ameblo.jp/shino119/entry-10923576600.html

 前日、徹夜で森が中国の革命について語っていたので、この日の指導部会議は昼から始まった。


(冬へ向かう榛名山 「氷解」・彼らはこの景色をみて榛名ベースに入った)

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-冬へ向かう榛名山(「氷解」イラスト)


■「共産主義化の理論にすがりついた」(永田洋子)

 森は「三大規律・八頭注意」を共産主義化のモデルとすることを主張した。「三大規律・八頭注意」とは、毛沢東が制定した軍規である。


<三大紀律>
1.一切行動聴指揮(一切、指揮に従って行動せよ)
2.不拿群衆一針一線(民衆の物は針1本、糸1筋も盗るな)
3.一切?獲要帰公(獲得したものはすべて中央に提出せよ)

<八項注意>
1.説話和気(話し方は丁寧に)
2.買売公平(売買はごまかしなく)
3.借東西要還(借りたものは返せ)
4.損壊東西要賠償(壊したものは弁償しろ)
5.不打人罵人(人を罵るな)
6.不損壊荘稼(民衆の家や畑を荒らすな)
7.不調戯婦女(婦女をからかうな)
8.不虐待俘虜(捕虜を虐待するな)

 つまり、党建設の機軸を路線にではなく、作風・規律に置き、両派の路線の不一致のまま、路線問題の解決よりもその問題の解決を両派の共通の課題として優先させたのである。しかし、私はこれに確信をもった。


 それは、もともと革命左派が路線よりも実践を強調していたうえ、極左的な実践の限界に直面し、もはや理論性のないガムシャラな闘争精神だけではやっていけなくなったなかで、森氏の共産主義化の理論的主張に革命左派の非論理性を克服し、より一層前進を可能にするかのように思えたからである。


 もっと素直にいえば、極左的な武装闘争の推進を目的として掲げられた共産主義化の理論にすがりついたということである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田のいう「やっていけなくなった」ものとは何か、最後に考察してみる。


■「われわれになった」(永田洋子)


 森君は、「赤軍派と革命左派が別々に共産主義化を獲ち取るというようにするのではなく、銃と連合赤軍の地平で獲ち取っていくべきなのだ」と提起した。永田さんが直ちに賛成し、「それなら、われわれになったという立場から共産主義化の問題を追及していくべきじゃないの」と応じた。期待をこめた発言だった。

 森君はややあってから頷いた。こうして「われわれになった」こと、即ち新党の結成が確認されるのである。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 永田さんは、「われわれになった」ことがよほどうれしかったとみえ、会議の途中、土間のストーブの周りにいた被指導部メンバーのところへ行って、「われわれになった」ことを伝えた。そして、指導部のところへ戻ってきて、「われわれになったのだから、革命左派のメンバーを指導してほしい」と森君に慫慂(しょうよう)した。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

この「我々になった」という表現は、革命左派の被指導部の者にはすぐには理解できなかった。意味がわからずきょとんとしている者が多かった。(中略)

 永田は私たちの反応がないのを見て、「我々になったのよ。嬉しくないの。これから赤軍派と一緒に闘っていくことになったのよ」と再度「我々になった」ことを強調した。これを聞いて、やっと被指導部の者たちは拍手した。中には雄叫びのような声を上げた者もいた。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 これまでは、赤軍派と革命左派の軍事的連合という位置づけであったが、このときから、ひとつの党としてやっておくことになった。これを永田が、 「われわれになった」 といったのである。


■「坂東さんは伊藤さんと結婚したらどう?」(永田洋子)


 そのあと指導部会議は雑談的なものになった。森氏はこのとき、坂東氏に、「坂東はどうして結婚しないのだ。結婚しても闘っていくということが指導者に必要なのではないか」といった。(中略)


 私が、「我々になったのだから、坂東さんは伊藤さんと結婚したらどう?」というと、坂口氏も、元気のよい声で、「それはいい。ぜひとも結婚すべきだ」と賛成した。森氏も勧めた。(中略)


 坂東氏は、皆から勧められて、「本来、結婚するとすれば永田さんが一番良いということになるのだろうけど、もう相手がいるからダメだし・・・。ごめんね、おちょくって・・・」といって考えていた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田はさっそく伊藤に打診する。


 伊藤さんはもそもそした調子で私にいった。
「私は、日大全共闘の黒ヘルの人に行為を持っているから・・・」
「その人と結婚したいの」
「そこまでは・・・」
「もし、そうでないなら、坂東さんとの結婚を考えたらどう」
 私たちは夕食まで2人で話し合えばよいということにして、こたつを離れた。2人は何か話し合っていた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 まったく個人的感情を無視しているが、組織的に結婚させるというのは、革命左派の前身あたりから風習があったらしい。


■「もう永田さんと離れまいと思った」(森恒夫)
 夕食後、全体会議で、永田が、「われわれになった」ことを正式に報告した。そのあと永田に要請され、森が共産主義化と「われわれになった」ということの説明を行った。永田は森の演説を、 「うまいなー」 と感心して聞いていた。


 森氏は最後に、共同軍事訓練での遠山さん批判を評価し、「この時初めて永田さんを共産主義者と認めた。そのときから、もう永田さんと離れまいと思った」と笑いながらいい、私の方へ手を差し伸べた。また、森氏は、「革命戦士の夫婦として求められるのは永田さんと坂口君の場合だけであり、僕も含めてあとの者はそうとはいえない」ともいった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 このあと、被指導部の者1人ひとりが発言した。それらは、中国革命戦争の歴史に関心を寄せ、「我々になった」ということに期待するものであった。小嶋さんも同様のことをいい、さらに「二人のときに立ち会ってうれしかった」といった。この時、それまでオブザーバーのようにしていた森氏が、急に身を乗り出して、「ちょっと待った。そんなこと言ってよいのか」と強い調子でいった。小嶋さんはビクッとし、「良くなかった」と答えた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 小嶋がいった 「二人のとき」 とは印旛沼事件(向山・早岐の処刑) のことである。小嶋は運転手役をやらされていて、その後、精神が不安定になっていた。


 前日、森が小嶋を批判したとき永田は不快感を表したが、「われわれになった」この日はもはやそうではなかった。


 森はもともと革命左派を吸収しようとしていた。だから森は水筒問題 で革命左派を責めたてたのだが、永田は遠山批判 というカウンターパンチを放った。もし森がそのまま主導権争いを続けたら、また違った展開になっていただろう。森が遠山批判を認め、永田を持ち上げたからこそ、永田は森をリーダーとして受け入れ、両派の統合が一気に加速したのである。


 この日のポイントは、ひとつは「われわれになった」ことであり、もうひとつは、政治路線は棚上げにして、内部の作風・規律を重要課題としたことである。


■永田は何を「やっていけなくなった」のか、何に「すがりついた」のか?
 永田は、共産主義化の理論 をよくわかっていなかったといっている。にもかかわらす「すがりついた」とはどういうことだろうか。細かい話になるが、永田が「確信をもった」という理由を再度引用して、深読みしてみたい。


 それは、もともと革命左派が路線よりも実践を強調していたうえ、極左的な実践の限界に直面し、もはや理論性のないガムシャラな闘争精神だけではやっていけなくなったなかで、森氏の共産主義化の理論的主張に革命左派の非論理性を克服し、より一層前進を可能にするかのように思えたからである。


 もっと素直にいえば、極左的な武装闘争の推進を目的として掲げられた共産主義化の理論にすがりついたということである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 この文章で、「やっていけなくなった」ものは、普通は「闘争」と考える。しかし、そうだとすると、「ガムシャラな闘争精神だけではやっていけなくなったので、もっとガムシャラな闘争精神である共産主義化でやっていくことにした」というおかしなリクツになってしまう。そもそも共産主義化とは革命左派の「ガムシャラな闘争精神」を発展させたものだったのだから。
 
 ところが、「やっていけなくなった」ものは「闘争」ではなくて「メンバーの統制」のことだと考えると合点がいく。以前から、革命左派において、メンバーの間に反永田の気運が盛り上がっていた。印旛沼事件、中国行き提案など、永田指導部の方針には、常に批判や不満がつきまとっていた。


 永田指導部への批判は、永田や坂口が強弁によって押し切ってきた。それが限界になって、「理論性のないガムシャラな闘争精神だけではやっていけなくなった」のではないだろうか。つまり、「極左的な実践の限界」とは、「メンバーを統制しきれなくなった」ことだと思われる。


 永田はメンバー統制のために、理論が必要だと考えていた。そこに現れたのが森恒夫である。


 もし森が従来の赤軍派の理論である「前段階武装蜂起」や「世界同時革命」などをふりがざしていたら、永田は興味を示さなかっただろう。なぜなら永田が必要としていた理論は、組織の外側に向いているものではなくて、内側に向いているものだったからである。


 森の提唱した「共産主義化」は、まさに組織の内側に向き、個人の内側まで達していた。永田の理想としたフォーマットだった。つまり、「革命左派の非論理性を克服し、より一層前進を可能にするかのように思えた」というのは、「メンバーを強弁によって押し切るのではなく、共産主義化の理論で説得できることを期待した」ということになる。


 永田が「すがりついた」のは、共産主義化の「理論」ではなくて、共産主義化の理論の「フォーマット」である。だからわからないのにすがりつけるのである。


 よって、理論を操ることのできる森恒夫に主導権を渡すことは、さして抵抗がなかった。むしろ、メンバーの統制をより強固にするためには、そのほうが都合がよかったのだ。


 これは推論であり、正しいかどうかはわからない。だが、もし正しいとするなら、森恒夫と共産主義化の理論は、見事に永田の「期待」にこたえることになる。
https://ameblo.jp/shino119/entry-10923576600.html

1971年12月27日 赤軍派メンバーを榛名ベースへ召集せよ
https://ameblo.jp/shino119/entry-10999833991.html

 加藤・小嶋への殴打を紹介してきたが、特筆すべきは森の暴力の導入が、革命左派の榛名ベースで行われたことだ。赤軍派は、森と坂東と山田の3名だけで、いわば完全アウェーの中、革命左派メンバーの加藤能敬と小嶋和子を殴打したのである。


 そこには、森の強い意志が感じられるが、いざ、「高い地平」(森)に到達してみると、森は、新倉ベースに残してきた赤軍派メンバーの遅れが気にかかった。そして森の心は揺れ動くのである。


 南アルプスの新倉ベースでの赤軍派メンバーの出来事は、1971年12月 遠山・進藤・行方への総括要求(赤軍派・新倉ベース) を復習しておいてほしい。


 今回は、12月27日の夜の指導部会議の様子である。


■「南アルプスにいる旧赤軍派の者をどうするか?」(森恒夫)
 

 (森は)「南アルプス(赤軍派の新倉ベース)にいる旧赤軍派の者をどうするか?」と問うてきた。(中略)


 森氏は、さらに、「僕は加藤、小嶋をい殴ったあとだから、ここを離れることはできない。それにしても、南アルプスにいる者はここにいる者よりはるかに遅れてしまった。この差はかなりのものだ」といった。私は、これに対し実に簡単に、「それなら、榛名ベースに結集させ、共に共産主義化を獲ち取っていこう」と答えた。


 「遠山(美枝子さん)ら3名は総括できた」という森氏の発言を信じていたからである。私は、遠山さんらに厳しい総括要求が課せられていることをまったく知らなかった。そのため彼女らを榛名ベースに連れてくれば、暴力的総括要求にかけられるかもしれないという予測をすることはできなかった。私の発言に皆が同意した。

(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 そもそも、赤軍派の幹部(森・坂東・山田)が革命左派の榛名ベースにきたのは、新党結成のためのミーティングをするためであった。それが、とんとん拍子で、12月21日に新党に合意 したので、森が革命左派メンバーに対しても指導権を発揮するようになったのである。


 だから新倉ベースの赤軍派メンバーは、幹部の帰りを待っている状態だった。そこで、彼らをどうするか相談を持ちかけたわけだが、新党が結成されたのだから、合流されるのが当然である。


■「どこまで話すか?」(森恒夫)


 しかし、森の心は揺れ動いた。

 (森は)続いて、「どこまで話して結集させるか?」と問うてきた。私はすべて話すのが当然だと思い、「新倉ベースの人には、加藤、小嶋を殴ったことやその総括のすべてを話し、『共産主義化』による党建設」の同意を得て結集させるべきだ」と答えた。私は、すべてを話して同意を得ればおくれの差を生めることが出来ると思った。ところが森氏は、「そうか、すべてを話すのか」といって少し考え込み、「うん、そうしよう。すべてをそのまま話す」といった。


(中略・そのあと、具体的な段取りなどを打ち合わせたことが書かれている)


 この時、森氏は、私に、「遠山、行方、進藤をどうするか?」と聞いてきた。私は、意味が分からず、「どうして?」と聞いた。森氏は、強い口調で、「だってそうだろう。南アルプスの者ははるかにおくれてしまったのに、この3人は南アルプスの他の者より問題を抱えているのだ。榛名ベースの者からみれば総括できたといえないじゃんか」といった。この時、「遠山らは総括した」といったことが実は違うことを森氏はいわなかった。

(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 おそらく森が心配していたことは2つある。


 ひとつは、暴力のことまで話すと、総括中の3人(遠山・行方・進藤)が逃亡するのではないかと疑っていたことである。だから、「遠山、行方、進藤をどうするか?」ときいたのは、「3人の逃亡を防ぐにはどうするか」という意味だったと思われる。結局、3人については車で移動させることにした。


 もうひとつは、総括中の3人が榛名ベースに合流すると、3人とも暴力的総括要求を行わざるを得ないと憂慮したことだろう。加藤・小嶋への殴打を正当化し、理論化してしまった以上、3人に対しても断固とした対応をとらなければならない。


 森の歯切れが悪いのは、この時点では、さらなる暴力に対し、いくらか躊躇があったからであろう。だから永田に相談を持ちかけたのである。


 ところが、12月20日に森は永田に「遠山ら総括した」とウソをついていたので、永田は森の躊躇にまったく気づかなかった。


 だから当然の如く、総括中の3人も含めて召集することに決まってしまう。坂東と寺岡が迎えに行くことにし、山本順一が車の運転をしていくことになった。


 そして、坂東たちが彼らを連れてくる頃には、森は、断固とした態度で臨むことを決意しているのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-10999833991.html


1971年12月29日 女の革命家から革命家の女へ
https://ameblo.jp/shino119/entry-11019219390.html

(金子みちよ(左)と大槻節子(右)は、理不尽な批判にさらされていく)


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-金子みちよ顔写真  連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-大槻節子顔写真

■12月29日時点の連合赤軍メンバーの状況 (榛名ベース)

−−− 指導部 −−−
森恒夫  (赤軍)
永田洋子 (革左)
坂口弘  (革左)

坂東国男 (赤軍) 赤軍派メンバーを迎えに新倉ベースへ
山田孝  (赤軍)
寺岡恒一 (革左) 赤軍派メンバーを迎えに新倉ベースへ
吉野雅邦 (革左)

−−− 被指導部 −−−
金子みちよ(革左)
大槻節子 (革左)
杉崎ミサ子(革左)
前澤虎義 (革左) 中村愛子を迎えに上京
岩田平治 (革左) 中村愛子を迎えに上京
山本順一 (革左) 赤軍派メンバーを迎えに新倉ベースへ
山本保子 (革左)
小嶋和子 (革左) 逆エビに緊縛され総括中
尾崎充男 (革左) 立ったまま総括中
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)
加藤能敬 (革左) 柱に緊縛され総括中
加藤倫教 (革左)
加藤三男 (革左)


 夫婦関係にあるカップルは、永田洋子と坂口弘、寺岡恒一と杉崎ミサ子、吉野雅邦と金子みちよ、山本順一と山本保子の4組であった。山本夫妻を除いては、法的な婚姻ではなく、組織が認めた「夫婦関係」である。加藤能敬と小嶋和子は、組織に認められていなかったので、「恋人関係」にとどまっていた。


■「どうして美容院でカットしてきたんや」(森恒夫)

 指導部会議を終えてから、森氏は大槻さんから買い物の報告を聞いたが、その時、大槻さんが髪をカットしたことを知ると、「山でパーマをかけると決め美容院にパーマの道具を買いに行くようにいったのに、どうして美容院でカットしてきたんや。これは問題だぞ」と批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 その後、森は杉崎ミサ子を指導部のこたつのところに呼んで深刻そうに話し込んだ。その間、永田は手洗いに立ち、金子や大槻と雑談をしてから、指導部のこたつに戻ったが、森と杉崎はまだ話し込んでいた。

 しばらくすると、杉崎さんは、「寺岡さんと離婚し、自立した革命戦士になる」といった。森氏はこれを評価し、私や坂口氏に伝えた。私は冗談じゃないと思ったが、自立した革命戦士になるという以上反対できずに黙っていた。


 このあと、大槻さんが「星火燎源」を読んでおり、秋収蜂起から井岡山への闘いに関心を持っているというと、森氏は、「知識として読んでいるにすぎない」といった。私は欲理解できず、「えーっ」といった。森氏は、「美容院でカットしてきたのは何だ!」といったあと、強い調子で、「知識!知識!」と批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「あぶり出しをしているかのようだった」(加藤倫教)
 夕食後、全体会議が開かれた。

 加藤倫教は、全体会議に参加する気持ちを次のように述べている。

 まるであぶり出しをしているかのように、毎晩毎晩の発言の中で、幹部たちの、特に森、永田の気に入らないような発言をしてしまった者が、次の標的にされいくように感じられた。(中略)


 物言えばやられるのだが、物を言わないわけにはいかない。それもどのように言えば森や永田に認めてもらえるのか、誰にも分からなかった。何が基準なのかわからない「総括」要求と暴力に、森と永田以外のものは怯えていた。


 私も怯えていたが、永田は、私や弟のことをまだ一人前の構成員とはみなしていないようだった。いわば子ども扱いされていたのであり、そのおかげで「総括」させられることもなかったのである。


 その恐怖心をかろうじて押さえ込んでいたものは、革命を実現するためには、「銃による殲滅戦」を行うしかないという信念、それだけだった。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 全体会議といっても名ばかりで、実態は、指導部の方針の伝達と、それに対して決意表明を行う場だった。そのときの決意表明が、「総括」するかどうかのリトマス試験紙になっていた。森や永田が気に入らなかったらおしまいというのは、メンバーの証言が一致している。


 指導部の方針は指導部会議で出されるが、それも名ばかりで、森の問題提起に対して承諾を求められ、民主的な装いをあたえる機関でしかなかった。


■「女の革命家から革命家の女へ」(森恒夫)


 全体会議の参加者はいつもより大分少なかった。メンバー状況からわかるように、被指導部のメンバーは加藤兄弟以外は女性ばかりであった。


 全体会議では、杉崎が「自立した革命戦士になるために、寺岡さんと離婚します」と宣言した。これが森と杉崎の話し合いで出された結論であった。

 森氏が、「女性兵士が自立した革命戦死になるということは、『女の革命家から革命家の女へ』ということだ。杉崎さんの離婚表明は革命家の女になるものだ」といって、杉崎さんの離婚を評価した。しかし、森氏は、『女の革命家から革命家の女へ』ということがどういうことなのか説明しなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 当時、リブ運動に、「抱かれる女から抱く女へ」というスローガンがあり、森はそのフレーズを意識していたのではないだろうか。

 その後も発言が続いたが、金子さんの番になると、彼女は、「私も、自立した革命戦士になるために、吉野さんと離婚します」と発言した。


 これを聞いて、私は杉崎さんのとき以上に驚きあわててしまった。私は、「金子さんは杉崎さんと違うのだから離婚する必要はない。離婚しないでもやっていけるし、自立した革命戦士になれる」といった。金子さんは黙ってしまったが、離婚表明は撤回しなかった。(中略)


 森氏は、私の反対に何もいわなかったが、のちに、金子さんの離婚表明への批判を独自の観点から行っていくのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 大槻は、「革命家の女になるために努力する」と発言した。

 森氏が、半ば私に、半ば全体にいう感じで、「美容院に行ってカットしてきたことも自己批判ぜず、女の革命家から革命家の女になるために努力するということが許されるのか」と批判した。森氏は終始一貫して大槻さんに批判的であった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「少し休ませてください」(尾崎充男)


 会議の途中に、尾崎君が指導部のいる炬燵に向かって歩いてきて、「少し休ませてください」と言った。森君は怒って、「おとなしく立って総括しろ!」と叱りつけた。尾崎君は、一旦、土間の側に戻って立っていたが、しばらくするとまた炬燵のほうにやってきた。


 森君はかんかんに怒り、その場で、「眠らずに総括しろ!」と言って、尾崎君に大きな試練を課した。尾崎君は、肉体的苦痛が大きすぎて、抑制の利いた行動が取れなくなっていたのだと思う。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 この日の夜、森の指示で吉野が尾崎の見張りにつくことになった。


■「革命家の女」になるには、女を捨てなくてはならない


 永田は、「女の革命家から革命家の女へ」という言葉を受け入れたが、理論的には消化しきれずにいた。だから、離婚宣言に対して、杉崎については承認し、金子については引き止めるという中途半端な対応になった。


 「女の革命家から革命家の女へ」 というのは、 言葉通り受けとめれば、「女である前にまず革命家であれ」 ということだ。そういう意味なら、革命左派の女性たちは、とっくに 「革命家の女」 だった。以前から、女だから、などという意識はなく、あたりまえのように男女の区別なく活動してきたのである。


 ところが、森の問題意識は異なっている。12月20日 に、森は、「今後は女性の問題についても関心を持つことにした」といったが、その内容は、女性の身体や装着品についての問題提起だった。森の理想とする 「革命家の女」 になるには 、 女を捨てなければならないのだ。


 永田は、森の女性蔑視的発言に反感を抱きつつも、その後の女性メンバーへの総括要求では、森の側に身を寄せた。その動機はともかくとして、女らしさを粉砕しなければならない、という点については、永田も一致していたのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11019219390.html


1971年12月31日 「敗北死」の踏み絵
https://ameblo.jp/shino119/entry-11046343463.html

 前回は、尾崎充男が死亡し、森が「敗北死」と規定した。今回はその続きとなる。


■メンバーの状況(12月31日夜・榛名ベース)
【指導部】
森恒夫  (赤軍)
永田洋子 (革左)
坂口弘  (革左)
山田孝  (赤軍)
坂東国男 (赤軍) 新倉ベースから戻る
寺岡恒一 (革左) 新倉ベースから青砥と東京へ
吉野雅邦 (革左)

【被指導部】
金子みちよ(革左)
大槻節子 (革左)
杉崎ミサ子(革左)
前沢虎義 (革左)
岩田平治 (革左)
山本順一 (革左) 新倉ベースから戻る
山本保子 (革左)
小嶋和子 (革左) 逆エビに緊縛され総括中
中村愛子 (革左)
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)
加藤能敬 (革左) 柱に緊縛され総括中
加藤倫教 (革左)
加藤三男 (革左)
進藤隆三郎(赤軍) 新倉ベースから合流
遠山美枝子(赤軍) 新倉ベースから合流
行方正時 (赤軍) 新倉ベースから合流

【死亡者】
尾崎充男 (革左)12月31日 敗北死(殴打による衰弱、凍死)


■「女性とばかり話している」(森恒夫) 「髪を切る必要を全く理解していない」(永田洋子)
 坂東に連れられて、新倉ベースからやってきた赤軍派の進藤、遠山、行方の3名は、榛名ベースの小屋に入るなり、尾崎、加藤、小嶋がたれ流し状態で柱に縛りつけられている光景を目にしてしまった。


 彼らは総括要求されている最中だったから、心中穏やかでいられるはずはなかった。3人は森に挨拶にもいけなかった。


 坂東は、森に3名について報告をした。坂東の手記では、3人とも総括できたと肯定的に報告したことになっているが、坂口の手記では、3人に不利な内容が報告されたことになっている。どちらにしても、森は3人を最初から冷たい目でみていたから、坂東の報告はほとんど関係なかったと思われる。


 森は、「進藤は戸口を気にしている。逃げようとしている」、「進藤と行方は、女性とばかり話している」、「行方は総括のことより、自分に出された指名手配書を気にしている」などと、さっそく批判を始めた。

 森氏のこの批判は、・・・(中略)・・・実にめちゃくちゃなものであった。あまりにもひどいものだったため、私たちは同意しなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 しかし、永田は永田で、遠山をみて、「髪を切ったとはいえ、前と同じ服装であり、非合法の為に髪を切る必要を全く理解していない」としっかり批判している。山を降りてないのだから、服装が同じなのは当然である。


■「みんなにこのことを知らせるか?」(森恒夫)
 森は、尾崎の死について、指導部に対しては「敗北死」ということで始末をつけたが、被指導部のメンバーへの対応については、弱気な面をのぞかせた。

森「みんなにこのことを知らせるか?」
永田「みんなに知らせるのは当然だ」
森「そうか。それではそうしよう」
森「誰が全体に報告するか?」
全員「・・・・・」
森「永田さんにやってもらおう」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」より抜粋)


 森は自分からは言いたくないようである。

 永田さんは、向山君と早岐さんの殺害と一緒に全体の前に報告すべきだと主張したが、森君はこの提案に躊躇した。しばらく考えてから彼は、前沢君と岩田君の2人に、早岐、向山殺害の事実を教え、しかる後に全体の前に報告しようとする代案を出した。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 森、坂口、吉野は前沢と岩田を小屋の外によんだ。

 ここで森君は、「尾崎はわれわれが殺したのではない。敗北主義を総括し切れなかったために自ら死を選んだのである」と説明した。この時、私は、全身が汚辱にまみれ、下等な人間に転落していくのがハッキリとわかった。

 続いて彼は、早岐、向山を殺害した事実を明らかにした。岩田君は、「たぶんそうだと思っていました。自分は異議ありません」と言った。私は、革命左派の責任で行った殺害行為が、赤軍派の森君によって語られたことに、非常に惨めな気持ちになった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

 どうして森氏が2名の処刑を全員に話すことに反対し、前沢氏、岩田氏には話すといったのか、どうして尾崎氏の死を全員に話すことを始めはためらい、さらに自分が行うことは避け、前沢氏らには自分が話すといったのか、私にはわからない。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 おそらく、森は、尾崎の死に際して、誰よりも動揺していたし、誰よりも責任を感じていた。全員(ほとんどが革命左派メンバー)に「敗北死」が通用するかどうか、自信がなかったのではないだろうか。


 メンバーには隠しておこうとも考えたが、永田にピシャリと否定されたので、革命左派のリーダーである永田の口から説明してもらうようにしたのだろう。


 遺体を埋める作業を手伝わせるため、森は、岩田と前沢の2人には、すべてを話した。もっとも信頼できる2人を選んで、森の言葉が2人に通用するか確かめたのだと思われる。逆にいえば、他のメンバーには信頼をおいていなかったということである。


 しかも、このとき、坂口と吉野を同席させて、数的優位をつくった上での説明であった。このように森は、小心な面が顔をのぞかせることがある。

 私は、みんなが尾崎の死でびっくりしたりショックを受けたりして食事ができなくなるようではいけないから、全体会議ではパンとコーヒー、コンビーフの缶詰で軽い食事をしよう」と提案した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 普段は、麦の雑炊しか食べてないので、パン、コーヒー、コンビーフは、たいへんなご馳走だった。要するに、ニンジンをぶらさげて、敗北死を認めるように迫ったわけだ。


 尾崎の遺体は、坂東、吉野、前沢が小屋の近くに埋め、山田と岩田が、加藤と小嶋を小屋の外に出した。尾崎の死を聞いてショックを受けないようにするためということだった。


■「尾崎は自ら敗北の道を辿って死んでいった」(森恒夫)

 全体会議が始まった。始めに永田さんが、「尾崎が死にました」と報告した。全員がしーんと静まり返った。彼女は、命をかけて共産主義化を勝ち取っていかなければならないことを強調し、「加藤、小嶋に敗北死させないように必ず総括させよう」と言った。全員が、「異議なし!」と答えた。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

 続いて森君が尾崎君の死を総括して、おおむね次のような発言をした。


「尾崎は、われわれの厳しい共産主義化の闘いの中で、最終的にこの闘いに勝利しきれず、自ら敗北の道を辿って死んでいった。われわれにとって共産主義化の獲得こそが党建設の内実であり、これを獲得するためには各個人の文字通りの命がけの飛躍が必要である。こうしたことをなし切れなかった尾崎の死は、共産主義化の獲得(=党建設)というわれわれが初めて直面した高次な矛盾であるが故に、この現実を厳しく直視しなければならない。だから彼の敗北死を乗り越えて前進する決意をわれわれ自身がより固めていかなければならず、食事が摂れないというようなことがあってはならない」
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 「高次な矛盾」とはいったいなんだろう。森はこの言葉を、都合が悪いときの言い訳として使っているような感じだ。


 「自己批判書」には以下のように書かれている。

 この事(前沢と岩田に敗北死の説明をしたこと)は、私自身が尾崎君の死を暴行によるものではないかと考えた事を”命がけの”飛躍という事によって合理化し、又、肉体的暴行、食事なし、寒気という異常な条件に対する指導という意味での慎重な配慮を為さなかった為に死なせてしまった事を省みず、死の責任を一方的に押しつけるものであったし、更に、その事実を食事云々ということで他のメンバーに対する踏絵にし前記の誤りの承諾を強要したものであった。
(森恒夫・「自己批判書」)


 「自己批判書」は、他の人の手記と違って、逮捕直後にかかれている。つまり、山岳ベースの熱が醒めないうちに書いているのだが、「敗北死」などとは思っていなかったことがわかる。


 永田はどう総括しているかと言うと、

 もし、暴力を制裁、報復と位置づけていれば、尾崎氏の死の原因が暴力にあったことを認めざるを得ないが故に、「敗北死」という総括が出てくることはなかったと思う。


 しかし、共産主義化の思想それ自身、すべての問題の原因をまず路線や指導に求めるのではなく、個々人の資質や性格に求めていくものであったのであるから、「敗北死」という総括は暴力的総括要求の論理の必然的結論だったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 そ、そうなのかっ!?
 「死者が出た以上、暴力を援助と規定したことがそもそもの誤り」とするのが、「必然的結論」ではないだろうか。


■「尾崎の死は鴻毛のように軽い」(岩田平治)


 全体会議では、例によって決意表明が行われた。

 私は驚愕した。同志の死を「敗北死」で片付けて、悼む姿勢すら見せないことが信じられなかった。それどころか尾崎の死を受けて、再び出席者全員による総括と決意表明が行われたのである。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)

 皆の発言には、「敗北死」という総括に反対するものはいなかった。本当に敗北死だとか、尾崎氏は日和見主義だとか、自分は頑張っていくといった発言が相次いだ。


 遠山さんは、「私は絶対革命戦士になるんだと決めてきた」と発言した。岩田氏は、「毛沢東は『死にも泰山のように重いものと鴻毛のように軽いものがある』といっているけど、尾崎の死は唾棄すべき軽いものだ。僕は革命戦士として泰山のような重い死に方をしたい」と表明した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 この岩田の発言は、森に気に入られた。岩田は、これまでも積極的に森に迎合した発言を行っていたが、しかし、内心では冷静に事態をみつめていた。なぜわかるかというと、彼は脱走者第一号になるからである。


■「小嶋は総括しようとしている態度ではない」(金子みちよ)

 各自の発言が続いている最中、金子さんが見張りから戻ってきた。金子さんは、指導部のところに来て森氏に、「とり肉とミルクをやったら、加藤は黙っておとなしく食べたけど、小嶋は食べたあと『また、あとでちょうだいね』といった。小嶋は総括しようとしている態度ではない」と報告した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 金子は、尾崎に決闘をさせたときは否定的だったが、ほかの「総括」にはむしろ積極的に関わっていたのである。

 小嶋さんは敵対的な態度をとっている私たちに同志としての態度を期待したばかりか、苦痛を強いる暴力的総括要求に圧力に屈しない自主性を持ち続けていたのである。ところが、私たちは、こうした小嶋さんの態度を総括しようとしない態度と決めつけたのである。

(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■踏み絵を踏んだ日


 尾崎の死は、暴力的総括から引き返す最大のチャンスだった。


 暴力に関わった者が自分の殴打によって尾崎が死んだと思い、動揺していた。それは森も同じだった。もし、森が、直後に「敗北死」といわなかったら、12名もの同志殺害はなかったはずである。


 尾崎の死が確認された直後の数分間で、森は「敗北死」という、実に効果的な言葉を創出した。「共産主義化」をイデオロギーに、入り口を「殴ることは指導」「殴ることは援助」で暴力に参加させ、出口を「敗北死」で完結させ、ステージを先へすすめてしまったのである。


 森は責任逃れの方便であることを自覚していたし、ほかのメンバーもそれはわかっていた。その証拠に、後に逮捕され、同志殺害を追求されたとき、誰一人として、「敗北死」などといわなかった。罪悪感から逃れるために、「敗北死」にすがりついたのである。


 「敗北死」の理論がまかり通ったのは、外部と遮断された閉鎖空間だったからである。もし、外部とつながっていれば、外部からの圧力によって指導方法が見直されたにちがいない。さらに悪いことには、指名手配者が多かったため、遺体を家族に返すこともなく、秘密裏に埋葬することになった。


 結局、「敗北死」の踏み絵を踏んでしまった以上、メンバーは、贖罪意識を背負って、尾崎以上に頑張り、革命戦士をめざすしかなくなった。途中下車という選択肢は、森によって、「山を降りる者は殺す」と出口を封じられていた。


 この日、榛名ベースに合流した進藤、遠山、行方の3人は、驚くことばかりであったが、次に、おのれにふりかかるであろう総括を考えると、心穏やかでいられるはずはなかった。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11046343463.html


1972年1月1日 進藤隆三郎の「敗北死」
https://ameblo.jp/shino119/entry-11050330760.html


(進藤隆三郎は榛名ベースに殺されに来たようなものだった)

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-進藤隆三郎顔写真


進藤隆三郎(享年21歳)


【死亡日】 1972年1月1日
【所属】 赤軍派
【学歴】 日仏学院
【レッテル】 ルンペン・プロレタリアート、不良
【総括理由】 金めあての闘争参加。女性関係。逃亡の意思。
【総括態度】 「縛ってくれと言えば、殴られないで済むと思ったら大間違いだ!」
【死因】 殴打による内臓破裂


(加藤能敬と小嶋和子は外に出され、立ち木に縛られた)

連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-木立に縛られた加藤・小嶋

※横になっているのは見張りの山田孝と岩田平治


■「山谷物語を聞いてるんじゃない!」(森恒夫)


 全体会議は72年の1月1日に入っても続いたが、正月を迎えるような雰囲気ではなかった。全員の発言がすむと、森氏は進藤氏を批判し始めた。森氏の批判は激しく攻撃的なものだった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 進藤は、山谷や寿町の寄場で、暴力団手配師との闘争などをしていたところ、寿町で植垣と知り合い、赤軍派のシンパとして活動を共にするようになった。M作戦(銀行強盗) を行う頃には、持原好子と一緒に生活していた。森は精神的に消耗した持原への処刑命令 を出すが、実行されずにすんでいた。


 植垣によれば、進藤は、一緒に活動しているだけで、赤軍派メンバーという意識も薄かったとのことだ。そのため、森に対するリスペクトも少なく、従順というわけではなかったようである。森はそれが気に入らなかったであろう。


 森の進藤への批判は、闘争よりもむしろM作戦(銀行強盗)のために赤軍派に参加したこと、ルンペン的であること、持原との関係で自分も処刑されるかと思ったと話していたこと、などであった。


 進藤は、つきつけられた問題を1つ1つ、重苦しい感じで答えていった。

 私は寝ることを森氏らに断って、被指導部の人たちの後ろに行き、シュラフに入ってすぐ寝てしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 このやり取りの中で、森君が、「山谷物語を聞いてるんじゃない」と言って、進藤君の話をさえぎろうとすると、進藤君が、「自分が階級闘争に関わったのは山谷だから」と言って、なおも山谷を中心とした活動を話そうとした場面があった。森君に逆らって自分の意思を押し通すなどということは、容易に出来ることではないので、これは印象深い出来事であった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


■「縛ってくれ」(進藤隆三郎)
 討論は未明まで続き、森は進藤に最終的にどう総括するのか問い詰めた。

 すると進藤君は自分から、「縛ってくれ。自分はその中で総括する」と言った。この言葉は、進藤君の最大限の誠意の表れだった。ところが森君は、「縛ってくれなどと言うのは甘えた態度だ。われわれの方で君を縛って総括を求める」と言って、これをけった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

 森君は、われわれ指導部のものに向かって、進藤君を全員で殴打することを提起した。この時、尾崎君のときの殴打に触れ、「ひざで殴ったのはまずかったかも知れない。今度は死ぬ危険がないように手で腹を殴って気絶させよう」と言った。これは森君自ら”敗北死”のペテンを認めるものに他ならなかった。(中略:坂東に命じて縛らせる)

 それがおわると、非常に厳しい口調で、「みんなに殴られて総括を深化しろ!」と進藤君に向かって言った。(中略)
 「自分から縛ってくれと言えば、殴られないで済むと思ったら大間違いだ!」
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

 どれほど眠っていたかわからないが、ドタドタという足音が耳元にし私は驚いて起きた。皆は血相を変えて森氏のあとを追い、森氏と進藤氏を取り囲むところだった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森がものすごい勢いで7〜8発、続いて山田、坂口、吉野が、腹部を殴った。進藤は、「総括します。分かりました」と言っていたが、やがて失禁をした。


■「革命戦士になるためにこんなことが必要なのか!」(進藤隆三郎)

 しばらくすると彼は、思い余って、「何のためにこんなことするのか分からない!革命戦士になるために何でこんなことが必要なのか!待ってくれ!」と叫んだ。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

 「こんなことで本当に総括といえるのか?」といわれたときには、心臓がドキドキしました。彼のいうことに答えきれる内容があるのか? そんなことを考える自分はやはり森同志のいうように甘いのかもしれないなど、自分にこだわり、自分の頭の中だけが忙しいだけでした。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 森は、「自分で考えろ!」と突き放した。指導部が殴り終えると、下部メンバーが進藤を殴った。吉野の証言によれば、永田が下部メンバーに殴るようにいったそうである。

 女性メンバーに殴られたとき、進藤君は首を垂れて、「有難う」と言った。すると森君は叩きつけるように、「甘えるな!」と言い、女性メンバーに代わって進藤君の腹部を数発立て続けて殴った。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


■「私には殴れない」(遠山美枝子)
 森は、行方と遠山にも殴るように指示した。彼らは殴れないでいたのである。

 行方氏は森氏にいわれてすぐ殴ったが、その殴り方は森氏ら男の人たちが殴ったときのような激しさはなかった。(中略)


 続いて遠山さんも殴ろうとした。しかし、殴ろうとした遠山さんは、その途中で森氏を見上げて、「私には殴れない」といった。皆は黙っていた。森氏は、「殴れ!」と強い口調でいった。遠山さんは必死の面持ちで進藤氏を数回殴った。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 坂口によれば、遠山が殴れないでいると、メンバーは口々に「だらしがない」といって非難したそうである。

 そのうち、私は進藤同志の腹が赤くなっているのに気づきました。同じくらいに森同志も気がついたようでした。森同志は私を呼んで「大丈夫か?」といくらか心配そうにいい、私の方は、「わからないけど、早く気絶させるか、やめたほうがいいと思う。ミゾおちなら早く気絶するかもしれない」といったのです。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)

 一体、何順しただろうか。このときの殴打もたまらなく長く感じた。終わりの方になると、進藤君の腹部は、赤色のかなりの部分が鮮やかな緑色に変色した。目も当てられぬ惨状であった。多分、内臓破裂したのだと思う。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


■「もうダメだ」(進藤隆三郎)
 森によれば30分ぐらいたったところで、中止の指示を出し、外の木立に縛っていくように命じた。

 私、坂東君、山田さん、吉野君等で、進藤君を支えながら、加藤君たちを縛ってある木の近くに連れて行った。この時、進藤君は、喘ぎながら、「自分で歩いていきます。大丈夫です」と言った。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 しかし、進藤は途中で力尽き、自分で歩けなくなってしまった。

 この時、私は、「進藤は芝居をしているんだ!」と彼に罵声を浴びせた。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 坂東も、甘えていると腹をたてた、と証言している。

 そのあと指導部会議が開かれた。森は進藤への批判を再確認するように繰り返した。、

 指導部会議を続けていると、岩田氏が、小屋に駆け込んできて、「進藤が、立ち木に縛られてしばらくして、『もうダメだ』といって死んだ」と報告した。私はびっくりしてしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 森君は極めて冷静にこの報告を聞いた。私も冷静であった。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)


 坂口によれば、報告したのは岩田でなく山田ということになっている。


■「敗北死や」(森恒夫)

 森氏は、進藤氏の報告を聞くと少し考えていたが、


「敗北死や。縛ってくれといえば縛られないと思ったことが見破られ、殴られて縛られたことから共産主義化の為に闘う気力を失ってしまったんや。だからこそ、『もうダメだ』といったあと死んだんや。『もうダメだ』という気力がある位なら、共産主義化のために努力し共産主義化を獲ちとることができたはずや」


といった。この森氏の総括に、私はたしかにそうだと思った。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は本当にそう思ったのかもしれないが、「敗北死」はもちろんペテンであった。

 私自身、尾崎君の時以上に彼の死が殴ったことに原因するのではないかということを考え、腹部を強く何度も連続して殴るとそのときはすぐに肉体的に表に出なくても致命的な痛手を与えることになるので、今後は絶対そうしないでおこうと思ったりした。

(森恒夫・「自己批判書」)


■「進藤氏は榛名ベースに殺されに来たようなものだった」(永田洋子)


 指導部会議のあと、全体会議を開いた。このときも森の求めに応じて永田が説明した。

 続いて森が進藤への批判を繰り返したが、女性が殴ったのに対し、「ありがとうございます」といったのは、女性をバカにしたものだ、という批判も行った。非指導部のメンバーも、進藤に対する怒りの空気が充満していたようだ。

 こうして、進藤隆三郎氏は、私自身でさえ、なんだかよくわからないうちに榛名ベースで1日もたたずに、暴力的総括によって「殺害」された。進藤氏の死は、腹部への激しい殴打による肝臓破裂だったのである。進藤氏は榛名ベースに殺されに来たようなものだった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 こうして、同志を信頼せず、同志を自分のことのように考えきれず、おくれた人間として考える私のあり方が、榛名ベースに来て一日もたたずに、殺す事態をもたらしたのです。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)

 死の予感を抱きながら榛名ベースにやってきた進藤君の胸中は察するに余りある。殴打中の進藤君は、驚嘆すべき強靭な生命力を発揮し、その叫びは、総括を求めるわれわれの愚劣さと残酷さを厳しく告発していた。
(坂口弘・「あさま山荘1972(下)」)

 同志に対する暴力への抵抗は消えていなかったが、「暴力=援助」論 に明確な反論ができない以上、幹部の指示に従わないわけにはいかない。否、むしろ指示がなくとも積極的に振舞わなくてはならない。そんな相反する気持ちの中で、自分は弟とともに最下位の兵士なので、それほど積極的に振舞わなくても大目にみられるだろうとも考えていた。そこで、同志を殴らざるを得ない場合も、強すぎもせず、弱すぎもしないように殴るという態度を取ることにした。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)

 進藤君の努力を認識しつつも、人間的な感情を押し殺し、共産主義化の戦いの厳しさをのみを観念的に拡大していき、その論理に安住することによって、現実や実際的な人間的感情と乖離していった。私のこうした過程が、ほかのメンバーに巨大な影響を与え、彼らの精神的荒廃をもいたらすまでになっていたのである。
(森恒夫・「自己批判書」より筆者が要約)


■出口のない「総括」と「未必の殺意」

 進藤は榛名ベースに到着したばかりで、新たに批判されるようなことはしていない。つまり、赤軍派時代の批判 がそのまま繰り返された。


 赤軍派時代は、「銃−共産主義化」論 に基づいて、銃の訓練をする程度だったのだが、森のものさしが変わってしまったため、ここでは暴力的総括にかけられたのである。ということは、森にしてみれば、進藤・遠山・行方を榛名ベースに呼んだ時点で、暴力を加えることは、規定路線だった。それゆえ、3名を榛名バースへ呼ぶことを躊躇 していたわけだ。


 革命左派メンバーにとっては、進藤への批判は何もわからなかったはずだが、積極的に関わることが共産主義化に必要なことと信じ、進藤を殴ることにためらいはなかった。このあたりは、新たに参加した赤軍派のメンバーと、はっきりとした心理的対比をなしている。


 坂東は、進藤・遠山・行方を「3人とも総括できている」といって榛名ベースにつれてきた張本人 なのに、かばう気配もなく、森の批判に同調し、進藤を殴っている。このあともそうだが、坂東は、自分の意見を主張せず、常に森の指示を冷酷に実行するのである。


 森は、坂東に「大丈夫か?」と尋ねていることから、殺意があったとは思えないが、腹を「鮮やかな緑色」(坂口)になるまで殴って、状態を確認することもなく、極寒の中、木立に縛りつけたら、死亡するのは当然である。「死んでもかまわない」という「未必の殺意」があったと考えるのが自然であろう(もちろん彼らの手記にはそんなことは書かれていないが)。


 さて、進藤の自己批判の内容はというと、植垣に押し付けられた総括をもとに、事実以上に露悪したと思われる。しかし、露悪することは、総括を認められるどころか、逆に怒りをかう結果となった。後の被総括者もたびたび露悪することになるのだが、それはことごとく失敗に終わるのである。


 黙っていれば「隠している」、反抗すれば「総括する態度ではない」、露悪すれば「反革命だ」、などと、森は出口という出口をふさいでいる。森の手記にも、どうなれば総括したことになるのか、ひとことも書かれていないので、あとから考えても出口はみあたらないのである。


 しかも、進藤への批判は、連合赤軍はおろか、赤軍派に加わる前のことであった。榛名ベースでは、あとから法律を作って裁く 「事後法」 がまかり通っていたのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11050330760.html

1972年1月1日 小嶋和子の「敗北死」
https://ameblo.jp/shino119/entry-11060165330.html

(小嶋は何を言っても悪意に解釈された)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-小嶋和子顔写真


小嶋和子(享年22歳)
【死亡日】 1972年1月1日
【所属】 革命左派(中京安保共闘)
【学歴】 市邨学園短大
【レッテル】 ヒロイズム 小ブルジョア急進主義、精神の病
【総括理由】 自己陶酔的態度、加藤能敬とキスして神聖な場をけがした
【総括態度】 「集中していない」「反抗的」「指導部を憎悪」
【死因】 凍死


■メンバーの状況(1月1日夜・榛名ベース)
【指導部】
森恒夫  (赤軍)
永田洋子 (革左)
坂口弘  (革左)
山田孝  (赤軍)
坂東国男 (赤軍)
寺岡恒一 (革左) 新倉ベースから青砥と東京へ
吉野雅邦 (革左)

【被指導部】
金子みちよ(革左)
大槻節子 (革左)
杉崎ミサ子(革左)
前沢虎義 (革左)
岩田平治 (革左)
山本順一 (革左)
山本保子 (革左)
小嶋和子 (革左) 外の木立に緊縛中
中村愛子 (革左)
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)
加藤能敬 (革左) 外の木立に緊縛中
加藤倫教 (革左)
加藤三男 (革左)
遠山美枝子(赤軍) 合流したとたん暴力を目にして落ちつかず
行方正時 (赤軍) 合流したとたん暴力を目にして落ちつかず

【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)


■「小嶋は闇を恐れるから、目かくしをするといいんじゃないか」(加藤三男)

 全体会議が終わった頃、雨が降り出したので、外の木立に縛られている加藤と小嶋を小屋の床下に移すことになった。

 N・K氏が、「小嶋は闇を恐れるから、それを克服するために目かくしをするといいんじゃないか」といった。私は、小嶋さんが真夜中がこわいといっていたのを思い出し、「たしかに小嶋は闇を恐れる」といった。すると森氏が、「革命戦士としては、それは克服させねばならないことだ」といった。

(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 このとき、小嶋が1人で歩こうとしなかったことも批判された。


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-目隠しをされた小嶋和子


■「総括に集中しようと思って頭を柱にぶつけていた」(加藤能敬)

 このあと指導部会議が続けられたが、しばらくすると、床下で柱に頭を打ちつけている音がした。それはかなり長く続いた。森氏は、それに対し、「あれは小嶋や。小嶋はあんなことをして総括に集中していないんだ。総括しようとしていないのだ」と批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森と永田が見に行くと、柱に頭を打ちつけていたのは、小嶋でなく加藤だった。

 森氏が、加藤氏の体をゆさぶるようにしながら、「おい、どうした」と聴いた。それは、驚いた声ではあったがやさしいものだった。加藤氏は、「こうしていても、ボヤーとして総括に集中できなくなる。それが悲しい。総括に集中しようと思って頭を柱にぶつけていた」といった。

 森氏は、「そうか、総括しようとしているんだな。よし、おまえを小屋の中に入れよう」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 加藤を小屋に入れてから、森は加藤の手を湯につけて揉みほぐしたり、「総括できるのも間近だろう。それまで頑張れ」とはげますように声をかけた。柱にしばるときも、「苦しかったらいってくれ」と少しゆるく縛った。

 床下で頭を柱に打ち付ける音がした時、森氏は「あれは小嶋や」と決めつけ、それを総括に集中していない表われとみなした。ところが、打ちつけていたのが加藤氏とわかると、評価は一転して総括していようとしているとみなしたのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 だが、私は、加藤君を床下から部屋の中へ移す段階ですでに加藤君に対しては総括の期待をもっていたが、小嶋さんについては恐らく総括できないのではないかという事、即ち総括できないだろうから死ぬかもしれないがそれでも最後まで可能性を追求してみようという事を思っていた。
(森恒夫・「自己批判書」)

 私は、総括を要求されたものが次々と死んでいく中、兄が総括できそうだと森らに認められたことに胸が熱くなるほどの喜びを感じた。永田は私が嬉しそうな顔をしていると言い、小屋に戻された兄の服を着替えさせようとすると、「兄さんが頑張っているのだから、あなたも頑張らなければいけない」と、私が兄に近づくことを止め、小嶋の見張りにつくよう指示した。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


■「小嶋は永田さんを恨んで死んでいった」(森恒夫)


 私と伊藤とで、小嶋の見張りをしていたが、兄が小屋に戻されてしばらくすると、様子がおかしくなってきた。私たちが見張りについたときには、顔を前に向けていたのだが、突然頭をガクンと垂れてしまった。その様子を見た伊藤が私に、「森さんたちに報告してきて」というので、小屋の中に急いで行き、小嶋の様子がおかしいと報告した。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 森や永田たちが、あわてて様子を見に行き、人工呼吸を施すが、小嶋が息を吹き返すことはなかった。

 森氏は、小嶋さんの顔を見ながら、「怒ったような顔をしている。永田さんを恨んで死んでいったんやろう」といった。私は意味が分からず、「エッ」といった。森氏は、「あたりまえじゃないか。それがわからないのか」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 最後に彼女の様子がおかしいという事で我々が床下へ行った時、彼女はすでに絶息していたが、口を大きく開けて目を見開き点をにらみつける風な感じで恐らく死ぬまで我々のことを憎悪していたと思われる程であった。
(森恒夫・「自己批判書」)


■「死をつきつけても革命戦士にはなれない」(山田孝)
 そのあと指導部会議を開いたが、会議は重苦しく沈痛なものだった。森もすぐには「敗北死」とは言い出せないでいた。

 そうしたなかで、山田氏が、森氏に体を向けて指をさし、少しきつい調子できっぱりと、「死は平凡なものだから、死をつきつけても革命戦士にはなれない。考えてほしい」といった。(中略)

 山田氏は森氏をジーッと見つめ、森氏は考えるような感じで山田氏の目をはねつけていた。2人は火花が散るほど対立し合っていたのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 私は、山田さんに共感したが、助け船を出すことも出来ず、成り行きを見守った。2人はジーッと睨み合っていた。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)

 そのうち、森氏は、断乎とした強い調子で、「いや、そうではない。死の問題は革命戦士にとって避けて通ることの出来ない問題だ。従って、精神と肉体の高次な結合が必要である。そのために、今後は心理学と医学を学ぶ必要がある」と主張した。山田氏は、「ウーン・・・精神と肉体の高次な結合か。よし、わかった」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「共産主義化には精神と肉体の高次な結合が要求される」(森恒夫)

 森は、小嶋の死は、共産主義化しようとしなかったために、精神が敗北し、肉体的な敗北へとつながったと説明した。

 森氏はさらに、「小嶋は最後まで総括しようとしなかった。だから、死顔は恐ろしい顔をしてにらんでいたのだ。だいたい、あの直前まで元気だったのに急に死んだのは敗北死をよく示している。小嶋は加藤が小屋にあげられ自分だけが床下におかれたため、絶望して敗北死したんだ。共産主義化は精神と肉体の高次な結合が要求されているのだ」と主張した。山田氏はうなずいた。森氏のこの主張に皆もそうかという様子になり、それまでの沈痛な雰囲気が急速に薄れていった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 「精神と肉体の高次な結合」とは、共産主義化しようとしていれば、寒くても凍死しないし、食べなくても餓死しないし、銃で撃たれても死なない、という荒唐無稽な精神主義である。

 それ故、暴力的総括要求による死はすべて、「肉体と精神の高次な結合」を獲ち取れなかった「敗北死」ということになるのである。(中略)しかし、共産主義化に必死になっていた私たちは、ひたすらそのために「努力」し、その荒唐無稽さを考えもしなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 現実に価値をおかず、同志の痛みを自らの痛みとしえない同志愛、人間愛の欠如が、死すら精神で乗り越えるという極端な論理を作り、これをもって同志の死を無視したのです。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)

 我々はその後前述の様に2人の死亡でどの様な違った方法を考えるべきか討論していたが、結局、具体的な回答は出なかった。ただ、今までの殴る−縛るという方法が全く間違いであったという事で問題にしたのではなかった事、革命戦士にとっての"死"の問題は必ず英雄的な気概によって乗り越えなければならない問題であり、でなければ殲滅戦はとても闘い抜けない事、従って死に対する恐怖を払拭し、いつでも権力に死を賭けた戦いを挑む準備がなされていなければならず、縛られてからでも「自分が死ぬのではないか」と考えたり「死にたくない」と思ったりする事がすでに敗北のはじまりであると確認されていった事から、2人の死亡に直面して何とかこうした方法以外の方法を見つけ出そうとすることが考え出されなかったことは当然であった。
(森恒夫・「自己批判書」)


■「遠山さんは動悸が激しくなり、すっかり落ち着きをなくしていた」(永田洋子)

 全体会議では、永田が小嶋の「敗北死」を森の主張の受け売りで説明した。しかし、さすがに3人もの「敗北死」は、割り切れない思いがあったようで、全体会議は盛り上がらなかった。

 それぞれの発言は「敗北死」の規定を追認し、自分は共産主義化した革命戦士になると決意表明するものがほとんどだった。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)

 遠山さん、行方氏は、暴力的総括要求の現実と死者の続出の緊張感にすっかり落ち着きをなくしていた。特に、遠山さんは動悸が激しくなり、すっかり落ち着きをなくしていた。行方氏は、そういうなかでも動揺してはならない、元気でいなければならないと思って必死に努力しているようであった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「何の根拠ももたない残酷な制裁−憎悪に対する憎悪」(森恒夫)
 森の「自己批判書」を読むと、小嶋のいった言葉や態度をいちいち悪意に解釈して、それを解説している。「彼らの名誉回復の為に」といっているわりには、もう一度「総括」をやりなおしている感じである。


 この日も永田が指摘しているように、頭をぶつけているのが、小嶋だと決めつけ、「総括に集中していない」と悪意にとらえ、加藤だとわかると、「総括しようとしている」に変わった。


 「小嶋さんは殴られしばれても決しておとなしくはせず、毅然として自分の意見や要求をはっきり説明していた」(永田洋子)という。つまり、最後まで屈服はしなかった。それが、森にとっては、「反抗的」と映り、気に入らない存在だったのであろう。


 それを認めるように、森は小嶋について最後にこう述べている。

 彼女(小嶋和子)については・・・(中略)・・・何の根拠ももたない残酷な制裁−憎悪に対する憎悪でしかあり得ない。
(森恒夫・「自己批判書」)


 だが、この一文にしたって、「憎悪」は小嶋が先と決めつけている。その上、「でしかあり得ない」と、対岸の火事を眺めるか如きなのである。


 それに加えて残酷だったことは、メンバーのおそらく全員が小嶋を蔑視し、無視するようになっていたことである。


■またもや歯止めをかけるチャンスを逃した
 この日、山田が、「死をつきつけても革命戦士にはなれない」と、森との対決姿勢を示した。山田のほうが森より、赤軍派的には立場が上(赤軍派発足時の組織図)だから、暴力や緊縛をやめさせるチャンスだった。だが森はまたしても、「精神と肉体の高次な結合」という言葉を生み出し、イデオロギーと言葉のパワー によって、山田の抗議ををはねつけてしまったのである。


 山田がどういう気持ちだったのかはわからないが、彼は、この言葉によって、振り上げたこぶしをいとも簡単に納めてしまった。理論家の山田が納得したとは思えない。もし、誰かが山田の援護射撃をすれば、暴力と緊縛に歯止めがかかった可能性もあった。


 こうして、尾崎充男が死亡して、「敗北死」の踏み絵を踏んだときに続いて、またしても歯止めをかけるチャンスを逃してしまった。

 かくて、尾崎君の死を精神的な敗北としたことは進藤、小嶋さんの死によってますます純化され、意識的に死の恐怖に対する挑戦を要求することが必要であるという地点に迄至ったのである。
(森恒夫・「自己批判書」)


 かくて、森の脳内理論は暴走しつづけるのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11060165330.html


1972年1月2日 植垣・山崎・青砥が榛名ベースへ
https://ameblo.jp/shino119/entry-11077808052.html

(指導部はカーテンで仕切られたコタツにこもりっきりだった)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-榛名ベース・指導部会議
 前日(1月1日)は、進藤隆三郎、小嶋和子が相次いで「敗北死」し、尾崎充男と合わせて犠牲者は3名になった。自分たちの行動が、目指したことと、つじつまの合わない結果が出れば、そこで立ち止まり検証するのが普通である。


 しかし森は、「敗北死」や「肉体と精神の高次な結合」という言葉を放って、見事につじつまを合わせてしまった。合理的に考えれば、そんなことがあるはずがないが、それは誰にとっても免罪符になったから、メンバーは異議をとなえるどころか、進んで受け入れてしまったのである。


 ただし、それは同時に、自分が「敗北死」する可能性を受け入れるということでもあった。「敗北死」を逃れる方法はただひとつ、共産主義化を達成して、革命戦士になることであった。


 1月2日には、残りの赤軍派メンバー(植垣、山崎、青砥)が榛名ベースへやってくる。植垣が榛名ベースの雰囲気を伝えているのでそれを紹介する。


■メンバーの状況(1月2日・榛名ベース)
【指導部】
森恒夫  (赤軍) 独創的イデオロギーを繰り出す理論的リーダー。
永田洋子 (革左) 学級委員長的にメンバーを摘発、鼓舞。
坂口弘  (革左) 永田とは夫婦関係。暴力に疑問を持つが言い出せない。
山田孝  (赤軍) 暴力に否定的な考えを表明するもはねかえされる。
坂東国男 (赤軍) 森の懐刀として指示を冷酷・忠実に実行。
寺岡恒一 (革左) 1月2日 東京経由で榛名ベースに戻る。
吉野雅邦 (革左) 暴力に積極的に関わることで必死についていく。


【被指導部】
金子みちよ(革左) 会計係。吉野の子供を妊娠中。
大槻節子 (革左) おしゃれ(パンタロン)や男性関係を批判される。
杉崎ミサ子(革左) 革命戦士を目指して寺岡との離婚を宣言。
前沢虎義 (革左) 断固とした態度で暴力に加わる。
岩田平治 (革左) 言動が森に評価される。
山本順一 (革左) 運転手役。山岳ベースに理想郷を夢みて合流。
山本保子 (革左) 山本夫人。子連れ(頼良ちゃん)
中村愛子 (革左) 永田のお気に入りといわれる。
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)
加藤能敬 (革左) 長男。小屋内の柱に緊縛中。
加藤倫教 (革左) 次男。兄の様子が心配。
加藤三男 (革左) 三男。兄の様子が心配。
遠山美枝子(赤軍) 死者続出に動悸が激しくなり落ち着かない様子。
行方正時 (赤軍) 死者続出に必死に動揺を抑えている様子。
植垣康博 (赤軍) 1月2日 榛名ベースに合流。
山崎順  (赤軍) 1月2日 榛名ベースに合流。
青砥幹夫 (赤軍) 1月2日 東京経由で榛名ベースに合流。


【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)
小嶋和子 (革左) 敗北死(1月1日・凍死)


■「前沢氏になんでもない風に装った」(植垣康弘)
 赤軍派の植垣康弘と山崎順は、新倉ベースの後始末(指紋消しなど)を行った後、1月2日の昼ごろ榛名湖のバス停に到着した。しばらくして、前沢が迎えに来た。

 前沢氏は、道々、付近の地理を案内してくれたが、その際、すでに2名が死んで小屋の近くに埋められていること、その1人は進藤氏であることを語った。私は、目まいを感じるほど驚いたが、彼がそのことをこともなげに語ることにも驚いた。ある程度予感していたことが、現実のものとなったことに強い圧迫感を受けた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 前沢は「敗北死」の説明をしなかったので、植垣は、2人は総括できないため殺されたと解釈した。

 しかし、私は、これに敗けてはならないと想い、前沢氏になんでもない風に装った。というのは、彼の態度があまりにも堂々としていて、2人の死に驚いているようではダメだといっているようなものだったたうえ、前沢氏が私たちの様子を観察しているようだったからである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 大槻さんに再会できる喜びは大きかったものの、彼女に批判されるのではないかという恐れも一段と大きくなり、どういう顔をして彼女にあったらいいか困ってしまった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 植垣は、12月の共同軍事訓練のとき、革命左派の大槻節子に恋心を抱いたのだが、夜中に大槻に困ったことをしていた 。


 そのため、より総括の厳しくなった榛名ベースにおいては、彼女に批判されるかもしれないと、心配していたのである。


■「森氏が鋭い目つきで私たちの態度を観察していた」(植垣康弘)
 大槻への心配は杞憂に終わり、彼女は植垣を笑顔で迎えた。

 しかし、小屋内には張り詰めた雰囲気がみなぎり、大槻さんも共同軍事訓練のときのようなはつらつとした感じが見られなかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 植垣は、柱に縛られている加藤に気づいた。そして、おびえたような顔をしている遠山と行方に声をかけるが、2人には返事をする余裕もなかった。すると、森は、「こっちへ来い」と、植垣と山崎を指導部のこたつに呼んだ。

 私は、立ったまま、森氏に、「来ました」と挨拶したが、森氏が鋭い目つきで私たちの態度を観察していたうえ、ほかの指導部の人たちも同じような目つきをしていたので、その威圧的な雰囲気に圧倒されそうになった。しかし、踏ん張って何気ない態度を装った。だが、山崎氏は少し萎縮し、態度がぎこちなく、森氏の威圧的な態度に圧倒されそうになっていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 植垣は森に新倉ベースの後始末を完了したことを報告した。そして永田に促されて、メンバーひとりひとりに挨拶をした。

 この時、私は、縛られている加藤氏に挨拶しなかった。私自身のなかに総括要求されている者を差別する気持ちがすでにあったのである。加藤氏を除く全員に挨拶を終えて指導部のところに戻ると、永田さんが、「もう一人忘れてはいない?」といった。私は、加藤氏を差別したことをつかれたように思い、あわてて加藤氏のところに行って、「植垣です。よろしく頼みます。大変でしょうが頑張ってください」と挨拶した。加藤氏は、「加藤です。こちらこそ」と答えた。このやりとりがおかしかったのか、その場にいた皆が笑った。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「山田氏や坂東氏も威圧的になり、永田さんもよそよそしくなっていた」(植垣康弘)


 ベース内の雰囲気には、あまり暗さはなかったが、非常に緊張しており、それが全体を重苦しくしていた。旧革命左派の家族的雰囲気はなくなり、指導部と被指導部の区別が旧赤軍派の時以上にはっきりし、指導部に近寄りがたい威圧感があった。


 森氏に進藤氏のことを聞いてみても、「そのうちわかる」としか答えず、声をかけることさえはばかられる有り様だった。山田氏や坂東氏も、それまでの気楽に話せる親しさがなくなり、威圧的な」態度をみなぎらせていた。


 永田さんも、以前にはよく被指導部の人たちと一緒に話していたのに、指導部のこたつにおさまっていて、すっかりよそよそしくなっていた。


 指導部一人ひとりの性格までかわってしまったかのようだった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「大槻さんは女まる出しだ」(森恒夫)
 夜、全体会議が始まった。

 私は、自己紹介したあと、進藤氏の死は彼を総括させられなかった自分の責任である、M作戦には反人民的行為など多くの問題があり、それを今後総括して行きたい、丹沢での痴漢行為 は女性同志を女としか見ていない女性蔑視であり、謝罪すると自己批判した後、勇気を出し、思い切って、「新たな問題として、共同軍事訓練の時、大槻さんを好きになってしまったことがあります。大槻さんと結婚したいと思ってます」といった。


 私は、この時、激しく批判されるのではないかと覚悟していたが、皆は驚いたような顔をしただけで、何もいわなかった。大槻さんはひどく恥ずかしそうにうつむいた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 森氏は、「お、いいじゃないか」といった。ところが、私は、(中略)「大槻さんには渡辺との関係の総括、向山との関係の総括が問われているのだから、これらをぬきに当面結婚は考えられない」といった。すると、森氏は、「お、いいじゃないか」といったのを忘れてしまった如く、植垣氏と大槻節子さんの結婚は当面ではなく、絶対考えられないように主張しだした。私はこの森氏の変化に面食らってしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 渡辺と向山とは大槻の以前の恋人である。渡辺は上赤塚交番襲撃事件 で逮捕され、向山は、すでに処刑されていた(印旛沼事件 )。


 これまでもずっとそうだったのだが、森は、永田が厳しいことをいうと、それにかぶせるように、より厳しいことをいった。


 一般に、同じ思想を持った集団では、より過激な意見に反対するのは難しい、といわれている。森は常に一番過激な意見をいって、その場をリードした。

 続いて、山崎氏が自己紹介し、組織関係を利用して女性をはき捨てるように利用してきた。運転手の地位に安住し、それ以上のことをやろうとしなかったと自己批判した。私も山崎氏も批判されなかったので、ホッとしたものの、進藤氏したちへの非常なきびしさを思うと、批判されなくてもいいのだろうかともやもやした気持ちが残った。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 続いて皆が自己紹介した。

 この自己紹介のなかで、大槻さんが、やはり恥ずかしそうに、「植垣君にはヴァイタリティがあります。植垣君の申し出を素直に受け止めたい」といった。今度は私がうつむいてしまう番だった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 ところが、この時、森氏が指導部の者にいうように、「大槻さんは女まる出しであり、総括よりも男女関係の方を優先させている。総括なんて考えていない態度だ」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 大槻に対する森の批判について、革命左派時代に一緒に活動した京谷明子は以下のように述べている。

 (大槻さんは)とっくの昔に「革命家の女 」なんですよ。たまたま女だっただけであって、男だ、女だと言ってない。(中略)
 大槻さんは綺麗だったから、女としてみていたのは森さんであって、大槻さんはぜんぜん自分は女だという意識はなかった。京浜安保は、女のほうがずっと勇敢だったんです」
(京谷明子・「情況2008年6月号」 京浜安保共闘の女性たち)


 「京浜安保共闘」というのは、「革命左派」の合法部隊の名称である。


■「『敗北死』という言葉がにわかには理解できなかった」(植垣康博)

 自己紹介がすむと、森氏、植垣と山崎に、「2人は圧倒的に遅れている。しばらくの間、皆から教われ」といった。そのあと、永田が小嶋の「敗北死」について総括した。

 私は、まだ死者がいることに驚いたが、「敗北死」という初めての言葉がにわかには理解できなかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「スプライトを飲んだことを自己批判する」(青砥幹夫)
 全体会議の最中、寺岡と青砥が榛名ベースに帰ってきた。青砥は始めての榛名ベースである。寺岡も青砥も、死者が出たことは、このとき初めて知ったはずである。

 青砥氏は各自の発言が終わったあと自己紹介し、新党結成の指示を表明した。また、東京に行った時にスプライトを飲んだことを自己批判し、「これまで金遣いが荒く無駄な活動が多かったけど、今回、寺岡さんと一緒に東京に行って行動を共にするなかで、節約の精神を身につけることが出来た」と発言していた。


 私ははたしてスプライトを飲んだことを自己批判することが共産主義化に必要なのだろうかと思い、あっけにとられた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 実は青砥は、革命左派の女性との関係について自己批判すべき問題があった。だが、この時は、わざわざスプライト(炭酸飲料水)を持ち出して、さしさわりのない自己批判でやりすごしたのであろう。


■榛名ベースは異様な緊張感につつまれていた

 この日、合流した赤軍派3名は、これまで森にそれほど厳しい追求を受けていなかった。それは3人が責任をしっかり果たしていたことと同時に、それぞれの存在価値があったからだと思われる。


 植垣は爆弾製造や戦闘能力にすぐれ、青砥は合法部とのつなぎ役として、山崎は車の運転ができた。当時、まだ車が少なかった時代なので、運転免許を持っている者も少なく、このときのメンバーで、ほかに運転免許を持っているものは、山本順一だけだったと思われる(小嶋和子も運転手役だったがすでに死亡している)。


 彼らは予感していたとはいえ、榛名ベースの異様な緊張感に驚いた。ましてや、道中、進藤の死を聞かされたから、圧倒される思いだったに違いない。


 これで現状において、集められるメンバーが揃った。ということは・・・・・あとは減る一方なのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11077808052.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c83

コメント [政治・選挙・NHK258] 赤信号点滅!原発によって日本の国家破たんの怖れ!  赤かぶ
58. けろりん[4207] gq@C64LogvE 2019年3月14日 07:28:35 : 8iDQRlRKiM : TzBuOGFWSDBvck0=[12]


自衛隊員数、約22万人。防衛予算、約5兆円。
平均給料、約640万円。年間人件費総額、約1兆4千億円。
残りの3兆6千億は、設備維持費用および活動費用。

全国イオン非正規社員、約27万人。

例えば__年間2兆円もあれば・・・、
日本全国の27万人が、ゲンパツ廃炉事業に
専従できる計算になる。
4兆円もあれば、一国を軍事管理できるほどの
膨大な予算金額に__匹敵する。

・・・なんで、
そんなに掛かるんだ???
81兆円も。

国債買わせて民間銀行・日銀に請け負いさせた挙句に
「 日本国民おひとりさま800万円の借金がございます 」
__などと煽りに煽って、またまた税金穴埋めでの
絞れるだけ絞ろう__という肚か???

霞が関と永田町と電事連が作った借金を・・・だな、
てめぇ〜ら国家運営者がネコババしながらの『国家運営責任者の借金』をだな、
国民の借金__などという・・いまさらの東大話法が
いまだ、通用するとでも、思っているのか?__だ。

年間・・・だな、
27万人のゲンパツ廃炉部隊と・・・、
たかだか、5兆円のインフラ設備投資で
10年もありゃ〜、どんなものでもカタはつくわいな。


フィンランドのオンカロ建設費用でも、約7兆円_
年間・維持費用1千億。

・・・なんや、81兆円とは???

またまた、B層はなにに踊らされてるんだ?
『 不安・恐怖はカネになる 』___にか?


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/388.html#c58

コメント [政治・選挙・NHK258] 驚き!安倍晋三が一晩に123万円の豪遊!   赤かぶ
4. 2019年3月14日 07:31:13 : Ph4a5gNldU : aHFUbjdkWkJJL1E=[2]
>>3
タコが好きなのか。
安上りじゃないか。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/461.html#c4
コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
84. 中川隆[-11454] koaQ7Jey 2019年3月14日 07:33:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[541]

1972年1月2日 遠山美枝子に遺体埋葬を強要
https://ameblo.jp/shino119/entry-11099825262.html

(遠山美枝子は 「女らしさ」 を批判された)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-遠山美枝子顔写真


 今回は1月2日の続きである。


 遠山美枝子が総括要求されるのであるが、遠山への批判は、過去のものと全く変わりがない。そこで、まずは、遠山美枝子について、これまでの経緯をまとめておく。


■遠山美枝子が榛名ベースへやってくるまで

 遠山は明治大学時代、重信房子の親友になり、赤軍派で主に後方支援や救援活動を行ってきた。


 重信がパレスチナへ 旅立ってからは、『赤軍‐PFLP 世界戦争宣言』というプロパガンダ映画の上映会を行っていた。後の「テルアビブ空港乱射事件」の岡本公三がこの映画の影響を受け、事件を起こすことになる。


 遠山は、当時の赤軍派の幹部・高原浩之と結婚していたため、周りが幹部夫人として一定の敬意をはらい、特別扱いされていた。これは、遠山に限らず、赤軍派伝統の慣習的なものだった。


 その遠山が、1971年11月に、革命左派との共同軍事訓練 に参加した。軍の闘争や非合法活動に縁の遠かった彼女が、なぜいきなり共同軍事訓練に参加したのかは、はっきりしていない。森が人数合わせのために呼び寄せたという説や、救援活動に役立てるための見学のつもりだったという説がある。

(後に紹介するが、総括では、別の理由だと、決めつけられてしまう)


 遠山は、訓練にもついていけなかったし、服装や訓練に対する姿勢なども、それらしくなかった。それを革命左派メンバーに厳しく批判された。これを 「遠山批判」 という。遠山批判は、その前日に 「水筒問題」 で赤軍派に批判された革命左派が、赤軍派に対してカウンターパンチを放ったものだった。党派的な争いの手段としての批判だったのである。


 ところが、森は、遠山をかばうことなく批判をじっと聞いていた。森は、革命左派の吊るし上げともいえる集団的批判こそ 「共産主義化」 の実現方法であると考え、翌日には、森のほうから、遠山に対して、赤軍派時代の闘争へのかかわり方を糾弾 しはじめた。


 森の批判が、革命左派のそれと違っていたのは、過去の活動への批判だったことだ。これが、いわゆる 「総括」 の始まりであった。


 革命左派の批判は、指輪をしている、会議中髪の毛をとかした、服装が派手、男に指示だけして自分は動かない、といったことが、戦士としてふさわしくないということであった。


 一方、森の批判は、遠山が女を売りにして男を利用していると決めつけ、過去の活動をひとつひとつそれに結びつけていくものだった。どちらの批判も、いきつくところは、遠山の 「女らしさ」 が批判の対象だったのである。


 共同軍事訓練が終わり、森が榛名ベースへ行った後も、遠山はずっと批判され続けていた 。ただし、このときまでは 「銃−共産主義化論」 に基づき、銃の構え方の訓練をえんえんとやらされるだけですんでいた。


 森は、榛名ベースに来てから、共産主義化に、 「殴ることは指導である」 「殴ることは援助である」 という理論を組み立て、総括に暴力を取り入れた。そこへ遠山たちが榛名ベースに呼び寄せられたのである。


 遠山が、榛名ベースについてみると、すでに死者が出るほどの殴打や緊縛が行われているのを目にした。そして、遠山と一緒に榛名ベースにやってきた進藤隆三郎が、その日のうちに殴打によって死亡 してしまった。


 遠山の緊張は極限まで達し、落ち着きがなくなった。ちなみに遠山とともに榛名ベースに合流した行方正時も、革命左派による批判こそなかったものの、ほぼ遠山と同じ経緯をたどっている。


 赤軍派で2軍扱いされていたメンバー3人(遠山・進藤・行方)は、何も変わっていないのだが、森のほうが変わってしまっていたのである。


■「小嶋のようになりたくない。・・・・・死にたくない」(遠山美枝子)

 森氏は、「遠山にはちゃんと批判しなければならない」といって、遠山さんを批判していった。
  「小嶋の死を自分が総括する立場からどうとらえているんや」
  「革命戦士になろうとしなかった者の敗北死だ。私は革命戦士になって頑張る」
  「革命戦士になって頑張るというだけでは総括にならん。どう革命戦士になろうとするのか」
 遠山さんは革命戦士になることに決めているとか、革命戦士になるつもりで榛名ベースに来たなどといったことを答えたが、森氏はそう答える度に強い口調で、「違う!」「そんなのは総括じゃない!」と批判した。
 そのため、遠山さんは答えることができなくなって黙ってしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 そこで、森君は、彼女が榛名ベースに来てから初めて所持金を提出したこと、髪の毛を短くカットしてこなかったこと、従来の彼女の組織活動に対する関わり方が、闘争と組織のためというより、個人的な関心によってなされていた要素が大きいこと、合法活動のなかで権力との接触によって、精神的、肉体的に大きな負担を負うようになり、とても殲滅戦を闘い抜ける力を持っていないこと、さらに合同軍事訓練のとき、腹部に衝撃を受けたと言って訓練を中止し、ずる休みをしたことなどの点を列挙して詰問した。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)

 すると、被指導部の人たちが、口々に、「黙っていないでなんとかいえ!」「総括する気があるのか!」などといいたてた。遠山さんは、落ち着かない様子でそのようにいう被指導部の人の方をキョロキョロと見ていたが、そのうち思いつめた表情で、「小嶋のようになりたくない。・・・・・とにかく生きたい。・・・・・死にたくない。・・・・・どう総括したらいいのかわからない」といい出した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「遠山さんには、小嶋の死体を埋めさせ総括させよう」(永田洋子)


 森氏は、遠山さんの発言に強い調子で、「我々にとって生きることは、革命戦士になって生きぬくことでしかない。『死にたくない』というのは、死にたいしてのブルジョア的な恐怖心であり、そのことをいうこと自体すでに敗北死の始まりだ。柴野君のように死ぬ ことが革命戦士として生きることなのだ」と批判した。


 私はその通りだと思った。森氏はこのあともさらに追求していったが、遠山さんは、顔面を蒼白にさせて、「死にたくない」「生きたい」と答えることしか出来なくなってしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 私は、森氏の追及は、遠山さんを追い詰めるだけで総括させることにならない。これではまた暴力を持ち込むことになるだけだ。実践によって総括させるのが一番よいと思い、指導部の人たちにいう感じで、「遠山さんには、小嶋の死体を埋めさせる実践によって死に対する恐怖を克服させ、そうして総括させよう」といった。森氏は、「それはいい」と答えた。(中略)


 遠山さんは、それまでの追い詰められた様子とはいくらか違って、しっかりした声で、「総括できないときの敗北は死だ。これを乗り越えるために、小嶋の死体は私が埋めに行きます」と表明した。私は、これを聞いて既に半分総括できたと思い、「死体を埋める実践によって総括しなさい」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 これは、小嶋さんの敗北死を直視させて決してこういう道を選ばないという決意をさせる事によって、敗北的な傾向を払拭させる目的でそうしたのだが、(中略)彼女を本当に革命戦士にするような方法では全くなく1つの制裁にすぎなかったのである。
(森恒夫・「自己批判書」)


■「僕もやります。僕もそうして総括します」(行方正時)


 遠山さんが立ち上がりかけると、行方氏が、「僕もやります。僕もそうして総括します」といって立ち上がった。(中略)
 この時、寺岡氏が、「その実践が真に総括しているものかどうかを皆で確認しよう。皆で行ったほうがいい。そうして、遠山さん、行方君の総括を援助しよう」といった。すると、森氏がすかさず、「死体を埋めるのは遠山がやり、行方はそれを手伝え。他の者は手をだすな」と指示した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 皆が出かけていったときには、もう3日の午前一時になっていた。


■「恣意的にさまざまな決め付けを行っていった」(森恒夫)
  被指導部のメンバーも、遠山の沈黙を、「総括する態度ではない」とみなし、口々に彼女を批判した。では、何といえばよかったのかというと、おそらく誰にもわからなかった。


 なにせ、森は、「自己批判書」において、遠山に対して、「恣意的にさまざまな決め付けを行っていった」と書いている。さまざまな決め付けとは、男を手段化した、親への依存心が組織では官僚的な態度になる、男性にこびを売る、などである。


 そして、「心理的な問題を拾い上げては恣意的な判断に組みたて、精神的に彼女を縛り上げる残酷な詰問を何時間も行った」と証言しているのである。


 はじめから、「恣意的な決め付け」なのだから、何をいえばいいのかわかるはずがない。遠山は一生懸命言葉を探すが、何をいっても詰問を繰り返される運命だったのである。


 永田は、遠山への総括要求が行き詰ったと見るや、機転を利かして新たな展開に持ち込んだ。だが、小嶋の死体を埋めたからといって問題が解決するわけではない。助け舟を出したのだが、それは向こう岸まで渡れるものではなかったため、追求を一時中断させるものでしかなかった。


 そして、遠山が、小嶋の死体を埋めて戻ってきたあと、遠山を待っていたのは、目をそむけたくなるような制裁だった。


 否! 目をそむけることさえ、遠山は許されなかったのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11099825262.html

1972年1月3日 遠山美枝子が小嶋の死体を埋める
https://ameblo.jp/shino119/entry-11121005924.html


(指導部はコタツ、メンバーは土間のストーブの周りが定位置だった)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍・榛名ベース
 


 遠山美枝子は小嶋の死体埋葬を強要されていた。


 森と永田と、しばられている加藤能敬以外は、遠山の死体埋葬作業を見守るため、遠山に同行した。


■「こんなことをやっていいのか?」(植垣康博)

 遠山と行方は小嶋の死体を引きずるようにして沢の上まで運んでいった。他のメンバーは、懐中電灯で2人の足元を照らしながら、「頑張れ、頑張れ」と声援を送った。

 その光景はそうみても異様だった。しかし、その異様な事態のなかで、誰もが死をめぐって何の動揺もなく動いていること、遠山さんさえ死体埋めにちゅうちょしなかったこと、むしろ、私自身の方がその異様な事態に驚いてしまっていることから、なるほど私の方が遅れていると思ってしまい、山崎氏に、「俺たちのほうが相当遅れているな。本当に圧倒されちゃうよ」といった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 私は、坂東氏をつかまえて、「こんなことをやっていいのか?」と聞いた。私は、それまでの気安さで、坂東氏とよく話し合ってみたかったのである。ところが、坂東氏は、ぶっきらぼうに、「党建設のためだからしかたないだろう」としか答えなかった。私の意見に耳を傾けていたそれまでの坂東氏とまったく違っていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 植垣は、榛名ベースにきて間もないので、死体運びに付き合うメンバーに対して違和感を感じている。榛名ベースのメンバーはすでに3人の死者を出していたから、免疫ができていたのである。


 それが、彼らの論理では、「遅れている」ということになるらしい。よく話したり、冗談をいったりした坂東も、すでに昔の坂東ではなくなっていた。


■「小嶋の死体を皆で殴れ」(寺岡恒一)


 死体を埋める場所まで運んでくると、遠山は、いきなり死体に馬乗りになり、顔面を殴り始めた。やり場のない怒りをぶつけたようだった。しかし、皆に早く穴を掘るように促された。穴を掘り終わると、死体の衣服を脱がせた。

 そのあと、遠山さんは、再び死体に馬乗りになり、「私を苦しめて」「私は総括しきって革命戦士になるんだ」といいながら、死体の顔面をしばらく殴っていた。
 この時、寺岡氏が、「よく見ろ。これが敗北者の顔だ。こいつは死んでも反革命の顔をしている。こんなやつが党の発展を妨げてきたんだ。こいつを皆で殴れ」といった。


 皆が小嶋さんの死体の顔を1,2回ずつ殴り、私も、妙な気分のまま1回殴ったが、皆が殴っている最中、寺岡氏は、「だんだん死人の顔になっていく」といっていた。


 皆が殴り終わってから、遠山さんと行方氏は、小嶋さんの死体を穴の中に入れて土をかぶせた。そのあと、皆で枯葉や枯れ枝を土の上にばらまき、小屋に戻った。その頃は、もう午前3時を過ぎていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「敗北死は反革命の死ではない」(森恒夫)

 午前3時頃、山田氏と坂口氏の2人が深刻そうな顔をして戻ってきた。そして、山田氏が、「非常に問題なことが起こった。寺岡君が小嶋の死体を皆に殴らせた」と報告した。坂口氏がこれにうなづいた。
 森氏は、「ナンセンスだなあ。もう死体になっているのだから、総括など関係ないのだ。ていねいに葬るべきなのだ」と繰り返しいっていた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森は、戻ってきた寺岡に質問した。

 「どうして、皆に小嶋の死体を殴らせたのだ?」
 「小嶋の死は反革命の死だと思ったからだ」
 「敗北死は反革命の死として処理することは出来ない。死んでしまえば単なる物体だから、もう総括と関係ないのだ。ていねいに葬るべきなのだ。このことはちゃんと総括しておくように」


 この時、森氏は反革命の死として処理することがどうしてできないのかを説明しなかったが、問題なのは新倉ベースから東京にまわっていたため、寺岡氏は、「敗北死」の規定についてほとんど知らなかったということである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 寺岡は、革命左派では軍のリーダーであり、連合赤軍になってからも断固とした態度をとってきた。ところが、赤軍派メンバーを迎えに新倉ベース行ったあと、東京を回っていたため、3人の敗北死に立ち会っていなかったのである。


 だから、永田が指摘しているように、「敗北死」の規定を知らなかった。そのため、小嶋の死を「反革命の死」としたのであろう。「反革命」とは、革命を目指す側の人間に対し、「反抗者」という悪い意味でのレッテル貼りに使われる言葉である。


 この一件は、あとあとまで寺岡が批判されることになる。


■「とにかく自分の力で埋めました」(遠山美枝子)

 全体会議を始めると同時に、森氏は遠山さんに、「小嶋を埋めにいったことについて総括しろ」といった。遠山さんは、「最初は怖かったし、重かったし大変だったけど、とにかく自分の力で埋めました」と答えた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 遠山はともかくやりきったということで、追いつめられた気持ちを払拭できたようだった。

 ところが、この時、遠山さんの様子に注目していた森氏が、指導部の者に、「おかしい。遠山は死体を埋めたことをそんなに恐ろしがっていない。どういうことや」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森はなぜおかしいと思ったかというと、、、

 というのも、我々が前に述べたように、総括の発展を促すといいつつ、実際的には制裁としてあの異常な作業を提起したが故に、彼女がどうしようもなく泣き出したりすることが総括の基準であると思い込んでいたり、そこではじめて極限的な精神的解体−再生のの歩みがはじまるのであり、意識的にこの精神(=古い個人)の解体を迫ることなしに人間的情愛(涙等)の獲得もないと思っていた為である。
(森恒夫・「自己批判書」)

 これは、遠山さんが、遺体運びをなし切ったものの、それによって獲得したはずの共産主義的変革(革命戦士への変革)が態度に表れないのはおかしい、と思ってのことである。この森君の観察は、私の観察と異なる。遠山さんは辛い作業をやり終えて、自信に満ちた顔をしていたのである。だが、私は森君に異議を挟むことはしなかった。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)

 私は、あわてて遠山さんに、「知り合いの人の死に接したことがあるの?」と聞いた。遠山さんは、「おばあさんの死に接しました」と答えた。
 森氏は、「それでわかった。だから、恐ろしがらなかったんだ」と指導部にいったあと、遠山さんをさらに追及していった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 森君は、「遠山は単なる死体として小嶋を見ていたにすぎない。革命戦士の敗北死として見ていたなら総括できるはずだ」と決めつけ、「遠山が死体を殴ったことも、嫌なものに対する憎悪か演技でしかない」と冷たく言った。
 自信に満ちた表情をしていた遠山さんは、一転して暗い顔になり、押し黙ってしまった。こうして”共産主義化"に基づく森君の一方的な判断によって、遠山さんの驚異的努力は、一瞬にして否定されてしまうのである。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


■「小嶋みたいになりたくない!」(遠山美枝子)


 このあとも追求はかなり長く続き、森は遠山の総括を、「芝居をしてるんじゃないのか」「お前は自分の問題を明らかにしようとしていない」 などと、ことごとく否定していった。


 遠山は、黙ってしまった。皆は例によって、「何とかいえ!」「いつまで黙ってるんだ!」といいたてた。
 そのとき、やはり総括を要求されていた行方が、突然、「あんたの顔には表情がない!判った、あんたの顔は小嶋の顔と一緒だよ!」といった。行方の言葉は、なんとか総括してほしいという願いをこめたものだったのだが、、、

 遠山さんは、ワーッと泣き出し、
「なりたくない!なりたくない!私は小嶋みたいになりたくない!やだもん、あんな格好で死んでいくのは!・・・何を考えていいのかわからない。頭の中を死がぐるぐる回っている!」
といった。
 森氏は冷たくつきはなすように、「死にたくないなら総括せい」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■間違った「善意」と「弱者」のレッテル貼り
 「地獄への道は善意で舗装されている」という。


 榛名ベースでは、共産主義化の論理
が支配していたから、主観的には、善意で遠山を総括させようとしていたと思われる。それは、違和感を感じていた植垣でさえ、すぐに善意で舗装された道を歩みはじめたことからもわかる。


 「間違った善意」ほどたちの悪いものはない。「ストレートな悪意」なら歯止めがかかる可能性があるが、「間違った善意」は、それが正しいと信じているがゆえに、歯止めがかからないのである。


 そして、メンバーは、総括にかけられた者を、自分とは区別するために、「弱者」というレッテルを貼って、自分が総括にかけられるかもしれないという恐怖をやり過ごしていた。


 だから、森の一方的な決めつけに対し、遠山を弁護する者は誰ひとりいなかった。すべてを否定されてしまった遠山の絶望は察するに余りある。


 そして、森の次のひとことが、絶望している遠山をさらに地獄へ突き落とすのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11121005924.html


1972年1月3日 「自分で自分の顔を殴れ!」−女らしさの破壊
https://ameblo.jp/shino119/entry-11121904263.html

(遠山美枝子は自分で自分の顔を殴った)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-遠山美枝子顔写真

 今回は、連合赤軍事件の中でも、もっとも残酷で、書くのも辛い話である。


 小嶋の死体を埋めて戻ってきた遠山は、何を言っても、ことごとく否定された。

 遠山は、黙ってしまった。


■「自分で自分の顔を殴れ!」(森恒夫)


 再び遠山が黙っていると、森が強い口調でいい出した。

「どうだ、総括できるか!」
「何とか総括します」
「総括するといっているが、自分でできるんか?(後略)」
「自分で絶対に総括をやりきります」
「自分でやるというなら、援助しないぞ。援助しないということがどういうことか判るか!」
「・・・・・」
「今までの場合は、我々が殴って総括を援助してきたが、自分でやるというなら自分で自分を殴れ!」


こうして、あれよあれよという間に遠山さんにたいし、自分で自分を殴らせることが決まってしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 実は、「援助」うんぬんではなく、森の本音は「ブルジョア的女性の解体」だった。

 彼女が意識的に涙ひとつ出さず歯をくいしばってこの異常な残酷な要求を遂行したことをこうして否定した上で、我々は彼女のブルジョア的女性の解体を迫り、自分の手で自分の顔を殴ることを要求した。
(森恒夫・「自己批判書」)

 森同志は、このとき山田同志と私(それから、他にも同志がいたと思いますが)を呼び、「これまで、尾崎、進藤同志のように殴ると敗北死すること、それに遠山同志は人に頼ろうとするから、何も援助せず自分で全部でやらせろ」と言ってきたわけです。

(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)

 遠山さんは、最初は躊躇していたが、突然、両手で自分の首を絞めようとした。森君がすぐ、「それは止めろ」と言って、止めた。すると彼女は、左右の手を拳にして自分の顔を殴り始めた。(中略) 遠山さんの自己殴打の場面を描くのはつらい。それは、見るに耐えぬ残酷なものだった。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 遠山が両手で自分の首を絞めようとしたのは、自殺を考えたものとみられる。

 遠山さんが両拳で交互に顔を殴り、顔が腫れてくると、森君は、「唇を殴れ」と命じた。これは自分の唇に自身を持っているからとの理由で命じたと記憶している。遠山さんが唇を殴ると、唇が切れて血が飛び散り、凄惨な状態になった。みんな、口々に、「休むな!」とか「もっと続けろ!」とか言って叱咤した。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 酷い話だが、「唇を殴れ」でわかるように、どうやら目的は、遠山の顔を醜くすることなのである。


■「顔はボールのように腫れ上がった」(坂口弘)


 さらに遠山さんの正面にたっていた大槻さんや、杉崎さんや、寺林さんたちが、「どうしたのさ、もうやめるの」、「どこを殴っているのさ」などといった。

 一度しゃがみこもうとしたとき、遠山さんのまん前にいた森氏は、「もっと続けろ」といいながら、遠山さんの頭を蹴飛ばした。そのため遠山さんは少しも休むことができなかった。

 その中で私は、「顔を殴れ」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 革命左派の女性メンバーは共同軍事訓練 のときからの遠山に対して厳しかったが、このときも容赦なかった。

 遠山さんは約30分、唇を殴れとか、顔を殴れとか言われるまま休みなく殴り続けた。口から血が出て、床に滴り落ち、顔はボールのように腫れ上がった。ようやく森君が、中止の命令を出した。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


■「あなたの綺麗な顔がこんなに醜い顔になった」(永田洋子)

 ここからが、皆が、「嫌な気分になった」と証言するところである。

 すると永田さんが鏡を彼女の前に突き出し、醜くなった自分の顔を見るように言った。遠山さんは怨めしそうに鏡の中の自分を見た。同性に対するこの仕打ちに私は腹が立った。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)

 しゃがみこんでしまった遠山に、永田が鏡を見るように命じ、「あなたの綺麗な顔がこんなに醜い顔になった」と言いながら、鏡を見ようとしない遠山に鏡を見ることを何度も強いた。


 私は、この永田の行動に驚いた。永田が自分の容姿にコンプレックスを抱いているだろうとは以前から思っていたが、これでは、まるで白雪姫と魔女の世界ではないか。あるいは絶対的な権力を握った暴君が、非力な被支配者をいたぶるという図式ではないかと思ったが、永田に疑問を呈してもすべては総括させるためと言うに違いなかった。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)


 永田自身は、次のように証言している。

「あんた、今の顔どんなか判る。ひどい顔になっちゃったけど、それを気にせず総括しなきゃだめよ。鏡を見てびっくりするようではだめだ」といった。遠山さんは鏡を見たが、別に驚く様子もなく無表情だった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 私が、遠山さんが自分で自分の顔を殴ったあと、鏡を遠山さんにみせたのは、私の意図しない形で展開した激しい総括要求にまけてはダメだという思いからであったが、それによって、私は、森氏の遠山さんへの総括の暴力化を追認し、支えてしまった。


 なお、私が鏡をみせた時、皆いやな思いをした、という証言があるが、この時、山田さんは遠山さんに、「そうして総括するんだ。」といったことを、明らかにしておく。
(永田洋子・「最終意見陳述」)


 永田は、鏡をみせたのは、 「激しい総括要求にまけてはダメだという思いから」 だというが、これでは理由になっていないだろう。

 この段階で、永田はすでに明らかにおかしくなり始めていた。しかし、私もその頃には、何が起ころうともはや永田たちについていくしかないという、半ば投げやりに近い気持ちに支配されていたのだ。
(加藤倫教・「連合赤軍少年A」)

 遠山さんがこれ程まで自己殴打したにも拘らず、森君は、彼女の総括を認めず、当然のように坂東君、山田さん、吉野君ら3人の指導部メンバーに命じて、(命じられたのは赤軍派の植垣君、青砥君、山崎君の3人だったとの証言もある)、彼女を戸口の柱に立たせたまま、後ろ手、胸、大腿部、足首をロープで縛った上、柱に括りつけてしまった。(中略)


 それからすぐ森君が、山崎君に遠山さんの髪を丸刈りにさせた。それがおわると、永田さんが誰かに縄を解かせ、遠山さんの着替えをさせてやった。この時の事であるが、リュックサックから衣類を取り出した際、「こんなセーターを持っている」などと遠山さんの持ち物を品評して、嫌な気分にさせられた。


 着替えが終わると、再び縛り、森君の指示で彼女の肩から毛布がかけられた。「遠山は冷え性だから」という”配慮”によるものだった。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 森はもはや縛る理由を、加藤のときのように、 「総括に集中させるため」 とはいわなかった。それもそのはずで、髪を丸刈りにするなど、逃亡防止であることは明らかだった。

■白雪姫と魔女の世界か?

 遠山の女らしさを解体するきっかけが、共産主義化に基づく「善意」であったにせよ、ここまでくると、それだけでは説明がつかなくなってくる。


 森が、「女を売りにしている」ことを総括させるために、自分の顔を殴らせる(醜くさせる)という方法論を思いついた時点で、すでに常軌を逸している。


 残虐性でなければ、病気ではないかと疑うが、いまひとつ捨てがたい可能性がある。それは、永田の心情を察して、森が主導権をとって動いたということだ。


 永田に、そういう望みがあったのかどうかは定かでない。しかし、鏡をみせるくだりなどを考えると、的外れとも思えない。それに、青砥幹夫や加藤倫教は、永田が主導したかのように記憶し、証言してるほどだ。


 多くのメンバーが証言していることだが、永田は、特に女性に対して、自分より優れている者や、並びたとうとする者に対して、それを嫉妬し、粉砕せんとしたという。


 永田の場合、それがあからさまな態度となって現れたから、森がそれを察して、より過激な方法で具現化することによって、主導権を保とうとしたとしても、不自然ではない。


 もちろん、これは1つの推論にすぎない。どうしてこういう推論をするかというと、永田の証言では、心情説明に説得力が感じられないからだ。鏡をみせたのは、 「激しい総括要求にまけてはダメだという思いから」 というのがその一例である。


 いずれにしても、共産主義化の論理 に重なり合うように、森と永田の思惑が交錯していたことは確かだろう。どの角度から光をあてるかによって、連合赤軍事件は、さまざまな表情をみせるのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11121904263.html

1972年1月3日 中央委員会(CC)の発足と行方への総括要求
https://ameblo.jp/shino119/entry-11132528700.html

(行方正時は「卑怯者」とレッテルを貼られた)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍 行方正時 顔写真

 遠山美枝子を柱に縛った後、指導部会議が開かれ、その後全体会議を行った。徹夜が続いているので、日付の切れ目が難しいが、1月3日夜から、1月4日未明にかけてのエピソードを紹介する。

■「異常な禁欲的秩序にとまどうばかりだった」(植垣康博)

 榛名ベースに来てからの私たちは、生活そのものに至るまでの異常とも思えるほどに統制された重苦しい禁欲的秩序にとまどうばかりだった。タバコ1人1日3本という制限に至っては、理解に苦しんだ。指導部の森氏と永田さんがそうした制限を受けずにタバコをすっていたので、よけいそうだった。

 その後、この制限は、永田さんの意見でゆるめられ、なし崩し的になっていったが、こうした秩序に誰も不満をいう者はいなかった。全体会議で永田さんは、要求があれば提案して欲しいといっていたが、現実には、とても提案できるような状況ではなかったのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 1月2日に合流したばかりの植垣は、榛名ベースの異様な光景や緊張感に、とまどいと疑問をもっていたが、指導部の、「遅れている」という判断を受け入れた。そして、同化しようと頑張る過程で、最初感じたとまどいや疑問を、消しゴムで消すように払拭していくのである。

 こうした思考停止に陥る過程は、特異な宗教団体などにもみられる現象である。

■「これでスッキリした」(行方正時)

 この日(1月3日)の夜の全体会議で、森君の提案により、C・C(中央委員会)を発足させた。私が司会を命じられ、指導部メンバー7名がそれぞれC・Cに立候補して全メンバーに承認された。

 この時、森君は、集団指導を強調し、新党は一に殲滅戦、二に他党派との分派闘争のための党建設であるから、党内での分派闘争は一切禁止すると言った。また”しのぎ合い”は競争ではなく、相互に前進や意欲を促しあうことである、という説明をした。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)

 C・Cが承認された時、行方正時君が、「これでスッキリした」と言った。これに対して森君が、「”スッキリした”とはどういうことだ」と問い返した。これが行方君に対する総括要求の発端となる。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)

「何がすっきりした!?」
「僕は南アルプスで自殺しようと思い、こめかみに銃口をあて考えましたが、それが間違っていたことがわかりうました。今、本当に革命をやらなーあかんと思っています」
「総括になっていねえじゃないか。何もすっきりしていねえじゃないか」

 行方氏は黙ってしまい、ますます落ち着きをなくすと、森氏は、「おまえのキョロキョロした落ち着きのない態度は何だ!」とどなったあと、「おまえみたいな卑怯な奴は何をするかわからん。青砥、山崎、行方のうしろについて押さえろ!植垣、行方の70年からの活動内容を聞け!」と命じた。

 当時、私はこれがどういうことかわからなかったが、行方氏が、赤ちゃんのRちゃんを楯にとって逃げようとするかもしれないからそうできないようにしろ、ということであったらしい。行方氏のうしろにRちゃんのベッドがあったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 Rちゃんとは、頼良(らいら)ちゃんのことで、山本夫妻が連れてきた赤ちゃんである。森は、行方が、頼良ちゃんを人質にして逃亡するのを警戒したようだ。

 行方は、闘争にかかわってきたものの、過激な闘争には臆病風をふかせたこと、赤軍派の極左路線にはついていけないと苦悩し、榛名ベースに合流する前に自殺しようかと考えたことを打ち明けた。


 「おまえ、ビビッたとかどうとかそういうことばかりいって、総括をひきのばそうとしてるんじゃないのか。深刻そうな顔をして悩んでいるような態度をしているが、それは総括しているかのようにみせるポーズとちゃうか」と批判したあと、「総括がなってない!青砥、山崎、植垣、縛れ!」と命じた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 行方への追求は、具体的には、常に自分を後方の安全地帯におく、弱気なくせに女性にはカッコつける、開き直った態度をとる、などであった。

■「行方を卑怯者と決めつけた」(森恒夫)

 もともとおくれた分子とかってに決めつけ、総括要求の対象に考えていたのですから、何をいっても追及の手から逃れることはできなかったのです。誤った「共産主義化」に確信がもてず、また本音を隠せる(私のように建て前や観念的でない分)人ではなかった分、追求されるたびに動揺が大きくなり、それを私たちはますます、おくれていると決めつけていったのです。
(坂東国男・「永田洋子さんへの手紙」)


 森は、南アルプスの新倉ベース時代、遠山や進藤に比べれば、行方は、総括が進んでいると考えていた。ところが、榛名ベースに合流してから、評価は一転したのである。


 12月31日に彼がベースに来た時には、私は彼が軽度のノイローゼにでもあるかの様にやせて神経質になり、目を異様に光らせて、1人で居る時と雑談している時の感情的な差異が余りに大きいのに驚いた。(中略)我々はこうした彼を革命戦士(連合赤軍兵士)として認めることができないと考えた。
(森恒夫・「自己批判書」)


 永田や坂口の観察では、森がいうほどひどくはない。

 行方は、森の追及にたいし、弱々しい笑みを浮かべながら、そうだと思う、とうなずいていたそうである。


 我々は、彼のこうした様子から、革命戦士として不適格な弱者→卑怯者と彼の事を判断して、それを総括して強者→戦士にさせる為にロープで縛ることにし、逆エビ状にロープで縛って柱にくくったのである。
(森恒夫・「自己批判書」)


 森はまとめてしまっているが、正確にいうと、このときは普通に縛られた。後に再び追求された時に、逆エビ型に縛りなおされることになる。

■「僕にも発言させてください。僕もCCの結成を支持します」(加藤能敬)

 行方氏を縛ったあとも、CCの承認を求める全体会議が続いた。この会議の最中、加藤氏が、縛られている土間のほうから大きな声で、「僕にも発言させてください。僕もCCの結成を支持します」と発言したことがあったが、坂口氏が、「黙れ!」とどなって加藤氏を黙らせてしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 全体会議が終わったのは4日の午前3時ごろであった。このあと縛られている加藤が、目隠しを外そうとしたり、足を動かしているのを、見張り当番の植垣と山崎に目撃され、森に報告されてしまった。

 病的なほど逃亡を警戒している森が、これを知ったらただではすまないことは予想がつくだろう。

■CCは独裁に民主主義の化粧をほどこしたもの
 CC(Central Committee:中央委員会)の発足といっても、指導部の看板をかけかえたにすぎなかった。

 CC発足にあたって、「共同指導体制」とか「スターリン主義の防止」が強調されたが、その舌の根も乾かぬうちに、行方に対する追求・緊縛は、完全に森の独断専行で行われた。

 CCとは、森が、責任を分散させ、独裁に権威をつけるためのもの、すなわち、独裁に民主主義の化粧をほどこしたものと考えてよさそうだ。

 結局、赤軍派で2軍扱いされた進藤、遠山、行方の3名は、榛名ベースに合流すると、赤軍派時代の批判をそのまま持ちこまれた。つまり、赤軍派時代は許容範囲であったものが、連合赤軍においては、共産主義化の観点から見過ごせなくなった、というわけだ。

 しかも、過去の活動を事後法で裁くものだった。過去の活動暦だったら、森の活動暦こそ、ビビッたり、敵前逃亡したりの連続なのだ。

 森は、他者の中に、自分に内在する弱さをみつけたとき、それを厳しく糾弾するのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11132528700.html

1972年1月6日 行方正時への暴行と遠山美枝子の叫び
https://ameblo.jp/shino119/entry-11149128241.html


(行方が追求されているとき、遠山は 「手を切って」 と叫んだ)
 遠山美枝子顔写真

■「遠山さんは、女を意識している」(永田洋子)

 入り口の横に縛られていた遠山は立っているのがつらそうな様子でいた。それをみた永田は、座らせることを森に提案した。森はすぐに返事をしなかったが、永田の説得にしぶしぶ了解した。ところが、、、

 そのあと、縛りなおされた遠山さんを見ると、彼女は両足を崩して座っていた。その様子はボンヤリしており、総括しようとしているものとは思えなかった。私はせっかく勇気をふるい総括に集中しやすいように座って縛らせたのに、それに集中せず女を意識していると苛立った。(中略)
 私は、中央委員会の場でこの苛立ちをそのまま表明した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田が、「勇気をふるい」といっているのは、森にあまいと批判されるかもしれないと思ったからだそうだ。山岳ベースでの永田は、暴力的総括を鼓舞しているものの、縛られた者の苦痛についてはやわらげようとしている傾向がある。

 しかしながら、そのあと、中央委員会で、「両足を崩して座っていた」 からといって、 「女を意識している」 と摘発してしまうようでは逆効果であり、森の論理に味方することになった。


■「行方氏は放心したような顔をしていたが、追及にはていねいに答えた」(植垣康博)


 午後8時頃、森氏が青砥氏、山崎氏と私の3人を指導部のコタツに呼んで、「行方が権力にバラしたアジトを全部調べろ。パクられた時に何をしゃべったかも聞け」といった。(中略)
 行方氏は放心したような顔をしていたが、青砥氏の追及にはていねいに答えた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 行方への批判は、赤軍派時代のことであり、革命左派メンバーには、理解できなかった。


■「ああ、手が痛い。誰か手を切って」(遠山美枝子)


 青砥氏が中心になって追求していたが、何を追及しているのか私にはわからなかった。この最中、入り口の横に縛られていた遠山さんが、再び、
「お母さん、美枝子は頑張るわ」
「美枝子は今にお母さんを仕合わせにするから待っててね。私も革命戦士になって頑張るわ」
「ああ、手が痛い。誰か手を切って」
「誰か縄をほどいて。・・・いい、縄をほどかなくていい。美枝子は頑張る」
などと叫ぶようにいった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 遠山の手には酷いしもやけによる激痛があった。縛られたメンバーはいずれも手足が動かなくなるほどのしもやけになったのである。

 しかし、私たちは、そのような遠山さんを全く無視し、行方氏を追及した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「絶対に逃亡できないように、肩甲骨と大腿部を思いっきり殴れ!」(森恒夫)


 行方氏の追及の終わり頃、森氏が、「懐中電灯で行方の目を見たら、瞳孔が開いているのがわかった。行方は死の領域に足を踏み込んでいる」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 青砥氏の追及が終わった時、行方氏はあきらめてしまったような様子であったが、それでも誠実に義務を果たそうとするかのように、これまでの事務やアジトを引き継ごうとして語り始めた。


 すると森氏は、「おまえから、そんなことを聞こうとは思わない。それはこっちで考える」といって、行方氏の発言を封じ、逃亡の意思について追及した。


「これまで逃亡しようと思ったことはなかったか」
「あります」
「いつ逃亡しようと思ったんだ」
「車で他の場所に移されるときに、逃亡しようと思ってました」

(中略)

 「逃亡してどこへ行こうとしたのだ」と追求した。行方氏は、少し黙ったあと、「実家に帰るより他にないでしょう」といくらか腹立たしげに答えた。


 そのあと森氏は、「縛る前に、絶対に逃亡できないように、肩甲骨と大腿部を思いっきり殴れ!」と命じた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 まず森が肘で肩甲骨を殴り始め、ついで山田が殴った。

 その時の私は、こうした大変な任務は指導部だけにやらせておくべきではない、私たちもやるべきだという思いだった。続いて、大腿部を手刀で殴ったが、途中で寺岡氏が、「そんなんじゃだめだ」 といって、土間からまきを持ってきてそれで殴った。私は、その激しさに驚いたものの、さすがはCCと思い、私もまきで力いっぱい殴った。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 他の者も寺岡氏に続いて、まきで思いっきり殴っていた。こうした行方氏への殴打はとてもみていられない程のものであった。

(中略)

 行方氏は激しい苦痛に必死に耐えているようで、わずかにうめき声をあげただけだった。殴り終わった頃、森氏は、「逆えび型に縛っておけ」と指示した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 行方は、逆えび型に縛られ、さらに縄を床に固定されて、まったく身動きが出来ないようになってしまった。


■「精神的に絶望して死の世界に入ろうとしている」(森恒夫)

 このとき森は、信じられないようなことを考えていた。

 そして彼はすでに立直る事をあきらめたかの様に、彼の活動内容をしゃべり、引継ぎが可能な様に事情を説明したりした。この間、我々が見ていて異常と思われる位夢の中でしゃべるような様子であったので、急いで彼の瞳孔を調べると、半分近くに拡大している状態だった。
(森恒夫・「自己批判書」)


 行方は、1月3日から縛られたままだったのだから、「夢の中でしゃべるような様子」であってもおかしくはないだろう。そして、夜の榛名ベースでは、ロウソクの灯しかない暗闇なのだから、瞳孔が拡大しているのは正常である。

 それで我々は、彼が恐らく精神的に絶望して死の世界に入ろうとしている可能性がある事、それが瞳孔の異常として表われているので彼をこの絶望の状態から何とか引き出さないと駄目だと思って、詰問調の追及を質問調に変えたところ、その時にのみ彼の瞳孔は正常にもどった。
(森恒夫・「自己批判書」)


 森は懐中電灯を目に当てながら質問しているので、瞳孔が縮小しはじめるのも、あたりまえのことである。

 こうした事から、我々は一方で彼が精神的に敗北する過程に入っているという判断をすると共に、もう一方逃亡の危険があると考え、彼の手足を力が抜ける程殴っておく事にし肩甲骨の裏を手拳や膝頭で殴り、大腿部を足や棒で殴ったのち、逆エビ状に再び縛ったのである。
(森恒夫・「自己批判書」)


 「精神的に絶望して死の世界に入ろうとしている」 といいながら、「逃亡の危険がある」 とはどういうことだろうか?


 そして、行方を「死の世界」から救おうとして、「詰問調の追及を質問調に変えた」はずなのに、「彼の手足を力が抜ける程殴って」「逆エビ状に再び縛った」 のである。


 森の論理は倒錯しているが、この場にいた坂口も違和感を感じていたようだ。

 私は、森君がほぼこれと同じ事を喋ったのを記憶している。瞳孔の開閉状態でそんな心の洞察ができるものだろうか、という疑問とともに、森君の表情と語り口が(彼は、行方君の目に懐中電灯の光を当てながらこういうことをいった)、何か物に取り憑かれたようで、嫌な感じがした。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


■「イエス」でも「ノー」でも

 加藤能敬の最期を思い出してみよう。加藤は、逃亡の意思について否定し続けたが、まったく信じてもらえず、死ぬまで追求され続けた。そして加藤が死亡したとき、「逃亡しようとしたことがばれて絶望した敗北死」と解釈されたのだった。


 いっぽう行方は、逃亡の意思をあっさり認めた。しかしそうなると、手ひどく殴られ、逆エビに縛られてしまった。 何のことはない、「逃げようと思っただろう?」と疑われたら最後、「イエス」と答えても、「ノー」と答えても、ダメなのだ。


 つまり、森の手には、あらかじめレッドカードが握られていて、イエスだろうが、ノーだろうが、瞳孔が開いていようが、閉じていようが・・・・・出されるカードの色は変わらないのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11149128241.html

1972年1月6日 遠山美枝子を逆エビに縛る
https://ameblo.jp/shino119/entry-11155422306.html

(遠山美枝子に対する追及は拷問そのものだった)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍 遠山美枝子 顔写真

 森は、行方氏を追及している最中に、遠山が、「お母さん、美枝子は革命戦士になって頑張るわ」「美枝子は今にお母さんを仕合わせにするから待っててね」と繰り返しいってたことを追求し始めた。


■「そうです。芝居でした」(遠山美枝子)


 行方氏を調べ終えると、森氏は植垣氏ら3人に、「遠山の縄をほどいてこっちに連れてこい」と指示した。(中略)
 「さっき、何であんなことをいった。芝居だったんとちゃうか」
 遠山さんが黙っていると、皆が「何で黙っているんだ」といった。

 皆は、この頃から遠山さんをこずいたり殴ったりしたらしい。遠山さんをぐるりと取り囲んだ輪のうしろにいた私にはわからなかった。そういうなかで、遠山さんは答えた。
「そうです。芝居でした」
「どうして、そんな芝居をしたんだ」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 遠山は、父が自殺して母が苦労して育ててくれたこと、それでいつか母を仕合わせにしようと思って、階級闘争をやってきたことを語った。

 追求の終わりごろ、男性関係についても追及された。

「明大時代、誰がすきだったんや」
遠山さんは最初は黙っていた。すると、取り囲んだものが、「何とかいえ!」「おい、どうした。早くしゃべれ!」などといった。遠山さんは、しぶしぶという感じで、「サークルの部長です」といった。
「赤軍派に入ってからは?」
「高原です」
「合法時代はどうだったんや」
遠山さんはしばらく答えようとしなかった。そのため、周りのものから一斉にあれこれいわれ、そのうち、2人の男性と関係をもったことをいった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「おやじさんが好きだったの」(遠山美枝子)


 森氏の追及が終わったあと時、遠山さんは、ポツンと、「おやじさん(森氏)が好きだったの」といった。森氏は、この発言にニヤニヤする態度をとった。
 それは、それまでの遠山さんに対しての態度とあまりにも違ったものであった。遠山さんが森氏にそのようにいうことによって総括要求を回避しようとしていると思い、また、それにたいして森氏がまじめに彼女に総括させようとしていないと思い、「やっぱりそういうのはわかっていた」と批判した。
 私は、森氏が遠山さんにたいしてただ激しい暴力的総括を果しているだけで、本当に総括させようとしているとは思えなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 ところが、森氏は何を勘違いしたのか遠山さんにたいして怒り出し、彼女を殴りながら追求した。
「おまえ、俺をいつから好きだったんだ」
「明大の寮にきた時からです」
「うそつけ!あのころはオバQだったんとちゃうか。俺よりもオバQのほうが偉かったんだぞ」
「はい、そうです」
「それなら、いつから俺を好きになったんだ」
「南アルプスからです」
「この野郎!」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 この追求は、無実の容疑者が、取調官に恫喝され、検察側のシナリオにそって「白状」してしまうケースにそっくりだ。シナリオと違えば「ウソ」であり、「正解」になるまで尋問は続けられる。


 森のシナリオは、遠山は常に権力のある者を好きになることによって高い地位を得ようとした、つまり女を売りにして男を利用してきた、というものである。だから、遠山が森を好きになったのは、森がトップである南アルプスの時点でなければならなかったのである。


 なお、このシナリオは永田も一致していたようだ。坂口によれば永田は、「あなたは偉い人ばかり好きなのね」と皮肉をいったそうである。


■「男と寝たときみたいに足を広げろ」(寺岡恒一) 「そういうのは矮小よ!」(永田洋子)

 そのあと、森氏は、「遠山も行方と同じように殴って縛れ」と指示した。私たちは遠山さんをうつぶせにし、まず肩甲骨を肘で殴り、続いて大腿部をまきで思いっきり殴った。遠山さんは悲鳴をあげたが、私たちはそれを無視した。


 殴り終わって逆エビに縛ろうとすると、森氏が、「遠山の足の間にまきを挟んで縛れ」といった。それで、まきをひざの裏に挟んで足を折り曲げさせたが、その際、寺岡氏が、「男と寝たときみたいに足を広げろ」といった。


 これに私たちは笑ったが、女性たちは一様にいやな顔をし、永田さんが、「そういうのは矮小よ!」と批判した。私たちはあわてて笑うのを止めたが、行方氏、遠山さんへの激しい暴行は、私たちの気持ちをすさませ、より残酷で下劣なものにしてしまっていたのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 なぜ、森は、「遠山の足の間にまきを挟んで縛れ」といったのかというと、「女らしい様子をさせないため」(森)だそうだ。おそらく、少し前に永田が、遠山が女らしいしぐさで足を崩して座っていたことを咎めたからだと思われる。


 このように森は永田のいったことをよく覚えていて、わりとよく 「対処」 をするのである。

 こうして遠山さんは、3日の朝に縛られて以来、水も食事も与えられないまま、ここへ来て逆えび型に縛られ全く身動きできなくされてしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 遠山さんも行方氏もぐったりしていた。私は、この激しい殴打に、そこまでやらなくてはならないのかといささかたじろぎ、その反面、やられっぱなしの2人がなんともふがいないものを感じ、どうして総括を放棄してしまうような態度を取るのか、もっとシャキッとできないのか、何とか頑張ってくれという思いもあったのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「涙を流して泣いてみろ、涙すらない冷酷な人間だとバトウした」(森恒夫)


 この時には、彼女が私を好きだということでロープを解いてもらおうとしているということと、階級闘争の中で男性を手段としてきているということが結合して、彼女に対する怒りとして放たれ、彼女が何人かの男性の名をあげた事に対して、我々は余りにハレンチだとして彼女を殴ったり、足げにしたりした。そして、本当に自分のことを情けなく思っているのなら、涙を流して泣いてみろ、涙すらない冷酷な人間だ(彼女がかつて自分は泣けないと云ったことを押さえて)とバトウしたのである。
(森恒夫・「自己批判書」 句読点修正)


 森は、遠山に小嶋の死体を埋めさせたとき から、一貫して、「遠山がどうしようもなく泣き出したりすることが総括の基準」と考えていたのである。


 どうやら、共同軍事訓練の最終日 に、森自身が総括を述べたとき、涙を流した体験と結びつけて考えているようだ。


■「寺岡は女性蔑視だ」(森恒夫)


 このあと、中央委員会を開いたが、そこで、森氏は、「寺岡君が『男と寝たときみたいに足を広げろ』といったのは、女性蔑視だ」と「真面目」な面持ちで批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 「真面目」とカッコつきなのは、寺岡の言葉に男性たちはみな笑ったのに、あたかも、寺岡個人の問題であり、自分は無縁であるかのようにふるまった森への皮肉である。


 森は、永田の批判に、寺岡をスケープゴートにして面目を保とうとしたようだ。

 森氏は続いて、「殲滅戦のための準備のための活動を開始しよう」といって、井川ベースの整理、名古屋にいるF・Kさんらを連れてくること、東京での若干の活動、山岳調査などの必要をいった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 F・Kとは殺害した小嶋和子の妹である。連れてこようと考えるとは、どういう神経であろうか。


■「女の革命家から革命化の女へ」(森恒夫)

 全体会議で、森は「女の革命家から革命化の女へ」という定式の説明を行った。

「共産主義化されないまま、女が男と関係をとり結ぶのは、それまでの生活を通して身に着けたブルジョア的な男性観にもとづいたものであり、こうした傾向を止揚しない限り女の革命戦士化はかちとれない」と述べた。
 この説明に私はなるほどと思った。そのあと、森氏は、大槻さんと金子さんにたいして、銃による殲滅戦を準備する闘いに向けて早く総括すべきだといった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


その後役割が決められた。


井川ベースの整理は、山崎、寺林、中村、山本保子の3人。
名古屋にF・Kを呼びに行くのは、岩田、伊藤。
東京に行くのは前沢、青砥。


■独裁体制とメンバーの思考停止

 遠山への批判は、共同軍事訓練のときからずっと続いている。いつも永田の批判がきっかけとなり、森がそのあとを引き受けて追求した。よく注意してみると、森の批判は永田のそれとは別物であるが、永田は、森の批判に同調してしまうのだから、2人の関係はややこしい。


 森の過酷な追求によって、遠山は、それに迎合する告白をしてしまった。なんとか追求から逃れようとしたのだろうが、どのように答えても、批判され、人格を破壊されていくのである。あまりに残酷で拷問としかいいようがない。


 他のメンバーは、威勢はいいものの、せいぜい、「おい、どうした」 「黙ってないで何とかいえ」 という掛け声しか発することができなかった。すでに思考停止状態であり、森と永田の側に身を寄せることが精一杯だった。すべての判断は森と永田の専権事項になっていたのである。これを独裁という。


 いったん独裁体制が確立してしまうと、独裁者が自ら踏みとどまったり、引き返したりすることはない。事実、同志殺害は、森と永田が権力の手中に落ちるまで続くのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11155422306.html

1972年1月7日 遠山美枝子の「敗北死」
https://ameblo.jp/shino119/entry-11161247154.html

(遠山は人間の誇りを破壊された)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-遠山美枝子顔写真

遠山美枝子(享年25歳)
【死亡日】 1972年1月7日
【所属】 赤軍派
【学歴】 明治大学
【レッテル】 古い赤軍派、ブルジョア的女性
【総括理由】 指輪、化粧、髪型、女を売りにして男を利用、幹部の妻としての特権的地位、死への恐怖
【総括態度】 「まだ女を意識している」
【死因】 凍死 or 衰弱死


遠山美枝子が山岳ベースに参加してから死亡するまでの経緯は以下の通りである。

1971年12月 共同軍事訓練 その3・革命左派による遠山批判

1971年12月 共同軍事訓練 その4・赤軍派による遠山批判

1971年12月 遠山・進藤・行方への総括要求(赤軍派・新倉ベース)

1971年12月27日 赤軍派メンバーを榛名ベースへ召集せよ

1971年12月29日〜31日 赤軍派メンバーが榛名ベースへ出発

1972年1月1日 進藤隆三郎の「敗北死」

1972年1月2日 遠山美枝子に遺体埋葬を強要

1972年1月3日 遠山美枝子が小嶋の死体を埋める

1972年1月3日 「自分で自分の顔を殴れ!」−女らしさの破壊

1972年1月6日 行方正時への暴行と遠山美枝子の叫び

1972年1月6日 遠山美枝子を逆エビに縛る


 1月7日は、メンバーに任務が告げられ、その準備をしていた。この任務は殲滅戦を闘うための準備と位置づけられた。


井川ベースの整理に行くのは、山崎、寺林、中村、山本保子。
名古屋に小嶋史子(死亡した小嶋和子の妹)を呼びに行くのは、岩田、伊藤。
東京に黒ヘルグループのオルグに行くのは、前沢、青砥。


 そして、森の提案で、新たな山岳ベースの調査することになった。榛名ベースは久々に活気に溢れたのである。


 しかし、その準備の最中に遠山の容態が悪化した。


■「お前は薄情だ!」(坂口弘) 「謝りなさいよ!」(永田洋子)


 手洗いから戻って来た時、縛られている遠山さんを見ると、それまでの様子と違って妙にひっそりしていた。私はそっと脈をみた。脈はかすかにしか感じられなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 それで坂東君、寺岡君ら5人のメンバーが飛んでいってすぐに人工呼吸を行った。私が少し遅れていくと、森君が、「酒を飲ませてみたらどうか」と言ったので、ストーブの上にかけてあるバケツの湯の中に一升瓶を入れて燗をしようとした。すると側にいた永田さんが、「一升瓶ごと燗するなんてナンセンスよ。お酒はお銚子に移してから燗するものよ」と言って私を腐した。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 すぐそばでは人工呼吸が続いていた。永田は会議の場に戻った。

 ところが私が戻ってすぐ坂口氏が大変な剣幕で私のところに来て立ったまま大声で、「お前は薄情だ」とどなった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 「おまえの態度は真剣でない!遠山が亡くなろうとしているのにお前はどこへ行く気だ!」と、私は彼女を怒鳴りつけた。鏡の件などで、遠山さんに冷淡で、刺激的なことをした永田さんに対し怒りがうっ積していたのだ。だが、すぐに本当の敵は彼女ではなく、森君だと思った。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 永田と坂口の口論中、森が、「永田さんの行動は薄情ではない」と助け舟を出したため、坂口は押し返されてしまった。

 彼女はいっそう居丈高になり、「私と森さんを侮辱したことを誤りなさいよ!会議の進行を遅らせたことを誤りなさいよ!」と言って謝罪を求めてきた。(中略)
 私は目を瞑り、腕を組んで、反抗すべきかどうか考えた。(中略)
 総括の最大の山場だと思った。自分の全人格が問われていると思った。気持ちが反抗と屈服の交互に揺れ動いた。しかし、私は、反抗の道を選択することが出来なかった。両名、とくに森君と論戦しても勝てないと悟ってしまったのである。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 坂口は、「CCを辞任したい」と申し出るが、驚いた森があわてて取り成した。結局、「会議の進行を妨げて申し訳なかった」と惨めな謝罪を行ない一件落着となった。

 森氏は新党維持のため、私や坂口氏を特別扱いしていた。そのため、この問題で、私か坂口氏のどちらかが総括要求されることはなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 2人は一緒に顔を洗ったりするなど仲が良かったので、このときの激しいやり取りにはとまどわされた。しかし、このあとは何事も無かったかのように仲良くしており、このことにもとまどってしまった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「遠山さんは蘇生しなかった」(植垣康博)


 遠山さんの人工呼吸は30分以上も続けられたが、結局、遠山さんは蘇生しなかった。坂東氏たちは人工呼吸をやめ、遠山さんの死体を床下に運んでいった。会議は重苦しい気分のまま中断となった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 坂東氏たちが戻ってきた時、森氏が、坂東氏に、「どうだった」と聞いた。坂東氏は首を横に振り、遠山さんの死体を床下に置いて来たことを報告した。
 そのあと、全体会議を中断して中央委員会の会議を開いたが、この会議は重苦しいものだった。もはや討論もなく敗北死という規定をした。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「暴力は不適格な人間を間引くことだと気づいた」(前沢虎義)

 このころから、メンバーの間では、総括に対する複雑な思いが芽生え始めていた。

(なぜ死ぬと分かっているのに遠山を殴ったのか?)
 自分の死ってものをある意味では前提にしているわけです、僕ら。軍の兵隊になった時点で。自分の死を前提にしてると、同じ仲間の死というものも・・・というか、中途半端な態度をとってることに対して許せないわけですよ。なんでそういう態度をとってるんだ、と、そういう態度をちゃんと克服しろ、と。
(植垣康博・「朝まで生テレビ」2004年3月27日放送)

 加藤が死んだときは遠山美枝子が縛られ、行方も既に縛られるのを待っている状態でした。私は加藤が死んだことで、遠山も行方も、そしてその後ももし誰かが縛られれば、その人間も死ぬだろうと、はっきりと判断しました。
 それまでは総括の援助だと言われ、そう思ってふるっていた暴力も、実はそうではなく、不適格な人間を間引くことだったのだと思いついたわけです。
(大泉康雄・「あさま山荘銃撃戦の深層」 前澤虎義上申書(1972年8月11日付))


 前沢はこのような思いを胸に抱いて、東京に黒ヘルグループのオルグに行くのであるが、任務終了後、榛名ベースへ戻るのをためらうことになる。

 なぜ、こんなことさせるんだという憎しみを持ちながらも、遠山さんに対する暴力行為を断れない・・・。正しいと思っているわけじゃないんだ。そう思い込もうとしているだけなんだ。そんなことみんな分かっているのに止められないんだよ。
(大泉康雄・「あさま山荘銃撃戦の深層」青砥幹夫インタビュー『スキャンダル戦争1』2002年6月 より引用)

 僕は遠山さんの問題については、永田に非常に大きな責任があると思っています。遠山さんの「総括」の最中を思い出すたびに、本当に正視できないようなことばかりだったと思う。だって普通、女の人に顔殴らせてね、「あんたの顔こんなに醜くなった。見てみなさい」なんて、鏡を突きつけますかね。
(荒岱介・「破天荒な人々」 青砥幹夫インタビュー)


 永田が遠山に鏡をみせた経緯は、 1972年1月3日 「自分で自分の顔を殴れ!」−女らしさの破壊 を参照。


■「遠山さんの人間的な誇りを破壊しつくした」(永田洋子)


 遠山さんへの批判は、彼女のすべての行動を権力欲や嫉妬心で解釈することによって、彼女の人格を徹底して侮辱し彼女を絶望させてしまうものであった。それは遠山さんの人間的な誇りを破壊しつくすものであった。


 こうした女性蔑視の排外的な批判に、遠山さんが沈黙してしまったのは当然のことであった。なぜなら、批判者自身が、そうした批判の誤りを理解しない限り、いくら違うといっても通用しないからである。


 敗北後、遠山さんに行われたのと同じような批判をされ続けてきたが、それによってやっと彼女の無念な思いが痛いほどわかるようになった。私たちの犯した誤りを利用した私への女性蔑視の排外的な批判に直結して、私はやっと同じ女性として遠山さんと団結することのできる立場に立てたのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は反省しているようでいて、「同じ女性として遠山さんと団結することのできる立場に立てた」 とはずいぶん虫のいい話である。


 遠山批判には、 「批判の誤り」 というような論理で割り切れないものを感じる人が多いだろう。


 以下のような吉野の証言もある。

 新倉共同訓練での遠山さん批判を受けた森がこうして遠山さんを縛らせるに至ったことで、森は永田からつきつけられた課題を片づけた思いになり、永田は永田で、赤軍派メンバーに対する自己地位を一応確保し、いわば赤軍派内での妨害要素を除去しえた思いで安堵したその心理が作用していたと私は見ます。


 森が苦心惨憺して遠山さんを批判していた時、傍らに座っていた永田は本当に満足そうに安堵しきった表情で、その追求ぶりを見物していたのを印象深く覚えています。


 私の認識としては、永田はとうとう森をして遠山さんを縛らせることに成功し、自分と森との統合への道の第一段階をこの時確保したのです。

(大泉康雄・「あさま山荘銃撃戦の深層」 吉野雅邦 1983年1月28日付手紙)


 遠山を死に至らしめたのは、直接的には、森の課した肉体的制裁であることは間違いない。だが、森をここまで動かしたものは、はたして共産主義化の論理 だったのだろうか、それとも永田の意向が働いたのであろうか。


 同じ疑問は、このあとの革命左派の女性メンバー2人への総括要求のときにも生じるのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11161247154.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c84

コメント [政治・選挙・NHK258] 赤信号点滅!原発によって日本の国家破たんの怖れ!  赤かぶ
59. けろりん[4208] gq@C64LogvE 2019年3月14日 07:47:21 : 8iDQRlRKiM : TzBuOGFWSDBvck0=[13]


予算やカネだけ、回すだけ回して・・・まともにシゴトをしてねぇ〜んだよ。
役所シゴトや、ゲンパツ請負い業界と__まったく同じ構図だ。

ゲンパツ点検作業予算__おひとりさま8万円。
実際に_そのシゴトをしている人間の受け取り予算が、10分の1の_八千円。


・・・これが、このクニの予算の実態だ。

まともなシゴトを__せぇ〜よ。
カネや予算を回転させるのが__シゴトじゃねぇ〜んだよ。

わかるか?__B層ボンクラ諸君。



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/388.html#c59

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
85. 中川隆[-11453] koaQ7Jey 2019年3月14日 07:49:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[542]


1972年1月7日 金子みちよ・大槻節子への総括要求
https://ameblo.jp/shino119/entry-11176661166.html

(金子みちよ(左)と大槻節子(右)はなぜ批判されたのか?)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-金子みちよ顔写真 連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-大槻節子顔写真

 今回は、遠山美枝子が死 亡したあとの全体会議での出来事である。遠山を「ブルジョア的女性の敗北死」としたため、それを受けて永田が、金子みちよと大槻節子へ総括を要求した。


■メンバーの状況(1月7日・榛名ベース)
【中央委員会(CC:Central Committee】
森恒夫  (赤軍)独創的イデオロギーを繰り出す理論的リーダー。
永田洋子 (革左)学級委員長的にメンバーを摘発、鼓舞。
坂口弘  (革左)永田と夫婦関係。暴力に疑問を持つが言い出せない。
山田孝  (赤軍)暴力に否定的な考えを表明するもはねかえされる。
坂東国男 (赤軍)森の懐刀として指示を冷酷・忠実に実行。
寺岡恒一 (革左)死体を皆に殴らせたこと、女性蔑視発言を批判される。
吉野雅邦 (革左)暴力に積極的に関わることで必死についていく。


【被指導部】
金子みちよ(革左)会計係。吉野の子供を妊娠中。
大槻節子 (革左)「女まるだし」と批判される。
杉崎ミサ子(革左)革命戦士を目指して寺岡との離婚を宣言。
前沢虎義 (革左)断固とした態度で暴力に加わるも疑問が生じる。
岩田平治 (革左)言動が森に評価される。
山本順一 (革左)運転手役。山岳ベースに理想郷を夢みて合流。
山本保子 (革左)山本夫人。子連れ(頼良ちゃん)
中村愛子 (革左)永田のお気に入りといわれる。
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)

加藤倫教 (革左)次男。指導部に疑問もついていくしかないと決意
加藤三男 (革左)三男。兄の死に「誰も助からなかったじゃないか!」
行方正時 (赤軍)★緊縛中★ オドオドした態度を批判された。
植垣康博 (赤軍)次第にベースの雰囲気になれる。
山崎順  (赤軍)雰囲気に圧倒されてオドオドしている。
青砥幹夫 (赤軍)合法部との連絡役でそつなく立ち回る。


【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)
小嶋和子 (革左) 敗北死(1月1日・凍死) 

加藤能敬 (革左) 敗北死(1月4日・凍死or衰弱死)
遠山美枝子(赤軍) 敗北死(1月7日・凍死or衰弱死)

■「もう、総括はないだろう、との希望を持った」(青砥幹夫)


 遠山美枝子さんが亡くなった1月7日夜の全体会議で、森君が、「(死んだ)5名との共産主義化の闘いを踏まえて殲滅戦を具体化する」と宣言した。(中略)
 青砥幹夫君は、のちに連合赤軍統一公判裁判の証人尋問で、このときの気持ちを問われ、「もう、総括はないだろう、との希望を持った」と、実感をこめて述べたが、これは森君を除く全面メンバーの気持ちを代表していた。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


■「あんた、頭がよすぎるのよ」(永田洋子)


 「女の男性関係は、女の人にも問題があり常に男だけに責任があるということにはならない。女の人の場合には、身に着けるものとか動作とかに問題が表れるのであるから、そういうところをもっている人は今のうちに総括しておきなさい。そういうことがいつまでも総括できないでいると、遠山さんみたいな傾向になってしまうことになる」といって、女性たちに総括を求めた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 女性たちがそれぞれ自己批判する中、大槻節子はパンタロンを買った ことを自己批判した。だが、永田はそれでは不十分だと納得しなかった。

 私はさらに大槻さんに総括すべき問題をいった。
「あんた、よく本を読んでいるけど、知識として頭で理解したってだめなのよ。あんた、頭がよすぎるのよ。何でも頭で知識としてパーパー理解してある程度までは進むけど、それ以上は進めなくなっちゃう。あんたは頭が良すぎるのがかえってマイナスになっている」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 これは、以前、森が永田に、「大槻は知識として本を読んでいるだけ」と批判したとき の受け売りであった。


■「男にこびる方法を身につけてしまっている」(永田洋子)

 大槻は、永田の批判にピンと来なかった。そして、渡辺正則 との関係について自己批判した。

 「私が渡辺と関係をもったのは、渡辺のかっこよさにひかれたにすぎなかった。渡辺の私への要求は、結局、シンパ的な可愛い女にすぎなかった」


「あんた、可愛すぎるのよ。それにあんた、ずっと男ばかりの兄弟に囲まれて育ってきたから、男にこびる方法を無意識のうちに身につけてしまっている。だから、あんたは動作やしぐさなどなんでも男に気に入られるようにやってしまっている。このことを総括しなくちゃだめなのよ」


この時、寺林さんが、大槻さんに、
「私や中村さんは自慢できるものが何もないから、それだけ総括できる。大槻さんも私たちみたいに単純バカになって早く総括しちゃってよ」
と励ますようにいった。大槻さんは、「私にはまだよく判らないけれど、ちゃんと総括します」と答えた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 大槻は誠実に自己批判したものの、永田とかみ合わなかった。それえは当然で、永田は、頭がよすぎるとか、可愛すぎるとか、およそ欠点とは思われない点に批判の矢を向けていたのである。


■「あんた、まだ総括していないわね」(永田洋子)


 金子さんの番になったとき、彼女は、「私が吉野さんと別れるといったのは、私は吉野さんの足をひっぱってきたからです。私は、吉野さんとは運動にかかわる前から関係をもっていた。運動の中ではお互いを高めあうようにしてきたけど、この関係に甘えてきた。私は、完全に総括できないので吉野さんと別れたいと思います」といった。
 私は再び、「あんた、吉野さんと別れるといってるけどそうじゃないのよ。あんた、まだ総括していないわね。あんたは、離婚しなくても総括できる力があるのだから、離婚する必要はないのよ」といったが、金子さんは首をかしげ、うつむいて考え込んでいた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は、金子に何を批判しているのかよくわからない。離婚表明にしたって、同じ理由で杉崎ミサ子が寺岡恒一と離婚表明したのは認めているのに、金子の離婚表明は否定するのである。

 2人とも兵士たちのなかでは活発に活動していたし、指導力もあったので、私は、どうして彼女たちが評価されないのか理解できなかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 全体会議を終わることにした時、私は、「大槻さんと金子さんは総括できるのだから、早く総括しちゃいなさい」といった。私は、彼女たちの批判をはっきりと理解できないまま、こういわずにはいられなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「女が男に対して行う女の顕示を克服しなければならない」(森恒夫)

 遠山批判を経て、森が構築した革命家の女論 は、「自己批判書」で明かされているが、原文は長いので、永田の説明を引用する。

 森氏は、敗北したあとで作成した「自己批判書」の中で、女性問題を特に重視した理由について、次のように述べている。


 「男や女が明確な基準もなしに「好きだ」という事で関係を結ぶのは、本能的な欲望に基づいたブルジョア的な男性観や女性観によるものであり、そうした関係は男女相互の共産主義化にとって障害になる、共産主義化された男女関係のためには女が革命戦士として自立する必要があり、そのためには、何よりも女が男に対して無意識に行う<女>の顕示を克服しなければならない。」
と。
(永田洋子・「氷解−女の自立を求めて」)


 早い話が、恋愛は革命の邪魔だということであり、恋愛は女が男に従属するものだと考え、そのため女が自立できないと決めつけている。


 革命家の女論を受け入れたとしても、問題は、「女の顕示」を判定する基準があいまいなことである。つまるところ、森や永田の恣意的な判断なのである。


 森は初めて革命左派のベースにやってきたとき、金子と大槻を大いに認めていた。それが、この理論を構築してから、批判に転じている。


■「不美人の私が美人の大槻さんに嫉妬したのではない」(永田洋子)

 逮捕後のメンバーの多くは、金子と大槻への総括要求は、永田の嫉妬であると証言している。これに対して、永田は最終意見陳述において以下のように反論している。

 ところで、こうした大槻さんへの批判が、何か私の嫉妬から行われたかのようにいい、不美人の私が美人の大槻さんに嫉妬して、批判し、殺したというまことしやかな中傷的解説が、まかりとおっている。もちろん、こんな解釈で連赤問題の本質を解明できないのは、当然である。だが、私が不思議に思うのは、こうした森氏の大槻さんへの批判に同調した他の男性のC・Cが、そんなことがなかったかのように口をぬぐっていることである。
(永田洋子・「最終意見陳述」)


 永田が言わんとしていることは、森が大槻を批判しているとき、むしろ擁護する立場をとったのであり、他のC・C(中央委員)は、森に同調していただけだったではないか。それを今さら、私の嫉妬のせいにするのはフェアではない、ということである。


■美人であることが批判された
 大槻節子と金子みちよに対する総括要求はわかりにくい部分である。森の理論にしても、永田の言い分にしても、美人であることがいけないとしか思えない。これでは、批判されるほうも、どう総括したらよいか困惑するばかりだ。


 大槻と金子は共通点が多い。大学が同じ(横浜国大)、美人でスタイルが良い、頭が良い、積極的な活動、リーダーシップがある、などであり、多くのメンバーから認められた存在だった。


 そしてもうひとつ忘れてはならない共通点は、2人とも永田に対してイエスマンではなかったということだ。大槻は、意見書 を書いた本人であり、金子は革命左派時代からたびたび永田に意見していた。


 永田は彼女たちの能力を認めていたが、その一方で、嫉妬があったり、自分の立場を脅かすという警戒があったりした可能性が強い。森の革命家の女論にしても、これまでもそうだったように、永田の直観や感情を理論化したものだったかもしれない。


 遠山美枝子を厳しく批判していた金子と大槻は、一転して批判される立場に立たされたのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11176661166.html


1972年1月8日 メンバーが活動に出発、金子が会計から外される
https://ameblo.jp/shino119/entry-11191932078.html


(榛名ベースは道路から近いので危険と判断されたが・・・)
  連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-榛名山

(そう簡単には見つからない山の斜面にあった)
  連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-榛名ベース

■メンバーが活動に出発
この日の朝、メンバーがばたばたと出かけていった。


山崎、中村、寺林、山本保子は、静岡県の旧革命左派の井川ベースに残してきた荷物をとりにいった。

岩田、伊藤は、名古屋へ行き、総括で死んだ小嶋和子の妹をつれてくることになった。

前沢、青砥は、黒ヘルグループの奥沢修一たちをオルグし入山させることと、森の夫人に会うことになった。


 指導部会議では、新たな山岳ベースの調査に行くことが決まった。坂東・寺岡は日光方面へ、吉野・寺林は赤木山方面へ、植垣・杉崎は迦葉山へ調査に行くことになった。このため大槻と加藤三男は地図を買いに行くことを命じられた。


 なぜ新たな山岳ベースを調査するかというと、榛名ベースは道路から近いため危険と判断したからである。植垣が始めて榛名ベースを訪れたときにも心配していた。

 岩田氏は元気で張り切っている様子で、とてもそのあと脱走することになるとは思えなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「俺はもういやだ。人民内部の矛盾じゃないか」(坂口弘)


 私は、小屋上手の便所に行った帰り、便所の側で丹前を着たまま蹲り、森君はまだ総括を続けるつもりなのだろうか? そうだとしたら、われわれの組織はこの先、どうなってしまうのか? などと考えていた。
 すると、永田さんがやってきて、昨夜 とはうってかわった優しい調子で、私に話しかけてきた。それで私は、「俺はもういやだ。人民内部の矛盾じゃないか。このままでは駄目だ。一刻も早く殲滅戦を戦うべきだ」といった。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


 坂口は、なんとか永田を味方につけたいと思ったのであろう。しかし、、、

 私は人民内部の矛盾を認めながらも、共産主義化の闘いを絶対的に確信していたので、「総括は、私たちが前進していくためにはどうしても必要じゃないの」といった。坂口氏はうなづき、小屋に戻っていった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は、坂口の件を指導部会議で報告するが、森は何もいわなかった。

 私はこの問題で、当然総括を求められるべきなのに、その後も彼から追及されることはなかった。私は、永田さんと共に、森君に特別視されていたことを認めざるを得ない。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


■「夕やけこやけの赤とんぼ・・・」(行方正時)


 青砥氏が出かけたあとは、私が行方氏に食事を与えたが、行方氏は、その日の午後、「夕やけこやけの赤とんぼ・・・」と唄っていたかと思うと、「ジャンケンポン、アイコデショ」といったり、「悪かったよー、自己批判するようー、許してくれようー」といったりしていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 行方は1月3日に批判 され、1月4日未明に緊縛されてから、ほとんど食事を与えられていなかった。見かねた青砥と植垣が森に進言して1日1回食事をあたえていたが、あとはずっと放置されていた。


■「金子は主婦的、大槻は女学生的」(森恒夫)

 夕方、森は、金子を「主婦的」、大槻を「女学生的」と批判しはじめた。

(森氏は)「金子君は、土間の近くの板の間にデンと座り、下部の者にやかましくあれこれ指図しているではないか」と説明し、さらに、「大槻君は60年安保闘争の敗北の文学が好きだといったが、これは問題だ」と大いに怒った。
(中略)
 森氏はそのあとも、「金子君は下部の者に命令的に指示しているが、これも大いに問題だ」と批判していたが、そのうち、ハタと気づいたような顔をして、「今の今まで、金子君に会計を任せていたのが問題なのだ。永田さんがこのことに気づかずにいたのは下から主義だからだ。直ちに、会計の任務を解くべきだ」といった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は、森の批判に驚いたが、金子を会計から外せば、森に批判されないですむと思ったという。

 それで私は、金子さんのところに行き、「あんたを会計から外すから、持っているお金やノートを出して」といって、これらを受け取ってコタツに戻った。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「行方氏はぐったりしていたが、私たちは注意を払わなかった」(永田洋子)


 夕食後、私たち兵士は土間で雑談をしていたが、8人も出かけているため、ベース内はガランとしていた。午後9時頃、見張りの順番を決め、早々に寝ることにした。行方氏がガタガタ震えていたので、指導部の誰かが行方氏に毛布をかけていた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 8日の晩は、中央委員会も全体会議も無く見張りを残して寝た。見張りは被指導部の人たちが交代で行っていたが、行方氏はぐったりしたまま元気が無かったが、私たちはほとんど注意を払わなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■久々の活気も、いよいよ闘争・・・にはならなかった
 メンバーに任務を与えるとき、1人で外出ということはなく、慎重にペアが決められていた。これは、互いの行動の監視や、逃亡を抑止するという意味があったようだ。


 殲滅戦の前準備とはいえ、ようやく任務らしい任務を与えられた下部メンバーは少し元気を取り戻した。もともと彼らは、共産主義化のためではなく、闘争活動のために集ったのだから、それは当然であった。


 その一方で、行方は放置されていた。精神に異常をきたし、もはや総括うんぬんの状態ではなかった。誰もがそう思っていただろう。しかし、同情を口にすれば、総括にかけられる恐怖があり、断固とした態度でいるためには、弱者というレッテルを貼って切り捨てるしかなかった。


 森の金子と大槻に対する批判は、この日も止まらなかった。事実、金子は主婦だし、大槻は女学生なのだから、それが何か? とツッコミたくもなる。「主婦的」とか「女学生的」という言葉で批判する森のほうこそ、女を意識し、蔑視していることがよくあらわれている。


 さて、メンバーは、これで暴力的総括、すなわち、 「敗北死」 は終わりという期待をしていたようだが、そうはいかなかった。 それどころか、「死刑」 という 「新たな地平」 に連れて行かれるのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11191932078.html

1972年1月9日 何気ない日常の恐ろしさ
https://ameblo.jp/shino119/entry-11230763410.html


 今回は、行方死亡後の出来事をフォローしておく。

 メンバーは久々の任務について、活動にでかけていた。


■メンバーの状況(1月9日・榛名ベース)
【中央委員会(CC:Central Committee】
森恒夫  (赤軍)独創的イデオロギーを繰り出す理論的リーダー。
永田洋子 (革左)学級委員長的にメンバーを摘発、鼓舞。
坂口弘  (革左)永田と夫婦関係。暴力に疑問を持つが言い出せない。
山田孝  (赤軍)暴力に否定的な考えを表明するもはねかえされる。
坂東国男 (赤軍)森の懐刀として指示を冷酷・忠実に実行。
寺岡恒一 (革左)死体を皆に殴らせたこと、女性蔑視発言を批判される。

吉野雅邦 (革左)暴力に積極的に関わることで必死についていく。


【被指導部】
金子みちよ(革左)吉野の子供を妊娠中。会計係をはずされた。
大槻節子 (革左)「女まるだし」「女学生的」と批判される。
杉崎ミサ子(革左)革命戦士を目指して寺岡との離婚を宣言。
前沢虎義 (革左)黒ヘルグループをオルグするために東京へ
岩田平治 (革左)小嶋和子の妹をオルグするために名古屋へ
山本順一 (革左)運転手役。山岳ベースに理想郷を夢みて合流。
山本保子 (革左)荷物を回収に井川ベースへ(運転手)
中村愛子 (革左)荷物を回収に井川ベースへ
寺林喜久江(革左)荷物を回収に井川ベースへ
伊藤和子 (革左)小嶋和子の妹をオルグするために名古屋へ

加藤倫教 (革左)次男。指導部に疑問もついていくしかないと決意
加藤三男 (革左)三男。兄の死に「誰も助からなかったじゃないか!」
植垣康博 (赤軍)次第にベースの雰囲気になれる。
山崎順  (赤軍)荷物を回収に井川ベースへ
青砥幹夫 (赤軍)黒ヘルグループをオルグするために東京へ

【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)
小嶋和子 (革左) 敗北死(1月1日・凍死)
加藤能敬 (革左) 敗北死(1月4日・凍死or衰弱死)
遠山美枝子(赤軍) 敗北死(1月7日・凍死or衰弱死)
行方正時 (赤軍) 敗北死の規定なし(1月9日・凍死or衰弱死)


■「岩田君は僕に似ている」(森恒夫)


 岩田氏、前沢氏について森氏は、最初から評価していたが、とりわけ岩田氏を高く評価し、「岩田君は僕に似ている」とさえいっていた。しかし、森氏が高く評価した彼らがのちに脱走することになるのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 森は、山岳ベースで、ずっと心理学者気取りであったが、まったく的外れだった。


■「中村さんと結婚したい」(山崎順一)
 夕方、井川ベースに整理に行ったメンバーが帰ってきた。

 夕方、井川に行っていた山崎氏たちが戻ってきた。さっそくリュックを持って、大槻さんや山本氏たちといっしょに車まで荷物を取りに行った。その際、大槻さんがすすんで重い荷物を運び、私の方が驚いてしまった。(中略)
 それだけに、こんなに頑張っている大槻さんに対して「総括できていない」という指導部の態度が腹立たしかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)

 中村さんは、「山崎さんは、運転中に眠気止めといってタバコをのんでいたけど、帰ったらのめなくなるから今のうちに沢山すっておくんだといってスパスパすった」とさもおもしろそうに話した。
 また、山崎氏は、「車の荷台にちょこんと横になって寝ていた中村さんがかわいかったので、中村さんと結婚したいと思った」と明るい調子でいった。
 私は二人の気持ちがそういう風ならそれはよいと思い、ニコニコしながら聞いていたが、これらのことがのちに批判的に取り上げられることになるのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)

 夕食後、土間で一服しながら皆と雑談したとき、私は、山崎氏と、新しいベースの調査には2人で行こうと約束し合った。これは、山崎氏が運転手としての地位に安住していたと自己批判したことから、できるだけ他の任務をした方がよいと話し合い、誰か行くものはいないか聞かれたら、2人で立候補することにしていたからである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「植垣、お前の大槻に対する態度は何だ」(森恒夫)
 夜9時ごろ、遠山、行方の死体を埋める作業が行われた。坂東、吉野、植垣が行方の死体をかつぎ、坂口、山田、寺岡、山崎が遠山の死体をかついだ。


 戻ってきた時は午前零時をまわっていた。

 この時、森氏は植垣氏を中央委員のこたつの所に呼び、まず、杉崎さんと一緒に山岳調査に行くよう指示し、さらに党員にすることを伝えた。植垣氏は了解したものの、今一つ彼らしく張り切る様子はなかった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 植垣が気乗りしなかった理由は、ひとつは、山岳調査にいく相手が山崎ではなかったことだ。しかし、森は脱走を異常に警戒していたから、仲の良い2人組にすることはなかった。

 もうひとつは、他の党員候補が、前沢、岩田、寺林と聞いて、植垣の評価と違い、拍子抜けしたからである。

 そのあと、森氏は、「南アルプスでは、お前も大槻もすぐれていたが、ここでは違うんだ。お前の大槻に対する態度は何だ。いやらしいぞ」と批判しだした。私は、まずいことになったと思い、あわててその場をはなれた。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 森が、「南アルプス」といったのは、連合赤軍になる前の、赤軍派と革命左派の共同軍事訓練 のことをさす。 森は、榛名ベースでの植垣の大槻に対する態度を 「いやらしいぞ」 と批判したが、実は、共同軍事訓練のときの植垣の態度 のほうが、批判されるべきだろう(笑)


■連続殺害は、「敗北死」の規定によってもたらされた
 今回の話は、大したエピソードではない。しかし、行方が死んだ直後なのに、何もなかったかのように時間が流れた。それが逆に恐ろしい。


 行方の死で、死亡者は6名になった。もうかんべんしてくれと言いたくなるが、まだあと6名死亡するのである。


 これまで検証してきて、はたして、「彼らはどこでどんな間違いを犯したか」 という答えがみつかったかというと、ノーと答えるほかない。ここだ、と指をさせるポイントはみあたらないのだ。

 あとから考えてみても、ここでとどまるべきだったといえる明確な地点はどこにもない。いいうることはただ、ある人間が泳ぎだし、ちょっと遠くまで泳ぎすぎたということだ。しかし、どのひとかきが余計だったのか、正確にどの地点で引き返すべきだったのか、はっきりと考えることの出来る人などいないだろう。
(パトリシア・スタインホフ・「死へのイデオロギー −日本赤軍派−」)


 ただ、引き返すチャンスはあった。最大のチャンスは、最初に尾崎が死亡したとき である。死者が出るとは想定外だったメンバーは大いに動揺し、それは森恒夫もまったく同じだった。


 ところが森は、指導方法を改める代わりに、瞬時に、「敗北死」という規定を提示した。「敗北死」は自らの指導を正当化すると同時に、メンバーに免罪符を与えるものだった。動揺していたメンバーは、「敗北死」にすがったのである。


 もし、尾崎の死を「敗北死」と規定しなければ、2人目の死者はでなかった可能性が強い。連続殺害は、「敗北死」の規定によってもたらされたのである。それゆえ、森の理論の中でも、「敗北死」の理論はもっとも罪深いのである。
https://ameblo.jp/shino119/entry-11230763410.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c85

コメント [政治・選挙・NHK258] 健康被害が続出 豊洲市場の“黒い粉塵”は高濃度の猛毒物質(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2019年3月14日 07:57:55 : ZrjjO4P5Sk : T25Rd2wzdjVZTi4=[1]

 「毒ガス工場を改修して、毒食品市場にしました」てか

 責任者 石原、小池 出て来い〜 

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/458.html#c6

コメント [国際25] ベネズエラの脆弱な発電システムを体制転覆に使えると考えたCIA系組織(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
3. 2019年3月14日 07:59:36 : 05COWJ2Yqg : alpqWnE3Uk15dFU=[37]
脆弱な発電システムを政権転覆に使えるだと?

どこかで聞いた話だな。どこかというか、身近に聞いた話。どこだっけ?

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/677.html#c3

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
86. 中川隆[-11452] koaQ7Jey 2019年3月14日 08:01:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[543]

1972年3月12日 頼良ちゃんを救え!   
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)
https://ameblo.jp/shino119/entry-10277514114.html

 森の上申書をきっかけにメンバーの自供が相次いでいる。ただしそれは断片的なものだったので、新聞はそれらを組み合わせ、ストーリーを考え、記事を創作したとしか考えられない。当時これらの情報により、彼らは自分とは違う人間なのだと思っていた。


■3日間夫は泣いた 山本保子(毎日)


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件、新聞記事)-1972-03-12 毎日 朝刊19


 山本保子は素直に取り調べに応じ、「私は夫が殺されるのをこの目で見た」と始めて語った。幹部に少しでも逆らうと総括を受け、リンチはしょっちゅうだった。とくに永田のリンチぶりはひどかった。リュックにおしめを入れていると夫の順一が手伝ってくれた。これが永田の目に留まり「夫婦はブルジョア趣味だ。もっと強くならなければならない」となじった。ついに夫は総括を受けることになった。1月下旬、森、永田らは突然、「これから総括する」と言って腕や手足を縛り上げ、木切れや板でなぐったりけったりした。私は駆け寄ろうと思ったが、監視がきびしく泣き声すらあげられなかった。リンチは3日3晩続いた。夫は寒かったのだろう。"オー、オー"と叫びながら助けを求めていた。3日目になると声も出なくなった。夫は死んだのだ。


 直接話法でかかれているが、事実とはまったく違う。保子はリンチの現場にはいなかったし、森、永田もリンチの現場にはいなかった。山本順一の総括は坂口が中心に行なわれた。

■処刑の跡 ロープ 無数の弾痕 暗い穴の中に焼けた布切れ(毎日)
 榛名山アジトは榛名湖から保育等に約5キロ。4畳半くらいの小屋跡にはバスローブのタオルひも、おしめのような布、クギ、カスガイなどが凍り付いている。小屋のすぐ上に深さ1メートルぐらいの穴があり、細かい布が無数にこびりついていた。すぐ下の大木には、人の背中の高さのところにロープでこすったような跡がある。小屋から5メートルぐらい下ったところに小さな小川が流れている。そのほとりに黒く焼けた木材、石などがころがっていた。ここが彼らの炊事場。炊事場に隣接するこの小川の中がトイレ。おびただしい量の排泄y物や、生理用品が、済んだ水の中に浮いている。・・・榛名山アジトの小屋周辺はすべてが焼き払われており、灰化したような土の山。それは、自分たちの犯行の血なまぐささに耐えられなくなり、その悪夢を振り払おうとして、撤退していく彼らの暗い絶望的な姿を思わせた。


■頼良ちゃんを救え! 連れていた中村手配(朝日)
 保子の供述によると頼良ちゃんは1月末、榛名山味とから、迦葉山アジトに移った直後、「夫婦、親子の関係を清算しなければ革命はできない」と幹部に指摘され、保子の手から中村愛子に移されたままという。

 中村愛子は2月7日の雪の朝、榛名湖畔でストーブにあたらせてやった食堂経営者佐藤道三さん(48)は「てっきり自殺かと思った。...こちらの心配を気にしてか、"自殺なんかしないわよ"とはじめて笑顔をみせた。あの赤ん坊はどうしているんですかねえ」という。

 身元引受人にされた高校時代のAさんも「ひどく疲れているようだった。タクシーの中でほとんど話をしなかった。"事情がある"というだけで、あとはよくわからないまま"サヨナラ"といって行ってしまった」といっている。


■前沢が出頭 リンチこわくアジトを脱走(朝日)
 11日親類2人につきそわれて東京・練馬署へ出頭した。2月7日、金を一銭ももたず、乞食のような身なりでやってきて、塗装業の栗田さんの手伝いをしていた。栗田さんは指名手配されて顔写真がいっせいにのった10日の新聞記事をみて驚き、「これではきれいさっぱり話してしまわなければいけない」と前沢を説得、出頭したという。前澤は「リンチの場面をみてこわくなり組織をやめようと逃げた」と語った。


■夫婦も兄弟もなかった  肉親でもリンチ殺人 車もたつき"総括"直前(朝日)
 奥沢修一(22)の自供によると・金子みちよの殺害には、当初吉野が不在のときといわれていたが、吉野も手を下していた。加藤には弟も殺害に参加。これは「夫婦、親子、兄弟などの関係は革命の前には放棄すべきだ」とする永田の考え方の実践で、同時に生き残る者に対する「踏み絵」としての意味を持たせた。肉親同士殺し合うという異常ぶりに「革命の精神が高められた」と総括していたという。

 山本は運転をしばしば誤って総括されたが、車をミゾに落とすことは、そのまま犯行の発覚につながる恐れがある、と重視されたという。死体搬出でスリップしてミゾに車輪を落とした山本は、味とに帰ってから森や永田に「気合が入っていないからだ」と厳しい追及を受ける結果となった。

 2月7日、奥沢は怪しまれてレンタカーを断られると、永田が「革命精神が足りなかったからだ」と総括にかけられた。奥沢は死を覚悟したが、心酔していた森から「あと1日やるから車をかりてこい」と1人だけ残った運転技術を買われて助けられた。8日に車輪を溝の落として近所の人に助けられて人目につき、16日にもぬかるみに車輪を取られて警官にみつかり、グループの破滅につながった。

 結局、山も虎の運転技術者を「運転の仕方が悪い」などの理由で次々に殺して言った最高幹部の"過剰殺人"が、奥沢のようなまずい技術者の起用につながり、壊滅的な打撃となって終わった。

 加藤は1月上旬ごろ、女性関係のもつれから榛名山アジトで人民裁判にかけられ、リンチされることになった。次男Aもそのメンバーに入れられて一緒に殴った。三男Bは兄の処刑が決まりリンチが始まると「殺される」と思い、森ら最高幹部たちに「兄さんの命だけは助けてほしい」と訴えた。この命乞いに森は「だまっていろ、兄のことは組織に任せておけ」と答え、聞き入れられなかったという。


 最後の加藤リンチの状況は事実と違う。次男Aも三男Bも、永田に促されて2人とも殴った。命乞いうんぬんのくだりは彼らの手記にはでてこない。


■「女問題・逃亡は『死刑』」 青砥が自供 山崎惨殺は見せしめ(朝日)
 山崎順(21)があまりにもむごたらしい殺され方をしていたため、青砥らを追求したところ、山崎は榛名山アジトに出入りしていた女性をめぐって他の男とトラブルを起こした。森・永田らからとがめられたことから、イヤ気がさし、逃亡しようとしたところをみつかり、人民裁判にかけられた。

 同アジトでは、少ない女性をめぐって、他にもトラブルがあったため、森・永田らは、「これ以上女性トラブルが増えると組織がもたない」と考えていた。こうした中で脱走者が出ることを厳しくチェックするようにしたり、山崎の脱走行動がヤリ玉にあがったという。このため山崎は他の処刑者と違って死刑宣告を受け、殺され方もみせしめのため、みんなの前でわざと残虐な方法がとられたという。


 山崎死刑は幹部だけで話し合われて、メンバーには死刑の理由を知らされていなかった。メンバーの自供に基づいた記事のため、事実と違う記事になったと思われる。


■永田洋子という女 森しのぐ実力 飛びぬけて激しい言動(朝日)
 永田の存在が不気味にクローズアップされてきた。アジト内の会議では議長の森を牛耳った。処刑の場では大声をあげてメンバーを動かしていた。当局の調べに対し、逮捕者が相次いで脱落、自供していく中で、彼女だけは口を割らない。「実質的な指導者は森ではなく永田ではないか」という評価も生まれつつある。


▲リンチ通し地位高める
 山本保子の供述によれば、永田はリンチのとき飛びぬけて激しい言動をみせた。集団リンチという異常極まりない行動をとるとき、病的に冷酷な人間が最低一人は必要といわれる。当局によればそれが永田だった。逮捕当時「ナンバー1」の森さえ、永田を抑えきれなくなっていたらしい。彼女はリンチを加えることによって組織内での自分の地位を高め、ついに事実上の「ナンバー1」にのしあがったといえるようだ。


▲死に行く者をあざ笑う
 最後に処刑された山田孝は妙義山のほら穴アジトで縛られ、雪の上に放置されていた。死の直前、のどのかわきをいやすためか、山田はからだを必死にねじまげて雪をなめ、そのまま死んだ。居あわせたメンバーは一瞬シーンとなった。洋子はその静けさを破るように大声で笑いながら言った。「こいつは死ぬまで食い意地が張っている」(警視庁への密告から)


 これはひどい。山田が死んだとき、永田は森とともに東京アジトにいて現場にいなかった。関係者がそんなこと供述するはずがない。全員逮捕されているのに「警視庁への密告から」というのも奇妙だ。「永田」でなく「洋子」と呼称しているのは女性を強調するためだろうか。


▲警官の心臓めがけ短刀
 永田は森恒夫と妙義山中でつかまった。登山ナイフをふりかざしながら機動隊員と取っ組む森に「やれえッ、やれえッ、殺せッ、突き刺せッ」と声を限りに叫んだ。機動隊員が雪ですべって森に組み敷かれると彼女もとがったやすりを振りかざして旨めがけて突き刺そうとした。機動隊員は防弾チョッキを着ていたので、ケガを免れた。あとで、チョッキを調べたら、刺し跡は心臓のみに集中していた。


 「十六の墓標(下)」(永田)によると、永田が持っていたのはナイフであり、すぐ取り押さえられたというから、攻撃できたとは思えない。心臓にナイフを刺したのは森。


▲不美人を気にする日常
 「色黒。ギョロ目、上歯やや突出した感じ」(手配書から)。美人とは言いがたい永田はそれを自覚してかどうか、仲のいい活動家に「私だって子供には慕われるのよ」といっていた。浅間山荘にたてこもった坂口弘と同性していたところ、わざと腕を組んで見せて「新婚なのよ」と誇らしげに話した。人目をそらすための、偽装だけではなかった、と当時を知る人たちはいう。


▲仲よい山本夫妻いびる
 坂口は心臓が弱く「夫婦仲」は必ずしもよくなかったようだ。夫婦仲のよかった山本夫婦のむつまじさにイラ立って「夫婦気取りで革命はできない」と非難した。保子が子供のおむつを味との外に干そうとすると「人にみつかる」ときつくたしなめた。群馬県警に逮捕された1人は「嫁いびりのようだった」と表現している。


▲永田とはだれの名だ
 妙義山中の逃避行の際、警官に職務質問されたことがあった。洋子は一緒にいた森ととっさにキスをして、アベック旅行者を装ったという。逮捕後、自分への手配書をみせられると泣いて悔しがったが、取調べでは一番係官を手こずらせている。自分が永田であることを認めていない。留置場につけられた「永田洋子」の名札をみて「これはいったい誰の名前だ」。取調官にたて突く。「殺人罪とはどういうことをいうのか」「刃物を持つのが悪いとはどういうことか」ダバコをすすめると「オマエらのものをすえるか」しかし、しばらくして灰皿の吸殻を拾ってすった。


 いくらなんでも職務質問中に「とっさにキス」をしたとは信じ難い。取調べの模様は「続・十六の墓標」(永田)に詳しい。それとはずいぶん違う印象だが、このようなう面もあったかもしれない。タバコの件は「タバコを権力にもらうのはよくないが、落ちているタバコを拾ってすう分には問題ない」という連合赤軍ルールによる。森も「拾って」吸った。


▲コーヒーを飲ませろ
 彼女はいま群馬県高崎署に収容されている。朝晩留置場から調べ室に警官が両脇をかかえて進行する。その警官に必ず彼女は言う。「病人だから大事にあつかいな」調べ室ではあいかわらずだんまりを決め込みプイと横を向く。そしてときどき命令する。「病気だから調べをやめな」「下着を買ってくれ」「コーヒーをのませろ」「弁護士を頼んでくれ」永田はバセドー氏病にかかっている。


 永田の感情の高ぶりがよくバセドー氏病と結び付けられるが、まったく関係はない。また「永田はバセドー氏病のため子供が生めない体だから、妊娠した金子に嫉妬していた」などとかかれる事もあるが、これも病気とは一切関係がない。事実、永田は妊娠し中絶している。この経験から、金子が妊娠したとき「今後は子供を生んで育てていくようにしよう」と提案し、祝福したから、金子は山に入ったのである。


▲大学生も恐れる論旨
 京浜安保共闘の川島豪議長が逮捕されてから「理論面」で永田に並び立つものはいなかった。アジ演説も巧みだし、論旨もそれなりに明快だった。だから議論になっても反論するものはなく、大学生のメンバーでもひたすら恐れ入ってしまったという。


 「大学生も恐れる論旨」という見出しからもわかるように、当時、大学生はエリート扱いされていた。だから赤軍派は「労働者諸君!」などと見下すようにアジっていたのである。ちなみに永田は共立薬科大卒業だ。


■13人目のリンチ殺人(毎日)
 京浜安保共闘がが独自で山岳アジトを作ったとき、リンチ殺人が行われたとみている。これは中京安保共闘の少年2人と同、寺林真喜江(23)、京浜安保共闘の伊藤和子(22)、山本保子(28)の断片的な自供から得たもの。


■その他の記事
きょう4人の死体発掘 保子が現場を案内(朝日)
37名の警官が負傷した明治公園爆弾事件は森が陣頭指揮をとったと青砥が自供(毎日)
頼良ちゃんを連れて逃亡したとみられる中村愛子(22)を森林法違反の疑いで全国指名手配(各紙)

https://ameblo.jp/shino119/entry-10277514114.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c86

コメント [政治・選挙・NHK258] 自民総裁4選発言で、表立っての反対意見が出て来ないことに自民の暗黒時代=国民の暗黒時代予兆(かっちの言い分) 一平民
3. 2019年3月14日 08:02:07 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[40]
ここで声を上げ行動を起こさない自公議員は、
政権転覆が予測出来ないのかな?。

それが明らかになる前に、野党に乗り換えないと
今度こそ沈んでしまい浮き上がれないだろうに。と、

この頃のネットはそれ程騒がしいと思わない?。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/455.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
49. 2019年3月14日 08:02:56 : UgHwutVFKQ : WDZIblpuNjlGN3c=[2]
>>47

だれも「フセイセンキョ」のことなんか、話題にしてないんだよ。

割は入って来て商売するな。

今度は輿水先生のパンツでも販売するつもりか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c49

コメント [雑談・Story41] 皮オナニーが引き起こす、仮性包茎の負の連鎖 BRIAN ENO
2. BRIAN ENO[1206] QlJJQU4gRU5P 2019年3月14日 08:05:59 : KYFDWqdXuQ : dFJuWlRpT05BU1U=[2]
裏ビデオではなく
海外の無料のホームページ
を観ている。

若い男優たちが順番待ちのときに
萎えないように
竿の伸縮性に富んだ皮膚細胞を
シコシコやっている。

9割は仮性包茎
中には、

シコシコする度に
亀頭が顔を出したり
顔を隠したり

派手なシコシコ振りを
これ見よがしに
視聴者に
見せ付ける
真性包茎前夜状態の
純度の高い仮性包茎男優もいる。

これなら、

お相手する女優さんも大変である。

恥垢の臭さに耐えなきゃいけないし
コンジローマや子宮頸がんの
リスクがあるから出演は命がけである。

ちなみに、
著名なポルノビデオの会社の場合
出演者に総合的な性病検査が陰性であることが
出演の条件になる。

出演者も相手が総合的な性病検査が陰性でないと
出演しない。

ただ、

仮性包茎でも
まった問題なく出演できるし
はした金のギャラも手に入るそうである。


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/732.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK258] 露大統領報道官「島を返すかどうかでない」 大統領府筋「北方領土を日本への引き渡す計画がない」 赤かぶ
2. 2019年3月14日 08:09:48 : fPAGedqalU : S0tQb1pzMi91OVU=[41]
 これで、八方ふさがりどころか
 ”外交には手も足も出ない稚拙な政権”

 ということが国際社会に明確に認知される
 事になった。が

 しかし、この事態は国民にとっては朗報にして
 先が明るいと気を取り直す方のコメントが欲しいものだ。



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/462.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
11. 2019年3月14日 08:10:11 : UgHwutVFKQ : WDZIblpuNjlGN3c=[3]
>>

だからさ、

「李晋三」と

「フセイセンキョ」

なる輿水先生のアイテムをここに書くなって。

事件と無関係な韓国ネタ引っ張り出してをわめき立てる警察マスコミと同じだろうが。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c11

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
50. 2019年3月14日 08:15:07 : 5Xbf24QQmc : aW91ci9QTVRSN2c=[4]
>>48 御意! 奴隷にされ、殺され続ける日本人・・・・・・・・・・

文鮮明の「日本乗っ取り計画」、池田大作(ソン・テジャク)の「総体革命」による日本植民地化が
進んでいます。日本人は奴隷、彼らは支配者として君臨するという計画です。

>反日活動家 文鮮明教祖の日本乗っ取り計画(1)
https://ameblo.jp/chanu1/entry-11751201354.html
■統一教会から日本の国会議員に秘書や選挙応援人材を送り込んでいるのは、統一信者なら常識・・・しかし一般市民はその事実をあまり知らない。韓国人である文鮮明教祖は反日活動家です。
文教祖は生前、竹島にも上陸し『独島(竹島)も対馬も韓国のもの』であるという反日主張を日本人信者に吹き込み洗脳し続けました。その反日工作は単に教会内の信者だけにとどまらず、日本の国会議員にも触手を伸ばしていました。狙いは日本の韓国化(統一教会化)、つまり日本を韓国の植民地にすることです。

<日本の衆議院内に統一教会を作れ!そのために国会議員に秘書を送り込め!>
統一教会の日本の乗っ取り計画は宗教と同時に政治面からも進められました。
「勝共連合」として反共を隠れ蓑に右翼系の愛国議員に近寄り取り込み工作をしてきました。
1989年に文教祖は統一教会日本責任者の久保木会長に下記のような指示を出します。
ここで留意していただきたいのは「統一教会=国際勝共連合」だということです。

●国会議員との関係強化
その次に5番目ですよね? (「大きい5番です」)大きな5番!これは、国会議員と何ですか? 国会議員との関係強化。国会議員との関係強化です。そのようにして国会内に(統一)教会を作るのです。国会内の教会ですよ。衆議員教会・・・こいつ!なぜ言うことを聞かない!出てこないのです。そうやって行ったり来たりしながら妨害しているのですか? それで久保木会長は、相談をして・・・先生が指示していることが何なのか? 今から地方とかいろんなところにいる日本の統一教会の中心メンバーは、その地方で学校を出たら、自分なりに出馬してみることができる道を磨かなくてはいけないというのです。わかりますか、何を言っているのか?
それでアメリカに行って5年以上の訓練を受けた人たちを呼び戻して....そんなことも考えています。そうやって考えておきなさい! その名簿を作成するように先生が指示をしましたが・・・、久保木は、顔も見えないのです。そのような話はしませんでしたか? 久保木にそのようなことは言いませんでしたか? あ、小山田だろう? 国会議員たちを120人以上束ねことのできる名簿を作成するように言っただろう? 今からそのようにして、それ(日本の国会議員)が教会の組織になるようにするのです。そこで原理を教育するだとか・・・すべてのことが可能になるのです。
二番目は、秘書です、秘書。(統一教会から)国会議員の秘書を排出するのです。三番目は、国会内の組織体制を形成するのです。体制形成、体制形成を国会内を中心としてするのです。そのような組織体制を備えなければならないのです、体制形成。四番目は、党の収拾と連合。聞いてみたらすばらしいですよね? 誰かがそのような連合運動をしないと駄目なのです。集成と連合。聞いてみたらすばらしいですよね? それで自民党の安倍派などを中心にして、(勝共の)久保木を中心として、超党派的に、その議員を結成して、その(勝共議員の)数を徐々に増やして行かなければならないのです。わかりますか?
そして五番目、行動結束と挙国。挙国というのは国を挙げて行動を結束するのです。行動結束。全国的な行動結束が五番目です。四番目は、党の収拾と連合です。全国です。国を挙げての行動で結束するのです。それで日本の中央の国会議員だけではなく、地方の、地方全体の・・・地方には皆さんがいますよね? そうですよね? わかりますか? 国を挙げての行動結束化運動。
(「文鮮明先生み言葉選集」192巻より 1989年7月4日 韓国・一和修練院)
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上のみ言葉をまとめると
1.日本の衆議院内に統一教会を作れ(国会議員に原理教育)
2.国会議員に統一教会員の秘書を送り込め
3.国会内に統一教会がコントロールできる組織を作れ
4.党を超えて議員を集め、超党派勝共議員たちを結束させろ(与党自民党の弱体化)
5.愛国等の日本挙国の名目で勝共議員を集め組織化しろ(本音は反日だが、愛国を偽装)

こんなかんじでしょうか。これが語られたのが、1989年です。
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>気が付けば、日本中が朝鮮人に背乗りされていた!
http://kenbounoblog.blog.fc2.com/blog-entry-923.html
>安倍晋三は 李晋三である
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/595.html#c1

>山口様の腹の中、黒いくろーい腹の中
http://www.asyura2.com/17/senkyo234/msg/264.html#c22
おまえら日本人は、本当に馬鹿だな。似非宗教は洗脳機関、総体革命を知ってるか?
権力中枢に入り込み、メディアを押さえ、ムサシを押さえ、疑う者は始末する。
背乗りの詐欺と利権と腐敗。貧乏人を騙して毟る。宗教ごっこは大儲け。ガハハ!

>日本人の覚醒【The Awakening of The Japanese】
小泉と安倍のルーツは朝鮮人である重複コメントリンク認定

>経団連と東レは朝鮮人 崔定征 通名 榊原定征に乗っ取られた! 消費税増税と法人税減税 血税泥棒 國賊 パソナ竹中平蔵 ハニートラップの舘 仁風林 小野寺五典 米倉弘昌とモンサント
http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2115315.html

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http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c50

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
10. 2019年3月14日 08:18:51 : kIQuTy7QRQ : VEpWZ0cuR2Z6c3c=[1]
この投稿は、国民を“しょうがない、諦めざるを得ない”と云う心境に誘導する意図があるように思えてしまうのは、俺だけであろうか・・・・・?
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c10
コメント [近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
154. 中川隆[-11451] koaQ7Jey 2019年3月14日 08:19:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[544]

ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇
3/13(水) 19:40配信 AbemaTIMES
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00010024-abema-soci


 ソ連軍が侵攻した旧満州国で男性兵士に性接待をさせられたという体験を日本人女性が告白した。女性たちに一体何があったのか。12日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、当事者の証言などを基に紐解いた。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


日本と満州国の歴史


■子どもたちに語ることができなかった過去

 1932年、現在の中国東北部に建国された満州国。日本政府は補助金を渡すなどして移民を奨励し、およそ800もの満蒙開拓団が海を渡った。

 そして太平洋戦争末期。ソ連軍157万人の勢力が国境を越えて侵攻、関東軍が南満州方面に後退したことで、開拓団も人々が置き去りの状態になり、現地民やソ連軍による略奪や強姦の被害に遭い、村ぐるみの集団自決も相次いだという。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


安江菊美さん


 元黒川開拓団の安江菊美さん(85)は、語り部として地元の小学校を回り、子どもたちに体験を伝える活動をしている。「国境に配置されて、私たちは日本の兵器に使われたと言っても過言じゃない気がする。ソ連兵が入ってきていつ死ぬか分からなかった。隣の開拓団が集団自決して、私の母親も日本刀を枕元に置き、“小さい子を殺すから、お前は自分で死になさい“と、長女の私の枕元には短刀を置いた」。

 しかし、菊美さんには子どもたち語っていない記憶がある。それが“接待所“についてだ。

 極限状態の中、開拓団は生きて日本に戻るため、ソ連の将校らに守ってもらうことを願い出た。その見返りが、18歳以上の未婚女性15人をソ連兵に差し出すことだった。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


黒川開拓団とは


 満蒙開拓平和記念館館長の寺沢秀文さんは「性接待という言葉自体が適切かどうか考えないといけないと思う。性暴力だと言えると思う。他の開拓団も含め、当時、“根こそぎ動員“といって、18〜45歳の男性は兵隊に取られてしまっていて、高齢者、女性、子どもしかいない状況だった。周辺住民などからの暴力から団を守るためにはソ連軍に守ってもらうしかないという極限状態だった。その中で、幹部の皆さんは辛い決断をしていた」と説明する。

そして17歳以下の少年少女たちは、案内係や洗浄係を任されていた。当時小学生だった菊美さんも、性接待に向かう女性たちのために風呂を沸かし、性器を洗浄する係に就いた。「“ソ連兵のところに行くから風呂炊きなさい“と。そして、行ってきたらすぐ医務室に入って洗浄する。兵隊さんの“うがい薬“を薄めてビンに入れて、ホースで洗浄させていた。発疹チフスが流行っても、自分に熱が出ても出ていかれた。助けてくださるという気持ちしか分からなかった」。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


安江善子さん


■2013年、生存者が声を上げる

 2013年になり、そんな辛い体験を打ち明けたのが安江善子さん(当時89歳)だ。

 「本当に悲しかったけれども、泣きながらそういう将校のお相手をしなければいけない。ボロボロになって自分の心の中に寝ても覚めても忘れられない。ときどき夢にうなされて」。講演でそう語った2年後に、善子さんは亡くなった。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


善子さんの遺した手記


 生前の善子さんに事実を語り継ぐよう頼まれ、手記を託された菊美さんだったが、「今までずっと見せなかった」と話す。

 善子さんの手記には「べにや板でかこまれた元本部の一部屋は、悲しい部屋であった。泣いても叫んでも誰も助けてくれない。おかあちゃん、おかあちゃん、の声聞こえる」と綴られていた。銃を持ったままのソ連兵に怯える女性たちの泣き叫ぶ声が響いた接待所は、400人が避難する旧国民学校の校舎のすぐ裏にあったという。

 「ダーっと部屋が並んでて、みんな雑魚寝みたいな格好で。(ソ連将校は)何人もいるから、1回に4人くらいいくよ。大人はみんなわかってるから近づかない。大人がやらせてるんだから」(菊美さん)。

 黒川開拓団の曽我久夫さんによる手記には「接待するこの乙女たちの泣き声がもれてきた。我々団員は心の中で泣いた」と綴られている。また、別の接待役の女性は「汚いものを触るみたいに、銃の先で私たちを動かして、銃を背負ったまま私はやられた。抵抗して暴発したら死んでしまう。友達と手を繋いで“頑張りなね“しか言えない状況だった」と証言。「ベルトが外れる音がずっとトラウマになってこの70年頭から離れることがなかった」と語る女性もいた。

岐阜県・ひるがの高原に住む佐藤ハルエさん(94)も、そんな悲惨な体験をした黒川開拓団の一人だ。「“団を守るために、どうか頼む““あんたら娘だけでどうか頼む“って。それは忘れない。頑張ってどうにかして日本に帰りたい。それだけが念願で、犠牲になった。当番が決めてあった。今夜はこの人、明日はこの人って回ってきて。みなさん病気になられて、順々に亡くなっていった」。

 総勢約600人で満州に入植した黒川開拓団は約400人が生還した。しかし犠牲になった女性たちを待っていたのは、身内からの中傷だった。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


佐藤ハルエさん


 菊美さんは「接待に出てくれと頼んだ人が、帰ってきてから“いいことした“でいいじゃないか、って中傷した。酷いと思うよ。そんな無責任なことはないってみんな泣いて怒ってたけどね」。

 故郷を離れ、独身のまま亡くなった人もいる。ハルエさんも、弟から“黒川では嫁のもらい手がない“と言われて故郷を離れた。そして他の村の出身だった健一さんと結婚し、荒野だったひるがの高原の土地を開墾し、酪農を始めた。「ここで乳絞りましたけどね。大きな借金をして。主人だって義勇隊で満州体験して南方から帰ってきたんで、何もかもわかってくれて、本当に良い主人だった」と厩舎で語るハルエさん。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


佐藤茂樹さん


■当事者たちの親族の苦悩

 戦後を生き抜き、子どもも孫もできた女性たちが、近年になって事実を明かした理由は何だったのだろうか。

 ハルエさんは「もうそういうことを公表しようと思う犠牲者もいないでしょう。亡くなっちゃって。みな揃って帰ってこれた。その元になれたと思えば、今生きているうちに喋るのは恥ずかしいこととも何とも思わない」と振り返る。

 しかし、周囲の人たちにとっても、この事実は重いものだった。ハルエさんの息子・茂樹さん(65)は「いくら母親でも、そういう体験があったことは子どもとしては嫌だった部分があった」と話す。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


安江泉さん


 また、善子さんの長男・泉さん(65)は「我々には一言も言わなかったことを表で発表したところに重要度を感じる。“性暴力は発表するものじゃない、隠すものだ”っていう思いが、帰ってきてからの彼女たちを何十年も苦しめた」と話す。


ハルエさんが「お父さんが来られると“嫌だ“と思った」と振り返るのが、8年前に黒川開拓団遺族会の会長になった藤井宏之さん(67)の父親だ。当時、女性たちをソ連兵に差し出す“案内係“をしていた開拓団員だった。

 遺族会会長になって初めてその事実を知った藤井さんは、犠牲になった女性やその遺族を訪ねて回り、タブー視されてきた史実を碑文として残すことを呼びかけた。「碑文は役員会を何回も開いて当時の人たちの気持ちになって作ったものですから」と藤井さん。菊美さんは「藤井さんは責任を感じている。(碑文を)書き直しては、これでいいか、これでいいかと何枚紙をもらったやら」、元団員の新田貞夫さん(83)は「何回も手を入れた。反対意見もあったようだし、いろいろあったが、私はよかったと思っている」と明かした。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


“乙女の碑文“


 そして去年11月、女性たちの勇気ある告白と、それを受け止めた家族。そして開拓団遺族の贖罪の気持ちが結実した“乙女の碑文“が完成した。

 碑文には「生きるか死ぬかを選択させられた黒川開拓団の幹部は、生き抜くことを選んだ。(中略)。数えで十八歳以上の未婚の女性たちを集め、ソ連軍将校に対する『接待役』を強いた。女性たちは逃げたかったが団全体の生死が関わる事態に嫌だとは言えず交代で相手をさせられた。日本への引き揚げ後も恐怖は脳裡に焼きつき、その上中傷もされた」と、性接待の事実が刻まれている。ハルエさんは「書いてもらった方がいい。そういう歴史があったことを伝えていかなきゃならん。そういうことを伝えていくのが生きとる者の大きな使命じゃないか。本当にはっきりした。あれができて、私は死んでも後悔はない」と清々しい表情で笑顔を見せた。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


藤井さんと佐藤さん


 しかし藤井さんは「これを掲げたから終わりじゃない。生存している方に寄り添っていかなきゃいけない」と話し、今もハルエさんや遺族たちの所に足を運ぶ。「ハルエさんたちのおかげで、今の僕らがここに生きてる。もっと早くああいったことをしなくちゃいけなかったと思ったし、申し訳なかったと思ってる」とハルエさんに語りかけていた。

 善子さんの長男・泉さんは「戦争という異常状態になってしまうと何が起きるか分からないわけでしょ。性接待の問題も行けといったのは同じ団の人たちなんだから。皆おかしくなっちゃう。そういう状態に陥らないように努力するのが我々の大事なことだろうと思う」と語っていた。

■“第二の加害者“が生まれた理由に向き合うべき

 性接待をした15人の女性たちのうち、4人は現地で亡くなり、祖国の土を踏むことはなく無かった。健在なのはハルエさんを含む4人だけになった。

 寺沢さんは「黒川開拓団の問題を含め、満蒙開拓、あるいは満州開拓というのは戦後あまり語られてこない、送り出した側としては国民を危険な場所に追い込んだ、いわば不都合な歴史だからだ。しかし、不都合なことに目を瞑る社会はまた同じ過ちを繰り返す。悲しい経験をした人々の言葉に向き合って、二度と同じような悲しい犠牲者を出さないような国や時代にするにはどうすればいいか、学んでいかなければいけないと日々思っている」と話す。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


小川アナ


 ライターの速水健朗氏は「この問題には、“第二の加害者“がいると思う。それが日本帰ってきた後、犠牲にした未婚の女性たちを共同体に受け入れなかった人たちだ。なぜそういう排除が起きたのか知りたいし、そこに向き合わないと、この問題を受け止めたことにはならないと思う」と指摘。小川彩佳アナは「私たちは、戦争の中に生きた人たちの生の声を聞ける最後の世代ともいえる。この女性たちにとって、戦争はずっと続いていたんだなと感じた。何度も言葉で蹂躙され、トラウマに苦しめられ、どれだけのことに耐えてこられたのか。敬意を表する。最近のMeTooの流れとシンプルに一緒にしてしまうのは良くないが、共感してもらえるかもしれない、という望みも生まれているのだと思う。そういう女性たちの癒やしていくことができるのであれば、共有し、共感して、戦争の地続きの今を感じることが必要だ」とコメントしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c154

コメント [近代史02] こんな女に誰がした_1 (天皇陛下を恨んでね) 中川隆
33. 中川隆[-11450] koaQ7Jey 2019年3月14日 08:20:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[545]

ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇
3/13(水) 19:40配信 AbemaTIMES
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00010024-abema-soci


 ソ連軍が侵攻した旧満州国で男性兵士に性接待をさせられたという体験を日本人女性が告白した。女性たちに一体何があったのか。12日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、当事者の証言などを基に紐解いた。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


日本と満州国の歴史


■子どもたちに語ることができなかった過去

 1932年、現在の中国東北部に建国された満州国。日本政府は補助金を渡すなどして移民を奨励し、およそ800もの満蒙開拓団が海を渡った。

 そして太平洋戦争末期。ソ連軍157万人の勢力が国境を越えて侵攻、関東軍が南満州方面に後退したことで、開拓団も人々が置き去りの状態になり、現地民やソ連軍による略奪や強姦の被害に遭い、村ぐるみの集団自決も相次いだという。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


安江菊美さん


 元黒川開拓団の安江菊美さん(85)は、語り部として地元の小学校を回り、子どもたちに体験を伝える活動をしている。「国境に配置されて、私たちは日本の兵器に使われたと言っても過言じゃない気がする。ソ連兵が入ってきていつ死ぬか分からなかった。隣の開拓団が集団自決して、私の母親も日本刀を枕元に置き、“小さい子を殺すから、お前は自分で死になさい“と、長女の私の枕元には短刀を置いた」。

 しかし、菊美さんには子どもたち語っていない記憶がある。それが“接待所“についてだ。

 極限状態の中、開拓団は生きて日本に戻るため、ソ連の将校らに守ってもらうことを願い出た。その見返りが、18歳以上の未婚女性15人をソ連兵に差し出すことだった。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


黒川開拓団とは


 満蒙開拓平和記念館館長の寺沢秀文さんは「性接待という言葉自体が適切かどうか考えないといけないと思う。性暴力だと言えると思う。他の開拓団も含め、当時、“根こそぎ動員“といって、18〜45歳の男性は兵隊に取られてしまっていて、高齢者、女性、子どもしかいない状況だった。周辺住民などからの暴力から団を守るためにはソ連軍に守ってもらうしかないという極限状態だった。その中で、幹部の皆さんは辛い決断をしていた」と説明する。

そして17歳以下の少年少女たちは、案内係や洗浄係を任されていた。当時小学生だった菊美さんも、性接待に向かう女性たちのために風呂を沸かし、性器を洗浄する係に就いた。「“ソ連兵のところに行くから風呂炊きなさい“と。そして、行ってきたらすぐ医務室に入って洗浄する。兵隊さんの“うがい薬“を薄めてビンに入れて、ホースで洗浄させていた。発疹チフスが流行っても、自分に熱が出ても出ていかれた。助けてくださるという気持ちしか分からなかった」。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


安江善子さん


■2013年、生存者が声を上げる

 2013年になり、そんな辛い体験を打ち明けたのが安江善子さん(当時89歳)だ。

 「本当に悲しかったけれども、泣きながらそういう将校のお相手をしなければいけない。ボロボロになって自分の心の中に寝ても覚めても忘れられない。ときどき夢にうなされて」。講演でそう語った2年後に、善子さんは亡くなった。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


善子さんの遺した手記


 生前の善子さんに事実を語り継ぐよう頼まれ、手記を託された菊美さんだったが、「今までずっと見せなかった」と話す。

 善子さんの手記には「べにや板でかこまれた元本部の一部屋は、悲しい部屋であった。泣いても叫んでも誰も助けてくれない。おかあちゃん、おかあちゃん、の声聞こえる」と綴られていた。銃を持ったままのソ連兵に怯える女性たちの泣き叫ぶ声が響いた接待所は、400人が避難する旧国民学校の校舎のすぐ裏にあったという。

 「ダーっと部屋が並んでて、みんな雑魚寝みたいな格好で。(ソ連将校は)何人もいるから、1回に4人くらいいくよ。大人はみんなわかってるから近づかない。大人がやらせてるんだから」(菊美さん)。

 黒川開拓団の曽我久夫さんによる手記には「接待するこの乙女たちの泣き声がもれてきた。我々団員は心の中で泣いた」と綴られている。また、別の接待役の女性は「汚いものを触るみたいに、銃の先で私たちを動かして、銃を背負ったまま私はやられた。抵抗して暴発したら死んでしまう。友達と手を繋いで“頑張りなね“しか言えない状況だった」と証言。「ベルトが外れる音がずっとトラウマになってこの70年頭から離れることがなかった」と語る女性もいた。

岐阜県・ひるがの高原に住む佐藤ハルエさん(94)も、そんな悲惨な体験をした黒川開拓団の一人だ。「“団を守るために、どうか頼む““あんたら娘だけでどうか頼む“って。それは忘れない。頑張ってどうにかして日本に帰りたい。それだけが念願で、犠牲になった。当番が決めてあった。今夜はこの人、明日はこの人って回ってきて。みなさん病気になられて、順々に亡くなっていった」。

 総勢約600人で満州に入植した黒川開拓団は約400人が生還した。しかし犠牲になった女性たちを待っていたのは、身内からの中傷だった。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


佐藤ハルエさん


 菊美さんは「接待に出てくれと頼んだ人が、帰ってきてから“いいことした“でいいじゃないか、って中傷した。酷いと思うよ。そんな無責任なことはないってみんな泣いて怒ってたけどね」。

 故郷を離れ、独身のまま亡くなった人もいる。ハルエさんも、弟から“黒川では嫁のもらい手がない“と言われて故郷を離れた。そして他の村の出身だった健一さんと結婚し、荒野だったひるがの高原の土地を開墾し、酪農を始めた。「ここで乳絞りましたけどね。大きな借金をして。主人だって義勇隊で満州体験して南方から帰ってきたんで、何もかもわかってくれて、本当に良い主人だった」と厩舎で語るハルエさん。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


佐藤茂樹さん


■当事者たちの親族の苦悩

 戦後を生き抜き、子どもも孫もできた女性たちが、近年になって事実を明かした理由は何だったのだろうか。

 ハルエさんは「もうそういうことを公表しようと思う犠牲者もいないでしょう。亡くなっちゃって。みな揃って帰ってこれた。その元になれたと思えば、今生きているうちに喋るのは恥ずかしいこととも何とも思わない」と振り返る。

 しかし、周囲の人たちにとっても、この事実は重いものだった。ハルエさんの息子・茂樹さん(65)は「いくら母親でも、そういう体験があったことは子どもとしては嫌だった部分があった」と話す。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


安江泉さん


 また、善子さんの長男・泉さん(65)は「我々には一言も言わなかったことを表で発表したところに重要度を感じる。“性暴力は発表するものじゃない、隠すものだ”っていう思いが、帰ってきてからの彼女たちを何十年も苦しめた」と話す。


ハルエさんが「お父さんが来られると“嫌だ“と思った」と振り返るのが、8年前に黒川開拓団遺族会の会長になった藤井宏之さん(67)の父親だ。当時、女性たちをソ連兵に差し出す“案内係“をしていた開拓団員だった。

 遺族会会長になって初めてその事実を知った藤井さんは、犠牲になった女性やその遺族を訪ねて回り、タブー視されてきた史実を碑文として残すことを呼びかけた。「碑文は役員会を何回も開いて当時の人たちの気持ちになって作ったものですから」と藤井さん。菊美さんは「藤井さんは責任を感じている。(碑文を)書き直しては、これでいいか、これでいいかと何枚紙をもらったやら」、元団員の新田貞夫さん(83)は「何回も手を入れた。反対意見もあったようだし、いろいろあったが、私はよかったと思っている」と明かした。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


“乙女の碑文“


 そして去年11月、女性たちの勇気ある告白と、それを受け止めた家族。そして開拓団遺族の贖罪の気持ちが結実した“乙女の碑文“が完成した。

 碑文には「生きるか死ぬかを選択させられた黒川開拓団の幹部は、生き抜くことを選んだ。(中略)。数えで十八歳以上の未婚の女性たちを集め、ソ連軍将校に対する『接待役』を強いた。女性たちは逃げたかったが団全体の生死が関わる事態に嫌だとは言えず交代で相手をさせられた。日本への引き揚げ後も恐怖は脳裡に焼きつき、その上中傷もされた」と、性接待の事実が刻まれている。ハルエさんは「書いてもらった方がいい。そういう歴史があったことを伝えていかなきゃならん。そういうことを伝えていくのが生きとる者の大きな使命じゃないか。本当にはっきりした。あれができて、私は死んでも後悔はない」と清々しい表情で笑顔を見せた。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


藤井さんと佐藤さん


 しかし藤井さんは「これを掲げたから終わりじゃない。生存している方に寄り添っていかなきゃいけない」と話し、今もハルエさんや遺族たちの所に足を運ぶ。「ハルエさんたちのおかげで、今の僕らがここに生きてる。もっと早くああいったことをしなくちゃいけなかったと思ったし、申し訳なかったと思ってる」とハルエさんに語りかけていた。

 善子さんの長男・泉さんは「戦争という異常状態になってしまうと何が起きるか分からないわけでしょ。性接待の問題も行けといったのは同じ団の人たちなんだから。皆おかしくなっちゃう。そういう状態に陥らないように努力するのが我々の大事なことだろうと思う」と語っていた。

■“第二の加害者“が生まれた理由に向き合うべき

 性接待をした15人の女性たちのうち、4人は現地で亡くなり、祖国の土を踏むことはなく無かった。健在なのはハルエさんを含む4人だけになった。

 寺沢さんは「黒川開拓団の問題を含め、満蒙開拓、あるいは満州開拓というのは戦後あまり語られてこない、送り出した側としては国民を危険な場所に追い込んだ、いわば不都合な歴史だからだ。しかし、不都合なことに目を瞑る社会はまた同じ過ちを繰り返す。悲しい経験をした人々の言葉に向き合って、二度と同じような悲しい犠牲者を出さないような国や時代にするにはどうすればいいか、学んでいかなければいけないと日々思っている」と話す。
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ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇


小川アナ


 ライターの速水健朗氏は「この問題には、“第二の加害者“がいると思う。それが日本帰ってきた後、犠牲にした未婚の女性たちを共同体に受け入れなかった人たちだ。なぜそういう排除が起きたのか知りたいし、そこに向き合わないと、この問題を受け止めたことにはならないと思う」と指摘。小川彩佳アナは「私たちは、戦争の中に生きた人たちの生の声を聞ける最後の世代ともいえる。この女性たちにとって、戦争はずっと続いていたんだなと感じた。何度も言葉で蹂躙され、トラウマに苦しめられ、どれだけのことに耐えてこられたのか。敬意を表する。最近のMeTooの流れとシンプルに一緒にしてしまうのは良くないが、共感してもらえるかもしれない、という望みも生まれているのだと思う。そういう女性たちの癒やしていくことができるのであれば、共有し、共感して、戦争の地続きの今を感じることが必要だ」とコメントしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html#c33

コメント [国際25] ベネズエラの脆弱な発電システムを体制転覆に使えると考えたCIA系組織(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
4. 2019年3月14日 08:20:34 : O4pUfLwvsA : T1BlbkkwdDkuVEk=[37]
ベネズエラ転覆計画は数年前からあり、その計画の中に発電システムを狙うことが記載されている、との情報がすでに出ている。
グアイドの仕事は不発に終わり捜査対象になったとの事。



http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/677.html#c4

コメント [国際25] 「ボーイング737 MAX 8」で5カ月の間に2度発生した墜落事故の類似点 うまき
1. 2019年3月14日 08:21:36 : sUpHQ8Q75g : TzR2aVBha0pPeGc=[19]
> ボーイング737 MAX 8の乗務員用マニュアルに、ストール防止システムのことが記載されていなかったことが指摘されています。

こんな重大な事項が抜けたのはエンジニアが制作したからか?
マニュアル制作をグレイステクノロジーに任せとけば抜けなかったのか?

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/674.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK258] 内閣法制局長官が越権行為、「法の番人」が「安倍内閣の番犬」に変節した理由(Business Journal) 赤かぶ
9. 2019年3月14日 08:25:03 : m3AV3e45DI : d3Y1b0duc25Nanc=[59]

問題はここまで出鱈目な長官についての罷免要求を小西議員だけに任せている野党だ。
共産や国民民主始め、全ての野党が一致して、毎日国会に呼び出して、根ほり葉ほり詰問するしかない。また当然内閣総理大臣の任命責任問題はある。
国家の最高意思決定機関の審議にあろうことか法の番人が偏向した判断で介入したという事だ。
しかも「声を荒げる」の部分が何だったかを応えない。
その判断が「法理に基づく判断だったか」にも応えない。
下下の下の動物だ。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/426.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
11. 2019年3月14日 08:26:22 : 011vcptdS6 : QVVaQ0xzSVNrSWc=[1]
>>8

>嘘の支持率が発表されて、国民の目をそらしているうちに、多くの国民が安倍はまだ支持されていると錯覚する羽目になる。

そう思っているのは、現状を直視したくない自公の連中とバカな野党の国会議員の連中だけだろう。

庶民は肌感覚で、安倍が嫌われていることを知ってるし、アベのみクスッ の恩恵など全く受けていないと思っているはずだ。
それよりも、なんで安倍がいつまでも首膿を続けているのか、不思議でしょうがないと思っているのではないか。

まあ、そう思う庶民も選挙に行かなければ、まだまだ自公による暗愚政治が続くことを大概で学習せねばならないだろう。

選挙に言っても何も変わらないと思っている人達が多ければ多いほど、自公の思う壺三だ。
選挙に行く人が少なければ、統一凶会や葬火学会などの鉦倭会と裏で緊密に繋がっている輩どもが暗躍し、益々日本が日本人にとって住みにくい国となる。

上に挙げた朝鮮勢力の目標は、庶民を虐めて目先の生活にしか考えない、我良しの国民を増やして庶民同士の潰し合いをさせ、日本国民が自壊をしていく間に自分らだけが、庶民が築き上げた財産を裏から掠め取って行くという算段だ。

そのやり口は、コイツら朝鮮勢力の飼い主である、ロスチャイルドやロックフェラーらがやってきたことと全く一緒だ。

こうして日本の庶民が働いて得た財産が、無産階級のクズどもに吸い取られていることをもっと多くの庶民が気づかせさせねばならない。
多くの庶民が気づいたら、自公などは二度と立ち上がれなくなるだろう。
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c11

コメント [経世済民131] 日本でもモバイル決済は普及するか 普及を阻む4つの原因(人民網日本語版) 無段活用
1. 2019年3月14日 08:27:54 : hE3PRSoheQ : aDMueWFCSkFsbkU=[183]
 
 >第2の原因は、日本国民が個人のプライバシーを非常に重視し

 30年も前から 主張している 

 日本人は プライバシーを勘違いしている

 ===

 人間は 公に生きていかなければならないのだから プライバシーは 制限されるべきなのだ

 ===

 守られているのは 安倍などの 犯罪者の権利であって 普通の人の人権が守られているのではない
 
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/502.html#c1

コメント [近代史3] 若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった 中川隆
87. 中川隆[-11449] koaQ7Jey 2019年3月14日 08:30:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[546]

1972年3月13日 破滅の魔女・永田洋子   
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)
https://ameblo.jp/shino119/entry-10279942676.html?frm=theme


 この日の紙面は永田バッシングのオンパレード。憶測(でっちあげ?)記事が多く、なんでもありの書きたい放題。新聞の間違い探しをするのが目的ではないが指摘しないわけにいかない。連合赤軍の”総括”を批判しながら、連合赤軍の"総括"とまったく同じことが行われているのだ。新聞とはかくなるものであったか、と痛感する。


■さらに四遺体 同じ穴、折り重なって(毎日)
 群馬、長野寮県警は青砥らの自供にもとづき、榛名山ろくで男3人、女1人の死体発掘作業を行い、4遺体を収容した。同本部は、加藤能敬(22)、尾崎充男(22)、進藤隆三郎(21)、小嶋和子(22)と確認した。これで9人の死体が発見された。


■隠された"ねらい"に焦点(朝日)
 連合赤軍殺人事件は13日の発掘で12人全員がみつかり、殺された人数は12人と断定した。これは8日森が前橋地裁あてに書いた上申書の内容とこれまでの捜査経過から判断されたものである。
 警察当局はこれだけ陰惨なリンチ事件を繰り返し、組織を防衛してきた背景には、何か、大きな目的があったのでは、と疑っている。その1つに妙義アジトでつかまった森恒夫と永田洋子がまっ先に捜査員に聞いたセリフ「東京で何かあっただろう」という質問がある。この永田のセリフからして、その前後に東京またはその周辺で何事かが起こるか、武器の隠し場所がわかるなどのことがあるはずだが、1ヶ月あまりたったいまもそうした動きを警察はつかんでいない。


 森や永田が「東京で何か起こらなかったか?」と聞いた、という記事は3月1日の読売新聞にもでていたが、彼らの手記を読んでみても、東京でコトを起こそうとしていた気配はない。


■恐怖の"穴掘り役" 次は自分が「総括」に 山本保子、前沢ら自供(朝日)
 遠山、行方、寺岡の死体の処分は保子が運転する車に死体をのせ、監視役として坂東か吉野がのりこみ、穴掘りは前沢だった。前沢と保子が死の恐怖を感じたのは、遠山、行方、寺岡が尾崎ら4人の死体処理に出かけたときに永田が「次の処刑予定はあの3人だ」とアジトでもらしていたのを聞いたためで、自分達も同じ運命にあると感じたという。

 前沢らが「今度は自分の番だ」と恐怖にかられていた矢先、山崎順の「脱走失敗」のハプニングがあり、死刑が行われた。森らの自供を総合すると、保子についての疑いが晴れなかったので、その長女、頼良ちゃんを人質として取り上げ、中村愛子にあずけさせるとともに、保子の身代わりとして夫の順一を総括して殺し、保子らに対する処分を先延ばししたという。


 永田は次の処刑予告などしていない。山崎は脱走失敗したわけではない。保子の身代わりとして順一を殺したということではない。


■「総括」と「死刑」は別 「死は彼らの敗北」 森の自供(毎日)
 森は自供の中ではっきりと「総括」と「死刑」2つの殺害方法があったことを明らかにした。これによると「総括」とは「ブルジョア社会の残存物を排せつして、革命戦士として自らを変えていくことであり、討論(自己批判要求のこと)の過程で"総括"しつくせないときは、暴力の援助(全員によるリンチを意味)をし、仮にその者が死しに至った場合は敗北になる」という。「死刑」については「味方を敵に売り渡す裏切り分子に対しては"死刑"を宣告した」という。しかし、森は総括にかかれば死以外にはないことも認めている。


 これは重要な記事だ。森が「暴力の援助」や「敗北死」について自供しているのがわかる。ここにリンチ殺人の本質のヒントがあったのだが、当局もマスコミも、この論理を「身勝手」と一蹴し、一顧だにしなかった。その姿勢は後の裁判においても続く。しかし、いかに身勝手な論理であっても、彼らはそれにすがってリンチ殺人を行っていたこともまた事実なのである。


■「15人を殺した」永田洋子ついに自供(毎日)
 永田は2月17日、妙義山アジトで逮捕されて以来高さ貴書に留置、取調べを受けていたが、名前も応えず、捕まったことに悔し涙を流しただけ。あとはかたくなに黙秘を続けていた。


 しかし13日になって、奥沢の自供によって山田隆や金子みちよらの発掘当時の無残な全裸死体のカラー写真と山田の引きちぎれた衣類、森が8日に書いた上申書を見せたところ、永田は動揺の色をみせた。


 始めは「この上申書はウソだ」と言い張っていたが、やがて見覚えのある森の筆跡に納得したのかカラー写真をじっと見つめた。そのうち全身を震わせはじめ、まず「永田」であることを認めた。刑事の間髪をいれぬ厳しい追及に群馬県下での連合赤軍関係の12人殺害の事実を認めた。


 さらに奥沢や11日自首した前沢、少年兄弟2人の「永田は丹沢や大井川の山岳アジトでもやっている」との供述を告げたところ「そうだ」と認めたという。


 血の粛清をした事実については「15」の数をあげているが、どこでたれを殺したのかは、まだはっきりとはいっていない。人数と場所の関係については、森、奥沢、前沢の供述を総合すると、西丹沢では男女2人、多い側では男1人になっている。


 「永田自供」のニュースは毎日だけが一面で報じた。朝日と読売は翌日の朝刊に掲載されることになる。不思議なことに毎日はたびたび他紙より1日早く記事になる。「15人」というのは何かの間違いだろう。翌日の朝日、読売では「14人」と自供したことになっている。

■永田洋子の残忍さ 女はみんな丸坊主(毎日)


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件、新聞記事)-1972-03-13 毎日 夕刊11

 12日、榛名山で発掘された小嶋和子の頭髪はわずか1センチ。迦葉山で発掘された金子みちよ、大槻節子の頭髪もほとんど同じ状態だった。これらの被害者は「イヤリングをするのはブルジョア的だ」「物質欲が強い」「コケティッシュだ」と普通の女性なら誰でももっている"本能"を「反革命的である」と決め付けられ、永田洋子の命令で徹底的に痛めつけられた。


 「総括」−。永田のツルの一声で、たちまち両手足をしばられ、なぐられ、けられ、あげくの果てに「自己批判しろ」と長い髪をつかまれて、ハサミでバッサリやられた。いわば、女性への最大の恥辱がリンチの手始め。それは組織(仲間)への見せしめなのか、不美人と言われる永田のうっぷんばらしだったのか。 永田は共立薬科大に在学中、目が飛び出るバセドー氏病にかかった。娘時代に、この突然の容ぼう変化は劣等感をつのらせ、自分より美しいものへ憎悪をかりたてたのではあるまいか。


 特に仲むつまじい男女への仕打ちはまるで嫁いびりのシュウトメのようにネチネチとしつこかった。大井川、丹沢のアジトを経て榛名山アジトに移り革命を妄信したグループの閉鎖社会の中で、数少ない女性リーダーとして仲間からチヤホヤされているうちに、うっ積していた美しい者へのネタミが一挙に爆発、それ以降は森をも押さえて"革命"の名のもとにやりたい放題だった。永田の目は1日中、女性隊員の行動をギラギラと追い続け、ちょっとでも男から声をかけられた女性は絶対に許さず、それが"任務"の話であっても永田の目には男女間の"恋愛行為"と写ったらしい。


 こうしてささいなことを取り上げては"総括"の対象者に仕立て上げ、そのリンチも髪を刈ることだけでは満足せず、被害者を雪の中に放り出したあとも、妊娠8ヶ月だった金子の腹をなぐり「お腹の子供をひっぱりだそうか」と森と真剣に協議していた。 サイギ心とネタミにとりつかれた心は、逮捕後もガンとして開かず、森をはじめ逮捕者が次々に自供した中で、1人"反抗"を続けている。その心は革命とはまったく無縁の"狂気の女性心理"といえる。


 金子と大槻の緊縛や暴力を主導したのは森である。髪を切ったのは「手始め」でなくリンチの後であり、逃亡を防ぐためだった。妊娠8ヶ月だった金子の腹をなぐった事実もない。金子が総括できない場合「子供を取り出すことも考える」と言ったのは森である。


■ナイフ刺し「抜くな」 永田が、とどめ(毎日)
 寺岡恒一(24)が虐殺された模様が杉崎ミサ子(24)の自供で明らかになった。寺岡は死刑の宣告を受けた1人で、森がナイフで心臓をえぐり、永田が首を絞めてとどめを刺した。森が寺岡に対して「坂口の地位をねらっていた」と詰問した。全員の厳しい追及に寺岡は「現在はそんなことは考えていない。しかし過去にそのような考えを持ったことは確かにあった」と応えた。このため森が死刑を宣告、坂東に目配せした。坂東はいきなり正座している寺岡の左太ももにナイフをつきたてた。寺岡がナイフを抜こうとすると、まわりから押さえ込んで15分間もそのままにさせた。坂口はそのナイフを抜くと、寺岡の左腕に刺し、こんども抜かずに15分間そのままにした。森はこのナイフを抜き取ると、正面から寺岡の心臓を深く刺した。
 ひん死の状態になった寺岡に、永田は杉崎にアイスピックをにぎらせ「とどめをさせ」と命令。杉崎は寺岡の首の後ろを刺した。さらに永田はヒモで首を絞め、絶命させた。


 寺岡の足にナイフを刺したのは坂東でなく森。腕に刺したのは坂口でなく坂東。「首の後ろを刺せばいいのでは」といったのは永田ではなく他の誰か。ヒモで首を絞めたのは永田ではなく他のメンバーたちである。首の後ろを刺したのもヒモで首を絞めたのも、なかなか絶命しない寺岡を早く楽にさせてやりたいという気持ちからであった。


■「七人委」が殺人儀式 指名の証人、次は被告(読売)
 これまで森らは全員が裁判に加わったと自供していたが、前言をひるがえし、7人が合議のあと森と永田が最終結論をくだしたという。"総括"とするか"死刑"とするかを宣言したのは森で"判決"があると全員が"被告"にとびかかって縛り上げ、次々になぐるけるのリンチを加えた。


 永田は、刑の執行をながめながら被告の行状を口汚なくののしり、"被告"が助けを求めても、「だれがお前の潔白を証明できるのか」と誘導尋問し、仲間の一人を名指しすると、名がたらはその名指しされた仲間にいっそう激しく暴力をふるうよう命じていた。この証人探しは森、永田にとっては、次の被告選びでもあったという。


 永田は”被告"の行状を大げさにののしったのは確か。かなり迫力があったらしい。だが、証人探しはしていないし、次の被告選びということもなかった。


■チリ紙をとって、といっただけでも(読売)
森恒夫などの自供で、児島和子ら4人の総括と称される処刑理由が明らかになった。
小島和子=●男と肉体関係を結んだ●組織の指示に従わなかった。
尾崎充男=●合法活動をしている者に銃器の保管場所を教えた●寝袋に入ったままチリ紙をとってくれといった。革命的でなく甘えている。
加藤能敬=●小島和子と肉体関係を持った●作業態度がよくない。
進藤隆三郎=●女遊びばかりして革命実践に対する意欲がみられない。


 同じ記事が3紙とも掲載されているから公式発表と思われる。こういう些細なこと(しかも過去のこと)が、総括要求となり、死へのリンチに発展した。


■兄貴も浮かばれる(読売)
 「ああ、これでよかった。兄貴もやっと家へ帰れるだろう」−加藤倫教(19)は兄、能敬の遺体が発掘されたと知ると、こうつぶやいた。「線香を立てて、兄のめい福を祈らせてください」と係官に頼み込んでいた。「リンチが終わったあと、弟のこっそり"この日を兄貴の命日にしよう"と話し合った」とポツリポツリ語った。


■森、永田は再三上京 前沢ら自供 土田邸事件とも符号(朝日)
 この自供は前沢、山本ら。森は「あの事件はわれわれではない」と土田邸爆破事件の犯行を否定したが、上京して何をしていたか、については供述していない。しかし長野県に逮捕されている被疑者の中で「あの事件をやった」としていることなどから、事件解明を急いでいる。


 「土田邸爆破事件」とは、土田国保警務部長の私邸に届けられたお歳暮に見せかけた爆弾が爆発し、夫人が即死した事件。警察はメンツにかけて犯人逮捕にやっきになったいた。これは連合赤軍の犯行ではない。後に、活動家18名が逮捕・起訴されるが、公判中に捜査当局のデッチアゲが明らかになり、全員無罪となる。

■リンチはこうして 「総括」は夜中に 理由はどうにでも 永田は手を下さず(朝日)
▼午前2時
 森の「起きろ」の声が犠牲者の出る人民裁判の開始を告げた。「だから夜中が恐ろしかった」と恐怖を語る自供が多い。裁判にかける理由はさまざまだが、異様なまで永田が嫌ったのは男女関係だった。アジト移転のときオムツを袋に入れる山本保子を手伝ったという理由で、夫の順一が殺された。死の直前に「オー、オー」と大声を上げているのを聞き、永田は生き残りの妻保子に近づいていった。「何いってんのよう」「赤ちゃんを呼んでいるのかもしれない」「違うわよ。あんたを呼んでいるのよ」。このあと保子から4ヶ月の赤ちゃんを引き離したりもしている。保子を恐怖でナマ殺しにしていたわけだ。


 理由は何でも良かった。ささいなことを取り上げて、妊娠8ヶ月の金子みちよ(24)を3日間も立ったまま屋外に縛りつけて殺してしまうのだった。女が女を憎むとき、もっとも陰惨なリンチとなって現れていた。


 山本順一が総括要求された理由は運転技術が未熟なのを認めなかった点と暴力に否定的で「物理的に手伝っただけだ」といったこと。「オムツを袋に入れるのを手伝った」からではない。


▼素手
 「総括」は立ち直りを「援助」する名目だった。処刑・リンチに幹部はナイフで「兵士」は素手で全員が参加した。


 ナイフやアイスピックは「死刑」の場合に使われたのであって、幹部以外も使っている。「総括」の場合は幹部を含めて刃物は一切使っていない。「死刑」と「総括」は区別されていた。


▼寝袋
 総括にかかりそうになって助かったのは、ただ1人の運転手だった奥沢だけ。処分が決まるとたちまち縛り上げられたり、ナイフを突き刺された。処分が出されてしまえばそれで終り。大槻と金子と山田は縛られたまま寝袋に入れられ運ばれた。..遺体解剖で胃に食べ物が入っていたものはほとんどいない。


▼罪状
 リンチのときに永田はいつも叫び続けた。犠牲者の罪状をあげて責め続けた。これが総括の集団ヒステリー的空気をさらにあおった。しかし永田自身はけっして手を下さなかった。永田は自ら実行しないことで「手が汚れていない」と言い逃れをしようとしたのか。


■これがアジトの生活 幹部はパン食、銃訓練 兵士は雑炊、たきぎ集め(朝日)


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件、新聞記事)-1972-03-13 朝日 朝刊03

▼生活
 森らはパンやミルクなどうまいものを食べることが多く、大部屋組は土間で麦・野菜・魚のカンヅメを使った雑炊が多かった。森か坂口が「食べろ」と合図するまでハシに手をつけられなかった。大部屋組は「革命」のためには多少の空腹に耐えて体を鍛えよ」と幹部から言われていた。...昼間は小屋作り、たきぎ拾いが作業の中心で、永田以外の女は交代で買い物に行かされた。夜は6時に寝た。


▼人民裁判
 .いっさいの反論は許されず、他の活動家の弁護も聞かれなかった。幹部7人いても追求するのは森・永田の2人で、独裁的な"判決"が下されていた。.幹部のうち寺岡と山田も殺されたが、その理由については幹部以外には知らされなかった。


▼訓練
.. 7人の幹部は腹心の青砥と植垣をつれて9人で銃器をもち、アジトからさらに数キロもはなれた山奥へ向かっていった。留守組はアジト作りに終われ訓練らしい訓練をしていなかった。山奥に訓練に出かけた幹部は半日ぐらい帰ってこないことがあった。


 連合してから射撃訓をしたという話は彼らの手記には書かれていない。


▼学習
 .テキストやパンフレットの使用はほとんどなく、森が連合赤軍の精神について1人でしゃべりまくることが多かった。それに対して意見を述べたり討論することもあった。反対意見も許されたが武装ほう起の路線をはずれたり、批判することだけは許されなかった。


 永田はたびたびレジメうぃ作ることを森に申し入れるが、森はこれを無視し続けた。森にとってはメンバーを革命戦士に飛躍させることが最大関心事だった。


■取調べ軟化 永田洋子(朝日夕刊)
 12日、永田は係官の点呼に「ハイ」と初めて答え、永田であることを認めるなど、態度を軟化させ始めた。この点から事件の本筋についての自供も間近いとして、本部は追及に全力をあげる。また、奥沢から「ほかにもう2人ぐらい殺されている、という話を聞いている」との供述を得たため、事実かどうかの確認を急いでいる。


 群馬県内以外にも連合赤軍のリンチの被害者がいる、との情報について、警察庁は疑問を持っている。警察庁が疑問を持っているのは、(1)事実を目撃したわけではなく、幹部が話していたとの伝聞である(2)前沢虎義、寺林真喜江らは「そんなリンチがあれば次の榛名アジトなどへはこわくて参加しなかった」とはっきり否定しているなど。


 読売夕刊には以下のように報じられている。


 長野県警本部の得た自供は森恒夫の「永田洋子からの伝聞だが、京浜安保共闘だけが集結した丹沢アジトで粛清があり、男女2人が殺された」というもの。さらに青砥ら2人が「丹沢か、奥秩父、大井川上流アジトで、やはり粛清があったらしい」と供述した。


■すらすらだんまり 表情も様々"死刑執行人"(読売夕刊)
▼森恒夫(27)
 「同志の死は、ムダにはしない。殺したのは、命を捨てて革命を進めるための人柱だ」と彼ら一流の"総括"について、さる8日、上申書を書いて"殺害"の一切を自供した。さらに永田洋子が漏らしたという丹沢アジトの京浜安保共闘だけの粛清についても自供。夜中に「ウーン、ウーン」とうなされたり、大きな声で寝言をいう。しかし、都内の一連の爆破事件、土田邸爆破事件については、ひとこともしゃべらず「われわれの闘争、粛清については、法廷であきらかにする」とむっつり。殺人以外の事件については、警察を権力と敵視する態度はくずさないが検事とは対話する。


▼永田洋子(27)
 山田孝、山本順一らの死体発掘を知らされたときも、ただ頭をたれただけだったが、この日、群馬県内で最後の12体目が出たことを告げられても無表情。名前も明かさない終始完全黙秘を続けている。森の書いた上申書に「フン」といって横を向き「森さんが、こんなものを書くわけがない」といったのが口をきいた最初。朝の点呼さえ、返事もしないかたくなな態度をとり続けた。ただ13日朝午前6時の点呼で「永田洋子」と呼ばれるとはじめて「ハイ」と答え、追求に「考えさせてください」。


▼坂東国男(25)
 独房の中では食事のときだけ看守のほうを向くが食べ終わり「こっちを向け」といっても、また瀬を向けてすわり続ける。東京から来た保坂節雄弁護士(27)との面会も拒否。「知らねえ人の差し入れは受けない」とみんな断り、1食62円の食事だけ。11日夜は山崎らの遺体埋葬現場の写真を見せられ、顔は真っ青になったが、死人のように口をつぐんだまま。


▼吉野雅邦(23)
 いぜん、何を聞かれても顔をそむけ、無表情に黙秘を続けている。まだ自分の名前すら言っていない。さる10日、自分の子を身ごもっている内妻、金子みちよの死体発掘を知らされたが、表情ひとつ変えなかった。


▼坂口弘(25)
 次々と明かされるリンチ殺人を聞かされても完全黙秘を続け、表情、態度に大きな変化はない。わずかにリンチ死体が発掘されてから、ふてぶてしい態度を和らげてきている程度。雑談にも一切応じず「便所」といった必要以外の言葉は話さない。


▼青砥幹夫(23)
 調べ中、気弱そうな目でジッと一点を見つめたりする。リンチ殺人についてはほぼ供述を完了したが、山本保子の脱走についてはほかの幹部が「子供を人質にしておけば逃げないとみていたが、子供をおきざりにして逃げてしまい、計画が狂った」ともらしていたのを聞いていると言う。


▼奥沢修一(22)
 早くから自供を始めたが、1月中旬以降に合流したため、公判のリンチ殺人を目撃しただけ。迦葉山の三遺体を埋めた場所を自供、案内した。新たな自供をしそうな気配を見せているが「森さんを尊敬しているので、森さんのことはあまり言えない」としぶっている。最近は安心したのか、夜半に2、3回寝返りを打つ程度でよく眠り、よく食べている。


▼伊藤和子(22)
 入浴の介添えに当たった婦人補導員に「人間とは思われない」といわせた和子が自供をはじめたのが10日夜から。「仲間の遺体がでたぞ」と知らされると、総括にあった"同志"の名前を次々と上げるなど、これまでのつき物がおちたように語りだした。しかし、法廷に出たとき、仲間の報復を受けるのではないか−という恐怖感が強く、時々「しゃべっても大丈夫でしょうか」と取り調べ官に不安を訴えている。


■主導権争いで自滅(読売夕刊)
 殺人と言う手段がとられた裏には、丹沢ですでに殺害の実績"をもつ永田が、森ら赤軍派に革命への献身度を誇示して同じ方向をとるように迫ったためだった。同じ過激路線の赤軍派は京浜安保共闘の銃強奪事件で「遅れをとった」として強いコンプレックスを持ち、一連の金融機関襲撃作戦を始めたと言われ、当局ではこうした背景と"強固な革命軍"結成へのあせりがからみあって、森も永田に同調していったとの見方を強めている。


■破滅の魔女 脱落者は消せ 鬼のような絶叫(毎日夕刊)
 事件の全容が明らかになるにつれ、永田の残虐さが説きに際立っている。毎晩開かれる会議で「脱落した者はどうせ戦いには加われない。われわれの殺しの訓練台に使おう」とまくしたてた。「やっちまえ」と毎日絶叫する永田。シーンと静まり返ったアジトで「男だろ。もっと強く首を絞めろ」。スジ金入りの戦士をアゴで使う永田。森恒夫も坂口弘、坂東国男ら中央委員も黙々と永田の指示にしたがうだけ。


 永田の姿は都内各地のデモでもよく見られた。髪をふりみだし、ツバを飛ばし「イヌ」と警官に叫ぶ永田の姿には"女性"を見出すことはできなかった。 しかし、その永田も幼いころは成績優秀なおとなしい女の子だった。「大きくなったら薬剤師になる」が夢だった。微妙な変化が見え出したのは高校時代。世の中は"60年安保"で騒然としていた。「人生、学問とは何か」−永田は思い悩んだ。さらに共立薬科大時代、バセドー氏秒をわずらい、目が異常に突起してから過程でも激しく泣きわめいたりするヒステリックな女になった。


 丸顔、色黒、ギョロ目、上歯がやや突き出た感じ(警察庁の手配書)−異性とのつきあいも少なく、男性コンプレックスに陥っていた永田は、大学を出て病院勤めをしているうち、心臓病で悩む坂口と知り合い、ウルトラ過激派へ−狂気の殺人集団へ突っ走っていった。


 「脱落者を殺しの訓練台に使おう」「男だろ。もっと強く首を絞めろ」などと永田は言っていない。。「やっちまえ」とも言っていないと思われる。坂口や坂東はともかくとしても、森恒夫が「黙々と永田の指示にしたがうだけ」ということはなかった。


■いま"狂信"に泣く 山本保子(毎日夕刊)
 「私は夫と行動をともにしようと群馬のアジトに入った。みんな連合赤軍の同志です。やっと見つけたアジトで、きっと温かく迎えてくれるだろう、楽しい共同生活ができる、そう信じていた。しかし私をまっていたものは、あまりにも過激なオキテ、狂った倫理だった。人間無視の生活。永田のガラガラした、ヒステリックな声が毎日響き、同志が次々と殺されていった。永田がにくい。」


 永田のヒステリックな言動はメンバーの手記にもたびたび出てくる。スタインホフ氏の「死へのイデオロギー」によれば、「永田のやり方は主に個人的に批判をぶつけるというもので、あとであたたかく接することによってバランスをとっていた」。だがそれは革命左派時代までで、連合赤軍になってからは、暖かく接する余裕はなくなっていた。


■「自分が恐ろしい」 杉崎みさ子(毎日夕刊)
 「今回のような人間として許せない残酷な、目をおおうばかりの殺人行為をしてきた自分自身が恐ろしく、また、なくなった方々のめい福を祈る心境から深く反省し、哀悼し、今後自分自身もこれを機会に真人間になって新たな出発をし、両親のヒザ元に帰り、親孝行をしたいと思っている」


■(広告)週間サンケイ臨時増刊号

「連合赤軍全調査」特別付録 6インチ両面シート あさま山荘トップシーン完全録音盤


連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件、新聞記事)-1972-03-13 朝日 朝刊CM


ソノシートの付録つきとういうのが当時ならでは。

この時期、週刊誌は連合赤軍特集の臨時増刊号を出している。だが、それは結果的にあさま山荘までの"前編"になってしまった。各誌とも後に粛清事件を特集したもう一冊の臨時増刊をだすことになる。
https://ameblo.jp/shino119/entry-10279942676.html?frm=theme
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c87

コメント [雑談・Story41] 皮オナニーが引き起こす、仮性包茎の負の連鎖 BRIAN ENO
3. BRIAN ENO[1207] QlJJQU4gRU5P 2019年3月14日 08:32:52 : KYFDWqdXuQ : dFJuWlRpT05BU1U=[3]
蛇足だが、

欧米人の方が、
日本人より三倍以上多くの肉を摂取するので
動物性蛋白質を摂取した場合、
人間の場合、男女ともそのタンパク質が、
性器に集まりやすいので
日本人より三倍以上肉を食う
欧米男性の方が日本男子より
ペニスの包皮、皮膚細胞の弾力や伸縮性に
富んでいる。

日本男子のペニスの包皮は
欧米男性のペニスの包皮に比べると
薄めで
弾力がなく伸縮性に乏しく
黒ずみが顕著である。

まあ、

日本人より
陰茎の包皮の
皮オナニーでの伸びは
向こうの連中の方が
大きい。


このように、
映像を見ていると欧米人の方が
あからかに包皮がやわらかく弾力があり
伸縮性に富んでいるのが
わかるのである。

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/732.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本経済は崖に向けて突っ走るブレーキの利かない車だ 金子勝の「天下の逆襲」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
14. 楽老[334] inmYVg 2019年3月14日 08:33:33 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[59]
>6.aDMueWFCSkFsbkU=:経済を回復させるには マイナス金利や BIでの 消費支出をUPさせるしかないよね〜〜

安倍政権6年間、異次元の量的緩和をして、尚且つ未だにマイナス金利ですか?
設備投資しない企業が金利が低いからと、借入に走るわけがない。
内部留保はたんまりあるのです。
資金需要の無いところに低金利が効くのですか?
それと、BIは消費支出や景気回復云々とは関係ないと思うが。

各国が自国ファーストとして他国から毟り取ろうとしている世界政治の中で
視点はグローバルに置いても、政治は内政重視に、
日本列島における適正人口は?
このための産業インフラをどうすべきか
ODAも対米軍事援助も縮小して国内の立て直しを図るべきなのだ。

こんな時に【外交の安倍】なんぞ百害あって一利なしだ。

必要なのは小泉竹中がスタートさせた
中間層を非正規とワーキングプアーに落とし込んだ新自由主義
これを排除しなければならないのです。

景気における最大購買層(寄与者)は決して富裕層ではありません。
労働組合に守られる大企業従業員でもありません。
最大人数を抱える低所得者層の可処分所得を増やすことなのです。

米国ジャーナリズムだけでなく、世界中のメディアから叩かれても
トランプが倒れないのはコア層(白人底辺層)向けの政治をやっているからです。他国がどうなろうと知った事じゃない。
これに尻尾を振って国力を消耗する安倍政権
これを排除しない限り景気浮揚はあり得ません。
6年間の実績が示しています。

『安倍でなければ誰でも良い』
安倍の無駄遣いさえなければ、3兆円にも及ぶ5輪需要もあれば、各地の復興需要もあるのです。ところが森ー竹中ラインが儲かる5輪以外には金が回らない。
あるいはオトモダチのJR東海の一民間企業のリニアに3兆円も出す。
モリカケの教育問題も、スパコンもオトモダチだけへの【お・も・て・な・し】政治、これらをクリーン(排除)にしない限り日本の未来はない。

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/448.html#c14

コメント [原発・フッ素51] 50M走で骨折、片足で立てず…子どもの体に何が?  (読売新聞) 魑魅魍魎男
1. 2019年3月14日 08:35:05 : hE3PRSoheQ : aDMueWFCSkFsbkU=[184]
 
 読売新聞の 「記者の片側」は 鉄壁です
 

http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/201.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
12. 2019年3月14日 08:38:38 : 011vcptdS6 : QVVaQ0xzSVNrSWc=[2]
11訂正
○ 多くの庶民に気づかせさせねばならない。
× 多くの庶民が気づかせさせねばならない。
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK258] 「悪夢だ、自民党に人はいないのか」と小池晃!  赤かぶ
30. 2019年3月14日 08:39:11 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[47]

>>03さんに賛同。

■@ 成の字が書けない人

 ➁ 云々をでんでんと読む人

 B 選挙妨害を893屋さんに

   500万円で発注し 成功したにもかかわらず

   約束の500万を300万円しか払わず

   893屋さんに 事務所や自宅に火炎ビンを

   投げ込まれた人−−−−−「ケチって火炎瓶」で有名。

 C 森友・加計・山口レイプ・統計不正等々を指図した人

   
 ・・・こんなのが 4選総理大臣だなんて

 わての方が 気が狂いそ〜になるわ!

 『安倍は要らない』

『安倍は要らない』−−−−−−−全国民の声。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/427.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK258] みんながみんな「俺たち偉いんだ病」/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
10. 2019年3月14日 08:40:21 : WJfBckkeXQ : bEJvblA2S2Z5QTI=[36]
>みんながみんな『俺たち偉いんだ病』にかかっていないか

「俺たち偉いんだ病」という的確な命名ができた、ということは、石破氏はクリスチャンの良心を失っていないんですね、と思いました。


(参考)

>来賓のあいさつで衆議院議員の石破茂氏は、自身が曽祖父の金森通倫(みちとも)から数えて4代目のクリスチャンであることを証しし、高校生の時に通っていた教会での思い出を紹介した。「神様、あなたの前では、私たちはちりあくたのようなものです」と教会の牧師がいつもささげていた祈りの言葉が、今も石破氏の心に強く残っているという。「神の前では本当に取るに足りないちりあくたのようなもので、やることは間違いだらけ。でも、どうか道をお供えください、ご用のためにお使いください、過ちを正してくださいと祈れることは、とても幸せなことだと今でも思っている」と語った。

石破氏は「今この時も、多くの悩み苦しむ人たちがいる。どこで誰が何に悲しみ、苦しむのか。その思いを常に持つことは、政治においてすべからく必要なもの」と話し、「すべての人に神様の祝福がありますように」と平和への願いを語った。


石破茂氏も参加、教派超え400人が平和の祈り 第18回国家晩餐祈祷会
https://www.christiantoday.co.jp/articles/25360/20180326/18th-national-prayer-meeting.htm
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/437.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK258] 麻生氏ポロリ本音 “アベノミクス偽装”は「支持率のため」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
19. 2019年3月14日 08:43:11 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[48]

麻生も「安倍に劣らぬバカ」

コメントするのも馬鹿らしい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/450.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK258] 小川淳也議員「黒ですよ、限りなく黒ですよ。総理秘書官たちは、この長期権力に対して尻尾振って魂を売っているわけですよね」 赤かぶ
16. スポンのポン[10926] g1iDfIOTgsyDfIOT 2019年3月14日 08:45:13 : YLRU9o6eFk : dUpJOXhqbEFjRlU=[106]
 
 
■田原総一朗とはどういう男か。

 自民党に飼いならされた番犬だ。
 中立を装い巧みに野党をけなす。
 だから何の能力もないのにいつまでもテレビに出ている。
 この男の存在がこの国のマスコミの腐敗の象徴だ。

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/457.html#c16

コメント [社会問題9] 3K職場で遺体解剖に明け暮れ、手取りは700万円台 医学界の「最下層社会」で雇用不安と闘う法医学者 MR
252. 2019年3月14日 08:48:23 : VuwcMmPDlc : ZGdpcTZMS0ouQ28=[1]
医務院でも、在日の方は専門外の精神科医師であっても採用されますが、日本人の場合は、法医学教授による推薦医師でも、教授の身元保証がないとほぼほぼダメでした。バックに朝鮮総連が指示しているかどうかは、証拠がなく不明です。
F院長が常勤枠を13人に増やしてほしいと要望した際に、医務院ムラの独自の基準で在日の方が採用される可能性が高く、もし日本で革命が起きた場合の在日の方が過半数だと検案業務解剖業務における中立性がまずいということが、採用権が病院経営本部に移管された1つの理由だそうです。

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/213.html#c252
記事 [医療崩壊5] 透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪  透析中止報道「福生病院は悪くない」
【第206回】 2019年3月14日 竹井善昭 :ソーシャルビジネス・プランナー&CSRコンサルタント/株式会社ソーシャルプランニング代表
透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪
「人工透析中止問題」で揺れる公立福生病院 写真:日刊現代/アフロ
 透析中止を医者が提示した結果、患者が死亡した事件が、テレビや新聞でも大きな話題となっている。マスコミもTwitterなどのネット言論も、おおむね透析中止した福生病院に批判的だ。一方で、福生病院を擁護する意見も散見される。しかもそれは、医師や病院理事長といった医療ど真ん中の人たちから擁護論である。
 僕は透析中止を患者に提案する病院や医者がいること自体が衝撃だったが、それを擁護する医療関係者が何人もいることがさらなる衝撃だった。これはつまり、「患者が望めば死なせてもいい」と考える医療関係者が世の中の人が思っている以上に多い、ということだ。その意味では、今回の件は福生病院だけの問題ではない。読者の皆さんは、病院に殺されないためにも色々と情報は持っておいたほうがいい。
 そこで今回は、患者の立場から「透析のリアル」を語ってみたいと思う。というのも、僕もまた透析患者だからだ。数年前、当連載の記事で「あと数年したら透析することになるだろう」と書いた通り、約1年前に透析患者となった。いまは週に3回、透析クリニックに通っている。出張も多いため、その時は出張先の病院で透析を受けている。合計すると10ヵ所くらいの病院で透析を受けてきたため、透析クリニックの医療現場について結構詳しくなってしまった。
透析中止!? 患者の僕が驚く
あり得ない提案
 そんな僕が今回のニュースを聞いてまず感じたのは、「透析って中止できるのか!?」という驚きだ。というのも、僕が知る限り透析クリニックというのは、とにかく何がなんでも患者に透析を受けさせようとするからだ。それは職業的な倫理というより、ほとんど執念みたいなものだといえる。
 ちなみに透析は、週3回行うのが基本。つまり、どこかで中2日のインターバルが空くことになる。たとえば月水金で透析をしていると、土日の2日間は透析しない日が生じる。基本的にこの「中2日」が、透析患者にとっては最大のインターバルとなる。ただし、何らかの事情でそれが中3日になったとしよう。すると、医者も看護師も激怒するのだ。
 実際、僕も一度、仕事の関係でやむなく中3日になってしまったことがある。そのことを病院に事前に伝えた時には、看護師にも院長先生にも激怒された。「何がなんでも病院に来なさい。死んでも責任とれないぞ」くらいの勢いで叱られたのだ。まあそうは言っても、仕事の都合。なんとかお願いして中3日にしてもらったのだが、彼らを説得するのは本当に大変だった。
 また、旅行先やお正月の時期には、透析時間がいつもと変わることがある。一度それをうっかり忘れてしまい、予定の時間に大幅に遅れてしまったことがあった。そんな時も15分も遅れようものなら、電話がガンガンかかってきた。それも旅先のクリニックとかかりつけの病院のダブル攻撃で、「いまどこにいるのか?あと何分で病院に来れるのか?」と問い詰められる。ちょっと遅れたくらいで大騒ぎなのである。
 こんな状況だからこそ、今回の事件のように透析中止を医者が提案するなど、僕の感覚からしてもあり得ないことだ。おかしいと思う点は多々あるが、最大の謎が「患者の状態」だ。報道によると、「シャントにトラブルがあり、医者は『首周辺にシャントを作るか、透析中止するか』の選択を迫った」という。
 シャントというのは静脈と動脈をつなぐバイパスのことで、透析に必要な血流量を確保するためには、このシャントを形成する必要がある。通常は利き手の逆の手首、親指の付け根あたりに作る。しかし何らかの理由でこのシャントが詰まってしまい、使えなくなることがある。その場合は、利き手の手首に作る。それもダメになった場合は、左右の大腿部に作る。通常はこの順番を経て、それでもダメな場合には、前胸部に作る。報道が伝えた「首周辺に」というのは、前胸部のことだろう。つまり、普通に考えれば、死亡したこの女性患者はそれまでに4回もシャントをダメにしていると思われる。しかし、この女性はまだ44歳という若さだ。血管が細くなる高齢者ならともかく、44歳という年齢で、それだけのシャント・トラブルを起こしていたとは考えにくい。
 そもそもまともな透析クリニックであれば、シャントが潰れないようにシャント管理もきちんとやる。透析を行うたびに聴診器で血流をチェックするし、3ヵ月に一度は腎臓外科に行き、専門医が血管にバルーンを入れて、血管が細くならないように処置したりする。このようにシャントは厳密な管理を行っているわけで、40代という若さでそう簡単に潰れるものでもない。もちろん、なんらかの理由でシャントが使えなくなることはあるし、大腿部でシャントが作れない場合もある。シャントは両腕とも潰れたのか、大腿部では作れなかったのか。そのあたりが分からないと、医師の対応が適切だったかどうか判断ができない。
 それ以前に、「首周辺に」という説明自体が不適切だったと思う。一般の患者からすれば、首にカテーテルを入れるなど大ごとだと感じる。そこまでして生きていたくない、と感じるかもしれない。実際にこの女性患者はそう感じて、死を選んだ。これを「前胸部に」と言っておけば、印象はかなり変わったはずだ。その意味では、この医師たちは言葉によって患者を殺したともいえる。この女性は鬱も患っていたと報道されているが、もしそうであれば、余計に言葉には気をつけるべきだったろう。しかし、その配慮がなかったのは、そこに「明確な意図」が隠されていたからではないかと思う。
「透析しない」ことへ
患者を誘導していた?
 福生病院の腎臓内科医、腎臓外科医は、毎日新聞の取材に対してこう答えている。
 以下、『毎日新聞』2019年03月07日記事より引用
________________________________________
本来、患者自身が自分の生涯を決定する権利を持っているのに、透析導入について(患者の)同意を取らず、その道(透析)に進むべきだというように(医療界が)動いている。無益で偏った延命措置が取られている。透析をやらない権利を患者に認めるべきだ。
________________________________________
(透析学会や国の)ガイドラインは「説得をして透析を続けさせよう」という「継続ありき」だ。変わっていかなければならない。
________________________________________
 このように福生病院の医師たちは、透析医療界の「透析ありき」を批判するが、彼らもまた「透析中止ありき」「透析非導入ありき」だったのではないか。実際、この病院では平成25年4月〜平成30年3月、透析治療のため同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち20人前後が、担当医と相談したうえで透析治療を行わなかったという。さらに言えば、この病院では透析中止で他に3人が亡くなっている。この数字はどう考えても異常だ。この病院がいかに「透析しない」ことへと患者を誘導していたかが分かる数字だ。
 だが驚くべきことに、何人もの医師や医療関係者が福生病院を擁護し、マスコミを批判している。たとえば尼崎市にある長尾クリニック院長の長尾和弘氏は、自身のブログで「透析中止報道 『福生病院は悪くない』」という記事を掲載。愛媛県松山市にある医療法人ゆうの森理事長の永井康徳氏も、m3.com (エムスリー・ドットコム)という医療従事者向けのサイトにて、「問題は『透析中止』にあらず、マスコミ報道に違和感」という記事を投稿している。また、医療関係者ではないが、元東京都知事の舛添要一氏も「ジョルダンソクラニュース」というニュースサイトにて、「福生病院の人工透析中止、安楽死・尊厳死の論議につなげよ」という記事を投稿している。
 掲載スペースの関係上、これら擁護派の意見に対する個別の反論はしない。ただ今回の事件に対する僕の見解を言えば、「これは、安楽死でもなければ尊厳死の問題でもない。また、無駄な延命治療の問題でもない」ということだ。
透析患者は終末期患者ではないし、
透析は延命治療でもない
 透析患者というのは、透析さえしていれば、健康な人と同じように仕事をしたり、生活したりできる。というか、むしろ健康な人より健康管理ができているといえる。ちなみに僕の場合は、週に3回病院に行き、医師や看護師に問診される。毎回体重を計り、体温も測り、透析中は何度も血圧を測定する。月に2回は血液検査を行い、毎月レントゲン撮影をする。体調が悪いと言えばすぐに心電図を撮ったり、インフルエンザの検査をしたりもする。このように日常的に医師のチェックを受けているのだから、一般の人よりもずっと健康管理ができていると言えるだろう。
 透析はよく、苦痛だとかしんどいと言われる。たしかに、透析直後は身体がつらい。ひどい時は歩くのも嫌になり、電車に乗るのも苦痛になる。でも、夜間透析にすれば夜の22時くらいに透析が終わり、食事して帰宅して寝てしまえば、翌朝には気分爽快。元気に仕事に向かうことができる。そうすれば、透析は日常生活において何の支障にもならない。
 また、週に3回、4時間ずつとなると、多くの人は「大変ですねえ」と言う。しかし透析中はパソコンで仕事もできるし、テレビを観たり、本も読んだりできる。僕の場合はタブレットを持ち込んでNetflixで動画を見ている。おかげですっかり海外ドラマに詳しくなってしまった。つまり週に3回、勉強したり仕事したりするためのまとまった時間が取れ、それなりに有益な時間を作れるのだ。だから、透析患者は終末期の患者でもないし、透析も延命治療ではない。腎臓内科医、腎臓外科医であればそんなことはよくわかっているのだから、透析中止を提示するなどあり得ないのだ。
 もちろん後期高齢者や末期癌など、他の重篤な病気のために身体が衰弱して、日常生活もままならず死を待つだけの患者に対しては、透析中止のオプションもあり得るだろう。しかし、今回の女性患者はまだ44歳だ。透析さえすれば、普通に生きていける。それなのに透析中止を提案し、それが正義であると主張する。この医師たちは、やはり倫理観が狂っているのではないか。
 福生病院の医師およびその擁護者たちは、今回の事件はいわば自殺ほう助だとか、死ぬことの権利云々を主張するが、それならば、たとえば18歳くらいで精神を病んでしまって自殺願望を持つ若者に「本人が望んでいるから」といって、死ぬ方法を教えることが許されるのか。もちろん世の中には、「死にたいヤツは死なせれば?」と考える人もいるだろう。しかし、医者はそうではないはずだ。ましてや透析中止のような苦しい死に方を提示するのは、医師として間違っている。
 昔、作家の団鬼六さんが腎不全になった時、潔く死のうと思って透析拒否をしたが、あまりに苦しいので、やはり透析することにしたという。それくらい、透析中止は苦しいのだ。高須クリニックの高須院長が「あの女性の最後は、地獄の苦しみだったと思う」という趣旨のツイートをしているが、本当にそうだと思う。
 実際、透析患者が透析を中止するとどうなるか。まず水分を排出できないので、身体に水が溜まる。その水が心臓を圧迫し、肺にも水が溜まる。それで心肺機能が低下し、呼吸ができなくなって死ぬ。今回の女性患者は、死ぬ前日に「こんなにつらいなら、透析治療を受けようか」と言ったそうだが、さもありなんである。ちなみに、尿毒症は意識障害も引き起こす。福生病医の医師は、女性患者の意志がハッキリせず、意識が明瞭だった時の「透析中止」の判断を重視したというが、意識がもうろうとした時に発した言葉のほうがむしろ本音だったとも言えるわけで、この医師たちはそんなことも想像できなかったのかと思うと、そら恐ろしくなる。
 というわけで、透析中止は安楽死でもない。苦しんで苦しんで死ぬわけで、それを安楽死の問題を絡めて論じるべきではない。たとえ本人に明確な意志があっても、心身に耐えがたい苦しみを与えるような処置は、けっして安楽死ではないのだ。
透析患者に対する大きな誤解
 ちなみに透析と聞いて思い出すのは、元アナウンサーの長谷川豊氏のことだ。ご記憶の方も多いと思うが、長谷川氏は自身のブログで「自業自得の透析患者は殺せ」と書いて大炎上。レギュラー番組をすべて失うはめになった。このブログで長谷川氏が言っていたことは「医者の言うことも無視して暴飲暴食を繰り返して糖尿病になり、透析患者になったヤツは自費で治療費を払わせろ。それが無理と泣くなら殺せ」という趣旨で、炎上中に彼は「これは10人以上の医者に話を聞いて、病院も見学してそう思った」と弁明もしている。そして「透析患者の8割から9割はそんな患者だ」とも語っている。ずいぶんと偏った医者や病院ばかり取材していたようだ。
 そもそも透析患者の大多数が、糖尿病性腎症が原因なわけではない。日本透析医学会の資料によれば、透析患者のうち、糖尿病性腎症の患者は男性で42%、女性で32%。慢性糸球菌腎炎は男性で26%、女性で31%。腎硬化症が男女とも約10%。長谷川氏が言うような数字ではない。
 さらに言えば、糖尿病性腎症の患者も、すべてが「暴飲暴食を続けた自堕落な患者」ではない。誤解も多いのだが、糖尿病と生活習慣病はイコールとは言えないのだ。糖尿病には大まかに言って1型と2型がある。1型糖尿病は自己免疫疾患で、生後数ヵ月の赤ちゃんでも発症することがある。つまり、生活習慣病ではない。また、2型糖尿病も生活習慣病と言われるが、その発症原因は生活環境に加え、遺伝などさまざまな要因が絡み、必ずしも暴飲暴食が原因とは限らない。
 子どもの場合は1型患者が多いが、小学生でも2型を発症する場合があるし、中学生以上では1型より2型の方が発症数は多くなるという。また、肥満でなくても糖尿病となる場合もある。このように、必ずしも暴飲暴食の自堕落な生活が糖尿病の原因とは言えないのだ。
 つまり糖尿病性腎症で透析になった患者も、社会的、経済的、遺伝的など、さまざまな要因で発症しているわけで、むしろ自堕落な生活で透析になった人間のほうが少ないのではないか。そういう事情を無視して暴飲暴食で糖尿病になり、腎不全になった自業自得の透析患者は殺せという長谷川氏はあまりに偏見が強すぎると思うが、今回の事件で感じたのは、医師にもそのような偏見を持つ者が少なくないようだということ。福生病院の医師もそれを擁護する人間も、どこかで透析患者に対する嫌悪感を持っているのか。そうでなければ、日常的に治療すれば普通に暮らせすことのできる患者に、死の選択などさせないだろう。
 透析はたしかに金がかかる。毎月40万円、年間で500万ほどの費用がかかるといわれるが、これは税金で賄われ、透析患者の負担はゼロだ。たしかに社会にとっては大きな負担だ。透析を受けながら、僕も申し訳なく思う。ましてや僕は、以前にも当連載で述べたように(下記記事参照)、高齢者の過剰な医療に対しては否定論者だ。欧米のように、ある年齢以上の高齢者の医療は廃止したり、自力で食事できなくなった高齢者の延命措置もやめたりしたほうがいい、とさえ考えている。実際、自分の母親が食事できなくなり、胃ろうを医師に打診された時も、それを拒否した。
●第115回:長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち
●第150回:高齢者は適当な時に死ぬべきなのか?
 そんな僕でも恥を忍んで透析治療を受けているのは、根性なしだから死ぬのが怖いというのもあるが、透析さえ受けていれば普通に働けるし、多少なりとも社会の役に立つことができるかもしれない、そう思えるからだ。
 だからこそ、今回の件は強い憤りを感じる。治療を続ければ生きられる、まだ44歳の人間を死なせてしまったからだ。何をどう言い繕おうと、そこに正義はない。もし彼女が44歳で死ななければならない理由があったなら、それをちゃんと説明すべきだとも思う。「死ぬ権利」だとか抽象的な概念や思想ではなく、たとえば「ステージ4の末期癌でした」といった「事実」で語るべき。医者なのだから、思想ではなく、事実で語るべきだったのだ。そうでなければ、医療は医者の独善に支配されてしまう。多くの国民は、「自分の生き死にを、誰かの独善で決定されるなどまっぴらゴメン」、そう思っているはずだ。

【筆者からのお知らせ】
透析患者の多くを占める糖尿病患者を救い、2型糖尿病の予防のためにも、日常的な血糖値測定は大切です。しかし、血糖値測定のためには針で指先を刺す必要があり、これがなかなか苦痛です。そんな中いま、針を刺さない血糖値センサーが開発中です。これはレーザーによる測定器ですが、すでにISOの血糖値測定の基準もクリアしています。実用化まで、あとひと息。これが実用化されれば、血圧測定のように誰もが気軽に日常的に血糖値測定ができるようになり、2型糖尿病の予防にも大いに役立ちます。現在、その開発資金調達のための、ふるさと納税によるクラウドファンディングが実施されています。ぜひご協力をお願いします。
>>詳細はhttps://www.furusato-tax.jp/gcf/519から。
https://diamond.jp/articles/-/196794

 


透析中止で死亡 倫理委員会は当初から開かず 院長「必要ない」
毎日新聞2019年3月12日 06時00分(最終更新 3月12日 06時01分)

公立福生病院=東京都福生市で2019年3月6日、宮武祐希撮影
 公立福生(ふっさ)病院(東京都福生市)の人工透析治療を巡る問題で、2014年ごろ以降、昨年8月に亡くなった女性(当時44歳)を含む数人の患者に外科医(50)が透析治療中止の選択肢を提示し、その全てについて病院内の倫理委員会が開かれなかった。松山健院長が「必要ない」と最初に示した判断が踏襲された。治療中止では女性を含む3人が死亡。日本透析医学会のガイドラインは倫理委の助言が「望ましい」としている。立ち入り検査した都は、いずれの事例もガイドラインから逸脱していたとみて調べている。
• 【女性が夫に送った最後のメール】
• <透析中止の病院長に聞く「選択肢は必要。むしろ倫理的だ」>
• <医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院>
• <透析中止、院長が容認 女性死亡「意思を複数回確認。適正な医療だ」>
• <透析中止の女性、死の前日に「撤回したいな」 SOSか、夫にメールも>
• <公立福生病院の外科医・腎臓内科医、一問一答>
 福生病院の倫理委は外部有識者を交えたもので、副院長が委員長を務める。
 外科医によると、最初の透析治療中止は14年ごろ。当時副院長だった松山院長に倫理委開催の必要性について尋ねたところ、松山院長は「医療上の流れで倫理委員会は必要ありません。ただ、書面(意思確認書)は(患者から)取ってください」と答えた。外科医は意思確認書を取っただけで、倫理委は開かれなかった。その後、女性の事例を含む数人の治療中止でも外科医はこのやり方を踏襲。倫理委開催を松山院長に要請しなかった。
 病院関係者によると、どういう事例の場合に倫理委を開くのかについて病院内に明確な基準はない。「倫理委に上げるかどうかは医師の判断。倫理委はめったに開かれないのが実情だ」という。学会のガイドライン(14年)は「倫理的な問題に対しては倫理委員会や外部委員会などの助言があることが望ましい」としている。
 松山院長によると、病院では約10年前、意識のないまま透析治療を続ける患者の家族が治療中止を求めた際に倫理委員会が開かれた。家族の意思だけでは中止は認められないとする結論だった。その後、患者の容体が悪化して治療自体が医学的に危険と判断され、治療は中止されたという。
 14年ごろ以降に倫理委を開いていないことについて松山院長は「外部委員を呼ばなくてはならないなど、開くのに苦労する。1回ごとに開くのは非現実的だ」と話す。
 末期がんや重度認知症などで透析治療を中止したり導入しなかったりした例が12例ある「長崎腎病院」(長崎市)では、全ての事例を他の病院の精神科医も加わった倫理委員会に諮っている。患者やその家族が自殺願望のあるようなうつ状態でないかどうかチェックしているという。原田孝司院長は「透析治療の中止は死に直接つながるため、患者本人の意思確認ができている場合でも、その意思が確かかどうか倫理委員会に諮るのは当然だ」と話している。【斎藤義彦】
https://mainichi.jp/articles/20190312/k00/00m/040/007000c

 


 
透析中止報道 「福生病院は悪くない」


2019年03月10日(日)
透析中止報道の詳細が徐々に明らかになってきた。
結論から言えばコミュニケーションに問題があったかもしれないが
福生病院は充分ではなかったにせよ大きくは逸脱していないと思う。
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まずは、2つの記事を読んで欲しい、

透析中止、他にも20人の情報 全員死亡か:イザ! →こちら

東京都福生(ふっさ)市の「公立福生病院」で昨年8月、担当医が腎臓病患者の女性=当時(44)=に人工透析治療中止の選択肢を示し、中止を選んだ女性が約1週間後に死亡した問題で、平成25年以降、同病院で他にも約20人の患者が透析治療を選択しなかった可能性があることが8日、関係者への取材で分かった。これらの患者は全員死亡したとの情報もある。

<< 下に続く >>
 一般的に透析が必要とされる腎臓病患者が、透析や腎移植を受けないで生きていくことは難しいとされる。同病院を監督する都は病院側が必要な情報提供を行った上で、患者らの意向を十分に確認していたのかなどについて調査を進める。また、日本透析医学会が設置した調査委員会が来週にも、同病院に調査に入る方針を固めた。

 関係者によると、25年4月〜30年3月、透析治療のため同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち、20人前後が担当医と相談した上で透析治療を行わなかったという。女性のケースと同様、死亡リスクを伝えた上で担当医が透析治療をしない選択肢を示した可能性がある。


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透析中止で死亡「密室で独断専行してない」 病院が反論
2019年3月8日 (金)配信朝日新聞

 腎臓病患者の40代女性が人工透析治療を中止し、死亡していた公立福生(ふっさ)病院(東京都福生市)で、医師が終末期ではない患者に透析治療をしない選択肢を提示していたことがわかった。透析をしない選択をした約20人のうち複数が死亡したとみられる。このほか、透析中止後に死亡した患者が女性以外に3人以上いることも判明。日本透析医学会の提言から逸脱している可能性もあり、学会は来週後半にも病院に立ち入り調査に入る方針だ。
 福生病院は8日、透析治療をめぐる手続きについて「多職種で対応し、家族を含めた話し合いが行われ、その記録も残されている。密室的環境で独断専行した事実はございません」とのコメントを公表し、病院の対応に問題はないとの考えを示した。
 都などによると、福生病院では2013年以降、腎臓病患者149人が受診。透析を始めるかどうかの相談の際に、医師が透析をしない選択肢も示していた。学会の提言では、透析を中止もしくは始めないことを検討できる状況について、全身の状態が極めて悪い場合などに限定。しかし福生病院では、終末期のように極めて悪い状態でなくても透析をしないことを検討し、実際に約20人が透析を選ばなかった。病院側はいずれのケースでも、患者の同意書をとっていると説明しているという。

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ここからが私の意見。

1  中止したら死ぬのはあたりまえ。

   新聞の「透析中止 患者死亡」とか「他にも20人中止 全員死亡」とある。

  透析治療は延命治療なので、中止すれば100%死ぬのが当たり前。
  もし死ななかったら、「不要な透析だった」ことになり、こちらのほうが問題。

  だから「飛行機が墜落、全員死亡」のような見出しを付けるメデイアはおかしい。
  「止めたら死ぬのが透析」という当たり前のことを知らない記者が見出しをつけている。

  明らかに悪意がある見出し。
  煽って部数を増やしたいのか。


2 「透析医が透析を中止する」という意味を、マスコミは分かっているのか。

  透析医療機関は透析で飯を食っている。
  だから透析を中止すれば、お客さんがいなくなり経営には不利である。

  ラーメン屋が、お客さんに「ラーメンもう食べないほうがいいですよ」と言うようなもの。
  そんなことを言うラーメン屋や透析医は、世の中にあまりいないだろう。

  「死期が近いのに可哀そう」と思いながらも続けているのが多くの透析医の本音。
  もし嘘だと想うなら、透析関係者に聞いて欲しい。複雑な想いの患者さんがいる。

  透析医が中止を相談した(提案ではなく相談だろう)のは、患者さんのことを想ってのこと。
  それ以外に考えられない。


3 「透析非開始」と「透析中止」

  福生病院では透析適応の149人のうち20人が非開始であったようだ。
  それぞれがどんな背景で、どんな話し合いがあってのことなのか。

  90代の慢性腎不全で透析導入を拒否して亡くなる人はいくらでもいる。
  私自身もそんなリビングウイルを有する患者さんの意思を尊重してきた。

  また90代の認知症で要介護5の本人・家族の意向を尊重し中止もしてきた。
  透析学会のガイドラインにある「終末期にあること」を、話し合ったうえで。

  非開始は時にあるし、中止も時にあるが、両者は同等であると私は考える。
  そんな現実があるのに過激な見出しをつけている目的は?それとも、無知?


4 欧米では透析中止は日常。

  日本でも非開始や中止はあるが、透析学会の意向かあまり表に出てない。
  しかし欧米では高齢や認知症ならQOLの観点から非開始や中止例は多い。

  むしろ日本のように「本人の意思を無視して金儲けのために死ぬ日まで続けている」 
  多くの現状のほうが特異で、世界的視点からみれば「とっても異常」な国である。

  開始も、継続も、中止も、再開も、根底は同じことだ。
  患者・家族と医療者が、何度も話し合いをして納得しているか。

  透析学会のガイドラインに従うことは当然だが、いろんなケースがある。


5 問題は医師のコミュニケーションが下手だったかもしれないこと。

  「人生会議」をどんな風にやったのかが、本来の論点では。
  メデイアはなぜここで人生会議という文字を書かないのか。
 
  これこそが国策である「人生会議」の限界を物語っている。
  ACPの有効性(このケースは失敗例)として論じるべきだ。

  人の気持ちは常に揺れ動く。
  本人・家族の意向に常に寄り添い、丁寧な話し合いを重ねるべき。

  家族が「後悔している」というならば、主治医のACPは失敗だ。
  また医療経済の問題を患者さんにつき付けるのもご法度である。

  人間の尊厳と経済は切り離して考えないといけない。

6 そもそも毎日新聞がこの報道をした理由とは?

  ・家族からの苦情?
  ・裁判を前提?
  ・新聞を売るため?

  どれなのか知りたい。

  新聞の第一面で煽る内容ではない、と思う。
  事件でないなら、普通の紙面で報じるべき。
  

7 透析学会には福生病院を責めないでほしい

  医師らは透析学会のガイドラインが厳しすぎると言っているので
  事実関係を把握したうえで、病院関係者と医学会が話し合うべき。

  今こそ、透析学会の立ち位置が問われているとも感じる。
  曖昧にしてきた事案が世間に広く知られることになった。
  

  福生病院が
  ・悪いのか
  ・悪くないのか

  マスコミはすべて福生病院=悪、という構図だが、福生病院はそこまで悪いのか。
  患者さんの意思を尊重してやっていても、時には行き違いがあるのではないのか。


  「ガイドラインを満たしていいたのか」と聞かれたら、反省の余地がある。
  「人生会議が適切に行われたのか」についても、改善の余地がある。
   
  パンドラの箱を開けてくれた。
  しかし犯罪ではない。


8 日本医師会も発信をすべき。

  透析学会と同様、専門家集団として、国民やメデイアに正しい認識を示して欲しい。
  今までタブーの課題なので、国民の関心も高いし透析患者さんを安心させて欲しい。
 
  「終末期ガイドラインや人生会議は机上の空論」と言われないように
  具体的にどう受け止めるべなのか、分かり易い言葉で説明して欲しい。
  

これは安楽死ではなく尊厳死である。
そのプロセスを振り返る必要はある。

しかし報道の目的がよく分からない。

このブログはあくまで個人的な日記で感想を羅列しただけ。

福生病院は患者さんの意思を尊重する病院であると信じたい。

こう書くとバッシングを受けるだろうが、勇気を応援したい。
そして、日本透析学会と日本医師会のコメントを待ちたい。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

以下、在宅のMLから中野先生と永井先生の意見を勝手にコピペさせて頂く。
私もまったく同感である。
おそらく多くの現場の医師は同じように考えていると思う。

こんにちは。中野一司@ナカノ在宅医療クリニック、です。
 現在話題になっている透析中止の報道に対する、当会員の永井さんのコメントです。
 永井さんのご意見に全面的に賛成ですが、在宅では、透析せずに看取るケースや、透析中止のケースも時々あります(勿論、腹膜透析の患者さんもおられます)。
https://www.m3.com/news/iryoishin/664550… 

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問題は「透析中止」にあらず、マスコミ報道に違和感
核心は「十分な選択肢の提示と納得のいく対話」の有無
オピニオン 2019年3月10日 (日)配信永井康徳(医療法人ゆうの森理事長)


19件のコメントを読む  ツイート
 公立福生病院(東京都福生市)の人工透析治療を巡る問題でのマスコミ報道が止まらない。多くのマスコミの論調はこうだ。
 「透析を中止すれば死に至るのが分かっているのに、透析の中止の選択肢を提示して患者は死亡した。そもそも医師は患者を死に至らしめる選択肢を提示していいのか」
 医師が透析の中止を選択肢と提示することはいけないことなのか。そもそもこの出発点のボタンが掛け違っている。私が理事長を務める医療法人ゆうの森(愛媛県松山市)は、在宅医療を主体にする医療機関を運営しており、法人全体の看取りは年間約200人に上る。私自身、透析中止の選択肢を提示した経験が何度もある立場から、一言申し上げたい。
 まずは、現在の日本の人工透析について再確認しておこう。人工透析患者の数は、年々増加し、2016年には全国で32万9609人に上る(日本透析医学会ホームページによる)。
 透析に至る原因は、糖尿病性腎症が最も多く、約4割を占めているが、現在は高齢化に伴う腎機能悪化による透析患者も増加している。1カ月の透析治療の医療費は、患者一人につき外来血液透析では約40万円、腹膜透析(CAPD)では30万〜50万円程度が必要と言われている。このように透析治療の医療費は高額だが、患者の経済的な負担が軽減されるように医療費の公的助成制度が確立している。
 人工透析は、医療機関側から見ると最初の医療機器の初期投資は必要だが、一度人工透析を開始すると継続的安定的な患者確保が可能で、透析医療に取り組む医療機関の中には、一種の利権とも言える医療が展開され、人工透析の安易な導入もあるようだ。
 一方、透析患者は基本的に週に3回、1回につき数時間の透析の時間が必要で透析には患者家族にも大きな時間と労力がかかり、公的医療機関では、患者の利便性を考え、人工透析に取り組まざるを得ない状況もある。
 腎不全の患者が、腎機能が悪化した時、人工透析で人工的に腎臓の機能を代用する選択肢が日本にはある。人工透析には多額の医療費がかかるが、日本ではほとんどが公費負担で人工透析を受けられる体制が整っている。多くの海外の国では、医療費が高額のためこの人工透析を受けられない国も多い。
 腎機能が悪化して人工透析が必要になった際、患者家族は、まずは人工透析を導入するか否かという選択が迫られる。医師は透析を導入した場合と導入しなかった場合、その後どうなるかを患者家族に丁寧に納得がいくまで説明する必要があるが、そもそも透析を実施する選択肢もあれば、実施しない選択肢もある。それは、呼吸状態が悪くなったときに人工呼吸器装着するかどうか、食べられなくなったときに胃瘻栄養などの人工栄養や点滴を選択するかどうかを選択することと同じである。医師は、治す医療の選択肢を提示すると同時に、何もせず自然に経過を看る選択肢まで全ての選択肢があることを患者家族に説明する義務があり、患者家族はそのどの選択肢を選択してもよいはずだ。
 ある記事の中に、日本透析医学会監事の医師のコメントがあった。「患者に人工透析を中止する提案をすることは少なく、私自身は経験がない」と発言している。そもそも透析をしない選択や透析を中止する選択はあり、医師はその全てを提示した上で、その患者本人家族にとって最善の選択を選択できるように支援するべきであり、透析をしない選択や中止の選択を提示しないことの方が問題である。
 私たちは、多くの高齢者を診てきたが、最近は、超高齢の患者も多く、腎機能が悪くなっても人工透析を選択せずに、自宅で自然に看取るケースも多い。高齢だからという理由だけで、人工透析をするかどうかを決定できるわけではなく、患者本人にとって最善の選択かどうかが選択の大きなポイントとなる。
 一番問題なのは、人工透析の中止を選択肢として提示して死に至ったことではない。患者家族と十分な話し合いがもたれていたのかということだ。これは、まさにアドバンスケアプランニング(ACP)の問題である。意思決定支援で大切なこととして、本人の気持ちが分からないと家族の気持ちが優先されてしまいがちだが、あくまで本人の命であり、体なのだから、本人が何を望んでいるのかを最優先に考えることがまず大切である。
 そして、自然に診る選択肢から、とことん治療する選択肢も含め、全ての選択肢を関係する全ての人と十分に議論することが大切である。さらに、本人に代わって道筋を選択する家族の重荷に配慮しながら、気持ちは揺れてもいいことをお伝えすることが大切だ。
 本人にとっての最善は何か、正解はない中で、「当事者と支援する医療者で十分に悩んで出した結論が正解なのだ」と言ってあげられるようなプロセスを踏んでいくことが大切ではないだろうか。最終的に出た「結論」ではなく、悩んだ「過程」が大切だと思う。
意思決定支援で大切なこと
 (1)家族だけではなく、本人の意思を最優先する
 (2)とことん治療する選択肢から、何もしない自然の選択肢まで考え得る全ての選択肢を提示する
 (3)その時点で関係する全ての人と十分に議論する
 (4)決断に迷う当事者に寄り添い、決断は変わっても良いことを伝える
 (5)後で「これで正解だったんだ」と言ってあげられるプロセスを踏む(結果ではなくプロセスを大切に)
 現在の社会は超高齢社会となり、今後、団塊の世代の方が後期高齢者となり、死亡者がかつてないほど増加する多死社会を迎える。この多死社会で死亡者が多くなるのは、高齢化が進み、治せない病や老化で亡くなっていく人たちが増えるためだ。
 高齢で亡くなっていく人たちが増えていく時代に、全ての人が最期まで治療を続けて亡くなっていく社会でよいのだろうか。病気だけではなく、人は人生のあらゆる場面で決断が迫られる。もちろん、一人一人にとって最善は違う。どのような決断をしようともその決断をする権利が患者家族にはあるはず。そして、人の命に関わる重要な決断をするときに、迷ったり、決断が変わったりするのも当然のことだと思う。
 支援者にとって大事なのは、本人や家族が命に関わる重大な決断をするときに、「迷ってもいい」というスタンスを示し、十分な説明と対話を繰り返すこと。支援者も当事者と同じ立場に立って一緒に悩んで考えることが大切である。
 そして、一人一人にとっての最善が違う以上、その人にとっての正解は何かは誰にも分からない。そして、一緒に全ての選択肢を十分に議論して出した結論は本人や家族にとっても納得のいくものとなるだろう。一緒に悩んで考える過程を経て、出た結論は「それが正解だった」と後押しをすることが支援者にとって大切である。「結果」ではなく、一緒に悩む「過程」を大切にする。
 今回のこの「透析中止」の報道での核心は、この部分であると思う。十分な選択肢の提示と納得のいく対話が行われていたのか否かなのかが問題であって、透析の中止の選択をして死に至ったことが問題ではない。この点を報道するマスコミの方々にも十分に認識していただきたい。
ACPの3つのコア概念
 (1)人によって最善は違う
 (2)気持ちは変わってもよい
 (3)結果よりも過程を大切にする
 生まれたら人はいつか必ず亡くなる。亡くなるまで全ての人が治療を受け続けなければいけないわけではない。
 医療者はむしろ治療を続ける方が楽であり、死に向き合って、治療を選択しない選択をする方がつらいものである。
 「死」は医療の敗北ではない。それでもいつか亡くなる「死」に患者本人も家族も医療者も向き合って、いつか亡くなるときにどんな最期を迎えたいのかを考えることがこの多死社会では大切になってくるのではないだろうか。
 人生とは「いつか亡くなるまでどうよりよく自分らしく生きるか」だと思う。長く生きることだけが善ではない。このような報道で透析の中止や死に向き合って治療をしない選択が全て非難されるようなことにならないことを私は祈る。


 


この記事へのコメント
「福生病院は悪くない」と言うことは可能だと思います。
また「これは安楽死ではなく尊厳死である。」と言うことも可能だと思います。しかし「そのプロセスを振り返る必要はある。」と、強く思います。「福生病院は悪くない」と言い得るためには、そのプロセスを明確にする義務があると思います。
この件が釈然としない一番大きな理由は、患者の年齢が44歳と若く、9日のブログ本文にも書かれていますが「中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があったという。」 
その上に、本人は(闘病生活が主たる原因と推測しますがウツ傾向はあったが)正常な事理弁識能力を備えていた。自分で飲食可能な状態でもあったと推測できます。
そのような状態の患者を「終末期」と断言できるのか、という疑問があります。
また、腎移植や腹膜透析という別手段について医師側がどのような説明をして、患者側がどのような意思表示をしたのか「不明」である、ことも、ダークな印象を与えます。
年齢で線引きするべきではないとは思いますが、意識がしっかりしていて若く、あと4年は生きられた、のであれば、医療者側の対応の仕方ひとつで「あと4年、生きます」という選択が可能だったのではないでしょうか。
それから、憎まれ口承知で書きますが、どのような理由であっても毎日新聞が報道したことは讃えられるべきではありませんか? 
医師側が、マスコミに報道されることを忌み嫌うようでは、いつまでたっても医療改革などできません。たとえ誤解があってもセンセーショナルであろうとも、マスコミはもっと医療事件を報道するべきです。この件、YomiDr,も朝日も取り上げています。
国民のために、テレビも週刊誌もどんどん報道してください。マスコミが報道して初めて、一般大衆が気付き始めるのです。
「医者の言うとおりに」ってオカシイよ、ね、と考えるようになる。
Posted by 匿名 at 2019年03月10日 07:59 | 返信
長尾先生が紹介されている新聞報道。
3.7毎日、3.8産経、3.8朝日を時系列に読み進めると、一番手の毎日が知りたい「事実」がくわしく、
後追いは、肝腎の知りたい「事実」から遠ざかっている。
ご本人は、診療所での透析5年で挿入血管が詰まり、中核病院を紹介された。
対応した外科医から新たな挿入場所が首なので、手術時時死亡の可能性があること、
その際、「透析中止」という選択肢もある旨、説明した。
外科医は、「同意」を得て透析を中止したが、中止後本人から「苦しいので透析を再開してほしい」との訴えを
数回聴いた。
外科医は、透析を続ければ4年は生存できるが、本人の「正常時の判断」を優先したと、記者にのべた。
このやりとりが、どこまで「事実」に近いのか分からないが、重要な問題を孕んでいるように思う。
小生も、昨年救急搬送され、意識だけはすこぶる明晰だったので、救急医から検査や処置の都度、説明を受け同意。
ろれつが回らず発語がよかったり悪かったりしたが、リュックの中に当院の診察券があること、3年の健診記録やモデルMRI記録もあることをなんとか伝えた。ただ、診察券や保険証の束の中に、「尊厳死協会会員証」があることは、なぜか伏せた。
4年前、透析22年の友人が亡くなった。その息子が父とのやりとりの中で、「父は、自らの意志で最後を決め、透析の道を断った」と、手記に書いている。なぜか?
黒田さんを追悼する長尾先生のブログのなかで、触れさせていただいたことがある。
Posted by 鍵山いさお at 2019年03月10日 09:30 | 返信
長尾先生の9日の記事へのコメントで樫の木さんが書いておられましたが、
「医師の人生観の押しつけの問題は、このケースにあったのかないのか」
「メディアを駆使するがん治療や緩和ケアの専門医から、自死を勧められているような気持ちがする時があります」etc.
との文言にありますように、一般日本人の意思決定は、かかわる医師のスタンス(仕事や物事に取り組む姿勢)がものすごく影響します。
その原因はやはり「お医者様は偉い」「お医者様は国家資格者であり専門家であるから常に正しい」「お医者様の言う通りにしないと大変なことになる」という医者信仰です。
現在の一般日本人には「医者に逆らってはいけない」という意識が骨の髄まで染み込んでいる。医者も、それを知っている。本当に患者の立場で「自分ごと」として医療に関わっている医者なんていないと思う。
2年前に90歳10ヶ月で亡くなった父は、82歳で食道がん、放射線治療を希望して入院した某有名大学病院の外科医は、父の入院時には放射線治療ができないことを告げずに入院させました。ちょうどその時に放射線治療装置を入れ替えていたので物理的に不可能だったのです。
しかし一連の検査を指示し「手術の可能性もあるので」と言って抗がん剤治療を始めた。私も父も、何となく不思議に思いつつ、質問することができない雰囲気でした。
某有名大学病院、しかも初心者の医師ではなく評判の良い医師が担当になってくれてラッキーだ、と、そう思いました。しかし父は、毎晩のように手術するように勧められたのです。
「決死の思い」で「手術しません、最初から放射線治療を希望しているのです。」と主張して別の病院に紹介状を書いてもらって転院して放射線治療。その病院の放射線治療担当医師は、細かく丁寧に説明してくれる誠実な人柄でした。おかげさまで再び食べることができるようになりました。
父は退院後、介護施設で生活し、外出や外食もできました。最期の死因は肺炎でしたので、高熱のため食欲も無くスプーンひと口くらいしか食べれませんでしたが、亡くなる一週間くらい前まで自分で飲食できました。
あの時、某有名大学病院の「執拗なお勧め」に根負けして手術していたならば、命永らえても1年か2年、しかも病院と縁切れずに入退院を繰り返し、苦しみながら死んでいったことでしょう。
医療はビジネスです。医者はビジネスマンです。だから「透析を継続させたいハズだ」という長尾先生の推論も成立しますが、逆に、混雑している透析ベッドを空けるために、少しでも良好な状態で手のかからない患者を得たい、という推論も成立します、よ、ね。
医療をとりまく情報は、もっともっとオープンになってほしい。医療にかかわる記事は、何でもかんでも報道されるべきです。それが、一般の日本人を啓蒙することに役立ちます。
患者が、一般人が、賢くなるしか、一般人の幸福はナイのです。自分は自分で守る、自分の人生は自分で決める。
Posted by 匿名 at 2019年03月11日 01:14 | 返信
マスコミ報道の一般的な傾向として、事実確認をせずに、医者を一方的、恣意的に悪者にしようと世間を誘導するような内容であるということです。理由はそのほうが売れるからです。
公平性を欠いた、医療叩きありきの報道が医療を滅ぼす第一歩になるという事を多くの人はわからない。
相変わらず医療側は強者だから感情論で叩いて世間を扇動させればいいという短絡的な思考回路。
自分の病気をどうしたいかは本来自分で決めるもので、利点と欠点を説明して選択支を示すべきでしょう。明らかに間違った方向(まだ進行期ではないのにがんの標準治療を拒否するとか)の場合は医療者がアドバイスして修正を試みるべきだとは思いますが。
透析医療に関しては、80〜90歳でもやっていて、エンドレス。やめどきのガイドラインなどないと思いますが、これも相当な問題だと思いますが。患者の意思がどこまで反映されてるのか?
Posted by マッドネス at 2019年03月11日 12:15 | 返信
私は、糖尿病についても、人工透析についても、よく知らなかったなあとおもいます。
人工透析をしていても、治らない人が多いのですね。
であれば初めから、人工透析に頼らず食事療法と、運動療法で自分でセルフコントロールしなければだめだなあと思いました。
公立福生病院の、以前の病院で「人工透析は、成績が悪ければ、途中で止めます。苦しんで死ぬこともあります。」と説明する必要がありますね。
鍼灸治療をしていると、血糖値が下がり過ぎて「私のカバンから、飴ちゃんを出して、私の口に入れて下さい!!」と言われる事があります。
灸だけで良いから、毎日自分でコントロールした方が、人工透析に幻想を持つより、良いかも。
高脂血症も、高血糖症も、日本人が太古の昔から、お米と魚とマメ類で、低いカロリーで生活してきた歴史があるから、遺伝的に現代の豊富な食事に、慣れないのだろうと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2019年03月11日 03:20 | 返信
今日は 3.11 大災害に見舞われた日。News で流れる映像を見ながら
「日本人は凄いな」と思うし、強いと思います。
医師会と国の思惑があって、何かが投げかけられているのだと思いますが、もっと
国民を信頼して、事実を知らせてくれた方が、事の運びが穏やかに進むのではないかと
思うことが、ままあります。
透析という言葉は聞いたことがあっても、その実は当事者であっても、果たしてどこまで
承知の上で、透析を開始するのか、また開始された行く末には、どのような事が待ち受けて
いるのかを、どれ程の当事者本人が理解しているのか、理解無きまま漠然と透析のレールに
乗っている場合も多くあるのではないでしょうか。
糖尿病を甘く見て、治療のために薬を服役したり、インスリン注射を打っているにも拘わらず、
飲酒生活を辞められない患者もいるでしょうし、その時その先に「透析」=「人工腎臓」という
ケースが待っていることがあるとか、透析を開始したなら、それは「一生涯」であるとか、
様々な「害」・リスクについてを承知していないままの患者群が多い日本国内ではないか? と
思ったりします。
「病気」は生活・人生と直結しているし、そして、それは「国民皆保険」という保障の上に
乗っ取った安心と、一方では甘えもある、日本の世の中です。
このような事を考えたり、ブログ参加する事自体が、結構マニアックなことだと自覚していますが
現状、日本の世の中は、かなり切実な、切迫した事態に陥っているのではないか?と危惧するのです。
Posted by もも at 2019年03月11日 07:50 | 返信
ももさんの「このような事を考えたり、ブログ参加する事自体が、結構マニアックなことだと自覚していますが」に深く同感。
現実社会の御婦人方はTVで(堺)マチャアキちゃんが太り過ぎもダメだけど痩せすぎもダメだと言ってたとか、もっぱらお茶の間TVが情報源。国民皆保険は既得権、腰が痛い膝が痛いと医者に行っては薬とビタミン剤をもらうのがまるで仕事みたい。ずっと元気でいるために医者に行く団塊世代は同時にいつもいつも病気におびえているように見えます。「病気になったら早く死にたい」とのたまう。彼女たちは尊厳死も安楽死もどちらでも良いらしく、むしろそのほうがノーテンキで深く考えることなく丈夫で長生きなさるのかも。共通認識は「あとは子供がやるから。」つまり受け身。自分で決め(られ)ないのです。
Posted by 匿名 at 2019年03月11日 11:46 | 返信
報道を見ていますが、福生病院の医師を責める方がおかしいと感じます。
透析治療を医療者側が患者に強制するのが正しいというマスコミの考えに驚きを隠せません。
透析以外の人口呼吸器などの延命治療を望まない選択肢は患者側にあるのに、透析だけ行わないという選択肢を示すことがいけないような考えは時代に逆行していると思います。
福生病院の方が患者側の気持ちにたって考えている病院だと私は思います。
Posted by ささ at 2019年03月12日 08:43 | 返信
人の死を、コミュニケーションの問題があったかもしれないが...と発言すること自体、医者のおごりと感じるのは私だけでしょうか。
透析中止の提示をすることには問題は無いでしょう。しかしながら、今回の問題については、患者が透析再開の意思を示したにもかかわらず、意識朦朧状態の言葉だと断定し、治療を再開しなかったことにつきるのでは..人の心はふらふら変わるものです。亡くなってしまえばどうにもなりません。
一旦治療を再開し、患者さんの気持ちが落ち着いた時点で、もう一度透析中止の意思があるのかを問うべきだったのでは。当然、治療を再開しても助かったかは分かりませんが..
Posted by 匿名 at 2019年03月12日 10:31 | 返信
「人工透析」て必要ですか?
おかしなことを言っていると思われるのは分かっています。
人工透析という治療にどうしても不信感が拭えないのです。
4年後ほど前に父親をある公立病院に連れて行きました。
年は87歳で高齢であることは否定できませんし自力で立っていられないので入院しなければならないと思ってのことです。
多少苦しそうでしたが会話はできましたので意識はしっかりしていました。
診察後入院を勧められました。そして病室の契約も行いました。
その時担当医から人工透析の治療を勧められました。
人工透析について詳しい知識はありませんし素人判断ですが最初に書いたことが頭をよぎりました。
そこで担当医に「人工透析を行わないとどうなりますか?」と尋ねました。
担当医からは「死にます」と明確に言われました。
もう私の方からは人工透析治療の同意書にサインするしか他に方法はありませんでした。
即、人工透析を行うとのことで父親は治療室へと移動しました。
この時が父親との最後の別れとなりました。
時間的考えても人工透析の治療がはじまるとまもなく亡くなっています。
一分でも一秒でも長生きして欲しいからそれが人工透析では?
今となっては叶わぬ願いですが福生病院へ連れて行ってあげたかった。
人工透析報道を見ると何故か思ってしまいます。
Posted by 匿名 at 2019年03月12日 10:48 | 返信
厚労省のガイドライン「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」と言う物が有り透析に限らないすべての医療が対象になる物です。
ACPの概念や在宅医療等を受けたガイドラインであくまで本人意思が優先で医療従属者の倫理委員会などは基本関係ないです。ただし医療・ケアチームと本人と家族等が後の医療計画に同意が得られない場合等に医療・ケアチームに助言者をいれ検討助言できるとされ、倫理委員会とはまるで別機能のものです。透析学会のガイドラインの解説記事が日本薬事新報社に「終末期の透析中止で学会が提言発表 − 患者家族の推定意思も尊重 [日本透析医学会]」と言う物に記者の作ったフロチャートでも倫理委員会が必要になるのは医療・本人・家族等の関係者の同意が得られない場合に倫理委員会等での検討となっています。福生の件はどちらのガイドラインからも不十分かつ逸脱してそうですが、最初から倫理委員会を開かなかった事を非難する根拠が見当たらない。「倫理委員会」を振り回す透析医やマスコミは事態を正確にとらえる気が有るのか?他に何か思惑でもあるのか?
先々透析の可能性が有る身としては個人の死生観を優先してほしいかぎりです。
Posted by 吉松 at 2019年03月12日 11:08 | 返信
福生病院殿は、腎臓内科を受診するかたに、透析中止を案内する病院であることを、ホームページ等で知らせる義務があるとおもいます。
Posted by 透析患者 at 2019年03月12日 02:31 | 返信
40歳代半ばであと4年生きられる可能性、という部分に想像力を働かせてみると、決して楽に生きられる状況ではないように思えます。40歳代の人ってそんなに簡単に死ぬものではないでしょう。すると普通の仕事ができる状況では少なくともないでしょう。
「可能性」ですから4年のところは2年かもしれませんし1年かもしれません。そして最後の1年は入退院を繰り返し・・・かもしれません。透析中止を考えた時点でさえかなり生活に問題がありそうにも思えます。
ご自身がそういう状況に置かれたことを想像すると、できるだけ長く生きたい、と言える人ってそう多くはないような気もします。とても生きる希望が持てそうもありません。自分だったら透析をやめて、しんどくなったら鎮静でいいです。
Posted by anonymous at 2019年03月12日 05:33 | 返信
私も数年後に透析になる可能性があると言われました。私は透析は受けないと答えました。糖尿病でインシュリンを打ってますが、自分の中で薬でサポートして行きていくのは受け入れますが死んだ臓器を機械処理して生きていくのは自分の生き方に反すると思うからです。ただ、末期になり苦しくなったらなりふり構わず、透析でもなんでもいいから治療してくれと懇願するかもしれません。今、自分が恐れているのは死そのものではなくその死までに至る苦痛に耐えられるかどうかです。ネットで検索してもそいういう患者を受け入れるホスピスのような施設の情報がありません。
Posted by 鈴木正彦 at 2019年03月13日 09:15 | 返信
今回の記事を拝見になって、公立福生病院のとった行動に敬意をもうしあげたいと思います。
透析患者は、状態が様々です。
その状態によっては、大変に苦しんでおり、透析前後〜その後までは様々であり、大概は心不全を併発して死に至ります。
若くて心臓にパワーが有り、状態も良いならば透析で延命治療も良いでしょう。
しかし、高齢で心臓にパワーも無くなってきており、動脈硬化や色々な疾患を併発していて苦しんで透析をしている患者さんもそれなりにおられます。
透析最中に、ぽっくり病のように大声を突然出し、透析を止めてくれー。苦しいー。と怒鳴る患者さんもおられます。
その人は、透析、糖尿病による足の切断、脳梗塞などを合併されており、当然車椅子生活で自力では通院が不可能です。
そういうこ80歳過ぎの高齢者をICUを行ったり来たりしてまで、透析をしているのです。
当然、透析というものは心臓にものすごい負担がかかるので、心機能が拒否反応し、苦しみます。
冷や汗も出ますし、足もつりますし、血圧も100以下に下がり、その逆で200以上にもなります。
そうすると、透析を継続すると大変危険な状態になるので、一旦は透析を中止し、透析が再開できるまで、タイマーをセットして様子をみます。
足の側を上に上昇させたり、頭の側を上昇させたり、生理食塩水を点滴して、血圧が上がるまで透析は中止するのです。
透析患者は年数を重ねるごとに、徐々に悪化していき、その終末期は患者本人が選択した治療ができれば、望ましいのです。
ICUに長期入院してまでも、スパゲティー治療をするか、しないか。
できれば、安楽死または、尊厳死の選択する病院との契約書が必要な時代になっているのではないでしょうか。
なので、透析はあくまでも延命処置にすぎません。完治はしないのです。
海外では、終末期はどのようにして死ぬか、状態の良い時にに契約した通りにする国もあるのです。
カリウム製剤を致死量注射すれば、安楽死できるので、問題は法律の整備でしょうけれど。
Posted by ルンペン at 2019年03月13日 09:33 | 返信
医療は、患者さんの為にあるのだから、患者さんの意見が聞きたいと思います。
糖尿病患者さんの為の医療だったのか。
断食道場とか、エアロビクス体操などが、気軽に楽しめたり、オリンピックのためだけではなく、国民的にスポーツが楽しめるような環境が欲しいです。
合理化合理化で、死ぬまで働かされたり、人手不足と言うと、直ぐ外国人の導入を考えたりではなく、GDPは低くても、一人一人が生活を楽しめるような国であってほしいと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2019年03月13日 02:29 | 返信
http://blog.drnagao.com/2019/03/post-6688.html

透析中止、他にも20人の情報 全員死亡か
2019.3.8

1/1枚 東京都福生(ふっさ)市の「公立福生病院」で昨年8月、担当医が腎臓病患者の女性=当時(44)=に人工透析治療中止の選択肢を示し、中止を選んだ女性が約1週間後に死亡した問題で、平成25年以降、同病院で他にも約20人の患者が透析治療を選択しなかった可能性があることが8日、関係者への取材で分かった。これらの患者は全員死亡したとの情報もある。
<< 下に続く >>
 一般的に透析が必要とされる腎臓病患者が、透析や腎移植を受けないで生きていくことは難しいとされる。同病院を監督する都は病院側が必要な情報提供を行った上で、患者らの意向を十分に確認していたのかなどについて調査を進める。また、日本透析医学会が設置した調査委員会が来週にも、同病院に調査に入る方針を固めた。
 関係者によると、25年4月〜30年3月、透析治療のため同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち、20人前後が担当医と相談した上で透析治療を行わなかったという。女性のケースと同様、死亡リスクを伝えた上で担当医が透析治療をしない選択肢を示した可能性がある。
同病院では昨年8月、医師が腎臓病の女性に治療継続と治療中止の2つの選択肢を提示、女性は治療をやめることを決めた。その後、女性は透析再開を願い出たが、同月中旬に死亡したという。都は今月6日、医療法に基づき同病院を立ち入り検査。女性側と病院側のやりとりを詳しく確認している。
<< 下に続く >>
 同病院は8日、「家族を含めた話し合いが行われ、記録も残されている。密室で独断専行した事実はない。悪意や手抜きや医療過誤もない」などとするコメントを発表した。
https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/events/news/190308/evt19030820220033-s2.html

https://mainichi.jp/articles/20190307/ddm/003/040/033000c?pid=14516


http://www.asyura2.com/16/iryo5/msg/760.html

コメント [政治・選挙・NHK258] 自民総裁4選発言で、表立っての反対意見が出て来ないことに自民の暗黒時代=国民の暗黒時代予兆(かっちの言い分) 一平民
4. 嫌韓[2564] jJmK2A 2019年3月14日 08:50:25 : 4UTDPuZCoW : M3pBWHlrbk9ONFk=[1]
>自民総裁4選発言で、表立っての反対意見が出て来ない

そうなんだよね。
安倍首相に代わる人材がいないのだよ。
そして、多くの自民党議員がそれを解っている。

石破や岸田が声高に反対しないのは、自分がいかに安倍晋三より劣っているか
分かっているのだからだろう。

陳哲郎はポスト安倍は枝野とかほざいて、天木にまで馬鹿にされている。
このテツを踏みたくないのだろう。

ジジババは置いおいて、若者に絶対人気の安倍晋三君の4選、
これからの事を考えるなら大いにありだね!!!
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/455.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
12. 2019年3月14日 08:51:53 : quMKleKEOA : andmOS5lY2dYN00=[32]
初期のニュースでは「外国紙幣」と言っていたから
アメリカドルか韓国か中国かと不審に思えたので、
好奇心からの問い合わせが多くてそれに応えて「韓国紙幣」と発表しただけでは?

朝鮮人から見れば真実を言っても差別に見えるのだろうが

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK258] 二クラスはなぜ死んだか、入管収容所の現実 東京入管でクルド人難民申請者が体調悪化、いったんは救急搬送されず うまき
1. 2019年3月14日 08:51:55 : 1iPHmDu2mM : MUIuN1A0VGt5L28=[2]
コチラもどうぞ。
メメット氏の件が解説されてます。

NO HATE TV 第58回「2019京都ヘイトデモ」
https://www.youtube.com/watch?v=x8KNj7cIfkc

すごく良い番組です。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/451.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
13. 2019年3月14日 08:52:38 : kIQuTy7QRQ : VEpWZ0cuR2Z6c3c=[2]
経済統計学会が統計不正に声明(長周新聞)

統計行政の制度的基盤を認識してさえいれば、今回のような不測の事態はそもそも起こりえないものである。このような事案が発生したことは、困難な調査環境のなか、統計作成の第一線で日日尽力している統計関係者、なによりもこれまで調査に協力してきた国民に対する冒涜以外のなにものでもない。

このまま見過ごされるわけがなかろう・・・
国民は、国勢調査にも協力しなくなる・・・
ふざけるのもたいがいにしろ
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
14. 2019年3月14日 08:55:09 : 011vcptdS6 : QVVaQ0xzSVNrSWc=[3]
11追加訂正

選挙に言っても →選挙に行っても
鉦倭会 →征倭会
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK258] 驚き!安倍晋三が一晩に123万円の豪遊!   赤かぶ
5. 2019年3月14日 08:56:02 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[49]

安倍は「贅沢病」で変死する。−−−−−全国民が楽しみにして待っているよ!


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/461.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK258] 「悪夢だ、自民党に人はいないのか」と小池晃!  赤かぶ
31. 2019年3月14日 08:58:53 : EfIRSPhAvs : ZkFxYzdQeGVOSi4=[1]
自民党なんて、ただ人数が多いだけ。他の党より優れているのは議席の数だけで、よく言えば人格破綻者の集団、悪く言えばチンピラの群れ。
数では劣っても、少数精鋭・一騎当千の共産党の足元にも及ばない、非常に分かりやすい質より量の政党、それが自民党。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/427.html#c31
コメント [カルト20] NHK・ちきゅう和歌山掘削、本日・和歌山震度4。311サックスの時に震源地にいたのもちきゅうサックスである。 ポスト米英時代
6. あずみ[19] gqCCuILd 2019年3月14日 09:01:25 : t3fxM4o8Ns : V1lSNGtqak1kSGM=[1]
ポスト先生お久しぶりです。
地震ネタがきたから久しぶりにカキコするよ。
地震どーでもいいよ。
私の好きなピエール瀧が逮捕されて、今週ライブだったのに中止になってしもた。
いいタイミングで逮捕されたよ。
電気グルーヴの音源の配信停止は勘弁してね。
そんでもって、今年の紅白にきゃりーぱみゅぱみゅを出してケロ!

じゃ、よろしく(^-^)v
http://www.asyura2.com/18/cult20/msg/498.html#c6

記事 [国際25] 中国船、もはや遠慮なくベトナム漁船に体当たり 中国が生きた手本を示している島嶼奪還の困難さ 
中国船、もはや遠慮なくベトナム漁船に体当たり
中国が生きた手本を示している島嶼奪還の困難さ
2019.3.14(木) 北村 淳
ベトナム当局者「中国船の体当たりで漁船沈没」
南シナ海に中国が設置した石油掘削施設近くで、ベトナムの船舶に接近する中国の海警艦を監視するベトナム海洋警察(資料写真)。(c)AFP/HOANG DINH Nam〔AFPBB News〕

 西沙諸島のディスカバリー礁(華光礁)周辺で操業していたベトナムの漁船が、3月6日、中国船に衝突されて沈没した。ベトナムのメディア(Tuoi Tre)によると、漁船に乗っていた5名は漁船の残骸にしがみつき2時間ほど海面を漂っていたところをベトナム漁船によって救助されたということである。

 中国側メディア(中国共産党新聞網)が伝えた中国外交当局者の発表によると、ベトナム漁船から救難信号を受信した中国公船が直ちに現場海域に急行したところ、ベトナム漁船が沈没しつつあったため、中国の海洋捜索救難センターに通報し、中国救助船が派遣されたということである。

 中国当局は、5名のベトナム漁民は救助されたとしているが、ベトナム漁船と衝突した船についての情報や、ベトナム漁船を救助したのは中国救助船なのかベトナム側の報道のようにベトナム漁船なのか、などの詳細については明言していない。

多発する衝突“事故”
 西沙諸島海域、そして南沙諸島海域でのこの種の衝突事故による沈没事故は近年増加しているという。ベトナム漁船が中国船に衝突されて沈没した事例はしばしば報道されている。だが、報道されている“事故”は氷山の一角に過ぎない。ベトナムからの留学生(軍事情報研究のために渡米している)が米海軍関係者に語ったところによると、「毎週のように衝突事件が繰り返されていると言っても過言でない状況である」ということだ。

 西沙諸島や南沙諸島での領域紛争で軍事的優勢を掌握しつつある中国当局は、これらの海域で海上民兵が操船する漁船を多数操業させ、ベトナム漁船やフィリピン漁船などに脅威を与えている。

 アメリカ海軍などが“第3の海軍”と呼ぶ海上民兵たちは、南シナ海での中国の主権を守る“任務”に従事することが、自らの漁業権益を確保することに直結するため、積極的に任務を遂行することになるのだ。

 そして海上民兵の漁船群の周辺には、“第2の海軍”である中国海警局の各種巡視船が「安全操業の確保と違法操業の監視」に当たっている。それらの周辺は、“第1の海軍”である中国海軍艦艇が警戒監視に当たっている。

 それだけではない。西沙諸島のウッディー島(永興島)、南沙諸島のファイアリークロス礁(永暑礁)、スービ礁(渚碧礁)、ミスチーフ礁(美済礁)には航空基地が設置されているため、海南島や中国本土から飛来する中国海軍機は心置きなく南シナ海の警戒監視活動を実施できるような状況になっている。

ディスカバリー礁(華光礁)とウッディー島(永興島)の位置
拡大画像表示
 このように、南シナ海における中国の圧倒的な軍事的優勢がほぼ確立している。そのため、西沙諸島や南沙諸島で“毎週のように繰り返されている”衝突事故は、報道されないどころか報告すらされない状態になりつつあるとのことである。

 なぜならば、ベトナム当局が中国側に強く抗議すると、さらに衝突事故が頻発する結果となってしまうからだ。政府間の対応は八方塞がり状態に陥っているというわけだ。

静観するしかないベトナム当局
 実際にベトナム漁船と衝突事故を起こすのは中国公船ではなく民間の漁船である。その漁船が海上民兵によって操船されていても、偽装漁船でも軍艦でも公船でもなく、あくまでも漁船である。したがって、ベトナム当局が中国側に抗議しても、漁船同士の衝突に関して中国政府には責任はないと言われればそれまでだ。

 おまけに強行に抗議するとさらに衝突事故が起きてしまうため、ベトナム側としては衝突事故を表沙汰にして騒ぎ立てても無意味どころか逆効果である。結果的に静観するしかなくなってしまっているのだ。

 もちろん、ベトナム側が中国の海洋戦力に痛撃を加えられるレベルの海洋戦力を保持していれば、中国側としてもベトナム漁民を圧迫する“作戦”は差し控えざるを得なくなる。

 だが、ベトナムの戦力は地上軍に偏重している。ベトナムは陸続きの中国からの軍事侵攻に備えて比較的強力な地上軍(ベトナム陸軍、国境警備軍)を備えている。中国軍としても、そう簡単にベトナム軍を打ち破ってベトナムに進行できるとは考えていないはずだ。しかしながら、西沙諸島や南沙諸島のように海域で作戦行動を実施する海洋戦力となると、ベトナム側が圧倒的に劣勢であり、手も足も出ないという状態に近いのだ。

島嶼の奪還は至難の技
 1974年に南ベトナム海軍と中国海軍が戦闘を交えて中国側が奪取した西沙諸島は、それ以降、中国による実効支配が続いている。西沙諸島の中心となっているウッディー島(永興島)には軍事拠点だけでなく“中国の領域”である南シナ海の行政を司る政庁まで設置されており、中国の領土としての体裁が完全に整っている。

 このような状況でベトナムが西沙諸島の主権を取り戻すには、再び中国海軍と戦闘を交えて、力づくで奪い返すしか方法はない。しかし、比較することすら無駄なほど海洋戦力に差が生じてしまっている現状では、そのような可能性はゼロに近い。

 西沙諸島での事例は、日本にとって決して対岸の火事ではない。西沙諸島や南沙諸島にしろ尖閣諸島にしても、また中国との間に限らず竹島や千島列島にしても、ひとたび島嶼を完全に占領されてしまうと、それを取り戻すには軍事力を用いて奪還する以外には方法がない。その現実を、中国は南シナ海で、日本をはじめとする国際社会に教示しているのだ。

 そして、島嶼奪還のための戦闘が極めて困難な軍事作戦となるのは必至である。島嶼周辺に限定された局地戦には留まらずに全面戦争に発展しかねないことを覚悟しなければならないのである。

http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/a/2/-/img_a28631c6de5035168a70701e62ea85ba487761.jpg

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55735
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/679.html

コメント [政治・選挙・NHK258] アメリカ政府の放射線量データを日本は“黙殺”したのか? ファクトチェック・ニッポン!(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
13. 楽老[335] inmYVg 2019年3月14日 09:05:20 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[60]
菅直人ー枝野政権が無力、無能であったことは間違いない。

しかし、
では、比較してH30.7月豪雨災害時に赤坂自民亭でドンチャン騒ぎをし、被災者を尻目に土日だからとゆっくり静養し、政権が動いたのは3日後、熊本地震では知事の要請も無視し、メディアに騒がれだして地震の11日後になってようやく激甚災害指定した政権は有能だったのか?
同じように無能であっただけではなく、不埒な輩であろう。

3.11イチエフ放射能災害は第一義的に第一次安倍政権と東電経営陣に責めを求めるべき。

スピーディーのデータ公表を握りつぶしたのは官僚でなく
細野豪志です。
こういう輩だからこそ自民に入りたがる。

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/439.html#c13

記事 [国際25] 要警戒!世界を中国化する「一帯一路」の危ない誘い 取り込まれるイタリア、「中国式植民地主義」は息を吹き返すのか 
要警戒!世界を中国化する「一帯一路」の危ない誘い
取り込まれるイタリア、「中国式植民地主義」は息を吹き返すのか
2019.3.14(木) 福島 香織
「一帯一路」建設で5つの進展 中国商務部
商務部の記者会見に臨む銭克明副部長(中央、2019年2月12日撮影、資料写真)。「2018年の一帯一路の経済貿易合作は規模が拡大し、質も向上した」と言う。(c)CNS/趙雋〔AFPBB News〕

(福島 香織:ジャーナリスト)

 中国の一帯一路戦略は、昨年(2018年)頓挫しかけていた。エチオピア〜ジブチ鉄道は棚上げとなり、マレーシア〜シンガポール間高速鉄道プロジェクトは中止、パキスタンの政権交代に伴う一帯一路事業の見直しなどが続いた。また欧米諸国から、返済見込みのない事業に多額の融資をして相手国を借金漬けにして支配するやり方を「債務の罠」「中国式植民地主義」などと非難されてイメージも地に落ちていた。だが今年に入って、ひょっとすると一帯一路は息を吹き返すのか、と思わせる動きが出てきている。

 1つはすでに日本でもニュースになっているイタリアの一帯一路への正式参加表明である。3月下旬に習近平がイタリアを訪問した際に、イタリアのジュゼッペ・コンテ首相と一帯一路参加に関する覚書を交わすことになっている。G7としては初の正式な「一帯一路」参加に、中国は急に自信を見せ始めた。昨年秋の安倍晋三首相訪中時に「第三国市場での日中協力」という名目で日本が一帯一路への支持姿勢を見せたことも追い風になっている。

 加えて、なにより世界銀行が一帯一路のプロジェクト効果として、参加国の貿易を3.6%増やし、世界貿易全体も2.4%増加させたとポジティブに評価していることも大きい。コロンビア大学政治国際関係研究所のある研究者は、一帯一路について「中国は世界秩序の再構築プロセスの重要な要素」とまで語っているようで、中国の参考消息などが喜々としてこれを転載して報じている。

中国との接し方を巡って足並みが乱れるEU
 イタリアが中国の思惑に気づいているかは別として、イタリアの国内事情はスキがあった。イタリアの左右ポピュリスト連立政権の内部で、鉄道プロジェクトをめぐる非常に厳しい対立があり、また財政赤字はEU規則の上限を上回りそうになっている。イタリアにしてみれば、大盤振る舞いを約束してくれる中国にすがりたいところだろう。

イタリア、ポピュリズム政権が正式発足
2018年6月にイタリア下院で、新政権の信任投票に先立ち演説するジュゼッペ・コンテ首相。(c)AFP PHOTO / FILIPPO MONTEFORTE〔AFPBB News〕

 だが、中国の一帯一路戦略については、米国やEU諸国の間には依然、根強い不信感が強い。米国家安全保障委員会(NSC)のマーキス報道官は「フィナンシャル・タイムズ」に対し、「イタリア政府の(一帯一路への)支持がイタリア国民に持続的な恩恵をもたらすとは思えない。長期的にはイタリアの国際的信用を傷つける結果になりうる」(カッコ内は筆者)と脅しにも似たコメントを出している。

 EU本部のあるベルギー・ブリュッセルも、イタリアが、中国に取り込まれたギリシャの二の舞になるのでは、と警戒している。そのあたりを最近、ドイツ華字メディア「ドイチェ・ベレ」が詳細に報じているので参考にしながら解説する。

 中国は一帯一路の足掛かりとして、2012年からスタートしている中国と中・東欧首脳によるサミット「16+1」をフォーマットとして、EUを分裂させるための「トロイの木馬」を仕込んだ、と批判されている。たとえばギリシャのピレウス港の67%にのぼる株式の買収。ここは海のシルクロードの起点の1つである。続いてハンガリー・セルビア高速鉄道の入札。バルカン半島という地政学的要衝地が大量輸送インフラでつながれることになった。中国国家電網はギリシャ電網の株の24%を押さえており、ポルトガルでも電信、エネルギー、保険の4分の1を中国資本が押さえた。中・東欧から南欧に、すでに中国の経済力を通して政治力が浸透し始めている。チャイナマネーになびいたギリシャやハンガリーは、EUが中国の南シナ海問題や人権問題について非難の声明を出そうとすることに反対して、中国を名指しした非難声明が見送られたこともあった。

マークの付いた場所がギリシャのピレウス港。ピレウス港に荷揚げされた貨物がハンガリー・セルビア高速鉄道を経由して欧州まで運ばれることになる(Googleマップ)
拡大画像表示
 べったりとした親中派であったドイツは、中国にハイテク産業ロボットメーカー「クーカ」を2016年に買収されて少し目が覚め、「中国がEU事務に干渉している」と何度も非難するようになった。だが、華為科技(ファ―ウェイ)製品の全面締め出しには躊躇し、米国から「ファ―ウェイ製品を排除しなければ重要情報が共有できない」と圧力を受けているところだ。EU本部は域外からの投資審査を強化する仕組みを2020年秋から導入するが、これは中国の戦略的重要領域への投資に対するコントロールを強化するためでもある。だが、EU内部は再び中国の戦略に振り回され、その結束は乱れているのだ。ちなみにハンガリー・セルビア高速鉄道はその入札プロセスに疑義があるとして、着工が事実上の棚上げになっている。

 こうした状況で、イタリアが一帯一路に参与するインパクトは小さくない。瀕死の一帯一路が復活するだけでなく、EUの亀裂がますます深まり、まさしく中国が狙う、世界秩序の再編の時代到来が早まる、ということになるやもしれない。

 米ペンシルバニア州のハリスバーグ大学講師のエフティミアダスがドイチェ・ベレに対してこうコメントしている。「もし中国とイタリアの協議内容に、地政学的に重要な地域のインフラ建設や5Gネットワークのプロジェクトが含まれていたら、イタリアおよびEUの安全に深刻な悪影響をもたらす。いずれにしろ、イタリアの一帯一路参与がEUの政治的分裂と弱体化を招き、北京のEU“分割統治”戦略をさらに強化させることになる」

 5G覇権を米中が争っている最中、EU諸国が米国と足並みをそろえて5Gを締め出すかどうかについて、もともと異論が出ている。欧州会議の見解としては、「中国企業が開発する5G対応端末には、製造業者および当局が非公開データや個人情報、さらに通信にEUの許可を経ずにアクセスできるバックドアが埋め込まれている可能性があるとされる最近の疑惑」について深刻な懸念を示しているが、イタリアの態度次第で、このEUのファーウェイ包囲網が決壊する可能性も高まるわけだ。

中国はネガティブイメージの払拭に必死
 EUの揺らぎに勇気を得たのか、中国は目下開催中の全人代で一帯一路のネガティブイメージ払しょくの宣伝に懸命だ。

 全人代、政治協商会議の「両会」(国会に相当)は外国メディアにも取材機会が与えられ、中国政治を国際社会に喧伝する最大のステージだ。王毅外相は記者会見で、「一帯一路が“債務の罠”と呼ばれていることについてどう思うか」と尋ねる質問に対して、「絶対に債務の罠(陥穽)などではなく、人々に恵みをもたらす饅頭(餡餅)だ(陥穽と餡餅は中国語発音が似ている)」と反駁。「すでに123カ国と29の国際期間が一帯一路の協力文書に調印し、明確に支持と信任票を投じている」「ケニアのモンバサ―ナイロビ鉄道は5万人もの雇用を生み出し、GDP伸び率1.5ポイント増に貢献した世紀の大プロジェクトだった」などとその成果を強調した。そして、「建設的な意見はいつでも出してほしい、本当に、共にビジネスを行い、共に造り、共に分かち合いたいのだ。一帯一路は、古きシルクロードを新時代によみがえらせることができる。違う民族、違う国家が手を取り合って人類運命共同体に力強い動力を注入しよう」と、最近の王毅にしてはずいぶん殊勝な態度で呼びかけた。

 さらにカザフスタン記者から、一帯一路のプロジェクトの目的、やり方の不透明さについて質問されると王毅はこう訴えた。

「一帯一路は一切、お天道様の下で行われている。一国だけが独断でするのではなく、関係国が平等に参加し、ブラックボックスの中で操作することもなく、公開し、透明度を堅持している。・・・地元経済社会の発展のために、“雪中炭を送る”の影響力を発揮してきた。・・・一帯一路はグローバルな公共産品だから国際ルールを順守している。国際協力プラットフォームだから市場ルールに従って行われる。・・・我々は真心を込めて一帯一路への建言献策を歓迎し、一緒に一帯一路をうまく建設していきたい。・・・中国が恩恵を得るだけでなく、世界の幸福をつくりたいのだ」。なかなか言うじゃないか。

 このほか、中国メディアはこの機会に、一帯一路は防災減災に役立つ、一帯一路はエコなどと喧伝。先進国はエコや防災といったフレーズに弱い。

 また国家発展改革委員会副主任の寧吉浮ヘやはり全人代記者会見で、一帯一路についてこう語った。

「中国とフランスは、アジア・アフリカなどの一部国家で第三国市場での協力を行っている。シンガポールとも東南アジア国家で第三国市場協力を行い、日本ともタイで協力を開始した。協力内容は充実し続けて、一帯一路の協力メカニズム、モデル、プラットフォーム構築を推進し、イノベーションを続けている。一帯一路に対する人々のプロジェクト支持のパワーを一層大きくして、一帯一路建設を和平の道、繁栄の道、開放の道、エコの道、イノベーションの道、清廉潔白の道、文明の道としていく」

 日本やフランスなど先進国とも実は協力しているんだ、とことさら強調して、一帯一路のネガティブイメージ払しょくに懸命なのだ。特に日本の国際イメージといえば、まずエコで清潔。中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)には入っていないが、アジア開発銀行を主導する日本の参画はこの上ない信用の担保になろう。

中国の本当の狙いと日本の立ち位置
 だが、一帯一路の中国の本当の狙いというのは、かねてから主張されるように、中華圏を世界に打ち建てることである。習近平は何度も、世界がこれまで100年なかった未曾有の変局に直面しているということを強調し、「グローバルな統治システムが変革調整期の重要な時期を迎えており、中国は積極的に国際ルールの制定に参加し、グローバル統治の変革プロセスに参与し、推進し、リーダーシップをとるものとなるのだ」(「求是」2月16日号)と語っている。つまり、“米国スタンダード”であった世界の秩序がこれから再編成されるという局面で、中国こそが国際ルールメーカーになり、“中華秩序”で支配する世界を拡大するという野望を描いている。一帯一路はまさにその雛型であり、5Gもその野望に沿っての戦略なのだ。米国はその野望を阻むべく、同盟国の日本ともに「開かれたインド太平洋戦略」で一帯一路の拡大を包囲し、ファーウェイ締め出しによって5Gの国際基準を米国が手にしようとしている。

 これは「閉じられた監理社会」と「開かれた自由社会」、「管理市場経済」と「自由市場経済」、「国家資本主義的独裁」と「自由資本主義の民主」といったグローバルスターダードを争う価値観・文明の衝突、いやすでに“戦争”といえる。まさしく“冷戦”である。

 さて、一帯一路が本当に息を吹き返すのか、は4月に北京で開かれる第2回「一帯一路国際協力サミットフォーラム」に先進国首脳が何人参加するかが1つの判断材料だろう。それまで結論はあずけておく。

 気になるのが、日本の立ち位置である。日本は一応、開かれたインド太平洋戦略の発案者であるし、米国同盟国として対中包囲網の一角をなしているのだが、昨年秋の首相訪中で、「第三国市場での日中協力」という形で一帯一路への協力を表明してみたり、ちょっと何を考えているかよく分からない。イタリアの一帯一路参与の時と違って、米国から嫌みの1つも言われていないので、米国も了解済みの深謀遠慮があるのかもしれない。

 まさかと思うが、米中対立を緩和させる仲介役になろうとか考えているのか。あるいは、米中どちらがグローバルスタンダードを支配するか分からないので、両方に掛金をベットしておこう、という魂胆なのか。

 もしそうなら、もう一度基本から考え直してほしい。日本にとって中華秩序と米国式グローバルスタンダード、どちらがなじみやすいか。「閉じられた監理社会」と「開かれた自由社会」、どちらを理想としているか。100年なかった未曾有の変局に直面しつつあるとき、小金儲けや目先の平和・安寧を優先して、理想を見失うようでは日本の未来は危うい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55753
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/680.html

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
13. 2019年3月14日 09:06:48 : UgHwutVFKQ : WDZIblpuNjlGN3c=[4]
>>12

ま、どっちにしろ「韓国」とこの事件は無関係だわな。

まともな理性があれば、それぐらいの区別はできると思うが。

統一教会ウヨはなに騒いでるのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK258] <森ゆうこが怒った!>予算を出し直すべき! なぜなら、消費税増税を前提に作られた予算だから。  赤かぶ
14. 2019年3月14日 09:10:32 : 60oTS8bGYY : YTl3MEN0ZjhpbmM=[1]
6さん
森ゆうこ参議院議員氏が体、張って頑張っている議員であることは分かっている。
だが、他の野党議員はどうかな?
議員でいる事自体が目的化したのがいっぱいいる。

9さん
だが、ディープステイト自民党公明党の総体革命とやらを進めている。
気に入らない人間、財を持たない庶民を身ぐるみ剥いで、抹殺する
隣人?が隣人?を殺し合う世界。
ジェノサイドだ。
コイツ等は鬼畜なんだ。
フクシマを見れば分る。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/452.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK258] ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ) 赤かぶ
14. 2019年3月14日 09:12:27 : UgHwutVFKQ : WDZIblpuNjlGN3c=[5]
>>12

「間に合わせに近くの紙を丸めて吸引していた」程度でもいい。

それでもなぜ普通のストローを使わないのか、

また百歩譲って「韓国紙幣」と報道するにしても、

なぜそれを使う必要があるのか、きちんと解説しなければ、ヘイトだと言ってるんだよ。

理解できないのか?

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html#c14

コメント [政治・選挙・NHK258] NHK世論調査 安倍内閣「支持」2月調査より2ポイント下落(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. 2019年3月14日 09:15:08 : KDdeAdCmsI : ZzA4WjhKR2RIVWs=[1]
>19
>スーパーや駅前とかで「ムサシがー不正選挙がー」ってやってきてどうなるか聞いてみたいものだ

ネットと同じようにニヤつきながら嘲笑いに行けよチンピラ。

それとも顔出しでは無理か?
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/410.html#c21

コメント [経世済民131] 逆転西川追放かニッサン倒産か が勝負 事後無罪では  赤かぶ
2. 嫌韓[2565] jJmK2A 2019年3月14日 09:15:33 : 4UTDPuZCoW : M3pBWHlrbk9ONFk=[2]
西川が追及されるか否かは分からないが、ゴーンが復活は有得んでしょう。

今回の事件、ゴーンが優秀な経営者とはとても思えない行動だったではないか。

有価証券報告書の虚偽記載、会社法の特別背任、刑法の業務上横領、脱税など、
疑惑のオンパレード・・・
経理、財務、税務にいかに無知であったか分かろうと言うもの。

ゴーンが日産の経営を立て直したと言う事だが、日本人の経営者が
出来なかった人切りを冷酷にできたに過ぎない。
冷酷ならば誰にでも出来る話だ。
コストカッター??
人首カッターの誤りだろう。

更にはゴーンの人間としての品のなさ。
海外に日産の子会社を設立し、欧州、ブラジル、レバノンを含めた4か国に
会社負担で自宅用として住宅を取得させて、
改装費、家具購入、不動産の取得に伴う税金は会社の経費。

家族の旅行、飲食費にも数千万円、会社に出させていた・・
嫌だねー!!

反政府のやからは全てを倒閣に利用したいようだが、
ゴーン擁護は止めた方が良いよ。
筋が悪すぎる!!
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/492.html#c2

記事 [国際25] 「ボーイング737運航停止」に込めた習近平の底意 漂流する東アジアを撃つ(第4回)  
「ボーイング737運航停止」に込めた習近平の底意
漂流する東アジアを撃つ(第4回)
2019.3.14(木) 右田 早希
うん中国当局、ボーイング737MAX8型機に運航中止命令
ボーイング737MAX8型機(2016年7月12日撮影)。(c)ADRIAN DENNIS / AFP〔AFPBB News〕

(右田早希:ジャーナリスト)

 ボーイングは、中国では「波音」と表記する。「波の音」という漢字を、「ボーイン」と読ませ、エキゾチックで美しいイメージを、中国人に与えている。

 ところが、3月11日に中国政府が下した決定は、容赦なかった。この日の午前中、中国民間航空局が、緊急通知を発表したのだ。

世界に先駆けボーイングに「ダメ出し」
<本日18時以降、ボーイング社の「737MAX8型」航空機の商業運行を、一時的に停止する>

 3月10日、エチオピア航空の737MAX8型航空機が墜落し、乗客乗員157人全員が死亡したが、その中に8人の中国人が含まれていた。インドネシアのライオン・エアのこの型の航空機も、昨年10月29日に墜落しており、中国当局はもはや看過できないとして、異例の停止措置に踏み切ったのだ。

 これによって、ボーイング社の株価は、たちまち10%も暴落し、200億ドルが消えた。だが、皮肉なことに中国の航空各社の株価は、「安全性が確保された」として、小幅上昇したのだった。

 調べてみたら、中国が737MAX8型を購入したのは、2017年11月3日に、シアトルで中国国際航空に引き渡されたのが最初である。以来、中国の航空会社は、計96機も購入し、ボーイング社にとって「お得意様」となっている。内訳は、中国南方航空24機、中国国際航空15機、海南航空11機、上海航空11機、アモイ航空10機、山東航空7機、深圳航空5機、中国東方航空3機、祥鵬航空3機、奥凱航空2機、福州航空2機、昆明航空2機、九元航空1機である。

 アメリカと並ぶ航空大国の中国が、先陣を切って「ノー・ボーイング(737MAX8)」を宣言したことで、その後、インドネシア、シンガポール、オーストラリア、イギリス、ドイツ、フランス、ブラジル・・・と世界各国が続いたのだった。

 737MAX8型は、「1機100億円超」とも言われる、ボーイングが誇る最新鋭の航空機である。従来型よりも一回り大きい上に、燃費は従来型よりもよい。2017年5月に初めて納入され、世界の航空機業界では、737MAX8型を導入することが流行になっていた。墜落したエチオピア航空も、昨年11月に導入したばかりで、日本では今年1月に、ANAが導入を決めている。

 そんな737MAX8型に、中国が真っ先に「ダメ出し」をして、世界を方向づけた。そこがポイントである。

ボーイングにまつわる習近平「二つの追憶」
 それは、墜落したエチオピア航空に中国人が8人乗っていたからではなく、習近平主席の「怒り」が爆発したと見るべきだろう。習主席が決断しないと、中国でこのような「即時の重大決定」はできないからだ。

 その背景には、習近平主席の「二つの追憶」がある。

 一つは、いまから4年前に遡る。2015年9月23日午前中、習近平主席は、米ワシントン州シアトル郊外にあるボーイング本社を訪問した。当時のオバマ大統領とのホワイトハウスでの会談に臨む途中で、わざわざ立ち寄ったのだ。

 ボーイング社のコナーCEOらは、習近平夫妻を丁重に迎え、中国国際航空に引き渡す787型の操縦席に案内した。習近平主席がジェット機の操縦桿を握る様子は、中国中央テレビのその日のトップニュースになった。

 私もその映像を見たが、習主席はまるで新しいおもちゃを手にした子供のように、喜々としていた。だが、その周囲のコナーCEO以下、ボーイング社の幹部たちは、さらに大仰なスマイルを見せていた。それもそのはず、この日、ボーイング社と中国の航空各社は、習近平主席の面前で、計300機、総額380億ドルに上る超大型契約の覚書に調印したのである。

 もう一つの出来事は、2年前である。2017年11月8日から10日まで、トランプ大統領が北京を訪問した。この時、習近平政権は、故宮を貸し切りにするなどして、「国賓以上の待遇」でもてなした。そのトランプ訪中のメインイベントが、11月9日の昼に人民大会堂で開かれた「2535億ドルの超特大調印式」だった。

 2016年のアメリカの対中貿易赤字は、3470億ドルだった。そのうち、アメリカ企業が中国で生産し、アメリカに輸出しているものが約4割あった。そこで習近平政権は、残りの2000億ドル分を一気に解決するようにして、トランプ大統領に花を持たせたのである。

トランプの「裏切り」に遭った習近平
 その大型契約の主要なものの一つが、ボーイング社との航空機契約だった。中国航空機材集団がボーイング社から、B737型を260機、B787型とB777型を40機、計300機を購入したのである。合計370億ドルに上るビッグ・ディールだ。覚書の調印を壇上で見守ったトランプ大統領は、笑みがこぼれっぱなしで、「習主席とはとてもケミストリーが合う」とご機嫌だった。

米中、28兆円の巨額商談で合意 ボーイングから300機購入
〔AFPBB News〕2017年11月9日、中国・北京の人民大会堂で行われたビジネス会議に出席したトランプ大統領(左)と習近平主席。計28兆円もの大型商談合意でホクホクだったトランプ大統領だったが・・・。(c)AFP/FRED DUFOUR

 習近平主席からすれば、それ以降の米中関係は、「ここまでしてやったのに、いったいどういうことだ!?」というものだった。2018年に入ると、トランプ大統領は中国に対する態度を豹変させ、3月には米中貿易戦争を「宣戦布告」。7月、8月、9月と3回も中国に対する制裁関税をかけ、12月には中国経済を牽引する「BATH」(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)の一角であるファーウェイの孟晩舟副会長を、カナダで逮捕してしまった。周知のように、米中関係はこの一年の間に、「新冷戦」と囁かれるまでに悪化してしまった。

 そのため中国は、アメリカに対して密かに「報復」を考えていた。それは、アメリカ製品の不買と、中国市場からの追放である。その「追放リスト」の中で、最も「安い」ものはスタバのコーヒーやマックのハンバーガーなどで、最も「高い」ものが、ボーイング機だった。ボーイング社は、アメリカの軍需産業をも担っているので、ボーイング社が傾けば、アメリカの軍需産業にも大きな痛手となる。

 中国側が、そのような機会を虎視眈々と狙っていた矢先に、エチオピア航空墜落の惨事が起こったというわけだ。そこで中国は世界に先駆けて、「ボーイングは危険」とのレッテルを貼り、習近平主席のメンツを2度も潰したことに対して、「ちゃぶ台返し」をやってのけたのである。

 しかも、「安全性に疑問」ということを、あくまでも前面に出した。4000年の外交大国は、なかなか老獪である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55760
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/681.html

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
15. 2019年3月14日 09:16:35 : oFftUyzBJU : RTdHUk9IakFBdm8=[9]

統計不正の反丸は、総務省が担当している「選挙結果の不正と改竄」だ。
報道の自由度が62位、腐敗権力と癒着する腐敗メディアの流す支持率が事実であるわけがない。
そしてお前がウミ、お前が国難と非難を浴び続ける安倍自民党が不正なくして選挙で勝てるはずもない。

ましてや開票も始まっていないのに自民候補の当確・自民圧勝というデマ・嘘・洗脳情報がメディアから流され、不正を疑う数多くの裁判が却下され続けている。問題の本質は、繰り返される選挙の不正にある。

そして嘘吐き朝鮮人の人間のクズ=安倍晋三こと、李晋三が権力の座に居座り続け、日本を売り、日本を破壊し、日本人を奴隷に資、弱者を殺しまくっているわけだ。

だから野党が本気ならば、選挙の不正を疑うべきだし、却下され続ける裁判を取り上げるべきだ。そして問題なのは、殆どの国民が選挙の公正に無関心であることだ。

>検索 報道されない不正選挙裁判 不正選挙のバカ総理 李晋三様・マンセー!

>安倍晋三・昭恵夫妻は朝鮮人である
http://www.asyura2.com/18/senkyo242/msg/790.html


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c15

記事 [国際25] 東京大空襲:恐るべき戦争犯罪に手を染めた米国 B-29が作った逃げようのない火炎地獄、人々はなぜ生きながら焼かれたのか
東京大空襲:恐るべき戦争犯罪に手を染めた米国
B-29が作った逃げようのない火炎地獄、人々はなぜ生きながら焼かれたのか
2019.3.14(木) 渡邊 光太郎

http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/8/4/600/img_843245e2c2451fa7da2485f7ca89c879247259.jpg
日本空襲を準備するB-29。飛行場を埋め尽くすほど大量のB-29が駐機している。(出所:米空軍博物館)

 3月10日は東京大空襲の日である。約300機の「B-29」が、現在の台東区、墨田区、中央区、江東区にあたる地域を空爆し、一晩で約10万人が犠牲になったとされる。

 当時、この地域は日本最大であるにとどまらず、世界でも有数の人口密集地であった。さらに、密集して建っていたのは木造家屋だった。

 米軍は関東大震災を研究し、この地域で大火災が起きれば民間人に恐るべき人的被害が発生することを知り、それを狙って実行したのである。

 実際、日本家屋を模した家を建て、焼夷弾の実験を行っている。勝てば官軍で不問となっているが、立派な戦争犯罪である。

 他の大都市の空襲や、東京を狙った他の空襲でも犠牲者は数千人レベルであり、原爆の被害を除いては10万人という犠牲者数は突出していた。米軍が狙った最大限の破壊が実現してしまったのである。

悪条件が重なり犠牲者が増えた
 東京大空襲の犠牲者が突出して多かった理由は、米軍の恐るべき狙いが目論みどおりに実現してしまったうえ、日本側に悪条件が重なっていたことだった。

 実は、東京大空襲以前の空襲は必ずしもうまくいっていなかった。また、すでに住宅地も空爆されていたが、あくまでも主目標は軍需工場であり、一般市民の住む住宅地を焼き払うことを主眼にしていなかった。

 サイパン島の基地が完成し日本の主要部分が攻撃圏内に入った後、最初に爆撃目標となったのは、航空エンジン工場である。

 最初に三鷹にあった中島飛行機武蔵製作所が空爆され、次が名古屋の三菱発動機であった。その後も明石の川崎、太田の中島、名古屋の三菱と航空産業を狙って爆撃していった。

 当初、編隊を組んだB-29が高度1万メートルを飛行し、軍需工場に精密に狙いを定めて爆撃するという方法をとった。しかし、爆弾を外しまくり、日本の航空産業は軍用機を作り続けた。

 空爆する時、日本の1万メートル上空を吹き荒れるジェット気流により機体が安定せず、照準器も強過ぎる風に対応できなかった。

 編隊を組む場合、他の飛行機に合わせるための操縦が必要になり、燃料を余計に消費する。また、当時の飛行機では成層圏の飛行は燃料消費が大きかった(ジェット機では高空の方が、空気抵抗が小さく燃費がよい)。

 燃料と爆弾はトレードオフになるため、最大9トンの爆弾を積むことができるはずのB-29だったが、初期の日本空襲では2トン強しか積めなかった。

 また、結論としては、日本はB-29を防げず焼野原にされたのだが、日本軍も少数ながらB-29を討ち取っていた。

 航空産業は潰されていないし、爆弾が落ちてきても被害は爆弾が落ちた周囲に限定されているし、日比谷公園には撃墜したB-29が晒し者になっているし、自分の住んでいる町では日常生活は続いている。

 既に市民にも犠牲者は出ていたが、東京大空襲の前はB-29の最大の破壊力はまだ発揮されておらず、日本側は空襲の本当の恐ろしさを体感するに至っていなかった。

 これも逃げ遅れなどの要因になり、被害の拡大をもたらしたことは想像に難くない。

 しかし、3月10日の空襲では、米軍は様々な新機軸を打ち出してきた。

 東京大空襲はこれまでの空襲と全く違うものだったのだ。以前のB-29は軍需工場を狙っていたが、3月10日の空襲では標的は都市全体だった。

 そして、軍需工場を爆弾の爆発力で破壊するのでなく、焼夷弾で大火災を起こすことで木造家屋の多い燃えやすい都市を丸ごと焼き払うことが計画された。

 1945年3月10日に多くの人々の命を奪った火炎地獄は東京大空襲で初登場だったのだ。

 軍需工場と違い、都市全体であればターゲットが大きいので外すことはない。だいたいの位置で爆弾を落とせばよい。

 より多くの焼夷弾を積むため、燃料を消費する編隊飛行と高空への上昇をやめ、必要な燃料を減らした。さらに防御用の機関銃も降ろした。結果、3倍近い重量の焼夷弾を積むことができた。

 こうした工夫により、より恐ろしい兵器をより大量に積んだB-29が襲ってくることになった。同じB-29でもこれまでよりも破壊力が強化されていたのだ。

 編隊飛行をやめていたことも日本側に災いした。

 大規模な編隊であれば目立つし何をやろうとしているか明らかであるが、個々のB-29がバラバラの方向から飛んできた場合、行動を捉えにくい。これが空襲警報の遅れにつながった。

 空襲警報が出た時には、すでに空襲の火災が始まっていた。空襲は深夜だった。空襲警報を聞いて起き上がった時にはすでに周囲は火の海だったという場合も多かったことだろう。

 当日の気象条件も悪かった。当日は強い北風が吹いていたという。火災の広がりは早かった。それだけでなく、レーダーは吹き飛ばされないように格納され、戦闘機も強風で飛び上がれなかった。日本側の迎撃もやりにくかったのだ。

 迎撃が難しいなか、これまでよりも破壊力を強化したB-29が火災に弱い下町の木造家屋に焼夷弾を大量に投下した。強い風も吹いていた。

 これで瞬く間に火炎地獄になった。火災は上昇気流を巻き起こし、さらに風が強くなる。炎の突風が吹き荒れる状態になった。

 消防隊は出動したが、消防車が火に巻かれ立往生したり、消防署が焼け落ちて消防士が全滅したりして、すぐに消防は機能しなくなった。

 放水を始めても、あまりに火災が強く、酸素を消費したので、酸素不足で消防用ポンプのエンジンが止まってしまったこともあったそうだ。

 空襲警報が遅れたから人々が逃げるのも遅れたが、さらにその場にとどまり火を消すことが命令されていたため、さらに事態を悪化させた。

 空襲された地域は広大だったことも逃げるのを困難にした。火災は南北では墨田区の北端から東京湾まで、東西では日本橋や上野から荒川まで広がった。仮に空襲圏外に出ようとしても、火の中を何キロも進むのは無理である。

被災者の生死は運次第
 路上でも火に巻かれるような状態の中、逃げるにしてもどこを向いても火である。どうすればよかったのか。

 多くの人々はコンクリートの建物や川を目指した。コンクリートの建物は木造の建物よりも燃えにくいし、耐熱性もありそうだ。川は防火壁として機能するだろうし、灼熱地獄から逃れるために川に飛び込みたいという欲求も加わる。

 しかし、東京大空襲の火炎地獄は普通の火災とはレベルが違った。窓が割れれば、そこから火炎が侵入し、コンクリートの建物も内部が焼き尽くされた。

 また、熱気で建物ごと蒸し焼きになってしまうこともあった。

 旧日本橋区の避難所と指定されていた明治座はコンクリートの建物であったが、多数の犠牲者を出すことになった。

 確かに荒川を超えて逃げることができた場合は助かったのだろう。しかし、被害地帯の中心を流れる隅田川に向かった人々には悲劇が待ち受けていた。

 川の向こう側へ逃げれば助かると思うのは自然なことである。隅田川にかかる橋には避難者が殺到した。しかし、東京大空襲では隅田川の両側が空襲されていたので、どちらに渡ろうとも火から逃れることができなかった。

 隅田川にかかる言問橋では、台東区側から逃げてきた人々の流れと、墨田区側から逃げてきた人々の流れが橋の上でぶつかり、進退窮まる状態となった。

 そこに焼夷弾が落ちてきた。人々が持っていた家財だけでなく人そのものにも着火した。文字通り筆舌に尽くしがたい状況になった。

 10メートル近い高さの橋の上から隅田川に飛び込んでも助からなかった。地上は火炎地獄だったが、寒い日が続いた3月の隅田川の水温は摂氏2度。多くの人が低体温症で命を落とした。

 皮肉なことに言問橋の墨田区側、旧本所区向島の河岸地域は焼け残った場所も多かった。墨田区側の避難民に関しては、言問橋に突っ込まず、河岸に留まっていれば助かった可能性が高い。

 実は、東京大空襲の火炎地獄の中でも、ぽつぽつと焼け残った地域があった。そうした場所に逃げ込んでいれば、結果論から言えば助かった。

 例えば、墨田区京島は非常に家屋が入り組んだ地域で、火災でここに逃げ込もうとは思わない場所であるが、周囲はすべて燃えたにもかかわらずこの地区は火災を逃れた。

 しかし、後から見れば焼け残る地域にいればよいと分かるが、空襲下ではどこに焼夷弾が降ってくるかも、火災がどのように広がるかもわからない。

 どこへ向かって逃げればいいか、どこまで逃げれば空襲されている地区から脱出できるのか知る術はない。

 また、どの建物であれば、火災に耐えられるかなど分かりようもない。1945年3月10日にあの場所にいた人々にとっては、生死はまったくの運次第だったのだ。恐ろしいことである。

 もう燃えるものがなくなったのか、火災は午前8時頃にはほぼ鎮火していた。

 昨日まで日本最大の人口密集地で家が立ち並んでいた墨田区、江東区、台東区、中央区北部の大部分が焼け野原になっていた。道には黒こげの遺体で、川は水死体で埋め尽くされていた。

http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/b/9/500/img_b9230825db9c535060e8f34a381b6196154614.jpg

隅田川西岸の東京大空襲被害地域 白く見える部分が焼き尽くされた部分である。右側に見える川が隅田川。(出所:米議会図書館)
 3月10日以降、都市を焼き払うことに味を占めた米軍は、名古屋、大阪、神戸と大都市を次々に焼き払い、大都市を焼き終わると、地方都市を焼き尽くしていった。

 東京大空襲ほどの被害規模にはならなかったものの、似たような地獄絵図が日本中に水平展開されていった。そして、8月15日の敗戦時、日本中が焼野原になっていた。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55732
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/682.html

コメント [国際25] 東京大空襲:恐るべき戦争犯罪に手を染めた米国 B-29が作った逃げようのない火炎地獄、人々はなぜ生きながら焼かれたのか うまき
1. 2019年3月14日 09:20:31 : ZzavsvoOaU : aHVwMGJ2SHM5RE0=[32]

中露などは日本の教訓から、十分理解しているが

ベネズエラなど愚かな国々は、米国の恐ろしさ

恐怖に煽られた群衆が、いかに残酷で無関心になれるかを理解していない

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/682.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK258] 驚き!安倍晋三が一晩に123万円の豪遊!   赤かぶ
6. 2019年3月14日 09:20:45 : iEK5HY6J7L : YXdVNHNHMDdmWW8=[8]
早くこのバカを処分してくれ!  by 正常な日本国民
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/461.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
16. 2019年3月14日 09:21:53 : hE3PRSoheQ : aDMueWFCSkFsbkU=[185]
 
 古事記と日本書記

 書かれたときにも 内容はウソ だが〜〜 その後 12回も書き換えられた

 ===

 日本は 出来た時から 「偽装の国」 ですがな〜〜〜
 

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
17. 2019年3月14日 09:22:59 : UgHwutVFKQ : WDZIblpuNjlGN3c=[6]
>>15

リチャード輿水も朝鮮人である。



http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c17

コメント [政治・選挙・NHK258] 安倍晋三のせいで日本は「強姦無罪」国家になった!   赤かぶ
17. 楽老[336] inmYVg 2019年3月14日 09:23:01 : QHkUDaloVM : ZjhxY3RmLkFlOU0=[61]
安倍の求める美しい日本の実像がこれだ。

慶應Boyの強姦も無罪だったな。
山口ノリマキは逮捕もされず
議員辞職で田畑毅は不逮捕特権も無くなったのに検察はダンマリ

それもこれも
安倍政権に騙されている日本国民の自業自得か

【平成の次は晋和元年でもなく、晋和7年から始めよ】………by Abe

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/438.html#c17

コメント [国際25] ベネズエラ検察、野党指導者を「電力システムへの破壊工作」で捜査へ(AFP) 赤かぶ
5. 2019年3月14日 09:25:22 : KDdeAdCmsI : ZzA4WjhKR2RIVWs=[2]
これだけあからさまな挑発行為をさせておいて、まだ「証拠を出せー」とか言うんだろうなプチユダヤどもは。


http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/672.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
18. 2019年3月14日 09:28:14 : hE3PRSoheQ : aDMueWFCSkFsbkU=[186]

 日本が 誇れる 世界第4位 「嘘つきの国」 韓国でも15位だ

 ===

 先進国では ぶっちぎりの 一番ですぜ〜〜〜
 
 自分では どう思っても勝手ですけど〜〜  世界中から見れば ウソツキの国だ〜

 JIS規格も 地に落ちた
 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK258] 米イージス・アショア試験施設 建設費“日本持ち”の厚顔さ(日刊ゲンダイ)  赤かぶ
8. 2019年3月14日 09:29:45 : 60oTS8bGYY : YTl3MEN0ZjhpbmM=[2]
殖民地日本は悪い男に引っかかった途轍もない馬鹿な🚺と言う事に尽きる。
アメリカは財布がすっからかんなのに高級レストランに行くペテン師。
そういう植民地自国とアメリカを頭脳不動の愚衆の半分は追随している。
多くの日本人?はバカであることをアメリカ人はよく知っている。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/444.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK258] <まさしく、この追及こそが難しいのだ!>野党が統計不正問題で安倍首相を追い詰められない理由  天木直人  赤かぶ
19. 2019年3月14日 09:30:09 : hE3PRSoheQ : aDMueWFCSkFsbkU=[187]

 統計を「ちょろまかす」 <= 日本人のDNA ですがな〜〜

 
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/463.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK258] <森ゆうこが怒った!>予算を出し直すべき! なぜなら、消費税増税を前提に作られた予算だから。  赤かぶ
15. 2019年3月14日 09:30:29 : iEK5HY6J7L : YXdVNHNHMDdmWW8=[9]
ここまで横暴な強権政治が横行すると極端なテロ行為が発生してもおかしくないだろう。

アベ4選?二階は完全にボケたな。

アベのバカの感染力が強烈。

まさに悪貨が良貨を駆逐したのが今の自民党。

それにしても「福祉と平和」と「正義」を詐称する公明党の顔がまるで見えないね。

公明党は政権のブレーキと言っていたが踏んだことないだろ?

むしろアクセル踏んでるのだろう。

自民とならび亡国売国強欲の政党だ。


http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/452.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK258] 健康被害が続出 豊洲市場の“黒い粉塵”は高濃度の猛毒物質(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 2019年3月14日 09:32:18 : CzYJx39lTc : WmRkYlpQOHpRUk0=[50]

「豊洲が殺す」 「築地も殺す」−−−−−高フタヌキ=小池ゆり子    
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/458.html#c7
コメント [お知らせ・管理21] ツイッター複数引用の時、画像が同じなら2つめからは「メディアを含める」チェックを外して 管理人さん
3. 2019年3月14日 09:36:55 : rQklWOLxzv : Y2dwbW50R05PNVk=[1]
管理人さん、
どうやら赤かぶは管理人さんの要望を聞くつもりは
全くないようですよ。

ピエール瀧「韓国紙幣でコカイン吸引」報道は捜査当局とマスコミの差別扇動だ! 案の定、ネットは韓国ヘイトの洪水に(リテラ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/459.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 3 月 13 日 23:50:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

麻生氏ポロリ本音 “アベノミクス偽装”は「支持率のため」(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/450.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 3 月 13 日 17:25:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

百田尚樹ら安倍応援団が辰巳琢郎を人格攻撃していた理由!“歴史修正主義丸出し”吉村洋文大阪市長との親和性(リテラ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/445.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 3 月 13 日 14:45:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU


その他多数。

http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/550.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK258] 日本はもう止まらない!異常な国家になってしまった!   赤かぶ
51. 2019年3月14日 09:39:47 : KDdeAdCmsI : ZzA4WjhKR2RIVWs=[3]
不正選挙の時代と手口まとめ(リンクつきのものは「地下言論」で検索どうぞ)

1 津軽選挙時代

政治家が選挙民を買収して当選を果たそうとする牧歌的な不正選挙。

手口

・選挙民の買収

・二重投票

金がかかる、足し算的な結果しか望めない、ばれたらお縄になると、不正選挙としての危険性は高くない。

津軽選挙(wikipedia)

2 小泉時代

小泉時代に導入された期日前投票制度の悪用。そもそも悪用するために設計された疑いが強い。

手口

期日前投票箱を丸ごとすり替える。期日前投票箱の票は当日票とよく混ぜてから数えるよう決められているので、相当な偏りがあっても発覚しない。

・期日前投票は機械を使わないが不正がやり易い?

同一筆跡の票が大量に出る、すりかえる為の票が必要なため票の盗難等が起きる、本来の票を燃やすため「プラスチックの焦げたような匂い」が漂う、特徴をつけた票が消える、投票した有権者がいるのにゼロ票の地区が出る等の現象が起きる。

・泉大津市投票用紙8万枚「誤廃棄」

・大量に筆跡似た票点検印拒否で5時間超遅れ

杜撰な例では投票総数が投票者数を上回ったというものもある。

・なぜ?投票者数を投票数が1票上回る 熊本

・投票総数、投票者数上回る 秋田・潟上市長選でトラブル

・投票率51.28%に訂正 都選管、品川区で集計ミス - 共同通信 47NEWS

すりかえの拠点が複数の県にまたがっている場合もあると思われる事例もある。

・三重なのに滋賀の投票用紙1枚混入

また「投票率が低いのに期日前投票だけ増える」という現象はこの手法の比率を上げようとした結果と思われる。

選管の統制が必要なこと、不正のための制度作りが必要なこと、裁判所に検票を命じさせないことなど、総体としての官僚が主導しなければ実現しない。

投票時間の繰り上げで時間的余裕を作れば、当日票のすりかえさえ可能かもしれない。

・投票所99%が終了時間繰り上げ、開票最速の県

・証言

期日前投票のすりかえどころか、もっと原始的に、落選させる候補の票を捨て白紙にすり替えていた事例もある。

urlを失念したが以前「選挙に行ってわざわざ白票を投じるよう誘導する連中がいるのは、落選させたい候補の票を捨て白紙にすり替える手法をカモフラージュするためではないか」という仮説を立てていた方がいた。

滋賀県の選挙管理委員会は無効票を水増ししたことを認めている。

・無効票つじつま合わせで水増し、滋賀・甲賀市選管、会見で「民主主義の根幹に関わる」投票集計不正謝罪(保存用)

3 ムサシ時代

電子システムを使った「証拠の残らない」?最強の不正。

手口

バックドアを仕込んで開票結果を書き換える?

バーコードの読み取り段階で票を付け替える? (500票ごとの束にバーコードをつけてスーパーのレジのように読み取るのだが、読み取りプログラムに不正を仕込んだり、手作業でバーコードを使いまわしたりする)

誰かの票を読み取って印刷し偽票にする ←New!

・大阪における不正選挙疑惑追及者Aさんインタビューダイジェスト

・西東京市における選挙管理ソフトを納入している『行政システム株式会社』とパソコンレンタルしている『オリックスレンテック』は住所が同じです

・高松市の不正選挙、集計バーコード付け替えて白票を増やしていた事が判明!市民からは抗議の声が相次ぐ!

沖縄県議選で集計プログラムにより入力した票が別人の票としてカウントされた事例

・沖縄県議選で明らかにされた「500票バーコードのPC画面上でのチェックは、実態と違うデータ」(H28.6.6朝日夕刊)

結果そのものを書き換える最強の不正選挙。東京都知事選の各投票所の得票割合の合致などは、最初から結果がコントロールされていたと考えねば説明がつかない。

・東京都知事選 不正の検証 先住民族末裔の反乱

開票の途中経過が出なかったり、出ても不自然な伸び方をする現象が起きる。

ただ幸いなことに日本の選挙はまだ票という証拠が残る制度なので、検票をしてみたら一発で不正だとばれる(電子投票制だとそうはいかない)。検票の結果「数は合っているが大量の同一筆跡の票が出る」のが2のタイプの不正、「そもそも開票結果と実際の票数が一致しない」のが3のタイプの不正である。(※2017年現在、検票が有効な手段でない可能性がある)

選挙ごとに使う不正のタイプは違うのだろう。どっちにしても、裁判所が検票を命じることはなさそうだが。

ムサシは計数機のイメージが強いが、実際は票の製造や集計システムなど選挙全般をプロデュースしている。2のタイプの不正にも関わっていないはずはないと思う。

なお私は3のタイプの不正の最初は2012年の東京都知事選ではないかと現段階で考えている。つまり民主党(乗っ取り)政権下で導入されていると。

菅・野田を絶対に排除しなければならない理由はここにある。

・株式会社ムサシと民主代表選をつなぐ点と線

アメリカでは3のタイプの不正はかなり明るみに出ているようだ。

・米大統領選の不正選挙プログラムを作ったプログラマーの証言

・暴露されたNSAの内部文書に選挙ハッキングの方法が

・投票システムメーカーが選挙管理システムをリモートアクセス可能にしていたことを認める、投票結果が改ざんされた可能性も

アメリカでは対立政党をはじめ様々な機関が不正選挙の解明に動いた模様

・不正が横行するアメリカ大統領選挙

日本で不正選挙の話をすると現れる「不正選挙を疑うのは野党の政治活動を無意味と思わせる策謀だ!」「野党の政治家や支持者、マスコミ人などは立場上不正選挙を疑えない!」などは不正選挙疑惑を封殺するためのうわごと。アメリカの事例が証明している。
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/425.html#c51

   

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