感染症による死亡が劇的に減った理由は医学によるのではなく…
ロマン・ビストリアニク氏という方の、「チャートは嘘をつかない」という記事を最近読みました。この方は医学に関する複数の著作を出されている方のようですが、この記事の副題は、
「ワクチンや抗生物質が登場する前から感染症は急減していた」
というもので、それを結核から麻疹などにいたるまでグラフで解説しているものです。
予防医学というのか、いわゆる「ワクチン」というものの歴史については、調べると調べるほど、さまざまな疑問というのか、「その役割の曖昧性」が浮き立ってくるということは、それなりに以前から感じていました。
そのことについて最初に書いたのは、2021年1月の以下の記事だったと思います。これは、日本でコロナワクチンが接種が始まる少し前の時期でした。
調べ続けて知る「ワクチンにより感染症の流行を抑制した歴史はない」ことを示す膨大なデータ。いかなるウイルスも自然の法則で拡大し、そして自然に終息する
In Deep 2021年1月18日
たとえば麻疹(はしか)の予防接種の歴史のグラフなどは、それをよく示していました。
以下は、アメリカの 1900年から 1984年までの「麻疹による死亡率の推移」のグラフです。予防接種が開始されたのは、1963年でした。
アメリカの麻疹の死亡率の推移(1900 - 1984年)
United States Measles Mortality Rates
先ほどの記事にありますが、他に、百日ぜきや、ジフテリアなども同じようなグラフを描いています。
つまり、予防接種が開始された時には、「すでに大流行は終わっていた」のでした。
麻疹だけを取り上げた記事としては、以下があります。
麻疹の歴史に見る「ワクチンの威力」。そして、感染症の流行を制御できるのは自然の成り行きだけ、と改めて思う
In Deep 2024年2月13日
以前から書かせていただくことがありますが、基本的に、近代から現代までにかけて、さまざまな感染症が「消滅」していった理由は、主に以下の3つだということは、実際には医学的にも、ある程度証明されています。
主要国で感染症が劇的に減少した理由
・清潔な水を飲料などとして使えるようになった
・下水道完備など、生活の基本的な衛生環境が良くなった
・栄養状態が飛躍的に良くなった
先ほどのアメリカの麻疹の例でも、第二次大戦後に急速に減少して、1970年代には「ほぼ死亡例がなくなった」ことが示されています。
日本でも、第二次大戦後、衛生環境と栄養状態が年と共に飛躍的に良くなっていく中、多くの病気が劇的に減っていきました。
「梅毒」なんてものもチャートを見ると、それは一目瞭然です。
1948年 - 2014年の日本の梅毒の感染数の推移
eiken.co.jp
1948年から 1960年頃の間には、たった 10年ほどの間に、20分の1などに患者数は減っています。赤線の廃止 (売春防止法の施行 / 1958年)などがあったとはいえ、この激減は、性的云々だけの問題では説明できません。
ともかく、多くの病気というのは、生活環境の改善と栄養状態の改善だけで、その流行をおおおむ乗り越えていけるもののようです。医学的介入は、せいぜい対症療法などに限られたものとなってくると見られます。
もっとも、現在は逆に「清潔すぎることによる病気」も増えているのですけれど、それは感染症とはあまり関係のないものです。例としては、
・子どもの白血病の「99%」が過度に清潔な生活環境から作り出されることが、英国の研究で判明(研究を取り上げた In Deep の記事)
・慢性閉塞性肺疾患(COPD)の最大の発症要因は「漂白剤と消毒剤」であることが判明(研究を取り上げた In Deep の記事)
など、過度な清潔が作り出している病気もたくさんあるのですが、感染症に関しては、適度な衛生環境と、良好な栄養状態でクリアできるものがほとんどです。
そんなわけで、冒頭に書きましたロマン・ビストリアニク氏の記事に載せられていましたチャート(グラフ)と解説を一部ご紹介させていただきます。
記事そのものは大変に長いものですので、グラフと要点だけを抜粋させていただきます。
「チャートは嘘をつかない」より
オリジナルの記事は、The Charts Don’t Lie にあります。
記事は、冒頭に、トマス・マキューンという 20世紀の医学歴史家の『医学の役割:夢か、幻か、それとも宿敵か?』(1976年)という本からの抜粋で始まります。
19 世紀における死亡率の低下は、主に生活水準の向上、特に人々の食生活の改善によるところが大きく、特定の公衆衛生や医療介入によるところの役割はそれより重要ではなかった。
- トマス・マキューン『医学の役割:夢か、幻か、それとも宿敵か?』(1976年)
ここからは各項目の抜粋です。
結核
結核は何世紀にもわたって最も壊滅的な公衆衛生上の脅威の一つであり、特に貧困層において計り知れない苦しみと死をもたらした。
18世紀から19世紀にかけて、結核はアメリカとヨーロッパの両国で猛威を振るい、数百万人の命を奪った。1860年代から 1880年代にかけての死亡率は 10万人あたり 300人から 375人だった。
結核の減少は抗生物質とワクチンの登場によるものと一般的に考えられているが、データは異なる事実を示している。
マサチューセッツ州の歴史記録によると、結核は 1800年代を通じて主要な死因だった。しかし、ストレプトマイシン(1947年に導入)や BCG ワクチンなどの化学療法が登場した頃には、結核による死亡者数はすでに急減し、数十年にわたって着実に減少傾向にあった。
1861年 - 1966年の米マサチューセッツ州の結核による死亡率の推移
医学史家トマス・マキューンが指摘したように、これらの医療介入が導入される以前から、結核による死亡率はすでに 96.8%という驚異的な減少を遂げていた。
マキューンはその後もさらに死亡率が減少したことを認めているが、データは、抗生物質とワクチン接種の影響が、より広い歴史的文脈の中では、もし(効果が)あったとしても比較的小さいものであったことを示している。
猩紅熱
近代以前、猩紅熱は先進国において結核に次いで最も致死率の高い感染症の一つだった。結核ほど致死的ではないが、19世紀には 10万人あたり 120人から 160人という高水準の死亡率を記録し、結核の約 40%にまで達していた。
その壊滅的な被害にもかかわらず、猩紅熱はその後は、医学的懸念だけでなく、人々の記憶からもほぼ消え去った。
重要なのは、猩紅熱に対しては広く普及するワクチンが開発されなかったことだ。ペニシリンなどの抗生物質(1944年に初めて大量生産された)は最終的にこの病気の治療に使用されたが、死亡率の最も急激かつ持続的な低下は、それより数十年前、医療介入が行われるずっと以前に起こった。
結核と同様に、猩紅熱の消滅は、医薬品やワクチンによる介入ではなく、主に社会全体にわたる生活環境の改善、特に衛生、衛生設備、栄養、住宅の改善によってもたらされたようだ。
1838年から1922年までの英国における天然痘と猩紅熱の死亡率
イングランドとウェールズのデータでも、15歳未満の子ども(この病気に最も脆弱な年齢層)において同様の傾向が見られる。
この 15歳未満の年齢層の死亡率は一般人口よりも著しく高く、19世紀には 10万人あたり 150〜 240人に達した。
この劇的な死亡率の減少は、ワクチンの助けを借りずに達成されたものであり、医薬品による介入ではなく、医学以外の社会進歩が死亡率低下の主な要因であったという主張を裏付けている。
麻疹
麻疹はほぼ誰もが知っている病気で、症例が発生するたびにニュースで緊急性を持って取り上げられることが多く、しばしば国民の不安やパニックを伴う。
麻疹は、歴史的に見て深刻な病気であり、19世紀には 10万人あたり 40人から 70人の死亡率に達した。これは猩紅熱の致死率の約半分から 3分の1に相当する。
現在、麻疹のワクチンが存在することから、ワクチン接種が麻疹の劇的な減少の鍵となったと一般的に考えられている。しかし、イングランドとウェールズのデータは、1968年に全国的な麻疹予防接種プログラムが導入される以前から、麻疹による死亡率がすでにほぼ 100%減少していたことを明確に示している。
結核や猩紅熱と同様に、麻疹の死亡率の劇的な低下は、医薬品による介入が登場するずっと以前から、社会全体の進歩、特に衛生設備の改善、栄養状態の改善、住宅の質の向上、そして生活水準の全体的な向上が大きな役割を果たしてきたことによるところが大きい。
百日咳
麻疹と同様に、百日咳はかつて重篤で、しばしば致命的な小児疾患だった。19世紀の死亡率は 10万人あたり 40人から 70人の間で推移していた。今日では、百日咳ワクチン(DTP/DTaP)が広く利用可能になったため、この医学的進歩が百日咳の急激な減少の主因であると多くの人が考えている。
しかし、イングランドとウェールズの歴史的データは異なる様相を呈している。百日咳による死亡率の低下の大部分は、広範囲にわたるワクチン接種プログラムの開始よりかなり前に起こった。実際、1957年に全国的な麻疹予防接種キャンペーンが導入された時点で、死亡率はすでにほぼ 100%急落していた。
1838年から1978年までの英国における百日咳による死亡率
当時の他の感染症と同様に、真の転換点は医療以外の進歩、すなわち水質の改善、下水道の改善、食生活の改善、住宅の安定性向上、そして生活水準向上に向けた社会全体の取り組みによってもたらされた。
こうした基礎的な公衆衛生対策が、百日咳による死亡率の抑制に大きく貢献したようだ。かつて致命的だったこの病気を管理可能なものに変えたのは、ワクチンではなく、より健全な社会だった。
ケンラッド・ネルソン氏とキャロリン・マスターズ・ウィリアムズ氏による『感染症疫学:理論と実践』には、以下のように書かれている。
1900年代の最初の 80年間に感染症の粗死亡率は劇的に減少したものの、非感染症による死亡率は同様の変化を示していない。
実際、1900年代の死亡率低下の大部分は、感染症による死亡率の劇的な低下に起因すると考えられる。1900年代後半の 20年間には、冠動脈疾患による死亡率は大幅に低下したが、肺がんなどの疾患による死亡率の上昇によって相殺された。
明らかに、1900年代の感染症による死亡率の低下は、前世紀と比較して公衆衛生の進歩とより安全なライフスタイルの実現によるものだ。
ここまでです。
ここから、さらに複数の書籍や医学論文などによる解説が続くのですが、結論として同じことの繰り返しですので、割愛します。
つまり、20世紀に感染症による死亡率が著しく減少したのは、
・清潔な飲料水
・適切な下水道の管理
・適切な衛生状態
・良好な栄養状態
などが、ほとんどの要素を占めているということです。
しかし、先ほどの『感染症疫学:理論と実践』に記されているように、
・現代ではかつては少なかった病気が増加していて、全体の病気による死者数は減少していない
ということもいえます。
現在では、主要国に関しては、比較的良好な衛生状態や、良好な栄養状態が保たれている場合が多いため、感染症による爆発的な死亡率の上昇というのは、今の状態が続く限りは起き得ません。
もちろん、個人個人においては、免疫の問題がある場合や、何らかの基礎疾患がある場合など、脆弱な方々もいますが、社会全体として見れば、実際のところ、
「現代社会は感染症に関して、歴史上、最も良好な状態にある」
と言えるのだと思います。その理由は、主に医学の発達によるものではなく、ライフスタイルの向上にあります。
もっとも、今後何らかの事情(全面的な核戦争や地球規模の自然災害など)により、衛生環境や栄養状態が「破壊された」社会になれば、また 19世紀以前の状態に戻ります。
そうならないように努力するのが、人間の義務なのかもしれません。