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[近代史4] 世界最大の対外純資産に惑わされるな!国が強くならないデフレ日本の経常収支サイクル 中川隆
15. 中川隆[-11712] koaQ7Jey 2024年2月02日 10:56:49 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[1]
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中国の生産過剰が世界中で貿易摩擦を引き起こしている
2024.02.02
https://www.thutmosev.com/archives/32996.html

80年代アメリカの日米自動車摩擦


https://www.80s.ne.jp/1988/aug-23rd-1988.html 1988年8月23日 │ 80年代へようこそ!
輸出が増えるのは良くない兆候

世界には限りがあり無限に輸出を増やすことはできないが、往々にして輸出大国を自負する国は「世界は自分の財布だ」のように思い込んだりそれを口にして傲慢になる

1980年から90年代の日本がそうで1人当たりgdpでアメリカに追いついてしまい高コストになったが、もっと欧米に輸出しようとしてジャパンバッシングを招いた

各国政府は当然外国企業より自国産業を守ろうとするので貿易摩擦が起き、遅かれ早かれ成功し過ぎた輸出大国は排除され没落します

世界最初の輸出大国だった大英帝国、T型フォードで自動車産業を別次元にしたアメリカ、高度成長後の日本も同じ道を辿り最後に退場する羽目になった

輸出大国は最初安くて良い物や今までになかった社会で必要な物を輸出し歓迎されるが、成功するとコスト高になり高度な製品に移行し金額も高くなります

輸出大国が「技術の高さ」を自慢したりハイテク製品を輸出し始めるのは没落のサインで、高価で高性能な製品を大量に輸出すれば相手国の貿易赤字も高額になります

すると相手政府は貿易赤字解消に動き、相手国の企業は政府に「不公正貿易だ」と不満を訴え、消費者は輸出国から搾取されていると感じるようになります

日本は80年代後半にこういう状態になって主要市場の欧米で日本製品排斥運動があって、その結果輸出ではなくアメリカで自動車の現地生産へ移行する事になりました

欧州ではもっと拒否されて例えドイツ国内に工場を作っても日本車は輸入車扱いになり関税を取られるので、欧州で日本車のシェアはほぼゼロになっています

日本メーカーが欧州の有名レースに出場するにも欧州メーカーと比べて様々な不利益を課せられ、多額の投資をしたうえで1回勝ったらルール改正でその技術が無効化されて勝てなくするのを繰り返しています

日本のコンビニは訪日観光客から好評ですが世界のほとんどの国では自国資本以外のスーパーやコンビニ出店に制限があり自由に出店はできません

もしセブンやローソンが「全世界のコンビニを制圧する」と決めたとしても、自国資本の商店を優遇する法律があるのでそれは不可能なのです

輸出立国の努力は徒労で終わる
一見すると自由貿易の世界はこんな風に「ちょっとだけ自由貿易」だが規模が大きくなると輸入国側が拒否反応を示して排除される仕組みになっています

23年に中国の自動車輸出台数が日本を抜いて世界一になりましたが、これは日本にとって「良い事」だという風に考えています

思い出してほしいのはトヨタやホンダの世界販売が急増し始めたのはバブル崩壊後で、彼らの輸出や世界販売が伸びても日本はマイナス成長でした

それどころかトヨタホンダ日産が成長すればするほど日本はデフレ不況に陥り、自動車産業や輸出が日本に貢献したのか非常に疑問です

自動車や家電を輸出するとGDPは増えるのだが貿易黒字が増えると仕組み上円高が進むので、95年の1ドル79円や2011年んの1ドル75円は輸出産業が自分で自分の首を絞めたと言えます

輸出で儲けると輸出で円高になって輸出企業が苦しみ日本が不況になってホームレスが増えるのを繰り返し、徒労という言葉を連想させました

2分すると世界には輸出立国と輸入立国があり欧州で大きな輸出立国はドイツだけで英仏伊を初めほとんどの国は貿易赤字になっています

ではドイツが大儲けして赤字国が貧困になったかと言うと、世界の先進国や大国のほとんどは貿易赤字国で黒字国はむしろ中進国以下が多いです

先進国の人は自分より人件費が安い国で生産した商品を買う事で、自国で生産するより生活水準が良くなるので購入しています

もしアメリカ人が全ての工業製品を国産したら、結局時給1000円以下でiPhoneを作ったりして生活水準が低下してしまうからです

アメリカはアジアからスマホや自動車や服などを輸入するが、多くの商品は輸入時の何倍もの値段で売られるのでその分は「アメリカのGDP」になります

良くある勘違いは輸入するとGDPが下がり輸出するとGDPが上がるというものですが、実際は500万円の自動車を輸出してもGDP増加分はその半額にもならないし、輸入品にかなり上乗せして販売するので輸入でもGDPは増えます

だからアメリカは世界最大の経常赤字国なのに世界最大の大国でいられるので、もし輸入がGDPを下げて貧困化するならアメリカはもう破産しています

輸出立国は成功したら排除されるし失敗したら競争に負けるし、どのみち輸出で先進国にまで上り詰めるのは不可能です

英米がそうだったように自国の国内で経済を発展させて、安い商品はアジアから輸入して国内で使う事でGDPを上げれば先進国になれます

日本もいい加減輸出主導経済を辞めるべきで、貿易は赤字かせいぜいトントンで良く国内経済を発展させれば自動車の輸出なんかなくなっても良いです
https://www.thutmosev.com/archives/32996.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/989.html#c15

[近代史3] チャンネル桜関係者や保守・右翼は何故 知恵遅れの安倍晋三にそんなに簡単に騙されるのか? 中川隆
26. 中川隆[-11711] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:22:54 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[2]
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壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/511.html#c26

[近代史5] チャンネル桜のアホ経済評論家の嘘を暴く 中川隆
7. 中川隆[-11710] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:23:16 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[3]
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壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/104.html#c7

[近代史3] これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」 中川隆
8. 中川隆[-11709] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:23:42 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[4]
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壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html#c8

[近代史3] チャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「日銀と通貨発行権」の誤解について 中川隆
9. 中川隆[-11708] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:24:10 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[5]
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壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/848.html#c9

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 中川隆
22. 中川隆[-11707] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:24:33 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[6]
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壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/228.html#c22

[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
11. 中川隆[-11706] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:24:51 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[7]
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壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c11

[近代史4] チャンネル桜関係者のアホ陰謀論 中川隆
11. 中川隆[-11705] koaQ7Jey 2024年2月02日 12:25:14 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[8]
<■111行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
壺齋散人 日本の右翼
https://japanese.hix05.com/Uyoku/uyoku.index.html

日本の右傾化が指摘されて久しい。日本で右傾化というとき、主に政治的な面が強調され、それに国民の間の社会的気分というようなものが付加的に言及される。政治的な面における右傾化は、自民党政権の復古的な動きによって代表される。自民党政権は、自主憲法の制定を党是としているが、かれらのいう自主憲法とは、現憲法を否定して明治憲法の精神に立ち戻ろうという多分に復古的な意図を感じさせるものだ。だから日本政治における右傾化とは、復古主義的願望に沿ったものということができる。

一方、国民の間の社会的な気分としての右傾化は、いわゆるネット右翼の台頭によって代表される。ネット右翼といっても、その特徴は千差万別で、さまざまな主張を内包しているが、ひとつだけ共通しているのは、自分たちと異なった考え方をもっているものを敵とみなし、それに対してヘイト的な攻撃を加える一方、主張の似ているものを仲間と見なして、その仲間内で盛り上がることを楽しむことである。彼らのほとんどは権力融和的であって、自分を権力と同一視し、権力に寄り添いながら敵を攻撃する。これは、日本の右翼の根強い伝統に沿ったもので、いまさら刮目するようなことではない。

そこで、日本では右翼とは一体何だったのか、あるいはどのようなことを考え、どのような役割を果たしてきたのか、ということが問題になる。右翼とは日本固有の事象ではなく、世界中で見られるものである。ヨーロッパの古い国々ではどこでも右翼が幅を利かせてきた歴史があるし、現にいまでも右翼の巨大な運動を抱えている国もある。アメリカのような歴史の浅い国においても、右翼が台頭したことはあったし、最近もトランプ現象という形をとって表面化したことは記憶に新しいことである。

右翼という言葉が、政治的なタームとして使われるようになったのはフランス革命以後のことである。それ以前には、守旧派とか王党派という言葉が、今日の右翼という言葉に相応していた。守旧派という言葉は、今日ではかならずしも右翼と重なり合う内容を持ったものではなく、むしろ現状を尊重する穏健な主張というふうに受け取られることもあるが、フランス革命以前には、王政を支持して、それに対抗するあらゆる運動に敵対したことで、今日の右翼と同じような、復古主義的で反動的なイメージを振りまいていたのである。

フランス革命が右翼という言葉にお墨付きを与えたと一般的に云われている。フランス革命の際に成立した国民議会の構成にその起源がある。国民議会はフランス革命を推進しようとする勢力と、革命をとめて旧秩序を回復しようとする勢力からなっていた。彼らは議会の議場にそれぞれ同士が隣り合うように着席したのだったが、たまたま、議長席から見て左側に革命派が着席し、右側に反革命派が着席したところから、革命派を左翼と呼び、反革命派を右翼と呼ぶようになった。その後、フランス革命の伝統を重んじ、社会の改良をめざす勢力が一般的に左翼と呼ばれ、既存秩序を守ろうとする勢力が右翼と呼ばれるようになった。ただ既存秩序の維持を主張する勢力には、穏健な保守派もいたので、保守派のうちでも、復古反動的な色彩の強いものを特に右翼といった。右翼のなかでもとりわけ反動的な分子は極右と呼ばれ、左翼のなかでも急進的で騒がしい連中を極左と呼ぶようになった。

面白いことに、議会における右と左の分布は、フランス以外の欧米諸国でも見られ、日本の衆議院の座席配置にも見られるので、今日右翼と左翼の分別は、その国の議会の議場の配列に物理的根拠を持っているのである。日本の衆議院の議場配置は、議長席から見て右側に与党が座り、左側に野党が座る。野党の中でももっとも左翼的とされる共産党は、実際にも議場のもっとも左側の席を占めている。これは東京都以下地方議会でもほぼ共通しているらしい。すくなくとも東京都議会の議席配置は衆議院のそれと同じである。ところが、参議院には、こうした配置はあてはまらない。参議院では、与党の自民党は議場の中央部分に集中し、共産党は右側に位置している。だから、参議院の議席配置を基準にすれば、自民党は中央派、共産党は右翼、ということになる。

このように、右翼という言葉自体は、フランス革命の進行のなかから、偶然の事態をきっかけに生まれたものだったが、その言葉によって意味されるものの内実は、革命以前から存在していたものだ。左翼の革命派が目指したものは、自由と平等という理念の実現であった。それに対して王党派などの右翼が目指したものは、既存のシステムの回復であった。回復であるところが単なる保守主義と違うところである。保守派は今ある秩序を守ることをめざすが、右翼はいったん失われたものを回復することをめざす。つまり過去に反り返るという意味での反動が、右翼という概念の中核的な要素なのである。

以上から浮かび上がってくることは、右翼とは革命への反動として始まった、少なくとも言葉の定義の問題としてはフランス革命にその淵源をもつということだ。革命そのものは、左翼と呼ばれるようになる勢力によって推進されたから、左翼こそがまず歴史の流れの主流となり、右翼はそのカウンターパートとして生れたということになる。つまり右翼は左翼あっての右翼だったわけで、左翼がいなければ成り立たなかったといってよい。そういう意味では、右翼は、左翼に対立することを本質とするという意味で、依存的・従属的な概念だということになる。

興味深いのは、保守主義という概念も、そもそもは革命への反感から生まれたということだ。保守主義の思想上の祖先はエドマンド・バークということになっているが、バークの思想は、フランス革命への対抗の中から生まれたものだ。バークの思想が単に保守主義といわれ、右翼といわれないのは、その穏健性によるとされるが、フランス革命への敵意から発している点では、バークと右翼との間に大差はない。バークの主張したことは、立憲主義に代表されるイギリスの伝統的な統治システムを擁護することにあったが、それがうまくいっているかぎりは、ことさらにその利点を叫ぶことはなかった。ところがフランス革命によって、過激な思想が出回るようになると、それとの対比でことさら既存システムの利点をあげつらう必要が出てきた。そこで始めて、保守主義にも思想としての独自の意義が認められたのである。

以上で、右翼と左翼の相違、右翼と保守主義の相違についての一般的な事項を述べたので、以後は、日本という国において、右翼とか保守主義とか言われるものがどのような経緯で発展してきたか、また、その結果今日の日本がどのような形で右傾化しているのか、について詳細な分析を加えていきたいと思う。


日本右翼の源流 玄洋社:日本の右翼その二

民権から国権へ:日本の右翼その三

アジア主義への傾斜:日本の右翼その四

大正期の右翼の動向:日本の右翼その五

昭和の右翼テロ:日本の右翼その六

北一輝の国家社会主義:日本の右翼その七

大川周明の大アジア主義:日本の右翼その八

翼賛体制への右翼の組み入れ:日本の右翼その九

敗戦と右翼:日本の右翼その十

敗戦後の右翼の追放と復活:日本の右翼

戦後右翼の特徴反共・親米:日本の右翼その十二

新右翼の登場:日本の右翼

日本会議:日本の右翼その十四

跋扈するネット右翼:日本の右翼その十五

右傾化する日本:日本の右翼

安倍晋三と統一教会問題:日本の右翼


(参考)

鈴木邦男「新右翼」

安田浩一「『右翼』の戦後史」

堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む

小山俊樹「五・一五事件」

関岡英之「大川周明の大アジア主義」を読む

大塚健洋「大川周明」を読む

大川周明「復興亜細亜の諸問題」を読む

高橋正衛「二・二六事件」を読む

嵯峨隆「頭山満」を読む

菅野完「日本会議の研究」

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/620.html#c11

[昼休み54] フィリピン女性が男を狂わせる理由 中川隆
26. 中川隆[-11704] koaQ7Jey 2024年2月02日 15:05:31 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[9]
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2024年02月02日
殺人の後はビールで一服 / 移民や難民で変質する国家 (後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951527.html

フィリピン人による殺害遺棄事件

Filipinos 7723Filipino 3245
(左 : フィリピンの酒場で働くビキニ姿の勤労者 / 右 : 北米に移住するフィリピン人)

  今年の1月18日、東京都足立区千住緑町に住む高橋徳弘(のりひろ)さん55歳と夫人の希美江(きみえ)さん52歳の遺体が、自宅の床下から見つかった。この夫婦には息子と娘がいたそうで、帰宅した息子が両親の血痕を発見したらしい。

  死体遺棄の容疑で逮捕されたのは、フィリピン国籍のモラレス・ヘイゼル・アン・バギシャ(Hazel Ann Baguisa Morales / 30歳)という女で、彼女は殺害された夫婦の長男と以前、交際関係にあったようだ。しかし、この殺人事件にはフィリピン人の共犯者がいた。警察は茨城県に住む技能実習生のデラ・クルース・ブライアン・ジェファーソン・リシン(Dela Cruz Brian Jefferson Lising / 34歳)を逮捕した。(「逮捕フィリピン人女の母『夫婦が長男と交際に反対』…“床下に夫婦遺体”新たに男逮捕」ANN News 2024年1月23日)

モラレス・ヘイゼル・アン・バギシャ 0032(左 / モラレス・ヘイゼル・アン・バギシャ )

  何とも残忍な殺人事件ではあるが、いったい、このモラレス容疑者というのは、どのような人物なのか?

  逮捕されたモラレスは、2017年11月、格安航空のLCCでやって来た出稼人だ。彼女は来日早々、台東区浅草にあるフィリピンパブ『G』に勤め出したという。モラレスの源氏名は「アヤ」といい、彼女を目当てにする常連客もいたらしい。こうしたファンの中には、詐欺罪で捕まった「カミンスカス操」こと「小山操(偽名は小山武)」がいた。この「カミンスカス」は図面師グループの主犯格。以前、東京都五反田の土地取引で積水ハウスが55億円を騙し取られた事件があったけど、この小山操が『G』に足繁く通っていたとは驚きだ。事件後、彼はフィリピンに逃亡するが、2019年に現地で逮捕されていた。

  当時の報道によれば、「カミンスカス操」という男は、事件が起きる前、錦糸町界隈では結構、有名な人物であったらしい。ちなみに、「カミンスカス」という名前は、三番目の妻、リタ・カミンスカスと結婚した時に変えた名字で、この外人女房も錦糸町にあるインターナショナル・クラブの酌婦であった。他のフィリピン人酌婦にも相当入れ込んでいたというが、小山操はモラレスを贔屓にしていたそうで、彼女に対しても羽振りが良かった。小山の寵愛を受けたモラレスは、月に100万円以上の収入を得ていたというから凄い。(「《錦糸町ハプバー経営夫婦殺人》55億円詐欺『地面師』を虜にしたフィリピン人ホステス・モラレス容疑者の『ウエディング写真』と“ルフィ事件”との『数奇なリンク』」文春オンライン、2024年1月24日)

  フィリピンバブ『G』に入りたてのモラレスは、当時まだ22、3歳。ででも、日本語は、なかなか達者であった。というのも、彼女は『G』に勤める前、既に来日経験があったからだ。彼女は茨城県にあるパブで働いていたらしい。愛知県や東京都には及ばないが、埼玉県や千葉県に次いで茨城県でも、フィリピン人の居住者は増えている。日本がまだ好景気だった1980年代、「ジャパゆきさん」と呼ばれる若い女性が、大勢フィリピンからやって来た。

  1980年代から90年代にかけて、「ルビー・モレノ」というフィリピン人女優がいたから、雑誌やテレビで「ジャパゆきさん」の話を聞いたことがある人も多いだろう。1993年には、朝鮮人監督の崔洋一が『月はどっちに出ている』という映画を制作し、在日朝鮮人とフィリピン人女性との恋愛ドラマを描いていた。この映画は日本アカデミー賞やブルーリボン賞など、幾つのも賞を総ざらいにしたというが、本当に素晴らしい作品なのか?

  ちなみに、1992年にはチャンネル桜の水島総社長が、ルビー・モレロを起用し『フィリピーナを愛した男たち』を制作し、「亀村敏夫」役に玉置浩二を用いていた。映画の中では、フィリピン人のルビーに惚れた敏夫が、お金を目的としたルビーに騙さてしまうが、最終的には幸せなカップルとなる筋書きだ。社長本人の言葉によると、この作品は朝日新聞などからも称賛され、同映画を観た人の中には、社長の作品に勇気づけられてフィリピン人と結婚した日本人男性もいたそうだ。令和時代の水島社長は移民の量乳に反対しているが、監督時代の水島社長はフィリピン人酌婦の来日や日比混血児の増殖には懸念を示していなかったのかも。

  普通の日本人は、子供がフィリピン人と結婚することやアジア系の孫が生まれる事を望んでいるのか? だいたい、水商売や3K職場で「人手不足」といっても、「トルコ嬢」や「裸体ダンサー」は必要ないし、酒場(スナックとかパブ)で客を接待するホステスなんかは“高度な人材”じゃないだろう。名目上、彼女達はダンスや歌を披露する「エンターテイナー」として来日したが、実際は風俗店のセミ娼婦とか下働きの賃金労働者であった。

  脱線したので話を戻す。フィリピンパブで働くモラレスは、間もなく「No.1」になるほどの人気を博す。しかし、結婚や出産、離婚に加え、借金を抱える貧困生活まで経験するようになった。モラレスが勤めていた『G』という店は、偽装結婚の巣窟にもなっていたので、警察の“ガサ入れ”を受けた後、店を閉じることになったという。この頃、モラレスは店を経営するオーナーの息子と結婚し、男児を出産していた。しかし、酌婦とは色々な男を相手にする商売だ。彼女の亭主が妻の不貞を疑っても不思議じゃない。フィリピン人と日本人との混血である亭主は、猜疑心で凝り固まっていたのか、妻に向かって「息子は俺の子じゃない」とまで言い出した。この疑惑は離婚訴訟へと発展する。実際、二人は離婚し、独身となったオーナーの息子は、別の女性と所帯を持つようになったという。(同僚の話によると、モラレスは『G』で金銭トラブルを起こしていた。おそらく、このトラブルもフィリピンに帰る要因になったのかも知れない。)

Sally Morales mother of Hazel Ann Morales 02(左 / サリー・モラレス)
  一方、亭主と別れたモラレスは、故郷に帰って幼い我が子を母親のサリー・モラレスに託す。そして、日本に舞い戻ってきたモラレスは、上野にあるフィリピンパブに再就職する。彼女はここで生計を立て直してから、子供を呼び戻すつもりであったらしい。ところが、モラレスは間もなく夜の商売から遠ざかり、首都圏にある病院で看護助手になっていたそうだ。この頃、モラレスは橋夫妻の息子と付き合うようになり、当初は両親も結婚を前提とした交際を認めていたらしい。

  だが、前々から金銭感覚が麻痺していたモラレスは、生活費にも困るほどの“借金まみれ”になっていた。金に困ったモラレスは、知人や客にロレックスの高級腕時計を売りつけるくらい、金策に困っていたそうだ。(「『店の人気ナンバー1』『ロレックスを売りつけられそうに』稼いでいたのに超金欠だったモラレス容疑者の金策トラブル『フィリピンに子どもを置いてきたって…』〈足立区・床下夫婦遺体〉」集英社オンライン、2024年1月23日)

  こうした借金体質と金銭への執着癖がバレてしまったのか、結婚話は次第に消え失せ、交際相手の息子も千住署に金銭トラブルを相談する事態にまでなっていた。もしかすると、モラレスは自分の過去を隠していたのかも知れない。橋一家を知る人物によると、長男が貸していた金額は、50万ないし60万円ほどで、モラレスは返済を渋っていたそうだ。母親の希美江さんも不満を漏らしていたというから、モラレスとは一触即発の状態だったのかも知れない。しかし、怒りを爆発させたのは、浅はかな借主の方だった。

 フィリピン人と交際したり、結婚までする日本人というのは、ちょっと普通じゃない。殺害された高橋徳弘さんの職業は「自営業」と報道されたが、実は錦糸町でハプニングバーを経営する人物だった。高校生や中学生の良い子は聞いたこともないだろうが、この種の店には、特殊な性的嗜好を持つ者が集まってくる。すなわち、SMや女装、露出、覗き、変態プレーなどに興奮する連中が、何らかの肉体関係を求め、性的欲求を満たすためにやって来る、ということだ。

  徳弘さんのバーは、錦糸町で20年以上続く老舗格の有名店であった。しかし、事件が起こった頃は、一人で店を切り盛りする程度であったらしい。(《足立区夫婦死体遺棄》『ソファの隣でいきなり始まったり…』錦糸町老舗“ハプバー”オーナー夫婦の変わり果てた姿『イケメンでダンディな方だった』」文春オンライン2024年1月20日) 職業差別をするつもりはないが、どうしても水商売や風俗店を経営していると、“カタギの人間”よりも“曰く附きの人物”と接触することが多くなる。橋家の息子がどんな人柄なのか判らないが、酒場で働くフィリピン人と付き合うなんて、普通の男性じゃないだろう。

  モラレスは派手な生活を好むせいか、いつも借金で首が回らなかった。そもそも、偽装結婚で日本滞在を図り、誰の精子か判らぬ子供を抱え、人殺しまで厭わないとくれば、もう尋常じゃない。だが、日本にやって来るフィリピン人には、こうしたタイプの女性が異常に多い。バブル景気の頃、カトリック教会のシスター(修道女)達は、女衒に脅され、一方的な搾取を受けるフィリピン人女性に同情していた。でも、いかがわしいブローカーに金を借りて来日する方も悪いんじゃないか?

  何割かのケースだと、両親や祖父母が承知のうえで、闇社会の連中から渡航費用を調達し、不法入国のガイドを依頼していた訳だから、シスター達は不憫なフィリピン人を助ける前に、彼女達を叱責すべきだろう。米国のカトリック教会と同じく、日本のカトリック教会も信者の不法滞在者や慈悲を求めるフィリピン人に助け船を出す。本来なら、無理矢理にでもフィリピンへ送り返すべきなのに、残留を手助けするなんて、カトリック教会は狂っている。

  余計な詮索だけど、モラレスの息子はどうなるのか? 日本で育った幼児は、75%のフィリピン人(25%は日本人)ではあるが、母親が捕まっても日本に住み続ける可能性もある。フィリピンにいる祖母が引き取れば別だけど、こうした混血児は祖国に帰らず、日本にいる兄弟とか友人が預かる場合もある。ただ、こうした子供が日本で成長した時、心から日本に忠誠を誓う「日本国民」になるのかは疑問だ。政府はポケット・ティッシュのように貴重な日本国籍を無料配布するが、政治家と役人は一体どんな国家意識を持っているのか?

アジア系国民が増える日本

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(左 : 後進国のフィリピンで暮らす庶民 / 右 : 日本に来るかも知れないフィリピン人)

  一般国民は批判を恐れて口にしないが、バイシュン婦と家政婦が主な輸出品というのが、南洋土人の国、フィリピンの実態だ。「ジャピーノ(日比混血児)」と呼ばれる子供達は、ベルトコンベア式に日本の学校へ通い、日本の会社に勤めたりする。しかし、彼らが「真の日本人」という意識を持つことは稀だろう。そもそも、彼らの家庭が健全じゃない。例えば、既婚者であった父親が、スナックの酌婦と知り合り、“不貞”の結果として母親が妊娠したというケースもあるし、父親が日本人の妻に叱られてフィリピン人の母親を棄てた、というケースもある。

  よくあるのは、浮気亭主が妻と子供に“隠し子”が居ることを告げると、家族が烈火の如く怒り狂う、というケースだ。なぜなら、もし二人の子供を持つ父親が、愛人の子供を認知すれば、遺産相続の時、正妻の子供が受け取る財産は減ってしまうからだ。正妻の子供からすれば、突然「異母兄弟が居る」と告白されても納得できないし、正妻の方だって、見ず知らずの女が産んだ子供に相続権があると言われれば、「冗談じゃない! 絶対に認めないから!」と言い放つだろう。女房の両親はもちろんのこと、浮気亭主の両親だって、“妾の子供”が相続人となったら激昂するはずだ。資産家だと血の雨が降る。

  とにかく、水商売の酌婦が付き合う日本人とくれば、大抵は店の常連客とか、妻子持ちのスケベ親父といったケースが多い。優秀で前途有望な若者が、初婚でフィリピン人という事例は先ず無いだろう。一概には言えないが、たとえ二人が目出度く結婚となっても、生まれてくる子供は最初からハンディーキャップを背負ってしまうか、躾の悪い子供に成長する可能性が高い。筆者も郵便局とか雑貨店で、60歳くらいのオッさんが、30歳くらいのフィリピン人女性を連れているのを目撃したことがある。日本人女性に見向きもされない中高年男性が、国籍目当ての若いフィリピン人と付き合うことはよくある。

  本人のせいじゃないけど、アジア系の子供は悲しい現実を味わうことになる。例えば、こうした日比混血児が成長し、母親の実家を訪ねれば、「何だ、このスラム街は!?」と驚く。自然な反応だから仕方ないけど、日本で育った混血児は、母国への嫌悪感と絶望感が入り交じった感情を持つ。彼らが親の祖国を「自分のルーツ」と考え、堂々と誇りにするとは思えない。日本人は「便利だから」「安いから」といってフィリピン人の酌婦や低賃金の介護師を雇っているが、こうした南洋人を受け容れるということは、日本社会のレベルをフィリピン並みに押し下げることになる。たとえ、在日フィリピン人が100万人に増えても、日本人の“質”が向上することはない。むしろ、中途半端なフィリピン系が増えてしまい、朝鮮やベトナム、タイ、ビルマのような「アジア国家」へと転落するのがオチだ。つまり、東京や大阪がマニラやバンコックのようになる、ということだ。

デラ・クルース容疑者 8832(左 / デラ・クルース・ブライアン・ジェファーソン・リシン)
  話を戻す。警察が現場に残された血痕のDNAを調べたところ、デラ・クルースのDNAと一致したことから、このフィリピン人は事件の容疑者として逮捕された。警察からの情報によれば、クルースは報酬目的で殺人を手伝ったようだ。ただ、彼は犯行時に右腕を骨折したので、包帯姿の映像が残っている。(木原真希、岩崎歩、菅健吾「東京・足立の夫婦遺棄 逮捕の男性「報酬もらう約束で手伝った」毎日新聞2024年1月24日) フィリピンの「ガバナトゥアン」に住むクルースの母親は、息子の犯行に驚き、「そんなことをするとは信じられない」と語っていた。しかし、クルースは惨殺行為の後、茨城県のコンビニエンス・ストアーに立ち寄り、缶ビール3本を買っていたというから、まともな神経の持ち主じゃない。(「犯行の数時間後にコンビニへ“防犯カメラ”に夫婦遺体遺棄事件で逮捕のフィリピン国籍の男の姿が」FNN News、2024年1月26日)

  “重労働”後の一服なんだろうが、殺人の帰り道で“いつも”の如く、店でビールを買うなんて、普通の人間では考えられない。この殺人鬼は2018年に「技能実習生」として来日したそうだ。彼は2021年12月に一旦帰国するが、2023年7月に再び来日する。仲間の話によると、クルースは勉強熱心な若者で、日本語の上達も早かったらしい。しかも、故郷の母親に仕送りをしていたというから、家族に対しては優しい男なんだろう。だが、知り合いの女に頼まれたからといって、無辜の夫婦を惨殺するなんて、本当に酷い。

  捜査関係者によると、夫婦の遺体には複数の刺し傷があり、二人とも死因は心臓の損傷によるものだった。たぶん、クルースは何度も被害者の体を刃物で刺し、トドメの一撃で心臓を刺したのだろう。ついでに言えば、モラレスとクルースは、橋夫婦のスマートフォンと財布を奪っていた。まさか、盗んだ金でビールを買っていた訳じゃないだろうが、もし“手助け”の“チップ”にしていたら、相当な悪人である。

  橋夫妻の殺害は計画的なものと考えられるので、おそらくモラレスとクルースには死刑判決が下ると思うが、案外、軽い刑罰でおしまいになるかも。なぜなら、日本では人命が軽く扱われ、死人よりも“生きている犯罪者”の方が大切にされるからだ。左翼判事は“人権”とやらを尊重するから、極刑は“残酷”と言い出しかねない。昔は、「一人殺したくらいじゃ死刑にならない!」が常識だったから。(日本の死刑制度に興味がある人は、文春新書の『死刑賛成弁護士』を読んでね。もし、一般人が大澤寿道「殺された被害者の命は殺人犯の命よりも軽い?」を読んだから、「まさか! そんなぁ〜」と驚き、信じられない顔で唖然とするかもよ。)

  一般国民は昔ながらの生活を“普通”と思っている。商店街のオッちゃん、オバちゃん達は、平穏な人生を望んでいるから、たとえ街で外国人が増えても、政治家に文句を垂れたり、国粋派の抗議活動に加わることはない。しかし、経済界にとって“便利な労働力”であっても、移民労働者(実習生とか研修生、高度技術人材)は平民にとったら“迷惑な外人”だ。東北大学で准教授をやっている吉永希久子(よしなが・きくこ)なんかは、机上の空論で移民問題を扱っている。彼女のようなボンクラ教師は、移民の増加と犯罪率の上昇に疑問を呈しているが、常識的に考えれば、アジア人やアフリカ人が増えると街の雰囲気は暗くなるし、徐々に“住みたくない地域”となるはずだ。(吉永希久子『移民と日本社会』中公新書、2020年、第3章を参照。)

  移民が流入した地域は、1、2年じゃなくても、2、3世代が経つとスラム街へと変貌する。吉永氏の授業を受ける学生は理解できないだろうが、卒業して不動産屋にでも就職すれば、住宅環境の重要性に気づくだろう。フィリピン人やタイ人、マレー人、支那人、朝鮮人などが混在する「多民族地域」は、誰も買いたくない「忌避地帯」となり、更地が売りに出されても、日本人が自宅や商店を建てることはない。もし、「多民族混交地域」の実例を知りたければ、埼玉県の西川口や蕨市、大阪の西成区、京都のウトロ地区(宇治市伊勢田町)に行ってみればいい。海外旅行が好きな人は、NY州のフラッシングとかNJ州のカムデン、MD州のボルテチモアを一人で歩いてみれば、“人種的多様性”に富んだ地域が、どんな風景になるのかが判るだろう。たぶん、早く日本に帰りたくなるはずだ。

  政財界の有力者は、「技能実習生」を「移民」じゃないと言い張るが、実質的には「低賃金労働者」であり、こうした外国人が増えれば、日本の治安も悪くなる。例えば、支那人調理師の孟慶竜(43歳)は1月19日、ナイフを持って茨城県五霞町の住宅に押し入り、住人の男性(68歳)をハンマーのようなもので殴ったうえ、現金およそ1万円を奪って逃走したという。(「住宅で住民にけがさせ現金奪ったか 中国籍容疑者逮捕」NHK News、2024年01月24日)被害者の男性は全治1カ月の重傷を負ってしまったが、もし運が悪ければ、そのまま“あの世行き”となったかも知れない。

  茨城県でも外国人による犯罪は著しく増えているようで、AANやFNNなどの報道によると、県警は太陽光発の電施設を狙った窃盗や違法薬物の売買に神経を尖らせているようだ。しかし、もっと恐ろしいのは、子供を利用した残留作戦だ。不逞外人の中には、結婚や同棲といった形態にかかわらず、日本人と肉体関係を結び、子供を作ってしまう奴がいる。歐米諸国から来た“まとも”な外国人なら、結婚や国籍を考えずに赤ん坊を作ってしまうということは“ほぼ無い”が、アジア人やアフリカ人だと性欲の赴くままに行動し、新生児が出来てから考える者が少なくない。自民党の左翼議員や公明党に弱い法務省は、一応、「不法入国はよくありません!」と表明するが、日本で生まれ育った子供を“切り札”にされると、このトランプ・カード(奥の手)に対抗できなくなる。

  本来なら、観光ビザで入国した出稼人や不法滞在は、即刻、強制退去になるべきだ。もし、日本人と子供を作っていれば、日本人配偶者が日本国籍を捨てて、支那国籍とかフィリピン国籍を取得し、親子揃って支那やフィリピンに移住すればいいだけ。日本人の夫や妻が配偶者の祖国に住めば、「親子の引き離し」はない。計画犯罪を実行した不良外人は、よく「家族をバラバラにすることは残酷だ!」とか、「子供を残して帰国はできない!」と駄々を捏ねるが、それなら子供と一緒に祖国へ帰ればいいじゃないか!

  しかし、図々しい外国人は日本人の弱点を知っているから、「子供は日本語しか喋れない。子供の将来の為にも親子揃っての日本滞在を許してくれ!」と頼む。NHKやTBSのみならず、朝日新聞、東京新聞、毎日新聞、共同通信などにも、アジア人を増やして日本を「多民族社会」にしたいと目論む連中が大量にいるから、涙を流して懇願する不法外国人を熱心に擁護する。テレビ朝日なんかは、わざわざTVドラマを作って移民反対の国民を貶めていた。同局は2011年4月に『ハガネの女』(Season2)を放送し、第1話で不法滞在の少女をテーマにしていた。もちろん、可哀想な少女をいじめる日本人を非難するためだ。NHKも負けてはおらず、2023年6月には『やさしい猫』というドラマを放送し、日本に住み続けたいスリランカ人を描いていた。如何にも反日的なNHKらしく、ドラマの中では入管施設に強制収容されるという“仕打ち”や健康保険に加入させないという日本の“非人道性”、労働を許可しない役所の“頑固さ”など、日本社会を批判する設定が“てんこ盛り”だ。

  つくづく思うけど、日本人は本当に「馬鹿」が附くほどの“お人好し”だ。不法行為を実行した親は、「ウチの子は日本語しか喋れない!」と嘆いていないで、さっさと祖国の言葉を子供に教えてやればいいじゃないか。おそらく、日本語が不得意な在日フィリピン人やタイ人、ビルマ人などの親は、家庭内では母国語を話しているはずだ。しかし、こうした親は子供の勉強については“管轄外”なので、ほとんど考えない。そもそも、自分自身が勉強した経験も無いし、たとえあっても、祖国の言葉は無価値と判っている。また、彼らは子供を連れて帰国する気は毛頭無いから、日本の学校に通わせて“既成事実”を作ってしまえばいいと考える。でも、これはおかしい。日本の学校では「外国語」である「英語」を教えている。不法滞在者の子供は、英語の代わりにタイ語とかマレー語、タガログ語を勉強すればいい。英語だけが“外国語”じゃないぞ。

  常識を備えた日本人なら、こうした反論を直ぐ理解できるのに、「人権」や「人道」に弱い役人は、政治家の圧力やマスコミによる非難を避けるべく、不良外人に定住を認めてしまうケースが多い。日本人とのセックスで罪がチャラになるなんて、常識的な日本人には全く承服できないが、左翼教育で洗脳された官僚や議員は、「人道的配慮」と耳にするや、たちまち腰砕けとなる。一方、「子供の保護者」を主張する不良外人は、役所からの在留特別許可を得て、堂々と日本に住むことが出来る。日本人だと、スピード違反や駐車違反は「帳消し」とはならないのに、外人の不法残留は「お咎め無し」となるんだから、「日本は誰の国なんだ!」と言いたくなるほど腹が立つ。日本人が脳天気だから仕方ないが、演技が上手で狡賢い外国人は、恋愛に飢えた日本人をカモにするということだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951527.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/143.html#c26

[近代史3] フィリピン女性が男をメロメロにする理由 中川隆
11. 中川隆[-11703] koaQ7Jey 2024年2月02日 15:05:46 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[10]
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2024年02月02日
殺人の後はビールで一服 / 移民や難民で変質する国家 (後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951527.html

フィリピン人による殺害遺棄事件

Filipinos 7723Filipino 3245
(左 : フィリピンの酒場で働くビキニ姿の勤労者 / 右 : 北米に移住するフィリピン人)

  今年の1月18日、東京都足立区千住緑町に住む高橋徳弘(のりひろ)さん55歳と夫人の希美江(きみえ)さん52歳の遺体が、自宅の床下から見つかった。この夫婦には息子と娘がいたそうで、帰宅した息子が両親の血痕を発見したらしい。

  死体遺棄の容疑で逮捕されたのは、フィリピン国籍のモラレス・ヘイゼル・アン・バギシャ(Hazel Ann Baguisa Morales / 30歳)という女で、彼女は殺害された夫婦の長男と以前、交際関係にあったようだ。しかし、この殺人事件にはフィリピン人の共犯者がいた。警察は茨城県に住む技能実習生のデラ・クルース・ブライアン・ジェファーソン・リシン(Dela Cruz Brian Jefferson Lising / 34歳)を逮捕した。(「逮捕フィリピン人女の母『夫婦が長男と交際に反対』…“床下に夫婦遺体”新たに男逮捕」ANN News 2024年1月23日)

モラレス・ヘイゼル・アン・バギシャ 0032(左 / モラレス・ヘイゼル・アン・バギシャ )

  何とも残忍な殺人事件ではあるが、いったい、このモラレス容疑者というのは、どのような人物なのか?

  逮捕されたモラレスは、2017年11月、格安航空のLCCでやって来た出稼人だ。彼女は来日早々、台東区浅草にあるフィリピンパブ『G』に勤め出したという。モラレスの源氏名は「アヤ」といい、彼女を目当てにする常連客もいたらしい。こうしたファンの中には、詐欺罪で捕まった「カミンスカス操」こと「小山操(偽名は小山武)」がいた。この「カミンスカス」は図面師グループの主犯格。以前、東京都五反田の土地取引で積水ハウスが55億円を騙し取られた事件があったけど、この小山操が『G』に足繁く通っていたとは驚きだ。事件後、彼はフィリピンに逃亡するが、2019年に現地で逮捕されていた。

  当時の報道によれば、「カミンスカス操」という男は、事件が起きる前、錦糸町界隈では結構、有名な人物であったらしい。ちなみに、「カミンスカス」という名前は、三番目の妻、リタ・カミンスカスと結婚した時に変えた名字で、この外人女房も錦糸町にあるインターナショナル・クラブの酌婦であった。他のフィリピン人酌婦にも相当入れ込んでいたというが、小山操はモラレスを贔屓にしていたそうで、彼女に対しても羽振りが良かった。小山の寵愛を受けたモラレスは、月に100万円以上の収入を得ていたというから凄い。(「《錦糸町ハプバー経営夫婦殺人》55億円詐欺『地面師』を虜にしたフィリピン人ホステス・モラレス容疑者の『ウエディング写真』と“ルフィ事件”との『数奇なリンク』」文春オンライン、2024年1月24日)

  フィリピンバブ『G』に入りたてのモラレスは、当時まだ22、3歳。ででも、日本語は、なかなか達者であった。というのも、彼女は『G』に勤める前、既に来日経験があったからだ。彼女は茨城県にあるパブで働いていたらしい。愛知県や東京都には及ばないが、埼玉県や千葉県に次いで茨城県でも、フィリピン人の居住者は増えている。日本がまだ好景気だった1980年代、「ジャパゆきさん」と呼ばれる若い女性が、大勢フィリピンからやって来た。

  1980年代から90年代にかけて、「ルビー・モレノ」というフィリピン人女優がいたから、雑誌やテレビで「ジャパゆきさん」の話を聞いたことがある人も多いだろう。1993年には、朝鮮人監督の崔洋一が『月はどっちに出ている』という映画を制作し、在日朝鮮人とフィリピン人女性との恋愛ドラマを描いていた。この映画は日本アカデミー賞やブルーリボン賞など、幾つのも賞を総ざらいにしたというが、本当に素晴らしい作品なのか?

  ちなみに、1992年にはチャンネル桜の水島総社長が、ルビー・モレロを起用し『フィリピーナを愛した男たち』を制作し、「亀村敏夫」役に玉置浩二を用いていた。映画の中では、フィリピン人のルビーに惚れた敏夫が、お金を目的としたルビーに騙さてしまうが、最終的には幸せなカップルとなる筋書きだ。社長本人の言葉によると、この作品は朝日新聞などからも称賛され、同映画を観た人の中には、社長の作品に勇気づけられてフィリピン人と結婚した日本人男性もいたそうだ。令和時代の水島社長は移民の量乳に反対しているが、監督時代の水島社長はフィリピン人酌婦の来日や日比混血児の増殖には懸念を示していなかったのかも。

  普通の日本人は、子供がフィリピン人と結婚することやアジア系の孫が生まれる事を望んでいるのか? だいたい、水商売や3K職場で「人手不足」といっても、「トルコ嬢」や「裸体ダンサー」は必要ないし、酒場(スナックとかパブ)で客を接待するホステスなんかは“高度な人材”じゃないだろう。名目上、彼女達はダンスや歌を披露する「エンターテイナー」として来日したが、実際は風俗店のセミ娼婦とか下働きの賃金労働者であった。

  脱線したので話を戻す。フィリピンパブで働くモラレスは、間もなく「No.1」になるほどの人気を博す。しかし、結婚や出産、離婚に加え、借金を抱える貧困生活まで経験するようになった。モラレスが勤めていた『G』という店は、偽装結婚の巣窟にもなっていたので、警察の“ガサ入れ”を受けた後、店を閉じることになったという。この頃、モラレスは店を経営するオーナーの息子と結婚し、男児を出産していた。しかし、酌婦とは色々な男を相手にする商売だ。彼女の亭主が妻の不貞を疑っても不思議じゃない。フィリピン人と日本人との混血である亭主は、猜疑心で凝り固まっていたのか、妻に向かって「息子は俺の子じゃない」とまで言い出した。この疑惑は離婚訴訟へと発展する。実際、二人は離婚し、独身となったオーナーの息子は、別の女性と所帯を持つようになったという。(同僚の話によると、モラレスは『G』で金銭トラブルを起こしていた。おそらく、このトラブルもフィリピンに帰る要因になったのかも知れない。)

Sally Morales mother of Hazel Ann Morales 02(左 / サリー・モラレス)
  一方、亭主と別れたモラレスは、故郷に帰って幼い我が子を母親のサリー・モラレスに託す。そして、日本に舞い戻ってきたモラレスは、上野にあるフィリピンパブに再就職する。彼女はここで生計を立て直してから、子供を呼び戻すつもりであったらしい。ところが、モラレスは間もなく夜の商売から遠ざかり、首都圏にある病院で看護助手になっていたそうだ。この頃、モラレスは橋夫妻の息子と付き合うようになり、当初は両親も結婚を前提とした交際を認めていたらしい。

  だが、前々から金銭感覚が麻痺していたモラレスは、生活費にも困るほどの“借金まみれ”になっていた。金に困ったモラレスは、知人や客にロレックスの高級腕時計を売りつけるくらい、金策に困っていたそうだ。(「『店の人気ナンバー1』『ロレックスを売りつけられそうに』稼いでいたのに超金欠だったモラレス容疑者の金策トラブル『フィリピンに子どもを置いてきたって…』〈足立区・床下夫婦遺体〉」集英社オンライン、2024年1月23日)

  こうした借金体質と金銭への執着癖がバレてしまったのか、結婚話は次第に消え失せ、交際相手の息子も千住署に金銭トラブルを相談する事態にまでなっていた。もしかすると、モラレスは自分の過去を隠していたのかも知れない。橋一家を知る人物によると、長男が貸していた金額は、50万ないし60万円ほどで、モラレスは返済を渋っていたそうだ。母親の希美江さんも不満を漏らしていたというから、モラレスとは一触即発の状態だったのかも知れない。しかし、怒りを爆発させたのは、浅はかな借主の方だった。

 フィリピン人と交際したり、結婚までする日本人というのは、ちょっと普通じゃない。殺害された高橋徳弘さんの職業は「自営業」と報道されたが、実は錦糸町でハプニングバーを経営する人物だった。高校生や中学生の良い子は聞いたこともないだろうが、この種の店には、特殊な性的嗜好を持つ者が集まってくる。すなわち、SMや女装、露出、覗き、変態プレーなどに興奮する連中が、何らかの肉体関係を求め、性的欲求を満たすためにやって来る、ということだ。

  徳弘さんのバーは、錦糸町で20年以上続く老舗格の有名店であった。しかし、事件が起こった頃は、一人で店を切り盛りする程度であったらしい。(《足立区夫婦死体遺棄》『ソファの隣でいきなり始まったり…』錦糸町老舗“ハプバー”オーナー夫婦の変わり果てた姿『イケメンでダンディな方だった』」文春オンライン2024年1月20日) 職業差別をするつもりはないが、どうしても水商売や風俗店を経営していると、“カタギの人間”よりも“曰く附きの人物”と接触することが多くなる。橋家の息子がどんな人柄なのか判らないが、酒場で働くフィリピン人と付き合うなんて、普通の男性じゃないだろう。

  モラレスは派手な生活を好むせいか、いつも借金で首が回らなかった。そもそも、偽装結婚で日本滞在を図り、誰の精子か判らぬ子供を抱え、人殺しまで厭わないとくれば、もう尋常じゃない。だが、日本にやって来るフィリピン人には、こうしたタイプの女性が異常に多い。バブル景気の頃、カトリック教会のシスター(修道女)達は、女衒に脅され、一方的な搾取を受けるフィリピン人女性に同情していた。でも、いかがわしいブローカーに金を借りて来日する方も悪いんじゃないか?

  何割かのケースだと、両親や祖父母が承知のうえで、闇社会の連中から渡航費用を調達し、不法入国のガイドを依頼していた訳だから、シスター達は不憫なフィリピン人を助ける前に、彼女達を叱責すべきだろう。米国のカトリック教会と同じく、日本のカトリック教会も信者の不法滞在者や慈悲を求めるフィリピン人に助け船を出す。本来なら、無理矢理にでもフィリピンへ送り返すべきなのに、残留を手助けするなんて、カトリック教会は狂っている。

  余計な詮索だけど、モラレスの息子はどうなるのか? 日本で育った幼児は、75%のフィリピン人(25%は日本人)ではあるが、母親が捕まっても日本に住み続ける可能性もある。フィリピンにいる祖母が引き取れば別だけど、こうした混血児は祖国に帰らず、日本にいる兄弟とか友人が預かる場合もある。ただ、こうした子供が日本で成長した時、心から日本に忠誠を誓う「日本国民」になるのかは疑問だ。政府はポケット・ティッシュのように貴重な日本国籍を無料配布するが、政治家と役人は一体どんな国家意識を持っているのか?

アジア系国民が増える日本

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(左 : 後進国のフィリピンで暮らす庶民 / 右 : 日本に来るかも知れないフィリピン人)

  一般国民は批判を恐れて口にしないが、バイシュン婦と家政婦が主な輸出品というのが、南洋土人の国、フィリピンの実態だ。「ジャピーノ(日比混血児)」と呼ばれる子供達は、ベルトコンベア式に日本の学校へ通い、日本の会社に勤めたりする。しかし、彼らが「真の日本人」という意識を持つことは稀だろう。そもそも、彼らの家庭が健全じゃない。例えば、既婚者であった父親が、スナックの酌婦と知り合り、“不貞”の結果として母親が妊娠したというケースもあるし、父親が日本人の妻に叱られてフィリピン人の母親を棄てた、というケースもある。

  よくあるのは、浮気亭主が妻と子供に“隠し子”が居ることを告げると、家族が烈火の如く怒り狂う、というケースだ。なぜなら、もし二人の子供を持つ父親が、愛人の子供を認知すれば、遺産相続の時、正妻の子供が受け取る財産は減ってしまうからだ。正妻の子供からすれば、突然「異母兄弟が居る」と告白されても納得できないし、正妻の方だって、見ず知らずの女が産んだ子供に相続権があると言われれば、「冗談じゃない! 絶対に認めないから!」と言い放つだろう。女房の両親はもちろんのこと、浮気亭主の両親だって、“妾の子供”が相続人となったら激昂するはずだ。資産家だと血の雨が降る。

  とにかく、水商売の酌婦が付き合う日本人とくれば、大抵は店の常連客とか、妻子持ちのスケベ親父といったケースが多い。優秀で前途有望な若者が、初婚でフィリピン人という事例は先ず無いだろう。一概には言えないが、たとえ二人が目出度く結婚となっても、生まれてくる子供は最初からハンディーキャップを背負ってしまうか、躾の悪い子供に成長する可能性が高い。筆者も郵便局とか雑貨店で、60歳くらいのオッさんが、30歳くらいのフィリピン人女性を連れているのを目撃したことがある。日本人女性に見向きもされない中高年男性が、国籍目当ての若いフィリピン人と付き合うことはよくある。

  本人のせいじゃないけど、アジア系の子供は悲しい現実を味わうことになる。例えば、こうした日比混血児が成長し、母親の実家を訪ねれば、「何だ、このスラム街は!?」と驚く。自然な反応だから仕方ないけど、日本で育った混血児は、母国への嫌悪感と絶望感が入り交じった感情を持つ。彼らが親の祖国を「自分のルーツ」と考え、堂々と誇りにするとは思えない。日本人は「便利だから」「安いから」といってフィリピン人の酌婦や低賃金の介護師を雇っているが、こうした南洋人を受け容れるということは、日本社会のレベルをフィリピン並みに押し下げることになる。たとえ、在日フィリピン人が100万人に増えても、日本人の“質”が向上することはない。むしろ、中途半端なフィリピン系が増えてしまい、朝鮮やベトナム、タイ、ビルマのような「アジア国家」へと転落するのがオチだ。つまり、東京や大阪がマニラやバンコックのようになる、ということだ。

デラ・クルース容疑者 8832(左 / デラ・クルース・ブライアン・ジェファーソン・リシン)
  話を戻す。警察が現場に残された血痕のDNAを調べたところ、デラ・クルースのDNAと一致したことから、このフィリピン人は事件の容疑者として逮捕された。警察からの情報によれば、クルースは報酬目的で殺人を手伝ったようだ。ただ、彼は犯行時に右腕を骨折したので、包帯姿の映像が残っている。(木原真希、岩崎歩、菅健吾「東京・足立の夫婦遺棄 逮捕の男性「報酬もらう約束で手伝った」毎日新聞2024年1月24日) フィリピンの「ガバナトゥアン」に住むクルースの母親は、息子の犯行に驚き、「そんなことをするとは信じられない」と語っていた。しかし、クルースは惨殺行為の後、茨城県のコンビニエンス・ストアーに立ち寄り、缶ビール3本を買っていたというから、まともな神経の持ち主じゃない。(「犯行の数時間後にコンビニへ“防犯カメラ”に夫婦遺体遺棄事件で逮捕のフィリピン国籍の男の姿が」FNN News、2024年1月26日)

  “重労働”後の一服なんだろうが、殺人の帰り道で“いつも”の如く、店でビールを買うなんて、普通の人間では考えられない。この殺人鬼は2018年に「技能実習生」として来日したそうだ。彼は2021年12月に一旦帰国するが、2023年7月に再び来日する。仲間の話によると、クルースは勉強熱心な若者で、日本語の上達も早かったらしい。しかも、故郷の母親に仕送りをしていたというから、家族に対しては優しい男なんだろう。だが、知り合いの女に頼まれたからといって、無辜の夫婦を惨殺するなんて、本当に酷い。

  捜査関係者によると、夫婦の遺体には複数の刺し傷があり、二人とも死因は心臓の損傷によるものだった。たぶん、クルースは何度も被害者の体を刃物で刺し、トドメの一撃で心臓を刺したのだろう。ついでに言えば、モラレスとクルースは、橋夫婦のスマートフォンと財布を奪っていた。まさか、盗んだ金でビールを買っていた訳じゃないだろうが、もし“手助け”の“チップ”にしていたら、相当な悪人である。

  橋夫妻の殺害は計画的なものと考えられるので、おそらくモラレスとクルースには死刑判決が下ると思うが、案外、軽い刑罰でおしまいになるかも。なぜなら、日本では人命が軽く扱われ、死人よりも“生きている犯罪者”の方が大切にされるからだ。左翼判事は“人権”とやらを尊重するから、極刑は“残酷”と言い出しかねない。昔は、「一人殺したくらいじゃ死刑にならない!」が常識だったから。(日本の死刑制度に興味がある人は、文春新書の『死刑賛成弁護士』を読んでね。もし、一般人が大澤寿道「殺された被害者の命は殺人犯の命よりも軽い?」を読んだから、「まさか! そんなぁ〜」と驚き、信じられない顔で唖然とするかもよ。)

  一般国民は昔ながらの生活を“普通”と思っている。商店街のオッちゃん、オバちゃん達は、平穏な人生を望んでいるから、たとえ街で外国人が増えても、政治家に文句を垂れたり、国粋派の抗議活動に加わることはない。しかし、経済界にとって“便利な労働力”であっても、移民労働者(実習生とか研修生、高度技術人材)は平民にとったら“迷惑な外人”だ。東北大学で准教授をやっている吉永希久子(よしなが・きくこ)なんかは、机上の空論で移民問題を扱っている。彼女のようなボンクラ教師は、移民の増加と犯罪率の上昇に疑問を呈しているが、常識的に考えれば、アジア人やアフリカ人が増えると街の雰囲気は暗くなるし、徐々に“住みたくない地域”となるはずだ。(吉永希久子『移民と日本社会』中公新書、2020年、第3章を参照。)

  移民が流入した地域は、1、2年じゃなくても、2、3世代が経つとスラム街へと変貌する。吉永氏の授業を受ける学生は理解できないだろうが、卒業して不動産屋にでも就職すれば、住宅環境の重要性に気づくだろう。フィリピン人やタイ人、マレー人、支那人、朝鮮人などが混在する「多民族地域」は、誰も買いたくない「忌避地帯」となり、更地が売りに出されても、日本人が自宅や商店を建てることはない。もし、「多民族混交地域」の実例を知りたければ、埼玉県の西川口や蕨市、大阪の西成区、京都のウトロ地区(宇治市伊勢田町)に行ってみればいい。海外旅行が好きな人は、NY州のフラッシングとかNJ州のカムデン、MD州のボルテチモアを一人で歩いてみれば、“人種的多様性”に富んだ地域が、どんな風景になるのかが判るだろう。たぶん、早く日本に帰りたくなるはずだ。

  政財界の有力者は、「技能実習生」を「移民」じゃないと言い張るが、実質的には「低賃金労働者」であり、こうした外国人が増えれば、日本の治安も悪くなる。例えば、支那人調理師の孟慶竜(43歳)は1月19日、ナイフを持って茨城県五霞町の住宅に押し入り、住人の男性(68歳)をハンマーのようなもので殴ったうえ、現金およそ1万円を奪って逃走したという。(「住宅で住民にけがさせ現金奪ったか 中国籍容疑者逮捕」NHK News、2024年01月24日)被害者の男性は全治1カ月の重傷を負ってしまったが、もし運が悪ければ、そのまま“あの世行き”となったかも知れない。

  茨城県でも外国人による犯罪は著しく増えているようで、AANやFNNなどの報道によると、県警は太陽光発の電施設を狙った窃盗や違法薬物の売買に神経を尖らせているようだ。しかし、もっと恐ろしいのは、子供を利用した残留作戦だ。不逞外人の中には、結婚や同棲といった形態にかかわらず、日本人と肉体関係を結び、子供を作ってしまう奴がいる。歐米諸国から来た“まとも”な外国人なら、結婚や国籍を考えずに赤ん坊を作ってしまうということは“ほぼ無い”が、アジア人やアフリカ人だと性欲の赴くままに行動し、新生児が出来てから考える者が少なくない。自民党の左翼議員や公明党に弱い法務省は、一応、「不法入国はよくありません!」と表明するが、日本で生まれ育った子供を“切り札”にされると、このトランプ・カード(奥の手)に対抗できなくなる。

  本来なら、観光ビザで入国した出稼人や不法滞在は、即刻、強制退去になるべきだ。もし、日本人と子供を作っていれば、日本人配偶者が日本国籍を捨てて、支那国籍とかフィリピン国籍を取得し、親子揃って支那やフィリピンに移住すればいいだけ。日本人の夫や妻が配偶者の祖国に住めば、「親子の引き離し」はない。計画犯罪を実行した不良外人は、よく「家族をバラバラにすることは残酷だ!」とか、「子供を残して帰国はできない!」と駄々を捏ねるが、それなら子供と一緒に祖国へ帰ればいいじゃないか!

  しかし、図々しい外国人は日本人の弱点を知っているから、「子供は日本語しか喋れない。子供の将来の為にも親子揃っての日本滞在を許してくれ!」と頼む。NHKやTBSのみならず、朝日新聞、東京新聞、毎日新聞、共同通信などにも、アジア人を増やして日本を「多民族社会」にしたいと目論む連中が大量にいるから、涙を流して懇願する不法外国人を熱心に擁護する。テレビ朝日なんかは、わざわざTVドラマを作って移民反対の国民を貶めていた。同局は2011年4月に『ハガネの女』(Season2)を放送し、第1話で不法滞在の少女をテーマにしていた。もちろん、可哀想な少女をいじめる日本人を非難するためだ。NHKも負けてはおらず、2023年6月には『やさしい猫』というドラマを放送し、日本に住み続けたいスリランカ人を描いていた。如何にも反日的なNHKらしく、ドラマの中では入管施設に強制収容されるという“仕打ち”や健康保険に加入させないという日本の“非人道性”、労働を許可しない役所の“頑固さ”など、日本社会を批判する設定が“てんこ盛り”だ。

  つくづく思うけど、日本人は本当に「馬鹿」が附くほどの“お人好し”だ。不法行為を実行した親は、「ウチの子は日本語しか喋れない!」と嘆いていないで、さっさと祖国の言葉を子供に教えてやればいいじゃないか。おそらく、日本語が不得意な在日フィリピン人やタイ人、ビルマ人などの親は、家庭内では母国語を話しているはずだ。しかし、こうした親は子供の勉強については“管轄外”なので、ほとんど考えない。そもそも、自分自身が勉強した経験も無いし、たとえあっても、祖国の言葉は無価値と判っている。また、彼らは子供を連れて帰国する気は毛頭無いから、日本の学校に通わせて“既成事実”を作ってしまえばいいと考える。でも、これはおかしい。日本の学校では「外国語」である「英語」を教えている。不法滞在者の子供は、英語の代わりにタイ語とかマレー語、タガログ語を勉強すればいい。英語だけが“外国語”じゃないぞ。

  常識を備えた日本人なら、こうした反論を直ぐ理解できるのに、「人権」や「人道」に弱い役人は、政治家の圧力やマスコミによる非難を避けるべく、不良外人に定住を認めてしまうケースが多い。日本人とのセックスで罪がチャラになるなんて、常識的な日本人には全く承服できないが、左翼教育で洗脳された官僚や議員は、「人道的配慮」と耳にするや、たちまち腰砕けとなる。一方、「子供の保護者」を主張する不良外人は、役所からの在留特別許可を得て、堂々と日本に住むことが出来る。日本人だと、スピード違反や駐車違反は「帳消し」とはならないのに、外人の不法残留は「お咎め無し」となるんだから、「日本は誰の国なんだ!」と言いたくなるほど腹が立つ。日本人が脳天気だから仕方ないが、演技が上手で狡賢い外国人は、恋愛に飢えた日本人をカモにするということだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951527.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/170.html#c11

[近代史4] ミャンマー政変の背景 中川隆
11. 中川隆[-11702] koaQ7Jey 2024年2月02日 16:39:13 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[11]
【Front Japan 桜】ミャンマーで本当は何が起きているのか? [桜R6/2/2]
https://www.youtube.com/watch?v=QuCHTO6ooQE
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1551.html#c11
[番外地6] アウンサンスーチーの正体 中川隆
21. 中川隆[-11701] koaQ7Jey 2024年2月02日 16:39:29 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[12]
【Front Japan 桜】ミャンマーで本当は何が起きているのか? [桜R6/2/2]
https://www.youtube.com/watch?v=QuCHTO6ooQE
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/753.html#c21
[近代史4] ペトロダラーシステム 中川隆
27. 中川隆[-11700] koaQ7Jey 2024年2月02日 17:04:03 : bm8TTGJh0s : b3BsT1RPYTdKZTI=[13]
なぜドル基軸体制が始まったのか〜 金本位制の始まり〜|茂木誠
2024/01/06
https://www.youtube.com/watch?v=DXCiq92Vs5k

なぜドル基軸体制が始まったのか〜世界銀行とIMF〜|茂木誠
2024/01/12
https://www.youtube.com/watch?v=rrwIDB3vY58&t=0s

ドル基軸体制の動揺(前半)/プラザ合意とペトロダラー|茂木誠
2024/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=-xioydnJ-ZI
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/822.html#c27

   

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