人口100人の青い目の人達の村_trickle-down village があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
trickle-down village では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。
その村の隣に、ジパングという人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で trickle-down village より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
__________
『社会政策面におけるケインズ主義vs新自由主義(産経新聞を応援する会)
経済政策の争点は、一般的には、どちらが経済成長を達成するか、または不況から脱することができるかの競合であるわけですが、経済政策のもう一つの争点として、格差または貧困という社会問題の解決策も求められています。むしろ、国民にとって、「再分配」は経済成長に優先するものです。経済政策は同時に社会政策面における責任も担っているのです。念の為に申し上げておきますが、「再分配」とは低所得者層の生活を向上させる社会政策であり、低所得者に対する減税、社会保障、公共投資のことです。この「再分配」の内、特に公共投資については、貧困層や失業者を救済する社会政策であるということが国民に認識されていないということが今日の課題であると思います。国民世論がこの大不況の中で公共投資を非難するというのが、私には良く解らないのですが、やはり、これは認識が足りないという他ないのではないかと思います。
「再分配」の中でも公共投資は最も社会政策としての即効性があります。公共投資では、債務を抱え、いつ潰れるか分からないボロボロの建設業者もまた仕事にありつけ、ニートの労働者を雇い入れます。公共投資が繰り返されることで、潰れかかった建設業者はいつか経営も安定し、事務員、正社員を雇用し、一人前の建設会社に生まれ変わっていくのです。そして、安定的な給与をもらえるようになった労働者は、嫁をもらい、家を建て、テレビを買い、自動車を買うのです。加えて、高い乗数効果が生まれます。
「再分配」は、国家の責任として永久に継続しなければならないものです。そのために国家があるのですから当然です。したがって、「再分配」のシステムには持続可能性が求められます。「再分配」の乗数効果が高く、経済成長をもたらし、税収の増収によって、「再分配」経営を黒字にすることが必要であるわけです。新自由主義者は「再分配」を積極的に行うと政府財政を黒字にできない論理を構築するために、マクロ計量モデルで財務省モデルなどのインチキ品を作り出し、公共投資の乗数効果を非常に低く試算し、公共投資という「再分配」の乗数効果を否定しているわけです。しかし、三橋先生の御努力が中心ですが、公共投資の乗数効果は非常に高いという理解が広まっているように思えます。特に、インフラのメンテナンスだけだと、用地買収費がありませんから、まるまる公的固定資本形成つまり構造物にお金をかけることが出来るので、乗数効果は3.3を超えると思われます。
一方で、再分配というと、子ども手当や生活保護などを連想する方もおられるかと思いますが、むしろ、子供を生んで育てられる家庭は、今の日本では恵まれているほうであり、従って、消費性向も中ぐらいであり、テレビのインタビューなどを見ると貯蓄に回す比率が高いようですから、これらの乗数効果は比較的低く、GDP拡大効果も低いと思われます。だいたい1.3〜1.6くらいではないかと思います。生活保護は乗数効果は高いと思われますが、いろいろな条件がついていますから、生活設計には向きません。(もちろん生活保護で継続的に生活設計してはいけません)。
これらの政府支出も、いつかは均衡財政を視野に入れなければならないため、税収で賄うことが原則になるわけです。「再分配」で重要なことは、どの税目を増税するかによって税目別に租税乗数をマイナスして考えなければならないということです。租税乗数を考える場合、マクロで-b/(1-b)と考えられていますが、分子のbは国民の平均の限界消費性向であって大体0.7と考えられます。これは増税される層の消費性向ではないので、実施にあたっては、増税される税目によって最も影響を受ける層の消費性向を初項つまり分子とすべきではないかと思います。消費税増税を財源とすると、初項は0.8くらいになるのではないでしょうか。子ども手当が経済成長政策として間違いなのは、子ども手当の財源を初項が大きな扶養控除の廃止などによる増税で賄うために、子ども手当の乗数効果以上のマイナスの租税乗数を発生させてしまうためと思われます。子ども手当などの再分配が低い乗数効果しか期待できないことに対して、公共投資は無職の、最底辺の、したがって最高レベルの限界消費性向家庭の雇用を創り出しますから、最高の乗数効果を期待できるのです。
バブル崩壊以来、経団連・財務省・マスコミの黒三角同盟によって、「再分配」による成長モデルが否定されて来ました。さらに、政府債務の拡大が批判され、財政均衡主義が幅をきかせて、ありとあらゆる政府支出が否定されるようになりました。そして、新自由主義が導入され、「再分配」が批判され縮小された結果、格差と貧困が拡大し、経済成長も止まったのです。
ケインズ主義と新自由主義の分かれ目は、この「成長」と「再分配」の因果関係の分析にあります。ケインズ主義の場合は、「再分配」によって、お金が低消費性向家庭から高消費性向家庭へ移動することにより、プラスの乗数効果が発生することで経済成長が達成されるとしています。新自由主義では、富裕層を中心とする経済成長(意味が解りませんが)によって、自然にトリクルダウンが起こり、再分配が達成されるとしています。実際は、新自由主義政策では「トリクルダウン」は自然に起こることはなく、格差が拡大しただけでした。しかし、驚いたことに、いまだに、一部の新自由主義者と思しきいわゆる有識者は、規制緩和や国際競争力の強化によって雇用を創り出すことができると言っていて、(自然に起こる)「トリクルダウン」理論を捨てていません。新自由主義の理論では、「再分配」は「成長」の結果として位置づけられています。一方、ケインズ理論は、「再分配」が「成長」に先行しています。
失われた20年の間、私たちは「トリクルダウン」というものは強制しなければ起こりえないという体験学習をして来たのではないでしょうか。「強制的なトリクルダウン」とは、所得累進課税と、政府による低所得者に対する減税、社会保障、公共投資つまり「再分配」政策のことです。新自由主義が「成長」すれば(自然な)トリクルダウンという「再分配」が発生すると言っているのに対して、ケインズ理論は「再分配」しなければ、「成長」も無いと言っているのです。この理論は、新世紀のプロレタリアートである99%にとって朗報です。ケインズ理論に用いれば、貧困層や失業者は堂々と「再分配」を要求できるのです。なぜ、ケインズ理論が広く知れ渡らないのか全く理解出来ません。
マルクスは、企業の利益がすべて労働の余剰労働の「搾取」がら生まれるとしました。しかし、今日の理解では、企業の利益は「搾取」だけによって成り立つものではありません。また、マルクス理論では、「搾取」の構造が続くことで資本主義に矛盾が生まれるとし、利益が投資や消費によって新しい産業に向かうことや、社会主義的政策によって再分配が行われることを前提としていませんでした。現在のような複雑な経済では「搾取」という言葉はあまり使わないほうが懸命に思えます。しかし、「搾取」は現代の社会でも確実に起こっていることです。「搾取」は資本主義のみならず人間社会の本質であることに変化はありません。問題の立て方は「搾取」を取り除ぞこうとするのではなく、「搾取」による矛盾をどのように解消して行くかということでなければなりません。
様々に生まれる利益を総合したお金の流れを見ると、「搾取」といった観点ではなく、「ポンプアップ」(吸い上げ)が絶え間なく起こっているとイメージするほうがしっくりすると思います。「トリクルダウン」の対立概念です。経済活動には必ず「ポンプアップ」が起こります。通常、お金というものは、金持ちや大企業のほうが有利な投資活動ができることなどにより、貧乏人から金持ちへ、中小零細企業から大企業へ、上へ上へと「ポンプアップ」で吸い上げられるようになっていることを指します。意図してそうなるというのではなく、「搾取」と同様に、あらゆる経済活動の必然としてそうなってしまうのです。インフレの経済では、物価上昇によりお金の集中が緩和されますが、デフレの経済では、消費や投資をしないで現金預金で保有するほうが有利となりますので、内部留保金という形ではっきりと見えるようになります。
「ポンプアップ」の結末としては必ず格差と貧困が発生し、そして、国民の貧困化によって経済は収縮の方向に向かいます。「ポンプアップ」という「再分配」と逆の現象は経済に悪い影響を与えるわけです。「ポンプアップ」を放置する国家経営は赤字となり、国家経営を持続できないのです。
お金は物流の分配券ですから、お金の偏在は物流の格差をもたらします。社会問題としても、お金を十分持っていなければ生きていくことすら出来なくなります。解決策の一つとして、政府が「借りて使う」政策、つまり「再分配」政策によって(ヘリマネでも全然構わないのですが)、高消費性向を示す中小零細企業や低所得者層にお金を分配すると、物流の分配の比率が上がりますから、なんとか生きていけるようになるわけです。もちろん、政府が借りるお金の源泉は物価ですから、物価の上昇という以外誰にも迷惑をかけずに「再分配」を行うことが出来るわけです。しかし、お金の集中を目指す新自由主義者は財政政策による「再分配」を嫌がります。新自由主義者は、金融緩和は「再分配」ではありませんから金融緩和に好意的ですが、庶民減税や公共投資などの積極財政は「再分配」ですから積極財政を嫌がるわけです。この「ポンプアップ」による富の集中に対抗する「再分配」をどうするかで様々に思想対立が起こるのです。
資本による「ポンプアップ」は資本主義の発生と同時に始まりました。経済活動における競争とはお金をかき集めるということに他なりませんから、「ポンプアップ」は資本主義の必然です。しかし、これをほっておけば、格差は固定され、資本家と労働者の階級対立が生まれ、社会には負け組の死屍累々たる光景が広がることになります。初期の弱肉強食の資本主義下では、この状態が放置され、貧困や格差が顕著となり、やがて、マルクスによって、ブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立として認識されました。この「ポンプアップ」の解決策の一つが社会主義計画経済(レーニン主義)だったのですが、社会主義計画経済では、資本主義そのものを破壊し生産手段を国営とするため、いくら労働者の給与を上げ貨幣を再分配しても、すでに、国民の需要の増大に反応して生産が増大するという資本主義システムが消滅しているために、必然的に失敗しました。
ケインズは、資本主義を保存する立場で、国家によるところの、「再分配」を調整するタイプのコントロールを提唱しました。国家の強制による国民への「再分配」という現象面は社会主義に似ているのですが、社会主義のほうは、資本主義を否定するマルクス経済学を基本ととしているので、経済政策としては失敗してしまうわけです。
資本主義を大事にしながらも、「供給量は需要量(消費と投資)によって制約される」つまり、「はじめに需要側の増大→それをうけて供給側の成長」というケインズの理論は、資本主義経済の主役を、資本家から労働者へ転換する画期的なものでした。なぜなら、需要側の増大とは、高消費性向家庭である中小零細企業と労働者への「再分配」に他ならないからです。ケインズの理論によって、初めて、「再分配」と「成長」の利害が一致したのです。このことは、いくら賞賛しても、賞賛し足りないほど画期的なことであったと思います。
日本においては、高橋是清が、ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」の発表に先行して、1931年に日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額等で、世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させました。この成功体験は戦後の自民党保守本流に引き継がれ、1960年池田勇人内閣の所得倍増計画、1972年の田中角栄内閣で飛躍的な経済成長を遂げ、1982年中曽根康弘内閣に至るまでの自民党は、デマンドサイド(需要側=中小零細企業・低所得者層)に対する再分配政策を行うことにより、継続的に経済成長を実現しました。日本経済がおかしくなったのは、1985年のプラザ合意からにすぎません。
それまでの日本では、1954年から経済が飛躍的に成長を遂げ、バブル直前の1980年代後半においては、国民の8割が自分を中産階級だと思ったほど、所得再分配も経済成長もうまくいっていたのです。国民は労働および労働者を尊敬し、資本家の所得は高累進課税で制限されていました。その結果、日本は世界で最も成功した社会主義と言われるほど、資本家と労働者双方の所得に一定のバランスが保たれていました。今日においても、社会保障制度は先進諸国の中でもトップクラスのものですが、これは、自民党保守本流派の貢献によるところが大きいのです。いわゆる古い自民党の政策部分に、経済成長と社会政策を両立させる解があるわけです。
しかし、この保守本流的政策がケインズ主義政策であることが「明確に意識」されたことはなく、伝統的手法による成功体験のみが重視されていたため、新自由主義者たちによって、1985年プラザ合意→1989年バブル→1990年バブル崩壊が、「古い成長モデル」の終焉によるものと批判されても、何ら反論出来なかったのです。
竹中平蔵が「労働者を豊かにする政策」に非常に冷淡な新古典派経済学を背景に、新自由主義政策を連発しても、残念なことに、保守本流派は経済学的な無知から何も言えず、言いなりになっただけでした。自民党保守本流派は、ケインズ主義経済学に然るべき位置づけも与えず、それどころかマクロ経済学すらろくに分かっていない議員が多いなど、党として理論武装は甘かったと言わざるを得ません。しかし、自民党保守本流派もしくは古い自民党が、社会保障をはじめとする社会政策や、公共投資などの経済政策において、積極的に役割を果たそうとしたこと、そして、その政策がケインズ主義政策であったことは間違いありませんでした。今回の選挙で安倍自民党は勝利するものと信じています。今後は党内において、新自由主義者との戦いになるものと思われます。そのときは、断固として、低所得者層への「再分配」を守る自民党のスタンスを確立して頂きたいと思います。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/
トリクルダウン理論
トリクルダウン理論(トリクルダウンりろん、trickle-down theory)とは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」とする政治思想である。現状では、マクロレベルでのパイの拡大が、貧困層の経済状況を改善につながることを裏付ける有力な研究は存在しない。一方、この事への反論から理論的否定がなされ「トリクルダウン仮説」とも呼ばれる。
「トリクルダウン(trickle down)」という表現は「徐々に流れ落ちる」という意味で、大企業や富裕層の支援政策を行うことが経済活動を活性化させることになり、富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、国民全体の利益となる」とする仮説である。主に小さな政府政策の推進、新自由主義政策などの中で主張される。また「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」と主張することから、「おこぼれ経済」とも揶揄される。
所得税や法人税の最高税率引き下げなど、主に大企業や富裕層が己の既得権益の擁護・増大を求める理論武装として持ち出されている。
トリクルダウン理論の発想の原点は、バーナード・デ・マンデヴィルの主著『蜂の寓話:私悪すなわち公益』 (1714)に求めることができる。この本の副題「私悪は公益」(Private Vices, Publick Benefits)は、資本主義社会の本質を端的に示す言葉として有名である。私悪とは利己心のことである。「利己心にもとづく各個人の行動が、結果的に(個人が意図したわけではないのに)全体の利益(公益)をもたらす」という考え方である。この考え方は、レッセフェール(自由放任主義)につながるものである。
トリクルダウン理論は、新自由主義の代表的な主張の一つであり、この学説を忠実に実行した時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンの経済政策、いわゆるレーガノミクス(Reaganomics)について、その批判者と支持者がともに用いた言葉でもある。レーガノミクスは実行に移され、実際に景気や失業率は改善したが、財政赤字は爆発的に膨張しクリントン政権まで解消されなかった。また、この時期には景気が回復されたが、何が真の景気回復の要因となったかについては議論が続いている。多くの専門家の意見としては、当時連邦準備制度理事会議長(アメリカの中央銀行総裁)であったポール・ヴォルカー(en:Paul Volcker)が、スタグフレーションを解決するために既に正当な政策を始めており、回復要因はこの金融政策にあったと見ている。また、レーガンの経済顧問を務めたデービッド・ストックマン(en:David Stockman、当時行政予算管理局長)は、後に、トリクルダウン理論はレトリックだったと述べている。
トリクルダウン理論の考え方は、“全体の利益が増える方向の変化であれば、たとえその変化によって一部の人が損を被るとしても、そのような変化は望ましい”とする「ヒックスの楽観主義」のような考え方に拠っている。というのも、変化は一度限りではなく様々に何度も起きるので、ある変化によっては損を被るとしても、別の変化によって利益を得る可能性が高く、全体の利益が増える変化が続くのであれば、最終的にはほぼ全ての人にとって変化を拒絶した場合よりも良い状況を達成できている可能性が高いからである。
トリクルダウン理論に対しては、次のような批判がしばしばなされている。すなわち、トリクルダウン理論の考え方によれば、
「投資の活性化により、経済全体のパイが拡大すれば、低所得層に対する配分も改善する」
となるはずである。しかし、現実にはパイの拡大が見られても、それは配分の改善を伴わず、国民全体の利益としては実現されない。つまりは「富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、国民全体の利益となる」はずであったものが、一部の富裕層の所得の改善を持って「経済は回復した」ということにすりかえられているに過ぎない、というものである。
神野直彦によると、トリクルダウン理論が有効となるには「富はいずれ使用するために所有される」「富を使用することによって充足される欲求には限界がある」という二つの前提が成立しなければならないが、現代では富は権力を得る目的で所有されているので理論は有効ではない、とされている[1]。
トリクルダウン理論は、発展途上国のように一般市民の所得が圧倒的に少なく一般市民の消費が国内経済に大して貢献しない場合、もしくは人口が少なくて国内市場規模が小さい小国家の場合は現在も有効である。ただ、先進国や人口が一定の規模を超える国々では一般市民の消費が国内経済に大きく貢献している為、トリクルダウン理論は必ずしも有効ではない。近代国家は経済構造が複雑化しており、「富は必ず上から下へ流れる」といった単純な概念は当てはまらないのである。トリクルダウン理論は、一般市民の消費が企業を支え、経済を回し、国家を成り立たせ、「富が下から上へ流れる」という状況を想定できなかった時代の理論ともいえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96
「構造改革! 構造改革!」
などと言っている連中は、そもそも「構造改革の意味」を理解しているのでしょうか。なぜ、アメリカでスティグリッツ教授らが盛んにグローバリズムや規制緩和、民営化(要は構造改革路線)を批判していると思っているのですか。
日本で構造改革という言葉を使っている人の九割以上は、「印象論」で語っています。
構造改革とは、要するに新古典派経済学の理論に沿い、各国の経済モデルにおける政府のルール(規制ともいいます)を撤廃していき、企業ができるだけ自由自在にビジネスを展開できるようにしようという発想です。
経済学者
「タクシーやトラック等の総量規制は撤廃、自由自在に新規参入ができるようにしよう。いやいっそ、トラックを持たなくても運送業を営めるようにしよう。長距離バスの規制も取っ払い、安全基準も無くしてしまおう。結果的に、高速バスで事故が起きるかも知れないが、そんなものは会社と顧客の自己責任。というか、そういう不良業者は事故を次々に起こして評判が下がり、そのうち市場から淘汰されるからそれでいいじゃん。
不動産業は「店舗が必要」という規制があるが、これも撤廃し、インターネットのみで不動産業が営めるようにしてしまおう。店舗での営業などという概念自体が、時代遅れなんだよ。インターネットのみで営業できれば、コストが下がるし、従業員もそれほど必要なくなるじゃないか。
従業員と言えば、労働者の最低賃金制度というルールもなくそう。あらゆる業種で派遣社員の雇用を認めよう。そうすれば、バブル崩壊後のデフレ期であっても失業率は下がるよ。うん、間違いない。
え? ギリシャやスペインは失業率が25%を超えているじゃないかって? あれはまさに「職種のミスマッチ」があるか、もしくは雇用の流動性が低いから、企業側が社員を増やせないんだよ。雇用の流動性を高め、失業者に職業訓練すれば話は解決だ。
雇用の流動性を高めると、単に企業がこれまで以上に従業員を解雇するだけじゃないかって? そんなことは無いよ。世界は「モノを生産すれば、必ず売れる」というセイの法則に支配されているのだ。バブル崩壊後の国であっても、雇用の流動性が高まれば、企業は必ず社員を増やすよ。そんなことは『経済学』の常識だよ、君。
あらゆる公共サービスを民営化しよう。そうすれば競争原理が働き、生産性が上がるよ。政府の機能も次々に「民間企業」「株式会社」にしていこう。そうすれば「株主」の目が光るから、政府の効率性は間違いなく上がるよ。え、「国民」はどうなるかって?
だ、か、ら、国民という有権者の言うがままに政治をやらせるから、効率が下がるんじゃないかっ! 何を言っているんだ? 君は?
有権者に選ばれた政治家に政治を任せると、有権者の意向に沿って「ムダな公共事業」をやる羽目になるだろう。そういう非効率を潰すためにも、政府は民間企業化し、株主に監視させるのが一番だ。
アメリカを見なさい。すでに軍隊機能の一部を「民営化」しているぞ。ゼー・サービシズ(旧ブラックウォーター)を知らないのかね。自衛隊や警察も民営化すると、間違いなく効率が上がるよ、うん。国民は効率化されたサービスを享受でき、民営化された自衛隊や警察の「株主」も配当金をもらえて、皆ハッピーではないか。
ついでに、国境などというくだらない規制は取っ払い、国境を越えてモノ、カネ、ヒトが自由自在に行き交うようにしよう。そうすれば、間違いなく効率的な経済になるよ。時代はグローバリズムだよ。
え? 労働規制を取っ払い、「ヒト(労働者)」の移動の自由を全面的に認めると、日本に大量の移民が入ってくるじゃないかって?
そうだよ。何か問題?
日本国民の雇用が失われるって? いやだなあ(笑)。確かに日本への労働者の移動も自由だけど、逆も真なりだよ。日本に雇用がないなら、君たちが外国に就職しに行けばいいじゃないか。
外国人の犯罪が増加するって? 本当に外国人犯罪が増え続けたら、その国は治安悪化で投資が減り、経済的な負け組になるから、それを防ぐために治安対策に努力せざるを得ないから大丈夫。何しろ、民営化された警察サービスの効率性は、市場競争の中で研ぎ澄まされている。もし、日本の民間警察会社の能力が低いならば、ほれ、アメリカ系の民間警察会社がやってきて、サービスを代わりに受注するだけの話だよ。何のために、ヒト、モノ、カネ、の三つの移動を自由化したと思っているんだ。
いっそ、政府の公共サービスは全て民営化、株式会社化してしまえばいい。間違いなく効率が最高になる。元々、自国に存在した『民間公共サービス会社』の効率が低いなら、外国からやってきた公共サービス会社に業務を委ねれば済む話だ。特に、教育分野の株式会社化と、外国企業への開放は必須だよ。そうしなければ、日本人はグローバル市場で勝てないよ。
あ、そうだ。日本政府の公共サービスを株式会社化する際に、株式の外資規制とかしちゃだめだよ。外国人が株主の過半を占めれば、監視の目が光って、却って効率が高まるよ」
三橋「・・・・・・・・・・・・・・・・それって、『占領』って言わないですか?」
上記の通り、新古典派経済学あるいは構造改革の理論を突き詰めていくと、本当にグロテスクな世界が誕生することになります。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/
現在の日本においては、新古典派経済学者たちが続々と「みんなの維新の会」側に集結しつつあり、「竹中氏が書いたんじゃないの?」という疑問を持っていたら、どうやら本当にそうだったらしい維新八策がオープンになりました。
民営化、規制緩和、自由貿易、地方主権的道州制、TPP、グローバリズム。
中央政府のあらゆる規制を排除し、政府機能を極小化せよ。
グローバリズムに基づき、モノの関税をゼロにし、サービスの輸出入を妨げる各国の社会制度、文化、伝統は「非関税障壁」として排除せよ。
当然、牛肉や遺伝子組み換え作物の輸出入を妨げている規制は撤廃し、「遺伝子組み換え作物」だからと言って、ビジネスに支障が出ないようにせよ(パッケージの表示を禁止せよ)。
国境を越えて、モノ、カネ、ヒトが自由自在に動き回るようにせよ。
公的サービスを民間に開放し、株式会社化せよ。教育も株式会社化し、「株主利益」のための教育を可能にせよ。電力も自由化せよ。
社会保障は大きな政府の典型なので、負の所得税法式のベーシック・インカムにせよ。
混合診療を認め、いずれは全てを自由診療にせよ。
公的保険サービスは「ムダ」の極致なので縮小し、代わりに民間の医療保険サービスが自由にビジネスができるようにせよ。
法人税と富裕層の所得税を減税せよ。結果的に預金が増え、金利が下がり、企業の投資が増えることで国民全体が潤う「はず」だ(トリクルダウン理論)。
公共事業や国債発行は可能な限り減らせ。国債発行をすると金利が上がり、民間が金を借りられなくなり、投資が減る(クラウディングアウト)。しかも、国債発行による金利上昇は通貨高をもたらし、輸出が減るので財政出動分の需要はキャンセルされる。どうしても公共事業をやりたいならば、民間の投資会社主体でやらせ、政府は「利用料」を支払う形にせよ。
失業者は自発的失業者か、職種のミスマッチがあるだけだ。自由貿易や規制緩和で失業者が出ても、彼らは「瞬時に」別の職に就けるから問題ない。つけないとしたら、失業者の能力が足りないというわけで、まさに自己責任だ。
上記を全て実現すれば、グローバルに株主利益を最大化できるじゃないか。
何か問題あるか?
ものすご〜くグロテスクに書くと、新古典派の政策は上記のイメージになります。現実には、
「デフレで物価が下落して困っているときに、規制緩和や自由貿易で競争を激化させ、さらに物価を押し下げてどうするの?」
「スペインやギリシャの失業率は25%超えているけど、これもやっぱり自発的失業か、職種のミスマッチとやらなの?」
「法人税引き下げても、企業は銀行預金を増やすだけじゃないの? 法人税引き下げていない状況でも、日本では企業の銀行預金がひたすら増えているけど?」
「日本は95年以降、政府の負債(国債など)が二倍以上になっているけど、金利は三分の一未満に落ち込んだよ。クラウディングアウトはどこにいったの?」
「デフレだと国債発行や財政出動と関係なく円高になり、どっちにしても輸出減らない?」
「政策金利がゼロで、長期金利が0.8%未満でも企業は投資しないよ。富裕層に減税して、法人税引き下げて、なぜ投資が増えると断言できるの? それ以前に、日本はすでにして銀行が過剰貯蓄状態だよ。だから金利が低いわけだけど、投資増えていないじゃん」
「エネルギーとか教育とか、国家の根幹にかかわる部分を『株式会社』化して、本当にいいの? 政府って曲がりなりにも『主権者』である国民の投票により成立しているけど、株式会社化すると国民主権が歪められない?」
などなど、「絶対それ、違うだろ〜っ!!!」 と言いたくなる政策のオンパレードです。無論、インフレ期にはクラウディングアウトやトリクルダウンも成立する「かも」知れませんが、デフレ期にはどちらにせよ不成立です。
すなわち、新古典派経済学者や新自由主義者たちは、現実の日本を見ていません。彼らが見ているのは、机上の「経済の教科書」だけなのです。
机上の教科書に沿った「間違った政策」が行われているのは、別に日本に限らず、世界の主要国の多くがこの罠にはまっています。結果、フランスでは明確な対立軸で選挙が行われ、日本もこのままいけば、どうやら「新古典派」対「実践主義」の戦いになりそうです。現在の与党は、両者の間で埋没して消滅してしまうでしょう(というか、そうしなければなりません)
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http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/2844.html