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2017年4月14日09時43分 〜
記事 [戦争b20] アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材
シリアの首都ダマスカスでAFPのインタビューに応じるバッシャール・アサド大統領。同国大統領府提供(2017年4月12日撮影)。(c)AFP/Syrian Presidency Press Office


【4月14日 AFP】シリアのバッシャール・アサド(Bashar al-Assad)大統領は12日、首都ダマスカス(Damascus)でAFPの独占インタビューに応じ、同政権が化学兵器攻撃を実施したとの嫌疑は米国の軍事攻撃を正当化するための「でっちあげ」だと述べた。

 アサド氏がインタビューに応じたのは、今月4日に同国で化学兵器が使用されたとの疑惑が浮上して以降初めて。同氏は、政府軍が保有していた化学兵器はすべて引き渡し済みだと主張した他、化学兵器使用の対抗措置として米軍が行った攻撃を受けた後もシリアの軍事力は影響を受けていないと述べた。

 アサド氏は化学兵器使用疑惑について「確実に、100%でっちあげだ」と断言。「欧米、特に米国が、テロリストと結託しているという印象だ。攻撃の口実を作るため、彼らが全部でっちあげた」と述べた。

 シリアの反体制派が掌握している町ハンシャイフン(Khan Sheikhun)で起きた問題の攻撃では、多くの子どもを含む少なくとも87人が死亡した。もがき苦しむ被害者らを捉えた映像は、世界各国で怒りの声を生んだ。

 ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領を含む欧米諸国の首脳らは、化学兵器攻撃を実施したのはアサド政権だと主張している。一方のシリア側はこれを否定。ロシア政府は、多くの死者が出た原因は、「有毒物質」を保管していた反体制派の兵器庫に対する通常兵器を使った攻撃にあったとの見解を示している。

 アサド氏はインタビューで、ハンシャイフンで攻撃が実際に起きたかどうかは「はっきりしない」と強調。「偽物の映像が多く出回っている。あの子どもたちがハンシャイフンで死亡したのかどうかは分からない。そもそも、本当に死んでいたのだろうか?」と述べた。(c)AFP


http://www.afpbb.com/articles/-/3125069
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/146.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 天皇陛下が世界支配層に送られた親書が効き目を発揮、安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相の国際的信用は、ガタ落ちだ(板垣) 笑坊
1. 2017年4月14日 09:45:33 : BjfZUJrsRg : IV7GufuyGd8[2]
いや、もともと海外で信用無いだろ?

天皇は海外でも慕われているが、偽ユダヤの手先の自民政治家なんぞ、海外では侮蔑対象でしかない。判りきってること。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/169.html#c1

コメント [経世済民121] ローンでの不動産購入&投資は極めて危険…嘘だらけのメリット&儲け額試算(Business Journal) 赤かぶ
2. 2017年4月14日 09:48:23 : mINW8bMxUQ : 4BobKM9F48E[294]

 商売としては 成り立たないけども 「相続」としては 成り立つ部分がある

 10億円の現金を持っていると 子供は 5億円の相続税がかかるので 5億円の相続になる

 ===

 10億で 1億円の賃料のマンション1棟を 20億で買えば 10億円の借金となって

 子供に相続するときは 相続税 相続税0円で 遺産相続できる計算になる

 おまけに 年間 1億円の賃料がはいるので 悪くない

 ===

 ま〜〜 君たち ウヨは 5億以上金を持っていないだろうから 関係はないけどね〜〜
  
http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/105.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK224] 野党共闘でなく政策共闘こそ勝利のキーワードー(植草一秀氏) 赤かぶ
5. 2017年4月14日 09:49:03 : BjfZUJrsRg : IV7GufuyGd8[3]
製作共闘邪魔するのは、自公スパイと連合だからね、云ってる事は正しい。

ただ、ムサシと、それを助長するマスゴミという存在を完全に封じる必要もあるがね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/166.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK222] 慌てふためく「墓穴を掘った」安倍晋三!  赤かぶ
60. 石爺[182] kM6W6g 2017年4月14日 09:51:26 : RU3sAuaixg : vuRW108KvSM[128]
25氏>

ごめんなさいね、皮肉の意味で言ったのが
真面目に取られてしまったのですね。
失礼しました。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/839.html#c60

コメント [政治・選挙・NHK224] 山本太郎参院議員の質問主意書は“ど直球”でスカッとする 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 2017年4月14日 09:52:32 : oxuDHDyii2 : wwqJIbo@U8w[36]
 
きちんと筋を通す質問で、素晴らしいと思います 太郎さん、頑張って下さい
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/152.html#c4
記事 [カルト17] プー・全てのテロはCIA、ベン・北の仕業にして開戦の口実にする東京テロ詐欺は阻止された、時事・米中親密。である
板垣・ひょっとこが小沢に無心を断られた、でんでんとひょっとこはプーチンと習とトランプにガン無視されている。
どうやら、トランプは娘婿に屈して戦争屋になった訳ではなく、戦争屋に対するガス抜きにシリア攻撃のポーズを取ったようで、パンツを騙すには先ずブラジャーからのスケベの兵法を用いたようである。
ガチで戦争屋になっていたとしたら、今ごろは東京にテポドンが突き刺さり、朝鮮戦争詐欺も始まっていて、アッキード事件のモミケシもしてあげている筈で、中米のラブラブも無かった筈である。
もう二度とロシアンパブには行きませんと風俗卒業宣言をしたように見せ掛けて、チャイナパブに乗り換えて、こっちは風俗じゃなくて語学教室だと言い張るようなもので、中露は風俗同盟を結んでいるから、どちらの店を贔屓にしても、一粒で二度美味しいグリコのキャラメル作戦という訳である。
目には目を胸には手をという訳で、偽ユダヤの謀略に謀略返しという訳で、キャンディーズもビックリの三人揃って春ラララということで、石野真子の歌真似チャンピオンである。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/851.html
コメント [政治・選挙・NHK224] なんだ!これは? 「ほぼ現役」  赤かぶ
1. 2017年4月14日 09:54:20 : FeACmC8UhA : gtUg85ME5Hc[1]
 で、GPIFの株式売買の対象にはほんのちょっぴりしかならない議員年金は利回りたっぷりで65歳から支給開始ってか? 
 役人・官僚さんの共済年金も65歳から?

 公的年金って、つまり、厚生年金と国民年金ってことなんでしょう?
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/173.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK224] 「平和ボケ」という言葉は安倍首相にこそお似合いだ  天木直人 赤かぶ
8. 2017年4月14日 09:54:26 : BjfZUJrsRg : IV7GufuyGd8[4]
平和ボケっていうのは、戦争の犠牲があって平和があるということを忘れてしまった人、そして、平和の中でヤバイビジネスに失敗し、そのヤバイビジネスを増幅していこうという三菱やボーイング、ミラージュやヴィッカースのような会社と、そこからの癒着と繋がりが強い奴のことを云う。

天木も平和ボケではあるがな。口ばっかしで、いつまでも主張する憲法9条をスタートさせないわ、パナマにひっかかるわ、ガス抜きバイトやってるわで。

日本国民はドンパチなんか望まない。ウヨサポとかはドンパチ好きだが、てめえ達では行かない卑怯者。この位事も描けない天木は、物書きとしても失格だ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/133.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK224] 天皇陛下が世界支配層に送られた親書が効き目を発揮、安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相の国際的信用は、ガタ落ちだ(板垣) 笑坊
2. 日高見連邦共和国[4169] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 09:56:20 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[927]

うん、そもそも『落ちる信用』そのものが最初からない。既に“底根”(笑)。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/169.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK224] なぜ、森友疑惑の報道が減ったのか?  赤かぶ
49. わ寺反戦反軍薬複合体[1] gu2Om5S9kO2UvYxSlvKVoY2Hkcw 2017年4月14日 09:58:08 : kxk7MnCbWU : S0swXCpT_BE[-125]
>2017/04/12 23:30 半歩前へU
>投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 12 日 23:56:10

>澤田愛子‏さんが、「メディアへ。森友事件の報道がない」と心配。

は、いいとして・・・

>だから私はしつこく問題提起しているのだ。みんなにもっと動いても
らいたい。発信してもらいたい。そうしないと本当に幕引きされてし
まう。

は、誰の発言?

半歩前へUさん(赤かぶさん?)ではなく澤田愛子‏さんの発言では?

証言主義(ヒューミント)の阿修羅としては証拠主義(シギント)の
ソーカなどは違うのだから、発言者を明確にすべきなのでは?

なお、森友事件は、アソー財務省のアベ首相への賄賂なのでは?

見返りは・・・

>時事通信 4/13(木) 7:05配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000022-jij-pol

>自民党麻生派が勢力拡大に本腰を入れ始めた

でしょうか???

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/116.html#c49

コメント [政治・選挙・NHK223] 安倍首相の3選はいよいよ絶望的? 「習近平はトランプとゴルフできないんだ」〈週刊朝日〉 赤かぶ
21. 2017年4月14日 10:01:17 : gFW7dka71U : YrM0Tpn31nI[900]

「アッキ〜ド夫」キチガイ総理曰く「習近平はトランプとゴルフできないんだ」

習近平曰く「キチガイ安倍はトランプとゴルフ『しか』できないんだ」

「アッキ〜ド夫」総理のオムツ穿いたオツムじゃ〜、「ゴルフ」こそ「外交」で「ゴルフ場」は「国際外交会議場」なのだろうナ〜!?

いっその事、閣議決定で「外務省」を「ゴルフ省」に名称変えたら〜?

で、役人・職員はゴルフバック担いで毎朝「御出勤」で〜す♪。

差し詰め、女性職員は「キャディー」さんと呼ばれ、各部署は「○○番ホール」と呼ばれる。

そして窮め付けは「忖度」を「ハンディー」と呼ぶ。

国の衰退、ここに窮まれり!!。
http://www.asyura2.com/17/senkyo223/msg/890.html#c21

コメント [お知らせ・管理21] 2017年4月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
13. 管理人さん[1894] iseXnZBsgrOC8Q 2017年4月14日 10:04:18 : goJCZio63dQ[382]
>>12
初期非表示処理しておきました。ご連絡ありがとうございます。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/479.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK224] <忖度新聞>毎日新聞が第2の森友・加計学園問題を報じない理由。森友問題では朝日と共に積極的だったのに 赤かぶ
5. 日高見連邦共和国[4170] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 10:04:42 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[928]

“阿吽の呼吸”と言い、“慮(おもんぱか)る”と言う。

日本は基本的に『忖度社会』っしょ!昔から、今でも。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/159.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK224] 天皇陛下が世界支配層に送られた親書が効き目を発揮、安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相の国際的信用は、ガタ落ちだ(板垣) 笑坊
3. 2017年4月14日 10:07:26 : FjzJkw9q1I : Z@wYBhPS4_U[16]
有識者会議は誰の代表ですか。
国民の大多数の気持ちがわかる人達ですか。
それとも阿部総理の代理人ですか。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/169.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK224] 「お前が北朝鮮に核を放棄させてみろ。できないからアメリカが武力でやるんじゃないか」なんてことを公然と発言する人物が、 gataro
4. 2017年4月14日 10:07:52 : frtErroTlE : irEWOXr423M[235]
言うだけならアメリカでもできる。
現実にいつ、アメリカが何事かなしとげた?
アフガンについてもイラクについてもリビアについても、いつ、実現した?
ますます混乱しますます危険が拡大しているのが現実であり、何ひとつとして実現していないではないか。
それが北朝鮮だけでは成功する根拠は何だ?

バカが首相になったことを見て驚いてはいけない。
現代は要職にバカばかりが就いている。
バカは操ることができるからな。
間接統治では無能で無力な者が中間位置に据えられる。
支配者の機嫌をそこねると地位を失うため必死に阿るうえ、無能が故に反旗を翻すことは絶対にないから。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/172.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK224] <自民党が悪い>自民・竹下国対委員長が民進党に謝罪!国会軽視の「強行採決」で!国民への謝罪はなし! 赤かぶ
14. 日高見連邦共和国[4171] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 10:08:31 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[929]

嘲笑の対象でしかない『真相の道』。

なあ、今まで隠れて何処行ってたの?(笑)

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/138.html#c14

コメント [経世済民121] 「埼玉に住むのはコスパ良い」はまやかし?長い通勤時間、世帯の負債額は全国ワースト3位(Business Journal) 赤かぶ
1. 2017年4月14日 10:09:36 : MpDEIVgNks : 5Q94bm6tEZA[173]
表題の一部"世帯の負債額は全国ワースト3位"はコスパとして、適切なものではなかろう。確かに貯蓄がしやすいかどうかを結果としてみるならば、いうほどのものではないことは確かだが、そもそもこの貯蓄がしやすいという項目自体、住みどころを考えるというコスパにとって、適切でない。
http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/108.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK224]  北攻撃なら事前協議…日本が要請、米側も応じる(YOMIURIONLINE) 怪傑
13. 日高見連邦共和国[4172] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 10:12:15 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[930]

攻撃は、大規模な“飽和攻撃”か、完全な“奇襲攻撃”でなければ意味がない。

アメリカが、日本と、『事前協議』?(笑)語るに落ちるとはこの事だ!

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/105.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK224] <森友隠し>「総理への森友質問は禁止」自民党がブチ切れ強行採決で、民進党が13日からの国会審議をすべて拒否! 赤かぶ
14. 2017年4月14日 10:14:22 : ABPExKQ6Vk : WkKEBT_l450[230]
強行するということは態度とは裏腹に相当追い詰められているのだろう。
      あと一押しで総崩れに近いのではないだろうか。

都議選では民進もそうだが自民の離党者、公明の連立離れを考えればあと一押し、
加計学園がひたひたと迫っている
      阿部の心理は極限に近いのではないだろうか。

今追求の手をゆるめてはならない。
岸、左藤譲りのずるさはアルが、阿部の頭の容量を考えればパニクっていることは間違いない。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/122.html#c14

記事 [戦争b20] 米軍 アフガニスタンで「大規模爆風爆弾」を使用 実戦初 トランプ大統領「見事に任務に成功」
米軍 アフガニスタンで「大規模爆風爆弾」を使用 実戦初
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170414/k10010947991000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_011
4月14日 6時00分 NHK




アメリカ軍は、核兵器以外の通常兵器で最大の破壊力があるとされる「大規模爆風爆弾」をアフガニスタンでの過激派組織IS=イスラミックステートに対する空爆で使用したと発表しました。2003年にこの爆弾を配備してから実戦で使ったのは初めてで、北朝鮮などをけん制する意図もあるのではないかという受け止めが出ています。

アメリカ軍は13日、アフガニスタン東部のナンガルハル州で過激派組織ISの拠点を狙って「GBUー43B・大規模爆風爆弾」による空爆を実施したと発表しました。

この爆弾は全長およそ9メートル、重さがおよそ9800キロで、核兵器以外の通常兵器では最大の破壊力があるとされ、精密誘導装置も備えていて、「すべての爆弾の母」とも呼ばれています。

アメリカ軍は、2002年に当時のイラクのフセイン政権に圧力をかける目的でこの爆弾の開発を始め、2003年のイラク戦争で前線に配備しましたが、国防総省によりますと、実戦で使ったのは初めてだということです。

アフガニスタンに駐留するアメリカ軍のニコルソン司令官は「ISは防御を厚くしており、この爆弾はこうした障害を取り除くのに適切な武器だ」と説明していますが、シリアのアサド政権を攻撃し、北朝鮮への圧力を強めている中での使用に、アメリカのメディアでは北朝鮮などをけん制する意図もあるのではないかという受け止めが出ています。

トランプ大統領「見事に任務に成功」

これについて、アメリカのトランプ大統領は13日、ホワイトハウスで記者団に対し、「また見事に任務に成功した。アメリカ軍を誇りに思う」とたたえました。

そのうえで、「この8週間で起きたことと、過去8年にわたって起きたことを比べれば、大きな違いがあることがわかるだろう」と述べ、前のオバマ政権との違いを強調し、トランプ政権の下でアメリカ軍が成果を挙げていると主張しました。

また、記者団から「この爆弾の使用が北朝鮮にメッセージを送ることになるか」と質問されたのに対し、「メッセージを送るかどうかはわからないし、送ろうが送るまいが違いはない。北朝鮮は問題だ」と述べました。

そして、「私は本当に中国の習近平国家主席を好きになり、尊敬している。彼はすばらしい人物で、非常に特別な男だ。懸命に取り組むつもりだと思う」と述べ、北朝鮮問題の解決に向けて中国が役割を果たすことに期待を示しました。


BREAKING: US Drops a MOAB (Mother of All Bombs) in Afghanistan


BREAKING! US DROPS M.O.A.B BOMB ON AFGHANISTAN (MOAB on Afghanistan) *Compilation 2017 HD*


MOAB - Mother of All Bombs GBU-43/B




http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/147.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 野党共闘でなく政策共闘こそ勝利のキーワードー(植草一秀氏) 赤かぶ
6. 2017年4月14日 10:17:46 : 7J96rk9Knc : Ya2UpOYaqIs[34]
小沢さんなら連合を切れなんて言わない
反原発派、共闘派を主流になるように働きかけるという

むしろ連合をキレキレは官邸の意向でネット軍師さまが例によってつられているのだと思う
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/166.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍政権、完全に末期症状出ちゃってるよ。独裁者らしく甘えるには、下は下過ぎ、上は上過ぎる。大人しくしておればいいものを! 赤かぶ
12. 2017年4月14日 10:17:48 : MhsKhvnTic : KonTLpopQSg[399]
09>さんに拍手、全くその通り、地方新聞20数社の調査では支持率は10パーセント前後これが真実だ。世耕チームと電通のねつ造で支持率を上げ絶対に悪くしても4割以下にはならない様にしている、こんな暴政と公私混同をしてそれも夫婦共にやりたい放題、税金をざるの様に垂れ流し使っている人間に5割もの支持などどう考えてもあり得ない。支持率をねつ造して上げていればな国民が何をしても許されると思っている。本当に卑怯な最低な人間だここまでその権力にしがみ付きひけらかしている人間もいない。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/136.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK224] 「お前が北朝鮮に核を放棄させてみろ。できないからアメリカが武力でやるんじゃないか」なんてことを公然と発言する人物が、 gataro
5. 2017年4月14日 10:18:46 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1231]
1.このままでは日本は北朝鮮にミサイルを打ち込まれる。その前に北朝鮮を攻撃しろ。

2.在日米軍基地がなければ北朝鮮が日本を攻撃する理由はない。

上記の2つ、どちらを主張する人の方が多いと思う?

今、日本は非常に危険なことになっている。私は、多分1を主張する人の方が圧倒的に多いと思う。百田だけではない。志位さんのツイッターについてくるコメントを見てみなさい。
https://twitter.com/shiikazuo

危機が高まれば政権支持率が上がる、と言う悲しい現実がある。
でも、それでも諦めず、平和を訴え続けよう。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/172.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
1. 2017年4月14日 10:21:36 : 74y81LvDIU : wkNgoMCnx9o[5]
何で覚悟せなあかんねん。
覚悟て何やねん。

ここは中国に頭を下げて、中国から北に話をしてもらう他は無い。
一刻も早く、中国に特使を送れ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK224] <意味不明>安倍総理「内閣支持率53%だから、昭恵(夫人)らの証人喚問は必要ない」 赤かぶ
23. 2017年4月14日 10:23:31 : fDVHCBcCOU : P5YuQW0LdMY[45]
ふざけるのもいい加減にしてほしい、こんなサイコパスで嘘つきの総理大臣をはやく辞めさせなきゃ日本はどんどん駄目になっていく、ネトウヨに乗っ取られてしまう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/132.html#c23
コメント [政治・選挙・NHK224] なぜ、森友疑惑の報道が減ったのか?  赤かぶ
50. り寺CIAカトリック[-18] guiOm4JigmiCYINKg2eDioNig04 2017年4月14日 10:24:30 : kxk7MnCbWU : S0swXCpT_BE[-124]
>>49

細田派の会長とは・・・

http://www.sankei.com/premium/news/161226/prm1612260012-n1.html

元通産官僚、清和政策研究会会長、島根県松江市出身、イシバと同じ統一教会プロテスタント・・・

アソー(CIAカトリック)が、NSAとCIAプロテスタントに

反撃を始めた・・・?

トランプ(プロテスタント)に対する、Dロックフェラー神聖ローマ皇帝(カトリック)の反撃・・・??

北朝鮮への空母派遣

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/04/5-25.php

と同期した「CIAマスゴミ」の反撃・・・???



http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/116.html#c50

コメント [政治・選挙・NHK224] 森友問題で財務省が「交渉記録データ復元」に態度を変えた理由  山田厚史の「世界かわら版」(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
9. 石爺[183] kM6W6g 2017年4月14日 10:30:48 : RU3sAuaixg : vuRW108KvSM[129]
1>スポンのポンさんに同意します。

 日本は北朝鮮型の民主主義の国です。
でんでん陛下は三権(司法・行政・立法)の長にして将軍様です。
法治国家ですから、法律に抵触することはできませんし犯せば処罰
されるはずです。逆に言うと法律に抵触しなければなにもなにを
しても問題は無いことになります。

韓国のように民意が反映されて大統領のように巨大な権力者が
罷免されることは瑞穂の国においては起こりえません。
民主主義で間接なので多数決の結果すべてです。

 つまりはでんでん陛下が体調うを壊されて 体位 違った
退位されても、次も日本会議です。
基本的には構造が変わりません、でんでん陛下の配下もしくは
はひょつとこ閣下が皇嗣殿下として君臨されるだけのことです。

 ムサシがあるのでどうなるかはわかりませんが、棄民党は廃し
新たなる日本人民による政府を樹立するしか方法はありません。
田布施システムを引き継ぐ官僚とマスコミも排除するしかありません。

うーん こんなこと言うと共謀罪で捕まるな!!
共謀罪が成立したら管理人さん削除願います。 m(__)m

 

「票を投じる者が決定するのではない。票を数える者が決定するのだ」
by スターリン(アヘン王子)


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/125.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK224] 写真速報 : 「米軍基地は絶対に許さない!」〜砂川闘争・土屋源太郎さんが激白(レイバーネット日本) gataro
1. 日高見連邦共和国[4173] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 10:31:15 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[931]

岩手から応援してる!がんばれっ!!

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/175.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK224] 室井佑月「閣議決定で決めてみる?」〈週刊朝日〉 赤かぶ
6. 2017年4月14日 10:31:52 : gFW7dka71U : YrM0Tpn31nI[901]

「04」さん 失礼します。

>>今後の閣議決定は『質問は、政府が答えられるものに限る』となりそうだ。

それ以上に『質問は、政府に都合が良く、幼稚園児以下のオツム総理が答えられるものに限る』となりますヨ!屹度。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/126.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK224] 北朝鮮が瀬戸際外交を越える時 戦慄シミュレーション(AERA) :戦争板リンク 赤かぶ
1. 日高見連邦共和国[4174] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 10:32:02 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[932]

『AERA』のバカ分析。(笑)

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/176.html#c1
コメント [カルト17] ベン・今晩東京テロ警戒、弁財・総連と民団は一緒、ネトゲ・オウムは北、北はCIA、プー・全てのテロはCIA。である ポスト米英時代
10. 2017年4月14日 10:33:40 : 4ZLvLJ9Sxs : RH7x6Juh4HY[26]
安倍の森友加計アッキード疑獄スキャンダル潰し、そして日本人へ軍事攻撃(ミサイル&化学兵器)の恐怖をしっかりと植え付け、国防意識を飛躍的に煽り、安倍・偽極右自称愛国シオニスト政権による、軍事国家化政策の推進と、シオニスト・グローバリストらの戦争ビジネス維持強化が今回の偽旗化学兵器詐欺&トランプ軍事攻撃、そして北朝鮮への軍事攻撃、あるある詐欺の目的だということが、ベンジャミンの言で
明白となった。このVTRだけ眺めていると、あたかもベンジャミンの言が正しいような錯覚に囚われるが、所詮シオニスト・グローバリストとアメリカのために永久日本ATM奴隷国家支持が、彼の本音であるという根っこに目を向ければ、脳内補正をしっかりと働かせて情報を解釈しなくてはならない。
ミサイル発射か何らかの動きがあるような、北朝鮮将軍の「木曜日に云々(デンデン)」発言は、今回のトランプによる軍事攻撃が、上記シリアへのと同じく偽旗でありツーカー同士シナリオありの残念プロレスに過ぎないことを、示唆するものである。
安倍は親分シオニスト・グローバリストの与えてくれた「今そこにある危機」を、精一杯演じきることが、シオニスト・グローバリストへの奉公であり恩返し。
トランプが全面的に協力してくれる運びとなり、心強いことだろう。
大枚カネを貸し付けている中国も、トランプ軍産複合体政権が画策したシナリオに
協力援護、極東「今そこにある危機」劇場で、アメリカ軍産複合体政権の維持を前面アシスト、そういう見方も可能かと。

https://www.youtube.com/watch?v=CAV_nvcIF8M

北朝鮮が日本に核兵器を使って脅してきている問題の裏に潜むザール・マフィアの工作【ネット TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2017/04/13
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/848.html#c10

コメント [国際19] アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材(AFP) 赤かぶ
1. 2017年4月14日 10:33:52 : MpDEIVgNks : 5Q94bm6tEZA[174]
まず、使われた化学物質が何であるかを明確にすることが、否定・肯定への根拠となるので、それをしない弁明は無力だろう。
http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/126.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
4. 2017年4月14日 10:34:53 : qZcDFbzcmo : 64FNMliTy8g[10]

合わせて

「 自 由 民 社 党 」

ですか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c4

コメント [戦争b20] 有毒ガスの流出が偽旗作戦だという公然の秘密をプーチン露大統領は記者会見で明言して米を批判(櫻井ジャーナル) 赤かぶ
2. 2017年4月14日 10:37:49 : iNZdZzf4xw : 6PdteuHxKno[31]
★阿修羅♪ > カルト17 > 848.html  

ベン・今晩東京テロ警戒、弁財・総連と民団は一緒、ネトゲ・オウムは北、北はCIA、プー・全てのテロはCIA。である
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/848.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2017 年 4 月 13 日 17:25:49: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM

10. 2017年4月14日 10:33:40 : 4ZLvLJ9Sxs : RH7x6Juh4HY[26]

▲△▽▼
安倍の森友加計アッキード疑獄スキャンダル潰し、そして日本人へ軍事攻撃(ミサイル&化学兵器)の恐怖をしっかりと植え付け、国防意識を飛躍的に煽り、安倍・偽極右自称愛国シオニスト政権による、軍事国家化政策の推進と、シオニスト・グローバリストらの戦争ビジネス維持強化が今回の偽旗化学兵器詐欺&トランプ軍事攻撃、そして北朝鮮への軍事攻撃、あるある詐欺の目的だということが、ベンジャミンの言で
明白となった。このVTRだけ眺めていると、あたかもベンジャミンの言が正しいような錯覚に囚われるが、所詮シオニスト・グローバリストとアメリカのために永久日本ATM奴隷国家支持が、彼の本音であるという根っこに目を向ければ、脳内補正をしっかりと働かせて情報を解釈しなくてはならない。
ミサイル発射か何らかの動きがあるような、北朝鮮将軍の「木曜日に云々(デンデン)」発言は、今回のトランプによる軍事攻撃が、上記シリアへのと同じく偽旗でありツーカー同士シナリオありの残念プロレスに過ぎないことを、示唆するものである。
安倍は親分シオニスト・グローバリストの与えてくれた「今そこにある危機」を、精一杯演じきることが、シオニスト・グローバリストへの奉公であり恩返し。
トランプが全面的に協力してくれる運びとなり、心強いことだろう。
大枚カネを貸し付けている中国も、トランプ軍産複合体政権が画策したシナリオに
協力援護、極東「今そこにある危機」劇場で、アメリカ軍産複合体政権の維持を前面アシスト、そういう見方も可能かと。

https://www.youtube.com/watch?v=CAV_nvcIF8M

北朝鮮が日本に核兵器を使って脅してきている問題の裏に潜むザール・マフィアの工作【ネット TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2017/04/13
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/132.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK224] NHKも民放も異常だ!  赤かぶ
53. 日高見連邦共和国[4175] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2017年4月14日 10:39:07 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[933]

これが犬HKの“世論調査”とやらの実態。

『放送研究と調査』3月号より。
2月実施のNHK『政治意識月例調査』の結果。(P.122、123より)

【サンプル構成】

●女性 56.9% (女性偏重)
●年齢 60歳以上 59.9% (高齢者偏重)
●無職・主婦 57.9% (無職・主婦偏重)

言っちゃ〜悪いが、これがまともな調査、まともなサンプリングの結果と言えるか!

さて、『携帯電話』含めた調査に変わった最新の調査結果のサンプル構成に注目だ。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/102.html#c53

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進・細野豪志氏が代表代行辞任届提出   (産経) : 長島議員は 離党   民進党の 崩壊が始まった 真相の道
28. 2017年4月14日 10:40:52 : qZcDFbzcmo : 64FNMliTy8g[11]

長島議員の離党会見で『フリー記者が大暴れする』凄絶な光景が発生。醜悪すぎる姿に周囲ドン引き

またフリー記者が大暴れ 長島昭久氏の民進党離党会見で・・・

16:55〜
https://www.youtube.com/watch?v=NY_Y-0ez3NM&t=16m55s

横田一
「フリーの記者の横田一ですけども、共産党との選挙共闘というのが譲れない一線だという事なんですが、
去年の参院選では一人区でですね、3年前に比べて5倍以上の成績を収めてですね、共産党を含む市民主体型の野党共闘が成功したと思うんですが、
しかも新潟県知事選でも同じような野党共闘、共産党を含む野党共闘で勝利したと、でその後の東京10区の補選では野党共闘をせずにですね後退したと。
こういう結果、現実を見るとですね、何を根拠に国民の理解を得ることが難しいと言ってる根拠が全く分からないと言うことと、
あと今の時期にいわゆる共謀罪で天王山になろうとしてる時にこういう行動を取るってことは自民党に対する利敵行為じゃないかと、
これがテロにはほとんど有効じゃないというのは長島先生よくご存知だと思うんですが、
この時期にいわゆる共謀罪に対してですね???しないで離党するというのは影響についてどうお考えだと」

長島昭久
「あのまず、前段ですけれども、先程私申し上げた通り参議院選挙とかですね、まあ補選がどの範疇に入るかちょっとにわかには分かりませんけれども、
衆議院議員の総選挙というのは政権選択の選挙なんですね。参議院と性格が全く違うと思ってます。
ですから今横田さんが仰ったように参議院では有効だったとは思います。ある程度。
しかし選挙戦術として有効な事と、国民有権者との信頼を勝ち得て政権を運営していくという事とは私は別物だというふうに考えてますのでそこは受け入れ難いと申し上げました。
それから今この大事な時期に利敵行為ではないかと、まあこの批判は甘んじて受けざるを得ないと思ってます。その審判は次の選挙で私自身に下るというふうに考えています」

横田一
「今まで民進党民主党時代からですね、参院選も衆院選も政権交代の一里塚だと、同じ一人区でですね、そういうふうに参院選と衆院選を分ける意味が全くよく分からないんですが、
補選でも新潟県知事選方式とは違って共産党をまあ共闘が一部不十分だったので、ああいう結果になったという指摘もあるんですが、
何を根拠になって国民の理解を得られないのかがよくまだ分かんないんですが」

長島昭久
「いやあのすいません、横田さんと私、話しても平行線だと思います。すいません」

横田一
「具体的などういう理解が得られない根拠というのは挙げて頂け」

長島昭久
「いや、全く同じ話になっちゃうんだけど、政権選択をして頂くわけですね。衆議院選挙というのは。こういう政権を作りますと。
じゃあ共産党と政権を組むんだったら、私は有権者を欺く事にはならんと思いますよ。
しかし一方では共産党とは政権組めないと言ってるわけでしょ。
選挙で手伝って貰って政権からは除外する、ちょっと私にはそっちの方が理解できないですね」

横田一
「前回の政権交代の時も別に共産党と連立組んでなくても、まあ閣外協力みたいな形でですね、自民党政権を倒したわけですから、なんでそれと同じ方法が取れないんですかね。
今安倍政権が暴走してる中で、それをいかに食い止めるかが国民の望みなんじゃないんですか」

長島昭久
「いやあの前回の政権の時はですね、社民党との調整すら厳しかったんです。それでまあ政権が瓦解した、鳩山政権が瓦解したと言っても過言ではないと思います。
それを共産党までウイングを広げて政権を維持していくイメージが私には分からないです。それから国家の」

横田一
「民主党政権時代のですねが続かなかった理由とですね、今の安倍自民党政治をいかに倒すかというのは全く別問題で、それは民主党の反省材料として進めて貰っていい話でですね、
自民党にどう対峙するか、どう安倍政権の暴走を止めるかという点でいかがなものかと聞いてるわけなんですが。
具体的に共産党を含む野党共闘、市民主体の選挙協力で上手くいかなかった具体的事例はあるんでしょうか。
国民の理解を得られなかったからこういう選挙結果を招いたという具体的結果を一つでも教えて頂きたいです」

長島昭久
「まだ衆議院選挙を共産党とした事ないですから、そこはやっぱりやってみて国民からどう理解を得られるかというのが」

横田一
「東京10区の補選が物語ってるじゃないですか。共産党と十分な連携しなかったんで新潟県知事選の勢いを引き継げなかったと。
東京都連の幹部としてそれを目の当たりにしたんじゃないですか」

長島昭久
「いや私はそれは共闘が上手く行かなかったから東京10区が敗北したとは思ってません。それはもう総括の仕方が違うという事だと思います」

外野
「そうだよ北海道5区だって全然共闘なんかできてない」

長島昭久
「そうですよね」

横田一
「北海道」

外野
「記者会見なんだから」

長島昭久
「いろんな人に、横田さんいろんな人にチャンスを与えて下さい」


喋り方からして日本人じゃないのが分かるよね。日本人だとしてもアスペや知恵遅れ類の精神疾患を伴っている基地外なのは健全者が聞いても分かるよね。
言葉の使い方にも教養がなく、「安倍政権の暴走」など平然とヘイトスピーチやっているよね。暴力や暴言を正義とする国体破壊を目指すアレなのはミエミエだよね。
こういうのはさっさと取り締まる法律は必要だ。


現実を直視しないで妄想で「共産党との野党共闘は国民の理解は得られない」と主張、
北海道5区補選の選挙結果でも支離滅裂な回答をする長島昭久衆院議員はほぼ同じ政治思想の前原誠司・元大臣とは雲泥の差。
前原氏はかつて嫌っていた共産党との野党共闘を重視、新潟県知事選でも共産党と一緒に応援演説
https://twitter.com/yokotahajime/status/851321922440749057

いやーすごいなー

こういう、自分の価値観が入りまくった質問するやつを記者と呼ぶのはどうなんだろうね?

https://twitter.com/yokotahajime/following
フォローリストがぱよちんの大集合で笑う
おまけに松井一郎とかロックオン代わりにフォローしてて

http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1491838861/抜粋
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/149.html#c28

記事 [経世済民121] コンビニ業界に衝撃、セブンがロイヤリティを引き下げた理由とは?(THE PAGE)


コンビニ業界に衝撃、セブンがロイヤリティを引き下げた理由とは?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000003-wordleaf-bus_all
THE PAGE 4/14(金) 8:00配信


 コンビニ最大手のセブン−イレブン・ジャパンがフランチャイズ店のオーナーから徴収するロイヤリティを1%引き下げると発表しました。これはコンビニ業界としては衝撃的な話なのですが、いったいどういうことなのでしょうか。

■セブンのフランチャイズ制度ってどんなもの?

 セブンをはじめとするコンビニ各社は、すべての店舗を直接経営しているわけではありません。例えばセブンは全国に約1万9000店舗を展開していますが、直営店舗となっているのは約500店舗しかなく、それ以外の店舗にはそれぞれ独立したオーナーがいます。

 各店舗のオーナーは、セブンにロイヤリティ(一種の上納金)を支払う代わりに、セブンの看板を使わせてもらったり、セブンから商品の仕入れなどで支援をしてもらえるという仕組みです。これをフランチャイズ制度と呼びます。

 オーナーとセブンとの契約は、店舗の開設に必要な土地や建物をどちらの負担で用意するのかによって変わってきます。

 多くをオーナー側が用意するパターンでは、売上総利益の43%をセブンに支払います。例えば、100円の商品を70円で仕入れて30円の利益が上がったとすると、オーナー側はセブンに約13円を支払うという仕組みです。オーナー側は自分でお店をやれば30円がそのまま儲かるにもかかわらず、利益の半分近くをロイヤリティとして提供するわけですから、これはかなり厳しい条件といってよいでしょう。

■最大で利益の8割近くがロイヤリティを占めるとも

 しかしセブンのグループに入ればかなりの来客が見込めますから、この条件でもお店を開きたいという人は一定数存在するわけです。オーナー側に資金負担能力がない場合には、セブンが資金の多くを負担しますが、その場合にはロイヤリティの割合も上昇し、最大で8割近くを払わなければならない契約もあるといわれています。

 セブンのロイヤリティは競合他社に比べて高めで(つまり店舗のオーナーはあまり儲からない)、これが同社の高収益を支えてきたわけですが、最近ではコンビニの売上高が頭打ちとなりつつあり、同社のロイヤリティの高さが各店舗の経営を圧迫するようになってきました。


鈴木敏文前会長(写真:ロイター/アフロ)

■鈴木敏文前会長の退任が背景に?

 これまで同社は鈴木敏文前会長によるトップダウン経営が続いており、鈴木氏はセブン側の収益低下につながるロイヤリティの減額は絶対に認めませんでした。鈴木氏が退任し経営体制が変わったことが、今回のロイヤリティ引き下げにつながったものと考えられます。同社のロイヤリティは「聖域」とまでいわれていただけに、業界関係者は衝撃を受けたわけです。

 コンビニのオーナーは店舗によってはかなり劣悪な経営を強いられているともいわれています。今回のロイヤリティ引き下げによってオーナー側の経営は少しだけですが楽になるでしょう。

 しかし、これまで頑なにロイヤリティに手をつけなかったセブンが引き下げを決断したということは、コンビニのビジネス・モデルが限界に近づきつつあることを示しています。同社は米国のコンビニ企業の買収を発表していますが、2つのニュースは表裏一体のものと考えるべきでしょう。

(The Capital Tribune Japan)



http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/112.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進・細野豪志氏が代表代行辞任届提出   (産経) : 長島議員は 離党   民進党の 崩壊が始まった 真相の道
29. 2017年4月14日 10:42:46 : qZcDFbzcmo : 64FNMliTy8g[12]
2017/04/11(火) 03:43:48.40 ID:o/bfjqfp0

フリー記者は記者会見の場をはき違えてるんだよな

あくまで質問する場であってお前の考えやら意見やら主義主張をぶちまけるところじゃないわけで
フリー記者は自分の意見をダラダラ言ってから質問ってパターンが多くてうざい
お前の意見は聞きたくねえよ

記者クラブの記者みたいに簡潔に質問しろっつうの

2017/04/11(火) 03:57:27.95 ID:dCO/UnQO0
>382

うろ覚えだがノイホイが
記者会見では相手を怒らせてなんぼ、議論の場
みたいなことをツイッターで言ってたな

パヨク記者は事実の究明などどうでもよくて
挑発して失言を引き出すのが仕事だと思ってるからどうしようもない
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/149.html#c29

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
29. 中川隆[7732] koaQ7Jey 2017年4月14日 10:43:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8222]

愛のゆくえ 「雪国」 - 魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

愛のゆくえ「雪国」その1

越後湯沢へ

 1932、3年(昭和7,8年)ころ、川端康成はしばしば上州(群馬県)の温泉へ原稿を書きに行っていた。

 その前、昭和6年には、直木三十五に連れられて、池谷信三郎と3人で、上州の法師温泉へも出かけている。

 法師温泉は三国(みくに)峠の麓で、直木が特に好きな温泉だった。
 その昭和6年には清水トンネルが開通し、越後がぐっと近くなった。

   「雪国」を書く前私は水上(みなかみ)温泉へ幾度か原稿を書きに行つた。

   水上の一つ手前の駅の上牧(かみもく)温泉にも行つた。(中略)水上か上牧にゐた時私は宿の人にすすめられて、
   清水トンネルの向うの越後湯沢へ行つてみた。水上よりはよほど鄙(ひな)びてゐた。それからは湯沢へ多く行つた。

   上越線で湯沢は越後の入口になつたが、清水トンネルの通る前は、三国越えはあつても、越後の奥とも言へたのである。
                                             (「独影自命」6ノ2)


昭和9年6月初旬、康成は上牧温泉の大室旅館に滞在して原稿を書いていた。

 6月8日附で群馬県利根郡桃野村(上越線上牧駅前)大室温泉旅館の康成から、東京下谷上野桜木町36の川端秀子に宛てた書簡が遺されている。

 11日、12日には、同じく上牧駅前利根川向岸大室温泉旅館から秀子に手紙を出している。

 11日の手紙には、「明日改造すめば、どこかへ遊びに行つて来る。ここは配達1回しかないので、まだ杉山の手紙を貰つただけ、さつぱり様子分らず閉口だ。/文学界はどうかしらん。」と書いてある。

 原稿に追われつづけ、ここらで「どこかへ遊びに行つて」心身の回復をはかりたかったのだろう。また上牧の郵便事情の不便なことをも嘆いている。

 12日のには、「新潮と文藝7月号送れ、/なぜ報告の手紙をよこさんのだ、馬鹿野郎、手がくさつたつて代筆されることも出来るだらう」と癇癪を起こしている。

   改造の仕事で疲れ、気をまぎらす術なく、婆さんのやうな顔になつた。

   これだつて、原稿受けとり、改造に渡し、間に合つたと、電報でもくれたら、どれだけ安心して、仕事疲れの翌日が眠れるかしれん、僅か30銭ですむぢやないか。
   それくらゐの心は配れ。


 と、八つ当たり気味の手紙である。疲れてもいたのだろう。

そのころは、車掌にチップを出して鉄道便の上野駅止めで原稿を送り、秀子に電報を打って上野駅で受け取らせ、出版社に直接持参させていたようだ。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/38bdc6f0c695da88fc77ee638f489cb0


愛のゆくえ 「雪国」その2

越後湯沢の初印象

 6月14日附(づけ)で新潟県南魚沼(みなみうおぬま)郡越後湯沢高半(たかはん)旅館より上野桜木町36の秀子に宛てた書簡(15)は、冒頭に、越後湯沢の印象が書いてある。

   文学界の原稿を出しかたがた、水上駅に来たついで、一休みに、清水トンネルを越え、越後湯沢に来た。戸数四百ばかりの村、湯の宿も13,4あり、水上のやうになにか肌あらいところなく、古びてゐてよい。この宿は部屋も40ある。

 この旅館が越後湯沢随一の、主人が代々高橋半左衛門を名のる高(たか)半(はん)旅館である。

 康成はこの宿が気に入ったのだろう、こののちずっと、この宿を定宿とすることになる。

 ちなみに、康成に与えられた部屋は、清水トンネル開通のあと、新築された「長生閣」の二階「かすみの間」である。「雪国」作中では、「椿の間」として描かれる。

 なお14日附の秀子宛て書簡15は長いもので、途中「13日 康成」と記したあとに、翌朝書き加えた文言がある。

 つまり、康成が初めて湯沢に来たのは6月13日、翌14日に書簡を投函したことが明かとなる。

 このことは、当時、中央公論の編集者であった藤田圭雄(たまを)宛ての書簡にも明記してある。煩雑になるが資料として貴重なので、引用しておこう。

 第4次37巻本『川端康成全集』補巻2(新潮社、1984・5・20)の藤田宛て書簡1(昭和9年6月14日附 新潟県魚沼郡湯沢温泉高半旅館より東京麹町(こうじまち)丸の内ビルヂング中央公論編輯部宛て)

   拝啓、
   水上の1つ手前の駅の大室温泉に1週間ほど滞在の後、今日清水トンネルを越えて越後湯沢に参りました。古ぼけた村です。でもこの宿は客室が40ばかりもあります。(中略)21日頃までここに滞在いたします。(以下略)

   14日                   川端康成
  藤田圭造(ママ)様(正しくは、藤田圭雄)


 この書簡の日付が14日となっているのは、到着の翌14日に大室温泉に荷物をとりに戻り、14日にあらためて高半旅館に腰を落ち着けたからであろう。すなわち、康成が初めて越後湯沢に来たのは、1934(昭和9)年6月13日、腰を落ち着けたのが翌14日と確定してよいだろう。

 ちなみに、この点はつとに平山三男が「雪国」論(『川端康成 作家・作品シリーズ6』東京書籍、1979・4・日付記載なし)において指摘している。

 この気晴らしの旅で、康成はひとりの女とゆくりなくもめぐり逢い、もう1度その女に逢いにゆくために、その年の12月初旬、今度は上野から汽車に乗って越後湯沢の駅に降りた。

 やはり夫人宛て書簡によって、それが12月6日のことであるとわかる。

 康成はこの宿に籠もって、『文藝春秋』と『改造』の新年号2つの原稿を書く予定であった。もっとも、このとき、何を書くか、内容は、まったく頭の中になかった。ただ、6月の旅でめぐり逢った女と再会すれば、何か書く材料ができるだろうという、ぼんやりした期待があるばかりだったろう。

「雪国」初出(はじめて雑誌に発表されたもの)

 「雪国」が昭和9年末から書き始められ、いろいろな雑誌に分載されて、最初に創元社から昭和12)年6月12日に刊行され(旧版『雪国』)、それからさらに書きつがれて、戦後の1948(昭和23)年12月25日に、あらためて同じく創元社から刊行され、これが〈決定版『雪国』〉と呼ばれていることは、よく知られている。

 その後、20年あまりたって、すこし手を加えられて、1971(昭和46)年8月15日、牧羊社から『定本雪国』が刊行された。

 康成が、これを『定本』にすると宣言し、以降、新潮社の第3次全集、第4次全集も、また新潮文庫103版以降も、この牧羊社版を底本にしていることは、平山三男の指摘によって、よく知られているとおりである。

 しかしやはり重要なのは、初出としてあちこちに分載された文章が、大幅に手を入れられて昭和12年の創元社版、あるいは昭和23年の決定版になった、その経過である。

 そこに、『雪国』にこめた康成の渾身の努力が刻印されているからである。

さて、その最初の分載が「夕景色の鏡」と「白い朝の鏡」であることも、読者はよく御存知のことであろう。康成は、この2作のできた由来を、〈決定版『雪国』〉の「あとがき」で語っている。

   「雪国」は昭和9年から12年までの4年間に書いた。(中略)

   はじめは「文藝春秋」昭和10年1月号に40枚ほどの短篇として書くつもり、その短篇1つでこの材料は片づくはずが、「文藝春秋」の締切に終わりまで書ききれなかつたために、同月号だが締切の数日おそい「改造」にその続きを書き継ぐことになり、この材料を扱う日数の加はるにつれて、余情が後日にのこり、初めのつもりとはちがつたものになつたのである。

 このことばを裏づけるように、1934(昭和9)年12月7日附で上越線越後湯沢高半旅館より秀子に出した書簡には、

   斎藤君(注、『文藝春秋』の記者)は9日中にくれといふ。やはり正月で校了が2日早い由、9日は日曜。9日の汽車で全部送れるといいが、10日にまたがるだらう。(中略)

   もつとも何枚かけるかまだ分らぬが。

   しつかりした材料を持つて来ず、例によつて、夢のやうなつくりごとなるが厭(いや)である。                     (補巻2の21)


    
とあり、さらに10日の書簡には、次のような一節がある。

   文藝春秋の小説は書き切れず尻切れとんぼ。
  (10日夕方の)今から改造にかかる。

 綱渡りのような、あやうい売文生活をつづけていたのである。もっとも、補巻に収められた書簡を見ると、このころの康成には『モダン日本』『婦人倶楽部』『若草』『行動』『中外新報』『中央公論』などから注文が殺到していて、それを1つ1つこなしてゆくのは、並大抵のことではなかっただろう。

――このような状況で初出「夕景色の鏡」は書かれた。

 よく知られているように、第1作「夕景色の鏡」の冒頭は、現在の「雪国」の有名な文章とは異なっていた。

   濡れた髪を指でさはつた。――その触覚をなによりも覚えてゐる。その一つだけがなまなましく思ひ出されると、島村は女に告げたくて、汽車に乗つた旅であつた。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/1ff09e0b54d8d44a456a67455ef79ba6
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c29

コメント [政治・選挙・NHK224]
5. 新共産主義クラブ[3680] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年4月14日 10:44:07 : PQXJWdncjo : PyeAYx@OGno[12]
 
 次の総選挙の図式は、
 
 「 自 由 神 社 党 」 vs 「 公 共 」+「 自 由 民 社 党 」
 
 になるのかな?
 

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c5
コメント [戦争b20] 金正恩「斬首作戦」 実行ならば日本経済も打ち首に(週刊新潮) 赤かぶ
4. 2017年4月14日 10:45:41 : CqH57Sgt0A : xmSql5dYmgA[17]
シオニストの神(実際は悪魔)に子供の生贄を捧げる、そうした殺人儀式のカルト暦に合わせて、毎年世界各地で戦争や災害を引き起こすのが慣例となっているそうである。ゴールデンウィークになると、災害やテロや猟奇的殺人が引き起こされるのも、そうした慣習に乗っ取ったものという点で、ベンジャミンのハザール・マフィアと今回のシリア偽旗毒ガス攻撃の真相解説は、大筋で間違いないであろう。

★阿修羅♪ > 戦争b20 > 132.html  

有毒ガスの流出が偽旗作戦だという公然の秘密をプーチン露大統領は記者会見で明言して米を批判(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/132.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 12 日 10:47:29: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

2. 2017年4月14日 10:37:49 : iNZdZzf4xw : 6PdteuHxKno[31]

▲△▽▼
★阿修羅♪ > カルト17 > 848.html  

ベン・今晩東京テロ警戒、弁財・総連と民団は一緒、ネトゲ・オウムは北、北はCIA、プー・全てのテロはCIA。である
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/848.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2017 年 4 月 13 日 17:25:49: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM

10. 2017年4月14日 10:33:40 : 4ZLvLJ9Sxs : RH7x6Juh4HY[26]

▲△▽▼
安倍の森友加計アッキード疑獄スキャンダル潰し、そして日本人へ軍事攻撃(ミサイル&化学兵器)の恐怖をしっかりと植え付け、国防意識を飛躍的に煽り、安倍・偽極右自称愛国シオニスト政権による、軍事国家化政策の推進と、シオニスト・グローバリストらの戦争ビジネス維持強化が今回の偽旗化学兵器詐欺&トランプ軍事攻撃、そして北朝鮮への軍事攻撃、あるある詐欺の目的だということが、ベンジャミンの言で
明白となった。このVTRだけ眺めていると、あたかもベンジャミンの言が正しいような錯覚に囚われるが、所詮シオニスト・グローバリストとアメリカのために永久日本ATM奴隷国家支持が、彼の本音であるという根っこに目を向ければ、脳内補正をしっかりと働かせて情報を解釈しなくてはならない。
ミサイル発射か何らかの動きがあるような、北朝鮮将軍の「木曜日に云々(デンデン)」発言は、今回のトランプによる軍事攻撃が、上記シリアへのと同じく偽旗でありツーカー同士シナリオありの残念プロレスに過ぎないことを、示唆するものである。
安倍は親分シオニスト・グローバリストの与えてくれた「今そこにある危機」を、精一杯演じきることが、シオニスト・グローバリストへの奉公であり恩返し。
トランプが全面的に協力してくれる運びとなり、心強いことだろう。
大枚カネを貸し付けている中国も、トランプ軍産複合体政権が画策したシナリオに
協力援護、極東「今そこにある危機」劇場で、アメリカ軍産複合体政権の維持を前面アシスト、そういう見方も可能かと。

https://www.youtube.com/watch?v=CAV_nvcIF8M

北朝鮮が日本に核兵器を使って脅してきている問題の裏に潜むザール・マフィアの工作【ネット TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2017/04/13
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/140.html#c4

コメント [原発・フッ素47] 緊急のお知らせ、中部地方で2.6μSv/hの線量が出ています と 中部地方の高線量、継続中 お天道様はお見通し
40. 茶色のうさぎ[-3505] koOQRoLMgqSCs4Ks 2017年4月14日 10:46:31 : pJAsS5yx6Y : 8IudsP3hSOI[2]

 ほぉ〜ら♪

 真実わ、わーw、正解?!ぷっ♪ すぐ、反応♪ ばか!

 小出がー♪ 悪い! ぺっ♪ 麦12?もると18?L??本???wp

 ねむーーーーー ばか けせねーよーーーぷ うんこ?? ばか うさぎ♂

 0.23μはー、、除染でしょ! 年1ミリ っけれよー。。。あほ 人殺しー! 小出、汁、魑魅、!ぺっ♪

 10:45 まねーー


http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/770.html#c40

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
30. 中川隆[7733] koaQ7Jey 2017年4月14日 10:48:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8223]

愛のゆくえ 「雪国」その3

連載第一回「夕景色の鏡」の冒頭

  濡れた髪を指でさはつた。――その触覚をなによりも覚えてゐる。その1つだけがなまなましく思ひ出されると、島村は女に告げたくて、汽車に乗つた旅であつた。

 この部分は〈決定版『雪国』〉では完全に消滅しているが、視点人物島村を雪国に導くものが何であったかを明確に語っている。それは女――駒子の思い出であり、それも単なる情緒的なものではなく、指の触覚というきわめて官能的なものであった。

 冒頭では、指の触れたのは単に「髪」となっているが、少しあとに駒子の心理の説明として「まだ16,7の頃に、自分がどんなにいい女であるかを、男から噛んでふくめるやうに教へられ、その時はそれを喜ぶどころか、恥ぢるばかりだと……」とあることからも、それが駒子の肉体的な魅力を暗示していることは明らかである。

 もっと具体的にいうと、島村が左指で覚えていたのは、のちに出て来る表現ではあるが、駒子の「みうちのあついひとところ」の生ま生ましい触感だったのである。

 島村は駒子、というより駒子の肉体に再会しようとして、雪国に向かう汽車に乗った。そしてその車中で葉子に出会うのである。

   もう三時間も前、島村は退屈まぎれに、彼を女のところへ引き寄せてゆくやうな、左手の〈人指指〉をいろいろに動かして眺めてみたり、鼻につけて匂ひを嗅いでみたりしてゐたが、ふとその〈指〉で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片目から片頬がはつきり浮き出たのだつた。

                 (初出では、〈 〉の中は伏せ字になっている。)

この車窓の鏡に浮かび出た女が葉子であり、島村はやがて窓外の夕景色と二重写しになった葉子の顔の非現実な美しさに胸がふるえるのであるが、ここに短篇「夕景色の鏡」の意図はあらわになる。

 すなわち、前の旅でなじんだ女との再会を胸に描いて官能の思い出の世界にただよっていた島村が、眼前に現出した「この世ならぬ象徴の世界」の美に陶然となるのである。〈官能的な世界〉と〈象徴的な美の世界〉が、ここでは鮮やかに対比されている。

 康成の「はじめは……40枚の短篇として書くつもり」が、この対比を描くことであったことは、明かである。

はたして、『改造』新年号に発表されたのは、「白い朝の鏡」であった。「夕景色の鏡」と対比する意図はよく現れている。

 ところがこの「白い朝の鏡」のなかに、その題名に相応する内容は登場してこないのである。

 それが発表されるのは、それから10ヶ月もたった『日本評論』11月号に「物語」と題して発表された作品の末尾においてである。


第三回「徒労」

 つづけて『日本評論』の12月号に「徒労」が発表されているのは、翌年の1935(昭和10)年の秋、蛾が卵を産みつける時期に10ヶ月ぶりに湯沢をおとずれた康成の身に、駒子のモデルとなる女性との再会があって、「余情」が深まるような出来事が生じたためであろう。

 実際、作品の中で女が「駒子」と名づけられて登場するのは「徒労」からで、それまでは、単に「女」と呼ばれているに過ぎないのである。

 1、2回の短篇で終わるはずだった素材が内容の濃いものとなり、続編を書き継ぐ意志の生じたことが、そのような変化をもたらしたといってもいいだろう。

 これを裏づけるように、ずっとのちの1959年(昭和34年)になって、康成は「『雪国』の旅」と題するエッセイを発表していて、その中に、1935(昭和10)年秋の日記を公開している。

 1935年(昭和10年)秋とは、「雪国」作中では、島村が3度めに湯沢をおとずれて、長い逗留をすることになっている。しかし現実の康成はこの昭和10年の秋、この湯沢で「物語」「徒労」を書いたのである。

 そのときに、駒子のモデルとの濃い接触のあったことが、この日記に記されている。きわだったところだけを写す。なお、( )の中の説明は、康成が付したものである。

  昭和10年9月30日
 「少女倶楽部」、書き終る。1時55分の汽車で湯沢に行く。駒。(註、駒子が宿へ来たことである。)

  10月1日
 午前より宿の子供を部屋に呼ぶ。(註、「雪国」に書いてある。)3時過ぎ帰る。(註、駒子が。)

  10月2日
 朝、7時ごろに起される。(註、駒子が来て。)夜、駅まで行く、宴会の後で。

  10月4日
 西川博士よりレントゲン写真の結果の手紙。夜中11時に。(註、駒子が来る。)

  10月5日
 「讀賣(読売)」の原稿終り。10時より。(註、駒子が来る。)

  十月十一日
 「日本評論」のための「物語」(註、「雪国」の一部)、18枚で打切り、その原稿を送る。

 このように、ほとんど毎日、駒子が時ならぬ時刻にやって来ている。そしてこれらの素材を康成は「雪国」作中に書きこんでいる。そういう、ただならぬ状況のなかで、「物語」は短いながら完成し、これを康成は『日本評論』に送っているのである。

「夕景色の鏡」

 では、「雪国」最初の2つの短篇のなかでは、何が語られたのであろうか。

 まず「夕景色の鏡」から見てゆくことにしよう。

 「夕景色の鏡」では、冒頭の2行で、先ほど紹介したように、島村のこの旅が、その触感だけがなまなましく思い出されると女に告げたくて汽車に乗った旅であったことが書かれる。

 ついで、

   「あんた笑つてるわね。私を笑つてるわね。」
   「笑つてやしない。」
   「心の底で笑つてるでせう。今笑はなくつても、後できつと笑ふわ。」

と、最後までは拒み通せなかつたことを、その時女は枕を顔に抱きつけて泣いたのだつたけれども、彼はやはり水商売の女だつたと笑つて忘れるどころか、それがあつたために反つて、いつも女をまざまざと思ひ浮かべたくなるのだつた。

と、回想の核心部分が書かれる。それから、現在の「雪国」冒頭の原型にあたる1行が登場する。

   国境のトンネルを抜けると窓の外の夜の底が白くなつた。信号所に汽車が止つた。

 ちなみに、現行の「雪国」冒頭は、以下のようになっている。


   国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。夜の底が白くなつた。信号所に汽車が止まつた。

 そこから一転して現在の車中の光景となり、向こう側の座席から娘が立ってきて、島村の前のガラス窓を落して、身を乗り出し、駅長を呼ぶのである。

 駅長の応える言葉で、この娘の名が葉子であることは、すぐ読者に伝えられる。

  そのやうな、やがて雪に埋れる鉄道信号所に、葉子といふ娘の弟がこの冬から勤めてゐるのだと分ると、島村は一層彼女に物語めいた興味を増した。

 こうして、娘が病人連れで、甲斐々々しく世話をしていること、もう3時間も前、窓ガラスに葉子が映って驚いたこと、それ以来彼がずっと鏡の中の彼女を注視していて、娘の顔に野山の火が重なったとき、胸がふるえたこと……と、この作品の頂点が記されるのである。

   さうしてともし火は彼女の顔のなかを流れて通るのだつた。しかし彼女の顔を光り輝かせるやうなことはなかつた。冷く遠い光であつた。小さい瞬きのまはりをぽうつと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重つた瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖しく美しい夜光虫であつた。

 半時間後、葉子達も島村と同じ駅に下りたので、彼はまたなにが起るかと自分にかかわりがあるかのようにやうにあわてたりするが、宿屋の客引きの番頭と出会って、「お師匠さんとこの娘はまだいるかい」と尋ねる。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/9987e54b50d12c1dce54bc68a1d42abc


愛のゆくえ 「雪国」その4

再会

 前に泊まった温泉宿に落ちついた島村は、内湯に行く。そして長い古びた廊下を部屋へ戻ってゆくとき、女と再会するのである。

   その長いはづれの帳場の曲り角に、裾を黒光りの板の上へ冷え冷えと拡げて、女が立つて待つてゐた。

   と(ママ)うとう芸者に出たのであらうかと、その裾を見てはつとしたけれども、こちらへ歩いて来るでもない、體のどこかを崩して迎へるしなを作るでもない、その立ち姿から、彼は遠目にも真面目なものを受け取つて、急いで来たが、女の傍(かたわら)に立つても黙つてゐた。(中略)

   手紙も出さず、会ひにも来ず、踊の型の本など送るといふ約束も果さず、女からすれば笑つて忘れられたとしか思へないだらうから、先づ島村の方から詫びかいひわけを云はなければならない順序だつたが、顔を見ないで歩いてゐるうちにも、女は彼を責めるどころか、體いつぱいになつかしさを感じてゐることが知れるので、彼は尚更、どんなことを云つたにしても、その言葉は自分の方が不真面目だといふ響きしか持たぬだらうと思つて、なにか彼女に気押される甘い喜びにつつまれてゐたが、階段の下まで来ると、

  「こいつが一番よく君を覚えてゐたよ。」と、人差指だけ伸した左手の握拳を、いきなり女の目の前に突きつけた。

女との再会は、このように印象的にはたされる。

 しかし同時に、男の不誠実もまた、しっかり刻印される。

 その不誠実を徹底するように、男は「こいつが一番よく君を覚えてゐたよ」と人差指を女の面前に突きだすのである。

 だが女は怒らない。

   「さう?」と、女は彼の指を握ると、そのまま手を離さないで手をひくやうに階段を上つて行つた。

 そうして彼の部屋に来ると、女はさっと首まで赤くなって、それを誤魔化すためにあわてて彼の手を拾いながら、「これが覚えてゐてくれたの?」「右ぢやない、こつちだよ」と、女の掌の間から右手を抜いて、炬燵に入れると、改めて左の握拳を出した。彼女はすました顔で「ええ、分かつてるわ」と、ふふと含み笑いしながら、島村の掌を拡げて、その上に顔を押しあてるのである。

   「ほう冷い。こんな冷い髪の毛初めてだ。」
  「東京はまだ雪が降らないの?」
  「君はあの時、ああ云つてたけれども、あれはやつぱり嘘だよ。さうでなければ、誰が年の暮にこんな寒いところへ来るものか。」

ここで文章は冒頭につながり、また、最初の出会いへと回想に移るきっかけとなるのだが、じつは、この前に、重要な記述が20行ばかり、初出にはあった。


女の體(からだ)の秘密

 それは、たった1度の出会いで、女がどうしてこの男を忘れられないようになったか、という女の微妙な心理の説明である。

 この心理の説明が消去されてしまった現在の「雪国」では、読者は、どうしてああも簡単に女が島村に恋心を抱いてしまったのか、理解できないのである。

 初出で康成は、女の心の秘密を、こんなに克明に説明していた。

   それではこの男も、私をほんたうに知つてくれたのだつたか、それにひかれて遙々来たのだつたか、どこを捜しても私のやうな女はさうゐないので忘れなかつたのかと、彼女はなんだか底寂しい喜びに誘ひこまれた。ほつと安心したやうな親しさで、心が男に寄り添つて行つた。許されたやうな思ひだつた。かういふ男は彼女にとつて逆らひ難い誘惑だつた。

   と云つたところで、彼女はまだ水商売が身にしみてゐるわけでなし、多くの男を知つてゐるわけでもないが、まだ16、7の頃に、自分がどんなにいい女であるかを、男から噛んでふくめるやうに教へられ、その時はそれを喜ぶどころか、恥ぢるばかりだと、男はいよいよむきになつて褒めちぎつたので、やがて男の云ふことが彼女の頭の底に宿命のやうに沈みついてしまつたのだつた。

   けれども、それが彼女自身ではつきりと分るやうになつた後まで、天刑をあばかれたやうな初めの悲しみは消え残つてゐるのだつた。余りに早く愛なくして知つたためであったらう。

   島村といふ男は1週間も山登りをして来たほどで、よく整つた體はさう弱さうに見えなかつたけれど、肉附の色白い円みがいくらか女じみてゐるし、まして道楽した風はなく、女のあつかひが淡白なところから考へても、あの時彼女のほんたうが分つてくれたとは、たうてい思へなくて、それが後々まで未練のもとのやうでもあり、また反つてそのきれいさが愛着の種ともなつてゐるのだつた。彼女の幾人かの男のうちで、彼だけはそれを知らない。

   けれども、あの時自分は酔つてゐたから、男を見抜くことが出来なかつたのだらうか。さうではない、気は確かだつた。そんなら、この人を初めてほんたうに愛したゆゑの迂闊だつたのだらうかといふ結論に辿りついて、女はふふと含み笑ひしながら、島村の掌を拡げて、その上に顔を押しあてた。

 この長い引用は、駒子の心理を知るには欠かせない部分なのだが、現在の「雪国」では、削除されてしまった。

 女は16、7のころ、男に教えられて、自分が女として類稀(たぐい、まれ)な肉体を持っていることを知ってしまった。

 だから最初に思ったことは、島村が自分のほんとうの肉体の秘密を知って、それにひかれて遙々(はるばる)来たのだったか、ということだった。底寂しい喜びに誘われ、ほっと安心したような親しさを感じた。

 しかし次に考えたことは、島村は女のあつかいも淡白であったから、彼女のほんとうの秘密を知ったとは到底思えず、それが後々までの未練のもとであり、またそのきれいさが愛着の種ともなっている、ということだった。「彼女の幾人かの男のうちで、彼だけはそれを知らない。」

 彼に肉体の秘密を悟らせないままに終わったのは、「この人を初めてほんたうに愛したゆゑの迂闊だつたのだらうか」、最後に女はそう考えて、ふふと含み笑いするのである。

さて、男は掌に顔を押しあてられて、女の髪の冷たさに驚く。

「ほう冷い。こんな冷い髪の毛初めてだ。」そう言って、女に「東京はまだ雪が降らないの?」と訊かれても、それには応えず、言おうと思っていた言葉を口にするのである。

   「君はあの時、ああ云つてたけれども、あれはやつぱり嘘だよ。さうでなければ、誰が年の暮にこんな寒いところへ来るものか。」

 この言葉をきっかけに、「あの時は――雪崩の危険期が過ぎて、新緑の登山季節に入つた頃だつた。」と、最初の邂逅を振り返る回想場面――第1の旅へと、叙述は戻るのである。

無為徒食(むいとしょく)の島村

 「無為徒食の島村は」と、その冒頭で島村の人物像が提示される。

無為徒食とは、定まった職業も持たず、親から遺された財産でもあって、それをいたずらに喰いつぶしている、生活に責任を持たぬ男、というほどの意味であろう。
 少し後に、「白い朝の鏡」のところで、島村が西洋舞踊を趣味にしていて、時々西洋舞踊の研究や紹介を書くので、文筆業者の片端に数えられているが、島村みずから、それを「机上の空論」と冷笑し、そこに虚無の匂いを嗅いでいる、との説明がある。

 このほか、東京に妻子があることがのちに説明されるが、「雪国」の中で島村について読者が具体的に与えられる知識はこれだけである。

 そんな島村はしぜんと自分に対する真面目さも失いがちになるので、それを呼び戻すために、よく一人で山歩きをするが、その夜も、国境の山々から7日ぶりで温泉場へ下りて来ると、芸者を呼んでくれと云った。

ところがその日は道路普請の落成祝いで、12、3人の芸者は手が足りなくて、とうてい貰えないだろうが、三味線と踊りの師匠のところにいる娘なら、来てくれるかも知れぬ、ということだった。

 その娘は、芸者ではないが、まったくの素人ともいえない、という女中の説明だった。

   怪しい話だとたかをくくつてゐたが、1時間ほどして女が女中に連れられて来ると、島村ははつと唇を結んだ。(中略)

女の印象は不思議なくらゐ清潔であつた。足指の裏の窪みまでぬかりなくきれいであらうと思はれた。山々の初夏の風景を見て来た自分の眼のせゐであらうかと、島村は疑つたほどだつた。

 女はこの村から眺められる山々の名もろくろく知らなかったけれど、自分の身の上話は案外率直に話した。19であるともいった。また歌舞伎の話をしかけると、女は彼よりも俳優の芸風や消息に精通していた。そういう話相手に飢えていたのか、夢中でしゃべった。

 その夜は何事もなく過ぎ、女は帰っていった。

 そして翌日の午後、宿へお湯をもらいに来るついでに彼の部屋に遊びに寄った。
 ところが女に、島村はいきなり、芸者を世話してくれ、と云った。女が怒ると、

   「友だちだと思つてるんだ。友だちにしときたいから、君は口説かないんだよ。」

「夕景色の鏡」は、ここで突如、終わる。康成が妻への手紙に、
「文藝春秋の小説は書き切れず尻切れとんぼ。」と書いたとおりである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/4510ff64754c3b064cd14671dbf6ceaf
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK224] 「お前が北朝鮮に核を放棄させてみろ。できないからアメリカが武力でやるんじゃないか」なんてことを公然と発言する人物が、 gataro
6. 2017年4月14日 10:48:40 : HtTpf77DqK : t_AdTyvEpCs[21]
5.さんをフォローして.
で,戦争を仕掛けてその惨状を体験し,やっぱり戦争なんかするもんじゃないと自戒する.
その繰り返しを今またやるのか.
これを喜ぶのは誰か(戦争で暴利を得る者)ということ.
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/172.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK224] <忖度新聞>毎日新聞が第2の森友・加計学園問題を報じない理由。森友問題では朝日と共に積極的だったのに 赤かぶ
6. 2017年4月14日 10:51:38 : qZcDFbzcmo : 64FNMliTy8g[13]
こういう民進の間抜けぶりも報じろよ


298 :2017/04/10(月) 17:37:53.96 ID:6GMxG4FSU[27/35]

瞬殺ブーメラン。おもしろすぎ

Mi2‏ @YES777777777
【高速ブーメラン】決算行政監視委。
民進党・玉木雄一郎「獣医学部では豚・猿を実験に使う。動物愛護の観点からも問題だ」
山本幸三行政改革担当大臣「委員はかつてIPS細胞の時、動物実験が出来なくなって獣医が海外に行く。
特区が相応しいと指摘されたのは承知してる」
刺さりすぎ。#kokkai
https://mobile.twitter.com/YES777777777/status/851330367013306369/video/1
午後4:05 · 2017年4月10日
https://mobile.twitter.com/undefined/status/851330367013306369
ーーー
山口さんが、辻元記者会見のツイに関してちゃんと電話をくれ話してくれたとそれなりの評価をしてたけど、
この玉木って、本当にその場その場の人なのでは
その場その場で平気で話す。過去の自分の発言も覚えていず、当然整合性は無し
気にならない。究極の恥知らずなのかも
その場その場だから、いい人に見える?みえないけどね
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/159.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
6. 2017年4月14日 10:51:43 : ADiYKP22zM : 2VL785L03nQ[49]

小沢さん

兎も角

自民党を下野させないと

日本は終わる。

野党共闘で政権交代

お願いします。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
2. 2017年4月14日 10:52:29 : w8J6pwB9kk : qQsm9UK1L9A[133]
「反撃は日本にもくる覚悟を」< 安部晋三、お前がいうな!って感じだが、

米国も北朝鮮も日本のいうことなど聞く道理がない。何を言っても無駄。
何はさておき、全国の電力会社に原発停止命令だして、全原発施設に迎撃ミサイル配備、移動式電源配備だろ。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK224]
3. 新共産主義クラブ[3681] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年4月14日 10:52:58 : PQXJWdncjo : PyeAYx@OGno[13]
 
 山口県の岩国基地周辺の住民は覚悟しておかないとね。
 

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c3
コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
31. 中川隆[7734] koaQ7Jey 2017年4月14日 10:54:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8224]

愛のゆくえ 「雪国」その5

「白い朝の鏡」

つづけて『改造』に書かれた続編では、はじめに、読者を面食らわせないないためだろうか、芸者代わりに呼んだ女とのいきさつが少し書いてある。

 それから、つづきがあって、間もなく来た芸者を一目見ると、「島村の山から里へ出た時の女ほしさは、味気なく消えてしまった」ので、郵便局の時間がなくなるという口実をもうけて芸者を返す。そして、若葉の匂いの強い裏山へ登ってゆく。ほどよく疲れて、駈け下りてくると、

   「どうなすつたの?」と、女が杉林の陰に立つてゐた。
  「うれしさうに笑つてらつしやるわよ。」
  「止めたよ。」と、彼はまたわけのない笑ひがこみ上げて来て、  「もう止めだ。」
  「さう?」と、女は表情のなくなつた顔であちらを向くと、杉  林のなかへゆつくり入つた。彼は黙つてついて行つた。

   神社であつた。苔のついた駒(ママ)犬の傍の平な岩に、女は腰を下  して、
  「ここが一等涼しいの。真夏でも冷い風がありますわ。」

 ここでふたりは会話をかわしながら、夕暮れまでの時間を過ごす。島村のとらえた女の特徴も書きこまれている。

 「少し中高の円顔は平凡な輪郭ながら、白陶器に薄紅を刷いたやうな皮膚で、首のつけ根も肉づいてゐないから、美人といふよりもなによりも、清潔だつた。」


自分の男を呼ぶ声

 それから問題の場面が登場する。
 その夜の10時ごろ、女が廊下から島村の名を大声で呼んで、ばたりと倒れるように彼の部屋へ入ってくる。宴会の途中だった。

 「悪いから行つて来るわね。後でまた来るわね」と、よろけながら出て行く。

   一時間ほどしてまた廊下にみだれた足音で、

  「島村さあん、島村さあん。」と、助けを求めるやうに叫んだ。それはもうまぎれもなく、酔つたあげくの本心で、女が自分の男を呼ぶ声であった。それは島村の胸のなかへ飛びこんで、むしろ思ひがけないほどだつたが、宿屋中に聞えてゐるにちがひなかつたから、当惑して立ち上がると、女は障子紙に指をつつこんで桟(さん)をつかみ、そのまま……〈伏せ字8字〉倒れかかつた。 

 「女が自分の男を呼ぶ声」とは、女が自分の好きな男を呼ぶ声、の意味だろう。
 ちなみに、現行の定本では、この箇所はみごとに彫琢されて、こんなに簡潔な文章に変わっている。

  一時間ほどすると、また長い廊下にみだれた足音で、あちこちに突きあたつたり倒れたりして来るらしく、

  「島村さあん、島村さあん。」と、甲高く叫んだ。
  「ああ、見えない。島村さあん。」

   それはもうまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であつた。島村は思ひがけなかつた。
 
 女は酔って、本心から、「自分の男」を呼んだのである。
 だが、女はいつのまに、島村を「自分の男」と思うようになったのか。

 さきほどの夕暮れの杉林の中での会話からだろうか。前夜、芸者の代わりに呼ばれて、島村と話が合ったからであろうか。それとも、今日の午後、芸者を呼んでくれと、失礼なことを云われたことが、かえって女の心を刺激したのか。

 いずれにしても、前夜、ふたりの話の合ったことが基本であろう。だからこそ好意を抱いて、女は翌日の午後、島村の部屋を遊びに訪れたのである。それなのに芸者を世話してくれといわれて、女の心は傷ついた。しかしこの危機は、女の素直な心によって回避された。

 しかし、それでもなお、女がここまで深く島村を思ってしまった心の因はわからない。

 女の心はわからないままに、物語は進行する。

 島村の部屋で、女は酔ったままにさまざまな姿をみせるが、結局、島村に抱かれることになる。しかしその時になっても、「お友達でゐようつて、あなたがおつしやつたぢやないの」と、幾度繰り返したかしれなかった。

 島村はその言葉の真剣な響きに打たれ、また、固く渋面をつくつて自分を抑へてゐる意志の強さには味気なくなるほどで、女との約束を守ろうかとさえ思うのである。

 この場面の初出は伏せ字だらけで、意味が通らないので、定本によって補正すると、

  「私はなんにも惜しいものはないのよ、決して惜しいんぢやないのよ。だけど、さういふ女ぢやない。私はさういふ女ぢやないの。きつと長続きしないつて、あんた自分で言つたぢやないの。」(中略)

などと口走りながら、よろこびにさからふために袖をかんでゐた。

女はこんなに簡単に男に身を任せることで、男が誤解することを恐れているのだ。好きな男にあげる。だから惜しいんじゃない。だけど、あなたは誤解する。あたしが、こんなふうに誰にだって簡単に身を任せてしまう女だと誤解する。それは違う!

 女は、よろこびがこみ上げてくるなかで、それに逆らいながら、必死で言いつのっているのだ。

 ……しばらく気が抜けたみたいに静かだったが、女はふと突き刺すように、
「あなた笑つてるわね。私を笑つてるわね。」と言って、泣くのである。旅の男に簡単に身を任せた、男からすれば、据え膳喰わぬは……と、そんな女を安っぽい、尻の軽い女として馬鹿にするだろう。女は、そう思われることを避けようと、必死で男を刺すのである。

 この場面は、女が行きずりの島村に本気で惚れて身を任せ、その自分の気持ちを軽いものと誤解されることを恐れていると、読者に繰り返し訴える。女の真剣な好意がつよく印象づけられるシーンである。

 それとともに、そのように言わねばならぬほど、男に容易に身を任せてしまった女の哀れが読者に迫ってくる。

 「白い朝の鏡」は、それから女が夜が明けるのを恐れて、宿の人が起きる前に帰ってゆくところで閉じられる。

 「夕景色の鏡」との対照は、この作品では書かれずじまいだったのである。

「物語」

 「夕景色の鏡」「白い朝の鏡」と1935年(昭和10年)の新年号に発表されたまま、作品は1年ちかく放置される。

 次に第3作「物語」、第4作「徒労」が発表されるのは、同年11月号、12月号のことである。

 先にも指摘したように、その秋の康成の3度目の越後湯沢への旅が、「余情」を後に残す契機となったのである。

「物語」も、読者にこれまでの経緯を説明するところから始まっている。女が夜明けに宿を抜け出して帰っていったあと、「その日島村は東京へ帰つてしまつた。女の名も聞き忘れたほどの別れやうであつた。」

 それから、新しい「物語」が始まる。

 女はしきりに指を折って勘定している。島村が問うと、「5月の23日ね」といい、今夜がちょうど「199日目だわ」と応えるのである。

 ここは、これまでいくつもの論考で指摘されてきたように、平安の昔に、深草(ふかくさ)の少将が小野小町を99夜たずねた、その故事「深草少将の百夜(ももよ)通い」に関連づけているのであろう。女は、自分たちの関係に何か意味を見出そうとしているのである。

 それから、この「物語」の中心となる、女の生きる姿が示される

   「だけど、五月の二十三日つて、よく覚えてるね。」
  「日記を見れば、直ぐ分るわ。」
  「日記、日記をつけるのか。」
  「ええ、古い日記を見るのは楽しみですわ。なんでも隠さずその通りに書いてあるから、ひとりで読んでゐても恥しいわ。」
「いつから?」
   「東京でお酌に出る少し前から。(以下略)」

 これだけでも島村を驚かすには十分だったが、島村をもっと驚かせたのは、女が、読んだ小説を1つ1つ雑記帳に書きつけている、ということだった。

   日記の話よりも、尚島村が意外の感に打たれたのは、彼女は十六の頃から、読んだ小説を一一書き留めておき、そのための雑記帳がもう十冊にもなつたといふことであつた。

  「感想を書いとくんだね?」
  「感想なんか書けませんわ。題と作者と、それから出て来る人物の名前と、その人達の関係と、それくらゐのものですわ。」

  「そんなものを書き止めといたつて、しやうがないぢやないか。」
  「しやうがありませんわ。」
  「徒労だね。」
  「さうですわ。」と、女はこともなげに明るく答へて、しかしぢつと島村を見つめてゐた。

   全くの徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとした途端に、しいんと雪の鳴るやうな静けさが身にしみて/それは女に惹きつけられたのであつた。

 島村は、女の意外な一面を知って驚く。山深い田舎のひとりの無名の女が、読んだ小説の題名をノートにつけたとて、いったいそれが何の役にたつというのだろう。

   彼女にとつては、それが徒労であらうはずがないとは彼も知  りながら、頭から徒労だと叩きつけると、なにか反つて彼女の  存在が純粋に感じられるのであつた。

 このとき初めて、島村は女に惚れたのである。あるいは、女の一生懸命に生きている姿を知って、そこにひとりの女の生きる息づかいを感じて、女に対する心からの愛情が湧いてきたのである。

 ……その夜、つまり再会の最初の夜も、女は島村の部屋に泊まって朝を迎える。
 部屋が明るんでくると、女の赤い頬があざやかに見えてくる。寒いせいだろうと島村が訊くと、白粉(おしろい)を落としたからだ、と女は答える。

  「寒いんぢやないわ。白粉を落したからよ。私は寝床へ入ると直ぐ、足の先までぽつほ(ママ)して来るの。」と、島村の枕もとの鏡台に向つて、
  「たうとう明るくなつてしまつたわ。帰りますわ。」

  島村はその方を見て、ひよつと首を縮めた。鏡の奥が真白に光つてゐるのは雪である。その雪のなかに、女の真赤な頬が浮んでゐる。なんともいへぬ清潔な美しさであつた。

 この場面でようやく、康成の初めの構想――「夕景色の鏡」と、人差指が覚えていた女の「白い朝の鏡」との照応が完成するのである。

 1つの短篇で終わるはずだった作品が、3作めの「物語」の最後になって、やっと当初の目的を完成したのである。康成は、ここでこの連作を終わってもよかった。

 それがさらに次の「徒労」へとつづいてゆくのは、この「物語」の中で、日記をつけているばかりか、読んだ小説を雑記帳に書きとめているという、ひとりの女の、徒労の生を懸命に生きている姿を知って、男の内部に、遊びごとではない、女への真剣な思いが芽生えたからである。

 これが「余情が後に残って」の意味であろう。ここから、作品は真剣な愛を抱いた男と女の物語へと変貌してゆくのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/2e44c3f542df85f121f5b87a87d3c7f3

愛のゆくえ「雪国」 その6

「徒労」

 「雪国」のプレオリジナル(初出)第4作目にあたる「徒労」は、かなり長い。作者の興がのっているからだろう。

 ここでも、作品をたどりながら、ふたりの移りゆきを、細かく見ていこう。
 ……昼すぎ、島村が温泉宿からの坂道を歩いてゆくと、軒かげに芸者が5、6人、立ち話をしている。そのなかに駒子もいた。

 島村が通りすぎると、駒子が追ってくる。「うちへ寄つていただかうと思つて」という。その家は、前日、汽車で乗り合わせた病人のいる家だった。駒子の師匠の家である。

 その2階、というよりも屋根裏部屋に、駒子は住んでいた。もとはお蚕(かいこ)さまの部屋だったという。

 その古びた部屋の、障子は貼り替えられ、壁にも丹念に半紙が貼られて、古い紙箱に入ったようだった。壁や畳は古びているものの、いかにも清潔であった。蚕(かいこ)のように、駒子も透明な體で、ここに住んでいるかと思われた。

 駒子は、階下の病人を、腸結核で、もう故郷に死にに帰って来たのだと話した。三味線と踊りの師匠であるひとの、ひとり息子であると、これまでのいきさつも話した。けれども、この息子――行男を連れて帰った娘がなにものであるか、どうして駒子がこの家にいるのかということは、一言も話さなかった。

 やがて、澄み上がった、悲しいほど美しい声が聞こえる。葉子である。だが葉子は島村をちらっと刺すように一目見ただけで、ものも言わずに通り過ぎた。

   島村は表に出てからも、彼女の眼つきが彼の額の前に燃えてゐさうでならなかつた。

 島村が、駒子とこういう仲になりながらも、頭の片隅で、この葉子を意識していることが、ここで期せずして語られている。

 島村は、通りかかった按摩(あんま)を宿の部屋に呼んで、その按摩の口から、師匠の息子である行男と駒子がいいなづけであり、行男の療養費をかせぐために駒子が芸者に出たのだ、という消息を聞く。

 その夜、宿の宴会が果てて島村の部屋に来た駒子は、島村の来なかった八月いっぱい、神経衰弱でぶらぶらしていたと話す。また浜松の男に言い寄られたことも告白する。

 そして「私妊娠してゐると思つてたのよ。ふふ、今考へるとをかしくつて、ふふふ」と含み笑いする。

 もちろん、島村の子を宿したと思ったのである。

 それから島村の追求に答えて、行男とのいきさつを語る。

   「はつきり云ひますわ。お師匠さんがね、息子さんと私といつしよになればいいと、思つた時があつたかもしれないの。心のなかだけのことで、口には一度も出しやしませんけれどね。さういふお師匠さんの心のうちは、息子さんも私も薄々知つてたの。だけど、二人は別になんでもなかつた。ただそれだけ。」

 けれどもまた、「東京へ売られて行く時、あの人がたつた一人見送つてくれた。一番古い日記の一番初めに、そのことが書いてあるわ」ともいう。

駒子の三味線

宿へ葉子に持たせてきた三味線を、駒子が弾き、唄う。

   忽ち島村は頬から鳥肌立ちさうに涼しくなつて、それが腹まで澄み通つて来た。たわいなく空にされた頭のなかいつぱいに、三味線の音が鳴り渡つた。全く彼は驚いてしまつたと云ふよりも、叩きのめされてしまつたのである。敬虔の念に打たれた。悔恨の思ひに洗はれた。自分はただもう無力であつて、駒子の力に思ひのまま押し流されるのを、快いと身を捨てて浮ぶよりしかたがなかつた。(中略)

   勧進帳が終ると、島村はほつとして、ああ、この女はおれに惚れてゐるのだと思つたが、それがまた情なかつた。

  「こんな日が音がちがふ」と、雪の晴天を見上げて、駒子が云つただけのことはあつた。

それからは、泊ることがあっても、駒子はもう強いて夜明け前に帰ろうとはしなくなった。

 2、3日後、月の冴えた夜、空気がきびしく冷えてから、午後11時近くだのに、駒子は散歩をしようといってきかなかった。

 駅へ行く、という。

 「あんたもう東京へ帰るんでしょう。駅を見にゆくの」という。

 駅から帰ると急にしょんぼりして、島村の要求に、「ううん、難儀なの」という。月経中という意味である。「なあんだ、そんなこと。ちっともかまやしない」と島村は笑って、「どうもしやしないよ」という。

 「つらいわ。ねえ、あんたもう東京へ帰んなさい。つらいわ」といって炬燵(こたつ)の上に顔を伏せる。

   「もう帰んなさい。」
  「実は明日帰らうかと思つてゐる」
  「あら、どうして帰るの?」と、駒子は目が覚めたやうに顔を起した。
  「いつまでゐたつて、君をどうしてあげることも、僕には出来ないんぢやないか。」

   ぽうつと島村を見つめてゐたかと思ふと、突然激しい口調で、

  「それがいけないのよ。あんた、それがいけないのよ。」と、じれつたさうに立ち上つて来て、いきなり島村の首に縋りついて取り乱しながら、
  「あんな、そんなこと云ふのがいけないのよ。起きなさい。起きなさいつて云へば。」と口走りつつ自分が倒れて、物狂はしさに體(からだ)のことも忘れてしまつた。

 月経中であることも忘れてしまった、というのである。駒子の方から身を投げだしたのだ。

   それから、温かく潤んだ眼を開くと、
「ほんたうに明日帰りなさいね。」と、静かに云つて、髪の毛を拾つた。

 見過ごすことのできぬ言葉があった。それは島村の、「いつまでゐたつて、君をどうしてあげることも、僕には出来ないんぢやないか」という言葉である。

 島村は東京の人であり、東京には妻子がある。それを捨ててまで駒子との愛をつらぬこうとは、初めから考えていない。

 では、駒子との愛は、どうなるのか。

 島村は、駒子を愛しても、それ以上、どうしてやることもできないのである。この点に、駒子の哀切さが浮かび上がる。どんなに島村を愛しても、島村はその時点では愛し返してくれても、それだけである。つまり、ふたりの愛の行く末はない。

 ――島村は次の日の午後三時の汽車で立つことになる。

駅の前で

 その日、ふたりが駅まで来たところへ、あわただしく葉子が駈けてきて、「ああっ、駒ちゃん、行男さんが、駒ちゃん。」と駒子の肩をつかんで、「早く帰って、様子が変よ、早く」とすがる。

   駒子は肩の痛さをこらへるかのやうに、目をつぶると、さつと顔色がなくなつたが、思ひがけなく、はつきりかぶりを振つた。

「お客さまを送つてるんだから、私帰れないわ。」
   島村は驚いて、
  「見送りなんて、そんなものいいから。」
  「よくないわ。あんたもう二度と来るか来ないか、私には分りやしない。」

 駒子は極度の葛藤(かっとう)のため、げえっと吐き気を催すが、口からはなにも出ず、目の縁(ふち)が湿って、頬が鳥肌立つ。

 葉子が島村にも必死で頼んで後向いて走り出したのを見送った島村は、「なぜまたあの娘はいつもああ真剣な様子なのだらうと、この場にあるまじき不審」が心を掠めて、「遠ざかる後姿は尚更寂しいものに見えた。」

 さらに、
 「葉子の悲しいほど美しい声は、どこか雪の山から今にも木魂(こだま)して来さうに、島村の耳に残つてゐた。」とある。

 こんな場合なのに、島村の頭には、葉子にたいする関心がつよく尾を曳いているのである。

 それに対して、駒子は島村のために、他のすべてを捨てる。
 島村は駒子に、帰ってやるように説得するが、駒子は聞き入れない。

  いや、人の死ぬの、見るなんか。

 ここは、どう解釈すればいいのだろう。

駒子の決断

 駒子にとって、島村は、今度汽車に乗ったら、いつまた来てくれるかわからない男である。だからここで見送っておかないと、一生後悔する。

 これに対して、行男は過去のひとである。今の駒子にとっては、もう一度逢えるかどうかわからぬ島村を見送る方が大切なのである。駒子は決然と、島村を選んだ。

 島村は、それを受け入れるしかない。

 ……やがて改札が始まる。駒子は、フォームには入らないといって、待合室で島村を見送る。汽車が走り出すと、駒子の姿はたちまち見えなくなってしまう。待合室のガラスが光って、駒子の顔はその光のなかにぽっと浮ぶかと見る間に消えてしまう。それはあの雪の朝、雪の鏡の時と同じに真赤な頬であった。
 
   またしても島村にとつては、現実といふものとの別れ際の色であつた。 

汽車に乗って東京に帰ってゆく島村には、夕闇に浮かんだ葉子の目も、駒子の赤い頬の色も、現実との別れの色だった、と康成は書いているのだ。つまり、雪国の現実と別れて、彼はふたたびトンネルの向こうの世界へと帰ってゆくのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/f0071e44892b2506824a7246bc34d0df
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c31

コメント [政治・選挙・NHK224] 室井佑月「閣議決定で決めてみる?」〈週刊朝日〉 赤かぶ
7. 2017年4月14日 10:55:11 : MhsKhvnTic : KonTLpopQSg[400]
安倍夫婦が関わっているのが真っ黒だから証拠も隠滅証人も出さない、何も関係ないなら総理のそれこそ権限で出せと言えばすぐに明らかになる。安倍晋三は自分も昭恵も大いに関わっていたという事を逆に証明している様なもの。こんな卑怯な人間をかばう屑人間の自民党議員、何も答えない、何も聞くな、と言うなら委員会などいらない、議員も必要ないではないか、安倍自民党に都合の良い事だけを審議するなら委員会など開くな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/126.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK224] <森友隠し>「総理への森友質問は禁止」自民党がブチ切れ強行採決で、民進党が13日からの国会審議をすべて拒否! 赤かぶ
15. 2017年4月14日 10:56:17 : xr5eZObUPU : IntarQI2djE[3]
民進党が ヘタレ過ぎただから あんな低脳な
アホ阿部...腹立つ!胸くそ悪!野党共闘して
早くこのクソキモ阿部を辞めさせよ!
あそことはヤダ!とか言ってないで
まず引きずり降ろせ!
あ〜〜〜ぁぁ イラつく
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/122.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK224] NHKも民放も異常だ!  赤かぶ
54. 斜め中道[1358] js6C35KGk7k 2017年4月14日 10:57:40 : u12DNOjV8I : DpNsSI7B2fY[494]
>>36 さま
すごく賛同。

>>7
“私は浅田真央そのものに何の価値も認めない。
 マスコミの馬鹿騒ぎに反吐が出る。”
・・・後半は、まぁ似たような意見だが、前半は言う必要がないだろ??
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/102.html#c54

コメント [原発・フッ素47] (放射性廃棄物)『燃やして減らしましょう、再利用しましょう』。東大の児玉龍彦氏が南相馬で講演 (民の声新聞) 魑魅魍魎男
9. 2017年4月14日 10:58:02 : JoLHY6vVa8 : 2KZ37Ydb0NI[1]
> 郡山市内の焼却炉で行われた試験では、5万6000Bq/kgに汚染された土壌が、45Bq/kgに浄化

では、残り4万9955Bq/kgの放射性セシウムは、何所にあるのか?

バグフィルターは、直ぐ高線量になって、だれも近づけない物になる。

まさか、消失した主張しているのか?

公務員採用の大部分は、縁故採用だ。

東大教授も、例外ではない。

縁故採用の馬脚が現れただけだ。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/774.html#c9

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
32. 中川隆[7735] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:00:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8225]

愛のゆくえ「雪国」 その7

川端書簡

――ところで、「徒労」をめぐって、川端康成書簡に、面白いものがあった。封筒が欠けていて、1935(昭和10)年10月末と推定されるものだが、越後湯沢から、妻・秀子に宛てたものと思われる。

 それは、そのころ『日本評論』社とは、原稿と引き替えに必ず稿料を渡すという約束があったのに、秀子夫人が持参しても、どうしても金を渡さなかったのである。それで、原稿を渡さず、持ち帰った秀子から、康成に、どうしたらよいかと指示を乞うたらしい。

 康成は、次のように書いている。

   日本評論デクレヌノカ。

   日本評論デクレヌノナラ、原稿取リ戻シ、火急他ヘ売ツテ貰フヨリ仕方ナイト思フガ。

   コノ手紙ツクノハモウ三日ダカラ、評論社ノ方ハドウカトキメテ貰(もら)ツテ下サイ。

他ヘ売ルナラ中央公論デモ改造デモヨイガ、中央公論ノ方ヨカロウ。他ヘ売ル時ハ、題ハ「徒労」、続キナレド、独立シテ少シモ差支(さしつかえ)ナク、チヤントマトマリ、相当面白イモノダト云ツテ下サイ。枚数は七八十枚。後直グ届ケルト。

 「徒労」について、「続キナレド、独立シテ少シモ差支ナク、チヤントマトマリ、相当面白イモノダ」と康成が珍しく自信を持って語っているところに注目したいのだ。この挿話は、秀子夫人の『川端康成とともに』にも書かれている。秀子も「自分の作品についてこうはっきりと言うことは滅多にないことですから、この作品にはよほど自信があったのだと思います」と書いている.。


同時代評

 結局、「徒労」は、「物語」に引きつづいて日本評論社が引き取ったが、同時代評は、この作に高い評価を与えた。

 林武志『川端康成作品研究史』(教育出版センター、1984・10・10)の「雪国」評価を見ると、作品が、あとになるほど評価がますます高くなり、「徒労」「火の枕」などは、ほぼ絶讃されていることが印象深いのである。

 ここで少し前戻りするが、「夕景色の鏡」「白い朝の鏡」から、同時代評を、前引の『川端康成作品研究史』から引用させていただこう。いずれも、抄出である。

☆深田久弥「〈新年雑誌文芸時評(3)受難期の一群―川端氏の作品を推す」(『読売新聞』、1934・12・27)

   川端氏の「白い朝の鏡」及びその続編「夕景色の鏡」は傑作である。小説の理屈はともかく、お終ひになるのを惜しみながらたのしみ読めたのは、新年号幾十の小説のうちこれだけであつた。


☆正宗白鳥「〈新年号の創作評(終)稚気と匠気―川端氏の短篇二つ」(『東京朝日新聞』1935・1・6)

   川端康成氏の「夕景色の鏡」は、何の事やら腑(ふ)に落ちなかつたが、「改造」所載の「白い朝の鏡」を読んで、やうやく得心が行つた。この二篇は必ず併(あわ)せ読まなければならぬのである。(中略)二つの小篇に含まれてゐる事実をそのまゝに見ないで、鏡に映して見たところに、芸術としての異つた色彩が豊かに現れてゐる。

☆上林暁(かんばやし・あかつき)「〈文芸時評〉『文藝春秋』―旅情について」(『作品』1935・2・1)

   東京は遠い、と田舎に居てこの頃思ひつづけてゐる僕は、「比叡」(横光利一)、「夕景色の鏡」(川端康成)の二作を読んで、焼きつくやうな旅情を感じた。(中略)ただ作者横光氏は、旅の風光の中にあつて、風光を睥睨(へいげい)(へいげい)し、考察し、時に子供のやうに風光の中に身を構へてゐるに反し、作者川端氏は、旅から湧く感情に身も心も焦がしてゐる相違が感じられた。(中略)

「夕景色の鏡」は未完であるらしい。雪に埋れた信号所に汽車が停つて、汽車の中の娘が、窓の外を通る駅長と言葉を交はすので、僕の感は極まつた。僕たちが文学の修業をしてゐるのは、こんな美しい情景を探り当てるためだ。

「「徒労」の同時代評

何の用意もなく、時間もないまま書き出したというのに、「夕景色の鏡」「白い朝の鏡」は、いずれも好評である。康成が続編を書きつぐ気になった原因の1つは、この好評にあったかもしれない。

 しかし「徒労」以下になると、同時代評は、さらに絶讃の傾向をおびる。


☆青野季吉「文学と方法―川端氏の『徒労』に就て」
   川端康成の「徒労」(日本評論)はこれまでの言葉で云へば、清純なること珠玉の如き作品である。またじつさい私には、この田舎芸者の姿態を描いた作品をよみ耽りつつ、そういふ古い讃美の言葉が、思はず頭にうかんで来たのであつた。またそれと同時に、至芸といふやうな、旧い言葉も思ひ出された。(中略)

   またこの作品には、謂ゆる心理をとり出した描写といふものが、ぜんぜん無い。女のその場その場で男にしめす姿態と言葉のうちに心理の内容と変化とを見てとるより外はない。そして作者は執拗頑強にこの方法を守り通してゐるのである。しかも作者によつて捉へられた女の姿態と言葉のうちに、いかに精妙に心理の内容と変化が「表現」されてゐることであらうか。驚歎するばかりである。

   「徒労」の文学としての独自の性格は、まさにかくの如きものである。複雑なものが、その複雑さを失はずして、単純化され、圧縮され、すべての含蓄によつて答へられてゐる。而(しこう)して、雪の山地の自然と、人間の在り様とが、渾然(こんぜん)とした一致のなかにおかれ、空間、時間の正確な感じまでが、そこに精細に盛り込まれてゐる。これを絵画にたとえ(ママ)れば巧緻な写生と見へ(ママ)て、さうでなく、既に凡(すべ)てをふくむ写意の妙境に達してゐるものと云つてよいかも知れない。


☆河上徹太郎「文芸時評」(『新潮』1936(昭和11)・1・1)

   (上略)然し今月の傑作はと問はれたなら、私は躊躇(ためらい)なく川端康成氏の「徒労」(日本評論)を挙げる。実際此の一篇があつただけで、お勤めで数十篇の小説を読まされた労を悔いないのであつた。


「萱の花」

 「雪国」の第5編「萱(かや)(かや)の花」は、1936(昭和11)年8月の『中央公論』に掲載された。

 2度めの旅から東京へ帰ってゆく車中から書き出される。

   国境の山を北から登つて、長いトンネルを通り抜けてみると、(中略)こちら側にはまだ雪がなかつた。

 上野(こうずけ)と越後の国境を隔てる山塊の底を、1931年(昭和6年)に開通したループ式の長い清水トンネルが通りぬけてゆくのだ。その間に、雪国という現実から離れて行く。

 車中で、島村は放心状態になる。

 島村はなにか非現実的なものに乗つて、時間や距離の思ひも消え、虚しく體を運ばれて行くやうな放心状態に落ちると、単調な車輪の響きが、女の言葉に聞えはじめて来た。

   それらの言葉はきれぎれに短いながら、女が精いつぱいに生きてゐるしるしで、彼は聞くのがつらかつたほどだから忘れずにゐるものだつたが、かうして遠ざかつて行く今の島村には、旅愁を添へるに過ぎないやうな、もう遠い声であつた。彼はすつかり安心して、別離の情に溺れるばかりだつた。

それから、ふたりがはじめて会ったときから、これまでのいきさつが語られる。そして、三度めの旅について、次のように説明される。
   
   来年の2月の13、4日頃スキイに来ると、島村は約束して置きながら、3度目に来たのは、まる1年以上を過ぎた10月の初めだつた。

 2度目は12月だったから、2月には来ると約束しておいて、それをすっぽかし、10ヶ月もたって、彼はこの土地に現れるのである。

 その10月の初め、3度目の旅は、蛾の精細な描写から始まる。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/f74b0abbc30ea2dd9df645c2d2313ce6


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c32

コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
28. 2017年4月14日 11:02:25 : yKW9HjOUPQ : Y@pP9Q0gwoE[10]
このシオニスト・カルトを支持しているのが、現安倍政権メンバー
らが所属する「日本会議」である。
「日本人とユダヤ人」山本七平氏=イザヤ・ベンダサンではないかという追求が
この書籍が出版された当時なされ、この書籍に書かれてある内容に関しては
浅見定雄氏の著書「にせユダヤ人と日本人」を併せて読まなくてはならないのだが、
この浅見定雄氏は、安倍のバックボーン「統一教会」についても厳しい追求をされて
おり、この極右軍国化「大日本帝国」復活を標榜する日本の極右組織と、統一教会
との関係についても日本国民の多くが現安倍独裁弾圧政権の下、知る所となって
きているわけである。
そしてこの統一教会をバックボーンとする安倍を、強固に支え続ける権力組織が
他でもない笹川財団であり、改憲による国民の基本的人権剥奪と民主主義廃止と
平和主義否定を強力にバックアップしているものである。


http://www.asyura2.com/sora/bd12/msg/459.html
浅見定雄「統一教会と癒着するジャーナリスト」(週金344号)


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060320/p1
2006-03-20
■[ホロコースト]浅見定雄の山本七平批判Add StarDemon_of_Laplace

id:finalvent 氏が依拠する山本七平について。

浅見定雄、『にせユダヤ人と日本人』、朝日文庫

finalvent 氏が引用した山本七平の文章は、『日本人とユダヤ人』の「しのびよる日本人への迫害―ディプロストーンと東京と名誉白人」と題する章に収められている。この章について浅見定雄は次のように述べている。

 いちばん憂鬱な章にかからねばならない。いま私は、この本のためのすべての原稿の最後に?「あとがき」の原稿よりもあとに?重い気持ちで、この十二章にとりかかろうとしている。

 何がそんなに憂鬱か。私たち「日本人」にとって、架空の「ユダヤ人」などより何千倍も身近な隣人である韓国・朝鮮人について、このくらい陰湿な詭弁を読んだことがないからである。単純な無知ゆえの偏見の方が、まだ救いようがあると思えてならない。

(115-116頁)

これ以降を紹介する前にお断りしておくが、私はかつて(角川文庫版の)『日本人とユダヤ人』を所有していたし、いまでも自宅の段ボール箱のどれかにはいっているのか、それとも古本屋に売ってしまったのか、それすら覚えていないが、『にせユダヤ人と日本人』を読むより前に『日本人とユダヤ人』を読んでいた。『にせユダヤ人と…』を読む際にはいちいち『日本人とユダヤ人』とひき比べつつ読んだが、その結果『日本人とユダヤ人』は再読に値しない本であるという結論を下した。

以下の引用文中、傍点は強調(ボールド体)に変えてある。「傍点」とある部分は「強調(ボールド体)」と読み替えていただきたい。また、漢数字で記されたページ数は浅見定雄が引用した『日本人とユダヤ人』のページ数を、アラビア数字で記されたページ数は私が引用した『にせユダヤ人と日本人』のページ数をさす*1。〔 〕内の引用者注は浅見定雄ではなく、私による注。ややこしいがご注意願いたい。


★阿修羅♪ > 戦争b20 > 140.html  

金正恩「斬首作戦」 実行ならば日本経済も打ち首に(週刊新潮)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/140.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 13 日 11:37:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

4. 2017年4月14日 10:45:41 : CqH57Sgt0A : xmSql5dYmgA[17]

▲△▽▼
シオニストの神(実際は悪魔)に子供の生贄を捧げる、そうした殺人儀式のカルト暦に合わせて、毎年世界各地で戦争や災害を引き起こすのが慣例となっているそうである。ゴールデンウィークになると、災害やテロや猟奇的殺人が引き起こされるのも、そうした慣習に乗っ取ったものという点で、ベンジャミンのハザール・マフィアと今回のシリア偽旗毒ガス攻撃の真相解説は、大筋で間違いないであろう。

★阿修羅♪ > 戦争b20 > 132.html  

有毒ガスの流出が偽旗作戦だという公然の秘密をプーチン露大統領は記者会見で明言して米を批判(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/132.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 12 日 10:47:29: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

2. 2017年4月14日 10:37:49 : iNZdZzf4xw : 6PdteuHxKno[31]

▲△▽▼
★阿修羅♪ > カルト17 > 848.html  

ベン・今晩東京テロ警戒、弁財・総連と民団は一緒、ネトゲ・オウムは北、北はCIA、プー・全てのテロはCIA。である
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/848.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2017 年 4 月 13 日 17:25:49: /puxjEq49qRk6 g3yDWINnlcSJcI6ekeM

10. 2017年4月14日 10:33:40 : 4ZLvLJ9Sxs : RH7x6Juh4HY[26]

▲△▽▼
安倍の森友加計アッキード疑獄スキャンダル潰し、そして日本人へ軍事攻撃(ミサイル&化学兵器)の恐怖をしっかりと植え付け、国防意識を飛躍的に煽り、安倍・偽極右自称愛国シオニスト政権による、軍事国家化政策の推進と、シオニスト・グローバリストらの戦争ビジネス維持強化が今回の偽旗化学兵器詐欺&トランプ軍事攻撃、そして北朝鮮への軍事攻撃、あるある詐欺の目的だということが、ベンジャミンの言で
明白となった。このVTRだけ眺めていると、あたかもベンジャミンの言が正しいような錯覚に囚われるが、所詮シオニスト・グローバリストとアメリカのために永久日本ATM奴隷国家支持が、彼の本音であるという根っこに目を向ければ、脳内補正をしっかりと働かせて情報を解釈しなくてはならない。
ミサイル発射か何らかの動きがあるような、北朝鮮将軍の「木曜日に云々(デンデン)」発言は、今回のトランプによる軍事攻撃が、上記シリアへのと同じく偽旗でありツーカー同士シナリオありの残念プロレスに過ぎないことを、示唆するものである。
安倍は親分シオニスト・グローバリストの与えてくれた「今そこにある危機」を、精一杯演じきることが、シオニスト・グローバリストへの奉公であり恩返し。
トランプが全面的に協力してくれる運びとなり、心強いことだろう。
大枚カネを貸し付けている中国も、トランプ軍産複合体政権が画策したシナリオに
協力援護、極東「今そこにある危機」劇場で、アメリカ軍産複合体政権の維持を前面アシスト、そういう見方も可能かと。

https://www.youtube.com/watch?v=CAV_nvcIF8M

北朝鮮が日本に核兵器を使って脅してきている問題の裏に潜むザール・マフィアの工作【ネット TV ニュース.報道】国家非常事態対策委員会 2017/04/13

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c28

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍政権、完全に末期症状出ちゃってるよ。独裁者らしく甘えるには、下は下過ぎ、上は上過ぎる。大人しくしておればいいものを! 赤かぶ
13. 斜め中道[1359] js6C35KGk7k 2017年4月14日 11:02:26 : u12DNOjV8I : DpNsSI7B2fY[495]
53%・・・ゴミ・・・国民の総意。

・・・という、神秘的な数字だなぁ・・・
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/136.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK224] 野党共闘でなく政策共闘こそ勝利のキーワードー(植草一秀氏) 赤かぶ
7. 真相の道[2181] kF6RioLMk7k 2017年4月14日 11:03:22 : T8iD3fD606 : kQK1OSr0eCg[1096]
    
国政の基本が、

@ 共産党

 ・共産主義であり、株式会社は廃止、農地などの生産手段は個人所有禁止
 ・日米安保廃止
 ・自衛隊廃止


A 民進党

 ・民主・資本主義
 ・日米安保は継続、重視
 ・自衛隊強化
   
  
以上の通り、国家の基本政策が真逆。
  
すなわち、民進党と共産党の共闘は国民騙しと言えるでしょう。
  
      
    

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/166.html#c7

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
33. 中川隆[7736] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:03:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8226]

愛のゆくえ「雪国」 その8

 2度目は12月だったから、2月には来ると約束しておいて、それをすっぽかし、10ヶ月もたって、彼はこの土地に現れるのである。

 その10月の初め、3度目の旅は、蛾(が)の精細な描写から始まる。


蛾(が)の精細な描写

   蛾が卵を産みつける季節だから、洋服を衣桁(いこう)や壁にかけて、出しつぱなしにしておかぬやうにと、出がけに細君が云つた。

   いかにも、、宿の部屋の軒端に吊した装飾燈には、玉蜀黍(たうもろこし)色(とうもろこしいろ)の大きい蛾が六七匹もぢつと吸ひついてゐた。次の間の3畳の衣桁にも、小さいくせに胴の太い蛾がとまつてゐた。

 以下につづく蛾の描写は、康成の技量を示して、すさまじいばかりの迫力である。さらにこの章の中ほどに、秋が深まって昆虫どもの死んでゆく場面が描かれる。見過ごすことのできない描写だから、ここに引用しておこう。

   彼は昆虫どもの悶死するありさまを、つぶさに観察してゐた。

   秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も、日毎にあつたのだ。翼の堅い虫はひつくりかへると、もう起き直れなかつた。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るやうに自然と亡びてゆく、静かな死であつたけれども、近づいて見ると、脚や触覚を顫(ふる)はせて悶(もだ)えてゐるのだつた。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののやうに眺められた。

 わたくしたちはここに、「禽獣」に描かれた数々の鳥や犬や人の死の姿を思い出す。「禽獣」の「彼」の冷酷非情な眼が、ここには存分に発揮されているのだ。そしてこの眼はそのままに、駒子や葉子を映しだす冷え冷えとした眼である。島村は、「禽獣」の「彼」のまぎれもない後身である。
   
鳥追い祭

   駒子は少し後れて来た。
   廊下に立つたまま、真向に島村を見つめて、

  「あんた、なんしに来た。こんなとこへなんしに来た。」
  「君に会ひに来た。」
  「心にもないこと。東京の人は嘘つきだから嫌ひ。」
   そして坐りながら、声を柔かに沈めると、
  「もう送つて行くのはいやよ。なんともいへない気持だわ。」(中略)

  「あんた二月の十四日はどうしたの。嘘つき。ずゐぶん待つたわよ。もうあんたの云ふことなんか、あてにしないからいい。」

2月の14日には、鳥追い祭がある。雪国らしい、子供の年中行事である。その頃は、雪もいちばん深い時であろうから、島村は鳥追い祭を見に来ると約束しておいて、すっぽかしたのだった。

 駒子は、二月は商売を休んで実家に帰っていた。そこへお師匠さんが肺炎になったという知らせが来た。駒子は看病に行っていたのだが、14日には、島村が来ると思って、わざわざ看病を途中にして、この温泉に帰ってきたのだった。

 この作品のところどころに出て来る「港」とは、駒子のモデル松栄の生まれ故郷、三条市を想定しているのであろう。

 湯沢から近くに、港に該当するような町はない。新潟も直江津も遠すぎる。湯沢からほどよい距離で、少し整った町、というと、三条市がいちばん適切である。
 駒子は師匠の看病を途中で放棄して湯沢に帰ってきたのだった。それなのに、島村は来なかった。お師匠さんは死んだ。

 島村の不誠実が、かえって駒子を惹(ひ)きつける一例である。

二十一歳の意味

 駒子は、「胃が痛い」といって島村の膝へ突っ伏す。襟をすかして、白粉の濃い首が見える。

   首のつけ根が去年より太つて、脂肪が乗つてゐた。二十一になつたのだと、島村は思つた。

 この作品の構造を考える上に、無視できぬ1行である。

 島村とはじめて会ったとき、駒子は19であった。もちろん戦前の数え方であるから、数えである。

 島村が二度目に来たのは、その年の12月、そして3度目の今回は、それから10ヶ月後の10月である。

 だから当然ここは、「二十」とあるのが正しい。この年立ての乱れを論じた平山三男は、作者の錯誤であるとする。

 しかし作品をここまで読んできた読者は、その濃密な連続する空気から、島村と駒子とは、はじめて会ってから、かなり長いように錯覚している。それほどに濃密なのである。

 2月の鳥追い祭に来ないで10月に来た、と書いた川端康成は、もちろんここが正しくは「二十」と書くべきであることをよく知っていただろう。しかも康成は、あえてここを「二十一になつたのだ」と書いたのである。

 「雪国」全体を通して、この3度目の逗留が長くなり、次の年の2月ごろになるのではあるけれども、実際は、島村は都合3度しか雪国に来ていない。

 駒子とはじめて会ってから、雪中火事の場面まで、実際には2年足らず、1年と7、8ヶ月程度である。しかしその事実を読者に自覚させると、せっかくの作品の厚みが薄っぺらなものになってしまう。

 康成は、濃密な内容に合わせて、島村と駒子の仲が3年も4年もつづいているかのように読者を錯覚させなければならないのである。

 そこであえて、ここを正しく「二十」とは書かずに、「二十一」と書いて読者を欺いたのである。作品として、その方がいい、とわたくしは考える。

雪国の現実

 しかし、3度目の訪問で、雪国の現実が大きく変貌していることも事実である。

 駒子が姉のように慕う芸者菊勇は、好きな男に騙(だま)されたために、せっかく旦那に建ててもらった店を手放し、別の町に新しく稼ぎに出ることになる。

 行男はもちろん、駒子のお師匠さんも死んだ。

 駒子も、置屋(おきや)が変わって、新しく4年の年季奉公に出るようになっている。
 容赦(ようしゃ)ない現実の波が、この雪国の世界にも押し寄せているのである。変わらないのは、駒子の島村に寄せる一途の愛だけである。

   「あんた私の気持分る?」
   「分るよ。」
   「分るなら云つてごらんなさい。ね、云つてごらんなさい。」と、駒子は突然思ひ迫つた声で突つかかるやうに云つた。

「それごらんなさい。云へやしないぢやないの。嘘ばつかり。あんたは贅沢に暮して、いい加減な人だわ。分りやしない。」

    さうして声を落すと、

   「悲しいわ。私が馬鹿。あんたもう明日帰んなさい。」
   (中略)

   「一年に一度でいいからいらつしやいね。私のここにゐる間は、一年に一度、きつといらつしやいね。」

 何と哀切な、美しい言葉であろう。男が不誠実であることを百も承知しながら、1年に1度でいいから来てほしい、と女はいうのである。

 ところで、次の1節も、この作品の構造に関係がある。

   「私がここへ来てから4年だもの初めは心細くて、こんなところに人が住むのかと思つたわ。汽車の開通前は寂しかつたなあ。あんたが来はじめてからだつて、もう3年だわ。」

    その3年の間に3度来たが、その度毎に駒子の境遇の変つてゐることを、島村は思ひ出した。

汽車の開通とは、もちろん1931(昭和6)年に開通した清水トンネルを指している。上越線は、この開通によって東京から新潟県まで楽に来られるようになり、越後湯沢の湯治客も桁(けた)違いに殖えたのだ。

 「その3年の間に3度来たが」は、正しくは「2年の間に3度来たが」である。あるいは、「2年ちよつとの間に」とすべきところを、康成は強引に「3年の間に3度」と、あえて錯誤を犯したのである。さきに述べたのと同じ理由からである。

 また「萱(かや)の花」では、駒子に旦那のいることがはじめて明かされる。その人は「港にゐる」という。芸者松栄(まつえ)の旦那は東京にいた。が、この作中では「港」とされている。「親切な人だのに、一度も生き身を許す気になれないのは、悲しい」と駒子はいう。

 じつは、ずっとのちに駒子のモデル芸者松栄に会って取材した和田芳恵によれば、松栄には、まだこのほかに意中の人がいた。しかしこれは、のちに述べることにしよう。

「火の枕」

 「雪国」の第6篇「火の枕」は、1936(昭和11)年10月号の『文藝春秋』に発表された。

 その冒頭近くに、駒子の言葉に触発されて、島村が人間の官能について考える場面が登場する。康成の、男女のあり方についての考えの示された、重要な一節である。

   「人間なんて脆(もろ)いもんね。すつかりぐしやぐしやにつぶれてたんですつて。熊なんか、もつと高い岩棚から落ちたつて、體(からだ)はちつとも傷がつかないさうよ。」

 と駒子が云った。岩場でまた遭難があったのだ。このことばを聞きながら、島村は次のように思う。

   熊のやうに硬く厚い毛皮ならば、人間の官能はよほどちがつたものであつたにちがひない。人間は薄く滑らかな皮膚を愛し合つてゐるのだ。

 島村のこの感想には、自分が官能というものに深くとらわれていることを痛感した上での、そのようなものにつき動かされて生きてゆかねばならぬ、自分や駒子を含めた人間のあり方に対する限りない愛惜がある。

 人間がたとえば熊のように逞しく荒々しいだけの官能を与えられているのなら、人間の生存様式はおのずから別のものとなっていただろう。けれども人間に付与されたのは、「薄く滑らかな皮膚」であった。そのような脆い繊弱な肌を与えられた結果、人間は舐めるようにささやかに、互いの肌を愛しあいながら生きてゆかねばならぬ。そこに人の世のさまざまの哀歓も生じてくる。……

 「雪国」の本質を示唆したような一節である。

葉子の登場

これまでも、葉子は時々、いろいろなところで登場していた。そしてそのたびに島村は、その一挙一動が心に残るのであった。

 しかし「火の枕」の後半では、葉子が大きく迫るように前面に出て来る。

 そのピークは、島村の留まっている宿で土地の人の宴会があり、さすがの駒子も「今日は来られないわよ、多分」と云った夜である。

駒子の結び文をことずかって葉子が来たあと、酔って島村のところへ来た駒子のことばは異様である。

   「あの子なんて云つた? 恐しいやきもち焼きなの、知つてる?」
  「誰が?」
  「殺されちやい(ママ)ますよ。」
  「あの娘さんも手伝つてるんだね。」
  「お銚子を運んで来て、廊下の陰に立つて、ぢいつと見てんのよ、きらきら目を光らして。あんたああいふ目が好きなんでせう。」

 ここで「恐しいやきもち焼き」と言われているのはもちろん葉子のことであり、やきもちを焼いている相手は駒子である。しかし何故に葉子は駒子に嫉妬し、「きらきら目を光らして」駒子の座敷を見ているのだろうか。

 「殺されちやい(ママ)ますよ。」――これも素直に読めば、島村が葉子に殺されかねないと駒子は言っているのである。前後から考えると、駒子と島村の仲を葉子が嫉妬している、それも島村を殺しかねないほど激しく、ということになる。

 この時点まで、島村は葉子を遠くから凝視していたばかりであり、葉子とことばを交わしたことも、二度めの旅の終りのあわただしいやりとりだけであった。だから、葉子が島村を恋しているとも受けとれるこの場面は唐突である。

 あるいは葉子は、島村自身を恋しているのではなく、激しい恋愛をしているということ自体で駒子を嫉妬しているとも考えられるが、しかしそれにしても葉子のこの感情は異常であり、読者は意表をつかれた思いがする。

 けれども不思議なのは、この場面が意外であるにもかかわらず、いやむしろ、意外である故にかえって、読者は、この妖しい心理の交錯に惹きこまれるのである。

 この緊張は、次の場面でさらに高まる。ふたたび駒子の結び文を持ってきた葉子に、島村が話しかけた部分である。

   「あの人は(中略)君の話をするのをいやがるくらゐだよ。」
  「さうですか。」と、葉子はそつと横を向いて、
  「駒ちやんはいいんですけれども、可哀想なんですから、よくしてあげて下さい。」
   早口に云ふ、その声が終りの方は微かに顫(ふる)へた。

   「しかし僕には、なんにもしてやれないんだよ。」
    葉子は今に體まで顫へて来さうに見えた。危険な輝きが迫つて来るやうな顔から、島村は目をそらせて……。

葉子が「そつと横を向いて」「駒ちやんはいいんですけれども」と言ったのは、駒子の自分に対する態度を受けとめて、微妙な心の波立ちをおさえ、それは赦してもいいと答えたのであるが、しかし次の「可哀想なんですから、よくしてあげて下さい」と頼んだのはわかるとして、「早口に云ふ、その声が終りの方は微かに顫へた」というのは、何を意味するのだろう。

 心の表層では駒子が島村に愛されることを願いながら、本心はそれに烈しい悋気(りんき)の焔をもやし、自分の方が島村に愛されることをひそかに希っている――そう考えなければ、次に「體まで顫へて来さうに」なる葉子の内面は理解できない。さらに「危険な輝きが迫つて来るやうな顔」とは、葉子が今にも自分を愛してくれと言い出すかもしれぬ、きわどい瞬間がおとずれていたことを示唆しているとしか考えられない。

 つまりここでは、それまで島村から見られるばかりの存在で、あたかも影のようであった葉子が、いつのまにか島村に愛を訴えかねない危険な存在になっているのである。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/e57427e059a851b111e57c77fbf903a5
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c33

コメント [政治・選挙・NHK224] NHKも民放も異常だ!  赤かぶ
55. 貧困撲滅[332] lW6NopZvlsU 2017年4月14日 11:03:58 : EwNBARmk3s : vYYRLD@RhiU[33]
【▲ 質問 : ペドフィリア(小児性愛者)ネットワークに関与した人達が、世界中で逮捕されていることはご存じですか?
★ 答 : ええ。逮捕者は多数出ていますが、上層部はまだです。 そのネットワークの中間階級管理者は、各国で数多く逮捕されています。そのことは代替メディアで暴露されていますが、主流のマスメディアでもある程度報道されています。

▲質問 : 児童売買とペドフィリアのことが近い内に表面化して、人々に意識されるようになると思いますか?
★ 答 : ええ、それは開示プロセスの一部です。既に一部の地域では、表面化していますが、 間もなく、それが否(いな)めない事実として人々に意識されるようになるでしょう。近々、そうなると思います。】

【★ : 今、様々な派閥の間で、激しい内部闘争が起きています。クリントン・ロックフェラー派閥と、トランプ・イエズス会の派閥の間での内紛の結果、政権内で多くの辞職や変化が起きています。 でも、それは人々が思うほど重要なことではありません。何故なら、舞台裏で糸を引いている人達は、表に登場していないからです。 メディアに、報道されることすらありません。彼らは、正体を見せていません。 彼らは計画遂行の為に、特定の人間を看板役にしているだけに過ぎません。】

【★ : カバールの基地の大半は、カバールと伝統的に結びついている国々の中にあります。つまり、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアです。 他にイギリス、トルコ、日本にもある程度あります。現時点で、それ以外の国にはほぼありません。】

【★ : 基本的に一番いいのは、ビジョンを先ず持つことです。そのビジョンを維持して、周りの状況を警戒しつつも、それに捉われ過ぎないことです。】
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/102.html#c55

コメント [政治・選挙・NHK224] <安倍内閣どうでしょう>内閣支持率10ポイントダウン!安倍内閣「支持しない」50%「支持する」46%(全道世論調査) 赤かぶ
16. 2017年4月14日 11:05:16 : w7SikJBrCI : DM3x@Az4RSM[317]
04さん、同感。
下がった、と言えばその調査に付随している数字まで抱き合わせで信じるのは人が良すぎる。

道新は2003~5年の道警裏金事件報道で、道警から圧力をかけられ敏腕記者を処分してから政府のイヌになった。それでもたまに「革新的な」「調査報道」が見られるのは道民の感情とのバランスをとってあっちについたり、こっちについたりしているからだ。読朝毎日より「ちょっと」下げてお茶を濁しているだけだ。

12000人の調査をしたFacebookの6.4%(本来5.0%だった)の方が真実に近い。インターネットをやっていない人がハジかれているから正確ではない、という人は固定電話を持っていない人がハジかれる方が大きいことを指摘したい。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/114.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK224]
1. 新共産主義クラブ[3682] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年4月14日 11:09:04 : PQXJWdncjo : PyeAYx@OGno[14]
 
 昭恵氏が運営している UZU の名は、神道に由来しているらしい。
 
 組み抜けしたり、組が解散した後、元暴力団員が、新銀行東京などから融資してもらい、テナントビルのオーナーになることは是か非か、
 
 さらに、首相夫人がそのような人物と付き合うことは是か非か、という問題だろう。
 
 
 暴力団員は減っているが、元暴力団員は増えている。
 
 自民党や神社本庁にとっては、元暴力団員は、有難い存在かもしれない。
 

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/177.html#c1
コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
34. 中川隆[7737] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:09:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8227]

愛のゆくえ「雪国」 その9

激しい謝罪の方法

 この場面はさらに発展して、

  「早く東京へ帰つた方がいいかもしれないんだけれどもね。」
  「私も東京へ行きますわ。」
  「いつ?」
  「いつでもいいんですの。」
  「それぢや、帰る時連れて行つてあげようか。」
  「ええ、連れて帰つて下さい。」と、こともなげに、しかし真剣な声で云ふので、島村は驚いた。(中略)

  「あの人に相談した?」
  「駒ちやんですか。駒ちやんは、憎いから云はないんです。」

   さう云つて、気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反つて、駒子に対する愛情が荒々しく、燃えて来るやうであつた。得体の知れない娘と、駈落ちのやうに帰つてしまふことは、駒子への激しい謝罪の方法であるかとも思はれた。

 「雪国」後半の山場の1つである。それまで背景にちらちらと影を見せた葉子が前面に出て来て、島村の言葉に誘発されるように「ええ、(東京に)連れて帰つて下さい」と、こともなげに言う。

 もしこの得体の知れぬ娘を連れて、駈落ちのように東京に帰ったら、それはもちろん、駒子への最大の裏切りである。駒子が気にしている葉子を連れて帰ることは、駒子にいちばん傷を与えることである。

 それを島村は、「駒子への激しい謝罪の方法であるか」とも思うのである。駒子の一途に慕い寄ってくる愛を、島村は十分に自覚している。しかも、そんな駒子に対して、自分は何もしてやれないという呵責(かしゃく)が島村には深くある。そんな駒子への最大の謝罪が、思い切った裏切りであると、島村は考える。それほどまでに、駒子の愛の深さを知り、追いつめられているのだ。

 こんな島村に呼応するように、少し後のところではあるが、駒子がこう言う一節がある。

   「あの子を見てると、行末私のつらい荷物になりさうな気がするの。(中略)私の荷を持つて行つちやつてくれない?」(中略)

   「あの子があんたの傍で可愛がられてると思つて、私はこの山のなかで身を持ち崩すの。しいんといい気持。」


駒子には、島村がそれほど遠くない先、自分を捨てて雪国を去るという予感がある。それを、自分の最もつらい方法で実行してほしい、その方が自分は捨てられたことが身にしみて、気が楽になる、というのである。

 あの子があんたの傍で可愛がられてると思って、私はこの山のなかで身を持ち崩すの。――それは、駒子の何と哀切な愛情であろう。
 そのように駒子の愛を牽制する存在として、葉子は描かれているのだ。

 なお、初出にはないが、1937(昭和12)年に刊行された〈旧版『雪国』〉では、
「得体の知れない娘と、駈落ちのやうに帰つてしまふことは、駒子への激しい謝罪の方法であるかとも思はれた。」のあとに、「またなにかしら刑罰のやうでもあつた。」の1行が加えられている。定本も、加えられたままである。

 「謝罪」「刑罰」――島村の、駒子に対する自責の感情を重く引きずった気持ちがよく表れている表現である。

小林秀雄の「文芸時評」

 小林秀雄は、「火の枕」を、「作家の虚無感―川端康成の『火の枕』」と題して、「報知新聞」の「文芸時評」(1)で評した。単にこの作品だけを論じたというよりも、「雪国」論、川端康成論としても、その本質を射抜いた言葉と思われる。これについては、のちにもう1度考える予定であるが、とにかくその核心部分をここに引用しておこう。

   しかし、この作品も、氏の多くの作品と同時に、その主調をなすものは氏の抒情性にある。ここに描かれた芸者等の姿態も、主人公の虚無的な気持に交渉して、思ひも掛けぬ光をあげるといふ仕組みに描かれてゐて、この仕組みは、氏の作品のほとんどどれにも見られるもので、これはまた氏の実生活の仕組みでもあるのだ。

   氏の胸底は、実につめたく、がらんどうなのであつて、実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも思つてゐる。氏はほとんど自分では生きてゐない。他人の生命が、このがらんどうの中を、一種の光をあげて通過する。だから氏は生きてゐる。これが氏の生ま生ましい抒情の生れるゆゑんなのである。作家の虚無感といふものは、ここまで来ないうちは、本物とはいへないので、やがてさめねばならぬ夢に過ぎないのである。

 「火の枕」につづく第7篇「手毬(てまり)歌」は、1937(昭和12)年5月号の『改造』に発表された。

   「駒子が憎いつて、どういふわけだ?」

  「駒ちやん?」と、そこにゐる人を呼ぶかのやうに云つて、葉子は島村を刺すやうに睨んだ。

「駒ちやんをよくしてあげて下さい。」
  「僕はなんにもしてやれないんだよ。」

   葉子の目頭に涙が溢れて来ると、畳に落ちてゐた小さい蛾を掴んで泣きじやくなりながら、

  「駒ちやんは、私が気ちがひになると云ふんです。」と、ふつと部屋を出て行つてしまつた。

最後の1行は、「雪中火事」の終幕の伏線ともいうべき部分である。

 ――連載はここで終わって、翌6月に、創元社から、いわゆる〈旧版『雪国』〉が刊行される。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/88be5ad7261da1dda852fbb933b679cc


愛のゆくえ「雪国」 その10

「いい女」の意味

種々の雑誌に気随気ままに分載された「雪国」は、1937(昭和12)年6月12日、創元社から刊行された。いわゆる 旧版『雪国』である。

 第7篇「手毬歌」までを加筆削除し、さらに八頁ばかり書き加えられている。
 物語の冒頭は、現在も人口に膾炙(かいしゃ)する、次の名文に変わっている。

   国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。夜の底が白くなつた。

この加筆のなかで、最も重要な箇所は、「いい女」をめぐる言葉のやりとりだろう。

  その一人の女の生きる感じが温く島村に伝はつて来た。

  「君はいい女だね。」
  「どういいの。」
  「いい女だよ。」
  「をかしな人。」と、肩がくすぐつたさうに顔を隠したが、なんと思つたか、突然むくつと肩肘立てて首を上げると、

「それどういふ意味? ねえ、なんのこと?」

   島村は驚いて駒子を見た。

  「云つて頂戴。それで通つてらしたの? あんた私を笑つてたのね。やつぱり笑つてらしたのね?」

   真赤になつて島村を睨みつけながら詰問するうちに、駒子の肩は激しい怒りに顫へて来て、すうつと青ざめると、涙をぽろぽろ落した。

  「くやしい、ああつ、くやしい。」と、ごろごろ転がり出て、うしろ向きに坐つた。
   島村は駒子の聞きちがひに思ひあたると、はつと胸を突かれたけれども、目を閉ぢて黙つてゐた。

  「悲しいわ。」

   駒子はひとりごとのやうに呟いて、胴を円く縮める形に突つ伏した。

 島村は、単純に、駒子をいろいろの面から「いい女」と言ったのである。ところが駒子は、その意味をとり違えた。男に快楽を与える生まれつきの體をもっている女、という意味に受けとめた。

 だから、「それで通つてらしたの?」「やつぱり笑つてたのね」と言い、「くやしい」と、ごろごろ畳を転がるのである。

 駒子が部屋を出ていったあと、「島村は後を追ふことが出来なかつた。駒子に云はれてみれば、十分に心疚(やま)(やま)しいものがあった。」と考えるのである。

 この箇所は、駒子について読者に新しい知識を与えるものであるが、以前、「夕景色の鏡」のところで大きく削除した部分を補った、とも考えられる。

 まだ16、7の頃に、自分がどんなにいい女であるかを、男から噛んでふくめるやうに教へられ、その時はそれを喜ぶどころか、恥ぢるばかりだと、男はいよいよむきになつて褒めちぎつたので、やがて男の云ふことが彼女の頭の底に宿命のやうに沈みついてしまつたのだつた。

 この削除した一節を、「いい女」という表現で補ったのではなかろうか。

 「雪国」は、このあと、その次の朝、駒子が早くから島村の部屋に来て謡をうたうところで終幕を迎える。

 今年初めての雪が降りはじめたのだ。紅葉の季節はもう終わりである。

   島村は去年の暮のあの朝雪の鏡を思ひ出して鏡台の方を見ると、鏡のなかでは牡丹雪の冷たい花びらが尚大きく浮び、襟(えり)を開いて首を拭いてゐる駒子のまはりに、白い線を漂はした。

   駒子の肌は洗ひ立てのやうに清潔で、島村のふとした言葉もあんな風に聞きちがへねばならぬ女とは、到底思へないところに、反つて逆らひ難い悲しみがあるかと見えた。

   紅葉の銹(さび)色(にびいろ)が日毎に暗くなつてゐた遠い山は、初雪であざやかに生きかへつた。

   薄く雪をつけた杉林はその杉の一つ一つがくつきりと目立つて、鋭く天を指しながら地の雪に立つた。

〈旧版『雪国』〉は、ここで閉じられる。紅葉の季節が終わり、初雪が降ったという季節の変わり目である。

 作品集として少し頁が足りないので、「父母」「これを見し時」「夕映少女」「イタリアの歌」の四編が加えられている。いずれも、1936(昭和11)六年に各誌に発表されたものである。

 「あとがき」はない。ただ各篇の初出が一覧として挙げられている。発行は1937(昭和12)年6月12日、定価1円70銭である。版元は、創元社。

 このほか、この初版には、各誌に挙げられた讃辞・批評を集めたパンフレットがついていた。

「雪中火事」「天の河」

 それから3年たった1940(昭和15)年、『公論』という雑誌の12月号に、突然「雪中火事」という川端康成の作品が掲載された。

 はじめは、これまでの「雪国」とは少し趣きが変わって、「昔の人の本」が長々と紹介されているが、読んでゆくと、明らかに「雪国」の続編である。

 旧版『雪国』は、3度めの旅の、季節が紅葉から初雪の降る場面で終わっていた。いわば終わりともいえない終わり方だった。

 それに対して、この作品は、3度目の旅のつづきと思われる。
 ふたりの愛の行く末がもう見えている、という書き方だった。

   また駒子とかうしげしげ会ふにつれて、島村は動くのがいやになつた。うちへ帰るのも忘れた長逗留だつた。別れともないからではない。つかれてものういからでもない。いはば自分のさびしい姿を見ながら、ただぢつとたたづ(ママ)んでゐるのだつた。

  駒子がせつなく迫つて来れば来るほど、島村は自分が生きてゐないかのやうに思はれ出した。駒子の熱い火に身のまはりをつつまれて、島村は自分のなかにも一点の小さいともし火が見えて来たが、それはなぜか死の象徴を感じさせた。駒子を愛する術さへ知らぬことが情なくてならなかつた。

   駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村のなにも駒子には通じはしない。このやうな島村のわがままはいつまでも続けられるものでなかつた。駒子が形のない壁に突きあたる音を島村は雪の夜空に聞いた。

   島村はこの温泉場から出発するはずみをつけるつもりもいくらかあつて、縮(ちぢみ)の産地へ行つてみることにした。

ここには、ふたりの愛の行き違いが、はっきりと書かれている。

「駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村のなにも駒子には通じはしない。」それを康成は、「駒子が形のない壁に突きあたる音を島村は雪の夜空に聞いた」と表現する。

 島村はもう、別れなければならない、と思っているのだ。この温泉場を自分が去るしかない、と思っている。そのはずみをつけるために、縮の産地へ行ってみようかと考えるのである。

雪中火事の構想

 いったいなぜ、康成は続編を書くというような無謀を企てたのだろうか。
 この点について康成は決定版『雪国』(創元社、1948〈昭和23)年12月25日刊行)の「あとがき」に、こう書いている。

   昭和12年に創元社から出版し、その後改造社版の私の選集や1、2の文庫本にも入れた「雪国」は実は未完であつた。どこで切つてもいいやうな作品であるが、始めと終りとの照応が悪いし、また火事の場面は中頃前を書く時から頭にあつたので、未完のままなのは絶えず心がかりであつた。しかし、本にまでなつて1度この作品を片づけて立ち去つた気持も強く、残りはわづかながら書きづらかつた。

これによると、続きを書く気持になった原因は2つ――ひとつは、始めと終りとの照応が悪いこと、もうひとつは、雪中火事を書く構想が、かなり早くからあったことである。

 この2つのために、康成はあえて、1度本に出したものの続編を書くというみっともないことに、踏み切ったのであろう。

 このうち、後者については、すでに重要な指摘がなされている。

 「雪国」について精力的な探求をつづける平山三男は、「『雪国』の虚と実――『雪中火事』の新資料報告――」(『解釈』1977・1・1)において、重要な資料を提示して解説を加えている。また『遺稿「雪国抄」――影印本文と注釈論考――』(至文堂、1993・9・20)でも詳しく述べられている。

 平山によると、1935(昭和10)年10月22日、越後湯沢で火事があった。火が出たのは、「有限責任 湯沢乾繭(かんけん)場劇場 旭座」である。これは当時、湯沢村、神立村など5つの村の組合による共同経営がなされていたもので、集められた繭(まゆ)を乾燥するのが本来の目的だが、蚕(かいこ)の合間や冬期には劇場にも使われ、映画や素人歌舞伎・芝居などが演じられた建物という。

 火事の当日は、神立村の青年会が、会の活動資金を得るため、長岡から映画の上映権を買ってきて映画を上映していた。

 2巻目の「あゝ玉杯に花うけて」を上映中、夜9時ごろ、出火した。

 その様子は、「雪国」の中で宿の番頭がいう「活動のフイルムから、ぼうんといつぺんに燃えついて、火の廻りが早いさ」という言葉どおりであったという。

 1935(昭和10)年10月のこの時期、康成は、この湯沢に長期滞在していた。「物語」と「徒労」を書いたときである。まだ雪は降っていなかった。

 この火事を目撃したことが、康成の「雪国」執筆に大きな波紋をもたらした。

 平山は、その事実を証するため、第4次37巻『川端康成全集』補巻2に収録された水島治男宛て「昭和10年10月23日附」川端康成書簡(2の2)を紹介している。

   (前略)この小説は「雪国」と題し、来年2月、もう1度ここに来て、最後を書きます。雪に埋もれた活動小屋の火事で幕を閉じやうかと、昨夜火事(繭の乾燥場に活動写真あつて焼けました。)を見て思ひつきました。

 水島治男は『改造』の編集者であるが、注目すべきは、この時期、康成が「白い朝の鏡の続きを今書いてゐます」という点である。非常に早い時点で、雪中火事の構想が康成のうちに生じているのである。また作品も、「来年2月、もう1度ここに来て、最後を書きます」とあるように、決して長篇の構想があったのではなく、中編ぐらいの長さを康成が頭に描いていたことが推定されるのである。

 このときの康成の湯沢滞在は1935年の9月30日から10月29日までの、1ヶ月に及ぶ長いものであった。

 この時の日記が、以前に引用したように「『雪国』の旅」に掲載されているが、その掲載された期間は、同年9月25日から10月16日までである。

 つまり康成は、「雪国」の手の内を読者に見せたふりをして、火事のあった22日以前の16日で、この日記を切っている。すなわち、絶好の素材となるであろう雪中火事の事実を、読者に知らせることなく、日記を打ち切っているのである。

鈴木牧之『北越雪譜』

 書きおくれたが、「雪中火事」の冒頭は、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜』を引用したものである。

 康成はこの書を、〈旧版『雪国』〉刊行後に知って読んだという。

 ちなみに鈴木牧之は越後の商人で文人でもあった人(1770―1842)。『北越雪譜』は7巻から成り、越後の雪の観察記録を中心に、雪国の風俗、習慣、言語を記したもので、天保年間に刊行された。

 康成はそのなかから、特に縮(ちぢみ)について書かれた部分を引用した。縮を織ることは、雪国の女たちの勤勉で我慢づよい性格をよく現し、それは駒子の美質に通じると考えたからであろう。また越後縮(えちご ちぢみ)の清涼な肌合いが駒子の清潔な気質にも通じると考えたからであろう。

 縮の肌に涼しいのを書いたあと、「島村にまつはりついて来る駒子にもどこか根の涼しさがあつた。そのためによけいに駒子のみうちのあついひとところが島村にあはれであつた。」と記した1節が、そのことを語っているだろう。

 もう1つ、以下の1節も、この作品に深いところで通じていると思ったに違いない。

   しかしその無名の工人は無論とつくに死んで、その縮だけが残つてゐる。その暮しの苦しみはこの世に跡形(あとかた)(あとかた)もなく消えて、ただその美しいものだけが生きてゐる。なんの不思議もないことが島村はふと不思議であつた。

 恋愛も、その過程のさまざまな葛藤(かっとう)は時間が過ぎるときれいに消えて、ただ恋愛の名残りだけがはかない美しさとして残されてゆく。あるいは、恋愛の実質は跡形なく消えて、あとにはなにも残らない。

 その不思議が、縮(ちぢみ)の不思議と重なると考えられたからではあるまいか。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/2b7102eebd22144442d2ba45201c224a
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK224] <森友隠し>「総理への森友質問は禁止」自民党がブチ切れ強行採決で、民進党が13日からの国会審議をすべて拒否! 赤かぶ
16. 斜め中道[1360] js6C35KGk7k 2017年4月14日 11:10:13 : u12DNOjV8I : DpNsSI7B2fY[496]
気分は、>>15 さま・・・という感じだな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/122.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍ネトウヨ脳では、国民が知りたい78%より内閣支持率53%の方が上の位置づけ(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
7. 2017年4月14日 11:10:48 : EjpwVZWH9U : vrLxUDBTg_E[1]
またマスコミに責任転嫁か

この国の国民はどこに住んでるんだという話
自分の国のことも興味が無いなら何があっても自業自得なんだがな
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/155.html#c7

コメント [カルト17] プー・全てのテロはCIA、ベン・北の仕業にして開戦の口実にする東京テロ詐欺は阻止された、時事・米中親密。である ポスト米英時代
1. 2017年4月14日 11:10:49 : nlZ9HCAELE : AJLBV7wctFE[2]
テロ警戒解除ですか。中国人女が油をまいたぐらいしか、ニュースでやってませんでしたね。良かった。
そして板垣説もどうだかわかりませんけど、とにかく日本が米国の属国から脱却する道をどうしても開かないといけません。現状肯定派(安倍マンセー派)の言ってるのとは、別の道を…。

Putin: ‘95% Of World Terrorist Attacks Are Orchestrated By The CIA’
https://richardkoshimizu.wordpress.com/2017/04/06/putin-95-of-world-terrorist-attacks-are-orchestrated-by-the-cia/
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/851.html#c1

コメント [国際19] アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材(AFP) 赤かぶ
2. 2017年4月14日 11:11:29 : ThvQP0ntvE : J7bqvGPaOB0[22]
>>1

「シリアの反政府側が掌握している町ハンシャイフン(Khan Sheikhun)で起きた問題の攻撃では」とあるように反政府勢力の支配下にある町での出来事だから、アサド政権側は警察権を行使できない。

同地域で本当に化学兵器が使われたのなら反政府側はこれみよがしに証拠を示すはずだし、米国はそれを口実にミサイル攻撃した以上何か証拠を掴んでいなければならない。だがこれまで何も出てこないところから、でっちあげの可能性が極めて高い。

少なくとも化学物質が何であるかを明確にすべきなのはアサドではない。
http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/126.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK224] こんな状況で東京五輪やるのか?とトランプ  赤かぶ
7. 2017年4月14日 11:12:16 : pbRQPVLfao : b8BqrMomcT0[2]
憲政史上最低最悪の馬鹿 アベ・統一教会ドグサレ政権にとどめをさすのはまもなく来る株バブル大崩壊だろうか。
その時はクロダとともに「アホ・アベノ愚策・金融テロリスト」として吊し上げられることだろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/162.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
4. 2017年4月14日 11:14:16 : frtErroTlE : irEWOXr423M[236]
政権の崩壊を覚悟しておけよ。
とばっちりを受けるようなトンマな政権はいらん。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
5. 2017年4月14日 11:14:19 : cZ7b4FJv9g : _vkqj7ibszg[48]
覚悟の意味不明。
準備?防空壕を作るのか?
疎開?それならどこへ?
銃剣?ミサイルには効かんだろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c5
コメント [原発・フッ素47] 火葬場が混み合い「友引運用」や「ご遺体ホテル」も登場 (NEWS ポストセブン) 魑魅魍魎男
1. 2017年4月14日 11:14:40 : JoLHY6vVa8 : 2KZ37Ydb0NI[2]
> 2015年には稼働率が73%に急上昇

投稿者は、様々な誹謗中傷を受けてきたが、これは裏付けとなる数字だ。

> きちんと地縁や血縁に根ざした供養を受けられず、誰にも見送られず、宗教的な弔いもなく送られていく

葬儀に関して言えば、生前の自分の思いが、通らない、日本の葬制に不信感を感じてきた。

当方は、近親者の生前の願いに近い、身内だけの葬儀を行ったことがあるけれど、素晴らしい経験だったと、感じている。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/775.html#c1

コメント [国際19] 朝鮮半島有事の「日本売り」シナリオ 北核実験準備万端 トランプ砲ドル100円割 中接対ロ悪化 シリアと北朝鮮、危険な綱渡 軽毛
2. 2017年4月14日 11:15:09 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5345]
2017年4月14日(金)
米国は軍事的選択肢をとるな――外交交渉のなかで北朝鮮の非核化を
志位委員長が見解を発表

 日本共産党の志位和夫委員長は13日、国会内で記者会見し、北朝鮮情勢をめぐり米国から軍事力行使につながりかねない動きがでていることについて「米国は軍事的選択肢をとるな――外交交渉のなかで北朝鮮の非核化を」と題する見解を発表しました。志位氏は会見で、見解を速やかに日本政府に届け、関係各国に伝達すると表明しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041401_01_1.html
(写真)記者会見する志位和夫委員長=13日、国会内
(1)

 米国トランプ政権によるシリアへのミサイル攻撃にかかわって、北朝鮮に対する軍事力行使につながりかねない、きわめて危険な動きがおこっている。

 トランプ大統領は、6日、安倍首相との電話会談で、北朝鮮の核・ミサイル開発への対応として、「全ての選択肢がテーブルの上にある」とのべ、軍事力行使も選択肢とすることを表明した。さらに、11日、自身のツイッターに、「もし(中国が)協力しないのなら、米国が中国なしで問題を解決する」と書き込み、米国単独で北朝鮮への軍事力行使に踏み切る可能性を示唆した。

 ティラーソン米国務長官は、9日、米ABCテレビのインタビューで、「シリアに対するミサイル攻撃から北朝鮮が受け取るべきメッセージは何か」と問われ、「国際規範や合意に違反し、約束を実行できず、他国への脅威となるならば、いずれかの段階で対抗措置が取られるだろうというメッセージだ」とのべ、北朝鮮への公然たる軍事的威嚇を行った。

 米海軍第3艦隊は、9日、シンガポールに寄港していたカール・ビンソン空母打撃群を北朝鮮の近海にむけて北上させることを明らかにした。米国家安全保障会議(NSC)が在韓米軍への核兵器再配備を提案したとの報道がなされている。

 米国トランプ政権が、北朝鮮に対する軍事力行使を公然と選択肢とし、軍事的威嚇を強めていることは、きわめて危険な動きである。これに対して、北朝鮮がさらなる挑発行為で応じ、軍事対軍事の危険なエスカレーションが起こることを、強く憂慮する。
(2)

 重大なことは、安倍首相が、トランプ政権のこうした動きを手放しで歓迎する姿勢をとっていることである。

 安倍首相は、6日、トランプ大統領との電話会談で、「全ての選択肢がテーブルの上にある」との大統領の発言を「力強い発言」と歓迎した。

 また、安倍首相は、7日、トランプ政権によるシリア攻撃への支持を表明したうえで、「東アジアでも大量破壊兵器の脅威は深刻さを増しています」とあえて強調し、「国際秩序の維持と同盟国と世界の平和と安全に対するトランプ大統領の力強いコミットメントを日本は高く評価します」と表明した。

 米国のシリア攻撃への支持と一体に、「東アジアでの大量破壊兵器の脅威」=北朝鮮の核・ミサイル開発にあえて言及し、米国の対応を「高く評価」する。安倍首相のこの姿勢は、米国が北朝鮮に対して軍事力行使を選択肢とすることを容認、支持するものとして、きわめて重大である。それは、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした日本国憲法にてらして許されない。
(3)

 トランプ政権は、オバマ政権時代の「戦略的忍耐」といわれる、北朝鮮が非核化の意思を示さなければ交渉に応じないという従来の方針の破たんを認め、北朝鮮に対する「政策の変更」について検討を進めてきた。

 私は、この動きに注目するとともに、「問題は『政策の変更』の方向だ」と指摘し、「一部に先制攻撃などの軍事的選択肢が言われるが、これは絶対にとるべきではない」と強調し、「米国は、北朝鮮との外交交渉のなかで非核化を迫る方針をとるべきだ。そういう方向に向かうように、日本政府は働きかけるべきだ」との提唱を行った(2月19日、NHK「日曜討論」)。この方向こそ、いま強く求められていることを強調したい。

 米国のカーター前国防長官は、最近、米ABCテレビのインタビューで、「米国が北朝鮮を先制攻撃すれば、北朝鮮は韓国を攻撃するだろう。その戦争は、朝鮮戦争以来、見たこともないきわめて破壊的なものになるだろう」と強く警告している。米国が、北朝鮮に対し、シリアで行ったような先制的な軍事行動という選択肢をとった場合、韓国、日本を巻き込んで深刻な武力紛争に発展し、おびただしい犠牲が出ることは避けられない。地域と世界の平和の破壊につながる軍事力行使は、絶対に許されない。

 米国は、国際社会と協調して、経済制裁の厳格な実施・強化を行いながら、北朝鮮との外交交渉に踏み切り、外交交渉のなかで北朝鮮の核・ミサイル開発の手を縛り、それを放棄させるという選択肢こそとるべきである。

 安倍政権は、軍事力行使を選択肢とすることを歓迎する姿勢をただちにあらためるべきである。米国に対して軍事的選択肢をとるなときっぱり要求すべきである。北朝鮮問題の外交的解決の立場にたつよう、強く働きかけるべきである。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041401_01_1.html

2017年4月14日(金)
米国のシリア攻撃「支持」を批判
政府は米追随やめよ 参院外防委 井上氏が追及

 日本共産党の井上哲士議員は13日の参院外交防衛委員会で、シリアのアサド政権軍の空軍基地への攻撃を行った米国が国際法上の根拠を示さないもとで、攻撃に支持、理解を表明した日本政府の対米追随姿勢を批判しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041401_04_1.jpg
(写真)質問する井上哲士議員=13日、参院外防委

 井上氏は、化学兵器の使用は許されないことだと指摘しつつ、「アサド政権が化学兵器を使用したという認識なのか」と質問。岸田文雄外相は「国連機関が調査中で、結果を待っている」と答弁しました。

 井上氏は、化学兵器禁止機関(OPCW)が調査を開始するなど、国際的な真相究明努力が行われているところだと指摘。真相も不明で、国連安保理決議もないまま一方的に攻撃を仕掛けた米国への支持と理解を表明した政府に対し、「空爆(シリア攻撃)を容認する国際法上の根拠はあるのか」とただしました。

 安倍晋三首相は、「米国の考えを聴取している」と述べ、根拠がないまま米国支持を表明したことを認めました。

 一方、岸田文雄外相は、国連で武力行使が容認される根拠として(1)安保理決議(2)国連憲章51条に基づく自衛権(3)憲章7章に基づく集団安全保障―をあげましたが、「米国から国連に何らかの報告があったとは承知していない」と述べ、いまだに米国から国際法上の根拠は示されていないとの認識を示しました。

 井上氏は、トランプ政権は自国の「安全保障上の利益」のために国際法違反の対シリア攻撃を行ったと指摘。「法の支配を突き崩す行動への支持や理解はあってはならない」と主張しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041401_04_1.html
http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/121.html#c2

コメント [カルト17] ベン・今晩東京テロ警戒、弁財・総連と民団は一緒、ネトゲ・オウムは北、北はCIA、プー・全てのテロはCIA。である ポスト米英時代
11. 2017年4月14日 11:15:29 : FTlrfC3C9w : e9Eif_tDyjY[56]

9さん  

彼は 真実を発信してしまうから 
カノ方々に パソコン じゃっく されたのでは???

(−−〆)

http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/848.html#c11

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
35. 中川隆[7738] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:16:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8228]

愛のゆくえ「雪国」 その11

「天の河」の構想

 「雪中火事」の続編「天の河」は、それから8ヶ月たった1941(昭和16)年8月に、『文藝春秋』に発表された。

 「雪中火事」の終わりでふと2行、天の河が描かれる。

   「天の川、きれいねえ。」と駒子はつぶやきながら、また走り出した。
   島村は空を見上げたまま立つてゐた。

 「天の河」は、これを受けて書き出されている。

 康成がおそらく渾身(こんしん)の力をこめて観察したに違いない天の河の描写が、描かれる。

   ああ、天の河と、島村も振り仰いだとたんに、天の河のなかへ體(からだ)がすつと浮き上つてゆくやうだつた。天の河の明るさが島村を掬(すく)ひ上げさうに近かつた。旅の芭蕉が荒海の上に見たのは、このやうにあざやかな天の河の大きさであつたか。裸の天の河が夜の大地を素肌で巻かうとして、直ぐそこに降りてきてゐる。恐ろしい艶(つや)めかしさだ。

 康成はここで、芭蕉が佐渡を詠んだ一句の大きさを思い出している。

   荒海や佐渡に横たふ天の河

 荒海を前景として、眼前に黒々と横たわる佐渡の島。その海と島のすべてを巻くように、全天に拡がる冴えわたった天の河――。

 康成が島村に託して描いた、巨大な、荒々しい、それでいて艶めかしい天の河こそ、卑小な人間世界と対比される自然の広大さであった。

   「ねえ、あんた私をいい女だつて言つたわね。行つちやふ人がなぜそんなこと言つて、教へとくの? 馬鹿。」

   女のあたたかい哀しみが島村を絞めつけた。

   「泣いたわ。離れるのこはいわ。だけどもう早く行きなさい。言はれて泣いたこと、私忘れないから。」

人間の世界の、小さな、だが何と一生懸命な、美しい言葉だろう。
 この篇は、次の行によって終わりを告げる。

   島村も新しい火の手に眼を誘はれて、その上に横たはる天の河を見た。天の河は静かに冴え渡つてゐた。豊かなやさしさもこめて、天に広々と流れてゐた。

 ここで「天の河」、すなわち追加された「雪国」は結ばれる。素人にも、平凡すぎる終幕と思われる。

「雪国抄」「続雪国」

 以上2編が発表されたのは、まだ太平洋戦争開戦以前の1940、41(昭和15、16)年のことであった。

 それから5年後の1946(昭和21)年、戦争も終わった敗残の国土のなかで、康成は三たび筆をとって、「雪国」の続編を新しく書き直して発表した。

 「雪国抄」は、『暁鐘』1946年5月号に発表された。

 「雪国抄」の、冒頭は、『北越雪譜』を踏まえて、「雪中火事」と、ほとんど同文である。ただ途中から、引用部分を大幅に削って、引き締まった文章となっている。

 また「雪中火事」で引用した、作品の核となる部分は、彫琢(ちょうたく)されて、珠玉のような名文へと変貌している。

   妻子のうちへ帰るのも忘れたやうな長逗留だつた。離れられないからでも別れともないからでもないが、駒子のしげしげ会ひに来るのを待つ癖になつてしまつてゐた。さうして駒子がせつなく迫つて来れば来るほど、島村は自分が生きていないかのやうな呵責がつのつた。いはば自分のさびしさを見ながら、ただぢつとたたづんでゐるのだつた。

駒子が自分のなかにはまりこんで来るのが、島村は不可解だつた。駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村のなにも駒子には通じてゐさうにない。駒子が虚しい壁に突きあたる木霊に似た音を島村は自分の胸の底に雪が降りつむやうに聞いた。このやうな島村のわがままはいつまでも続けられるものではなかつた。

   こんど帰つたらもうかりそめにこの温泉場へは来られないだらうといふ気がして、島村は雪の季節が近づく火鉢によりかかつてゐると、宿の主人が特に出してきてくれた京出来の古い鐵瓶(てつびん)で、やはらかい松風の音がしてゐた。(中略)

   島村は鐵瓶に耳を寄せてその鈴の音を聞いた。鈴の鳴りしきるあたりの遠くに鈴の音にほど小刻みに歩いて来る駒子の小さい足が、ふと島村に見えた。島村は驚いて、最早ここを去らねばならぬと心立つた。

   そこで島村は縮の産地へ行つてみることを思ひついた。この温泉場から離れるはずみをつけるつもりもあつた。

 島村は汽車に乗って、さびしそうな駅に降りる。そうして雁木(がんぎ)の連なる、昔の宿場町らしい町通りを歩いて、また汽車に乗る。もう1つの町に降りる。寒さしのぎにうどんを1杯すすって、また汽車に乗り、駒子の町に帰ってくる。

 車に乗って宿に帰ってゆこうとすると、小料理屋菊村の門口で立ち話をしている一人が駒子だった。

 駒子は徐行した車に飛び乗って、窓ガラスに額を押しつけながら、「どこへ行った? ねえ、どこへ行った?」と甲高く叫ぶ。

   「どうして私を連れて行かないの? 冷たくなつて来て、いやよ。」

  突然擦り半鐘(すりはんしょう)が鳴り出した。
   二人が振り向くと、

   「火事、火事よ!」
   「火事だ。」

    火の手が下の村の真中にあがつてゐた。

 「雪国抄」は作品が長くなって、「雪中火事」では、火事の発端だけだったのが、もう少しつづけて書いてある。

 作品の終わりに、作者の言葉がある。

   ――10年前の旧作「雪国」は終章を未完のまま刊行し、折節気にかかつてゐたが、ここにとにかく稿を続けてみることにした。既稿の分も改稿して発表し得たのは本誌編輯者の雅量による。作者――


 
「続雪国」の新展開

 つづけて、1年あまりを経た1947(昭和22)年10月、『小説新潮』に最終篇「続雪国」が発表された。

 火事のつづきである。繭倉(まゆぐら)で映画のあったことがわかって、駒子のあとを追って島村も繭倉の方へ駆け出す。

 「天の河。きれいねえ。」という駒子の声に誘われて、島村は空を見上げる。
 1941(昭和16)年の「天の河」と同じく、芭蕉の見た天の河を連想する。
 しかし次がこれまでと異なる。

   あつと人垣が息を呑んで、女の體が落ちるのを見た。

 やがて、それが失心(ママ)した葉子だとわかる。

 ――10年を経て、康成は葉子の失心と墜落という、物語の新しい展開、物語のフィナーレを思いついたのだ。

   葉子はあの刺すやうに美しい目をつぶつてゐた。あごを突き出して、首の線が伸びてゐた。火明りが青白い面の上を揺れて通つた。

   幾年か前、島村がこの温泉場へ駒子に会ひに来る汽車のなかで、葉子の顔のただなかに野山のともし火がともつた時のさまをはつと思ひ出して、島村はまた胸が顫へた。一瞬に駒子との年月が照し出されたやうだつた。なにかせつない苦痛と悲哀もここにあつた。

「幾年か前」という表現に注意したい。島村が葉子を初めて見たのは、2度めの旅、12月だった。3度めの旅は、それから10ヶ月後の10月から、この冬まで。長逗留で、今が1月とも2月とも判別しがたいが、いずれにしても、葉子を初めて見てから今まで、1年とちょっとである。

 「雪国」の正確な年立(としだて)という問題からみれば、ここは明らかに作家の錯誤である。

 だが、そうだろうか。

 この濃密で緊張感にみちた島村と駒子の愛を読んできた読者には、ふたりの仲は3年にも4年にも、あるいは5年にも感じられる。

 その読者の錯誤を考えると、ここは正確に「一年ちょっと前」と書いてはならないのである。「幾年か前」と朧化(ろうか)されることによってはじめて、島村と駒子の、のっぴきならぬ愛情の積み重ねが読者に納得させられるのだ。

 もう1つ大切な部分は、「一瞬に駒子との年月が照し出されたやうだつた。」とある一行である。

 「雪国」という作品にとって、葉子は重要な存在である。3度めの旅の紅葉の季節には、葉子は「東京に連れて行つてください」と島村に頼み、島村もこの「得体の知れない娘と駆け落ちのやうに東京へ帰る」ことは、駒子への最大の謝罪だと考えた瞬間もあった。

 そのように葉子は、島村と駒子のあいだにあって、駒子と島村の愛の成り行きを、刺すような美しい目で、じっと観察する存在としても考えられた。

 島村はいま、失心した葉子を見ながら、初めて葉子と会ったとき、汽車の夕景色の流れの中に映った、葉子の顔のなかにともったともし火を思い浮かべている。あれからの歳月、それは駒子と過ごした歳月でもあったのだ。

 島村の内部に「なにかせつない苦痛と悲哀」が湧き上がるのに、何の不思議もない。

 葉子の失心と墜落というアイデアが、駒子との歳月を写し出す鏡のような葉子の役割を、ふたたび思い出させたのである。

   「この子、気がちがふわ。気がちがふわ。」

   さう言ふ声が物狂はしい駒子に島村は近づかうとして、葉子  を駒子から抱き取らうとする男達に押されてよろめいた。

   さあつと音を立てて天の河が島村のなかへ流れて来た。

 康成は、最後に推敲して単行本にするとき、この最後の部分を、次のように改変した。

   「この子、気がちがふわ。気がちがふわ。」

   さう言ふ声が物狂はしい駒子に島村は近づかうとして、葉子を駒子から抱き取らうとする男達に押されてよろめいた。踏みこたへて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるやうであつた。

 この最後の場面は、長い物語の終焉として、まことに劇的なものであろう。

 駒子の愛の高まりと、それを受けとめる島村の追いつめられた意識が、物語の最後近くで、どうにも身動きできない状況になる。

 島村が、この雪国を去るしか、とるべき道は残されていないのである。

 物語のフィナーレに火事が起こり、その火事という非日常的な出来事の喧噪をはるかに見下ろすように、すべての人々を包み込むような壮麗な天の河が天空いっぱいに広がる。それに気づいた島村に流れ落ちるかと思われて、物語は結ばれる。

 伊藤整は、新潮文庫『雪国』の解説(1947〈昭和22〉・7・16)において、次のように作品の終幕の必然性を説いている。

   生きることに切羽つまつてゐる女と、その切羽詰りかたの美しさに触れて戦(をのの)いてゐる島村の感覚との対立が、次第に悲劇的な結末をこの作品の進行過程に生んで行く。そしてその過程が美の抽出に耐へられない暗さになる前でこの作品は終らねばならぬ運命を持つてゐるのである。

 ――11年間にわたる、康成の格闘がここに終わった。

 この「雪国抄」「続雪国」の2編にさらに彫琢を加えて、1948(昭和23)年12月25日、創元社から〈決定版『雪国』〉が刊行される。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/3c9d030fb609dbf9dfc7cdaab6f4e27c

愛のゆくえ「雪国」 その12(最終回)

「雪国」は、どのような作品か

 ……これまで、プレオリジナル(初出)を中心に、「雪国」の要(かなめ)となる部分を見てきた。そのつど、意味するところは書いてきたはずである。

 しかし、それでは、「雪国」は、結局どのような作品なのか。

 以下を書くために、わたくしはこれまで、作品の細部を見てきたといってもいいくらいである。

 さて、「雪国」の本質を考えるとき、当然ながら、この作品の視点人物たる島村とは何者であるか、について考えさせられる。

この場合、かつて「火の枕」が発表されたとき、小林秀雄が「報知新聞」に書いた「文芸時評」の一節が、川端康成理解の有力な手がかりとなる。(「作家の虚無感―川端康成の『火の枕』」)

 小林は、康成の抒情性の本質を、次のように喝破した。

   しかし、この作品も、氏の多くの作品と同時に、その主調をなすものは氏の抒情性にある。ここに描かれた芸者等の姿態も、主人公の虚無的な気持に交渉して、思ひも掛けぬ光をあげるといふ仕組みに描かれてゐて、この仕組みは、氏の作品のほとんどどれにも見られるもので、これはまた氏の実生活の仕組みでもあるのだ。

   氏の胸底は、実につめたく、がらんどうなのであつて、実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも思つてゐる。氏はほとんど自分では生きてゐない。他人の生命が、このがらんどうの中を、一種の光をあげて通過する。だから氏は生きてゐる。これが氏の生ま生ましい抒情の生れるゆゑんなのである。作家の虚無感といふものは、ここまで来ないうちは、本物とはいへないので、やがてさめねばならぬ夢に過ぎないのである。

 この川端評は、そのまま「雪国」の島村に通じるのではないだろうか。特に後半の評言「がらんどう」は、「雪国」の本質をみごとに言い当てている。

 この小林の言葉をわたくしなりに翻訳すると、まず、島村の胸底は、虚無という「がらんどう」である。「禽獣」の「彼」と同じ構造をもっている。その虚無の胸底を、彼の見た生命体の美しさが、「一種の光をあげて」通過する。それが「雪国」という作品である。

 つまり島村は生きていながら、生きていない。彼はただそこに在るだけである。彼の眼に映じたもののうち、彼のうつろな胸底を、美しいと戦慄するように通り過ぎたものだけを、彼はすくい取り、それを彼は胸にしっかりしまい込むのだ。

 読者は、その島村の厳しい眼を通過した美しいものだけを受け取り、それを美しいと感じることができるのである。

 すなわち島村は胸底に虚無をたたえた冷ややかな感受性の持ち主であって、彼は蜘蛛が身のまわりに繊(ほそ)い糸をはりめぐらすように、
鋭い感受性をはりめぐらしていて、美しいものが通り過ぎるのを待っている。

 駒子のさまざまな姿態や言葉も、葉子の刺すような目も澄んだ声も、すべて彼の蜘蛛の網にかかる。

 それを彼は、こわれぬように繊細な手つきによって言葉に変え、そっと読者の前に提示するのである。

 読者が享受するのは、そのようにして川端康成の胸底を通過した美しいものだけである。この場合、島村は、そのまま川端康成自身である。

伊藤整の島村観

戦前戦後にかけて、川端康成について最も多く発言し、またその理解が深いと思われるのは、前掲の『川端康成作品研究史』を執筆した林武志が指摘するように、伊藤整である。

 その数々の文章のなかで、ここでは「川端康成の文学」(『作家論U』角川文庫、1964〈昭和39〉年・12・10に収録。初出は『東京新聞』1953年2月とあるが、該当する文章は掲載されていない)の、「雪国」について述べた部分から、その核心となるところを引用してみよう。

   主人公の島村は作者の説明では「自然と自身に対する真面目さも失ひがちな」無為徒食の人間で、山を好み、舞踊が好きだ、と簡単に書かれてゐる。しかし、それはどうでもよいことで、美と生命の燃焼を求める感受性の細い絃が島村といふ人物の中に縦横に張りめぐらされてゐるのである。

その絃に触れる美は悉(ことごと)く音を立てるが、生活そのものはその絃に触れることがない。だから、その生き方において悲しいまでに真剣な駒子のやうな存在、またその駒子よりももつと張りつめた生き方をしてゐる葉子の存在は、生活者としては島村に触れることなく、ただその張りつめた生き方の発する美の閃光(せんこう)としてのみ島村に把へられる。そこから島村と駒子の間、島村と葉子の間に、接近すればするほど行きちがふといふ悲劇が生れる。

   島村が美の感受者として自分の周囲に独特の世界を見出して作つて行くさまは、光を持つた人間が闇の中を歩くのに似る。

この理解は、先述の小林秀雄の理解と相通ずるところがあると思われる。

 伊藤整は別のところでも、島村を「美しく鋭いものの感覚的な秤(はか)り」と述べている。

山本健吉の「雪国」観

 少し後れて、川端康成の文学に深い共感を示し、駒子と葉子を、能のシテとツレと見立てた山本健吉の「雪国」観も、見ておく必要があるだろう。

 山本は『近代文学鑑賞講座13 川端康成』(角川書店、1959〈昭和34〉・1・10)の編著者であるが、この創見に満ちた1冊の書で、山本は次のように述べている。

   ……自分を全然人生の葛藤の渦中から外側に置いて、駒子や葉子のなかに瞬間的に現れる純粋な美の追究者として、人生的には非情の傍観者としてふるまうところに、この作品の世界が成立していると言えるのである。(中略)

   このような純粋に審美的なものの追求、生活の塵埃(じんあい)から、雪国の別世界への感受性の逃避行そしてそのことによって、女心の哀愁と美とを捕えようとしたのが、この作品なのである。

 ……伊藤整や山本健吉から、以後、たくさんの研究者たちが出て、「雪国」や島村について、さまざまな考察を提示した。

 しかしわたくしは、ここまで引用してきた小林秀雄、伊藤整、山本健吉らの考えを、「雪国」の本質を衝いたものとして、自分の「雪国」観を少しも改める気にはならないのである。


駒子のモデルと和田芳恵

 ……1957(昭和32)年の正月5日、評論家の和田芳恵は、写真家大竹新助とともに、新潟県南蒲原(かんばら)地方の三条市に、駒子のモデルとされる小高キクを訪ねた。雑誌『婦人朝日』に「名作のモデルをたずねて」を連載する、その第1回のためである。

 途上の湯沢では、豊田四郎監督、池辺良、岸恵子主演で「雪国」がはじめて映画化されることになり、その撮影で大騒ぎの最中であった。

 そのころ、かつて越後湯沢で芸者松栄として出ていたキクは、三条市の仕立物師・小高久雄の妻となって、小高キクとなっていたが、条理のわかった夫の協力もあって、この日の取材となったのである。

 以下は、この和田芳恵の記述「名作のモデルをたずねて(一)」(『婦人朝日』1957〈昭和32〉・3・1)によったものである。

 キクの本名は丸山きく。三条市島田に、1915(大正4)年11月23日、鍛冶屋(かじや)の長女として生まれた。兄がひとりあったが、十人兄弟の大所帯であった。
 川端康成と出会った1934(昭和9)年には、ちょうど数え20歳であったことになる。

 数えで10歳の7月15日に小学校をやめて、長岡市の立花家という芸者屋の下地っ子に出された。当時、南蒲原地方では、生活のために娘を芸者にすることを、さほど不思議と思わない風習があったという。

 長岡には、下地っ子のための特殊な学校があって、きくはそこに通ったそうだ。
 1928(昭和3)年、17歳になったきくは、湯沢の若松屋という芸者屋から松栄という芸名で出ることになった。年期は3年であった。

 しかし和田芳恵のここの記述はおかしい。1928年なら、キクは14歳だったはずである。これは年号の方が不確かで、「17歳」の方が正しいと考えたい。
 清水トンネルが開通した年(といえば1931〈昭和6〉年のはずだが、和田は1930年と書いている)、湯沢駅前の土産物店兼自動車屋に、峠(とうげ)豊作という運転手が雇われた。

 豊作は、1912(大正元)年の生まれ。きくと3つ違いだ。新潟県東南部の織物で名高い塩沢の、うどん屋の息子であったが、蕎麦(そば)づくりの技術を覚えるため、1928(昭和3)年に上京、日本橋室町の更科(さらしな)に弟子入りしたのだが、その仕事がいやになり、自動車の運転手になった。当時、運転手は、はなやかな職業であった。

 22歳の美貌の豊作と19歳のきくは、やがて深い恋仲となった。小説「雪国」は、この年から書き始められている。

 この土地では、芸者の住んでいる部屋を「きりやど」という。たいてい置屋の母屋から廊下でつづいているが、母屋からは離れている。そこに客が泊まることもあった。

 豊作は仕事がすむと、夜が更けたころ「きりやど」から、きくを呼び出し、ひっそりした湯舟につかって、あまい恋をささやいたという。「ふたりはしあわせに夢のような日をおくっていました」と和田は書いている。

 きくは豊作と一緒になりたいと考えていたが、3年の年期を終えて家に帰ると、すぐ富山県の高岡に、また芸者として出なければならなかった。このときの身代金で、親は住む家を建てた。芸名は、いろは、だった。

 しかし高岡では我慢のならないことがあった。それは、抱え主が芸者に客をとることを強要したことである。


1932(昭和7)年、18歳の松栄

 きくは、「21歳になった昭和7年の8月に、湯沢へ住みかえました」と和田は書いている。(年齢か年代か、どちらかが間違っている。平山三男の調査によれば、数え18歳の1932(昭和7)年が正しい。

 そのときの置屋が豊田屋で、抱えは三人いた。松栄(まつえ)という名が通っていたので、今回も松栄で出た。

 豊作との仲は、この土地では誰知らぬ者はないほどであった。きくは、豊作の兄貴分であった人を通して、年期があけたら一緒になってほしいと申し入れた。豊作は喜んで、かたい約束をした。ふたりは夫婦きどりでつき合っていたが、1937(昭和12)年の秋、豊作に召集令状が来て、高田に入隊することになった。そこで双方の親を説得して仮祝言をあげた。

 ところがじつは、きくには、東京に旦那がいた。60に近く、めったに来ることはなかった。その旦那が話を耳にして、どうしても手放さないと言い、きくは豊田屋をやめて上京し、旦那に囲われることになった。26歳のときだった。

 豊作の部隊は中支の漢口に行き、豊作はここで3年の軍隊生活を送り、現地で2年、軍属をしてから陸軍病院の酒保に店を出した。生活が安定したので、きくを呼び寄せる手続きをして、このとき初めて、きくに長いあいだ裏切られていたことを知った。

 和田芳恵は、峠豊作にも会って、取材している。この『週刊朝日』には、峠の近影も掲載されている。

 峠は、和田芳恵に、きくと、結婚の仮祝言をすませた仲であることを認めた。また康成を定宿の「高半」へ幾度も送り迎えをしたことなども話したという。

 1958(昭和33)年の取材の当時、峠は東京の八重洲口に近いところで料亭を営んでいた。

松栄のその後

 一方、きくは、旦那も死に、戦争も激しくなったので、郷里三条市に帰り、帯や袴(はかま)の仕立てをしている小高(こだか)久雄の弟子になった。

 やがてきくは、これまでの閲歴をすべて小高に打ち明け、二人は結婚して、現在に至ったという。

 和裁ばかりでは生活が苦しいので、きくはミシンを置いて、婦人子供の既製服の製造をはじめ、のちには内弟子や通いの弟子が七、八人もできるほど、手広く経営するようになっているそうだ。

 ――以上が和田芳恵の伝える丸山キクの半生である。年代にところどころ錯誤があるので、正確な事実として確認できないところが残念だが、中見出しに「哀れ、7年の恋は終りぬ」とあるところからも、このとき、きくは和田芳恵に率直に、峠豊作のことを含め、これまでの人生を詳細に語ったと思われる。

 問題は、康成が湯沢に滞在して「雪国」を執筆した時期と、峠豊作ときくが恋仲であった時期が重なるのではないかと思われることである。

 高半旅館の次男・高橋有恒も、「『雪国』のモデル考――越後湯沢における川端康成」(『人間復興』第2号、1972(昭和47)・11・期日不明)のなかで、「峠豊作と芸者松栄との間に当時、すこし噂があった」と書いている。

 また、あるとき、峠の運転する車に有恒が乗せてもらっていると、峠は芸者置屋豊田屋の前で車をとめ、二階の芸者松栄に声をかけた。すると松栄が降りてきて、車に同乗した。このとき松栄は、「オツさま、この本、川端さんがくれたの」と1冊の本――「水晶幻想」を差し出した、とも述べている。

 これらの事実を、どう解釈したらいいのだろうか。

 1932(昭和7)年、18歳のきくが、若松屋から松栄という名で芸者にでた事実は確かであろう。康成がはじめて湯沢に来たのは、2年後の1934(昭和9)年である。

 このときすでに松栄は、峠豊作と恋仲になっていたと思われる。

 というのも、松栄と峠豊作が恋仲になったのは、松栄が高岡に行く前のことと、和田芳恵は書いているからである。湯沢に帰ってきて、ふたたび松栄という名で芸者に出たきくと峠豊作は、感無量のうちに再会したはずである。

 もっとも、作品で見てきたように、潔癖で正直な松栄が、ふたりの男に二股(ふたまた)をかけるような女でないことは確かである。

 わたくしが注目したいのは、3度目の旅で、縮の産地から帰った島村の乗った車に、駒子が飛び乗る場面である。

   車が駒子の前に来た。駒子はふつと目をつぶつたかと思ふと、ぱつと車に飛びついた。車は止まらないでそのまま静かに坂を登つた。駒子は扉の外の足場に身をかがめて、扉の把手(とって)につかまつてゐた。(中略)

   駒子は窓ガラスに額を押しつけながら、
  「どこへ行つた? ねえ、どこへ行つた?」と甲高く呼んだ。

  (中略)

駒子が扉をあけて横倒れにはいつて来た。しかしその時車はもう止まつてゐるのだつた。
 
これは、実際の体験を描いた場面ではなかろうか。そうだとすれば、駒子が大胆にも走っている車に飛び乗ることができたのは、峠豊作の運転する車で、豊作が危険な操作をするはずがないと安心して、駒子は無茶をしたのではないだろうか。

 つまり、豊作もまた、駒子が島村とつき合っていることを知っていて、島村の前で車の速度を落し、また危険のないよう配慮したのである。

 わたくしは、すでに駒子こと、きくと豊作は恋仲であったと確信する。

 そこへ、いきなり東京から得体の知れぬ、これまで会ったこともないような男が現れ、きくは電撃に打たれたように、その男に惚れてしまったのだ。駒子は夢中になって、その新しい男に心血をそそいで恋をする。

 豊作は黙ってそれを傍観しているしかなかった。

 およそ2年間、駒子は命がけの恋をした。それは次元の異なる恋だった。豊作は黙って見ているより術(すべ)がなかった。

 島村が雪国を去ってしばらくたって、駒子こと、きくは豊作のもとに戻ってきた。駒子は豊作との結婚を本気で考えた。……

 康成は、駒子にそのような想い人があったことを知っていただろうか。

 小高久雄は和田芳恵の取材のとき、「この人には、そのころ、7年も思いつめた男の人がいたのですよ」と語ったそうだ。また、「雪国」の作者のことは、きくから聞いてはいたが、「雪国」を読んだのは結婚してからだったという。

 最後にきくは、康成のことを、「あの方は、これまで知った多くの人たちから感じられない独特な雰囲気を持っていました」と和田に語ったという。

 峠豊作というひとがありながら、駒子のきくは、魅入られたように康成との恋に命を傾けたのではなかろうか。
http://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/7d45b23134e8d90da385ae91582324aa
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍首相が縁故で大臣に抜擢、加藤勝信一億総活躍担当相に“マルチ商法の広告塔”疑惑が浮上!(リテラ) 赤かぶ
2. 2017年4月14日 11:16:54 : 6GtQVk4Hrw : vwMsqTCZMu0[224]
忖度内閣 癒着内閣
安倍晋三
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/140.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
6. 2017年4月14日 11:18:28 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2932]
「先制的自衛権(先制的自衛行為)」

礒崎陽輔氏
「そのような概念を政府は用いていません。」
https://twitter.com/isozaki_yousuke/status/477692338727550976

礒崎陽輔氏
「「先制攻撃」とは、相手が武力攻撃をしていないのに、こちらから武力攻撃を行うこと。明らかな国際法違反であり、個別的自衛権では認められません。」
https://twitter.com/isozaki_yousuke/status/477692338727550976

国際法違反ですな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
29. 2017年4月14日 11:19:56 : rDEi9QbUI6 : z@Fku2txiAg[2]
売国と国民奴隷政策を、実際に傀儡を立てて、同時に実行に移す「右翼」
こういう右翼の概念はおそらく、日本国民どころか、世界中の人々には
理解不能でしょう。
日本独自の日本人の手でつくる憲法とかのたまいながら、
先ずは日本国家をシオニスト・グローバリストに売国し、
その恩恵として与えられただけの暫定支配権力に過ぎない状態で、
日本国家の独立、とか、日本人独自の憲法制定を、とか
完全に論理矛盾してるでしょう。
増してや、NWO(TPP)で、日本という国家は完全に亡くなるわけだし
農作物や植物の、固有種を守る法律も、この安倍自公政府は、廃止に持ち込んだ
わけですし
明らかに世界中の「国」の垣根を取っ払い、シオニスト・グローバリストが
その国の法律や、国益、国民を守る手立てを全部取っ払って、その国のシステム
を自分達の都合のいいように好き勝手作り変え、利益を貪り食いつくす
そういうシステム実現に、現安倍自公政府は全力をあげてるわけですし、
端から日本を守る、そんな意思はさらさら持ち合わせていないということでしょう。
これで「右翼」とか「愛国」を標榜するって、完全に狂っているでしょう。
単に国民を奴隷化する政策や憲法破棄の国家反逆の一部始終を
国民の目から逸らし誤魔化すために
「右翼」や「保守」や「愛国」という概念を利用しているだけでしょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c29
コメント [政治・選挙・NHK224] こんな状況で東京五輪やるのか?とトランプ  赤かぶ
8. 2017年4月14日 11:21:32 : 3VgSfWN4Ms : x52FwdRvjNg[14]
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK224 > 121.html  

曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 13 日 01:50:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

売国と国民奴隷政策を、実際に傀儡を立てて、同時に実行に移す「右翼」
こういう右翼の概念はおそらく、日本国民どころか、世界中の人々には
理解不能でしょう。
日本独自の日本人の手でつくる憲法とかのたまいながら、
先ずは日本国家をシオニスト・グローバリストに売国し、
その恩恵として与えられただけの暫定支配権力に過ぎない状態で、
日本国家の独立、とか、日本人独自の憲法制定を、とか
完全に論理矛盾してるでしょう。
増してや、NWO(TPP)で、日本という国家は完全に亡くなるわけだし
農作物や植物の、固有種を守る法律も、この安倍自公政府は、廃止に持ち込んだ
わけですし
明らかに世界中の「国」の垣根を取っ払い、シオニスト・グローバリストが
その国の法律や、国益、国民を守る手立てを全部取っ払って、その国のシステム
を自分達の都合のいいように好き勝手作り変え、利益を貪り食いつくす
そういうシステム実現に、現安倍自公政府は全力をあげてるわけですし、
端から日本を守る、そんな意思はさらさら持ち合わせていないということでしょう。
これで「右翼」とか「愛国」を標榜するって、完全に狂っているでしょう。
単に国民を奴隷化する政策や憲法破棄の国家反逆の一部始終を
国民の目から逸らし誤魔化すために
「右翼」や「保守」や「愛国」という概念を利用しているだけでしょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/162.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
1. 2017年4月14日 11:23:43 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5344]
2017年4月14日(金)
介護保険法改悪案の採決強行
与党側が謝罪、補充質疑へ

 衆院厚生労働委員会理事懇談会が13日に開かれ、前日12日の自民、公明両党による介護保険法等改悪案の同委での審議打ち切り・採決強行について、与党側が謝罪しました。同理事懇は、14日に野党のみによる補充質疑(4時間)を行うことを決めました。

 理事懇の冒頭、丹羽秀樹委員長、自民党の田村憲久理事が、今後は円滑な運営に努めたいと述べ謝罪。日本共産党の高橋千鶴子議員は、自民党が野党の質問権の自由を認めず、一方的に質疑終局・採決強行をしたことについて「前例のないものであり、あってはならない」と批判しました。

 これに対し自民・田村氏は「その通りだ」と認めました。

 高橋氏はさらに審議の充実を求めました。

 また同日、衆院法務委員会は理事懇で、14日に一般質疑を行った上で、「共謀罪」法案を審議入りさせることを決定。日本共産党の藤野保史議員は、同法案の審議入りについては反対しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041402_01_1.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍政権、完全に末期症状出ちゃってるよ。独裁者らしく甘えるには、下は下過ぎ、上は上過ぎる。大人しくしておればいいものを! 赤かぶ
14. 2017年4月14日 11:25:37 : fi8EXpCz4w : p6I0ud7OAhs[2]
誰も信じてない安倍の内閣支持率w

内閣支持率を盾に乱暴な国会運営をするということは
その数字は政府によって都合よく作られたものということ
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/136.html#c14

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
36. 中川隆[7739] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:31:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8229]

英訳すると情痴小説(ポルノ小説)『雪国』が 出来の悪い純愛小説になってしまう理由

雪国と Snow Country (上巻)

『雪国』を読めば、日本語と英語の発想がわかる!
ものとものとの関係 − 発想の違いを検証する

松野町夫 (翻訳家)

日本語は抽象的な表現を好み、動詞が主役。これに対して、英語は具体的・説明的で能動的な表現を好み、名詞が主役、特に「ものとものとの関係」は実に明瞭である。

川端康成の小説『雪国』とサイデンステッカーの英訳 ”Snow Country” を教材として、日本語と英語の発想の違いを検証したい。ちなみに、エドワード・ジョージ・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)は、コロラド州生まれアメリカ人。川端康成自身、「私のノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言わしめたほどの名文家・知日家であり、私たち英語学習者から見れば、彼はいわば「神さま」みたいな存在だ。教材としてこれ以上のものはないと思う。

(原文)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。 娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」

明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

(訳文)
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.

A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura. The snowy cold poured in. Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.

The station master walked slowly over the snow, a lantern in his hand. His face was buried to the nose in a muffler, and the flaps of his cap were turned down over his face.


上記の英文を再度、日本語に訳してみる。これは訳をもう一度訳した文なので、訳訳文と呼ぶことにする。


(訳訳文)
汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。大地は夜空の下、白く横たわっていた。信号所に汽車が止まった。

同じ車両の反対側に座っていた娘が来て、島村の前の窓を開けた。雪の冷気が流れこんだ。窓いっぱいに乗り出しながら、娘は駅長を、ずっと遠くにいるかのように大声で呼んだ。

駅長は雪を踏みながら手に明かりをさげてゆっくり歩いて来た。彼の顔は襟巻きで鼻まで包まれ、帽子の耳おおいは顔まで垂れさがっていた。


原文の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、翻訳者泣かせの文である。この種の和文は英訳が極端に難しい。この文は、複文なのか、それとも重文なのか?トンネルを抜けたのは何だろうか?人か、車か、汽車か?雪国であったのは何か?英文では主語が必須だが、この和文には、主語に相当する主格や主題が出てこない。主語を特定できないので英訳作業に着手できないのだ。「抜ける」とか「〜であった」という動詞は大事にするが、その主体となるもの(名詞)はあっさりと省略されてしまっている。

しかし、この文は日本語として特におかしな感じはしない。それどころか、日本の第一級の文学者の、しかも文学作品の書き出しだから、推敲に推敲を重ねた名文のはず。名文なのに、どうしてこうもわかりづらいのだろうか。それはたぶん、この文が単独では自己完結しておらず、文脈に依存しているからだろうと思う。主語を特定するには、物語をもっと先の方まで読み続ける必要がある。和文は文脈に依存したものが多い。

もし、この文が報告書のような実務文書であれば、私はためらうことなく悪文とみなし、もっと具体的にわかりやすく書き直してくださいと、書き手に注文をつけたいような気にもなる。

文脈依存文で、もっと先の方まで読んでもどこにも主語を特定できる手がかりがないことも、たまにある。それでも翻訳作業は何が何でも開始しなければならない。こういう場合、私は、逐語訳の手法を採用して日本語の発想をそのまま英文に持ち込むことにしている。たぶん、苦し紛れに以下のように訳すような気がする。

Getting through the long border tunnel led to the snow country.
国境の長いトンネルを抜けると雪国へ出た。

典型的な逐語訳であり、これぐらいなら、いっそのこと動詞 get through を省略して、The long border tunnel led to the snow country. (国境の長いトンネルは雪国に出た)の方が英文としては、もう少しマシかもしれない。

サイデンステッカーは、主語を汽車にして簡潔に表現する。まさに「コロンブスの卵」である。

The train came out of the long tunnel into the snow country.
汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。

彼は、国境ということばを無視(省略)し、The train という単語を主語として補充した。わかりやすい自然な英文だ。目をつぶると、その光景がいきいきと目に浮かぶ。”out of the long tunnel” (長いトンネルを抜け)の前置詞 out of があたかも動詞「〜を抜け」であるかのように機能している。「雪国であった」と原文ではいわば静の状態で表現されていたものが、英文では "The train came into the snow country." と能動的に表現されている。

ここで、原文と訳文の表現をもう一度比較してみよう。日英の発想の違いが一目瞭然である。


原文: 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。(日本語的発想の文脈依存文)

訳訳文: 汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た。(英語的発想の自己完結文)


訳訳文は、汽車・トンネル・雪国の「ものとものとの関係」が明白である。原文をやまとことば本来の名文だとすると、訳訳文は、英語的発想から生み出された新しいタイプの明文(わかりやすい文)である。この種の表現(自己完結文)を積極的に日本語に取り入れることで、日本語は、「あいまいさ」を排除して、さらに豊かな表現を手に入れることができるのではないか。日本語的発想の文脈依存文は文学や詩歌などの芸術分野に、英語的発想の自己完結文(明文)は報告書や説明書などの実務的分野に、という具合に使い分けるのもおもしろい。

英語的発想の自己完結文(明文)、たとえば、「汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た」は、文構造が単純なので、誰でも簡単に翻訳ができる。The train came out of the long tunnel into the snow country. 逆に言うと、日本語的発想の文脈依存文にでくわしたら、一度それを、英語的発想の自己完結文に置換してから翻訳に着手すると、作業が瞬時に完了するばかりか、作品もわかりやすい自然な英文に仕上がるといえる。英語的発想とは、主語を特定し、「ものとものとの関係」を明白にすること、たったこれだけの簡単な話である。たとえば、汽車・トンネル・雪国の3つのもの中から主語となるものを特定し、主語と別のものとを、動詞または前置詞を使用して関連付けるのである。

ちなみに、雪国の舞台は、新潟県南魚沼郡湯沢町。国境(くにざかい)は、上野国(こうずけのくに、群馬県)と越後国(えちごのくに、新潟県)の県境のこと。長いトンネルは、羽越線鉄道の清水トンネルで全長、9.7キロ。

夜の底が白くなった。
The earth lay white under the night sky.

「夜の底が白くなった」とはどういう意味なのだろうか?「夜」は通常、日が沈んで暗いとき(=時間)を意味する。しかし、時間は流れるが形がないので当然「底」などない。つまりここの「夜」は、通常の意味の「夜」ではない。では、どういう状況を表現しているのだろうか?おそらく、この「夜」は島村の車窓から見た「暗闇」を文学的に表現したのではないかと私は思う。具体的に言うと、トンネルに入る前の群馬県側では雪はなく、車窓からの夜景はただ一面の「暗闇」にすぎなかった; しかし長いトンネルを抜け雪国(=新潟の湯沢町)に入った途端、「暗闇」は一変する; 実際には、雪はずっと以前からそこの地面に積もっていたのであり、変化したわけではないのだが、島村(=川端康成)の目には、あたかも「暗闇」の下部(=地面)が突然、白く変化したかのように映ったのにちがいない。

「夜の底」という日本語の抽象的な表現に比べて、英語の The earth under the night sky (夜空の下の大地)は「具体的」「説明的」でわかりやすい。「大地」と「夜空」を前置詞 "under" で明確に関係付けている。まさに、日本語は抽象的な表現を好むが、英語は具体的な表現を好み、「ものとものとの関係」が実に明瞭だ。
"The earth lay white under the night sky." を意訳すると、「大地は夜空の下、白く横たわっていた」。要は、「地面に雪が積もっていた」ということ。直訳の "The bottom of the night became white." (夜の底が白くなった)では、何のことかさっぱりわからず、これではノーベル文学賞はとても無理だったでしょうね、きっと。

信号所に汽車が止まった。
The train pulled up at a signal stop.

ウーン、やはりネイティブ・スピーカーの英文は簡潔で美しい。民族英語はいきいきとした英米文化を背景に持つ。さりげなく訳してあるが、表現が生きていますね。

向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。

この文はわかりやすい。私ならおそらく原文にひきづられて、次のように訳しそうだ。

From the opposite seat a girl stood up, came over and opened the window in front of Shimamura.

しかし、サイデンステッカーは、この場面をはっとするほど正確に描写する。

訳文: A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura.

同じ車両の反対側に座っていた娘がやって来て、島村の前の窓を開けた。


the car は、ここでは車ではなく、車両の意味。向側の座席 the opposite seat は、向かい側とみれば、対面または背面する座席に、向こう側とみれば同じ車両の反対側の座席に解釈される。要するにこの表現では「あいまい」なのだ。実際には、娘(葉子)と島村はちょうど斜めに向かい合っていたので、同じ車両の反対側の座席が正しい。このため、訳文では、原文にはない「車両」という名詞を新たに補充している。これにより、「ものとものとの関係」、つまり、娘の座席と島村の座席の関係が明白となる。

「立って来て、窓を開けた」 stood up, came over and opened the window であれば、娘は時系列の順番に動作しているので、動詞はすべて過去形でよいが、「座っていた娘が来て、窓を開けた」となると、時制が異なるので 「座っていた娘」は、A girl who had been sitting と過去形よりさらに過去を表す過去完了進行形が必要となる。

原文: 娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さあん、駅長さあん。」

訳文: Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.

訳訳文: 窓いっぱいに乗り出しながら、娘は駅長をずっと遠くにいるかのように大声で呼んだ。

原文は直接話法「駅長さあん、駅長さあん。」なのに、サイデンステッカーは間接話法で訳している。これは日本語と英語の特性に関係する。日本語は、敬称、敬語、謙譲語など待遇表現が英語よりはるかに豊富なので直接話法が威力を発揮するが、英語は間接話法が得意だ。「駅長さあん」の「さあん」は、敬称「さん」の変化したもので、日本人ならこれだけで、大声で呼んだとすぐにわかるが、英語には翻訳しづらい。マレーシア英語なら、日本人の多用する敬称「さん」に慣れているので、直接話法の ”Station Master san, Station Master sa-aaa-n!” でも理解してもらえるかもしれないが。


原文: 明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。

訳訳文: 駅長は雪を踏みながら手に明かりをさげてゆっくり歩いて来た。彼の顔は襟巻きで鼻まで包まれ、帽子の耳おおいは顔まで垂れさがっていた。

訳文: The station master walked slowly over the snow, a lantern in his hand. His face was buried to the nose in a muffler, and the flaps of his cap were turned down over his face.

原文は「男」を主題にして文全体をひとつにまとめているのに対して、訳文は、「駅長」、「顔」、「耳おおい」と3つのものをそれぞれ主語に設定して3つの文に分けてある。「駅長」、「顔」、「耳おおい」は、いずれも原文には存在しない。「駅長」と「男」、「帽子の耳おおい」と「帽子の毛皮」は実質的に同じものなので、これは別としても、「手」や「顔」は新たに補充されたもので、「顔」などは2度も登場する。実際、訳訳文は原文よりも1.5倍ほど長い。この結果、訳文はものとものとの関係が明白だ。

「明かりをさげて」 = “a lantern in his hand”

「襟巻で鼻の上まで包み」 = “His face was buried to the nose in a muffler”

「耳に帽子の毛皮を垂れていた」 = “the flaps of his cap were turned down over his face”


「明かりをさげて」の「さげて」は動詞だが、訳文では前置詞 “in” で表現している。明かりは手に、(たとえば、腰にではなく)さげていたのだ。ここにも、名詞を多用して具体的に説明する英語の特徴が如実に現れている。

「襟巻で鼻の上まで包」んだのは何か?「顔」である。当たり前じゃないか!などと憤慨しないでください。”His face” という主語を立てないかぎり、普通の英語にはならないのです。

「耳に帽子の毛皮を垂れていた」は、「帽子の耳おおいは、顔まで垂れさがっていた」と表現している。たいした違いはないじゃないか、ですって!?いいえ、垂れていたのは、「耳」にではなく「顔」にでしょうと、訂正している。なるほど、確かに「耳おおい」は、耳を越えて顔にまでかかるものですね。いやはや、恐れ入りました。


長文は短文に分割すると翻訳が簡単!
直訳か意訳か

直訳か意訳かは翻訳者にとって永遠のテーマ。直訳は原文を字句・文法にしたがって一語一語忠実に訳すこと(literal translation)、逐語訳ともいう。意訳は字句にこだわらないで意のあるところを訳すこと(free translation)、自由訳ともいう。

若い頃、私は極端な直訳信奉者だった。といっても、主義とか思想とか、そんな高遠なものに裏うちされたものではない。単に経験不足で自分勝手にそう思い込んでいたにすぎない。当時の私は原文を絶対視していたようだ。原文の語句はすべて翻訳しなければならない、原文にない語句を勝手に補充してはならない、原文が長い文章であっても勝手に分割してはいけない、原文の形容詞や副詞は、訳文でも形容詞や副詞にしなければならない、つまり、品詞は変更してはならない、などなど。思い込みは恐い。

言語学的に似通った言語間の翻訳ならいざしらず、お互いにかけ離れた構造を持つ日本語や英語間の翻訳にそのような偏狭な手法だけで対処できるはずはないのだが、当時はしかし、そのように思い込んでいた。

川端康成の『雪国』とサイデンステッカーの英訳 ”Snow Country” は、こうした永遠のテーマに対してひとつのガイドライン(指針)を示してくれている。サイデンステッカーは必要に応じて、原文の語句を省略したり、原文にない語句を新たに補充したり、長文を短文に分割したり、品詞を変更したりする。つまり、わかりやすい英文に翻訳するために必要に応じて意訳する。

(原文)
もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

(訳文)
It’s that cold, is it, thought Shimamura. Low, barracklike buildings that might have been railway dormitories were scattered here and there up the frozen slope of the mountain. The white of the snow fell away into the darkness some distance before it reached them.

(訳訳文)
もうそんな寒さかと島村は思った。鉄道の官舎らしい低いバラックのような建物が凍結した山の斜面のあちこちに散らばっている。雪の白さはそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

原文は、島村の眺めた景色として文全体をひとつにまとめているが、訳文では、島村・建物・雪の白さという3つの名詞をそれぞれ主語にして3つの文に分割して仕上げてある。原文の流れも自然なら、訳文も同様に自然な流れで分断の後遺症など、まったく感じさせない。

原文は日本語的な発想に基づいた名文である。このような名文から直接、訳文のような自然な英文を創造することは極端に難しい。日本人にはまず無理。こういう場合には、名文を一度、英語的な発想の明文(わかりやすい文)に読み砕くことである。まず、長文ならいくつかの文に分断する。分断するときは動詞に注目し、概念(意味のひとまとまり)ごとに切り出す。分断箇所にはスラッシュ(斜線 “ / “) を入れる。スラッシュ (slash) は動詞では「切り裂く」の意。明文を書くには、「1つの文に1つの概念」が原則。現に、訳文ではこの原則が採用されている。英作文はこれに限る。これだと書くのが簡単で読み手も理解しやすい。

もうそんな寒さか/ と島村は外を眺める/ と、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている/ だけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた/。

次に、分割した各文の主語(S)や動詞(V)、目的語(O)、補語(C)などを特定する。これらが省略されているときは補充する。

もうそんな寒さか/ → もうそんな寒さかと島村は思った。

島村は外を眺める/ → 島村は外を眺めた。

鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている。

雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。


ここまでの作業で難解だった長文の名文が4つの短い明文に変換された。これなら、私たち日本人でも何とか翻訳できそう、でしょう?。俄然、やる気もわいてくる。以下に私の訳とサイデンステッカーの訳を示す。対比することで日本英語(JE)と米語(AE)の違いが実感できる。

もうそんな寒さかと島村は思った。

JE: It’s already such cold, thought Shimamura.

AE: It’s that cold, is it, thought Shimamura.


島村は外を眺めた。

JE: He looked out.

AE: (訳文では省略されている)

鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている。
JE: Railway dormitorylike barracks were coldly scattered at the foot of the mountain.

AE: Low, barracklike buildings that might have been railway dormitories were scattered here and there up the frozen slope of the mountain.


雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

JE: The color of snow disappeared in the darkness on the way before it arrived there.

AE: The white of the snow fell away into the darkness some distance before it reached them.

ちょっと気になるのは、原文の「島村は外を眺め」は、訳文では省略されている点である。私などはつい、He looked out. という英文を挿入したくなるが、山裾のバラックなどの光景は島村の眺めた景色だということは誰の目にも明快なので、実際にはこの文がなくても少しも不都合はない。

どちらかというと逐語訳調の私のジャパニーズ・イングリッシュに比べて、サイデンステッカーの訳はすべて、当然のことながら、さすがに格調高く洗練されていて、特にバラックの描写など臨場感すら漂っており、実にいきいきとまるで映画のシーンを見ているようである。この違いはどこから来るのか? もう一度、バラックの文に焦点をあて、仔細に検討しよう。

(原文) 鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっている。

(訳文) Low, barracklike buildings that might have been railway dormitories were scattered here and there up the frozen slope of the mountain.

(訳訳文)鉄道の官舎らしい低いバラックのような建物が凍結した山の斜面のあちこちに散らばっている。

バラックは米語ではbarracks(単複同形)で通常、「兵舎」を意味するようだ。もちろん、「粗末な家」の意味もあるが。訳文では、「低い」や「凍結した山の斜面」、「あちこちに」が補充されていて、これらが臨場感の演出に一役かっている。これらの語句は原文にはない。「低い」は平屋を連想させる。確かに当時の鉄道の官舎はそんな感じだったようである。「凍結した山の斜面」は原文の「寒々と」を具体的に表現したもの。「あちこちに」はバラックの散在するさまを強調しているので、挿入した方が英文ではわかりやすい。ちなみに「あちこちに」は、日本語の語順と異なりhere and there 「こちあちに」となる。

(原文)寒々と → 凍結した山の斜面に
up the frozen slope of the mountain

原文では「寒々と」と副詞を使用して抽象的に表現しているが、訳文では「凍結した山の斜面」と具体的に表現している。川端康成の「寒々と」に込めた想いが訳文の ”the frozen slope” に完全に一致するとは思えないが、「日本語は抽象的な表現を好み、英語は具体的な表現を好む」という日英2つの言語の特徴が出ていておもしろい。「寒々と」を具体的に表現せよと問われたら、私は "in the freezing air" と答えるような気がする。この場面ではこの副詞句が私の語感に近い。

でも、サイデンステッカーはなぜリスクをおかしてまで「寒々と」を「凍結した山の斜面」と訳したのか?私が思うに、日本語では「家が寒々と散らばっていた」はごく普通の表現であるが、英語では、Houses were coldly scattered. とはあまり表現しないのではないか。 scatter は widely (広く)などとは連語 (collocation) になるが、coldly 「寒々と」とはあまり連結しない。だから「寒々と」を断念したのではないかと思う。インターネットを検索しても "scatter" と "coldly" の連結は見当たらない。実際、Cambridge Advanced Learner's Dictionaryは "coldly" を以下のように定義している。ロングマン米語辞典(LAAD)やオックスフォード辞典(OALD)でも似たり寄ったり。もちろん、"coldly" は cold + ly なので「寒い」という概念をいずれにせよ持っているのはまちがいないが、Houses were coldly scattered. は英米人の普通の表現にはないのかもしれない。

coldly: adverb
in an unfriendly way and without emotion:
"That's your problem, " she said coldly. (それはあなたの問題よ、と彼女は冷たく言った)

サイデンステッカーが翻訳で目指したのは「ごく普通の自然な英文」であるのはまちがいない。どの訳文を見てもお手本になる自然な英文ばかり。だからこそ、『雪国』と "Snow Country" は日本人にとって和文英訳の手引書となり得るのである。さらにまた、これは和文英訳についての手引きではあるが、その基本的な手法や考えかたは英文和訳にも、あるいはもっと一般化して、他の言語の翻訳にも相当に適用できるのではないかと私は思っている。私にとっては手引書というよりは名人による翻訳の指導書、いや極意の書である。


日本語には間接話法はない!
地の文と会話文

会話文はわかりやすい。説明や描写の文(地の文)が長々と続いた後に会話文を目にするとほっとする。会話文は砂漠の中のオアシス。子供のころから不思議なことに、会話の部分だけは文字を読むまでもなく、音声と映像で瞬時にして理解できた。まるで、話し手の声が聞こえ表情までもいきいきと見えてくるかのように。同じような体験をお持ちの方は大勢いらっしゃるはずだと思う。

(原文)
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます。」

「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ。」

「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ。」

「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」


(訳文)
"How are you?" the girl called out. "It's Yoko."

"Yoko, is it. On your way back? It's gotten cold again."

"I understand my brother has come to work here. Thank you for all you've done."

"It will be lonely, though. This is no place for a young boy."


(訳訳文)
「ご機嫌いかがですか?葉子です。」と娘は叫んだ。

「葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったね。」

「弟が今度こちらにお勤めさせていただいているそうですね。お世話になります。」

「今に寂しくなるだろうにね。ここは若いのが住むところじゃないよ。」

上述の会話文は本人の話を直接、引用しているので英文法の直接話法に相当する。英語には直接話法と間接話法がある。直接話法 (direct speech) は人のことばをそのまま伝える方法で、間接話法 (reported speech) は人のことばを話し手のことばに直してから伝える方法である。英語の直接話法と間接話法はお互いに変換することができる。


例: 「私は今、元気です」と彼は言った。

He said, "I am fine now." (直接話法 direct speech)

He said (that) he was fine then. (間接話法 reported speech)


日本語は直接話法は得意だが間接話法は苦手、というより間接話法は英語の概念であり日本語にはもともと存在しない。日本語では「会話文」と「地の文」という概念がある。「地の文」とは説明や描写の文のこと。大雑把に言うと、会話文は日本語では直接話法で表現し、英語では直接話法かまたは間接話法で表現する。


「日本語の会話文」 = 日本人は「直接話法」で表現する

「英米語の会話文」 = 英米人は「直接話法」または「間接話法」で表現する

日本語では複雑な内容であっても直接話法でなら完璧に表現できるが、間接話法ではそうはいかない。私自身、間接話法の英文をそのまま間接話法で日本語に翻訳しようとして、四苦八苦した苦い経験が何度もある。単純な内容なら間接話法で表現できなくもないが、ちょっと込み入った内容になるとすぐにお手上げとなる。いくら工夫してもなかなか素直な日本語にならない。

英語の直接話法と間接話法は、表現こそ異なるが内容(意味)はまったく同じもの。複雑な内容の間接話法の英文を和訳するときは、直接話法で処理した方が自然な日本語を得やすい。この場合、意味が不明瞭にならないかぎり、かぎかっこ(「」)を省略するなど、ちょっと工夫することであたかも間接話法であるかのように見せることもできる。

例: He said he was fine then. (間接話法の英文を和訳する場合)

「私は今、元気だ」と彼は言った。 (直接話法で和訳してもよい)

今、元気だと彼は言った。 (かぎかっこを省略して間接話法のように見せることもできる)

話法の話はこれくらいにして、『雪国』の本文に戻る。


原文: 「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます。」

訳文: "How are you?" the girl called out. "It's Yoko."

「駅長さん」は今回も訳文にはない。"How are you, Station Master? It's me." と逐語訳したくなるところだが、訳文の方がもちろん、自然な英文である。

原文: 「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ。」

訳文: "Yoko, is it. On your way back? It's gotten cold again."

「ああ、葉子さんじゃないか」を "Yoko, is it." と疑問形にして疑問符はつけない。これを仮に、"Ah, it's you, Yoko, aren’t you?" などと普通の付加疑問文にすると、アメリカ風の社交的な駅長というイメージを読者に与える恐れがある。 "Yoko, is it." か、なるほどね。これなら、日本人の駅長の感じが出ている。

原文: 「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ。」

訳文: "I understand my brother has come to work here. Thank you for all you've done."

日本人は「今度」という語を愛用するが一筋縄では行かないことばだ。場合に応じて、this time, next, recently などに訳し分ける必要がある。この場合は "my brother has (recently) come" の意だが、訳文にはない。

原文: 「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」

訳文: "It will be lonely, though. This is no place for a young boy."

訳訳文:「今に寂しくなるだろうにね。ここは若いのが住むところじゃないよ。」

"It will be lonely" の "it" は、おなじみの形式主語。 It rains (雨が降る), It's dark here (ここは暗い) などのように、形式主語の "it" は天気や時間、距離、情況などを漠然と指す。英語は形式上、主語が必要なので挿入されたもの。通常、"it" は日本語に訳さない。

会話文はわかりやすいが、皮肉なことに会話文の翻訳は非常に難解になる場合が多い。上記の、「こんなところ、今に寂しくて参るだろうよ。若いのに可哀想だな。」もその典型的な例である。民族の文化や生活に深く根ざした表現は逐語訳ではうまく処理できないのだ。「参るだろうよ」= He'll be frustrated. や「可哀想だな」= I feel (sorry) for him. などと直訳せずに、lonely や “no place for a young man” などを使用して言外ににおわせる、まさに高等技法である。


川端康成の官能的表現
直訳か意訳か

川端康成の『雪国』(新潮文庫)の8ページには「左手の人差指」について述べた長文がある。この文は物語全体とやや趣(おもむき)を異にする。私は少し違和感を覚えた。彼の作品にしては珍しく表現が露骨で肉感的な感じが強い。サイデンステッカーの英訳版 ”Snow Country” でこの文を確認したら、どうやらサイデンステッカーも戸惑いを感じていたようである。

(原文)
もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろろなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。

(訳文)
It had been three hours earlier. In his boredom, Shimamura stared at his left hand as the forefinger bent and unbent. Only this hand seemed to have a vital and immediate memory of the woman he was going to see. The more he tried to call up a clear picture of her, the more his memory failed him, the farther she faded away, leaving him nothing to catch and hold. In the midst of this uncertainty only the one hand, and in particular the forefinger, even now seemed damp from her touch, seemed to be pulling him back to her from afar. Taken with the strangeness of it, he brought the hand to his face, then quickly drew a line across the misted-over window. A woman's eye floated up before him. He almost called out in his astonishment.

(訳訳文)
三時間前のことだった。退屈まぎれに、島村は左手を眺め人差指が屈伸するのを見つめていた。この手だけがこれから会いに行く女の、生き生きしたじかの思い出を持っているようだ。鮮明な女の画像を思い出そうとすればするほど、記憶は萎え、女がますます薄れてゆき、つかまえておきたいのに何も残らない。この不確実さの中で、この片手だけが、特にこの人差指が今も女の触感で濡れていて、遠くから自分をその女へ引き戻しているかのようだ。不思議に思いながら、彼は左手を顔に近づけて、それからすっかり曇った窓にさっと線を引いた。女の片眼が彼の面前に浮かび出た。彼は驚いて声をあげそうになった。

他の部分は原文に忠実なのに、「鼻につけて匂いを嗅いでみた」の部分だけは、"he brought the hand to his face" (彼は左手を顔に近づけた)とぼかして訳してある。「鼻につけて左手の匂いを嗅ぐ」を直訳すると、”he smelled his left hand” または “he put his left hand on his nose to smell it” となる。しかし訳文には「鼻」も「嗅ぐ」もどこにも出てこない。具体的な表現を好む英語がこの部分に限っては、日本語のお家芸を奪うかのごとく曖昧に表現している。なぜか?おそらくサイデンステッカーもこの部分については違和感を覚えたにちがいない。だから彼は意図的に曖昧に表現したのではないだろうか?

欧米文化では鼻はタブーらしい。英米の小説では「顔は克明に描かれている場合でも、どうしたことか鼻への言及が少ない」、「どうも欧米人は、鼻を何となくわいせつな感じ(obscene)を起こさせるものと見ているようだ」(『ことばと文化』 鈴木孝夫著、岩波新書、ものとことば、50〜51ページから抜粋)

だとしたら、「鼻につけて匂いを嗅いでみた」は欧米人にとっては、いよいよ卑猥な表現となる。結局サイデンステッカーは、翻訳者としての原文への忠誠の義務に逆らってまでも、具体的な表現を好む英語の用法に逆らってまでも、あえて曖昧に表現せざるを得なかったのであろう。原文は確かに少々卑猥な感じはするが、日本語の文学的表現の許容範囲内にぎりぎり収まっている。少なくとも川端康成はそう考えた。しかし、欧米文化ではこの部分の逐語訳、たとえば、“he put his left hand on his nose to smell it” は到底一般読者の容認できるものではないのかもしれない。「鼻につけて匂いを嗅いでみた」の意訳、"he brought the hand to his face" (彼は左手を顔に近づけた)は、文化レベルにまで引き上げて考えてみると、一転して原文に忠実な訳となる。日英両文とも、お互いに文化的(= 文学的)許容範囲内にあるからだ。翻訳者としての原文への忠誠義務違反は「ことば」のレベルではまさにその通りだが、上位概念の「文化」のレベルでは免罪され忠誠義務違反に当たらない。この意訳で OK だと私は思う。

原文の2つの文のうち、最初の文は相当に長い。文字数を数えてみたら何と226文字ある。ちなみに、マイクロソフトのワードで文字数を確認するには、ワードを起動し、目的の文を新規文書に入れ、ワードのメニューバーから「ツール」、「文字カウント」の順にクリックすると、「文字カウント」ウィンドウが表示され、文字数や単語数を確認できる。それにしても 226文字とは相当に長い文だが、そこは名人、誰でも難なくすらすらと読みこなせるように仕上げてはある。

この長文は、訳文では7つの文に分割されている。長文は短文に分割する、サイデンステッカーは徹底してこの手法を採用する。分割するときは、文頭から順番に、動詞に注目しながら概念(意味のひとまとまり)ごとに切り出す。このようにして分割したものを次に示す。

もう三時間も前のことだった/
島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めた/
この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている/
はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろろなくぼやけてゆく/
記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだ/
不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引く/
そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった/

ここで時制について一言。英語の時制 (tense) は時間軸に沿った単純明快なもの。このような時間軸に沿った単純明快な時制という概念は日本語にはない。たとえば、上述の7つの文は過去の話なので、英語の動詞はすべて過去形を使用しなければならない。現在形は使用できない。しかし、日本語の文末の動詞に注目すると、「ことだった」、「眺めた」、「覚えている」、「ぼやけてゆく」、という具合に「〜する」、「〜した」、「〜だ」、「〜だった」が混在している。このように日本語では過去の話に「〜する」とか「〜だ」とかも使用できるのである。中学校の英語の時間に私たちが教わった「〜する」=現在形、「〜した」=過去形、「〜でしょう」=未来形などの公式は、現実の日本語には通用しないことがわかる。時制について詳しくは http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-280.html を参照してください。

英語的な発想の明文(わかりやすい文)を書くには「1つの文に1つの概念」が原則。英作文はこれに限る。これだと書くのが簡単で読み手も理解しやすい。さらに嬉しいことに、コンピュータまでもが明文は理解できるのだ。英日・日英間の機械翻訳は実用にはまだまだ程遠いのが現状だが、実は先日、この手法を用いて自分で書いた英文メールを遊び心で、市販の英日・日英機械翻訳ソフト(訳せ!!ゴマ)にかけたところ、4ページほどの英文が2、3分後に日本語に翻訳され、ほとんどすべての訳文(和文)が理解可能な、したがって実用的なレベルに仕上がっていた。驚き桃の木、山椒の木!そばでこの作業を見守っていた同僚も「完璧ですね」と叫んだ。私も興奮した。そうか、明文は機械翻訳できるのか!明文は書くのが簡単、わかりやすい、機械翻訳も可能。だから「実務文書は明文で」。ね、そうでしょう。


会話文には接続詞はいらない!?
会話文 (2)

(原文)
「ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお願いいたしますわ。」

「よろしい。元気で働いてるよ。これからいそがしくなる。去年は大雪だったよ。よく雪崩れてね、汽車が立往生するんで、村も炊出しがいそがしかったよ。」

「駅長さんずいぶん厚着に見えますわ。弟の手紙には、まだチョッキも着ていないようなことを書いてありましたけれど。」

「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪をひいてね。」

駅長は官舎の方へ手の明りを振り向けた。
「弟もお酒をいただきますでしょうか。」

「いや。」

「駅長さんもうお帰りですの?」

「私は怪我をして、医者に通ってるんだ。」

「まあ。いけませんわ。」


(訳文)
"He's really no more than a child. You'll teach him what he needs to know, won't you."

"Oh, but he's doing very well. We'll be busier from now on, with the snow and all. Last year we had so much that the trains were always being stopped by avalanches, and the whole town was kept busy cooking for them."

"But look at the warm clothes, would you. My brother said in his letter that he wasn't even wearing a sweater yet."

"I'm not warm unless I have on four layers, myself. The young ones start drinking when it gets cold, and the first thing you know they're over there in bed with colds."

He waved his lantern toward the dormitories.

"Does my brother drink?"

"Not that I know of."

" You're on your way home now, are you?"

"I had a little accident. I've been going to the doctor."

"You must be more careful."

..................................................................................................

「ほんの子供ですから、駅長さんからよく教えてやっていただいて、よろしくお願いいたしますわ。」

"He's really no more than a child. You'll teach him what he needs to know, won't you."

原文は単文だが、訳文は2つに分割されている。

「子供ですから」の中の「から」に相当する語は訳文にはない。「から」は原因・理由を示す接続詞で、英語の because, sinceに近い意味を持つ。因果関係が重要な意味を持つ論文はともかく、日常会話のような文章では、「なぜならば because」はまだいいとしても、「したがって thus, consequently, therefore」のような形式ばった接続詞は英文では無視される場合が多い。(接続詞を使うとしてもせいぜい and を挿入する程度)。

たとえば、「今朝、朝食をとらなかったので、今、おなかがすいている」は I had no breakfast this morning, (and) I'm hungry now. ぐらいで十分でしょう。もちろん、I'm hungry now because I had no breakfast this morning. もOKでしょうが、少しくどい感じがしませんか。

長文を短文に分割すると、この接続詞の問題は必ず浮上する。サイデンステッカーは、長文は複数の短文に分割しているが、その際、分割箇所の接続詞は省略している。たとえば、「バラックが散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた」の「だけで」もやはり無視されていた。

私たち日本人は「〜だから」や「なので」、「したがって」、「このため」などの接続詞が大好きで日常的な文章でも頻繁に使用する。こうした接続詞がないと文と文のつながりが希薄になりそうで不安なのだ。実際、日本語では接続詞を挿入した方が文の座りがいい。しかし英米人は一般に、こういう種類の接続詞はあまり使用しない。これを翻訳の観点からいいかえると、英文和訳の際には「文の座り」をよくするため、たとえ英文になくとも接続詞を補充し、逆に、和文英訳の際には自然な英文にするために、和文の接続詞を省略するぐらいの気持ちが必要ということ、かもしれない。


「あんなことがあったのに」は英語でどう言うの?
婉曲表現:

男と女の出会い・別れ・再会はいつも感動的だ。物語の中で最も人を魅了する部分である。私も子供の頃からラブストーリーが大好きで、石坂洋次郎の『陽のあたる坂道』、アンソニー・ホープの『ゼンダ城の虜』(The Prisoner of Zenda)、田山花袋の『蒲団』など夢中になって読みふけった時期がある。以下の文も男と女、島村と駒子の再会のシーンである。(『雪国』 新潮文庫16ページから抜粋)

(原文)
あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、踊の型の本など送るという約束も果たさず、女からすれば笑って忘れられたとしか思えないだろうから、先ず島村の方から詫びかいいわけを言わねばならない順序だったが、顔を見ないで歩いているうちにも、彼女は彼を責めるどころか、体いっぱいになつかしさを感じていることが知れるので、彼は尚更、どんなことを言ったにしても、その言葉は自分の方が不真面目だという響きしか持たぬだろうと思って、なにか彼女に気押される甘い喜びにつつまれていたが、階段の下まで来ると、「こいつが一番よく君を覚えていたよ。」と、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の目の前に突きつけた。

「そう?」と、女は彼の指を握るとそのまま離さないで手をひくように階段を上って行った。

原文の最初の一文は299文字と非常に長い。サイデンステッカーはいつものように長文は分割する。この長文は7つに分割されている。

あんなことがあったのに、手紙も出さず、会いにも来ず、踊の型の本など送るという約束も果たさなかった。 In spite of what had passed between them, he had not written to her, or come to see her, or sent her the dance instructions he had promised.

あんなことがあったのに → 二人の間に起こったものにもかかわらず

「あんなこと」とは、ここでは男女間の肉体関係を指す。婉曲(えんきょく)な表現は難しい。私のような実務翻訳者には特にそうだ。以前、原田克子さんの詩を英訳したときの話。『壊心 3』の第2パラグラフの3行目、「肌を触れ合うことがなくなったわたしたち」で困ってしまった。ウーン、難しいなあ… We can no longer sleep together とか We don't touch each other any longer now とか訳してはみたが、いまひとつ自信が持てない。「あんなことがあったのに」は In spite of what had passed between them というのか。なるほど。よーし、忘れないようにこのまま暗記しようっと。

「あんなことがあった」 (直訳すると there was a thing like that) が、訳文では「二人の間に起こったもの」 what had passed between them = the thing that had happened between them と、より具体的に名詞で表現されている。このように、日本語では文(節)で表現してあるのに、英語では名詞(もの)で表現する場合が多い。「動詞が主役」の日本語と「名詞が主役」の英語との違いがここにも顔を出している。

女からすれば笑って忘れられたとしか思えないだろう。
She was no doubt left to think that he had laughed at her and forgotten her.

“no doubt” は「疑いなく」 (undoubtedly) という副詞。She was left ... は受身。能動態に直すと、He left her ... (彼は彼女をほったらかした)。原文、訳文ともに、受動態と能動態が混在している。She was no doubt left to think that she had been laughed at and forgotten (by him). (彼女は彼にほったらかしにされ、笑われて忘れ去られたと彼女はきっと思ったことだろう) と従属節を受身にすることもできる。

先ず島村の方から詫びかいいわけを言わねばならない順序だったが、顔を見ないで歩いているうちにも、彼女は彼を責めるどころか、体いっぱいになつかしさを感じていることが知れた。

It should therefore have been his part to begin with an apology or an excuse, but as they walked along, not looking at each other, he could tell that, far from blaming him, she had room in her heart only for the pleasure of regaining what had been lost.

「体いっぱいになつかしさを感じている」 → 「彼女は、失っていたものを取り戻したという喜びだけの余裕を心に抱いていた」

“she had room in her heart only for the pleasure of regaining what had been lost.”

ワオ、これは驚いた!原文の日本語には名詞は2つ、「体」と「なつかしさ」しかないのに訳文の英語にはどちらの名詞も出て来ない。 その代わりに、5つの名詞、「she (彼女)」、「room (余裕)」、「heart (心)」、「pleasure (喜び)」、「what had been lost (失っていたもの)」が新たに補充されている。英語的な発想とはいえ、これはしかし私たちには複雑すぎる。もっと単純に、たとえば、she was filled with longing for him. (彼女は、彼に対するなつかしさでいっぱいだった) でいいのではないのかな。これだと原文の「いっぱい」も「なつかしさ」も出て来る。

彼は尚更、どんなことを言ったにしても、その言葉は自分の方が不真面目だという響きしか持たぬだろうと思った。

He knew that if he spoke he would only make himself seem the more wanting in seriousness.

なにか彼女に気押される甘い喜びにつつまれて彼は歩いた。

Overpowered by the woman, he walked along wrapped in a soft happiness.

階段の下まで来ると、人差指だけ伸した左手の握り拳を、いきなり女の目の前に突きつけた。

Abruptly, at the foot of the stairs, he shoved his left fist before her eyes, with only the forefinger extended.

階段の下まで来ると → 階段の下で (at the foot of the stairs)

私などつい、原文にひきずられて文(節)として when they came to the foot of the stairs と直訳しそうなところだが、なるほど、動詞 come 「来る」の代わりに、前置詞 at 「(下)で」で充分ですね。日本語の動詞は、英語では前置詞で表現される場合が多い。たとえば、冒頭の「長いトンネルを抜けると」 = out of the long tunnel. 逆に言うと、英文和訳の際には、英語の前置詞は日本語では動詞で訳した方が自然な和文になる場合が多い、ということですね。

「こいつが一番よく君を覚えていたよ。」
“This remembered you best of all.”

「そう?」と、女は彼の指を握るとそのまま離さないで手をひくように階段を上って行った。
“Oh?” The woman took the finger in her hand and clung to it as though to lead him upstairs.


「居住まいを直す」は英語でどう言うの?
駒子との出会い

新緑の登山季節、山歩きから七日振りりで温泉場へ下りて来た島村は、宿屋に芸者を呼ぶように頼んだ。ところが、あいにくその日は道路普請の落成祝いで芸者は皆出払っていた。三味線と踊の師匠の家にいる娘(駒子)は芸者というわけではないが、もしかしたら来てくれるかも知れないと女中は言う。以下は島村と駒子の出会いのシーンである。(『雪国』 新潮文庫18ページから抜粋)

(原文)
怪しい話だとたかをくくっていたが、一時間ほどして女が女中に連れられて来ると、島村はおやと居住まいを直した。直ぐ立ち上がって行こうとする女中の袖を女がとらえて、またそこに座らせた。
女の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪みまできれいであろうと思われた。山々の初夏を見て来た自分の眼のせいかと、島村は疑ったほどだった。

怪しい話だとたかをくくっていた。

An odd story, Shimamura said to himself, and dismissed the matter.

「怪しい話だとたかをくくる」は英語的な表現では、「怪しい話だと島村は独り言を言ってこの件を気にもとめなかった」となるのですか、ウム、なるほど、そうですか。

ちなみに、dismiss = to refuse to consider someone or something seriously because you think they are silly or not important. という意味。

一時間ほどして女が女中に連れられて来た。

An hour or so later, however, the woman from the music teacher’s came in with the maid.

原文では「女」となっているが、英語では “the woman from the music teacher’s (house)” 「音楽教師の家から来た女性」と具体的に説明されている。また、原文では「女中に連れられて来た」と受身の表現も “came in with the maid” 「女中と一緒に入って来た」と主体的に表現されている。いずれも英語的な発想だ。

島村はおやと居住まいを直した。
Shimamura brought himself up straight.

「居住まいを直す」はきちんと座りなおすこと。“sit up straight” の意。品のある女性に会うと、どんな男も思わずいずまいを正す。訳文の “Shimamura brought himself up straight.” は、畳文化に馴染みのない読者は “stood up straight” (直立した)の意味に解釈するかも知れない。そこで、“Shimamura sat up straight.” を私は提案したい。

直ぐ立ち上がって行こうとする女中の袖を女がとらえて、またそこに座らせた。
The maid started to leave but was called back by the woman.

原文は「女」が主語で女中をそこに座らせたとあるが、訳文は「女中」を主語にしている。文頭の「直ぐ立ち上がって行こうと」したのは女中なので、女中を主語にするのは自然な流れ。翻訳は「頭から順番に訳して行く」のが原則だ。現に、サイデンステッカーはほとんどの場合、頭から順番に訳して行く技法を採用している。頭から順番に訳して行かないかぎり、同時通訳は成立しない。この原則は和文英訳にかぎらず、英文和訳にも当てはまる。

中村保男 『英和翻訳の原理・技法』 より要点のみ抜粋する。
I'm afraid he is not here today because he caught a cold.
きょうは風邪を召して、お見えになっていないのが残念です。(英文解釈流)
あいにくですが、きょうは出社しておりません、お風邪を召したそうで。(頭から訳す)

上の受付嬢の応対では、「頭から訳す」方法のほうが遥かに実感もこもっているし、流れも快調だ。

「女中」は古くは婦人に対する敬称だったらしいが、現代では卑語となってしまった。今は「お手伝いさん」。英語ではメード “maid”。ところで「日女中本」の意味をご存知かな?これは四字熟語などではなく、単なることばのお遊び。解答は “made in Japan”。だって、日本の中に「女中」の文字が入っているでしょ、だから、メード・イン・ジャパン。私の若い頃に、こんな「ことば遊び」が一時流行したことがありました。

女の印象は不思議なくらい清潔であった。
The impression the woman gave was a wonderfully clean and fresh one.

女の印象 → The impression the woman gave (女が与えた印象)

「女の印象」を “the woman’s impression” というと、「女が抱いた印象」とも解釈されることもある。”The impression the woman gave” は、いかにも英語らしい的確な表現だ。最後の “one” は不定代名詞で「印象」の意味。「印象」を2回、繰り返すのを避けている。“one” が使用されたことで、この場合の「印象」は可算名詞だとわかる。

足指の裏の窪みまできれいであろうと思われた。
It seemed to Shimamura that she must be clean to the hollows under her toes.

足指の裏の窪み “the hollows under her toes” には、あか(垢)がたまりやすい。
訳文では ”must be” (〜にちがいない)と現在形が使用されている。ははーん、この場合は現在形の方がいいんですか!?。過去についての推定の表現は通常、”must have been” (〜だったにちがいない)と ”must have + pp” とばかり丸暗記していましたが…。

山々の初夏を見て来た自分の眼のせいかと、島村は疑ったほどだった。
So clean indeed did she seem that he wondered whether his eyes, back from looking at early summer in the mountains, might not be deceiving him.

この文は、She seemed so clean indeed that 〜 という例の (so ... that) 「非常に〜なので...」の倒置法ですね。


芸者を呼ぶ
「お湯道具」は「タオルと石鹸」だけ?

山歩きから一週間ぶりに温泉場で一泊した翌日の午後、島村は唐突に駒子に芸者の世話を頼んだ。しかし、駒子はこのときまだ19歳。男の生理にとまどってしまう。(『雪国』 新潮文庫19ページから抜粋)

(原文)
女は翌日の午後、お湯道具を廊下の外に置いて、彼の部屋に遊びに寄った。彼女が座るか座らないうちに、彼は突然芸者を世話してくれと言った。

「世話するって?」

「分かってるじゃないか。」

「いやねえ。私そんなこと頼まれるとは夢にも思って来ませんでしたわ。」と、女はぷいと窓へ立って行って国境の山々を眺めたが、そのうちに頬を染めて、

「ここにはそんな人ありませんわよ。」

「嘘をつけ。」

「ほんとうよ。」と、くるっと向き直って、窓に腰をおろすと、

「強制することは絶対にありませんわ。みんな芸者さんの自由なんですわ。宿屋でもそういうお世話は一切しないの。ほんとうなのよ、これ。あなたが誰かを呼んで直接話してごらんになるといいわ。」

「君から頼んでみてくれよ。」

「私がどうしてそんなことしなければならないの?」

「友だちだと思ってるんだ。友だちにしときたいから、君は口説かないんだよ。」

「それがお友達ってものなの?」と、女はつい誘われて子供っぽく言ったが、後はまた吐き出すように、

「えらいと思うわ。よくそんなことが私にお頼めになれますわ。」

「なんでもないことじゃないか。山で丈夫になって来たんだよ。頭がさっぱりしないんだ。君とだって、からっとした気持ちで話が出来やしない。」

原文: 女は翌日の午後、お湯道具を廊下の外に置いて、彼の部屋に遊びに寄った。

訳文: On her way to the bath the next afternoon, she left her towel and soap in the hall and came in to talk to him. (サイデンステッカー訳、ちなみにこの英文の訳は、翌日の午後お風呂へ行く途中、彼女はタオルと石鹸を廊下に置いて、彼の部屋に遊びに寄った。)

英語は具体的な表現を好む。なるほど、「お風呂へ行く途中」と状況が具体的に補足してある。しかし原文では「お湯道具を廊下の外に置いて」というだけで、お風呂へ行く途中だとも、お風呂から上がって帰る途中だとも書いていない。可能性は五分五分、どちらもありうる。原文の「お湯道具」も英文では「タオルと石鹸」と具体的に明示してある。確かにタオルと石鹸はお風呂の必須アイテム。しかしタオルと石鹸を洗面器(washbowl)に入れて廊下に置いた可能性もある。私など、南こうせつの「神田川」の世代なので、お風呂というと洗面器までも連想してしまう。日本人なら The next afternoon, she left her bath items out in the hall and came into his room to talk to him. と、あたりさわりのないように訳すような気がするが、具体性を欠くこのような英文は、アメリカ人には生理的に居心地が悪いのかもしれない。

原文: 彼女が座るか座らないうちに、彼は突然芸者を世話してくれと言った。

訳文: She had barely taken a seat when he asked her to call him a geisha.

うーん、さすがにネイティブの英文はすばらしい!頭から順番に自然に英訳してある。芸者は "geisha"、可算名詞なので 単数のときは a geisha、複数形は geisha or geishas となる。「世話する」というと通常、take care of, look after, help などを連想するが、この場合は call (呼ぶ)がふさわしい。

原文: 「世話するって?」

訳文: "Call you a geisha?"

原文: 「分かってるじゃないか。」

訳文: "You know what I mean."

原文: 「いやねえ。私そんなこと頼まれるとは夢にも思って来ませんでしたわ。」と、女はぷいと窓へ立って行って国境の山々を眺めたが、そのうちに頬を染めて、「ここにはそんな人ありませんわよ。」

訳文: "I didn't come to be asked that." She stood up abruptly and went over to the window, her face reddening as she looked out at the mountains. "There are no women like that here."

原文は会話文を前後に挿入して、全体を単一の長文に仕上げてあるが、訳文は3つの文に分割してある。この手法は随所に見られる。長文を翻訳するときは、このように分割した方が自然な英文を得やすい。「いやねえ」は訳してない。和文ではこれがあるとないとでは全体の印象が微妙に変わる。男は女の「いやねえ」を聞くと少し安堵する。まだ修復の余地が残されていると。

原文: 「嘘をつけ。」

訳文: "Don't be silly." (へーえ、”Don’t tell a lie.” じゃないんだ)

原文: 「ほんとうよ。」と、くるっと向き直って、窓に腰をおろすと、
「強制することは絶対にありませんわ。みんな芸者さんの自由なんですわ。宿屋でもそういうお世話は一切しないの。ほんとうなのよ、これ。あなたが誰かを呼んで直接話してごらんになるといいわ。」

訳文: “It’s the truth.” She turned sharply to face him, and sat down on the window sill. “No one forces a geisha to do what she doesn’t want to. It’s entirely up to the geisha herself. That’s one service the inn won’t provide you. Go ahead, try calling someone and talking to her yourself, if you want to.”

「窓に腰をおろした」は、sat down on the window sill. と英訳されている。 “sill” は「下枠」の意味。英語は具体的な表現を好む。ここでも腰をおろしたのは「窓」ではなく、「窓の下枠」だと表現する。「お湯道具」を「タオルと石鹸」と言い換えたように。これとは反対に、日本語は抽象的な表現を好む。たとえば、米国人が “We must construct roads and bridges soon.” (道路や橋をすぐに建設しなければならない)と具体的・能動的に表現するようなところを、私たちは「社会基盤(インフラ、infrastructure)の整備が急務である」と抽象的に表現する。「道路や橋をすぐに建設しなければならない」よりも「社会基盤の整備が急務」の方が、私たちには何となく高尚な感じがするのである。

原文: 「君から頼んでみてくれよ。」

訳文: “You call someone for me.”


原文: 「私がどうしてそんなことしなければならないの?」
訳文: “Why do you expect me to do that?”

原文: 「友だちだと思ってるんだ。友だちにしときたいから、君は口説かないんだよ。」

訳文: “I’m thinking of you as a friend. That’s why I’ve behaved so well.”

「友だちにしときたいから(=だから)、君は口説かないんだよ」は直訳すると、That’s why I’m not coming on to you. とでもなるところ。「口説く」は “come on to” だが、この表現は少しいやらしい感じがして、露骨すぎるのかもしれない。”That’s why I’ve behaved so well.” は、「だから、行儀よくふるまっているのじゃないか」みたいな感じ。なるほど、確かにこの方が品があり、主人公の島村の気持ちにも近い。

原文: 「それがお友達ってものなの?」と、女はつい誘われて子供っぽく言ったが、後はまた吐き出すように、「えらいと思うわ。よくそんなことが私にお頼めになれますわ。」

訳文: “And this is what you call being a friend?” Led on by his manner, she had become engagingly childlike. But a moment later she burst out: “Isn’t it fine that you think you can ask me a thing like that!”

原文: 「なんでもないことじゃないか。山で丈夫になって来たんだよ。頭がさっぱりしないんだ。君とだって、からっとした気持ちで話が出来やしない。」

訳文: “What is there to be so excited about? I’m too healthy after a week in the mountains, that’s all. I keep having the wrong ideas. I can’t even sit here talking to you the way I would like to.”

「なんでもないことじゃないか」は、私など原文につられて、”That’s nothing special, you see?” などと、つい単調に訳してしまいそうな気がする。やはり名訳はちがう。 “What is there to be so excited about?” は実に英語らしい表現だ。直訳すると、「そんなに興奮するような何があるのかい?」 → 「何をそんなに興奮しているの?」

「山で丈夫になって来たんだよ」は、英語では、原文にない「一週間」という語を補充し、“I’m too healthy after a week in the mountains, that’s all.”

「一週間、山にいたので元気になりすぎた、それだけのことだ」と具体的に表現にする。確かに島村はこのとき一週間山にいた。たとえ原文にはなくとも、「一週間」という語を補充した方が情況がわかりやすい。

「頭がさっぱりしないんだ」は、たとえば、"I don't really feel refreshed." だが、訳文では "I keep having the wrong ideas."(よくない考えがまとわりついて離れない)と、さらに踏み込んだ表現を採用し欲情を暗示する。

「君とだって、からっとした気持ちで話が出来やしない」も直訳すると、"I can't even talk to you frankly or cheerfully." とでもなるところだが、訳文では "I can’t even sit here talking to you the way I would like to.” (ここに座って君と話すことさえ、本当の気持ちで話ができやしない)と、原文にない "I can’t even sit here" とい節を補充し、これにより、臨場感あふれるなまなましいシーンをたくみに創出している。


なにしたらおしまいさ
婉曲語法、ユーフェミズム (euphemism)

川端康成の『雪国』を私が初めて読んだのは中学生の頃。思春期の多感な年ごろで男女間の秘め事には強烈な関心を抱いてはいたものの経験はもちろんない。しかし当時、この「なにしたらおしまいさ」のくだりは何となくわかったような気がした。よほど感銘を受けたのか、その後十数年たって実際に恋に悩んだり失恋したりしたときに思い出していた。それからさらにずっと後になってからでも、ときどきこの部分がふっと頭をよぎる。男と女の関係は微妙でややこしい。

島村と駒子の会話。川端康成 『雪国』 新潮文庫22ページから引用する。

「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう。」

「そう。ほんとうにみんなそうだわ。私の生まれは港なの。ここは温泉場でしょう。」と、女は思いがけなく素直な調子で、

「お客はたいてい旅の人なんですもの。私なんかまだ子供ですけれど、いろんな人の話を聞いてみても、なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れた後ってそうらしいわ。向うでも思い出して、手紙をくれたりするのは、たいていそういうんですわ。」

女は窓から立ち上がると、今度は窓の下の畳に柔かく座った。遠い日々を振り返るように見えながら、急に島村の身辺に座ったという顔になった。

婉曲(えんきょく)な表現は英訳がむずかしい。この「なにしたらおしまいさ」も、遠まわしで婉曲な表現である。英語は具体的な表現を好むとはいえ、何でもかんでも直接的にずばずば表現するというわけではない。やはり、そこは同じ人間、婉曲表現、ユーフェミズム (euphemism) は当然ある。

OALD辞典によると、euphemism (for something) = an indirect word or phrase that people often use to refer to something embarrassing or unpleasant, sometimes to make it seem more acceptable than it really is:

*Pass away is a euphemism for 'die.' 'User fees' is just a politician's euphemism for taxes.

英訳する際、まず、日本語の意味を正確に理解する必要がある。「なにしたらおしまいさ」は単純な表現に見えるが、その意味は意外と複雑だ。文頭の「なにしたら」は婉曲表現だが、意味は誰にでもわかる。「なに」する = セックスする、という意味。問題はつぎの語句「おしまいさ」の方である。これはあいまいな表現だ。いったい何がおしまいなのか、何が終わるのか、主語は何だろうか。和文ではこのように、しばしば主語が省略されるが、英文では主語は不可欠。主語を特定しないかぎり英文は書けない。主語や目的語が省略された和文を私は便宜上「文脈依存文」と呼ぶ。文脈依存文の主語や目的語は通常、前後の文脈から判断できる。

駒子(19歳)は不思議なくらい清潔な女性。足指の裏の窪みまできれいであろうと島村が思ったほどだ。島村は駒子に芸者の世話を頼んでいる。駒子は友だちにしときたいから口説かないという。なるほど、そうか、ならば主語は「男女間の友情」にちがいない。

つまり、「なにしたらおしまいさ」の意味はわかりやすく表現しなおすと、露骨になるので少し気がひけるが、「セックスすると友情がおしまいになる」ということを一般論として述べている。

「なにしたらおしまいさ」を直訳すると、

Friendship will be over if you have an affair. (仮定法現在)

Friendship would be over if you had an affair. (仮定法過去)

ここの "you" は「あなた」という意味ではなく、総称的に一般の人をさす「人は(誰でも)」という意味。また affair は、ここでは「情事、浮気」 (love affair) を意味する。

仮定法 if について:

日本語では、仮定法はすべて「A ならば B」という形式で表現し、内容にまで踏み込むことはしない。しかし、英語では面倒なことに、内容にまで踏み込んで実現の可能性が高いか低いかを区別し、それぞれに異なる表現法を採用する。実現の可能性の高いものの場合(=あり得る話)には、英語では条件節 (if-clause) に現在形を使用する。現在形を使用するのでこれを仮定法現在と呼ぶ。実現の可能性の低い場合や事実と異なるものの場合(=あり得ない話)には、英語では条件節に必ず過去形を使用する。過去形を使用するのでこれを仮定法過去と呼ぶ。しかし、過去形は使用するがその意味は現在。また、可能性が高いか低いかの判定は、話し手本人の主観的判断に依存する。

if については「if の創出する不思議な世界」http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-364.html を参照してください。

「なにしたらおしまいさ」は島村のせりふなので、島村の気持ちに即して考えれば、仮定法過去の Friendship would be over if you had an affair. がふさわしい。ただし、この英文は私が英訳したものなので、いわば典型的なジャパニーズイングリッシュ。そこで、ネイティブ・スピーカーの模範解答と比較・検討する。わが師匠(私が勝手にそう思っているだけ)、サイデンステッカー教授の英訳は次の通り。

原文:「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう。」

訳文: "An affair of the moment, no more. Nothing beautiful about it. You know that--it couldn't last."

訳訳文: 「つかのまの情事、それだけのこと。味気ないよ。長続きしないだろう」

あれえ、「なにしたらおしまいさ」の部分は「つかのまの情事、それだけのこと」 "An affair of the moment, no more." と訳されている。変だなあ。ひょっとしたら師匠は、「なにしたらおしまいさ」を「なにするだけでおしまいにする。それ以上のことはしない」と解釈されたのではないか?まさかね、日本語の堪能な大先生がそんなはずはない。はてさて、それじゃあ、どう考えたらいいんだろう。どうも「おしまい」という語に問題がありそうだ。ここの「おしまい」の用法は、フーテンの寅さんの 「それをいっちゃーおしめぇーよ」 (Things will be over if you say that.) と類似している。日本語大辞典は「おしまい」を次のように定義する。

お-しまい【*御仕舞(い)】
《「仕舞い」の丁寧語》

(1) 終わり。the end (用例>物語はこれで〜。
(2) 物事がだめになること。be all up (用例>こう不景気では、商売も〜だ。
(3) お化粧。身じまい。make up

問題の「おしまい」の意味は、定義の (2) 物事がだめになること、に該当する。それなら私の解釈でもよさそう。そこで、"An affair of the moment, no more." の文を私の訳文と差し替えて、全体をもう一度、原文と比較してみよう。

原文: 「なにしたらおしまいさ。味気ないよ。長続きしないだろう。」

提案: "Friendship would be over if you had an affair. Nothing beautiful about it. You know that--it couldn't last."

うん、これでもよさそう。(なーんてね、独り合点だったりして)
罪滅ぼしに、以下の英文はすべてサイデンステッカー教授の "Snow Country" から引用する。

「そう。ほんとうにみんなそうだわ。私の生まれは港なの。ここは温泉場でしょう。」

"That's true. It's that way with everyone who comes here. This is a hot spring and people are here for a day or two and gone."

「私の生まれは港なの」は訳されていない。この文がない方がすっきりしてわかりやすいと師匠は判断されたのであろうか。代わりに、原文にない "and people are here for a day or two and gone." (温泉客は1泊か2泊してから出て行く)という文が新たに補充されている。翻訳ではこのように、省略や補充が必要な場合がある。

女は思いがけなく素直な調子で(言った)。

Her manner was remarkably open--the transition had been almost too abrupt.

「お客はたいてい旅の人なんですもの。私なんかまだ子供ですけれど、いろんな人の話を聞いてみても、なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れた後ってそうらしいわ。向うでも思い出して、手紙をくれたりするのは、たいていそういうんですわ。」

"The guests are mostly travelers. I'm still just a child myself, but I've listened to all the talk. The guest who doesn't say he's fond of you, and yet you somehow know is--he's the one you have pleasant memories of. You don't forget him, even long after he's left you, they say. And he's the one you get letters from."

女は窓から立ち上がると、今度は窓の下の畳に柔かく座った。遠い日々を振り返るように見えながら、急に島村の身辺に座ったという顔になった。

She stood up from the window sill and took a seat on the mat below it. She seemed to be living in the past, and yet she seemed to be very near Shimamura.

「今度は」が単に "and" と訳されている。なるほど、そうですね。「遠い日々を振り返るように見えた」が "She seemed to be living in the past," ですか。なるほどね。名人の手にかかると、実に簡潔に表現できるものですね。でもね、師匠、「柔かく座った」の「柔かく」は省略しないでほしかった。この表現は女性が心を開いてうちとけたさまを表す男どもにとってとても大事なこと。私など着物を着た女性の優美なしぐさばかりか、まろやかな白肌のうなじまでも連想してしまいそう。思わず、"and took a seat" の部分を "and sat down softly" に変更したい衝動に駆られる。


黙って立ち去ったのは誰?

『雪国』では、「女」という語は駒子のみをさす

翻訳をしていてよかったと思えることのひとつに、原文を精読できることである。もちろん翻訳などしなくても本は精読できる。しかし精読の濃さがちがう。たとえば、川端康成の『雪国』の文庫本は、単に読むだけなら一日、腰をすえてじっくり熟読したとしても、せいぜい数日もあれば十分だ。ところがこれを英訳するとなるとそうはいかない。最短でも1ヶ月はかかる。文章にとことんこだわる人であれば、半年とか一年かかったとしても不思議ではない。翻訳は、原作者が作品を完成させるのに要する時間とほぼ同じくらい、あるいはさらに長い時間かかることもある。一字一句、句読点までも吟味しながら作品と長く接することで、翻訳者は普通の読者が見落としたり勘違いしたりする箇所に気づくこともある。これからその一例を紹介したいが、まずは原文をご覧あれ。

川端康成の『雪国』 新潮文庫 27ページから引用する。

「それでどれくらいいるの。」

「芸者さん?十二三人かしら。」

「なんていう人がいいの?」と、島村が立ち上ってベルを押すと、

「私は帰りますわね?」

「君が帰っちゃ駄目だよ。」

「厭なの。」と、女は屈辱を振り払うように、

「帰りますわ。いいのよ、なんとも思やしませんわ。また来ますわ。」

しかし女中を見ると、なにげなく座り直した。女中が誰を呼ぼうかと幾度聞いても、女は名指しをしなかった。

ところが間もなく来た十七八の芸者を一目見るなり、島村の山から里へ出た時の女ほしさは味気なく消えてしまった。肌の底黒い腕がまだ骨張っていて、どこか初々しく人がよさそうだから、つとめて興醒めた顔をすまいと芸者の方を向いていたが、実は彼女のうしろの窓の新緑の山々が目についてならなかった。ものを言うのも気だるくなった。いかにも山里の芸者だった。島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、一層座が白けて、それでももう一時間くらいは経っただろうから、なんとか芸者を帰す工夫はないかと考えるうちに、電報為替の来ていることを思い出したので郵便局の時間にかこつけて、芸者といっしょに部屋を出た。


訳文:
"Snow Country" translated by Edward G. Seidensticker (Page 28, Vintage Books)

"How many are there in all?"

"How many geisha? Twelve or thirteen, I suppose."

"Which one do you recommend?" Shimamura stood up to ring for the maid.

"You won't mind if I leave now."

"I mind very much indeed."

"I can't stay." She spoke as if trying to shake off the humiliation. "I'm going. It's all right. I don't mind. I'll come again."

When the maid came in, however, she sat down as though nothing were amiss. The maid asked several times which geisha she should call, but the woman refused to mention a name.

One look at the seventeen- or eighteen-year-old geisha who was presently led in, and Shimamura felt his need for a woman fall dully away. Her arms, with their underlying darkness, had not yet filled out, and something about her suggested an unformed, good-natured young girl. Shimamura, at pains not to show that his interest had left him, faced her dutifully, but he could not keep himself from looking less at her than at the new green on the mountains behind her. It seemed almost too much of an effort to talk. She was the mountain geisha through and through. He lapsed into a glum silence. No doubt thinking to be tactful and adroit, the woman stood up and left the room, and the conversation became still heavier. Even so, he managed to pass perhaps an hour with the geisha. Looking for a pretext to be rid of her, he remembered that he had had money telegraphed from Tokyo. He had to go to the post office before it closed, he said, and the two of them left the room.

引用が少し長くなってしまいましたが、それでは質問。

「島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしま(った)」とありますが、黙って部屋を立ち去ったのは誰ですか?

正解はもちろん芸者でしょうと、たいていの人は答える。私も最初そう思った。実際、この文庫本の注解でも、動作主は芸者だとみているようだ。「黙って立ち上って」は、「客つまり島村に気に入られないで、断られたと、この女は判断したため」と記載されている。

しかし、たぶんそうではない。動作主は駒子だと私は思う。というのは、このとき部屋にいたのは島村と芸者、駒子の三人。気をきかせて駒子が部屋を出て行った。残されたのは島村と芸者。座はいっそう白けた。それから一時間ほどしてから、島村は芸者といっしょに部屋を出たのだ、と思う。実は『雪国』では、「女」という語は駒子をさすのである。

サイデンステッカー教授はこの部分を次のよう翻訳している。

原文:島村がむっつりしているので、女は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしまうと、一層座が白けて、それでももう一時間くらいは経っただろう

He lapsed into a glum silence. No doubt thinking to be tactful and adroit, the woman stood up and left the room, and the conversation became still heavier. Even so, he managed to pass perhaps an hour with the geisha.

訳訳文: 彼は不機嫌に黙り込んだ。女は気をきかせようと思ったようで、立ち上って部屋を出て行ったので、会話はさらに重たくなった。それでも彼は何とか一時間ほど芸者と時間をつぶした。

英文でも the woman が使用されているので、英文読者も一瞬、the woman = the geisha (女=芸者)と勘違いした人もいると思う。この文を明文(わかりやすい文)に変更するには、「女」を「駒子」に置き換えるだけでよい。「島村がむっつりしているので、駒子は気をきかせたつもりらしく黙って立ち上って行ってしま(った)」と、固有名詞の「駒子」を使用しさえすれば誤解は生じない。実務畑出身の私などは、ついそう思ってしまう。しかし、そこはそれ、文学の世界。「女」という語に並々ならぬこだわりがある。島村にとって「女 (woman)」は駒子のみ、である。『雪国』のその他の登場人物、たとえば、娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように「駅長さあん、駅長さあん」、と叫んだのは葉子であるが、葉子は「娘 (girl)」であり「女」ではない。それ以外の女性たちも、それぞれ「女中」、「芸者」、「細君」であり、「女」という語では表現されていない。ただし、一箇所だけ例外に見える文章はある。

宿屋の客引きの番頭は火事場の消防のようにものものしい雪装束だった。耳をつつみ、ゴムの長靴をはいていた。待合室の窓から線路の方を眺めて立っている女も、青いマントを着て、その頭巾をかぶっていた。(『雪国』 新潮文庫 13ページから抜粋)

これは、長いトンネルを抜け汽車から降り立った島村が最初に目にした湯沢町の駅前の光景である。このときは島村は青いマントの女が誰か知らないが、その後、宿屋の番頭との会話からこの「女」が駒子だったことを知る。女=駒子(一対一)。ワーオ、徹底しているなあ!でも、「女」には並々ならぬこだわりがあるのに、「男」にはあっけらかんとしている。無頓着というか、無関心というか、まったくこだわりが見えない。駅長も、葉子の連れの病人も、屋根の雪を落とす人も、すべて「男」という語で表現されている。男=男一般(一対多)。このふたつの用法は、言語学的には不均衡といえないこともないが、生物学的には男の本性に忠実でとてもわかりやすい。


対の黄蝶
求愛活動の美しさと愛の破局を暗示する

色恋はしばしば、つがいの蝶にたとえられる。梅沢富美男のヒット曲『夢芝居』(作詞・作曲:小椋 佳)でも、♪男と女 あやつりつられ、対のアゲハの誘い誘われ…。蝶のもつれ合いは絵になる。アゲハ(揚羽蝶)はどことなく妖艶で、黄蝶は可憐な感じだ。『雪国』の黄蝶のくだりは、私にとって印象深いシーンのひとつである。川端康成の『雪国』 新潮文庫 28ページから引用する。

原文:
しかし、島村は宿の玄関で若葉の匂いの強い裏山を見上げると、それに誘われるように荒っぽく登って行った。なにがおかしいのか、一人で笑いが止まらなかった。ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣の尻からげして、一散に駆け下りて来ると、足もとから黄蝶が二羽飛び立った。蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった。

訳文:
But at the door of the inn he was seduced by the mountain, strong with the smell of new leaves. He started climbing roughly up it. He laughed on and on, not knowing himself what was funny. When he was pleasantly tired, he turned sharply around and, tucking the skirts of his kimono into his obi, ran headlong back down the slope. Two yellow butterflies flew up at his feet. The butterflies, weaving in and out, climbed higher than the line of the Border Range, their yellow turning to white in the distance.


原文:しかし、島村は宿の玄関で若葉の匂いの強い裏山を見上げると、それに誘われるように荒っぽく登って行った。

訳文: But at the door of the inn he was seduced by the mountain, strong with the smell of new leaves. He started climbing roughly up it.

訳訳文:しかし宿の玄関で、彼は若葉の匂いの強いその山に魅了された。彼は荒っぽく登り始めた。

サイデンステッカーは原文を2つの文に分割している。長文は分割すると英訳が簡単になり、訳文も自然な英文となる。「裏山を見上げると、それに誘われるように」が単に、「その山に魅了された」と要約して英訳されている。「裏山」も単に 「その山」 the mountain と訳してある。しかし、英文を読み返してみても不自然さはなく、いずれもこの表現で十分だという感じがする。

原文:なにがおかしいのか、一人で笑いが止まらなかった。

訳文: He laughed on and on, not knowing himself what was funny.

訳訳文:なにがおかしいのか自分でもわからないまま、彼は笑い続けた。

なるほど、「笑いが止まらない」というのと「笑い続ける」は同じことですね。
on and on (引き続き) は、動作の継続を意味する副詞句。

動作がとぎれたり続いたりするときは、on and off = off and on (時々、不規則に)。

It rained on and off for the whole afternoon. (午後はずっと雨が降ったり止んだりした)

原文:ほどよく疲れたところで、くるっと振り向きざま浴衣の尻からげして、一散に駆け下りて来ると、足もとから黄蝶が二羽飛び立った。

訳文: When he was pleasantly tired, he turned sharply around and, tucking the skirts of his kimono into his obi, ran headlong back down the slope. Two yellow butterflies flew up at his feet.

訳訳文:気持ちよく疲れたところで、彼は急に振り向いて、着物のすそを帯に押し込み、いっさんに坂道を駆け下りた。足もとから黄蝶が二羽飛び立った。

ここでもひとつの和文が2つの英文に分割して英訳されている。擬態語の「くるっと」は sharply (急に) に訳されている。「浴衣(ゆかた)の尻からげ」は、「着物のすそを帯に押し込み」 (tuck the skirts of his kimono into his obi)。 ウーン、なるほど。「足もとから」は、前置詞が from (〜から) ではなく at (〜で) が使用されていることに注意する。日本語の「〜から」は通常、 from を使用して、たとえば、

わが社の営業時間は9時から6時までです。Our business hours are from nine to six.

と表現するが、たまに from の代わりに in, at となる場合もある。

太陽は東から昇る。The sun rises in the east.

学校は9時から始まる。School begins at 9.

ドロップダウンリストから項目を選びます。Select an item in the drop-down list.

原文:蝶はもつれ合いながら、やがて国境の山より高く、黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった。

訳訳文:蝶はもつれ合いながら、国境の山並みより高く上り、遠くで体の黄色は白に変わった。

The butterflies, weaving in and out, climbed higher than the line of the Border Range, their yellow turning to white in the distance.

原文は「蝶」を題(topic)にして、「蝶はもつれ合い、山並みより高く、黄色が白くなり、遥かだった」と、一文にまとめてある。これに対して、英文では前半は butterflies を主語としているが、後半では yellow を主語にしている。ピリオドの代わりにコンマを使用することで、あたかも一文のように見せかけてはあるが、実質的には2つの文(重文)である。だから、The butterflies, weaving in and out, climbed higher than the line of the Border Range. Their yellow turned to white in the distance. としてもそれほど違和感はない。もっともここでは、原文の表現により近いサイデンステッカーの訳文の方が良いのは言うまでもない。原文では「遥かだった」と述語(形容動詞)だが、英文では " in the distance" (遠くで) と副詞句として処理している。

「蝶はもつれ合いながら〜」というこの表現は、注解にあるように、島村と駒子の愛の破局を暗示しているのだろうか?そうかもしれないが私の印象を少し付け加えたい。

島村、つまり川端康成は、黄蝶がもつれ合いながら上空高く舞い上がるのをずっと見続けていた。しかも「黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった」というぐらいだから相当に長い時間、見続けていたことになる。しかし私の子供の頃の観察では、蝶は一般に、せいぜい10 m ほどの低空を飛翔するものである。開張 4 cm ほどの黄蝶が山並みより高く舞い上がることなど、実際にはまずありえない。これはきっと文学者特有の心象風景にちがいない。そうだとすれば、この個所は、生殖本能の烈しさや求愛活動の美しさ・永遠性など、彼自身が心の中に抱くイメージが投影されているのではないだろうか。そして、永遠に続くように思えていた燃えるような恋情もいつかは色あせ、やがて遥かかなたの思い出に変わる。「黄色が白くなってゆくにつれて、遥かだった」のくだりは、こうした愛の破局を暗示しているのだろうか。


どうなすったの?
日本語は敬語などの待遇表現が豊富

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 28ページ】

「どうなすったの。」女が杉林の陰に立っていた。

「うれしそうに笑ってらっしゃるわよ。」

「止めたよ。」と、島村はまたわけのない笑いがこみ上げて来て、「止めたよ。」

「そう?」女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆっくり入った。彼は黙ってついて行った。

「どうなすったの」は女性が使用する丁寧語である。尊敬表現の「どうなさったのですか」から派生したもの。「なさる」は「する」の尊敬語。「なさった」は「なすった」の形になることがある。「どうしたのですか」も丁寧語でこちらは男女とも使用可能。「どうしたの」は丁寧語ではあるが、(ですか)が省略されている分、丁寧さが不足しているので目上には使用できない。「どうなさったのですか」や「どうなすったの」、「どうしたのですか」、「どうしたの」は、表現は異なるが、意味はまったく同じである。

このように、日本語は敬語などの待遇表現が豊富だ。敬語は人に敬意を表すために用いるもので、尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種類がある。尊敬語は相手のことを話すときに、謙譲語は自分(身内を含む)のことを話すときに、また、丁寧語は相手に関係なく丁寧に話すときに、それぞれ使用する。「ご飯を食べる」を例にとると、ご飯を召し上がる(尊敬語)、ご飯をいただく(謙譲語)、ご飯を食べます(丁寧語)となる。丁寧語は、いわゆる「です・ます」体がメインになるので一番使いやすい。

英語には丁寧な表現はあるが敬語はない。そこで日本語の敬語を英訳するとき、私は敬語を一度、基本語に直してから英訳するようにしている。たとえば、

いらっしゃる(尊敬)、うかがう or 参る(謙譲) → 行く
おみえになる(尊敬)、参る(謙譲) → 来る
なさる(尊敬)、いたす(謙譲) → する

「どうなすったの」についても同様に、基本語に直すと、「どうしたの」となる。ちなみに、「どう」は副詞で、「どのように」の意味。英語の疑問詞 how, how about, what などに相当する。「どうしたの」は何かが発生し、その何かを質問するときに使用する。「何があったの」とか「どんな事が起こったのか」という意味なので、what がふさわしい。「どうしたの」 = What's the matter? または What happened?

ただし、LAAD辞典によると、What's the matter? は、心配事とか病気など、相手が何かよくない状態のとき、その理由を質問するときに使用する (used when someone seems upset, unhappy, or sick and you are asking them why) ものなので、ここの文脈にはふさわしくない。(島村は山を駆け下りてきて、今はすっきりした気分だから)。

用例として、たとえば、Honey, what's the matter with you? Don't you feel well? (あなた、どうなすったの。気分でも悪いの?)。つまり、 What's the matter with you? = What's wrong with you? という感じですね。

「どうなさったのですか」は敬語だが、「どうした?」は敬語ではない。ため語(=ためぐち)に近いので、目上の人に使用すると失礼になる。しかし英語には敬語がないので「どうした?」も「どうなさったのですか」もいずれも "What happened?" で表現してよい場合が多い。強いて訳せば、たとえば、

「どうした?」
Hey, what happened?

「どうなさったのですか」
May I ask what happened?

"Hey" や "May I ask" などを付加することで、日本語の雰囲気に多少、近づけることは可能かもしれないが、根底に常に日英ふたつの文化の違いが存在する以上、決して完璧に一致することはない。あまり敬語にこだわりすぎると、不自然な英文になる恐れがある。

「どうしたの」 = What's the matter? または What happened? であるが、興味深いことに、「どうするの」となると、その英訳は大きく変身する。英文の主語が「こと」から「あなた」に変化するのだ。

「どうするの」
What are you going to do? (発音は「ワユゴナヅ」)

映画などの会話を聞いていると、この表現 (What are you going to do?) は頻発するが、日本人の耳にはまちがいなく、「ワユゴナヅ」と聞こえるはず。決して「ワッツ・アー・ユー・ゴーイング・ツー・ヅー」と聞こえることはない。

私たちが日常何気なく使用している表現、「どうしたの」や「どうするの」は、日本語としては同じ文法構造なのでその違いを意識できないが、英訳するとその相違点がはっきりと浮かび上がってくる。

事柄(matter)を質問する「どうしたの」 = What's the matter? or What happened?

未来の事柄(matter)を質問する「どうなるの」 = What will happen?

相手の行為を質問する「どうしたの」 = What did you do then? or What have you done?

相手の今後の行為を質問する「どうするの」 = What are you going to do?

それではここで本文に戻って、わが師匠、サイデンステッカー教授の訳文を確認しよう。


原文: 「どうなすったの」

訳文: "What happened?"

原文: 女が杉林の陰に立っていた。

訳文: The woman was standing in the shade of the cedar trees.

原文: 「うれしそうに笑ってらっしゃるわよ。」

訳文: "You must have been very happy, the way you were laughing."


原文: 「止めたよ。」と、島村はまたわけのない笑いがこみ上げて来て、「止めたよ。」

訳文: "I gave it up." Shimamura felt the same senseless laugh rising again. "I gave it up."


原文: 「そう?」女はふいとあちらを向くと、杉林のなかへゆっくり入った。

訳文: "Oh?" She turned and walked slowly into the grove.

原文: 彼は黙ってついて行った。

訳文: Shimamura followed in silence.

ウーン、当然といえば当然のことながら、ネイティブ・スピーカーの英語はさすがに簡潔ですね。「杉林」は、the cedar forest などといわず、the cedar trees と tree (木) を複数形にしてある。そういえば、日本語でも「林」は「木」がふたつ並んでいますね。後半の「杉林のなかへゆっくり入った」は、"walked slowly into the grove" と、今度はその「杉林」を単に、the grove(木立)ですか。定冠詞 (the) がここでもぐっと効いていますね。いやはや、恐れいりました。


神社であった
神社と寺院は異なる

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 29ページ】

神社であった。苔のついた狛犬(こまいぬ)の傍の平な岩に女は腰をおろした。

「ここが一等涼しいの。真夏でも冷たい風がありますわ。」

「ここの芸者って、みなあんなのかね。」

「似たようなものでしょう。年増にはきれいな人がありますわ。」と、うつ向いて素気なく言った。その首に杉林の小暗い青が映るようだった。
島村は杉の梢(こずえ)を見上げた。

「もういいよ。体の力がいっぺんに抜けちゃって、おかしいようだよ。」

神社(お宮)や寺院(お寺)は両方とも、私たちにはなじみ深い。しかし神社と寺院は異なる。小学生の頃、私はそのことを一番上の姉に教わった。「あのね、お宮は神様、お寺は仏様がまつってあるのよ」。そのとき、どういうわけか、姉の説明にすぐに納得ができ、なんだか自分が少し賢くなったような気がした。田舎の幼稚園は当時、お寺の境内の一角にあり、姉は幼稚園の先生だった。盆踊りなどお祭りは、お宮の境内に臨時の舞台が設置されて、そこで盛大に行なわれた。

神社は shrine, 寺院は temple と私たちは暗記する。日本では神社や寺院は、「神社仏閣」と総称されるように両方とも同等だ。その違いは説明しないとわからないほどに。しかし、キリスト教徒が圧倒的多数を占める英米では、英語の shrine と temple は事情が異なる。一言で言うと、shrine は誰でも訪れる身近なところだが、temple はキリスト教以外の、異教徒たちが礼拝に行くところである。shrine の定義に come が、temple の定義に go が使用されているのも、英米人の心の奥底にひそむ親近度を反映しているようで興味深い。

shrine: a place where people come to worship because it is connected with a holy person or event. (from OALD)
(シュライン: 聖人や聖祭に関連している場所で、人々が礼拝に来るところ)

temple: a building where people go to worship, in the Jewish, Hindu, Buddhist, Sikh, and Mormon religions. (from LAAD)
(テンプル: ユダヤ教・ヒンズドゥー教・仏教・シーク教・モルモン教の人々が礼拝に行く建物)

a shrine to the Virgin Mary (from OALD)
聖母マリアをまつっている殿堂

Wimbledon is a shrine for all lovers of tennis. (from OALD)
ウィンブルドンはテニス愛好家たちの聖地である。

それではここで本文に戻って、原文と訳文を鑑賞する。


原文: 神社であった。

訳文: It was a shrine grove.

原文: 苔のついた狛犬の傍の平な岩に女は腰をおろした。

訳文: The woman sat down on a flat rock beside the moss-covered shrine dog.


原文: 「ここが一等涼しいの。真夏でも冷たい風がありますわ。」

訳文: "It's always cool here. Even in the middle of the summer there's a cool wind."

原文: 「ここの芸者って、みなあんなのかね。」

訳文: "Are all the geisha like that?"

原文: 「似たようなものでしょう。年増にはきれいな人がありますわ。」と、

訳文: "They're all a little like her, I suppose. Some of the older ones are very attractive, if you had wanted one of them."

原文: うつ向いて素気なく言った。

訳文: Her eyes were on the ground, and she spoke coldly.

原文: その首に杉林の小暗い青が映るようだった。

訳文: The dusky green of the cedars seemed to reflect from her neck.

原文: 島村は杉の梢(こずえ)を見上げた。

訳文: Shimamura looked up at the cedar branches.

原文: 「もういいよ。体の力がいっぺんに抜けちゃって、おかしいようだよ。」

訳文: It's all over. My strength left me--really, it seems very funny.

最初の文はいきなり、「神社であった。」で始まる。駒子が杉林の中に入って行き、島村はその後をついて行ったのだが、その行った先が「神社であった」のである。このように、題が何かがわかっている場合、日本語では無理して題を文に含める必要はない。「(そこは)神社であった。」の意味。ちなみに、場所を表す「ここは」、「そこは」、「あそこは」などは、英語では this (not here), it, that で表現できる。

ここは文京区本郷1丁目です。(住所標示板)
This is Hongo 1-chome, Bunkyo-ku. (not Here is Hongo 1-chome ... )

「そこは神社であった」は、日本人なら10人中9人は "It was a shrine." と訳し、それ以上何もこだわる個所はなさそうに思えるところだが、サイデンステッカー教授は、It was a shrine grove. と 原文にない単語 "grove" をわざわざ補充している。ちなみに、"grove" (グローブ)とは a small group of trees という意味で、木が群がって立っている所、すなわち、日本語の「木立」にあたる。ここでは杉の木立 (a grove of cedar trees) を指す。彼は、「神社」をそのまま "shrine" と逐語訳するのではなく、この「神社」は正確には、「神社の(境内の杉の)木立」を指していると解釈したにちがいない。

狛犬(こまいぬ)は shrine dog ですか。なるほど。では、お寺の狛犬は temple dog ですね。

苔(こけ)のついた = moss-covered, moss-grown, or mossy

苔 (moss) は、日本文化では価値あるものである。盆栽でも苔を巧みに活用する。こけ色(モスグリーンmoss green)を見ると、日本人は心が落ち着く。苔は、園芸(ガーデニング)の先進国イギリスでも価値あるものだが、アメリカでは無価値なものとなるらしい。だから、苔(こけ)の諺(ことわざ)が英米では解釈が反対になるという。

A rolling stone gathers no moss. 転石、苔を生ぜず。ころがる石にはこけが生えない。

職業を転々と変える人は益がなく、ろくなことはない。(イギリスの解釈)
職業を転々と変える人はカビが付かず、いつも清新だ。(アメリカの解釈)

「年増にはきれいな人がありますわ」は、今の女の子ならたぶん、「30代にはきれいな人がいますわ」と表現すると思う。現代日本語では、無生物・植物・物事が存在するときには「あります」を、人や動物の場合は「います」を使用するのが普通である。

「うつ向いて素気なく言った」は、” Her eyes were on the ground, and she spoke coldly.” となっている。主語をひとつにして She spoke coldly with her head down. も可能だが、しかし、この表現はすっきりしている分、文学的な余韻があまり感じられない。

「もういいよ」は “It's all over.”(もうすべて終わったよ)。これも上品な表現ですね。
こういう日常的な常套句の英訳が一番むずかしい。専門用語であれば、専門辞書の見出し語に掲載されているので検索も容易で問題はないが、日常、頻繁に使用することば、たとえば、「もういいよ」、「じゃあ、いいよ」、「いい加減にしろよ」、「だといいけど」などになると、途方にくれる。

「もういいよ」: “It's all over.” or “That’s enough.” or “Forget it.”, etc.

「じゃあ、いいよ」: “OK, I’ll give it up.” or “In that case, forget it.”, etc.

「いい加減にしろよ」: “Cut it out.” or “You talked too much.”, etc.

「だといいけど」: “That would be nice, but ...” or “I wish I could, but ...” , etc.

コンピュータ用語は直訳できるが、日常語はそうはいかない。ひとつの語句には多くの意味がある。同じ「もういいよ」でも、その場の状況に応じて七変化したり百変化したりもするのだ。だから内容はともかく翻訳作業という観点からみれば、科学論文・契約書・仕様書などよりも、日常語の翻訳の方がはるかにむずかしい。


思いちがい
英語の ”mistake” は行為だけでなく「意見」も含む

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 29ページ】

「僕は思いちがいしてたんだな。山から下りて来て君を初めて見たもんだから、ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい。」と、笑いながら、七日間の山の健康を簡単に洗濯しようと思いついたのも、実は初めにこの清潔な女を見たからだったろうかと、島村は今になって気がついた。


原文はひとつの長文である。長文は分割してから英訳すると、翻訳が簡単で自然な英文にまとめることができる。「長文は分割してから翻訳する」は私の信条。でも、そんなことをしたら、原文のよさが損なわれるのではないのかと反論する人もいる。確かにそれも一理ある。分断することで、文体が犠牲になるし、また、接続助詞(〜だから、〜ながら、〜ので)がおうおうにして割愛されてしまう。できることなら分断などしないで、原文のことばひとつひとつを忠実に逐語訳(直訳)したい、と私も思う。しかし、和文英訳や英文和訳は、直訳では意味不明となりどうしても意訳(自由訳)しないわけにはゆかない場合が多い。英語と日本語は構造的に、大きくかけ離れているので、「長文は分割してから翻訳する」より仕方がない。

まず、長文をいくつかの文に分断する。分断するときは動詞に注目し、概念(意味のひとまとまり)ごとに切り出す。分断箇所にはスラッシュ(斜線 “ / “) を入れる。スラッシュ (slash) は動詞では「切り裂く」の意。これだと書くのが簡単で読み手も理解しやすい。

「僕は思いちがいしてたんだな。/ 山から下りて来て君を初めて見たもんだから、/ ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい。」と/ 、彼は笑った。/ (〜ながら、) 七日間の山の健康を簡単に洗濯しようと思いついたのも、実は初めにこの清潔な女を見たからだったろうかと、島村は今になって気がついた。/

試訳: “I must have misunderstood. I saw you for the first time when I came down from the mountains, and I mistakenly thought that all the geisha here were beautiful like you,” he laughed. Shimamura now realized that the idea, too, of washing away soon his energy of seven days in the mountains had perhaps come to him because he first saw this nice clean woman.

試訳は私が英訳したので典型的なジャパニーズ・イングリッシュ(国際英語)。洗練された格調高いアメリカ英語(民族英語)をお望みの方は、試訳はざっと目を通すだけにして、文末のサイデンステッカーの訳を心ゆくまで堪能してください。

「見たもんだから」→「見たものだから」→「見たので」

接続助詞(〜だから、〜ので)は、理由・原因を示す。本来、"because" の意味だが、"and" で代用できる場合が多い。たとえば、


ゆうべはほとんど寝ていないので、今とても眠たい。

I hardly slept at all last night, and I'm very sleepy now.
(= I'm very sleepy now because I hardly slept at all last night.)


朝ごはんを食べなかったので、今おなかがすいている。

I didn't have breakfast and I'm hungry now.

このように、"because" を "and" で代用すると、日本語にそって頭から順番に訳していけるし、英文もごく自然な英文となる。理由・原因を明示する必要のある場合を除き、私は、接続助詞(〜だから、〜ので)はたいてい "and" で代用する。職場に "because" の大好きな同僚がいる。あるとき、彼の書いた一通の英文メールに 3 回も "because" が出てきた。いくらなんでも、これはちょっと多すぎる。よく見ると、ほとんど "and" に置き換えることができるものばかりだった。

原文: 「僕は思いちがいしてたんだな。

訳文: “I made a mistake.

原文: 山から下りて来て君を初めて見たもんだから、

訳文: I saw you as soon as I came down from the mountains, and

原文: ここの芸者はきれいなんだろうと、うっかり考えてたらしい。」と、

訳文: I let myself think that all the geisha here were like you,”

原文: 彼は笑った。

訳文: he laughed.

原文: 七日間の山の健康を簡単に洗濯しようと思いついたのも、実は初めにこの清潔な女を見たからだったろうかと、島村は今になって気がついた。

訳文: It occurred to him now that the thought of washing away in such short order the vigor of seven days in the mountains had perhaps first come to him when he saw the cleanness of this woman.

「私はミスをした」は ”I made a mistake” という。しかし、日本語のミスは間違いとか誤りなど、主として「行為」を指すが、英語の ”mistake” は行為だけでなく「意見」をも含む。mistake: an action or an opinion that is not correct, or that produces a result that you did not want. (from OALD)。つまり、”I made a mistake” は、(私はミスをした)の場合も当然あるが、(私は思いちがいをした)という意味のときもある。"Don’t worry, we all make mistakes." (くよくよするな、人は誰でも誤りを犯すものだ)。

山から下りて来て = I came down from the mountains,

「山」が the mountains と複数形になっていることに注意する。これが the mountain と単数形であれば、島村が宿泊している宿の「裏山」と勘違いされてしまう。七日間も山を歩けば、当然、近辺の複数の山に足を踏み入れているはずだ。

うっかり考えた = I let myself think

日本語の「うっかり」は副詞なので、日本人ならたいてい、英語の副詞、たとえば、mistakenly, carelessly, unconsciously, accidentally などをそのときどきの状況に合わせて使用したくなる。訳文では動詞 ”let” の過去形が使用されている。(let-let-let)

動詞 ”let” は奥が深い。 Let me help you.(お手伝いさせてください)やLet me go!(行かせてください=はなしてください)は、まだ理解しやすい。いずれも「〜させてください」という感じ。しかし、ビートルズのヒット曲 ”Let It Be” になると少しやっかいだ。「そのままにしておきなさい」という意味だが、わかったようでわからないような感じがつきまとう。おまけに発音までも日本人の耳には「レリビー」としか聞こえない。 ”let” にはこれ以外にも、「不注意や怠慢でそうなるにまかせる」という意味もある。「うっかり考えた」 ”I let myself think” は、これに該当する。「うっかり考えた」から ”I let myself think” という表現は、日本人にはまず思い浮かばない。ここが民族英語と国際英語のちがい。これは動詞 ”let” を熟知しているネイティブ・スピーカー(英米人)ならではの発想だ。


お煙草でしょう
日本語の語順

都市化や過度の文明化はヒトの中性化を促すのだろうか。最近、恋愛やセックスに消極的な草食系男子が増加する傾向にあるという。こう不景気ではそれも仕方がない。これに呼応するかのように20代から30代の女性の間では、意外なことに戦国武将ブームが広がりを見せる。伊達政宗の重臣・片倉小十郎の居城、白石城がある宮城県白石市には今、若い女性が多数訪れる。東京・神田小川町の歴史専門書店 『時代屋』にも、多数の女性客が来店し、戦国武将関連の本やグッズを購入しているという。この書店では現在、「戦国婆裟羅 伊達政宗公の兜(かぶと)」を展示中。女性たちは、時代劇のヒーローに理想の男性像を見出しているのだろうか。ブームの火付け役のひとつは、戦国武将アクションゲーム「戦国BASARA」シリーズだという。しかし、ブームの根底にはおそらく、生物の本能「種の保存」の働きが関与しているにちがいない。「行き過ぎた文明」に対する本能の反撃である。

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 30ページ】

西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた。手持無沙汰になった。

「あら忘れてたわ。お煙草でしょう。」と、女はつとめて気軽に、

「さっきお部屋へ戻ってみたら、もういらっしゃらないでしょう。どうなすったかしらと思うと、えらい勢いでお一人山へ登ってらっしゃるんですもの。窓から見えたの。おかしかったわ。お煙草を忘れていらしたらしいから、持って来てあげたんですわ。」

それでは早速、原文と訳文をじっくり鑑賞する。(訳: サイデンステッカー)

原文: 西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた。

訳文: She gazed down at the river, distant in the afternoon sun.

原文: 手持無沙汰になった。

訳文: Shimamura was a little unsure of himself. (島村は少し不安になった)

原文: 「あら忘れてたわ。お煙草でしょう。」と、女はつとめて気軽に、

訳文: "I forgot," she suddenly remarked, with forced lightness. "I brought your tobacco.

原文: 「さっきお部屋へ戻ってみたら、もういらっしゃらないでしょう。

訳文: I went back up to your room a little while ago and found that you had gone out.

原文: どうなすったかしらと思うと、えらい勢いでお一人山へ登ってらっしゃるんですもの。

訳文: I wondered where you could be, and then I saw you running up the mountain for all you were worth.

原文: 窓から見えたの。

訳文: I watched from the window.

原文: おかしかったわ。

訳文: You were very funny.

原文: お煙草を忘れていらしたらしいから、持って来てあげたんですわ。」

訳文: But you forgot your tobacco. Here."

原文: そして彼の煙草を袂(たもと)から出すとマッチをつけた。

訳文: She took the tobacco from her kimono sleeve and lighted a match for him.

英語に語順 (word order) があるように、日本語にも当然、語順がある。本多勝一によると、日本語の語順の四原則は、T 述部(動詞・形容詞・形容動詞)が最後にくる。 U 修飾辞が被修飾辞の前にくる。 V 長い修飾語ほど先に。 W 句を先に。 ということである。

「西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた」 を例にとると、

西日に光る遠い川を女はじっと眺めていた。(正順)
女は、西日に光る遠い川をじっと眺めていた。(逆順)
女はじっと眺めていた、西日に光る遠い川を。(逆順)

「西日に光る」も「遠い」も両方とも「川」に係る修飾語。このように複数の修飾語がある場合、日本語では長い順に、または句を先に並べる。「遠い」は2文字、「西日に光る」は5文字。5文字の方が当然長いので、「西日に光る遠い川」が日本語の正しい語順(正順)である。正順の場合は原則としてテンは不要。しかし、これを逆順にして「遠い西日に光る川」とするときには、テン(読点)をつけて「遠い、西日に光る川」とする。つまり、逆順の場合はテンが必要となる(逆順のテン)。

「遠い」を、たとえば「遥か遠くに見える」(8文字)に置換すると、「遥か遠くに見える」も「西日に光る」も両方とも長い修飾語だが、「遥か遠くに見える」の方がさらに長いので先頭に来る。「遥か遠くに見える西日に光る川」が正順。長い修飾語が2つ以上のときは境界にテンをつけ、「遥か遠くに見える、西日に光る川」とする(長い修飾語は境界にテン)。日本語の語順やテン(読点)のつけ方について詳しくは、本多勝一著 『実戦・日本語の作文技術』 朝日新聞社発行 を参照してください。

西日に光る遠い川 = the river, distant in the afternoon sun (サイデンステッカー訳)

西日に光る遠い川 = the distant river shining in the afternoon sun (試訳)

サイデンステッカー訳には詩的な余韻があるが、試訳にはあまりそれが感じられない。この違いはどこから来るのか?これはおそらく、日本語では修飾語(遠い)は被修飾語(川)の前に配置するしかないが、英語の修飾語(形容詞)は、被修飾語の前でも後でも置くことができる場合が多いので、たとえば訳文のように、the river の後にコンマを付けて " the river, distant in the afternoon sun" と続けることができる。このコンマが余韻を醸成しているのではないか。舞曲にしろ話芸にしろ「間(ま)」が重要だ。間がずれたり抜けたりすると芸事は台無しとなり、それこそ「間抜け」な印象を与える。コンマにより間(小休止)が創造され、あとにまで残る味わい(=余韻)が醸し出されるのではないだろうか。

「手持無沙汰(てもちぶさた)だった」は字義どおりには、「することがなく退屈だった」という意味なので、"Shimamura was bored." と訳してしまいそうになるところだが、ここではどうもそういう意味ではない。島村は退屈などしていない。好きな女と一緒にいて退屈するはずがない。この点、さすがに師匠の訳は、"unsure of himself" 「不安になる」と、島村の気持ちがそれなりに、ちゃんと酌んではある。

以前、「どうなすったの」は、"What happened?" と訳されていた。それに従うと「どうなすったかしらと思う」は、"I wondered what happened to you." これでもよさそうだが、今回は、「どうなすったかしらと思う」 → 「どこにいらっしゃるのかしらと思う」 → "I wondered where you could be." である。

「えらい勢いで」は「一生懸命に」の意。英語の "for all one is worth" (= with as much effort as possible) に相当する。例: He ran for all he was worth.  彼は一生懸命に走った。

「タバコ」といえば現代の日本人ならたいてい、「紙巻きたばこ」、つまり、シガレット(cigarette)を連想する。しかし、訳文の "tobacco" は「刻みたばこ」を指す。そういえば、私が子供の頃、祖父は刻みたばこを煙管(きせる)に詰めて吸っていたようだ。祖父の年代では、シガレットよりも刻みたばこが普通だったのかもしれない。


あの子に気の毒したよ
英語の使役動詞(causative verb)

「あの子に気の毒したよ」は、「あの子に気の毒なことをしたよ」ともいう。気の毒とは「心の毒」、気持ちを害するものという意味。あの子とはここでは、肌の底黒い腕がまだ骨張っていて、どこか初々しく人のよさそうな17歳か、18歳の芸者のこと。何もしないまま途中で帰らせたので相手の気持ちを傷つけてしまったと、島村は悔やんでいる。

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 30ページ】

「あの子に気の毒したよ。」

「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと。」

石の多い川の音が円い甘さで聞こえて来るばかりだった。
杉の間から向うの山襞(やまひだ)の陰るのが見えた。

「君とそう見劣りしない女でないと、後で君と会ったとき心外じゃないか。」

「知らないわ。負け惜みの強い方ね。」と、女はむっと嘲るように言ったけれども、芸者を呼ぶ前とは全く別な感情が二人の間に通っていた。

それでは早速、原文と訳文をじっくり鑑賞する。(訳: サイデンステッカー)

原文: 「あの子に気の毒したよ。」

訳文: "I wasn't very nice to that poor girl."

原文: 「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと。」

訳文: "But it's up to the guest, after all, when he wants to let the geisha go."

原文: 石の多い川の音が円い甘さで聞こえて来るばかりだった。

訳文: Through the quiet, the sound of the rocky river came up to them with a rounded softness.

原文: 杉の間から向うの山襞(やまひだ)の陰るのが見えた。

訳文: Shadows were darkening in the mountain chasms on the other side of the valley, framed in the cedar branches.

試訳: Through the cedar branches he saw the mountain chasms darkening on the other side.

原文: 「君とそう見劣りしない女でないと、後で君と会ったとき心外じゃないか。」

訳文: "Unless she were as good as you, I'd feel cheated when I saw you afterwards."

原文: 「知らないわ。負け惜みの強い方ね。」と、

訳文: "Don't talk to me about it. You're just unwilling to admit you lost, that's all."

原文: 女はむっと嘲るように言ったけれども、芸者を呼ぶ前とは全く別な感情が二人の間に通っていた。

訳文: There was scorn in her voice, and yet an affection of quite a new sort flowed between them.

人に何かをさせたいときは使役動詞(しえきどうし)を使う。日本語の使役動詞は、動詞の未然形に助動詞の「せる・させる」を添えて作る。行く→行かせる、食べる→食べさせる、働く→働かせるなど。日本語の使役動詞は、内容と関係なくほとんど形式的に、このように簡単に作ることができる。

英語の使役動詞(causative verb)といえば、make, let, have, get が有名だ。英語の場合は、日本語とちがって、内容に応じて動詞を使い分ける必要がある。だから、英語の使役動詞を苦手とする日本人は多い。しかし、説明さえ聞けば、この4つの動詞の使い分けは意外と簡単である。たとえば、

「彼女に行かせましょう」は4通りの英訳が可能だ。

1. I'll make her go. (make は無理やりに行かせる場合。彼女は行きたくない)
2. I'll let her go. (let は望み通りに行かせてあげる場合。彼女が行きたい)
3. I'll have her go. (have は頼んで行ってもらう場合。頼まれれば彼女はそうする責務がある)
4. I'll get her to go. (get は説得して行ってもらう場合とか、そうしむける場合とか)

Mom makes us eat lots of vegetables.

ママは僕たちに野菜をいっぱい食べさせるんだよ。(僕たちはあまり食べたくないのに)

My wife won't let me watch football on TV.

妻は私にテレビでサッカーの試合を観戦させてくれない。(サッカーの試合を見たいのに)

I want to have my men report. 部下に報告させようと思う。(部下はそうする職務がある)

Get your friends to help you. 友人に助けてもらいなさい。(説得すればそうしてくれるはず)

たとえば、アメリカの友人を自宅に招待し、スキヤキをご馳走したいとき、

「今晩、妻にスキヤキを作らせましょう」 → I'll have her cook sukiyaki tonight. となる。

I'll make her cook sukiyaki tonight. だと、妻に無理強いするので離婚話に発展する恐れがある。

I'll let her cook sukiyaki tonight. だと、妻がスキヤキを作りたいので、今夜は妻の望みどおりにさせてあげるという意味になる。この状況では、make, let 両方ともふさわしくない。

I'll get her to cook sukiyaki tonight. だと、妻はあまりスキヤキを作らないが、今夜は何とか説得して作ってもらおうという気持ち。have の用法に近いので、この状況では、get でもいいかもしれない。

原文の「そんなこと、お客さんの随意じゃないの、いつ帰そうと。」に対して、訳文は "But it's up to the guest, after all, when he wants to let the geisha go." となっている。ここで "let the geisha go" に注目する。使役動詞の "let" から類推すると、芸者本人が行きたいことになってしまうが、そうではない。客が行かせるのであるから、本来は "make the geisha go" となるべきところではある。

この "let somebody go" は、実は「仕事をやめてもらう」という慣用句(to dismiss someone from their job)である。つまり、「解雇する」の婉曲(えんきょく)表現なのだ。

例: We've had to let three people go this month.

(今月、弊社ではやむなく3人辞めてもらった)。

会社が従業員を解雇する場合、従業員自らが解雇を望むわけではないので、
The company makes employees go. となるべきところだが、これだと会社があまりにも無慈悲で残酷なイメージがある。また従業員にしてもこれでは惨め過ぎる。そこで、英語では婉曲表現を使用して The company lets employees go.(会社は従業員にやめてもらう) と表現する。

この点、日本語も同じだ。経営側は従業員に対して「仕事をやめていただく」と婉曲的に表現する。「〜していただく」は「〜してもらう」の謙譲語。自分のために相手に何かをしてもらうことなので、文字通りに解釈すれば、従業員が会社のために自ら身を引いてくれることになるのだが、実際そうでないことは労使双方とも百も承知している。A さんが解雇され、後日、A さんにかかってきた電話に会社の同僚は、「A さんはお辞めになりました」と婉曲表現で応ずる。こうした婉曲表現に異を唱える人はあまりいない、日本にも英米にも、そして、たぶん別の国であっても。


遠回り
「回り道」の反意語は「近道」

「遠回り」という語で私がまず思い出すのは、菅原 都々子(すがわら つづこ)の『月がとっても青いから』である。1955年(昭和30年)に発表され100万枚を超える大ヒットとなった曲だが、当初タイトルは『遠回りして帰ろう』だったという。ちなみに、作曲を手がけたのは菅原の実父で作曲家の陸奥明、作詞はその父の友人で菅原をよく知る作詞家の清水みのる。そう聞けば、若い男女のロマンチックな歌なのに、歌全体にどことなく父性愛のような暖かみが感じられる。

『月がとっても青いから』

月がとっても 青いから/遠廻りして 帰ろ
あのすずかけの 並木路は/想い出の 小径よ
腕を優しく 組み合って/二人っきりで さあ帰ろう

「遠回り」と「回り道」は同意語である。英語で「遠回り」や「回り道」は、おなじみの「ディーツア」 “a detour” または “a roundabout route”。「遠回りする」は “make/take a detour” なので、「遠回りして帰ろう」は、たとえば ”Let’s take a detour home.” という感じだろうか。

detour: noun
a longer route that you take in order to avoid a problem or to visit a place:

It’s well worth making a detour to see the village. (from OALD)

(試訳:回り道してその村を見ることは十分価値がある。→ その村は回り道してでも行くべきだよ。)

しかし訳文では「遠回り」に ”roundabout way” が使用されている。これは、言葉などで遠回しに表現する場合、“detour” とか “route” ではなく、 ”in a roundabout way” 「遠回しに」というように “way” を使用するのがよいからである。「回り道」と、道そのものを表現する場合は、”way” でもいいが、”route” も使用できる。以下のふたつの英文を比較するとこの違いがわかりやすい。

・The taxi driver took a roundabout route to the hotel. (from LAAD)
(タクシードライバーは遠回りしてホテルに到着した。)

・In a roundabout way, she admitted she was wrong. (from LAAD)
(遠回しに、彼女は自分のあやまちを認めた。)

「回り道」の反意語は「近道」である。英語で「近道」は「ショートカット」”shortcut” とか、あるいは “shorter way” という。「近道をする」は “take a shortcut”。

We took a shortcut through the downtown. 私たちは近道をして中心街を抜けた。
There are no shortcuts to economic recovery. 経済回復に近道はない。

それでは本文に戻って、原文と訳文を鑑賞する。
【川端康成の『雪国』 新潮文庫 30ページ】

原文:
はじめからただこの女がほしいだけだ、それを例によって遠廻りしていたのだと、島村ははっきり知ると、自分が厭になる一方女がよけい美しく見えて来た。

訳文:(サイデンステッカー)
As it became clear to Shimamura that he had from the start wanted only this woman, and that he had taken his usual roundabout way of saying so, he began to see himself as rather repulsive and the woman as all the more beautiful.

ワーオ、原文、訳文ともに切れ味鋭い洗練された表現ではないか!とても、わたくしめごときが介入できる余地などない。ここはただ子供のように素直になって、このふたつの名文を暗誦できるほどに、くりかえしくりかえし読み返すのみだ。そうすることで、願わくば、表現が大脳のどこか記憶域に蓄えられ、いつの日かふと必要な場面でタイムリーに読み出されますように…。

ことばの習得には本当のところ、近道などない(There aren't really any shortcuts to learning languages)。実際には、3つの「き」、暗記・根気・年季が必要だと思う。暗記して根気強く継続して何年も続ければ、やがてはそれなりに習得できる。近道はないが、しかし効果的な学習方法はある。反論があるかもしれないが、それが文法だと私は考えている。暗記・根気・年季プラス文法、これが日本にいて独学で、英語などの外国語を習得する最も実践的で効果的な学習方法ではないだろうか。


うちへ寄っていただこうと思って
if 節(条件節)に単純未来を表す "will" が使用できる場合

【川端康成の『雪国』 新潮文庫 50ページ】

「うちへ寄っていただこうと思って、走って来たんですわ。」

「君の家がここか。」

「ええ。」

「日記を見せてくれるなら、寄ってもいいね。」

「あれは焼いてから死ぬの。」

「だって君の家、病人があるんだろう。」

「あら。よく御存じね。」

「昨夜(ゆうべ)、君も駅へ迎えに出てたじゃないか、濃い青のマントを着て。僕はあの汽車で、病人の直ぐ近くに乗って来たんだよ。実に真剣に、実に親切に、病人の世話をする娘さんが付き添ってたけど、あれ細君かね。ここから迎えに行った人?東京の人?まるで母親みたいで、僕は感心して見てたんだ。」

「あんた、そのこと昨夜どうして私に話さなかったの。なぜ黙ってたの。」と、駒子は気色ばんだ。

「細君かね。」

しかしそれには答えないで、「なぜ昨夜話さなかったの。おかしな人。」

ここの会話は短いが、日本人にとって興味深い英訳が随所に出てくる。「うちへ寄る」、「走って来た」、「君の家がここか」、「日記を見せてくれるなら、寄ってもいいね」など、さすがに名人の手にかかると、すべての訳文があたかも原文だったかのように、いきいきとよみがえる。

原文: 「うちへ寄っていただこうと思って、走って来たんですわ。」

訳文: " I ran after you because I thought I might ask you to come by my house."

「立ち寄る」は米語では "come by"。come by = to go to someone's house for a short time before going somewhere else. 原文の「走って来た」は、直訳の "came running" よりも意訳の "I ran after you" (あなたを追いかけた) の方がここではぴったりする。

原文: 「君の家がここか。」

訳文: "Is your house near here?"

訳訳文: 「君の家はこの近くなのかい?」

「君の家がここか」は "Is your house here?" と、私など、つい直訳しそうな気がするなあー。もちろん、こういう訳もあるとは思うが、"Is your house near here?" の方がここではより的確な表現だ。

原文: 「ええ。」

訳文: "Very near."

原文: 「日記を見せてくれるなら、寄ってもいいね。」

訳文: "I'll come if you'll let me read your diary."

ここでは "I'll come" と "come" が使用されている。"come" と "go" は、基本的には同じ動作を示す。ただし視点は異なる。日本語の用法だと、ここでは「行く」となるところだが、英語では、話し手(島村)の視点が聞き手(駒子)の家にあるので "come" が正しい。「夕食、準備できたわよ」(Dinner's ready!) と妻に呼ばれて、「わかった。今、行くよ」は、"OK, I'm going." ではなく、"OK, I'm coming." と言う。それと同じこと。

原文: 「あれは焼いてから死ぬの。」

訳文: "I'm going to burn my diary before I die."

原文: 「だって君の家、病人があるんだろう。」

訳文: "But isn't there a sick man in your house?"

原文: 「あら。よく御存じね。」

訳文: "How did you know?"

原文: 「昨夜(ゆうべ)、君も駅へ迎えに出てたじゃないか、濃い青のマントを着て。僕はあの汽車で、病人の直ぐ近くに乗って来たんだよ。実に真剣に、実に親切に、病人の世話をする娘さんが付き添ってたけど、あれ細君かね。ここから迎えに行った人?東京の人?まるで母親みたいで、僕は感心して見てたんだ。」

訳文: "You were at the station to meet him yesterday. You had on a dark-blue cape. I was sitting near him on the train. And there was a woman with him, looking after him, as gentle as she could be. His wife? Or someone from Tokyo? She was exactly like a mother. I was very much impressed."

あれえ、変だな?「娘」が "a woman" と訳されているぞ! "a girl" の方が断然いいのに。この娘は、冒頭の「駅長さあん、駅長さあん」と叫んだ葉子を指すので、冒頭部分の英訳と同じように、"a girl" の方がいいと思う。『雪国』の中では「女」という語は「駒子」のみを指すいわば「予約語」なので、翻訳でも "woman" は「駒子」の専用語として確保しておきたい。

原文: 「あんた、そのこと昨夜どうして私に話さなかったの。なぜ黙ってたの。」と、駒子は気色ばんだ。

訳文: "Why didn't you say so last night? Why were you so quiet?" Something had upset her.

原文: 「細君かね。」

訳文: "His wife?"

原文: しかしそれには答えないで、「なぜ昨夜話さなかったの。おかしな人。」

訳文: Komako did not answer. "Why didn't you say anything last night? What a strange person you are."

学校では、「if 節(条件節)には単純未来を表す "will" を使用しない」と教わる。それが頭にこびりついているので、たいていの人は、訳文の "I'll come if you'll let me read your diary." のような英文を見ると不安になる。でも、ご安心あれ、これは真正の英文である。ただし、if 節に "will" を除いた英文ももちろん可能。両者は少し意味が異なる。

1. I'll come if you let me read your diary.
日記を見せてくれるなら寄ってもいいよ。

2. I'll come if you'll let me read your diary.
(見せたくないだろうけど)日記を見せていただけるなら寄ってもいいね。

多くの単語がそうであるように、"will" も複数の意味を持つ。つまり、上記2のif 節 の "will" は「単純未来」を表す "will" ではなく、「(相手の好意を期待して)〜してくださるなら」、という期待を表す "will" である。

未来のことを話すのに「単純未来」を表す "will" を使用しないのは、if 節だけではない。 when節, while節, before節, after節, as soon as節, until節or till節 などでも同じ。

明日、雨なら試合は延期されます。
The game will be postponed if it rains tomorrow. (not if it will rain tomorrow)

雨が降っている。出かけたら濡れるよ。
It's raining. We'll get wet if we go out. (not if we will go)

「雨が止んでから出かける」というような場合:

We'll go out when it stops raining. (not when it will stop)
We'll go out after it stops raining. (not after it will stop)
We'll go out as soon as it stops raining. (not as soon as it will stop)

彼が私を抱いてくれるまで、じれったいけど待つわ。
Till he holds me, I'll wait impatiently.

コニーフランシスの「ボーイハント」 "Where the Boys Are" より
http://home.att.ne.jp/yellow/townsman/SnowCountry_1.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c36

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
7. 佐助[4327] jbKPlQ 2017年4月14日 11:31:31 : LFjXetT3pw : ow7HyjEVau8[61]
伊吹,まだ生きているのか
生きているなら,知恵とアイディアを出せ。
自民党や公明党の既成政党は,馬鹿集団,格差を拡大させ日の丸教育しか能がない軍国利権悲劇。

砲撃ミサイルや米国が開発した新型レーザ砲より電子砲を産業革命を加速させて開発すれば,ミサイルを移動した瞬間に瞬時に潰すことが出来る,要するに各国にある空中の電子だけ使わないように国際法で決めれば,ミサイルを砲撃でなく,設置した瞬間に潰すことが出来る。

プルトニュム原発はもういらないよ。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK224] こんな状況で東京五輪やるのか?とトランプ  赤かぶ
9. 2017年4月14日 11:31:57 : JwUoe1xpDI : ld_DFFBKKZU[29]
>>8

森友加計アッキード疑獄を証明する、財務省の重要書類等、

安倍麻生自公政府存続のために都合の悪い情報、一切合財

自動的に消失するコンピューターも国家反逆罪に該当

官僚と内閣が結託して行っているテロみたいなものじゃね

官僚と安倍内閣の共謀罪でコンピューターもテロリストだな

国民を騙したり国民の知る権利を侵すような悪知恵AIは

人間同様お裁きの場に引き出されないと駄目だ

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/162.html#c9

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
37. 中川隆[7740] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:32:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8230]

欧米人には絶対にわからない『雪国』の背後の世界

802:tky10-p121.flets.hi-ho.ne.jp:2011/01/22(土) 22:33:30.90 0

川端康成の「雪国」は死後の世界
みんな幽霊という設定


803:tky10-p121.flets.hi-ho.ne.jp:2011/01/22(土) 22:35:37.56 0

ちなみに千と千尋も死後の世界だね
トンネル抜けるとそこは黄泉の国ということ
http://2chnull.info/r/morningcoffee/1295616090/1-1001

講演の中で、奥野健男は川端康成の「雪国」に触れ、実際に川端康成と話したときのことを語ってくれた。

川端によると「雪国」というのは「黄泉の国」で、いわゆるあの世であるらしい。


  「雪国」があの世であるというのは何となくわかる気がする。島村はこの世とあの世を交互に行き交い、あの世で駒子と会うのである。駒子とはあの世でしか会えないし、この世にくることはない。島村と駒子をつなぐ糸は島村の左手の人差指である。島村が駒子に会いにくるのも1年おきぐらいというのも天の川伝説以外に何かを象徴しているのだろうか。

  とてつもなく哀しく、美しい声をもつ葉子はさしずめ神の言葉を語る巫女なのか。その巫女の語る言葉に島村は敏感に反応するのだ。もしかしたら葉子は神の使いなのかもしれない。

 駒子は葉子に対して「あの人は気違いになる」というのは、葉子が神性を帯びているからではないのか。

 日本人とって、あの世とは無の世界ではない。誰もが帰るべき、なつかしい世界である。あいまいな小説「雪国」がなぜか私になつかしい思いをさせるのはやはり「雪国」が黄泉の国だからなのだろうか。
http://www.w-kohno.co.jp/contents/book/kawabata.html

川端は代表作雪国でトンネルを効果的に使っているが、1953年4月に発表された小説『無言』でも現世とあの世をつなぐ隠喩として名越隧道をうまく使っている。なお、川端が自殺した逗子マリーナには、車で鎌倉から一つ目の名越隧道と二つ目の逗子隧道を抜けてすぐ右折し5分程度の距離にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%B6%8A%E9%9A%A7%E9%81%93
http://blog.livedoor.jp/aotuka202/archives/51017908.html

ずいぶん昔、何かの会合のあと友人数人とスナックで 飲んでいた時、そのうち一人との会話である。

「川端康成の『片腕』はシュールな傑作だね。口をきく片腕と添い寝 して愛撫するとは」と友人。

「あれはハイミナールの幻覚だと言われているがね」と傑作であるこ とは認めつつ、

「川端康成なら君など問題にならないくらい読んでいる がね」と言う代わりに、どうでもいいような不確かなゴシップ を喋る私。


「『眠れる美女』はまさしく屍姦だが、あれもハイミナールの幻覚か い?」

「いや、あれは実際にやっていたと言う話だ。死体愛好癖とロリコンは 川端康成の二大テーマだからね」


渡部直己『読者生成論』(思潮社)の中にある「少女切断」を読みつつ 上記の会話を思い出した。この「少女切断」は非常に刺激的で、一瞬、川 端康成全集を買って読み返そうかなどと思ったくらいだ。

読み返すとは言っても川端康成が少女小説を書いていたのは知らなかった。 昭和十年から戦後四、五年まで数にして二十以上の長短編少女小説を 書き、これらの少女小説は渡部直己によれば読み応えのある傑作である という。またこの少女小説の一つである「乙女の港」には、中里恒子 による原案草稿20枚が発見されているとのことだから、本物の少女小説 である。

今日すでに存在していない、ここで言う「少女小説」とは渡部直己によ れば、次のようなものである。


「 お互いの睫の長さも、黒子の数も、知りつくしてゐたような、少女の 友情……。

相手の持ちものや、身につけるものも、みんな好きになって、愛情を こめて、わはってみたかったやうな日……。(『美しい旅』)


そうした日々の静かな木漏れ日を浴びて、少女たちはふと肩を寄せあい、 あるいは、人垣をへだててじっと視つめあい、二人だけの「友情と愛の しるし」に、押し花や小切れなどさかんに贈りあっては、他愛なくも甘美な 夢にひたりつづける。お互いを「お姉さま」「妹」と呼びかわし、周囲から 《エスの二人》と名ざされることの悦びに、いつまでも変わらぬ「愛」を 誓いあう二人の世界を彩って、花は咲き、鳥は唄い、風は薫りつづける」


この「少女小説」は、現在の ギャル向けポルノ雑誌と同じ機能も果たしていたのであろう。

今日存在する「少女小説」は、だいぶん様子が違ってきている。たとえば 耽美小説と呼ばれる美少年の性愛を露骨に描写した小説も「少女小説」の一種 であろう。この少年とは大塚英志が言うような、少女の理想型としての少年で ある。
実はこのジャンルはまるで苦手だ。子供の頃、少女マンガというのは 実に退屈なものだなと思った。したがって、後年その少女マンガから傑作が 生まれることなど私の想像力の範囲を超えていた。文学が痩せこけていくのに 反比例して、様々な表現分野が豊饒になり、いわゆる文学を超えた傑作が 多く生まれた。それもまた私の守備範囲を超えていたのであった。

友人の一人(男)が鞄の中に常時少女マンガ雑誌を携帯し、赤川次 郎的少女小説なども愛読している。この感性はどちらかといえば少数派に違いない。

時々「わぁーっ、素敵」などとこの男が言ったりするのは少女マンガの悪影響 だろうが、聞いている方にはかなりの違和感がある。これは異化作用とは 言えない違和感である。

渡部直己が模範的反少女小説として詳細に論じているのは『千羽鶴』で ある。
『千羽鶴』の主人公三谷菊治や『雪国』の主人公島村はその年齢に比して ひどく老成した印象を受ける。彼らはテクストから、はみ出さない。

島村は視点に過ぎないし、冥界を往還する傍観者的な過客の分際から踏み 出そうとはしない。『伊豆の踊子』の一高生にとって 伊豆がそうであったように、島村にとって『雪国』は黄泉の国であり異界で あり、彼は 異人の劇に観客的に出演する。異界は彼にとって慰藉であり、生への意志 を充填する場所なのだ。

三谷菊治は、死者が紡ぎだす美に翻弄されるだけで、 自らの欲望を生きることはなく、作品の狂言まわしですらない。彼は 死者と近親相姦的にかかわる。自殺してしまう太田未亡人も文子も、 もともとこの世の人ではなかった。 或いは三谷菊治自身が死者なのかもしれない。

渡部直己によれば、 事態をなかば抑圧し、なかばそれを使嗾する検閲者である栗本ちか子は、 読みの場の知覚をみずから模倣しつつ作品に介入する 人物の典型、作者の分身たちがひしめきあう世界に紛れこんで、むしろ 読者の分身たらんと欲する人物で、小説一般に幅広く散在する。渡部直己 は『千羽鶴』の場合、作品はあげてこの人物を唾棄しようとすると書いて いる。

だが栗本ちか子は此岸の人であり、テクストを抜け出して我々の人生に 顔を出したりする。彼女は物語の検閲者であり、その欲望は使嗾しつつ抑 圧することのように見えて、実は他者を破滅させることにある。
http://homepage3.nifty.com/nct/hondou/html/hondou73.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c37

コメント [政治・選挙・NHK224] イメルダと同じ…国家公務員を召し使い扱いする昭恵夫人(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 2017年4月14日 11:33:05 : oxuDHDyii2 : wwqJIbo@U8w[37]
 
日本は、もともと「経済一流、政治三流」の発展途上国である
(今じゃ「経済一流」も怪しいが)
国民が意識を高め、安倍を倒し、政治を浄化して、先進国に近づいてほしいもの
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/123.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
2. 2017年4月14日 11:33:26 : 9Mq8oxn5Nw : 4pLZ0SrFqUg[4]
天木さん、
共産党はちゃんと審議反対していますよ。
ウソをついちゃだめですよ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c2
コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
38. 中川隆[7741] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:36:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8231]

『雪国』の『国境の長いトンネル』は能舞台の橋掛かりと全く同じ意味を持っている:

能は能舞台という専有の演技空間を持っています。横浜能楽堂に一歩足を踏み入れるとすぐにお気づきのように、


客席に突き出た三間(約6メートル)四方の本舞台(ほんぶたい)と、向かって左に延びる橋ガカリからなること、

室内でありながら舞台上にも屋根があること、

橋ガカリ奥に5色の揚幕(あげまく)という幕があるのみで、観客と舞台を隔てるものがないこと、

枝振りのよい松が描かれた鏡板(かがみいた)が背景となること


など、横に広く長い日本の大多数の劇場とは随分違っているのです。能舞台は非常に特異な空間ですが、これは能と狂言の演技の本質に深くかかわっています。


 まず本舞台。この正方形の空間は、左右より前後の動きが演技の中心となっていることを意味します。足を一歩出す、一歩引くというほんのわずかな動作が、説得力に満ちた表現になるのです。客席に張り出す舞台では、役者の身体の前から背中まで、すべてが見えてしまいます。「動く彫刻」といわれるように、一分の隙も許されず、全身全霊の力を外に放つ気迫が役者に要求されます。


また能には神、仙人などの超人間的な存在や、あの世の者が多く登場します。人間の生身の肉体である素顔を使わず能面を用いるのはそのためですが、異次元の世界からこちら側へ渡って来るには、果てしなく遠い道のりを辿らねばならないのでしょう。その距離とエネルギーとを象徴するのが橋ガカリなのです。
http://www.yaf.or.jp/nohgaku/98spr/001-2.html

橋掛かりとは、揚幕から本舞台へとつながる長い廊下部分のこと。

ここには、微妙な傾斜がつけられており、観客から見て遠近感が強く感じられるように設計されているそうです。

この橋掛かりを通って、シテは、揚幕から本舞台へと現れ、消えていきます。
それは、亡霊が現れては消えていく、能の物語そのものです。
まるで、橋掛かりが、あの世とこの世を結ぶ道のようです。
http://www.sense-nohgaku.com/noh/articles/whats_no/youhashigakari.php


橋掛りは、異次元とこの世を繋ぐ架け橋です。
http://www.ryosuikai.com/distript.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c38

コメント [経世済民120] 東芝を支えた人々の証言 社員とOBの愛と憎しみ〈AERA〉 赤かぶ
1. 2017年4月14日 11:37:34 : Ne3k0FcgiE : UuB5AMdjwU8[19]
社員は悪くない。 旧日興証券でも聞いた話だ。 昭和40年大不況の時も東芝だけ

は危機に陥った。 当時の社長は岩田氏だったかしら。  社長が地方出張すると

旅館の蛍光灯 電気製品をみな東芝に変えたことは有名な話だ。

社員も 昔からアホだったのではないの。
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/871.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
8. 2017年4月14日 11:38:12 : VW6TPvJnh2 : Zl67PLslTZo[92]
安倍のことだ。また屁理屈で軍備増強をいいだして私が集団的自衛権を

認めていてよかったなどど自画自賛するだろう。ネトウヨを最前線に立たせれば

いいんだよ。青山とか百田とか珍層とか馬鹿かわ隆を徴兵すればいいんだ。

こいつらには血で責任を取らせよう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK223] 世界支配層の信頼度が抜群の小沢一郎代表の強力な指導力の下、自由、民進、社民、共産野党4党が連携強化へ急ピッチ(板垣 英憲 笑坊
12. 2017年4月14日 11:38:37 : f8KuckpzNo : IYG0F4FF0WA[1]
>>1
「ゴールドマン・サックス」はアメリカにある銀行の会社名。
板垣英憲のブログでよく使われている用語の「ゴールドマン・ファミリーズ・グループ」とは
ゴールドに裏打ちされた新金融システムを立ち上げるための金塊を所有する権限を持つ人の集まりを指すと思われる。
「ゴールドマン・ファミリーズ・グループ」には天皇家、小澤一郎、プーチン大統領、習近平総書記も含まれている。
ロスチャイルド家、ロックフェラー家はこのグループからすでに外されている。
http://www.asyura2.com/17/senkyo223/msg/899.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
7. 2017年4月14日 11:40:02 : G5cBSIXSCI : aZJ2JbhPgeo[1]
ナメクジとミミズとウジムシが一緒になって

何になろうと言うのかね。

気色が悪い!
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c7

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
39. 中川隆[7742] koaQ7Jey 2017年4月14日 11:44:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8232]

いい日旅立ち _ 山の向こう側で待っている人は…
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c39

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
9. 2017年4月14日 11:44:49 : XBDZ6BnPRk : TZOxLPw60XY[17]
日本に銃弾が向く様に仕向けている、大売国奴である安倍晋三。


その証拠はこの時期にわざわざ米空母と共同訓練


ロイター

http://jp.reuters.com/article/sdf-korea-us-air-career-idJPKBN17D1VX

海上自衛隊、朝鮮半島へ向かう米空母と共同訓練へ=関係者
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK224] 天皇陛下が世界支配層に送られた親書が効き目を発揮、安倍晋三首相と麻生太郎副総理兼財務相の国際的信用は、ガタ落ちだ(板垣) 笑坊
4. 2017年4月14日 11:45:24 : GtKiigYRrE : J1zVX1W3Wag[85]
今どき、大真面目に「世界支配層」なんて物言いをする人を、
まともにあいてにしてもね・・・w
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/169.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
3. 2017年4月14日 11:48:24 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2925]
  行くところまで行って最後、変わるとしても究極的外圧か地球的天変地異で変わるんだろう、ドーセ。 ならトットト沈んでムーとかで再隆起すればドーヨって最近トミに思う /「こんなスペシャル国家に生まれてツライ損した」青年の主張コンクール  ヨリ
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
10. 2017年4月14日 11:50:04 : qR0GencIu2 : bouSuIC6KCw[217]
「アメリカの戦争に巻き込まれる事は絶対に有りません!」と安倍晋三が言うなら、必ず日本はアメリカの戦争にまき込まれます。

なぜなら

安倍晋三総理大臣閣下におきましては、共産党の吉井秀勝議員の質問に答弁して「日本の原発は絶対に事故は起こさないように造ってあるのですから、事故など起きないのです!」としつこく何度も何度も答弁しましたが、たった5年後福島第一原発は世界最大の原発4基大爆発事故を起こした実績があります。

しかも

吉井秀勝氏が指摘した通りの「総電源喪失による」原発爆発事故だったのです。

ですから
安倍晋三の言う事の裏返しが大当たりなのです。

つまり

「アメリカの戦争に巻き込まれる事は絶対に有りません!」と安倍晋三が言うなら、日本は必ずアメリカの戦争にまき込まれるという事です。



http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c10

コメント [戦争b20] 米国、アフガニスタンの「ダーイシュ(IS)」を「最も強力な非核爆弾」で攻撃(Sputnik) 赤かぶ
4. 2017年4月14日 11:50:49 : d5dNlXjzro : ylLr9J_3dnM[1]
何の意味もない。
まさにキチガイに刃物だ。
使ってみたかった軍人が、この爆弾の使用を、トランプに願い出た、ってとこかな。下らん。
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/145.html#c4
コメント [経世済民120] 策決算は完全に裏目 「東芝救済シナリオ」にわかに暗雲(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 2017年4月14日 11:52:45 : Ne3k0FcgiE : UuB5AMdjwU8[20]
昭和40年大不況の時 東芝だけが危機に陥った。 社長は岩田氏だったかしら。

社長が地方出張すると 旅館の蛍光灯から電器製品まで東芝製に変えていた話が

有名になった。 昔から腐った会社に 大金をつぎ込んて゛いたのではないか。
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/897.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
11. 2017年4月14日 11:54:22 : G5cBSIXSCI : aZJ2JbhPgeo[2]
北朝鮮の核

>核爆弾製造

2006年に初めての核実験以来、4回の地下核実験を行っている。
一方、原爆の原料となる高濃縮ウランの貯蔵も、50発分に近い量となっているらしい。

一方で、2015年1月6日に発表された韓国の国防白書では、北朝鮮の核兵器製造能力が相当水準に至っており、核兵器の小型化が可視化段階に入ったと評価、アメリカ本土も脅かすことができるミサイル能力を得ていると推定している]。

 北朝鮮は1月6日の4回目の核実験に続き、2月7日には事実上の長距離弾道ミサイルの発射実験を強行した。回を重ねるごとに核核爆弾の小型化と、それを運ぶミサイル開発にも熱心で、

スカッド   射程距離 300〜500 q  実践配備
ノドン    射程距離 1300q以上   実践配備
北極星    射程距離 2000q以上   実践配備
ムスタン   射程距離 3000q以上   開発中
テポドン   アメリカ本土も直撃する 大陸間弾道弾 開発中

ノドンと言う言葉はよく聞くように、すでに日本全土は射程距離に入っている。
核爆弾の小型化の度合いは解らないが、時間の問題であることは確実。

北朝鮮が暴発した場合の被害の想定であるが、
最悪、北朝鮮は50発のミサイルを同時に発射できると言う想定の下に考えられている。

その50発に、すべて核兵器が積まれていることはないにしても、何機かには搭載するものとしなければならない。
北朝鮮の軍事施設の大半は、山の中か地下に設けられていて、米軍の偵察衛星でも確実に実態の把握はできていない。
ミサイル発射台が姿を現した時点では、対応するのに遅すぎるのではないか。

この様な条件下で北朝鮮の、破れかぶれのミサイル攻撃が防げようか。
北朝鮮が攻撃する相手は韓国と日本のみ、
通常兵器による韓国の攻撃はあっても、核攻撃となると、同胞には向けず日本が標的になる可能性が高い。

アメリカがシリア爆撃の様に先制攻撃した場合、怒り狂った金正恩が、勝、負けるの問題ではなく、報復目的でのみミサイル攻撃を指令すれば、それに異を唱える側近がいようか。
アメリカを核攻撃するのではないから、アメリカに対してはいくらでも弁解できる。
韓国はともかく、日本を核攻撃しても国内からも韓国からも悪魔の様には思われない。

結果、Xデーには、25機のミサイルが日本へ向かう(半分は韓国)。日本の場合、その中の2〜3機は核搭載のミサイルであろう。

さあ、今度は日本の迎撃態勢。

日本のミサイル防空システムと言えば、
ますは発射直後を狙って日本海に配備するイージス艦から発射するSM-3迎撃ミサイルと
SM-3で撃ち漏らした場合、大気圏内で再び迎撃する、地上からのPAC-3ミサイルがあります。

ミサイル発射から日本への到達時間は、距離が1300qとして、条件により異なるが10〜15分。空気の抵抗を無視すれば10分以内という事です。
10分間で25発のミサイルをすべて迎撃できると思いますか。

迎撃実験では90%を超す成果があったそうですが、実験はあくまでも実験。
元々ミサイルが発射されることが分かった上、しかも実験用の模擬ミサイルの性能、品質が解った上の事。
25発のミサイルの20発も迎撃できれば良いでしょう。半分打ち漏らす可能性も否めません。

その場合、核爆弾の1発くらいは、東京、大阪に落ちるかもしれません。
核の大きさにもよりますが、おおむね40万人程度が即死すると予想されています。
まあね、北朝鮮のミサイルの精度はいい加減なので、東京向けのミサイルが静岡県に落ちることなど考えられます。
これは大変な事なのですよ。
計算通り飛んでこないミサイルなど、撃ち落とす方のミサイルにも迷惑なはなし、その様なフラフラするミサイルを迎撃できない可能性もあるのですよ。

以上、シリア爆撃に続き、アメリカが北朝鮮の爆撃もすると言う噂が飛んでいます。
アメリカは間違っても北朝鮮の反撃には合わないでしょうが、日本は違いますよ。

このニュース(空母 カールビンソンが北朝鮮へ向かった)などを、他人事として見ていることはできないのですよ。

この現代社会で、自分に反撃する芽を摘むために、実の兄を暗殺すると言う時代錯誤の行為を平然とやってのける、金正恩のやることは常識の考えでは理解できません。

勝てないまでも、人質を取って(日本などへの核攻撃)相手を脅す行為に屈していては悪を退治することはできないでしょう。
アメリカとしても、このまま放置すれば大陸間弾道弾で、本土を直撃される恐れがあります。

ですが1万qの距離があれば迎撃もできるでしょう。
日本、韓国、とりわけ日本は北朝鮮の餌食なのです。

決して安倍自民党の応援をしている訳ではありませんが、これは自民党云々の問題ではなく相手がいる国際問題なのですよ。
みなさん、如何でしょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c11

コメント [戦争b20] 米軍 アフガニスタンで「大規模爆風爆弾」を使用 実戦初 トランプ大統領「見事に任務に成功」 赤かぶ
1. 2017年4月14日 11:54:56 : JoLHY6vVa8 : 2KZ37Ydb0NI[3]
イラク戦争におけるような、強固な地下施設ならば、バンカーバスターを使えばよい。

核兵器ではないけれど、対人殺傷だけを目的とした兵器だ。

日米韓の1%によって、北朝鮮だけが脅かされているだけではない、日韓両国民も、脅迫されている。


http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/147.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
30. 2017年4月14日 11:55:03 : fhHYikokeA : LtdWotCQ1is[1]

シオニスト.グローバリストって^^

日本共産党のことだよね?^^
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
12. 2017年4月14日 11:56:28 : d5dNlXjzro : ylLr9J_3dnM[2]
冷戦が終わったとき、安保条約破棄していれば、基地もなく、今頃は北朝鮮に狙われることもなく、仲介役を担えたかもしれない。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c12

コメント [カルト17] プー・全てのテロはCIA、ベン・北の仕業にして開戦の口実にする東京テロ詐欺は阻止された、時事・米中親密。である ポスト米英時代
2. 2017年4月14日 12:01:41 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[735]
これで習、トランプ、プーチンはがっちり組みましょう体制になったみたいだな、
しかしトランプのはったりは自国民には効いても習、プーチンには効かないと思うが。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/851.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
8. 2017年4月14日 12:03:09 : NsWPZg8KzQ : ufEyfRsVvBk[36]

過去からの経緯を見ると、

「野田幹事長も合流には前向き」は江田含めて最後には必ず梯子を外す。松野/松木

謙公当たりが羽交い絞めする必要がある。連合は黙って成行きを見て最後に壊しにか

かる。これは間違いない。

社民党は組合セクト主義の関係で泡沫政党を維持している。議員が居なくなっても組

合を代弁する政党が必要と言う考え方。連合とは歴史的に相性が悪い。途中まで様子

を見て最後は組合が壊しにかかるだろう。



http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
9. 2017年4月14日 12:03:24 : 9FNft6ZNWk : o2I5T0JzFU4[45]
お前そのものだろ それは
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
31. 2017年4月14日 12:05:12 : fhHYikokeA : LtdWotCQ1is[2]

シオニストとは^^

「シオンの修道院の教えに従う者」という意味だから^^

シオンの修道院の体現した国家経営方針に連なる者が^^

具体的なシオニストということだ^^

シオニストの国際組織である国際シオニスト会議とは^^

National
Associate
Zionist
International

NAZI のことで^^

NAZIsドイツが施行した経済政策が国家社会主義政策^^

すなわち、保護貿易政策であり、国家内は産業別に縦割り社会でもあるという状態^^

一般的に共産主義communismの定義である^^

社会(一家資本や同業者組合資本)資本の否定とは異なる^^

正にNAZIの経済政策とは、日本の共産主義者や小沢一郎が言ってる理屈そのまま^^

すなわち、日本共産党の連中や小沢一郎がシオニストということになる^^


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c31

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
10. 2017年4月14日 12:05:14 : CsZJ8TDz12 : kh6zW6iVMgE[1]
自公VS民共

何と分かり易い構図だろう。

選挙に行きたくなった。

3党合流の代表、党首は小沢しかいないだろう。

日本政界最後の大物、切り札だ。

民主党政権失敗の原因は既得権勢力(マスコミ、検察)の妨害、謀略であることを

知らない国民はいない。

西松事件、陸山会事件という冤罪、捏造事件によって手足を捥がれ、撃墜された

という事を知らない国民はいない。

トランプ(ジャイアン)に尻尾を振るしか能がない安倍(のび太)に

これ以上国の舵取りを任せるわけにはいかない。

トランプ、習近平、プーチンの様な猛獣と対等に渡り合え、飼いならせる政治家は

小沢しかいない。



http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
32. 2017年4月14日 12:10:09 : fhHYikokeA : LtdWotCQ1is[3]

さらに日本共産党の理屈は^^

国家の経済政策とは保護貿易であるけれども^^

安全保障に関しては国際組織(コミュニストxインターナショナル)の支援を受けることになっている^^

これは完全なグローバリズムだ^^

経済政策シオニストx安全保障グローバリズム=日本共産党^^

で?あんたらって、シオニスト.グローバリズムに賛成なの?^^

反対なの?^^
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c32

コメント [お知らせ・管理21] 2017年4月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
14. ダイナモ[170] g1@DQ4Npg4I 2017年4月14日 12:10:42 : xbvVrGFwh2 : XI84yJCmKuA[93]
二重投稿になりましたので削除をお願いします。

削除していただく投稿

アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/146.html
投稿者 ダイナモ 日時 2017 年 4 月 14 日 09:43:52: mY9T/8MdR98ug g1@DQ4Npg4I


先行投稿

アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材(AFP)
http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/126.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 14 日 08:00:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/479.html#c14

コメント [戦争b20] アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材 ダイナモ
1. 2017年4月14日 12:13:12 : JoLHY6vVa8 : 2KZ37Ydb0NI[4]
多分、同じインタビューだと思うけれど、アサド大統領は、米国のロシア軍に対する事前警告が、攻撃の2、3分前、あるいは攻撃後であることを示唆した。

また、ロシア軍から攻撃の情報を受けていなかったと明らかにした。

ロシア国防省関係者は、ロシアメディアの取材に対して、米国の事前警告の、正確な日時を明らかにすることを拒んだ。

また、アサド大統領は、シリア軍が事前に、米軍の攻撃を予知していた可能性を匂わせた。

未確認ながら、米軍はアレッポの南に基地を設けたようだ。

クルド人支配地域であるアイン・アル=アラブに、米軍の技術兵隊が展開中である。

また、米軍は、シリア国境地帯に、海兵隊の他に、タンク、自走砲を集結させている。

ヨルダン軍の特殊部隊とヘリコプター軍が、シリアへの進行に備えて、待機中である。

イラクに派遣されているポーランド軍も、参加する方向で調整中である。
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/146.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
13. 2017年4月14日 12:13:41 : mINW8bMxUQ : 4BobKM9F48E[295]

 自民党は 急に 弱気になっちゃったのかな〜〜 

 ===

 トランプと金正恩に 命を預けるより 仕方ないですよね〜〜〜
 
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
4. 2017年4月14日 12:13:45 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[42]
>>3
おまけに中国人、韓国人は偽装結婚、指紋整形、密航船で何が何でも
潜り込もうとしてくるしね。嫌になる気持ちは本当にわかる。
よくこんな国に法を無視してまで潜り込んでこようとするよ。。
いくなら欧州なりアメリカに行けばいいのに。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c4
記事 [経世済民121] 2万5000円のトースターが爆発的にヒットした理由 米国より大幅利上の中国 意識のズレ 良い上司になろうとするほど部下が
【第8回】 2017年4月14日 週刊ダイヤモンド編集部
2万5000円のトースターが爆発的にヒットした理由

「バルミューダ ザ・トースター」 寺尾 玄(バルミューダ社長)

photo by Toshiaki Usami
 こんがり焼けた厚切りトーストの上でとろけるバター。表面がぐつぐつと溶け出して少し焦げ目が付いた熱々のチーズトースト。

 思わずよだれが出そうな画像が並んでいるのは、家電ベンチャーのバルミューダが販売する「ザ・トースター」のホームページだ。商品そのものの画像よりも、おいしそうなパンや料理のレシピ画像の方が圧倒的に多い。それは、同社創業者で社長の寺尾玄が、「われわれが売っているのはモノではなく体験」だと考えているからだ。

「『2万5000円のトースター』と言われると私も高いと感じる。でも、『世界一のバタートーストを食べたくないですか』と聞かれたら、食べてみたいと思う」

 価格や機能を訴求するのではなく、食べてみたい、作ってみたいというワクワクする体験を提案することで消費者の心を捉えた。数千円が相場のトースター市場では飛び抜けて高い価格にもかかわらず、2015年6月の発売以来、累計で20万台を売る大ヒットとなった。

「世界の役に立つ」夢を抱き
音楽からものづくりへ転身

 クリエーティブな心で思い描いたものを世の中に送り出して、世界の役に立ちたい──。

 寺尾がずっと心に抱き続ける信念だ。かつてはミュージシャンとしてその道を目指したが、夢半ばに終わる。だが「情熱は消えなかった」。03年、音楽ではなくものづくりで夢の実現を目指そうと、バルミューダデザイン(現バルミューダ)を設立した。

 だが、寺尾にはものづくりの知識も経験もない。ネットで調べようにも、検索のキーワードさえ分からない。そこでまず東急ハンズに行って、店員を質問攻めにした。「これ、何でできてるんですか」「ステンレスです」「どうやってこんな形にするんですか」「プレスかな」。こうした会話で「プレス」というキーワードを仕入れて、ネットでいろいろと調べた。

 すると今度は現場を見たくなる。タウンページで自転車で行ける距離にあるプレス工場を調べて片っ端から足を運んだ。ずいぶん門前払いも食らったが、次第に工場の中を見せてもらえるようになった。

 そうやってものづくりを一から学んで作ったのが、ノートブックパソコンの冷却台「X-Base」だった。発表後ニュースサイトで取り上げられ、注文が次々と入って順調なスタートを切った。

 だが、好事魔多しである。08年のリーマンショックで、会社が倒産の危機にひんしたのだ。1カ月間、全く注文が来なかった。これはつぶれるな、と覚悟した。

 こうなったら前から作りたかったものを作ろう──。こうして生まれたのが、独自の二重構造の羽根で「自然界の気持ちいい風」をつくり出す扇風機「グリーンファン」だった。扇風機市場はすでにあらゆる製品が出尽くしているように見えたが、「出尽くしたと皆が思っている市場にこそチャンスがある」。テレビ番組で紹介されて人気商品となり、バルミューダは息を吹き返した。

 しかし、また壁に突き当たる。「いいものであれば売れる!」と確信した寺尾は、空気清浄機や加湿器、ヒーターなど空調関連商品を次々と投入したものの、思ったように売れない。価格が高過ぎたのだ。ユーザーメリットに直接つながらない品質を求めた結果、収益が悪化し在庫が積み上がった。

 すでにモノがあふれている時代に、いいものというだけでは売れない。人が欲しているのはモノではなく、五感で感じることができる「体験」なのではないか。そうだとすれば、五感全てを使う体験である「食べること」を訴求しよう。そんな仮説を立ててトースターの開発に乗り出した。

おいしさの鍵は「スチーム」
充実のレシピで体験を訴求

 寺尾が目指したのは、土砂降りの社内バーベキュー大会で食べたパンの味。表面はパリッとしていて中はしっとり。この食感を再現するために試行錯誤を重ねた。最初はバーベキューの炭火に秘訣があるのかと考えいろいろ試したがうまくいかない。「そういえば、あの日は土砂降りだったな」。そんな誰かの一言から、スチームを使ったザ・トースターの方向性が決まった。

 スチームでパンの表面に薄い膜を作り、中の水分や香りをしっかり閉じ込めれば、おいしく焼き上げることができる。どのくらいの水分量が適正なのか、どのくらいの温度でどのくらいの時間焼けばいいのか。その解を得るまでに焼いたパンは5000枚を超えた。

 ところが、ようやくほぼ製品に近い試作機が出来上がったある日、突然パンがおいしく焼けなくなってしまった。夏から秋へと季節が変わって気温が変わり、庫内温度も変わっていたためだった。そこで、どんな季節でも庫内温度を同じように制御できるようソフトウエアを作り直した。

 もう一つ苦労したのが、パンの品質のばらつき。コンビニで買える大手メーカーのパンをずっと使っていたのだが、ロットによって重さも水分量も密度も違う。どんなパンでも同じ仕上がりにするため、さらに作り込んでいった。

 ものづくりを突き詰める一方で、体験をどう伝えるかにも心を砕いた。冒頭のレシピページには、「『珈琲専門店エース』ののりトースト」など、老舗の看板レシピもたくさんそろえた。「おいしさだけじゃなくて、ワクワクするうれしさも感じてもらう」ためだ。「モノより体験」という寺尾の仮説は、ザ・トースターの爆発的ヒットで裏付けられた。

 17年はキッチン家電の第2弾として炊飯器を発売。電子レンジやコーヒーメーカーも開発中だ。さらに、「掃除用でも対話型でもない、もっと役に立つロボットを開発している。年内には発表したい」。世界の役に立ちたいという寺尾の信念には、いささかのぶれもない。(敬称略)

(「週刊ダイヤモンド」編集部 前田 剛)


【開発メモ】ザ・トースター
「食パン」が「トースト」になるのは化学反応。そこでトーストを科学目線で徹底的に追究した。その結果、温度制御が重要であることが分かった。パンの中の軟らかさと風味がよみがえる60度前後、表面がきつね色に色付き始める160度前後、焦げ付きが始まる220度前後という三つの温度帯を完璧に制御することで、最高のトーストが生まれた。
http://diamond.jp/articles/-/117593

 

2017年4月14日 加藤 出 :東短リサーチ代表取締役社長
米国よりも大幅利上げの中国
地下街にも漂う消費意欲と商魂


中国・上海にある地下街の空きスペースに設置された、2人用のカラオケボックス。見た目はほとんど電話ボックスだ Photo by Izuru Kato
 米連邦準備制度理事会(FRB)は昨年12月から今年3月にかけて、銀行間の短期金利を合計0.5%引き上げた。そして、世界の金融市場は米国の利上げ観測やその動向に大きく揺れてきた。

 しかしながら、FRBよりもはるかに大胆に短期金利を引き上げている中央銀行がある。中国人民銀行だ。

 上海銀行間取引金利(SHIBOR)の3カ月物を見ると、昨年10月上旬には2.8%程度だったが、この4月上旬は4.4%前後だ。半年間でなんと1.6%もの引き上げが実施されている。その理由は次のように考えられる。

 第一に、中国経済は昨年後半から回復基調にある。中国政府は足元の景気動向には不安を感じていない。

 第二に、中国にしては低金利環境が続き、民間の資金需要が伸びない中で一部の中小金融機関は不健全な投資を行ってきた。そういった動きをけん制し、市場におけるマネーのだぶつきを引き締める必要が生じている。

 第三に、人民元の下落圧力が強まらないように、FRBが利上げを行うならば、中国でも金利を引き上げておこうという判断もあるようだ。

 なお、中国の生産者物価指数は前年比で8%近い上昇だが、消費者物価指数は同1%未満の上昇と落ち着いている。そこで中国人民銀行は、本来の政策金利である1年物貸出金利は据え置きつつ、SHIBORを引き上げてバランスを取ろうとしている。

 中国の金融当局は不健全な資金運用を行っている金融機関に「お灸」を据えているので、3月に一部の中小銀行が資金繰りに窮する場面があった。2013年6月には当局の「お灸」が効き過ぎて、銀行間金利が暴騰。市場全体が混乱して、上海株の急落を招いたこともあった。

 ただ、そのころと比べると金融当局のスキルは向上しているので、今回は当時ほどの混乱が起きることはないだろうとみている。

 他方で、中国の長期的かつ重要な課題として目が離せないのは、国内の過剰債務問題である。借金を膨張させてきた低収益のゾンビ国営企業の改革に中国政府は昨年から本腰を入れ始めたが、今後も持続できるかどうかが注目される。

 国際通貨基金(IMF)は昨年、中国が中成長のうちに国営企業の整理を推し進めるならば、低成長期にバブルが破裂した日本やスペインのような混乱は回避できると助言した。

 国営企業を整理しつつ中成長を維持するには、ITなどの新産業と巨大な中間層の消費が関連し合いながら拡大していくことが必要となる。中国の李克強首相が3月の全国人民代表大会における政治活動報告で、イノベーションを推し進める方針を強調したのは、その話につながっている。

 先日の中国出張時も、中国の中間層の消費は着実に伸びているという印象を受けた。消費者の嗜好に合わせたニッチな商売が続々と現れているからだ。

 例えば、上海ではカラオケ需要が強く、夜の時間帯はかなり待たされる。それを察知した業者が、地下街の空きスペースに電話ボックスを少し大きくしたような2人用カラオケボックス(写真)を最近設置し始めた。

 長期的な課題やリスクを抱える中国ではあるものの、そのマーケットには日本企業にもビジネスチャンスがまだ多数あるように思われる。

(東短リサーチ代表取締役社長 加藤 出 )
http://diamond.jp/articles/-/124816

 


 

【第5回】 2017年4月14日 吉野聡
「ストレスチェック結果の捉え方」があぶり出すマネジャーと部下の意識のズレ

組織の課題に目を向ける企業は少ない

 ストレスチェック制度施行の初年度は、個人のストレス度合いについて検証する、ということに終始したきらいがある。

 言うまでもなく、ストレスチェックについては個人のメンタル面の課題と同時に、働く人のメンタルを左右する組織の課題を浮き彫りにし、それに対処することが求められる。少なくとも、それが制度を施行した国の考えである。

 しかしながら、連載第1回で述べたように、実施企業の多くが、組織の課題には目を向けていない。これでは、せっかくコストをかけて実施したストレスチェックが、十分に生かされないことになる。

 今回は、ストレスチェックの結果を、組織の課題解決につなげようとする企業の事例を紹介したい。

集団分析の結果をもとに5人の部長が議論する

 これは私が産業医をしている、IT系企業の事例だ。仮にA社としよう。A社は社員数約400名で、部署は16部門に分かれている。

 ストレスチェックを実施した後、A社では16の部単位で集団分析を行った。その結果を各部にフィードバックして、部長を集めて「自分の部の結果について、どう思う?」という問いかけをした。

 各部からは、ストレスチェックのスコアをふまえて、「うちの部署は、そもそも人が足りない」とか、「私の部署では、コミュ二ケーション不足だと思う」など、さまざまな意見が出た。

 さらにA社は、各部の部長5人を一組として、集団分析の結果を踏まえて、「自分の部署の結果を、どう見るか」、「来年は、組織と仕事のあり方をどう変えるか」という観点から、ディスカッションを実施した。

 そこでは、さまざまな意見が飛びかった。

「お前の部は、なんでこんなにスコアがいいの?」、「けっこう、うまくいってるように見えたけれど、意外に職場のストレス要因が高いんだね」などなど、いろいろな発見や指摘があった。

「自分の部署はうまくいっている」

 A社の場合、社員数が400人という、全員が全員の顔を名前を知っている、という環境であることの良さもあるかもしれない。

「そりゃあ、お前のやり方が悪い」、「お前があまり現場にいないから、部下は仕事がしにくいと言ってるよ」というような、忌憚のない意見が交わされたようだ。

 このような取り組みをしたのは、A社が業種柄、客先常駐の社員が多く、組織の課題がなかなか見えにくかったことが背景にある。コンサルに調査分析を依頼したこともあったが、その結果はあまり職場には好影響をもたらさなかったらしい。

 そこで社長が、ストレスチェック制度をひとつの材料として、社員の状況を把握しておきたい、と考えたのである。動機はどうあれ、その結果は有益だった。

 いろいろな事情がありながらも、多くの部長は「自分の部署は普通(概してうまくいっている)」と考えていたようだ。しかし、ストレスチェックの結果が出て、自分の部署のことを客観視せざるをえなくなった。

 さらにA社では、高ストレスという結果が出て、なおかつこの3年以内にメンタルヘルス不全による休職者が出た3職場について、部長をはずして、課長以上を集めてミーティングをした。

すれ違う部長と課長の意識

 ミーティングの狙いは、ストレスチェックの結果を客観的な指標として、なぜ高ストレスという結果が出たのかを分析し、どのように改善するか手立てを考えることにある。

 部長を外したのは上長の意見に引きずられることなく真因を考えるためであり、言いっ放しにならないように外部のファシリテーターがミーティングに加わった。

 その結果は、実に興味深いものだった。先に述べた部長を集めた話し合いの結果と、大きく食い違ったのである。

 たとえば改善策として部長の話し合いでは「人が足りないのが高ストレスの要因」とする意見が多かったが、課長ミーティングでは「部長とのコミュニケーションが不足している」、「人の頭数の問題ではなく、部署として仕事を回していく仕組みの問題。仕組みがなければ、いくら人を入れても意味がない」などと指摘する声が多いなど、随所でかみ合っていないことが明らかになった。

 もちろん部長だけが全面的に悪い、ということではないし、改善する意志がないわけでもない。しかし、マネジャーの意識と現場の本音がすれ違いを起こしていることは事実だった。

 このすれ違いがなぜ生じたのか。次回、詳しく解説したい。

(新宿ゲートウェイクリニック院長 吉野 聡)
http://diamond.jp/articles/-/124803


 


 

2017年4月14日 安藤広大 :識学代表取締役社長
良い上司になろうとするほど部下がますますダメになる理由


新年度が始まって新入社員も入り、人事異動があった会社も多いだろう。「初めて部下を持つ」という人も多いかもしれない。そこで、多くの人は「良い上司」でありたいと思うことだろう。しかし、もしかしたら、多くの人が描く「良い上司」とは、部下の将来にとっては「最低最悪の上司」なのかもしれない。改めて「良い上司」について考えてみたい。(株式会社識学代表取締役社長、組織コンサルタント 安藤広大)

「良い」上司像は
「最低の上司」かもしれない

 ・部下の「頑張る姿」を評価するな
 ・上司は新入社員に「頑張る理由」を与えてはいけない
 ・「無礼講」を許すのはダメ上司

 これまで、私がダイヤモンド・オンラインに寄稿してきた記事の内容だ。でも、一般的に「良い」上司とされているのは、これらとは真逆の上司像かもしれない。例えば、下記のような上司像だ。

 ・部下の「頑張る姿」を褒めてくれる「良い」上司
 ・新入社員に「頑張る理由」を与えてくれる「良い」上司
 ・たまには「無礼講」を許してくれる懐の深い「良い」上司

 どうだろう。あまり、違和感を持たないのではないだろうか。実際、私がお会いする経営者、管理者の中にはこのような「良い」上司像を持つ方々も少なくない。

 しかし、このような上司が本当に「良い上司」と言えるのだろうか。結論は、これまで書いてきたように良い上司であるはずがない。部下の未来を奪う「最低の上司」であるというのが現実だ。

上司は部下より
「遠く」を見るべき

 そもそも上司と部下では、組織ピラミッドの中での置かれている位置=高さが違う。当然ながら、上司は部下より常に高い位置に配置されている。高い位置に置かれているのだから、上司は常に部下より遠くを見なければいけないという責任がある。ここでいう「遠く」は距離ではなく、「時間」を表すものだ。組織において、上位、つまり高い位置に配置されている人間は、低い位置に配置されている人間より「遠い未来」を見て物事を判断しないといけないのである。

 物事の良し悪しの判断は、時間軸をどこに置くかによって変わってくる。子どもの頃の怖かった先生がわかりやすい例だろう。子どもの頃は、本当に怖くて嫌だった先生に、大人になった今、とても感謝しているというのはよく聞く話だ。その時、本当に辛くて、苦しかった経験が、振り返ると自らの糧になっているということは、人生を振り返れば多くあるはずだ。

 とはいえ、辛くて苦しい経験は、その当時という時間軸で捉えると、自分にとって「悪い」ことになる。しかし、その当時から見たときの未来である、今という時間軸で捉えると「良い」ことになるというわけだ。

 では、当時、先生が「私が厳しく叱っているのは君の未来のためだ」と言ったとして、理解できただろうか。辛くて苦しい経験をしている時に、「これは自分の未来のためには良い経験だ」と自分で思える人がどれくらいいるだろうか。「悪い」ことの当事者になった時に、それは簡単ではないのだ。

 繰り返すが、上司は部下より遠い未来を見る責任がある。そして、今という時間軸で捉えて状況を判断するのか、未来という時間軸で捉えて判断するのかでは、物事の「良い」「悪い」は変わってくる。

「今」時点の部下からは「悪い上司」でも
未来では「良い上司」になるべき

 部下の遠い未来を見なければならない上司は、「今」時点の部下からは嫌われ、「悪い上司だ」という評価を受けようが、心を鬼にしてでも「仕事の評価はあくまでも結果」という考えを徹底させるなど、指導すべき点は厳しく指導しなければならないのだ。

 仮に、あなたが「今」時点の部下から好かれよう、嫌われたくないと思い、「良い」上司を演じたとする。その下で育った部下は将来どうなっていくのだろうか。多くの「勘違い」を抱えたまま、生きていくことになる。

 例えば、いつも「頑張っている姿」を褒めてくれる上司がいるとする。その部下は「結果が悪くても頑張っている姿を褒めてくれる、部下のモチベーションを上げてくれる『良い』上司だ」と思うだろう。

 そして、「上司がモチベーションを上げてくれるから頑張ろう」と思う。裏を返せば、「上司がモチベーションを上げてくれなければ頑張れない」人間になってしまい、自分は「モチベーションを上げてもらわなければ頑張らなくて良い存在」だという勘違いをするようになってしまう。また「頑張る姿」が褒められるわけだから、自分が求められていることは「良い結果」ではなく「頑張る姿」だと勘違いしてしまう。その結果、「頑張る姿」をアピールするようになってしまう。

 要するに「良い」上司の言動によって、「上司がモチベーションを上げてあげなければ頑張れない、頑張る姿のアピールがうまい、結果にこだわらない部下」が完成してしまうのだ。

 この勘違いしてしまった部下は、本当に不幸だ。あくまでも「今」という時間軸では何の問題も起きないだろう。むしろ、ストレスがなく、快適に日々を過ごすことができるのではないだろうか。しかし、そこに「時間という概念」が入ってくるとそうはいかない。勘違いした部下には、将来、厳しい現実が待ち構えているからだ。

 残念ながら、このような「勘違い部下」が会社で良い評価を受け続けるのは難しい。なぜなら、会社自体が市場からは「頑張る姿」ではなく、あくまでも業績という「結果」で評価されているからだ。

「頑張る姿」を評価すれば
「ビジネスの世界」で生きる力を失う

 会社は「結果」で評価されているのに、会社を構成している従業員は「頑張る姿」で評価される、そんなことが成立し続ける訳がない。どれだけ勘違いをしている部下でも、時間の経過とともに「上司がモチベーションを上げてくれようがくれまいが頑張らないといけない、出した結果の有益性に対して評価を受ける存在」という現実に直面せざるを得ないのが現実なのだ。


安藤広大さんの『伸びる会社は「これ」をやらない!』(すばる舎)が好評発売中。224ページ、1620円(税込み)
 勘違いした部下は「現実の世界」に引き戻される時、大きなストレスを感じることになる。そして、その場から逃げ出し、会社を辞め、再び勘違いできる働き場所を探す。その原因を作りしてしまうのは、「良い」上司なのだ。

 ここで注意すべき点は、勘違いをし続けた部下は、その期間が長ければ長いほど「ビジネスの世界」で生きていく力を失ってしまうことだ。

 ビジネスの世界で得られる対価とは、本人が出した結果の有益性に対して支払われるというのが、どこまでいっても現実だ。「頑張る姿」に支払われていると勘違いしている部下は、その期間が長ければ長いほど、「有益性のある結果」を出す能力がなくなってしまう。

 上司の皆さんには今一度考えていただきたい。あなた自身が「良い」上司だと思われたいがために、部下が将来に向けて「生きていく力」を奪っていないかを。

 上司は、常に部下のためにも「未来を見る責任」があるということを忘れず、日々の部下との「接し方」を考えていただければと思う。
http://diamond.jp/articles/-/124824

http://www.asyura2.com/17/hasan121/msg/113.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
11. パラノイア[339] g3CDiYNtg0ODQQ 2017年4月14日 12:16:17 : kepL5MmOP2 : W0MzPfia5Rg[1]
長島や細野の動きの真意はこの辺にあるかもしれませんね。
連合ですが、もし小沢氏が手を突っ込んだら変わる可能性はあります。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK224] 「お前が北朝鮮に核を放棄させてみろ。できないからアメリカが武力でやるんじゃないか」なんてことを公然と発言する人物が、 gataro
7. 2017年4月14日 12:16:18 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[43]
国民が拉致されてるのに知らぬ存ぜぬだった社会党とNHK

日本における二大癌

社会党は国民の手によって絶息させることに成功した。(死爆散したあとの残党はまだいるが)
次はNHKの番だね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/172.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
14. 2017年4月14日 12:16:33 : mINW8bMxUQ : 4BobKM9F48E[296]

 まあね 安倍が トランプを支持したわけだし 日本に軍事基地があるのだから

 攻撃されても 受け入れるしかないよね〜〜

 ===

 沖縄 岩国 厚木 は 可能性が高いのだけど 精度が低いミサイルだったら

 厚木を狙うのが 当然だよね〜〜〜
 
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c14

コメント [国際19] アサド大統領、化学兵器疑惑は「100%でっちあげ」 AFP独占取材(AFP) 赤かぶ
3. ダイナモ[171] g1@DQ4Npg4I 2017年4月14日 12:17:00 : xbvVrGFwh2 : XI84yJCmKuA[94]

シリア化学兵器疑惑は「信用できる」 OPCWが初期見解  AFP

【4月14日 AFP】化学兵器禁止機関(OPCW)は13日、シリアの反体制派支配地域にあるハンシャイフン(Khan Sheikhun)で化学兵器が使用されたとする疑惑について、「信用できる」という見解を示した。

 4日に発生したこの攻撃では、少なくとも87人が死亡。OPCWは、これまで集まった情報を専門家らが分析し「これは信用できる疑惑だと初期評価を下した」と発表した。

 OPCWのアフメト・ウズムジュ(Ahmet Uzumcu)事務局長は、41か国から成る執行理事会に対し、事実調査団が攻撃後に収集したサンプルが分析のためOPCW指定の研究機関に送られたと報告。

 また、オランダ・ハーグ(Hague)にあるOPCW本部で出した声明の中で、「OPCWの専門家らが現在、さまざまな情報筋から収集したあらゆる情報を分析」しており、「2〜3週間以内に作業を完了する」見通しだと明らかにした。(c)AFP

http://www.afpbb.com/articles/-/3125072
http://www.asyura2.com/17/kokusai19/msg/126.html#c3

記事 [戦争b20] 広がる戦場 ――IoTへのサイバー攻撃 数十億台のマシンがサイバー攻撃の標的に
【第6回】 2017年4月14日 ユージン・カスペルスキー :Kaspersky Lab 取締役会長兼最高経営責任者(CEO)
広がる戦場
――IoTへのサイバー攻撃

数十億台のマシンがサイバー攻撃の標的に

 サイバーセキュリティの最前線では、攻撃する側と防御する側で絶えず攻防が繰り広げられている。攻撃側はITの脆弱性をチャンスと見て、手っ取り早く金儲けをしようとする犯罪者やスパイ、政治的ハッカー、戦闘員、さらにはテロリストに豹変し、防御側は個人や組織をサイバー攻撃から守ろうとする。ここには、セキュリティ研究者やセキュリティ企業、司法当局などが含まれる。

 ハッキングツールはめまぐるしく変化し、マルウェアはますます巧妙化しているが、 幸い、保護技術も進化を遂げている。しかし、デジタルテクノロジーは、サイバー攻撃の脅威が登場する前に設計された概念やシステムを基に構築されており、今日広く使用されているオペレーティングシステムはいずれも攻撃を受けやすいのが現状だ。

 この攻防には、闘いの舞台が移り変わってきたという別の側面もあるだろう。10〜20年前の戦場はコンピューターが主流だったが、その後、すっかり生活の一部に溶け込んできたスマートフォンやタブレットがこの舞台に加わった。現在では、IoT(モノのインターネット)のセキュリティがセキュリティ業界にとって最大の課題のひとつとなった。

 IoTとは、形状や大きさを問わず、コンピューター化されインターネットにつながった多種多様なデバイスを指すが、こうしたデバイスが数十億台も存在し、それが物理的プロセスを制御している事実(電子制御システムによる自動車など)を考えると、我々が日常生活の中で直面するサイバー攻撃のリスクは拡大していると言えるだろう。

 IoTを狙った攻撃の多くはすでに現実のものになっており、私はスマートテレビに対する攻撃の急増を予測していたが、これまでのところ、ハッカーは多くの防犯カメラとホームルーターを攻撃しマルウェアに感染させることで、史上最大規模のDDoS攻撃を実行してきた。

“未来”は明るいとは言えないが…

 こうしたデバイスを狙う悪名高いマルウェアのひとつに、「Mirai」(日本語の「未来」に由来)がある。このマルウェアはソースコードが公開されているため、今や特定のスキルを持つ者なら誰でも自作し、脆弱なデバイスを攻撃することができてしまう。その結果起こったDDoS攻撃により、TwitterやSpotify、PayPalを含む世界最大規模のグローバルインターネットサービスが一時的にダウンしたことは記憶に新しい。未来はすぐそこまで来ているが、見通しは決して明るいとは言えない。

 例えば、ある企業がシステムとセンサーをネットワークで結んで、プロセスの合理化と高速化を図っているとしよう。工場でスマート電球が切れたら、センサーが直ちに自動化された倉庫に知らせ、替えの電球が出荷される。また、全メーカーの電球の電力効率に関する統計データをもとに、長期的に電気代を節約することもできるだろう。こうした大規模なシステムを効率よく円滑に稼働させることは技術面でやりがいがあるが、障害が発生した場合の復旧費用は莫大となる。

 ここ数十年の間に、コンピューターを取り巻く脅威は不穏にも大きく進化した。初期のコンピューターマルウェアは一人のプログラマーが自己満足のために作成していたものだったが、今では裏のサイバーコミュニティが発展し、巧妙な手口で金融機関を襲うプロ集団、ある国の政府が裏で支援するデジタルスパイや傭兵の高度な集団など、犯罪者から成るエコシステムが暗躍している。

 一方で、ITセキュリティに従事する専門家は、残念ながら世界的に不足している(と言われて久しい)。最先端技術を広く採用する日本をはじめとして、多くの国々ではこの分野の専門プログラムに投資を行っているが、IoTのセキュリティに特化した専門家となると、人材不足はさらに深刻だ。

 市場がどんどん拡大し、めまぐるしく変化していく一方で、ハイテク製品(現代ではコンピューター化されインターネットに繋がった製品を指すことが多い)の製造メーカーは、デジタル時代のセキュリティ対策にどのような人材が必要なのかを理解することが急務だ。

 幸い、サイバー犯罪者(やテロリスト)にとっても、IoTデバイスに特化した経験豊富なハッカーを見つけることは容易ではない。しかし、サイバー犯罪者は敏捷性に優れた比較的少人数の集団で活動しており、学習のペースも速い。 弊社では、IoTデバイスを狙ったマルウェアの急増を確認しているが、 これはまだ序章にすぎない。

IoT機器メーカーの姿勢にも変化がみられる

 つい最近まで、インターネット対応型デバイスの製造メーカーの多くは、自社製品のセキュリティにそれほど注意を払っていないように見えたが、今やそれも変わりつつある。 防犯カメラなどのインターネット接続型家電製品を製造する有名なあるメーカー数社に話を聞いたところ、セキュリティが万全でなければ、えり好みする富裕層は製品を購入しないため、自社製品のセキュリティを万全にしているという。 これは大変喜ばしいことだ。

 またメーカー側は、すでに製品化されたデバイスにセキュリティ機能を追加することは簡単な作業ではないことを理解している。サイバー攻撃の脅威に対する認識が急速に高まっているとはいえ、他社より先に技術革新を行い、製品化し、競争したいという気持ちが強いがために、セキュリティ機能の改良に時間とコストをかけようとしないメーカーが存在することも事実だ。

 新しいデバイスの製造メーカーや設計者に伝えたいアドバイスは、いたってシンプルだ。それは、自社製品に少なくともある程度の保護機能を装備すること。既存の脆弱性を修正する手段を確保し、パッチ管理手順を策定すること。デバイスに設定されている工場出荷時のパスワードをユーザーが予め知っていることのないようにすること。たとえ何世紀にもわたって製品を製造してきたメーカーでも、今やソフトウェア企業としての顔をもつことを忘れてはならないのだ。

 さらに、インターネット接続型デバイスを利用する個人ユーザーには、利用に伴うリスクについて学ぶことをお薦めしたい。また、万全なセキュリティというものは存在しないことを覚えておいて欲しい。現代社会は、さまざまなスマートデバイスなしで生きていけないが、使用するデバイスを賢く選ぶことはもちろんだが、ルーターを使用する場合は、管理者パスワードは必ず初期設定から変更するという基本的なこともお忘れなく。
http://diamond.jp/articles/-/124632
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/148.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 「安倍政権が吹っ飛ぶ」 加計学園問題で関係者が重大証言(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
13. 2017年4月14日 12:20:22 : kLlPBXVtuY : x9RBJHhuBfs[103]
安倍でんでんは森友事件と同様嘘を吐き通せば逃げ切れると思ってるんだろうよ。

何しろ立法・行政・司法&マスコミすべてをガッチリ握ってる自信に溢れてるからね。

あの立法府での野党質問者を恫喝するような答弁を聞いてたり、証拠が出て来ても一公務員の私信だなどと言い張るのを聞いてると、安倍内閣及びこれをヨイショしてる自公維新のデタラメさに呆れかえるより仕方ないもんね。

安倍でんでんは自分が憲法だ法律だと思ってる節がある。
思考&行動が北の将軍と瓜二つだもん。

もしこのまま野党が安倍内閣を潰せないでいるなら国民の野党への期待は今後殆ど無くなっちゃうので、野党は絶対安倍内閣を潰さなければならないという覚悟が必要だよ。

ついで言っておきますが、北の軍事行動は日本アメリカの安保法制が抑止力アップどころか挑発扇動しちゃって抑止力大幅ダウンになったことを示してますね。

このような状況になって軍需産業ムラはウハウハですな。

安倍でんでん及び安倍でんでんをヨイショする皆様(日本会議など)あの北が数百発のミサイルを日本の原発に向けて一斉発射したらどうやって防ぐんですか??

迎撃ミサイルで防げますか??
先制攻撃で防げますか??
アメリカが防いでくれますか??
核の傘が防いでくれますか??

あの北は何をしでかすかわからないと言いながら、あの北が日本の原発を攻撃する筈がないなどと逃げないでくださいね。

今や軍備増強などの武力では自国民も自国土も守れない時代になっちゃってますよ。
どうするんですか??

軍需産業のボロ儲けの手助けなんかしたくないでしょ。
今や現行日本国憲法に書いてある方法でしか守れない時代になっちゃいましたね。

スレ違いのついでが長くなって済みません。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/143.html#c13

記事 [不安と不健康18] 肩こりや腰痛の元になる「噛み合わせ」は食習慣で改善できる 残業は美徳だった!10年前の「働き方黒歴史」を振り返る

2017年4月14日 夏目幸明 [経済ジャーナリスト]
肩こりや腰痛の元になる「噛み合わせ」は食習慣で改善できる

群馬県高崎市の「丸橋全人歯科」。噛み合わせを調整することで、全身のさまざまな症状を改善し、患者に喜ばれている歯科だ。今回のテーマは「歯列矯正も噛み合わせの調整もできなかった昔の日本人が、なぜ現代日本人より噛み合わせがよかったのか」。詳細を聞くと肩こりや腰痛が文明によってもたらされた弊害であることと、その解決策が見えた。(経済ジャーナリスト 夏目幸明)

噛み合わせの悪さは文明病!?
世界中を調査して得た真実とは

「モンゴル人や縄文時代の日本人は、現代の日本人より歯周病になる割合が少ないんですよ」。丸橋全人歯科の亀井琢正医師によれば、モンゴル人や縄文人の歯は噛み合わせもいいらしい。


現代の日本人の噛み合わせが悪いのは、食生活に原因がある。日本人の咀嚼回数は、戦前の半分以下、弥生時代と比べると、なんと6分の1にまで減っているのだという
 これはトンデモ話ではない。丸橋全人歯科の歯科医師たちは、実際に世界のさまざまな地域に赴き、噛み合わせを研究してきたのだ。「我々は、ブータンの奥地や、ケニアのマサイ族まで調査に行きました。そして、これらの民族もまた“日本人に比べ噛み合わせがいい”という結論を得ています」(亀井医師)。

 この調査の中、彼らは奇妙な事実に気づいた。モンゴルでは、馬で移動するような、あまり文明化されていない部族の人は噛み合わせがいい一方、都市部には噛み合わせが悪い人が少なからずいた。ブータン、ケニアでも、同様の傾向が見られた

「すると、怖い仮説が成り立ちます。噛み合わせは、文明が持つ何かによって悪くなっているのではないか、と……。そして、我々は歯列矯正の知識を元に、ほぼ“これだ!”と考えられる原因を突き止めたのです」

 前回記事「ガンコな肩こりが10分で解消、自宅でできる意外な方法とは?」で触れたように、肩こりや腰痛、果てはうつ病まで、噛み合わせの悪さは全身に影響を及ぼす。「単なる歯の問題」と考えるのは危険だ。

 詳細な説明の前に、知っておいてほしい事実がある。亀井医師によれば“歯はゆっくりゆっくり伸びたり動いたりするもの”らしい。「例えば、下の歯を抜歯すると上の歯が伸びてくるんですよ。そもそも、歯列矯正ができるのも、歯が少しずつ動くからです(笑)」。

 そして人間の体は「噛み合わせが悪いと、自然と調節を始めるようにできている」という。「歯には凹凸がありますよね。この凹凸は非常に大事で、上の歯と下の歯は、凹凸が見合ってこそ、うまく機能するんです」

 例えばグッと力を入れるとき、人は歯をくいしばる。歯は骨格の一部だから、文字通り噛み合わせていたほうが骨格全体が安定し筋力を発揮できるのだ。一方、凹凸が合っていないと、全力を発揮することができない。

噛み合わせがよくなると
食べ物の好みも変わる

 ただし、ここで人間の体はすごい力を発揮する。

「先にお話ししたように、歯は動きます。そこで、食事のときによく噛んで食べるうちに人間の歯は動き、自然と噛み合わせが合ってくるのです」

 とくに子どものうちは、ガシガシとよく噛んで食べるうちに、自然と噛み合わせが合ってくる。ではなぜ、近年の日本人の噛み合わせは悪いのか?

「上下の歯をしっかり使っていないからです。直接的に言えば、子どもの頃から柔らかい食事ばかりで育つと、歯を噛みしめる機会が減り、噛み合わせが悪いまま大人になってしまうのです」

 文明は食品を食べやすく加工する。丸橋全人歯科の丸橋賢理事長いわく「モンゴルの肉は噛んでも噛んでも食いちぎれなかった」らしい。しかし日本の肉は、ハム、ハンバーグなどに食べやすく加工されているし、肉そのものも品種改良されて柔らかい霜降りが好まれる。丸橋理事長が話す。

「日本人の咀嚼回数は、確実に少なくなっています。弥生時代に比べると約6分の1、戦前に比べても半分以下です」

 余談だが、ロッテの人気商品「Fit's」が開発された理由が興味深い。ガムの売り上げが落ちたとき、同社は「なぜ最近の若者はガムを買わないのか」と調査した。するとある女子高生が「あごが疲れる」と言った。聞き流さず調べると、現代の若者のアゴは細く、総じて噛む力が弱くなっているという。そこでロッテは柔らかいガムを「噛むとフニャン」というキャッチコピーで売り出し、大ヒットさせた。

 一方、何度も噛まなければ食べられない食品は、若い世代から敬遠されるようになっている。堅いおせんべい、漬物、小魚……。ようするに、文明は人に「噛まない食事」を提供し、人はそれを好んで食べるのだ。

「これが原因で噛み合わせが合わないまま成長してしまうのです。一方、子どもにチューインガムを使って咀嚼訓練を施すと、咬合力が高まって今まで見向きもしなかった食べ物に興味を示した、という例が多数報告されます」(丸橋理事長)。

柔らかいエサで育つと
ネズミの学習能力が落ちる

 よく噛んで食べることにより、噛み合わせがよくなる。大人は長時間がかるが、子どもなら効果が出るのは早い。これにより姿勢がよくなり、集中力が向上し、将来的に肩や首がこりにくくなる、との説には説得力がある。では、具体的に何を食べればよいのか。丸橋理事長が話す。

「不思議なことに、よく噛む必要がある食べ物は、いわゆる“体にいい”場合が多いのです。海藻、玄米、小魚、さらにはブロッコリーやキャベツなど生野菜……。ダイエットにもなる食品ばかりです」

 同時に丸橋理事長は、興味深い事実を挙げる。

「柔らかいエサを与えて育てたネズミと、よく噛んで食べるエサを与えたネズミを比較した実験があります。おなかをすかせた状態で、両方のネズミを迷路に入れ、ゴールに食べ物を置いておく。これを何度も繰り返し、ネズミに迷路の解き方を学習させるのです。すると堅いエサで育ったネズミは袋小路に迷い込む回数が少なく、サクサクとゴールに行くんです」

 人間で大規模な調査をした結果はないが、興味深い結果だ。だが、ここまで書いた事実はあまり世に伝わっておらず、丸橋理事長は危機感を募らせる。

「文明はすばらしいものですが、たとえばスマートフォンによりストレートネックになる人が増えたように、負の側面ももたらします。そして、おいしい食事にも負の側面はあるのです。せめて子どもには、よく噛む食べ物を与えてあげたいですよね」
http://diamond.jp/articles/-/124822


 

2017年4月14日 プレスラボ
残業は美徳だった!10年前の「働き方黒歴史」を振り返る


電通社員の過労死自殺事件をきっかけに、働き方を健全にする機運が高まってきた。もちろん、まだブラック労働は各所にあるはずだが、それでも10年前を思い出すと、今では信じられない醜い労働環境が蔓延していた。そこで、10年前にあったブラック労働エピソードを調査してみた。働き方への注目度が高まる中、あえて10年前の黒歴史を思い出して、未来への戒めとしたい(取材・文/有井太郎、編集協力/プレスラボ)

「就職氷河期」の直後だからこそ
あまりにブラックだった10年前

 プレミアムフライデーや残業時間の上限規制など、「働き方」に関する政府の動きが慌ただしい。電通社員の過労死自殺が大きな問題になり、社会の働き方に対する機運が高まった結果、このようなニュースが盛んに報じられているといえよう。

 現実的に見れば、今もブラックな労働環境にさらされているビジネスパーソンはたくさんいる。残業時間の上限規制についても、「繁忙期は月100時間未満」という落としどころに対し、批判の声も多く挙がった。もっと大幅に改革をしようにも、まだまだ企業の抵抗が強いのだろう。

 そんな実情を考えながら、ふと10年ほど前の労働環境を思い出すと、今よりずっとひどい状況だった記憶がある。というのも、10年前の2007年といえば、ちょうど就職氷河期が終わって2年ほどの頃。社員の大半が氷河期に採用された人たちだった。今よりずっと「買い手市場」の中で採用されたため、会社の「理不尽」を押し付けられることが多かったはずだ。

 それは企業に限った話ではない。例えば、2006年12月に自殺した当時25歳の新任女性教員。彼女の死が公務災害に当たるかどうかについて、今年2月に東京高裁で裁判が行われた。彼女は長時間労働や頻発する児童のトラブルに悩み、うつ病を発症。さらに、初任者研修では「病休・欠勤は給料泥棒」と言われたという報道もある。しかも、この研修は"校外"で行われたもの。つまり、その学校だけの問題でなく、現場全体にブラックな空気が蔓延していた可能性がある。

 10年前は、今よりもずっとひどい環境だった。だから「今はまだマシだ」などとは断じて言わない。むしろ、今後本気で働き方をクリーンにするために、今の機運が一過性で終わらず、昔に戻らないために、ここで改めて10年前の信じられないブラックな環境を振り返ってみてはどうだろうか。

 そこで、ビジネスパーソンに「10年前のブラック労働エピソード」を調査。思わず気分の悪くなるような逸話を紹介していく。

先輩より早く帰ってはいけない
「おかしい」と言えない異常な環境

 10年前のブラック労働エピソードとして、やはり多かったのは労働時間に関するものだ。今こんなことをしていたら、問題になるのは間違いないものばかりが聞かれた。

「ベンチャーのIT企業だが、仕事が終わるのは毎日22時頃。そしてその後は、連日飲み会へ強制的に連れ出された。しかも、終電で帰してくれない…。挙げ句の果てに土曜は1日中会議を入れられた」(35歳男性/IT)

「入社初日、新入社員の掟として『絶対先輩より先に帰るなよ』と言われた。それが新人として当然のルールだと教えられた。そして働いてみると、毎日必ず終電まで働いている先輩がいる。そのため、夜12時頃までずっと残った。たとえ仕事が終わっても。一度、先に帰ろうとした新人がいたが、それを見た部長は『礼儀がなってない』と怒鳴りつけていた」(37歳男性/メーカー)

「チーム長の一声で、月2回、金曜の20時からチーム会議をやることになった。週末の、しかも定時終わりに会議をやることが信じられず、ある日、先輩に『大学の飲み会があるのですが、金曜の会議は休めないですよね…?』と聞いたところ、『それは休めないでしょ。プライベートな理由では欠席できないよ』と、当たり前のように一蹴された」(34歳男性/商社)

「期末になると、徹夜は当たり前だった。もはや社員はそれを疑問に思うことさえなく、なかには『私は今回“3徹”したよ』と、3日連続の徹夜を自慢するような風潮さえあった。当然のごとく、体を壊したりすぐに退職したりする人は多かった」(36歳女性/広告)

 さらに、最近は企業だけでなく学校のブラック労働も問題になっている。冒頭のエピソードもそうだが、それだけではない。昨今よく言われる「部活」の問題だ。ある現役教師は、10年ほど前のこんな実情を話した。

「中学の教師をやっていますが、バレー部の顧問になったところ、平日は18時頃まで部活の練習に出て、そのあと溜まっている仕事をするので、学校を出るのは21時過ぎ。翌朝は8時前からまた部活の朝練。そして土日は、部活の練習と試合の引率ですべて潰れます。部活に出ないと、保護者から苦情が来るのでどうにもなりません。土日も、顧問が付き添わないといけない決まりでした。休みはほぼない生活が続きましたね」(36歳男性/教師)

 あまりにも厳しい実態。しかも、これらは本当に「氷山の一角」で、似たような環境の職場は他にもたくさんあったと言えるだろう。

 何より致命的なのは、年配者たちの問題意識が欠如していることだ。上記のエピソードについて、それを良しとしている上司がいる。だからこそ、若い社員が「おかしい」と違和感を抱いても、それを主張できない。そして、その風習に合わせざるを得ない。異を唱えることさえできなかったのである。

“昼飯抜き”が理想の営業マン?
間違った仕事観を刷り込まれた若手たち

 労働時間に関するエピソード以外にも、“問題意識の欠如”を随所に感じさせるものは聞かれた。いわば、先輩や上司からの「教え」「教育」といった部分である。いくつかの話を紹介したい。

「新入社員として研修を受けていたとき、ある役員が『うちの会社は労働時間も長く、世間的にはブラックな企業に入るかもしれない。でも、その環境に耐えてこそ真のビジネスマンだ』と熱弁した。『徹夜してこそ一流だ』と。それだけでもびっくりしたが、他の先輩社員の多くも、そういった考えに心から同調していた。あからさまに『ブラックを受け入れろ』というスタンスだった」(35歳男性/イベント)

「新人として先輩の営業マンに同行したとき、『繁忙期は昼飯の時間を削って営業する。それくらいしないとダメ』と言われた。今ではおかしいと思うが、新人時代は何もわからないので『そういうものなのか』と信じ込んでしまった」(33歳女性/製造)

「新卒採用の面接で、ごく当たり前のように家族構成や宗教関係の質問をされた。さらに驚いたのは、入社してから同期を見ると、特定の出身地が半分を占めていた。また、その会社の中には、ある苗字の人がとても多く、どういった基準で採用しているのか非常に怖くなった。縁故や自分とゆかりのある社員で固めて、ワンマンなやり方を通す社長だった」(38歳男性/販売)

「かなり労働環境が厳しいので、入社1年で辞める人が多い企業だった。自分が新卒で入った時、過去の新入社員の話を先輩が聞かせるのだが、1年目で辞めた社員のことを、ひどい表現で話していた。しかも内容を聞くと、明らかにその社員より会社に問題があった。力仕事が意外に多い会社だが、それは入社前に知ることができない。そして、辞めた社員は『あのくらいで骨折されてもなあ』『体が弱すぎだろ』と言われていた」(35歳男性/メーカー)

 今では信じられないほど、10年前はブラック企業や労働に対するモラルが低かった。そして新卒社員は、最初こそこの労働環境に疑問を持っても、先輩に強く言われれば「社会はそういうものなのか…」と思ってしまう。こうして悪い環境に埋もれていく悪循環ができたのだろう。

残業代を尋ねたら社長が呼び出し
退職強要も多かった時代

 そのほか、給料や日々の業務に関しても、さまざまなエピソードが聞かれた。それらを紹介しよう。

「入社時に、『うちの会社は残業代出ないよ』と先輩に言われた。おかしいと思って気軽に経理部へ尋ねたところ、なぜかその話が社長まで伝わり、社長室に呼び出された。『残業代が出ないと不満ですか?』と問い詰められ、『会社の風紀が乱れるのでそういうことを言うのは止めなさい』と言われた。恐ろしい世界だと思った」(34歳男性/イベント)

「残業代は支給されると聞いていたが、それは1年目だけで、2年目以降は残業代が出なくなるシステムだった。入社してそれが発覚。このため、2〜3年目の人は新人より給料が少なくなる事態に…」(36歳男性/IT)

「30人ほどのデザイン会社だったが、新しく入った社員のほとんどは数ヵ月で辞めた。その期間に社長が『使えない人材』だと判断すると、毎日のように夜呼び出して、会社を辞めるよう言い続けた。退職勧奨というか、ほぼ退職強要だった気がする。その中で残った社員は、みな社長のわがままに耐えてきた人ばかりなので、自ずとブラックでワンマンな企業になった」(40歳女性/デザイン)

「メールでのやり取りが十分普及しているにもかかわらず、重要な報告は面と向かって上司にしなければいけないルールがあった。前日の夜に地方で行われたイベントも、その日のうちに会社に戻って上司に報告する。泊まることも、家に直帰することも許されなかった」(33歳男性/イベント)

 筆者の感覚では、10年前、残業代を当然のごとく出さない企業が非常に多かった気がする。自分がいた企業もそうだった。そしてそれをもはや不服に思わず、「まあ仕方ないだろう」と諦めていた。恐ろしい話である。何より、残業代が出ない企業こそ長時間労働が蔓延して、社員が疲弊しているものである。

過去の哲学をまだ振りかざす人もいる
今後10年で大切になることとは

 ここに並べたエピソードは、今の時代なら間違いなく世間から非難されたり、社員が到底受け入れられずに反対したりするものばかりだ。そう考えてみると、10年という横軸の中で、働き方の意識改革が進んできた証明とも言える。

 一方、ここに出たエピソードは「わずか10年前のもの」と見ることもできる。社会の風潮は変わってきたものの、10年前に働いていた人の多くは、もちろん今も働いている。上述のようなブラック労働の一因となった社員や、その空気を受け入れてしまった社員たちは、変わらず現場にいるのだ。

 ということは、10年前のような哲学をいまだに振りかざしている企業は多数あるだろうし、いつ昔のように逆戻りしてもおかしくない。20代の頃にブラックな現場で働いていた人が、結局30〜40代になっても同じくブラックな環境を作り出してしまうかもしれない。

 長時間労働を是正しようという社会の機運が盛り上がってきたことは歓迎すべきだが、依然としてブラックな現場はたくさんある。そしてそこで悲鳴を上げている人がたくさんいる。今から10年後、2017年を振り返って「あの頃は本当にひどかったよね」と言えるようになるか。社会全体で一律に働き方を改善して、今後10年で大きく水準を上げなければならない。ビジネスパーソン全員が、強い意識で取り組む必要性があるはずだ。
http://diamond.jp/articles/-/124823
http://www.asyura2.com/16/health18/msg/485.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
12. 2017年4月14日 12:20:47 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[44]
長島さん、細野さん、連合

ここらあたりを切り離して、先鋭化した民進党となら合流は可能かもしれないですね。
共産党と組んだからには、中途半端に保守層や連合との迎合は意味がない。
左にしっかりウイングを広げて支持層を固めるのがベストでしょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c12

コメント [原発・フッ素47] アイリスオーヤマ 南相馬のコメ全量買い取り販売 (毎日新聞)  魑魅魍魎男
52. 2017年4月14日 12:22:07 : NoYaqvHSb6 : gXbJ4cf_HEQ[54]
安全と思うなら、数年間食べてから、言って下さい。
人体実験が良いです
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/755.html#c52
コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍晋三 もう一つの“大罪”!  赤かぶ
5. 2017年4月14日 12:22:42 : lO1dBRsOCs : C7JHowAP_XU[52]
●安倍晋三が「全電源崩壊は起こりえない」という答弁を削除
2006年12月に安倍首相は国会で「全電源崩壊は起こりえない」と答弁した福島事故最大の責任者と指摘してきたが、答弁書が衆議院議事録から削除されていた。
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/407.html
●福島原発で事故が起こったことを知らない?日本国総理【動画:私は再稼働が必要と考えている】2012/4/5安倍晋三「想定を上回る地震や津波にも耐えうるということが証明され【!?】そして政府はそれを説明して再稼働をしていく」
http://enzai.9-11.jp/?p=13799
2012/4/5安倍晋三「原発再稼働 わたしはこう思う」
えーっと、わたくしはですね、賛成とか、反対とかいう事ではなくて 再稼働が必要であると考えています。
想定を上回る 地震や津波にも耐え得る という事が証明され、そして政府はそれを説明していく中に於いて、再稼働を していく という事になると思います。
えー、ですから、エネルギー政策として原子力政策を推進してきた事は これは間違いがなかったと思います。
我々は非常に、えー、過酷な、事故、を、経験しましたが、しかしそこで委縮することなくですね、わたしたちの知恵と技術でそれを克服していこう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1725.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/161.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK224] 改憲派の細野が党代表代行を辞任! 赤かぶ
17. 2017年4月14日 12:26:28 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[45]
二重国籍の蓮舫さんになってから支持率は11月の10%から今は7%弱。
勝てるなら二重国籍でも中国人でもいいんだろうけど、勝てないからの
今回の動きだろうね。

前回の代表選の時も風見鶏だったし、この人は生涯こうなのかも。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/150.html#c17

コメント [戦争b20] 北朝鮮が瀬戸際外交を越える時 戦慄シミュレーション(AERA) 赤かぶ
1. 2017年4月14日 12:27:07 : JoLHY6vVa8 : 2KZ37Ydb0NI[5]
北朝鮮を挑発しているのは、目の前で、何か月に及ぶ軍事訓練を、続けて行っている米韓軍の方だ。

米韓軍は、安易な火遊びをすべきではない。

ロシアのプラウダ紙は、北朝鮮が、ピョンヤン市民の25%、60万人の市民に対して、即刻、退去することを求めていると報道した。

優先順位としては、犯罪者や懲役囚が、第一に挙げられている。

韓国の報道を引用する形で、ピョンヤン市民は、市民仲間同士や故郷の山河に別れを告げていると伝えている。
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/143.html#c1

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
40. 中川隆[7743] koaQ7Jey 2017年4月14日 12:28:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8233]

映画「雪国」1957 動画

豊田四郎/監督 
川端康成/原作

出演: 池部良, 岸恵子, 八千草薫, 森繁久彌
http://www.bilibili.com/video/av8295567/
http://freemovie.nekomoe.net/2017/0130211343.html

一夜一話 - 映画「雪国」 1957年 監督:豊田四郎 出演:岸惠子、池部良

  原作が川端康成の「雪国」だからといって、文学作品拝読の構えで観ると損をする。

  芸者・駒子を演ずる岸惠子が、思いの外に色っぽいと読み解けたら、この映画、一段と面白くなる。セックスシーンこそ無いが、島村(池部良)を前にした駒子は可愛く濡れている。

  画家の端くれと言う島村は、この雪国にスケッチのため、一人東京からやって来た。そして宿で芸者の駒子と出会う。出会ってすぐに互いの心はひとつとなった。そんなふたりの気配が部屋に満ちる様子を、酒を持ってきた宿の女中役・浪花千栄子が的確に演じてみせる。

  翌日の夜、宿の大広間の宴会は地元の芸者衆で盛り上がっていた。助っ人の駒子は酔っぱらっている。酔わないと島村の部屋に行く勇気が出ない。そんな一方的な熱い心を抱えて駒子は宴会を抜け出し島村の寝ている部屋へ入った。そこでのふたりのやり取りは、この映画で一二の見せ場だ。大胆な一方でその気持ちを自身の心の内に引きもどす駒子と、小悪魔的魅惑に翻弄されていく受け身な島村。そしてふたりは夜明けを迎えた。


そんな回想シーンを懐かしく思い返すふたりは、年の瀬迫る炬燵に入っている。そのうち島村が、「風呂に入ってくる」と、ひとり廊下を伝い脱衣所で帯を解こうとするその時、後ろから突然に駒子が、「あたしも入る」と言うやいなや帯を解き始める。驚く島村。風呂に入ってからの駒子も艶めかしい。

  初めて島村がここを訪れた時に、山で取って来たアケビを部屋の花瓶に生けるが、初対面の駒子がこのアケビの実を少し食べる。このアケビの実の隠喩・・・。またそのあと、紅が付いた盃を美しいと言い、それを厭わず口紅が付いたままの盃で駒子の酌を受ける島村、その態度にドギマギする駒子。ことほどさようにこの映画には、そんな色っぽいシーンがある。

ところが、「あんたなんか、東京へ帰っちゃいなさい」と駒子はたびたび島村に言う。年に一度の逢瀬。ふたりの愛は結ばれない。島村は東京に妻がいる。駒子の事はばれている。

  だが、「雪国」は島村と駒子の愛を描くだけではない。

  駒子と年下の葉子(八千草薫)は、それぞれ貧しい農家の子であったが、共に三味のお師匠の養女として育てられた。

  その後、駒子は芸者見習いから芸者となり、年配の旦那を持つ身となった。それは年老いてしまった養母と病を患うその息子の行男を養うため。養母と行男が住む家も、旦那の世話によるものだった。背負うものが多い駒子であった。

  幼なじみの行男は駒子のことが好きだったが、駒子はそうでもなく、むしろ密かにだが葉子の方が彼を愛していた。だから葉子は駒子を憎んでいた。島村を駒子から奪ってしまいたい、そんな邪念を葉子は抱くようになって行った。

  駒子の妊娠と旦那からの離縁、芸者としての独り立ち、行男の容体悪化、火事と葉子の火傷、そして島村と駒子の別れ。島村は最後まで駒子に対する態度が煮え切らない。

  岸惠子のぶりっ子なまでの艶めかしさ、池部良演ずる逡巡するつれない男、絶たない逃げ道。

  脇役では、宿の女中役の浪花千栄子がダントツに光る。田舎芸者を演ずる市原悦子と島村のシーンは喜劇だ。また、盲目の按摩マッサージ指圧師を演ずる千石規子が、なにやら異彩を放つのに魅かれる。最後に、音楽担当の芥川也寸志が、欧米映画音楽の弦楽をよく勉強しているのが聴ける。
  

監督:豊田四郎|1957年|133分|

原作:川端康成|脚色:八住利雄|撮影:安本淳|音楽:芥川也寸志|

出演:

島村(池部良)
駒子(岸惠子)
葉子(八千草薫)

葉子の弟・佐一郎(久保明)|師匠(三好栄子)|その息子・行男(中村彰)|宿の女中おたつ(浪花千栄子)|同じく・おりん(春江ふかみ)|同じく・おとり(水の也清美)|宿の主人(加東大介)|宿のお内儀(東郷晴子)|県会議員・伊村(森繁久彌)|駒子の母(浦辺粂子)|番頭(東野英治郎)|万吉(多々良純)|女給・花枝(中田康子)|芸者・菊勇(万代峯子)|同じく・勘平(市原悦子)|駅長(若宮忠三郎)|女按摩(千石規子)|宿の女中きみ子(加藤純子)|小千谷の番頭(桜井巨郎)|
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-1257.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c40

コメント [原発・フッ素47] アイリスオーヤマ 南相馬のコメ全量買い取り販売 (毎日新聞)  魑魅魍魎男
53. 2017年4月14日 12:30:43 : N16rcDTXrU : n3vkweQDiIg[3]
 
放射能の電離作用がどう生体組織と親和性を持つんだ?
安全なわきゃねぇだろう!
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/755.html#c53
コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
5. 2017年4月14日 12:31:10 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2926]
ったく、エセ民主エセ独立に加えてプレート全員集合みたいな巨大地震列島に原発乱立でとんだゴキブリホイホイ国家に。 仕掛けセットごといつホイホイされても仕方ない。 /ニホンとか言う因果な国に生まれて;  全国書店売り上げ前月一位
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c5
コメント [原発・フッ素47] 日本人の知能低下がはっきりしてきた -- 科学論文の大幅減少 国家試験合格率低下 大学留年続出  魑魅魍魎男
27. 2017年4月14日 12:31:12 : NvZA1NIZ4Y : f2aETnhsiLo[1]
yahooの知恵袋は、数年前に比べてあまりに程度が低くなっている。
ようは基地外と思われる人間の書き込みが多くなって、質問・回答の構図が成立しなくなってきた。

https://chiebukuro.yahoo.co.jp/dir/list/d2078297834

あまりに劣化が激しい。
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/767.html#c27

コメント [政治・選挙・NHK224] 野党共闘でなく政策共闘こそ勝利のキーワードー(植草一秀氏) 赤かぶ
8. 2017年4月14日 12:31:20 : CsZJ8TDz12 : kh6zW6iVMgE[2]
>7

何もわかっていない時代遅れの白痴の戯言。

さすが朝鮮人。

自公も真逆だろうが。

幼稚園から入りなおせ。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/166.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK224] なぜ、森友疑惑の報道が減ったのか?  赤かぶ
51. 斜め中道[1361] js6C35KGk7k 2017年4月14日 12:33:00 : u12DNOjV8I : DpNsSI7B2fY[497]
>>10
終り、終り、お前は終り!
04.05から頑張ってきたが、もう終われ!!

国会は、ある意味始まってもいない。
会議ってなぁ、議論できる人間がやるんだよ。

蛙屁及びその一党が、議論のできる人間になるってのが、
まずやるべきことだろうが。

飼い主に
終りだ、終りだ・・・って報告ついでに
そう伝えといてくれや。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/116.html#c51

コメント [政治・選挙・NHK224] 民進党・自由党・社民党が3党合流を視野に協議!小沢一郎代表「結集する必要がある」 赤かぶ
13. 2017年4月14日 12:34:46 : F9uwab2vpM : sUT3eqZW4IE[89]
楽しみですね。
足を引っ張る、隠れ自民の人は早めに出ていってほしいですね。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/171.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
6. 2017年4月14日 12:36:26 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5343]
2017年4月14日(金)
「共謀罪」 一般市民も処罰
法律家団体などが会見

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041401_03_1.jpg
(写真)「共謀罪法案」に反対する研究団体と法律家団体の記者会見=13日、国会内

 「共謀罪」法案に反対する三つの研究団体と二つの法律家団体が13日、国会内で各団体の反対声明や取り組みについて記者会見しました。

 民主主義科学者協会法律部会(民科法律部会)の小沢隆一東京慈恵会医科大学教授は、同部会の反対声明について説明しました。

 「共謀罪」法案の問題点として、適用対象の団体が「テロ組織」に限定されず、一般市民も処罰対象になると指摘し、「テロの脅威は『対テロ戦争』への参戦から生じる」と述べました。そのうえで、「憲法に定められた平和的生存権を全世界の国民とともに実現していくという立場から、テロの標的になる国にはならないことが実現できる」と訴えました。

 歴史教育者協議会の白鳥晃司副委員長は、「戦前、治安維持法によって、子どもたちが個性的な考えを持てるような教育実践がつぶされていった事実を忘れてはいけない。共謀罪が成立すれば、かつての失敗の歴史を繰り返すことになる」と危機感を示しました。

 民科法律部会の清水雅彦日本体育大学教授は、「『共謀罪』法案の成立を阻止することは、自民党が目指す改憲を阻止することです」と述べました。

 会見に参加したのは、民科法律部会、歴史教育者協議会、地学団体研究会や歴史学研究会など24団体が参加する平和と民主主義のための研究団体連絡会(平民研連)、共謀罪法案に反対する法律家団体連絡会、改憲問題対策法律家6団体連絡会です。

 会見の後、決起集会を開き、参加した市民と研究者や弁護士が交流しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-14/2017041401_03_1.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍政権をアシストする大揺れの民進党 「ふるさと納税」批判に熱心な霞が関の狙い なぜ国が「返礼品」の上限額を決めるのか? 軽毛
6. 2017年4月14日 12:37:01 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[46]
>「本当は文部科学省の天下り問題をもっと攻められるほうが痛かった」。安倍首相は周辺にこう漏らしている。


こんな言葉が漏れてくるということは、本音は森友問題を追及されるのはつらいということだ。
民進党はとりあえず年末までじっくりと森友問題に時間を割いて国民にアピール。
その間にも、森友解散を睨んで党主導で森友問題講座を開いて、森友問題の論点を
互いに学びあうのがいい。

森友問題について、いかに語れるかが次の選挙で生きてくる。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/167.html#c6

コメント [戦争b20] 広がる戦場 ――IoTへのサイバー攻撃 数十億台のマシンがサイバー攻撃の標的に 軽毛
1. 2017年4月14日 12:43:45 : FWPDOUOYK2 : 3AVLCyOGeIQ[1]
個人用のPCは、記憶装置がフォーマットされる可能性がある。
マルウェアだけではない、アドウェアばかりではなく、市販のソフト、あるいは、Windows自体にも、スパイエンジニアがサイバーツールを組み込んでいる可能性がある。
重要なデータはバックアップしておくことをお忘れなく。
また、変な動作を確認したら、LANケーブルを外す、Wifiルーターの電源を抜くなどのインターネット接続を速やかに切断する方法を用意することもお忘れなく。
また、自分のPCの破壊ばかりか、自分のPCが混乱に助力を与えることがあることをお忘れなく。


http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/148.html#c1

コメント [自然災害21] 熊本地震 過去の噴火で積もった軽石が壊れた可能性  軽毛
4. 2017年4月14日 12:44:43 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5342]
2017年4月14日
熊本・大分大地震から1年を迎えて(声明)

社会民主党

 本日、震度7の大規模な直下型地震が二度襲い未曾有の被害を広範囲にもたらした、熊本・大分大地震が発災してから、丸1年を迎えました。崩れた建物の崩壊などによって50人が亡くなりました。地震後の避難生活のストレスから体調を崩した方や、「車中泊」で亡くなった方、病院の被災で転院後に亡くなった方など、「震災関連死」を合わせると225人が犠牲になりました。犠牲となられた全ての方々のご冥福を改めてお祈りするとともに、ご家族の皆様にお悔やみを申し上げたいと思います。全ての被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。

 住宅被害は、熊本・大分両県合わせて19万棟超にのぼり、熊本県の調べでは、今なお4万7725人の方が仮設住宅などで避難生活を送っています。加えて、家族や親戚のもとに身を寄せておられる方も数多くいます。市町村によっては、仮設住宅の入居期限である2年以内での仮設解消は難しいとの声が出される中、災害公営住宅(復興住宅)の整備の完成時期が見通せない状況もあります。まちづくりや多くの被災者の生活再建が今なお途上にあり、今も元の暮らしが取り戻せていません。被災者の生活再建に向け、被災者の実情に沿った細やかな支援の継続、とりわけ経済基盤が弱い高齢の避難者への支援が求められています。

 甚大な被害を受けた熊本城は、大天守に鉄骨が3本搬入され、復旧工事が本格化したとはいえ、天守閣の復旧には3年、全体の復旧には20年という長い歳月がかかる見込みです。また、崩落した阿蘇大橋も、本格着工するまでは数年程度かかる見通しです。国道57号線をはじめとする国道や、JR豊肥線、南阿蘇鉄道などの動脈は、一部区間で再開されたものの、いまだ寸断されており、全線の復旧には巨額の費用とかなりの期間を要するなど、険しい道のりが待ち構えています。

 熊本県内の市町村は懸命に復旧事業に取り組んでいますが、起債の増加や財政調整基金の取り崩し、事業の先送りなどで何とか必要額を捻出した自治体が多く、地震による税収の落ち込みとあいまって、将来的な事業の遂行への影響が懸念されています。安倍首相は、参議院選挙前には三回熊本を訪れ、「できることは全てやる」、「財政面でもできることは全てやっていきたい」、「自治体の財政状況が立ち行かなくなるということは絶対ないようにしていきたい」などと公言しながら、消極的な対応に終始し自治体に負担を強いています。社民党は、生活再建のための恒久法をはじめとする必要な法整備や国の財政支援の強化を強く求めていきます。

 熊本・大分大地震を引き起こした布田川断層からつながる日奈久断層が動く可能性も否定できません。未知の大地震が起きたということは、原発再稼働の前提も崩れたということであり、大地震が原発の直下で起これば、巨大な揺れに襲われ、放射能を大量に放出するような大惨事となるのは火を見るより明らかです。九州電力川内原発の運転は即刻停止すべきです。

 最後に、社民党は、熊本・大分大地震の風化を許さず、教訓を活かしながら、被災者に寄り添い、一刻も早い復旧・復興、生活再建に引き続き全力を挙げることを誓います。

以上

http://www5.sdp.or.jp/comment/2017/04/14/%e7%86%8a%e6%9c%ac%e3%83%bb%e5%a4%a7%e5%88%86%e5%a4%a7%e5%9c%b0%e9%9c%87%e3%81%8b%e3%82%89%ef%bc%91%e5%b9%b4%e3%82%92%e8%bf%8e%e3%81%88%e3%81%a6%ef%bc%88%e5%a3%b0%e6%98%8e%ef%bc%89/
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/744.html#c4

コメント [リバイバル3] 湯沢町の共同湯は日本国内の温泉の中で最低最悪 中川隆
41. 中川隆[7744] koaQ7Jey 2017年4月14日 12:45:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8234]

Amazon 雪国 [DVD] 池部良 (出演), 岸恵子 (出演), 豊田四郎 (監督)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9B%AA%E5%9B%BD-DVD-%E6%B1%A0%E9%83%A8%E8%89%AF/dp/B000ANW0WI

カスタマーレビュー

思わず、これが同じ日本なのか?!と目を見張った逸品 投稿者 へいたらう 投稿日 2007/11/5

この作品は、言うまでもなく、ノーベル賞作家・川端康成の名作を映画化したものだが、大家が描く男女の心の機微よりも、むしろ、私には昭和初期の習俗を余すことなく映し出したことの方が印象深かった。

即ち、「同じ日本なのか?!」とさえ思わせられるほどに衝撃的であると同時に、新鮮でもあったのである。

見上げるほどに降り積もった雪。

その雪の中に、多くの人たちが暮らし、多くの子供たちが、見たこともない祭りに興じている。

その一方で、男がふらりと田舎町の宿屋に宿泊すれば、いきなり、「芸者を呼んでくれ」と言って普通に女を抱けるという現実と、自分の想いとは別に、生きていくためには心を切り離さねばならないヒロインの現実・・・。

作品自体は、後半、少々、間延びしたような観がなきにしもあらずだったが、それらの悲哀を余すことなく描きったという点では十分に堪能できたように思う。

配役陣という点では、何と言っても大女優・岸恵子の、「可愛い」駒子役が圧巻であったろう。

役柄、酔っぱらう姿が多かったが、本当に酔っぱらっているようにしか見えなかったし、自分の感情と、どうにもならない現実との間で身を焦がす姿も他の女優とはひと味もふた味も違うものがあったように思う。

島村役は池部良でも佐田啓二でも大差なかったかもしれないが、岸恵子の駒子役だけは、圧巻であったように思える所以である。

__

駒子役の岸恵子の演技力が光る最高の名作
投稿者 島村 良 投稿日 2008/1/18

この作品は日本映画史上屈指の名作であると思う。
出演者は言うまでもなく、監督、脚本、映像、音楽等全てがすばらしい。

その中でも特筆すべきは、やはり駒子役の岸恵子の存在感であろう。

駒子は実はなかなかに演じるのが難しいキャラクターの持ち主。
芸者に出るような身でありながら純粋さを失わない可愛い女だが、感情の起伏の激しさ、情の深さ、時に見せる弱さ、嫉妬心、そういうものを複雑に併せ持つ女性である。

岸恵子はその駒子が到底成就するはずもない恋に身をやつす様を、これ以上ないと思えるほどの卓越した演技力で見せてくれているのだ。

小説を映画化し、多くの人の賛意を得るのはとても難しいことだと思う。
前もって本を読んでいた人々には、それぞれにその作品に対する強いイメージが心に焼き付いているものだ。だから他人の手によって映画化されたものには、たいていの場合失望感を持つケースがほとんどであるだろう。しかしながらこの作品はそういった違和感なりを遠くへふっとばしてしまうほどの圧倒的な臨場感をもって我々の心に迫ってくる。


島村役の池部良、葉子役の八千草薫他脇役陣もそれぞれにその役柄に応じた最高の演技である。又、白黒の映像が雪という幽玄な世界をより魅力的なものにさせている。なかでも鳥追い祭りの雪と火が織り成すシーンは、来るはずであった島村に裏切られた駒子の哀しくしかし美しい表情ともあいまって芸術作品を見るかのごとくである。さらに全編を流れる團伊玖磨の音楽はあたかもハリウッド映画のそれを思わすすばらしい効果をあげている。

しかしながら何といっても最高なのは「岸恵子の駒子」である。もとより大女優だけに数多くの作品に出演してはいるが、これがおそらくベストパフォーマンスだと個人的には確信している。彼女を超える駒子役はおそらくもう出ないことだろう。50年ほど前の映画だが、その演技にまったく古くささは感じない。現代を生きる若い方々にも是非見てもらいたいと思う。

きっとその魅力が時代を超えて伝わってくることだろう。


ただひとつ残念に思ったのは、切なく美しいラストシーンの直前の場面、火事で顔に醜い火傷を負った葉子の顔のアップ(一瞬ではあるが・・)を見せる必要があったのかどうか。

せめて包帯を巻くとか何とかできなかったものか、この映画をTVで始めて見た高校3年のときにはその悲惨さがショックでなかなか寝つかれなかったことを思いだす。

それがあるために、ラストのやや重苦しい感動が、必要以上にその度合いを増してしまったように思うのは私だけであろうか。



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/574.html#c41

コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
15. 2017年4月14日 12:45:06 : jaQU460IIE : lpx1CdU4Ejs[13]
アメリカの戦争に絶対巻き込まれる事はありませんという本人が巻き込まれてお陀仏になったらお笑いだね。しかもそれはかなりの確率でありうる話だ。NSCの真上に核爆弾が落ちるかも!そして誰も悲しまない。あ、昭江夫人がいたか。(笑)
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK224] 民進・細野豪志氏が代表代行辞任届提出   (産経) : 長島議員は 離党   民進党の 崩壊が始まった 真相の道
30. 2017年4月14日 12:46:54 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[47]
寄合所帯だとわかりにくいという批判はこれまでもあったからね。
中国人が党首で保守はみんな出ていったほうが有権者にはわかりやすい。

リベラルな層がすれば「中国人が党首?ほうインターナショナルじゃのう!」と
受けが良さそう。公的なとこでは駄目だけど、私的なとこでは中国の国旗を
シャレで掲げるのもインパクトあって面白そう。
蓮舫さん、もう土俵際なんだから、逆に二重国籍を武器に好きにやってみて欲しい。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/149.html#c30

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍晋三の「腹心の友」に疑惑続々!  赤かぶ
3. 2017年4月14日 12:47:56 : ognRDQzdSk : YtUax@tRz3U[236]
この国の政治に本当嫌気がしてきた。国籍離脱したいくらいだ!!!!
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/157.html#c3
記事 [議論31] 北朝鮮は金日成の時代から一貫して、米国との直接交渉を望んでいた
(トラ大は、軍事外交志向に転じつつある)
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/147.html#c5

 (上のつづき)
 下にアップしたように@、北は金日成が存命中にNHK取材班が北入りした時代から、米国との直接交渉を望んでいたのだ。
 その姿勢は三代目になっても変わるはずがない。
 核開発もミサイルの瀬戸際外交も米国を交渉のテーブルにつかせるものだと断じて良い。それ以外の何が考えられるか。米国と本気で一戦を交えるめの示威行為か。それは有るまい。
 交渉の目的は、「休戦協定」を一歩進めた「停戦協定」あるいは「戦争終結宣言」であると思われる(その後は「講和」がある)。米国が交渉に応じれば、北としては望むところだろう。
 そのことによって北の国土を安堵してもらいたいのだ。交渉の結果、国土が安堵されれば、過激な核開発やミサイル開発はスローダウン、そして中止も考えられる。

 だから安部でんでんの“瀬戸際作戦”が効を奏して…交渉も選択できる、などというのはFake opiなのだ。
 (平然と”安部ちゃまよいしょ”もやっている)

 これまでの米国歴代政権の一貫したやり方は、おそらく裏の権力・軍産の意向によって動かされてきた見られる。例年の米・韓軍事演習などは、北を挑発して北を危険な国に仕立て上げていったのだ。
 だが、米本土にまで届くようなICBMも間近となると、計算が狂ってくる。田中宇によると、これは撃ち落とせないというではないかA。一線を越えさせるのは、さすがにやり過ぎだ。

 しかしこれまでの惰性もあり、差し当たり軍事外交をそのままやり続ける可能性を今は示している。まず一発噛ませる、その後ICBM開発断念の兆候を見せれば、トラ大のブレーンの一翼Bも頭を切り替えて「直接交渉に応じる」かもしれない。
 そうではなく副島説にエスカレートする恐れもある。事の重大さからすれば、日本との交渉は二の次である。
 事態は予断を許さなくなっている。


@Re: 「北朝鮮と交渉する構え」とは、単なるポ−ズだろう
 http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/377.html
 投稿者 仁王像 日時 2013 年 4 月 15 日 21:24:54: jdZgmZ21Prm8E

(米国の迎撃ミサイルは当たらない〜北を挑発して危険な国に追いやるのは愚策)
Ahttp://www.asyura2.com/17/kokusai18/msg/612.html#c1

B軍産と正攻法で戦うのをやめたトランプのシリア攻撃〜トラ大統領が戦争したがるほど、軍産の人々は戦争したがらなくなる/田中宇
 http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/104.html
 投稿者 仁王像 日時 2017 年 4 月 09 日 13:04:11: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/465.html

コメント [政治・選挙・NHK224] 「共謀罪」裏の顔は森友疑惑、加計疑惑隠し!  赤かぶ
2. 2017年4月14日 12:50:48 : ZyGhaf3hMk : a88skuChnyU[48]
共謀罪はスピンってことだね。
そういえば露骨に森友問題を扱うニュースが減ってきて、共謀罪を取り扱う番組が増えてきた。
政府が忖度して、森友カット>共謀罪にオールインして!と指示があったんでしょう。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/170.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK224]
16. 新共産主義クラブ[3683] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年4月14日 12:52:12 : b3e86umq6Y : _PoBchQIt_I[22]
>>5さん
>覚悟の意味不明。
>準備?防空壕を作るのか?
 
 
 「 墓を掘れ。 墓に入る、覚悟をしろ。」という意味だと思います。
 
 

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK224] 暴挙! 自民党が「森友問題の追及するな!」と逆ギレし強行採決!安倍首相は支持率53%あるから説明不要と開き直り リテラ 赤かぶ
34. 2017年4月14日 12:52:34 : JAZQWRk546 : IXTH8OVhO7w[84]
議員辞職に追い込めない野党は無知無力無能。
自民党の補完か?であれば国民を愚弄しすぎ。自民より性質が悪い。
一刻も早く辞任に追い込んで欲しい。

こんないいわけを認める野党は無能すぎる。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/108.html#c34

コメント [戦争b20] 米国、アフガニスタンの「ダーイシュ(IS)」を「最も強力な非核爆弾」で攻撃(Sputnik) 赤かぶ
5. 2017年4月14日 12:52:47 : eaD4xy4UCg : z3bYFhZZuM8[31]
70年前の広島、長崎の原爆投下から何の進歩も反省もない米軍。
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/145.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK224] 改憲派の細野が党代表代行を辞任! 赤かぶ
18. 2017年4月14日 12:54:54 : cOp17QPP06 : HAbnIhr6dXY[89]
改憲なんて政権取ってからにしたら!
結局言い訳しかできないお方だねぇ

安倍を追い詰めてるって時に何言ってんだい?
追い詰める知恵でも出せや!
結局安倍援護の役割しかできない小物。

早く出ていけ!
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/150.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK224] 北朝鮮が瀬戸際外交を越える時 戦慄シミュレーション(AERA) :戦争板リンク 赤かぶ
2. 2017年4月14日 12:56:11 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2927]
アサドが化学兵器前面否定ですがマア当然で今後要注意はキタの攻撃に見せかけた偽旗詐欺であり同盟国への攻撃があれば米の攻撃理由になると米が言っていることデス。 昨夜のプライムニュースでのインタビューでもキッシンジャーが何度もこれに触れていたのが気になって。 もう一個の一線とは米本土に届くICBMの完成であり直前の段階で未然防止措置として攻撃するということで趣旨は納得でも時期の特定は微妙。

 ナンかあってもキタ!キタだ!反撃ダー、参戦ダ!と無条件反射的に反応しないことがカンヨーですがアノ方なら国内事情もあってなお更一番に手上げそうで心配デ、 /天変地異じゃないならジックリ考えて行動すべきだがドー見てもムリッポ;オレってツイてるよな  ヨリ
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/176.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK224] 人生格差を拡大しかねない教育無償化ブームの本末転倒 『消えゆく「限界大学」:私立大学定員割れの構造』 軽毛
1. 2017年4月14日 12:58:29 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[2933]
また記事の抱き合わせですか…
文字数のノルマでもあるのかな?
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/179.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
33. 2017年4月14日 13:04:21 : FVLk8kO6KE : uYUagMi3rVs[7]
>30.
>シオニスト.グローバリストって^^
日本共産党のことだよね?^^

相当頭悪いか、精神的に病んでるんだろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c33

コメント [政治・選挙・NHK224] あっさり審議拒否を撤回した民進党の腰砕けと共産党の沈黙  天木直人 赤かぶ
7. 2017年4月14日 13:05:23 : M6wWJlsBiE : Nz6pH0dZ4lA[55]
共産党はお付き合いでやってるだけで、「もういい加減にしろよ」と言うのが見え見えだ。
下手すれば辻元も証人喚問だし、政府・官僚のガードは固いし、違法性は籠池だけにしか出て来ないし。
調査力に定評ある共産党の腰が退けてるんだから、鉾の納め時なんだろうな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/178.html#c7
コメント [原発・フッ素47] 火葬場が混み合い「友引運用」や「ご遺体ホテル」も登場 (NEWS ポストセブン) 魑魅魍魎男
2. 2017年4月14日 13:05:47 : CAB9Mol2AV : gnIjlg7w3JE[1]
放射能となんの関係があるのか
本物のバカだな
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/775.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK224] 曽野綾子が文句を言ってきた  小林よしのり 赤かぶ
34. ブリテン飯[157] g3WDioNlg5OU0Q 2017年4月14日 13:06:01 : qxA2hfXVa6 : Nfm3PMDvnxI[1]
目くそ(小林よしのり)が鼻くそ(曽野綾子)を笑ったのか。
皆さん、生暖かく一瞥して、通り過ぎましょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/121.html#c34
コメント [原発・フッ素47] (放射性廃棄物)『燃やして減らしましょう、再利用しましょう』。東大の児玉龍彦氏が南相馬で講演 (民の声新聞) 魑魅魍魎男
10. 2017年4月14日 13:07:58 : CAB9Mol2AV : gnIjlg7w3JE[2]
汁とバカ投稿者の掛け合い漫才最高に笑える

もっとやってくれ
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/774.html#c10

コメント [カルト17] 輿水・米中露協同作戦、飯山・中露が北を全面支援。トラに対する評価の違い、当選を外したのは後者である。 ポスト米英時代
17. 2017年4月14日 13:07:59 : 3ah459lR8Q : BQKXrt2t@gY[736]
ロシアと結ぶって何を結んだんですか、プーチンと安倍はもう何回会っているんですか、具体的な何か進展があったんですか、福一の技術についてもロシアが日本に提案しているだけで進展はありませんよ、ガスパイプラインなどの話にしても全く進展がない、SPにも今度の訪ロは形だけのものではないかと記事になっていますよ、ロシアから見れば安倍が来ることは痛くも痒くもない話。これから何回会えば大きなプロジェクトが発表されるんですか。安倍がやったことは結果として日米の従属関係の深化ではないのですか、政治家は全て結果責任ですよ。
http://www.asyura2.com/16/cult17/msg/844.html#c17
コメント [政治・選挙・NHK224] <米を止めろよ>自民・伊吹元衆院議長「アメリカが北朝鮮に先制攻撃したら、反撃は日本にもくる覚悟を」 赤かぶ
17. shue777[201] gpOCiIKVgoWCVoJWglY 2017年4月14日 13:08:33 : wtGLOYsbCI : zQ9ZLINS8kY[4]
マスゴミも攻撃することに関して批判を殆どしない
戦争であり殺人なんだよ?
普段平和がどうたら言ってるくせにこういうとき何も言わん。
戦争特需がくるからいいじゃん、ってか?
こうやってなし崩しに戦争肯定の雰囲気になってくんだろうな。
おーこわ
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/174.html#c17
コメント [政治・選挙・NHK224] なぜ、森友疑惑の報道が減ったのか?  赤かぶ
52. 2017年4月14日 13:09:23 : 1AA9yl7g1M : D4SFALtQy@o[8]
>だから私はしつこく問題提起しているのだ。みんなにもっと動いてもらいたい。発信してもらいたい。そうしないと、本当に幕引きされてしまう。

記事の末尾に上記記述があり、みんなの動きや発信を期待される事に異存は有りません。
しかし、時の政府や与党に不正が疑われるなら、先ず以て対応すべきは時の野党ではないでしょうか。

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/116.html#c52

コメント [環境・自然・天文板6] 地球外生命体の存在を認めるのか?NASAの記者会見が間もなく開始予定 お天道様はお見通し
1. 2017年4月14日 13:11:30 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[835]
公式見解によってまた人々の意識が大きく変わってくるでしょう。
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/529.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK224] 「共謀罪」裏の顔は森友疑惑、加計疑惑隠し!  赤かぶ
3. 2017年4月14日 13:13:36 : RpgUB1WlfQ : 7sHqRbhflC4[450]
兎に角、徹底的に「安倍晋三」を追い詰めろ!

森友・加計問題、抱き合わせでも良い。

安倍晋三・昭惠、国民を欺いているその性根が許せない。
http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/170.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK224] 安倍ネトウヨ脳では、国民が知りたい78%より内閣支持率53%の方が上の位置づけ(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
8. 2017年4月14日 13:13:55 : bTxdr6EQ9g : 2LeV2RaqSBs[2]
>7

マスゴミに責任転嫁?って、当然じゃないですか。

安倍政権が打撃を受けるような報道はほとんどしてこなかったんですから。

自国の事に興味がないではないんですよ。
報道されてこなかったら知らないと言う話なんですよ。
きちんとした情報を報道していたら、ここまで国民は能天気にはなっていなかったですよ。

これが民進党政権だったら、何度も政権転覆していますよ。


http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/155.html#c8

コメント [原発・フッ素47] スリーマイル島事故:代替的事実ではない真実 (Fairewinds) 魑魅魍魎男
1. 2017年4月14日 13:14:57 : CAB9Mol2AV : gnIjlg7w3JE[3]
バカ投稿者

国や東電の発表は全部捏造

反原発なら怪しげなブログやTwitterは全て真実

本物のバカ ゴミ
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/776.html#c1

コメント [戦争b20] 在韓邦人は守れるか?北朝鮮の反撃でソウルは火の海 シリア攻撃と似ているようで決定的に違う北朝鮮攻撃(JBpress) 赤かぶ
8. 2017年4月14日 13:17:34 : aDDQW4ANKI : YxeTdtv3g6c[57]
北朝鮮沖の米原子力空母は撃沈される。

米本土に核ミサイルが撃ち込まれる。(北が大陸間弾道ミサイルを保有の場合)

日本の米軍基地は多数のミサイルが着弾。壊滅状態になる。周辺も被害を受ける。

韓国では膨大な死傷者がでる。

反日中国人は大喜び
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/139.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK224]
1. 新共産主義クラブ[3684] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年4月14日 13:20:23 : b3e86umq6Y : _PoBchQIt_I[23]
 
 トランプ大統領と安倍首相は、ケミストリー(化学)がいいんだ。
 
 
■ 予定外のハグ、ゴルフ…親密さ高まった両首脳 トランプ大統領「安倍首相とはケミストリー(相性)がいい」
(産経新聞,2017.2.11 11:46)
 
http://www.sankei.com/politics/news/170211/plt1702110027-n1.html
 

http://www.asyura2.com/17/senkyo224/msg/181.html#c1
コメント [原発・フッ素47] 日本人の知能低下がはっきりしてきた -- 科学論文の大幅減少 国家試験合格率低下 大学留年続出  魑魅魍魎男
28. 2017年4月14日 13:23:23 : lv7vbj53vM : R5TUbJyqZ1g[2196]
>>27
yahoo智恵遅れと言われているぐらいだからね。

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/767.html#c28
コメント [原発・フッ素47] 避難移住を阻止するため、政府・福島県はマスコミに避難いじめを故意に大きく報道させている  魑魅魍魎男
12. 2017年4月14日 13:23:30 : CAB9Mol2AV : gnIjlg7w3JE[1]
欧州系と中国系と分けちゃうおおざっぱな思考回路

知的障害者ですか?
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/772.html#c12

コメント [原発・フッ素47] 緊急のお知らせ、中部地方で2.6μSv/hの線量が出ています と 中部地方の高線量、継続中 お天道様はお見通し
41. 2017年4月14日 13:25:38 : CAB9Mol2AV : gnIjlg7w3JE[2]
なんで阿修羅掲示板のバカ投稿者たちはTwitterを根拠に適当な無責任投稿をするの?

煽動掲示板なの?
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/770.html#c41

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