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在日朝鮮人タレント 投稿者 596 日時 2002 年 9 月 11 日 06:50:19:

在日朝鮮人として有名だったのが故・松田優作。
和田アキ子や都はるみ、西城秀樹も在日。
若いのでは藤原紀香も在日。
およそ日本で活躍するタレント芸能人の類はほとんどが在日系である。
http://www.gyouseinews.com/storehouse/feb2002/001.html
行政調査新聞社 主幹=松本州弘 埼玉県川越市


他に在日のタレントは
井川遥・五木ひろし・舘ひろし・松坂慶子・安田成美
酒井法子・杉良太郎、三原順子、草薙剛、松井稼頭男、金田正一
木村拓哉も在日という噂だが違うらしい。


在日ではありませんが、
<部落>
駒田徳広・水前寺清子・杉本彩
<元ヤンキー>
飯島直子・瀬戸朝香・中山美穂・浜崎あゆみ

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コメント
 
いあいあm胃AM胃AM
2009/11/23 13:20
02. 2011年4月20日 02:36:40: PexITEzsQ6
http://www.youtube.com/watch?v=rv4vpEAt85k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JmuPU1hAJgQ

03. 2012年3月31日 09:19:34 : icXj3jWa5U
くだらない

04. 2014年10月15日 17:46:27 : wXINKp5dmM

差別をする人は、差別されている人だ。
差別をなくしましょう。

5. 2015年11月02日 20:01:29 : PwJImDGqwI
関口さん、あなたもかー??!!哀しいねー。

あじあにゅーす2ちゃんねる
14時 5分 更新 | 国内一般
【速報】 TBSの報道特集とサンモニが南シナ海報道で盛大にやらかし批判殺到!!!! 在日関口宏が遂に本性現して「中国は悪く無い」を終始連呼する始末!!!!
http://asianews2ch.jp/archives/46775912.html


6. 2016年5月09日 00:38:14 : C0Ix0w6Lc2 : r0U77ZU_IVU[1]
newsUS【関東連合】相武紗季が在日小宮生也と結婚した本当の理由が ヤ バ す ぎ る !!! 「紹介したのは金子ノブアキじゃない」という衝撃の暴露情報も!!! 2ch「急に語学留学とか言い出して怪しかった」

2016.05.08
http://www.news-us.jp/article/437640870.html抜粋

●美人、美男子を見つけるとメディアでの活躍をエサに民族浄化する
民族浄化から逃げた奴は徐々に金を絞っていって底をついたあたりでAV送りにする
●同胞はなるべくメディアに出してあの顔つきが人気があると世間に認知させようとしている

Posted by あ at 2016年05月08日 17:27

芸能人の結婚斡旋に張り切る朝鮮人のルール

日本人タレントには在日ヤクザを紹介し結婚させる(今回の相武なんかこのパターンだろ)
鮮人タレントには物好きな日本人医師を探し出してきて結婚させる(田中麗奈?なんかはこのパターンっぽい)

結果日本人絶滅計画着々と進行

Posted by あ at 2016年05月08日 17:47

暴力団、右翼団体、日弁連、バーニング、吉本、パソナ(仁風林)、関東連合、パチンコ、ヤミ金、しばき隊、日教組、イオン、統一、創価、朝日、毎日、NHK、電通、民進党、共産党、志位るズ

これらの共通点は「在日」
在日こそが日本のガン細胞
このまま在日を追い詰め、1匹残らず駆除&強制送還させれば、日本は世界一住みやすい先進国となる

Posted by あ at 2016年05月08日 18:32

民主党もそうだったけど、結局チョン同士で仲間割れして自壊してくんだよな。こういうのわかってるから中国にもアメリカにも捨て駒にされる。

Posted by 最後は仲間割れ at 2016年05月08日 21:09

ザイニチは反日以外では同胞も身内も糞も無い、それは戦後反日で獲得した利権だけがいまだに残る伝説だから、しかし自分だけが良ければ他はどうなろうがどうでもいいのが本質な民族性は何も変わっていないし奴らも痛いほど身にしみている。

Posted by   at 2016年05月08日 21:32

ヤクザはみんな死刑でいいわ!

Posted by 名無し at 2016年05月08日 21:53

そこでパナマ文書か

Posted by ゲルピン at 2016年05月08日 22:27


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■嫌いだけど人に言えない芸能人・有名人84 [無断転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1459838059/抜粋

411 :

可愛い奥様@無断転載は禁止

2016/04/13(水) 13:52:36.85 ID:SDg2rhxf0

私は黒木華が蒼井優に似てるってのがイマイチぴんとこなくて
この間岩井俊二新作で黒木主演の映画見てたら、あ、なんか加護ちゃんにすごく似てると思った
それでキネ旬の岩井俊二のインタビュー読んだら、なんか加護ちゃんについて結構語ってて
やっぱり好きなんだなーと思った


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


@Frogteacher = カエル先生のブログ = Blog

【歴史問題】映画「ラブレター」監督の岩井俊二「日本人は“侵略”を忘れて、相手の過ちだけ責め立て」

2012年09月19日 | 吃驚!痛いニュース (ノ∀`) アチャー
http://blog.goo.ne.jp/breakbeats/e/4d6de761af7ec199e388fecb83e9af03


7. 2016年5月09日 00:43:40 : C0Ix0w6Lc2 : r0U77ZU_IVU[2]

黒木華・まとめ

更新日: 2015年05月11日

aiueo358さん

黒木華は在日朝鮮人!フィリピンハーフ女優の大学や事務所について! | スターダストSK


http://stardustsk.com/1229.html


今年ブレイク間違いないと言われている黒木華さんどういった自分なのかしらてべ見たら在日朝鮮の方でした!少し気になったのでどういった方その他の事も調べてみました。
http://matome.naver.jp/odai/2143134397174713701


8. 2016年5月09日 00:51:10 : C0Ix0w6Lc2 : r0U77ZU_IVU[3]
restfultime

2013年1月27日日曜日

資料 野中広務 岩井俊二
https://restfultime.blogspot.jp/2013/01/blog-post_2553.html抜粋


▲:コリアンに熱烈に「肩入れ」している毎日新聞が主催者に名を連ねる春の高校選抜野球。

 そのテーマ曲の作詞をしたのが、岩井俊二。岩井は、コリアン勢力の極めて強い仙台の出身。
 岩、というのはコリアンには珍しくない姓の一つ。従って、岩●、という日本人の姓を名乗る(通名で)コリアン系の在日や日本人(国籍上の)は、少なくない。岩本、岩田、岩崎、などなど。岩井俊二がそうしたコリアン系の人間なのかどうかは不明であるけれども、コリアン系だとしたら、この男の言動の源も容易に理解できることになる。
 


9. 2016年10月10日 08:59:16 : VnjfgNTbwQ : GwYZgG29iZI[3]
2ch
あじあにゅーす
News U.S.

詐欺サイトばかり。


10. 2016年12月14日 21:08:48 : FJjgw5y4sY : qr5@TsTbF6s[3]
保守速報

【芸能】笛木優子、韓国活動を中断し日本に帰国した理由を明かす「韓国という国が嫌いになるのではと思って恐ろしかった」
2016年12月14日17:05
http://hosyusokuhou.jp/archives/48779960.html


韓国情報発信基地innolife.net

ユミン、今年も変わることなく“ナヌムの家”訪問
2005/11/26(Sat) 10:02
http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=4&ai_id=50913


反日はどこからくるの

2012 4月29 反日芸人「ユミン」こと笛木優子
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/6356094.html(一部抜粋)

女優ユミン、「着物姿が日本人みたいでしょ」

(写真)

 女優のユミンが、日本ドラマの撮影中に伝統衣装である着物を着て、新しい魅力が感じられる姿を公開した。


 ユミンは今月25日午後、自身のミートゥデイ(韓国のSNSサイト)に「ハッピーサンデー。私は時代劇セットで撮影中。ヒヒ。着物を着ているので、日本人みたいでしょ?」というコメントとともに写真を掲載した。


 写真の中のユミンは、華やかなデザインの紫色の着物姿の伝統的な日本髪スタイルで、日本ドラマの台本を両手にカメラを見つめている。特に、かすかにくぼんだえくぼと白い肌に目が引かれる。

 一方、ユミンは来月6日に初放送されるNHKのBS時代劇「陽だまりの樹」に出演する予定だ。 中央日報2012.3.26

http://japanese.joins.com/article/500/149500.html?servcode=700


11. やもめーる[-431] guKC4ILfgVuC6Q 2016年12月14日 23:54:31 : LaHQPqkd0k : NE6A6@ubx70[7]
安倍晋三=李晋三
祖父の岸信介は=李信介(爆)

[32初期非表示理由]:担当:アラシコメントが多いので全部処理
12. 2017年3月09日 22:17:18 : CbzvCsKqpF : FKG4608VdvE[14]
莉緒のきまぐれブログ

日本(芸能界)に蔓延るごきチャ達

2013年08月25日(日) 01時22分15秒
テーマ:在日工作員
http://ameblo.jp/9023410651/entry-11526440418.html


13. めんたいこ[1254] gt@C8YK9gqKCsQ 2017年4月05日 22:40:48 : tcF0Hwn5g2 : V9gvpYazeeg[28]

安倍晋三と昭恵が抜けているぞ。

14. 中川隆[7716] koaQ7Jey 2017年4月13日 08:59:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8206]
安部氏は東北の豪族で縄文系だよ

15. 2017年6月27日 19:45:55 : DB3eFcOPHY : 89XC6rEziSY[65]
●在日朝鮮人犯罪者の一類型

以前、在日朝鮮人(女)の統一教会信者と関わりがありました。
大久保・新大久保界隈にあったアクターズ・ジムという俳優養成所で出会ったのですが、その女には下記のような特徴がありました。

・容姿が端麗でタレント志望。
・日本人名を名乗っているが、中身は日本語の読み書きが不自由な朝鮮人(会話能力は堪能だが、日本語の文書を書かせるとホラー)
・統一教会信者家庭(父親がなぜか日本海側の地方都市で仕事)
・京王線明大前から松原方面へ徒歩5分くらいの場所に実家(一軒家)あり
・高校時代に「人殺し」をしている。
・成城短大から成城大学への編入試験、および卒論が不正合格。
・アクターズ・ジム、文学座などの養成コースなどで「隙のありそうなカモ」を物色し、統一教会への勧誘行為を繰り返す。
・統一教会へ勧誘されて抵抗したり騒いだ人間に対しては、洗脳済みの統一教会信者(死んだ魚のような目つきをして原色系のTシャツを着た人間)を周辺に配置して嫌がらせ(集団ストーカー)。
・上記の犯罪行為や不正については、統一教会&朝鮮人人脈を発揮して隠蔽。

>他に在日のタレントは
>井川遥・五木ひろし・舘ひろし・松坂慶子・安田成美

・井川遥と同じ事務所(FEG)に一時所属

カルト宗教団体の力が強まり、それらの信者が組織的に行う犯罪が野放しになっているため、この国の社会構造が歪になり、また、治安情勢の悪化につながっているという実情があるわけです。

件の統一強化信者については、成城大学2002年卒の小杉匡美(まさみ)という女です。カルト宗教研究、狂信者の犯罪者性についての知見を深めるためには有益な素材だと考えます。


16. 2017年6月30日 23:14:28 : v6LYoKqvEc : IU9JuRWP7mo[60]
>15
>小杉匡美

そいつは(手伝いとして)東大の研究室に潜入&工作したり、当たり前のようにハニートラップ(今でいう痴漢冤罪とか)をやっていた危険な奴
一般人なら関わり合いになることを全力で避けるべき存在


17. 2017年8月30日 14:47:49 : qOIqYOLS3w : kTqm_xfd2Kg[130]
ネトウヨは「名前に〜の字が入っていれば在日!」って騒ぐけど

普通に頭おかしいよね
newuusみたいなキチガイの巣窟でやんなさいよそういうのは


18. 2017年9月24日 09:11:04 : TcQjluvP4g : lGBgK3DOl_c[6]
在日、在日って何か証拠があるの?w

19. 中川隆[-6280] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:12:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

芸能界と在日、創価そして、噂(古い話です)2010-11-23
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/2f486e8cb9d131d2278642a533004502


今回はモーニング娘の裏事情です。

コネ疑惑とか色々ありますが、それを本当の情報のみを、知りうる限り書きますので目をそらさないで下さいね。

前回7期は何故か該当者なし!!
なぜかというと、トイレが盗撮されたのと、良い事務所所属の女が居なかったからようです。

素人オーディションといいながら、裏ではそういうことがあるんです。だから頑張って夢見てもモー娘にはなれません。

まず、一番有名なコネ娘。「新垣里沙」

まぁ、この子は素人では有りません。トミーのキャンペーンガールでございます。
トミーが開催した「第1回キッスガールオーディション」の準グランプリを受賞し、キャンペーンガールとして、TOMY「キッスサイト」のCMに出演との事。
2003年7月号「噂の真相」一行情報に新垣里沙はアップフロント会長のコネ採用疑惑は確定したわけって事です。

次に「後藤真希」

この子は、創価学会の子です。後藤のソロコンサートも民音(創価関連会社)がプロモート。CDが一気に売れたのも電通によるプローモーションとの憶測がある。
浜崎あゆみと同じですね。

創価といえば、吉澤ひとみや松浦亜弥も創価学会です。

「石川梨華」

この子は在日です。梨華という名前は朝鮮人や韓国人に多く、父親が朝鮮総連幹部という話も。星野監督の名前を良く出す。元阪神の星野監督も在日系といわれている。石川は子供の頃にCM出演。芸能活動もしていた。それと、同和関係の子です。加護亜依も同和関係者です。

「藤本美貴」
この子も在日です、親族で焼肉店を営んでいるのですが、両親のどちらかが朝鮮人との噂。

こんにちは ショックを受けたECさん
初めまして☆ 初耳のことばかりでした〜!
ってゆーか、本当に本当なんですかぁぁ??
本当だったら幻滅です…。結局、裏では色んな組織が動いてるんですね(泣)
世の中腐ってる…。
(2005年01月29日 08時14分26秒)


Re:こんにちは(01/25) TAKE1982さん

5期までの情報では本当のようです。
が!しかし、6期メンバーについては裏で悪い噂は全く流れないのです。本当の素人さんだからなのかも知れません・・・。

もし、次回のオーディションに受ける人が居るなら、自分の素人な部分の個性を出して行けばいいかなって思います。

田中は福岡県、道重は山口県という新ジャンルに挑んだアップルフロント社。そして、東京の亀井。
この辺に鍵が有りそうですよ。

可愛いからだけじゃ選ばれない時代になってきたって事かな・・。(2005年01月31日 14時26分22秒)


初めまして。情報を追加します。 イ−ジスさん
初めまして、私も前からモ−娘。メンバ−の中に日本人ではない在日朝鮮人が何人かいるのは知ってました。私の知っている限りの情報を提供をします。

確証はありませんが後藤真希は創価学会員で在日朝鮮人のようです、加護亜依も同和出身で在日帰化人とのことです、

松浦亜弥は創価学会員で同和で父親はヤクザのようです、
実年齢は18歳ではなく23歳のようですが、松浦は数百万の裏金でオ−デションに合格したようです、数百万の資金は父親の暴力団事務所だと考えられます、山口組系列だと思いますが創価学会と裏では繋がっているようですし、ハロプロのフットサルチ−ムのスポンサ−のJALですが、
JALの株主に山口組関係者が株主になっているようです。アップフロントの会長も帰化朝鮮人と噂されていますし、つんく、保田圭も在日朝鮮人との情報です。

この情報を提供してくれたのはyahoo掲示板のモ−娘トビで投稿していた方なのですが、あまりにも凄い情報なのでyahooサイドから削除されていました、私はその人の投稿をバックアップしています。
(2005年02月05日 21時11分06秒)


情報追加2 イ−ジスさん
モ−娘。6期メンバ−の亀井絵里なのですが、亀井は公式発表では16歳との事ですが、実は19歳ではないかと思うのです、2004年3月26日放送の文化放送、吉田照実のやる気MANMANというラジオ番組で矢口真理、道重さゆみ、亀井絵里はゲスト出演してましたが、自己紹介の際に亀井は高校を卒業したと発言したのです、

それも2回続けて高校卒業を発言して言葉噛んでいましたし、司会の吉田照実も亀井のお父さんの親戚で自民党の亀井静香と親戚なのかと質問していましたが何故かウヤムヤでその話題は無かったように、番組は終了しました、私も6期メンバ−オ−デション自体、全員合格するには何か変だと思っていたので、その疑問がやっと解けたなと思いました。アップフロントが政界とのパイプを強くしたい為に亀井絵里を年齢詐称してまでコネ合格させたとしか思えないのです。(2005年02月05日 21時25分45秒)


情報追加3 イ−ジスさん
モ−ニング娘。松浦亜弥、後藤真希、つんく等、ハロプロメンバ−の所属事務所はアップフロントですがハロプロのマネ−ジメントはバ−ニング系のプロダクションオ−ロラが担当しています、芸能界のドンの周防郁夫のバ−ニングプロと亀井静香氏とは親交があるようですし、政界、警察、裏社会とのパイプも深いようです。

芸能界を支配しているのは在日、同和、創価学会、
ヤクザ、大手芸能プロ、大手広告代理店の電通ですね。

芸能界はタレントの経歴、年齢詐称は当たり前で、タレントのエッセイ本はゴ−ストライタ−が90%以上は執筆していますし、歌唱力の無いアイドル歌手の為のゴ−ストソンガ−すら存在していますから芸能界は嘘で塗り固まれた世界ですね、タレント、アイドル歌手になるには在日、同和、創価関係者でなければ無理でしょうね、努力すればいつかは報われるなど芸能界では死語同然では無いかと私はそう思います。

長文になりましたが、また何か情報があればカキコ致します。(2005年02月05日 21時39分02秒)


Re:情報追加3(01/25) TAKE1982さん

なんかもの凄い情報ですね…。
僕も知らない所もいくつかあります。真相は100%そうなのか!?って他人から言われても「はい」とは言いにくいですが、これが本当なら凄い事ですね。

僕が書いた上の文章は、「本当の情報のみを、知りうる限り」と書いてますが、5〜6年間ネットをしていての情報をまとめただけなんです。

もし、これを見てる人がいれば、信じる信じないは別にし、こういう意見があるという形だけで文章を見て下さい。

今、NHKも凄いことになっていますが、まだはっきりとした情報が未だにまとまってません、もし解決したらそのへんにヒントがありそうです。(2005年02月06日 10時22分48秒)


情報追加4 イ−ジスさん
TAKE1982さん。

私もネット歴は8年目になります。ADSL常時接続にして3年ぐらいになります、私の情報提供はネットからの色々な情報を分析、検証した結果なので、決定的な証拠ではありません、参考、判断材料と思ってくれればいいと思います。

また追加情報ですが、詳しい事はわかりませんが、去年モ−娘。を卒業した辻希美は2000年の第4期オ−デションは裏金で合格したとの事です、

第5期メンバ−の紺野あさ美ですが、
2001年のLOVEオ−デションは彼女の父親の関係でのコネ合格だという噂です、彼女の父親は、バ−を経営していますが、水商売なので裏社会との関係もありますから、その口で合格できたかもしれませんね、

ネットからの情報なので確証はありませんが、芸能界は本当に汚い世界だと改めて感じさせます、まあ偏見になるかもしれませんが、私は、このような芸能界に自分の子供をアイドル、タレントには絶対にさせるつもりはありません。たとえ自分の子供がオ−デションを受けたいと言っても絶対に
反対します。

アップフロント所属の堀内孝雄、
モ−ニング娘。と親交が深い五木ひろしも
在日朝鮮人との事です。
モ−ニング娘。の売り込みに大きく貢献した
初代マネ−ジャ−の和田薫氏も在日との情報です。(2005年02月08日 19時36分20秒)


追加情報5 イ−ジスさん
これは私なりに分析、検証、考えに考え抜いた結論で私の個人の意見なので確証はありませんが、 参考程度にと思ってください。

2002年9月17日に北朝鮮の金正日が横田めぐみさんを初めとする日本人の拉致を認めた事により、日本の世論が反北朝鮮の声が大きくなったと同時に
モ−ニング娘。の第6期メンバ−オ−デションが
行われましたが、合格者の一人、道重さゆみの地元は山口県の宇部ですが、そこは対北朝鮮強硬派の阿部自民党幹事長代理の地元です、

私もあまり悪い方に考えたくないのですが、
道重の親戚か家族が阿部幹事長の後援関係者、
もしくはその関係者となんらかの付き合いがあったのではと思うのです。
多分、その関係のコネで6期オ−デションで合格したのだと思います、アップフロントが朝鮮総連との関係を公安警察にマ−クされるのを恐れて、
自民党とのパイプを深くしたい為に道重を合格させたのではと、推測しました、

亀井絵里に関しても道重のケ−スと似たようなものだと私は推測します。田中れいなは5期オ−デション
の時に2時審査まで通過していたのですが、当時はまだ小学生だったので年齢対象外という事で落選しましたが、6期オ−デションでは中学生だったので、
実力が評価されて合格したと思いますが、 彼女の父親が福岡のロ−カルTV局の役職についているので、そのコネもあると思います。

6期メンバ−が加入するようになってから、
防衛庁の自衛官募集キャンペ−ン、
愛地球博のキャンペ−ン、環境省主催の地球環境の
キャンペ−ンなどのイメ−ジキャラクタ−に
モ−娘。が起用されるようになったのも
自民党とのパイプからとしか思えないのです。

(2005年02月08日 21時03分34秒)


追加情報6 イ−ジスさん
私の知っている限りの情報を提供しましたが、yahoo掲示板、2ちゃんねるでは、このような投稿は本当にできません、集中攻撃を受けるだけです、

モ−娘。の裏情報をテ−マにして、投稿の場を提供して下さったTAKE1982さんには本当に感謝しています。ありがとうございます。

今回の7期オ−デションの合格者無しとの結果ですが
在日、同和、創価学会、政治家、大手芸能スク−ル
、電通、有力団体の関係者がいたら合格していたのかも知れませんが、一人もいなかったのでしょうね

、素人オ−デションといっても有力団体の利権関係がある人間でないと合格できないのが現実だと私はそう思います、

正直者は馬鹿を見て嘘つきだけが栄える世の中になっているんだと本当に実感します。
本当に世の中、腐っています。

多くの人は知らないと思いますが、日本の芸能界は在日朝鮮人、同和関係者が本当に多いです。

あのSMAPも香取信吾を除いたメンバ−はすべて在日です、
香取信吾も同和のようです。
あまりにも多いのでSMAPだけを紹介しました。

(2005年02月08日 21時41分04秒)

Re:追加情報6(01/25) TAKE1982さん
イ−ジスさん
色々と有り難うございます!
なんかnew!ってマークが無くて気付くのが遅れてしまいました…。すみません。
芸能界ってなかなか怖い所ですよね。

けど、そういうので世の中が回っている現実をみんなに知らせないといけないのか?と言われると解らなくなります。僕個人ではどうすることも出来ず、ただ時代の流れを見ていくしか無いのかも知れません。また芸能界でおもしろい話があればよろしくお願いします!!カキコ有り難うございました。

(2005年02月14日 02時23分32秒)


20. 中川隆[-6279] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:14:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日 有名人 2011-03-29

土井たか子(李高順)
福島瑞穂(趙春花)
筑紫哲也(朴三壽)
佐高信(韓吉竜)
山田花子(金花子) 
原田泰造(金泰造)
安田成美(鄭成美)
マッハ文朱(李文朱)
大山倍達(尹泰植)
力道山(金信洛) 
岩城滉一(李光一)
ジョニー大倉(李雲煥)
田中麗奈(鄭麗奈)
都はるみ(李春美)
松任谷 由実(金 玉子) 
星野真里(李真里)
後藤真希(呉真希)
松宮貴至(生野巽)
沢田研二(李研二)
金子鎮宇(李珍宇)
安川正義(孫正義)
立原正秋(金胤奎)
布袋寅泰(混血)
吉川晃司(レコード会社発)
篠原涼子
中村あずさ
八代亜紀(琉球と半島の混血) 
浅野温子
池山隆寛
達川光男
金村義明(キムギミョン)
金本知憲
光山英和(この名字に倭人を知らん)
伊集院静
太平かつみ
神保美喜
杉原輝男
大原麗子
安原麗子(ex少女隊;やまとの歌謡曲タブーの韓国でオンステージって間違いなくその筋)
松本伊代(今後アイフルのCMに出てくるタレントは在日)
aiko(柳井愛子,父親は総聯地方幹部)
EPO(佐藤榮子)
MAIKO(栄舞子,ZONE)
MEGUMI(山野仁,仁でめぐみと読む) 
misono(神田美苑)
MIYU(長瀬美夕,ZONE)
Reina(宮内玲奈,MAX)
YOSHIKI(林佳樹,X-JAPAN)
YOU(松岡ユキコ)
YUKI(北村夕起,TRF)
赤井秀和
アンリ菅野(梅山静子)
いしだ壱成(星川一星,half)
いしのようこ(石野陽子)
石野真子
いっこく堂(玉城一石)
うつみ宮土理(井川三重子)
ウド鈴木(鈴木任紀)
ガクト(岡部学,混血)
加勢大周 
かたせ梨乃(杉田典子)
かとうれいこ(横尾房江)
川島直美
神田正輝
小西真奈美
島袋寛子(混血:沖縄・鮮人)
スガシカオ(菅止戈男)
すぎやまこういち(椙山浩一)
せんだみつお(中野光雄) 
つかこうへい(金原峰雄,金峰雄,)
つのだじろう
つんく♂(寺田光男)
トミーズ雅(北村雅英,母親・北村金子)
とよた真帆(青山真穂)
ドンドコドン山口
名高達郎(名高達夫)
なべおさみ
なべやかん
にしきのあきら(錦野旦)
西田尚美 
西村ひろゆき(2ちゃんねる管理人)
ピエール瀧(瀧正則)
びびる大木・ヒロミ(小園浩己)
ベンガル(柳原晴郎)
ポール牧(榛沢一道)
ホンコン(蔵野孝洋)
モト冬樹(武東裕男)
モンキッキー(大森明)
もんたよしのり(門田頼命)
米倉涼子
ラッシャー板前 
りゅうこうじ(笠浩二,C-C-B)
愛内里菜(垣内里佳子) 
安めぐみ
安岡力也
安原麗子(少女隊)
安西ひろこ(安西紘子)
伊集院静
伊藤英明
伊藤美咲(安斎智子)
井出らっきょ(井出博士)
井上晴美(北村仁絵)
井上和香(新村直子)
井川遥(井川秀恵,趙秀恵)
井沢八郎(工藤金一)
井筒仁康
一色紗英(畠山紗英)
引田天功(板倉満里子)
宇多田ヒカル(岩下光)
永井真理子
永山藍子
永瀬正敏
永島敏行
永島暎子
永六輔(永孝雄,台湾人か)
円広士
園まり(薗部毬子)
園原佑紀乃(園原ゆかり)
奥菜恵(三桝貴恵)
奥田瑛二
押尾学岡
安由美子
岡江久美子
岡崎友紀(岩倉友紀子)
岡田可愛
岡八郎(市岡輝夫) 
岡本夏生(金村幸子,李夏生,李幸子)
沖雅也(日景城児)
沖田浩之(置鮎広之)
下川辰平
加護亜衣(B&K)
夏川結衣(宮川美紀)
河合奈保子(金原奈保子)
河合美智子(鈴木一栄)
河島英吾 
火野正平(二瓶康一)
花咲まゆ(井沢由美)
華原朋美(下河原朋美)
角川博
角田ひろ 
叶恭子(小山恭子,混血:鮮人とフィリピン)
叶美香(玉井美香,混血:鮮人とフィリピン) 
舘ひろし(舘廣)
吉井怜(飛知和怜) 
吉岡秀隆(川口,蕨界隈)
吉岡美穂(焼肉屋の娘)
吉幾三(鎌田善人)
吉川ひなの(高田愛)
吉川晃司 
吉田日出子(平松日出子)
吉野きみ佳(吉野公佳)
丘みつ子(森田光子)
久本雅美 
及川光博
宮下順子(金英姫)
宮川大助(松下孝美)
宮内淳 
宮迫博之
宮本信子(池内信子)
玉置なみ(玉置成美)
玉置浩二 
玉木宏
玉利かおる
桑名将博
桂木文
原久美子(北原久美子)
原口まさあき(原口晶匡)
原史奈
原田伸郎
原田美枝子
原田龍二
五木ひろし(松山数夫,混血:同和・鮮人)
倖田來未(神田來未子)
光浦靖子
光本幸子
工藤静香
工藤夕貴
幸田シャーミン 
広末涼子
江角マキコ
江波杏子
香坂みゆき
香山美子
高岡早紀(高岡佐紀子)
高橋克典(梅宮の親戚)
高見恭子
高樹澪(貞谷油佳里)
高倉・高知東生(大崎丈二)
高島礼子
高嶋ちさ子(盛田知佐子)高品格
高峰美枝子
高木美穂
黒沢優(混血:母・林寛子)
黒谷友香(日韓合作ドラマ出演)
佐藤絵梨子(佐藤栄利子,崔江利子)
佐野元春
坂田利夫(地神利夫)
坂東英二(満州?) 
坂本九
坂本冬美
崎谷健次郎
桜金造(佐藤茂樹)
桜庭あつこ(金成亜希子)
三崎千恵子(宮阪トシ)
三田佳子(高橋嘉子)
三田寛子
山根元代 
山咲千里(杵村千里)
山崎まさよし
山田雅人
山田邦子
児玉清(北川清)
寺島純子
鹿賀丈史(勝田薫且)
篠田三郎(大塚晴生)
篠田正浩 
柴咲コウ(山村幸恵,千川部落)
手塚さとみ
酒井若菜(酒井美幸)
酒井美紀
酒井法子(高相法子) 
樹希樹林
出川哲郎
春一番(春花直樹)
春日八郎 
勝俣州和
勝呂誉 
小坂一也
小松千春(小松崎千春)
小川菜摘(夫・浜田雅功) 
小泉今日子(厚○市文化会館/温水方面の農村)
小倉優子
小沢健二 
小池栄子(下北沢パチンコ屋の娘)
小柳ユキ(黒柳りん)
小柳ルミ子
小林幸子(焼肉屋)
松浦亜弥(松村亜由美,皮屋の娘,BK混血) 
松岡きっこ(岩谷紀公子)
松岡充(SOPHIA)
松岡俊介
松下由樹(松下幸枝)
松金洋子 
松坂慶子(高内慶子,父親が鮮人,戦中長崎から海路脱出 
松坂沙良
松山三四郎(秦光秀)
松山千春
松村邦彦 
松村雄基(松村憲幸)
松嶋尚美(オセロの白、西成部落) 
松嶋菜々子(座間出身,父親は倒産した某金属係企業)
松本紀保(藤間紀保子)
松本莉緒(金野恵)
笑福亭笑瓶(渡士洋)
上島竜兵(上島龍平)
城戸真亜子
常盤貴子(尼崎潮江出身,自称横浜)
森下愛子
森口博子(花村博美)
森口瑤子(坂元陽子)
森高千里(父親が森高・母親が高森)
森次晃嗣(森次浩三)
森進一(森内一寛,母親が鮮人)
森川美穂(榎並美穂)
森田健作(鈴木栄治)
真行寺君枝(大口君枝)
真中瞳(小林真知子,焼肉屋の娘) 
神戸一郎
神保美喜
神野美伽(荒木美佳)
村春子(石山春子)
杉本彩(パチンコ屋の娘)
杉本哲太(杉坂哲太)
菅原都々子
成宮寛貴
星由里子
清岡純子
清水健太郎(園田巌)
西山浩司
西川のりお(川西康成)
西村和彦(伏見茶屋 仁志むら亭)
西村知美(西尾知美)
西田ひかる(西田光)
青江三奈(井原静子) 
青田典子
斉藤陽子
石橋陵(石橋秀樹)
石原さとみ(石神国子)
石川ひとみ(山田ひとみ)
石川秀美
石川梨華(揚梨華,父親は全国朝鮮総聯幹部)
石塚英彦
石田ひかり(訓覇ひかり)
赤木春恵
千秋(藤本千秋)
千堂あきほ(先名iu晃穂)
千葉真一(前田禎穂)
川村ひかる(篠崎由希恵)
川中美幸 
浅香光代(北岡昭子)
浅香唯(西川亜紀)
浅野ゆう子(赤沢裕子)
前田吟(前田信明)
倉田まりこ
相田翔子(千川部落周辺,鈴木敬子)
相本久美子(倉内久美子)
草笛光子(栗田光子)
村上遥(安保由里子)
太田光
大原かおり(大原香織)
大杉漣(大杉孝)
大谷直子
大塚寧々
大鶴儀丹
滝沢秀明(旧姓・指田)
宅麻伸(詫摩繁春)
沢口靖子
淡路恵子(井田阿紀子)
池宮彰一郎(池上金男,池金男)
中山美穂(辻美穂,宋藍姫,選択屋)
中森明菜(B&K,肉屋)
中川安奈(栗山安奈)
中村あずさ
中尾彬
中野英雄
仲根かすみ(植可澄美)
朝丘雪路
長瀬愛
長瀬智也
椎名詰平(岩城正剛)
椎名林檎(椎名裕美子)
辻仁成
辻沢杏子
堤大二郎
東ちづる(東智鶴)
藤原紀香(尼崎潮江朝鮮部落)
藤原竜也(藤原竜也)
藤村志保(静永操) 
藤谷美紀(金谷満紀子)
藤本美貴(尹美貴,混血(母親)離婚,朝鮮総聯,北海道の焼肉屋) 
洞口依子(葛西依子)
奈美悦子(並川悦子)
内山理名(玉井杏奈,南足柄のK部落) 
内村光良
内田裕也(内田雄也)
内藤剛志
内藤洋子
内藤陽子 
内野聖陽
南こうせつ(南高節)
梅宮アンナ
梅宮辰夫(梅宮辰雄) 
萩原聖人
柏木由紀子(大島由紀子)
柏木礼音(涼柴央)
白石美帆(阿久津桜)
白川由美(二谷安基子)
白都真理(白木真理)
白竜(田貞一)
畑野浩子
畠田理恵
八乙女光(佐々木光) 
八代亜紀(混血:沖縄・鮮人)
飯島愛(石井光子)
樋口可南子
美木良介(寺田良介)
氷室恭介(寺西修)
浜崎あゆみ(浜崎歩)
浜田雅功
富司純子(寺嶋純子) 
布施明
布袋寅泰(父親が鮮人)
風吹ジュン(川添麗子)
平山あや
片瀬那奈 
保坂尚輝(保阪尚希)
宝生桜子(山本絵里歌)
宝生舞(北村麻衣)
宝田明 
豊原功輔
豊川悦司
北原賢治
北原三枝
本田美奈子(工藤美奈子)
本木雅弘
麻木久仁子(松本久仁子)
網浜直子(秦直子)
木ノ実ナナ(池田鞠子)
柳ジョージ
柳沢慎吾
柳樂優弥
優香(岡部広子,呉広子) 
有馬隼人(TBSアナウンサー)
由紀さおり(安田章子)
由美かおる(西辻由美子) 
遊井亮子(金井亮子)
余貴美子
揚原京子
揚田あき
葉山レイコ(栫美保子)
遥洋子
隆大介(柳明男)
龍円愛梨(テレ朝アナウンサー)
龍田梨恵
涼風真世(森永佳奈女)
鈴木京香
鈴木紗理奈(宗廣華奈子)
和央ようか
眞鍋かをり
池田大作
浜崎あゆみ(濱崎歩)=父は朝鮮半島から来たヤクザ 
和田アキ子(金現子,飯塚現子)=大阪の在日スラム地区のキムチ商人の娘、従兄弟は金海道場というテコンドーの道場を開いている 
ソニン=もちろん在日、高知県の国際スクール出身 
倉木麻衣(青野麻衣)=父は在日 西条秀樹(李龍雄)=韓国、斉州島出身
松田優作=父は日本人、母が韓国人、つまりハーフ 
北野武=クオーター(4分の1朝鮮人の血が入っている)
金子鎮宇(李珍宇)


光高姫安金赤白青黄柳竜龍英栄永東西南北希穂春夏秋冬玉明花美が姓名に入っていることが多い。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/3edd743746d41ba98b0d1c653e72699d?fm=entry_awp_sleep


21. 中川隆[-6278] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:15:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2010年4月27日
なぜ芸能界に「在日」が多い?
 昔から公然の秘密として言われる「なぜ芸能人に在日コリアンが多い」かだ。
 なぜだかは薄々知っていたが、上手にまとめてあるサイトがある。

 「日の丸君の日記」
http://hinomarukun.com/

 の「芸能界には昔から公然の秘密として、在日コリアンが多い。

なぜだろうか。」というホームページがある。 ここでは、


 1「実力世界説」 2「芸能身分説」 3「暴力団関与説」の三点に分けている。

 この区分が一番わかり易いと思われることと、意見がほぼ一致するので整理しながら引用させていただく。

http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/04/26/13.jpg


 特に「芸能身分説」の項にあるが、在日コリアンの殆どが朝鮮半島では最下位層(奴隷)の白丁(ペクチョン)、広大(大道芸人)・男寺堂(放浪芸能)出身だということだ。

 当然のことだが在日コリアンは、自称・両班(貴族)階級が多い韓国民からも「白丁」(奴隷)とみられているという。

 これは日本人より階級制度の実情に明るいのだから仕方ないことだ。
 韓国民からすれば、在日コリアンは全員奴隷階級と思っているのだろう。

 生粋の朝鮮半島人が、日本人以上に在日コリアンを嫌う理由がここにある。
 そして、「在日」が戦後帰国しなかった最大の理由もこれだと言う。

 白丁(ペクチョン)は帰国して、元の階級に戻るのはイヤだと思っただろうし、
 それより、差別の少ない日本で威張り散らしていたほうが楽と思ったことや

 密入国者だった(殆どが密入国と言われている)

 本貫(日本の戸籍のようなもの)が奴隷なのでない、

 徴兵制度から逃れたい。

 という、日本人には理解し難いいろんな理由があったようだ。

http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/04/26/min01_2.jpg


 朝鮮半島では、労働を貶める劣化儒教では、芸能関係者は白丁と並ぶ最低ランクの身分とされていた。

 白丁は、本来「白い服を着た人」のことで傘をかぶった姿を記録写真などで見ることが出来る。

 また最近の韓国ドラマ『テルン選手村』にも「白丁」という言葉が出てくる。

 韓国民の約四分の一は「白丁」だったといわれ、ドラマにも登場することは自然なことだ。「白丁」が登場するドラマは、「林巨正」、「白丁の娘」Min01_2、「茶母」、「張吉山」、「土地」は白丁が主人公で白丁の人生が題材らしい。

 よって、白丁と言っても差別とは言えないことを指摘しておく。
 朝鮮半島では、日常的用語だという。

 例えば「林巨正」の映画宣伝に、16世紀の朝鮮に実在した人物で、白丁と呼ばれる賎民階級の出身。 白丁は主に屠殺業に従事していた。

 波乱万丈の生涯を描いた歴史大作とある。 


 つまり在日コリアンの芸能人は、芸能という「遺伝子」DNAが、子、孫に引き継がれ、異国の地・日本で花開いたと見れば分かり易い。

 歌や踊りの能力は、見よう見まねもあるかも知れないが遺伝すると言われている。

 沖縄出身者の芸能人が多いことと、根底は同じと見ている。

 琉球王国でも、衣服や「ハチマチ」 の色などを定めた厳しい身分制度があった。
 中国や日本に気を遣いながら国を維持して来た琉球は、芸能で賓客をもてなす必要があったと言われている。

 なお歌手の和田アキ子は、1949年4月10日、大阪市東成区生まれ。本名は金福子(通名・金海福子(かねうみ ふくこ))で、父親は済州島から渡ってきた金基淑(金海基淑)氏、母親は慶尚南道からやってきた金海森子氏であるという。

 2005年週刊文春の取材に答えている。

 なお1968年、「和田アキ子」としてデビューするため、先に帰化した叔父の「和田忠浩(金和淑)」の籍に入って和田姓を名乗る。

 和田忠浩は「ミナミの帝王」のモデル。

 それから、済州島出身の二世ということは、両親は1948年に発生した済州島四・三事件からの難を逃れるために、日本に密入国したと推測される。

 この事件は韓国政府の「赤刈り」とも言われ、済州島民が大量虐殺されている。
 数年続いたという。

 当時、この島から日本に密入国した島民は5〜6万人とも言われている。

 そして大阪では鶴橋、東京では三河島にコミュニティーを作った。
 隠れ家だ。

 それから、済州島は朝鮮半島の流刑地であり、最下層の白丁が大量に住んだ島だ。

 韓国の大学でも、在日は白丁が移民したのだと教えており、よって、本国の朝鮮人は奴隷である在日朝鮮人と一緒にされるのを嫌がる。

 つまり、自分の出身国からも軽視されているのだ。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-fae1.html


22. 中川隆[-6277] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:19:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

部落は、名前で分かるのか?(同和、在日朝鮮系)2010-11-27

表された違法請求詐欺師の名前。 住所と名前はやはりとしか言いようがない


奥山保

飯島野里男  東京都文京区

篠塚浩    東京都世田谷区 北烏山7丁目

慶野和樹  東京都品川区 西五反田2

長野倫久  東京都調布市 深大寺北町5、

菊池将雄  埼玉県 志木市本町

丹治和浩  埼玉県 三郷市幸房、

足立昌也  大阪市淀川区 西中島

松坂美幸  大阪府 箕面市如意谷

竹本淳一  大阪市 西区

井関勝司  吹田市 南吹田2丁目

井上正孝  大阪市 浪速区元町2-8-4-404

杉浦宏明  愛知県 豊川市為当町

横井幹人  愛知県 豊川市東曙町

呉林康晴  愛知県 御津町

福島道正  愛知県 豊山町豊場下戸

柳本省吾  愛知県名古屋市 西区中小田井

吉川誠    愛知県 豊山町豊場高前

大阪で児童監禁衰弱死、川口

木村


「金○、安○、高○」で、○に「本」「田」「山」が入るとK率高くなるね。

(それでも全部集めると日本人のほうが数は多いんだけどね)

在日は「〜本」「〜山」「〜田」「〜井」のような左右対称文字の苗字をつける傾向があるよ。


朝鮮系の人は、今では、昔と違って、使用者数の多い日本人苗字(佐藤など)を
好んで使う傾向にある。だから、苗字の後ろの漢字を見たほうがわかりやすい。

あと在日の人は「藤原鎌足が朝鮮の人」と教えれているので、「藤」は割りと人気あるよ。


今の在日・帰化の人の苗字は、後ろの漢字が割りと共通しているよ。

「○本」「○田」「○山」「○井」「○原」「○辺」「○木」「木○」「(○)林」

「○森」「○東」「○藤」「○海」「○下」「○村」が多い。

(○には様々な漢字が入ります。)


安田成美、新井将敬、岡本夏生 大山倍達 宮下順子

みんな一致するでしょ。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/36b698a4e96dfca07ba150643cf01a82?fm=entry_awp_sleep


23. 中川隆[-6276] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:21:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記


私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7


24. 中川隆[-6275] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:27:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

コリア・タウン

1)東京都


・台東区:上野駅の南東と南西には、それぞれ小規模なコリア地区がある。

終戦後、上野より在日韓国系・在日朝鮮系の闇市を合法的に締め出す目的で官民足並みを揃えて建てられた(当時としては)近代的ショッピングモール「近藤産業マーケット」に対抗する形で、韓国系の飲食店や商店が集まり形成された「国際親善マーケット(キムチ横丁)」という通りが上野駅南東の東上野にある。

また、在日韓国・朝鮮人が多く経営しているといわれるパチンコ産業の関連会社(遊技台メーカー等)も多い。ここは、戦前から続く在日韓国・朝鮮人の集住地区でもある。

上野駅南西の歓楽街「仲町通り」のあるブロック(上野二丁目)の中ほどには、韓国系飲み屋が集中している路地がある。こちらはニューカマーによって作られたものである。キムチ横丁の在日韓国・朝鮮人と仲町通りのニューカマーとの間では、近接しているにもかかわらずあまり交流がない。

浅草二丁目13・14番地にも古くから韓国系の焼肉店が固まる路地が存在することが知られている。この界隈は浅草六区と呼ばれ、国際劇場の賑わいを目当てに数多くの在日韓国・朝鮮人が商店や飲食店を開業した。そのなごりで現在でも定住者が多いことは一部で知られている。その後、日本人に帰化した人も多い。


・新宿区:大久保や百人町を中心に、戦後のニューカマーにより形成されたコリア・タウンで、「大久保通り」から「職安通り」にかけては沢山の韓国系商店が軒を連ねている。

東京最大、日本でも有数のコリア・タウンといわれている。2002年の公式統計によれば、東京都在住のコリアン人口は約8万人で大阪府に次いで2番目に多い。

新宿区民に占める在日コリアンの比率は3.063パーセントで、東日本では最高である。2010年の統計によると、23区で最も在日コリアンの数が多いのも新宿区である。


・港区:麻布十番一帯は近隣に韓国大使館や韓国中央会館(在日本大韓民国民団本部)があることから政府関係者や在日韓国人が多く訪れる場所であり、それらをターゲットにした韓国料理店が多い。成り立ちが新しい事や、周辺に高級住宅街が控えている為、高級店が多いのが特徴である。


・荒川区:三河島駅あたりは戦後、工場街となった際に朝鮮人が出稼ぎにきたことで、周辺は東京有数のコリア・タウンとなった。済州島出身者を中心としたコリアンが多く居住し、朝鮮学校や在日韓国・朝鮮人団体の支部が置かれている。


・足立区:関原・本木一帯には、荒川放水路の建設労働者の飯場に起源を持つ朝鮮人集落が存在する。

関原・本木の朝鮮人集落では、スリッパやサンダルなどの部品を家内工業で製造するゴム製品製造業が賑わったこともある。関連施設として、在日本朝鮮人総聯合会足立支部は本木に事務所を置いている。

また、近隣地区に属する興野には東京朝鮮第4初中級学校がある。

東京23区中、在日朝鮮人の人口が最も多いのも足立区とされた時期がある(2010年の統計によると23区では新宿区に次いで2位である)。


・江東区枝川:戦前の旧東京市による東京オリンピックと東京万博の開催権の返上を行った翌年(1941年)、「環境整備」を目的として簡素なバラックを建設し、主に旧深川区内に不法住宅を構えて居住していた朝鮮人約1000人の移住によりコリア・タウンが形成される。

コリアンタウンというほどではないが塩浜地区も定住者が固まった一角が存在する。

また、同じ理由にて台東・墨田・江東区に住んでいた数千人規模の在日朝鮮人も強制的に移住させられた。


・中央区湊

2)神奈川県

・川崎市:戦前から在住する在日韓国・朝鮮人が多い町で、2005年の統計では、川崎市全体で7357人の在日コリアンが住み、そのうち4275人を川崎区と幸区の両区が占める、関東では東京に次ぐコリア系住民の集住地である。

在日本大韓民国民団の支部が全国に先駆けて設置された。

川崎区浜町3丁目、4丁目の通称「セメント通り」入り口には、「川崎コリアンタウン」と銘打ったゲートが建ち、韓国料理店、焼肉店が集積している。なお、幸区戸手4丁目の多摩川右岸河川敷にあった集住地は、度重なる洪水後の治水工事と大規模マンション建設により、2007年初頭には完全に姿を消した。


・横浜市中区:中華街とその周辺はコリア系住民の集住地でもある。

横浜橋通商店街をはじめとして伊勢佐木町北側、京急本線日ノ出町駅から黄金町駅にはタイ人街と隣接して韓国人街があり、在日本大韓民国民団の横浜支部もその中にある。なお山手町に大韓民国総領事館がある。


・小田原市板橋:板橋の早川河川敷にはコリア系住民の集住地があった。

現在も民団湘南西部支部が所在するが、住民の多くは転出し当時の面影は余りない。

3)千葉県


・千葉市:戦前に千葉市随一の繁華街であった中央区栄町を中心にコリア系の風俗店や飲食店が集中している。

戦後、千葉空襲で焼け野原になった栄町、及び旧初代国鉄千葉駅(約700m程離れた現千葉駅へ移転後、跡地には千葉市民会館立地)周辺に在日朝鮮人が住み着いたところからコリア・タウンが発生したが、現在栄町の韓国人はニューカマーが中心となっている。

2009年4月から12月の千葉県警による風俗浄化で摘発された110人のうち、57人が韓国籍であり、不法滞在や不法就労助長、偽装結婚、偽造旅券所持などの闇ビジネスが韓国人社会に根付いていることが明らかにされている。

4)埼玉県


・川口市・蕨市:隣り合う西川口駅から蕨駅にかけて多くの外国人が住んでおり、ハングルの看板が多数存在する。


・さいたま市:かつて大宮区の東南部に屠場があり、当時従事していたコリアンが飯場として集住していたと思われる地域がある。付近には朝鮮学校が所在している。

その他、旧浦和市南部地域である南区の軽工業地区周辺に多く住んでいる。

5) 愛知県


・名古屋市:中村区の名古屋駅西側の通称「駅裏地区」にはコリア系の住民や店が多く、中部地方最大のコリア・タウンを形成している。

また港区や南区といった南部の工業地帯にも、戦前から軍需工場などが集中していた関係でコリア系住民が多数生活しており、彼らが経営する飲食店などが集中している。

他には春日井市や小牧市、豊川市などにも工廠など歴史的経緯からコリア系住民が多く住んでいる。

6) 大阪府


・大阪市生野区:戦前からのコリアンの集住地で、大阪市内には生野区西部地域を中心に現在83,432人(2009年現在)が居住し、日本最大のコリア・タウンを形成している。

住民に占める在日コリアンの比率も15.486パーセントで、日本のあらゆる自治体の中で突出して最も高い数値を示している。

近鉄・大阪環状線の鶴橋駅周辺には、韓国・朝鮮系の商店が大規模な市場をなしており、鶴橋駅周辺は済州島出身者・もしくはその子孫が多い。

大阪市に編入された1925年以降、それまでの農村地帯や住宅地から中小企業の密集地帯へと発展して行くが、同時期に大阪 - 済州島間の直行便が就航したためと平野川分水路工事の際に、働き口を求めて済州島から渡航者が殺到したという背景がある。

生野区コリア・タウンの中心部は旧猪飼野地区で、朝鮮式楼門を備えた御幸通商店街が異彩を放つ。御幸森小学校はコリアン児童の比率が日本人児童を超えている。

戦後は、鶴橋・猪飼野という旧来のコリア・タウンの周縁部にあたる寺田町、巽、小路地区へとコリア・タウン化が拡大し、特に旧遊廓の今里新地地区は新大久保に似た新興コリア・タウンと化しつつある。

隣接する東成区、平野区、東大阪市の他、浪速区、西成区などにもコリアンが多い。

7) 京都府


・京都市:南区東九条や右京区西院など、旧朝鮮籍系の住民や店が多い地区がある。東九条は映画『パッチギ!』の舞台となった。

宇治市:伊勢田町。詳細は、

ウトロ地区
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%AD%E5%9C%B0%E5%8C%BA

を参照。

8)兵庫県


・神戸市:長田区や中央区東部(旧葺合区)、「モトコー」と呼ばれるJR東海道線の三ノ宮−元町の高架下商店街は当初はコリア系住民の商店が大半であった。

長田区は、全国有数の焼肉店激戦地区で、本場韓国の味を再現した店も多い。

一時期、長田区にコリア・タウンを神戸市の手で作る計画が存在したが、防災上の区画整備に激しく反対していた中で阪神大震災が起こり、住宅地として整備されてしまったため、頓挫したものと思われる。


・高砂市:木曽町周辺

・三木市:志染町広野(神戸電鉄広野ゴルフ場前駅周辺)

・加古川市:別府町

中国・四国・九州地方

戦前において、山口県の下関港は関釜連絡船(現在の関釜フェリーの起源)が就航していたところであって、また、福岡県の筑豊炭田では多くの在日韓国・朝鮮人が労働に従事していた。終戦を迎えたとき、下関港や博多港は在日韓国・朝鮮人送還の主要な出発港となったが、様々な原因によって在日韓国・朝鮮人が帰還できない・しない事態が発生したため、山口県(特に西部)や福岡県に多くの在日韓国・朝鮮人が滞留することとなった。

現在では、韓国との間に毎日就航のフェリー(下関港・博多港 - 釜山港)、高速艇(博多港 - 釜山港)、航空路線(福岡空港 - ソウル・釜山)があり、空路・海路を通じて沢山の韓国人が降り立っている。以上のような背景から、山口・九州に在日韓国・朝鮮人、ニューカマー、韓国人観光客の三者が入り乱れることとなり、コリア・タウンの定義が難しい地域となっている。


また、九州地方は温泉地を中心に韓国人観光客にとって人気となっている場所が点在しており、特に宿泊設備の整ったハウステンボスなどではいつでも沢山の韓国人がいるような状況になっており、文化的にコリア化していないが韓国語が飛び交う「擬似コリア・タウン」となっている。


9)広島県


・広島市:戦前軍都だった広島には多数のコリア系住民が集住し、戦後も多くの人々が重工業や商業に従事して生活している。主に広島駅前(南区)や中区、西区などに多い。

10) 山口県


・下関市:下関駅北側一帯に多数の在日韓国・朝鮮人またはコリア系日本人が居住する。

下関駅の北向かい側のグリーンモール商店街は下関市におけるコリア・タウンの中心となるエリアであり、在日コリアンの経営する韓国の食材・雑貨を扱う店や焼肉店が多く軒を連ねることから「リトル・プサン」とも呼ばれ、毎月第三日曜日には朝市、毎年11月23日には「リトル釜山フェスタ」が開催されている。また、商店街内の一部店舗では韓国ウォン紙幣(1000、5000、1万ウォン)が使える。

11) 福岡県


・北九州市:下関市と隣接しており戦前から広島市と並ぶ軍事都市、工業都市だった北九州市も小倉を中心にコリア系住民の住居や商店が並ぶ。


・福岡市:博多区千代町地区や東区浜松町団地はコリア系住民の住居や商店が多い。
2000年頃、市民団体を中心に福岡市の博多ふ頭に九州初のコリア・タウンを建設しようとする署名運動が行われたが、頓挫している。

12) 大分県


・大分市:大分駅西側を中心にコリア系住民や食材店等が存在する。


・日田市:中心部から南地区にかけてコリア系集落が点在する。

13) 熊本県


・熊本市:かつての万日山(熊本駅西側)には麓から頂上付近までコリア系住民によるスラムが密集していた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3



25. 中川隆[-6274] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:29:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
大阪市内朝鮮部落。2011-04-13


■大阪市北区 兎我野町(通称:トキノ):古代朝鮮の都祈野(ときの)から名付けられました。

■大阪市中央区 久太郎町(通称:百済町):百済町と書いたのを後世に久太郎町とする。

■大阪市中央区 高麗橋(通称:コマ):朝鮮国使来朝のために架けたといわれる。橋の東端に難波高麗館がありました。

■大阪市中央区 難波(通称:ナルニワ):朝鮮語の「ナルニワ」が訛りナニワ、「日の出」る聖なる場所という意味。

■大阪市中央区 心斎橋(通称:新羅橋):心斎橋は昔、新羅橋だった。織田信長軍、石山本願寺軍攻撃配置図にも記載あり。

■大阪市鶴見区 鶴見区(通称:ツルミ):ツルミとは朝鮮語で鶴。古朝鮮語ではツル及びツルミで山を表した。

■大阪市小橋町(通称:オバセ):新羅系渡来人の小橋氏が由来。小橋でオバセと読みます。

■大阪市生野区(通称:イクノ):古代新羅系渡来人の生野長者が由来。

■大阪市生野区 林寺:古代このあたりに百済系渡来人である林史氏が居住しており、彼が立てた寺もありました。

■大阪市平野区 杭全(通称:クマタ):中世このあたりは杭全荘とよばれ、百済系渡来人の子孫である坂上広野麻呂の荘園であった。

■大阪市平野区 加美鞍作(通称:カミクラ):河内国渋川郡賀美郡といい、鞍作氏はじめ百済系渡来人が栄えた場所。

■大阪市東住吉区 百済貨物(通称:クダラ):生野区のあたりを古代、摂津国百済郡と呼び、百済系渡来人が多く住みついた。

■大阪市西成区(通称:ナル):東西に分かれる前は単にナリと言った。ナリはナルの転訛であり朝鮮語で太陽の意味。

■大阪市西成区 岸里玉出(通称:タムデ):古代新羅渡来系氏族の難波吉士(なにわのきし)の居住したところで、吉士が岸となる。

☆いまは、いろんな人が住んでいますが、過去は歴史あるところなのです。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/dca9e8ae1a642d4dfd36d73a412f6cb7


26. 中川隆[-6273] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:33:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)

たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。

だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。

15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。

A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html

韓国系の女が多い信太山新地 2011-03-03


15分7500円。

この数字が何を表しているかわかるだろうか?決してミリオンゴッドや吉宗の投資速度を表しているわけではない。

これは、チンコをマンコに入れるのに費やされる時間と金額である。日本国には、15分でセックスをさせる秘境が存在するのだ。

捜査当局がこの秘境の存在を知ったのは4年ほど前。関東の言葉を話す「アサノ」という男から仕入れた情報だった。リーガロイヤルホテルでアサノと会った私は当時まだ若輩であり、ヘルスでマンコを舐めているだけで幸せを感じることが出来る果報者で、好き好んで15分のセックスをしに行くアサノの意図がさっぱりわからなかったものだ。


時は経ち、マンコを舐める事に感動を憶えなくなった今、少しだけアサノの気持ちがわからないでもない。スペルマは溜まる。でもセックスするのは面倒くさい。それを手っ取り早く放出させる手段として利用していたのかもしれない。


時刻は14時。すっかり春の陽気の中、ゼファーに飛び乗り国道を南向きに走り出した。

現場はJRの駅のすぐ近くにあると聞いている。とりあえず、JRの線路は発見。線路沿いにゼファーを走らせる。途中の駅で運賃表を見て、現場最寄の駅を確認。順調な展開である。ターゲットは近い。


たぶんここらあたりか・・時速40kmでゼファーを走らせながら廻りを見回す。と、そこへ白い看板が視界に飛び込んできた。

迷惑駐車を非難する言葉が書かれたその看板には、小さく信太山新地を書かれている。

ビンゴ。いとも簡単に発見することが出来た。

近くの歩道に単車を停め、料亭が立ち並ぶ一角へと入っていく。あたりはいたって普通の南大阪の住宅街である。マンションやコンビに、スーパーもある。全てが日常の風景。もっとも、都人である私には南大阪や東大阪の空気はどうしても馴染めないのだが。

現場の規模自体は小さいのだが、造りは非常に閉鎖的に出来ており、細い道が出入り口となっている。存在を知らねば、間違って中に入ってしまうことは無いだろう。中に入ると、入り組んだ路地が続き、立ち並ぶ店は全てが料亭である。

雰囲気的には雄琴みたいな感じである。

玄関先にはやり手ババアが座っており、声をかけてくる。料亭だと思うのだが、玄関先には女の姿は無い。

恐ろしいことに、すれ違う人の数が尋常ではない。そこかしこの店から女や男が出てきて、そそくさと早足で歩いていく。どうやらかなり繁盛している様子。

建物は、南側一帯は総じてボロいのだが、北へ行くに従い、綺麗なつくりになってくる。

ひととおりの店を見て、一番高級感がある北の端にある店に入ることにした。一際目を引く、立派な玄関先でババアと話をする。

ババアはニコニコしながら、

「お兄ちゃん、○○に似てるねぇ」とサッカー選手の名前を口にする。

最近のババアはこんな営業トークまで用意しているようだ。

かなり的確な若者トークに私は驚いた。


玄関先で話をしていると、横からギャル風の女が入ってきた。

ミニスカートから伸びた足はムチムチで、かなりの太さである。「7番ね」というババアの呼びかけにダルそうにうなずき、奥へと消えていった。

すかさず私は「細身の子がいい」と、ババアに女をオーダーする。今の女と体も性格も正反対の子をチョイスしてくれと暗に言ったつもりである。

ババアは、「ふん、わかった。細い子な。いてるで。」と自信に満ちた顔で返してきた。

ここでプレイ時間を確認すると、「何処も一緒で、15分7500円」という答えが返ってきた。


靴を脱いで上がり、2階の「8」と書かれた部屋へと案内される。料金はここでババアに払う。ババアは2・5本だけを受け取り、「あとは女の子に渡してな」と言って去っていった。


料亭だと思っていたのだが、ここで初めて旅館であることに気付く。なるほど。女は旅館へ派遣される芸子という建前のようだ。

部屋のつくりは、ビジネスホテルのそれとそっくりで、小さな部屋に小さなテレビと週刊誌、そしてベットが置かれている。窓を開けてみたが、雨戸がしまっていて外は見えない。

適当に写メを取って、ベットに座ってぼ〜っと女を待つ。
5分ほどでノックの音があり、女が入ってきた。

ババアのヒアリング力と商品選定力に間違いは無かった。そこにはギャルとは正反対の位置にある細い女の子が立っている。ドラえもんの静香ちゃんが大人になったと言えばわかりやすいか・・。

女に5本のお金を渡すと、さっそくプレイが始まる。

お互い服を脱ぎ、裸になる。女は服を脱いだ後、自分のマンコにローションを仕込んでいる。

女はベットに仰向けに寝た私のチンコを口に含み、フェラを始めた。なかなかヘタクソなフェらである。でも静香嬢のイメージ的にはこれくらいヘタクソであって欲しいが。そして、こういう女を優秀なエロリストに育て上げるのが、捜査当局の仕事でもあるのだ。

しかし今日は時間が15分しか無い。いらぬ事は考えず、頭の中で卑猥なことを想像してチンコのやる気を高めていく。

しばらくしてチンコにコンドームがかぶせられる。これは正常位での合体になるかなと思ったが、女は自分から乗っかり、自分のマンコにチンコをあてがった。フェラからは想像できない、凄い高速ピストンが始まった。


し、静香ちゃん・・・・・・痛い。


乾いたマンコに入れてもまるで気持ちよくない。さ〜てどうしたものか。正常位にもっていっても、感じていない女の表情をみていると、射精できるかわからない。

少し迷ったが、「上になっていい?」と聞き、合体したままで正常位へ。なるべく女の顔を見ないように精神を集中させ、腰を使う。

ああ、時間があれば、この女と抱き合い、マンコをヌルヌルにさせて、髪の毛の匂いをかぎながら楽しいセックスが出来ただろうに。

私は女に「もうイクね」といい、下腹に力を入れ、発射。


世の中の沢山の男は、ヤリタイやりたいと騒いでいるが、セックスするのはこんなにも簡単なのだ。気持ちよくもないのに無理やり射精するセックス。出来ることならやりたがっている男と代わりたい。

ゴムを外し、濡れたチンコの先をウェッテイで拭う。

なんだかおもしろい女で、天然の会話を聞いていると静香ワールドに引き込まれていく。いわゆるコンパで2番目に人気の出るタイプですね。

以前に腰を痛めたとか言っていたが、そらあんなピストン毎日してたらいためますよ。お嬢さん。

意外と長かった15分。女に見送られ、部屋を出る。


1階に下りると、ババアが出てきて「どうやった?ええ子やった?」と聞いてきた。

私は軽く首を縦に振り、玄関先に積んであったお菓子を貰ってもいいかと聞く。長官へ証拠物件を提出しなければいけないからだ。

ババアは気を使ってくれたらしく、ザルに山盛りの飴を持ってきて、両手に溢れるくらいの飴を私のカバンに入れてくれた。

そして、私が玄関を出るまで「ほんま○○に似てるな〜。言われるやろ〜」と営業することも忘れなかった。


信太山新地。南大阪の秘境。

いつまでこの秘境は荒らされずに秘境であり続けるのか。
日本国で存在し続けるのか。

秘境である間に、チンコが立つ間に、アドベンチャーしたいと思う男は私だけだろうか。


案外有名なところらしいが、美人よりも韓国系の女が多いと思うが。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/dfe01c2c3bdf5cfe18de4b322086bb64?fm=entry_awp_sleep


27. 中川隆[-6272] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:42:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

被差別部落民と在日韓人


132 :可愛い奥様:2012/11/11(日) 21:05:27.36 ID:MtxrTx2z0

素朴に聞くけど、朝鮮半島出身者が日本人被差別部落の中に混じって
生活する事は出来るのでしょうかね


153 :可愛い奥様:2012/11/11(日) 21:37:10.77 ID:Smf9sZV4O
>>132
尼崎の友達の朝鮮人は部落地域に住んでたよ
間違いなく朝鮮人が多かった
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1352608564/100n-

被差別部落民と在日韓人  −社会経済史的視点−
              
    河 明生(かわ めいせい 社会経済史、経営史)
友常 勉(聞き手=ともつね つとむ・地域研究


(『現代思想 特集 部落民とは誰か』第27巻第2号所収、平成11年2月、青土社)

(友常)今日は、『韓人日本社会移民経済史−戦前篇』(明石書店、1997)の著者・河 明生さんにお話を聞こうと思います。本書は、戦前の被差別部落民と在日韓人との社会経済的関係を明らかにしており、部落問題に携わる者として注目しておりました。今日のお話しの中から、これから私たちが、今後の両者のあり方を考えていくための指針を得ることができればと願っています。


(河)よろしくお願いします。

(友常)まず、本書の問題意識からお聞きしたいと思います。

(河) 社会は、マジョリティとマイノリティによって構成されています。ここでは、マイノリティを社会的権力をもたない異質な少数派と定義します。日本社会も例外ではありません。マイノリティが存在します。それは二つに分類できます。一つは、民族的マイノリティです。たとえば、韓人、中国・台湾人、アイヌなどです。もう一つは、非民族的マイノリティです。被差別部落民が該当します。その中、私が選んだ研究客体は、在日韓人です。

 在日韓人問題は、権力と反権力、差別と反差別、加害者と被害者という視角からの研究に偏在集中してきた感が否めません。それは史実ですし、評価すべき業績です。けれどもそれだけで良いのでしょうか。在日韓人社会は百年近い歴史があり、その間、日常生活を支えた労働がありました。それは人間の基本的な営みです。その解明なくして、在日韓人問題を理解することはできません。しかし、それを正面から論じたものは少ない。在日韓人問題の社会経済的活動実態が明らかにされていませんでした。それではいけない。日本の社会経済史や労働史などにおけるマイノリティ史の空白部分を補完したい、というのが執筆動機でした。

(友常) 従来、1939年から始まる「朝鮮人強制連行」以前の渡日者をどのように位置づけるのか、という問題がありました。河さんは移民とみなしていますが、その点はいかがでしょうか。

(河)日本では、移民というと自ら望んで郷里を捨て、中南米や北米などに移住するというイメージがあります。しかし、それは間違いです。ここではふれませんが、欧米での移民に相当する概念は多種多様です。

 在日韓人を移民労働者とみなした場合、二つの論点が生じます。第一に、韓人が、日本労働市場に対していかなる影響を及ぼしたのか、という直接的効果の問題です。賃金水準や雇用機会などへの影響はそれに該当します。第二に、韓人が、日本労働市場において、いかなる行動をしたのか、という移民労働者の行動的特性や適応性の問題です。

(友常) そもそもこういうテーマを選んだのは、河さん自身が、在日二世だということと関わりがあるのでしょうか。

(河) 関係があります。ただ、諸先輩方の関連研究を読みながら、研究を進めていく中で、自分の生い立ちを超えたいと思うようになりました。客観的論述に徹したいと。日本人研究者からすれば、当然のことです。しかし、被差別マイノリティ出身の研究者が、その出身母体を研究客体とする場合、自己の生い立ちを超えることは容易なことではない。どうしても被差別体験が、文章にあらわれてしまう。怒りのようなものでしょうか。これは世代的宿命なのかも知れません。私の論文にも、たとえば「差別」という概念は使用されます。けれどもその「差別」が不当であるか否かは、読み手が判断すれば良いと考えています。

このような感覚を持てたのは、私が上の世代に比べれば恵まれた環境で育ったからです。当然、それは日本社会、とくに日本人の若い世代の変化によってもたらされた環境です。学校で、金とか、李とか名乗っていると、かっこいいとか、個性的だとか、もてはやされる時代なんです。けれども、彼らですら、在日韓人問題については白紙に近い状態です。歴史教育が疎かにされているからでしょう。これからの研究者は、そういう若い世代に、なごやかに語りかけて行かねばならないと思います。

(友常) 被差別部落出身でない僕が、部落問題に出会うのは大学時代です。江原由美子さんがかつて「差別の構造」という論文を書かれましたが、差別されている側とマジョリティの間には対称関係はない、差別されているという体験において、マジョリティの側がその体験を知りようがない以上は、自分の基準で相手を比較したり考えたりできなくなってしまう。

ところが相手が知らないことについて、差別されている側は訴えるしかないわけですね。それを訴えても相手には絶対に通じないという非対称的な関係、それが差別の構造だというわけです。部落問題の研究を進めながら、実際の差別の話を聞いて、気づくのはそういうことです。そういう非対称的な関係は一体どういう状況で生まれてくるのかということを追求したいというのが僕の研究の動機です。それは確かに歴史的な出自を持っている。

たとえば近代社会とか、そういう方向での自分の中のモチベーションです。必ずしも実体化された倫理主義的な態度をとることはないと思いますが、差別−被差別という構図でなければ見えない、あるいは研究でしか摘出できないような研究の方法論とか問題の設定がありますから、そういうスタイルは間違いなくあるでしょう。多分そういうふうにいったからといって、河さんとはそれほど大きな違いはないのではないかと思っています。

朝鮮不熟練労働市場における韓人と中国人移民労働者との競合

(友常) では、具体的なご著書の中で、何が直接明らかにされたのかということに移っていきたいと思います。僕にとっておもしろかったのは、まず朝鮮で中国人労働者と朝鮮人労働者との間で葛藤がある。それに少なからぬ影響を受けつつ、在日韓人移民労働者が形成されたという。

(河) 被差別部落民と在日韓人との関係を考察する際、有用ですので、若干主題とははずれますがお話ししたいと思います。

 在日韓人形成の最大の要因は、日本による朝鮮の植民地支配です。従来、その形成史が日本と朝鮮という二国間関係だけでとらえられてきたのはそのためです。しかし私は、植民地支配以外の渡日要因を再検証すべきであると考えました。在日韓人形成史は、中国をも含めて考察すべきであると考えます。つまり、朝鮮下層労働市場に進出した中国人移民労働者の存在を忘れてはならないのです。


(友常)それはまったく新しい視点ですね。その根拠は何でしょうか。

(河)在日韓人の出身地の大部分は、農業の中心地であった朝鮮南部であり、前職は農民です。当時、朝鮮工業は朝鮮中北部において展開されました。離農間もない朝鮮南部出身者が、何故、陸路で移動可能なソウルや平壌などの朝鮮中北部への出稼ぎを選択しなかったのか。宗主国の日本に、海を越えて出稼ぎに行くというのは、心理的なプレッシャーがあったはずです。言葉も通じないのですから。そういう予想される不安や困難をこえて渡日したのですから、何か合理的な渡日理由があったんだろうと考えました。

それは、日本と朝鮮との賃金および雇用機会の格差です。第一次世界大戦による好況時に、紡績業などの日本企業が、人手不足を補うため、朝鮮で労働者公募を行いました。それに応じた韓人が、渡日して工業労働に従事しました。契約期間がきれたり、先祖の祭礼祭祀のために帰郷します。きれいな服を着て、お金やおみやげをもって田舎に帰ってくるわけです。農村の生活しか知らない朝鮮南部の人々にとって、それはまぶしい光景だったと思います。日本に行って働ければ金になる、ということになります。でも、もし仮に朝鮮に働く場所があって、日本の企業と同じ賃金がもらえるというのであれば、わざわざ渡日する必要はありません。朝鮮に働き場所が少なく、もらえる金も少なかったからこそ、日本への出稼ぎを選択したと考えます。もちろん、日本の賃金が高いというのは相対的なものです。むしろ朝鮮における「低すぎる賃金」に問題があると考えました。

 離農間もない韓人は、不熟練労働者です。たとえば、100人の不熟練労働者が同一労働市場に存在し、その中の10人が失業者や求職者であったと仮定します。この場合、少数派である失業者や求職者によって不熟練労働市場の賃金相場が左右されます。土方の相場が1円だとすると、失業者や求職者はとにかく働きたいわけですから、それを90銭でもやる人が現れます。1円で働いていた人は、失業の危機にさらされます。不熟練労働は代替が容易だからです。もともと1円で働いていた人が、90銭で働かなければ、就労を確保できなくなり、その賃金相場が下がる場合があります。そして再び失業者や求職者は、それよりもさらに安い労働力の提供者となって賃金相場を下げることが予想されます。結果、朝鮮労働市場での「低すぎる賃金」が維持・強化されたと考えます。

 この議論の前提となるのは、不熟練労働市場における失業者や求職者の存在です。それは、工業都市への人口集中や移民などによる過剰労働力を背景にしていると考えました。私が、注目したのは、植民地朝鮮に進出した山東省を出身地とする中国人移民労働者の存在でした。朝鮮総督府は、中国人移民労働者の朝鮮入国を規制しませんでした。1922年の朝鮮総督府調査では、在朝中国人人口は、約3万1千人です。それが8年後の国勢調査では、約9万2千人に増加しています。しかし、中国人移民労働者の実数は、正確には管理できなかったと思います。何せ陸路と海路から続々と入国してくるのですから。彼らの絶対多数は不熟練労働者でした。朝鮮総督府は、韓人は大日本帝国臣民なので、外国人である中国人の雇用が増え、韓人が失業するという状況を好みませんでした。だから、再三再四にわたり、在朝日本人経営者に中国人を雇ってはいけない、という通達を出したり、何人までは雇ってもいいといった割合を決めたりもしましたが、当局の思う通りにはなりませんでした。彼らが韓人よりも低賃金で働くからです。不平不満をいわずに。移民労働者の特性ともいえます。彼らには帰る郷里があるから、「低すぎる賃金」でも我慢して働くんです。食費などの生活費を抑えて残った金を郷里に送金したのです。低賃金を武器とする中国人移民労働者の朝鮮労働市場への進出は、韓人の雇用を脅かし、あるいは雇用機会の減少をもたらしました。とくに、その傾向は、離農間もない農民が就労可能な朝鮮不熟練労働市場において顕著であったと考えます。そのことが朝鮮の「低すぎる賃金」を維持・強化しました。結果、韓人の一部が相対的に高い賃金を求めて日本への出稼ぎを選択した、というのが私の仮説です。

日本不熟練市場での被差別部落民と在日韓人との競合

(友常) そういう要因が重なり合って在日韓人が形成されたのですね。そして日本の労働市場の中で彼ら自身の特性を形成していくことになるんだろうと思います。では、先程おっしゃった第一の論点、韓人が、日本労働市場に対していかなる影響を及ぼしたのか、という直接的効果の問題とは何でしょうか。

(河) 従来の定説を要約すると、戦前の日本における韓人の急増は、新たな労働問題を引き起こした。韓人が低賃金を武器としながら日本労働市場に進出したため、日本人労働者が失業の脅威にさらされたからです。日本人労働者が、自己の雇用を守るためには、低賃金や長時間労働を甘受しなければならなくなった。そのことが結果として、戦前の日本労働市場における低賃金の維持・強化につながった、というものです。

 しかし、韓人の日本労働市場進出によって失業の脅威にさらされた日本人労働者は、一部であって全部ではない。渡日した韓人の大部分は、工業労働経験が全くない不熟練労働者でした。能力的限界を否定できない韓人が、日本のあらゆる労働市場に進出することは不可能であったはずですし、日本人の熟練労働者が韓人の急増によって失業の脅威にさらされることは稀であったと考えます。

 戦前の韓人移民労働者問題は、日本における外国人労働者問題の嚆矢とみなすべき歴史的事例問題です。研究客体の特定なくして史実を明らかにすることはできません。そこで、韓人が進出した労働市場を下層労働市場と限定し、失業の脅威にさらされた日本人労働者は、いわゆる下層労働者、とくに被差別部落民であった、と主張しました。たとえば、1925年の中央融和会調査によれば、神戸の日雇い労働者の失業率は、韓人が24.3%であったのに対し、部落民はその二倍を超える52.8%でした。これは部落民が、韓人によって雇用機会を奪われた結果であったと考えます。

(友常) 近代の部落史の話の中で、先行研究の流れでいうと、たとえば、馬原鉄夫などがいった議論があります。部落差別は独占資本の形成過程の中で作られたもので、労働市場の中で低賃金構造のしずめ石として部落差別は作られている。おそらく同じような帝国主義下のしずめ石として植民地収奪にさらされて日本に強制的にあるいは半強制的に移住させられた韓人労働者がいる。それらが日本の資本主義の低賃金のしずめ石なるという研究の仕方は、60年代に支配的でした。そうではなくて、河さんの話ですと、下層労働市場だという限定がまずあるわけですね。全体の資本主義の構造というよりは、これは下層労働市場で発生している問題だ、そういうふうに問題を定義すると、戦後の移民労働者の問題にまでその視角というのは展開できるものだということになる。それは非常に重要な問題提起です。そのように、移民労働者の問題を考えるということが、同時に行動的特性の分析にもつながります。そこで研究客体としてのより踏み込んだ研究につながっていくと思います。しかしそういう意味で、移民労働者の問題を移動の合理性として立てていくのは、決してまだ支配的ではないですね。

(河) はい。少なくとも戦前の在日韓人を移民としてとらえるのは少数派です。また、在日韓人と被差別部落民とが、下層労働市場で競合したと言いきるのも、おそらく私が始めてではないかと思います。だからこそ、こうして私が、友常さんからインタビュ−を受けているんだと思いますが、いかがでしょうか。(笑)

(友常) おっしゃるとおりです。さて、被差別部落民と在日韓人との下層労働市場での競合の端緒は何だったのでしょうか。

(河) 中小零細企業が集積する工業地帯近隣の被差別部落での両者の混住です。ここからが第二の論点、つまり韓人が日本労働市場において、いかなる行動をしたのか、という移民労働者の行動的特性や適応性の問題となります。

(友常) 従来、韓人が住居を被差別部落や、その周辺に定着したことはよく知られていましたが、それも韓人の特性とみなしてよいのでしょうか。

(河) はい。一般の日本人下層労働者は、被差別部落には定住しなかったと思います。住所が被差別部落やその近隣だと部落民とみなされ差別される可能性があるからです。ただ、移民間もない韓人の場合は事情が異なります。日本の社会事情に疎いというか、被差別部落がどういう状況におかれているのかを知りませんでした。被差別部落やその周辺に定着することについて、一般の日本人よりも、抵抗感が少なかったと思います。たとえば、中央融和事業協会が、1925年から1935年まで、大阪府内の九ヶ所の被差別部落への新規移住者・約1千2百人の出身地を調査したところ、その七割強が朝鮮でした。

 被差別部落に移住した韓人古老に対して聞き取り調査を行ったのですが、自分は被差別部落だとは知らないで住んでしまった、気付いてみたら白丁がたくさん周りに住んでいた、というんですね。認識に若干ずれがありますが。(笑)だからといってそこを離れるわけではありません。その古老も、今日まで60年以上、そこに定住しています。

 問題は韓人の被差別部落流入経路です。韓人の目的は出稼ぎのための就労です。そこで彼らの就労経路から被差別部落流入経路を推論しました。戦前の京阪神行政調査によると絶対多数の韓人は、知人を通じて職場を斡旋してもらう個人紹介や個別的な就職活動による自己志願などによって就労しました。個人紹介は、紹介者と就労希望者とが同郷であるか否かという地縁を紐帯として実行されました。他郷出身者を紹介することが稀だったのは、出身地毎の反目や方言による言語の不通などが原因でした。済州島出身者は、とくにそういう傾向が強かったようです。

しかし、個人紹介は、移民当初から可能だったわけではありません。工場主の韓人紹介者に対する一定の信用に基づき成されたものであり、それは多くの場合、その工場での先駆的就労者=紹介者の就労実績によって培われたものであったと考えます。

(友常) 本書で先駆的就労者の就労経路を重視した理由はそこにあるのですね。

(河)はい。先駆的就労者の就労経路は、日本企業の朝鮮現地での労働者公募とそれ以外とに分類できます。朝鮮紡績と呼ばれた岸和田紡績は前者の典型でしょう。しかし、労働者公募は大戦後の不況により減少します。

 問題は後者です。就労先が定まらずに漠然渡日した無計画渡日者の就労経路です。彼らは時代が下るに連れ急増しました。山口県警特高課が、下関に上陸した韓人の所持金を調査したところ、約67%が五円未満の金しかもっていませんでした。次ぎなる行動は、労働予定地への移動ですが、彼らが購入した電車の切符を調べた大阪市調査から、その多くが京阪神に向かうことを知ることができました。阪神の企業による労働者公募が影響を与えていると思います。彼らが京阪神の目的地にたどりつくまで、小額の所持金は交通費や食費に費やされます。目的地に到着する頃には、無一文状態になりました。

 彼らは、住居と職場を確保しなければならない。両者は同時に併行して行われたと考えます。しかし、職場はすぐにはみつかりませんので、当面の雨露をしのぐ住居の確保が優先されましたが、所持金はすでに使い果たしています。しかも当時の京阪神大都市部の借家難は深刻でした。つまり韓人の大部分は、レイシズムニよる入居差別以前に無一文なのでまともな住居を借りることはできなかったのです。

 韓人の次ぎなる行動は大まかに二つに類型化できます。一つは、沿岸、河川、湿地などの公有地や更地の原っぱなどの私有地にバラックや堀立小屋を建てました。もう一つは、被差別部落やスラムへの流入です。私が、注目したのは、被差別部落に流入した韓人です。

 被差別部落には、韓人を新規の住民として呼び寄せる理由がありました。低廉な家賃です。日雇い労働に一日従事すれば払っていける額でした。しかも権利金も保証人もいりませんでした。被差別部落には、又借りや又貸しの習慣がありました。たとえば、六畳一間の賃貸物件を借りている部落民が、その中の三畳だけを他人に貸したり、納戸を貸していたのです。それは正常な労働市場から疎外されていた部落民が、低額所得者であったことと関係があります。部落民は又貸しすることにより家賃支出を軽減したのです。権利金や保証金が要求されなかったのはそのためです。また、被差別部落に住んでみるとスラムとは異なり食料品の物価が安いのも韓人にとっては魅力でした。商業者が部落民の低所得に合わせたからでしょう。

味噌、醤油、塩などの小売の量も低く設定されていたようです。さらに、被差別部落の周辺に屠場がある場合、日本人が食べなかった牛や豚の内臓をただ同然で譲ってもらえたと考えます。焼き肉のホルモンの語源が、ほおるもん、つまり捨てるものからきているという説もあります。このような経緯により韓人は被差別部落に移住しました。

(友常) それがどのように下層労使市場での部落民との競合と結びつくのでしょうか。

(河) 被差別部落内やその周辺に朝鮮部落が形成されますが、その形成には、ある条件が満たされなければならなったと思います。その近隣に不熟練労働者である韓人を吸収する下層労働市場が存在することでした。韓人無計画渡日者の最大の関心事は就職ですが、すぐには見つかりません。低賃金であろうがなかろうが、差別されようがされまいが、人は生きて行くために働いて金を稼がなければなりません。何のあてもない彼らは、住居近隣を徒歩で徘徊しながら、工場前に張り出された求人の張り紙を目安として、飛び込みによる自己志願を根気よく実行しました。ただ、そういう求職活動には体力的にはもちろん精神的にも限界がありますので、遠出は敬遠し、近隣の工場を物色したと考えます。

 韓人は工業地帯近隣の被差別部落に定着したのです。その近隣に下層労働市場が存在したからです。たとえば、ゴム靴工業の集積地・神戸市長田近隣の番町部落などです。また、中には、被差別部落そのものが、伝統的部落産業の集積地だった場合もありました。皮革業の集積地・大阪市の西浜栄部落はその典型でしょう。韓人不熟練労働者の就職活動にもっとも適したのが工業地帯近隣の被差別部落だったということになります。この条件を満たした被差別部落では、両者の混住が促進されました。そして被差別部落内やその近隣にいわゆる朝鮮部落が形成されていくのです。

(友常) 韓人が部落民が携わっていた労働のまねをする、つまり労働模倣が行われたという重要な指摘をなされていますが。

(河)私は、韓人無計画渡日者が、被差別部落に流入・定着した時点で、彼らの職業が決定されたと考えます。韓人が、先住部落民の生業を模倣したからです。つまり、先住被差別マイノリティの就労実績は、後からきた出稼ぎ目的の韓人に就労先の目安を与えたと考えます。少なくとも出自による差別が少ないということは解りますから。被差別者は就労の際、能力以前に出自による差別を受けるのではないか、という一種の恐怖感をもちます。出自を隠し通せれば良いのですが、現実は難しいようです。日本には、履歴書に書かなければならない本籍や住所から、出自を判断し差別するという悪しき習慣がありますので、被差別者は履歴書をできれば書きたくなかったと考えます。仮に、虚偽を書いたとしても本採用の際、戸籍謄本提出によって解ってしまいます。部落民はそういう事情にあったと思われます。韓人の場合は、本籍を日本本土に移すことを禁止されていましたから、「本籍 朝鮮」と書かなければならず、日本名を使い堪能な日本語を駆使して日本人を装ったととしても出自が解ってしまいます。また、履歴書を書くほどの経歴がないということや、無学のため漢字が書けないということも履歴書提出をためらった理由でした。

雇い主も彼ら被差別マイノリティがおかれている状況を知っていますから、本人が働きたいといえば、履歴書をださなくても、明日から来な、ということになります。被差別マイノリティにしてみれば、出自を理由として門前払いをくらわない、門戸が開かれた職場だったのです。韓人も例外ではありません。彼らの就労は、先住部落民の就労実績によって門戸が開かれていたのです。

 また、そこは彼らにとって働きやすい職場だったともいえるでしょう。同じ境遇の仲間がおり、差別されることが少ないという意味で一種の安心感のようなものがあったと思われます。余談になりますが、私は、阪神淡路大震災の直前まで、長田のゴム靴工業地域を調査していました。ある神父から聞いた話ですが、ベトナム難民が長田に定住し、ゴム靴の内職に従事していました。低賃金だし、一日中、部屋に閉じこもって不健康だからという理由で、神父が就職先を斡旋しました。しかし、みんなやめて、長田に戻ってきちゃう。みな一様にゴム靴の仕事がしたいという。どうしてだと神父が聞くと、月給になれていないので不安だという。ゴム靴の内職は、出来高制なので一日の労働量がわかりやすい。目に見える形で終われば、その場で金をくれる、というわけです。しかも同胞とベトナム語を話してベトナムの歌を歌いながら楽しく仕事ができる。疲れたら休めるのも良いということでした。まさにマイノリティ的感覚だとは思いませんか。移民当初の韓人は、同じ様な感覚をもっていたと思われてなりません。働いた分だけ金をくれるということが、魅力だったと思います。

(友常) 時間感覚につての階層差、近代的な時間というものを機械から疎外されているから長期的な展望で将来を考えたり、貯蓄したりする習慣を持たないからなんだと下層労働者をブルデューは説明するんですが、そういうふうにするよりもむしろ、不払いとか労働意欲の発生が感じられるような就業形態からの説明ができますね。

(河) 被差別マイノリティの立場からすれば、お金は嘘をつかないということになるでしょう。マジョリティと同じ権利行使を可能とする唯一の手段でした。被差別者として疎外感が強くならざるを得ない人間というのは、目に見えるものしか信じないという意味で実証的になります。毎日、働いた分だけの金をもらえるというのは、彼らに安心感と満足を与えます。月給というのは、移民間もないマイノリティには馴染まないですね。被差別マイノリティの生業が、現金商売に遍在集中するのは、そのためです。

(友常)水平社運動の昂揚も韓人の雇用を拡大したと指摘されていますが、その点いかがでしょうか。

(河)中小零細企業が部落民を低賃金および長時間労働で使用したのは、それが企業存立上の絶対条件だったからです。経営者からみれば、通常の労働市場から閉め出されている被差別部落は低賃金労働力の安定した供給源であり、しかも不況の際には容易に解雇できる従順な労働者とみなしていたと思われます。ところが、1920年頃から事情が変わります。労働運動が昂揚したからです。1922年には水平社が創立されました。それは、下層労働市場で低賃金を甘受させられていた部落民の労働者としての権利意識を高めました。逆に、そのことは中小零細事業者にとって、最大の不安だったと考えます。組織的な労働争議へと発展していきますから。けれども低賃金労働者は確保しなければなりません。

ちょうどその頃、比較的権利意識の低い新たな被差別マイノリティが、工場近隣の被差別部落やスラムに流入し、自己申込みによる就職活動を開始したのです。植民地民族の韓人は、中小零細業者から、部落民よりも低位な階層、従順なる低賃金労働者とみなされ代替労働力として利用されたと考えます。その目安になったのが、両者の労働運動に対する国家・社会的許容度だったと思われます。韓人による組織的労働運動は、朝鮮独立運動と結びつく可能性が高く、実質的に内政問題にとどまるものではありませんでした。内務省や特高によって徹底的に弾圧されたのはそのためです。もちろん水平社運動も弾圧されましたが、それは内政問題にとどまる性格上、ある程度は許容されていたと考えます。そのことは中小零細業者からすれば、彼らを雇い入れる際の判断基準になったと思われます。当時はいずれの工場においても労働争議は現実性を帯びていたからです。つまり、部落民よりも抑圧されていた韓人を雇うほうが、労働争議のリスクが少なかったのです。結果、部落民の雇用機会は減少し、韓人のそれは拡大されたと考えます。

京都における被差別部落民と韓人

(友常)その際の仕事をかなり詳細に調べられていますね。京都の場合だと西陣織と友禅染。それが在日韓人と部落民に多いと部分的にはいわれていましたが、河さんの本で論証されたと思います。

(河)京都は被差別部落が多い地域です。戦前の京都市調査によると、三條部落では、韓人排斥運動がおこり、彼らを新規の住人として受け入れなかったと報告しています。しかし、それは例外で、大部分の被差別部落では、韓人を新規の住民として受け入れました。

 戦前の在京韓人の典型的生業は、西陣織りや友禅染めなどの織物染色工、土方、ボロチャンサと呼ばれた屑生地回収業、その他となります。それらの生業は、韓人がいずれの被差別部落に流入・定着したかによって決定されたと考えます。たとえば、養正部落流入者は友禅染めに、崇仁部落流入者は土方に従事しました。それは韓人が、先住部落民の生業を模倣した結果であると考えます。一世による労働模倣は、二世、三世に引き継がれます。彼らは親や親戚、同じ地域に住む先輩や知人の生業に従事する場合が多いことが解りました。多くの場合、養正部落の二、三世は友禅染工業に、崇仁部落の二、三世は土方にそれぞれ従事したのです。

(友常) 友禅染工業での部落民と韓人との関係をどのようなものだったのでしょうか。

(河)京都の友禅染工場は、室町の問屋街に近い堀川を中心に集積していました。しかし、1924年に京都市都市計画により工業地域が指定され、友禅染業者は、移転せざるを得なくなったのです。しかし、工業地域ならどこでも良いということではありません。友禅染めの特徴は、織物生地への後染めです。多品種の染料によって染色し、蒸し箱に入れて密閉し、蒸気で蒸します。これを蒸しといいますが、夏は地獄の暑さだったといわれています。この蒸し業を担ったのが韓人でした。その後、染め生地の表面に附着させた色糊を流水で洗わなければなりません。これを水洗といいますが、川を利用して行われたため冬が苛酷でした。その作業には大量の水が必要です。

1920年の後半から、この水洗業を担ったのは韓人でした。日本人の心の故郷といわれる京都の風物詩として観光の目玉にもなっていた友禅流しを想起して下さい。それは、実は被差別マイノリティによって担われていたのです。また、友禅染めは生地が10メートルを超えるものもあり、水洗後にそれを乾かすために広い場所も必要となります。設備投資をせずに両方の条件を満たせるのが、川の側ということになります。堀川を追われた友禅染め業者が、太秦や高野・一条寺などの川の近隣に移動したのはそのためです。京都の場合、川の側には、被差別部落があります。その中の一つを調査しました。

(友常) 洛北と呼ばれる高野・一条寺近隣の養正・田中部落のことですね。

(河)はい。戦前に田中部落に移住し、戦後、友禅染めで成功した韓人古老は、1920年代後半には、すでに韓人の蒸しや水洗業者が存在したと証言しました。京都商工会議所による友禅染調査も同様の指摘をしています。問題は、彼らの就労経路です。京都の友禅染め工場が、朝鮮現地に赴き労働者を公募したことはありません。ただ、来京間もない韓人が、いきなり事業主になるとは考えられません。その先駆的就労者は、飛び込みの自己申込みによって友禅染め工場に就労した無計画渡日者であったと思われます。彼らは何年か勤務する過程でスキルとノウハウを修得し、独立したと考えます。

しかし、徒弟制度を採用している友禅染工業界では、最低でも三年間は、運搬や掃除などを担当する追い回しと呼ばれる下働きをしなければなりませんので、韓人の先駆的就労の嚆矢は、早くても1920年代前半ということになります。

私は、被差別部落に移住した韓人は、先住部落民の生業を模倣したという仮説を主張しています。その大前提となるのは、田中部落の先住部落民の洛北友禅染め工業への就労実績です。

(友常) 聞き取り調査から有効な証言を得られたのですか。

(河)だめでした。私は、聞き取り調査に関する限り、韓人問題よりも部落問題の方が困難だと感じました。とくに、一般日本人は口を閉ざします。たとえば、友禅染会館の職員に、韓人の友禅染工業就労について質問したところ、戦前の友禅染めには、半島の方が多く携わっていた、と躊躇なく答えてくれましたが、部落民はどうか、と質問したところ、一瞬顔色をかえ、忙しいので、といって逃げるように立ち去ってしまいました。

そこで京都部落史研究所などを利用して資料収集に尽力したところ、『大阪朝日新聞』や『京都日々新聞』などから、1930年頃、洛北友禅染工業界で起こった労働争議に、田中水平社が関係していたことを知りました。つまり、田中部落の部落民は、洛北友禅染め工場に就労していたのです。

次ぎに、問題となるのが部落民の先駆的就労時期でした。それは京都市民政局『友禅労働者の実態−京都市養正地区における調査』から、1918年以前であったと推論しました。つまり、部落民は、韓人よりも早い時期から洛北友禅染めに就労していたことになります。田中部落の典型的生業は、土方と廃品回収などでしたが、一部とはいえ、友禅染めに従事する部落民が存在したのです。就労者数よりも、部落民が皮革や靴などの伝統的部落産業以外の新しい業種に雇われたという就労実績が重要なんです。それは後身の被差別部落民の雇用機会の拡大をもたらしました。そういう状況下で韓人が田中部落に移住してきたんです。

彼らに、幸いしたのが、加茂川や高野川に近接する田中部落の自然環境でした。職を求めて転々としたであろう初期の韓人無計画渡日者は、加茂川や高野川で行われていた部落民による水洗作業を目撃し、その就労を知ったと考えます。部落民であっても出自を問われず採用されるという事実は、韓人に希望を与えました。彼らは部落民の生業を模倣すべく洛北友禅染工場に自己申込みを行い、その中の一部が採用されて先駆的就労者になったと思われます。戦前から田中部落に定住している元友禅染工の韓人古老に、その就労理由を尋ねると、家から近かったから、と答えています。つまり田中部落から、友禅染め工場が移転した高野・一条寺までは徒歩で移動可能な通勤圏だったのです。その古老は、無計画渡日者でしたが、職業に特別な希望をもっていたわけではありません。生きていくために、働き場所を求めて徘徊し、飛び込みによる自己志願を行ったのです。

(友常)西陣織りはいかがでしょうか。

(河)西陣織りには独特な賃機制度があります。西陣織手は、親方と呼ばれる家内工業者との間に徒弟関係を結びます。親方も織元に従属し、生産材料の大部分を依存しなければなりませんでした。移民初期の韓人は、住み込みの織手となり、宿舎と食糧を確保したと考えます。

 西陣は、商業資本家に支配されている囲いのない工場のようなものでした。そこには「出機有り」とか「織手募集」いう求人張り紙が出ていました。それを目安にした自己申込みによって先駆的就労が可能になったと考えます。西陣織手であった韓人古老によると、職を探して西陣を歩いていると「織手募集 但し内地人に限る」という張り紙に憤慨し、それを「織手募集 但し朝鮮人に限る」書き換えて乗り込んだそうです。親方は、彼を一瞥して張り紙を見なかったのか、帰れ、と怒鳴ったそうです。すると彼は、みてきた、と書き直した張り紙をつきつけました。親方は、あきれたようです。彼は、まじめに働くから、一度でいいから雇って判断して欲しい、と懇請したようです。

結局、親方がおれ、様子をみようということで、何とか、住み込みで働けることができるようになります。たとえ与えられた部屋が南京虫がたくさんいるせまくてきたない部屋であっても屋外よりはましだったのです。その古老は、はえのたかっている腐った飯を食わされたと証言しています。けれども飢えるよりはましだったのです。もちろん自己申込みを行ったすべての韓人が雇われたわけではありません。中には、すぐに辞めさせられる人もいました。しかし、辞めさせられなかった韓人は、親方との間に信頼関係を築いたようです。彼は先駆的就労者となり、同郷の韓人の就職を斡旋することが可能となります。親方は、朝鮮人だけどあいつが紹介するならまちがいないだろう、ということになったようです。このように、先駆的就労者の就労実績に基づいて次々に同郷の韓人が雇われて行ったのです。

(友常)不熟練労働者であったはずの韓人が、何故、西陣織りに従事できたのでしょうか。

(河)西陣織の技術は六ヶ月あれば習得可能な簡単なものだったからです。とくにビロ−ド生産は簡単でした。伝統的部落産業である下駄製造業者との関連が深まります。在京韓人は、下駄の鼻緒を作ることになったのです。奈良の被差別部落民の下駄業者との関係が深かったようです。

(友常)戦後も両者の関係は継続したのでしょうか。

(河)はい。敗戦直後、韓人は解放国民となり、いわゆる治外法権と類似の状況におかれました。たとえば、韓人が京都駅前のヤミ市で活動したとしても、京都府警はそれを取締まることはできませんでした。ヤミ市は、日本人、韓人を問わず野心的な人たちにとってまたとない経済的機会でした。部落民も同じです。物を作れば高値で売れるのですから。しかし、部落民は日本人ですので、警察に摘発されます。そこで部落民業者の一部は、韓人との関係を一層深めていったようです。西陣織手だった韓人古老によると、奈良の部落民下駄業者が、奈良県警に捕まった際、特別親しい関係でもないのに身元引受人として助けに来てくれと懇請され、助けてあげたそうです。

神戸における被差別部落民と韓人

(友常) 神戸の場合は、どうでしょうか。

(河)戦前の神戸市調査によると、韓人が流入した被差別部落は、葺合の新川部落と林田の番町部落です。新川部落の韓人は、土方や仲士といった屋外肉体労働従事者が多かったようです。新川部落民の生業を模倣したものと考えます。

 問題は番町部落流入者の生業です。もともと番町部落の生業は農業でした。それが神戸のマッチ工業の勃興により変化します。初期のマッチ工業は、かなり危険な作業で、囚人の労働としてスタ−トしました。やがて囚人による製造は廃止され、零細な民間業者が群生します。その際、重要な役割を担ったのは華僑商人でしたが、その説明ははぶきます。 零細業者の存立基盤は低賃金労働力です。しかもマッチ工業は労働集約型工業であり、利潤の根源である量産を生産手段の機械化に求めるのではなく、もっぱら低賃金労働力の確保に求めました。ですからマッチ業者の成功は、低賃金労働力の確保如何にかかっていたのです。そこで彼ら零細業者たちが注目したのが、番町部落の部落民でした。低賃金で雇えるからです。新興マッチ業者たちは、低廉な部落民労働力を求めて番町部落近隣に工場を建設したのです。そして部落民も、それに応えるかのようにマッチ工になりました。

(友常)マッチ工業は、神戸に限らず明治30年くらいから部落の生業となります。硫化硫黄を使いますので大変危険な作業でしたが、職業選択の自由を奪われ、生きて行くためにはどんな危険があっても、またどんなに安い賃金でも働かざるを得なかったと思います。

(河)このような経緯により、林田はマッチ工業の集積地となります。番町部落の生業にマッチ工業が加わったのです。少数ながら韓人のマッチ工も確認されています。部落民の生業を模倣したと考えます。

 しかし、大戦終了後、スウェーデンマッチが市場を席巻し、日本のマッチ工業は苦境に立たされます。とくに、零細業者が多かった林田のマッチ工業は深刻でした。大部分が廃業に追い込まれます。当然、部落民の失業者も急増しました。この苦境を救ったのが、新たな産業として台頭したゴム靴工業でした。その嚆矢は、奈良の部落産業で修業した後、林田にもどって開業した部落民業者であったと私は考えています。前述したように、零細業者の存立基盤は低賃金労働力です。しかもゴム靴工業は、マッチ工業同様、労働集約型工業です。当然、新興のゴム靴工業者は、低賃金労働力を希求します。林田にゴム靴工場が群生したのは、衰退したマッチ工業から大量の低賃金労働力を吸収することができるという目論見があったからだと思います。また、マッチ工場からゴム靴工場に転業する業者もあらわれました。結果、マッチ工から、ゴム靴工へと転職する部落民が続出したのです。

 ちょうどその頃、番町部落には新たな被差別マイノリティが増加していました。韓人です。番町部落に流入した韓人無計画渡日者は、近隣の林田ゴム靴工業地域、現在の長田を徘徊し、求人の張り紙を目安に飛び込みの自己申込みを行ったと考えます。そしてその一部はゴム靴工業に就労しました。それを容易にしたのは、番町部落の先住部落民が、すでにゴム靴工業に就労していたからだと考えます。


大阪における被差別部落民と韓人

(友常)大阪はどうだったのでしょうか。

(河)大阪は日本有数の工業の中心地ですが、中小零細企業の比重が高いことでも知られています。そのことは、大阪が潜在的に低賃金労働力需要が高いということを意味しています。1930年の第三回労働統計実施調査によると、被調査工場の六割にあたる562工場が韓人を採用しています。しかし、この調査は韓人の主たる就労先であった零細企業を調査しておりませんので、実際の韓人採用工場はそれ以上だったと考えます。韓人はありとあらゆる工場労働に進出しました。とくに、ガラス工業の窯業への就労は顕著でした。大阪市内の窯業労働者の3人に1人は韓人だったと報告されています。

 また、戦前の大阪は、スラムや被差別部落などの不良住宅地が多いことでも知られています。そこは京都や神戸同様、韓人の移住先となりました。京都や神戸と異なるのは、大阪の工場労働に積極的に従事したのが済州島人だったということです。済州島人は、朝鮮本土の人たちからは差別されていました。朝鮮本土の韓人は、彼らを作業服と比喩したといわれています。そういう人たちが大阪に一極集中し、工業労働に従事したのです。

(友常)部落民と韓人とはどのような関係だったのでしょうか。

(河)京都や神戸と似ています。まず、大阪の韓人も被差別部落に移住しました。そこには保証人も権利金もいらない廉価な借家があったからです。また、被差別部落内やその近隣には、韓人を容易に雇ってくれる下層労働市場が存在しました。そして韓人は、先住部落民の生業を模倣したのです。たとえば、西浜栄部落と三開部落の部落民が従事する職業には必ず韓人が従事しており、中には、その従事比率が部落民を上回るものもありました。とくにこの傾向は、工業において顕著でした。西浜栄では17業種中、10業種において、三開では18業種中、11業種において韓人の従事比率は部落民のそれを上回ったのです。先住部落民の職業模倣は、何も市内に限ったことではありません。たとえば、大阪府泉北郡信太村と八坂町の被差別部落に移住した韓人総世帯の三割に当たる80世帯が、部落民の生業であった人造真珠工業に従事しました。


韓人が就労した工場労働の共通点


(友常)韓人が就労した工場労働の共通点は何でしょうか。

(河)第一に、その大部分が一般の日本人が忌避する低ステ−タス産業だったということです。たとえば、京都の友禅染めといえば、百貨店で展示された高価な高級品というイメ−ジがあります。しかし、旦那衆と呼ばれた商業資本家や先生と呼ばれる図案作成者を除けば、生産者のステ−タスはそれほど高くはありません。戦前の韓人の場合、追い回しの奉公が終わると、蒸しと水洗の職人見習いになったようです。蒸しも水洗も工賃が相対的に安いわりには重労働なので、いやがられる仕事でした。何らかのアクシデントにより、完成品の色が落ちたり、傷ついたりした場合、職人がペナルティーを課せられ買い取らされるんです。さらに、戦前の京都では友禅染めに限らず、職人は極道商売といわれていました。たとえば、職人間の博打が盛んだったようです。花札はもちろん、シラミを走らせて早さを競わせたりしたようです。親方が賭場を開いて職人の賃金を巻き上げるということもよくありました。

(友常) 低ステータス産業だったいうのがポイントなわけですね。それは部落民と韓人とが競合する仕事にも共通しているように思います。

(河)第二に、工程作業が複雑で機械化に適さない労働集約型工業でした。また、季節や流行によって需要が左右されるため、大量生産にも限界があり、多品種少量生産にならざるを得ない工業でした。つまり大企業が参入しにくい業種です。そのためその生産を担うのは、中小零細企業ということになります。これら業者は資本力に限界があり、商業資本に従属せざるを得ません。商業資本主導により、生産工程毎の分業が促進され、小さな零細事業者が増加します。分業の促進は、作業を簡易化します。不熟練労働者であっても比較的短期間でその生産技術の修得を容易にしました。不熟練労働者であった韓人が雇われたのはそのためです。

 そして地域全体があたかも囲いのない工場になりました。京都の西陣、神戸の長田、大阪の西浜栄などはその典型でしょう。零細業者の存立基盤は低賃金労働力です。分業が促進されて零細業者が増えれば増えるほど低賃金労働力需要が高まります。韓人は、その低賃金労働力需要に適応したと考えます。

韓人は、何故、被差別部落民との下層労働市場における競争に勝利できたのか


(友常)1920年代の段階で、被差別部落は収入が非常に不安定になっているという調査があります。不熟練労働に従事する部落民の構成比の変化も現れています。それは河さんの結論、つまり韓人労働者が京阪神下層労働市場において部落民と競合し、それに勝利したということです。それはいかにして可能となったのでしょうか。

(河) 戦前の韓人は、同種の労働に従事した日本人労働者よりも相対的に低賃金でした。にもかかわらず、戦前の行政調査は韓人の一部に余剰金が生じていると報告しています。それを郷里に送金したり、貯蓄したというのです。余剰金の多寡よりも、出稼ぎ労働者としての目的を達成できた人々が存在したという事実に注目しました。彼らの大部分は、単身渡日者だったと思われます。

 低賃金労働者であった彼らが、如何にして余剰金を生じさせたのかが問題となります。行政調査では、韓人の生活費が低いから、それが可能になったと推定していますが、それよりは、むしろ移民労働者となった彼らが、植民地朝鮮に進出した中国人移民労働者同様、生活費をあえて抑制したと理解すべきです。在日韓人の大部分は、日本に永住するために渡日したわけではありません。そこが部落民と違うところです。部落民は日本人ですから日本以外に帰るところはないんです。ですから生活費支出を抑制するにも限界があります。しかし韓人は、苦しくても、それは一時的なものであって、帰れる郷里があると考えたはずです。彼らは郷里の家族のために送金しなくてはいけない。だから日本での生活を切り詰めたと考えます。生活レベルに対する欲望は、在日歴が長くなるに連れ、徐々に芽生えてくると思うんです。それは定住によってもたらされた同化の所産です。

 韓人は多くの場合、下層労働市場での部落民との低賃金競争に勝ちました。大阪の西浜栄や三開の事例を見てみましょう。そこは、部落産業の皮革・製靴工業の中心地であり、その従事者の大部分が部落民でした。皮革・製靴工業は一般人の就労が稀であったという意味では、閉鎖的な労働市場を形成しており、そのことが部落民の雇用機会を保障したともいえるでしょう。ところが、相対的低賃金を武器とする韓人の登場はその状況を変えました。つまり、韓人移民労働者の皮革・製靴工業への就労によってもたらされた直接的効果は、相対的高賃金であった部落民の失業や雇用機会の減少だったのです。それが可能であったは、韓人が生活費の支出を押さえることができたということにつきると思います。移民労働者である韓人の行動的特性といえるでしょう。その際、重要な役割を担ったのが、韓人が経営した下宿業でした。たとえば、1923年の大阪市調査によれば、韓人下宿業は、一畳当たり2.17が住んでいることになり、押入も、縁縁も、台所も韓人であふれていたと報告しています。大阪市調査では、被差別部落民の密住実態が指摘されていますが、韓人は、それよりもさらに密住の度合いが高いことが判明しました。たとえば、1929年に実施された調査によれば、東成区中浜町の韓人の一戸当たりの平均居住者は、22.5人です。1928年11月の大阪市の一戸当たりの平均居住者が4.3人ですので、雲泥の差といわねばなりません。

 大阪市の西浜栄部落と三開部落でも比較しました。いずれにおいても部落民より韓人の方が密住の度合いが高かったのです。たとえば、西浜栄部落の場合、一人当たりの畳数が二畳以下の部落民世帯は、部落民世帯総数の35.○%であるのに対し、韓人は韓人世帯総数の62.7%でした。三開部落の場合、部落民世帯は41.3%であるのに対し、韓人は71.6%となります。このように、韓人は、混住者である部落民よりも、住居費支出を抑制していたのです。

(友常)その指摘も従来見落とされていた視点だと思います。本書では、生活費支出の抑制を韓人の行動的特性とみなしており、それを実行しうる者だけが、下層労働市場における低賃金労働力需要に継続的に適応することが可能であった、と主張されていますが、それはどういう意味でしょうか。

(河)求職出稼ぎを目的とする韓人は、何よりも就職を優先しなければなりません。彼らが進出できたのは、下層労働市場でしたが、その雇用は不安定なものでした。わずかな付加価値しか生まない不熟練労働は、新たな低賃金労働者の出現によって容易に代替されるからです。新たな不熟練労働者として、既存の韓人就労者の脅威となったのは、実は、新規渡来の韓人だったと思われます。彼らが就労を優先するあまり、すでに就労している韓人よりもさらなる低賃金を武器とし、その下層労働市場に進出しようとしたからです。日本政府が、中国人移民労働者の内地への入国を規制していたこともそういう状況をもたらした要因であったと思います。日本には、朝鮮不熟練労働市場で韓人離農者の前にたちはだかった中国人移民労働者というライバルが存在しなかったのです。

 雇用を脅かされた韓人の一部は、労働争議によってこれに対処しました。しかし、それは全部ではありません。既存の韓人就労者の一部は、生活費支出抑制に慣れていましたから、余剰金の形成にこだわらなければ、自己の低賃金をさらに低下させても生活することができました。つまり余剰金の額を一定の目安として、賃金をさらに下げることにより、その雇用を確保したのです。この韓人間のいわば生存競争が、その下層労働市場における低賃金のさらなる低下を促進しました。これが日本下層労働市場における低賃金構造の維持と強化をもたらした要因であったと考えます。そのことが結果として、韓人よりも相対的に高い賃金で、生活費支出の抑制に限界のあった日本人下層労働者、とりわけ部落民を失業の脅威にさらしたのです。


部落民と韓人との反目と今後の課題

(友常) 内部の識別についてはどうでしょうか。非常にインフォーマルな交渉関係があって、それは杉原達さんの『越境する民』でも指摘されている「対面関係」という視点にかかわります。河さんが指摘されているおもしろい問題としては、初期のレイシズムというものが近代社会で支配的になるとして、対面関係によるマイノリティ同士のレイシズムはイデオロギーとしてのあるいは公的言説としてのイデオロギーと少し違う。

 杉原さんが紹介されている例ですと、代書屋の例がでてきまして、済州島出身者を相手に代書屋が商売するということですが、やりとりがうまくいかないと、韓人が変な言葉を発して逃げていく。それはていねいに分析していくと、実は済州島の方言だったということがあります。これは落後の話なんですね。そのような形での対面関係が発生していた。先ほどのお話でも、内地人に限るというビラを書き換えていきますね。ねばり勝ちなのかもしれませんが、それでも発生する関係ですが、市場をめぐっては厳しい対立関係があったけれども、またそういう関係もあったということですね。その中で説明はされなくても、あいつは部落出身だとか、どこの出身だとかいうことがお互いにわかってしまう。そういうものが発生している空間は・・・・・・。

(河) 被差別マイノリティは敏感です。とくに、普段、出自を隠している人はその傾向が強いと思います。わかるんですね。相手の出自が。それを説明するのは難しい。感覚的なものだと思います。たとえば、西陣織り業者の中には、韓人もいれば部落民もいます。在日韓人業者は日本名を使っていますし、二世以降になると京都弁もうまいので、識別は困難です。部落民は出自を公表しません。ですからマジョリティの業者にはわかりません。けれどもマイノリティ同士は意識しているのです。交流はないんだけど、お互いの出自を知っているんです。

(友常) 京都では部落問題と在日韓人問題との一つの接点として「オールロマンス事件」というのがありました。ここでは触れませんが、当時の韓人と部落民とはどのような関係だったと考えますか。

(河)両者は基本的に避けていたと思います。喧嘩はしないんですけども、お互いに見下していたと思います。一部の人は連帯したかも知れませんが、それは少数派です。韓人、とりわけ一世は自分のことを両班の末裔だと信じていました。今は没落しているが血統的に正しいという確信があります。一世は、朝鮮の被差別民衆・白丁を部落民におきかえながら、乱暴な言葉を使えば「あいつらと自分は違うんだ」という優越感をもっていたと思います。部落民の方も乱暴な言葉を使えば「あいつらは植民地民族の二等国民だ」という優越感をもっていたのかも知れません。しかし、両者は反目していても社会経済的には結びついていました。このインタビュ−でふれたとおりです。

 また、両者は混住したのですから、生活面でも何らかの結びつきをもっていました。たとえば、田中部落出身の二世の韓人は、父親が食用の赤犬を捕また際、自分で殺さなかったといいます。部落民の屠殺業者に金を払って依頼したそうです。赤犬は彼の目の前で屠殺されました。その光景は、今でも忘れられないと証言しています。関西地域の被差別部落やその近隣で生まれ育った韓人は、多かれ少なかれ、そういう体験をしているようです。

(友常) 政策的な契機が入ってきて発生するイデオロギーがあると思いますし、またそれが介在しないである種やったりやられたりというルールがある世界では差別があっても、競合しても、共存する関係が対面関係の論理だと思います。差別があるわけだけれども、実体的にレイシズムになっていくということとは少し局面が違うということです。それ全部を同じ差別、レイシズムだと考えるとちょっと問題がありますね。

(河)在日韓人問題に関する限り、レイシズムのみを強調すべきではありません。在日韓人は差別されているといいながらも、実は、経済的活動は許容されていました。そうでなければ、ロッテ、大和製罐、平和、モランボンなどの企業は存在していません。もちろんそれは組織的闘争により勝ち取った権利です。けれども経済的活動すら保障されていないマイノリティが世界には存在します。韓国の被差別マイノリティ・華僑はその典型です。在韓華僑は、約1万8千人です。彼らは経済的活動を法制度的に規制されています。しかし、民族教育は保障されています。在日韓人とは対照的です。日本政府は、在日韓人子弟に対する韓民族的教育の保障には消極的です。基本方針が同化だからです。逆に、韓国政府は、在韓華僑子弟に対する漢民族的教育を保障することにより、同化を阻止しようとしています。中国人で中国語ができれば、海外で生活できるだろうということで民族教育を保障しているわけです。そのかわり華僑の経済的活動は規制します。日本とは逆なのです。彼らは韓国政府の思惑通り、海外に移住します。行く先は台湾が多いようです。しかし、台湾でも韓国語訛の中国語をしゃべるという理由で疎外されるようです。横浜中華街周辺にもそういう事情で日本にきた華僑がいます。

(友常) その視角はかなり有効だと思います。先ほどの「対面関係」という領域を設定されたということが河さんの議論で重要なところだと思います。エティエンヌ・バリバールなんかがいっているレイシズムというものとは違う差別の論理はあるんだけれども、共存関係の領域を設定できるということは、一枚板で差別を語るのではなくて、杉原達さんの議論でいうと、帝国主義国家をどう考えるのか、こちらからどう構成するのかということです。マイノリティに対する差別があるということが当たり前のことであって、それとどういうふうに向き合ったり、つきあったりしていくのかというとで問題を立てると、全く違うようなアイデンティティの取り方とか、マイノリティにとっての社会という考えがでるんではないでしょうか。
最後に、被差別部落民問題と在日韓人問題との方向性について、どのようにお考えですか。

(河) 被差別部落問題と在日韓人問題とは、それぞれの研究者に別次元の問題とみなされ、乖離してきたような気がします。それぞれの差別改善運動も同じ状況にあります。しかし、それは改善すべきです。両者は、日本における被差別マイノリティという点で、歴史を共有しているからです。とくに、過去の両者の歴史は総括しなければなりません。部落民や韓人、そしてそれを支えてきた日本人も、差別はいけない、差別をなくせ、と主張してきました。しかし、両者は、一部とはいえ、お互いを差別してきたと思うんです。

差別は誰にでも味わえる快楽です。自分が受けた差別を他人に転嫁することほど、気持ちの良い行為はないのかも知れません。また、両者には感情的にしっくりいかない事件があったはずです。田中部落で生まれた在日二世の人は、部落民は許せないといいます。彼が子どもの頃、同和事業の一環として田中部落に市営住宅を建設することになりました。そこに混住していた両者は、一時立ち退きの条件として市営住宅への優先的入居権を連帯して主張し、京都市と交渉したようです。彼はきれいな家に引っ越せると親から聞き楽しみにしていたそうです。しかし、彼の期待は裏切られました。市営住宅建設後、部落民は約束通り入居できたのですが、韓人は外国人であることを理由に入居を拒否されたのでした。結局、彼の一家は田中部落を離れました。彼は引っ越しのトラックの中で両親に、きれいな家に引っ越せないのは何故かと尋ねたそうです。すると両親は、白丁が裏切ったからだ、と答えたそうです。真偽はわかりません。しかし、少なくとも彼は傷ついたようです。そういう体験は、部落民の方もあるかも知れません。

ある韓人古老は、子弟教育のために、部落民の子女と同じ学区にならないよう引っ越したと証言していました。結婚の場合も反対されることが少なくありませんでした。このような関係は残念です。両者の歴史を総括した上で、お互いの差別意識に基づいた不幸な歴史を清算しなければいけません。そのためには、両方の研究者が共同で「在日マイノリティ史」なる歴史書を作成していく作業が必要です。難しいことですが、やらなければいけない課題であると思います。

(友常)聞き手としての私は今日は本当に勉強させていただきました。河さんの研究を踏まえて、部落問題と移民労働者問題の共同研究が確立できるといいと思います。本日はあがとうございました。
http://www.jita.jp/kawa/text/hyouron-1.html


28. 中川隆[-6271] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:48:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮人強制動員被害のはなし 過酷なタコ部屋は 11カ所あった - 東川町
https://town.higashikawa.hokkaido.jp/living/.../2010-12-06KYOUSEI_ROUDOU.pdf

太平洋戦争前の戦前から戦後にかけて、忠別川流域の東川町内であったといわれる朝鮮人強制労働の実態解明調査を行っている「江卸発電所・忠別川 遊水池・朝鮮人強制連行・動員の歴史を掘る会」(近藤伸生代表)は昨年 10 月、掘る会メンバー6人と、東川町から企画総務課長も同行して慶尚南道に 調査へ行きました。


タコ部屋近くに住んでいた方、仕事 でたこ部屋に出入りしていた方からの 証言では、東川町内 11 カ所、旭川市東 旭川忠別地区遊水池の近く1カ所、東 神楽町3カ所の存在が今までに明らか になっている。およその位置は以下のようだった。

@東9号第一遊水池側(東川の方の証   言)


A東8号第一遊水池の向かい(同)   遊水池工事は、中国人を強制連行し てくる前は朝鮮人が働かされていた。 韓国で聞き取りの中でも当時朝鮮から 動員された方が証言している。


B東6号南(同)   第2頭首工から東川の 第2遊水池に向かう用水 路の一部では朝鮮人が働 かされていた。当時、中国人や朝鮮人がとてもひ もじそうだったので、工 事現場近くの農家の方が 日本人監督の分も含めて かぼちゃ、じゃが芋を蒸 かしたものを鍋に入れて人数分用意し、 そっと差し入れしたこともあった。


C志比内橋のふもと、東川寄り(元忠   別村の方の証言)   鉄条網を周りに張り巡らし、逃亡を 防ぐため囲いの中に犬が放されていた。 複数の方から犬と金網の証言が出てく る。江卸の工事現場から逃げ出した朝 鮮人を探すため、山狩りにはよく犬が 使われていた。

D熊の沢つり橋の手前(東川の方の証   言)


Eピウケナイ取水口の近く=2つたこ   部屋(同)


Fノカナンの沢取水口(同)


G小桧山温泉近く=ノカナンの沢の奥 (同)


H旧江卸発電所放水路の上(札幌市内   在住の方の証言)   学徒動員の学生と発電所技術者用の 小屋、その隣に朝鮮人のたこ部屋があ った。当時現場で学徒動員の学生と朝 鮮人が一緒になることはなかった。


I旧江卸発電所放水路の下(東川の方   の証言)


Jノカナンの沢と忠別川の合流点そば (元忠別村の方の証言)  


ノカナン、ピウケナイから出た土砂 で大きなずり山ができている。忠別湖畔の散策広場から対岸のずり山が見え る。親からは工事でなくなった朝鮮人 もあの中に埋まっていると聞かされた ことがある。  

当時、忠別村には江卸発電所の工事 現場から逃げてきた朝鮮人が何人もい たようだ。戦後、村の中で戦時中のこ とを自由に話せるようになって、初め てかくまって逃がしていた家が何軒もあったことが分かったという。

この村 では、朝鮮人が逃げてきたという密告 は一件もなかった。  

戦後しばらくたってから、

「逃げてきた人にご飯を食べさせ、母親が夜なべしてその人に合うように父親の服を 縫い直して着せて逃がした、というこ とが数回あった」

と親から聞いて当時 の事情を初めて知ったという人もいた。 逃がした朝鮮の人が、戦後お礼にやっ てきたことがあったという。   逃げてきた朝鮮人も、逃がした日本人も命がけの時代だった。  

母親から

「やせてシラミだらけの服 で命ごいをする朝鮮人を見て、『人間 をこんなにまでして』と思うと、とて も警察に突き出すことはできなかった」

と聞かされた。


江卸発電所・忠別川遊水池・朝鮮人強 制連行・動員の歴史を掘る会 代表 近藤伸生 

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北海道で行われた強制労働について 2011年06月19日


 北海道は今やクルマ社会であるといえるが、かつては、鉄道があちこちに張り巡らされて、道路が完全に整備されていなかった昭和30年代頃までは、鉄道が地域住民の足として機能していた。その鉄道建設工事の影には、たいてい強制労働がつきまとっていた。

 ここでは、北海道の強制労働の歴史について触れながら、私が入手した資料と現地で見聞きして得た、強制労働の実態を取り上げるものとする。

 北海道は、明治時代になって本州から移住民による開拓が行われるようになった。だが、未開の地であった為に道路がなかったので、まず囚人を使って道路を敷設する事にした。

 小樽から札幌の北を経て旭川方面に至る道路、旭川から北見峠を越えてオホーツク海の湧別・網走に至る道路、更に網走から標茶を経て釧路に至る道路等は、囚人の手によって造り上げられ、開拓民や屯田兵は、囚人の造り上げた道路を使って奥地を開拓し、入植をしていった。

 また、北海道の森林資源や鉱石・石炭資源が着目されて、鉱山等でも囚人労働が行われ、あらゆる土木工事で囚人労働が行われるようになった。

 ここで、鉄道トンネルに人柱が立てられた石北本線の常紋トンネル付近の鉄道工事がいかに過酷であったか、湧別線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …奔無加上生田原間ハ北見国常呂、紋別両郡境前後ノ深山幽谷ナルヲ以テ分水嶺ニ延長千六百六十余呎ノ隧道ヲ穿チ上リ下リ共四十ノ一乃至五十分ノ一ノ急勾配ヲ設クルモ尚ホ高築堤、深切取ヲ要シタル

此ノ区間ハ密林鬱蒼トシテ昼尚ホ暗ク時ニ猛獣出没スルアリ
人跡未タ至ラス固ヨリ既成道路ノ材料ノ運搬ニ特別ノ考慮ヲ要シ工事施行上困難ヲ極メタリ…

 この強制労働で使われた囚人は、明治政府の方針に反対して捕らえられた政治犯が多かったという。鎖に繋がれて死ぬまで労働をさせるので、死刑よりも過酷であるこの刑には反対の声が上がり、また、土木工事での労働力の不足から、明治中期には囚人労働はなくなった。

 しかし、未開の地であった事から、人を募集しても人が集まらない事は目に見えていたし、途中で脱落者が生ずる事も考えられた。また、公共の職業斡旋の形態ができあがっていなかった事もあり、民間業者が労働力をかき集めてある場所に幽閉し、劣悪な労働環境下で酷使する、いわゆるタコ部屋労働が行われるようになった。

 本州でも、タコ部屋労働はあったが、北海道では未開の地であった等の理由で労働者が敬遠する為に、後々まで行われたのである。

 民間の職業斡旋業者が、騙したり強引に連れ去ったりして確保したタコは、土木業者に引き渡されて、監獄のように鉄格子を窓にはめ込んだ建物に閉じ込められた。

 このように、強制労働は、囚人を使った囚人労働から、騙す等の違法な手段によって集めて働かせたタコ部屋労働へと変貌していったが、これだけでは終わらず、ついに外国人を強制労働に使うようになった。

 タコ部屋労働に使われた外国人は、朝鮮人を中心に、中国人や連合国捕虜も含まれている。日韓併合によって「日本国民」にされた朝鮮人の場合には、朱鞠内歴史保存委員会のパンフレットによると、昭和14年09月に「募集」、昭和17年02月には「官斡旋」という名目で強制連行され、更に昭和19年09月には「国民徴用令」を朝鮮半島に適用して強制連行が行われたらしい。

 いずれにしても、タコとされた労働者は、粗末な食事で長時間労働をさせられて、過酷な労働に耐え切れずに逃亡を図ったり、不満を言った者には、管理者である世話役や棒頭から激しい暴行を加えられた。

 このような光景を目撃した地元住民も多く、警察は事実を知っていても表沙汰にする事はほとんどなかった。そればかりか、警察が逃亡したタコを追跡する事例があったらしい。

 暴行を目撃したり苛酷な労働を目撃した地元住民にとっては、この世の光景でなかっただろう。中にはこのような事実を話したくない方も非常に多いに違いないが、このような事は、今後絶対にあってはならないのだから、後世に語り継ぐ必要がある。

 私は、そのような思いで、鉄道の跡地の探索の時間を削ってでも聞き取り調査を優先している。ここで、私が実際に聞いた目撃談を2つ紹介する。


北海道河西郡更別村 国鉄広尾線鉄道工事現場における事例

 この辺りでもタコ部屋労働が行われ、労働者には朝鮮の人も含まれていた。朝、小学校に通学する際に、仕事場へと向かう労働者(7時位から仕事をしていたらしい)とすれ違っていたが、10月(※当時 現在の十勝地方の11月位の気温に相当か?)なのに衣服は赤い腰巻だけであった。

 この付近の工事は難航し、南4線川になかなか橋を架ける事が出来なかったので、とうとう6人の人柱を立てる事にした。人柱は、橋の台座へお経を唱えられながら埋められた。また、この付近の工事では死人が続出したので、そこいらに穴を掘って埋めてそのままにしていった。

 広尾線が開通し、戦争もたけなわになって村から多くの男子が兵士として出征していった頃の事、駅長が終列車に老男性が乗っていたのを見たはずなのに実際には乗っていないとか、終列車の後に線路の点検をしながら歩いていると、火の玉を見たり足音を聞いたりしたとか、変な事が立て続けに起こった。

 あまりにもこのような事が続いたので、当時の更別駅長が地元の方々に慰霊碑の建立を依頼してきた。そこで、ささやかな祠を建立したところ、このような事はなくなった…。


北海道宗谷郡猿払村 旧軍浅茅野飛行場建設工事現場における事例

 当時は重機もないので、飛行場の滑走路は人の手で土を運んで均していった。この作業は真冬でも除雪しながら行われたが、彼らの服装は、むしろ(?)を体に巻きつけただけで、裸足(?)のままで作業を行った。

 滑走路は複数用意しようとしたらしく、滑走路が1本完成したのに続いてもう1本着工したが、完成までには至らなかった。

 今回聞き出した事例は、暴行の事例ではなかったものの、季節に関係なく服装が粗末であった点が共通している事から、タコ部屋労働は劣悪な環境であった事がうかがえる。実際、雨竜ダム建設工事を始めとするタコ部屋労働における犠牲者の死亡原因は、ビタミン不足が原因で起こる脚気が多かったらしい。

 空知民衆史講座のパンフレットによれば、胆振縦貫鉄道(→国鉄胆振線)建設工事では、温泉がある大滝村北湯沢の熱湯の湧き出すトンネル工事で1時間に50人の朝鮮人労働者の突入を繰り返した事例があったそうだ。

 「人柱」の事例は、科学が発達していなかった迷信や神仏が信じられていた時代ならともかく、人類が空を飛ぶ20世紀になって「人柱」がまかり通っていた事実は信じ難い。

 人柱に関する情報として、国鉄瀬棚線の建設工事では、花石〜北住吉間の鉄橋(一説には、第一白川橋梁)に人柱が埋められたという噂がまことしやかにささやかれているが、既に撤去された今となっては、確認のしようがない。

 また、前出のパンフレットによれば、自衛隊の矢臼別演習場の前身である陸軍種馬場建設工事で、朝鮮人労働者を人柱にした等の残虐な行為があったらしいし、北海道雨竜郡幌加内町の雨竜ダム建設工事では、コンクリートに埋め込まれた人もいるとの証言がある。

 さて、住民から国鉄広尾線建設工事のタコ部屋労働の事例をとりあげてみたが、広尾線建設概要では当該工事現場を含めて全ての工区で犠牲者が出たとか工事が難航した事は書かれていない。という事は、故意にとりあげなかったのではなかろうか? ここで、タコ部屋労働が行なわれた国鉄瀬棚線の鉄道建設工事について、瀬棚線建設概要から漢字を平易化して抜粋する事にする。

 …国縫起点自三一粁五○○米至三二粁,自三五粁七○○米至三六粁三○○米,自三六粁六七○米至四五粁二○○米附近の場所は何れも泥炭地帯にして築堤の沈下を見又三三粁○五○米附近の切取箇所は流水甚しく工事の進捗を阻ぐるものがあつた

殊に大正一五年一一月一四日本線二粁四○○米附近の切取に於て又同年一二月十二日五粁八○○米附近用地外土取場に於て更に昭和二年四月十二日二粁三○○米附近用地外裏込石採集場に於て何れも岩石崩壊し之が為め前後三日を通じ人夫三名の死者と重傷者二名を出した事は昭和五年九月四日二五粁五七○米附近「下ハカイマツプ」川橋梁四○呎四連の架渡工事中桁転落の為め職員一名即死人夫二名の重軽傷者を出した事と共に本線建設工事の一大犠牲であつた…

 この文書を単純に読むだけでは、鉄道工事が容易ではなかった事しか読み取れないだろうが、瀬棚線の工事現場は凄惨を極めた。

 昭和50年代後半から本格的に始まった国鉄赤字ローカル線の整理に対して、瀬棚線を守る住民会議が設立された際に、住民会議の事務局の仕事をしていた方がタコ部屋労働に関する噂を聞きつけ、工事に従事したり工事に関係した人達を探し出して、当時棒頭をしていた方からやっと聞き出す事ができた工事の実態は、ひどいものであった。

 何でも、1号トロに3分間で1.5リューベ積みこむ、今の10倍位の労働であったそうで、少しでも遅れれば殴られた。また、労働時間は06時から18時までという名目であったが、実際には03時から始められたそうだ。

 また、逃亡者が多くタコ5人に棒頭が1人ついていたそうで、逃亡してもすぐに捕まって、見せしめとして派手に暴行を加えられて、大怪我を負って働けない状態になっても翌日には現場に連れて行かれたそうだ。

 そればかりか、逃亡に失敗して捕まったタコを首だけ残して埋められた実例がいくつかあり、実際に、証言者は首だけ残して埋められたタコを足蹴にしたという。

 囚人労働でとりあげた湧別線建設概要の本文やタコ部屋労働でとりあげた瀬棚線建設概要の本文でわかるように、公文書では、往々にして自分達に都合の悪い事はほとんど触れないようなので、文章の背後に潜む事実を推測する必要があるかも知れない。

 いずれにしても、北海道では、日本が太平洋戦争で敗北するまで、鉱山や土木工事等ではタコ部屋労働が日常的に行なわれ、満足に栄養が与えられず劣悪な衛生環境でかつ、劣悪な工事環境で、利潤を生み出す「道具」として長時間働かされて、多くの犠牲者を出した。

 私は、戦前に着工されていた北海道の旧国鉄路線では、たとえ記録として残っていなくてもタコ部屋労働が行なわれたと思っており、特に、戦争中に何らかの工事が行なわれていた国鉄路線では、必ずタコ部屋労働が行なわれたと確信している。

 また、工事の際には人柱もあちこちに立てられたと思っている。人柱が立てられるようになった歴史的経緯を考えると、鉄道工事では地形の険しい箇所の長大トンネル工事や主要橋梁に人柱が立てられたのではなかろうか。

 過去に自分が体験した事が余りにも荷が重過ぎるかも知れないし、タコは親不孝者や怠け者の成れの果てと教え込まれて無意識のうちにタコの話をしたくない方もいるかも知れない。タコ部屋労働が過ちであったと思う気持ちが少しでもあれば、今からでも遅くはない。誰かに伝えるべきである。

 過ちを過ちと認めないのは愚かな事であり、同じ人間なのに人格を否定されてタコとしてむごい最期を遂げられた労働者がいつまでも浮かばれない。もし、今からでも歴史の過ちを後世に伝える気持ちがあったら、情報をお願いします。

 ささいな情報でも構いません。あなた自身若しくはあなたの先祖が見た光景が、歴史の重要な証言となります。

 最近、後世に「負の歴史」を伝える行為を「自虐的」であるとする風潮があるようだが、私は決してそのように思わない。

 人間は高度な知識と知恵を有する動物だが、人間がとる行動は全て正しい訳ではない。長い間生きていれば失敗する事も必ずある。過去の失敗を振り返って反省する行為は、人間がより賢くなろうとする純粋な行為であり、決して恥ずべき行為ではないと確信している。
http://blog.goo.ne.jp/80k700/e/0285e5b12f4510db384f391e977c8287


野添憲治  地崎組東川事業場――北海道上川郡東川町・東旭川町・東神楽町
2007年10月27日

北海道の大雪山の麓には、入植者たちが労苦を重ねて開拓した広大な水田がひろがっている。だが、上川郡東川町・東旭川町・東神楽町の約八〇〇〇ヘクタールの水田は、灌漑の源流忠別川が北海道の屋根といわれる大雪山の雪溶け水や岩清水を集めて流れ下るので、「水流は火山帯・函廊下・峡谷を奔流する急流のため、温度の上昇する区間がなく、ほとんど地下水融雪水そのままの低温を持続して流下する(略)ため、水温上昇を阻止している有様であった。したがって冷害による深刻な凶作の経験をなめてきた」(『東川村史』)立地条件のところである。

こうした悪条件のなかへ、さらに忠別川の上流に江卸発電所の建設が決まり、水温の低下にいっそう拍車をかけることになった。しかも太平洋戦争のまっただなかで、農民たちは国から食糧増産を要請され、厳しい労働に明け暮れていた。

そこに発電所の建設問題が起きたため、コメがさらに減収になるのは目に見えていた。農民たちは驚き、関係官庁に陳情をはじめた。食糧不足が深刻になっていたので政府は、食糧増産のため発電所の下流に遊水池の建設を具体化し、一九四三年から地崎組東川出張所が工事を請負った。しかし、戦争で労力や資材が不足しており、新しく集めることが出来ない地崎組では、鴻ノ舞鉱山で強制労働をさせていた朝鮮人連行者を、東川・東神楽の両遊水池工事にまわした。それでも労力が大幅に不足し、翌年までに遊水池を完成させるメドがつかないため、中国人連行者を三〇〇人導入する契約をした。

第一次連行は一九四四年九月に二九七人が塘沽から乗船したが、船中で一六人が死亡、大阪に上陸して東川出張所に着くまでに一七人が死亡している。補充の第二次は一〇月に四一人が塘沽から乗船し、船中で一人が死亡し、四〇人が東川出張所に着いたのが二五日だった。三〇四人の中国人は、入所していた朝鮮人を移したあとの東川収容所に入所した。

「それまでは逃亡を防ぐためのへいもなかったが、高いへいが収容場所を囲い、さらにそのへいの上にはバラ線まで張りめぐらされ、窓という窓はすべてタルキをうち、監獄部屋と変わった」(『中国人強制連行事件』)。

内には鍵がかけられ、旭川警察署から来た四〜五人の特別駐在員が見張所に配置された。収容所の中の床板の上にはムシロを敷いてあるだけで、風の強い日はムシロが吹き上げられた。風の強い冬になるとムシロを通して、床板に雪が飛んでくることもしばしばだった。

中国人が東川事業場に到着した時は、北海道はもう秋であった。だが、中国人が着ているのは破れて体が見える、国防色の汚れた夏服一枚の人が多かった。栄養失調で体が浮腫になっていたり、目がへこんでいる人も相当いた。やせてふらふら歩く人もいた。大陸での収容所生活と長期の輸送の疲れが、体全体をおおっていた。

遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。

遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。

冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。

二回にわたって塘沽から乗船した中国人連行者は、船中で一六人、上陸後に東川事業場に着くまでに一八人、事業場では中国へ送還されるまでに五四人の総計八八人が死亡した。事業場死亡者の大部分の死亡原因は「栄養不良兼胃腸カタル」で、事故死はいない。事業場での死亡者は火葬のうえ、法城寺に保管したことになっていた。ところがこの遺骨は一九五三年に慰霊祭

ののち、中国へ送還することになった。在道華僑連合会で遺骨の有無を確かめたところ、寺からは預ってないと回答があった。しかし、地崎組ではトラックで八八の遺骨を札幌駅に運び、そのまま列車と船に積まれて中国に渡った。ところが翌年に五体の遺骨と多数の残骨や遺品が工事現場の裏山で発掘され、前年に送還した遺骨はニセ物の疑いがでた。この問題を国会に持ち出す動きもあったが、円満裏に解決する方向に向かい、中国紅十字会に陳謝のうえ、発掘した遺骨は送還され、ニセ物問題は明らかにされなかった。

中国人・朝鮮人を酷使し、多くの生命を奪って造った遊水池の用水で、いま豊かな農業を営んでいる。だが、『東川村史』『東旭川町史』『東神楽村開基六〇年史』『上川開発史』などの関係史誌には、この事実が全く書かれていない。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=2843&syosekino=52


【笹の墓標】

戦前、北海道の雨竜ダム建設工事で亡くなった強制労働犠牲者の遺骨発掘に参加した神沼公一郎は、作業中に腐乱死体を発見。

遺体はなんと神沼の元恋人で、東京で変死した葦原奈美のいたクラブ「銀馬車」の従業員・上月良彦だった! 

道警の星野と宮川は「銀馬車」の顧客リストを捜査、その中に、強制労働に関係し、奈美とも接点を持つ北海道政財界の大物三人の名を発見した! 五十数年前の悪夢と現在を結ぶ忌まわしい過去とは? 時間と空間を超えて投影された運命の非情を描く森村文学の神髄!


序章

 深夜、山の方角の中腹に火が見えた。通常、火を焚く場所ではない。

 火が見える夜は、工事現場や飯場に死者が出たときである。労働者たちは、あそこで死体が焼かれているのだと噂し合った。だが、噂の真偽を確かめた者はいない。労働者たちは、自分がいつ、
あの火の燃料にされるのかとおののいた。

 宿舎の格子窓が白むころ、労働者は叩き起こされる。

「起きろ。働け」

 棒頭や取締人と呼ばれる班長が、六角棒を手に容赦なく労働者を叩き起こす。中にはせんべい蒲団をまくられ、六角棒で叩かれても動かない者がいる。ほとんど虫の息になっていて、動きたくとも動けないのである。時には、夜のうちに死んでいる者もいた。

 土工夫(労働者)たちからタコ部屋と呼ばれている宿舎は粗末な仮小屋で、逃亡を防ぐために窓には鉄格子がはめられ、夜間出入口には閂がかかる。板張りの床には筵が敷かれただけで、冬は容赦なく吹き込む隙間風が筵を吹き上げた。

 タコ(強制)労働者と強制連行された朝群人労働者の宿舎は分けられているが、実態はほとんど同じである。

 宿舎は中央の土間を挟んで左右両翼に分かれる。左手が親方や棒頭の個室、右手が労働者の寝室に当てられていた。

 前日の重労働が重く澱んでいる睡眠不足の身体を無理やりに奮い立たせ、洗面器1杯の水で何人もが顔を洗う間もなく、「飯上げ」(朝食)の号令がかかる。

 食事の内容は米3、麦、芋等7の割合の飯盛り切り1杯、味噌2、塩8の味噌汁1杯、漬物2切れ。弁当は前記割合の握り飯1個である。労働者たちはいずれも栄養失調で、腹が脹らんでいた。

 食事も食物を味わう余裕などはない。ただ、最低限の生命を維持するためだけに動物の餅にも劣るような粗食を大急ぎでかき込む。労働実績のよい者は上飯台と呼ばれる部屋で食べ、中程度の者は中飯台と称するテーブルに座って食べ、最下級の老は下飯台と呼ばれ、立って食う。

「おれはもうだめだよ」

 朝鮮の郷里から騙されて連行されてきた李景信が、朴命水に力なく言った。

 李は48歳で、この朝鮮人部屋では最年長である。李の衰弱は最近とみに著しい。李は風邪をこじらせ、熱があった。だが、そんなことは仕事を休む口実にはならない。

 高齢に、粗食と重労働を重ねて、もはや李の身体は使いものにならなくなっていた。これまで若い朴が庇ってきたので、辛うじて今日まで生きてこられたのである。

「李さん、なに言ってるんだ。そんな弱音を吐いちゃいけない。頑張れ。生きてさえいればチャンスはある」

 朴は李の耳に口を寄せて励ました。

 朴は信用人夫と呼ばれる自由契約の労働者であるが、タコ部屋に入れられて、信用人夫もタコ労働者もほとんど差のないことを知った。信用人夫は契約であるから、いやならばいつでもやめられるはずであるが、そんなことを言い出そうものなら、棒頭のリンチが待っている。

 今日は労働者がアヒルと呼んでいる水中作業である。厳寒期の水中作業で、李の足は凍傷が悪化して肉が崩れ、足の指の骨が見えている。骨が露出した部位に藁を巻きつけて作業現場まで這いずるように歩いて行き、水中に入るので、凍傷は悪化する一方である。

 厳寒期にもかかわらず、衣類はジュート麻の生地で、豆や米を入れる南京袋の繊維である。保温性はきわめて低い。ジュート作業衣をまとったタコ労働者が並んで歩いていると、南京袋の行列のように見えた。

 李景信は朴命水に担がれるようにして、とにかく作業現場まで行った。

 現場に着いたところで、李の体力は尽きた。身体は高熱を発して燃えるように熱い。

「この身体ではアヒルは無理です」

 朴は棒頭に訴えた。

「なんだと、この野郎。ふざけやがって。仮病をつかってサボろうとしやがっても、そうはいかねえぞ。立て。働け」

 労働者たちから鬼頭と呼ばれて恐れられている北山という棒頭は、持っていた鞭で李を殴りつけた。だが、李は動けない。棒頭はますます激しく殴りつけた。

「棒頭、李さんが死んでしまいます」

 朴は鞭を振るう棒頭の手を押えた。

「この野郎。きさまも痛い目を見てえのか」

 棒頭の容赦ない鞭が朴の顔面を打った。火を当てられたような苦痛に耐えながら、

「李さんの分まで私が働きますから、休ませてやってください」

 となおも訴えた。さすがの鬼頭も死なせてはまずいとおもったらしく、舌打ちをして、

「きさま、いまの言葉を忘れるな。その役立たずを小屋に運んで、2倍働け」

 と朴に命じた。

 宿舎に担ぎ込まれた李は、奄々たる気息の下から言った。

「朴さん、おれはもう助からない」

「なにを言うんだ。ちょっと熱が出ただけだよ。すぐ元気になる。2人で一緒にこのタコ部屋から逃げようと言った約束はどうしたんだ。頑張れ」

「おれはもう約束を果たせない。あんた1人で逃げてくれ」

「おれが李さんを残して逃げるとおもっているのか」

「一緒に行きたいが、おれはもうついて行けないよ。頼みがある」

「1人で逃げろと言ったって、だめだよ」

「おれは遅く結婚したので、郷里に今年10歳になる娘がいる。娘の名は貞媛。あんた、このタコ部屋から逃げられたら、おれの郷里へ行って、娘にこれを渡してくれ。娘にいっぱい土産物を買って帰ろうとおもっていたが、これしか買えなかった」

 李は1本の赤い珊瑚の櫛を差し出した。

「李さん」

「世話になった。あんたに会えてよかった。あんたは若い。こんなタコ部屋で死んじゃあいけないよ。あんた1人ならきっと脱走できる。この戦争は間もなく終わる。平和になったら、あんたのような若い力が必要になる。あんたの活躍をあの世から見守っているよ」

 朴の手を握った李の手が急速に弱くなった。李はその夜死んだ。

 死体は近くの寺の本堂に一夜仮安置された後、いずこかへ運ばれて行った。

 翌日の深夜、朴は山の方角の山腹に火を見た。その火を見つめながら、朴は、

「李さん、許してくれ。あんたと一緒に逃げるという約束を守れなかった」

 と涙をこぼした。闇の奥の火がまたたいた。朴にはそれが、

「約束を守れなくなったのはおれのほうだよ。許してくれ」

 と李が答えたようにおもえた。

 朴は幼いころ両親に連れられて来日した。23歳のとき、横浜で沖仲仕をして働いていたが、仕事がなくてぶらぶらしているとき、1人の男から肩を叩かれた。

「兄さん、閑そうだね。いま、なにをしているんだい」

 一見40代の上等な服を着た羽振りのよさそうな男が問いかけてきた。

「べつになにもしていないよ」

 朴が答えると、

「北海道へ来ないかい。いい仕事を世話してやるぜ。1日5円、働きぶりによっては8円、10円も稼げる。いま北海道は人手が足りないから、いい金になるよ」

 当時、公務員の初任給が75円の時代である。庶民の食べ物であるカレーライスも20銭から30銭である。

「1日5円から10円だって」

 朴は目を丸くした。

「そうとも。それもうまい飯付きだ。白い飯を腹一杯食って、肉や魚や酒も付くぞ」

 男は甘い餌を、仕事にあぶれていた朴の前に並べ立てた。朴はその場で男と1年の契約をした。

 だが、男に北海道の雨竜ダムのタコ部屋に送り込まれた朴は、男に騙されたことを知った。1日5円どころか2円50銭。しかもその日給から食費、蒲団代、地下足袋代などを差し引かれると、ほとんど手許に残らない。前借りのある者は利子を差し引かれるので、必死に働いても賃金が利息においつかない。朴は契約して出稼ぎに来たつもりであったのが、朝鮮人狩りに引っかかったことを悟った。

 朴が送り込まれたのは、北海道北部山間の雨竜発電所工事現場であった。この工事は陸海軍の拠点飛行場建設にも匹敵するような、北海道最大の土建工事である。折から戦時下の労働力不足もあって、大量の人間が朝鮮や東北地方、また京阪の都市部から「人間狩り」と言えるような募集によってかき集められてきた。

 朴は契約労働者であったが、李景信は郷里の朝群南部の村から北海道北部の工事現場に強制的に送り込まれたのである。工事を担当した元請けの下に、下請け、孫請けと多数の業者が犇めき、人狩り屋(周旋業)と提携して不法に集めた労働力を確保していた。

 雨竜ダム工事の飯場に送り込まれた朴と李は騙されたことを悟り、逃亡の機会を狙っていたが、監視が厳しく、果たせないでいる間に、李は死んでしまった。

 飯場からの逃亡者はあとを絶たなかった。厳しい監視の目を潜って逃亡しても、たいてい警察や憲兵、棒頭や犬の追っ手に捕まって連れ戻された。強制連行労働者の5分の1は逃走を図ったが、北海道の逃走成功率は全国平均の半分以下で、極めて逃走が困難である。逃亡を企てた者は見せしめのために凄まじいリンチに遭う。

「お国のための工事から逃げようなんて、太え了見だ。その根性を叩き直してやる」

 棒頭は全労働者の見守る中で、連れ戻された労働者を六角棒や鞭で殴りつけ、気を失えば水をかけ、水を一杯に入れた洗面器を捧げ持たせてコンクリート床に正座させた。姿勢を崩すと、また六角棒や鞭が飛ぶ。あまりの苦しさに自殺を図る者もあった。

 逃亡を決意した朴に、朝鮮人の強制労働者が耳打ちした。

「旭川手前の近文にあさひ屋食堂といううどん屋がある。そこは夕張炭鉱に連行された朝群人たちが結成した救援委員会の出先だ。そこへ逃げ込めば、逃走の手引きをしてくれるぞ」

 朝鮮人労働者の救援委員会があるということは密かにささやかれていたが、具体的な出先を聞いたのは初めてである。仲がよかった李に死なれて、朴は逃亡の意志を固めた。この飯場から逃亡に成功した者はほとんどいない。

 飯場の監視に油断はなかった。脱走の機会をつかめぬまま、朴に過酷な日々がつづいた。

 起床は夏が午前5時、冬は5時半、食事は常に下飯台で立ったまま。6時ごろから日没まで重労働を強いられ、夜は垢と脂でてかてかに光る、綿が団子のように固まったせんべい蒲団にくるまって眠る。いつも腹をへらし、番犬の飯を盗み食いした。

 冬は寒さに耐えられず、労働者同士で衣服を盗み合った。稀に許される入浴も、衣服を盗まれるので入らない。枕にする四寸角の木材も暖をとるために燃やしてしまい、枕なしで眠る。人間性を無視した最底辺の環境でも、労働者は生きていた。

 ようやく長い冬が終わって、北辺に短い春が訪れると、労働者はほっと一息つく。ともかく寒気という最強の敵から逃れた。

 だが、春から夏にかけては逃亡が多くなるので、監視も厳しくなる。逃げるとすれば冬季以外にはなかった。凍死は免れたものの、また次の冬がくるまで自由は遠ざかる。

 現場で作業開始に際して、棒頭から言い含められた上飯台が立ち、

「シャツを脱げ。ズボンを取れ」

 と命じて、褌1本でしばらく働いた後、

「褌を取れ」

 と号令が下る。全裸の異様な男の集団がスコップを振るい、土を運ぶ。疲れてくると、棒頭の合図によって、

「気合いを出せ」

 と号令がかかる。労働者たちは一斉に、えいえいえいと掛け声を発する。全裸ならば逃亡できない。人間性を無視した牛馬に劣る労働であった。

 異様な労働者の集団が泥塗れになって働いているかたわらを、若い女子作業員が通り過ぎて行くことがあった。近くの女学校から動員された女子奉仕隊である。若い娘の群は面を伏せて、強制労働者の方を見ないようにして通り過ぎて行ったが、朴にとっては全身が震えるような屈辱であった。

日が没して飯場へ帰る途中、数人の動員女子奉仕隊が歩いていた。

 まったく女っ気のないタコ部屋労働で、若い女性と遭遇して、労働者たちの心は久し振りに和んだ。南京袋ながら、いまは衣服を身に着けている。緑濃い山のかなたにまだ夕映えが残り、湖の方角から涼しい風が吹いてきている。

 そのとき前を歩く娘たちが新聞紙の包みを落として行った。なにかとおもって棒頭の目を潜って拾い上げた朴たちが、新聞紙を開いてみると、中から握り飯が出てきた。朴たちが夕闇の中に遠ざかる娘たちの一群に、感謝の意をこめて手を振ると、娘たちも手を振って応えた。

 そんなことがあってから、娘たちはときどき新聞紙に包んだ握り飯を落として行ってくれた。言葉こそ交わさなかったが、強制労働者と若い娘たちの淡い交流であった。

 強制労働者にまた恐ろしい冬がめぐってきた。女子奉仕隊も帰ってしまった。山は雪に覆われ、ダムにせき止められて出現した湖が氷結した。だが、朴にとっては待ち望んでいた冬であった。

 朴は春から秋にかけて逃走路を充分に研究していた。

 まず、南方の深川の方へ逃げる。追っ手を躱すために道路は避け、山を越えて行く。雪中の厳しい山越えとなるが、朴は体力には自信があった。安全圏にたどり着いたところで列車に乗る。深川まで行けば成功の確率は高くなる。

 朴は脱走に備えて、密かに食糧を溜めた。飯や握り飯を少しずつ残して団子をつくり、雪の中に隠しておいた。食糧は約3日分備蓄した。

 飯場に送り込まれてから爪に火を灯すようにして25円はど貯めた。このころは上野・青森間が7円25銭であるから、列車に乗りさえすれば交通費は充分である。

 南京袋の作業衣ではすぐ露見してしまうので、飯場に送り込まれて来たとき着てきた私服を、この日のために隠し持っていた。

 朴は脱走に備えて、棒頭や取締人に気に入られるように従順に、熱心に働いた。日本語も自由に操れるので、彼は棒頭や取締人の信頼を得ていた。

 若いながら上飯台に昇格した。鬼棒頭も朴には心を許し、上飯台の上の模範台への昇格をほのめかした。

 模範台になれば食事内容も幹部並みになる。平土工夫のように泥に塗れてスコップを振るい、もっこを担ぐこともない。入浴や洗面も頻繁に許される。なによりも監視の目が緩む。棒頭や取締人も、まさか模範台侯補者が脱走の機会を狙っているとはおもわない。そこがつけ目であった。

 冬は監視が緩むといっても、厳寒期は無理である。山に雪は残っていても、気温の緩む3月下旬から4月上旬にかけてが狙い目である。このころになると、厳寒期のような凄まじい風雪はなくなる。

 4月5日の夜、飯場が寝静まったのを待って、朴は便所へ行くふりをして、便所の窓から宿舎を抜け出した。便所の窓の格子を1本、用便の都度緩めておいた。外から見ただけではわからないが、はずせるようにしておいた。抜け出した後、格子は元どおりにはめた。

 最も恐ろしいのは犬であるが、平素から犬を手なずけておいた。番犬も朴が手を出すと舐めるまでに懐いている。

 首尾よく宿舎を抜け出した朴は、雪明かりを頼りに山中へ入った。途中まで雪の解けた道を歩き、足跡をたどれないようにする。これまでの経験からこの天気が2、3日つづくことを知っている。

月はないが、雪明かりで充分明るい。

 おそらく明日の朝の起床時間までは時間を稼げるであろう。その間にできるだけ遠方まで距離を稼ぐ。もし脱走に失敗すれば、尋常のリンチではすまないだろう。鬼頭が信頼していただけに、裏切られた怒りがどんなものか、描まったら命はないものと覚悟しなければならない。

 朴は歩きに歩いた。私服の上にジュート麻の作業衣を重ね着していた。零下に冷え込んでいるにもかかわらず汗にまみれるほどであった。

 かなり距離は稼いだが、道路や集落に出るのは危険である。朴は食糧のつづくかぎり、3日間山中で過ごす覚悟であった。

 これまで飛びっちょ(逃亡者)が出ると、駐在所に通報すると同時に、作業を中止して、上板台2、3人を留守番に残して、棒頭以下、全員が捜索に出る。3日間探して見つからないと、あとは警察や憲兵に委ねて、作業へ戻るのが常であった。

 警察や憲兵は不審の者を見かければ、尋問したり捕えたりするが、積極的に捜査をするわけではない。3日間逃げ延びられれば、まずは第一関門はクリアしたことになる。

 山中を3日間歩き通して4日目に、朴は疲労でふらふらになりながら里へ出た。農家の納屋から作物を盗んで胃袋を騙し、4日目の早朝、駅の待合室に入った。ジュート麻の作業衣は山中に脱ぎ捨てたので、一般人と変わりない服装になっているが、そのぶん寒い。

 駅の待合室にはまだだれもいなかった。下りの1番列車が間もなく来る時間である。駅員が出札口のカーテンを開き、窓口に眠そうな顔を見せた。ちょうど折よく1人の老女が待合室に入って来た。朴は咄嗟におもいついて、老女に5円札を渡して、

「お婆ちゃん、悪いけど、稚内まで1枚切符を買ってくれないかな」

 と頼んだ。これまでの逃亡者のほとんどは、駅までたどり着いても札幌方面へ逃げる。朴は逃亡先を隠すために、故意に逆方向の稚内までの切符を買ってもらった。

 老女はなんの疑いも持たず、稚内までの切符を一緒に買ってくれた。

 1番列車が白い蒸気を吐きながらホームに入って来た。脱走後最も緊張する瞬間であった。車内に追手が待ち構えていたら、万事休すである。だが、追っ手らしい気配はなく、朴は無事に乗り込んだ。

 客室内にいるのは危険なので、便所に隠れていた。早朝の車内は乗客はまばらで、追っ手が来れば一発で捕まってしまう。

 幸いになにごともなく、救援委員会の出先があるという近文駅に降りた。あさひ屋食堂は駅の近くの狭い路地にあった。早朝であったが、起きている気配であった。

 朴が表のガラス戸を叩くと、戸が開かれて、若い娘が顔を出した。

「あっ、あなたは」

「あのとき握り飯の新聞包みを落としてくれた」

 顔を見合わせた2人は、同時に声を発した。若い娘は作業現場で出会った女子奉仕隊員の1人であった。

 娘は朴を見て、直ちに事情を察したらしく、周囲に目を配ると、家の中に招き入れた。彼女の両親もすでに起きていて、飢えて冷えきっている朴のために、温かいうどんをつくってくれた。

 肉と野菜をたっぷり入れた熱いうどんを、朴はつづけて3杯おかわりした。朴は生まれてからこんなにうまい食物を食したことがなかった。細胞の1つ1つに沁み渡っていくような味であった。

「ゆっくり食べなさい。まだいくらでもあるよ」

 娘の父親が言った。

 ようやく人心地ついた朴に、娘の父親は、

「私はこの娘の母親と結婚して、日本人の名前を名乗っていますが、じつは徐東雲という朝鮮全羅

南道の出身者です。妻は清美、娘は朝子と申します」

 と徐東雲は自己紹介を兼ねて、妻と娘を朴に引き合わせた。

「申し遅れてすみません。私は朴命水と申します。両親と一緒に横浜に住んでいましたが、人買いに騙されて雨竜ダムの飯場に送り込まれました。飯場で仲間から密かに救援委員会のことを聞いて、逃げてまいりました。お嬢さんと飯場近くの路上で出会って、握り飯を何度かもらいました」

「ここへ来たからには、もう安心です。安全なところへ逃がしてあげますから、うちでゆっくりと疲れを癒やしていってください」

 と徐はいたわるように言った。

 地獄の飯場から決死の雪中脱走を試みて、ようやく救援委員会の徐の許にたどり着いた朴は、ほっとすると同時に緊張が解け、これまでの疲労がどっと発した。彼はそれから死んだように眠った。

ときどき朝子に起こされて食事を摂ったが、また昏々と眠り込んだ。

 2、3日眠ったかとおもわれたところで、朴は激しく揺り起こされた。

「朴さん、すぐ逃げてください。どうやらうちが目をつけられたらしいの。朴さんが捕まったら命はないわ。警察が来る前に、これを持って逃げて。ひとまず北竜の本島組の現場を頼って。本島組の親方は救援委員会の1人よ」

 と朝子は慌しく告げて、握り飯の包みといくばくかの金を渡した。

「金はあるよ。それより、朝子さんやお父さんはどうなるの」

「私たちのことは心配しないで。お金はいくらあっても邪鹿にならないわ。さあ、早く行って」

 そこへ徐東雲が来た。

「朴さん、すまないね。もう少しうちで休ませてあげたかったが、ここも安全ではなくなった。どうやら協和会に嗅ぎつけられたらしい。本島組を頼れば大丈夫だ」

 と徐東雲は言った。

 朴は事態の深刻なことを悟った。もし朴がこの家で捕まれば、徐東雲一家は言い逃れができなくなる。救援委員会は貴重な拠点を1つ失ってしまう。

「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「礼などいいから、早く行きなさい。協和会にはくれぐれも気をつけなさい」

 協和会とは、朝群人でありながら同胞をタコ部屋に売っている人狩り屋である。

「元気でね」

 朝子が言った。

「また機会があれば、お会いしたいとおもいます」

「朴さん、絶対捕まらないでね」

 朝子がすがりつくように言った。

「捕まるもんか。またきっと会いに来るよ。この戦争は間もなく終わる。それまで皆さんも元気で」

「待ってるわ」

 朴は徐東雲一家3人に見送られて、あさひ屋食堂を去った。

 間一髪で協和会に先導された警官隊があさひ屋食堂に踏み込んで来た。

 そして50数年が経過した。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~mo0405/s/16.htm

旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (1) [北の街] 2005-10-14
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14

 旭川市から南東(空港から少し東側方向)に向かうと東川町があります。市から外れるとすぐ穏やかな田園が広がっていて車で走っていても心が和む場所です。

 ところが、そこは戦前戦中をとうしてや朝鮮半島から、騙されたり、強制的に連れてこられた人が過酷な労働を強いられて、多くの人が命を落とした所でもあります。その人たちは、ある所では石炭掘り、山林の伐採などをさせられました。

 そしてここでは、田んぼに必要な水を溜めておく遊水池を掘らせれていました。また、それに必要な道路整備やその水を市内に流す放水路作りにも強制的携わらせられたのです。その過酷さは、聞いただけでも見もよだつ思いです。さぞや辛かったろう、さぞや日本人を憎んだろうと思わせます。

 その一つの証言を紹介します。そのTさんは、その当時中学生ぐらいでした、御年77歳になります。学徒動員でその年なりの仕事をしたいたそうで。そのとき見た光景は今でも脳裏から離れずに記憶は鮮明に残っているそうです。

 何があったのか!!その頃は何につけ「兵隊のために」が合言葉のようになっていました。ここは農地ですので当然お米の生産に全力を上げていました。お米には水が欠かせません。それには雄大な大雪から湧き出る水やつき解けで流れる水をどこかで堰き止め、溜めておく必要があります。

 そこで遊水池が必要になったわけです。働き盛りの青年や成人の男どもは戦地に持っていかれていますから、残っているのは一部の兵隊さんと農家の女性と子どもしかいません。そこに、連れてこられたのが中国人や朝鮮人の人たちだったのです。その過酷さは次で紹介します。

このに見える放水路がその一つです
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-14


旭川市郊外にある「強制連行」の跡標 (2) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


 今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。では一見分かりづらいのですが、池はかなり深く掘られています。

 それはこの辺一帯の田んぼを潤す水を蓄えるわけですから、当然でしょう。同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。

 「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」

 「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」

 堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。

 それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。

この写真が強制連行にあったことを物語る跡標です。 

これが遊水池です。今でも水が満々としています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-17


旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。


中国人殉難裂士慰霊碑                           

忠別発電所

中国人墓地
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


29. 中川隆[-6270] koaQ7Jey 2017年9月24日 14:51:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人を絶滅させるのが朝鮮人の愛国心 _ 日本は戦争中に従軍慰安婦に何をやったのか

『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著  1981

1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う。

「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて

「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」

という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。

5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020

子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。

そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母­親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・


慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。

女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。

「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」

と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。

 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

____


日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。

 「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。

 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。

この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。

 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に

「俺もしたから、お前もやれ」

とそそのかし、私に×××させた。

私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。

 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」

 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。

かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。

 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。

http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm

『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』


耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で
切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。
http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/


日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました

 私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。

ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。

  住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。
 
私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。

彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。

弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。

その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。
男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。

  水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。

私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。

私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。

兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。

私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。

到着すると将校が

「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」

と言いました。

私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。

あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。

それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。
 

ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。

兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。

その娘たちは兵隊に

「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」

と言いました。

そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。

血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。

  彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。

そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。

拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。

  女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。

ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。

板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。

  そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。

私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。

すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。

この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。


  ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。

私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。

私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。

私はここの「慰安所」に8年間いました。

  体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。

1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html

日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:


A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で

『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』

と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。


B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。


C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。


D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。


E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。


F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。


筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、

「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」

と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm

朝鮮人「慰安婦」の証言


12歳で「慰安婦」に 李京生

 私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。

 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。

 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。

 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。

 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。

 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。

 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。

 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。

 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。

 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。

 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。

 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。

 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。

 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。

 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。

 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。


○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。

○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した

○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした


 それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。

 当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。

 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。

 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。

 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。

 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。

 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。

 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。

 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。


(リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101200.html
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/

拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝


 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。

 住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。

 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。

 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。

 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。

 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。

 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。

 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。

 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。

 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。

 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。

 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。

 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。

 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。

 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。

その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。

 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。

 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。

 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。

 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。

(リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身)
http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101202.html


12年間の「慰安婦」生活 金大日


 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。

 私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。

 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。

 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。

 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。

 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。

 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。

 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。

 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。

 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。

 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。

 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。

 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。

 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。

 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。

 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。

 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。

 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。

 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。

 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。


○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる

○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける

○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む

○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す

○慰安婦150人を並ばせて斬首


 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。

 はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。

 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。

 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。

 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。


 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。

 日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。

(キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身)
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使い捨てにされた朝鮮女性 金英実


 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。

 会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。

 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。

 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。

 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。

 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。

 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。

 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。

 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。

 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。

 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。

 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。

 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。

 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。

 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。

 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。

 ここにいたらいつか私も殺されると思った。

 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。

 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。

 秋になって清津にでてきた。


(キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身)
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チョン・オクスン(ChongOkSun)


現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。


「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。

13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。

10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。

その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。

一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、

彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。

最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、

「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」

と語りました。彼はまた

「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」

とも言いました。


ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。

あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。


○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。

○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた

○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された

○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた

○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた

○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った

○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ

○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました


守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。

彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html
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ファン・ソギョン(HwanSoGyun)


77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。

「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。

何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。

私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。

ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。

そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。

ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


ファン・クムジュ(HwanKumJu)


現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。


「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。

かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。

そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。

衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。

ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。

第一、天皇の命令。
第二、日本政府の命令。
第三、彼女が所属している陸軍 中隊。
第四、中隊のなかの分隊。
そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


キム・ボクスン (KimBokSun)

また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。

毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、

午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。

また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html


朴永心(パク・ヨンシム)

朴永心の証言

『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html


−−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。


朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。

 一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。

−−「慰安婦」として連れ回された経路について。

朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。

 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。

 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。

 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。

 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。

−−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。

朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。

−−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。

朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。

−−捕虜になった後どうなりましたか。

朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。

 収容所には一年ほどいたと記憶しています。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2

李桂月(イ・ゲウォル)


1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。


十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。

 駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。

 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。

私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。


 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。

 ○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。

 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。

 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。

 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。

 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。

 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです
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郭金女(カク・クムニョ)


1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。


私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。

 私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。

 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。

 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。

 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。

 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。

 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。

 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。

 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。

 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜

 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。

 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。

 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。

すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。


 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」

と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。

 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。


 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。

 ○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。

 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。

 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。


 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。

 八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。
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金英淑(キム・ヨンスク)


1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。


今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。

 こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。

 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に

『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』

と言われたんです。

 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」

 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。

 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。

「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、

「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」

と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。

 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。

 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」

と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜


 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。

 ○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。

 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。

 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。

 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。

ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。

 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。


 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。

 部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/

従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


30. 中川隆[-6269] koaQ7Jey 2017年9月24日 15:13:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「朝鮮人認定」のいい加減さ


議論で反論できなくなった場合には、相手を「朝鮮人認定」さえすれば、論破したと判断してくれる時代になった


インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」の効果
https://kuantan2007.wordpress.com/2009/09/29/%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ab%e6%b0%be%e6%bf%ab%e3%81%99%e3%82%8b%e5%b7%ae%e5%88%a5%e4%b8%bb%e7%be%a9%e7%9a%84%e3%81%aa%e7%99%ba%e8%a8%80%e3%80%80%e3%80%8c/


人権や平等を擁護するような主張をすると「お前は朝鮮人だから」「在日の利害から」などと勝手に決め付けて来る者がネットには多い。

たとえば、タイヲタ右翼(右よりのタイ偏愛者)連中は、海外旅行の掲示板などに巣食っていて、長年「タイが嫌いだというやつは朝鮮人だ」、「タイを批判するのは朝鮮人だ」というレッテル貼りを続けている。その根拠といえば、「タイは親日国だから」とか「朝鮮には王室がないから王室や皇室がある国を嫉妬しているのだ」というような荒唐無稽で下品なものばかり。彼らはおそらくタイ旅行関係の業者だと思われるが、「朝鮮人認定されたくない」という一般の意識を利用してタイに対するネガティブな書き込みを一切許さないようにしようとする。(彼らのタイ美化の情熱もカルトめいている)。

一度「朝鮮人認定」されてしまうと実際に面倒なことがある。たとえば、タイでは他の国ではめったに見ないようなひどい白人崇拝や人種差別を見ることが多いが、そういうことを指摘すると、「朝鮮人認定」されている場合には、「それはお前が朝鮮人だから、朝鮮人はタイでも嫌われているからだ」といわれて終りである。これでは議論にならないし、実態を知らない人はそういうものかと思ってしまうだろう。このように、「朝鮮人認定」というのはネット言論では実際に効果を発揮することがあるのである。議論にもならなくなるから、誰でもできればデタラメな朝鮮人認定はされたくない。

「不用意な発言をすると朝鮮人認定される」という雰囲気を掲示板やブログの世界に作り出すことによって、「朝鮮人認定されるようなことは言わないほうが良い」という自己規制を利用して、ネットの言論を誘導し操作しようとしてきた連中がいるのも確かだろう。

ネットで「朝鮮人認定されると発言の信憑性が薄くなる」という現実自体、差別的な意識の現われといえるが、インターネットを熱心に利用して世論を作ろうとする人々には、それ以外の人々に比べて差別主義的な人間が多いのも事実なようだ。

なお、「朝鮮人認定」の問題は、実名か匿名かの問題とは関係がない。プライバシーをさらけ出している有名人でさえデタラメな「朝鮮人認定」「在日認定」を受けているのである。Googleで有名人の名前をランダムに検索してみればわかるだろう。

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インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」

在日認定とは、ある人物が在日コリアンであると一方的に認定することである。


一部の日本人の「こんなおかしな奴は日本人じゃない。きっと在日だ」という発想から、親韓だったり、反日的な言動を取る人物によく認定される。

インターネット上で不人気の著名人(特に芸能界)の多くは、真偽の検証をされる事無く、同和か創価学会員か在日かのどれか(或いは全て)であると言われる。上記の韓国人による認定を真に受けるケースもあり、芸能人は無条件で在日認定がされる事も多い。

例として、以下のような人物が挙げられる。


内柴正人
小沢一郎
菅直人
土井たか子
福島瑞穂
池田大作
島田紳助
井筒和幸
清原和博
草なぎ剛
松井玲奈
山本彩
野々村竜太郎


この他、凶悪犯罪者や大阪・愛知・福岡・広島など地方都市の人間は些細なきっかけでも在日認定されがちである。

また近年では、容疑が固まっていなかったり、罪状が軽微である事件など、何らかの理由で実名報道されない容疑者全員を在日認定する者する者もちらほら見かけられる。これは、反日と認定している新聞紙等が「在日韓国人であることを理由に氏名を伏せ、悪い印象を与えないように情報操作している」という根拠の無い思い込みから来ているものである。

この場合の在日認定における「在日」とは、国籍や血筋が韓国・朝鮮系であるかということよりも「その人自身の思想や言動、倫理観がどうか」を問うていることが多いため、日本人でしかあり得ない家系や職業に就いている者であっても(皮肉や遊び半分で)在日認定されることはよくある話である。ゆえに、在日認定されている者のことを本気で血筋が韓国・朝鮮系であると確信してしまうと誤った認識に陥りやすいので、注意する必要がある。

中にはあまりにも繰り返し在日認定されることを理由に、自分自身が出演しているテレビ番組「せやねん!」(毎日放送)の生放送中に在日説を否定し、日本人であることを公言したトミーズ雅のような例がある。

「見た目それっぽい・大阪市生野区出身(人口の約20%が在日韓国人という地域)・北村姓(在日韓国人が通名として使う例が比較的多い)」という3連コンボが一見成立しているかのように見えるが、雅の父親が兵庫県北部出身で母親は大阪市内の菓子問屋のお嬢さんであった、という反証材料(両親が韓国籍とは縁遠い地域や家柄の出身)があり、一見それらしき事実を並べ立てただけでは断定できないことを如実に物語っている事例であると言えよう。

ちなみにこのとき雅は創価学会員説も同時に否定している。

また、苗字が韓国性に似ている、通名で多用される(金、林、張など)、苗字が左右対称であるという理由で在日認定されてしまうことも多いが、例えば金姓などは金子や金丸など日本に古くから存在する姓名も多く(日本が黄金の国と呼ばれていたように一時期は金銀の算出が世界でも群を抜いており、鉱山関係者や勘定奉行など金に関わる姓名は非常に多い)、また特定の苗字に在日が多いというイメージも都市伝説であり、著名な在日に目立つという程度の印象だけで、統計的な根拠があるわけではなく、実際に在日の名乗る苗字はもともと日本に多い苗字(佐藤とか鈴木とか)を筆頭に、分散しているので「〜という苗字に在日が多い」というのは意味のない推論であると言わざるを得ない。

(苗字その真実)http://michiroku.atwebpages.com/

他に「金」と書いて「こん」と読んだり、「李」と書いて「すもも」と読んだりする姓の日本人も居るため、字面だけで判断しないことも大事である。[1]

[2]


脚注1.*
ちなみにナチス前夜、ナチス下のドイツにおける反ユダヤ主義においても、名前が「ユダヤっぽい」という理由で「ユダヤ認定」がなされた例は数多ある。


脚注2.*
反ユダヤ新聞シュテルマー主筆のユリウス・シュトライヒャーは、ニュルンベルク裁判においてアメリカ人検察官ロバート・ジャクソンを指して「彼はジャクソンと名乗っているが、私に言わせればジェイコブソン(ユダヤ名)でありユダヤ人だ。

外見を観察していれば解かる」とユダヤ人認定をしたり、かのラインハルト・ハイドリヒは祖母の再婚相手の性が「ユダヤっぽい」ことでユダヤ人混血であることを疑われ、そのコンプレックスの反動から、激烈な反ユダヤ主義に傾向していったとも言われている。


___


更には、最近では創作分野における在日認定もあり、けいおん!、ローゼンメイデン、アマガミ、じゃりン子チエなどの一部登場人物も「名前がそれっぽい」「顔がそれっぽい」といった理由で在日認定される事があるが、大半の場合はネタの領域でいじられているに過ぎない。[3]


脚注3.*

秋山澪(けいおん!)→チェ・サンジュ

金糸雀(ローゼンメイデン)→キム・シジャン(김 사작) 

暁美ほむら(まどマギ)→ヒョ・ミヨム

塚原響(アマガミ)→顔がそれっぽい

じゃりン子チエ→出身地がそれっぽい


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企業の在日認定

「データセンターを韓国に作った」「韓国企業と提携した」など、韓国や北朝鮮に対して有益な行動を行っているという推測から、法人そのものが在日・反日認定される事がある。人物同様、他の先進国や途上国と関わりを持っても、在日認定を受けることは滅多にない。ごく稀に、財務省や文化庁など、日本の省庁も在日認定をされることがある。


在日認定を受けた事のある企業

ソフトバンク
花王
ドコモ
電通
ソニー
吉本興業
ロート製薬
サントリー
キリンビバレッジ
ヤマダ電機
アサヒビール
エイベックス
イオン
マスコミ四媒体に属する各企業(フジテレビ、毎日新聞など多数)

インターネットに氾濫する差別主義的な発言 「朝鮮人認定」

チョンノート〜在日認定リスト〜
http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/zainiti_nintei/zainiti_nintei_index.html

チョンノートルール


○有名人はすべて韓国系である。

○本人が否定しない場合は在日認定。

○本人が否定した場合でも韓国系と明かさない場合があるので在日認定。

○帰化していても少しでも韓国人の血が混ざっていれば韓国系とし在日認定できる。

○外国でもこの法則は適応される。

○韓国系ということが確認されなければ韓国系である。

○本人が韓国系であることを否定しない限り韓国系である。

○韓国系であることを強く否定すると回避できる。

○韓国人に嫌われると回避できる。

 在日認定とは?
 日本人には冗談みたいな話だが・・・

 韓国では『日本で活躍する人はすべて在日韓国人、もしくは韓国系である』という妄想がある。

 その妄想はネットの噂から新聞報道までいろんなところで語られているのだが、

 中には『おいおいそりゃないだろう('A`)』と言うのがたびたび登場し、笑いを提供してくれるのだ。

 その多くが本人に知られないまま、いつのまにか韓国での常識としてなってしまう場合も多い。

 え?あの人が?え?この人も?嘘か誠か在日認定の数々。


日本女子フィギュアスケート公認ブック2007-2008 安藤美姫 (あんどう みき)

本名:安藤 美姫
生年月日:1987年12月18日
職業:女性フィギュアスケート選手
ソース:朝鮮日報
  名字の「藤」の字を取り、韓国語読みすれば「安美姫(アン・ミヒ)」という韓国人風の名前になるため、韓国人なのに名前をひそかに日本式にしたのではないか、というもっともらしい説も流れた。本人も否定したが韓国系だとしても明らかにしなかった可能性もあるので在日認定(丶`∀´>ニダ


乃木希典―高貴なる明治 乃木希典 (のぎ まれすけ)

本名:乃木 希典
生年月日:1849年12月25日
職業:軍人
ソース:神戸新聞
 東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」とも呼ばれた。日露戦争・旅順攻略戦が有名。乃木希典の祖先が、城崎郡城崎町の野木谷に住んだ朝鮮人捕虜だったというこれまで公になることがなかった説があるのです。否定する根拠がないので在日認定(丶`∀´>ニダ


米田哲也 (よねだ てつや)

本名:米田 哲也
生年月日:1938年3月3日
職業:野球選手
ソース:スポーツ2.0
  『韓国系に化けた稲尾和久』記事内で「日本のスカウトから「阪急ブレーブス(オリックスの前身)に入団した米田哲也も韓国系」という言葉は聞いた記憶がある」と在日認定。「米田は死ぬまで自分が韓国系なのか否かを言わなかった。」と記事にはあるが本人はまだ生きている。そんなことはケンチャナヨで本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


神様、仏様、稲尾様 稲尾和久メモリアル 稲尾和久 (いなお かずひさ)

本名:稲尾 和久
生年月日:1937年6月10日
職業:野球選手
ソース:NAVER/OSEN
 稲尾氏が亡くなったときに『稲尾さんに関して韓国系という噂が流れ、本人がこれを正式には明らかにしなかったが、骨格やスタイルから見て韓国系だと誰も分かっていた』と在日認定。しかし後日作る会のメンバーだと解ると『韓国系に化けた稲尾和久投手』と在日説を否定する報道をした。アイゴー!!作る会のメンバーが在日のはず無い(丶`Д´>ニダ


真説「たけし!」―オレの毒ガス半生記 (講談社プラスアルファ文庫) ビートたけし (ビート たけし)

本名:北野 武
生年月日:1936年2月20日
職業:お笑いタレント
ソース:スポーツ韓国
 本人が勘違いしてクォーター発言。後に母自ら否定し、間違いだったと雑誌などで証言するも、『韓国系であるキタノ・タケシ(北野武・60)監督が日本を代表する文化人に選定された』などの報道がされている。 本人が否定してるが、強く否定してないのでいないので在日認定(丶`∀´>ニダ


21世紀への伝説史 長嶋茂雄 長嶋茂雄 (ながしま しげお)

本名:長嶋 茂雄
生年月日:1936年2月20日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 ミスタージャイアンツこと長島茂雄も韓国系という説が公然の事実として知られていると報道。他の記事などでも多く見られる。本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ

金田 正一 (かねだ まさいち)

本名:金田 正一
生年月日:1933年8月1日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で、日本プロ野球通算最多勝記録保有者である金田正一が代表的な韓国系選手だった。韓国名はキム・ジョンイルで去る1969年引退した。と報道。本人も認めているので当然在日認定(丶`∀´>ニダ


林 昌範 (はやし まさのり)

本名:林 昌範
生年月日:1983年9月19日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で、イム・チァンボムという韓国名を持つことが知られた林はハンサムな顔で、韓国でもすでに多くのファン層が形成されている。 と報道。本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


金本知憲 祝!2000本安打達成(仮) 金本 知憲 (かねもと ともあき)

本名:金本 知憲
生年月日:1968年4月3日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で金本知憲の親はどちらも在日韓国人、韓国名キム・ジホンだ。と報道。他にも朝鮮日報などで『金本は両親が韓国人である韓国系3世で、日本のマスコミにも自ら韓国系であることを明らかにしてきた。』と報道されている。帰化しているようだけど本人も認める韓国系なので在日認定(丶`∀´>ニダ


金田 政彦 (かねだ まさひこ)

本名:金田 政彦
生年月日:1969年4月30日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち』という記事で金田政彦の韓国名はキム・ジョンオンだと韓国系と紹介。 本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


ホームランアーチスト 清原和博 500本塁打の軌跡 清原 和博 (きよはら かずひろ)

本名:清原 和博
生年月日:1967年8月18日
職業:野球選手
ソース:ヘラルド経済
 『日本プロ野球を振る韓国系選手たち 』という記事で韓国系と紹介。本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


シンプル・リーダー論―命を懸けたV達成への647日 (文春文庫) 星野 仙一 (ほしの せんいち)

本名:星野 仙一
生年月日:1947年1月22日
職業:野球選手
ソース:OSEN/Yahoo!Koreaニュース
 Yahoo!ジャパンプロ野球・知恵袋に『星野監督が韓国系だという話があるが本当か? 本当なら、日本代表チーム監督として韓国戦は情が入り込んで不安だ』という質問を『星野が韓国系だという話は、これまで常に申し立てられてきた』と報道。その後、朝鮮日報でも『韓国系として知られる星野監督』と報道するも、こちらは数時間で削除された。本人もそうではないと否定しているが、強く否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


レッドソックス・松坂大輔 2008年カレンダー 松坂 大輔 (まつざか だいすけ)

本名:松坂 大輔
生年月日:1980年9月13日
職業:野球選手
ソース:ボストン・レッドソックス掲示板
 松坂がボストン・レッドソックス移籍した際に 『なぜ松坂はコリアンなのか?』の理由を5つ上げて韓国系とした。 1.イチローは韓国野球を軽んじたが松坂は何も言わなかった。2.彼はキムビョンヒョンを尊敬している。 3.日本人女性のほとんどが韓国人と結婚したがっている、そして松坂の妻は日本人だ。 4.松坂の祖父は強制連行で日本に来たと聞いたことがある。 5.アジアでは優秀な人は全て韓国人の子孫だ。松坂は優秀なので韓国人。この理由を見たアメリカ人からも『それはおかしい』と言われるも本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


孔子の一生 孔 子 (こうし)

本名:孔子
生年月日:紀元前551年
職業:春秋時代の中国の思想家
ソース:ソウル大学教授
 孔子の生地とされる現在の中国・山東省曲阜が、韓国によれば、かつての韓国領だった。さらに朝鮮で最初の国家と思われている『箕子朝鮮』の王・箕子と孔子が同じ血脈だったので在日認定。そもそも箕子が中国・商王朝の王族、すなわち中国人であることを無視し、箕子が韓国人の始祖ならその箕子と孔子を同じ血脈にすれば孔子も韓国人だ、という実に無茶苦茶なこじつけだが、否定する証拠がないので在日認定(丶`∀´>ニダ


サムシング~オリジナルアルバム 原 辰徳 (はら たつのり)

本名:原 辰徳
生年月日:1958年7月22日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 漢字氏名「原辰徳」を韓国の発音でそのまま読めば「ウォン・ジンドク」となるという理由から韓国系との噂が広がる。巨人の選手として契約したイ・スンヨプが本人に確認するも「違う」と否定されるが、もちろん韓国系だとしても明らかにしなかった可能性もあるので在日認定(丶`∀´>ニダ。


卓上 斉藤和巳(ソフトバンクホークス) 2008年カレンダー 斉藤 和巳 (さいとう かずみ)

本名:斉藤 和巳
生年月日:1977年11月30日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 日本プロ野球ソフトバンクのエース斉藤和巳(29)が歴代11番目の投手四冠王(平均自責点、最多勝、奪三振、勝率いずれも1位)とる際に紹介した記事にて、『2003年帰化した韓国系選手として知られている』と報道。
そんな事実を知られているわけではないがご本人が否定していないため在日認定(丶`∀´>ニダ。

森本 稀哲 (もりもと ひちょり)

本名:森本 稀哲
生年月日:1973年10月25日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 コナミカップアジアシリーズに出場する日ハムの警戒バッターを紹介する際、韓国式氏名そのままである‘フィチォル(稀哲)’と表記して日本式発音は‘ヒチォリ’だ。と報道。
在日韓国人の父と、日本人の母を持つため、韓国系で間違いない(丶`∀´>ニダ。

小笠原 道大 (おがさわら みちひろ)

本名:小笠原 道大
生年月日:1973年10月25日
職業:野球選手  
ソース:スポーツソウル
 コナミカップアジアシリーズに出場する日ハムの警戒バッターを紹介する際、2004アテネオリンピック予選直前に日本へ帰化して日本代表チームに加わった。と報道。
本人が否定していないため在日認定(丶`∀´>ニダ。

安倍晋三物語 安倍 晋三 (あべ しんぞう)

本名:安倍 晋三
生年月日:1954年9月21日
職業:政治家  
ソース:プレシアン
 陶磁器宗家を成すまでになった沈寿官家門の14代子孫が佐藤栄作から壬辰の乱以後日本に渡って来た韓国系であることを直接告白したため安倍も在日。証拠などなく又聞きの話だが本人の否定がないので在日認定(丶`∀´>ニダ。
ただし、安倍氏は靖国問題などで半島に強い態度をとっていたためそれほど一般的ではないようだ。

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫) 中田 英寿 (なかた ひでとし)

本名:中田 英寿
生年月日:1977年1月22日
職業:サッカー選手  
ソース:朝鮮日報(スポーツ朝鮮)
 朝鮮日報(スポーツ朝鮮)がW杯日本代表の中田英寿を韓国系3世と報じる。その後『噂の真相』が「朝日新聞と週刊ポストがこの"事実"をつかんでいたが結局ボツにした」という"スポーツジャーナリスト"氏の証言を使い、国籍タブーの偏見を追及した記事にしたが、そもそも『中田英寿を韓国系3世』と言うのが捏造記事のため「スポーツ朝鮮」「噂の真相」ともに訂正記事が載ることになった。


2000 BEST 山口百恵 ベスト・コレクション 山口 百恵 (やまぐち ももえ)

本名:三浦 百惠
生年月日:1959年1月17日
職業:歌手、女優  
ソース:聯合ニュース
中国の黒竜江日報が発行する「生活報」が『山口百恵は韓国人の父を持つ韓国系だ』と紹介した。と報道。
本人の否定がないので在日認定(丶`∀´>ニダ。


駅 STATION 高倉健 (たかくら けん)

本名:小田 剛一
生年月日:1931年2月16日
職業:映画俳優、歌手
ソース:掲示板など
  日本を代表する映画スターのひとり。名前に「高」が付くため在日認定するも、江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前の庄屋の内儀・小田宅子(おだいえこ)は先祖にあたるためその可能性は低い。 しかし本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2007 Baby’s breath 松田聖子 (まつだ せいこ)

本名:蒲池 法子
生年月日:1962年3月10日
職業:歌手、女優
ソース:掲示板など
  1980年代を代表するアイドル歌手の一人。デビューから四半世紀を過ぎ、結婚、出産、二度に渡る離婚を経てもなお、「アイドル」というスタンスを保ち続けている希有な存在である。実家の蒲池家は地元で数百年続く家のためその可能性は低い。 しかし本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


DA・DI・DA(ダ・ディ・ダ)/松任谷由実 松任谷由実 (まつとうや ゆみ)

本名:荒井 由実
生年月日:1954年1月19日
職業:シンガーソングライター
ソース:掲示板など
  数々の名曲を生み出したシンガーソングライター。愛称はユーミン (Yuming)。実家が八王子の老舗「荒井呉服店」のため在日の可能性は低い。しかし本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


MLB イチロー ~シアトル・マリナーズ~ イチロー (イチロー)

本名:鈴木 一朗
生年月日:1973年10月22日
職業:野球選手
ソース:朝鮮日報など
  驚異的にヒットを量産することから「安打製造機」と称される。数々の記録を名選手。メジャーリーグに挑戦する頃から言われてきた。イチローは韓国料理が好きで最多安打更新という偉大な記録には「韓国パワー」も大きな役割を果たしたなどの記事を掲載していたがWBC(ワールドクラシックベースボール)にてイチローが「今度のWBCで、戦った相手が“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたいと思う」と言う発言がなぜか『事実上、韓国に向けての発言と受取られる』と考えられ在日説はなくなった。 こんな発言する奴が在日のはずない(丶`Д´>ニダ


ONE LIFE 倉木麻衣 (くらき まい)

本名:倉木 麻衣
生年月日:1982年10月28日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 1999年に17歳でリリースしたデビューシングル『Love, Day After Tomorrow』が売上140万枚の大ヒットとなり、一気に人気アーティストとなった。 在日コリアンの青年五団体が主催するイベントに参加していたことから在日認定。本人も否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


石川梨華写真集「風華」 [DVD付] 石川梨華 (いしかわ りか)

本名:石川 梨華
生年月日:1985年1月19日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 ハロー!プロジェクト所属の女性歌手グループ、女性アイドルグループの美勇伝のリーダーで、元モーニング娘。の第4期メンバー。某掲示板などで在日認定されるもミュージックステーションでパスポートを公開した際は日本人だった。しかし、韓国系である可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


YOUR SONGS4 矢沢永吉 (やざわ えいきち)

本名:矢沢 永吉
生年月日:1985年1月19日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 広島県広島市出身のロックミュージシャン。インタビューにて在日と答えたという噂が広がるもソースなどはいまだ出されていない。しかし、本人が否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


松井稼頭央 2005年度 カレンダー 松井稼頭央 (まつい かずお)

本名:松井 稼頭央
生年月日:1975年10月23日
職業:野球選手
ソース:掲示板など
 走攻守に優れたスイッチヒッター。西武で活躍後メジャーリーグに挑戦。『稼頭央』という珍しい名前のため在日の噂が広まった模様。2004年アテネ五輪日本代表メンバーに選出されたことからも日本国籍であることは間違いないが、韓国系であることは否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


C’est joli 石田ゆり子 (いしだ ゆりこ)

本名:石田 百合子
生年月日:1969年10月3日
職業:女優
ソース:掲示板など
 『101回目のプロポーズ』、『Dr.コトー診療所』など出演した女優。妹は石田ひかり。父親の仕事の関係で台湾に在住していたこともあり中国語が話せることから在日認定したようだ。小学生時代水泳でジュニアオリンピックに出場しているため在日ではないが韓国系であることは否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


ゆり子・ひかり きせき 1987‐1996 石田ひかり (いしだ ひかり)

本名:石田 ひかり
生年月日:1972年5月25日
職業:女優
ソース:掲示板など
 『あすなろ白書』、『ひらり』など出演した女優。姉は石田ゆり子。父親の仕事の関係で台湾に在住していたこともあり中国語が話せることから在日認定したようだ。姉が小学生時代水泳でジュニアオリンピックに出場しているため在日ではないが韓国系であることは否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


エッセンシャル・ベスト布施明 布施明 (ふせ あきら)

本名:布施 晃
生年月日:1947年12月18日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 紅白の常連歌手。代表曲は『シクラメンのかほり』『君は薔薇より美しい』など。オリヴィア・ハッセーとの結婚により在日の噂が広がる。本人も否定していないので在日認定(丶`∀´>ニダ


全曲集 スーパーヒットコレクション 五木ひろし (いつき ひろし)

本名:松山 数夫
生年月日:1948年3月14日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 紅白の常連の大物演歌歌手。代表曲は『よこはま・たそがれ』『長崎から船に乗って』など。韓国でのイベントに参加していたことから在日の噂が広がる。徹子の部屋で息子は日本とアルゼンチンのハーフと発言したことからも日本人だと考えられるがが韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


美空ひばり (みそらひばり)

本名:加藤 和枝
生年月日:1937年5月29日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 数々のヒット曲を歌い銀幕スターとして多数の映画に出演した昭和の歌謡史を代表する日本の歌手であり、女優。 弟の暴力団とのいざこざが原因(?)で在日の噂が広がる。両親とも日本人とのことだが韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


Reading 『椿姫』with 草g剛 [voice] 〜私が愛するほどに私を愛して [CD付き] 草g 剛 (くさなぎ つよし)

本名:草g 剛
生年月日: 1974年7月9日
職業:歌手
ソース:掲示板など
 男性アイドルグループSMAPのメンバー。日常会話に不自由ないほどレベルの韓国語を話せ、チョナン・カンとして韓国デビューをしたことがあるなど親韓的なことから在日の噂が広がる。草gの”g”の文字は帰化人では使えない文字なので日本人には間違いないのだが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


稲本潤一 1979‐2002 稲本潤一 (いなもと じゅんいち)

本名:稲本 潤一
生年月日: 1979年9月18日
職業:サッカー選手
ソース:掲示板など
 大阪育ちのサッカー選手。日韓W杯で活躍後は海外に移籍した。日韓W杯では得点を上げる活躍をしたことにより在日との噂が広がる。両親ともに国体に出場した経験があるため日本人であるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


大相撲 秘蔵映像で綴る、伝説の名勝負・名力士全集(2) 貴ノ花 (たかのはな)

本名:貴ノ花 利彰
生年月日: 1950年2月19日
職業:元大相撲力士
ソース:掲示板など
 青森県弘前市出身で二子山部屋所属の元大相撲力士。若乃花と貴乃花の父。中学時代水泳で全国選抜水泳大会で記録を更新しオリンピックの候補に選ばれているため日本人と思われるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


ロングバケーション 木村拓哉 (きむら たくや)

本名:木村 拓哉
生年月日: 1972年11月13日
職業:俳優、歌手
ソース:掲示板など
 男性アイドルグループSMAPのメンバー。根拠はないもののSMAPのメンバーの中でも一番の人気を誇るため在日との噂が広がる。弟はフットボールの日本代表でW杯に出場してるため日本人だと考えられるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


椎名桔平―新世紀のスピリチュアル・アクターズシリーズ (キネ旬ムック―アクターズ・ファイル) 椎名桔平 (しいな きっぺい)

本名:岩城 正剛
生年月日: 1964年7月14日
職業:俳優
ソース:掲示板など
 三重県出身の俳優。主な出演作品は『いつかまた逢える』、『BLACK OUT』、『Age,35 恋しくて』など。顔が半島系などの理由で在日との噂が広がる。高校時代サッカーで国体に出場しているので日本人だと思われるが、韓国系の可能性は否定できないので在日認定(丶`∀´>ニダ


デビット・ベッカム サクセスストーリー【1991-2007】 デビッド・ベッカム (デビッド ベッカム)

本名:デイヴィッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム
生年月日: 1975年5月2日
職業:サッカー選手
ソース:朝鮮日報?
 イギリス(イングランド)出身のサッカー選手。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムズ。精度の高いで鋭く曲がるFKを持つ世界屈指のプレースキッカー。日韓のW杯の時には甘いマスクで日本の女性からも大人気となった。ベッカムという名前はイギリスでは珍しいと言うことで在日との噂が広がる。実際に記者が聞いたところ否定しなかったことからも在日認定(丶`∀´>ニダ


画像なし カール・ルイス (カール・ルイス)

本名:フレデリック・カールトン・“カール”・ルイス
生年月日: 1961年7月1日
職業:陸上選手
ソース:前田日明のおばあちゃん
 アメリカの陸上選手。オリンピックには4大会連続で出場し、通算10個のメダルを獲得。そのうち9個が金メダルというゴールドメダリスト。在日と明かしている前田日明がインタビューで「うちのおばあちゃんはカールルイスは在日だ」と話している。本人が否定したという話を聞かないので在日認定(丶`∀´>ニダ


画像なし キモラ・リー・シモンズ (キモラ・リー・シモンズ)

本名:Kimora Lee Simmons
生年月日: -
職業:モデル
ソース:ネーバーニュース
 アメリカの美女モデル社長。彼女のミドルネームが”リー”のことから韓国系との噂が広がる。本人が否定したという話を聞かないので在日認定(丶`∀´>ニダ


  Λ_Λ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (丶`∀´> ( 日本人の起源は韓国人なので
 (    )  │すべて在日とも言えるニダ
 | | |   \__________
 〈_フ__フ

http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/zainiti_nintei/zainiti_nintei_index.html


韓国人認定された人物一覧

韓国人認定の事例は数え切れないほどあるため、ここでは代表的な事例の一部を紹介する。


東郷茂徳

A級戦犯の一人だが先祖が秀吉の朝鮮出兵で捕虜となって連れて来られた陶芸職人であり、かつ戦争終結に尽力した形跡があるため、戦犯でありながら韓国人から韓国人認定されることが多い。戦犯のお墨付きを与えたアメリカ人は「まるで理解できない」と言及している。


王貞治

在日台湾人が在日韓国人に認定された稀有な事例である。


氏名が左右対称の文字で構成されている人物、姓に「金」が入っている人物

金田某さんや金山某さん、森田某さん、高田某さん、米田某さんなどが認定されている。

この伝で行ったら青木功や小林某さん、小川某さん、山口某さんに土田某さん、山田某さんに真田某さんに平山某さん、金田一某さんに山本某さん、大山某さんに田中某さんに谷口某さん、ロッテ会長・社長と同姓の重光葵も認定されなければおかしいのだが。この調子で言い続けると平清盛や森蘭丸や真田幸村まで韓国系扱いにされるのは時間の問題であろう。


笛木優子

女優。流暢に韓国語を操る上、「ユミン」というハングルの芸名を通し続けたため、近年覆面を取るまで生粋のコリアンだと信じられて来た。


日本人の凶悪犯罪者

前述のとおり、「善良な日本人がそんな凶悪な犯罪を犯すわけがない」からだそうで。


原辰徳

認定者いわく「この名前をそのまま韓国読みすると『ウォン・ジントク』になるため、名前だけ見ても彼が韓国系なのは明らかだ」。
ちなみに、韓国に「原」という姓はない。


秋山 澪(あきやま みお)

在日認定されたアニメキャラの代表例である。
認定者によると、彼女の本名(韓国名)は「秋 山澪(チュ サンジュ)」とされている。彼女が認定された理由は、その短気さとツリ目によるものとみられる。しかし、アニメ2期27話にて日本のパスポートを取得しているため、彼女の在日疑惑は公式に否定された。


イギリス人

韓国人認定の最たる一例である。認定者によると「イギリス人の起源は韓国人である」とされている。イギリス人そのものをも韓国人認定してしまうその神経に、世界があきれ返ったのは言うまでもない。


中田英寿

苗字が左右対称だから…というわけではなく、1998年3月に韓国スポーツ紙は「中田英寿は韓国系3世」と報じた。しかし翌月「噂をもとに、作成した推測記事だった」という電波民族らしい謝罪訂正を行う。2002年には韓国紙のインタビューで中田氏本人から韓国人認定を否定され、2009年にも、インターネットメディアで中田氏本人からまたまた韓国人認定を否定されたにも拘らず、編集者の注釈で勝手に韓国人認定をされている。懲りない電波民族である。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E8%AA%8D%E5%AE%9A


31. 中川隆[-6268] koaQ7Jey 2017年9月24日 15:14:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「朝鮮人認定」のいい加減さ 2


御用学者 渡部昇一に朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一

朝鮮部落なんか存在しない伊那の田舎出の本多勝一を在日朝鮮人とか、笑っちゃうね

本多勝一みたいに体制側に都合の悪い真実を明らかにすると、何一つ反論できないから朝鮮人認定して真実を否定しようとするのですね:


【南京大虐殺を捏造した】本多勝一は在日です【在日確定】日本の国難は全部朝日新聞のデマから
2014年09月22日

【新春特別対談】渡部昇一氏に聞く[桜H26-1-2] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=axqdVqS1SLw


2014/01/02 に公開

安倍政権発足から一年を経て国全体に明るい兆しも見えてはいるものの、「戦後日本」からの脱却はなお容易ではなく、草莽一人ひとりの覚悟がますます問われている。これから日本は何処へ向かうのか?真に国を想うその信念に従い、政治家として日々奮闘している国会議員諸氏と、優れた洞察力で時代を先見し、有為な視点を示してきた保守の重鎮達それぞれにお話を伺う新春特別対談です。

ゲスト:渡部昇一(上智大学名誉教授)
聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表)

※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。


「私の友達が調べたんですが、本多勝一は在日です」

渡部:朝日新聞は文化大革命を人類の壮大な実験なんて評していました。
人殺しが実験なら苦労しません。

不思議なことに朝日新聞が反省している様子がないんです。
僕はね朝日新聞の中に反日勢力が入っているんじゃないかと思います。

日本を苦しめた国難みたいに、従軍慰安婦問題と南京大虐殺があった。
両方ともいんちきなことは日本人は良く知ってるんですよ。しかし世界中では
南京大虐殺があったと思ってるし、従軍慰安婦も日本人がやっていると思っている。
  
しかし、発火点は全部朝日新聞なんですよ。南京虐殺のことを盛り上げた、
爆発させた本多勝一は、私の友人の調査によれば、在日です。

それがうまく当時の「自分の先祖が中国である」ということを言ってる
朝日新聞の広岡知男社長がやらせたという感じです。
  
そして従軍慰安婦問題も朝日新聞の記者が韓国人と結婚して、
その女性のお母さんが反日家で、その反日家が言っていることを持っていって
デスクがよく調べもせずに記事にした。

だから、日本の国難ということは、全部朝日新聞のデマから出てるんですよ。
しかもデマの発祥地は反省しない。
http://hosyusokuhou.jp/archives/40319566.html

朝日の「南京大虐殺」説は“朝鮮人”記者が書いた? 2011-07-14


朝日新聞に「南京で捕虜・市民30万人が日本軍に虐殺された」と虚偽を書いた本多勝一、本名は崔泰英


生年が著書により1931年、1932年、1933年と3通りある不可解さ

著書名 記された生年月日

「中国の旅」1933年生まれ
「殺される側の論理 」1933年生まれ
「南京への道」1931年生まれ
「裁かれた南京大虐殺」1933年生まれ
「天皇の軍隊 」1932年生まれ
「南京大虐殺の研究」1933年生まれ
「貧困なる精神Z集」1932年生まれ
「ジャーナリズムと歴史認識」1931年生まれ

他に生年月日抜きで発表されたのは「中国の日本軍」
「南京大虐殺否定論13のウソ」

この本多勝一、 本名は崔泰英 としてあちこちで目にします。
(じっくり調べてみます。諸説あり、いまだ確定には至っていません)

仮に事実なら、朝鮮人記者が朝日新聞という中国密着新聞に中国共産党の言うまま、検証も無しに記事を掲載、 「南京大虐殺」の「広宣流布」に大きな役割を担ったということですが。

もし日本人だとしてもその精神性に於いて大いなる疑義を抱かざるを得ません。
虐殺30万人が真実なら報道されることになんの異議もありませんが
さまざまな角度から検証してみるに、まずもって「物理的に無理」が結論です。


【この事実に注目】

日本の中学校教科書に初めて「南京大虐殺」が記述されたのは、
昭和53年(1978年)。

しかし中華人民共和国の教科書には「南京大虐殺」の記載はこの時点でも無かった。

  「南京大虐殺」の1937年から実に43年間、中共の教科書にさえ記載されていない、
という事実に着目。  

「南京大虐殺」は「朝日新聞」(1987年)の虚構報道により、更に広く日本国民に「事実」として
認識され、中共に利用されるに至りました。

もう一度言います。 「南京事件」の1937年から実に43年間、中共の教科書にさえ載ってはいません。事実なら、あの中共が43年間もこの事件に触れないでいるでしょうか。

場合によったら、ですが日本人のふりをした朝鮮人によって捏造された事件を中共が利用し始めて現在に至るという

構図ではないでしょうか。南京大虐殺館建設にお金を出したのも極左の日本人・元日本社会党委員長、田辺誠です。
その物理的出自のいかんを問わず彼らは「日本人ではない」。少なくともこの日本を護る立場には
あらず何らかの理由で毀損に走った人物だと思われます。

「30万人は学術的に根拠はなく、中国の研究は、日本で高まった南京事件否定説に対抗するイデオロギー的なもので、
自分が当館を経営していれば、この数字は使わない」(張連紅・南京師範大教授)

【備考】南京重慶に従軍していた父を持つ方のレポート。

父が南京重慶方面に従軍しており、話を聞いております。 あまりに捏造なので代わって抗議します。
 これだけの人数を銃殺処分するとなると当時は、英国などの記者も­沢山在所していたので、
川に流したとしても絶対に写真が海外に出­る。 写真がないのは事実がないからだ。 

川辺は沼地状態で万単位の捕虜を確保はできない場所で、多くの住­民が目撃可能な場所だ。 
この話が本当の話なら、そんな危ない街の南京の人口が数ヶ月で何­故急増したのか? 
馬賊も出没しなくなり、安全になったからだ。 
また、この元兵士の「日記」だが、このような詳細な軍行をしかも­いち兵隊が書いて残していたら、
憲兵に発見されたら軍律違反で銃­殺もの。 

もっと云えば、引き揚げ上げ時には身体検査があり、絶対に持ち出­せない筈。
 若い人達はテレビにウソばかり教えられている。 ウソである。 
この兵隊も本当なら実名で名乗れる筈だ。 また連体は2000人前後の旅団で65連体など存在しない。 
当時の出兵記録を調べたら分かる 以上 

「反日グループ」週刊金曜日のメンバーとしても本多勝一は名を連ねています。

石坂啓 永六輔 中山千夏 落合恵子 佐高信 椎名誠 (故)筑紫哲也 本多勝一 石倉直樹

*筑紫哲也も朝鮮名がしきりに出まわっていますが、こちらも未確認です。諸説あり。
最近、その遺産隠しが露見して修正申告(という名の)“脱税”が報じられました。

動画で見る本多勝一

本多勝一さん週刊金曜日創刊のころ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9e6O49Q4LsI


こいう講演をわざわざ聴きに行き、なごやかに笑っている人たち、何者。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/819f12c54bc6165c57fa69c51a35e248

本多勝一を応援する読者会のページ
http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hod/

本物のプロの取材方法とは

 本多勝一氏の取材方法は、ひたすら歩いて、見て、聞いて、ノートを取る。

インタビュー相手の話が脱線しても、既知の話題が出ても、相手を遮ることはせず、とにかく聞く。

はっきりとしない部分は通訳を通じて何度も聞き直す。そして写真撮影。


本多勝一氏と巡るハーレム 32年振りの再訪
http://www.nybct.com/2-62-honda.html


 今から32年前の1969年。当時、朝日新聞の記者だった本多勝一氏は、アメリカの主に黒人とネイティブ・アメリカンをルポするために単身渡米し、ハーレムや南部を半年に渡って取材。その記事はまず朝日新聞に連載され、後に1冊の本にまとめられて「アメリカ合州国」として出版された。当時、アメリカの黒人社会にここまで深く潜入して書かれた本は、日本ではほとんど出版されておらず、大きなセンセーションを巻き起こした。


 その本多氏が2001年にハーレムを再び訪れた。あれから32年、その間にハーレムの何が変わって、何が変わらずにいるのかを取材するために。前回の取材時はハーレムに住む“ブラウン君”という黒人青年がガイド役を務めているのだけれど、そのブラウン君の行方を探すことはもはや不可能で、今回、私がブラウン君に代わって本多氏を案内することとなった。


・・・・・


 本多勝一と言えば、まさに硬派ジャーナリストの代名詞のような存在。かつては敏腕新聞記者として世界各地を巡って数々のルポを書き、それらは今も書店の棚に並んでいる。また戦争やジャーナリズムについてなど、議論を呼ぶこと必至の著作も多く、論争や非難の渦中にあったことも数知れず。さらに朝日新聞を退社後は「週刊金曜日」という、これもまた硬派な週刊誌を立ち上げ、そこからは「買ってはいけない」のベストセラーも出ている。


 ところが、ハーレムにほど近いホテルの朝食ルームでお会いした本多氏は、いたって温和で物静か。取材用のノートとカメラを肌身離さずに持ってはいるものの、とても辣腕ジャーナリストには見えない。「初めまして。本多といいます。今回はよろしくお願いします。ところで、どこかカバンを買えるところはありますか? カメラを入れるカバンを成田で買おうと思っていたんですが、時間がなくて …」と、本多氏はケースにも入れていない、剥き出しのカメラを携えて丁寧な挨拶をされた。


・・・・・


 32年前、本多氏はハーレムYMCAに宿泊して取材をしたと「アメリカ合州国」にもある。今回の取材では、そのYMCAも含め、前回訪れた場所を再訪したり、現在のハーレムを良く知る人たちをインタビューして1969年のハーレムと、2001年のハーレムとの比較にポイント置いているとのことだった。


 本多氏の取材方法は、ひたすら歩いて、見て、聞いて、ノートを取る。インタビュー相手の話が脱線しても、既知の話題が出ても、相手を遮ることはせず、とにかく聞く。はっきりとしない部分は通訳を通じて何度も聞き直す。そして写真撮影。


 数日間に渡るハーレムの取材を終えた本多氏は、通訳兼アシスタントの“カズ君”と共にアメリカ南部の取材へと旅立って行った。この一連の取材の成果は「週刊金曜日」に連載されるとのことなので(時期は未定)、ハーレムの変化に興味のある方は「アメリカ合州国」と読み比べてみられてはいかがでしょうか。


●本多勝一「アメリカ合州国」朝日文庫 ¥544
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E5%B7%9E%E5%9B%BD-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/402260803X


1969年に単身アメリカに渡った本多氏が、ハーレムやアメリカ南部諸州をまわり、主に黒人の生活や人種差別の実態について書いたルポ。ハーレムではYMCAや廃虚のようなアパートに暮らし、人は良いけれどお金にだらしのない“ブラウン君”と共にハーレムを取材。南部紀行では、自身が激しい人種差別に遭遇。また戦後に黒人兵と結婚して渡米した日本人女性も取材している。なお、ハーレムの章の写真撮影は、氏の友人でもある吉田ルイ子氏。


●今回、プロのジャーナリストである本多氏の取材に同行できたことは、とても幸運でした。何よりプロの取材方法を真近で見ることができましたし、ハーレムを案内しているあいだに、私自身がハーレムの“今の姿”を再認識できました。

今、南部を旅行中の本多さん、どうもありがとうございました。また今回、私を本多氏に紹介してくださった中澤まゆみ氏にも感謝いたします。中澤さん、どうもありがとうございました。
http://www.nybct.com/2-62-honda.html


チャンネル桜が本多勝一が在日朝鮮人だというデマを流したのは この本を読まれると困るからだね:

中国の旅 (朝日文庫) 本多 勝一
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4022608056/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=0&sortBy=recent#R2NV3WY7ECK8F2


本多勝一は、ベトナム戦争に従軍し、精力的に記事にした。そこでは、南ベトナム軍も民族解放軍も、更には米軍でさえ虐殺していた。ならば、中国で日本軍は何をしたのか?

投稿者イエスちゃん!2015年5月2日


本多勝一は、ベトナム戦争に従軍し、精力的に記事にした。敵の北ベトナム側にも取材に行っている。

そこでは、南ベトナム軍も、反政府・民族解放軍ベトコンも、更には米軍でさえ、膨大な農民、老人、女、子供を虐殺していた。

それならば、先の日中戦争では、中国において日本軍は何をしたのか?に、記者として関心が高まった。

ベトナム戦争において、多数の証言者に対して、証言者の内容が信頼できるかどうか、吟味する方法を習得していった。

実際に本人が体験した証言と、単に人から聞いた証言・うわさ証言では、明確に差が出て来る。

証言者は多くは農民で、初めての取材であり、慣れていない。順序だって論理的に時系列で話す訳ではない。

最初に、自分の伝えたいことを先に話し、証言はいろいろと脇道に飛び、発生した時間の流れを前後する。

その膨大な部品・ピース・断片を、本多勝一は、自分の頭の中で、整理して、全体を再構成する。

そこで、まだ聞いていない部分・空白の部分を、何度も質問して、少しづつ埋めて完全に近づけていく。

もしも、証言者が自分の体験ならば、まだ話していないだけで、いくらでもその事について詳細に証言できる。

この過程で、記憶があいまいな証言者は、記事として使えないとして、外していった。

つまり、新聞記者のプロの眼で、情報の確度の選別、吟味をしている。
(なお、北ベトナムでの取材でも、共産主義の国だから、証言者は北ベトナム政府が、記事の希望に沿って、探し出したものである。)

結論から言って、日本軍も、中国において、多くの虐殺を行っていた。
この事実を認めることから、和解と再発の防止ができる様になる。
是非、多くの日本人に読んでもらいたい。


● ● ●

なお、平頂山事件は、精神的に異常な一人の軍人が起こした虐殺事件である。

(妻の自害の真の理由が不明、自分の為に死んだ妻の葬式も出さずに満洲に)
『撫順の守備隊の<一大尉>が、匪賊を匿うたとの廉で、部落の『婦女子』を集めて機関銃で掃射鏖殺したとのことであった。

この事件のあった少し前、内地の一新聞に満州へ出征した一大尉の夫人が、夫君に後顧の憂いなく御奉公するようにとの遺書を残して白装束で自害したとの記事があり、戦時婦人の典型だとて評判になっている旨を伝えていたが、件の大尉こその婦人の夫であった。』
(森島守人『陰謀・暗殺・軍刀--外交官の回想』)

それに対して、戦後、蒋介石の戦犯軍事裁判で、無実の撫順炭鉱の所長が、でっち上げ冤罪で、死刑にされた。

(この真の戦争犯罪者・軍人は、当時、満洲にはいなかった。戦後も、日本にて、生きながられた。運命は不公平である。)

この死刑は、復讐そのものであり、別の新しい犯罪行為である。中国側は、このことも知る必要がある。
両方とも追及・糾弾して、再び起こらない様にする必要がある。
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4022608056/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews&showViewpoints=0&sortBy=recent#R2NV3WY7ECK8F2


1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。


”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  


チャンネル桜は南京大虐殺が捏造だというデマを必死に流していますが、
当時の記録がちゃんと残っているので30万人虐殺は絶対に否定できないのですね:


30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。
2002/12/21 09:31 【共同通信】


南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は

「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」

と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日


ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html

日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少 2014年01月08日


吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。

同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA)

 「人民網日本語版」2014年1月8日
http://j.people.com.cn/94474/8507124.html


【拡散】南京大虐殺を捏造した朝日新聞の本多勝一は【 在日 】確定!!! 2014.09.21


「俺は知っている。やつは在日だ。」
で、なんの証拠も提示しないというw
渡部もこのサイトも訴えられればいいよ。
Posted by 名無し at 2014年09月22日 10:05


○○は在日詐欺もう飽きた
つか、明確なソース無しかよ
Posted by 名無し at 2014年09月22日 11:31

権威のある人の意見を鵜呑みにして、無条件で信じてしまういい例だと思います。

教授も「友人が調べたら在日らしい〜」と言ってる時点で、ソースが不確かな情報でしかないと言い様がありません。

別に自分は本多勝一を擁護するつもりは一切なく、単に間違っているのではないかと思うのでから書かさせてもらいます。

本多勝一は日本人です。
ソースは小学生の頃、本多勝一と同級生だった自分の父親。

自分の父親は昭和6年生まれで、信州伊那谷のとある町の出身。

本多勝一が子供の頃に在日だからいじめられていたという事実は一切無いそうです。
いじめられていた理由は、妹が障害者であったため、それが原因でいじめられていた事はあったそうです。

戦前の生まれで、排他的な地域の出身である事を考えると、在日である可能性は極めて低いです。

ちなみに親父の実家周辺がどれくらい排他的な所かと言うと、自分が25年ほど前レーサーレプリカのバイクで皮つなぎを着てツーリングがてら親父の実家に立ち寄った事があったんですが、それを見た近所の人が「○○の家にチンピラが来た!」と、その後に噂になったと、祖母から文句を言われました。
Posted by 在日じゃない at 2014年09月22日 08:06


父親が本多勝一の同級生で、彼を日本人だと書いた者です。

自分の父親が本多勝一と同級生であったと言うソースは父親の証言だけでなく、以前に父親が出席した同級会から帰ってきた折、

「おまえ本多勝一って知ってるか?」

と聞いてきたので、自分が知ってるという旨の発言をした所、おもむろに同級会で貰ってきたお土産の中から「六十歳の記念に登った山山 本多勝一著 悠々社」の本を取り出し、

「こいつ同級生で、同級会でみんなにこの本を配ったんだよ」

と見せてくれました。

その本には、直筆サインと本多勝一の落款が・・・って落款押してあるって・・・。

これこそ父親と本多勝一が同級生だった事を思わせる一品だと思います。

今も自分の手元にあるので直筆サインと落款に興味がある方がいたら写真に撮ってどこかにうpしてもいいかなw
Posted by 在日じゃない at 2014年09月22日 20:10
http://www.news-us.jp/article/405772710.html

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土井たか子元衆議院議員に対する在日認定


訴訟の原因となったのは、元産経新聞編集部長の花岡信昭が論壇誌 WiLL 2006年5月号に寄稿した「拉致実行犯辛光洙釈放を嘆願した“社民党名誉党首”」と題する記事である。

記事の中で花岡は

「土井たか子は朝鮮半島出身で本名は『李高順』である」

と土井に対する在日認定を行った上で、

「そのことが土井の拉致事件を見る目を曇らせたのか、すべて知った上で政治的演技をしていたのか」

と論じ、祖国・北朝鮮の利益を図るために日本の利益を蔑ろにしたのだと土井を婉曲的に糾弾した。

戸籍謄本および改製原戸籍謄本の記載によると土井は日本人夫婦の次女として兵庫県神戸市に生まれており、花岡による在日認定は事実に反していた。

また花岡は土井に対する取材等の裏付けを全く行わず、インターネット上で流布されていた情報のみに基づいて在日認定を行っていた。

これに対して土井は記事によって名誉感情や信用を含む人格的権利を侵害されたとして、2007年4月18日、WiLL を出版するワック・マガジンズと同社代表取締役(当時)の花田紀凱、記事を執筆した花岡の三者を相手取り、1000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める民事訴訟を起こした。

神戸地裁尼崎支部は 2008年11月13日、記事はあたかも土井が朝鮮人であるがゆえに日本以外の本国の利益を優先して、日本国民の安全などの利益を蔑ろにするという日本の政治家としてあるまじき行為をしていたかのような印象を与えるものであり、土井の社会的評価を低下させたとして名誉権の侵害を、

また虚偽の在日認定について以下のように述べて名誉感情および人格的利益の侵害をそれぞれ認め、被告らに対して200万円の賠償を命じた。

謝罪広告については記事の影響力の小ささを理由に退けた。


被告らは判決を不服として大阪高裁に控訴したが棄却され、さらに最高裁に上告したものの、2009年9月29日に上告を退ける決定が下された。

これにより神戸地裁の判決が確定した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A


2007/06/03 筑紫哲也(朴三寿)というデマ
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.html


2chで以下のような真偽の定かでないマルチコピペを見たことある人は多いと思う。


池田大作(→父:ソンジャンチョク、帰化人) (在日への選挙権推進、韓国での反日活動の実績)

土井たか子(→李高順(帰化前の本名)北朝鮮に親族多数

五島昌子(土井の秘書)本名、渡辺昌子は通名、つまり、在日朝鮮人(元社青同活動家の話より)

辻元清美(帰化人、赤軍派)

筑紫哲也(→朴 三寿:元朝日記者、共産キャスター)

本多勝一(→崔 泰英:「南京大虐殺」虚報の中共工作員記者)

佐高信 (→韓 吉竜:極左評論家)

福島瑞穂(→趙 春花、帰化前の本名:中核派)

永六輔(帰化人。反日活動、言動多し)

例えばこの中の

■土井たか子=李高順 説は?

月刊WiLL2006年5月号で元産経新聞記者・花岡信昭が、土井たか子=李高順という2chで流されたデマを事実のように書き、土井は花岡の記事を「事実無根の捏造 (ねつぞう)記事で、土井氏に対する取材に基づかない一方的な推測で作成したもので,名誉を毀損された」として、2007年4月18日、全国紙への謝罪広告の掲載と損害金1万円を求める訴えを神戸地裁に起こしている。


つーことでこの件はデマ確定 調査終了


■次に、筑紫哲也=朴三寿 説は?

【筑紫】 朴 三 寿 【哲也】(魚拓)より以下、抜粋する。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1127868368/


28 :文責・名無しさん:2005/11/15(火) 22:46:50 ID:d3V7cvUI
朴三寿ってのはオレが数年前にメガBBSに書いたネタだった思う。
確か「有名人の本名を晒そう」みたいなタイトルのスレだった。
他にも本多勝一や佐高信なんかの韓国名もでっちあげてやったんだ。
まさかこんなところでお目にかかるとはなw


30 :28:2005/11/16(水) 22:54:24 ID:rInX2H7E
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=perform&vi=1027871248

元ネタはこのスレの124だ。
よく見たら数年前じゃなく去年だったが


(※ちなみに、これがリンク先)


筑紫哲也=朴三寿という在日認定を2004/06/04以前にしているブログが一切無いことから、これが元ネタとみてまず間違いない。

↓以下は同スレより筑紫哲也が在日ではないことを補足する書き込みを抜粋する。


54 :文責・名無しさん:2006/03/18(土) 11:45:56 ID:hUhDYHbR
代々、九州の医者の家系で滝廉太郎の親戚とか言うけど
実は筑紫の故郷には筑紫という姓の人間がいない
つまり架空の日本名をこしらえたってことさ


58 :文責・名無しさん:2006/03/21(火) 23:37:20 ID:iPNZ4lbX
>>54
筑紫姓はいるよ。

筑紫氏
筑紫君、筑紫国造、筑紫連、筑紫史、藤原秀郷流武藤氏族、
清和源氏、桓武平氏等。


62 :文責・名無しさん:2006/03/22(水) 12:58:26 ID:s1CTwA8y
>筑紫の大伯父は滝廉太郎だから

ソース出せや


64 :文責・名無しさん:2006/03/22(水) 20:08:57 ID:VPz1iqiD
>>62
国際メンデルスゾーン基金の公式サイトより
http://www.mendelssohn-kikin.jp/frmset_taki.htm

>嘱望を受けながら留学した瀧廉太郎は、留学中に病(結核)におかされ、
>翌1992年に青雲の志空しく帰国した。 帰国後は、故郷の竹田市で療養後
>100年前の1903年に23歳10ケ月で没している。療養した家は、「瀧廉太郎
>記念館」として公開されている。同記念館は、瀧廉太郎の姉の孫にあたる、
>筑紫哲也が名誉館長である。


89 :文責・名無しさん:2006/04/16(日) 21:33:55 ID:jxI3E12R
滝廉太郎の妹トミは筑紫の祖母って書いてるぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E

何か見た目や思想だけで言ってるだけだろ。


115 :文責・名無しさん:2006/05/19(金) 23:45:22 ID:GxkkCoNF
>>113
筑紫哲也は瀧廉太郎の姉の孫で、その縁で 「瀧廉太郎記念館」の名誉館長だ。
下記のページに電話番号が載っているから、嘘だと思うなら聞いてみなよ。
http://machi.goo.ne.jp/snd/spotID_%20TO44000491/leisure/details.asp


122 :文責・名無しさん:2006/05/21(日) 08:20:56 ID:Ubf6/77H

メンデルスゾーン基金のサイト情報が一番確かだな。
当人も日本名を名乗っているし、万が一彼が朝鮮人の妾の子だったとしても、
日本人であることにかわりはない。
そもそも朝鮮人の血などそれほど「濃い」ものではないだろ?
名前からして基本は中国式だし、それが日本式の筑紫哲也に変わっただけだ。(笑

俺自身は、筑紫の政治観は幼稚だと思っているがね。


156 :文責・名無しさん:2006/07/08(土) 12:15:25 ID:Sbii/mJV
先祖は大分県・日田藩。漢学者の広瀬淡窓が開いた咸宜園で学んだと聞いた。広瀬の子孫が今のテレ朝会長、大分県知事の兄弟。


95 :文責・名無しさん:2006/09/11(月) 15:42:20 ID:kSuz5YS6
大分県日田市に筑紫姓があるのかどうかだが、
>>58のソースは「日本の苗字7000傑」というHPから。
その中の"筑紫国造"の中に"筑紫国造磐井"という人物がいる。
この人物は(大分県がある)九州北部の有力者と「Wikipedia - 磐井の乱」に書いてある。
だから、筑紫哲也の祖先はこれと思われる。
ちなみに、「岩戸山古墳−筑紫国造磐井の墓−」というHPには、
"筑紫国造磐井"を含む「筑紫の君」一族は渡来人の末裔ではないか
と書いてある。


96 :文責・名無しさん:2006/09/11(月) 17:26:05 ID:kSuz5YS6
つまり、筑紫哲也のルーツとは、

筑紫国の「筑紫の君」一族の末裔で、
筑紫国は、後に筑前国・筑後国に分割された。
このことは「Wikkpedia - 筑紫国」に書いてある。

そして筑紫哲也の出身地である日田市は、
筑後川水系にあるため、筑前・筑後と歴史的につながりが強い。
このことも「Wikipedia - 日田市」に書いてある。

結論 「筑紫哲也は帰化人ではない。しかし、祖先は渡来人の末裔である。」

これで解決したな。

(以上)


つーことでデマ確定 調査終了 


このように少しググっただけで、土井たか子と筑紫哲也は確実に在日ではなく、本多勝一、福島瑞穂、佐高信もおそらく違うだろうな、ということがわかる。

にもかかわらず、情報元を確認することすらしないリテラシーの低い、嫌韓・ネトウヨ厨は、今だに訂正すらせずにブログ上で事実として取り上げている。

例えば「筑紫哲也 朴三寿」で検索すると約9,350件ヒット、「朴三寿」では約11,100件もヒットする。

デマだとわかっても訂正すらしない確信犯的なデマブログの1つに、ランキング偽装疑惑のある「博士の独り言」がある。


2006/12/01(金)「博士の独り言」より以下一部抜粋する。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-asyuracom-221.html

この集会で挨拶した本多勝一(本名・崔 泰英)、司会を演じた佐高信(韓吉竜)の2名はいずれも在日朝鮮人。永六輔は半島からの帰化人。関与した矢崎泰久、中山千夏は、昭和52年に、ばばこういちを中心に結成した「革新自由連合」の仲間であり、新左翼系の自称・文化人である。

良識以前に、最低限度の人倫すら問われるこの「芝居」は、これらの人物の「日本に対する怨念」が凝縮されている。それほど日本が恨ましいのであれば、日本にいていただいても百害千害万害を垂れ流すだけである。日本から出て行け!
---------- ---------- ----------
【筆者記】
なりすましのメディア人、文化人、政治家の言動にはおぞましいものがある。上記の他に、朴三寿(筑紫哲也)、社民党の李高順(土井たかこ)、趙春花(福島瑞穂)等々。実に紛らわしい。反日活動においては、通名ではなく、本名を名乗るべきである。

(ここまで)


いい歳こいたおっさんが、左翼=在日=朝鮮人で思考停止か


ダッセーなぁ。。。恥辱まみれなデマ博士


あんた、マジかっこわりぃYO!


土井さんが党首の時に社民党に質問したんですよね。
そしたら丁重な回答が寄せられました。

曰く事実無根なんだそうです。

とにかく、気に入らないのはみんな朝鮮人にするんだから困ったもんですよね。
ただ、朝鮮人といわれて名誉毀損てのはどうなんでしょうね。

朝鮮人が悪い連中だと土井さんが認めた事になるんじゃないでしょうかね。
朝鮮人が何故怒らないのかが判らないですね。


土井たか子の家系についてはすでに共同通信の田中章記者が取材ずみ。

それによると、祖父は広島県の土井好太郎、父はその次男で仁良市、現京都府立医大卒、母は京都の職業軍人の長女で貴代、姉は和賀子、妹が睦子で武蔵野音大、弟が良博、顕とのこと。

父は内科小児科を神戸市長田区野田で開業していた開業医であった。

ハッキリと否定しないの筑紫氏だけでなく上記に名前のあがっているサヨク全般に言えるでしょうね。まぁ、くだらな過ぎて相手にしてないんだと思います。

それと、そんなに疑う理由がよくわかりませんが、このエントリーを書いたとき週刊金曜日の方に連絡したんですが、石坂啓、落合恵子、佐高信、椎名誠、筑紫哲也、本多勝一は在日ではないとハッキリ言われました。

本多勝一さんは日本人
本多さんの友人と親しいし、会ったこともある。

長野県飯田市に行って調べれば直ぐに分かるよ。旧制飯田中学-->飯田高校。


悪魔の証明

言い出しっぺの在日朝鮮人で"ある"と言っている側には信用できる証拠を全く求めずにコピペを垂れ流し、在日朝鮮人で"ない"と言っている側にだけ「もっと信用できる証拠」を出せと言い続けるネトウヨの論理性には苦笑してしまう。
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-76.html


32. 中川隆[-6340] koaQ7Jey 2017年9月25日 07:13:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何故日本に移住してきたのか


日本は朝鮮から飢餓輸出させた


日本で米が足りなくなったのは日清戦争がきっかけでしたが、それが日露戦争のとき顕著になったと東京外語大の大月先生は語っていました。

   それ以降は米不足が慢性的になり、1918年にはそれが頂点に達し「米騒動」が起き政権が揺らぎました。

この時、政府は次の三つの対策案を練りました。

 1。タイなどから外地米を輸入する。
 2。国内産の米を増産する。
3。朝鮮や台湾など植民地で米を増産する。

第1案のタイ米はパサパサしてまずく評判がさんざんで話になりませんでした。

私も数年前にはタイ米をけっこう食べましたが、カレーやチャーハンにでもしないとなかなか箸が進みませんでした。

   第2案ですが、内地米の増産はその余地があまりなく効果は期待薄でした。

そこで結局、第3案の植民地での産米増殖計画が本格的に採用され、1920年から始まりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。

また米の品種も、早神力など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。(早神力を番組では「わせしんりき」と発音していました)


こうした努力の結果が、朝鮮の食生活を少しでも豊かにしたのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら忘暮楼さんの指摘通り、米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。

   その実状を、番組は具体的にある農家の回想をとりあげ紹介していました。

秋に農民が米を70俵収穫しても、水利税や肥料代などもろもろ差し引かれ手元には15俵くらいしか残らないそうでした。

   しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうでした。

   これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の中に埋めたり隠したりしたのですが、冷酷な借金取りもさるもの、針金で地面をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。

   このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本の農家をも苦しめました。

安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
http://www.han.org/a/half-moon/hm007.html#No.61


当時の生活しやすさの基準として「米」の消費量を取り上げるのが最適と思われます。

米はいうまでもなく日本・朝鮮ともに主食で、当時は白米を食べることが「ごちそう」でした。したがって、米の消費量は当時の生活水準のバロメータになるので、この統計をみることにします。

         朝鮮の米穀輸出・消費量

年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た   日本人一人当た
    (1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)

1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129

'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*

資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
  *印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版


この表から、朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向にあることがわかり、植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。

これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定されました。その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。

  日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。
それに加え、タイなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。

  こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億8500万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしんりき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。

   こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、かの江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度私も認めたいところです。

   しかし、事実は残念ながら米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。


こうした日本の収奪政策のもと、朝鮮農民は窮乏化していき、わずかばかりの土地を持っていた農家も次第にそれを手放さざるを得ませんでした。

その実体を表すのが次の表です。これは米どころの全羅北道において、土地所有が産米増殖計画による水利組合の設立の前後でどのように変化したかを示すものです。


          全羅北道、五水利組合の土地移動
                       (単位は町歩)
      日本人所有  朝鮮人所有   その他    合計
 1920年    3,674    4,181    2,694    10,549
 1931年    8,999    3,545    7,292    19,836
(東畑精一「朝鮮米穀経済論」)

  この表のなかで、その他としているのは東拓など日本人の土地会社などを含みます。東拓とは1910年代、「土地調査事業」で国有地とされた土地を総督府から安く払い下げてもらって成長した国策会社です。

  この表からすると、朝鮮人所有の土地は減っても、逆に日本人の土地は倍増以上の伸びを示しました。朝鮮全体でみても、1920年から1927年にかけて日本人の土地所有は25万町歩から40万町歩へと、1.6倍に増大しました。

  灌漑施設やインフラなど朝鮮の富は増えても、その恩恵に浴するのは支配者である日本人であり、それとは対照的に多くの朝鮮農民はやせ細っていったのが植民地の現実でした。
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187

要するに、日本人が酷使する農奴の数が増えただけ.

できた米はすべて日本に持って行かれる.

李朝時代は独立農だったのが食うや食わずになった.

感謝するバカは一人もいない.


33. 中川隆[-6339] koaQ7Jey 2017年9月25日 07:16:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何故日本に移住してきたのか 2


日本政府は朝鮮人農民の土地を奪った


1910年の併合強行後、日本は朝鮮の植民地化を進めるが、その第1歩は、
土地の所有権の確定を目的とした土地調査事業であった。

国内における地租改正がそうであったのと同じように、それは植民地財政の基盤を固める意図からでたものであったが、その過程で耕作関係があいまいな多くの土地が、総督府に奪われることになる。

国有地に編入された耕地面積は朝鮮域内の全耕地の20分の1に達し、その多くは日本人に安価に払い下げられ、大規模な日本人地主が誕生した。

土地を失った朝鮮の民衆は、小作農化するか、あるいは日本や中国大陸へと流失していく。

民族の自立を損なう弾圧的な植民地か政策の展開は、第一次大戦後になると、
激しい独立運動の展開による抵抗に遭遇することになった。

1919年3月1日に朝鮮では独立を宣言して蜂起した民衆運動によって、それまでの植民地支配の枠組みを見直さざるを得なくなる。

 歴史上、「文化統治」への転換と評される斉藤総督の統治政策は、一方で「同化政策」を柱とする「民族としての抹殺」を意図するものであると同時に、農業振興政策による民衆生活の改善によって、日本による支配への不満を融和させようとするものであった。


朝鮮からの人口流失    人  

  日本へ 中国へ

1914 4,179 10,631
1915 5,046 13,281
1916 7,225 13,501
1917 17,463 18,911
1918 27,640 36,627
1919 35,975 44,344
1920 40,759 22,210


産米増殖計画の推進には、日本市場に適した品種の米を生産するという、輸出志向型の農業への切り替えが必要であり、この品種転換の強制と輸出志向は、朝鮮域内での食糧供給の不足、つまり「飢餓輸出」に帰結する。

日本国内では、1920年代に入って、つまり産米増殖計画が軌道に乗って、日本向けの米の輸出(移出)が増加しはじめるころには、当初の思惑とは異なって米の価格は低迷していたからである。

こうした農業振興政策の展開は、植民地を日本経済の一環に組み込み、日本への食糧供給基地化するという役割を果たすものであった。

しかも、このような飢餓輸出を生むような食糧供給基地化は、代替的な食料としての粟や高梁などの供給を、満州に求めることによって、東アジアにおける独自の経済圏を形成させることになる。
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/GAKU00-06.htm


1918年6月18日は、朝鮮総督府が植民統治の基盤を固めるために
1910年から8年間にわたり全国を対象に行った土地調査事業が終わった日だ。

同事業で大韓帝国の皇室と政府が所有する土地、村または門中の公有地、
そして荒蕪地はすべて総督府の所有になり、土地を奪われた農民ら数百万人は小作農に転落した。

大地主になった総督府は土地を東洋拓殖株式会社をはじめとする不二興業など土地会社と移住者に安価で譲った。

官吏の制帽と圓衫(韓国女性固有の礼服)で身を装った年老いた新郎・新婦(写真=独立記念館所蔵)は、当時朝鮮に渡って大地主になった日本人夫婦だ。

2人は伝統的な両班(ヤンバン 朝鮮時代の特権的な官僚階級)の地主とは異なる顔の「吸血鬼」だった。

当時の日本による帝国主義は領土を略奪したドラキュラだったというのが、韓国市民社会の普遍的な歴史の記憶だ。

ドラキュラに吸血されていなければ一世紀前の開化期にすでに自力で近代化を成し遂げたはずなのに、
日本の帝国主義のために実現できなかったということだ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116883&servcode=100§code=140


日本の土地調査事業であぶり出された農民たちが職を求めて日本へ渡った。
具体的にはこの政策で新しく地主になった日本人の所有する鉱山や工場の労働者としていったり、先に渡って生活基盤を作った親戚を頼って渡った。

世界史で習った土地の「囲い込み政策」を。あれとほぼ同じ現象だ。

日本に来るきっかけとなった「土地調査事業」は、明治43年に朝鮮を植民地にした日本が、その直後から朝鮮全土で実施した、地形、所有権、地価などについての調査である。それまで朝鮮には土地の登記制度が確立していなかった。そこに登記制度を導入し、税収入の増加を狙ったのである。

 朝鮮の村では、共同所有地など所有権がはっきりしない土地が多く、急に登記せよといわれても無理だった。

また、手続きは複雑で、農民が自分で申請することは難しかった。
登記をしなかった土地はすべて、朝鮮総督府のものとなった。


耕していた農民は、追い出されるか、高い小作料に泣かされることになった。
多くの農民が、貞鎬さんの父母のように生活に困り、日本へ出稼ぎに行くことになった。

総督府に取り上げられた土地の多くは、後で国策会社である東洋拓殖株式会
社に払い下げられた。

東洋拓殖はさらに、日本からの移住者に土地を売り、日本の農家の二男、三男らがこの土地を買って、農業を始めた。

朝鮮の村には日本人の地主が増え、土地を取られた朝鮮人が日本人を恨み、今も消えない根強い反日感情が残った。

 朝鮮では、明治43年の日韓併合から、昭和5年までの20年間に、人口
が約30%増えた。土地調査事業と人口の増加により、慶尚南道など南部の人
を中心に、日本に出稼ぎに行くようになった。その数は昭和五年までで40万
人近くにのぼる。

総督府に接収された土地は、山本有造『日本植民地経済史研究』(名古屋大学出版会)によれば、約12万町歩に及ぶ。又定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明する書類がないため接収された耕地が約2万7千町歩あり、接収された耕地は合計14万7千町歩である。当時の全耕地面積は 450万町歩であり、約3%である。

 これに正当な売買により取得した土地を加えた、1922年(大正11年)末の日本人農業者所有土地面積は、一般地主17万5千町歩、東洋拓殖8万町歩、合計25万5千町歩で、全耕地面積の6%弱である(朝鮮総督府『調査資料2ー7朝鮮における内地人』)。


34. 中川隆[-6338] koaQ7Jey 2017年9月25日 07:23:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日朝鮮人は何故日本に移住してきたのか 3

朝鮮人を日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた


朝鮮人戦時労働動員
著者:山田昭次、出版社:岩波書店

 朝鮮人が戦前、日本に渡ってきたのは自発的なものであって、強制されたわけではないという主張があるが、それは次のような調査結果からすると、まったく机上の観念論でしかない。

 1940年から始まった穀物供出制度により、朝鮮の農民は自家の飯半分まで取り上げられたので、貧困は一層激しくなり、農民の離村は強められた。

下層農民の衣服はボロ着で、着換えもなかった。
農民の主食は粟・稗・高梁・どんぐり・草根木皮そして副食物は野菜と味噌だけだった。

1939年と1942年の旱害のときには、餓死者や栄養不良による行路死亡者が多数発生した。

 そのような状況のなかで、ある農民は毎日ひもじい思いの生活を送り、妻子が栄養不足のために死ぬことを恐れ、1939年11月にすすんで募集に応じた。

すると、就業する職場も告げられないまま、日本に連行された。

 実は、私の亡父も三井の労務課徴用係として朝鮮に出向いたことがあります。
京城の総督府に出頭すると、既に三井から連絡が行っていて、
列車で500人ほどを連行してきたというのです。

三井の職員9人で500人もの大勢の朝鮮人を日本へ連れてきたというのですから、
なかには「自発」的な朝鮮人も少なくなかったと思います。
亡父は、やっぱり朝鮮では食えなかったからね、と自分たちの行為を正当化していました。

ところが、食べられないようにし向けたのは日本の政策だったわけです。


昭和14年(1939年)から昭和16年までの3年間に、日本へ渡航した朝鮮人は 107万人。

「募集」制度によって日本へ渡った朝鮮人は15万人。

 このように大量の出稼ぎ渡航者の存在と、強制連行者の併存が、戦時期の植民地朝鮮からの人口移動の実態だった。

つまり、日本の責任は重いということです。

 1939年に朝鮮に「募集」に言った人の体験談が紹介されています。

 当時、朝鮮はどこへ行っても失業者ばかりで、「募集」への希望者が殺到して断るのに苦労した。

 1941年2月、内務省警保局保安課長は、日本へ連れてきた朝鮮人が逃亡しないよう、
家族も日本へ呼び寄せることを促進するよう命じた。日本の官憲や企業は、家族呼び寄せを朝鮮人の逃亡などの防止手段として利用した。

その結果、特高月報によると呼び寄せた家族数は、1943年12月現在で4万158人になった。


貧しさという朝鮮人の生活条件の形成に日本が大きく関与していれば、朝鮮人の決断をそのような方向に導く条件をつくった日本の責任が問われねばならず、朝鮮人の対日渡航が自らの意志によると、単純に言えない。

そして、農民の貧窮化の発端は、総督府による土地調査事業に出発している。

 朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態だった。

朝鮮を日本の植民地としていた。

植民地下にあっても、朝鮮人は朝鮮人であって、日本人ではなかった。
日本人は、きちんとした事実認識をもつべきである。
http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/02/post_1347.html

北海道旭川市近郊にある「強制連行」の跡標 (3) [北の街]
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24

 ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー

 国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。

 「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」

 「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。

 「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」

 「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」

 そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」

 彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。

 「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。

 今では、「中国人殉難裂士」の慰霊碑が建てられています。しかし、ここには「観音堂」があったらしいのですが、Tさんは、今はどこへ行ったのか分からないそうです。

 そして、そこから細い道を登っていくと、中国人墓地があります。ひっそりと静まり返っています。林の中に、ぽつんと墓石が立てられているだけです。もう私たちの記憶の中から、忘れられています。

 そう言う私も、昨年Tさんから話しを聞くまでは、「中国人墓地」があるのは聞いていました。ただ、それはにある外人墓地的な感覚でした。連れて行ってもらって、始めてそこに何故「中国人墓地」が存在するのかを知りました。

 またその先には、今は日本一の設備を有するのではないか、と言われている忠別ダム工事が行なわれています。その先に見えるのが、今まで旭川を含めて近郊の電力をまかなってきた、忠別発電所があります。

 そこでは、強制連行されてきた朝鮮人の人たちが、中国人強制労働者と同じような犠牲を強いられてきていた過去があります。 

 どんな戦争でも、領土の奪い合いは民族間の支配関係を露わにします。支配する側は、支配される方を奴隷同様の扱いをし、自らの国家を「神の国」扱いにしたがります。だから、お前らは俺達の言うことを聞けと。

 しかし、歴史を見ても、たとえ一時それが最頂期を迎えたとしても、いずれは廃れます。そこに、また新しい怨念の連鎖が始まるだけなのです。

 3日にわたって、旭川の近郊で起きたことを書きました。是非、戦争の悲惨さを若い人に伝えたくて書きました。今、イラクでも同じようなことが起きています。
http://55-marku.blog.so-net.ne.jp/2005-10-24


詳細は >>28 を参照下さい


35. 中川隆[-6337] koaQ7Jey 2017年9月25日 07:38:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

関東大震災直後の朝鮮人虐殺を扇動したのは警視庁だった


■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667

歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。
http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html

震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm


 正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-7.html


「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-8.html


留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-1.html


「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

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「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

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「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-6.html


後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

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「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-8.html


戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html


36. 中川隆[-6336] koaQ7Jey 2017年9月25日 07:41:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「朝鮮進駐軍」とかいう根拠ゼロのデマ

在特会が広めた「朝鮮進駐軍」のデマで問題にされた事件の被害者は在日朝鮮人だけだった


浜松事件は死者数人・負傷者約300人
それも日本のヤクザ「小野組」が朝鮮人を挑発したのが原因

主犯は県議会議員となった服部治助の跡を継いでいた「小野組」小野近義

在特会の「朝鮮進駐軍」デマを検証してみた

レイシスト、ファシスト集団である「在特会」が、最近のデモ行動のなかで撒き散らしているらしいビラ「『朝鮮進駐軍』をご存知ですか?」を、ネットで目にした。


在特会サイト
http://www.zaitokukai.info/modules/wordpress/index.php?p=170

を開き、最初の「朝鮮進駐軍をご存知ですか?」の上のURL
http://www.eonet.ne.jp/~hi-kitty/hirakatakyuhu.pdf


をクリックしてください。

1945 年(昭和20年)以後に、現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または、半島に帰国した朝鮮人によって作られた犯罪組織を指します。 終戦後彼らは、日本各地で婦女暴行・窃盗・暴行・殺人・略奪・警察署や公的機関への襲撃・土地建物の不法占拠・鉄道や飲食店での不法行為など様々な犯罪を引き起こしました。 自称「戦勝国民」であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り、各地で徒党を組んで暴れ、凶悪事件を起こしました。 GHQ(連合国総司令部)の資料にあるだけでも最低4千人の日本人市民が、朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされています。

3万人もの朝鮮進駐軍は戦後の混乱を利用し、旧日本軍から盗んだ銃や日本刀で武装し、軍服を着込み全国で組織化を行いました。 「在日朝鮮人連盟総本部」(上写真)は後の「在日本朝鮮人連盟」で、更にこれが「在日本大韓民国民団」と「在日本朝鮮人総聯合会」に分かれ、これが現在の「民団」と「朝鮮総連」となります。
当時の日本は、戦場に男が駆り出され男手不足であったり、都市部でも疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いており、警察も武器の使用が認められないという、戦後特有の制限が有りました。 目の前で白昼堂々、日本人婦女子が暴行を受け助けを求めていても、銃で武装する彼らには警察すらも成す術が無かったのです。

「おれ達は戦勝国民だ! 敗戦国の日本人が何を言うか!」と小突き回され、暴行され瀕死の重傷を負った警官も数多くおられました。

戦後に朝鮮人犯罪が増加の一途を辿った背景には、この様な、犯罪に対する抑止力の空白化が背景に有りました。略奪・窃盗・密売・土地の強奪等にも組織的に関与しており、一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後パチンコや、サラ金、風俗行(ママ)などへの資金源として利用されていきました。

「生田警察署襲撃事件」「長崎県警察本部襲撃事件」「「首相官邸襲撃事件」」「阪神教育事件」など様々な凶悪事件を日本各地で起こし、とうとうGHQのマッカーサー最高司令官は、「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり。」と発表し、軍を出し日本の警察と合同で鎮圧に当たりました。

その後、余りに危険な「在日朝鮮人連盟総本部」は解散させられるのですが、その後「総連」と「民団」に姿を変え、今なお組織ぐるみで、理不順(ママ)な「在日特権」を要求し続けているのです。


_______


「朝鮮進駐軍」なるものが存在したなどということは初耳で、どうせ在特会が言うこと、「デマに間違いはなかろう」と思って、いろいろ調べてみた。

「朝鮮進駐軍」で検索をかけると、出てくるのは排外主義者どもの差別サイトばかり。

頭の先から足の先まで「朝鮮人憎し」しかない、「妄想」と「憎悪」だけがすべての思考や行動の源となっている陋劣なヤカラが、日本人のなかに、これだけもいるという情けない事実に、絶望的になるだけだった。

やはり、いくら探したところで、「朝鮮進駐軍」の実在を示す客観的な資料は出て来ず、デマとファシストの親和性を、あらためて確認した次第である。


しかし、この「朝鮮進駐軍」、最近までwikiにその項目があったようである。
以下はその内容。長いので、HTMLファイルとしてアップしてみた。

http://blog-imgs-32.fc2.com/e/i/j/eiji008/koreaArmy.html


wikiでこれだけのものを読めば、いかにも「朝鮮進駐軍」というものすごい、極悪非道の武装犯罪組織が実在しているように思うだろう。後半に列記された事件の多さに圧倒され、誰しも「事実」と信じてしまうに違いない。

しかし、これらの事件が起きた時期を確認すると、日本が敗戦した年から翌年にかけて集中していることに気づく。あとは1952年まで散発的に、年に2〜3度、起きているに過ぎない。

それぞれがどういう事件だったか、ひとつひとつ検索すれば、たいがい、wikiにその項目がある。植民地従属国である朝鮮の民衆が、祖国で食い詰め、あるいは強制的に「徴用」されて日本に渡ってきて、過酷な労働や差別に耐えながら戦時下を生き抜いてきた。それが日本の敗戦で解放され、それまでの鬱憤を晴らそうと、一部がアウトローのならず者となって、非道なことを仕出かしはじめた。

それが、闇市の利権をめぐる抗争であったり、密造酒を作るところを摘発に来た官憲との闘争であったり、逮捕された仲間の釈放を要求する集団抗議行動であったり、要するに列挙された事件はそういうものであり、背後に「朝鮮進駐軍」なるものが存在し、組織的、系統的に「指導」していたなどということの根拠を示す事実は、なにも提示されているわけではないのだ。

さすがに、問題が多いとの声があり、このwikiでの「朝鮮進駐軍」の項目は、当然のことながら、削除されてしまった。


「朝鮮進駐軍」なるものをネット検索してもヒットするのはいわゆる嫌韓厨といわれる面々によるプロパガンダサイトのものばかりで、百科事典記事作成に当たって信頼に足る情報源が見当たらない。

参考文献節に列挙された文献で「朝鮮進駐軍」を表題に掲げたものはなく、全体が[1]の丸写しであり、本記事執筆のIP:122.27.1.205(会話 / 履歴 / ログ / Whois)はWikipedia:削除依頼/122.27.1.205氏による外部からの持込で対象とされた記事も同じ外部サイトから丸写ししており、IPの記事作成の傾向からして記事解説記述が参考文献節の文献を参考にして作成したとは到底考えられない。

朝鮮進駐軍を「戦後日本の混乱期において朝鮮民族が自称していた犯罪(武装)集団の名称」とあたかも在日朝鮮人全体を包含した代表組織のような定義しているが、このような事実はない。

構成員を現在日本国内に居住する朝鮮人に結びつけた定義を展開しているが、これも前述のとおり根拠不明なトートロジーに過ぎない。

「朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)」は後の在日本朝鮮人連盟の前身であると記述しているが、「在日朝鮮人連盟総本部」なる組織の存在は確認できず、これが後継組織に引き継がれたとも立証されない。

「組織では…各地域ごとに部隊名をつけ」とあるが、参考文献があると称するにも関わらず具体的な部隊を挙げていないなど、事実に関して出典による証明が無い。

当時の在日朝鮮人が暴力事件を起こし、それを進駐軍にならって例えたというような事実はあったかもしれないが、それすら出典付きで記述できていない。そればかりか、意見・解説の類にも個々に出典は無く、{{独自研究}}状態に終始している。
朝鮮人による犯罪節と主な事件一覧節に列記した事件で朝鮮進駐軍により組織的に引き起こされたと断定されたものがない。


以上、記事全体を通じて事実であることが証明されないばかりか、あまつさえ虚偽や誹謗に類することを並べたてており、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の「本文が検証可能性を満たさない内容に終始している場合」「独自の研究結果の発表」「広告またはスパム(嫌韓厨プロパガンダ)」「完全に異質な記事」に該当する。

 (wiki「朝鮮進駐軍」ノート)  


「4000人の日本人が犠牲になった」とされるGHQの資料は提示されず、「白昼の路上で日本人婦女が暴行された」という「事実」の唯一のソースが、山口組三代目、田岡一雄の自伝のみという体たらくでは、朝鮮進駐軍が存在したという話は、到底、信じられるものではなく、それが常識というものだろう。


そこで、最初に掲げたビラにある写真をもう一度見てほしい。

在特会サイトを開き、最初の「朝鮮進駐軍をご存知ですか?」の上のURLをクリックしてください。

とくに2枚目の写真にこういう解説がつけくわえられている。

「朝鮮総連本部を警備する短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」

「朝鮮進駐軍」とは、こういう警官みたいな制服を着ていたのか!?

そう驚く者もいるだろうが、マトモな思考能力と感性を持った者はこう思うだろう。

 「これって、日本の警官じゃん!」 

残念ながら、そのとおりであったようだ。
以下は毎日新聞の報道写真を売るサイトのようだが、

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php
(「朝連」で検索して、いちばん右下の写真をクリックしてください)

その最後の写真が、このビラの2枚目に使われた写真であることは一目瞭然である。
朝連本部を「平穏に接収」するのは、日本の警官隊が行ったことである。

こういうペテンをするようなビラに書かれた内容が、寸毫も信用できないことは、いうまでもない。
http://eiji008.blog19.fc2.com/blog-entry-129.html


「朝鮮進駐軍」のまぼろし
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/07/221030


代表的な嫌韓デマのひとつである「朝鮮進駐軍」。

はすみ本では「オレたち朝鮮進駐軍」と題してイラストとデタラメな「解説」が掲載されている[1]。


『いわゆる「朝鮮進駐軍」とは、敗戦直後に在日朝鮮民族(敗戦直後その時点では、まだ国籍は日本)によって結成された犯罪組織のことである。日本各地で暴行、略奪、殺人など凶悪犯罪を繰り返し、多くの日本人が虐殺されたという。この時機に財産を築いた在日は少なくなかった。駅前一等地にパチンコ屋が多いのは、そういう理由もあるという。』


このデマは、最初は山野車輪あたりが言い出したらしいが、その後、ヘイト集団「在特会」がデモで悪質なアジビラを撒き、ネットにも掲載したことで一気に広まった。在特会のアジビラにはこう書かれている。


『1945 年(昭和 20 年)以後に、現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または、半島に帰国した朝鮮人によって作られた犯罪組織を指します。

終戦後彼らは、日本各地で婦女暴行・窃盗・暴行・殺人・略奪・警察署や公的機関への襲撃・土地建物の不法占拠・鉄道や飲食店での不法行為など様々な犯罪を引き起こしました。

自称「戦勝国民」であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り、各地で徒党を組んで暴れ、凶悪事件を起こしました。

GHQ(連合国総司令部)の資料にあるだけでも最低 4 千人の日本人市民が、朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされています。

3 万人もの朝鮮進駐軍は戦後の混乱を利用し、旧日本軍から盗んだ銃や日本刀で武装し、軍服を着込み全国で組織化を行いました。 「在日朝鮮人連盟総本部」(上写真)は後の「在日本朝鮮人連盟」で、更にこれが「在日本大韓民国民団」と「在日本朝鮮人総聯合会」に分かれ、これが現在の「民団」と「朝鮮総連」となります。』


敗戦直後の混乱期、警察力の弱体化に乗じて、旧来のヤクザや愚連隊、さらには敗戦に伴う価値観の急変で居場所をなくした特攻隊の生き残り(いわゆる「特攻くずれ」)などまでが、毎日のように盛り場で暴れ回り、闇市の利権を争っていた。その中に一部の在日もいたことは事実である[2]。


『公平を期すために付記しておくと、終戦直後に一部の在日コリアンがアウトロー化したのは事実である。私は彼らの手による犯罪がなかったなどと言うつもりはまったくない。実際に、終戦直後の日本では、国内各地でヤクザ組織と朝鮮人との間で職烈な縄張り争いがあった。

朝鮮半島にも日本社会にも基盤を持たない外国人は、とりあえず、いまいる場所で、拳を使って生き抜くしかなかった。なかでも徴用によって各地の炭鉱、鉱山などで働いてきた朝鮮人労働者にとって解放は、同時に失職をも意味したのである。

(略)

 この時期、愚連隊と化した一部の朝鮮人・台湾人と日本のヤクザとの抗争は常態化していた。東京渋谷では台湾人組織とヤクザが銃撃戦を展開、日本人警官1名、台湾人7名が死んでいる。

また、新潟県直江津では列車内のトラブルから、闇米ブローカーの朝鮮人3人が日本人乗客の1人をスコップで殴り殺した「直江津事件」も起こっている。これらの事件は、“在日事件史”の重要なファクターとして、在特会などもしばしば取り上げる。』


しかし、在特会が言うような、「朝鮮進駐軍」を自称する大規模犯罪組織など、どこにもなかった。山野や在特会がでっち上げたマボロシなのである。ビラが根拠だと主張する「GHQの資料」なるものも実在しない。また、ビラでは軍服のようなものを着た集団が民族団体本部を守っているかのように見える写真を掲載して事実らしく見せかけているが、これは実際にはまったく別の写真を転用したものである[3]。


『在特会サイトを開き、最初の「朝鮮進駐軍をご存知ですか?」の上のURLをクリックしてください。

在特会
http://www.zaitokukai.info/modules/wordpress/index.php?p=170

とくに2枚目の写真にこういう解説がつけくわえられている。

「朝鮮総連本部を警備する短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」

「朝鮮進駐軍」とは、こういう警官みたいな制服を着ていたのか!?

そう驚く者もいるだろうが、マトモな思考能力と感性を持った者はこう思うだろう。


 「これって、日本の警官じゃん!」 


残念ながら、そのとおりであったようだ。

以下は毎日新聞の報道写真を売るサイトのようだが、

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

(「朝連」で検索して、いちばん右下の写真をクリックしてください)


その最後の写真が、このビラの2枚目に使われた写真であることは一目瞭然である。

朝連本部を「平穏に接収」するのは、日本の警官隊が行ったことである。

こういうペテンをするようなビラに書かれた内容が、寸毫も信用できないことは、いうまでもない。』


注:

毎日フォトバンクのサイト
https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

を「朝連本部」で検索すると見つかる4枚の写真のうち、真ん中の2枚が在特会のビラで使われたものである。


なお、このアジビラ(またはその元ネタ)を作った本人は、なにしろわざわざ日本の警官隊が写っている写真を入手して、それにインチキなキャプションを付けて転用したのだから、「朝鮮進駐軍」などデマであることを知っていたはずである。嘘だと分かっていてデマを拡散する。実に悪質な差别扇動行為である。

はすみがやっているのは、山野が持ち出し、在特会が拡散したヘイトデマを、とっくにその嘘がバレた今になって再拡散しようとする行為だ。周回遅れのちんけなプロパガンダなのである。


[1] はすみとしこ 『そうだ難民しよう』 青林堂 2015年 P.15

[2] 安田浩一 『ネットと愛国』 講談社 2012年 P.219-220

[3] 世に噛む日々 『在特会の「朝鮮進駐軍」デマを検証してみた』 2010.5.24
http://eiji008.blog19.fc2.com/?q=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D&charset=utf-8


http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/02/07/221030


在特会支部の宣伝における朝鮮進駐軍

団体等規正令に基づき朝連ビル(在日本朝鮮人連盟中央総本部)が強制捜索された際に入り口を封じる警視庁予備隊、1949年9月8日。

在特会のビラには本写真が“朝鮮進駐軍の部隊”として例示されている。


右派系市民団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の「大阪支部」は、

「『朝鮮進駐軍』をご存知ですか?」

というチラシを配布し、その中で3万人の朝鮮人からなる犯罪組織「朝鮮進駐軍」「祖国防衛隊 (在日朝鮮人団体)」が、戦後の混乱期に強姦、殺人、公的機関への襲撃、不動産の不法占拠などの犯罪を起こし、「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料」にあるだけでも4,000人以上の日本人が殺されたとしている[5]。2009年に在特会が起こした京都朝鮮学校公園占用抗議事件では、これを「(学校の土地は)朝鮮人に奪われた」

というアジテーションの根拠としている。ビラの配布のみならず、インターネット上では、会の活動を支持するブロガーらによりブログや電子掲示板などで流布が行われた。

しかし、4,000人以上の日本人が殺されたとする「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の資料」の出典は明かにされておらず、朝鮮進駐軍を写したと言うチラシの写真は、新聞社が1949年に撮影した朝鮮人団体の本部の捜索を行う日本の武装警察官の写る写真に、「武装集団在日朝鮮人集団」「短銃を所持する在日朝鮮人警備隊」といったキャプションをつけたものであった。

朝鮮進駐軍が起こした凶悪事件として例に挙げられているものには、1946年の首相官邸デモ事件と1948年の阪神教育事件のような実在の確認できるものあるが、どちらも大規模なデモ行進が騒擾事件に発展した政治的事件である。

首相官邸デモは「在日朝鮮人生活権擁護委員会」、阪神教育事件のデモは「在日本朝鮮人総聯合会」(在日朝鮮統一民主戦線)が開催したもので、朝鮮進駐軍なる組織ではない。

事件の犠牲者についても、首相官邸デモ事件では死者は出ておらず、阪神教育事件では犠牲者は出たが、それは在日朝鮮人側の少年であり、主張されるものとは大きく異なるとされる。

元副会長の川東大了は自らが広めたたデマであると発言している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D


「朝鮮進駐軍」なるデマビラについて 2010年5月23日 (日)


 去年あたりから「在日特権を許さない市民の会」なる差別排外主義・レイシズムを煽る一種のネオナチが台頭し始めた。その手口は有りもしない「在日特権」なる物をでっち上げフィリピンから来日した夫婦の子供(中学生)を対象に露骨なヘイトスピーチを行い、朝鮮人学校の小学生に脅しをかけるという非常に醜いもので、「右翼」や「保守」の間からすら批判の声が高まっている。

年明けくらいには拙ブログにも「朝鮮進駐軍を知っていますか」なるトラックバックを送ってきた。そもそもの切っ掛けはWikipediaに掲載されていた「朝鮮進駐軍」なる項目が出典も一次史料も二次史料も示すことが出来ず、Wikipediaの編集方針に反するために削除されたことに拠ると思われる。

 こんなことを書くと常連のROM人さんあたりが噛み付いてきそうなので予め言っておくと、南京大虐殺や戦時性奴隷(従軍慰安婦)など左右の間で論争となる歴史的事実の殆どは被害者の証言もそれを裏付ける各種公文書、当時の報道などが実在する。論じられているのは規模の大小であったり軍部が関与したかどうかなどである。

ネトウヨなどの歴史修正主義者は実在を抹殺するために躍起となっているが、ナチスによるユダヤ人虐殺、アメリカ合州国によるネイティブアメリカン虐殺・ベトナム戦争当時のソンミ村虐殺、ソ連スターリン主義によるカチンの森虐殺、中国スターリン主義によるチベット民族抹殺政策同様否定できない事実である。矮小化の努力は常に為されているが。

 加入しているmixiのコミュニティーに「『在特会』を許さない市民の会」と言う物があって、そこで1週間ほど前から「罪特デマビラ『朝鮮進駐軍』」と言うトピックスが設けられ批判・検証が行われている。公開されいるためにザイトク会副会長なる人物や支持者とおぼしき輩も登場して来るのであるが、彼らは「朝鮮進駐軍」が実在したという歴史的事実を示すことが出来ていない。

唯一山口組三代目田岡組長の「自伝」的映像の中に使用されていたというのが根拠である。どうやら東映ヤクザ映画に影響され、それを真実だと思い込んでしまったらしい。[追記]約1000のコメントに対して私の書き込みは10ほどである。ザイトクを追い込み、ついにはデマであったことを認めさせたのは多くのコミュ参加者の功績による。

 私の父方の祖父は新潟出身で越山会会員、父は祖父の後を継いで土建屋を営んでいたため熱心な自民党支持者であった。子供の頃に見るテレビと言えば戦争映画・西部劇映画にアニメではテレメンタリー「決断」。尊敬する人物は山本五十六(連合艦隊司令長官)・山口多聞(第二航空戦隊司令官)・坂井三郎(台南航空隊を経てラバウル入りをし、生涯撃墜機数64のエースパイロット)というバリバリの右翼少年であったのだが、その私が全く知らずに来た「事実」である。

更に言えば中学くらいから更正して左翼になっていくが、二十歳の時に全学連と接触し、反戦青年委員会を経てマルクス主義青年労働者同盟に加入し20年ほど活動歴がある。その私が論敵である右翼・保守の連中から「朝鮮進駐軍」なる単語を唯の一度も聞いたことがない。

 では以下に「罪特デマビラ『朝鮮進駐軍』」トピで論争になった出来事を、コミュ参加者の中で同意を得られた方と、本来存在証明を果たす責任・立証責任があるザイトク会及びその支持者の引用を交えて紹介したい。

 ザイトク支持者は戦後革命期に行われた様々な闘争や闇市を巡る日本各地での抗争に在日朝鮮人が参加していたことをもって「朝鮮進駐軍」が存在したと主張する。

「3 2010年05月17日 10:02 打倒人民解放軍@京香

主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

* 大阿仁村事件(1945年10月22日)
* 生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
* 直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
* 富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
* 長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
* 富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
* 坂町事件(1946年9月22日)
* 新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日〜29日)
* 首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
* 尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
* 阪神教育事件(1948年4月23日〜25日)
* 評定河原事件(1948年10月11日〜12日)
* 宇部事件(1948年12月9日)
* 益田事件(1949年1月25日)
* 枝川事件(1949年4月6〜13日)
* 高田ドブロク事件(1949年4月7日〜11日)
* 本郷村事件(1949年6月2日〜11日)
* 下関事件(1949年8月20日)
* 台東会館事件(1950年3月20日)
* 連島町事件(1950年8月15日)
* 第二神戸事件(1950年11月20〜27日)
* 四日市事件(1951年1月23日)
* 王子事件(1951年3月7日)
* 神奈川事件(1951年6月13日)
* 下里村役場事件(1951年10月22日)
* 福岡事件(1951年11月21日)
* 東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
* 半田一宮事件(1951年12月3日〜11日)
* 軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
* 日野事件(1951年12月18日)
* 木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日〜23日)
* 姫路事件(1952年2月28日)
* 八坂神社事件(1952年3月1日)
* 宇治事件(1952年3月13日)
* 多奈川町事件(1952年3月26日〜30日)
* 田川事件(1952年4月19日)
* 岡山事件(1952年4月24日〜5月30日)
* 血のメーデー事件(1952年5月1日)
* 上郡事件(1952年5月8日)
* 大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日〜25日、11月9日〜12日)
* 広島地裁事件(1952年5月13日)
* 高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
* 奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
* 万来町事件(1952年5月31日〜6月5日)
* 島津三条工場事件(1952年6月10日)
* 醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
* 葺合*長田事件(1952年6月24日)
* 吹田*枚方事件(1952年6月24日〜25日)
* 新宿駅事件(1952年6月25日)
* 大須事件(1952年7月7日)
* 舞鶴事件(1952年7月8日)
* 五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日〜26日)

参考文献

* 法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年
* 横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
* 篠崎平治『在日朝鮮人運動』1955年
* 大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年
* 新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年
* 名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年
* 瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年
* 山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年
* 宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
* 大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年
* 警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
* 兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
* 愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年
* 青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年
* 坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年
* 警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年
* 思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年
* 仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
* 長崎県警察史編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年
* 李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
* 福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
* 山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年
* 警察文化協会編『戦後事件史』1982年
* 日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年
* 講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年
* 朴慶植『解放後 在日朝鮮人運動史』1989年
* 百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年
* 金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年
* 荒敬『日本占領研究序説』1994年
* 百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年
* 竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
* 『秋田魁新報』1945年
* 『神奈川新聞』1951年
* 『西日本新聞』1951年
* 『中部日本新聞』1951年、1952年
* 『大阪新聞』1952年
* 『京都新聞』1952年
* 『神戸新聞』1952年
* 『山陽新聞』1952年
* 『中国新聞』1952年

こんな感じですよ。。 皆様。。」

 図書館に足を運んで調べる余裕がないので列挙された事件をWikipediaで調べてみたのであるが、どの事件にも「朝鮮進駐軍」なる単語は登場しない。組織的関与も記載されていない。勿論在日朝鮮人による犯罪がなかったなどと言うつもりはない。更に言えば戦後革命期に日本「共産」党の様々な闘争を最も献身的に闘い抜いたのは朝鮮人党員であるから、逮捕者が多数いるのは当然の出来事である。

「92自分のコメントを削除する 2010年05月17日 21:38 アッテンボロー

「朝鮮進駐軍」なる有りもしないデマを信じる単純なお嬢さん、戦後革命期の朝鮮人の闘いがどの組織によって行われていたか、歴史的事実を勉強してね。

「自主独立の党」である日本「共産党」はコミンテルン(国際共産党)日本支部として結成されました。当時コミンテルンは「一国一党」という方針から日本の植民地である朝鮮には支部を認めず日本支部の一員として活動するように指導した。

民族独立を願う朝鮮人共産主義者達は最も英雄的に日本国内で反戦運動や労働運動に取り組んだ。宮本賢児(「顕治」が正しい)など日本「共産」党指導部は危険な任務の殆どを朝鮮人党員に命じた。中野重治(詩人・「共産」党員で後に共産主義者たらんとして離党だか除名)の詩にも「日本革命の前盾、後ろ盾」なる語句が有り、日本「共産」党による利用主義の顕れとして社会主義者・共産主義者・ブルジョア民主主義者らから批判の対象となる。

戦後朝鮮人は「朝鮮人民共和国」を建国する計画を持っていたが、大日本帝国陸軍の管轄を元に三十八度線の南には朝鮮軍に代わり米軍、北には関東軍に代わってソ連軍が駐留する。

当時坑日パルチザンなどの戦いの影響で統一選挙をすれば親ソ政権誕生が有力視されていた為南で単独選挙を強行し、反共主義者である李承晩を大統領とする大韓民国を成立させる。これに対抗しソ連は北に朝鮮民主主義人民共和国を建国し何処の誰か知らないが「金」姓の党員に坑日パルチザンの英雄「金日成」の名を襲名させて総書記とする。

お嬢さんの言う太極旗引きずり下ろしは坑日パルチザンの中の一部である「金日成」派やソ連の影響を受けない大部分が何もしなかった李承晩ら親米派より支持されていた背景無しには考えられない。ソ連軍占領下の北でも同様な引きずり下ろしが有ったかどうか? 少なくともソ連は亡命政権を承認しており、戦後処理の会議に参加する事を了承していた。アメリカ合州国政府の反対により出席できなかったのだ。

つまり当時は朝鮮を戦勝国とする国々も存在していた。

中国の国共内戦における中国「共産」党の勝利と中華人民共和国成立や朝鮮戦争前夜のGHQの方針転換により戦争犯罪人の公職復帰とレッドパージが行われると日本支部は朝鮮人党員を追放し、同時に団体規制令に従い党員名簿を政府とGHQに提出して弾圧回避を狙う。

ソ連及び中国の「共産」党が朝鮮労働党の半島統一戦争を支援したのに対し、この頃から「自主独立」路線が芽生えていた日本支部は朝鮮戦争反対をスポイルした。後方支援基地である日本全土が軍事監獄と化す中で反共労働運動として組織された総評が「鶏からアヒルへ」と呼ばれる路線転換を行い、引きずられた社会党が左傾化する。

朝鮮戦争後ソ中両党に軍事組織も無く軍隊工作もせず武装闘争もしない事を批判されるや「山村工作隊」「中核自衛隊」を編成し火炎瓶闘争などを行う。

お嬢さんらが信じた「朝鮮進駐軍」なるデマは日本「共産」党による武装闘争や植民地支配に対する個人的反発、生きるために日本各地が闇市を巡る抗争に明け暮れていた時代の一勢力に過ぎない在日朝鮮人を一緒くたにして妄想に浸る行為だよ。

ついでに言うと、日本「共産」党からは大歓迎される主張だろうね。彼らは六全協で武装闘争路線を放棄し、今は「暴力反対」を唱えているから武装闘争の全てを朝鮮人のした事に出来る。」

 ザイトク支持者は盛んに朝鮮人が戦勝国を僭称したと言うのであるが、大韓民国臨時政府(1919年に上海で設立された大韓帝国の亡命政府)が組織した韓国光復軍(1940年に重慶で創設)が連合軍の一員として米政府の一機関による訓練を受けていた事実は知らないらしい。更に言えば抗日パルチザンなどの一連の独立闘争が存在していた。ただし大韓民国臨時政府を枢軸国・連合国共に国家としては承認していない為、朝鮮人の連合国の一員であり「戦勝国」であるとの主張に食い違いが出る。「 大韓民国臨時政府対日宣戦声明書 大韓民国臨時政府主席 金九と 外務部長趙素昴名で大韓民国 23年12月10日に宣言したが、日本政府に布告文書は通達されておらず、実効性は皆無。」(Wikipedia「大韓民国臨時政府」の項目の脚注より引用) 米帝が南米でコントラなどの反共勢力に軍事援助や資金援助をを行っていたのと同様で、朝鮮人からすれば亡命政権が承認されていたと錯覚するのも当然である。第2次大戦中のシャルル=ドゴールの「自由フランス国民委員会」の例も有る。

 ザイトク支持者の主張によると「朝鮮進駐軍」なる言葉は在日朝鮮人が作り出したもので日本人の感覚からは生まれるはずがないとのことである。そもそも「進駐軍」なる言葉は「占領軍」と言う言葉を嫌った日本政府の造語であるという事実を知らないらしい。

「1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織」(2010年05月17日 10:01 打倒人民解放軍@京香 )

 まずここで事実誤認が甚だしいのは国籍が韓国の人については「特別永住権」であるが朝鮮籍の人の場合は「協定永住権」と言う。これは元々敗戦まで日本国朝鮮・日本国台湾という行政区分の土地、つまり旧植民地出身者の日本国籍を1952年のサンフランシスコ条約による日本の独立回復と同時に剥奪した(昭和27年4月19日法務府民事局長通達 民事甲第438号「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」)際に勅令で永住権を定めたことが発祥。

「戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本空軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。」(2010年05月17日 10:01 打倒人民解放軍@京香 )

 戦後しばらくは帰還兵などが持ち帰った銃器や軍刀は至る所に存在していたし、旧軍の物資を盗んだのは日本人も同じ。山口組や稲川会・住吉会が武装していたのはどこから入手したのか? 日本人の多くが武器を所持していた。更に歴史上日本に空軍は存在しない。「さて、お嬢ちゃんに対する指摘として、「日本空軍」なる物も未だかつて存在したことはないと言っておこう。事実上の日本空軍である航空自衛隊の創設は1954年7月1日で当初は陸軍航空隊と海軍航空隊との混成。当然皇軍、天皇の軍隊は「帝国陸海軍」しか存在していない。デマ情報仕入れる前にせめて防衛省や航空自衛隊のサイトくらい見ようね。

 それから闇市で「空軍の軍服」を来た人々が暴れていたことだけど、「飛行服」を着ていると、死をも恐れぬ特攻隊帰りと言うことで幅を利かせることが出来たし、実際特攻隊帰りの中には自暴自棄になって暴れるのがいたからね。ただし比率は圧倒的に日本人だよ。大山倍達(おおやまますたつ 極真空手の創始者)の様に植民地出身の特攻隊帰りもいたのは事実だけど。」(2010年05月17日 23:37 アッテンボロー)

「この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。」(2010年05月17日 10:01 打倒人民解放軍@京香 )と有るのだが、植民地出身者の殆どが創始改名によって、或いは右翼の主張では皇民化教育により自ら進んで日本名を名乗っていたのであるが、敗戦直後に民族名を名乗っていたという根拠は示されていない。ついでに言えば日本国民として戸籍に記載されていたのであるから、1952年の国籍剥奪までは「通名」ではなく本名である。

 さて、進駐軍である米軍などによる強姦などの婦女子暴行は日常茶飯事であったし。様々な横暴な行為を働いた。

「「慰安所」の設置 [編集]
終戦直後の8月18日に、内務省は全国の警察に対して連合国軍の将兵向けの慰安所の設置を指令し、8月20日には近衛文麿国務相が「特殊慰安施設協会(RAA)」の設置を決めた。「(連合国軍の将兵による)性犯罪から子女を守るため」という大義名分を基に、日本各地に慰安所が設置された。」(Wikipedia「連合国軍最高司令官総司令部」より) この「慰安所」の発想やノウハウがどこから出てきたかは言うまでもない。

「318 2010年05月19日 11:38
打倒人民解放軍@京香 朝鮮進駐軍と言う名前は、朝鮮人の発想からしか生まれません。。」

 1871年に(明治4年)8月28日の太政官布告(解放令)が出されると解放令反対一揆というのが散発したのであるが、今まで差別視したり格下扱いしていた人々が解放されることに対して差別者の側は「増長」と感じる。単純に対等に近くなるだけだが、その事が在日朝鮮人をまるで「朝鮮進駐軍」だと日本人が表現した可能性は考えられる。少なくともザイトク会及び支持者の根拠ならざる「根拠」は東映ヤクザ映画しか例示されていない。

 ザイトク支持者に対して「512自分のコメントを削除する 2010年05月19日 22:17 アッテンボロー  騙されやすい京香お嬢ちゃん、お嬢ちゃんが今までにだらだらとコピペした様々な事件の調書を読んでみたらどうかな? 僕はお嬢ちゃんほど暇ちゃうからわざわざお子ちゃまの為に調べて引用してやる無駄な時間はないから。ここまで散々みんなが事実の調べた方や立証方法などを親切丁寧に教えていても、学習能力のないお嬢ちゃんには理解できないみたいだから。

 で、ヒントだけ。犯罪報道などで「自称○○こと××」とか有るだろ。報道機関が独自に調べることは殆ど無くて警察発表の垂れ流しだから。

 裁判になっている以上、逮捕されたり起訴されたりした人間の調書が警察・検察・裁判所に公文書として存在している。もし本当に「朝鮮進駐軍」なる組織が実在した場合必ず記載がある。お嬢ちゃんが騙されている様に「3万人」規模の組織が存在したのなら載っていないはずがない。ヤクザや右翼の場合構成員が一人であっても「暴力団○○組構成員××」とか「在特会構成員京香」とか証明してくれるよ。」

 裁判資料などは極普通に公開されているのだが、ザイトク会及びザイトク支持者は調べて根拠を示す能力がないらしい。日本政府の公文書あるいは米政府の公文書で公開されている物は少なくない。国立国会図書館で閲覧・コピーを取ることも出来るし、それらを第一次史料として使用した文献やサイトなども有るだろう。

 ザイトク会及びザイトク支持者自らが「朝鮮進駐軍」が存在しなかったと表明していることを引用しておく。


「100 2010年05月17日 22:50
打倒人民解放軍@京香
朝鮮進駐軍ってものは本来は無いし、、
昔の誰かがこの様な犯罪者民族につけたんでしょ。。
それが広まったんではないのかな〜。。
そして、犯罪者集団南北朝鮮人は、我々は朝鮮進駐軍だといえば、怖がられて脅しにでも使っていたんでしょうね。。 」

「276 2010年05月19日 10:09
打倒人民解放軍@京香
当たり前でしょ。。
朝鮮人は進駐していないんですから、警察は進駐軍などと言うはずはないでしょ。。
朝鮮人が嘘をつき、朝鮮進駐軍と名乗って 暴れていた証拠。。だと言うこと。。」

「2010年05月19日 10:35
打倒人民解放軍@京香

>その事件の過程において、警察署に乗り込んだ朝鮮人が自分たちのことを「進駐軍だと言った」のですか?それともあなたの推測ですか?
憶測? 

キミの方が憶測でしょ。。 これだけ犯罪履歴を出してもいいえと言っているんですから。。
>日本の警察は「朝鮮進駐軍」という「犯罪組織」が存在したことを認めてないってことですね?
当たり前。
朝鮮人が自ずから戦勝国民だ。我々は進駐していると警察に言っても、キチガイ扱いですよ。。 」

「326 2010年05月19日 11:48
打倒人民解放軍@京香
(一部ハンドルネーム削除)
朝鮮進駐軍という名前の組織ではなく、、
各自で、朝鮮進駐軍と名乗って、警察署襲撃や婦女暴行、強盗、殺人、窃盗、などをしていたんでしょ。。 」

「346 2010年05月19日 12:23
打倒人民解放軍@京香
>そんなものは一度も出ていません。

ごまかさなくてもいいよ〜
http://www.tamanegiya.com/tyousennjinntohann19.11.26.html
文句を言いたければ神戸にGO〜。 」

 上記のURLをクリックしてみると
「戦後、朝鮮人がやっていたこと 「田岡一雄自伝」より

平成19年11月24日土曜日晴れ ××××

 手元にある「田岡一雄自伝 電撃篇」(田岡一雄 一九七一年初版 徳間書店)よりの引用

 (その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。

 敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
 その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。

 終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。

 略)

 三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。

 通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。

 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。

  警官が駆けつけてきても手も足も出ない。

「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」

  警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 >p一九〇〜十九三

 (昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
 一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。

「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」

少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。

「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の、三国人の男たちだった。
 彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
(汚ねえ・・・・>
 うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>p一九四

(昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
 そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。>p二一四

 田岡氏の著書に出てくる「三国人」とははほとんどが朝鮮人です。
それは、下記のような箇所の記述からわかります。
(朝鮮人同盟からの果たし状だ>P二一二
(やはり三国人との抗争事件で丹波篠山へ朝鮮人征伐にでかけた>P二二六

 差別だ、差別だ、と騒いでいる朝鮮人がどのようなことをわが国で戦後やってきたか。一つの事例です。

 ちなみに、この本には、田岡氏の昭和二一年夏の山口組三代目襲名式には当時の自民党代議士・佃良一氏が出席(P二三二)と記されているが、自民党は昭和三〇年(一九五五年)に自由党と日本民主党が合併してできたものですから、昭和二一年当時は自民党がまだないので、自由党か日本民主党かの間違いでしょう。」とある。[追記 pippoさんの指摘ではザイトク会及びザイトク支持者が羅列した一連の事件の中には含まれていない「国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪」なる事件が登場している。北海道深川市にある深川駅なのか、滋賀県甲賀市の深川駅(現甲南駅)なのか、熊本県水俣市にあった肥後深川駅なのか? はたまた神戸にも「深川駅」が存在したことがあるのか?  広島県安佐市の下深川駅・中深川駅・上深川駅なのか? 一応Wikipediaで近畿地方の廃駅まで調べたが神戸には「深川駅」なる物はなかった様だ。私鉄・市鉄にも無かった。文脈からすると1945年(昭和20年)8月15日に神戸市内に「深川駅」が存在しないといけないから自伝の記述その物の信憑性が低下する。また「闇市を掌握」していたのは山口組ではなかったのか? 「旧日本軍の飛行服」は京香が誤読した部分である。更に「不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃」と有るがWikipediaにはそのような事件は記載されていない。生田警察署襲撃事件は有るが、こちらは襲撃者の規模が1回目1945年12月24日「50名を超える」2回目、1946年1月9日「30〜40人」となっている。]      

 唯の一言も「朝鮮進駐軍」なる言葉は出てこない。寧ろ文末の自民党についての記述にある様に田岡の自伝がキチンと当時の時代背景を記述していない事が明らかである。例えば山口組最強の殺しの軍団である柳川組が在日朝鮮人で組織されていたことなどはここでは触れられていない。(右翼やヤクザに詳しいアンチザイトク会コミュ参加者の方による)

「386 2010年05月19日 13:38
打倒人民解放軍@京香
>そういえば、闇米食べなくて餓死された方いましたよね。
人のものを強奪したもので生き恥をさらすのはいやだったんでしょうね。。
闇米=泥棒もの。。 日本人らしいひとですね。。 」

 ここでも無知がさらけ出されている。食管法による統制から外れて流通した米は全て闇米だった。田舎に住む親戚や知人に分けて貰った場合でも供出されていない以上それは闇米である。

「408 2010年05月19日 14:12
打倒人民解放軍@京香
配給米で生きている状態のどの辺が「普通」だよ
泥棒米で足元見て高額なお金を要求していたことが普通なんでしょうか〜。。」

 一行目はザイトク支持者に対する批判を引用符を使わずに地の文と同じ書き方で掲載しているので分かりにくい。年配の方や戦中戦後の歴史を少しでも知っている人であれば「竹の子生活」という言葉を知っているはずである。着物や宝石を米など僅かの食料品と交換して糊口をしのいだ事である。日本の都市住民と日本人農民との間で行われた不等価交換であり、小作農から自作農になった戦後の農家が経済的に豊かになったきっかけの一つでもある。

「534 2010年05月20日 10:31
打倒人民解放軍@京香
>立証から逃げてる人間が、デマじゃないという資格はないですね。
朝鮮人の犯罪≠朝鮮進駐軍の存在
という図式なんですから、いくら「日本国内朝鮮民族の犯罪履歴」を調べたところで、
過日のリスト程度しか記録がないようですし、「朝鮮進駐軍の存在」は立証できないと思いますけどね。

だから 朝鮮進駐軍と言う言葉はあるといっているじゃん。。
日本人はこんな馬鹿げた言葉は使わないの。。
李承晩が勝手に戦勝国民だと騒いでいただけ。。
それをバカ在日が聞き、戦勝国民だ 我々は進駐軍だといってやりたい放題したわけ。。
わかる李承晩って言う人? 超反日民族活動家。。 」

 またしても引用中の一行目から五行目までは他者の引用であるが区別を付けずに地の文と同じ表現をしている。このザイトク支持者は殆どの場合引用と自らの文章との区別を示す書き方が出来ない。因みに隣国の大統領を名指しして「超反日民族活動家」とのたまう。李承晩は反日の民族主義者であるが同時に熱烈な反共主義者でもあり韓国民衆を大量殺戮した。今現在の韓国における評価がどの様になっているか知らないが少なくとも日本の左翼の間では批判の対象であり、李承晩を打倒した1960年の4・19学生革命が日本の安保闘争に与えた影響は絶大である。闘えば勝てるという自信に繋がり岸内閣を退陣に追い込んだ。

 問題なのは「だから 朝鮮進駐軍と言う言葉はあるといっているじゃん。。 」と言う部分である。当初は「朝鮮進駐軍」なる3万人を組織する武装組織が存在し日本人4000人を殺害したと主張していたのであるが、いつの間にやらそれは「朝鮮進駐軍」と称する朝鮮人の犯罪があったとなり、ついには「言葉はある」となっている。これは自らが「朝鮮進駐軍」の存在を否定したと捉えて良いだろう。

「542 2010年05月20日 12:47
pippo
>>534 京香ちゃん
>日本人はこんな馬鹿げた言葉は使わないの。。

おやや
ここMixiでは、
京香ちゃんが一番熱心に
「朝鮮進駐軍」この言葉をつかってるんだけど。

あと、こんな馬鹿げた言葉「朝鮮進駐軍」を熱心に使っているのは、

高槻で 中曾千鶴子(おつる日本シルクロード科学倶楽部会長)
神戸で 望月紀李(そよかぜ関西会長)
姫路で 荒巻靖彦(全主権回復関西支部会計)
東京で 桜井 誠(全日本在特会会長)
大阪で 川東大了(全日本在特会副会長・全関西支部長)

罪涜界では、偉い身分のヒトが多いんだね。

京香ちゃんがユカイユカイなのは
こういう楽しいことも言ってくれるからだ。

>李承晩が勝手に戦勝国民だと騒いでいただけ。。
>それをバカ在日が聞き、戦勝国民だ 我々は進駐軍だといってやりたい放題したわけ。。
>わかる李承晩って言う人? 超反日民族活動家。。

そうすると、
君の言う「朝鮮進駐軍」とは、
朝鮮戦争前後に米軍やGFQにベッタリだった
反共南朝鮮系団体のことなんだね

北朝鮮系の在日朝鮮人連盟(朝連)は何も関係ないんだ、
そうなんだ、へぇ
京香ちゃんの説だとそうなる(笑)
京香ちゃんが最初の方でズラズラと列挙した
事件の数々も全て関係ない、と。

京香ちゃんは分かってるのかなあ、
南の大統領李承晩は北の主席金日成と犬猿の仲、
朝鮮戦争で互い指導者として、死に物狂いで闘い合ったということを。
その時の日本政府、吉田茂内閣が
米軍や李承晩を応援したことも。

おじさん、心配になってきちゃったよ。

でも、学校の歴史の時間では、
なかなか教えてもらえないからなあ、
しかたないのかも。

今は、総連と民団が喧嘩腰じゃあないから、
戦後直ぐから仲が良かった、と京香ちゃんは思いこんじゃったんだね。
嫌韓流に進駐された脳みそで考えると、そうなるのも
仕方ない、しかたない。

(「在脳嫌韓流進駐軍」ってか)
543 2010年05月20日 12:53
pippo
訂正
全関西支部長→前関西支部長
GFQ→GHQ」

 引用にあたりpippoさんには事前の了承を得ている。

「555 2010年05月20日 16:15
打倒人民解放軍@京香
(ハンドルネーム削除)
イースンマン?
これは南鮮人が使う言葉だね〜。。
私たちと同じ??
私たちからすれば左派じゃん。。 極左、、 超反日。。 
バカじゃないの。。 あんた。。 チンカスヤロウ。。」


 読み方が分かれば朝鮮や韓国や中国の要人をその言語に習って表記するのは普通である。私が中学の頃は「りしょうばん」と習ったが、今はイスンマンと呼ぶことが多い。ザイトク支持者はアメリカは日本に勝ったのであるから強姦などの婦女子暴行をしたって当たり前という趣旨のことを書き込んでいるが、アメリカ合州国で日本人女性が「イエローキャブ」と揶揄されるのもむべなるかな。日本政府自体が明治以来パスポートなどで氏名の表記を名前を先に書く欧米言語に従うのだからしょうがないか。

「746 2010年05月22日 16:17
群青
■□◇■とりあえず、自分の結論■◇□■

1、
「朝鮮進駐軍」はよくわからないが、戦後の混乱期に様々な衝突はあった。
 朝鮮人や台湾人のアウトローが暴れ、日本人ヤクザと衝突した。一般人を巻き込んだ悲惨な事件もあっただろう。

2、
 しかし過去の事件を口実に、当事者世代ではない人間を追い詰めるのは、最低の人間がやることである。
 そういうやり方は、右も左ももうやめようぜ。

3、
 一方的で卑劣な集団暴力は、朝鮮人主体のものであれ、日本人主体のものであれ、許さない。
 つまり、「朝鮮進駐軍」のようなものが現在あれば、日本人も朝鮮人も、俺たちは一緒になって反対する。
 在特会に対しても同じ。日本人と朝鮮人が一緒になって奴等と闘う。」

「788自分のコメントを削除する 2010年05月23日 00:10
アッテンボロー  

未だに恥知らずな京香嬢ちゃんが彷徨いているね。いい加減立証責任果たしたら。
「朝鮮進駐軍とやらが実在したのなら証拠を示せや。ここは「朝鮮進駐軍」と言うザイトクのデマを検証するトピなんだから。戦時性奴隷=従軍慰安婦問題にすり替える卑劣な手法はいい加減に日本人の恥だから止めてね。」

「792 2010年05月23日 00:16
打倒人民解放軍@京香
アッテンボロー
まだ 屁理屈捏ねてるんだ〜。
あんたに恥と言われる筋合いは無い。。
誰も摩り替えてないよ。。 朝鮮進駐軍はあったと言って田岡さん自伝の映画も以前に紹介してあげたでしょう。
それに、日本人は朝鮮人を進駐軍と認めておりませんので、日本人が使う言葉ではないといってますけどね〜。。 」

「803自分のコメントを削除する 2010年05月23日 00:49
アッテンボロー  
お嬢ちゃんの書き込みに「朝鮮進駐軍」の実在を示す証拠が何一つ無いけど。
 証拠を示せ、と言うのが「屁理屈」なんだとしたらお嬢ちゃんの知的水準は幼稚園児並なんだね。ザイトクはこんなんばかりなんだ。
 ご愁傷様。」

「806 2010年05月23日 00:58
打倒人民解放軍@京香
アッテンボロー

>お嬢ちゃんの書き込みに「朝鮮進駐軍」の実在を示す証拠が何一つ無いけど。

田岡さんと言う証言をしている人のビデオ載せているでしょ。。
嘘だというなら山口組に抗議したらとまで言ってますよ。。私。。」

 「朝鮮進駐軍」が存在したと主張するザイトク支持者に対して立証を求めるのが屁理屈だそうである。当人が有ったと信じ込んだ時点で客観的な証拠は必要なくなると言うのが彼女の主張である。一種の宗教だね。一般人に害を為す犯罪組織である山口組からすれば田岡が脚色したのか東映が脚色したのか知らないがイメージアップのために利用するだろう。問題なのは田岡自伝の中に「朝鮮進駐軍」なる言葉が登場するのかどうかである。有れば引用して貰いたい物だ。


「813自分のコメントを削除する 2010年05月23日 01:11
アッテンボロー  
○○○○○さん、了解です。幼稚園児や保育園児に失礼でした。京香の知的水準は2〜3歳児程度ですね。

 ひょっとしたら争点をすり替える手口だけはザイトククオリティーで大人並みなのかも知れませんが。

 で、お嬢ちゃん。田岡の自伝しか「根拠」が無いんだろ。「自伝」ってのは歴史資料の中でも最も信憑性が低い類だよ。

 そもそもお嬢ちゃんはザイトク会が提示した「血のメーデー事件」など数十件の歴史的事件を根拠に出してきたよね。その史料中に「朝鮮進駐軍」なる語句が唯の一つも存在しない。

 要は有りもしない「根拠」を提示し、その原史料ないしは二次史料に触れた人々によって嬢ちゃんが信じるザイトクの主張に何ら根拠が無いことが立証されたわけだ。

 極論で言えば、自伝ってのは言い訳の羅列なんだよ。

 裁判で被告人がいくら無罪を主張してもそれを証明できない限り日本の裁判制度では無罪にならない。お嬢ちゃん達は無罪を立証することが出来なかった。以上でアンタらの敗北決定。」

「881 2010年05月23日 02:47
打倒人民解放軍@京香
○○○○さん
朝鮮進駐軍という言葉について、私は全く持ってデマだとは思っていないからここにコメントさせていただいてます。。
上にも書いたように、私の意見として話しているんです。。
あなた方は全く無いと否定しますが、それも根拠の無い事ですよ。。 」

「朝鮮進駐軍という言葉について」である。組織についての立証は何もない。

 最後にトピ主さんのまとめを引用しておく。

「913 2010年05月23日 06:41
pippo
====================
「朝鮮進駐軍」という言葉の出典について
====================

>>782ヨンミー さん

>「朝鮮進駐軍」という言葉は田岡一雄自伝が出典であるとのことですが、本当ですか?
本当ではないでしょう。田岡一雄自伝に「朝鮮進駐軍」という言葉があるというWEB上の書き込みすらみつかりません。田岡一雄自伝に「朝鮮進駐軍」という言葉があれば、喧伝するはずだと思います(笑)?

いまのところ、田岡一雄自伝のヒデオ?からそう感じた、と「京香」が言ってるだけです。

>ここを見ると「(当時を生きた北斗星さんの談話>一部略」というパートが田岡一雄自伝にあるように思えるのですが、

ありえないと思います。まったく同じ内容が、(当時を生きた北斗星さんの談話>ではなく、(別人>による(聞き書き>としてそれ以前に登場しています。ブログで詳述するつもりです。

http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/kyouseirenkouuso.html
>ここには「北斗星さんの談話」は日本会議メンバーのHPに載せられていた取材記録とあります。

「日本会議メンバーのHPに載せられていた取材記録」は不正確です。そのサイトはおそらく伝言ゲームの末端ではないかと思います。

実際は、2000年のはじめ、あるMLへのある人物の「聞き書き}がある掲示板に転載されたもの、それがいまのところ最古です。それが、数ヵ月後に日本会議掲示板に「北斗星さんの談話」として、模様替えされて再登場しています。もともとが創作物でソースなき「怪文書」だからだと思います。「何か文章」を切り取ったもので、ソースである「何か文章」の出自を示したくないもののようです。別途詳述します。

「朝鮮進駐軍を自称する朝鮮人が犯罪を犯した」ということについても、その「自称現場」事例を記したソースは、いまのところありません。 上記「怪文書」の切り取られて外された前段は見つかりません。(見つける責任は在特会にあるのですが〜笑)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2010/05/post-d6fc.html

____


終戦直後、進駐軍(在日米軍)による犯罪が多発した。

日本人がこの時期「売春」について,本気で論議した。

占領軍が,略奪,強姦をするのは歴史の常である。

これに終戦後の闇市に「暴力団と朝鮮人の勢力争い」が実際にあったことから,進駐軍の犯罪に朝鮮をくっつけて,朝鮮進駐軍という架空の団体を捏造したんだろうね。


在日米軍の在日特権が,「在日朝鮮人の在日特権」に化けたり,

在日米軍の犯罪が   「在日朝鮮人の犯罪」に化けたり,

在日米軍のレイプが, 「在日朝鮮人のレイプ」に化けたり,

(米兵によるレイプは沖繩で多発したんだよね)

「アメリカの女性議員が,私個人は死刑反対論者だが,
                       
この事件については死刑を求刑したい。」と述べるなど全世界のアメリカ軍兵士が,謹慎したぐらいに大きな問題となった。


ネット右翼って,学歴社会の日本人にあって,学歴がない

        仕事社会の日本にあって,仕事をしていない

・・・・・これって結構きついんだろうね。

だから,自分たちよりも更に下層にある,「恐ろしく低知能で,恐ろしく人格障害で,恐ろしく法律を無視する」’空想上の朝鮮人’をつくり出し,それを必死に攻撃している。

・・・・・そうしないと,自分が逃げ場のない劣等感だらけの人間,になってしまう。


37. 中川隆[-6389] koaQ7Jey 2017年10月01日 20:17:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

在日の日本人への拷問 2016-01-18 17:25:43 | 日記


北九州監禁事件では


大便排泄を1日1回に限定し

全裸のままトイレに座らせることなく、がに股で排便させてそれを観察した

勝手に漏らした場合、大便は口で食わせた

言うことを聞かなければ通電といって性器に電極を取り付け電機拷問を行った

一瞬で皮膚が熱傷で破れ脳まで衝撃が来て記憶を失うほどの拷問であったそうだ


朝鮮民族はこういうことを好むのである

ゆえに、監禁されれば飲尿食糞を余儀なくされ、監禁された日本人は
拷問されながら大小便を食べるという地獄の監禁拷問生活をおくる羽目になります


朝鮮人が残酷なのは当然で大陸の人は日本人とは文化背景が違います

チンギスハーンの拷問好きは有名ですし、中国も拷問文化でした朝鮮人の李氏朝鮮もそうです。よって在日に監禁されると大変なことになります


殴る蹴るの基本的なものから、

タバコの火を押し当てる、

ハンダコテで体中焼く、

尿道にマッチ入れて火をつける、

在日が起こした北九州監禁事件のように電撃を与える

大小便を食べさせる


など拷問の種類には事欠きません


女性であれば、激しく輪姦・撮影されたあげく、

全身にピアスを通され

穴という穴は拡張され、


在日が起こした女子コンクリ事件では

鉄アレイを膣と肛門にいれ蹴飛ばしていた有様です


在日を日本人と同じと思ってはいけません、農耕民族と大陸の殺戮民族では文化が違うのです

かわいい娘がいるとこうなります

全裸首輪で性奴隷家畜便器として完全監禁

少しでも反抗したらタバコの火を押し当てたりしていうことを聞かせます

何回も犯されてガバガバになり腕が入るまで広がりきります

尻の穴もそうなります、

栗には太いピアスがされるでしょう

SMビデオやスカトロビデオ撮影もあるでしょう、

厳しい拷問生活で かわいい娘は大便と小便を喜んで四つん這いのまま食べるようになります

こうして肉便器になり、最後は利用価値がなくなったらスナッフビデオといって
拷問して殺すところを撮影してお金にしますので、それからドラム缶でコンクリ詰めにします


【尼崎大量殺人】角田美代子4【コンク李ドラム缶死体】


角田美代子

これだけの凶悪事件を起こした重大犯罪人にしては、こいつの過去が一つも晒されていない。

犯人が日本人の場合は、親戚、何十年も前の同級生、会社関係、全てを晒して追及するハズ。

主犯格に韓国籍の李正則がいることから在日犯罪である事は間違いない。
報道機関、特にテレビメディアは印象操作や犯人隠避の罪で放送免許を剥奪するべき。


民事不介入を盾に見て見ぬ振りをしてきた警察もだらしないけど
所謂『被差別者』に対して強行な捜査をすると、人権派やマスコミがうるさいんだよね
こういう事件が発生するようなシステムが着々と作り上げられてきた

日本人なら微罪でも逮捕するのに、ZやBなら殺人などの重罪でも野放しって
なんかおかしくない?

この国は異常だと思う。


自分が住む部屋でよく殺すよなあ
その辺の神経がやっぱり日本人じゃないって感じ

一部報道では、女性親族が

「女の私からは言えないような猥褻な格好をさせられていた」

と言っていたな。


北九州監禁事件でも、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしいからな。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。

尼崎のコンクリート殺人で捕まってだいぶたってるのに主犯の情報がほとんどでてこない

いつもなら犯人の過去を喜んで暴くマスゴミに在日か同和団体から圧力がかかってるのだろう

もう法律で本当の国籍、本名で報道するようにしないといけないな


☆在日につかまったら若い娘は、舌をかんで自殺するしかないのですね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/96a6656d746c7425de9a2d31c0b09e19

北九州一家監禁殺人事件では、松永太が、嫁の母親や、妹を 嫁の父や、妹の旦那の前で犯して、そのときに、

「私は、松永の性奴隷です。松永のチンポが欲しくてたまりません」

と何回も言わせていたらしい。

親族同士の暴力、性行為というのは、マインドコントロールの常套手段なんだろう。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1350881970/


北九州一家監禁殺人事件 【監禁中の緒方一家、虎谷一家の待遇】


松永は精力絶倫。

一晩に三度、身体を求めるなどセックスが強く、女性器への入念な舌戯から多くの女性をセックスで溺れさせ、性奴隷にしてコントロールする才能を持つ。

きわめて強いサド志向 で、旦那の見ている前で人妻を犯すことが何よりの快楽。

抵抗できない旦那を前に、抱かれている人妻に何度も「松永の性奴隷である」と告白をさせ、また松永が 妻の媚態を指摘して、夫婦の絆・自尊心を崩壊させる。
また、家族間で近親相姦をするよう暗示(強要)して家族関係を崩壊させる。


・支配者・松永の武器は卓越した話術。相手を油断させ、信用させると同時に、恫喝する二面性によりマインドコントロール下におき支配する。

・ 支配するため「食事・排泄・睡眠・セックス」を重視した。通電により脳を空白にして新しい価値観を植えつける。それを持続させるには生理的欲求を管理・制限することが重要という結論を得たのであろう。

・食事は白米〜下痢便まで奴隷階層により違う。一例として、
食パンの耳だけ、
白米にラードまたは生卵、
具のない即席ラーメンだけ など。

・粗末な食事が日常化すると、おかずが一品増えただけでも感謝するようになった。

・食事は13分で食べ終えないと通電。

・最下層の奴隷に落ちると、下痢便を無理やり食べさせることもあった。

・排泄は一日一回。大便は便座に腰かけずに腰を浮かせて排泄。
小便はペットボトルに排泄。

・過酷な監禁生活が日常化すると、支配者・松永から優しい言葉をかけられると、奴隷たちは慰めになった。

・布団を与えず立ったままで寝かせる。

・家族間での会話は禁止。

・シャワー、歯磨きは何日も禁止。


・女性は松永と寝ると奴隷階層の地位が上がる(シャワー、歯磨き、ベットでの睡眠ができる)ため、自ら積極的に松永の性奴隷となった。

・近親相姦をさせ、行為中の写真を撮り、自尊心を剥奪する。特に主也は義理の母・静美、実 の娘・彩10歳とのセックスを強要された。


【監禁中の緒方一家、虎谷一家への虐待方法】

・ 主な虐待は通電。

コンセントからコードをワニクリップでつなぎ、性器・乳首に電流を流す。

通電されると、痙攣(けいれん)状態となり、ぐっ たりして意志がなくなる。

頭の中が真っ白になり、自分を失い、支配者の言いなりになる。

限度を超えると廃人寸前、糞尿の垂れ流し状態に なることも多々あっ た。


・常につま先立ちで深く腰を降ろす、土俵入りの力士の姿勢”そんきょ”を長時間にわたり命じられる。


【論告書より】

緒方一家の暮らしぶりは昼夜の逆転した生活。一家六人は台所で雑魚寝させられ、平均睡眠時間は3、4時間だった。

起きている間は台所に立ち続けなけていなければならない。

トイレの使用は松永の許可制で、しかも一日1回。

小便はペットボトルにさせられ、大便する際、便座に尻をつけることは許可されなかった。

食事はごく少量で一日1回。時間制限されたうえ食事する際は全員、床に尻をつけることも許されなかった。

違反すると通電暴行をあえて他の緒方一家の面前で行い、見せつけていた。

通電を受けているものをかばった者は松永の次なる対象とされた。松永は誉氏に塩を山盛りにした米飯を食べさせたり、優貴君をのぞく全員に対しサディズムの象徴ともいえる乳首や性器への通電行為を行った。


【緒方純子】

・1962年生まれ。元幼稚園教諭。短大を出て、1982年ごろから自宅近くの幼稚園に教諭として勤務。約3年で退職。

・松永より、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れられた。

・松永と出会う前は、男性経験は一度だけ。男性が一方的に腰を振るだけで感じなかった。

・松永によりセックスに目覚める。以後、積極的に松永を求め、マインドコントロールとともに、 松永のセックスから逃れられない身体になる。

・悪質布団販売の事務員になり、この頃から従業員に通電など虐待に加担していた。


【緒方理恵子】

・98年2月10日(静美殺害から20日後)殺害。享年33歳。

・純子の妹。姉・純子より気が強く、美人。

・純子が殺人を犯したことを聞かされ、主也が交渉に乗り込む時には、すでに松永との愛欲に 溺れる身体になっていた。

・夫・主也が交渉に乗り込んだ際、逆に主也は松永に言いくるめられ、酒の勢いもあり、主也が理恵子を含む緒方一族の頭部を殴る。さらにその後、夫・主也は妹・純子、母・静江と共に 妻・理恵子の女性器に通電してしまう。

・酒に酔い、松永と意気投合した夫・主也に殴られ、通電に心が砕かれ、理性的で気丈な性格 が一転して松永に屈服し、さらに服従するようになる。

・ シャワー、歯磨きを許可され、優しく接してきた松永が寝室へ招く。主也のいる初夜の当初は夫への罪悪感、羞恥心から泣き震えていたが、やがて、女性器への舌戯の快楽に溺れるようになる。

妻の初夜の情事を目撃した主也はやめるよう反撃を試みるが、逆に純子に通電され主也は自尊心を砕かれる。快楽に溺れている中、そんきょの姿勢で見ている主也の前で自ら積極的に松永を求め、媚態をさらし、媚声を発するようになる。

・(主也のいる)初夜の後も、そんきょして屈服している夫・主也の前で、自ら松永を求める告白を何度もさせられる。

このように母・静美と同じ心理的変化を経て松永の性奴隷に変貌し、夫婦関係を破壊される。


・ 妹・純子、母・静美、少女A(仮称・虎谷礼子)はライバルとなり、互いに正妻の座を得ようとする。

正妻はセックスの前にシャワー、歯磨きを許可され、事後も殿様である松永とベットで睡眠。

側室に落ちると寝る場所がソファ、板の間、浴室、立ったまま寝ると、ランクが分かれる。 食事も差がつけられる。


・松永の指示で純子が母・静美、理恵子を全裸で仰向けに並べて寝かせ、同時に女性器へ通電されていた。


【少女A(仮称・虎谷沙織)】

・1981年生まれ。98年当時17歳。2010年現在29歳。

・小学生の頃から松永に犯され性奴隷に。そのため、緒方純子の虎谷沙織に対す る憎悪はすさまじく、最後まで最も仲が悪かった。

セックスに関しては松永の最もお気に入りだった。
https://docs.google.com/document/d/15THHgxepPxfB3ybRf3PWSJr0MA16MQGLq-jwZ651mMg/edit?pli=1&hl=ja

松永が特に好んだ虐待は通電である。松永は電化製品などに使われる電気コードを使う。途中で切った電気コードの被覆を剥き、その先端にワニ口クリップを付ける。そのワニ口クリップをターゲットたる人物の体に取り付け、電気コードをコンセントに抜き差しして電気ショックを与える。

手足の指が多かったが、何度も通電されることで常時火傷を負ったような状態になる。最初に殺された男性は肉が削げ、骨がむき出しになるような状態になっても繰り返し通電されていた。通電箇所は化膿し、体液がしみ出るなどして指同士が癒着して離れなくなったりした。


この通電でもっとも強力なのが、両乳首への通電と上下の唇への通電である。

両乳首へ通電すると、心臓にまで電気ショックが届き、心室細動を起こして心停止状態に陥ることがある。また、唇への通電は、湿った口内から脳幹、脳に電気ショックが伝わり、脳に異常を来すことになる。

最初の殺された男性、3番目に殺された緒方純子の母親は、腕が不自由になるほか、脳に異常を来し、正常な思考を保てなくなるばかりか、前後不覚の状態に陥ることになった。


この通電は、あらゆることへの罰として行われた。監禁している人間に与えられる食事は、1日1回、食パン8枚で、相撲のそんきょの姿勢を取って7分以内に食べなければならないなどというルールがあった。それを守れなければ通電だ。

また、松永は監禁して虐待している人に用便の制限をした。小便は決められた数のペットボトルに出し、大便は1日1回、松永の許しを貰ったときだけできた。万が一大便を漏らしてしまった場合、その大便を家族が見ている前で食べさせられ、汚れたパンツはきれいになるまで吸わされることになる。

それ以外にも、松永は就寝の自由も奪った。監禁されている人は狭い風呂場などに押し込められ、体育座りのまま寝かされた。
また、日中は全員台所に何時間も立たされた。


松永のその虐待は緒方純子の一家7人のうち、緒方純子の妹の4歳の息子以外に全て行われ、9歳の長女の例外ではなかった。

この北九州の監禁・殺害事件でもっとも忌まわしきところは、通電という恐怖で緒方の家族を支配した松永が、家族通しで殺人をさせたことにある。特に、緒方純子の妹の娘は、母親殺しと父親殺しにも荷担させられた。家族で家族を殺した後は、残された家族に殺された人物の解体をさせる。体を解体し、肉をそぎ落とし、内蔵を取り出してバラバラにした上で、人体を鍋で煮込んだりミキサーにかけるなどさせる。

このとき、松永は一切何も手伝わない。ただ指示をしているだけ。

ただ、なぜ一家が松永にいいように支配されたのかという疑問がどうしても残る。

きっかけは、松永と緒方純子の詐欺や暴行などの犯罪を隠すためであった。松永にいいように操られていた緒方純子が罪を犯したかのように松永に言い寄られ、いいとこの旧家である緒方家はそれをひた隠しにしようとして、松永に取り込まれた。

全財産を奪われた挙げ句に、金が調達できない用済みと見なされてからは、次々と殺されるハメになった。緒方純子の妹の夫は、元警察官であったにも関わらず、松永に支配され、洗脳され、奴隷となった。
http://subzero.iza.ne.jp/blog/entry/906887/

イラマチオによって私はヨシエさんの口の中に精液を放出しました。

ヨシエさんはその精液を喉奥でしっかりと受け止めると口を離してからゴクリと喉を鳴らして飲み干しました。そして私の方に向かうと静かに…

「ご主人様の精液…美味しかったです…。
 奴隷のお願いをきいて下さり…ありがとうございました…」

とベッドの上で私に平伏しました。

「ヨシエ、まだここで終わりじゃないんだよ」

私がそう促すとヨシエさんはふと思い出したように…

「あ、申し訳ございません。お掃除させていただきます」

と応えて私の股間に再び顔を寄せました。

「いいか、ヨシエ、掃除はフェラチオとは違うんだぞ」

「違うのですか?」

「そうだ。フェラチオは基本的にヨダレを出してヌルヌルするのが基本だ。
 だが、掃除はその逆だ。SEXやフェラチオでついたヨダレや精液、
 マ○コ汁をキレイにするのが掃除だ」

「あぁ、そういうことなのですね…」

「だから出来るだけ唾液は出さないことだ。わかったか?」

「はい。かしこまりました、ご主人様…」

ヨシエさんは合点がいったような表情で微笑んで答えました。

「では、最初はチ○ポを咥えて残った精液を吸い出せ」

「はい…かしこまりました、ご主人様…」

ヨシエさんは私に命じられると最初にペニスを咥えて強く吸いながら尿道に残った精液を吸い出しました。

「次はチ○ポについたヨダレや精液を拭きとれ。
 舌を出して丁寧に舐めとるんだぞ」

「はい…かしこまりました、ご主人様…」

ヨシエさんは命じられた通りペニスを持つと上下に舌を動かしながら丁寧に付着した粘液を舐めとっていきました。

「周りについているのも全部キレイにしろ」

「あぁ、はい、かしこまりました…」

ヨシエさんはそう言われて陰毛や陰嚢に付着した唾液や精液もキレイに舐め
丁寧に掃除していきました。

「よし、じゃあ最後だ。ついてこい」

「はい…かしこまりました」

私は立ち上がるとトイレへと向かい、そこで用を足し始めました。ヨシエさんは前回教えた通り私の横でメス犬のお座りの姿勢で待っていました。

放尿を終えてポタポタと小水の滴が落ち始めると、ヨシエさんは私を見上げ目配せしてからペニスを口に咥えました。そして尿道に残る残尿を丁寧に吸い出しました。そして、顔を離すとペニスについた唾液と尿を丁寧に舐めとりました。そして最後に…

「ご主人様、ありがとうございました。とても美味しかったです…。
 こんなにご奉仕することで興奮するとは思いませんでした。
 自分でも本当にマゾなんだなぁ…と改めて実感しました。
 ご主人様、本当にありがとうございました」

と微笑んで答えたのです。
http://ryoujokubanashi.blog75.fc2.com/blog-entry-749.html

「いいだろう。本当に出来るならやってみろ」

私は再びヨシエさんを見降ろしながら冷たくそう言い放ちました。

「あぁ…ご主人様、ありがとうございます。奴隷はちゃんと出来ます。
 ご主人様に命令されたことは…かならず出来ます…」

「わかったから、サッサとやってみろ」

「かしこまりました、ご主人様…。ありがとうございます。失礼します」

ヨシエさんはそう言うと股間に顔を寄せてきました。そして口を大きく開いて口に溜めた唾液を舌に絡めてから伸ばすとゆっくりペニスの裏筋に這わせ始めました。

「はうう…ご主人様…ありがとうございます…嬉しいです…
 ご主人様のオチ○チン…舐めたかったです…あうう…」

ヨシエさんは吐息混じりの声を洩らしながら丁寧に舐め始めました。

そして舌先で亀頭のつけ根から先端をっゆっくりと舐め上げると舌の腹を使って亀頭全体を包みこむように舐めました。ジュルッ、ジュルッという粘着質の湿った音と共に舌と口を動かしながらヨシエさんは愛おしそうにペニスをしゃぶり始めたのです。

「いいか、ヨシエ。よく聞けよ」

「はい、ご主人様…」

ヨシエさんは私に言われて私の方を向いて答えました。

「ホラ、誰がやめろていいと言った。命じられたらいいと言われるまで続けろ」

「あ、申し訳ございません…。んふう…あふう…んうんっ…」

ヨシエさんは再び唾液の絡んだ舌を差し出してペニスの筋を舐め上げては
そのまま亀頭を舐める行為を繰り返しました。

「いいか、ヨシエ、よく心得ておけよ」

「んふっ…ふぁい(はい)…」

「私は奴隷を感情や気分で怒鳴ったり痛めつけたりはしない。
 奴隷でも子育てでも部下でも叱られる時は決まりがある」

「んふっ…ふぁい(はい)…」

「それは出来ることをやらなかった時だ。覚えておけ」
「んふんっ…ふぁい(はい)…」

ヨシエさんはペニスを口に含んで飲み込みながら私を見上げて答えました。

「今日もそうだ。フェラチオの仕方は以前の調教の時に教えておいたはずだ。
 その時はお前はちゃんと出来ていただろう」

「んふっ…ふぁい(はい)…」

「そのやり方を思い出せるように教科書と教則ビデオを与えておいたのだ。
 前回ちゃんと出来ていたことを復習しておけば出来るはずだろう」

「んふんっ…ふぁい(はい)…」

「にも関わらず、お前は今日は最初は出来なかった。
 いや、出来るのにやらなかったというのが正しい。それはお前の怠慢だ。
 だから私に叱られた。出来ることせずを手を抜いたからだ。わかったか?
 以前にも言ったが、出し惜しみせず出来ることは全て出し切れ。
 今後もそういう時は容赦なく叱りつける。そう心得ておけ」

「んふんっ…ふぁい(はい)…」

ヨシエさんはそう言われて手と口の動きを更に激しくしました。

「一生懸命やるのは調教を受ける前にしてくることだ。
 私の前ですることではない。私の前に出る時は出来る状態になっておけ」

「んふっ…ふぁい(はい)…んふんっ…」

「私もお前が出来ないと思うことは命令しない。 お前になら必ず出来ると判断したことしか課題として与えない。 だからお前は私の前に出た時は命令されたことを100%出来るようにしろ」

「んふっ…ふぁい(はい)…はひほはりはひは(かしこまりました)」

「そうだ。お前は出来るんだよ。それをしなかったから叱られる。
 これからはもっと淫乱で変態のメス犬になり切れ」

「んふっ…ふぁい(はい)…あいがほうごはいはふ(ありがとうございます)」

私はそう言いながらフェラチオを続けるヨシエさんを引き離すと…

「いいぞ、次はメス犬になってみろ」

と命令しました。

「はい、かしこまりました、ご主人様…。
 いつも奴隷を躾けて下さり、ありがとうございます。
 メス犬になって…ご主人様に喜んでいただきたいと思います…」

ヨシエさんはそう答えると立ち上がって服を脱ぎ紅い首輪を巻いてから
私の前にメス犬の格好で座り、リードを咥えて差し出しました。
http://ryoujokubanashi.blog75.fc2.com/blog-entry-765.html


詳細は

北九州一家監禁殺人事件
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/309.html

尼崎ドラム缶事件 現在までに判明した事実
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/454.html

女子高生コンクリート詰め殺人事件
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html


38. 中川隆[-6388] koaQ7Jey 2017年10月01日 20:21:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「オサネ切り」リンチ 2015-07-13 18:30:04 | 日記

飲み屋のババアから、終戦直後のパンパン(ストリートガール)の「オサネ切り」リンチの話を聞いたことがあります。

オサネ=クリトリスですね。

いくら言って聞かせても、ナワバリや掟を守らない女がいると、まずリンチでボコにする。それでも聞かないやつを、みんなで押さえつけて、クリトリスをちょん切ったそう。

慣れてる女がいて、包皮をつまんでキュッと上の方にしごくと、クリのあたまがプルッと出てくるのだそうです。

そこをカミソリでスパッと切ると、その瞬間、切断面からおしっこみたいに血がピュと出て、切られた女はほとんど失神、あるいは失神寸前の状態になるそうです。

これをやられた女は、娼婦としては使いものにならなくなるらしい。

お客がオサネのない女をいやがるとか言ってた。もちろん私生活のセックスも楽しめなくなって、つらい思いをするそうです。

_______


クリトリスを切り取られた激痛に泣き叫ぶ香月には、容赦なく、次の子宮摘出が待っていた。体内に器具を入れ、強引に引きはがすという乱暴なもので、女性にとっては、精神的にも、肉体的にもこれ以上ない苦痛を与えるものだ。


「どうだ、香月、クリトリスを切られて痛いだろうな。しかし、おまえに対する拷問はまだ始まったばかりだ。次は子宮だぞ。ここに同意書があるから読み上げてやろう」

「もう...好きにすれば...いいわ」

「私、香月は子宮を摘出されることに同意し、一切の不満を申し立てません。また摘出の為に、どれだけ激しい苦痛があろうともかまいません。これ以降、少しでも、 性的な興奮を憶えた場合は、肛門を含めて、体のいかなる部分を拷問されることに同 意します...どうだ、合意するか」

「お尻だけは許して下さい。お願いします...」

「なんだと、肛門は許してくれだと。だったらここに書いてあるとおり、濡らさなければいいじゃないか。流すのは、血だけにするんだな」


香月を大の字に縛り付けている柱のロックを外す。彼女を、ほぼ水平にし、上半身を起こして、切り取られたクリトリスのあたりからうっすらと血が流れている所を、自分でも見えるようにする。


「かわいそうに、一番感じる部分を千切られて、これから子宮を摘出されるんだぞ。そんなことさえされなければ、これだけのいい体だ。男がいくらでも寄って来るだろうに。それも、もう、一生ありえないことだな。私が若いお前の、女らしい体を見る最後の男になるわけだ。せっかくだから、よく、見せてもらうぞ」

「好きにすればいいわ」

「女を失おうとしているんだ。まさか、触られようと、弄られようと、ここを濡らす事はないだろうな。それに、もし、濡らしたら、お前の一番嫌いな肛門を拷問されるんだからな。これから取られてしまう子宮はこれか? そうか、これが、子宮口と言う

 やつだな。こいつを箝子で挟んでおいて、引っ張りだすことになる。痛いだろうよ、きっと」

「ひ、酷い!!」

「おやっ、何だ。お前、オマンコが光ってるじゃないか!」

「そ、そんな...う、嘘です!!」

「どうしようもない助平女だな、香月は。自分で一番嫌だと言っておきながら、そこを責めて欲しいというわけだ」

「お尻だけは...許して下さい...お願いします」

「まあいい。こっちは、後で、じっくりと責めさせてもらうからな。それじゃ、いよいよ、お前の子宮摘出をはじめるぞ。こいつでな。どうだ、すごい形してると思わないか。こんなものが体に入っていくんだぞ!」

「い、嫌っ!!」

「最初、入れる時は、こういう風にすぼまっている。その後でこうすると見ろ、広がるだろ。中から出て来るこいつがお前の子宮口をがっちりと掴み、外側のギザギザの部分が子宮の表面にのびて、がっちりと食い込む。そうしておいて、思いっきり引っ張るとどうなると思う? うまくすれば、卵管もろとも子宮が出て来る。へたすれば途中からちぎれてぐずぐずの肉になって出て来る」

「そんな事して...何が面白いの?」

「さあ、はじめるぞ。目をそむけるなよ。良く見てるんだ」

「あぁーっ」


何十人もの娘達に使われた後、ろくに手入れがされていない拷問具には、あちこちに錆が浮き、表面がざらざらになっている。その拷問具が自分の股間に伸びて来るのを見て、香月の表情が引きつるようにこわばる。拷問具の先端がやわらかな女の入口にあてがわれた。先端を回転させながら、じわっと体内に押し込んでゆく。


「目を閉じるな。見るんだ」

「ゆ、許して...」


先端が中に入った所で、レバーを引くと外側が彼女の体内で広がり、その状態でさらに押し込む。先端が子宮口にあたった。第二のレバーで香月の子宮をがっちりと掴む。あと少しで、女を引き千切られる恐怖で全身を震わせ、泣き始める香月。初めは啜り泣きだったのが次第に号泣に変わっていく。拷問のクライマックスが訪れようとしていた。

道具を掴む手がさすがに汗ばむ。手の平の汗をぬぐい、つかみなおす。香月の体内からおびただしい液体が流れ出ている。女として、最期になるであろう液体だ。二つのレバーにさらに力を加える。錆びた金属が子宮にざっくりと食い込んだに違いない。

次の瞬間だ。屋敷中に響き渡るような絶叫。悲鳴などという生易しいものではない。絞り出すような、苦痛の叫び。股間から顔を出した子宮口を見て、香月がさらに声を上げる。乳首に無数に刺された針の痛みも、クリトリスを切られた痛みも、すっかり、忘れさせるような激痛。無限に続くかと思われるような、体の芯を襲う、ちぎれるような痛み。

いつものことだが、子宮を一気に引き剥がすのは極めて困難だ。いくら、力一杯に、引っ張ってもそう簡単にちぎれるものではない。また、そんな目に会う女の絶叫と激痛に歪む表情がどうしても手の力を削いでしまう。結果として、彼女の苦痛はさらに長引くことになってしまう。最も、この段階でやめたところで彼女にとっては、既に手遅れである。掴まれて、引っ張られた子宮口は、既に、原形を留めぬ位に潰れており、その周りに食い込む金属によって子宮の表面は、すっかり、傷つけられている。私は、子宮全体の摘出はあきらめ、ギザギザの歯を下に移動させて子宮口の根元を掴み直した。


「お前の女としての機能は既に完全に破壊されたぞ!」

「あぁぁぁーっ」

「子宮はもう完全につかいものにならなくなっている。これからこのコリコリした子宮口だけを千切ってやるからな」

「ひ、ひと思いに、こ、殺して!!」


私は、握った道具をゆっくりと回転させる。子宮口に食い込む歯が回転する度に、肉を少しずつ傷付けていく。女の体内組織は、そんな力に到底耐えることはできない。そして、五分後、赤い小さな肉塊が私の手の道具に付いているのを見て、香月は失神した。


股間から鮮血を垂れ流したまま、ぐったりとした香月を床に転がす。先程までの香月の絶叫が嘘のように、今は静まり返っている。既に、女とは言えない体となった香月。しかし...私は大きな疑問にとらわれ始めていた。確かに、香月は二度と子供を作ることはできない。普通の意味では、香月は、既に女ではなくなっている。だが、本当にそうだろうか。毎月の生理は、もう無いだろう。だからといって、香月の顔が男のようになるわけではない。子供は生めなくとも、男の欲望を受け止める穴は、今でも、存在しているではないか。香月は動物の雌としての役割を果たす事はできなくなっているが、人間の女として、快感を感じる機能はまだ持っている。ひょっとしたら、毎月のわずらわしいものから解放され、妊娠の危険からも完全に解放された香月は、いままで以上に女としての喜びを感じ、その快感に、何の心配もすることなく身を委ねられるようになったとは言えないだろうか。間違いない。あれほどの苦痛に見まわれながらも、激しく濡らしていた香月は、こうなる事を望んでいたのかもしれない。女としての快感、オマンコよりも数倍も感じるといわれる肛門さえ残しておけば、香月は、いままで以上に自

由に女でいられるのだ。そんなことは許すわけにはいかない。性器破壊という女性にとって本来耐えられない精神的、肉体的な苦痛が香月の場合は、解放の快感になっていたのかもしれない。それは断じて許すわけにはいかないことだ。香月に対する本当の拷問は、香月が望む自由な女への道を完全に断つことだ。彼女の肛門、オマンコ以上の快感の源を完全に破壊することだ。失神した香月の顔には、女でなくなった事への悲しみなど、これっぽっちも浮かんではいない。そうだったのか。彼女が潜在意識の中で望んでいたのはこういう事だったのだ。そうと分かればやる事は明らかだ...


私はぐったりとした彼女を鞍馬の上にうつぶせに縛りつけた。お尻の谷間から肛門が恥ずかしげに覗いている。いや、恥ずかしげにと言うのは私の気持ち、私の期待だ。実際には、香月の肛門は解放され、ようやく主役に躍り出ることができる喜びで、生き生きとしているではないか。鞍馬の白い革の表面に、彼女の性器から滴る血が垂れている。

もうすぐ、別の場所からの血がそれに加わることになるだろう。私は、香月の肛門が二度と快感を与えることが無いようにするための道具を揃え、彼女を失神からさめさせるために長い針を手に取った。彼女の白くて柔らかいお尻の肉にそれを深々と突き立てる。


「い、痛い!!」

「気が付いたか、肛門を拷問するのに失神したままでは面白くないからな。お前の性的 な快感の源をこれから破壊してやろう。二度とお尻で感じることなどできないようにしてやるから、覚悟するんだな」

「そ、そんな...ひ、卑怯よ!!」

「何とでも言え、叫べ。どうせお前には助けは来ない。もうすぐお前は、気持ちいいと

 思う事が一生できなくなるんだ。だが殺しはしない。潰れた性器、潰れた肛門はここの医療スタッフがちゃんと治療してくれるだろう。排泄機能だけはな。これからの長い一生をお前は快感とは無縁の世界で生きていくことになる」

「い、嫌よ!!」


私は、肛門拡張器を手に取った。普通の物よりは、はるかに広がる範囲の大きい物だ。

しかも、肛門の内側に触れる部分はヤスリのようにギザギザになっている。これを香月のお尻の穴に入れ、ぐりぐりと回転させればどうなるか。彼女のお尻の谷間を指で左右に広げる。さっきまでボールペンを押し込まれていた肛門が縮こまっている。私はクリームをたっぷりと指に付けると、肛門に塗り、拡張器を当てがった。先端が触れる。きゅっと肛門が動く。


「お、お願い!! お尻だけは許して!!」

「今更何を言ってももう遅い。ここをたっぷりと苛めさせてもらうからな」


拡張器はずぶっと言う感じで香月の体内に入っていった。


「ようし、広げるぞ。肛門の中に何を隠しているのか良く見せてもらうぞ」

「い、嫌ぁーっ!!  」

「お前の肛門が開いていくのが分かるな」

「い、痛い!! もう、許して」

「痛いだと。こんなもんで痛がっていてどうする。まだ始まったばかりだぞ。普通だったらこの位までだな。見えるぞ。汚いものが入ってるのが」

「ひ、酷い!!」

「もっと、ひろげてやる」

「さ、裂けるーぅ!!」

「まだ、まだだ。」


香月の肛門は、普通の限界を越えて開かれていった。あと少しで裂けると言う所で止める。既に直径は3センチを越えている。そのままの状態でやすりのように毛羽立った拡張器に回転を加える。


「ぎゃーっ!!」

「どうだ、体の内側がけずれていくのがわかるか」

「とうとう血が流れてきたぞ。このままぐるぐるまわしながら、もっと開いてみるか」

「お、お願い!! もう、ゆ、許して!!」


肛門が限界を越えた拡張で悲鳴を上げる。今にも裂けそうだ。その開ききった肛門にナイフを突き刺す。しばらくすると、彼女の肛門はナイフを突き刺した周りから裂け始めた。


「ぐぇーっ!!」

「どうだ、体が裂けていくのを感じるか。」


私は近くのインターホンで医療スタッフを呼び出した。


「私だ。もうすぐ、終わるから待機していてくれ」

「彼女はどういう状態ですか」

「クリトリスは切り取った。乳首と乳房は針だらけになっている。子宮口は引っ張り出してあって、今、肛門が裂け始めている。これから膣と肛門の両方に火薬を詰めて焼くつもりだ。」

「分かりました。その程度だったら、楽なもんです。さっきの女の子の場合は、膣と肛門の両方に、ドリルの先端に付けた金属ブラシを10センチ近く押し込まれて、回されたのでしょう。中がめちゃくちゃになってましたからね」

「それでどうなった」

「大丈夫ですよ。排泄だけはできるように手術しておきましたから」

「相変わらず、腕がいいな」

「もちろんですよ。ところで、そこの子、ただ、火薬で焼くんじゃなくて、肛門と膣の間を切ったらどうです」

「そこまでして大丈夫か」

「ええ、単に、排泄の区別がつかなくなるだけで、命に別状は」

「よし、火薬に火を付けたら、切ってしまおう」

「分かりました。いつでもいいですよ」


香月は、肛門が裂けていく苦痛で悲痛な叫び声を上げている。私は、細長く形の整えられた火薬を彼女の膣と開ききった肛門に一本ずつ押し込んだ。導火線が下に垂れている。

久々の日本人である香月は、実に良く私を楽しませてくれた。が、もうおしまいだ。ライターで火を付ける。導火線特有の激しい煙が上がる。


「お前の性器と肛門の両方が、もうすぐ、焼かれるからな」

「ひ、ひと思いに、こ、殺して!!」


火は確実に火薬に近付いて行く。そして...彼女の体内で、くぐもった音と共に小さな炎が二つ、一瞬だが見えた。香月の絶叫は、炎と同じように、ほんの一瞬だった。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/81305847188cb68b6150cf0dcab589dc?fm=entry_awp_sleep


39. 中川隆[-6387] koaQ7Jey 2017年10月01日 20:33:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

女として大阪朝鮮部落で暮らす2


岸和田春木?在日3世の告白?! 2016-02-23 13:10:00 | 日記

http://tool-4.net/?id=pachirhin&pn=35よりそのまま転載
ある在日3世の告白

『あのさ、君達の大嫌いな在日だが俺在日3世だけど別に嫌われようが何されようがこっちはどうでもいいよw

日本という国における「楽して稼げる職業」は全て在日・帰化人が握ってるし(笑)金あるから在日でも日本人女とやりまくりwあと数年で日本の参政権も取得できるし(爆)俺達はもうお前達日本人みたいに毎日毎日仕事とか将来とか金の心配なんかしなくていいんだよw今俺達が考えてるのはもっと大きいこと。

いかにしてこの日本という国をボコボコにいじめ抜いてやるかってこと。つまり日本の中に、俺たち朝鮮韓国人の血を増やして在日を増やす。んで日本人を少数派にしてその日本人をいじめたおす。

んでこの国を乗っ取る。今はもうその最終段階に入ってるわけ。


平和ボケした危機感ゼロのアホ日本人は気づいてないがw

例えば韓流ブームやパチンコ産業や消費者金融あれは在日が作ったって知ってる?

あれだけ大規模なブームを作れるくらい、もう日本の中で在日の力は最強なんだよ。自分達を地獄に導いてるとも知らずに毎日毎日テレビで韓国やパチンコをヨイショしてくれる。パチンコにはまるアホ日本人のおかげでパチンコ産業は儲り消費者金融会社も潤った。

韓流ブームのおかげで韓国へのイメージもよくなったし韓国人や在日の男と結婚する日本人女も多くなった。つまりあと30年もすれば日本は在日主体の社会になるって事だよ。たった100万人の在日に使われる1億の日本人wお前ら糞日本人に一生地獄の生活を見せてやるよ。どう?ムカムカする?(爆)まあすでに我々はパチンコと消費者金融で糞日本人を奴隷にしていじめたおしてるけどなwほんとお前ら糞日本人見てると家畜の豚に見えるよwそうやってこれからも我々の為に尽くしてくたらいいよ(爆)』

岸和田市民掲示板より

『これからは我々在日コリアンの時代』

‖関西在住の在日三世ですがこの日を待っていましたよ。
‖我々は日本への帰化など望んでいません。
‖韓国国民としてのプライドと誇りがありますからね。
‖民団総連日本の市民団体の方々とともに手を組んで
‖我々寄りの議員をどんどん送り込んでいきますよ。
‖当然我々寄り議員は我々にメリットの大きい条例や法案を作ってくれるでしょう。
‖60万在日のパワーを見せつけてやります。
‖日本人に一泡吹かせるどころか
‖コリアン特区コリアン自治区を日本全国に広げます。
‖韓流ブームなんてのはそのほんの入り口の更に手前の門扉の前の石ころ程度のものですよ。
‖日本人は我々が大勢でちょっと大きな声をだしてやるだけですぐに動きますからね。
‖この条例成立がそれを証明しているでしょ?
‖まずはこの岸和田から。
‖あとは日本中の在日コリアンコリア系日本人を総動員し
‖日本中の都市街で投票条例を得、最後は参政権を手中に収めます。
‖必要があれば住民票を移したり引っ越しだってやりますよ。
‖我々にはそれを実現するだけのパワーがありますから。

ある在日の告白A
『今や創価学会や統一協会など宗教界や年間30兆円のパチンコ業界・消費者金融業界・風俗業界・ラブホテル業界を在日は掌握したよ。


全国の駅前も在日が握っている。

宗教やパチンコで儲けた金で駅前の一等地を買い制覇するつもり。

外国人参政権も達成する為工作しているよ。

日教組の上層部は我々在日が制覇して日本人の子供には我々の歴史観を徹底的に教育する。

日本海の名前も東海に変える。

靖国も徹底的に叩く。日

本の永住権取得も緩和させ移民を多く受け入れアホな日本人は30%ぐらいにする。

反対するなら差別!差別!と騒ぐ。

今の時代は戦争で侵略するような時代じゃないんだよ。

我々はあくまで合法的に日本を侵略してるんだ(笑)芸能界もほとんどが在日プロダクションだし新人なんか体売るか創価に入信しないと仕事は与えない。

もちろんテレビ局も我々の支配下にある。結局全ては金であり我々はテレビも政界も全て制覇したんだよ。芸能界は今後も在日芸能人をプロデュースしていく。

日本は最高だね税金のかからない宗教とパチンコ産業で我々は大儲け!こんなことアホな日本人の多くは知らない。まあ日本人の事はどうでもいいよ。政治や大企業や在日企業を守り日本を乗っ取るのが目的だから。

ほとんどのアホ日本人が我々を日本人と思ってる(笑)まあ知った所でお前らにはどうする事もできないけどな(笑)』

『悪い在日はごく一部』『良い在日もいる』などと言う純粋真っ直ぐで偽善的な日本人がいる。

自分は他人の悪口を言わない正しい人みたいな奴らを見ると吐き気がするが、その『ごく一部の悪い在日』が日本の中枢に入り権力を手に入れマスコミなどを支配し日本人愚民化をさらに進め、日本の国力を衰退させていこうとしているのだ。

上の在日は住民投票条例で定住外国人に投票権を拡大し、国内在住期間が三年を超える外国人に常設型の投票権を認めた大阪府岸和田市の市民掲示板に書き込みしていた在日。
日本に生まれ日本に育ち日本語しか話せないが、在日は反日教育を受けた反乱分子であるという事の証明だ。

奴らは戦後一貫して日本の国益に反する行動を取り日本人を苦しめ好き勝手に振る舞ってきた。
最近でも、あり得ないような通り魔殺人・強盗殺人・強姦・成人式煽動などの凶悪犯罪を起こし、罪なき日本人が被害者になっている。

だが問題の根は深い、在日の粗悪さ粗暴さは変わらないしそれに対する日本人の危機意識のなさも深刻だ。日本人一人一人が危機意識を持ちこの国が乗っとられる事を防がなければならない。その為にも我々が政治に関心を持ち、候補者が何を主張しているか選別し選挙に行なわなくてはならない。

☆これは、在チョんの本音だから、気をつけてね私は在日が恐ろしいのは知っていますからね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/023b6b861a7417fdeaea1abd2eca308e

花嫁を金で買う(人身売買)2016-03-04 23:24:55 | 日記


ベトナムで大きなニュースになったのは、47歳の韓国人の男性が20歳のベトナム女性と結婚して、その一週間後に彼女を殺した事件だった。

釜山に住んでいたその男(Jang Do Hyo)は精神的疾患を患っており、結婚前には5日間精神病院に入院していた。2005年から治療歴は57回もあったという。さらに5年前には両親にも暴力を振るっていた。

結局、韓国女性とは結婚できないので、彼の両親はベトナムで花嫁を「買った」。結婚式の前に200ドル、その後500ドルを彼女(Thach Thi Hoang Ngoc)の両親に払ったという。

☆人間を、買う時代になったのは、昔からか、結婚できない日本の男性もありえるが、国際結婚といっても、金で買う時代なのだ、結婚は愛ではなく金だけの時代なのかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/7eca46e4a2e28f0a6b062e05fc1c1635

デブ専体験談 2015-10-15 12:58:31 | 日記

体重113キロの人妻「さなえ」さんプロフィール
•名前〜さなえ
•年齢〜34歳
•身長〜150センチ台
•体重〜113キロ
•おっぱいサイズ〜Gカップ
•お尻〜ちょい貧尻
•黒ずみ〜消炭色
•体臭〜無臭に近い
•顔面レベル〜顔がパンパン

体の隅々まで長時間舐めて愛撫されたい願望がある、体重113キロのデブな人妻さん。デブ専じゃない旦那と結婚後すぐにセックスレスになって、オナニーだけじゃ欲求不満が全く解消されず出会い系デビュー。

10歳以上年上のドSな変態デブ専紳士に快感調教を受けているドMな一面もある、すんげーエッチなデブ人妻さんです。

●さなえさんが利用している出会い系サイト⇒ミントCJメール ⇒PC★MAX

●初心者は絶対読んで!⇒出会いを楽しめるための記事まとめ


デブ専ブログを運営しているならでは裏技的出会いとでも言いましょうか察して下さい^^;

Hな事に積極的すぎるデブ人妻さん

ラブホテルのタッチパネルをポチっと押してエレベーターに乗ると、贅肉がたくさん付いたムニュムニュした手でニコニコしながらチンコを揉み始めるさなえさん。

気の知れた仲なら、こういうエッチな事をやってくれるおデブちゃんがたまにいるんですが、こういう不意打ち的なエロい事って喜ぶ男性が多いと思うので、パートナーがいる女性は是非やってみて下さい!

脂肪がいっぱいついて赤ちゃんみたいな柔らかい手でチンコを揉まれながら入室すると、ジーパンの中に手を突っ込んできて直にチンコをマッサージしてくるエロすぎるデブ人妻。

電話した時に、「とにかくチンチンが大好きで、触るのもしゃぶるのも大好き〜」なんて言ってたけど、揉んで勃起すると手コキになって、力加減とか絶妙で手コキでここまで気持ちいいならかなりフェラに期待できそうです。

「もうしゃぶっても大丈夫?」

「洗わなくてもいいの?たぶん臭いと思うけどなぁ」

フル勃起して、テッカテカに光った亀頭を眺めると、シュファーっと口の中へと吸い込まれる亀頭。

ニコニコしながらチンコを握って「可愛い」とか、嬉しそうにしゃぶり始めるさなえさん。

ジュルジュルジュルジュル、すんげーエロいフェラ音が部屋に響き渡ってます。

激しいのとねっとりしたのを繰り返して、ホテルに入ってからすぐ始まってもう20分くらい咥えっぱなしなんですけどーw

出そうになってチンコがビクンと脈を打つとフェラがゆっくりになるから、出そうになるのわかって緩急つけてるんだろうなぁ。

立ってられないくらいジュルジュルってチンコを吸われて、まだ113キロのデブボディーにほぼ触れてもいないうちに発射しそうーーーー。

「ちょちょちょ もう出そうだから一旦ストップ〜」

「ジュル プチュ ピチャピチャ」

「まじでもう出ちゃうって〜、いいのいいの?出すよ!」

射精モードに入って、もう出るって時に焦らそうとしたのか口を離されて、すんげー勢いで大量の精子を顔射してしまった・・・・。

男は射精中もある程度の摩擦は欲しいから、何もしないでドクドク出てるだけで快感的にはちょい微妙な感じ。

「ティッシュ持ってくるから待ってて」

ティッシュを取って戻り、精子でドロドロになった口の周りを拭いてあげようとすると、あれだけついてた白い液体が綺麗になってるって・・・・・飲んだのね^^;

凄いエロいおデブちゃんだなとは思ったけど、初めて会ってHする男性の精子を飲み干しちゃうって・・・・あはは〜。

フェラはマジで最高だった!でも一回出しちゃってすっきりモードになってしまって、ムラムラした気持ちで体中舐めたかったので、一回目を大事にしたい僕としてはちょい残念。

賢者タイムが終わってまた復活するまで、デブ人妻さんの113キロボディーを楽しもうと裸になってもらいじっくり観察する。

僕の想像をはるかに上回る、デブ人妻の淫乱具合が凄い

ベットの上で素っ裸なデブ人妻さん。ソファーの上から、「こんな格好してみて」って僕のお願いにもノリよくやってくれて、みるみる元気になっていくチンコ。

写真撮ってもOKって言われたんで撮って来ればよかったんだけど、プレイ最中は興奮でそんな事すっかり忘れてましたw

色々拾い画像を使いながらご説明しますと。

デブの四つん這い

まずは四つん這いになってもらうと、体重が113キロの割りにお尻が日本人系とでもいいましょうか貧相な感じ。でもですね、先ほどのフェラで興奮したのかはっきりビチョビチョなのがわかるくらい割れ目が光ってて、綺麗に舐めてあげたいって思いました^^

股を開くデブ人妻

そして正面から股を開いてもらうと、黒ずんだ股の間にビッチョビチョに濡れた肉付き豊かなデブマンコ。

手で割れ目を開いてもらおうとすると、お腹に贅肉が邪魔で悪戦苦闘しながら、なんとか割れ目をパカっと開いて見せてくれるノリの良さ!

「オナニー大好きって言ってたよね?その体勢で触れる?」

「いっつもおもちゃ使ってて、指じゃあんまりしないけどちょっとやってみるね」

すんげー興奮するぅ〜〜。

テッカテカに光る割れ目に、極太の指が入り込んでクリトリスをスリスリしだす。

「興奮する?」

「これやっべーわw」

「はぁ〜気持ちよくなってきちゃった。。。。後でいっぱい舐めてくれるんでしょう?」

オナニーするデブ人妻

ここまで本気オナニーに発展すると思ってなかったから、グッチャグチャ激しくクリトリスを触りだす人妻さんの割れ目に見入ってしまう。

ガチでやってくれる女性ならオナニー鑑賞アリですね!!

バチャバチャバチャ〜ってすんげー音鳴ってるし。

興奮しすぎて我慢できなくなって、割れ目に近づいていってまずは深呼吸でメスの香りを堪能。

ちょっとおしっこの匂いがする程度で、モワっとした湿気だけで臭くはない。目の前でグッチュグチュクリトリスを擦る指をまずはペロっと舐めてみる。

少しだけドロっとした液が舌に絡んで、薄いオシッコの匂いなりの味が口の中に広がる。

「舐めるから両手で広げて」

パカっと広がってかなり充血しているマンコさん。

ここまできて焦らしながら舐めるのもなぁって思ったんで、初っ端からクリトリスを口に含んで舌でブルンブルン転がすと、びっくんびっくん体の反応もいいし叫び声みたいな大きな喘ぎ声もたまんねー。

オナニーでイク直前までいってたのか、5分くらいクリトリスを舐めたところで「あぁ〜イックイックイクイク〜」。

叫び声とともに体をガックガクさせて、ついでみ贅肉もブルンブルン揺らせながらクリイキするデブ人妻。

その時は気付かなかったんだけど、たっぷりおしっこ漏らしちゃってるしw

一旦お風呂でリフレッシュして、淫乱すぎる人妻さんとセックススタート。

過去会ったデブ女性の中で最高クラスの騎乗位

お風呂でさっぱりして、お互いのアソコを触るだけでボケ〜と1時間くらい経過した頃に、めっちゃクンニしたくなってきて、太股に顔を突っ込もうとすると

「一回挿れて欲しいんだけどいい?」

そういうと、僕の股間に顔を密着させてジュッポジュッポチンコをしゃぶりはじめる。

フル勃起して、これ以上吸われたら発射してしまう〜くらいの直前でゴムを装着して、113キロの超柔らか〜い体に覆いかぶさる形で、まずは正常位から。

肉質が凄く柔らかいおデブちゃんで、チンコの快感より抱きしめてると時のムニュムニュ感が幸せすぎる〜。

「重さを感じながら騎乗位するの好きって言ってたよね?」

あれいったっけ?

まぁいいやって事で上に乗ってもらう。おデブちゃんの騎乗位はチンコを折られそうで恐いとは思ってるけど・・・・いったかなぁ。

ゆっくり僕のチンコに跨るデブ人妻さん。

跨る時に一度体勢を崩してるんで、やっぱりちょっと恐い・・・・。

チンコの根元を掴んで穴の位置を確かめてる時も、体勢崩しちゃってて折られそーーーー><

なんとかニュルッと挿入されて、チンコの長さを確かめるように腰を振るさなえさん。

下半身にずっしり重みを感じてて、そこは気持ちいいんだけど。。。。。

ゆ〜っくりゆ〜っくり腰を振って、だんだん早く早く・・・・・。

いつ抜けて113キロの体重がチンコを潰すかわからないので、ビクビクしながら見守る。

「はぁはぁ 気持ちいーー」

クッチュクッチュどんだけ濡れてるんだってくらい、結合部分からエロい音が!!

あまり無理をしていない腰使いで、しっかり摩擦感もあっていい感じ。

抜ける時に肉厚なアソコの中がギュッと締まってめちゃくちゃ気持ちいい〜。

「うわ〜ん もうすっごい〜はぁはぁ」

チンコの先が子宮口と思われるゴリゴリした部分にあたる度に、アソコの中ギューーーって凄い力で収縮sる。

「あっ これ中でイケる子だ!」

明らかに子宮口に亀頭をぶつけるように腰を振っていて、それに合わせて下からズンと突くと快感からなのか体がグニュグニュしちゃうさなえさん。

キューキュー締まるアソコに、どんどん射精感がこみ上げてくる。

「出しちゃっていい?」

ヘロヘロになって返事もせずに首を振って頷く。

最後は下から、子宮口と思われるゴリゴリした部分がガン突きしまくって発射〜。

二人ともヘトヘトで、騎乗位でチンコを突っ込んだまましばらく抱き合う。

「凄い気持ちよかったぁ」と目に涙をいっぱい溜めながら、セックスの余韻を楽しむさなえさん。

てっきり中でいったんだと思って、「中イキできるの?」って聞いて見たら、よくわからないみたいですw

でも、あの感じっぷりといいマンコの中の筋肉の収縮といい中イキできるおデブちゃんだとは思うんですけどね。

気付いたらデブ人妻さんが、帰らなきゃダメな時間ギリギリだったのでパパッと用意をして解散。

今回は裏技的な出会いなので、次に会うかどうかはわかりませんが気持ちよかったぁ。

本人は中イキわからないみたいな事を言っていたけど、あのエロさは快感を知ってる女のエロさでした^^

あっちなみに、この体験談だけ見たらいかにも僕がセックス上手みたいに見えちゃうんですが、中での快感や女の悦びを知っている女性なら、僕が頑張らなくても自分で楽しんでくれるので大抵こんな感じです。

●さなえさんが利用している出会い系サイト⇒ミントCJメール ⇒PC★MAX

●他の体験談を見る⇒デブ専管理人のHな出会い体験談まとめ


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2015年10月01日 | カテゴリ: デブ女性とHな体験談 |
タグ: ミケポ, ミントCJメール, 人妻, H目的

強烈な体臭を持つ女性なら日本人に拘らなく欧米の肉食(肉が主食の方の)女性から募っては如何でしょうか。肉が主食な人程体臭がきついと聞きますから。かの楊貴妃は漢民族ではなくペルシャ系のデブ女性だったとききます。そしてその体臭に魅了された玄宗皇帝が彼女を寵愛し名君の名を落とすまで入れ込んだらしいですよ。現在ならもっとデブで臭いの強い女性は数多くいますからそちらでお嫁さん探されては?フランス人は名立たる「風呂嫌い」で肉食に加えチーズなどの乳製品好きだから臭いのきつい女性も期待できると思います。東京なら結構外国人と接する機会や場所もあるでしょうから試されては如何ですか?


食生活からくる強烈な体臭は実は苦手でして^^;
とにかく腋臭とスソ臭フェチなんです!そういった面でも腋臭率100%の黒人さんや、80%の欧米のデブ女子と一緒になるのが一番なのですが、肌の質感だと日本人だったり、ほんとめんどくさい性癖なんです・・・・・。

そういう機会もあるにはあったのですが、やっぱり目の前にすると動画で見ているのと違って壁を感じちゃうんですよね。
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/41921ce0ef436de9208f83d19f7fb4b0

汁男優詐欺 2016-03-05 07:58:04 | 日記


アダルトビデオの男優応募者を狡猾な手口で型に嵌めた悪徳詐欺が摘発。

詐欺容疑者大島俊(23)豪華そうに生活をひけらかし羽振りのいい実業家ぶる小物詐欺師の典型である。


【今日1日の利益。はいりきらんがい。銀行いこ】

http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/a7431ea33b1f057134c0568348e7844c

【大島俊Twitter】

大阪/23/タワマン住/レクサス・ベンツ2台乗/2社経営/IT関連/芸能関連/K24.ヴィトン,ダイヤモンド大好き人間。でかい夢を叶える/寄付支援活動してます。Follow Me

「AV男優募集」甘言につられて応募した男性はAV撮影と称した詐欺の現場となったホテルで「台本通りセックスできなかった場合には損害賠償金を支払う」という契約書にサイン。架空のプロダクション「REDDプロダクション」と「男優」としての契約を結んだ。

そして撮影となるが、女優役の風俗嬢は「男優」を手と口で射精させ、AV本番であるセックスができないようにしむける。大島俊らは「セックスができないと撮影はできない」と伝え、違約金を請求したという。

【チームで詐欺行為】
http://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/a7431ea33b1f057134c0568348e7844c

「撮影」は100件以上行われ、そのうち30~40件で違約金を取っていたという。AV撮影という特殊な環境と、応募しておきながら性行為ができなかった後ろめたさから、被害を届ける「男優」がいなかったため長期間発覚しなかったのだろう。

30~40人から30万だまし取ったとしても利益は1200万。詐欺グループは7人もおり、AV男優募集の広告費、ホテル代等の経費、そして実際に抜いたりする手間もかかる。詐欺にできず金を取れないケースが半数以上だった事をふまえても、労力の割には効率が悪い。赤字リスクもあったのになぜ長期間続けたのか理解に苦しむ。

今回被害に遭う直前で警察に通報した「男優」は、とりあえず抜いてもらえ金も騙し取られず、ひっそりとおいしかったのではないかと感じるのは気のせいか。


(激裏GATE PRESSより)


40. 中川隆[-6090] koaQ7Jey 2017年10月19日 16:01:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

済州島4.3事件とは 韓国政府が隠している事


済州島は現在観光地として知られているが、1950年代には島民が10分の1に減少した
引用:http://cfile21.uf.tistory.com/original/277F6F425353B58A2C3D04


侵略者李承晩


日本から切り離された北と南の朝鮮にはそれぞれソ連軍とアメリカ軍が侵略してきて、再び植民地になりました。

米軍の統治のまずさによって疫病が蔓延し、コレラ、天然痘、ペスト等が蔓延しかなりの人がなくなりました。


南朝鮮ではすさまじい反米運動が起こり、収束するためにアメリカは独立させる事にし、1948年に韓国を建国しました。

初代大統領は国民投票ではなく国会議員のみで選び、第一回国会選挙は米軍監視下で、米軍に不都合でない人物が当選するように仕組まれていた。

半分はヤラセであり、この結果アメリカに留学経験がある、アメリカにとって好ましい李承晩が初代大統領になった。


李承晩は親米というよりアメリカ人のような意識を持つ人間で、韓国人にはほとんど無名の人物でした。

1905年から1918年までのほとんどをアメリカで過ごし、1919年から1945年までは上海で独立運動をしていた。

1899年から1904年までは刑務所に入っていて、韓国皇帝の使者として渡米したのに、韓国を裏切ってそのままアメリカに住み着き留学しました。


済州島4.3事件の始まり

韓国皇帝の使者として派遣された李承晩は、「皇帝は朝鮮人の代表ではない」と自分が朝鮮代表として振る舞った。

要するに李承晩は日本時代が始まる前に朝鮮から逃亡し、日本が戦争に負けてからノコノコ帰ってきたので、朝鮮人は誰も彼の事を知らなかった。

アメリカナイズされた李承晩は朝鮮人を見下す態度を取り、これが韓国の悲劇に発展していきました。


大統領に就任した李承晩に朝鮮人は従わず、反米闘争をしたり、北朝鮮を支持する者が多く居ました。

李承晩は国民を自分に従わせるため、警察や軍隊、公安、果ては犯罪組織やならず者を使って国民弾圧を開始しました。

最初の弾圧は大統領に就任する前から、朝鮮で最も貧しかった済州島で始まりました。


第一回国会選挙が1948年5月10日、8月13日に韓国建国、大統領選挙は事実上行われず李承晩が初代大統領に就任した。

済州島4.3事件は4月3日なのでこれらの出来事の前だったが、実際にはアメリカ政府と米軍は、最初から李承晩を大統領に決めていました。


アメリカ軍が占領する前、日本軍はすでに朝鮮を独立させようとして、建国準備委員会を創設していた。

1945年9月6日には朝鮮人民共和国を建国したが、米軍は朝鮮独立なんか認めないといって解散させました。

朝鮮人民共和国の勢力は李承晩の政敵であり、済州島人民委員会を中心に、米軍が押し付けた李承晩政府は「傀儡政権」だとする主張が支持されていた。


済州島4.3事件と朝鮮戦争

済州島では南北統一政府の建国運動が盛んだったが、在朝鮮アメリカ陸軍司令部は日本で言う暴力団やならず者を島に送り込んで、島民を襲撃させました。

1948年4月3日に島民は武装蜂起し本土から派遣された韓国軍と武力衝突し、この日から1957年まで9年間も「島民狩り」を行った。

最初の襲撃は米軍が送り込んだならず者によって行われ、米軍が大統領にした李承晩が引き継ぎました。


事件前に島民は30万人居たが8万人がなくなり、多くの島民が脱走して1957年には人口3万人以下に減少していました。

日本の研究者によると朝鮮戦争前後に済州島から2万人から4万人が日本に密航し、現在は大阪市生野区鶴橋などに多く住んでいると言われている。

因みに金正恩の母の高英姫の一家は済州島出身で、やはり鶴橋で戦前戦後をすごした後、北朝鮮に帰国している。


高英姫の父は1929年に日本に渡った(真偽は不明)と言われているので、済州島4.3事件のかなり前に日本に来ていた事になる。

済州島を追われた島民たちは、命からがら日本に辿り着き、同じ島民が住んでいる地域に集まったのは、想像に難くない。

韓国政府と李承晩、アメリカ軍による朝鮮人粛清は、済州島から始まって韓国全土で100万人以上に達する「保導連盟事件」に発展します。
http://www.thutmosev.com/archives/73132440.html

保導連盟事件 韓国人が隠す犠牲者100万人の闇


事件の多くは米兵立会いのもとで起き、米軍も承認していた
http://www.ilbe.com/files/attach/new/20140625/377678/2616075466/3774345375/a24ea677d342d986c41d93d3be31be25.jpg


建国と同時に自国民を粛清


韓国建国と同時に、日本帝国の押さえが無くなった朝鮮人は、南北で戦争を始めただけでなく、互いに自国民を粛清した。


      

北朝鮮の金日成が自国民を弾圧したのは知られているが、南朝鮮も北朝鮮以上に自国民を弾圧しました。

弾圧を始めたのは38度戦以南を占領した在韓米軍で、北朝鮮を支持したり半島統一を主張する者が対象でした。

最初の弾圧は韓国建国前からで、1945年9月7日に連合軍がソウルを占領し、軍政実施を宣言するとすぐ反対運動が起きた。


1945年8月15日に天皇が停戦命令を発し、9月2日に降伏文書調印、9月6日に朝鮮総督府は「朝鮮民主共和国」独立を宣言しました。

日本軍は朝鮮を独立させることで影響力を残し、本土引き上げを円滑にすると共に、戦後も半島で権益を保持しようとした。

そうはさせまいとアメリカ軍はなんと建国翌日にこれを取り消し、朝鮮人たちは「新しい侵略者」を自分たちの敵と認識した。


日本時代には分断されていなかったのに、米軍とソ連軍が勝手に侵略し分割したとして、統一運動が起こりました。

半島統一運動=反米運動であり、1946年には物価高騰やコレラなど疫病蔓延、軍政への反発によって南朝鮮全土で反米暴動が起きました。

1946年10月1日には230万人が参加する反米暴動があり、占領軍は市民に発砲して百数十人がなくなりました。


済州島四・三事件から保導連盟事件へ


米軍が戦後ドヤドヤ乗り込んで来て軍事統制と弾圧をやり始め、経済は滅茶苦茶になり、疫病まで蔓延させました。


こうした反発から反米運動が南朝鮮に蔓延し、米軍は警察や軍隊、ヤクザやならず者まで動員して、反対派を襲撃させました。

事態が急激に悪化したのは1948年4月3日で、済州島の統一運動家らをアメリカ陸軍司令部が、ヤクザを使って襲撃させました。

続いて警察や治安部隊、軍隊も動員し、1957年までに島民30万人のうち8万人がなくなったと推測されています。


手に負えなくなったアメリカは南朝鮮を独立させる事にし、1948年8月13日に大韓民国を独立させ、親米運動家の李承晩を任命した。

李承晩は済州島での弾圧を米軍から引き継いで、島民が10分の1に減少するまで続けました。

だがこの済州島での弾圧ですら、その後韓国全土で行われる大弾圧の、最初の始まりに過ぎませんでした。


韓国を独立させるとアメリカは朝鮮半島への興味をすっかり失い、さっさと占領軍を引揚げてしまいました。

1950年6月25日に金日成の北朝鮮軍が38度戦を突破すると、韓国軍はあっという間に釜山まで追い詰められました。

韓国軍が撤退する最中に起こしたのが保導連盟事件で、住民を手当たり次第「スパイ」として粛清しました。


韓国軍は住民を捕まえてはスパイとして粛清した
引用:http://3.bp.blogspot.com/-HmeKhJ1Eudk/UVpZRGBdTkI/AAAAAAAAG2k/2zHK_P1nDHM/s1600/396.jpg


保導連盟事件で100万人以上が犠牲

朝鮮戦争では韓国側の民間人被害が67万人だが、保導連盟事件の犠牲者は100万人以上と言われています。

スパイ狩りにはまたしても米軍が関わっていて、多くのスパイ粛清を米軍は知っており、見て見ぬふりどころか立ち会っていました。

現存する写真の多くをアメリカ兵が撮影したが、つまり米兵は現場にいて事件に加担していた事になる。


朝鮮戦争の原因のひとつが、反米運動と米軍による弾圧、李承晩による済州島弾圧で韓国国民の反発が大きかったからでした。

北朝鮮軍が「解放者」として南に進軍すれば、南朝鮮の人達は一斉に蜂起すると、金日成は考えていたようです。

北朝鮮軍は6月25日に38度戦を突破し、9月始めには釜山周辺と済州島を除く全土を占領し、戦勝は確実と思われました。


僅かに残った釜山と済州島は在日米軍が守り、日本からの支援によってかろうじて防衛されていました。

李承晩による韓国本土でのスパイ狩りは、北朝鮮軍が侵攻した6月25日に開始され、手当たり次第住民を捕まえては、北のスパイとして粛清しました。

統一運動に参加したものや李承晩に反対したもの、反米運動に加わった者、親日家など誰でも対象にされました。


韓国政府は今日に至るまで事件を認めず、公式な統計もないが、100万人以上というのが定説になっています。


北朝鮮軍と李承晩から逃げ出した韓国人は日本に密航し、朝鮮戦争前後に20万人前後が渡航し、「在日韓国人」になりました。


アメリカ軍側には、米軍立会いの下で「スパイ」の刑執行が行われた記録が数多くあり、米韓は共謀して行っていました。


こうして朝鮮人は、アメリカ軍とアメリカが決めた無能な指導者のために、数年で全てを失い流民になった。

国民全員が無一文のホームレスになった韓国を助けたのが、またしても日本だったのだが、1952年に李承晩は竹島を侵略して自分の手柄にしました。

この時まだ自衛隊や警察予備隊はなく、米軍占領下だったので「侵略しても日本は反撃できない」と見越しての行動でした。


竹島占領後も日本は韓国への援助を続け、1960年代には日本の援助が国家予算の半分も占めていました。

李承晩は1960年で退陣するが、国内で済州島事件や保導連盟事件が追求され始めると、韓国政府と韓国マスコミは一斉に「従軍慰安婦」で騒ぐというカラクリになっています。
http://www.thutmosev.com/archives/73156663.html






在日の実像、密航者が全体の過半数か


朝鮮戦争で密航してきた韓国人は10万人以上に達し、在日韓国人になった。
現在の在日韓国人の多くが、戦前からの密航者の子孫と考えられている
引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20170319/06/the-snark/27/59/j/o0600040813893261993.jpg


在日韓国人の半数は戦後の密航者?

在日韓国人いわゆる在日は1965年締結の日韓基本条約によって、1945年終戦までに日本に渡来した韓国人と定義されています。

日本政府は北朝鮮を承認していないので、北朝鮮国籍でも国内法的には韓国人になっています。

永住権があるのは1945年8月までに日本に居住していた人だけで、後日その子供(2世)が追加されました。

3世以降は永住権がないのだが、今日はその話ではなく、1945年8月16日以降に、日本に密航した人が相当数存在したという話です。

パチンコマXハンの創業者など、終戦後の数ヶ月にドサクサに紛れて日本に来た人が戦後第一弾の渡航者でした。

戦後初の国勢調査は昭和22年(1947年)なので、その頃まで政府は国内に何人の半島出身者が居るのか、把握していなかったと考えられます。


1948年までに帰国の勧告を受けて約150万人が韓国に帰国し、1955年警視庁調べでは約65万人の韓国人が国内に居住していました。

さらに警視庁によると戦前から居住していたのは55万人だけで、10万人は終戦後に密航してきたと書かれています。

ここからがおかしいのだが、戦前から居住していた韓国人は「北朝鮮帰国運動」などで10万人近く帰国しました。


韓国に帰国した人も居たので、戦前からの韓国人はどんどん減っていった筈でしたが、現在も約48万5000人の在日韓国人が存在しています。

別の資料では1974年法務省調査で、在日韓国人の85%が渡航年度不明であり、そう書いては居ないが密航者の疑いが強い。

密航者だから戦後とは限らず、戦前に密航してそのまま住み着いた韓国人は、相当数居たと考えられます。


韓国の大混乱期

なぜなら日本に渡航希望する半島人は現在の韓国南部と済州島が多かったが、半島で最も遅れた貧困地帯でした。

比較すると日本はソウル以上に発展した国だったので、貧しい農村や漁村から、密航船で日本に来る人が大勢居ました。

戦後密航者の一つのピークが1948年と1950年-1953年で、韓国では暴動や粛清、内乱で大混乱していました。


日本帝国から離脱し日本軍や日本の警察が引揚げた半島は無法地帯になり、独裁者の李承晩と金日成は戦争を始めました。

最初の混乱は日本軍引き上げと、入れ替わりにやってきた米軍占領で起こり、韓国各地で暴動や疫病が発生し、日本企業引き上げで経済破綻しハイパーインフレも起きました。

アメリカ軍が任命した李承晩大統領は不人気で、権力強化のために大粛清を始めます。


1948年に済州島四・三事件が発生し、1953年まで8年間の間に島民の人数が1割程度まで減少しました。

島民約30万人のうち6万人が犠牲になり、残りは半島や日本に逃げ出したと見られています。

その後に始まったのが朝鮮戦争で、李承晩の韓国軍と憲兵は、北朝鮮軍から逃走しながら「北のスパイ」として数十万から100万人を粛清したと推測されています。


混乱する韓国から逃げてきた人達

李承晩の韓国軍は釜山まで後退し、米軍と日本に支援されて38度戦まで押し返すのだが、負けたほうが韓国人には良かったかも知れない。

朝鮮戦争のどさくさで大半が闇に葬られているが、李承晩によって数百万人が犠牲になったという推測もある。

木村光彦や森田芳夫といった朝鮮研究者によると、朝鮮戦争前後に最大25万人が日本に密航した可能性がある。(送還された人数を除く)

済州島や半島南部の住民は我先にと日本への密航船に乗り込み、日本政府は人道的配慮から追放しなかったようです。


こうして1955年には10万人以上の密航者が居住し、1977人には85%も渡航年度不明の韓国人が居住していました。

そして人数は少ないものの、北朝鮮や韓国に帰国した元在日が、再び日本に舞い戻る「出戻り在日」も居住しています。

このように考えると現在日本に居住している在日韓国人で、日韓基本条約に定義された「戦前に正規の手続きで渡来した韓国人」など半分も居ないのではないかと考えられます。


むしろ過半数は戦前から朝鮮戦争前後に密入国してそのまま住み着き、戦後も親戚などのつてによって移住してきたと考えられます。

在日韓国人の著名人の中には、自分あるいは先祖は、密航者だからとても苦労したと苦労自慢している人を見かけます。

「俺は密航してきた」と堂々と自慢しても、一度特別永住者に認められると、日本政府は追い返したりはしていません。


ここで再度指摘すると、日韓基本条約で保護されているのは、戦前に正規の手続きで渡航した人だけです。
http://www.thutmosev.com/archives/73116331.html


41. 中川隆[-6071] koaQ7Jey 2017年10月21日 09:09:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

韓国からの密航者が在日資格を得た方法


対馬は戦前から(縄文時代から?)中継地だったが、今でも「しょっちゅう来る」という
引用:http://madoka114.up.seesaa.net/image/78b26be4.jpg


在日韓国人はいつ、どうやって入国したか

2015年ごろに欧州にシリアなどからの難民が押し寄せ、この年だけで300万人がEU内に入ったと言われています。

日本でも難民問題が深刻化していて、2017年上半期だけで8561人が難民申請しました。

もっともこれは難民申請することで日本で滞在するのが目的と見られ、難民認定された人はたった3人でした。

ところが日本には、アジアや中東からの難民と同じように不法入国しながら、合法的に居住している人が数十万人存在します。

言うまでも無く在日韓国人で、彼らの入国記録からは8割以上の人が入国年度不明、つまり日本側に入国記録がありません。

日本と韓国は距離が近く、多くの貨物船が行きかっていて、戦前戦後を通じて密航船が公然と行き来していました。


戦後日本政府の調査では朝鮮戦争時に最小でも10万人以上、警視庁は最大25万人の韓国人が、不法入国した可能性があると書いています。

不法入国するのはおそらく難しくないが、問題は日本に入国した後で、どうやって彼らは在日韓国人として登録したのでしょうか。

日本政府は1948年、韓国が建国された事で、日本国内の韓国人全員を送り返す方針を決めました。


確かに1945年から1948年までに150万人の韓国人が帰国したが、国内にはまだ100万人ほどの韓国人が残っていたと考えられました。

その後も北と南に少しずつ帰国したが、1950年に朝鮮戦争が始まると、帰国どころか戦火を逃れて韓国人がどんどん日本に渡ってきました。

不法入国した日本人を長崎などの収容所に入れたところ、大村収容所などで暴動が起きたりし、大変迷惑しました。


韓国が受け入れ拒否で日本に定住

朝鮮戦争が始まると韓国政府は日本国内の韓国人受け入れを拒否するようになり、それどころか日本に密航した韓国人の送還も拒否しました。

増え続ける韓国人に日韓政府は1965年、日韓基本条約によって「終戦までに入国した韓国人には永住権を与える」事で合意しました。

だが1945年9月以降も、韓国人はどんどん日本に密航し、20万人以上が戦後に入国したと考えられています。


密入国した韓国人は同胞にかくまわれて3年ほど過ごし、密入国が時効になるのを待ちます。

時効によって密入国は罪に問われなくなるが、このままでは見つかれば韓国に強制送還されます。

そこで年頃の人は同じ在日韓国人や日本人と事実婚して子供を作り、それから日本政府に届け出ます。


あるいは既に永住権がある在日韓国人の養子になったりして家族になると、強制送還されません。

もちろんこうした事には、民団や総連といった支援組織が圧力をかけ、強制送還されないようにします。

北朝鮮とは国交がないので強制送還という制度もなく、韓国政府も多くの場合受け入れに難色を示します。


終戦から朝鮮戦争までに密入国した韓国人は「戦前に入国していた」「強制連行された」と言い張れば、おそらく通用したでしょう。

空襲や敗戦の混乱で、日本人ですら戸籍や住所が分からない人が居たので、朝鮮人の入国記録がなくても、密入国とは限らないからです。

終戦10年後の1955年までに入国した韓国人はドサクサに紛れて、戦前から住んでいた朝鮮人と一緒に扱われました。


密航自慢する大物も居る
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引用:https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-59.fc2.com%2Fd%2Fe%2Fl%2Fdeliciousicecoffee%2F20130711081657acc.jpg


永住権があるのは在日韓国人の一部か

1965年の日韓基本条約で、戦後の密入国者は送還する事になったが、またしても韓国側が受け入れ拒否したので、在日韓国人として一緒くたに扱われた。

こうして法的には強制送還される筈の、1945年から1965年までの密入国者は、在日韓国人として居住権を得ました。

彼らを日本政府が受け入れた最大の理由が実は、韓国政府が帰国を拒否して在日を捨てたからで、入管問題ではなく外交問題として強制送還できなかったのです。


こうした混乱期には、密入国してから在日の登録証を買って在日韓国人になった人達もいます。

昔ホームレスが戸籍を売るのが社会問題になったが、あれと同じで韓国人同士で登録証を売買しました。

こういう連中がいるので日本政府は1955年に指紋押捺制度を作ったが、2000年に差別的だというので廃止されました。


指紋押捺制度があっても拒否する人がかなり居たので、その後も密入国して登録証を買い、他人に成りすました人が居たかも知れません。

現在は日本で居住する外国人全員に、指紋押捺と写真撮影を義務化していますが、特別永住者は除外されています。

在日韓国人の永住権とは「終戦までに合法的に日本に入国した人」本人と2世だけに永住権が与えられている。


ところが実際には「戦前の密入国者」「戦後の密入国者」「永住権が適用されない3世以降」にも永住権があるかのように取り扱われています。

このように考えると日韓基本条約で定められた永住権が適用されるのは、在日韓国人のごく一部ではないかと推測します。
http://www.thutmosev.com/archives/73173663.html


42. 中川隆[-6059] koaQ7Jey 2017年10月22日 08:06:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

以下の話は

ユダヤ人 → 在日朝鮮人

と置き換えれば、日本の芸能界でも行われている事そのものになります:

2017年10月16日 女優を餌食とする変態プロデューサー
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68676549.html

中央: セクハラを受けたヘザー・グラムとカラ・デラヴィーン
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/5/3/537e7ff9.jpg
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右: 強姦被害者のリゼット・アンソニー
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  映画の都ハリウッドは今、有名プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein / 65歳)が引き起こしたセクハラ問題で揺れている。このワインシュタインは、弟のロバートと共に映画会社の「ミラマックス」を創設したユダヤ人で、退社後に「ワインシュタイン・カンパニー」を設立した大物だ。日本の映画ファンなら、ミラマックス社の作品を直ぐ思い出すだろう。例えば、『恋に落ちたシェイクスピア』とか、クエェンティン・タランティーノが監督を務めたヒット作『パルプ・フィクション』、同監督による『キル・ビル』、『シカゴ』、『スパイ・キッズ』が挙げられるし、日本のアニメ映画『ポケモン』を米国で上映したことで知られている。

ハーヴェイ・ワインシュタインが手掛けた作品と言えば、大ヒット・シリーズの『ロード・オブ・ザ・リングズ』とか、ジェシカ・アルバが出演した『シン・シティー』、ブラッド・ピットがナチス狩りの役を演じた『イングローリアス・バスターズ』、クリスチャン・ベール主演の『リベリオン』、マイケル・ムーア監督がジョージ・ブッシュ大統領を批判すべく制作した『華氏911』、ジュリエット・ビノシュとジョニー・デップが共演した『ショコラ』などが挙げられる。


ワインシュタインにセクハラを受けた女性たち

左: ゾーイ・ブロック / ジュディス・ゴドレッシェ
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右: ロザンナ・アークウェット
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  こうしたヒット作品を世に送り出したワインシュタインだから、業界の大御所となったのも理解できる。それに、ハリウッドはユダヤ人の人脈が蜘蛛の巣のように張り巡らされているから、同胞意識というか、義兄弟意識がかなり強い。だが、いくら偉いといっても、その地位を利用して立場の弱い女優を手込めにするのは論外である。ワインシュタインは人間の屑と呼んでも過言ではなく、はっきりと拒絶できない相手と分かっていて、無理やり犯そうとしたんだから悪質だ。

女の涙に神様が反応したのか、この助平プロデューサーに天罰が下った。ある一つのセクハラ事件が表沙汰になって、彼の悪事が暴かれ始めたのだ。(被害者女性が実際の録音テープを公開して話題になった。) すると、驚くべきことに、その被害者は一人や二人じゃなかった。何十人も名乗り出たのである。これにはセクハラに慣れたアメリカ人も呆れ顔になった。以前、当ブログで

甘言使いのユダヤ人「ズース」
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580121.html

や、

マリリン・モンローを性的に弄んだユダヤ人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html

を取り上げたことがあるけど、ワインシュタインもそうした下劣なユダヤ人の一人である。

  被害者女性を全員挙げると長くなるので、有名な人物のみを紹介したい。まづ、人気急上昇のフランス人女優レア・セドゥー(Léa Seydoux)が受けたセクハラについて。皆様ご存じ、彼女は『ミッション・インポシブル/ ゴースト・プロトコール』や、007シリーズの『スペクター』に出演した若手の役者だから、日本人でも印象に残っている人が多いんじゃないか。

その美しいレア・セドゥーは、フッション・ショーの仕事で「ホテル・プラザ・アテネ」に滞在したことがあるという。ここで彼女はケダモノに等しいワインシュタインに襲われそうになった。ケアがワインシュタインの泊まっているホテルの一室を訪れ、ソファーに坐りながら彼と会話をしていると、突然、ワインシュタインが彼女に覆い被さり、強引にキスを迫ったそうだ。

(Molly Redden and Amana Fontanella-Khan, "Lea Seydoux says Harvey Weinstein tried to sexually assult her", The Guardian, 11 October 2017)

レアは咄嗟にこの“襲撃”を跳ね返そうとしたが、それは非常に困難だった。というのも、相手は大柄で体重のある男だ。まるで、熊に襲われた兎のような状態である。こんな奴が抱きついてきたら身動きがとれない。しかし、火事場の馬鹿力というのもあるので、必死になったレアは奇蹟的に逃れることができたという。

("Harvey Weinstein : Actress Lea Seydoux describes night Hollywood mogul jumped on me ", ABC News Australia, 12 October 2017)


(写真 / レア・セドゥー)
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  ワインシュタインはもう一人別のボンドガールにも手を出していた。それは、007シリーズの復活作『カジノロワイヤル』で悲劇の恋人役を演じたエヴァ・グリーン(Eva G. Green)である。しかし、今回の告発を行ったのは、彼女ではなく、母親のマルレーヌ・ジョベール(Marléne Jorbert)であった。この母親は、一連のスキャンダル報道を耳にして、娘が蒙ったセクハラをどうしても明らかにしたかったそうである。娘を愛する母親にしたら、このゲス野郎が罰を受けずに生きて行く事など絶対に赦せない。日本人の親だってその気持ちは理解できる。だから、マルネーヌが何としても一矢報いたい、と考えてもおかしくはない。


左と中央: 娘のエヴァ・グリーン
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右: 母のマルレーヌ・ジョベール
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  この憤慨する母親によれば、娘のエヴァが被害に遭ったのは、2010年から11年に掛けての頃だったという。

(Peter Mikelbank, "Harvey Weinstein Allegedly Threatened to Destroy Bond Star Eva Green After She Refused His Sexual Advances", People, October 13, 2017)

ところが、セクハラを受けたエヴァはワインシュタインとの確執を避けるため、事を公(おおやけ)にすることはしなかった。というのも、この変態プロデューサーは業界の大御所で、絶大な権力を握っているから、小娘の女優が太刀打ちできる相手じゃない。

「お前なんか、いつでも叩き潰すことができるんだぞ」

と暗に脅されれば、黙っているしかないだろう。マレリーヌは娘がひどく怯えており、その話題について語ることはなかったそうだ。エヴァは頭から拭うことのできない、その「事件」については忘れることにしたらしい。母のマルレーヌはたいそう悔しかったようで、ワインシュタインを「太った豚(Big Pig)」と呼んでいた。

  セクハラ事件は双方の言い分を照らし合わせて考えねばならないが、ワインシュタインのケースは被害者側の証言に信憑性が高い。何故かと言えば、彼は“常習的”にセクハラ行為を繰り返していたからだ。イギリス人役者のケイト・ベッキンゼール(Kate Beckinsale)も、かつて被害者であった。彼女は、吸血鬼を題材にした人気シリーズ『アンダーワールド』に出演し、『ヴァン・ヘルシング』、『アビエイター』にも登場した美人女優だ。

事件は彼女がまだ17歳の時に起こった。まだ高校に通っていたケイトは、ワインシュタインからコンファレンス・ルームに来るよう言われ、彼が待っている部屋をノックしたそうだ。すると、ワインシュタインがドアを開けて彼女を中に入れようとしたのだが、その時、彼はバスローブ姿であったという。まだ子供だったせいか、ケイトは性的な要求があるとは予想もしていなかった。まさか、目の前に居る中年男性がイヤらしいことを考えているとは思ってもみなかったのである。

ケイトを迎え入れたワインシュタインは、この少女に酒を勧めたそうだが、彼女は身の危険を察知し、その誘いを断り、午前中に授業があるからとの言い訳を述べて部屋を後にしたという。

(Seth Kelly, " Kate Beckinsale Details Harvey Weinstein Encounter : He Couldn't Remember If He Had Assulted Me", Variety, October 12, 2017)

それから二、三年後、ワインシュタインはケイトに再会したそうだ。その時、彼は「初対面の時に何かしたかな?」と尋ねたらしい。つまり、彼は「あの時」の事をよく覚えていなかったのである。そりゃあ、何十人もの若手女優に魔の手を伸ばしていたんだ。余りにも“多くて”一々覚えていられなかったのであろう。


(写真 / ケイト・ベッキンゼール)
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  『誘惑のアフロディーテ(Mighty Aphrodite)』で助演女優賞を獲得した、ミラ・ソルヴィノ(Mira Sorvino)も性的被害に遭っていた。1995年、彼女がトロント国際映画祭に赴いた時、ワインシュタインは彼女に迫ってきたそうだ。彼は一緒に仕事をしていたミラに肉体関係を求めてきたという。

ワインシュタインはそのイヤらしい手で彼女の肩を揉み始めたので、ミラは鳥肌が立つほど不愉快だった。そんなことを気にせぬワインシュタインは彼女を付け回した。そこで、ミラは彼との「交際」は自分の信仰に反する、つまり宗教的誡律により、既婚者とは付き合えないとの口実を設け、彼の求愛を斥けたそうだ。
(当時、ワインシュタインは元アシスタントのイヴ・チルトンと結婚していた。)

Mora Sorvino 1(左 / ミラ・ソルヴィノ)
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 しかし、ワインシュタインは諦めきれず、その後もミラに電話を掛けてきたという。ある時、彼は電話越しに「君のアパートに行くから」と告げて電話を切り、本当にやって来たそうだ。しかも、アパートを護衛しているはずのドアマンを素通りして、彼女の部屋に辿り着いてしまったらしい。ストーカーみたいな男がベルを鳴らし、ミラがドアを開けると、ワインシュタインは彼女のペット(チワワ)を抱きかかえて立っていたという。もう、彼女は震えが止まらなかった。そこで、焦った彼女は、もうすぐボーイフレンドがやって来るから、との理由で彼を追い払ったそうだ。

(Ronan Farrow, "From Aggressive Overtures to Sexual Assult : Harvey Weinstein's Accusers Tell Their Stories", The New Yorker, October 23, 2017)

こんな怖ろしい目に遭ったミラだが、彼女はワインシュタインの力を恐れていたので、公然と彼を非難することができなかった。もし、この性的嫌がらせを通報したら、彼女のキャリアは終わってしまうからだ。当時、ミラマックスの女性社員もワインシュタインの被害者となっていて、ミラはその事を知っていたという。権力者には楯突くことができない。つまり、セクハラを受けた女性たちは泣き寝入りするしかないのだ。

  スケベ中年を体現するワインシュタインは、特に若い女を「大好物」にしていた。イギリス人女優のジェシカ・ハインズ(Jessica Hynes)は19歳の時、ある映画のオファーが来たそうだ。この映画を制作するスタッフの中にワイシュタインがいたそうで、彼は「スクリーン・テスト」という名目で彼女に対し、ビキニ姿になるよう言い付けた。ところが、この命令に憤慨したジェシカは断固拒絶。すると、彼女は役を失ってしまったそうだ。

(Nicole Bitte, "Actress Jessica Hynes claims Harvey Weinstein asked her to audition in a bikini", New York Daily News, October 6, 2017)

たぶん、ワインシュタインは「オーディション」にかこつけて、彼女の「肉体」を眺めたかったのだろう。


左: ジェシカ・ハインズ
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右: カラ・デラヴィーン
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  変態というのは様々な性癖を持っているようで、自分で犯す以外に他人に卑猥なことをさせて喜ぶ場合がある。イギリス人のファッション・モデルで女優業も営むカラ・デラヴィーン(Cara Delevigne)も、ワインシュタインの性癖に戸惑った女性の一人だ。

彼女がこのプロデューサーとミーティングを行った際、ワインシュタインはカラに別の女性とキスをしてくれと頼んだそうだ。つまり、レズビアン・ショーを期待していたのだろう。

また、彼女がワインシュタインと二人っきりになった時の事である。彼は自分が出逢った女優全員と寝たことを自慢し始め、その後、彼女たちがいかに出世していったかを滔々と語ったそうである。そして、ワインシュタインはカラに自分の部屋に来るよう誘ったそうだ。

もちろん、彼女は即座に断った。当り前だ。こんな話を聞いた後で、誰が部屋を訪れるというのか。いくら無防備なペンギンだって、危険を察知する本能を持っているから、全速力でその場を後にするだろう。日本の鴨(カモ)だって、ワインシュタインを見たら、ネギじゃなくてペッパー・スプレーを手にするはずだ。

  この卑猥なユダヤ人は、いたいけな10代の乙女のみならず、既婚者や身持ちの堅い婦人にもその毒牙を向けていた。彼はミラマックス社の依頼で脚本編集を手掛けていたリザ・キャンベル(Liza Campbell)に食指を伸ばしたそうだ。彼女はコードア伯爵(Earl of Cawdor)の娘で、1995年当時、彼女は離婚して英国に戻っていた。リザは『恋に落ちたシェイクスピア』や『アンユージュアル・サスペクト』を担当した脚本家でもある。

彼女は映画の脚本の件でワインシュタインが泊まっている「サヴォイ」ホテルの部屋を訪ねた。二人が会話を交わしてしばらくすると、彼は何故か浴室に向かい、服を脱ぎ始め、お湯を張った浴槽に入り始めたという。そして、彼は浴室から、

「来いよ! きっと楽しいぞ。ここにシャンペンもあるし、オレを洗ってもいいんだぞ」と呼びかけたそうだ。

(Valerie Edwards, "Harvey Weinstein stripped, asked me to jump in the bath and soap him at the Savoy", Daily Mail, 9 October 2017)

この破廉恥な誘いに彼女は激怒した。

「私は子を持つ母親で、立派な大人なのよ ! 初心(うぶ)な小娘じゃなんんだから !」

と言い返したそうだ。彼女の描写によれば、ワインシュタインは“アバタ(膿疱)”ヅラの牛みたいに「でっぷりとした」男で、『ソプラノズ(The Sopranos)』に出てきそうな殺し屋にソックリだったという。(この『ソプラノス』はアメリカで大ヒットしたTVドラマである。) 確かに、ワインシュタインはラス・ヴェガスでふんぞり返るユダヤ人ギャングのような人相をしている。


左: リザ・キャンベル
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左 アシュリー・ジャッド
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  性慾が剝き出しのワインシュタインには、女性をおびき寄せる時に使う十八番(おはこ)があった。彼はこの手口を用いて女優のアシュリー・ジャッド(Ashley Judd)を「モノ」にしようとしたことがある。

今から約20年前、ワインシュタインは「ペニンシュラ・ビヴァリー・ヒルズ」ホテルに泊まっていた。アシュリーは仕事を介した朝食会だと思って、彼が泊まるホテルを訪れたそうだ。ところが、ワインシュタインは彼女を自分のスウィート・ルームに向かわせ、バスローブ姿で彼女を迎えたという。そこで、狙いの女優をおびき寄せたワインシュタインは、アシュリーに「マッサージ」を頼んだそうだ。ところが、残念至極。彼女はきっぱりと断った。

(Brian Neimietz & Nancy Dillon, "Harvey Weinstein admits his behavior has caused women pain after Ashley Judd, others accuse him of harassment, New York Daily News, October 5, 2017)

左 アシア・アーゲント
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  しかし、どうもワインシュタインは頻繁にこの手口を用いていたようで、イタリア人女優のアシア・アーゲント(Asia Argento)にもマッサージを頼んでいたそうだ。しかも、ローションまで持参していたそうだから、「いつも」の調子だったんだろう。

彼女の場合はもっと深刻で、ワインシュタインは彼女に尺八、つまり「オーラル・セックス」まで強要したそうだ。

(Ronan Farrow, "From Aggressive Overtures to Sexual Assult : Harvey Weinstein's Accusers Tell Their Stories")

まったく、呆れた野郎だ。こんな奴のペニスをしゃぶるなんて穢らわしい。噛み千切ってゴミ箱にでも捨ててやればいいのに。でも、後味が悪そうだから、止めた方がいいかも。(例えば、脳裡に焼き付いてしまって、ホットドックが食べられなくなるからねぇ。)

  女優を食い物にするワインシュタインは、同様の手口で自分の社員にも股間を膨らませていた。

2014年、彼は臨時雇いのエミリー・ネスター(Emily Nester)を「ペニンシュラ・ビヴァリー・ヒルズ」ホテルに呼びつけ、ある「取引」を持ち掛けたという。

それは、もし彼女が「性的奉仕」を受け容れるなら、出世させてやるぞ、という内容であった。

翌年にも同様のセクハラが、このホテルの一室で行われたそうで、彼はある女性アシスタントを招き、裸のワインシュタインが彼女にマッサージをしてくれ、と迫ったそうだ。すると、彼女は恐怖の余り泣き叫び、取り乱したそうだ。

(Jodi Kantor and Magan Twohey, "Harvey Weinstein Paid Off Sexual Harassment Accusers for Decades", The New York Times, October 5, 2017)

そりゃそうだろう。あんな形相のデブが丸裸になって近寄ってくるんだから、全身に戦慄が走ってもおかしくはない。そもそも、「マッサージをしてくれ !」じゃなくて、「マッサージをさせろ !」の間違いじゃないのか。各事件の詳細と結末は定かではないが、少なくとも八名の被害者女性はワインシュタインとの示談に応じたそうだ。


精子を発射する変態オヤジ

左 ローズ・マッゴーワン)
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  セクハラだけでも嫌なのに、強姦までされた女性は本当に憐れだ。TVドラマ『チャームド: 魔女3姉妹』で有名なローズ・マッゴーワン(Rose McGowan)も、ワインシュタイの餌食となった犠牲者の一人である。

彼女は23歳の時、ホテルの一室で強姦されたそうだ。事件後、ローズはアマゾン・スタジオにレイプを訴えたそうだが、スタジオ側は彼女に冷淡で、その訴えを無視したばかりか、彼女の番組を終了させてしまった。しばらくして、彼女はワインシュタインの示談に応じたそうだが、今回の騒動を受けて昔の屈辱を暴露することにしたそうだ。

(Sam Levin and Olivia Solon, "Rose McGowan alleges rape by Harvey Weinstein and Amazon ignored claim", The Guardian, 13 October 2017)

  たぶん、ワインシュタインによる一連のセクハラ事件が明らかになったので、ローズもようやくその重い口を開けることにしたんだろう。それにしても、スタジオ関係者は情けないというより、人間として最低でモラルのカケラも無い。臭い物に蓋をして「無かった事」にするなんて酷いじゃないか。おそらく、ワインシュタインが大物プロデューサーだから、アマゾン・スタジオも表沙汰にできず、封殺することで乗り切ろうとしたんだろう。

アマゾンの最高責任者であるジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)は、常日頃リベラル派気取りで善人を演じているが、いざ権力者を前にすると手のひらを返してしまうんだから、「口先番長」に過ぎない臆病者である。リベラル派というのが如何に偽善者なのかが、これで一般人にもよく判るだろう。

  偶然と不幸はシャムの双子のようにくっつくことがある。ワインシュタインが犯した数々の悪行を知れば、ハリウッド・スターのブラッド・ピット(Brad Pitt)が、このユダヤ人をぶっ飛ばしたくなるのも納得できるだろう。事件はかなり昔に起きていた。今では大女優になっているグウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)が、ブラッド・ピットの恋人であったことはよく知られている。

事件は彼女がまだ売れていない22歳の頃に起こった。彼女はワインシュタインの映画『エマ』で初めての配役をもらい、胸を弾ませて準備を整えていた。すると、彼女はミラマックス・スタジオのボス、則ちワインシュタインからビヴァリー・ヒルズにあるペニンシュラ・ホテルのスウィート・ルームに来るよう命ぜられた。「打ち合わせ」という件でやって来たグウィネスは、そこで“予想外”の体験をすることになる。

ワインシュタインは彼女の体に手を掛け、ベッドルームで例の「マッサージ」をしてくれるよう仄(ほの)めかしたというのだ。まだ、駆け出しの役者だった彼女は、未知の恐怖で凍りついたという。


左: グウィネス・パルトロー
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右: グウィネスとブラッド・ピット
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  だが、グウィネスは意思が強かったのだろう。彼女はボスの誘いを断った。そして、当時付き合っていたブラッドに「事件」を打ち明けたそうだ。激怒したブラッドはワインシュタインに詰め寄り、彼の胸を指で突きながら「二度と彼女に手を出すんじゃないぞ !」と脅したらしい。さすが、ブラッド・ピットだ。単なるハンサム青年じゃない。男はこうでなくっちゃ。「どうぞ、心ゆくまでご賞味ください」なんて言う男は最低だ。

ブラッドはハリウッドの大御所に対して怯まなかったところが凄い。その後、グウィネスと会ったワインシュタインは、彼女に「あの事を他人に喋るんじゃねえぞ !と釘を刺したそうだ。『エマ』に出演していたグウィネスは、もし誰かに喋ったら役を降ろされるんじゃないかと心配していたらしい。案の定、ワインシュタインは腹癒せに彼女をしょっちゅう怒鳴りつけていたそうで、クウィネスには拷問のような日々であったそうだ。

(Raechal Leone Shewfelt, "Gwyneth Paltraw, Angelina Jolie, and others say Harvey Weinstein harassed them", Yahoo Celebrity, October 11, 2017)

左: ジェニファー・アニストンとブラッド
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右: ブラッドとアンジェリーナ・ジョリー
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  ブラッド・ピットがグウィネスと別れた後、女優のジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)と付き合い、結婚寸前まで漕ぎ着けたというのは広く知られている。しかし、その二枚目俳優を美人女優のアンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)が掠奪する形で、そのハートを射止めたことも有名だ。

ところが、このアンジェリーナもワインシュタインの被害者だった。彼女は若い頃、この助平プロデューサーからセクハラを受けたそうで、それ以来、ワインシュタインとの仕事を拒絶し、他の女優にも警告を発していたそうだ。ただし、夫のブラッドはワインシュタインの映画『イングローリアス・バスターズ』に出演していた。何故かと言えば、監督が友人のクウェンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)であったから、しぶしぶオファーを受け容れたのだ。(現在、ブラッドはアンジェリーナと離婚しているから、「元夫」になっている。)

左 ルイゼット・ガイス
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  ワインシュタインの話をすると、もう厭になってくるし、吐き気がする。でも、省略できない事件があるから意地でも紹介したい。女優で脚本家も務めるルイゼット・ガイス(Louisette Geiss)は、ワインシュタインの「奇行」を暴露した。

2008年、彼女がサンダンス映画祭に出席し、映画の売り込みを行っていた時の事だ。彼女はワインシュタインのオフィスに行き、そこで映画について彼と話をしていた。ワインシュタインは彼女の作品に大変興味を示していたのだが、30分くらい経った頃、彼は席を外し、浴室の方に行ってしまった。ところが、戻ってきたワインシュタインはバスローブ姿に着替えていたという。しかも、前の部分がチラリと開いているんだから唖然とするじゃないか。

彼は映画の話を続けてくれとルイゼットに告げたというが、彼は隣に設置されている浴槽に入ったそうだ。彼女は驚いたが、仕方なく話を続けることにした。

  すると、信じられない事が起こった。調子に乗ったワインシュタインは、マスターベーションするから見ていてくれ、と彼女に告げたのだ。日本人女性なら、「えっっっ、何?! 冗談でしょ !」と声を荒げてしまうだろう。本当に信じられないが、バスタブに浸かるワインシュタインは、自慰行為を見物して欲しかったそうである。

呆れたルイゼットは、即座に「帰る !」と言い出し、自分のバッグを手にして部屋を出ようとした。すると、ワインシュタインが追いかけてきて、彼女の腕を摑み、浴室に連れ戻すと、再度ルイゼットに「観ていてくれ」とせがんだそうだ。

(Raechal Leone Shewfelt, "Gwyneth Paltraw, Angelina Jolie, and others say Harvey Weinstein harassed them" )

もう、ワインシュタインは「アホ」を通り越して「病気」である。「病膏肓(やまい・こうこう)に入る」と言うが、ワインシュタインの場合、内臓だけじゃなく、脳幹の奥にまで病が進行していたんじゃないか。

  テレビ局で仕事をしていたジャーナリストのローレン・サヴァン(Lauren Sivan)も、十数年前、同様の“おぞましい”事件に遭っていた。彼女がキューバ風のクラブ兼レストランである「カフェ・ソシアリスタ」に招かれた時だ。ワインシュタインは彼女を店のキッチンに連れ出し、厨房に居たスタッフを追い払うと、ローレンにキスをしようとした。彼女がワインシュタインを押しのけ、そのセクハラを拒絶すると、彼は後ずさりして次のように言ったという。

「いいか、君はそこに立って、黙っていれはいいんだ」と。

彼は厨房の出口を塞ぐと、おもむろに自分のペニスを取り出し、マスターベーションを始めたという。この変態野郎は興奮が絶頂に達したので、すぐ側にあった植木鉢に射精したそうだ。

(Harvey Weinstein Allegedly Masterbated in front of a TV Reporter, Ejaculated into a neaby Potted Plant", Perez Hilton, October 7, 2017)

左: ローレン・サヴァン
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中央と右: アンジー・エヴァーハート
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  ワインシュタインは他の女性に対しても、同様の異常性癖を“披露”していたようで、トップ・モデルのアンジー・エヴァーハート(Angie Everhart)も被害者であった。彼女はKLOSラジオに出演した際、自身の体験を物語っていたという。

数年前、彼女がヴェニス映画祭に参加した時、ワインシュタインと一緒に船に乗船したことがあるそうだ。彼女が部屋で寝ていると、ふと誰かが側に居ることを気づいた。何と、ワインシュタインがベッドの脇に立っており、彼女の面前でマスターベーションをしていたというのだ。「きゃゃゃー !!!!」と絶叫したかどうかは定かではないが、アンジーが恐怖で凍りついたのは確かである。

(上掲記事 Peter Mikelbank, "Harvey Weinstein Allegedly Threatened to Destroy Bond Star Eva Green After She Refused His Sexual Advances")

これって、四谷怪談より怖いじゃないか。枕元に幽霊じゃなくて、変態のユダヤ人が立っていたなんて。

  もう、嫌だ。言葉が出ない。人間の屑だ。こんな奴が尊敬を集める業界人だなんて信じられない。ワインシュタインには羞恥心が無いのか? 被害者女性もさることながら、彼の妻であるジョージナ・チャップマン(Georgina Chapman)と二人の子供が不憫だ。夫人の方は悪い男を選んだとして諦められるが、娘のインディア・パールはまだ7歳だし、息子のダンシェルは4歳だから、二人の人生を考えれば気が重くなる。また、ワインシュタインには前妻との間に三人の子供がいるから悲惨だ。長女のレミーは22歳で、次女のエマは19歳、末っ子のルースは15歳だから、まだ多感な時期である。マスコミによる連日の報道で、父親の醜態が世間にバレたんだから、彼らが学校に行きたくないとグズっても無理はないだろう。ワインシュタインは治療に取り組むと発表していたが、そんなことで家族の屈辱感が消えるのか? ユダヤ教では自殺が禁止されているけど、潔く「腹を切れ」と言いたくなる。


左: ジョージナ・チャップマン
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中央: ワインシュタイン夫妻
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右: ハーヴェイと娘のインディア・パール
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日本でも起こりうる事件

  我々は米国での醜聞を耳にして、対岸の火事と思いがちである。しかし、我が国の藝能界だって異民族に支配されるという恐怖は存在するはずだ。例えば、朝鮮系の大物プロデューサーとか、大手プロダクションの重役とかが、若い歌手や女優の卵などに目を附け、権力を用いて手込めにしようと目論むかも知れない。

日本の藝能界は驚くほど閉ざされた社会で、主要な藝能事務所が仕切っている。個人の歌手や俳優が勝手に活動できないし、独立の動きを見せれば直ちに潰されるか、干されるかのどちらかだ。事務所と個人の「契約」と言えば聞こえが良いが、実質的には「隷属」を強いる承諾書に過ぎない。「自動更新」なんて実質的に奴隷契約だ。

だから、助平な藝能業界人が美人女優に手をつけても、その被害者女性は抵抗できないし、強姦とかセクハラで訴えることもできない。暴力団に囲われた娼婦と同じである。もし、告発したら藝能生命が絶たれてしまうし、たとえ示談に漕ぎ着けても、その後の処遇がどうなるか判らない。もしかしたら、「来るはず」の役どころがキャンセルされて、出演している番組からも降ろされてしまう可能性だってある。そして、いつの間にか仕事が減ってくるという恐怖もあるんじゃないか。

権力者の「誘い」を断れば、こうした“仕置き”が待ち受けていると思えば、“成功”を目指す若手女優は助平ジジイからの“性交”を拒めないだろう。しかも、こうした下郎のバックにはヤクザが控えていたりするから尚更だ。


左: ブライス・ダナー
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右: 両親のブライスとブルースと一緒のグウィネス
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  ワインシュタインに犯されたり、恐怖の瞬間を味わった女性にも、両親や兄弟がいるはずだが、その家族は今どう思っているのか? 例えば、グヴィネス・パルトローの母親は女優のブライス・ダナー(Blyth Danner)で、亡くなった父親のブルース・パルトロー(Bruce Paltrow)は映画のプロデューサーだった。父のブルースは2000年に映画『デュエット(Duets)』を制作し、娘のグウィネスを主演に据えていたが、娘の過去を知っていたのかどうか判らない。ただ、映画界にはトンデモない野獣がいるということだけは知っていたはずだ。

母親のブライスも若手女優を食い物にする映画関係者がいることを知っていたはずだから、娘の災難は予測できたはずなのだが、子供の藝能界入りを阻止できなかった。

アンジェリーナ・ジョリーの両親だって判っていたはずだ。彼女の父親は有名俳優のジョン・ボイド(Jonathan V. Voight)だし、今は亡き母親のマルシア・リン・ベルトランド(Marcia Lynn Bertrand)もカナダ人女優だったから、藝能界の危険性を承知していたはずである。


中央: アンジェリーナ / 右: マルシア・リン・ベルトランド
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  一方、藝人となった日本人の親はどうなのか?

二世藝人の親はともかく、藝能界とは係わりを持ったことの無い者がほとんどだろう。一般的に、実家の両親は娘がテレビや映画で活躍する姿を観て喜ぶが、その裏で凌辱されているなどとは夢にも思わない。セクハラを受けた娘だって両親に心配をかけたくないから黙っているし、警察沙汰にもできないから、「事件」は闇に葬られるのがオチだ。

でも、愛する娘が朝鮮系のゲス野郎に犯されたと知った父親はどう思うのか、ちょっと興味がある。

大抵の親は泣き寝入りするだろうが、中には復讐を誓う父親が出てくるかも知れない。日本人のクズでさえ嫌なのに、朝鮮人のケダモノに我が子を犯されたら殺したくなる。したがって、娘を凌辱した変態に対しては、バックハンド・ブローとか下段蹴りくらいじゃ気が治まらない。やはり、相手のアゴに膝蹴りを数発とか、二度とセックスが出来ないように股間を踏み潰したりすべきだ。

まぁ、ホドリゴ・ノゲイラ風にアナコンダ・チョークとはいかなくても、拳の鉄槌で相手の鼻か肋骨をへし折るとか、マウント・ポジッションで肘(ひじ)を顔面に突き刺すとかしたいだろう。法律的には傷害罪となるが、日本人の感情としては当然の「報い」となる。

  娘の藝能界入りを許す親は、見知らぬ男に「弄ばれる」ことをも覚悟すべきだ。

日本の藝能界には朝鮮系だけじゃなく、帰化した支那人も参入してくるから、可愛い娘は「格好の餌食」となるだろう。

自宅でぐーすかイビキをかいて寝ている父親は、箱入り娘が裏でこっそり犯されても気づかない。追い詰められた娘の前で、変態プロデューサーがその穢らわしい精子を娘に吹き掛けるなんて、想像するのもおぞましいじゃないか。

日本人に怨みを抱く朝鮮系や支那系のプロデューサーだと、「性奴隷を弄んだ日本人への復讐だ !」なんて言い出しかねないぞ。やはり、藝人の娘を持つ親は、“イザ”という時に備えて、必殺仕置人とかを雇っておかなくっちゃね。
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ユダヤ人が弄ぶ淫売白人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の巣 (前編)
役者は売春婦と同じ職業
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580121.html

  ナチス時代以前のドイツでも、甘言を使って白人娘をたぶらかすユダヤ人が、よく小説や風刺画の主題になったのもである。現在だと1940年に制作された『ユダヤ人ズース(Jew Süß)』が反ユダヤ主義映画として有名だ。これはウィルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff)原作の小説を基にして作られた作品で、ヴィッテンベルクのカール・アレグザンダー公爵に仕えたヨセフ・ズース・オッペンハイマーという宮廷ユダヤ人がモデルになっている。

映画の中では、貪欲なユダヤ商人ズースが貴族に近づき権力を得るや、一目惚れしたアーリア人女性に言い寄り、遂には自殺にまで追い込むというストーリーが挿入されていた。

つまり、この作品の中には、美しく純粋なゲルマン人娘に下劣で醜いユダヤ人が近寄り、お金に物を言わせて性的に征服するんだ、という警告が含まれている。こんなプロパガンダ映画を観たユダヤ人は、「ナチスによる人種偏見だ」、「反ユダヤ主義者による差別だ」、と怒り狂うだろうが、1970年代以降のハリウッド映画を観ていると、あながち嘘だとは思えない。アメリカの映画界を独占するユダヤ人が制作する作品には、ユダヤ人男優が西歐系白人女性を手込めにする物語が矢鱈と多いのである。


  セム種族の遺伝子をふんだんに持つ異邦人にとって、西歐系白人女性を手込めにするのは、「成功の証(あかし)」である。

よく、高校時代にモテなかったユダヤ人少年が、可愛いチアリーダーを恋人にする白人の同級生を羨み、「いつかはオレも」と思いながら勉強に励むことがある。しっかりと猛勉強して金融業界とか法曹界に入り、大金を稼ぐようになると、秘書として雇った西歐人娘と情事を重ねたり、パーティーで知り合った白人美女を妻にしたりする。これがいわゆる「トロフィー・ワイフ」で、社会的地位を築いたユダヤ人ビジネスマンの自慢となる。

例えば、「ワンダー・ウーマン」で人気女優となったリンダ・カーター(Lynda Carter)と結婚したロバート・アルトマン(Robert Altman)が有名だ。1991年に彼が法律顧問を務めていたBCCI(国際金融商業銀行)が、不法営業や不正疑惑で非難された時、カーターは夫のロバートにくっついて公聴会に顔を出していた。たぶん、当時のニュース映像を覚えている方も多いんじゃないか。きらびやかな美人妻が、冴えない男に付き添っていたのだ。嫌でも目に入る。

しかしながら、CIAの裏工作や資金洗浄を手助けしていたアルトマン見ていると、やっぱりユダヤ人って金融業がよく似合っているなぁ、と思えてくる。序でに言えば、BCCIでアルトマンの相棒にsっていたのは、あの元国防長官クラーク・クリフォード(Clark Clifford)であった。


左: リンダ・カーター
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中央: ロバート・アルトマンとリンダ夫人
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  ハリウッドがユダヤ人によって創設され、隅々まで支配されいることは、多くの知識人やジャーナリストが明らかにしている。例を挙げれば、『The Empire of Their Own』を執筆したニール・ギャブラー(Neal Gabler)とか、ユダヤ人記者のジョエル・シュタイン(Joel Stein)などが有名だ。また、若手のユダヤ人論客ベン・シャピロー(Ben Shapiro)がハリウッドの大物に会ってインタヴューを行い、「プライムタイム・プロパガンダ(Primetime Propaganda)」という本を出版している。

一応、保守派知識人のスタンスを取るシャピロは、著書の中でユダヤ人がいかに左傾化しているか、どのようにテレビ局やマスメディアを牛耳っているかを述べていた。ユダヤ人の中には、権威に楯突くことを趣味にしている人物が多いから、我々は時たま貴重な証言を聞くことが出来てしまう。例えば、左翼系作家のアプトン・シンクレア(Upton Sinclair)は、ハリウッドのユダヤ人がどのように白人娘を扱っていたかについて述べていた。彼は女優たちの事に触れ、

「ユダヤ商人はキリスト教徒の乙女を売春婦や妾として売りさばいたよなぁ。今日でも私が住む南カルフォルニアで、同じ活動を展開しているんだよね」

と語っていたのだ。うわぁぁぁ !! こんなこと言ったらアメリカでは自殺行為だぞ。でも、悪名高い左翼組織のACLUに属していた過激派だから、悪魔のようなユダヤ人に対して遠慮が無い。さすが、ユダヤ人と同類の白人左翼には度胸がある。「勇気」という掛け声だけは“いっちょ前”の保守派論客とは出来が違う。ユダヤ人からの批判にびくともしないんだから、日本人はこうした図太いアメリカ人左翼に学ばなきゃ。


(左: アプトン・シンクレア / 中央: ニール・ギャブラー / 右: ベン・シャピロー)

  「紙の爆弾」を投げつけるのは、何も左翼活動家ばかりとは限らない。映画「ハムナプトラ」や「ナイロビの蜂」で人気女優となったレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)が、意外な発言を行っていたのである。

彼女はハンガリー系ユダヤ人の父親とカトリック信徒だったイタリア系オーストリア人の母親(後にユダヤ教に改宗)との間に生まれたユダヤ人娘である。英国籍を持つレイチェルは、ケンブリッジ大学に進んだ才女で、私生活では一度目の結婚で息子を産んだあと離婚し、「007」のボンド役俳優で脚光を浴びたダニエル・クレイグと再婚したことは記憶に新しい。彼女はユダヤ人ジャーナリストのエマ・フォレストにインタヴューを受け、ハリウッドがユダヤ人によって仕切られている事実を語っていた。エマが

「ユダヤ人の民族性が役者の枠を縮めてしまう事があるのか?」

と尋ねると、レイチェルは以下のように答えていた。

  まあ、いつもそう感じるんだけどけど、私たちユダヤ人はエキゾテックであることから逃れることができるのよ。私たちは一種の偽装したユダヤ人なの。大きな鉤鼻と太った顔があなたにも影響を与えているのよ。それを認めるって怖いじゃない。

  対するエマはこう述べる。

  そうね、ジャッーキー・メイソンが或るジョークを言っていたわ。ユダヤ人のように見える事を欲する女性なんか一人もいない、てっね。「もしかしたら、あなたはは私が可愛いイタリア人と思うかも知れないし、私はロシア人に見えるかも。たぶん、スペイン人に見えるのかしら。・・・・でも、やはりユダヤ人に見える」だって。


左: レイチェル・ワイズ
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右: 夫のダニエル・クレイグと一緒のレイチェル
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  まぁ、ユダヤ人は根本的にヨーロッパ人と違うから、どうしてもユダヤ人的な人相が目立ってしまう。ただ、昔から様々な国に住みついて、現地人と結婚したりするから、ユダヤ人的容姿が薄くなることがよくある。レイチェル・ワイズの場合、中東系のセム種族というより、チェコかハンガリーに住むヨーロッパ人女性のように見える。しかし、それでもハリウッドの映画会社はなるべくなら、売り出す役者をヨーロッパ人のように見せたい。ユダヤ風の名前だと響きが悪いから、ユダヤ人と分からぬよう英国風に変えてしまうことがよくある。

映画ファンの間で知られているのは、ロシア(ベラルーシ)からの移民「イサー・ダニエロヴッチ(Issur Danielovitch)」から改名した「カーク・ダグラス(Kirk Douglas)」、ジェイミー・リー・カーティスの父親は有名な「トニー・カーチス(Tony Curtis)」だが、元の名前は「ベルナルド・シュワルツ(Bernard Schwartz)」だ。

レイチェルも19歳でアメリカに進出した時、エージェントから「ワイズ」という姓を変えろと勧められたそうだ。そこで、彼女は「どうして? ユダヤ人がハリウッドを牛耳っているから? 」と尋ねた。彼女のエージェントは「そうだよ」と答えたそうだ。ところが、その理由がとんでもなく凄いものだった。彼によれば、映画会社の重役たちは「役者」を「シクサ(shiksa)」がする職業と考えていたのだ。


左: カーク・ダグラス
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中央: トニー・カーチス
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左: 娘のジェイミー・リー・カーチス
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  ところで、この「シクサ」とはいったい何か?

普通の日本人なら、まず聞いたことがないだろう。ユダヤ人の言葉たるイデッシュ語で、「不浄な動物」、つまり異教徒(ゴイム/家畜並みの人間)の女性を意味する侮蔑語なのだ。具体的に言えば、異教徒、特にキリスト教徒の女、すなわち淫売のように“ふしだらな”女を指している。

神様に選ばれし清らかなユダヤ人にとったら、いくら演技とはいえ、人前で丸裸になったり、見知らぬ男とセックスして雌犬の如く喘ぎ、雌牛みたいに乳房を揉まれたりする西歐人の女は、穢らわしい売春婦なのだ。

したがって、演技というものは貞淑なユダヤ人女性では、とても出来ない淫乱な仕事という訳である。

エマによると、世界中にいる自己嫌悪のユダヤ人の中で、ハリウッドのユダヤ人が一番自らを嫌っているユダヤ人らしい。彼らは銀幕に映る彼ら自身の姿を見たくないのだ。

だから、ローレン・バコール(Lauren Bacall)は素性を隠したし、ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)は「ホロウッツ(Horowitz)」というユダヤ名を「ライダー」に変えてしまったそうだ。


左: ローレン・バコール
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ウィノナ・ライダー
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右: ドリュー・バリモア
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  レイチェル・ワイズの発言は更に衝撃的なものだった。

  ある意味、演技というのは売春なのよね。ハリウッドのユダヤ人達は、同胞の女性がそんな事に関与するなんて、嫌でたまらないのよ。それと、「ポートノイの不平」的要素もあるのかも。(フィリップ・ロスの小説で、露骨な性的表現が問題となった。) ハリウッドのユダヤ人たちは、ブロンドのアーリア人を夢見ているのね。(Emma Forrest, Rachel Weisz, Index Magazine)

  ハリウッドに巣くうユダヤ人は、大勢の前で淫乱な演技をするのは金髪のゲルマン人女性に限る、と思っていたのだ。しかし、そうした侮蔑とは裏腹に、彼らは憧れの人種に恥ずかしい性的行為をさせて興奮していたのである。

ただ、ユダヤ人の監督やプロデューサーはヨーロッパ人同士のセックスでは癪に障るから、白人の男優をユダヤ人の男性に替えて、白人美女と性的行為をさせて、あたかも自分が美人女優とセックスをしているかのような白昼夢に耽るのだ。

現実の世界では、ユダヤ人男性がアーリア系美女を恋人に出来ることは限らないから、映画の中でその願望を実現させているのだろう。

例えば、ユダヤ人男優のアダム・サンドラーが主演を果たした「ウェディング・シンガー(The Wedding Singer)」では、恋人役にドリュー・バリモア(Drew Barrymore)が起用されていた。「クリック」ではこれまた美人女優のケイト・ベッキンゼール(Kate Beckinsale)が共演者になっている。


左: ケイト・ベッキンゼール
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右テリー・ポロ
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  精神分裂症患者がよく似合うベン・スティラーは、「ミート・ザ・ペアレンツ(Meet the Parents)」に出演し、恋人役は白人女優のテリー・ポロ(Teri Polo)が務めていた。彼女は裕福な中流階級のご令嬢で、父親役のロバート・デ・ニーロに溺愛されている、とう設定だった。そこにユダヤ人看護師役のベンが婚約者として現れ、一悶着起こすというストーリーである。

何とも興味深いのは、ベンの両親役にユダヤ人のダスティン・ホフマンとバーバラ・ストライサンドが起用されていたことだ。映画の中では、この両親がヒッピー世代の左翼崩れという設定になっていたから愉快だ。ユダヤ的ユーモアがちゃんと混ぜてあった。


左: バーバラ・ストライサンド
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ダスティン・ホフマン
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  サンドラーとスティラーの大先輩で、人気コメディアンのビリー・クリスタル(Billy Crystal)は、「恋人たちの予感(When Sally Met Harry)」に主役として出演し、恋人役のサリーにはメグ・ライアンが抜擢されていた。ユダヤ人たるビリーの恋人役ならロジー・オドンネル(Rosie O'Donnell)くらいが適役なんじゃないか。ベン・スティーラーが出演した「ポリー my love (Along Came Polly)」では、これまた金髪女優のジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)が共演。ジェニファーは人気TVドラマ「フレンズ」でも、ユダヤ人男優のデイヴッド・シュワイマー(David Schwimmer)と恋仲になるレイチェルを演じていた。でも、私生活ではブラッド・ピットと付き合っていたから、現実と虚構とのズレは著しい。


左: ロジー・オドンネル
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メグ・ライアン
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ジェニファー・アニストン
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右: メラニー・グリフィス
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  だが、こんな恋愛コメディーで驚いてちゃいけない。メラニー・グリフィス(Melanie Griffith)が主演した映画「刑事エデン/追跡者(A strager among us)」では、メラニー扮する女刑事エデンが犯人を追って、ニューヨークのユダヤ教徒コミュニティーに潜入し、ユダヤ教の神秘主義者であるアリエルに恋をする設定になっていたのだ。

大都会に暮らす遣り手の女刑事が、不気味なユダヤ人の聖書研究家に惚れるなんて、普通じゃ絶対あり得ない。しかも、その現実派の世俗的警察官が、金髪の北歐美人ときている。もう呆れてしまうというか、設定じたいが無茶というか、ユダヤ人の妄想には付き合いきれない。ニューヨークに暮らす実際のユダヤ教徒の中にも、白けてしまうしまう者がいたんじゃないか。


左: 好ましいアーリア系女性
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右: ユダヤ人の役者
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  日本人女性からすれば、フィクションの世界で願望を実現化させるユダヤ人なんか、気色の悪い変態にしか見えないが、ユダヤ人制作者はゲルマン美女にエッチな行為をさせて、それを覗きながら自慰(マスターベーション)を行うのが好きなのだ。

もっとひねくれたユダヤ人監督になると、白人男性に復讐しようとして、わざと黒人男優を選び、白人美女とセックスさせる設定にしているのだ。

つまり、傲慢な白人男性の娘を、穢らわしい黒人に抱かせることで、ユダヤ人をイジメてきた白人どもを侮辱しているのである。白人の父親にとって、娘が黒人とセックスするなんて死ぬより辛いことなのだ。

だから、ユダヤ人は「人種平等」という大義を掲げ、白人と黒人との性交だって許容されるべし、と訴えている。

(しかし、そう叫んでいるユダヤ人でも黒人と結婚する者は稀で、大半は同胞か白人と結婚するのが普通である。人種混淆のニューヨークであれば、黒人とユダヤ人のカップルが多くなるはずなのに、白色系ユダヤ人ばかりなのは奇妙である。人種差別が当然のユダヤ人にしたら、最初から黒人は恋愛対象ではないのだ。)

心優しいユダヤ人は、黒人だから結婚相手にしないというのは道徳に反している、と映像を通して白人娘たちに刷り込んでいる。彼らが作る映画やドラマで、異人種間セックスのシーンが多いのは、白人を遺伝子レベルで撲滅してやろう、と謀っているからだ。

こうやって平和裏に報復を遂げたユダヤ人は、ついでに大金を稼いで儲けているんだから笑いが止まらないんだろう。


西歐人女性
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右: ユダヤ人男性
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  一方、アメリカの無力な白人男性は、ユダヤ人に腹を立てても財力に乏しいから蟷螂(とうろう)の斧に等しい。せいぜい、ラジオのトーク番組に電話を掛けて、日頃から溜まった鬱憤を晴らすしかないのだ。

米国の主流メディアは皆ユダヤ人に押さえられているので、地方のラジオ局くらいしか自由に発言できる場所がないのだある。これがアングロ・サクソン系プロテスタントが建てた国家の現状である。涙がこぼれてくるほど哀れだ。

こうした事情を斟酌しないと、なぜマックス・マルティーニ(Max Martini)やトム・ベレンジャー(Tom Berenger)のような顔をした白人が、エンターテイメント界のユダヤ人を憎むのかが分からない。特に、敬虔なキリスト教徒で軍人の父親は、純情な娘に穢らわしい思想を吹き込むユダヤ人が大嫌いで、どんな手段を用いようともユダヤ人の害悪から守ろうとする。藝能界で下劣な作品を作るひ弱なユダヤ人は、こうした白人どもを本能的に嫌っており、映像作品の中で愚弄する事が度々ある。

例えば、北歐系白人男優には人種偏見に満ちた頑固者とか、ネオ・ナチのクズ野郎、馬鹿丸出しの貧乏人、コカインを常用するドラ息子、とかの役をあてがい、知的で正義感のある役にはユダヤ人か黒人を起用したりする。

よく、優秀で善良なFBI捜査官の役を黒人が演じているのは、一部にこうした理由が潜んでいるからだ。


ウッディー・アレンの淫売たち

左: ウッディー・アレン
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  西歐系アメリカ人が「ユダヤ人で有名な人物は誰か?」と訊かれたら、ウッディー・アレン(Woody Allen)の名を挙げる人も多いだろう。それくらい彼は典型的なユダヤ人の一人である。

そのアレンが最近、「カフェ・ソサエティー(Café Society)」という映画を撮った。あまり面白くない作品だが、出演者だけは一応豪華になっている。主人公はユダヤ人男優のジェシー・アイゼンバーク(Jesse Eisenberg)扮するボビー・ドーフマンで、ハリウッドで一旗揚げたいと望むユダヤ人家庭の息子という役柄だ。彼の家族がこれまた“いかにも”ユダヤ的で“ステレオ・タイプ”の設定になっている。

ボビーの父親マーテは宝石商で、兄貴のベン(コリー・ストール)は犯罪を何とも思わないギャング、妹はマルクス主義者の知識人と結婚していた。そして母親の弟、つまりボビーの叔父であるフィル(スティーヴ・カレル/Steve Carell)はハリウッドの藝能界で仕事をしており、かなりの有力者である。

観客は映画の中でウッディー・アレンがナレーションを務めていることから、彼自分をボビーと重ねていることが分かるだろう。まぁ、ボビーは鏡に映ったアレンといった感じだ。

  父の跡を継いで宝石商になることを嫌がったボビーは、叔父を頼ってハリウッドにやって来た。(やっぱり、ユダヤ人だらけの宝石業界より、きらびやかな西歐人がいっぱいいる藝能界の方がいい。)

叔父のフィルは事務所に来た甥を秘書のヴェロニカ・シヴィル、通称「ヴォニー(Vonnie)」に紹介する。(ヴェロニカ役には人気女優のクリスティン・スチュワートKristen Stewartを使っている。) すると、ボビーはその美しい秘書に一目惚れ。彼はヴォニーと親しくなりたいが、彼女は他に好きな人がいるとボビーに告げる。しかし、その恋人は架空の人物で、彼女の恋人とは叔父のフィルであった。

フィルの権力と財力に魅せられたヴェロニカは、この上司と結婚することに決め、フィルの方も女房と離婚して若き秘書と再婚する。いかにも、ハリウッドで起きそうな再婚劇だ。財産と地位を手に入れた中年重役が、糟糠(そうこう)の妻を棄てて、美人秘書と結婚するんだから。それにちょっと露骨だが、ユダヤ人制作者は同胞の若者に、「ビジネス界で成功すれば西歐の白人美女をモノにできるぞ」、というメッセージを送っているのだ


左: クリステン・スチュアート
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右: 「カフェ・ソサエティー」での一場面
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  一方、ハリウッドでの夢に破れたボビーは、地元のニューヨークに戻り、兄貴のベンと一緒に高級ナイト・クラブを始めていた。そこでベンはヴェロニカ・ヘイズという金髪の南部美人と出逢う。何回かデートを重ねるうちに、二人は結婚するというストーリーになっている。

監督のアレンはボビーの恋人(ブレイク・ライヴリー/Blake Lively)にわざと同じ名前「ヴェロニカ」を授け、しかもユダヤ人を侮蔑するような言葉を吐く役柄にしていた。だが、ユダヤ人を嫌う南部女性なのに、なぜかユダヤ人青年と結婚するような設定にしているから奇妙である。たぶん、ユダヤ人の内面的な素晴らしさに魅了される白人女性にしたかったのだろう。

でも、現実ならブロンド美人がアレンのようなユダヤ人男性に振り向くことはない。これはアレンがつ創り出した虚構だ。


左: ブレイク・ライヴリー
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左: 「カフェ・ソサエティー」の一シーン
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  それにしても、西歐社会に寄生するユダヤ人は、とにかくアーリア系女性が大好きである。

何としても、ユダヤ人を嫌うゲルマン人たちの意識を変えたい。だから、ユダヤ人制作者たちは映画の中に、ゲルマン系美女がユダヤ人の青年と恋に落ちるシーンを挿入し、白人観客の頭に「ユダヤ人とゲルマン人との混淆」を刷り込みたいのだろう。

現実的には、ユダヤ人男優の相手には、サンドラ・ベルンハルド(Sandra Bernhard)やサラ・ギルバート(Sara Gilbert)、メイム・ビアリク(Mayim Bialik)みたいなユダヤ系女優の方が適役だ。多様性を重んずるユダヤ人監督なら、朝鮮系女優のサンドラ・オー(Sandra Oh)やアフリカ系ユダヤ人女優のソフィー・オコネド(Sophie Okonedo)なんかを採用するんじゃないか。

もっとも、西歐系女優を期待するユダヤ人の観客は、現実を見せつけられてガッカリするかも知れない。


左: サンドラ・ベルンハルド
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サラ・ギルバート
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メイム・ビアリク
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右: サンドラ・オー
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  ユダヤ人は同胞に対してメッセージを送るのが好きで、監督のアレンは色々な場面にユダヤ風のジョークをまぶしていた。

例えば、ボビーの兄ベンは殺人の廉で逮捕され、死刑判決を受ける。しかし、ベンはユダヤ人のはずなのに、刑務所内でキリスト教に改宗し、最後は電気椅子で処刑されてしまうのだ。ベンの母エヴリンは息子の死を嘆く。

「私の息子はまず殺人犯になってしてしまい、その次にキリスト教徒になってしまったわ !」と。

映画を観るユダヤ人達は大爆笑間違いなし。キリスト教徒に改宗することは殺人より罪深い、という訳だ。敬虔なキリスト教徒の白人が聞いたら、

「何だ、このユダ公め !! 白人の女を性的なオモチャにして散々もてあそんだ挙げ句、オレたちの信仰を馬鹿にするのか。ゆるせねぇ、ぶちのめしてやる !」

と激怒するだろう。だが、米国ではユダヤ人による差別や侮蔑は罪にならないし、マスメディアから非難されることもない。ユダヤ人仲間のブラック・ジョークには寛大なのだ。これがイギリス系入植者が樹立した共和政の末路である。異邦人が社会の中枢を占めると、どんな事が起きるのか、日本人はよく噛みしめるべきだ。

  それにしても、ボビーの兄ベンをユダヤ人ギャングに設定するところなど、いかにもユダヤ人監督らしい。たぶん、アレンはラスヴェガスのマフィアとか、有名なユダヤ人ギャングのバクジー・シーゲル(Bugsy Siegel/本名はBenjamin Siegel)をモデルにしたんじゃないか。

日本人が挙げるアメリカのユダヤ人といったら、物理学者のアルバート・アインシュタインとかロバート・オッペンハイマー、経済学者のポール・サミュエルソンやミルトン・フリードマンといったことろが定番だろう。

しかし、ユダヤ人には有能なギャングも多く、悪名高いマイヤー・ランスキー(Meyer Lunsky/ 本名Meier Suchowlansky)はポーランド系ユダヤ人であったし、ダッチ・シュルツは(Dutch Schultz/本名Arthur Simon Flegennnheimer)はドイツ系ユダヤ人であった。その他にも、ジェイコブ・シャピーロ(Jacob Sapiro)や賭博や恐喝で才能を発揮したアーノルド・ロスシュタイン(Arnold “the Brain ” Rothstein)も見逃せない。

とにかく、暗黒街で活躍したユダヤ人は大勢いて、日本では何故かイタリア人マフィアばかりが紹介されている。たぶん、アカデミー賞映画の「ゴッド・ファーザー」が印象的だからだろう。

この映画が公開された当時、イタリア系アメリカ人はイタリア系移民への偏見が強まるとして、大規模な抗議デモを起こしたことがある。本来なら、もっと兇悪で狡賢いユダヤ・マフィアの映画を作ればいいのに、ユダヤ人が支配する映画会社は作らなかった。やはり、同類の恥部は隠したいのだろう。


  日本人はウッディー・アレンの映画を観て、これをアメリカでの「他人事」と思うだろうが、こうした洗脳作品の手法を日本の左翼映画人は参考にしているのだ。いずれ日本でも、アジア混血児の俳優が普通に登場し、豪華な商業映画で主役とか重要な役柄を演じることとなるだろう。おそらく、日本社会に於けるアジア人の混在が「当然」のものとして描かれるようになるはずだ。

もう既に、朝鮮系の役者が当り前となっている日本では、半ば朝鮮社会と融合している部分がある。朝鮮系の二枚目男優とか、帰化鮮人系の美人女優とかが、日本の映画やドラマに浸透し、朝鮮人全体のイメージを良くしている。

今は朝鮮らしさを押さえているが、近い将来、朝鮮人家庭の風景がドラマの中で再現されたり、帰化人家庭のホームドラマとか、朝鮮系日本人の苦悩と希望を描いた青春映画、朝鮮人への偏見を扱った恋愛ストーリーなど、様々なジャンルの作品が誕生するはずだ。そうなれば、銀幕を通して日本人観客を洗脳する時代の到来となる。もしかしたら、将来、豊川悦司とか、伊原剛志、金子賢、玉山鉄二、白竜みたいな朝鮮系俳優が増加し、ドラマの中で腐敗した日本人を逮捕する警察官役とか、卑劣な日本人から美女を救い出す好青年を演じるだろう。


  そうなれば、日本人を侮辱するのが当り前となる。さらに、こうした反日作品には、つかこうへいや伊集院静みたいな脚本家が起用され、崔洋一の如き朝鮮系監督が指揮を任される場合だって考えられるのだ。

日本人からの侮蔑を受けながら育った朝鮮系や支那系の監督は、日本人からの陰険な差別に苦しむ「弱者」を主人公にし、冷血な日本人悪役を倒す筋書きを作ったりするだろう。そこに、フィリピン人やタイ人の混血俳優を混ぜて、社会正義を主題とした映画にすることだってあり得る。

無防備な日本人の観客は、井川遥とか安田成美のような朝鮮系女優が、脂ぎった金持ちのジジイとか、あるいは権力を振りかざす一流企業の重役とかに、乱暴されて犯されるシーンを見せつけられたりするのだ。

こうした悪党役には、それに相応しい日本人俳優が採用されたりする。例えば、中尾彬とか塩見三省、八名信夫、今井健二とかの実力派俳優を思い出せば分かるだろう。

大衆は現実とフィクションを混同する癖があるから、悪質な日本人と善良な朝鮮人という馬鹿げた図式を、いとも簡単に呑み込んでしまうのだ。


井川遥
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右: 安田成美
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  確かに、映画はしょせん娯楽作品なんだから気にすることはない、という意見もある。しかし、動画による印象は強烈で、一般観客はお金を払って劇場に足を運ぶ訳だから、自ら影響を受ける準備ができている。しかも、大衆は読書と思索で自らの見識を研ぎ澄まそうとはしない。目に入ってくる面白い映像をそのまま脳味噌に入れ、無意識のうちに洗脳されてしまうのだ。

近頃だと、刺青を彫った人気ミュージシャンや俳優に憧れて、自分の体に同様な刺青を彫る若者が多い。だが、子供を持った女性などは、ヤクザまがいの姿を後悔し、高額な治療費を払ってまでも、その刺青を消そうとする。激痛に耐えて消そうとするが、皮膚に染みついた墨は中々消えず、却ってケロイド状態になってしまい、変色したボコボコの皮膚になってしまう女性だっているのだ。

映画の中では美人女優や二枚目俳優が、格好良い刺青を見せびらかしているが、こんなものはフィクションの世界で作られた幻想であり、現実の世界では犯罪者や下層民の焼き印に等しい。映画制作者には元左翼がうじゃうじゃいるので、自堕落な生活や暴力団まがいのファッションを礼讃する傾向が強い。破壊思想を持つ映画人は、伝統的文化や貞淑な女性像など大嫌いで、この嫌悪感が日本社会への憎悪と結びついて、反日映画を作るようになるのだ。

  本当に、ハリウッドに盤踞するユダヤ人の害悪は尽きない。後編ではユダヤ人達に性的なオモチャにされたマリリン・モンローを取り上げたい。
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モンローの肉体を嘗めたユダヤ人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の糸 (後編)
ゴイム(異教徒)を妻にするユダヤ人
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マリリン・モンロー
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テレビ東京が2013年頃、朝の時間帯に昔懐かしい「奥様は魔女(Bewitched)」を再放送していた。綺麗なカラー映像に修正されたコメディー番組を観た方も多いんじゃないか。

このアメリカ・ドラマは元々、昭和40年代に放送されたシットコム・コメディーで、主役のサマンサを演じたエリザベス・モンゴメリー(Elizabeth V. Montgomery)とダーリン役を演じたディック・ヨーク(Dick York)は今でも有名だ。義母のエンドラを演じたアグネス・モアヘッド(Agnes Moorehead)も意地悪の魔女が板に付いていて、とても印象に残る女優であった。米国にはこういった雰囲気を醸し出す、憎いくらい上手な演技をする脇役がいるからすごい。人気ドラマ「ダイナスティー」のジョアン・コリンズ(Joan Collins)みたいな実力派がいるから、ややもすると緩みがちな連続ドラマが引き締まる。

ちなみに、今回「奥様は魔女」を調べてみたら、日本版も制作されていたそうで、人気女優の米倉涼子がサマンサ役を演じていたそうだ。知らなかった。まさか日本人バージョンがあったなんて。観てないから何とも言えないが、おそらく駄作なんじゃないか。日本人がアメリカドラマを模倣して成功した例は少ないだろう。

ドラマじゃないけど、以前に野口五郎がサンタナのヒット曲「スムーズ(Smooth)」を拝借し、「恋はメラメラ」という題にして唄っていた。サンタナのオリジナル版では、人気歌手のロブ・トーマス(Rob Thomas)を起用して素晴らしい出来だったが、野口五郎の方は一度聴けば恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるほどの代物である。元曲をあれほど無惨にしたカヴァー曲も珍しい。


  脇道に逸れたから話を戻すと、ドラマの中で美人妻を演じたエリザベス・モンゴメリーは、何とプロデューサーのウィリアム・アッシャー(William Asher)と結婚していたのだ。

彼はユダヤ人の父親とカトリック信徒の母親を持つユダヤ系アメリカ人だが、ユダヤ人支配のハリウッドでは一般的にユダヤ人制作者と見なされていた。

我々とってショックなのは、貞淑な妻を演じていたエリザベスが、私生活では同性愛者や妊娠中絶を支持する筋金入りの左翼活動家であったことだ。確かに、「奥様は魔女」の中にも人種差別を取り上げたエピソードがあって、黒人を対等に扱うサマンサの姿があった。今から思えば、1960年代後半から1970年代にかけて放送されていた番組だから、リベラル色が強くてもしょうがないと考えられるが、「奥様は左翼だった」じゃ笑えない。

それにしても、売れっ子女優がユダヤ人プロデューサーと結婚するなんて、いかにもハリウッドらしい現象である。もし、彼女が一般人女性のままだったら、ユダヤ人と結婚せずに普通の白人男性と結婚していたんじゃないか。

こんな異人種間結婚を見ているから、ユダヤ人に警戒心を抱く西歐系白人や、藝能界に入りたがる娘を叱る親がいるのだろう。仔羊を狼の群れに解き放つようなものだから、まともな親が反対するのも無理はない。それに、生まれてくる孫がユダヤ人の血統なんて考えただけでも恐ろしい。


左: エリザベス・モンゴメリー
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中央: ウィリアム・アッシャー
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右: 「奥様は魔女」
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マリリン・モンローを取り巻くユダヤ人

  ユダヤ人がうじゃうじゃいるハリウッド村は、藝能界というより匪賊や傭兵がたむろする無法地帯と考えた方が的確である。こんな蟻地獄に入って行く若者が跡を断たないんだから、エンターテイメント業界は麻薬に満ちた魔界と呼んでもいい。

米国史の中でも輝かしい1960年代、後世に名を残すこととなった人気女優マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)も、ユダヤ人の魔の手に落ちた悲惨な一例であった。

父親は不明だが、グレイディス・パール・ベイカー(Gladys Pearl Baker)の娘として生まれた、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jean Baker)は、義父の「モンロー」姓をつけて藝能界にデビューした。

彼女はラルフ・グリーンソン(Ralph Greenson/ 本名Romeo Greenschpoon)という名うてのユダヤ人を自分の精神科医として雇っていた。このユダヤ人はモンローが自殺した時のセラピストであった。彼はマリリンの精神を安定させるために、過度な薬物治療を行っていたらしい。何かマイケル・ジャクソンに「プロポフォル(propofol)」を過剰投与したコンラッド・マレー(Conrad Murray)医師を思い出してしまう。

こんな麻酔薬(鎮静薬)を個人の邸宅で与えてしまうなんて信じられないが、アメリカという異常な国では非常識が罷り通る。たぶん、グリーンソンも自信満々の医師で、どんどん睡眠導入剤や鎮静剤をマリリンに与えていたのだろう。彼女の友人が証言していたが、マリリンはグリーンソンに会えば会うほど衰弱していったそうだ。


  マリリンの周りには矢鱈とユダヤ人が多かった。グリーンソンの妹エリザベスは、ユダヤ人ミルトン・ミッキー・ラディン(Milton “Mickey ” Rudin)と結婚しており、そのラディンは有力な人脈を持ち、エンターテイメント業界で活躍する法律家であった。そして、彼はマリリンの顧問弁護士も務めていたのである。彼女と昵懇の出版業者アーサー・ジェイコブズ(Arthur Jacobs)や、娯楽企業のMCAで彼女のエージェントを務めるジェイ・カンター(Jay Kantor)とモート・ヴィナー(Mort Viner)もユダヤ人だった。

出演作でもユダヤ人監督に重宝されており、「七年目の浮気」や「お熱いのがお好き」ではビリー・ワイルダー(Billy Wilder)が監督だったことは有名だ。「恋をしましょう」だとジョージ・クコー(George Cukor)が監督で、「帰らざる河」ではオットー・プレミンジャー(Otto Preminger)が総指揮を執っていた。マリリンの個人マネージャーのナターシャ・ライテス(Natasha Lytess)もユダヤ人で、いつも一緒にいたから、二人はレズビアンの関係か、と疑われるくらいだった。また、ユダヤ人写真家のミルトン・グリーン(Milton Greene)も、マリリンのマネージャーになって親しく付き合っていたから、彼女との仲を噂にする者もいたという。


  売春の伝統が根強い韓国では、体で仕事を取る藝能人が多いそうで、悲惨な運命を辿った女性も少なくない。

我が国の藝能界でも所謂「枕営業」があるそうで、さほど人気のない女性藝人は、演技力や歌唱力よりも、有力制作者とか大御所に体を提供して、望む仕事を獲得するらしい。

マリリン・モンローも名声と幸運を摑むために、誰彼となくベッドを共にしたという。

ユダヤ人が跋扈(ばっこ)するハリウッドだから、マリリンが「春」を売った相手も当然ユダヤ人だった。ユダヤ人のテッド・ジョーダンによると、マリリンはキャリアを進展させる為なら誰とでも寝たそうだ。

(Ted Jordan, Norma Jean: My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.121)

また、アンソニー・サマーズ(Anthony Summers)によれば、彼女がフォックス社と最初のコンタクトを持った時、そのキーパーソンはベン・リヨン(Ben Lyon)で、彼もマリリンと性的関係を持っていたらしい。シェイラ・グラハム(Sheila Graham)も、マリリンが未来のキャリアの為にリヨンと寝たことを述べている。

マリリンの肉体を堪能したリヨンは、キャスティング・ディレクターのソル・ウルツェル(Sol Wurtzel)を呼びつけ、「デインジャラス・イヤーズ」という1947の映画で使ってやれと命じ、マリリンはちょっとした脇役を与えられたという。何とも生々しい裏話だが、藝能界って多かれ少なかれ、こんな横槍が入ってくる。

大物プロデューサーがいきなり素人の小娘をドラマに押し込んだり、ニュース番組の「お天気お姉さん」に任命したり、とやりたい放題の横暴をはたらく。周りのスタッフは大迷惑だけど、有力者に睨まれたら自分の出世が危なくなるから、長いものに巻かれてしまうのだ。

視聴者だって、あまり人気のない女優がどこからともなく新ドラマに抜擢されるから、「どうしてこんな女優が、いきなり重要キャストに抜擢されたんだ?」と訝(いぶか)しく思うだろう。でも、「大人の事情」が絡んでいるから仕方がない。


中央: ナターシャ・ライテスとマリリン・モンロー
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  「美女と野獣」という映画があったけど、美女のマリリンに群がる野獣は本当に多かった。

被服業界の大御所たるヘンリー・ローゼンフェルド(Henry Rosenfeld)も、白くて美しい肌を嘗(な)めた薄汚いユダヤ人の一人だった。彼はアトランティック・シティーにある自宅にマリリンを招き、自分のスピード・ボートに乗せて、甘い一晩を過ごしたそうだ。

マリリンは映画業界で顔が利く、悪名高いユダヤ人ギャングのバグジー・シーゲル(Bugsy Siegel)とも寝ていたらしい。彼の伝記は映画化されたので、このシーゲルについて知っている日本人もたくさんいるんじゃないか。日本もそうだが、藝能界と暴力団は裏で繋がっているから、堅気の人間が毛嫌いするのも分かる気がする。


マリリンのセックス・ライフは10代の頃から既に始まっており、17歳の時にはテッド・ジョーダン(Ted Jordan / 本名 Edward Friedman)と交際していて、彼は後に『ノーマ・ジーン』という本を書いて、マリリンとの性生活を暴露していた。

このジョーダンにはテッド・ルイス(Ted Lewis / 本名 Theodore Leopold Friedman)というミュージシャンの叔父がいて、マリリンはこのルイスとも寝ていたというのだ。彼女が麻薬を覚えたのは、このルイスからであった。本当に腐った奴らである。

  後に有名女優となる野心家のノーマ・ジーンは、のし上がるためには何でもすると心に決めており、ジョーダンにも、誰とでもセックスをするし、その心構えもできている、と語っていたそうだ。

そこで有言実行のマリリンは、著名なゴシップ・コラムニストで、ユダヤ人のウォルター・ウィンチェル(Walter Winchell)と寝たらしい。しかし、一介のコラムニストと性交したくらいでは、ハリウッドで大女優にはなれない。

まだ無名のマリリンはコロンビア・ピクチャーズのハリー・コーン(Harry Cohn)社長に近づいた。「またユダヤ人か !」とウンザリするが、映画会社の社長や重役にはユダヤ人が多いからしょうがない。

このユダヤ人社長はマリリンを自分のヨットに乗せ、夜のクルージングに誘ったそうだ。美しい獲物を捕まえたコーンは、マリリンに向かって服を脱げ、と命じたという。彼女は言わるままに服をぬぎ始めた。すると、あろうことか、この助平ユダヤ人は、自分のペニスを握りながら彼女に近寄ってきたのだ。

大抵の女性なら、「えっぇぇ!! 何 ! 嫌だ!!!」と真っ青になって叫ぶだろう。マリリンも同じで、彼女はコーンを拒絶したそうだ。そりゃそうだろう。こんな変態ユダヤ人とセックスするなんて、どこか精神が異常じゃないとできない。

マリリンに肘鉄を食らったコーンは、とても激怒したそうで、マリリンは「あんなに怒った人を見たことがない」、と語っていたそうだ。

(Ted Jordan, Norma Jean : My Secret Life with Marilyn Monroe, William Morris & Co., New York, 1989, p.91)


左: マリリン
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  自分のペニスを握って近寄ってくるユダヤ人なんて、想像しただけでも背筋に戦慄が走る。いくら出世のためとはいえ、マリリンの眼に映る発情したコーンの姿は、余りにも酷かったのだろう。若い娘なら当然である。

しかし、権力者を怒らせたマリリンは、コーンからの報復を受けた。彼女はコロンビアの撮影所に出入りすることを禁じられたそうである。かつて、マリリンは藝能界の実情を語っていた。

  プロデューサーが女優に台本に関して話があるからオフィスに来いという時があるでしょう。でもね、それは台本の打ち合わせじゃないのよ。・・・私はプロデューサーたちと寝たわ。もし、寝ていないと言ったら嘘になるもの。

  1955年に20世紀フォックス社と大きな契約を結んだ時、彼女はようやく不動の地位を手にした女優になれた。そして、マリリンはこう呟いたという。

「私はもう二度と、あいつ等のペニスをしゃぶらないわ」、と。

マリリンは年を重ねる毎に反ユダヤ的感情が募ったようで、大御所のジョー・シェンク(Joe Schenck)のことを「あの糞ユダ公(that Jew shit)」と呼んでいたらしい。他のハリウッド・ユダヤ人に対しても、「あのユダ公 ! とか、このユダ公 !」と罵っていたようだ。しかし、彼女は後にユダヤ教に改宗するが、この反ユダヤ感情は妨げにならなかったらしい。やはり、女優の頭はどこか普通と違うのだろう。


中央と右: マリリン・モンロー
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  マリリンは性的に弄ばれていたが、政治的にも利用されていたようだ。精神科医のラルフ・グリーンソンは、彼女の指導者みたいな身分になっていたが、彼には別の顔があった。このユダヤ人は積極的な共産党員で、コミンテルンにも係わっていたという。そして、彼の妹エリザベスの証言によれば、兄のラルフは熱心なシオニストで、イスラエルとの太いパイプを持っていたそうだ。

まったく、ユダヤ人のコミュニストって本当に多いんだから嫌になる。かつて、ハリウッドの共産主義者をあぶり出す「赤狩り」が行われたけど、真っ赤なユダヤ人の映画監督や脚本家、プロデューサーなどが至る所にいたから、保守派のアメリカ人が怪しんだのも当然である。

よく知られているのは、左派が多数を占めるユダヤ人に対するチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)の警告である。この「アメリカ第一主義」を掲げる大空の英雄はこう述べた。

  ユダヤ人は我が国にとって最大の脅威である。彼らは我々の映画界、出版界、ラジオ局で広範囲な所有権を持ち、我々の政府において絶大な影響力を行使しているのだ。
(Harold Brackman, The Attack on “Jewish Hollywood”: A Chapter in the History of Modern American Anti-Semitism, Modern Judaism, Vol. 20 , 2000,p.5.)

  ユダヤ人の害悪については、リンドバーグのみならず、他の議員も警戒心を強めていた。例えば、ミュズーリ州選出のジョン・ランキン(John Rankin)下院議員は、ユダヤ人が合衆国政府の転覆を狙った最大の陰謀の一つに責任がある、までと述べていたのである。また、彼は大胆さを以て、米国においてユダヤ人は反政府活動の温床である、と喝破していたのだ。 現在の政治家なら絶対に口に出来ぬ発言である。しかし、当時のアメリカには、まだ言論の自由が残されていた。保守派のアメリカ人が1950年代を懐かしんだのも理解できよう。

ついでに言えば、マリリンと結婚した三番目の夫アーサー・ミラー(Arthur Miller)は、ユダヤ人の劇作家であったが、これまたハリウッドのユダヤ人らしく極左活動家で、黒人に対する人種差別に反対し、労働活動にも熱心に係わっていた人物である。彼も真っ赤なユダヤ人仲間を持っていたので、反共の闘士ジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)議員に目を附けられていた。彼は下院の反アメリカ活動調査委員会に召喚されたことがあるが、仲間を裏切ることを拒否し、断じて口を割らなかったという。ユダヤ人にとったら、愛国心よりも同胞愛の方が大切だからねぇ。


  マリリンがセックスした中で最も権力を持っていた男と言えば、やはりジョン・F・ケネディー大統領だろう。

大統領と姦通したマリリンがもたらす寝物語は、グリーソソンにとって貴重な情報源となったはずだ。いくら大統領とはいえ、惚れた女とベッドを共にすれば、何てことはない雑談の中で、国家機密に繋がる重要な情報を漏らすことだってあり得る。当時は冷戦真っ只中。合衆国大統領がどんな考えなのかを直に知る絶好の機会だ。

特に、コミュニストのグリーンソンは、ソ連やキューバに対する外交方針や、イスラエルに関する大統領の考えを知りたかったはず。だから、セラピストのグリーンソンに何でも打ち明ける、警戒心が全く無いマリリンは「便利な馬鹿(useful idiot)」だった。

  大女優になっても精神的に不安を抱えるマリリンは、何でも医者に頼る癖がついていたという。当時のハリウッドでは、リー・シュトラスバーグ(Lee Strasberg)という精神分析医が非常に持て囃されていた。大物俳優といえども、人には言えぬ悩みを抱えているだろうから、誰かしら相談役になる人が必要だったのであろう。だから、こうした弱点を持つ有名人を食い物にするセラピストがいたのも当然で、こうした悪徳医は患者にとっての「神」を演じていたのである。

自分の判断一つで大女優や二枚目男優を操ることができたから嬉しくてたまらない。名優のマーロン・ブランドーには、ベラ・ミッテルマンという精神科医がついていたが、ブランドーはシュトラスバーグについても述べていた。ブランドーの評価では、シュトラスバーグは俳優が集まるスタジオに来る人々を餌食にする冷血漢であったという。しかも、相当な野心家で自分勝手ときている。

彼は自分自身を、まるで神託を告げる司祭か、新興宗教の教祖のように思っていたらしい。彼にたぶらかされた人々は、シュトラスバーグをラビ(ユダヤ教の教師)の如く崇めていたという。ところが、マリリンはこんな類いの精神科医に傾いていたのだ。

日本でもよく藝人が、怪しい霊媒師とか占い師に嵌まることがあるけど、アメリカでも似たような事が多い。マリリンはフロイトの精神分析にも興味を示したそうで、彼女は実際フロイドの娘アンナ・フロイトにロンドンで会っていた。彼女の診断でも、マリリンは相当精神を病んでいたらしい。


左: マーロン・ブランドー
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右: マリリン
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  精神的に不安定なマリリンだったから、薬の過剰摂取で死亡したのだろう。だが、彼女はある意味、主治医のハイマン・エンゲルバーグ(Hyman Engelberg)とセラピストのラルフ・グリーソンに殺されたようなものだ。グリーンソンは助手に鎮静剤の投与を指示していたのだ。しかし、投与されたバルビツール酸系薬が多すぎたため、マリリンは副作用を起こして心不全となり、若くしてこの世を去ることになった。助手からの報告を受けたグリーンソンが、彼女の部屋に駆けつけた時には、既にマリリンは死亡していたという。

後に、色々な陰謀説が囁かれたが、実際は薬物中毒による死亡である。それにしても、哀れな最期だ。おぞましい枕営業を経て、大女優への道を駆け上ったのに、その栄光を味わう精神が衰弱していたのとは。

華やかな藝能生活を送っていた人気女優が、裏では薬漬けの日々を送っていたのだ。何の苦労だったのか分からなくなる。


右: マリリンとジョー・ディマジオ
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  何はともあれ、マリリンの人生には色々な男がいた。映画界の大物やマフィアのギャングと寝ていたかと思えば、野球選手のジョー・ディマジオと再婚したり、はたまたフランク・シナトラと浮き名を流したり、と寄り添う男の幅が広い。

中でも、ジョン・F・ケネディーとロバート・ケネディーとのダブル不倫は有名だ。

英雄は色を好むと言うが、このケネディー兄弟は異常である。
世間はハーバード大卒の爽やかな紳士と評するが、一皮剝けば下半身がだらしないアイリス系移民の倅(せがれ)たちである。兄が肉体関係を結んだ女に、弟も手をつけるなんて、恥知らずというか変態に近い。

一方、マリリンにも倫理観がこれっぽっちも無かった。女房や子供を持つ男と姦通しても平気なんだから。これではユダヤ人たちがマリリンのことを「シクサ(Shiksa)」、則ち「穢れたケダモノ」と呼んでも致し方ないじゃないか。

マリリンからすれば、男を踏み台にして出世したつもりだろうが、セックス相手からすれば、精液を噴射できる共同便所に過ぎない。

ただ、ユダヤ人に蔑まれながらも、ユダヤ人のアーサー・ミラーが結婚してくれたんだから、これだけでも彼女にとって救いになる。たぶん、ミラーは本気で彼女のことを愛していたのだろう。

ただし、ミラーがマリリンのことを「トロフィー・ワイフ」と見なしていたら残念だ。仮に、そうであっても仕方がない面もある。冴えない容姿のユダヤ人作家が、世間が持て囃す金髪美女を手に入れたのだ。親戚や友人に自慢したくなるのも無理はない。三番目の旦那なんだから、マリリンだって贅沢な要求はできないだろう。


凌辱される同胞の女性

  マリリン・モンローが送った波瀾万丈の人生は、多くの事を我々に教えてくれる。

まづ、藝能界はヤクザの世界、ということだ。堅気の娘が足を踏み入れる職場ではない。

ハリウッドは賤しいユダヤ移民が築き上げた悖徳の帝國で、当初はアメリカ白人に媚びて映画界の社会的イメージを向上させたが、一旦巨大な帝國が出来上がれば、そこに飛び込んでくる白人娘を娼婦と見なした。

憧れのハリウッドに旅立つ女優の卵は、狼の群れに迷い込むひよこと同じだ。
映画での配役を獲得すべく、ユダヤ人達に“輪姦”されても、必要経費としか考えない。娘の藝能界入りを許した両親は、娘が裏で凌辱されている事に気づかないんだから、まさに「知らぬが仏」だ。

日本人の親も充分認識すべき現実である。娘がモデルとかアイドル、女優になりたいと言い出し、それを許すなら、可愛い娘を穢らわしいヤクザや下劣な朝鮮人どもへ「生け贄」として差し出した、と諦めるべきだ。


左: 桃井かおり
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右: 「エロスの甘き香り」
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  ちょっと痛ましい話になるけど、女優の桃井かおりには国際政治学者の桃井眞(ももい・まこと)がいた。1991年に起きた湾岸戦争の時、報道番組に出演していたのを覚えている方もいるだろう。桃井かおりは少女時代、英国にバレー留学していたことがあり、どうも可愛い孫娘が立派なバレリーナになるようと、バレリーナの祖母が望んだらしかった。父親の真は娘をたいそう可愛がったようで、まさしく箱入り娘として育てたらしい。しかし、白人ばかりのバレー教室に通っていたかおりは、黄色いアジア人ということで劣等感を抱き、バレリーナになる夢を断念する。

帰国したかおりは演劇を始め、親に内緒で女優になっていた。一時は勘当されたこともあったそうだ。父親が女優業に反対したのも当然であろう。とりわけ、出演した映画の中にエロ作品があったからもう大変。映画ファンならロマン・ポルノ作品の「エロスは甘き香り」や、70年代らしい「けだるさ」を表現した「もう頬づえはつかない」をご存知だろう。

大切に育てた娘が、見知らぬ男と裸でからむベッドシーンを見て、父親の桃井眞はどんな気持ちだったのか? もしかしたら、劇場へは行っていないのかも。そもそも、娘の裸を銀幕で見たいと思う父親はいないだろう。だって、相手の男優が娘の肌を嘗めたり、乳房を揉んでいるんだぞ。怒りと悲しみで胸が張り裂けてもおかしくはない。映画を観る以前に、涙がこぼれてくるじゃないか。


右: 「もう頬づえはつかない」の桃井かおり
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  若い娘を凌辱するユダヤ人はトンデモないが、それを平然と行うユダヤ人の心情とは如何なるものなのか?

一番考えられるのは、欲望剝き出しの世俗主義者という点だ。
純情な白人娘を裸にすれば、大金が儲かるからドンドン淫乱な映画を作るのは分かる。だが、その根底には、西歐社会への憎悪が漲っているのだろう。

ユダヤ人にしてみたら、アメリカ社会は西歐白人が作ったもので、彼らの祖先が築いたものではない。米国は散々ユダヤ人をイジメてきた西歐人が建てた国家であるから、彼らの倫理観や価値観、伝統文化をを守る必要性はどこにも無いのだ。

キリスト教徒が仲間の女性に求める貞操観念や立居振舞い、女性らしさ、気高さなんて、むさ苦しい生活を送ってきたユダヤ人にとって、何の意味も無いし、犬の糞みたいに踏み潰しても気にならない。むしろ、踏み潰すことに快感を覚える。

興味深いことに、ユダヤ人の監督や脚本家は、喜んでキリスト教徒の家庭を愚弄するが、ユダヤ教徒の家庭や価値観を馬鹿にすることは滅多にない。

キリスト教徒の西歐系アメリカ人であれば、「そんなに伝統的価値観を毀したいなら、まづ最初に因習的なユダヤ人社会をターゲットにしたらどうか」と提案したくなる。なぜなら、男尊女卑で人種差別の激しいユダヤ人コミュニティーには、リベラル派のユダヤ人が攻撃したくなるような材料がごまんとあるからだ。わざわざ異教徒(ゴイム)たる西歐キリスト教徒に、その矛先を向けていないで、身近な同胞のコミュニティーを批判する方が先じゃないのか。

「社会正義」をふりかざす赤いユダヤ人は、普通に黒人を「黒いケダモノ」と呼ぶユダヤ人のオバちゃんを非難しろ。


中央: ユダヤ人女性
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/7/8/78fba827.jpg

右: ユダヤ人男性
http://livedoor.blogimg.jp/kurokihelion/imgs/c/d/cd348aaf.jpg


  米国のユダヤ人を見れば、いかに異人種と共存することが危険であるか、が判るだろう。

現在のアメリカでは同性愛者を擁護したり、黒人を礼讃するTVドラマが着々と作られている。すでに長いこと左翼作品が日常にしっかりと組み込まれているから、一般人はもはやその異常性を不思議と感じないのだ。

日本でも藝能界やマスコミに朝鮮人や支那人が浸透し、正常な日本人の精神を歪めている。

そして、藝能界に魅せられた少女たちが、どんどん卑劣な連中に犯され、それが表面に浮き出で問題になることはない。暴露される前に握り潰されるからだ。

ヤクザ的な藝能関係者やアジア系の大物にとって、日本人娘の肉体は、どれほど侮辱しても構わない肉の塊だ。みんなで廻して凌辱すれば、「あの淫売女め !」と酒場で笑い罵ることができ、ますます酒が旨くなる。大日本帝國に支配された朝鮮人にしたら、祖国の同胞が成し遂げられなかった復讐を、個人レベルで果たしたことになるだろう。

そして、日本人の女を性的に従属させることは、被征服民にとって勝者の証となる。ユダヤ人に加え支那人、朝鮮人といったアジア人に対抗できない気弱な民族は、徹底的に打ちのめされるまで被害に気づかない。毎回言うけれど、後悔が先に立ったことはないんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68580296.html


43. 中川隆[-5720] koaQ7Jey 2017年12月12日 12:03:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

朝鮮戦争で25万人以上の難民が入国していた


日本は難民を年間数人しか受け入れてこなかったが、実際には難民という言葉を使わないだけで大量に受け入れてきました。

第二次大戦の敗戦によって日本と朝鮮は別の国になったが、1945年までは同じ国だったので、終戦時に200万人ほどの朝鮮人が居住していた。

日本内地に居る朝鮮人の99%は自分の意思で渡航してきたのが判明していて、なぜなら当時政府は「増えすぎないように渡航制限していた」からです。


1900年に約200人だった内地朝鮮人は、1912年に約3,000人、1920年に約3万人、1930年には約30万人と爆発的に増えてしまったので、日本政府は渡航禁止にしたのです。

移住してくる投機は100%金目当てで、8割以上は就労目的の密航者であり、強制連行などする必要も無く、募集を出すと応募者が何十倍も押し寄せました。

終戦時にはそれが200万人以上に増えていて、その後韓国人は外国人と定義され、全員に国外退去を命じました。


150万人以上が半島に帰国したが、数十万人が日本に居残り、いったん帰国した人達も「なんだ帰国しなくていいのか」と舞い戻ってくる場合があります。

北朝鮮に帰国したものの中国経由で脱北し、命からがら日本に「帰国」してくる人もいて、日本政府は再居住を認めています。

1950年からの朝鮮戦争では25万人以上が日本に密入国したと、当時の日本政府の資料に書かれています。


第二次朝鮮戦争で難民は押し寄せるか

当時は九州などの入管管理局が満員で脱走者が出るほどで、「強制収容所だ」と大騒ぎしていました。

かれらの大半は結局は居住を認められて、戦前からの在日と同じく、特別永住者として暮らしています。

有名人では某パチンコ屋の創業者とか、某電話会社創業者の家系が「密航者だから苦労した」と時々自慢話にしています。


朝鮮戦争が終わってからも元在日など「訳有り」の人が少しずつ舞い戻り、表ざたにならないように外務省は「在日」に混ぜています。

また終戦時に大陸に取り残された人の子孫、いわゆる在留孤児やその子供なども、目立たないように少しずつ入国させて、永住許可や日本国籍を与えています。

外務省はこうした人達が表面化して、社会問題や国際問題に発展するのを、とても嫌っているようです。


またレンホーのように中共内戦や台湾での弾圧から逃れてきた人達も、密かに入国してかなりの人数が永住しています。

このようにして日本政府は、難民にカウントせずに、毎年少しずつ受け入れています。

新たな可能性として北朝鮮と日米や周辺国が戦争になる「第二次朝鮮戦争」が発生し、難民が押し寄せるのではないかと言われています。


条件としては南朝鮮(韓国)が大きな被害を受けたら、やはり釜山などの港からかなりの韓国人が日本に渡ってくるでしょう。

だが戦争が北朝鮮側だけであったら、日本から遠いのと親族もいないので、そう多くの人は日本海を超えて来ないでしょう。

韓国から多くの韓国人が渡ってきた場合、距離が近く親族が多い九州や大阪に数万人から10万人が、移住しようとするかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/74016281.html


44. 2018年2月06日 20:21:51 : n9MEiWpW6A : UH7wRqDBm20[3]
テレビ朝鮮だらけは、朝鮮人天皇明仁のしわざです。

45. 中川隆[-5449] koaQ7Jey 2018年3月19日 17:29:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
536 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/04/25 06:12:35ID:Gpsvrd0Y0 [1/1]

部落を差別する理由は実際のところ昔も今もほとんど変わって無いと思う


同和枠、様々な保護などの特権(一部職業の独占権)
右翼などの権力者の下部組織(番太・岡引)
暴力団(ヤクザ)
組織性(弾左衛門)
風俗(女衒)
芸能人(河原乞食)

それに江戸時代の部落は=貧民だったわけじゃない
農民、町人より裕福な人もいた←これも現代と同じ

明らかに一般人と違うんだから区別をするのは当然じゃないの?

「平等に見ろ!でも、特権は頂戴ね。今までの支援金も免除してね。あと非合法な事をしても多めに見てね」

は虫が良すぎる


542 : 本当にあった怖い名無し [sage] : 投稿日:2010/04/25 14:07:08ID:X6NLhemv0 [1/1]

部落にどうして朝鮮人が入り込んだの?


543 : ↑ [] : 投稿日:2010/04/25 14:42:21ID:yhzAPhBeO [1/2]

部落解放同盟やら全解連が数を増やすために取り込んだ。

546 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/04/25 16:56:33ID:HLdMw+a70 [1/2]
>>542
戦前の常識では、日韓併合として、朝鮮人と結婚することを国が奨励してたんだよ。

韓国は事実上存在しない国になり、日本の植民地として支配してたけど、 根強く抵抗するレジスタンス勢力もあり、それのソフトな対抗政策として国民を融合させてしまう、マイルドな断種だね。

まあ、選んで朝鮮人と結婚するなら、朝鮮の超美人とかインテリとかの社会の上層vs日本の庶民。

朝鮮人の庶民なら、日本では部落民といった、つりあいのバランスがあった。
日本では忌み嫌われた被差別部落民が、同じ部落民以外と結婚して血を新しくするには朝鮮人は最適だったわけ。

特に女性の部落民の場合、朝鮮人の旦那との子供産むと、子供も朝鮮籍(当時の法律)になるためあえて籍を入れずに、シングルマザーとして私生児を産むケースが非常に多かった。 それで、部落民と朝鮮人のハーフが大量に生まれて、その連中が今の被差別部落民の大半だったりするわけ。


547 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/04/25 17:03:13ID:HLdMw+a70 [2/2]

だから、戦後の「被差別部落民」に変化が起こったのは、朝鮮人の流入も原因。
今の部落民の過半数は、親か祖父の代に朝鮮人がいると思う。

北野タケシの母方の祖母も朝鮮人だし、一般庶民に朝鮮の血が混じってることは多い。

ましてや日本で差別されてきた被差別部落での混血率は酷く高い。

純血を大事にしてる在日朝鮮人も数多く存在し、日本人との混血を許さないのは「被差別部落」の人間を自分たちの身内に入れたくないから。国籍を捨てて、日本に帰化する朝鮮人のほとんどが部落との婚姻だったため朝鮮人社会でも、日本人との混血は「エッタまじり」と忌み嫌われる存在らしい。


548 : 本当にあった怖い名無し [sage] : 投稿日:2010/04/25 17:04:06ID:yhzAPhBeO [2/2]
>>546
大量にはいないよ。
仕事柄、同和の人たちと接する機会が多いけど同和の人たちの朝鮮人嫌いはえげつないもんがあるよ。
http://logsoku.com/thread/anchorage.2ch.net/occult/1265477106/#804



▲△▽▼

152 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 17:02:59.39 ID:5ukMLwvc0
BにもZにも一定数はいい人やちゃんとした人はいて
そういう人と付き合っているうちに深く関わるようになったら
その人の親戚にはとんでもない人がいたという災厄に当る可能性が高い


161 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 17:16:39.29 ID:sNAu7cdU0
>>152
同意、部落の中にも温厚な人とかまじめな人は多い

でもね、親類、縁者の人の中にこんな風なモンスターとかやくざがかならずいる
絶対にいる
だから親しくなるとある時やられるんだよね


166 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 17:22:53.06 ID:sNAu7cdU0

ちなみに豆知識ですが、
日本全国に部落の集落はたーくさんあります

そのうちある一定の規模以上の大集落には、必ず暴力団事務所ができてます
これが現実なんだよね
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1351220032/134



▲△▽▼

57 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 13:58:50.15 ID:H9UqRdGJ0

朝鮮人→在日ヤクザ、
朝鮮人→解同に入り込む、

二重の「弱者」の特権を手に入れて、したい放題。

しかも通名だから、普通の日本人には解りにくい。

団体で威圧してくるのは、韓国の事件にもあるし、層化もそういうやり方。


67 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 14:35:24.02 ID:ykF5ym6R0
>>57
ソウカの組織も下部にも上層にも在日がいっぱい
早く後継者者争いで弱小化して欲しい


66 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 14:31:48.25 ID:DfjzgNRF0

帰化してたらOKみたいなレスを見かけることあるけど そういう問題じゃないんだよね。

もう、血・DNA・脳細胞レベルで日本人とは違う。 日本で生まれ育ったって、親がZだと考え方や性格・躾など家庭での性格形成に影響があるからいくら日本の教育を受けさせて、日本の道徳を教えてもダメなんだよ。

苗字や出身地、顔つきでどうにか判断しようにも、母親や母方の祖父母
がZだと、もう見分けがつかなくなるよね。

本人も知らされてない事も多いだろうし(大人になって、祖母がZと知ってショックを受けたけど、自分のルーツと向き合うために葛藤したけど自殺した美人作家もいたよね)
結婚する時は、相手の両親だけでなく両親の祖父母やお墓参りをかねて相手のルーツを訪ねて、お墓に刻まれてる名など、自分の目と足で確認しないとダメだわ。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1351220032/


【尼崎大量殺人】角田美代子7【コンク李ドラム缶死体】

718 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 00:42:41.62 ID:T+Siyv7V0

中学生の頃からこれなら、やはり父親が「こわい」人だったんだろう。
この女のその後の他人をコントロールするやり方、
あちこちで繰り返していた恐喝のやり方、
どれも893のやり方そのものだ。
近畿地方の人間なら、この父親がどういう出身でどのような人間かは分かるだろう。

同和の連中の「糾弾会」が、まさにこの女が回りの連中を追い込むときのやり方と同じで、長時間掛けて「差別した」と言いがかりを付け、何時間、何十時間と追い詰めていく。 一体、何人「自殺した」か分からん。

人権擁護法案が通れば、こういう連中が国のお墨付きをもらい、
一般市民相手に、この角田という女が取り巻きを連れてやったようなことを
やりたい放題になる。

分かるかい?

こういう連中がある日、突然「お前は差別した」と言って押しかけて来るんだよ。
---
 私は同和は、在日に乗っ取られていると思っていますけどね。

853 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 07:24:06.02 ID:pDP3eIHS0

ところで、いつの間にか、
在日朝鮮人が、解放同盟なんかの幹部に、なっているわけだけど、
関係ないよね?


865 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 07:57:10.12 ID:T+Siyv7V0

街道(在日)に言え。ここがせっせと同和教育やってんですよ。


856 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 07:44:42.64 ID:T+Siyv7V0
>>853 
同和の糾弾会を乗っ取ってるんだから、関係あるでしょう。
これからの国民生活に。


868 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 08:00:20.42 ID:T+Siyv7V0

★「部落解放同盟」 とは、朝鮮人避難民がそのまま定住した部落組織で、略称は解放同盟 「同和」 である

福岡・奈良・京都・兵庫・大阪を中心に全国に「朝鮮部落」、彼らは「部落」「同和」と称する地域が全国に存在する。戦後に「朝鮮部落」のバラック小屋が建ち始めたのは戦後すぐのことであった。戦後、日本に大量に密入国して来た、韓国や北朝鮮人連中が大量に日本に入ってきて、朝鮮人達は勝手に日本人の私有地に入り、繁華街の真ん中にも入り込んで、あっちこっちでバラック住宅を建てて住み着いた。戦後は婦女子や老人しかいないことをいいことに、日本人住民を追い出して家を奪い取り住み着いた地域だ。

京都には、不法占拠された「朝鮮部落」が数多く存在する。これらの地域は、番地もなく、日本の法律が及ばない無法地帯と化していた。こうした朝鮮人の「不法占拠」部落地域には、水道や電気の設置などは無かった。これに対して、「不法占拠」している朝鮮人達は、朝鮮部落差別だと「部落解放同盟」として、全国で「同和」を組織して周囲の日本人に対して勝手に差別されていると叫んでは脅しては要求し、日本人に敵意と憎しみを持ち始めた。

市役所も、日本人の私有地を「不法占拠」しているバラック小屋を立ち退かせるべく、朝鮮人達の収容先として、無償タダで市営団地や公共施設を提供した。また彼らは占拠している地区の公共工事名目で多額の金も要求してきた。更に落民への生活保護も要求してきた。

全国の市営住宅にこのような朝鮮人が生活保護を受け集団で住んでいるが、このよう な特殊な在日市営住宅が全国に存在する。


***
 街道=いわゆる被差別部落と思い込んでる。
 今でこそこれは事件だが、戦後はこんなのざらだ。

864 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 07:56:07.20 ID:T+Siyv7V0

B系は昔は確かに差別と貧困に喘いでいた人たちだった
だが身内にアウトローが多数いたのが運の尽き
解放同盟がヤクザに乗っ取られるのはあっと言う間だったとか

弱者利権ゴロに成り果てて以降
真っ当な奴から順に引っ越して行くので
今ではすっかりクズの吹き溜まり

元々周囲居住区と交流が無いのが悪いのか
B地域居住者は非常識・電波系が多いのがデフォだったのだが
それでもガチヤクザなんぞに近づきたくないのが人情らしく
マシな奴から順に逃亡
逆にクズが身内を呼ぶので更にゲス度が濃くなる悪循環
---
 まともなBは外でて働居てますでしょう。中でも働いているし。
 Bだけ叩く朝日とか本当にクズ中のクズだと思いますが。
 橋下は良くわかりません。本当はなんなのか


878 :可愛い奥様:2012/10/26(金) 08:13:22.08 ID:6yDByl+y0
>>864
解同が尖鋭化したのは明らかに朝鮮系のせい。昔、日本共産党からの支援があった頃に
朝鮮系との結婚を勧めてましたから。同じ被差別者同士ということで。

ちなみに民団は過去、犯罪者には厳しかったです。しかも日本に居座りたいなら帰化し
よ、しかし帰化は犯罪歴があれば出来ないよ、と引き締めてました。
逆に甘かったのは総連。
通名主義は総連が積極的でしたから。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1351131169/957n-



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46. 中川隆[-5471] koaQ7Jey 2018年3月20日 10:19:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
41....:2011年06月27日 20:28

 オールドカマーの在日くんのほとんどは韓国の「白丁」という日本の同和と同じ被差別階級だよ

日本に統治された時に、一応平等ということになったんだけど、それでも差別で仕事がなくて日本に出稼ぎに来た200万人のうちかなりの割合が白丁で、戦後も帰る場所と差別されるから60万人が日本に残った。

 まあ、人権というネタで戦後に社会党などの左翼運動と結びつき、田中角栄の「同和新法」に乗っかって蓄財と運動で特権を確保したのが日本の同和と朝鮮人の馴れ初めと結びつきの経緯だよ。

 なお、まじで同和は税金免除されてた(というか同和新法がなくなるまで。税金まともいに払ってない奴大杉、税務署員が戦々恐々で手が出せなかった)、それで事情を知る近隣住人は同和地区の人間を侮蔑の対象としてみている。

元犯罪者や障害者の集まりだからなぁ
http://logsoku.com/thread/hibari.2ch.net/news4vip/1309051828/


[12初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理

47. 中川隆[-5484] koaQ7Jey 2018年3月21日 22:06:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8534]
同和の方が勝ったようだ 在日コリアンは負け気味 2017-03-25


 暴力や犯罪を含めた「実力」すべてで、在日コリアン勢力は同和に負けている。
 力で負けたら、何もかも自分たちが「悪者扱い」で同和の分まで罪をかぶることも拒否できなくなる。
   
 @全部、集団ストーカーは在日コリアン単独でやってきたことに。

 A森友事件は、あくまで、在日コリアン主導でやってきただけで、松井さんらは関係ないことに。

 B暗殺されたであろう過去の在日コリアン芸能人らは、すべて自然死であり、部落解放同盟の集団ストーカー攻撃はまったくなかったことで決着。死者はあの世で納得か?

 C同和のための政党、維新の会で働く在日コリアンは、一生、同和の言いなり。

 D同和が在日コリアンの振りをしまくっても、ずっと黙ってきた在日コリアン。そのまま何も言えない。芸能界も一緒。
 
 ※総じて、1970年以降の日本列島すべての政治は、一部の権力化した同和と、在日コリアンのためにやってきたが、罪をかぶるのは在日コリアンだけのようだ・・。

 一般民は、総じて被害者。
 次に、在日コリアンも同和の前では一方的な被害者。
 部落解放同盟だけ、今のとこ無傷。誰も責めに来ない。ラクチン。ゲラゲラハッ雷イラッ

 松井大阪府知事の自信満々発言。
 「参考招致でも証人喚問でも、なんでも受ける」。龍炎

 これは、大阪府議会も政府も、マスコミも、そして、在日コリアン勢力も皆、同和の前で沈黙するのを見越しての自信。彼はすでに、「語るに落ちている」。自ら、黒幕は我々同和勢力と認めてるようなツイッターを実はしてしまってる。橋下さんも。かといって、今更籠池氏を暗殺できないが・・。心臓を集ストハイテク機械で止めることはできない。

 大阪府議会、私学審議会、近畿財務局、政治家、マスコミ、み〜んな、同和の言いなり。同和が在日コリアンを暗殺しても、警察は、わざと動かないこともわかってるようだ。「味を占めた」からこそ強気発言。

 でも、それは、「力」で押さえてるだけ。
 恨みを買っている。しょんぼりドクロ十字架
 一般民は、まだ本気を出してない。
 在日コリアンにも、同和に対し、使える外交カードは残ってるがうまく使えてないだけ。正面から力で勝負しすぎ。良い意味で「卑怯な方法」を賢く、上手に使えてない。
 
 そりゃ、誰か一人だけで発言したら、そいつだけ殺されやすい。
 被害者が、一人で抱え込み、黙ってるだけでも、なお、殺されやすい。
 でも、みんなで「同時に」発言したら、殺されなくなる。
 解放同盟が犯人だとばれるから。

 過去をふりかえればわかる。
 芸能人が良い例。 
 在日コリアン芸能人は、自分たちだけで黙りすぎた。
 同和にやられて、なのに、相手に合わせて、テレビではニコニコ、出来レースに付き合ってきた。逆らったら、集ストハイテク機械で殺されてきた。死後、その人の物まねを同和にやられて、侮辱させられてもひたすら黙ってた。

 一般民政治家もそう。
 かつての農林水産大臣だったっけ?誰もがなりたくない役職。
 同和のボスに殺されやすいポジション。
 一人で抱えるから中川親子のような不審死になる。
 
 森友でもそうだろう。
 とある在日コリアン芸能人の大御所が言ってた。
 籠池氏に例の土地を借地として持っておけば、得があると入れ知恵した奴がいると。法律に詳しい人の入れ知恵。さらに、認可するよう大阪府の私学審議会に根回しをしていた真犯人もいる。で、松井さんと橋下さんは、真犯人があたかも在日コリアン側にあったかのように他人を責め続け出した。あげく、昭惠夫人に「証人喚問を」と言っちゃった。

 で、大阪府議会で「百条委員会」を作ろうと言われたら、同和勢力の力で拒否。表向き松井さんは「百条はつくりたかった」と、とりつくろう。
 本当に松井さんが一切、影で関わってなかったら、籠池氏から名指しされた時、堂々と「名誉棄損で訴える!」と言えたはず。なのに、「・・同情してしまう」とか「・・会ったことは無い」と自信のない受け身な発言を、ついしちゃった。直接会わなくても「森友学園」に他人を使って圧力をかけたり、同和の子を小学校に入れさせる方法はいくらでもある。

 「関わっていなかった」と自信満々に言えなかった。おーっ!
 やましい気持ちが顔に出た。

 もう、松井さん、自ら、事件の本当の黒幕は、同和勢力ですと教えたようなもの・・。あげく、そのまんま東さんが、調子にのって在日コリアン側を非難しすぎた・・。もろバレ。

 橋下さんは、同和勢力の力で、小池都知事を操ってきたことも、自らばらしてる。

 小池都知事に当初、豊洲移転をさせないよう指示してきた同和勢力。
 東京都議会の在日コリアンのボスを世にさらしめた。
 なのに、今になって移転しろ。

 これは、在日コリアンから利権をよこどり終わったから、移転させてもいいよ〜という意味。東京で、同和勢力が幅を利かせたという証明。

 これだけ、素人でも、世間が同和に気づいた。
 在日コリアンよりはるかに人数も多く、生活保護もダントツ、いや、在日コリアンの振りをし、名を騙っても、在日コリアン側から文句ひとつ言われないほど強かったことがバレた。

 在日コリアンだけによる単独犯罪は、彼らが償うとして、それ以外の犯罪は、実は、同和がやってたこと。その分は、きっちり同和が償うのが普通。なのに、力で負けた在日コリアン。これからは、同和の分まで責任を丸かぶりぼけー?

 他人に「真実を言わず」「被害も訴えず」では、最後、悪者にされる。(皆共通)
 集団ストーカー被害者と一緒。
 被害内容を訴えるばかりで、自分がどこのだれかを世間に伝えない。
 結果、誰も助けに行けない。ひょっとしたら、被害者の振りをした「工作員」ではないかと勝手に悪者にされていってる。

 在日コリアンだって、同和から集団ストーカー被害を受けてきた証拠だけは残ってる。その分は、自分たちで言わないと、世間は気づくどころか、集スト攻撃=全部在日が犯人!!と思われたままで終わる。同和の無傷、不戦勝。ニヤ注意

 今の時代、一番無傷なのは、部落解放同盟と同和学会員勢力のみ。
 まともなほうの同和住民ですら、同じ同和から裏切られているほど。

 まともなほうの同和も、結婚を世間に断られるのは、なぜか?

 @一般民側に差別心が残ってる。
 といえば、簡単に片づけて終わる。でも・・

 Aまともな同和の方が、解同と無関係であることを、勇気を出して伝えなかった。

 Bまともな同和の方は、税金も払うし、反日活動も集ストも関わっていないと証明しなかった。


 黙ってばっかりで、結婚を断られることばかり気にして受け身のまま。これが悪い。

 主張しないと。うーん
 「自分も部落です」と言うだけではダメ。出自告白しただけじゃ、足らない。ハムスター

 本当は、まともな同和の力で、解同の犯罪をなくす助力が必要になる。
 みんな、「黙りすぎ」。
 黙ってたら、暗殺されないとでも思ったか?

 集ストに黙って加担させられてきた地域住民の創価員は、影で在日コリアンに用済みで殺されてきた。関東方面で。で、その在日コリアンも、同和の前で黙るから、芸能人らが暗殺されてきた。

 「黙ってたら殺される」
 「言いすぎても殺される」
 
 同じ殺されるなら、どっちが子孫に利益を与えられる?
 もし、殺されたくないなら、

 「みんなで、同時に」ニコ真顔ニヤzzzイラッハムスターコアラヒヨコ赤ちゃんお母さんお父さんおじいちゃんおばあちゃん
 言う。

 在日コリアンも、単独でアメリカの軍用機のパイロットの目にレーザーポインターを当てるから、アメリカの圧力で、日本の警察がすぐ逮捕しにきた。単独で行動はダメ。みんなで同時にやらないと。

 森友事件でもそう。

 「一般民政治家」みんなで、「在日コリアン関係者」みんなで、「実は、同和勢力が真犯人です。彼らのために動かされてきただけです」と言えばいい。

 みんなで言えば、暗殺されない。
 解同が犯人で、集スト犯人も彼等だとすぐばれるから。

 ばれたら、同和は動けない。
 結婚に支障が出るから。ねこクッキー
 数か月前、車の接触事故を起こした同和芸人をまわりの同和芸人が、わざと裏切ったのが証拠。(余談、このあと、在日コリアン芸能人が複数、接触事故を起こされていた。解同の集スト攻撃によるものだろうと私からフォロー)

 解放同盟は、ホント、無差別に在日コリアン芸能人を狙うよな。
 若い女の子の在日コリアンにまで集スト攻撃やってたもんな。
 やりすぎだ。
 
 まともな方の同和側からも解同へ犯罪をやめるよう言わないと、結婚対象にすらならないぞ。もっというと、解同の力で芸能活動をしてきた同和学会員芸能人も、みずから恩恵を返し、フリーにならないと、結婚を断られやすい。今売り出し中の同和女優も同じ。タダなものはない。代償は付きまとってる。あなたが、解同の力でお金儲けをするうちは、解同幹部と同和ヤクザは、一生、「あなたのために、悪者」になる。「上」は、あなたを「金儲けの道具」くらいにしか思わなくなる。在日コリアン作品のドラマの主役を奪ったし、その分、在日コリアンからは恨みを買い続ける。ろくなことはない。「権力」の世話にならないのが一番まとも。ニヤ完了

 同和同士の関係が、飯が食える前は、「相互扶助精神」。
 飯が食えたら、「金づる、金儲けの関係」となった。

 せちがらいね。

 森友事件では、皆で言うことだ。
 誰かひとりに言わせたら、そいつだけ死ぬ。
 籠池氏を暗殺させないよう、ここに記事にしておいた。

 あとは、松井さんをとりまく周りの方々が同時に「証言」することだ。
 大阪府議会も、いつまで、部落解放同盟の言いなりだ?
 税金払ってるのって、まともな同和も、まともな方の在日コリアンだって大阪には何万人もいるんだぜ。
https://ameblo.jp/ameatsu1265/entry-12259434998.html


在日コリアンとお付き合いをしていた一般民 2017-04-26


 俳優でも政治家でも有名な人の一部は、在日コリアンと友達関係以上、社会的なお付き合いをしている。または、血縁関係を持っている。

 

 ウィキペディアにも書いてる情報。

 亡くなった俳優の菅原文〇、同じ時期に亡くなった名前が出てこない、あの人も。

 徳光さんとか、テニスプレーヤーだった熱血の人。名前を忘れた。顔だけ覚えてる。長門裕〇とか、津川〇彦さんかな。


 そして、安倍総理や安倍家の人々。

 政治家は基本、権力者、同和や在日コリアンの裏社会の人たちと毎日どこかで交渉、協議の上、国民には言わない政治を行っている。毎日ね。それをマスコミが「差しさわりのない内容」に差し替えて毎日、何十年と報道してきた。

 

 同和に叩かれ、在日コリアンの裏社会の人とも親しかった昭惠夫人。さすがに、出自が知られていると思われる。山口県下関市の赤間神宮の目の前に、彼女が経営する宿泊施設等がある。「UZU」と言う。そのビルの競売にあたり、地元民がひそひそ噂をしていたという。

 いわゆる、在日コリアンの裏社会の人が関わったとか。これで、昭惠夫人が、反社会勢力の立場の人々とあちこち出かけたり、飲みに行ったりしていた理由が国民がわかったと思う。

 なぜ、安倍総理は、今の今まで黙ってたのかも。

 もちろん、夫婦の間柄を、周りの政治家、警察、マスコミ、同和勢力も最初からわかってた。長年、周りも安倍総理本人も昭惠夫人をかばい続けてきたのだ。

 しかし、森友事件をきっかけに、昭惠夫人のことが世間に完璧に知られた形だ。森友は、在日コリアンが先に現場に潜り込み、そこを同和が後から入り込む予定だったが、維新のお二人の矛盾した行動から、結果的に、在日コリアンまでばれてしまった。

 財務省、近畿財務局、大阪航空局、森友学園らは、すでに権力者から真相を絶対しゃべるなと口止めされている。今でも誰も言わない。関わった日本維新の会の議員らも、松井さんらから口止めされている。「同和のことだけは!しゃべるな!」と。

 皆、同和の身代わりに責任をこれからとらされる。

 森友学園に、負債だけ残った・・。

 過去の部落差別の代償だから、これくらい「当然だ!」と言う形。松井さんらの頭の中は、2025年の万博利権だけ。大阪都構想実現と。

 

 解同系同和が東京に進出してから、在日コリアンの黒幕やドンが名指され、白日の下にさらされすぎた。特に昭惠夫人のマイペースな行動が、出自を知られる原因となった。

 逆に言うと、東京は同和がすでに支配していたことがわかった形。集ストも在日コリアンの名を騙り、同和がメインでやってきたのだ。部落解放同盟の東京都内での違法な建物占拠→利権活動の例がいくつも見つかっている。1970年代から。


 どっちが主導権を握り、東京を支配しても、豊洲移転は変わらない。市民には、なんの力もないし、税金は持っていかれる。これからも。真相をわかったところで、誰にも何もできないのが実情。サラリーマン家庭はつらい。


 加計学園のケースも、森友と一緒で、スケールもでかい。

 このように、一般民がどんどん食われてる。

 

 暴力&集ストハイテク機械こそ、支配する力の源なのだろう。

 安倍総理は、在日コリアン側の支配下かと思いきや、維新の会を表向きとした同和勢力が彼に圧力をかけている。一般民の出の安倍総理は、同和の政治の責任、クレーム受付係で終わる。国民は、安倍総理をわざと責めるのか・・?


 

 解同の力があれば次のことが言える。 

 「安倍総理よ。同じ日本人だろ!同和を優遇しろよ!」

 「森友事件は、昭惠夫人に証人喚問させろ」


 これが、解同勢力の力。

 在日コリアンには強く当たれる。(ホントは逆切れアセアセ)
https://ameblo.jp/ameatsu1265/entry-12269073613.html


狙われるのは、互いに攻撃しない同和、在日コリアン芸能人? 2017-04-13


 集団ストーカー攻撃用のハイテク機械を部落解放同盟も在日コリアンも両方持っている。両者、基本的に仲悪い。

 で、互いの芸能人を狙っているのもテレビでわかってる。

 

 しかし、狙われる人を確認すると、あまり、普段、憎い相手を攻撃しなさそうな人、やさしそうな人。真顔?


 攻撃的すぎる人ほど、なぜか狙われてない。

 互いに、無差別に攻撃しているようだが、狙われるのは、それぞれ、相手をあまり攻撃しなさそうな芸能人同士。


 解同も東京で、同和に逆らわなさそうな若い在日コリアンの女性声優を集ストしていたかと思えば、関西では、在日コリアン側が、同和と一般民のハーフの同和学会員芸能人を、街ブラロケ先で、集スト攻撃。この狙われた同和学会員芸能人は、在日コリアンに攻撃はしてない。一般民にも攻撃しない。40代。既婚者。

 兵庫県小野市や和歌山県田辺市のロケ先で、この人が狙われていた・・。


 ほんの一つの例をそれぞれ挙げただけだが、まだまだこんな例がある。


 お互い、喧嘩を売って来たら、相手の「弱そうな人、優しそうな人をいつでも無差別に殺すぞ」と脅しているようだ。車の接触事件や不倫報道。片方にその手のニュースが出たら、もう片方に同じ報道・・。実は、お互い、あらさがしをして、つくりあげたスキャンダルじゃないか?それに芸能雑誌記者たちが、踊らされてきたのでは?


 こんな集スト攻撃に、毎日駆り出され、意味もわからず、つきまといや物音をわざと出さされてきたのが、そこらへんの一般民住民たち。たまたま街ブラロケの芸能人の出自を知らないだけ。創価の支配者側同士の争いだったのだ!イラッ

 

 もちろん、普段、在日コリアンを敵視するほうの同和芸能人が、直接、集スト攻撃をくらってたこともテレビで確認できている。ダメージが顔に出てた。大阪府豊中市あたりと、高知県高知市だったかな。どっちも同和が非常に多い土地だが、在日コリアンが負けじと仕返しをしている。

 

 両者間に限り、言い分があるのは在日コリアン。 

 同和側は、ただ逆切れしてきただけ。

 これは、本当。

 逆切れしたくせに、在日コリアンに出自隠しをお願いしている。それがテレビに映る芸能番組やドラマだ。(お願い→命令、強要)しょんぼり


 余談。

 まだ、森友事件をマスコミが引っ張っている。

 すでに、黒幕の同和勢力は、これ以上ダメージを受けない状況をつくりあげた。大阪府知事の松井さんの態度がそれを証明。

 民進党と共産党が、森友を追求しているが、解同を落とせるのか?


 一方、安倍総理の奥さん、昭惠夫人だけが、ことさら叩かれている。あの記事の内容だと、彼女の生い立ちや出自まで、知られてるような気がしなくもない。

 ていうか、バックに反日勢力、暴力団の幹部クラスの人との接点がマスコミにすっぱぬかれた。安倍総理は一般民の出で、戦前の「カミの国

日本」を正しいと思う立場。

 で、彼が結婚した昭惠夫人は、反日の立場と仲良し。しかも、解同勢力から攻撃を受けた方の立場・・。(松井さんや橋下さんに名指しされた)


 もう、これ以上、彼女は、自分の出自を隠せないんじゃないか?

 長年、安倍総理は黙ってくれていた。


 ※同和、または、在日コリアンと結婚した一般民は、そのことを家の外に言わない。ひたすら黙って、夫婦で生活。特に同和の場合は顕著。


 安倍総理は、ずっと在日コリアンの言いなりかと思いきや、今は同和勢力さまさま。解同は、どうしても安倍総理に同和政治を優遇してもらいたいのだろう。


 昭惠夫人は、これ以上、名誉校長になることはなくなるはず。

 愛媛県今治市の加計学園が経営する岡山理科大学の獣医学部建設に際し、昭惠夫人の名が挙がった。

 もう、この時点で、今治市で誰が主導してたかわかっただろう。

 なのに、説明会で納得いく説明をしてもらえなかったから、市民が怒ったという。

 

 市と学園側の事情くらい、市民も、そろそろ察したら?

 権力者主導の事業拡大だったんだ。

 正直に口にしたら、市幹部が海に沈められる。

 住民説明会というのは、あらかじめ決まった権力者事業を、代わりに市が市民を納得させる場。

 その会場に、権力者のサクラや監視役がまぎれてる。

 余計な詮索をした住民を、集スト攻撃の的にするのだ。

 

 兵庫県芦屋市の海沿いの住宅開発も、住民が納得する説明会ではなかっただろ?


 そんなもの。

 過去の人権問題をタダでスルーしたいなら、黙って税金をあげるしかない。集スト命令を聞かされてきた住民ほど、スルー感情が多い。
https://ameblo.jp/ameatsu1265/entry-12265302364.html



[18初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理

48. 中川隆[-5698] koaQ7Jey 2018年3月25日 09:48:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8875]
えたひいきシステム 「有名人の出身地+被差別部落」で検索すると大抵被差別部落や朝鮮部落
http://stopbrainhacking.blog.fc2.com/blog-entry-233.html


有名人 政治家、芸能人、文学賞受賞者などの出身地が被差別部落かどうか検索したら十中八九被差別部落ということが分かってきました。
十中八九ということばは10のうち8か9というのが語源ですが十中七八かもしれませんが大抵が出来レースで選ばれているだけということが分かりました。

とりあえず検索して調べてみたものを列挙します。
被差別部落だった人もそうでなかった人も列挙しています。

河野太郎とかにメールしても難しいでしょう。
河野太郎は確か湘南 湘南は朝鮮系の議員や芸能人が出ている地区があるというのを見ました。
湘南、サザン桑田佳祐、中居正広、河野太郎など

大物の素姓を調べたらみんな朝鮮人かB。 - 小泉純一郎、飯島... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217925132
上記サイトから引用
「各界大物の素姓を調べたらみんな朝鮮人かB。
小泉純一郎、飯島勲、中川秀直、森善朗、冬柴鐵三、安倍昭恵、土井たか子、福島瑞穂、辻本清美、松山千春、池田大作、オウム麻原、篠田建市(山口組6代目組長)、成田豊(電通最高顧問)、暴力団員の3割、街宣右翼の9割、日本の長者番付上位から25人中11人などなど・・・」

小泉純一郎→○薩摩の田布施、飯島勲、中川秀直→ パソナの仁風林、森善朗、冬柴鐵三、安倍昭恵→○朝鮮系企業キャラメル屋の森永が実家、
土井たか子、福島瑞穂 →小学生の字、辻本清美、松山千春、池田大作→○、オウム麻原、篠田建市(山口組6代目組長)
成田豊(電通最高顧問)、暴力団員の3割、街宣右翼の9割、日本の長者番付上位から25人中11人などなど・・・

「以下、同和地区出身(反日部落民)
野中公務、竹中平蔵元金融大臣、松岡徹(参院議員)、橋下府知事・・・etc

質問の目的は血筋や出身地が問題なのではなく、彼らのやっていることが問題であると提起するためです。

それから右翼も左翼も協力して、まず日本からエセ右翼や国賊を追い出すことが先決ではないでしょうか?
補足iwashisabasanmaさん、あなたは資本主義の洗脳にどっぷりつかっていますね。人は皆金持ちになる競争をしているワケではありません。貪欲な人が結果的に金持ちになるだけです。金や名声を手にすることが努力の唯一の成果ではないのです。労働者だって日々努力しているのです。寧ろ肉体的には富裕層より努力家です。

あなたもせっかく一歩私の質問に踏み入れたのですから、彼らがどうやってのし上ったか、調べてみてはどうですか?」

 『文殊菩薩』日本維新の会と部落勢力の関係  richardkoshimizu's blog H.25/04/09
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-4299.html?pc

在日韓国人・朝鮮人の芸能人(有名人) | HonuRyoma
https://honuryoma.wordpress.com/%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a0/%e5%9c%a8%e6%97%a5%e9%9f%93%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%83%bb%e6%9c%9d%e9%ae%ae%e4%ba%ba%e3%81%ae%e8%8a%b8%e8%83%bd%e4%ba%ba%ef%bc%88%e6%9c%89%e5%90%8d%e4%ba%ba%ef%bc%89/
「書き込んだコメント」
検証の情報はありがたいですが
田布施システムなどを見ていると朝鮮人夫婦が総理大辞になっていて国会議員に朝鮮人がたくさんいることが分かったので。
W杯や国体に出たからと言って日本人という認定もできないのではないかと思います。
総理とか国会議員にそういう朝鮮人や被差別部落の人達が異常に多いということが分かっているのでどうとでもできるのではないかという気がします。

背乗り朝鮮人の石原慎太郎、三國連太郎は被差別部落出身という情報を見た。

「前原誠司代表、同和推進副委員長だったプロフィールを消す : 散歩道」
http://kuyou.exblog.jp/2254910/"

福岡県久留米市一帯から「異能な人」が続出する理由を教えて下さい。私自身... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12140570997
上記サイトから引用
「松田聖子さん、橋下徹さん、中森明菜さん、桜井誠さんを名指しで同和地区の人間と公言 久留米の蒲池さん、大阪の橋下さん、東京多摩地区の中森さん、福岡の高田さん」

多摩の語源の中の一つの説

多摩、球磨、巨摩といった地名は全国に見受けられるが、これらの地名には「渡来人(主に朝鮮半島から移住してきた人々の総称)」が関連している。
多摩地方及びその付近では狛江、高麗川、秦野といった地名、また「新羅神社」「白鳥神社」といった祭祀施設が多い。
高麗(こま)が転訛。
武蔵国には『続日本紀』に出てくる「百済王(高麗王)」を始め多くの渡来人が移り住んでいた。

Rの我田引鉄が被差別部落を一筆書きのように我田引鉄で通して行っていたのではないかということが分かってきた。
琵琶湖の手前あたりで一端南に降りる部分があえて被差別部落を通るように不自然に通っている。
そして本物の日本人の多い地域である東北はかなり遅れて新幹線などが通されている。
瀬戸内海内側への利益誘導のハッタリ経歴詐称卑怯なりすまし日本人政権。

舛添弥次郎は舛添要一の父親で福岡県でハングルで新聞にも名前を載せていた。
舛添さんは朝鮮飲みとかで漢字を書けないとかトリプルで当てはまっていたしこれで朝鮮人確定。


メモ帳に便名はメモ+スクリーンショットで記録 遠隔で飛行機のコースを変えて集団ストーカーとして利用している可能性。

「三國連太郎 被差別部落出身 佐藤浩市
中森明菜の実家は肉屋(部落民)。 沢口靖子は、混血でしたよね。 」

「集落改善センター」 が近くにある場所はB地区らしい。

「被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論」
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html
情報の引用
「宮沢りえ  りえママがB。 りえはオランダ人との私生児。
女優の山本富士子 満田久子 父親は大阪部落解放同盟の幹部
写真家 織作峰子
宝塚歌劇団の創始者 小林翁 がB出身ですが 音楽学校生徒には
所謂ええとこのお嬢と在日&Bの大金持ちの娘さんの混成だそうです
OGの黒木瞳さんはB 同じく音楽学校OGの小柳さんんはKですよね
こうしてみると やはりB出身のかたは綺麗な人が多いですね
残念ながら 一路さんがBのかたとは確認できません 」

宝塚の人達の朝鮮耳の多さが気になっていた。

山本太郎 言動には賛成だけどガス抜きのためのプロレス要員なのか 朝鮮飲み イルミナティサイン
兵庫県宝塚市 中山桜台 被差別部落かは完全一致かは不明だが「〜中山」まで一致

1868年(慶応4年)兵庫県御免許開港神戸之図の一部。上部の中央に「風呂谷穢多村」の表記が見える。いわゆる宇治川地区であり、現在の神戸市中央区中山手通8丁目・下山手通9丁目・楠町8丁目・同9丁目・同1丁目にあたる。1984年にこの絵図の縮小版が『週刊朝日百科 世界の地理』No.49に掲載されたとき「風呂谷穢多村」の字は1ミリ程度で滲んでおり読めない状態であったが、部落解放同盟は「差別地図」であると言いがかりをつけて糾弾し、同誌を回収処分に追い込んだ。

宝塚歌劇団は、兵庫県宝塚市に本拠地を置く歌劇団。阪急電鉄の一部門であり、阪急阪神東宝グループのエンターテイメント・コミュニケーション事業運営
兵庫県宝塚市栄町1丁目1−57 少し違う完全一致ではない。
被差別部落なのは以下
「宝塚市立くらんど人権文化センター - 兵庫県宝塚市中野町22番19号
宝塚市立まいたに人権文化センター - 兵庫県宝塚市今里町5番1号
宝塚市立ひらい人権文化センター – 兵庫県宝塚市平井6丁目3番38号」

なぜ高校野球の大会は甲子園でやるのでしょうか? - 第1回大会(1924年... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012489665
"「全国中等学校野球選手権大会(今の全国高等学校野球選手権大会)」のために阪神電鉄が建設したのが阪神甲子園球場です。
もともとあったものから選定したわけではないんですね。
ちなみに第1回大会は大阪府豊中グラウンドでした"
兵庫県西宮市甲子園町1−82
被差別部落ではない  西宮の別の町にはあるが

「小林一三について
 1.阪急グループの創始者
 2・山梨県の●落出身
 2・慶応大学OB

部落美人といえば一昔前は五月みどりというのが定番だったが
新旧交代のようだなAI−Kに
元華族島津家の先祖が渡来朝鮮人 」

金原瑞人(翻訳家で法政大学教授。芥川賞作家金原ひとみの実父)は父が部落出身の靴屋であることを公表している
出来レースの可能性 
美作の大久保村

新大久保がコリアンタウンへと変わった理由 上 - アマカナタ
http://www.amakanata.com/2012/08/blog-post_30.html
朝鮮系企業のロッテができてから高級な音楽の町からコリアンタウンに変貌してしまったらしい。
ロッテの創業者は、在日朝鮮人の重光。日本人経営の会社では雇ってもらえない、あるいは居心地の悪さを感じていた朝鮮系の人々が、彼を頼って、日本中からやってきました。

苗字に「菊」とか「塚」とか付くとエタである可能性が高いって
聞いたけどね。
あと、東西南北などの方向とか。
まぁこれも地域によって様々と思うけどね。

松浦平吉(エタ)
            |
           川嶋庄一郎(養子 川嶋家へ)
            |
            |   池上四郎
            |      |          
           川嶋孝彦=きこ
               |        
            和代=辰彦
               |
          秋篠宮=紀子様
               |
           ----------------
           |         |
          眞子         カコ

同和関係人口の比率が高かった田川郡赤村出身の仁支川峰子(にしかわ・みねこ、旧芸名:西川峰子、本名:福田峰子)のことと思われる。

"坂本一亀(坂本龍一の父)の出身地は朝倉市三奈木だが、小字名は不明である。
坂本一亀(さかもとかずき)は戦後日本文学の礎を築いた「伝説の編集者」として知られる。河出書房「文芸」の編集長を務めた。"
"〃 三奈木村 下万願寺 上枦田 五二 三八七 〃 朝倉市 三奈木 上枦畑 上枦田は上枦畑の誤記。
〃 金川村 桑原 三八 二三九 〃 朝倉市 桑原
〃 福田村 下原 二〇 九三 〃 朝倉市 三奈木 下原 "

お笑いコンビ「バイきんぐ」の小峠英二は田川郡大任町出身であり、小峠姓は同町内では大行事に2件存在する
"田川郡福智町伊方3999-16のトヨダ美容室はタレントのIKKO(本名は豊田一幸)の実家である。ただしどの小字に属するかは要調査。
田川郡川崎町川崎1069-18の向山食堂は芸者歌手の赤坂小梅(本名は向山コウメ)の実家である。ただしどの小字に属するかは要調査。 "

久留米には何かありそう。ブリジストン、東芝の創業者。ソフトバンク孫正義、堀江貴文、松田聖子、チェッカーズ、田中麗奈、コメンテーター宮崎

平成の大合併 被差別部落
数年前にあった平成の大合併だが当時は土地名には水に関する場所など土地の特徴を表しているのに土地名が変わってしまうと思っていたが
あえて被差別部落名などをわかりにくくするために合併させて検索などしても同和利権がわかりにくくしようとしていた可能性。

全日本同和会熊本支部 – 熊本県熊本市九品寺 ショーンK 川上進一郎の出身地
ショーンKこと川上 純日本人の出身校の近く どう見てもテレビ局も経歴詐称に加担しないと作れないような感じだった。
ペラペラのハッタリ権威を作り出すのにテレビ局も協力して作り出している可能性。
ハッタリだとわかったが「なんとかの講師も務め」の構図とか「なんとかのマンション」とかの内部の撮影などテレビ局も協力しないと作れない。
予め弱みを握っておいて隠したい田布施一族の事件や嫌がられる法律を通す場合などにスピンとして内部リークか何かで利用されるて明るみに出されるのではないか。

千葉県 - 同和地区Wiki
https://同和地区.com/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C
苫米地
"長嶋茂雄に部落民説があり、長嶋の実家は佐倉市臼井17番地で鈴木建具店の斜め向かいだが
『全國部落調査』の臼井台地区にあたるか否かは要調査。
今昔マップ(1927〜1939年)によると、臼井台の表記があるのは臼井台40番地の熊野神社近辺であり、
長嶋の実家からは西に500メートルほどの距離がある。
また赤松宗旦『利根川図志』第4巻19頁「臼井故城図其一」に掲載のある新旧穢多町の現在地は臼井ではなく臼井台と考えられる。 "


荻上チキは本名が「乙川知紀」であることを小谷野敦に暴露されたと主張し、小谷野氏を批判している。[1] なお、この荻上氏の見解は事実誤認であり、濡れ衣だとの逆批判もある。
荻上チキは、川口泰司が部落解放同盟山口県連書記長であることをあえて隠蔽し、中立を装った上で自らのネットメディアで川口泰司に同和地区Wikiを批判させるという人権侵害に荷担している。

金原瑞人(翻訳家で法政大学教授。芥川賞作家金原ひとみの実父)は父が部落出身の靴屋であることを公表している
出来レースの可能性 
荻上チキは小説家の中上健次を被差別部落出身だと暴露(アウティング)している。
芥川賞作家でもある、中上健次という作家がいますよね。彼は被差別部落出身でした
また出来レース疑惑か  こうなると「文学賞」は「えた作文賞」ではないのか

「直木賞の受賞者とは、八百長賞(ショー)に踊らされている、かなしき文学商人。」…『潮』昭和58年/1983年11月号「菊池寛賞を改めて拒否しなおす」本多勝一: 直木賞のすべて 余聞と余分
http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/58198311-87b4.html

“生活苦の指標”エンゲル係数アップに安倍首相がデタラメ言い訳! 直後にWikiのエンゲル係数解説が改ざん|LITERA/リテラ
http://lite-ra.com/2018/02/post-3777.html

2018-02-07 09:29 又吉の芥川賞はヤラセですか? - ヤラセではないと思います。 - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11147920786

ネットにあった前原情報 レバニラ定職
http://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/773.html
引用
「問題なのは差別ではなく、
ユダ金が部落民や在日朝鮮人を使って、反日売国行為を
行わせていることにそもそもの問題がある。
ある政治家や官僚などの人物が部落出身者や在日朝鮮人であるかどうかを
あぶり出すのはユダ金の謀略を頓挫させるのに
きわめて有効なことだ。
なぜなら、ユダ金は部落出身者や在日朝鮮人といったマイニリティを手先として
好んで使ってきたからだ。
たとえば竹中(部落)、野中(部落)、飯島(小泉の秘書、在日)
これを差別とか言うヤツは筋違いもいいとこ。」

引用
「06. 2011年1月29日 11:50:27: Z38cKkRxQk
そんなことより、
前原には、池田先生の隠し子疑惑があるんですけど(笑)
http://ameblo.jp/new-hopper/image-10758123566-10962379816.html

「07. 2011年1月11日 15:53:46: 4hiogTc4xM
アドルフ・ヒトラーは、ネイサン・ロスチャイルドの血をひく隠れユダヤ人であり、ナチスドイツは、ロックフェラーやロスチャイルドが第二次世界大戦を起こすために計画的に作られた実験国家だった。わが国では、小泉純一郎や石原慎太郎、安倍晋三といった似非右翼の政治家が在日コリアンの血をひくことは公然の秘密である。国際金融資本が、他国を操るため、他の血筋をひく者を民族指導者として操り、似非愛国心で民衆を騙す常套手段だ。
さて、前原誠司は、京都府議時代、同和推進委員会の副委員長だった。つまり、前原誠司は竹中平蔵と同じく同和出身という疑惑だ。なるほど、竹中と同じく、部落出身で周りからいじめにあって、その怨念をCIAや国際金融資本に悪用されたか。いや、そういう単純な話ではすまない。
引用
「低気温のエクスタシーbyはなゆー」氏によると、前原誠司は、ある大会で、韓国語を流暢に話したという。「はなゆー」氏は、それが前原誠司が北朝鮮に握られている「弱み」ではないかと推測した(つまり、前原在日疑惑だ)。なるほど、小泉純一郎が北朝鮮で「英雄」扱いされている理由とそっくりだ。前原は、在日コリアンで同和地区に在住していたのか。それだけではない。
前原誠司の妻・愛里は創価短大卒の学会員で、前原の現在の自宅には、池田大作の肖像写真まで飾ってある(愛里だけでなく、誠司も学会つながりか?)。「自殺した」と一般には言われる前原誠司の「父」とされる人物の写真と、池田大作の若い頃の写真を比べると、顔の特徴が何から何まで似かよっているそうだ。池田大作は、本名は「成太作(ソン・テチャク)」という在日コリアンである。
つまり、前原は、在日・池田大作の隠し子であり、同和地区で育ち、創価学会つながりでもある。そして、松下政経塾で育てられた若い右翼のホープであり、内閣総理大臣として、日中戦争による日本滅亡のために、国際金融資本によって育てられた男でもある。
前原誠司は、「21世紀日本のアドルフ・ヒトラー」に他ならない。政治家としても、彼の出生の秘密も、それをありありと物語っている。"

日本の権力構造は、南北朝の対立が底流になっているようである!
少なくとも明治維新以降の日本権力中枢は、南朝=朝鮮系と北朝=中国系
の勢力争いだった!
長州系列は朝鮮系、薩摩系列(含旧幕府)は中国系。
これを利用したのが国際金融勢力=イルミナティである。
戦後、自民党内にもこの系列によって派閥が形成される。
最大派閥は、朝鮮系の清和会、中国系の経世会ということになる。
朝鮮系は米国ロックフェラー系、中国系は英国サッスーン系(上海・香港拠点)
要するに幕末以来、国際金融勢力=イルミナティの分割支配の構図が
持ち込まれているのである。
従って、何と少なくとも明治以降の総理大臣のほとんどは、朝鮮系か
中国系であり、純日本民族系は、極めて稀なのだ!
しかも、政権のバックとなっている教団や暴力団なども、同じように
系列化されているのである。
このように見ていくと、現在の自民・公明対民主の対決の元が見えてくる。
総体的に、朝鮮系が主流を占めてきたようである。
経済発展しつつある中共中国を背景に中国系の巻き返しが図られている
が、人材不足で苦戦を強いられている。
戦後、ほとんどの時期を政権に就いていた米国ロックフェラー=自民系の
基盤は根強いものがあるが、これも崩れつつある。
いずれにしろ、明治以降、日本国民のための政治が行われた事実は無い!

【衝撃】トランプはパキスタン人でイスラム教徒だった! 少年時代の証拠写真も流出、現地メディアも太鼓判
http://tocana.jp/2016/11/post_11504_entry.html
以前12歳の少女がアメリカの大統領はほぼ全てが血族で続いてきていたとリークされていたが、それもスピンで
もしかするとアメリカでもマイノリティによる支配が行われているのかもしれない。このあたりは要検証。

中田ヤスタカ イルミナティサインをPVのきゃりーぱみゅぱみゅやパヒュームの曲中に埋め込む 
石川県立金沢伏見高校出身らしい この高校は 石川県金沢市米泉町 

俵万智 「サラダ記念日」
大阪府北河内郡門真町(現門真市)生まれ、同四條畷市、福井県武生市
被差別部落なのは
「北河内郡 水本村」
「中河内郡 長瀬村」
完全一致かは分からないすぐ近く。

出口治明 被差別部落出身
1948年三重県一志郡美杉村
日本の実業家である。三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。
被差別部落なのは
「美杉村 石名原村 14 48 法善寺 八幡宮 
美杉村 八知村 21 79 法善寺 仲山神社
美杉村 八知村 21 79 法善寺 仲山神社」

参考サイト
三重県 - 同和地区Wiki
https://同和地区.com/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C

長崎市生まれの衆院議員の中野寛成(民主党)は母方が部落民であると自称しているが、母の出身地区は不明である。

現在の長崎県知事 
中村 法道  数日前に選挙で前回に続いて当選していたが不正選挙の可能性が高くなった
長崎県南高来郡有家町(現南島原市有家町)の一本釣り漁師の家に生まれる。
被差別部落なのは
「〃 南有馬町 五 三四 仝 中 南島原市 南有馬町 同上。
〃 西有家町 二四 一二四 仝 中 南島原市 西有家町須川(向浜) 同上。
〃 堂崎村 四 二三 仝 中 南島原市 同上。南島原市有家町大苑20-4に堂崎郵便局がある。 」

長崎県東彼杵郡川棚町 被差別部落  土地を取り上げて石木ダムを作ろうとしていたが
2015年に長崎県は川棚の住民の土地を強制徴収して取り上げて石木ダムを作ろうとしていたが
被差別部落出身の長崎県知事の中村法道が取り上げられようとしていた川棚も被差別部落と分かった。

金子原二郎 前長崎県知事 長崎県平戸市生月町
被差別部落出身 不正選挙の可能性が高くなった

被差別部落なのは「平戸市 生月村 二 一三 仝 中 平戸市 生月町 平戸市生月町山田免に十字架がたつ墓地「クルスの辻」があり、ガスパル西が1609(慶長14)年にここで処刑された。 」

2018-02-09 10:21 自民党議員(谷川弥一・金子原二郎)のための百条委員会 | JC-NET(ジェイシーネット)
http://n-seikei.jp/2012/04/post-8103.html
谷川弥一 五島出身  被差別部落ではない 国会で般若心経を唱えていた。それは予め自分にV2Kで送っておいて後から仄めかしたものだった可能性。
金子原二郎  被差別部落出身 おそらく不正選挙
自民党議員(谷川弥一・金子原二郎)のために親族企業(概・G・F)を諫早湾干拓営農地に入植できるように仕向けたのは自民党国会議員・谷川弥 一・金子原二郎の二人の権力者である。

谷川弥一族企業概・G・F
谷川建設社長谷川喜一氏を偽証罪で告訴することや、金子原二郎前長崎県知事・谷川弥一現衆議院議員等を、県議会として強く非難する声明、さらには谷川・金子両氏の親族企業である農業生産法人TGFを、諌早湾干拓地に入植

田上富久
長崎県五島市出身 五島列島には被差別部落は存在しないから被差別部落ではない。

集団ストーカー被害者の上五島ブログの人は日本人とほぼ確定。少なくとも被差別部落の人ではない。
飛騨の岐阜の集団ストーカー被害者の人は下呂市で被差別部落ではない 日本人とほぼ確定
このことから集団ストーカーでの思考盗聴などによる私生活覗き見や仄めかしはアシュケナージユダヤ人と不逞朝鮮人たち組んで日本人に嫌がらせをしているのではないかという構図がはっきりとしてきた。


山口県 - 同和地区Wiki
https://同和地区.com/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C
田布施が被差別部落として載っていた。田布施システムを知ったときにもっと早く検索しておけばよかった。
同和教育により被差別部落などを検索するのを躊躇、自粛させるような洗脳だったということだろう。

リチャードコシミズ 山梨県北杜市高根町清里 出身
西横森 8 35 北杜市 高根町村山北割字西横森 が近いけども被差別部落ではない可能性

栃木レザー 栃木県栃木市城内町 被差別部落 肉の副産物だからある意味当然か 穢多(穢が多い)=屠殺や食肉、火葬 生死に関わるもの
レザークラフトの本での持ち上げ方がちょっと持ち上げすぎな感じがあった。レザークラフトはバイクの本で知ったが。

ヤンキー先生耳タバコ大臣 義家弘介 被差別部落出身
被差別部落なのは
「長野県長野市 川田村 瀬在 一五 八一 〃 〃 下 長野市 若穂川田 町川田 瀬在」

岩手県 久慈市 じぇじぇじぇ の朝ドラはステマだったのか
大河ドラマは明治維新クーデターを美化するための歴史修正主義のために作られているんだろうことは分かってきたが。

高倉健 福岡県中間市中間町 被差別部落
"〃 中間町 鳴王寺 六九 三六二 農業、日稼 中間市 岩瀬 別名は寿町。岩瀬1-3-10に鳴王寺橋あり。蛙田姓2件、次部田姓1件、白橋姓12件、林添姓6件。2000年電話帳。
〃 〃 淨花寺 八 五一 農業 中間市 中間 浄花寺 別名は浄花町"

"久留米市 白山町 七七 四八七 日稼、下足修理 久留米市 白山町 久留米市白山町に北川姓の者がいた[50]。同地に以下の姓の者がいた。中山、平井、松本[51]。平井姓14件。2000年電話帳。
〃 西町 五七 三七五 日稼、牛肉商 久留米市 西町
〃 梅満町 一九 一二一 農業、下足修理 久留米市 梅満町
〃 諏訪野町 七三 三七〇 日稼、農業 久留米市 諏訪野町 鮎川誠が8歳まで育った高牟礼会館の所在地。 "

松居一代さんがボランティアに行っていた場所 朝倉郡杷木 2017年8月の豪雨
ボランティア自体はいいことだろうけれども朝倉市など広い範囲が(もしかすると気象兵器で)豪雨になったが
被差別部落出身者が被差別部落を助けに行っていたということなのか。
部落解放同盟末広支部 – 滋賀県近江八幡市武佐町27
"朝倉郡 杷木村 城先 三八 二二〇 農業 朝倉市 杷木林田 城先 杷木林田に高岩姓7件。2000年電話帳。
〃 志波村 杉馬場 三〇 一七八 〃 朝倉市 杷木志波 杷木志波に杉馬場教育集会所あり。
〃 大福村 西村 二四 一九八 〃 朝倉市 石成 石成1040に全日本同和会福岡県連合会甘木朝倉地区協議会あり。『稿本明治前期福岡県町村字名分類索引 6(筑前篇 2)』に石成村の小字として西が記載。 "

松居一代 本来、滋賀県近江八幡市武佐町 被差別部落かははっきりとは断定できないが被差別部落のすぐ近く
2018-02-08 18:47 ズバリお聞きしますが、松居一代さんって部落の人でしょうか?最近テレビで松... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12176363197

船越英一郎 
神奈川県足柄下郡湯河原町出身。 完全一致かは分からないが被差別部落のすぐ近く
      足柄下郡吉浜(現在の湯河原町):1936年7月〜1937年3月に設立。
      足柄下吉浜村(現・湯河原町)

真田広之
東京都品川区大井 完全一致と確定はできないが被差別部落のすぐ近く
品川区東大井(浜川町) - 『新篇武蔵風土記稿』によれば、長吏小頭弥左衛門の大井村の59軒の地区は、1652年までは品川寺(当時は大円寺)にあったという。
東京都 - 同和地区Wiki
https://同和地区.com/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD

タモリの高校は芸能人が多く出ているらしい。えたひいきシステムとわかったからいいことなのか何なのか。

ASKA 福岡県筑紫郡大野町は被差別部落ではない。

ゆめタウンの創業者 山西 義政(やまにし よしまさ、1922年(大正11年)9月1日 - )は、日本の実業家。イズミ創業者
イズミ社長。 ヤオハン(現マックスバリュ東海)
被差別部落は
「〃 玖波町 下之町 一二 五一 〃 〃 中 大竹市 玖波町 」
広島県 - 同和地区Wiki
https://同和地区.com/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C

噂では昔は一流企業は被差別部落の地名リストを持っていてそういうところの人は採用しないということを聞いていたが
実は真逆だったんじゃないだろうか。エタ贔屓システムによりそういうところの人を積極的に採っていっていたんじゃないだろうか。
なんせ一流企業の社長とかがそういうところの出で国策企業のようにひいきされて大きくさせられていったということが分かっている。
一般の国民には被差別部落出身の人は落とされるというふうに信じさせておいて逆差別状態になっていることを分からないようにしておくというトリックだったのではないか。

金原弘周(通名)こと金弘周。 OKWave(オウケイウェイヴ) 出典国民が知らない反日の実態 - 反日企業/在日・数字とアルファベット社長の兼元謙任は帰化在日3世。

さだまさし 被差別部落 完全一致かはわからないが
1952年4月10日、長崎県長崎市で佐田家の長男として生まれる。佐田家は元々島根県那賀郡三隅町(現浜田市)の大地主の家系である。
部落解放同盟島根県連合会那賀支部- 島根県浜田市(旧:那賀郡三隅町)

福山雅治 大丈夫
長崎市稲佐町 被差別部落ではない

蛭子能収 大丈夫
熊本県牛深市(現天草市)生まれ。長崎県長崎市戸町育ちという説も

陸前高田の薪セシウム事件で人工地震の証拠の墓穴を掘った金融ハザールの馬鹿さ加減|donのブログ
https://ameblo.jp/don1110/entry-10986503431.html

長谷川幸洋 千葉県千葉市 詳しい場所は分からない 顔は見るからに目が細く朝鮮系だが

菅野完 「日本会議の研究」 日本会議=朝鮮会議
石上隣保館 天理市石上町581-1 天理市人権センター - 天理市石上町581番地1 1.1.4 山辺郡丹波市町大字石上(現・天理市石上町北方)
"山辺郡 丹波市町 御経野 一二五 六一三 〃 商、日稼 中 天理市 御経野町、勾田町 岡田姓5件、西辻姓21件、藤田姓12件、松村姓5件。2000年電話帳。
〃 〃 石上北方 八四 四九二 農、商 〃 上 天理市 石上町 北方
「被差別部落の出身者なんで、若い頃、地元で解放同盟に参加してました」[25]と自称する
@noiehoieこと菅野完(すがの・たもつ)の実家は天理市石上町にあるという[26]。
2016年にメガソーラー汚職疑惑で自殺した佐々岡典雅市議(自民党)もこの地区の出身。
石田姓6件、菅野姓13件、村井姓4件。2000年電話帳。 "
2018-02-09 06:55 山辺郡 丹波市町 御経野 一二五 六一三 〃 商、日稼 中 天理市 御経野町、勾田町 岡田姓5件、西辻姓21件、藤田姓12件、松村姓5件。2000年電話帳。 〃 〃 石上北方 八四 四九二 農、商 〃 上 天理市 石上町 北方 「被差別部落の出身者なんで、若い頃、地元で解放同盟に参加してました」[25]と自称する@noiehoieこと菅野完(すがの・たもつ)の実家は天理市石上町にあるという[26]。2016年にメガソーラー汚職疑惑で自殺した佐々岡典雅市議(自民党)もこの地区の出身。石田姓6件、菅野姓13件、村井姓4件。2000年電話帳。
https://同和地区.com/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C

増井敬史 安堵町のエセ右翼 叩かれ役をおそらく演じてヘイトスピーチを自粛させようとする役割
東安堵集会所 - 奈良県生駒郡安堵町大字東安堵562番地の4
〃 安堵村 東安堵北方 一八七 九九七 農、商 〃 中 生駒郡 安堵町 東安堵 北方 東
安搭町隣保館 安堵町東安堵782

菅野美穂
神奈川県伊勢原市


サザンオールスターズ 桑田佳祐、本籍が福岡県と明かす 出身は神奈川県茅ヶ崎市
福岡の話になると、「実は私、本籍が北九州市若松区」と明かした桑田
神奈川県茅ヶ崎市出身であることが有名なだけに、共演者は驚きを見せていた

若松市 修多羅 沖田 七五 三八一 日稼、下足修理 北九州市 若松区 修多羅
〃 蜑住 稲岡 三二 一六六 農業 北九州市 若松区 蜑住 稲岡は稲国の誤記


孫正義 ソフトバンク 犬の子(ケッセキ)CMで日本人を馬鹿にするCMでおなじみ
1957年8月11日、佐賀県鳥栖市五間道路無番地。 朝鮮部落
孫三憲、季玉子夫婦の次男として、孫正義は生まれた。
佐賀県鳥栖市は戦前から韓国・朝鮮の人達がバラックを建てて住みついた区画である。

当時国鉄鳥栖に居た佐藤栄作だったそうです。 田布施一族の満州アヘン売買からA級戦犯を逃れCIA
NEO : 五軒道路無番地
http://blog.livedoor.jp/specojp/archives/51961580.html

孫正義氏の生い立ちと理念   【たかじんNOマネー】: テレビにだまされないぞぉ
http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-1829.html
日本マクドナルドの創業者、朝鮮飲みかと思ったらハンバーガー

"藤田 田(ふじた でん、1926年(大正15年)3月13日 – 2004年(平成16年)4月21日)は、日本の実業家。
大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。輸入雑貨販売店「藤田商店」、「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」創業者。 "

被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html
情報の引用
宮沢りえ  りえママがB。 りえはオランダ人との私生児。
女優の山本富士子 満田久子 父親は大阪部落解放同盟の幹部
写真家 織作峰子
宝塚歌劇団の創始者 小林翁 がB出身ですが 音楽学校生徒には
所謂ええとこのお嬢と在日&Bの大金持ちの娘さんの混成だそうです  ←朝鮮耳率の高さが謎だったが納得
OGの黒木瞳さんはB 同じく音楽学校OGの小柳さんんはKですよね
こうしてみると やはりB出身のかたは綺麗な人が多いですね
残念ながら 一路さんがBのかたとは確認できません


【被差別部落】
    「中森明菜 瀬川瑛子 森口博子 坂本冬美 伊東四朗
    久本雅美 氷室京介 浜崎あゆみ 加護亜衣 野中広務」

豊田真友子は進学塾の両親の子 スパルタ DV 被差別部落ではない。

金子賢 キム・ヒョンという航空チケットの写真で確定されたらしいが フォトショップとか別人のチケットの写真じゃない限り朝鮮人と確定。

田中康夫
東京都武蔵野市→長野 武蔵野市に被差別部落はない 白山神社はある。

被差別部落出身の売国奴の竹中平蔵や被差別部落出身の安倍晋三などがすすめていた特区=えたひいき特区だった
特区=えたひいき特区だった

パソナ  南部靖之 創価学会 京都府神戸市
神戸市に被差別部落はあるものの市以降が公表されていないから隠しているのではないか。

筑紫哲也 出身地 大分県日田市
日田市に被差別部落はあるものの市以降が公表されていないから隠しているのではないか。
市以降を公表していない人は逆に怪しいのではないだろうか。


[18初期非表示理由]:管理人:混乱したコメント多数により全部処理

49. 中川隆[-6005] koaQ7Jey 2018年3月28日 13:20:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9226]

2011年06月24日
芸能界における在日コリア人と『官報』に帰化の記録がある人名
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1281004.html

在日コリア人の通名とコリア系日本人の姓について調べるなかで『官報』を読んでいったところ見覚えのある名前があったので記事を改訂する。「帰化」は法務大臣が許可するものであり、『官報』は国民に周知させる情報を掲載する国の機関紙で誰でも閲覧することができる。

まず、かつて読んだ1981年11月23日の市民講座をもとにした『本名を阻むものについて』(金時鐘『本名をはばむもの』(調布・ムルレの会、1983)所収)には、次の文がある。
「日本の芸能界には大変な数の朝鮮同胞が居ります。具体的に名をあげるわけにもいかないのです。その人の商売上の人格権に関るから誰それというわけにいきませんが、本人が認めている限りでもかなりの人が居ります」

本人が認めている人としては、一昨年に後楽園で五、六万人あつめてコンサートをした人物について名前を記している。この人物に関しては『官報』に同姓同名の帰化の記録があったので以下で掲載する。

そして、1975年12月10日の『官報』にある帰化の記録には、住所が東京都港区となっている以下の姓名の記載がある。
李乙龍(木本龍雄)昭和三十年四月十三日生

この名前は見覚えがある。木本という姓については、李が含む「木」の字を使用して「本姓は李」という意味で「本」の字を使用したのではないかと考える。

検索すると他のキーワードで「在日」と出てくるものの帰化しているので「コリア系日本人」ということになる。また、上述の人物はともに広島県出身である。

『官報』に帰化の記録がある芸能人と同じか似た名前の例

市区に続く地名は略した。発行年月日によって情報の有無や表記法に違いがある。

1961年6月28日
国籍 朝鮮
出生地 大分県大分市
住所 同市
金山明(金明植 錦野明 金野明)昭和二十三年十二月十四日生

1964年10月29日
国籍 朝鮮
出生地 大阪府大阪市生野区
住所 東京都北区
金可愛(岡田可愛、熊本可愛)昭和二十三年十月十九日生

1966年5月18日
国籍 朝鮮
出生地 京都府京都市上京区
住所 同区
李春美(北村春美、都はるみ)昭和二十三年二月二十二日生

1968年7月24日
国籍 朝鮮
出生地 朝鮮平安南道平原郡
住所 東京都港区
康永普i小畑実、カン・ヤング・チユル)大正十二年四月三十日生

1970年7月4日
国籍 朝鮮
出生地 京都府京都市下京区
住所 同区
朴佑一(木村佑一)昭和三十八年二月九日生
木村祐一(きむら・ゆういち、1963年2月9日 - )と生年月日が一致している。「祐」ではなく「佑」だったことから検索できていなかったものをコメント欄の情報から追加した。また、吉本興業のプロフィールで出身地が「京都府京都市右京区」となっているのは住所として記載のある「七条御所ノ内西町」が下京区と右京区との境界であることからと推定する。

1971年7月23日
住所 東京都新宿区
金福子(和田アキ子、和田現子、金海福子)昭和二十四年四月十日生
プロフィールでは1950年4月10日生まれで生年は異なっている。

1973年4月18日
住所 東京都目黒区
李数夫(松山数夫、松田数夫、五木ひろし)昭和二十三年三月十四日生
同日に福井県三方郡美浜町での帰化もあり。

1974年6月6日
住所 東京都世田谷区
野村昌基(朴昌基)昭和二十七年十一月十三日生
野村将希(のむら・まさき、旧芸名:野村真樹、1952年11月13日 - )と生年月日が一致している。『マスコミひょうろん 1976年12月号』(マスコミ評論社)「なぜ韓国人タレントが㊙なのか」(赤坂騎士)ではサンミュージックの創業者である相澤秀禎の養子になったことを記している。

1975年2月14日
住所 東京都杉並区
李初子 昭和十七年三月二十五日生
李麗仙(り・れいせん、本名:李初子、1942年3月25日 - )と生年月日が一致している。

1975年8月23日
住所 東京都世田谷区
金優作(松田優作、金優祚)昭和二十五年九月二十一日生

1976年2月24日
住所 東京都葛飾区
金文朱(渡辺文朱)昭和三十四年三月三日生
マッハ文朱(マッハ・ふみあけ、1959年3月3日 - )と生年月日が一致している。コメント欄の情報から追加した。

1978年6月8日
住所 横浜市磯子区
趙永吉(矢沢永吉、巴山永吉、巴山英吉)昭和二十四年九月十四日生
『官報』での「吉」の字は下が長い異体字の「𠮷」となっている。『本名を阻むものについて』(金時鐘『本名をはばむもの』(調布・ムルレの会、1983)所収)にある本人が認めているという人と同姓同名。

1981年6月13日
住所 大阪市東淀川区
権洋子(権藤洋子)昭和三十四年二月二十七日生
『テレビ・タレント人名事典 第6版』(日外アソシエーツ株式会社編、日外アソシエーツ、2004)の遙洋子の項目に「昭和36(1961)年2月27日 本名=権藤洋子」とある。本名と生年月日の月日が一致している。生年月日に関しては2歳若くしたものと推定すると『官報』にある「昭和三十四年二月二十七日」の方が信頼できる。

1981年12月18日
住所 兵庫県尼崎市
金勝美(南勝美、明本勝美)昭和三十九年一月二十日生
南果歩(みなみ・かほ、1964年1月20日 - )と生年月日が一致している。コメント欄の情報から追加した。

1989年10月23日
住所 大阪市平野区
金建(光田建、トミーズ健、トミーズ建)昭和34年5月26日生
この人物に関しては、大阪府大阪市生野区の同じ学区だったという人から確実にコリア系というコメントが以前あった。気になっていた名前に関しては、光州の本貫から「光」の字を使用してありふれた「田」の字を加えた「光田」を三文字化したのではないかと考える。

1989年12月13日
住所 東京都中野区
李功補(豊原功補、木島久詞、委大鶴島矢)昭和40年9月25日生

1994年4月5日
住所 京都市南区
鄭永憲(吉田永憲)昭和40年10月30日生
レッド吉田(本名:吉田永憲(よしだ・ながのり)、1965年10月30日 - )と生年月日が一致している。

1994年9月7日
住所 大阪府四条畷市
康英五(河島英五)昭和27年4月23日生

1995年3月3日
住所 東京都世田谷区
尹惟久(伊原剛)昭和38年11月6日生

1995年12月21日
住所 東京都渋谷区
鄭成美 昭和41年11月28日生
安田成美(やすだ・なるみ、1966年11月28日 - )と生年月日が一致している。『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一、講談社、2011)に「韓国籍の在日コリアンである安田(本名、鄭成美)」とある。

1999年2月23日
住所 大阪市都島区
朴隆行 昭和47年1月16日生
木下隆行(きのした・たかゆき、1972年1月16日 - )と生年月日が一致している。

2003年3月5日
住所 東京都世田谷区
姜暢雄 昭和54年3月23日生

2003年10月31日
住所 大阪府東大阪市
劉正洋 昭和57年5月29日生
エハラマサヒロ(本名:江原正洋、1982年5月29日 - )と生年月日が一致している。『ゼンリン住宅地図 東大阪市1(布施)201612』(ゼンリン、2016)で該当の住所を見ると「江原」とある。

2005年7月19日
住所 東京都足立区
金大耕 昭和60年4月25日生
みやぞん(本名:宮園大耕、1985年4月25日 - )と生年月日が一致している。

2006年9月7日
住所 東京都練馬区
趙秀惠 昭和51年6月29日生
井川遥(いがわ・はるか、1976年6月29日 - )と生年月日が一致している。民族名と芸名は全く異なっており、コメント欄の情報から追加した。

2010年4月5日
住所 東京都目黒区
李在剛 昭和39年7月14日生
椎名桔平(しいな・きっぺい、本名・旧芸名:岩城正剛(いわき・まさよし)、1964年7月14日 - )と生年月日が一致している。「剛」の字は共通しており、「岩」の字を使用する点から見て慶州李氏。また『ゼンリン住宅地図 東京都目黒区』(ゼンリン、2010)で該当の住所を見ると「イワキ」とある。

なお、ここに掲載する前は「李在剛」の検索で椎名桔平に関して情報があったのは以下のみだった。
新宿梁山泊の近童弐吉って何?
198 :元劇団員:02/02/10 15:16 ID:fasuxxee
「椎名さん(在団中は李在剛)は全くの新米で誰からも怒られてました」
https://hobby8.5ch.net/test/read.cgi/drama/1004918834/

他の証拠とトレンドブログが『官報』を確認せず「独自情報」から日本人としているのでまとめた。
椎名桔平の兄が李在明(岩城正明)である証拠を掲載
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/4884424.html

2011年12月21日
住所 東京都中野区
李鳳華 昭和39年1月24日生
木下ほうか(きのした・ほうか、本名:木下鳳華、1964年1月24日 - )と生年月日が一致している。

2017年4月5日
住所 東京都世田谷区
李光一 昭和26年3月21日生
岩城滉一(いわき・こういち、本名:李光一、1951年3月21日 - )と生年月日が一致している。

韓国籍・朝鮮籍以外の芸能人と同じか似た名前の帰化の例
1966年11月21日
国籍 無国籍
出生地 京都府京都市上京区
住所 東京都新宿区
黄由美子(野川由美子)昭和十九年八月三十日生
国籍は「無国籍」とある。

1973年1月31日
住所 東京都三鷹市
翁倩玉(ジユデイ・オング)昭和二十五年一月二十四日生
ジュディ・オング (本名:翁ジュディ、旧名:翁玉恵、台湾名:翁倩玉、英語名:Judy Ongg, 1950年1月24日 - )と生年月日が一致している。

1973年5月28日
住所 神奈川県横浜市中区
施延雄(瀬川伸)大正五年十月二十四日生
住所 神奈川県川崎市中原区
施瑛(瀬川瑛子、瀬川映子)昭和二十二年七月六日生
瀬川伸の住所は横浜の中華街。コリアにある施姓はシナ系。

1985年9月11日
住所 佐賀市
張真央美 昭和55年3月2日生
優木まおみ(ゆうき・まおみ、1980年3月2日 - )と生年月日が一致している。

2000年8月9日
住所 東京都渋谷区
荘芝蘭 昭和21年1月22日生
鳳蘭(おおとり・らん、1946年1月22日 - )と生年月日が一致している。

また、以上が同姓同名だという主張もありうる。

例としては、1974年4月25日に裴光男(達川光男)という名前の人物が帰化しており、別に1981年1月9日に徐相福(達川光男)という名前の人物が帰化している。なお、後者の記録は次のものとなっている。

1981年1月9日
住所 広島市東区
徐相福(達川光男)昭和三十年七月十三日生

他の『官報』に帰化の記録があるスポーツ選手と同じか似た名前の例
1960年2月8日
国籍 朝鮮
出生地 愛知県名古屋市北区
住所 東京都目黒区
金正一(金田正一)昭和八年八月一日生

1968年5月16日
国籍 朝鮮
出生地 朝鮮全羅南道金堤郡
住所 東京都豊島区
崔永宜(大山信達、大山倍達)大正十二年六月四日生

1970年9月9日
国籍 朝鮮
出生地 三重県松阪市
住所 東京都墨田区
李五郎(石山五郎)昭和二十三年二月四日生
三重ノ海剛司(みえのうみ・つよし、本名:石山五郎(いしやま・ごろう)、1948年2月4日 - )と生年月日が一致している。

1983年6月29日
住所 東京都調布市
崔寅鎬(広沢克己、松山克己)昭和三十七年四月十日生

1985年2月15日
住所 東京都世田谷区
高日明(前田日明、前田明)昭和34年1月24日生

1989年11月15日
住所 京都市左京区
金美保(金本美保)昭和51年9月13日生
武田美保(たけだ・みほ、1976年9月13日 - )と生年月日が一致している。

1991年2月28日
住所 大阪市東成区
朴鐘律(新井宏昌)昭和27年4月26日生

2000年10月20日
住所 東京都杉並区
朴和夫 昭和50年10月23日生
松井稼頭央(まつい・かずお、本名:松井和夫、1975年10月23日 - )と生年月日が一致している。

2001年9月13日
住所 大阪市生野区
秋成勲 昭和50年7月29日生
秋山成勲(あきやま・よしひろ、本名同じ、1975年7月29日 - )と生年月日が一致している。

2004年6月9日
住所 広島市佐伯区
朴貴浩 昭和52年1月30日生
住所 東京都世田谷区
朴良太 昭和58年8月16日生
新井貴浩(あらい・たかひろ、1977年1月30日 - )、新井良太(あらい・りょうた、1983年8月16日 - )と生年月日が一致している。

2004年7月9日
住所 横浜市都筑区
金龍彦 昭和51年7月27日生
金城龍彦(きんじょう・たつひこ、1976年7月27日 - )と生年月日が一致している。

2005年2月17日
住所 兵庫県尼崎市
劉憲人 昭和59年4月10日生
金刃憲人(かねと・のりひと、1984年4月10日 - )と生年月日が一致している。

2005年3月7日
住所 兵庫県芦屋市
金博成 昭和43年4月3日生
金本知憲(かねもと・ともあき、1968年4月3日 - )と生年月日が一致している。「博」は異体字。

2006年7月28日
住所 京都市右京区
金侑司 平成2年4月24日生
金子侑司(かねこ・ゆうじ、1990年4月24日 - )と生年月日が一致している。

2007年2月9日
住所 東京都西東京市
李忠成 昭和60年12月19日生

2007年11月22日
住所 東京都荒川区
李稀哲 昭和56年1月31日生
森本稀哲(もりもと・ひちょり、1981年1月31日 - )と生年月日が一致している。

2008年5月22日
住所 東京都杉並区
金義明 昭和38年8月27日生
金村義明(かねむら・よしあき、1963年8月27日 - )と生年月日が一致している。

2016年3月4日
住所 兵庫県西宮市
黄進煥 昭和44年7月1日生
桧山進次郎(ひやま・しんじろう、1969年7月1日 - )と生年月日が一致している。

2016年11月21日
住所 東京都世田谷区
郭光雄 昭和26年12月3日生
長州力(ちょうしゅう・りき、民族名:郭光雄、日本名:吉田光雄、1951年12月3日 - )と生年月日が一致している。

以上や他の情報を調べる場合は、膨大な量があるので「官報情報検索サービス」が便利である。

在日認定の問題
在日認定(ざいにちにんてい)とは、ある人物を事実や根拠の有無にかかわらず在日コリアンやコリアン系の人物であると認定すること。

2005年放送のNHK歌番組に出演中の韓国人歌手 Ryu が「日本の芸能界に在日韓国人が多い」と発言した。これに対して共演中の和田アキ子(両親は朝鮮人)は驚きつつ「え・・多い?」「そりゃ何人かはいるけど・・・少ないねぇ」「確かに何人かはいるけど」「少ないよ」「寧ろほとんどいない」等と応じた。すると Ryu が共演中の布施明に突然「あなたも在日です」と指摘し、吃驚した布施に「僕は日本人です」と否定された。和田アキ子も「日本人。日本人。日本人だよ。え、 何、この人韓国人にされてるの?この顔で?この顔が韓国人?これが?この顔が?」「この人日本人」と否定した。Ryu は「どこで誰がそんなことを言っているの?」と怪訝に尋ねる和田に「韓国でそう聞いた」と返答した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E8%AA%8D%E5%AE%9A

金時鐘
「日本の芸能界には大変な数の朝鮮同胞が居ります」
Ryu
「日本の芸能界に在日韓国人が多い」

和田アキ子
「そりゃ何人かはいるけど・・・少ないねぇ」

どちらが正しいのか。NHK歌番組の番組名は何で、2005年のいつ放送があったのか。

また、「在日認定」としていいのかという疑問を持たせる記述が『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一、講談社、2011)にある。
「錦野旦が紅白歌合戦に出場していた七〇年代の初め、紅白歌合戦の常連組には、錦野旦、都はるみなどの在日であるとカミングアウトしていた人たちに加えて、後にカミングアウトすることになる和田アキ子、レコード大賞に輝いたこともある男性大物歌手であるF・A、グループサウンズ出身の人気男性歌手S・K、音大の声楽科出身で歌唱力に定評のあるY・S、新御三家と言われた男性歌手のS・Hなど、在日コリアンの歌手が出場者の四分の一近くを占めていた」

以下では、「七〇年代の初め」という記述にもとづき1970年から1974年の5回のNHK紅白歌合戦出場者を列挙して検証する。なお、1970年から1974年のNHK紅白歌合戦には、97の歌手とグループが出場していた。

1970年から1974年のNHK紅白歌合戦の出場者(50音順)

◎は確実にコリア系。※は『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一、講談社、2011)で示唆する記述があるか2011年8月現在の Google での検索で「在日」の語がでた人物。
アイ・ジョージ
青い三角定規
※青江三奈 他のキーワード: 青江三奈 歌詞 青江三奈 在日 青江三奈 遺産 青江三奈ブルースを唄う 青江三奈 全曲集
アグネス・チャン
麻丘めぐみ
朝丘雪路
梓みちよ
あべ静江 注意点。2013年6月現在の検索では「在日」の語が出た。あべ静江に関連する検索キーワード あべ静江ブログ あべ静江 結婚 偽あべ静江 みずいろの手紙 あべ静江 あべ静江 恋はみずいろ あべ静江猫 あべ静江ダイコン事件 あべ静江 突然の愛 あべ静江 在日 あべ静江 wiki
天地真理
いしだあゆみ
石橋正次
◎五木ひろし 上記した『官報』の帰化の記録を参照。他のキーワード: 久保田利伸 五木ひろし 五木ひろし 在日 五木ひろし 歌詞 五木ひろし コンサート CR五木ひろし 在日・ユダヤ人と類似した地名に居住していたという点もある。
※伊東ゆかり 他のキーワード: 伊東ゆかり コンサート 伊東ゆかり 在日 伊東ゆかり wiki 伊東ゆかり ジャズ 伊東ゆかり 1990年 注意点。『マスコミひょうろん 1976年12月号』(マスコミ評論社)「なぜ韓国人タレントが㊙なのか」(赤坂騎士)では認定を否定。
内山田洋とクール・ファイブ
欧陽菲菲
小川知子
奥村チヨ
尾崎紀世彦
海援隊
※春日八郎 他のキーワード: 春日八郎 在日 春日八郎 歌詞 春日八郎記念館 春日八郎青い月夜だ 春日八郎 CD 注意点。『朝鮮人がなぜ日本名を名のるのか』(金一勉、三一書房、1978)では認定を否定。在日・ユダヤ人と類似した人名の可能性もある。
加藤登紀子
※金井克子 検索サジェスト。金井克子 他人の関係 金井克子 結婚 金井克子 人間模様 金井克子 年齢 金井克子 youtube 金井克子 あまい囁き 金井克子 在日 金井克子 他人の関係 歌詞 金井克子 波止場エレジー 注意点。『週刊サンケイ 1965年5月3日号』(扶桑社)「在日韓国系有名人リスト 第一線で活躍している女優さんから社長さんまで」に「タレントの金井克子についても断定的な声が強かったが、両親とも日本人」とある。
上條恒彦
GARO
岸洋子
北島三郎
郷ひろみ
小坂明子
※小柳ルミ子 他のキーワード: 小柳ルミ子 在日 小柳ルミ子 wiki 小柳ルミ子 スーパーベスト 小柳ルミ子スケジュール 小柳ルミ子 離婚 在日・ユダヤ人と類似した人名の可能性もある。
西郷輝彦
◎西城秀樹 上記した『官報』の帰化の記録を参照。木本龍雄は西城秀樹の本名。「新御三家と言われた男性歌手のS・H」。新御三家は、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎。姓名の順でイニシャルが一致している。他のキーワード: 西城秀樹 在日 西城秀樹 年齢 西城秀樹 wiki 西城秀樹 歌詞 西城秀樹 宅見
堺正章
※坂本九 坂本九に関連する検索キーワード 坂本九 事故 坂本九 歌詞 坂本九 wiki 坂本九 在日 坂本九思い出記念館 ベスト 坂本九 99 日航機墜落事故 坂本九 坂本九記念館 坂本九 CD 坂本九 心の瞳
佐良直美
佐川満男
桜田淳子
ザ・ピーナッツ 注意点。『朝鮮人がなぜ日本名を名のるのか』(金一勉、三一書房、1978)では認定を否定。
※沢田研二 「グループサウンズ出身の人気男性歌手S・K」。日本のグループサウンズであるザ・タイガースのメンバー。姓名の順でイニシャルが一致している。他のキーワード: 沢田研二 ブログ 沢田研二 在日 沢田研二 歌詞 沢田研二 a面コレクション 魔界転生 沢田研二 注意点。『我が名は、ジュリー』(沢田研二、玉村豊男編、中央公論社、1985)の戸籍抄本に「本籍 東京都世田谷区中町五丁目二十三番地 氏名 澤田研二」とある。
島倉千代子
朱里エイコ
※水前寺清子 検索サジェスト。水前寺清子 ブログ 水前寺清子 結婚 水前寺清子 ありがとう 水前寺清子 歌詞 水前寺清子 チーター 水前寺清子 在日 水前寺清子 怪我 水前寺清子 骨折 水前寺清子 美空ひばり 注意点。『女学生の友 1966年8月号』(小学館)「特別企画 青春スター20人のご先祖調べ」に「ご先祖 清和源氏と伝えられている」とある。在日・ユダヤ人と類似した人名の可能性もある。
菅原洋一
千昌夫
ダーク・ダックス
ちあきなおみ
チェリッシュ
鶴岡雅義と東京ロマンチカ
デューク・エイセス
殿さまキングス
トワ・エ・モワ
中条きよし 注意点。『噂の真相 1979年10月号』(噂の真相)「なぜ朝鮮人タレントの”国籍”がタブーなのか!」(金山利昭)に「昨年六月、中条きよしと結婚した元RVC歌手・高山ひろ子は、両親とも韓国籍」とある。
渚ゆう子
◎にしきのあきら 上記した『官報』の帰化の記録を参照。他のキーワード: にしきのあきら宝くじ にしきのあきら 在日 にしきのあきら 逮捕 にしきのあきら 奥さん にしきのあきら ロト
※西田佐知子 他のキーワード: 西田佐知子 在日 西田佐知子 関口宏 西田佐知子 CD 故郷のように 西田佐知子 西田佐知子全集 注意点。『朝鮮人がなぜ日本名を名のるのか』(金一勉、三一書房、1978)では認定を否定。在日・ユダヤ人と類似した人名の可能性もある。
野口五郎
◎野村真樹 上記した『官報』の帰化の記録を参照。
はしだのりひことクライマックス
※橋幸夫 検索サジェスト。橋幸夫 在日 橋幸夫 cd 橋幸夫 かつら 橋幸夫 歌詞 橋幸夫 コンサート 橋幸夫 宗教 橋幸夫 この道 橋幸夫 江梨子 橋幸夫 潮来笠 注意点。『明星 1966年3月号』(集英社)「スターのご先祖様を全調査 エッヘン!世が世であればこんな身分だョ」に「うちの先祖は、おじいさんの代までずっと滋賀県草津の神主でした」とある。
ヒデとロザンナ
日吉ミミ
平田隆夫とセルスターズ
ビリー・バンバン
弘田三枝子
ぴんから兄弟
ピンキーとキラーズ
フォーリーブス
※藤圭子 藤圭子に関連する検索キーワード 藤圭子 離婚 藤圭子 歌詞 藤圭子 wiki 藤圭子 試聴 藤圭子 cd 前川清 藤圭子 藤圭子 宇多田ヒカル 藤圭子 DVD 藤圭子 写真 藤圭子 在日
藤山一郎  注意点。『週刊サンケイ 1965年5月3日号』(扶桑社)「在日韓国系有名人リスト 第一線で活躍している女優さんから社長さんまで」に「ところが調べてみると、まったくのデマ。本名、増永丈夫。『平壌生まれ』どころか、東京都中央区日本橋蠣殻町の生まれ。父、増永信三郎、母、ゆうの三男」とある。
※布施明 「レコード大賞に輝いたこともある男性大物歌手であるF・A」。1975年12月31日の第17回日本レコード大賞の大賞受賞者。姓名の順でイニシャルが一致している。他のキーワード: 布施明 在日 エハラマサヒロ 布施明 布施明 息子 布施明 オリビア 吉田拓郎 布施明 注意点。『週刊平凡 1968年2月15日号』(平凡出版)「人気スターの意外なご先祖さま」に「貴族、武士、町人・・・・とでたところで、百姓の出はいないのだろうか?いるいる!布施明だ。百姓といっても、滋賀県は蒲生郡の豪農。水晶の出る山まで持っているという大金持ちのボンボンのくせに、彼もちいさい時から麦踏みをやらされたそうだ」とある。
舟木一夫
※フランク永井 他のキーワード: フランク永井 歌詞 フランク永井 在日 フランク永井 後遺症 13800円 フランク永井 フランク永井 ベスト 注意点。『週刊サンケイ 1965年5月3日号』(扶桑社)「在日韓国系有名人リスト 第一線で活躍している女優さんから社長さんまで」に「ある印刷物にも、『フランクは済州島出身』と書かれた。このフランク、産は宮城県志田郡松山町千石字松山二一七、永井ユリさんの子息。日本人」とある。別に『週刊平凡 1968年6月20日号』(平凡出版)「韓国でモテモテのフランク永井」には「戦後日本人歌手が韓国でうたったのはフランクがはじめて」とある。
ペドロ&カプリシャス
辺見マリ
本田路津子
真帆志ぶき
黛ジュン
美川憲一
水原弘
※美空ひばり 他のキーワード: 美空ひばり 在日 美空ひばり 死因 美空ひばり 歌詞 一覧 cr美空ひばり不死鳥伝説 美空ひばり セグ
南沙織
三波春夫
三橋美智也
◎都はるみ 上記した『官報』の帰化の記録を参照。他のキーワード: 都はるみ 在日 都はるみ コンサート 都はるみ 歌詞 都はるみ 結婚 都はるみ 中村一好
三善英史
村田英雄
森進一
森昌子
森山加代子
森山良子
※八代亜紀 八代亜紀に関連する検索キーワード 八代亜紀歌詞 八代亜紀替え歌 八代亜紀コンサート 八代亜紀wiki 八代亜紀のど自慢 八代亜紀かえうた動画 おんな港町八代亜紀 八代亜紀在日 あなたの背中に八代亜紀 八代亜紀花水仙 在日・ユダヤ人と類似した人名の可能性もある。
※山口百恵 他のキーワード: 山口百恵 在日 山口百恵 父親 山口百恵 蒼い時 山口百恵トリビュート 阿久悠 山口百恵 注意点。『創 1986年5月号』(創出版)「山口百恵“韓国ルーツ説”の真相を追う」(早川和廣)では認定を否定。
山本リンダ
※由紀さおり 「音大の声楽科出身で歌唱力に定評のあるY・S」。姓名の順でイニシャルが一致している。声楽科に関しては不明。『婦人生活 1971年3月号』(婦人生活社)「夫の励ましで私はスターになれた」に「暗い気分を抱いたまま、わたしは、高校の上部機構としてある短大に進みました。洗足学園短大英文科です」とある。他のキーワード: 由紀さおり 在日 由紀さおり ブログ 由紀さおり 結婚 由紀さおり cd 由紀さおり 手紙 歌詞
雪村いづみ
◎和田アキ子 上記した『官報』の帰化の記録を参照。他のキーワード: 和田アキ子在日 和田アキ子何様 植村花菜和田アキ子 和田アキ子病気 トイレの神様和田アキ子
渡辺はま子
渡哲也

結果
◎ 6
※ 17
計 23

97中23で割合は23.7%。ウェブでの「在日認定」を含めた場合は「在日コリアンの歌手が出場者の四分の一近くを占めていた」という記述に近い値となった。今後、判明することがあれば改訂していく。

また、『本名を阻むものについて』の続きと上述の「在日・ユダヤ人と類似した人名・地名」の解説は以下で記述する。
由来に関心のある在日・ユダヤ人と類似した人名・地名の解説
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/3494067.html

最後に以上を考える上で朴一の主張と反論を記す。

朴一
朴一(パク・イル、1956年 - )大阪市立大学大学院経済学研究科教授。兵庫県尼崎市生まれ。在日韓国人3世。

主張
■ 芸能人やスポーツ選手は日本国籍取得者も在日コリアンと主張。
■ 『在日コリアンってなんでんねん?』で「在日韓国・朝鮮人が加害者となった犯罪行為は本名ではなく通名で報道するべき」と主張。

反論
■ 元在日韓国人3世で帰化者の浅川晃広名古屋大学専任講師は、『諸君! 2006年4月号』で、朴一は「在日コリアンが、いろんな分野で活躍しているにもかかわらず、日本人には見え難い存在になっている」と主張しているのだから「見えやすく」してくれた韓国名報道について異論はないはずであると反論した。
■ 犯罪者を日本名で報道すべきとの理由は「犯行と国籍とは無関係」だからだという。芸能人、スポーツ選手についてもその能力は「国籍とは無関係」で個々に芸能人、スポーツ選手として活躍しているに過ぎない。世間から賞賛される有名人は、日本国籍取得者であろうとハーフであろうと在日コリアンと強調して犯罪者については「出自とは無関係」として事実すら隠蔽せよということである。
■ プラス面は何倍にも強調してマイナス面は隠蔽するという主張に過ぎない。朴一は、自分の主張に対する抗議メールの「ご都合主義だ」というものを紹介して批判している。しかし、「これを『ご都合主義』と呼ばずして一体何と呼ぶべきだろうか」と批判した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E4%B8%80

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トラックバック一覧
1. 時の権力者:その名はマスコミ [文句言いのたわごと]
2012年01月15日 10:37
こんなんだからマスコミは・・・ 同系列の毎日新聞購読をやめました。

2. 【芸能裏情報】在日韓国・朝鮮人?と噂される芸能人 『官報』に帰化の記録がある有名人(2/2) [貴方の知らない日本]
2012年06月09日 11:45
■芸能界のおける在日コリア人と『官報』に帰化の記録がある人名 http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1281004.html

3. この男は胡散臭い!! 朝鮮半島の統一を願うワンコリアフェスに何故か山本太郎が参加!! [貴方の知らない日本]
2012年06月09日 11:58
"朝鮮半島の統一"願うワンコリアフェスに、反原発の山本太郎ゲスト出演…大阪 http://c.2ch.net/test/-/newsplus/1319519265/1

コメント一覧

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374. 宮本洋一
2017年12月19日 19:41
天丼様。コメントありがとうございます。

来年に調べて追記します。

追記するとエハラマサヒロは帰化の記録がありました。記事に追加しておきます。


375. はぁ
2017年12月24日 19:18
あともう一つ、五木ひろしが帰化したのは書いてありましたがその母親の松山キクノって人(2002年5月31日に83歳で死去のため1919年頃の生まれと思われる)も調べていただきたいです。

376. 名無し
2017年12月24日 19:24
上のはぁ様の件に関して、1919年に秋田県で生まれた人が在日なんてあるんでしょうか?

あと増田姓で帰化した例ってどのくらいありますか?

377. 宮本洋一
2017年12月24日 20:03
上記した福井県三方郡美浜町で同じ日に帰化したのが五木ひろしの母です。確認してみてください。

帰化の記録では地名も含む数字として増田は172件ヒットしました。

378. やまと
2017年12月25日 21:21
現在、世間を賑わしている貴乃花はどうなんでしょうか? 花田姓、体格の大きさ、北朝鮮総連ビル落札し、清原、新井らは弟子、訪朝歴有り、小泉といとこの僧、池口恵観とも繋がりがあります。


379. 宮本洋一
2017年12月26日 18:30
やまと様。コメントありがとうございます。

本人より父の代が気になる点です。韓国との関りとして以下があります。

若乃花 幹士(わかのはな かんじ)本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋(1953年に花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。身長179cm、体重107kg。血液型はB型。弘前市名誉市民。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である。(歴代史上最軽量は栃木山の103kg)

引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花(のち藤島→二子山)、横綱・2代若乃花(のち間垣)、横綱・隆の里(のち鳴戸)、大関・若嶋津(のち松ヶ根→二所ノ関)らを育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。

第65代横綱・貴乃花(一代年寄・貴乃花親方)と第66代横綱・3代若乃花(のち藤島、現実業家・タレントの花田虎上)の二人は甥にあたる。 愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門し、1989年3月初土俵。若剛志の四股名で幕下まで昇進した(1997年1月に引退)。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/若乃花幹士_(初代)

追記すると該当する帰化の記録はありませんでした。

380. スンデ
2018年01月06日 21:00
余談だが野茂さんの母方は部落です。

381. 乾
2018年01月07日 12:03
在日じゃないと思うけどな野茂さんは

382. ナナシ
2018年01月14日 21:56
有名人ではないのですが、堀ちえみさんの夫の尼子勝紀さんは在日でしょうか?
某パチンコメーカーにお勤めとの事なので、可能性はあるのではと思っています。

383. 宮本洋一
2018年01月14日 23:54
生年月日は不明なので姓、名から調べて追記します。

なお、尼子は通名としてみた記憶はないです。

384. ナナシ
2018年01月15日 00:42
ありがとうございます。
生年月日はおそらく昭和40年12月11日だと思います。
お手数をお掛けしますが、宜しくお願い致します。

385. 宮本洋一
2018年01月18日 19:43
帰化の記録では尼子は地名として2件ヒットするのみでした。

勝紀の名前は6件あっていずれも生年月日は異なるものでした。

386. ナナシ
2018年01月18日 22:51
お調べ頂き、ありがとうございました。
やはり、噂話レベルでの在日認定は、根も葉もない根拠のない事が多いのかもしれないですね。スッキリしました!

387. サムライブルー
2018年01月20日 04:40
宮本氏 川崎市と尼崎市に在日が多いって本当ですか?あとセリエAで活躍した森本貴幸選手と久保建英君と堂案律は川崎 尼崎出身らしいのですが この三人は官報に帰化記録がありますか? 日本代表なので帰化人ならすぐ解ると思います 宜しくお願いします

388. やまと
2018年01月20日 18:34
>宮本洋一様
ご多忙に関わらず調査有難うございました。
帰化記録がないという事は、現在も外国籍のまま、もしくは背乗りの可能性もあるということですね。 初代貴ノ花婦人は藤田姓、貴乃花親方婦人は元フジアナ。花田虎上の最初の夫人は栗尾性。
 ネット・ジャーナリスト、リチャード・コシミズ氏の講演会動画によると最福寺の池口恵観は小泉と従兄弟で、自ら朝鮮人と認め、護摩焚きには、清原、新井、金本ら弟子が参加。北朝鮮総連ビルを40数億円で落札しています。 貴乃花親方はそんな北朝鮮僧侶と強い繋がりがあります。池口はモンゴルの資源に関する利権に食い込もうとしており、貴乃花は池口に利用されているかもしれません。安倍晋三も池口と強い繋がりがあり、池口は現代版日本フィクサーです。池口と訪朝をしているデヴィ夫人も在日とみています。

389. 宮本洋一
2018年01月20日 20:17
サムライブルー様の質問は来週調べて追記します。

川崎市、尼崎市に関しては多いです。

「堂安律は我が同胞!?」、あの国がザワつく
http://qoly.jp/2016/10/27/vietnam-football-digest-20161026-ritsu-doan?part=2
という記事もあってベトナム人認定はあったことがわかります。


390. YASU
2018年01月21日 21:14
椎名桔平さんは帰化の記録が残ってる(住所や生年月日も一致とのことですが)とのことですが
高校生の時に国体に出ていたという情報があります。昔は日本国籍を持っている人しか出られなかった国体ですが
どうなんでしょうか。

391. 宮本洋一
2018年01月21日 22:26
YASU様。コメントありがとうございます。

まず、『官報』と住宅地図を見るといいです。

特別に記事を書いたので参照してください。
椎名桔平の兄が李在明(岩城正明)である証拠を掲載
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/4884424.html


392. サムライブルー
2018年01月22日 07:14
何度もすみません 衝撃的な記事を発見したので報告 中田英寿の祖父は朝鮮総督府のエリートだったという記事を発見しました

393. 天丼
2018年01月24日 07:45
杉浦太陽と杉浦太陽の父はどうでしょうか?

394. 宮本洋一
2018年01月24日 21:43
サムライブルー様の森本貴幸、久保建英、堂安律に関しては帰化の記録は見つかりませんでした。

天丼様の質問にある杉浦太陽は名前と生年月日からでは帰化の記録はありませんでした。

杉浦太陽の父に関しては杉浦三六の「三六」を検索すると含んだ名前の「一三六」は一件あります。

ただ、生年月日は別でした。

395. サムライブルー
2018年01月25日 01:37
どうやら噂に過ぎなかった様ですね 堂安君はファンフィチャンと言う韓国人にソックリ で尼崎市出身という事で一番疑ってましたが 三人共立派な日本人日本代表選手だったという事ですね 調べていただきありがとうございました

396. 松井秀喜について
2018年01月28日 21:11
youtubeで松井秀喜在日コリアン疑惑と言う動画を観ました。焼肉屋でお客さんがテレビに向かって出てる出てるパク出てると本当に言ってて驚きましたよ この動画に出てくる焼肉屋ゆうちゃんの山本美代子さんは帰化人なのでしょうか あと根上町は在日が多いんですか?。気になりますね あと今年引退したベイスターズの林昌範選手、彼も小笠原選手や斉藤選手の様に在日認定を受けてましたが 彼はどうなんでしょうか

397. loren
2018年01月29日 05:41
お笑い芸人の慶こと金田慶哲氏は?

398. 宮本洋一
2018年01月29日 19:36
松井秀喜は名前と生年月日からでは帰化の記録はありません。

なお、根上町では帰化の記録は29件ありました。

林昌範は同姓同名の人物が一人いました。ただし、生年月日は違います。

loren 様の質問にある金田慶哲は帰化の記録がありました。在日コリア人・コリア系日本人の男性の個人名の項目に記載します。

2009年10月29日
住所 東京都昭島市
金慶哲 昭和57年9月14日生
慶(けい、本名:金田慶哲、1982年9月14日 - )と生年月日が一致している。


399. 名無し
2018年01月29日 21:04
ありがとうございます いやここは本当に真実を知れる良い場所ですね 他のブログやまとめサイトじゃTKO木下隆行は日本人という扱いになってますし

400. 名無し
2018年02月01日 20:47
議員(市区町村長、地方議員も全て)は三親等内までの国籍を立候補の時に公示するべきですね。世界の常識では当然なのですから。

401. 名無し
2018年02月01日 21:55
在日の覧に「三波春夫」とありますが・・日本人ですよ。なにせ我が家が本家なんで(笑) 先日、調べてみたら戸籍としてもペリーが浦賀に来た年代まで残ってました。もちろん我が家の墓には、それ以前の訳わからん年代まで墓石並んでます。親は群馬県民です。

402. 名無し
2018年02月02日 21:12
松山英樹の松山姓について。松山英樹が在日韓国人はデマ!?という記事を見ました。この記事のコメ欄に松山市の松山姓は珍しいと書かれてるのですが、本当に珍しいのですか?。父幹雄さんがパチンコで働いてるとも書かれてました。もし本当に在日で東京五輪に出場するのならば帰化する(もしくはもうしてる)と思うので 彼と彼の家族をマークしてくれませんか? 母と妹は不明なので 2020までに松山家に直接聞きにいきます

403. 宮本洋一
2018年02月02日 21:26
松山姓は愛媛県松山市に2007年電話帳では10件ありました。他の多い地域との比較では少ないです。

松山英樹と父に関しては、『官報』を調べて来週追記します。

追記すると見つかりませんでした。

404. エスプレッソ
2018年02月04日 10:29
辛坊治郎(1956年4月11日鳥取県米子市生まれ)について調査願えませんでしょうか?  実兄の名は正記です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%9D%8A%E6%B2%BB%E9%83%8E


405. 宮本洋一
2018年02月04日 17:22
エスプレッソ様。コメントありがとうございます。

辛坊は私も関心のある名前で以下の番組で大阪府岸和田市神須屋町が本家と言っていました。

【辛坊治郎】ズーム そこまで言うか!H26/02/15【世界一多彩な日本の苗字】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22894977

一応、『官報』も調べてみたところ該当する記録はありませんでした。

406. 名無し
2018年02月05日 21:22
ありがとうございます。英樹は日本人だったんですね、まぁちょっと怪しいですけど。 あ 質問して良いですか 筒香という苗字金刃と同じ全国に10人しか居ないと書かれてますがこれは在日が作った苗字ですか?

407. 宮本洋一
2018年02月05日 22:06
筒香は和歌山県の地名で地名はツツガと発音します。

以下を見てください。

筒香荘
https://ja.wikipedia.org/wiki/筒香荘

408. 名無し
2018年02月05日 22:29
日本の苗字なんですね ありがとうございます 筒香選手の出身地も和歌山県でした 蓼丸の様に数は少ないけど由緒正しい苗字なんですね

409. エスプレッソ
2018年02月07日 12:44
宮本様、調査有難うございます。
北朝鮮工作員、辛光洙と「辛」がオーバーラップしたので、ご調査願った次第です。  辛坊治郎は民団で講演会を行ったり、日本人的ではない風貌、言動が目に触ります。  

http://www.mindan-osaka.org/kccbbs/kannews_viewbody.php?number=289

410. 福岡のしょー
2018年02月08日 22:46
河本栄得は在日ですか?
相方の高山知浩は官報に出てたみたいだけど


411. 宮本洋一
2018年02月09日 18:27
福岡のしょー様。コメントありがとうございます。

以前に下記のコメントがあって調べたところ帰化の記録はありませんでした。

ラッツ
2014-06-18 10:10:33
高山トモヒロさんの元相方の故・河本栄得さんも名前からして在日っぽい気がします。

412. 福岡のしょー
2018年02月10日 13:01
コメントありがとうございます。
はんにゃ金田哲、ほっしゃん。はどうですか?

413. 宮本洋一
2018年02月10日 18:52
この二人は以前に調べたことがあります。

時間がたっているので再確認してみて来週追記します。

追記すると星田英利(ほしだ ひでとし、1971年8月6日 - )の帰化の記録はありません。英利での検索では18件ありました。

金田哲(かなだ さとし、1986年2月6日 - )もありませんでした。「金」、「哲」もよく使用する文字であって「金哲」では314件ヒットしました。

414. 名無し
2018年02月10日 22:28
民進党の今井雅人はどうですか?日本人になって初めて発言で話題を呼んだ

415. バイキンマン
2018年02月11日 09:01
ほっしゃん。と出身中学が同じたむらけんじはどうなんでしょう。
焼肉屋経営、身長180cmです。

416. 宮本洋一
2018年02月11日 19:49
調べて追記します。

追記すると今井雅人(いまい まさと、1962年2月21日 - )は名前と生年月日からでは見つかりません。

たむらけんじ(1973年5月4日 - )は「田村憲司」の表記では一件ありました。ただし、生年月日が異なる別人でした。


417. 乗り越え
2018年02月12日 21:43
お手すきで、お笑い芸人鬼越トマホークの金野博和をお調べいただけますか?

418. 自民潰そう
2018年02月13日 10:14
神戸市長田区出身、小泉、麻生、安倍とズブズブ。 青山繁晴を調べて下さい。
https://blogs.yahoo.co.jp/ishikawaryou1/14217146.html

419. 宮本洋一
2018年02月13日 20:36
まず、金野博和(きんの ひろかず、 1985年11月6日 - )は民族名を「金博和」と推定して検索してみると4件ありました。ただ、いずれも生年月日、住所は異なる別人でした。

気になる名前ではあり、『官報』は今後もでるのでチェックするといいと思います。

青山繁晴(あおやま しげはる、1952年7月25日 - )に関しては該当する情報は見つかりません。

420. 福岡のしょー
2018年02月14日 00:52
返信ありがとうございます。
パチンコ経営者などは、帰化の記録は有るのでしょうか?
有名企業以外でお願いします。

421. 乗り越え
2018年02月14日 15:12
ありがとうございます。金野博和の父親で演歌歌手の金野道博でも調べてみると、親の代で帰化している可能性もありそうですね

http://sutakorasacchan.com/post-9253/

422. 李花幻
2018年02月14日 18:28
ありがとうございます

423. 宮本洋一
2018年02月14日 19:07
パチンコに関しては事情はわかりません。

官報検索サービスで自分の妙味のある名前を検索してみてください。

424. バイキンマン
2018年02月14日 19:37
宮本様

有難うございました

425. アカ
2018年02月22日 08:03
質問 帰化人って官報に必ず載るんですか?

426. 宮本洋一
2018年02月22日 19:11
アカ様。コメントありがとうございます。

帰化した場合は『官報』に必ず掲載しています。

427. アカ
2018年02月22日 20:15
ありがとうございます あと 小笠原道大2003年帰化と斉藤和巳2003年帰化これは本当なんでしょうか?官報にないみたいですけど
帰化がばれない方法とかあるんですか?

428. 宮本洋一
2018年02月22日 20:37
小笠原道大、斉藤和巳は私も調べたことがあって出てないということは在日認定ではないかと考えます。

2003年帰化だけでは不十分で何月何日でどのような名前の記載があるかがない場合は疑ったほうがいいです。

429. アカ
2018年02月22日 20:49
う〜ん この二人は本当謎です 松井稼頭央はバレたのに 在日認定ですかね 朝鮮総連系だと聞いて疑ってます ありがとうございました

430. 福岡のしょー
2018年02月26日 13:44
野球選手でこの方は在日でしょうか?
高校は生野工業という高校出です
金城 致勲、1954年8月10日
ぜひお調べお願いします

431. 宮本洋一
2018年02月26日 21:09
金城致勲という名前と生野工業という点から見てコリア系という印象はあります。

追記すると帰化の記録がありました。

1992年2月28日
住所 大阪市生野区
金致勲(金城致勲)昭和29年8月10日生
金城致勲(かねしろ・おさむ、1954年8月10日 - )と生年月日が一致している。

432. 大仏
2018年02月27日 21:59
村田善則選手 松井秀喜選手の親友の 彼は在日なんですか?みんな在日 在日言うんですが 同じコリアン系だから仲良かったとか あと有藤通世さん彼は在日ですか? キム通世 ソースが出てこないです 村田善則1974年4月24日 あとサッカー日本代表で在日3世の噂がある杉本健勇1992年11月18日 すみません 気になる事がいっぱいで

433. 宮本洋一
2018年02月27日 22:27
大仏様。コメントありがとうございます。

有藤通世は過去にもあって調べたところ見つかりませんでした。

他の村田善則、杉本健勇についても追記すると帰化の記録は見当たりません。

434. 大仏
2018年02月27日 23:13
ありがとうございます。やっぱ在日認定ですよね?有藤通世さんは、ソースが全く出てこないし

435. 釧路市民
2018年03月01日 00:49
お笑いコンビ、うしろシティの金子学を、調べてもらえますか。


436. S
2018年03月01日 15:58
高梨臨 1988/12/17生まれはどうなんでしょ?


437. 宮本洋一
2018年03月01日 20:33
釧路市民様。コメントありがとうございます。

金子学(かねこ・まなぶ、1981年3月25日 - )に関しては「金子学」という名前で1962年3月2日に1件の帰化の記録がありました。ただし、生年月日は異なる別人でした。

「金学」と生年月日での検索でもなかったです。

S様。コメントありがとうございます。

高梨臨は来週調べて追記します。

追記すると該当する帰化の記録は見つかりませんでした。

438. シロ
2018年03月02日 05:49
父親が日本人で母親が在日のハーフの場合、本人が公表するか母親の親族が暴露でもしない限り分らないよね?容姿や交友関係等々で怪しすぎる有名人にこのパターンは結構あるかも 

439. 大仏
2018年03月02日 17:05
ありがとうございます 全然当たらないですね.... 健勇はそれだと思ったんですが

440. 大仏
2018年03月02日 17:10
今のところ サッカー日本代表の在日 帰化人選手は 李忠成と平山相太だけですよね? オリンピック競技やサッカーに少なくて 野球や芸能界に多いのは何故なんでしょうかね

441. 宮本洋一
2018年03月02日 18:42
シロ様。コメントありがとうございます。

確かに指摘のパターンはあると思います。

大仏様。コメントありがとうございます。

プロサッカーよりプロ野球のほうが古くからあることが関係しているのではないかと考えます。


442. 大仏
2018年03月02日 19:08
ありがとうございます それと有藤通世さんなんですが 朴一から在日扱いされてます これは適当に言ってるだけですよね?沢田研二も日本人だったし

443. 宮本洋一
2018年03月02日 19:24
以前に以下のコメントがありました。


232. や 2015年07月20日 01:28
有藤道世さんは現役引退頃の週刊誌のインタビューで
帰化したことを話していました。
本名の金 有世(キム・ウセ)から

日本で一番名字に多い字は佐藤、加藤、伊藤などの藤原氏の「藤」だろう、だったら藤原始祖である藤原道長の「藤」と「道」を本名の「有」「世」で挟んで日本名にしようと考えたと。


これは、雑誌名、掲載年月日を書いていない確かめようがない情報でした。

国立国会図書館デジタルコレクションで有藤道世を検索すると雑誌記事が22件ヒットするので記事を読んでみて来週に追記します。

追記するとデジタル化している『潮』、『週刊現代』、『サンデー毎日』、『週刊新潮』、『週刊文春』、『週刊宝石』、『週刊ベースボール』の雑誌記事を見たところ見つかりませんでした。

他には辺真一が書いていた『強者としての在日 経済の目で見た全く新しい視点の在日論』(辺真一、ザ・マサダ、2000)をもう一度見てみると40ページに次の文がありました。

「打撃部門では首位打者のタイトルに輝いた新井宏昌(朴鐘律。南海→近鉄、現オリックス二軍監督)とミスター・ロッテの有藤通世(現野球解説者)の名を挙げなければならない」

辺真一は新井宏昌のように有藤通世の民族名は書いていません。根拠は不明であって内容を確認してみてください。

444. 大仏
2018年03月02日 19:34
ご丁寧にありがとうございます

445. 福岡のしょー
2018年03月03日 21:02
ご返信ありがとうございます。
やはり、生野出身で金城という名字というのは確率的に在日が多いのでしょうか
もう一方気になる野球選手がいるのですが、星山 晋徳(ほしやま しんとく、1938年7月7日 この方の名字、名前が独特なので気になります。

446. 宮本洋一
2018年03月03日 21:50
2007年電話帳で大阪市生野区に金城姓は72件あります。これらはコリア系ではないかと考えます。

ただ、大阪市大正区に同年電話帳で金城姓が73件あって沖縄県出身者が一部まじっているかもしれません。

星山に関しては、確かによく通名に使用する名前であって『官報』を調べてみて来週追記します。

追記すると帰化の記録がありました。

1965年8月18日
国籍 朝鮮
出生地 愛知県豊橋市
住所 同市
星山晋徳(「晋徳、「晋徳、「徳萬)昭和十三年七月七日生
「、徳は異体字。星山晋徳(ほしやま・しんとく、1938年7月7日 - )と生年月日が一致している。


447. 0305
2018年03月05日 11:07
榊原定征(1943年3月22日生)経団連会長が在日で、本名、崔定征 or 朴定征といわれています。真贋調べて頂きたいです。

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12152167548.html

http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2115315.html

448. 大仏
2018年03月05日 21:13
ありがとうございます うーん どうなんでしょう 帰化してない在日なんですかね?

449. 宮本洋一
2018年03月05日 22:34
榊原定征(1943年3月22日生)経団連会長に関しては調べてみます。

ただ、わかるのは『官報』に名前の記載があるかないかだけです。

調べてみたところ帰化の記録は見つかりませんでした。

450. 0305
2018年03月07日 11:45
宮本さま

ありがとうございました。

有本香
1962年(54–55歳)奈良市生まれ。  生月日は不明。官報調査を避ける為、非公開?

山口敬之
1966年5月4日 東京都出身

ご調査願えませんでしょうか?


451. 宮本洋一
2018年03月07日 18:25
今は、ほかのことを調べていて再来週頃になります。

早く知りたいならば自分で調べてみてください。

有本香に関しては生年月日が不明だと照合する精度はさがります。

山口敬之に関しては問題のあった伊藤詩織の方には在日認定がありました。

追記すると有本香、山口敬之は見つかりませんでした。

敬之の名前では11件あっていずれも生年月日の異なる別人でした。

452. 0305
2018年03月07日 21:25
ご多忙中、申し訳ありません。
再来週以降で結構ですので、宜しくお願い致します。

453. 泰葉は自己破産していない?
2018年03月07日 21:35
五木ひろしの母親なんですが帰化前の名前が李キクノ?になっていたんですがこれは結婚の頃に日本国籍を喪失したということになるんだと思います(河島英五夫人が帰化前も普通の日本名だったので調べたら国籍喪失したと官報に載っていたんで五木ひろしの母親も調べればよかったと悔やまれます・・・)
それと瀬川伸の兄弟だと思われる方(函館生まれ・帰化前の姓が施・通名瀬川)の帰化官報を見つけたんですが国籍が無国籍になっていました。

454. 牟田
2018年03月18日 19:49
1977年12月27日 安藤優也 知恵袋に載ってました 調査よろしくお願いします

455. 宮本洋一
2018年03月18日 20:29
牟田様。コメントありがとうございます。

以下に出ていた情報はソースが不明で民族名も書いていませんでした。

安藤優也 __ 77 勝_ 69 敗
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156419291

今週『官報』を調べてみて追記します。

追記すると名前と生年月日の検索では帰化の記録はなかったです。

456. 福岡のしょー
2018年03月20日 22:48
河本 啓佑(こうもと けいすけ、1986年11月18日)、上記の声優は帰化している可能性はありますか?名字が河本というので、気になりました。是非お調べお願いします。

457. 宮本洋一
2018年03月21日 18:59
福岡のしょー様。コメントありがとうございます。

河本啓佑(こうもと けいすけ、1986年11月18日)はウィキペディアでは「岡山県津山市出身」とありました。河本姓は岡山県に多いので名前では判断できません。

明日、調べる機会があるので追記します。

追記すると帰化の記録はないです。

啓佑の名前では5件あってどれも別人でした。

458. 牟田
2018年03月22日 21:13
やっぱりデマだったんですか 優也さんは野球日本代表選手だから 無いなって思ってました
現役時代のファン対応も悪くなかったし 調査ありがとうございます

459. 牟田
2018年03月22日 21:23
高倉健さん 日本を代表する俳優 健さんの先祖は昔から日本に居た武士?だといわれてますが 本当ですかね 高倉健 在日で検索したら 色々有って本当に日本人なのかなぁと疑ってしまいます 宮本さんはどう思いますか?健さんは日本人だと思います?

460. 宮本洋一
2018年03月22日 21:43
私は在日認定として疑っています。

朴一が言っていることは根拠が不明で信頼できないです。

朴一のウィキペディアには以下の文があります。

朴は、韓国人や在日コリアンなどが、日本の著名人を根拠なく在日コリアンやコリアン系の同胞であると主張する在日認定と呼ばれる行為をすることに抵抗感がなく、一例では、高倉健を在日コリアンとして紹介している[5](なお、高倉は、祖先は鎌倉時代の執権北条家に仕えた刈田式部大夫篤時と言われた北条篤時で、篤時の子孫が西国に移り、大内氏に仕えた後に北九州へ向かった。当地で北条の名を捨て「小松屋」の屋号で両替商を営み、後に筑前国藩主黒田家から名字帯刀を許されて小田姓を名乗るようになった[6]。江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前国の庄屋の内儀・小田宅子〈おだいえこ〉は先祖にあたる)。

5. ^ 講演記録日本籍朝鮮人をめぐる諸問題「『えっ、高倉健が在日?』あの人は日本人の代名詞みたいな人ですよね。高倉健と聞いたら日本人というイメージがあるんですが、もし高倉健が在日朝鮮人だとしたら、おそらくHタイプでしょう。私は本当かどうか知りませんよ。そういう噂はどこからとなく流れてきますよね。私も昔、大学へ入ったとき、『アラン・ドロンは在日朝鮮人よ』と先輩から聞きましたが。そういうのって好きですから、どこまでホンマかウソかわからないですが、そこら辺はあまり突っ込まないようにしましょう」
https://ja.wikipedia.org/wiki/朴一

461. 牟田
2018年03月22日 22:00
ですよね 日本人であって欲しいですけど ちょっと前に死んじゃちゃいましたから 本人から聞く事は出来ないのが残念です

462. オムライス
2018年03月23日 14:24
山崎邦正はどうでしょうか?

463. 0305
2018年03月23日 17:29
>451

有難うございました。
一つお伺いしたいのですが、氏名(本名or通名及び生年月日不明)と住所がわかっている人物(非有名人)の帰化履歴を調べる場合、ネットで官報検索出来るのでしょうか?もし帰化していたとすれば20年以上前と思われます。もしくは都市部の中央図書館で調べられるのでしょうか?図書館で調べる場合、職員にわかるのでしょうか?

>健さんについてですが、昔の職場の嘱託の方が大学時代の友人に放送局、芸能関係に多い方でその方が友人から聞いた話によると、彼の母親が済州島出身で、毎年墓参に帰っておられたそうです。昭和6年生まれの日本人男性で180cmある男性はなかなかいないでしょう。

464. 野球ファン
2018年03月23日 19:24
選抜高校野球を観ていて思ったのですが、明秀日立高校の金沢成奉監督の名前がコリア系という印象を受けました。
お調べお願いします。

465. 野球ファン
2018年03月23日 19:27
追記
金沢成奉監督の生年月日は1966年11月13日です。

466. 宮本洋一
2018年03月23日 20:34
オムライス様の山崎邦正は来週調べてみます。

追記すると帰化の記録は見つかりませんでした。

0305様の質問に関しては、ネットにある無料の『官報』は最近のものだけです。

「インターネット版官報」
http://kanpou.npb.go.jp

有料の「官報情報検索サービス」は大規模な図書館では無料で利用できるので図書館に問い合わせてみてください。調べる際に職員が検索の内容まで見ることはないです。

「官報情報検索サービス」
https://search.npb.go.jp/kanpou/

野球ファン様の金沢成奉監督は名前がコリア系の印象を受けるので同じく来週調べます。

追記すると民族名を「金成奉」と推定して調べた結果としては、3件ありました。

ただ、生年月日は異なる別人でした。わかる点としては、実際に「成奉」を名前として使用している例はあったということです。

467. 0305
2018年03月23日 21:21
宮本洋一様

丁重なご教授、有難うございます。
一度トライしてみます。   m(_ _)m

468. じゅじゅ
2018年03月25日 13:39
色々調べているとこちらにたどり着きました。
最近の方で気になるのですが、お笑い芸人のジャルジャル福徳1983年10月5日と、
ミュージシャンのボーカルYONCE(河西洋介/ヨンスはニックネームとのこと)1991年8月29日です。
よろしくお願いします。

469. 宮本洋一
2018年03月25日 19:07
じゅじゅ様。コメントありがとうございます。

明日調べて追記します。

追記すると二人とも名前と生年月日の検索で帰化の記録はありませんでした。


470. 浩輔
2018年03月25日 23:58
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、NGT48、STU48、乃木坂46、欅坂46のメンバーは
どうでしょう?
ハーフの子もいるみたいですし、気になります。


471. 宮本洋一
2018年03月26日 20:14
浩輔様。コメントありがとうございます。

人数が多いグループであって、限定して根拠もあげてもらえると調べることができます。

472. 片山
2018年03月27日 21:40
菅原文太さんは調べましたか?文太さんも文太さんの嫁さん文子さんも怪しいです 在日の老人ホームに協力したとか 平壌オリンピックが夢だとか どう思いますか?

473. 宮本洋一
2018年03月27日 22:21
片山様。コメントありがとうございます。

同じく調べて追記します。
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1281004.html


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50. 中川隆[-6985] koaQ7Jey 2018年4月01日 10:12:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9652]
アメリカが在日を使って日本を支配している件 2012 年 5 月 02 日
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/867.html

?????????????????????????????????????
?      ?アメリカが在日を使って日本を支配している件?      ?
?????????????????????????????????????

http://www8.atwiki.jp/youtheshock/pages/118.html

今回の震災・原発報道では皆知っての通り、かなり偏った報道がなされてきました。

そこで今回は日本のタブー、闇、そして真実について話したいと思います。
少し長いですがお付き合い下さい。

まず、なぜいつも偏った報道になってしまうのか、その仕組みを紹介しましょう。
東電は当然CM等でテレビの大スポンサーであるから、ある程度の根回しは簡単でしょう。

しかし、もっと大元を探ると、メディアの最大のタブー・電通の存在があります。
知ってる人も多いとは思いますが、電通とは国内最大の広告代理店であり、日本で取り扱う広告のほとんどを独占している。

戦後からはいくつものテレビ局の創設にも関わり、テレビの普及に努めた。
アニメの製作費も20%流れるしCDの再販制度に噛んでたりオリコンチャート、視聴率、CMまで総て電通だ。

これだけ見ても相当メディアを自在に動かせそうだが、こんなものでは済まない。
電通の傘下には共同通信と時事通信が存在する。

ニュースみてたらわかるが、テレビや新聞で流すニュースはほぼ全てが共同通信とロイターで構成されている。

ロイターについては後述するが、共同通信は地方含めすべてのテレビ・新聞・ラジオと契約または加盟している。

つまり、共同通信が情報を発信、論調の統一を実行していて少しでも反抗すると何故か右翼が速攻で嫌がらせをしてくる(後述します)
つまり、電通がメディア界総てを支配していて思い通りに操れるのだと考えて下さい。

時事通信の方はというと、傘下に創価学会と統一教会が存在します。

さて、ここまで話すと「電通ってすげぇな〜」で終わりそうですが、真の闇はここからです。

電通最高顧問は誰だと思いますか?

成 田豊という人物です。


では創価学会名誉会長は?

成 太作です。

ソフトバンク社長は?孫(成) 正義です。

ん?成?

実はみんな在日コリアンです。
彼らは日本の通り名を使うのでたまに日本人に間違われます。

日本には在日韓国人からなる組織・韓国民団と、北朝鮮からの在日朝鮮人の組織・朝鮮総連があります。

パチンコ業界の7割は韓国民団と朝鮮総連だと以前書いたが、警視庁・民主党・自民党らはパチンコ業界からの献金や天下りにより癒着が激しい状態。

サンキョウ・アルゼ・マルハンなどが在日パチンコ企業として有名。

鳩山由紀夫の妻、幸夫人の実父が朝鮮総連の創始者であり、鳩山由紀夫本人も統一教会(朝鮮系のエセキリスト教)に所属していて、民主党とは深いつながりがある。

また、以前北朝鮮が日本人拉致指令書を朝鮮総連に送っていたことを加藤昭氏がスクープしている。

そんな朝鮮総連の傘下には朝鮮学校があり、金日成への忠誠と反日教育が日々行われている。

そして多くの卒業生が反日マスコミ業界に進出している事を鈴木琢磨氏が暴露している。

あと国内の覚醒剤の半分以上は北朝鮮からの輸入であり、朝鮮総連から日本の暴力団に流れているのは明らか。

というか、日本の暴力団の3割は韓国民団と朝鮮総連が占めている現実もある(極東や稲川会の組長が在日、山口系にも多数)

ソフトバンクは在日韓国人のための超格安プランを提供したり、YahooBBに至っては売上を朝鮮学校の支援に使うなどあからさまな様子。

叙々苑(焼肉協会)、安楽亭、トラジ、ラブホテル業界、貴金属に至っては国内の7割が韓国人技術者の手により作られている。

アイフル・武富士・アコム・プロミス、サラ金もすべて在日だ。
スポーツ界にもロッテ、読売、ソフトバンクなど俺が知らないところにも経営人に在日は存在するという。

街宣車で騒音をまき散らす右翼団体。

彼らも皆在日コリアンでありエセ右翼なのだ。
奴らは国民の愛国心を無くす為日々右翼のイメージダウンに勤しんでいる。
実際天皇が右翼使って大日本帝国の復活みたいな悪だくみしてると思っている人も多い。

つまり、総て在日コリアンというキーワードで繋がっているのだ。

彼らは政界にも太いパイプがあり(何千億と献金したりして飼っている)自分たちに有利な法律が多々ある。(在日特権)

日本で稼いだ金は免税、通名(ペンネーム)を本名の様に身分証や口座の発行、特別永住権など盛りだくさんだ。

ホンダ、日本マクドナルド、日本コカコーラ、TSUTAYA、セブンイレブン、サークルKサンクス、歌広場、カラオケ747、リーブ21・・・在日の侵食の手はとどまる事を知らず、ほぼ完全に日本を支配している。

さて、在日の総本山・電通の報道統制に話を戻そう。

以前、朝青龍が些細な事で引退させられたのにはワケがある。

ある日韓国人記者に「キムチ野郎」と発言したことに対して、多くの右翼が激怒し次々と決起。

その後、相撲協会を抗議、脅迫して大問題になった。
当然在日傘下のメディアは総バッシング、引退に至った。

また、韓国のK-POPは電通の総力をもってして日本に進出、韓流ドラマやアイドルなどテレビで垂れ流し、韓日友好ムード作りに貢献。

在日がメディアを統治している証拠はたくさんある。たとえば住所の重複だ。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

じゃあ、すべての害悪は韓国だな!韓国うぜぇ(`・ω・´)タヒね
・・・と思ったら大間違い!

ナゼここまで韓国が暗躍できている?日本をがんじがらめに支配できた?
全ては敗戦後、GHQにより日本解体後、アメリカ(CIA)が在日コリアンを政財界や電通など次々に送り込んでいた事が原因だという。

つまり、アメリカが朝鮮人を使って日本を支配しているのだ!

直接的に支配してしまうと、日本には反アメリカという憎悪が根深くなってしまうだろう。

そこで日本に占領されたりして恨みが強い韓国に目をつけた。

かつて大英帝国が少数民族の華僑を使ってアジアを統治していたやり方と同じ 。
これを間接統治または分断統治という 。

アメリカの忠実な家来として韓国があり、アメリカ・韓国の家畜として金を搾り取られる為に存在する日本人。

徹底した情報統制とくだらんバラエティー、ゆとり教育などで日本を無力化、バカばっかりにして暴動や革命を起こさない様にしているのだ。

アメリカの奴隷である自民党、最大の敵小沢つぶしの総攻撃、民主党の崩壊と今後の政権交代。

アメリカと韓国の利害を考えながら報道を見れば少しは実態がうかがえるのかもしれない。

今回在日韓国と在日北朝鮮の関係はよくわからなかったが、ここまで徹底的に支配されている現実を国民は知っておくべきだ。

ロイターについては、やはり全ての日本の記事を使っているわけではなく、ちゃんと電通に管理されてる様ですね。


もっと詳しく知りたい人は、こちらに情報のってます!
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/45.html?pc_mode=1



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51. 中川隆[-6984] koaQ7Jey 2018年4月01日 10:15:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9652]

自宅が竹島状態? 作家・岩井志麻子に聞く「半島の隣人との付き合い方」[2012年08月29日]
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/08/29/13689/

「金正男がゲイバーを開いたら、李明博大統領も歌舞伎町で韓流ホストクラブをやってくれればいいんですよ」と語る岩井センセー


韓国人の“ムスコ”を味わい尽くした経験値は日本人トップクラスと噂される、作家・岩井志麻子センセー。コリアン男子の生態・思考法について熟知してそうなこの人に、竹島問題の解決法を聞いてみた!

***

―岩井センセー! 韓国人のご主人と、竹島問題について激しく衝突することはないんですか?

岩井 ジョンウォン君(夫のこと)が日本に来るときに「飛行機代と、お洋服のお金をくだしゃい」と電話してくるので送金すると、彼から「竹島しゃん、ありがとう♪」って電話してきますよ。お金もらうときは、私のこと「竹島しゃん」って呼びますから、ハッハッハ。

―まさに現金な人ですね。

岩井 こないだもクルマ買ってとか言うから、「なあなあ、竹島ってどこの領土?」って聞いたら、即答で「日本、日本!」って言うから、思わず、「貴様、それでも韓国人か! クルマのために国を売る気か!」って怒ったんですよ。よく考えたら、私が怒ることないんですけどね。うちでは竹島は完全にギャグですよ。そんなことしていいのかって思いますけど(笑)。

―岩井センセーは、ヤバいこともズバズバ言いますもんね。

岩井 私の場合、夫が韓国人ということでなんか許されるところがある。なんぼボロクソ言っても、「韓国嫌いだったら、韓国人と結婚するわけないじゃない。根底には愛があるのよ」って言えますから。もしかしたら、私は韓国をネタにするために韓国人と結婚したのかもしれない。じゃなきゃ、怖くて言えないですよ。

―家では、岩井センセーがご主人を尻に敷いてるんですか?

岩井 いや、もうわが家が竹島状態っていうか。新宿にあるマンションはもちろん私の名義だし、電化製品からすべて私のものだし、光熱費も当然、私が払ってる。なのに、あやつにすべてのチャンネル権とか優先権があるんですよ。ジョンウォンが寝っ転がってテレビ見てる横で、私が掃除、洗濯して、ご飯作って原稿書いてるんですよ。竹島やん、うちは!って。

―実効支配されてますね。

岩井 ただね、そこは立ててやらんと。年齢も収入も、あらゆる面で私のほうが立場が上なんですよ。そこへきて、「なんだおめえ、私の10分の1も収入ねえくせに!」って言ったらおしまいでしょ。さすがにかわいそうで、よう言いまへんよ、そんなこと。

―面子(メンツ)を立ててあげると。

岩井 面子というか、とにかく韓国人って自信満々なんですよ。なんでそんなに自信満々なのか聞いたことがあるんです。そしたら「韓国の男が自信を失ったらすべてを失う」って言うわけですよ。日本の男は、例えば、いい学校に行ってなくても、オレにはこの能力があるんだとか言える。でも、韓国の男の価値観って、いい大学入って、いい会社に就職して高収入。これだけ。挫折から立ち上がって成功するみたいなのもなくて、韓国の男は一点がダメならすべてがダメなんです。日本とは全然違う。

―セックスも、日本人とは違うみたいですね。

岩井 日本人は技においての芸術点は相当高いですよ。それに比べて、韓国の男は回数をこなせるのが偉いと思ってる。「強い」って言われなきゃダメなんです。セックスの価値観もそれしかない。

―韓国人が竹島問題に躍起になるのが、なんとなくわかります。

岩井 小さな頃から抗日教育を受けてますからね。竹島を日本の領土だと認めてしまったら、韓国のすべてを否定されることになるんでしょうね。だから、奴らは絶対に強気を崩さないはずですよ。


■北朝鮮ゲイバーを新宿に誘致すべき!

―竹島問題で、日本は今後どうすればいいんでしょうか?

岩井 今回のことで笑うたのが、一連の事件を北朝鮮が冷笑してるって記事があったこと。「人気取りのパフォーマンスにしょうもないことやりやがって、フフン」みたいな。北朝鮮が冷静なことを言うって、下ネタを言わない岩井志麻子みたいなもんで(笑)。

でも、それがチャンスなんですよ。いまこそ、北朝鮮を取り込むべきです。韓国にあれだけ美男子がいるんだったら、北にいないわけがない。今度は、北ブームを起こして、埋もれてる原石を掘り起こすんです。しかも、大金を積まなくても、おにぎりとかで日本に連れてこれそうだし(笑)。

それで、金正恩(キムジョンウン)の母親違いのお兄さんに金正男(キムジョンナム)っていう、杉作J太郎さんみたいなのがいるでしょ。あの“J太郎”、実は新宿2丁目では“地上に降りた僕らの天使”って大騒ぎになったんですよ。ヒゲでぽっちゃりで、超セレブでしょ。ゲイって、そういうのに弱いから。あの“J太郎”を2丁目に連れてきて、2丁目に北の王国を作るんですよ。ゲイバー「ピョンヤン男児」とかね(笑)。

―あの〜、それで解決の道は?

岩井 あのね、韓国チャンが一番つらいのは、「私、あんたに興味ないから」って言われることだと思います。「おまえが嫌いだ」と言われるよりも、「あ、いたの。私、あんたに興味ないから気がつかなかったよ」みたいな。

―韓国人の自信が崩れそうです。

岩井 すかさず、「それより私、北のほうが好きなんだけど。カッコいいよね、ピョンヤン男児」みたいなこと言えば、韓国はキーキーなりますよ。彼らが一番恐れているのは、興味ないって言われること、無視されることなんですよ。

―日本外交は弱腰で、さすがにそれはないとは思います……。謝るのはマズいんですか。

岩井 それは絶対にダメ! 前にジョンウォンに浮気疑惑があったんです。ソウルの家に見慣れない化粧水があって、「これどうしたの?」って聞いたら、「これは志麻子のだよ。志麻子は年寄りだから忘れてるんだよ」って予想もつかない切り返しに、うっかり、「私も疑って悪かった」と言ったら、すかさず、「私とっても傷ついたよ! 志麻子、おわびにお洋服買って」って。そこで私も買ってしまった。

でも、よう考えたら、なんで!?って話ですよね。私が浮気されて、年寄りとまで言われ、洋服も買って。あやつは韓国の持てる技を全部出してきた。開き直り、逆ギレ、被害者意識で賠償するニダよって。韓国人には絶対に謝っちゃダメですよ!

(取材・文/頓所直人 撮影/下城英悟)

●岩井志麻子(いわい・しまこ)
1964年生まれ、岡山県出身。テレビ番組『5時に夢中!』(TOKYO MX、平日17〜18時)木曜日コメンテーター。主な著書に『ぼっけえ、きょうてえ』(第6回日本ホラー小説大賞、角川文庫)、『韓流不貞女』(宝島社)など



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宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E6%9C%9D%E9%AE%AE

宮脇淳子 韓国を語る - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E9%9F%93%E5%9B%BD

韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8

『暗黒半島・李氏朝鮮』宮脇淳子 AJER2012.12.20(3)
http://www.youtube.com/watch?v=n1JiT9pthh4
http://www.youtube.com/watch?v=QPtwlT-K7uE

『朝鮮から見た日清戦争』宮脇淳子 AJER2013.1.10(3)
http://www.youtube.com/watch?v=p3QyQm8ZPN4
http://www.youtube.com/watch?v=ia7ShL06zhM




[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

52. 中川隆[-6983] koaQ7Jey 2018年4月01日 10:15:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9652]


2016-07-01
海外で、韓国人女性が日本女性になりすまして売春している

2016年6月29日、法務省入国管理局が韓国大使館に対して、不法滞在している自国出身者に自発的な帰国を促すように要請したことがニュースになっている。

不法滞在者のうち最も多いのは韓国人で、分かっているわけで約1万3000人もいる。韓国の場合、このうちの多くは女性であり、日本で売春していることが知られている。

あまり知られていないことがある。韓国人が日本で売春して逮捕されても、朝日新聞社や毎日新聞社等、大手新聞社のほとんどは絶対にこれを報道しないことだ。調査も、取材も、報道もしない。

あれだけ従軍慰安婦だと騒ぐ朝日新聞が、現代の韓国人の売春ビジネスについては完全に無視して隠蔽している。ちなみに、韓国人が日本で犯罪を犯すと「韓国人」と書かずに「韓国籍」とぼかすのも朝日新聞の特徴だ。

この韓国人が日本名(通名)を持っていると、通名の方を報道して韓国名を隠すのも朝日新聞の特徴だ。朝日新聞はそうやって韓国人の犯罪を隠す隠蔽新聞でもある。

唯一、韓国人が日本で犯した犯罪を報道するのは産経新聞だけだ。その産経新聞によると、韓国は売春する女性を大量に海外に輸出している国家だという。


日本は韓国人女性たちの「職場」になっている

韓国女性は、年間で8万人もの海外に出て売春ビジネスに関わっている。いや、8万人は古い統計で、2012年の時点で10万人に達すると産経新聞では伝えている。

2010年10月に韓国の金玉伊議員が発表したところによると、そのうちの約5万人が日本で売春をしているという。

日本でも新宿や新大久保等で路上売春する女性たちがいるが、中国女性と並んで韓国女性が目に付く。特に新大久保の路上売春はほとんどが韓国人女性である。

中高年の女性が売春に従事していることも多く、中には60代を超えても現役で売春ビジネスをしている女性もまったく珍しくない。60代越えの韓国人売春女性と言えば、日本でも伝説の韓国人女性がいた。朴玉子である。

2012年10月13日午前1時頃、横浜市中区の路上で売春していた韓国人女性が男性警察官を売春に誘って現行犯逮捕されている。それが朴玉子だった。

彼女は73歳だった。この73歳の韓国女性は1994年から日本で売春をしていたと言われている。2006年4月4日にも逮捕されているのだが、強制退去されていなかった。

強制退去どころか、彼女は日本で生活保護さえ受けていて月15万円をもらっていた。月15万円も日本政府(すなわち私たちの税金)から、もらっていながら売春していた。

もちろん、朴玉子は「させられていた」のではない。生活保護をもらっていたのだから、それなりに暮らしていけたはずだ。売春は彼女の趣味だったのかもしれない。

彼女が逮捕されたのは横浜市だが、東京にも多くの韓国人のセックスワーカーがいて、彼女たちが積極的に売春している。

彼女たちは自分たちの意思で日本に来て、円を稼いで帰る。日本政府は韓国人に90日間はビザなしで滞在可能にしたので、日本は彼女たちの「職場」になっているのである。


マッサージ・パーラーの名前は日本を想起させるもの

韓国は今もれっきとした「売春国家」である。

従軍慰安婦の話をしているのではない。現在の話をしている。韓国の国内でも多くの女性が売春産業で働いており、その数は189万人とも言われている。

さらに国外にも大量の韓国人女性が売春ビジネスのために働きに出ており、その多くは日米豪になっている。

ちなみに、アメリカで売春を行う外国人女性の国籍のナンバーワンも言うまでもなく韓国人女性である。これはアメリカ国務省が「人身売買根絶対策レポート」で発表したものだ。

アメリカではカリフォルニア州に固まっているが、もちろんニューヨークにも韓国人女性がたくさん売春ビジネスをしているし、コールガールの組織に登録している女性も多い。

2008年から韓国女性の売春が増えたが、これは米韓のビザ免除プログラムによって、ノービザで渡航できるようになったからだ。

この時点から韓国女性の売春がアメリカで増えたというのであれば、すなわち、韓国女性は「売春で稼ぐためにアメリカに行っている」ということになる。

2016年4月20日、ニューヨークで韓国人の売春組織が摘発されているのだが、ここで逮捕された容疑者は49人だった。

マッサージを装って売春させていたのだが、その店の首謀者もやはり韓国人だった。たったひとつの売春組織でも、そこに49人もの女性が所属していて売春ビジネスに勤しんでいた。

こうしたアジア人が経営するマッサージ・パーラーはニューヨークには山ほどあるのだが、そこに所属しているのは大半が韓国人女性である。

こうした韓国人はマッサージ・パーラーの名前を「サクラ」だとか「トーキョー」だとか日本を想起する名前にしているので、事情を知らない現地アメリカ人は日本人女性が売春ビジネスをしていると思い込んでいる。

その実態を知らないのは、当の日本人だけだ。


韓国という国家は、いまだ「異常事態」にある

台湾でも「キモノ」を着た日本人女性がセックス・マッサージするという売春宿が摘発されたことがあった。実はこれも韓国人のセックスワーカーの「日本人なりすまし」だった。

これによって海外では表社会の日本人女性の多くがセックスワーカーと間違えられたり、誤解されたりしている。「韓国人女性が日本女性になりすましている」からこんな事態になっているのだ。

コールガール業だけではなく、マッサージ業でも韓国人女性が売春ビジネスの主力になっており、その店名が日本を想起させるものが多いので、日本人女性が海外でセックスワーカーと勘違いされても不思議ではない。

もっとも、最近は韓国人女性が売春しているのだとアメリカ人も薄々知るようになりつつある。なぜなら、ほとんど毎月のように韓国人女性が売春ビジネスで摘発・逮捕される事件が起きているからだ。

アメリカでの外国人セックスワーカーの割合でもナンバーワンは韓国女性で、実に23.5%であると言われている。ほぼ4分の1は韓国のセックスワーカーで占められている。

世界中に、このような韓国人の売春女性が散らばっていて、世界のあちこちで問題になっている。

オーストラリアでも、カナダでも、台湾でも、韓国人女性が観光ビザでやってきて売春ビジネスを行って国に帰る。

韓国がこれほど売春まみれであることは、本当はもっと多くの日本人は知らなければならないし、もっと多くの報道が日本でもなされるべきである。

そして、いかに韓国女性が積極的に売春ビジネスに関わっているのかを知るべきなのだ。韓国女性は稼ぐために世界中どこにでも売春をしに行く。今も昔もそうだ。

韓国国内で約190万の女性、国外に約10万人近い韓国人女性がいるというのは、決して少ない数字ではない。

これほどの女性が売春ビジネスに関わらなければならないというのは、韓国という国家がいまだ「異常事態」にあると言うこともできる。韓国社会は、根源的な問題がある。

アメリカでの外国人セックスワーカーの割合でもナンバーワンは韓国女性で、実に23.5%であると言われている。ほぼ4分の1は韓国のセックスワーカーで占められている。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160701T0551090900

2016-12-12
仏像破壊の犯人は韓国人だったが日本人はこれに激怒すべき
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161212T1631040900

2016年12月9日、韓国国籍で住居不定・無職のチョン・スンホという35歳の男が福島県警白河署に逮捕されている。

この人間のクズは11月に日本に入国してきて福島県に入り、須賀川市や郡山市で稲荷神社のキツネ像や墓地の仏像を100体以上、片っ端から破壊して回っていた。

逮捕されたとき、チョンの背負っていたリュックには50センチくらいの金属の棒が入っており、これで力任せに叩き壊していたのだ。

日本の文化財を100体以上破壊して回っていたという事実を見て分かる通り、チョン・スンホの日本入国の目的は「破壊」である。日本の文化財をめちゃくちゃにするためにやってきて、夜中に墓地や神社で文化財を壊していた。

これは日本の文化財に対するテロであると言っても過言ではない。チョンはテロリストであると認定すべきだ。

それにしても、なぜチョンは仏像破壊のために、わざわざ日本にやってきたのか。もちろん、そこには韓国の日本に対する反日意識が反映されているのは言うまでもない。

日本人は憎まれているのだ。恨まれているのだ。そして、反日教育を受けた韓国人から「破壊しても、殺しても、何をしてもいい」と思われている。


日本に対してなら「何をしてもいい」という感情

無能大統領である朴槿恵(パク・クネ)が就任早々「日本を1000年恨む」と放言して反日感情を剥き出しにしていたのを見ても分かる通り、韓国人は日本人を恨み、日本を攻撃するためには手段を選ばない。

竹島を日本から奪い、靖国神社の参拝に激しい批判を繰り広げ、教科書の記述にも介入し、全世界にファンタジーで作り上げた捏造の慰安婦問題で日本を貶める。

そして、旭日旗を戦犯旗と言い換え、日本海を東海と言い換え、大統領自ら告げ口外交を繰り広げて来た。

その上、強盗団が日本にやってきて組織的に日本の文化財を盗んで回り、靖国神社を放火しようとしたり、破壊しようとしたりする。日本の文化財に油をかけて回っていたのも在日韓国人の仕業だった。

日本の文化財がいかに盗まれてきたのか、マスコミは一切報道しようとしないが、日本人はその事実を知るべきである。

(韓国人の窃盗団が重要文化財や家財を好き勝手に奪っていく)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20140502T1701000900


こうした動きは反日教育によってもたらされており、すでに韓国人の反日は骨髄に染みて取れなくなっているのだ。

だから、チョン・スンホのような頭のおかしい人間がやってきて、日本の文化遺産を破壊して回るようなことになる。「日本に対してなら何をしてもいい」という、強く、深く、醜い差別感情がそこにある。

仏像破壊といえば、2005年には日立市諏訪町の日立平和台霊園で地蔵や灯籠が101体に渡って破壊されてしまった事件があった。今回の事件とまったく同じで地蔵の首が落とされたり、叩き壊されたりしていたのだ。

さらに2007年にも京都市伏見区の石峰寺で地蔵菩薩30体が引き倒されて破壊されるという事件も起きていた。

今回、チョン・スンホが逮捕されて仏像破壊が韓国人の仕業だったことが分かった以上、過去の仏像破壊も韓国人の関与を疑うのは当然のことだ。

警察はさらに追及すべきである。「日本に対してなら何をしてもいい」という人間が入り込んでいるのだから、どんな被害でも受けると考えた方がいい。


日本に襲いかかって成功すれば「英雄」になる

日本人の初代首相を暗殺した安重根(アン・ジュングン)みたいなテロリストや、日本大使館員を襲撃した金基宗(キム・ギジョン)が英雄になるのを見ても分かる通り、日本に襲いかかって成功すれば韓国では「英雄」になる。

テロリストが英雄になるというのは言語道断だが、韓国ではまったく普通のことだ。

この日本大使館員襲撃事件のキム・ギジョンは、その後マーク・リッパート駐韓米国大使を襲撃して、結局はただの犯罪者であることが露呈した。

しかし、それまでは「英雄」として祭り上げられていたのは日本人は忘れるべきではない。

「日本に対してなら何をしてもいい」と言っても実際に手を下したら犯罪者になる。だから、誰かが手を下すと溜飲を下げて英雄と持ち上げて喜んでいるのである。

それが韓国である。日本を破壊し、日本人を傷つけたくて仕方がないという心理が根底にある。この異常で薄気味悪い心理を韓国人は、恨(はん)と言って正当化している。

それは、あまりにも日本にとって危険なことだ。反日は、今や日本破壊の行動として表れている。

この流れで、靖国神社を放火しようとしてやってきたカン・ヨンミンという男も出てくる。

(このままでは、靖国神社は韓国人によって放火されてしまう)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20130924T0424000900

靖国神社に放尿して喜ぶ人間も出てくる。

(靖国神社に放尿して日本を貶す韓国人、泣き寝入りする日本人)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20130601T1452000900

あるいは靖国神社を爆破しようとするようなテロリストも出てくる。

チョン・チャンハンという韓国人は、2015年11月23日の爆発が失敗したと分かるや、再び日本にやってきて二度目の破壊をするという行動を起こしている。

(日本人はそのうちに反日国家のテロリストに殺される運命だ)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160720T1638230900

カン・ヨンミン。靖国神社を放火しようとして逮捕された。もう少しで放火が成功するところだった。


靖國神社に放尿している写真を上げて、「愛国人としての放尿が続くことを願う」と煽った韓国人。


靖国神社で爆発テロを行った全昶漢(チョン・チャンハン)。マスコミはこの事件を「爆発音事件」と矮小化して報道していた。


墓石を階段に転用して「日本を踏みつけ」にする

日本の文化財を盗み、日本の文化財を破壊し、それによって日本文化を殺そうとしている。それが反日で凝り固まった韓国人の考え方である。

韓国というのはそういう国なのだ。

これは、韓国国内での光景を見ても分かる。韓国の西区峨嵋洞地域では、日本の墓石を階段にしているのはよく知られた事実だ。墓石を階段に転用することによって、「日本を踏みつけ」にする。

それによって日本に優越感を覚える。これほど吐き気を催す事実はない。ところが、それが韓国では「日本を踏みつけにできる」と観光地になっているというのである。

日本人の墓石を階段にして「日本を踏みつけ」にして喜んでいるのが韓国だ。わざわざ、それを見に来て喜んでいる韓国人もいる。

考えること、やっていることが、いちいち人間とは思えない所業である。これで韓国人と「価値感を共有している」というのであれば、その人は頭がおかしい。

こんな民族と日本人が同じであるわけがない。まったく価値感は共有されていない。共有どころか、正反対である。

こうした事実に何とも思わないようであれば、その人は人間としての感性を欠いている。歴史を大切にし、国を大事に思い、文化を心をこめて守ってきたのが日本人である。

それならば、なぜ墓石を階段に転用して「日本を踏みつけ」にするようなレイシスト国家・韓国を許せるというのか。

なぜ政治家は韓国に対して、誰もこの事実を糾弾しようとしないのか。なぜ日本人は誰も韓国に対して「謝罪と賠償」を求めようとしないのか。

こうした韓国のやりたい放題の反日を放置しているから、日本はいつまで経っても舐められ続けるのだ。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮がすでに日本の危険な敵になっていることを軽視している。特に、韓国の危険性に気付かないフリをしている。

しかし、もう日本人は激怒し、報復を考えていい。見て見ぬフリで済ませるわけにはいかない。非韓三原則や国交断絶を早く行わないと手遅れになる。

(反日に対する対抗策が、非韓三原則であり国交断絶である)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161111T1842290900


そして、さらに韓国の反日に対しては強く反撃しなければならない時期にも入っている。まさか、あなたは韓国をこのまま許すつもりでいるのだろうか?


チョン・スンホ。住居不定・無職で、仏像破壊の犯人。もう日本人は激怒し、報復を考えていい。見て見ぬフリで済ませるわけにはいかない。日本人は報復しなければならない時期に入っている。


実は、2014年にも今回の仏像破壊とまったく同じ事件が北海道で起きている。2005年にも、2007年にも、やはり数十体もの地蔵が破壊される事件が起きている。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161212T1631040900

2016-12-19
放火、破壊、窃盗。日本文化破壊テロが着々と進行している
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161219T1650250900

2016年12月17日、奈良県の丹生川上神社で、竜をかたどった木製の置物が何者かに放火され、全長4メートル、高さ2メートルの置物がすべて焼かれていたことが分かった。

2016年12月9日は韓国人のチョン・スンホという人間のクズが福島県で稲荷神社のキツネ像や墓地の仏像を100体以上を片っ端から破壊して回っていた事件があったばかりだ。

さらにその前の2016年9月から10月にかけて、滋賀県彦根市で神社仏閣あわせて14ヶ所で「日本死ね」などと落書きされていたという事件もあった。

同じ頃、2016年10月23日の真夜中には愛知県東栄町の諏訪神社から出火して神社約120平方メートルが全焼するという事件もあった。恐らく誰も知らないはずだ。大手マスコミのほとんどはこの放火を無視したからだ。

2016年1月7日は宮城県東松島市の新山神社で本殿が全焼するという事件もあった。こちらも全焼だった。900年ほどの歴史が誰かに「燃やされた」のである。さらに、この時に樹齢700年を超える杉の一部も燃やされていた。

その1週間ほど前の2015年12月31日も群馬県藤岡市藤岡の諏訪神社近くで火災があった。まったく同じ日、東京都東村山市にある八坂神社の裏の民家でも火災が起きている。


日本文化破壊テロが着々と進行しているという事態

2015年12月30日には何があったのか。三重県津市の八乳合神社で木造平屋建ての社務所と拝殿が全焼していた。2015年10月12日には千葉県松戸市の王子神社が放火されて木造平屋の本殿約90平方メートルが全焼している。

2015年12月10日は福岡市中央区の金刀比羅神社が放火されて倉庫の一部が焼損するという事件があった。しかし、この事件はほとんど報道されなかった。その前に起きている事件が大きかったからだ。2015年11月には何があったのか。

2015年11月23日、東京都千代田区にある靖国神社で、韓国人のチョン・チャンハンという男が時限爆弾で敷地内の公衆トイレを爆破させていたのである。

このチョンによる爆破テロ事件をマスコミは「爆発音事件」と言った。

テロを「爆発音」と言い換えて矮小化するマスコミに日本人は憤ったが、結局は巨大なマスコミにねじ伏せられるようにこれは「爆発音事件」で押し切られた。マスコミはこれを「テロ」と絶対に言わなかったのだ。

最近は「マスゴミ」と称されるマスコミだが、このマスコミが許しがたいのは、靖国神社爆破事件を「爆発音事件」と矮小化するだけではない。

この爆破テロ事件に至る前に、日本の神社が次々と放火テロに遭っていることを日本人に知らせて警鐘を鳴らすマスコミもいないということだ。

このチョン・チャンハンの靖国神社爆発テロと同じ月、2015年11月5日は青森県八戸市鮫町の蕪嶋神社が全焼するという事件もあった。

日本人はマスコミの「報道しない自由」に目くらましされて気付いていないが、現在、日本文化破壊テロが着々と進行しているという恐ろしい事態がある。

信じられないのであれば、いったい何が起きているのか、こちらで確認してみて欲しい。

(神社・仏閣・文化財の放火・破壊・盗難まとめ)
https://sites.google.com/site/kasaimatome/


激しい勢いで神社が放火されて、破損され、文化財が盗まれていることを、ほんの1行でも報じたマスコミはあるだろうか。そして、この事件を追及したマスコミがあるだろうか。

皆無だ。どのマスコミも、この「日本文化破壊テロ」に関しては日本人に知らしめようと絶対にしない。すべて破壊された後に「実は破壊され続けていた」とでも言うつもりなのかもしれない。


マスコミが報じないと問題意識すら持てないのか?

それにしても、凄まじい勢いで「日本文化破壊テロ」が進んでいる。これはすべての日本人が知るべき事実だが、マスコミは絶対にこの事実を報道しようとしない。

「チョン・スンホという韓国人が仏像を破壊」
「チョン・チャンハンという韓国人が靖国神社爆破」
「キム・チャンスという在日韓国人が神仏に油を撒く」
「カン・ヨンミンという韓国人が靖国神社を放火未遂」

このように、反日の韓国人たちが日本の文化財を破壊しようとしに来ているという事実を指摘するマスコミもどこにもない。

あるいは、日本各国に「赤い十字架」のエセ・キリスト教会を建てまくって、何も知らないでやってきた日本人に対して「日本人は犯罪民族だ、韓国人に悔い改めよ、謝罪せよ、財産を差し出せ、身体を差し出せ」と迫っている現実を指摘するマスコミもどこにもいない。

最近は反日企業ユーキャンが「日本死ね」を表彰して日本人を嘲笑している。

このあからさまな「日本貶し」をマスコミは擁護し、その陰で日本の文化財にも「日本死ね」と書かれるようになっていることもマスコミは日本人に知らしめないようにしている。

マスコミはすでに中国・韓国・北朝鮮のような反日勢力に乗っ取られているというのはよく知られるようになって、その象徴として朝日新聞が取り沙汰されている。

しかし、朝日新聞だけが問題なのではなく、毎日新聞から東京新聞から各地方の新聞まで、多くのマスコミが乗っ取られていて「日本文化破壊テロ」を報じない。

あるいは日本の文化財が延々と盗まれ続けていることも報道しない。

(韓国人の窃盗団が重要文化財や家財を好き勝手に奪っていく)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20140502T1701000900


反日民族は、日本の文化財を盗んで自分たちのものにして、代わりに日本人にはニセモノやまがい物を売りつけているというのを日本人は気づいているのか?

(偽ブランドはゴミだ。ゴミに金を払うとゴミが社会に蔓延する)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161123T1646130900


それでも日本人は何も思わないのか? マスコミが報じないと日本人は問題意識すら持てない情けない民族なのか?


問題を把握し、事実を拡散し、話し、動く

日本の文化財は破壊され続けている。これは紛れもなく「日本文化破壊テロ」であるということを私たちはまず認識すべきである。

すべての寺院、神社、仏像、歴史的建造物はテロの標的にされている。

もう一度、「神社・仏閣・文化財の放火・破壊・盗難まとめ」を見て欲しい。長期に渡って日本全国でテロが行われ続けているのである。

(神社・仏閣・文化財の放火・破壊・盗難まとめ)
https://sites.google.com/site/kasaimatome/


しかし、マスコミはこれを隠蔽し、放火を報道しなかったり、放火が続いていることに気付かせなかったりすることによってテロを増長させている。

本来であれば「何が起きているのか。誰がやっているのか」を徹底的に追及する必要があるのに、それをやらないで隠蔽するのが今のマスコミなのである。

そうであれば、私たちは何をすべきか。

私たち自身が、すべての日本人に「日本文化破壊テロ」が行われているという事実を、できる限り広く、強力に拡散していくしか方法はない。

自分の力が及ぶ限りこの事実を拡散して「今、こんなことが起きているのだ」とまわりの人に話し、そしてインターネット内で周知して、多くの人を認知させて欲しい。

日本を大事に思っているブロガー、知識人、文化人、学者のすべて、そして少しでも良心が残っていると思われる報道者にこの事実を取り上げて、日本の文化財を守るように突き動かして欲しい。

すでに「日本文化破壊テロ」が続いて止まらない。悲惨なことになっている。長い戦いになるが、私たちひとりひとりが問題を把握し、事実を拡散し、話し、動くことによって、日本の文化財を守ることができるはずだ。

「日本文化破壊テロ」が起きているのを知らないのは罪ではない。知っていても何もしないのが罪だ。あなたにもできることがあるはずだ。

「日本文化破壊テロ」が起きているのを知らないのは罪ではない。知っていても何もしないのが罪だ。破壊され続ける日本を守るために、あなたにもできることがあるはずだ。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161219T1650250900

2016-12-22
反日の放置は日本人の安全と生存を脅かす猛烈に危険なもの

2016年12月21日、島根県竹島の周辺海域で、韓国軍が哨戒機やヘリコプターを使って「何者か」が島に上陸するのを阻止する訓練を行った。

言うまでもないが、竹島は日本の領土である。ここを韓国が「自分の領土だ」と言い張って実効支配し、我が物顔で軍事訓練を行っているのである。

これを伝えられて日本政府はどうしたのか。

岸田文雄外相は「竹島の領有権に関するわが国の立場に照らして受け入れることはできず、極めて遺憾だ」と述べた。それだけだ。遺憾だと述べて何もしない。

遺憾だと言われて韓国は何か困っただろうか。申し訳ないことをしたと日本に謝罪しただろうか。

もちろん、何もしない。単にこの島は自分たちのものだと国内外にアピールできたことに満足して、日本の反応などまったく何も思っていない。

この状態で、韓国に占拠されたまま実効支配されている竹島は戻ってくるのだろうか。もちろん、戻って来ることはない。日本は馬鹿にされ、嘲笑され、舐められているのである。この状態で竹島が戻るというのは、あり得ない。


韓国とは、国交断絶に向けて動き出す必要がある

ところで、ソウルの慰安婦像は撤去されたのか。されていない。される予定もない。それどころか今度は釜山市東区の日本領事館前に少女像を設置しようと動いている。

岸田文雄外相は不可逆的な解決を求めて韓国側に10億円も支払ったが、韓国政府は何もしないまま民間の慰安婦像設置を放置したままだ。

撤去しない上に、今後も世界各国に慰安婦像を設置しようと動いており、韓国国内だけでなく、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、カナダ等でも設置運動に動いている。

2016年12月20日、在釜山日本総領事館の前に少女像の設置する計画があるということについて菅官房長官は「日本政府の立場と全く相いれず、極めて残念」と述べた。

「極めて遺憾……」
「極めて残念……」

日本政府はいつもそうだ。反日と日本人憎悪を丸出しにして襲いかかってくる韓国に対して、「遺憾」だの「残念」と言うだけで、いつまで経っても何もしない。

約束を守らないのであれば、日本側もありとあらゆる報復外交を行うべきだが、やるべきことを何もしないで逆に韓国に金を払うという言語道断の対応を行っているのである。

韓国と日本は価値感を有していない。韓国は「反日」という紛れもない日本人差別を、国家規模で行っているレイシスト国家である。

それであるならば、韓国と関わるべきではなく国交断絶に向けて動き出す必要がある。

少なくとも、靖国神社を爆破したり、日本の仏像を破壊して回る頭のおかしい韓国人をシャットアウトするために、韓国に対するビザ免除は廃止しなければならない。

なぜ日本を敵視する国の人間に、優遇措置を与える必要があるのか。与えるどころか、取り上げなければならない。

どのみち日本に入国しても、仏像を破壊して回るのだから、入れる理由など何もない。

(放火、破壊、窃盗。日本文化破壊テロが着々と進行している)
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「日本人は犯罪民族」と世界に向けて洗脳している

慰安婦問題を見ても分かる通り、韓国は捏造した歴史を政府自らが子供の頃に教えて、子供たちはそれを信じて反日になっていく。親日であることは罪悪であると見なされる。

たとえば、慰安婦が実は親に売られたり自ら志願した戦場売春婦で「日本による強制連行はなかった」という事実を指摘したら、朴裕河(パク・ユハ)のように有罪になってしまうような国だ。

事実であっても自分たちの都合の悪いことは表に出してはならず、すべては「日本が悪い」という空気の中で事実が覆われて消えていく。

韓国は明確に日本を「敵国」として見なしている。反日を気まぐれにやっているのではない。それは、国を上げて組織的に育んできた「日本潰し」の長期作戦であると言ってもいい。

そして韓国は今や、全世界にこの「反日スローガン」をまき散らすようになっている。歴史問題も、従軍慰安婦像問題も、すべてそうだ。

さらに韓国は現地のマスコミをも買収し、反日の記事をどんどん書かせている。

そうやって、世界を反日スローガンまみれにして、全世界が日本人を嫌うように誘導し、洗脳している。韓国は、国家を挙げて総力でそれをしているのだ。

これに対して日本政府は、「遺憾の意」を発するくらいで何もしない。そのため、反日スローガン工作に対してまったく何のカウンターパンチになっていない。

今起きているのは、韓国人による計画的な「日本人の尊厳の剥奪」であるというのに、日本政府は何もしないのだ。だから、この問題は最終的にすべての日本人に降りかかる史上最悪の民族問題となっていく。

反日の放置は、日本人の安全と生存を脅かす猛烈に危険なものになるのだ。これは日本人の誰にとっても他人事ではない。他の誰でもない。あなたの問題である。


「韓国は嘘つき国家だ」とスローガンを打ち出せ

日本人がどうすべきなのかは、もう言うまでもない。

私たちは韓国に利することは一切してはいけない。行くべきではないし、買うべきではないし、関わるべきではない。

こんな国と関わって日本人が得することはまったく何もない。反日国家とは、関われば関わるほど日本は不幸になる。非韓三原則で関わりを断たなければならないのである。

(反日に対する対抗策が、非韓三原則であり国交断絶である)
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さらに日本政府には、日本人のためにやらなければならない重要な仕事がある。それは、徹底した反撃のスローガンを対外的に行っていくことだ。

韓国の悪意にまみれた捏造の歴史には、日本が事実関係を提示したら世界に納得してもらえるなど甘いことを考えるのではなく、逆に世界が日本に納得するような、単純明快な反韓スローガンを打ち出すべきなのだ。

どんなスローガンなのか。言うまでもなく、「韓国は嘘つき国家だ」というスローガンに決まっている。

「韓国は嘘つき国家であり、日本は被害者である」というスローガンを、世界に向けて、息長く、大量に、徹底的に行うしか道はないのである。

スローガンは理屈ではない。スローガンは感情に訴えるためのものである。韓国がそれで世界を洗脳しようとしているのであれば、日本もまた世界に向けて韓国の横暴を訴えるしかないのである。

世界中の人たちに、韓国が嘘で日本を犠牲にしていることを、今こそスローガンで反撃しなければならなくなっている。

それが日本政府の仕事であり、岸田文雄外相の仕事だ。卑屈になって韓国に金を支払うのが仕事ではない。反日国家から日本人を守り、反撃するのが岸田文雄外相の仕事だ。

「遺憾だ、残念だ」と言っていないで、日本人のためにさっさと報復外交を行わなければならない。ここで反撃ができなければ、日本という国に将来はない。

反日国家に関わっても仕方がない。日本人は韓国と関わるのを止め、日本政府は「韓国は嘘つき国家であり、日本は被害者である」というスローガンを、世界に向けて、息長く、大量に、徹底的に行うべきだ。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20161222T1701300900

2017-01-26
仏像を返さない韓国。日本はいつまで舐められ続けるのか?


対馬で盗まれた仏像を、韓国の裁判所が「韓国の寺に所有権がある」という判決を出した。

この仏像は長崎県指定有形文化財の「観世音菩薩坐像」だ。日本のマスコミはまったく報道しようとしないが、日本の文化財はここ数十年、韓国人の窃盗団に盗まれ続けている。

(韓国人の窃盗団が重要文化財や家財を好き勝手に奪っていく)
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20140502T1701000900


この対馬の「観世音菩薩坐像」も、2012年に韓国人によって観音寺から盗まれたのだが、2013年には韓国政府がこの仏像を押収して、日本がどんなに返せと言っても返さなかった。

その理由は、「もともと韓国のものだったが日本が韓国から略奪した」というものだった。しかし、この主張を裏付ける証拠はまったくない。韓国の寺が勝手に言っているだけだ。

2017年1月26日、韓国の裁判所はこの韓国側の寺の主張を認め、2012年に日本から盗まれた仏像を「韓国の寺に所有権がある」という抱腹絶倒の判決を出した。

明らかに日本から盗まれた仏像を「韓国側のもの」というのだから、誰がどう見ても韓国という国の異常さが分かるはずだ。韓国という国は、日本相手になら何をしてもいいと思っている証拠がここにある。


外相はまんまと韓国に騙されるような弱腰の間抜け

これについて、日本政府の対応はこうだ。

「政府が外交ルートを通じて早期返還を韓国政府に求めている中、こうした判決が出たことは極めて残念だ」

果たして、「極めて残念」くらいで終わらせていいのだろうか。仏像を好き勝手に盗まれて、韓国の裁判所が盗まれた仏像を「自分たちのもので日本に返す必要がない」という判決を出している。

これは言うまでもないが、今後もどんどん日本から文化財が韓国人の窃盗団に盗まれ続けて韓国のものになるということだ。韓国の裁判所がそうしていいというお墨付きを与えたも同然なのだから、韓国は盗みまくるだろう。

ところが日本政府は、「極めて残念だ」とまるで他人事のように接しているのだから、いかに日本政府の対応が甘いか分かるはずだ。

本来であれば、日本政府はここですかさず韓国政府に対して報復措置を取るか、賠償請求訴訟を起こさなければならないのである。これが外務省の仕事だ。岸田文雄外相は、さっさと仕事をしなければならない。

しかし、岸田文雄外相に期待しても仕方がない。

この外相は従軍慰安婦問題でも、韓国と「日韓合意」みたいな最初から守られるはずがないような合意を結んで10億円を支払って、まんまと韓国に騙されるような間抜けである。

この日韓合意の後に韓国の「嫌がらせ像」はむしろ害虫のように増殖して釜山の大使館前にも建てられている。

韓国が約束を守らないのは分かりきっていたが、それなのに合意を結んで金を払ってよけいに問題をこじらせたのだから、岸田文雄外相の責任は重い。(岸田外相は韓国に屈服し、日本人の金と安全と尊厳を捨てた)

それならば、ここで「仏像をさっさと返せ」と激しく韓国に詰め寄り、返さないのであれば報復措置を繰り出さなければならないのだが、岸田文雄外相にはまったくそんな動きがない。

この男はすべき仕事をしていない。


韓国人のビザ無し渡航を廃止しなければならない

韓国人は仏像を盗むだけでなく、日本文化の破壊テロまでしている。

「盗めるものは盗め、盗めないものは破壊しろ」というドロドロとした憎悪に突き動かされて韓国人が日本にやって来ているのだと言っても過言ではない。

この異常な姿を日本のマスコミはまったく報じないのだが、今の日本の裏側では猛烈な勢いで「日本文化破壊テロ」が進んでいるのである。

カン・ヨンミンという韓国人が靖国神社を放火未遂する事件を起こし、キム・チャンスという在日韓国人が神仏に油を撒き、チョン・チャンハンという韓国人が靖国神社爆破し、チョン・スンホという韓国人が仏像を叩き壊している。

それだけでない。次々と日本の文化は破壊され続けて来ているのである。

自分たちの文化が破壊されているという恐ろしい事実はすべての日本人に知って欲しい。(放火、破壊、窃盗。日本文化破壊テロが着々と進行している)

こうした事実があるならば、韓国人のビザ無し渡航はすぐに廃止すべきものであると分かるはずだが、日本政府はそれをしない。検討している様子すらもない。

明らかに反日国家の犯罪者がビザ無し渡航でやって来て、日本文化破壊テロを着々と行っているというのに、犯罪者を日本に入りたい放題にしたままなのである。

さらに、街中にハングルで案内板を出して、犯罪者の手引きをしているのだから、日本という国が韓国に舐められても仕方がない状況だ。

日本政府が今すぐにやらなければならないのは、ビザ無し渡航をすぐに廃止して、韓国人の日本入国を制限することである。これは、必要不可欠な措置だ。

反日で狂った犯罪国家の人間をノー・ビザで日本に入れるという発想がどうかしている。岸田文雄外相はさっさと仕事をすべきだ。ビザ無し渡航を廃止しなければならない。


日本人は韓国が敵国であるということを自覚すべき

しかし、ビザ無し渡航をすぐに廃止しても、それで問題が解決するわけではない。

なぜなら、それでも犯罪者はいくらでもやって来るし、日本はずっと「反日」という日本人憎悪の被害に遭うのは確実だからである。

最終的には、日韓の国交断絶が望ましい。国交断絶については、韓国人もそれを望んでいる。だから、日本政府はまったく遠慮する必要はない。

すぐに断ち切ればいいのだ。

交渉や話し合いをしても仕方がない。反日国家である韓国と分かり合えるのは永遠に不可能だからだ。

竹島の実効支配、靖国神社参拝の政治化、日本の教科書への介入、従軍慰安婦の捏造、起源捏造、歴史捏造、日本海を東海への言い換え、旭日旗の使用禁止運動と、やりたい放題している国と分かり合えるはずがない。

韓国と日本は価値感をまったく共有していない。また、韓国は国家間の合意すら守ることもできない国であることも、日韓合意の不履行によって証明されている。

韓国は、日本という国にとって不利益しかもたらさない国である。韓国は今後もありとあらゆる難癖で日本に対して執拗に絡み続けてくるだろう。それが、韓国という国なのだ。

日本の国益を考えると、韓国という国は存続していない方が日本のためになる。

つまり、日本は韓国を敵国として認識し、あらゆる手を尽くして報復し、国家崩壊に導かなければならないのである。

それをしないとどうなるのか。

日本は永遠に韓国という国に侮辱され、罵られ、敵対され、侵略され、盗まれ、貶められ、踏みにじられるということだ。いい加減、日本人は韓国が敵国であるということを自覚すべきである。

筑波大学大学院教授の古田博司氏は、韓国には「非韓三原則」で対応すべきだと主張している。

今後、「非韓三原則」は日本人すべてが韓国人に対して行うべき行動指針となる。「助けない、教えない、関わらない」は徹底しなければならない。

日本は永遠に韓国という国に侮辱され、罵られ、敵対され、侵略され、盗まれ、貶められ、踏みにじられるということだ。いい加減、日本人は韓国が敵国であるということを自覚すべきである。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20170126T1727500900

2017-02-28
売国で汚染された日本を洗濯して、きれいな日本に戻すべき


韓国の従軍慰安婦を模した「嫌がらせ像」は、いまだにソウルからも釜山からも撤去されていない。撤去するどころか、撤去されないための動きが加速されている。

2015年12月28日の日韓合意で日本は韓国に10億円を支払ったが、完全に裏切られている。

この合意は慰安婦問題に対して「最終的かつ不可逆的に解決されたことを確認した」とされていたのだが、まったく意味を為していないものであり、こんな合意を決めた岸田文雄外相の責任は重い。

韓国と何らかの合意を結んでも裏切られるというのは最初から分かっていた。にも関わらず、こんな合意を決めて10億円を韓国に与えたのだから言語道断だ。

ところが、面白いことに野党もマスコミも岸田外相についてこの件で追及する人間がひとりもいない。また「日本を裏切り続ける韓国と国交断絶せよ」と安倍政権に突きつける野党もいない。これが日本の政治だ。

反日国家である韓国に対しては「何をされても何もするな」というコンセンサスが今の政治にはある。そのため、韓国に約束を破られ、踏みにじられ、裏切られても日本は完全に泣き寝入りになっている。


憎んでいる日本から永遠に謝罪と賠償を引き出す

日本には何をしても構わないという意識が韓国に定着しており、何かあればすべて日本のせいにして反日を加速させてくるのが韓国である。

そのため、これからも手を変え、品を変え、次々と新たな外交問題が起こっていく。

靖国問題、仏像返却拒否問題、強制労働問題、旭日旗問題、日本海を東海と呼び変え、歴史教科書、竹島問題、反日教育、韓流押しつけ、韓国起源主張、日本文化破壊……。

韓国の反日は、根本的に日本人に対する底知れない憎悪から生まれている。憎悪のために、わざわざ韓国から日本文化を物理的に破壊してくる人間まで出てくる始末だ。

(放火、破壊、窃盗。日本文化破壊テロが着々と進行している)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2016/12/20161219T1650250900.html


その憎悪は教育で培われており、韓国大統領からして激しく日本を攻撃し続けている。次期大統領も必ず反日で日本攻撃してくるのは間違いない。

それだけ憎んでいるのであれば、韓国が自ら日本との国交断絶に動けばいいのだが、それをしない。なぜか。憎んでいる日本から永遠に謝罪と賠償を引き出すためだ。

「用日」という言葉もあれば、「ツートラック」という言葉もある。「ツートラック」というのは「歴史問題と経済は別」という意味である。

つまり、日本を貶めながら日本から金を搾り取ろうとしている。それをツートラックだとか言うのである。

彼らが狙っているのは金だけではない。日本の知的財産、日本の技術、日本の文化、日本の領土さえも狙っている。

サムスンの行動を見ても分かる。彼らは日本の技術を徹底的に盗み取ることに全力を尽くしていた。今でも、日本の技術者を雇って、技術を吸い取って使い捨てにしている。

そして、サムスンは海外では日本企業になりすましてその製品を売りさばいてきた。買収し、奪い取り、吸い取り、使い捨てする。そのために日本にすり寄っている。

嫌っている相手にすり寄るのは、そこに奪い取るものがあるからである。だから、韓国は定期的に親睦と恫喝を交互に出してくる。

親睦も奪い取るため、恫喝も奪い取るためだ。目的は常に変わらず、単にその時の状況に応じて手段を変えている。つまり、「策略」が根底にあって日本に罠を仕掛けている。

日本人は策略と聞くと「孫子の兵法」などを思い出して、何か学問的なものをイメージする。しかし実際の話、策略というのはいかに相手を騙すのかというテクニックでしかない。

相手を騙して相手を屈服させる。そのために飴と鞭を使い分けたり、裏切ったり、騙したり、脅したり、哀願したり、泣き叫んだりして、欲しい物を手に入れる。それが策略だ。

韓国は日本に激しい憎悪を持ち、策略を使って日本に対応しているのだ。そのため次から次へと日本に問題が降りかかっているのは、ある意味、当然の結果でもある。


こちらが折れても水に流して忘れることは絶対ない

韓国は根底に日本に対する激しい恨みと自分勝手な憎しみがあり、策略を持って日本に近づいてきている。日本を貶して叩き落とすために、ありとあらゆることをしている。

対馬でも土地を買い漁って侵略を着々と進めているし、沖縄でも韓国人が入り込んで日本国内で対立と差別を煽っている。しかもそれを暴く者は差別主義者であると日本内部にいる薄気味悪い工作員がわめき立てて侵略を覆い隠そうとしている。

相手の激しい恨みや憎しみが自然に消えると思ってはいけない。無能大統領である朴槿恵(パク・クネ)が言うとおり、恨みは1000年消えない可能性がある。

恨みとは、自分を燃やしても消えない究極の感情なのである。

どんなに、表面的に礼儀正しく見えても、恨みが内部に巣食っていると、最終的にそれはいつか爆発する。奪われるだけ奪われてしまう。

今まで日本人は、こういった韓国人の感情を見て見ぬふりをして、こちらが折れれば理解して水に流してくれると無邪気に思い込んでいた。

1993年の河野談話も、韓国に許しを請えば今後この問題は不問になると期待したものであったが、日本はこれで韓国にはめられた結果となっている。

策略や裏切りが横行する韓国と関わり、妥協することになると、今後も次々とこのようなことが起きる。ひとつ妥協すれば次が、そしてそれも妥協すればさらに次が待っている。

そうやって日本は、すべて乗っ取られようとしている。

韓流の押しつけを見ても分かる通り、マスコミも、メディアもすでに乗っ取られている。

反韓や嫌韓の人間は、ワナをかけられて追い落とされる運命が待っている。すべての分野でそうだ。そうやって、日本企業も、日本文化も、文学も、音楽も、あらゆる分野すべてが破壊されてきた。


反日と売国で汚染されてしまった日本を洗濯せよ

こういった韓国の激しい反日と対抗するために、私たち日本人がすべきこともある。

韓国への嫌悪感を「宣言」する。韓国企業・韓国製品に関わらない。韓国に行かない。韓国文化を拒否する。国交断絶を政府に働きかける。親韓の売国政治家を選ばない。反韓流・反韓国の人々を支援する……。

最終的には政治家にも「非韓三原則」を宣言させ、韓国との国交断絶を実現させる必要がある。「反日国家」としての韓国を徹底的に自滅させるしか、日本を守る方法はない。

いよいよ、日本人は韓国を意図的に崩壊させる時期が来ているし、その意図でひとりひとりが世論を動かしていかなければ、もはや韓国の組織的な反日に対抗できない。

すでに反韓や嫌韓を明確に発言している個人・著名人・文化人・組織が出てきている。戦っている人たちを支援し、ネットワークを組み、救済することも必要だ。

すでに多くの人たちが立ち上がって声を上げているのだから、私たちは彼らに合流すべきである。

日本を大切だと考え、国益を守ろうとしている人たちに力を持たせ、日本に巣食っている反日の人間と「入れ替える」作業を推し進めていく必要がある。

「日本を今一度洗濯する」というのはそういうことだ。反日と売国で汚染されてしまった日本を洗濯して、きれいな日本に戻さなければならない。

これは、早急にしなければならないことであり、非常に重要なことでもある。

国益派の人たちは今は孤立無援であり台頭すれば潰される危機の中にある。日本社会に巣食う売国者の影響力は非常に強く、日本を大切に思う人たちの台頭は許されていない。

台頭すれば、反日に乗っ取られたマスコミ、政治界、経済界、スポーツ界、芸能界、宗教界、教育界の総動員で潰されていくのである。日本の敵は日本の内部にも深く浸透している。

しかし、その部分を突破しないと、いつまでも反日や自虐史観が日本を覆い尽くして韓国にやられたままだ。

日本を大切だと考え、国益を守ろうとしている人たちに力を持たせ、日本に巣食っている反日の人間と「入れ替える」作業を推し進めていく必要がある。「日本を今一度洗濯する」というのはそういうことだ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2014/01/20140105T1902000900.html

サムスングループはパクリ企業であり、そのパクリ元は日本にあった。日本から技術者を金で釣って技術をパクリ続け、そしてシャープのような間抜けな経営者が揃っている企業の利益を奪い続けてきた。

お人好しな日本人経営者は技術を盗まれても何ら対抗措置を見せず、盗まれたまま放置していた。その結果、シャープは自滅して台湾企業に買収されてしまった。

パクリで技術を手に入れたサムスン電子は、勢いに乗っていたときはカメラ事業にも進出して日本の牙城を食い散らかそうとしていたのである。

しかし、もうサムスン電子はそんなものに挑戦しているような暇も余裕もなくなっている。2015年からサムスングループは中国企業の追い込みで変調を来すようになっており、2016年にはスマートフォンが次々と爆発して窮地に追いやられた。

切羽詰まったサムスン電子は、2015年から日本市場で「サムスン」というロゴを製品からも包装からも一切を取り払い、日本企業に「なりすまし」をして製品を売るような姑息な小細工もするようになっていた。

日本企業だけ、サムスンというロゴを消したスマートフォンを売ろうとしたのである。

(日本だけ名前を隠して製品を売る奇妙なサムスンの企業体質 )
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/04/20150421T1502060900.html


この小細工は日本人に激しい嫌悪感と拒絶を生み、サムスン電子の製品はますます日本で売れなくなった。

当然だ。日本製に「なりすまし」するような会社の製品を、日本人の誰が買おうと考えるのか。このマーケティング戦略を考えた担当者は底なしの愚か者としか言いようがない。

そんなわけでサムスングループは経営トップが逮捕されなくても経営崩壊の危機にあったのだが、李在鎔(イ・ジェヨン)の逮捕によってますます崩壊が早まった。

言うまでもないが、反日国家である韓国と、日本からさんざん技術を盗んできたパクリ企業が吹き飛んで行くのは日本にとって悪いことではない。日本は今こそ、全力でこの企業を叩きのめす時期に来ている。

日本企業はサムスンを相手にすべきではない。

反日国家である韓国と、日本からさんざん技術を盗んできたパクリ企業が吹き飛んで行くのは日本にとって悪いことではない。日本は今こそ、全力でこの企業を叩きのめす時期に来ている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/09/20150923T1708550900.html

中国が韓国に制裁を科しているが日本こそ韓国に制裁すべき
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/05/20150527T1321560900.html

2017年3月に入って、中国が事実上の制裁を韓国に課すようになっている。なぜか。韓国が高高度ミサイル防衛システム「THAAD(サード)」を配備しようとしているからだ。

これはミサイル攻撃に対する防衛システムなのだが、これが配備されると北朝鮮のミサイルどころか中国のミサイルまでもが防衛されることになる。

中国は以前より韓国にTHAADミサイルの配備は絶対に認めないと通告していたのだが、韓国はアメリカには早く配備しろと命令されていた。

結局、コウモリ外交のツケで板挟みになった韓国は、アメリカの命令の方に従うことに決めたのだが、それは中国を蹴ることでもあった。だから、中国は激怒して韓国を追い込んでいるのである。

中国のやり方は傲慢だが、日本は韓国に対する扱いはこの中国に学ぶ必要がある。韓国のような、すぐに裏切り、約束を守らず、価値感を共有しない国家は、中国のように有無を言わさない「制裁」や「報復」によって関係を断ち切らないといけないのである。

韓国は反日を繰り広げている。あちこちに「嫌がらせ像」を立てて日本を嘲笑している。このように価値感を共有しない韓国に対しては、日本こそが中国のように報復で返さなければならないのである。岸田文雄外相はすぐにそれをすべきだ。


「価値観を共有しない」とは、このようなことだ

価値感を共有しない国家、集団、人間と分かり合えると思ったら大間違いだ。絶対にそれはない。結果的には関係はうまくいかない。無理に一緒になっても、常に同床異夢であり、呉越同舟である。

この事実を認識するのは重要だ。

人間関係の軋轢や問題は、そのほとんどが「価値観を共有するかしないか」だ。相手が同じ価値観を持っていないと、どんなに長い時間一緒にいても必ず破綻が待っている。

自分の譲れない部分で価値観を共有していないと、一緒にいられない。個人でも、グループでも、民族でも、国家でも、重要な部分で価値観が共有されいないと必ず関係は壊れる。

「価値観を共有しない」とは、具体的にどのようなケースが考えられるのか。日本人の一般的な性格を元に考えれば、いくつもの例が挙げられる。

たとえば、日本人は自立心が高い。生活でも経済問題でも、その多くは他人に迷惑をかけず、自分で何とかしようと努力するし、困難にも耐える人が多い。

そうすると、依存心が強く、何でもかんでも他人を利用しようと考える民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は黙々と「すべきこと」をする。他人がどうであれ、自分のやることはしっかりとやる人が多い。ある意味、これも自立心の高さから生まれている。

そうすると、すべきことをせず他人に期待し、裏切られると恨んだり非難するような民族とは「価値観を共有しない」と言える。日本人には合わないのだ。

日本人は、それぞれ他人には他人の考え方があることを理解する。他人と意見が違ったり、思想が違ったりしても、できる限り相手を許容する人が多い。

そうすると、相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思って頭ごなしに批判してくるような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、すぐに目の見えるような成果がでないことでも、長い目で取り組み、少しずつ効果を生み出せるように努力する。他人が見ていなくても責任を持って取り組む人が多い。

そうすると、すぐ目に見える成果をあげようと行動し、効果が出ないと分かると、さっさと見捨てて顧みないような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、見栄や虚栄心よりも身の丈に合った生活や考え方を好む。うわべを飾り、外観を取り繕い、他人に良く思われようと過剰な努力をしたところで、内面が伴っていないと意味がないと考える人が多い。

そうすると、整形手術でも嘘でも詐欺でも騙しでも何でもいいからうわべだけを飾ろうとするような民族とは「価値観を共有しない」と言える。


日本と「価値観を共有しない」民族が存在する

日本人は、個人的な約束から公的な約束まで、たとえ自分が損をかぶることになっても、責任を持とうとする人が多い。いったん約束したことはきちんと果たそうと考える。

そうすると、自分の都合によって約束を守らなかったり、前に言ったことを翻したり、約束などした覚えはないと言い張るような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、物事を徹底して取り組み、綿密さや正確さをできる限り保障しようとする人が多い。また、そうやって物事に取り組むことに誇りを感じている。

そうすると、物事には適当に取り組み、問題が出たら責任を他者に押しつけ、それでいて最初は「何でもできる」と根拠もなく言うような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、信頼されることや信用されることをモットーとして取り組み、そのために地道な努力をする人が多い。信頼を得るには長い時間がかかる。しかし、その時間は無駄だとは思わない。

そうすると、金のためなら、嘘でも裏切りでも詐欺でもゆすりたかりでも何でもするような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、事実関係が間違っていると謝罪し、同じ間違いが起きないように物事を改善しようと考える人が多い。自分の感情よりも、事実を優先する。

そうすると、都合が悪くなると泣き叫び、ごまかし、逆切れし、被害者を装ったりするような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。

日本人は、他人に対する思いやりや、恩義を忘れない。また、思いやりには思いやりを返し、恩義には報いようと努力しようとする人が多い。

そうすると、思いやりを見せる相手は弱い人間だと考えたり、恩を受けたことをなかったことにし、恩を仇で返すような韓国人のような民族とは「価値観を共有しない」と言える。


関係を断たなければ、問題はますます深刻になる

もちろん、個人間や民族間で、すべての価値観が完全に一致しているというのはあり得ない。

人間はひとりひとり違っており、民族もそれぞれ違っている。文化も違えば、人種も違えば、宗教も習慣も何もかも違う。だから、完全一致を目指すとすべてがうまくいかなくなる。

しかし、根本的な部分で、ある程度の価値観の共有が為されていないと、最初からうまくいかないというのも事実である。

あまりにも価値観が違っていると、どこかで妥協したとしても、他のほとんどの部分が対立してしまって、次から次へと問題が発生していく。

無理に一緒になっても、関係は必ず破綻してしまう。ただ破綻するだけではない。互いに最も不幸な形で関係が破綻するのである。常に同床異夢であり、呉越同舟というのは、そういう意味だ。

したがって、「価値観を共有していない」「今後も共有できる見込みがない」と分かれば、互いに深入りすべきではなく、関係は断絶するか、もしくは必要最小限の関わりにとどめておくしかない。

「価値観を共有していない」というのは、共に生きるのに適していないということだ。生きている世界が違っているのだ。その上、相手が憎悪を向けてくるのであれば、関係は断絶すべきであり、関わるべきではない。

「誰とでも仲良く」というのは幼稚園か小学生低学年の標語であり、それは現実的ではない。うまくいかない関係は、いずれ壊れる。悪化する可能性のあるものは、いずれ悪化する。

日本は八方美人になってあちこちに良い顔をしても仕方がない。「価値観を共有していない」と悟った国とは関係を断たなければ、問題はますます深刻になっていく。

価値観を共有していない相手とは戦略敵に関係を断つというのは、問題を複雑化させないために、とても大切なことだ。

今後、韓国のように価値観を共有していない相手と関係を断てるかどうかで日本の命運が決まる。

日本は、韓国の反日で凄まじく迷惑を受けている。民族の尊厳を貶されていると言っても過言ではない。それならば、なぜ政治家は躊躇しているのか。日本も中国を見習って、さっさと韓国に報復すべきなのだ。

そして、最終的には韓国と一切の関係を断つべきだ。国交断絶と非韓三原則こそが、正しい韓国との付き合い方である。

最終的には韓国と一切の関係を断つべきだ。価値感を共有しない国に遠慮は要らない。国交断絶と非韓三原則こそが、正しい韓国との付き合い方である。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/05/20150527T1321560900.html

反日に対する最小のコストでできる最大のリスク管理とは?

中国・韓国・北朝鮮が日本の敵になったことを、今やすべての日本人が悟っている。

中国・韓国・北朝鮮では国家主席や大統領自らが激しい反日感情を持っており、国民の日本人憎悪をたしなめるどころか、逆に自ら増長させるような動きを見せている。

そして、さらにこれらの国々は日本国内に日本破壊と売国のための工作員を政界・財界・報道界・教育界とありとあらゆるところに潜り込ませ、組織を乗っ取り、日本を根幹から転覆しようと画策している。

日本に対する憎悪をたぎらせて活動しているのだ。

これらの反日国家の反日感情が自然に消えていくと思ったら大間違いだ。人間の感情の中で、憎悪というのは非常に執拗で根深いものだからだ。これから、ますます加速していくことになるだろう。

この現実を考えると、もはや私たち日本人も、これらの反日国家に対しては現実的に対処しなければならない時期に来ているということが分かる。

もう、私たちは「見て見ぬふり」をしていては、いけない時期に入ったということだ。対立と衝突は不可避であると考えなければならない。


トラブルは、元から断たなければ解決しない

人間関係でも、決定的に合わない人、一緒にいられない人、顔も見たくない人は必ず生まれる。

こちらの誠意をすべて曲解して恨んできたり、こちらを無意味に恫喝して来たり、年中「金を貸せ、金をよこせ」と絡んでくる相手が世の中には必ずいる。

国と国の関係も、突き詰めれば人間と人間の関係である。

人間関係のトラブルは、そのまま国にも当てはまる。波長の合う国、合わない国があって、合わない国とは常に歴史的なトラブルになる。

だから、人間の歴史は、紛争も、戦争も、絶えることなく続いていくのである。

問題のある国と関われば、それだけトラブルに巻き込まれるだけである。トラブルとは家に潜む害虫のようなものだ。家の中で一匹の害虫を見たら、影にはその仲間がうじゃうじゃと存在している。

トラブルのひとつを潰しても、次のトラブルが生まれる。そのトラブルを潰しても、また次のトラブルが生まれる。

日本と韓国の関係だけを見ても、慰安婦問題というトラブルが片付けばそれで終わりというものではない。慰安婦問題だけでも片付けることができないのだが、それを除いても韓国とのトラブルは満載なのだ。

たとえば、竹島の不法占拠問題もあれば、靖国問題もあれば、仏像を盗んで返さない問題もあれば、強制労働訴訟問題もあれば、日本海を東海と言い換える問題もあれば、旭日旗を戦犯旗と言う問題もあれば、教科書介入問題もあれば、韓流押し付け問題もある。

トラブルは害虫のように、次から次へと私たちを襲いかかって来るのである。つまり、ひとつのトラブルに着目しても問題は絶対に解決しない。反日がある限り、反日国家との接点はすべてトラブルの元になる。

トラブルは、元から断たなければ解決しない。


最小のコストでできる最大のリスク管理とは?

日本人は、中国・韓国・北朝鮮が日本にとって大きなトラブルの元であることを認識し、徹底的なリスク管理をしなければ生き残れない時代になっている。

日本政府も日本企業も日本人も、ひとりひとりが中国・韓国・北朝鮮と関わるのは巨大なカントリー・リスクであることを認識できていなければならない。

反日国家やその国民と関われば、必ずトラブルが起きる。起きるトラブルはひとつではない。影に多くのトラブルがうごめいて飛び出すのを待っている。関われば関わるほどトラブルに忙殺されて、それで人生が終わってしまう。

反日感情という巨大なトラブルは甘く見るべきではない。

中国では2012年に日本企業を焼き討ちにするような激しい反日暴動が起きたことがあった。現場では「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」と張り紙すら出ていた。

日本人であるということだけで、暴力の対象にされてしまうのである。日本人をスケープゴートにするような国民感情がある以上、いつか本当にそうなると考えるのは当然だ。

それならば、私たち日本人が平穏な暮らしを維持し、トラブルに巻き込まれないためにしなければならないのは、基本的にただひとつ「関わらない」という方針を徹底することである。

「中韓に関わらない」というのは、具体的には、次のものに関わらないということを徹底することだ。

(1)反日国家そのものに関わらない。
(2)反日国家の人間に関わらない。
(3)反日国家の商品・製品に関わらない。
(4)反日国家に関わっている企業に関わらない。
(5)反日国家の文化に関わらない。

ありとあらゆる方法で、反日国家と関わりを断ち、それによってトラブルを回避するのが正しい。関わるとトラブルが発生するのだから、関わらないというのは最小のコストでできる最大のリスク管理である。


「関わらない」ことを徹底すればいいだけ

関わると必ずトラブルに巻き込まれるのだから、「関わらないようにする」ことで、トラブルの大半を回避できる。

日本人であれば、個人も、企業も、国も、一丸となって「関わらない」ことを徹底すれば、大きな効果が期待できる。すべての日本人がそれを徹底するだけでいい。

中国・韓国・北朝鮮に行かないのは当然のことだ。わざわざ、トラブルに巻き込まれる必要はないはずだし、行かないことによって関係が薄らぐのだから、悪いことではない。衝突を起こす反日の相手とは意図的に疎遠になる必要がある。

反日国家の商品や製品は買わないのも当然のことだ。日本製品は質が良いと世界中が認めるのだから、わざわざ反日国家の質が落ちる粗悪品と関わる理由がない。安いというだけで飛びつくライフスタイルは、もう捨てなければならない。

反日国家の企業や人間に技術を教えたり、移転させるのを避けるのも当然のことだ。もはやこれらの国は日本にとって害悪であり、敵国として目の前に立ちはだかっているのだから、重要な技術を移転させることは売国でしかない。

日本の立場を理解してもらおうとするのも無駄だ。日本の初代首相を暗殺したテロリストを崇めたり、記念碑を建てたりするような国と、相互理解できると思う方が間違っている。もはや理解を求める段階は過ぎた。

相手の執拗な謝罪・賠償要求にも妥協せず、付き合わないことも重要だ。ひとつ妥協すると、次々と妥協を強いられてきたのが今までの流れだ。話し合いに応じるというのは、隙を見せるということでもある。

親睦や友好や友愛という言葉にも気を付けなければならない。政治家はそれによって買収されたり、ハニー・トラップに引っかかったりして、金をむしり取られてしまっている。付き合って、騙されているのである。

トラブルを元から断つというのは、「関わらない」という基本方針で成し遂げられる。別に難しいことではない。関わらない方向で徹底すればいい。

日本を大事に思っているのなら、できるはずだ。反日を標榜する下らない国家や人間と関わらないというのは、反日に対抗するための最小のコストでできる最大のリスク管理であるというのは、もっと自覚すべきである。

有名な「非韓三原則」。これも、日本に害を為す反日国家や人間と徹底的に関わらないようにするための重要な原則である。お人好しの日本人は関わることで
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170401T1753030900.html

2017-04-13
北朝鮮の崩壊の過程で日本に3つの危機が襲いかかってくる


中国の習近平国家主席は北朝鮮を崩壊させる度胸も気力もないので、北朝鮮の体制を何とか維持させる方向に努力する可能性が高い。

北朝鮮が崩壊すると大量の難民が中国に押し寄せるのは分かりきっている。数百万人にも及ぶ人間たちを管理し、面倒を見なければならなくなる。

それは経済的にも非常に莫大な予算がかかるものであり、今の中国はそんな予算を北朝鮮に費やしたくないというのが本音でもある。当然だが、誰も朝鮮民族の面倒などみたくない。

中国が朝鮮半島を実効支配に乗り出さなかったのは、朝鮮民族があまりにも面倒極まりない民族であり、取り込むよりも隔離して封鎖しておいた方が楽だからだ。

その結果、北朝鮮は異常な独裁者が数十年にも渡って国家を私物化することになり、それが今も続いている。

さらに北朝鮮は国民を貧困のどん底に叩き落としながらも、国家は軍拡に邁進してきた。

その結果、国に金がなくなればミサイルをところ構わず飛ばして、まわりの国から援助をもらう瀬戸際外交の物乞い国家になり、いまやその物乞い国家が核ミサイルを持とうとする最悪の局面になってしまった。


短期的には大きな混乱が押し寄せる可能性は高い

今まで北朝鮮を放置しておくのは、中国にとってもアメリカにとっても戦略上好ましいことでもあった。

(簡単に壊滅できる北朝鮮をアメリカが壊滅させない理由とは)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2016/03/20160303T1806050900.html

中国は北朝鮮を緩衝地帯にしてアメリカと直接対峙を避けることができたし、アメリカは北朝鮮の脅威を煽って韓国や日本に兵器や防衛システムを売りつけることができた。

しかし、北朝鮮が長距離ミサイルを持つようになり、弾頭に細菌兵器でも核でも何でも載せることができるようになると、話が違ってくる。

その長距離ミサイルがアメリカにまで到達するようになると、アメリカ本土が攻撃対象になる。それはアメリカが望んでいる現実ではないし、放置できることでもない。

バラック・オバマはそんな北朝鮮を放置し続けてきたが、そのために北朝鮮はあと数年でアメリカに核ミサイルを落とせるほどまで技術を向上させる事態を招いた。

このまま北朝鮮を放置しておくのか、それとも叩くのか。

ドナルド・トランプ大統領は、北朝鮮を叩きのめす方向を目指しており、しかも早急にそれをやりたいという意向を持ち、そのように動いている。

北朝鮮を崩壊させるというのは、長期的に見ると非常に素晴らしいことである。

異常な独裁私物国家はさっさと崩壊させ、豚のように肥え太った指導者である金正恩も、斬首でも銃殺でもして抹殺しておいた方が世の中にとっては幸せだ。

しかし、長期的に見れば今の北朝鮮の体制を崩壊させるのは良いことだが、短期的には大きな混乱が押し寄せるというのも間違いない。

何が起きるのだろうか。


日本国内で一斉蜂起、一斉テロ、一斉略奪が起きる?

北朝鮮を崩壊させるにしても、それを察知した北朝鮮が破れかぶれになると、周辺国は大きな軍事的危機に見舞われる確率が非常に高まる。

もちろん日本も例外ではない。例外どころか、むしろ日本が標的にされる確率は非常に高い。北朝鮮も例によって反日国家であり、日本に対して激しい憎悪を抱いている国だ。

追い詰められて自暴自棄になったとき、ミサイルを飛ばす先は日本であっても不思議ではない。

2017年4月13日、参院外交防衛委員会で安倍首相は「北朝鮮がサリンを弾頭につけて着弾させる能力をすでに保有している可能性がある」と発言している。

これは韓国の国防省も確認しており、北朝鮮はVXガスやサリンを含む各種化学兵器を2500トンから5000トンも保有していると言われている。

北朝鮮はマレーシアでVXガスを使用して金正男を殺害する暗殺事件を引き起こしており、毒ガスを使用する能力があることをすでに証明している。

サリンと言えば、カルト教団であるオウム真理教がテロに使ったことから日本人もその危険性をよく知っている。

今度は北朝鮮がミサイルにサリンを載せて東京や大阪と言った人口過密都市に飛ばして大量殺戮をする可能性もあるということだ。あるいは原子力発電所に向けてミサイルを飛ばすということも考えられる。

それだけではない。

北朝鮮は日本の国内に大量の工作員を紛れ込ませ、反日の人間を大量に作り出して日本社会に紛れ込ませていることを忘れてはならない。

こうした工作員や北朝鮮のシンパが自暴自棄と化した指導者の命令で、日本国内で一斉蜂起、一斉テロ、一斉略奪に動くかもしれない。

つまり、北朝鮮の崩壊が一気呵成に行われないと、場合によっては日本国内でテロの嵐になるということでもある。

だから「テロ等準備罪」の成立を急がなければならなかったのだが、これを執拗に邪魔していたのが民進党だ。

(「テロ等準備罪」の成立を邪魔する民進党を本気で潰すべき)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170406T1655510900.html


受け入れても追い出しても、大混乱に見舞われる

ミサイルが飛んでくる危険もあれば、国内で北朝鮮の工作員が一斉に蜂起する危険もある。これが今の日本の置かれた立場である。

しかし、それだけではない。短期的に見ると日本はさらに大きな試練に晒される。

北朝鮮が崩壊する中で何が起きるのかというと、まずは考えられるのが大量の難民が発生して、これらの難民が「日本に押し寄せてくる」ということである。

1950年代、李承晩(イ・スンマン)の大虐殺によって、大量の難民が日本に逃れてきて勝手に住み着くという異常事態が発生したことがあった。

反日のくせに、何かあれば日本に逃げてくるのが朝鮮民族の特性である。

この行動パターンは変わっていないので、北朝鮮が崩壊すると再び難民が大量に押し寄せてきて、数十万規模の朝鮮人が勝手に日本に住み着く危険性が高い。

本来であれば、こうした反日国家の難民たちはひとりも受け入れるべきではない。北朝鮮の難民はひとり残らず韓国が引き受けて面倒を見るべきだ。同じ朝鮮民族なのだから、それは当然のことだ。

しかし日本国内にいる中国・韓国・北朝鮮の工作員たちは、これを機に日本の侵略と乗っ取りのためにどんどん難民を受け入れるように日本に圧力をかけ始める。

狂ったように工作活動を行い、反日のマスコミもお涙頂戴の悲劇を書き立てて難民を受け入れる世論を作り出すだろう。

しかし、価値感を共有しない難民を受け入れるとどのようになるのかはテロに揺れるEU(欧州連合)を見れば分かる通りだ。北朝鮮が崩壊すると大量難民が押し寄せて、受け入れても追い出しても日本は大混乱に見舞われる。

いよいよ北朝鮮の崩壊が近づいている。

ミサイル危機、工作員の一斉蜂起危機、大量難民の危機。北朝鮮の崩壊の過程で、多くの危機が日本に襲いかかってくることになる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170413T1740270900.html

2017-04-25
北朝鮮のミサイル・工作員・難民に日本は対処できるのか?


北朝鮮が朝鮮人民軍の創建85年の節目を向かえており、南東部で過去最大規模の砲撃訓練を行っている。

豚のように膨れ上がった金正恩(キム・ジョンウン)が核実験や長距離弾道ミサイルの発射をするかどうかは今のところ分からないが、今回は一触即発の状態だ。

北朝鮮は相変わらず「敵が軍事的冒険に出ようとすれば、先制核攻撃で侵略の牙城を完全に消し去る」などと誇大妄想をわめいている。

しかし、もう「何もしない大統領」であるバラック・オバマの時代は終わっており、今では「何をするか分からない大統領」であるドナルド・トランプの時代に入っている。

ドナルド・トランプは北朝鮮に対して「軍事力行使を含む全ての選択肢を行使する」と明言しており、その本気度は中国やロシアや日本に伝わっている。

本来であれば、北朝鮮などとっくに崩壊していないとおかしい国なのだが、中国は緩衝地帯としての北朝鮮を存続させたいという意向を強く持って陰で支援してきた。

北朝鮮は貧しい独裁国家だ。この国を崩壊させるのは中国が支援をストップすればそれでいい。しかし中国が本気で経済制裁しないので、いつまで経っても北朝鮮は崩壊しなかった。


放置すれば、狂人が核と弾道ミサイルを持つことに

金正恩は人望がなく、すでに3代続く独裁政権による恐怖政治は限界に達しているとも言われている。

自分の側近を次々と粛清し、自分の地位を脅かす可能性がある金正男(キム・ジョンナム)もマレーシアで暗殺し、その恐怖政治に歯止めが効かなくなっている。

側近を次々と暗殺していく組織が長く続くわけがないのは誰が見ても明らかだ。つまり、本来であれば北朝鮮は放置しておいても勝手に自壊する体制だ。

しかし、国際社会はこの異常な国家が勝手に自壊していくのをのんびりと見学しているわけにいかなくなった。

なぜなら、この国家は核開発を進めている。順調にいけば2019年から2020年までには核保有国となり、日中韓どころかアメリカにまで到達する核ミサイルを持つことになる。

狂人が核と弾道ミサイルを持つのである。

今まで周辺国は北朝鮮を不安定化させることを懸念して、経済制裁の強化や、対抗策をとることを躊躇ってきた。アメリカも北朝鮮という独裁国家を存続させることで日韓に高額な防衛システムを売り込むことができた。

しかし、もうそんなことを言っている場合ではなくなったというのが現在の状況だ。

北朝鮮は約束をいっさい守らない。そのため、いくら周辺国が協議しても何の意味もない。周辺国と平和的に共存できる国家に変貌することは絶対にない。

そして、地球上で最も人権侵害の甚だしい国家であり続け、これからも兵器を増産し続ける。

だから、北朝鮮はもう崩壊させることを前提に対処しなければならなくなっているのである。金正恩を抹殺しなければならない時期に入っている。


日本の防衛システムは穴だらけで防衛できていない

しかし、こうした動きがあったとしても、必ずしも一直線にその方向で動くわけではない。

戦争は思いつきで始めるものではないし、戦争をするのであれば味方の被害を最小に、敵の被害を最大にしなければならないからだ。

中途半端な開戦をすると、韓国や日本は火の海になる可能性がある。北朝鮮は反日国家である。そして、その日本はアメリカと密接に連携して動いている。

日本は完全に北朝鮮のターゲットに含まれている。日本は当事国であり、いったん戦争になれば日本のどこでもミサイルが着弾する可能性がゼロではない。

北朝鮮のミサイルはすでに日本を射程距離に含んでいる。テポドンは1500km、ノドンは2000km、ムスダンは3200km、テポドン2号は6000kmであり、日本どころかグアムやオーストラリアも射程距離の中にある。

こうしたミサイルを迎撃するために日本は防衛システムをアメリカから買っているわけだが、100%迎撃することは不可能であると言われている。

日本のミサイル防衛は二段構え、三段構えになっているが、イージス艦6隻と、パトリオット34基で数百発のミサイルを迎撃できるのかどうかは分かっていない。

ちなみに、MD(ミサイル防衛)の要となるレイセオン社のパトリオットは、なぜか大都市であるはずの大阪をまったくカバーしていないことで知られている。防衛システムは穴だらけなのである。

特に、ムスダンをいったん宇宙空間まで飛ばして日本に落下させる手法で日本を標的にすると、それを迎撃するのは技術的にはかなり難しいものになるとも言われている。

ミサイルは発射されてから日本に到達するまで10分以内である。マッハのスピードで飛んできたミサイルの直撃を受けると、数百人から数千人の規模で死者が出る。

まだ核が搭載されていないから大丈夫だという人もいるが、原子力発電所が標的にされると、核ミサイルが落ちたのと同じことになるのを忘れている。


反日政治家や工作員をひとり残らず炙り出して排除

いつ、どのような形で北朝鮮が崩壊していくのかは誰にも分からない。しかし、2年後までには金正恩体制は存続していない可能性が高い。

危険なのは、この国がコントロールできない状態で崩壊した場合、大量の難民が発生する可能性が高いということだ。北朝鮮の人口は2490万人であると言われている。

このうちの10分の1が難民となっても、周辺国は大混乱に陥ることになる。難民の多くは中国や韓国に向かうが、彼らの一部はかつてのベトナムのようにボートピープルと化して日本にもやってくる。

重要なのは、北朝鮮がどのような崩壊をしても、難民はひとりも受け入れるべきではないということだ。

北朝鮮の兵士が民間人のフリをして、武器を隠して日本に上陸して、そのまま居ついてしまう可能性もある。彼らは反日であり、しかも被害者特権を持ちやすい民族性がある。

朝鮮民族はそれを「恨(はん)」だとか何とか言っているが、要はいつも誰かを恨んで被害者になり「謝罪しろ、賠償しろ」とわめくのがこの民族の気質だ。

この点に関しては、北朝鮮だろうが韓国だろうが変わらない。これは朝鮮民族の気質だ。

しかし、民進党や日本共産党は、間違いなくこうした難民を受け入れろと言い出して強力な政治運動を起こす。こうした組織の中には北朝鮮の工作員がしっかりと根付いている。

工作員の運動によって難民が入り込むと、この難民は日本に居ついて帰らなくなる。彼らの居ついたところは、京都のウトロ地区のようになり、そしてそれが後々に日本の災厄になる。

そう考えると、日本が対処する北朝鮮問題は3つあるというのは間違いない。ミサイル危機と工作員と難民である。

(北朝鮮の崩壊の過程で日本に3つの危機が襲いかかってくる)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170413T1740270900.html

すぐにすべきなのは、日本を食い荒らしている国内の反日政治家や工作員をひとり残らず炙り出して排除していくことである。こうした反日政治家や工作員を放置したまま北朝鮮の崩壊を向かえると、日本もまた不幸な目に遭うのは必至だ。

もう一刻の猶予もない。

ミサイルは発射されてから日本に到達するまで10分以内である。マッハのスピードで飛んできたミサイルの直撃を受けると、数百人から数千人の規模で死者が出る
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/04/20170425T1711450900.html


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

53. 中川隆[-7000] koaQ7Jey 2018年4月01日 10:29:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9670]

【在日外国人の犯罪率の日本人との比較(日本人を1とした場合)】
外国人全体・韓国朝鮮人・韓国朝鮮人以外の外国人比較 (平成18年の国籍別犯罪比率の計算から)
http://web2.nazca.co.jp/midorinosono/#433
                                 韓国朝鮮人
                                 を除いた
  国籍・国   外国人全体  韓国・朝鮮人    外国人    日本人
 犯罪の種類
  刑法全体    1.5       2.9       0.7      1
 凶悪犯全体     1.8       3.2       0.9      1
    殺人    1.7       2.8       1.1      1
    強盗    2.4       4.5       1.1      1
    放火    0.6       1.2       0.2      1
    強姦    1.8       3.0       1.1      1
  粗暴全体    2.3       4.5       0.9      1
    暴行    2.2       4.1       1.0      1
    恐喝    1.6       3.6       0.4      1
    詐欺    1.1       2.4       0.3      1
    横領    0.8       1.9       0.1      1
覚醒剤取締法    2.5       5.0       0.8      1

______

連続石像損壊に懲役2年判決 韓国籍の男、福島地裁支部 2017年6月30日 11時49分


 福島県内の神社でキツネ像や神鏡などを壊したとして、器物損壊や窃盗などの罪に問われた韓国籍の住所不定、無職チョンスンホ被告(35)に福島地裁白河支部(小川弘持裁判官)は30日、懲役2年(求刑懲役2年6月)の判決を言い渡した。

 起訴状によると、チョン被告は昨年12月ごろ、同県泉崎村や須賀川市などの神社に侵入し、キツネ像や石像、神鏡などを壊したほか、さい銭箱から現金約30円を盗んだとしている。

 福島県内では昨年12月ごろ、寺や神社で130以上の仏像や地蔵像などが壊される被害が相次いだ。チョン被告は公判で、宗教上の理由で約70の石像などを壊したと明らかにした。

(共同)

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2017.8.8 東大寺の国宝・法華堂にハングルの落書きか 奈良

東大寺法華堂に落書きされているハングルらしき文字=8日午後11時5分、奈良市 (安元雄太撮影)


 奈良県警は8日、奈良市にある世界遺産・東大寺の国宝・法華堂で、ハングルなどが落書きされているのが見つかったと明らかにした。文化財保護法違反の疑いで調べている。

 県警によると、落書きがあったのは法華堂礼堂の高欄(欄干)の側面。8日午前に東大寺の職員が見つけた。県警は周辺の防犯カメラの映像を調べる。

 法華堂は天平12(740)年から同19(747)年のころの建立といわれ、東大寺最古の木造建築。前部の礼堂は鎌倉時代の建造。

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安部首相は韓国の手先だった

国家戦略特区とは安倍氏個人の意向を実現するための特別な制度か。


下関市のみならず、安倍氏の成果周辺の日本海側の道路標識や案内板にハングルが氾濫している現実を知るが良い。いったい誰がハングルの案内板を必要としているのか。在日韓国人は日本語を熟知している。ハングル表記の案内板が必要なのは半島から密入国した人たちだけだ。行政は密入国した朝鮮人に親切にしているだけだ、という現実も知るべきだ。


 日本国内に暮らす人たちなら、日本語表記とローマ字表記だけで十分だ。観光客もローマ字表記が読めないような人はまずいないだろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo226/msg/129.html


乗っ取られた日本の中枢が機能しなくなっている

反日国家である中国・韓国・北朝鮮は、国家運営が暗礁に乗り上げると、反日を煽り立てて国民の目をそらすというワンパターンな行動を何度でも繰り返す。

だから、反日の言動はこれからも続く。大統領が変わろうが何だろうが、反日の姿勢だけは変わらない。だから、これらの国と日本の関係は、最後にはどうしようもないところにまで追い込まれていく。

今まで日本はこうした反日国家の傍若無人に耐えて、国民も政治家もまったく何の反論もしなかった。反論どころか、むしろこれらの国に迎合する政治家ばかりだった。

しかし、こうした流れも民主党政権が下野した2012年12月から明確に変わっていった。

安倍政権になってから、やっと日本は中国・韓国に反論できるようになり、「価値感を共有していない」として距離を置くことができるようになったのだ。

同時に日本の国民の間からも、反日という日本人憎悪を剥き出しにする中国・韓国・北朝鮮に対して、「嫌悪」と「軽蔑」を表明する人が増え始めている。

ところが、戦後70年以上の平和ボケの中で、日本の中枢組織の多くが中国・韓国・北朝鮮の工作員たちに乗っ取られてしまっており組織がまともに機能していない。

政治界、教育界、報道界、広告界、経済界、芸能界、文学界、映画界、音楽界、宗教界、法曹界、地方自治体……。すべてが中国・韓国・北朝鮮の工作員に侵食されている。

この中で、特に問題にされているのが報道界だ。マスコミの腐敗は今や壮大な不信を生み出している。日本下げ韓国上げの報道ばかりして真実を隠す。

マスコミがこのような工作をすればするほど、国民はマスコミにも嫌悪を抱くようになり、マスコミのことを「マスゴミ」と言って毛嫌いする人も増えてきた。

最も激しく批判されているのは中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙だと嘲笑されている「朝日新聞」だ。しかし、問題は朝日新聞だけではない。

毎日新聞も、NHKも、フジテレビも、影響力のある報道機関の多くが乗っ取られてしまっている。


修復不可能な「断絶」へと突き進んでいく

マスコミがどんなに世論操作をしようとしても、あるいは事実を隠蔽しようとしても、日本人が反日国家に怒りを感じ、中国・韓国・北朝鮮に憎しみを持ち始めているのは隠せない。

特に、狂気のような反日が蔓延している韓国に嫌悪を感じる人が増えた。執拗に日本を貶めようとする韓国の姿勢に「嫌韓」が拡大して、それが大きな国民的感情となっている。

もう引き返すことができない。

だから、今後は中国や韓国や北朝鮮が不満のはけ口を反日に向ければ向けるほど、日本人の心の中にもこの反日国家に対する憎悪が積み重なって修復不可能な「断絶」へと突き進んでいく。

ここから何が生まれるかは、もちろん誰もが分かっている。

民族対立が頂点に達していけば、これから生まれるのは「暴力」である。憎悪が極まっていけば、友好につながるのではない。暴力につながる。

反日国家の人間たちの発言を見たら分かる通り、そこには日本人に対する激しい憎悪で満ちあふれている。妥協のないほどの憎悪である。

彼らは日本人を犬や猿扱いしており、要人からして日本人を憎んでいる。国全体に、隠しきれない日本憎悪がある。反日を煽ることが、生き甲斐になっている。

これほどの反日が突きつけられて、日本人がいつまでも黙って耐えているだけと考えられない。怒りはやがて行動になって現れる。時代は変わった。

日本憎悪に妥協がないのであれば、日本人の反発もまた妥協のないものへと深化していく。

そして、憎悪と憎悪が必ず暴力を生み出す。

東アジア情勢は、対立と暴力的衝突に向けて動き始めているのだ。着実に「暴力の時代」へと向かっているという認識が正しい。政治がどう変わろうと、それは変わらない。

憎悪という感情はとても強いのだ。誰がそれを止められるというのか……。

東アジア情勢は、対立と暴力的衝突に向けて動き始めているのだ。着実に「暴力の時代」へと向かっているという認識が正しい。政治がどう変わろうと、それは変わらない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170926T0356320900.html


2017-08-22 反日工作を放置しておくと、やがて日本人の人権も抹殺される

中国・韓国・北朝鮮は、今やなりふり構わず、日本を貶める動きを全方位に、徹底的に、執拗に、展開している。

すでにこの特定アジア三ヶ国は、日本を明確に敵として認定し、日本を叩きのめそうと悪意を持って仕掛けてきている。これは、戦争行為と言っても良い。

中国・韓国・北朝鮮は、すでに日本に敵対しているのである。

これらの反日国家は日本を敵として認識して動いているのだが、逆に日本人には中韓友好や自虐史観を押し付けて敵対させないようにしている。

このような現実は、ここ数年で多くの若者がインターネットで知るようになった。

インターネットでは、すでに反日国家に乗っ取られたメディアによる露骨な偏向報道はさんざん指摘されている。そして、いよいよこの偏向報道に対抗する動きも出てきた。

たとえば、「放送法順守を求める視聴者の会」などは、その先頭に立っていると言える。

(「放送法順守を求める視聴者の会」)
http://housouhou.com/


高齢層が反日メディアに操られて洗脳されていく

「放送法順守を求める視聴者の会」は、いかにマスコミが偏向しているのかを意見広告を新聞に載せて、日本のマスコミの偏向ぶりを世に知らしめようとしている。

これは非常に重要な動きであると言える。偏向が為されていることを、新聞に情報を頼っている高齢層に届けようとしているからだ。

何としてでも、インターネットを使うことのない高齢層に、情報が届かなければならないのだ。

テレビや新聞は、今やインターネットが使えない高齢層の御用達のメディアとなっている。長い時間をかけて中国・韓国・北朝鮮の工作員がこのメディアを押さえてしまった。

だから日本のテレビや新聞は「反日メディア」と化してしまい、反日の記者が跋扈し、反日のコメンテーターが毒々しいコメントを垂れ流し、反日の知識人がうろつくような吐き気を催すような世界と化したのだ。

そして、世界でも類を見ない超高齢化社会の日本で高齢層が洗脳されたままとなっており、偏向報道にやられっぱなしになっている。

一部の賢明な高齢層はもちろん、マスコミが安っぽいアジビラみたいになってしまったのに気付いているが、ほとんどの高齢層は、まだ何も気付いていない。

未だにテレビや新聞が中立だと思っているし、まして中国・韓国・北朝鮮が敵国になったという自覚もない。子供のように素直にテレビや新聞を信じている。

韓国の工作員どもに乗っ取られたテレビ局は、繰り返し繰り返し韓流だとかいう韓国礼賛を高齢者に見せて洗脳させ続けてきた。

洗脳を甘く見てはいけない。いったん洗脳されると、自分が洗脳されたと気付いても抜けられないのである。

(17年経っても消えないマインド・コントロールの恐ろしい手口)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/06/20120621T1717000900.html


そのため、根深い洗脳から脱することができない手遅れの高齢者もいる。


今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーだ

こういった害悪のあるメディアに洗脳された高齢者が、中国・韓国・北朝鮮が敵対化した危険な国家であるという認識がすっぽりと抜ける。

そして、「隣国だから仲良くしないといけない」とか「相手が納得するまで謝り続けなければならない」みたいなことを言う人間に誘導されて、本当にそう思い込んでしまうのである。

中国・韓国・北朝鮮が、日本を敵と認定して激しい反日工作を仕掛けているのに、それを自覚していない高齢者が山ほどいる。これがどれだけ危険なことなのか分かるはずだ。

今の状況では、中国・韓国・北朝鮮の工作員の誘導するがままに高齢層が操られる。

このような状況の中、反日国家に対抗しようとする日本人はまだまだ少ない。彼らが日本にとって危険な存在になっていることに気付いても、どうしていいのか分からずに右往左往しているだけだ。

それに比べて、中国・韓国・北朝鮮の反日は、国そのもので組織的に動いている。日本人がまったく組織化されていないにも関わらず、彼らは徹底的に組織化された効率的なグループで動いているのだ。

客観的に状況を見ると、今の「烏合の衆」のままでは、日本人は中国・韓国・北朝鮮の反日工作に飲まれて負けていくのは確実だ。

日本人は政治的な民族ではない。これは民族的な気質だから仕方がないのだが、その弱点を突かれ、どんどん日本の中枢を食い荒らされるがままになっている。

本来であれば、日本は反日言動をする中国・韓国・北朝鮮とは国交断絶をしなければならない時期にきている。

それなのに、政財界やジャーナリストを見て欲しい。まだ、誰ひとりとして「国交断絶」を訴える人間がいない。

これは異様なことではないだろうか。誰も正論を「言えない」のである。誰も守ってくれないからだ。叩かれるからだ。干されるからだ。孤立してしまうからだ。

今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーにされている。


「日本人に人権はない」ということになるのだ

日本人ひとりひとりが覚醒しなければならないときがきているのに、まったく覚醒できていないと言っても過言ではない。その結果、日本は追い詰められていく。

このまま放置していくと、侵略は静かに進み、日本の領土は奪われ、日本人は全員が反日国家に戦争犯罪者として認定され、「日本人に人権はない」ということになる。

これは日本人の誰もが他人事ではない。日本人すべてが当事者だ。私たちは日本人だというだけで、激しい憎悪にさらされて、どんどん追い詰められていく。

2012年の反日暴動で、中国人が「日本の男を見たら、すぐに殺せ! 日本の女を見たら、すぐに犯せ!」と煽っていたのはよく知られている。

(「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」と、中国で煽られている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/09/20120918T1545000900.html

実際に、「日本人か?」と確認して、日本人だと分かったら殴ったり蹴ったりするような暴力を振るうようなケースも山ほどある。

大阪では、「生粋の日本人ですか?」と確認して高齢者を殺す狂った男まで出現した。

(「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきた)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html


2017年8月22日には、東京世田谷区三軒茶屋のコンビニエンスストアで金輝俊(キム・フィジュン)という40歳の男が包丁を日本人女性の首に突き立てて殺そうとする事件があったのだが、この男はツイッターで「日本人を大量虐殺する」と宣言する気の狂った人間のクズだった。(「金輝俊(キム・フィジュン)・ツイッター」で検索)

言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。対馬から仏像を盗んでも、靖国神社に小便を垂れ流しても、仏像を叩き壊しても、すべて正当化される。

これほどまで危険が目に見えているのに、まだ何も知らないフリをするつもりなのだろうか?

敵を敵と客観的に認識すらもできないのだから、このまま推移すると、どれほど日本人の立場が悪くなっていくのか想像するのも恐ろしい。

言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/08/20170822T1800270900.html

民族と民族が対立する時代に私たちは生きている

今、世界はあらゆる対立が吹き出そうとしている。

グローバル化や、多文化共存というお花畑の思想で、本来は相容れないはずの人たちが一ヶ所に混ぜられた結果、かつてない緊張と対立と衝突と暴力がそれぞれの国で湧き上がっている。

テロというのは、そうした社会矛盾のひとつの結果である。

社会矛盾を引き起こすグローバル化という流れが止まらないのは確実だから、今後もテロが止まらないというのは当然のことでもある。

それぞれの地域・地域で起きているバラバラのテロがやがて大きな破壊の潮流を作り出す。テロ・ネットワークが生まれ、テロリストは互いに共謀しながらテロを準備していく。

すでに、テロはソフトターゲットに移行しているので、普通の人が生きる普通の場所で突如として起きるのだ。

日本でも、やがてはテロが引き起こされる。

日本人も何人もの人たちがイスラム過激派に斬首されて、その斬首された画像がインターネットに出回っている。あるいは海外で経済支援活動を行っていた人たちが銃撃されて殺されたりしている。

日本人であっても、いつでもテロの標的になる。そして、民族憎悪のターゲットとなる。「日本人だから殺される」時代が来るのである。

中国・韓国・北朝鮮の人間たちは「反日」教育を受けて激しく日本人を嫌っており、対立が深まれば日本人の殺戮やレイプに突き進んでも何ら不思議ではない。

すでに中国では「日本人の男を殺せ、日本人の女を犯せ」と煽られているのだ。

日本国内でも大阪で「日本人かどうか確認して殺す」ような恐ろしいヘイト殺人が日本人に対して行われてきた。この残虐なヘイトクライムをマスコミはまったく追わない。

時代がこのように突き進んでいるのだから、テロが行われる前にテロリストが殺人計画を立てた段階で逮捕できるようにしないと日本人は殺される一方になる。日本人を激しく嫌う人間に殺されていく。

世界中で、民族と民族が対立する時代に私たちは生きているのだ。


なぜこんなことになってしまったのか。

もちろん、グローバル化の推進だ。これは、グローバル化が突き進むことによって、誰もが見ないで無視してきた闇(ダークネス)の部分が表社会を侵食して覆い尽くそうとしている動きなのである。

グローバル化で移民や難民を大量に受け入れてきた国は、人道的主義で受け入れると表側ではきれい事を言っていた。

しかし、実際には連れてきた移民・難民を安い賃金でこき使い、「危険・汚い・キツイ」と言われる3Kの仕事に就かせて都合良く利用していた。それが裏側の目的だった。

体よく利用され人たちの怒りや復讐の念は貧困で増幅され、それをイスラム過激派が煽り、テロの嵐となっている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170525T1723100900.html

2013-05-23
「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきた
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html


2013年5月20日、韓国の中央日報で、キム・ジンという韓国人ジャーナリストが、原爆投下や大規模空襲を「アジア人の復讐だった」「神による苛酷な刑罰」だったと書いて、翌日、日本大使館の道上公使が抗議する騒ぎとなっている。

ここでは、「日本に対する爆撃が足りないと判断するのも神の自由だ」と、信じられない日本人憎悪の文章が掲載されていた。

「日本に対する爆撃が足りない」というのは、もっと日本を破壊すべきだったということであり、さらには日本への爆撃は正当化されるという意味でもある。

日本政府もこれを受けて、「断じて容認することはできない」と菅官房長官が強い調子で述べている。

韓国では、かねてより日本が原爆を投下されたことを祝ったり喜んだりしているので、このキム・ジンという頭のおかしなジャーナリストだけがそう考えているわけではない。

韓国は国を挙げての反日を驀進している途上だ。その激しく執拗な日本憎悪はすでに数年前から続いているのだが、マスコミがまったく報道しないので、日本人は他人事のように見ていた。しかし、もう他人事ではなくなった。


意味不明どころか、非常に明瞭なメッセージ性

2013年5月22日、早朝の5時20分頃、大阪市生野区新今里の路上で、信じられない通り魔事件が起きていた。

犯人はこの近くに住む無職31歳の男で田仲桂善という名前の男だった。名前だけ見ると日本人のようなのだが、日本人の名前(通名)を使っているだけで、実際は韓国籍の男だ。

この男が新聞配達をしていた61歳の日本人の腹を数ヶ所刺し、さらに150メートル行ったところで、たまたま出勤途上だった63歳の女性に「生粋の日本人ですか?」と尋ねて切りつけ、腹を刺し、腰を刺して重傷を負わせている。

この時、事件の知らせを聞いて現場に駆けつけてきた警察官に現行犯逮捕されているのだが、田仲桂善は「生粋の日本人なら何人も殺そうと思った」と供述しているという。

新聞ではこれを「意味不明の言動」と言っているが、客観的に見ると意味不明な部分はどこにもない。この男は韓国籍の男はこのように言っているのである。

「生粋の日本人を殺したかった」
「何人も殺そうと思った」

意味不明どころか、非常に明瞭なメッセージ性があるではないか。日本人に殺意を持ち、実際に日本人を殺す行動を起こしたのである。

「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきたということだ。

マスコミが隠しても隠しきれない憎悪

なぜ、田仲桂善は「生粋の日本人ですか?」と刺す相手に聞かなければならなかったのか。

大阪市生野区新今里は、韓国系の人間が多く住む場所で鶴橋に近い。

鶴橋はご存知のように昔から韓国人が多く住み着いていて、今でも細い路地に多くの商店が猥雑に集まって賑わっている街として知られている。

その隣の駅の今里近辺も韓国人は多い。生粋の日本人かどうか聞いておかないと、同朋を刺し殺すことになる。

犯人は根本的に狂っているのだが、狂っている中でもこのような部分では、なぜか合理的判断をしている。よほど「生粋の日本人」を殺したかったのだろう。

このような事件が2013年5月22日に起きていた。

普通、このような凶悪な通り魔事件は犯人の生い立ちや事件の背景について非常に詳しく報じられる。

しかし、マスコミはこの事件については、現行犯逮捕された犯人の本名も報道することもなければ、その背景についても報道しようとしない。

私たちは、この事件がなぜ起きたのかを詳しく知りたい。にも関わらず、詳しく知ることができないかもしれない。報道どころか、情報隠蔽されているのだから仕方がない。

しかし、もう報道されなくても、この事件が日本と韓国の民族憎悪が高まっている中で起きたものであると多くの人が薄々気がついている。マスコミが隠しても隠しきれないほど、憎悪が高まっている。

だからこそ、韓国人と日本人の間の民族憎悪は、誰にとっても他人事ではなくなっているのである。

韓国の異様で執拗で薄気味悪い反日に対して、日本人はずっと他人事のように見ていたし、今もそのような無関心な目で見ている日本人も多くいる。

もう他人事ではなくなった。

民族憎悪が次々と事件を引き起こす

マスコミは韓流という韓国崇拝を押し付けて、日本人全体を親韓国に仕立て上げようとした。

しかし、日本の底辺で実際に起きたのは、マスコミや韓国に対する激しい反発だった。

底辺で起きていた反韓は、戦時売春をしていた女性を、「日本人に強制連行されたセックス・スレイブだった」とすり替えを行って国際世論で日本を貶めたり、韓流を無理やり押し付けてくる韓国への反発から生まれていた。

これだけでも韓国に対する怒りは沸騰していたのだ。

さらに、全日本人を激怒させて反韓を加速させた出来事があった。以前韓国大統領をやっていた李明博という男が行った一連の言動がそうだ。

この李明博という男は2012年8月10日、突如として竹島に上陸して「ここは韓国のものだ」と表明した挙げ句に、「天皇陛下は跪いて謝罪しろ」と言った。

さらに日本から送られた親書を「一顧の価値もない」とあっさりと退けるという言語道断の政治を行っていたのである。

当時の民主党・野田政権はこれに対してうやむやな対応を繰り返した。本来ならば、ここで国交断絶を含めた重大な決意をしなければならない局面だったのだが、それをしなかった。

だから、韓国は日本に対しては何をしてもいいと、より反日をエスカレートして襲いかかって来ているのである。

この韓国の反日は、韓国が国を挙げて進めているものだから、放置しておけば静かに収束するのではない。

逆に、どんどん燃えさかり、民族憎悪が次々と事件を引き起こす。世界の紛争の多くが民族憎悪から来ているが、日本と韓国の間もそうなっている。

「日本人を殺せ!」が実際の行動として表れてきたのは、特に不思議なことではない。

民族憎悪は、民族間の殺し合いを生み出す。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html

2017-05-27
日本人を殺しても、愛国無罪で許されると彼らは本気で思う
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170527T1726590900.html


2017年5月10日に誕生した韓国の新しい大統領である文在寅(ムン・ジェイン)は、日韓合意など守るつもりはさらさらなく、「日本が韓国の期待に応えるべき」と言い放っている。

合意は破られ、日本の血税である10億円はドブに捨てることになるというのは、この合意が為されたその瞬間から分かりきっていた。

なぜ分かりきっていたのか。韓国は約束を守るような国ではないというのは、今まで何度も何度も日本との合意を反故にして蒸し返してきた歴史があるからだ。

こんなことすらも分からないで韓国と合意を結んで10億円を取られた岸田文雄外相の責任は非常に重い。こんな間抜けな男が外相であることに怒りを覚える。

どうすれば良かったのか。もちろん、「助けるな、教えるな、関わるな」の非韓三原則の採用である。韓国とは一刻も早く国交断絶をしなければ、日本の国益は毀損され続ける。

韓国は変わらない。むしろ、もっと悪くなる。

歴史問題で世界的に日本を貶めて対外イメージを悪化させ、日本人を自虐史観に落とし込み、日本からカネを毟り取り、日本の領土を侵略してくる。


反日教育を受けた若者が日本を破壊するのだ

日本人が反発すれば歴史問題を持ち出して日本人を萎縮させ、さらに韓流を押し込んでくる。下らないワンパターンを永遠に繰り返して日本を屈服させようとする。

日本人が腹を立て始めると、今度は「日本で差別主義者が台頭してきた」とわめき立て、日本人の自尊心をいっさい認めない。日本人を徹底して押さえ込み、立ち上がらせないようにしている。

日本人に対する憎悪が日本への破壊工作に込められている。

この韓国と共に反日教育を徹底してきたのが中国と北朝鮮である。こうした国々で「反日教育」が行われ続けているということに対して日本人はまったく無関心でいた。

この反日教育というのは「日本人を差別する教育」「日本人に対する憎悪を植え付ける教育」である。教育の現場で、憎悪を埋め込むものだ。

教育は読み書きや計算だけを教える場ではない。思想を教える場でもある。

子供たちは真っ白いキャンバスであり、そこに力強く「日本憎悪」を書き込んだら、それが子供たちの中から一生消えることのない鮮明な思想となっていくのは想像に難くない。

教育によって、中国人や韓国人は「日本人を憎む」ように洗脳されている。だから深刻なのだ。

日本人は、彼らが大人になって政治的影響力を及ぼすようになったとき、当然のように彼らが日本を破壊するための活動を始めることを察知すべきだった。

これらの国では1990年代から反日教育が国家主導で行われるようになっていた。

極端な反日工作が目立ってきたのは、反日教育を受けて生粋の「日本人嫌い」になった若者が、世の中に出てきたことと無関係ではない。


これからは憎悪によって歴史が作られていく事実

もちろん、だからと言って中国人や韓国人が日本人を見かけたら叩き殺すようになったというわけではない。彼らにも人間としての節度がある。

しかし、子供の頃から「日本人は悪い民族だ」と教えられて来たのだから、日本人が嫌いだと思うようになったり、日本人を避けたいと考えるようになるのは無理もないことだ。

こうした状況は日本のマスコミはいっさい報道しない。

そのため、日本人の年配者の中には、反日教育がここまで浸透して日本に対する憎しみでいっぱいになっているとは想像すらもしていない。

しかし今の日本の若年層は、中国・韓国・北朝鮮に憎悪をぶつけられる対象になっているので敏感だ。中国・韓国・北朝鮮に対して郷愁など一片もなく、むしろ「敵」という認識の方が強くなっている。

日本の年配層と若年層のどちらの見方が正しいのかというと、もちろん若年層の方の見方である。

反日教育の徹底により、歴史が変わり、時代が変わり、人が変わり、国と国の結びつきが変わってしまった。反日国家とは価値感が共有できない時代となった。

今は基本的に反日という憎悪がベースになっているのだから、日本と中国・韓国・北朝鮮は、これからは憎悪によって歴史が作られていくと考えるべきなのだ。

憎悪が生み出すのは、平和や相互理解や調和ではない。憎悪からそのようなものは生まれない。憎悪から生まれるのは、ただひとつのものだけだ。それは暴力だ。

これからは日本でも中国・韓国・北朝鮮の反日教育の反発から、これらの特定アジア3ヶ国に対して激しい憎悪を持つ若年層が大人になっていき、日本国内の空気も変わっていく。

これらの特定アジア3ヶ国に対して、報復外交や非韓三原則を訴える人間がどんどん増えていく。これは止めることができない潮流となる。

対立や衝突や憎悪の応酬を恐れず、反日には反中・反韓で立ち向かえる人間が出てくる。そういう時代になる。


「愛国無罪で許される」と彼らは本気で思う

中国・韓国・北朝鮮は、日本を徹底的に憎む「反日」を選択した。だから、今後も日本破壊工作が延々と続く。

日本の領土を自分たちの領土だと言い、日本人は1000年間許されることのない加害者だと言い、日本人は絶滅して欲しいと言い、日本という国は沈没して欲しいと口に出す。

そして、「日本に対しては何をしてもいい」と愛国無罪の思想が育っていく。

2012年の夏には中国で反日暴動が起きたが、ここで中国人が叫んでいたのは「愛国無罪」という言葉だった。

「日本を痛めつけるのは愛国的行為であり、だから日本人に対しては何をしても無罪になる」

これは明らかに日本人に対する激しい差別であると言ってもいいが、今後は中国でも韓国でも「愛国無罪」という考え方が浸透していく。

すでに反日が定着しているので、潜在意識の中には愛国無罪も定着していると見た方がいい。

この暴動の時、「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」というスローガンが出て、それを多くの中国人が賛同したのだが、こういうのが本当に実行されても「愛国無罪で許される」と彼らは本気で思うはずだ。

世の中が、そういう方向に向かっているということを認識していないと恐ろしいことになる。

日本と特定アジア3ヶ国の対立は、やがては修復不可能になる。それはこれらの国家が反日を選択した瞬間から決定付けられていることでもある。

この結末には何が待つのか。

言うまでもなく、物理的な衝突である。言葉の対立だけで終わらない。それは、最後には血を見ることになる。

反日を叫ぶ夥しい中国人。日本と特定アジア3ヶ国の対立は、やがては修復不可能になる。それはこれらの国家が反日を選択した瞬間から決定付けられていることでもある。

反日暴動が起きると、中国では「日本の男を見たらすぐに殺せ。日本の女を見たらすぐに犯せ」というスローガンが街に出て多くの人がそれに賛同のサインをした。日本人はここに書かれている言葉を何度も噛みしめるべきだ。現実を見なければならない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170527T1726590900.html


2017-06-13
韓国の大統領が変わっても、信頼できない状況は変わらない


韓国の新しい大統領である文在寅(ムン・ジェイン)は、2017年6月12日に、自民党の二階幹事長と会談を行っている。

その中で文在寅は「韓国の国民の中で、なかなか受け入れられない感情があるのも事実だ。解決するには時間が必要だ」などと述べて、履行するのかしないのか分からない姿勢をさらけ出している。

さらに「日本に対し損害賠償を請求する権利は2015年12月の韓日慰安婦合意とは関係なく有効だ」という立場を韓国政府が2017年4月に出していることも判明している。

「不可逆的に解決」という姿勢はどこにいったのか。もちろん、韓国にはそんな気は最初からまったくなかったということだ。日本は舐められ、騙されていたのである。

これは驚くべきことだろうか。まさか。どのみち日韓合意など結んでも韓国が守るわけでないので、こんなものを結んでも仕方がないのは分かりきっていた。

韓国が蒸し返すのは、100%分かっていた。

韓国とは合意を結ぶのではなくて、「助けない、教えない、関わらない」の非韓三原則の外交が唯一の国益になる。それをしないで下らない日韓合意のようなものを結んで韓国に10億円を毟り取られた岸田文雄外相は万死に値する。


相手を混乱させ、長く取り付くためのテクニック

「慰安婦問題を解決すべきだと考えている。この問題をきちんと解決すれば、これ以上、再び議論される理由はない」

これは韓国の前外相であった尹炳世(ユン・ビョンセ)の言葉である。すでに韓国が口先だけの嘘つき国家であることを分かっている日本国民は、この言葉を聞いて冷笑した。

韓国外交は、いつもそのように言いながら、日本に対して謝罪や賠償を引き出しながら、後になって再び議論を蒸し返すという戦略を延々を使っている。

都合が悪くなれば「すり寄り」を見せて、あとで裏切るのが韓国外交のパターンなのである。

日本人の多くはそんな韓国に激しい嫌悪を抱いている。韓国とは関われば関わるほど不幸になり、知れば知るほど嫌いになる。誠意は通用しない。価値感も共有しない。

だから、筑波大学大学院教授の古田博司氏が提唱するように、「助けない、教えない、関わらない」の非韓三原則が国民の間から言われるようになってきているのだ。

日韓関係は、韓国がすり寄って来ても断ち切るくらいでちょうどいい。

韓国の「すり寄り」は日本を利用し、ゆすり、たかり、脅しをする韓国外交の常套手段である。それは日本を混乱させ、長く取り付くためのテクニックだ。

寄生するというのは、「相手から奪う」という目的が裏にある。たいていの場合、奪うものは金なのだが、他にも「相手を奴隷化して自分の都合の良いように動かす」という目的もある。

「奪う」ためには、甘い言葉で取り入ったり、懇願したりしなければならないので、韓国は自分の都合に合わせて臆面もなくそのような行動をする。

しかし、それで何も手に入らないと、怒鳴り、脅迫し、上から目線で激しく罵ってくる。それが韓国のやり方だ。基本的に大統領が誰になってもそこは変わりない。文在寅も同じことをやってくる。


韓国外交は、いつもそのように言いながら、日本に対して謝罪や賠償を引き出しながら、後になって再び議論を蒸し返すという戦略を延々を使っている。


「甘い汁を吸える相手を決して離さない」のが韓国

韓国は今まで日本に対して執拗に嫌がらせを繰り返してきた。

国際社会に嘘八百を言い散らかし、「謝罪と賠償を要求する」「金を払え」「とにかく金を出せ」と恐喝していくる。そして、思い通りにならないと、最後には激しく感情を爆発させて、日本を罵るのである。

重要なのは、「罵るだけで終わりではない」ということだ。むしろ、ここからが寄生虫の面目躍如の行動が始まる。

激しく日本を嫌っても、韓国は決して日本との関係を切らない。寄生虫というのは、寄生した宿主をとことん吸い尽くす習性がある。甘い汁を吸える相手を決して離さない。

そのために使うのが「すり寄り」という方法なのだ。

「すり寄り」というのは、寄生した相手を最後まで逃さないためのテクニックであり、常套手段でもある。

都合よく口にする「未来志向」だとか「友好」という言葉は、日本からすべてを奪うための演技であり、ワナである。日本はいつもこの手でやられている。

普段は激しく日本を面罵しておきながら、日本が離れると、急に猫なで声で「すり寄り」を見せてくる。

韓国は事大主義である。自立しようという気概はまったくないので、寄生する相手が必要だ。たかり・ゆすりができる相手がいれば、とことんその相手にしがみつく。

そのために、今日は「謝罪しろ、賠償しろ」と日本を恫喝しても、翌日には何もなかったかのように「すり寄り」を行って「友好」を強調する。

ゆすり・たかりを受けている日本は「すり寄り」を見せられるたびに「もしかしたら、韓国は改心したのか?」と勘違いしたり「今度は大丈夫かも」と、はかない希望を持ったりする。

大統領が変わるたびに「今度の大統領は未来志向と言っているので関係改善が望めるのではないか」と日本は世間知らずの少女のように思い込む。

しかし、韓国は単に自己都合ですり寄っているだけなのだ。寄生行為を行う韓国は、手を変え品を変え、この下らない「すり寄り」を臆面もなく使う。

日本が壊れ、役に立たなくなるまで、ずっと「すり寄り」と「恫喝」を交互に繰り返す。そうやって、骨の髄まで日本をしゃぶり尽くす。

文在寅(ムン・ジェイン)大統領。この男は「韓国の国民の中で、なかなか受け入れられない感情があるのも事実だ。解決するには時間が必要だ」などと述べて、履行するのかしないのか分からない姿勢をさらけ出している。


「すり寄り」を受け入れると、カモにされるだけ

結局、韓国はどこかに隷属して国を維持してきたので、それ以外の生き方ができるわけがない。だから、韓国は死ぬまでそうやって寄生できるところに寄生して生きていく。

こういった国は、徹底排除しなければならないし、付き合いは断固として断たなければならない。すなわち、きっぱりと断交しなければならないのである。

関われば関わるほど不幸になる。どんなに執拗な「すり寄り」が行われても、そこで心を許すと、また振り回され、奪われるだけになってしまう。

わざとらしい「すり寄り」があったとしても、韓国と関わってはならないのだ。「断交する」というのは、非常に重要な一歩でもある。

「すり寄り」を受け入れると、カモになる。そして、カモは永遠に搾取される。いったん「すり寄り」を受け入れると、ずっと取り憑かれて終わりがない。

どんなに激しく罵っていても、韓国は状況が変わるとすぐに「すり寄り」を開始するが、もういい加減に日本政府は断ち切ったらどうなのか。

わざとらしく友好を強調したり、上から目線で平和を語ってきたり、第三者を介して取り入ってきたり、さまざまな方法で「すり寄り」を行ってくる韓国に対して、「真の未来志向とは、お前たちと断交することだ」と、韓国に対してはっきり言えばどうなのか。

大統領が変わったからと言って、未来志向などと言う必要など日本にはさらさらない。日本の名誉を毀損し、価値感を共有しない国と関わるべきではない。

むしろ、大統領が変わったのだから、断ち切るのに良い機会になったと考えなければならない。

日本人は、「断ち切る」のが苦手だ。すぐに他人を信用してしまうお人好しな性格があって、騙されても騙されてもまだ騙される。

詐欺に騙される人は、同じ詐欺に何度も騙されると言われている。「すり寄り」に騙される日本人も、何度も何度も騙されて痛い目を見る。

こんなことは、もう終わりにしなければならない。

私たちは今後、文在寅という男が都合良くすり寄って来ても、厳しい目で追い払わなければならない。毅然とそれができるかどうかが、日本を救えるかどうかの分かれ目だ。


日本はいつも騙されてきた。いったい何十年騙されれば日本は目が覚めるのか。日本人はあまりにも韓国に対して大人しすぎる。日本に必要なのは、韓国を真っ向から批判し、きちんと国交断絶ができる政治家だ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/06/20170613T1555570900.html


2017-05-09
誰が韓国の大統領になっても反日であり価値感を共有しない


就任当初から無能だと言われた韓国の朴槿恵(パク・クネ)が罷免されて、韓国は新しい大統領を選ぼうとしている。

しかし、誰が大統領になっても日本人は期待すべきではない。なぜなら次も間違いなく「反日」の大統領であるのは確実だからだ。

韓国は日本を貶めるありとあらゆる歴史プロパガンダを全世界に拡散し、日本人が犯罪民族のように国外に喧伝してきた。次の韓国の大統領も間違いなくそうする。

こうした動きをマスコミは隠蔽してきたので、日本人は自分たちが悪者にされているという自覚がなく、韓国の破壊工作を横目で見つつ何もしようとしなかった。

そして日本のものはどんどん盗まれ、破壊され、歴史問題でも間違ったことを主張されても日本は強く反論しないので、なし崩しに韓国の言い分が通っていた。

このままでは、私たちや、私たちの父や母や、私たちの友人や、社会や、国家が、みんな悪者にされてしまう。

だから日本は韓国を切り捨て、早急に国交断絶と外交的報復を実現しなければならないのだが、それだけの気概を持った政治家は日本にいない。

だから、韓国の反日はこれからも延々と続く。


今まで謝罪と賠償の要求を飲んできた弱腰の日本

「反日」というのは、「日本人だけを差別する」という考え方である。反日教育というのは、「日本人を差別する教育」という意味である。

韓国は国を挙げて、日本人を差別するように教育を受けさせているということになる。そして、大統領自らが率先して反日言動に走る。

韓国という国の言動は、根本的にすべてが日本人を糾弾するものとなっており、何が何でも日本人から謝罪と賠償を要求するものになっているのだ。

韓国は国を挙げて日本を恨み、日本が謝罪しても賠償してもまったく許さない。

では、日本は謝罪しなかったのだろうか。いや、これまで何度も何度も謝罪してきたはずだ。

1982年 鈴木善幸首相謝罪
1983年 中曽根康弘首相謝罪
1984年 昭和天皇、中曽根首相謝罪
1990年 中山太郎外相謝罪
1990年 海部俊樹首相謝罪
1990年 今上天皇謝罪
1992年 宮沢喜一首相謝罪
1993年 河野洋平謝罪
1993年 細川護煕首相謝罪
1994年 村山富市首相謝罪
1996年 橋本龍太郎首相謝罪
1998年 今上天皇謝罪
1998年 小渕恵三首相謝罪
2001年 小泉純一郎首相謝罪
2010年 菅直人首相謝罪

日本は、賠償して来なかったのだろうか。いや、1965年には無償・有償・民間借款で8億ドルも支払っている。さらに、ODAで莫大な金額を支払い続けて来た。

どんな支援をして、いくら支払い続けて来たのかは、外務省のサイトを見て欲しい

(国別援助実績・1990年までの実績・韓国)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/jisseki/kuni/j_90sbefore/901-03.htm

日本はこれだけやってきた。しかし、韓国はさらに、もっと、日本に謝罪と賠償を要求しているのである。そして、日本から金を毟り取り続けながら、日本人だけを差別する反日教育をし続けている。


領土も、文化も、すべて奪いに来ている韓国

現在、韓国は日本の旭日旗を「戦犯旗」と言って騒いでいる。世界中で旭日旗のデザインを使った企業にクレームを大量に送りつけて萎縮させている。

それだけではない。韓国は、日本海を日本海ではなく東海だと言い換えていて、全世界に向かってロビー活動を繰り返している。

地図での名称を変えるためにあちこちに抗議し、グーグルにも「日本海」と書いているというので大抗議するという活動も起こしている。

また、韓国は日本の領土を侵略しに来ている。竹島を奪い取り、竹島を自分たちのものだと全世界に主張し続けている。スポーツの世界でも、サッカー選手が竹島プラカードを掲げて主張するという暴挙に出た。

2012年8月には大統領であった李明博が勝手に竹島上陸するという強硬手段に出ている。さらに韓国は、対馬もまた自分たちのものであると言い始めている。

領土だけではない。韓国はありとあらゆるものの起源をも自分たちが発祥だと世界に向けて発言し、ロビー活動を続けている。

それも、1つや2つではない。目に付くもの、日本文化のありとあらゆるものを「自分たちが起源だ」と主張する。

・味噌は韓国が起源である。
・ワサビは韓国が起源である。
・剣道・柔道・空手は韓国が起源である。
・秋田犬は韓国が起源である。
・サムライは韓国が起源である。
・忍者は韓国が起源である。
・日本刀は韓国が起源である。
・折り紙は韓国が起源である。
・生け花は韓国が起源である。
・サシミは韓国が起源である。

花札も、着物も、清酒も、うどんも、納豆も、扇子も、切腹も、すべてが韓国起源であると韓国は主張している。

これもまた、根底には「優秀な韓国人が、文化的劣等国の日本人に文明を授けた」という意識から来たものであると言われている。

韓国起源は、日本人に対して言っているのではない。世界のあちこちの国々の人々に、そう言っているのである。

あたかも、そこで既成事実を作って、日本文化そのものも乗っ取ろうとしているかのようだ。


売春ビジネスを性奴隷に置き換えて世界に主張

韓国は今でも多くの売春女性を世界に「輸出」しているが、これは戦前から行われていたことであり、金儲けのために韓国女性は世界中どこでも売春ビジネスに関わってきた。

日本でも戦中に売春ビジネスをしていたのだが、韓国はこれを「日本軍が性奴隷にした」と世界に主張するようになった。最近は銅像まで建ててそれを既成事実にしている。

そして全世界に「日本は、とんでもない犯罪国家である」という印象を与えることに成功し始めているのである。

日本は国家としてもちろん抗議しているが、日本人個人がまったく抗議しないので、全世界で声の大きな韓国人の主張が受け入れられつつある。

つまり、日本人は全世界で「性的犯罪者」にされつつあるのである。これは放置しておけばそのうちに収まるというものではない。

韓国は組織的に、執拗に、そして声高に自分たちの売春ビジネスを「セックス・スレイブ」に置き換えて、日本人が悪いという歴史プロパガンダを世界中を洗脳しようとしているのだ。

もし、この韓国の主張だけが取り入れられたとき、多くの日本人が世界で忌避され、嫌われることになる。

韓国は今でも約5万人の売春女性が日本に自主的に働きに来ている国だが、いずれこの5万人の女性も、「日本で性奴隷にされた」と主張するだろう。


韓国は反日国家であるという現実を見て行動すべき

私たちは今、韓国からありとあらゆる「破壊工作」を仕掛けられているのだ。経済的にも、文化的にも、すべてを韓国に「攻撃」されている。

日本人は「真実はやがて勝つ」と思っているが、状況を見ればまったくそうではない。

従軍慰安婦問題を見ても分かる通り、日本が黙っていれば韓国の一方的な主張だけが取り入れられて、全世界は韓国世論に同調し、韓国の目線で日本を見るようになるのだ。

日本人が一方的に悪者にされ、貶められ、嘲笑されるようになってしまう。これは、すべての日本人の問題である。私たち全員が、全世界から犯罪者扱いされるという話だ。

中国もこの韓国の歴史プロパガンダに乗っかっているので、これを放置していると「日本人であることが犯罪的」であると全世界に思われる時代が来てもおかしくない。それほどひどい状況なのだ。

ところが、これを伝えなければならないはずのマスコミは、すでに中国・韓国・北朝鮮の工作員に乗っ取られており、真実を報道することはまったくない。

真実を報道するどころか、しつこく韓国寄りの発言を多く取り上げて日本人に韓国礼賛を強制する「韓国報道機関」のようになってしまっている。

すでに日本国内で、ありとあらゆる組織がそのような危機的状況になって、日本人の私たちを包囲しつつある。

この危機から脱するにはどうするのか。

韓国という国は価値感をまったく共有しない反日国家であるという現実を見て、これから対応することだ。どのみち、誰が韓国の大統領になっても反日であり価値感を共有しないのは分かりきっている。

だから一刻も早く「共謀罪」を成立させ、日本に破壊活動を仕掛けてくる工作員を事前に逮捕できるようにし、反日国家である韓国とは国交断絶を実現すべきなのだ。

「非韓三原則」を主張する政治家や人たちをきちんと引き上げ、そうでない政治家や人たちを引き下げる意識と行動が必要だ。それが日本を復活させる狼煙(のろし)につながる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170509T1807420900.html


2017-05-19
韓国のツートラックとは「お前を罵るが金はくれ」ということ


韓国の新大統領である文在寅(ムン・ジェイン)は、日本に対しては2017年2月16日に、ソウル市内で開かれたフォーラムで日本との関係は「ツートラックでいく」と発言していた。

「慰安婦問題をはじめ、過去の歴史問題に対する要求を継続していく一方、これを韓日外交関係の前提条件とせず、未来志向の発展は別のトラックとするツートラックでやっていく必要がある」

どういう意味なのか。

これは「慰安婦問題等の歴史問題では日本を責め続けるが、経済問題に関しては日本に協力を仰ぐ」という姿勢を指す。もっと分かりやすく言おう。

これは「日本を罵るが金はもらう」ということだ。

「日本を罵る」が1トラック。
「日本から金はもらう」が2トラック。

文在寅(ムン・ジェイン)の構想している日韓関係というのはそういうことなのである。朴槿恵(パク・クネ)政権の時代は「用日」という言葉が使われていた。これは「日本を利用する」という意味だったが、「ツートラック」もまったく同じだ。

韓国は都合よく日本を利用するつもりでいるのである。


いつまで経っても韓国は都合良く日本を利用する

韓国は今までそうしてきたし、これからもそうする。それが韓国という国のやり方であり考え方だ。日本はまるでATMか何かのように思われて馬鹿にされている。

今までの日本政府は、韓国が喚き、脅し、駄々をこねれば金を出してきたので、韓国はそうすれば金を出すというのを学習したのである。

最近では岸田文雄外相が、どのみち守られもしない日韓合意みたいなものを結んで2016年に10億円を払ったが、これも韓国側から見たら「ソウルに慰安婦像を建てて日本を恫喝したら金を出した」という見方でしかない。

日韓合意は「慰安婦問題の不可逆的解決」を目指したものだったのだが、合意して10億円を受け取りながらも韓国はあっさりと手のひらを返して「歴史問題をこれからも言い立てる」と宣言した。

文在寅は2017年5月11日には「韓国国民の大多数が、慰安婦合意を受け入れられないという気持ちでいるのが現実」と言い放っているのである。

それなのに、その同じ口が「経済問題に関しては日本と協力していく」としゃあしゃあと言ってのける。以下に日本が舐められ、馬鹿にされ、嘲笑されているのかが文在寅の態度で分かるはずだ。

もし日本が毅然とした態度を示し、慰安婦問題の不履行に対して非韓三原則(助けない、教えない、関わらない)を基本とした断固とした報復外交をしていれば、「用日」だの「ツートラック」などという発想は韓国側に出なかった。

舐められているから「ツートラック」と文在寅が言うのだ。

安倍政権も岸田外相も「慰安婦問題が解決しない限り、韓国との経済協力も未来志向もない」と明確に伝えなければ、いつまで経っても韓国は都合良く日本を利用してタカってくる。

強請やタカリを排除するためには、関係を断絶しなければならないのだが、それに気付かないというのであれば日本の政治家の知性は小学生以下であると言える。

未来志向? そんなものはない。


日本の首相の名誉や日本人の名誉を毀損し続ける

韓国は日本に対してやりたい放題をやっているということに気付き、政治からも経済からも関係を切らなければならない。韓国の姿勢が変わらない限り、民間でも韓国と関わるというのは間違えている。

韓国は完全に「日本の敵」であるという現実を、きちんと把握していかなければならない。

韓国のメディアは日本の安倍首相を「悪魔」だとか「極右の親玉」だとか、それこそ聞くに耐えないような罵詈雑言を浴びせ続けている。

ほぼ毎日のように、日本の首相の名誉や日本人の名誉を毀損し続けているのである。

ところが、自分たちはやりたい放題をしておいて日本が少しでも反発すると「日本が右傾化した」とか「極右が騒いでいる」と言い出す。

そして大統領さえも「戦争中に日本は韓国にひどいことをした」と被害者ポジションに入って、「1000年経っても日本は加害者」と言い出す。

その意味は「日本は1000年、韓国に謝罪と賠償をしろ」という意味だ。日本は死ぬまで韓国人に罵られ続けるべきだと韓国人は本気で考えているのである。

「日本には何をやってもいい」
「どうせ、日本は大したことができない」

日本はずっとこのように思われており馬鹿にされ続けている。だから韓国の大統領から国民までが、日本に対して好き放題に叩きのめしている。

日本は韓国のスケープゴートにされている。日本は、いじめられ、馬鹿にされ、嘲笑され続けている。

日本を叩きのめすためなら、何をやってもいいという免罪符のようなものが韓国国内にあって反日が尊ばれ、親日は罪になる風潮を韓国大統領自身が作り上げている。


「ツートラック」だか何だかに騙されてはいけない

韓国には「親日罪」というものがある。日本の肩を持つ人間は罪人なのである。これだけを見ても、いかに韓国が日本を敵視しているのかが分かるはずだ。

韓国はすでに日本にとって史上最悪の敵性国家となっており、日本人は韓国と韓国人に対して最大限の警戒を持たなければならなくなっている。

しかし韓国の経済は脆弱なので、日本を嫌いながらも日本に頼る必要がある。

だから、韓国は自分たちの首が絞まれば、日本を激しく嫌いながらも、ニコニコしながら日本に近寄ってくる。そして、「友好」だとか「仲良くしよう」と言い出して日本人を懐柔する。

日本人は政治家から国民まで人が良すぎるので、裏があるとは思わず、文字通り「仲良くしよう」と韓国の今までの言動を水に流す。

しかし韓国は、欲しいものだけを取れば再び日本人を罵倒し、叩きのめすようになる。

今までその繰り返しだった。日本人は何度も何度も騙されて、まだ騙される。

今度はどうなのか。文在寅(ムン・ジェイン)も、すぐに「ツートラックだ」と言いながら、すり寄ってきて日本を利用しようとするだろう。

しかし、すでに多くの日本人は目が覚めている。そして、心の底から韓国政府や韓国人のやっていることに呆れ果てている。これからは、今まで通りにはいかないはずだ。

「もう許すべきではない」と、すべての日本人は誓うべき時が来ている。日本人は、韓国が敵性国家であることをしっかりと認識し、この国といっさい関わらない覚悟を決めるべきだ。

「ツートラック」だか何だかに騙されてはいけない。

日本人ひとりひとりが韓国に対して「自分ができる対抗措置」を取るべき局面に来ている。韓国のツートラックとは「お前を罵るが金はくれ」ということなのだ。これほど日本を馬鹿にした言葉はない。

日本人ひとりひとりが韓国に対して「自分ができる対抗措置」を取るべき局面に来ている。韓国のツートラックとは「お前を罵るが金はくれ」ということなのだ。これほど日本を馬鹿にした言葉はない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/05/20170519T0551290900.html




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54. 中川隆[-7005] koaQ7Jey 2018年4月01日 10:46:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9676]

韓国から日本への移民が増え続けている

2015年のデータで、日本は世界第四位の移民受入大国です。
それでは、五位がどこかといえば、韓国なのでございます。
(一位ドイツ、二位アメリカ、三位イギリス)


 とはいえ、その韓国から「日本への移民」が増え続けているのです。


 2014年10月時点の日本国内の韓国人労働者数は37,262人。2015年10月が41,161人で、対前年比11%増。2016年10月が48,121人。対前年比15%超の増加。


 なぜ、韓国からの移民(=外国人労働者)が増え続けているのでしょうか。もちろん、韓国の若年層失業率が高止まりを続けているためです。


 とはいえ、なぜ若者の職がないのかといえば、どう考えても「移民受入」が影響を与えているわけです。


 2016年の韓国への移民流入数は、約37万人。そして、五万人近い韓国人(主に若者)が日本で働いている。移民の「玉突き」が起きていることが分かります。 


 日本も、このまま移民受入を続けると、低賃金に苦しむ国民が「外国に職を求める」という状況になるのでしょう。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12344867718.html


2017年04月20日
朝鮮からの難民は大量破壊兵器 ?! / 今、そこにある別の危機

(左: 日本にやって来そうな朝鮮人 / 右: 顔面工事で変身する朝鮮人 )


  「強いアメリカ」を掲げるトランプ政権は、「圧倒的武力による解決」を目指す。というより、それを「優先」せざるを得ない。なぜなら、外国の兵隊、傭兵、テロリスト、ゲリラよりも、国内のマスコミが最大の敵であるからだ。大統領選挙で煮え湯を飲まされたCNNやABC、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズが、ここぞとばかりに手ぐすね引いて、トランプの失敗を期待しているから、トランプは彼らに“弱み”を摑まれたくない。したがって、妥協や弱腰を嫌うドナルド・トランプは、世界最強の軍隊を最大限に利用するはずだ。中東アジアのシリアでISISが暴れれば巡航ミサイルを叩き込み、極東アジアで小生意気な北鮮が挑発行為を見せれば、その近くに空母カール・ビンソンを派遣して圧力をかける。米軍にしたら北鮮軍など鎧袖一触、片足で踏み潰すことなど朝飯前だ。

  金正恩は日本人が相手だと、猛虎の如き形相で「おいっ、こら!」と睨み付けるが、米国人が現れると急に大人しくなり、「なんちゃって」と愛嬌を見せる。可愛くないけど仔猫と同じだ。違いといったら、正恩の方が太ってるというだけ。安倍首相に向かってはヤクザまがいに脅しを掛けるくせに、皇帝トランプの前じゃ“ニャン”とも言えなくなる。情けないけど日本人はかなりナメられてる。我々だって本当は金正恩の頭を金属バットで殴りたい。これならスランプのイチローも立ち直れるんじゃないか。でも、できる事なら承太郎のスター・プラチナムでボコボコにしてもらいたい。鼻血が出るまで朝鮮人を殴り続けるスタンドなんて最高だ。それが無理なら、せめてポルナレフの剣で串刺しに、と願いたいが、アニメの世界だから妄想になってしまう。だから現実の自衛隊で何とかしなきゃ。アントニオ猪木も北鮮に行ってゴマスリばかりしていないで、北鮮人に卍固めでも決めてやれ。そうすれば株が上がるぞ。ところが、ビンタ一発すらしないんだから、炎の闘魂も単なる税金泥棒だ。ミッキー・ローク(Mickey Rourke)の猫パンチが懐かしい。(そう言えば、今の子供は来日したロークのボクシング試合を知っているのかな? ユー・チューブで伝説の試合を見てね。)

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(左: 金正恩 / 中央: 昔のミッキー・ローク / 右: ボクシングの試合に出たミッキー・ローク )

  北鮮の核開発に怒ったトランプは、親分格の支那に「何とかしろ!」と圧力を掛けているんだろうが、正恩の野郎が素直に言うことを聞くくらいなら苦労はしない。金正男が死んでしまった現在だと、朝鮮労働党の首をすげ替えるにしても、適当な「替え玉」がいないから大変だ。それに、米軍の攻撃で北鮮が崩壊すれば、こんどは習近平の立場が危うくなるから、主席の習も他人事では済まなくなる。必ずや敵対勢力が粛清の復讐に立ち上がるだろう。共産党内部には、習近平を失墜させてのし上がろうとする奴がうようよいるから、習も「落としどころ」を準備せねばならない。なにせトランプが相手だと、奥の手を使って本気で核戦争をしそうだから、いくら支那人でも震えてしまうだろう。まさしく「トランプ(切り札)」を切る大統領だ。

  米国は北鮮にトマホーク・ミサイルを撃ち込めば気分爽快だろうけど、近くに住む日本人には「イャ〜な」気がしてらない。というのも、米軍の爆撃でボロボロになった北鮮から、大量の難民が上陸するかも知れないからだ。日本人の中には、「たとえ金王朝が打倒されても、難民が乗る船が無いから来ないよ」と言う者がいるかも知れないが、問題は難民船の有無ではない。我々が憂慮すべきなのは、北鮮人を招き入れる日本の政治家が存在するということだ。例えば、北鮮人が38度線を越えて南鮮側に雪崩れ込んだとする。そうなると、いくら反撃を試みる南鮮側もタダでは済まない。北鮮からの攻撃を受けて被害を蒙った場合、南鮮人と北鮮人の両方とも困ってしまう。そこで、鮮人贔屓の議員や記者どもが人道主義を掲げて、「日本は戦争で苦しむ韓国人や朝鮮人を助ける“義務”があんだ」と言い出しかねない。「それならお前が自宅で養ってやれ」と言い返したいが、「良い事は他人のゼニで」というのが彼らの信条なので、正論を述べても無駄である。

  預言者イザヤによれば、人間の正義は女性の生理用ナプキンと同じであるそうだ。となれば、マスコミの正義なんてそれ以下に違いない。たぶん、ジジイの褌(ふんどし)くらいじゃないか。しかも、小便で黄ばんでいたりして。何はともあれ、朝鮮半島で戦争が勃発すればワイドショーが一番に騒ぎだし、「幼い子供や女性が犠牲になっています!!!」と悲鳴を上げるだろう。きっと番組の司会者が悲痛な表情を浮かべて、「私たちに出来ることはないのでしょうか?」なんて白々しいセリフを吐くに違いない。さらに、番組のディレクーから指示を受けたゲスト評論家や斜(はす)に構えた御用学者、したり顔の藝人たちが、視聴者に向かって綺麗事を並べ立てるだろう。たぶん、宮根誠司が神妙な面持ちで「何かできんとちゃうの?」と発言するだろうし、小倉智昭だとカツラを正して「本当に悲惨な出来事です。日本政府は何をしているんでしょうかね〜ぇ」と非難するはずだ。「悪徳」という枕詞が似合うフジテレビのことだから、ユダヤ人のデイブ・スペクターなんかを招き、戦禍で苦しんだユダヤ人の身の上話を紹介するんじゃないか。恒例の「お涙頂戴話」はもう飽き飽きだ。しかし、こんなコメントでも効果はある。陸(おか)に上がった金魚みたいに、口をぽか〜んと開けたオバちゃんたちは、「あら〜可哀想ねぇ」とおせんべいを食べながら、つい同情してしまうんだから。でも、まさか自分の隣に朝鮮人が住みつくなんて考えない。「考えない」というより「想像できない」のである。

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(写真 / 色々な朝鮮人 )

  戦争が起きれば難民が発生するということは昔から解っている。米国は戦争する度に異質な難民を受け容れてきた。例えば、第二次世界大戦後、ヨーロッパでは多くの人々が故郷や住んでいた家屋を失い、臨時キャンプに身を寄せる流浪難民(Displaced Persons)となった。そこで、トルーマン大統領やリベラル派議員たちは、この哀れな外国人を引き取るべく法案を作成し、反対派を押しきって連れ込んでしまったのだ。1949年7月から1951年6月までにやって来た難民は、総勢約30万2500人である。これ以降も難民は続々と入国してきたし、終戦後からユダヤ人も難民と称して米国に移住することを希望し、1945年から毎年毎年、途切れることなく浸透し始めたのである。1949年の入国者数を見てみれば、何と3万7700名ものユダヤ人が難民として上陸したのだ。一旦国家の門を開けてしまうと、外国人を塞き止めることはできない。1952年のマッカラン・ウォルター法が制定されても移民・難民の流入を防ぐことが出来なかったし、ジョンソン政権時代に成立した1965年の移民法は人種規制を全廃してしまったから、アジアや南米から洪水の如く異民族が雪崩れ込んで来た。(前者はパトリック・マッカラン上院議員とフランシス・ウォルター下院議員が中心となって作られた制定法。)

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(左: ハリー・トルーマン / パトリック・マッカラン / フランシス・ウォルター / 右: リンドン・ジョンソン )

  外国人の流入は更に続く。カストロの共産主義革命でキューバからヒスパニック難民がやって来るし、ベトナム戦争が終われば大量のインドシナ難民が流れてきた。米軍がアフガニスタンやソマリア、イラクに軍事介入すれば、その都度現地から有色人種がやって来て、アメリカ社会は異民族でいっぱいだ。ソ連の崩壊を以てアメリカ国民は「冷戦に勝ったぞ !」と有頂天になっていたが、ロシアからは兇暴なマフィアがやって来るし、迫害を受けたと称するロシア系ユダヤ人は、「迫害を受けた難民」と称して渡ってきた。これは国内のユダヤ系団体の手引きである。(昔から「ヘブライ移民支援協会Hebrew Immigrant Aid Society」という組織が移民や難民を呼び寄せているのだ。) ソ連を脱出したユダヤ人というのは図々しい奴らで、イスラエルに移住すればいいのに、パレスチナのユダヤ人国家は“ユダヤ人だらけ”厭だという。それよりも、豊かで美しいアーリア人が住むアメリカ社会を選んだそうだ。こうして西歐系アメリカ人は、ユダヤ人、朝鮮人、支那人、アフリカ人、アラブ人と共存を余儀なくされ、望んでもいない「多民族国家」に暮らす羽目になった。

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(アメリカ社会を構成する民族 / 左: ユダヤ人 / 支那人 / アラブ人 / 右: アフリカ系ゲルマン人 )

  冷戦時代の難民受け容れには問題があった。ソ連による占領を恐れて逃亡した人は確かに可哀想だが、彼らに混じって左翼思考の「碌でなし」や、アメリカ社会に適合できない「下層民」、移住先に反撥を覚える「ひねくれ者」が舞い込んできたのは、アメリカ国民にとって不幸だった。イギリス風の文化と雰囲気を大切にする保守派からすれば、がさつで下品な移民が増えれば毎日が不愉快だし、自分の国を奪われたような気になるだろう。一般人は防諜活動を知らないから仕方ないけど、国内治安に当たる警察官やFBI捜査官にしたら、多民族社会というのは非常に厄介なものである。教育機関やマスコミ、政界などに不穏分子が溢れるし、外国の工作員は協力者を得やすくなる。元から左巻きのユダヤ人だと自ら進んでエージェントになったりするから危険だ。また、赤いリベラル派は「人権」を楯にして矢鱈とマイノリティーを庇うから、怪しい外国人を捜査するFBIの邪魔をすることがしばしば。日本でも朝鮮系移民が増えれば、極秘捜査を行う警察官の苦労は計り知れぬほど難しくなる。

  日本でも難民を引き込む左翼学者や市民活動家が跋扈しているけど、巷の庶民が気づいていない点が幾つかある。まず、我々には「選択の自由」が無くなるのだ。「えっ!」と思う人は筆箱で頭を叩いてみろ。左翼教育の後遺症が残っているのかも知れないぞ。紛争で逃げてきた北鮮人を歓迎する人々は、多民族国家になって嬉しいだろうが、日本人だけで暮らしたいと望む国民の意志は無視されてしまうのだ。もし、左翼議員の画策で大量の北鮮難民がやって来れば、当然、どこかの自治体に「定住先」が割り振られることになるだろう。でも、政府から朝鮮人を押しつけられた市町村の住民は戸惑うはずだ。なぜなら、自分の敷地の隣に朝鮮人が引っ越してくれば不気味だし、町内会に迎え入れようにも言葉が通じないから、一々通訳を介しての会話となる。それに、朝鮮語の通訳がいつまで駐在するのか分からない。

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(左: 記念写真を撮る朝鮮人娘 / 右: 泥酔した顔に落書きをされた朝鮮人女性)

  さらに厄介なのは、子連れの北鮮難民だ。彼らの子供たちは地元の小学校、あるいは中学校に入ることになるから、面倒を見る教師だって困ってしまうだろう。学校では地元の子供が鮮人の編入生を嫌うし、授業の質も低下するはずだ。一方、除け者にされた朝鮮人たちは徒党を組んで日本人生徒に対抗するだろう。民族の違いが原因で起こるイジメ問題で悩む教師は、「なんで政府は俺たちに余計な仕事を押しつけるんだ」と泣きたくなる。日本人保護者も学校の“格”が下がって不満が爆発するし、子供の受験が心配になってくるだろう。校長先生だって、「何もオレの退職間際にこんな問題が起きなくったって・・・。人生山あり谷ありでも、長いものには巻かれろだ。恩給を貰うまで万事穏便に我慢する、がモットーだったのに、うっうぅぅ!」と涙がこぼれてくる。悪い時に悪い事は重なるものだ。下劣な難民が群がったことで、周辺地域の地価は暴落。住宅ローンを抱えた平民は、引っ越そうにも資金が無い。自宅を売却しようにも、思ったような高値が付かないし、かといって二束三文で売り払えば、残金という負債を抱えて貧乏暮らしが目に見えている。夢の一軒家を購入して悪夢に悩まされるなんて、冗談じゃない。歯を食いしばって働いてきたきたお父さんは惨めだ。泣く泣く自宅を売り払っても、引っ越し先には四畳半のボロ長屋しか見つからないんだから。「イヤだ、あんな狭いアパートに住みたくない!」とゴネる妻子に向かって、「しようがないだろう。父さんが悪いんじゃないんだ。文句なら議員どもに言ってくれ。俺だってつらいんだ」と愚痴る父親は惨めである。各家庭のオっちゃんたちは、「こんな日本に誰がした! オレは承知してないぞ!」と怒っても後の祭りだ。

  という訳で、秕政(ひせい)に苦しむのはいつも庶民である。命からがら逃げ出してきた貧乏賤民が、東京や京都にある高級住宅地に配属されることは絶対無い。白銀台よりも板橋区か荒川区が適地となる。普通の日本人でも住めない一等地に、難民収容施設が建設されるなんてあり得ない。難民に同情的なテレビ局や新聞社があっても、その重役たちは貧民が寄りつかない別世界に住んでいる。彼らの子供たちは難民を知らずに名門私立学校に通い、小中高さらに大学までエスカレーター式に進んでしまう。彼らのご学友は同じ毛並みの「御曹司」や「ご令嬢」ばかり。英語で白人の友達と話すことはあっても、朝鮮語で北鮮人と会話を楽しむなんてことは一切無い。育ちの悪い朝鮮人や慣習の異なる外人と「同級生」になるのは、私立学校を「選択」できない庶民の子供である。高額所得者なら我が子を朝鮮人のいない少人数精鋭クラスに入れて、しっかりと勉強させるだろう。庶民の子供は中学生になっても授業内容は小学校と同じ。難民の子と一緒に「数学」じゃなくて「算数」の復習だ。中三でも台形の面積とか速度の計算が分からぬ子が集まるクラスだと進学は絶望的。アルファベットを全部書けたら満点、じゃぁ先が暗い。

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(左: 公立学校に通う日本人が友達とする朝鮮人のタイプ / 右: 名門学校に通う日本人が親しくなれる西歐人のタイプ )

  一方、公立学校では自分の好きな者を級友に選べない。例えば、小学五年生や中学二年生の子供なら分かるだろうが、学年が変わってクラス編成となるや、仲良しグループがバラバラにされ、別々のクラスになっていたという経験は珍しくないはずだ。高額な授業料を「お客様」から頂く私立学校なら、いくらでもお客の「ご要望」に応えるから、親友と離れ離れになることはないし、新たに級友となった子供でも、一生涯の親友に相応しい人物だったりする。親の所得や身分で子供の選択肢が左右されるんだから、「選択の自由」が無い家庭に生まれた子供は、親と社会を恨んでしまうだろう。しかも、彼らが成人する頃には国民皆保険や国民年金の掛け金が増えているだろう。中流家庭の日本人世帯が年に50万ないし70万払うのに、低所得の鮮人家庭は年数千円か免除だったりするのだ。子沢山の母子家庭になればもっと楽。「国民年金」と称しても、「国民」が「地球人」と同義語になっていたりする。また、その実態は「掛け捨て保険」で、長生きすればちょっとは得だが、過労で早死にする人は払い損になるだろう。日本人の勤労者がもらう年金額は雀の涙ていどなのに、途中から割り込んできた朝鮮人は、「福祉補助金」という名目で対等の「年金」をもらうんだから、汗水垂らして納税する日本人は馬鹿らしくなる。あれやこれやと、様々な間接税を取られる日本人は哀れだ。いくら温厚な日本人でも限度があるぞ。

肉体が変質する日本人

  異民族が混在する社会では、必然的に様々な混血児が増えてしまいがちだが、それでも混血を避ける人々がいて、純血を守った集団と雑婚をした集団が分離する階層社会だってある。ただし、「純血」といっても漠然としたもので、西歐なら白色系ヨーロッパ人同士とか、ケルト系とゲルマン系、あるいはスラヴ系との雑種的純血などまちまちだ。でも、白人という種類を維持しているという点で「純血」と言えよう。日本でも日鮮混血児が増えると思うけど、日本人の血統を守った者が朝鮮人と交わった者を差別する、という時代が来るかも知れない。戦前でも朝鮮人と結婚する日本人は稀で、普通の日本人は朝鮮人との婚姻を避けた。見合い結婚が半分だった頃、世話好きのオバはんが、年頃の娘に「いい人がいるんだけど会ってみない?」と持ちかける事はよくあった。しかし、その見合い相手が朝鮮人男性なんて事はまず無い。そんなことをすれば娘の両親が憤慨するし、跡継ぎの一人娘なら祖父母だって黙っちゃいないだろう。昔気質のお爺ちゃんだと、「無礼者」と叫んで伝家の宝刀を抜くかも知れない。だいたい、朝鮮人との縁組みなんて世間に知られたら恥ずかしいし、生まれてくる孫が朝鮮人なんて考えただけでも厭だ。それに、いくら縁結びが趣味のオバはんでも、そんなアホなことはしないだろう。だから、朝鮮人と結婚した日本人は肩身が狭かったし、日本人同士で結婚したカップルとは何となく違う世界に属しているような気分になったものである。

  美容整形の専門家である高須克弥院長じゃないから分からないけど、日本人で朝鮮的容姿に憧れる人は何割くらいいるのか? 朝鮮人との結婚数が増えれば、当然、朝鮮人のツラをした日本人が増えるはずで、地理的には玄界灘で隔てられていても、人種的には陸続きとなってしまうだろう。西歐系アメリカ人だって、朝鮮人移民と混血するようになれば、朝鮮風の人相になってしまい、ヨーロッパ人の祖先とは違った容姿になる。既にアフリカ系黒人との混血児もいて、有名人を挙げるとすれば、女優のタエ・ヘッカード(Tae Heckard)やソーニャ・ソーン(Soja Sohn)が思いつく。ソーンはTVドラマの「ボディー・オブ・プルーフ」や「ザ・ワイヤー」に出演していたから、日本人でも知っている人は多いだろう。黒人はどう思うか分からないけど、朝鮮人はこうした混血児が大嫌いだ。それなら、アメリカ白人が朝鮮人を嫌ってもいいハズなんだけど、それは駄目らしい。また、ドラマの「デクスター」で日本人役をしていたC.S.・リー(Charlie S. Lee)や、「スター・トレック」で日本人的キャラクターを演じていたジャクリーン・キム(Jacqueline Kim)を覚えている人もいるんじゃないか。数名の日本人は「おいっ! あいつらは日本人じゃねぇぞ」と不愉快になるだろうが、西歐人からすれば朝鮮人と日本人の違いは無い。朝鮮からの移民が続けば、やがて国内の日本人も両者の違いに鈍感となるだろう。

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(左: タエ・ヘッカード / ソーニャ・ソーン / ジャクリーン・キム / 右: C.S. リー)

  米国には、朝鮮戦争や経済不況のせいもあって、意外なほど朝鮮系移民が多く、藝能界でも近年非常に目立つようになってきた。例えば、NHKが放送するABCの「ナイトライン」でキャスターを務めるジュージュー・チャン(Juju Chang)や、ヒット作作品なったドラマ「ザ・メンタリスト」で刑事役を演じたティム・カン(Tim Kang)、同じくドラマの「グレイズ・アナトミー」で医者を演じたサンドラ・オー(Sandra Oh)である。ただし、彼らは実力というより、有色人種優遇制度でチャンスを摑んだとも考えられる。ジュージュー・チャンはCBSでアンカーとなった支那系のコニー・チャンと同じような立場だし、ティム・カンはレギュラー出演者だったけど、主役のサイモン・ベーカーに及ばない。それどころか、ゲスト出演者の影にも隠れて霞んでしまうのだ。たぶん、ドラマの監督は誰でもいいからアジア人を「指定枠」に埋めて、テレビ局側のOKを取りたかったのだろう。

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(左: サンドラ・オー / ジュージュー・チャン/ ティム・カン / 右: サイモン・ベーカー)

  ハリウッドにおけるアジア人には「個性」がなく、支那系、朝鮮系、日系、フィリピン系と別れていても、どの役者が誰なのか区別がつかない。みんな同じように見えてしまうのだ。朝鮮人俳優なんてドラマの途中で交替しても文句は無い。例えば、「ハワイFive-0」や「ロスト」に出演したダニエル・キム(Daniel Dae Kim)なんてどうでも良いし、「ウォーキング・デッド」に出ていたスティーヴン・ユン(Steven Yeun)が消えたって寂しくはない。白人層に無視される朝鮮系役者が、アジア系アメリカ人の中でどれほどの人気を誇っているのか分からないが、日系アメリカ人の間で人気があるとは思えない。日本人でも「グレイズ・アナトミー」でサンドラ・オーの恋人役を務めたケヴィン・マクキッド(Kevin McKidd)の方に関心があるんじゃないか。彼は大作「ローマ」(TVドラマ)で人気役者となったから、サンドラよりも遙かに知名度がある。西歐系女性が彼女をどう思うか定かではないが、いくら豊胸手術を受けた日系人女性でも、サンドラ見たいな容姿に憧れて、美容整形を希望する人はいないだろう。でも、日系人男性がサンドラと結婚すれば、娘が母親に「生き写し」となる可能性はある。

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(左: ダニエル・キム / スティーヴン・ユン / ケヴィン・マクキッド/ 右: マーガレット・チョー)

  朝鮮系アメリカ人には色々なタイプがいるけど、マーガレット・チョー(Margaret Cho)の印象は強烈だ。彼女は無名以上有名未満の女優だが、どちらかと言えば、バイセクシャル(男女両方と恋仲になることができる人間)として有名である。ある時は刺青のデブ、またある時はレズビアン、なんて説明を聞いても感心しないよね。キューティー・ハニーならうっとりするけど、マヨネーズの容器みたいな体型じゃぁ、秋葉原のオタク男性だって萌えないだろう。如月ハニーが変身する時に見せる裸体ならいいけど、チョーが見せる変身では目を蔽いたくなる。それにタイツ姿が不気味だ。彼女はパンサークローの手下が似合っている。(高校生の読者には分からないだろうけど、「パンサー・クロー」はハニーを狙う悪党なんだよね。また、アニメのオリジナル版だと、ハニーの七変化に「ルンペン」や「せむし男」があった。どおりで、再放送が無かった訳である。愚痴になってしまうけど、現在よりも放送禁止用語が許されていた昭和の方が自由だった。)

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(左: マーガレット・チョー / 中央と右: ハニー役が似合いそうなニッキー・コノリーとアリ・ラーター)

  脱線したので話を戻す。日本で生まれ育つ朝鮮系の子供は、日本の子供と全く同じ発音で日本語を喋るから、実質的に日本人と朝鮮人の区別は無くなってしまう。短気で見栄っ張りな朝鮮人でも、それは民族的というより個人的性格となるし、街を歩いているだけの朝鮮人だと、その姿から祖先を想像することはではない。名前だって日本人と結婚することで日本風になるから、朝鮮人の素性を「洗浄」したことになる。(ただし、それを「ネーム・ロンダリング」と呼ぶかどうかは知らないよ。朝鮮人の系譜は油絵みたいなもので、絵の具を重ね塗りするように、自分の過去を次々と塗り替えてしまうから、下地に何が描かれていたのか、日本人の第三者には分からない。) ところが、世間というのは不思議なもので、朝鮮人が血筋を隠そうとすればするほど、日系国民は彼らの素性を知りたくなるし、その家系が判明すると「やはり、あの人は朝鮮系だったのか!」と納得する場合がある。こうなると、朝鮮系国民は「日本人だって朝鮮人みたいな顔つきじゃないか!」とか、「オレと何が違うって言うんだ? 差別だ、赦せない。日本人なんか、みんなレイシストで右翼だ!」と憤慨するだろう。

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(左: 日本に避難すれば日本国民に なってしまう朝鮮人の子供たち / 右: 日本への帰化を許されそうな 朝鮮人の親子)

  こうした非難が湧き起こることで反省する日本人もいるだろうが、その反面、朝鮮人との同化(assimilation)が進むにつれ、平等主義者を偽装(dissimilation)し、本音を隠す日本人が増えてしまうのは皮肉なものである。たとえ、学校教師や公務員が熱心に「差別を無くしましょう」と呼びかけたところで、日鮮間の憎しみは見えない所で深まるし、私生活の部分でもっと強力な嫌悪感が熟成されるだろう。おそらく、朝鮮人との混血児は親が何と言おうが自分の血統を忌み嫌うだろうし、日系日本人は偽善を装いながら「朝鮮人の血が混じってなくて良かった」と安堵するはずだ。したがって、将来の日本では民族的分離が一層拡大するかも知れない。かつて、日本人は無意識のうちに国民的紐帯で繋がっていた。しかし、北鮮難民を受け入れれば、その絆はもっとズタズタにされ、いつの間にかお互いがギスギスとした間柄になり、日本は猜疑心に満ちた社会となってしまうだろう。

  日本人は北鮮のミサイル打ち上げに一喜一憂しているが、本当の大量破壊兵器は半島からの大量難民だ。北鮮は日本に向けて核ミサイルを撃ってこないだろう。国民より自分の命が大切な朝鮮労働党の幹部は、自殺行為となる核戦争の前に逃走するし、いざとなれば金正恩をみんなで刺し殺すかも知れない。米軍だって在日アメリカ人を守る為に先制攻撃を仕掛けるだろう。合衆国大統領は日本人が百万人死んだって気にしない。週末のフットボール試合の方が大切だ。でも、日本各地に散らばっているアメリカ人の命は見過ごせない。核の被害でアメリカ国民を死なせるわけには行かないので、その前に北鮮人を皆殺しにする。米国は拉致被害者を見棄てる日本人とは違う。だから、命が惜しい日本人はアメリカ国民の近くに住むことだ。それがむりなら、せめてトランプ大統領の著書を購入して、「私はあなたの大ファンです」と訴えるしかない。日本のパスポートを持っていたって助けてもらえないぞ。

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(左: 頼りにならない日本の首相 / 右: 頼もしい米国の大統領 )

  日本人は朝鮮報道には敏感だが、金王朝が「どうしたこうしたと」いう三面記事ばかりで、我々はどんな軍事行動を取るべきなのかを議論しない。「日本は独自で防衛ができない」と判れば、もっと真剣な国会討論となるだろう。専守防衛なんて無意味だ。第一攻撃を受けた日本人は既にあの世行きじゃないか。朝日や毎日新聞の社員と家族が先ず始めに三途の川を渡ってくれ。もう、朝鮮問題をいつまでもグズグス答弁する国会風景はたくさんだ。それよりも、朝鮮難民を排斥する方策を討議すべきである。毎回そうだけど、優先事項を後回しにするんだから、国会議員は怠慢だ。しかも、問題が深刻になった頃には、移民受け容れの決定を下した議員は引退しているんだから腹が立つ。肝心な時に責任者が責任を取らないのは日本の特徴である。貧乏くじを引くのはいつも庶民だ。「責任者出てこい!」との決め台詞を吐いていた、漫才師の人生幸朗(じんせいこうろ)が亡くなって久しい。一般有権者は早く代議士に向かって明確に「難民はイヤ」との意見を表明すべきだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68639691.html


盗難仏像返還差し止め
対馬も「我が領土」
慕華侮日の韓国
岡本隆司 (京都府立大学文学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3107


対馬・観音寺から仏像を盗み出し、日本の返還要求にも応じない韓国だが、そればかりか、対馬そのものの返還を主張する声まで国内ではあがる。彼らの主張の根拠を歴史的に辿れば、自己矛盾が明らかだが、独善的な韓国はそうした矛盾もまったく顧慮しない。そこには、中国に傾倒し、日本を軽視する韓国の「華夷秩序」の姿がむき出しに─。

 昨年10月上旬、韓国の窃盗団が対馬市・観音寺の長崎県指定有形文化財・観世音菩薩坐像などを盗み、博多から韓国の釜山に持ち去った。韓国・大田地方警察庁がその首謀者を立件し、仏像の回収を発表したのは、今年1月29日のことである。


長崎県対馬市の寺社から盗まれ、韓国に運ばれた2体の仏像
(提供:Yonhap/アフロ)

 日本政府はそこで、盗難に遭った仏像の返還を求めた。ところが、もともと所有していたとされる韓国・瑞山市の浮石寺が、返還拒否を訴え、大田地方裁判所は2月、返還を差し止める仮処分を決める。6月28日、主犯格の兄弟にそれぞれ懲役4年、3年という判決が出たが、仏像は今なお、日本にもどっていない。

 仮処分は「倭寇に略奪されたものだから、韓国に取り戻すのが正当」という主張に沿ったものである。これはもともと窃盗犯が口にした言い訳だが、仏教界ばかりか、法曹界まで大マジメに同調し、国をあげて盗品を返そうとしない。普通の日本人からみれば、ムチャクチャな論理であり行動である。「略奪」の証拠がないのはもちろん、法治の精神もない。それが輿論(よろん)の圧倒的支持を受ける、という現状なのである。

 そこにあるのは、韓国人にとっての正義と感情と価値観だけ。他人からみれば、それは独善と迎合・ご都合主義以外の何物でもない。

韓国国内で高まる「対馬返還論」

 仏像を返さないばかりではない。逆に、返せ、と要求しているものがある。対馬そのものである。竹島だけではなく、対馬も韓国のものだというのである。
対馬で韓国といえば、マナーの悪い観光客が押しかけたり、土地を買いあさったりして、トラブルが頻発していることはよく知られたところ。だが、そのすべての前提として、韓国に、対馬は自分たちのものだ、という意識・議論が存在することは、あまり日本では知られていない。その気分が今、大いに高まっている。


 新聞をみても、「対馬領有論」を主張する意見が載りはじめている。以前からそうした声がなかったわけではないが、韓国のメディアも、ほとんどとりあげなかった。それがここに来て、にわかに目立ってきたのである。

 そんな報道を拾ってゆくと、今年3月22日、ソウル近郊の議政府市の議会が、日本政府に対し「対馬の即時返還」を求める決議文を採択、4月末には大韓民国海洋連盟と釜山にある釜慶大学が、「対馬返還論の一般化を目的として」シンポジウムを開いている。いずれも極端な団体ではない。それがこんな行動をするところから、彼の地の空気を読みとることができる。

「東莱府使接倭使図」屏風・「草梁客舎」
「草梁客舎」は対馬人居留地の一施設。その内部中央に朝鮮国王の位牌「殿牌」が置かれ(写真では、左手中段の建物の中央の屋根の下に配置)、まわりに朝鮮側の関係者が居並ぶ。対馬側の関係者は、離れた位置でその「殿牌」を跪拝している。
(出所:辛基秀・仲尾宏編『大系朝鮮通信使』第7巻、明石書店)


 では、なぜ対馬を韓国が領有することになるのか。そこには歴史が関わる。最も古いものでいえば、15世紀に朝鮮王朝が対馬に遠征した、いわゆる「応永の外寇」というのが、その根拠の1つだったりする。しかし大きく作用しているのは、江戸時代の長期的な情況だろう。

 江戸時代といえば、朝鮮通信使がたびたび来日し、日・朝が善隣の関係にあったといわれる時代。その同じ時期、最も朝鮮半島と交流の密だった対馬が頻繁に送った使者は、釜山の居留地につくと、必ず朝鮮国王に見立てた位牌に拝礼をしていた。これを「肅拜(しゅくはい)の儀」という。

 右の図がそれを描いたもの。対馬の人々はこの儀式をやらなくては、釜山で居住生活することが許されなかった。対馬が自分たちに属していた、という韓国の根拠は、このような慣行にある。

韓国や中国が持つ世界観「華夷秩序」

 当時、君主のところに臣下が挨拶にいく儀礼を「朝貢」といい、中国王朝と周辺国との間にあった慣行である。朝鮮王朝も中国の明朝・清朝に大がかりな朝貢を行っていた。

 朝貢をすれば、臣礼をとったに等しい。その国なり君主なりは、朝貢を受ける側の下位につくことになって、「藩属」とよばれる。したがって朝鮮王朝は、中国の「藩属」「属国」だった。その朝鮮からみれば、自国の王に拝礼した対馬は「藩属」にあたる。

 もちろん対馬は一貫して日本の一部であり、江戸時代も幕藩体制を構成した一藩だった。だがそんなこと、朝鮮王朝には関係ない。自分に朝貢していた事実が重要なのである。


 この朝貢という儀礼によって明示されるのが、いわゆる「華夷秩序」である。中国の歴代王朝はもとより、「小中華」を自任する朝鮮王朝も、堅く持してきたものだった。

 「天下」をひとつの身体の「頭」と「足」に見立てればよいだろうか。頭、つまり上位にあるものを「中華」とし、足つまり下位にあるものを「蛮夷」とする、階層的な世界観がそのベースにある。

 頭と足なので、これは生まれつき、自然にそなわっている上下関係であり、序列を決めるのに、理屈はいらない。そして頭と足は、厳然として別のものでありながら、それぞれ同じ身体の一部でもあるのだから、切り離されはしないし、また、どこからどこまでが頭で、どこからどこまでが足なのか、明確な境界もない。国境が不分明になってしまう。

 「華夷秩序」は原理的にそうした属性をそなえており、それを視覚的に示すのが礼である。15世紀から19世紀、明清時代に行われたその最も重要な儀礼の1つが、朝貢だった。

 そもそも儀礼とは、多分に形式・フィクションにほかならない。「儀礼的」という言葉さえある。日常生活でも、頭を下げたからといって、本当に屈服・従属しているわけではあるまい。朝貢で結ばれる関係も、実質の支配・従属を必ずしも伴わない、まさに儀礼的なものだった。朝鮮が清朝中国の支配を受けていたわけではないし、対馬も朝鮮に従属したことはない。だからこそ、むしろ互いの上・下という位置づけには敏感で、その意識・感覚は今なお、根強く続いている。

 この朝貢は20世紀の初めに消滅して、もはや存在しない。対馬も朝鮮も、朝貢が明示、表現する関係・秩序から離脱して久しいはずである。にもかかわらず、現代の問題につながるのには、それなりの理由がある。

 西洋の国際関係が東アジアに到来した19世紀の後半期に、関連する諸概念を「華夷秩序」で用いる漢語で翻訳したことが重要である。「属国」「藩属」というタームはその最たるもので、朝貢儀礼を行う国と、近代国際関係で主権を失って従属した存在とが、まったく同じ字面で表現された。

 朝鮮に即していえば、中国の「属国」というその地位は、実効支配を受けているのか、内政外交が自主の国なのかが判然とせず、日清戦争の一因となった。また戦後も、中国との国境がはっきりしなかったから、紛糾はたえなかった。現在の中国・延辺朝鮮族自治州にあたる地域・住民の帰属をめぐって、清韓・日中の間で対立した「間島(かんとう)問題」は、その代表的な事例である。

 朝鮮、日清戦争だけではない。日本の「琉球処分」、フランスの植民地化に帰結した沖縄、ベトナムの場合も、問題の本質に変わりはない。いずれも中国の「属国」だったために対立が深まった。現在の国境紛争も、そこが出発点である。


 そもそも中国ほど、未解決の国境係争地を多く抱える国もあるまい。旧来の「華夷秩序」と近代の国際関係とが、漢語概念を介し混濁しているところに、その一因がある。

 チベット・モンゴルも清朝の「藩属」だったから、20世紀に入ると、中国に「属」する「領土」とみなされて、それまでの自治的な政体を剥奪された。それを嫌った外モンゴルのみ、中国から離脱独立して、今に至っている。チベット・内蒙古・新疆はそれを果たしえなかった。そこで何が起こってきたのか、言わずとも自明だろう。

 だとすれば、中国の民族問題は国境問題と同じ根源を有する。史上の「華夷秩序」は今なお命脈を保ち、国境問題・民族問題に転化して現れているといってもよい。日本人も尖閣問題・竹島問題を考える際には、沖縄・対馬、あるいは東南アジアの南沙諸島ばかりではなく、チベットの寺院やモンゴルの草原にまで、思いを馳せなくてはならない。

 その尖閣問題はいっこうに解決の見通しはつかず、長期の緊張を覚悟せねばならない情況になっている。そこで出てきたのが、沖縄の帰属を未解決だと主張する、今年の5月8日付『人民日報』所載の論文だった。論拠は琉球が以前、中国の「属国」だったというものだが、当面のねらいは尖閣問題を意識した牽制である。けれども前述のように考えると、それだけにとどまるまい。現実に以前から、ネットを中心に過激な意見が横行している。

過度な中国接近に国内でも疑問の声が

 そうした論理・認識は、韓国の対馬「返還」でもやはり同じ。その目的が日本の竹島返還要求への対抗なのは、明らかである。さらに今、中国が尖閣のみならず、沖縄も自分のものと主張し始めたため、それに乗ずれば、中国を後ろ盾にできる。

 韓国の『朝鮮日報』には実際、「韓中の連携」で日本が苦しむことになっても、もう「神風」は吹かない、と元寇に譬(たと)える記事が掲載された(日本語版・5月12日)。ちなみに、元寇で真っ先に標的となったのも、対馬である。

韓国としては、技術は日本に追いつき、あるいは凌駕した、と思っているし、通貨スワップなどでも、必ずしも日本を必要としなくなった。代わりに、経済大国中国がいる。北朝鮮の脅威に直面する安全保障でも、アメリカに頼り切れず、むしろ中国に頼らなくてはならぬ。とすれば、今こそ中国に接近しておきたい、と思っても何ら不思議ではない。

6月27日の中韓首脳会談で握手しようとする韓国・朴槿恵大統領と中国・習近平国家主席(提供:代表撮影/AP/アフロ)

 中国を尊び、返す刀で日本を蔑む。これは往年の「慕華」「侮日」、つまり「華夷秩序」そのままであって、仏像の返還拒否も、対馬の「返還」要求も、そうした先祖返りへの第一歩のようにもみえる。

 しかし、対馬が朝鮮の「属国」だったから韓国のものだというなら、朝鮮はいっそう中国の「属国」だったはずで、韓国も中国のものだということにならざるをえない。このあたりをまったく顧慮しないのが、韓国の独善たるゆえんであろう。

 それにつけても、最近の韓国の中国傾倒と日本軽視は甚だしい。朴槿恵政権は上の写真にもあるように、中国との「蜜月」ぶりをみせつけた。けれどもさすがに、韓国内のメディアでも、行き過ぎた中国接近に疑問の声があがりはじめている。その帰趨は日・中いずれにも影響が出てこよう。しばらく目を離すわけにはいくまい。
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日本の神社で動物の石像を破壊した韓国人に懲役2年宣告
(東京=連合ニュース)キムビョンギュ特派員
http://oboega-01.blog.jp/archives/1069281693.html
日本の裁判所が、福島県の神社で動物の石像を破壊した疑いで起訴した韓国人に実刑を宣告したと共同通信が20日報道した。


報道によると、同日仙台高等裁判所は、昨年12月に福島県泉崎村の神社でキツネの石像などを破壊した疑いで起訴した韓国人A(35)の控訴審公判で、1審と同様に懲役2年の刑を宣告した。


Aさんは、神社境内のキツネの石像2つを破壊し、神社本殿でもキツネ像(木像)などを破損した疑いを受けた。


通信は、Aさんが1審公判で似たような時期に福島県の寺社などで石像など70個の物品を破壊したと明らかにしたと伝えた。


裁判所は「被告は犯罪行為について反省していない」とし「1審の判決に間違いはない」と判示した。

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日本人は謀略工作や心理戦に弱い。我々社会が堅気の人間で構成されているせいか、各人の良心を信じる性善説が強いからだろう。

しかし、日本から一歩外へ踏み出せば、腹黒い奴らばかりで、朝鮮半島は根性がひん曲がった下郎でいっぱいだし、支那大陸は普通の人間でも匪賊、盗賊、殺人鬼、詐欺師、ゴロツキ、といった「人でなし」に直ぐ変身できる。

ましてや、生まれつきの悪人だと子供の頃から一端(いっぱし)のギャングだ。

落合信彦など「支那人の子供は目の輝きが違う」などと雑誌『サピオ』に書いて失笑を買ったが、国際ジャーナリストを自称する法螺吹きだから仕方ない。

しかし、有名大学の長老教授や新聞論説員に騙されて支那人を厚遇し、「人さま」扱いしていた日本人は哀れだ。

隣人を信頼できて、他人も気配りをしてくれる国など、地球上で日本以外にはあり得ない。ユーラシア大陸は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する闇黒地帯で、お人好しの日本人が生活できる世界ではなく、下手をすれば身ぐるみ剝がされて虐殺されてもおかしくはないのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68677889.html


2017-11-28
日本は無抵抗のままサンドバッグのように殴られ続けている

中国・韓国・北朝鮮は国際社会に向けて激しいプロパガンダを行っており、日本人に対する印象を貶めようとしている。

日本は過去の戦争を反省せず、日本人は差別主義者で、日本人は国を挙げて20万人の少女をセックス・スレイブ(性奴隷)にしていた国民だと中国・韓国・北朝鮮は訴えている。

日本人というのは、残虐で、凶暴で、侵略主義者であるとあちこちで火を付けて回っている。


このままではすべての日本人が世界から排斥の対象になる。
日本人は嫌悪されるようになり、やがて「日本人のような悪い民族は滅ぼしてしまえ」という空気になったとしてもおかしくない。


日本人は日本人であるということだけで差別される

日本人が極悪非道の民族として世界中に印象づけられていき、最悪の事態に向かって突き進んでも誰も驚かない。このままでは、そうなってしまうからだ。

日本人が排斥される。世界中で、日本人が相手にされなくなっていく。世界から日本人に対する信頼感が消失し、日本人と関わりたいと思う外国人がいなくなる。

日本人は、ただ日本人であるということだけで差別され、罵られ、奪われ、暴行を受ける事態がやがてやって来る。

日本人は周辺国を侵略したり、セックス・スレイブを国家運営するような悪い民族なのだから、何をしてもいい、懲罰せよという話になっていき、日本人のひとりひとりが暴行の対象になっていく。

中国・韓国・北朝鮮では反日が徹底された結果、「日本は破壊すべき国だ。日本は侵略すべき国だ」というコンセンサスができあがっている。

日本貶し(ジャパン・ディスカウント)はその一貫であり、その裏側には日本の破壊と侵略がある。現在、日本はありとあらゆる方法で、破壊工作をされているのである。

そのような現状を認識した上で、その「ありとあらゆる方法」というのは、どんな方法なのかを日本人は知る必要がある。日本破壊は1つ2つの手法で行われているのではない。

ここでは、そのうち、絶対に知っておかなければならない、実際に日本に使われている主要な「日本破壊工作」を30項目ピックアップして、誰でも分かる言葉で紹介したい。

どのように「策略」が使われているのか。このように、使われている。


主要な「日本破壊工作」を30項目ピックアップ

下記の「30の日本破壊」は、着々と行われているものだ。すべて、同時に、そして執拗に行われている。中国・韓国・北朝鮮はそれを「国を挙げて」行っており、そのために予算すらも出している。


(1)「なりすまし」日本人になって工作を行う。

(2)わざと問題を起こし、日本のせいにする。

(3)被害者を装い、日本が悪いと叫ぶ。

(4)問題を自作自演して、日本を追い込む。

(5)第三者に日本を嫌悪させる宣伝を行う。

(6)日本から奪えるものはすべて奪う。

(7)日本が強いときは友情を強要する。

(8)日本が弱いときは徹底して叩く。

(9)集団で、日本や日本人個人を叩く。

(10)ごねて、ごねて、ねじ込む。

(11)日本に潜り込み、仲間を引き込み、拡大する。

(12)買収できる日本人の組織や企業は買収する。

(13)日本が混乱しているときに奪いにいく。

(14)日本のそれぞれの集団を分裂させる。

(15)日本に最大限の屈辱を与える行為をする。

(16)日本を徹底的にけなし、自分を持ち上げる。

(17)日本の味方のフリをして最後に裏切る。

(18)都合の悪いものは隠蔽し、無視する。

(19)差別されたと大声で訴えて、譲歩させる。

(20)批判されたら、不当な批判だとかわす。

(21)法のグレーゾーンを捜して悪用する。

(22)日本の組織に潜り、技術をすべて盗む。

(23)日本文化は自分たちが起源だと捏造する。

(24)日本の商標・著作権を盗んで自国で登録する。

(25)圧力団体を山ほど作って攻撃する。

(26)日本に潜り込んで、日本文化を破壊して回る。

(27)日本に潜り込んで、日本文化を盗んで回る。

(28)日本に潜り込んで、犯罪をして回る。

(29)日本に潜り込んで、資源を奪って回る。

(30)日本に住み着いて地域を乗っ取っていく。


日本を騙し、日本をけなし、歴史プロパガンダを宣伝し、日本人に謝罪と賠償を要求し、日本人にごね、日本人を恫喝し、日本人から奪い、日本人に憎悪し、日本の社会に潜り込み、日本文化を叩き壊し、日本から奪う。

今の日本は、こうした策略や工作や破壊が同時並行で淡々と行われているのだ。しかし、日本人の誰もがこうした現状に無力のままである。


日本人はやられっぱなしでいいと思っているのか?

こういった日本に対する危険な策略は切れ目なく、粘着的に、執拗に、かなりの熱意を持って行われている。

すべてが裏側で粛々と行われており、マスコミもジャーナリストも政治家も、こうした危険な策略にあえて触れようとしない。マスコミ自身が「報道しない自由」を駆使して積極的に隠蔽していると言っても過言ではない。

仮にひとつが暴かれても、また次のたくらみが起こされる。それに対応しようとしたら、また次が出てくる。

うまく行くものもあれば、うまく行かないものもある。たまたま、うまく仕掛けられた策謀は一気に拡大していき、それが日本の闇になる。

それが「今起きている」ことなのである。日本はそうやって、四方八方から「攻撃」を受けているのだが、日本人はまったく無防備・無抵抗のまま、サンドバッグのように殴られ続けて今に至っているのだ。

そもそも、日本政府も中国・韓国・北朝鮮が日本に敵対して心理戦・外交戦・侵略戦を仕掛けていることを見て見ぬふりをしているし、「敵対している」と宣言もしない。もちろん、報復もしない。

ただ、黙って耐えている。だから、永遠に舐められ続けているのである。

それが、どのような悲惨な結末に至るのか、少し考えただけでも分かるはずだ。このままでは、何らかの策謀が大きく成功して、日本は叩きのめされて沈んでいき、日本人は世界から無理解のまま沈んでいく。

このまま叩きのめされるだけでいいのだろうか?

日本人は誰も「報復」しないが、そろそろ日本人も報復を考えて良い頃に来ていると思わないだろうか。日本人はやられっぱなしでいいと思っているのだろうか。

日本人はいつまで泣き寝入りし続けるのか。そろそろ日本も反日国家に報復を考えてもいい頃に来ている。

日本が汚され、蝕まれていく。日本人は誰も「報復」しないが、そろそろ日本人も報復を考えて良い頃に来ていると思わないだろうか。日本人はやられっぱなしでいいと思っているのだろうか。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171128T1621020900.html


2018-01-19
「誰が日本の敵なのか」が明確になってから起きていること

中国・韓国が反日教育で日本憎悪に明確に動き出したのが1990年代だ。もう数十年も前に、これらの国は日本との敵対を準備していたということになる。

これまで、反日という「日本人憎悪」を剥き出しにするこの両国が日本の敵であるという認識は今まで日本人は持つことができなかった。

拉致事件を起こした北朝鮮が日本人の敵であるという認識はあっても、韓国は日本と価値観を共有する隣国だと漠然と思い込む日本人は普通にいた。

それは、なぜなのか。

もちろん、各界に潜む内部工作者やマスコミが歪んだ世論誘導をしていたからだ。マスコミは常に日本を批判し、貶め、逆に中国・韓国・北朝鮮を擁護し、賛美してきた。

日本の3つの敵とは「誰」だったのか?

こういった時代の流れの中で、マスコミを漠然と信じていた日本人もやっと自分たちが「騙されていた」と気付くようになってきた。マスコミは「マスゴミ」だったのだ。

日本人は3つの巨大な敵が日本にあることを、やっと認識した。日本の3つの敵とは誰だったのか。以下の存在である。

(1)中国・韓国・北朝鮮という特定の国家
(2)日本人に潜り込んだ内部工作者
(3)日本の世論を歪めるマスコミ

日本が油断すれば、日本の領土や、資産や、技術を虎視眈々と狙っている敵が忍び寄って、すべてを盗んでいく。

日本人は拉致問題を起こした北朝鮮には強く警戒していても、中国・韓国に関しては「少し価値観が違う」くらいで意識が止まっていた。少なくとも「自分たちの敵」だとは認識していなかった。

しかし、その認識が甘いということを知ることになった。中国・韓国・北朝鮮は、今や露骨なまでに反日を剥き出しにして迫っている。歴史問題から、領土問題から、経済問題まで、すべてで対立している。

韓国は竹島を自分たちの領土だと声高に言うばかりか、対馬まで自分たちのものだと主張するようになっている。

沖縄も中国や韓国の工作員によって日本から引き離されようとしている。沖縄の地元マスコミは完全に乗っ取られて、偏向剥き出しとなっている。

工作員が続々と沖縄に入って、沖縄を日本から切り離そうと画策しているのである。ここで日本人は、やっと「このままでは、日本の領土は侵略される」と気がついたのだ。

中国は2018年1月11日に沖縄県・尖閣諸島の大正島北東の接続水域内に、潜水艦と中国軍艦が入域している。侵略工作は動いているのである。

日本が油断すれば、周辺国がどんどん領土を侵略してくる。これは「今そこにある危機」なのである。


もはやそれは隠しようのないうねりとなった

中国・韓国・北朝鮮の危険な動きは今に始まったことではない。1990年代から反日教育が始められ、2000年代に入ってからいよいよ反日言動が目立つようになっていたのである。

ところが、これらの国が危険になったというのをマスコミは伝えなかった。反日を伝えるどころか隠蔽さえしていた。

2000年代、マスコミは「これからは中国の時代だ」と経営者を煽って、日本企業をどんどん中国に進出させた。

その結果どうなったのか。日本企業が中国に進出する場合、現地企業と合弁会社を作らなければならないのだが、そこで中国は日本企業の技術を盗んで回った。

さらに2012年になると、大規模な反日暴動が起きて日本企業の工場は放火され、デパートは略奪された。それなのに、当時の政治家や経団連は、中国を糾弾することはなかった。

2012年には韓国でも反日言動が突出していた。

当時の韓国の大統領だった李明博が竹島に上陸し「ここは韓国の領土だ」と言った挙げ句、天皇陛下を侮蔑する発言をも行った。この時点で、日本は韓国と国交断絶をすべきだったのだが、時の民主党政権は何もしなかった。

このような社会情勢の中で、マスコミは何をしていたのかというと、「中国の時代だ、韓流だ」と世論誘導していたのである。まさに言語道断である。

しかし、マスコミがメディアで韓国礼賛をすればするほど反発を受けるようになり、新大久保のような街で連日のようにデモが起きて騒動になるようになった。

こういった一連の動きの中で、「3つの敵」が可視化され、多くの日本人が敵が敵であることを共有するようになっている。

「中国・韓国・北朝鮮という特定の国家」「日本人に潜り込んだ内部工作者」「日本の世論を歪めるマスコミ」という巨大な敵が日本人の目の前に立ち塞がっていたのだ。

「誰が日本の敵なのか」が明確化されるようになり、日本の草の根から、この「敵」に対する対抗の言論が拡大するようになっている。


防御と対抗措置が生まれるのは当然のことだ

敵が敵であることが明確化されたら、防御と対抗措置が生まれる。今の日本は、まさに日本を蝕む3つの敵に対して防御・対抗しようと動き始めている。

中国も、韓国も、北朝鮮も、そして日本を貶めようとする内部工作者たちも、マスコミも、まとめて信用されなくなった。そして、彼らは公然と「嫌悪」されるようになった。

今まで日本人を好きに騙していたというのが発覚したのだから、「これからも信用しろ」という方がおかしい。信用されないばかりか、嫌悪されても仕方がない。

信用されなくなったので、関わりを持つことさえも避けられるようになる。不買しようと叫ばなくても自然と不買になり、敵対国家に行くこともなくなり、関わりを極限まで断とうとするようになる。

関われば関わるほどトラブルになっていくのは、日韓合意を結んでも蒸し返す韓国の姿勢を見ても分かる。今や80%の日本人が韓国を信用しなくなっている。

(日本人の80%は合意すらも守れない韓国に怒りを感じている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180116T1830050900.html

今まで強く恫喝されればすぐに謝罪していた政治家も、安倍政権になってから毅然として対応するようになり、韓国に卑屈になるのを止めている。

また、多くの国民が政治家にも政府にも「関わりを積極的に断て」と要求するようにもなっている。究極の方法は「国交断絶」だが、今やその国交断絶すらも政府に望む声が珍しくなくなっている。

さらに、反日マスコミに対しても激しい不信が渦巻くようになっており、彼らが売国的な発言でもしたら、すぐにでも反論が向かうようになっている。

こうした草の根からの行動は、すべて「誰が日本の敵なのか」が明確になってから起きているものだ。敵が明確にされた以上、防御と対抗措置は効果を発揮するまで地道に続けられなければならない。

時代は変わりつつある。

照準は定まった。敵が明確にされた以上、防御と対抗措置は効果を発揮するまで地道に続けられなければならないものだ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180119T0355340900.html

2017-12-02
マスコミが平和を守れと言ったら「反日国家に言え」と怒れ

北朝鮮に対する経済制裁が苛烈なものになるにしたがって、日本海に次々と北朝鮮の工作員が上陸している。そんな中で、民主党残党の立憲民主党が「共謀罪の廃止」を訴えている。

共謀罪とは「テロ等準備罪」のことを指すが、これはテロリストや凶悪犯罪組織や北朝鮮の工作員がテロの計画をしているのが発覚したら、事件を起こす前に逮捕するという至極まっとうなものである。

世界中でテロが吹き荒れており、日本も中国・韓国・北朝鮮の工作員が大量に入り込んで危険な状態にある。だからこそ「テロ等準備罪」が必要なのだが、立憲民主党を含め民主党の残党はこれに反対するというのである。

つまり、野党は日本がテロまみれになってもいいと考えているわけだ。これだけ反日国家に囲まれている中で、「テロを準備しているテロリストや凶悪犯罪組織を取り締まるな」というのだから、大したものだ。

「武器を捨てれば平和になる、謝罪していれば平和になる」と言って、日本に防衛もさせずに中国・韓国・北朝鮮に侵略されるがままを望む売国政党らしい行動だ。

思えば、今まで多くの日本人がこのような政治家やマスコミに騙されてきた。ついこないだまで、日本人は「誠心誠意を尽くせば平和が訪れる」と思い込んでいたのだ。

だから、日本人は中国・韓国・北朝鮮のような反日国家に何度も何度も謝罪してきた。


日本の侵略がピークに達したのが民主党政権時代

しかし、日本がどんなに謝罪し、賠償しても、中国・韓国・北朝鮮がさらに憎悪を持って日本を貶めてくることから、やっと日本人は世の中が誠心誠意で通じる単純なものではないということに気づくことになった。

彼らは激しい反日を煽り立てて、あからさまに日本を陥れようと画策してきている。いくら謝罪しようが賠償しようが無駄だったのだ。

彼らは日本を「脅せばいくらでも謝罪して賠償する弱い国」として認識するようになっていた。だから、次から次へと日本に恫喝を突きつけてくるのだ。

暴力を捨てて軟弱になった日本を、あわよくば領土をも奪おうと、虎視眈々と狙うようになっている。それが現在の国際情勢である。

中国は尖閣諸島から沖縄へ。韓国は竹島から対馬へ。外部からは領土侵略が行われ、内部からは政治家やメディアや官僚が中韓に取り込まれて売国政策を行うようになっていた。

その日本の侵略がピークに達したのが、民主党政権時代だった。この民主党政権はまさに日本に現れた史上最悪の政党と言うしかなかった。

通貨政策ひとつを取ってみてもそうだ。2009年から2012年までの民主党は中国や韓国が利するように、異常な円高を完全に放置させ続けて来た。

その円高放置の結果、日本企業は完膚なまでに競争力を失い、経営者の失策も重なって、大量のリストラ、大量の失業者を生み出した。

マスコミによる露骨なまでの「韓国推し、日本下げ」が行われたのも、この民主党政権時代である。

テレビは朝から晩まで、韓国を絶賛し続け、韓国を礼賛するように日本人を洗脳しようとした。あまりにもひどい韓国推しに、2011年にはフジテレビに対して抗議デモが発生したのも記憶に新しい。


平和主義であることは弱いからだと見なされている

民主党時代になって、政治からマスコミから経済界から教育界まで、すべてに中国・韓国・北朝鮮の「内部工作者」が食い込んで日本を破壊しようとしている姿が明るみに出た。

国の中枢が乗っ取られ、日本を破壊しようと動いているわけで、これで日本が復活したら、そちらの方が不思議だ。内外から日本はわざと崩れ落ちるように仕掛けられている。

結局、日本人は意図的に「貧しくさせられた」のである。

政治家が売国政策をして国や企業が豊かになるわけがないのだ。やっと日本人は自国の醜悪な現状に気が付いて、「このままではやられる」と現状認識ができるようになった。

今にやってやっと日本人の目が覚めつつあるのは、中国・韓国・北朝鮮の反日がますます過激化して、もうマスコミですらもそれを隠蔽することができなくなったからである。

マスコミがいくら隠蔽したところで、中国・韓国・北朝鮮の激しい反日言動が隠せるわけがない。

その反日国家の狂ったような姿を見て、「何があっても謝罪外交しかしない」という従来の極端な「平和主義」に多くの日本人が疑問を持つようになった。

平和主義であることは弱いからだと見なされている。反日国家からは一方的に「謝れ」「金を出せ」と強制されているのだから、平和主義に疑問を持っても当然だ。

日本が今後も平和主義を継承していくメリットは何もない。

メリットどころか、デメリットの方が強い。日本の平和主義は日本を弱体化させるものであり、それは支持されない時代へと変わっているのである。

それでも、マスコミは執拗なまでに日本人に「平和であれ」と押しつけ、日本人を恫喝する。しかし、マスコミはそれを言う方向を間違えている。

日本は別に戦争をしようと思っていない。中国・韓国・北朝鮮を侵略・破壊しようとすらも考えていない。

日本を敵視しているのは反日国家の方である。だからマスコミは平和を言うのであれば、この両国に向けて「平和主義であれ」と狂ったように主張しなければならないのである。

マスコミが「平和を守れ」と日本人に言い出したら、日本人は「それを中国と韓国と北朝鮮に言え」と言い返さなければならない。

平和主義ではないのは、こちらではなく向こうだ。


憎悪が新たな憎悪を生み出すのは分かりきった話

中国でも韓国でも、幼少時から反日教育を受けた人間が社会を動かしていく。この「反日教育」とは「日本人を一方的に憎む教育」である。

そんな教育を受けた子供たちが大人になって、いよいよ日本人に対する憎悪を隠さなくなってきているわけで、それが故に現在の中国・韓国・北朝鮮の反日工作は今後も止まらない。

彼らは憎悪を持って日本に仕掛けて来ている。憎悪が新たな憎悪を生み出すのは分かりきった話だ。憎悪されて愛が芽生えるはずがないのだから、今後はこの憎悪に呼応して日本人もまた中国・韓国・北朝鮮を憎んでいく。

憎悪が生まれる原因は、明確に反日国家の側にある。

だから、マスコミが反日国家の横暴は見て見ぬふりをして、日本人だけに一方的に「平和を守れ」と押しつけるのはおかしいのだ。マスコミが「マスゴミ」と言われる所以だ。

中国・韓国・北朝鮮の工作員が常々、国会に向けて「平和を守れ」という抗議デモをしているが、本来はこうしたデモは反日国家の大使館に向けて行われなければならないのだ。

騙されてはいけない。日本人だけが馬鹿のように平和主義を唱えても蹂躙されるだけだ。

実際、日本は平和主義を唱えて何もしなかったから竹島も占領されたまま実効支配されているわけであって、このまま平和主義を続ければ対馬も沖縄も九州でさえも奪われかねない。

平和主義の時代は、もう死んだのだ。

日本を一方的に憎悪している相手に対して、誠意を見せようが謝罪しようが賠償しようが意味がなかったということが分かった以上、日本はいよいよ相手を断ち切り、相手を「敵対化」する準備と覚悟が必要となっている。

もう時代はその方向で動いている。反日という憎悪は、やがて物理的な暴力に向かっていく。

そんな中で、民主党の残党である立憲民主党が、「共謀罪の廃止」を訴えているのだから、いかにこの政党が反日政党であるのかが分かるはずだ。

民主党の残党(立憲民主党、無所属の会、希望の党)は、今も相変わらず日本にとって有害である。


北朝鮮に対する経済制裁が苛烈なものになるにしたがって、日本海に次々と北朝鮮の工作員が上陸している。それなのに民主党残党の立憲民主党が「共謀罪の廃止」を訴えている。いったい、どれだけ民主党の残党は反日政党なのか。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/12/20171202T1832110900.html

日本人はもっと激しい怒りを韓国と韓国人に対して持つべき


2017年11月22日、アメリカのサンフランシスコは慰安婦像の設立を決めた。

韓国は、自国のみならず、アメリカにもカナダにもオーストラリアにも、次々とこのような歴史プロパガンダ像を建てまくって悦に入っている。

しかし、日本政府はこれに強く反発せず、韓国に制裁外交をすることもなければ、国交断絶をすることもない。ただ単に「遺憾だ」「理解できない」と口先だけでブツブツ言っているだけで終わっている。

韓国は先のドナルド・トランプ大統領訪韓の時にも、元慰安婦にトランプ大統領に抱きつかせたり、そこらの市場で売っている単なるエビを「独島エビ」とか名付けて出したりした。

こうした反日がずっと繰り返されているのに、今もなお日本政府は韓国と国交断絶を検討も発表もしない。日本政府が何もしないから、韓国は図に乗っている。

そして、日本人も日本人だ。なぜここまでされて韓国人に報復しようとしないのか?


アメリカにも中国にも信頼されていない男、文在寅

李明博という反日の大統領の時代が終わったら、朴槿恵という反日の大統領の時代が来た。

この朴槿恵があまりにも無能すぎて国民に引きずり降ろされたら、今度は文在寅(ムン・ジェイン)というさらに反日の大統領が生まれた。

この大統領は元から北朝鮮に共鳴している大統領で、アメリカにも信頼されていないのだが、すり寄っている中国にも信頼されていない。

ひとことで言えば、アメリカと中国の間をどっちつかずでフラフラしている風見鶏である。どちらからも「いつか裏切る」と思われているのだから、その外交はいずれ行き詰まる。

その結果、文在寅は前大統領の朴槿恵と同じく無能だと言われるようになるはずだが、韓国人は自分たちが朴槿恵を降ろして後釜に据えたこともあって文在寅にまだ期待を寄せている。

いずれ韓国人の期待は裏切られて、文在寅もどこかのタイミングで袋叩きになり、その政権は機能不全になる。韓国はその時点で国家崩壊してもおかしくない。

政治が機能しなくなって国家崩壊するのだから、これから韓国に何が起きても対処できない。韓国は危険な状態だ。

政治がまったく機能しないというのは、国民が考える以上に危険なことである。

日本ですらも2009年から2012年の民主党政権時代の3年で国家崩壊寸前にまで追い込まれたのは記憶に新しい。鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と、どうしようもない首相が3回続いて日本の権威は完全に地に堕ちた。

それだけでなく、日本は中国・韓国・北朝鮮に、そのまま乗っ取られそうなところにまで追い込まれていた。あのまま民主党政権が続いていたら、日本という国は完全に崩壊してしまっただろう。

しかし、「もう終わりだ」というギリギリのところで日本人はやっと民主党政権を下野させることができた。政治家を選び間違えるというのは、下手したら国家破綻までいってしまう出来事なのである。

韓国は不幸なことに、大統領を選び間違えた。文在寅という無能な人間を大統領にしてしまった。それがいかに韓国にとって危険なことなのかは部外者でも分かる。


韓国は日本を敵視し、文在寅も自ら反日外交を展開

もっとも、韓国がどうなろうと日本人の知ったことではない。この国は日本を敵視し、文在寅自身も自ら反日外交を展開しているのだから、韓国がこのまま自滅していくのは日本にとって悪いことではない。

文在寅自身が、従軍慰安婦詐欺で日本を貶めている。旭日旗を戦犯旗と煽っているのも、日本海を東海と煽っているのもその裏側に韓国政府の意向がある。

実行部隊はVANKと呼ばれる情報宣伝工作活動集団だが、ここに公的資金を投じているのが韓国政府である。その親玉が文在寅なのだから、それは文在寅の意向なのである。

日本を貶めるVANKは10万人から20万人以上の会員を抱えて、「何でもいいから日本を貶めよう」という目的で世界中で活動を繰り広げている。

世界各国の地図の「竹島」を「独島」に書き換えさせているのもこの団体である。さらに、この団体は中国の清華大学や北京大学でセミナーを受け持って、中国の反日活動を盛り上げ、支援するという徹底ぶりだ。

このVNAKに韓国政府が公的資金を投じて、反日を鼓舞している。韓国の大統領が日本に有益だった試しはないが、文在寅の反日も日本にとっては不快極まりないものだ。

現在、文在寅は外交に行き詰まっているので、この大統領が支持率を回復するには、「問題をすべて日本のせいにする」しかない。

だから、「韓国経済が悪化しているのも日本のせい。韓国が孤立しているのも日本のせい。韓国が浮上できないのも日本のせい……」と、何でもかんでも日本のせいにしてくる。

あげくの果てに、自分たちで歴史プロパガンダを盛り上げて、ありもしなかったことで謝罪と賠償を要求するのが韓国政府の基本政策である。

文在寅はアメリカの思惑を無視して、今後さらに反日を加速させる。そうしないと国内問題のすべてが自分のせいにされるのだから、文在寅も必死だ。


日本人は韓国に関わりすぎていると言うしかない

日本政府も、日本人も、ひとりひとりが韓国に報復しなければならない。

日本人がやらなければならないのは、韓国をきちんと敵と認識し、敵を利するようなことは絶対にしないことだ。当たり前のことだが、敵対する人間にへりくだっていたら、いずれ自分が殺される。

現代社会は経済がモノを言う世界なのだから、日本人は日本を貶める韓国に対して「絶対に金を使わない」「絶対に関わらない」という基本を徹底すべきなのである。

これだけ反日されているにも関わらず、「まだ」韓国に関わる愚かな人間が日本にいる。ビジネスでも、プライベートでも絶対に韓国や韓国人と関わらないことだ。

韓国人が日本に観光に来ているが、なぜ日本人は対応する必要があるのか。

レストランも、ホテルも、店も、韓国人におもねる必要がないし、対応する必要もない。何だったら、旭日旗を店に飾り、商品にシールを貼っておけば近寄ってこない。

また、韓国の食品や製品を売る必要はまったくないし、そんな店があったら抗議活動をすべきだ。

日本人は韓国に関わりすぎていると言うしかない。

あまりにも、日本人は甘すぎる。自分たちを貶している民族に対して普通に接するから、「何をしても問題ない」と思われるのだ。舐められているのである。

反日の国家「韓国」とは関わってはいけない。それは日本のためにならない。絶対に関わらないことが日本のためになる。関わる時は、抗議する時だけにすべきなのだ。日本人は、もっと韓国や韓国人と激しく衝突・対立してもいい。

韓国人がずっと反日を続けるのは、日本人が大人し過ぎるからである。正面切って対立しようとしないから、いつまでも日本人は貶められ続ける。

日本人は怒りを感じなければならない。もっともっと激しい怒りを韓国と韓国人に対して持つべきだ。自分たちを貶す国に怒りを感じ、憎むのに何も遠慮はいらない。

その怒りが歴史を変える第一歩となる。

反日の国家「韓国」とは関わってはいけない。それは日本のためにならない。絶対に関わらないことが日本のためになる。関わる時は、抗議する時だけにすべきなのだ。日本人は、もっと韓国や韓国人と激しく衝突・対立してもいい。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171125T2000380900.html

2017-11-13
他人のものを自分のものにして、金だけを儲けて売り逃げる

中国・韓国・北朝鮮は、日本に対して激しい反日を行っている国だ。これらの国は常に日本を「騙し討ち」する。韓国は特にそうだ。

慰安婦問題を蒸し返さないと合意したはずの日韓合意を見ても分かる通り、何らかの合意をしても金だけを日本から毟り取って問題はすぐに蒸し返す。

トランプ大統領が訪韓したら慰安婦に抱きつかせたり、勝手に独島エビと名付けたエビを出したりする。「騙し討ち」でこれらの演出を行い、ひとりで悦に入る。

彼らはもともと「騙し討ち」を尊ぶ民族性がある。だから、日本に対して常に騙し討ちの外交を行うのだが、実は民族性の中にそれが組み込まれているので、自国民同士でも恒常的に騙し合っている。

これらの国では他人を信用しない。信用して騙されたら「騙される方が悪い」と被害者を嘲笑う。

逆に、こうした騙し討ちが得意な陰湿な人間を「策略家」と呼んで尊敬したりする。

策略とは、誰もが分かるように言うと「相手をいかに騙すか」の手口なのである。そんな手口を自由自在に使える人間を尊敬する民族が隣にあるのであれば、日本人は最大限に警戒すべきなのは当然のことだ。


盗みに来ている人間を「お客様」ともてなす日本人

日本人がビジネスをするときは、信用や・品質や、研究成果や、創意工夫や、独自技術を売ろうとする。

正々堂々と、そして誠心誠意を尽くして、地道にコツコツとビジネスを成長させようとする。これは、王道と言ってもいい。あるべき道だ。

しかし、ビジネスを信用してもらうには時間がかかるし、品質や研究や独自技術が実を結ぶまで我慢と忍耐が必要だ。泥臭く、歩みは遅い。

策略を好む民族は、我慢も忍耐もしない。

騙し討ちで、相手の持っているものを「奪う」「盗む」「真似する」のである。そうやって、他人のものを自分のものにして、金だけを儲けてさっさと売り逃げする。

まがい物、粗悪品、海賊版、劣化コピー品、偽装品が、中国・韓国・北朝鮮で大量に溢れるのはなぜか。それは、消費者を騙し、手っ取り早く盗み、手っ取り早く儲けようと考えている人間で溢れているからだ。

日本企業の商品はパクリの標的だ。商品の形状も、性能も、デザインもすべて盗まれ、パッケージすらも真似される。それでいて、自分たちがオリジナルだと主張し、本物の日本の商品を追い出しにかかる。

食品、菓子、電化製品、衣料、建築技術、素材、鉄鋼。すべての分野で日本は技術や意匠を盗まれまくっている。

彼らがすべてを盗みに日本にやってきているのに、そんな人間を「お客様」だと言ってもてなしているのだから、日本人もどうかしている。

日本人は、中国・韓国・北朝鮮の人間でも誠意を持って付き合えば誠意を返してくれると思うかもしれないが、騙し討ちで生きている人間に誠意を見せても、騙し討ちされるだけだ。

最近、やっと日本人はそれに気づくようになってきているのだが、「騙しても騙しても、まだ騙せるのが日本人」と言われているので、警戒心は足りていないということだ。


日本の社会の中枢は深いところまで侵食されている

日本の社会の中枢は、今や中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパによって、深いところまで侵食されている。

民主党の残党たち(民進党・希望の党・立憲民主党)を見れば明らかだが、日本よりも中国・韓国・北朝鮮を代弁しているような政治家は数多い。

朝日新聞や毎日新聞や東京新聞や地方のそれぞれの新聞を見ても分かる通り、中国・韓国・北朝鮮のプロパガンダ紙になってしまっている新聞社も多い。

テレビ局も偏向報道と捏造報道にまみれ、教育現場でも教師というよりも活動家みたいな人間が跋扈して生徒を洗脳にかかっている。

もはや、日本の中枢部では中国・韓国・北朝鮮に侵食されていない場所が見つからないというほど、多くの危険人物が中枢に潜り込んでいる。

こうした人間たちは、日本のためにはいっさい動かない。日本のために働くどころか、日本を叩き潰し、日本人を叩き潰すような行為を陰に陽に行う。

さらに、それを日本人のフリをした日本人ではない人間がやっているのではない可能性がある。日本人になりすました人間が、なぜか日本人のような名前を名乗ってやっているのだ。

言うまでもないが、「なりすまし」というのも、策略のひとつであることを思い出して欲しい。日本人のフリをしているので日本人だと思っていたら実は日本人ではないのだから、これは強烈な騙し討ちだ。

辛光洙(シン・ガンス)のような北朝鮮の工作員は、そうやって日本人名を名乗って日本の社会に棲息し、拉致を繰り広げてきた。

日本人は他国人に「なりすまし」たりしない。

そんなことをするよりも、慎ましく、清く、美しく生きるほうがよほど気持ちがいいと思うはずだ。要するに、日本人は「正しく生きる」のが真っ当だと信じており、多くが策略とは無縁の生き方をしている。

だから、日本人は「信用できる」と世界中から言われるし、信用を土台にした日本の社会は世界でも最高の治安の良さを誇っている。

しかし、同じ東アジアであるにも関わらず、中国・韓国・北朝鮮の人間たちはまったく日本と逆の発想にある。


「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していく

ひとことで騙し討ちと言っても、いろんなものがある。騙し討ちみたいな「悪の手口」は、絶対に学校で教えないし、まして中国・韓国・北朝鮮と言った隣国がそういった騙し討ちをする民族だという警鐘も鳴らさない。

親も子供に教えない。そもそも、親がそんなものを最初から知らない。信用と信頼で成り立っている日本社会だけで暮らす限り、そんな知識はまったく必要なかったからだ。

たまにビジネスマンが「孫子の兵法」などに興味を持ったりするが、策略は本来はアンダーグラウンドの知識であり、裏社会の人間のものである。

だから、多くの日本人は「この危険な知識」に触れないで生きてきた。そんなことをする必要性すらもなかったからだ。

しかし、中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。

自分がそれを使うためというよりも、自分が何を仕掛けられているのかを知るという意味で、実際に仕掛けられている「騙し討ち」の多くを知るべきなのである。

彼らにとって、それは知識ではない。日常生活の一部だ。本来、騙し討ちには騙し討ちで返すのが基本だが、それができないのが日本人だ。

それならば相手の手口を知り、仕掛けを明るみにして何が行われているのか広く周知していかなければならない。「明るみに出す」というのが、騙し討ちを潰す第一歩だ。

その上で、騙し討ちを仕掛けている人間を切り捨て、国でも個人でも「関わるな、教えるな、助けるな」を徹底していくしかない。

関わると、騙し討ちされる。
教えると、盗まれる。
助けると、逆恨みされる。

これが、現実であることを認識して、日本人は日本人として生き残るしかない。

中国・韓国・北朝鮮が公然と「騙し討ち」を仕掛けて日本を締め上げている今、彼らがどのような手口を使って日本や日本人を動揺させているのかを知るのは、とても重要なことになってきている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/11/20171113T1611550900.html

2018-01-25
韓国に行くのは大間違いだと国民は安倍首相に伝えるべきだ

安倍首相が2018年2月9日の平昌オリンピック開会式に出席したいと言い出し始めている。これは完全に間違った判断であり、日本人には許せない決断でもある。

「首脳会談を行い、日韓の慰安婦合意について日本の立場をしっかりと伝えていきたい」というのだが、韓国に話が通じると思っているところがそもそもの間違いだ。

韓国は日韓合意を事実上の破棄に持っていこうとしている。それならば、日本がやらなければならないのは徹底した報復外交であり国交断絶である。

それをわざわざ韓国と関わって平昌オリンピック開会式に出席するというのであれば、「日韓合意を破っても日本は韓国の言いなりになる」と宣言しているに等しい。

安倍首相が韓国に行って「日本の立場」をしっかり伝えても、意味がない。事実、韓国は日韓合意が決まっても約束は何一つ履行せず、「慰安婦問題についてもっと謝罪せよ」と言い続けているではないか。

つまり、客観的に見ると日韓合意を結んだところからして間違っていたわけで、そこが間違っているのだから「日本の立場を説明する」という部分もまた間違っている。

「日本の立場をしっかり伝えたい」のであれば、報復外交と国交断絶しかない。それをしない限り、日本の立場は永遠に回復されることはない。


韓国は「日本が我が国に屈服した」と捉えるはずだ

韓国は今、経済的に追い詰められている。本来であれば、日本は韓国を突き放して崩壊させることもできる。

しかし、日本の政界は民主党系(民進党・立憲民主党・希望の党)、社民党、共産党の議員や、自民党の一部議員、たとえば河野洋平や二階俊博や石破茂を見ても分かる通り、売国奴と工作員で満ち溢れている。

本来であれば韓国とは報復外交と国交断絶をして、現在の反日政策が続く限り徹底的に放置しておくべきだが、売国議員の働きかけによってそれができないでいる。

今回の安倍首相の決断も二階俊博や公明党が働きかけたものである。本来であれば、安倍首相のまわりにいる議員が「絶対に韓国に行くべきではない」と言うべきなのだが、売国議員がうろうろしているので逆になってしまう。

本来であれば、「日本に謝罪しろとわめき立てる韓国には、絶対に何があっても行くな」と止めるのが当たり前だ。国益を考える議員は、安倍首相を行かせるべきではない。それは日本のためにならないのである。

安倍首相が平昌オリンピック開会式に出席するという一点で、韓国は「日本が韓国に屈服した」と捉えるはずだ。実際にはそうでなくても、そのように演出される。

韓国は「日本に勝った」ことにしないとメンツが立たないと考えているので、安倍首相にその気がなくても、あたかも安倍首相が韓国に屈服したような捏造報道が為される確率はとても高い。韓国は何重ものワナを仕掛けて待っている。

日本のマスコミも些細な部分を取り上げて日本が韓国に屈したという報道をすることも充分に考えられる。文在寅は反日をやっていないと死んでしまう大統領なのである。だから、間違えても「未来志向」にならない。

文在寅は日韓合意を守る気はさらさらないし、北朝鮮の経済制裁も強化することはない。


日本から金を毟り取るツートラックが文在寅の目的

文在寅が安倍首相を平昌オリンピック開会式に呼びたがったのは、自分が日本を屈服させたと見せかけたいだけではない。ボロボロになった韓国経済に手を打つために、「日本から金を毟り取る目的」もあるからだ。

韓国は中国市場にのめり込んだ。しかし、中国は韓国がサードミサイルを配備したことに激怒して、韓国に対して事実上の報復外交を行っている。

そのため、中国に進出していた韓国企業は中国政府の嫌がらせによってまったく利益を上げることができなくなってしまった。また、中国人観光客も韓国に行かなくなった。

また、文在寅は財閥を格差拡大の元凶として締め付けを厳しくしており、無能大統領だった朴槿恵がダメージを与えた韓国経済がますます悪化している。

そこで文在寅は最低賃金の引き上げにかかったのだが、それによって起きたのは必要人員の首切りだった。韓国の中小企業は最低賃金を上げたが、その代わりに雇用を減らすことでコスト削減したのだ。

文在寅は経済の活性化に失敗して追い詰められつつある。文在寅はどうするつもりなのか。こうした中で文在寅が画策しているのが「日本から金を毟り取る」ことだ。

韓国は反日で燃え上がっている国だが、自分たちの都合に合わせて日本の援助や支援を当てにする。日本を自分たちの都合に合わせて利用することを朴槿恵は「用日」と言ったが、文在寅は「ツートラック」と呼んでいる。

ツートラックとは「歴史問題で日本を責めるが、経済では日本を利用する」というのを短く言った言葉である。そんな言葉があるほど、韓国人の社会には「日本にたかる」ことが一般化しているということだ。

いかに日本が舐められているのかが分かる。

自分たちが苦境に落ちたら「日本が助けろ」という都合の良いものが「ツートラック」である。今まで韓国は苦境に落ちたらいつも日本の金に頼ってきた。

驚いたことに、これだけ反日を剥き出しにされているというのに、日本はその都度この反日国家である韓国に金を払って助けていたのである。


韓国に行くのは間違いだと国民は安倍首相に伝えよ

韓国はアジア通貨危機でデフォルトした際も、日本から金を引き出させていた。そして立ち直ったら「別に日本に助けて欲しくなかった」と言った。さらに時間が経ったら「日本には助けてもらっていない」と言い出した。

恩を仇で返すのは韓国の気質なのである。

日韓通貨スワップも、自分たちが好調になれば「そんなものは必要ない」と言って自らそれを破棄した。

2009年から2012年の民主党政権による日本の混乱で、韓国は日本は死んだと考えた。

だから、もう用済みだと言わんばかりに日韓通貨スワップ協定も破棄したのだ。韓国は、それで日本を見下した気分になっていたのである。

しかし、死んだのは売国政権であった民主党政権であり、日本そのものは死ななかった。死ぬどころか、安倍政権になってから円安・株高の政策が行われ、再び復活に向けて歩み出すようになった。

そして日本の復活とは裏腹に、韓国の方は朴槿恵の無能もあってずるずると経済苦境に落ちるようになり、今は再び「日韓通貨スワップは必要だ」とツートラックに動き出すようになっているのである。

日韓通貨スワップの締結も、彼らにとっては「日本タカリ」でしかなくツートラックのひとつだ。

韓国は価値感を共有しない国であり、信用できない国であり、関わってはいけない国なのである。日韓合意すらも守れないのが韓国だ。

慰安婦問題を何度も何度も蒸し返し、竹島を奪い取って自分たちのものだと強弁し、旭日旗を戦犯旗と言い換え、日本海を東海と言い換え、日本の文化を何でも自分たちが起源だと捏造主張し、靖国神社を戦犯神社と侮蔑し、反日教育を徹底する。それが韓国なのだ。

そんな国に行って日本の立場を説明したところで何が変わるわけでもない。いいように利用されて終わりだ。安倍首相が韓国に行くのは完全に間違った判断であり、日本人には許せない決断でもある。

その決断はまったく支持できない。韓国に行くのは大間違いだと国民は安倍首相に伝えるべきだ。ぜひ、声を上げてほしい。


ご意見募集(首相官邸に対するご意見・ご感想)

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
もしくは、
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/dokusha_ssl.html


韓国には「非韓三原則」を適応すべきだ。韓国に行って日本の立場を説明したところで何が変わるわけでもない。いいように利用されて終わりだ。安倍首相が韓国に行くのは完全に間違った判断であり、日本人には許せない決断でもある。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180125T1437510900.html


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

55. 中川隆[-7004] koaQ7Jey 2018年4月01日 10:51:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9676]

犯人の素性を避けるマスコミ
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68704143.html

マスコミは犯人の素性を示せ!


日本のマスメディアは在日朝鮮人や帰化鮮人の犯罪となると、急に態度を変え、形式的な報道に終始する。彼らは決して犯人の家系や育ち、交友関係、日常生活を暴露しない。例えば、普段から朝鮮人の不良どもと付き合っていたとか、身内にゴロツキの鮮人がいる、密入国者の祖父を持っていたなど、“不都合な情報”を摑むと即座に遮断する。「日本人が朝鮮人に偏見を持ってはならないから」という“いつも”の配慮だ。しかし、これこそ朝鮮人に対する「偏見」じゃないのか? 朝鮮人の犯罪者にだけ「特別な配慮」を加えるということは、朝日新聞やTBSなどに「鮮人蔑視」の体質があるという証左だ。保守派の裁判沙汰だと、たとえ小さな罪でも浮き浮きしながら大々的に報道するくせに、左翼仲間や贔屓筋には甘いんだから。何が「社会の木鐸(ぼくたく)」だ !

  日本のインテリは我が国を貶めたいので、歐米社会の方が日本社会よりもオープンだと思っている。しかし、実際のところ、「自由」であるはずのアメリカには“目に見えぬ”タブーが多い。世界中から様々な民族・人種が集まり、遠慮しながら、あるいは厭々ながら共存する西歐系アメリカ人は、異人種に特別な「忖度」をしながら生きている。一般の日系日本人は多民族雑居社会を解っていないから、呑気に「外人さん、いらっしゃい !」とはしゃいでいるが、不愉快なアジア人が大量に侵入するとは思っていないのだ。なるほど、ニュース番組では移民社会の複雑性を解った“つもり”になっている。だが、肝心な「実感」が伴っていないので、本当のところは解っていない。異民族の労働者が増えれば、マスコミ各社は益々「異民族の感情を傷つけてはならない」という方針を強化し、この呪縛にかけられた日系人は「恐怖心」から口を噤むようになるだろう。目先の利益で安い労働者を輸入したら、大切な「言論の自由」を失ってしまった、では笑い話にならない。日本人は「自国」で“自由”にモノが言える素晴らしさを分かっていないのだ。帰化人からの訴訟に怯えながら暮らすなんて厭なものである。朝日新聞が「赤旗」の大衆版、あるいは日本版「プラウダ」であることは仕方がない。しかし、保守派雑誌や週刊誌までもがPC(政治的に正しい言葉使い)に汚染されたら、日系人は「昔の日本」を懐かしむようになるだろう。当ブログは即刻「閉鎖命令」を受けるだろうなぁ。良い子のみんなは先生や親に告げ口せず内緒にしてね。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68704143.html

戦後70年以上、日本人は「闘争本能」を封印され続けてきた

(もう弱腰の政治家、弱腰の世論、弱腰の日本人にはうんざりだ。今の日本人は徐々にGHQのプレスコードの洗脳や、マスコミの世論操作に気付くようになり、覚醒しつつある。しかし、まだ足りないものがある。それは「怒り」だ。)

日本人は今、失敗から学びつつある。日本人の失敗とは何か。それは、中国や韓国や北朝鮮との対決を恐れ、先延ばしにし、謝罪や賠償をしたら許してもらえると思い込み、誠意は通じると思ったことだ。

実際は、これらの日本のやり方は問題を悪化させ、日本を窮地に追いやっただけだった。

日本は、中国・韓国・北朝鮮が潜在的な敵国となることを、もっと早くから知るべきだった。

中国はすでに1980年代から反日に舵を切って、子供たちは幼いうちから「日本は悪だ」と徹底的に教育される。

そして、テレビでも日本を悪にした物語で執拗な洗脳を行っていく。そのため、成人する頃になると、その多くが日本に憎悪を持っている。

韓国も同じだ。韓国に至っては「親日罪」というものまで存在していて、日本に親しみを感じる者はみんな「罪」になってしまう。

そんな中で、日本人は、謝罪や賠償をしていたら許してもらえると思って、せっせと謝ってきたのだ。それは、すべて間違いだった。それが逆に日本を追い詰めることになったのだ。


敵が隣にいる現実から必死で目を背けている

日本には、明確な敵がいる。それが、中国であり韓国であり北朝鮮だ。日本人は、まだ敵を敵として認識できていない。敵が隣にいる現実から必死で目を背けている。

敵が日本を侵略しつつある現状を、素知らぬ顔をして無視している。敵が敵であることを認識できていないのは、マスコミがそれを絶対に知らせないからだ。

マスコミは日本人にそれを気付かせないようにしている。

そして、この両国がいかに口汚い言葉で日本を罵っているのかを報道しない。日本人がヘイトスピーチの犠牲になっていることを隠し続けている。

マスコミが現地の報道を日本に持ち込むときは、両国の憎悪の言葉を注意深く取り除いて当たり障りのないものにする。つまり、マスコミはフィルターをかけているのである。

なぜ、フィルターをかけるのか。もちろん、日本人が目覚めないようにするためだ。

中国・韓国・北朝鮮の日本人憎悪がそのままの形で日本に入ってしまうと、日本人もまた呼応してこれらの反日国家を憎悪していく。

現在の日本のマスコミの役割は、「日本が中国・韓国・北朝鮮に屈服し、静かに侵略されていくのを座視させることにある」ので、日本人が目覚めたら困るのだ。

だから、フィルターをかけて日本人が目覚めないようにしている。日本人にはテレビの馬鹿番組でも見せて思考停止させたままにしておけばいいと思っている。

ところがインターネット時代になって、日本人は中国・韓国・北朝鮮の記事をそのまま読めるようになり、そして日本人は今までマスコミに目くらましされていたことに気づいた。


マスコミによって思考停止させられていた日本人

日本人はマスコミによって、敵が敵であることを気付かないように巧妙に思考停止状態にさせられていた。

敵が友人であるかのような世論操作もあって本質が見えないようにされていた。今でもそうした世論操作はテレビを中心に行われている。

特に韓国に対してはこの傾向が強く、マスコミはさらに日本人を洗脳しようと韓国礼賛を今もまだ押しつけ続けている。韓国が反日国家であることを隠して、韓国に「貢ぐ」ように世論操作し続けているのである。

しかし、日韓合意は守らず、靖国参拝で日本を頭ごなしになじり、仏像は返さず、慰安婦像で執拗に日本を貶め、旭日旗を戦犯旗と言い換え、天皇陛下に土下座して謝れと暴言を言い放ち、1000年恨むと大統領自らが宣言するような人間がいくらでも出てくるのだから、鈍感な日本人でもマスコミがおかしいことくらいは気付く。

日本人がそれに気付いたら、今度は気付いた日本人を差別主義者だと攻撃して、なおも韓国を擁護するのだから、マスコミが日本人の信頼を失ったのも当然の結果だった。

マスコミは中国・韓国・北朝鮮の工作員どもに買収されてしまっていることを日本人はもうすでに知っている。

しかし、多くの日本人は、まだまだ眠ったままである。

マスコミは日本人がこれらの反日国家に対して絶対に「怒り」「憎悪」を持たせないようにしており、必死で工作をしているからだ。

日本人を目覚めさせないように、捏造、印象工作、世論操作、ステマを連日のように繰り返している。

マスコミが恐れているのは「日本人の怒り」だ。

現代の日本人は気づいていないが、日本人はもともと戦闘能力が高い民族であり、いったんその闘争本能に火が付くと、世界史を変えるほどの能力がある。

この怒りに火が付くと、中国・韓国・北朝鮮は「存在することができない」状況になる。


日本人は、封印され続けていたものを取り戻せ

だから戦後70年以上、日本人は「闘争本能」を封印され続けてきた。

アメリカですらも、絶対に日本人が「闘争本能」に目覚めないようにしている。日本人が本気で目覚めると、自分たちも無事ではいられないからだ。

中国・韓国・北朝鮮も、あるいはアメリカも、極端なまでに日本人が武力を持つのを恐れるのは、下手したら自分たちが致命的な傷を負う可能性があるからなのである。

だから、ありとあらゆる方法で日本人の牙は抜かれた。

戦後、日本に乗り込んで来たGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本が復活しないように強烈な言論弾圧を敷いた。それをプレスコードと呼ぶ。

(プレスコード - ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89


このプレスコードで「日本軍=軍国主義=悪の刷り込み報道」が為されるようになり、「アメリカへの批判」「イギリスへの批判」「ロシアへの批判」「朝鮮人への批判」「中国への批判」も封じられた。

日本の精神、日本の伝統、日本の強さをも宣伝できなくなっていき、日本人は急激に牙を抜かれ、やがて見下されるような存在にまで堕してしまったのだ。

しかし今、やっと日本人は「自分たちは洗脳されていたのだ」と気付くようになっていった。そして、闘争本能さえも押さえつけられていたことにも気付き始めた。

戦後70年以上も経って、やっと日本人は覚醒しつつある。

これはすなわち、日本人はやっと「怒り」という感情を取り戻したということでもある。

日本は70年以上も「怒り」という感情を抑え付けられ、去勢させられていた。諸外国から理不尽な扱いをされても、「怒り」を感じないように教育され続けてきた。

しかし、そんな時代は終わった。日本人がひとりひとり覚醒するようになった今、もう今までのように日本人を押さえつけることは難しい。

人間は自分から奪われた感情があれば、それを取り戻そうとするものだ。日本人から「怒り」という感情が奪われたのであれば、日本人はこれから「怒り」を取り戻す時代になる。

多くの日本人が「怒り」という感情を取り戻したとき、この国は大きく歴史を変えていくことになる。「怒り」は理不尽で不合理な社会を変える原動力になるものだ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180131T0414200900.html

日本は、戦闘民族として目覚めないように呪縛がかけられた


1945年に日本が戦争に負けると、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本に乗り込んできて、ありとあらゆる手法で日本人を「戦えない民族」にしようと画策した。


韓国は日本には何をしてもいいと思うようになってきた

韓国は図に乗って、何十年も前から「謝罪しろ、謝罪しろ、もっと謝罪しろ」と日本にわめき立ててきた。日本はどうしたのか。そのたびに謝罪してきたのである。

1982年には、鈴木善幸首相が謝罪した。1983年には、中曽根康弘首相が謝罪した。1984年には、昭和天皇、中曽根首相が謝罪した。1990年には、中山太郎外相が謝罪した。1990年には、海部俊樹首相が謝罪した。

1990年には、今上天皇が謝罪した。1992年には、宮沢喜一首相が謝罪した。1993年には、河野洋平が謝罪した。1993年には、細川護煕首相が謝罪した。

1994年には、村山富市首相が謝罪した。1996年には、橋本龍太郎首相が謝罪した。1998年には、今上天皇が謝罪した。1998年には、小渕恵三首相が謝罪した。2001年には、小泉純一郎首相が謝罪した。2010年には、菅直人首相が謝罪した。

日本はこれだけ、謝罪し続けてきたが、一度謝罪させると、もっと謝罪させるのが韓国である。

しかも、これだけ謝罪させたにも関わらず、さらなる謝罪を要求して、そのうえ賠償金までもっとせしめようとしている。安倍政権も守られもしない日韓合意なるものを結び、韓国に10億円を毟り取られた。

強く出れば出るほど日本人は半泣きになってペコペコと謝ることを韓国は学び、そしてそのたびに韓国は傲慢になり、日本には何をしてもいいと思うようになってきた。

韓国は気付いたのだ。もう日本人には気骨がないことを。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/03/20180303T1622150900.html


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56. 中川隆[-7015] koaQ7Jey 2018年4月01日 11:03:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-9688]

2017年08月01日
日本語教育は移民導入の口実なのか?
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68661850.html


朝鮮人の気持ちを「忖度」する国会議員

  反日議員というのは大勢いても、「私は日本を破壊します」という名札をぶら下げてないから、一般国民には判別しにくい。しかし、言葉ではなく行動を調べることによって分かる。その実例が民進党の中川正春だ。この政治家は日本で選出されているが、とても日本の国益を優先しているとは思えない。なぜなら、中川氏は日本語教育を口実にして、大量の外国人を輸入しようとしているからだ。「日本語教育推進議員連盟」に属する中川議員は、外国人労働者を引き入れる為に、我が国は語学教育を以て支援すべし、と提唱している。かつて、「外国人材交流推進議員連盟」が1千万人の移民を受け容れようと提案していたが、その旗振り役は自民党の中川秀直(ひでなお)であった。労働者不足を理由にしてアジアから大量の労働者を輸入し、経済界から支援を受けようとした売国奴である。ちなみに、彼の息子が“あの”重婚問題で揺れた中川俊直(としなお)であり、父親と同じくスケベ心でスキャンダルを起こした。父の秀直は世襲議員に反対していたのに、自分が引退するや息子に地盤を継がせたのだから、言葉と行動が一致していない典型例である。

Nakagawa Masaharu 1Nakagawa Hidenao 2nakagawa toshinao
(左: 中川正春 / 中央: 中川秀直 / 右: 中川俊直 )

  外国人への「日本語教育」に言及する前に、民進党の中川にちょっとだけ触れてみたい。この衆院議員は我が国の名誉より、南鮮人の気持ちを優先させる反日主義者である。慰安婦騒動については沢山の報道がなされたので、今さら詳細に述べる必要はないが、長嶺安政(ながみね・やすまさ)駐韓大使の帰任については述べねばなるまい。慰安婦像の設置・撤去に関して日本政府と南鮮政府が揉めているのは周知の事実で、南鮮側があまりにも不誠実なのは誰にでも解る。だから、駐韓大使が引き上げてきてもおかしくはない。ところが、中川議員の考えでは、日本側が長嶺大使を召還したので、南鮮国民の感情的な反撥を助長してしまい、日韓合意を反故にしようとする世論が南鮮で形成されてしまった、というのだ。4月7日の外務委員会で質問に立つ中川議員は、こうした外政判断をした岸田外務大臣を非難し、「落胆をもって」事態を見ていたそうである。彼の見解によれば、日本政府による日韓合意の訴え方が間違っており、日本側は南鮮国民にちゃんと理解されるよう、気配りの行き届いた手段を考えるべきなのだ、という。

  普通の日本国民なら「えぇっ !? 何を言ってんの ?」と目を丸くして当惑するだろう。 何度も無礼を繰り返す南鮮人に対し、日本政府は馬鹿丁寧に話し合い、必要も無い譲歩に譲歩を重ね、お金まで差し出したのに、南鮮人は慰安婦像撤去に文句を垂れていたのだ。長嶺大使の帰任くらい当然だろう。そもそも、日韓合意だって噴飯物で、お金を払うなら捏造元の朝日新聞が払えばいいだけの話である。それなのに、中川議員は大使の召還を「間違い」と断罪し、南鮮政府の立場をより苦しくしてしまったと歎いていた。こんな発言を聞けば、一般国民は「えっ !! 俺たちが悪いの?!!」と聞き返したくなるだろう。悪いのは「嘘」を信じている朝鮮人の方で、日本側が南鮮国民の気持ちを配慮する義務など更々無いのだ。朝鮮人というのは、日本側の瑕疵(かし)になると針小棒大に扱い、イチャモンをつけては金銭を要求するタカリ屋である。ただし、こうした難癖に応じる日本人も悪い。しつこい鮮人は蠅叩きでピシャリと頭を殴るに限る。言葉で説得し宥(なだ)めようよう、と思うから日本人は甘いのだ。三流民族に討論は無用。支那人の仕置きを見倣うべし。もし、ゴチャゴチャ言ってきたら、ペンチで朝鮮人の瞼(まぶた)を捻りあげて、キムチを目玉と瞼の間に詰め込んでやればいい。瞼は敏感な部分だから結構痛いし、唐辛子が目玉に沁みれば目が覚めるだろう。(「残酷」と思う方は拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』の134-170頁を読んでね。ただし、女子高生の良い子は読まないように。ママとか先生にバレると叱られちゃうから。別にエロ本じゃないんだけど、内容が刺戟的だから、大人になってから読むように。)

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(左: 「慰安婦」問題で日本に抗議する朝鮮人の老婆 / 右: 近藤昭一)

  朝鮮人の「気持ち」を忖度すようとする中川議員は、どこの国から来ているのか分からないが、所属する政党と団体を見れば、その思想の大半が分かるような気になる。最初は自民党に属していたが、そこから離れて日本新党に入り、新進党に移ると、「国民の声」と「民政党」を経て民主党に属するようになった。今の高校生や大学生は「国民の声」なんて党名は聞いたことも無いだろうが、1998年の1月4日から同月の23日の間にちょっとだけ存在していた、蜉蝣(かげろう)のような政党である。また、中川議員が入っている団体がすごい。「日朝友好連盟」とか「民主党日韓議員交流委員会」は、日本の国益を犠牲にして南鮮の利益を優先するという組織である。特に後者の「委員会」には白真勲や蓮舫、福山哲郎といった外人系議員が幹事となっているし、事務局長には朝鮮人の手先と呼ぶべき近藤昭一が就いていた。近藤議員は元「中日新聞」記者で、パチンコ屋から支援を受ける政治家なので、実質的には在日朝鮮企業の代理人と考えた方がよい。中川正春もパチンコ屋の支援者で、在日鮮人の「地位向上」に励んでいるそうだ。

財界の為に国家を献上する

  こんな朝鮮人ベッタリの議員が、外国人に向けての日本語教育を推進しているんだから、その裏にどんな意図が隠されているのか、保守派国民なら容易に理解できるだろう。そして、この議員を支援しているのが毎日新聞とわかれば、どのような構図になっているのか、おおよその想像がつく。とにかく、アジアからの外国人を引き込みたい毎日新聞は、日本を目指すアジア人に親切だ。「日本語教育推進議員連盟」が創設されると、早速お得意の提灯記事を載せ始めた。毎日新聞は外国人に対する一貫した制度が「整備されていない」と、文化庁国語科や外務省、文部科学省高等教育科を批判する。日本語教育は外人受け容れの重要なインフラなのに、肝心の所管官庁が無い、と毎日側はご不満なのだ。

  一般の日本人は来日する「外国人」と聞けば、歐米諸国からの白人を思い浮かべるが、日本語を学びに来る外国人の大半はアジア人である。観光で来日する外国人を紹介するテレビ局は、まず西歐系の旅行者や職人を取材するから、一般国民は騙されてしまうが、本当は支那人や朝鮮人を主体とするアジア人が主流で、テレビ局の左翼制作者は白人を使ってアジア移民のイメージを曖昧にしようと図っている。もし、支那人で溢れる京都の観光地を見せてしまうと、普通の日本人はゾッとしてまうからNGだ。奈良だって同じようなもので、鹿の親子なら可愛いけれど、支那人の群れじゃアース製薬のゴキブリ・スプレーを吹きかけたくなる。「千客万来」というのは、日本人や欧米人の観光客向けの言葉であって、支那人や朝鮮人に呼びかけるフレーズじゃない。京都を愛する日本人なら分かると思うが、お寺や神社の前で猫が居眠りをしていれば微笑ましいけど、がさつな支那人がウンコ坐りをしていると景観が台無しである。旅館の女将だって支那人が来れば、「招き猫」を押し入れに隠して、ニンニクと十字架を置いてしまうだろう。

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(左: 日本にやって来そうな支那人カップル / 右: 勉強に励むベトナム人の子供たち)

  日本政府は労働人口の不足を口実に低賃金労働者の輸入に躍起だが、それと並行して「留学生30万人計画」にも力を入れているという。法務省の統計を見てみると、外国人留学生の数は年々増えており、2016年だと約25万7,000人もいるらしい。この「留学生」増加で刮目すべきは、ベトナムやネパールからの留学生が増えている点だ。過去6年間でベトナム人留学生は、18倍の約1万5,000人に増えており、ネパール人だと7.5倍の約6,300人に増えている。今まで多かった支那・朝鮮・台湾からの留学生が頭打ちなのに対し、東南アジアからの留学生は増加傾向にあるという。しかし、彼らが全員「学問」としての日本語を学んでいる訳ではない。実際問題として、アジア人留学生の多くは勉強より「アルバイト(労働)」に勤しんでいる。そもそも、貧乏国から来ている「留学生」が日本語で学術論文を書くために来日するとは思えない。表向きは「留学生」でも、本質的には「労働者」として来日しているのだろう。

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(左: 学問に打ち込みそうな英国人の大学生 / 右: 日本語を勉強しそうもないアジア人女性)

  移民問題に関しては、日本も歐米諸国と同じ運命を辿っている。東南アジアからの「留学生」は、日本語が覚束なくても居酒屋とかファスト・フード店いった飲食店や、日本人が集まらない中小零細の企業に“勤め”ることができるし、その多くが学問を脇に押しやって“本業”に熱心だ。しかし、毎日新聞はこうした裏家業を軽く見なし、不法就労を繰り返す留学生の生活を心配しているんだから、本当に腹が立つ。彼らが通う日本語学校は、学校法人の専門学校ではなく単なる株式会社なので、授業料に消費税がかかってしまうし、通学定期の学割も利かないという。だから、アジア人に親切な毎日新聞は、こうした「株式学校」に通う留学生がお金を節約できるよう、公的支援を受ける「学生」にしてあげたいのである。でも、なぜ「出稼ぎ外人」が「学割」という恩恵を受ける権利があるのか? 日本に昔から住む「日本国民」が正規の運賃を払って電車通勤をしているのに、アジア人労働者への「割引制度」を導入せよ、と訴える毎日新聞はどこの会社なんだ? 本社が北京にあるのか? そんなにアジア人を可愛いと思うなら、毎日新聞の月額購読料を5千円にして、その儲けからアジア人支援を行えばいい。それでも足りなければ、日本国民に負担をかけないで、広告企業に留学生への奨学金と生活費を出すよう要求すればいいじゃないか。左翼勢力は何故か「良きことは税金で !が合い言葉になっている。

  日本を多民族社会にしたい毎日新聞は、「移民情報機構」の石原進・代表を「聞き手」にして、中川正春議員にインダビューを行わせていた。元文科大臣の中川氏曰わく、

 グローバルな時代になり、さまざまな形で外国人が日本に入って来ている。これからますます人の移動は加速していく。ところが日本語という言葉が外国人は余り理解されていない。だから日本の存在感がない。これから国を開いていこうという時、日本語が大きなポイントになるのでは。企業の海外進出の時にも、言葉がまず大事だということが分かってきた。文科相をやって日本語教育関係者と接して危機意識を持っている人がいることもわかった。 (「日本語教育 超党派「日本語貴養育推進議員連盟」が旗揚げ」 2017年1月10日附「毎日新聞」)

  日本に外国人が入ってくるのは事実だが、その外人が日本語を習得していないのは、彼らの「不勉強」であり我々の「落ち度」ではない。ベトナム人やマレー人が日本で勉強したいとか、働きたいというなら、まず自国で日本語を勉強すべきだし、その際の費用も自腹で賄うべきだ。迷惑を蒙る日本人ではなく、現地の富豪が奨学金を出せばいいじゃないか。日本人や日本企業が歐米諸国に進出しようとすれば、自分で勉強してから渡航するはずだ。例えば、ドイツに留学したい日本人なら、ある程度の基礎知識を日本で習得してから留学するし、最初からドイツ政府の税金を当てにはしないだろう。また、フランスに進出する日本企業なら、フランス語を習得した人材を雇って、現地の仕事を任せるはずだ。明治初期、近代化を目指す日本人は高額な給料を払って「お雇い外国人」を招聘し、熱心に西歐語を学んでいたじゃないか。ベトナム人が日本語を学びたければ、ベトナム政府が高給を払って日本人の教授を雇えばいいだけ。わざわざ日本政府が税金を使うべきではない。「グローバル時代」を口実にして税金を使おうなんて不届きである。「可哀想な」アジア人留学生を助けたいのであれば、まず中川議員の俸給と政務活動費、議員年金を削減すべきだ。

Chinese woman 5Chinese woman 6
(左: 日本語を覚えて欲しい支那人? / 右: 支那ではなく日本で出産か?)


  石原代表は中川議員に、「日本語教育推進基本法」制定の“狙い”を尋ねていた。 とりあえず中川氏は「日本語を普及していくこと」を挙げていたが、もう一つ、「日本語教育の質の保証、教育の質を高めること」に真の「狙い」があった。「留学生や専門的な職で働く外国人、日本に定着している生活者、技能実習生にも質の高い日本語教育の機会を提供する必要がある」という。つまり、本国に帰らず日本に住みついているアジア人、「技能実習生」と称する低賃金労働者に、日本語教育を授けようというのだ。しかし、彼らを雇っている企業がお金を出す訳ではない。例えば、日本人を募集するなら時給1,000円のところを、アジア人を雇って700円とか600円に抑えたのに、一コマ数千円の授業料を払ったのでは赤字である。だから、日本語の授業は公費負担(税金)にするという訳だ。中川氏はこう述べている。

  基本法ではこの問題に対し、国や地方自治体がどのような責任を担っていくのか、どの省庁が責任を持つかを確定させ、基本計画を策定することを盛り込んでいきたい。(上掲インタビュー)

 中央政府や地方自治体が「責任を担っていく」とは、簡単に言えば「国民の税金を使いましょう」ということだ。そして中川議員は、こうした公金を浪費するにあたって、外人を引き込みたい反日勢力や利益を貪りたい財界と結託すると暗に述べている。

  まずは日本語の教育や普及に携わる方や団体、学会、日本語学校の関係者などから幅広く話を聞きたい。団体や業界としての考えもあるでしょう。さまざまな意見があるはずだ。(上掲インタビュー)

  中川議員は関係団体から意見を聞くというが、その特殊権益団体は、自らの資金で留学生や定住外国人に「異国の言語」を教えるというのか? たぶん、そんなことはないだろう。また、税金で日本語を習得した外国人を雇う企業は、税金で訓練された「社員」を安く使って利益を上げようとしているのではないか? 外人労働者を歓迎する企業というのは、高い給料を求める日本人を排除して、半ば奴隷のように扱き使える「形式的社員」を雇いたいだけだろう。もし、こうした企業が外人社員のために医療費、住宅手当、交通費、扶養家族への特別手当て、家族への日本語教育費、その他の社会福祉費用を負担するとなれば、絶対に彼らを雇わない。日本人を雇った方よっぽどがマシだから。

日本語を世界に普及させる?

Natalie Emmons 2Alexandra Harney 1Korean girl 1
(左: 日本語を流暢に話すナタリー・エモンズ / 中央: 日本語が得意なアレグザンドラ・ハーニー / 右: 日本語を話さない朝鮮人の乙女)

  中川議員は海外への日本語普及を口実にしているが、その「海外」というのは北米や西欧ではない。明言を避けているが、アジア諸国がターゲットになっている。もし、白人のアメリカ人やカナダ人、西ヨーロッパ人が対象であるならば、日本語を教える「人材」に大きな能力が要求されるし、教員への給料だって馬鹿にならない。だいいち、“まともな”職業を望むイギリス人やスウェーデン人、ベルギー人、オランダ人、ドイツ人の学生が、日本語を学びたいという理由は何なのか? イタリア人やフランス人のアニメ・漫画「オタク」なら分かるが、為替トレーダーや貿易商、コンピューター技術者、国際弁護士とかで、ぜひ日本語を学びたいという者がたくさんいるのか? 「トリバゴ」のCMで有名なナタリー・エモンズ(Natalie Emmons)やジャーナリストのアレグザンドラ・ハーニー(Alexandra Harney)のような西歐人は稀だぞ。普通の西歐人なら、日本でしか通用しない複雑怪奇な言語を10年以上かけて学ぼうとはしないし、自国内に魅力的な職場があるので、極東の日本に赴任しようとは考えない。一方、中川議員が語る「高度人材」とは、餃子作りが得意な支那人とか、絨毯販売のアラブ人、エスニック料理店のトルコ人などが含まれているはずだ。そして、日本語を普及させたい相手とは、家政婦や介護師としてやって来るフィリピン人やマレー人だろう。

  中川氏はこうした現実をちゃんと認識している。彼はこう述べていた。

  ここ数年、外国人が私たちの日常社会に深く浸透していることを実感する場面が増えてきました。グローバル企業を中心に「高度人材」と呼ばれる外国人が活躍し、コンビニエンスストアや飲食チェーンなどでも外国人留学生がアルバイトとして働いています。一方、中小・零細企業や農家などでは多くの技能実習生が汗を流し、国際結婚が増え、日系の方が移民先からUターンするなど、日本への定住化が進んでいます。日本の産業を支えてくれる外国人が、着実に増えています。(「日本在住の外国人向け日本語教育を強化する法案制定か・・・・世界での日本語普及を目指す」 2017年7月27日附「ビジネス・ジャーナル」)

  全部の現場を調べたわけではないから断言できないけど、西歐諸国からの白人留学生が深夜のコンビニとか居酒屋で働いているのか? もし、前川喜平が通っている「ガールズ・バー」に白人娘がいるなら、それらの女性は東歐諸国からの出稼ぎ娼婦だろう。オックスフォード大やプリンストン大、ケルン大からやって来る白人の女子大生は、フィリピン人がいそうなストリップ劇場やナイト・クラブでは働かないぞ。ベルギーやオランダは酪農が盛んだが、牧場主の白人娘が日本人の農家に嫁ぐなんて話は滅多に聞いたことがない。日本で野良仕事に従事する西歐人留学生は何人いるのか? 法務省か文科省に訊いてみたい。

Filipino nurse 2filipino nurses in Saudi
(左: フィリピン人の看護婦 / 右: サウジ・アラビアで働くフィリピン人の出稼ぎ看護婦)

  ところが、アジア人留学生だと、怪しい人物が非常に多い。特に、支那からやって来る「高度人材」なんて北京政府からの工作員か、犯罪予備軍、海外脱出組くらいだ。また、「日本国籍」を求めて我が国にたかってくるのは、コンビニで働く現代版「苦力(クーリー)」のような外人労務者である。豊かな日本に馴れた外人は、ビザが切れたからといって貧乏な本国に帰らず、何とかして日本に留まろうと考えるのが普通だ。その手段として有効なのが、日本人との「国際結婚」である。例えば、フィリピンから来た家政婦が日本語を覚えるのは、日本での永住が目的になっているからである。しかし、日本語の読み書きは難しいから、勉強するにしても専ら話し言葉だけ。その話し言葉さえ習得できず、カタコトの日本語で通すフィリピン人は、滞在期間を延ばすため、女の体を求める中高年男性と結婚しようとする。たとえ結婚できなくても、首尾良く妊娠すれば、日本生まれの「我が子」と一緒に永住できるからしめたものだ。フィリピン人は既婚者との不倫でも平気で、日本人の男から私生児の「認知」をもらえば、「日本人」の赤ん坊を得たことになるので、あとは手切れ金の交渉だけが問題となる。そして、こうした混血児の日本語能力が足りなければ、中川議員が「日本語教室」を提供してくれるのだ。

  低賃金労働者を日本語教育の「対象」とする中川議員は、歐米諸国での「日本語普及」など眼中になく、専ら日本にやって来る外国人の教育を考えている。彼は以下のように述べていた。


  外国人の受け入れについては、留学生、技能実習生、日系人など、入り口がさまざまあります。技能実習生は期限が来れば帰国し、留学生は「日本で働きたい」と希望すれば卒業後に就労ビザが付与されます。なかには帰国する方もいるでしょう。しかし、日系人などのように日本に残り、「日本に永住したい」と希望する方は、条件を満たせば永住資格が付与されます。しかし、その後の外国人のケアについては地方自治体任せです。

 なかには20〜30年と滞在する外国人もいますが、その子どもの日本語教育も大切です。外国人の子ども同士で固まって母国語のみの会話だけで完結する地域もありますが、それは望ましくありません。

  中川氏は「日系人」を引き合いに出して、アジア人主体の移民導入を隠しているが、彼が持つ“グローバル”な視点はアジアの特定地域に集中しているようだ。留学を「切っ掛け」にして日本で就職し、永住したい外国人なんて大半がアジア人だろう。たまに日本語が流暢なアメリカ白人を見かけるが、彼らは国籍を変えないし、たとえ日本人と結婚しても帰化しないケースが多い。支那人やタイ人といったアジア人の配偶者なら、ほぼ100%日本国籍を取るだろう。「外国人の子供同士が固まって母国語のみ」で暮らすのは、アジア系か南米系の子供に多い。西歐人の子供なら、やがて本国に帰るから母国語だけで暮らしても差し支えない。

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(左: 日本語教育を必要としないドイツ人少女 / 右: 来日したら日本語教育が必要なアジア人の少女 )

  安倍政権が移民推進派だからしょうがないけど、中川議員の目標は外国人が大量に混じる多民族社会としての日本である。彼は日本人と外国人が交わることなく並行して暮らす社会に反対していて、「日本人も外国人も統合へと向かうべきです」と訴えていた。 さらに、中川氏はこう述べていた。

  社会統合という視点からも、日本に住む外国人の人権を守り、子どもの教育、生活、労働環境を整備する必要があります。まずは、「日本語を勉強したい」という外国人に対して、その環境を与えられるように整えなければなりません。それには、「日本語教育振興基本法」が必要です。(上掲「ビジネス・ジャーナル」記事)

  こんな意見を聞けば、「ちょっと待て」と言いたい。どうして一般国民が求めていない外国人を受け容れて、彼らのために「環境」を整えてやらねばならないのか? 今までの選挙で「アジア移民の輸入」が争点となったのか? マスコミは都合の良い時だけ「住民投票」を持ち出すが、町内会で最も紛糾しそうな「アジア人受け容れ」については住民投票や国民投票を訴えず、存在しないかのように沈黙を守っている。劣等国からの外国人が続々と近所に住みつけば、普段は政治に無関心な一般人でも、資産価値に係わるリアルな問題を認識し、感情的に怒り出す。例えば、日本人の入居者が少なくなったアパートメント(俗に言う「マンション」とか集合住宅を含む)に、インド人やパキスタン人、あるいは支那人やフィリピン人が住みつけば、同じフロアーに住む日本人は引っ越してしまい、いつの間にか「アジア人ハイツ」、すなわち日本人が寄りつかない「租界団地」になってしまうの。たとえ、同じアパートに住んでいなくても、近所にアジア人地区ができれば街の雰囲気が一挙に悪くなって、自宅の価値が下がってしまうだろう。もし、アパートの前に茶色のパキスタン人が数名たむろっていたり、建物から香辛料のキツイ臭いがすれば近所迷惑だ。また、支那人が群れるだけでも不気味なのに、訳の解らぬ言葉でアヒルみたいに喋っていたら不愉快になる。もし、こんな連中が目黒や六本木、代官山にあるお洒落なカフェの周辺にいたら、日本人のお客や経営者は「どう」思うのか?

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(左: お洒落な街で好まれる西歐系の女性 / 中央: 日本に永住しそうなフィリピン人美女 / 右: 日本のアパートで好まれないタイプのアジア人)

  まともな日本人ならアジア人の定住に猛反対するのに、中川氏はそれを気にせず受け容れを推進する。

  現状、日本の社会には多くの外国人が入ってきています。外国人を受け入れやすい社会環境をつくるには、成功体験をつくることが大切です。(上掲記事)

  「成功体験」だって? 日本人は朝鮮を併合してどうなったのか、痛いほど分かっているはずだ。朝鮮総督府が「日鮮結婚」を奨励したら不幸な日本人妻が増えてしまったし、内地に大量の朝鮮人が流入したらドヤ街ができてしまった。「内鮮一体」のスローガンを掲げたものの、日本人と朝鮮人は宥和するどころか反撥し合い、とりわけ上流階級の日本人は交わろうともしなかったじゃないか。華族の何割が朝鮮人と結婚したのか? しかも、敗戦となったら喧嘩はもちろんのこと、半島では朝鮮人が強姦と掠奪を始めたし、国内では「第三国人」と称して横暴の限りを尽くした。朝鮮学校を出た在日鮮人はまともな会社では雇われなかったから、彼らの就職先といったら、土方、パチンコ屋、朝鮮料理屋がせいぜいで、個人業だと密造酒製造かクズ鉄拾い、養豚業、屠殺業などくらいだ。“成功した”朝鮮人というのは、本籍と本名を隠した在日藝人とか自営業者で、最初から正体を明かして「成功」した者は少ない。「外国人を受け容れやすい社会」では、「日本国民」という意識が根絶やしにされることが前提条件となる。国民意識や民族の連帯感が残っていると、侵入する部外者への抵抗が激しくなるので、外国人が住みづらくなってしまうのだ。こうした異民族共生の社会では、国家を支える公民の質が劣化してしまい、グルメやセックス、スクリーンが人生における最高の価値となる。そして国民の堕落や悖徳は止めどなく進み、国家への義務は最小限でも、要求する権利は最大限にするのが「賢い国民」と見なされてしまうのだ。

日本がもつ真の魅力とは?

  日本人は生まれた時から日本に住んでいるし、両親祖父母とも日本人だから、あまり日本の有り難さを意識していない場合が多い。ところが、悲惨な生活環境や息苦しい社会からやって来るアジア人にとって、日本は地球上で一番の楽園だ。普通の会社に勤めて、平凡な生活を送るだけでも、本国では味わえない幸せを実現できるから、日本は本当にすごい。したがって、日本国籍はアジア人にとったら垂涎の的である。例えば、フィリピン人が自国で介護師になっても安月給でこき使われるだけだ。しかし、日本で同じ仕事をすれば、それなりの給料をもらえるし、たとえ収入が低くても福祉が充実しているから、フィリピンでは得られない「特典」となる。しかも、故郷から家族を呼び寄せれば、その両親と兄弟姉妹、配偶者、子供まで、それぞれが公的福祉の恩恵を受けられ、快適に暮らすことも可能だ。扶養家族が増えれば納税時の控除額も増えるし、少ない掛け金で国民健康保険にも加入できる。もし、フィリピン人の扶養家族が持病持ちとか難病持ちだと、信じられぬくらいの医療費がかかるが、「人権」重視の日本が提供する福祉制度なら使い放題だ。

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(左: フィリピン人の看護婦 / 右: フィリピン人の子供たち)

  だだ、そのツケは核家族の日本人が負担するから、我々にとっては面白くない。身体障害や難病を抱えるフィリピン人の老人、あるいは先天的障害をもつ子供へジャンジャン税金が投入され、フィリピンでは考えられぬ「高度技術医療」を受ける事ができる。他方、一生懸命働いて高額所得者になった日本人は、高い掛け金を巻き上げられたうえに、所得税やら市民税をむしり取られる。努力して健康を維持している日本人は、ぐうたらな生活をするアジア人の為に高い掛け金を払っているようなものだ。(単身なのに年間80万円近くの保険料プラス介護料なんて異常である。) たぶん、アジア諸国では「病気になったら日本へ行こう」が合い言葉になるだろう。

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(左: 元気な支那人の少年たち / 右: 可愛らしい支那人の赤ん坊)

  中川氏のような反日議員は、「少子化で労働者不足になるぞ」「介護師が足りなくなるぞ」「景気が低迷するぞ」と脅かして、移民賛成派を増やそうとするからズルい。なるほど、少子化問題の切り札となるアジア人が余計な家族を連れてくれば、人手不足の企業は助かるし、日本の総人口が増えたことで政治家は喜ぶ。ところが、そのアジア人と随伴家族だって、いずれは高齢化となるから、またもや多くの介護師が必要となるだろう。馬鹿らしいけど、その年老いたフィリピン系国民を世話するために、マレーシアやタイから更なる介護師を招き入れれば、無制限の移民導入になってしまうだろう。新たな介護師だって日本に永住するから、日本にはアジア人があふれ出し、まさしく「アジアの一部」になる。日本の将来など眼中に無い中川議員は、目先の経済的利益しか頭に無いのだ。彼はこう宣言している。

  「日本で働きたい」と願う外国人の方々に対して、日本の魅力を高めたり日本語教育にアクセスしやすい環境をつくったりすることは、日本の経済にとっても大きな活力となるはずです。(上掲記事)

  中川議員はアジア人の労働者が増えて、日本の経済が活性化するから万々歳なのだろう。しかし、日系日本人はそんな祖国を望んではいない。いくら景気が良くなったからといって、日本がシンガポールみたいな国になったら嫌だ。もし、「日本人だけで暮らしたい !」とか「お爺ちゃんやお婆ちゃんたちが生きていた頃と同じ日本に住みたい !」と欲する日本人がいたら、中川氏はどう答えるのか? 日本人は気づいていないが、きれいな空気や水があるだけでも、我が国は魅力的なのだ。支那では金持ちでも有害な空気を吸っているし、そこら中に「SARS」のようなウィルスが蔓延しているから、黴菌と添い寝をしているようなものである。しかも、支那人は“がさつ”で粗野、下品で傲慢、無礼で恥知らずだから、側にいるだけでも虫酸が走る。日本にやって来た支那人観光客が驚くのは、日本人の民度の高さであり、平民なのに繊細な心遣いや道徳心を兼ね備えている点だ。支那では書物の中にしか存在しない聖人でも、日本人並みの「正直さ」とか「素直さ」を持っていないので、支那人来訪者は一様に驚く。

chinese people 1Filipino girls 1
(左: 日本に来て欲しくないタイプの支那人 / 右: 魅力的なフィリピン人女性)

  日本は日本人が住んでいるから素晴らしいのであって、伝統的な日本社会にアジア人が混在したら、我が国の魅力は激減するだろう。もし、美味しいササニシキが詰まった米俵の中に小石や糞尿を混ぜたら、高級米がくず米に変質し、おむすびにして食べたいとは思わない。たとえ、小石や大便で米俵の重量が増えても、お米としての価値は無くなってしまうだろう。日本語を習得して日本で働きたいというアジア人には注意せねばならない。彼らは日本人や日本国のために働くのではなく、祖国を捨てて日本に永住するために必死で日本語を勉強するのだ。日本人はアジア人が日本語を学ぶと聞いて嬉しがるが、彼らは祖先が遺してくれた国家的遺産を横取りしようと企んでいる連中である。日本人の祖先が築いた国家は、その子孫が相続人となるべきで、支那や朝鮮、ないし東南アジアの「よそ者」を“対等”で“合法的”な相続人にすべきではない。アジアからの移民や多民族社会を望む左翼分子は、まず自分の家にある世襲財産や預貯金、土地家屋をアジア移民と均等に「相続」してみることだ。そうすれば移民に反対する日本人の気持ちが分かるだろう。案外、左翼的人物に限って自分の財産となれば、驚くほど「ケチ」になる人がいたりして。人は見かけによらないからね。
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オリンピックと韓国籍取得について
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手段としての「国籍取得」

Aileen Frisch 1Kirill Minov & Rebeka Kim
(左: 「南鮮人」となったドイツ系選手のアイリーン・フリッシュ / 右: ロシア系のキリル・ミノフとレベッカ・キム )

  ここ最近、テレビの話題は平昌五輪に注がれており、ニュース番組やワイドショーはオリンピック関連の報道ばかりだ。筆者は他人のスポーツ行為にはあまり興味が無いので、滅多にオリンピック競技を観ることはない。例外は総合格闘技の番組だけ。(居酒屋で血塗れの喧嘩なんて、そうあるもんじゃ無いからさぁ。) だいたい、知らない人がプレーするプロ野球より、知っている子供が活躍する草野球の方が興奮するし、テニスやサッカー、スキーといった種目なら自分でやった方が楽しいじゃないか。以前、筆者が喫茶店に入ってカウンターでコーヒーを飲んでいた時のことだ。隣に坐っていた二人のオバちゃんが店のマスターと雑談をしており、マラソン選手の話で盛り上がっていた。一人の中年オバちゃんが、「マラソン選手って、爽やかよねぇ。いい顔しているわ!」と褒め称えると、相方のオバちゃんも「そうよねぇ〜。私もテレビで駅伝をずぅ〜と観ちゃったわぁ。あんなに走れるなんて、やっぱり凄いわねぇ〜」とはしゃいでいたのである。筆者は側で聞きながら、「ならさぁ、自分でその辺を走ればいいじゃん。温かい店内でケーキ・セットを頬張っているより、汗をかいた方がよっぽど健康にいいのに・・・」と心の中で呟いてしまった。まぁ、二段腹の中年女性には、長距離走行は難しいのかも知れない。

  ワイドショーを観ている一般国民は、誰がメダルを取ったのとか、どの選手がアクシデントに見舞われたのか、などで大騒ぎしているが、筆者が気になったのは、南鮮のオリンピック参加者に「外国系」選手が混ざっていたことである。報道によれば、今回の冬季五輪に出場した「韓国人」選手150人のうち、10%に当たる15名が歐米からの特別帰化選手であったという。(「韓国の切り札、特別帰化選手に賛否、15人出場『帰化で成果ばかり考えるな』の指摘も」 2018年2月11日附「産経新聞」) 種目別で見てみると、アイスホッケーが10人、バイアスロンで3人、リュージュとフィギュア・スケートでそれぞれ1人づつとなっている。出身国ではカナダから8名、アメリカだと3名、ロシアからは3名、ドイツの1名となっているそうだ。

  建前上、オリンピック選手は自国(祖国)を代表して参加しているはずだが、実際には、自分の利益だけを考えて出場している選手が結構多い。各国とも定員枠があるので、その制限から外された選手は他の手段を考えるという訳だ。そこに野心を抱える国が“取引”を囁く。「ウチの代表になってもらえれば、晴れ舞台に出ることができますよ」と提案されれば、夢を捨てきれない選手は、「じゃあ、御言葉に甘えて・・・」と答えてしまう。外国への「移籍」となれば、多少なりとも気が引けるけが、背に腹は替えられない。どの「枠」でもいいから、オリンピックにさえ出れば売名のチャンスが望めるし、ひょんな事からメダリストになれば、引退後の生活が違ってくる。選手の立場からすると、自分の国籍にこだわって“観戦者”になるよりも、外国に帰化して“挑戦者”になった方がいい。オリンピックに向けて全人生を賭けた選手は死に物狂いだ。

  一方、「外人傭兵部隊」を勧誘する南朝鮮は、何でもいいからメダル数を増やしたい。悲願のノーベル賞は当分のあいだ無理なので、せめてオリンピック大会で脚光を浴びたいと考えている。しかし、なり振り構わぬメダル獲得への執念は、朝鮮人が“見栄っ張り”という理由だけでは説明がつかない。幸せな歴史を持つ日本人には分かりづらいが、朝鮮人には精神を安定させる国家的な“名誉”が必要なのだ。朝鮮史を眺めれば気付くと思うけど、彼らの過去には民族の魂を鼓舞するよ