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[番外地8] 二流小説家 三島由紀夫の格好付け人生 中川隆
3. 中川隆[-11233] koaQ7Jey 2020年9月22日 07:11:35 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[1]
二流小説家 三島由紀夫のカッコ付かなかった格好付け人生
三島由紀夫は19歳の時に徴兵され、軍の入隊検査を受けるが軍医から「肺浸潤」と診断され即日帰郷となった。彼が入るはずだった部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、戦闘でほぼ全滅した。これは軍医の誤診だったとも、仮病を使って兵役逃れをしたとも言われている。何れにせよここで三島は死ではなく、生き延びることを選んだわけだ。しかし後に彼は自衛隊に体験入隊したりした挙句の果て、自ら組織した民兵組織「楯の会」隊員4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げる。享年45歳だった。

戦争で死に損ない、そのことを恥じていた三島は〈美しい死〉〈英雄的な死〉に魅せられていた。彼は若い頃から(老化で体が醜くなる直前の)45歳で死ぬと周囲の人に公言しており、割腹自殺は長年に渡る綿密な計画に基づいていた。「豊饒の海」4部作を書き上げた日に自決しているのがその証である。また31歳(1956年)からボディービルディングに勤しんだのも〈完璧な肉体〉を希求していたことを示している。1960年には映画「からっ風野郎」に主演した。

映画監督の大島渚は「政治オンチ克服の軌跡=三島由紀夫」という文章で次のように述べている。

対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。

▲△▽▼

本多勝一は三島由紀夫については、彼が自爆する2年前の文章が載っていて、

「定向進化の道を歩み始めた生物はもはや手遅れのガン細胞となる」
と予言している。勝手に滅びればいいが、困るのはナチのように、「神々の黄昏」に多くの人を巻きこもうとすることである、とも書いている。


殺す側の発起人たち 本多勝一 1971年

名を口にするのも不快な一小説家が、江戸時代の職業用心棒としての武士階級の真似をしてハラキリ自殺をしたとき、新聞、週刊誌、月刊誌の多くはたいへんな紙数をこの事件のために費やした。(中略)あの小説家は芸能人的な要素があったようだから、一般的週刊誌がこれに飛びついて、何週間にもわたって洗いざらい書きまくることについては、私も大して違和感を覚えない。ところが、日常的にはそういうゴシップ雑誌として通用しているのではない雑誌(特に月刊誌)までが、いつまでたってもこの小説家のことに洪水のごとく紙面を提供しているのは、いささかうんざりさせられた。(中略)


そうした中で、一つだけ私の興味をつよく引いたのは、「三島由紀夫追悼集会」のための発起人名簿であった。そのまま写せば次の通りである。


発起人総代 林房雄

代表発起人 川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之、武田繁太郎、中山正敏 藤島泰輔、舩坂弘、北條誠、黛敏郎、保田與重郎、山岡荘八
発起人 会田雄次、阿部正路、伊藤桂一、宇野精一、大石義雄、大久保典夫、大島康正、桶谷繁雄、小野村資文、川上源太郎、岸興祥、倉橋由美子、小林秀雄、小山いと子、坂本二郎、佐古純一郎、清水崑、杉森久英、曽村保信、高鳥賢司、多田真鋤、立野信之、田中美知太郎、田辺貞之助、中河与一、中村菊男、萩原井泉水、林武、平林たい子、福田信之、水上勉

こうしてみると、さもありなんというひとがもちろん多いけれど、おや、と思わせられるような意外な人も見受ける。いろんな義理もあったのだろう。(中略)しかし、その「意外な人」も含めて、やっぱり私は問いたいのだ。日本が朝鮮や中国などを侵略したこと、これを否定することは、発起人の方々もできないであろう。そのとき、それらの国々で、何万とも知れぬ一般民衆を虐殺(中国での三光政策はその典型)したこと。これもまた否定できないであろう。そして、それらすべてが、最終的に「天皇」の名のもとに行われたこと、これもまた議論の余地はないであろう。背景は少しも「複雑」ではないし、侵略側の事情を「理解」して弁護することはない。

発起人の方々よ、右のような事実に対して、あなた方はどう思っているのだろうか。

あのハラキリ小説家が、日本列島に住む一億の人々の、どの層と関連、或いはどの層の意識の中に生きていたかは、もはや説明するまでもあるまい。逆から言うと、庶民、民衆、人民、大衆(何分様々な表現と歴史がある)とは無縁の、いい気な男の一人であって、別にこういう人も多数の中の一人として、他の人々と同じ意味で存在してもいいけれども、その存在は、あくまで「それ相応のもの」でなければならない。侵略する側、すなわち庶民、民衆、人民、大衆を殺す側によって利用され続けてきた天皇制を、またしても利用しようという男、そんなものを、あたかも大思想家や大芸術家であるかのごとく扱うことに、戦後日本の民主主義なるもののいかさま性を暴露する以上の意味はない。

彼の破滅も、このような意味、つまり「殺す側」と「殺される側」のどちらに立つ人間かをはっきりさせるための踏み絵となってくれた点においてだけは、無駄ではなかった。私にとっては意外に思われる人が、この踏み絵事件で「感動」や「衝撃」の反応を示し、それによって当人が「殺す側」に立つものであることを、庶民、民衆、人民、大衆及び虐殺された中国人、朝鮮人そのほかのアジア人たちに示してくれた。(アジア人の眼には、この発起人名簿は、「殺し屋名簿」に見えるだろう。)
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/322.html#c3

[リバイバル3] 音楽はこういう部屋で聴きたい 中川隆
87. 2020年9月22日 07:22:02 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[2]
今日はアレキサンドライト邸に つづき : GRFのある部屋 2020年 09月 21日
https://tannoy.exblog.jp/31377124/


一聴して驚きました。美音♪ですね〜。 控えめで、でも美しい音がひたひたと浸透してきます。何よりの驚きは音がユニットからは聞こえてこない事です。上部に一直線で、8本づつの中、高音ユニットが並んでいますが、そこから音が全くしません。音が聞こえるのは下から二本目までのユニットです。ですからSPは、半分ぐらいの大きさのスピーカーに感じるのです。

ここにあるのは、グランドマスターという最上級の機種で、その下にグランドがつかないマスターと呼ばれる機種があるそうです。それは8本ずつのユニットが半分の4本ずつだそうですが、想像するそのスピーカーがなっているのかと思うような上にユニットがない様な音がします。しかし、そのユニットの有る無しの違いは、音の鳴る前の気配の再生能力なのでは無いでしょうか?

このぐらいの大きな背の高い装置になると、音が出る前から威圧感が感じられるのですが、調整があってくると、音は下からなっているように聞こえます。家の和室でもおなじように床の下から聞こえてきます。ホーン型のツイーターと違い、ドーム型の歪みの少ないユニットは、音がスピーカー自身からは聞こえてこず、音場の空間が出現するのです。8本もストレートに並んだ配列は、床と天井の反射を押さえ、ステレオで大事な左右の広がりと奥行きを良く再現します。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、第1音から他のSPでは出せない世界を出現しているのです。

音質の傾向としては、DGの録音方向では無く、EMIやPHILIPSの音を良く再生すると言えばわかっていただけるでしょうか?このような音になる装置は稀です。私の経験でも、よそのお宅できいたのは数えるほどしかありませんし、その中でも今日のこの音が一番驚きました。もっと言えば、クラシックの演奏会場で響く美しい音を再現している装置はほとんど無いと言うことです。嬉しくなりました。家で実験している演奏会場の音の再現は別な方向でもアプローチしても同じ結果になることを証明してくれたからでもあります。

富士山には、登山ルートは何本もありますが、たどり着く頂上は一つ、最後は同じ風景が見えてくるのです。雲海を突き抜けて、他の山々を遙か下に見下ろす霊山の趣があるのです。ザビーネマイヤーのクラリネットの暗いでも透明な音、クリュイタンスのラベルの時代を全く感じない音、何時も聴いているヤンソンスのマーラーの六番の大スケールとコンセルトヘボウの響き。家とHさん邸以外にはじめて聴きました。

イザベル・ファウストのスリーピングビューティがまだ目覚めきれないときのまだ堅い音までしっかりと再現します。また、内田光子のピアノには驚きました。DGでは無くPHILIPSの録音だとすぐわかります。彼女自身の所有するスタインウェイの芯が硬質だけど、響きが柔らかい音ははっきりとわかります。

去年、横浜のGermanの会にお呼びしてライブを聴いたグレース・マーヤのバックのギターの音と彼女の声。そして、定番のチックコリアの硬質な音は、スケールの大きなクラシックを同じ装置で聴いているとは思えない程です。録音、レーベルの違いをはっきりと描き分ける能力は、本当に高いと思いました。真のハイファイ装置ですね。

一般のチェロに対するイメージは硬質な透明感でもありますが、このECMの録音はそのイメージを裏切りません。しかし同じ装置が、透明感は高いが幾分硬質すぎる響きになりがちなEMIの90年代の録音や、時として時代を感じる帯域の狭い音になりがちなクリュイタンスの名盤をここまで再現する装置にお目に掛かったのははじめてです。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、他のSPでは出せない世界を見事に出現していました。


https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31377124&i=202009%2F20%2F99%2Ff0108399_11333158.jpg

分析的な聴き方を必要としないほど、楽しい音楽が鳴っているのは、歌謡曲を聴かせていただいてわかりました。歌謡曲特有の、平面を埋めるほどの音の充実感がそれを証明しています。お見事です。

一緒に来られたMさんも大満足のお顔をしています。そして、私好みの音だと看破されました。そうですね、今まで自宅で構築してきた風景が、違った登山路、違ったアプローチをしていても、3000メートルを超えた景色は同じように聞こえるという当たり前の事に感動している自分がいました。

後半は、何時もの部屋でJBLによる本格的なサラウンドを聴かせていただきました。そちらも素晴らしかったのですが、聴かせていただ行ったムジークフェラインザールでのジョン・ウイリアムスとウィーンフィルの演奏が、別テークの音と映像を合わせてあるのが、すぐわかるほどの音の解像度だと言えばお解りになるでしょうか?

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31377124&i=202009%2F22%2F99%2Ff0108399_04100948.jpg

終わってから、駅の南口にあるアレキサンドライトさん行きつけのフレンチレストランで、地元産の野菜をあしらった美味しいコーズ料理を食べながら、いろいろとグランドマスターの思い出と感動を話していました。こういうレストランでの食事は本当に久しぶりです。Mさんとの感想戦は、石神井公園駅で彼が特急に乗り換えるまで続きました。

帰りも、中村橋から阿佐ヶ谷駅のバスに乗りました。考えてみたら、二車線のバス道路では追い越される車もないのですから、タクシーとほぼ同じ時間でバスも飛ばしています。阿佐ヶ谷駅で渋谷駅のバスに乗り換え、最寄りのバス停で降りて、すっかり秋めいた心地よい空気の中を星を見ながら帰ってきたときもまだ、アレキサンドライトさん邸の素晴らしい音が鳴っていました。
https://tannoy.exblog.jp/31377124/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c87

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
153. 中川隆[-11232] koaQ7Jey 2020年9月22日 07:23:03 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[3]
今日はアレキサンドライト邸に つづき : GRFのある部屋 2020年 09月 21日
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一聴して驚きました。美音♪ですね〜。 控えめで、でも美しい音がひたひたと浸透してきます。何よりの驚きは音がユニットからは聞こえてこない事です。上部に一直線で、8本づつの中、高音ユニットが並んでいますが、そこから音が全くしません。音が聞こえるのは下から二本目までのユニットです。ですからSPは、半分ぐらいの大きさのスピーカーに感じるのです。

ここにあるのは、グランドマスターという最上級の機種で、その下にグランドがつかないマスターと呼ばれる機種があるそうです。それは8本ずつのユニットが半分の4本ずつだそうですが、想像するそのスピーカーがなっているのかと思うような上にユニットがない様な音がします。しかし、そのユニットの有る無しの違いは、音の鳴る前の気配の再生能力なのでは無いでしょうか?

このぐらいの大きな背の高い装置になると、音が出る前から威圧感が感じられるのですが、調整があってくると、音は下からなっているように聞こえます。家の和室でもおなじように床の下から聞こえてきます。ホーン型のツイーターと違い、ドーム型の歪みの少ないユニットは、音がスピーカー自身からは聞こえてこず、音場の空間が出現するのです。8本もストレートに並んだ配列は、床と天井の反射を押さえ、ステレオで大事な左右の広がりと奥行きを良く再現します。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、第1音から他のSPでは出せない世界を出現しているのです。

音質の傾向としては、DGの録音方向では無く、EMIやPHILIPSの音を良く再生すると言えばわかっていただけるでしょうか?このような音になる装置は稀です。私の経験でも、よそのお宅できいたのは数えるほどしかありませんし、その中でも今日のこの音が一番驚きました。もっと言えば、クラシックの演奏会場で響く美しい音を再現している装置はほとんど無いと言うことです。嬉しくなりました。家で実験している演奏会場の音の再現は別な方向でもアプローチしても同じ結果になることを証明してくれたからでもあります。

富士山には、登山ルートは何本もありますが、たどり着く頂上は一つ、最後は同じ風景が見えてくるのです。雲海を突き抜けて、他の山々を遙か下に見下ろす霊山の趣があるのです。ザビーネマイヤーのクラリネットの暗いでも透明な音、クリュイタンスのラベルの時代を全く感じない音、何時も聴いているヤンソンスのマーラーの六番の大スケールとコンセルトヘボウの響き。家とHさん邸以外にはじめて聴きました。

イザベル・ファウストのスリーピングビューティがまだ目覚めきれないときのまだ堅い音までしっかりと再現します。また、内田光子のピアノには驚きました。DGでは無くPHILIPSの録音だとすぐわかります。彼女自身の所有するスタインウェイの芯が硬質だけど、響きが柔らかい音ははっきりとわかります。

去年、横浜のGermanの会にお呼びしてライブを聴いたグレース・マーヤのバックのギターの音と彼女の声。そして、定番のチックコリアの硬質な音は、スケールの大きなクラシックを同じ装置で聴いているとは思えない程です。録音、レーベルの違いをはっきりと描き分ける能力は、本当に高いと思いました。真のハイファイ装置ですね。

一般のチェロに対するイメージは硬質な透明感でもありますが、このECMの録音はそのイメージを裏切りません。しかし同じ装置が、透明感は高いが幾分硬質すぎる響きになりがちなEMIの90年代の録音や、時として時代を感じる帯域の狭い音になりがちなクリュイタンスの名盤をここまで再現する装置にお目に掛かったのははじめてです。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、他のSPでは出せない世界を見事に出現していました。


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分析的な聴き方を必要としないほど、楽しい音楽が鳴っているのは、歌謡曲を聴かせていただいてわかりました。歌謡曲特有の、平面を埋めるほどの音の充実感がそれを証明しています。お見事です。

一緒に来られたMさんも大満足のお顔をしています。そして、私好みの音だと看破されました。そうですね、今まで自宅で構築してきた風景が、違った登山路、違ったアプローチをしていても、3000メートルを超えた景色は同じように聞こえるという当たり前の事に感動している自分がいました。

後半は、何時もの部屋でJBLによる本格的なサラウンドを聴かせていただきました。そちらも素晴らしかったのですが、聴かせていただ行ったムジークフェラインザールでのジョン・ウイリアムスとウィーンフィルの演奏が、別テークの音と映像を合わせてあるのが、すぐわかるほどの音の解像度だと言えばお解りになるでしょうか?

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終わってから、駅の南口にあるアレキサンドライトさん行きつけのフレンチレストランで、地元産の野菜をあしらった美味しいコーズ料理を食べながら、いろいろとグランドマスターの思い出と感動を話していました。こういうレストランでの食事は本当に久しぶりです。Mさんとの感想戦は、石神井公園駅で彼が特急に乗り換えるまで続きました。

帰りも、中村橋から阿佐ヶ谷駅のバスに乗りました。考えてみたら、二車線のバス道路では追い越される車もないのですから、タクシーとほぼ同じ時間でバスも飛ばしています。阿佐ヶ谷駅で渋谷駅のバスに乗り換え、最寄りのバス停で降りて、すっかり秋めいた心地よい空気の中を星を見ながら帰ってきたときもまだ、アレキサンドライトさん邸の素晴らしい音が鳴っていました。
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[お知らせ・管理21] 2020年09月 困った時、意見、提案、相談などなんでも。管理人が24時間以内に必ず見るスレ 管理人さん
63. 2020年9月22日 07:28:52 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[4]
>>60
パレオリベラルさんは 仕事もしてますし、引きこもりでもありません。
単なる人格障害者です。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/610.html#c63
[近代史5] 北京政府の情報操作の実態 中川隆
11. 2020年9月22日 08:00:16 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[5]
アメリカもよく今まで放置していたものですな



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/217.html#c11
[リバイバル3] チェロ AUDIO SUITE + Performance 中川隆
30. 中川隆[-11231] koaQ7Jey 2020年9月22日 08:26:13 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[6]
今日はアレキサンドライト邸に つづき : GRFのある部屋 2020年 09月 21日
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一聴して驚きました。美音♪ですね〜。 控えめで、でも美しい音がひたひたと浸透してきます。何よりの驚きは音がユニットからは聞こえてこない事です。上部に一直線で、8本づつの中、高音ユニットが並んでいますが、そこから音が全くしません。音が聞こえるのは下から二本目までのユニットです。ですからSPは、半分ぐらいの大きさのスピーカーに感じるのです。

ここにあるのは、グランドマスターという最上級の機種で、その下にグランドがつかないマスターと呼ばれる機種があるそうです。それは8本ずつのユニットが半分の4本ずつだそうですが、想像するそのスピーカーがなっているのかと思うような上にユニットがない様な音がします。しかし、そのユニットの有る無しの違いは、音の鳴る前の気配の再生能力なのでは無いでしょうか?

このぐらいの大きな背の高い装置になると、音が出る前から威圧感が感じられるのですが、調整があってくると、音は下からなっているように聞こえます。家の和室でもおなじように床の下から聞こえてきます。ホーン型のツイーターと違い、ドーム型の歪みの少ないユニットは、音がスピーカー自身からは聞こえてこず、音場の空間が出現するのです。8本もストレートに並んだ配列は、床と天井の反射を押さえ、ステレオで大事な左右の広がりと奥行きを良く再現します。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、第1音から他のSPでは出せない世界を出現しているのです。

音質の傾向としては、DGの録音方向では無く、EMIやPHILIPSの音を良く再生すると言えばわかっていただけるでしょうか?このような音になる装置は稀です。私の経験でも、よそのお宅できいたのは数えるほどしかありませんし、その中でも今日のこの音が一番驚きました。もっと言えば、クラシックの演奏会場で響く美しい音を再現している装置はほとんど無いと言うことです。嬉しくなりました。家で実験している演奏会場の音の再現は別な方向でもアプローチしても同じ結果になることを証明してくれたからでもあります。

富士山には、登山ルートは何本もありますが、たどり着く頂上は一つ、最後は同じ風景が見えてくるのです。雲海を突き抜けて、他の山々を遙か下に見下ろす霊山の趣があるのです。ザビーネマイヤーのクラリネットの暗いでも透明な音、クリュイタンスのラベルの時代を全く感じない音、何時も聴いているヤンソンスのマーラーの六番の大スケールとコンセルトヘボウの響き。家とHさん邸以外にはじめて聴きました。

イザベル・ファウストのスリーピングビューティがまだ目覚めきれないときのまだ堅い音までしっかりと再現します。また、内田光子のピアノには驚きました。DGでは無くPHILIPSの録音だとすぐわかります。彼女自身の所有するスタインウェイの芯が硬質だけど、響きが柔らかい音ははっきりとわかります。

去年、横浜のGermanの会にお呼びしてライブを聴いたグレース・マーヤのバックのギターの音と彼女の声。そして、定番のチックコリアの硬質な音は、スケールの大きなクラシックを同じ装置で聴いているとは思えない程です。録音、レーベルの違いをはっきりと描き分ける能力は、本当に高いと思いました。真のハイファイ装置ですね。

一般のチェロに対するイメージは硬質な透明感でもありますが、このECMの録音はそのイメージを裏切りません。しかし同じ装置が、透明感は高いが幾分硬質すぎる響きになりがちなEMIの90年代の録音や、時として時代を感じる帯域の狭い音になりがちなクリュイタンスの名盤をここまで再現する装置にお目に掛かったのははじめてです。アレキサンドライトさんが、二ヶ月以上掛けて調整をされてきた装置は、他のSPでは出せない世界を見事に出現していました。


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分析的な聴き方を必要としないほど、楽しい音楽が鳴っているのは、歌謡曲を聴かせていただいてわかりました。歌謡曲特有の、平面を埋めるほどの音の充実感がそれを証明しています。お見事です。

一緒に来られたMさんも大満足のお顔をしています。そして、私好みの音だと看破されました。そうですね、今まで自宅で構築してきた風景が、違った登山路、違ったアプローチをしていても、3000メートルを超えた景色は同じように聞こえるという当たり前の事に感動している自分がいました。

後半は、何時もの部屋でJBLによる本格的なサラウンドを聴かせていただきました。そちらも素晴らしかったのですが、聴かせていただ行ったムジークフェラインザールでのジョン・ウイリアムスとウィーンフィルの演奏が、別テークの音と映像を合わせてあるのが、すぐわかるほどの音の解像度だと言えばお解りになるでしょうか?

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終わってから、駅の南口にあるアレキサンドライトさん行きつけのフレンチレストランで、地元産の野菜をあしらった美味しいコーズ料理を食べながら、いろいろとグランドマスターの思い出と感動を話していました。こういうレストランでの食事は本当に久しぶりです。Mさんとの感想戦は、石神井公園駅で彼が特急に乗り換えるまで続きました。

帰りも、中村橋から阿佐ヶ谷駅のバスに乗りました。考えてみたら、二車線のバス道路では追い越される車もないのですから、タクシーとほぼ同じ時間でバスも飛ばしています。阿佐ヶ谷駅で渋谷駅のバスに乗り換え、最寄りのバス停で降りて、すっかり秋めいた心地よい空気の中を星を見ながら帰ってきたときもまだ、アレキサンドライトさん邸の素晴らしい音が鳴っていました。
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[近代史5] 金(ゴールド)が異常に上がっている 暴落なしの通貨紙くず化 中川隆
2. 中川隆[-11230] koaQ7Jey 2020年9月22日 08:34:11 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[7]
世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
2020年9月22日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するファンドマネージャー、レイ・ダリオ氏が引き続き世界経済の歴史について書き続けている。

新型コロナウィルスの世界的流行とそれに伴う激しい景気後退に対抗するために日本や米国の政府はこぞって紙幣を印刷し国民に配っている。ダリオ氏はそれによって国の通貨が暴落する可能性を心配しているのである。

しかし以前からの読者には周知の通り、ドルは過去に何度も暴落しており、長期的に見れば今も暴落し続けている。今回はドル暴落相場の1つであるニクソンショックについてダリオ氏が経済的に解説している部分を取り上げたい。

戦後の世界経済とドル

1945年に日本の降伏によって第2時世界大戦が終わり、米国経済は一人勝ちの状態だった。戦勝国でもイギリスは実質的な破綻状態であり、敗戦国である日本とドイツの経済は壊滅的な状態にあった。本土への攻撃を免れたアメリカだけが経済的に繁栄していた。

しかしそれも1960年代には怪しくなってくる。ダリオ氏は次のように説明している。

1960年代にはアメリカは消費活動に大金を費やしたが、戦争のダメージから回復したドイツと日本は自動車産業などでアメリカの強力な競争相手となっていた。結果としてアメリカの貿易収支は悪化していった。

貿易収支の悪化とは国の収入がなくなるということである。しかし当時の米国政府は今の日本やアメリカと同じように、これを紙幣印刷で乗り切ろうとした。ダリオ氏はこう続けている。

米国政府はベトナム戦争や国内の社会保障などの支出を増やすため、中央銀行にゴールドと交換できる紙幣(訳注:金本位制)を印刷させた。人々がそれをゴールドと交換したため、中央銀行の金保有量は減り続けた。

以前からの読者は覚えているだろうが、これはかつて覇権国だった海洋帝国オランダの通貨についてダリオ氏が説明したことと全く同じである。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
愉快な話だが、人類はそれを50年前にも現代にも繰り返し行っているのである。人間は学ばない生き物なのである。

ニクソンショック

そして現代の人々は誰も気付いていないが、紙幣印刷の臨界点は必ずやってくる。アメリカはついにドルと金の兌換を守れなくなり、1971年のニクソンショックにおいてこれを破棄することになる。「ゴールドと交換できる」という理由で人々が保有していた紙幣がゴールドと交換できなくなったのである。

ダリオ氏は当時学生でウォール街でインターンをしており、ダリオ氏の当時の生々しい経験は以下の記事で紹介した通りである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
何が起こったかと言えば、金価格と株価が上がったのである。そしてドルは急落した。正確にはこれらは同じことだった。ドルの価値が下がったので、ドル建てで値段がついていたすべての価格が上昇したのである。

株式市場が上がっただけならばまだ良かったが、ドル建てで売買されていたのは株だけではなかった。日用品の価格も跳ね上がった。1970年代、アメリカのインフレ率は次のようになっている。


これが紙幣の刷り過ぎの結果である。ピークとなった1980年にはインフレ率が何と15%に達している。アメリカにおいて1970年代からインフレの収まる1980年代前半までは景気後退が4度も起こった苦痛の多い時代として記憶されている。

株価が上がったとしても日用品の価格が上がっては何の得にもならないということである。だからダリオ氏は繰り返し「現金はゴミ」だと主張し、紙幣を印刷する政府の対応を信じてはならないと言っている。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
国の経済が窮乏しているにもかかわらず株価が上がっている現在のコロナ相場の状況はニクソンショック直後の現象によく似ている。注意しなければならないのは、金価格は1970年には既に上がり始めていたが、それが日用品に波及し始めたのは上のチャートの通り1972年と2年のタイムラグがあったということである。以下の金価格チャートと比較してみよう。


そしてドル円も暴落した。


ドル円が360円だった時代を覚えている読者はどれだけ居るだろうか。ご存知の通り、その後ドル円は坂道を転がり落ちるように下がり続けている。

株価上昇は経済を救うか

問題は一時は上昇した株式市場だが、それも実際にインフレ率が危機的な上がり方を始めるまで投資家が状況の深刻さに気付いていなかったというだけのことであり、インフレが急激に悪化した1972年にようやく気付いてから半値以下に暴落したのである。


しかしそれは気づけなかったことだろうか。賢明な投資家は事前に気付いていたいものである。紙幣を生み出すことで景気後退を乗り切ろうとする取り組みについてダリオ氏は以下の記事でこう言っている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし誰もこの言葉を理解しない。

ダリオ氏は比較的礼儀正しい言葉で人々の無知蒙昧さ加減に警鐘を鳴らし続けている。

世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
人々は後になって「あれほどの経済危機は誰も予想していなかった」と言い始めるだろう。しかし事前に言っておこう。あなたがたが現実を見ようとしなかっただけである。現実は見ようと思えばすぐそこにある。ただ、誰もそれを見ないだけなのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/208.html#c2

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
85. 中川隆[-11229] koaQ7Jey 2020年9月22日 08:41:28 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[8]
紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する


世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
2020年9月22日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するファンドマネージャー、レイ・ダリオ氏が引き続き世界経済の歴史について書き続けている。

新型コロナウィルスの世界的流行とそれに伴う激しい景気後退に対抗するために日本や米国の政府はこぞって紙幣を印刷し国民に配っている。ダリオ氏はそれによって国の通貨が暴落する可能性を心配しているのである。

しかし以前からの読者には周知の通り、ドルは過去に何度も暴落しており、長期的に見れば今も暴落し続けている。今回はドル暴落相場の1つであるニクソンショックについてダリオ氏が経済的に解説している部分を取り上げたい。

戦後の世界経済とドル

1945年に日本の降伏によって第2時世界大戦が終わり、米国経済は一人勝ちの状態だった。戦勝国でもイギリスは実質的な破綻状態であり、敗戦国である日本とドイツの経済は壊滅的な状態にあった。本土への攻撃を免れたアメリカだけが経済的に繁栄していた。

しかしそれも1960年代には怪しくなってくる。ダリオ氏は次のように説明している。

1960年代にはアメリカは消費活動に大金を費やしたが、戦争のダメージから回復したドイツと日本は自動車産業などでアメリカの強力な競争相手となっていた。結果としてアメリカの貿易収支は悪化していった。

貿易収支の悪化とは国の収入がなくなるということである。しかし当時の米国政府は今の日本やアメリカと同じように、これを紙幣印刷で乗り切ろうとした。ダリオ氏はこう続けている。

米国政府はベトナム戦争や国内の社会保障などの支出を増やすため、中央銀行にゴールドと交換できる紙幣(訳注:金本位制)を印刷させた。人々がそれをゴールドと交換したため、中央銀行の金保有量は減り続けた。

以前からの読者は覚えているだろうが、これはかつて覇権国だった海洋帝国オランダの通貨についてダリオ氏が説明したことと全く同じである。

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で暴落した世界初の基軸通貨
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10903


愉快な話だが、人類はそれを50年前にも現代にも繰り返し行っているのである。人間は学ばない生き物なのである。

ニクソンショック

そして現代の人々は誰も気付いていないが、紙幣印刷の臨界点は必ずやってくる。アメリカはついにドルと金の兌換を守れなくなり、1971年のニクソンショックにおいてこれを破棄することになる。「ゴールドと交換できる」という理由で人々が保有していた紙幣がゴールドと交換できなくなったのである。

ダリオ氏は当時学生でウォール街でインターンをしており、ダリオ氏の当時の生々しい経験は以下の記事で紹介した通りである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645


何が起こったかと言えば、金価格と株価が上がったのである。そしてドルは急落した。正確にはこれらは同じことだった。ドルの価値が下がったので、ドル建てで値段がついていたすべての価格が上昇したのである。

株式市場が上がっただけならばまだ良かったが、ドル建てで売買されていたのは株だけではなかった。日用品の価格も跳ね上がった。1970年代、アメリカのインフレ率は次のようになっている。


これが紙幣の刷り過ぎの結果である。ピークとなった1980年にはインフレ率が何と15%に達している。アメリカにおいて1970年代からインフレの収まる1980年代前半までは景気後退が4度も起こった苦痛の多い時代として記憶されている。

株価が上がったとしても日用品の価格が上がっては何の得にもならないということである。だからダリオ氏は繰り返し「現金はゴミ」だと主張し、紙幣を印刷する政府の対応を信じてはならないと言っている。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


国の経済が窮乏しているにもかかわらず株価が上がっている現在のコロナ相場の状況はニクソンショック直後の現象によく似ている。注意しなければならないのは、金価格は1970年には既に上がり始めていたが、それが日用品に波及し始めたのは上のチャートの通り1972年と2年のタイムラグがあったということである。以下の金価格チャートと比較してみよう。


そしてドル円も暴落した。


ドル円が360円だった時代を覚えている読者はどれだけ居るだろうか。ご存知の通り、その後ドル円は坂道を転がり落ちるように下がり続けている。

株価上昇は経済を救うか

問題は一時は上昇した株式市場だが、それも実際にインフレ率が危機的な上がり方を始めるまで投資家が状況の深刻さに気付いていなかったというだけのことであり、インフレが急激に悪化した1972年にようやく気付いてから半値以下に暴落したのである。


しかしそれは気づけなかったことだろうか。賢明な投資家は事前に気付いていたいものである。紙幣を生み出すことで景気後退を乗り切ろうとする取り組みについてダリオ氏は以下の記事でこう言っている。

世界最大のヘッジファンド: 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10831


われわれが消費をできるかどうかはわれわれが生産できるかどうかに掛かっているのであり、政府から送られてくる紙幣の量に掛かっているではない。

紙幣は食べられない。

しかし誰もこの言葉を理解しない。

ダリオ氏は比較的礼儀正しい言葉で人々の無知蒙昧さ加減に警鐘を鳴らし続けている。

世界最大のヘッジファンド: 中国が覇権を握りドルは基軸通貨でなくなる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10592

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

人々は後になって「あれほどの経済危機は誰も予想していなかった」と言い始めるだろう。しかし事前に言っておこう。あなたがたが現実を見ようとしなかっただけである。現実は見ようと思えばすぐそこにある。ただ、誰もそれを見ないだけなのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c85

[近代史4] 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する 中川隆
1. 2020年9月22日 09:00:29 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[9]
レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
2020年3月28日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645


世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏が学生の頃にウォール街でインターンをしていた時のことをLinkedInのブログで話している。ダリオ氏はその頃にニクソンショックに遭遇したらしい。

1971年ニクソンショック

ダリオ氏は現在70歳なので、これは50年ほど前の話である。

当時アメリカはまだ金本位制を維持していた。つまり貨幣を金と交換することができた。紙幣とはそもそも金塊を持ち歩くのが大変だという理由で金の代わりに流通する目的で作られたものであり、いわば中央銀行に金を預けているという証明書のようなものだったので、紙幣を中央銀行に持っていけば当然金を返してもらうことができた。

ニクソンショックとはアメリカのニクソン大統領が急にこれを取りやめたという話である。その当時ダリオ氏はウォール街で夏のインターンをしていたらしい。彼は次のように語っている。

1971年8月15日の夜、ニクソン大統領はドル紙幣と金を交換するという約束を取り消すと発表した。これによってドルは急落した。ニクソン氏の話すのを聞いている内にアメリカ政府がデフォルトし、いわゆる「お金」としてわれわれが知っていたものが存在しなくなったのだと悟った。

当時、アメリカはベトナム戦争の戦費などがかさみ、財政赤字が拡大していた。戦後のアメリカは本土が戦地にならなかったこともありヨーロッパ諸国への経済支援なども行う立場だったが、1960年代後半にはアメリカ経済も疲弊し始めていた。当時のアメリカの経済成長率のチャートは次の通りである。


1970年には景気後退となっている。

アメリカ政府にはお金がなかった。それで預かっていたはずの金を返せなくなった。返せなくなったので、返さないということにしたわけである。ダリオ氏はこう続ける。

これは良いことであるはずがない、とわたしは思った。だから月曜の朝、株が暴落して地獄絵図になっていると予想しながらニューヨーク証券取引所のトレーディングフロアに入っていった。株は下落する代わりに4%上昇していた。わたしはショックを受けた。それは通貨の切り下げというものをそれまで見たことがなかったからだ。

学生だったダリオ氏が見逃していたのは、貨幣の価値が下がるということはものの値段が上がるということだということである。1,000円で買えていたものが2,000円出さなければ買えなくなる。1円の価値が下がったからである。

「現金はゴミ」発言の真意

ダリオ氏が何故この話を今持ち出したかと言えば、ここにはダリオ氏が年始に言った「現金はゴミ」発言の真意がある。

「現金はゴミ」発言のレイ・ダリオ氏、リスクオフできず新型コロナ株安で20%損失
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9134


紙幣とはもともと金を預けている預かり証のようなものだった。だから紙幣には価値があり、人々はそれを使って買い物をすることができた。しかしニクソンショックによってドル紙幣は正真正銘の紙切れとなった。誰も気付いていないが、それには何の価値もない。政府側の人々は紙幣には「政府の保証」があると口々に言うが、「政府の保証」とは中央銀行が株価を上げるために紙幣を次々に印刷することだろうか。それは価値を下げているのであって上げているのではなく、何の保証にもなっていない。

もう少し分かりやすくするために現代風に言い換えて例え話をするとこういうことになる。

あなたはA君に100万円を貸し出した。A君は借用書を書いてあなたに渡し、将来100万円を返すと約束した。ところがある日突然A君がやってきて、100万円は返さないことにしたと言って去っていった。

借用書はまだ手元にあるが、これを持っていても100万円は返ってこないらしい。あなたはA君に対して憤るのも良いだろうし、裕福ならば100万円のことは忘れてしまうのも良いかもしれない。しかし無意味になった借用書を後生大事に持ち続けるという選択肢はない。それを持っていても何も返って来ないからである。しかし実際には世界中の大半の人がその無意味になった借用書を後生大事に持ち続けており、そのおかしさに誰も気付いていない。それが紙幣というものの現実なのである。

現金はゴミ

ビットコインを否定しながら財布に紙幣を入れている人がいるが、ビットコインよりも紙幣の方が信頼できるというのは完全なまやかしである。どちらも何の保証もないという点で一致している。どちらも同じものなのである。

ビットコインがバブルならば、紙幣は人類史上最大のバブルである。チューリップは鑑賞できるが紙幣は鑑賞できない。本当に何の価値もないのである。ただ、トイレットペーパーがなくなった時には役に立つかもしれない。

ダリオ氏が言いたいのは、この紙幣バブルの行方、つまり量的緩和バブルの行方はただでは済まないということである。政治家が支持率を上げるために紙幣を刷りまくったつけが全人類に降り掛かってくる。

しかし一部の経済学者が言うように、先進国の量的緩和の結果がインフレとは限らない。むしろデフレと経済恐慌がその結末であるのかもしれない。ドラッケンミラー氏の言っているのはそういうことである。

ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7103


さて、この話の一番の落ちは市民は政府にいつの間にか金塊を盗み取られているということなのだが、それに気付いた読者はどれだけ居るだろうか?

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1039.html#c1

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
1. 中川隆[-11228] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:27:52 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[10]
Wharfedale.co.uk(本社:英)HP
About – WHARFEDALE
https://www.wharfedale.co.uk/aboutus/

Wharfedale 製品一覧 ワーフデール
https://audio-heritage.jp/WHARFEDALE/index.html

Wharfedale 販売代理店 ROCKY international
http://www.rocky-international.co.jp/wharfedale_index.html

ワーフェデール(WHARFEDALE)とは、イギリスのブラッドフォードとその近郊に本社を置く高級オーディオメーカーであり、専らスピーカー専業メーカーとして知られる。名称は創業地の地名に因む。

1932年、ギルバート・A・ブリックスによって創業。当初はラジオ用のラウドスピーカーなどのオーディオ機器を製作していた。1950年には2ウェイスピーカーを製作、その性能の良さを披露するためロンドンのフェスティバルホールやニューヨークのカーネギーホールにて、生演奏と自社のスピーカーシステムを聴き比べさせるデモンストレーションを行い、大きく知名度を得ることになる。

なお、ギルバート・ブリックスは1948年に著したスピーカー設計理論書でも知られ、自身も名うてのピアニストであった。

ワーフェデールは、その後に企業拡大し、1967年には「Denton」シリーズ、1981年には今日に至る主力ブランド「Diamond」シリーズをリリースする。日本では1950年代から三洋電機が輸入販売を行っていたものの、知名度に大きく劣り販売で苦戦を強いられた過去があり、何度か輸入が途絶えたり代理店が変わったりしているが、2002年よりロッキーインターナショナルがオーディオ製品の販売を担っており、オーディオファンから一定の支持を得ている。特に2010年に販売されたDIAMOND10.1は世界でヒットし、日本でも大きく名が売れるきっかけとなった。

海外ではホームシアター用スピーカーやイヤースピーカーなども販売している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c1

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
2. 中川隆[-11227] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:38:56 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[11]
カリスマ音楽評論家 宇野功芳が 50年間使っていたワーフェデールのスピーカー


宇野功芳氏のこと(追補)
http://audiosharing.com/blog/?p=21833

2016年6月にに宇野功芳について、少し書いている。
宇野功芳氏のオーディオについて、もう少しわかったことがあるので書いておく。

コントロールアンプは「宇野功芳氏のこと」で書いているように、マランツのModel 7。
パワーアンプはQUADのIIである。

この組合せは、瀬川先生がModel 7を導入されたときと同じである。
宇野功芳氏は、青木周三氏のアドバイスにしたがって、
当時かなり高価にもかかわらず購入を決められている。
(若い世代の人に、青木周三氏といっても、誰ですか、といわれるんだろうな。)

スピーカーも青木周三氏のアドバイスによるものだそうだ。
スピーカーの中心となるのはグッドマンのAXIOM 80である。
ウーファーはワーフェデールのSuper 15、トゥイーターはSuper 3である。

自作のスピーカーということになる。
最初はすべてワーフェデールのユニットによる3ウェイ、
スコーカーはSuper 8で、ウーファーはSuper 12だったのを、
まずスコーカーをAXIOM 80に交換され、ウーファーを口径アップされている。

エンクロージュアはバスレフ型。
ネットワークについては不明。

アナログプレーヤーはトーレンスのTD126MKIIIに、SMEのトーんーアーム。
カートリッジは、これを書くにあたって参考にしている「音楽の空間(男の隠れ家増刊)」によれば、
シュアーのULTRA 500である。

CDプレーヤーの写真はなく、ただラックスマンと本文にあるだけだ。

「音楽の空間」にはこうある。
     *
青木さんはオーディオ評論家として一風変わっていて、分離の良すぎる音より、演奏会場のいちばんいい席で聴こえる音、実演に近い音をめざす人だった。それが宇野さんの志向にもぴったり合ったという。あるとき、別のオーディオ評論家が最新の器材をつないでくれたことがあるそうだが、さっぱりいい音が出ず、その評論家が「おかしいなあ」と首をかしげる結果に終わったそうだ。
     *
青木周三氏をオーディオ評論家とするのは少しばかり異を唱えたいが、
宇野功芳氏が志向されていた音の一端は伝わってこよう。

「音楽の空間」に載っているModel 7は、
中央の四つのレバースイッチのひとつ、右から二つ目がいちばん上に上げられている。
Model 7を使われている方、詳しい方ならば、
このスイッチが何なのかおわかりだから、これ以上は書かない。
http://audiosharing.com/blog/?p=21833
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c2

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
3. 中川隆[-11226] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:45:12 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[12]
カリスマ音楽評論家 宇野功芳が死ぬまで 50年間ずっと使い続けていた装置

スピーカー

Wharfedale スーパー3
Wharfedale スーパー15
Goodmans AXIOM80

エンクロージャー : テレビ音響製9立方フィートマルチホール型


プリアンプ : 米マランツ♯7
パワーアンプ : 英クォードU型モノーラル用2台


宇野功芳

上のアンプとスピーカーは いずれもモノーラル時代あるいはステレオ初期の名品である。 今のものに比べると、周波数レンジは狭いし分解能も悪いが、中音域の美しさ、豊かさ、気品は最高で、使用年数は実に五十年を超える。

他のプリアンプと聴き比べたが、マランツ♯7の音は冷たい位の気品が他のプリアンプとはまるで違う。 清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったが、それが正解だった

QUAD II の音質の暖かさと柔らかさは無類である

QUAD II を QUAD のトランジスター・アンプに変えると、最初は楽器の細部のニュアンスが良く聞き取れて愉しめたが、すぐにうるさくなってしまう。 QUAD IIの暗く沈んだ音は何時間聴いても飽きない、疲れない。


青木周三
Marantz とマッキントッシュの真空管式パワーアンプは音が硬くて音楽を聴くのには向かない。メインアンプは QUADII以外には考えられない

Axiom80 は JBL の 30cmウーハーと組み合わせて、大型のエンクロージャーに入れると真価を発揮する。


____


クラシック音楽の世界に於ける音響的な部分に対する異常とも言える執着は、音楽ホールやオーディオ製品に強く反映している。いづれの場合でも、音楽の核心を確実に聴き手に届けると言うよりも聴き手に"快く感じさせる"ということに重点が置かれる。

音楽評論家であり、指揮者でもある宇野功芳という人は若い人にカリスマ的人気があるらしい。

その人のオーディオの"主治医"の青木周三と言う人は

「分割の良すぎる音より、演奏会場の一番いい席で聴こえる音、実演に近い音」を目指す人だという。

分離が良くない、つまり各声部の音がお団子状に固まって聴こえると言うことはどの様な音楽にとってもプラスの条件ではない、

特に多声的な音楽に対しては致命的なマイナス条件なのだがその様な装置で聴けばゲシュアルトやモンテヴェルディのマドリガルはつまらない曲だと思えるのが当然だ。

しかし元々そんなものは価値のないものだと思っているとすれば自分の装置が真実を伝えて居ないことに気付かずに終わるであろう。


 そして、分離の良すぎない音、つまり、分離の悪い音が良い演奏会場の条件だと言うことになってしまう。

宇野功芳という人は

「名ホールとは演奏を美化する。これが第一条件だ、

舞台上の残響に身を包まれて演奏しているとホールが自分を助けてくれている、という喜びで体を満たしホールに任せる気になる…・・

強い和音が鳴った後に残る長い残響はいつまでもその中に浸っていたいと思う程で……」

と述べている。


私は宇野功芳がクソミソに言う日比谷公会堂や東京宝塚劇場(昔の)でシンフォニー オブ ジ エア、ウィーンフィル、ボストン響、イタリアオペラの数々を聴くことが出来た。

それらの体験は確実に音楽の世界に引き入れてくれたのである。今にして思えば、優れた演奏家は美化される必要がないと言うことだったのだと思う。

美化とは或る意味で歪曲なのだから(それは宇野功芳本人も認めている)なのだ。

昔からタイル張りの風呂場で唄を歌うと、上手になったような気がすると言われてきた。現在のカラオケサウンドもそういう錯覚に基づいているのだ。

残響の長いホールというものは演奏家が自己陶酔に浸る分にはいいのかも知れないが、肝腎の聴衆が音楽の核心を掴むことを妨げる、ということに気付くべきなのではないだろうか。

80年代以降、いわゆる"音響の良いホール"が全国各地に出来たのだが、正にそれに符節を合わせるようにクラシック音楽人気が凋落してきているのは偶然ではないだろう。
http://www.amadeo.jp/kyuukyoku.html


>宇野功芳のオーディオの"主治医"の青木周三と言う人は
「分割の良すぎる音より、演奏会場の一番いい席で聴こえる音、実演に近い音」を目指す人だという。

>分離が良くない、つまり各声部の音がお団子状に固まって聴こえると言うことはどの様な音楽にとってもプラスの条件ではない、


つまり、宇野功芳さんはフルトヴェングラーやブルーノ・ワルターが指揮する19世紀のドイツ音楽にしか合わない装置を特に選んで使っているという事なのですね:


クラシックの核心: バッハからグールドまで 片山 杜秀 (著)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」


______


山之内 正の週刊 AVラボラトリー
音楽評論家・宇野功芳氏の試聴室再訪 − 音が激変した理由とは?
2013年 07月 17日 (水曜日)
http://www.infranoise.net/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B/


先日、音楽評論家 宇野功芳氏の自宅試聴室を再訪した。

宇野氏と私の共著『音楽と音の匠が語る目指せ! 耳の達人 』(音楽之友社刊)の企画で互いの試聴室を訪ねたのは昨年の秋だったと思う。 ところが、

「最近、再生システムの音がガラリと変わったので、山之内さん、ぜひもう一度聴きに来て!」

とレコード芸術最新号の誌面でご指名があった。それを読んだ私がディスクを何枚か持参し、9ヶ月ぶりに訪問したのである。

宇野功芳氏の愛用システムは数十年変わっていないが、今回プレーヤーとプリアンプ間のラインケーブルを交換した宇野氏の再生システムはどの製品も使用歴数十年以上と、年季が入っている。

マランツ#7、Quard II、ワーフェデールという組み合わせはアナログレコード時代から不変で、CD登場後にスチューダーのD730とラックスマンのD7を追加。

ワーフェデール製ユニットを収めたスピーカーは途中でミッドレンジをグッドマンに変えるなど小さな変更はあるが、こちらは半世紀以上愛用しているという。

再生音については前掲の本に詳しいが、全帯域で分解能が高く、音の速さもよく揃っているので、演奏のニュアンスがよく伝わり、低音と高音のバランスも良好。

空間表現は最新のシステムほど得意ではないが、音数や基本的な情報量では遜色がなく、演奏評にはとても適していると思う。

前回の訪問時に唯一気になったのは、D730 では中高域がやや硬めの音色になることで、それが目立ちにくいラックスマンの D7 をメインにすることをお薦めした。

「音がガラリと変わった」という冒頭の感想は、機器を入れ替えたためではない。

D730 と #7 の間のラインケーブルをインフラノイズの LIBERAMENTE に変え、D730につないでいた同社のクロックジェネレーター GPS-777 との配線も LIBERAMENTE のクロックケーブルに入れ替えたら、音が大きく変わったのだという。

D730 にはインフラノイズのクロックジェネレーター GPS-777 がつながっている。

クロック用ケーブルもインフラノイズの LIBERAMENTE に新調


「以前はD730の音を長時間聴いていると疲れやすく、ある種のうるささがありましたが、ケーブルを変えたらそれが気にならなくなりました」

と宇野氏は説明する。また、システム導入以来ずっと #7 のトーンコントロール機能で低音を 1ステップ下げて聴いていたのが、ケーブルを交換した後はノーマルの位置でちょうど良いバランスになったという。これも実に興味深い話だ。

#7 のトーンコントロールが数十年ぶりにノーマル位置に戻った。

これまでは1ステップ絞った位置で聴いていたという実際にケーブル変更後のシステムで CDを再生してみた。

宇野氏が大阪フィルを振った《フィガロの結婚》序曲(EXTON OVCL-107)を聴くと、以前は硬さが気になっていたオーボエが他の楽器と自然に溶け合う音色に変わり、低弦の旋律と内声のリズムは以前よりも明快な音で耳に届き、細部まで動きがクリアだ。

トーンコントロールをノーマルの位置に戻したことで低音の量感は増しているはずなのだが、中低音はこもるどころか、前よりもすっきりとした響きを獲得している。これはたしかに大きな変化である。

佐藤久成のヴァイオリン独奏(『オード・エロティーク』 Years & Years Classics YYC 0004)は、以前聴いたときに感じた余分な圧力が一掃され、本来の自然なアタックが蘇っている。ブレースやフレージングが以前よりなめらかに感じられるのもその影響だろうか。


次に、最近私が試聴会などで使っている優秀録音盤のなかから何枚か試聴。

まずはレーゼルのピアノ独奏によるモーツァルトのピアノ協奏曲(モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番&第27番 KING RECORD KIGC12)を聴いた。ドレスデンのルカ教会で収録された注目の新録音で、上方に抜ける柔らかい残響と、力みのない音色で緊密な響きを作り出すピアノとオケの見事なアンサンブルが聴きどころだ。

演奏の特徴を忠実に引き出すだけでなく、録音会場の広々とした空間など、立体感の表現にも開放的な伸びやかさが感じられる。

同じシステムなのに以前とはかなり印象が変わった。


次に、グールドが演奏する《ゴールドベルク変奏曲》の石英ガラス CD(StereoSound SGCD02)を聴いた。

数え切れないほど聴いた演奏なのに、いま初めて聴くような鮮度の高い音が澄んだ音色で浸透し、グールドのハミングはもちろん、ブレスまでもリアルに再現、スピーカーの奥にグールドが座っているような臨場感がある。宇野氏も

「これまでは彼の声がない方がいいと思っていたけど、これで聴くと嫌じゃないね。演奏のニュアンスもとてもよくわかる」

と感心していた。


そのほか、ムラヴィンスキー&レニングラードフィルのチャイコフスキー《悲愴》など数枚のディスクを聴き、以前に比べて中高域のきつさが影をひそめる一方、明らかに音色がクリアになっていることを確認した。


「いまのバランスが凄く気に入っている」

という宇野氏の目下の心配事は、「これ以上音が良くなったら困る!」ということ。

なんとも贅沢な悩みだが、その気持ちはよく理解できる。

音の基準が変わったら演奏の評価基準にも影響が及ぶのは避けられないからだ。

しばらくは機材やケーブルを変えず、いまのバランスを維持した方が良いのでは?というのが私のお薦めだ。
http://www.infranoise.net/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B/


インフラノイズ (ブランド名 ORTHO SPECTRUM) HP
http://www.infranoise.net/about-us/
http://www.infranoise.net/products/


『「音楽」と「音」の匠が語る 目指せ!耳の達人』 宇野功芳・山之内正 共著 (2013.6.21)

音楽評論家=宇野功芳さんとオーディオ評論家=山之内正さんの2人が、クラシック音楽をより深く楽しむ、というテーマの対談だ。

宇野さんは音楽評論家として半世紀を超えて活躍してきた。

フルトヴェングラーとかクナッパーツブッシュへの偏愛はご存じの通り。

山之内さんは、雑誌『Stereo』などで活躍している。

お互いのリスニング・ルームを訪問するのも楽屋話的な面白さ。

宇野さんの装置について、山之内さんが「年季の入ったものだが、古びた音ではない」と言うのも、なかなか人柄を感じさせますね。


宇野によれば、演奏の良し悪しは最初の30秒を聞けばわかるという。

鑑定人が陶器をぱっと見たときに価値がわかるという感覚だ。

録音が良いというのと、音楽の本質が伝わるかどうかは、別の話。

音のバランスが良ければ、音楽も演奏も十分伝わる。

演奏家の個性もわかるし、もちろん曲の良さもわかる。

昔の旧式なラジオで聴いても十分満足できて感動できたのだから。


山之内は、録音や再生に共通する目的は、ただの音ではなくて演奏であり、その向こうにある作品を聴くことだと言う。

実際には、録音や再生でゆがめられてしまったり、指揮者や演奏家が前面に出てきて、作品にたどり着けない要素がある。

それらを超えて、本来の作品の姿が聞こえてくるのが理想だと。


オーケストラの響きは耳だけで聴いているわけではない。床や椅子からの振動を骨伝導によって身体全体で音を聴いている。耳では聴こえないような低い音(暗騒音)から空間の大きさや遠近感を無意識に感じ取っているのだ。

音から伝わる情報の量と質は再生装置や環境によって大きく変わる。

音域ごとに音の大きさが揃わないという問題がある。

もうひとつは音色や応答性の問題だ。

音色を忠実に再現できない装置でオーケストラを聴くと、フルートやオーボエなど特定の楽器の音色がきつくなったり、逆に沈みがちになってしまう。

応答性(音の立ち上がりと減衰)に問題があると、消えるはずの音が余分に残ってしまう。


再生装置を評価するとき、山之内はまずバランスを聴くそうだ。

オーケストラでいえば、弦楽器と管・打楽器、弦の中では低弦と高弦のバランスを重視する。

ハーモニーが聞こえて来ないと音楽はわからない。

ひとつひとつの音がすべてクリアに出てくるというのは、コンサートで体験する現実の響きとは違うと。


さらに、空間表現がどれだけリアルかということ。

音像の大きさや距離感などが、コンサートホールで聴いているような感覚になるかどうか。

スピーカーが置いてあっても、もっと奥から音が出て、その存在が感じられないこと。

音の立ち上がりが大事。

周波数的に盛り上がっていても、音の立ち上がりが鈍いと、よく聞こえない。

楽器の音色というのは、音の立ち上がりの部分で判別される。


録音技術は飛躍的に進化したが、特に空間再現という点では、実演と録音の間のギャップはまだまだ大きい。

実際の演奏会場では聴き手の周囲すべての方向から残響が耳に届き、楽器の響きや空間の大きさを感じさせる。

聞き取れるかどうかの限界に近い弱音とかオケのフォルティシモの大音圧、どちらも家庭では再現が難しいものだ。
http://www21.ocn.ne.jp/~smart/Mimi-130621.htm


再生音はどこを目指すか


私は生の演奏が好きである。様々な音楽をオーディオだけでなく、生でも聴く。ロックや民謡、浪曲から、クラシック、ジャズまで。音楽芸術が好きなのである。

生の音を聞き、自分のオーディオの音とを比べる。

違和感があれば、どこが違うのか追求する。

録音する際、エンジニアによって音は変わっているということは百も承知である。しかし、広く色々な音楽を聞くうちに、何となく基準となるものが出来上がっている。


私が感じる実際の音楽の特徴は次のようなものだ。


1.音量が大きくても、あまりうるさいという感じはしない。

2.音の出方は前では無く、左右後方、上方に広がる。ホールであれば、エコー成分が良く聞こえる。

3.楽器の音は、オーディオでいわれるほど分離感はなく、全体から聞こえる。

4.聞き疲れしない。

5.ホールなどでは、小さな音でも良く聞き取れる

6.意外と刺激的な音はしない。


どうだろう。

もう一つ、マイクを通した音は聞きづらいことがあっても、オペラやクラシックなどマイクを通さない音は意外と聞き取れることを感じたことはないだろうか。

未経験の方は是非クラシックの演奏会へ行ってみてもらいたい。

小さな音でも良く聞き取れるのである。何が違うのか。

私はこれを“聴感上歪”に起因すると考えている。

物理学など、科学によって求められた低歪の現代のオーディオ機器。

本来歪など無いはずなのに、音量を上げるとうるさい、と感じる方は多くいらっしゃるだろう。

私はこれを聴感上歪と呼んでいる。

つまり、オーディオで音楽を聴く場合、音量を上げてもうるさくならない音。

簡単にいえばこれが、一番重要である。

聴感上の歪が無いのである。

高音から低音まで綺麗に再生されて、それでいてうるさくない音。

ある程度の音量でも会話ができ、音は前にではなく、左右後方上方に広がり、エコー成分(または気配など)が綺麗に再生されること。

スピーカーの存在が消えるなど、オーディオのクオリティが上がれば自然にこのようになっていく。


人間の耳はまだまだ未科学である。科学で、絶対と思って作った製品が必ずしも実際の音と同じように聞こえないのは、エンジニアならだれでも分かっているはずである。

1930年代の頃は原音重視であった。アメリカやドイツは国の威信かけて開発していた。

私は、オーディオ機器はこの時点でほぼ完成してしまったと思えるのである。

そして、現代の技術を加えれば、真空管式アンプやフィールド型スピーカーが最も原音に近い再生音が出るというのは私にとって揺るぎが無い事実なのである。
http://omsound.exblog.jp/15834589/


___________


要するに、オーディオ評論家の宇野功芳さんは仕事上、自宅のマンションの6畳のリスニングルームで毎日6時間、7時間 大音量で音楽を聴かなければならないので、以下の条件を満たす機器しか使えないという事でしょう:


クラシックしか聴かない
リスニングルームは6畳
疲れる音は ×
音楽の陰影が巧く表現できないと ×
低音が出て、スケールが大きな音で、音場感も良くないと ×
楽器の音色が正確に再現できないと ×
故障が多いものは ×


即ち、

音が硬いトランジスター・アンプ や マランツ・マッキントッシュの真空管式パワーアンプは ×

故障が多いマランツの真空管式パワーアンプは ×

低音が出ない小型スピーカーや QUAD の静電型スピーカーは ×

クラシック音楽の陰影が表現できないJBLやアルテックやマッキントッシュのスピーカーは ×


従って、QUAD II型アンプ と ワーフェデールかグッドマンの 3 way スピーカー以外は最初から対象外になってしまうのですね。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c3

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
4. 中川隆[-11225] koaQ7Jey 2020年9月22日 09:53:36 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[13]
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記H
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml

 2006年7月、キングインターナショナルから、ぼくの唯一の弟子である有山麻衣子の「幻のコンサート」(KDC6001)が発売されたが、この無名のソプラノ歌手のCDが売れに売れ、2007年3月には4000枚を超えたとの報が入った。4000枚。これはおどろくべき数字である。CDの帯には《女神が導いたかのような天使の歌声》というキャッチ・フレーズが書かれているが、今の世にヴィブラートのないピュアな声が受けたのかもしれないし、昔の文部省唱歌やなつかしい童謡の数々が心を癒したのかもしれない。もう一つ、インフラノイズによる超高音質録音も大きな力になったのであろう。

 あまりのフィーバーぶりに2007年には2枚目のCDが企画された。有山麻衣子はぼくが跡見学園女子大学合唱団の常任指揮者をつとめていた頃の学生で、4年間指導したが、類稀れな美声の持主なので、卒業後はぼくが歌謡曲シリーズをつづけているプロの女声アンサンブル、フィオレッティに賛助出演させることにした。そして2度目の「幻のコンサート」録音ではフィオレッティの若手メンバー2人を加え、トレフォリーネという女声三重唱団を結成、それをメインに有山のソロ8曲を入れて1枚のCDに仕上げようと考えたのである。インフラノイズの録音も有山の独唱も前回以上にすばらしく、トレフォリーネもなかなかの出来ばえだったので発売できると喜んでいたのだが、三重唱のCD化は時期尚早という強い意見がメンバーから出てボツになってしまった。トリオはともかく、そのことによって有山麻衣子の名唱「さくら」「嬉しい雛まつり」「かもめの水兵さん」「みかんの花咲く丘」「めんこい仔馬」「夜のルムバ」「森の水車」「想兄譜」が日の目を見ずに消え去ってしまったのは実に心残りの極みである。

 ところで前回の「幻のコンサート」がCD化されたとき、有山はまともな再生装置を持っていなかった。自分のCDが出るというのにそれでは仕方がない、というので、ぼくはオーディオに詳しい友人と秋葉原を歩きまわり、彼女のためのスピーカーとアンプを探し求めた。値段が手頃で音質の良い品というのはなかなか見つからなかったが、その友人がすすめてくれたデンマークのダリというメ−カーの超小型スピーカー「Menuet」と、マランツのプリ・メイン・アンプPM6100を求めることにした。

ぼくはもともとマランツのアンプの音がクラシック向きで好きだし、ダリは初めて耳にしたが、手のひらに乗るような小型スピーカーなのに、ヴォリュームを上げても音が割れず、中音が充実、低音も大きく張り出し、高音の透明感も十分に満足できる。すごい世の中になったものだ、と感心した。しかし友人がいうには、こういう小型で安価なスピーカーのグレードは驚異的に進歩したが、自分のようにもっと高級な品を求めようとすると、昔に比べてずいぶん音質が悪く、スピーカーが買えなくて困っているという。

eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_m※画像はイメージです。

 それはともかく、秋葉原で選んだアンプと2台のスピーカーは全部で15万円ぐらいだったと思う。有山の部屋で鳴らしたが、「第九」のコーラスのフォルティッシモがオーケストラを伴って部屋全体を満たしたときは本当にびっくりした。ピアノのソロもすばらしい。彼女もすごいですね、と大満足。もちろん「幻のコンサート」も上々。これで1、2ヶ月エイジングをすればスピーカーも柔軟性を増していっそう良くなるはずだ。ちなみに、プレーヤーはぼくが予備に持っていたラックスマンのD500X'sを貸すことにした。ぼくが必要になったときは、前記マランツのアンプと対になったCDM1を買えばよい。この組み合わせは安価なわりに音質が優秀で、大いにおすすめしたい。もっともラックスマンは高級品なので音はやや落ちるだろうが、なんといっても再生装置の音を決めるのはスピーカーである。

 ぼくは1990年前後にオーディオ誌『サウンド・トップス』にオーディオの試聴記を連載していた。曰く、「音楽家が聴く最新オーディオ製品」。毎月、同社の試聴室に足を運び、新製品の聴き比べをするのだが、ラックスマンのプレーヤーもその試聴時、いちばん気に入ったので購入したのだ(その後、このD500X'sはD7に改良され、今はそれを使っているが、現在ではもう手に入らない)。

『サウンド・トップス』のスピーカー試聴で最も気に入ったのはイギリスのハーベスHLコンパクトで、ぼくは何人の人にこの製品をすすめたか分からないが、買った人はみな大絶讃だ。音は生々しく、硬くなく、中音の充実感満点、前記ダリのMenuetをさらに良くしたような音質だったが、その後、マイナー・チェンジして音質改良。そこまでは良かったが、現在は今流行の音に変えてしまったようで、まことに残念。今流行の音というのは高音から低音までムラのない透明な音で、中音が張り出していないため、厚みのある充実感が出ない。その友人は必死になって昔のハーベスを探しているが、なかなか見つからないらしい。彼は仕方がないからB&WかJBLの高級機にしようか、といっているが、ぼくは懸命になって、あわてるなと説得しているのである。

2007年11月記 [宇野功芳]
2018年5月30日
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000024.shtml


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宇野功芳については

宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1080.html

宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/529.html

作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c4

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
5. 中川隆[-11224] koaQ7Jey 2020年9月22日 10:11:23 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[14]
赤帯マグネットに駄作なし - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年11月21日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/4aa33f096b5cefcbf988374d23fe9287


オーディオの華といえば「姿かたち」といい、その機能からいって「スピーカーに尽きる」ことに誰も異論はあるまい。野球でいえばエースであり4番バッターである。

ここがしっかりしていないと組織的にガタガタになる(笑)。

たとえば「しょぼいアンプに豪華なスピーカー」 VS 「豪華なアンプにしょぼいスピーカー」のいったいどちらが絵になるのか、もう言わずもがなだろう。

これまで、SPユニットに対してああでもない、こうでもないと長いこと彷徨ってきたが、事(こと)ここに至ってようやく二つに収斂してきた。

一つは「昔のJBLサウンド」であり、もう一つは「古き良きブリティッシュサウンド」だ。両極端のようだが、実は音質に似通ったところがあると思うのは自分だけだろうか。

さて、ずっと愛でてきた口径30センチのユニットのうち「D123」(JBL)、「AXIOM150マークU」(グッドマン)、そして「フィリップス」の花の3姉妹のうち、ご承知のようにフィリップスを嫁に出したので何だかポッカリと心に隙間ができてしまった。

その空白を埋めるかのようにオークションで目に入ったのが「ワーフェデール」(イギリス)のユニット(口径30センチ)だった。

「ブリティッシュサウンド」ファンにとって「ワーフェデール」と聞いただけで胸がときめく。

先年亡くなられた音楽評論家の「宇野功芳」氏が3ウェイシステムのうちウーファーにワーフェデールを、中音域にAXIOM80を使っておられたことを思い出す。

そのブリティッシュサウンドの代表格ともいえるワーフェデールだが、出品タイトルには「水彩画のような気品あるイングランド・トーン 英Wharfedale12インチ〜希少なアルニコ赤バンのフルレンジタイプ〜」とあった。

    

解説文にはこうある。ちょっと長いが引用させてもらおう。

イギリス Wharfedale社の12インチ ( 30cm )、フルレンジ (ウーハ−)、Super12系のユニット。前期の赤帯のアルニコ・マグネットを背負った希少なユニットです。pair での出品になります。

さすがに、このクラスのユニットになると、重量のあるがっしりとしたフレームが採用され、作りに手抜きは見られません。フルレンジがベースになっているようですが、センターキャップの大きさからボイスコイル直径を想像するに、ウーハ−として使用した方が無難なようです。

ただ、もともとの作りがフルレンジであるだけに、このサイズとしては、高域も比較的よく伸びています。(アメリカ系によく見受けられるワイドレンジ・ウーハ−といった感じです。)したがいまして、クロスもかなり広範囲で選ぶことができますので、2way構成も可能だと思います。

また、ツイーターについても、Super 3やSuper 5が一般的でしょうが、その他、広い範囲から選ぶことができると思います。(フルレンジに近い作りですので、一般的なフルレンジ+ツイーターといった使い方もできます。)
当方では、同じWharfedale社のSuper 5 ツイーターと、クロス3,000Hz前後、ツイーターのローカットのみ、−6dB/Oct.で2way を組んで、後面開放の箱で聴いておりました。

音質的には、水彩画的といいいますか、ウェットでありながらさらっとした音質が魅力的だといえます。自らをあまり主張し過ぎない、当時の、気品あるイングランド・トーンといえるかもしれません。

後期のフェライト・マグネットのユニット(Super12系)と比較すると、切れ味では及びませんが、アルニコ特有の中域の充実とともに、音の柔らかさ、しなやかさでは優れているように感じました。(ツイーターをSuper 3にすると、こちらは強い音質のツイーターですので、また印象が変わるかもしれませんが。)

以上のとおりだが、これだけ熱の入った解説文を記載されるほどだから出品者は相当の愛好家だとお見受けした。

何といってもAXIOM80に代表されるように「赤帯マグネットに駄作なし」で、とてもいい音がしそうですねえ。

実は1年半ほど前にワーフェデールのツィーター(口径10センチ)を手に入れて今でも愛用中である。これも赤帯マグネットだが、図体に似合わぬ大きなマグネットが付いている。

周知のとおり、音の切れ味はマグネット(磁束の量)で決まる。

      

通常のツィーター(金属のダイヤフラム)にはとうてい望めない弦の響きが大いに気に入って、わが家ではダントツの存在感を示しているが、今回のユニット(口径30センチ)を購入して2ウェイにすると「ワーフェデールの純正の組み合わせ」が期待できる。

そう思うと「矢も楯もたまらず」即決欄をポチッ(笑)。
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「好事魔多し」 ⇒ 「禍福は糾える縄の如し」 - 「音楽&オーディオ」の小部屋
2017年11月23日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/58f727f33cbe37c8e00d6321bce6334a


前回からの続きです。

オーディオ仲間によると「ワーフェデールは古き良きブリティッシュサウンドの代表格ですね」とのことだが、その口径30センチのユニットをオークションで無事ゲットして順調に我が家に到着。

   

さっそく予備の専用のバッフルの穴あけに取り掛かった。簡単な塗装と合わせて2時間ほどかかって完成後の画面がこれ。

    

専用のエンクロージャー(自作:底板にARUを取り付け)には「鬼目ナット」を埋め込み、ネジ穴を合わせて3種類のユニットをバッフルごと入れ替えができるようにしている。

画像の左から「D123」(JBL)、「ワーフェデール」、そして「AXIOM150 マークU」(グッドマン)。

JBLとグッドマンの音は熟知しており、何ら不満はないがワーフェデールからどういう音が飛び出すのかハラハラ・ドキドキ・ワクワク〜。

インピーダンスが前二者は「16Ωと15Ω」だが、ワーフェデールは「8Ω」なのでネットワークの交換が必要になる。

ここで鳴らし方に4つの選択肢が出てくる。

1 フルレンジで鳴らす。オーディオは「音源が一つ」が理想なのでこれが王道である。

2 フルレンジで鳴らしたままローカットしたツィーターを追加して鳴らす。

3 クロスオーバー4000ヘルツ前後(12db/oct)のネットワークを使って2ウェイシステムを構築する

4 低音域だけネットワーク(4000ヘルツでハイカット)を使ってハイカットし、高音域は別途に良質のコンデンサーでローカット(6db/oct)する。この方式は、コンデンサーの容量次第で高音域の音量調整を自由にできるメリットがある

それぞれ一長一短だが、今回は4でいくことにした。1〜3はゆっくりと時間をかけて後日検証することにしよう。

そういうわけで、まずはネットワークの交換(インピーダンス:8Ω用)から始まった。

前回のブログで述べたようにツィーターは同じワーフェデールの口径10センチのユニットなので、今回はまさに「純正の組み合わせ」といえる。

      

ちなみにツィーターのローカット用のコンデンサーには「ブラック仕様」(ウェスタン製)を2個パラって計7μF(マイクロファラッド)前後とした。            

簡単な結線を済ませて、出てきた音を聴いたとたんに「これは素晴らしい!!」(笑)。

出品者様(元の持ち主)が「水彩画のような気品あるイングランドトーン」と評されていたがまさにその通り。

どちらかといえば淡い色調の細身の音ですっきり感が漂う、そして控えめな自己主張の中に何ともいえない気品が満ち溢れており、弦楽器はことさらに艶があって瑞々しい。自分が理想とする「爽やかな風のように吹き抜けていくサウンド」としては満点に近い。

この音を聴くと、グッドマンは濃い色調の油絵みたいに映るし、JBLは現物に忠実な写実的な絵画を思わせる。

いずれも好き好きだが、自分にはワーフェデールが一番相性が良さそうで、これは永遠のシステムになりそうだ。

ところが「好事魔多し」(笑)〜。

そのうち、左のチャンネルから弱音時にガサゴソと小さなノイズが発生するではないか!

いい音がするユニットほど繊細なツクリなので故障しやすいことはAXIOM80の例を見るまでもない。ひたすら故障しないことを目的として作られる工業製品とスピーカー製品との一番の違いはそこにある。

したがって、スピーカーには「ハイリスク ハイリターン」がつきものだ。

すでに出品者に対して「非常に良い評価」(オークション)を済ませているのだが、改めて「片方の1本からノイズが発生します。いかがしましょうか」と、持ち掛けたところ予想した通りとても誠実な方だった。

すぐに返信が来て、次の3つの選択肢を提示された。

1 「契約の解除」 2 「同一ユニットのスペアがあるので交換」 3 「入札額の半分を返還する」

もちろん、2の「スぺアとの交換」を選んだのだが、出品者様が仰るには「ほんのちょっとしたノイズならバッフルへの取り付け角度を変えたら治る場合がありますから試してください」。

そういえば、あのデリケートな「AXIM80」でも似たような経験があったので、バッフルへの取り付け角度を上下逆にしたところすっかりノイズが収まってしまった。これにはうれしい悲鳴。

さっそく出品者様に連絡した。

「お説の通りにしたら治りました。おそらく輸送中の影響でコーン紙に歪みが出ていたのでしょう。かなり繊細なユニットですね。しかし、今後に不安が残りますし音質的には大変気に入りましたので、よろしかったらスペアの分も適価で譲っていただけないでしょうか?」

たいへん虫のいいお願いをすると、次のようなご回答をいただいた。(要旨)

「まずは一安心といったところでしょうか。Wharfedale のクロスエッジは柔らかめですので、12インチとなると、こういうことも起こるんでしょうね。柔らかめのエッジは、Wharfedale 社がエッジに関してはHigh Sensitivityを何より重視していた会社だったからだと思います。

さっそく明日スペアの方を送付しますのでマッチングを試してみてください。お値段はそれからのご相談ということにしましょう。」

もちろん異存はない。ほんとうに稀にみる誠実な出品者様だった。

ちなみに前回のブログを読まれたメル友の「お二人」さんから、相次いでご連絡があって「出品者は〇〇県の〇〇様でしょう。自分も希少なユニットを落札したことがあります。続編がとても楽しみです。」。

ビンゴ!(笑)。どうやら「スピーカー好き」の間ではたいへん著名な方のようだ。

それにしても、ちょっとした故障らしきもののおかげで予備のユニットまでもが手に入ることになったのだから、うれしさもひとしおである。

これこそまさに「禍福は糾える縄の如し」(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/58f727f33cbe37c8e00d6321bce6334a

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SPユニット「ワーフェデール」の後日談 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年12月09日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/11a3e2f44061b67509efd988f0c8af7d

先日、首尾よくオークションで手に入れた「ワーフェデール」のユニット(口径30センチ)だが後日談を述べてみよう。

    

その前に簡単に経緯を述べておくと、2本手に入れたうちの1本にかすかにノイズが発生し、出品者側(仮に「T」さんとしておこう)から、謝罪の意味を込めて信じられないほどの格安で新たな1本を譲ってもらった。

ほんのわずかな瑕疵なのにと、ご厚意に恐縮の至りだったが、いずれにしろこれでユニットが3本体制となった。

毎日じっくりと試聴しながらワーフェデールはこれまで使ってきたユニットのうちでもトップクラスとも言えるほどで、「やはり赤帯マグネットは素晴らしい。これでようやく理想とする音に出会った。」と、小躍りしているが、オーディオ仲間たちからも絶賛に次ぐ絶賛を浴びている。

となると、さらに欲が出てきた。「もう1本あるとペアが組めるなあ、そうすると希望する仲間に譲ってあげることができる!」

そこで、Tさんに交渉してみた。「たいへん厚かましいお願いですが、残りの1本も適価で譲っていただけないでしょうか。」

すると、「残る1本はボイスコイルのタッチがあってノイズが出ています。ユニットの裏側からスポンジを差し込んで調整中です。半年ほどこの状態を保てればおそらく良くなると思います。そのときはバッフルに取り付けるときに、プラス・マイナスの端子を上側にするといいでしょう。そういうことでよければ〇円でいかがでしょうか。」

これまたほんとうにありがたいお話だった。一も二もなく応諾して、商談成立。すると、Tさんから「スポンジを装着したまま送付しますのでご参考になさってください。」

ほどなく到着したのがこれだった。

   

スポンジの「はさみ方」といっても、聞いただけではどうにも腑に落ちなかったが「百聞は一見に如かず」でようやく納得がいった。なるほど、ボイスコイルのタッチ対策としてこういう矯正方法もあったのかと「目からうろこ」だった。

Tさんに対して無事到着のお礼とともに、「スポンジの件、ブログを通じて広く紹介させてもらっていいでしょうか?」と、お伺いを立てると次のようなご返信があった。

「この方法は、私のオリジナルでもありませんので、どうぞ、ご遠慮なく。自分の気に入ったスピーカーがボイスタッチで鳴らせないでいる趣味家さんにとって、朗報となれば、私も趣味家の一人としてうれしく思います。

ただ、3点ほど補足しておきます。

☆ あくまでも最終的にだめなら専門家に依頼ですよ。(ダメ元の精神で。)

☆ フィックスド・エッジの場合は、コーン紙の方が変形する場合が多いので不向きです。(ロール部分が柔らかければ可能です。)

☆ 持ち上げたい点がフレーム位置の中間にある場合は、その点の左右の2カ所のフレームを使ってスポンジを挟みます。

以上のとおり、Tさんのご理解によりこうして「スポンジのはさみ方」が日の目を見ることになってたいへんありがたい限り(笑)。

とはいえ、世の中の大半のユニットはフィクスド・エッジである。

フィクスド・エッジの場合は周知のとおり頑丈なツクリなのでボイスコイルへのタッチなどはほとんど有りえず、このスポンジ方式はおそらく無用の長物だろう。

そのかわり、音声信号への応答性が悪くどうしても音がこもりがちになって冴えない音になるのがフィクスド・エッジの宿命である。

あの繊細極まりない音を拾える「AXIOM80」は、そもそもエッジが無いツクリだし、ワーフェデールにしても極めて柔らかいロールエッジの持ち主なので、そういうユニットしか繊細な再生は望みようがないのが現実である。

ただし、一方ではエッジが不安定なのでボイスコイルのタッチが生じやすいのも事実なので、見方を変えると、(ボイスコイルのタッチは)「名誉の勲章」とでもいうべきもので繊細な再生ができることの証みたいなものだといえよう。

以前のブログで「SPユニットのツクリはハイリスク・ハイリターン」だと述べたが、そういう意味なのである。日本語で言い換えると「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だ。別に鬼の首を取ったように言うつもりはないが(笑)。

その一方、通常の2〜3ウェイシステムはフィクスド・エッジを使ったユニット(口径30センチ以上)の反応の鈍さを補うために、500ヘルツあたりから金属のダイヤフラムを使ったドライバーの出番となるのが一般的だが、これらはどうしても弦楽器の再生が金属的で乾いた響きになってしまうのが通例だ。

その点、柔軟なエッジを持つワーフェデール(フルレンジ型)は4000ヘルツあたりまで持たせても反応が鈍くならないので、赤帯マグネットの威力ともどもこれが愛用する一番の理由である。

以上、作者の特権で勝手に思うところを断定的に述べさせてもらったが、例によって勘違いや思い込みがあることだろうが、どうか悪しからず〜(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/11a3e2f44061b67509efd988f0c8af7d
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c5

[リバイバル3] ワーフェデール・スピーカーの世界… 中川隆
6. 中川隆[-11223] koaQ7Jey 2020年9月22日 10:17:42 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[15]
「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年12月14日

前回のブログと合わせて登場したアンプとスピーカーの組み合わせを整理してみると、

☆ 「PX25」シングルアンプ ⇔ 「ワーフェデール2ウェイ」

☆ 「171A」プッシュプルアンプ ⇔ 「オールJBLの変則3ウェイ」

☆ 「WE300B」シングルアンプ ⇔ 「AXIOM80」

いやはや、こうなると「三つ巴の戦い」というのか「三すくみ」の状態というのか。

広辞苑によると「三すくみ」とは、「ナメクジは蛇を、蛇はカエルを、カエルはナメクジを喰うとあるところから、3者互いに牽制し合っていずれも自由に行動できないこと」とあるので、こちらの方が表現としては適切だろう。

さて、この3つの組み合わせの中でどれが一番「いい音」だろうかと自問自答してみた。

どんなに高価で優秀なスピーカーであっても音楽ソースによって向き不向きがあり、およそ完璧なスピーカーというものはこの世には存在しない。たとえばボーカルの再生に限っては口径10〜20センチくらいのスピーカーが一番いい。歌手の口元がカバのように大きくならないから(笑)。

そこで、「いい音」かどうかは別にして一番「好きな音」となると少しばかり逡巡するがやっぱり「PX25アンプ ⇔ ワーフェデール」になるのかなあ。

ジャズ大好き人間なら一も二もなくオールJBLの「変則3ウェイシステム」にするのだが、根がクラシックファンなので・・・。

ワーフェデールは水彩画のような雰囲気の音の中に何といえない品の良さが漂っていて、ちょっと筆舌に尽くし難い。

ただし、「品の良さって何?」と問われると、ちょっと言葉に詰まってしまう。

どうしても感覚的な表現になってしまうのが辛いところだが、ただ一つ確実に言えることは「聴く人間を内省的にさせて秘めたる感情を揺さぶってくるような音」ということぐらいかな。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi

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「音楽&オーディオ」の小部屋 2017年12月30日
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7ac900dd846906519083950d2597b737

オークションで運よく手に入れた「ワーフェデール」(イギリス:口径30センチ)のユニットはまるでヨーロッパの貴族社会を思わせるような上品極まりない音質で大いに楽しませてくれた。

周波数レンジの過不足などのオーディオ的な問題をあれこれ詮索するような音ではなく、ただひたすら「音楽」に没入できるユニットだといえよう。

当初は同じワーフェデールの中高音域ユニット(コーン型)を使って2ウェイで聴いていたものの、クラシック以外のジャンルも聴きたくなったので現在はテクニクスの「EAS−25HH22」(4000ヘルツ〜:12db/oct)と組み合わせて聴いているが、まったく不満はない。

    

金属のダイヤフラムを使ったユニットとも立派に共生できるのでかなり柔軟性のあるユニットだと思う。

これで、中型システムとして「AXIOM80」「変則JBL3ウェイ」そして「ワーフェデールの2ウェイ」の3つになったが「いずれ あやめ か かきつばた」で、バラ色の日々を過ごしている(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7ac900dd846906519083950d2597b737

「音楽&オーディオ」の小部屋

オーディオ意欲が減退する SP ユニット 2018年09月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


口径30センチのSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)が我が家にやってきたのは忘れもしない8月31日のことだった。

         

それから2週間、このユニットとじっくり向き合ってきたがおよそ欠点らしい欠点が見当たらないのに驚いている。いや、けっして自慢するつもりはありません。ありのままの感想です(笑)。

オーディオ機器の中でもスピーカーやアンプなどは「あちら立てれば、こちら立たず」みたいなところがあって、長所と引き換えに短所には片目をつぶるのが「我が家における常識」だった。他家でどうかはいざ知らず・・。

とりわけ「音像定位」と「周波数レンジ」はなかなか両立せず、たとえばフルレンジは音像定位にとって理想的だが周波数レンジではどうしても劣るし、2ウェイとか3ウェイシステムは周波数レンジは確保しやすいが音像定位の面でどうしても劣る。

どちらを優先するかはそれぞれの好み次第だが、このトライアクショムは「同軸3ウェイ」だけあって「音像定位」と「周波数レンジ」が両立している。もちろん口径30センチのユニットだから重低音を期待するのは無い物ねだりというもの。

生演奏とは違って電気回路を使ったオーディオ機器に100点満点を期待するのは愚かなことだと、ずっと割り切ってきたつもりだがその常識がまさに覆されんとしている(笑)。

ただし、一方では困ったことが起きている。

これまで我が家では「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット」を入れ替えながら楽しんできた。

          

左からJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150 マークU」、ワーフェデール「赤帯付きマグネット」だが、それぞれに捨てがたい味があって日替わりメニューのように重宝してきた。

今回、これに4番目のユニットとして「トライアクショム」が加わったわけだが、この出現で他の3つのユニットの出番がまったく無くなってしまったのである。

まあ、気分転換という面では存在価値があるかもしれないが「いい音」の基準とされるあらゆるポイントで凌駕しているのだからどうしようもない。

ちなみに、そもそも「いい音って何?」という方に、とあるオーディオメーカーの主張を載せておこう。異論がある方もいると思うがどうか「ワンオブゼム」として受け止めていただきたい。

「原音に近づく正しい音とは」

1 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

2 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

3 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

4 小さな音でも明瞭度が下がらない。

5 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

7 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

8 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上のとおり。

しかし、欠点が見当たらないユニットも考えもので、オーディオ意欲が減退して張り合いを失うのも事実である。

これははたして贅沢な悩みなのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


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ゲットした「究極のSPユニット(口径30センチ)」2018年09月06日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/efa3150409eedb9f02cffb5bc0137fef

先日のブログ「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット(口径30センチ)を愉しむ」シリーズを連載したことを覚えておられるだろうか。

グッドマンの「棺桶型エンクロージャー」を改造し、3つのユニットをそれぞれ簡単に入れ替えが利くようにしたもので、その再掲画像がこれ。

     

左から「JBLのD123」、「グッドマンのAXIOM150マークU」、そして「ワーフェデールの赤帯マグネット付き」だが、出てくる音質にそれぞれ捨てがたい味があって日替わりメニューのように入れ替えて楽しんでいたが、いよいよ新たな決定版の登場でそれにも終止符を打つ時がやってきたようだ。

長年探し求めていた幻の「TRI AXIOM 」(以下「トライ・アクショム」)(グッドマン)がオークションに出品されたのだ!

             

解説文を見てみよう。

「Goodmans Tri Axiom Model T88 12インチ( 30センチ同軸 3way ) 16オーム アルニコマグネットです。

TRI AXIOM としては初期のもののようでおそらく1960年代後半頃と思われますが定かではありません。

これ以降のものはたまに見るんですがこれと同じものをほとんど見たことがなく十数年前に入手し使っていました。

エッジに補修跡があります、動作には特に問題ありませんが、あまりに細かいところはご容赦ください。しばらく使ってなかったのでツィーター用のアッテネーターはガリありですが回していれば取れてくると思います。」

以上のとおりだが、通常の口径30センチのユニットではせいぜいダブルコーン方式(2ウェイ)までだが、「トライアクショム」は同軸3ウェイとしてツィーターまで付いているのがミソである。

あの中高音域の艶やかさに定評のあるグッドマンだからさぞや素晴らしい音質だろうとはおよそ想像がつく。また、実際に所有しているオーディオ仲間からも「べた褒め」で、耳にタコができるほどその凄さを聞かされてきた。

やはり執念というものは恐ろしい、とうとう「トライアクショム」を見つけ出したのだから〜(笑)。

こういう希少な逸品ともなると、お値段を問う気にもならず「即決」(もちろん常識の範囲内だが)で落札した。さっそく自宅に届いたユニットを並べてパチリ。

           

輸送中の事故も無く致命的なダメージもないようだ。マグネットの形状が明らかに「アルニコ」タイプなのでひと安心。これが「フェライト」タイプになると平べったい形状になる。

そもそも「アルニコ」と「フェライト」とで音質にどのような違いがあるかは有識者の間でも論争があるところだが、我が経験ではこれまで「フェライト」タイプで気に入った音が出た試しがない。

早くバッフルに取り付けて音出しをしたいのでさっそく工作に取り掛かった。こういうこともあろうかと余分なバッフルを2ペアほど準備していたが、本体に取り付けるためのネジ穴合わせ、直径30センチの穴のくりぬき、そして塗装などたいへんだった。

午前9時から作業に取り掛かって、ようやく音出しができるようになったのが昼食をはさんで午後2時頃のことだった。猛暑の中の玄関先での作業だし、やはり老骨には少しこたえた(笑)。

先日お見えになったオーディオ仲間が一連の「SPユニットの工作」を見て「とてもそこまでは”やる気が起こらん。」と仰っていたが、やはり相当な熱意の後押しがないと無理のようですぞ。

          

ご覧のように、グッドマンにはおあつらえ向きの純正の「ARU」(背圧調整器)がエンクロージャーの下部に付いているので「おかしな音」の出ようはずがないが、こればかりは実際に聴いてみないと分からない。

それくらい、周辺機器とのマッチング次第でスピーカーの音は変わるが、取り分けグッドマンのユニットは繊細なのでアンプを選ぶことでも有名である。

さあ、いよいよ待望の音出しだ!

以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/efa3150409eedb9f02cffb5bc0137fef


「トライ・アクショム」 VS 「アクショム80」2018年09月09日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/79b8c46396c68e1860ea86f10c76601a

前回からの続きです。

かねてから憧れの的だったSPユニット「トライ・アクショム」(グッドマン)を手に入れ、所定の作業も完了していよいよ音出しへ〜。

              

こういう瞬間は何とも言いようがない不安と期待が交錯する。おそらくオーディオ愛好家ならこの「はらはらドキドキわくわく」感がきっとお分かりのはずだろう(笑)。

日常生活ではめったに味わえない緊張の一瞬だが、じっと耳を澄ましてみるとノイズはしない代わりにやたらにハイ上がりの音が出てきた。慌てて付属のツィーターのレベル調整器を最低にしたところ、見事にバランスの取れた音が出てくれた。まずはひと安心で、後はじっくりと音楽鑑賞に浸った。

つまるところ「トライ・アクショム」は低音とか高音がどうのこうのというよりも「気品のある音」に尽きるようだ。

けっして舞台で大見得を切るような音ではなく、まるで渋〜いイギリスのゼントルマンを思わせるような音だが、こういう音じゃないと伝わらない音楽があることもたしかだ。

そういえば、同じ「AXIOM80」愛好家のSさん(福岡)から次のようなメールが届いた。

「おめでとうございます。私は、トライアクショムがグッドマンユニットの中においてアキシオム80と双璧だと思います。20年ほど前に、知人がイギリスから持ち帰ったトライアクショムSPをQUAD‖+22アンプで聴かせて貰いましたが、その時に受けた衝撃からブリティッシュサウンドの虜になった事を思い出します。

優雅な猫脚のキャビネットに入ったそのトライアクショムは、その後に肥後細川家次代当主の護光さん宅へ嫁いで行きました。もしも、単体ユニットで音楽を完結させたいのであれば、トライアクショムは史上最高のユニットなのではないでしょうか。〇〇さんは、またまたオーディオの歴史的遺産を手に入れられましたね。羨ましいかぎりです。」

Sさん、無断引用お許しくださいね。

ただし、こういう音が出てくれると他の3つのユニットの出番が当分回ってきそうにないのが悩みの種だ(笑)。

翌日、例によって近くにお住いのフルートの名手「Y」さんに来ていただいて試聴していただいたところ、一聴するなり「音の傾向はAXIOM80(以下「80」)と随分似通ってますね。」との第一声。

「そうなんです、爽やかな雰囲気が実に似てますね。これでもツイーターのレベルは最低に抑えているんですよ。」

次から次にいろんな試聴用のCDをかけたが、Yさん持参のCDの中に「佐藤久成」さんの演奏があった。

先年、亡くなられた「宇野功芳」さん(音楽評論家)が高く評価されていたヴァイオリニストだが、それに関連して話題になったのが可憐な「有山麻衣子」さんの歌声。

これも宇野さん一押しの歌手である。「プロの歌手からは絶対に得られない声」と解説にあるが、まったく心が洗われるような清純そのものの声である。

           

以後、これをテスト盤にしてアンプとの相性探しを愉しんだ。

         

左が「WE300B」(1988年製)シングルアンプ(以下「WE300B」)、右側が「6A3・300B兼用」シングルアンプ(以下、「6A3・300B」)である。

後日のためにアンプの概要を記しておこう。

「WE300B」アンプの前段管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管は「274A」(STC)、インプット&インターステージトランスは「UTC」、出力トランスは「PSMプロダクト製」の手巻きによるもの。

次に、「6A3・300兼用」アンプの前段管は「AC/HL」(最初期版:英国マツダ)、整流管は「CV378」(細管:ムラード)、インプット&インターステージトランスは無名の国産もので、出力トランスは「タムラ」(特注品)。

なお、この「6A3・300B」アンプは半年ほど前にアンプ製作歴が40年以上になるKさん(大分市)にお願いして「インターステージトランス」(国産)を組み込んでもらったところ、音の解像力が見事に向上して我が家のエース級に昇格した経緯がある。

総じて我が家の真空管アンプの救世主は「インターステージトランスにある」といっても過言ではないほど。

さて、Yさんのご感想といえば「WE300Bでは有山さんがいかにも18歳の乙女らしい声がしますが、6A3では22歳くらいの少し艶めかしい声がします。どちらがいいとか悪いとかはちょっと判断がつきませんね。」

結局、原音に忠実な音となるとWE300Bアンプに軍配が上がり、音に色気を付け加えて聴きやすい音となると6A3アンプになるということで、いずれも甲乙つけがたし。

ただし、自分の場合は「音に色気が有ること」が「好きな音」の一番の判断基準になっている(笑)。

最後に、原点を確認する意味で「AXIOM80を聴いてみましょうかね」と、スピーカーを交換したところ二人ともアッと驚いた。

音響空間がまるで枠を取り払ったように際限なく広がったのである!

「音の透明度」の向上が如実に感じ取れたので、二人して「こういうシンプルなソースになるとAXIOM80の独壇場になりますね。編成が大きくなるとトライ・アクショムの出番ですから、これら二つのセットがあるともう鬼に金棒!」と、感嘆したことだった。

「トライ・アクショム」と「アクショム80」の両方を毎日愉しめるなんて、もうオーディオ冥利に尽きますわいなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/79b8c46396c68e1860ea86f10c76601a


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魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ 2018年08月02日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84bbe3e0a68f2541bad87747f0963ffe

前々回のブログで述べたように「AXIOM80」を自作のエンクロージャーに移し替えてから始まったSPユニットの「玉突き異動」に大いに楽しませてもらっている。

最後に行き着くところはグッドマン指定のエンクロージャーにどのユニットを納めようかということになった。

候補は3つあって、いずれも口径30センチの旧いユニットになる。

1 JBLの「D123」(初期型グレイ:16Ω)

2 ワーフェデールの赤帯マグネット付きユニット(8Ω)

3 グッドマンのAXIOM150マークU(15Ω)

これまで口径10センチから38センチのユニットまでいろいろ使ってきたが、耳が肥えた人は口径20センチクラスのスピード感を愛でる人が多いが、自分の場合は口径30センチが好き。

前述の3つはそれぞれブランドによる音の特徴があって「D123」は浅いカーブの形状のコーン紙による反応の速さに優れ、グッドマンはクラシック向きの雰囲気感の再現性に優れ、赤帯マグネットは丁度両者の中間あたりに位置する。

このエンクロージャーはバッフルと本体のネジ穴を鬼目ナットで合わせているので、自由自在にユニットの入れ替え可能である。つまり、一つのエンクロージャーでスピーカー3台分が楽しめることになる(笑)。

ただし、いずれもフルレンジとして聴けないことはないが、高音域がちょっと物足りないので相性のいいツィーターを組み合わせる必要がある。

まずは「D123」を装着してみた。クロス1200ヘルツのネットワークを使った2ウェイ方式である。「JBLのD123+パナソニックのホーン型ツィーター」。

          

これで2日間ほど聴いてみたが明るくて澄んだ音には大いに共感を覚えたものの、クラシックにはもう少し湿り気と情感が欲しいところ。

一抹の未練を残しながら今度はワーフェデールの「赤帯マグネット型2ウェイ」に入れ替えてみた。

         

高音域担当のコーン型ツィーターに1200ヘルツは無理なので、クロスオーバー4000ヘルツのネットワークに変更。

「非の打ちどころがないとはこういう音をいうのだろうか。これ以上欲張ると罰が当たるかもしれない。」と、思うほどの素晴らしい音に感激した。

丁度29日(日)にご近所にお住いのYさんに来ていただいたので、聴いていただいたところやはり赤帯マグネットの音の素性の良さに感心されていた。

「これをウェストミンスターに入れてぜひ聴いてみたいですね、どんな音がするんでしょう。」

「ああ、それなら予備軍としての赤帯マグネットをもう1ペア持ってますよ。無理を言って静岡県のTさんに譲っていただいたものです。惜しいことにボイスコイルのタッチがあってノイズが出ていますが、丁度いい修理屋さん(長野県)が見つかったところです。取り付け用の補助バッフルもすでに作ってありますよ。」

   

これで楽しみがまたひとつ増えたことになる(笑)。
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魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その2〜 2018年08月04日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/1eb0debac31b9b0227ccd76f545b2eae

日頃から懇意にさせていただいているメル友の「I」さん(東海地方)は現在、母屋を改造中とのことでしばらくメールが途絶えていたが、久しぶりに近況報告をいただいた。

「前略。〇〇邸のAXIOM80の木製ホーンが取れてしまったのは少々寂しい気がしますが、システムはますます進化をしているようですね。

ARUについては、どこかの本で「無限大バッフルと同じ効果がある」という解説を見た記憶があります。私も小型ボックスで効果を感じたことがあります。いずれJBL130Aウーファーボックスにも応用したいと考えていますが、でかくて手を付けるのが億劫で・・・

今は、オーディオをいじれる環境にないため、ブログでいろいろな人の記事を拝見しています。ジャズファンのブログも見だしました。

私は「オーディオは人それぞれ」というのが基本なので、ブロガーが何を書かれていても、割と素直に読ませていただくのですが、ことジャズになると話は変わってきます。

贔屓のジャズメンの違いです。

〇〇様には私のジャズの好き嫌いを申し上げても何ら差し支えるものは無いと思って申し上げます。差し支えましたらお詫びいたします。

例えばピアニスト!

当方の贔屓は、年代順にいいますと、バッド・パウエル セロニアス・モンク ビル・エバンス もう少し足すとして ウイントン・ケリー マッコイ・タイナー くらいです。

ジャズブロガーの方で、私の好みとダブル場合ももちろんありますが、なんでこのピアニストをと思うこと多々ありです。その方が多い!

なんでやねんピアニスト達 オスカー・ピーターソン マル・ウォルドロン ハンク・ジョーンズ レッド・ガーランド トミー・フラナガン チック・コリア キース・ジャレット フレッド・ハーシュ等々 何度聞いても魂に響いてこないピアニストの皆さん・・・

薄暗いジャズ喫茶の壁際の席の体験が、当方のジャズライフ及びオーディオライフを今だに支配しているということでしょう。」

以上のとおりだが、当方はジャズに疎いもののパウエル、エヴァンスなどの「自己埋没型」のピアニストの良さは大いにわかるつもりです(笑)。

ところで、文中の「オーディオは人それぞれ」という言葉には大いに勇気づけられた。

実を言うと、日頃からいろいろ好き勝手にブログを書きなぐっているが、あまりの(オーディオに対する)「執拗」さに「この人ちょっとおかしいんじゃない」と、読者から奇異の目で見られているのではないかという意識が常に頭の片隅につきまとっている。

別に変人扱いされても実害はないのだが、少なくとも外聞に無関心ではおられない性質(たち)なのでまったく気にならないといえばウソになる。

したがって、「オーディオは人それぞれ」と気楽に読み流していただくと、当方もそれこそほんとうに気楽になります(笑)。

そういうわけで、またもや同じ傾向のお話を。

さて、前回のSPユニット弄りでは「ワーフェデールの2ウェイ」がバッチリうまくいったのでひと安心だが、やはり気になるのはJBLの「D123」である。

やや乾き気味の音がクラシックにそぐわないとアッサリ廃嫡したが、何とか復活できないものか。実はこういうことを考えるのが、もう楽しくて楽しくて・・(笑)。

そこで、現用中のネットワークがスイッチ一つで「2ウェイ → 3ウェイ」に変更できるので試行錯誤をやってみた。3ウェイの場合のクロスオーバーは「500ヘルツ&4000ヘルツ」である。以下、後日のために実験結果を記録しておくことにしよう。

第1案

〜500ヘルツ → JBL「D123」

500ヘルツ〜4000ヘルツ(スコーカー)→ グッドマンのミダックス

4000ヘルツ〜 → ジェンセンのホーン型ツィーター

手っ取り早く画像の方が分かりやすい。

   

これまで、3ウェイ方式はスコーカー(中音域担当)の調整が難しくて何となく敬遠していたが、実際にやってみると位相調整さえうまくいけば「音のたるみ」が少なくなって予想以上の良さを感じた。

D123(口径30センチ)をクロス500ヘルツでハイカット(−12db/oct)するメリットがたしかにあるようで、このクラスの大きさの箱ならむしろこちらの方が正解かもしれない。

ますます欲が出て今度はツィーターだけ取り換えてみることにした。   

以下続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/1eb0debac31b9b0227ccd76f545b2eae

魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その3〜 2018年08月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f367e71a1bedb9e993d0cc2111ed9dd4

前回からの続きです。

「SPユニット(口径30センチ)を愉しむ」シリーズも早くも3回目となった。当初はこんなに続けるつもりはなかったが、「理屈」をグダグダこねるよりも「実践編」の方がグ〜ンと(アクセスが)好評のようでして〜。

どうやら「文章を読む」よりも「画像を見る」方が好きな人が多いらしい(笑)。

前回で示した第2案は次の画像のとおり。

         

この3ウェイの構成を述べておくと、

〜500ヘルツ → JBL「D123」

500〜4000ヘルツ → グッドマンの「ミダックス」(スコーカー)

4000ヘルツ〜 → テクニクス「EAS−25HH22」(以下、「EAS」)

今回の特徴は「EAS」の起用とホーンを取り外したことにある。このEASは1000ヘルツから使える優れものだが、4000ヘルツ以上で使う場合は付属のホーンを外した方がよりクリヤーになって良かった。

ただし、そのままでは音がきつ過ぎるので丸い木製の球を置いて音を拡散してみた。

   

これで、第一案よりもずっとよくなったがまだ十分ではない。やはり弱点はグッドマンのミダックスにある。このスコーカーは500ヘルツ以上を担当しているが、能力自体は700ヘルツ以上からしか使えないのでちょっと無理をさせている。

出てくる音に明らかにその兆候が表れていて、500〜1000ヘルツあたりの音の押し出し感が弱いために全体的に「線の細い」音になっている。ただし、このくらいは好き好きの範疇ではあるが・・。

そこでスコーカーだけ代えて、グッドマンの楕円形ユニットを登場させたのが第3案。

        

もともとフルレンジ用なので500ヘルツ以上の使用はお手の物のはず。ただし、ウーファーの「D123」の音圧レベルが102dbと高いので、その辺がちょっと見劣りするが仕方がない。

ただし「EAS」がすっかりおとなしくなって拡散用の「木製の球」が不要になったのは不思議。

ツィーターとスコーカーは切っても切れない縁があって面白い。

この第3案でアンプをいろいろ試してみた。

すると「6A3シングル」は低音域が出すぎてアウト。「PX25シングル」は比較的低音域が薄いのでどうにか対応できた。

一番良かったのは「71Aシングル」(レイセオンのST管:赤ラベル)だった。前段管に例のヴァルボの「△△△」(ドイツ:バリウム昇華型フィラメント)を使ったやつ・・。何しろ出力1ワット前後だから前二者に比べて低音域がやや薄めだがそれが逆に長所となった。中高音域の抜けの良さは言うまでもないところ。

     

プリアンプのボリュームをぐ〜んと上げられることで低音域と高音域のバランスが見事に取れた。

アンプはスピーカーに助けられ、スピーカーはアンプに助けられの「持ちつ持たれつの関係」であることを改めて痛感した。

それにしても何と「バランスのいい音」だろう。汗水流して獲得した音は格別のようでして!(笑)
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f367e71a1bedb9e993d0cc2111ed9dd4


魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その4〜 2018年08月09日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84a1647a9e334db28286e31856f17d3c

このシリーズもいよいよ「その4」へと佳境に入っていく。お天気も暑いがブログも熱い(笑)。

前回の第3案「JBL・D123の3ウェイ」に味をしめて、「柳の下の2匹目のどじょう」を狙ってみた。

「ワーフェデールの赤帯マグネット」を3ウェイに使ってみたらどんな音が出るんだろうか・・・。

思い立ったが吉日ですぐに行動に取り掛かった。そのためにはスコーカーとツィーターにきちんとした箱とバッフルを作ってやらねばいけない。

そこで日曜日(5日)の午前中、猛暑の中を玄関先で「木工作業」に取り掛かった。ドライバドリルとジグソーの大活躍である。

木屑が辺りに飛び散るので家内が嫌〜な顔をしながら「後できちんと片付けておいてね!」、「フン、そんくらいのこと言われんでもわかっとるわい。」(笑)。

素人のずさん工事で採寸ミスがあったりして散々だったが半日ほどかかってどうにか完成した。

         

スコーカー(グッドマンのユニット)の箱は後面開放にし、ツィーター(ワーフェデール)は平面バッフルにして分けてみた。音像定位に有利なのでユニットの配列を「縦一文字」にするのが何よりの狙いだった。

これで胸をワクワクさせながら聴いてみると、ウ〜ン・・・。

2ウェイのときの素晴らしさが鮮明に記憶に残っているので、どうも音の響きにイマイチの感あり。

3ウェイでは音の密度感が増した感じはするものの、肝心の「音の響き」が少なくなってはどうしようもない。そもそもイギリス系のユニットは人間の耳にとってことさら敏感な1000ヘルツあたりまでは振動板の違うユニットを組み合わせないように作られているのかもしれない。

ワーフェデールは2ウェイで聴くに限るようだ。

このことを胸に刻んで、さあ、最後はいよいよグッドマンの「AXIOM150マークU」(以下「マークU」)の登場だ。

    

今回の「魅惑のSPユニット」シリーズの掉尾を飾る真打の登場である。

画像左からJBLのD123、真ん中が「マークU」、その右が「ワーフェデールの赤帯」だが、ご覧のとおりアルニコマグネットの大きさが並外れており、重量は他のユニットの1.5倍ほどある。

このマグネットで悪い音の出ようはずがない!(笑)。

イギリスのユニットなので頭から3ウェイは除外して2ウェイ方式のネットワーク(クロスオーバー:4000ヘルツ)により聴いてみた。

たしかグッドマン指定のクロスオーバーは5000ヘルツだったと記憶しているので準拠しているはず。

   

4000ヘルツ以上を受け持つツィーターはワーフェデールの「コーン型ツィーター」(赤帯マグネット)である。

いやあ、参った!

さすがに旧き良き時代のグッドマン、気品があって深々とした響きがクラシックにはもってこいの音である。

人生の酸いも甘いも噛み尽くしたような老成した音と言っていいかもしれない。ワーフェデール(口径30センチ)が淡いパステルカラーの水彩画のような音だとすれば、この音からは明らかに濃厚な油絵の匂いがする。

「もう言葉は要らない、あとはただひたすらモーツァルトに耳を傾けるのみである!」と、書いたら格好のつけすぎかなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/84a1647a9e334db28286e31856f17d3c


魅惑のSPユニット(口径30センチ)の愉しみ〜その5〜 2018年08月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/54dfcf595d156d78471fb7fcf04c286f

連日の猛暑により「ブログにも夏休みをいただこう」というわけで、たっぷりと英気を養わせてもらって5日ぶりの投稿となった

さて、「魅惑のSPユニットの愉しみ」シリーズもとうとう5回目となった。

          

画像左からJBLの「D123」、グッドマンの「AXIOM150マークU」、ワーフェデールの赤帯マグネット」と、いずれも口径30センチの面々で、一つのエンクロージャーでこれら3つのSPユニットを入れ替えながら愉しむという企画だったが、頭で考えるのと違って実際にやってみると想像以上に新しい発見があった。

そのうちの一つが「3ウェイ」方式と「2ウェイ」方式の比較だった。我が家のオーディオ環境ではという限定付きの話になるが、イギリス系ユニットは3ウェイには向かないということが分かった。

そこで疑惑の目を向けたのがJBLの「D123」である。アメリカ系のユニットだが、もしかしてこれも2ウェイの方が向いているのかもしれない。

よし、「D123」に「175ドライバー」を組み合わせて2ウェイにしてみようか。同じJBL同士である。すぐに取り掛かって、ものの10分とかからずに完成。

             

ネットワークのクロスオーバーは1200ヘルツである。

ワクワクしながら音出ししてみると、想像した以上にGOOD!

イギリス系の音ばかり聴いていると、ときどき無性にJBLを聴きたくなってしまうが、澄み切った秋の青空を思わせるような爽快な音で躍動するJBLサウンドに感激〜(笑)。

そこで調子に乗って、ワーフェデールにも「175ドライバー」を組み合わせてみた。

         

興味津々だったが、これは明らかにアウト。両者の響きが合わず、木に竹を接いだような感じでやはりアメリカとイギリスのお国柄の違いがもろに出た。ワーフェデールには純正の「コーン型ツィーター」がベストのようだ。

これで結局「魅惑のSPユニットの愉しみ」シリーズの組み合わせ結果は次のとおりとなった。

1 JBL「D123」+「175ドライバー」

2 ワーフェデール「赤帯マグネット」+「コーン型ツィーター」

3 グッドマン「AXIOM150マークU」+「コーン型ツィーター」

まあ、順調なところかな(笑)。

なお、1のJBLの組み合わせで思い出すのが往年の名器「ランサー101」である。

            

これは「LE14A」(口径36センチ) + 「175ドライバー」の2ウェイ方式だが、もしJBLで本格的にクラシックを聴こうと思ったらこれに限るという話を知人から聞いたことがある。

おそらく、我が家の1の音と「よく似た音だろうなあ」という気がしている。

「ランサー101」について、ネットの記事を詳しく読んでみると「エンクロージャーのトッププレートに大理石を採用することで最低共振周波数を大幅に下げることに成功している。」とあった。

そこで思いついたのが「AXIOM80」を容れている自作のエンクロージャーである。板厚わずか1.5センチなので共振させるにはもってこいだが、もう少し重量を増やしてやると量感が増えるかもしれない。

加える重量の最適バランス点があるのだろうが、そこで実験的に載せてみたのが075ツィーターである。削り出しのステンレスホーン付きなので重さは10kgぐらいある。

          

これで実際に聴いてみると心なしか量感が増えたような気がする。

「ツィーター」を「重し」代わりに載せる例はおそらく世界広しといえども我が家だけだろうが(笑)、まあ、いずれ適当な庭石を見つけることにしよう。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/54dfcf595d156d78471fb7fcf04c286f
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1084.html#c6

[リバイバル3] セレッションのスピーカー史上最高のツイーター HF1300 中川隆
13. 2020年9月22日 10:38:06 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[16]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
DITTON15のSPケーブルをグレードアップ 2020年09月22日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a1d92b5fe7858d69d153ab5579183ab7


DITTON15のSPケーブルは、今までWE#16GAの一般的なシングル仕様で使っていました。それを、BELDEN 9497の「W線」に交換しました。シングル線同士では大きなグレードの差は出ませんが「W線」にしますと「音の線の太さ」や音数がが変わって来ます。

これがBELDEN 9497のSPケーブルです。一般に良く使われているSPケーブルです。これを「W線」にして使います。端末はO端子(SP側)とYラグにして使っています。(写真はネットで拾ってきました)普通の一般的な使い方では面白くありません。

出てきたサウンドは音のスケールが大きくなり、音数が増加しました。音のゆとりが出て来ます。もう少し鳴らし込みをしてやらないといけません。DITTON15を鳴らしているのに奥の「オリンパスシステム」が鳴っている様に聴こえます。大概の方は「だまされる」でしょう。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/a1d92b5fe7858d69d153ab5579183ab7
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1077.html#c13

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
10. 中川隆[-11222] koaQ7Jey 2020年9月22日 10:43:42 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[17]
雑記帳 2020年09月22日
日本語とオーストロネシア語族との関係
https://sicambre.at.webry.info/202009/article_28.html


 日本語とオーストロネシア語族との関係を指摘した研究(崎山., 2001)を読みました。もう20年近く前(2001年)の論文となるので、あるいは近年の言語学の知見を踏まえてかなりの修正が必要になるかもしれませんが、近年大きく発展した古代DNA研究、とくに、今年(2020年)になって飛躍的に進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)の観点からもと興味深い内容なので、取り上げます。


 複数の言語が接触すると、接触したそれぞれの言語の文法部分に変化が現われる場合もあれば、各言語の文法部分が提供され、新たな一つの言語が生みだされる場合もあります。後者は混合語と呼ばれ、ピジンあるいはクリオール(母語となったピジン)はその一例です。混合のため文法のどの部分が提供されるかは、接触した各言語ごとに異なりますが、あらゆる部分からの供出が起こるこ、と明らかになっています。また、接触する言語の特徴により、ピジン化や混合の仕方も一様ではありません。したがって、言語混合は先住民に匹敵する量の外来者がないと不可能とか、文法と単語が別の系統から来るのは難しいとかいった見解は成立しない、と本論文は指摘します。

 ピジンは言語混合の一つのあり方で、言語混合と同義で論じるべきではありません。ピジンには横浜ピジンのような一世代的(片言的)な形態からオセアニアのメラネシア・ピジンのように約300万人により使用される国家語まで多様です。元の言語の話し手にとって、ピジン化した新しい言語は、元の言語が単純化した(舌足らずの)ように聞こえます。ピジンは元の言語の非体系的部分の合理化を行なっている場合も少なくありません。ピジンは表現可能な内容が限定された不完全な言語である、との見解は言語学でも根強く存在します。これまで比較言語学では、一言語における歴史的な混合という現象が原則として認められてきませんでした。混合言語を認めることは、比較言語学の依拠する「語族」という概念の成立基盤を揺るがしかねない危険思想でもあるからです。したがって言語学では今でも、混合の事実は認めるとしても、「混合はピジン英語や隠語にみられる程度」との見解もあります。

 本論文は、日本語とオーストロネシア語族など他言語との比較から、日本語は混合言語として形成された、と主張します。そのさいに重要な影響を与えたのがオーストロネシア語族で、そのうち、語彙面では西部マレー・ポリネシア語派の要素が多く残る一方で、文法面ではオセアニア語派の特徴が顕著である、と本書は指摘します。本論文はこれに関して、縄文時代中期から古墳時代までの3000年間、オーストロネシア語族が波状的に渡来したことに起因する、と推測します。

 日本語の形成に関与したもう一方の言語として本論文が想定するのは、ツングース語族です。古代日本語は動詞・形容詞の活用語尾の多くをツングース語族に負っている、と本論文は指摘します。上代および現代日本語では連体修飾に二つの語順が存在しますが、これは言語混合の可能性がある、と本論文は指摘します。日本語において、原オーストロネシア語の人称代名詞一人称複数の包括・排除の区別が失われたのは言語接触に基づき、これは日本語の形成における深い混合の跡を反映している、と本論文は推測します。ただ本論文は、民族学的にツングース民族は、紀元前千年紀にアジア東部に拡散した、いわゆるアルタイ化の担い手で、日本列島が本格的にアルタイ化するのは弥生時代からと推定されているので、縄文後晩期とは約3000年の間隙があり、言語混合の開始の時期など今後解明すべき問題はまだ残っている、と指摘します。


 本論文はこのように主張しますが、近年の古代DNA研究の進展を踏まえると、日本語とオーストロネシア語族との関係はたいへん注目されます。日本列島の現代人集団は、大別すると、北海道のアイヌ、本州・四国・九州を中心とする「本土」、南方諸島の琉球に三区分されます。このうち、日本語と琉球語は、方言なのか同じ語族の別言語なのか、まだ決定的になっていませんが、同一系統の言語であることは間違いないでしょう。以下、まとめて日本語として扱います。一方アイヌ語は、日本語とは大きく異なる系統の言語です。日本語とオーストロネシア語族との関係で注目される古代DNA研究に関しては、アジア東部現代人集団がどのように形成されてきたのか、現時点で最も優れていると私が考えているモデルの概要を以下に述べます(関連記事)。

 非アフリカ系現代人の主要な遺伝的祖先となった出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団はまず、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐し、ユーラシア東部系統は南方系統と北方系統に分岐します。ユーラシア東部南方系統に位置づけられるのは、現代人ではパプア人やオーストラリア先住民やアンダマン諸島人、古代人ではアジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団です。一方、ユーラシア東部北方系統からはアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに南方系統と北方系統に分岐します。アジア南東部北方系統は新石器時代黄河地域集団、アジア東部南方系統は新石器時代の福建省や台湾の集団(おそらくは長江流域新石器時代集団も)に代表され、オーストロネシア語族現代人の主要な祖先集団(祖型オーストロネシア語族集団)です(関連記事)。現代において、日本列島「本土集団」や漢人やチベット人などアジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統ですが、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、チベット人はユーラシア東部南方系統との、日本列島「本土集団」は「縄文人(縄文文化関連個体群)」との混合により形成されました。「縄文人」は、ユーラシア東部南方系統(45%)とアジア東部南方系統(55%)との混合と推定されています。

 これらの古代DNA研究の成果を踏まえると、縄文人はアジア東部南方系統の共有という点で、祖型オーストロネシア語族集団と遺伝的に近い関係にある、と言えます。つまり、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性があるわけです。縄文人がどのように形成されたのか不明ですが、縄文人の大まかな形態は、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代は早期から晩期前半までほとんど同一で、縄文人と同じ形態の人類集団は日本列島以外に存在しないことから、日本列島における独自の混合により形成された可能性が高そうです(関連記事)。

 そこで問題となるのが、日本列島現代人において最も縄文人の遺伝的影響が強く残っていると推定されているアイヌ集団(関連記事)の言語(アイヌ語)とオーストロネシア語族との関係です。これについて、近年の言語学の知見をまったく知らないので、的外れな発言になるかもしれませんが、2005年の論文(橋尾., 2005)でも、アイヌ語とオーストロネシア語族が同系かもしれないと指摘されていることから、アイヌ語がオーストロネシア語族と近縁な関係にあるというか、祖型オーストロネシア語族の影響を一定以上残している、とも考えられます。その意味でも、縄文人の言語が祖型オーストロネシア語族と近縁だった、あるいは一定以上の影響を受けた可能性は、真剣に検証すべきではないか、と思います。

 日本語とアイヌ語が大きく異なることに関しては、日本語もアイヌ語も祖型オーストロネシア語族と別系統の言語との混合により形成され、分岐してから長い時間が経ったことにより説明できるように思いますが、言語学の知見は皆無に近いので、的外れなことを言っているかもしれません。さらに、アジア東部南方系統でも、アイヌ集団の主要な祖先と祖型オーストロネシア語族集団の主要な祖先との分岐が更新世だとしたら、言語学で指摘されているアイヌ語とオーストロネシア語族の共通性が検出されるには古すぎるかもしれない、という問題もあります。ただ、言語学でも議論が分かれるくらいの共通性となると、更新世の分岐でも不思議ではないかもしれませんが、門外漢の思いつきにすぎません。

 上述のように、日本語がオーストロネシア語族とツングース語族との混合により形成されたとすると、その融合がいつだったのかが問題となりますが、日本列島にツングース語族をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島にアジア東部北方系統をもたらした集団である可能性が高いように思います。しかし、シナ・チベット語族はアジア東部北方系統集団に由来する可能性が高い、と指摘されています(関連記事)。この問題をどう説明すべきか、以前にも一度試みたものの(関連記事)、とても確信は持てません。それでも、以下で改めて私見を述べます。

 この問題で参考になりそうなのは、バヌアツの事例です(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。アジア東部北方系統集団は、拡散の過程で朝鮮半島や日本列島などにおいて大きな遺伝的影響を現代人集団に残しましたが、その過程で先住民の言語が置換されず、基本的には継承されたかもしれない、というわけです。この想定が妥当だとすると、アジア東部北方系統集団はアジア北東部への拡散の過程で、ツングース語族集団と混合し、その言語を継承して日本列島へと到来した、と考えられます。日本列島でも、先住の縄文人よりもこのツングース語族集団の方が現代「本土集団」には大きな遺伝的影響を残していますが、だからといって遺伝的に優勢な集団の言語により置換されたのではなく、独自の混合言語が成立した、というわけです。これを基盤に、漢字文化の導入にともなって漢語の影響も受けつつ、日本語が成立していった、と考えられます。

 あるいは、アジア東部北方系統集団の言語は、後にはシナ・チベット語族におおむね一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、とも考えられます。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)による分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語や朝鮮語に影響を与えた諸言語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系統集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 別の可能性として考えられるのは、日本語の形成にさいしてオーストロネシア語族の影響をもたらしたのは、弥生時代以降に日本列島に到来した稲作農耕民集団だった、という想定です。黄河中下流域集団では、中期〜後期新石器時代に、稲作農耕の痕跡顕著な増加とともに、遺伝的にはアジア東部南方系統の割合の上昇が指摘されています(関連記事)。黄河中下流域への稲作の導入が、長江流域など中国南部のアジア東部南方系統集団の一定以上の移住を伴っていたとすると、日本列島に稲作をもたらした集団の言語に祖型オーストロネシア語族の影響が残り、それが弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も考えられます。縄文人の言語とは別の経路で、日本語に祖型オーストロネシア語族の影響が伝わっている、というわけです。

 ここまで色々と憶測してきましたが、言語学の知見が皆無に近いので、最近の研究を踏まえておらず、的外れな見解になってしまったかもしれません。ただ、今となってはやや古いとはいえ、言語学の見解と最近の古代DNA研究とが符合するところもあるのではないかと考え、一度私見を述べておこうと思い立った次第です。縄文人の言語に祖型オーストロネシア語族の影響があるとして、では縄文人のもう一方の主要な祖先であるユーラシア東部南方系統の言語はどのようなもので、縄文時代、あるいは現代に影響を残しているのかなど、調べねばならないことはまだ多いものの、それは今後の課題とします。


参考文献:
崎山理(2001)「オーストロネシア語族と日本語の系統関係」『国立民族学博物館研究報告誌』第25巻第4号P465-485
https://doi.org/10.15021/00004071

橋尾直和 (2005)「琉球語・アイヌ語・日本語諸方言とオーストロネシア語の若干の比較」『高知女子大学文化論叢』第7号P39-51
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006541555

https://sicambre.at.webry.info/202009/article_28.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c10

[近代史3] ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの正体 中川隆
7. 2020年9月22日 14:15:48 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[18]

 ビルゲイツのやっていること 2020年09月22日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1256.html

 マスコミに載らない海外記事より引用

 以下は、読み慣れない翻訳日本語だが、中身はこれからの人類の命運を左右するほど、あまりに重大な内容だ。ビルゲイツらが「グレートリセット」で、やろうとしていることの本質をズバリ指摘している。

 アフリカの食糧経済も破壊しているゲイツ財団  2020年9月7日
 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-675605.html
 
 WHO予算の多くの資金供給から、Modernaのような人気ワクチンメーカーへの投資まで、Covid-19流行のあらゆる局面の背後にいる同じゲイツ財団が、単一栽培と高価な化学肥料とGMO種子導入のために、在来の小規模農家による主要食糧農作物を破産させるアフリカでの大規模プロジェクトに関与している。

 このプロジェクト、アフリカ緑の革命のための同盟(AGRA)は、世界経済フォーラムの偉大なリセットの背後にいる主要なグローバル団体と直接つながっている。

 我々が、ロックフェラー財団と、関連する世界で最も影響力を持った一族による非課税事業の本当の歴史を知れば、ビル&メリンダゲイツ財団が、医療産業複合体から教育から農業までの重要な分野で、ロックフェラーの狙いを継承しているのは明白だ。

 同盟しているロックフェラー財団としっかり協力しているビル&メリンダ・ゲイツ財団は、大いに議論されているCovid-19のための未曾有の厳しい封鎖処置の組織化の中心となっているだけではない。
 ゲイツ財団は、まさに世界農業を、彼らが「持続可能な」農業と呼ぶものに変換するため推進している国連の2030アジェンダの中心にいるのだ。これまでの14年間の中枢プロジェクトは、アフリカ緑の革命のための同盟AGRAと呼ばれるものへのゲイツの資金提供だった。

 アフリカに対するAGRA詐欺

 2006年に、ビル&メリンダ・ゲイツ財団が、親密な同盟者ロックフェラー財団と共に、AGRAを設立した際、彼らは、彼らの目標が「小自作農農民に基づく、急速な、持続可能な農業成長の推進を通して、食品が確保できる、繁栄するアフリカの実現を努力することによって、アフリカでの飢えに対処する」ことだと宣言した。

 AGRAは、3000万の小規模食糧生産農民の生産高と収入を二倍にするとを約束した。今2020年で、この点に関しては、完全な失敗だった。
 注目すべきことに、AGRAはそのウェブサイトから、2020年6月にこれらの目標を説明なしに削除した。彼らがしたことから判断して、それは、決して、ゲイツとロックフェラー財団の本当の目標ではなかったと我々は判断できる。

 アフリカのための彼の新しい緑の革命を推進するアイオワでの2009年の演説で、ビル・ゲイツは「次の緑の革命は、小自作農農民に推進される、現地状況に合った、経済と環境的に持続可能なものでなくてはならない。」と宣言した。
 ゲイツ財団は、AGRAが「サハラ以南のアフリカで繁栄する農業部門を開発する、アフリカを本拠とする、アフリカに率いられる取り組みだ」と宣言した。非常に素晴らしく聞こえる。現実は全く違う。

 「アフリカが率いる」印象を強化するため、ゲイツは前国連事務総長、ガーナのコフィ・アナンを雇った。アナンはちょうど、国連で息子が関与するイラクでの「石油食料交換プログラム」汚職疑惑のさなか引退したところだった。

 アナンは表看板、AGRAの委員長だった。実際はゲイツ財団は、彼らの手先、ラジブ「ラジ」シャーが、アフリカの標的国の政策実行を指揮するよう運営されていた。GMOなど皆無のアフリカ農民にモンサントのGMO種子と殺虫剤を強要する最初の試みが強力な抵抗に遭遇した際にせ、代わりに、彼らはモンサントが所有する通常の種子と、高価な化学肥料と殺虫剤の販売に転換した。

 うさんくさいことに、ゲイツ財団とAGRAは、彼らが14年で達成したことについて、公開・透明からほど遠い。
 それには当然の理由がある。彼らが13のアフリカ諸国で推進したモデルは、小規模農家の食糧自給を大幅に悪化させ、その代わり、小規模農家は高価な特許取得種子を買うため多額の負債をかかえ込むことを強いられ、自身の種子や、混合栽培を禁止され、単一栽培で輸出用換金作物栽培を強いられる借金地獄を作ったのだ。
 AGRAは、主にゲイツ財団から、更にUSAIDと、イギリスと、ドイツ政府が、より小さい金額を拠出し、10億ドル以上を受け取った。

 虚偽の約束

 「国別の」結果を評価する新しい詳細報告で、ゲイツのアフリカ農業プロジェクトの現実は、警鐘的ながら、驚くべきではない結果を示している。報告は「虚偽の約束:アフリカでの緑の革命」という題名だ。それはタフツ大学の農業・貿易政策研究所の上級アドバイザー、ティモシー・A・ワイズと協力したアフリカとヨーロッパのNGO団体に作成された。

 報告はこう結論を出した。「AGRA以前の主要主作物の収穫高増加は、AGRA中と同じ比くらい低かった。AGRA開始以来、飢えを等分するのではなく、13の対象国の状況は悪化した。AGRA時代、飢えている人々の数は30パーセント増加し、13のAGRA対象国、1億3000万人の人々に影響を与えている。」それは些細な失敗ではない。

 19世紀の人種差別的ヨーロッパ植民地時代の慣習と殆ど違わない方法で、ゲイツ財団とAGRAは、彼らに高いレベルの負債を負わせることにより、小規模食料生産者に深刻な損害を与えた。

 ザンビアとタンザニアでは、小規模食料生産者は最初の収穫後、肥料とハイブリッド種子の融資を返済できなかった。AGRAプロジェクトは、小規模食料生産者が、自分のために何を栽培したいか決める選択の自由を制限する。AGRAは輸出市場、グローバル農業関連産業が欲するもののため、主にトウモロコシの単一栽培を押しつけた。

 バンジや他の国際穀物カルテル企業がAGRAと関係しているのは驚くべきことではない。多くの場合、気候への抵抗力が強い、伝統的な栄養に富んだ作物は、収穫が驚くほど下落した。

 この研究で、乾燥した高温条件下での短い生育期ゆえに、原産の重要穀物で飼料穀物として7,000年間好まれたキビに、AGRAは、大惨事を引き起こしたことがわかった。報告書はこう報告している。

 「キビ生産高は、2006年から2018年まで、13のAGRA対象国で24パーセント低下した。しかもAGRAは、農業企業のため、小規模食糧生産農業を強化するのではなく肥料会社や種子会社に役立つ法律を通過させるよう政府に圧力をかけた。」

 AGRAは、現地の小規模農家が、一エーカーあたりの収穫高を増やすのを支援するのではなく、世界でも最も肥沃な農地の一つ、アフリカのために、メキシコとインドでの、1960年の緑の革命を、より良く見えるよう包装を変えただけなのだ。

 ロックフェラー財団が始めた、1960年代の緑の革命は、工業規模の大規模農業機械化と、多国籍企業の化学肥料と種子を導入し、大規模農民の権益のために、小規模生産者の多くを破壊した。それは予想通り、無数の小規模生産者を破産した。
 結果的に、一部の裕福な生産者は繁栄したが、何百万もの、より貧しい農民を都市に逃避するよう強いて、都市スラムに定着させた。
 だがそれは、その後に続く製造グローバリゼーションの欲望のための安価な労働力を造り出したのだから、それが実際は、最初の緑の革命の主目的だった。

 ゲイツとロックフェラー財団に率いられたアフリカAGRAは、いささか違う。14年で、アフリカでのAGRAは、参加国政府に、決して実現しない大きな利益と引き換えに、毎年多国籍企業の商用種子と高価な肥料を購入するよう促したのだ。
 その過程で、伝統的な小規模農家や農業共同体は、農家が保存していた、あるいは育てた種子の使用を禁止された。

 これは、モンサントや農業関連産業が、アメリカで特許取得済みのGMO種子を使ったのと全く同じ依存モデルだ。
 ゲイツ財団は、今バイエルの一部となったモンサントの主要株主だ。AGRAは、小規模農家が、助成されているEUやアメリカ農産品輸入で破産させられることから守るためには、わずか、あるいは全く何もしなかった。

 逆に、伝統的食用作物は、国際的輸出用の単一栽培トウモロコシ生産に変えられて、アフリカ諸国を、これまで以上に多くの輸入食品に依存するようにした。
 ゲイツAGRAは成功しているが、うわべを飾り立てる公式目標でではない。そうではなく、アフリカの食糧生産をグローバル化し、安い買い物が目的のグローバル多国籍企業の意志にこれまで以上に依存するようにしたのだ。

 農民に、特許を認められた収穫高が多い種子(大半が、メイズ)の「より広範な選択」を与える策略の下で、彼らは実際は農民の選択を制限する。
 彼はそれらの種子を買わなければならず、自身の種子の再利用を禁止される。収穫時、種子と肥料の負債を返済するため、AGRAに義務づけられたトウモロコシを農民が売ることができなければ、貴重な牛を売るか、更に借金を負うよう強いられる。典型的な植民地時代の負債奴隷モデルだ。

いかがわしい指導部

 ゲイツ財団は、AGRAを「アフリカ・イニシアティブ」として奨励しながら、自身は出来る限り表面にでないようにしていた。2019年8月以来、AGFA新委員長は、エチオピア前首相ハイレマリアム・デサレンだ。デサレンは、WHO事務局長のテドロスも政治局員だった独裁与党のエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)前委員長で、2018年、大規模抗議活動後に、辞任を強いられていた。

 それほど公的でないAGRA理事会メンバーには、農業関連大企業ユニリバーからの二人と、ゲイツ財団の幹部二人と、ロックフェラーが設立した国際農業研究協議グループCGIARの顧問がいる。他の理事会メンバーには、フランスの銀行、ロックフェラー財団の理事や、フランスの銀行の前のアフリカ・パートナー、ロスチャイルド&カンパニーのメンバーがいる。

 ロックフェラー財団新会長で、AGRAの狙いを決める際の共犯者ラジブ・J・シャー博士もAGRA理事会メンバーだ。
 シャーは、以前のゲイツ財団での地位を去り、オバマ下で、アメリカ合衆国国際開発庁USAID長官に任命されていた。
 USAIDは驚くべきことではないが、AGRAのパートナーになった。2017年、シャーはロックフェラー財団会長に指名されるべく、USAIDから移動した。

 世界は狭い。ロックフェラー財団は、世界経済フォーラムのグレート・リセットにも深く関係している。
 シャーは、まさに、ロックフェラー報告を発表したが、Reset the Table: Meeting the Moment to Transform the US Food Systemというものだ。それは、ゲーツとロックフェラーと国連の周辺の連中に準備されている食料システムの本格的な世界的「リセット」の前兆だ。これに関する詳細は、別の記事で。

 2014年以来、AGRAの理事長は、不正なカガメ独裁下で、論争の的のルワンダの前農業大臣だ。アグネス・カリバタも、世界経済フォーラムのグローバル・アジェンダ評議会メンバー、アメリカに本拠を置くInternational Fertilizer Development Corporation(IFDC)の理事だ。

 2019年12月、中国武漢での「新型コロナウイルス」発生を巡る公的な警鐘の直前に、国連事務総長アントニオ・グテーレスが、カリバタを2021年の国連の食物システム・サミットを率いるべく指名した。
 これに対して、83の国から、約176の組織が、グテーレスに彼女の任命を無効にするよう手紙を書いた。彼らの手紙にはこうあった。

 「ビル&メリンダ・ゲイツ財団とロックフェラー財団に設立されたAGRAの取り組みは、大企業の権益に役立つよう、公共資源を得て、そらすことに注力している。
 彼らの資金集約的で、高投入の農業モデルは、益々欠乏しつつある公共資源から引き出す一定の助成金なしに維持できない。2006年以来、AGRAは、未開拓の市場と見られているアフリカを、商用種子、遺伝子組み換え作物、化石燃料を多様する合成肥料、汚染する殺虫剤を支配する独占企業のために開放しようと努力している。」

 彼女を支持して、12の意見が、立場を貫くよう促す手紙をグテーレスに書いた。12のうち11が、ゲイツ財団と関連していた。彼らの声が勝利した。

 1970年半ばのグローバル穀物危機の際、もう一人のロックフェラーのまな弟子、当時のアメリカ国務長官ヘンリー・キッシンジャーが「食糧を支配する者が人々を支配する。」と発言した。最初は、ロックフェラー財団に率いられ、今日、ゲイツ財団が益々目立つて率いている世界食糧生産のグローバル化と、農業関連産業の創造は、世界の健康と死亡率にとって、どんなコロナウイルスよりも、おそらく遥かに脅威的な要因だ。

 注目すべきことに、ウイルスのために不安と封鎖を促進している同じ連中が、健康に良くない方法で、世界食糧生産を再編成するのに忙しい。ビル・ゲイツは優生学と人口削減の周知の提唱者なのだから、それは偶然の一致ではないように思える。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2020/09/07/gates-foundation-is-also-destroying-africa-s-food-economy/

**********************************************************
 引用以上

 あまりに重大な内容で、これを読んで背筋が寒くならないとすれば、あなたは、すでにゲイツ・ロックフェラーら「イルミナティ」に洗脳された奴隷になっている。

 これは、すでにオバマ政権下の2010年にアメリカで発効した「食品安全近代化法」(国の定めた企業以外の農産物、私的栽培禁止法)を、ゲイツやロックフェラーが主役になっているAGRAプロジェクトがアフリカ全土に適用することを意味している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%93%81%E5%AE%89%E5%85%A8%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8C%96%E6%B3%95

、日本でも、安倍政権が行った「種子法廃止」など、TPP導入とともに日本にも適用される食品安全近代化法による私的栽培(自家農園)、と種子自家採取の禁止、農家直売所の廃止によって、国とグローバル大企業が定めた食料以外を生産することが禁止されることが時間の問題になっている。
 https://blog.goo.ne.jp/luca401/e/f97aa464ffbdbf8bd0ebec684661f7b5

 ビルゲイツ・アルゴアらイルミナティが、ダボス会議の主役として、2021年1月のダボステーマと設定した「グレートリセット」の正体は、まさに、食料生産をバイエル(旧モンサント)・カーギルらグローバル資本のみに集中させ、大衆が自発的、あるいは 何千年ものあいだ、歴史的、伝統的に栽培を受け継いできた農産物自家栽培を苛酷な刑罰で強制廃止させようというものだ。

 家庭菜園で種を採取したら懲役10年、若しくは罰金1000万円 2019年12月26日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-977.html

 http://enzai.9-11.jp/?p=9298

 フロリダで自家菜園に対し、一日50ドルの罰金を科せられた住民の戦い
 https://gigazine.net/news/20190705-right-to-plant-veggies/

 ゲイツは、これをアメリカや日本だけでなく、世界中に適用させようとしている。
 その目的は何か?
 それは、ゲイツと一心同体といわれるロックフェラグループの正体に関係している。

 ロックフェラーとは?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%AE%B6

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC

 上のウィキの説明には、ゲイツとロックフェラーを結びつけるもの、そしてロスチャイルドとの関係について何一つ出てこない。
 ところが、ロックフェラー家は、エルサレムの嘆きの壁の北側に、広大な土地を保有している。これはカネに明かせて購入したものではない。


elsarem01.jpg


 
 嘆きの壁からロックフェラーの土地まで、わずか200メートル。この土地は「シオン」とも呼ばれ、イスラムとユダヤ教、キリスト教の三大宗教の最大の聖地である。どんなにカネを積んでも買えるような土地ではない。
 もしオークションにでも出せば、おそらく純金の延べ板を敷き詰めたよりも高価な「数百兆円」の価格が提示されるだろう。エルサレムは、日本の国家予算をつぎ込んでも買えるような土地ではないのだ。

 ロックフェラーが「嘆きの壁」の隣接地を広大に所有していることの意味は、ロックフェラーがイスラエル建国に貢献したユダヤ人であり、ユダヤ教徒の最高幹部であることを意味するものである。
 まさに、ロスチャイルドと並ぶ、ユダヤ巨大金融資本の両雄なのだ。

 だが、世界の報道や辞典には、ロックフェラーがユダヤ人であることなど、どこにも出てこないので、無関係と思い込んでいる人も多い。
 これはブッシュ時代のチェイニー副大統領と同じで、「表に出ない=隠れユダヤ」という存在だからだ。世界には、ユダヤ人と思われたくない「隠れユダヤ人」が無数にいる。
 アルゴアもその一人であり、ビルゲイツこそ、隠れユダヤの代表格である。

 ビルゲイツの関係資料の、どこにも彼がユダヤ人であることは書かれていない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%84

 しかし、マイクロソフト創業にかかわる資金は、ロックフェラーが出したとの噂もある。実は、ユダヤ教の最高幹部組織であるサンフェドリン(長老派)には、ユダヤ人起業家に対する凄まじい規模の互助会があって、世界中のユダヤ人が成功しているのも、このおかげだとの解説もある。(今はネット上から削除された)
 そもそも、ゲイツの人相は、どこからどうみても、アシュケナージユダヤそのものである。彼の一挙一投足が、イルミナティの方向性と一致している。

 イルミナティと呼ばれる「ルシファー」を神と崇めるユダヤ教秘密結社は、旧約聖書に描かれた世界と預言を実現することを、人生の最高義務としている。
 最大の課題は、「グレーターイスラエル」という恐怖の命題=シオニズムである。
 これをサンフェドリン=イルミナティが、モサド(イスラエルの世界最大の諜報機関)によって実現しようとしている。
 ナチスホローコストも、911テロも、イスラム国も、今回の新型コロナ禍も、これから起きるワクチン禍も、すべて、グレーターイスラエルのために行われている。

イスラム国を作ったのは、イスラエルであること 2020年02月07日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1022.html

 ベイルート巨大爆発とグレーターイスラエル 2020年08月08日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1211.html

 ひとつのフィクション、ではあるが…… 2020年06月10日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20200610.html

 旧約聖書、創世記に記された「神が選民に与えた土地」を復活させるために、ユダヤ教徒は、すべての力を注いで、実現する義務があるというわけだ。
 ゲイツは、「人類の未来のために、ワクチンによる人口調節が必要」と、ワクチンの副作用による人口削減を公言してきた。
 https://www.youtube.com/watch?v=aDBCKZJNzkY&ab_channel=%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

 しかし、その本当の正体は、神の選民であるユダヤ人による世界支配のため、全人類を家畜(ゴイム)として使役する計画である。
 ゲイツ・ロックフェラーの提唱する「グレートリセット」とは何か?
 それは、全人類をコンピュータに服従させ、監視し、食料まで定めて、肉体にマイクロチップを埋め込ませ、通貨を廃止し、自由にコンピューターで支配する計画である。誰のために?
 「神の選民」であるユダヤ教徒のためだ。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1256.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html#c7

[近代史3] 藤井聡先生は 「日本人は生産性が低い」というデマを撒き散らしているデービッド・アトキンソンが完全なバカだと言い切ってくれ… 中川隆
9. 2020年9月22日 16:02:32 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[19]

菅首相はアトキンソン信者 2020-09-22
三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12626678868.html

『菅首相はアトキンソン信者、中小企業に再編圧力

 菅義偉新政権が始動した。コロナ禍からの脱却に向け、デジタル変革(DX)の推進や中小企業の生産性向上などを目玉に据える。景気の二番底への懸念が囁(ささや)かれる中、日本経済を回復軌道に復帰させるには民間の力を最大限に引き出す政策が欠かせない。

 菅首相が中小企業政策の中核をなす中小企業基本法の見直しに言及、中小企業政策のあり方はより一層、再編・成長志向へと歩を進めそうだ。(中略)
 また、先進国の中で低いとされる最低賃金について菅首相は全国的な引き上げを唱えている。最低賃金の引き上げによる中小再編を主張する、小西美術工藝社(東京都港区)社長のデービッド・アトキンソン氏と菅首相は親交がある。「菅氏はアトキンソン信者」(経産省幹部)といい、こうした側面から再編を促す可能性もある。』

 先日の三橋経済塾では、マクロな「(二つの)潜在成長率」の問題をメインにお話ししましたが、次回はよりミクロな「中小企業政策」について解説する予定です。
 なぜ、わたくしが潜在成長率や中小企業政策をしつこく取り上げるのかといえば、もちろん「危険」であるためです。


 事実として、

1.中小企業の生産性は、大企業の半分
2.中小企業は全体の約七割、3700万人の雇用をになっている

 以上、日本の実質賃金低迷の主因の一つが「中小企業の生産性の低さ」であることは間違いありません。

【日本の企業規模別従業員一人当たり付加価値額(労働生産性)の推移(万円)】
http://mtdata.jp/data_71.html#seisannsei

 繰り返しますが、実質賃金は「生産性&労働分配率」で決まります。
 というわけで、中小企業の生産性を高める政策を推進することには、わたくしはアトキンソン氏に同意します。


 問題は、その先。アトキンソン氏が「総需要と供給能力」の関係について全く理解しておらず(あるいは「理解していないふり」をしている)、「デフレギャップ」があるが故に、生産性向上の投資が起きないにも関わらず、
「中小企業が甘やかされているから、投資が起きない」
 と、インフレギャップの解消を目指す「インフレ対策」を提唱している点です。

【インフレギャップとデフレギャップ】


 図の右のデフレギャップ、分かりやすく書くと、
「我が社は一日に100個、生産できる(=潜在GDP)が、客は90個しか買ってくれない(=総需要)」
 状況で、生産性向上の投資をする企業経営者はいないでしょう。何しろ、投資しても儲からない。


 逆に、図の左側のインフレギャップ、
「我が社は一日に90個、生産できるが(=潜在GDP)、客は100個欲しがっている(=総需要、厳密には「潜在的」な総需要)」
 となれば、投資して生産性を高めれば「儲かる」のです。企業経営者は放っておいても投資をしますよ。少なくとも、わたくしはしますよ。

 問題は、
「中小企業が生産性向上のための投資に踏み切れるだけの、安定的、継続的な需要の拡大がないこと」
 なのです。


 本来、デフレ対策として「安定的、継続的な需要拡大」を財政政策で推進しなければならない日本政府が、緊縮財政を継続しているのです。需要不足、市場不足、仕事不足の状況で、
「中小企業の生産性が低い」
 って、そりゃあ当たり前でしょ。

 それにも関わらず、今後、
「中小企業は怠けている」
「中小企業は多すぎる」
「中小企業の新陳代謝が必要だ」
 といった、使い古された構造改革のレトリックにより、中小企業「再編」という名の「淘汰」が進んでいくことになるでしょう。


 ちなみに、わたくしは「政府による需要拡大を前提にした、最低賃金の引き上げ」には賛成しますが、
「この程度の賃金も払えない中小企業は、潰れろ!」
 という、アトキンソン方式の「需要拡大なしの最低賃金引き上げ」には断固、反対します。すると、確実に、
「三橋は最低賃金の引き上げに反対している。低所得者層の敵だ」
 といったストローマンプロパガンダが展開されることになるでしょう。


 あるいは、これまでは「実質賃金なんてどうでもいい」と、安倍政権の貧困化政策から目をそらしてきた連中も、
「中小企業の実質賃金が低すぎる。あいつらは中小企業基本法により保護され、甘えている! 潰せ!」
 といったルサンチマン・プロパガンダを一斉に叫びだすことになると思います(これまでのパターンからして)。

 上記の「デフレギャップを無視する中小企業対策」「中小企業潰しが目的の最低賃金引き上げ」「ストローマンやルサンチマン・プロパガンダ」を認めてはなりません。


 構造改革主義者の連中が使てくるレトリックやプロパガンダは、すでに分かっているわけです。彼らは、過去何十年も同じレトリックを使っている(その点は、財政破綻論者も同様ですが)

 先手、先手を取って、
「あの屑どもは、こういうレトリックを使ってくるよ」
 といった「言論戦」を展開する必要があると考えるのです。


 日本経済の中核である「多様な中小企業」を守るために。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12626678868.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/694.html#c9

[近代史4] 輸出企業が日本を滅ぼす 中川隆
6. 2020年9月22日 16:36:40 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[20]

2020年09月22日
脱韓国は本当か、外国から韓国への投資が急減

外国工場が利益を上げ、経常収支が増えるほど日本は貧しくなっている

令和元(平成31)年中 国際収支状況(速報)の概要 : 財務省

日本化する韓国

重要な経済指標の一つに直接投資があり、対外直接投資と対内投資に分類されます。

対外投資は韓国からアジアや先進国など外国への投資で、だいたいサムスンの工場を建てるなどが多い。

対内投資は先進国の企業が韓国に進出することで、ユニクロの韓国進出などの形をとっている。


韓国は対外投資が増加しているが対内投資が減少し、平たく言えばお金が韓国から出て行っている。

韓国の2019年対外直接投資は5年連続過去最高と絶好調で、韓国企業が世界に進出している。

ソニーや日産が世界に飛躍した80年代から90年代の日本を連想させるが、その後日本はどうなっただろうか?


主要企業が海外進出し工場がアジアに移転し、日本は失業と不況の嵐が吹き荒れました。

海外進出した企業は外国で売り上げを挙げて経常黒字を稼ぎ、毎年10兆円以上も黒字を積み重ねている。

日本は世界最大の黒字国なのだが経済は縮小し国は貧乏になるばかり、これが平成の30年でした。


そしてこれから韓国も日本と同様の道を辿り衰退します。

外国で稼いでも国は豊かにならない

韓国の2019年の対外直接投資は21%増の618億5,000万ドルと、5年連続で過去最高を更新した。

2014年には約286憶ドルだったので5年間で2倍以上の増加になり、それだけ韓国企業が外国に投資した。

対外直接投資は国内産業の空洞化につながるので、日本を除いて積極的に促進する国は少ない。


外国からの直接投資はGDP比で日本3%、イギリス約45%、アメリカ約14%などとなっている。

これが意味するのは企業が外国に投資するほどその国は貧乏になり、外国から投資を受けるほど豊かになる。

例えば中国の「奇跡の30年」の原動力は外国からの直接投資で、自動車や半導体や重工業やハイテクなど、何でもタダで手に入りました。


日本は投資する側の国なので、これらの技術をお金を払って中国に「差し上げていた」事になる。

韓国は今まさに日本と同じ間違いをおかそうとしており、中国やアジアに無償で技術と資本を差し出している。

対外投資が増えると見返りとして外国工場等での利益が経常黒字になり、表面上とても儲かる。


日本は毎年20兆円も経常黒字を稼いでいるが、稼いだ大半はアメリカや中国で再投資され日本に戻ってきません。

仮に外国で稼いだ金が日本に戻ってきたら1ドル70円などの超円高になるので、日本に送金できません。

こんな風に対外投資で儲かるのは必ず「投資を受けた国」のほうで、投資した方の国はどんどん貧しくなります。


近年先進国が低成長で新興国や後進国が高成長なのも、投資する側が損をし、投資される側が得をするからです

http://www.thutmosev.com/archives/83957698.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/749.html#c6

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
23. 中川隆[-11221] koaQ7Jey 2020年9月22日 16:37:29 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[21]

2020年09月22日
脱韓国は本当か、外国から韓国への投資が急減

外国工場が利益を上げ、経常収支が増えるほど日本は貧しくなっている

令和元(平成31)年中 国際収支状況(速報)の概要 : 財務省

日本化する韓国

重要な経済指標の一つに直接投資があり、対外直接投資と対内投資に分類されます。

対外投資は韓国からアジアや先進国など外国への投資で、だいたいサムスンの工場を建てるなどが多い。

対内投資は先進国の企業が韓国に進出することで、ユニクロの韓国進出などの形をとっている。


韓国は対外投資が増加しているが対内投資が減少し、平たく言えばお金が韓国から出て行っている。

韓国の2019年対外直接投資は5年連続過去最高と絶好調で、韓国企業が世界に進出している。

ソニーや日産が世界に飛躍した80年代から90年代の日本を連想させるが、その後日本はどうなっただろうか?


主要企業が海外進出し工場がアジアに移転し、日本は失業と不況の嵐が吹き荒れました。

海外進出した企業は外国で売り上げを挙げて経常黒字を稼ぎ、毎年10兆円以上も黒字を積み重ねている。

日本は世界最大の黒字国なのだが経済は縮小し国は貧乏になるばかり、これが平成の30年でした。


そしてこれから韓国も日本と同様の道を辿り衰退します。

外国で稼いでも国は豊かにならない

韓国の2019年の対外直接投資は21%増の618億5,000万ドルと、5年連続で過去最高を更新した。

2014年には約286憶ドルだったので5年間で2倍以上の増加になり、それだけ韓国企業が外国に投資した。

対外直接投資は国内産業の空洞化につながるので、日本を除いて積極的に促進する国は少ない。


外国からの直接投資はGDP比で日本3%、イギリス約45%、アメリカ約14%などとなっている。

これが意味するのは企業が外国に投資するほどその国は貧乏になり、外国から投資を受けるほど豊かになる。

例えば中国の「奇跡の30年」の原動力は外国からの直接投資で、自動車や半導体や重工業やハイテクなど、何でもタダで手に入りました。


日本は投資する側の国なので、これらの技術をお金を払って中国に「差し上げていた」事になる。

韓国は今まさに日本と同じ間違いをおかそうとしており、中国やアジアに無償で技術と資本を差し出している。

対外投資が増えると見返りとして外国工場等での利益が経常黒字になり、表面上とても儲かる。


日本は毎年20兆円も経常黒字を稼いでいるが、稼いだ大半はアメリカや中国で再投資され日本に戻ってきません。

仮に外国で稼いだ金が日本に戻ってきたら1ドル70円などの超円高になるので、日本に送金できません。

こんな風に対外投資で儲かるのは必ず「投資を受けた国」のほうで、投資した方の国はどんどん貧しくなります。


近年先進国が低成長で新興国や後進国が高成長なのも、投資する側が損をし、投資される側が得をするからです

http://www.thutmosev.com/archives/83957698.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html#c23

[番外地8] バーガミニの本は、日本語で出たものとしてはもちろん、その前の英語で出たものとしても、明治以降の日本の歴史 中川隆
4. 2020年9月22日 19:53:46 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[22]
東京裁判は昭和天皇の戦争犯罪を陸軍軍人に肩代わりさせる為にやったんだよ。
近衛文麿や永野修身は余計な事を話さない様に死んでもらったんだな
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/318.html#c4
[番外地8] 専門研究者のディビット・バーガミニや鬼塚英昭の調査・資料分析に比べると林千勝さんは素人同然 中川隆
29. 2020年9月22日 20:18:27 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[23]
俺はディビット・バーガミニの本が一次資料に基づいていると指摘しただけだ
ディビット・バーガミニの間違いは誰も指摘していないし、その後別の研究も出ていないからそれが定説という事だ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/313.html#c29
[近代史4] 黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年) 中川隆
1. 中川隆[-11220] koaQ7Jey 2020年9月22日 20:37:52 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[24]
【第239回】『廃校綺談』(黒沢清/1998)

 96年、97年頃の黒沢はとにかく多忙を極めた。監督としての長編映画の仕事は年間4本か5本はザラで、それ以外にもテレビ用の短編作品も手がけていた。今振り返れば、黒沢にとってプログラム・ピクチュアの幸福な時代は既にほぼ終わりに近づいていたのだが、オファーのあった仕事は断らない誠実な仕事ぶりが内外で驚嘆されていた時代でもあった。またしても関西テレビの田中猛彦プロデューサーのオファーで、全3話の『学校の怪談』シリーズの最新作である『学校の怪談f』の話が持ちかけられる。全3話のドラマのうち、第1話と第2話は『リング』の中田秀夫が担当。第3話の26分間を黒沢が担当した。このドラマは制作会議をする時間がなく、脚本家である大久保智康が『CURE』の合間に打ち合わせをしていたのはあまりにも有名なエピソードである。その大久保は『CURE』のエキストラとしても、何シーンも通行人役をやらされたらしい 笑。

30年の歴史を持つ中学校がこの春、少子化の影響で残念ながら廃校になるという。主人公は中学2年生で、この学校よりも偏差値の高い中学校への編入が予定されている。ほとんどの生徒は残りわずかとなったこの学校での生活にやる気をなくし、クラスは学級崩壊のような様相を呈している。冒頭、高橋洋扮する校長先生のVTRでの講話が実に胡散臭い 笑。その思いは例によって生徒たちにはまったく響かない。主人公である友田(大沢健人)も友人である梶との残りわずかな友情を楽しもうとしている。

ホラー映画というよりも、まず目につくのはこの学校の殺伐とした無機質さであろう。担任であるベンガルも、用務員である諏訪太朗も明らかに大人が子供に接することを逸脱したヒステリックな教育を行っており、特に諏訪太朗の主人公をトイレに押し込める行動は明らかに常軌を逸している。後半のベンガルと主人公との会話の隔たりを明示する場面は、後の『トウキョウソナタ』においても井之脇海とアンジャッシュ児島のやりとりで繰り返される。それどころか8mm時代の処女作である『六甲』や続く『暴力教師・白昼大殺戮』でのサディズムな教師と、それを冷めた目で見つめる生徒とのコミュニケーションにも呼応する。黒沢映画において小学校や中学校、高校も連帯や仲良しとは程遠い事務的で冷たい関係性が目につく。彼は子供がいないため、商業映画の監督になってからはあまりそういう場面を積極的に書こうとはしないのだが、時折こういう委託された仕事の中にひょっこりと顔を出す。黒沢映画の弱点として、子供がまったく子供らしくないというのがある。

学級委員の円山都(鈴木未佳)は、学校の思い出をアルバムにして残そうとクラス会で提案するが、誰一人として関心がない。ここで円山に意見を言うよう指名された友田は、「やっても仕方ないのでは」と軽くたしなめるような言動をつぶやき、賞賛される。この思いがけない賞賛への戸惑いも『トウキョウソナタ』の原型とも言えるやりとりである。その後、円山と友田の微妙な隔たりがやがて思いもかけないような恐怖のきっかけとなる。それは大袈裟に言うならば、学校の思い出を大切に取っておきたい人たちと、思い出には固執せず、未来に向けて歩きたい人たちとのイデオロギー闘争である。まるで『カリスマ』における木を守る側と破壊する側の対立の構図が、この中学生の短編の中にもしっかりと潜んでいる。理科室の壁を破壊した犯人に対し、担任であるダンカンはただただ嘆き怒るのである。

風にたなびくカーテン、横移動の際、左側の抜けにいる幽霊など、その後の黒沢の恐怖の根拠が実に分かりやすい形で提示されている。半透明カーテンは、ここでは保健室のベッドのシートに敷かれている。保健室にあれ程異様なベッドもないと思うが 笑、友田はベッドの下に段ボールからこぼれた地球儀を転がしてしまう。その地球儀を拾うために彼の小柄な体はベッドの下に潜り込み、半透明カーテンを隔てたこちらの世界とあちらの世界はここであっさりと完成する。けたたましい物音と同時に、髪を振り乱した女の幽霊がゆっくりと近づいてくるのである。ホラー演出とは直接関係ないが、彼が地球儀で真っ先に無邪気に指差したのはアメリカという「ここでもないどこか」であることも忘れてはならない。

後半には幽霊に追い詰められる被害者となった諏訪太朗の姿があり、段ボールとゴミの山への唐突なダイブもある。『893タクシー』や『勝手にしやがれ!!』シリーズや『ニンゲン合格』や『トウキョウソナタ』で何度も繰り広げられた黒沢映画の刻印が観る者をたちまち魅了する。知らない人はきっと唐突な出来事だなと思うに違いない 笑。

エレベーターに出た幽霊は逃げられない閉所の出来事であるが、どういうわけかそれ程怖くない。それ以上に怖いのは屋上から手招きする少年の右手の身振りである。幽霊はあまりにも近づいてくると大して怖くないが、ロングの引き絵で一度観せられた後、急にアップになることほど恐いものはない。そうでなくても黒沢は『大いなる幻影』や『回路』のように高所から人を落とすから気が気ではない 笑。やがて佐野の証言により驚くべき秘密が明らかにされ、友田が彼の机の中身を引っ張り出すところは、新作『岸辺の旅』での一瞬での廃墟化に呼応する。この頃から黒沢の中には今につながるテイストがあったのである。

クライマックスの解釈は、黒沢フリークの中でも常に議論される『カリスマ』に次ぐ難問であるが、私はこう読む。主人公である友田も幽霊と交流を持っているが、同じように学級委員の円山も幽霊と交流しているのである。この学校に住む幽霊は冒頭、一瞬だけ校庭に後ろ向きで出て来る。おそらくあの幽霊の手配により、円山はこの学校の思い出を残そうと必死になるが、ほとんどの生徒はついてこない。だからこそのクライマックスのあの物体の落下だと推察するがどうだろうか?黒沢の純然たるホラー短編でありながら、ラストの解釈に黒沢フリークス度が試される1本である。

https://note.com/compactdisco/n/n09b32f4ca195
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1040.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ ホラー映画関係投稿リンク 中川隆
3. 2020年9月22日 20:38:30 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[25]
黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1040.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/193.html#c3
[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
22. 中川隆[-11219] koaQ7Jey 2020年9月22日 20:38:53 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[26]
黒沢清 学校の怪談 廃校綺談 (関西テレビ 1997年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1040.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c22
[近代史4] 中川隆 _ ホラー映画関係投稿リンク 中川隆
4. 2020年9月22日 21:06:01 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[27]
黒沢清 蛇の道 (大映 1998年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1041.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/193.html#c4
[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
23. 中川隆[-11218] koaQ7Jey 2020年9月22日 21:06:44 : 2hqgblnG1E : b0xFZU54aklaajI=[28]
黒沢清 蛇の道 (大映 1998年)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1041.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c23

   

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