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[政治・選挙・NHK297] 新たな連立政権は「自公+維新+参政」か「自公+国民+参政」か? 玉木財務相、神谷文科相…こんな声も流れ始める 永田町番外地(… 赤かぶ
78. 秘密のアッコちゃん[1764] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月28日 16:07:56 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1202]
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「次の首相」高市氏が首位返り咲き 自民支持層では小泉氏、石破首相に次ぐ3位
世論調査
2025/7/28 11:45
https://www.sankei.com/article/20250728-3E3O5WTPBJME7EU6SA7N7ZROPA/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、次の首相にふさわしい政治家を尋ねたところ、自民党の高市早苗前経済安全保障担当相が22・4%でトップとなった。
自民の小泉進次郎農林水産相が16・0%、石破茂首相が9・4%で続いた。
前回の6月調査では、備蓄米放出などの対応で注目を集めていた小泉氏が首位だったが、高市氏が5月調査以来の首位に返り咲いた。
4位以下は、国民民主党の玉木雄一郎代表6・8%▽立憲民主党の野田佳彦代表4・2%▽自民の河野太郎元外相と林芳正官房長官4・1%−などの順だった。
一方、自民支持層に限ってみると上位は入れ替わり、小泉氏が29・7%でトップとなった。
次いで石破首相が20・1%、高市氏は17・8%だった。
林氏が8・4%で続いた。
年代別にみると、70歳以上の区分では小泉氏が首位に立ったが、それ以下の区分ではいずれも高市氏がトップだった。
調査では与野党の計12人を選択肢として示した。
「この中にはいない」も21・2%あった。

自民・西村康稔氏「ケジメは必要、総裁選やるべき」石破首相にXで「党再生に生かすべく」
2025/7/28 13:38
https://www.sankei.com/article/20250728-6JLSPDE5URFAXIXUNTYYDU32XI/
自民党の西村康稔元経済産業相は27日、X(旧ツイッター)で、党員・党友投票を含めた「フルスペック」での総裁選実施の必要性を強調した。
石破茂首相(党総裁)について
「選挙で3連敗した責任は有耶無耶にできないし、すべきでもない」
「ケジメは必要であり、とにもかくにも総裁選をやるべき」
と訴えた。
首相を巡っては昨年10月の衆院選、今年6月の東京都議選、7月の参院選で敗北を喫した。
一方、26日のNHK番組収録では
「行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と続投を強調している。
西村氏は首相について
「もし使命感を感じておられるなら、むしろ総裁選に立候補し勝利して党内の基盤を確固たるものとすることを目指すべきではないか」
と指摘し、総裁選を通じて党内の信任を得る必要があると強調した。
西村氏は
「ケジメを付けなければ国政の停滞は避けられず、民意を真正面から受け止めて党再生に生かすべく、総裁選が必要と考える」
と重ねて訴えた。

「自公+野党」政権望む声26・3% どの野党かは意見が分散、国民民主が最多27・5%
世論調査
2025/7/28 14:26
https://www.sankei.com/article/20250728-2X3YRKD3LVKFREHWJKZ37M2HLQ/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、今後の望ましい政権の枠組みについて尋ねたところ、
「自民・公明両党に野党の一部が加わった政権」が46・3%
と、新たな連立を望む意見が最多を占めた。
「現在の野党中心の政権に交代」が34・1%、
「自公による政権の継続」は13・9%
にとどまった。
新たな連立がよいとした回答者に対し、政権に加わってほしい政党を尋ねたところ、国民民主党が27・5%、日本維新の会が21・7%、立憲民主党が21・3%と、主要野党がほぼ並んだ。
参院選で躍進した参政党は11・7%で、「その他の政党」は9・8%だった。

自民党が午後に両院懇談会を開催、「石破降ろし」収まらず 首相ら執行部の責任論も
2025/7/28 6:53
https://www.sankei.com/article/20250728-3NAKGRX47BKOBHFEBRJGG7N56Y/
自民党は2025年7月28日午後、与党の過半数割れを喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開く。
石破茂首相(党総裁)は、続投を表明した意図を説明する見通し。
党内では、首相に退陣を迫る
「石破降ろし」
が収まらず、説明次第では旧安倍派や旧茂木派の議員を中心に執行部の責任を問う声が強まりそうだ。
懇談会では、森山裕幹事長も発言する。
森山氏は首相の続投を支持する一方、森山氏の責任を問う声もある。
2025年7月28日は参院議員(2019年選出)の任期満了日で、参院選の落選議員も出席対象になっており、首相に直接辞任を求める可能性がある。
首相は2025年7月26日のNHK番組収録で
「自分自身のことを考えれば色んな判断があるが、行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と述べ、続投に重ねて意欲を示した。
一方、旧安倍派や旧茂木派、麻生派の有志議員は、党の正式な議決機関
「両院議員総会」
の招集に必要な数の署名を集めたと主張。
提出する場合は、総裁選の前倒しを求める議決を提案する方針だ。

<主張>自民党 首相交代で民主主義守れ
社説
2025/7/28 5:00
https://www.sankei.com/article/20250728-A4WCSKFKXRMW7P3MJDRBAJ3H4M/
自民党の高知県連など地方組織から石破茂首相(党総裁)の退陣を求める声が相次いでいる。
党青年局など国会議員も同様の声を上げ始めた。
党中堅・若手が中心となって進めてきた両院議員総会の開催を求める署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
自民執行部は2025年7月28日に両院議員懇談会を開催する予定だが、不満のガス抜きをするだけではだめだ。
署名の重みを受け止め、議決機関である両院議員総会に格上げしなければならない。
石破首相がその場で退陣表明をしなければ、総裁選の開催を議決すべきだ。
いまだに退陣を表明していないのは、国政選挙で示された民意を踏みにじるもので、到底許されない。
自民の国会議員と都道府県連は、国政選挙で明確に示された民意と議会制民主主義を守るため、早期の党総裁交代と首相の退陣を必ず実現させなければならない。
自浄能力が問われていることを、もっと自覚してもらいたい。
このままでは自民は国民から見放されよう。
公明党も同様だ。
斉藤鉄夫代表は2025年7月25日、
「自民党として、しっかりと石破首相を支える体制で野党との協議に臨むことが、(日米)関税交渉を力強く進める上で必要だ」
と述べた。
石破首相の続投を改めて容認した発言と言える。
公明は民意を無視するつもりなのか。
自民には党則にリコール(解職請求)規定がある。
党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁選の前倒しを行うと定めている。
石破首相がこのまま居座りを決め込み、執行部が総裁選を実施しないなら、国会議員や都道府県連が取るべき行動は1つだ。
党則に基づき、総裁選の実施を求める署名活動を本格化させることである。
野党第一党の立憲民主党も役割を果たしてもらいたい。
他の野党と連携して、内閣不信任決議案をできるだけ早期に提出しなければならない。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
と石破首相を批判している。
そうであるならば、不信任案提出に動く時である。
議会制民主主義を守る責務は野党にもある。

老舗革新政党の共産、社民 参院選で落日鮮明 高齢化で「時代遅れ」に
2025/7/27 21:47
https://www.sankei.com/article/20250727-GUF6TWAVKJM7LK3WKGRMRIIU6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選では参政党の躍進が注目された一方、社民党、共産党という老舗の革新系政党の落日が鮮明となった。
両党の苦境は支持者の高齢化に加え、特定の政治思想の実現を目指すイデオロギー政党が
「時代遅れ」
になったことが原因とも指摘される。
共産の小池晃書記局長は2025年7月27日のNHK番組で、党勢回復に向け
「党の地力を大きくしていくことが一番の課題だ」
と語った。
共産は参院選で獲得8議席以上の目標を掲げたが、結果は3議席。
牙城だった京都選挙区(改選数2)を落とした。
特に比例得票数は、目標の650万票はおろか令和4年参院選に比べ75万票少ない286万票にまで落ち込み、れいわ新選組や日本保守党の後塵を拝した。
田村智子委員長は2025年7月21日の記者会見で
「大変悔しく残念な結果だ」
と述べる一方、衆参両院での与党過半数割れは
「日本の政治にとって大きな前向きな変化」
と自賛した。
かつて共産は国政選挙で全選挙区に候補者を擁立するほどの力があった。
力の源泉は党員を軸とした組織力と財政力だったが、党員数はピークの平成2年の約50万人から昨年2024年は約25万人に半減。
平成10年参院選では比例で819万票を得票したが、今は見る影もない。
対策は講じてきた。無党派層も取り込もうと、平和16年に綱領を改定し、
「天皇の制度」
と自衛隊を当面存続させる方針を打ち出した。
平和27年に成立した安全保障関連法をきっかけに当時の民進党などとの
「野党共闘」
路線を選んだ。
昨年2024年の衆院選では一転、比例票を積み増す狙いから選挙協力を限定したが、振るわなかった。
党職員は
「党員は高齢者ばかり。若者は共産党を知らない」
と嘆く。
社民党は更に深刻だ。
自民と
「55年体制」
の一角を担った社会党を源流とし、平和6年の自民、社会党、新党さきがけによる
「自社さ政権」
では、社会党の村山富市委員長が首相に就いた。
村山氏は日米安保体制の堅持や自衛隊合憲、日の丸・君が代を容認し、従来の方針を大転換した。
平和8年1月に社民党に党名を変更した後、一部の議員は民主党の結成に加わり分裂。
社会党を支えてきた労働組合も離れていった。
今回の参院選では
「がんこに平和! ミサイルよりコメを!」
を掲げ、公示直前にタレントのラサール石井氏を擁立。
比例得票で2%超を確保し、政党要件を辛うじて維持した。
福島瑞穂党首は2025年7月21日、
「有権者が『社民党、残ってくれ』と思ってくれた」
と話したが、党を巡る厳しい情勢は変わらない。

「外国人犯罪は増えていない」と「困っている人が1人でもいれば」は矛盾しないか
メディアウォッチ 皆川豪志
2025/7/27 13:00
https://www.sankei.com/article/20250727-WQWXJDB725CCVBKKZNY53E4AEE/
先の参院選で
「日本人ファースト」
を掲げ、外国人問題を争点にした参政党が躍進したことで、テレビ各局の選挙特番のキャスターやコメンテーターたちは、何となく居心地が悪そうというか、出来ることならあまり取り上げたくないという感じがありありだった。
それでも触れざるを得ない場面が来ると、被せるように紹介していたのが法務省の
「犯罪白書」
による
「外国人犯罪は増えていない」
というデータだ。
これは今、新聞など他のメディアでも
「ファクトチェック」
などと称して盛んに使われている。
外国人が増えたからと言って犯罪が増えているわけではなく、
「参政党が主張するような外国人問題などない」
というメッセージなのだろう。
■「差別主義者」が突然増えたのか
簡単に紹介すると、日本にいる外国人の数は2004年の197万人から2023年の377万人と2倍近くに増えているが、同時期に刑法犯で検挙された外国人数は1万4766人から9726人と30%以上減っているというものだ。
確かにその通りなのだろう。
では何故、実際に外国人問題が選挙の争点になり、参政党などが票を伸ばし、与党自民党も
「違法外国人ゼロ」
などと言って、この問題に本腰を入れるようになったのだろうか。
外国人問題などないのに、日本国民の中に突然
「差別主義者」

「排外主義者」
が大量に増えたとでも言うのだろうか。
例えば、一部クルド人との軋轢やトラブルに悩んでいる埼玉県の川口市民にこのデータを見せたとして
「そんなに少ないのですか」
「じゃあ私の勘違いでした」
とは思わないはずだ。
直接困っている人だけではない。
身の回りに増えている外国人に対して不安な気持ちを抱いている人がこのデータを見ても
「犯罪が減っているなら安心だ」
「不安に思ってすみません」
とはならないだろう。
もちろん客観的なデータを示すのは大事である。
ただ、人間の自然な感情に対してデータで頭ごなしに押さえつけても、納得するどころか、自身の経験や肌感覚が否定されたと思うだけで何の解決にも繋がらないと思う。
外国人を差別したい人が増えているのではなく、実際にトラブルを抱えていたり、ルールを守らない外国人をきちんと取り締まってほしいと思っていたりする人が増えていることが、何故メディアから煙たがられなければならないのだろうか。
そもそもこのデータは外国人の
「検挙数」
であり、何かのトラブルがあって警察が出動して逮捕するなど、実際に何らかの事件になった数である。
近隣の騒音やゴミ出しの苦情、暴走行為などで110番通報する人は余りいない。
あったとしても余程のケースでなければ事件化されることもない。
むしろ近隣の騒音などは、日本人同士でも警察沙汰にして逆恨みされるぐらいなら呼ばないほうがいいと普通は考えるものである。
敢えて強調はしないが、身近なトラブルは無視されている数字に等しい。
そうしたデータに表れない問題について、実際に住民の声を聞いてニュースや記事に生かすのがメディアの役割だと思うが、残念ながらこの件に関しては法務省発表だけを一方的に流している。
■「困っている外国人」は探す
データ重視というなら、産経ニュースが報じているように川口市民の半数が
「治安が悪い」
と感じ、その割合が年々上昇しているという市の意識調査もあるが、そちらは決して報じない。
いわゆる
「体感治安」
の悪化が見て取れる数字である。
ただ、このデータにしても逆に市民の半数は
「治安が良い」
と感じているとも取れるし、 先の法務省のデータにしても、同時期の殺人などの凶悪犯は逆に約1.5倍に増えている。
つまり、複雑な問題について1つのデータだけを根拠に一刀両断にしてしまうのはそもそも無理があるのだ。
よく、一部メディアは、日本国民の中でもかなりレアなケースを探し出して来て、
「こんなに困っている人がいる」
と主張している。
隠れた問題を取材して明らかにするのが報道の役割でもあるので、その心意気はよいと思う。
ただ、外国人問題に関しては
「困っている外国人」
は探してきても、
「困っている日本人」
は何故か探さないのだ。
テーマは全く異なるが、国会で選択的夫婦別姓法案が議論になっていた時、立憲民主などの野党や一部メディアは
「別姓で困っている女性が大勢いる」
との論陣を張っていた。
ところが、アンケートなどで別姓賛成派が3割程度だったことや旧姓使用の拡大が進んでいることなどが指摘されると
「困っている人が1人でもいるなら」
「少数意見にも寄り添うべき」
などと言い出した。
「1人も置き去りにしない社会」
は彼らの常套句でもある。
仮に外国人問題で困っている人が本当に少数だったとしても、是非真剣に寄り添ってほしいと思う。

天命は下った…石破茂総理は速やかに退陣せよ 自民は「保守回帰」以外に再生への途なし
【疾風勁草】(24) 弁護士・高井康行
2025/7/27 7:00
https://www.sankei.com/article/20250727-RZZQ7GHBEROJDCBTLNRVQ2YHHY/
■国民を自分の権力欲の巻き添えに
先の参院選で大敗した石破茂総理の退陣を求める声が澎湃として沸き起こっている。
自民党の地方組織から退陣を求める声が上がり、両院議員総会の開催を求める署名集めも進められる中、今月2025年7月25日には、中曽根康隆青年局長から石破総理ら党執行部の総退陣を求める申し入れ書が提出された。
石破総理が当時の故安倍晋三総理に対抗する際の足場としていた地方からも退陣を求める声が出ている状況を見ると、まさに
「四面楚歌」
という思いがする。
しかし、石破総理は容易には退陣表明はしないだろう。
なぜなら、彼は天命によって総理総裁になったと思っているからだ。
以前にもこのコラムで取り上げているが、石破総理はその著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)の中で、
「もし、私などが首相になるようなことがあるなら、それは自民党や日本国が大きく行き詰まったときなのではないか」
「しかも、それは天が決めること」
「天命が降りない限り、それはあり得ないことでしょう」
と言っている。
中世の絶対王政時代に生まれた王権神授説を思い出させるような言説だ。
石破総理は、当時続いていた日米関税交渉、いつ起きるか分からない首都直下型地震や南海トラフ地震などを理由に続投を宣言したが、その後、日米関税交渉は一応の決着を見た。
最も大きな続投理由はなくなったと言ってよい。
地震などの自然災害を理由にするに至っては噴飯ものと言わざるを得ない。
いつ起きるか分からない自然災害が続投の理由になるなら、全ての総理・総裁は選挙でいくら大敗しても退陣する必要はないことになる。
恥も外聞もかなぐり捨てて、総理・総裁の地位にしがみつこうとする姿は醜悪という他ない。
石破総理は前掲書でこうも言っている。
「ただ、天命が下った時に能力が足りないといういいわけは許されない」
「国民が巻き添えになるようなことがあれば、これまでの政治生活が全部無意味なものになる」
と。
今の状態で石破総理がその地位に固執することは、まさに国民を自分の権力欲の巻き添えにすることでしかない。
■毒が全身に回った自民党
昨年2024年の総選挙、今年2025年の都議選、そしてこの2025年参院選、いずれも、自民党は大敗した。
これは、有権者が、石破総理に総理・総裁としての能力が不足していると言っているに等しい。
これまでの政治生活を全部無意味なものにしたくないのであれば、速やかに退陣する以外に途はない。
民主主義社会においては、天命を下すのは民意なのだから。
では、もし、石破総理・総裁が退陣して新しい総裁が生まれたら、それだけで自民党が再生するのかと言えば、そんなことはあり得ない。
自民党は、これまでのように表紙を付け替えるだけで再生できるような状態ではなくなっている。
言わば毒が全身に回っているようなものだ。
毒とは自民党のリベラル化だ。
またぞろ、一部マスコミでは、次の総理は誰がいいかという人気投票が始まっているが、空疎なお遊びにしか見えない。
思い出してみれば、故安倍総理の時代に、次の総理として人気が高かったのは石破氏だった。
それを期待して総裁選で石破氏を総裁に選んで、総選挙に臨んだ結果が大敗だった。
自民党の議員は、そんな人気投票の結果ではなく、自分たちが大敗を続けている根本的理由・原因を突き止め、それを克服できる総裁を選ぶべきだ。
その結果、国会での首相指名選挙で野党に破れたら、潔く下野すればいいのだ。
それが憲政の常道というものだ。
それを嫌がり、単に政権党でいたいという理由だけで、首相指名選挙において野党の協力を得られるか否かで総裁を選ぶようなことがあれば、自民党に回っている毒は更に深く浸透し、党勢を回復することは極めて困難になるだろう。
■変化をつかみ躍進した参政党
参政党が躍進した理由には色々なことがあるだろうが、その大きな理由の1つとして、故安倍元総理がまとめていた岩盤保守層が自民党を保守政党と見做さなくなったことがあるだろうことは間違いない。
そして、今回、参政党に投票した保守層の中に、参政党を大きくすることにより、自民党の保守政党回帰を促そうとしている層があることも間違いない。
自民党が、参政党が躍進した理由をどう総括するか。
もし、SNSの使い方など選挙戦略、戦術が巧みだったとか、代表の演説がうまかったとかというような表層的な見方に終始するとしたら、大きな間違いを犯すだろう。
参政党は、社会の深層における変化を掴んだから躍進できたのだ。
それは左から右への大きな流れだ。
これまで自分たちより右の政党がなく、常に自分より左側の野党からの引力に晒されていたため、日本の社会が左へ左へと流れているように受け止め、その左の票を取り込むため、自分も左へ左へと移動した。
その結果、今や、自民党は本来の保守政党ではなくなった。
しかし、2022年のロシアのウクライナ侵略以来、日本社会の深層では左から右への流れが強くなってきていた。
故安倍総理亡き後、自民党はその流れに気づかず、逆の方向に動いていたことになる。
そして、その流れは参政党という噴出口を得て表に吹き出した。
安倍自民党時代であれば、自民党から出馬したであろうと思われる保守の論客が日本保守党や国民民主党などから出馬したという事実、昔であれば反自民の受け皿として勝ち組になったであろう立憲民主党が辛うじて改選議席数は維持したものの得票は大きく減らしたこと、共産党も議席数を減らしていることなどを見れば、左から右への流れは明らかだ。
昔であれば、そんな発言をすれば世間から袋叩きにあって当選することなどあり得なかった
「国防のためには核武装が安上がりだ」
という趣旨の発言をした候補者が、東京選挙区で堂々2位で当選したことが、そのことを象徴的に表している。
■自民保守派は「保守回帰」を先導せよ
この自民党と日本社会の流れの乖離が、それに気付いていない自民党に今回の大敗をもたらしたのだ。
今回、自民党青年局が党執行部に提出した申し入れ書には
「党が信頼を取り戻すためには、現場の声、そして幅広い世代の意見を確実に政策へと反映する体制への転換が不可欠」
とあるが、自民党が大敗した理由は、自民党の体制にあるわけではない。
的を外していると言うべきだろう。
自民党は、日本社会の深層における流れの変化を的確に把握し、本来の保守政党に回帰する以外に再生への途はない。
参政党の躍進を見ても、そのことに気付かないとすれば、自民党は時代に取り残されるだけだろう。
それを考えれば、自民党に残っている保守派の議員の責任は重い。
小異を捨て大同団結して、自民党の保守回帰の先導を務めるべきだ。
それでこそ、故安倍元総理の遺志を継ぐことができる。

【参院選】参政候補さや氏 核武装論主張「最も安上がり」安全保障政策を巡り
[2025年7月18日17時47分]
https://www.nikkansports.com/general/news/202507180000897.html
参政党公認で東京選挙区に立候補しているさや氏が、安全保障政策を巡り
「核武装が最も安上がり」
と発言したことが分かった。
立憲民主党の野田佳彦代表は2025年7月18日、広島市で記者団に
「特に広島、長崎では絶対に受け入れられない発言ではないか」
「党として許容する空気があるのか、有権者はよく見定めてほしい」
と批判した。
さや氏が発言したのは、日本テレビが2025年7月3日に配信したインターネット番組で
「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の1つだ」
と述べた。
その上で
「あの北朝鮮ですら核兵器を保有すると、トランプ米大統領と話ができる」
とも指摘した。(共同)

東京 選挙区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/13/

自民・茂木前幹事長、参院選大敗で石破首相の退陣要求 「3連敗でスリーアウトチェンジ」
2025/7/26 22:05
https://www.sankei.com/article/20250726-N527S5H7XVKDHOB35CT7DVJXLA/
自民党の茂木敏充前幹事長は26日に公開した自身のユーチューブ番組で、参院選の自民大敗を受け、石破茂首相(党総裁)の退陣を求めた。
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べた。
「衆院選、東京都議選、今回参院選で3連敗だ」
「スリーアウトチェンジの状態だ」
とも指摘した。
敗因として自民が国の将来像を語っていないと強調。
「けじめをつけることと再生への道はイコールだ」
「このまま行って自民が浮上することはない」
「政策を練り直さないと厳しい」
と訴えた。

石破首相「辞任すべきだ」自民都道府県連の幹部2割強 共同調査 「必要ない」は3人
2025/7/26 18:30
https://www.sankei.com/article/20250726-5M2FZ6II3VOZTBPGXSHLOHO6SI/
共同通信社は、参院選の自民党大敗を受け、党都道府県連の幹部に石破茂首相(党総裁)の進退に関する見解を聞き、調査結果を2025年7月26日、まとめた。
回答を得られた43都道府県連の幹部のうち、2割強の12人が
「辞任するべきだ」
と答えた。
理由として
「衆院選、東京都議選、参院選で3連敗した責任を取るべきだ」
(長野県連)
などを挙げた。
「辞任は必要ない」
との回答は3人にとどまった。
28人は
「分からない・無回答」
だった。
地方組織で首相の求心力が低下している現状が浮き彫りになった。
北海道連や栃木県連など複数の地方組織が首相の辞任を求める文書をまとめている。
山形県連も2025年7月26日、首相の退陣を党本部に求める方針を決めた。
調査は2025年7月24、25両日、国会議員を除く都道府県連幹部に聞き取るなどして実施した。
匿名を条件とした回答も結果に含めた。

<産経抄>石破首相の露骨な噓、教育に悪い国会
2025/7/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20250726-ABDSSD2ED5PYLJV3B36OUX3BR4/
政治の世界ではその昔
「衆院解散と公定歩合は噓をついていい」
と当たり前のように言われた。
影響の大きさ故に、首相が時期について事前に本当のことを言わなくても、責められないという意味である。
逆にいえば、それ以外は噓をつくべきではないという話でもある。
▼「私の出処進退については一切話は出ていない」。
石破茂首相は2025年7月23日に自民党の麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と会談後、テレビカメラの前でこう強調した。
だが、2025年7月25日付小紙朝刊の検証記事によると実は、麻生氏も岸田氏も石破首相の進退に言及していた。
首相の言葉は国民を謀る噓ではないか。
▼永田町では、3人以上で話したことは必ず漏れるとされる。
まして会談には森山裕幹事長も同席しており、計5人がその場にいた。
それぞれ政治的思惑も意図も異なる5人のやり取りが、外部に出ない道理がない。
にもかかわらず、首相が進退話を否定したのは何故か。
話したことをなかったことにされた麻生、岸田両氏も納得がいくまい。
▼「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。バカなことを言うな」。
実際、検証記事によると首相経験者の1人はこう憤っていたという。
石破首相の言葉だけ聞くと、3人の元首相が続投にお墨付きを与えたかのように誤解しかねない。
首相がそれを狙って会談を求めたとしたらまさに策士、いやペテン師か。
▼政治家と噓というと菅直人内閣は、閣僚が国会で虚偽答弁をした場合の政治的・道義的責任について、答弁の内容次第とする閣議決定をしている。
噓も方便なのか、良心が麻痺したか。
▼国会休会中には小中学生の国会見学が目立つが、あまりお勧めしない。
国会は教育に悪い。

石破首相、28日に参院選総括の組織立ち上げ表明 自民総会要求の署名、3分の1超集まる
2025/7/25 20:53
https://www.sankei.com/article/20250725-T4FH7YKHHBMKVE6JNRFT5MB2JM/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)の参院選敗北の責任を問うため自民の有志議員が進めていた両院議員総会の開催要求の署名集めに関し、笹川博義農林水産副大臣は2025年7月25日、要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたと記者団に明らかにした。
総会では退陣を求める何らかの議決が可能で、2025年7月25日の与野党党首会談でも進退に言及しなかった首相への圧力が一層強まった。
一方、首相は2025年7月28日の両院議員懇談会で、参院選を検証、総括する党内組織立ち上げを表明する方向で最終調整に入った。
自身の進退は表明しない見通し。
懇談会は総会と異なり、議決権がない。
党則は、総会について3分の1以上の議員の署名があれば
「7日以内に招集すべきものとする」
と規定。
署名集めは旧安倍派、旧茂木派、旧二階派、麻生派の議員らが2025年7月24日に始めた。
署名用紙には
「参院選の結果責任を問い、党の再生のために」
と記されている。
また、自民青年局は2025年7月25日、首相ら党執行部に責任を取るよう求める緊急提言を取りまとめ、森山裕幹事長に申し入れた。

首相経験者「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか」 石破氏「進退の話なかった」で齟齬
2025/7/24 20:24
https://www.sankei.com/article/20250724-AT7TVNBSSVJMNFWCDE3B4BBQIY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相による2025年7月23日の党本部での会談の内幕が明らかとなった。
首相は会談直後、改めて続投表明していたが、実際は進退を迫られていた。
発言内容の齟齬には1日でも長く政権を延命させたいと首相と、退陣への道筋をつけ、次の政局で主導権を握りたい麻生氏らとの思惑の乖離がある。
■麻生氏「石破氏で選挙勝てぬ」
2025年7月23日午後2時、自民本部の総裁室−。
緊張した面持ちの首相の前に、かつてこの部屋の主だった麻生氏らが次々と着座した。
2025年7月20日の参院選の惨敗からまだ日が浅く、重苦しい雰囲気が漂う中、首相の進退に関して口火を切ったのは最年長の麻生氏だった。
「石破自民党では選挙に勝てないということが明らかになった」
「対応しないといけない」
■岸田氏「政権どうするのか」
続く岸田氏も首相が参院選の総括に意欲を示していることを踏まえ、
「選挙の検証は大事だが、政権をどうするのかはっきり言わないと党はもたない」
と畳みかけた。
麻生氏も
「岸田の言う通りだ」
と同調した。
首相と3首相経験者の関係性には濃淡がある。
麻生氏は自らの首相時代に、首相から退陣を突き付けられた因縁があり、もとより首相を好まない。
岸田氏は昨年2024年9月の総裁選で首相を支持した。
だが、その後の人事で挙党態勢を築けなかったことや、経済・外交で力強いメッセージを打ち出せなかったことに不信感を募らせている。
■菅氏「党の分裂はまずい」
首相と関係が悪いとは言えないのは菅氏だが、党内で総裁選を前倒しする
「リコール」
や両院議員総会の開催に向けた署名集めの動きが加速していることを踏まえ、
「党の分裂はまずいよね」
と言葉少なだった。
政治には自身の意思では抗えない流れがある。
菅氏は首相当時、新型コロナウイルスの感染拡大対応への批判を受け、退陣に追い込まれた。
岸田氏は昨年2024年の総裁選出馬を目指したが、自民派閥の政治資金収入不記載事件の責任をとった。
■首相、約束を違えて続投表明
翻って首相は国政選挙で2度も大敗しながら、地位に恋々としているように映る。
この1時間20分間で、首相と麻生氏らが日本や自民が置かれている危機を共有したとは言えなかった。
会談内容は終了後、同席した森山裕幹事長から公表することも確認していた。
だが、首相は森山氏の説明に先立ち、4人の申し合わせになかった続投の意思を記者団に明言した。
首相は早々に退陣を正式表明した場合、2025年8月1日召集予定の臨時国会で、野党から首相指名選挙を求められることを懸念したとみられる。
思い入れが深い戦後80年の検証を自らの手で行いたいとの執念も滲む。
首相が約束を違えて続投表明したことに、首相経験者の1人は怒気を交えながら吐き捨てた。
「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。馬鹿な事を言うな!」

両院議員総会求める署名、自民所属議員の3分の1超える 一層強まる首相への辞任圧力
2025/7/25 17:41
https://www.sankei.com/article/20250725-REHHFYNGFBLXDJXOF5VYUSV6QE/
参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)の責任を問うため、両院議員総会の開催を求める署名が党所属議員の3分の1を超えたことが2025年7月25日、分かった。
複数の党関係者が明らかにした。
両院議員総会では首相の責任を問う何らかの議決が可能となり、首相への辞任圧力は一層強まることになる。
首相は2025年7月25日に国会内で開いた与野党党首会談で、進退については明言しなかった。
一方、旧安倍派と旧茂木派、旧二階派、麻生派の有志議員らが首相の責任を問うため、両院議員総会の開催に向けた署名活動を2025年7月24日に始めていた。
党執行部側が2025年7月28日に設定した両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるため、署名活動は懇談会を総会に格上げさせる狙いがある。
所属議員らに配布された署名用紙には、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
などと明記されていた。
両院議員総会の開催には所属議員の3分の1の賛同が必要となるが、党関係者によると、署名は2025年7月25日夕までに3分の1を超えた。
今後も署名を続けるという。
有志議員の1人は
「署名がこれだけ集まったことを踏まえ、首相は改めて自らを省みて進退を決断してほしい」
と話した。

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

<政治部取材メモ>敗軍の将、「珍説」を語る 続投意欲の石破首相に自民党が怒りの包囲網
2025/7/25 7:00
https://www.sankei.com/article/20250725-2SKH7DTB3JMJTEB7MC5VSUJPYA/

「退陣なければ党終わる」18年前の石破首相の正論、参院選敗北の安倍氏に 夕刊フジ再掲
2025/7/22 13:10
https://www.sankei.com/article/20250722-FXKFELCEPRB6VBUOQFK7MXHRQ4/?outputType=theme_election2025
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面。当時の石破茂首相はインタビューで正論を吐いた(奥原慎平撮影)
2025年7月20日投開票の参院選で自民党は歴史的惨敗を喫しながら、石破茂首相が居座り≠決め込んでいる。
だが、党内で退陣論は高まりつつある。
石破首相を巡っては、平成19年7月の参院選で自民が大敗した局面で、夕刊フジのインタビューに応じ、当時の安倍晋三首相について
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」

「正論」
を語っていた。
同年平成19年8月2日付のインタビュー記事の本文を抜粋する。

(参院選を巡って)
「(安倍晋三)首相は『私を選ぶか(民主党代表の)小沢(一郎)さん』を選ぶかの選挙」
とあれほど言った。
それで(有権者は)小沢さんを選んだ。
そのことをどう思うと聞かれて、首相は『私は使命を守る』と言う。
答えになっていない。
国民の意志を完全に無視している」
安倍晋三首相(当時)に退陣を迫った頃の石破茂首相=平成19年8月10日(酒巻俊介撮影)
石破氏は
「安倍続投」
に強い異議を唱える。
だが、党内で安倍退陣論は大勢となっていない。
その理由に、石破氏は
「昨年の総裁選でほとんどの議員が安倍首相を支持したからだ」
「小選挙区制度になって党が絶対な権利を持っている」
「小泉(純一郎)前首相の時には『公認しないぞ』(の脅し)もあった」
「その恐怖が残っている」
「党内の恐怖政治的なものが底流にはある」
と分析する。
その上で、
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」
「その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる」
「このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」
と危機感をにじませた。
首相の続投会見の言葉にも、
「理解できない」
「総理は『私の内閣』とか『私の使命』とかそういう言い方をするが、内閣は個人のものではない」
「『私の使命』って王様じゃないんだから」
「使命は国民が与えるもの」
「参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」
と切り捨てた。
参院選では、多くの自民党候補が落選した。
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」
「でも総理は落ちた人の気持ちが分からない」
「総理は週末ごとに大きな私邸にお帰りになり、普通の人が行けないようなレストランでお食事になる」
「選挙の苦労もしていない」
「選挙で奥さんともども土下座して、落選した人の気持ちは分からない」
続けて、
「総理は自分で辞めると言わない以上、誰も辞めさせられない」
「首相が退陣せねば、自民党が終わってしまうという気持ちは変わらないが、終わらないようにしないといけない」
と今後も自民党再生に向け、発言を続ける構えだ。
安倍首相は、大幅な党役員人事・内閣改造を断行し、政権の延命に躍起となっている。
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面
石破氏は
「本当の能力主義の人事をすること」
「お友達内閣、論功行賞内閣から、挙党一致ではダメ」
「挙党一致は派閥均衡みたいな話だ」
「派閥や当選回数を一切無視して、この人が一番、この分野をやるのに相応しいという人を入れるしかない」
「それしか生き残る可能性はない」
と厳しい注文を付けた。

参院選で改憲勢力が「3分の2」を維持 参政や国民躍進、議論活発化へ問われる自民の奮起
2025/7/25 16:19
https://www.sankei.com/article/20250725-G6JX27FFFVMDZJCX3J2DXX4CAI/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党など憲法改正に前向きな
「改憲勢力」
が、非改選を合わせて国会発議に必要な定数の3分の2を維持した。
自民が議席を大幅に減らした分を参政党や国民民主党の躍進がカバーした。
もっとも参院では選挙前も3分の2を確保していたものの、改憲論議は進まなかった。
参院憲法審査会の議論が活発化するか否かは、憲法改正を党是に掲げる自民の奮起にかかっている。
参院の3分の2のラインは166議席だ。
今回の参院選で自民、公明両党に加え、日本維新の会や国民民主、参政、日本保守党などのいわゆる
「改憲勢力」
は合わせて180議席を獲得した。
特に、1から憲法を作り直す
「創憲」
を掲げる参政が議席を大幅に増やした。
「国民の多くが参政党の憲法作りに期待を寄せていることの表れだ」
「国民からアイデアを集めて国家観を作り上げていく活動を進めていきたい」
今回の参院選の初当選組の1人で、参政の改憲案作りに携わった安達悠司氏は2025年7月22日の記者会見で、強い意欲を口にした。
とはいえ、参院で憲法改正の動きが加速すると考えるのは早計との声もある。
先の通常国会で改憲勢力が3分の2を確保していたにもかかわらず、参院憲法審の開催はわずか6回にとどまったからだ。
衆院側が戦争や大規模災害など選挙困難時に国会議員の任期延長を可能にするための改憲を目指したのに対し、憲法54条の
「参院の緊急集会」
の役割を重く見る参院側が議論の進展を警戒したとの見方もある。
ただ、憲法改正は参院先議でも進められる中、参院自民が他の改憲項目の議論を主導した形跡もない。
自民幹部は
「参院は衆院から送られてくる法案を確実に成立させる重責を担う」
「このため改憲に後ろ向きな立憲民主党を過度に刺激しないように努める傾向がある」
と語る。
しかし、参院選では保守層の支持が参政や国民民主に流れた。
関係者は
「改憲への消極的姿勢も信頼を失った遠因だろう」
「自分で自分の首を絞めた」
と述べ、奮起が必要だと指摘した。

自民・鈴木貴子氏「速やかに退陣表明を」 石破首相擁護の父・宗男氏と温度差
2025/7/25 13:17
https://www.sankei.com/article/20250725-KXB33WKX5JCJ5IMEVHQCPUUBCI/?outputType=theme_election2025
自民党青年局は2025年7月25日までに、参院選大敗を受け、石破茂首相ら党執行部に対し
「選挙結果の総括を速やかに行った上で自ら責任を取ることを求める」
とする文書をまとめた。事実上の辞任要求といえる。
2025年7月23日の青年局会合では首相の退陣論が相次いだ。
鈴木貴子衆院議員は会合に出席後、記者団に対し
「今回の参院選だけでなく、衆院選や東京都議選の結果を踏まえても、総裁と執行部が責任を取る必要がある」
「速やかに潔い退陣表明が求められている」
などと述べていた。
鈴木氏が所属していた旧茂木派などの中堅・若手議員は、首相の責任を問う
「両院議員総会」
の開催を求める署名活動を進めている。
一方、鈴木氏の父・宗男氏は2025年7月24日、自らのフェイスブックで、参院選で自民党が苦戦を強いられた背景には派閥パーティー収入不記載事件があると指摘。
「石破総理総裁1人の責任にするのはフェアではない」
と首相を擁護していた。

<正論>参政党躍進の背景にある歴史観 
新しい歴史教科書をつくる会顧問・藤岡信勝
2025/7/25 8:00
https://www.sankei.com/article/20250725-GBP4IOLPKVNE7KHO2YROFMMT6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選で、新興勢力の参政党は14議席と大躍進した。
自民・公明の政権与党は合わせて50議席に達することができず、昨年2024年の衆院選に続いて、参院でも与党が過半数を割り込むことになった。
この過半数割れを引き起こした主役も、実は45の全選挙区に立候補者を立てた参政党であった。
この躍進の背景にあった1つの要因について述べてみたい。
■歴史学習運動の蓄積
躍進の背景には参政党候補者が共有する歴史観がある、とするのが私の基本的な見立てである。
党首の神谷宗幣氏は高校時代までは左派寄りの思想を持っていたが、大学3年生のとき1年間休学しバックパックで18カ国を8カ月間旅行する経験を通して視野を広げ帰国後、小林よしのり氏の『戦争論』などに触れて、祖父や父が学んでいた教えに理解を深めるようになったという。
本来、保守的な家族関係の中で育ちながら、学校の影響で左翼思想を抱き、海外経験を通してそこから脱却し、日本の歴史を学び直す典型的な保守系活動家の遍歴を神谷氏も辿ってたのである。
神谷氏の始めたCGS(チャンネル・グランド・ストラテジー)というユーチューブ・チャンネルでは、倉山満氏や斎藤武夫氏の歴史講座で通史を学ぶなど、この種の番組としてはかなり本格的なプログラムを用意して歴史の学習を呼びかけてきた。
こうした歴史学習運動の蓄積の上に立って、令和2年に結成された参政党は当然ながら日本の歴史に誇りを持つことを大切にするという姿勢が明瞭に打ち出されていた。他の政党にないことである。
■「日本人ファースト」の衝撃
参政党は
「日本人ファースト」
をスローガンとした。
これが選挙戦における成功の要因であったことは間違いない。
外国人対策がにわかに選挙戦の争点となった。
日本で住民税を払わない中国人が東京で起業して1500万円の融資を無担保で手に入れたり、来日3日で生活保護受給決定が出たりする。
健康保険料を僅かな期間支払い、日本で高額医療を受ける中国人がいる。
奨学金でも外国人留学生の方が日本人学生よりも優遇されている。
外国人の土地の購入、クルド人問題、オーバーツーリズム(観光被害)等々。
これらの問題の解決に既存政党は手を付けようとせず、やり場のない鬱屈した感情が広く日本人の中に溜まっていた。
参政党の
「日本人ファースト」
という標語は、日本人の誰もが持っているモヤモヤ感を払拭してくれるインパクトがあった。
有権者の心に見事に突き刺さった。
選挙戦が始まる前は、参政党の候補者の選挙区内の支持率はたかだか数パーセントに過ぎなかった。
当選する見込みは薄いと思われた。
ところが、選挙戦が始まると支持率は鰻上りとなり、選挙区によっては当落を争うまでになる。
この現象が日本の各地で起こった。
これは明らかに候補者の口頭による訴えが大きな効果をもたらしたことの表れである。
なぜ参政党の候補者の話には説得力があるのか。
タブーとなっていた話題に果敢に切り込む勇気に聴衆は感動し、初めて自分たちの心を代弁してくれる政党に出合ったという思いを持つ。
候補者は全体として若く、子育て現役世代の悩みを共有し、その生活実感と結びつけて政策を語る。
こうしたことが聴衆の心を捉えた。
しかし、私はそれだけではないと思う。
参政党は草の根の地域組織を持ち、他党とは比較にならないほど党員向けの勉強会が充実している。
自国の歴史に誇りを持つ歴史観をバックボーンとしているからこそ、候補者の演説には単なる話術ではない真実さと深さが伴っているのではないか。
■歴史教科書と参政党
参政党は教育を重点政策とし、歴史教科書問題にも地道に取り組んできた。
私が関わった範囲でその活動を紹介したい。
昨年2024年、令和6年度は4年に1度の中学校教科書採択の年であった。
この年、東京都内の参政党の地方議員は目覚ましい活動をされた。
各議員が責任を持つ地区ごとに、歴史教科書問題や教科書採択問題をテーマとする大小の学習会を開いた。
私が直接関わった集会だけでも10カ所近くになる。
更に、参政党の地方議員の方々は教科書採択に取り組む決意を記者会見を開いて宣言されたのである。
他党には個々に協力して下さる議員はおられるが、このように組織的に取り組んで下さる政党は参政党以外にはない。
つくる会は、公立学校の教育委員会で、全国で唯一、自由社を採択してくださった茨城県常陸大宮市に研修ツアーを企画した。
40人収容のバスに乗った参加者の半数は議員で、参政党の地方議員が多数参加した。
教科書採択は首長の決断なくして実現しない。
私は参政党の若い地方議員が地元で信頼を得て5年後、10年後に首長となり、教科書を採択して下さる未来図を想像の中で描いていた。
(ふじおか のぶかつ)

参院選X投稿分析「外国人」はなんと886万件、参政党躍進に影響か 鶴保発言にも関心
2025/7/24 19:40
https://www.sankei.com/article/20250724-BPGCKSIX35IG3HIC2RQHC7VXPQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗に終わった今回の参院選。
関連するSNSへの投稿では、
「外国人」

「減税」
といった言葉が多くみられ、選挙戦の情勢が反映される格好となった。
東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は告示直前の2025年7月1日〜投開票日である2025年7月20日までのX(旧ツイッター)の投稿を分析。
「外国人」
を含む投稿件数は、オリジナルを拡散させたリポストを含め886万9817件に上った。
日別では2025年7月1日が約25万件、2025年7月8日が約40万件と次第に増え、ピークの2025年7月14日は約76万件となった。
有権者の関心の高まりが現れたのか、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党が大きく躍進する結果となった。
一方、当初からの大きな争点とされた
「減税」
は、総投稿数が211万9292件。
「消費税」
は220万2108件で、合わせても
「外国人」
の半分以下だった。
減税や消費税は選挙戦序盤が投稿数の最盛期で終盤にかけて減る形となった。
自民党の鶴保庸介参院議員が選挙の応援演説の中で、
「運のいいことに能登で地震があった」
と発言した2025年7月8日には、
「鶴保」
の投稿は4万3343件に急増。
それまでは概ね1桁台だったが2025年7月9日には約13万7千件、2025年7月10日は9万7千件、2025年7月11日は4万9千件と、しばらく高い関心が続いたことが分かった。

首相、参院選大敗「真摯に受け止める」 党内の退陣要求は加速、地方組織から人事刷新要求
2025/7/24 21:00
https://www.sankei.com/article/20250724-ELMPZQ43R5JNFFVYP4EHZIP6QI/?outputType=theme_election2025
参院選の大敗を受け退陣が不可避の情勢となった石破茂首相(自民党総裁)に対し、2025年7月24日も党内の
「石破降ろし」
の動きが広がった。
旧安倍派や旧茂木派に加え、旧二階派に所属した議員が首相の責任を問う両院議員総会の開催を求める署名活動を進めている。
麻生太郎最高顧問は同日、派閥パーティー収入不記載事件で離党した世耕弘成衆院議員と国会内で会談。
党内情勢を巡り意見交換したとみられる。
「ポスト石破」
の有力候補の1人とされる高市早苗前経済安全保障担当相に近い議員らも国会内で会合を開いた。
高市氏らは2025年7月23日も東京・赤坂の議員宿舎に集まり、対応を協議している。
両院議員総会の速やかな開催を求める署名は党所属国会議員に配布され、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
と明記した。
党執行部が2025年7月28日に実施予定の両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるが、総会は党則に基づく議決機関で、首相の責任を問う何らかの議決が可能となる。
開催には所属議員3分の1以上の賛同が必要になる。
党の地方組織からの批判も相次いだ。
これまでの高知や栃木の県連などに続き、2025年7月24日には高市氏の地元の奈良県連や東京都議会自民党も人事の刷新を求める意見書を党本部に送った。
参院選で当選した高橋はるみ氏は札幌市内で記者団に
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と首相の退陣を求めた。
一方、首相は参院選で当選した鈴木宗男氏と官邸で面会し、参院選大敗について
「国民の厳粛な審判だから、真摯に受け止めたい」
と語った。
鈴木氏が記者団に明らかにした。
首相は官邸で開かれた都道府県議会議長らとの懇談会に出席したが、議長らから首相の責任を問う意見は出なかった。
「退陣の意向を固めた」
と一部で報じられたことについて、2025年7月24日に首相と面会した政府高官は
「首相は『やる』と言っている」
と周辺に明かした。

高市早苗、西村康稔氏が会談 参院選大敗を受けた情勢協議か 麻生太郎氏も世耕弘成氏と
2025/7/24 20:08
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317889253
自民党の高市早苗前経済安全保障担当相は2025年7月24日、旧安倍派幹部だった西村康稔元経済産業相と国会内で会談した。
関係者が明らかにした。
参院選大敗を受けた党内情勢を協議したとみられる。
高市氏は、保守系議員を中心に
「ポスト石破」
候補として推す声がある。
これとは別に、麻生太郎最高顧問も、旧安倍派幹部だった世耕弘成衆院議員(離党)と国会内で会談した。

「リベラルではなくもっと右に寄って」 高市早苗氏のお膝元・奈良県連も石破氏退陣要望
2025/7/24 16:22
https://www.sankei.com/article/20250724-HQV6HEE3LNMPTJQZN4K6HWIJ6Y/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗し、奈良選挙区でも苦戦を強いられたことを受け、自民奈良県連の井岡正徳幹事長は2025年7月24日、党の刷新を求める意見書を党本部の森山裕幹事長に送付したと発表した。
県庁で記者会見した井岡氏は
「(石破茂)総裁をはじめ、役員の刷新を求めている」
と説明しており、実質的に石破首相の退陣を求めている。
奈良選挙区では、県連会長を務める堀井巌参院議員が3選を果たしたが、国民民主党の候補に約3万2千票差まで迫られた。
意見書では、
「参院選は比例はもとより、都道府県連にとっても大変厳しい状況の戦いだった」
とし、
「(堀井氏が)他党候補の猛追を受けた選挙戦は、党に対する県民の信頼が揺らいだことに一因があると考える」
と指摘している。
井岡氏は保守層の自民離れを念頭に、会見で
「個人的に、石破氏にはリベラルではなくもっと右に寄ってほしい」
と話した。
井岡氏によると、意見書は県連会長の堀井氏と相談して決め、高市早苗衆院議員ら役員にも報告したという。

自民・高橋はるみ氏、首相退陣要求 参院選受け「結果責任だ。しかるべきタイミングで」
2025/7/24 14:44
https://www.sankei.com/article/20250724-7TUZFTUQMVKWVNEZ54KPVJXZAA/?outputType=theme_election2025
自民党の高橋はるみ参院議員は2025年7月24日、参院選で大敗した石破茂首相に対し
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と退陣を求めた。
札幌市内で記者団の取材に応じた。
高橋氏は今回の参院選北海道選挙区で再選されたが、得票数は2019年の前回選から約28万票減った。
高橋氏は、昨年2024年の衆院選に続いて国政選挙で連敗となった点を指摘し、首相が責任を取るべきだとの考えを示した。
党道連も2025年7月23日、事実上の退陣を求める要望書を党本部に送っている。

「リベラル化した自民党に保守層がノー突き付けた」「矜持取り戻せ」日本会議、参院選見解
2025/7/24 13:01
https://www.sankei.com/article/20250724-FAAQ4SWLIJFGHFDAHFVQBS5KI4/?outputType=theme_election2025
保守系の民間団体「日本会議」(会長・谷口智彦元内閣官房参与)は2025年7月24日、先の参院選を巡る見解を出した。
「衆参両院で与党の過半数割れを起こすという前代未聞の事態を出来(しゅったい)させた」
とし、
「現在のリベラル化した自民党に対して、保守層がノーを突き付けた結果といってよい」
と指摘した。
近年の自民党について、憲法改正や男系の皇統護持などを挙げ
「国柄に関わる重大案件に対してすら、支持層に明確な姿勢を示すことができなかった」
と疑問視し、
「国益軽視の外交や外国人政策などが国民の多くの不満を招いた」
と指摘した。
参政党などが躍進した背景については
「このような自民党の変質が大きく関わっており、それを敏感に感じ取った支持層が他に拠り所を求めた結果であることを見誤ってはならない」
と強調。
その上で、自民党に対し、
「保守層の離反の背景を深刻に受け止め、保守政党の中核としての矜持を取り戻し、果断に国家政策を提案し実現していくことこそ、党再生の道筋である」
と訴えた。
「内外の厳しい情勢の中、我が国の伝統的価値を基軸として、日本を再び成長と発展の軌道に乗せる重大な使命が課せられている」
と重ねて強調した。

自民北海道連、石破首相に退陣求める「責任は極めて重い。党員・党友が納得できる決断を」
2025/7/23 18:09
https://www.sankei.com/article/20250723-XQATS4XXNNM4RCAPTQ2QCBIE3I/?outputType=theme_election2025
自民党北海道連は2025年7月23日、参院選で与党が参院全体の過半数を割り込んだ結果を受け
「(石破茂首相の)責任は極めて重い」
「党員・党友が納得できる決断を」
と事実上の退陣を求める要望書を党本部に送った。
要望書では
「(首相が)議員らに何ら説明なく、続投の意向を表明したことは大変遺憾だ」
とした。
北海道選挙区(改選数3)では、共に自民現職の高橋はるみ氏と岩本剛人氏が再選。
ただ、高橋氏は2019年の前回選から約28万票減らした。
岩本氏も次点の候補に約8500票差に迫られた。

国民・玉木代表「辞める辞めないを含め見定める」「約束を守れない石破政権と協力はない」
2025/7/23 17:46
https://www.sankei.com/article/20250723-YC4QFZUD5ZM4FNE2TAHXARUK5M/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月23日、参院選の敗北を受けて石破茂首相(自民党総裁)の退陣論が自民内で浮上していることについて
「辞める辞めないを含めて見定めたい」
「ただ、1つ言えることは、約束を守れない石破政権と協力をすることがないということは明確に申し上げたい」
と述べた。
国会内で記者団の取材に答えた。
また、自民内の下野論に関しては
「色んな言葉や発信が相次いでいるが基本的には自民の党内政局のための発信だ」
「『石破おろし』の狼煙だと見るべきだ」
と指摘した。
その上で
「本当に下野してもいいと思っている自民議員はなかなかいないだろう」
「自社さ連立政権で社会党のトップを祭り上げてさえ権力維持を考えた自民だ」
「簡単に権力の座から降りるということはない」
「一言一言に乗らないように、真意を確かめたい」
と語った。

政府内からも石破首相に退陣要求 松本外務政務官「新総裁の下、出直しを」石破降ろし加速
2025/7/23 11:03
https://www.sankei.com/article/20250723-IPLMKCYJCZCHBA7HPNANC7AE5A/?outputType=theme_election2025
松本尚外務政務官は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、参院選で大敗したにもかかわらず続投を表明した石破茂首相(自民党総裁)について、党総裁を辞任するよう求めた。
政府内からも事実上の退陣論が出た形で、
「石破降ろし」
が益々拡大しそうだ。
松本氏は
「党員から石破総裁に対し責任を取って1日も早く辞任すべきという声が上がっている」
と説明。
「私は政務官として政府の一員でもあるので、突っ込んだ発言は控えなければならないが、自民党『総裁』としての身の処し方は考えてほしい」
と要求した。
その上で、
「今まさに新総裁の下、自民党は出直さないともう2度と政権を担うことはできないかもしれない」
と石破氏に総裁を辞任するよう求めた。
松本氏は言葉を選んだが、総理(首相)と総裁を別の人物が務める
「総総分離」
は過去に話題になったことはあっても実現したことはないだけに、事実上、内閣総辞職を求める内容と言える。
また、松本氏は
「古参の皆さんには後方支援に回って頂くことを了承願いたい」
として、世代交代による党の大改革を訴えた。
松本氏は衆院千葉13区選出。自民の旧安倍派に所属していた。
旧安倍派議員では、萩生田光一元経済産業相が自民の
「下野」
を主張している他、西村康稔元経産相もXに
「見てろよ」
と投稿し、行動を起こす考えを示している。

<主張>日米関税交渉合意 国益を守り抜けたのか 石破首相は退陣表明する時だ
社説
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-EDOIQHACFRKGTDG4Q2WNCIFTYE/
日米関税交渉が決着した。
米側が相互関税を25%に引き上げる期日とした2025年8月1日を前に税率を15%にとどめることで合意した。
日本車に課す25%の追加関税も半減し、既存関税と合わせ15%とすることになった。
最悪の事態を免れたのは確かだろう。
それでも尚、第1次トランプ政権時と比べても極めて高水準の関税を課されることは残念でならない。
米国は日本にとって唯一の同盟国だ。
その米国から理不尽な高関税で脅されたにもかかわらず、石破茂政権は措置を撤回させられなかった。
国益を守り抜けたのかは疑問である。
合意したからといって首相が居座るのは言語道断だ。
早期に退陣を表明して当然である。
■措置撤回を実現できず
関税で他国に圧力をかけるトランプ大統領の独善的手法は第2次政権で歯止めがかからなくなった。
日本が無関税で輸入する米国車が売れないことを一方的に日本のせいにするなど、一連の主張は受け入れ難く、事実誤認も目につく。
そもそも、1期目のトランプ政権時に日米貿易協定を結び、自動車への追加関税を課さないことなどを確認したはずなのに、トランプ氏はこの協定を反故にするかのように振る舞う。
だからこそ石破政権は、米国の高関税措置を撤回するよう求めてきたのではなかったか。
無論、トランプ氏がこよなく愛する
「関税」
という手法を日本に限ってやめさせるのは難しい。
現実的にはある程度の譲歩もやむを得ない面があろう。
だからといって
「対米黒字を抱える国の中で最大の引き下げ幅を得られた」
などと自賛する石破首相の発言に頷くことはできない。
米国の出方がトランプ氏の判断次第なのは自明なのに、石破首相は閣僚協議に委ねるばかりで、自らがトランプ氏に直談判して局面打開に繋げるという行動力を見せなかった。
これでは最善を尽くしたと評価することなどできない。
石破首相は
「日米両国の国益に一致する形での合意」
を実現したとも語るが、日本はトランプ政権前と比べてどれほど国益を高められたというのか。
首相が重視するのは、米国の雇用を増やし、日本企業も利益を上げる対米投資拡大だ。
「政府系金融機関が最大5500億ドル(約80兆円)規模の出資、融資、融資保証を提供可能にする」
などと説明し、経済安全保障上の重要分野で日米が強靱な供給網を築くとも強調した。
もっとも、対米投資の拡大は以前から日本企業に見られた傾向である。
経済安保で日米が連携を強化するのも当たり前のことだ。
むしろ、米国との約束を履行しようと、コストを度外視した対米投資に陥らないようにしなくてはならない。
■臨時国会で徹底審議を
農業分野では、既存のミニマムアクセス(最低輸入量)の枠内で米国産のコメ輸入量を増やす。
関税引き下げなどで農業を犠牲にするような内容はないというのはいい。
ただし、米国産の流入拡大が米価に及ぼす影響は十分に見極めるべきだ。
日本企業にとって15%の関税は重い負担だ。
それでも交渉が決着し、ようやく対米事業戦略を具体的に練り直せるようになった。
大企業だけでなく下請け企業も含めて、米国の高関税政策にも揺るがぬよう、生産性の向上や新規需要の開拓などに全力を挙げたい。
交渉の妥結を受け、政府では国内対策などが課題となる。
だが、石破首相がそれを理由に政権に居座ってはならない。
衆院選と参院選で自ら設定した勝敗ラインを割り込み、両院で過半数を失った首相は1日も早く退陣表明するのが責務である。
首相は2025年7月23日、自民党所属の首相経験者との会談後も重ねて続投の意欲を示した。
驚くべき厚顔さだ。
選挙で示された民意を無視するのは容認できない。
自民の国会議員や地方組織から退陣を求める声が上がっている。
続投を許せば、自民は支持層から完全に見放されるのだから当たり前の反応だ。
ただし、自民や連立与党の公明党が、実際に退陣に追い込まなければ、参院選時以上に支持を失うだろう。
それでは日米合意の履行も覚束なくなる。
自浄能力の発揮が問われている。
2025年8月1日にも召集される臨時国会では、首相指名選挙の有無にかかわらず一定の日数を確保し、日米合意を巡る徹底的な審議を行う必要がある。

<産経抄>関税交渉の決着、政権の残日は
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-Z2PFJHKHDBMCDGEEUQZWIMBSZA/
カレンダーという言葉は、金の貸し借りに語源を持つそうである。
古代ローマでは、金銭の貸借関係を記録するのに会計簿を用い、債務者の名前、借金の元金と利息を書き入れた。
利息計算の基準日となったのは毎月1日である。
▼月初めの1日はラテン語で「カレンダエ」、会計簿は「カレンダリウム」と呼ばれた(『暦の大事典』朝倉書店)。
偶然かどうか。
関税を巡る日米交渉の期限が2025年8月1日に迫る中、その日の欄にトランプ大統領が書き入れた
「25%」
という数字は、日本側の重い足かせとなった。
▼米国が日本からの輸入品に課す税率は、トランプ氏が通告してきた25%ではなく、15%で合意した。
「マイナス10ポイント」
などと喜んでいる場合ではあるまい。
本来は課すべきでないところを、筋の通らない
「15%」
をのまされた。
それが実相である。
▼トランプ氏の勝利という他ない。
自動車や鉄鋼・アルミニウムの関税も、撤廃を求める日本側の声は聞き入れられなかった。
新たな関税による負荷が、どのような形で効いてくるのか先は見通しづらい。
傷を最小限にする手当ては、日本の政府と経済界にとって焦眉の急だ。
▼これまでの交渉を、閣僚任せにしてきた石破茂首相の腰の重さにも首を傾げたくなる。
「なめるな」
と吠えたからには、トランプ氏の独善的な振る舞いをたしなめるのが筋だろう。
首相自身が外交と日本の有権者を甘く見ているとしか思えない。
▼ともあれ、石破氏が続投の理由として挙げる関税交渉は片付いた。
首相の座に居座り続けるための方便は聞くに堪えなかったが、これ以上耳を貸す理由はない。
自民党内では退陣を求める声が強まっており、政権の残日を示す暦は、その枚数を減らしつつある。

関税交渉、一転して合意 日本経済の悪影響は緩和も残る懸念 国内の資金繰り支援が不可欠
2025/7/23 21:17
https://www.sankei.com/article/20250723-JLHTR2O7X5MBHPWMIZT7WZHCVA/
暗礁に乗り上げたかに見えた日米関税交渉が、一転して合意に至る急展開を見せた。
日本経済への悪影響は一定程度抑えられることになり、経済界からも合意を評価する声が上がった。
ただ、高水準の関税は依然残り、政府には国内企業の資金繰り支援などきめ細やかなサポートの取り組みが求められる。
「和気あいあいというより、国益をかけたギリギリの真剣勝負だった」
赤沢亮正経済再生担当相は2025年7月22日、米ワシントンで記者団の取材に応じ、合意に至ったトランプ氏との会談を振り返った。
トランプ氏と面会することは訪米前には決まっていなかった。
ラトニック米商務長官らと協議する中で浮上したという。
■トランプ氏に響く提案用意
日本政府は自動車を中心に一連の関税措置の見直しを求め、特別扱いに難色を示す米側との交渉は難航を極めた。
それでも合意できた背景には、トランプ氏に響く提案を用意したことがある。
トランプ氏は自動車やコメの貿易を巡り、日本に対して不満を露わにしていた。
このため政府は、米国車の輸入時の認証手続きの簡素化や、米国産米の輸入拡大を約束して、同氏の顔を立てたことが奏功した格好だ。
米側から関税率で譲歩を引き出したことで、日本経済への悪影響は抑えられる。
野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストの試算では、自動車関税と相互関税を15%とする今回の合意で、国内総生産(GDP)は0・55%押し下げられる。
交渉が不調で2025年8月1日に相互関税が25%に引き上げられていれば、押し下げ効果は0・85%まで拡大していた。
■経済界から評価の声
経済界からは評価の声が寄せられた。経団連の筒井義信会長は
「国益に拘って粘り強く交渉した成果が実った」
と歓迎。
自動車業界関係者も
「関税率が下がったことは評価する」
と話した。
しかし高水準の関税がかかる状況に変わりはない。
木内氏は
「最悪の事態は防げたが、重しは残った」
「体力がある企業であれば対処できるかもしれないが、景気後退局面に入るかどうかのライン上にある」
と分析する。
上智大の前嶋和弘教授は、対米投資拡大の動きも相まって
「企業が工場を国内から米国に移して産業空洞化を招くかもしれない」
と指摘。
一方で体力のない中小企業などは、国内で厳しい経営を迫られる可能性もある。
政府には今後、こうした指摘を踏まえ、企業の資金繰りや雇用維持を支援する取り組みが求められる。
赤沢氏は
「合意の内容を精査し、影響を受ける国内産業をどう支えるか速やかに検討して対策を講じる」
と話した。

「参院選の総括早く」石破首相の出処進退「全く議論にならず」森山氏説明 歴代3首相会談
2025/7/23 17:11
https://www.sankei.com/article/20250723-754YHCOJAFOQRAHFQHFA5WG4XY/?outputType=theme_election2025
自民党の森山裕幹事長は23日、記者団に対し、石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問ら首相経験者3氏による会談の中で、大敗した参院選の総括をできるだけ早く行わなければならないとの意見が出たことを明らかにした。
森山氏は会談に同席した。
首相の出処進退に関しては
「全く議論になっていない」
と説明した。
森山氏によると、首相経験者は党員・党友や地方組織、友好団体などの意見に丁寧に耳を傾けることを要請した。
その上で、自民の現状については強い危機感を持ち、党の分裂は何としても避けるべきだとの考え方を共有したという。
また、森山氏は参院選総括の両院議員懇談会を28日に開くと発表した。
懇談会は当初、31日に予定されていたが、前倒ししての開催となる。

石破首相「強い危機感共有、党分裂あってはならない」 退陣報道は否定 歴代3首相と会談
2025/7/23 15:48
https://www.sankei.com/article/20250723-NZIDHVC25FLGFCF5NYZSODLGUI/
石破茂首相(自民党総裁)は23日、参院選で自民が大敗したことを受け、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談した。
会談後、記者団に
「強い危機感を共有した」
「党の分裂は決してあってはならない」
と述べた。
近く退陣を表明するとの一部報道については
「そのような発言をしたことは一度もない」
と否定し、会談でも
「私の出処進退について一切話は出ていない」
と強調した。
トランプ米政権との関税協議が合意に至ったことを踏まえ
「多くの対米輸出品を扱っている会社、事業者にとっては極めて重大な問題だ」
「国民生活がきちんと守られるよう全力を尽くしていきたい」
と語った。
会談には森山裕幹事長も同席した。

<独自>石破首相、進退を8月に最終判断へ 広島・長崎式典や国際会議に出席
2025/7/23 10:37
https://www.sankei.com/article/20250723-MDIN5SVMZNOOLHZU63SBLUCOVE/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は参院選敗北を受け、参院選総括や今後の政治日程を踏まえ、8月に自身の進退を最終判断する意向を固めた。
退陣すると判断した場合、9月ごろに新たな党総裁を選出し、10月に召集が見込まれる臨時国会で首相指名選挙を行う日程が想定される。
首相が当面の続投を決めたことに党内から批判が噴出している。
ただ、首相は8月6日の広島と9日の長崎の原爆の日、15日の終戦の日の式典に出席予定。
20〜22日には横浜市でアフリカ開発会議(TICAD)が開催される。
こうした重要な日程に「穴をあけられない」(周辺)と判断し、8月下旬にも進退について明らかにする方向だ。
首相は、早ければ今月29日にも開く両院議員懇談会に出席し、党所属国会議員から直接意見を聞く。
敗因を分析し、8月に党として参院選を総括する。
続投の理由に挙げた日米関税交渉は日本時間23日、米側が25%と宣言していた日本に対する相互関税を15%に引き下げることで合意に達し、一定の道筋がついた。
首相は23日午前、合意が進退に与える影響について記者団に
「合意の内容をよく精査しなければ申し上げることはできない」
と述べるにとどめた。
首相は23日午後、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談し、今後の政権運営の考え方について説明する。

<主張>立憲民主党 受け皿に選ばれなかった
社説
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-QTIOSYO2VJJXVKAQZ4QWJEVHZE/
参院選で与党が過半数割れし、国民民主党や参政党が躍進するなど、政党を巡る地殻変動が始まった。
その波は立憲民主党や共産党にも及んでいる。
野党第一党の立民は政権与党への批判票の受け皿にならなかった。
共産も議席減が止まらない。
広義の保守や中道の政党に票は流れた。
左派・リベラル政党の退潮が始まったと見るべきではないか。
立民は野党第一党の座を維持したが、獲得議席は22議席で改選数と同数だった。
比例代表の得票数は739万票で、投票率の上昇もあって、3年前の前回参院選より62万票増やした。
だが、同じ700万票台の国民民主、参政両党よりも少なく、野党の中で3番手に甘んじた。
社会党から民主党、立民などに至るまで野党第一党は、政権与党に対する批判票の受け皿になってきた。
その構図が崩れた理由の1つは、厳しい安全保障環境だろう。
日本の独立と繁栄の基盤となる安保政策が非現実的では、有権者の支持が集まらない時代になった。
今や日米同盟の基盤ともなっている日本の集団的自衛権の限定的な行使に関し、立民は賛成の立場を表明していない。
5年間で総額43兆円の防衛費に対しても賛成してこなかった。
対中抑止力の向上に熱心だったとも言えない。
立民は家族の一体感を損なう選択的夫婦別姓制度の導入に積極的だったが、石破茂首相に愛想を尽かして自民から流出した保守層が、立民を選ばない一因となった。
立民は民主の流れをくむ政党だ。
民主の結党には多くの社民党議員が加わった。
社会や社民と関係が深かった自治労や日教組は立民を支持している。
左派の体質を引きずっている以上、有権者の支持は広がりようがあるまい。
共産は、学界やメディア、公務員にシンパを多く抱え、議席数以上に日本社会に影響力を持ってきた。
だが、比例代表の得票数は75万票減らし300万票を割り込んだ。
共産は未だに綱領に自衛隊の解消などを明記している。
如何に日本と国民を守り抜くかという発想が乏しく、退潮傾向は止められまい。

自公政権が協力求めるべき野党、最多は国民民主35% 立民21%、参政20% 共同調査
世論調査
2025/7/22 22:12
https://www.sankei.com/article/20250722-SZSMIVWFANP5ZKO3TOFNYUSSA4/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
自公政権が協力を求めるのが良いと思う野党を複数回答で聞くと、国民民主党35・1%、立憲民主党21・9%、参政党20・4%、日本維新の会18・7%の順だった。
参院選で投票先を決める際、SNSや動画サイトなどから得る情報を「重視しなかった」は64・0%で、「重視した」34・9%を上回った。
参院選で最も重視した点は「物価高対策」32・2%だった。
政党支持率は立民10・8%(前回9・2%)、維新5・2%(4・8%)、国民15・1%(9・9%)、公明党4・6%(4・4%)、れいわ新選組4・3%(5・6%)、共産党3・7%(3・1%)、参政11・8%(3・7%)、日本保守党2・7%(2・9%)、社民党1・3%(1・9%)、チームみらい4・1%、みんなでつくる党0・2%(0・1%)。
「支持する政党はない」とした無党派層は12・3%(21・1%)だった。

外国人規制「強めるべき」65% 「緩めるべき」4% 出入国管理や不動産取得 共同調査
世論調査
2025/7/22 21:01
https://www.sankei.com/article/20250722-4I2FEEOTVJKQJPYZZT3IEG6LBM/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
出入国管理や不動産取得などの外国人への規制は「強めるべきだ」が65・6%で最も多かった。
続いて「現行通りでいい」26・7%、「緩めるべきだ」4・4%となった。
SNSや動画サイトを通じて参院選に関する真偽不明の情報や誹謗中傷が広がったと「感じた」との回答は「ある程度」と合わせて56・7%だった。

<産経抄>風の順逆も分からず、「まとも」な判断できぬ石破氏
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-YCVQZXTBHNNEDJX4EBFOXWJQC4/
多くの船が連なり進むさまを「舳艫(じくろ)千里」という。
「舳」は船首のことで「へさき」とも読む。
「艫」には「とも」の訓読みがあり、船尾を指す。
船にとって有難いのは後ろから吹く風で、これを「真艫(まとも)」と呼ぶ。
▼順風、追い風のことである。
不審に思われる方もいるだろう。
「まともに風を受ける」は向かい風のことではないか、と。
その場合の「まとも」は「正面」と書く。
言葉の不思議はともかく、普通の感覚を持ち合わせた人ならば、順風と逆風を取り違えることはまずあり得ない。
▼先日の参院選で有権者が吹かせたのは、衆院に続く与党過半数割れの強い向かい風であり、猛烈に冷たい北風だった。
神経の作りがよほど頑丈なのだろう。
まともに受けたはずの風が堪えていない人もいる。
石破茂首相が続投の意向を表明した。
▼参院選での与党過半数の維持を「必達」の目標としたのは首相である。
舌の根も乾かぬうちに
「比較第一党としての責任」
という理屈を持ち出し、臆面もなくゴールポストを動かす変節には驚き呆れる。
これが民主主義の否定でなくて何だろう。
▼首相の座に固執する理由に、日米関税交渉を挙げたのも姑息な方便と映る。
これまでの折衝を閣僚に任せ、トランプ大統領との会談に腰を上げなかったことはお忘れか。
物価高、国防、防災。
過半数の勢力を結集し、船首を同じ方角に向けて進む図も現政権の下では期待し難い。
▼「決められない政治」の出口は遠い。
それもまた国難だろう。
石破氏が長尻を決め込んでいるのはどう見ても針のむしろで、もはや痛みの自覚すら乏しいらしい。
風の順逆が分からぬのも無理はない。
まともな政治感覚からは、かけ離れているという他ない。

石破内閣の支持率22%、発足以来最低に 「首相辞任すべき」は51% 共同通信調査
世論調査
2025/7/22 19:42
https://www.sankei.com/article/20250722-JJKQNZGIHRNJTKEQTAOJDRWENQ/
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
石破内閣の支持率は22・9%で、前回2025年6月調査から9・6ポイント急落し、昨年2024年10月の内閣発足以来で最低となった。
不支持率は14・9ポイント増の65・8%だった。
自民党が大きく議席を減らした参院選の責任を取り、石破茂首相が
「辞任するべきだ」との回答は51・6%、
「辞任は必要ない」45・8%
だった。
参院選後、最も望ましい政権の枠組みは
「政界再編による新たな枠組みの政権」が最多で36・2%。
「自公政権に一部の野党が加わった政権」28・0%が続いた。

日本保守党・百田代表、首相の続投理由「明日地震起こるかも」にあきれ顔「むちゃくちゃ」
2025/7/22 18:30
https://www.sankei.com/article/20250722-BG5GJXZ7ZNCGVGLIJEYOP6JHDU/?outputType=theme_election2025
日本保守党の百田尚樹代表は2025年7月22日の記者会見で、先の参院選で初当選したことについて
「日本を豊かに、強く。議員という影響力を駆使して、日本を良くしたい」
と抱負を語った。
食品の消費税率ゼロや野放図な「移民」政策の見直し、過度な再生可能エネルギー依存の見直しに力を入れていく考えも示した。
同党は今回の参院選比例代表で得票率5%を確保し、百田氏と弁護士の北村晴男氏の2人が当選した。
北村氏は比例代表で最も個人得票数が多かった。
同党は衆参で5議席を獲得し、公選法が政党要件に定める国会議員5人以上、直近の国政選挙で得票率2%以上の双方をクリアした。
百田氏は
「結党1年9カ月で名実共に国政政党になった」
と述べた上で、
「バックアップが足らず、悔いの残る選挙だった」
「忸怩たる思いが消えない」
とも語り、候補者の全員当選が果たせなかったことに苦渋の表情を浮かべた。
参院選を巡っては、石破茂首相(自民党総裁)率いる自民党が大敗を喫す結果となった。
首相の続投の是非について百田氏は
「石破さんの判断だ」
「我々は何を言うこともできない」
と述べるにとどめた。
一方、首相は2025年7月21日の記者会見で、続投の理由について、トランプ米政権との関税交渉などに加え
「明日起こるかもしれない首都直下型地震、あるいは南海トラフ地震」
を挙げて
「このような厳しい状況の中にあって、最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語っている。
発生が予想できない震災への対応を続投の理由の1つに挙げたことについては、百田氏も
「言語道断。無茶苦茶。こういう理屈が通るなら、自民党の総裁選もできない。衆院の解散もできない。悪い冗談としかいいようがない」
と疑問視した。

「選挙をなめないでください」続投表明の石破首相、平成22年の参院選敗北の民主党に苦言
動画
2025/7/22 18:24
https://www.sankei.com/article/20250722-U4SNPRNGPJEJXIPJQBXI4ZW5UA/?outputType=theme_election2025
石破茂首相は、自民党政調会長だった平成23年7月の衆院予算委員会で、民主党の菅直人首相(当時)に前年の参院選の意義を尋ねた質問で、
「菅民主党政権の是非を主権者たる国民に問うた、それが参議院選挙の意義だった」
「間違いない」
と述べた。
当時の参院選では民主党が敗北し、石破首相は
「選挙をなめないでください」
「主権者たる国民の選択なんです」
と追及していた。
平成22年の参院選で、菅首相(民主党代表)は勝敗ラインを
「改選54議席プラスアルファ」
と位置付けていたが、44議席にとどまり、与党として過半数に達しなかった。
今月2025年7月20日投開票の参院選で、自民、公明の与党の改選は66議席。
石破首相は与党で計50議席を得て過半数を維持することを
「必達目標」
としていた。
選挙では改選議席から大きく後退し計47議席に低迷した。
非改選75議席を合わせても参院全体の過半数(125議席)に届かなかった。
しかし、石破首相は翌2025年7月21日、
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
これに対し、自民党内からも批判が強まっている。

石破首相の「リコール」や両院議員総会開催を求め、自民議員が署名集めを検討
2025/7/22 17:02
https://www.sankei.com/article/20250722-RHQLWOEPCNIMBFU7LV42BP2JYA/
参院選で大敗したにも関わらず続投を決めた石破茂首相(自民党総裁)の辞任を求める複数の自民議員が、総裁選を前倒しして実施する
「リコール」
や、両院議員総会の開催を求める署名集めを検討していることが2025年7月22日、分かった。
自民の党則は、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁の任期前でも総裁選を行うと定めている。
また、党所属国会議員の3分の1以上の要求があれば両院議員総会を召集すると規定。
総会は全ての所属国会議員が出席でき、重要事項の議決権を持つ。
旧安倍派の議員の1人は
「水面下で総会の開催とリコールを求めて動き始めている」
「ずるずると首相の座に居座ることは許されない」
と述べた。
党執行部は2025年7月31日に議決権のない両院議員
「懇談会」
を開くが、閣僚経験者は
「懇談会で(不満を持つ議員の)ガス抜きをすればいいなんてあり得ない」
と強調した。

石破首相に退陣論 自民・甘利氏「珍説で政権にすがる」 元首相秘書官「橋本首相は即決」
2025/7/22 9:35
https://www.sankei.com/article/20250722-K7BWOK7J7JFO3NVURDS36CSUOE/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗したにもかかわらず石破茂首相(党総裁)が続投を表明したことに批判が噴出している。
自民重鎮や、参院選敗北を理由に退陣した橋本龍太郎元首相の当時の秘書官からは辞任論が相次いだ。
自民党の甘利明元幹事長は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、石破首相の姿勢についての見解を示した。
甘利氏は
「これ以上ない低い責任ラインを自ら設定し、それすらクリア出来ない2度の惨敗の果てに
『比較第一党の責任』
なる珍説で政権にすがろうとする」
「最後のシンパまで失いますよ」
と投稿した。
首相は昨年2024年の衆院選では自民、公明両党で過半数、2025年7月20日投開票の参院選では自公で非改選を合わせた過半数の維持を目標としていたが、いずれも達成できず、衆参両院で少数与党となる事態を招いた。
にもかかわらず続投を決め込む首相に対し、甘利氏は警鐘を鳴らした形だ。
■「誰一人責任を取らないのは前代未聞」
橋本氏の首相秘書官を務めた立憲民主党の江田憲司衆院議員は2025年7月21日、フェイスブックで、首相について
「いずれ早い時期にお辞めになると思う」
と予測した。
理由として、
「喫緊の課題が山積しているから、国政に一刻の停滞も許されないとか、政治空白を作るべきではないと言うが、現実問題、実際上、党内の求心力を失った首相が、そういう課題に対応する重要な決定ができるとは到底思えない」
と指摘した。
「橋本首相が、参院選結果を受けて即断即決で退陣を決め、私も阿吽の呼吸で同じ判断をしたのも、同様の理由からだ」
と自身の経験を紹介した。
その上で江田氏は
「そもそもトップという地位は、いざという時、責任を取るためにもある」
「衆院選、都議選、参院選と3連敗した執行部が誰1人責任を取らないというのは前代未聞で、それではディシプリン、組織の統制が取れない」
「これまでもそうだが、石破首相の世間から遊離度合いは尋常ではない」
と断じた。

「旧民主党系は限界」国民・玉木代表、選挙区調整に見切り 「全国に立てた参政は立派」
2025/7/22 17:10
https://www.sankei.com/article/20250722-JYZQRUQ54JE3JMMWK6I3X3JMV4/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月22日の記者会見で、参院選の結果を踏まえ、次期衆院選では選挙区に候補を積極的に擁立する姿勢を示した。
立憲民主党などとの候補者調整については
「自民党への不満を受け止めるには、旧民主党系はもう限界だ」
と否定的な見解を示した。
玉木氏は参院選の群馬選挙区で、自民候補が当選し、約2万8000票差の次点に参政党候補、そこから10万票近く離れた3番手が立民候補だった例を持ち出した。
「自民党王国と言いながら立憲が立てたが、事前の調査だと参政が勝っていて、最後、自民が底力を見せて引っくり返された」
「野党をまとめたら勝てたかというと違う」
とした上で
「自民への不満が高まっている」
「それを旧民主党系は受け止めきれないというか、限界だ」
「単に旧民主党系や共産党も入れてまとめたら勝てるというのは、もう幻想に終わった」
「数さえ合わせれば過半数を取れるだろうというのは、もう通用しない」
と述べた。
参院選の比例代表では、国民が立民を得票で上回り、玉木氏は
「ステージを次の段階に移行することができた」
と胸を張った。
次期衆院選について玉木氏は
「積極的に候補者を擁立する」
「全国で受け皿を作らない限り、本当の意味での国政政党、全国政党にはなれない」
と強調した。
「参政が立派なのは、全国に候補者を立てたことだ」
「受け皿を作っていることは評価すべきだ」
「衆院選は次が勝負だ」
と語った。

「日本に帰化したか、政治家は全員出自を明らかにすべき」中国出身で参院選初当選の石平氏
2025/7/22 16:06
https://www.sankei.com/article/20250722-OCRTZQYRG5GR7MFBYXXOHCV4UU/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日に投開票された参院選で、日本維新の会から比例で初当選した石平氏が2025年7月22日、産経新聞の取材に応じ、かつて自ら中国籍から日本国籍に変更した経験を踏まえて
「日本に帰化した政治家は全員、出自を包み隠さず明らかにすべきだ」
と語った。
「もし帰化して日本国籍となり、更に国会議員のような政治家、公職者となったのならば、どんな出自かを隠すことは許されない」
「帰化しているかどうかはその人の経歴の一環でもあり、立候補する時点で事前に公開しておくことは当然だ」
石平氏は、こう語った。
中国出身で、2007年に日本国籍に変更した。
沖縄・尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域に連日、中国当局の船が確認されるなど、覇権主義的な姿勢をとる中国共産党政権への批判を続けてきた。
日本の四季をこよなく愛す評論家としても知られる。
取材では、日本の帰化を巡る諸制度の「甘さ」や「ゆるさ」も問題視した。「日本の帰化制度は、申請時に思想や信条を一切、問うことがない」
「これはおかしい」
「外国人が日本人へと帰化する場合に、日本に対しどれだけの愛着があるのか、忠誠心を誓うような場や儀式もない」
「これは米国とは違う」
「こうした日本の帰化制度は根本的に改め、厳格化すべきだ」
と訴えた。
■「本気で日本を愛し続けているか」
「日本に帰化してからも本気で日本を愛し続けているかどうか、本性を現して『反日』的な行動を取ったりはしていないのか、一定期間、監察することも必要だろう」
「そうした場合には帰化を取り消せる制度も絶対に設けるべきだ」
「国会議員として是非、実現したい」
と抱負を述べた。

石破首相、参院選敗因に「外国人」挙げる 鈴木法相は「外国人政策、民意重く受け止める」
「移民」と日本人
2025/7/22 13:55
https://www.sankei.com/article/20250722-EF3WRHESHVCXXMBIC6EGVEACXM/?outputType=theme_election2025
参院選の与党大敗を受け、鈴木馨祐法相は2025年7月22日の閣議後記者会見で
「民意をしっかり受け止める必要がある」
と述べた。
また、石破茂首相は2025年7月21日の記者会見で参院選の敗因の1つに
「外国人対応」
を挙げた。
これを受け、鈴木氏は
「法令順守の徹底や、制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。
鈴木氏は参院選の結果について
「国民の信頼、信任の上に成り立つ政権運営であり、民意をしっかり受け止める必要がある」
「外国人政策や選択的夫婦別姓制度など法務省に関係するテーマも論議になり、民意を重く受け止めながら政策の運営を行っていきたい」
と述べた。
また、石破氏が2025年7月21日の記者会見で、参院選の敗因について
「政治改革の問題、物価高、外国人への対応など多岐に渡る」
と述べ、外国人問題への対応を敗因の1つに挙げたことについては、
「これまでも一部の外国人の犯罪や迷惑行為、各種制度の不適切な利用など国民が不安や不公平感を持つ中で、ルールを守らない人への厳格な対応や、制度や施策の見直しを行ってきた」
と説明。
「『不法滞在者ゼロプラン』ではルールを守らない外国人を速やかに国外に退去させており、各種の在留資格の様々な要件の適正化に向けた検討も進めている」
「参院選でも様々な議論になったが、外国人との秩序ある共生社会を推進するため、法令順守の徹底や制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。

<主張>首相が続投表明 即時退陣を改めて求める 立民は不信任案提出へ動け
社説
2025/7/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250722-JTFH7FO75FL5BPFTT2RZFCJERY/
三球三振したのにバッターボックスから去らない打者のようなものだ。
昨年2024年の衆院選、今年2025年の東京都議選、参院選に大敗した石破茂首相(自民党総裁)のことである。
これでは政治は前へ進めない。
石破首相は2025年7月21日に会見し
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
事実上の政権選択選挙とされた参院選で石破首相は、非改選を含む参院全体での与党過半数維持を
「必達目標」
とした。
だが、その勝敗ラインを越えられなかった。
有権者が
「石破政治」
を拒んだのは明らかだ。
■信頼失っても居座りか
衆参両院で過半数割れしたにもかかわらず続投するというのは、憲政史上の異常事態という他ない。
改めて言う。
石破首相は責任を取り、潔く辞任すべきである。
森山裕自民幹事長も同様だ。
衆院選、都議選、参院選の全てに大敗したのに首相の座にしがみつくのは本当に見苦しい。
そのような政治家の声が有権者に届くわけもない。
石破首相は国政運営に不可欠な国民からの信を失っている。
国民政党を自任する自民の歴代総裁は単独過半数や与党過半数などを掲げてきた。
石破首相が参院選後、比較第一党を達成したからよいとの無責任な姿勢を示したのは極めて異例だ。
自民に比較第一党として安定政権を構築する責任があるにしても、それを果たすべきは石破首相ではない。
居座りは、議会制民主主義の否定と知るべきである。
続投の理由について首相は、米国の関税措置、物価高、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの自然災害、安全保障環境などを挙げ、
「国難とも言うべき厳しい状況に直面している」
「大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語った。
国政に停滞を招いてはならないのは当然だ。
気付くべきは、首相の居座り自体が国政の最大の停滞要因になるということだ。
野党各党が、民意を失っている石破政権に手を差し伸べることはできないだろう。
政権基盤が決定的に脆弱になった石破政権が対米関税交渉をやり抜くというのでは、国益を酷く損ないかねない。
そもそも赤沢亮正経済再生担当相に交渉を丸投げし、トランプ米大統領とのトップ交渉から逃げていたのが石破首相ではないか。
衆参過半数割れの国会で、物価高対策などの予算を通せるのかも一段と不透明になった。
石破首相は、第1次安倍晋三政権時の参院選で自民が大敗し、衆参で多数派が異なる
「ねじれ国会」
になった際、続投を表明した安倍氏を猛烈に批判したことを忘れたのか。
自民総務会で
「(安倍)首相は
『私か小沢一郎民主党代表かの選択だ』
と訴えたのに、どう説明するのか」
と難じ、代議士会では
「首相は
『反省すべきは反省する』
と言っているが、何を反省し、どう改めるのか」
と責め立てた。
石破首相は今回の参院選の大敗について
「謙虚に真摯に受け止めなければならない」
と述べたが、続投では少しの反省も感じられない。
■自民議員は総裁交代を
自民の国会議員には、石破氏を党総裁、首相に選び、衆院選大敗後も続投を容認し、日本の政治を混乱させてしまった政治責任がある。
度重なる民意に反して今度も続投を認めるなら、自民は国民政党の資格を失い、凋落の一途を辿るだろう。
早期に新総裁を選出しなければならない。
2025年8月1日に臨時国会が召集される方向だ。
石破首相が居座りを決め込むようなら、野党側にはそれを防ぐ手立てがある。
衆院での内閣不信任決議案可決である。
憲法第69条に記された内閣不信任案は、民意に沿わない政権を退陣させる方策だ。
衆院議員51人という提出要件を満たす党は野党では立民だけだ。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「続投の意思表明は説得力があまりにもなさ過ぎる」
と石破首相を批判したが、不信任案提出については言葉を濁している。
党利党略ではなく、国政選挙の審判を反映させ民主主義を守るために、野党は結束して不信任案提出へ動く時だ。
与党も野党も政治を漂流させない責任を果たしてもらいたい。

立民、参院選は「負け」と受け止め「不信任案どころでない」 野田代表に首相から秋波も…
2025/7/21 20:50
https://www.sankei.com/article/20250721-UL5TYNUUXNM5PNOQ7TGWWMCBGY/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選で立憲民主党は改選前と同じ22議席にとどまった。
野田佳彦代表が掲げた
「与党改選過半数割れ」
の目標は達成したものの、国民民主党など他の野党が躍進する中、党内には
「負け」
との受け止めが広がる。
石破茂首相(自民党総裁)は政権延命に向けて立民に秋波を送るが、立民が安易に応じれば事実上の
「大連立」
とみられ、致命的な傷を負いかねない。
野田氏は2025年7月21日、記者団に、首相の続投表明について
「だらだらとした政治をいつまで続ける気なのか、だらだらと民意を無視して居座り続けるのか」
「あまりにも説得力がない」
と批判した。
一方で、立民として内閣不信任決議案の提出を検討するか問われると
「まだ考えていない」
とかわした。
野田氏は参院選を政権交代に向けた
「ステップ」
と位置付けていた。
平成19年参院選で自民、公明両党を過半数割れに追い込み、2年後の2021年衆院選で民主党(当時)への政権交代を果たした成功体験があったからだ。
今回、野田氏の目論見通り与党過半数割れの結果になったが、誤算は参院選で明らかになった立民の党勢の陰りだ。
臨時国会での不信任案提出について、党内では
「提出して衆院選になっても、この結果では勝てない」
「不信任案は出せない」
(中堅)
と慎重論が拡大する。
ベテランも
「負けも負け」
「不信任案どころではない」
と断じる。
首相は2025年7月21日の記者会見で連立政権の枠組み拡大は否定しつつ、社会保障政策で
「野田代表と認識を共有する部分も多い」
と語るなど
「野田代表」
と何度も口にし秋波を送った。
野田氏は選挙後自民との大連立を否定した。
政権交代を訴え参院選を戦った自民との連携は自己否定になるためだ。
ただ政権にとっては不信任案を提出しない野党は脅威でも何でもない。
提出を与党にちらつかせながら政策協議を行うのとは全く意味が異なる。
別のベテランは
「与党と個別協議をして政策を実現しても国民から大連立と受け止められたら立民の存在意義が問われる」
と忠告した。

石破首相、続投正式表明も「ありえない」 公明は支持も党内から退陣要求噴出 地方からも
2025/7/21 20:39
https://www.sankei.com/article/20250721-JKUGNG2NPJP6FFRTBDTFUW4DBY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は2025年7月21日自民公明両党が大敗した参院選を受けて党本部で記者会見し、
「国難とも言うべき厳しい状況で最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と述べ正式に続投を表明した。
森山裕幹事長ら党執行部の引責辞任にも否定的な考えを示した。
一方党内からは大敗を招いた首相や執行部に対する責任論が噴出し退陣圧力が強まっている。
■トランプ氏との会談に意欲
首相は
「痛恨の極みだ」
「重大な責任を痛感しながらも比較第1党としての責任を果たしていく」
と強調した。
続投の期限を問われると
「今考えているわけではない」
「物価高や自然災害への対応など喫緊の課題に解決の道筋を付ける」
と明言を避けた。
衆参両院で過半数を持たない
「少数与党」
に陥ったことで首相の政権運営は厳しさを増す。
首相は
「公明以外の他党とも真摯な議論を通じ新たな政治の在り方について一致点を見い出したい」
と一部野党との連携を模索する方針を示した。
2025年8月1日に期限を迎える米国との関税協議を巡っては
「日米双方に利益となる合意を実現する」
としトランプ米大統領との早期の首脳会談にも意欲を示した。
党役員人事や内閣改造は2025年9月の役員任期を念頭に置き対応を考えるとした。
■「検証総括委員会」設置へ
首相は2025年7月21日公明の斉藤鉄夫代表と公邸で会談し自公連立政権の継続を確認した。
斉藤氏は首相の続投を支持した。
だが自民内では首相ら執行部への退陣要求が相次ぐ。
京都選挙区で4選を果たした西田昌司氏は記者団に首相の続投表明は
「あり得ない」
として総裁選の実施を求めた。
高知県連も首相の早期退陣を党本部に求めることを決めた。
同県連会長は中谷元防衛相が務める。
林芳正官房長官が会長の山口県連も幹部が首相の退陣を要求した。
河野太郎選対委員長代理は自身のX(旧ツイッター)で森山氏の続投を批判した。
「選挙の責任者である幹事長が辞表を出していないのはおかしい」
と投稿した。
自民は2025年7月21日の臨時役員会で敗因分析のため近く参院選の検証総括委員会を設置し都道府県連から意見聴取することを決めた。
2025年7月31日にも両院議員懇談会を開催し党所属議員から意見を聴く。

議員が内閣の不信任に関する動議もしくは決議案を発議する時は、理由を附し、50人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない(衆議院規則第28条の3)。
したがって、内閣不信任決議案の提出には少なくとも発議者1人と賛成者50人の計51人が必要となる。
衆議院規則
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-rules.htm
第六章 議案の発議及び撤回
第二十八条の三 議員が内閣の信任又は不信任に関する動議若しくは決議案を発議するときは、その案を具え理由を附し、五十人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない。

国民民主・玉木代表、石破首相の続投表明に皮肉「まるで選挙がなかったかのような‥」
2025/7/21 19:07
https://www.sankei.com/article/20250721-UW6EUQ55XVPPHHVRUK7O5YH7SU/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月21日、参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)が続投する考えを表明したことについて
「ちょっと驚いた」
「まるで選挙がなかったかのような対応だ」
「選挙で示された民意に対して真摯に向き合っている姿勢は感じない」
と述べた。東京都内で記者団の取材に答えた。
また、玉木氏は
「衆院選、東京都議選、参院選と連続で負けており、民間企業で言えば3期連続赤字のようなものだ」
とも皮肉った。
首相が平成19年の参院選で自民が惨敗した際に当時の安倍晋三首相に退陣を迫ったことに関し、
「文字通り正面からブーメランが飛んできている感じだ」
「仮に続投するなら難局を打開していくビジョンを示す必要がある」
と突き放した。

野党、首相続投を批判 野田氏「民意無視の居座り」 玉木氏「真摯に向き合っていない」
2025/7/21 17:53
https://www.sankei.com/article/20250721-VTBKOBQWWRO2PNYBZR5NRR7J6I/?outputType=theme_election2025
野党幹部は2025年7月21日、参院選で与党が大敗した結果を受け、続投を正式表明した石破茂首相の対応を批判し、対決姿勢を強めた。
立憲民主党の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「説得力が余りにもなさ過ぎる」
と指摘。
国民民主党の玉木雄一郎代表は
「驚いた」
「続投した上でのビジョンを示すべきだ」
「選挙で示された民意に真摯に向き合っていない」
と疑問を呈した。
野田氏は東京都内で記者団に、昨年2024年の衆院選や今年2025年6月の都議選に続き
「参院選で敗れた意味合いがよく分かっていない」
と強調。
食料品の消費税率ゼロ%など野党が掲げる政策にも耳を傾けるべきだと訴えた。
玉木氏はフジテレビ番組で、昨年2024年12月に与党と合意したガソリン税の暫定税率廃止などに触れ
「約束を守ってもらえなかった」
「2回騙されるわけにはいかないので厳しく向き合っていく」
と語った。

比例代表の得票、立民は参政を下回る 政治思想史家「左の大結集、戦後政治の夢ついえる」
2025/7/21 18:29
https://www.sankei.com/article/20250721-PKHHMVJPYBCL3EHX5JSUNLB65M/?outputType=theme_election2025
参院選(2025年7月20日投開票)比例代表を巡っては、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党の得票数が立憲民主党を僅かながら上回り、自民、国民民主両党に次ぐ3位に躍進した。
政治思想史家の河野有理(ゆうり)法政大教授は2025年7月21日、X(旧ツイッター)で、
「『自民党より左』の大結集で政治を変えるという戦後政治の<夢>が遂に最終的に潰えた」
との見方を示し、
「極めて大きな地殻変動の現れ」
を指摘した。
■参政支持のうねりの過小評価指摘
参政は、比例代表で742万5053票(得票率12・6%)を得て、立民の739万7456票(同12・5%)を、2万7597票差で上回った。
国民民主は762万492票(12・9%)。
野党3党が得票率13%弱でほぼ並ぶ結果となった。
河野氏はXで、参政党に対する評価を巡って、
「『参政党支持している人は周りにはいない、いたら縁を切る』みたいな選挙前によくいた人たち、よほど世界が狭いか、相手が大人で話を合わせてもらっているのだろうなという感じ」
と書き込んだ。
改選22議席の立民は、選挙区15議席、比例代表7議席の計22議席と横ばいの結果にとどまった。
■山口二郎氏も「これ、ほんと」
河野氏は、立民について、
「今回で伸びないならいつ伸びるのかという話であり、相当に厳しい結果なのではないだろうか」
との見方を示し、
「執行部がこれを厳しい結果と思えていないなら本当に将来がなさそうである」
と指摘した。
この投稿については、野党共闘の強化に尽力し続けた政治学者の山口二郎法政大教授も
「これ、ほんと」
「私の政治学者人生も終わったということ」
とXで賛意を表した。
山口氏は立民のベテラン勢はもはや後進の育成に注力すべきとの考えを示し、立民の現状について、
「実質的な敗北と、厳しく総括すべき」
「私自身も、かつて民主党政権を担った政治家が最後にもう一花咲かせてほしいと思って応援したが、民意との乖離が極めて大きいことを痛感する」
と訴えた。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/749.html#c78

[政治・選挙・NHK297] 躍進の参政党 “メディア排除”で問われる政党のあり方<報道特集>(TBS) 赤かぶ
67. 秘密のアッコちゃん[1765] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月28日 19:56:03 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1203]
<■1894行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「石破首相が『80年談話』出せば自民党終わる」安倍元首相のブレーン、本田悦朗氏断じる
2025/7/28 18:10
https://www.sankei.com/article/20250728-HHZXETZT7ZFZXEND5LMKXZ5K6I/?outputType=theme_election2025
第2次安倍晋三内閣で安倍元首相の経済ブレーンとして経済政策「アベノミクス」を推進した一人、本田悦朗元内閣官房参与が、自らのX(旧ツイッター)で、石破茂首相(自民党総裁)は参院選大敗の責任を取り辞任すべきだ、と繰り返し投稿している。
日米関税交渉の「合意」についても厳しい言葉を投げかけている。
■「石破総理の存在自体が、深刻な政治空白」
「石破総理の存在自体が、日本にとって深刻な政治空白」
「一体、何回負けたら国民の期待に少しでも近い人を総理にして、解散総選挙を打つ気になるのか」
「自民党の大敗は、安倍総理を支えた保守岩盤層が、見限ったから」
「国民の審判が下った以上、理念と政策を正し、国民に説明するか、自ら辞任する責任がある」
本田氏は参院選から一夜明けた2025年7月21日、こう発信した。
2025年7月25日には
「石破総理には直ちに辞任する以外の選択肢はない」
「国民は、3度の国選で石破氏を信任しなかった」
「自らの保身のために判断が揺れ続ける人に、この悠久の国のトップが務まるはずがない」
「終戦の日に『80年談話』を出して謝罪するようなことがあれば、自民党政治は終わる」
と牽制した。
■「トランプ氏は居座りの口実与えないため関税合意」
トランプ米政権と合意したとされる日米関税交渉についても、厳しくこう石破氏を評した。
「石破氏は地位にしがみつく為に、あらゆる屁理屈を並べる」
「日米関税交渉もその例」
「トランプ氏は居座りの口実を与えないために選挙後、間髪入れず合意」
「合意文書もなく、米側のファクトシートのみ」
「愛国者なら米国に従属国扱いされて直ちに辞任」
(2025年7月26日)
翌2025年7月27日には
「日米関税協議での『合意』なるものは、その体を成していない」
「米側でファクトシートを作っているとのことだが、日本側は同意していない」
「日本側には、ファクトシートさえ存在しない」
「これでは、合意の基礎となる立法事実が分からないし、何を合意したのかさえ分からない」
と、石破政権への怒りをぶつけた。

「次の首相」高市氏が首位返り咲き 自民支持層では小泉氏、石破首相に次ぐ3位
世論調査
2025/7/28 11:45
https://www.sankei.com/article/20250728-3E3O5WTPBJME7EU6SA7N7ZROPA/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、次の首相にふさわしい政治家を尋ねたところ、自民党の高市早苗前経済安全保障担当相が22・4%でトップとなった。
自民の小泉進次郎農林水産相が16・0%、石破茂首相が9・4%で続いた。
前回の6月調査では、備蓄米放出などの対応で注目を集めていた小泉氏が首位だったが、高市氏が5月調査以来の首位に返り咲いた。
4位以下は、国民民主党の玉木雄一郎代表6・8%▽立憲民主党の野田佳彦代表4・2%▽自民の河野太郎元外相と林芳正官房長官4・1%−などの順だった。
一方、自民支持層に限ってみると上位は入れ替わり、小泉氏が29・7%でトップとなった。
次いで石破首相が20・1%、高市氏は17・8%だった。
林氏が8・4%で続いた。
年代別にみると、70歳以上の区分では小泉氏が首位に立ったが、それ以下の区分ではいずれも高市氏がトップだった。
調査では与野党の計12人を選択肢として示した。
「この中にはいない」も21・2%あった。

自民・西村康稔氏「ケジメは必要、総裁選やるべき」石破首相にXで「党再生に生かすべく」
2025/7/28 13:38
https://www.sankei.com/article/20250728-6JLSPDE5URFAXIXUNTYYDU32XI/
自民党の西村康稔元経済産業相は27日、X(旧ツイッター)で、党員・党友投票を含めた「フルスペック」での総裁選実施の必要性を強調した。
石破茂首相(党総裁)について
「選挙で3連敗した責任は有耶無耶にできないし、すべきでもない」
「ケジメは必要であり、とにもかくにも総裁選をやるべき」
と訴えた。
首相を巡っては昨年10月の衆院選、今年6月の東京都議選、7月の参院選で敗北を喫した。
一方、26日のNHK番組収録では
「行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と続投を強調している。
西村氏は首相について
「もし使命感を感じておられるなら、むしろ総裁選に立候補し勝利して党内の基盤を確固たるものとすることを目指すべきではないか」
と指摘し、総裁選を通じて党内の信任を得る必要があると強調した。
西村氏は
「ケジメを付けなければ国政の停滞は避けられず、民意を真正面から受け止めて党再生に生かすべく、総裁選が必要と考える」
と重ねて訴えた。

「自公+野党」政権望む声26・3% どの野党かは意見が分散、国民民主が最多27・5%
世論調査
2025/7/28 14:26
https://www.sankei.com/article/20250728-2X3YRKD3LVKFREHWJKZ37M2HLQ/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、今後の望ましい政権の枠組みについて尋ねたところ、
「自民・公明両党に野党の一部が加わった政権」が46・3%
と、新たな連立を望む意見が最多を占めた。
「現在の野党中心の政権に交代」が34・1%、
「自公による政権の継続」は13・9%
にとどまった。
新たな連立がよいとした回答者に対し、政権に加わってほしい政党を尋ねたところ、国民民主党が27・5%、日本維新の会が21・7%、立憲民主党が21・3%と、主要野党がほぼ並んだ。
参院選で躍進した参政党は11・7%で、「その他の政党」は9・8%だった。

自民党が午後に両院懇談会を開催、「石破降ろし」収まらず 首相ら執行部の責任論も
2025/7/28 6:53
https://www.sankei.com/article/20250728-3NAKGRX47BKOBHFEBRJGG7N56Y/
自民党は2025年7月28日午後、与党の過半数割れを喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開く。
石破茂首相(党総裁)は、続投を表明した意図を説明する見通し。
党内では、首相に退陣を迫る
「石破降ろし」
が収まらず、説明次第では旧安倍派や旧茂木派の議員を中心に執行部の責任を問う声が強まりそうだ。
懇談会では、森山裕幹事長も発言する。
森山氏は首相の続投を支持する一方、森山氏の責任を問う声もある。
2025年7月28日は参院議員(2019年選出)の任期満了日で、参院選の落選議員も出席対象になっており、首相に直接辞任を求める可能性がある。
首相は2025年7月26日のNHK番組収録で
「自分自身のことを考えれば色んな判断があるが、行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と述べ、続投に重ねて意欲を示した。
一方、旧安倍派や旧茂木派、麻生派の有志議員は、党の正式な議決機関
「両院議員総会」
の招集に必要な数の署名を集めたと主張。
提出する場合は、総裁選の前倒しを求める議決を提案する方針だ。

<主張>自民党 首相交代で民主主義守れ
社説
2025/7/28 5:00
https://www.sankei.com/article/20250728-A4WCSKFKXRMW7P3MJDRBAJ3H4M/
自民党の高知県連など地方組織から石破茂首相(党総裁)の退陣を求める声が相次いでいる。
党青年局など国会議員も同様の声を上げ始めた。
党中堅・若手が中心となって進めてきた両院議員総会の開催を求める署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
自民執行部は2025年7月28日に両院議員懇談会を開催する予定だが、不満のガス抜きをするだけではだめだ。
署名の重みを受け止め、議決機関である両院議員総会に格上げしなければならない。
石破首相がその場で退陣表明をしなければ、総裁選の開催を議決すべきだ。
いまだに退陣を表明していないのは、国政選挙で示された民意を踏みにじるもので、到底許されない。
自民の国会議員と都道府県連は、国政選挙で明確に示された民意と議会制民主主義を守るため、早期の党総裁交代と首相の退陣を必ず実現させなければならない。
自浄能力が問われていることを、もっと自覚してもらいたい。
このままでは自民は国民から見放されよう。
公明党も同様だ。
斉藤鉄夫代表は2025年7月25日、
「自民党として、しっかりと石破首相を支える体制で野党との協議に臨むことが、(日米)関税交渉を力強く進める上で必要だ」
と述べた。
石破首相の続投を改めて容認した発言と言える。
公明は民意を無視するつもりなのか。
自民には党則にリコール(解職請求)規定がある。
党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁選の前倒しを行うと定めている。
石破首相がこのまま居座りを決め込み、執行部が総裁選を実施しないなら、国会議員や都道府県連が取るべき行動は1つだ。
党則に基づき、総裁選の実施を求める署名活動を本格化させることである。
野党第一党の立憲民主党も役割を果たしてもらいたい。
他の野党と連携して、内閣不信任決議案をできるだけ早期に提出しなければならない。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
と石破首相を批判している。
そうであるならば、不信任案提出に動く時である。
議会制民主主義を守る責務は野党にもある。

老舗革新政党の共産、社民 参院選で落日鮮明 高齢化で「時代遅れ」に
2025/7/27 21:47
https://www.sankei.com/article/20250727-GUF6TWAVKJM7LK3WKGRMRIIU6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選では参政党の躍進が注目された一方、社民党、共産党という老舗の革新系政党の落日が鮮明となった。
両党の苦境は支持者の高齢化に加え、特定の政治思想の実現を目指すイデオロギー政党が
「時代遅れ」
になったことが原因とも指摘される。
共産の小池晃書記局長は2025年7月27日のNHK番組で、党勢回復に向け
「党の地力を大きくしていくことが一番の課題だ」
と語った。
共産は参院選で獲得8議席以上の目標を掲げたが、結果は3議席。
牙城だった京都選挙区(改選数2)を落とした。
特に比例得票数は、目標の650万票はおろか令和4年参院選に比べ75万票少ない286万票にまで落ち込み、れいわ新選組や日本保守党の後塵を拝した。
田村智子委員長は2025年7月21日の記者会見で
「大変悔しく残念な結果だ」
と述べる一方、衆参両院での与党過半数割れは
「日本の政治にとって大きな前向きな変化」
と自賛した。
かつて共産は国政選挙で全選挙区に候補者を擁立するほどの力があった。
力の源泉は党員を軸とした組織力と財政力だったが、党員数はピークの平成2年の約50万人から昨年2024年は約25万人に半減。
平成10年参院選では比例で819万票を得票したが、今は見る影もない。
対策は講じてきた。無党派層も取り込もうと、平和16年に綱領を改定し、
「天皇の制度」
と自衛隊を当面存続させる方針を打ち出した。
平和27年に成立した安全保障関連法をきっかけに当時の民進党などとの
「野党共闘」
路線を選んだ。
昨年2024年の衆院選では一転、比例票を積み増す狙いから選挙協力を限定したが、振るわなかった。
党職員は
「党員は高齢者ばかり。若者は共産党を知らない」
と嘆く。
社民党は更に深刻だ。
自民と
「55年体制」
の一角を担った社会党を源流とし、平和6年の自民、社会党、新党さきがけによる
「自社さ政権」
では、社会党の村山富市委員長が首相に就いた。
村山氏は日米安保体制の堅持や自衛隊合憲、日の丸・君が代を容認し、従来の方針を大転換した。
平和8年1月に社民党に党名を変更した後、一部の議員は民主党の結成に加わり分裂。
社会党を支えてきた労働組合も離れていった。
今回の参院選では
「がんこに平和! ミサイルよりコメを!」
を掲げ、公示直前にタレントのラサール石井氏を擁立。
比例得票で2%超を確保し、政党要件を辛うじて維持した。
福島瑞穂党首は2025年7月21日、
「有権者が『社民党、残ってくれ』と思ってくれた」
と話したが、党を巡る厳しい情勢は変わらない。

「外国人犯罪は増えていない」と「困っている人が1人でもいれば」は矛盾しないか
メディアウォッチ 皆川豪志
2025/7/27 13:00
https://www.sankei.com/article/20250727-WQWXJDB725CCVBKKZNY53E4AEE/
先の参院選で
「日本人ファースト」
を掲げ、外国人問題を争点にした参政党が躍進したことで、テレビ各局の選挙特番のキャスターやコメンテーターたちは、何となく居心地が悪そうというか、出来ることならあまり取り上げたくないという感じがありありだった。
それでも触れざるを得ない場面が来ると、被せるように紹介していたのが法務省の
「犯罪白書」
による
「外国人犯罪は増えていない」
というデータだ。
これは今、新聞など他のメディアでも
「ファクトチェック」
などと称して盛んに使われている。
外国人が増えたからと言って犯罪が増えているわけではなく、
「参政党が主張するような外国人問題などない」
というメッセージなのだろう。
■「差別主義者」が突然増えたのか
簡単に紹介すると、日本にいる外国人の数は2004年の197万人から2023年の377万人と2倍近くに増えているが、同時期に刑法犯で検挙された外国人数は1万4766人から9726人と30%以上減っているというものだ。
確かにその通りなのだろう。
では何故、実際に外国人問題が選挙の争点になり、参政党などが票を伸ばし、与党自民党も
「違法外国人ゼロ」
などと言って、この問題に本腰を入れるようになったのだろうか。
外国人問題などないのに、日本国民の中に突然
「差別主義者」

「排外主義者」
が大量に増えたとでも言うのだろうか。
例えば、一部クルド人との軋轢やトラブルに悩んでいる埼玉県の川口市民にこのデータを見せたとして
「そんなに少ないのですか」
「じゃあ私の勘違いでした」
とは思わないはずだ。
直接困っている人だけではない。
身の回りに増えている外国人に対して不安な気持ちを抱いている人がこのデータを見ても
「犯罪が減っているなら安心だ」
「不安に思ってすみません」
とはならないだろう。
もちろん客観的なデータを示すのは大事である。
ただ、人間の自然な感情に対してデータで頭ごなしに押さえつけても、納得するどころか、自身の経験や肌感覚が否定されたと思うだけで何の解決にも繋がらないと思う。
外国人を差別したい人が増えているのではなく、実際にトラブルを抱えていたり、ルールを守らない外国人をきちんと取り締まってほしいと思っていたりする人が増えていることが、何故メディアから煙たがられなければならないのだろうか。
そもそもこのデータは外国人の
「検挙数」
であり、何かのトラブルがあって警察が出動して逮捕するなど、実際に何らかの事件になった数である。
近隣の騒音やゴミ出しの苦情、暴走行為などで110番通報する人は余りいない。
あったとしても余程のケースでなければ事件化されることもない。
むしろ近隣の騒音などは、日本人同士でも警察沙汰にして逆恨みされるぐらいなら呼ばないほうがいいと普通は考えるものである。
敢えて強調はしないが、身近なトラブルは無視されている数字に等しい。
そうしたデータに表れない問題について、実際に住民の声を聞いてニュースや記事に生かすのがメディアの役割だと思うが、残念ながらこの件に関しては法務省発表だけを一方的に流している。
■「困っている外国人」は探す
データ重視というなら、産経ニュースが報じているように川口市民の半数が
「治安が悪い」
と感じ、その割合が年々上昇しているという市の意識調査もあるが、そちらは決して報じない。
いわゆる
「体感治安」
の悪化が見て取れる数字である。
ただ、このデータにしても逆に市民の半数は
「治安が良い」
と感じているとも取れるし、 先の法務省のデータにしても、同時期の殺人などの凶悪犯は逆に約1.5倍に増えている。
つまり、複雑な問題について1つのデータだけを根拠に一刀両断にしてしまうのはそもそも無理があるのだ。
よく、一部メディアは、日本国民の中でもかなりレアなケースを探し出して来て、
「こんなに困っている人がいる」
と主張している。
隠れた問題を取材して明らかにするのが報道の役割でもあるので、その心意気はよいと思う。
ただ、外国人問題に関しては
「困っている外国人」
は探してきても、
「困っている日本人」
は何故か探さないのだ。
テーマは全く異なるが、国会で選択的夫婦別姓法案が議論になっていた時、立憲民主などの野党や一部メディアは
「別姓で困っている女性が大勢いる」
との論陣を張っていた。
ところが、アンケートなどで別姓賛成派が3割程度だったことや旧姓使用の拡大が進んでいることなどが指摘されると
「困っている人が1人でもいるなら」
「少数意見にも寄り添うべき」
などと言い出した。
「1人も置き去りにしない社会」
は彼らの常套句でもある。
仮に外国人問題で困っている人が本当に少数だったとしても、是非真剣に寄り添ってほしいと思う。

天命は下った…石破茂総理は速やかに退陣せよ 自民は「保守回帰」以外に再生への途なし
【疾風勁草】(24) 弁護士・高井康行
2025/7/27 7:00
https://www.sankei.com/article/20250727-RZZQ7GHBEROJDCBTLNRVQ2YHHY/
■国民を自分の権力欲の巻き添えに
先の参院選で大敗した石破茂総理の退陣を求める声が澎湃として沸き起こっている。
自民党の地方組織から退陣を求める声が上がり、両院議員総会の開催を求める署名集めも進められる中、今月2025年7月25日には、中曽根康隆青年局長から石破総理ら党執行部の総退陣を求める申し入れ書が提出された。
石破総理が当時の故安倍晋三総理に対抗する際の足場としていた地方からも退陣を求める声が出ている状況を見ると、まさに
「四面楚歌」
という思いがする。
しかし、石破総理は容易には退陣表明はしないだろう。
なぜなら、彼は天命によって総理総裁になったと思っているからだ。
以前にもこのコラムで取り上げているが、石破総理はその著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)の中で、
「もし、私などが首相になるようなことがあるなら、それは自民党や日本国が大きく行き詰まったときなのではないか」
「しかも、それは天が決めること」
「天命が降りない限り、それはあり得ないことでしょう」
と言っている。
中世の絶対王政時代に生まれた王権神授説を思い出させるような言説だ。
石破総理は、当時続いていた日米関税交渉、いつ起きるか分からない首都直下型地震や南海トラフ地震などを理由に続投を宣言したが、その後、日米関税交渉は一応の決着を見た。
最も大きな続投理由はなくなったと言ってよい。
地震などの自然災害を理由にするに至っては噴飯ものと言わざるを得ない。
いつ起きるか分からない自然災害が続投の理由になるなら、全ての総理・総裁は選挙でいくら大敗しても退陣する必要はないことになる。
恥も外聞もかなぐり捨てて、総理・総裁の地位にしがみつこうとする姿は醜悪という他ない。
石破総理は前掲書でこうも言っている。
「ただ、天命が下った時に能力が足りないといういいわけは許されない」
「国民が巻き添えになるようなことがあれば、これまでの政治生活が全部無意味なものになる」
と。
今の状態で石破総理がその地位に固執することは、まさに国民を自分の権力欲の巻き添えにすることでしかない。
■毒が全身に回った自民党
昨年2024年の総選挙、今年2025年の都議選、そしてこの2025年参院選、いずれも、自民党は大敗した。
これは、有権者が、石破総理に総理・総裁としての能力が不足していると言っているに等しい。
これまでの政治生活を全部無意味なものにしたくないのであれば、速やかに退陣する以外に途はない。
民主主義社会においては、天命を下すのは民意なのだから。
では、もし、石破総理・総裁が退陣して新しい総裁が生まれたら、それだけで自民党が再生するのかと言えば、そんなことはあり得ない。
自民党は、これまでのように表紙を付け替えるだけで再生できるような状態ではなくなっている。
言わば毒が全身に回っているようなものだ。
毒とは自民党のリベラル化だ。
またぞろ、一部マスコミでは、次の総理は誰がいいかという人気投票が始まっているが、空疎なお遊びにしか見えない。
思い出してみれば、故安倍総理の時代に、次の総理として人気が高かったのは石破氏だった。
それを期待して総裁選で石破氏を総裁に選んで、総選挙に臨んだ結果が大敗だった。
自民党の議員は、そんな人気投票の結果ではなく、自分たちが大敗を続けている根本的理由・原因を突き止め、それを克服できる総裁を選ぶべきだ。
その結果、国会での首相指名選挙で野党に破れたら、潔く下野すればいいのだ。
それが憲政の常道というものだ。
それを嫌がり、単に政権党でいたいという理由だけで、首相指名選挙において野党の協力を得られるか否かで総裁を選ぶようなことがあれば、自民党に回っている毒は更に深く浸透し、党勢を回復することは極めて困難になるだろう。
■変化をつかみ躍進した参政党
参政党が躍進した理由には色々なことがあるだろうが、その大きな理由の1つとして、故安倍元総理がまとめていた岩盤保守層が自民党を保守政党と見做さなくなったことがあるだろうことは間違いない。
そして、今回、参政党に投票した保守層の中に、参政党を大きくすることにより、自民党の保守政党回帰を促そうとしている層があることも間違いない。
自民党が、参政党が躍進した理由をどう総括するか。
もし、SNSの使い方など選挙戦略、戦術が巧みだったとか、代表の演説がうまかったとかというような表層的な見方に終始するとしたら、大きな間違いを犯すだろう。
参政党は、社会の深層における変化を掴んだから躍進できたのだ。
それは左から右への大きな流れだ。
これまで自分たちより右の政党がなく、常に自分より左側の野党からの引力に晒されていたため、日本の社会が左へ左へと流れているように受け止め、その左の票を取り込むため、自分も左へ左へと移動した。
その結果、今や、自民党は本来の保守政党ではなくなった。
しかし、2022年のロシアのウクライナ侵略以来、日本社会の深層では左から右への流れが強くなってきていた。
故安倍総理亡き後、自民党はその流れに気づかず、逆の方向に動いていたことになる。
そして、その流れは参政党という噴出口を得て表に吹き出した。
安倍自民党時代であれば、自民党から出馬したであろうと思われる保守の論客が日本保守党や国民民主党などから出馬したという事実、昔であれば反自民の受け皿として勝ち組になったであろう立憲民主党が辛うじて改選議席数は維持したものの得票は大きく減らしたこと、共産党も議席数を減らしていることなどを見れば、左から右への流れは明らかだ。
昔であれば、そんな発言をすれば世間から袋叩きにあって当選することなどあり得なかった
「国防のためには核武装が安上がりだ」
という趣旨の発言をした候補者が、東京選挙区で堂々2位で当選したことが、そのことを象徴的に表している。
■自民保守派は「保守回帰」を先導せよ
この自民党と日本社会の流れの乖離が、それに気付いていない自民党に今回の大敗をもたらしたのだ。
今回、自民党青年局が党執行部に提出した申し入れ書には
「党が信頼を取り戻すためには、現場の声、そして幅広い世代の意見を確実に政策へと反映する体制への転換が不可欠」
とあるが、自民党が大敗した理由は、自民党の体制にあるわけではない。
的を外していると言うべきだろう。
自民党は、日本社会の深層における流れの変化を的確に把握し、本来の保守政党に回帰する以外に再生への途はない。
参政党の躍進を見ても、そのことに気付かないとすれば、自民党は時代に取り残されるだけだろう。
それを考えれば、自民党に残っている保守派の議員の責任は重い。
小異を捨て大同団結して、自民党の保守回帰の先導を務めるべきだ。
それでこそ、故安倍元総理の遺志を継ぐことができる。

【参院選】参政候補さや氏 核武装論主張「最も安上がり」安全保障政策を巡り
[2025年7月18日17時47分]
https://www.nikkansports.com/general/news/202507180000897.html
参政党公認で東京選挙区に立候補しているさや氏が、安全保障政策を巡り
「核武装が最も安上がり」
と発言したことが分かった。
立憲民主党の野田佳彦代表は2025年7月18日、広島市で記者団に
「特に広島、長崎では絶対に受け入れられない発言ではないか」
「党として許容する空気があるのか、有権者はよく見定めてほしい」
と批判した。
さや氏が発言したのは、日本テレビが2025年7月3日に配信したインターネット番組で
「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の1つだ」
と述べた。
その上で
「あの北朝鮮ですら核兵器を保有すると、トランプ米大統領と話ができる」
とも指摘した。(共同)

東京 選挙区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/13/

自民・茂木前幹事長、参院選大敗で石破首相の退陣要求 「3連敗でスリーアウトチェンジ」
2025/7/26 22:05
https://www.sankei.com/article/20250726-N527S5H7XVKDHOB35CT7DVJXLA/
自民党の茂木敏充前幹事長は26日に公開した自身のユーチューブ番組で、参院選の自民大敗を受け、石破茂首相(党総裁)の退陣を求めた。
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べた。
「衆院選、東京都議選、今回参院選で3連敗だ」
「スリーアウトチェンジの状態だ」
とも指摘した。
敗因として自民が国の将来像を語っていないと強調。
「けじめをつけることと再生への道はイコールだ」
「このまま行って自民が浮上することはない」
「政策を練り直さないと厳しい」
と訴えた。

石破首相「辞任すべきだ」自民都道府県連の幹部2割強 共同調査 「必要ない」は3人
2025/7/26 18:30
https://www.sankei.com/article/20250726-5M2FZ6II3VOZTBPGXSHLOHO6SI/
共同通信社は、参院選の自民党大敗を受け、党都道府県連の幹部に石破茂首相(党総裁)の進退に関する見解を聞き、調査結果を2025年7月26日、まとめた。
回答を得られた43都道府県連の幹部のうち、2割強の12人が
「辞任するべきだ」
と答えた。
理由として
「衆院選、東京都議選、参院選で3連敗した責任を取るべきだ」
(長野県連)
などを挙げた。
「辞任は必要ない」
との回答は3人にとどまった。
28人は
「分からない・無回答」
だった。
地方組織で首相の求心力が低下している現状が浮き彫りになった。
北海道連や栃木県連など複数の地方組織が首相の辞任を求める文書をまとめている。
山形県連も2025年7月26日、首相の退陣を党本部に求める方針を決めた。
調査は2025年7月24、25両日、国会議員を除く都道府県連幹部に聞き取るなどして実施した。
匿名を条件とした回答も結果に含めた。

<産経抄>石破首相の露骨な噓、教育に悪い国会
2025/7/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20250726-ABDSSD2ED5PYLJV3B36OUX3BR4/
政治の世界ではその昔
「衆院解散と公定歩合は噓をついていい」
と当たり前のように言われた。
影響の大きさ故に、首相が時期について事前に本当のことを言わなくても、責められないという意味である。
逆にいえば、それ以外は噓をつくべきではないという話でもある。
▼「私の出処進退については一切話は出ていない」。
石破茂首相は2025年7月23日に自民党の麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と会談後、テレビカメラの前でこう強調した。
だが、2025年7月25日付小紙朝刊の検証記事によると実は、麻生氏も岸田氏も石破首相の進退に言及していた。
首相の言葉は国民を謀る噓ではないか。
▼永田町では、3人以上で話したことは必ず漏れるとされる。
まして会談には森山裕幹事長も同席しており、計5人がその場にいた。
それぞれ政治的思惑も意図も異なる5人のやり取りが、外部に出ない道理がない。
にもかかわらず、首相が進退話を否定したのは何故か。
話したことをなかったことにされた麻生、岸田両氏も納得がいくまい。
▼「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。バカなことを言うな」。
実際、検証記事によると首相経験者の1人はこう憤っていたという。
石破首相の言葉だけ聞くと、3人の元首相が続投にお墨付きを与えたかのように誤解しかねない。
首相がそれを狙って会談を求めたとしたらまさに策士、いやペテン師か。
▼政治家と噓というと菅直人内閣は、閣僚が国会で虚偽答弁をした場合の政治的・道義的責任について、答弁の内容次第とする閣議決定をしている。
噓も方便なのか、良心が麻痺したか。
▼国会休会中には小中学生の国会見学が目立つが、あまりお勧めしない。
国会は教育に悪い。

石破首相、28日に参院選総括の組織立ち上げ表明 自民総会要求の署名、3分の1超集まる
2025/7/25 20:53
https://www.sankei.com/article/20250725-T4FH7YKHHBMKVE6JNRFT5MB2JM/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)の参院選敗北の責任を問うため自民の有志議員が進めていた両院議員総会の開催要求の署名集めに関し、笹川博義農林水産副大臣は2025年7月25日、要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたと記者団に明らかにした。
総会では退陣を求める何らかの議決が可能で、2025年7月25日の与野党党首会談でも進退に言及しなかった首相への圧力が一層強まった。
一方、首相は2025年7月28日の両院議員懇談会で、参院選を検証、総括する党内組織立ち上げを表明する方向で最終調整に入った。
自身の進退は表明しない見通し。
懇談会は総会と異なり、議決権がない。
党則は、総会について3分の1以上の議員の署名があれば
「7日以内に招集すべきものとする」
と規定。
署名集めは旧安倍派、旧茂木派、旧二階派、麻生派の議員らが2025年7月24日に始めた。
署名用紙には
「参院選の結果責任を問い、党の再生のために」
と記されている。
また、自民青年局は2025年7月25日、首相ら党執行部に責任を取るよう求める緊急提言を取りまとめ、森山裕幹事長に申し入れた。

首相経験者「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか」 石破氏「進退の話なかった」で齟齬
2025/7/24 20:24
https://www.sankei.com/article/20250724-AT7TVNBSSVJMNFWCDE3B4BBQIY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相による2025年7月23日の党本部での会談の内幕が明らかとなった。
首相は会談直後、改めて続投表明していたが、実際は進退を迫られていた。
発言内容の齟齬には1日でも長く政権を延命させたいと首相と、退陣への道筋をつけ、次の政局で主導権を握りたい麻生氏らとの思惑の乖離がある。
■麻生氏「石破氏で選挙勝てぬ」
2025年7月23日午後2時、自民本部の総裁室−。
緊張した面持ちの首相の前に、かつてこの部屋の主だった麻生氏らが次々と着座した。
2025年7月20日の参院選の惨敗からまだ日が浅く、重苦しい雰囲気が漂う中、首相の進退に関して口火を切ったのは最年長の麻生氏だった。
「石破自民党では選挙に勝てないということが明らかになった」
「対応しないといけない」
■岸田氏「政権どうするのか」
続く岸田氏も首相が参院選の総括に意欲を示していることを踏まえ、
「選挙の検証は大事だが、政権をどうするのかはっきり言わないと党はもたない」
と畳みかけた。
麻生氏も
「岸田の言う通りだ」
と同調した。
首相と3首相経験者の関係性には濃淡がある。
麻生氏は自らの首相時代に、首相から退陣を突き付けられた因縁があり、もとより首相を好まない。
岸田氏は昨年2024年9月の総裁選で首相を支持した。
だが、その後の人事で挙党態勢を築けなかったことや、経済・外交で力強いメッセージを打ち出せなかったことに不信感を募らせている。
■菅氏「党の分裂はまずい」
首相と関係が悪いとは言えないのは菅氏だが、党内で総裁選を前倒しする
「リコール」
や両院議員総会の開催に向けた署名集めの動きが加速していることを踏まえ、
「党の分裂はまずいよね」
と言葉少なだった。
政治には自身の意思では抗えない流れがある。
菅氏は首相当時、新型コロナウイルスの感染拡大対応への批判を受け、退陣に追い込まれた。
岸田氏は昨年2024年の総裁選出馬を目指したが、自民派閥の政治資金収入不記載事件の責任をとった。
■首相、約束を違えて続投表明
翻って首相は国政選挙で2度も大敗しながら、地位に恋々としているように映る。
この1時間20分間で、首相と麻生氏らが日本や自民が置かれている危機を共有したとは言えなかった。
会談内容は終了後、同席した森山裕幹事長から公表することも確認していた。
だが、首相は森山氏の説明に先立ち、4人の申し合わせになかった続投の意思を記者団に明言した。
首相は早々に退陣を正式表明した場合、2025年8月1日召集予定の臨時国会で、野党から首相指名選挙を求められることを懸念したとみられる。
思い入れが深い戦後80年の検証を自らの手で行いたいとの執念も滲む。
首相が約束を違えて続投表明したことに、首相経験者の1人は怒気を交えながら吐き捨てた。
「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。馬鹿な事を言うな!」

両院議員総会求める署名、自民所属議員の3分の1超える 一層強まる首相への辞任圧力
2025/7/25 17:41
https://www.sankei.com/article/20250725-REHHFYNGFBLXDJXOF5VYUSV6QE/
参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)の責任を問うため、両院議員総会の開催を求める署名が党所属議員の3分の1を超えたことが2025年7月25日、分かった。
複数の党関係者が明らかにした。
両院議員総会では首相の責任を問う何らかの議決が可能となり、首相への辞任圧力は一層強まることになる。
首相は2025年7月25日に国会内で開いた与野党党首会談で、進退については明言しなかった。
一方、旧安倍派と旧茂木派、旧二階派、麻生派の有志議員らが首相の責任を問うため、両院議員総会の開催に向けた署名活動を2025年7月24日に始めていた。
党執行部側が2025年7月28日に設定した両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるため、署名活動は懇談会を総会に格上げさせる狙いがある。
所属議員らに配布された署名用紙には、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
などと明記されていた。
両院議員総会の開催には所属議員の3分の1の賛同が必要となるが、党関係者によると、署名は2025年7月25日夕までに3分の1を超えた。
今後も署名を続けるという。
有志議員の1人は
「署名がこれだけ集まったことを踏まえ、首相は改めて自らを省みて進退を決断してほしい」
と話した。

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

<政治部取材メモ>敗軍の将、「珍説」を語る 続投意欲の石破首相に自民党が怒りの包囲網
2025/7/25 7:00
https://www.sankei.com/article/20250725-2SKH7DTB3JMJTEB7MC5VSUJPYA/

「退陣なければ党終わる」18年前の石破首相の正論、参院選敗北の安倍氏に 夕刊フジ再掲
2025/7/22 13:10
https://www.sankei.com/article/20250722-FXKFELCEPRB6VBUOQFK7MXHRQ4/?outputType=theme_election2025
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面。当時の石破茂首相はインタビューで正論を吐いた(奥原慎平撮影)
2025年7月20日投開票の参院選で自民党は歴史的惨敗を喫しながら、石破茂首相が居座り≠決め込んでいる。
だが、党内で退陣論は高まりつつある。
石破首相を巡っては、平成19年7月の参院選で自民が大敗した局面で、夕刊フジのインタビューに応じ、当時の安倍晋三首相について
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」

「正論」
を語っていた。
同年平成19年8月2日付のインタビュー記事の本文を抜粋する。

(参院選を巡って)
「(安倍晋三)首相は『私を選ぶか(民主党代表の)小沢(一郎)さん』を選ぶかの選挙」
とあれほど言った。
それで(有権者は)小沢さんを選んだ。
そのことをどう思うと聞かれて、首相は『私は使命を守る』と言う。
答えになっていない。
国民の意志を完全に無視している」
安倍晋三首相(当時)に退陣を迫った頃の石破茂首相=平成19年8月10日(酒巻俊介撮影)
石破氏は
「安倍続投」
に強い異議を唱える。
だが、党内で安倍退陣論は大勢となっていない。
その理由に、石破氏は
「昨年の総裁選でほとんどの議員が安倍首相を支持したからだ」
「小選挙区制度になって党が絶対な権利を持っている」
「小泉(純一郎)前首相の時には『公認しないぞ』(の脅し)もあった」
「その恐怖が残っている」
「党内の恐怖政治的なものが底流にはある」
と分析する。
その上で、
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」
「その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる」
「このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」
と危機感をにじませた。
首相の続投会見の言葉にも、
「理解できない」
「総理は『私の内閣』とか『私の使命』とかそういう言い方をするが、内閣は個人のものではない」
「『私の使命』って王様じゃないんだから」
「使命は国民が与えるもの」
「参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」
と切り捨てた。
参院選では、多くの自民党候補が落選した。
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」
「でも総理は落ちた人の気持ちが分からない」
「総理は週末ごとに大きな私邸にお帰りになり、普通の人が行けないようなレストランでお食事になる」
「選挙の苦労もしていない」
「選挙で奥さんともども土下座して、落選した人の気持ちは分からない」
続けて、
「総理は自分で辞めると言わない以上、誰も辞めさせられない」
「首相が退陣せねば、自民党が終わってしまうという気持ちは変わらないが、終わらないようにしないといけない」
と今後も自民党再生に向け、発言を続ける構えだ。
安倍首相は、大幅な党役員人事・内閣改造を断行し、政権の延命に躍起となっている。
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面
石破氏は
「本当の能力主義の人事をすること」
「お友達内閣、論功行賞内閣から、挙党一致ではダメ」
「挙党一致は派閥均衡みたいな話だ」
「派閥や当選回数を一切無視して、この人が一番、この分野をやるのに相応しいという人を入れるしかない」
「それしか生き残る可能性はない」
と厳しい注文を付けた。

参院選で改憲勢力が「3分の2」を維持 参政や国民躍進、議論活発化へ問われる自民の奮起
2025/7/25 16:19
https://www.sankei.com/article/20250725-G6JX27FFFVMDZJCX3J2DXX4CAI/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党など憲法改正に前向きな
「改憲勢力」
が、非改選を合わせて国会発議に必要な定数の3分の2を維持した。
自民が議席を大幅に減らした分を参政党や国民民主党の躍進がカバーした。
もっとも参院では選挙前も3分の2を確保していたものの、改憲論議は進まなかった。
参院憲法審査会の議論が活発化するか否かは、憲法改正を党是に掲げる自民の奮起にかかっている。
参院の3分の2のラインは166議席だ。
今回の参院選で自民、公明両党に加え、日本維新の会や国民民主、参政、日本保守党などのいわゆる
「改憲勢力」
は合わせて180議席を獲得した。
特に、1から憲法を作り直す
「創憲」
を掲げる参政が議席を大幅に増やした。
「国民の多くが参政党の憲法作りに期待を寄せていることの表れだ」
「国民からアイデアを集めて国家観を作り上げていく活動を進めていきたい」
今回の参院選の初当選組の1人で、参政の改憲案作りに携わった安達悠司氏は2025年7月22日の記者会見で、強い意欲を口にした。
とはいえ、参院で憲法改正の動きが加速すると考えるのは早計との声もある。
先の通常国会で改憲勢力が3分の2を確保していたにもかかわらず、参院憲法審の開催はわずか6回にとどまったからだ。
衆院側が戦争や大規模災害など選挙困難時に国会議員の任期延長を可能にするための改憲を目指したのに対し、憲法54条の
「参院の緊急集会」
の役割を重く見る参院側が議論の進展を警戒したとの見方もある。
ただ、憲法改正は参院先議でも進められる中、参院自民が他の改憲項目の議論を主導した形跡もない。
自民幹部は
「参院は衆院から送られてくる法案を確実に成立させる重責を担う」
「このため改憲に後ろ向きな立憲民主党を過度に刺激しないように努める傾向がある」
と語る。
しかし、参院選では保守層の支持が参政や国民民主に流れた。
関係者は
「改憲への消極的姿勢も信頼を失った遠因だろう」
「自分で自分の首を絞めた」
と述べ、奮起が必要だと指摘した。

自民・鈴木貴子氏「速やかに退陣表明を」 石破首相擁護の父・宗男氏と温度差
2025/7/25 13:17
https://www.sankei.com/article/20250725-KXB33WKX5JCJ5IMEVHQCPUUBCI/?outputType=theme_election2025
自民党青年局は2025年7月25日までに、参院選大敗を受け、石破茂首相ら党執行部に対し
「選挙結果の総括を速やかに行った上で自ら責任を取ることを求める」
とする文書をまとめた。事実上の辞任要求といえる。
2025年7月23日の青年局会合では首相の退陣論が相次いだ。
鈴木貴子衆院議員は会合に出席後、記者団に対し
「今回の参院選だけでなく、衆院選や東京都議選の結果を踏まえても、総裁と執行部が責任を取る必要がある」
「速やかに潔い退陣表明が求められている」
などと述べていた。
鈴木氏が所属していた旧茂木派などの中堅・若手議員は、首相の責任を問う
「両院議員総会」
の開催を求める署名活動を進めている。
一方、鈴木氏の父・宗男氏は2025年7月24日、自らのフェイスブックで、参院選で自民党が苦戦を強いられた背景には派閥パーティー収入不記載事件があると指摘。
「石破総理総裁1人の責任にするのはフェアではない」
と首相を擁護していた。

<正論>参政党躍進の背景にある歴史観 
新しい歴史教科書をつくる会顧問・藤岡信勝
2025/7/25 8:00
https://www.sankei.com/article/20250725-GBP4IOLPKVNE7KHO2YROFMMT6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選で、新興勢力の参政党は14議席と大躍進した。
自民・公明の政権与党は合わせて50議席に達することができず、昨年2024年の衆院選に続いて、参院でも与党が過半数を割り込むことになった。
この過半数割れを引き起こした主役も、実は45の全選挙区に立候補者を立てた参政党であった。
この躍進の背景にあった1つの要因について述べてみたい。
■歴史学習運動の蓄積
躍進の背景には参政党候補者が共有する歴史観がある、とするのが私の基本的な見立てである。
党首の神谷宗幣氏は高校時代までは左派寄りの思想を持っていたが、大学3年生のとき1年間休学しバックパックで18カ国を8カ月間旅行する経験を通して視野を広げ帰国後、小林よしのり氏の『戦争論』などに触れて、祖父や父が学んでいた教えに理解を深めるようになったという。
本来、保守的な家族関係の中で育ちながら、学校の影響で左翼思想を抱き、海外経験を通してそこから脱却し、日本の歴史を学び直す典型的な保守系活動家の遍歴を神谷氏も辿ってたのである。
神谷氏の始めたCGS(チャンネル・グランド・ストラテジー)というユーチューブ・チャンネルでは、倉山満氏や斎藤武夫氏の歴史講座で通史を学ぶなど、この種の番組としてはかなり本格的なプログラムを用意して歴史の学習を呼びかけてきた。
こうした歴史学習運動の蓄積の上に立って、令和2年に結成された参政党は当然ながら日本の歴史に誇りを持つことを大切にするという姿勢が明瞭に打ち出されていた。他の政党にないことである。
■「日本人ファースト」の衝撃
参政党は
「日本人ファースト」
をスローガンとした。
これが選挙戦における成功の要因であったことは間違いない。
外国人対策がにわかに選挙戦の争点となった。
日本で住民税を払わない中国人が東京で起業して1500万円の融資を無担保で手に入れたり、来日3日で生活保護受給決定が出たりする。
健康保険料を僅かな期間支払い、日本で高額医療を受ける中国人がいる。
奨学金でも外国人留学生の方が日本人学生よりも優遇されている。
外国人の土地の購入、クルド人問題、オーバーツーリズム(観光被害)等々。
これらの問題の解決に既存政党は手を付けようとせず、やり場のない鬱屈した感情が広く日本人の中に溜まっていた。
参政党の
「日本人ファースト」
という標語は、日本人の誰もが持っているモヤモヤ感を払拭してくれるインパクトがあった。
有権者の心に見事に突き刺さった。
選挙戦が始まる前は、参政党の候補者の選挙区内の支持率はたかだか数パーセントに過ぎなかった。
当選する見込みは薄いと思われた。
ところが、選挙戦が始まると支持率は鰻上りとなり、選挙区によっては当落を争うまでになる。
この現象が日本の各地で起こった。
これは明らかに候補者の口頭による訴えが大きな効果をもたらしたことの表れである。
なぜ参政党の候補者の話には説得力があるのか。
タブーとなっていた話題に果敢に切り込む勇気に聴衆は感動し、初めて自分たちの心を代弁してくれる政党に出合ったという思いを持つ。
候補者は全体として若く、子育て現役世代の悩みを共有し、その生活実感と結びつけて政策を語る。
こうしたことが聴衆の心を捉えた。
しかし、私はそれだけではないと思う。
参政党は草の根の地域組織を持ち、他党とは比較にならないほど党員向けの勉強会が充実している。
自国の歴史に誇りを持つ歴史観をバックボーンとしているからこそ、候補者の演説には単なる話術ではない真実さと深さが伴っているのではないか。
■歴史教科書と参政党
参政党は教育を重点政策とし、歴史教科書問題にも地道に取り組んできた。
私が関わった範囲でその活動を紹介したい。
昨年2024年、令和6年度は4年に1度の中学校教科書採択の年であった。
この年、東京都内の参政党の地方議員は目覚ましい活動をされた。
各議員が責任を持つ地区ごとに、歴史教科書問題や教科書採択問題をテーマとする大小の学習会を開いた。
私が直接関わった集会だけでも10カ所近くになる。
更に、参政党の地方議員の方々は教科書採択に取り組む決意を記者会見を開いて宣言されたのである。
他党には個々に協力して下さる議員はおられるが、このように組織的に取り組んで下さる政党は参政党以外にはない。
つくる会は、公立学校の教育委員会で、全国で唯一、自由社を採択してくださった茨城県常陸大宮市に研修ツアーを企画した。
40人収容のバスに乗った参加者の半数は議員で、参政党の地方議員が多数参加した。
教科書採択は首長の決断なくして実現しない。
私は参政党の若い地方議員が地元で信頼を得て5年後、10年後に首長となり、教科書を採択して下さる未来図を想像の中で描いていた。
(ふじおか のぶかつ)

参院選X投稿分析「外国人」はなんと886万件、参政党躍進に影響か 鶴保発言にも関心
2025/7/24 19:40
https://www.sankei.com/article/20250724-BPGCKSIX35IG3HIC2RQHC7VXPQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗に終わった今回の参院選。
関連するSNSへの投稿では、
「外国人」

「減税」
といった言葉が多くみられ、選挙戦の情勢が反映される格好となった。
東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は告示直前の2025年7月1日〜投開票日である2025年7月20日までのX(旧ツイッター)の投稿を分析。
「外国人」
を含む投稿件数は、オリジナルを拡散させたリポストを含め886万9817件に上った。
日別では2025年7月1日が約25万件、2025年7月8日が約40万件と次第に増え、ピークの2025年7月14日は約76万件となった。
有権者の関心の高まりが現れたのか、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党が大きく躍進する結果となった。
一方、当初からの大きな争点とされた
「減税」
は、総投稿数が211万9292件。
「消費税」
は220万2108件で、合わせても
「外国人」
の半分以下だった。
減税や消費税は選挙戦序盤が投稿数の最盛期で終盤にかけて減る形となった。
自民党の鶴保庸介参院議員が選挙の応援演説の中で、
「運のいいことに能登で地震があった」
と発言した2025年7月8日には、
「鶴保」
の投稿は4万3343件に急増。
それまでは概ね1桁台だったが2025年7月9日には約13万7千件、2025年7月10日は9万7千件、2025年7月11日は4万9千件と、しばらく高い関心が続いたことが分かった。

首相、参院選大敗「真摯に受け止める」 党内の退陣要求は加速、地方組織から人事刷新要求
2025/7/24 21:00
https://www.sankei.com/article/20250724-ELMPZQ43R5JNFFVYP4EHZIP6QI/?outputType=theme_election2025
参院選の大敗を受け退陣が不可避の情勢となった石破茂首相(自民党総裁)に対し、2025年7月24日も党内の
「石破降ろし」
の動きが広がった。
旧安倍派や旧茂木派に加え、旧二階派に所属した議員が首相の責任を問う両院議員総会の開催を求める署名活動を進めている。
麻生太郎最高顧問は同日、派閥パーティー収入不記載事件で離党した世耕弘成衆院議員と国会内で会談。
党内情勢を巡り意見交換したとみられる。
「ポスト石破」
の有力候補の1人とされる高市早苗前経済安全保障担当相に近い議員らも国会内で会合を開いた。
高市氏らは2025年7月23日も東京・赤坂の議員宿舎に集まり、対応を協議している。
両院議員総会の速やかな開催を求める署名は党所属国会議員に配布され、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
と明記した。
党執行部が2025年7月28日に実施予定の両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるが、総会は党則に基づく議決機関で、首相の責任を問う何らかの議決が可能となる。
開催には所属議員3分の1以上の賛同が必要になる。
党の地方組織からの批判も相次いだ。
これまでの高知や栃木の県連などに続き、2025年7月24日には高市氏の地元の奈良県連や東京都議会自民党も人事の刷新を求める意見書を党本部に送った。
参院選で当選した高橋はるみ氏は札幌市内で記者団に
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と首相の退陣を求めた。
一方、首相は参院選で当選した鈴木宗男氏と官邸で面会し、参院選大敗について
「国民の厳粛な審判だから、真摯に受け止めたい」
と語った。
鈴木氏が記者団に明らかにした。
首相は官邸で開かれた都道府県議会議長らとの懇談会に出席したが、議長らから首相の責任を問う意見は出なかった。
「退陣の意向を固めた」
と一部で報じられたことについて、2025年7月24日に首相と面会した政府高官は
「首相は『やる』と言っている」
と周辺に明かした。

高市早苗、西村康稔氏が会談 参院選大敗を受けた情勢協議か 麻生太郎氏も世耕弘成氏と
2025/7/24 20:08
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317889253
自民党の高市早苗前経済安全保障担当相は2025年7月24日、旧安倍派幹部だった西村康稔元経済産業相と国会内で会談した。
関係者が明らかにした。
参院選大敗を受けた党内情勢を協議したとみられる。
高市氏は、保守系議員を中心に
「ポスト石破」
候補として推す声がある。
これとは別に、麻生太郎最高顧問も、旧安倍派幹部だった世耕弘成衆院議員(離党)と国会内で会談した。

「リベラルではなくもっと右に寄って」 高市早苗氏のお膝元・奈良県連も石破氏退陣要望
2025/7/24 16:22
https://www.sankei.com/article/20250724-HQV6HEE3LNMPTJQZN4K6HWIJ6Y/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗し、奈良選挙区でも苦戦を強いられたことを受け、自民奈良県連の井岡正徳幹事長は2025年7月24日、党の刷新を求める意見書を党本部の森山裕幹事長に送付したと発表した。
県庁で記者会見した井岡氏は
「(石破茂)総裁をはじめ、役員の刷新を求めている」
と説明しており、実質的に石破首相の退陣を求めている。
奈良選挙区では、県連会長を務める堀井巌参院議員が3選を果たしたが、国民民主党の候補に約3万2千票差まで迫られた。
意見書では、
「参院選は比例はもとより、都道府県連にとっても大変厳しい状況の戦いだった」
とし、
「(堀井氏が)他党候補の猛追を受けた選挙戦は、党に対する県民の信頼が揺らいだことに一因があると考える」
と指摘している。
井岡氏は保守層の自民離れを念頭に、会見で
「個人的に、石破氏にはリベラルではなくもっと右に寄ってほしい」
と話した。
井岡氏によると、意見書は県連会長の堀井氏と相談して決め、高市早苗衆院議員ら役員にも報告したという。

自民・高橋はるみ氏、首相退陣要求 参院選受け「結果責任だ。しかるべきタイミングで」
2025/7/24 14:44
https://www.sankei.com/article/20250724-7TUZFTUQMVKWVNEZ54KPVJXZAA/?outputType=theme_election2025
自民党の高橋はるみ参院議員は2025年7月24日、参院選で大敗した石破茂首相に対し
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と退陣を求めた。
札幌市内で記者団の取材に応じた。
高橋氏は今回の参院選北海道選挙区で再選されたが、得票数は2019年の前回選から約28万票減った。
高橋氏は、昨年2024年の衆院選に続いて国政選挙で連敗となった点を指摘し、首相が責任を取るべきだとの考えを示した。
党道連も2025年7月23日、事実上の退陣を求める要望書を党本部に送っている。

「リベラル化した自民党に保守層がノー突き付けた」「矜持取り戻せ」日本会議、参院選見解
2025/7/24 13:01
https://www.sankei.com/article/20250724-FAAQ4SWLIJFGHFDAHFVQBS5KI4/?outputType=theme_election2025
保守系の民間団体「日本会議」(会長・谷口智彦元内閣官房参与)は2025年7月24日、先の参院選を巡る見解を出した。
「衆参両院で与党の過半数割れを起こすという前代未聞の事態を出来(しゅったい)させた」
とし、
「現在のリベラル化した自民党に対して、保守層がノーを突き付けた結果といってよい」
と指摘した。
近年の自民党について、憲法改正や男系の皇統護持などを挙げ
「国柄に関わる重大案件に対してすら、支持層に明確な姿勢を示すことができなかった」
と疑問視し、
「国益軽視の外交や外国人政策などが国民の多くの不満を招いた」
と指摘した。
参政党などが躍進した背景については
「このような自民党の変質が大きく関わっており、それを敏感に感じ取った支持層が他に拠り所を求めた結果であることを見誤ってはならない」
と強調。
その上で、自民党に対し、
「保守層の離反の背景を深刻に受け止め、保守政党の中核としての矜持を取り戻し、果断に国家政策を提案し実現していくことこそ、党再生の道筋である」
と訴えた。
「内外の厳しい情勢の中、我が国の伝統的価値を基軸として、日本を再び成長と発展の軌道に乗せる重大な使命が課せられている」
と重ねて強調した。

自民北海道連、石破首相に退陣求める「責任は極めて重い。党員・党友が納得できる決断を」
2025/7/23 18:09
https://www.sankei.com/article/20250723-XQATS4XXNNM4RCAPTQ2QCBIE3I/?outputType=theme_election2025
自民党北海道連は2025年7月23日、参院選で与党が参院全体の過半数を割り込んだ結果を受け
「(石破茂首相の)責任は極めて重い」
「党員・党友が納得できる決断を」
と事実上の退陣を求める要望書を党本部に送った。
要望書では
「(首相が)議員らに何ら説明なく、続投の意向を表明したことは大変遺憾だ」
とした。
北海道選挙区(改選数3)では、共に自民現職の高橋はるみ氏と岩本剛人氏が再選。
ただ、高橋氏は2019年の前回選から約28万票減らした。
岩本氏も次点の候補に約8500票差に迫られた。

国民・玉木代表「辞める辞めないを含め見定める」「約束を守れない石破政権と協力はない」
2025/7/23 17:46
https://www.sankei.com/article/20250723-YC4QFZUD5ZM4FNE2TAHXARUK5M/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月23日、参院選の敗北を受けて石破茂首相(自民党総裁)の退陣論が自民内で浮上していることについて
「辞める辞めないを含めて見定めたい」
「ただ、1つ言えることは、約束を守れない石破政権と協力をすることがないということは明確に申し上げたい」
と述べた。
国会内で記者団の取材に答えた。
また、自民内の下野論に関しては
「色んな言葉や発信が相次いでいるが基本的には自民の党内政局のための発信だ」
「『石破おろし』の狼煙だと見るべきだ」
と指摘した。
その上で
「本当に下野してもいいと思っている自民議員はなかなかいないだろう」
「自社さ連立政権で社会党のトップを祭り上げてさえ権力維持を考えた自民だ」
「簡単に権力の座から降りるということはない」
「一言一言に乗らないように、真意を確かめたい」
と語った。

政府内からも石破首相に退陣要求 松本外務政務官「新総裁の下、出直しを」石破降ろし加速
2025/7/23 11:03
https://www.sankei.com/article/20250723-IPLMKCYJCZCHBA7HPNANC7AE5A/?outputType=theme_election2025
松本尚外務政務官は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、参院選で大敗したにもかかわらず続投を表明した石破茂首相(自民党総裁)について、党総裁を辞任するよう求めた。
政府内からも事実上の退陣論が出た形で、
「石破降ろし」
が益々拡大しそうだ。
松本氏は
「党員から石破総裁に対し責任を取って1日も早く辞任すべきという声が上がっている」
と説明。
「私は政務官として政府の一員でもあるので、突っ込んだ発言は控えなければならないが、自民党『総裁』としての身の処し方は考えてほしい」
と要求した。
その上で、
「今まさに新総裁の下、自民党は出直さないともう2度と政権を担うことはできないかもしれない」
と石破氏に総裁を辞任するよう求めた。
松本氏は言葉を選んだが、総理(首相)と総裁を別の人物が務める
「総総分離」
は過去に話題になったことはあっても実現したことはないだけに、事実上、内閣総辞職を求める内容と言える。
また、松本氏は
「古参の皆さんには後方支援に回って頂くことを了承願いたい」
として、世代交代による党の大改革を訴えた。
松本氏は衆院千葉13区選出。自民の旧安倍派に所属していた。
旧安倍派議員では、萩生田光一元経済産業相が自民の
「下野」
を主張している他、西村康稔元経産相もXに
「見てろよ」
と投稿し、行動を起こす考えを示している。

<主張>日米関税交渉合意 国益を守り抜けたのか 石破首相は退陣表明する時だ
社説
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-EDOIQHACFRKGTDG4Q2WNCIFTYE/
日米関税交渉が決着した。
米側が相互関税を25%に引き上げる期日とした2025年8月1日を前に税率を15%にとどめることで合意した。
日本車に課す25%の追加関税も半減し、既存関税と合わせ15%とすることになった。
最悪の事態を免れたのは確かだろう。
それでも尚、第1次トランプ政権時と比べても極めて高水準の関税を課されることは残念でならない。
米国は日本にとって唯一の同盟国だ。
その米国から理不尽な高関税で脅されたにもかかわらず、石破茂政権は措置を撤回させられなかった。
国益を守り抜けたのかは疑問である。
合意したからといって首相が居座るのは言語道断だ。
早期に退陣を表明して当然である。
■措置撤回を実現できず
関税で他国に圧力をかけるトランプ大統領の独善的手法は第2次政権で歯止めがかからなくなった。
日本が無関税で輸入する米国車が売れないことを一方的に日本のせいにするなど、一連の主張は受け入れ難く、事実誤認も目につく。
そもそも、1期目のトランプ政権時に日米貿易協定を結び、自動車への追加関税を課さないことなどを確認したはずなのに、トランプ氏はこの協定を反故にするかのように振る舞う。
だからこそ石破政権は、米国の高関税措置を撤回するよう求めてきたのではなかったか。
無論、トランプ氏がこよなく愛する
「関税」
という手法を日本に限ってやめさせるのは難しい。
現実的にはある程度の譲歩もやむを得ない面があろう。
だからといって
「対米黒字を抱える国の中で最大の引き下げ幅を得られた」
などと自賛する石破首相の発言に頷くことはできない。
米国の出方がトランプ氏の判断次第なのは自明なのに、石破首相は閣僚協議に委ねるばかりで、自らがトランプ氏に直談判して局面打開に繋げるという行動力を見せなかった。
これでは最善を尽くしたと評価することなどできない。
石破首相は
「日米両国の国益に一致する形での合意」
を実現したとも語るが、日本はトランプ政権前と比べてどれほど国益を高められたというのか。
首相が重視するのは、米国の雇用を増やし、日本企業も利益を上げる対米投資拡大だ。
「政府系金融機関が最大5500億ドル(約80兆円)規模の出資、融資、融資保証を提供可能にする」
などと説明し、経済安全保障上の重要分野で日米が強靱な供給網を築くとも強調した。
もっとも、対米投資の拡大は以前から日本企業に見られた傾向である。
経済安保で日米が連携を強化するのも当たり前のことだ。
むしろ、米国との約束を履行しようと、コストを度外視した対米投資に陥らないようにしなくてはならない。
■臨時国会で徹底審議を
農業分野では、既存のミニマムアクセス(最低輸入量)の枠内で米国産のコメ輸入量を増やす。
関税引き下げなどで農業を犠牲にするような内容はないというのはいい。
ただし、米国産の流入拡大が米価に及ぼす影響は十分に見極めるべきだ。
日本企業にとって15%の関税は重い負担だ。
それでも交渉が決着し、ようやく対米事業戦略を具体的に練り直せるようになった。
大企業だけでなく下請け企業も含めて、米国の高関税政策にも揺るがぬよう、生産性の向上や新規需要の開拓などに全力を挙げたい。
交渉の妥結を受け、政府では国内対策などが課題となる。
だが、石破首相がそれを理由に政権に居座ってはならない。
衆院選と参院選で自ら設定した勝敗ラインを割り込み、両院で過半数を失った首相は1日も早く退陣表明するのが責務である。
首相は2025年7月23日、自民党所属の首相経験者との会談後も重ねて続投の意欲を示した。
驚くべき厚顔さだ。
選挙で示された民意を無視するのは容認できない。
自民の国会議員や地方組織から退陣を求める声が上がっている。
続投を許せば、自民は支持層から完全に見放されるのだから当たり前の反応だ。
ただし、自民や連立与党の公明党が、実際に退陣に追い込まなければ、参院選時以上に支持を失うだろう。
それでは日米合意の履行も覚束なくなる。
自浄能力の発揮が問われている。
2025年8月1日にも召集される臨時国会では、首相指名選挙の有無にかかわらず一定の日数を確保し、日米合意を巡る徹底的な審議を行う必要がある。

<産経抄>関税交渉の決着、政権の残日は
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-Z2PFJHKHDBMCDGEEUQZWIMBSZA/
カレンダーという言葉は、金の貸し借りに語源を持つそうである。
古代ローマでは、金銭の貸借関係を記録するのに会計簿を用い、債務者の名前、借金の元金と利息を書き入れた。
利息計算の基準日となったのは毎月1日である。
▼月初めの1日はラテン語で「カレンダエ」、会計簿は「カレンダリウム」と呼ばれた(『暦の大事典』朝倉書店)。
偶然かどうか。
関税を巡る日米交渉の期限が2025年8月1日に迫る中、その日の欄にトランプ大統領が書き入れた
「25%」
という数字は、日本側の重い足かせとなった。
▼米国が日本からの輸入品に課す税率は、トランプ氏が通告してきた25%ではなく、15%で合意した。
「マイナス10ポイント」
などと喜んでいる場合ではあるまい。
本来は課すべきでないところを、筋の通らない
「15%」
をのまされた。
それが実相である。
▼トランプ氏の勝利という他ない。
自動車や鉄鋼・アルミニウムの関税も、撤廃を求める日本側の声は聞き入れられなかった。
新たな関税による負荷が、どのような形で効いてくるのか先は見通しづらい。
傷を最小限にする手当ては、日本の政府と経済界にとって焦眉の急だ。
▼これまでの交渉を、閣僚任せにしてきた石破茂首相の腰の重さにも首を傾げたくなる。
「なめるな」
と吠えたからには、トランプ氏の独善的な振る舞いをたしなめるのが筋だろう。
首相自身が外交と日本の有権者を甘く見ているとしか思えない。
▼ともあれ、石破氏が続投の理由として挙げる関税交渉は片付いた。
首相の座に居座り続けるための方便は聞くに堪えなかったが、これ以上耳を貸す理由はない。
自民党内では退陣を求める声が強まっており、政権の残日を示す暦は、その枚数を減らしつつある。

関税交渉、一転して合意 日本経済の悪影響は緩和も残る懸念 国内の資金繰り支援が不可欠
2025/7/23 21:17
https://www.sankei.com/article/20250723-JLHTR2O7X5MBHPWMIZT7WZHCVA/
暗礁に乗り上げたかに見えた日米関税交渉が、一転して合意に至る急展開を見せた。
日本経済への悪影響は一定程度抑えられることになり、経済界からも合意を評価する声が上がった。
ただ、高水準の関税は依然残り、政府には国内企業の資金繰り支援などきめ細やかなサポートの取り組みが求められる。
「和気あいあいというより、国益をかけたギリギリの真剣勝負だった」
赤沢亮正経済再生担当相は2025年7月22日、米ワシントンで記者団の取材に応じ、合意に至ったトランプ氏との会談を振り返った。
トランプ氏と面会することは訪米前には決まっていなかった。
ラトニック米商務長官らと協議する中で浮上したという。
■トランプ氏に響く提案用意
日本政府は自動車を中心に一連の関税措置の見直しを求め、特別扱いに難色を示す米側との交渉は難航を極めた。
それでも合意できた背景には、トランプ氏に響く提案を用意したことがある。
トランプ氏は自動車やコメの貿易を巡り、日本に対して不満を露わにしていた。
このため政府は、米国車の輸入時の認証手続きの簡素化や、米国産米の輸入拡大を約束して、同氏の顔を立てたことが奏功した格好だ。
米側から関税率で譲歩を引き出したことで、日本経済への悪影響は抑えられる。
野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストの試算では、自動車関税と相互関税を15%とする今回の合意で、国内総生産(GDP)は0・55%押し下げられる。
交渉が不調で2025年8月1日に相互関税が25%に引き上げられていれば、押し下げ効果は0・85%まで拡大していた。
■経済界から評価の声
経済界からは評価の声が寄せられた。経団連の筒井義信会長は
「国益に拘って粘り強く交渉した成果が実った」
と歓迎。
自動車業界関係者も
「関税率が下がったことは評価する」
と話した。
しかし高水準の関税がかかる状況に変わりはない。
木内氏は
「最悪の事態は防げたが、重しは残った」
「体力がある企業であれば対処できるかもしれないが、景気後退局面に入るかどうかのライン上にある」
と分析する。
上智大の前嶋和弘教授は、対米投資拡大の動きも相まって
「企業が工場を国内から米国に移して産業空洞化を招くかもしれない」
と指摘。
一方で体力のない中小企業などは、国内で厳しい経営を迫られる可能性もある。
政府には今後、こうした指摘を踏まえ、企業の資金繰りや雇用維持を支援する取り組みが求められる。
赤沢氏は
「合意の内容を精査し、影響を受ける国内産業をどう支えるか速やかに検討して対策を講じる」
と話した。

「参院選の総括早く」石破首相の出処進退「全く議論にならず」森山氏説明 歴代3首相会談
2025/7/23 17:11
https://www.sankei.com/article/20250723-754YHCOJAFOQRAHFQHFA5WG4XY/?outputType=theme_election2025
自民党の森山裕幹事長は23日、記者団に対し、石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問ら首相経験者3氏による会談の中で、大敗した参院選の総括をできるだけ早く行わなければならないとの意見が出たことを明らかにした。
森山氏は会談に同席した。
首相の出処進退に関しては
「全く議論になっていない」
と説明した。
森山氏によると、首相経験者は党員・党友や地方組織、友好団体などの意見に丁寧に耳を傾けることを要請した。
その上で、自民の現状については強い危機感を持ち、党の分裂は何としても避けるべきだとの考え方を共有したという。
また、森山氏は参院選総括の両院議員懇談会を28日に開くと発表した。
懇談会は当初、31日に予定されていたが、前倒ししての開催となる。

石破首相「強い危機感共有、党分裂あってはならない」 退陣報道は否定 歴代3首相と会談
2025/7/23 15:48
https://www.sankei.com/article/20250723-NZIDHVC25FLGFCF5NYZSODLGUI/
石破茂首相(自民党総裁)は23日、参院選で自民が大敗したことを受け、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談した。
会談後、記者団に
「強い危機感を共有した」
「党の分裂は決してあってはならない」
と述べた。
近く退陣を表明するとの一部報道については
「そのような発言をしたことは一度もない」
と否定し、会談でも
「私の出処進退について一切話は出ていない」
と強調した。
トランプ米政権との関税協議が合意に至ったことを踏まえ
「多くの対米輸出品を扱っている会社、事業者にとっては極めて重大な問題だ」
「国民生活がきちんと守られるよう全力を尽くしていきたい」
と語った。
会談には森山裕幹事長も同席した。

<独自>石破首相、進退を8月に最終判断へ 広島・長崎式典や国際会議に出席
2025/7/23 10:37
https://www.sankei.com/article/20250723-MDIN5SVMZNOOLHZU63SBLUCOVE/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は参院選敗北を受け、参院選総括や今後の政治日程を踏まえ、8月に自身の進退を最終判断する意向を固めた。
退陣すると判断した場合、9月ごろに新たな党総裁を選出し、10月に召集が見込まれる臨時国会で首相指名選挙を行う日程が想定される。
首相が当面の続投を決めたことに党内から批判が噴出している。
ただ、首相は8月6日の広島と9日の長崎の原爆の日、15日の終戦の日の式典に出席予定。
20〜22日には横浜市でアフリカ開発会議(TICAD)が開催される。
こうした重要な日程に「穴をあけられない」(周辺)と判断し、8月下旬にも進退について明らかにする方向だ。
首相は、早ければ今月29日にも開く両院議員懇談会に出席し、党所属国会議員から直接意見を聞く。
敗因を分析し、8月に党として参院選を総括する。
続投の理由に挙げた日米関税交渉は日本時間23日、米側が25%と宣言していた日本に対する相互関税を15%に引き下げることで合意に達し、一定の道筋がついた。
首相は23日午前、合意が進退に与える影響について記者団に
「合意の内容をよく精査しなければ申し上げることはできない」
と述べるにとどめた。
首相は23日午後、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談し、今後の政権運営の考え方について説明する。

<主張>立憲民主党 受け皿に選ばれなかった
社説
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-QTIOSYO2VJJXVKAQZ4QWJEVHZE/
参院選で与党が過半数割れし、国民民主党や参政党が躍進するなど、政党を巡る地殻変動が始まった。
その波は立憲民主党や共産党にも及んでいる。
野党第一党の立民は政権与党への批判票の受け皿にならなかった。
共産も議席減が止まらない。
広義の保守や中道の政党に票は流れた。
左派・リベラル政党の退潮が始まったと見るべきではないか。
立民は野党第一党の座を維持したが、獲得議席は22議席で改選数と同数だった。
比例代表の得票数は739万票で、投票率の上昇もあって、3年前の前回参院選より62万票増やした。
だが、同じ700万票台の国民民主、参政両党よりも少なく、野党の中で3番手に甘んじた。
社会党から民主党、立民などに至るまで野党第一党は、政権与党に対する批判票の受け皿になってきた。
その構図が崩れた理由の1つは、厳しい安全保障環境だろう。
日本の独立と繁栄の基盤となる安保政策が非現実的では、有権者の支持が集まらない時代になった。
今や日米同盟の基盤ともなっている日本の集団的自衛権の限定的な行使に関し、立民は賛成の立場を表明していない。
5年間で総額43兆円の防衛費に対しても賛成してこなかった。
対中抑止力の向上に熱心だったとも言えない。
立民は家族の一体感を損なう選択的夫婦別姓制度の導入に積極的だったが、石破茂首相に愛想を尽かして自民から流出した保守層が、立民を選ばない一因となった。
立民は民主の流れをくむ政党だ。
民主の結党には多くの社民党議員が加わった。
社会や社民と関係が深かった自治労や日教組は立民を支持している。
左派の体質を引きずっている以上、有権者の支持は広がりようがあるまい。
共産は、学界やメディア、公務員にシンパを多く抱え、議席数以上に日本社会に影響力を持ってきた。
だが、比例代表の得票数は75万票減らし300万票を割り込んだ。
共産は未だに綱領に自衛隊の解消などを明記している。
如何に日本と国民を守り抜くかという発想が乏しく、退潮傾向は止められまい。

自公政権が協力求めるべき野党、最多は国民民主35% 立民21%、参政20% 共同調査
世論調査
2025/7/22 22:12
https://www.sankei.com/article/20250722-SZSMIVWFANP5ZKO3TOFNYUSSA4/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
自公政権が協力を求めるのが良いと思う野党を複数回答で聞くと、国民民主党35・1%、立憲民主党21・9%、参政党20・4%、日本維新の会18・7%の順だった。
参院選で投票先を決める際、SNSや動画サイトなどから得る情報を「重視しなかった」は64・0%で、「重視した」34・9%を上回った。
参院選で最も重視した点は「物価高対策」32・2%だった。
政党支持率は立民10・8%(前回9・2%)、維新5・2%(4・8%)、国民15・1%(9・9%)、公明党4・6%(4・4%)、れいわ新選組4・3%(5・6%)、共産党3・7%(3・1%)、参政11・8%(3・7%)、日本保守党2・7%(2・9%)、社民党1・3%(1・9%)、チームみらい4・1%、みんなでつくる党0・2%(0・1%)。
「支持する政党はない」とした無党派層は12・3%(21・1%)だった。

外国人規制「強めるべき」65% 「緩めるべき」4% 出入国管理や不動産取得 共同調査
世論調査
2025/7/22 21:01
https://www.sankei.com/article/20250722-4I2FEEOTVJKQJPYZZT3IEG6LBM/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
出入国管理や不動産取得などの外国人への規制は「強めるべきだ」が65・6%で最も多かった。
続いて「現行通りでいい」26・7%、「緩めるべきだ」4・4%となった。
SNSや動画サイトを通じて参院選に関する真偽不明の情報や誹謗中傷が広がったと「感じた」との回答は「ある程度」と合わせて56・7%だった。

<産経抄>風の順逆も分からず、「まとも」な判断できぬ石破氏
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-YCVQZXTBHNNEDJX4EBFOXWJQC4/
多くの船が連なり進むさまを「舳艫(じくろ)千里」という。
「舳」は船首のことで「へさき」とも読む。
「艫」には「とも」の訓読みがあり、船尾を指す。
船にとって有難いのは後ろから吹く風で、これを「真艫(まとも)」と呼ぶ。
▼順風、追い風のことである。
不審に思われる方もいるだろう。
「まともに風を受ける」は向かい風のことではないか、と。
その場合の「まとも」は「正面」と書く。
言葉の不思議はともかく、普通の感覚を持ち合わせた人ならば、順風と逆風を取り違えることはまずあり得ない。
▼先日の参院選で有権者が吹かせたのは、衆院に続く与党過半数割れの強い向かい風であり、猛烈に冷たい北風だった。
神経の作りがよほど頑丈なのだろう。
まともに受けたはずの風が堪えていない人もいる。
石破茂首相が続投の意向を表明した。
▼参院選での与党過半数の維持を「必達」の目標としたのは首相である。
舌の根も乾かぬうちに
「比較第一党としての責任」
という理屈を持ち出し、臆面もなくゴールポストを動かす変節には驚き呆れる。
これが民主主義の否定でなくて何だろう。
▼首相の座に固執する理由に、日米関税交渉を挙げたのも姑息な方便と映る。
これまでの折衝を閣僚に任せ、トランプ大統領との会談に腰を上げなかったことはお忘れか。
物価高、国防、防災。
過半数の勢力を結集し、船首を同じ方角に向けて進む図も現政権の下では期待し難い。
▼「決められない政治」の出口は遠い。
それもまた国難だろう。
石破氏が長尻を決め込んでいるのはどう見ても針のむしろで、もはや痛みの自覚すら乏しいらしい。
風の順逆が分からぬのも無理はない。
まともな政治感覚からは、かけ離れているという他ない。

石破内閣の支持率22%、発足以来最低に 「首相辞任すべき」は51% 共同通信調査
世論調査
2025/7/22 19:42
https://www.sankei.com/article/20250722-JJKQNZGIHRNJTKEQTAOJDRWENQ/
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
石破内閣の支持率は22・9%で、前回2025年6月調査から9・6ポイント急落し、昨年2024年10月の内閣発足以来で最低となった。
不支持率は14・9ポイント増の65・8%だった。
自民党が大きく議席を減らした参院選の責任を取り、石破茂首相が
「辞任するべきだ」との回答は51・6%、
「辞任は必要ない」45・8%
だった。
参院選後、最も望ましい政権の枠組みは
「政界再編による新たな枠組みの政権」が最多で36・2%。
「自公政権に一部の野党が加わった政権」28・0%が続いた。

日本保守党・百田代表、首相の続投理由「明日地震起こるかも」にあきれ顔「むちゃくちゃ」
2025/7/22 18:30
https://www.sankei.com/article/20250722-BG5GJXZ7ZNCGVGLIJEYOP6JHDU/?outputType=theme_election2025
日本保守党の百田尚樹代表は2025年7月22日の記者会見で、先の参院選で初当選したことについて
「日本を豊かに、強く。議員という影響力を駆使して、日本を良くしたい」
と抱負を語った。
食品の消費税率ゼロや野放図な「移民」政策の見直し、過度な再生可能エネルギー依存の見直しに力を入れていく考えも示した。
同党は今回の参院選比例代表で得票率5%を確保し、百田氏と弁護士の北村晴男氏の2人が当選した。
北村氏は比例代表で最も個人得票数が多かった。
同党は衆参で5議席を獲得し、公選法が政党要件に定める国会議員5人以上、直近の国政選挙で得票率2%以上の双方をクリアした。
百田氏は
「結党1年9カ月で名実共に国政政党になった」
と述べた上で、
「バックアップが足らず、悔いの残る選挙だった」
「忸怩たる思いが消えない」
とも語り、候補者の全員当選が果たせなかったことに苦渋の表情を浮かべた。
参院選を巡っては、石破茂首相(自民党総裁)率いる自民党が大敗を喫す結果となった。
首相の続投の是非について百田氏は
「石破さんの判断だ」
「我々は何を言うこともできない」
と述べるにとどめた。
一方、首相は2025年7月21日の記者会見で、続投の理由について、トランプ米政権との関税交渉などに加え
「明日起こるかもしれない首都直下型地震、あるいは南海トラフ地震」
を挙げて
「このような厳しい状況の中にあって、最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語っている。
発生が予想できない震災への対応を続投の理由の1つに挙げたことについては、百田氏も
「言語道断。無茶苦茶。こういう理屈が通るなら、自民党の総裁選もできない。衆院の解散もできない。悪い冗談としかいいようがない」
と疑問視した。

「選挙をなめないでください」続投表明の石破首相、平成22年の参院選敗北の民主党に苦言
動画
2025/7/22 18:24
https://www.sankei.com/article/20250722-U4SNPRNGPJEJXIPJQBXI4ZW5UA/?outputType=theme_election2025
石破茂首相は、自民党政調会長だった平成23年7月の衆院予算委員会で、民主党の菅直人首相(当時)に前年の参院選の意義を尋ねた質問で、
「菅民主党政権の是非を主権者たる国民に問うた、それが参議院選挙の意義だった」
「間違いない」
と述べた。
当時の参院選では民主党が敗北し、石破首相は
「選挙をなめないでください」
「主権者たる国民の選択なんです」
と追及していた。
平成22年の参院選で、菅首相(民主党代表)は勝敗ラインを
「改選54議席プラスアルファ」
と位置付けていたが、44議席にとどまり、与党として過半数に達しなかった。
今月2025年7月20日投開票の参院選で、自民、公明の与党の改選は66議席。
石破首相は与党で計50議席を得て過半数を維持することを
「必達目標」
としていた。
選挙では改選議席から大きく後退し計47議席に低迷した。
非改選75議席を合わせても参院全体の過半数(125議席)に届かなかった。
しかし、石破首相は翌2025年7月21日、
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
これに対し、自民党内からも批判が強まっている。

石破首相の「リコール」や両院議員総会開催を求め、自民議員が署名集めを検討
2025/7/22 17:02
https://www.sankei.com/article/20250722-RHQLWOEPCNIMBFU7LV42BP2JYA/
参院選で大敗したにも関わらず続投を決めた石破茂首相(自民党総裁)の辞任を求める複数の自民議員が、総裁選を前倒しして実施する
「リコール」
や、両院議員総会の開催を求める署名集めを検討していることが2025年7月22日、分かった。
自民の党則は、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁の任期前でも総裁選を行うと定めている。
また、党所属国会議員の3分の1以上の要求があれば両院議員総会を召集すると規定。
総会は全ての所属国会議員が出席でき、重要事項の議決権を持つ。
旧安倍派の議員の1人は
「水面下で総会の開催とリコールを求めて動き始めている」
「ずるずると首相の座に居座ることは許されない」
と述べた。
党執行部は2025年7月31日に議決権のない両院議員
「懇談会」
を開くが、閣僚経験者は
「懇談会で(不満を持つ議員の)ガス抜きをすればいいなんてあり得ない」
と強調した。

石破首相に退陣論 自民・甘利氏「珍説で政権にすがる」 元首相秘書官「橋本首相は即決」
2025/7/22 9:35
https://www.sankei.com/article/20250722-K7BWOK7J7JFO3NVURDS36CSUOE/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗したにもかかわらず石破茂首相(党総裁)が続投を表明したことに批判が噴出している。
自民重鎮や、参院選敗北を理由に退陣した橋本龍太郎元首相の当時の秘書官からは辞任論が相次いだ。
自民党の甘利明元幹事長は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、石破首相の姿勢についての見解を示した。
甘利氏は
「これ以上ない低い責任ラインを自ら設定し、それすらクリア出来ない2度の惨敗の果てに
『比較第一党の責任』
なる珍説で政権にすがろうとする」
「最後のシンパまで失いますよ」
と投稿した。
首相は昨年2024年の衆院選では自民、公明両党で過半数、2025年7月20日投開票の参院選では自公で非改選を合わせた過半数の維持を目標としていたが、いずれも達成できず、衆参両院で少数与党となる事態を招いた。
にもかかわらず続投を決め込む首相に対し、甘利氏は警鐘を鳴らした形だ。
■「誰一人責任を取らないのは前代未聞」
橋本氏の首相秘書官を務めた立憲民主党の江田憲司衆院議員は2025年7月21日、フェイスブックで、首相について
「いずれ早い時期にお辞めになると思う」
と予測した。
理由として、
「喫緊の課題が山積しているから、国政に一刻の停滞も許されないとか、政治空白を作るべきではないと言うが、現実問題、実際上、党内の求心力を失った首相が、そういう課題に対応する重要な決定ができるとは到底思えない」
と指摘した。
「橋本首相が、参院選結果を受けて即断即決で退陣を決め、私も阿吽の呼吸で同じ判断をしたのも、同様の理由からだ」
と自身の経験を紹介した。
その上で江田氏は
「そもそもトップという地位は、いざという時、責任を取るためにもある」
「衆院選、都議選、参院選と3連敗した執行部が誰1人責任を取らないというのは前代未聞で、それではディシプリン、組織の統制が取れない」
「これまでもそうだが、石破首相の世間から遊離度合いは尋常ではない」
と断じた。

「旧民主党系は限界」国民・玉木代表、選挙区調整に見切り 「全国に立てた参政は立派」
2025/7/22 17:10
https://www.sankei.com/article/20250722-JYZQRUQ54JE3JMMWK6I3X3JMV4/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月22日の記者会見で、参院選の結果を踏まえ、次期衆院選では選挙区に候補を積極的に擁立する姿勢を示した。
立憲民主党などとの候補者調整については
「自民党への不満を受け止めるには、旧民主党系はもう限界だ」
と否定的な見解を示した。
玉木氏は参院選の群馬選挙区で、自民候補が当選し、約2万8000票差の次点に参政党候補、そこから10万票近く離れた3番手が立民候補だった例を持ち出した。
「自民党王国と言いながら立憲が立てたが、事前の調査だと参政が勝っていて、最後、自民が底力を見せて引っくり返された」
「野党をまとめたら勝てたかというと違う」
とした上で
「自民への不満が高まっている」
「それを旧民主党系は受け止めきれないというか、限界だ」
「単に旧民主党系や共産党も入れてまとめたら勝てるというのは、もう幻想に終わった」
「数さえ合わせれば過半数を取れるだろうというのは、もう通用しない」
と述べた。
参院選の比例代表では、国民が立民を得票で上回り、玉木氏は
「ステージを次の段階に移行することができた」
と胸を張った。
次期衆院選について玉木氏は
「積極的に候補者を擁立する」
「全国で受け皿を作らない限り、本当の意味での国政政党、全国政党にはなれない」
と強調した。
「参政が立派なのは、全国に候補者を立てたことだ」
「受け皿を作っていることは評価すべきだ」
「衆院選は次が勝負だ」
と語った。

「日本に帰化したか、政治家は全員出自を明らかにすべき」中国出身で参院選初当選の石平氏
2025/7/22 16:06
https://www.sankei.com/article/20250722-OCRTZQYRG5GR7MFBYXXOHCV4UU/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日に投開票された参院選で、日本維新の会から比例で初当選した石平氏が2025年7月22日、産経新聞の取材に応じ、かつて自ら中国籍から日本国籍に変更した経験を踏まえて
「日本に帰化した政治家は全員、出自を包み隠さず明らかにすべきだ」
と語った。
「もし帰化して日本国籍となり、更に国会議員のような政治家、公職者となったのならば、どんな出自かを隠すことは許されない」
「帰化しているかどうかはその人の経歴の一環でもあり、立候補する時点で事前に公開しておくことは当然だ」
石平氏は、こう語った。
中国出身で、2007年に日本国籍に変更した。
沖縄・尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域に連日、中国当局の船が確認されるなど、覇権主義的な姿勢をとる中国共産党政権への批判を続けてきた。
日本の四季をこよなく愛す評論家としても知られる。
取材では、日本の帰化を巡る諸制度の「甘さ」や「ゆるさ」も問題視した。「日本の帰化制度は、申請時に思想や信条を一切、問うことがない」
「これはおかしい」
「外国人が日本人へと帰化する場合に、日本に対しどれだけの愛着があるのか、忠誠心を誓うような場や儀式もない」
「これは米国とは違う」
「こうした日本の帰化制度は根本的に改め、厳格化すべきだ」
と訴えた。
■「本気で日本を愛し続けているか」
「日本に帰化してからも本気で日本を愛し続けているかどうか、本性を現して『反日』的な行動を取ったりはしていないのか、一定期間、監察することも必要だろう」
「そうした場合には帰化を取り消せる制度も絶対に設けるべきだ」
「国会議員として是非、実現したい」
と抱負を述べた。

石破首相、参院選敗因に「外国人」挙げる 鈴木法相は「外国人政策、民意重く受け止める」
「移民」と日本人
2025/7/22 13:55
https://www.sankei.com/article/20250722-EF3WRHESHVCXXMBIC6EGVEACXM/?outputType=theme_election2025
参院選の与党大敗を受け、鈴木馨祐法相は2025年7月22日の閣議後記者会見で
「民意をしっかり受け止める必要がある」
と述べた。
また、石破茂首相は2025年7月21日の記者会見で参院選の敗因の1つに
「外国人対応」
を挙げた。
これを受け、鈴木氏は
「法令順守の徹底や、制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。
鈴木氏は参院選の結果について
「国民の信頼、信任の上に成り立つ政権運営であり、民意をしっかり受け止める必要がある」
「外国人政策や選択的夫婦別姓制度など法務省に関係するテーマも論議になり、民意を重く受け止めながら政策の運営を行っていきたい」
と述べた。
また、石破氏が2025年7月21日の記者会見で、参院選の敗因について
「政治改革の問題、物価高、外国人への対応など多岐に渡る」
と述べ、外国人問題への対応を敗因の1つに挙げたことについては、
「これまでも一部の外国人の犯罪や迷惑行為、各種制度の不適切な利用など国民が不安や不公平感を持つ中で、ルールを守らない人への厳格な対応や、制度や施策の見直しを行ってきた」
と説明。
「『不法滞在者ゼロプラン』ではルールを守らない外国人を速やかに国外に退去させており、各種の在留資格の様々な要件の適正化に向けた検討も進めている」
「参院選でも様々な議論になったが、外国人との秩序ある共生社会を推進するため、法令順守の徹底や制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。

<主張>首相が続投表明 即時退陣を改めて求める 立民は不信任案提出へ動け
社説
2025/7/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250722-JTFH7FO75FL5BPFTT2RZFCJERY/
三球三振したのにバッターボックスから去らない打者のようなものだ。
昨年2024年の衆院選、今年2025年の東京都議選、参院選に大敗した石破茂首相(自民党総裁)のことである。
これでは政治は前へ進めない。
石破首相は2025年7月21日に会見し
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
事実上の政権選択選挙とされた参院選で石破首相は、非改選を含む参院全体での与党過半数維持を
「必達目標」
とした。
だが、その勝敗ラインを越えられなかった。
有権者が
「石破政治」
を拒んだのは明らかだ。
■信頼失っても居座りか
衆参両院で過半数割れしたにもかかわらず続投するというのは、憲政史上の異常事態という他ない。
改めて言う。
石破首相は責任を取り、潔く辞任すべきである。
森山裕自民幹事長も同様だ。
衆院選、都議選、参院選の全てに大敗したのに首相の座にしがみつくのは本当に見苦しい。
そのような政治家の声が有権者に届くわけもない。
石破首相は国政運営に不可欠な国民からの信を失っている。
国民政党を自任する自民の歴代総裁は単独過半数や与党過半数などを掲げてきた。
石破首相が参院選後、比較第一党を達成したからよいとの無責任な姿勢を示したのは極めて異例だ。
自民に比較第一党として安定政権を構築する責任があるにしても、それを果たすべきは石破首相ではない。
居座りは、議会制民主主義の否定と知るべきである。
続投の理由について首相は、米国の関税措置、物価高、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの自然災害、安全保障環境などを挙げ、
「国難とも言うべき厳しい状況に直面している」
「大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語った。
国政に停滞を招いてはならないのは当然だ。
気付くべきは、首相の居座り自体が国政の最大の停滞要因になるということだ。
野党各党が、民意を失っている石破政権に手を差し伸べることはできないだろう。
政権基盤が決定的に脆弱になった石破政権が対米関税交渉をやり抜くというのでは、国益を酷く損ないかねない。
そもそも赤沢亮正経済再生担当相に交渉を丸投げし、トランプ米大統領とのトップ交渉から逃げていたのが石破首相ではないか。
衆参過半数割れの国会で、物価高対策などの予算を通せるのかも一段と不透明になった。
石破首相は、第1次安倍晋三政権時の参院選で自民が大敗し、衆参で多数派が異なる
「ねじれ国会」
になった際、続投を表明した安倍氏を猛烈に批判したことを忘れたのか。
自民総務会で
「(安倍)首相は
『私か小沢一郎民主党代表かの選択だ』
と訴えたのに、どう説明するのか」
と難じ、代議士会では
「首相は
『反省すべきは反省する』
と言っているが、何を反省し、どう改めるのか」
と責め立てた。
石破首相は今回の参院選の大敗について
「謙虚に真摯に受け止めなければならない」
と述べたが、続投では少しの反省も感じられない。
■自民議員は総裁交代を
自民の国会議員には、石破氏を党総裁、首相に選び、衆院選大敗後も続投を容認し、日本の政治を混乱させてしまった政治責任がある。
度重なる民意に反して今度も続投を認めるなら、自民は国民政党の資格を失い、凋落の一途を辿るだろう。
早期に新総裁を選出しなければならない。
2025年8月1日に臨時国会が召集される方向だ。
石破首相が居座りを決め込むようなら、野党側にはそれを防ぐ手立てがある。
衆院での内閣不信任決議案可決である。
憲法第69条に記された内閣不信任案は、民意に沿わない政権を退陣させる方策だ。
衆院議員51人という提出要件を満たす党は野党では立民だけだ。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「続投の意思表明は説得力があまりにもなさ過ぎる」
と石破首相を批判したが、不信任案提出については言葉を濁している。
党利党略ではなく、国政選挙の審判を反映させ民主主義を守るために、野党は結束して不信任案提出へ動く時だ。
与党も野党も政治を漂流させない責任を果たしてもらいたい。

立民、参院選は「負け」と受け止め「不信任案どころでない」 野田代表に首相から秋波も…
2025/7/21 20:50
https://www.sankei.com/article/20250721-UL5TYNUUXNM5PNOQ7TGWWMCBGY/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選で立憲民主党は改選前と同じ22議席にとどまった。
野田佳彦代表が掲げた
「与党改選過半数割れ」
の目標は達成したものの、国民民主党など他の野党が躍進する中、党内には
「負け」
との受け止めが広がる。
石破茂首相(自民党総裁)は政権延命に向けて立民に秋波を送るが、立民が安易に応じれば事実上の
「大連立」
とみられ、致命的な傷を負いかねない。
野田氏は2025年7月21日、記者団に、首相の続投表明について
「だらだらとした政治をいつまで続ける気なのか、だらだらと民意を無視して居座り続けるのか」
「あまりにも説得力がない」
と批判した。
一方で、立民として内閣不信任決議案の提出を検討するか問われると
「まだ考えていない」
とかわした。
野田氏は参院選を政権交代に向けた
「ステップ」
と位置付けていた。
平成19年参院選で自民、公明両党を過半数割れに追い込み、2年後の2021年衆院選で民主党(当時)への政権交代を果たした成功体験があったからだ。
今回、野田氏の目論見通り与党過半数割れの結果になったが、誤算は参院選で明らかになった立民の党勢の陰りだ。
臨時国会での不信任案提出について、党内では
「提出して衆院選になっても、この結果では勝てない」
「不信任案は出せない」
(中堅)
と慎重論が拡大する。
ベテランも
「負けも負け」
「不信任案どころではない」
と断じる。
首相は2025年7月21日の記者会見で連立政権の枠組み拡大は否定しつつ、社会保障政策で
「野田代表と認識を共有する部分も多い」
と語るなど
「野田代表」
と何度も口にし秋波を送った。
野田氏は選挙後自民との大連立を否定した。
政権交代を訴え参院選を戦った自民との連携は自己否定になるためだ。
ただ政権にとっては不信任案を提出しない野党は脅威でも何でもない。
提出を与党にちらつかせながら政策協議を行うのとは全く意味が異なる。
別のベテランは
「与党と個別協議をして政策を実現しても国民から大連立と受け止められたら立民の存在意義が問われる」
と忠告した。

石破首相、続投正式表明も「ありえない」 公明は支持も党内から退陣要求噴出 地方からも
2025/7/21 20:39
https://www.sankei.com/article/20250721-JKUGNG2NPJP6FFRTBDTFUW4DBY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は2025年7月21日自民公明両党が大敗した参院選を受けて党本部で記者会見し、
「国難とも言うべき厳しい状況で最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と述べ正式に続投を表明した。
森山裕幹事長ら党執行部の引責辞任にも否定的な考えを示した。
一方党内からは大敗を招いた首相や執行部に対する責任論が噴出し退陣圧力が強まっている。
■トランプ氏との会談に意欲
首相は
「痛恨の極みだ」
「重大な責任を痛感しながらも比較第1党としての責任を果たしていく」
と強調した。
続投の期限を問われると
「今考えているわけではない」
「物価高や自然災害への対応など喫緊の課題に解決の道筋を付ける」
と明言を避けた。
衆参両院で過半数を持たない
「少数与党」
に陥ったことで首相の政権運営は厳しさを増す。
首相は
「公明以外の他党とも真摯な議論を通じ新たな政治の在り方について一致点を見い出したい」
と一部野党との連携を模索する方針を示した。
2025年8月1日に期限を迎える米国との関税協議を巡っては
「日米双方に利益となる合意を実現する」
としトランプ米大統領との早期の首脳会談にも意欲を示した。
党役員人事や内閣改造は2025年9月の役員任期を念頭に置き対応を考えるとした。
■「検証総括委員会」設置へ
首相は2025年7月21日公明の斉藤鉄夫代表と公邸で会談し自公連立政権の継続を確認した。
斉藤氏は首相の続投を支持した。
だが自民内では首相ら執行部への退陣要求が相次ぐ。
京都選挙区で4選を果たした西田昌司氏は記者団に首相の続投表明は
「あり得ない」
として総裁選の実施を求めた。
高知県連も首相の早期退陣を党本部に求めることを決めた。
同県連会長は中谷元防衛相が務める。
林芳正官房長官が会長の山口県連も幹部が首相の退陣を要求した。
河野太郎選対委員長代理は自身のX(旧ツイッター)で森山氏の続投を批判した。
「選挙の責任者である幹事長が辞表を出していないのはおかしい」
と投稿した。
自民は2025年7月21日の臨時役員会で敗因分析のため近く参院選の検証総括委員会を設置し都道府県連から意見聴取することを決めた。
2025年7月31日にも両院議員懇談会を開催し党所属議員から意見を聴く。

議員が内閣の不信任に関する動議もしくは決議案を発議する時は、理由を附し、50人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない(衆議院規則第28条の3)。
したがって、内閣不信任決議案の提出には少なくとも発議者1人と賛成者50人の計51人が必要となる。
衆議院規則
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-rules.htm
第六章 議案の発議及び撤回
第二十八条の三 議員が内閣の信任又は不信任に関する動議若しくは決議案を発議するときは、その案を具え理由を附し、五十人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない。

国民民主・玉木代表、石破首相の続投表明に皮肉「まるで選挙がなかったかのような‥」
2025/7/21 19:07
https://www.sankei.com/article/20250721-UW6EUQ55XVPPHHVRUK7O5YH7SU/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月21日、参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)が続投する考えを表明したことについて
「ちょっと驚いた」
「まるで選挙がなかったかのような対応だ」
「選挙で示された民意に対して真摯に向き合っている姿勢は感じない」
と述べた。東京都内で記者団の取材に答えた。
また、玉木氏は
「衆院選、東京都議選、参院選と連続で負けており、民間企業で言えば3期連続赤字のようなものだ」
とも皮肉った。
首相が平成19年の参院選で自民が惨敗した際に当時の安倍晋三首相に退陣を迫ったことに関し、
「文字通り正面からブーメランが飛んできている感じだ」
「仮に続投するなら難局を打開していくビジョンを示す必要がある」
と突き放した。

野党、首相続投を批判 野田氏「民意無視の居座り」 玉木氏「真摯に向き合っていない」
2025/7/21 17:53
https://www.sankei.com/article/20250721-VTBKOBQWWRO2PNYBZR5NRR7J6I/?outputType=theme_election2025
野党幹部は2025年7月21日、参院選で与党が大敗した結果を受け、続投を正式表明した石破茂首相の対応を批判し、対決姿勢を強めた。
立憲民主党の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「説得力が余りにもなさ過ぎる」
と指摘。
国民民主党の玉木雄一郎代表は
「驚いた」
「続投した上でのビジョンを示すべきだ」
「選挙で示された民意に真摯に向き合っていない」
と疑問を呈した。
野田氏は東京都内で記者団に、昨年2024年の衆院選や今年2025年6月の都議選に続き
「参院選で敗れた意味合いがよく分かっていない」
と強調。
食料品の消費税率ゼロ%など野党が掲げる政策にも耳を傾けるべきだと訴えた。
玉木氏はフジテレビ番組で、昨年2024年12月に与党と合意したガソリン税の暫定税率廃止などに触れ
「約束を守ってもらえなかった」
「2回騙されるわけにはいかないので厳しく向き合っていく」
と語った。

比例代表の得票、立民は参政を下回る 政治思想史家「左の大結集、戦後政治の夢ついえる」
2025/7/21 18:29
https://www.sankei.com/article/20250721-PKHHMVJPYBCL3EHX5JSUNLB65M/?outputType=theme_election2025
参院選(2025年7月20日投開票)比例代表を巡っては、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党の得票数が立憲民主党を僅かながら上回り、自民、国民民主両党に次ぐ3位に躍進した。
政治思想史家の河野有理(ゆうり)法政大教授は2025年7月21日、X(旧ツイッター)で、
「『自民党より左』の大結集で政治を変えるという戦後政治の<夢>が遂に最終的に潰えた」
との見方を示し、
「極めて大きな地殻変動の現れ」
を指摘した。
■参政支持のうねりの過小評価指摘
参政は、比例代表で742万5053票(得票率12・6%)を得て、立民の739万7456票(同12・5%)を、2万7597票差で上回った。
国民民主は762万492票(12・9%)。
野党3党が得票率13%弱でほぼ並ぶ結果となった。
河野氏はXで、参政党に対する評価を巡って、
「『参政党支持している人は周りにはいない、いたら縁を切る』みたいな選挙前によくいた人たち、よほど世界が狭いか、相手が大人で話を合わせてもらっているのだろうなという感じ」
と書き込んだ。
改選22議席の立民は、選挙区15議席、比例代表7議席の計22議席と横ばいの結果にとどまった。
■山口二郎氏も「これ、ほんと」
河野氏は、立民について、
「今回で伸びないならいつ伸びるのかという話であり、相当に厳しい結果なのではないだろうか」
との見方を示し、
「執行部がこれを厳しい結果と思えていないなら本当に将来がなさそうである」
と指摘した。
この投稿については、野党共闘の強化に尽力し続けた政治学者の山口二郎法政大教授も
「これ、ほんと」
「私の政治学者人生も終わったということ」
とXで賛意を表した。
山口氏は立民のベテラン勢はもはや後進の育成に注力すべきとの考えを示し、立民の現状について、
「実質的な敗北と、厳しく総括すべき」
「私自身も、かつて民主党政権を担った政治家が最後にもう一花咲かせてほしいと思って応援したが、民意との乖離が極めて大きいことを痛感する」
と訴えた。

「国政に停滞招かないことが最も大切」石破首相が続投表明 参院選大敗「痛恨の極み」
2025/7/21 14:26
https://www.sankei.com/article/20250721-REQMDEQZAVBUJL3FE53EXJUPFQ/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は自民、公明両党が大敗した参院選から一夜明けた2025年7月21日、党本部で記者会見し
「比較第一党としての責任、そして、国家国民に対する責任を果たしていかねばならない」
と述べ、続投する考えを強調した。
首相は参院選の結果について
「痛恨の極みだ」
「党総裁として深くお詫びする」
「この結果について謙虚に、真摯に受け止めなければならない」
と述べた。
一方で、トランプ米政権による関税措置、物価高騰、首都直下型地震や南海トラフ地震といった自然災害への対応などを挙げ
「いま最も大切なことは、国政に停滞を招かないということだ」
と述べた。
「選挙結果に対する重大な責任を痛感しながらも、政治を停滞させないよう、漂流させないよう、地方の皆さま方の声も丁寧に真摯に聞きながら、責任を果たす」
と語った。

自民保守系 安倍政権下の6年前から得票47.5%減 岩盤支持層離反が鮮明 参院比例
2025/7/21 13:26
https://www.sankei.com/article/20250721-TWTYEWMAVNDGJBOF7EIA4CUTNQ/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選の全議席が確定し、比例代表では自民党の保守系候補の落選が相次いだ。
単純比較はできないが、主な保守系候補7人の得票の合計を安倍晋三政権下で行われた6年前2019年の参院選と比べると、47.5%の63万票が失われていた。
自民の岩盤支持層とされる保守の離反が鮮明となった。
「ご支援やご声援を頂いた全ての方にお詫びとお礼を申し上げます」
「この敗北は全て私の責任です」
比例代表で落選した
「ヒゲの隊長」
の愛称で知られる佐藤正久幹事長代理は2025年7月21日、自身のX(旧ツイッター)にこう記した。
保守系候補としては佐藤氏の他、有村治子元女性活躍担当相、山東昭子元参院議長、保守系グループ「保守団結の会」で代表世話人の赤池誠章氏、和田政宗参院内閣委員長の5人が6年前2019年の参院選に続き出馬し、有村氏のみが当選。
旧安倍派に所属し、保守の論客として知られる杉田水脈、長尾敬両元衆院議員も落選した。
7人の合計得票は開票率99%の段階で約69万票だった。
6年前2019年の参院選では佐藤氏ら5人に旧安倍派で保守系の北村経夫、衛藤晟一両氏を加えた7人の得票が132万票を超えていた。
産経新聞の集計では今回47.5%に当たる約63万票が減ったことになる。
LGBTなど性的少数者への理解増進法の成立などの影響で自民からの
「岩盤保守層」
の離反が指摘されてきたが、選挙結果にも現れた形だ。
一方、自民内の保守の影響力低下により、選択的夫婦別姓などの政策が進んでいく可能性も囁かれている。

参院比例、個人別は北村晴男氏が97万票トップ 浜田聡氏は全体7位で蓮舫氏に迫るも落選
2025/7/21 13:48
https://www.sankei.com/article/20250721-VHJXLYXLLRDW3MK5DUFBNMY4IU/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選の比例代表は2025年7月21日正午時点で、個人別の得票数は日本保守党の新人で弁護士の北村晴男氏(69)が約97万票でトップとなっている。
2〜5位は自民、公明両党の候補で、6位は立憲民主党の元職、蓮舫氏(57)。
政治団体「NHK党」が擁立した現職の浜田聡氏(48)は個人で全体の7位となる33万票余りを獲得し蓮舫氏に迫るが、NHK党の総得票数が約68万票にとどまり議席の配分がなかったことから、涙をのんだ。
比例個人別得票数の上位10位(開票率99・9%)
(1)北村晴男(保守)97万5122
(2)犬童周作(自民)48万2058
(3)山田太郎(自民)38万1185
(4)平木大作(公明)37万7986
(5)司隆史(公明)34万1441
(6)蓮舫(立民)33万9310
(7)浜田聡(N党)33万3947(落選)
(8)佐々木雅文(公明)32万5344
(9)原田大二郎(公明)31万0047
(10)安野貴博(チみ)23万7725

参院比例票、日本保守党が300万票に迫り共産党を上回る 議席は北村晴男氏と百田尚樹氏
2025/7/21 12:44
https://www.sankei.com/article/20250721-T7UJJVCQKFEJJKIEHGVFNSQUN4/?outputType=theme_election2025&utm_source=smartnews&utm_campaign=android&utm_medium=app
20日投開票の参院選の比例代表は2025年7月21日正午時点で、日本保守党の得票が約298万票(得票率5・0%)で、共産党の約286万票(4・8%)を上回っている。
開票率は約99・9%。
議席数では保守は北村晴男氏(69)と百田尚樹代表(69)の2議席を獲得し、社民党の2議席と並んだ。
正午時点での社民の比例票は約121万票(2・1%)で、政治団体「チームみらい」の約151万票(2・6%)を下回っている。
政治団体「NHK党」は約68万票で得票率1・2%。

参院選の全125議席が確定、自公は47議席 国民は17、参政は14議席で大きく伸ばす
2025/7/21 9:11
https://www.sankei.com/article/20250721-MH7C7LJ5WBCG3FHUH2ZQHRJCAY/?outputType=theme_election2025
第27回参院選は2025年7月21日、124の改選議席と非改選の東京選挙区の欠員補充を合わせた全125議席が確定した。
自民党は改選52議席から39に激減。
改選14議席から8となった公明との合計は47議席で、非改選75と合わせても参院の過半数125を割り込んだ。
国民民主党は改選4から17に、改選1だった参政党は14に、共に大きく増やした。
各党の獲得議席は次の通り(カッコ内は順に選挙区、比例代表の議席)。
自民党=39(27、12)
立憲民主党=22(15、7)
国民民主党=17(10、7)
参政党=14(7、7)
公明党=8(4、4)
無所属=8(8、0)
日本維新の会=7(3、4)
共産党=3(1、2)
れいわ新選組=3(0、3)
日本保守党=2(0、2)
社民党=1(0、1)
チームみらい=1(0、1)

日本保守党が参院選2議席目、百田尚樹代表が当選 昨年10月に党を設立
2025/7/21 9:00
https://www.sankei.com/article/20250721-PPVDCWHGBZD5ZCTBVZ3ORUKJQA/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選の比例代表で、日本保守党の百田尚樹代表の当選が2025年7月21日決まった。
同党の参院選の当選者は弁護士の北村晴男氏に続いて2人目。
百田氏はテレビの放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手掛けた。
平成18年、50歳の時に先の大戦の特攻隊員を主人公にした「永遠の0」で小説家デビュー。
石油元売り大手の出光興産創業者をモデルにした「海賊とよばれた男」で第10回本屋大賞を受賞した。
令和5年10月に、ジャーナリストの有本香氏らと共に日本保守党を設立。
昨秋2024年秋の衆院選では3議席を獲得した。

<主張>参院選で与党大敗 「石破自民」は否定された 民意受け首相は直ちに退陣を
社説
2025/7/21 5:00
https://www.sankei.com/article/20250721-MOZKWAAVJZKCBFG3HP4BFABQ7Q/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党、公明党の与党は議席を大きく減らし、大敗を喫した。
一方で、新興の参政党が、選挙戦後半で急速に支持を伸ばして躍進した。
国民民主党も議席を大幅に伸ばした。
今回参院選は事実上の政権選択選挙とされた。
昨年2024年の衆院選で与党が過半数割れし、少数与党政権となっていたからだ。
石破茂首相(自民総裁)は憲政の常道に則り、衆院選後に直ちに辞任すべきだったが続投した。
だが、有権者は参院選でも厳しい審判を下し、
「石破政治」
を拒んだと言える。
■政権運営を任せられぬ
それにもかかわらず、石破首相は2025年7月20日夜、
「比較第一党の責任をよく自覚しなければならない」
などと述べ、続投の意向を表明した。
だが、衆院選で自ら設定した勝敗ラインを割り込み、参院選でも大敗した首相に国の舵取り役は任せられない。
野党各党も、居座りを決め込む石破首相に協力することはあるまい。
求心力を失った首相がトランプ米政権との経済交渉をやり抜くことなど望むべくもない。
首相も森山裕自民幹事長も潔く辞任すべきだ。
自民は新総裁を選出し、再出発を図るときである。
参院選では、自民を長年支えてきた岩盤支持層が離れ、参政など他の政党へ流れた。
背景には、石破首相が外交安全保障で率先して国民を守る姿勢を示さなかったことがある。
内政でも、物価高対策が評価されなかった他、リベラル傾向を見せた点も理由となった。
外交、安全保障を巡って石破首相は先頭に立って働かなかった。
日米関税交渉では、閣僚協議ばかりを重ね、首相自身はトランプ米大統領とのトップ交渉から逃げた印象は否めない。
北大西洋条約機構(NATO)首脳会議も欠席した。
対中姿勢もあやふやだった。
選挙期間中、東シナ海上空で中国軍機が航空自衛隊機に異常接近したり、中国に不当に拘束されたアステラス製薬の日本人社員に実刑判決が下されたりした。
にもかかわらず石破首相は強く抗議しなかった。
片方の親と子の
「強制的親子別姓」
を意味する選択的夫婦別姓制度を巡り、首相も自民もその危うさを論じなかった。
憲法改正問題では、自民は衆院憲法審査会会長のポストを改憲に慎重な立憲民主党の枝野幸男元代表に明け渡した。
安定的な皇位継承策を巡っては男系継承という最重要原則を踏まえた立法府の総意形成が急務であるにもかかわらず、首相がリーダーシップを発揮して調整に動いた形跡はない。
物価高対策では迷走の末、批判も多い給付金に飛びつくという節操のなさを示した。
保守的な支持層に愛想を尽かされるのは当然だ。
無党派層と共に、
「石破自民」
を見限った岩盤保守層の受け皿となったのが、結党わずか5年の参政だ。
■参政が保守の受け皿に
参政は選挙戦で外国人対策を前面に打ち出した。
在留外国人数が過去最多となる中、外国人を巡る犯罪や迷惑行為が目立つようになった。
外国人対策が国政選挙で争点になったのは初めてだろう。
対策が急務の課題である。
参政は
「日本人ファースト」
を掲げ、
「行き過ぎた外国人受け入れ」
に反対の姿勢を鮮明にした。
外国人労働者の受け入れ制限や、外国人による土地・不動産購入への制限を訴えた。
また、伝統的な家族観を守るため選択的夫婦別姓制度の導入に反対し、LGBT理解増進法の撤回も掲げた。
国民民主は
「手取りを増やす」
ことを重点的に訴え、議席を大幅に伸ばした。
ただし、通常国会後半で選択的夫婦別姓導入の法案を提出するなどして保守層から失望された。
保守層への浸透で参政の後塵を拝した形だ。
立民に勢いがあったとは言えない。
選挙区選挙で勝ったところも、自民や参政などに保守票が分散した結果、相対的に優位に立った側面がある。
野党第一党にもかかわらず、与党への不満の最大の受け皿とならなかった。
自民に、民主党から立民にいたる野党第一党が対峙する構図が崩れた意味合いは大きい。
公明、共産党は支持層高齢化などで苦戦した。
大半の既成政党は激変に晒されている。
政治の地殻変動が始まった。

<産経抄>マイク納めが象徴した参政党の躍進 「山が崩れた」自民党
2025/7/21 5:00
https://www.sankei.com/article/20250721-KNEEPDUJ6JOLTIPKNWVJAW4DAM/
昭和、平成、令和と無駄に長く記者稼業をやっていると、国政選挙の勝敗は、開票前日には分かるようになる。
選挙運動最終日の夜に行われる
「マイク納め」
を見ればいいからだ。
▼勝つ政党と負ける政党とでは、党首と詰めかけた支持者が醸し出す熱気が違う。
政権交代が決まった16年前の2009年衆院選では、東京・池袋駅を挟んで東口で自民党が、西口で民主党がマイク納めをしたが、西口では鳩山由紀夫代表の一言一言に地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こった。
▼東口では麻生太郎首相が熱弁を振るったが、拍手はまばらだった。
全盛期の安倍晋三政権では、秋葉原駅前で選挙戦を終えるのが常だった。
支持者だけでなく、
「アンチ安倍」
派も多数詰めかけ、異様な盛り上がりを見せ、自民党は常に勝っていた。
▼今回盛り上がったマイク納めは、参政党と国民民主党だった。
特に参政党は芝公園に2万人もの支持者を集めたが、
「参政党はJナチス」
といったプラカードを掲げた
「アンチ参政党」
の人々も多かった。
参政党の神谷宗幣代表は、
「なぜ支持が伸びたか(アンチの)皆さんが叩いたからですよ」
と発言し、皮肉交じりに
「アンチ」
に感謝していた。
とはいえ、支持者とアンチの人々はしばしば一触即発の状態になっており、両者に
「対話」
はなかった。
▼36年前の1989年参院選も自民党は大敗し、社会党委員長は
「山が動いた」
と豪語したが、遂に山そのものが
「崩れた」
のではないか。
物価高騰や法外なトランプ関税に加え、外国人による土地やマンション買い占めに無策の石破茂政権への失望が、自民党の
「岩盤支持層」
を崩落させてしまったのだ。
好むと好まざるとにかかわらず、日本にも
「分断」
の時代がやってきた。

躍進の参政党、自公との連立否定 参院選を席捲…選挙戦の争点すら変える
2025/7/21 1:12
https://www.sankei.com/article/20250721-A3ZRXZNFWBILZMPTQPX7CISTCU/?outputType=theme_election2025
参政党は議席の大幅な伸長が確実となった。
「日本人ファースト」
を掲げて減税と積極財政や外国人の受け入れ制限などを訴え、幅広い層から支持を得た。
グローバリズム是正の主張は賛否両論を呼んだが、選挙戦の争点すら変えた。
参政の神谷宗幣代表は2025年7月20日夜、産経新聞の取材に応じ、政権との距離について
「現時点で与党と組むことはない」
「仲間が増えるので、まずは次の衆院選に向けた態勢をしっかり固めていきたい」
と語った。
選挙中に訴えたスパイ防止法案の国会提出に向け、党内に準備を指示したと明らかにした。
非改選と合わせて11議席以上が確実になり、参院で予算を伴わない法案の提出が可能になった。
参政は2025年6月の東京都議選で初めて議席を獲得し、知名度を上げた。
参院選の公示直前に無所属の参院議員が入党したことで公職選挙法の政党要件を満たし、テレビ討論会などで主張を宣伝する機会が増えた。
参院選の争点は当初、減税やコメ政策だったが、神谷氏は外国資本による土地取得や企業買収の規制などを主張。
既存政党は
「排外主義」
と批判したが外国人政策の明確化を迫られ、与野党の主要争点となった。
参政は設立当初はインターネット中心の政治活動だったが、2025年6月末時点で全国に287支部を持ち、党員・サポーターは約7万5千人を抱える。
この足腰を生かし、参院選では全45選挙区に候補を擁立。
単純明快な主張は自民党を支えていた岩盤保守層を切り崩し、就職氷河期世代や無党派層、主婦層にも食い込んだ。
参政の姿勢は既存政党から
「分断を煽る」
と攻撃を受ける。
衆院では3議席にとどまり、政策実現に向けた動向が注目される。

国民の不安に応えられなかった自民党の自壊 政治ゲームはやめるべきだ 政治部長・酒井充
2025/7/20 22:44
https://www.sankei.com/article/20250720-5NKN2D6JGFI3JFPXRUCVBHF2VQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗は起こるべくして起こった。
国民の不安に参院選の最後まで応えられなかったからだ。
物価高による生活不安、少子化や年金に関する将来への不安、外国人にまつわる日常の不安、軍拡を強める中国などによる安全保障環境への不安。
全て石破茂政権の責任というわけではないが、政治は結果である。
あさましさも露呈した。
例えば外国人問題だ。
突如、公約に
「違法外国人ゼロ」
を掲げ、政府は選挙戦中に司令塔組織を新設した。
外国人犯罪や外国人の土地取得、訪日観光客急増に伴う軋轢は前から問題視されており唐突感が否めない。
石破政権では憲法改正の議論が進まず、安定的な皇位継承への対応も結論を先送りし、選択的夫婦別姓を推進するかのような姿勢を示した。
保守層の支持をつなぎとめるため、急に外国人問題に飛びついたという魂胆が見え見えだった。
そもそも昨年2024年の衆院選で与党過半数割れを招いた石破首相は政権を担う資格を欠いていた。
責任を取らず続投した首相の発言や政策は変節を繰り返した。
それでも、首相続投を容認し続けたのは自民であり、今回の事態は自業自得である。
伸長した野党も心許ない。
公約で廃止とした安保関連法の違憲部分を説明できない立憲民主党の野田佳彦代表らに政権を委ねられるのか。
バラバラの野党による
「民主党政権の悪夢」
が再現すれば、国民の不安は更に増すだろう。
日米関税交渉も含め今後も国民の不安の種は尽きない。
もう政権の枠組みを争う悠長な政治ゲームをやっている場合ではない。
ツケを払わされるのは国民なのだ。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/750.html#c67

[政治・選挙・NHK297] 改めてどうにもならない自民党 反省も下野もせず党内抗争のグロテスク(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1766] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月29日 08:05:24 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1204]
<■2001行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<主張>自民両院懇 続投表明の説得力ゼロだ
社説
2025/7/29 5:00
https://www.sankei.com/article/20250729-LWRLVT7QTNKJHP6ZEVWSMWUUCI/
石破茂首相(自民党総裁)は、参院選を受けた党両院議員懇談会で続投を重ねて表明した。
「政治空白を生むことがないよう責任を果たしていきたい」
と述べた。
座りが政治の機能不全を招き、空白を生じさせることが分かっていない。
森山裕幹事長ら党執行部の幹部が責任を取らないのもおかしい。
森山氏は参院選を検証する委員会で2025年8月中に報告書をまとめ、自らの責任を明らかにする考えを示した。
これでは遅すぎる。
検証は新執行部でも十分できる。
石破首相が語った続投理由は説得力に欠ける。
参院選で示された民意を尊重し、1日も早く退陣を表明すべきだ。
懇談会では退陣論が多数を占め、続投を求める声は少数だったという。
当たり前の話だ。
退陣要求は自民の地方組織の間でも広がっている。
茂木敏充前幹事長も2025年7月26日、
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べ、辞任を迫った。
石破首相は日米関税交渉の合意を受けた対応に万全を期す考えを示したが、これも首相続投の理由にはなり得ない。
新首相が赤沢亮正経済再生担当相を起用すれば、交渉の継続性は確保できる。
関税の影響を受ける企業への対応や物価高対策を含む補正予算案の編成が、2025年秋の臨時国会に向けた課題となっている。
だが、参院選で大敗した石破首相がこれを行う道理はない。
石破首相はトランプ米大統領と直接交渉をしてこなかった。
今回の合意後、トランプ氏と電話会談さえしていない。
このような首相は不要である。
懇談会ではなく、議決権のある両院議員総会の開催がまず必要だ。
総会開催を求める党中堅・若手議員の署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
早期に提出してもらいたい。
党則に従えば、有村治子両院議員総会長が7日以内に招集できる。
自民は総裁選前倒しを決め、総裁交代と首相退陣につなげていくべきである。
これは自民の党勢のみならず民意と議会制民主主義を守るために必要だ。
石破首相が引き続き政権を担いたいなら、立候補して勝てばよいではないか。

自民、両院総会開催の方向 懇談会で首相「意見踏まえ適切に判断」 擁護する意見は少なく
2025/7/28 22:28
https://www.sankei.com/article/20250728-4G4X4VYDDNMHJGGNGBWI4B2434/
自民党は2025年7月28日、与党が過半数割れの大敗を喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開いた。
石破茂首相(党総裁)は
「政治空白を生まないよう責任を果たしたい」
と続投の意向を重ねて示した。
ただ、出席者によると、首相を擁護する意見は一部にとどまり、首相の続投に否定的な意見が多数を占めた。
首相は懇談会後、記者団に
「意見を踏まえ適切に判断したい」
と述べた。
森山裕幹事長は懇談会後、2025年7月29日の党役員会で、正式な議決機関である両院議員総会を開催する方向で協議する考えを記者団に示した。
首相は懇談会冒頭、参院選の大敗について
「多くの議席を失った」
「深く、心からお詫びする」
と陳謝した。
続投の理由に関しては
「日米関税交渉の合意が着実に実行されるよう万全を尽くしたい」
と説明した。
森山氏は2025年8月中を目途に参院選の総括報告書を取りまとめた段階で
「責任を明らかにする」
と述べ、辞任の可能性を示唆した。
懇談会は首相と森山氏の冒頭発言の後は非公開で行われた。
出席者によると、首相に対し、退陣を迫る意見が相次いだ。
参院ベテラン議員は
「即刻辞任」
を求め、
「ポスト石破」
候補の1人と目される衆院中堅議員は
「国民から最後通告を突き付けられている」
と指摘した。
少数ながら
「首相個人ではなく党全体の問題」(衆院ベテラン議員)
などと首相を擁護する意見もあった。
懇談会には所属議員の7割以上にあたる236人が出席し、64人が意見を述べた。
当初予定の2時間を大幅に超え、約4時間半に及んだ。
執行部が懇談会を開いたのは党内の首相への批判を
「ガス抜き」
する狙いもあったとみられるが、
「石破降ろし」
が収まる気配はない。
旧安倍派などの議員は両院議員総会の招集に必要な数の署名を集めたと主張しており、旧茂木派の笹川博義農林水産副大臣は国会内で記者団に
「2025年7月29日以降、署名を提出したい」
と語った。

「石破降ろし」勢い止まらず 自民、両院懇で亀裂表面化 幹事長辞任示唆で政権運営厳しく
2025/7/28 22:26
https://www.sankei.com/article/20250728-5ZQOWZQD7BOQTBRT4EWANKOPFY/
参院選の大敗を受けた2025年7月28日の自民党両院議員懇談会は石破茂首相(党総裁)に対する責任論が噴出し、党内の亀裂が表面化した。
多くの党所属議員から退陣を迫られても尚、首相が当面の続投意欲を示したことで
「石破降ろし」
の動きが加速する見通しだ。
石破政権を支えてきた森山裕幹事長が辞任の可能性を示唆し、政権維持は更に厳しくなる。
■「総会」開催求める声相次ぐ
首相は4時間半に及んだ懇談会後、記者団に続投方針に変わりはないか問われると
「ございません」
「責任を果たしていきたい」
と強調した。
衆院選で与党過半数割れに追い込まれても首相の責任論が一部にとどまった昨年2024年11月の懇談会とは異なり、今回は異様な緊張感に包まれた。
参院選の大敗は首相1人の責任ではないとして続投を支持する意見も一部であったが、即時退陣や、「ガス抜き」の懇談会ではなく、重要事項を決めることができる両院議員総会の開催を求める意見が相次いだ。
小林鷹之元経済安全保障担当相は首相に対し
「組織のトップとしての責任の取り方について、しっかり考えて頂きたい」
と求めた。懇談会後、小林氏が記者団に明らかにした。
■「総裁選前倒しへ全力尽くす」
旧安倍派、旧茂木派、麻生派などの有志議員が始めた総会開催を求める署名活動は、既に要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたとされ、懇談会を受けて近く署名を提出する構えだ。
更に、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求で可能となる総裁選の前倒し実施も視野に入れる。
麻生派の今枝宗一郎衆院議員は、記者団に
「辞任をし、総裁選を前倒しするということを(首相に)いち早く表明してもらうよう全力を尽くしていく」
と強調した。
政権の屋台骨を支える森山氏が2025年8月にも辞任する可能性を示唆したのは、党内の反発を和らげる狙いがある半面、首相にとっては痛手だ。
森山氏は衆院で少数与党に陥る中、政策決定や野党との調整など国会運営で大きな役割を担ってきた。
辞任すれば政権運営は立ちいかず、首相は更に窮地に追い込まれる。
ただ、首相は現時点では退陣要求に応じず、むしろ党内や世論の擁護論を背景に態度を硬化させているようにも映る。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、首相は
「辞任すべきだ」

「辞任しなくてよい」
との意見が拮抗した。
「国民世論と我が党の考え方が一致することが大事だ」。
首相は記者団にこう述べ、強気な姿勢を覗かせた。

「石破首相が『80年談話』出せば自民党終わる」安倍元首相のブレーン、本田悦朗氏断じる
2025/7/28 18:10
https://www.sankei.com/article/20250728-HHZXETZT7ZFZXEND5LMKXZ5K6I/?outputType=theme_election2025
第2次安倍晋三内閣で安倍元首相の経済ブレーンとして経済政策「アベノミクス」を推進した一人、本田悦朗元内閣官房参与が、自らのX(旧ツイッター)で、石破茂首相(自民党総裁)は参院選大敗の責任を取り辞任すべきだ、と繰り返し投稿している。
日米関税交渉の「合意」についても厳しい言葉を投げかけている。
■「石破総理の存在自体が、深刻な政治空白」
「石破総理の存在自体が、日本にとって深刻な政治空白」
「一体、何回負けたら国民の期待に少しでも近い人を総理にして、解散総選挙を打つ気になるのか」
「自民党の大敗は、安倍総理を支えた保守岩盤層が、見限ったから」
「国民の審判が下った以上、理念と政策を正し、国民に説明するか、自ら辞任する責任がある」
本田氏は参院選から一夜明けた2025年7月21日、こう発信した。
2025年7月25日には
「石破総理には直ちに辞任する以外の選択肢はない」
「国民は、3度の国選で石破氏を信任しなかった」
「自らの保身のために判断が揺れ続ける人に、この悠久の国のトップが務まるはずがない」
「終戦の日に『80年談話』を出して謝罪するようなことがあれば、自民党政治は終わる」
と牽制した。
■「トランプ氏は居座りの口実与えないため関税合意」
トランプ米政権と合意したとされる日米関税交渉についても、厳しくこう石破氏を評した。
「石破氏は地位にしがみつく為に、あらゆる屁理屈を並べる」
「日米関税交渉もその例」
「トランプ氏は居座りの口実を与えないために選挙後、間髪入れず合意」
「合意文書もなく、米側のファクトシートのみ」
「愛国者なら米国に従属国扱いされて直ちに辞任」
(2025年7月26日)
翌2025年7月27日には
「日米関税協議での『合意』なるものは、その体を成していない」
「米側でファクトシートを作っているとのことだが、日本側は同意していない」
「日本側には、ファクトシートさえ存在しない」
「これでは、合意の基礎となる立法事実が分からないし、何を合意したのかさえ分からない」
と、石破政権への怒りをぶつけた。

「次の首相」高市氏が首位返り咲き 自民支持層では小泉氏、石破首相に次ぐ3位
世論調査
2025/7/28 11:45
https://www.sankei.com/article/20250728-3E3O5WTPBJME7EU6SA7N7ZROPA/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、次の首相にふさわしい政治家を尋ねたところ、自民党の高市早苗前経済安全保障担当相が22・4%でトップとなった。
自民の小泉進次郎農林水産相が16・0%、石破茂首相が9・4%で続いた。
前回の6月調査では、備蓄米放出などの対応で注目を集めていた小泉氏が首位だったが、高市氏が5月調査以来の首位に返り咲いた。
4位以下は、国民民主党の玉木雄一郎代表6・8%▽立憲民主党の野田佳彦代表4・2%▽自民の河野太郎元外相と林芳正官房長官4・1%−などの順だった。
一方、自民支持層に限ってみると上位は入れ替わり、小泉氏が29・7%でトップとなった。
次いで石破首相が20・1%、高市氏は17・8%だった。
林氏が8・4%で続いた。
年代別にみると、70歳以上の区分では小泉氏が首位に立ったが、それ以下の区分ではいずれも高市氏がトップだった。
調査では与野党の計12人を選択肢として示した。
「この中にはいない」も21・2%あった。

自民・西村康稔氏「ケジメは必要、総裁選やるべき」石破首相にXで「党再生に生かすべく」
2025/7/28 13:38
https://www.sankei.com/article/20250728-6JLSPDE5URFAXIXUNTYYDU32XI/
自民党の西村康稔元経済産業相は27日、X(旧ツイッター)で、党員・党友投票を含めた「フルスペック」での総裁選実施の必要性を強調した。
石破茂首相(党総裁)について
「選挙で3連敗した責任は有耶無耶にできないし、すべきでもない」
「ケジメは必要であり、とにもかくにも総裁選をやるべき」
と訴えた。
首相を巡っては昨年10月の衆院選、今年6月の東京都議選、7月の参院選で敗北を喫した。
一方、26日のNHK番組収録では
「行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と続投を強調している。
西村氏は首相について
「もし使命感を感じておられるなら、むしろ総裁選に立候補し勝利して党内の基盤を確固たるものとすることを目指すべきではないか」
と指摘し、総裁選を通じて党内の信任を得る必要があると強調した。
西村氏は
「ケジメを付けなければ国政の停滞は避けられず、民意を真正面から受け止めて党再生に生かすべく、総裁選が必要と考える」
と重ねて訴えた。

「自公+野党」政権望む声26・3% どの野党かは意見が分散、国民民主が最多27・5%
世論調査
2025/7/28 14:26
https://www.sankei.com/article/20250728-2X3YRKD3LVKFREHWJKZ37M2HLQ/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、今後の望ましい政権の枠組みについて尋ねたところ、
「自民・公明両党に野党の一部が加わった政権」が46・3%
と、新たな連立を望む意見が最多を占めた。
「現在の野党中心の政権に交代」が34・1%、
「自公による政権の継続」は13・9%
にとどまった。
新たな連立がよいとした回答者に対し、政権に加わってほしい政党を尋ねたところ、国民民主党が27・5%、日本維新の会が21・7%、立憲民主党が21・3%と、主要野党がほぼ並んだ。
参院選で躍進した参政党は11・7%で、「その他の政党」は9・8%だった。

自民党が午後に両院懇談会を開催、「石破降ろし」収まらず 首相ら執行部の責任論も
2025/7/28 6:53
https://www.sankei.com/article/20250728-3NAKGRX47BKOBHFEBRJGG7N56Y/
自民党は2025年7月28日午後、与党の過半数割れを喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開く。
石破茂首相(党総裁)は、続投を表明した意図を説明する見通し。
党内では、首相に退陣を迫る
「石破降ろし」
が収まらず、説明次第では旧安倍派や旧茂木派の議員を中心に執行部の責任を問う声が強まりそうだ。
懇談会では、森山裕幹事長も発言する。
森山氏は首相の続投を支持する一方、森山氏の責任を問う声もある。
2025年7月28日は参院議員(2019年選出)の任期満了日で、参院選の落選議員も出席対象になっており、首相に直接辞任を求める可能性がある。
首相は2025年7月26日のNHK番組収録で
「自分自身のことを考えれば色んな判断があるが、行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と述べ、続投に重ねて意欲を示した。
一方、旧安倍派や旧茂木派、麻生派の有志議員は、党の正式な議決機関
「両院議員総会」
の招集に必要な数の署名を集めたと主張。
提出する場合は、総裁選の前倒しを求める議決を提案する方針だ。

<主張>自民党 首相交代で民主主義守れ
社説
2025/7/28 5:00
https://www.sankei.com/article/20250728-A4WCSKFKXRMW7P3MJDRBAJ3H4M/
自民党の高知県連など地方組織から石破茂首相(党総裁)の退陣を求める声が相次いでいる。
党青年局など国会議員も同様の声を上げ始めた。
党中堅・若手が中心となって進めてきた両院議員総会の開催を求める署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
自民執行部は2025年7月28日に両院議員懇談会を開催する予定だが、不満のガス抜きをするだけではだめだ。
署名の重みを受け止め、議決機関である両院議員総会に格上げしなければならない。
石破首相がその場で退陣表明をしなければ、総裁選の開催を議決すべきだ。
いまだに退陣を表明していないのは、国政選挙で示された民意を踏みにじるもので、到底許されない。
自民の国会議員と都道府県連は、国政選挙で明確に示された民意と議会制民主主義を守るため、早期の党総裁交代と首相の退陣を必ず実現させなければならない。
自浄能力が問われていることを、もっと自覚してもらいたい。
このままでは自民は国民から見放されよう。
公明党も同様だ。
斉藤鉄夫代表は2025年7月25日、
「自民党として、しっかりと石破首相を支える体制で野党との協議に臨むことが、(日米)関税交渉を力強く進める上で必要だ」
と述べた。
石破首相の続投を改めて容認した発言と言える。
公明は民意を無視するつもりなのか。
自民には党則にリコール(解職請求)規定がある。
党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁選の前倒しを行うと定めている。
石破首相がこのまま居座りを決め込み、執行部が総裁選を実施しないなら、国会議員や都道府県連が取るべき行動は1つだ。
党則に基づき、総裁選の実施を求める署名活動を本格化させることである。
野党第一党の立憲民主党も役割を果たしてもらいたい。
他の野党と連携して、内閣不信任決議案をできるだけ早期に提出しなければならない。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
と石破首相を批判している。
そうであるならば、不信任案提出に動く時である。
議会制民主主義を守る責務は野党にもある。

老舗革新政党の共産、社民 参院選で落日鮮明 高齢化で「時代遅れ」に
2025/7/27 21:47
https://www.sankei.com/article/20250727-GUF6TWAVKJM7LK3WKGRMRIIU6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選では参政党の躍進が注目された一方、社民党、共産党という老舗の革新系政党の落日が鮮明となった。
両党の苦境は支持者の高齢化に加え、特定の政治思想の実現を目指すイデオロギー政党が
「時代遅れ」
になったことが原因とも指摘される。
共産の小池晃書記局長は2025年7月27日のNHK番組で、党勢回復に向け
「党の地力を大きくしていくことが一番の課題だ」
と語った。
共産は参院選で獲得8議席以上の目標を掲げたが、結果は3議席。
牙城だった京都選挙区(改選数2)を落とした。
特に比例得票数は、目標の650万票はおろか令和4年参院選に比べ75万票少ない286万票にまで落ち込み、れいわ新選組や日本保守党の後塵を拝した。
田村智子委員長は2025年7月21日の記者会見で
「大変悔しく残念な結果だ」
と述べる一方、衆参両院での与党過半数割れは
「日本の政治にとって大きな前向きな変化」
と自賛した。
かつて共産は国政選挙で全選挙区に候補者を擁立するほどの力があった。
力の源泉は党員を軸とした組織力と財政力だったが、党員数はピークの平成2年の約50万人から昨年2024年は約25万人に半減。
平成10年参院選では比例で819万票を得票したが、今は見る影もない。
対策は講じてきた。無党派層も取り込もうと、平和16年に綱領を改定し、
「天皇の制度」
と自衛隊を当面存続させる方針を打ち出した。
平和27年に成立した安全保障関連法をきっかけに当時の民進党などとの
「野党共闘」
路線を選んだ。
昨年2024年の衆院選では一転、比例票を積み増す狙いから選挙協力を限定したが、振るわなかった。
党職員は
「党員は高齢者ばかり。若者は共産党を知らない」
と嘆く。
社民党は更に深刻だ。
自民と
「55年体制」
の一角を担った社会党を源流とし、平和6年の自民、社会党、新党さきがけによる
「自社さ政権」
では、社会党の村山富市委員長が首相に就いた。
村山氏は日米安保体制の堅持や自衛隊合憲、日の丸・君が代を容認し、従来の方針を大転換した。
平和8年1月に社民党に党名を変更した後、一部の議員は民主党の結成に加わり分裂。
社会党を支えてきた労働組合も離れていった。
今回の参院選では
「がんこに平和! ミサイルよりコメを!」
を掲げ、公示直前にタレントのラサール石井氏を擁立。
比例得票で2%超を確保し、政党要件を辛うじて維持した。
福島瑞穂党首は2025年7月21日、
「有権者が『社民党、残ってくれ』と思ってくれた」
と話したが、党を巡る厳しい情勢は変わらない。

「外国人犯罪は増えていない」と「困っている人が1人でもいれば」は矛盾しないか
メディアウォッチ 皆川豪志
2025/7/27 13:00
https://www.sankei.com/article/20250727-WQWXJDB725CCVBKKZNY53E4AEE/
先の参院選で
「日本人ファースト」
を掲げ、外国人問題を争点にした参政党が躍進したことで、テレビ各局の選挙特番のキャスターやコメンテーターたちは、何となく居心地が悪そうというか、出来ることならあまり取り上げたくないという感じがありありだった。
それでも触れざるを得ない場面が来ると、被せるように紹介していたのが法務省の
「犯罪白書」
による
「外国人犯罪は増えていない」
というデータだ。
これは今、新聞など他のメディアでも
「ファクトチェック」
などと称して盛んに使われている。
外国人が増えたからと言って犯罪が増えているわけではなく、
「参政党が主張するような外国人問題などない」
というメッセージなのだろう。
■「差別主義者」が突然増えたのか
簡単に紹介すると、日本にいる外国人の数は2004年の197万人から2023年の377万人と2倍近くに増えているが、同時期に刑法犯で検挙された外国人数は1万4766人から9726人と30%以上減っているというものだ。
確かにその通りなのだろう。
では何故、実際に外国人問題が選挙の争点になり、参政党などが票を伸ばし、与党自民党も
「違法外国人ゼロ」
などと言って、この問題に本腰を入れるようになったのだろうか。
外国人問題などないのに、日本国民の中に突然
「差別主義者」

「排外主義者」
が大量に増えたとでも言うのだろうか。
例えば、一部クルド人との軋轢やトラブルに悩んでいる埼玉県の川口市民にこのデータを見せたとして
「そんなに少ないのですか」
「じゃあ私の勘違いでした」
とは思わないはずだ。
直接困っている人だけではない。
身の回りに増えている外国人に対して不安な気持ちを抱いている人がこのデータを見ても
「犯罪が減っているなら安心だ」
「不安に思ってすみません」
とはならないだろう。
もちろん客観的なデータを示すのは大事である。
ただ、人間の自然な感情に対してデータで頭ごなしに押さえつけても、納得するどころか、自身の経験や肌感覚が否定されたと思うだけで何の解決にも繋がらないと思う。
外国人を差別したい人が増えているのではなく、実際にトラブルを抱えていたり、ルールを守らない外国人をきちんと取り締まってほしいと思っていたりする人が増えていることが、何故メディアから煙たがられなければならないのだろうか。
そもそもこのデータは外国人の
「検挙数」
であり、何かのトラブルがあって警察が出動して逮捕するなど、実際に何らかの事件になった数である。
近隣の騒音やゴミ出しの苦情、暴走行為などで110番通報する人は余りいない。
あったとしても余程のケースでなければ事件化されることもない。
むしろ近隣の騒音などは、日本人同士でも警察沙汰にして逆恨みされるぐらいなら呼ばないほうがいいと普通は考えるものである。
敢えて強調はしないが、身近なトラブルは無視されている数字に等しい。
そうしたデータに表れない問題について、実際に住民の声を聞いてニュースや記事に生かすのがメディアの役割だと思うが、残念ながらこの件に関しては法務省発表だけを一方的に流している。
■「困っている外国人」は探す
データ重視というなら、産経ニュースが報じているように川口市民の半数が
「治安が悪い」
と感じ、その割合が年々上昇しているという市の意識調査もあるが、そちらは決して報じない。
いわゆる
「体感治安」
の悪化が見て取れる数字である。
ただ、このデータにしても逆に市民の半数は
「治安が良い」
と感じているとも取れるし、 先の法務省のデータにしても、同時期の殺人などの凶悪犯は逆に約1.5倍に増えている。
つまり、複雑な問題について1つのデータだけを根拠に一刀両断にしてしまうのはそもそも無理があるのだ。
よく、一部メディアは、日本国民の中でもかなりレアなケースを探し出して来て、
「こんなに困っている人がいる」
と主張している。
隠れた問題を取材して明らかにするのが報道の役割でもあるので、その心意気はよいと思う。
ただ、外国人問題に関しては
「困っている外国人」
は探してきても、
「困っている日本人」
は何故か探さないのだ。
テーマは全く異なるが、国会で選択的夫婦別姓法案が議論になっていた時、立憲民主などの野党や一部メディアは
「別姓で困っている女性が大勢いる」
との論陣を張っていた。
ところが、アンケートなどで別姓賛成派が3割程度だったことや旧姓使用の拡大が進んでいることなどが指摘されると
「困っている人が1人でもいるなら」
「少数意見にも寄り添うべき」
などと言い出した。
「1人も置き去りにしない社会」
は彼らの常套句でもある。
仮に外国人問題で困っている人が本当に少数だったとしても、是非真剣に寄り添ってほしいと思う。

天命は下った…石破茂総理は速やかに退陣せよ 自民は「保守回帰」以外に再生への途なし
【疾風勁草】(24) 弁護士・高井康行
2025/7/27 7:00
https://www.sankei.com/article/20250727-RZZQ7GHBEROJDCBTLNRVQ2YHHY/
■国民を自分の権力欲の巻き添えに
先の参院選で大敗した石破茂総理の退陣を求める声が澎湃として沸き起こっている。
自民党の地方組織から退陣を求める声が上がり、両院議員総会の開催を求める署名集めも進められる中、今月2025年7月25日には、中曽根康隆青年局長から石破総理ら党執行部の総退陣を求める申し入れ書が提出された。
石破総理が当時の故安倍晋三総理に対抗する際の足場としていた地方からも退陣を求める声が出ている状況を見ると、まさに
「四面楚歌」
という思いがする。
しかし、石破総理は容易には退陣表明はしないだろう。
なぜなら、彼は天命によって総理総裁になったと思っているからだ。
以前にもこのコラムで取り上げているが、石破総理はその著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)の中で、
「もし、私などが首相になるようなことがあるなら、それは自民党や日本国が大きく行き詰まったときなのではないか」
「しかも、それは天が決めること」
「天命が降りない限り、それはあり得ないことでしょう」
と言っている。
中世の絶対王政時代に生まれた王権神授説を思い出させるような言説だ。
石破総理は、当時続いていた日米関税交渉、いつ起きるか分からない首都直下型地震や南海トラフ地震などを理由に続投を宣言したが、その後、日米関税交渉は一応の決着を見た。
最も大きな続投理由はなくなったと言ってよい。
地震などの自然災害を理由にするに至っては噴飯ものと言わざるを得ない。
いつ起きるか分からない自然災害が続投の理由になるなら、全ての総理・総裁は選挙でいくら大敗しても退陣する必要はないことになる。
恥も外聞もかなぐり捨てて、総理・総裁の地位にしがみつこうとする姿は醜悪という他ない。
石破総理は前掲書でこうも言っている。
「ただ、天命が下った時に能力が足りないといういいわけは許されない」
「国民が巻き添えになるようなことがあれば、これまでの政治生活が全部無意味なものになる」
と。
今の状態で石破総理がその地位に固執することは、まさに国民を自分の権力欲の巻き添えにすることでしかない。
■毒が全身に回った自民党
昨年2024年の総選挙、今年2025年の都議選、そしてこの2025年参院選、いずれも、自民党は大敗した。
これは、有権者が、石破総理に総理・総裁としての能力が不足していると言っているに等しい。
これまでの政治生活を全部無意味なものにしたくないのであれば、速やかに退陣する以外に途はない。
民主主義社会においては、天命を下すのは民意なのだから。
では、もし、石破総理・総裁が退陣して新しい総裁が生まれたら、それだけで自民党が再生するのかと言えば、そんなことはあり得ない。
自民党は、これまでのように表紙を付け替えるだけで再生できるような状態ではなくなっている。
言わば毒が全身に回っているようなものだ。
毒とは自民党のリベラル化だ。
またぞろ、一部マスコミでは、次の総理は誰がいいかという人気投票が始まっているが、空疎なお遊びにしか見えない。
思い出してみれば、故安倍総理の時代に、次の総理として人気が高かったのは石破氏だった。
それを期待して総裁選で石破氏を総裁に選んで、総選挙に臨んだ結果が大敗だった。
自民党の議員は、そんな人気投票の結果ではなく、自分たちが大敗を続けている根本的理由・原因を突き止め、それを克服できる総裁を選ぶべきだ。
その結果、国会での首相指名選挙で野党に破れたら、潔く下野すればいいのだ。
それが憲政の常道というものだ。
それを嫌がり、単に政権党でいたいという理由だけで、首相指名選挙において野党の協力を得られるか否かで総裁を選ぶようなことがあれば、自民党に回っている毒は更に深く浸透し、党勢を回復することは極めて困難になるだろう。
■変化をつかみ躍進した参政党
参政党が躍進した理由には色々なことがあるだろうが、その大きな理由の1つとして、故安倍元総理がまとめていた岩盤保守層が自民党を保守政党と見做さなくなったことがあるだろうことは間違いない。
そして、今回、参政党に投票した保守層の中に、参政党を大きくすることにより、自民党の保守政党回帰を促そうとしている層があることも間違いない。
自民党が、参政党が躍進した理由をどう総括するか。
もし、SNSの使い方など選挙戦略、戦術が巧みだったとか、代表の演説がうまかったとかというような表層的な見方に終始するとしたら、大きな間違いを犯すだろう。
参政党は、社会の深層における変化を掴んだから躍進できたのだ。
それは左から右への大きな流れだ。
これまで自分たちより右の政党がなく、常に自分より左側の野党からの引力に晒されていたため、日本の社会が左へ左へと流れているように受け止め、その左の票を取り込むため、自分も左へ左へと移動した。
その結果、今や、自民党は本来の保守政党ではなくなった。
しかし、2022年のロシアのウクライナ侵略以来、日本社会の深層では左から右への流れが強くなってきていた。
故安倍総理亡き後、自民党はその流れに気づかず、逆の方向に動いていたことになる。
そして、その流れは参政党という噴出口を得て表に吹き出した。
安倍自民党時代であれば、自民党から出馬したであろうと思われる保守の論客が日本保守党や国民民主党などから出馬したという事実、昔であれば反自民の受け皿として勝ち組になったであろう立憲民主党が辛うじて改選議席数は維持したものの得票は大きく減らしたこと、共産党も議席数を減らしていることなどを見れば、左から右への流れは明らかだ。
昔であれば、そんな発言をすれば世間から袋叩きにあって当選することなどあり得なかった
「国防のためには核武装が安上がりだ」
という趣旨の発言をした候補者が、東京選挙区で堂々2位で当選したことが、そのことを象徴的に表している。
■自民保守派は「保守回帰」を先導せよ
この自民党と日本社会の流れの乖離が、それに気付いていない自民党に今回の大敗をもたらしたのだ。
今回、自民党青年局が党執行部に提出した申し入れ書には
「党が信頼を取り戻すためには、現場の声、そして幅広い世代の意見を確実に政策へと反映する体制への転換が不可欠」
とあるが、自民党が大敗した理由は、自民党の体制にあるわけではない。
的を外していると言うべきだろう。
自民党は、日本社会の深層における流れの変化を的確に把握し、本来の保守政党に回帰する以外に再生への途はない。
参政党の躍進を見ても、そのことに気付かないとすれば、自民党は時代に取り残されるだけだろう。
それを考えれば、自民党に残っている保守派の議員の責任は重い。
小異を捨て大同団結して、自民党の保守回帰の先導を務めるべきだ。
それでこそ、故安倍元総理の遺志を継ぐことができる。

【参院選】参政候補さや氏 核武装論主張「最も安上がり」安全保障政策を巡り
[2025年7月18日17時47分]
https://www.nikkansports.com/general/news/202507180000897.html
参政党公認で東京選挙区に立候補しているさや氏が、安全保障政策を巡り
「核武装が最も安上がり」
と発言したことが分かった。
立憲民主党の野田佳彦代表は2025年7月18日、広島市で記者団に
「特に広島、長崎では絶対に受け入れられない発言ではないか」
「党として許容する空気があるのか、有権者はよく見定めてほしい」
と批判した。
さや氏が発言したのは、日本テレビが2025年7月3日に配信したインターネット番組で
「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の1つだ」
と述べた。
その上で
「あの北朝鮮ですら核兵器を保有すると、トランプ米大統領と話ができる」
とも指摘した。(共同)

東京 選挙区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/13/

自民・茂木前幹事長、参院選大敗で石破首相の退陣要求 「3連敗でスリーアウトチェンジ」
2025/7/26 22:05
https://www.sankei.com/article/20250726-N527S5H7XVKDHOB35CT7DVJXLA/
自民党の茂木敏充前幹事長は26日に公開した自身のユーチューブ番組で、参院選の自民大敗を受け、石破茂首相(党総裁)の退陣を求めた。
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べた。
「衆院選、東京都議選、今回参院選で3連敗だ」
「スリーアウトチェンジの状態だ」
とも指摘した。
敗因として自民が国の将来像を語っていないと強調。
「けじめをつけることと再生への道はイコールだ」
「このまま行って自民が浮上することはない」
「政策を練り直さないと厳しい」
と訴えた。

石破首相「辞任すべきだ」自民都道府県連の幹部2割強 共同調査 「必要ない」は3人
2025/7/26 18:30
https://www.sankei.com/article/20250726-5M2FZ6II3VOZTBPGXSHLOHO6SI/
共同通信社は、参院選の自民党大敗を受け、党都道府県連の幹部に石破茂首相(党総裁)の進退に関する見解を聞き、調査結果を2025年7月26日、まとめた。
回答を得られた43都道府県連の幹部のうち、2割強の12人が
「辞任するべきだ」
と答えた。
理由として
「衆院選、東京都議選、参院選で3連敗した責任を取るべきだ」
(長野県連)
などを挙げた。
「辞任は必要ない」
との回答は3人にとどまった。
28人は
「分からない・無回答」
だった。
地方組織で首相の求心力が低下している現状が浮き彫りになった。
北海道連や栃木県連など複数の地方組織が首相の辞任を求める文書をまとめている。
山形県連も2025年7月26日、首相の退陣を党本部に求める方針を決めた。
調査は2025年7月24、25両日、国会議員を除く都道府県連幹部に聞き取るなどして実施した。
匿名を条件とした回答も結果に含めた。

<産経抄>石破首相の露骨な噓、教育に悪い国会
2025/7/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20250726-ABDSSD2ED5PYLJV3B36OUX3BR4/
政治の世界ではその昔
「衆院解散と公定歩合は噓をついていい」
と当たり前のように言われた。
影響の大きさ故に、首相が時期について事前に本当のことを言わなくても、責められないという意味である。
逆にいえば、それ以外は噓をつくべきではないという話でもある。
▼「私の出処進退については一切話は出ていない」。
石破茂首相は2025年7月23日に自民党の麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と会談後、テレビカメラの前でこう強調した。
だが、2025年7月25日付小紙朝刊の検証記事によると実は、麻生氏も岸田氏も石破首相の進退に言及していた。
首相の言葉は国民を謀る噓ではないか。
▼永田町では、3人以上で話したことは必ず漏れるとされる。
まして会談には森山裕幹事長も同席しており、計5人がその場にいた。
それぞれ政治的思惑も意図も異なる5人のやり取りが、外部に出ない道理がない。
にもかかわらず、首相が進退話を否定したのは何故か。
話したことをなかったことにされた麻生、岸田両氏も納得がいくまい。
▼「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。バカなことを言うな」。
実際、検証記事によると首相経験者の1人はこう憤っていたという。
石破首相の言葉だけ聞くと、3人の元首相が続投にお墨付きを与えたかのように誤解しかねない。
首相がそれを狙って会談を求めたとしたらまさに策士、いやペテン師か。
▼政治家と噓というと菅直人内閣は、閣僚が国会で虚偽答弁をした場合の政治的・道義的責任について、答弁の内容次第とする閣議決定をしている。
噓も方便なのか、良心が麻痺したか。
▼国会休会中には小中学生の国会見学が目立つが、あまりお勧めしない。
国会は教育に悪い。

石破首相、28日に参院選総括の組織立ち上げ表明 自民総会要求の署名、3分の1超集まる
2025/7/25 20:53
https://www.sankei.com/article/20250725-T4FH7YKHHBMKVE6JNRFT5MB2JM/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)の参院選敗北の責任を問うため自民の有志議員が進めていた両院議員総会の開催要求の署名集めに関し、笹川博義農林水産副大臣は2025年7月25日、要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたと記者団に明らかにした。
総会では退陣を求める何らかの議決が可能で、2025年7月25日の与野党党首会談でも進退に言及しなかった首相への圧力が一層強まった。
一方、首相は2025年7月28日の両院議員懇談会で、参院選を検証、総括する党内組織立ち上げを表明する方向で最終調整に入った。
自身の進退は表明しない見通し。
懇談会は総会と異なり、議決権がない。
党則は、総会について3分の1以上の議員の署名があれば
「7日以内に招集すべきものとする」
と規定。
署名集めは旧安倍派、旧茂木派、旧二階派、麻生派の議員らが2025年7月24日に始めた。
署名用紙には
「参院選の結果責任を問い、党の再生のために」
と記されている。
また、自民青年局は2025年7月25日、首相ら党執行部に責任を取るよう求める緊急提言を取りまとめ、森山裕幹事長に申し入れた。

首相経験者「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか」 石破氏「進退の話なかった」で齟齬
2025/7/24 20:24
https://www.sankei.com/article/20250724-AT7TVNBSSVJMNFWCDE3B4BBQIY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相による2025年7月23日の党本部での会談の内幕が明らかとなった。
首相は会談直後、改めて続投表明していたが、実際は進退を迫られていた。
発言内容の齟齬には1日でも長く政権を延命させたいと首相と、退陣への道筋をつけ、次の政局で主導権を握りたい麻生氏らとの思惑の乖離がある。
■麻生氏「石破氏で選挙勝てぬ」
2025年7月23日午後2時、自民本部の総裁室−。
緊張した面持ちの首相の前に、かつてこの部屋の主だった麻生氏らが次々と着座した。
2025年7月20日の参院選の惨敗からまだ日が浅く、重苦しい雰囲気が漂う中、首相の進退に関して口火を切ったのは最年長の麻生氏だった。
「石破自民党では選挙に勝てないということが明らかになった」
「対応しないといけない」
■岸田氏「政権どうするのか」
続く岸田氏も首相が参院選の総括に意欲を示していることを踏まえ、
「選挙の検証は大事だが、政権をどうするのかはっきり言わないと党はもたない」
と畳みかけた。
麻生氏も
「岸田の言う通りだ」
と同調した。
首相と3首相経験者の関係性には濃淡がある。
麻生氏は自らの首相時代に、首相から退陣を突き付けられた因縁があり、もとより首相を好まない。
岸田氏は昨年2024年9月の総裁選で首相を支持した。
だが、その後の人事で挙党態勢を築けなかったことや、経済・外交で力強いメッセージを打ち出せなかったことに不信感を募らせている。
■菅氏「党の分裂はまずい」
首相と関係が悪いとは言えないのは菅氏だが、党内で総裁選を前倒しする
「リコール」
や両院議員総会の開催に向けた署名集めの動きが加速していることを踏まえ、
「党の分裂はまずいよね」
と言葉少なだった。
政治には自身の意思では抗えない流れがある。
菅氏は首相当時、新型コロナウイルスの感染拡大対応への批判を受け、退陣に追い込まれた。
岸田氏は昨年2024年の総裁選出馬を目指したが、自民派閥の政治資金収入不記載事件の責任をとった。
■首相、約束を違えて続投表明
翻って首相は国政選挙で2度も大敗しながら、地位に恋々としているように映る。
この1時間20分間で、首相と麻生氏らが日本や自民が置かれている危機を共有したとは言えなかった。
会談内容は終了後、同席した森山裕幹事長から公表することも確認していた。
だが、首相は森山氏の説明に先立ち、4人の申し合わせになかった続投の意思を記者団に明言した。
首相は早々に退陣を正式表明した場合、2025年8月1日召集予定の臨時国会で、野党から首相指名選挙を求められることを懸念したとみられる。
思い入れが深い戦後80年の検証を自らの手で行いたいとの執念も滲む。
首相が約束を違えて続投表明したことに、首相経験者の1人は怒気を交えながら吐き捨てた。
「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。馬鹿な事を言うな!」

両院議員総会求める署名、自民所属議員の3分の1超える 一層強まる首相への辞任圧力
2025/7/25 17:41
https://www.sankei.com/article/20250725-REHHFYNGFBLXDJXOF5VYUSV6QE/
参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)の責任を問うため、両院議員総会の開催を求める署名が党所属議員の3分の1を超えたことが2025年7月25日、分かった。
複数の党関係者が明らかにした。
両院議員総会では首相の責任を問う何らかの議決が可能となり、首相への辞任圧力は一層強まることになる。
首相は2025年7月25日に国会内で開いた与野党党首会談で、進退については明言しなかった。
一方、旧安倍派と旧茂木派、旧二階派、麻生派の有志議員らが首相の責任を問うため、両院議員総会の開催に向けた署名活動を2025年7月24日に始めていた。
党執行部側が2025年7月28日に設定した両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるため、署名活動は懇談会を総会に格上げさせる狙いがある。
所属議員らに配布された署名用紙には、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
などと明記されていた。
両院議員総会の開催には所属議員の3分の1の賛同が必要となるが、党関係者によると、署名は2025年7月25日夕までに3分の1を超えた。
今後も署名を続けるという。
有志議員の1人は
「署名がこれだけ集まったことを踏まえ、首相は改めて自らを省みて進退を決断してほしい」
と話した。

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

<政治部取材メモ>敗軍の将、「珍説」を語る 続投意欲の石破首相に自民党が怒りの包囲網
2025/7/25 7:00
https://www.sankei.com/article/20250725-2SKH7DTB3JMJTEB7MC5VSUJPYA/

「退陣なければ党終わる」18年前の石破首相の正論、参院選敗北の安倍氏に 夕刊フジ再掲
2025/7/22 13:10
https://www.sankei.com/article/20250722-FXKFELCEPRB6VBUOQFK7MXHRQ4/?outputType=theme_election2025
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面。当時の石破茂首相はインタビューで正論を吐いた(奥原慎平撮影)
2025年7月20日投開票の参院選で自民党は歴史的惨敗を喫しながら、石破茂首相が居座り≠決め込んでいる。
だが、党内で退陣論は高まりつつある。
石破首相を巡っては、平成19年7月の参院選で自民が大敗した局面で、夕刊フジのインタビューに応じ、当時の安倍晋三首相について
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」

「正論」
を語っていた。
同年平成19年8月2日付のインタビュー記事の本文を抜粋する。

(参院選を巡って)
「(安倍晋三)首相は『私を選ぶか(民主党代表の)小沢(一郎)さん』を選ぶかの選挙」
とあれほど言った。
それで(有権者は)小沢さんを選んだ。
そのことをどう思うと聞かれて、首相は『私は使命を守る』と言う。
答えになっていない。
国民の意志を完全に無視している」
安倍晋三首相(当時)に退陣を迫った頃の石破茂首相=平成19年8月10日(酒巻俊介撮影)
石破氏は
「安倍続投」
に強い異議を唱える。
だが、党内で安倍退陣論は大勢となっていない。
その理由に、石破氏は
「昨年の総裁選でほとんどの議員が安倍首相を支持したからだ」
「小選挙区制度になって党が絶対な権利を持っている」
「小泉(純一郎)前首相の時には『公認しないぞ』(の脅し)もあった」
「その恐怖が残っている」
「党内の恐怖政治的なものが底流にはある」
と分析する。
その上で、
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」
「その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる」
「このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」
と危機感をにじませた。
首相の続投会見の言葉にも、
「理解できない」
「総理は『私の内閣』とか『私の使命』とかそういう言い方をするが、内閣は個人のものではない」
「『私の使命』って王様じゃないんだから」
「使命は国民が与えるもの」
「参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」
と切り捨てた。
参院選では、多くの自民党候補が落選した。
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」
「でも総理は落ちた人の気持ちが分からない」
「総理は週末ごとに大きな私邸にお帰りになり、普通の人が行けないようなレストランでお食事になる」
「選挙の苦労もしていない」
「選挙で奥さんともども土下座して、落選した人の気持ちは分からない」
続けて、
「総理は自分で辞めると言わない以上、誰も辞めさせられない」
「首相が退陣せねば、自民党が終わってしまうという気持ちは変わらないが、終わらないようにしないといけない」
と今後も自民党再生に向け、発言を続ける構えだ。
安倍首相は、大幅な党役員人事・内閣改造を断行し、政権の延命に躍起となっている。
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面
石破氏は
「本当の能力主義の人事をすること」
「お友達内閣、論功行賞内閣から、挙党一致ではダメ」
「挙党一致は派閥均衡みたいな話だ」
「派閥や当選回数を一切無視して、この人が一番、この分野をやるのに相応しいという人を入れるしかない」
「それしか生き残る可能性はない」
と厳しい注文を付けた。

参院選で改憲勢力が「3分の2」を維持 参政や国民躍進、議論活発化へ問われる自民の奮起
2025/7/25 16:19
https://www.sankei.com/article/20250725-G6JX27FFFVMDZJCX3J2DXX4CAI/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党など憲法改正に前向きな
「改憲勢力」
が、非改選を合わせて国会発議に必要な定数の3分の2を維持した。
自民が議席を大幅に減らした分を参政党や国民民主党の躍進がカバーした。
もっとも参院では選挙前も3分の2を確保していたものの、改憲論議は進まなかった。
参院憲法審査会の議論が活発化するか否かは、憲法改正を党是に掲げる自民の奮起にかかっている。
参院の3分の2のラインは166議席だ。
今回の参院選で自民、公明両党に加え、日本維新の会や国民民主、参政、日本保守党などのいわゆる
「改憲勢力」
は合わせて180議席を獲得した。
特に、1から憲法を作り直す
「創憲」
を掲げる参政が議席を大幅に増やした。
「国民の多くが参政党の憲法作りに期待を寄せていることの表れだ」
「国民からアイデアを集めて国家観を作り上げていく活動を進めていきたい」
今回の参院選の初当選組の1人で、参政の改憲案作りに携わった安達悠司氏は2025年7月22日の記者会見で、強い意欲を口にした。
とはいえ、参院で憲法改正の動きが加速すると考えるのは早計との声もある。
先の通常国会で改憲勢力が3分の2を確保していたにもかかわらず、参院憲法審の開催はわずか6回にとどまったからだ。
衆院側が戦争や大規模災害など選挙困難時に国会議員の任期延長を可能にするための改憲を目指したのに対し、憲法54条の
「参院の緊急集会」
の役割を重く見る参院側が議論の進展を警戒したとの見方もある。
ただ、憲法改正は参院先議でも進められる中、参院自民が他の改憲項目の議論を主導した形跡もない。
自民幹部は
「参院は衆院から送られてくる法案を確実に成立させる重責を担う」
「このため改憲に後ろ向きな立憲民主党を過度に刺激しないように努める傾向がある」
と語る。
しかし、参院選では保守層の支持が参政や国民民主に流れた。
関係者は
「改憲への消極的姿勢も信頼を失った遠因だろう」
「自分で自分の首を絞めた」
と述べ、奮起が必要だと指摘した。

自民・鈴木貴子氏「速やかに退陣表明を」 石破首相擁護の父・宗男氏と温度差
2025/7/25 13:17
https://www.sankei.com/article/20250725-KXB33WKX5JCJ5IMEVHQCPUUBCI/?outputType=theme_election2025
自民党青年局は2025年7月25日までに、参院選大敗を受け、石破茂首相ら党執行部に対し
「選挙結果の総括を速やかに行った上で自ら責任を取ることを求める」
とする文書をまとめた。事実上の辞任要求といえる。
2025年7月23日の青年局会合では首相の退陣論が相次いだ。
鈴木貴子衆院議員は会合に出席後、記者団に対し
「今回の参院選だけでなく、衆院選や東京都議選の結果を踏まえても、総裁と執行部が責任を取る必要がある」
「速やかに潔い退陣表明が求められている」
などと述べていた。
鈴木氏が所属していた旧茂木派などの中堅・若手議員は、首相の責任を問う
「両院議員総会」
の開催を求める署名活動を進めている。
一方、鈴木氏の父・宗男氏は2025年7月24日、自らのフェイスブックで、参院選で自民党が苦戦を強いられた背景には派閥パーティー収入不記載事件があると指摘。
「石破総理総裁1人の責任にするのはフェアではない」
と首相を擁護していた。

<正論>参政党躍進の背景にある歴史観 
新しい歴史教科書をつくる会顧問・藤岡信勝
2025/7/25 8:00
https://www.sankei.com/article/20250725-GBP4IOLPKVNE7KHO2YROFMMT6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選で、新興勢力の参政党は14議席と大躍進した。
自民・公明の政権与党は合わせて50議席に達することができず、昨年2024年の衆院選に続いて、参院でも与党が過半数を割り込むことになった。
この過半数割れを引き起こした主役も、実は45の全選挙区に立候補者を立てた参政党であった。
この躍進の背景にあった1つの要因について述べてみたい。
■歴史学習運動の蓄積
躍進の背景には参政党候補者が共有する歴史観がある、とするのが私の基本的な見立てである。
党首の神谷宗幣氏は高校時代までは左派寄りの思想を持っていたが、大学3年生のとき1年間休学しバックパックで18カ国を8カ月間旅行する経験を通して視野を広げ帰国後、小林よしのり氏の『戦争論』などに触れて、祖父や父が学んでいた教えに理解を深めるようになったという。
本来、保守的な家族関係の中で育ちながら、学校の影響で左翼思想を抱き、海外経験を通してそこから脱却し、日本の歴史を学び直す典型的な保守系活動家の遍歴を神谷氏も辿ってたのである。
神谷氏の始めたCGS(チャンネル・グランド・ストラテジー)というユーチューブ・チャンネルでは、倉山満氏や斎藤武夫氏の歴史講座で通史を学ぶなど、この種の番組としてはかなり本格的なプログラムを用意して歴史の学習を呼びかけてきた。
こうした歴史学習運動の蓄積の上に立って、令和2年に結成された参政党は当然ながら日本の歴史に誇りを持つことを大切にするという姿勢が明瞭に打ち出されていた。他の政党にないことである。
■「日本人ファースト」の衝撃
参政党は
「日本人ファースト」
をスローガンとした。
これが選挙戦における成功の要因であったことは間違いない。
外国人対策がにわかに選挙戦の争点となった。
日本で住民税を払わない中国人が東京で起業して1500万円の融資を無担保で手に入れたり、来日3日で生活保護受給決定が出たりする。
健康保険料を僅かな期間支払い、日本で高額医療を受ける中国人がいる。
奨学金でも外国人留学生の方が日本人学生よりも優遇されている。
外国人の土地の購入、クルド人問題、オーバーツーリズム(観光被害)等々。
これらの問題の解決に既存政党は手を付けようとせず、やり場のない鬱屈した感情が広く日本人の中に溜まっていた。
参政党の
「日本人ファースト」
という標語は、日本人の誰もが持っているモヤモヤ感を払拭してくれるインパクトがあった。
有権者の心に見事に突き刺さった。
選挙戦が始まる前は、参政党の候補者の選挙区内の支持率はたかだか数パーセントに過ぎなかった。
当選する見込みは薄いと思われた。
ところが、選挙戦が始まると支持率は鰻上りとなり、選挙区によっては当落を争うまでになる。
この現象が日本の各地で起こった。
これは明らかに候補者の口頭による訴えが大きな効果をもたらしたことの表れである。
なぜ参政党の候補者の話には説得力があるのか。
タブーとなっていた話題に果敢に切り込む勇気に聴衆は感動し、初めて自分たちの心を代弁してくれる政党に出合ったという思いを持つ。
候補者は全体として若く、子育て現役世代の悩みを共有し、その生活実感と結びつけて政策を語る。
こうしたことが聴衆の心を捉えた。
しかし、私はそれだけではないと思う。
参政党は草の根の地域組織を持ち、他党とは比較にならないほど党員向けの勉強会が充実している。
自国の歴史に誇りを持つ歴史観をバックボーンとしているからこそ、候補者の演説には単なる話術ではない真実さと深さが伴っているのではないか。
■歴史教科書と参政党
参政党は教育を重点政策とし、歴史教科書問題にも地道に取り組んできた。
私が関わった範囲でその活動を紹介したい。
昨年2024年、令和6年度は4年に1度の中学校教科書採択の年であった。
この年、東京都内の参政党の地方議員は目覚ましい活動をされた。
各議員が責任を持つ地区ごとに、歴史教科書問題や教科書採択問題をテーマとする大小の学習会を開いた。
私が直接関わった集会だけでも10カ所近くになる。
更に、参政党の地方議員の方々は教科書採択に取り組む決意を記者会見を開いて宣言されたのである。
他党には個々に協力して下さる議員はおられるが、このように組織的に取り組んで下さる政党は参政党以外にはない。
つくる会は、公立学校の教育委員会で、全国で唯一、自由社を採択してくださった茨城県常陸大宮市に研修ツアーを企画した。
40人収容のバスに乗った参加者の半数は議員で、参政党の地方議員が多数参加した。
教科書採択は首長の決断なくして実現しない。
私は参政党の若い地方議員が地元で信頼を得て5年後、10年後に首長となり、教科書を採択して下さる未来図を想像の中で描いていた。
(ふじおか のぶかつ)

参院選X投稿分析「外国人」はなんと886万件、参政党躍進に影響か 鶴保発言にも関心
2025/7/24 19:40
https://www.sankei.com/article/20250724-BPGCKSIX35IG3HIC2RQHC7VXPQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗に終わった今回の参院選。
関連するSNSへの投稿では、
「外国人」

「減税」
といった言葉が多くみられ、選挙戦の情勢が反映される格好となった。
東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は告示直前の2025年7月1日〜投開票日である2025年7月20日までのX(旧ツイッター)の投稿を分析。
「外国人」
を含む投稿件数は、オリジナルを拡散させたリポストを含め886万9817件に上った。
日別では2025年7月1日が約25万件、2025年7月8日が約40万件と次第に増え、ピークの2025年7月14日は約76万件となった。
有権者の関心の高まりが現れたのか、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党が大きく躍進する結果となった。
一方、当初からの大きな争点とされた
「減税」
は、総投稿数が211万9292件。
「消費税」
は220万2108件で、合わせても
「外国人」
の半分以下だった。
減税や消費税は選挙戦序盤が投稿数の最盛期で終盤にかけて減る形となった。
自民党の鶴保庸介参院議員が選挙の応援演説の中で、
「運のいいことに能登で地震があった」
と発言した2025年7月8日には、
「鶴保」
の投稿は4万3343件に急増。
それまでは概ね1桁台だったが2025年7月9日には約13万7千件、2025年7月10日は9万7千件、2025年7月11日は4万9千件と、しばらく高い関心が続いたことが分かった。

首相、参院選大敗「真摯に受け止める」 党内の退陣要求は加速、地方組織から人事刷新要求
2025/7/24 21:00
https://www.sankei.com/article/20250724-ELMPZQ43R5JNFFVYP4EHZIP6QI/?outputType=theme_election2025
参院選の大敗を受け退陣が不可避の情勢となった石破茂首相(自民党総裁)に対し、2025年7月24日も党内の
「石破降ろし」
の動きが広がった。
旧安倍派や旧茂木派に加え、旧二階派に所属した議員が首相の責任を問う両院議員総会の開催を求める署名活動を進めている。
麻生太郎最高顧問は同日、派閥パーティー収入不記載事件で離党した世耕弘成衆院議員と国会内で会談。
党内情勢を巡り意見交換したとみられる。
「ポスト石破」
の有力候補の1人とされる高市早苗前経済安全保障担当相に近い議員らも国会内で会合を開いた。
高市氏らは2025年7月23日も東京・赤坂の議員宿舎に集まり、対応を協議している。
両院議員総会の速やかな開催を求める署名は党所属国会議員に配布され、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
と明記した。
党執行部が2025年7月28日に実施予定の両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるが、総会は党則に基づく議決機関で、首相の責任を問う何らかの議決が可能となる。
開催には所属議員3分の1以上の賛同が必要になる。
党の地方組織からの批判も相次いだ。
これまでの高知や栃木の県連などに続き、2025年7月24日には高市氏の地元の奈良県連や東京都議会自民党も人事の刷新を求める意見書を党本部に送った。
参院選で当選した高橋はるみ氏は札幌市内で記者団に
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と首相の退陣を求めた。
一方、首相は参院選で当選した鈴木宗男氏と官邸で面会し、参院選大敗について
「国民の厳粛な審判だから、真摯に受け止めたい」
と語った。
鈴木氏が記者団に明らかにした。
首相は官邸で開かれた都道府県議会議長らとの懇談会に出席したが、議長らから首相の責任を問う意見は出なかった。
「退陣の意向を固めた」
と一部で報じられたことについて、2025年7月24日に首相と面会した政府高官は
「首相は『やる』と言っている」
と周辺に明かした。

高市早苗、西村康稔氏が会談 参院選大敗を受けた情勢協議か 麻生太郎氏も世耕弘成氏と
2025/7/24 20:08
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317889253
自民党の高市早苗前経済安全保障担当相は2025年7月24日、旧安倍派幹部だった西村康稔元経済産業相と国会内で会談した。
関係者が明らかにした。
参院選大敗を受けた党内情勢を協議したとみられる。
高市氏は、保守系議員を中心に
「ポスト石破」
候補として推す声がある。
これとは別に、麻生太郎最高顧問も、旧安倍派幹部だった世耕弘成衆院議員(離党)と国会内で会談した。

「リベラルではなくもっと右に寄って」 高市早苗氏のお膝元・奈良県連も石破氏退陣要望
2025/7/24 16:22
https://www.sankei.com/article/20250724-HQV6HEE3LNMPTJQZN4K6HWIJ6Y/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗し、奈良選挙区でも苦戦を強いられたことを受け、自民奈良県連の井岡正徳幹事長は2025年7月24日、党の刷新を求める意見書を党本部の森山裕幹事長に送付したと発表した。
県庁で記者会見した井岡氏は
「(石破茂)総裁をはじめ、役員の刷新を求めている」
と説明しており、実質的に石破首相の退陣を求めている。
奈良選挙区では、県連会長を務める堀井巌参院議員が3選を果たしたが、国民民主党の候補に約3万2千票差まで迫られた。
意見書では、
「参院選は比例はもとより、都道府県連にとっても大変厳しい状況の戦いだった」
とし、
「(堀井氏が)他党候補の猛追を受けた選挙戦は、党に対する県民の信頼が揺らいだことに一因があると考える」
と指摘している。
井岡氏は保守層の自民離れを念頭に、会見で
「個人的に、石破氏にはリベラルではなくもっと右に寄ってほしい」
と話した。
井岡氏によると、意見書は県連会長の堀井氏と相談して決め、高市早苗衆院議員ら役員にも報告したという。

自民・高橋はるみ氏、首相退陣要求 参院選受け「結果責任だ。しかるべきタイミングで」
2025/7/24 14:44
https://www.sankei.com/article/20250724-7TUZFTUQMVKWVNEZ54KPVJXZAA/?outputType=theme_election2025
自民党の高橋はるみ参院議員は2025年7月24日、参院選で大敗した石破茂首相に対し
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と退陣を求めた。
札幌市内で記者団の取材に応じた。
高橋氏は今回の参院選北海道選挙区で再選されたが、得票数は2019年の前回選から約28万票減った。
高橋氏は、昨年2024年の衆院選に続いて国政選挙で連敗となった点を指摘し、首相が責任を取るべきだとの考えを示した。
党道連も2025年7月23日、事実上の退陣を求める要望書を党本部に送っている。

「リベラル化した自民党に保守層がノー突き付けた」「矜持取り戻せ」日本会議、参院選見解
2025/7/24 13:01
https://www.sankei.com/article/20250724-FAAQ4SWLIJFGHFDAHFVQBS5KI4/?outputType=theme_election2025
保守系の民間団体「日本会議」(会長・谷口智彦元内閣官房参与)は2025年7月24日、先の参院選を巡る見解を出した。
「衆参両院で与党の過半数割れを起こすという前代未聞の事態を出来(しゅったい)させた」
とし、
「現在のリベラル化した自民党に対して、保守層がノーを突き付けた結果といってよい」
と指摘した。
近年の自民党について、憲法改正や男系の皇統護持などを挙げ
「国柄に関わる重大案件に対してすら、支持層に明確な姿勢を示すことができなかった」
と疑問視し、
「国益軽視の外交や外国人政策などが国民の多くの不満を招いた」
と指摘した。
参政党などが躍進した背景については
「このような自民党の変質が大きく関わっており、それを敏感に感じ取った支持層が他に拠り所を求めた結果であることを見誤ってはならない」
と強調。
その上で、自民党に対し、
「保守層の離反の背景を深刻に受け止め、保守政党の中核としての矜持を取り戻し、果断に国家政策を提案し実現していくことこそ、党再生の道筋である」
と訴えた。
「内外の厳しい情勢の中、我が国の伝統的価値を基軸として、日本を再び成長と発展の軌道に乗せる重大な使命が課せられている」
と重ねて強調した。

自民北海道連、石破首相に退陣求める「責任は極めて重い。党員・党友が納得できる決断を」
2025/7/23 18:09
https://www.sankei.com/article/20250723-XQATS4XXNNM4RCAPTQ2QCBIE3I/?outputType=theme_election2025
自民党北海道連は2025年7月23日、参院選で与党が参院全体の過半数を割り込んだ結果を受け
「(石破茂首相の)責任は極めて重い」
「党員・党友が納得できる決断を」
と事実上の退陣を求める要望書を党本部に送った。
要望書では
「(首相が)議員らに何ら説明なく、続投の意向を表明したことは大変遺憾だ」
とした。
北海道選挙区(改選数3)では、共に自民現職の高橋はるみ氏と岩本剛人氏が再選。
ただ、高橋氏は2019年の前回選から約28万票減らした。
岩本氏も次点の候補に約8500票差に迫られた。

国民・玉木代表「辞める辞めないを含め見定める」「約束を守れない石破政権と協力はない」
2025/7/23 17:46
https://www.sankei.com/article/20250723-YC4QFZUD5ZM4FNE2TAHXARUK5M/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月23日、参院選の敗北を受けて石破茂首相(自民党総裁)の退陣論が自民内で浮上していることについて
「辞める辞めないを含めて見定めたい」
「ただ、1つ言えることは、約束を守れない石破政権と協力をすることがないということは明確に申し上げたい」
と述べた。
国会内で記者団の取材に答えた。
また、自民内の下野論に関しては
「色んな言葉や発信が相次いでいるが基本的には自民の党内政局のための発信だ」
「『石破おろし』の狼煙だと見るべきだ」
と指摘した。
その上で
「本当に下野してもいいと思っている自民議員はなかなかいないだろう」
「自社さ連立政権で社会党のトップを祭り上げてさえ権力維持を考えた自民だ」
「簡単に権力の座から降りるということはない」
「一言一言に乗らないように、真意を確かめたい」
と語った。

政府内からも石破首相に退陣要求 松本外務政務官「新総裁の下、出直しを」石破降ろし加速
2025/7/23 11:03
https://www.sankei.com/article/20250723-IPLMKCYJCZCHBA7HPNANC7AE5A/?outputType=theme_election2025
松本尚外務政務官は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、参院選で大敗したにもかかわらず続投を表明した石破茂首相(自民党総裁)について、党総裁を辞任するよう求めた。
政府内からも事実上の退陣論が出た形で、
「石破降ろし」
が益々拡大しそうだ。
松本氏は
「党員から石破総裁に対し責任を取って1日も早く辞任すべきという声が上がっている」
と説明。
「私は政務官として政府の一員でもあるので、突っ込んだ発言は控えなければならないが、自民党『総裁』としての身の処し方は考えてほしい」
と要求した。
その上で、
「今まさに新総裁の下、自民党は出直さないともう2度と政権を担うことはできないかもしれない」
と石破氏に総裁を辞任するよう求めた。
松本氏は言葉を選んだが、総理(首相)と総裁を別の人物が務める
「総総分離」
は過去に話題になったことはあっても実現したことはないだけに、事実上、内閣総辞職を求める内容と言える。
また、松本氏は
「古参の皆さんには後方支援に回って頂くことを了承願いたい」
として、世代交代による党の大改革を訴えた。
松本氏は衆院千葉13区選出。自民の旧安倍派に所属していた。
旧安倍派議員では、萩生田光一元経済産業相が自民の
「下野」
を主張している他、西村康稔元経産相もXに
「見てろよ」
と投稿し、行動を起こす考えを示している。

<主張>日米関税交渉合意 国益を守り抜けたのか 石破首相は退陣表明する時だ
社説
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-EDOIQHACFRKGTDG4Q2WNCIFTYE/
日米関税交渉が決着した。
米側が相互関税を25%に引き上げる期日とした2025年8月1日を前に税率を15%にとどめることで合意した。
日本車に課す25%の追加関税も半減し、既存関税と合わせ15%とすることになった。
最悪の事態を免れたのは確かだろう。
それでも尚、第1次トランプ政権時と比べても極めて高水準の関税を課されることは残念でならない。
米国は日本にとって唯一の同盟国だ。
その米国から理不尽な高関税で脅されたにもかかわらず、石破茂政権は措置を撤回させられなかった。
国益を守り抜けたのかは疑問である。
合意したからといって首相が居座るのは言語道断だ。
早期に退陣を表明して当然である。
■措置撤回を実現できず
関税で他国に圧力をかけるトランプ大統領の独善的手法は第2次政権で歯止めがかからなくなった。
日本が無関税で輸入する米国車が売れないことを一方的に日本のせいにするなど、一連の主張は受け入れ難く、事実誤認も目につく。
そもそも、1期目のトランプ政権時に日米貿易協定を結び、自動車への追加関税を課さないことなどを確認したはずなのに、トランプ氏はこの協定を反故にするかのように振る舞う。
だからこそ石破政権は、米国の高関税措置を撤回するよう求めてきたのではなかったか。
無論、トランプ氏がこよなく愛する
「関税」
という手法を日本に限ってやめさせるのは難しい。
現実的にはある程度の譲歩もやむを得ない面があろう。
だからといって
「対米黒字を抱える国の中で最大の引き下げ幅を得られた」
などと自賛する石破首相の発言に頷くことはできない。
米国の出方がトランプ氏の判断次第なのは自明なのに、石破首相は閣僚協議に委ねるばかりで、自らがトランプ氏に直談判して局面打開に繋げるという行動力を見せなかった。
これでは最善を尽くしたと評価することなどできない。
石破首相は
「日米両国の国益に一致する形での合意」
を実現したとも語るが、日本はトランプ政権前と比べてどれほど国益を高められたというのか。
首相が重視するのは、米国の雇用を増やし、日本企業も利益を上げる対米投資拡大だ。
「政府系金融機関が最大5500億ドル(約80兆円)規模の出資、融資、融資保証を提供可能にする」
などと説明し、経済安全保障上の重要分野で日米が強靱な供給網を築くとも強調した。
もっとも、対米投資の拡大は以前から日本企業に見られた傾向である。
経済安保で日米が連携を強化するのも当たり前のことだ。
むしろ、米国との約束を履行しようと、コストを度外視した対米投資に陥らないようにしなくてはならない。
■臨時国会で徹底審議を
農業分野では、既存のミニマムアクセス(最低輸入量)の枠内で米国産のコメ輸入量を増やす。
関税引き下げなどで農業を犠牲にするような内容はないというのはいい。
ただし、米国産の流入拡大が米価に及ぼす影響は十分に見極めるべきだ。
日本企業にとって15%の関税は重い負担だ。
それでも交渉が決着し、ようやく対米事業戦略を具体的に練り直せるようになった。
大企業だけでなく下請け企業も含めて、米国の高関税政策にも揺るがぬよう、生産性の向上や新規需要の開拓などに全力を挙げたい。
交渉の妥結を受け、政府では国内対策などが課題となる。
だが、石破首相がそれを理由に政権に居座ってはならない。
衆院選と参院選で自ら設定した勝敗ラインを割り込み、両院で過半数を失った首相は1日も早く退陣表明するのが責務である。
首相は2025年7月23日、自民党所属の首相経験者との会談後も重ねて続投の意欲を示した。
驚くべき厚顔さだ。
選挙で示された民意を無視するのは容認できない。
自民の国会議員や地方組織から退陣を求める声が上がっている。
続投を許せば、自民は支持層から完全に見放されるのだから当たり前の反応だ。
ただし、自民や連立与党の公明党が、実際に退陣に追い込まなければ、参院選時以上に支持を失うだろう。
それでは日米合意の履行も覚束なくなる。
自浄能力の発揮が問われている。
2025年8月1日にも召集される臨時国会では、首相指名選挙の有無にかかわらず一定の日数を確保し、日米合意を巡る徹底的な審議を行う必要がある。

<産経抄>関税交渉の決着、政権の残日は
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-Z2PFJHKHDBMCDGEEUQZWIMBSZA/
カレンダーという言葉は、金の貸し借りに語源を持つそうである。
古代ローマでは、金銭の貸借関係を記録するのに会計簿を用い、債務者の名前、借金の元金と利息を書き入れた。
利息計算の基準日となったのは毎月1日である。
▼月初めの1日はラテン語で「カレンダエ」、会計簿は「カレンダリウム」と呼ばれた(『暦の大事典』朝倉書店)。
偶然かどうか。
関税を巡る日米交渉の期限が2025年8月1日に迫る中、その日の欄にトランプ大統領が書き入れた
「25%」
という数字は、日本側の重い足かせとなった。
▼米国が日本からの輸入品に課す税率は、トランプ氏が通告してきた25%ではなく、15%で合意した。
「マイナス10ポイント」
などと喜んでいる場合ではあるまい。
本来は課すべきでないところを、筋の通らない
「15%」
をのまされた。
それが実相である。
▼トランプ氏の勝利という他ない。
自動車や鉄鋼・アルミニウムの関税も、撤廃を求める日本側の声は聞き入れられなかった。
新たな関税による負荷が、どのような形で効いてくるのか先は見通しづらい。
傷を最小限にする手当ては、日本の政府と経済界にとって焦眉の急だ。
▼これまでの交渉を、閣僚任せにしてきた石破茂首相の腰の重さにも首を傾げたくなる。
「なめるな」
と吠えたからには、トランプ氏の独善的な振る舞いをたしなめるのが筋だろう。
首相自身が外交と日本の有権者を甘く見ているとしか思えない。
▼ともあれ、石破氏が続投の理由として挙げる関税交渉は片付いた。
首相の座に居座り続けるための方便は聞くに堪えなかったが、これ以上耳を貸す理由はない。
自民党内では退陣を求める声が強まっており、政権の残日を示す暦は、その枚数を減らしつつある。

関税交渉、一転して合意 日本経済の悪影響は緩和も残る懸念 国内の資金繰り支援が不可欠
2025/7/23 21:17
https://www.sankei.com/article/20250723-JLHTR2O7X5MBHPWMIZT7WZHCVA/
暗礁に乗り上げたかに見えた日米関税交渉が、一転して合意に至る急展開を見せた。
日本経済への悪影響は一定程度抑えられることになり、経済界からも合意を評価する声が上がった。
ただ、高水準の関税は依然残り、政府には国内企業の資金繰り支援などきめ細やかなサポートの取り組みが求められる。
「和気あいあいというより、国益をかけたギリギリの真剣勝負だった」
赤沢亮正経済再生担当相は2025年7月22日、米ワシントンで記者団の取材に応じ、合意に至ったトランプ氏との会談を振り返った。
トランプ氏と面会することは訪米前には決まっていなかった。
ラトニック米商務長官らと協議する中で浮上したという。
■トランプ氏に響く提案用意
日本政府は自動車を中心に一連の関税措置の見直しを求め、特別扱いに難色を示す米側との交渉は難航を極めた。
それでも合意できた背景には、トランプ氏に響く提案を用意したことがある。
トランプ氏は自動車やコメの貿易を巡り、日本に対して不満を露わにしていた。
このため政府は、米国車の輸入時の認証手続きの簡素化や、米国産米の輸入拡大を約束して、同氏の顔を立てたことが奏功した格好だ。
米側から関税率で譲歩を引き出したことで、日本経済への悪影響は抑えられる。
野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストの試算では、自動車関税と相互関税を15%とする今回の合意で、国内総生産(GDP)は0・55%押し下げられる。
交渉が不調で2025年8月1日に相互関税が25%に引き上げられていれば、押し下げ効果は0・85%まで拡大していた。
■経済界から評価の声
経済界からは評価の声が寄せられた。経団連の筒井義信会長は
「国益に拘って粘り強く交渉した成果が実った」
と歓迎。
自動車業界関係者も
「関税率が下がったことは評価する」
と話した。
しかし高水準の関税がかかる状況に変わりはない。
木内氏は
「最悪の事態は防げたが、重しは残った」
「体力がある企業であれば対処できるかもしれないが、景気後退局面に入るかどうかのライン上にある」
と分析する。
上智大の前嶋和弘教授は、対米投資拡大の動きも相まって
「企業が工場を国内から米国に移して産業空洞化を招くかもしれない」
と指摘。
一方で体力のない中小企業などは、国内で厳しい経営を迫られる可能性もある。
政府には今後、こうした指摘を踏まえ、企業の資金繰りや雇用維持を支援する取り組みが求められる。
赤沢氏は
「合意の内容を精査し、影響を受ける国内産業をどう支えるか速やかに検討して対策を講じる」
と話した。

「参院選の総括早く」石破首相の出処進退「全く議論にならず」森山氏説明 歴代3首相会談
2025/7/23 17:11
https://www.sankei.com/article/20250723-754YHCOJAFOQRAHFQHFA5WG4XY/?outputType=theme_election2025
自民党の森山裕幹事長は23日、記者団に対し、石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問ら首相経験者3氏による会談の中で、大敗した参院選の総括をできるだけ早く行わなければならないとの意見が出たことを明らかにした。
森山氏は会談に同席した。
首相の出処進退に関しては
「全く議論になっていない」
と説明した。
森山氏によると、首相経験者は党員・党友や地方組織、友好団体などの意見に丁寧に耳を傾けることを要請した。
その上で、自民の現状については強い危機感を持ち、党の分裂は何としても避けるべきだとの考え方を共有したという。
また、森山氏は参院選総括の両院議員懇談会を28日に開くと発表した。
懇談会は当初、31日に予定されていたが、前倒ししての開催となる。

石破首相「強い危機感共有、党分裂あってはならない」 退陣報道は否定 歴代3首相と会談
2025/7/23 15:48
https://www.sankei.com/article/20250723-NZIDHVC25FLGFCF5NYZSODLGUI/
石破茂首相(自民党総裁)は23日、参院選で自民が大敗したことを受け、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談した。
会談後、記者団に
「強い危機感を共有した」
「党の分裂は決してあってはならない」
と述べた。
近く退陣を表明するとの一部報道については
「そのような発言をしたことは一度もない」
と否定し、会談でも
「私の出処進退について一切話は出ていない」
と強調した。
トランプ米政権との関税協議が合意に至ったことを踏まえ
「多くの対米輸出品を扱っている会社、事業者にとっては極めて重大な問題だ」
「国民生活がきちんと守られるよう全力を尽くしていきたい」
と語った。
会談には森山裕幹事長も同席した。

<独自>石破首相、進退を8月に最終判断へ 広島・長崎式典や国際会議に出席
2025/7/23 10:37
https://www.sankei.com/article/20250723-MDIN5SVMZNOOLHZU63SBLUCOVE/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は参院選敗北を受け、参院選総括や今後の政治日程を踏まえ、8月に自身の進退を最終判断する意向を固めた。
退陣すると判断した場合、9月ごろに新たな党総裁を選出し、10月に召集が見込まれる臨時国会で首相指名選挙を行う日程が想定される。
首相が当面の続投を決めたことに党内から批判が噴出している。
ただ、首相は8月6日の広島と9日の長崎の原爆の日、15日の終戦の日の式典に出席予定。
20〜22日には横浜市でアフリカ開発会議(TICAD)が開催される。
こうした重要な日程に「穴をあけられない」(周辺)と判断し、8月下旬にも進退について明らかにする方向だ。
首相は、早ければ今月29日にも開く両院議員懇談会に出席し、党所属国会議員から直接意見を聞く。
敗因を分析し、8月に党として参院選を総括する。
続投の理由に挙げた日米関税交渉は日本時間23日、米側が25%と宣言していた日本に対する相互関税を15%に引き下げることで合意に達し、一定の道筋がついた。
首相は23日午前、合意が進退に与える影響について記者団に
「合意の内容をよく精査しなければ申し上げることはできない」
と述べるにとどめた。
首相は23日午後、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談し、今後の政権運営の考え方について説明する。

<主張>立憲民主党 受け皿に選ばれなかった
社説
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-QTIOSYO2VJJXVKAQZ4QWJEVHZE/
参院選で与党が過半数割れし、国民民主党や参政党が躍進するなど、政党を巡る地殻変動が始まった。
その波は立憲民主党や共産党にも及んでいる。
野党第一党の立民は政権与党への批判票の受け皿にならなかった。
共産も議席減が止まらない。
広義の保守や中道の政党に票は流れた。
左派・リベラル政党の退潮が始まったと見るべきではないか。
立民は野党第一党の座を維持したが、獲得議席は22議席で改選数と同数だった。
比例代表の得票数は739万票で、投票率の上昇もあって、3年前の前回参院選より62万票増やした。
だが、同じ700万票台の国民民主、参政両党よりも少なく、野党の中で3番手に甘んじた。
社会党から民主党、立民などに至るまで野党第一党は、政権与党に対する批判票の受け皿になってきた。
その構図が崩れた理由の1つは、厳しい安全保障環境だろう。
日本の独立と繁栄の基盤となる安保政策が非現実的では、有権者の支持が集まらない時代になった。
今や日米同盟の基盤ともなっている日本の集団的自衛権の限定的な行使に関し、立民は賛成の立場を表明していない。
5年間で総額43兆円の防衛費に対しても賛成してこなかった。
対中抑止力の向上に熱心だったとも言えない。
立民は家族の一体感を損なう選択的夫婦別姓制度の導入に積極的だったが、石破茂首相に愛想を尽かして自民から流出した保守層が、立民を選ばない一因となった。
立民は民主の流れをくむ政党だ。
民主の結党には多くの社民党議員が加わった。
社会や社民と関係が深かった自治労や日教組は立民を支持している。
左派の体質を引きずっている以上、有権者の支持は広がりようがあるまい。
共産は、学界やメディア、公務員にシンパを多く抱え、議席数以上に日本社会に影響力を持ってきた。
だが、比例代表の得票数は75万票減らし300万票を割り込んだ。
共産は未だに綱領に自衛隊の解消などを明記している。
如何に日本と国民を守り抜くかという発想が乏しく、退潮傾向は止められまい。

自公政権が協力求めるべき野党、最多は国民民主35% 立民21%、参政20% 共同調査
世論調査
2025/7/22 22:12
https://www.sankei.com/article/20250722-SZSMIVWFANP5ZKO3TOFNYUSSA4/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
自公政権が協力を求めるのが良いと思う野党を複数回答で聞くと、国民民主党35・1%、立憲民主党21・9%、参政党20・4%、日本維新の会18・7%の順だった。
参院選で投票先を決める際、SNSや動画サイトなどから得る情報を「重視しなかった」は64・0%で、「重視した」34・9%を上回った。
参院選で最も重視した点は「物価高対策」32・2%だった。
政党支持率は立民10・8%(前回9・2%)、維新5・2%(4・8%)、国民15・1%(9・9%)、公明党4・6%(4・4%)、れいわ新選組4・3%(5・6%)、共産党3・7%(3・1%)、参政11・8%(3・7%)、日本保守党2・7%(2・9%)、社民党1・3%(1・9%)、チームみらい4・1%、みんなでつくる党0・2%(0・1%)。
「支持する政党はない」とした無党派層は12・3%(21・1%)だった。

外国人規制「強めるべき」65% 「緩めるべき」4% 出入国管理や不動産取得 共同調査
世論調査
2025/7/22 21:01
https://www.sankei.com/article/20250722-4I2FEEOTVJKQJPYZZT3IEG6LBM/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
出入国管理や不動産取得などの外国人への規制は「強めるべきだ」が65・6%で最も多かった。
続いて「現行通りでいい」26・7%、「緩めるべきだ」4・4%となった。
SNSや動画サイトを通じて参院選に関する真偽不明の情報や誹謗中傷が広がったと「感じた」との回答は「ある程度」と合わせて56・7%だった。

<産経抄>風の順逆も分からず、「まとも」な判断できぬ石破氏
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-YCVQZXTBHNNEDJX4EBFOXWJQC4/
多くの船が連なり進むさまを「舳艫(じくろ)千里」という。
「舳」は船首のことで「へさき」とも読む。
「艫」には「とも」の訓読みがあり、船尾を指す。
船にとって有難いのは後ろから吹く風で、これを「真艫(まとも)」と呼ぶ。
▼順風、追い風のことである。
不審に思われる方もいるだろう。
「まともに風を受ける」は向かい風のことではないか、と。
その場合の「まとも」は「正面」と書く。
言葉の不思議はともかく、普通の感覚を持ち合わせた人ならば、順風と逆風を取り違えることはまずあり得ない。
▼先日の参院選で有権者が吹かせたのは、衆院に続く与党過半数割れの強い向かい風であり、猛烈に冷たい北風だった。
神経の作りがよほど頑丈なのだろう。
まともに受けたはずの風が堪えていない人もいる。
石破茂首相が続投の意向を表明した。
▼参院選での与党過半数の維持を「必達」の目標としたのは首相である。
舌の根も乾かぬうちに
「比較第一党としての責任」
という理屈を持ち出し、臆面もなくゴールポストを動かす変節には驚き呆れる。
これが民主主義の否定でなくて何だろう。
▼首相の座に固執する理由に、日米関税交渉を挙げたのも姑息な方便と映る。
これまでの折衝を閣僚に任せ、トランプ大統領との会談に腰を上げなかったことはお忘れか。
物価高、国防、防災。
過半数の勢力を結集し、船首を同じ方角に向けて進む図も現政権の下では期待し難い。
▼「決められない政治」の出口は遠い。
それもまた国難だろう。
石破氏が長尻を決め込んでいるのはどう見ても針のむしろで、もはや痛みの自覚すら乏しいらしい。
風の順逆が分からぬのも無理はない。
まともな政治感覚からは、かけ離れているという他ない。

石破内閣の支持率22%、発足以来最低に 「首相辞任すべき」は51% 共同通信調査
世論調査
2025/7/22 19:42
https://www.sankei.com/article/20250722-JJKQNZGIHRNJTKEQTAOJDRWENQ/
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
石破内閣の支持率は22・9%で、前回2025年6月調査から9・6ポイント急落し、昨年2024年10月の内閣発足以来で最低となった。
不支持率は14・9ポイント増の65・8%だった。
自民党が大きく議席を減らした参院選の責任を取り、石破茂首相が
「辞任するべきだ」との回答は51・6%、
「辞任は必要ない」45・8%
だった。
参院選後、最も望ましい政権の枠組みは
「政界再編による新たな枠組みの政権」が最多で36・2%。
「自公政権に一部の野党が加わった政権」28・0%が続いた。

日本保守党・百田代表、首相の続投理由「明日地震起こるかも」にあきれ顔「むちゃくちゃ」
2025/7/22 18:30
https://www.sankei.com/article/20250722-BG5GJXZ7ZNCGVGLIJEYOP6JHDU/?outputType=theme_election2025
日本保守党の百田尚樹代表は2025年7月22日の記者会見で、先の参院選で初当選したことについて
「日本を豊かに、強く。議員という影響力を駆使して、日本を良くしたい」
と抱負を語った。
食品の消費税率ゼロや野放図な「移民」政策の見直し、過度な再生可能エネルギー依存の見直しに力を入れていく考えも示した。
同党は今回の参院選比例代表で得票率5%を確保し、百田氏と弁護士の北村晴男氏の2人が当選した。
北村氏は比例代表で最も個人得票数が多かった。
同党は衆参で5議席を獲得し、公選法が政党要件に定める国会議員5人以上、直近の国政選挙で得票率2%以上の双方をクリアした。
百田氏は
「結党1年9カ月で名実共に国政政党になった」
と述べた上で、
「バックアップが足らず、悔いの残る選挙だった」
「忸怩たる思いが消えない」
とも語り、候補者の全員当選が果たせなかったことに苦渋の表情を浮かべた。
参院選を巡っては、石破茂首相(自民党総裁)率いる自民党が大敗を喫す結果となった。
首相の続投の是非について百田氏は
「石破さんの判断だ」
「我々は何を言うこともできない」
と述べるにとどめた。
一方、首相は2025年7月21日の記者会見で、続投の理由について、トランプ米政権との関税交渉などに加え
「明日起こるかもしれない首都直下型地震、あるいは南海トラフ地震」
を挙げて
「このような厳しい状況の中にあって、最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語っている。
発生が予想できない震災への対応を続投の理由の1つに挙げたことについては、百田氏も
「言語道断。無茶苦茶。こういう理屈が通るなら、自民党の総裁選もできない。衆院の解散もできない。悪い冗談としかいいようがない」
と疑問視した。

「選挙をなめないでください」続投表明の石破首相、平成22年の参院選敗北の民主党に苦言
動画
2025/7/22 18:24
https://www.sankei.com/article/20250722-U4SNPRNGPJEJXIPJQBXI4ZW5UA/?outputType=theme_election2025
石破茂首相は、自民党政調会長だった平成23年7月の衆院予算委員会で、民主党の菅直人首相(当時)に前年の参院選の意義を尋ねた質問で、
「菅民主党政権の是非を主権者たる国民に問うた、それが参議院選挙の意義だった」
「間違いない」
と述べた。
当時の参院選では民主党が敗北し、石破首相は
「選挙をなめないでください」
「主権者たる国民の選択なんです」
と追及していた。
平成22年の参院選で、菅首相(民主党代表)は勝敗ラインを
「改選54議席プラスアルファ」
と位置付けていたが、44議席にとどまり、与党として過半数に達しなかった。
今月2025年7月20日投開票の参院選で、自民、公明の与党の改選は66議席。
石破首相は与党で計50議席を得て過半数を維持することを
「必達目標」
としていた。
選挙では改選議席から大きく後退し計47議席に低迷した。
非改選75議席を合わせても参院全体の過半数(125議席)に届かなかった。
しかし、石破首相は翌2025年7月21日、
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
これに対し、自民党内からも批判が強まっている。

石破首相の「リコール」や両院議員総会開催を求め、自民議員が署名集めを検討
2025/7/22 17:02
https://www.sankei.com/article/20250722-RHQLWOEPCNIMBFU7LV42BP2JYA/
参院選で大敗したにも関わらず続投を決めた石破茂首相(自民党総裁)の辞任を求める複数の自民議員が、総裁選を前倒しして実施する
「リコール」
や、両院議員総会の開催を求める署名集めを検討していることが2025年7月22日、分かった。
自民の党則は、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁の任期前でも総裁選を行うと定めている。
また、党所属国会議員の3分の1以上の要求があれば両院議員総会を召集すると規定。
総会は全ての所属国会議員が出席でき、重要事項の議決権を持つ。
旧安倍派の議員の1人は
「水面下で総会の開催とリコールを求めて動き始めている」
「ずるずると首相の座に居座ることは許されない」
と述べた。
党執行部は2025年7月31日に議決権のない両院議員
「懇談会」
を開くが、閣僚経験者は
「懇談会で(不満を持つ議員の)ガス抜きをすればいいなんてあり得ない」
と強調した。

石破首相に退陣論 自民・甘利氏「珍説で政権にすがる」 元首相秘書官「橋本首相は即決」
2025/7/22 9:35
https://www.sankei.com/article/20250722-K7BWOK7J7JFO3NVURDS36CSUOE/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗したにもかかわらず石破茂首相(党総裁)が続投を表明したことに批判が噴出している。
自民重鎮や、参院選敗北を理由に退陣した橋本龍太郎元首相の当時の秘書官からは辞任論が相次いだ。
自民党の甘利明元幹事長は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、石破首相の姿勢についての見解を示した。
甘利氏は
「これ以上ない低い責任ラインを自ら設定し、それすらクリア出来ない2度の惨敗の果てに
『比較第一党の責任』
なる珍説で政権にすがろうとする」
「最後のシンパまで失いますよ」
と投稿した。
首相は昨年2024年の衆院選では自民、公明両党で過半数、2025年7月20日投開票の参院選では自公で非改選を合わせた過半数の維持を目標としていたが、いずれも達成できず、衆参両院で少数与党となる事態を招いた。
にもかかわらず続投を決め込む首相に対し、甘利氏は警鐘を鳴らした形だ。
■「誰一人責任を取らないのは前代未聞」
橋本氏の首相秘書官を務めた立憲民主党の江田憲司衆院議員は2025年7月21日、フェイスブックで、首相について
「いずれ早い時期にお辞めになると思う」
と予測した。
理由として、
「喫緊の課題が山積しているから、国政に一刻の停滞も許されないとか、政治空白を作るべきではないと言うが、現実問題、実際上、党内の求心力を失った首相が、そういう課題に対応する重要な決定ができるとは到底思えない」
と指摘した。
「橋本首相が、参院選結果を受けて即断即決で退陣を決め、私も阿吽の呼吸で同じ判断をしたのも、同様の理由からだ」
と自身の経験を紹介した。
その上で江田氏は
「そもそもトップという地位は、いざという時、責任を取るためにもある」
「衆院選、都議選、参院選と3連敗した執行部が誰1人責任を取らないというのは前代未聞で、それではディシプリン、組織の統制が取れない」
「これまでもそうだが、石破首相の世間から遊離度合いは尋常ではない」
と断じた。

「旧民主党系は限界」国民・玉木代表、選挙区調整に見切り 「全国に立てた参政は立派」
2025/7/22 17:10
https://www.sankei.com/article/20250722-JYZQRUQ54JE3JMMWK6I3X3JMV4/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月22日の記者会見で、参院選の結果を踏まえ、次期衆院選では選挙区に候補を積極的に擁立する姿勢を示した。
立憲民主党などとの候補者調整については
「自民党への不満を受け止めるには、旧民主党系はもう限界だ」
と否定的な見解を示した。
玉木氏は参院選の群馬選挙区で、自民候補が当選し、約2万8000票差の次点に参政党候補、そこから10万票近く離れた3番手が立民候補だった例を持ち出した。
「自民党王国と言いながら立憲が立てたが、事前の調査だと参政が勝っていて、最後、自民が底力を見せて引っくり返された」
「野党をまとめたら勝てたかというと違う」
とした上で
「自民への不満が高まっている」
「それを旧民主党系は受け止めきれないというか、限界だ」
「単に旧民主党系や共産党も入れてまとめたら勝てるというのは、もう幻想に終わった」
「数さえ合わせれば過半数を取れるだろうというのは、もう通用しない」
と述べた。
参院選の比例代表では、国民が立民を得票で上回り、玉木氏は
「ステージを次の段階に移行することができた」
と胸を張った。
次期衆院選について玉木氏は
「積極的に候補者を擁立する」
「全国で受け皿を作らない限り、本当の意味での国政政党、全国政党にはなれない」
と強調した。
「参政が立派なのは、全国に候補者を立てたことだ」
「受け皿を作っていることは評価すべきだ」
「衆院選は次が勝負だ」
と語った。

「日本に帰化したか、政治家は全員出自を明らかにすべき」中国出身で参院選初当選の石平氏
2025/7/22 16:06
https://www.sankei.com/article/20250722-OCRTZQYRG5GR7MFBYXXOHCV4UU/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日に投開票された参院選で、日本維新の会から比例で初当選した石平氏が2025年7月22日、産経新聞の取材に応じ、かつて自ら中国籍から日本国籍に変更した経験を踏まえて
「日本に帰化した政治家は全員、出自を包み隠さず明らかにすべきだ」
と語った。
「もし帰化して日本国籍となり、更に国会議員のような政治家、公職者となったのならば、どんな出自かを隠すことは許されない」
「帰化しているかどうかはその人の経歴の一環でもあり、立候補する時点で事前に公開しておくことは当然だ」
石平氏は、こう語った。
中国出身で、2007年に日本国籍に変更した。
沖縄・尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域に連日、中国当局の船が確認されるなど、覇権主義的な姿勢をとる中国共産党政権への批判を続けてきた。
日本の四季をこよなく愛す評論家としても知られる。
取材では、日本の帰化を巡る諸制度の「甘さ」や「ゆるさ」も問題視した。「日本の帰化制度は、申請時に思想や信条を一切、問うことがない」
「これはおかしい」
「外国人が日本人へと帰化する場合に、日本に対しどれだけの愛着があるのか、忠誠心を誓うような場や儀式もない」
「これは米国とは違う」
「こうした日本の帰化制度は根本的に改め、厳格化すべきだ」
と訴えた。
■「本気で日本を愛し続けているか」
「日本に帰化してからも本気で日本を愛し続けているかどうか、本性を現して『反日』的な行動を取ったりはしていないのか、一定期間、監察することも必要だろう」
「そうした場合には帰化を取り消せる制度も絶対に設けるべきだ」
「国会議員として是非、実現したい」
と抱負を述べた。

石破首相、参院選敗因に「外国人」挙げる 鈴木法相は「外国人政策、民意重く受け止める」
「移民」と日本人
2025/7/22 13:55
https://www.sankei.com/article/20250722-EF3WRHESHVCXXMBIC6EGVEACXM/?outputType=theme_election2025
参院選の与党大敗を受け、鈴木馨祐法相は2025年7月22日の閣議後記者会見で
「民意をしっかり受け止める必要がある」
と述べた。
また、石破茂首相は2025年7月21日の記者会見で参院選の敗因の1つに
「外国人対応」
を挙げた。
これを受け、鈴木氏は
「法令順守の徹底や、制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。
鈴木氏は参院選の結果について
「国民の信頼、信任の上に成り立つ政権運営であり、民意をしっかり受け止める必要がある」
「外国人政策や選択的夫婦別姓制度など法務省に関係するテーマも論議になり、民意を重く受け止めながら政策の運営を行っていきたい」
と述べた。
また、石破氏が2025年7月21日の記者会見で、参院選の敗因について
「政治改革の問題、物価高、外国人への対応など多岐に渡る」
と述べ、外国人問題への対応を敗因の1つに挙げたことについては、
「これまでも一部の外国人の犯罪や迷惑行為、各種制度の不適切な利用など国民が不安や不公平感を持つ中で、ルールを守らない人への厳格な対応や、制度や施策の見直しを行ってきた」
と説明。
「『不法滞在者ゼロプラン』ではルールを守らない外国人を速やかに国外に退去させており、各種の在留資格の様々な要件の適正化に向けた検討も進めている」
「参院選でも様々な議論になったが、外国人との秩序ある共生社会を推進するため、法令順守の徹底や制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。

<主張>首相が続投表明 即時退陣を改めて求める 立民は不信任案提出へ動け
社説
2025/7/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250722-JTFH7FO75FL5BPFTT2RZFCJERY/
三球三振したのにバッターボックスから去らない打者のようなものだ。
昨年2024年の衆院選、今年2025年の東京都議選、参院選に大敗した石破茂首相(自民党総裁)のことである。
これでは政治は前へ進めない。
石破首相は2025年7月21日に会見し
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
事実上の政権選択選挙とされた参院選で石破首相は、非改選を含む参院全体での与党過半数維持を
「必達目標」
とした。
だが、その勝敗ラインを越えられなかった。
有権者が
「石破政治」
を拒んだのは明らかだ。
■信頼失っても居座りか
衆参両院で過半数割れしたにもかかわらず続投するというのは、憲政史上の異常事態という他ない。
改めて言う。
石破首相は責任を取り、潔く辞任すべきである。
森山裕自民幹事長も同様だ。
衆院選、都議選、参院選の全てに大敗したのに首相の座にしがみつくのは本当に見苦しい。
そのような政治家の声が有権者に届くわけもない。
石破首相は国政運営に不可欠な国民からの信を失っている。
国民政党を自任する自民の歴代総裁は単独過半数や与党過半数などを掲げてきた。
石破首相が参院選後、比較第一党を達成したからよいとの無責任な姿勢を示したのは極めて異例だ。
自民に比較第一党として安定政権を構築する責任があるにしても、それを果たすべきは石破首相ではない。
居座りは、議会制民主主義の否定と知るべきである。
続投の理由について首相は、米国の関税措置、物価高、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの自然災害、安全保障環境などを挙げ、
「国難とも言うべき厳しい状況に直面している」
「大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語った。
国政に停滞を招いてはならないのは当然だ。
気付くべきは、首相の居座り自体が国政の最大の停滞要因になるということだ。
野党各党が、民意を失っている石破政権に手を差し伸べることはできないだろう。
政権基盤が決定的に脆弱になった石破政権が対米関税交渉をやり抜くというのでは、国益を酷く損ないかねない。
そもそも赤沢亮正経済再生担当相に交渉を丸投げし、トランプ米大統領とのトップ交渉から逃げていたのが石破首相ではないか。
衆参過半数割れの国会で、物価高対策などの予算を通せるのかも一段と不透明になった。
石破首相は、第1次安倍晋三政権時の参院選で自民が大敗し、衆参で多数派が異なる
「ねじれ国会」
になった際、続投を表明した安倍氏を猛烈に批判したことを忘れたのか。
自民総務会で
「(安倍)首相は
『私か小沢一郎民主党代表かの選択だ』
と訴えたのに、どう説明するのか」
と難じ、代議士会では
「首相は
『反省すべきは反省する』
と言っているが、何を反省し、どう改めるのか」
と責め立てた。
石破首相は今回の参院選の大敗について
「謙虚に真摯に受け止めなければならない」
と述べたが、続投では少しの反省も感じられない。
■自民議員は総裁交代を
自民の国会議員には、石破氏を党総裁、首相に選び、衆院選大敗後も続投を容認し、日本の政治を混乱させてしまった政治責任がある。
度重なる民意に反して今度も続投を認めるなら、自民は国民政党の資格を失い、凋落の一途を辿るだろう。
早期に新総裁を選出しなければならない。
2025年8月1日に臨時国会が召集される方向だ。
石破首相が居座りを決め込むようなら、野党側にはそれを防ぐ手立てがある。
衆院での内閣不信任決議案可決である。
憲法第69条に記された内閣不信任案は、民意に沿わない政権を退陣させる方策だ。
衆院議員51人という提出要件を満たす党は野党では立民だけだ。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「続投の意思表明は説得力があまりにもなさ過ぎる」
と石破首相を批判したが、不信任案提出については言葉を濁している。
党利党略ではなく、国政選挙の審判を反映させ民主主義を守るために、野党は結束して不信任案提出へ動く時だ。
与党も野党も政治を漂流させない責任を果たしてもらいたい。

立民、参院選は「負け」と受け止め「不信任案どころでない」 野田代表に首相から秋波も…
2025/7/21 20:50
https://www.sankei.com/article/20250721-UL5TYNUUXNM5PNOQ7TGWWMCBGY/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選で立憲民主党は改選前と同じ22議席にとどまった。
野田佳彦代表が掲げた
「与党改選過半数割れ」
の目標は達成したものの、国民民主党など他の野党が躍進する中、党内には
「負け」
との受け止めが広がる。
石破茂首相(自民党総裁)は政権延命に向けて立民に秋波を送るが、立民が安易に応じれば事実上の
「大連立」
とみられ、致命的な傷を負いかねない。
野田氏は2025年7月21日、記者団に、首相の続投表明について
「だらだらとした政治をいつまで続ける気なのか、だらだらと民意を無視して居座り続けるのか」
「あまりにも説得力がない」
と批判した。
一方で、立民として内閣不信任決議案の提出を検討するか問われると
「まだ考えていない」
とかわした。
野田氏は参院選を政権交代に向けた
「ステップ」
と位置付けていた。
平成19年参院選で自民、公明両党を過半数割れに追い込み、2年後の2021年衆院選で民主党(当時)への政権交代を果たした成功体験があったからだ。
今回、野田氏の目論見通り与党過半数割れの結果になったが、誤算は参院選で明らかになった立民の党勢の陰りだ。
臨時国会での不信任案提出について、党内では
「提出して衆院選になっても、この結果では勝てない」
「不信任案は出せない」
(中堅)
と慎重論が拡大する。
ベテランも
「負けも負け」
「不信任案どころではない」
と断じる。
首相は2025年7月21日の記者会見で連立政権の枠組み拡大は否定しつつ、社会保障政策で
「野田代表と認識を共有する部分も多い」
と語るなど
「野田代表」
と何度も口にし秋波を送った。
野田氏は選挙後自民との大連立を否定した。
政権交代を訴え参院選を戦った自民との連携は自己否定になるためだ。
ただ政権にとっては不信任案を提出しない野党は脅威でも何でもない。
提出を与党にちらつかせながら政策協議を行うのとは全く意味が異なる。
別のベテランは
「与党と個別協議をして政策を実現しても国民から大連立と受け止められたら立民の存在意義が問われる」
と忠告した。

石破首相、続投正式表明も「ありえない」 公明は支持も党内から退陣要求噴出 地方からも
2025/7/21 20:39
https://www.sankei.com/article/20250721-JKUGNG2NPJP6FFRTBDTFUW4DBY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は2025年7月21日自民公明両党が大敗した参院選を受けて党本部で記者会見し、
「国難とも言うべき厳しい状況で最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と述べ正式に続投を表明した。
森山裕幹事長ら党執行部の引責辞任にも否定的な考えを示した。
一方党内からは大敗を招いた首相や執行部に対する責任論が噴出し退陣圧力が強まっている。
■トランプ氏との会談に意欲
首相は
「痛恨の極みだ」
「重大な責任を痛感しながらも比較第1党としての責任を果たしていく」
と強調した。
続投の期限を問われると
「今考えているわけではない」
「物価高や自然災害への対応など喫緊の課題に解決の道筋を付ける」
と明言を避けた。
衆参両院で過半数を持たない
「少数与党」
に陥ったことで首相の政権運営は厳しさを増す。
首相は
「公明以外の他党とも真摯な議論を通じ新たな政治の在り方について一致点を見い出したい」
と一部野党との連携を模索する方針を示した。
2025年8月1日に期限を迎える米国との関税協議を巡っては
「日米双方に利益となる合意を実現する」
としトランプ米大統領との早期の首脳会談にも意欲を示した。
党役員人事や内閣改造は2025年9月の役員任期を念頭に置き対応を考えるとした。
■「検証総括委員会」設置へ
首相は2025年7月21日公明の斉藤鉄夫代表と公邸で会談し自公連立政権の継続を確認した。
斉藤氏は首相の続投を支持した。
だが自民内では首相ら執行部への退陣要求が相次ぐ。
京都選挙区で4選を果たした西田昌司氏は記者団に首相の続投表明は
「あり得ない」
として総裁選の実施を求めた。
高知県連も首相の早期退陣を党本部に求めることを決めた。
同県連会長は中谷元防衛相が務める。
林芳正官房長官が会長の山口県連も幹部が首相の退陣を要求した。
河野太郎選対委員長代理は自身のX(旧ツイッター)で森山氏の続投を批判した。
「選挙の責任者である幹事長が辞表を出していないのはおかしい」
と投稿した。
自民は2025年7月21日の臨時役員会で敗因分析のため近く参院選の検証総括委員会を設置し都道府県連から意見聴取することを決めた。
2025年7月31日にも両院議員懇談会を開催し党所属議員から意見を聴く。

議員が内閣の不信任に関する動議もしくは決議案を発議する時は、理由を附し、50人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない(衆議院規則第28条の3)。
したがって、内閣不信任決議案の提出には少なくとも発議者1人と賛成者50人の計51人が必要となる。
衆議院規則
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-rules.htm
第六章 議案の発議及び撤回
第二十八条の三 議員が内閣の信任又は不信任に関する動議若しくは決議案を発議するときは、その案を具え理由を附し、五十人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない。

国民民主・玉木代表、石破首相の続投表明に皮肉「まるで選挙がなかったかのような‥」
2025/7/21 19:07
https://www.sankei.com/article/20250721-UW6EUQ55XVPPHHVRUK7O5YH7SU/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月21日、参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)が続投する考えを表明したことについて
「ちょっと驚いた」
「まるで選挙がなかったかのような対応だ」
「選挙で示された民意に対して真摯に向き合っている姿勢は感じない」
と述べた。東京都内で記者団の取材に答えた。
また、玉木氏は
「衆院選、東京都議選、参院選と連続で負けており、民間企業で言えば3期連続赤字のようなものだ」
とも皮肉った。
首相が平成19年の参院選で自民が惨敗した際に当時の安倍晋三首相に退陣を迫ったことに関し、
「文字通り正面からブーメランが飛んできている感じだ」
「仮に続投するなら難局を打開していくビジョンを示す必要がある」
と突き放した。

野党、首相続投を批判 野田氏「民意無視の居座り」 玉木氏「真摯に向き合っていない」
2025/7/21 17:53
https://www.sankei.com/article/20250721-VTBKOBQWWRO2PNYBZR5NRR7J6I/?outputType=theme_election2025
野党幹部は2025年7月21日、参院選で与党が大敗した結果を受け、続投を正式表明した石破茂首相の対応を批判し、対決姿勢を強めた。
立憲民主党の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「説得力が余りにもなさ過ぎる」
と指摘。
国民民主党の玉木雄一郎代表は
「驚いた」
「続投した上でのビジョンを示すべきだ」
「選挙で示された民意に真摯に向き合っていない」
と疑問を呈した。
野田氏は東京都内で記者団に、昨年2024年の衆院選や今年2025年6月の都議選に続き
「参院選で敗れた意味合いがよく分かっていない」
と強調。
食料品の消費税率ゼロ%など野党が掲げる政策にも耳を傾けるべきだと訴えた。
玉木氏はフジテレビ番組で、昨年2024年12月に与党と合意したガソリン税の暫定税率廃止などに触れ
「約束を守ってもらえなかった」
「2回騙されるわけにはいかないので厳しく向き合っていく」
と語った。

比例代表の得票、立民は参政を下回る 政治思想史家「左の大結集、戦後政治の夢ついえる」
2025/7/21 18:29
https://www.sankei.com/article/20250721-PKHHMVJPYBCL3EHX5JSUNLB65M/?outputType=theme_election2025
参院選(2025年7月20日投開票)比例代表を巡っては、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党の得票数が立憲民主党を僅かながら上回り、自民、国民民主両党に次ぐ3位に躍進した。
政治思想史家の河野有理(ゆうり)法政大教授は2025年7月21日、X(旧ツイッター)で、
「『自民党より左』の大結集で政治を変えるという戦後政治の<夢>が遂に最終的に潰えた」
との見方を示し、
「極めて大きな地殻変動の現れ」
を指摘した。
■参政支持のうねりの過小評価指摘
参政は、比例代表で742万5053票(得票率12・6%)を得て、立民の739万7456票(同12・5%)を、2万7597票差で上回った。
国民民主は762万492票(12・9%)。
野党3党が得票率13%弱でほぼ並ぶ結果となった。
河野氏はXで、参政党に対する評価を巡って、
「『参政党支持している人は周りにはいない、いたら縁を切る』みたいな選挙前によくいた人たち、よほど世界が狭いか、相手が大人で話を合わせてもらっているのだろうなという感じ」
と書き込んだ。
改選22議席の立民は、選挙区15議席、比例代表7議席の計22議席と横ばいの結果にとどまった。
■山口二郎氏も「これ、ほんと」
河野氏は、立民について、
「今回で伸びないならいつ伸びるのかという話であり、相当に厳しい結果なのではないだろうか」
との見方を示し、
「執行部がこれを厳しい結果と思えていないなら本当に将来がなさそうである」
と指摘した。
この投稿については、野党共闘の強化に尽力し続けた政治学者の山口二郎法政大教授も
「これ、ほんと」
「私の政治学者人生も終わったということ」
とXで賛意を表した。
山口氏は立民のベテラン勢はもはや後進の育成に注力すべきとの考えを示し、立民の現状について、
「実質的な敗北と、厳しく総括すべき」
「私自身も、かつて民主党政権を担った政治家が最後にもう一花咲かせてほしいと思って応援したが、民意との乖離が極めて大きいことを痛感する」
と訴えた。

「国政に停滞招かないことが最も大切」石破首相が続投表明 参院選大敗「痛恨の極み」
2025/7/21 14:26
https://www.sankei.com/article/20250721-REQMDEQZAVBUJL3FE53EXJUPFQ/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は自民、公明両党が大敗した参院選から一夜明けた2025年7月21日、党本部で記者会見し
「比較第一党としての責任、そして、国家国民に対する責任を果たしていかねばならない」
と述べ、続投する考えを強調した。
首相は参院選の結果について
「痛恨の極みだ」
「党総裁として深くお詫びする」
「この結果について謙虚に、真摯に受け止めなければならない」
と述べた。
一方で、トランプ米政権による関税措置、物価高騰、首都直下型地震や南海トラフ地震といった自然災害への対応などを挙げ
「いま最も大切なことは、国政に停滞を招かないということだ」
と述べた。
「選挙結果に対する重大な責任を痛感しながらも、政治を停滞させないよう、漂流させないよう、地方の皆さま方の声も丁寧に真摯に聞きながら、責任を果たす」
と語った。

自民保守系 安倍政権下の6年前から得票47.5%減 岩盤支持層離反が鮮明 参院比例
2025/7/21 13:26
https://www.sankei.com/article/20250721-TWTYEWMAVNDGJBOF7EIA4CUTNQ/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選の全議席が確定し、比例代表では自民党の保守系候補の落選が相次いだ。
単純比較はできないが、主な保守系候補7人の得票の合計を安倍晋三政権下で行われた6年前2019年の参院選と比べると、47.5%の63万票が失われていた。
自民の岩盤支持層とされる保守の離反が鮮明となった。
「ご支援やご声援を頂いた全ての方にお詫びとお礼を申し上げます」
「この敗北は全て私の責任です」
比例代表で落選した
「ヒゲの隊長」
の愛称で知られる佐藤正久幹事長代理は2025年7月21日、自身のX(旧ツイッター)にこう記した。
保守系候補としては佐藤氏の他、有村治子元女性活躍担当相、山東昭子元参院議長、保守系グループ「保守団結の会」で代表世話人の赤池誠章氏、和田政宗参院内閣委員長の5人が6年前2019年の参院選に続き出馬し、有村氏のみが当選。
旧安倍派に所属し、保守の論客として知られる杉田水脈、長尾敬両元衆院議員も落選した。
7人の合計得票は開票率99%の段階で約69万票だった。
6年前2019年の参院選では佐藤氏ら5人に旧安倍派で保守系の北村経夫、衛藤晟一両氏を加えた7人の得票が132万票を超えていた。
産経新聞の集計では今回47.5%に当たる約63万票が減ったことになる。
LGBTなど性的少数者への理解増進法の成立などの影響で自民からの
「岩盤保守層」
の離反が指摘されてきたが、選挙結果にも現れた形だ。
一方、自民内の保守の影響力低下により、選択的夫婦別姓などの政策が進んでいく可能性も囁かれている。

参院比例、個人別は北村晴男氏が97万票トップ 浜田聡氏は全体7位で蓮舫氏に迫るも落選
2025/7/21 13:48
https://www.sankei.com/article/20250721-VHJXLYXLLRDW3MK5DUFBNMY4IU/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選の比例代表は2025年7月21日正午時点で、個人別の得票数は日本保守党の新人で弁護士の北村晴男氏(69)が約97万票でトップとなっている。
2〜5位は自民、公明両党の候補で、6位は立憲民主党の元職、蓮舫氏(57)。
政治団体「NHK党」が擁立した現職の浜田聡氏(48)は個人で全体の7位となる33万票余りを獲得し蓮舫氏に迫るが、NHK党の総得票数が約68万票にとどまり議席の配分がなかったことから、涙をのんだ。
比例個人別得票数の上位10位(開票率99・9%)
(1)北村晴男(保守)97万5122
(2)犬童周作(自民)48万2058
(3)山田太郎(自民)38万1185
(4)平木大作(公明)37万7986
(5)司隆史(公明)34万1441
(6)蓮舫(立民)33万9310
(7)浜田聡(N党)33万3947(落選)
(8)佐々木雅文(公明)32万5344
(9)原田大二郎(公明)31万0047
(10)安野貴博(チみ)23万7725

参院比例票、日本保守党が300万票に迫り共産党を上回る 議席は北村晴男氏と百田尚樹氏
2025/7/21 12:44
https://www.sankei.com/article/20250721-T7UJJVCQKFEJJKIEHGVFNSQUN4/?outputType=theme_election2025&utm_source=smartnews&utm_campaign=android&utm_medium=app
20日投開票の参院選の比例代表は2025年7月21日正午時点で、日本保守党の得票が約298万票(得票率5・0%)で、共産党の約286万票(4・8%)を上回っている。
開票率は約99・9%。
議席数では保守は北村晴男氏(69)と百田尚樹代表(69)の2議席を獲得し、社民党の2議席と並んだ。
正午時点での社民の比例票は約121万票(2・1%)で、政治団体「チームみらい」の約151万票(2・6%)を下回っている。
政治団体「NHK党」は約68万票で得票率1・2%。

参院選の全125議席が確定、自公は47議席 国民は17、参政は14議席で大きく伸ばす
2025/7/21 9:11
https://www.sankei.com/article/20250721-MH7C7LJ5WBCG3FHUH2ZQHRJCAY/?outputType=theme_election2025
第27回参院選は2025年7月21日、124の改選議席と非改選の東京選挙区の欠員補充を合わせた全125議席が確定した。
自民党は改選52議席から39に激減。
改選14議席から8となった公明との合計は47議席で、非改選75と合わせても参院の過半数125を割り込んだ。
国民民主党は改選4から17に、改選1だった参政党は14に、共に大きく増やした。
各党の獲得議席は次の通り(カッコ内は順に選挙区、比例代表の議席)。
自民党=39(27、12)
立憲民主党=22(15、7)
国民民主党=17(10、7)
参政党=14(7、7)
公明党=8(4、4)
無所属=8(8、0)
日本維新の会=7(3、4)
共産党=3(1、2)
れいわ新選組=3(0、3)
日本保守党=2(0、2)
社民党=1(0、1)
チームみらい=1(0、1)

日本保守党が参院選2議席目、百田尚樹代表が当選 昨年10月に党を設立
2025/7/21 9:00
https://www.sankei.com/article/20250721-PPVDCWHGBZD5ZCTBVZ3ORUKJQA/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選の比例代表で、日本保守党の百田尚樹代表の当選が2025年7月21日決まった。
同党の参院選の当選者は弁護士の北村晴男氏に続いて2人目。
百田氏はテレビの放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手掛けた。
平成18年、50歳の時に先の大戦の特攻隊員を主人公にした「永遠の0」で小説家デビュー。
石油元売り大手の出光興産創業者をモデルにした「海賊とよばれた男」で第10回本屋大賞を受賞した。
令和5年10月に、ジャーナリストの有本香氏らと共に日本保守党を設立。
昨秋2024年秋の衆院選では3議席を獲得した。

<主張>参院選で与党大敗 「石破自民」は否定された 民意受け首相は直ちに退陣を
社説
2025/7/21 5:00
https://www.sankei.com/article/20250721-MOZKWAAVJZKCBFG3HP4BFABQ7Q/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党、公明党の与党は議席を大きく減らし、大敗を喫した。
一方で、新興の参政党が、選挙戦後半で急速に支持を伸ばして躍進した。
国民民主党も議席を大幅に伸ばした。
今回参院選は事実上の政権選択選挙とされた。
昨年2024年の衆院選で与党が過半数割れし、少数与党政権となっていたからだ。
石破茂首相(自民総裁)は憲政の常道に則り、衆院選後に直ちに辞任すべきだったが続投した。
だが、有権者は参院選でも厳しい審判を下し、
「石破政治」
を拒んだと言える。
■政権運営を任せられぬ
それにもかかわらず、石破首相は2025年7月20日夜、
「比較第一党の責任をよく自覚しなければならない」
などと述べ、続投の意向を表明した。
だが、衆院選で自ら設定した勝敗ラインを割り込み、参院選でも大敗した首相に国の舵取り役は任せられない。
野党各党も、居座りを決め込む石破首相に協力することはあるまい。
求心力を失った首相がトランプ米政権との経済交渉をやり抜くことなど望むべくもない。
首相も森山裕自民幹事長も潔く辞任すべきだ。
自民は新総裁を選出し、再出発を図るときである。
参院選では、自民を長年支えてきた岩盤支持層が離れ、参政など他の政党へ流れた。
背景には、石破首相が外交安全保障で率先して国民を守る姿勢を示さなかったことがある。
内政でも、物価高対策が評価されなかった他、リベラル傾向を見せた点も理由となった。
外交、安全保障を巡って石破首相は先頭に立って働かなかった。
日米関税交渉では、閣僚協議ばかりを重ね、首相自身はトランプ米大統領とのトップ交渉から逃げた印象は否めない。
北大西洋条約機構(NATO)首脳会議も欠席した。
対中姿勢もあやふやだった。
選挙期間中、東シナ海上空で中国軍機が航空自衛隊機に異常接近したり、中国に不当に拘束されたアステラス製薬の日本人社員に実刑判決が下されたりした。
にもかかわらず石破首相は強く抗議しなかった。
片方の親と子の
「強制的親子別姓」
を意味する選択的夫婦別姓制度を巡り、首相も自民もその危うさを論じなかった。
憲法改正問題では、自民は衆院憲法審査会会長のポストを改憲に慎重な立憲民主党の枝野幸男元代表に明け渡した。
安定的な皇位継承策を巡っては男系継承という最重要原則を踏まえた立法府の総意形成が急務であるにもかかわらず、首相がリーダーシップを発揮して調整に動いた形跡はない。
物価高対策では迷走の末、批判も多い給付金に飛びつくという節操のなさを示した。
保守的な支持層に愛想を尽かされるのは当然だ。
無党派層と共に、
「石破自民」
を見限った岩盤保守層の受け皿となったのが、結党わずか5年の参政だ。
■参政が保守の受け皿に
参政は選挙戦で外国人対策を前面に打ち出した。
在留外国人数が過去最多となる中、外国人を巡る犯罪や迷惑行為が目立つようになった。
外国人対策が国政選挙で争点になったのは初めてだろう。
対策が急務の課題である。
参政は
「日本人ファースト」
を掲げ、
「行き過ぎた外国人受け入れ」
に反対の姿勢を鮮明にした。
外国人労働者の受け入れ制限や、外国人による土地・不動産購入への制限を訴えた。
また、伝統的な家族観を守るため選択的夫婦別姓制度の導入に反対し、LGBT理解増進法の撤回も掲げた。
国民民主は
「手取りを増やす」
ことを重点的に訴え、議席を大幅に伸ばした。
ただし、通常国会後半で選択的夫婦別姓導入の法案を提出するなどして保守層から失望された。
保守層への浸透で参政の後塵を拝した形だ。
立民に勢いがあったとは言えない。
選挙区選挙で勝ったところも、自民や参政などに保守票が分散した結果、相対的に優位に立った側面がある。
野党第一党にもかかわらず、与党への不満の最大の受け皿とならなかった。
自民に、民主党から立民にいたる野党第一党が対峙する構図が崩れた意味合いは大きい。
公明、共産党は支持層高齢化などで苦戦した。
大半の既成政党は激変に晒されている。
政治の地殻変動が始まった。

<産経抄>マイク納めが象徴した参政党の躍進 「山が崩れた」自民党
2025/7/21 5:00
https://www.sankei.com/article/20250721-KNEEPDUJ6JOLTIPKNWVJAW4DAM/
昭和、平成、令和と無駄に長く記者稼業をやっていると、国政選挙の勝敗は、開票前日には分かるようになる。
選挙運動最終日の夜に行われる
「マイク納め」
を見ればいいからだ。
▼勝つ政党と負ける政党とでは、党首と詰めかけた支持者が醸し出す熱気が違う。
政権交代が決まった16年前の2009年衆院選では、東京・池袋駅を挟んで東口で自民党が、西口で民主党がマイク納めをしたが、西口では鳩山由紀夫代表の一言一言に地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こった。
▼東口では麻生太郎首相が熱弁を振るったが、拍手はまばらだった。
全盛期の安倍晋三政権では、秋葉原駅前で選挙戦を終えるのが常だった。
支持者だけでなく、
「アンチ安倍」
派も多数詰めかけ、異様な盛り上がりを見せ、自民党は常に勝っていた。
▼今回盛り上がったマイク納めは、参政党と国民民主党だった。
特に参政党は芝公園に2万人もの支持者を集めたが、
「参政党はJナチス」
といったプラカードを掲げた
「アンチ参政党」
の人々も多かった。
参政党の神谷宗幣代表は、
「なぜ支持が伸びたか(アンチの)皆さんが叩いたからですよ」
と発言し、皮肉交じりに
「アンチ」
に感謝していた。
とはいえ、支持者とアンチの人々はしばしば一触即発の状態になっており、両者に
「対話」
はなかった。
▼36年前の1989年参院選も自民党は大敗し、社会党委員長は
「山が動いた」
と豪語したが、遂に山そのものが
「崩れた」
のではないか。
物価高騰や法外なトランプ関税に加え、外国人による土地やマンション買い占めに無策の石破茂政権への失望が、自民党の
「岩盤支持層」
を崩落させてしまったのだ。
好むと好まざるとにかかわらず、日本にも
「分断」
の時代がやってきた。

躍進の参政党、自公との連立否定 参院選を席捲…選挙戦の争点すら変える
2025/7/21 1:12
https://www.sankei.com/article/20250721-A3ZRXZNFWBILZMPTQPX7CISTCU/?outputType=theme_election2025
参政党は議席の大幅な伸長が確実となった。
「日本人ファースト」
を掲げて減税と積極財政や外国人の受け入れ制限などを訴え、幅広い層から支持を得た。
グローバリズム是正の主張は賛否両論を呼んだが、選挙戦の争点すら変えた。
参政の神谷宗幣代表は2025年7月20日夜、産経新聞の取材に応じ、政権との距離について
「現時点で与党と組むことはない」
「仲間が増えるので、まずは次の衆院選に向けた態勢をしっかり固めていきたい」
と語った。
選挙中に訴えたスパイ防止法案の国会提出に向け、党内に準備を指示したと明らかにした。
非改選と合わせて11議席以上が確実になり、参院で予算を伴わない法案の提出が可能になった。
参政は2025年6月の東京都議選で初めて議席を獲得し、知名度を上げた。
参院選の公示直前に無所属の参院議員が入党したことで公職選挙法の政党要件を満たし、テレビ討論会などで主張を宣伝する機会が増えた。
参院選の争点は当初、減税やコメ政策だったが、神谷氏は外国資本による土地取得や企業買収の規制などを主張。
既存政党は
「排外主義」
と批判したが外国人政策の明確化を迫られ、与野党の主要争点となった。
参政は設立当初はインターネット中心の政治活動だったが、2025年6月末時点で全国に287支部を持ち、党員・サポーターは約7万5千人を抱える。
この足腰を生かし、参院選では全45選挙区に候補を擁立。
単純明快な主張は自民党を支えていた岩盤保守層を切り崩し、就職氷河期世代や無党派層、主婦層にも食い込んだ。
参政の姿勢は既存政党から
「分断を煽る」
と攻撃を受ける。
衆院では3議席にとどまり、政策実現に向けた動向が注目される。

国民の不安に応えられなかった自民党の自壊 政治ゲームはやめるべきだ 政治部長・酒井充
2025/7/20 22:44
https://www.sankei.com/article/20250720-5NKN2D6JGFI3JFPXRUCVBHF2VQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗は起こるべくして起こった。
国民の不安に参院選の最後まで応えられなかったからだ。
物価高による生活不安、少子化や年金に関する将来への不安、外国人にまつわる日常の不安、軍拡を強める中国などによる安全保障環境への不安。
全て石破茂政権の責任というわけではないが、政治は結果である。
あさましさも露呈した。
例えば外国人問題だ。
突如、公約に
「違法外国人ゼロ」
を掲げ、政府は選挙戦中に司令塔組織を新設した。
外国人犯罪や外国人の土地取得、訪日観光客急増に伴う軋轢は前から問題視されており唐突感が否めない。
石破政権では憲法改正の議論が進まず、安定的な皇位継承への対応も結論を先送りし、選択的夫婦別姓を推進するかのような姿勢を示した。
保守層の支持をつなぎとめるため、急に外国人問題に飛びついたという魂胆が見え見えだった。
そもそも昨年2024年の衆院選で与党過半数割れを招いた石破首相は政権を担う資格を欠いていた。
責任を取らず続投した首相の発言や政策は変節を繰り返した。
それでも、首相続投を容認し続けたのは自民であり、今回の事態は自業自得である。
伸長した野党も心許ない。
公約で廃止とした安保関連法の違憲部分を説明できない立憲民主党の野田佳彦代表らに政権を委ねられるのか。
バラバラの野党による
「民主党政権の悪夢」
が再現すれば、国民の不安は更に増すだろう。
日米関税交渉も含め今後も国民の不安の種は尽きない。
もう政権の枠組みを争う悠長な政治ゲームをやっている場合ではない。
ツケを払わされるのは国民なのだ。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/751.html#c28

[政治・選挙・NHK297] 自民党「石破おろし」の裏で暗躍する重鎮たち…両院議員懇談会は大荒れ必至、党内には冷ややかな声も(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
28. 秘密のアッコちゃん[1767] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月29日 11:08:39 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1205]
<■2683行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「それは野心。国益に反する」自民・青山繁晴氏 石破首相が戦後80年「談話」発出なら
2025/7/29 10:00
https://www.sankei.com/article/20250729-HYEA3JJNHJFL7IL3ERTV5IZKSU/
自民党の青山繁晴参院議員は28日の両院議員懇談会で、石破茂首相に戦後80年の談話を発出しないよう求めた。
青山氏は、安倍晋三元首相による戦後70年談話について
「日本国にとっては1つの財産なので、それを上書きするのはやめて頂きたい」
と述べ、
「それ(戦後80年の談話)は総理の野心であって、国益に反する」
と強調した。党本部で記者団に語った。
首相は閣議決定を伴う首相談話は見送り、戦後80年の節目となる8月15日前後に
「見解」
の発出を検討している。
両院議員懇談会に出席後、記者団に
「80年は1つの区切りだ」
「今までの(首相)談話の積み重ねも踏まえながら、適切に判断することが大切だ」
と述べた。
発出に重ねて意欲を示したとみられる。

「石破首相が『80年談話』出せば自民党終わる」安倍元首相のブレーン、本田悦朗氏断じる
2025/7/28 18:10
https://www.sankei.com/article/20250728-HHZXETZT7ZFZXEND5LMKXZ5K6I/?outputType=theme_election2025
第2次安倍晋三内閣で安倍元首相の経済ブレーンとして経済政策「アベノミクス」を推進した一人、本田悦朗元内閣官房参与が、自らのX(旧ツイッター)で、石破茂首相(自民党総裁)は参院選大敗の責任を取り辞任すべきだ、と繰り返し投稿している。
日米関税交渉の「合意」についても厳しい言葉を投げかけている。
■「石破総理の存在自体が、深刻な政治空白」
「石破総理の存在自体が、日本にとって深刻な政治空白」
「一体、何回負けたら国民の期待に少しでも近い人を総理にして、解散総選挙を打つ気になるのか」
「自民党の大敗は、安倍総理を支えた保守岩盤層が、見限ったから」
「国民の審判が下った以上、理念と政策を正し、国民に説明するか、自ら辞任する責任がある」
本田氏は参院選から一夜明けた2025年7月21日、こう発信した。
2025年7月25日には
「石破総理には直ちに辞任する以外の選択肢はない」
「国民は、3度の国選で石破氏を信任しなかった」
「自らの保身のために判断が揺れ続ける人に、この悠久の国のトップが務まるはずがない」
「終戦の日に『80年談話』を出して謝罪するようなことがあれば、自民党政治は終わる」
と牽制した。
■「トランプ氏は居座りの口実与えないため関税合意」
トランプ米政権と合意したとされる日米関税交渉についても、厳しくこう石破氏を評した。
「石破氏は地位にしがみつく為に、あらゆる屁理屈を並べる」
「日米関税交渉もその例」
「トランプ氏は居座りの口実を与えないために選挙後、間髪入れず合意」
「合意文書もなく、米側のファクトシートのみ」
「愛国者なら米国に従属国扱いされて直ちに辞任」
(2025年7月26日)
翌2025年7月27日には
「日米関税協議での『合意』なるものは、その体を成していない」
「米側でファクトシートを作っているとのことだが、日本側は同意していない」
「日本側には、ファクトシートさえ存在しない」
「これでは、合意の基礎となる立法事実が分からないし、何を合意したのかさえ分からない」
と、石破政権への怒りをぶつけた。

石破首相「居座り」は戦後80年「談話」狙いか、禍根を残す閣議決定なき私見 有元隆志
2025/7/27 15:00
https://www.sankei.com/article/20250727-IS6HLLUI5FKYPEYV2YS4DFVDDM/?outputType=theme_weekly-fuji

詰んでいる石破首相の居座りで「人災」拡大、戦後80年談話は禍根を残す 岩田明子
2025/7/27 12:00
https://www.sankei.com/article/20250727-VJY5WYV4ONNDDKUMQMU6QMZ3H4/?outputType=theme_weekly-fuji

「死に体」石破首相に「戦後80年談話」を出させるな、「保守派の絶望」は深く 平井文夫
2025/7/26 15:00
https://www.sankei.com/article/20250726-SBDZTBFGIJLCVAKXGEIUT46QHE/?outputType=theme_weekly-fuji

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

戦後80年、石破首相は安倍談話の確認を 「自前の総括」求める朝日新聞の社説には疑問
大阪大名誉教授・坂元一哉
2025/6/16 1:00
https://www.sankei.com/article/20250616-EFKDQ2G66FN73ECNPZBCVNLM6Y/
石破茂首相は戦後80年の節目に合わせて、日本が内外に多大な犠牲を生み出した第二次世界大戦に関する個人的な見解を発表する考えらしい。
これに対して朝日新聞は、2025年4月3日の社説で、私的なメッセージではなく、閣議決定を伴う政府談話を出すべきだと主張している。
だが私は、この社説の内容には疑問や引っ掛かり覚える所が少なくなく、主張にも賛成できない。
この社説はまず、国際秩序が大きく揺れる中、戦後80年の節目を迎えた日本が談話を出すことには今日的意義があるとする。
しかしどんな今日的意義があるのかは、最後まで明確ではない。
もう1つ意味が不明なのは、日本がこれまで自前の総括をしてこなかったという一文である。
「自前の総括」
とは何のことか、見当がつかない。
もし他国にそれをやった例があれば示してほしいし、1995年の村山富市首相談話や、それを引き継いだ2015年の安倍晋三首相の談話では不十分だというのなら、何が足りないのかを教えてほしい。
この社説には、
「過去の過ちを決して忘れず、未来に生かす誓いを更新し続けることが日本への信頼を高めることに繋がるはずだ」
という前提があるようだ。
もちろん過去の過ちを決して忘れないことの重要性は言うまでもない。
だが、誓いを更新し続けるというのは如何なものか。
まるで強迫神経症のように反省の言葉を更新し続けることが日本への信頼を高めるとは思えない。
特に今年2025年は、安倍談話というよくできた談話から10年しか経っていないので尚更である。
安倍談話は、19世紀に西洋諸国による植民地支配の波がアジアにも押し寄せてきたことへの危機感を背景に近代化した日本が、ロシアとの戦争に勝利し、植民地支配の下にあったアジア・アフリカの諸国民を勇気付けたと指摘する。
一方、安倍談話では第一次世界大戦を含むその後の国際社会の激動の中で日本は国際社会の大勢を見失い、国際協調の道を踏み外して追いつめられ、武力行使で問題を解決しようとして先の大戦に至り、内外に多大な犠牲を生み出してしまったとも指摘している。
国内の政治システムはそれを防ぐことができなかった。
安倍談話は概要このように先の大戦を日本の近現代史の中に位置付けた上で、反省とお詫びを新たにした、非常に優れた談話であると言える。
この談話に対し、内外から強い批判が出ることはなかった。
村山談話に強く反発していた国内の保守層からも出なかった。
ある著名な保守の識者などは、この談話を
「120点満点」
と評するほどであった。
ちなみに、米国家安全保障会議(NSC)の報道官は安倍談話を歓迎すると表明すると共に、日本が戦後、自由と民主主義、そして法の支配を守り続けてきたことを他国も模範にするべきだと評した。
石破首相が自民党内の強い反対を考慮して新たな談話を見送り、私的なメッセージを発表する意向であることについて、朝日の社説は
「余りに内向きで大局観を欠くという他ない」
と決め付けている。
しかしこれは、自民党内に強い反対があるにもかかわらず談話を出すことになれば、国内世論の亀裂を生じさせて歴史認識問題をこじらせ、悪化させた村山談話の二の舞いになることを懸念した石破首相の慎重な判断と言えるのではないだろうか。
今年2025年は太平洋戦争後80年の節目であると共に、日露戦争後120年でもある。
それもあるので、石破首相におかれては、今年2025年の終戦記念日は新たな政府談話ではなく、安倍談話を確認すると共に、日本がこれからも国際協調に基づく積極的平和主義に徹することを誓う旨の首相メッセージを出されてはどうかと思う。

さかもと・かずや 昭和31年生まれ。阪大教授など歴任。専門は日米関係史。

<正論>自虐史観脱し歴史改竄に対抗を
文化人類学者静岡大学教授・楊海英
2025/5/19 8:00
https://www.sankei.com/article/20250519-YGL7TT4S2JPELN73YV4E3R6FSU/
習近平国家主席の中国共産党(中共)は今、世界中で歴史の書き換えを進めている。
歴史の捏造は、ロシアが2025年5月9日にプロデュースした対ドイツ戦勝記念式典でも繰り広げられた。
中国の捏造過程を振り返り、日本に及ぼす深刻な影響と対抗措置について考えてみよう。
■中共「北上抗日」の虚言
国賓として訪露した習氏は、ロシアの対ドイツ戦勝パレードに初めて人民解放軍を参加させた。
プーチン大統領はパレードに参加した外国軍として最多だと賛辞を贈った。
習氏も
「中国とロシアは正しい歴史を守る」
と応じ、中共が全人民をリードし、ソ連と共に抗日戦争に勝ち抜き、世界の反ファシズム闘争に貢献した、と豪語している。
しかし、その中共の
「抗日」
の実績はゼロに近い。
1921年に結成された中共は、熾烈な党内論争を経て武装闘争に方針転換し、南中国の山岳地帯に盤踞(ばんきょ)し、中華ソビエト共和国という割拠政権を樹立した。
国民党軍による掃討で拠点を奪われると、残党は1934年から西の四川省とチベットを通ってソ連領への逃亡を図った。
途中、チベット軍との戦闘で死傷者を出しながらも、略奪と放火を続けた。
この行為を後日、毛沢東は
「チベット人から少し、物資をかっぱらった」
と認めている。
北への逃亡を毛沢東らは当初、
「戦略的撤退」
と位置付けていたが、やがて
「北上抗日」
という美しい名前に置き換えた。
当時、毛らは日本軍がどこまで進出していたかすら把握しておらず、建国して2年以上経つ満州国についても
「東北」
という方位名称で呼び、正確な情勢認識を有していなかった。
そのため、1935年晩秋に陝西省の延安に落ち着いた時も、隣接する内モンゴルからの攻撃に怯えていた。
毛は
「中華ソビエト共和国宣言」
を配布し、内モンゴル人にはウクライナ人やコーカサス諸民族と同じような分離独立権があると公言している。
将来、モンゴル人が仮に中国領内に留まる選択をしたとしても、それは連邦制だ、と高らかに宣言している。
■国是としての反日
毛の中共軍は延安から抗日の前線の東へは向かわず、勢力の拡大と国民党軍の弱体化を図った。
陝西省北部と内モンゴルのオルドス高原でケシを栽培し、精製したアヘンを国民党軍の支配地とモンゴルに密売した。
アヘン密売で国民党軍の戦意を減衰させ、モンゴル社会に貧困をもたらした。
前線から敗退してくる国民党軍を中共軍はまるで日本軍の友軍のように迎え撃ち、占領地では裕福な農家を
「搾取階級の地主」
として殺害した。
地主から奪った土地を、ごろつきや浮浪者などに渡し、自軍の勢力を補強した。
日中の8年間もの戦いを経て、いざ戦争が終わってみると、中華民国の農山村はほとんど中共の
「革命的根拠地」
と化していた。
これが中共の
「抗日」
の事績である。
中共は戦後、満洲映画協会(満映)にいた日本人技術者を動員して多くの
「抗日映画」
を製作したが、
「鉄道遊撃隊」
のような映画名自体が、中共軍は日本軍と大規模な近代戦争を展開していなかった事実を物語っている。
満州国と内モンゴルに進攻してきたソ連・モンゴル人民共和国連合軍は同床異夢の関係にあった。
ソ連は満州国に中共軍を手引きし、日本軍が残した優良な武器弾薬を渡して国共内戦を有利に進め、毛沢東を政権の座に就けた。
■戦争の検証は必要なし
モンゴル人民共和国は同胞の内モンゴル人の解放を目指し、長城以北のモンゴリア全域の統一を目標としていた。
モンゴル人民共和国にとっては民族解放の戦争だった。
しかし、米英ソが1945年春に交わした
「ヤルタ協定」
の密約により、内モンゴルは中国に占領されることになっていたため、民族の解放は夢半ばで頓挫した。
今日の習近平政権は、ソ連とモンゴル人民共和国連合軍の南下についても触れなくなり、本当の反ファシズムの歴史を自ら隠蔽している。
習氏の招待を受けて、プーチン氏は今秋2025年秋に北京を訪れ、
「抗日戦勝行事」
に参加する予定である。
抗日していなかったが故に、反日は国是となり、政権維持の手段となっている。
中共からの攻勢に日本は無防備なだけでなく、有力議員は陸続と北京を訪問してはパンダをねだったりして融和的な姿勢を取っている。
議員団の訪中後も中共の公船は沖縄県の尖閣諸島海域に侵入し続け、一方的に自国領だとの主張を変えていない。
尖閣を狙う中共の目的は、歴史の捏造を現実化しようとしている点にある。
日本の現政権は、中国による歴史の書き換えと国際秩序の改編に対処しないどころか、戦後80年に当たり
「先の大戦を検証する」
と謝罪につながりかねない行為を繰り返そうとしており、自虐史観の呪縛から一向に脱出しようとしていない。
自虐史観は国家の健全な発展に有害なだけでなく、中共の侵略を利する危険性があり、一刻も早く対抗措置を講じなければならない。

自民・護る会「わが国を非難する口実を与える」 戦後80年の有識者会議中止を政府に要請
2025/5/7 16:40
https://www.sankei.com/article/20250507-VU2RRAIEMJP6ZK25BIFKNXQ3AU/
自民党の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
の青山繁晴参院議員らが2025年5月7日、国会内の林芳正官房長官の事務所を訪ね、戦後80年の節目に合わせ石破茂首相が意欲を示している先の大戦の検証を中止するよう林氏に求め、首相宛の要請文を手渡した。
要請文では、安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で
「謝罪外交を明確に終えることになった」
とした上で、有識者による検証は
「内容に関わらず、中国や韓国、北朝鮮、ロシアに我が国を非難する口実を再び与えることになる可能性が高い」
と懸念を示した。
先の大戦の検証は
「僅か数カ月で完了できるものでもない」
とも強調した。
青山氏によると、林氏は戦争検証の有識者会議の設置について
「政府として公式に申し上げたことは1度もない」
と言及した上で、要請文を首相と共有すると応じたという。
林氏は同日の記者会見で
「首相が戦争検証へ有識者会議を設ける検討に入ったとの事実はなく、戦後80年に向けたメッセージの在り方については何ら決まっていない」
と述べた。

石破首相の戦争検証「中止」求める方針 自民保守系グループ、青山参院議員ら確認
2025/4/23 20:38
https://www.sankei.com/article/20250423-KQOTHWBDT5ODZDDOVPG2QZ6U7E/
自民党の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
(代表・青山繁晴参院議員)
は2025年4月23日、総会を国会内で開き、戦後80年の節目に石破茂首相が調整している先の大戦の検証について、中止を求める方針を確認した。
首相官邸に申し入れる方向で日程を調整する。
首相宛ての要請文では安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で
「謝罪外交を明確に終えることになった」
と強調。
「有識者による戦争検証は中国や韓国に対してわが国を非難する口実を再び与える可能性が高い」
と懸念を示した。

<主張>首相と戦後80年 靖国神社参拝を最優先に
社説
2025/4/14 5:00
https://www.sankei.com/article/20250414-XNG5AIBCWNILJKPBOMIVB2JYWA/
戦後80年の今年2025年、石破茂首相は先の大戦(大東亜戦争)を検証したい考えだ。
近く有識者会議を設置し、その報告を踏まえて、歴史観や戦争への見解を首相自身が会見で表明したいのだという。
一方で、自民党内の懸念の声を受け、戦後80年の首相談話を終戦の日に出すことは見送る。
石破首相に強く求めたい行動がある。
それは、春秋の例大祭や終戦の日などの機会に、靖国神社を参拝することだ。
談話よりも、有識者会議よりも、記者会見で私見を披露するよりも、礼を尽くして戦没者(英霊)を追悼、慰霊する方が、遥かに大切である。
日本は大東亜戦争で、陸海軍人、民間人など合わせて310万人の同胞を喪(うしな)った。
日本史上最大の悲劇といってよい。
戦争に思いを致すなら、靖国神社参拝こそが最もふさわしい振る舞いである。
靖国神社は近現代日本における戦没者追悼の中心施設だ。
戊辰戦争や日清・日露の戦役なども含め、日本を守るため斃(たお)れた246万余柱の英霊をお祀(まつ)りしている。
境内の鎮霊社では、空襲などで亡くなった一般国民を祀っている。
どの国も、伝統的様式に沿って戦没者を追悼している。
それが、国に殉じた人々への礼節ある態度である。
国を守るため尊い命を捧げた日本の英霊にとって、靖国神社に祀られることは自明だった。
政治リーダーの参拝は日本国と英霊の約束に含まれる。
もちろん最も大切なのは天皇陛下の御親拝である。
ところが、昭和後期以降、中韓両国の内政干渉などで首相の参拝が政治問題化し、多くの首相が参拝しなくなった。
勅使の参向はあるものの御親拝は途絶えた。
首相就任前の昨年2024年9月、石破首相は、天皇陛下の御親拝の環境が整わなければ自身は参拝しない考えを示した。
倒錯した発想で理解し難い。
首相が参拝を重ね、御親拝の環境を整えていくのが務めではないか。
自民党(石破総裁)の今年2025年の運動方針には
「靖国神社参拝を受け継ぎ」
とある。
首相は昨年2024年、靖国神社秋季例大祭に合わせ真榊(まさかき)を奉納した。
尊崇の姿勢が真実であるのなら、戦後80年の今、中韓両国や心ない左派勢力に阿(おもね)ることはない。
参拝して英霊に頭(こうべ)を垂れてほしい。

80年談話と「東海」呼称問題に懸念 立民・亀井亜紀子氏「韓国に蒸し返されないように」
2025/4/9 12:59
https://www.sankei.com/article/20250409-XPBLPDSX3VDTRMIGFOKD3XBKOU/
立憲民主党の亀井亜紀子衆院議員は9日の衆院外務委員会で、石破茂首相による戦後80年談話の発出や先の大戦を検証する有識者会議の設置に懸念を示した。
拓殖大の下條正男名誉教授が
「戦争検証で有識者会議を立ち上げて喜ぶのは韓国の反日勢力だ」
「蒸し返しが起き、日韓関係が離れていく」
と指摘していることを紹介し、
「80年談話は出さないということでよろしいか」
と尋ねた。
■外相「決定していない」
これに対して、岩屋毅外相は
「新たな談話を発出するかは決定していない」
「これまでの経緯を踏まえ、様々な点から考えたいというのが現段階での首相の方針だ」
と述べた。
首相は戦後80年の節目に合わせた首相談話の発出を見送る方針を固めた一方、先の大戦を検証する私的諮問機関を設置し、有識者らから意見聴取し戦争に対する見解を会見で表明する方向で調整している。
下條氏は、亀井氏の地元・島根県が設置した県竹島問題研究会の座長を務めている。
韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)を巡っては、島根県が毎年2月22日、
「竹島の日」
記念式典を主催しているが、政府は例年、閣僚の派遣を見送っている。
一方、2月7日の
「北方領土の日」
に開かれる返還要求全国大会は政府主催で、首相や閣僚が出席している。
■「世界の地図97%が日本海呼称のみ」
亀井氏は
「なぜ北方領土と竹島で国の取り組み方が違うのか」
「県民みんなの疑問だ」
と質したが、今井絵理子内閣府政務官は
「それぞれ領土問題を巡る経緯や状況が異なることから単純に比較することは困難」
と述べるにとどめた。
また、外務省の担当者は、日本海について韓国が自国の呼称
「東海」
の使用を国際社会に働きかけたことについて
「現在では韓国および北朝鮮を除く、世界の主要各国の地図の97%以上が日本海という呼称のみを使用している」
と明言し、
「今後も国際社会に日本海呼称に対する正しい理解と支持を得るべく務めていく」
と語った。
亀井氏は
「日本海と書かれた中に竹島があると、如何にも日本の領土のように見えるから、名称を東海に変えようとしている戦略的な韓国側の立場がある」
「蒸し返されたりしないようにお願いしたい」
と訴えた。

<産経抄>石破首相の戦争検証はうぬぼれか独善
2025/4/5 5:00
https://www.sankei.com/article/20250405-DJCWU7F6XRPXHMXGBBQUDXLCYU/
平成22年8月、時の菅(かん)直人首相は日韓併合100年に当たり韓国に
「痛切な反省と心からのお詫び」
を表明した首相談話を発表した。
当時、若手外交官がこう嘆くのを聞いた。
「政治家は談話で自分の名前を歴史に残したがるが、危険性を分かっていない」
「韓国への下手な謝罪は中国や周辺国を刺激し、問題は飛び火する」。
▼平成7年8月、日本の植民地支配と侵略にやはり
「痛切な反省と心からのお詫び」
を表明する談話を出した村山富市元首相は20年が経っても自賛していた。「談話が出てから今日まで、歴史問題で日韓、日中関係が色々ガタガタすることはなかった」。
政治家の自慢話は、事実関係を超越することがある。
▼実際はどうか。
村山談話発表から3週間も経たない平成7年9月、中国の江沢民国家主席(当時)は演説で強調した。
「ここ数年、日本では侵略の歴史を否定し、侵略戦争と植民地支配を美化しようとする論調がしばしば出ている」。
日本の善意は一顧だにされず、談話の効果など見られない。
▼石破茂首相は今夏2025年夏の戦後80年に際して戦争の検証を行い、自分の思いを何らかの声明に込めて発出するという。
恐らく日本の将来のために良かれと考え、その行為は正しく有意義だと信じているのだろう。
だが、それは自惚れか控えめに言って独善である。
▼哲学者、ニーチェは喝破する。
「或る者たちは、自らの一握りの正義を誇り、この正義のために、一切の諸事物に対して罪を犯す」。
根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話を出した河野洋平元官房長官も、
「或る者たち」
の1人と言えよう。
▼政治家の個人的な思いで過去を断罪したり、評価したりされて困るのは我々の子々孫々である。

「どれだけ大変か分かっているのか」党重鎮の助言で戦後80年談話見送りも検証にこだわり
2025/3/27 19:08
https://www.sankei.com/article/20250327-KRONHKWNTBMMDE762J3KCOUA2Y/
石破茂首相は戦後80年の首相談話を見送る方針を固めた。
一方で、先の大戦の検証は行い、所感も公表する方向だ。
「戦後レジームからの脱却には検証が必要」
というのが首相の持論だからだ。
だが、有識者は
「如何なる形でも新たな検証は外交上のリスクとなり得る」
と指摘する。
「正しい判断だ」
「唯我独尊で談話を出しても孤立するだけだ」。
自民閣僚経験者は見送りに安堵の表情を浮かべた。
首相談話を巡り、首相は2025年1月のシンポジウムで
「今を逃して、戦争を検証することはできないだろう」
と発言。
側近の間では談話発出を容認する意見もあったが、党内保守派が一斉に反発し、新たな火種となりかけていた。
事態を重く見た1人が麻生太郎党最高顧問だった。
「絶対に出すべきではない」
「安倍晋三(元首相)氏がどれだけ苦労したか分かっているのか」。
関係者によると、麻生氏は首相に戦後70年談話は安倍氏が半年ほどかけて準備したと伝え、外交上も影響が大きいと説いた。
首相は
「そこまでされていたのですか」
と漏らしたという。
その後、首相は徐々に後退し、最近は周囲に
「談話には拘っていない」
と語るようになった。
ただ、首相は戦後の自衛権が限定されている現状への問題意識は強く、
「日本の自主独立のためには先の大戦の敗戦は検証が不可欠だ」
との強い思いを持つ。
「戦前の軍部に対する文民統制が機能せず、不幸な戦争に国民を突入させた」
との認識が強く、今回の検証では先の大戦における戦争当事国への言及を控え、かつての軍部の暴走に焦点を当てる考えだ。

石破茂首相、先の大戦検証へ有識者らの会議体設置へ 戦後80年談話の発出は見送り
2025/3/27 16:09
https://www.sankei.com/article/20250327-BYQACDEH4ZMKNNIYUL253KGIO4/
石破茂首相は2025年8月15日の戦後80年の節目に合わせた首相談話の発出を見送る方針を固めた。
一方で、首相は先の大戦を検証するために、有識者らによる会議体を設置して2025年4月から意見聴取を開始する。
その結果を踏まえ、歴史観や戦争に対する見解を記者会見などで表明する方向で調整している。
先の大戦に関する首相談話は、平成7年の戦後50年から10年ごとに過去3回、政府が閣議決定した上で公表してきた。
首相はかねて戦争の検証に強い意欲を示しており、謝罪の側面を強調した戦後80年の談話を再び出したいのではないかとの見方が広がった。
ただ、自民党内では保守派を中心に、戦後70年の安倍晋三首相談話で戦後の
「謝罪外交」
に区切りがついているとして、新たな首相談話は
「謝罪外交に逆戻りする」(自民中堅)
と反発が強かった。
参院選が迫り、支持率が低迷する政権に対して党内では
「石破おろし」
の雰囲気もくすぶる中で、首相は党内の火種を生むことは避ける方向に判断が傾いたとみられる。
首相は談話の発出を見送る一方で先の大戦の検証には着手し、2025年4月にも有識者から意見聴取を始める。
見解表明の日時や形式は、2025年夏の参院選後に最終決定する見通しだ。
ただ、70年談話の起草に携わった麗澤大の八木秀次教授(憲法学)は「70年談話で謝罪外交に区切りが付いた」とした上で、「いかなる形式でも首相が新たに『戦争検証』するのは、対米、対中関係の外交戦略上の観点からも非常にリスクが高い」と指摘する。

選択的夫婦別姓や戦後80年談話「必要ない」 支持離れ阻止へ自民保守系の大同団結なるか
政界徒然草
2025/2/19 6:00
https://www.sankei.com/article/20250219-76A4GUTMMVNZ5BK4OSOJ42XFIY/
今の自民党は本当に保守政党なのだろうか…。
こんな疑念を振り払おうと、自民の保守系議員が発信を強めている。
家族のあり方を変える可能性がある選択的夫婦別姓制度の導入や、石破茂首相(自民総裁)による戦後80年談話の発出に異論を唱え、推進派を牽制している。
透けて見える危機感は岩盤保守層の
「自民離れ」
だ。
安倍晋三元首相の死後、結集軸を失った保守系は左傾化≠ノ歯止めをかけられるのか。
■高市氏「国民との約束守れ」
2025年2月12日午後、東京・永田町の自民党本部で開かれた
「氏制度のあり方に関する検討ワーキングチーム(WT)」
の会合。
保守政治家を自任する高市早苗前経済安産保障担当相が、近年の国政選挙で自民が旧姓の通称使用拡大を公約に掲げてきたと指摘し、
「国民との約束をまず守るべきだ」
と訴えた。
選択的夫婦別姓制度の導入を巡り、自民内は賛否が混在している。
「WTの議論を見守りたい」(中堅)
という推進派をよそに、活発的な動きを見せているのが慎重派だ。
2025年2月12日の会合には約50人が出席したが、中堅議員は
「推進派は10人ぐらいだった」
と説明した。
2025年2月4日には高市氏が顧問を務める有志グループ
「保守団結の会」
が、2025年2月5日には生前の安倍氏が会長を務めた保守系議員連盟
「創生『日本』」
がそれぞれ会合を開き、同制度導入への危機感を共有した。
慎重派からは経済対策や防衛力強化などを念頭に、
「選択的夫婦別姓の議論が、我が党の優先事項なのか」(ベテラン)
といった声も漏れる。
■安倍談話の上書き警戒
保守系は石破首相による戦後80年談話の発出にも慎重だ。
自民の外交部会と
「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」
は2025年2月17日に合同会議を開催。特命委の有村治子委員長が
「当然ながら、10年に1度談話を出さなければいけない決まりはない」
「実際、終戦から50年間は首相談話は出ていない」
と語気を強めた。
昨年の総裁選で石破首相と争った保守系の小林鷹之元経済安保担当相も先月2025年1月30日、80年談話について
「出す必要は全くない」
と突き放した。
今月2025年2月4日のBSフジ番組では
「70年談話は幅広い層の国民が共有できる内容だ」
「70年談話を更に上書きするような談話を、正直想像できない」
と語った。
保守系は、平成27年に安倍氏が出した戦後70年談話により、従来の
「謝罪外交」
に区切りを付けたとの見方を共有している。
安倍氏と歴史観が異なる石破首相により、談話が上書きされることへの懸念は根強い。
政府が観光目的で来日する中国人向けの短期滞在ビザ(査証)の緩和措置を決めたことに関しても、事前に報告がなかったとして保守系を中心に自民内は紛糾した。
中曽根弘文外交調査会長らは2025年2月4日、岩屋毅外相と面会し、党側に強い不満があることを説明した。
■小異を捨てられるか
一連の動きの背景には保守系の焦りがある。
リベラル色の濃いLGBT理解増進法の成立などを受けて岩盤保守層が離れた結果、昨年2024年の衆院選では自民の保守系議員が落選を余儀なくされたとされる。
石破政権下でも
「保守回帰」
はなされておらず、2025年夏の参院選では選択的夫婦別姓制度導入に慎重姿勢を示しつつある国民民主党などに保守票を奪われる懸念が広がっている。
ただ、保守系のまとめ役として安倍氏が君臨していた時代とは異なり、今は
「大同団結」
とは程遠い状況にある。
通称使用拡大で党内をまとめる方向性こそ一致しているものの、党内には複数の通称使用拡大案が存在し、一本化は見通せていない。
今国会では立憲民主党が選択的夫婦別姓を可能とする民法改正案を提出する構えを見せている。
保守派が対抗するには小異を捨てることが不可欠だが、
「自公が少数与党に陥り、令和7年度予算案の審議もある中、どこまで議論に力を入れられるかは分からない」
と語る自民関係者の表情は不安げだ。

戦後80年談話、謝罪外交逆戻り警戒 石破首相は発出に意欲か 夏の参院選控え神経戦
2025/2/18 17:08
https://www.sankei.com/article/20250218-TUUYLSTD2FNTPBGWR5EHE45IUM/
石破茂首相が2025年8月15日の戦後80年の節目に合わせた談話の発出に意欲的と受け取れる発言をして、自民党内に警戒感が広がっている。
新たな談話を出せば、10年前の安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話で終止符を打った戦後の謝罪外交に逆戻りする懸念があるためだ。
保守派からは
「逆戻り」
批判、リベラル勢力からは
「謝罪が不十分」
と相異なる批判が噴出する可能性もあり、2025年夏の参院選を控え、水面下の神経戦の様相も帯びている。
「80年談話で付け加えるべきことはない」。
自民の稲田朋美元政調会長は2025年2月18日の衆院予算委員会でこう訴えた。
これに対し、答弁に立った林芳正官房長官は
「発出するか否かは決定していない」
「様々な観点から考えて参りたい」
と肯定も否定もしなかった。
戦後50年の村山富市首相談話は
「植民地支配と侵略」
により
「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」
と言及し、
「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」
を表明した。
戦後60年の小泉純一郎首相談話もこれを踏襲。
だが、反日的な外交カードとして中国や韓国に利用されてきた。
そこで安倍氏は戦後70年談話で
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」
と明言し、
「無定見な謝罪から決別」(稲田氏)
を試みた。
2025年2月17日の自民の
「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」
などの会議では、
「戦後70年談話は歴史認識問題を政治問題化させないようピリオドを打った」
という評価を概ね共有した。
有村治子委員長は
「10年に1度談話を出さなければいけない決まりはない」
と強調した。
「でも首相は出したがっている」。
こう語る自民の閣僚経験者は
「左右双方から火を噴き、夫婦別姓以上の騒ぎになる」
と憂慮する。
先月2025年1月29日のシンポジウムで、首相は
「敢えて『敗戦後』というが、『終戦』では事の本質を間違える」
「今を逃して戦争の検証はできない」
と語った。
謝罪の側面を強調した談話を再び出したいのではとの見方が広がった。
岩屋毅外相に先月会った自民議員によると、岩屋氏は
「50、60、70年と出して80年で出さないのは…」
と意欲を示したという。
連立を組む公明党も反対していない。
自民の保守派には、歴代最長だった安倍政権への反動を懸念する声もある。
石破首相の周囲には当時非主流派として過ごし、対抗心を持つ議員がいるためだ。
閣僚経験者は
「安倍談話で十分だと言うと逆に出したくなる人がいる」
と解説する。
「『石破VS安倍』の対立構図になると首相を刺激してしまう」。
ある議員は語る。

自民・稲田朋美氏「危険ですらある」戦後80年の石破談話 林官房長官は発出「決定せず」
2025/2/18 10:55
https://www.sankei.com/article/20250218-U733OQCCVBAERH7AOACAKMPLZY/
林芳正官房長官は2025年2月18日午前の衆院予算委員会で、石破茂首相が検討している戦後80年の石破談話発出について
「現時点で新たな談話を発出するか否かは決定をしていない」
「今後の対応については、これまでの経緯も踏まえながら、様々な観点から考えてまいりたい」
と述べた。
自民党の稲田朋美氏への答弁。
稲田氏は平成27年の戦後70年の安倍晋三首相談話の
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
という部分を挙げ、
「初めて戦後レジームからの脱却を掲げた安倍氏の談話の核心だ」
と語った。
「当時の国際情勢から日本の歩みを日本の立場から辿り、無定見な謝罪からは欠別し、100年先を見据えた未来志向のものとして高く評価できる内容だ」
と述べた。
その上で、
「(戦後50年の)村山談話、60年談話の謝罪を終わらせ、100年先の日本のあるべき姿を示した以上、80年談話で付け加えるべきことはない」
と強調し、林氏に政府の方針をただした。
林氏は
「石破内閣は、これまでの首相談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく」
とした上で、戦後80年談話発出の有無は
「決定をしていない」
と述べた。
「国際社会が転換期を迎え、自由で開かれた国際秩序が揺らぐ中で、2025年の様々な機会を捉え、世界の平和と繁栄に向けた未来志向の戦略的発信に努めていきたいと考えている」
とも語った。
これに対し稲田氏は
「ここで中途半端な談話を出すことは危険ですらあると感じる」
と牽制した。
「村山談話、60年談話と安倍談話は全く違う」
「謝罪から決別したものになっている」
「戦後レジームからの脱却の旗のもとで、未来志向で将来世代に謝罪という宿命を負わせない、歴史認識を二度と外交カードにさせないといった、70年談話に込められた安倍氏の思いを無駄にしないでいただきたい」
と強調した。

戦後70年安倍談話「国内外世論の最大公約数」有村治子氏「10年に一度出す決まりない」
2025/2/17 17:48
https://www.sankei.com/article/20250217-U6KF6THPDNFEXP6WCAVOUV4W54/
自民党の日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会(委員長・有村治子元女性活躍担当相)は2025年2月17日、外交部会と合同会議を開き、戦後70年の安倍晋三首相談話に関する政府の有識者会議
「21世紀構想懇談会」
で座長代理を務めた北岡伸一東京大名誉教授を招き、談話発出の経緯を振り返った。
有村氏は挨拶で戦後70年談話について
「国内外の世論の最大公約数をまとめた」
と指摘した。
有村氏の発言要旨は以下の通り
■安倍氏「いやぁ保守からもリベラルからも」
今年は終戦80年、私たちの多くが生まれ育って青春時代を過ごした昭和から数えて100年、自民党が結党して70年という年回りで、70年談話で言及される日露戦争終結から120年という年回りでもある。
120年、100年、80年、結党70年と、まさに時間軸に思いをはせる節目の年になる。
終戦50年に社会党出身だった村山富市首相が50年談話を出された。
終戦60年には小泉純一郎首相が60年談話を発せられ、そして10年前の終戦70年には安倍晋三首相が70年談話を出された。
2015年8月14日、70年談話が出された直後2人でお話しする機会があった。「練りに練って練られた上での談話ですね」
と話したら、安倍総理は笑いながら、
「いやぁ、保守からもリベラルからも相当厳しく言われて、その概ね合意形成ができ、各国でも好意的に認められたことは、ほっとしたよ」
と笑顔を浮かべていた。
当然ながら、10年にいっぺんずつ談話を出さなければいけない決まりはない。
実際、終戦から50年間は総理大臣談話は出ていない。
改めて今年2025年終戦80年で10年前に何が起こったのか。
■謝罪だけでなく感謝に焦点
謝罪にフォーカスが当たっていたのを謝罪だけではなく、感謝の言葉に焦点が当たるようにしている。
過去の限られた時間軸だけではなく、日露戦争まで言及して、未来志向というフォーカスに当たっている。
分断だけではなく、皆さんの協力があって日本が戦後、国際社会に復帰し、そしてその世界の統合ができたことを静かな誇りにしている。
戦後の歩みにまでフォーカスが行くようにしており、国際協調の責任を果たす日本というイメージを強調されている。
最大の貢献の1つと思っているが、保守とリベラル、無党派の方々もたくさんいる中で、戦争を振り返るわけだから、当然色々な考え方が、意見がある。
その中で国内外の世論の最大公約数を安倍総理が70年談話にまとめ上げられた。
それを世界に、同時に発信され、各国でも支持されたという背景を学んでいくことになると思う。
80年に向けて、私たちがどんな心構えでこの年を過ごし何を受発信すべきなのか率直に学び、そして議論ができる機会になれば有難い。

石破茂首相「戦争検証」よりやるべきことがあるはずだ 政府・与党内にも慎重論強く
サンデー正論
2025/2/16 10:00
https://www.sankei.com/article/20250216-MNLTHRZEBRKSVNS3BTZEA4BJ74/
石破茂首相は最近の講演や国会答弁で、戦後80年の今年2025年こそ先の大戦の敗因について検証すべきだとの考えを示している。
首相就任前からの持論だが、ただでさえ少数与党で政権運営が厳しい中で、取り組むべき課題なのかと政府・与党内には慎重論が強い。
しかも、検証といっても政府がやることなのか不明で具体性に欠けている。
評論家気質が抜けず、政権として取り組むべき優先順位の整理がついていないようだ。
石破首相の
「戦争検証」
発言は2025年1月29日のシンポジウム「東京グローバル・ダイアログ」(日本国際問題研究所主催)に出席した際に飛び出した。
冒頭は用意された文面を早口で読んでいただけだったが
「というのが原稿でございました。よくできております」
と言ってからアドリブで話し始めた。
「国会議員になって今年2025年で40年目になります」
「これでも外交の仕事も結構やっておりまして」
「本当かよという顔をしていらっしゃる方もありますが(会場から笑い)全く知らない分野ではございません」
そう前置きした上で話し始めたのが、先の大戦の検証だ。
「今を逃して戦争の検証はできない」
と強調した。
2025年1月31日の衆院予算委員会でも
「なぜあの戦争を始めたのか、なぜ避けることができなかったのか、なぜ途中でやめることができずに、あのような東京が焼け野原になり、広島・長崎に原爆が落ち、大勢の方が亡くなったのか」
「まだその記憶をきちんと自己のものとして持っておられる方々がおられるうちに検証するというのは、80年の今年2025年が極めて大事だ」
と語った。
質問した立憲民主党の長妻昭代表代行は石破首相の考え方に
「共感する。ぜひ検証を与野党でやっていきたい」
と応じた。
■吉田清治現象
石破首相は自民党総裁選を控えた昨年2024年8月に出版した『保守政治家』(講談社)でも
「昭和は遠くなりにけり、であるからこそ、その遠ざかりゆくものの検証が必要だ」
と述べた。
これまで作家の半藤一利氏や保阪正康氏らの著作から
「大きな示唆を受けてきました」
という。
半藤氏や保阪氏から影響を受けた石破首相に、別の見方もあることを知るためにも、読んでほしい対談や論文が月刊「正論」にはある。
まずは平成27年11月号の伊藤隆東京大学名誉教授と中西輝政京都大学名誉教授の対談だ。
この対談は同年平成27年8月14日に出された安倍晋三首相の
「戦後70年談話」
発出に向けた有識者懇談会のメンバーだった中西氏を伊藤氏が“追及”する形で進められている。
この中で次のようなやり取りがある。
伊藤氏
「如何なる戦争も講和条約や平和条約が結ばれたら、それで終わりです」
「敗れた国が謝り続けたり、いつまでも責任問題を外交に持ち出されたりすることは歴史上全くありません」
「日本もサンフランシスコ講和条約、日華平和条約、東南アジア諸国への賠償協定、日韓基本条約、日中平和友好条約を結んで、大東亜戦争の戦場になったり、併合したりした国とは全て決着をつけました」
「なぜ日本だけが謝り続けなければならないのか分かりません」
「(中略)中国や韓国は、歴史問題を外交に利用し続けますね」
「なぜ、日本は歴史問題を利用され続けるのか」
「戦後、アメリカから東京裁判史観を植え付けられ、日本人が未だに、その毒が抜けきらないからですよ」
中西氏
「私は、『吉田清治現象』と呼んでいます」
「慰安婦問題で、吉田清治は自国を告発するために、やってもいない『慰安婦狩り』に自ら手を染めたと自虐証言まで捏造した」
「戦後の日本人には何でも『日本が悪い』ということに快感を覚える習性があって、それに日本人が迎合していくという現象が起き続けていくわけです」
対談の最後に伊藤氏はこう総括している。
「『歴史を戦勝国史観から克服する』」
「これをやる以外にないと思っていますよ」
「安倍談話は、日本が『進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました』と表現しています」
「経済もエネルギーの供給も立ちゆかなくなった当時、ではどうすればよかったのか」
「欧米の植民地になるのか、滅びるのか。当時の日本が『針路を誤った』と批判するのは、今の安保法制を批判するのと同じことですよ」
「現実を見ずに理想や空想的な平和を語っているだけです」
「『じゃあ、中国の属国になっていいの?』と問いたいですね」
■「侵略」断定に抵抗
伊藤氏は対談の中で
「安倍シンパ」
を自任している。
中西氏も同様だったが、懇談会の報告にある
「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し」
の部分に反対し、委員の辞表届も提出した。
「ちょうど安保法案の審議で内閣支持率が一挙に10%前後も下がった時期でした」
「最後は、安倍総理ご本人が数度に渡って電話をしてこられた」
「私が『脚注の案文をそのまま吞んでくれなければ、辞表は撤回しません』と直訴すると、総理は吞んでくれました」
中西氏は辞表を撤回した。
脚注に載ったのが次の一文だ。
「複数の委員より『侵略』と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった」
「理由は
1)国際法上『侵略』の定義が定まっていないこと、
2)歴史的に考察しても、満州事変以後を『侵略』と断定する事に異論があること、
3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを『侵略』と断定することに抵抗があるからである」
周到に準備した
「戦後70年談話」
を巡ってもこれだけの激論、異論があったのである。
■左翼と同じ土俵
次に、元防衛大学校教官で、ベストセラー『失敗の本質』の著者の一人、杉之尾宜生氏の令和4年3月号の論文だ。
「『失敗の本質』に対する読者の一番の不満は、サブタイトルに『日本軍の組織論的研究』と銘打っておきながら、なぜああいう戦争に突入したのかということについては、何も書いていないことだろう」
「それは序章で『戦争原因究明を本書に期待しているとすれば、読者は恐らく失望するだろう」
「というのは、本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したかを問うものではないからである」
「もちろん、なぜ敗けるべき戦争に訴えたのかを問うことは、既にいくつかの優れた研究があるとはいえ、今後も問い直して然るべきであろう」
「しかし、本書は敢えてそれを問わない』と記してある」
なぜそうしたのか。
それは軍事の勉強がしたいと防衛大学校に移ってきた経営学者の野中郁次郎氏が、
「文化論に陥ると左翼の人たちと同じ土俵に乗った論調になるから避けよう」
と、天皇陛下と日本軍の関係には一切触れずに純粋な組織論として描くことにしたからだ。
奇しくも伊藤氏、杉之尾氏、野中氏は昨年2024年8月から2025年1月にかけて相次いで鬼籍に入った。
杉之尾氏は論考の最後で
「評論家の山本七平氏は、日本軍の最大の特徴として『言葉を奪ったことにある』と捉えたが、それは今の自衛官も変わらない」
「『専守防衛』や『憲法9条』の枠の中に縛り付けられている」
「直面する危機を考えた時、これまでのようにがんじがらめの憲法解釈や既存の法律に縛られたままでは軍事プロフェッショナリズムに基づく任務を遂行することは至難の業である」
と書いている。
石破首相がすべきことは過去を振り返ることよりも、今も続く縛りを解くことではないか。

<産経抄>戦後80年の石破談話は百害あって一利なし
2025/2/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250201-ZN267Q7FURL5LJ2P7PJRZB2II4/
「三つ子の魂百まで」
とも
「雀(すずめ)百まで踊り忘れず」
とも言うが、人の昔からの性質や考え方はそんなに変わらない。
石破茂首相は先月2025年1月29日の国際安全保障に関するシンポジウムで、こう語った。
「今年2025年は敗戦後80年だ」
「今を逃して、戦争の検証はできないだろう」
▼もう19年も前の平成18年6月のことである。
東京都内で開かれた首相の衆院議員在職20年記念パーティーを覗くと、来賓のベテラン議員らが口々に
「石破君は将来の首相候補」
と称揚していた。
ところが、挨拶に立った首相はこんな場違いなことを述べたのだった。
「戦争責任をもう1回考えたい」
▼ずっと以前から自分なりに、先の大戦の総括をしたいと考えてきたのだろう。
シンポでの言葉は、戦後80年談話を発出したいとの意欲表明なのか。だが、中国が
「抗日反ファシズム戦争勝利80周年キャンペーン」
を準備している今年2025年、新談話を出せば反日勢力に利用されよう。
▼首相は18年9月には、毎日新聞鳥取県版で強調した。
「日中戦争は明らかに侵略だし、韓国併合は植民地化」。
南京事件や慰安婦問題を巡っても、過去に中国や韓国の主張に寄り添う発言をしている。
せっかく安倍晋三元首相が戦後70年談話で戦後の謝罪外交に終止符を打ち、戦後を終わらせようとしたのに、時代を逆行させてどうするのか。
▼自民党総裁選を争った小林鷹之元経済安全保障担当相は先月2025年1月30日、80年談話の意義を否定した。
「出す必要は全くない」
「そのための70年談話だ」。
実際、70年談話の最後の段落には
「終戦80年、90年、更には100年に向けて…」
とあり、以後の時代のことも網羅済みである。
▼首相のお気持ちを表明する談話など、百害あって一利なしだと断言する。

戦後80年、首相談話は出すべきでない 「謝罪」から決別しようとした安倍氏の思い
サンデー正論
2025/1/19 10:00
https://www.sankei.com/article/20250119-ZBGC754GKNJE7EY6HHDTSJPTDE/
今年2025年は戦後80年に当たる。
中国では2025年7月に映画
「731」
の上映が予定されている。
「731」
とは旧日本軍関東軍防疫給水部のことだが、中国が80年を歴史戦に利用しようとしているのは明白だ。
これに対し、岩屋毅外相は2025年1月13日の日韓外相会談後の共同記者会見で、戦後80年首相談話について
「現時点で発出するとは決定していない」
「よく国内で相談したい」
と述べた。
相談することもない。
石破茂首相は中国や韓国に乗せられて80年談話を出すべきではない。
■「宿命を背負わせてはなりません」
岩屋外相には安倍晋三政権時代の平成27(2015)年8月に出された戦後70年談話をもう1度読み返してほしい。
談話には次のような一文がある。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています」
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」
「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
当時の作成過程をよく知る政府元高官は
「談話には一行一行安倍首相の思いがこもっているが、特にこの部分には時間をかけた」
と証言する。
当初案では
「生まれながらに謝罪することを強いられるべきではありません」
だった。
安倍首相は
「中身はいいが、誰が強いているかの議論になる」
「強いるという表現はちょっと違うな」
との感想を語り、修正を加えることにした。
■練りに練った安倍首相談話
元朝日新聞主筆の船橋洋一氏著の『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』(文芸春秋)の上巻
「戦後70年首相談話」
の章にも紹介されているように出てきたのが
「原罪」
だった。
安倍首相の指示で今井尚哉首相秘書官は連立を組む公明党の太田昭宏国土交通相のもとを訪れた。
太田氏は
「原罪」
について
「日本は欧州じゃないし、原罪という概念は馴染まない」
と異論を唱えた。
太田氏の指摘も踏まえ、安倍首相と秘書官らとの検討作業の中で出てきたのが
「宿命」
という表現だった。
この元高官は
「子供たちが生まれながらにして謝罪しなければならない、そうした『宿命』を背負わせるようなことはあってはならない、との思いから『宿命』が浮かんできた」と証言する。
この年平成27(2015)年の8月6日午後4時48分、安倍首相は官邸の執務室に太田氏を招き
「『宿命』でいいですか」
と尋ねた。
公明党の支持母体、創価学会で男子部長、青年部長を務めた太田氏は
「『宿命』は仏教用語でもあります」
「差し支えないと思います」
と同意した。
太田氏との打ち合わせは20分の予定が午後5時56分まで続いた。
太田氏が師と仰いだ創価学会の池田大作名誉会長は生前、
「宿命」
という言葉を重視し、
「宿命を使命に転換させる」
ことを説いてきた。
太田氏は
「真っ先にハンコつくからとは言っていないが、この談話は歴史に区切りを付けた」
と評価する。
談話は
「侵略」
の言葉を盛り込みながらも、西洋諸国の植民地だらけだった当時の国際情勢から説明し、
「謝罪」
から決別しようとする未来志向も明確で全体的には高い評価を得た。
ただ、東京大学の伊藤隆名誉教授や、京都大学の中西輝政名誉教授という歴史学の重鎮2人は談話が東京裁判史観から脱却できていないとして批判したことは忘れてはならない。
■中国に利用された岩屋外相
安倍首相らの血の滲むような努力を無にするような発言をしたのが岩屋外相だった。
昨年2024年12月25日に行われた日中外相会談後、中国側は岩屋外相が
「歴史問題では『村山談話』の明確な立場を引き続き堅持し、深い反省と心からの謝罪を表明する」
と述べた、と発表した。
岩屋外相は2024年12月27日の記者会見で、この発表は
「正確ではない」
として、
「歴史認識に議論が及んだ際に、石破茂内閣は平成7(1995)年の村山談話、安倍首相談話を含むこれまでの首相談話を引き継いでいると説明した」
と語った。
その上で
「一方的な対外発表を行ったことに対しては、中国側に対して申し入れを行った」
としたが、後の祭りである。
安倍政権当時も、
「70年談話は戦後50年の村山富市首相談話や、慰安婦関係調査結果に関する平成5(93)年8月4日の河野洋平官房長官談話を引き継ぐのか」
という質問は当然予想され、官邸内で議論した。
安倍首相は第2次政権発足後から、村山談話について
「政権として全体として受け継いでいく」
と述べていた。
もちろん、安倍首相の本音としては
「そのまま継承しているわけではない」
との立場だった。
官邸内の議論として出たのが
「当時の内閣の判断として受け継ぐもので、自分の立場が村山談話や河野談話と同じであると言う必要もない」
「これから未来に向かって受け継いでいくのが安倍談話でありそれに尽きる」
というものだった。
河野談話、村山談話ともに政局が不安定な時に出されたものだった。
河野談話が発出された時点で宮沢喜一内閣は衆院選で過半数割れし、退陣を表明しており、8月9日に細川護熙連立政権が発足する直前のことだった。
筆者は自民党幹事長担当だったが、党内は騒然としていて談話のことなど議論する余裕は全くなかった。
村山談話も同様で、自民、社会、さきがけの3党連立政権で、自民党内には談話への異論が強かった。
当選間もない安倍氏もその1人だった。
筆者が当時、野坂浩賢官房長官の担当として感じたのは、村山首相や野坂官房長官が談話に拘ったのはあくまで社会党政権としての存在感を示すことであり、日本の将来ではなかった。
野坂氏や前任の官房長官である五十嵐広三氏には同年1995年6月の戦後50年決議が自民党内の反対にあって中途半端な形になったとの思いが強かった。
そこで首相談話には
「植民地」
「侵略」
「反省」
「お詫び」
のいわゆるキーワードを盛り込むことに固執した。
野坂氏は
「反対ならば閣僚を辞めてもらいます」
と半ば恫喝して自民党を説き伏せ、閣議決定にこぎつけた。
■安倍氏をライバル視する石破首相
どさくさに紛れて出された河野談話、社会党政権の存在を後世に残すための村山談話とは異なり、安定政権を築いた安倍首相は有識者による
「21世紀構想懇談会」
で議論を重ね、歴史認識が異なる政治学者の五百旗頭真氏や読売新聞グループ本社会長兼主筆だった渡辺恒雄氏からも意見を聞き、談話を作り上げた。
談話はこう結んでいる。
「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献して参ります」
「終戦80年、90年、更には100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく」
「その決意であります」
戦後80年を既に見据えているのだ。
しかも石破政権は少数与党であり通常国会を如何に乗り切るかの見通しも立っていない。
今夏2025年夏には都議選、参院選もあり、政局が不安定になる可能性もある。
石破首相は
「政敵」
だった安倍氏の名前が出ると不快感を示すそうだが、個人的な感情で安倍氏に対抗して談話を出すべきではない。

「戦後80年談話」は禍根を残す 石破首相の中韓への謝罪癖に懸念
阿比留瑠比の極言御免
2025/1/16 1:00
https://www.sankei.com/article/20250116-6KPXLPMSFZPPHJZCMVBVGMNM3E/
「戦後の謝罪外交に終止符を打ちたい」
安倍晋三元首相がこの思いを込め、平成27年8月に戦後70年談話を発表して今年2025年8月で丸10年となり、日本は戦後80年を迎える。
安倍氏は談話発出後、筆者らに談話の意義についてこう語っていた。
「これで戦後80年、90年談話はもう必要ない」
それだけ考え抜いて作った安倍談話に自信があったのだろう。
談話は、西ドイツのワイツゼッカー大統領が敗戦40年の1985年に行った有名な演説
「荒れ野の40年」

「自らが手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません」
というレトリックを下敷きにして、次のように説いている。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
安倍氏によると、ベトナムの政府高官は
「この談話を読んで評価しないようなアジアの国があれば、まともではない」
と感想を述べていたという。
■村山談話を「上書き」
談話に取り組んだ背景には、平成7年に村山富市首相が出した戦後50年の村山談話への問題意識がある。
村山談話は、具体的にいつの何を指すのか曖昧にしたまま日本による植民地支配と侵略を謝罪しており、中国や韓国などに利用されて長く日本外交の手足を縛る枷となっていた。
安倍氏は安倍談話により村山談話を
「上書き」
し、超克することを強く意識していた。
また、安倍氏は安倍談話に加え、先の大戦で敵国同士だった米国やオーストラリアとの
「和解」
に取り組んだ。
オバマ米大統領を現職大統領として初めて被爆地・広島に迎え、自身は日米戦争の象徴である米ハワイ・真珠湾を訪問したのもその一環である。
安倍氏はまさに、日本を敗戦国の枠組みに閉じ込めてきた
「戦後」
を終わらせた宰相だったと言える。
■蒸し返しへの危惧
ところが、岩屋毅外相は2025年1月13日、訪問先の韓国での日韓外相会談後の共同記者会見で戦後80年談話の作成について次のように含みを持たせた。
「現時点で発出するとはまだ決定していない」
「戦後80年の節目にどのような対応を取るか、これからよく国内で相談したい」
出すと決まったわけではないにしろ、よく検討するというわけだが、果たしてどんな中身を想定しているのか。
岩屋氏は同時にこうも語った。
「政府として述べてきている歴代政権における歴史認識、談話を石破茂内閣もしっかりと引き継いでおり、この認識にいささかの変わりもない」
安倍談話を引き継いでいるということならばいいが、わざわざ
「歴代政権」
と話す所に、村山談話の下での謝罪外交や自虐的な歴史認識を蒸し返すのではないかと危惧を覚える。
第一、石破首相に安倍氏のような
「謝罪外交に終止符」
「戦後を終わらせる」
といった理念や信念はあるのか。
安倍談話に一体何を付け加えようというのか。
岩屋氏は今回、韓国で左派系の最大野党「共に民主党」出身の禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長と面会し、早速
「歴史問題の直視」
という注文を受けている。
「御用聞き外交」
かとの印象を受けた。
昨年2024年11月7日の当欄で紹介したように、石破首相は南京事件でも韓国併合でも中韓に安易に謝罪したがる癖がある。
戦後80年談話が村山談話に立ち戻るような内容であれば、全く出す必要がなく将来に禍根を残すだけである。
(論説委員兼政治部編集委員)

中国、韓国が利用する石破首相の歴史観 過去の言動繰り返せば付け入る隙に 
阿比留瑠比の極言御免
2024/11/7 1:00
https://www.sankei.com/article/20241107-3K6TVFPG6RPOZDBYUBB4CSA2ZI/
まだ石破茂首相のことを保守派だと見做していた20年以上も昔の話である。
筆者は当時、安倍晋三元首相や中川昭一元財務相らが熱心に取り組んでいた偏向歴史教科書問題や慰安婦問題など保守系の運動に関わろうとしないことをいぶかり、それらへの参加を促したことがある。
だが、返事はそっけなかった。
「そういうのは、もういいよ」
この時は、単に余り関心がないのかと流したが、徐々にそうではなくて歴史認識自体が大きく異なるのだと分かってきた。
石破氏の考え方は、むしろ左派・リベラルに近かった。
それを反映し、2024年9月の自民党総裁就任時などに、中国や韓国は首相の歴史観を理由に概ね歓迎を示した。
例えば韓国の左派紙、ハンギョレ新聞は同月2024年9月30日の社説で書いている。
「歴史問題についても『政治的ライバル』だった安倍元首相とは異なり、何度も合理的な見解を明らかにしたことがある」
「(中略)謙虚な歴史認識を示してくれることを期待する」
また、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(2024年10月18日付)は、首相が平成18年9月23日付の毎日新聞鳥取県版にこう語ったことを紹介している。
「最近は、自民党の若い議員を見ても、怖い」
「過去の戦争を『全て正しかった』と考えていて、頭は大丈夫かと疑いたくなる」
「日中戦争は明らかに侵略戦争だし、韓国併合は植民地化(だ)」
こうした首相のこれまでの言葉については、月刊誌「明日への選択」2024年11月号の記事
「かくも危うい石破首相の『歴史認識』」
がよくまとめていたので、許可を得て引用する。
それによると首相は平成29年5月、韓国紙、東亜日報のインタビューで慰安婦問題についてこう語った。
「納得を得られるまでずっと謝罪するしかないでしょう」
もっとも、その後の産経新聞の取材に首相は
「『謝罪』という言葉は一切使っていない」
「『お互いが納得するまで努力を続けるべきだ』と話した」
と否定している。
とはいえ、
「努力」
をどう翻訳(意訳)すれば
「謝罪」
に入れ替わるのか理解に苦しむ。
中国共産党系の新聞、世界新聞報のインタビューも防衛相時代の2020年に受け、こう述べたとされる。
「日本には南京大虐殺を否定する人がいる」
「30万(人)も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという」
「何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ」
「日本は中国に謝罪すべきだ」
これについても首相は月刊正論2020年9月号で
「大虐殺があったとは言っていないよ」
と否定しているが、聞き手の評論家、潮匡人氏はこうたしなめていた。
「ですが、そう相手に受け取られる対応も、事実関係で日中間に隔たりがある以上、国益の擁護者として慎重であるべきではなかったかと」
まさにその通りである。
首相が実際にどのような表現を使ったかは判然としないが、相手に利用されるようなことを述べたのは事実だろう。
来年2025年は終戦80年を迎える他、日韓国交正常化60周年にも当たる。
中国も
「抗日反ファシズム戦争勝利80周年キャンペーン」
を準備しているという節目の年である。
韓国や中国の反日勢力がさまざまな仕掛けをしてくると予想できるが、首相が過去の言動を繰り返すようなら、付け入る隙を与えることになろう。
もっとも、それまで首相を続けていられるかどうかは分からないが。
(論説委員兼政治部編集委員)

<年のはじめに>論説委員長 榊原智 未来と過去を守る日本に
2025/1/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250101-PWVSMDWROJMAZIIOSEKN3VJ2HQ/
今年2025年は、日本の未来と過去を守らなくてはならない年になるだろう。
抑止力の構築を急がないと、日本は数年内に、戦後初めて戦争を仕掛けられる恐れがある。
平和を守っていく年にしたい。
戦後80年である。
大東亜戦争(太平洋戦争)について中国や朝鮮半島、左派からの史実を踏まえない誹謗は増すだろう。
気概を持って反論しなければ国民精神は縮こまり、日本の歴史や当時懸命に生きた日本人の名誉は守れない。
政府や政治家が鈍ければ、国民は叱咤激励したり、自ら声をあげたりしていかねばなるまい。
能登半島地震から1年が経った。
復興を願うと共に、将来起きるかもしれない危難から日本や地域を守る必要性も痛感する。
ウクライナや中東の戦争を見てほしい。
自然だけでなく人間も大災害をもたらす。
安全保障は独立と繁栄の基盤といえる。
■統幕長の危機感共有を
自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長は昨年最後の記者会見で次のように語った。
「国際社会の分断と対立は深まり、情勢は悪化の一途を辿り、自由で開かれた国際秩序は維持できるか否かのまさに瀬戸際にある」
「来年(令和7年)を見通しても良くなる展望は開けない」
国家防衛戦略では令和9年までに
「我が国が主たる責任をもっ我が国への侵攻を阻止、排除できるようにする目標がある」
とし
「それまでに暇がない」
とも述べた。
率直な物言いは危機感の表れだ。
制服組トップがこれほど有事を懸念するのは米国と北朝鮮が開戦間際だった平成5、6年の第1次朝鮮半島核危機時の西元徹也統幕議長以来かもしれない。
だが、第1次核危機もそうだったが最近の日本の政治が危機感を十分共有しているとは思えない。
歴代内閣の努力は分かる。
安倍晋三政権は集団的自衛権の限定行使に道を開いた。
菅義偉政権は米国と共に
「台湾海峡の平和と安定の重要性」
を宣言した。
岸田文雄政権は防衛費増額や反撃能力保有など防衛力の抜本的強化を開始した。
石破茂内閣は自衛官の募集難対策に本腰を入れている。
中国の台湾侵攻や北朝鮮の暴発を抑止する取り組みだ。
ただし、昨年2024年の日本は、政治とカネの問題で騒動が続くなど専ら内向きだった。
国会などの場で日本の政治は外交安保にもっと意を払うべきだった。
周囲の専制国家が
「日本与しやすし」
と見れば抑止効果は減じる。
それがどれほど恐ろしいことか。
トランプ米政権の登場で、侵略者ロシアと抗戦してきたウクライナが休戦となれば、台湾海峡や東・南シナ海など北東アジアの安全保障環境を変化させる。
■戦後80年に踏まえたい点
北東アジア自体への影響にとどまらない。
停戦監視へ陸上自衛隊のウクライナ派遣が期待されるかもしれない。
また、紅海で民間船舶を攻撃する親イラン民兵組織フーシ派討伐への海上自衛隊参加の要請があるかもしれない。
日本の対応は、北東アジアへの欧米諸国の関与を左右する。
これらは仮の話だが、日本の政治は、そして日本国民は、ウクライナなどの情勢の展開に備えようとしているか。
分断と対立が深まる国際情勢を我が事として捉えているか。
トランプ氏との会談で石破首相は、日本と国際秩序を能動的に守る姿勢を示してほしい。
紙幅が尽きた。
戦後80年について2点指摘したい。
1つ目は、大東亜戦争を巡り、当時の日本には祖国防衛の思いに加え、人種平等の実現や欧米植民地支配打破の理想があった点を、戦後の日本人はほとんど知らされてこなかったという点だ。
2つ目は史実を踏まえた議論の大切さである。

満州事変
世界恐慌の少し前の昭和3年(1928)、満州を実効支配していた張作霖が列車ごと爆殺されるという事件が起きたのです。
元は馬賊だった張作霖は権謀術数に長けた人物で、日露戦争後に日本陸軍の関東軍と手を結び、軍閥を組織して満州を実効支配し、徴収した金を全て自分の物としていました。
当初、張作霖と関東軍の関係は良好でしたが、大正の終わり頃から、物資の買い占め、紙幣の乱発、増税などを行い、関東軍と利害が対立するようになっていきます。
更に欧米の資本を入れて、日本の南満州鉄道(満鉄)と並行する鉄道を敷設したことで、両者の衝突は避けられなくなりました。
満鉄は鉄道事業が中心として満州全域に広範な事業を展開する会社で、日本軍による満州経営の中核たる存在であっただけに、関東軍としても見過ごすわけにはいかなかったのです。
張作霖爆殺事件はそんな状況下で起こりました。
事件の首謀者は関東軍参謀と言われてきましたが、ソ連の関与があったとする説もあり、現在も論争が続いています。
ただ、この時、
「張作霖爆殺」
に関しての陸軍の調査と、彼らを庇うかのように二転三転する内閣の報告に関して、昭和天皇は不快感を顕にし、田中義一首相(元陸軍大臣)の内閣は総辞職しました。
天皇は自分の言葉(それを首相に伝えたのは鈴木貫太郎侍従長)が内閣に影響を与えてしまったことを反省し、以後は内閣の決定には拒否権を発動するなどの
「親裁」
は行わないようになりました。
それをやれば日本は専制君主国家になってしまうという思いからです。
張作霖の跡を継いだ息子の張学良はこの後、満州に入植してきた日本人と朝鮮人の権利を侵害する様々な法律を作ります。
また父の張作霖が満鉄に並行して敷いた鉄道の運賃を異常に安くすることで満鉄を経営難に陥れました。
そのため満鉄は昭和5年(1930)後半から深刻な赤字が続き、社員2000人の解雇を余儀なくされたのです。
日露戦争でロシア軍を追い出して以降、日本は満鉄をはじめとする投資により、満州のインフラを整え、産業を興してきました。
そのお陰で満州は大発展したのです。
この頃、清では戦乱が相次ぎ、日本は満州の治安を守るためにを置いていました。
そのため清から大量の難民が押し寄せることとなります。
そうしたこともあって日露戦争が始まった明治37年(1904)頃には約1000万人だった満州の人口は、20数年の間に3000万人にも増えていました。
同じ頃、蒋介石率いる中国国民党政権と中国共産党による反日宣伝工作が進められ、排日運動や日本人への脅迫やイジメが日常的に行われるようになりました。
日本人に対する暴力事件も多数発生しました。
代表的な事件は
「南京事件」
と呼ばれるもので、これは昭和2年(1927)3月に、蒋介石率いる中国国民党が南京を占領した際、中華民国の軍人と民衆の一部が、日本を含む外国領事館と居留民に対して行った襲撃事件です。
暴徒は外国人に対して、暴行・略奪・破壊などを行い、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、デンマーク人、フランス人が殺害されました(この時、多くの女性が凌辱された)。
この暴挙に対して、列強は怒り、イギリスとアメリカの艦艇は直ちに南京を砲撃しましたが、中華民国への協調路線(及び内政不干渉政策)を取る幣原喜重郎外務大臣(「日英同盟」を破棄して「4カ国条約」を結んだ全権大使)は、中華民国への報復措置を取らないばかりか、逆に列強への説得に努めました。
更に日本政府は国内の世論を刺激しないように、
「我が在留婦女にして凌辱を受けたる者1名もなし」
と嘘の発表をしたため、現状を知る南京の日本人居留民を憤慨させたのです(政府は居留民たちが事実を知らせようとする集会さえも禁じている)。
この時、報復攻撃をしなかった日本に対し、中国民衆は感謝するどころか、逆に
「日本の軍艦は弾丸がない」
「張子の虎だ」
と嘲笑したと言われています。
事実、これ以降、中国全域で、日本人に対するテロ事件や殺人事件が急増します。
満州でも、中国共産党に通じたテロ組織が、日本人居留民や入植者を標的にしたテロ事件を起こすようにもなりました。
しかし被害を受けた日本人居留民が領事館に訴えても、前述の通り、時の日本政府は、第2次幣原喜重郎外交の
「善隣の誼(よしみ)を淳(あつ)くするは刻下の一大急務に属す」(中国人と仲良くするのが何より大事)
という対支外交方針を取っていたため、訴えを黙殺しました。
それどころか幣原喜重郎外務大臣は、
「日本警官増強は日支対立を深め、ひいては日本の満蒙権益を損なう」
という理由で、応援警官引き揚げを決定します。
そのため入植者たちは、満州の治安維持をしている関東軍を頼り、直接、被害を訴えるようになっていきます。
それでもテロ事件は収まらず、昭和5年(1930)後半だけで、81件、死者44人を数える事態となりました(負傷者は数えきれない)。
この時、中国人による嫌がらせの一番の標的になっていたのが朝鮮人入植者でした。
これは多分に両者の長年の確執と性格による所もあったと考えられます。
韓国併合により当時は
「日本人」
だった朝鮮人は、何かにつけて中国人を見下す横柄な態度を取っていたと言われ、中国人にしてみれば、長い間、自分たちの属国の民のような存在と思っていた朝鮮人にそのように扱われのが我慢ならなかったものと考えられます。
中国人から執拗な嫌がらせを受けた朝鮮人入植者は、日本政府に対して
「日本名を名乗らせてほしい」
と訴えます。
最初は日本名を名乗ることを許さなかった統監府も、やがて黙認する形で認めることとなります。
日本政府の無為無策では南満州鉄道や入植者を守れないという意見が強まる中、関東軍は昭和6年(1931)9月、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業であるとして、満州の治安を守るという名目で軍事行動を起こしました。
政府は不拡大方針を取りましたが、関東軍は昭和7年(1932)7月までに満州をほぼ制圧し、張学良を追放しました。
いわゆる
「満州事変」
です。
「事変」
とは、大規模な騒乱状態ではあるが、宣戦布告がなされていない国家間の軍事的衝突を意味します。
以後、日本は中国大陸での泥沼の戦いに突入していくこととなります。

盧溝橋事件から支那事変
昭和12年(1937)7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍が、中華民国軍が占領している後方の陣地から射撃を受けたことがきっかけで、日本軍と中華民国軍が戦闘状態となります。
ただこれは小競り合いで、4日後の昭和12年(1937)7月11日には現地で停戦協定が結ばれました。
しかし東京の陸軍本部は派兵を望んでいて、最初は不拡大方針だった近衛文麿首相はそれに押し切られるように、昭和12年(1937)7月11日の臨時閣議で派兵を決めます。
盧溝橋の発砲事件に関しては、中国共産党が引き起こしたという説もありますが、真相は不明です。
異常な緊張状態の中、その月昭和12年(1937)7月の29日、北京東方で、
「通州事件」
通州事件(2) Sさんの体験談
https://nezu3344.com/blog-entry-6033.html
が起きます。
この事件は、
「冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)」(昭和10年【1935】から昭和13年【1938】まで河北省に存在した自治政府であるが、その実体は日本の傀儡政権であるとされる)
の中国人部隊が反乱を起こし(中国国民党や中国共産党が使嗾【しそう:そそのかすこと】したとも言われる)、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人や乳児を含む民間人233人を虐殺した事件です。
その殺害方法は猟奇的とも言うべき残虐なもので、遺体のほとんどが生前に激しく傷付けられた跡があり、女性は子供から老人までほぼ全員強姦された上、性器を著しく損壊されていました。
これらの記録や写真は大量に残っていますが、まともな人間なら正視に耐えないものです。
この事件を知らされた日本国民と軍部は激しく怒り、日本国内に反中感情が高まりました。
また昭和12年(1937)8月に上海の租界で2人の日本の軍人が射殺された(大山事件)こともあり、日本人居留地を守っていた日本軍と中華民国軍が戦闘状態に入りました(第2次上海事変)。
この時、ドイツの指導と武器援助を受けていた中華民国軍は屈強で、日本軍は思わぬ苦戦を強いられます。
当時、上海の租界には約2万8000人の日本人が住んでいましたが、実は大山事件前にも、日本人を標的にした中国人によるテロ事件や挑発的行為が頻発していました。
昭和6年(1931)、商社や商店、個人が受けた暴行や略奪は200件以上。
通学児童に対する暴行や嫌がらせは約700件。
殺害事件だけでも、昭和7年(1932)から昭和12年(1937)までの間に何件も起きています。
犠牲者も軍人だけでなく、托鉢僧や商社員、新聞社の記者など民間人が多数含まれていました。
第2次上海事変は中華民国の各地に飛び火し、やがて全国的な戦闘となりました。
ただ、日本がこの戦闘を行ったのは、そもそもは自国民に対する暴挙への対抗のためでした。
「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)
というスローガンが示すように
「暴れる支那を懲らしめる(膺懲)」
という形で行った戦闘がいつの間にか全面戦争に発展したというのが実情です。
当時、日本は中華民国との戦闘状態を総称して
「支那事変」(あるいは「日華事変」)
と呼んでいました。
支那事変は大東亜戦争が始まるまでの4年間、両国とも宣戦布告を行わずに戦い続けた奇妙な戦争でした。
その理由は、
「戦争」
となれば、第3国に中立義務が生じ、交戦国との交易が中立義務に反する敵対行為となるからです。
従って両国が共に
「事変」
扱いとして戦い続けたため、国際的にも
「戦争」
とは見做されませんでした(実質は戦争)。
装備に優る日本軍は僅か3カ月で上海戦線を突破し、その年昭和12年(1937)の12月には首都南京を占領しました。
日本軍は、首都さえ落とせば、中華民国は講和に応じるだろうと見ていたのですが、蒋介石は首都を奥地の重慶に移して抵抗します。
中華民国には、ソ連とアメリカが積極的な軍事援助を行っていて、最早戦争の早期終結は望めないこととなっていました。

昭和12年(1937)12月、日本軍による南京占領の後、
「30万人の大虐殺」
が起きたという話がありますが、これはフィクションです。
この件は日本と日本人の名誉に関わることですから、やや紙幅を割いて書きます。
「南京大虐殺」
は、日本軍の占領直後から、蒋介石が国民党中央宣伝部を使って盛んに宣伝した事件です。
例えば、南京大虐殺を世界に最初に伝えたとされる英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員であったオーストラリア人記者のハロルド・ティンパリは、実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています。
その著作
”What War Means:The Japanese Terror in China"(邦訳『外国人の見た日本軍の愚行ー実録・南京大虐殺ー』)
の出版に際しては、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われていたことが近年の研究で明らかになっています。
また『南京大虐殺』を世界に先駆けて報じたアメリカ人記者ティルマン・ダーディンも『シカゴ・デイリー・ニューズ』記者のアーチボルド・スティールも南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)。
当時、南京には欧米諸国の外交機関も赤十字も存在しており、各国の特派員も大勢いたにもかかわらず、大虐殺があったと世界に報じられてはいません。
30万人の大虐殺となれば、世界中でニュースになったはずです(捕虜の処刑は別)。
また、同じ頃の南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人です。
もう1つおかしいことは、日本軍が占領した1カ月後に南京市民が25万人に増えていることです。
いずれも公的な記録として残っている数字です。
仮に日本軍が1万人も殺していたら、住民は蜘蛛の子を散らすように町から逃げ出していたでしょう。
南京市民が増えたのは、街の治安が回復されたからに他なりません。
当時の報道カメラマンが撮った写真には、南京市民が日本軍兵士と和気藹々と写っている日常風景が大量にあります。
占領後に捕虜の殺害があったことは事実ですが、民間人を大量虐殺した証拠は一切ありません。
20万人という数字は安全区だけのもので、それ以外の地区は含まれていないという主張もありますが、安全区以外の地域にはほとんど人がいなかったという外国人の証言が多数残っています。
もちろん一部で日本兵による殺人事件や強姦事件はありました。
ただ、それをもって大虐殺の証拠とは言えません。
今日、日本は世界で最も治安の良い国と言われていますが、それでも殺人事件や強姦事件は年間に何千件も起きています(近年の統計によれば、殺人は900〜1000件、強制性交等はそれ以上)。
ちなみにアメリカでは毎年、殺人と強姦を合わせると数十万件も起きています。
ましてや当時は警察も法律も機能していなかったことを考えると、平時の南京では起こらないような痛ましい事件もあったとは思われます。
また南京においては
「便意兵」
の存在もありました。
便意兵とは分かり易く言えばゲリラです。
軍人が民間人のふりをして日本兵を殺すケースが多々あったため、日本軍は便意兵を見つけると処刑したのですが、中には便意兵と間違われて殺された民間人もいたかもしれません。
こうした混乱が起きるのが戦争だとも言えます。
例えば戦後の占領下で、アメリカ軍兵士が日本人を殺害したり、日本人女性を強姦したりした事件は何万件もあったと言われます。
これらは許されることではありませんが、占領下という特殊な状況において、平時よりも犯罪が増えるのは常です。
要するに、南京において個々の犯罪例が100例、200例あろうと、それをもって大虐殺があったという証拠にはならないのです。
30万人の大虐殺と言うからには、それなりの物的証拠が必要です。
ドイツが行ったユダヤ人虐殺は夥しい物的証拠(遺体、遺品、ガス室、殺害記録、命令書、写真その他)が多数残っており、今日でも尚、検証が続けられています。
しかし
「南京大虐殺」
は伝聞証拠以外に物的証拠が出てきません。
証拠写真の大半は、別事件の写真の盗用ないし合成による捏造であることが証明されています。
そもそも日中戦争は8年も行われていたのに、南京市以外での大虐殺の話はありません。
8年間の戦争で、僅か2カ月間だけ、日本人が狂ったように中国人を虐殺したというのは余りにも不自然です。
とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました。
「南京大虐殺」
とは、支那事変以降、アメリカで蒋介石政権が盛んに行った反日宣伝活動のフェイクニュースでした。
日本軍による
「残虐行為」
があったとアメリカのキリスト教団体とコミンテルンの工作員が盛んに宣伝し、
「残虐な日本軍と犠牲者・中国」
というイメージを全米に広めたのです。
このイメージに基づいて、後年、第二次世界大戦後に開かれた
「極東国際軍事裁判」(東京裁判)
では、日本軍の悪行を糾弾する材料として
「南京大虐殺」
が取り上げられることになります。
実は東京裁判でもおかしな事がありました。
この裁判では、上官の命令によって1人の捕虜を殺害しただけで絞首刑にされたBC級戦犯が1000人もいたのに、30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将1人しか罪に問われていないのです。
規模の大きさからすれば、本来は虐殺命令を下した大隊長以下、中隊長、小隊長、更に直接手を下した下士官や兵などが徹底的に調べ上げられ、何千人も処刑されているはずです。
しかし現実には、処刑されたのは松井大将1人だけでした。
東京裁判で亡霊の如く浮かび上がった
「南京大虐殺」
は、それ以降、再び歴史の中に消えてしまいます。
「南京大虐殺」
が再び姿を現すのは、東京裁判の4半世紀後のことでした。
昭和46年(1971)、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が
「中国の旅」
という連載を開始しました。
その中で本多は、
「南京大虐殺」
を取り上げ、日本人が如何に残虐な事をしてきたかを、嘘とデタラメを交えて書いたのです。
これが再燃のきっかけとなりました。
この時の取材、本多の南京滞在は僅か1泊2日、
「南京大虐殺」
を語った証言者は中国共産党が用意した僅か4人でした。
後に本多自身が
「『中国の視点』を紹介することが目的の『旅』であり、その意味では『取材』でさえもない」
と語っています。
本多の連載が始まった途端、朝日新聞をはじめとする日本の多くのジャーナリズムが
「南京大虐殺」
をテーマにして
「日本人の罪」
を縦断する記事や特集を組み始めました。
そうした日本国内での動きを見た中国政府は、これは外交カードに使えると判断したのでしょう。
以降、執拗に日本政府を非難するようになったというわけです。
本田勝一の記事が出るまで、毛沢東も周恩来も中国政府も、1度たりとも公式の場で言及したことはなく、日本を非難しなかったにもかかわらずです。
それ以前は、中国の歴史教科書にも
「南京大虐殺」
は書かれていませんでした。
「無かった事」
を証明するのは、俗に
「悪魔の証明」
と言われ、私がここで書いた事も、
「無かった事」
の証明にはなりません。
ただ、客観的に見れば、組織的及び計画的な住民虐殺という意味での
「『南京大虐殺』は無かった」
と考えるのが極めて自然です。

朝日新聞が生み出した国際問題
「WGIP洗脳世代」
が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始めます。
そして後に大きな国際問題となって日本と国民を苦しめることになる3つの種が播かれました。
それは
「南京大虐殺の嘘」
「朝鮮人従軍慰安婦の嘘」
「首相の國神社参拝への非難」
です。
これらはいずれも朝日新聞による報道がきっかけとなったものでした。
まず
「南京大虐殺」
ですが、これは前述したように、昭和46年(1971)、朝日新聞で始まった
「中国の旅」
という連載がきっかけとなりました。
全く事実に基づかない内容だったにもかかわらず、戦後、GHQによって
「日本軍は悪逆非道であった」
という洗脳を徹底して受けていた日本人の多くは、この捏造とも言える記事をあっさりと信じてしまったのです。
当時、朝日新聞が
「日本の良心」
を標榜し、売上部数が圧倒的に多かったことも、読者を信用させる元となりました。
まさか大新聞が堂々と嘘を書くとは誰も思わなかったのです。
更に当時、マスメディアや言論界を支配していた知識人の多くがこの話を肯定したことが裏書きとなり、本田勝一の記事が真実であるかのように罷り通ってしまったのでした。
日本側のこうした反応を見た中華人民共和国は、これはに使えると判断し、以降、執拗に日本を非難するカードとして
「南京大虐殺」
を持ち出すようになります。
そして50年以上経った現在まで、大きな国際問題となって残っています。
情けないことに、未だに、
「南京大虐殺」
が本当にあったと思い込んでいる人が少なくありません。
今更ながらGHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
の洗脳の怖ろしさが分かろうというものです。
朝日新聞が生み出したもう1つの嘘は、いわゆる
「朝鮮人従軍慰安婦」
問題です。
昭和57年(1982)、朝日新聞は吉田清治という男の衝撃的な証言記事を載せました。
その内容は、吉田清治が軍の命令で済州島に渡り、泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、かつてのアフリカの奴隷狩りのようにトラックに無理矢理乗せて慰安婦にしたという告白でした。
この記事は日本中を驚愕させました。
以降、朝日新聞は日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にしたという記事を執拗に書き続けます。
朝日新聞は吉田清治証言だけでも18回も記事にしています。
ちなみに
「従軍慰安婦」
という言葉は、戦後、元毎日新聞社の千田夏光(本名、貞晴)らによって広められた全く新しい造語です。
吉田清治証言が虚偽であることは早い段階から一部の言論人らから指摘されていました。
吉田清治自身も平成8年(1996)の
「週刊新潮」
のインタビューで、
「本に真実を書いても何の益も無い」
「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」
と捏造を認めていたのです。
ところが、朝日新聞がこの吉田清治証言に基づく自社の記事を誤りだったとする訂正記事を書いたのは、最初の記事から32年も経った平成26年(2014)のことでした。
実に32年もの間、朝日新聞の大キャンペーンに、左翼系ジャーナリストや文化人たちが相乗りし、日本軍の
「旧悪」
を糾弾するという体で、慰安婦のことを何度も取り上げました。
これに積極的に関わった面々の中には旧日本社会党や日本共産党の議員もいました。
多くの国民は朝日新聞が嘘を書くわけがないと思い、またGHQの洗脳によって
「日本軍ならそれくらいの事はしただろう」
と思い込まされてきたため、
「従軍慰安婦の嘘」
を信じてしまったのです。
「南京大虐殺」
と同様でした。
こうした日本の状況を見た韓国も、中華人民共和国と同様、
「これは外交カードに使える」
として、日本政府に抗議を始めました。
朝日新聞が吉田清治証言を記事にしてキャンペーンを始めるまで、40年もの間、1度も日本政府に慰安婦のことで抗議などしてこなかったにもかかわらず、です。
韓国の抗議に対する日本政府の対応が最悪とも言える拙劣なものでした。
平成5年(1993)、韓国側からの
「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めれば、今後は問題を蒸し返さない」
という言葉を信じて、日韓両政府の事実上の談合による
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」
(いわゆる「河野談話」)
を出し、慰安婦の強制連行を認めるような発信をしてしまったのです。
途端に、韓国は前言を翻し、これ以降、
「日本は強制を認めたのだから」
と、執拗に賠償と補償を要求するようになります。
これは80年前、大正4年(1915)の
「21ヵ条要求」
のいきさつを彷彿とさせる悪手でした。
もう1つ、朝日新聞がこしらえたと言える深刻な国際問題が、
「首相の國神社参拝に対する非難」
でした。
今も、首相の國神社参拝を
「世界の国々が非難している」
という報道を繰り返す新聞がありますが、これは正しくありません。
我が国の首相や閣僚の國神社参拝を感情的に非難しているのは、中華人民共和国と韓国のみと言っていいでしょう。
アメリカや中韓以外のアジア諸国のメディアが今も批判的トーンで國神社参拝を報じるのは、日本と隣国との争いの種になっているから、という理由が大きいのです。
もちろん英米メディアの中には國神社を
「戦争神社」
と言い、ここに参る者は
「戦争賛美」
の極右で
「歴史修正主義者」
だという論調もありますが、そのほとんどが、1980年代の朝日新聞の報道論調を下敷きにしています。
そもそも中国・韓国の2国は、戦後40年間、日本の首相の國神社参拝に1度も抗議などしてきませんでした。
それまでに歴代首相が59回も参拝したにもかかわらずです。
これが国際問題となったきっかけは、昭和60年(1985)8月15日に中曽根康弘首相が國神社を参拝した時に、これを非難する記事を朝日新聞が大きく載せたことでした。
直後、中華人民共和国が初めて日本政府に抗議し、これ以降、首相の國神社参拝は国際問題となったのです。
この時、中国の抗議に追随するように韓国も非難するようになりました。
以上、現在、日本と中国・韓国の間で大きな国際問題となっている3つの問題は、全て朝日新聞が作り上げたものと言っても過言ではありません。
3つの報道に共通するのは、
「日本人は悪い事をしてきた民族だから、糾弾されなければならない」
という思想です。
そのためなら、たとえ捏造報道でもかまわないという考えが根底にあると思われても仕方がないような経緯です。
朝日新聞のこうした考え方は政治的な記事に限りませんでした。
平成元年(1989)4月20日の
「珊瑚記事捏造事件」
などは同根と言える一例です。
これは、朝日新聞のカメラマンが、ギネスブックにも載った世界最大の沖縄のアザニサンゴに、自らナイフで
「K・Y」
という傷を付けて、
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
という悪質な捏造記事を書いたという事件です。
記事は日本人のモラルの低下を嘆き、
「日本人の精神の貧しさと荒んだ心」
とまで書かれています。
これは単にスクープ欲しさの自作自演だったとは思われません。
その書きぶりには、前記の3記事と同じ
「WGIPによる歪んだ自虐思想」
が見て取れます。
GHQの推し進めた洗脳政策は、戦後、多くの日本人の精神をすっかり捻じ曲げてしまったと言えますが、驚くべきことに、占領後は朝日新聞を代表とするマスメディアが、GHQの洗脳政策の後継者的存在となり、捏造までして日本と日本人を不当に叩いていたのです。
更に不思議なことはこの新聞が、戦後長らく
「クオリティー・ペーパー」
と言われてきたことです。
「クオリティー・ペーパー」
とは
「エリート階層を読者とする質の高い新聞」
という意味ですが、果たしてこの称号を与えたのは誰だったのでしょうか。
それは戦後の公職追放の後に、言論界を支配した者たちでした。

朝鮮人慰安婦に関しては、肯定派のジャーナリストや学者、文化人らが、
「軍が強制した」
という証拠を長年懸命に探し続けていますが、現在に至っても全く出てきません。
中には、
「軍が証拠を隠滅した」
と言う者もいますが、全ての証拠を完全に消し去ることなど不可能です。
軍は一種の官僚機構です。
仮に民間業者に命じたのなら、議事録、命令書、予算書、報告書、名簿、受領書、請求書、領収書など、夥しい書類が必要でしょう。
軍は勝手に金を動かせませんから、双方の帳簿も大量に残っているはずです。
戦闘中以外はトラック1台動かすのにも、いちいち書類が必要だったのです。
当時、軍用機の搭乗員たちは、たとえ練習でも飛行記録を残す義務がありました。
もし軍が直接行動したなら、慰安婦を強制連行するために動いた部隊、実働人員、収容した施設、食料などを記した書類も大量にあるはずですが、それらが全て煙のように消えてしまうことなどあり得ません。
そんなことが可能なら、戦後に捕虜の処刑に関係したBC級戦犯が1000人も処刑されるはずがありません。
2000年から、アメリカ合衆国のクリントン、ブッシュ政権下において、8年の歳月をかけて、ドイツと日本の戦争犯罪に関する大規模な調査が行われ、850万ページに及ぶ未公開や秘密の公式文書が調査されました。
そのうち14万2000ページが日本の戦争犯罪に関するものでしたが、日本政府や軍がいわゆる
「従軍慰安婦」
に関わる戦争犯罪を犯したことを示す文書は1点も発見されなかったという報告が、2007年にありました(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班【IWG】アメリカ合衆国議会宛て最終報告」)。
この報告は
「従軍慰安婦」
に終止符を打つべきものと思えますが、令和の今日においても尚、左翼系の政党やメディア、学者、弁護士らは日本政府と軍の
「強制」
を主張しています。
ここで皆さんに知っておいてもらいたい事があります。
それは戦時慰安婦の大半が日本人女性だったということです。
朝鮮人女性は2割ほどだったと言われています。
当時は日本も朝鮮も貧しく、親兄弟の生活のために身を売らねばならなかった女性が少なくありませんでした。
そうした女性たちが戦時に戦地の慰安所で慰安婦として働いたー。
これが事実の全てです。
一方、
「國神社参拝」
については、政治家の参拝を非難する左翼系の学者や文化人の中に、
「中国が抗議したのは、A級戦犯を合祀したからだ」
と言う人がいますが、これは稚拙であり罪作りな嘘です。
國神社が
「A級戦犯」
とされた人々を合祀したのは昭和53年(1978)10月でした。
それから昭和60年(1985)まで3人の首相(大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘)が延べ22回参拝していますが、昭和60年まで、中国は1度も抗議していません(A級戦犯合祀は翌年に朝日新聞によって報道されている)。
また
「天皇陛下でさえ、A級戦犯合祀以来、参拝されていない」
と言う人もいますが、天皇陛下の國神社への行幸がなくなったのは、昭和51年(1976)からです。
実はその前年(昭和50年【1975】)、三木武夫首相の参拝について
「私人としてのものか、公人としてのものか」
とマスコミが大騒ぎをしたことがありました。
昭和天皇が終戦記念日に國神社を親拝しなくなった理由は分かりませんが、もしかしたら
「自分が行けば、私人としてか公人としてかという騒ぎが大きくなる」
と案じたのかもしれません。

戦時徴用工強制労働の嘘
昭和40年(1965)頃から、在日朝鮮人と在日韓国人が
「自分たちは戦争中に強制連行されてきた」
と主張し始めました。
これもまた嘘です。
確かに戦争中
「戦時徴用」
として
朝鮮人労働者を国内の工場などに派遣した事実はありますが、戦時徴用は日本の中学生や女学生にも行われていました。
しかも日本の学生に払われた給料は僅かなものでしたが、朝鮮人労働者には正規の給料が支払われていました。
また徴用工が送られるのは、労働管理の整備された場所に限られていました。
「外国人を徴用工として使うのは酷い」
と言う人もいるが、当時、朝鮮人は法的には日本人・日本国民であったことを忘れてはなりません。
また同じ頃、日本人男性は徴兵で戦場に送られていましたが、朝鮮人が徴兵されたのは昭和19年(1944)になってからで、しかも訓練中に終戦を迎えたため、ほとんどが戦場には送られていません。
戦時徴用も終戦前の7カ月だけでした。
そして終戦後に彼らのほとんどは朝鮮へ帰国しています。
昭和34年(1959)に外務省が発表したデータによりますと、当時、日本国内にいた在日朝鮮人・在日韓国人は約61万人、そのうち戦時徴用で国内にとどまっていた人は僅かに245人でした(在日朝鮮人・在日韓国人全体の0.04%)。
つまり99.96%の在日朝鮮人・在日韓国人は
「職を求めて」
自由意思で日本にやって来た人たちだったのです。
しかもその中の多くが朝鮮戦争の時に密航してやってきた人たちでした。
「在日朝鮮人・在日韓国人の多くは戦争中に強制連行された人、あるいはその子孫」
という嘘は、最初は彼ら自身が言い始めたことでしたが、これを左翼系のマスメディアや学者らがあたかも歴史的事実であるかのように広めたのでした。
そのため、現在でもこれを真実と思い込んでいる日本人が少なくありません。
GHQの
「WGIP」
は今も日本人の心と日本の言論空間を蝕んでいると言えるのです。

第二次世界大戦中への流れを眺める時、なぜ人類はこれを止めることが出来なかったのだろうかと、絶望的な気持ちになります。
世界は第一次世界大戦を遥かに上回る規模の大戦争へと突入し、日本もアメリカと戦争を始め、中国と西太平洋が戦場となりました。
日本が戦争への道を進まずに済む方法はなかったのでしょうかー。
私たちが歴史を学ぶ理由は実はここにあります。
特に近現代史を見る時には、その視点が不可欠です。
歴史を事実を知るだけの学問と捉えるなら、それを学ぶ意味はありません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これはドイツの名宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉です。
もっともこれは原文をかなり意訳したもので、正確に訳すと次のような文章になります。
「愚かな者は自分の経験から学ぶと信じているばかりだ」
「私は最初から自分の過ちを避けるために、他人の経験から学ぶことを好む」
私たちもまた先人の経験から、悲劇を避ける術を学ばなくてはなりません。

全面戦争へ
「支那事変」
は確固たる目的がないままに行われた戦争でした。
乱暴な言い方をすれば、中国人の度重なるテロ行為に、お灸をすえてやるという世論に押される形で戦闘行為に入ったものの、気が付けば全面的な戦いになっていたという計画性も戦略もない愚かなものでした。
名称だけは
「事変」
となっていましたが、最早完全な戦争でした。
しかもこの戦いは現地の軍の主導で行われ、政府がそれを止めることが出来ないでいるという異常なものでもありました。
そこには5・15事件や2・26事件の影響があるのは明らかです。
支那事変が始まった翌年の昭和13年(1938)には、
「国家総動員法」(昭和13年(1938)4月1日に公布、5月5日に施行)
が成立しました。
これは
「戦時に際して、労働力や物資割り当てなどの統制・運用を、議会の審議を経ずに勅令で行うことが出来るようにした法律」
です。
具体的には、国家は国民を自由に徴用でき、あらゆる物資や価格を統制し、言論を制限し得るといった恐るべき法律でした。
ちなみにこの法案の審議中、趣旨説明をした佐藤賢了陸軍中佐の余りに長い答弁に、衆議院議員たちから抗議の声が上がったところで、佐藤が
「黙れ!」
と一喝したことがありました。
この時、議員たちの脳裏に2年前1936年の2・26事件が浮かんだことは容易に想像できます。
佐藤の恫喝後、誰も異議を挟まなくなり、狂気の法案は僅か1カ月で成立しました。
国力の全てを中国との戦争に注ぎ込もうと考えていた日本は、この年昭和13年(1938)、2年後に東京で開催予定であった
「オリンピック」

「万国博覧会」(万博)
を返上します。
これは、最早世界の国々と仲良く手を結んでいこうという意思がないことを内外に宣言したに等しい決断でした。
このオリンピックと万博の返上は陸軍の強い希望であったと言われています。

暴れるドイツ
同じ昭和13年(1938)、ヨーロッパではドイツがオーストリアを併合し、チェコスロバキアのズデーテン地方を要求する事態となっていました。
チェコは拒否しますが、ヒトラーは戦争をしてでも奪うと宣言します。
イギリスとフランスの首相がヒトラーと会談しましたが(ミュンヘン会談)、英仏両国は、チェコを犠牲にすれば戦争を回避できると考え、ヒトラーの要求を全面的に受け入れます。
そのためにチェコは自国領土の一部をむざむざとドイツに奪われました。
イギリスとフランスが取った
「宥和政策」
は当時、ヨーロッパの平和を維持するための現実的で勇気ある判断として大いに評価され、ミュンヘン会談を終えてロンドン郊外のクロイドン空港に降り立ったチェンバレン首相を、イギリス国民は大歓迎しました。
しかしこの
「宥和政策」
は、結果的にドイツに時間的、資金的な猶予を与えただけのものとなりました。
結果論ではありますが、この時、イギリスとフランスが軍備を拡充して敢然とヒトラーに対峙していたならば、第二次世界大戦は避けられたかもしれません。
仮に戦争になったとしても、全ヨーロッパが火の海となり、夥しい死者が出る悲惨な状況にはならなかったと思われます。
狂気の独裁者に対して宥和政策を取るということは、一見、危険を回避したように見えますが、より大きな危険を招くことにも繋がるという一種の教訓です。
ドイツは易々とズデーテン地方を奪った後、チェコスロバキアの制圧に乗り出しています。
スロバキアに独立を宣言させ、チェコも保護下に置きながら、最終的には昭和14年(1939)3月、軍事侵攻して全土を占領しました。
そしてチェコ最大のシュコダ財閥の軍需工場を接収し、兵器を大量に増産すると、ソ連と
「独ソ不可侵条約」
を結んだ上で、昭和14年(1939)9月1日にポーランドに電撃的に侵攻しました。
おぞましいことに、ヒトラーとスターリンは事前にポーランドの分割を話し合っていたのです。
ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスとフランスは、完全に面子を潰され、2日後昭和14年(1939)9月3日、ドイツに宣戦布告しました。
ここに第二次世界大戦が幕を開けました。

第二次世界大戦
第二次世界大戦の始まりは奇妙なものでした。
イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したものの、実際にドイツに攻め込むことはしなかったからです。
大西洋でのドイツ潜水艦による通商破壊戦の攻防はありましたが、8カ月間、陸上での戦いはほとんどありませんでした。
そのためイギリスでは
「まやかし戦争」(Phoney War)、
フランスでは
「奇妙な戦争」(Drole de guerre)
と呼ばれました。
つまりイギリスもフランスも、建前上、ドイツに宣戦布告したものの、本心は戦争をする気などなかったのです。
イギリス国民の多くは、その年昭和15年(1940)暮れには戦争が終るだろうと考えていました。
当時、ドイツ軍は主力を東部戦線に移しており、イギリス軍とフランス軍が一挙に攻め込めば、ドイツ軍は総崩れになったであろうと言われています。
ドイツ軍首脳は、フランスとの国境線に大軍を配備しおくべきと主張しましたが、英仏のそれまでの宥和的態度から、戦う意思がないと見抜いていたヒトラーは、西部戦線をがら空きにして主力をポーランドに集中させます。
ドイツはポーランドを完全に制圧すると、今度は主力を西武戦線に移し、昭和15年(1940)5月、英仏軍に一気に襲い掛かりました。
両国軍はあっという間に撃破され、イギリス軍はヨーロッパ大陸から駆逐され、フランスは首都パリと国土の5分の3を占領されました。
ドイツ軍の破竹の進撃を見たイタリアもイギリス、フランスに宣戦布告しました。
驚異的な軍事力によってあっという間に西ヨーロッパを席巻したドイツの勢いを目の当たりにした日本陸軍内に、
「バスに乗り遅れるな」
という声が生まれ、一種の流行語となりました。
このことを深く憂慮した昭和天皇は、親英米派で日独伊三国同盟には反対の立場を取っていた海軍大将米内光政を内閣総理大臣に推挙しました(形式上は湯浅倉平内大臣の推挙)。
昭和天皇が個人名を挙げて首相に推挙するのは例のないことです。
如何に昭和天皇がドイツやイタリアとの同盟に反対していたかの証左です。
しかし昭和15年(1940)6月にドイツがフランスを降伏させると、陸軍は倒閣運動を行い、同年昭和15年(1940)7月に米内内閣を総辞職に追い込みました。
新たに誕生した第2次近衛内閣は同年昭和15年(1940)9月に
「日独伊三国同盟」
を締結します。
朝日新聞は、これを一大慶事のように報じました。
しかしこの同盟は、実質的には日本に特段のメリットはなく、アメリカとの関係を決定的に悪くしただけの、実に愚かな選択だったと言わざるを得ません。
もっともアメリカのルーズベルト民主党政権はこれ以前から、日本を敵視し、様々な圧力を掛けていました。
前年の昭和14年(1939)には、日米通商航海条約破棄を通告し、航空機用ガソリン製造設備と技術の輸出を禁止していました。
また、アメリカやイギリスは、日本と戦闘状態にあった中華民国を支援しており、
「援蒋ルート」
を使って軍需物資などを送り続けていました。
「援蒋ルート」
は主に4つありましたが、最大は
「仏印(フランス領インドシナ)ルート」
と呼ばれたもので、ハノイと昆明を結んでいました。
日本は仏印ルートの遮断を目的として、昭和15年(1940)、北部仏印(現在のベトナム北部)に軍を進出させました。
これはフランスのヴィシー政権(昭和15年【1940】)にドイツに降伏した後、中部フランスの町ヴィシーに成立させた政府)と条約を結んで行ったものでしたが、アメリカとイギリスは、ヴィシー政権はドイツの傀儡であり日本との条約は無効だと抗議しました。
しかし日本はそれを無視して駐留を続けたのです。
「援蒋ルート」
を潰されたアメリカは、日本への敵意を露わにし、同年昭和15年(1940)、特殊工作機械と石油製品の輸出を制限、更に航空機用ガソリンと屑鉄の輸出を全面禁止しました。
アメリカから
「対日経済制裁」
の宣告を受けた日本は、石油が禁輸された場合を考え、オランダ領インドシナの油田権益の獲得を目論みます。
当時、オランダ本国は既にドイツに占領されていましたが、植民地のインドシナはロンドンのオランダ亡命政府の統治下にありました。
翌昭和16年(1941)、日本軍は更に南部仏印(現在のベトナム南部)へと進出しました。
アメリカのルーズベルト政権はこれを対米戦争の準備行動と見做し、在米日本資産凍結令を発布します。
イギリスとオランダもこれに倣いました。
そして同年昭和16年(1941)8月、アメリカは遂に日本への石油輸出を全面的に禁止したのです。
当時、日本は石油消費量の約8割をアメリカから輸入していました。
それを止められるということは、息の根を止められるのに等しいことでした。
日本はオランダ領のインドネシアから石油を輸入しようとしましたが、オランダ亡命政府(当時はイギリスからカナダに拠点を移していた)は、アメリカとイギリスの意向を汲んで日本には石油を売りませんでした。
この時、日本の石油備蓄は約半年分だったと言われています。
つまり半年後に日本は軍艦も飛行機も満足に動かせない状況に陥るということでした。
もちろん国民生活も成り立たなくなります。
まさに国家と国民の死活問題でした。
日本は必死で戦争回避の道を探りますが、ルーズベルト政権には妥協するつもりはありませんでした。
それどころかルーズベルト政権は日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたと指摘する歴史家もいます。
アメリカがいつから日本を仮想敵国としたのかは、判然としませんが、大正10〜11年(1921〜1922)のワシントン会議の席で、強引に日英同盟を破棄させた頃には、いずれ日本と戦うことを想定していたと考えられます。
その底意を見抜けず、日英同盟を破棄して、お飾りの平和を謳った
「四カ国条約」
を締結して良しとした日本政府の行動は、国際感覚が致命的に欠如していたとしか言いようがありません。
それから約20年後の昭和14年(1939)には、アメリカははっきりと日米開戦を想定していたと言えます。
ただルーズベルト大統領は、第二次世界大戦が始まっていた昭和15年(1940)の大統領選(慣例を破っての3期目の選挙)で、
「自分が選ばれれば、外国との戦争はしない」
という公約を掲げて当選していただけに、自分から戦争を始めるわけにはいかなかったのです。
彼は
「日本から戦争を仕掛けさせる方法」
を探っていたはずで、日本への石油の全面禁輸はそのための策の1つだったのでしょう。

開戦前夜
日本はそれでもアメリカとの戦争を何とか回避しようと画策しました。
アメリカと戦って勝てないことは政府も軍も分かっていたからです。
しかし日本の新聞各紙は政府の弱腰を激しく非難しました。
満州事変【1931年(昭和6年、民国20年)9月18日〜1933年(昭和8年)5月31日】以来、新聞では戦争を煽る記事や社説、あるいは兵士の勇ましい戦いぶりを報じる記事が紙面を賑わすことが常となっていました。
中には荒唐無稽な創作記事も数多くありました。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)の
「百人斬り」
の記事などはその典型です。
これは支那事変【1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端とする日本と中華民国の間で起こった武力衝突】で陸軍の2人の少尉が、
「どちらが先に敵を100人斬るかという競争をした」
という事実誤認に満ちた根拠薄弱な内容でした。
しかし戦後、この記事が原因で、2人の少尉は南京軍事法廷で死刑判決を受け、銃殺刑に処されています(毎日新聞は現在も記事の内容は真実であったと主張している)。
ちなみに
「日独伊三国同盟」
を積極的に推したのも新聞社でした。
そんな中、昭和16年(1941)11月27日、アメリカのルーズベルト政権はそれまでの交渉を無視するかのように、日本に対して強硬な文書を突き付けてきました。
この文書は当時の国務長官コーデル・ハルの名前をとって
「ハル・ノート」
と呼ばれていますが、最も重要な部分は、
「日本が仏印と中国から全面撤退する」
という項目でした。
これは日本としては絶対に呑めない条件でした。
この時点で、日米開戦は不可避になったと言えます。
実はこのハル・ノートを見た日本軍首脳部の開戦派は、
「天祐」(天の加護。天の助け。天助。)
と言ったとされています。
つまり
「戦争をするしかない」
状況になったからです。
それまで戦争を回避したいと考えていた閣僚らも開戦に強く反対しなくなり、アメリカとの戦争には消極的な立場を取っていた海軍もここで開戦の決意を固めたと言われています。
とは言っても、ハル・ノート受領の前日には、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)から聯合艦隊の空母部隊がハワイに向けて出撃しています(攻撃決定は【昭和16年(1941)12月2日】。
艦隊が単冠湾に集結したのが【昭和16年(1941)11月22日】、真珠湾攻撃のための猛訓練を始めたのが【昭和16年(1941)5月】であったことを見れば、日本政府が戦争回避を試みる一方、軍は戦争開始の準備を着々と進めていたことが分かります。
ただし、ハル・ノートの解釈については後年議論の的になっている点があります。
「日本が中国から撤退」
という要求の文章の
「中国」
についてです。
原文は
「China」
となっていますが、この
「China」
が中華民国を指すのか、それとも満州まで含めた地域を指すのかが明確にされていなかったのです。
日本側は
「満州」
を含めた地域と解釈しましたが、実はアメリカ側は、満州は考慮に入れていなかったとも言われています。
戦後、この経緯を調べたピューリッツァー賞受賞作家のジョン・トーランドは、当時の日本の閣僚らに、もし満州を含まないと知っていたら開戦していたかと訊ねています。
すると多くの人は、
「それならハル・ノートを受諾した」
「開戦を急がなかったであろう」
と答えています。
もっとも、何としても日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたルーズベルトは、別の手段で日本を追い込んだに違いありません。
とまれ賽は投げられました。

真珠湾攻撃
昭和16年(1941)12月8日未明、聯合艦隊の空母から飛び立った日本海軍の航空隊はハワイの真珠湾に停泊するアメリカ艦隊を攻撃しました。
日本軍は戦艦4隻を撃沈し、基地航空部隊をほぼ全滅させます。
ただ、この時、在アメリカ日本大使館員の不手際で宣戦布告が攻撃後になってしまいました。
同日、台湾から海軍の航空隊が出撃し、フィリピンのクラーク基地のアメリカ航空部隊を全滅させています。
更に同日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、イギリス軍をも打ち破っています。
日本がアメリカとイギリスに対して同時に開戦したのは、オランダ領インドネシアの石油を奪うためでした。
そのためにはシンガポールのイギリス軍を撃破しなければならず、また手に入れた石油を日本に送るのに東シナ海を通るため、その航路を遮る位置にあるアメリカのクラーク基地を無力化する必要がありました。
真珠湾のアメリカ艦隊を叩いたのも同じ理由からです。
同日、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告を行いました。
同時に支那事変も正式に戦争となりました。
ここに至りインドシナ半島や太平洋を含めた史上最大規模の大戦争の火蓋が切られたのです。
日本軍は緒戦だけは用意周到に作戦を練っていましたが、大局的な見通しは全くありませんでした。
そもそも工業力が10倍以上も違うアメリカとの長期戦では100%勝ち目はありません。
しかしハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになりかねません。
そうなれば、70年前の幕末の悪夢が再びやって来る恐れがありました。
欧米の植民地にされてしまうという恐怖です。
当時の世界は、現代とは比べ物にならないほど、露骨な弱肉強食の原理で動いていました。
アジア、アフリカ、南米に有色人種の独立国はほとんどなく、多くの有色人種たちがひたすら搾取され、奴隷のような扱いを受けていました。
ヨーロッパの白人種の国でも弱小国はソ連やドイツに次々に解体されていきました。
何しろ国際連盟で
「人種差別撤廃」
の規約が否決された時代です。
国力を失った有色人種の極東の島国の運命は暗澹たるものになると、日本の政府や軍人たちが危惧したのも無理はありません。
後の話になりますが、戦後、アメリカ軍の南西太平洋司令長官であり、日本占領軍の最高司令官でもあったダグラス・マッカーサーは、昭和26年(1951)、アメリカ上院軍事外交合同委員会の場において、
「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのものだった」
と述べています。
つまり敵将さえもが、先の大戦は日本の侵略ではなく自衛のための戦争であったと明言したのです。
日本の真珠湾攻撃はルーズベルト大統領にとっては願ったり叶ったりでした。
彼は
「日本軍は宣戦布告なしの卑怯な攻撃を行った」
と、アメリカ国民に強く訴えます。
ここで戦争反対だったアメリカの世論が一夜にして
「リメンバー・パール・ハーバー」
の合言葉と共に変じ、一気に戦争へと向かっていったのです。
ところで、現代のアメリカ人の中にも、広島・長崎への原爆投下と東京大空襲は日本の汚い攻撃に対する報復だと言う人は少なくありませんし、日本人の中にも真珠湾攻撃は騙し討ちだったと言う人がいます。
しかし有史以来、宣戦布告をしてから戦争を行ったケースは実はほとんどないのです。
第一次世界大戦と第二次世界大戦がむしろ例外的と言っていいでしょう。
当のアメリカも幾度も戦争をしていますが、そのほとんどの場合、宣戦布告なしに攻撃を行っています。
つまり真珠湾攻撃を卑怯なやり口と言い募ったのは、完全なプロパガンダなのです。
ちなみに戦争終結間際にソ連は
「日ソ中立条約」
を一方的に破棄して、日本に対して戦闘を開始しましたが、モスクワの駐ソ大使に宣戦布告文を手渡したのは攻撃の1時間前でした。
しかも駐ソ大使から日本本国への電報はソ連の電信局が送信しなかったため、実質的には奇襲攻撃となっています。
ただ残念なのは、そうした事態になることを恐れた聯合艦隊司令長官の山本五十六が、くれぐれも真珠湾攻撃の前に宣戦布告文書をアメリカに手渡すようにと言っていたにもかかわらず、ワシントンの日本大使館員らがそのことを重く受け止めていなかったことです。
日本の攻撃を喜んだ人物がもう1人いました。
イギリス首相のウィンストン・チャーチルです。
日米開戦の報告を受けたチャーチルは大喜びし、すぐにルーズベルトに電話しました。
ルーズベルトの
「今や我々は同じ船に乗ったわけです」
という言葉を聞いたチャーチルは、これで戦争に勝てると確信しました。
彼はこの時の興奮と喜びを後に回顧録『第二次大戦』で次のように書いています。
「感激と興奮とに満たされ、満足して私は床に就き、救われた気持ちで感謝しながら眠りに就いた」
更にこうも書いています。
「ヒトラーの運命は決まった」
「ムッソリーニの運命も決まったのだ」
「日本人について言うなら、彼らは粉々に打ち砕かれるだろう」
ドイツとイタリアに関しては個人の滅亡にのみ言及していますが、日本に対しては民族全体の運命に言及しています。
たまたまの表現なのかもしれませんが、私はチャーチルの白人種以外への差別意識が表われたと見ています。
ちなみに彼は昭和28年(1953)にこの回顧録でノーベル文学賞を受賞しています。

マッカーサー「自衛戦争」証言
http://tadashiirekishi.web.fc2.com/1951-60/1951_makasa_shogen.html
昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは以下の2つの重大な発言を行なった。
1.日本の戦争は自衛戦争であった
2.アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである
1.「日本の戦争は自衛戦争であった」
原文と和訳は以下の通り
"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security."
和訳:
日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。
したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです。

マッカーサーは実際に朝鮮戦争を戦って、ロシア(ソ連)、共産主義の脅威(明治維新以来ずっと日本が恐れていたもの)をやっと悟った。
マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解できたのである。
しかし、呆れたことにこれほど重大な証言を報じた日本の大新聞は当時も今も皆無である。
NHK、民放などのテレビ局も完璧に無視している。
何を恐れているのだろうか。
報道するとまずいことになると考えていることだけは事実だろう。
アメリカに対する気兼ねか、それとも支那に対する気兼ねか?
東條英機は宣誓供述書で
「断じて日本は侵略戦争をしたのではない」
「自衛戦争をしたのである」
「国家自衛のために起つという事がただ1つ残された途であった」
と語ったが、それはこのマッカーサーの米議会証言録と重なるもので、最終的に東條とマッカーサーは同じ見解を披露したことになる。
2.「アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」
アメリカは日本の勢力を支那大陸、満州、朝鮮から駆逐したことで自分たちの目標を達成したかに見える。
しかしその結果アメリカは過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任を日本に代わって引き受けなくてはならなくなっただけだ、と述べたアメリカ外交官ジョージ・ケナンと同じ後悔を述べたわけである。
フィリピンで日本に完敗したダグラス・マッカーサーは、日本に恨みを持ち、復讐心に燃えていた。
後に日本が原爆を落とされて負けて、マッカーサーがやって来た時、彼はその恨みを晴らすべく、
「日本は悪いものだ」
と信じきって東京裁判をやらせ、自分たちの意向を反映させた日本国憲法を作らせて日本を骨抜きにした。
ところが朝鮮戦争が起こって事態は一変する。
その時、彼は初めて東京裁判で弁護側が言った事が全て本当だったのだと気付く。
そして満州にも支那に対しても、日本がやったようにやらなければならないという結論に達する。
しかし当時の大統領・トルーマンは、ソ連と戦争になることを恐れて、マッカーサーを解任してアメリカに戻した。
その後、アメリカはマッカーサーが予言したように朝鮮半島で負け始め、何とか38度線まで押し返したところで戦争は終結する。
そしてアメリカに帰国したマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会という最も公式の場で、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語ったのである。
マッカーサーは前年に東京裁判が誤りだったと発言している。

戦争目的を失った日本
開戦4日後の昭和16年(1941)12月12日、日本はこの戦争を
「大東亜戦争」
と名付けると閣議決定しました。
従って、この戦争の正式名称は
「大東亜戦争」
です。
現代、一般に使われている
「太平洋戦争」
という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものです。
「大東亜戦争」
は前述したように緒戦は日本軍の連戦連勝でした。
開戦と同時にアメリカの真珠湾とフィリピンのクラーク基地を叩き、3日目にはイギリスの東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻の戦艦を航空攻撃で沈めました。
更に難攻不落と言われていたイギリスのシンガポール要塞を陥落させました。
そしてこの戦争の主目的であったオランダ領インドネシアの石油施設を奪うことに成功します。
日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東条英機首相は、
「これで石油問題は解決した」
と言いましたが、彼も政府(そして軍)も、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気付いていませんでした。
結論を言えば、日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を日本国内に輸送することができなかったのです。
開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めていました。
しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、日本国内の流通に支障を来すため、軍は
「半年だけ」
という条件で無理矢理に民間船を徴用したのです。
ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船や油槽船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められる事態となります。
それでも海軍は、輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切ありませんでした。
「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するためのもので、鈍足の輸送船を護衛するためのものではない」
というのが上層部の考えだったからです。
海軍は、かつて日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させて日露戦争に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させれば終結すると考えていました。
そのため艦隊決戦こそが何よりも優先されるという思い込みを持っており、輸送船の護衛などは考えもしなかったのです。
海軍では船舶の護衛任務を
「くされ士官の捨て所」
と呼んで軽侮していましたし、陸軍にも
「輜重輸卒(しちょうゆそつ:物資の輸送をする兵)が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」
と輜重兵を馬鹿にしたざれ歌がありました。
戦争が、輸送や生産も含めた総力戦であるという理解が欠如していたのです。
身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈されました。
それで
「半年だけ」
という約束は反故にされ、軍は更に民間船を徴用することになります。
そのため戦場では勝利を収めながらも、国内経済は行き詰まっていくという矛盾した状況に陥りました。
石油を含む物資の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になったにもかかわらず、軍はその辺りを全く把握・理解出来ていませんでした。
驚くべきデータがあります。
公益財団法人「日本殉職者船員顕彰会」の調べによれば大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、魚船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上に上ります。
その損耗率は何と約43%です。
これは陸軍兵士の損耗率約20%、海軍兵士の損耗率約16%を遥かに超えています。
彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸けで運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には満足に行き渡りませんでした。
それでも軍需物資の不足に悩む政府は、昭和17年(1942)5月に、金属類回収令を発動し、寺の梵鐘、橋の欄干、銅像、更に一般家庭にある余った鍋釜や鉄瓶、火箸に至るまで強制的に供出させたのです。
これにより国民生活は一層逼迫しました。
この時点で、戦争継続は不可能な状況と言えました。

ミッドウェー海戦と言霊主義
昭和17年(1942)6月、聯合艦隊はミッドウェー海戦で、主力空母4隻を失うという致命的な大敗を喫しました。
この戦いは運に見放された面もありましたが、日本海軍の驕りと油断が多分にあったことも確かです。
例えば開戦前のシミュレーションの際、日本の空母に爆弾が命中して攻撃能力を失う事態に陥った時、参謀の1人が空母の被害を低めに修正させて図上演習を続けています。
また作戦前に
「もし敵空母がやってきたら」
と問われた航空参謀は、
「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)です」
とこともなげに答えていたという話もあります。
「鎧袖一触」
とは
「刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで相手を倒してしまう」
という意味の言葉です。
ここには具体的な対策案はありません。
単なる思い込みです。
その発言が事実であったかどうかは不明ですが、ミッドウェー海戦全体を改めて眺めると、そこには上層部の油断や傲慢が随所に見られます。
そして私はここに
「言霊主義」
の悪しき面を見ます。
つまり
「悪い結果は口にしないし、想定もしない」
で、
「良い事だけを言う」
という日本人に特有の精神です。
この後も、日本軍は
「言霊主義」
に囚われ、太平洋の各戦場で独りよがりの作戦を立てて敗北を重ねていきます。
もう1つ日本軍の大きな欠点は情報を軽視したことです。
その典型が昭和17年(1942)8月に始まったガダルカナル島攻防戦でした。
この島をアメリカ軍に奪われたと聞いた大本営は直ちに奪回を試みますが、アメリカ軍の兵力を2000人くらいと根拠もなく見積もり、それなら900人ほどで勝てるだろうと一木支隊を送り込みました。
敵の半分の兵力で勝てると考えるのも大いに問題ですが、実際にはアメリカ軍は1万3000人もいたのです。
また日本軍が持っていない重砲などを装備していました。
アメリカ軍陣地に突撃した800人の兵士のうち777人が一夜にして死亡しました。
その報を受けた大本営は、それではと今度は5000人を送り込みます。
しかしアメリカ軍は更に1万8000人まで増強していました。
結局、ガダルカナル島を巡る攻防戦は半年近くに渡って行われ、日本軍は夥しい人的被害を出し、大量の航空機と艦艇を失って敗退します。
しかもガダルカナル島で亡くなった陸軍兵の多くは餓死でした。
この戦いでは、日本の誇る世界最強の戦艦である大和と武蔵は1度も出撃していません。
兵力を温存したかったという理由もありますが、石油不足のために動かせなかった(大和型戦艦は大量に重油を消費する)という面もありました。
輸送船を護衛しなかったツケが開戦後1年も経たないうちに回ってきたのです。

無意味な戦い
昭和18年(1943)の時点で、日本の国内経済は既にガタガタになっており、生産力は著しく低下していました。
アメリカとの戦争継続の見通しはかなり厳しくなっていましたが、アメリカの本格的な反攻がなかったためか、講和の画策をした形跡がありません。
一方、中国大陸に限っては戦いを有利に進めていました。
ただアメリカはその1年を間休んでいたわけでは決してありませんでした。
ヨーロッパ戦線を戦いながら、日本への反攻準備を着々と整えていたのです。
一番の武器は大型空母でした。
真珠湾攻撃を見て空母の有効性を確認したアメリカは、大型空母(エセックス級と呼ばれるもので、第二次世界大戦中の最強の空母)の建造を大幅に増やしたのです。
その結果、アメリカが終戦までの間に18隻ものエセックス級空母を就役させたのに対し、日本が戦争中に就役させて実戦に投入できた正規空母は1隻のみでした。
ちなみに開戦時、アメリカが保有していた中型以上の空母は7隻、日本は6隻でしたが、アメリカは大西洋にも空母を展開していたので、太平洋側では日本が優勢でした。
しかし僅か3年で大逆転しました。
昭和19年(1944)6月に行われたマリアナ沖海戦で、新型空母をずらりと揃えたアメリカの機動部隊の前に、日本の聯合艦隊は完敗を喫します。
その戦力差は最早圧倒的と言えるほど開いていました。
この戦いで大本営が掲げていた絶対国防圏が破られ、サイパン島が奪われました。
これは日本の命運を握られたとも言える事態でした。
というのも、サイパンからは大型爆撃機B-29が直接日本を空襲することが可能だったからです。
この時、国務大臣でもあった岸信介(戦後、首相になる)らは
「本土爆撃が繰り返されれば必要な軍需を生産出来ず、軍需次官としての責任を全う出来ないから講和すべし」
と首相の東條英機に進言しました。
東條は
「ならば辞職せよ」
と言いましたが、岸は断固拒絶しました。
東條の腹心だった東京憲兵隊長が岸の私邸を訪れ、軍刀をがちゃつかせて恫喝しても岸は動じませんでした。
結果、閣内不一致となり、同年昭和19年(1944)7月、東條内閣はサイパン失陥の責任を取る形で総辞職となります。
現代でもメディアや文化人などが、東條英機をヒトラーやムッソリーニなどの独裁者と同列に並べることがありますが、この一事を見てもそうではないことが分かります。
日本は戦争中であっても議院内閣制を堅持していたのです。
後の評論家の多くは、この時に不利な条件でも講和すべきだったと言いますが、既にこの時点ではアメリカは無条件降伏に近いものしか認めなかったでしょうし、大本営と陸軍がそれを呑んだとは考えられません。
つまるところ、行き着く所まで行く運命にあったと言えるのです。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

悪魔の如きアメリカ軍
アメリカ軍は沖縄を攻略する前に、昭和20年(1945)3月に東京大空襲を行っています。
これはアメリカが日本の戦意を挫くために、一般市民の大量虐殺を狙って行われたものでした。
この作戦を成功させるために、アメリカ軍は関東大震災や江戸時代の明暦の大火についてまで調べ、どこを燃やせば日本人を効果的に焼き殺せるかを事前に研究し尽くして、空襲場所を浅草区、深川区、本所区などを中心とする民家密集地帯に決めました。
またどのような焼夷弾が有効かを確かめるために、ユタ州の砂漠に日本の民家を建てて作り、実験まで行っています。
その家の中には、ハワイから呼び寄せた日系人の職人に、布団、畳、障子、卓袱台までしつらえさせるという徹底ぶりでした。
そしてサイパン基地から300機のB-29に爆弾を積めるだけ積んで出撃し(そのため機銃まで降ろしていた)、昭和20年(1945)3月9日の深夜から10日の未明にかけて、2000メートルという低空から東京都民に爆弾の雨を降らせたのです。
その結果、一夜にして老人、女性、子供などの非戦闘員が10万人以上殺されました。
これはハーグ陸戦条約に違反した明白な戦争犯罪行為です。
昭和20年(1945)5月にドイツが無条件降伏し、世界を相手に戦っているのは日本のみとなりました。
東京はその後も何度か大空襲に遭い、全土が焼け野原となりました。
アメリカ軍は昭和20年(1945)5月に東京を爆撃目標リストから外したほどです。
被害に遭ったのは東京だけではありません。
大阪、名古屋、福岡など、日本の主要都市は軒並み焦土にされ、全国の道府県、430の市町村が空襲に遭いました。
アメリカ軍の戦闘機は逃げ惑う市民を、動物をハンティングするように銃撃しました。
空襲による死者数は、調査によってバラツキがありますが、数十万人と言われています。
アメリカ軍による最も残虐な空襲は、昭和20年(1945)8月に、広島と長崎に落とした2発の原子爆弾(原爆)でした。
これも無辜の一般市民の大量虐殺を意図したもので、明白な戦争犯罪です。
この時点では日本の降伏は目前だったにもかかわらず、人類史上最悪の非道な行為に及んだことは許し難いものがあります。
しかし今もアメリカ人の多くは
「原爆投下は正しかった」
と考えています。
その理由は原爆のお陰で戦争が早期に集結し、多くのアメリカ兵の命が救われたからというものです。
実に利己的な考え方ですが、広島と長崎に原爆を投下した本当の目的はそれではありません。
もし原爆の威力を見せつけることで日本に戦争終結を迫りたいなら、人口密集地に投下しなくてもよかったはずですし、仮に都市に投下するなら事前に告知して住民が退避する時間を与えるということも出来たはずです。
これは何も私の考えではありません。
実際に、アメリカ国内で原爆の関係者(原爆に関する諮問機関である暫定委員会のメンバー)が政府に提言していた内容です。
しかし残念なことに、それらの提言は取り上げられることはなく、広島と長崎に原爆は投下されました(長崎は当初の目的地である小倉上空が雲で覆われていたため、第2候補地であった長崎に投下された)。
原爆投下の目的の第1は、原爆の効果を知るためであったと言っていいでしょう。
その根拠は、原爆投下候補地には通常の空爆を行っていなかったことが挙げられます。
ちなみに京都がほとんど空襲されなかったのも候補地の1つであったからです。
アメリカ軍が文化財を守るため、京都、奈良などの古都を空爆しなかったという話がありますが、これは完全な誤りです。
この誤解に便乗し、中国人の建築家がアメリカに対して
「京都、奈良を空爆しないように進言した」
という話がありますが、これは悪質な捏造です。
何より忘れてはならないのは、原爆投下には有色人種に対する差別が根底に見えるということです。
仮にドイツが徹底抗戦していたとしても、アメリカはドイツには落とさなかったでしょう。
大東亜戦争が始まった途端、アメリカは約8割の日系アメリカ人(アメリカ市民)の財産を剥奪し、強制キャンプに送りましたが、第二次世界大戦中もドイツ系アメリカ人に対しては特に制約をしていません(ナチスへの協力者は除く)。
昭和19年(1944)9月にニューヨークのハイドパークで行われたルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の
「核に関する秘密協定」
において、原爆はドイツではなく、日本へ投下することを確認し合っています。
原爆投下のもう1つの目的は、ソ連に対しての示威行為です。
アメリカは戦後の対ソ外交を有利に運ぶために原爆投下を昭和20年(1945)の5月には決定していました。
原爆はソ連に対して何よりの軍事的威圧になると見ていたからです。
2発目の原爆が落とされた昭和20年(1945)8月9日、ソ連が
「日ソ中立条約」
を破って参戦しました。
最早日本が戦争を継続するのは不可能でした。
5日後の昭和20年(1945)8月14日、日本は
「ポツダム宣言」
を受諾すると連合軍に通達します。
ここに日本が3年9カ月戦った大東亜戦争の終わりが決定しました(同時に8年続いた支那事変も終結)。
古代以来、1度も敗れることがなかった日本にとって初めての敗北でした。
同時に、16世紀より続いていた欧米列強による植民地支配を跳ね返し、唯一独立を保った最後の有色人種が、遂に白人種に屈した瞬間でもありました。

「大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争だった」
と言う人がいますが、この見方は誤りです。
というより、正確な意味での侵略ではありません。
日本は中国以外のアジア諸国とは戦争をしていないからです。
日本が戦った相手は、フィリピンを植民地としていたアメリカであり、ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランスであり、インドネシアを植民地としていたオランダであり、マレーシアとシンガポールとビルマを植民地としていたイギリスでした。
日本が
「大東亜共栄圏」
という理想を抱いていたのは確かです。
「大東亜共栄圏」
とは、日本を指導者として、欧米諸国をアジアから排斥し、中華民国、満州、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ビルマ、インドを含む広域の政治的・経済的な共存共栄を図る政策でした。
昭和18年(1943)には東京で、中華民国、満州国、インド、フィリピン、タイ、ビルマの国家的有力者を招いて
「大東亜会議」
を開催しています。
また同年昭和18年(1943)8月1日にビルマを、昭和18年(1943)10月14日にフィリピンの独立を承認しています(ただし、アメリカとイギリスは認めなかった)。
残念ながら日本の敗戦により、
「大東亜共栄圏」
が実現されることはありませんでしたが、戦後、アメリカやイギリスなど旧宗主国は再びアジアの国々を支配することはできず、アジア諸国の多くが独立を果たしました。
この世界史上における画期的な事実を踏まえることなく、短絡的に
「日本はアジアを侵略した」
と言うのは典型的な自虐史観による見方です。

日本国憲法
昭和20年(1945)8月、アメリカ軍を主力とする連合国軍が日本の占領を開始しました。
連合国軍とは言っても実質的にはアメリカ軍による単独占領で、ダグラス・マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters。以下GHQと表記)が東京に置かれました。
占領政策は狡猾で、表向きはGHQの指令・勧告によって日本政府が政治を行う間接統治の形式を取りましたが、重要な事項に関する権限はほとんど与えませんでした。
GHQの最大目的は、日本を2度とアメリカに刃向かえない国に改造することでした。
そこで、明治以降、日本人が苦心して作り上げた政治の仕組みを解体し、憲法を作り替えることに着手しました。
同年昭和20年(1945)10月、GHQは日本政府に対し、大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示します。
これは実質的には大日本帝国憲法破棄の命令に近いものでした。
幣原喜重郎内閣は改正の草案を作りましたが、発表前に毎日新聞社に内容をスクープされてしまいます。
草案の中に
「天皇の統治権」
を認める条文があるのを見たマッカーサーは不快感を示し、GHQの民生局に独自の憲法草案の作成を命じました。
もちろんこの時、
「戦争放棄条項」
がマッカーサーの念頭にあったことは言うまでもありません。
ハリー・S・トルーマン政権の方針に基づいて民生局のメンバー25人が都内の図書館で、アメリカの独立宣言やドイツのワイマール憲法、ソ連のスターン憲法などを参考にして草案をまとめあげました。
中にはほとんど丸写しという文章もありました。
メンバーの中に憲法学を修めた人は1人もいませんでした。
しかし驚いたことに、そんな彼らが1国の憲法の草案を僅か9日で作ったのです(日数については諸説あり、最短6日という説もある)。
本来、憲法というものは、その国の持つ伝統、国家観、歴史観、宗教観を含む多くの価値観が色濃く反映されたものであって然るべきです。
ところが日本国憲法には、第1条に
「天皇」
のことが書かれている以外、日本らしさを感じさせる条文はほぼありません。
しかもこのようにして作られた憲法には、今日まで議論の的になっている条項、いわゆる
「9条」
があります。
それは次の2項から成っています。
「(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
「(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
いわゆる
「戦争放棄」
として知られるこの条項は、マッカーサーの強い意向で盛り込まれたものでしたが、さすがに民生局のメンバーからも、
「憲法にこんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではないか」
と反対する声が上がったと言われています。
そのため、
「前項の目的を達するため」
という文言が追加され(芦田修正)、自衛のために戦力を保持することが出来るという解釈を可能とする条文に修正されましたが、日本人の自衛の権利すら封じる旨を謳っていることには変わりがありませんでした。
GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押し付けました。
内閣は大いに動揺しますが、草案を吞まなければ天皇の戦争責任追及に及ぶであろうことは誰もが容易に推測できました。
現代においても、日本国憲法はGHQから押し付けられたものではないと主張する日本の野党政治家及びリベラルの学者や文化人は少なくありませんが、GHQが残した多くの資料がそれを否定しています。
例えば、江藤淳はメリーランド州スートランドにあるアメリカ国立公文書館分室から、GHQのG-2(参謀第2部)の指揮下にあったCCD(民間検閲支隊)が昭和21年(1946)11月25日に出した検閲指針(A Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions,dated 25 November,1946,The National Records Center,資料番号 RG 331, Box No.8568)を見付けています。
それはGHQが新聞や映画などで削除または発行禁止処分の対象となる項目を略説したものですが、その中の(三)に、以下の文章があります。
「SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers:連合国軍最高司令官つまりマッカーサー)が憲法を起草したことに対する批判」
つまりGHQ自らが、日本国憲法を起草したのはマッカーサー(及び部下たち)であるとはっきりと書いているのです。
しかもそのことに対する批判は削除または発行禁止処分になるとまで言っています。
後にマッカーサーは
「9条を提案したのは幣原喜重郎首相だ」
と言い出し、幣原喜重郎自身も
「戦争放棄9条をマッカーサーに進言した」
という意味のことを言っています。
つまり9条はマッカーサーと幣原喜重郎の秘密会談で生まれたということですが、それはあり得ません。
何故なら、日本の非武装はトルーマン政権及びマッカーサーの断固とした意思であり、
「戦争放棄」
についてはマッカーサーが民政局長に手渡したとされる指示ノートに残されています。
マッカーサーは昭和28年(1953)の談話の中で次のように語っています。
「占領軍が撤退し、日本人の思い通りになる状況が生まれた途端に、彼らは押し付けられた憲法を捨て去ろうとするだろう」
「これほど確かなことはない」
(ジョージ・H・ブレイクスリー『極東委員会ー国際協力の研究』より)
つまりマッカーサーは日本人に
「憲法9条は押し付けられたものではない」
というイメージを植え付けておくことが大事だったのです。
ただ、幣原喜重郎がマッカーサーに9条のアイデアを語った可能性はあります。
昭和26年(1951)に、幣原喜重郎の元秘書官で当時衆議院議員だった平野三郎の質問に答えて語っている中に、戦争放棄に関する狂信的とも言える考えが吐露されているからです。
その一部を紹介しましょう。
「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である」
(中略)
「要するに世界は今1人の狂人を必要としているということである」
「何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことが出来ないのである」
「これは素晴らしい狂人である」
「世界史の扉を開く狂人である」
「その歴史的使命を日本が果たすのだ」
(『平野文書』より)
幣原喜重郎の言葉は、憲法9条が絶対的正義であるとする現代の護憲派の人たちの考え方と酷似しています。
この時、平野が
「軍隊のない丸裸の所へ敵が攻めて来たら、どうするという訳なのですか」
と訊いていますが、幣原喜重郎の答えは
「死中に活」
というものでした。
意味が分からない平野が重ねて問うと、幣原喜重郎はこう答えています。
「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」
ここには既に論理はありません。
敢えて言うならば、宗教的な妄想に近い考えになっています。
侵略国家に対して、自衛の力を持たない国家や民族がどのような悲惨な運命を辿って来たかは、世界史を繙けば一目瞭然です。
そもそも幣原喜重郎という人物は、かつてワシントン会議においてアメリカの策略に乗って日英同盟を破棄して名ばかりの
「四カ国条約」
を締結した張本人であり、満州や中国で日本人居留民が中国人から度々嫌がらせを受けても、
「自重するように」
と言い続けた外相(当時)です。
恐らく若い頃から、戦争を忌避すれば平和が訪れるという思想の持ち主だったのかもしれません。
それで前述したようにマッカーサーとの会談で、そうした話をした可能性はあります。
しかし繰り返しますが、日本の戦争放棄はアメリカの既定路線でした。
新憲法は、手続き上は大日本帝国憲法を改正する形式を取り、衆議院と貴族院で修正可決された後、日本国憲法として昭和21年(1946)11月3日に公布され、翌年昭和22年(1947)5月3日に施行されました。
ここで、絶対に知っておいて頂きたい事があります。
アメリカを含む世界44カ国が調印している
「ハーグ陸戦条約」
には、
「占領国は占領地の現行法を尊重する」
と書かれています。
つまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、明確に国際条約違反なのです。
ちなみに西ドイツも日本と同じように連合国によって強引に憲法を押し付けられています。
しかしそこには決定的とも言える違いがあります。
ドイツへ押し付けた憲法には
「交戦権」
を奪っていないことです。
そこには日本あるいは有色人種に対する明確な差別意識が窺えます。
第二次世界大戦中も、アメリカは日系移民(国籍はアメリカ市民)の私有財産を奪った上、強制収容所に送りましたが、ドイツ系やイタリア系の移民に対してはそんな事は一切行っていません。
この時、日系移民の若者(男子)たちは、アメリカに対する忠誠を誓うため、軍に志願してヨーロッパ戦線で戦いました。
日系アメリカ人2世が主力の
「442連隊戦闘団」
連合国軍の中で最も勇敢な部隊として知られ、アメリカ合衆国史上最も多くの勲章を受けました。
しかしその死傷率は300パーセントを超えるものでした(連隊の定員の3倍以上の死傷者を生んだ)。
その凄まじい数字を見ただけで、彼らの多くはアメリカで生まれ育ちましたが、日本の侍の心を持った男たちでした。
そして彼らはその合言葉
「Go for broke!」(当たって砕けろ!)
と共に、文字通りその命を懸けて、アメリカに日本人の素晴らしさを示したのです。
後にトルーマン大統領が
「諸君は敵のみならず、偏見とも戦って、勝利した」
とい言葉を贈りましたが、「もって瞑すべし:(宿願を果たして)それで安心して死ぬことができる」と思います。

前述したように
「日本国憲法」
はGHQの恫喝によって押し付けられました。
当時の日本政府には、これを拒否する力はありませんでした。
具体的に言えば、その日は昭和21年(1946)2月13日です。
この日の午前10時、外務大臣官邸を訪れたGHQ民生局のホイットニー准将らが外務大臣の吉田茂と国務大臣の松本烝治と終戦連絡事務局参与の白洲次郎らに、
「日本国憲法」
と題された草案を渡し、
「これはマッカーサーが日本の事情が必要としている諸原理を具現すべきものとしている」
と言いました。
そして
「君たちが草案を読んでいる間、我々は退席する」
と言って部屋を出ました。
3人はGHQが憲法草案を作っていたことにも驚きましたが、その内容を読んで愕然とします。
そこには
「戦力の保持は認めない」
「土地は国有とする」
「議会は一院制にする」
といった衝撃の内容が数々含まれていたからです。
(「土地の国有化」や「一院制」に関しては日本側の要望で削除されたが、それらはGHQも織り込み済みで、敢えていくつかそうした取引材料を入れていたとされる)
この時、白洲次郎が庭に出ていたホイットニー准将をつかまえると、彼は白洲次郎に向かってこう言いました。
「原子力(アトミック・エナジー)の暖かさをエンジョイしていたよ」(We have been enjoying your atomic sunshine.)
太陽の熱をわざと原子力(atomic)と表現したのは、白洲次郎に原子力爆弾を連想させる意図に他なりません。
更にこの時間帯に合わせて、東京上空に爆撃機B-25を飛ばせていたのです。
これは余りにもあからさまな恫喝です。
白洲次郎は
「血が逆流する思いであった」
と述べています。
部屋に戻ったホイットニーは、吉田らに対して
「この草案が受け入れられれば、天皇の地位は安泰になるだろう」
と言いました。
つまり言い換えれば、拒否すれば天皇の命も保証できないというものです。
日本は草案を呑む以外に道はありませんでした。
これは屈辱の歴史です。
ところがその憲法を私たちは70年以上経った今も改正していませんが、実はこれは世界の中でも極めて異常なことです。
憲法は絶対不変なものではなく、時代に合わせて必要なものを付け加え、不要なものは削除するというのは世界の常識です。
ちなみに第二次世界大戦後、令和2年(2020)の時点で、アメリカは6回、フランスは27回、イタリアは16回、韓国は9回、憲法を改正しています。
ソ連や中国といった共産主義国でさえ何度も改正しています。
日本と同じく連合国軍によって憲法を押し付けられたドイツは65回も改正しています。
しかし日本は押し付けられた憲法をまるで聖典のように扱い、一字一句変えることなく、現代に至っているのです。
最早非占領国ではなく、連合国軍が統治する国ではないにもかかわらずです。

教職追放
GHQの行った思想弾圧で、後の日本に最も大きな影響を与えたのは
「教職追放」
でした。
GHQは占領直後から、帝国大学で指導的立場にあった教授(多くは愛国者や保守的な思想の持ち主)、あるいはGHQの政策に批判的な教授を次々に追放しました。
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
を日本人に完全に植え付けるためには、教育界を押さえる必要があると考えたからです。
代わってGHQが指名した人物を帝国大学に入れましたが、その多くは戦前に共産党員であったり、無政府主義的な論文を書いたりして大学から処分された人たちでした。
戦前、
「森戸事件」(東京大学の森戸辰男が無政府主義の宣伝をした事件)
に関係して東京大学を辞めさせられた大内兵衛(戦後、東京大学に復帰、後、法政大学総長)、戦前、無政府主義的な講演をして京都大学を辞めさせられた(滝川事件)滝川幸辰(戦後、京都大学総長)など、多くの者がGHQの後ろ盾を得て、結果的に
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
の推進者となり、東大、京大を含む有名大学を支配していくことになります。
一方、追放を免れた者も、これ以降はGHQの政策に批判的な事を口にしなくなったばかりか、帝国大学においては、共産主義に阿る教授や社会主義者に転向する者、変節する学者が続出しました。
特に酷かったのは東京帝国大学で、昭和21年(1946)、憲法学者の宮沢俊義は
「八月革命説」
を唱えて、日本国憲法(1946年11月3日に”公布”、1947年5月3日に”施行”)の正当性を論じました。
「八月革命説」
とは、簡単に言えば、
「ポツダム宣言の受諾によって、主権原理が天皇主権から国民主権へと革命的に変動したもので、日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではなく、日本国民が制定した憲法である」
という説です。
現在でも、この説は東大の憲法学の教授らによって引き継がれ、その教え子たちによって全国の大学の法学部に広く行き渡り、司法試験などの受験界では
「宮沢説」
が通説となっています。
また国際法学者として東京大学に君臨した横田喜三郎は、東京裁判の正当性を肯定しています。
もちろん彼の説も、その後、弟子たちによって東京大学及び全国の大学に脈々と継承されています。
余談ですが、横田はGHQによる占領中に
「天皇を否定する」
内容の本(『天皇制』)を書いて出版しました。
しかし後年、最高裁長官に任命され、勲一等旭日大綬章が貰えそうになった時、門下生に命じて神田の古書店で自著を買い集めさせ、証拠隠滅のために個人焚書したのです。
何とも恥知らずな話ですが、見方を変えれば、己の信念や研究成果をもって書いた学説ではなかったという証です。
憲法学者の宮沢俊義も、最初は、
「日本国憲法の制定は日本国民が自発的自主的に行ったものではない」
と主張していましたが、ある日突然、正反対の意見を言い出した学者です。
その変わり身の早さから、恐らくGHQの教職追放を目の当たりにして、慌てて転向したものと思われます(宮沢は戦前にも軍部に阿って主張を変えた過去がある)。
悲しいのは、その後、日本の憲法学界をリードする東京大学の法学部の教授たちが、その宮沢の学説を半世紀以上に渡って継承し続けているということです。
そして東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚を排出しています。
「自虐史観」
に染まった教授たち(一部は保身のためGHQに阿った)から
「日本国憲法は日本人が自主的に作った」
「東京裁判は正しい」
という教育を受けた人たちが、文部科学省や外務省の官僚になるということの方がむしろ、恐ろしいことです。
「教職追放」
は大学だけでなく、高校、中学、小学校でも行われました。
最終的に自主的な退職も含めて約12万人もの教職員が教育現場から去ったと言われています。
その多くが愛国心を隠さなかったり、保守的な考えを持ったりした者で、特に戦前の師範学校出身者が多かったとも言われています。
その結果、教育界は社会主義者が支配するようになり、昭和22年(1947)に生まれた日本教職員組合(日教組)は、完全に左翼系運動組織となりました。
後に日教組の書記長となり、30年に渡ってトップの座にあった槙枝元文は、当時、国交がなかった北朝鮮を何度も訪問し、金日成から勲章まで授けられています。
こうして戦後の日本の教育界は左翼系の人々に乗っ取られた形となったのです。

公職追放
GHQが次に行ったのが
「公職追放」(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)
です。
GHQにとって好ましからざる人物と判断した人たちを様々な職場から追放したのです。
対象者は、
「戦犯」

「職業軍人」
など7項目に該当する人物でしたが、GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となりました。
昭和21年(1946)、自由党総裁だった鳩山一郎は、首班(首相)指名を受ける直前に公職追放により政界から追放されました。
表向きの理由は昭和5年(1930)の
「統帥権干犯問題」
での鳩山の発言でしたが(軍部の暴走を助長することになったとされた)、本当の理由は別にあったと言われています。
鳩山は昭和20年(1945)、アメリカの原爆投下に批判的とも取れるインタビュー記事が朝日新聞に載ったことで、GHQから睨まれていたのです。
ちなみにこの時、朝日新聞は2日間の発行停止処分を受け、それ以降、朝日新聞はアメリカやGHQを批判する記事を一切書かなくなりました。
戦後初の総選挙で第1党となった政党の総裁さえ簡単に追放してしまうGHQの恐ろしさに、以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまいました。
また名称こそ
「公職追放」
となっていましたが、実際は公職だけでなく民間企業からも追放されました。
当時、日本は貧しく、ほとんどの人が食うや食わずの生活で、社会保障の制度もありません。
職を失うことは、まさしく死活問題でした。
政治家と言えども、その恐怖に怯えたのも無理はありません。
GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放しました。
それは言論人や文化人にも及びました。
菊池寛(作家、「文藝春秋」創刊者)、正力松太郎(読売新聞社社長)、円谷英二(映画監督)、山岡荘八(作家)などの著名人の他、無名の記者や編集者も多くいました。
代わりにGHQの指名によって入って来たのは、彼らの覚えめでたき人物たちでした。
これにより、多くの大学、新聞社、出版社に、
「自虐史観」
が浸透し、GHQの占領が終わった後も、そうした思想が徐々に一般国民に行き渡っていくことになります。
大学や新聞社で追放を免れた人たちの中にも、追放を恐れてGHQの政策に対して批判的な事を口にする者はいなくなりました。
GHQの公職追放はその後も財界、教育界、言論界と広い範囲で行われ、その数は約20万6000人に及びましたが、追放を担当したG-2(参謀第2部)だけで、それだけの人数を処理できるはずはありません。
追放に協力した日本人が多数いたことは間違いなく、彼らの多くは共産党員並びにそのシンパであったと言われています。
前述の教職追放の時も、同じ日本人同士の密告や讒訴(ざんそ: 他人を陥れようとして、事実を曲げて言い付けること)が頻繁にあり、そうした空気を嫌って多くの教員が自主的に職場を去っています。
また政治家の間でも、GHQを使って政敵を追い落としたケースがありました。
ちなみに前述の焚書にも、左翼系学者や言論人の協力があったことは言うまでもありません。
こうした事実を見ると、
「教職追放」

「公職追放」
は、単に思想的な問題だけではなく、日本人の誇りとモラルを破壊したものだったということが分かります。

公職追放及び教職追放は、GHQにとっても大きな誤算となりました。
GHQの後押しによってメディアと教育界に入り込んだ社会主義者や共産主義者たちが大きな勢力を持ち始めたからです。
一般企業でも労働組合が強くなり、全国各地で暴力を伴う労働争議が頻発しました。
これらはソ連の指示があったとも言われています。
更に昭和24年(1949)、中国共産党が国民党に勝利して共産主義国を樹立したことにより、日本の大学やメディアでもソ連や中華人民共和国を礼賛する傾向が強くなりました。
日本の共産化を恐れたGHQは、昭和25年(1950)、日本共産党の非合法化を示唆します。
その後、官公庁、大企業、教育機関などから、共産主義者及びそのシンパの追放を勧告しました(レッドパージ)。
これにより1万数千人以上の人が様々な職場から追放されましたが、それらはかつての公職追放や教職追放のような徹底したものではありませんでした。
大学では共産主義者及びそのシンパの追放はほとんど行われませんでした。
メディアも同様でした。
また国鉄(日本国有鉄道。その後、JR各社に分かれる)の巨大労働組織で長年に渡り国民の血税を貪り続けた国労(国鉄労働組合)などでは、共産主義者らが、共産主義に反対する人々を、逆に共産主義者だと名指しして解雇し、実権を握りました。
こうして共産主義的な思想は日本社会の至る所に深く根を降ろしていくことになります。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
GHQが行った対日占領政策の中で問題にしたいのが、日本国民に
「戦争責任」
を徹底的に伝える
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
でした。
分かり易く言えば、
「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」
です。
これは日本人の精神を粉々にし、2度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものでした。
「極東軍事裁判」(東京裁判)
もその1つと言えます。
そして、これらの施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊しました。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」
という言葉は、文芸評論家の江藤淳が昭和58年(1983)から月刊誌「諸君!」に連載した『閉ざされた空間』で使った呼称ですが、彼はGHQの内部文書から、占領軍がそうした意図を持っていたことを明らかにしました。
同連載は平成元年(1989)に書籍化されましたが、言論史を塗り替える画期的な本となりました。
その後、教育学者の高橋史郎や翻訳家の関野通夫らが多くの1次資料を発掘し、江藤の説を裏付けています。
同書が明らかにした事は紛れもない事実で、実際、昭和20年(1945)10月2日に発せられたGHQの一般命令書の中に、
「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在及び将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」
と明記されています。
GHQはその方針に従って、自分たちの意に添わぬ新聞や書物を発行した新聞社や出版社を厳しく処罰しました。
江藤がアメリカ国立公文書館分室で見付けた前述の文書には、禁止項目は全部で30もありました。
禁止事項の第1は
「GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部及び最高司令官)に対する批判」
です。
2番目は
「東京裁判に対する批判」、
3番目は
「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」
でした。
アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、その他の連合国に対する批判も禁じられていました。
更に何故か朝鮮人に対する批判も禁止事項に含まれていました。
占領軍兵士による犯罪の報道も禁じられ、またナショナリズムや大東亜共栄圏を評価すること、日本の戦争や戦犯を擁護することも禁じられました。
新聞や雑誌にこうした記事が載れば、全面的に書き換えを命じられました。
GHQの検閲は個人の手紙や電話にまで及びました。
進駐軍の残虐行為を手紙に書いたことで、逮捕された者もいます。
スターリン時代のソ連ほどではありませんでしたが、戦後の日本に言論の自由は全くありませんでした。
こうした厳しい検閲を、日本語が堪能でないGHQのメンバーだけで行えたはずがありません。
多くの日本人協力者がいたことは公然の秘密でした。
一説には4000人の日本人が関わったと言われています。
更にGHQは戦前に出版されていた書物を7000点以上も焚書しました。
焚書とは、支配者や政府が自分たちの意に添わぬ、あるいは都合の悪い書物を焼却することで、最悪の文化破壊の1つです。
歴史上では秦の始皇帝とナチスが行った焚書が知られていますが、GHQの焚書も悪質さにおいてそれに勝るとも劣らないものでした。
驚くべきは、これに抵抗する者には警察力の行使が認められており、違反者には10年以下の懲役もしくは罰金という重罰が科せられていたことです。
もちろん、この焚書にも多くの日本人協力者がいました。
特に大きく関与したのは、日本政府から協力要請を受けた東京大学の文学部だと言われています。
東京大学の文学部内には戦犯調査のための委員会もあったとされていますが、この問題を占領の終了後もマスメディアが全く取り上げようとしないのは実に不可解です。
検閲や焚書を含むこれらの言論弾圧は
「ポツダム宣言」
に違反する行為でした。
「ポツダム宣言」
の第10項には
「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権は確立されるべきである」
と記されています。
つまりGHQは明白な
「ポツダム宣言」
違反を犯しているにもかかわらず、当時の日本人は一言の抵抗すらできなかったのです。
「大東亜戦争」
という言葉も使用を禁止されました。
GHQは
「太平洋戦争」
という名称を使うよう命じ、出版物に
「大東亜戦争」
という言葉を使えば処罰されたのです。
これは事実認識の点で非常に問題のある措置でした。
というのも、日本政府が閣議決定した
「大東亜戦争」
という呼称は、日中戦争から対米戦、ポツダム宣言受諾までの一連の戦争の総称ですが、
「太平洋戦争」
と言うと、中国大陸や東南アジアでの戦いが含まれないことになります。
しかも、
「太平洋戦争」
という呼称は、世界史で言えば、19世紀終盤に南米で起きたボリビア、ペルー、チリの戦争を指すのが一般的です。
GHQが
「大東亜戦争」
という呼称を禁じたのは、日本が欧米諸国に支配されていたアジアの解放を謳う意味で使った
「大東亜共栄圏」
を構築するための戦争であったというイメージを払拭させるためです。
GHQはたとえ大義名分であったとしても
「アジアの解放」
のための戦争であったと言われるのを嫌ったのです。
この検閲は7年間続きましたが、この時の国民の恐怖が国民の心の中に深く残ったためか、現在でも、マスメディアは決して
「大東亜戦争」
とは表記せず、国民の多くにも
「大東亜戦争」
と言うのを躊躇する空気があります。
如何にGHQの検閲と処罰が恐ろしかったかが想像できます。

『眞相はかうだ』による洗脳
GHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
は新聞とラジオ放送によっても行われました。
昭和20年(1945)12月8日(この日は真珠湾攻撃からちょうど4年目の日)より、全国の新聞に
「太平洋戦争史」
というタイトルでGHQによる宣伝工作記事が連載され、その翌日からNHKラジオで
『眞相はかうだ』
という番組の放送が始まりました。
いずれも大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたもので、国民は初めて知らされる
「真相」
に驚きました。
新聞連載もラジオ放送も、その目的は日本国民に
「太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった」
ということを徹底的に刷り込むためのものでした。
『眞相はかうだ』
はGHQが全て台本を書いており(そのことは国民に知らされていなかった)、放送される内容も占領政策に都合のいいものでした。
GHQは翌年昭和21年(1946)も
『眞相箱』
『質問箱』
というタイトルで、約1年に渡り洗脳番組を放送し続けました(依然、GHQが制作していることは伏せられていた)。
GHQが巧妙だったのは、番組の中に時折、日本人の良い面を織り交ぜたことでした。
そうすることで内容に真実味を持たせたのです。
しかし戦前の政府や軍を批判する内容には、多くの虚偽が含まれていました。
当時も、これらの番組内容は真実ではないのではないかと疑義を抱く人はいました。
ところが、彼らが声を上げても、そうした記事は
「占領政策全般に対する破壊的批判」
と見做され、全文削除されていたのです。
かくの如く言論を完全に統制され、ラジオ放送によって(当時はインターネットもテレビもない)洗脳プログラムを流され続ければ、国民が
「戦前の日本」
を徹底的に否定し嫌悪するようになるのも無理からぬことです。
ただ、何より恐ろしいのは、この洗脳の深さです。
GHQの占領は7年間でしたが、それが終わって70年以上経った現在でも、
「歴史教科書」
などの影響もあり、多くの日本人が
「戦前の政府と軍部は最悪」
な存在で、
「大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」
と無条件に思い込んでいます。
もちろん戦前の政府や軍部に過ちはありました。
しかし連合国にも過ちはあり、また大東亜戦争は決していわゆる
「侵略戦争」
ではありませんでした。
繰り返しますが、日本には中国を占領する意思はなく(人口と領土を考えても不可能であるし、またそうした作戦は取っていない)、またそれ以外のアジアの人々と戦争をしたわけではありません。
戦後、日本は僅か数年占領下においたアジア諸国に賠償金を支払いましたが、その国々を数十年から300年に渡って支配していたオランダ、イギリス、フランス、アメリカは、賠償金など一切払っていないばかりか、植民地支配を責められることも、少数の例を除いてはほとんどありません。
それは何故かー日本だけが誠意をもって謝罪したからです。
日本人には、自らの非を認めるにやぶさかでない、むしろ非を進んで認めることを潔しとする特有の性格があります。
他の国の人々と違って、謝罪を厭わないのです。
こうした民族性があるところへ、GHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
によって贖罪意識を強く植え付けられたことで、当然のようにアジア諸国に深い謝罪の意を表したのです(もちろん連合国が謝罪させた面もある)。

現代においても歴史学者や評論家の中には
「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)など存在しない」
「WGIPは妄想の産物」
と断定する人が少なくありません。
しかしWGIPは陰謀論ではなく、厳然と存在するものです。
なぜならGHQの公式文書には、
「日本人にWGIPを植え付ける」
という文言が入った書類が多数残されているからです。
例えば、GHQの民間情報教育局(CIE)が昭和23年(1948)3月3日に出した文書のタイトルは、そのものずばり
「WGIPについて」
です。
そこには次のような文章があります。
「その任務を果たすためにCIEは1945年10月から1946年6月までの期間に第1段階のWGIPを開始した」
「このプログラムは日本の全ての公衆情報メディア、即ち新聞、書籍、雑誌、ラジオ、映画を通じて実施された」
(有馬哲夫著『日本人はなぜ自虐的になったのか』より)
ここにはGHQ自身がはっきりとWGIPを開始したと書いています。
これほど明白な証拠はありません。
これはあくまで一例で、GHQが日本人にWGIPを植え付けようとしていたことが書かれている文書はいくらでも残っています。
WGIPを否定する人たちは、こうした1次資料を無視します。
あるいは
「ウォー・ギルトとは『戦争の有罪性』を説くもの」
という風に論理の摩り替えを行います。
ところで、このGHQの文書で注目すべきは、
「日本の全ての公衆情報メディア、即ち新聞、書籍、雑誌、ラジオ、映画を通じて実施された」
というくだりです。
実はWGIPを試みたのはGHQですが、その後、それを積極的に推し進めたのは、他ならぬ私たちの国のメディアだったのです。
更にそれを後押しした組織に
「教育界」
があります。
教職追放の後、大学やその他の教育機関にGHQに阿る教授や教諭が大量に入り、若者や子供たちに自虐思想を植え付けていきました。
メディアと教育による
「洗脳工作」
は、連合軍の占領期間中に弛まず行われました。
その結果、日本の若年層の間に、過剰に自己を否定する、いわゆる自虐史観が蔓延していきました。
そして後に彼らの中から、
「君が代」

「日の丸」
を否定する人々が大量に生まれました。
実に悔しいながら、日本人をマインドコントロールするGHQの占領政策は見事に成功したと言わざるを得ません。
ちなみに戦後、GHQに最も忠実な報道機関となったのが朝日新聞と毎日新聞です。
特に朝日新聞は自ら進んでGHQの政策を肯定し、マッカーサーを称賛しました。
昭和26年(1951)に彼が連合国軍最高司令官を解任され、アメリカに帰国する際にはこう書きました。
「我々に民主主義、平和主義の良さを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった」(昭和26年【1951】4月12日)
まるで毛沢東か金日成を礼賛する共産主義国の機関紙のようです。
呆れたことに、この時、マッカーサーを顕彰する
「マッカーサー記念館」
を作ろうという提案がなされ、その発起人に当時の朝日新聞社長の長谷部忠が名を連ねています(毎日新聞社社長、本田親男の名前もある)。
朝日新聞社や毎日新聞社にとって、ダグラス・マッカーサーはそれほど偉大な人物であったということでしょう。

「ポツダム宣言受諾」
は、昭和20年(1945)8月9日の御前会議で決定されました。
場所は宮中御文庫附属庫の地下10メートルの防空壕内の15坪ほどの一室でした。
時刻は午後11時50分。
列席者は鈴木貫太郎首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、枢密院議長の7人でした(他に陪席4人)。
司会の首相を除く6人は、
「ポツダム宣言受諾派」(外務大臣・海軍大臣・枢密院議長)

「徹底抗戦派」(陸軍大臣・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長)
の真っ二つに分かれました。
日本政府が
「ポツダム宣言」
を受諾すれば、昭和天皇は戦犯として処刑される可能性もありましたが、会議中、昭和天皇は一切発言しませんでした。
時に昭和天皇は44歳でした。
昭和天皇は、その生涯に渡って、
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という姿勢を貫いていました。
「親裁」
とは、君主自らが政治的な採決を下すことです。
従って国民が選んだ内閣の決定には口を挟まないという原則を自らに課していたのです。
それを行えば専制君主となり、日本は立憲国ではなくなるという考えを持っていたからです。
昭和3年(1928)の
「張作霖爆殺」
に関する田中義一首相の報告に対して不満を述べたことで内閣が総辞職したことを反省し、以後は
「拒否権」
も含めて、
「親裁」(君主自らが政治的な採決を下すこと)
は行いませんでした。
唯一の例外が、軍事クーデターである
「2・26事件」
の際に制圧せよと命じた時です。
大東亜戦争の開戦には反対だったにもかかわらず(開戦回避のため、水面下で努力していた)、開戦が決まった御前会議においては、内閣の決定に対して一言も異議を唱えませんでした。
「ポツダム宣言」
を巡っての会議は、
「徹底抗戦派」

「ポツダム宣言受諾派」
が共に譲らず、完全に膠着状態になりました。
日付が変わって昭和20年(1945)8月10日の午前2時を過ぎた頃、司会の鈴木貫太郎首相が、
「事態は一刻の遷延も許されません」
「誠に畏れ多いことながら、陛下の思し召しをお伺いして、意見をまとめたいと思います」
と言いました。
ずっと沈黙を守っていた昭和天皇は、
「それならば、自分の意見を言おう」
と、初めて口を開きました。
一同が緊張して見守る中、昭和天皇は言いました。
「自分は外務大臣の意見に賛成できる」
日本の敗戦が決まった瞬間でした。
恐ろしいまでの静寂の後、部屋にいた全員がすすり泣き、やがてそれは号泣に変わりました。
薄暗い地下壕で、11人の男たちが号泣する中、昭和天皇は絞り出すような声で言いました。
「大東亜戦争が始まってから陸海軍のしてきた事を見ると、予定と結果が大いに違う」
「今も陸軍大臣、陸軍参謀長と海軍軍令部総長は本土決戦で勝つ自信があると言っているが、自分は心配している」
「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまうのではないか」
「そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来ようか」
「自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を子孫に伝えることである」
「今日となっては、1人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人たちが将来再び起ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う」
「そのためなら、自分はどうなっても構わない」
この時の御前会議の様子は、陪席した迫水久常書記官長(現在の内閣官房長官)が戦後に詳細を語ったテープが残っています(国立国会図書館所蔵)。
この録音を文字起こしした文章を読めば、当夜の異様な緊迫感がこれ以上はないくらいの臨場感をもって迫ってきます。
日本政府はその日昭和20年(1945)8月10日の朝、連合国軍に
「ポツダム宣言受諾」
を伝えますが、この時、
「国体護持」(天皇を中心とした秩序【政体】の護持)
を条件に付けました。
連合国軍からの回答は昭和20年(1945)8月13日に来ましたが、その中に
「国体護持」
を保証する文言がなかったため(昭和天皇の処刑の可能性もあった)、政府は昭和20年(1945)8月14日正午に再び御前会議を開きます。
この時の列席者は、昭和20年(1945)8月9日の時の7人に加え、全閣僚を含む計23人でした。
この席上で
「(陛下を守れないなら)本土決戦やむなし」
という声が上がりますが、昭和天皇は静かに立ち上がって言いました。
「私の意見は変わらない」
「私自身は如何になろうとも、国民の生命を助けたいと思う」
最早列席者一同は慟哭するのみでした。
そして昭和天皇は最後にこう言いました。
「これから日本は再建しなくてはならない」
「それは難しい事であり、時間も長くかかるだろうが、国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう」
「自分も国民と共に努力する」
(迫水久常内閣書記官長の証言録より)
同日昭和20年(1945)8月14日、
「ポツダム宣言受諾」
は閣議決定され、午後11時、連合国側へ通達されました。
こうして大東亜戦争は終結しました。
この歴史的な出来事の経緯と昭和天皇のお言葉が、今日、文科省が選定したどの歴史教科書にも書かれていないのは不可解としか言いようがありません。
従ってこの事を知っている日本人はほとんどいないのが実情です。
しかし、日本人であるならば、この事は永久に忘れてはならない事だと思います。

戦後、昭和天皇の戦争責任について様々な意見が出されてきました。
もちろん法的には責任は発生しませんが、この問題を語る前に、昭和天皇の政治に対するモットーについて述べたいと思います。
大日本帝国憲法の基本原則は、統治権は天皇が総覧( 全体に渡って目を通すこと)するが、実際の政治は政府が行うというものでした。
よって昭和天皇は、
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という政治姿勢を貫いていました。
つまり昭和天皇は立憲君主であって、専制君主ではなかったのです。
昭和天皇は御前会議の場でも基本的に閣僚たちの意見を聞いているだけで、自らの意見を口にすることはありませんでした。
戦争中も、軍部が天皇大権である
「統帥権」【大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権)】
を盾に、全ては天皇陛下の命令であるという体で国民を動かして戦争に突き進んだというのが実態でした。
昭和天皇がその生涯において、政治的な決断(親裁)を下したのは、2・26事件と終戦の時だけでした。
厳密に言えば、昭和3年(1928)の
「張作霖爆殺事件」
に対して不快感を露わにしたケースがありましたが、そのことで内閣が総辞職した結果を見て、昭和天皇は内閣の決定には拒否権を発動しない旨を自らに課していました(その後の昭和11年【1936】の「2・26事件」は軍の統帥権者として反乱軍の鎮圧を命じたもの)。
昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がアメリカ大使館でマッカーサーと初めて会談した時、マッカーサーは昭和天皇が命乞いをしに来たと思っていました。
ところが、そうではありませんでした。
昭和天皇はマッカーサーにこう言ったのです。
「私は、国民が戦争遂行に当たって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるためお訪ねした」
(『マッカーサー大戦回顧録』より)
この時、同行していた通訳がまとめた昭和天皇の発言のメモに、後日、藤田尚徳侍従長が目を通し、回想録に次のように記しています。
「陛下は次の意味のことを元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、色々の責任が追及されているが、責任は全て私にある』
『文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない』
『私の一身は、どうなろうと構わない』
『私はあなたにお任せする』
『この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』」
(『侍従長の回想』)
マッカーサーは昭和天皇のこの言葉に深い感銘を受けます。
「死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした」
「私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」
(『マッカーサー大戦回顧録』より)
この時の会談の際、車で訪問した昭和天皇をマッカーサーは出迎えませんでした。
昭和天皇は戦犯候補に挙げられていたので、これは当然でした。
しかし帰る時にはマッカーサーは昭和天皇を玄関まで見送りに出ています。
恐らく会談中に昭和天皇の人柄に感服したためだと思われます。
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という存在でありながら、同時に日本の
「統治権の総攬者」
であった昭和天皇の戦争責任というテーマは、イデオロギーや政治的な立ち位置によって見方が変わり、また永久に結論が出ない問題ではあります。
「ご聖断」
が遅過ぎたという声もあります。
しかし、仮に半年前に天皇が終戦を決断したとしても、連合国、特にアメリカ政府がそれに同意する保証はなく、日本の陸軍がそれを呑むこともなかったと思われます。
昭和20年(1945)8月14日の時点でさえ、陸軍の中には、更なる犠牲を出しても本土決戦をすべきと主張する者が何人もいたのです。
余談ですが、戦争中、昭和天皇は1度も皇居から離れませんでした。
東京は何度もアメリカ軍の大空襲を受けており、周囲の者は疎開を勧めましたが、昭和天皇は
「目の前で君臣が次々と死んでいくのに、なぜ朕だけが疎開などできようか」
と言い、頑として拒否しました。
昭和天皇は死を覚悟していたのです。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/752.html#c28

[政治・選挙・NHK297] 自民の惨敗は石破より前の総理たちの裏金が原因だよ。安部、麻生、岸田たちの裏金、金まみれ! それがし
4. 秘密のアッコちゃん[1768] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月29日 15:12:04 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1206]
<■344行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
自民党「両院議員総会」の開催決定 石破首相“逃げずに説明”
2025年7月29日 14時37分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250729/k10014877501000.html
自民党は、2025年7月29日の役員会で、参議院選挙の敗北を受けて、党内から開催を求める意見が出ていた、党の意思決定機関である
「両院議員総会」
を近く開催することを決めました。
■石破首相 続投に理解求めるも党内の亀裂 より深まる状況に
参議院選挙の敗北を受けて、自民党は、2025年7月28日、両院議員懇談会を4時間半に渡って開き、この中では、党の意思決定機関で責任を問うため
「両院議員総会」
を開催するよう求める意見が出されました。
また、旧茂木派や旧安倍派などの中堅・若手議員らが、総会の開催を要求するため、署名活動を行っています。
これを受けて、2025年7月29日午前の自民党の役員会では
「両院議員総会」
を近く開催することを決めました。
このあと森山幹事長は記者会見で
「きのうの両院議員懇談会で総会を求める意見があったのでやはり尊重すべきものと思う」
「開催要求の手続きを経なくても総会を開くことは可能で、決断したということだ」
と述べました。
また、総会の議題については
「開催要求をしようとする人が、何をそこで議論したいのか、今後、両院議員総会長のもとで話を伺っていく」
と述べました。
一方、記者団から、総会で総裁選挙の前倒しの実施を決められるか問われたのに対し
「そこは非常に複雑だ」
「前倒しで総裁選挙をすることなどについては、総裁選挙管理委員会ということになると思う」
と述べました。
また、2025年7月29日の役員会で、石破総理大臣は
「きのうの両院議員懇談会で厳しい意見が出た」
「真摯に受け止め、党運営や政権運営について適切に判断していく」
と述べました。
■自民 有村両院議員総会長「日程や内容は慎重に公正に検討」
自民党の有村 両院議員総会長は笹川 農林水産副大臣と会談したあと、森山幹事長と面会し
「両院議員総会」
の開催に向けた今後の対応などを報告しました。
このあと有村氏は記者団に対し
「これから国会も始まり、召集日も明確に決まっている」
「総理大臣の日程の確保については慎重を期していく」
「きのうの両院議員懇談会で出た意見も踏まえて総会を行うが、日程や内容は慎重に公正に検討し、調整に入っていく段階だ」
と述べました。
一方、笹川氏は有村氏との会談後、記者団に対し
「両院議員総会の開催を決定して頂いた森山幹事長の英断に感謝申し上げたい」
「現在120人を超す署名が集まっているが、総会が開催されることになったので、署名を提出することにはならない」
「総会での議題については、有志の議員としっかりと話をして、改めて申し入れをしたい」
と述べました。
■石破首相 “逃げずに説明することに尽きる”
石破総理大臣は、自民党の役員会に出席したあと、総理大臣官邸で、記者団が党内から辞任を求める声が出ていることについて、どう理解を得ていくか質問したのに対し
「説明は丁寧に真摯にしていくと言う他はなく、それ以外に考えていない」
「逃げずに説明をするということに尽きる」
と述べました。
■林官房長官「石破首相をしっかりと支えていきたい」
林官房長官は閣議のあとの記者会見で
「石破総理大臣は自民党総裁として続投の方針に変わりはなく、果たすべき責任を果たしていきたいと述べている」
「引き続き、官房長官として国政全般に渡り石破総理大臣をしっかりと支えていきたい」
と述べました。
■中谷防衛相 “引き続き 石破内閣を支えていく”
中谷防衛大臣は閣議のあとの記者会見で
「戦後、最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する中、防衛大臣としても防衛省・自衛隊の取り組みが停滞していくことは許されない」
「内閣の一員として、引き続き、職務を全うし、石破内閣を支えていくことは当然だ」
「自民党内で参議院選挙の総括や反省は続いていくと思うが、大事なことは、どこが悪かったのか、どこを変えていかなければならないのかをしっかり議論することだ」
と述べました。
■平デジタル相 “分裂深めたというより自民党のカルチャー”
平デジタル大臣は閣議のあとの記者会見で
「自民党の両院議員懇談会ではそれぞれの議員が執行部に忖度なく自分の思うところを発言していた」
「分裂を深めたというよりは自民党のカルチャーであり、いいところだ」
「執行部は色々な意見を聴いて対応を決めるということなのでそれを見守りたい」
と述べました。
■立民 小川幹事長 “続投自体が大きな政治空白だ”
立憲民主党の小川幹事長は記者会見で
「政治空白を生まないために続投を主張しているようだが、それ自体が大きな政治空白だという印象を強く受けている」
「非常に往生際が悪く、今後、政策推進など、様々な支障をきたし、その被害は最終的には国民に及ぶのではないかと大変懸念している」
と述べました。
■国民 玉木代表「自民党には早く方向性決めてほしい」
国民民主党の玉木代表は記者会見で
「石破総理は、世論が必ずしも『石破辞めろ』の一辺倒ではないことを続投のいい材料にして自信を深めている気がする」
と述べました。
その上で
「去年2024年の衆議院選挙、今年2025年の東京都議会議員選挙、参議院選挙と3回負けていて、普通なら退陣だが、自民党に次の総裁として適切な人がいるのかどうかだ」
「自民党には早く方向性を決めて落ち着いてもらいたい」
と述べました。

自民 両院議員総会開催求める署名の提出見送り 執行部の開催判断受け
2025/7/29 13:03
https://www.sankei.com/article/20250729-V5FKY7XSMVOSNCI76FT5ZLI5IE/
自民党の旧茂木派に所属した笹川博義農林水産副大臣は2025年7月29日、党本部で有村治子両院議員総会長と面会し、参院選大敗を受けた両院議員総会招集に賛同する署名の提出を見送ると伝えた。
自民が同日の役員会で総会を近日中に開催する方針を決めたことを踏まえた。
党則では所属議員の3分の1以上の要求があれば総会を招集すべきと規定しており、笹川氏は若手・中堅議員を中心に120人以上の署名を確保していた。
面会後、記者団の取材に応じた笹川氏は
「我々の思いを受け、森山裕幹事長が英断を下した」
「署名の提出にはならない」
と語った。
集まった署名については
「自民にとって最大級の危機的状況の中、総会が1回で終わるとは限らない」
「その時のためにも預かっておく」
と説明した。
総会の議題として、与党過半数割れとなった参院選の総括や党の再生などを求める考えも示した。
総裁選を前倒しして実施する
「リコール」
を求める署名活動に関し
「総会がどういう形で終わるのか、党執行部の判断がどうなるかがポイントになる」
とも強調した。
面会には麻生派の今枝宗一郎衆院議員らも同席した。
一方、有村氏は笹川氏との面会を森山氏に報告。
報告後、記者団に対し、2025年8月1日召集の臨時国会の日程などを踏まえ、総会を開く考えを示した。
「総会の開催は所与のものとし、日程と内容を慎重に公正に検討していく」
と述べた。

<主張>自民両院懇 続投表明の説得力ゼロだ
社説
2025/7/29 5:00
https://www.sankei.com/article/20250729-LWRLVT7QTNKJHP6ZEVWSMWUUCI/
石破茂首相(自民党総裁)は、参院選を受けた党両院議員懇談会で続投を重ねて表明した。
「政治空白を生むことがないよう責任を果たしていきたい」
と述べた。
座りが政治の機能不全を招き、空白を生じさせることが分かっていない。
森山裕幹事長ら党執行部の幹部が責任を取らないのもおかしい。
森山氏は参院選を検証する委員会で2025年8月中に報告書をまとめ、自らの責任を明らかにする考えを示した。
これでは遅すぎる。
検証は新執行部でも十分できる。
石破首相が語った続投理由は説得力に欠ける。
参院選で示された民意を尊重し、1日も早く退陣を表明すべきだ。
懇談会では退陣論が多数を占め、続投を求める声は少数だったという。
当たり前の話だ。
退陣要求は自民の地方組織の間でも広がっている。
茂木敏充前幹事長も2025年7月26日、
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べ、辞任を迫った。
石破首相は日米関税交渉の合意を受けた対応に万全を期す考えを示したが、これも首相続投の理由にはなり得ない。
新首相が赤沢亮正経済再生担当相を起用すれば、交渉の継続性は確保できる。
関税の影響を受ける企業への対応や物価高対策を含む補正予算案の編成が、2025年秋の臨時国会に向けた課題となっている。
だが、参院選で大敗した石破首相がこれを行う道理はない。
石破首相はトランプ米大統領と直接交渉をしてこなかった。
今回の合意後、トランプ氏と電話会談さえしていない。
このような首相は不要である。
懇談会ではなく、議決権のある両院議員総会の開催がまず必要だ。
総会開催を求める党中堅・若手議員の署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
早期に提出してもらいたい。
党則に従えば、有村治子両院議員総会長が7日以内に招集できる。
自民は総裁選前倒しを決め、総裁交代と首相退陣につなげていくべきである。
これは自民の党勢のみならず民意と議会制民主主義を守るために必要だ。
石破首相が引き続き政権を担いたいなら、立候補して勝てばよいではないか。

自民、両院総会開催の方向 懇談会で首相「意見踏まえ適切に判断」 擁護する意見は少なく
2025/7/28 22:28
https://www.sankei.com/article/20250728-4G4X4VYDDNMHJGGNGBWI4B2434/
自民党は2025年7月28日、与党が過半数割れの大敗を喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開いた。
石破茂首相(党総裁)は
「政治空白を生まないよう責任を果たしたい」
と続投の意向を重ねて示した。
ただ、出席者によると、首相を擁護する意見は一部にとどまり、首相の続投に否定的な意見が多数を占めた。
首相は懇談会後、記者団に
「意見を踏まえ適切に判断したい」
と述べた。
森山裕幹事長は懇談会後、2025年7月29日の党役員会で、正式な議決機関である両院議員総会を開催する方向で協議する考えを記者団に示した。
首相は懇談会冒頭、参院選の大敗について
「多くの議席を失った」
「深く、心からお詫びする」
と陳謝した。
続投の理由に関しては
「日米関税交渉の合意が着実に実行されるよう万全を尽くしたい」
と説明した。
森山氏は2025年8月中を目途に参院選の総括報告書を取りまとめた段階で
「責任を明らかにする」
と述べ、辞任の可能性を示唆した。
懇談会は首相と森山氏の冒頭発言の後は非公開で行われた。
出席者によると、首相に対し、退陣を迫る意見が相次いだ。
参院ベテラン議員は
「即刻辞任」
を求め、
「ポスト石破」
候補の1人と目される衆院中堅議員は
「国民から最後通告を突き付けられている」
と指摘した。
少数ながら
「首相個人ではなく党全体の問題」(衆院ベテラン議員)
などと首相を擁護する意見もあった。
懇談会には所属議員の7割以上にあたる236人が出席し、64人が意見を述べた。
当初予定の2時間を大幅に超え、約4時間半に及んだ。
執行部が懇談会を開いたのは党内の首相への批判を
「ガス抜き」
する狙いもあったとみられるが、
「石破降ろし」
が収まる気配はない。
旧安倍派などの議員は両院議員総会の招集に必要な数の署名を集めたと主張しており、旧茂木派の笹川博義農林水産副大臣は国会内で記者団に
「2025年7月29日以降、署名を提出したい」
と語った。

「石破降ろし」勢い止まらず 自民、両院懇で亀裂表面化 幹事長辞任示唆で政権運営厳しく
2025/7/28 22:26
https://www.sankei.com/article/20250728-5ZQOWZQD7BOQTBRT4EWANKOPFY/
参院選の大敗を受けた2025年7月28日の自民党両院議員懇談会は石破茂首相(党総裁)に対する責任論が噴出し、党内の亀裂が表面化した。
多くの党所属議員から退陣を迫られても尚、首相が当面の続投意欲を示したことで
「石破降ろし」
の動きが加速する見通しだ。
石破政権を支えてきた森山裕幹事長が辞任の可能性を示唆し、政権維持は更に厳しくなる。
■「総会」開催求める声相次ぐ
首相は4時間半に及んだ懇談会後、記者団に続投方針に変わりはないか問われると
「ございません」
「責任を果たしていきたい」
と強調した。
衆院選で与党過半数割れに追い込まれても首相の責任論が一部にとどまった昨年2024年11月の懇談会とは異なり、今回は異様な緊張感に包まれた。
参院選の大敗は首相1人の責任ではないとして続投を支持する意見も一部であったが、即時退陣や、「ガス抜き」の懇談会ではなく、重要事項を決めることができる両院議員総会の開催を求める意見が相次いだ。
小林鷹之元経済安全保障担当相は首相に対し
「組織のトップとしての責任の取り方について、しっかり考えて頂きたい」
と求めた。懇談会後、小林氏が記者団に明らかにした。
■「総裁選前倒しへ全力尽くす」
旧安倍派、旧茂木派、麻生派などの有志議員が始めた総会開催を求める署名活動は、既に要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたとされ、懇談会を受けて近く署名を提出する構えだ。
更に、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求で可能となる総裁選の前倒し実施も視野に入れる。
麻生派の今枝宗一郎衆院議員は、記者団に
「辞任をし、総裁選を前倒しするということを(首相に)いち早く表明してもらうよう全力を尽くしていく」
と強調した。
政権の屋台骨を支える森山氏が2025年8月にも辞任する可能性を示唆したのは、党内の反発を和らげる狙いがある半面、首相にとっては痛手だ。
森山氏は衆院で少数与党に陥る中、政策決定や野党との調整など国会運営で大きな役割を担ってきた。
辞任すれば政権運営は立ちいかず、首相は更に窮地に追い込まれる。
ただ、首相は現時点では退陣要求に応じず、むしろ党内や世論の擁護論を背景に態度を硬化させているようにも映る。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、首相は
「辞任すべきだ」

「辞任しなくてよい」
との意見が拮抗した。
「国民世論と我が党の考え方が一致することが大事だ」。
首相は記者団にこう述べ、強気な姿勢を覗かせた。


「裏金議員」呼ばわりはレッテル貼りの「報道冤罪」
正論2024年12月号 政策シンクタンク 原英史
(前略)
今回2024年10月の衆院選では
「裏金議員」
という一部報道機関によるレッテル貼りが、深刻な影響をもたらしたのではないか。
派閥の指示で記載しなかったに過ぎない議員たちが、あたかも私的流用や不正蓄財など不正を働いたかのようなレッテルを貼られ、非公認や比例名簿不掲載などの扱いを受け、不利な状況で選挙を戦うことになった。
中には出馬を断念した人もいた。
何故こんな報道がなされたのか。
どう間違っているのかを説明していこう。
■「裏金議員」か「不記載議員」か
新聞報道には
「裏金議員」
という用語を用いるものと、
「不記載議員」
を用いるものがある。
朝日新聞は、1面トップで
「裏金議員」
を繰り返し見出しに掲げ、
「裏金議員」
と題する一覧表を掲載するなど
「裏金議員」
表記で徹底している。
毎日新聞も同様で、社説の見出しなどにも用いる。
一方、日本経済新聞は
「不記載議員」
と表記する。
読売新聞や産経新聞も一部混在があるが、基本的に
「不記載議員」
を用いているうようだ。
読者の中には、福島第1原発の処理水放出を巡る報道を思い起こす人もいるのではないか。
日経・読売・産経各紙が
「処理水」
を用いる一方、
朝日・毎日・東京各紙は
「汚染水」
「処理汚染水」
などを用い、あたかも汚染しているような印象を広げた。
本誌にしばしば寄稿する林智裕氏はこれを
「報道加害」
と呼んでいる(著書『「正しさ」の商人』など)。
今回の
「裏金議員」
も似通った図式だった。
「裏金」

「不記載」
かについて、2024年10月の党首討論でも議論があった。
野田佳彦・立憲民主党代表が政治資金問題を追及した際、石破茂首相はこう切り返した。
「『裏金』は決め付けだ」
「不記載だ」
「誰からいくら貰い、出入りがきちんと示されることが重要で、その記載をしなかったということだ」
ここまで明快な答弁だが、その後が分かりづらい。
野田氏は更に旧石破派(水月会)の政治資金問題を追及した。
キックバックとは関係ないが同じく
「不記載」
の事案だ。
石破首相はこう答弁、旧安倍派(清和政策研究会)などと異なり、これは単なる
「事務ミス」
だと強調した。
「構造的に不正が為されたものではない」
「裏金化し、誰かが利益を得たことは一切ない」
同じ
「不記載」
でも、旧安倍派と旧二階派(志帥会)の不記載は
「悪い不記載」、
旧石破派や旧岸田派(宏池政策研究会)の不記載は
「単なる事務ミス」
ということらしいが、前者でも私的流用などが判明したわけではない。
これでは、朝日新聞などは
「ともかく『悪い不記載』だと首相も言うのだから、『裏金議員』と呼んでも差し支えないはず」
と受け止めたのではないか。
更に、立憲民主党などの野党は、所属議員の不記載は
「単なる事務ミス」、
自民党旧安倍派などは
「裏金議員」、
と堂々と区別出来ることになった。
■「裏金」とは何か
何故こんなおかしな事になったのか。
出発点に遡るとそもそも
「裏金」
という言葉は、広辞苑によれば
「公式の帳簿に記載しない、自由に使えるように不正に蓄えた金銭」
を意味する。
この問題を最初にスクープして新聞協会賞を受賞した(しんぶん赤旗から異議があるが)2023年12月1日の朝日新聞では、こう書かれていた。
「最大派閥の清和政策研究会(安倍派)が、所属議員が販売ノルマを超えて集めた分の収入を裏金として議員側にキックバックする運用を組織的に続けてきた疑いがある」
確かに、帳簿に記載されていない可能性があり、私的流用や不正蓄財など勝手気ままに使われていた可能性もあった。
この時点で
「裏金の疑い」
があるのはその通りだった。
しかし、その後どうなったかと言えば、東京地検特捜部の捜査が2024年1月に終結した。
自民党の内部調査(外部弁護士も参加)の報告書が2024年2月に提出された。
判明したのは、結局
「不記載」
だけだ。
私的流用などは見つかっていない。
多くの議員は、派閥から
「収支報告書に記載しないように」
と言われ従っていただけだと説明した。
記載や返金を申し入れたが派閥側から拒まれ、やむなく不記載にしたケースもあった。
「不明朗な金銭だったから」
などの理由で、使用せずにいた人も相当数いた(旧安倍派・旧二階派の不記載85人中31人)。
別の収入名目(自身からの寄附など)にして、収入・支出を記載していた人もいた(85人中10人強)。
ここから分かるのは、少なくとも相当数の人たちは、広辞苑の言う
「自由に使えるように」

「公式の帳簿に記載しない」
といった定義から明白に外れ、
「裏金」
とは無縁だったことだ。
その一方、自民党の調査は、実に不十分な内容だった。
こうした還流システム、つまり
「裏金を作る目的」
と受け取られても仕方のない仕組みを、誰が何のために作ったのか。
これは全く明らかにならず、
「古くからの慣習だった」
と言うに留まった。
また、本当に不正支出や不正蓄財などがなかったのかも疑わしい調査だった。
現にその後、堀井学・前議員による不正支出(違法な香典などの支出)が判明した。
肝心な真相究明は出来ていなかったのだ。
■自民党執行部が招いた報道冤罪
事態を決定的におかしくしたのは、真相究明が出来ていないまま、2024年4月に関係議員への処分を下したことだ。
自民党党紀委員会で、離党勧告、党員資格停止、役職停止、戒告などの処分を決定した。
旧安倍派・旧二階派で不記載のあった議員につき(引退表明した二階俊博氏を除き84名)、不記載額500万円以上だった39人は正式な処分の対象とし、500万円未満の45人は幹事長による注意の対象とした。
39人の軽重は、不記載額1000万円・2000万円などの基準で線引きした。
根拠が不明だ。
まず、旧安倍派・旧二階派の不記載はなぜ一律に処分(注意を含め)の対象になるのか。
これまでの調査で、
「裏金」
とは無縁で、派閥に言われてやむなく
「不記載」
にした議員が相当数いることは明らかだった。
もちろん政治資金規正法違反は重大な問題だが、これは他の派閥での
「不記載」
も同じだ。
「500万円」
などの金額による線引きも意味不明だ。
派閥では当選回数や役職に応じたノルマが設定されていたという。
コロナの時期にパーティーが中止されたため、ノルマを達成すべくパーティー券を売っていた議員らにたまたま多額の還付金等が払われるケースが生じた。
「金額が多いから悪質」
というわけではなく、そんな事は自民党の議員たちは百も承知だったはずだ。
それにもかかわらず、こうした決着に至ったのは、本当に責任を負うべき人たちの特定を自民党執行部が放棄したためだ。
本来ならば、
@「裏金」の温床となる仕組みを創設・維持した責任者と、
A「裏金」として利用した議員を特定して処分対象とし、他は不問にすべきだった。
あるいは逆に、
「不記載」
を処分対象にするなら、旧岸田派なども同様に扱うべきだった。
ところが実際には、
「裏金の疑い」
が騒がれていた不記載は全て
「悪い不記載」
ということにし、無意味な金額基準で線引きした。
例えて言えば、教室で盗みを働いていた子供を特定できない時に、指導能力を欠く小学校の先生が
「クラス全員の連帯責任」
と称して全員に居残りを命じ、更に前列の生徒たちは特段の理由なく体罰を科したようなものだった。
2024年10月に誕生した石破政権は、仕切り直しの好機だった。
石破首相は総裁選で、公認するかどうかは
「1人1人と向き合い」
「徹底的に議論する」
と言っていた。
一定の時間をかけて改めて真相究明し、本当に責任を負うべき人を特定し、それ以外の人は堂々と公認する(比例重複も認める)として十分に説明すれば
「国民の納得と共感」
は得られたのではないか。
ところが、党内の議論に引きずられて早期解散に踏み切り、従来の
「全員の連帯責任」
路線を踏襲せざるを得なくなった。
旧安倍派などの不記載は引き続き全て
「悪い不記載」
と整理され、
「それなら全員を非公認にすべきだ」
との批判を招いた。
一方、朝日新聞など一部報道機関や野党は、安心して
「裏金議員」
とのレッテル貼りを続けることになった。
以上が、多くの議員たちがいわれなく
「裏金議員」
と呼ばれ続けた経緯だ。
実際は、多くの人たちは
「裏金」
と無縁だった。
強いて言えば、
「裏金の温床となる還流システムを不正に運用していた派閥に所属していた議員」
ではあろうが、それを
「裏金議員」
と呼ぶのは無茶苦茶だ。
これは、
「報道冤罪」
に他ならない。
そして、
「報道冤罪」
を招いた根源は、岸田政権と石破政権の対応だ。
自民党執行部が何故、わざわざこんな拙い対応をし、選挙で議席を減らす要因を作ったのか、私には理解不能だ。
このままでは、来年2025年の参議院選挙でも再び同じ事が繰り返され、
「裏金議員」
という
「報道冤罪」
が続くのではないか。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/753.html#c4

[政治・選挙・NHK297] (1)広報と報道の違いがわからない人たち…民主主義の大原則を脅かす「記者排除」3年前にも 不気味な躍進 参政党のトリセツ(… 赤かぶ
9. 秘密のアッコちゃん[1769] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月29日 17:17:40 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1207]
<■1894行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
参政党の熱量と解散恐怖症 自民と立民の「なれ合い政治」にさせてはならぬ
一筆多論
2025/7/29 15:00
https://www.sankei.com/article/20250729-45MDEPAGQNK5PDZTIG76PN5EFI/?outputType=theme_election2025
参院選投開票日の前日の2025年7月19日、東京・芝公園。
「日本人ファースト」を掲げて支持を集め、台風の目となった参政党の神谷宗幣代表は、この場所で「マイク納め」を行った。
参政は今の自民党に失望している岩盤保守層の受け皿となり、躍進した。
芝公園の隣に位置するのは、安倍晋三元首相の葬儀が執り行われた増上寺。
因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
安倍氏が岩盤保守層から支持を得ていたのは周知の事実だ。
この日の東京の最高気温は33・1度。
うだるような暑さの中、背後に東京タワーがそびえ立つその会場には約2万人が集まった。
「ヘイト集団」「差別政党」などと書かれたプラカードを掲げたアンチ参政党の人々も目立った。
日の丸にバツ印をつけてはためかせる異常な光景もあった。
参政支持者とアンチとの間で一触即発の事態になりかねない危険な空気が漂っていた。
神谷氏が登壇し、
「日本人のプライドと国の未来にかけて、皆でグローバリズムと闘いましょう」
などと絶叫すると、会場のボルテージは最高潮に。
その熱量は党の勢いをそのまま反映していた。
参政は改選1議席から14議席に増やした。
国民民主党は改選4議席の4倍以上の17議席を獲得した。
これに対し立憲民主党は改選数と同じ22議席にとどまった。
比例代表の得票数では、野党で最多は国民民主、次いで参政となり、立民は野党3位に終わった。
野田佳彦代表が選挙戦最終日に入った選挙区のうち、福島(改選数1)、栃木(同)では議席を得られず、東京(改選数6、補欠1)では擁立した2人のうち当選した現職の塩村文夏氏は7番手だった。
大敗した自民のみならず立民も含め既成政党の多くは、早期に衆院解散・総選挙が行われた場合、票をごっそり参政や国民民主に持っていかれるだろう。
石破茂首相(自民総裁)が参院でも与党過半数割れとなった責任をとって辞任し、新総裁が国会での首相指名選挙を経て首相に就任できたとしても、新首相は怖くて解散できないのではないか。
自民の多くの歴代総裁は「解散カード」を求心力を高めるために有効に使い、党内を統治してきた。
だが、自民が抜本的に立て直しを図り、他党を凌駕するほどの力を取り戻さない限り、その芸当はできまい。
立民も早期の衆院解散は避けたいのが本音と言える。
議席を減らす可能性があるだけでなく、野党間の候補者調整など闘う態勢を整えるのに時間がかかることが予想されるからだ。
野田氏は石破首相について
「だらだらと民意を無視して居座り続けるのか」
と批判する。
ならば、2025年8月1日召集予定の臨時国会で内閣不信任決議案を提出し、野党で連携して可決させ、総辞職か解散に追い込めばよいものを、不信任案提出については言葉を濁している。
腰砕けと言う他ない。
最大政党の自民も野党第一党の立民も解散を恐れていては、緊張感は生まれず、馴れ合いの政治に陥りかねない。
日本の政治は劣化の一途を辿ることになろう。
石破首相は一刻も早く退陣すべきであり、自民は「国民政党」を自任するのなら、早急に党を再建する責務がある。(論説副委員長)

自民党「両院議員総会」の開催決定 石破首相“逃げずに説明”
2025年7月29日 14時37分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250729/k10014877501000.html
自民党は、29日の役員会で、参議院選挙の敗北を受けて、党内から開催を求める意見が出ていた、党の意思決定機関である
「両院議員総会」
を近く開催することを決めました。
■石破首相 続投に理解求めるも党内の亀裂 より深まる状況に
参議院選挙の敗北を受けて、自民党は、28日、両院議員懇談会を4時間半に渡って開き、この中では、党の意思決定機関で責任を問うため
「両院議員総会」
を開催するよう求める意見が出されました。
また、旧茂木派や旧安倍派などの中堅・若手議員らが、総会の開催を要求するため、署名活動を行っています。
これを受けて、29日午前の自民党の役員会では
「両院議員総会」
を近く開催することを決めました。
このあと森山幹事長は記者会見で
「きのうの両院議員懇談会で総会を求める意見があったのでやはり尊重すべきものと思う」
「開催要求の手続きを経なくても総会を開くことは可能で、決断したということだ」
と述べました。
また、総会の議題については
「開催要求をしようとする人が、何をそこで議論したいのか、今後、両院議員総会長のもとで話を伺っていく」
と述べました。
一方、記者団から、総会で総裁選挙の前倒しの実施を決められるか問われたのに対し
「そこは非常に複雑だ」
「前倒しで総裁選挙をすることなどについては、総裁選挙管理委員会ということになると思う」
と述べました。
また、29日の役員会で、石破総理大臣は
「きのうの両院議員懇談会で厳しい意見が出た」
「真摯に受け止め、党運営や政権運営について適切に判断していく」
と述べました。
■自民 有村両院議員総会長「日程や内容は慎重に公正に検討」
自民党の有村 両院議員総会長は笹川 農林水産副大臣と会談したあと、森山幹事長と面会し
「両院議員総会」
の開催に向けた今後の対応などを報告しました。
このあと有村氏は記者団に対し
「これから国会も始まり、召集日も明確に決まっている」
「総理大臣の日程の確保については慎重を期していく」
「きのうの両院議員懇談会で出た意見も踏まえて総会を行うが、日程や内容は慎重に公正に検討し、調整に入っていく段階だ」
と述べました。
一方、笹川氏は有村氏との会談後、記者団に対し
「両院議員総会の開催を決定して頂いた森山幹事長の英断に感謝申し上げたい」
「現在120人を超す署名が集まっているが、総会が開催されることになったので、署名を提出することにはならない」
「総会での議題については、有志の議員としっかりと話をして、改めて申し入れをしたい」
と述べました。
■石破首相 “逃げずに説明することに尽きる”
石破総理大臣は、自民党の役員会に出席したあと、総理大臣官邸で、記者団が党内から辞任を求める声が出ていることについて、どう理解を得ていくか質問したのに対し
「説明は丁寧に真摯にしていくと言う他はなく、それ以外に考えていない」
「逃げずに説明をするということに尽きる」
と述べました。
■林官房長官「石破首相をしっかりと支えていきたい」
林官房長官は閣議のあとの記者会見で
「石破総理大臣は自民党総裁として続投の方針に変わりはなく、果たすべき責任を果たしていきたいと述べている」
「引き続き、官房長官として国政全般に渡り石破総理大臣をしっかりと支えていきたい」
と述べました。
■中谷防衛相 “引き続き 石破内閣を支えていく”
中谷防衛大臣は閣議のあとの記者会見で
「戦後、最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する中、防衛大臣としても防衛省・自衛隊の取り組みが停滞していくことは許されない」
「内閣の一員として、引き続き、職務を全うし、石破内閣を支えていくことは当然だ」
「自民党内で参議院選挙の総括や反省は続いていくと思うが、大事なことは、どこが悪かったのか、どこを変えていかなければならないのかをしっかり議論することだ」
と述べました。
■平デジタル相 “分裂深めたというより自民党のカルチャー”
平デジタル大臣は閣議のあとの記者会見で
「自民党の両院議員懇談会ではそれぞれの議員が執行部に忖度なく自分の思うところを発言していた」
「分裂を深めたというよりは自民党のカルチャーであり、いいところだ」
「執行部は色々な意見を聴いて対応を決めるということなのでそれを見守りたい」
と述べました。
■立民 小川幹事長 “続投自体が大きな政治空白だ”
立憲民主党の小川幹事長は記者会見で
「政治空白を生まないために続投を主張しているようだが、それ自体が大きな政治空白だという印象を強く受けている」
「非常に往生際が悪く、今後、政策推進など、様々な支障をきたし、その被害は最終的には国民に及ぶのではないかと大変懸念している」
と述べました。
■国民 玉木代表「自民党には早く方向性決めてほしい」
国民民主党の玉木代表は記者会見で
「石破総理は、世論が必ずしも『石破辞めろ』の一辺倒ではないことを続投のいい材料にして自信を深めている気がする」
と述べました。
その上で
「去年の衆議院選挙、今年の東京都議会議員選挙、参議院選挙と3回負けていて、普通なら退陣だが、自民党に次の総裁として適切な人がいるのかどうかだ」
「自民党には早く方向性を決めて落ち着いてもらいたい」
と述べました。

自民 両院議員総会開催求める署名の提出見送り 執行部の開催判断受け
2025/7/29 13:03
https://www.sankei.com/article/20250729-V5FKY7XSMVOSNCI76FT5ZLI5IE/
自民党の旧茂木派に所属した笹川博義農林水産副大臣は29日、党本部で有村治子両院議員総会長と面会し、参院選大敗を受けた両院議員総会招集に賛同する署名の提出を見送ると伝えた。
自民が同日の役員会で総会を近日中に開催する方針を決めたことを踏まえた。
党則では所属議員の3分の1以上の要求があれば総会を招集すべきと規定しており、笹川氏は若手・中堅議員を中心に120人以上の署名を確保していた。
面会後、記者団の取材に応じた笹川氏は
「我々の思いを受け、森山裕幹事長が英断を下した」
「署名の提出にはならない」
と語った。
集まった署名については
「自民にとって最大級の危機的状況の中、総会が1回で終わるとは限らない」
「その時のためにも預かっておく」
と説明した。
総会の議題として、与党過半数割れとなった参院選の総括や党の再生などを求める考えも示した。
総裁選を前倒しして実施する
「リコール」
を求める署名活動に関し
「総会がどういう形で終わるのか、党執行部の判断がどうなるかがポイントになる」
とも強調した。
面会には麻生派の今枝宗一郎衆院議員らも同席した。
一方、有村氏は笹川氏との面会を森山氏に報告。
報告後、記者団に対し、8月1日召集の臨時国会の日程などを踏まえ、総会を開く考えを示した。
「総会の開催は所与のものとし、日程と内容を慎重に公正に検討していく」
と述べた。

<主張>自民両院懇 続投表明の説得力ゼロだ
社説
2025/7/29 5:00
https://www.sankei.com/article/20250729-LWRLVT7QTNKJHP6ZEVWSMWUUCI/
石破茂首相(自民党総裁)は、参院選を受けた党両院議員懇談会で続投を重ねて表明した。
「政治空白を生むことがないよう責任を果たしていきたい」
と述べた。
座りが政治の機能不全を招き、空白を生じさせることが分かっていない。
森山裕幹事長ら党執行部の幹部が責任を取らないのもおかしい。
森山氏は参院選を検証する委員会で2025年8月中に報告書をまとめ、自らの責任を明らかにする考えを示した。
これでは遅すぎる。
検証は新執行部でも十分できる。
石破首相が語った続投理由は説得力に欠ける。
参院選で示された民意を尊重し、1日も早く退陣を表明すべきだ。
懇談会では退陣論が多数を占め、続投を求める声は少数だったという。
当たり前の話だ。
退陣要求は自民の地方組織の間でも広がっている。
茂木敏充前幹事長も2025年7月26日、
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べ、辞任を迫った。
石破首相は日米関税交渉の合意を受けた対応に万全を期す考えを示したが、これも首相続投の理由にはなり得ない。
新首相が赤沢亮正経済再生担当相を起用すれば、交渉の継続性は確保できる。
関税の影響を受ける企業への対応や物価高対策を含む補正予算案の編成が、2025年秋の臨時国会に向けた課題となっている。
だが、参院選で大敗した石破首相がこれを行う道理はない。
石破首相はトランプ米大統領と直接交渉をしてこなかった。
今回の合意後、トランプ氏と電話会談さえしていない。
このような首相は不要である。
懇談会ではなく、議決権のある両院議員総会の開催がまず必要だ。
総会開催を求める党中堅・若手議員の署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
早期に提出してもらいたい。
党則に従えば、有村治子両院議員総会長が7日以内に招集できる。
自民は総裁選前倒しを決め、総裁交代と首相退陣につなげていくべきである。
これは自民の党勢のみならず民意と議会制民主主義を守るために必要だ。
石破首相が引き続き政権を担いたいなら、立候補して勝てばよいではないか。

自民、両院総会開催の方向 懇談会で首相「意見踏まえ適切に判断」 擁護する意見は少なく
2025/7/28 22:28
https://www.sankei.com/article/20250728-4G4X4VYDDNMHJGGNGBWI4B2434/
自民党は2025年7月28日、与党が過半数割れの大敗を喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開いた。
石破茂首相(党総裁)は
「政治空白を生まないよう責任を果たしたい」
と続投の意向を重ねて示した。
ただ、出席者によると、首相を擁護する意見は一部にとどまり、首相の続投に否定的な意見が多数を占めた。
首相は懇談会後、記者団に
「意見を踏まえ適切に判断したい」
と述べた。
森山裕幹事長は懇談会後、2025年7月29日の党役員会で、正式な議決機関である両院議員総会を開催する方向で協議する考えを記者団に示した。
首相は懇談会冒頭、参院選の大敗について
「多くの議席を失った」
「深く、心からお詫びする」
と陳謝した。
続投の理由に関しては
「日米関税交渉の合意が着実に実行されるよう万全を尽くしたい」
と説明した。
森山氏は2025年8月中を目途に参院選の総括報告書を取りまとめた段階で
「責任を明らかにする」
と述べ、辞任の可能性を示唆した。
懇談会は首相と森山氏の冒頭発言の後は非公開で行われた。
出席者によると、首相に対し、退陣を迫る意見が相次いだ。
参院ベテラン議員は
「即刻辞任」
を求め、
「ポスト石破」
候補の1人と目される衆院中堅議員は
「国民から最後通告を突き付けられている」
と指摘した。
少数ながら
「首相個人ではなく党全体の問題」(衆院ベテラン議員)
などと首相を擁護する意見もあった。
懇談会には所属議員の7割以上にあたる236人が出席し、64人が意見を述べた。
当初予定の2時間を大幅に超え、約4時間半に及んだ。
執行部が懇談会を開いたのは党内の首相への批判を
「ガス抜き」
する狙いもあったとみられるが、
「石破降ろし」
が収まる気配はない。
旧安倍派などの議員は両院議員総会の招集に必要な数の署名を集めたと主張しており、旧茂木派の笹川博義農林水産副大臣は国会内で記者団に
「2025年7月29日以降、署名を提出したい」
と語った。

「石破降ろし」勢い止まらず 自民、両院懇で亀裂表面化 幹事長辞任示唆で政権運営厳しく
2025/7/28 22:26
https://www.sankei.com/article/20250728-5ZQOWZQD7BOQTBRT4EWANKOPFY/
参院選の大敗を受けた2025年7月28日の自民党両院議員懇談会は石破茂首相(党総裁)に対する責任論が噴出し、党内の亀裂が表面化した。
多くの党所属議員から退陣を迫られても尚、首相が当面の続投意欲を示したことで
「石破降ろし」
の動きが加速する見通しだ。
石破政権を支えてきた森山裕幹事長が辞任の可能性を示唆し、政権維持は更に厳しくなる。
■「総会」開催求める声相次ぐ
首相は4時間半に及んだ懇談会後、記者団に続投方針に変わりはないか問われると
「ございません」
「責任を果たしていきたい」
と強調した。
衆院選で与党過半数割れに追い込まれても首相の責任論が一部にとどまった昨年2024年11月の懇談会とは異なり、今回は異様な緊張感に包まれた。
参院選の大敗は首相1人の責任ではないとして続投を支持する意見も一部であったが、即時退陣や、「ガス抜き」の懇談会ではなく、重要事項を決めることができる両院議員総会の開催を求める意見が相次いだ。
小林鷹之元経済安全保障担当相は首相に対し
「組織のトップとしての責任の取り方について、しっかり考えて頂きたい」
と求めた。懇談会後、小林氏が記者団に明らかにした。
■「総裁選前倒しへ全力尽くす」
旧安倍派、旧茂木派、麻生派などの有志議員が始めた総会開催を求める署名活動は、既に要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたとされ、懇談会を受けて近く署名を提出する構えだ。
更に、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求で可能となる総裁選の前倒し実施も視野に入れる。
麻生派の今枝宗一郎衆院議員は、記者団に
「辞任をし、総裁選を前倒しするということを(首相に)いち早く表明してもらうよう全力を尽くしていく」
と強調した。
政権の屋台骨を支える森山氏が2025年8月にも辞任する可能性を示唆したのは、党内の反発を和らげる狙いがある半面、首相にとっては痛手だ。
森山氏は衆院で少数与党に陥る中、政策決定や野党との調整など国会運営で大きな役割を担ってきた。
辞任すれば政権運営は立ちいかず、首相は更に窮地に追い込まれる。
ただ、首相は現時点では退陣要求に応じず、むしろ党内や世論の擁護論を背景に態度を硬化させているようにも映る。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、首相は
「辞任すべきだ」

「辞任しなくてよい」
との意見が拮抗した。
「国民世論と我が党の考え方が一致することが大事だ」。
首相は記者団にこう述べ、強気な姿勢を覗かせた。

「石破首相が『80年談話』出せば自民党終わる」安倍元首相のブレーン、本田悦朗氏断じる
2025/7/28 18:10
https://www.sankei.com/article/20250728-HHZXETZT7ZFZXEND5LMKXZ5K6I/?outputType=theme_election2025
第2次安倍晋三内閣で安倍元首相の経済ブレーンとして経済政策「アベノミクス」を推進した一人、本田悦朗元内閣官房参与が、自らのX(旧ツイッター)で、石破茂首相(自民党総裁)は参院選大敗の責任を取り辞任すべきだ、と繰り返し投稿している。
日米関税交渉の「合意」についても厳しい言葉を投げかけている。
■「石破総理の存在自体が、深刻な政治空白」
「石破総理の存在自体が、日本にとって深刻な政治空白」
「一体、何回負けたら国民の期待に少しでも近い人を総理にして、解散総選挙を打つ気になるのか」
「自民党の大敗は、安倍総理を支えた保守岩盤層が、見限ったから」
「国民の審判が下った以上、理念と政策を正し、国民に説明するか、自ら辞任する責任がある」
本田氏は参院選から一夜明けた2025年7月21日、こう発信した。
2025年7月25日には
「石破総理には直ちに辞任する以外の選択肢はない」
「国民は、3度の国選で石破氏を信任しなかった」
「自らの保身のために判断が揺れ続ける人に、この悠久の国のトップが務まるはずがない」
「終戦の日に『80年談話』を出して謝罪するようなことがあれば、自民党政治は終わる」
と牽制した。
■「トランプ氏は居座りの口実与えないため関税合意」
トランプ米政権と合意したとされる日米関税交渉についても、厳しくこう石破氏を評した。
「石破氏は地位にしがみつく為に、あらゆる屁理屈を並べる」
「日米関税交渉もその例」
「トランプ氏は居座りの口実を与えないために選挙後、間髪入れず合意」
「合意文書もなく、米側のファクトシートのみ」
「愛国者なら米国に従属国扱いされて直ちに辞任」
(2025年7月26日)
翌2025年7月27日には
「日米関税協議での『合意』なるものは、その体を成していない」
「米側でファクトシートを作っているとのことだが、日本側は同意していない」
「日本側には、ファクトシートさえ存在しない」
「これでは、合意の基礎となる立法事実が分からないし、何を合意したのかさえ分からない」
と、石破政権への怒りをぶつけた。

「次の首相」高市氏が首位返り咲き 自民支持層では小泉氏、石破首相に次ぐ3位
世論調査
2025/7/28 11:45
https://www.sankei.com/article/20250728-3E3O5WTPBJME7EU6SA7N7ZROPA/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、次の首相にふさわしい政治家を尋ねたところ、自民党の高市早苗前経済安全保障担当相が22・4%でトップとなった。
自民の小泉進次郎農林水産相が16・0%、石破茂首相が9・4%で続いた。
前回の6月調査では、備蓄米放出などの対応で注目を集めていた小泉氏が首位だったが、高市氏が5月調査以来の首位に返り咲いた。
4位以下は、国民民主党の玉木雄一郎代表6・8%▽立憲民主党の野田佳彦代表4・2%▽自民の河野太郎元外相と林芳正官房長官4・1%−などの順だった。
一方、自民支持層に限ってみると上位は入れ替わり、小泉氏が29・7%でトップとなった。
次いで石破首相が20・1%、高市氏は17・8%だった。
林氏が8・4%で続いた。
年代別にみると、70歳以上の区分では小泉氏が首位に立ったが、それ以下の区分ではいずれも高市氏がトップだった。
調査では与野党の計12人を選択肢として示した。
「この中にはいない」も21・2%あった。

自民・西村康稔氏「ケジメは必要、総裁選やるべき」石破首相にXで「党再生に生かすべく」
2025/7/28 13:38
https://www.sankei.com/article/20250728-6JLSPDE5URFAXIXUNTYYDU32XI/
自民党の西村康稔元経済産業相は27日、X(旧ツイッター)で、党員・党友投票を含めた「フルスペック」での総裁選実施の必要性を強調した。
石破茂首相(党総裁)について
「選挙で3連敗した責任は有耶無耶にできないし、すべきでもない」
「ケジメは必要であり、とにもかくにも総裁選をやるべき」
と訴えた。
首相を巡っては昨年10月の衆院選、今年6月の東京都議選、7月の参院選で敗北を喫した。
一方、26日のNHK番組収録では
「行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と続投を強調している。
西村氏は首相について
「もし使命感を感じておられるなら、むしろ総裁選に立候補し勝利して党内の基盤を確固たるものとすることを目指すべきではないか」
と指摘し、総裁選を通じて党内の信任を得る必要があると強調した。
西村氏は
「ケジメを付けなければ国政の停滞は避けられず、民意を真正面から受け止めて党再生に生かすべく、総裁選が必要と考える」
と重ねて訴えた。

「自公+野党」政権望む声26・3% どの野党かは意見が分散、国民民主が最多27・5%
世論調査
2025/7/28 14:26
https://www.sankei.com/article/20250728-2X3YRKD3LVKFREHWJKZ37M2HLQ/
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、今後の望ましい政権の枠組みについて尋ねたところ、
「自民・公明両党に野党の一部が加わった政権」が46・3%
と、新たな連立を望む意見が最多を占めた。
「現在の野党中心の政権に交代」が34・1%、
「自公による政権の継続」は13・9%
にとどまった。
新たな連立がよいとした回答者に対し、政権に加わってほしい政党を尋ねたところ、国民民主党が27・5%、日本維新の会が21・7%、立憲民主党が21・3%と、主要野党がほぼ並んだ。
参院選で躍進した参政党は11・7%で、「その他の政党」は9・8%だった。

自民党が午後に両院懇談会を開催、「石破降ろし」収まらず 首相ら執行部の責任論も
2025/7/28 6:53
https://www.sankei.com/article/20250728-3NAKGRX47BKOBHFEBRJGG7N56Y/
自民党は2025年7月28日午後、与党の過半数割れを喫した参院選を総括する両院議員懇談会を党本部で開く。
石破茂首相(党総裁)は、続投を表明した意図を説明する見通し。
党内では、首相に退陣を迫る
「石破降ろし」
が収まらず、説明次第では旧安倍派や旧茂木派の議員を中心に執行部の責任を問う声が強まりそうだ。
懇談会では、森山裕幹事長も発言する。
森山氏は首相の続投を支持する一方、森山氏の責任を問う声もある。
2025年7月28日は参院議員(2019年選出)の任期満了日で、参院選の落選議員も出席対象になっており、首相に直接辞任を求める可能性がある。
首相は2025年7月26日のNHK番組収録で
「自分自身のことを考えれば色んな判断があるが、行政の最高責任者として一切の私心を持たないで、国民のために身を滅してやる」
と述べ、続投に重ねて意欲を示した。
一方、旧安倍派や旧茂木派、麻生派の有志議員は、党の正式な議決機関
「両院議員総会」
の招集に必要な数の署名を集めたと主張。
提出する場合は、総裁選の前倒しを求める議決を提案する方針だ。

<主張>自民党 首相交代で民主主義守れ
社説
2025/7/28 5:00
https://www.sankei.com/article/20250728-A4WCSKFKXRMW7P3MJDRBAJ3H4M/
自民党の高知県連など地方組織から石破茂首相(党総裁)の退陣を求める声が相次いでいる。
党青年局など国会議員も同様の声を上げ始めた。
党中堅・若手が中心となって進めてきた両院議員総会の開催を求める署名活動は、要件である党所属国会議員の3分の1を超えたという。
自民執行部は2025年7月28日に両院議員懇談会を開催する予定だが、不満のガス抜きをするだけではだめだ。
署名の重みを受け止め、議決機関である両院議員総会に格上げしなければならない。
石破首相がその場で退陣表明をしなければ、総裁選の開催を議決すべきだ。
いまだに退陣を表明していないのは、国政選挙で示された民意を踏みにじるもので、到底許されない。
自民の国会議員と都道府県連は、国政選挙で明確に示された民意と議会制民主主義を守るため、早期の党総裁交代と首相の退陣を必ず実現させなければならない。
自浄能力が問われていることを、もっと自覚してもらいたい。
このままでは自民は国民から見放されよう。
公明党も同様だ。
斉藤鉄夫代表は2025年7月25日、
「自民党として、しっかりと石破首相を支える体制で野党との協議に臨むことが、(日米)関税交渉を力強く進める上で必要だ」
と述べた。
石破首相の続投を改めて容認した発言と言える。
公明は民意を無視するつもりなのか。
自民には党則にリコール(解職請求)規定がある。
党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁選の前倒しを行うと定めている。
石破首相がこのまま居座りを決め込み、執行部が総裁選を実施しないなら、国会議員や都道府県連が取るべき行動は1つだ。
党則に基づき、総裁選の実施を求める署名活動を本格化させることである。
野党第一党の立憲民主党も役割を果たしてもらいたい。
他の野党と連携して、内閣不信任決議案をできるだけ早期に提出しなければならない。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
と石破首相を批判している。
そうであるならば、不信任案提出に動く時である。
議会制民主主義を守る責務は野党にもある。

老舗革新政党の共産、社民 参院選で落日鮮明 高齢化で「時代遅れ」に
2025/7/27 21:47
https://www.sankei.com/article/20250727-GUF6TWAVKJM7LK3WKGRMRIIU6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選では参政党の躍進が注目された一方、社民党、共産党という老舗の革新系政党の落日が鮮明となった。
両党の苦境は支持者の高齢化に加え、特定の政治思想の実現を目指すイデオロギー政党が
「時代遅れ」
になったことが原因とも指摘される。
共産の小池晃書記局長は2025年7月27日のNHK番組で、党勢回復に向け
「党の地力を大きくしていくことが一番の課題だ」
と語った。
共産は参院選で獲得8議席以上の目標を掲げたが、結果は3議席。
牙城だった京都選挙区(改選数2)を落とした。
特に比例得票数は、目標の650万票はおろか令和4年参院選に比べ75万票少ない286万票にまで落ち込み、れいわ新選組や日本保守党の後塵を拝した。
田村智子委員長は2025年7月21日の記者会見で
「大変悔しく残念な結果だ」
と述べる一方、衆参両院での与党過半数割れは
「日本の政治にとって大きな前向きな変化」
と自賛した。
かつて共産は国政選挙で全選挙区に候補者を擁立するほどの力があった。
力の源泉は党員を軸とした組織力と財政力だったが、党員数はピークの平成2年の約50万人から昨年2024年は約25万人に半減。
平成10年参院選では比例で819万票を得票したが、今は見る影もない。
対策は講じてきた。無党派層も取り込もうと、平和16年に綱領を改定し、
「天皇の制度」
と自衛隊を当面存続させる方針を打ち出した。
平和27年に成立した安全保障関連法をきっかけに当時の民進党などとの
「野党共闘」
路線を選んだ。
昨年2024年の衆院選では一転、比例票を積み増す狙いから選挙協力を限定したが、振るわなかった。
党職員は
「党員は高齢者ばかり。若者は共産党を知らない」
と嘆く。
社民党は更に深刻だ。
自民と
「55年体制」
の一角を担った社会党を源流とし、平和6年の自民、社会党、新党さきがけによる
「自社さ政権」
では、社会党の村山富市委員長が首相に就いた。
村山氏は日米安保体制の堅持や自衛隊合憲、日の丸・君が代を容認し、従来の方針を大転換した。
平和8年1月に社民党に党名を変更した後、一部の議員は民主党の結成に加わり分裂。
社会党を支えてきた労働組合も離れていった。
今回の参院選では
「がんこに平和! ミサイルよりコメを!」
を掲げ、公示直前にタレントのラサール石井氏を擁立。
比例得票で2%超を確保し、政党要件を辛うじて維持した。
福島瑞穂党首は2025年7月21日、
「有権者が『社民党、残ってくれ』と思ってくれた」
と話したが、党を巡る厳しい情勢は変わらない。

「外国人犯罪は増えていない」と「困っている人が1人でもいれば」は矛盾しないか
メディアウォッチ 皆川豪志
2025/7/27 13:00
https://www.sankei.com/article/20250727-WQWXJDB725CCVBKKZNY53E4AEE/
先の参院選で
「日本人ファースト」
を掲げ、外国人問題を争点にした参政党が躍進したことで、テレビ各局の選挙特番のキャスターやコメンテーターたちは、何となく居心地が悪そうというか、出来ることならあまり取り上げたくないという感じがありありだった。
それでも触れざるを得ない場面が来ると、被せるように紹介していたのが法務省の
「犯罪白書」
による
「外国人犯罪は増えていない」
というデータだ。
これは今、新聞など他のメディアでも
「ファクトチェック」
などと称して盛んに使われている。
外国人が増えたからと言って犯罪が増えているわけではなく、
「参政党が主張するような外国人問題などない」
というメッセージなのだろう。
■「差別主義者」が突然増えたのか
簡単に紹介すると、日本にいる外国人の数は2004年の197万人から2023年の377万人と2倍近くに増えているが、同時期に刑法犯で検挙された外国人数は1万4766人から9726人と30%以上減っているというものだ。
確かにその通りなのだろう。
では何故、実際に外国人問題が選挙の争点になり、参政党などが票を伸ばし、与党自民党も
「違法外国人ゼロ」
などと言って、この問題に本腰を入れるようになったのだろうか。
外国人問題などないのに、日本国民の中に突然
「差別主義者」

「排外主義者」
が大量に増えたとでも言うのだろうか。
例えば、一部クルド人との軋轢やトラブルに悩んでいる埼玉県の川口市民にこのデータを見せたとして
「そんなに少ないのですか」
「じゃあ私の勘違いでした」
とは思わないはずだ。
直接困っている人だけではない。
身の回りに増えている外国人に対して不安な気持ちを抱いている人がこのデータを見ても
「犯罪が減っているなら安心だ」
「不安に思ってすみません」
とはならないだろう。
もちろん客観的なデータを示すのは大事である。
ただ、人間の自然な感情に対してデータで頭ごなしに押さえつけても、納得するどころか、自身の経験や肌感覚が否定されたと思うだけで何の解決にも繋がらないと思う。
外国人を差別したい人が増えているのではなく、実際にトラブルを抱えていたり、ルールを守らない外国人をきちんと取り締まってほしいと思っていたりする人が増えていることが、何故メディアから煙たがられなければならないのだろうか。
そもそもこのデータは外国人の
「検挙数」
であり、何かのトラブルがあって警察が出動して逮捕するなど、実際に何らかの事件になった数である。
近隣の騒音やゴミ出しの苦情、暴走行為などで110番通報する人は余りいない。
あったとしても余程のケースでなければ事件化されることもない。
むしろ近隣の騒音などは、日本人同士でも警察沙汰にして逆恨みされるぐらいなら呼ばないほうがいいと普通は考えるものである。
敢えて強調はしないが、身近なトラブルは無視されている数字に等しい。
そうしたデータに表れない問題について、実際に住民の声を聞いてニュースや記事に生かすのがメディアの役割だと思うが、残念ながらこの件に関しては法務省発表だけを一方的に流している。
■「困っている外国人」は探す
データ重視というなら、産経ニュースが報じているように川口市民の半数が
「治安が悪い」
と感じ、その割合が年々上昇しているという市の意識調査もあるが、そちらは決して報じない。
いわゆる
「体感治安」
の悪化が見て取れる数字である。
ただ、このデータにしても逆に市民の半数は
「治安が良い」
と感じているとも取れるし、 先の法務省のデータにしても、同時期の殺人などの凶悪犯は逆に約1.5倍に増えている。
つまり、複雑な問題について1つのデータだけを根拠に一刀両断にしてしまうのはそもそも無理があるのだ。
よく、一部メディアは、日本国民の中でもかなりレアなケースを探し出して来て、
「こんなに困っている人がいる」
と主張している。
隠れた問題を取材して明らかにするのが報道の役割でもあるので、その心意気はよいと思う。
ただ、外国人問題に関しては
「困っている外国人」
は探してきても、
「困っている日本人」
は何故か探さないのだ。
テーマは全く異なるが、国会で選択的夫婦別姓法案が議論になっていた時、立憲民主などの野党や一部メディアは
「別姓で困っている女性が大勢いる」
との論陣を張っていた。
ところが、アンケートなどで別姓賛成派が3割程度だったことや旧姓使用の拡大が進んでいることなどが指摘されると
「困っている人が1人でもいるなら」
「少数意見にも寄り添うべき」
などと言い出した。
「1人も置き去りにしない社会」
は彼らの常套句でもある。
仮に外国人問題で困っている人が本当に少数だったとしても、是非真剣に寄り添ってほしいと思う。

天命は下った…石破茂総理は速やかに退陣せよ 自民は「保守回帰」以外に再生への途なし
【疾風勁草】(24) 弁護士・高井康行
2025/7/27 7:00
https://www.sankei.com/article/20250727-RZZQ7GHBEROJDCBTLNRVQ2YHHY/
■国民を自分の権力欲の巻き添えに
先の参院選で大敗した石破茂総理の退陣を求める声が澎湃として沸き起こっている。
自民党の地方組織から退陣を求める声が上がり、両院議員総会の開催を求める署名集めも進められる中、今月2025年7月25日には、中曽根康隆青年局長から石破総理ら党執行部の総退陣を求める申し入れ書が提出された。
石破総理が当時の故安倍晋三総理に対抗する際の足場としていた地方からも退陣を求める声が出ている状況を見ると、まさに
「四面楚歌」
という思いがする。
しかし、石破総理は容易には退陣表明はしないだろう。
なぜなら、彼は天命によって総理総裁になったと思っているからだ。
以前にもこのコラムで取り上げているが、石破総理はその著『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)の中で、
「もし、私などが首相になるようなことがあるなら、それは自民党や日本国が大きく行き詰まったときなのではないか」
「しかも、それは天が決めること」
「天命が降りない限り、それはあり得ないことでしょう」
と言っている。
中世の絶対王政時代に生まれた王権神授説を思い出させるような言説だ。
石破総理は、当時続いていた日米関税交渉、いつ起きるか分からない首都直下型地震や南海トラフ地震などを理由に続投を宣言したが、その後、日米関税交渉は一応の決着を見た。
最も大きな続投理由はなくなったと言ってよい。
地震などの自然災害を理由にするに至っては噴飯ものと言わざるを得ない。
いつ起きるか分からない自然災害が続投の理由になるなら、全ての総理・総裁は選挙でいくら大敗しても退陣する必要はないことになる。
恥も外聞もかなぐり捨てて、総理・総裁の地位にしがみつこうとする姿は醜悪という他ない。
石破総理は前掲書でこうも言っている。
「ただ、天命が下った時に能力が足りないといういいわけは許されない」
「国民が巻き添えになるようなことがあれば、これまでの政治生活が全部無意味なものになる」
と。
今の状態で石破総理がその地位に固執することは、まさに国民を自分の権力欲の巻き添えにすることでしかない。
■毒が全身に回った自民党
昨年2024年の総選挙、今年2025年の都議選、そしてこの2025年参院選、いずれも、自民党は大敗した。
これは、有権者が、石破総理に総理・総裁としての能力が不足していると言っているに等しい。
これまでの政治生活を全部無意味なものにしたくないのであれば、速やかに退陣する以外に途はない。
民主主義社会においては、天命を下すのは民意なのだから。
では、もし、石破総理・総裁が退陣して新しい総裁が生まれたら、それだけで自民党が再生するのかと言えば、そんなことはあり得ない。
自民党は、これまでのように表紙を付け替えるだけで再生できるような状態ではなくなっている。
言わば毒が全身に回っているようなものだ。
毒とは自民党のリベラル化だ。
またぞろ、一部マスコミでは、次の総理は誰がいいかという人気投票が始まっているが、空疎なお遊びにしか見えない。
思い出してみれば、故安倍総理の時代に、次の総理として人気が高かったのは石破氏だった。
それを期待して総裁選で石破氏を総裁に選んで、総選挙に臨んだ結果が大敗だった。
自民党の議員は、そんな人気投票の結果ではなく、自分たちが大敗を続けている根本的理由・原因を突き止め、それを克服できる総裁を選ぶべきだ。
その結果、国会での首相指名選挙で野党に破れたら、潔く下野すればいいのだ。
それが憲政の常道というものだ。
それを嫌がり、単に政権党でいたいという理由だけで、首相指名選挙において野党の協力を得られるか否かで総裁を選ぶようなことがあれば、自民党に回っている毒は更に深く浸透し、党勢を回復することは極めて困難になるだろう。
■変化をつかみ躍進した参政党
参政党が躍進した理由には色々なことがあるだろうが、その大きな理由の1つとして、故安倍元総理がまとめていた岩盤保守層が自民党を保守政党と見做さなくなったことがあるだろうことは間違いない。
そして、今回、参政党に投票した保守層の中に、参政党を大きくすることにより、自民党の保守政党回帰を促そうとしている層があることも間違いない。
自民党が、参政党が躍進した理由をどう総括するか。
もし、SNSの使い方など選挙戦略、戦術が巧みだったとか、代表の演説がうまかったとかというような表層的な見方に終始するとしたら、大きな間違いを犯すだろう。
参政党は、社会の深層における変化を掴んだから躍進できたのだ。
それは左から右への大きな流れだ。
これまで自分たちより右の政党がなく、常に自分より左側の野党からの引力に晒されていたため、日本の社会が左へ左へと流れているように受け止め、その左の票を取り込むため、自分も左へ左へと移動した。
その結果、今や、自民党は本来の保守政党ではなくなった。
しかし、2022年のロシアのウクライナ侵略以来、日本社会の深層では左から右への流れが強くなってきていた。
故安倍総理亡き後、自民党はその流れに気づかず、逆の方向に動いていたことになる。
そして、その流れは参政党という噴出口を得て表に吹き出した。
安倍自民党時代であれば、自民党から出馬したであろうと思われる保守の論客が日本保守党や国民民主党などから出馬したという事実、昔であれば反自民の受け皿として勝ち組になったであろう立憲民主党が辛うじて改選議席数は維持したものの得票は大きく減らしたこと、共産党も議席数を減らしていることなどを見れば、左から右への流れは明らかだ。
昔であれば、そんな発言をすれば世間から袋叩きにあって当選することなどあり得なかった
「国防のためには核武装が安上がりだ」
という趣旨の発言をした候補者が、東京選挙区で堂々2位で当選したことが、そのことを象徴的に表している。
■自民保守派は「保守回帰」を先導せよ
この自民党と日本社会の流れの乖離が、それに気付いていない自民党に今回の大敗をもたらしたのだ。
今回、自民党青年局が党執行部に提出した申し入れ書には
「党が信頼を取り戻すためには、現場の声、そして幅広い世代の意見を確実に政策へと反映する体制への転換が不可欠」
とあるが、自民党が大敗した理由は、自民党の体制にあるわけではない。
的を外していると言うべきだろう。
自民党は、日本社会の深層における流れの変化を的確に把握し、本来の保守政党に回帰する以外に再生への途はない。
参政党の躍進を見ても、そのことに気付かないとすれば、自民党は時代に取り残されるだけだろう。
それを考えれば、自民党に残っている保守派の議員の責任は重い。
小異を捨て大同団結して、自民党の保守回帰の先導を務めるべきだ。
それでこそ、故安倍元総理の遺志を継ぐことができる。

【参院選】参政候補さや氏 核武装論主張「最も安上がり」安全保障政策を巡り
[2025年7月18日17時47分]
https://www.nikkansports.com/general/news/202507180000897.html
参政党公認で東京選挙区に立候補しているさや氏が、安全保障政策を巡り
「核武装が最も安上がり」
と発言したことが分かった。
立憲民主党の野田佳彦代表は2025年7月18日、広島市で記者団に
「特に広島、長崎では絶対に受け入れられない発言ではないか」
「党として許容する空気があるのか、有権者はよく見定めてほしい」
と批判した。
さや氏が発言したのは、日本テレビが2025年7月3日に配信したインターネット番組で
「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の1つだ」
と述べた。
その上で
「あの北朝鮮ですら核兵器を保有すると、トランプ米大統領と話ができる」
とも指摘した。(共同)

東京 選挙区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/13/

自民・茂木前幹事長、参院選大敗で石破首相の退陣要求 「3連敗でスリーアウトチェンジ」
2025/7/26 22:05
https://www.sankei.com/article/20250726-N527S5H7XVKDHOB35CT7DVJXLA/
自民党の茂木敏充前幹事長は26日に公開した自身のユーチューブ番組で、参院選の自民大敗を受け、石破茂首相(党総裁)の退陣を求めた。
「リーダーも含めて主要なメンバーを決め、やり直していく姿が党再生のためには必要だ」
と述べた。
「衆院選、東京都議選、今回参院選で3連敗だ」
「スリーアウトチェンジの状態だ」
とも指摘した。
敗因として自民が国の将来像を語っていないと強調。
「けじめをつけることと再生への道はイコールだ」
「このまま行って自民が浮上することはない」
「政策を練り直さないと厳しい」
と訴えた。

石破首相「辞任すべきだ」自民都道府県連の幹部2割強 共同調査 「必要ない」は3人
2025/7/26 18:30
https://www.sankei.com/article/20250726-5M2FZ6II3VOZTBPGXSHLOHO6SI/
共同通信社は、参院選の自民党大敗を受け、党都道府県連の幹部に石破茂首相(党総裁)の進退に関する見解を聞き、調査結果を2025年7月26日、まとめた。
回答を得られた43都道府県連の幹部のうち、2割強の12人が
「辞任するべきだ」
と答えた。
理由として
「衆院選、東京都議選、参院選で3連敗した責任を取るべきだ」
(長野県連)
などを挙げた。
「辞任は必要ない」
との回答は3人にとどまった。
28人は
「分からない・無回答」
だった。
地方組織で首相の求心力が低下している現状が浮き彫りになった。
北海道連や栃木県連など複数の地方組織が首相の辞任を求める文書をまとめている。
山形県連も2025年7月26日、首相の退陣を党本部に求める方針を決めた。
調査は2025年7月24、25両日、国会議員を除く都道府県連幹部に聞き取るなどして実施した。
匿名を条件とした回答も結果に含めた。

<産経抄>石破首相の露骨な噓、教育に悪い国会
2025/7/26 5:00
https://www.sankei.com/article/20250726-ABDSSD2ED5PYLJV3B36OUX3BR4/
政治の世界ではその昔
「衆院解散と公定歩合は噓をついていい」
と当たり前のように言われた。
影響の大きさ故に、首相が時期について事前に本当のことを言わなくても、責められないという意味である。
逆にいえば、それ以外は噓をつくべきではないという話でもある。
▼「私の出処進退については一切話は出ていない」。
石破茂首相は2025年7月23日に自民党の麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と会談後、テレビカメラの前でこう強調した。
だが、2025年7月25日付小紙朝刊の検証記事によると実は、麻生氏も岸田氏も石破首相の進退に言及していた。
首相の言葉は国民を謀る噓ではないか。
▼永田町では、3人以上で話したことは必ず漏れるとされる。
まして会談には森山裕幹事長も同席しており、計5人がその場にいた。
それぞれ政治的思惑も意図も異なる5人のやり取りが、外部に出ない道理がない。
にもかかわらず、首相が進退話を否定したのは何故か。
話したことをなかったことにされた麻生、岸田両氏も納得がいくまい。
▼「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。バカなことを言うな」。
実際、検証記事によると首相経験者の1人はこう憤っていたという。
石破首相の言葉だけ聞くと、3人の元首相が続投にお墨付きを与えたかのように誤解しかねない。
首相がそれを狙って会談を求めたとしたらまさに策士、いやペテン師か。
▼政治家と噓というと菅直人内閣は、閣僚が国会で虚偽答弁をした場合の政治的・道義的責任について、答弁の内容次第とする閣議決定をしている。
噓も方便なのか、良心が麻痺したか。
▼国会休会中には小中学生の国会見学が目立つが、あまりお勧めしない。
国会は教育に悪い。

石破首相、28日に参院選総括の組織立ち上げ表明 自民総会要求の署名、3分の1超集まる
2025/7/25 20:53
https://www.sankei.com/article/20250725-T4FH7YKHHBMKVE6JNRFT5MB2JM/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)の参院選敗北の責任を問うため自民の有志議員が進めていた両院議員総会の開催要求の署名集めに関し、笹川博義農林水産副大臣は2025年7月25日、要件となる党所属国会議員の3分の1を超えたと記者団に明らかにした。
総会では退陣を求める何らかの議決が可能で、2025年7月25日の与野党党首会談でも進退に言及しなかった首相への圧力が一層強まった。
一方、首相は2025年7月28日の両院議員懇談会で、参院選を検証、総括する党内組織立ち上げを表明する方向で最終調整に入った。
自身の進退は表明しない見通し。
懇談会は総会と異なり、議決権がない。
党則は、総会について3分の1以上の議員の署名があれば
「7日以内に招集すべきものとする」
と規定。
署名集めは旧安倍派、旧茂木派、旧二階派、麻生派の議員らが2025年7月24日に始めた。
署名用紙には
「参院選の結果責任を問い、党の再生のために」
と記されている。
また、自民青年局は2025年7月25日、首相ら党執行部に責任を取るよう求める緊急提言を取りまとめ、森山裕幹事長に申し入れた。

首相経験者「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか」 石破氏「進退の話なかった」で齟齬
2025/7/24 20:24
https://www.sankei.com/article/20250724-AT7TVNBSSVJMNFWCDE3B4BBQIY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相による2025年7月23日の党本部での会談の内幕が明らかとなった。
首相は会談直後、改めて続投表明していたが、実際は進退を迫られていた。
発言内容の齟齬には1日でも長く政権を延命させたいと首相と、退陣への道筋をつけ、次の政局で主導権を握りたい麻生氏らとの思惑の乖離がある。
■麻生氏「石破氏で選挙勝てぬ」
2025年7月23日午後2時、自民本部の総裁室−。
緊張した面持ちの首相の前に、かつてこの部屋の主だった麻生氏らが次々と着座した。
2025年7月20日の参院選の惨敗からまだ日が浅く、重苦しい雰囲気が漂う中、首相の進退に関して口火を切ったのは最年長の麻生氏だった。
「石破自民党では選挙に勝てないということが明らかになった」
「対応しないといけない」
■岸田氏「政権どうするのか」
続く岸田氏も首相が参院選の総括に意欲を示していることを踏まえ、
「選挙の検証は大事だが、政権をどうするのかはっきり言わないと党はもたない」
と畳みかけた。
麻生氏も
「岸田の言う通りだ」
と同調した。
首相と3首相経験者の関係性には濃淡がある。
麻生氏は自らの首相時代に、首相から退陣を突き付けられた因縁があり、もとより首相を好まない。
岸田氏は昨年2024年9月の総裁選で首相を支持した。
だが、その後の人事で挙党態勢を築けなかったことや、経済・外交で力強いメッセージを打ち出せなかったことに不信感を募らせている。
■菅氏「党の分裂はまずい」
首相と関係が悪いとは言えないのは菅氏だが、党内で総裁選を前倒しする
「リコール」
や両院議員総会の開催に向けた署名集めの動きが加速していることを踏まえ、
「党の分裂はまずいよね」
と言葉少なだった。
政治には自身の意思では抗えない流れがある。
菅氏は首相当時、新型コロナウイルスの感染拡大対応への批判を受け、退陣に追い込まれた。
岸田氏は昨年2024年の総裁選出馬を目指したが、自民派閥の政治資金収入不記載事件の責任をとった。
■首相、約束を違えて続投表明
翻って首相は国政選挙で2度も大敗しながら、地位に恋々としているように映る。
この1時間20分間で、首相と麻生氏らが日本や自民が置かれている危機を共有したとは言えなかった。
会談内容は終了後、同席した森山裕幹事長から公表することも確認していた。
だが、首相は森山氏の説明に先立ち、4人の申し合わせになかった続投の意思を記者団に明言した。
首相は早々に退陣を正式表明した場合、2025年8月1日召集予定の臨時国会で、野党から首相指名選挙を求められることを懸念したとみられる。
思い入れが深い戦後80年の検証を自らの手で行いたいとの執念も滲む。
首相が約束を違えて続投表明したことに、首相経験者の1人は怒気を交えながら吐き捨てた。
「俺たちが続投を認めたみたいじゃないか。馬鹿な事を言うな!」

両院議員総会求める署名、自民所属議員の3分の1超える 一層強まる首相への辞任圧力
2025/7/25 17:41
https://www.sankei.com/article/20250725-REHHFYNGFBLXDJXOF5VYUSV6QE/
参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)の責任を問うため、両院議員総会の開催を求める署名が党所属議員の3分の1を超えたことが2025年7月25日、分かった。
複数の党関係者が明らかにした。
両院議員総会では首相の責任を問う何らかの議決が可能となり、首相への辞任圧力は一層強まることになる。
首相は2025年7月25日に国会内で開いた与野党党首会談で、進退については明言しなかった。
一方、旧安倍派と旧茂木派、旧二階派、麻生派の有志議員らが首相の責任を問うため、両院議員総会の開催に向けた署名活動を2025年7月24日に始めていた。
党執行部側が2025年7月28日に設定した両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるため、署名活動は懇談会を総会に格上げさせる狙いがある。
所属議員らに配布された署名用紙には、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
などと明記されていた。
両院議員総会の開催には所属議員の3分の1の賛同が必要となるが、党関係者によると、署名は2025年7月25日夕までに3分の1を超えた。
今後も署名を続けるという。
有志議員の1人は
「署名がこれだけ集まったことを踏まえ、首相は改めて自らを省みて進退を決断してほしい」
と話した。

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

<政治部取材メモ>敗軍の将、「珍説」を語る 続投意欲の石破首相に自民党が怒りの包囲網
2025/7/25 7:00
https://www.sankei.com/article/20250725-2SKH7DTB3JMJTEB7MC5VSUJPYA/

「退陣なければ党終わる」18年前の石破首相の正論、参院選敗北の安倍氏に 夕刊フジ再掲
2025/7/22 13:10
https://www.sankei.com/article/20250722-FXKFELCEPRB6VBUOQFK7MXHRQ4/?outputType=theme_election2025
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面。当時の石破茂首相はインタビューで正論を吐いた(奥原慎平撮影)
2025年7月20日投開票の参院選で自民党は歴史的惨敗を喫しながら、石破茂首相が居座り≠決め込んでいる。
だが、党内で退陣論は高まりつつある。
石破首相を巡っては、平成19年7月の参院選で自民が大敗した局面で、夕刊フジのインタビューに応じ、当時の安倍晋三首相について
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」

「正論」
を語っていた。
同年平成19年8月2日付のインタビュー記事の本文を抜粋する。

(参院選を巡って)
「(安倍晋三)首相は『私を選ぶか(民主党代表の)小沢(一郎)さん』を選ぶかの選挙」
とあれほど言った。
それで(有権者は)小沢さんを選んだ。
そのことをどう思うと聞かれて、首相は『私は使命を守る』と言う。
答えになっていない。
国民の意志を完全に無視している」
安倍晋三首相(当時)に退陣を迫った頃の石破茂首相=平成19年8月10日(酒巻俊介撮影)
石破氏は
「安倍続投」
に強い異議を唱える。
だが、党内で安倍退陣論は大勢となっていない。
その理由に、石破氏は
「昨年の総裁選でほとんどの議員が安倍首相を支持したからだ」
「小選挙区制度になって党が絶対な権利を持っている」
「小泉(純一郎)前首相の時には『公認しないぞ』(の脅し)もあった」
「その恐怖が残っている」
「党内の恐怖政治的なものが底流にはある」
と分析する。
その上で、
「責任を取るべき人が取らないのは組織ではない」
「その責任を追及する声が上がらない組織は病んでいる」
「このまま追及する声がないようなら、そんな党は存在意義がない」
と危機感をにじませた。
首相の続投会見の言葉にも、
「理解できない」
「総理は『私の内閣』とか『私の使命』とかそういう言い方をするが、内閣は個人のものではない」
「『私の使命』って王様じゃないんだから」
「使命は国民が与えるもの」
「参院選で『あんたとの約束は解消だ』と国民は言っている」
と切り捨てた。
参院選では、多くの自民党候補が落選した。
「私だったら即座に辞めて、落ちた人のところに謝って回る」
「でも総理は落ちた人の気持ちが分からない」
「総理は週末ごとに大きな私邸にお帰りになり、普通の人が行けないようなレストランでお食事になる」
「選挙の苦労もしていない」
「選挙で奥さんともども土下座して、落選した人の気持ちは分からない」
続けて、
「総理は自分で辞めると言わない以上、誰も辞めさせられない」
「首相が退陣せねば、自民党が終わってしまうという気持ちは変わらないが、終わらないようにしないといけない」
と今後も自民党再生に向け、発言を続ける構えだ。
安倍首相は、大幅な党役員人事・内閣改造を断行し、政権の延命に躍起となっている。
平成19年8月2日付の夕刊フジ紙面
石破氏は
「本当の能力主義の人事をすること」
「お友達内閣、論功行賞内閣から、挙党一致ではダメ」
「挙党一致は派閥均衡みたいな話だ」
「派閥や当選回数を一切無視して、この人が一番、この分野をやるのに相応しいという人を入れるしかない」
「それしか生き残る可能性はない」
と厳しい注文を付けた。

参院選で改憲勢力が「3分の2」を維持 参政や国民躍進、議論活発化へ問われる自民の奮起
2025/7/25 16:19
https://www.sankei.com/article/20250725-G6JX27FFFVMDZJCX3J2DXX4CAI/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党など憲法改正に前向きな
「改憲勢力」
が、非改選を合わせて国会発議に必要な定数の3分の2を維持した。
自民が議席を大幅に減らした分を参政党や国民民主党の躍進がカバーした。
もっとも参院では選挙前も3分の2を確保していたものの、改憲論議は進まなかった。
参院憲法審査会の議論が活発化するか否かは、憲法改正を党是に掲げる自民の奮起にかかっている。
参院の3分の2のラインは166議席だ。
今回の参院選で自民、公明両党に加え、日本維新の会や国民民主、参政、日本保守党などのいわゆる
「改憲勢力」
は合わせて180議席を獲得した。
特に、1から憲法を作り直す
「創憲」
を掲げる参政が議席を大幅に増やした。
「国民の多くが参政党の憲法作りに期待を寄せていることの表れだ」
「国民からアイデアを集めて国家観を作り上げていく活動を進めていきたい」
今回の参院選の初当選組の1人で、参政の改憲案作りに携わった安達悠司氏は2025年7月22日の記者会見で、強い意欲を口にした。
とはいえ、参院で憲法改正の動きが加速すると考えるのは早計との声もある。
先の通常国会で改憲勢力が3分の2を確保していたにもかかわらず、参院憲法審の開催はわずか6回にとどまったからだ。
衆院側が戦争や大規模災害など選挙困難時に国会議員の任期延長を可能にするための改憲を目指したのに対し、憲法54条の
「参院の緊急集会」
の役割を重く見る参院側が議論の進展を警戒したとの見方もある。
ただ、憲法改正は参院先議でも進められる中、参院自民が他の改憲項目の議論を主導した形跡もない。
自民幹部は
「参院は衆院から送られてくる法案を確実に成立させる重責を担う」
「このため改憲に後ろ向きな立憲民主党を過度に刺激しないように努める傾向がある」
と語る。
しかし、参院選では保守層の支持が参政や国民民主に流れた。
関係者は
「改憲への消極的姿勢も信頼を失った遠因だろう」
「自分で自分の首を絞めた」
と述べ、奮起が必要だと指摘した。

自民・鈴木貴子氏「速やかに退陣表明を」 石破首相擁護の父・宗男氏と温度差
2025/7/25 13:17
https://www.sankei.com/article/20250725-KXB33WKX5JCJ5IMEVHQCPUUBCI/?outputType=theme_election2025
自民党青年局は2025年7月25日までに、参院選大敗を受け、石破茂首相ら党執行部に対し
「選挙結果の総括を速やかに行った上で自ら責任を取ることを求める」
とする文書をまとめた。事実上の辞任要求といえる。
2025年7月23日の青年局会合では首相の退陣論が相次いだ。
鈴木貴子衆院議員は会合に出席後、記者団に対し
「今回の参院選だけでなく、衆院選や東京都議選の結果を踏まえても、総裁と執行部が責任を取る必要がある」
「速やかに潔い退陣表明が求められている」
などと述べていた。
鈴木氏が所属していた旧茂木派などの中堅・若手議員は、首相の責任を問う
「両院議員総会」
の開催を求める署名活動を進めている。
一方、鈴木氏の父・宗男氏は2025年7月24日、自らのフェイスブックで、参院選で自民党が苦戦を強いられた背景には派閥パーティー収入不記載事件があると指摘。
「石破総理総裁1人の責任にするのはフェアではない」
と首相を擁護していた。

<正論>参政党躍進の背景にある歴史観 
新しい歴史教科書をつくる会顧問・藤岡信勝
2025/7/25 8:00
https://www.sankei.com/article/20250725-GBP4IOLPKVNE7KHO2YROFMMT6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選で、新興勢力の参政党は14議席と大躍進した。
自民・公明の政権与党は合わせて50議席に達することができず、昨年2024年の衆院選に続いて、参院でも与党が過半数を割り込むことになった。
この過半数割れを引き起こした主役も、実は45の全選挙区に立候補者を立てた参政党であった。
この躍進の背景にあった1つの要因について述べてみたい。
■歴史学習運動の蓄積
躍進の背景には参政党候補者が共有する歴史観がある、とするのが私の基本的な見立てである。
党首の神谷宗幣氏は高校時代までは左派寄りの思想を持っていたが、大学3年生のとき1年間休学しバックパックで18カ国を8カ月間旅行する経験を通して視野を広げ帰国後、小林よしのり氏の『戦争論』などに触れて、祖父や父が学んでいた教えに理解を深めるようになったという。
本来、保守的な家族関係の中で育ちながら、学校の影響で左翼思想を抱き、海外経験を通してそこから脱却し、日本の歴史を学び直す典型的な保守系活動家の遍歴を神谷氏も辿ってたのである。
神谷氏の始めたCGS(チャンネル・グランド・ストラテジー)というユーチューブ・チャンネルでは、倉山満氏や斎藤武夫氏の歴史講座で通史を学ぶなど、この種の番組としてはかなり本格的なプログラムを用意して歴史の学習を呼びかけてきた。
こうした歴史学習運動の蓄積の上に立って、令和2年に結成された参政党は当然ながら日本の歴史に誇りを持つことを大切にするという姿勢が明瞭に打ち出されていた。他の政党にないことである。
■「日本人ファースト」の衝撃
参政党は
「日本人ファースト」
をスローガンとした。
これが選挙戦における成功の要因であったことは間違いない。
外国人対策がにわかに選挙戦の争点となった。
日本で住民税を払わない中国人が東京で起業して1500万円の融資を無担保で手に入れたり、来日3日で生活保護受給決定が出たりする。
健康保険料を僅かな期間支払い、日本で高額医療を受ける中国人がいる。
奨学金でも外国人留学生の方が日本人学生よりも優遇されている。
外国人の土地の購入、クルド人問題、オーバーツーリズム(観光被害)等々。
これらの問題の解決に既存政党は手を付けようとせず、やり場のない鬱屈した感情が広く日本人の中に溜まっていた。
参政党の
「日本人ファースト」
という標語は、日本人の誰もが持っているモヤモヤ感を払拭してくれるインパクトがあった。
有権者の心に見事に突き刺さった。
選挙戦が始まる前は、参政党の候補者の選挙区内の支持率はたかだか数パーセントに過ぎなかった。
当選する見込みは薄いと思われた。
ところが、選挙戦が始まると支持率は鰻上りとなり、選挙区によっては当落を争うまでになる。
この現象が日本の各地で起こった。
これは明らかに候補者の口頭による訴えが大きな効果をもたらしたことの表れである。
なぜ参政党の候補者の話には説得力があるのか。
タブーとなっていた話題に果敢に切り込む勇気に聴衆は感動し、初めて自分たちの心を代弁してくれる政党に出合ったという思いを持つ。
候補者は全体として若く、子育て現役世代の悩みを共有し、その生活実感と結びつけて政策を語る。
こうしたことが聴衆の心を捉えた。
しかし、私はそれだけではないと思う。
参政党は草の根の地域組織を持ち、他党とは比較にならないほど党員向けの勉強会が充実している。
自国の歴史に誇りを持つ歴史観をバックボーンとしているからこそ、候補者の演説には単なる話術ではない真実さと深さが伴っているのではないか。
■歴史教科書と参政党
参政党は教育を重点政策とし、歴史教科書問題にも地道に取り組んできた。
私が関わった範囲でその活動を紹介したい。
昨年2024年、令和6年度は4年に1度の中学校教科書採択の年であった。
この年、東京都内の参政党の地方議員は目覚ましい活動をされた。
各議員が責任を持つ地区ごとに、歴史教科書問題や教科書採択問題をテーマとする大小の学習会を開いた。
私が直接関わった集会だけでも10カ所近くになる。
更に、参政党の地方議員の方々は教科書採択に取り組む決意を記者会見を開いて宣言されたのである。
他党には個々に協力して下さる議員はおられるが、このように組織的に取り組んで下さる政党は参政党以外にはない。
つくる会は、公立学校の教育委員会で、全国で唯一、自由社を採択してくださった茨城県常陸大宮市に研修ツアーを企画した。
40人収容のバスに乗った参加者の半数は議員で、参政党の地方議員が多数参加した。
教科書採択は首長の決断なくして実現しない。
私は参政党の若い地方議員が地元で信頼を得て5年後、10年後に首長となり、教科書を採択して下さる未来図を想像の中で描いていた。
(ふじおか のぶかつ)

参院選X投稿分析「外国人」はなんと886万件、参政党躍進に影響か 鶴保発言にも関心
2025/7/24 19:40
https://www.sankei.com/article/20250724-BPGCKSIX35IG3HIC2RQHC7VXPQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗に終わった今回の参院選。
関連するSNSへの投稿では、
「外国人」

「減税」
といった言葉が多くみられ、選挙戦の情勢が反映される格好となった。
東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は告示直前の2025年7月1日〜投開票日である2025年7月20日までのX(旧ツイッター)の投稿を分析。
「外国人」
を含む投稿件数は、オリジナルを拡散させたリポストを含め886万9817件に上った。
日別では2025年7月1日が約25万件、2025年7月8日が約40万件と次第に増え、ピークの2025年7月14日は約76万件となった。
有権者の関心の高まりが現れたのか、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党が大きく躍進する結果となった。
一方、当初からの大きな争点とされた
「減税」
は、総投稿数が211万9292件。
「消費税」
は220万2108件で、合わせても
「外国人」
の半分以下だった。
減税や消費税は選挙戦序盤が投稿数の最盛期で終盤にかけて減る形となった。
自民党の鶴保庸介参院議員が選挙の応援演説の中で、
「運のいいことに能登で地震があった」
と発言した2025年7月8日には、
「鶴保」
の投稿は4万3343件に急増。
それまでは概ね1桁台だったが2025年7月9日には約13万7千件、2025年7月10日は9万7千件、2025年7月11日は4万9千件と、しばらく高い関心が続いたことが分かった。

首相、参院選大敗「真摯に受け止める」 党内の退陣要求は加速、地方組織から人事刷新要求
2025/7/24 21:00
https://www.sankei.com/article/20250724-ELMPZQ43R5JNFFVYP4EHZIP6QI/?outputType=theme_election2025
参院選の大敗を受け退陣が不可避の情勢となった石破茂首相(自民党総裁)に対し、2025年7月24日も党内の
「石破降ろし」
の動きが広がった。
旧安倍派や旧茂木派に加え、旧二階派に所属した議員が首相の責任を問う両院議員総会の開催を求める署名活動を進めている。
麻生太郎最高顧問は同日、派閥パーティー収入不記載事件で離党した世耕弘成衆院議員と国会内で会談。
党内情勢を巡り意見交換したとみられる。
「ポスト石破」
の有力候補の1人とされる高市早苗前経済安全保障担当相に近い議員らも国会内で会合を開いた。
高市氏らは2025年7月23日も東京・赤坂の議員宿舎に集まり、対応を協議している。
両院議員総会の速やかな開催を求める署名は党所属国会議員に配布され、党再生へ
「参院選の結果責任を問う」
と明記した。
党執行部が2025年7月28日に実施予定の両院議員懇談会は出席者の意見表明にとどまるが、総会は党則に基づく議決機関で、首相の責任を問う何らかの議決が可能となる。
開催には所属議員3分の1以上の賛同が必要になる。
党の地方組織からの批判も相次いだ。
これまでの高知や栃木の県連などに続き、2025年7月24日には高市氏の地元の奈良県連や東京都議会自民党も人事の刷新を求める意見書を党本部に送った。
参院選で当選した高橋はるみ氏は札幌市内で記者団に
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と首相の退陣を求めた。
一方、首相は参院選で当選した鈴木宗男氏と官邸で面会し、参院選大敗について
「国民の厳粛な審判だから、真摯に受け止めたい」
と語った。
鈴木氏が記者団に明らかにした。
首相は官邸で開かれた都道府県議会議長らとの懇談会に出席したが、議長らから首相の責任を問う意見は出なかった。
「退陣の意向を固めた」
と一部で報じられたことについて、2025年7月24日に首相と面会した政府高官は
「首相は『やる』と言っている」
と周辺に明かした。

高市早苗、西村康稔氏が会談 参院選大敗を受けた情勢協議か 麻生太郎氏も世耕弘成氏と
2025/7/24 20:08
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13317889253
自民党の高市早苗前経済安全保障担当相は2025年7月24日、旧安倍派幹部だった西村康稔元経済産業相と国会内で会談した。
関係者が明らかにした。
参院選大敗を受けた党内情勢を協議したとみられる。
高市氏は、保守系議員を中心に
「ポスト石破」
候補として推す声がある。
これとは別に、麻生太郎最高顧問も、旧安倍派幹部だった世耕弘成衆院議員(離党)と国会内で会談した。

「リベラルではなくもっと右に寄って」 高市早苗氏のお膝元・奈良県連も石破氏退陣要望
2025/7/24 16:22
https://www.sankei.com/article/20250724-HQV6HEE3LNMPTJQZN4K6HWIJ6Y/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗し、奈良選挙区でも苦戦を強いられたことを受け、自民奈良県連の井岡正徳幹事長は2025年7月24日、党の刷新を求める意見書を党本部の森山裕幹事長に送付したと発表した。
県庁で記者会見した井岡氏は
「(石破茂)総裁をはじめ、役員の刷新を求めている」
と説明しており、実質的に石破首相の退陣を求めている。
奈良選挙区では、県連会長を務める堀井巌参院議員が3選を果たしたが、国民民主党の候補に約3万2千票差まで迫られた。
意見書では、
「参院選は比例はもとより、都道府県連にとっても大変厳しい状況の戦いだった」
とし、
「(堀井氏が)他党候補の猛追を受けた選挙戦は、党に対する県民の信頼が揺らいだことに一因があると考える」
と指摘している。
井岡氏は保守層の自民離れを念頭に、会見で
「個人的に、石破氏にはリベラルではなくもっと右に寄ってほしい」
と話した。
井岡氏によると、意見書は県連会長の堀井氏と相談して決め、高市早苗衆院議員ら役員にも報告したという。

自民・高橋はるみ氏、首相退陣要求 参院選受け「結果責任だ。しかるべきタイミングで」
2025/7/24 14:44
https://www.sankei.com/article/20250724-7TUZFTUQMVKWVNEZ54KPVJXZAA/?outputType=theme_election2025
自民党の高橋はるみ参院議員は2025年7月24日、参院選で大敗した石破茂首相に対し
「選挙は結果責任だ」
「然るべきタイミングで然るべき判断があるべきだ」
と退陣を求めた。
札幌市内で記者団の取材に応じた。
高橋氏は今回の参院選北海道選挙区で再選されたが、得票数は2019年の前回選から約28万票減った。
高橋氏は、昨年2024年の衆院選に続いて国政選挙で連敗となった点を指摘し、首相が責任を取るべきだとの考えを示した。
党道連も2025年7月23日、事実上の退陣を求める要望書を党本部に送っている。

「リベラル化した自民党に保守層がノー突き付けた」「矜持取り戻せ」日本会議、参院選見解
2025/7/24 13:01
https://www.sankei.com/article/20250724-FAAQ4SWLIJFGHFDAHFVQBS5KI4/?outputType=theme_election2025
保守系の民間団体「日本会議」(会長・谷口智彦元内閣官房参与)は2025年7月24日、先の参院選を巡る見解を出した。
「衆参両院で与党の過半数割れを起こすという前代未聞の事態を出来(しゅったい)させた」
とし、
「現在のリベラル化した自民党に対して、保守層がノーを突き付けた結果といってよい」
と指摘した。
近年の自民党について、憲法改正や男系の皇統護持などを挙げ
「国柄に関わる重大案件に対してすら、支持層に明確な姿勢を示すことができなかった」
と疑問視し、
「国益軽視の外交や外国人政策などが国民の多くの不満を招いた」
と指摘した。
参政党などが躍進した背景については
「このような自民党の変質が大きく関わっており、それを敏感に感じ取った支持層が他に拠り所を求めた結果であることを見誤ってはならない」
と強調。
その上で、自民党に対し、
「保守層の離反の背景を深刻に受け止め、保守政党の中核としての矜持を取り戻し、果断に国家政策を提案し実現していくことこそ、党再生の道筋である」
と訴えた。
「内外の厳しい情勢の中、我が国の伝統的価値を基軸として、日本を再び成長と発展の軌道に乗せる重大な使命が課せられている」
と重ねて強調した。

自民北海道連、石破首相に退陣求める「責任は極めて重い。党員・党友が納得できる決断を」
2025/7/23 18:09
https://www.sankei.com/article/20250723-XQATS4XXNNM4RCAPTQ2QCBIE3I/?outputType=theme_election2025
自民党北海道連は2025年7月23日、参院選で与党が参院全体の過半数を割り込んだ結果を受け
「(石破茂首相の)責任は極めて重い」
「党員・党友が納得できる決断を」
と事実上の退陣を求める要望書を党本部に送った。
要望書では
「(首相が)議員らに何ら説明なく、続投の意向を表明したことは大変遺憾だ」
とした。
北海道選挙区(改選数3)では、共に自民現職の高橋はるみ氏と岩本剛人氏が再選。
ただ、高橋氏は2019年の前回選から約28万票減らした。
岩本氏も次点の候補に約8500票差に迫られた。

国民・玉木代表「辞める辞めないを含め見定める」「約束を守れない石破政権と協力はない」
2025/7/23 17:46
https://www.sankei.com/article/20250723-YC4QFZUD5ZM4FNE2TAHXARUK5M/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月23日、参院選の敗北を受けて石破茂首相(自民党総裁)の退陣論が自民内で浮上していることについて
「辞める辞めないを含めて見定めたい」
「ただ、1つ言えることは、約束を守れない石破政権と協力をすることがないということは明確に申し上げたい」
と述べた。
国会内で記者団の取材に答えた。
また、自民内の下野論に関しては
「色んな言葉や発信が相次いでいるが基本的には自民の党内政局のための発信だ」
「『石破おろし』の狼煙だと見るべきだ」
と指摘した。
その上で
「本当に下野してもいいと思っている自民議員はなかなかいないだろう」
「自社さ連立政権で社会党のトップを祭り上げてさえ権力維持を考えた自民だ」
「簡単に権力の座から降りるということはない」
「一言一言に乗らないように、真意を確かめたい」
と語った。

政府内からも石破首相に退陣要求 松本外務政務官「新総裁の下、出直しを」石破降ろし加速
2025/7/23 11:03
https://www.sankei.com/article/20250723-IPLMKCYJCZCHBA7HPNANC7AE5A/?outputType=theme_election2025
松本尚外務政務官は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、参院選で大敗したにもかかわらず続投を表明した石破茂首相(自民党総裁)について、党総裁を辞任するよう求めた。
政府内からも事実上の退陣論が出た形で、
「石破降ろし」
が益々拡大しそうだ。
松本氏は
「党員から石破総裁に対し責任を取って1日も早く辞任すべきという声が上がっている」
と説明。
「私は政務官として政府の一員でもあるので、突っ込んだ発言は控えなければならないが、自民党『総裁』としての身の処し方は考えてほしい」
と要求した。
その上で、
「今まさに新総裁の下、自民党は出直さないともう2度と政権を担うことはできないかもしれない」
と石破氏に総裁を辞任するよう求めた。
松本氏は言葉を選んだが、総理(首相)と総裁を別の人物が務める
「総総分離」
は過去に話題になったことはあっても実現したことはないだけに、事実上、内閣総辞職を求める内容と言える。
また、松本氏は
「古参の皆さんには後方支援に回って頂くことを了承願いたい」
として、世代交代による党の大改革を訴えた。
松本氏は衆院千葉13区選出。自民の旧安倍派に所属していた。
旧安倍派議員では、萩生田光一元経済産業相が自民の
「下野」
を主張している他、西村康稔元経産相もXに
「見てろよ」
と投稿し、行動を起こす考えを示している。

<主張>日米関税交渉合意 国益を守り抜けたのか 石破首相は退陣表明する時だ
社説
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-EDOIQHACFRKGTDG4Q2WNCIFTYE/
日米関税交渉が決着した。
米側が相互関税を25%に引き上げる期日とした2025年8月1日を前に税率を15%にとどめることで合意した。
日本車に課す25%の追加関税も半減し、既存関税と合わせ15%とすることになった。
最悪の事態を免れたのは確かだろう。
それでも尚、第1次トランプ政権時と比べても極めて高水準の関税を課されることは残念でならない。
米国は日本にとって唯一の同盟国だ。
その米国から理不尽な高関税で脅されたにもかかわらず、石破茂政権は措置を撤回させられなかった。
国益を守り抜けたのかは疑問である。
合意したからといって首相が居座るのは言語道断だ。
早期に退陣を表明して当然である。
■措置撤回を実現できず
関税で他国に圧力をかけるトランプ大統領の独善的手法は第2次政権で歯止めがかからなくなった。
日本が無関税で輸入する米国車が売れないことを一方的に日本のせいにするなど、一連の主張は受け入れ難く、事実誤認も目につく。
そもそも、1期目のトランプ政権時に日米貿易協定を結び、自動車への追加関税を課さないことなどを確認したはずなのに、トランプ氏はこの協定を反故にするかのように振る舞う。
だからこそ石破政権は、米国の高関税措置を撤回するよう求めてきたのではなかったか。
無論、トランプ氏がこよなく愛する
「関税」
という手法を日本に限ってやめさせるのは難しい。
現実的にはある程度の譲歩もやむを得ない面があろう。
だからといって
「対米黒字を抱える国の中で最大の引き下げ幅を得られた」
などと自賛する石破首相の発言に頷くことはできない。
米国の出方がトランプ氏の判断次第なのは自明なのに、石破首相は閣僚協議に委ねるばかりで、自らがトランプ氏に直談判して局面打開に繋げるという行動力を見せなかった。
これでは最善を尽くしたと評価することなどできない。
石破首相は
「日米両国の国益に一致する形での合意」
を実現したとも語るが、日本はトランプ政権前と比べてどれほど国益を高められたというのか。
首相が重視するのは、米国の雇用を増やし、日本企業も利益を上げる対米投資拡大だ。
「政府系金融機関が最大5500億ドル(約80兆円)規模の出資、融資、融資保証を提供可能にする」
などと説明し、経済安全保障上の重要分野で日米が強靱な供給網を築くとも強調した。
もっとも、対米投資の拡大は以前から日本企業に見られた傾向である。
経済安保で日米が連携を強化するのも当たり前のことだ。
むしろ、米国との約束を履行しようと、コストを度外視した対米投資に陥らないようにしなくてはならない。
■臨時国会で徹底審議を
農業分野では、既存のミニマムアクセス(最低輸入量)の枠内で米国産のコメ輸入量を増やす。
関税引き下げなどで農業を犠牲にするような内容はないというのはいい。
ただし、米国産の流入拡大が米価に及ぼす影響は十分に見極めるべきだ。
日本企業にとって15%の関税は重い負担だ。
それでも交渉が決着し、ようやく対米事業戦略を具体的に練り直せるようになった。
大企業だけでなく下請け企業も含めて、米国の高関税政策にも揺るがぬよう、生産性の向上や新規需要の開拓などに全力を挙げたい。
交渉の妥結を受け、政府では国内対策などが課題となる。
だが、石破首相がそれを理由に政権に居座ってはならない。
衆院選と参院選で自ら設定した勝敗ラインを割り込み、両院で過半数を失った首相は1日も早く退陣表明するのが責務である。
首相は2025年7月23日、自民党所属の首相経験者との会談後も重ねて続投の意欲を示した。
驚くべき厚顔さだ。
選挙で示された民意を無視するのは容認できない。
自民の国会議員や地方組織から退陣を求める声が上がっている。
続投を許せば、自民は支持層から完全に見放されるのだから当たり前の反応だ。
ただし、自民や連立与党の公明党が、実際に退陣に追い込まなければ、参院選時以上に支持を失うだろう。
それでは日米合意の履行も覚束なくなる。
自浄能力の発揮が問われている。
2025年8月1日にも召集される臨時国会では、首相指名選挙の有無にかかわらず一定の日数を確保し、日米合意を巡る徹底的な審議を行う必要がある。

<産経抄>関税交渉の決着、政権の残日は
2025/7/24 5:00
https://www.sankei.com/article/20250724-Z2PFJHKHDBMCDGEEUQZWIMBSZA/
カレンダーという言葉は、金の貸し借りに語源を持つそうである。
古代ローマでは、金銭の貸借関係を記録するのに会計簿を用い、債務者の名前、借金の元金と利息を書き入れた。
利息計算の基準日となったのは毎月1日である。
▼月初めの1日はラテン語で「カレンダエ」、会計簿は「カレンダリウム」と呼ばれた(『暦の大事典』朝倉書店)。
偶然かどうか。
関税を巡る日米交渉の期限が2025年8月1日に迫る中、その日の欄にトランプ大統領が書き入れた
「25%」
という数字は、日本側の重い足かせとなった。
▼米国が日本からの輸入品に課す税率は、トランプ氏が通告してきた25%ではなく、15%で合意した。
「マイナス10ポイント」
などと喜んでいる場合ではあるまい。
本来は課すべきでないところを、筋の通らない
「15%」
をのまされた。
それが実相である。
▼トランプ氏の勝利という他ない。
自動車や鉄鋼・アルミニウムの関税も、撤廃を求める日本側の声は聞き入れられなかった。
新たな関税による負荷が、どのような形で効いてくるのか先は見通しづらい。
傷を最小限にする手当ては、日本の政府と経済界にとって焦眉の急だ。
▼これまでの交渉を、閣僚任せにしてきた石破茂首相の腰の重さにも首を傾げたくなる。
「なめるな」
と吠えたからには、トランプ氏の独善的な振る舞いをたしなめるのが筋だろう。
首相自身が外交と日本の有権者を甘く見ているとしか思えない。
▼ともあれ、石破氏が続投の理由として挙げる関税交渉は片付いた。
首相の座に居座り続けるための方便は聞くに堪えなかったが、これ以上耳を貸す理由はない。
自民党内では退陣を求める声が強まっており、政権の残日を示す暦は、その枚数を減らしつつある。

関税交渉、一転して合意 日本経済の悪影響は緩和も残る懸念 国内の資金繰り支援が不可欠
2025/7/23 21:17
https://www.sankei.com/article/20250723-JLHTR2O7X5MBHPWMIZT7WZHCVA/
暗礁に乗り上げたかに見えた日米関税交渉が、一転して合意に至る急展開を見せた。
日本経済への悪影響は一定程度抑えられることになり、経済界からも合意を評価する声が上がった。
ただ、高水準の関税は依然残り、政府には国内企業の資金繰り支援などきめ細やかなサポートの取り組みが求められる。
「和気あいあいというより、国益をかけたギリギリの真剣勝負だった」
赤沢亮正経済再生担当相は2025年7月22日、米ワシントンで記者団の取材に応じ、合意に至ったトランプ氏との会談を振り返った。
トランプ氏と面会することは訪米前には決まっていなかった。
ラトニック米商務長官らと協議する中で浮上したという。
■トランプ氏に響く提案用意
日本政府は自動車を中心に一連の関税措置の見直しを求め、特別扱いに難色を示す米側との交渉は難航を極めた。
それでも合意できた背景には、トランプ氏に響く提案を用意したことがある。
トランプ氏は自動車やコメの貿易を巡り、日本に対して不満を露わにしていた。
このため政府は、米国車の輸入時の認証手続きの簡素化や、米国産米の輸入拡大を約束して、同氏の顔を立てたことが奏功した格好だ。
米側から関税率で譲歩を引き出したことで、日本経済への悪影響は抑えられる。
野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストの試算では、自動車関税と相互関税を15%とする今回の合意で、国内総生産(GDP)は0・55%押し下げられる。
交渉が不調で2025年8月1日に相互関税が25%に引き上げられていれば、押し下げ効果は0・85%まで拡大していた。
■経済界から評価の声
経済界からは評価の声が寄せられた。経団連の筒井義信会長は
「国益に拘って粘り強く交渉した成果が実った」
と歓迎。
自動車業界関係者も
「関税率が下がったことは評価する」
と話した。
しかし高水準の関税がかかる状況に変わりはない。
木内氏は
「最悪の事態は防げたが、重しは残った」
「体力がある企業であれば対処できるかもしれないが、景気後退局面に入るかどうかのライン上にある」
と分析する。
上智大の前嶋和弘教授は、対米投資拡大の動きも相まって
「企業が工場を国内から米国に移して産業空洞化を招くかもしれない」
と指摘。
一方で体力のない中小企業などは、国内で厳しい経営を迫られる可能性もある。
政府には今後、こうした指摘を踏まえ、企業の資金繰りや雇用維持を支援する取り組みが求められる。
赤沢氏は
「合意の内容を精査し、影響を受ける国内産業をどう支えるか速やかに検討して対策を講じる」
と話した。

「参院選の総括早く」石破首相の出処進退「全く議論にならず」森山氏説明 歴代3首相会談
2025/7/23 17:11
https://www.sankei.com/article/20250723-754YHCOJAFOQRAHFQHFA5WG4XY/?outputType=theme_election2025
自民党の森山裕幹事長は23日、記者団に対し、石破茂首相(自民党総裁)と麻生太郎最高顧問ら首相経験者3氏による会談の中で、大敗した参院選の総括をできるだけ早く行わなければならないとの意見が出たことを明らかにした。
森山氏は会談に同席した。
首相の出処進退に関しては
「全く議論になっていない」
と説明した。
森山氏によると、首相経験者は党員・党友や地方組織、友好団体などの意見に丁寧に耳を傾けることを要請した。
その上で、自民の現状については強い危機感を持ち、党の分裂は何としても避けるべきだとの考え方を共有したという。
また、森山氏は参院選総括の両院議員懇談会を28日に開くと発表した。
懇談会は当初、31日に予定されていたが、前倒ししての開催となる。

石破首相「強い危機感共有、党分裂あってはならない」 退陣報道は否定 歴代3首相と会談
2025/7/23 15:48
https://www.sankei.com/article/20250723-NZIDHVC25FLGFCF5NYZSODLGUI/
石破茂首相(自民党総裁)は23日、参院選で自民が大敗したことを受け、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談した。
会談後、記者団に
「強い危機感を共有した」
「党の分裂は決してあってはならない」
と述べた。
近く退陣を表明するとの一部報道については
「そのような発言をしたことは一度もない」
と否定し、会談でも
「私の出処進退について一切話は出ていない」
と強調した。
トランプ米政権との関税協議が合意に至ったことを踏まえ
「多くの対米輸出品を扱っている会社、事業者にとっては極めて重大な問題だ」
「国民生活がきちんと守られるよう全力を尽くしていきたい」
と語った。
会談には森山裕幹事長も同席した。

<独自>石破首相、進退を8月に最終判断へ 広島・長崎式典や国際会議に出席
2025/7/23 10:37
https://www.sankei.com/article/20250723-MDIN5SVMZNOOLHZU63SBLUCOVE/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は参院選敗北を受け、参院選総括や今後の政治日程を踏まえ、8月に自身の進退を最終判断する意向を固めた。
退陣すると判断した場合、9月ごろに新たな党総裁を選出し、10月に召集が見込まれる臨時国会で首相指名選挙を行う日程が想定される。
首相が当面の続投を決めたことに党内から批判が噴出している。
ただ、首相は8月6日の広島と9日の長崎の原爆の日、15日の終戦の日の式典に出席予定。
20〜22日には横浜市でアフリカ開発会議(TICAD)が開催される。
こうした重要な日程に「穴をあけられない」(周辺)と判断し、8月下旬にも進退について明らかにする方向だ。
首相は、早ければ今月29日にも開く両院議員懇談会に出席し、党所属国会議員から直接意見を聞く。
敗因を分析し、8月に党として参院選を総括する。
続投の理由に挙げた日米関税交渉は日本時間23日、米側が25%と宣言していた日本に対する相互関税を15%に引き下げることで合意に達し、一定の道筋がついた。
首相は23日午前、合意が進退に与える影響について記者団に
「合意の内容をよく精査しなければ申し上げることはできない」
と述べるにとどめた。
首相は23日午後、麻生太郎最高顧問、菅義偉副総裁、岸田文雄前首相の首相経験者3氏と党本部で会談し、今後の政権運営の考え方について説明する。

<主張>立憲民主党 受け皿に選ばれなかった
社説
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-QTIOSYO2VJJXVKAQZ4QWJEVHZE/
参院選で与党が過半数割れし、国民民主党や参政党が躍進するなど、政党を巡る地殻変動が始まった。
その波は立憲民主党や共産党にも及んでいる。
野党第一党の立民は政権与党への批判票の受け皿にならなかった。
共産も議席減が止まらない。
広義の保守や中道の政党に票は流れた。
左派・リベラル政党の退潮が始まったと見るべきではないか。
立民は野党第一党の座を維持したが、獲得議席は22議席で改選数と同数だった。
比例代表の得票数は739万票で、投票率の上昇もあって、3年前の前回参院選より62万票増やした。
だが、同じ700万票台の国民民主、参政両党よりも少なく、野党の中で3番手に甘んじた。
社会党から民主党、立民などに至るまで野党第一党は、政権与党に対する批判票の受け皿になってきた。
その構図が崩れた理由の1つは、厳しい安全保障環境だろう。
日本の独立と繁栄の基盤となる安保政策が非現実的では、有権者の支持が集まらない時代になった。
今や日米同盟の基盤ともなっている日本の集団的自衛権の限定的な行使に関し、立民は賛成の立場を表明していない。
5年間で総額43兆円の防衛費に対しても賛成してこなかった。
対中抑止力の向上に熱心だったとも言えない。
立民は家族の一体感を損なう選択的夫婦別姓制度の導入に積極的だったが、石破茂首相に愛想を尽かして自民から流出した保守層が、立民を選ばない一因となった。
立民は民主の流れをくむ政党だ。
民主の結党には多くの社民党議員が加わった。
社会や社民と関係が深かった自治労や日教組は立民を支持している。
左派の体質を引きずっている以上、有権者の支持は広がりようがあるまい。
共産は、学界やメディア、公務員にシンパを多く抱え、議席数以上に日本社会に影響力を持ってきた。
だが、比例代表の得票数は75万票減らし300万票を割り込んだ。
共産は未だに綱領に自衛隊の解消などを明記している。
如何に日本と国民を守り抜くかという発想が乏しく、退潮傾向は止められまい。

自公政権が協力求めるべき野党、最多は国民民主35% 立民21%、参政20% 共同調査
世論調査
2025/7/22 22:12
https://www.sankei.com/article/20250722-SZSMIVWFANP5ZKO3TOFNYUSSA4/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
自公政権が協力を求めるのが良いと思う野党を複数回答で聞くと、国民民主党35・1%、立憲民主党21・9%、参政党20・4%、日本維新の会18・7%の順だった。
参院選で投票先を決める際、SNSや動画サイトなどから得る情報を「重視しなかった」は64・0%で、「重視した」34・9%を上回った。
参院選で最も重視した点は「物価高対策」32・2%だった。
政党支持率は立民10・8%(前回9・2%)、維新5・2%(4・8%)、国民15・1%(9・9%)、公明党4・6%(4・4%)、れいわ新選組4・3%(5・6%)、共産党3・7%(3・1%)、参政11・8%(3・7%)、日本保守党2・7%(2・9%)、社民党1・3%(1・9%)、チームみらい4・1%、みんなでつくる党0・2%(0・1%)。
「支持する政党はない」とした無党派層は12・3%(21・1%)だった。

外国人規制「強めるべき」65% 「緩めるべき」4% 出入国管理や不動産取得 共同調査
世論調査
2025/7/22 21:01
https://www.sankei.com/article/20250722-4I2FEEOTVJKQJPYZZT3IEG6LBM/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
出入国管理や不動産取得などの外国人への規制は「強めるべきだ」が65・6%で最も多かった。
続いて「現行通りでいい」26・7%、「緩めるべきだ」4・4%となった。
SNSや動画サイトを通じて参院選に関する真偽不明の情報や誹謗中傷が広がったと「感じた」との回答は「ある程度」と合わせて56・7%だった。

<産経抄>風の順逆も分からず、「まとも」な判断できぬ石破氏
2025/7/23 5:00
https://www.sankei.com/article/20250723-YCVQZXTBHNNEDJX4EBFOXWJQC4/
多くの船が連なり進むさまを「舳艫(じくろ)千里」という。
「舳」は船首のことで「へさき」とも読む。
「艫」には「とも」の訓読みがあり、船尾を指す。
船にとって有難いのは後ろから吹く風で、これを「真艫(まとも)」と呼ぶ。
▼順風、追い風のことである。
不審に思われる方もいるだろう。
「まともに風を受ける」は向かい風のことではないか、と。
その場合の「まとも」は「正面」と書く。
言葉の不思議はともかく、普通の感覚を持ち合わせた人ならば、順風と逆風を取り違えることはまずあり得ない。
▼先日の参院選で有権者が吹かせたのは、衆院に続く与党過半数割れの強い向かい風であり、猛烈に冷たい北風だった。
神経の作りがよほど頑丈なのだろう。
まともに受けたはずの風が堪えていない人もいる。
石破茂首相が続投の意向を表明した。
▼参院選での与党過半数の維持を「必達」の目標としたのは首相である。
舌の根も乾かぬうちに
「比較第一党としての責任」
という理屈を持ち出し、臆面もなくゴールポストを動かす変節には驚き呆れる。
これが民主主義の否定でなくて何だろう。
▼首相の座に固執する理由に、日米関税交渉を挙げたのも姑息な方便と映る。
これまでの折衝を閣僚に任せ、トランプ大統領との会談に腰を上げなかったことはお忘れか。
物価高、国防、防災。
過半数の勢力を結集し、船首を同じ方角に向けて進む図も現政権の下では期待し難い。
▼「決められない政治」の出口は遠い。
それもまた国難だろう。
石破氏が長尻を決め込んでいるのはどう見ても針のむしろで、もはや痛みの自覚すら乏しいらしい。
風の順逆が分からぬのも無理はない。
まともな政治感覚からは、かけ離れているという他ない。

石破内閣の支持率22%、発足以来最低に 「首相辞任すべき」は51% 共同通信調査
世論調査
2025/7/22 19:42
https://www.sankei.com/article/20250722-JJKQNZGIHRNJTKEQTAOJDRWENQ/
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
石破内閣の支持率は22・9%で、前回2025年6月調査から9・6ポイント急落し、昨年2024年10月の内閣発足以来で最低となった。
不支持率は14・9ポイント増の65・8%だった。
自民党が大きく議席を減らした参院選の責任を取り、石破茂首相が
「辞任するべきだ」との回答は51・6%、
「辞任は必要ない」45・8%
だった。
参院選後、最も望ましい政権の枠組みは
「政界再編による新たな枠組みの政権」が最多で36・2%。
「自公政権に一部の野党が加わった政権」28・0%が続いた。

日本保守党・百田代表、首相の続投理由「明日地震起こるかも」にあきれ顔「むちゃくちゃ」
2025/7/22 18:30
https://www.sankei.com/article/20250722-BG5GJXZ7ZNCGVGLIJEYOP6JHDU/?outputType=theme_election2025
日本保守党の百田尚樹代表は2025年7月22日の記者会見で、先の参院選で初当選したことについて
「日本を豊かに、強く。議員という影響力を駆使して、日本を良くしたい」
と抱負を語った。
食品の消費税率ゼロや野放図な「移民」政策の見直し、過度な再生可能エネルギー依存の見直しに力を入れていく考えも示した。
同党は今回の参院選比例代表で得票率5%を確保し、百田氏と弁護士の北村晴男氏の2人が当選した。
北村氏は比例代表で最も個人得票数が多かった。
同党は衆参で5議席を獲得し、公選法が政党要件に定める国会議員5人以上、直近の国政選挙で得票率2%以上の双方をクリアした。
百田氏は
「結党1年9カ月で名実共に国政政党になった」
と述べた上で、
「バックアップが足らず、悔いの残る選挙だった」
「忸怩たる思いが消えない」
とも語り、候補者の全員当選が果たせなかったことに苦渋の表情を浮かべた。
参院選を巡っては、石破茂首相(自民党総裁)率いる自民党が大敗を喫す結果となった。
首相の続投の是非について百田氏は
「石破さんの判断だ」
「我々は何を言うこともできない」
と述べるにとどめた。
一方、首相は2025年7月21日の記者会見で、続投の理由について、トランプ米政権との関税交渉などに加え
「明日起こるかもしれない首都直下型地震、あるいは南海トラフ地震」
を挙げて
「このような厳しい状況の中にあって、最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語っている。
発生が予想できない震災への対応を続投の理由の1つに挙げたことについては、百田氏も
「言語道断。無茶苦茶。こういう理屈が通るなら、自民党の総裁選もできない。衆院の解散もできない。悪い冗談としかいいようがない」
と疑問視した。

「選挙をなめないでください」続投表明の石破首相、平成22年の参院選敗北の民主党に苦言
動画
2025/7/22 18:24
https://www.sankei.com/article/20250722-U4SNPRNGPJEJXIPJQBXI4ZW5UA/?outputType=theme_election2025
石破茂首相は、自民党政調会長だった平成23年7月の衆院予算委員会で、民主党の菅直人首相(当時)に前年の参院選の意義を尋ねた質問で、
「菅民主党政権の是非を主権者たる国民に問うた、それが参議院選挙の意義だった」
「間違いない」
と述べた。
当時の参院選では民主党が敗北し、石破首相は
「選挙をなめないでください」
「主権者たる国民の選択なんです」
と追及していた。
平成22年の参院選で、菅首相(民主党代表)は勝敗ラインを
「改選54議席プラスアルファ」
と位置付けていたが、44議席にとどまり、与党として過半数に達しなかった。
今月2025年7月20日投開票の参院選で、自民、公明の与党の改選は66議席。
石破首相は与党で計50議席を得て過半数を維持することを
「必達目標」
としていた。
選挙では改選議席から大きく後退し計47議席に低迷した。
非改選75議席を合わせても参院全体の過半数(125議席)に届かなかった。
しかし、石破首相は翌2025年7月21日、
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
これに対し、自民党内からも批判が強まっている。

石破首相の「リコール」や両院議員総会開催を求め、自民議員が署名集めを検討
2025/7/22 17:02
https://www.sankei.com/article/20250722-RHQLWOEPCNIMBFU7LV42BP2JYA/
参院選で大敗したにも関わらず続投を決めた石破茂首相(自民党総裁)の辞任を求める複数の自民議員が、総裁選を前倒しして実施する
「リコール」
や、両院議員総会の開催を求める署名集めを検討していることが2025年7月22日、分かった。
自民の党則は、党所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁の任期前でも総裁選を行うと定めている。
また、党所属国会議員の3分の1以上の要求があれば両院議員総会を召集すると規定。
総会は全ての所属国会議員が出席でき、重要事項の議決権を持つ。
旧安倍派の議員の1人は
「水面下で総会の開催とリコールを求めて動き始めている」
「ずるずると首相の座に居座ることは許されない」
と述べた。
党執行部は2025年7月31日に議決権のない両院議員
「懇談会」
を開くが、閣僚経験者は
「懇談会で(不満を持つ議員の)ガス抜きをすればいいなんてあり得ない」
と強調した。

石破首相に退陣論 自民・甘利氏「珍説で政権にすがる」 元首相秘書官「橋本首相は即決」
2025/7/22 9:35
https://www.sankei.com/article/20250722-K7BWOK7J7JFO3NVURDS36CSUOE/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党が大敗したにもかかわらず石破茂首相(党総裁)が続投を表明したことに批判が噴出している。
自民重鎮や、参院選敗北を理由に退陣した橋本龍太郎元首相の当時の秘書官からは辞任論が相次いだ。
自民党の甘利明元幹事長は2025年7月22日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、石破首相の姿勢についての見解を示した。
甘利氏は
「これ以上ない低い責任ラインを自ら設定し、それすらクリア出来ない2度の惨敗の果てに
『比較第一党の責任』
なる珍説で政権にすがろうとする」
「最後のシンパまで失いますよ」
と投稿した。
首相は昨年2024年の衆院選では自民、公明両党で過半数、2025年7月20日投開票の参院選では自公で非改選を合わせた過半数の維持を目標としていたが、いずれも達成できず、衆参両院で少数与党となる事態を招いた。
にもかかわらず続投を決め込む首相に対し、甘利氏は警鐘を鳴らした形だ。
■「誰一人責任を取らないのは前代未聞」
橋本氏の首相秘書官を務めた立憲民主党の江田憲司衆院議員は2025年7月21日、フェイスブックで、首相について
「いずれ早い時期にお辞めになると思う」
と予測した。
理由として、
「喫緊の課題が山積しているから、国政に一刻の停滞も許されないとか、政治空白を作るべきではないと言うが、現実問題、実際上、党内の求心力を失った首相が、そういう課題に対応する重要な決定ができるとは到底思えない」
と指摘した。
「橋本首相が、参院選結果を受けて即断即決で退陣を決め、私も阿吽の呼吸で同じ判断をしたのも、同様の理由からだ」
と自身の経験を紹介した。
その上で江田氏は
「そもそもトップという地位は、いざという時、責任を取るためにもある」
「衆院選、都議選、参院選と3連敗した執行部が誰1人責任を取らないというのは前代未聞で、それではディシプリン、組織の統制が取れない」
「これまでもそうだが、石破首相の世間から遊離度合いは尋常ではない」
と断じた。

「旧民主党系は限界」国民・玉木代表、選挙区調整に見切り 「全国に立てた参政は立派」
2025/7/22 17:10
https://www.sankei.com/article/20250722-JYZQRUQ54JE3JMMWK6I3X3JMV4/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月22日の記者会見で、参院選の結果を踏まえ、次期衆院選では選挙区に候補を積極的に擁立する姿勢を示した。
立憲民主党などとの候補者調整については
「自民党への不満を受け止めるには、旧民主党系はもう限界だ」
と否定的な見解を示した。
玉木氏は参院選の群馬選挙区で、自民候補が当選し、約2万8000票差の次点に参政党候補、そこから10万票近く離れた3番手が立民候補だった例を持ち出した。
「自民党王国と言いながら立憲が立てたが、事前の調査だと参政が勝っていて、最後、自民が底力を見せて引っくり返された」
「野党をまとめたら勝てたかというと違う」
とした上で
「自民への不満が高まっている」
「それを旧民主党系は受け止めきれないというか、限界だ」
「単に旧民主党系や共産党も入れてまとめたら勝てるというのは、もう幻想に終わった」
「数さえ合わせれば過半数を取れるだろうというのは、もう通用しない」
と述べた。
参院選の比例代表では、国民が立民を得票で上回り、玉木氏は
「ステージを次の段階に移行することができた」
と胸を張った。
次期衆院選について玉木氏は
「積極的に候補者を擁立する」
「全国で受け皿を作らない限り、本当の意味での国政政党、全国政党にはなれない」
と強調した。
「参政が立派なのは、全国に候補者を立てたことだ」
「受け皿を作っていることは評価すべきだ」
「衆院選は次が勝負だ」
と語った。

「日本に帰化したか、政治家は全員出自を明らかにすべき」中国出身で参院選初当選の石平氏
2025/7/22 16:06
https://www.sankei.com/article/20250722-OCRTZQYRG5GR7MFBYXXOHCV4UU/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日に投開票された参院選で、日本維新の会から比例で初当選した石平氏が2025年7月22日、産経新聞の取材に応じ、かつて自ら中国籍から日本国籍に変更した経験を踏まえて
「日本に帰化した政治家は全員、出自を包み隠さず明らかにすべきだ」
と語った。
「もし帰化して日本国籍となり、更に国会議員のような政治家、公職者となったのならば、どんな出自かを隠すことは許されない」
「帰化しているかどうかはその人の経歴の一環でもあり、立候補する時点で事前に公開しておくことは当然だ」
石平氏は、こう語った。
中国出身で、2007年に日本国籍に変更した。
沖縄・尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域に連日、中国当局の船が確認されるなど、覇権主義的な姿勢をとる中国共産党政権への批判を続けてきた。
日本の四季をこよなく愛す評論家としても知られる。
取材では、日本の帰化を巡る諸制度の「甘さ」や「ゆるさ」も問題視した。「日本の帰化制度は、申請時に思想や信条を一切、問うことがない」
「これはおかしい」
「外国人が日本人へと帰化する場合に、日本に対しどれだけの愛着があるのか、忠誠心を誓うような場や儀式もない」
「これは米国とは違う」
「こうした日本の帰化制度は根本的に改め、厳格化すべきだ」
と訴えた。
■「本気で日本を愛し続けているか」
「日本に帰化してからも本気で日本を愛し続けているかどうか、本性を現して『反日』的な行動を取ったりはしていないのか、一定期間、監察することも必要だろう」
「そうした場合には帰化を取り消せる制度も絶対に設けるべきだ」
「国会議員として是非、実現したい」
と抱負を述べた。

石破首相、参院選敗因に「外国人」挙げる 鈴木法相は「外国人政策、民意重く受け止める」
「移民」と日本人
2025/7/22 13:55
https://www.sankei.com/article/20250722-EF3WRHESHVCXXMBIC6EGVEACXM/?outputType=theme_election2025
参院選の与党大敗を受け、鈴木馨祐法相は2025年7月22日の閣議後記者会見で
「民意をしっかり受け止める必要がある」
と述べた。
また、石破茂首相は2025年7月21日の記者会見で参院選の敗因の1つに
「外国人対応」
を挙げた。
これを受け、鈴木氏は
「法令順守の徹底や、制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。
鈴木氏は参院選の結果について
「国民の信頼、信任の上に成り立つ政権運営であり、民意をしっかり受け止める必要がある」
「外国人政策や選択的夫婦別姓制度など法務省に関係するテーマも論議になり、民意を重く受け止めながら政策の運営を行っていきたい」
と述べた。
また、石破氏が2025年7月21日の記者会見で、参院選の敗因について
「政治改革の問題、物価高、外国人への対応など多岐に渡る」
と述べ、外国人問題への対応を敗因の1つに挙げたことについては、
「これまでも一部の外国人の犯罪や迷惑行為、各種制度の不適切な利用など国民が不安や不公平感を持つ中で、ルールを守らない人への厳格な対応や、制度や施策の見直しを行ってきた」
と説明。
「『不法滞在者ゼロプラン』ではルールを守らない外国人を速やかに国外に退去させており、各種の在留資格の様々な要件の適正化に向けた検討も進めている」
「参院選でも様々な議論になったが、外国人との秩序ある共生社会を推進するため、法令順守の徹底や制度の適正利用などを進めていきたい」
と語った。

<主張>首相が続投表明 即時退陣を改めて求める 立民は不信任案提出へ動け
社説
2025/7/22 5:00
https://www.sankei.com/article/20250722-JTFH7FO75FL5BPFTT2RZFCJERY/
三球三振したのにバッターボックスから去らない打者のようなものだ。
昨年2024年の衆院選、今年2025年の東京都議選、参院選に大敗した石破茂首相(自民党総裁)のことである。
これでは政治は前へ進めない。
石破首相は2025年7月21日に会見し
「重大な責任を痛感しながら、政治を漂流させないよう比較第一党としての責任を果たしていかねばならない」
と述べ、首相続投を表明した。
事実上の政権選択選挙とされた参院選で石破首相は、非改選を含む参院全体での与党過半数維持を
「必達目標」
とした。
だが、その勝敗ラインを越えられなかった。
有権者が
「石破政治」
を拒んだのは明らかだ。
■信頼失っても居座りか
衆参両院で過半数割れしたにもかかわらず続投するというのは、憲政史上の異常事態という他ない。
改めて言う。
石破首相は責任を取り、潔く辞任すべきである。
森山裕自民幹事長も同様だ。
衆院選、都議選、参院選の全てに大敗したのに首相の座にしがみつくのは本当に見苦しい。
そのような政治家の声が有権者に届くわけもない。
石破首相は国政運営に不可欠な国民からの信を失っている。
国民政党を自任する自民の歴代総裁は単独過半数や与党過半数などを掲げてきた。
石破首相が参院選後、比較第一党を達成したからよいとの無責任な姿勢を示したのは極めて異例だ。
自民に比較第一党として安定政権を構築する責任があるにしても、それを果たすべきは石破首相ではない。
居座りは、議会制民主主義の否定と知るべきである。
続投の理由について首相は、米国の関税措置、物価高、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの自然災害、安全保障環境などを挙げ、
「国難とも言うべき厳しい状況に直面している」
「大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語った。
国政に停滞を招いてはならないのは当然だ。
気付くべきは、首相の居座り自体が国政の最大の停滞要因になるということだ。
野党各党が、民意を失っている石破政権に手を差し伸べることはできないだろう。
政権基盤が決定的に脆弱になった石破政権が対米関税交渉をやり抜くというのでは、国益を酷く損ないかねない。
そもそも赤沢亮正経済再生担当相に交渉を丸投げし、トランプ米大統領とのトップ交渉から逃げていたのが石破首相ではないか。
衆参過半数割れの国会で、物価高対策などの予算を通せるのかも一段と不透明になった。
石破首相は、第1次安倍晋三政権時の参院選で自民が大敗し、衆参で多数派が異なる
「ねじれ国会」
になった際、続投を表明した安倍氏を猛烈に批判したことを忘れたのか。
自民総務会で
「(安倍)首相は
『私か小沢一郎民主党代表かの選択だ』
と訴えたのに、どう説明するのか」
と難じ、代議士会では
「首相は
『反省すべきは反省する』
と言っているが、何を反省し、どう改めるのか」
と責め立てた。
石破首相は今回の参院選の大敗について
「謙虚に真摯に受け止めなければならない」
と述べたが、続投では少しの反省も感じられない。
■自民議員は総裁交代を
自民の国会議員には、石破氏を党総裁、首相に選び、衆院選大敗後も続投を容認し、日本の政治を混乱させてしまった政治責任がある。
度重なる民意に反して今度も続投を認めるなら、自民は国民政党の資格を失い、凋落の一途を辿るだろう。
早期に新総裁を選出しなければならない。
2025年8月1日に臨時国会が召集される方向だ。
石破首相が居座りを決め込むようなら、野党側にはそれを防ぐ手立てがある。
衆院での内閣不信任決議案可決である。
憲法第69条に記された内閣不信任案は、民意に沿わない政権を退陣させる方策だ。
衆院議員51人という提出要件を満たす党は野党では立民だけだ。
立民の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「続投の意思表明は説得力があまりにもなさ過ぎる」
と石破首相を批判したが、不信任案提出については言葉を濁している。
党利党略ではなく、国政選挙の審判を反映させ民主主義を守るために、野党は結束して不信任案提出へ動く時だ。
与党も野党も政治を漂流させない責任を果たしてもらいたい。

立民、参院選は「負け」と受け止め「不信任案どころでない」 野田代表に首相から秋波も…
2025/7/21 20:50
https://www.sankei.com/article/20250721-UL5TYNUUXNM5PNOQ7TGWWMCBGY/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選で立憲民主党は改選前と同じ22議席にとどまった。
野田佳彦代表が掲げた
「与党改選過半数割れ」
の目標は達成したものの、国民民主党など他の野党が躍進する中、党内には
「負け」
との受け止めが広がる。
石破茂首相(自民党総裁)は政権延命に向けて立民に秋波を送るが、立民が安易に応じれば事実上の
「大連立」
とみられ、致命的な傷を負いかねない。
野田氏は2025年7月21日、記者団に、首相の続投表明について
「だらだらとした政治をいつまで続ける気なのか、だらだらと民意を無視して居座り続けるのか」
「あまりにも説得力がない」
と批判した。
一方で、立民として内閣不信任決議案の提出を検討するか問われると
「まだ考えていない」
とかわした。
野田氏は参院選を政権交代に向けた
「ステップ」
と位置付けていた。
平成19年参院選で自民、公明両党を過半数割れに追い込み、2年後の2021年衆院選で民主党(当時)への政権交代を果たした成功体験があったからだ。
今回、野田氏の目論見通り与党過半数割れの結果になったが、誤算は参院選で明らかになった立民の党勢の陰りだ。
臨時国会での不信任案提出について、党内では
「提出して衆院選になっても、この結果では勝てない」
「不信任案は出せない」
(中堅)
と慎重論が拡大する。
ベテランも
「負けも負け」
「不信任案どころではない」
と断じる。
首相は2025年7月21日の記者会見で連立政権の枠組み拡大は否定しつつ、社会保障政策で
「野田代表と認識を共有する部分も多い」
と語るなど
「野田代表」
と何度も口にし秋波を送った。
野田氏は選挙後自民との大連立を否定した。
政権交代を訴え参院選を戦った自民との連携は自己否定になるためだ。
ただ政権にとっては不信任案を提出しない野党は脅威でも何でもない。
提出を与党にちらつかせながら政策協議を行うのとは全く意味が異なる。
別のベテランは
「与党と個別協議をして政策を実現しても国民から大連立と受け止められたら立民の存在意義が問われる」
と忠告した。

石破首相、続投正式表明も「ありえない」 公明は支持も党内から退陣要求噴出 地方からも
2025/7/21 20:39
https://www.sankei.com/article/20250721-JKUGNG2NPJP6FFRTBDTFUW4DBY/?outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)は2025年7月21日自民公明両党が大敗した参院選を受けて党本部で記者会見し、
「国難とも言うべき厳しい状況で最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と述べ正式に続投を表明した。
森山裕幹事長ら党執行部の引責辞任にも否定的な考えを示した。
一方党内からは大敗を招いた首相や執行部に対する責任論が噴出し退陣圧力が強まっている。
■トランプ氏との会談に意欲
首相は
「痛恨の極みだ」
「重大な責任を痛感しながらも比較第1党としての責任を果たしていく」
と強調した。
続投の期限を問われると
「今考えているわけではない」
「物価高や自然災害への対応など喫緊の課題に解決の道筋を付ける」
と明言を避けた。
衆参両院で過半数を持たない
「少数与党」
に陥ったことで首相の政権運営は厳しさを増す。
首相は
「公明以外の他党とも真摯な議論を通じ新たな政治の在り方について一致点を見い出したい」
と一部野党との連携を模索する方針を示した。
2025年8月1日に期限を迎える米国との関税協議を巡っては
「日米双方に利益となる合意を実現する」
としトランプ米大統領との早期の首脳会談にも意欲を示した。
党役員人事や内閣改造は2025年9月の役員任期を念頭に置き対応を考えるとした。
■「検証総括委員会」設置へ
首相は2025年7月21日公明の斉藤鉄夫代表と公邸で会談し自公連立政権の継続を確認した。
斉藤氏は首相の続投を支持した。
だが自民内では首相ら執行部への退陣要求が相次ぐ。
京都選挙区で4選を果たした西田昌司氏は記者団に首相の続投表明は
「あり得ない」
として総裁選の実施を求めた。
高知県連も首相の早期退陣を党本部に求めることを決めた。
同県連会長は中谷元防衛相が務める。
林芳正官房長官が会長の山口県連も幹部が首相の退陣を要求した。
河野太郎選対委員長代理は自身のX(旧ツイッター)で森山氏の続投を批判した。
「選挙の責任者である幹事長が辞表を出していないのはおかしい」
と投稿した。
自民は2025年7月21日の臨時役員会で敗因分析のため近く参院選の検証総括委員会を設置し都道府県連から意見聴取することを決めた。
2025年7月31日にも両院議員懇談会を開催し党所属議員から意見を聴く。

議員が内閣の不信任に関する動議もしくは決議案を発議する時は、理由を附し、50人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない(衆議院規則第28条の3)。
したがって、内閣不信任決議案の提出には少なくとも発議者1人と賛成者50人の計51人が必要となる。
衆議院規則
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-rules.htm
第六章 議案の発議及び撤回
第二十八条の三 議員が内閣の信任又は不信任に関する動議若しくは決議案を発議するときは、その案を具え理由を附し、五十人以上の賛成者と連署して、これを議長に提出しなければならない。

国民民主・玉木代表、石破首相の続投表明に皮肉「まるで選挙がなかったかのような‥」
2025/7/21 19:07
https://www.sankei.com/article/20250721-UW6EUQ55XVPPHHVRUK7O5YH7SU/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月21日、参院選で大敗した石破茂首相(自民党総裁)が続投する考えを表明したことについて
「ちょっと驚いた」
「まるで選挙がなかったかのような対応だ」
「選挙で示された民意に対して真摯に向き合っている姿勢は感じない」
と述べた。東京都内で記者団の取材に答えた。
また、玉木氏は
「衆院選、東京都議選、参院選と連続で負けており、民間企業で言えば3期連続赤字のようなものだ」
とも皮肉った。
首相が平成19年の参院選で自民が惨敗した際に当時の安倍晋三首相に退陣を迫ったことに関し、
「文字通り正面からブーメランが飛んできている感じだ」
「仮に続投するなら難局を打開していくビジョンを示す必要がある」
と突き放した。

野党、首相続投を批判 野田氏「民意無視の居座り」 玉木氏「真摯に向き合っていない」
2025/7/21 17:53
https://www.sankei.com/article/20250721-VTBKOBQWWRO2PNYBZR5NRR7J6I/?outputType=theme_election2025
野党幹部は2025年7月21日、参院選で与党が大敗した結果を受け、続投を正式表明した石破茂首相の対応を批判し、対決姿勢を強めた。
立憲民主党の野田佳彦代表は
「民意を無視して居座り続けるのか」
「説得力が余りにもなさ過ぎる」
と指摘。
国民民主党の玉木雄一郎代表は
「驚いた」
「続投した上でのビジョンを示すべきだ」
「選挙で示された民意に真摯に向き合っていない」
と疑問を呈した。
野田氏は東京都内で記者団に、昨年2024年の衆院選や今年2025年6月の都議選に続き
「参院選で敗れた意味合いがよく分かっていない」
と強調。
食料品の消費税率ゼロ%など野党が掲げる政策にも耳を傾けるべきだと訴えた。
玉木氏はフジテレビ番組で、昨年2024年12月に与党と合意したガソリン税の暫定税率廃止などに触れ
「約束を守ってもらえなかった」
「2回騙されるわけにはいかないので厳しく向き合っていく」
と語った。

比例代表の得票、立民は参政を下回る 政治思想史家「左の大結集、戦後政治の夢ついえる」
2025/7/21 18:29
https://www.sankei.com/article/20250721-PKHHMVJPYBCL3EHX5JSUNLB65M/?outputType=theme_election2025
参院選(2025年7月20日投開票)比例代表を巡っては、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党の得票数が立憲民主党を僅かながら上回り、自民、国民民主両党に次ぐ3位に躍進した。
政治思想史家の河野有理(ゆうり)法政大教授は2025年7月21日、X(旧ツイッター)で、
「『自民党より左』の大結集で政治を変えるという戦後政治の<夢>が遂に最終的に潰えた」
との見方を示し、
「極めて大きな地殻変動の現れ」
を指摘した。
■参政支持のうねりの過小評価指摘
参政は、比例代表で742万5053票(得票率12・6%)を得て、立民の739万7456票(同12・5%)を、2万7597票差で上回った。
国民民主は762万492票(12・9%)。
野党3党が得票率13%弱でほぼ並ぶ結果となった。
河野氏はXで、参政党に対する評価を巡って、
「『参政党支持している人は周りにはいない、いたら縁を切る』みたいな選挙前によくいた人たち、よほど世界が狭いか、相手が大人で話を合わせてもらっているのだろうなという感じ」
と書き込んだ。
改選22議席の立民は、選挙区15議席、比例代表7議席の計22議席と横ばいの結果にとどまった。
■山口二郎氏も「これ、ほんと」
河野氏は、立民について、
「今回で伸びないならいつ伸びるのかという話であり、相当に厳しい結果なのではないだろうか」
との見方を示し、
「執行部がこれを厳しい結果と思えていないなら本当に将来がなさそうである」
と指摘した。
この投稿については、野党共闘の強化に尽力し続けた政治学者の山口二郎法政大教授も
「これ、ほんと」
「私の政治学者人生も終わったということ」
とXで賛意を表した。
山口氏は立民のベテラン勢はもはや後進の育成に注力すべきとの考えを示し、立民の現状について、
「実質的な敗北と、厳しく総括すべき」
「私自身も、かつて民主党政権を担った政治家が最後にもう一花咲かせてほしいと思って応援したが、民意との乖離が極めて大きいことを痛感する」
と訴えた。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/757.html#c9

[政治・選挙・NHK297] 自民両院議員懇談会で「石破おろし」が不発だったこれだけの理由…目立った空席、“主導側”は発言せず欠席者も(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
41. 秘密のアッコちゃん[1770] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月30日 07:25:50 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1208]
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<主張>原発に「ドローン」 新たな脅威への対応急げ
社説
2025/7/30 5:00
https://www.sankei.com/article/20250730-ADNUUIKBPZP3BEIMDJNVSXGGFA/
九州電力玄海原子力発電所(佐賀県)構内の上空に2025年7月26日夜、ドローンとみられる飛行体が侵入した。
施設への被害は確認されていないが、核物質防護上、看過できない重大事案である。
国際的にも原発へのドローン接近事案は増加傾向にあるため、他の電力会社の原発においても対策と警戒体制の構築が必要だ。
原子力規制委員会によると午後9時頃、同原発の上空にドローンと推定される3つの光る物体が飛来したという。
原発の警備員4人が目撃し、九電は敷地内に待機している佐賀県警の部隊に連絡すると共に規制委に
「核物質防護情報」
の緊急連絡を行った。
この対応は、原子力施設の運転に影響が及ぶ恐れがある場合になされる重要度の高い措置である。
誰がどういう目的で今回の不法侵入を行ったのか。
原発や自衛隊施設とその周辺の上空でドローンなどを飛ばすことは法律で原則として禁止されている。
県警は飛行体の操縦者の特定を急ぎたい。
現役の玄海3、4号機をはじめ、廃炉中の1、2号機などの設備に異常は確認されていないが、上空からのテロ行為や破壊工作、軍事攻撃への防備の手薄さに対する警鐘である。
政府と電力会社、警察は自衛隊の協力も得て、原子力施設周辺の対策を早急に強化すべきだ。
原発上空での飛行を強力な電波で阻止するジャミング装置などの導入が必要だろう。
海外でもドローンによる原発への妨害事例が増えている。
フランスや米国では防御装置の導入が進行中だ。
政府は玄海原発での事案を機に、諸外国で先行している空域危機管理のための技術情報を収集し、安全体制構築を急がねばならない。
民生用ドローンは今や、技術の進歩により、原発や他の重要施設にとって脅威となる段階に達している。
今回の玄海原発への侵入で留意すべきは、夜間に複数機で飛来している点である。
海外の事例では、背後に組織化された悪意の主体の存在が推定される場合に見られるパターンだ。
原発再稼働や新設を巡る議論が進む中、原子力行政に関わる全ての主体は今回の事案を教訓として、ドローンを含む新たな脅威への日々の備えを怠ってはならない。

原発「空」の防衛に限界 法規制も「強制力」なし 玄海原発ドローン$N入
2025/7/27 19:19
https://www.sankei.com/article/20250727-ELMSVJ6R5JK67DGAUNGR2X7EDM/
佐賀県の九州電力玄海原発上空にドローンとみられる光る物体が侵入した。
物体は飛び去り、操縦者や意図などは不明だが、テロ攻撃や偵察の意図があった可能性も捨てきれない。
テロの標的になりかねない原発は陸海空で厳重な警備が敷かれ、原発と周辺地域上空のドローンの飛行は法律で原則禁止されている。
ただ、
「強制力」
はなく、侵入を事前に防ぐことは難しいため、対応には限界があるのが現状だ。
原発や関連施設に対する警察や海上保安庁の警備は、2001(平成13)年に起きた米中枢同時多発テロを契機に本格化し、2011(平成23)年の東日本大震災以降、更なる強化が進められてきた。
警察当局は全国の全ての原発に
「原発特別警備部隊」
を配置し、24時間態勢で警備に当たる。
爆発物やNBC(核、生物、化学)テロなど、あらゆる事態を想定し、サブマシンガンやライフル銃、防護服などを装備する。
沿岸部に立地せざるを得ない原発には洋上テロに対する懸念もあり、海上保安庁も警備を重視。
武器搭載の巡視船艇を配備するなどしている。
更に、空からの攻撃にも備え、原発と周辺地域の上空でドローンなどを飛行させることは、安全性に関わるため法律で原則として禁止されている。
無登録のドローンを飛ばすことも法に抵触し、令和5年には北海道電力泊原発(北海道泊村)の敷地から50メートルの海岸で国に登録していないカメラ付きドローンを飛ばしたとして、男が逮捕された。
警察庁の露木康浩前長官は昨年2024年9月に東京電力福島第1原発の警備の状況を視察した際、
「ドローン対処も含めて訓練の高度化などを進めていきたい」
と述べ、原発を巡るドローン対策は重要視されてきた。
その背景には、ロシアによるウクライナ侵略で原発を標的とした攻撃が続いていることもあるとみられる。
ウクライナのゼレンスキー大統領は今年2025年2月、1986年に爆発事故を起こしたウクライナ北部のチョルノービリ原発が、ロシア軍のドローン攻撃を受けたと表明。
国際人道法(戦時国際法)では原発を攻撃してはならないと定められているが、狙われる脅威は現実のものとなった。
原発周辺の地上警備は厳重な一方で、空からの侵入を事前に防ぐことが難しい現状もある。
今回の飛行物の意図などは分かっておらず、関係者は
「真相の解明が必要だ」
としている。

原子力規制委、玄海原発上空に「ドローンとみられる光」警察が情報収集 放射線量異常なし
2025/7/27 13:14
https://www.sankei.com/article/20250727-3RTBDJ3MXVLB7NHHHW644TICB4/
原子力規制委員会は2025年7月26日、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の上空にドローンとみられる3つの光る物体が侵入したと発表した。
九電から、運転に影響を及ぼす恐れがある
「核物質防護情報」
の通報を受けた。
原発へのドローン侵入は極めて異例。
設備に異常はなく、放射線量の上昇もなかった。
光る物体は飛び去り、操縦者や飛行経路、意図などは不明。
県警が機体の捜索や情報収集を進めている。
安全性に関わるため、原発と周辺地域の上空で飛行させることは、法律で原則として禁止されている。
核物質防護情報は、原子力施設への侵入などがあった場合に通報され、規制委は
「非常に珍しい」
としている。
九電によると、2025年7月26日午後9時頃、警備員が原発の正門付近を飛ぶ物体を見つけ、その後、九電側から敷地内に待機している県警の部隊に連絡した。
原発周辺の同県唐津市は住民避難などの対応は取らないとした。

玄海原発ドローン侵入か、異常確認されず4号機は定期検査入り 物体飛び去り操縦者も不明
2025/7/27 12:19
https://www.sankei.com/article/20250727-PFRPPUM7PVL5RGQMOIV5AKOB2Q/
九州電力は2025年7月27日、玄海原発(佐賀県玄海町)の上空にドローンとみられる3つの光る物体が侵入したことによる異常は確認されなかったとして、予定通り4号機の定期検査に入った。
物体は飛び去ったが、操縦者や飛行経路、意図などは不明で、佐賀県警が機体の捜索や情報収集を進めている。
原子力規制委員会は2025年7月26日、玄海原発の上空にドローンとみられる物体が侵入したと発表。
九電から、運転に影響を及ぼす恐れがある
「核物質防護情報」
の通報を受けた。
設備に異常はなく、放射線量の上昇もなかった。
原発と周辺地域の上空でドローンを飛行させることは、安全性に関わるため法律で原則として禁止されている。
核物質防護情報は、原子力施設への侵入などがあった場合に通報され規制委は
「非常に珍しい」
としている。
九電によると、2025年7月26日午後9時頃、警備員が原発の正門付近を飛ぶ物体を見つけ、その後、九電側から敷地内に待機している県警の部隊に連絡した。
玄海1、2号機は廃炉作業中で、3、4号機は営業運転中。

玄海原発にドローン3機侵入 規制委に核物質防護情報 佐賀県警も情報収集、機体捜索急ぐ
2025/7/27 1:09
https://www.sankei.com/article/20250727-MOQE2F6EABOFFPDRXNWDESBQCE/
原子力規制委員会は2025年7月26日、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の敷地内でドローン3機が侵入しているのが確認されたと発表した。
九電から、運転に影響を及ぼす恐れがある核物質防護情報の通報を受けた。
設備に異常はなく、外部環境への影響もないとしている。
ドローンは敷地内から飛び去っており、機体の捜索を急ぐ。
誰がドローンを操縦していたかや具体的な飛行経路、意図などは分かっていない。
佐賀県警が情報収集を進める。
原発敷地内へのドローン侵入は異例。
規制委によると、核物質防護情報は外部からの侵入があった場合などに通報され
「非常に珍しい」
としている。
同県唐津市に入った情報では、周辺の放射線量に異常はない。
住民避難などの対応も取らないとした。
規制委によると、通報があったのは2025年7月26日午後9時頃。
玄海1、2号機は廃炉作業中で、3、4号機は営業運転中。
4号機は2025年7月27日から定期検査に入る予定。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/758.html#c41

[政治・選挙・NHK297] 参政党躍進の理由をどう見るべきか 二極化・格差社会の真相(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
46. 秘密のアッコちゃん[1771] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月30日 18:54:27 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1209]
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性犯罪クルド人男に懲役8年判決「反省全くない」法廷で刑務官に頭突き、親族は大声で騒ぐ
「移民」と日本人
2025/7/30 18:00
https://www.sankei.com/article/20250730-HFDOHWW7W5CXPFBRT2HICHTF2M/
埼玉県川口市内で女子中学生に性的行為をして有罪となり執行猶予中に、別の少女に再び性的暴行をしたとして不同意性交の罪に問われたトルコ国籍のクルド人で無職、ハスギュル・アッバス被告(22)の判決公判が2025年7月30日、さいたま地裁で開かれ、室橋雅仁裁判長は
「反省の態度が全く見られない」
などとして懲役8年(求刑懲役10年)を言い渡した。
確定した場合、別の事件での懲役1年の執行猶予も取り消される。
ハスギュル被告は、白い丸首半袖シャツに黒いズボン姿。
トルコ語の通訳を介し判決を告げられると、身じろぎせず聞いていた。
だが、判決理由の朗読が始まると、突然がっくりうなだれるなど、落ち着きが見られなくなった。
傍聴席では親族とみられるクルド人4人が傍聴。
閉廷後、そのうち民族服姿でスカーフを被った初老の女性がクルド語で叫び始めた。
職員から制止されても叫び続ける騒ぎの中、ハスギュル被告も呼応するように、刑務官が腰縄をつけようとした際に抵抗して頭突き。
刑務官3人に制止され、抱き抱えられるようにして退廷した。
判決によると、ハスギュル被告は中学生の少女(当時12歳)が16歳未満と知りながら、昨年2024年9月13日夜、川口市内のコンビニ駐車場に止めた車内で性的暴行を加えるなどした。
被告は別の女子中学生(当時14歳)に性的行為をしたとして昨年2024年5月、県青少年健全育成条例違反罪で懲役1年、執行猶予3年の判決を受け確定、執行猶予中だった。
■「二度としません」3カ月後に再犯
この日の判決理由で室橋裁判長は、被告側が
「同意があった」
「被害者の年齢を知らなかった」
と主張した点を検討。
被害少女と、公判で証言拒否に転じたクルド人とみられる少年の捜査段階の供述調書について
「十分信用できる」
と認定した一方、被告の供述は
「重要な部分で曖昧、不自然な点がみられる」
などとして全面的に退けた。
その上で、量刑の理由として
「被害者の人格を一顧だにしない欲求本位の粗暴かつ卑劣な犯行で、被害者の身体的、精神的苦痛は大きく、今後の健全な成長への悪影響も懸念される」
「被害者は事件後に周囲から誹謗中傷を受けていると供述しており、処罰感情は厳しい」
と指摘。
「被告は執行猶予3年の有罪判決を受けて社会で更生する機会を与えられ、その裁判で
『二度と同じような犯罪も、他の犯罪もしません』
などと供述したにもかかわらず、僅か3カ月余りで何ら思いとどまることなく本件犯行に及んでおり、女子児童に対する性犯罪の規範意識は希薄という他ない」
とした上で、
「犯行後に被害者や少年に口止めするなどした上、公判では犯行を否認し、不合理な弁解をしており、反省の態度は全くみられない」
と断罪した。

性犯罪再犯クルド人男に懲役10年求刑 弁護人「外国人で思慮足りず」アリバイ工作めぐり
「移民」と日本人
2025/7/4 15:55
https://www.sankei.com/article/20250704-T2IMXVCOORGXJDQ3FRC2NACNCU/
埼玉県川口市内で女子中学生に性的行為をして有罪となり執行猶予中、別の少女に再び性的暴行をしたとして不同意性交の罪に問われたトルコ国籍のクルド人で無職、ハスギュル・アッバス被告(22)の論告求刑公判が2025年7月4日、さいたま地裁(室橋雅仁裁判長)で開かれ、検察側は
「自分の性欲を満たすための身勝手な犯行で、刑事責任は重い」
として、懲役10年を求刑した。
判決は今月2025年7月30日に言い渡される。
検察側は論告で、
「被害者が中学生と知りながら無理やり暴行を加えた悪質な犯行」
「被害者が受けた身体的、精神的な被害は重大だ」
と指摘。
「前回の事件で執行猶予と社会的更生の機会を与えられたのにもかかわらず、3カ月後の犯行であり、本件も犯行を反省するどころか証拠隠滅工作を図っている」
などと述べた。
弁護人は最終弁論で、被告が
「被害者の年齢を知らなかった」
「同意があった」
などと公判での主張を繰り返し、
「被告は無罪であります」
と述べた。
また、被告が犯行当日について妻に
「一日中、一緒にいたことにしてほしい」
と口裏合わせを頼んだことについて、
「被告は外国人であって、思慮が足りなかったという事情がある」
「この点は被告も十分反省している」
と述べた。
ハスギュル被告は、黒い丸首シャツに黒いジャンパー、黒いジャージー姿。
トルコ語の通訳を介し求刑を告げられると、傍聴席を一瞥した。
最終意見陳述ではトルコ語で
「被害者が何歳か本当に知らなかった」
「無理やり何かをしたことはない」
とだけ述べ、最後まで反省の言葉は聞かれなかった。
起訴状によると、ハスギュル被告は少女が16歳未満と知りながら、昨年2024年9月13日夜、川口市内のコンビニ駐車場に止めた車内で性的暴行を加えるなどしたとしている。
不同意性交等罪は5年以上の有期拘禁刑。
被害者が16歳未満の場合は同意があっても罪に問われる。
被告は昨年2024年5月27日に県青少年健全育成条例違反罪で懲役1年、執行猶予3年の判決を受け翌2024年6月11日に確定、執行猶予中だった。

「レイプされました」性犯罪再犯クルド人男公判、被害少女が証言「怖くて眠れなかった」
「移民」と日本人
2025/5/12 18:53
https://www.sankei.com/article/20250512-L7X6AY525JEGHOPXL3GOMQAJBI/
埼玉県川口市内で女子中学生に性的暴行をして執行猶予中に、別の当時12歳の少女に再び性的暴行をしたとして不同意性交の罪に問われたトルコ国籍のクルド人で無職、ハスギュル・アッバス被告(22)の第3回公判が2025年5月12日、さいたま地裁(室橋雅仁裁判長)で開かれ、被害者の少女が映像や音声により証言する「ビデオリンク方式」で証人出廷。
「(被告人に)レイプをされました」
などと証言した。
ハスギュル被告は、真っ赤な丸首シャツに黒っぽい上着とジャージーのズボン姿。
黒っぽい髪で、首筋や手の甲に赤や青のまだら模様の入れ墨があった他、右目の目元には涙の入れ墨もあった。
証言の間、正面を見て少女の声を聞いていた。
この日は、少女が女性警察官に被害について話す
「司法面接」
の音声が証拠として法廷で流された後、少女が地裁の別室で証人尋問。
トルコ語の通訳を挟みながら約1時間に渡って証言した。
少女はハスギュル被告から
「レイプをされました」
と証言。
被害にあった夜は
「犯人がまだ捕まっていないので、怖くて眠れなかった」
「逮捕されるまで怖い気持ちでいた」
とし、被害感情から
「タンスや壁を殴ったりした」
と振り返った。
検察官から処罰感情について問われると、少女は
「長く捕まっていてほしいです」
と訴えた。
起訴状によると、ハスギュル被告は昨年2024年9月13日午後8時頃から同11時15分頃までの間、川口市内のコンビニ駐車場などに止めた乗用車内で、少女に性的暴行をしたとしている。
被告は起訴内容を否認している。

性犯罪再犯のクルド人男、公判で起訴内容否認「同意あった」首筋や手の甲に赤や青の入れ墨
「移民」と日本人
2024/12/24 18:00
https://www.sankei.com/article/20241224-CSJH5T2MXZB4TDX6PQHV2E7WNQ/
埼玉県川口市内で女子中学生に性的暴行をして執行猶予中に、別の少女に再び性的暴行をしたとして不同意性交の罪に問われたトルコ国籍の無職、ハスギュル・アッバス被告(21)の公判が2024年12月24日、さいたま地裁(室橋雅仁裁判長)で開かれ、弁護側は
「被害者と同意があった」
など、起訴内容の一部を否認する主張を行った。
被告はトルコ生まれ日本育ちの在留クルド人で、難民認定申請中で仮放免中。
埼玉県警は2度目の事件について発表していなかった。
起訴状によると、ハスギュル被告は2024年9月13日午後8時頃から同11時15分頃までの間、川口市内のコンビニ駐車場などに止めた乗用車内で、12歳の少女に性的暴行をしたとしている。
この日の公判でハスギュル被告は黒いジャンパーに灰色のジャージー姿。
白いマスクをし、首筋や手の甲には赤や青のまだら模様の入れ墨があった。
裁判長は、ハスギュル被告の弁護人による主張内容を確認。
被告側は
「被害者と同意があった」
「既遂ではない」
などと起訴内容を否認し、争う姿勢を示した。
ハスギュル被告は裁判長から
「日本語はある程度話せるということでよいですか」
と呼び掛けられると、頷いた。
10分足らずの公判中、うつむきながら左耳にはめたイヤホンで通訳の声を聞いていた。
閉廷後、裁判長に小さく一礼して法廷を後にした。
弁護人に取材を申し込んだところ、
「プライバシーに関わるためお話しできない」
と話した。
ハスギュル被告は今年2024年1月、川口市内の別のコンビニ駐車場に止めた乗用車内で、東京都内の10代の女子中学生に性的暴行をしたとして2024年3月、不同意性交の容疑で逮捕。
県青少年健全育成条例違反罪で起訴され、同地裁で2024年5月、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けて釈放後、今回の事件を起こした。
今後の証拠調べでは、被害者が映像や音声により証言する
「ビデオリンク方式」
での出廷などが検討された。次回公判は未定。

<独自>女子中生に性暴行のクルド人男、執行猶予中に別少女にも性暴行 埼玉県警発表せず
「移民」と日本人
2024/12/6 11:26
https://www.sankei.com/article/20241206-3OVSSHWOXJOIFFCYCBYWHA4C2A/
埼玉県川口市内で女子中学生に性的暴行をしたとして今年2024年3月に逮捕されたトルコ国籍の無職男が有罪判決を受け、執行猶予中の2024年9月に12歳の少女に再び性的暴行をしたとして逮捕、起訴されていたことが2024年12月6日、分かった。
男はトルコ生まれ日本育ちの在留クルド人で、事実上の
「移民2世」。
難民認定申請中で仮放免中だった。
埼玉県警は2度目の事件について発表していなかった。
情報を知った埼玉県議が問い合わせても県警は答えなかったという。
起訴されたのは、さいたま市南区大谷口の無職、ハスギュル・アッバス被告(21)。
起訴状によると、ハスギュル被告は2024年9月13日午後8時頃から同11時15分ごろまでの間、川口市内のコンビニ駐車場などに止めた乗用車内で、12歳の少女に性的暴行をしたとして不同意性交の罪で起訴された。
現在公判中という。
ハスギュル被告は今年2024年1月、川口市内の別のコンビニ駐車場に止めた乗用車内で、東京都内の10代の女子中学生に性的暴行をしたとして2024年3月、不同意性交の容疑で逮捕、県青少年健全育成条例違反罪で起訴された。
さいたま地裁で2024年5月27日、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決が確定、釈放されていた。
ハスギュル被告は先に来日していた父親を頼って幼少期に来日し、地元の小中学校に通っていた。
卒業後は家業の解体業を手伝っていたという。
父親とともに難民申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた仮放免中だった。
事件を扱った武南署幹部は取材に対し、
「被害者の意向を強く尊重して発表しなかった」
と話した。
法務省の調査によると、性犯罪の有罪確定から5年以内の再犯率は13・9%。

クルド人男の性犯罪再犯事件、県議の照会にも県警答えず「なぜ隠すのか」 男は難民申請中
「移民」と日本人
2024/12/6 11:47
https://www.sankei.com/article/20241206-7MQ2Z5GBKVKDZNSJGV5POBW6GE/
埼玉県川口市内で女子中学生に性的暴行をして執行猶予中だった在留クルド人の男が、再び性暴行の容疑で逮捕、起訴された事件で、県警は性犯罪の再犯にもかかわらず2度目の事件を発表していなかった。
県議会議員が県警に説明を求めた際も応じず、この県議は
「幼い少女が被害にあった重大事案」
「なぜ隠すのか非常に問題であり、議会でも事実確認したい」
と話した。
不同意性交罪に問われているのは、さいたま市南区大谷口の無職、ハスギュル・アッバス被告(21)。
今年2024年1月に川口市内で女子中学生に性的暴行をして懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けながら、執行猶予中に再び12歳の少女に性的暴行をしたとして不同意性交の容疑で逮捕、起訴され公判中。
難民認定申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた仮放免中だった。
事件の情報は警察が発表していないにもかかわらず、SNS(交流サイト)などを通じて拡散、一部サイトでは
「県警はクルド人だから発表しないのか」
「外国人にやさしい埼玉県警」
などの批判が殺到していた。
こうした動きを受けて埼玉県の諸井真英県議(無所属)が県警本部に説明を求めたところ、約2週間後に県警の議会担当者が
「県警として広報していないため、警察としてはお話しできない」
と回答。
「被害者のプライバシーに配慮した上で、事実関係だけでも確認させてほしい」
と再度求めたが、県警の対応は変わらなかったという。
諸井県議は
「幼い少女が埼玉県内で立て続けに事件に遭っている」
「こんな重大事案をなぜ発表しないのか」
「県議会議員にさえ説明できないのか」
「非常に問題であり議会でもしっかり事実確認したい」
と話している。
事件を扱った武南署幹部は取材に対し、
「被害者の意向を強く尊重して発表しなかった」
と話している。
県警はハスギュル被告の1度目の逮捕の際は、逮捕当日に発表していた。
容疑も同じ不同意性交だった。

女子中学生に性暴行の容疑者、難民申請中のクルド人 トルコ生まれ川口育ちの「移民2世」
「移民」と日本人
2024/3/8 17:25
https://www.sankei.com/article/20240308-LUTLMINZTNOZNGADECZPNB3CGY/
女子中学生に性的暴行をしたとして埼玉県警川口署に逮捕されたトルコ国籍で自称解体工の男(20)が、難民認定申請中で仮放免中だったことが2024年12月8日、同署の調べで分かった。
男はトルコ生まれ日本育ちの在日クルド人で、事実上の
「移民2世」
という。
調べによると、男は2024年1月13日午後10時半頃、川口市内のコンビニ駐車場に止めた乗用車内で、東京都内の10代の女子生徒に性的暴行をしたとして2024年1月7日、不同意性交の容疑で逮捕された。
同署によると、男は先に来日していた父親を頼って幼少期に来日し、地元の小中学校に通っていた。
卒業後は家業の解体業を手伝っていたと供述している。
男は父親と共に難民認定申請中で、入管施設への収容を一時的に解かれた仮放免中だった。
自宅はさいたま市内だが、川口市北部の隣接地域だった。
男は自身の運転する車で、SNS(交流サイト)を通じて知り合った都内の女子中学生らや、日本人男性らとドライブに行くことになった。
女子生徒らは横浜方面に向かうと考えていたが、車は都内から川口市内へ直行。
女子生徒らは車内でスマホを使ってやり取りして逃げ出そうとしたが、犯行現場のコンビニ近くで降ろされ、被害に遭った女子生徒だけが車に残されたという。
男は
「日本人女性と遊んだが暴行はしていません」
と容疑を否認。
同署はトルコ語の通訳を介しながら調べを進めている。
川口市内では近年、一部クルド人と地域住民との軋轢が表面化。
「2世」とみられる若者らによる車の暴走行為や煽り運転も問題となっている。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/759.html#c46

[政治・選挙・NHK297] (2)目指す「国のかたち」を理解していない熱狂的支持者たち 不気味な躍進 参政党のトリセツ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
34. 秘密のアッコちゃん[1772] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月31日 08:09:37 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1210]
<■2827行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
戦後70年談話
首相談話全文
2015/8/14 18:03
https://www.sankei.com/article/20150814-UCRDTJRIYNOSFLUV64XWEAWCQE/
戦後70年の安倍首相談話の全文は以下のとおり。

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。
その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。
アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。
日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。
この戦争は、1000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。
人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。
戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。
しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。
その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。
国内の政治システムは、その歯止めたり得なかった。
こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。
日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした
「新しい国際秩序」
への
「挑戦者」
となっていった。
進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして70年前。
日本は、敗戦しました。
戦後70年に当たり、国内外に斃れた全ての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すと共に、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。
終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。
広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。
戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。
歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。
一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。
この当然の事実を嚙み締める時、今尚、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。
これが、戦後日本の原点であります。
2度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。
如何なる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはならない。
植民地支配から永遠に訣別し、全ての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。
自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。
70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。
その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。
中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。
米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年に渡り、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、如何ほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。
戦後70年のこの機に当たり、我が国は、和解のために力を尽くして下さった、全ての国々、全て方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでも尚、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。
謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命を繋ぐことができた。
そして、現在の私たちの世代、更に次の世代へと、未来を繋いでいくことができる。
それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。
歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。
その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、如何なる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。
この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。
唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。
21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、如何なる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。
繁栄こそ、平和の礎です。
暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、
「積極的平和主義」
の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦80年、90年、更には100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成27年8月14日
内閣総理大臣 安倍晋三

石破首相による戦後80年談話は「不要」「無用な混乱を招く」 自民・西村康稔氏
2025/7/30 10:48
https://www.sankei.com/article/20250730-BJ54NFPNKRDITE2FERSKU32TDA/?outputType=theme_election2025
自民党の西村康稔元経済産業相は2025年7月29日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、石破茂首相による戦後80年の「談話」について
「不要と考えている。無用な混乱を招く」
として、発出しないよう主張した。
西村氏は、安倍晋三元首相による戦後70年談話について
「戦後に終止符を打つために、有識者による懇談会など様々な意見を踏まえながら丁寧に時間をかけてまとめられたものだ」
と説明。
「当時、そして今も、多くの国民によって支持されている」
と評価した上で、
「70年談話には結びにおいて、戦後80年、90年、100年に向けて日本の国づくりの理想を語っており、そうした意味でもこれ以上のいわゆる戦後談話は不要と考えている」
「無用な混乱を招く恐れれもある」
と指摘した。
西村氏は旧安倍派幹部で、2025年7月23日には同じく旧安倍派幹部の萩生田光一元政調会長、松野博一前官房長官、世耕弘成前参院幹事長と会談し、首相の交代が必要だとの認識で一致した。
西村氏の投稿を巡っては、SNSでは
「確実な阻止を」
「行動を求めている」
などの意見が目立った一方、派閥パーティー収入不記載事件に関する旧安倍派に対する批判もみられた。

「それは野心。国益に反する」自民・青山繁晴氏 石破首相が戦後80年「談話」発出なら
2025/7/29 10:00
https://www.sankei.com/article/20250729-HYEA3JJNHJFL7IL3ERTV5IZKSU/
自民党の青山繁晴参院議員は28日の両院議員懇談会で、石破茂首相に戦後80年の談話を発出しないよう求めた。
青山氏は、安倍晋三元首相による戦後70年談話について
「日本国にとっては1つの財産なので、それを上書きするのはやめて頂きたい」
と述べ、
「それ(戦後80年の談話)は総理の野心であって、国益に反する」
と強調した。党本部で記者団に語った。
首相は閣議決定を伴う首相談話は見送り、戦後80年の節目となる8月15日前後に
「見解」
の発出を検討している。
両院議員懇談会に出席後、記者団に
「80年は1つの区切りだ」
「今までの(首相)談話の積み重ねも踏まえながら、適切に判断することが大切だ」
と述べた。
発出に重ねて意欲を示したとみられる。

「石破首相が『80年談話』出せば自民党終わる」安倍元首相のブレーン、本田悦朗氏断じる
2025/7/28 18:10
https://www.sankei.com/article/20250728-HHZXETZT7ZFZXEND5LMKXZ5K6I/?outputType=theme_election2025
第2次安倍晋三内閣で安倍元首相の経済ブレーンとして経済政策「アベノミクス」を推進した一人、本田悦朗元内閣官房参与が、自らのX(旧ツイッター)で、石破茂首相(自民党総裁)は参院選大敗の責任を取り辞任すべきだ、と繰り返し投稿している。
日米関税交渉の「合意」についても厳しい言葉を投げかけている。
■「石破総理の存在自体が、深刻な政治空白」
「石破総理の存在自体が、日本にとって深刻な政治空白」
「一体、何回負けたら国民の期待に少しでも近い人を総理にして、解散総選挙を打つ気になるのか」
「自民党の大敗は、安倍総理を支えた保守岩盤層が、見限ったから」
「国民の審判が下った以上、理念と政策を正し、国民に説明するか、自ら辞任する責任がある」
本田氏は参院選から一夜明けた2025年7月21日、こう発信した。
2025年7月25日には
「石破総理には直ちに辞任する以外の選択肢はない」
「国民は、3度の国選で石破氏を信任しなかった」
「自らの保身のために判断が揺れ続ける人に、この悠久の国のトップが務まるはずがない」
「終戦の日に『80年談話』を出して謝罪するようなことがあれば、自民党政治は終わる」
と牽制した。
■「トランプ氏は居座りの口実与えないため関税合意」
トランプ米政権と合意したとされる日米関税交渉についても、厳しくこう石破氏を評した。
「石破氏は地位にしがみつく為に、あらゆる屁理屈を並べる」
「日米関税交渉もその例」
「トランプ氏は居座りの口実を与えないために選挙後、間髪入れず合意」
「合意文書もなく、米側のファクトシートのみ」
「愛国者なら米国に従属国扱いされて直ちに辞任」
(2025年7月26日)
翌2025年7月27日には
「日米関税協議での『合意』なるものは、その体を成していない」
「米側でファクトシートを作っているとのことだが、日本側は同意していない」
「日本側には、ファクトシートさえ存在しない」
「これでは、合意の基礎となる立法事実が分からないし、何を合意したのかさえ分からない」
と、石破政権への怒りをぶつけた。

石破首相「居座り」は戦後80年「談話」狙いか、禍根を残す閣議決定なき私見 有元隆志
2025/7/27 15:00
https://www.sankei.com/article/20250727-IS6HLLUI5FKYPEYV2YS4DFVDDM/?outputType=theme_weekly-fuji

詰んでいる石破首相の居座りで「人災」拡大、戦後80年談話は禍根を残す 岩田明子
2025/7/27 12:00
https://www.sankei.com/article/20250727-VJY5WYV4ONNDDKUMQMU6QMZ3H4/?outputType=theme_weekly-fuji

「死に体」石破首相に「戦後80年談話」を出させるな、「保守派の絶望」は深く 平井文夫
2025/7/26 15:00
https://www.sankei.com/article/20250726-SBDZTBFGIJLCVAKXGEIUT46QHE/?outputType=theme_weekly-fuji

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

戦後80年、石破首相は安倍談話の確認を 「自前の総括」求める朝日新聞の社説には疑問
大阪大名誉教授・坂元一哉
2025/6/16 1:00
https://www.sankei.com/article/20250616-EFKDQ2G66FN73ECNPZBCVNLM6Y/
石破茂首相は戦後80年の節目に合わせて、日本が内外に多大な犠牲を生み出した第二次世界大戦に関する個人的な見解を発表する考えらしい。
これに対して朝日新聞は、2025年4月3日の社説で、私的なメッセージではなく、閣議決定を伴う政府談話を出すべきだと主張している。
だが私は、この社説の内容には疑問や引っ掛かり覚える所が少なくなく、主張にも賛成できない。
この社説はまず、国際秩序が大きく揺れる中、戦後80年の節目を迎えた日本が談話を出すことには今日的意義があるとする。
しかしどんな今日的意義があるのかは、最後まで明確ではない。
もう1つ意味が不明なのは、日本がこれまで自前の総括をしてこなかったという一文である。
「自前の総括」
とは何のことか、見当がつかない。
もし他国にそれをやった例があれば示してほしいし、1995年の村山富市首相談話や、それを引き継いだ2015年の安倍晋三首相の談話では不十分だというのなら、何が足りないのかを教えてほしい。
この社説には、
「過去の過ちを決して忘れず、未来に生かす誓いを更新し続けることが日本への信頼を高めることに繋がるはずだ」
という前提があるようだ。
もちろん過去の過ちを決して忘れないことの重要性は言うまでもない。
だが、誓いを更新し続けるというのは如何なものか。
まるで強迫神経症のように反省の言葉を更新し続けることが日本への信頼を高めるとは思えない。
特に今年2025年は、安倍談話というよくできた談話から10年しか経っていないので尚更である。
安倍談話は、19世紀に西洋諸国による植民地支配の波がアジアにも押し寄せてきたことへの危機感を背景に近代化した日本が、ロシアとの戦争に勝利し、植民地支配の下にあったアジア・アフリカの諸国民を勇気付けたと指摘する。
一方、安倍談話では第一次世界大戦を含むその後の国際社会の激動の中で日本は国際社会の大勢を見失い、国際協調の道を踏み外して追いつめられ、武力行使で問題を解決しようとして先の大戦に至り、内外に多大な犠牲を生み出してしまったとも指摘している。
国内の政治システムはそれを防ぐことができなかった。
安倍談話は概要このように先の大戦を日本の近現代史の中に位置付けた上で、反省とお詫びを新たにした、非常に優れた談話であると言える。
この談話に対し、内外から強い批判が出ることはなかった。
村山談話に強く反発していた国内の保守層からも出なかった。
ある著名な保守の識者などは、この談話を
「120点満点」
と評するほどであった。
ちなみに、米国家安全保障会議(NSC)の報道官は安倍談話を歓迎すると表明すると共に、日本が戦後、自由と民主主義、そして法の支配を守り続けてきたことを他国も模範にするべきだと評した。
石破首相が自民党内の強い反対を考慮して新たな談話を見送り、私的なメッセージを発表する意向であることについて、朝日の社説は
「余りに内向きで大局観を欠くという他ない」
と決め付けている。
しかしこれは、自民党内に強い反対があるにもかかわらず談話を出すことになれば、国内世論の亀裂を生じさせて歴史認識問題をこじらせ、悪化させた村山談話の二の舞いになることを懸念した石破首相の慎重な判断と言えるのではないだろうか。
今年2025年は太平洋戦争後80年の節目であると共に、日露戦争後120年でもある。
それもあるので、石破首相におかれては、今年2025年の終戦記念日は新たな政府談話ではなく、安倍談話を確認すると共に、日本がこれからも国際協調に基づく積極的平和主義に徹することを誓う旨の首相メッセージを出されてはどうかと思う。

さかもと・かずや 昭和31年生まれ。阪大教授など歴任。専門は日米関係史。

<正論>自虐史観脱し歴史改竄に対抗を
文化人類学者静岡大学教授・楊海英
2025/5/19 8:00
https://www.sankei.com/article/20250519-YGL7TT4S2JPELN73YV4E3R6FSU/
習近平国家主席の中国共産党(中共)は今、世界中で歴史の書き換えを進めている。
歴史の捏造は、ロシアが2025年5月9日にプロデュースした対ドイツ戦勝記念式典でも繰り広げられた。
中国の捏造過程を振り返り、日本に及ぼす深刻な影響と対抗措置について考えてみよう。
■中共「北上抗日」の虚言
国賓として訪露した習氏は、ロシアの対ドイツ戦勝パレードに初めて人民解放軍を参加させた。
プーチン大統領はパレードに参加した外国軍として最多だと賛辞を贈った。
習氏も
「中国とロシアは正しい歴史を守る」
と応じ、中共が全人民をリードし、ソ連と共に抗日戦争に勝ち抜き、世界の反ファシズム闘争に貢献した、と豪語している。
しかし、その中共の
「抗日」
の実績はゼロに近い。
1921年に結成された中共は、熾烈な党内論争を経て武装闘争に方針転換し、南中国の山岳地帯に盤踞(ばんきょ)し、中華ソビエト共和国という割拠政権を樹立した。
国民党軍による掃討で拠点を奪われると、残党は1934年から西の四川省とチベットを通ってソ連領への逃亡を図った。
途中、チベット軍との戦闘で死傷者を出しながらも、略奪と放火を続けた。
この行為を後日、毛沢東は
「チベット人から少し、物資をかっぱらった」
と認めている。
北への逃亡を毛沢東らは当初、
「戦略的撤退」
と位置付けていたが、やがて
「北上抗日」
という美しい名前に置き換えた。
当時、毛らは日本軍がどこまで進出していたかすら把握しておらず、建国して2年以上経つ満州国についても
「東北」
という方位名称で呼び、正確な情勢認識を有していなかった。
そのため、1935年晩秋に陝西省の延安に落ち着いた時も、隣接する内モンゴルからの攻撃に怯えていた。
毛は
「中華ソビエト共和国宣言」
を配布し、内モンゴル人にはウクライナ人やコーカサス諸民族と同じような分離独立権があると公言している。
将来、モンゴル人が仮に中国領内に留まる選択をしたとしても、それは連邦制だ、と高らかに宣言している。
■国是としての反日
毛の中共軍は延安から抗日の前線の東へは向かわず、勢力の拡大と国民党軍の弱体化を図った。
陝西省北部と内モンゴルのオルドス高原でケシを栽培し、精製したアヘンを国民党軍の支配地とモンゴルに密売した。
アヘン密売で国民党軍の戦意を減衰させ、モンゴル社会に貧困をもたらした。
前線から敗退してくる国民党軍を中共軍はまるで日本軍の友軍のように迎え撃ち、占領地では裕福な農家を
「搾取階級の地主」
として殺害した。
地主から奪った土地を、ごろつきや浮浪者などに渡し、自軍の勢力を補強した。
日中の8年間もの戦いを経て、いざ戦争が終わってみると、中華民国の農山村はほとんど中共の
「革命的根拠地」
と化していた。
これが中共の
「抗日」
の事績である。
中共は戦後、満洲映画協会(満映)にいた日本人技術者を動員して多くの
「抗日映画」
を製作したが、
「鉄道遊撃隊」
のような映画名自体が、中共軍は日本軍と大規模な近代戦争を展開していなかった事実を物語っている。
満州国と内モンゴルに進攻してきたソ連・モンゴル人民共和国連合軍は同床異夢の関係にあった。
ソ連は満州国に中共軍を手引きし、日本軍が残した優良な武器弾薬を渡して国共内戦を有利に進め、毛沢東を政権の座に就けた。
■戦争の検証は必要なし
モンゴル人民共和国は同胞の内モンゴル人の解放を目指し、長城以北のモンゴリア全域の統一を目標としていた。
モンゴル人民共和国にとっては民族解放の戦争だった。
しかし、米英ソが1945年春に交わした
「ヤルタ協定」
の密約により、内モンゴルは中国に占領されることになっていたため、民族の解放は夢半ばで頓挫した。
今日の習近平政権は、ソ連とモンゴル人民共和国連合軍の南下についても触れなくなり、本当の反ファシズムの歴史を自ら隠蔽している。
習氏の招待を受けて、プーチン氏は今秋2025年秋に北京を訪れ、
「抗日戦勝行事」
に参加する予定である。
抗日していなかったが故に、反日は国是となり、政権維持の手段となっている。
中共からの攻勢に日本は無防備なだけでなく、有力議員は陸続と北京を訪問してはパンダをねだったりして融和的な姿勢を取っている。
議員団の訪中後も中共の公船は沖縄県の尖閣諸島海域に侵入し続け、一方的に自国領だとの主張を変えていない。
尖閣を狙う中共の目的は、歴史の捏造を現実化しようとしている点にある。
日本の現政権は、中国による歴史の書き換えと国際秩序の改編に対処しないどころか、戦後80年に当たり
「先の大戦を検証する」
と謝罪につながりかねない行為を繰り返そうとしており、自虐史観の呪縛から一向に脱出しようとしていない。
自虐史観は国家の健全な発展に有害なだけでなく、中共の侵略を利する危険性があり、一刻も早く対抗措置を講じなければならない。

自民・護る会「わが国を非難する口実を与える」 戦後80年の有識者会議中止を政府に要請
2025/5/7 16:40
https://www.sankei.com/article/20250507-VU2RRAIEMJP6ZK25BIFKNXQ3AU/
自民党の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
の青山繁晴参院議員らが2025年5月7日、国会内の林芳正官房長官の事務所を訪ね、戦後80年の節目に合わせ石破茂首相が意欲を示している先の大戦の検証を中止するよう林氏に求め、首相宛の要請文を手渡した。
要請文では、安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で
「謝罪外交を明確に終えることになった」
とした上で、有識者による検証は
「内容に関わらず、中国や韓国、北朝鮮、ロシアに我が国を非難する口実を再び与えることになる可能性が高い」
と懸念を示した。
先の大戦の検証は
「僅か数カ月で完了できるものでもない」
とも強調した。
青山氏によると、林氏は戦争検証の有識者会議の設置について
「政府として公式に申し上げたことは1度もない」
と言及した上で、要請文を首相と共有すると応じたという。
林氏は同日の記者会見で
「首相が戦争検証へ有識者会議を設ける検討に入ったとの事実はなく、戦後80年に向けたメッセージの在り方については何ら決まっていない」
と述べた。

石破首相の戦争検証「中止」求める方針 自民保守系グループ、青山参院議員ら確認
2025/4/23 20:38
https://www.sankei.com/article/20250423-KQOTHWBDT5ODZDDOVPG2QZ6U7E/
自民党の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
(代表・青山繁晴参院議員)
は2025年4月23日、総会を国会内で開き、戦後80年の節目に石破茂首相が調整している先の大戦の検証について、中止を求める方針を確認した。
首相官邸に申し入れる方向で日程を調整する。
首相宛ての要請文では安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で
「謝罪外交を明確に終えることになった」
と強調。
「有識者による戦争検証は中国や韓国に対してわが国を非難する口実を再び与える可能性が高い」
と懸念を示した。

<主張>首相と戦後80年 靖国神社参拝を最優先に
社説
2025/4/14 5:00
https://www.sankei.com/article/20250414-XNG5AIBCWNILJKPBOMIVB2JYWA/
戦後80年の今年2025年、石破茂首相は先の大戦(大東亜戦争)を検証したい考えだ。
近く有識者会議を設置し、その報告を踏まえて、歴史観や戦争への見解を首相自身が会見で表明したいのだという。
一方で、自民党内の懸念の声を受け、戦後80年の首相談話を終戦の日に出すことは見送る。
石破首相に強く求めたい行動がある。
それは、春秋の例大祭や終戦の日などの機会に、靖国神社を参拝することだ。
談話よりも、有識者会議よりも、記者会見で私見を披露するよりも、礼を尽くして戦没者(英霊)を追悼、慰霊する方が、遥かに大切である。
日本は大東亜戦争で、陸海軍人、民間人など合わせて310万人の同胞を喪(うしな)った。
日本史上最大の悲劇といってよい。
戦争に思いを致すなら、靖国神社参拝こそが最もふさわしい振る舞いである。
靖国神社は近現代日本における戦没者追悼の中心施設だ。
戊辰戦争や日清・日露の戦役なども含め、日本を守るため斃(たお)れた246万余柱の英霊をお祀(まつ)りしている。
境内の鎮霊社では、空襲などで亡くなった一般国民を祀っている。
どの国も、伝統的様式に沿って戦没者を追悼している。
それが、国に殉じた人々への礼節ある態度である。
国を守るため尊い命を捧げた日本の英霊にとって、靖国神社に祀られることは自明だった。
政治リーダーの参拝は日本国と英霊の約束に含まれる。
もちろん最も大切なのは天皇陛下の御親拝である。
ところが、昭和後期以降、中韓両国の内政干渉などで首相の参拝が政治問題化し、多くの首相が参拝しなくなった。
勅使の参向はあるものの御親拝は途絶えた。
首相就任前の昨年2024年9月、石破首相は、天皇陛下の御親拝の環境が整わなければ自身は参拝しない考えを示した。
倒錯した発想で理解し難い。
首相が参拝を重ね、御親拝の環境を整えていくのが務めではないか。
自民党(石破総裁)の今年2025年の運動方針には
「靖国神社参拝を受け継ぎ」
とある。
首相は昨年2024年、靖国神社秋季例大祭に合わせ真榊(まさかき)を奉納した。
尊崇の姿勢が真実であるのなら、戦後80年の今、中韓両国や心ない左派勢力に阿(おもね)ることはない。
参拝して英霊に頭(こうべ)を垂れてほしい。

80年談話と「東海」呼称問題に懸念 立民・亀井亜紀子氏「韓国に蒸し返されないように」
2025/4/9 12:59
https://www.sankei.com/article/20250409-XPBLPDSX3VDTRMIGFOKD3XBKOU/
立憲民主党の亀井亜紀子衆院議員は9日の衆院外務委員会で、石破茂首相による戦後80年談話の発出や先の大戦を検証する有識者会議の設置に懸念を示した。
拓殖大の下條正男名誉教授が
「戦争検証で有識者会議を立ち上げて喜ぶのは韓国の反日勢力だ」
「蒸し返しが起き、日韓関係が離れていく」
と指摘していることを紹介し、
「80年談話は出さないということでよろしいか」
と尋ねた。
■外相「決定していない」
これに対して、岩屋毅外相は
「新たな談話を発出するかは決定していない」
「これまでの経緯を踏まえ、様々な点から考えたいというのが現段階での首相の方針だ」
と述べた。
首相は戦後80年の節目に合わせた首相談話の発出を見送る方針を固めた一方、先の大戦を検証する私的諮問機関を設置し、有識者らから意見聴取し戦争に対する見解を会見で表明する方向で調整している。
下條氏は、亀井氏の地元・島根県が設置した県竹島問題研究会の座長を務めている。
韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)を巡っては、島根県が毎年2月22日、
「竹島の日」
記念式典を主催しているが、政府は例年、閣僚の派遣を見送っている。
一方、2月7日の
「北方領土の日」
に開かれる返還要求全国大会は政府主催で、首相や閣僚が出席している。
■「世界の地図97%が日本海呼称のみ」
亀井氏は
「なぜ北方領土と竹島で国の取り組み方が違うのか」
「県民みんなの疑問だ」
と質したが、今井絵理子内閣府政務官は
「それぞれ領土問題を巡る経緯や状況が異なることから単純に比較することは困難」
と述べるにとどめた。
また、外務省の担当者は、日本海について韓国が自国の呼称
「東海」
の使用を国際社会に働きかけたことについて
「現在では韓国および北朝鮮を除く、世界の主要各国の地図の97%以上が日本海という呼称のみを使用している」
と明言し、
「今後も国際社会に日本海呼称に対する正しい理解と支持を得るべく務めていく」
と語った。
亀井氏は
「日本海と書かれた中に竹島があると、如何にも日本の領土のように見えるから、名称を東海に変えようとしている戦略的な韓国側の立場がある」
「蒸し返されたりしないようにお願いしたい」
と訴えた。

<産経抄>石破首相の戦争検証はうぬぼれか独善
2025/4/5 5:00
https://www.sankei.com/article/20250405-DJCWU7F6XRPXHMXGBBQUDXLCYU/
平成22年8月、時の菅(かん)直人首相は日韓併合100年に当たり韓国に
「痛切な反省と心からのお詫び」
を表明した首相談話を発表した。
当時、若手外交官がこう嘆くのを聞いた。
「政治家は談話で自分の名前を歴史に残したがるが、危険性を分かっていない」
「韓国への下手な謝罪は中国や周辺国を刺激し、問題は飛び火する」。
▼平成7年8月、日本の植民地支配と侵略にやはり
「痛切な反省と心からのお詫び」
を表明する談話を出した村山富市元首相は20年が経っても自賛していた。「談話が出てから今日まで、歴史問題で日韓、日中関係が色々ガタガタすることはなかった」。
政治家の自慢話は、事実関係を超越することがある。
▼実際はどうか。
村山談話発表から3週間も経たない平成7年9月、中国の江沢民国家主席(当時)は演説で強調した。
「ここ数年、日本では侵略の歴史を否定し、侵略戦争と植民地支配を美化しようとする論調がしばしば出ている」。
日本の善意は一顧だにされず、談話の効果など見られない。
▼石破茂首相は今夏2025年夏の戦後80年に際して戦争の検証を行い、自分の思いを何らかの声明に込めて発出するという。
恐らく日本の将来のために良かれと考え、その行為は正しく有意義だと信じているのだろう。
だが、それは自惚れか控えめに言って独善である。
▼哲学者、ニーチェは喝破する。
「或る者たちは、自らの一握りの正義を誇り、この正義のために、一切の諸事物に対して罪を犯す」。
根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話を出した河野洋平元官房長官も、
「或る者たち」
の1人と言えよう。
▼政治家の個人的な思いで過去を断罪したり、評価したりされて困るのは我々の子々孫々である。

「どれだけ大変か分かっているのか」党重鎮の助言で戦後80年談話見送りも検証にこだわり
2025/3/27 19:08
https://www.sankei.com/article/20250327-KRONHKWNTBMMDE762J3KCOUA2Y/
石破茂首相は戦後80年の首相談話を見送る方針を固めた。
一方で、先の大戦の検証は行い、所感も公表する方向だ。
「戦後レジームからの脱却には検証が必要」
というのが首相の持論だからだ。
だが、有識者は
「如何なる形でも新たな検証は外交上のリスクとなり得る」
と指摘する。
「正しい判断だ」
「唯我独尊で談話を出しても孤立するだけだ」。
自民閣僚経験者は見送りに安堵の表情を浮かべた。
首相談話を巡り、首相は2025年1月のシンポジウムで
「今を逃して、戦争を検証することはできないだろう」
と発言。
側近の間では談話発出を容認する意見もあったが、党内保守派が一斉に反発し、新たな火種となりかけていた。
事態を重く見た1人が麻生太郎党最高顧問だった。
「絶対に出すべきではない」
「安倍晋三(元首相)氏がどれだけ苦労したか分かっているのか」。
関係者によると、麻生氏は首相に戦後70年談話は安倍氏が半年ほどかけて準備したと伝え、外交上も影響が大きいと説いた。
首相は
「そこまでされていたのですか」
と漏らしたという。
その後、首相は徐々に後退し、最近は周囲に
「談話には拘っていない」
と語るようになった。
ただ、首相は戦後の自衛権が限定されている現状への問題意識は強く、
「日本の自主独立のためには先の大戦の敗戦は検証が不可欠だ」
との強い思いを持つ。
「戦前の軍部に対する文民統制が機能せず、不幸な戦争に国民を突入させた」
との認識が強く、今回の検証では先の大戦における戦争当事国への言及を控え、かつての軍部の暴走に焦点を当てる考えだ。

石破茂首相、先の大戦検証へ有識者らの会議体設置へ 戦後80年談話の発出は見送り
2025/3/27 16:09
https://www.sankei.com/article/20250327-BYQACDEH4ZMKNNIYUL253KGIO4/
石破茂首相は2025年8月15日の戦後80年の節目に合わせた首相談話の発出を見送る方針を固めた。
一方で、首相は先の大戦を検証するために、有識者らによる会議体を設置して2025年4月から意見聴取を開始する。
その結果を踏まえ、歴史観や戦争に対する見解を記者会見などで表明する方向で調整している。
先の大戦に関する首相談話は、平成7年の戦後50年から10年ごとに過去3回、政府が閣議決定した上で公表してきた。
首相はかねて戦争の検証に強い意欲を示しており、謝罪の側面を強調した戦後80年の談話を再び出したいのではないかとの見方が広がった。
ただ、自民党内では保守派を中心に、戦後70年の安倍晋三首相談話で戦後の
「謝罪外交」
に区切りがついているとして、新たな首相談話は
「謝罪外交に逆戻りする」(自民中堅)
と反発が強かった。
参院選が迫り、支持率が低迷する政権に対して党内では
「石破おろし」
の雰囲気もくすぶる中で、首相は党内の火種を生むことは避ける方向に判断が傾いたとみられる。
首相は談話の発出を見送る一方で先の大戦の検証には着手し、2025年4月にも有識者から意見聴取を始める。
見解表明の日時や形式は、2025年夏の参院選後に最終決定する見通しだ。
ただ、70年談話の起草に携わった麗澤大の八木秀次教授(憲法学)は「70年談話で謝罪外交に区切りが付いた」とした上で、「いかなる形式でも首相が新たに『戦争検証』するのは、対米、対中関係の外交戦略上の観点からも非常にリスクが高い」と指摘する。

選択的夫婦別姓や戦後80年談話「必要ない」 支持離れ阻止へ自民保守系の大同団結なるか
政界徒然草
2025/2/19 6:00
https://www.sankei.com/article/20250219-76A4GUTMMVNZ5BK4OSOJ42XFIY/
今の自民党は本当に保守政党なのだろうか…。
こんな疑念を振り払おうと、自民の保守系議員が発信を強めている。
家族のあり方を変える可能性がある選択的夫婦別姓制度の導入や、石破茂首相(自民総裁)による戦後80年談話の発出に異論を唱え、推進派を牽制している。
透けて見える危機感は岩盤保守層の
「自民離れ」
だ。
安倍晋三元首相の死後、結集軸を失った保守系は左傾化≠ノ歯止めをかけられるのか。
■高市氏「国民との約束守れ」
2025年2月12日午後、東京・永田町の自民党本部で開かれた
「氏制度のあり方に関する検討ワーキングチーム(WT)」
の会合。
保守政治家を自任する高市早苗前経済安産保障担当相が、近年の国政選挙で自民が旧姓の通称使用拡大を公約に掲げてきたと指摘し、
「国民との約束をまず守るべきだ」
と訴えた。
選択的夫婦別姓制度の導入を巡り、自民内は賛否が混在している。
「WTの議論を見守りたい」(中堅)
という推進派をよそに、活発的な動きを見せているのが慎重派だ。
2025年2月12日の会合には約50人が出席したが、中堅議員は
「推進派は10人ぐらいだった」
と説明した。
2025年2月4日には高市氏が顧問を務める有志グループ
「保守団結の会」
が、2025年2月5日には生前の安倍氏が会長を務めた保守系議員連盟
「創生『日本』」
がそれぞれ会合を開き、同制度導入への危機感を共有した。
慎重派からは経済対策や防衛力強化などを念頭に、
「選択的夫婦別姓の議論が、我が党の優先事項なのか」(ベテラン)
といった声も漏れる。
■安倍談話の上書き警戒
保守系は石破首相による戦後80年談話の発出にも慎重だ。
自民の外交部会と
「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」
は2025年2月17日に合同会議を開催。特命委の有村治子委員長が
「当然ながら、10年に1度談話を出さなければいけない決まりはない」
「実際、終戦から50年間は首相談話は出ていない」
と語気を強めた。
昨年の総裁選で石破首相と争った保守系の小林鷹之元経済安保担当相も先月2025年1月30日、80年談話について
「出す必要は全くない」
と突き放した。
今月2025年2月4日のBSフジ番組では
「70年談話は幅広い層の国民が共有できる内容だ」
「70年談話を更に上書きするような談話を、正直想像できない」
と語った。
保守系は、平成27年に安倍氏が出した戦後70年談話により、従来の
「謝罪外交」
に区切りを付けたとの見方を共有している。
安倍氏と歴史観が異なる石破首相により、談話が上書きされることへの懸念は根強い。
政府が観光目的で来日する中国人向けの短期滞在ビザ(査証)の緩和措置を決めたことに関しても、事前に報告がなかったとして保守系を中心に自民内は紛糾した。
中曽根弘文外交調査会長らは2025年2月4日、岩屋毅外相と面会し、党側に強い不満があることを説明した。
■小異を捨てられるか
一連の動きの背景には保守系の焦りがある。
リベラル色の濃いLGBT理解増進法の成立などを受けて岩盤保守層が離れた結果、昨年2024年の衆院選では自民の保守系議員が落選を余儀なくされたとされる。
石破政権下でも
「保守回帰」
はなされておらず、2025年夏の参院選では選択的夫婦別姓制度導入に慎重姿勢を示しつつある国民民主党などに保守票を奪われる懸念が広がっている。
ただ、保守系のまとめ役として安倍氏が君臨していた時代とは異なり、今は
「大同団結」
とは程遠い状況にある。
通称使用拡大で党内をまとめる方向性こそ一致しているものの、党内には複数の通称使用拡大案が存在し、一本化は見通せていない。
今国会では立憲民主党が選択的夫婦別姓を可能とする民法改正案を提出する構えを見せている。
保守派が対抗するには小異を捨てることが不可欠だが、
「自公が少数与党に陥り、令和7年度予算案の審議もある中、どこまで議論に力を入れられるかは分からない」
と語る自民関係者の表情は不安げだ。

戦後80年談話、謝罪外交逆戻り警戒 石破首相は発出に意欲か 夏の参院選控え神経戦
2025/2/18 17:08
https://www.sankei.com/article/20250218-TUUYLSTD2FNTPBGWR5EHE45IUM/
石破茂首相が2025年8月15日の戦後80年の節目に合わせた談話の発出に意欲的と受け取れる発言をして、自民党内に警戒感が広がっている。
新たな談話を出せば、10年前の安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話で終止符を打った戦後の謝罪外交に逆戻りする懸念があるためだ。
保守派からは
「逆戻り」
批判、リベラル勢力からは
「謝罪が不十分」
と相異なる批判が噴出する可能性もあり、2025年夏の参院選を控え、水面下の神経戦の様相も帯びている。
「80年談話で付け加えるべきことはない」。
自民の稲田朋美元政調会長は2025年2月18日の衆院予算委員会でこう訴えた。
これに対し、答弁に立った林芳正官房長官は
「発出するか否かは決定していない」
「様々な観点から考えて参りたい」
と肯定も否定もしなかった。
戦後50年の村山富市首相談話は
「植民地支配と侵略」
により
「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」
と言及し、
「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」
を表明した。
戦後60年の小泉純一郎首相談話もこれを踏襲。
だが、反日的な外交カードとして中国や韓国に利用されてきた。
そこで安倍氏は戦後70年談話で
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」
と明言し、
「無定見な謝罪から決別」(稲田氏)
を試みた。
2025年2月17日の自民の
「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」
などの会議では、
「戦後70年談話は歴史認識問題を政治問題化させないようピリオドを打った」
という評価を概ね共有した。
有村治子委員長は
「10年に1度談話を出さなければいけない決まりはない」
と強調した。
「でも首相は出したがっている」。
こう語る自民の閣僚経験者は
「左右双方から火を噴き、夫婦別姓以上の騒ぎになる」
と憂慮する。
先月2025年1月29日のシンポジウムで、首相は
「敢えて『敗戦後』というが、『終戦』では事の本質を間違える」
「今を逃して戦争の検証はできない」
と語った。
謝罪の側面を強調した談話を再び出したいのではとの見方が広がった。
岩屋毅外相に先月会った自民議員によると、岩屋氏は
「50、60、70年と出して80年で出さないのは…」
と意欲を示したという。
連立を組む公明党も反対していない。
自民の保守派には、歴代最長だった安倍政権への反動を懸念する声もある。
石破首相の周囲には当時非主流派として過ごし、対抗心を持つ議員がいるためだ。
閣僚経験者は
「安倍談話で十分だと言うと逆に出したくなる人がいる」
と解説する。
「『石破VS安倍』の対立構図になると首相を刺激してしまう」。
ある議員は語る。

自民・稲田朋美氏「危険ですらある」戦後80年の石破談話 林官房長官は発出「決定せず」
2025/2/18 10:55
https://www.sankei.com/article/20250218-U733OQCCVBAERH7AOACAKMPLZY/
林芳正官房長官は2025年2月18日午前の衆院予算委員会で、石破茂首相が検討している戦後80年の石破談話発出について
「現時点で新たな談話を発出するか否かは決定をしていない」
「今後の対応については、これまでの経緯も踏まえながら、様々な観点から考えてまいりたい」
と述べた。
自民党の稲田朋美氏への答弁。
稲田氏は平成27年の戦後70年の安倍晋三首相談話の
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
という部分を挙げ、
「初めて戦後レジームからの脱却を掲げた安倍氏の談話の核心だ」
と語った。
「当時の国際情勢から日本の歩みを日本の立場から辿り、無定見な謝罪からは欠別し、100年先を見据えた未来志向のものとして高く評価できる内容だ」
と述べた。
その上で、
「(戦後50年の)村山談話、60年談話の謝罪を終わらせ、100年先の日本のあるべき姿を示した以上、80年談話で付け加えるべきことはない」
と強調し、林氏に政府の方針をただした。
林氏は
「石破内閣は、これまでの首相談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく」
とした上で、戦後80年談話発出の有無は
「決定をしていない」
と述べた。
「国際社会が転換期を迎え、自由で開かれた国際秩序が揺らぐ中で、2025年の様々な機会を捉え、世界の平和と繁栄に向けた未来志向の戦略的発信に努めていきたいと考えている」
とも語った。
これに対し稲田氏は
「ここで中途半端な談話を出すことは危険ですらあると感じる」
と牽制した。
「村山談話、60年談話と安倍談話は全く違う」
「謝罪から決別したものになっている」
「戦後レジームからの脱却の旗のもとで、未来志向で将来世代に謝罪という宿命を負わせない、歴史認識を二度と外交カードにさせないといった、70年談話に込められた安倍氏の思いを無駄にしないでいただきたい」
と強調した。

戦後70年安倍談話「国内外世論の最大公約数」有村治子氏「10年に一度出す決まりない」
2025/2/17 17:48
https://www.sankei.com/article/20250217-U6KF6THPDNFEXP6WCAVOUV4W54/
自民党の日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会(委員長・有村治子元女性活躍担当相)は2025年2月17日、外交部会と合同会議を開き、戦後70年の安倍晋三首相談話に関する政府の有識者会議
「21世紀構想懇談会」
で座長代理を務めた北岡伸一東京大名誉教授を招き、談話発出の経緯を振り返った。
有村氏は挨拶で戦後70年談話について
「国内外の世論の最大公約数をまとめた」
と指摘した。
有村氏の発言要旨は以下の通り
■安倍氏「いやぁ保守からもリベラルからも」
今年は終戦80年、私たちの多くが生まれ育って青春時代を過ごした昭和から数えて100年、自民党が結党して70年という年回りで、70年談話で言及される日露戦争終結から120年という年回りでもある。
120年、100年、80年、結党70年と、まさに時間軸に思いをはせる節目の年になる。
終戦50年に社会党出身だった村山富市首相が50年談話を出された。
終戦60年には小泉純一郎首相が60年談話を発せられ、そして10年前の終戦70年には安倍晋三首相が70年談話を出された。
2015年8月14日、70年談話が出された直後2人でお話しする機会があった。「練りに練って練られた上での談話ですね」
と話したら、安倍総理は笑いながら、
「いやぁ、保守からもリベラルからも相当厳しく言われて、その概ね合意形成ができ、各国でも好意的に認められたことは、ほっとしたよ」
と笑顔を浮かべていた。
当然ながら、10年にいっぺんずつ談話を出さなければいけない決まりはない。
実際、終戦から50年間は総理大臣談話は出ていない。
改めて今年2025年終戦80年で10年前に何が起こったのか。
■謝罪だけでなく感謝に焦点
謝罪にフォーカスが当たっていたのを謝罪だけではなく、感謝の言葉に焦点が当たるようにしている。
過去の限られた時間軸だけではなく、日露戦争まで言及して、未来志向というフォーカスに当たっている。
分断だけではなく、皆さんの協力があって日本が戦後、国際社会に復帰し、そしてその世界の統合ができたことを静かな誇りにしている。
戦後の歩みにまでフォーカスが行くようにしており、国際協調の責任を果たす日本というイメージを強調されている。
最大の貢献の1つと思っているが、保守とリベラル、無党派の方々もたくさんいる中で、戦争を振り返るわけだから、当然色々な考え方が、意見がある。
その中で国内外の世論の最大公約数を安倍総理が70年談話にまとめ上げられた。
それを世界に、同時に発信され、各国でも支持されたという背景を学んでいくことになると思う。
80年に向けて、私たちがどんな心構えでこの年を過ごし何を受発信すべきなのか率直に学び、そして議論ができる機会になれば有難い。

石破茂首相「戦争検証」よりやるべきことがあるはずだ 政府・与党内にも慎重論強く
サンデー正論
2025/2/16 10:00
https://www.sankei.com/article/20250216-MNLTHRZEBRKSVNS3BTZEA4BJ74/
石破茂首相は最近の講演や国会答弁で、戦後80年の今年2025年こそ先の大戦の敗因について検証すべきだとの考えを示している。
首相就任前からの持論だが、ただでさえ少数与党で政権運営が厳しい中で、取り組むべき課題なのかと政府・与党内には慎重論が強い。
しかも、検証といっても政府がやることなのか不明で具体性に欠けている。
評論家気質が抜けず、政権として取り組むべき優先順位の整理がついていないようだ。
石破首相の
「戦争検証」
発言は2025年1月29日のシンポジウム「東京グローバル・ダイアログ」(日本国際問題研究所主催)に出席した際に飛び出した。
冒頭は用意された文面を早口で読んでいただけだったが
「というのが原稿でございました。よくできております」
と言ってからアドリブで話し始めた。
「国会議員になって今年2025年で40年目になります」
「これでも外交の仕事も結構やっておりまして」
「本当かよという顔をしていらっしゃる方もありますが(会場から笑い)全く知らない分野ではございません」
そう前置きした上で話し始めたのが、先の大戦の検証だ。
「今を逃して戦争の検証はできない」
と強調した。
2025年1月31日の衆院予算委員会でも
「なぜあの戦争を始めたのか、なぜ避けることができなかったのか、なぜ途中でやめることができずに、あのような東京が焼け野原になり、広島・長崎に原爆が落ち、大勢の方が亡くなったのか」
「まだその記憶をきちんと自己のものとして持っておられる方々がおられるうちに検証するというのは、80年の今年2025年が極めて大事だ」
と語った。
質問した立憲民主党の長妻昭代表代行は石破首相の考え方に
「共感する。ぜひ検証を与野党でやっていきたい」
と応じた。
■吉田清治現象
石破首相は自民党総裁選を控えた昨年2024年8月に出版した『保守政治家』(講談社)でも
「昭和は遠くなりにけり、であるからこそ、その遠ざかりゆくものの検証が必要だ」
と述べた。
これまで作家の半藤一利氏や保阪正康氏らの著作から
「大きな示唆を受けてきました」
という。
半藤氏や保阪氏から影響を受けた石破首相に、別の見方もあることを知るためにも、読んでほしい対談や論文が月刊「正論」にはある。
まずは平成27年11月号の伊藤隆東京大学名誉教授と中西輝政京都大学名誉教授の対談だ。
この対談は同年平成27年8月14日に出された安倍晋三首相の
「戦後70年談話」
発出に向けた有識者懇談会のメンバーだった中西氏を伊藤氏が“追及”する形で進められている。
この中で次のようなやり取りがある。
伊藤氏
「如何なる戦争も講和条約や平和条約が結ばれたら、それで終わりです」
「敗れた国が謝り続けたり、いつまでも責任問題を外交に持ち出されたりすることは歴史上全くありません」
「日本もサンフランシスコ講和条約、日華平和条約、東南アジア諸国への賠償協定、日韓基本条約、日中平和友好条約を結んで、大東亜戦争の戦場になったり、併合したりした国とは全て決着をつけました」
「なぜ日本だけが謝り続けなければならないのか分かりません」
「(中略)中国や韓国は、歴史問題を外交に利用し続けますね」
「なぜ、日本は歴史問題を利用され続けるのか」
「戦後、アメリカから東京裁判史観を植え付けられ、日本人が未だに、その毒が抜けきらないからですよ」
中西氏
「私は、『吉田清治現象』と呼んでいます」
「慰安婦問題で、吉田清治は自国を告発するために、やってもいない『慰安婦狩り』に自ら手を染めたと自虐証言まで捏造した」
「戦後の日本人には何でも『日本が悪い』ということに快感を覚える習性があって、それに日本人が迎合していくという現象が起き続けていくわけです」
対談の最後に伊藤氏はこう総括している。
「『歴史を戦勝国史観から克服する』」
「これをやる以外にないと思っていますよ」
「安倍談話は、日本が『進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました』と表現しています」
「経済もエネルギーの供給も立ちゆかなくなった当時、ではどうすればよかったのか」
「欧米の植民地になるのか、滅びるのか。当時の日本が『針路を誤った』と批判するのは、今の安保法制を批判するのと同じことですよ」
「現実を見ずに理想や空想的な平和を語っているだけです」
「『じゃあ、中国の属国になっていいの?』と問いたいですね」
■「侵略」断定に抵抗
伊藤氏は対談の中で
「安倍シンパ」
を自任している。
中西氏も同様だったが、懇談会の報告にある
「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し」
の部分に反対し、委員の辞表届も提出した。
「ちょうど安保法案の審議で内閣支持率が一挙に10%前後も下がった時期でした」
「最後は、安倍総理ご本人が数度に渡って電話をしてこられた」
「私が『脚注の案文をそのまま吞んでくれなければ、辞表は撤回しません』と直訴すると、総理は吞んでくれました」
中西氏は辞表を撤回した。
脚注に載ったのが次の一文だ。
「複数の委員より『侵略』と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった」
「理由は
1)国際法上『侵略』の定義が定まっていないこと、
2)歴史的に考察しても、満州事変以後を『侵略』と断定する事に異論があること、
3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを『侵略』と断定することに抵抗があるからである」
周到に準備した
「戦後70年談話」
を巡ってもこれだけの激論、異論があったのである。
■左翼と同じ土俵
次に、元防衛大学校教官で、ベストセラー『失敗の本質』の著者の一人、杉之尾宜生氏の令和4年3月号の論文だ。
「『失敗の本質』に対する読者の一番の不満は、サブタイトルに『日本軍の組織論的研究』と銘打っておきながら、なぜああいう戦争に突入したのかということについては、何も書いていないことだろう」
「それは序章で『戦争原因究明を本書に期待しているとすれば、読者は恐らく失望するだろう」
「というのは、本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したかを問うものではないからである」
「もちろん、なぜ敗けるべき戦争に訴えたのかを問うことは、既にいくつかの優れた研究があるとはいえ、今後も問い直して然るべきであろう」
「しかし、本書は敢えてそれを問わない』と記してある」
なぜそうしたのか。
それは軍事の勉強がしたいと防衛大学校に移ってきた経営学者の野中郁次郎氏が、
「文化論に陥ると左翼の人たちと同じ土俵に乗った論調になるから避けよう」
と、天皇陛下と日本軍の関係には一切触れずに純粋な組織論として描くことにしたからだ。
奇しくも伊藤氏、杉之尾氏、野中氏は昨年2024年8月から2025年1月にかけて相次いで鬼籍に入った。
杉之尾氏は論考の最後で
「評論家の山本七平氏は、日本軍の最大の特徴として『言葉を奪ったことにある』と捉えたが、それは今の自衛官も変わらない」
「『専守防衛』や『憲法9条』の枠の中に縛り付けられている」
「直面する危機を考えた時、これまでのようにがんじがらめの憲法解釈や既存の法律に縛られたままでは軍事プロフェッショナリズムに基づく任務を遂行することは至難の業である」
と書いている。
石破首相がすべきことは過去を振り返ることよりも、今も続く縛りを解くことではないか。

<産経抄>戦後80年の石破談話は百害あって一利なし
2025/2/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250201-ZN267Q7FURL5LJ2P7PJRZB2II4/
「三つ子の魂百まで」
とも
「雀(すずめ)百まで踊り忘れず」
とも言うが、人の昔からの性質や考え方はそんなに変わらない。
石破茂首相は先月2025年1月29日の国際安全保障に関するシンポジウムで、こう語った。
「今年2025年は敗戦後80年だ」
「今を逃して、戦争の検証はできないだろう」
▼もう19年も前の平成18年6月のことである。
東京都内で開かれた首相の衆院議員在職20年記念パーティーを覗くと、来賓のベテラン議員らが口々に
「石破君は将来の首相候補」
と称揚していた。
ところが、挨拶に立った首相はこんな場違いなことを述べたのだった。
「戦争責任をもう1回考えたい」
▼ずっと以前から自分なりに、先の大戦の総括をしたいと考えてきたのだろう。
シンポでの言葉は、戦後80年談話を発出したいとの意欲表明なのか。だが、中国が
「抗日反ファシズム戦争勝利80周年キャンペーン」
を準備している今年2025年、新談話を出せば反日勢力に利用されよう。
▼首相は18年9月には、毎日新聞鳥取県版で強調した。
「日中戦争は明らかに侵略だし、韓国併合は植民地化」。
南京事件や慰安婦問題を巡っても、過去に中国や韓国の主張に寄り添う発言をしている。
せっかく安倍晋三元首相が戦後70年談話で戦後の謝罪外交に終止符を打ち、戦後を終わらせようとしたのに、時代を逆行させてどうするのか。
▼自民党総裁選を争った小林鷹之元経済安全保障担当相は先月2025年1月30日、80年談話の意義を否定した。
「出す必要は全くない」
「そのための70年談話だ」。
実際、70年談話の最後の段落には
「終戦80年、90年、更には100年に向けて…」
とあり、以後の時代のことも網羅済みである。
▼首相のお気持ちを表明する談話など、百害あって一利なしだと断言する。

戦後80年、首相談話は出すべきでない 「謝罪」から決別しようとした安倍氏の思い
サンデー正論
2025/1/19 10:00
https://www.sankei.com/article/20250119-ZBGC754GKNJE7EY6HHDTSJPTDE/
今年2025年は戦後80年に当たる。
中国では2025年7月に映画
「731」
の上映が予定されている。
「731」
とは旧日本軍関東軍防疫給水部のことだが、中国が80年を歴史戦に利用しようとしているのは明白だ。
これに対し、岩屋毅外相は2025年1月13日の日韓外相会談後の共同記者会見で、戦後80年首相談話について
「現時点で発出するとは決定していない」
「よく国内で相談したい」
と述べた。
相談することもない。
石破茂首相は中国や韓国に乗せられて80年談話を出すべきではない。
■「宿命を背負わせてはなりません」
岩屋外相には安倍晋三政権時代の平成27(2015)年8月に出された戦後70年談話をもう1度読み返してほしい。
談話には次のような一文がある。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています」
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」
「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
当時の作成過程をよく知る政府元高官は
「談話には一行一行安倍首相の思いがこもっているが、特にこの部分には時間をかけた」
と証言する。
当初案では
「生まれながらに謝罪することを強いられるべきではありません」
だった。
安倍首相は
「中身はいいが、誰が強いているかの議論になる」
「強いるという表現はちょっと違うな」
との感想を語り、修正を加えることにした。
■練りに練った安倍首相談話
元朝日新聞主筆の船橋洋一氏著の『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』(文芸春秋)の上巻
「戦後70年首相談話」
の章にも紹介されているように出てきたのが
「原罪」
だった。
安倍首相の指示で今井尚哉首相秘書官は連立を組む公明党の太田昭宏国土交通相のもとを訪れた。
太田氏は
「原罪」
について
「日本は欧州じゃないし、原罪という概念は馴染まない」
と異論を唱えた。
太田氏の指摘も踏まえ、安倍首相と秘書官らとの検討作業の中で出てきたのが
「宿命」
という表現だった。
この元高官は
「子供たちが生まれながらにして謝罪しなければならない、そうした『宿命』を背負わせるようなことはあってはならない、との思いから『宿命』が浮かんできた」と証言する。
この年平成27(2015)年の8月6日午後4時48分、安倍首相は官邸の執務室に太田氏を招き
「『宿命』でいいですか」
と尋ねた。
公明党の支持母体、創価学会で男子部長、青年部長を務めた太田氏は
「『宿命』は仏教用語でもあります」
「差し支えないと思います」
と同意した。
太田氏との打ち合わせは20分の予定が午後5時56分まで続いた。
太田氏が師と仰いだ創価学会の池田大作名誉会長は生前、
「宿命」
という言葉を重視し、
「宿命を使命に転換させる」
ことを説いてきた。
太田氏は
「真っ先にハンコつくからとは言っていないが、この談話は歴史に区切りを付けた」
と評価する。
談話は
「侵略」
の言葉を盛り込みながらも、西洋諸国の植民地だらけだった当時の国際情勢から説明し、
「謝罪」
から決別しようとする未来志向も明確で全体的には高い評価を得た。
ただ、東京大学の伊藤隆名誉教授や、京都大学の中西輝政名誉教授という歴史学の重鎮2人は談話が東京裁判史観から脱却できていないとして批判したことは忘れてはならない。
■中国に利用された岩屋外相
安倍首相らの血の滲むような努力を無にするような発言をしたのが岩屋外相だった。
昨年2024年12月25日に行われた日中外相会談後、中国側は岩屋外相が
「歴史問題では『村山談話』の明確な立場を引き続き堅持し、深い反省と心からの謝罪を表明する」
と述べた、と発表した。
岩屋外相は2024年12月27日の記者会見で、この発表は
「正確ではない」
として、
「歴史認識に議論が及んだ際に、石破茂内閣は平成7(1995)年の村山談話、安倍首相談話を含むこれまでの首相談話を引き継いでいると説明した」
と語った。
その上で
「一方的な対外発表を行ったことに対しては、中国側に対して申し入れを行った」
としたが、後の祭りである。
安倍政権当時も、
「70年談話は戦後50年の村山富市首相談話や、慰安婦関係調査結果に関する平成5(93)年8月4日の河野洋平官房長官談話を引き継ぐのか」
という質問は当然予想され、官邸内で議論した。
安倍首相は第2次政権発足後から、村山談話について
「政権として全体として受け継いでいく」
と述べていた。
もちろん、安倍首相の本音としては
「そのまま継承しているわけではない」
との立場だった。
官邸内の議論として出たのが
「当時の内閣の判断として受け継ぐもので、自分の立場が村山談話や河野談話と同じであると言う必要もない」
「これから未来に向かって受け継いでいくのが安倍談話でありそれに尽きる」
というものだった。
河野談話、村山談話ともに政局が不安定な時に出されたものだった。
河野談話が発出された時点で宮沢喜一内閣は衆院選で過半数割れし、退陣を表明しており、8月9日に細川護熙連立政権が発足する直前のことだった。
筆者は自民党幹事長担当だったが、党内は騒然としていて談話のことなど議論する余裕は全くなかった。
村山談話も同様で、自民、社会、さきがけの3党連立政権で、自民党内には談話への異論が強かった。
当選間もない安倍氏もその1人だった。
筆者が当時、野坂浩賢官房長官の担当として感じたのは、村山首相や野坂官房長官が談話に拘ったのはあくまで社会党政権としての存在感を示すことであり、日本の将来ではなかった。
野坂氏や前任の官房長官である五十嵐広三氏には同年1995年6月の戦後50年決議が自民党内の反対にあって中途半端な形になったとの思いが強かった。
そこで首相談話には
「植民地」
「侵略」
「反省」
「お詫び」
のいわゆるキーワードを盛り込むことに固執した。
野坂氏は
「反対ならば閣僚を辞めてもらいます」
と半ば恫喝して自民党を説き伏せ、閣議決定にこぎつけた。
■安倍氏をライバル視する石破首相
どさくさに紛れて出された河野談話、社会党政権の存在を後世に残すための村山談話とは異なり、安定政権を築いた安倍首相は有識者による
「21世紀構想懇談会」
で議論を重ね、歴史認識が異なる政治学者の五百旗頭真氏や読売新聞グループ本社会長兼主筆だった渡辺恒雄氏からも意見を聞き、談話を作り上げた。
談話はこう結んでいる。
「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献して参ります」
「終戦80年、90年、更には100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく」
「その決意であります」
戦後80年を既に見据えているのだ。
しかも石破政権は少数与党であり通常国会を如何に乗り切るかの見通しも立っていない。
今夏2025年夏には都議選、参院選もあり、政局が不安定になる可能性もある。
石破首相は
「政敵」
だった安倍氏の名前が出ると不快感を示すそうだが、個人的な感情で安倍氏に対抗して談話を出すべきではない。

「戦後80年談話」は禍根を残す 石破首相の中韓への謝罪癖に懸念
阿比留瑠比の極言御免
2025/1/16 1:00
https://www.sankei.com/article/20250116-6KPXLPMSFZPPHJZCMVBVGMNM3E/
「戦後の謝罪外交に終止符を打ちたい」
安倍晋三元首相がこの思いを込め、平成27年8月に戦後70年談話を発表して今年2025年8月で丸10年となり、日本は戦後80年を迎える。
安倍氏は談話発出後、筆者らに談話の意義についてこう語っていた。
「これで戦後80年、90年談話はもう必要ない」
それだけ考え抜いて作った安倍談話に自信があったのだろう。
談話は、西ドイツのワイツゼッカー大統領が敗戦40年の1985年に行った有名な演説
「荒れ野の40年」

「自らが手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません」
というレトリックを下敷きにして、次のように説いている。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
安倍氏によると、ベトナムの政府高官は
「この談話を読んで評価しないようなアジアの国があれば、まともではない」
と感想を述べていたという。
■村山談話を「上書き」
談話に取り組んだ背景には、平成7年に村山富市首相が出した戦後50年の村山談話への問題意識がある。
村山談話は、具体的にいつの何を指すのか曖昧にしたまま日本による植民地支配と侵略を謝罪しており、中国や韓国などに利用されて長く日本外交の手足を縛る枷となっていた。
安倍氏は安倍談話により村山談話を
「上書き」
し、超克することを強く意識していた。
また、安倍氏は安倍談話に加え、先の大戦で敵国同士だった米国やオーストラリアとの
「和解」
に取り組んだ。
オバマ米大統領を現職大統領として初めて被爆地・広島に迎え、自身は日米戦争の象徴である米ハワイ・真珠湾を訪問したのもその一環である。
安倍氏はまさに、日本を敗戦国の枠組みに閉じ込めてきた
「戦後」
を終わらせた宰相だったと言える。
■蒸し返しへの危惧
ところが、岩屋毅外相は2025年1月13日、訪問先の韓国での日韓外相会談後の共同記者会見で戦後80年談話の作成について次のように含みを持たせた。
「現時点で発出するとはまだ決定していない」
「戦後80年の節目にどのような対応を取るか、これからよく国内で相談したい」
出すと決まったわけではないにしろ、よく検討するというわけだが、果たしてどんな中身を想定しているのか。
岩屋氏は同時にこうも語った。
「政府として述べてきている歴代政権における歴史認識、談話を石破茂内閣もしっかりと引き継いでおり、この認識にいささかの変わりもない」
安倍談話を引き継いでいるということならばいいが、わざわざ
「歴代政権」
と話す所に、村山談話の下での謝罪外交や自虐的な歴史認識を蒸し返すのではないかと危惧を覚える。
第一、石破首相に安倍氏のような
「謝罪外交に終止符」
「戦後を終わらせる」
といった理念や信念はあるのか。
安倍談話に一体何を付け加えようというのか。
岩屋氏は今回、韓国で左派系の最大野党「共に民主党」出身の禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長と面会し、早速
「歴史問題の直視」
という注文を受けている。
「御用聞き外交」
かとの印象を受けた。
昨年2024年11月7日の当欄で紹介したように、石破首相は南京事件でも韓国併合でも中韓に安易に謝罪したがる癖がある。
戦後80年談話が村山談話に立ち戻るような内容であれば、全く出す必要がなく将来に禍根を残すだけである。
(論説委員兼政治部編集委員)

中国、韓国が利用する石破首相の歴史観 過去の言動繰り返せば付け入る隙に 
阿比留瑠比の極言御免
2024/11/7 1:00
https://www.sankei.com/article/20241107-3K6TVFPG6RPOZDBYUBB4CSA2ZI/
まだ石破茂首相のことを保守派だと見做していた20年以上も昔の話である。
筆者は当時、安倍晋三元首相や中川昭一元財務相らが熱心に取り組んでいた偏向歴史教科書問題や慰安婦問題など保守系の運動に関わろうとしないことをいぶかり、それらへの参加を促したことがある。
だが、返事はそっけなかった。
「そういうのは、もういいよ」
この時は、単に余り関心がないのかと流したが、徐々にそうではなくて歴史認識自体が大きく異なるのだと分かってきた。
石破氏の考え方は、むしろ左派・リベラルに近かった。
それを反映し、2024年9月の自民党総裁就任時などに、中国や韓国は首相の歴史観を理由に概ね歓迎を示した。
例えば韓国の左派紙、ハンギョレ新聞は同月2024年9月30日の社説で書いている。
「歴史問題についても『政治的ライバル』だった安倍元首相とは異なり、何度も合理的な見解を明らかにしたことがある」
「(中略)謙虚な歴史認識を示してくれることを期待する」
また、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(2024年10月18日付)は、首相が平成18年9月23日付の毎日新聞鳥取県版にこう語ったことを紹介している。
「最近は、自民党の若い議員を見ても、怖い」
「過去の戦争を『全て正しかった』と考えていて、頭は大丈夫かと疑いたくなる」
「日中戦争は明らかに侵略戦争だし、韓国併合は植民地化(だ)」
こうした首相のこれまでの言葉については、月刊誌「明日への選択」2024年11月号の記事
「かくも危うい石破首相の『歴史認識』」
がよくまとめていたので、許可を得て引用する。
それによると首相は平成29年5月、韓国紙、東亜日報のインタビューで慰安婦問題についてこう語った。
「納得を得られるまでずっと謝罪するしかないでしょう」
もっとも、その後の産経新聞の取材に首相は
「『謝罪』という言葉は一切使っていない」
「『お互いが納得するまで努力を続けるべきだ』と話した」
と否定している。
とはいえ、
「努力」
をどう翻訳(意訳)すれば
「謝罪」
に入れ替わるのか理解に苦しむ。
中国共産党系の新聞、世界新聞報のインタビューも防衛相時代の2020年に受け、こう述べたとされる。
「日本には南京大虐殺を否定する人がいる」
「30万(人)も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという」
「何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ」
「日本は中国に謝罪すべきだ」
これについても首相は月刊正論2020年9月号で
「大虐殺があったとは言っていないよ」
と否定しているが、聞き手の評論家、潮匡人氏はこうたしなめていた。
「ですが、そう相手に受け取られる対応も、事実関係で日中間に隔たりがある以上、国益の擁護者として慎重であるべきではなかったかと」
まさにその通りである。
首相が実際にどのような表現を使ったかは判然としないが、相手に利用されるようなことを述べたのは事実だろう。
来年2025年は終戦80年を迎える他、日韓国交正常化60周年にも当たる。
中国も
「抗日反ファシズム戦争勝利80周年キャンペーン」
を準備しているという節目の年である。
韓国や中国の反日勢力がさまざまな仕掛けをしてくると予想できるが、首相が過去の言動を繰り返すようなら、付け入る隙を与えることになろう。
もっとも、それまで首相を続けていられるかどうかは分からないが。
(論説委員兼政治部編集委員)

<年のはじめに>論説委員長 榊原智 未来と過去を守る日本に
2025/1/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250101-PWVSMDWROJMAZIIOSEKN3VJ2HQ/
今年2025年は、日本の未来と過去を守らなくてはならない年になるだろう。
抑止力の構築を急がないと、日本は数年内に、戦後初めて戦争を仕掛けられる恐れがある。
平和を守っていく年にしたい。
戦後80年である。
大東亜戦争(太平洋戦争)について中国や朝鮮半島、左派からの史実を踏まえない誹謗は増すだろう。
気概を持って反論しなければ国民精神は縮こまり、日本の歴史や当時懸命に生きた日本人の名誉は守れない。
政府や政治家が鈍ければ、国民は叱咤激励したり、自ら声をあげたりしていかねばなるまい。
能登半島地震から1年が経った。
復興を願うと共に、将来起きるかもしれない危難から日本や地域を守る必要性も痛感する。
ウクライナや中東の戦争を見てほしい。
自然だけでなく人間も大災害をもたらす。
安全保障は独立と繁栄の基盤といえる。
■統幕長の危機感共有を
自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長は昨年最後の記者会見で次のように語った。
「国際社会の分断と対立は深まり、情勢は悪化の一途を辿り、自由で開かれた国際秩序は維持できるか否かのまさに瀬戸際にある」
「来年(令和7年)を見通しても良くなる展望は開けない」
国家防衛戦略では令和9年までに
「我が国が主たる責任をもっ我が国への侵攻を阻止、排除できるようにする目標がある」
とし
「それまでに暇がない」
とも述べた。
率直な物言いは危機感の表れだ。
制服組トップがこれほど有事を懸念するのは米国と北朝鮮が開戦間際だった平成5、6年の第1次朝鮮半島核危機時の西元徹也統幕議長以来かもしれない。
だが、第1次核危機もそうだったが最近の日本の政治が危機感を十分共有しているとは思えない。
歴代内閣の努力は分かる。
安倍晋三政権は集団的自衛権の限定行使に道を開いた。
菅義偉政権は米国と共に
「台湾海峡の平和と安定の重要性」
を宣言した。
岸田文雄政権は防衛費増額や反撃能力保有など防衛力の抜本的強化を開始した。
石破茂内閣は自衛官の募集難対策に本腰を入れている。
中国の台湾侵攻や北朝鮮の暴発を抑止する取り組みだ。
ただし、昨年2024年の日本は、政治とカネの問題で騒動が続くなど専ら内向きだった。
国会などの場で日本の政治は外交安保にもっと意を払うべきだった。
周囲の専制国家が
「日本与しやすし」
と見れば抑止効果は減じる。
それがどれほど恐ろしいことか。
トランプ米政権の登場で、侵略者ロシアと抗戦してきたウクライナが休戦となれば、台湾海峡や東・南シナ海など北東アジアの安全保障環境を変化させる。
■戦後80年に踏まえたい点
北東アジア自体への影響にとどまらない。
停戦監視へ陸上自衛隊のウクライナ派遣が期待されるかもしれない。
また、紅海で民間船舶を攻撃する親イラン民兵組織フーシ派討伐への海上自衛隊参加の要請があるかもしれない。
日本の対応は、北東アジアへの欧米諸国の関与を左右する。
これらは仮の話だが、日本の政治は、そして日本国民は、ウクライナなどの情勢の展開に備えようとしているか。
分断と対立が深まる国際情勢を我が事として捉えているか。
トランプ氏との会談で石破首相は、日本と国際秩序を能動的に守る姿勢を示してほしい。
紙幅が尽きた。
戦後80年について2点指摘したい。
1つ目は、大東亜戦争を巡り、当時の日本には祖国防衛の思いに加え、人種平等の実現や欧米植民地支配打破の理想があった点を、戦後の日本人はほとんど知らされてこなかったという点だ。
2つ目は史実を踏まえた議論の大切さである。

満州事変
世界恐慌の少し前の昭和3年(1928)、満州を実効支配していた張作霖が列車ごと爆殺されるという事件が起きたのです。
元は馬賊だった張作霖は権謀術数に長けた人物で、日露戦争後に日本陸軍の関東軍と手を結び、軍閥を組織して満州を実効支配し、徴収した金を全て自分の物としていました。
当初、張作霖と関東軍の関係は良好でしたが、大正の終わり頃から、物資の買い占め、紙幣の乱発、増税などを行い、関東軍と利害が対立するようになっていきます。
更に欧米の資本を入れて、日本の南満州鉄道(満鉄)と並行する鉄道を敷設したことで、両者の衝突は避けられなくなりました。
満鉄は鉄道事業が中心として満州全域に広範な事業を展開する会社で、日本軍による満州経営の中核たる存在であっただけに、関東軍としても見過ごすわけにはいかなかったのです。
張作霖爆殺事件はそんな状況下で起こりました。
事件の首謀者は関東軍参謀と言われてきましたが、ソ連の関与があったとする説もあり、現在も論争が続いています。
ただ、この時、
「張作霖爆殺」
に関しての陸軍の調査と、彼らを庇うかのように二転三転する内閣の報告に関して、昭和天皇は不快感を顕にし、田中義一首相(元陸軍大臣)の内閣は総辞職しました。
天皇は自分の言葉(それを首相に伝えたのは鈴木貫太郎侍従長)が内閣に影響を与えてしまったことを反省し、以後は内閣の決定には拒否権を発動するなどの
「親裁」
は行わないようになりました。
それをやれば日本は専制君主国家になってしまうという思いからです。
張作霖の跡を継いだ息子の張学良はこの後、満州に入植してきた日本人と朝鮮人の権利を侵害する様々な法律を作ります。
また父の張作霖が満鉄に並行して敷いた鉄道の運賃を異常に安くすることで満鉄を経営難に陥れました。
そのため満鉄は昭和5年(1930)後半から深刻な赤字が続き、社員2000人の解雇を余儀なくされたのです。
日露戦争でロシア軍を追い出して以降、日本は満鉄をはじめとする投資により、満州のインフラを整え、産業を興してきました。
そのお陰で満州は大発展したのです。
この頃、清では戦乱が相次ぎ、日本は満州の治安を守るためにを置いていました。
そのため清から大量の難民が押し寄せることとなります。
そうしたこともあって日露戦争が始まった明治37年(1904)頃には約1000万人だった満州の人口は、20数年の間に3000万人にも増えていました。
同じ頃、蒋介石率いる中国国民党政権と中国共産党による反日宣伝工作が進められ、排日運動や日本人への脅迫やイジメが日常的に行われるようになりました。
日本人に対する暴力事件も多数発生しました。
代表的な事件は
「南京事件」
と呼ばれるもので、これは昭和2年(1927)3月に、蒋介石率いる中国国民党が南京を占領した際、中華民国の軍人と民衆の一部が、日本を含む外国領事館と居留民に対して行った襲撃事件です。
暴徒は外国人に対して、暴行・略奪・破壊などを行い、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、デンマーク人、フランス人が殺害されました(この時、多くの女性が凌辱された)。
この暴挙に対して、列強は怒り、イギリスとアメリカの艦艇は直ちに南京を砲撃しましたが、中華民国への協調路線(及び内政不干渉政策)を取る幣原喜重郎外務大臣(「日英同盟」を破棄して「4カ国条約」を結んだ全権大使)は、中華民国への報復措置を取らないばかりか、逆に列強への説得に努めました。
更に日本政府は国内の世論を刺激しないように、
「我が在留婦女にして凌辱を受けたる者1名もなし」
と嘘の発表をしたため、現状を知る南京の日本人居留民を憤慨させたのです(政府は居留民たちが事実を知らせようとする集会さえも禁じている)。
この時、報復攻撃をしなかった日本に対し、中国民衆は感謝するどころか、逆に
「日本の軍艦は弾丸がない」
「張子の虎だ」
と嘲笑したと言われています。
事実、これ以降、中国全域で、日本人に対するテロ事件や殺人事件が急増します。
満州でも、中国共産党に通じたテロ組織が、日本人居留民や入植者を標的にしたテロ事件を起こすようにもなりました。
しかし被害を受けた日本人居留民が領事館に訴えても、前述の通り、時の日本政府は、第2次幣原喜重郎外交の
「善隣の誼(よしみ)を淳(あつ)くするは刻下の一大急務に属す」(中国人と仲良くするのが何より大事)
という対支外交方針を取っていたため、訴えを黙殺しました。
それどころか幣原喜重郎外務大臣は、
「日本警官増強は日支対立を深め、ひいては日本の満蒙権益を損なう」
という理由で、応援警官引き揚げを決定します。
そのため入植者たちは、満州の治安維持をしている関東軍を頼り、直接、被害を訴えるようになっていきます。
それでもテロ事件は収まらず、昭和5年(1930)後半だけで、81件、死者44人を数える事態となりました(負傷者は数えきれない)。
この時、中国人による嫌がらせの一番の標的になっていたのが朝鮮人入植者でした。
これは多分に両者の長年の確執と性格による所もあったと考えられます。
韓国併合により当時は
「日本人」
だった朝鮮人は、何かにつけて中国人を見下す横柄な態度を取っていたと言われ、中国人にしてみれば、長い間、自分たちの属国の民のような存在と思っていた朝鮮人にそのように扱われのが我慢ならなかったものと考えられます。
中国人から執拗な嫌がらせを受けた朝鮮人入植者は、日本政府に対して
「日本名を名乗らせてほしい」
と訴えます。
最初は日本名を名乗ることを許さなかった統監府も、やがて黙認する形で認めることとなります。
日本政府の無為無策では南満州鉄道や入植者を守れないという意見が強まる中、関東軍は昭和6年(1931)9月、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業であるとして、満州の治安を守るという名目で軍事行動を起こしました。
政府は不拡大方針を取りましたが、関東軍は昭和7年(1932)7月までに満州をほぼ制圧し、張学良を追放しました。
いわゆる
「満州事変」
です。
「事変」
とは、大規模な騒乱状態ではあるが、宣戦布告がなされていない国家間の軍事的衝突を意味します。
以後、日本は中国大陸での泥沼の戦いに突入していくこととなります。

盧溝橋事件から支那事変
昭和12年(1937)7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍が、中華民国軍が占領している後方の陣地から射撃を受けたことがきっかけで、日本軍と中華民国軍が戦闘状態となります。
ただこれは小競り合いで、4日後の昭和12年(1937)7月11日には現地で停戦協定が結ばれました。
しかし東京の陸軍本部は派兵を望んでいて、最初は不拡大方針だった近衛文麿首相はそれに押し切られるように、昭和12年(1937)7月11日の臨時閣議で派兵を決めます。
盧溝橋の発砲事件に関しては、中国共産党が引き起こしたという説もありますが、真相は不明です。
異常な緊張状態の中、その月昭和12年(1937)7月の29日、北京東方で、
「通州事件」
通州事件(2) Sさんの体験談
https://nezu3344.com/blog-entry-6033.html
が起きます。
この事件は、
「冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)」(昭和10年【1935】から昭和13年【1938】まで河北省に存在した自治政府であるが、その実体は日本の傀儡政権であるとされる)
の中国人部隊が反乱を起こし(中国国民党や中国共産党が使嗾【しそう:そそのかすこと】したとも言われる)、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人や乳児を含む民間人233人を虐殺した事件です。
その殺害方法は猟奇的とも言うべき残虐なもので、遺体のほとんどが生前に激しく傷付けられた跡があり、女性は子供から老人までほぼ全員強姦された上、性器を著しく損壊されていました。
これらの記録や写真は大量に残っていますが、まともな人間なら正視に耐えないものです。
この事件を知らされた日本国民と軍部は激しく怒り、日本国内に反中感情が高まりました。
また昭和12年(1937)8月に上海の租界で2人の日本の軍人が射殺された(大山事件)こともあり、日本人居留地を守っていた日本軍と中華民国軍が戦闘状態に入りました(第2次上海事変)。
この時、ドイツの指導と武器援助を受けていた中華民国軍は屈強で、日本軍は思わぬ苦戦を強いられます。
当時、上海の租界には約2万8000人の日本人が住んでいましたが、実は大山事件前にも、日本人を標的にした中国人によるテロ事件や挑発的行為が頻発していました。
昭和6年(1931)、商社や商店、個人が受けた暴行や略奪は200件以上。
通学児童に対する暴行や嫌がらせは約700件。
殺害事件だけでも、昭和7年(1932)から昭和12年(1937)までの間に何件も起きています。
犠牲者も軍人だけでなく、托鉢僧や商社員、新聞社の記者など民間人が多数含まれていました。
第2次上海事変は中華民国の各地に飛び火し、やがて全国的な戦闘となりました。
ただ、日本がこの戦闘を行ったのは、そもそもは自国民に対する暴挙への対抗のためでした。
「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)
というスローガンが示すように
「暴れる支那を懲らしめる(膺懲)」
という形で行った戦闘がいつの間にか全面戦争に発展したというのが実情です。
当時、日本は中華民国との戦闘状態を総称して
「支那事変」(あるいは「日華事変」)
と呼んでいました。
支那事変は大東亜戦争が始まるまでの4年間、両国とも宣戦布告を行わずに戦い続けた奇妙な戦争でした。
その理由は、
「戦争」
となれば、第3国に中立義務が生じ、交戦国との交易が中立義務に反する敵対行為となるからです。
従って両国が共に
「事変」
扱いとして戦い続けたため、国際的にも
「戦争」
とは見做されませんでした(実質は戦争)。
装備に優る日本軍は僅か3カ月で上海戦線を突破し、その年昭和12年(1937)の12月には首都南京を占領しました。
日本軍は、首都さえ落とせば、中華民国は講和に応じるだろうと見ていたのですが、蒋介石は首都を奥地の重慶に移して抵抗します。
中華民国には、ソ連とアメリカが積極的な軍事援助を行っていて、最早戦争の早期終結は望めないこととなっていました。

昭和12年(1937)12月、日本軍による南京占領の後、
「30万人の大虐殺」
が起きたという話がありますが、これはフィクションです。
この件は日本と日本人の名誉に関わることですから、やや紙幅を割いて書きます。
「南京大虐殺」
は、日本軍の占領直後から、蒋介石が国民党中央宣伝部を使って盛んに宣伝した事件です。
例えば、南京大虐殺を世界に最初に伝えたとされる英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員であったオーストラリア人記者のハロルド・ティンパリは、実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています。
その著作
”What War Means:The Japanese Terror in China"(邦訳『外国人の見た日本軍の愚行ー実録・南京大虐殺ー』)
の出版に際しては、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われていたことが近年の研究で明らかになっています。
また『南京大虐殺』を世界に先駆けて報じたアメリカ人記者ティルマン・ダーディンも『シカゴ・デイリー・ニューズ』記者のアーチボルド・スティールも南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)。
当時、南京には欧米諸国の外交機関も赤十字も存在しており、各国の特派員も大勢いたにもかかわらず、大虐殺があったと世界に報じられてはいません。
30万人の大虐殺となれば、世界中でニュースになったはずです(捕虜の処刑は別)。
また、同じ頃の南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人です。
もう1つおかしいことは、日本軍が占領した1カ月後に南京市民が25万人に増えていることです。
いずれも公的な記録として残っている数字です。
仮に日本軍が1万人も殺していたら、住民は蜘蛛の子を散らすように町から逃げ出していたでしょう。
南京市民が増えたのは、街の治安が回復されたからに他なりません。
当時の報道カメラマンが撮った写真には、南京市民が日本軍兵士と和気藹々と写っている日常風景が大量にあります。
占領後に捕虜の殺害があったことは事実ですが、民間人を大量虐殺した証拠は一切ありません。
20万人という数字は安全区だけのもので、それ以外の地区は含まれていないという主張もありますが、安全区以外の地域にはほとんど人がいなかったという外国人の証言が多数残っています。
もちろん一部で日本兵による殺人事件や強姦事件はありました。
ただ、それをもって大虐殺の証拠とは言えません。
今日、日本は世界で最も治安の良い国と言われていますが、それでも殺人事件や強姦事件は年間に何千件も起きています(近年の統計によれば、殺人は900〜1000件、強制性交等はそれ以上)。
ちなみにアメリカでは毎年、殺人と強姦を合わせると数十万件も起きています。
ましてや当時は警察も法律も機能していなかったことを考えると、平時の南京では起こらないような痛ましい事件もあったとは思われます。
また南京においては
「便意兵」
の存在もありました。
便意兵とは分かり易く言えばゲリラです。
軍人が民間人のふりをして日本兵を殺すケースが多々あったため、日本軍は便意兵を見つけると処刑したのですが、中には便意兵と間違われて殺された民間人もいたかもしれません。
こうした混乱が起きるのが戦争だとも言えます。
例えば戦後の占領下で、アメリカ軍兵士が日本人を殺害したり、日本人女性を強姦したりした事件は何万件もあったと言われます。
これらは許されることではありませんが、占領下という特殊な状況において、平時よりも犯罪が増えるのは常です。
要するに、南京において個々の犯罪例が100例、200例あろうと、それをもって大虐殺があったという証拠にはならないのです。
30万人の大虐殺と言うからには、それなりの物的証拠が必要です。
ドイツが行ったユダヤ人虐殺は夥しい物的証拠(遺体、遺品、ガス室、殺害記録、命令書、写真その他)が多数残っており、今日でも尚、検証が続けられています。
しかし
「南京大虐殺」
は伝聞証拠以外に物的証拠が出てきません。
証拠写真の大半は、別事件の写真の盗用ないし合成による捏造であることが証明されています。
そもそも日中戦争は8年も行われていたのに、南京市以外での大虐殺の話はありません。
8年間の戦争で、僅か2カ月間だけ、日本人が狂ったように中国人を虐殺したというのは余りにも不自然です。
とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました。
「南京大虐殺」
とは、支那事変以降、アメリカで蒋介石政権が盛んに行った反日宣伝活動のフェイクニュースでした。
日本軍による
「残虐行為」
があったとアメリカのキリスト教団体とコミンテルンの工作員が盛んに宣伝し、
「残虐な日本軍と犠牲者・中国」
というイメージを全米に広めたのです。
このイメージに基づいて、後年、第二次世界大戦後に開かれた
「極東国際軍事裁判」(東京裁判)
では、日本軍の悪行を糾弾する材料として
「南京大虐殺」
が取り上げられることになります。
実は東京裁判でもおかしな事がありました。
この裁判では、上官の命令によって1人の捕虜を殺害しただけで絞首刑にされたBC級戦犯が1000人もいたのに、30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将1人しか罪に問われていないのです。
規模の大きさからすれば、本来は虐殺命令を下した大隊長以下、中隊長、小隊長、更に直接手を下した下士官や兵などが徹底的に調べ上げられ、何千人も処刑されているはずです。
しかし現実には、処刑されたのは松井大将1人だけでした。
東京裁判で亡霊の如く浮かび上がった
「南京大虐殺」
は、それ以降、再び歴史の中に消えてしまいます。
「南京大虐殺」
が再び姿を現すのは、東京裁判の4半世紀後のことでした。
昭和46年(1971)、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が
「中国の旅」
という連載を開始しました。
その中で本多は、
「南京大虐殺」
を取り上げ、日本人が如何に残虐な事をしてきたかを、嘘とデタラメを交えて書いたのです。
これが再燃のきっかけとなりました。
この時の取材、本多の南京滞在は僅か1泊2日、
「南京大虐殺」
を語った証言者は中国共産党が用意した僅か4人でした。
後に本多自身が
「『中国の視点』を紹介することが目的の『旅』であり、その意味では『取材』でさえもない」
と語っています。
本多の連載が始まった途端、朝日新聞をはじめとする日本の多くのジャーナリズムが
「南京大虐殺」
をテーマにして
「日本人の罪」
を縦断する記事や特集を組み始めました。
そうした日本国内での動きを見た中国政府は、これは外交カードに使えると判断したのでしょう。
以降、執拗に日本政府を非難するようになったというわけです。
本田勝一の記事が出るまで、毛沢東も周恩来も中国政府も、1度たりとも公式の場で言及したことはなく、日本を非難しなかったにもかかわらずです。
それ以前は、中国の歴史教科書にも
「南京大虐殺」
は書かれていませんでした。
「無かった事」
を証明するのは、俗に
「悪魔の証明」
と言われ、私がここで書いた事も、
「無かった事」
の証明にはなりません。
ただ、客観的に見れば、組織的及び計画的な住民虐殺という意味での
「『南京大虐殺』は無かった」
と考えるのが極めて自然です。

朝日新聞が生み出した国際問題
「WGIP洗脳世代」
が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始めます。
そして後に大きな国際問題となって日本と国民を苦しめることになる3つの種が播かれました。
それは
「南京大虐殺の嘘」
「朝鮮人従軍慰安婦の嘘」
「首相の國神社参拝への非難」
です。
これらはいずれも朝日新聞による報道がきっかけとなったものでした。
まず
「南京大虐殺」
ですが、これは前述したように、昭和46年(1971)、朝日新聞で始まった
「中国の旅」
という連載がきっかけとなりました。
全く事実に基づかない内容だったにもかかわらず、戦後、GHQによって
「日本軍は悪逆非道であった」
という洗脳を徹底して受けていた日本人の多くは、この捏造とも言える記事をあっさりと信じてしまったのです。
当時、朝日新聞が
「日本の良心」
を標榜し、売上部数が圧倒的に多かったことも、読者を信用させる元となりました。
まさか大新聞が堂々と嘘を書くとは誰も思わなかったのです。
更に当時、マスメディアや言論界を支配していた知識人の多くがこの話を肯定したことが裏書きとなり、本田勝一の記事が真実であるかのように罷り通ってしまったのでした。
日本側のこうした反応を見た中華人民共和国は、これはに使えると判断し、以降、執拗に日本を非難するカードとして
「南京大虐殺」
を持ち出すようになります。
そして50年以上経った現在まで、大きな国際問題となって残っています。
情けないことに、未だに、
「南京大虐殺」
が本当にあったと思い込んでいる人が少なくありません。
今更ながらGHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
の洗脳の怖ろしさが分かろうというものです。
朝日新聞が生み出したもう1つの嘘は、いわゆる
「朝鮮人従軍慰安婦」
問題です。
昭和57年(1982)、朝日新聞は吉田清治という男の衝撃的な証言記事を載せました。
その内容は、吉田清治が軍の命令で済州島に渡り、泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、かつてのアフリカの奴隷狩りのようにトラックに無理矢理乗せて慰安婦にしたという告白でした。
この記事は日本中を驚愕させました。
以降、朝日新聞は日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にしたという記事を執拗に書き続けます。
朝日新聞は吉田清治証言だけでも18回も記事にしています。
ちなみに
「従軍慰安婦」
という言葉は、戦後、元毎日新聞社の千田夏光(本名、貞晴)らによって広められた全く新しい造語です。
吉田清治証言が虚偽であることは早い段階から一部の言論人らから指摘されていました。
吉田清治自身も平成8年(1996)の
「週刊新潮」
のインタビューで、
「本に真実を書いても何の益も無い」
「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」
と捏造を認めていたのです。
ところが、朝日新聞がこの吉田清治証言に基づく自社の記事を誤りだったとする訂正記事を書いたのは、最初の記事から32年も経った平成26年(2014)のことでした。
実に32年もの間、朝日新聞の大キャンペーンに、左翼系ジャーナリストや文化人たちが相乗りし、日本軍の
「旧悪」
を糾弾するという体で、慰安婦のことを何度も取り上げました。
これに積極的に関わった面々の中には旧日本社会党や日本共産党の議員もいました。
多くの国民は朝日新聞が嘘を書くわけがないと思い、またGHQの洗脳によって
「日本軍ならそれくらいの事はしただろう」
と思い込まされてきたため、
「従軍慰安婦の嘘」
を信じてしまったのです。
「南京大虐殺」
と同様でした。
こうした日本の状況を見た韓国も、中華人民共和国と同様、
「これは外交カードに使える」
として、日本政府に抗議を始めました。
朝日新聞が吉田清治証言を記事にしてキャンペーンを始めるまで、40年もの間、1度も日本政府に慰安婦のことで抗議などしてこなかったにもかかわらず、です。
韓国の抗議に対する日本政府の対応が最悪とも言える拙劣なものでした。
平成5年(1993)、韓国側からの
「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めれば、今後は問題を蒸し返さない」
という言葉を信じて、日韓両政府の事実上の談合による
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」
(いわゆる「河野談話」)
を出し、慰安婦の強制連行を認めるような発信をしてしまったのです。
途端に、韓国は前言を翻し、これ以降、
「日本は強制を認めたのだから」
と、執拗に賠償と補償を要求するようになります。
これは80年前、大正4年(1915)の
「21ヵ条要求」
のいきさつを彷彿とさせる悪手でした。
もう1つ、朝日新聞がこしらえたと言える深刻な国際問題が、
「首相の國神社参拝に対する非難」
でした。
今も、首相の國神社参拝を
「世界の国々が非難している」
という報道を繰り返す新聞がありますが、これは正しくありません。
我が国の首相や閣僚の國神社参拝を感情的に非難しているのは、中華人民共和国と韓国のみと言っていいでしょう。
アメリカや中韓以外のアジア諸国のメディアが今も批判的トーンで國神社参拝を報じるのは、日本と隣国との争いの種になっているから、という理由が大きいのです。
もちろん英米メディアの中には國神社を
「戦争神社」
と言い、ここに参る者は
「戦争賛美」
の極右で
「歴史修正主義者」
だという論調もありますが、そのほとんどが、1980年代の朝日新聞の報道論調を下敷きにしています。
そもそも中国・韓国の2国は、戦後40年間、日本の首相の國神社参拝に1度も抗議などしてきませんでした。
それまでに歴代首相が59回も参拝したにもかかわらずです。
これが国際問題となったきっかけは、昭和60年(1985)8月15日に中曽根康弘首相が國神社を参拝した時に、これを非難する記事を朝日新聞が大きく載せたことでした。
直後、中華人民共和国が初めて日本政府に抗議し、これ以降、首相の國神社参拝は国際問題となったのです。
この時、中国の抗議に追随するように韓国も非難するようになりました。
以上、現在、日本と中国・韓国の間で大きな国際問題となっている3つの問題は、全て朝日新聞が作り上げたものと言っても過言ではありません。
3つの報道に共通するのは、
「日本人は悪い事をしてきた民族だから、糾弾されなければならない」
という思想です。
そのためなら、たとえ捏造報道でもかまわないという考えが根底にあると思われても仕方がないような経緯です。
朝日新聞のこうした考え方は政治的な記事に限りませんでした。
平成元年(1989)4月20日の
「珊瑚記事捏造事件」
などは同根と言える一例です。
これは、朝日新聞のカメラマンが、ギネスブックにも載った世界最大の沖縄のアザニサンゴに、自らナイフで
「K・Y」
という傷を付けて、
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
という悪質な捏造記事を書いたという事件です。
記事は日本人のモラルの低下を嘆き、
「日本人の精神の貧しさと荒んだ心」
とまで書かれています。
これは単にスクープ欲しさの自作自演だったとは思われません。
その書きぶりには、前記の3記事と同じ
「WGIPによる歪んだ自虐思想」
が見て取れます。
GHQの推し進めた洗脳政策は、戦後、多くの日本人の精神をすっかり捻じ曲げてしまったと言えますが、驚くべきことに、占領後は朝日新聞を代表とするマスメディアが、GHQの洗脳政策の後継者的存在となり、捏造までして日本と日本人を不当に叩いていたのです。
更に不思議なことはこの新聞が、戦後長らく
「クオリティー・ペーパー」
と言われてきたことです。
「クオリティー・ペーパー」
とは
「エリート階層を読者とする質の高い新聞」
という意味ですが、果たしてこの称号を与えたのは誰だったのでしょうか。
それは戦後の公職追放の後に、言論界を支配した者たちでした。

朝鮮人慰安婦に関しては、肯定派のジャーナリストや学者、文化人らが、
「軍が強制した」
という証拠を長年懸命に探し続けていますが、現在に至っても全く出てきません。
中には、
「軍が証拠を隠滅した」
と言う者もいますが、全ての証拠を完全に消し去ることなど不可能です。
軍は一種の官僚機構です。
仮に民間業者に命じたのなら、議事録、命令書、予算書、報告書、名簿、受領書、請求書、領収書など、夥しい書類が必要でしょう。
軍は勝手に金を動かせませんから、双方の帳簿も大量に残っているはずです。
戦闘中以外はトラック1台動かすのにも、いちいち書類が必要だったのです。
当時、軍用機の搭乗員たちは、たとえ練習でも飛行記録を残す義務がありました。
もし軍が直接行動したなら、慰安婦を強制連行するために動いた部隊、実働人員、収容した施設、食料などを記した書類も大量にあるはずですが、それらが全て煙のように消えてしまうことなどあり得ません。
そんなことが可能なら、戦後に捕虜の処刑に関係したBC級戦犯が1000人も処刑されるはずがありません。
2000年から、アメリカ合衆国のクリントン、ブッシュ政権下において、8年の歳月をかけて、ドイツと日本の戦争犯罪に関する大規模な調査が行われ、850万ページに及ぶ未公開や秘密の公式文書が調査されました。
そのうち14万2000ページが日本の戦争犯罪に関するものでしたが、日本政府や軍がいわゆる
「従軍慰安婦」
に関わる戦争犯罪を犯したことを示す文書は1点も発見されなかったという報告が、2007年にありました(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班【IWG】アメリカ合衆国議会宛て最終報告」)。
この報告は
「従軍慰安婦」
に終止符を打つべきものと思えますが、令和の今日においても尚、左翼系の政党やメディア、学者、弁護士らは日本政府と軍の
「強制」
を主張しています。
ここで皆さんに知っておいてもらいたい事があります。
それは戦時慰安婦の大半が日本人女性だったということです。
朝鮮人女性は2割ほどだったと言われています。
当時は日本も朝鮮も貧しく、親兄弟の生活のために身を売らねばならなかった女性が少なくありませんでした。
そうした女性たちが戦時に戦地の慰安所で慰安婦として働いたー。
これが事実の全てです。
一方、
「國神社参拝」
については、政治家の参拝を非難する左翼系の学者や文化人の中に、
「中国が抗議したのは、A級戦犯を合祀したからだ」
と言う人がいますが、これは稚拙であり罪作りな嘘です。
國神社が
「A級戦犯」
とされた人々を合祀したのは昭和53年(1978)10月でした。
それから昭和60年(1985)まで3人の首相(大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘)が延べ22回参拝していますが、昭和60年まで、中国は1度も抗議していません(A級戦犯合祀は翌年に朝日新聞によって報道されている)。
また
「天皇陛下でさえ、A級戦犯合祀以来、参拝されていない」
と言う人もいますが、天皇陛下の國神社への行幸がなくなったのは、昭和51年(1976)からです。
実はその前年(昭和50年【1975】)、三木武夫首相の参拝について
「私人としてのものか、公人としてのものか」
とマスコミが大騒ぎをしたことがありました。
昭和天皇が終戦記念日に國神社を親拝しなくなった理由は分かりませんが、もしかしたら
「自分が行けば、私人としてか公人としてかという騒ぎが大きくなる」
と案じたのかもしれません。

戦時徴用工強制労働の嘘
昭和40年(1965)頃から、在日朝鮮人と在日韓国人が
「自分たちは戦争中に強制連行されてきた」
と主張し始めました。
これもまた嘘です。
確かに戦争中
「戦時徴用」
として
朝鮮人労働者を国内の工場などに派遣した事実はありますが、戦時徴用は日本の中学生や女学生にも行われていました。
しかも日本の学生に払われた給料は僅かなものでしたが、朝鮮人労働者には正規の給料が支払われていました。
また徴用工が送られるのは、労働管理の整備された場所に限られていました。
「外国人を徴用工として使うのは酷い」
と言う人もいるが、当時、朝鮮人は法的には日本人・日本国民であったことを忘れてはなりません。
また同じ頃、日本人男性は徴兵で戦場に送られていましたが、朝鮮人が徴兵されたのは昭和19年(1944)になってからで、しかも訓練中に終戦を迎えたため、ほとんどが戦場には送られていません。
戦時徴用も終戦前の7カ月だけでした。
そして終戦後に彼らのほとんどは朝鮮へ帰国しています。
昭和34年(1959)に外務省が発表したデータによりますと、当時、日本国内にいた在日朝鮮人・在日韓国人は約61万人、そのうち戦時徴用で国内にとどまっていた人は僅かに245人でした(在日朝鮮人・在日韓国人全体の0.04%)。
つまり99.96%の在日朝鮮人・在日韓国人は
「職を求めて」
自由意思で日本にやって来た人たちだったのです。
しかもその中の多くが朝鮮戦争の時に密航してやってきた人たちでした。
「在日朝鮮人・在日韓国人の多くは戦争中に強制連行された人、あるいはその子孫」
という嘘は、最初は彼ら自身が言い始めたことでしたが、これを左翼系のマスメディアや学者らがあたかも歴史的事実であるかのように広めたのでした。
そのため、現在でもこれを真実と思い込んでいる日本人が少なくありません。
GHQの
「WGIP」
は今も日本人の心と日本の言論空間を蝕んでいると言えるのです。

第二次世界大戦中への流れを眺める時、なぜ人類はこれを止めることが出来なかったのだろうかと、絶望的な気持ちになります。
世界は第一次世界大戦を遥かに上回る規模の大戦争へと突入し、日本もアメリカと戦争を始め、中国と西太平洋が戦場となりました。
日本が戦争への道を進まずに済む方法はなかったのでしょうかー。
私たちが歴史を学ぶ理由は実はここにあります。
特に近現代史を見る時には、その視点が不可欠です。
歴史を事実を知るだけの学問と捉えるなら、それを学ぶ意味はありません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これはドイツの名宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉です。
もっともこれは原文をかなり意訳したもので、正確に訳すと次のような文章になります。
「愚かな者は自分の経験から学ぶと信じているばかりだ」
「私は最初から自分の過ちを避けるために、他人の経験から学ぶことを好む」
私たちもまた先人の経験から、悲劇を避ける術を学ばなくてはなりません。

全面戦争へ
「支那事変」
は確固たる目的がないままに行われた戦争でした。
乱暴な言い方をすれば、中国人の度重なるテロ行為に、お灸をすえてやるという世論に押される形で戦闘行為に入ったものの、気が付けば全面的な戦いになっていたという計画性も戦略もない愚かなものでした。
名称だけは
「事変」
となっていましたが、最早完全な戦争でした。
しかもこの戦いは現地の軍の主導で行われ、政府がそれを止めることが出来ないでいるという異常なものでもありました。
そこには5・15事件や2・26事件の影響があるのは明らかです。
支那事変が始まった翌年の昭和13年(1938)には、
「国家総動員法」(昭和13年(1938)4月1日に公布、5月5日に施行)
が成立しました。
これは
「戦時に際して、労働力や物資割り当てなどの統制・運用を、議会の審議を経ずに勅令で行うことが出来るようにした法律」
です。
具体的には、国家は国民を自由に徴用でき、あらゆる物資や価格を統制し、言論を制限し得るといった恐るべき法律でした。
ちなみにこの法案の審議中、趣旨説明をした佐藤賢了陸軍中佐の余りに長い答弁に、衆議院議員たちから抗議の声が上がったところで、佐藤が
「黙れ!」
と一喝したことがありました。
この時、議員たちの脳裏に2年前1936年の2・26事件が浮かんだことは容易に想像できます。
佐藤の恫喝後、誰も異議を挟まなくなり、狂気の法案は僅か1カ月で成立しました。
国力の全てを中国との戦争に注ぎ込もうと考えていた日本は、この年昭和13年(1938)、2年後に東京で開催予定であった
「オリンピック」

「万国博覧会」(万博)
を返上します。
これは、最早世界の国々と仲良く手を結んでいこうという意思がないことを内外に宣言したに等しい決断でした。
このオリンピックと万博の返上は陸軍の強い希望であったと言われています。

暴れるドイツ
同じ昭和13年(1938)、ヨーロッパではドイツがオーストリアを併合し、チェコスロバキアのズデーテン地方を要求する事態となっていました。
チェコは拒否しますが、ヒトラーは戦争をしてでも奪うと宣言します。
イギリスとフランスの首相がヒトラーと会談しましたが(ミュンヘン会談)、英仏両国は、チェコを犠牲にすれば戦争を回避できると考え、ヒトラーの要求を全面的に受け入れます。
そのためにチェコは自国領土の一部をむざむざとドイツに奪われました。
イギリスとフランスが取った
「宥和政策」
は当時、ヨーロッパの平和を維持するための現実的で勇気ある判断として大いに評価され、ミュンヘン会談を終えてロンドン郊外のクロイドン空港に降り立ったチェンバレン首相を、イギリス国民は大歓迎しました。
しかしこの
「宥和政策」
は、結果的にドイツに時間的、資金的な猶予を与えただけのものとなりました。
結果論ではありますが、この時、イギリスとフランスが軍備を拡充して敢然とヒトラーに対峙していたならば、第二次世界大戦は避けられたかもしれません。
仮に戦争になったとしても、全ヨーロッパが火の海となり、夥しい死者が出る悲惨な状況にはならなかったと思われます。
狂気の独裁者に対して宥和政策を取るということは、一見、危険を回避したように見えますが、より大きな危険を招くことにも繋がるという一種の教訓です。
ドイツは易々とズデーテン地方を奪った後、チェコスロバキアの制圧に乗り出しています。
スロバキアに独立を宣言させ、チェコも保護下に置きながら、最終的には昭和14年(1939)3月、軍事侵攻して全土を占領しました。
そしてチェコ最大のシュコダ財閥の軍需工場を接収し、兵器を大量に増産すると、ソ連と
「独ソ不可侵条約」
を結んだ上で、昭和14年(1939)9月1日にポーランドに電撃的に侵攻しました。
おぞましいことに、ヒトラーとスターリンは事前にポーランドの分割を話し合っていたのです。
ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスとフランスは、完全に面子を潰され、2日後昭和14年(1939)9月3日、ドイツに宣戦布告しました。
ここに第二次世界大戦が幕を開けました。

第二次世界大戦
第二次世界大戦の始まりは奇妙なものでした。
イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したものの、実際にドイツに攻め込むことはしなかったからです。
大西洋でのドイツ潜水艦による通商破壊戦の攻防はありましたが、8カ月間、陸上での戦いはほとんどありませんでした。
そのためイギリスでは
「まやかし戦争」(Phoney War)、
フランスでは
「奇妙な戦争」(Drole de guerre)
と呼ばれました。
つまりイギリスもフランスも、建前上、ドイツに宣戦布告したものの、本心は戦争をする気などなかったのです。
イギリス国民の多くは、その年昭和15年(1940)暮れには戦争が終るだろうと考えていました。
当時、ドイツ軍は主力を東部戦線に移しており、イギリス軍とフランス軍が一挙に攻め込めば、ドイツ軍は総崩れになったであろうと言われています。
ドイツ軍首脳は、フランスとの国境線に大軍を配備しおくべきと主張しましたが、英仏のそれまでの宥和的態度から、戦う意思がないと見抜いていたヒトラーは、西部戦線をがら空きにして主力をポーランドに集中させます。
ドイツはポーランドを完全に制圧すると、今度は主力を西武戦線に移し、昭和15年(1940)5月、英仏軍に一気に襲い掛かりました。
両国軍はあっという間に撃破され、イギリス軍はヨーロッパ大陸から駆逐され、フランスは首都パリと国土の5分の3を占領されました。
ドイツ軍の破竹の進撃を見たイタリアもイギリス、フランスに宣戦布告しました。
驚異的な軍事力によってあっという間に西ヨーロッパを席巻したドイツの勢いを目の当たりにした日本陸軍内に、
「バスに乗り遅れるな」
という声が生まれ、一種の流行語となりました。
このことを深く憂慮した昭和天皇は、親英米派で日独伊三国同盟には反対の立場を取っていた海軍大将米内光政を内閣総理大臣に推挙しました(形式上は湯浅倉平内大臣の推挙)。
昭和天皇が個人名を挙げて首相に推挙するのは例のないことです。
如何に昭和天皇がドイツやイタリアとの同盟に反対していたかの証左です。
しかし昭和15年(1940)6月にドイツがフランスを降伏させると、陸軍は倒閣運動を行い、同年昭和15年(1940)7月に米内内閣を総辞職に追い込みました。
新たに誕生した第2次近衛内閣は同年昭和15年(1940)9月に
「日独伊三国同盟」
を締結します。
朝日新聞は、これを一大慶事のように報じました。
しかしこの同盟は、実質的には日本に特段のメリットはなく、アメリカとの関係を決定的に悪くしただけの、実に愚かな選択だったと言わざるを得ません。
もっともアメリカのルーズベルト民主党政権はこれ以前から、日本を敵視し、様々な圧力を掛けていました。
前年の昭和14年(1939)には、日米通商航海条約破棄を通告し、航空機用ガソリン製造設備と技術の輸出を禁止していました。
また、アメリカやイギリスは、日本と戦闘状態にあった中華民国を支援しており、
「援蒋ルート」
を使って軍需物資などを送り続けていました。
「援蒋ルート」
は主に4つありましたが、最大は
「仏印(フランス領インドシナ)ルート」
と呼ばれたもので、ハノイと昆明を結んでいました。
日本は仏印ルートの遮断を目的として、昭和15年(1940)、北部仏印(現在のベトナム北部)に軍を進出させました。
これはフランスのヴィシー政権(昭和15年【1940】)にドイツに降伏した後、中部フランスの町ヴィシーに成立させた政府)と条約を結んで行ったものでしたが、アメリカとイギリスは、ヴィシー政権はドイツの傀儡であり日本との条約は無効だと抗議しました。
しかし日本はそれを無視して駐留を続けたのです。
「援蒋ルート」
を潰されたアメリカは、日本への敵意を露わにし、同年昭和15年(1940)、特殊工作機械と石油製品の輸出を制限、更に航空機用ガソリンと屑鉄の輸出を全面禁止しました。
アメリカから
「対日経済制裁」
の宣告を受けた日本は、石油が禁輸された場合を考え、オランダ領インドシナの油田権益の獲得を目論みます。
当時、オランダ本国は既にドイツに占領されていましたが、植民地のインドシナはロンドンのオランダ亡命政府の統治下にありました。
翌昭和16年(1941)、日本軍は更に南部仏印(現在のベトナム南部)へと進出しました。
アメリカのルーズベルト政権はこれを対米戦争の準備行動と見做し、在米日本資産凍結令を発布します。
イギリスとオランダもこれに倣いました。
そして同年昭和16年(1941)8月、アメリカは遂に日本への石油輸出を全面的に禁止したのです。
当時、日本は石油消費量の約8割をアメリカから輸入していました。
それを止められるということは、息の根を止められるのに等しいことでした。
日本はオランダ領のインドネシアから石油を輸入しようとしましたが、オランダ亡命政府(当時はイギリスからカナダに拠点を移していた)は、アメリカとイギリスの意向を汲んで日本には石油を売りませんでした。
この時、日本の石油備蓄は約半年分だったと言われています。
つまり半年後に日本は軍艦も飛行機も満足に動かせない状況に陥るということでした。
もちろん国民生活も成り立たなくなります。
まさに国家と国民の死活問題でした。
日本は必死で戦争回避の道を探りますが、ルーズベルト政権には妥協するつもりはありませんでした。
それどころかルーズベルト政権は日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたと指摘する歴史家もいます。
アメリカがいつから日本を仮想敵国としたのかは、判然としませんが、大正10〜11年(1921〜1922)のワシントン会議の席で、強引に日英同盟を破棄させた頃には、いずれ日本と戦うことを想定していたと考えられます。
その底意を見抜けず、日英同盟を破棄して、お飾りの平和を謳った
「四カ国条約」
を締結して良しとした日本政府の行動は、国際感覚が致命的に欠如していたとしか言いようがありません。
それから約20年後の昭和14年(1939)には、アメリカははっきりと日米開戦を想定していたと言えます。
ただルーズベルト大統領は、第二次世界大戦が始まっていた昭和15年(1940)の大統領選(慣例を破っての3期目の選挙)で、
「自分が選ばれれば、外国との戦争はしない」
という公約を掲げて当選していただけに、自分から戦争を始めるわけにはいかなかったのです。
彼は
「日本から戦争を仕掛けさせる方法」
を探っていたはずで、日本への石油の全面禁輸はそのための策の1つだったのでしょう。

開戦前夜
日本はそれでもアメリカとの戦争を何とか回避しようと画策しました。
アメリカと戦って勝てないことは政府も軍も分かっていたからです。
しかし日本の新聞各紙は政府の弱腰を激しく非難しました。
満州事変【1931年(昭和6年、民国20年)9月18日〜1933年(昭和8年)5月31日】以来、新聞では戦争を煽る記事や社説、あるいは兵士の勇ましい戦いぶりを報じる記事が紙面を賑わすことが常となっていました。
中には荒唐無稽な創作記事も数多くありました。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)の
「百人斬り」
の記事などはその典型です。
これは支那事変【1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端とする日本と中華民国の間で起こった武力衝突】で陸軍の2人の少尉が、
「どちらが先に敵を100人斬るかという競争をした」
という事実誤認に満ちた根拠薄弱な内容でした。
しかし戦後、この記事が原因で、2人の少尉は南京軍事法廷で死刑判決を受け、銃殺刑に処されています(毎日新聞は現在も記事の内容は真実であったと主張している)。
ちなみに
「日独伊三国同盟」
を積極的に推したのも新聞社でした。
そんな中、昭和16年(1941)11月27日、アメリカのルーズベルト政権はそれまでの交渉を無視するかのように、日本に対して強硬な文書を突き付けてきました。
この文書は当時の国務長官コーデル・ハルの名前をとって
「ハル・ノート」
と呼ばれていますが、最も重要な部分は、
「日本が仏印と中国から全面撤退する」
という項目でした。
これは日本としては絶対に呑めない条件でした。
この時点で、日米開戦は不可避になったと言えます。
実はこのハル・ノートを見た日本軍首脳部の開戦派は、
「天祐」(天の加護。天の助け。天助。)
と言ったとされています。
つまり
「戦争をするしかない」
状況になったからです。
それまで戦争を回避したいと考えていた閣僚らも開戦に強く反対しなくなり、アメリカとの戦争には消極的な立場を取っていた海軍もここで開戦の決意を固めたと言われています。
とは言っても、ハル・ノート受領の前日には、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)から聯合艦隊の空母部隊がハワイに向けて出撃しています(攻撃決定は【昭和16年(1941)12月2日】。
艦隊が単冠湾に集結したのが【昭和16年(1941)11月22日】、真珠湾攻撃のための猛訓練を始めたのが【昭和16年(1941)5月】であったことを見れば、日本政府が戦争回避を試みる一方、軍は戦争開始の準備を着々と進めていたことが分かります。
ただし、ハル・ノートの解釈については後年議論の的になっている点があります。
「日本が中国から撤退」
という要求の文章の
「中国」
についてです。
原文は
「China」
となっていますが、この
「China」
が中華民国を指すのか、それとも満州まで含めた地域を指すのかが明確にされていなかったのです。
日本側は
「満州」
を含めた地域と解釈しましたが、実はアメリカ側は、満州は考慮に入れていなかったとも言われています。
戦後、この経緯を調べたピューリッツァー賞受賞作家のジョン・トーランドは、当時の日本の閣僚らに、もし満州を含まないと知っていたら開戦していたかと訊ねています。
すると多くの人は、
「それならハル・ノートを受諾した」
「開戦を急がなかったであろう」
と答えています。
もっとも、何としても日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたルーズベルトは、別の手段で日本を追い込んだに違いありません。
とまれ賽は投げられました。

真珠湾攻撃
昭和16年(1941)12月8日未明、聯合艦隊の空母から飛び立った日本海軍の航空隊はハワイの真珠湾に停泊するアメリカ艦隊を攻撃しました。
日本軍は戦艦4隻を撃沈し、基地航空部隊をほぼ全滅させます。
ただ、この時、在アメリカ日本大使館員の不手際で宣戦布告が攻撃後になってしまいました。
同日、台湾から海軍の航空隊が出撃し、フィリピンのクラーク基地のアメリカ航空部隊を全滅させています。
更に同日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、イギリス軍をも打ち破っています。
日本がアメリカとイギリスに対して同時に開戦したのは、オランダ領インドネシアの石油を奪うためでした。
そのためにはシンガポールのイギリス軍を撃破しなければならず、また手に入れた石油を日本に送るのに東シナ海を通るため、その航路を遮る位置にあるアメリカのクラーク基地を無力化する必要がありました。
真珠湾のアメリカ艦隊を叩いたのも同じ理由からです。
同日、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告を行いました。
同時に支那事変も正式に戦争となりました。
ここに至りインドシナ半島や太平洋を含めた史上最大規模の大戦争の火蓋が切られたのです。
日本軍は緒戦だけは用意周到に作戦を練っていましたが、大局的な見通しは全くありませんでした。
そもそも工業力が10倍以上も違うアメリカとの長期戦では100%勝ち目はありません。
しかしハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになりかねません。
そうなれば、70年前の幕末の悪夢が再びやって来る恐れがありました。
欧米の植民地にされてしまうという恐怖です。
当時の世界は、現代とは比べ物にならないほど、露骨な弱肉強食の原理で動いていました。
アジア、アフリカ、南米に有色人種の独立国はほとんどなく、多くの有色人種たちがひたすら搾取され、奴隷のような扱いを受けていました。
ヨーロッパの白人種の国でも弱小国はソ連やドイツに次々に解体されていきました。
何しろ国際連盟で
「人種差別撤廃」
の規約が否決された時代です。
国力を失った有色人種の極東の島国の運命は暗澹たるものになると、日本の政府や軍人たちが危惧したのも無理はありません。
後の話になりますが、戦後、アメリカ軍の南西太平洋司令長官であり、日本占領軍の最高司令官でもあったダグラス・マッカーサーは、昭和26年(1951)、アメリカ上院軍事外交合同委員会の場において、
「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのものだった」
と述べています。
つまり敵将さえもが、先の大戦は日本の侵略ではなく自衛のための戦争であったと明言したのです。
日本の真珠湾攻撃はルーズベルト大統領にとっては願ったり叶ったりでした。
彼は
「日本軍は宣戦布告なしの卑怯な攻撃を行った」
と、アメリカ国民に強く訴えます。
ここで戦争反対だったアメリカの世論が一夜にして
「リメンバー・パール・ハーバー」
の合言葉と共に変じ、一気に戦争へと向かっていったのです。
ところで、現代のアメリカ人の中にも、広島・長崎への原爆投下と東京大空襲は日本の汚い攻撃に対する報復だと言う人は少なくありませんし、日本人の中にも真珠湾攻撃は騙し討ちだったと言う人がいます。
しかし有史以来、宣戦布告をしてから戦争を行ったケースは実はほとんどないのです。
第一次世界大戦と第二次世界大戦がむしろ例外的と言っていいでしょう。
当のアメリカも幾度も戦争をしていますが、そのほとんどの場合、宣戦布告なしに攻撃を行っています。
つまり真珠湾攻撃を卑怯なやり口と言い募ったのは、完全なプロパガンダなのです。
ちなみに戦争終結間際にソ連は
「日ソ中立条約」
を一方的に破棄して、日本に対して戦闘を開始しましたが、モスクワの駐ソ大使に宣戦布告文を手渡したのは攻撃の1時間前でした。
しかも駐ソ大使から日本本国への電報はソ連の電信局が送信しなかったため、実質的には奇襲攻撃となっています。
ただ残念なのは、そうした事態になることを恐れた聯合艦隊司令長官の山本五十六が、くれぐれも真珠湾攻撃の前に宣戦布告文書をアメリカに手渡すようにと言っていたにもかかわらず、ワシントンの日本大使館員らがそのことを重く受け止めていなかったことです。
日本の攻撃を喜んだ人物がもう1人いました。
イギリス首相のウィンストン・チャーチルです。
日米開戦の報告を受けたチャーチルは大喜びし、すぐにルーズベルトに電話しました。
ルーズベルトの
「今や我々は同じ船に乗ったわけです」
という言葉を聞いたチャーチルは、これで戦争に勝てると確信しました。
彼はこの時の興奮と喜びを後に回顧録『第二次大戦』で次のように書いています。
「感激と興奮とに満たされ、満足して私は床に就き、救われた気持ちで感謝しながら眠りに就いた」
更にこうも書いています。
「ヒトラーの運命は決まった」
「ムッソリーニの運命も決まったのだ」
「日本人について言うなら、彼らは粉々に打ち砕かれるだろう」
ドイツとイタリアに関しては個人の滅亡にのみ言及していますが、日本に対しては民族全体の運命に言及しています。
たまたまの表現なのかもしれませんが、私はチャーチルの白人種以外への差別意識が表われたと見ています。
ちなみに彼は昭和28年(1953)にこの回顧録でノーベル文学賞を受賞しています。

マッカーサー「自衛戦争」証言
http://tadashiirekishi.web.fc2.com/1951-60/1951_makasa_shogen.html
昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは以下の2つの重大な発言を行なった。
1.日本の戦争は自衛戦争であった
2.アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである
1.「日本の戦争は自衛戦争であった」
原文と和訳は以下の通り
"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security."
和訳:
日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。
したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです。

マッカーサーは実際に朝鮮戦争を戦って、ロシア(ソ連)、共産主義の脅威(明治維新以来ずっと日本が恐れていたもの)をやっと悟った。
マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解できたのである。
しかし、呆れたことにこれほど重大な証言を報じた日本の大新聞は当時も今も皆無である。
NHK、民放などのテレビ局も完璧に無視している。
何を恐れているのだろうか。
報道するとまずいことになると考えていることだけは事実だろう。
アメリカに対する気兼ねか、それとも支那に対する気兼ねか?
東條英機は宣誓供述書で
「断じて日本は侵略戦争をしたのではない」
「自衛戦争をしたのである」
「国家自衛のために起つという事がただ1つ残された途であった」
と語ったが、それはこのマッカーサーの米議会証言録と重なるもので、最終的に東條とマッカーサーは同じ見解を披露したことになる。
2.「アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」
アメリカは日本の勢力を支那大陸、満州、朝鮮から駆逐したことで自分たちの目標を達成したかに見える。
しかしその結果アメリカは過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任を日本に代わって引き受けなくてはならなくなっただけだ、と述べたアメリカ外交官ジョージ・ケナンと同じ後悔を述べたわけである。
フィリピンで日本に完敗したダグラス・マッカーサーは、日本に恨みを持ち、復讐心に燃えていた。
後に日本が原爆を落とされて負けて、マッカーサーがやって来た時、彼はその恨みを晴らすべく、
「日本は悪いものだ」
と信じきって東京裁判をやらせ、自分たちの意向を反映させた日本国憲法を作らせて日本を骨抜きにした。
ところが朝鮮戦争が起こって事態は一変する。
その時、彼は初めて東京裁判で弁護側が言った事が全て本当だったのだと気付く。
そして満州にも支那に対しても、日本がやったようにやらなければならないという結論に達する。
しかし当時の大統領・トルーマンは、ソ連と戦争になることを恐れて、マッカーサーを解任してアメリカに戻した。
その後、アメリカはマッカーサーが予言したように朝鮮半島で負け始め、何とか38度線まで押し返したところで戦争は終結する。
そしてアメリカに帰国したマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会という最も公式の場で、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語ったのである。
マッカーサーは前年に東京裁判が誤りだったと発言している。

戦争目的を失った日本
開戦4日後の昭和16年(1941)12月12日、日本はこの戦争を
「大東亜戦争」
と名付けると閣議決定しました。
従って、この戦争の正式名称は
「大東亜戦争」
です。
現代、一般に使われている
「太平洋戦争」
という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものです。
「大東亜戦争」
は前述したように緒戦は日本軍の連戦連勝でした。
開戦と同時にアメリカの真珠湾とフィリピンのクラーク基地を叩き、3日目にはイギリスの東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻の戦艦を航空攻撃で沈めました。
更に難攻不落と言われていたイギリスのシンガポール要塞を陥落させました。
そしてこの戦争の主目的であったオランダ領インドネシアの石油施設を奪うことに成功します。
日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東条英機首相は、
「これで石油問題は解決した」
と言いましたが、彼も政府(そして軍)も、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気付いていませんでした。
結論を言えば、日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を日本国内に輸送することができなかったのです。
開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めていました。
しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、日本国内の流通に支障を来すため、軍は
「半年だけ」
という条件で無理矢理に民間船を徴用したのです。
ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船や油槽船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められる事態となります。
それでも海軍は、輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切ありませんでした。
「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するためのもので、鈍足の輸送船を護衛するためのものではない」
というのが上層部の考えだったからです。
海軍は、かつて日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させて日露戦争に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させれば終結すると考えていました。
そのため艦隊決戦こそが何よりも優先されるという思い込みを持っており、輸送船の護衛などは考えもしなかったのです。
海軍では船舶の護衛任務を
「くされ士官の捨て所」
と呼んで軽侮していましたし、陸軍にも
「輜重輸卒(しちょうゆそつ:物資の輸送をする兵)が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」
と輜重兵を馬鹿にしたざれ歌がありました。
戦争が、輸送や生産も含めた総力戦であるという理解が欠如していたのです。
身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈されました。
それで
「半年だけ」
という約束は反故にされ、軍は更に民間船を徴用することになります。
そのため戦場では勝利を収めながらも、国内経済は行き詰まっていくという矛盾した状況に陥りました。
石油を含む物資の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になったにもかかわらず、軍はその辺りを全く把握・理解出来ていませんでした。
驚くべきデータがあります。
公益財団法人「日本殉職者船員顕彰会」の調べによれば大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、魚船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上に上ります。
その損耗率は何と約43%です。
これは陸軍兵士の損耗率約20%、海軍兵士の損耗率約16%を遥かに超えています。
彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸けで運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には満足に行き渡りませんでした。
それでも軍需物資の不足に悩む政府は、昭和17年(1942)5月に、金属類回収令を発動し、寺の梵鐘、橋の欄干、銅像、更に一般家庭にある余った鍋釜や鉄瓶、火箸に至るまで強制的に供出させたのです。
これにより国民生活は一層逼迫しました。
この時点で、戦争継続は不可能な状況と言えました。

ミッドウェー海戦と言霊主義
昭和17年(1942)6月、聯合艦隊はミッドウェー海戦で、主力空母4隻を失うという致命的な大敗を喫しました。
この戦いは運に見放された面もありましたが、日本海軍の驕りと油断が多分にあったことも確かです。
例えば開戦前のシミュレーションの際、日本の空母に爆弾が命中して攻撃能力を失う事態に陥った時、参謀の1人が空母の被害を低めに修正させて図上演習を続けています。
また作戦前に
「もし敵空母がやってきたら」
と問われた航空参謀は、
「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)です」
とこともなげに答えていたという話もあります。
「鎧袖一触」
とは
「刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで相手を倒してしまう」
という意味の言葉です。
ここには具体的な対策案はありません。
単なる思い込みです。
その発言が事実であったかどうかは不明ですが、ミッドウェー海戦全体を改めて眺めると、そこには上層部の油断や傲慢が随所に見られます。
そして私はここに
「言霊主義」
の悪しき面を見ます。
つまり
「悪い結果は口にしないし、想定もしない」
で、
「良い事だけを言う」
という日本人に特有の精神です。
この後も、日本軍は
「言霊主義」
に囚われ、太平洋の各戦場で独りよがりの作戦を立てて敗北を重ねていきます。
もう1つ日本軍の大きな欠点は情報を軽視したことです。
その典型が昭和17年(1942)8月に始まったガダルカナル島攻防戦でした。
この島をアメリカ軍に奪われたと聞いた大本営は直ちに奪回を試みますが、アメリカ軍の兵力を2000人くらいと根拠もなく見積もり、それなら900人ほどで勝てるだろうと一木支隊を送り込みました。
敵の半分の兵力で勝てると考えるのも大いに問題ですが、実際にはアメリカ軍は1万3000人もいたのです。
また日本軍が持っていない重砲などを装備していました。
アメリカ軍陣地に突撃した800人の兵士のうち777人が一夜にして死亡しました。
その報を受けた大本営は、それではと今度は5000人を送り込みます。
しかしアメリカ軍は更に1万8000人まで増強していました。
結局、ガダルカナル島を巡る攻防戦は半年近くに渡って行われ、日本軍は夥しい人的被害を出し、大量の航空機と艦艇を失って敗退します。
しかもガダルカナル島で亡くなった陸軍兵の多くは餓死でした。
この戦いでは、日本の誇る世界最強の戦艦である大和と武蔵は1度も出撃していません。
兵力を温存したかったという理由もありますが、石油不足のために動かせなかった(大和型戦艦は大量に重油を消費する)という面もありました。
輸送船を護衛しなかったツケが開戦後1年も経たないうちに回ってきたのです。

無意味な戦い
昭和18年(1943)の時点で、日本の国内経済は既にガタガタになっており、生産力は著しく低下していました。
アメリカとの戦争継続の見通しはかなり厳しくなっていましたが、アメリカの本格的な反攻がなかったためか、講和の画策をした形跡がありません。
一方、中国大陸に限っては戦いを有利に進めていました。
ただアメリカはその1年を間休んでいたわけでは決してありませんでした。
ヨーロッパ戦線を戦いながら、日本への反攻準備を着々と整えていたのです。
一番の武器は大型空母でした。
真珠湾攻撃を見て空母の有効性を確認したアメリカは、大型空母(エセックス級と呼ばれるもので、第二次世界大戦中の最強の空母)の建造を大幅に増やしたのです。
その結果、アメリカが終戦までの間に18隻ものエセックス級空母を就役させたのに対し、日本が戦争中に就役させて実戦に投入できた正規空母は1隻のみでした。
ちなみに開戦時、アメリカが保有していた中型以上の空母は7隻、日本は6隻でしたが、アメリカは大西洋にも空母を展開していたので、太平洋側では日本が優勢でした。
しかし僅か3年で大逆転しました。
昭和19年(1944)6月に行われたマリアナ沖海戦で、新型空母をずらりと揃えたアメリカの機動部隊の前に、日本の聯合艦隊は完敗を喫します。
その戦力差は最早圧倒的と言えるほど開いていました。
この戦いで大本営が掲げていた絶対国防圏が破られ、サイパン島が奪われました。
これは日本の命運を握られたとも言える事態でした。
というのも、サイパンからは大型爆撃機B-29が直接日本を空襲することが可能だったからです。
この時、国務大臣でもあった岸信介(戦後、首相になる)らは
「本土爆撃が繰り返されれば必要な軍需を生産出来ず、軍需次官としての責任を全う出来ないから講和すべし」
と首相の東條英機に進言しました。
東條は
「ならば辞職せよ」
と言いましたが、岸は断固拒絶しました。
東條の腹心だった東京憲兵隊長が岸の私邸を訪れ、軍刀をがちゃつかせて恫喝しても岸は動じませんでした。
結果、閣内不一致となり、同年昭和19年(1944)7月、東條内閣はサイパン失陥の責任を取る形で総辞職となります。
現代でもメディアや文化人などが、東條英機をヒトラーやムッソリーニなどの独裁者と同列に並べることがありますが、この一事を見てもそうではないことが分かります。
日本は戦争中であっても議院内閣制を堅持していたのです。
後の評論家の多くは、この時に不利な条件でも講和すべきだったと言いますが、既にこの時点ではアメリカは無条件降伏に近いものしか認めなかったでしょうし、大本営と陸軍がそれを呑んだとは考えられません。
つまるところ、行き着く所まで行く運命にあったと言えるのです。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

悪魔の如きアメリカ軍
アメリカ軍は沖縄を攻略する前に、昭和20年(1945)3月に東京大空襲を行っています。
これはアメリカが日本の戦意を挫くために、一般市民の大量虐殺を狙って行われたものでした。
この作戦を成功させるために、アメリカ軍は関東大震災や江戸時代の明暦の大火についてまで調べ、どこを燃やせば日本人を効果的に焼き殺せるかを事前に研究し尽くして、空襲場所を浅草区、深川区、本所区などを中心とする民家密集地帯に決めました。
またどのような焼夷弾が有効かを確かめるために、ユタ州の砂漠に日本の民家を建てて作り、実験まで行っています。
その家の中には、ハワイから呼び寄せた日系人の職人に、布団、畳、障子、卓袱台までしつらえさせるという徹底ぶりでした。
そしてサイパン基地から300機のB-29に爆弾を積めるだけ積んで出撃し(そのため機銃まで降ろしていた)、昭和20年(1945)3月9日の深夜から10日の未明にかけて、2000メートルという低空から東京都民に爆弾の雨を降らせたのです。
その結果、一夜にして老人、女性、子供などの非戦闘員が10万人以上殺されました。
これはハーグ陸戦条約に違反した明白な戦争犯罪行為です。
昭和20年(1945)5月にドイツが無条件降伏し、世界を相手に戦っているのは日本のみとなりました。
東京はその後も何度か大空襲に遭い、全土が焼け野原となりました。
アメリカ軍は昭和20年(1945)5月に東京を爆撃目標リストから外したほどです。
被害に遭ったのは東京だけではありません。
大阪、名古屋、福岡など、日本の主要都市は軒並み焦土にされ、全国の道府県、430の市町村が空襲に遭いました。
アメリカ軍の戦闘機は逃げ惑う市民を、動物をハンティングするように銃撃しました。
空襲による死者数は、調査によってバラツキがありますが、数十万人と言われています。
アメリカ軍による最も残虐な空襲は、昭和20年(1945)8月に、広島と長崎に落とした2発の原子爆弾(原爆)でした。
これも無辜の一般市民の大量虐殺を意図したもので、明白な戦争犯罪です。
この時点では日本の降伏は目前だったにもかかわらず、人類史上最悪の非道な行為に及んだことは許し難いものがあります。
しかし今もアメリカ人の多くは
「原爆投下は正しかった」
と考えています。
その理由は原爆のお陰で戦争が早期に集結し、多くのアメリカ兵の命が救われたからというものです。
実に利己的な考え方ですが、広島と長崎に原爆を投下した本当の目的はそれではありません。
もし原爆の威力を見せつけることで日本に戦争終結を迫りたいなら、人口密集地に投下しなくてもよかったはずですし、仮に都市に投下するなら事前に告知して住民が退避する時間を与えるということも出来たはずです。
これは何も私の考えではありません。
実際に、アメリカ国内で原爆の関係者(原爆に関する諮問機関である暫定委員会のメンバー)が政府に提言していた内容です。
しかし残念なことに、それらの提言は取り上げられることはなく、広島と長崎に原爆は投下されました(長崎は当初の目的地である小倉上空が雲で覆われていたため、第2候補地であった長崎に投下された)。
原爆投下の目的の第1は、原爆の効果を知るためであったと言っていいでしょう。
その根拠は、原爆投下候補地には通常の空爆を行っていなかったことが挙げられます。
ちなみに京都がほとんど空襲されなかったのも候補地の1つであったからです。
アメリカ軍が文化財を守るため、京都、奈良などの古都を空爆しなかったという話がありますが、これは完全な誤りです。
この誤解に便乗し、中国人の建築家がアメリカに対して
「京都、奈良を空爆しないように進言した」
という話がありますが、これは悪質な捏造です。
何より忘れてはならないのは、原爆投下には有色人種に対する差別が根底に見えるということです。
仮にドイツが徹底抗戦していたとしても、アメリカはドイツには落とさなかったでしょう。
大東亜戦争が始まった途端、アメリカは約8割の日系アメリカ人(アメリカ市民)の財産を剥奪し、強制キャンプに送りましたが、第二次世界大戦中もドイツ系アメリカ人に対しては特に制約をしていません(ナチスへの協力者は除く)。
昭和19年(1944)9月にニューヨークのハイドパークで行われたルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の
「核に関する秘密協定」
において、原爆はドイツではなく、日本へ投下することを確認し合っています。
原爆投下のもう1つの目的は、ソ連に対しての示威行為です。
アメリカは戦後の対ソ外交を有利に運ぶために原爆投下を昭和20年(1945)の5月には決定していました。
原爆はソ連に対して何よりの軍事的威圧になると見ていたからです。
2発目の原爆が落とされた昭和20年(1945)8月9日、ソ連が
「日ソ中立条約」
を破って参戦しました。
最早日本が戦争を継続するのは不可能でした。
5日後の昭和20年(1945)8月14日、日本は
「ポツダム宣言」
を受諾すると連合軍に通達します。
ここに日本が3年9カ月戦った大東亜戦争の終わりが決定しました(同時に8年続いた支那事変も終結)。
古代以来、1度も敗れることがなかった日本にとって初めての敗北でした。
同時に、16世紀より続いていた欧米列強による植民地支配を跳ね返し、唯一独立を保った最後の有色人種が、遂に白人種に屈した瞬間でもありました。

「大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争だった」
と言う人がいますが、この見方は誤りです。
というより、正確な意味での侵略ではありません。
日本は中国以外のアジア諸国とは戦争をしていないからです。
日本が戦った相手は、フィリピンを植民地としていたアメリカであり、ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランスであり、インドネシアを植民地としていたオランダであり、マレーシアとシンガポールとビルマを植民地としていたイギリスでした。
日本が
「大東亜共栄圏」
という理想を抱いていたのは確かです。
「大東亜共栄圏」
とは、日本を指導者として、欧米諸国をアジアから排斥し、中華民国、満州、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ビルマ、インドを含む広域の政治的・経済的な共存共栄を図る政策でした。
昭和18年(1943)には東京で、中華民国、満州国、インド、フィリピン、タイ、ビルマの国家的有力者を招いて
「大東亜会議」
を開催しています。
また同年昭和18年(1943)8月1日にビルマを、昭和18年(1943)10月14日にフィリピンの独立を承認しています(ただし、アメリカとイギリスは認めなかった)。
残念ながら日本の敗戦により、
「大東亜共栄圏」
が実現されることはありませんでしたが、戦後、アメリカやイギリスなど旧宗主国は再びアジアの国々を支配することはできず、アジア諸国の多くが独立を果たしました。
この世界史上における画期的な事実を踏まえることなく、短絡的に
「日本はアジアを侵略した」
と言うのは典型的な自虐史観による見方です。

日本国憲法
昭和20年(1945)8月、アメリカ軍を主力とする連合国軍が日本の占領を開始しました。
連合国軍とは言っても実質的にはアメリカ軍による単独占領で、ダグラス・マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters。以下GHQと表記)が東京に置かれました。
占領政策は狡猾で、表向きはGHQの指令・勧告によって日本政府が政治を行う間接統治の形式を取りましたが、重要な事項に関する権限はほとんど与えませんでした。
GHQの最大目的は、日本を2度とアメリカに刃向かえない国に改造することでした。
そこで、明治以降、日本人が苦心して作り上げた政治の仕組みを解体し、憲法を作り替えることに着手しました。
同年昭和20年(1945)10月、GHQは日本政府に対し、大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示します。
これは実質的には大日本帝国憲法破棄の命令に近いものでした。
幣原喜重郎内閣は改正の草案を作りましたが、発表前に毎日新聞社に内容をスクープされてしまいます。
草案の中に
「天皇の統治権」
を認める条文があるのを見たマッカーサーは不快感を示し、GHQの民生局に独自の憲法草案の作成を命じました。
もちろんこの時、
「戦争放棄条項」
がマッカーサーの念頭にあったことは言うまでもありません。
ハリー・S・トルーマン政権の方針に基づいて民生局のメンバー25人が都内の図書館で、アメリカの独立宣言やドイツのワイマール憲法、ソ連のスターン憲法などを参考にして草案をまとめあげました。
中にはほとんど丸写しという文章もありました。
メンバーの中に憲法学を修めた人は1人もいませんでした。
しかし驚いたことに、そんな彼らが1国の憲法の草案を僅か9日で作ったのです(日数については諸説あり、最短6日という説もある)。
本来、憲法というものは、その国の持つ伝統、国家観、歴史観、宗教観を含む多くの価値観が色濃く反映されたものであって然るべきです。
ところが日本国憲法には、第1条に
「天皇」
のことが書かれている以外、日本らしさを感じさせる条文はほぼありません。
しかもこのようにして作られた憲法には、今日まで議論の的になっている条項、いわゆる
「9条」
があります。
それは次の2項から成っています。
「(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
「(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
いわゆる
「戦争放棄」
として知られるこの条項は、マッカーサーの強い意向で盛り込まれたものでしたが、さすがに民生局のメンバーからも、
「憲法にこんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではないか」
と反対する声が上がったと言われています。
そのため、
「前項の目的を達するため」
という文言が追加され(芦田修正)、自衛のために戦力を保持することが出来るという解釈を可能とする条文に修正されましたが、日本人の自衛の権利すら封じる旨を謳っていることには変わりがありませんでした。
GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押し付けました。
内閣は大いに動揺しますが、草案を吞まなければ天皇の戦争責任追及に及ぶであろうことは誰もが容易に推測できました。
現代においても、日本国憲法はGHQから押し付けられたものではないと主張する日本の野党政治家及びリベラルの学者や文化人は少なくありませんが、GHQが残した多くの資料がそれを否定しています。
例えば、江藤淳はメリーランド州スートランドにあるアメリカ国立公文書館分室から、GHQのG-2(参謀第2部)の指揮下にあったCCD(民間検閲支隊)が昭和21年(1946)11月25日に出した検閲指針(A Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions,dated 25 November,1946,The National Records Center,資料番号 RG 331, Box No.8568)を見付けています。
それはGHQが新聞や映画などで削除または発行禁止処分の対象となる項目を略説したものですが、その中の(三)に、以下の文章があります。
「SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers:連合国軍最高司令官つまりマッカーサー)が憲法を起草したことに対する批判」
つまりGHQ自らが、日本国憲法を起草したのはマッカーサー(及び部下たち)であるとはっきりと書いているのです。
しかもそのことに対する批判は削除または発行禁止処分になるとまで言っています。
後にマッカーサーは
「9条を提案したのは幣原喜重郎首相だ」
と言い出し、幣原喜重郎自身も
「戦争放棄9条をマッカーサーに進言した」
という意味のことを言っています。
つまり9条はマッカーサーと幣原喜重郎の秘密会談で生まれたということですが、それはあり得ません。
何故なら、日本の非武装はトルーマン政権及びマッカーサーの断固とした意思であり、
「戦争放棄」
についてはマッカーサーが民政局長に手渡したとされる指示ノートに残されています。
マッカーサーは昭和28年(1953)の談話の中で次のように語っています。
「占領軍が撤退し、日本人の思い通りになる状況が生まれた途端に、彼らは押し付けられた憲法を捨て去ろうとするだろう」
「これほど確かなことはない」
(ジョージ・H・ブレイクスリー『極東委員会ー国際協力の研究』より)
つまりマッカーサーは日本人に
「憲法9条は押し付けられたものではない」
というイメージを植え付けておくことが大事だったのです。
ただ、幣原喜重郎がマッカーサーに9条のアイデアを語った可能性はあります。
昭和26年(1951)に、幣原喜重郎の元秘書官で当時衆議院議員だった平野三郎の質問に答えて語っている中に、戦争放棄に関する狂信的とも言える考えが吐露されているからです。
その一部を紹介しましょう。
「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である」
(中略)
「要するに世界は今1人の狂人を必要としているということである」
「何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことが出来ないのである」
「これは素晴らしい狂人である」
「世界史の扉を開く狂人である」
「その歴史的使命を日本が果たすのだ」
(『平野文書』より)
幣原喜重郎の言葉は、憲法9条が絶対的正義であるとする現代の護憲派の人たちの考え方と酷似しています。
この時、平野が
「軍隊のない丸裸の所へ敵が攻めて来たら、どうするという訳なのですか」
と訊いていますが、幣原喜重郎の答えは
「死中に活」
というものでした。
意味が分からない平野が重ねて問うと、幣原喜重郎はこう答えています。
「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」
ここには既に論理はありません。
敢えて言うならば、宗教的な妄想に近い考えになっています。
侵略国家に対して、自衛の力を持たない国家や民族がどのような悲惨な運命を辿って来たかは、世界史を繙けば一目瞭然です。
そもそも幣原喜重郎という人物は、かつてワシントン会議においてアメリカの策略に乗って日英同盟を破棄して名ばかりの
「四カ国条約」
を締結した張本人であり、満州や中国で日本人居留民が中国人から度々嫌がらせを受けても、
「自重するように」
と言い続けた外相(当時)です。
恐らく若い頃から、戦争を忌避すれば平和が訪れるという思想の持ち主だったのかもしれません。
それで前述したようにマッカーサーとの会談で、そうした話をした可能性はあります。
しかし繰り返しますが、日本の戦争放棄はアメリカの既定路線でした。
新憲法は、手続き上は大日本帝国憲法を改正する形式を取り、衆議院と貴族院で修正可決された後、日本国憲法として昭和21年(1946)11月3日に公布され、翌年昭和22年(1947)5月3日に施行されました。
ここで、絶対に知っておいて頂きたい事があります。
アメリカを含む世界44カ国が調印している
「ハーグ陸戦条約」
には、
「占領国は占領地の現行法を尊重する」
と書かれています。
つまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、明確に国際条約違反なのです。
ちなみに西ドイツも日本と同じように連合国によって強引に憲法を押し付けられています。
しかしそこには決定的とも言える違いがあります。
ドイツへ押し付けた憲法には
「交戦権」
を奪っていないことです。
そこには日本あるいは有色人種に対する明確な差別意識が窺えます。
第二次世界大戦中も、アメリカは日系移民(国籍はアメリカ市民)の私有財産を奪った上、強制収容所に送りましたが、ドイツ系やイタリア系の移民に対してはそんな事は一切行っていません。
この時、日系移民の若者(男子)たちは、アメリカに対する忠誠を誓うため、軍に志願してヨーロッパ戦線で戦いました。
日系アメリカ人2世が主力の
「442連隊戦闘団」
連合国軍の中で最も勇敢な部隊として知られ、アメリカ合衆国史上最も多くの勲章を受けました。
しかしその死傷率は300パーセントを超えるものでした(連隊の定員の3倍以上の死傷者を生んだ)。
その凄まじい数字を見ただけで、彼らの多くはアメリカで生まれ育ちましたが、日本の侍の心を持った男たちでした。
そして彼らはその合言葉
「Go for broke!」(当たって砕けろ!)
と共に、文字通りその命を懸けて、アメリカに日本人の素晴らしさを示したのです。
後にトルーマン大統領が
「諸君は敵のみならず、偏見とも戦って、勝利した」
とい言葉を贈りましたが、「もって瞑すべし:(宿願を果たして)それで安心して死ぬことができる」と思います。

前述したように
「日本国憲法」
はGHQの恫喝によって押し付けられました。
当時の日本政府には、これを拒否する力はありませんでした。
具体的に言えば、その日は昭和21年(1946)2月13日です。
この日の午前10時、外務大臣官邸を訪れたGHQ民生局のホイットニー准将らが外務大臣の吉田茂と国務大臣の松本烝治と終戦連絡事務局参与の白洲次郎らに、
「日本国憲法」
と題された草案を渡し、
「これはマッカーサーが日本の事情が必要としている諸原理を具現すべきものとしている」
と言いました。
そして
「君たちが草案を読んでいる間、我々は退席する」
と言って部屋を出ました。
3人はGHQが憲法草案を作っていたことにも驚きましたが、その内容を読んで愕然とします。
そこには
「戦力の保持は認めない」
「土地は国有とする」
「議会は一院制にする」
といった衝撃の内容が数々含まれていたからです。
(「土地の国有化」や「一院制」に関しては日本側の要望で削除されたが、それらはGHQも織り込み済みで、敢えていくつかそうした取引材料を入れていたとされる)
この時、白洲次郎が庭に出ていたホイットニー准将をつかまえると、彼は白洲次郎に向かってこう言いました。
「原子力(アトミック・エナジー)の暖かさをエンジョイしていたよ」(We have been enjoying your atomic sunshine.)
太陽の熱をわざと原子力(atomic)と表現したのは、白洲次郎に原子力爆弾を連想させる意図に他なりません。
更にこの時間帯に合わせて、東京上空に爆撃機B-25を飛ばせていたのです。
これは余りにもあからさまな恫喝です。
白洲次郎は
「血が逆流する思いであった」
と述べています。
部屋に戻ったホイットニーは、吉田らに対して
「この草案が受け入れられれば、天皇の地位は安泰になるだろう」
と言いました。
つまり言い換えれば、拒否すれば天皇の命も保証できないというものです。
日本は草案を呑む以外に道はありませんでした。
これは屈辱の歴史です。
ところがその憲法を私たちは70年以上経った今も改正していませんが、実はこれは世界の中でも極めて異常なことです。
憲法は絶対不変なものではなく、時代に合わせて必要なものを付け加え、不要なものは削除するというのは世界の常識です。
ちなみに第二次世界大戦後、令和2年(2020)の時点で、アメリカは6回、フランスは27回、イタリアは16回、韓国は9回、憲法を改正しています。
ソ連や中国といった共産主義国でさえ何度も改正しています。
日本と同じく連合国軍によって憲法を押し付けられたドイツは65回も改正しています。
しかし日本は押し付けられた憲法をまるで聖典のように扱い、一字一句変えることなく、現代に至っているのです。
最早非占領国ではなく、連合国軍が統治する国ではないにもかかわらずです。

教職追放
GHQの行った思想弾圧で、後の日本に最も大きな影響を与えたのは
「教職追放」
でした。
GHQは占領直後から、帝国大学で指導的立場にあった教授(多くは愛国者や保守的な思想の持ち主)、あるいはGHQの政策に批判的な教授を次々に追放しました。
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
を日本人に完全に植え付けるためには、教育界を押さえる必要があると考えたからです。
代わってGHQが指名した人物を帝国大学に入れましたが、その多くは戦前に共産党員であったり、無政府主義的な論文を書いたりして大学から処分された人たちでした。
戦前、
「森戸事件」(東京大学の森戸辰男が無政府主義の宣伝をした事件)
に関係して東京大学を辞めさせられた大内兵衛(戦後、東京大学に復帰、後、法政大学総長)、戦前、無政府主義的な講演をして京都大学を辞めさせられた(滝川事件)滝川幸辰(戦後、京都大学総長)など、多くの者がGHQの後ろ盾を得て、結果的に
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
の推進者となり、東大、京大を含む有名大学を支配していくことになります。
一方、追放を免れた者も、これ以降はGHQの政策に批判的な事を口にしなくなったばかりか、帝国大学においては、共産主義に阿る教授や社会主義者に転向する者、変節する学者が続出しました。
特に酷かったのは東京帝国大学で、昭和21年(1946)、憲法学者の宮沢俊義は
「八月革命説」
を唱えて、日本国憲法(1946年11月3日に”公布”、1947年5月3日に”施行”)の正当性を論じました。
「八月革命説」
とは、簡単に言えば、
「ポツダム宣言の受諾によって、主権原理が天皇主権から国民主権へと革命的に変動したもので、日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではなく、日本国民が制定した憲法である」
という説です。
現在でも、この説は東大の憲法学の教授らによって引き継がれ、その教え子たちによって全国の大学の法学部に広く行き渡り、司法試験などの受験界では
「宮沢説」
が通説となっています。
また国際法学者として東京大学に君臨した横田喜三郎は、東京裁判の正当性を肯定しています。
もちろん彼の説も、その後、弟子たちによって東京大学及び全国の大学に脈々と継承されています。
余談ですが、横田はGHQによる占領中に
「天皇を否定する」
内容の本(『天皇制』)を書いて出版しました。
しかし後年、最高裁長官に任命され、勲一等旭日大綬章が貰えそうになった時、門下生に命じて神田の古書店で自著を買い集めさせ、証拠隠滅のために個人焚書したのです。
何とも恥知らずな話ですが、見方を変えれば、己の信念や研究成果をもって書いた学説ではなかったという証です。
憲法学者の宮沢俊義も、最初は、
「日本国憲法の制定は日本国民が自発的自主的に行ったものではない」
と主張していましたが、ある日突然、正反対の意見を言い出した学者です。
その変わり身の早さから、恐らくGHQの教職追放を目の当たりにして、慌てて転向したものと思われます(宮沢は戦前にも軍部に阿って主張を変えた過去がある)。
悲しいのは、その後、日本の憲法学界をリードする東京大学の法学部の教授たちが、その宮沢の学説を半世紀以上に渡って継承し続けているということです。
そして東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚を排出しています。
「自虐史観」
に染まった教授たち(一部は保身のためGHQに阿った)から
「日本国憲法は日本人が自主的に作った」
「東京裁判は正しい」
という教育を受けた人たちが、文部科学省や外務省の官僚になるということの方がむしろ、恐ろしいことです。
「教職追放」
は大学だけでなく、高校、中学、小学校でも行われました。
最終的に自主的な退職も含めて約12万人もの教職員が教育現場から去ったと言われています。
その多くが愛国心を隠さなかったり、保守的な考えを持ったりした者で、特に戦前の師範学校出身者が多かったとも言われています。
その結果、教育界は社会主義者が支配するようになり、昭和22年(1947)に生まれた日本教職員組合(日教組)は、完全に左翼系運動組織となりました。
後に日教組の書記長となり、30年に渡ってトップの座にあった槙枝元文は、当時、国交がなかった北朝鮮を何度も訪問し、金日成から勲章まで授けられています。
こうして戦後の日本の教育界は左翼系の人々に乗っ取られた形となったのです。

公職追放
GHQが次に行ったのが
「公職追放」(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)
です。
GHQにとって好ましからざる人物と判断した人たちを様々な職場から追放したのです。
対象者は、
「戦犯」

「職業軍人」
など7項目に該当する人物でしたが、GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となりました。
昭和21年(1946)、自由党総裁だった鳩山一郎は、首班(首相)指名を受ける直前に公職追放により政界から追放されました。
表向きの理由は昭和5年(1930)の
「統帥権干犯問題」
での鳩山の発言でしたが(軍部の暴走を助長することになったとされた)、本当の理由は別にあったと言われています。
鳩山は昭和20年(1945)、アメリカの原爆投下に批判的とも取れるインタビュー記事が朝日新聞に載ったことで、GHQから睨まれていたのです。
ちなみにこの時、朝日新聞は2日間の発行停止処分を受け、それ以降、朝日新聞はアメリカやGHQを批判する記事を一切書かなくなりました。
戦後初の総選挙で第1党となった政党の総裁さえ簡単に追放してしまうGHQの恐ろしさに、以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまいました。
また名称こそ
「公職追放」
となっていましたが、実際は公職だけでなく民間企業からも追放されました。
当時、日本は貧しく、ほとんどの人が食うや食わずの生活で、社会保障の制度もありません。
職を失うことは、まさしく死活問題でした。
政治家と言えども、その恐怖に怯えたのも無理はありません。
GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放しました。
それは言論人や文化人にも及びました。
菊池寛(作家、「文藝春秋」創刊者)、正力松太郎(読売新聞社社長)、円谷英二(映画監督)、山岡荘八(作家)などの著名人の他、無名の記者や編集者も多くいました。
代わりにGHQの指名によって入って来たのは、彼らの覚えめでたき人物たちでした。
これにより、多くの大学、新聞社、出版社に、
「自虐史観」
が浸透し、GHQの占領が終わった後も、そうした思想が徐々に一般国民に行き渡っていくことになります。
大学や新聞社で追放を免れた人たちの中にも、追放を恐れてGHQの政策に対して批判的な事を口にする者はいなくなりました。
GHQの公職追放はその後も財界、教育界、言論界と広い範囲で行われ、その数は約20万6000人に及びましたが、追放を担当したG-2(参謀第2部)だけで、それだけの人数を処理できるはずはありません。
追放に協力した日本人が多数いたことは間違いなく、彼らの多くは共産党員並びにそのシンパであったと言われています。
前述の教職追放の時も、同じ日本人同士の密告や讒訴(ざんそ: 他人を陥れようとして、事実を曲げて言い付けること)が頻繁にあり、そうした空気を嫌って多くの教員が自主的に職場を去っています。
また政治家の間でも、GHQを使って政敵を追い落としたケースがありました。
ちなみに前述の焚書にも、左翼系学者や言論人の協力があったことは言うまでもありません。
こうした事実を見ると、
「教職追放」

「公職追放」
は、単に思想的な問題だけではなく、日本人の誇りとモラルを破壊したものだったということが分かります。

公職追放及び教職追放は、GHQにとっても大きな誤算となりました。
GHQの後押しによってメディアと教育界に入り込んだ社会主義者や共産主義者たちが大きな勢力を持ち始めたからです。
一般企業でも労働組合が強くなり、全国各地で暴力を伴う労働争議が頻発しました。
これらはソ連の指示があったとも言われています。
更に昭和24年(1949)、中国共産党が国民党に勝利して共産主義国を樹立したことにより、日本の大学やメディアでもソ連や中華人民共和国を礼賛する傾向が強くなりました。
日本の共産化を恐れたGHQは、昭和25年(1950)、日本共産党の非合法化を示唆します。
その後、官公庁、大企業、教育機関などから、共産主義者及びそのシンパの追放を勧告しました(レッドパージ)。
これにより1万数千人以上の人が様々な職場から追放されましたが、それらはかつての公職追放や教職追放のような徹底したものではありませんでした。
大学では共産主義者及びそのシンパの追放はほとんど行われませんでした。
メディアも同様でした。
また国鉄(日本国有鉄道。その後、JR各社に分かれる)の巨大労働組織で長年に渡り国民の血税を貪り続けた国労(国鉄労働組合)などでは、共産主義者らが、共産主義に反対する人々を、逆に共産主義者だと名指しして解雇し、実権を握りました。
こうして共産主義的な思想は日本社会の至る所に深く根を降ろしていくことになります。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
GHQが行った対日占領政策の中で問題にしたいのが、日本国民に
「戦争責任」
を徹底的に伝える
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
でした。
分かり易く言えば、
「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」
です。
これは日本人の精神を粉々にし、2度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものでした。
「極東軍事裁判」(東京裁判)
もその1つと言えます。
そして、これらの施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊しました。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」
という言葉は、文芸評論家の江藤淳が昭和58年(1983)から月刊誌「諸君!」に連載した『閉ざされた空間』で使った呼称ですが、彼はGHQの内部文書から、占領軍がそうした意図を持っていたことを明らかにしました。
同連載は平成元年(1989)に書籍化されましたが、言論史を塗り替える画期的な本となりました。
その後、教育学者の高橋史郎や翻訳家の関野通夫らが多くの1次資料を発掘し、江藤の説を裏付けています。
同書が明らかにした事は紛れもない事実で、実際、昭和20年(1945)10月2日に発せられたGHQの一般命令書の中に、
「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在及び将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」
と明記されています。
GHQはその方針に従って、自分たちの意に添わぬ新聞や書物を発行した新聞社や出版社を厳しく処罰しました。
江藤がアメリカ国立公文書館分室で見付けた前述の文書には、禁止項目は全部で30もありました。
禁止事項の第1は
「GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部及び最高司令官)に対する批判」
です。
2番目は
「東京裁判に対する批判」、
3番目は
「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」
でした。
アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、その他の連合国に対する批判も禁じられていました。
更に何故か朝鮮人に対する批判も禁止事項に含まれていました。
占領軍兵士による犯罪の報道も禁じられ、またナショナリズムや大東亜共栄圏を評価すること、日本の戦争や戦犯を擁護することも禁じられました。
新聞や雑誌にこうした記事が載れば、全面的に書き換えを命じられました。
GHQの検閲は個人の手紙や電話にまで及びました。
進駐軍の残虐行為を手紙に書いたことで、逮捕された者もいます。
スターリン時代のソ連ほどではありませんでしたが、戦後の日本に言論の自由は全くありませんでした。
こうした厳しい検閲を、日本語が堪能でないGHQのメンバーだけで行えたはずがありません。
多くの日本人協力者がいたことは公然の秘密でした。
一説には4000人の日本人が関わったと言われています。
更にGHQは戦前に出版されていた書物を7000点以上も焚書しました。
焚書とは、支配者や政府が自分たちの意に添わぬ、あるいは都合の悪い書物を焼却することで、最悪の文化破壊の1つです。
歴史上では秦の始皇帝とナチスが行った焚書が知られていますが、GHQの焚書も悪質さにおいてそれに勝るとも劣らないものでした。
驚くべきは、これに抵抗する者には警察力の行使が認められており、違反者には10年以下の懲役もしくは罰金という重罰が科せられていたことです。
もちろん、この焚書にも多くの日本人協力者がいました。
特に大きく関与したのは、日本政府から協力要請を受けた東京大学の文学部だと言われています。
東京大学の文学部内には戦犯調査のための委員会もあったとされていますが、この問題を占領の終了後もマスメディアが全く取り上げようとしないのは実に不可解です。
検閲や焚書を含むこれらの言論弾圧は
「ポツダム宣言」
に違反する行為でした。
「ポツダム宣言」
の第10項には
「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権は確立されるべきである」
と記されています。
つまりGHQは明白な
「ポツダム宣言」
違反を犯しているにもかかわらず、当時の日本人は一言の抵抗すらできなかったのです。
「大東亜戦争」
という言葉も使用を禁止されました。
GHQは
「太平洋戦争」
という名称を使うよう命じ、出版物に
「大東亜戦争」
という言葉を使えば処罰されたのです。
これは事実認識の点で非常に問題のある措置でした。
というのも、日本政府が閣議決定した
「大東亜戦争」
という呼称は、日中戦争から対米戦、ポツダム宣言受諾までの一連の戦争の総称ですが、
「太平洋戦争」
と言うと、中国大陸や東南アジアでの戦いが含まれないことになります。
しかも、
「太平洋戦争」
という呼称は、世界史で言えば、19世紀終盤に南米で起きたボリビア、ペルー、チリの戦争を指すのが一般的です。
GHQが
「大東亜戦争」
という呼称を禁じたのは、日本が欧米諸国に支配されていたアジアの解放を謳う意味で使った
「大東亜共栄圏」
を構築するための戦争であったというイメージを払拭させるためです。
GHQはたとえ大義名分であったとしても
「アジアの解放」
のための戦争であったと言われるのを嫌ったのです。
この検閲は7年間続きましたが、この時の国民の恐怖が国民の心の中に深く残ったためか、現在でも、マスメディアは決して
「大東亜戦争」
とは表記せず、国民の多くにも
「大東亜戦争」
と言うのを躊躇する空気があります。
如何にGHQの検閲と処罰が恐ろしかったかが想像できます。

『眞相はかうだ』による洗脳
GHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
は新聞とラジオ放送によっても行われました。
昭和20年(1945)12月8日(この日は真珠湾攻撃からちょうど4年目の日)より、全国の新聞に
「太平洋戦争史」
というタイトルでGHQによる宣伝工作記事が連載され、その翌日からNHKラジオで
『眞相はかうだ』
という番組の放送が始まりました。
いずれも大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたもので、国民は初めて知らされる
「真相」
に驚きました。
新聞連載もラジオ放送も、その目的は日本国民に
「太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった」
ということを徹底的に刷り込むためのものでした。
『眞相はかうだ』
はGHQが全て台本を書いており(そのことは国民に知らされていなかった)、放送される内容も占領政策に都合のいいものでした。
GHQは翌年昭和21年(1946)も
『眞相箱』
『質問箱』
というタイトルで、約1年に渡り洗脳番組を放送し続けました(依然、GHQが制作していることは伏せられていた)。
GHQが巧妙だったのは、番組の中に時折、日本人の良い面を織り交ぜたことでした。
そうすることで内容に真実味を持たせたのです。
しかし戦前の政府や軍を批判する内容には、多くの虚偽が含まれていました。
当時も、これらの番組内容は真実ではないのではないかと疑義を抱く人はいました。
ところが、彼らが声を上げても、そうした記事は
「占領政策全般に対する破壊的批判」
と見做され、全文削除されていたのです。
かくの如く言論を完全に統制され、ラジオ放送によって(当時はインターネットもテレビもない)洗脳プログラムを流され続ければ、国民が
「戦前の日本」
を徹底的に否定し嫌悪するようになるのも無理からぬことです。
ただ、何より恐ろしいのは、この洗脳の深さです。
GHQの占領は7年間でしたが、それが終わって70年以上経った現在でも、
「歴史教科書」
などの影響もあり、多くの日本人が
「戦前の政府と軍部は最悪」
な存在で、
「大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」
と無条件に思い込んでいます。
もちろん戦前の政府や軍部に過ちはありました。
しかし連合国にも過ちはあり、また大東亜戦争は決していわゆる
「侵略戦争」
ではありませんでした。
繰り返しますが、日本には中国を占領する意思はなく(人口と領土を考えても不可能であるし、またそうした作戦は取っていない)、またそれ以外のアジアの人々と戦争をしたわけではありません。
戦後、日本は僅か数年占領下においたアジア諸国に賠償金を支払いましたが、その国々を数十年から300年に渡って支配していたオランダ、イギリス、フランス、アメリカは、賠償金など一切払っていないばかりか、植民地支配を責められることも、少数の例を除いてはほとんどありません。
それは何故かー日本だけが誠意をもって謝罪したからです。
日本人には、自らの非を認めるにやぶさかでない、むしろ非を進んで認めることを潔しとする特有の性格があります。
他の国の人々と違って、謝罪を厭わないのです。
こうした民族性があるところへ、GHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
によって贖罪意識を強く植え付けられたことで、当然のようにアジア諸国に深い謝罪の意を表したのです(もちろん連合国が謝罪させた面もある)。

現代においても歴史学者や評論家の中には
「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)など存在しない」
「WGIPは妄想の産物」
と断定する人が少なくありません。
しかしWGIPは陰謀論ではなく、厳然と存在するものです。
なぜならGHQの公式文書には、
「日本人にWGIPを植え付ける」
という文言が入った書類が多数残されているからです。
例えば、GHQの民間情報教育局(CIE)が昭和23年(1948)3月3日に出した文書のタイトルは、そのものずばり
「WGIPについて」
です。
そこには次のような文章があります。
「その任務を果たすためにCIEは1945年10月から1946年6月までの期間に第1段階のWGIPを開始した」
「このプログラムは日本の全ての公衆情報メディア、即ち新聞、書籍、雑誌、ラジオ、映画を通じて実施された」
(有馬哲夫著『日本人はなぜ自虐的になったのか』より)
ここにはGHQ自身がはっきりとWGIPを開始したと書いています。
これほど明白な証拠はありません。
これはあくまで一例で、GHQが日本人にWGIPを植え付けようとしていたことが書かれている文書はいくらでも残っています。
WGIPを否定する人たちは、こうした1次資料を無視します。
あるいは
「ウォー・ギルトとは『戦争の有罪性』を説くもの」
という風に論理の摩り替えを行います。
ところで、このGHQの文書で注目すべきは、
「日本の全ての公衆情報メディア、即ち新聞、書籍、雑誌、ラジオ、映画を通じて実施された」
というくだりです。
実はWGIPを試みたのはGHQですが、その後、それを積極的に推し進めたのは、他ならぬ私たちの国のメディアだったのです。
更にそれを後押しした組織に
「教育界」
があります。
教職追放の後、大学やその他の教育機関にGHQに阿る教授や教諭が大量に入り、若者や子供たちに自虐思想を植え付けていきました。
メディアと教育による
「洗脳工作」
は、連合軍の占領期間中に弛まず行われました。
その結果、日本の若年層の間に、過剰に自己を否定する、いわゆる自虐史観が蔓延していきました。
そして後に彼らの中から、
「君が代」

「日の丸」
を否定する人々が大量に生まれました。
実に悔しいながら、日本人をマインドコントロールするGHQの占領政策は見事に成功したと言わざるを得ません。
ちなみに戦後、GHQに最も忠実な報道機関となったのが朝日新聞と毎日新聞です。
特に朝日新聞は自ら進んでGHQの政策を肯定し、マッカーサーを称賛しました。
昭和26年(1951)に彼が連合国軍最高司令官を解任され、アメリカに帰国する際にはこう書きました。
「我々に民主主義、平和主義の良さを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった」(昭和26年【1951】4月12日)
まるで毛沢東か金日成を礼賛する共産主義国の機関紙のようです。
呆れたことに、この時、マッカーサーを顕彰する
「マッカーサー記念館」
を作ろうという提案がなされ、その発起人に当時の朝日新聞社長の長谷部忠が名を連ねています(毎日新聞社社長、本田親男の名前もある)。
朝日新聞社や毎日新聞社にとって、ダグラス・マッカーサーはそれほど偉大な人物であったということでしょう。

「ポツダム宣言受諾」
は、昭和20年(1945)8月9日の御前会議で決定されました。
場所は宮中御文庫附属庫の地下10メートルの防空壕内の15坪ほどの一室でした。
時刻は午後11時50分。
列席者は鈴木貫太郎首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、枢密院議長の7人でした(他に陪席4人)。
司会の首相を除く6人は、
「ポツダム宣言受諾派」(外務大臣・海軍大臣・枢密院議長)

「徹底抗戦派」(陸軍大臣・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長)
の真っ二つに分かれました。
日本政府が
「ポツダム宣言」
を受諾すれば、昭和天皇は戦犯として処刑される可能性もありましたが、会議中、昭和天皇は一切発言しませんでした。
時に昭和天皇は44歳でした。
昭和天皇は、その生涯に渡って、
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という姿勢を貫いていました。
「親裁」
とは、君主自らが政治的な採決を下すことです。
従って国民が選んだ内閣の決定には口を挟まないという原則を自らに課していたのです。
それを行えば専制君主となり、日本は立憲国ではなくなるという考えを持っていたからです。
昭和3年(1928)の
「張作霖爆殺」
に関する田中義一首相の報告に対して不満を述べたことで内閣が総辞職したことを反省し、以後は
「拒否権」
も含めて、
「親裁」(君主自らが政治的な採決を下すこと)
は行いませんでした。
唯一の例外が、軍事クーデターである
「2・26事件」
の際に制圧せよと命じた時です。
大東亜戦争の開戦には反対だったにもかかわらず(開戦回避のため、水面下で努力していた)、開戦が決まった御前会議においては、内閣の決定に対して一言も異議を唱えませんでした。
「ポツダム宣言」
を巡っての会議は、
「徹底抗戦派」

「ポツダム宣言受諾派」
が共に譲らず、完全に膠着状態になりました。
日付が変わって昭和20年(1945)8月10日の午前2時を過ぎた頃、司会の鈴木貫太郎首相が、
「事態は一刻の遷延も許されません」
「誠に畏れ多いことながら、陛下の思し召しをお伺いして、意見をまとめたいと思います」
と言いました。
ずっと沈黙を守っていた昭和天皇は、
「それならば、自分の意見を言おう」
と、初めて口を開きました。
一同が緊張して見守る中、昭和天皇は言いました。
「自分は外務大臣の意見に賛成できる」
日本の敗戦が決まった瞬間でした。
恐ろしいまでの静寂の後、部屋にいた全員がすすり泣き、やがてそれは号泣に変わりました。
薄暗い地下壕で、11人の男たちが号泣する中、昭和天皇は絞り出すような声で言いました。
「大東亜戦争が始まってから陸海軍のしてきた事を見ると、予定と結果が大いに違う」
「今も陸軍大臣、陸軍参謀長と海軍軍令部総長は本土決戦で勝つ自信があると言っているが、自分は心配している」
「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまうのではないか」
「そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来ようか」
「自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を子孫に伝えることである」
「今日となっては、1人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人たちが将来再び起ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う」
「そのためなら、自分はどうなっても構わない」
この時の御前会議の様子は、陪席した迫水久常書記官長(現在の内閣官房長官)が戦後に詳細を語ったテープが残っています(国立国会図書館所蔵)。
この録音を文字起こしした文章を読めば、当夜の異様な緊迫感がこれ以上はないくらいの臨場感をもって迫ってきます。
日本政府はその日昭和20年(1945)8月10日の朝、連合国軍に
「ポツダム宣言受諾」
を伝えますが、この時、
「国体護持」(天皇を中心とした秩序【政体】の護持)
を条件に付けました。
連合国軍からの回答は昭和20年(1945)8月13日に来ましたが、その中に
「国体護持」
を保証する文言がなかったため(昭和天皇の処刑の可能性もあった)、政府は昭和20年(1945)8月14日正午に再び御前会議を開きます。
この時の列席者は、昭和20年(1945)8月9日の時の7人に加え、全閣僚を含む計23人でした。
この席上で
「(陛下を守れないなら)本土決戦やむなし」
という声が上がりますが、昭和天皇は静かに立ち上がって言いました。
「私の意見は変わらない」
「私自身は如何になろうとも、国民の生命を助けたいと思う」
最早列席者一同は慟哭するのみでした。
そして昭和天皇は最後にこう言いました。
「これから日本は再建しなくてはならない」
「それは難しい事であり、時間も長くかかるだろうが、国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう」
「自分も国民と共に努力する」
(迫水久常内閣書記官長の証言録より)
同日昭和20年(1945)8月14日、
「ポツダム宣言受諾」
は閣議決定され、午後11時、連合国側へ通達されました。
こうして大東亜戦争は終結しました。
この歴史的な出来事の経緯と昭和天皇のお言葉が、今日、文科省が選定したどの歴史教科書にも書かれていないのは不可解としか言いようがありません。
従ってこの事を知っている日本人はほとんどいないのが実情です。
しかし、日本人であるならば、この事は永久に忘れてはならない事だと思います。

戦後、昭和天皇の戦争責任について様々な意見が出されてきました。
もちろん法的には責任は発生しませんが、この問題を語る前に、昭和天皇の政治に対するモットーについて述べたいと思います。
大日本帝国憲法の基本原則は、統治権は天皇が総覧( 全体に渡って目を通すこと)するが、実際の政治は政府が行うというものでした。
よって昭和天皇は、
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という政治姿勢を貫いていました。
つまり昭和天皇は立憲君主であって、専制君主ではなかったのです。
昭和天皇は御前会議の場でも基本的に閣僚たちの意見を聞いているだけで、自らの意見を口にすることはありませんでした。
戦争中も、軍部が天皇大権である
「統帥権」【大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権)】
を盾に、全ては天皇陛下の命令であるという体で国民を動かして戦争に突き進んだというのが実態でした。
昭和天皇がその生涯において、政治的な決断(親裁)を下したのは、2・26事件と終戦の時だけでした。
厳密に言えば、昭和3年(1928)の
「張作霖爆殺事件」
に対して不快感を露わにしたケースがありましたが、そのことで内閣が総辞職した結果を見て、昭和天皇は内閣の決定には拒否権を発動しない旨を自らに課していました(その後の昭和11年【1936】の「2・26事件」は軍の統帥権者として反乱軍の鎮圧を命じたもの)。
昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がアメリカ大使館でマッカーサーと初めて会談した時、マッカーサーは昭和天皇が命乞いをしに来たと思っていました。
ところが、そうではありませんでした。
昭和天皇はマッカーサーにこう言ったのです。
「私は、国民が戦争遂行に当たって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるためお訪ねした」
(『マッカーサー大戦回顧録』より)
この時、同行していた通訳がまとめた昭和天皇の発言のメモに、後日、藤田尚徳侍従長が目を通し、回想録に次のように記しています。
「陛下は次の意味のことを元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、色々の責任が追及されているが、責任は全て私にある』
『文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない』
『私の一身は、どうなろうと構わない』
『私はあなたにお任せする』
『この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』」
(『侍従長の回想』)
マッカーサーは昭和天皇のこの言葉に深い感銘を受けます。
「死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした」
「私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」
(『マッカーサー大戦回顧録』より)
この時の会談の際、車で訪問した昭和天皇をマッカーサーは出迎えませんでした。
昭和天皇は戦犯候補に挙げられていたので、これは当然でした。
しかし帰る時にはマッカーサーは昭和天皇を玄関まで見送りに出ています。
恐らく会談中に昭和天皇の人柄に感服したためだと思われます。
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という存在でありながら、同時に日本の
「統治権の総攬者」
であった昭和天皇の戦争責任というテーマは、イデオロギーや政治的な立ち位置によって見方が変わり、また永久に結論が出ない問題ではあります。
「ご聖断」
が遅過ぎたという声もあります。
しかし、仮に半年前に天皇が終戦を決断したとしても、連合国、特にアメリカ政府がそれに同意する保証はなく、日本の陸軍がそれを呑むこともなかったと思われます。
昭和20年(1945)8月14日の時点でさえ、陸軍の中には、更なる犠牲を出しても本土決戦をすべきと主張する者が何人もいたのです。
余談ですが、戦争中、昭和天皇は1度も皇居から離れませんでした。
東京は何度もアメリカ軍の大空襲を受けており、周囲の者は疎開を勧めましたが、昭和天皇は
「目の前で君臣が次々と死んでいくのに、なぜ朕だけが疎開などできようか」
と言い、頑として拒否しました。
昭和天皇は死を覚悟していたのです。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/762.html#c34

[政治・選挙・NHK297] 諸悪の根源は利権のバラマキ(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
17. 秘密のアッコちゃん[1773] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年7月31日 15:13:27 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1211]
<■155行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
日本保守党・北村晴男氏、参院法務委所属へ 外国人問題や夫婦別姓の「主戦場」
2025/7/31 13:56
https://www.sankei.com/article/20250731-A3QW32OV6BD4HEN7JTNG5IAQEE/
日本保守党の有本香事務総長は2025年7月31日、自身のX(旧ツイッター)で、同党の北村晴男参院議員が参院法務委員会に所属すると明らかにした。
臨時国会が召集される2025年8月1日の参院本会議で正式に決定する。
有本氏は、北村氏が法務委、百田尚樹代表は経済産業委に所属すると発表した。
「いずれもご本人の第一希望を引き当てた」
と説明した。
これに関し北村氏はXで
「昨夜2025年7月30日のくじ引きで、法務委員会所属が決まりました」
「運を持ってる事務方の皆様、本当にお疲れ様でした」
と歓迎した。
議員が所属する委員会を巡っては、会派の人数に応じて委員の人数が割り当てられた上で具体的にどの委員ポストを取るのか会派間で調整が行われ、本会議で決定する流れとなっている。
保守党は会派間の調整の中で望む委員ポストを得た形だ。
法務委は、外国人問題を扱う出入国在留管理庁を所管している他、選択的夫婦別姓関連の法案などを議論する。
先の通常国会では、衆院法務委で保守党の島田洋一氏や参政党の吉川里奈氏が、外国人問題で政府を追及し、立憲民主党や国民民主党が提出した選択的夫婦別姓導入に向けた法案に反対する論陣を張って存在感を発揮した。
島田氏は2025年7月31日、Xで、北村氏の参院法務委所属について
「これは非常に大きい」
「外国人問題、スパイ防止法、様々な家族法制など法務委員会が主戦場になる」
「北村弁護士ほどの適任はいない」
と強調した。
「日本にとって強運だ」
「百田、北村両議員の攻撃力は凄まじいだけに、今から楽しみだ」
とも投稿した。

「恥知らず。奇妙な生き物」日本保守党の北村晴男氏、「3連敗」で続投の首相を重ねて批判
2025/7/29 21:50
https://www.sankei.com/article/20250729-SOUFQTWRRVPYXADEKOPZKC3JFU/
日本保守党の北村晴男参院議員は2025年7月29日、百田尚樹代表と共に国会内で記者会見し、参院選で大敗しながら続投を表明している石破茂首相を批判した。
衆院選、東京都議選、参院選で3連敗だとし
「恥を知らない人だ」
「奇妙な生き物だとずっと思ってきた」
と述べた。
北村氏は首相について、自身のX(旧ツイッター)に複数回
「醜く奇妙な生き物」
と投稿し、交流サイト(SNS)などで非難されている。
会見ではXでの表現に関し
「外見でなく、行動を指している」
と語った。

日本保守党・百田代表、首相の続投理由「明日地震起こるかも」にあきれ顔「むちゃくちゃ」
2025/7/22 18:30
https://www.sankei.com/article/20250722-BG5GJXZ7ZNCGVGLIJEYOP6JHDU/?outputType=theme_election2025
日本保守党の百田尚樹代表は2025年7月22日の記者会見で、先の参院選で初当選したことについて
「日本を豊かに、強く。議員という影響力を駆使して、日本を良くしたい」
と抱負を語った。
食品の消費税率ゼロや野放図な「移民」政策の見直し、過度な再生可能エネルギー依存の見直しに力を入れていく考えも示した。
同党は今回の参院選比例代表で得票率5%を確保し、百田氏と弁護士の北村晴男氏の2人が当選した。
北村氏は比例代表で最も個人得票数が多かった。
同党は衆参で5議席を獲得し、公選法が政党要件に定める国会議員5人以上、直近の国政選挙で得票率2%以上の双方をクリアした。
百田氏は
「結党1年9カ月で名実共に国政政党になった」
と述べた上で、
「バックアップが足らず、悔いの残る選挙だった」
「忸怩たる思いが消えない」
とも語り、候補者の全員当選が果たせなかったことに苦渋の表情を浮かべた。
参院選を巡っては、石破茂首相(自民党総裁)率いる自民党が大敗を喫す結果となった。
首相の続投の是非について百田氏は
「石破さんの判断だ」
「我々は何を言うこともできない」
と述べるにとどめた。
一方、首相は2025年7月21日の記者会見で、続投の理由について、トランプ米政権との関税交渉などに加え
「明日起こるかもしれない首都直下型地震、あるいは南海トラフ地震」
を挙げて
「このような厳しい状況の中にあって、最も大切なことは国政に停滞を招かないことだ」
と語っている。
発生が予想できない震災への対応を続投の理由の1つに挙げたことについては、百田氏も
「言語道断。無茶苦茶。こういう理屈が通るなら、自民党の総裁選もできない。衆院の解散もできない。悪い冗談としかいいようがない」
と疑問視した。

日本保守党「NHK討論要件」満たす 百田氏「一人前の政党に」 参政・神谷氏も効果実感
2025/7/21 12:59
https://www.sankei.com/article/20250721-FRJS5MOF2VFR3GJPXNXLIOHIFI/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票の参院選で日本保守党は2議席を獲得し、公選法上の政党要件である
「国会議員5人以上」

「国政選挙で得票率2%」
の両方を満たすことになった。
これによってNHKの討論番組への出演基準や日本記者クラブ主催の党首討論に直接参加するための条件をクリアし、今後の活動に弾みがつく可能性がある。
百田尚樹代表は2025年7月21日、
「一人前の国政政党になった」
「ここからようやくスタートラインに立てた」
と述べた。
保守党はこれまで、政党要件のうち
「得票率2%」
だけを満たしていた。
NHK「日曜討論」に関しては、参院選公示前の2025年6月7日、参政党が、政党要件の双方を満たす政党をスタジオ出演の対象とする基準があるのは問題だと主張し、当時は得票率のみを満たしていた同党の出演を可能とするよう求めたことがあった。
日本記者クラブ主催の討論会にも同様の条件があり、参政は日本維新の会を離党した梅村みずほ参院議員を入党させることで国会議員5人の要件も満たし、神谷宗幣代表の討論会出席が可能となった経緯がある。
政党要件を満たしたことを契機にテレビなどでの露出が増えた神谷氏は、
「全然(有権者の)反応が違う」
などと話し、今回の参院選で参政が躍進する一因となったとの認識を示していた。
参院選期間中は、百田氏もNHK「日曜討論」への出演を認められた。
他に
「国会議員5人」
の要件を満たしていなかった社民党の幹部もNHKの討論番組に出演していた。

参院比例票、日本保守党が300万票に迫り共産党を上回る 議席は北村晴男氏と百田尚樹氏
2025/7/21 12:44
https://www.sankei.com/article/20250721-T7UJJVCQKFEJJKIEHGVFNSQUN4/?outputType=theme_election2025&utm_source=smartnews&utm_campaign=android&utm_medium=app
20日投開票の参院選の比例代表は2025年7月21日正午時点で、日本保守党の得票が約298万票(得票率5・0%)で、共産党の約286万票(4・8%)を上回っている。
開票率は約99・9%。
議席数では保守は北村晴男氏(69)と百田尚樹代表(69)の2議席を獲得し、社民党の2議席と並んだ。
正午時点での社民の比例票は約121万票(2・1%)で、政治団体「チームみらい」の約151万票(2・6%)を下回っている。
政治団体「NHK党」は約68万票で得票率1・2%。

日本保守党が参院選2議席目、百田尚樹代表が当選 昨年10月に党を設立
2025/7/21 9:00
https://www.sankei.com/article/20250721-PPVDCWHGBZD5ZCTBVZ3ORUKJQA/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選の比例代表で、日本保守党の百田尚樹代表の当選が2025年7月21日決まった。
同党の参院選の当選者は弁護士の北村晴男氏に続いて2人目。
百田氏はテレビの放送作家として「探偵!ナイトスクープ」などの番組構成を手掛けた。
平成18年、50歳の時に先の大戦の特攻隊員を主人公にした「永遠の0」で小説家デビュー。
石油元売り大手の出光興産創業者をモデルにした「海賊とよばれた男」で第10回本屋大賞を受賞した。
令和5年10月に、ジャーナリストの有本香氏らと共に日本保守党を設立。
昨秋2024年秋の衆院選では3議席を獲得した。

保守党・百田代表「大きな武器」 北村晴男氏が比例代表で当選確実、参院で初の議席
動画
2025/7/20 21:59
https://www.sankei.com/article/20250720-4TJMTRUYKJNQBBHKOGCRVHGXXI/?outputType=theme_election2025
日本保守党は2025年7月20日、テレビ出演で知られる弁護士の北村晴男氏が比例代表で当選確実となり、参院の初議席を獲得した。
百田尚樹代表は東京都内の開票センターで
「大きな武器だ。政治を変える力になる」
と強調した。
選挙戦では食料品の消費税率を恒久的に0%にすると主張。
百田氏や有本香事務総長らが候補者として活動し、選挙区5人、比例4人の候補者全員当選を目指した。

日本保守党が初の参院当選確実 北村晴男氏「日本が壊されてしまう」石破茂政権に危機感
2025/7/20 20:38
https://www.sankei.com/article/20250720-D62Q6SI4LNGNNLBSYS27MW65OQ/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選で、日本保守党が比例代表に擁立した弁護士の北村晴男氏(69)が当選確実となった。
同党として初めて参院選で当選確実となる。
北村氏は平成12年以降、日本テレビ系列のバラエティー番組「行列のできる法律相談所」への出演で知名度を博し、令和5年10月に同党の法律顧問を務めていた。
出馬の動機について、北村氏は2025年7月1日の記者会見で、
「『石破左派政権』で、外交安全保障も、国内経済も、外国人問題も、大変危なっかしい状況だ」
「先人が培った日本の文化が壊されつつある」
と述べ、
「このままでは日本が壊されてしまう」
「現政権によって壊されてしまうというのが一番強い動機だ」
と語っていた。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/763.html#c17

[政治・選挙・NHK297] 見ている国民はドッチラケ…“ガス抜き”両院議員懇談会決裂!世紀の泥仕合の今後(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
21. 秘密のアッコちゃん[1774] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年8月01日 03:31:16 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1212]
<▽41行くらい>
戦後80年 日本を守るとは
直球&曲球 葛城奈海
2025/7/31 13:00
https://www.sankei.com/article/20250731-C4JRMJ7DNZKMPJO5Q42BJ6VJXY/
戦後80年。
今や国民の9割は戦争を経験していない。
靖国神社の大塚海夫宮司によると、
「これほど長きに渡り、内外戦争に関与していない国家、国連平和維持活動において戦闘を経験していない国家は、国連加盟国193カ国中、十指に満たない」
という。
大変幸せな一方、連合国軍総司令部(GHQ)の意向に沿って作り替えられた憲法、戦後教育の影響も相まって、日本人をして
「平和を唱えていれば平和でいられるという錯覚」
に陥らせた。
しかし、明治の開国以来80年間で日清戦争、日露戦争、第一次大戦、大東亜戦争と、日本は4つの大きな対外戦争を経験した。
なぜ戦ったのか。
大東亜戦争の
「開戦の詔書」
には、米英に対する開戦理由が明確に認(したた)められている。
端的にまとめると、自存自衛と東亜の安定のため、やむを得ず戦いを開始するとある。
特に印象深いのは、
「万邦(ばんぽう)共栄の楽しみを偕(とも)にする」
というくだりだ。
これは初代神武天皇が奈良の橿原に都を建てた際に出された
「建国の詔(みことのり)」
に謳われる
「八紘為宇(はっこういう)」
に繋がる日本の旗印。
「天の下にひとつの家のような社会を築こう」
という建国の理念は、日本人が
「和」
を貴ぶ源流だと言えよう。
ところが、戦後史観でこれが危険思想と見なされるようになった。
私は
「日本を取り戻す」
とは、建国の理念を取り戻すことだと思っている。
ひとつの家のような国であれば、国民皆が家族同然なのだから、拉致被害者を何十年も見捨てたままにするということはあり得ない。
外交交渉で解決しなければ、武力を使ってでも助け出すと考えるのがむしろ自然だろう。
拉致被害者こそ、
「平和ボケ」
した日本の一番の犠牲者なのではないか。
和とは、ただ唱えていれば保てるものではない。
共同体の和が脅かされた時には、最終的には戦ってでも守る覚悟に裏打ちされてこそ維持されるものなのだ。
逆に言えば、今を生きる私たちの平和は、日本を守るために散華された英霊たちの戦いぶり、精神にこそ守られている。
終戦の日を迎えるに当たり、英霊に恥じない
「大和の国」
を取り戻す覚悟を新たにしたい。

葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る会会長、ジャーナリスト、俳優。
昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社新書)。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/764.html#c21
[政治・選挙・NHK297] 石破首相続投の“切り札”か…自民森山幹事長の後任に「小泉進次郎」説が急浮上(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
22. 秘密のアッコちゃん[1775] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年8月01日 06:47:58 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1213]
<▽44行くらい>
百条委「必要と思ったら出頭」と静岡・伊東市長 不信任案対応は「持ち合わせていない」
2025/7/31 23:18
https://www.sankei.com/article/20250731-NX57GERLHBOGXEFMJX53HZP6PE/
学歴詐称の疑いが指摘され、辞職の意向を示していた静岡県伊東市の田久保真紀市長が、31日の記者会見で一転して続投する考えを表明した。
自身の疑惑に関する市議会の調査特別委員会(百条委員会)への今後の出頭要請に対しては
「百条委から理由をしっかり示していただき、それを見た上で、必要だと思ったら、出頭して必要な証言をしていきたい」
と述べた。
田久保氏の疑惑を巡り市議会は今月、地方自治法に基づく強い調査権限を持つ百条委を設置。
だが、田久保氏は
「回答が事実上不可能な内容を含んでいる」
として百条委への出頭を拒否した他、市職員に示した
「卒業証書」
とされる文書の提出にも応じていない。
田久保氏は
「(百条委を)蔑ろにしているつもりは全くない」
とし、
「百条委から理由をしっかり示して頂き、それを見た上で、必要だと思ったら、出頭して必要な証言をしていきたい」
と語った。
一方、市議会からは今後、不信任決議案が出される可能性もある。
これについて田久保氏は
「議会がどう判断するかは私が申し上げることではない」
とし、不信任決議案が出された場合の対応については
「答えをまだ持ち合わせていない」
と述べるにとどめた。
地方自治法によると、不信任決議が可決された場合、首長は通知を受けた日から10日以内に議会を解散することができる。
この期間内に議会を解散しない場合は、首長は失職する。
また、自らの疑惑については
「不徳の致すところであり、本当に申し訳なく思っている」
と繰り返し陳謝。
その上で、
「色々な批判や厳しい声をたくさんいただき、それは痛感しているが、私としては(5月の市長選で掲げた)公約を果たすために前を向いて前進し、その結果をもって皆さまに納得していただくようにしたい」
と語った。

「なんでこんな人が政治家…」 学歴詐称疑惑の静岡・伊東市長の辞職撤回に副議長憤り
動画
2025/7/31 21:37
https://www.sankei.com/article/20250731-XBU2UFHJMBMBBHJV3FYKYJYOIE/
学歴詐称の疑いが指摘されている静岡県伊東市の田久保真紀市長が31日、辞職の意向を撤回したことを受け、市議会の青木敬博副議長は報道陣の取材に対して、
「なんでこんな人が政治家をやっているのか。憤りを感じる」
と批判した。
田久保氏は市の広報誌などで「東洋大卒」と自身のプロフィルを紹介したが、実際には除籍されていた。
市議会は地方自治法に基づく調査特別委員会(百条委員会)を設置し、広報誌で紹介した経緯などを調べている。
青木氏は
「まずは百条委員会で、ある程度の結論を出したい」
と語った。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/766.html#c22

[政治・選挙・NHK297] (3)党の路線をあっさり修正…世間の風に敏感なマーケティング極右 不気味な躍進 参政党のトリセツ(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
33. 秘密のアッコちゃん[1776] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年8月01日 14:58:42 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1214]
<■467行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
参政党「さや」氏が黒スーツで初登院、「核武装は安上がり」発言は「党と擦り合わせる」
2025/8/1 13:53
https://www.sankei.com/article/20250801-6QRAFHVNVZL5TO5JFLBGIJVFPU/
参院選で14議席を獲得し、台風の目となった参政党。
臨時国会が開会した2025年8月1日、神谷宗幣代表を先頭に議員がまとまって国会議事堂の門をくぐった。
選挙期間中は「さや」の名前で活動した塩入清香氏=東京選挙区=は、政党カラーであるオレンジを封印し、黒いスーツ姿で登場。
「より気持ちを引き締めようと(思った)」
と理由を明かした。
全国最多の32人が立候補した同選挙区で、約66万票を得て2位当選。
「何もかも無知で大変緊張しているが、参政党の素晴らしい先輩方から学び、良いパフォーマンスができるように頑張る」
「公約をどうすれば実現できるか勉強したい」
と意気込みを語った。
報道陣から注力したい政策を問われると、
「消費税の廃止」
「与野党との協力体制を築いて段階的廃止を実現させ、皆さんの負担を軽減したい」
とした上で、
「しかしそれ以上に大事なのは、物価高を恐れずに済むような国としての経済成長だ」
「経済成長こそが最大の物価高対策だ」
と強調した。
また、選挙期間中に
「核武装が最も安上がり」
と発言したことについて質問が飛ぶと、
「参政党の方針に従う」
「細かい部分は後日ご報告できたら」
と言葉を濁した。
別の記者から、
「発言を撤回する意向はないのか」
「被爆者にも同じ事を言えるのか」
などと更に詰め寄られるも、
「党との擦り合わせが終わったら報告する」
と述べるにとどめた。

天命は下った…石破茂総理は速やかに退陣せよ 自民は「保守回帰」以外に再生への途なし
【疾風勁草】(24) 弁護士・高井康行
2025/7/27 7:00
https://www.sankei.com/article/20250727-RZZQ7GHBEROJDCBTLNRVQ2YHHY/
■変化をつかみ躍進した参政党
参政党が躍進した理由には色々なことがあるだろうが、その大きな理由の1つとして、故安倍元総理がまとめていた岩盤保守層が自民党を保守政党と見做さなくなったことがあるだろうことは間違いない。
そして、今回、参政党に投票した保守層の中に、参政党を大きくすることにより、自民党の保守政党回帰を促そうとしている層があることも間違いない。
自民党が、参政党が躍進した理由をどう総括するか。
もし、SNSの使い方など選挙戦略、戦術が巧みだったとか、代表の演説がうまかったとかというような表層的な見方に終始するとしたら、大きな間違いを犯すだろう。
参政党は、社会の深層における変化を掴んだから躍進できたのだ。
それは左から右への大きな流れだ。
これまで自分たちより右の政党がなく、常に自分より左側の野党からの引力に晒されていたため、日本の社会が左へ左へと流れているように受け止め、その左の票を取り込むため、自分も左へ左へと移動した。
その結果、今や、自民党は本来の保守政党ではなくなった。
しかし、2022年のロシアのウクライナ侵略以来、日本社会の深層では左から右への流れが強くなってきていた。
故安倍総理亡き後、自民党はその流れに気づかず、逆の方向に動いていたことになる。
そして、その流れは参政党という噴出口を得て表に吹き出した。
安倍自民党時代であれば、自民党から出馬したであろうと思われる保守の論客が日本保守党や国民民主党などから出馬したという事実、昔であれば反自民の受け皿として勝ち組になったであろう立憲民主党が辛うじて改選議席数は維持したものの得票は大きく減らしたこと、共産党も議席数を減らしていることなどを見れば、左から右への流れは明らかだ。
昔であれば、そんな発言をすれば世間から袋叩きにあって当選することなどあり得なかった
「国防のためには核武装が安上がりだ」
という趣旨の発言をした候補者が、東京選挙区で堂々2位で当選したことが、そのことを象徴的に表している。

【参院選】参政候補さや氏 核武装論主張「最も安上がり」安全保障政策を巡り
[2025年7月18日17時47分]
https://www.nikkansports.com/general/news/202507180000897.html
参政党公認で東京選挙区に立候補しているさや氏が、安全保障政策を巡り
「核武装が最も安上がり」
と発言したことが分かった。
立憲民主党の野田佳彦代表は2025年7月18日、広島市で記者団に
「特に広島、長崎では絶対に受け入れられない発言ではないか」
「党として許容する空気があるのか、有権者はよく見定めてほしい」
と批判した。
さや氏が発言したのは、日本テレビが2025年7月3日に配信したインターネット番組で
「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の1つだ」
と述べた。
その上で
「あの北朝鮮ですら核兵器を保有すると、トランプ米大統領と話ができる」
とも指摘した。(共同)

東京 選挙区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/13/

「外国人犯罪は増えていない」と「困っている人が1人でもいれば」は矛盾しないか
メディアウォッチ 皆川豪志
2025/7/27 13:00
https://www.sankei.com/article/20250727-WQWXJDB725CCVBKKZNY53E4AEE/
先の参院選で
「日本人ファースト」
を掲げ、外国人問題を争点にした参政党が躍進したことで、テレビ各局の選挙特番のキャスターやコメンテーターたちは、何となく居心地が悪そうというか、出来ることならあまり取り上げたくないという感じがありありだった。
それでも触れざるを得ない場面が来ると、被せるように紹介していたのが法務省の
「犯罪白書」
による
「外国人犯罪は増えていない」
というデータだ。
これは今、新聞など他のメディアでも
「ファクトチェック」
などと称して盛んに使われている。
外国人が増えたからと言って犯罪が増えているわけではなく、
「参政党が主張するような外国人問題などない」
というメッセージなのだろう。
■「差別主義者」が突然増えたのか
簡単に紹介すると、日本にいる外国人の数は2004年の197万人から2023年の377万人と2倍近くに増えているが、同時期に刑法犯で検挙された外国人数は1万4766人から9726人と30%以上減っているというものだ。
確かにその通りなのだろう。
では何故、実際に外国人問題が選挙の争点になり、参政党などが票を伸ばし、与党自民党も
「違法外国人ゼロ」
などと言って、この問題に本腰を入れるようになったのだろうか。
外国人問題などないのに、日本国民の中に突然
「差別主義者」

「排外主義者」
が大量に増えたとでも言うのだろうか。
例えば、一部クルド人との軋轢やトラブルに悩んでいる埼玉県の川口市民にこのデータを見せたとして
「そんなに少ないのですか」
「じゃあ私の勘違いでした」
とは思わないはずだ。
直接困っている人だけではない。
身の回りに増えている外国人に対して不安な気持ちを抱いている人がこのデータを見ても
「犯罪が減っているなら安心だ」
「不安に思ってすみません」
とはならないだろう。
もちろん客観的なデータを示すのは大事である。
ただ、人間の自然な感情に対してデータで頭ごなしに押さえつけても、納得するどころか、自身の経験や肌感覚が否定されたと思うだけで何の解決にも繋がらないと思う。
外国人を差別したい人が増えているのではなく、実際にトラブルを抱えていたり、ルールを守らない外国人をきちんと取り締まってほしいと思っていたりする人が増えていることが、何故メディアから煙たがられなければならないのだろうか。
そもそもこのデータは外国人の
「検挙数」
であり、何かのトラブルがあって警察が出動して逮捕するなど、実際に何らかの事件になった数である。
近隣の騒音やゴミ出しの苦情、暴走行為などで110番通報する人は余りいない。
あったとしても余程のケースでなければ事件化されることもない。
むしろ近隣の騒音などは、日本人同士でも警察沙汰にして逆恨みされるぐらいなら呼ばないほうがいいと普通は考えるものである。
敢えて強調はしないが、身近なトラブルは無視されている数字に等しい。
そうしたデータに表れない問題について、実際に住民の声を聞いてニュースや記事に生かすのがメディアの役割だと思うが、残念ながらこの件に関しては法務省発表だけを一方的に流している。
■「困っている外国人」は探す
データ重視というなら、産経ニュースが報じているように川口市民の半数が
「治安が悪い」
と感じ、その割合が年々上昇しているという市の意識調査もあるが、そちらは決して報じない。
いわゆる
「体感治安」
の悪化が見て取れる数字である。
ただ、このデータにしても逆に市民の半数は
「治安が良い」
と感じているとも取れるし、 先の法務省のデータにしても、同時期の殺人などの凶悪犯は逆に約1.5倍に増えている。
つまり、複雑な問題について1つのデータだけを根拠に一刀両断にしてしまうのはそもそも無理があるのだ。
よく、一部メディアは、日本国民の中でもかなりレアなケースを探し出して来て、
「こんなに困っている人がいる」
と主張している。
隠れた問題を取材して明らかにするのが報道の役割でもあるので、その心意気はよいと思う。
ただ、外国人問題に関しては
「困っている外国人」
は探してきても、
「困っている日本人」
は何故か探さないのだ。
テーマは全く異なるが、国会で選択的夫婦別姓法案が議論になっていた時、立憲民主などの野党や一部メディアは
「別姓で困っている女性が大勢いる」
との論陣を張っていた。
ところが、アンケートなどで別姓賛成派が3割程度だったことや旧姓使用の拡大が進んでいることなどが指摘されると
「困っている人が1人でもいるなら」
「少数意見にも寄り添うべき」
などと言い出した。
「1人も置き去りにしない社会」
は彼らの常套句でもある。
仮に外国人問題で困っている人が本当に少数だったとしても、是非真剣に寄り添ってほしいと思う。

参院選で改憲勢力が「3分の2」を維持 参政や国民躍進、議論活発化へ問われる自民の奮起
2025/7/25 16:19
https://www.sankei.com/article/20250725-G6JX27FFFVMDZJCX3J2DXX4CAI/?outputType=theme_election2025
参院選で自民党など憲法改正に前向きな
「改憲勢力」
が、非改選を合わせて国会発議に必要な定数の3分の2を維持した。
自民が議席を大幅に減らした分を参政党や国民民主党の躍進がカバーした。
もっとも参院では選挙前も3分の2を確保していたものの、改憲論議は進まなかった。
参院憲法審査会の議論が活発化するか否かは、憲法改正を党是に掲げる自民の奮起にかかっている。
参院の3分の2のラインは166議席だ。
今回の参院選で自民、公明両党に加え、日本維新の会や国民民主、参政、日本保守党などのいわゆる
「改憲勢力」
は合わせて180議席を獲得した。
特に、1から憲法を作り直す
「創憲」
を掲げる参政が議席を大幅に増やした。
「国民の多くが参政党の憲法作りに期待を寄せていることの表れだ」
「国民からアイデアを集めて国家観を作り上げていく活動を進めていきたい」
今回の参院選の初当選組の1人で、参政の改憲案作りに携わった安達悠司氏は2025年7月22日の記者会見で、強い意欲を口にした。
とはいえ、参院で憲法改正の動きが加速すると考えるのは早計との声もある。
先の通常国会で改憲勢力が3分の2を確保していたにもかかわらず、参院憲法審の開催はわずか6回にとどまったからだ。
衆院側が戦争や大規模災害など選挙困難時に国会議員の任期延長を可能にするための改憲を目指したのに対し、憲法54条の
「参院の緊急集会」
の役割を重く見る参院側が議論の進展を警戒したとの見方もある。
ただ、憲法改正は参院先議でも進められる中、参院自民が他の改憲項目の議論を主導した形跡もない。
自民幹部は
「参院は衆院から送られてくる法案を確実に成立させる重責を担う」
「このため改憲に後ろ向きな立憲民主党を過度に刺激しないように努める傾向がある」
と語る。
しかし、参院選では保守層の支持が参政や国民民主に流れた。
関係者は
「改憲への消極的姿勢も信頼を失った遠因だろう」
「自分で自分の首を絞めた」
と述べ、奮起が必要だと指摘した。

<正論>参政党躍進の背景にある歴史観 
新しい歴史教科書をつくる会顧問・藤岡信勝
2025/7/25 8:00
https://www.sankei.com/article/20250725-GBP4IOLPKVNE7KHO2YROFMMT6I/?outputType=theme_election2025
2025年7月20日投開票された参院選で、新興勢力の参政党は14議席と大躍進した。
自民・公明の政権与党は合わせて50議席に達することができず、昨年2024年の衆院選に続いて、参院でも与党が過半数を割り込むことになった。
この過半数割れを引き起こした主役も、実は45の全選挙区に立候補者を立てた参政党であった。
この躍進の背景にあった1つの要因について述べてみたい。
■歴史学習運動の蓄積
躍進の背景には参政党候補者が共有する歴史観がある、とするのが私の基本的な見立てである。
党首の神谷宗幣氏は高校時代までは左派寄りの思想を持っていたが、大学3年生のとき1年間休学しバックパックで18カ国を8カ月間旅行する経験を通して視野を広げ帰国後、小林よしのり氏の『戦争論』などに触れて、祖父や父が学んでいた教えに理解を深めるようになったという。
本来、保守的な家族関係の中で育ちながら、学校の影響で左翼思想を抱き、海外経験を通してそこから脱却し、日本の歴史を学び直す典型的な保守系活動家の遍歴を神谷氏も辿ってたのである。
神谷氏の始めたCGS(チャンネル・グランド・ストラテジー)というユーチューブ・チャンネルでは、倉山満氏や斎藤武夫氏の歴史講座で通史を学ぶなど、この種の番組としてはかなり本格的なプログラムを用意して歴史の学習を呼びかけてきた。
こうした歴史学習運動の蓄積の上に立って、令和2年に結成された参政党は当然ながら日本の歴史に誇りを持つことを大切にするという姿勢が明瞭に打ち出されていた。
他の政党にないことである。
■「日本人ファースト」の衝撃
参政党は
「日本人ファースト」
をスローガンとした。
これが選挙戦における成功の要因であったことは間違いない。
外国人対策がにわかに選挙戦の争点となった。
日本で住民税を払わない中国人が東京で起業して1500万円の融資を無担保で手に入れたり、来日3日で生活保護受給決定が出たりする。
健康保険料を僅かな期間支払い、日本で高額医療を受ける中国人がいる。
奨学金でも外国人留学生の方が日本人学生よりも優遇されている。
外国人の土地の購入、クルド人問題、オーバーツーリズム(観光被害)等々。
これらの問題の解決に既存政党は手を付けようとせず、やり場のない鬱屈した感情が広く日本人の中に溜まっていた。
参政党の
「日本人ファースト」
という標語は、日本人の誰もが持っているモヤモヤ感を払拭してくれるインパクトがあった。
有権者の心に見事に突き刺さった。
選挙戦が始まる前は、参政党の候補者の選挙区内の支持率はたかだか数パーセントに過ぎなかった。
当選する見込みは薄いと思われた。
ところが、選挙戦が始まると支持率は鰻上りとなり、選挙区によっては当落を争うまでになる。
この現象が日本の各地で起こった。
これは明らかに候補者の口頭による訴えが大きな効果をもたらしたことの表れである。
なぜ参政党の候補者の話には説得力があるのか。
タブーとなっていた話題に果敢に切り込む勇気に聴衆は感動し、初めて自分たちの心を代弁してくれる政党に出合ったという思いを持つ。
候補者は全体として若く、子育て現役世代の悩みを共有し、その生活実感と結びつけて政策を語る。
こうしたことが聴衆の心を捉えた。
しかし、私はそれだけではないと思う。
参政党は草の根の地域組織を持ち、他党とは比較にならないほど党員向けの勉強会が充実している。
自国の歴史に誇りを持つ歴史観をバックボーンとしているからこそ、候補者の演説には単なる話術ではない真実さと深さが伴っているのではないか。
■歴史教科書と参政党
参政党は教育を重点政策とし、歴史教科書問題にも地道に取り組んできた。
私が関わった範囲でその活動を紹介したい。
昨年2024年、令和6年度は4年に1度の中学校教科書採択の年であった。
この年、東京都内の参政党の地方議員は目覚ましい活動をされた。
各議員が責任を持つ地区ごとに、歴史教科書問題や教科書採択問題をテーマとする大小の学習会を開いた。
私が直接関わった集会だけでも10カ所近くになる。
更に、参政党の地方議員の方々は教科書採択に取り組む決意を記者会見を開いて宣言されたのである。
他党には個々に協力して下さる議員はおられるが、このように組織的に取り組んで下さる政党は参政党以外にはない。
つくる会は、公立学校の教育委員会で、全国で唯一、自由社を採択してくださった茨城県常陸大宮市に研修ツアーを企画した。
40人収容のバスに乗った参加者の半数は議員で、参政党の地方議員が多数参加した。
教科書採択は首長の決断なくして実現しない。
私は参政党の若い地方議員が地元で信頼を得て5年後、10年後に首長となり、教科書を採択して下さる未来図を想像の中で描いていた。
(ふじおか のぶかつ)

参院選X投稿分析「外国人」はなんと886万件、参政党躍進に影響か 鶴保発言にも関心
2025/7/24 19:40
https://www.sankei.com/article/20250724-BPGCKSIX35IG3HIC2RQHC7VXPQ/?outputType=theme_election2025
自民党の大敗に終わった今回の参院選。
関連するSNSへの投稿では、
「外国人」

「減税」
といった言葉が多くみられ、選挙戦の情勢が反映される格好となった。
東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は告示直前の2025年7月1日〜投開票日である2025年7月20日までのX(旧ツイッター)の投稿を分析。
「外国人」
を含む投稿件数は、オリジナルを拡散させたリポストを含め886万9817件に上った。
日別では2025年7月1日が約25万件、2025年7月8日が約40万件と次第に増え、ピークの2025年7月14日は約76万件となった。
有権者の関心の高まりが現れたのか、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党が大きく躍進する結果となった。
一方、当初からの大きな争点とされた
「減税」
は、総投稿数が211万9292件。
「消費税」
は220万2108件で、合わせても
「外国人」
の半分以下だった。
減税や消費税は選挙戦序盤が投稿数の最盛期で終盤にかけて減る形となった。
自民党の鶴保庸介参院議員が選挙の応援演説の中で、
「運のいいことに能登で地震があった」
と発言した2025年7月8日には、
「鶴保」
の投稿は4万3343件に急増。
それまでは概ね1桁台だったが2025年7月9日には約13万7千件、2025年7月10日は9万7千件、2025年7月11日は4万9千件と、しばらく高い関心が続いたことが分かった。

外国人規制「強めるべき」65% 「緩めるべき」4% 出入国管理や不動産取得 共同調査
世論調査
2025/7/22 21:01
https://www.sankei.com/article/20250722-4I2FEEOTVJKQJPYZZT3IEG6LBM/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月21、22両日、全国緊急電話世論調査を実施した。
出入国管理や不動産取得などの外国人への規制は「強めるべきだ」が65・6%で最も多かった。
続いて「現行通りでいい」26・7%、「緩めるべきだ」4・4%となった。
SNSや動画サイトを通じて参院選に関する真偽不明の情報や誹謗中傷が広がったと「感じた」との回答は「ある程度」と合わせて56・7%だった。

「旧民主党系は限界」国民・玉木代表、選挙区調整に見切り 「全国に立てた参政は立派」
2025/7/22 17:10
https://www.sankei.com/article/20250722-JYZQRUQ54JE3JMMWK6I3X3JMV4/?outputType=theme_election2025
国民民主党の玉木雄一郎代表は2025年7月22日の記者会見で、参院選の結果を踏まえ、次期衆院選では選挙区に候補を積極的に擁立する姿勢を示した。
立憲民主党などとの候補者調整については
「自民党への不満を受け止めるには、旧民主党系はもう限界だ」
と否定的な見解を示した。
玉木氏は参院選の群馬選挙区で、自民候補が当選し、約2万8000票差の次点に参政党候補、そこから10万票近く離れた3番手が立民候補だった例を持ち出した。
「自民党王国と言いながら立憲が立てたが、事前の調査だと参政が勝っていて、最後、自民が底力を見せて引っくり返された」
「野党をまとめたら勝てたかというと違う」
とした上で
「自民への不満が高まっている」
「それを旧民主党系は受け止めきれないというか、限界だ」
「単に旧民主党系や共産党も入れてまとめたら勝てるというのは、もう幻想に終わった」
「数さえ合わせれば過半数を取れるだろうというのは、もう通用しない」
と述べた。
参院選の比例代表では、国民が立民を得票で上回り、玉木氏は
「ステージを次の段階に移行することができた」
と胸を張った。
次期衆院選について玉木氏は
「積極的に候補者を擁立する」
「全国で受け皿を作らない限り、本当の意味での国政政党、全国政党にはなれない」
と強調した。
「参政が立派なのは、全国に候補者を立てたことだ」
「受け皿を作っていることは評価すべきだ」
「衆院選は次が勝負だ」
と語った。

比例代表の得票、立民は参政を下回る 政治思想史家「左の大結集、戦後政治の夢ついえる」
2025/7/21 18:29
https://www.sankei.com/article/20250721-PKHHMVJPYBCL3EHX5JSUNLB65M/?outputType=theme_election2025
参院選(2025年7月20日投開票)比例代表を巡っては、
「日本人ファースト」
を掲げた参政党の得票数が立憲民主党を僅かながら上回り、自民、国民民主両党に次ぐ3位に躍進した。
政治思想史家の河野有理(ゆうり)法政大教授は2025年7月21日、X(旧ツイッター)で、
「『自民党より左』の大結集で政治を変えるという戦後政治の<夢>が遂に最終的に潰えた」
との見方を示し、
「極めて大きな地殻変動の現れ」
を指摘した。
■参政支持のうねりの過小評価指摘
参政は、比例代表で742万5053票(得票率12・6%)を得て、立民の739万7456票(同12・5%)を、2万7597票差で上回った。
国民民主は762万492票(12・9%)。
野党3党が得票率13%弱でほぼ並ぶ結果となった。
河野氏はXで、参政党に対する評価を巡って、
「『参政党支持している人は周りにはいない、いたら縁を切る』みたいな選挙前によくいた人たち、よほど世界が狭いか、相手が大人で話を合わせてもらっているのだろうなという感じ」
と書き込んだ。
改選22議席の立民は、選挙区15議席、比例代表7議席の計22議席と横ばいの結果にとどまった。
■山口二郎氏も「これ、ほんと」
河野氏は、立民について、
「今回で伸びないならいつ伸びるのかという話であり、相当に厳しい結果なのではないだろうか」
との見方を示し、
「執行部がこれを厳しい結果と思えていないなら本当に将来がなさそうである」
と指摘した。
この投稿については、野党共闘の強化に尽力し続けた政治学者の山口二郎法政大教授も
「これ、ほんと」
「私の政治学者人生も終わったということ」
とXで賛意を表した。
山口氏は立民のベテラン勢はもはや後進の育成に注力すべきとの考えを示し、立民の現状について、
「実質的な敗北と、厳しく総括すべき」
「私自身も、かつて民主党政権を担った政治家が最後にもう一花咲かせてほしいと思って応援したが、民意との乖離が極めて大きいことを痛感する」
と訴えた。

「自民票を食われている」 参院選改選1人区で苦戦の自民、参政党急伸に危機感
2025/7/7 19:55
https://www.sankei.com/article/20250707-EX3XB7ASFFNRJIFP2QNZHITCLQ/?outputType=theme_election2025
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の情勢調査では、32ある参院選
「改選1人区」
で自民党が優位に立つのが9選挙区にとどまり、苦戦が目立った。
背景として読み取れるのが全選挙区に候補を擁立した参政党の急伸だ。
従来の自民支持層の一定数が参政党に流れ、自民は長年議席を守ってきた金城湯池でも追い込まれている。
■鹿児島でもリード奪われ
石破茂首相(自民総裁)は7日、鹿児島選挙区に入り
「私たちは責任政党だ」
「10年、20年、30年先の日本に責任を持つ」
と支持を訴えた。
鹿児島は保守地盤が強く、1人区となった平成13年から途切れることなく自民が議席を獲得してきた。
だが情勢調査では、野党系無所属新人の尾辻朋実氏が自民元職の園田修光氏をリードしている。
調査結果で目を引くのが、参政党の新人、牧野俊一氏が2割程度の支持を集めて園田氏に迫る勢いとなり、NHK党の新人、山本貴平氏には大きく先行している現状だ。
「参政党に自民票を食われている」
「自民に勝たせたくないという保守層に支持されている」
「どういう勢力が背後にいるのかよく分からず、不気味だが明らかに野党にプラスだ」。
自民の参院幹部は危機感を募らせる。
■都議選で露わになった実態
参院幹部は1カ月余り前、内閣支持率の低迷は底を打ったとして
「衆参同日選もアリだ」
と強気な見方を示していた。
今は
「衆参過半数割れで政権交代にならないか」
と気を揉んでいる。
潮目が変わったのは参政党が3議席を獲得した2025年6月の東京都議選。
複数の報道機関の出口調査は、参政党が自民支持層の一部に食い込んだ実態を示した。
神谷宗幣代表は今月2025年7月7日、新潟選挙区での街頭演説で、20年前の自公政権下での郵政民営化に関し
「何も良い事がなかった」
「まじめに止めた(自民の)人たちは党を追い出された」
「あの時、自民は半分死んでいたのかもしれない」
と語った。
主張の具体性やインパクトに欠ける首相に対し、神谷氏は
「日本人ファースト」
という分かりやすい理念と、外国人による土地購入規制、農業の保護、新しい憲法の
「創憲」
といった保守色の強い政策を掲げる。

<政治部取材メモ>「岩盤保守層」奪還なるか 安倍氏集会に石破首相 遅きに失した指摘も
2025/7/7 10:00
https://www.sankei.com/article/20250707-F6ZZ624VWJMVHFS3RWZWXT2AQA/?260914&outputType=theme_election2025
石破茂首相(自民党総裁)が、2025年7月8日の安倍晋三元首相の命日を前に開かれた
「安倍晋三元総理の志を継承する集い」
に出席した。
保守政治家の象徴だった安倍氏の追悼式典に臨んだ背景には、自民を長く支えてきた岩盤保守層の流出先となった参政党への警戒も透ける。
自民の幹部や閣僚経験者も
「参政は今回の参院選で一番の脅威だ」
と口を揃える。
■参政躍進に焦り
「小泉純一郎首相の訪朝にご一緒したのが安倍官房副長官だった」
「安倍首相の思いを我々は引き継いでいく」
石破首相は2025年6月29日に東京都内で開かれた
「集い」
で、北朝鮮による日本人拉致問題の解決を目指した安倍氏の遺志を継ぐと強調した。
安倍氏が生前、枕元に置いていたという書物の論評などにも言及した。
実は首相の出席を意外に感じる関係者は少なくなかった。
安倍氏とは安全保障や憲法などの見解で距離があり、自民総裁選などで激しく戦ったライバルだったからだ。
実際、安倍氏と親しかった登壇者の1人は
「石破首相は挨拶で理屈っぽいことを言っていたが、自民の厳しい現状が分かっていない」
「安倍さんの遺志を継ぐ気なんてない」
と手厳しかった。
別の登壇者も
「正直、挨拶は心に響かなかった」
「『来てくれたことは評価するが、もう少し安倍さんを讃えるような事を言ってほしかった』
という声が多かった」
と明かした。
ただし、
「来たことは首相にとって良かったのではないか」
「欠席していたらもっと批判されていただろう」
とも付け加えた。
石破氏はなぜ顔を出したのか。
その理由について、安倍氏と近かった自民の閣僚経験者は
「参政党の躍進を意識していたことはあるだろう」
と語った。
「日本人ファースト」
を掲げる参政は、2025年6月の東京都議選で初の議席となる3議席を獲得して勢いに乗る。
安倍氏を支えた保守層にも浸透しており、首相としては
「安倍ファン」
を少しでも奪い返したいとの思惑もあったとの分析だ。
ただ、岩盤保守層の自民離れは石破政権発足時から懸念されており、遅きに失したとの見方もある。
この閣僚経験者は
「奪還は無理だ」
と即答した。
■神谷代表は演説上手
参政の脅威は自民内で広く共有されている。
自民ベテランは
「参院選は改選1人区が勝負だが、参政に濃い保守票を奪われてしまっているのが痛い」
と懸念を示した。
また、参政の躍進は神谷宗幣代表の影響力が大きいと指摘。
「演説は起承転結が反映されていて上手だ」
「日本保守党の百田尚樹代表のような『危なっかしい表現』も使わない」
「正論を淡々と自然体で話していることが安定感に繋がっている」
と述べた。
「水面下で地道な活動を展開しており、間違いなく全国政党を目指している」
「大阪で強い日本維新の会のような地域的な偏りもない」
「自民が失った『らしさ』を持っている」
こう漏らしたのは自民幹部だ。
「らしさ」
とは、家族の在り方が変わるとして保守層が警戒する選択的夫婦別姓制度の導入に明確に反対している姿勢を指す。
では、どう対峙すべきか。
「参政は消費税の段階的な廃止などポピュリズム的な政策を掲げている」
「自民は現実的な政策を訴え、『責任政党』を打ち出すべきだ」
「前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏もポピュリズム的な人気を誇ったが、失速した」
「有権者の心は移ろいやすい」
参院選(2025年7月20日投開票)まで約2週間。
負ければ退陣論が噴出しかねない石破首相の運命や如何に。

参院選比例投票先、参政8%で2位急浮上 国民と立民6%抜く 自民18% 共同世論調査
2025/7/6 18:18
https://www.sankei.com/article/20250706-ISB2DAR5DJOT7DPD6XISI3B4AA/?outputType=theme_election2025
共同通信社は2025年7月5、6両日、参院選の有権者動向を探る全国電話世論調査(第2回トレンド調査)を実施した。
比例代表の投票先は自民党が18・2%で、2025年6月28、29両日の前回調査17・9%から横ばいだった。
参政党は2・3ポイント伸ばして8・1%となり、国民民主党6・8%(前回6・4%)、立憲民主党6・6%(9・8%)を上回った。
石破内閣の支持率は25・4%で、7・0ポイント下落。
不支持率は4・8ポイント増の62・6%だった。
選挙区の投票先は、野党系候補が36・6%、与党系候補が20・5%で、前回に続き野党系が大きく上回った。
参院選の結果、与党が
「過半数割れした方がいい」との回答が49・9%、
「過半数割れしない方がいい」は39・8%
で、前回とほぼ同じだった。
物価高対策として、現金給付と消費税減税のどちらが望ましいかを聞いたところ、「消費税減税」が76・7%で6・7ポイント増えた。
「現金給付」は5・9ポイント減らし、17・9%だった。

http://www.asyura2.com/25/senkyo297/msg/768.html#c33

[政治・選挙・NHK297] マンガになってきた自民党の「内輪モメ」…総裁選の前倒しって、じゃあ誰が出るの?(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
17. 秘密のアッコちゃん[1777] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年8月02日 08:21:55 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1215]
<■2803行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
<産経抄>石破首相のうぬぼれが招くモラルハザード
2025/8/2 5:00
https://www.sankei.com/article/20250802-YFFN3HH6NRISNA4VHWNVCL7ZCI/
巷(ちまた)では、2人の政治家の居座りが話題になっている。
1人は言わずと知れた衆院選、東京都議選、参院選で3連敗中の石破茂首相で、もう1人は学歴詐称の疑いが指摘されている静岡県伊東市の田久保真紀市長である。
ご両人とも、何やら使命感に駆られて続投するつもりらしい。
▼「国家国民に対して、決して政治空白を生むことがないよう責任を果たしてまいりたい」。
首相は2025年7月28日、参院選惨敗を受けて開いた自民党両院議員懇談会で続投に意欲を示した。
参院選投開票日翌日の記者会見でも
「国家国民に対する責任」
を強調しており、自分しかその任は務まらないと考えているように思える。
▼かたや田久保氏は、1度は辞職の意向を表明していたものの
「公約実現」
のため撤回し、市長を続ける考えを明らかにした。
首相と同様に、己しかできない仕事をやり遂げたいという信念だろうか。
だが、これは自負心が強い人が陥りがちな罠で、多くの場合は代わりはいくらでもいる。
▼勝海舟の『氷川清話』にこんなエピソードがある。
勝がある役人に
「もうやめてはどうか」
と忠告したところ、役人はこう答えた。
「これも国家のためだから、いやいやながら、よすわけにはいかない」。
当人は噓偽りのない
「赤心報国」(首相)
のつもりでも、傍からはどう見えるか。
▼勝は喝破する。
「それはみな自負心だ。うぬぼれだ。うぬぼれを除ければ、国家のために尽くすという正味のところは少しもないのだ」。
特に首相が身を引かないのは、2度の国政選挙での自民惨敗という結果を認めないことを意味し、民主主義の否定だと言える。
▼責任を連呼するトップが自らの責任は取らないのでは、社会にモラルハザードが生じよう。

石破首相の戦後80年「見解」15日の終戦の日は見送り 有識者意見踏まえ後日の発出探る
2025/8/1 22:32
https://www.sankei.com/article/20250801-EQF6ZCI7MVOI3JXH6TBP2S7I5E/
石破茂首相は、戦後80年の節目となる今月2025年8月15日の終戦の日に、先の大戦に関する自身の
「見解」
を出さない意向を固めた。
複数の政府・与党関係者が明らかにした。
2025年8月15日は、東京・日本武道館での政府主催の全国戦没者追悼式で式辞を述べるにとどめ、後日の見解発出を探っている。
首相が目指す
「見解」
は、歴代内閣の歴史認識を踏襲しつつ、戦前の旧日本軍に対する文民統制(シビリアンコントロール)の実態を検証することを主眼に置いている。
まず見解を示す意向を正式に表明した後、有識者から意見を聞いた上で、見解を示す方針だ。
2025年8月15日の発出を見送るのは、天皇陛下が追悼式でお言葉を述べられる日に自身の見解を発信するのは不適切だとの判断があるからだ。
日米関税合意の履行や参院選敗北を受けた倒閣運動への対応に追われ、2025年8月15日までに余裕がないという事情もある。
発出の時期は月内が想定される。
自民党内では日本が米戦艦ミズーリで降伏文書に調印した9月2日の可能性があると見る向きもある。
首相は以前から8月15日よりも、戦争が正式に終結した9月2日を重視する持論を示しているからだ。
退陣が不可避の情勢の中、見解発出に至らない可能性もある。
戦後70年の安倍晋三首相(当時)のような閣議決定する
「首相談話」
については、首相は後日に限らず見送る方針だ。

戦後80年 日本を守るとは
直球&曲球 葛城奈海
2025/7/31 13:00
https://www.sankei.com/article/20250731-C4JRMJ7DNZKMPJO5Q42BJ6VJXY/
戦後80年。
今や国民の9割は戦争を経験していない。
靖国神社の大塚海夫宮司によると、
「これほど長きに渡り、内外戦争に関与していない国家、国連平和維持活動において戦闘を経験していない国家は、国連加盟国193カ国中、十指に満たない」
という。
大変幸せな一方、連合国軍総司令部(GHQ)の意向に沿って作り替えられた憲法、戦後教育の影響も相まって、日本人をして
「平和を唱えていれば平和でいられるという錯覚」
に陥らせた。
しかし、明治の開国以来80年間で日清戦争、日露戦争、第一次大戦、大東亜戦争と、日本は4つの大きな対外戦争を経験した。
なぜ戦ったのか。
大東亜戦争の
「開戦の詔書」
には、米英に対する開戦理由が明確に認(したた)められている。
端的にまとめると、自存自衛と東亜の安定のため、やむを得ず戦いを開始するとある。
特に印象深いのは、
「万邦(ばんぽう)共栄の楽しみを偕(とも)にする」
というくだりだ。
これは初代神武天皇が奈良の橿原に都を建てた際に出された
「建国の詔(みことのり)」
に謳われる
「八紘為宇(はっこういう)」
に繋がる日本の旗印。
「天の下にひとつの家のような社会を築こう」
という建国の理念は、日本人が
「和」
を貴ぶ源流だと言えよう。
ところが、戦後史観でこれが危険思想と見なされるようになった。
私は
「日本を取り戻す」
とは、建国の理念を取り戻すことだと思っている。
ひとつの家のような国であれば、国民皆が家族同然なのだから、拉致被害者を何十年も見捨てたままにするということはあり得ない。
外交交渉で解決しなければ、武力を使ってでも助け出すと考えるのがむしろ自然だろう。
拉致被害者こそ、
「平和ボケ」
した日本の一番の犠牲者なのではないか。
和とは、ただ唱えていれば保てるものではない。
共同体の和が脅かされた時には、最終的には戦ってでも守る覚悟に裏打ちされてこそ維持されるものなのだ。
逆に言えば、今を生きる私たちの平和は、日本を守るために散華された英霊たちの戦いぶり、精神にこそ守られている。
終戦の日を迎えるに当たり、英霊に恥じない
「大和の国」
を取り戻す覚悟を新たにしたい。

葛城奈海
かつらぎ・なみ
防人と歩む会会長、皇統を守る会会長、ジャーナリスト、俳優。
昭和45年、東京都出身。
東京大農学部卒。
自然環境問題・安全保障問題に取り組む。
予備役ブルーリボンの会幹事長。
近著に『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社新書)。

石破首相による戦後80年談話は「不要」「無用な混乱を招く」 自民・西村康稔氏
2025/7/30 10:48
https://www.sankei.com/article/20250730-BJ54NFPNKRDITE2FERSKU32TDA/?outputType=theme_election2025
自民党の西村康稔元経済産業相は2025年7月29日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、石破茂首相による戦後80年の「談話」について
「不要と考えている。無用な混乱を招く」
として、発出しないよう主張した。
西村氏は、安倍晋三元首相による戦後70年談話について
「戦後に終止符を打つために、有識者による懇談会など様々な意見を踏まえながら丁寧に時間をかけてまとめられたものだ」
と説明。
「当時、そして今も、多くの国民によって支持されている」
と評価した上で、
「70年談話には結びにおいて、戦後80年、90年、100年に向けて日本の国づくりの理想を語っており、そうした意味でもこれ以上のいわゆる戦後談話は不要と考えている」
「無用な混乱を招く恐れれもある」
と指摘した。
西村氏は旧安倍派幹部で、2025年7月23日には同じく旧安倍派幹部の萩生田光一元政調会長、松野博一前官房長官、世耕弘成前参院幹事長と会談し、首相の交代が必要だとの認識で一致した。
西村氏の投稿を巡っては、SNSでは
「確実な阻止を」
「行動を求めている」
などの意見が目立った一方、派閥パーティー収入不記載事件に関する旧安倍派に対する批判もみられた。

「それは野心。国益に反する」自民・青山繁晴氏 石破首相が戦後80年「談話」発出なら
2025/7/29 10:00
https://www.sankei.com/article/20250729-HYEA3JJNHJFL7IL3ERTV5IZKSU/
自民党の青山繁晴参院議員は28日の両院議員懇談会で、石破茂首相に戦後80年の談話を発出しないよう求めた。
青山氏は、安倍晋三元首相による戦後70年談話について
「日本国にとっては1つの財産なので、それを上書きするのはやめて頂きたい」
と述べ、
「それ(戦後80年の談話)は総理の野心であって、国益に反する」
と強調した。党本部で記者団に語った。
首相は閣議決定を伴う首相談話は見送り、戦後80年の節目となる8月15日前後に
「見解」
の発出を検討している。
両院議員懇談会に出席後、記者団に
「80年は1つの区切りだ」
「今までの(首相)談話の積み重ねも踏まえながら、適切に判断することが大切だ」
と述べた。
発出に重ねて意欲を示したとみられる。

「石破首相が『80年談話』出せば自民党終わる」安倍元首相のブレーン、本田悦朗氏断じる
2025/7/28 18:10
https://www.sankei.com/article/20250728-HHZXETZT7ZFZXEND5LMKXZ5K6I/?outputType=theme_election2025
第2次安倍晋三内閣で安倍元首相の経済ブレーンとして経済政策「アベノミクス」を推進した一人、本田悦朗元内閣官房参与が、自らのX(旧ツイッター)で、石破茂首相(自民党総裁)は参院選大敗の責任を取り辞任すべきだ、と繰り返し投稿している。
日米関税交渉の「合意」についても厳しい言葉を投げかけている。
■「石破総理の存在自体が、深刻な政治空白」
「石破総理の存在自体が、日本にとって深刻な政治空白」
「一体、何回負けたら国民の期待に少しでも近い人を総理にして、解散総選挙を打つ気になるのか」
「自民党の大敗は、安倍総理を支えた保守岩盤層が、見限ったから」
「国民の審判が下った以上、理念と政策を正し、国民に説明するか、自ら辞任する責任がある」
本田氏は参院選から一夜明けた2025年7月21日、こう発信した。
2025年7月25日には
「石破総理には直ちに辞任する以外の選択肢はない」
「国民は、3度の国選で石破氏を信任しなかった」
「自らの保身のために判断が揺れ続ける人に、この悠久の国のトップが務まるはずがない」
「終戦の日に『80年談話』を出して謝罪するようなことがあれば、自民党政治は終わる」
と牽制した。
■「トランプ氏は居座りの口実与えないため関税合意」
トランプ米政権と合意したとされる日米関税交渉についても、厳しくこう石破氏を評した。
「石破氏は地位にしがみつく為に、あらゆる屁理屈を並べる」
「日米関税交渉もその例」
「トランプ氏は居座りの口実を与えないために選挙後、間髪入れず合意」
「合意文書もなく、米側のファクトシートのみ」
「愛国者なら米国に従属国扱いされて直ちに辞任」
(2025年7月26日)
翌2025年7月27日には
「日米関税協議での『合意』なるものは、その体を成していない」
「米側でファクトシートを作っているとのことだが、日本側は同意していない」
「日本側には、ファクトシートさえ存在しない」
「これでは、合意の基礎となる立法事実が分からないし、何を合意したのかさえ分からない」
と、石破政権への怒りをぶつけた。

自民・青山氏、石破首相の戦後80年談話警戒「どうせ辞めなきゃいけない」「意思感じる」
2025/7/25 9:53
https://www.sankei.com/article/20250725-LG5BZPQYBZHZPPAKBI3QLZDC4A/?outputType=theme_election2025
自民党の青山繁晴参院議員は2025年7月24日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿し、参院選大敗を受けて石破茂首相(党総裁)の退陣は不可避とした一方、その前に戦後80年談話を発出することへの
「意思を感じる」
と述べた。
「これはリスクだ」
と強い警戒感を示した。
首相は2025年8月末までに進退について最終判断する方針だ。
動画で青山氏は首相について
「どうあがいても辞めざるを得ない」
と語った一方、2025年8月15日の終戦記念日の翌日または2025年8月末まで続投したい考えがあるとの見方を示した。
理由の1つめとして青山氏は
「かつて安倍晋三元首相が電話で首相を『器』も含め酷評していた」
「『意外と権力が好きなんだよ』と」
「権力の見えざる味というのがあると思う」
と語った。
■「首相は安倍談話定着許せない」
理由の2つめに
「2025年8月15日」
を挙げ、
「首相が辞めたくない、今だけは凌ぎたい理由というのはこれだと思う」
「談話を出したいということだ」
と述べた。
青山氏が代表を務める自民の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
は80年談話を発出しないよう首相官邸側に申し入れており、回答はない。
青山氏は
「首相自身がどう考えているのか、なかなか伝わらない」
「こちらに伝わらないように凄くガードされている」
「(情報を)せき止めているのは分かった」
「談話を出したいという意思は感じる」
「積み上げた実際の感触から言っている」
と説明した。
青山氏は安倍氏が首相について
「ネチネチいつまでも小さいことを言ってくる」
と話していたことを紹介し、
「ここから先は推測だ」
とした上で、
「安倍さんの談話が歴史的に定着していくということは、たぶん許せないのだと思う」
と述べた。
「首相がどうせ辞めなければいけないというのは、本人も分からないはずはない」
「80年の機会は他の人に巡ってこない」
「それが(当面続投の)大きな理由になっていて、これはリスクだ」
「妙なものを出して、『潔く身を処することに決しました』と言うだろう」
「全然潔くない」
と危機感を示した。

戦後70年談話
首相談話全文
2015/8/14 18:03
https://www.sankei.com/article/20150814-UCRDTJRIYNOSFLUV64XWEAWCQE/

石破首相「居座り」は戦後80年「談話」狙いか、禍根を残す閣議決定なき私見 有元隆志
2025/7/27 15:00
https://www.sankei.com/article/20250727-IS6HLLUI5FKYPEYV2YS4DFVDDM/?outputType=theme_weekly-fuji

詰んでいる石破首相の居座りで「人災」拡大、戦後80年談話は禍根を残す 岩田明子
2025/7/27 12:00
https://www.sankei.com/article/20250727-VJY5WYV4ONNDDKUMQMU6QMZ3H4/?outputType=theme_weekly-fuji

「死に体」石破首相に「戦後80年談話」を出させるな、「保守派の絶望」は深く 平井文夫
2025/7/26 15:00
https://www.sankei.com/article/20250726-SBDZTBFGIJLCVAKXGEIUT46QHE/?outputType=theme_weekly-fuji

戦後80年、石破首相は安倍談話の確認を 「自前の総括」求める朝日新聞の社説には疑問
大阪大名誉教授・坂元一哉
2025/6/16 1:00
https://www.sankei.com/article/20250616-EFKDQ2G66FN73ECNPZBCVNLM6Y/
石破茂首相は戦後80年の節目に合わせて、日本が内外に多大な犠牲を生み出した第二次世界大戦に関する個人的な見解を発表する考えらしい。
これに対して朝日新聞は、2025年4月3日の社説で、私的なメッセージではなく、閣議決定を伴う政府談話を出すべきだと主張している。
だが私は、この社説の内容には疑問や引っ掛かり覚える所が少なくなく、主張にも賛成できない。
この社説はまず、国際秩序が大きく揺れる中、戦後80年の節目を迎えた日本が談話を出すことには今日的意義があるとする。
しかしどんな今日的意義があるのかは、最後まで明確ではない。
もう1つ意味が不明なのは、日本がこれまで自前の総括をしてこなかったという一文である。
「自前の総括」
とは何のことか、見当がつかない。
もし他国にそれをやった例があれば示してほしいし、1995年の村山富市首相談話や、それを引き継いだ2015年の安倍晋三首相の談話では不十分だというのなら、何が足りないのかを教えてほしい。
この社説には、
「過去の過ちを決して忘れず、未来に生かす誓いを更新し続けることが日本への信頼を高めることに繋がるはずだ」
という前提があるようだ。
もちろん過去の過ちを決して忘れないことの重要性は言うまでもない。
だが、誓いを更新し続けるというのは如何なものか。
まるで強迫神経症のように反省の言葉を更新し続けることが日本への信頼を高めるとは思えない。
特に今年2025年は、安倍談話というよくできた談話から10年しか経っていないので尚更である。
安倍談話は、19世紀に西洋諸国による植民地支配の波がアジアにも押し寄せてきたことへの危機感を背景に近代化した日本が、ロシアとの戦争に勝利し、植民地支配の下にあったアジア・アフリカの諸国民を勇気付けたと指摘する。
一方、安倍談話では第一次世界大戦を含むその後の国際社会の激動の中で日本は国際社会の大勢を見失い、国際協調の道を踏み外して追いつめられ、武力行使で問題を解決しようとして先の大戦に至り、内外に多大な犠牲を生み出してしまったとも指摘している。
国内の政治システムはそれを防ぐことができなかった。
安倍談話は概要このように先の大戦を日本の近現代史の中に位置付けた上で、反省とお詫びを新たにした、非常に優れた談話であると言える。
この談話に対し、内外から強い批判が出ることはなかった。
村山談話に強く反発していた国内の保守層からも出なかった。
ある著名な保守の識者などは、この談話を
「120点満点」
と評するほどであった。
ちなみに、米国家安全保障会議(NSC)の報道官は安倍談話を歓迎すると表明すると共に、日本が戦後、自由と民主主義、そして法の支配を守り続けてきたことを他国も模範にするべきだと評した。
石破首相が自民党内の強い反対を考慮して新たな談話を見送り、私的なメッセージを発表する意向であることについて、朝日の社説は
「余りに内向きで大局観を欠くという他ない」
と決め付けている。
しかしこれは、自民党内に強い反対があるにもかかわらず談話を出すことになれば、国内世論の亀裂を生じさせて歴史認識問題をこじらせ、悪化させた村山談話の二の舞いになることを懸念した石破首相の慎重な判断と言えるのではないだろうか。
今年2025年は太平洋戦争後80年の節目であると共に、日露戦争後120年でもある。
それもあるので、石破首相におかれては、今年2025年の終戦記念日は新たな政府談話ではなく、安倍談話を確認すると共に、日本がこれからも国際協調に基づく積極的平和主義に徹することを誓う旨の首相メッセージを出されてはどうかと思う。

さかもと・かずや 昭和31年生まれ。阪大教授など歴任。専門は日米関係史。

<正論>自虐史観脱し歴史改竄に対抗を
文化人類学者静岡大学教授・楊海英
2025/5/19 8:00
https://www.sankei.com/article/20250519-YGL7TT4S2JPELN73YV4E3R6FSU/
習近平国家主席の中国共産党(中共)は今、世界中で歴史の書き換えを進めている。
歴史の捏造は、ロシアが2025年5月9日にプロデュースした対ドイツ戦勝記念式典でも繰り広げられた。
中国の捏造過程を振り返り、日本に及ぼす深刻な影響と対抗措置について考えてみよう。
■中共「北上抗日」の虚言
国賓として訪露した習氏は、ロシアの対ドイツ戦勝パレードに初めて人民解放軍を参加させた。
プーチン大統領はパレードに参加した外国軍として最多だと賛辞を贈った。
習氏も
「中国とロシアは正しい歴史を守る」
と応じ、中共が全人民をリードし、ソ連と共に抗日戦争に勝ち抜き、世界の反ファシズム闘争に貢献した、と豪語している。
しかし、その中共の
「抗日」
の実績はゼロに近い。
1921年に結成された中共は、熾烈な党内論争を経て武装闘争に方針転換し、南中国の山岳地帯に盤踞(ばんきょ)し、中華ソビエト共和国という割拠政権を樹立した。
国民党軍による掃討で拠点を奪われると、残党は1934年から西の四川省とチベットを通ってソ連領への逃亡を図った。
途中、チベット軍との戦闘で死傷者を出しながらも、略奪と放火を続けた。
この行為を後日、毛沢東は
「チベット人から少し、物資をかっぱらった」
と認めている。
北への逃亡を毛沢東らは当初、
「戦略的撤退」
と位置付けていたが、やがて
「北上抗日」
という美しい名前に置き換えた。
当時、毛らは日本軍がどこまで進出していたかすら把握しておらず、建国して2年以上経つ満州国についても
「東北」
という方位名称で呼び、正確な情勢認識を有していなかった。
そのため、1935年晩秋に陝西省の延安に落ち着いた時も、隣接する内モンゴルからの攻撃に怯えていた。
毛は
「中華ソビエト共和国宣言」
を配布し、内モンゴル人にはウクライナ人やコーカサス諸民族と同じような分離独立権があると公言している。
将来、モンゴル人が仮に中国領内に留まる選択をしたとしても、それは連邦制だ、と高らかに宣言している。
■国是としての反日
毛の中共軍は延安から抗日の前線の東へは向かわず、勢力の拡大と国民党軍の弱体化を図った。
陝西省北部と内モンゴルのオルドス高原でケシを栽培し、精製したアヘンを国民党軍の支配地とモンゴルに密売した。
アヘン密売で国民党軍の戦意を減衰させ、モンゴル社会に貧困をもたらした。
前線から敗退してくる国民党軍を中共軍はまるで日本軍の友軍のように迎え撃ち、占領地では裕福な農家を
「搾取階級の地主」
として殺害した。
地主から奪った土地を、ごろつきや浮浪者などに渡し、自軍の勢力を補強した。
日中の8年間もの戦いを経て、いざ戦争が終わってみると、中華民国の農山村はほとんど中共の
「革命的根拠地」
と化していた。
これが中共の
「抗日」
の事績である。
中共は戦後、満洲映画協会(満映)にいた日本人技術者を動員して多くの
「抗日映画」
を製作したが、
「鉄道遊撃隊」
のような映画名自体が、中共軍は日本軍と大規模な近代戦争を展開していなかった事実を物語っている。
満州国と内モンゴルに進攻してきたソ連・モンゴル人民共和国連合軍は同床異夢の関係にあった。
ソ連は満州国に中共軍を手引きし、日本軍が残した優良な武器弾薬を渡して国共内戦を有利に進め、毛沢東を政権の座に就けた。
■戦争の検証は必要なし
モンゴル人民共和国は同胞の内モンゴル人の解放を目指し、長城以北のモンゴリア全域の統一を目標としていた。
モンゴル人民共和国にとっては民族解放の戦争だった。
しかし、米英ソが1945年春に交わした
「ヤルタ協定」
の密約により、内モンゴルは中国に占領されることになっていたため、民族の解放は夢半ばで頓挫した。
今日の習近平政権は、ソ連とモンゴル人民共和国連合軍の南下についても触れなくなり、本当の反ファシズムの歴史を自ら隠蔽している。
習氏の招待を受けて、プーチン氏は今秋2025年秋に北京を訪れ、
「抗日戦勝行事」
に参加する予定である。
抗日していなかったが故に、反日は国是となり、政権維持の手段となっている。
中共からの攻勢に日本は無防備なだけでなく、有力議員は陸続と北京を訪問してはパンダをねだったりして融和的な姿勢を取っている。
議員団の訪中後も中共の公船は沖縄県の尖閣諸島海域に侵入し続け、一方的に自国領だとの主張を変えていない。
尖閣を狙う中共の目的は、歴史の捏造を現実化しようとしている点にある。
日本の現政権は、中国による歴史の書き換えと国際秩序の改編に対処しないどころか、戦後80年に当たり
「先の大戦を検証する」
と謝罪につながりかねない行為を繰り返そうとしており、自虐史観の呪縛から一向に脱出しようとしていない。
自虐史観は国家の健全な発展に有害なだけでなく、中共の侵略を利する危険性があり、一刻も早く対抗措置を講じなければならない。

自民・護る会「わが国を非難する口実を与える」 戦後80年の有識者会議中止を政府に要請
2025/5/7 16:40
https://www.sankei.com/article/20250507-VU2RRAIEMJP6ZK25BIFKNXQ3AU/
自民党の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
の青山繁晴参院議員らが2025年5月7日、国会内の林芳正官房長官の事務所を訪ね、戦後80年の節目に合わせ石破茂首相が意欲を示している先の大戦の検証を中止するよう林氏に求め、首相宛の要請文を手渡した。
要請文では、安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で
「謝罪外交を明確に終えることになった」
とした上で、有識者による検証は
「内容に関わらず、中国や韓国、北朝鮮、ロシアに我が国を非難する口実を再び与えることになる可能性が高い」
と懸念を示した。
先の大戦の検証は
「僅か数カ月で完了できるものでもない」
とも強調した。
青山氏によると、林氏は戦争検証の有識者会議の設置について
「政府として公式に申し上げたことは1度もない」
と言及した上で、要請文を首相と共有すると応じたという。
林氏は同日の記者会見で
「首相が戦争検証へ有識者会議を設ける検討に入ったとの事実はなく、戦後80年に向けたメッセージの在り方については何ら決まっていない」
と述べた。

石破首相の戦争検証「中止」求める方針 自民保守系グループ、青山参院議員ら確認
2025/4/23 20:38
https://www.sankei.com/article/20250423-KQOTHWBDT5ODZDDOVPG2QZ6U7E/
自民党の保守系グループ
「日本の尊厳と国益を護る会」
(代表・青山繁晴参院議員)
は2025年4月23日、総会を国会内で開き、戦後80年の節目に石破茂首相が調整している先の大戦の検証について、中止を求める方針を確認した。
首相官邸に申し入れる方向で日程を調整する。
首相宛ての要請文では安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で
「謝罪外交を明確に終えることになった」
と強調。
「有識者による戦争検証は中国や韓国に対してわが国を非難する口実を再び与える可能性が高い」
と懸念を示した。

<主張>首相と戦後80年 靖国神社参拝を最優先に
社説
2025/4/14 5:00
https://www.sankei.com/article/20250414-XNG5AIBCWNILJKPBOMIVB2JYWA/
戦後80年の今年2025年、石破茂首相は先の大戦(大東亜戦争)を検証したい考えだ。
近く有識者会議を設置し、その報告を踏まえて、歴史観や戦争への見解を首相自身が会見で表明したいのだという。
一方で、自民党内の懸念の声を受け、戦後80年の首相談話を終戦の日に出すことは見送る。
石破首相に強く求めたい行動がある。
それは、春秋の例大祭や終戦の日などの機会に、靖国神社を参拝することだ。
談話よりも、有識者会議よりも、記者会見で私見を披露するよりも、礼を尽くして戦没者(英霊)を追悼、慰霊する方が、遥かに大切である。
日本は大東亜戦争で、陸海軍人、民間人など合わせて310万人の同胞を喪(うしな)った。
日本史上最大の悲劇といってよい。
戦争に思いを致すなら、靖国神社参拝こそが最もふさわしい振る舞いである。
靖国神社は近現代日本における戦没者追悼の中心施設だ。
戊辰戦争や日清・日露の戦役なども含め、日本を守るため斃(たお)れた246万余柱の英霊をお祀(まつ)りしている。
境内の鎮霊社では、空襲などで亡くなった一般国民を祀っている。
どの国も、伝統的様式に沿って戦没者を追悼している。
それが、国に殉じた人々への礼節ある態度である。
国を守るため尊い命を捧げた日本の英霊にとって、靖国神社に祀られることは自明だった。
政治リーダーの参拝は日本国と英霊の約束に含まれる。
もちろん最も大切なのは天皇陛下の御親拝である。
ところが、昭和後期以降、中韓両国の内政干渉などで首相の参拝が政治問題化し、多くの首相が参拝しなくなった。
勅使の参向はあるものの御親拝は途絶えた。
首相就任前の昨年2024年9月、石破首相は、天皇陛下の御親拝の環境が整わなければ自身は参拝しない考えを示した。
倒錯した発想で理解し難い。
首相が参拝を重ね、御親拝の環境を整えていくのが務めではないか。
自民党(石破総裁)の今年2025年の運動方針には
「靖国神社参拝を受け継ぎ」
とある。
首相は昨年2024年、靖国神社秋季例大祭に合わせ真榊(まさかき)を奉納した。
尊崇の姿勢が真実であるのなら、戦後80年の今、中韓両国や心ない左派勢力に阿(おもね)ることはない。
参拝して英霊に頭(こうべ)を垂れてほしい。

80年談話と「東海」呼称問題に懸念 立民・亀井亜紀子氏「韓国に蒸し返されないように」
2025/4/9 12:59
https://www.sankei.com/article/20250409-XPBLPDSX3VDTRMIGFOKD3XBKOU/
立憲民主党の亀井亜紀子衆院議員は9日の衆院外務委員会で、石破茂首相による戦後80年談話の発出や先の大戦を検証する有識者会議の設置に懸念を示した。
拓殖大の下條正男名誉教授が
「戦争検証で有識者会議を立ち上げて喜ぶのは韓国の反日勢力だ」
「蒸し返しが起き、日韓関係が離れていく」
と指摘していることを紹介し、
「80年談話は出さないということでよろしいか」
と尋ねた。
■外相「決定していない」
これに対して、岩屋毅外相は
「新たな談話を発出するかは決定していない」
「これまでの経緯を踏まえ、様々な点から考えたいというのが現段階での首相の方針だ」
と述べた。
首相は戦後80年の節目に合わせた首相談話の発出を見送る方針を固めた一方、先の大戦を検証する私的諮問機関を設置し、有識者らから意見聴取し戦争に対する見解を会見で表明する方向で調整している。
下條氏は、亀井氏の地元・島根県が設置した県竹島問題研究会の座長を務めている。
韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)を巡っては、島根県が毎年2月22日、
「竹島の日」
記念式典を主催しているが、政府は例年、閣僚の派遣を見送っている。
一方、2月7日の
「北方領土の日」
に開かれる返還要求全国大会は政府主催で、首相や閣僚が出席している。
■「世界の地図97%が日本海呼称のみ」
亀井氏は
「なぜ北方領土と竹島で国の取り組み方が違うのか」
「県民みんなの疑問だ」
と質したが、今井絵理子内閣府政務官は
「それぞれ領土問題を巡る経緯や状況が異なることから単純に比較することは困難」
と述べるにとどめた。
また、外務省の担当者は、日本海について韓国が自国の呼称
「東海」
の使用を国際社会に働きかけたことについて
「現在では韓国および北朝鮮を除く、世界の主要各国の地図の97%以上が日本海という呼称のみを使用している」
と明言し、
「今後も国際社会に日本海呼称に対する正しい理解と支持を得るべく務めていく」
と語った。
亀井氏は
「日本海と書かれた中に竹島があると、如何にも日本の領土のように見えるから、名称を東海に変えようとしている戦略的な韓国側の立場がある」
「蒸し返されたりしないようにお願いしたい」
と訴えた。

<産経抄>石破首相の戦争検証はうぬぼれか独善
2025/4/5 5:00
https://www.sankei.com/article/20250405-DJCWU7F6XRPXHMXGBBQUDXLCYU/
平成22年8月、時の菅(かん)直人首相は日韓併合100年に当たり韓国に
「痛切な反省と心からのお詫び」
を表明した首相談話を発表した。
当時、若手外交官がこう嘆くのを聞いた。
「政治家は談話で自分の名前を歴史に残したがるが、危険性を分かっていない」
「韓国への下手な謝罪は中国や周辺国を刺激し、問題は飛び火する」。
▼平成7年8月、日本の植民地支配と侵略にやはり
「痛切な反省と心からのお詫び」
を表明する談話を出した村山富市元首相は20年が経っても自賛していた。「談話が出てから今日まで、歴史問題で日韓、日中関係が色々ガタガタすることはなかった」。
政治家の自慢話は、事実関係を超越することがある。
▼実際はどうか。
村山談話発表から3週間も経たない平成7年9月、中国の江沢民国家主席(当時)は演説で強調した。
「ここ数年、日本では侵略の歴史を否定し、侵略戦争と植民地支配を美化しようとする論調がしばしば出ている」。
日本の善意は一顧だにされず、談話の効果など見られない。
▼石破茂首相は今夏2025年夏の戦後80年に際して戦争の検証を行い、自分の思いを何らかの声明に込めて発出するという。
恐らく日本の将来のために良かれと考え、その行為は正しく有意義だと信じているのだろう。
だが、それは自惚れか控えめに言って独善である。
▼哲学者、ニーチェは喝破する。
「或る者たちは、自らの一握りの正義を誇り、この正義のために、一切の諸事物に対して罪を犯す」。
根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話を出した河野洋平元官房長官も、
「或る者たち」
の1人と言えよう。
▼政治家の個人的な思いで過去を断罪したり、評価したりされて困るのは我々の子々孫々である。

「どれだけ大変か分かっているのか」党重鎮の助言で戦後80年談話見送りも検証にこだわり
2025/3/27 19:08
https://www.sankei.com/article/20250327-KRONHKWNTBMMDE762J3KCOUA2Y/
石破茂首相は戦後80年の首相談話を見送る方針を固めた。
一方で、先の大戦の検証は行い、所感も公表する方向だ。
「戦後レジームからの脱却には検証が必要」
というのが首相の持論だからだ。
だが、有識者は
「如何なる形でも新たな検証は外交上のリスクとなり得る」
と指摘する。
「正しい判断だ」
「唯我独尊で談話を出しても孤立するだけだ」。
自民閣僚経験者は見送りに安堵の表情を浮かべた。
首相談話を巡り、首相は2025年1月のシンポジウムで
「今を逃して、戦争を検証することはできないだろう」
と発言。
側近の間では談話発出を容認する意見もあったが、党内保守派が一斉に反発し、新たな火種となりかけていた。
事態を重く見た1人が麻生太郎党最高顧問だった。
「絶対に出すべきではない」
「安倍晋三(元首相)氏がどれだけ苦労したか分かっているのか」。
関係者によると、麻生氏は首相に戦後70年談話は安倍氏が半年ほどかけて準備したと伝え、外交上も影響が大きいと説いた。
首相は
「そこまでされていたのですか」
と漏らしたという。
その後、首相は徐々に後退し、最近は周囲に
「談話には拘っていない」
と語るようになった。
ただ、首相は戦後の自衛権が限定されている現状への問題意識は強く、
「日本の自主独立のためには先の大戦の敗戦は検証が不可欠だ」
との強い思いを持つ。
「戦前の軍部に対する文民統制が機能せず、不幸な戦争に国民を突入させた」
との認識が強く、今回の検証では先の大戦における戦争当事国への言及を控え、かつての軍部の暴走に焦点を当てる考えだ。

石破茂首相、先の大戦検証へ有識者らの会議体設置へ 戦後80年談話の発出は見送り
2025/3/27 16:09
https://www.sankei.com/article/20250327-BYQACDEH4ZMKNNIYUL253KGIO4/
石破茂首相は2025年8月15日の戦後80年の節目に合わせた首相談話の発出を見送る方針を固めた。
一方で、首相は先の大戦を検証するために、有識者らによる会議体を設置して2025年4月から意見聴取を開始する。
その結果を踏まえ、歴史観や戦争に対する見解を記者会見などで表明する方向で調整している。
先の大戦に関する首相談話は、平成7年の戦後50年から10年ごとに過去3回、政府が閣議決定した上で公表してきた。
首相はかねて戦争の検証に強い意欲を示しており、謝罪の側面を強調した戦後80年の談話を再び出したいのではないかとの見方が広がった。
ただ、自民党内では保守派を中心に、戦後70年の安倍晋三首相談話で戦後の
「謝罪外交」
に区切りがついているとして、新たな首相談話は
「謝罪外交に逆戻りする」(自民中堅)
と反発が強かった。
参院選が迫り、支持率が低迷する政権に対して党内では
「石破おろし」
の雰囲気もくすぶる中で、首相は党内の火種を生むことは避ける方向に判断が傾いたとみられる。
首相は談話の発出を見送る一方で先の大戦の検証には着手し、2025年4月にも有識者から意見聴取を始める。
見解表明の日時や形式は、2025年夏の参院選後に最終決定する見通しだ。
ただ、70年談話の起草に携わった麗澤大の八木秀次教授(憲法学)は「70年談話で謝罪外交に区切りが付いた」とした上で、「いかなる形式でも首相が新たに『戦争検証』するのは、対米、対中関係の外交戦略上の観点からも非常にリスクが高い」と指摘する。

選択的夫婦別姓や戦後80年談話「必要ない」 支持離れ阻止へ自民保守系の大同団結なるか
政界徒然草
2025/2/19 6:00
https://www.sankei.com/article/20250219-76A4GUTMMVNZ5BK4OSOJ42XFIY/
今の自民党は本当に保守政党なのだろうか…。
こんな疑念を振り払おうと、自民の保守系議員が発信を強めている。
家族のあり方を変える可能性がある選択的夫婦別姓制度の導入や、石破茂首相(自民総裁)による戦後80年談話の発出に異論を唱え、推進派を牽制している。
透けて見える危機感は岩盤保守層の
「自民離れ」
だ。
安倍晋三元首相の死後、結集軸を失った保守系は左傾化≠ノ歯止めをかけられるのか。
■高市氏「国民との約束守れ」
2025年2月12日午後、東京・永田町の自民党本部で開かれた
「氏制度のあり方に関する検討ワーキングチーム(WT)」
の会合。
保守政治家を自任する高市早苗前経済安産保障担当相が、近年の国政選挙で自民が旧姓の通称使用拡大を公約に掲げてきたと指摘し、
「国民との約束をまず守るべきだ」
と訴えた。
選択的夫婦別姓制度の導入を巡り、自民内は賛否が混在している。
「WTの議論を見守りたい」(中堅)
という推進派をよそに、活発的な動きを見せているのが慎重派だ。
2025年2月12日の会合には約50人が出席したが、中堅議員は
「推進派は10人ぐらいだった」
と説明した。
2025年2月4日には高市氏が顧問を務める有志グループ
「保守団結の会」
が、2025年2月5日には生前の安倍氏が会長を務めた保守系議員連盟
「創生『日本』」
がそれぞれ会合を開き、同制度導入への危機感を共有した。
慎重派からは経済対策や防衛力強化などを念頭に、
「選択的夫婦別姓の議論が、我が党の優先事項なのか」(ベテラン)
といった声も漏れる。
■安倍談話の上書き警戒
保守系は石破首相による戦後80年談話の発出にも慎重だ。
自民の外交部会と
「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」
は2025年2月17日に合同会議を開催。特命委の有村治子委員長が
「当然ながら、10年に1度談話を出さなければいけない決まりはない」
「実際、終戦から50年間は首相談話は出ていない」
と語気を強めた。
昨年の総裁選で石破首相と争った保守系の小林鷹之元経済安保担当相も先月2025年1月30日、80年談話について
「出す必要は全くない」
と突き放した。
今月2025年2月4日のBSフジ番組では
「70年談話は幅広い層の国民が共有できる内容だ」
「70年談話を更に上書きするような談話を、正直想像できない」
と語った。
保守系は、平成27年に安倍氏が出した戦後70年談話により、従来の
「謝罪外交」
に区切りを付けたとの見方を共有している。
安倍氏と歴史観が異なる石破首相により、談話が上書きされることへの懸念は根強い。
政府が観光目的で来日する中国人向けの短期滞在ビザ(査証)の緩和措置を決めたことに関しても、事前に報告がなかったとして保守系を中心に自民内は紛糾した。
中曽根弘文外交調査会長らは2025年2月4日、岩屋毅外相と面会し、党側に強い不満があることを説明した。
■小異を捨てられるか
一連の動きの背景には保守系の焦りがある。
リベラル色の濃いLGBT理解増進法の成立などを受けて岩盤保守層が離れた結果、昨年2024年の衆院選では自民の保守系議員が落選を余儀なくされたとされる。
石破政権下でも
「保守回帰」
はなされておらず、2025年夏の参院選では選択的夫婦別姓制度導入に慎重姿勢を示しつつある国民民主党などに保守票を奪われる懸念が広がっている。
ただ、保守系のまとめ役として安倍氏が君臨していた時代とは異なり、今は
「大同団結」
とは程遠い状況にある。
通称使用拡大で党内をまとめる方向性こそ一致しているものの、党内には複数の通称使用拡大案が存在し、一本化は見通せていない。
今国会では立憲民主党が選択的夫婦別姓を可能とする民法改正案を提出する構えを見せている。
保守派が対抗するには小異を捨てることが不可欠だが、
「自公が少数与党に陥り、令和7年度予算案の審議もある中、どこまで議論に力を入れられるかは分からない」
と語る自民関係者の表情は不安げだ。

戦後80年談話、謝罪外交逆戻り警戒 石破首相は発出に意欲か 夏の参院選控え神経戦
2025/2/18 17:08
https://www.sankei.com/article/20250218-TUUYLSTD2FNTPBGWR5EHE45IUM/
石破茂首相が2025年8月15日の戦後80年の節目に合わせた談話の発出に意欲的と受け取れる発言をして、自民党内に警戒感が広がっている。
新たな談話を出せば、10年前の安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話で終止符を打った戦後の謝罪外交に逆戻りする懸念があるためだ。
保守派からは
「逆戻り」
批判、リベラル勢力からは
「謝罪が不十分」
と相異なる批判が噴出する可能性もあり、2025年夏の参院選を控え、水面下の神経戦の様相も帯びている。
「80年談話で付け加えるべきことはない」。
自民の稲田朋美元政調会長は2025年2月18日の衆院予算委員会でこう訴えた。
これに対し、答弁に立った林芳正官房長官は
「発出するか否かは決定していない」
「様々な観点から考えて参りたい」
と肯定も否定もしなかった。
戦後50年の村山富市首相談話は
「植民地支配と侵略」
により
「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」
と言及し、
「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」
を表明した。
戦後60年の小泉純一郎首相談話もこれを踏襲。
だが、反日的な外交カードとして中国や韓国に利用されてきた。
そこで安倍氏は戦後70年談話で
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」
と明言し、
「無定見な謝罪から決別」(稲田氏)
を試みた。
2025年2月17日の自民の
「日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会」
などの会議では、
「戦後70年談話は歴史認識問題を政治問題化させないようピリオドを打った」
という評価を概ね共有した。
有村治子委員長は
「10年に1度談話を出さなければいけない決まりはない」
と強調した。
「でも首相は出したがっている」。
こう語る自民の閣僚経験者は
「左右双方から火を噴き、夫婦別姓以上の騒ぎになる」
と憂慮する。
先月2025年1月29日のシンポジウムで、首相は
「敢えて『敗戦後』というが、『終戦』では事の本質を間違える」
「今を逃して戦争の検証はできない」
と語った。
謝罪の側面を強調した談話を再び出したいのではとの見方が広がった。
岩屋毅外相に先月会った自民議員によると、岩屋氏は
「50、60、70年と出して80年で出さないのは…」
と意欲を示したという。
連立を組む公明党も反対していない。
自民の保守派には、歴代最長だった安倍政権への反動を懸念する声もある。
石破首相の周囲には当時非主流派として過ごし、対抗心を持つ議員がいるためだ。
閣僚経験者は
「安倍談話で十分だと言うと逆に出したくなる人がいる」
と解説する。
「『石破VS安倍』の対立構図になると首相を刺激してしまう」。
ある議員は語る。

自民・稲田朋美氏「危険ですらある」戦後80年の石破談話 林官房長官は発出「決定せず」
2025/2/18 10:55
https://www.sankei.com/article/20250218-U733OQCCVBAERH7AOACAKMPLZY/
林芳正官房長官は2025年2月18日午前の衆院予算委員会で、石破茂首相が検討している戦後80年の石破談話発出について
「現時点で新たな談話を発出するか否かは決定をしていない」
「今後の対応については、これまでの経緯も踏まえながら、様々な観点から考えてまいりたい」
と述べた。
自民党の稲田朋美氏への答弁。
稲田氏は平成27年の戦後70年の安倍晋三首相談話の
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
という部分を挙げ、
「初めて戦後レジームからの脱却を掲げた安倍氏の談話の核心だ」
と語った。
「当時の国際情勢から日本の歩みを日本の立場から辿り、無定見な謝罪からは欠別し、100年先を見据えた未来志向のものとして高く評価できる内容だ」
と述べた。
その上で、
「(戦後50年の)村山談話、60年談話の謝罪を終わらせ、100年先の日本のあるべき姿を示した以上、80年談話で付け加えるべきことはない」
と強調し、林氏に政府の方針をただした。
林氏は
「石破内閣は、これまでの首相談話を含め歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく」
とした上で、戦後80年談話発出の有無は
「決定をしていない」
と述べた。
「国際社会が転換期を迎え、自由で開かれた国際秩序が揺らぐ中で、2025年の様々な機会を捉え、世界の平和と繁栄に向けた未来志向の戦略的発信に努めていきたいと考えている」
とも語った。
これに対し稲田氏は
「ここで中途半端な談話を出すことは危険ですらあると感じる」
と牽制した。
「村山談話、60年談話と安倍談話は全く違う」
「謝罪から決別したものになっている」
「戦後レジームからの脱却の旗のもとで、未来志向で将来世代に謝罪という宿命を負わせない、歴史認識を二度と外交カードにさせないといった、70年談話に込められた安倍氏の思いを無駄にしないでいただきたい」
と強調した。

戦後70年安倍談話「国内外世論の最大公約数」有村治子氏「10年に一度出す決まりない」
2025/2/17 17:48
https://www.sankei.com/article/20250217-U6KF6THPDNFEXP6WCAVOUV4W54/
自民党の日本の名誉と信頼を確立するための特命委員会(委員長・有村治子元女性活躍担当相)は2025年2月17日、外交部会と合同会議を開き、戦後70年の安倍晋三首相談話に関する政府の有識者会議
「21世紀構想懇談会」
で座長代理を務めた北岡伸一東京大名誉教授を招き、談話発出の経緯を振り返った。
有村氏は挨拶で戦後70年談話について
「国内外の世論の最大公約数をまとめた」
と指摘した。
有村氏の発言要旨は以下の通り
■安倍氏「いやぁ保守からもリベラルからも」
今年は終戦80年、私たちの多くが生まれ育って青春時代を過ごした昭和から数えて100年、自民党が結党して70年という年回りで、70年談話で言及される日露戦争終結から120年という年回りでもある。
120年、100年、80年、結党70年と、まさに時間軸に思いをはせる節目の年になる。
終戦50年に社会党出身だった村山富市首相が50年談話を出された。
終戦60年には小泉純一郎首相が60年談話を発せられ、そして10年前の終戦70年には安倍晋三首相が70年談話を出された。
2015年8月14日、70年談話が出された直後2人でお話しする機会があった。「練りに練って練られた上での談話ですね」
と話したら、安倍総理は笑いながら、
「いやぁ、保守からもリベラルからも相当厳しく言われて、その概ね合意形成ができ、各国でも好意的に認められたことは、ほっとしたよ」
と笑顔を浮かべていた。
当然ながら、10年にいっぺんずつ談話を出さなければいけない決まりはない。
実際、終戦から50年間は総理大臣談話は出ていない。
改めて今年2025年終戦80年で10年前に何が起こったのか。
■謝罪だけでなく感謝に焦点
謝罪にフォーカスが当たっていたのを謝罪だけではなく、感謝の言葉に焦点が当たるようにしている。
過去の限られた時間軸だけではなく、日露戦争まで言及して、未来志向というフォーカスに当たっている。
分断だけではなく、皆さんの協力があって日本が戦後、国際社会に復帰し、そしてその世界の統合ができたことを静かな誇りにしている。
戦後の歩みにまでフォーカスが行くようにしており、国際協調の責任を果たす日本というイメージを強調されている。
最大の貢献の1つと思っているが、保守とリベラル、無党派の方々もたくさんいる中で、戦争を振り返るわけだから、当然色々な考え方が、意見がある。
その中で国内外の世論の最大公約数を安倍総理が70年談話にまとめ上げられた。
それを世界に、同時に発信され、各国でも支持されたという背景を学んでいくことになると思う。
80年に向けて、私たちがどんな心構えでこの年を過ごし何を受発信すべきなのか率直に学び、そして議論ができる機会になれば有難い。

石破茂首相「戦争検証」よりやるべきことがあるはずだ 政府・与党内にも慎重論強く
サンデー正論
2025/2/16 10:00
https://www.sankei.com/article/20250216-MNLTHRZEBRKSVNS3BTZEA4BJ74/
石破茂首相は最近の講演や国会答弁で、戦後80年の今年2025年こそ先の大戦の敗因について検証すべきだとの考えを示している。
首相就任前からの持論だが、ただでさえ少数与党で政権運営が厳しい中で、取り組むべき課題なのかと政府・与党内には慎重論が強い。
しかも、検証といっても政府がやることなのか不明で具体性に欠けている。
評論家気質が抜けず、政権として取り組むべき優先順位の整理がついていないようだ。
石破首相の
「戦争検証」
発言は2025年1月29日のシンポジウム「東京グローバル・ダイアログ」(日本国際問題研究所主催)に出席した際に飛び出した。
冒頭は用意された文面を早口で読んでいただけだったが
「というのが原稿でございました。よくできております」
と言ってからアドリブで話し始めた。
「国会議員になって今年2025年で40年目になります」
「これでも外交の仕事も結構やっておりまして」
「本当かよという顔をしていらっしゃる方もありますが(会場から笑い)全く知らない分野ではございません」
そう前置きした上で話し始めたのが、先の大戦の検証だ。
「今を逃して戦争の検証はできない」
と強調した。
2025年1月31日の衆院予算委員会でも
「なぜあの戦争を始めたのか、なぜ避けることができなかったのか、なぜ途中でやめることができずに、あのような東京が焼け野原になり、広島・長崎に原爆が落ち、大勢の方が亡くなったのか」
「まだその記憶をきちんと自己のものとして持っておられる方々がおられるうちに検証するというのは、80年の今年2025年が極めて大事だ」
と語った。
質問した立憲民主党の長妻昭代表代行は石破首相の考え方に
「共感する。ぜひ検証を与野党でやっていきたい」
と応じた。
■吉田清治現象
石破首相は自民党総裁選を控えた昨年2024年8月に出版した『保守政治家』(講談社)でも
「昭和は遠くなりにけり、であるからこそ、その遠ざかりゆくものの検証が必要だ」
と述べた。
これまで作家の半藤一利氏や保阪正康氏らの著作から
「大きな示唆を受けてきました」
という。
半藤氏や保阪氏から影響を受けた石破首相に、別の見方もあることを知るためにも、読んでほしい対談や論文が月刊「正論」にはある。
まずは平成27年11月号の伊藤隆東京大学名誉教授と中西輝政京都大学名誉教授の対談だ。
この対談は同年平成27年8月14日に出された安倍晋三首相の
「戦後70年談話」
発出に向けた有識者懇談会のメンバーだった中西氏を伊藤氏が“追及”する形で進められている。
この中で次のようなやり取りがある。
伊藤氏
「如何なる戦争も講和条約や平和条約が結ばれたら、それで終わりです」
「敗れた国が謝り続けたり、いつまでも責任問題を外交に持ち出されたりすることは歴史上全くありません」
「日本もサンフランシスコ講和条約、日華平和条約、東南アジア諸国への賠償協定、日韓基本条約、日中平和友好条約を結んで、大東亜戦争の戦場になったり、併合したりした国とは全て決着をつけました」
「なぜ日本だけが謝り続けなければならないのか分かりません」
「(中略)中国や韓国は、歴史問題を外交に利用し続けますね」
「なぜ、日本は歴史問題を利用され続けるのか」
「戦後、アメリカから東京裁判史観を植え付けられ、日本人が未だに、その毒が抜けきらないからですよ」
中西氏
「私は、『吉田清治現象』と呼んでいます」
「慰安婦問題で、吉田清治は自国を告発するために、やってもいない『慰安婦狩り』に自ら手を染めたと自虐証言まで捏造した」
「戦後の日本人には何でも『日本が悪い』ということに快感を覚える習性があって、それに日本人が迎合していくという現象が起き続けていくわけです」
対談の最後に伊藤氏はこう総括している。
「『歴史を戦勝国史観から克服する』」
「これをやる以外にないと思っていますよ」
「安倍談話は、日本が『進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました』と表現しています」
「経済もエネルギーの供給も立ちゆかなくなった当時、ではどうすればよかったのか」
「欧米の植民地になるのか、滅びるのか。当時の日本が『針路を誤った』と批判するのは、今の安保法制を批判するのと同じことですよ」
「現実を見ずに理想や空想的な平和を語っているだけです」
「『じゃあ、中国の属国になっていいの?』と問いたいですね」
■「侵略」断定に抵抗
伊藤氏は対談の中で
「安倍シンパ」
を自任している。
中西氏も同様だったが、懇談会の報告にある
「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し」
の部分に反対し、委員の辞表届も提出した。
「ちょうど安保法案の審議で内閣支持率が一挙に10%前後も下がった時期でした」
「最後は、安倍総理ご本人が数度に渡って電話をしてこられた」
「私が『脚注の案文をそのまま吞んでくれなければ、辞表は撤回しません』と直訴すると、総理は吞んでくれました」
中西氏は辞表を撤回した。
脚注に載ったのが次の一文だ。
「複数の委員より『侵略』と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった」
「理由は
1)国際法上『侵略』の定義が定まっていないこと、
2)歴史的に考察しても、満州事変以後を『侵略』と断定する事に異論があること、
3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを『侵略』と断定することに抵抗があるからである」
周到に準備した
「戦後70年談話」
を巡ってもこれだけの激論、異論があったのである。
■左翼と同じ土俵
次に、元防衛大学校教官で、ベストセラー『失敗の本質』の著者の一人、杉之尾宜生氏の令和4年3月号の論文だ。
「『失敗の本質』に対する読者の一番の不満は、サブタイトルに『日本軍の組織論的研究』と銘打っておきながら、なぜああいう戦争に突入したのかということについては、何も書いていないことだろう」
「それは序章で『戦争原因究明を本書に期待しているとすれば、読者は恐らく失望するだろう」
「というのは、本書は、日本がなぜ大東亜戦争に突入したかを問うものではないからである」
「もちろん、なぜ敗けるべき戦争に訴えたのかを問うことは、既にいくつかの優れた研究があるとはいえ、今後も問い直して然るべきであろう」
「しかし、本書は敢えてそれを問わない』と記してある」
なぜそうしたのか。
それは軍事の勉強がしたいと防衛大学校に移ってきた経営学者の野中郁次郎氏が、
「文化論に陥ると左翼の人たちと同じ土俵に乗った論調になるから避けよう」
と、天皇陛下と日本軍の関係には一切触れずに純粋な組織論として描くことにしたからだ。
奇しくも伊藤氏、杉之尾氏、野中氏は昨年2024年8月から2025年1月にかけて相次いで鬼籍に入った。
杉之尾氏は論考の最後で
「評論家の山本七平氏は、日本軍の最大の特徴として『言葉を奪ったことにある』と捉えたが、それは今の自衛官も変わらない」
「『専守防衛』や『憲法9条』の枠の中に縛り付けられている」
「直面する危機を考えた時、これまでのようにがんじがらめの憲法解釈や既存の法律に縛られたままでは軍事プロフェッショナリズムに基づく任務を遂行することは至難の業である」
と書いている。
石破首相がすべきことは過去を振り返ることよりも、今も続く縛りを解くことではないか。

<産経抄>戦後80年の石破談話は百害あって一利なし
2025/2/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250201-ZN267Q7FURL5LJ2P7PJRZB2II4/
「三つ子の魂百まで」
とも
「雀(すずめ)百まで踊り忘れず」
とも言うが、人の昔からの性質や考え方はそんなに変わらない。
石破茂首相は先月2025年1月29日の国際安全保障に関するシンポジウムで、こう語った。
「今年2025年は敗戦後80年だ」
「今を逃して、戦争の検証はできないだろう」
▼もう19年も前の平成18年6月のことである。
東京都内で開かれた首相の衆院議員在職20年記念パーティーを覗くと、来賓のベテラン議員らが口々に
「石破君は将来の首相候補」
と称揚していた。
ところが、挨拶に立った首相はこんな場違いなことを述べたのだった。
「戦争責任をもう1回考えたい」
▼ずっと以前から自分なりに、先の大戦の総括をしたいと考えてきたのだろう。
シンポでの言葉は、戦後80年談話を発出したいとの意欲表明なのか。だが、中国が
「抗日反ファシズム戦争勝利80周年キャンペーン」
を準備している今年2025年、新談話を出せば反日勢力に利用されよう。
▼首相は18年9月には、毎日新聞鳥取県版で強調した。
「日中戦争は明らかに侵略だし、韓国併合は植民地化」。
南京事件や慰安婦問題を巡っても、過去に中国や韓国の主張に寄り添う発言をしている。
せっかく安倍晋三元首相が戦後70年談話で戦後の謝罪外交に終止符を打ち、戦後を終わらせようとしたのに、時代を逆行させてどうするのか。
▼自民党総裁選を争った小林鷹之元経済安全保障担当相は先月2025年1月30日、80年談話の意義を否定した。
「出す必要は全くない」
「そのための70年談話だ」。
実際、70年談話の最後の段落には
「終戦80年、90年、更には100年に向けて…」
とあり、以後の時代のことも網羅済みである。
▼首相のお気持ちを表明する談話など、百害あって一利なしだと断言する。

戦後80年、首相談話は出すべきでない 「謝罪」から決別しようとした安倍氏の思い
サンデー正論
2025/1/19 10:00
https://www.sankei.com/article/20250119-ZBGC754GKNJE7EY6HHDTSJPTDE/
今年2025年は戦後80年に当たる。
中国では2025年7月に映画
「731」
の上映が予定されている。
「731」
とは旧日本軍関東軍防疫給水部のことだが、中国が80年を歴史戦に利用しようとしているのは明白だ。
これに対し、岩屋毅外相は2025年1月13日の日韓外相会談後の共同記者会見で、戦後80年首相談話について
「現時点で発出するとは決定していない」
「よく国内で相談したい」
と述べた。
相談することもない。
石破茂首相は中国や韓国に乗せられて80年談話を出すべきではない。
■「宿命を背負わせてはなりません」
岩屋外相には安倍晋三政権時代の平成27(2015)年8月に出された戦後70年談話をもう1度読み返してほしい。
談話には次のような一文がある。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています」
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」
「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」
当時の作成過程をよく知る政府元高官は
「談話には一行一行安倍首相の思いがこもっているが、特にこの部分には時間をかけた」
と証言する。
当初案では
「生まれながらに謝罪することを強いられるべきではありません」
だった。
安倍首相は
「中身はいいが、誰が強いているかの議論になる」
「強いるという表現はちょっと違うな」
との感想を語り、修正を加えることにした。
■練りに練った安倍首相談話
元朝日新聞主筆の船橋洋一氏著の『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』(文芸春秋)の上巻
「戦後70年首相談話」
の章にも紹介されているように出てきたのが
「原罪」
だった。
安倍首相の指示で今井尚哉首相秘書官は連立を組む公明党の太田昭宏国土交通相のもとを訪れた。
太田氏は
「原罪」
について
「日本は欧州じゃないし、原罪という概念は馴染まない」
と異論を唱えた。
太田氏の指摘も踏まえ、安倍首相と秘書官らとの検討作業の中で出てきたのが
「宿命」
という表現だった。
この元高官は
「子供たちが生まれながらにして謝罪しなければならない、そうした『宿命』を背負わせるようなことはあってはならない、との思いから『宿命』が浮かんできた」と証言する。
この年平成27(2015)年の8月6日午後4時48分、安倍首相は官邸の執務室に太田氏を招き
「『宿命』でいいですか」
と尋ねた。
公明党の支持母体、創価学会で男子部長、青年部長を務めた太田氏は
「『宿命』は仏教用語でもあります」
「差し支えないと思います」
と同意した。
太田氏との打ち合わせは20分の予定が午後5時56分まで続いた。
太田氏が師と仰いだ創価学会の池田大作名誉会長は生前、
「宿命」
という言葉を重視し、
「宿命を使命に転換させる」
ことを説いてきた。
太田氏は
「真っ先にハンコつくからとは言っていないが、この談話は歴史に区切りを付けた」
と評価する。
談話は
「侵略」
の言葉を盛り込みながらも、西洋諸国の植民地だらけだった当時の国際情勢から説明し、
「謝罪」
から決別しようとする未来志向も明確で全体的には高い評価を得た。
ただ、東京大学の伊藤隆名誉教授や、京都大学の中西輝政名誉教授という歴史学の重鎮2人は談話が東京裁判史観から脱却できていないとして批判したことは忘れてはならない。
■中国に利用された岩屋外相
安倍首相らの血の滲むような努力を無にするような発言をしたのが岩屋外相だった。
昨年2024年12月25日に行われた日中外相会談後、中国側は岩屋外相が
「歴史問題では『村山談話』の明確な立場を引き続き堅持し、深い反省と心からの謝罪を表明する」
と述べた、と発表した。
岩屋外相は2024年12月27日の記者会見で、この発表は
「正確ではない」
として、
「歴史認識に議論が及んだ際に、石破茂内閣は平成7(1995)年の村山談話、安倍首相談話を含むこれまでの首相談話を引き継いでいると説明した」
と語った。
その上で
「一方的な対外発表を行ったことに対しては、中国側に対して申し入れを行った」
としたが、後の祭りである。
安倍政権当時も、
「70年談話は戦後50年の村山富市首相談話や、慰安婦関係調査結果に関する平成5(93)年8月4日の河野洋平官房長官談話を引き継ぐのか」
という質問は当然予想され、官邸内で議論した。
安倍首相は第2次政権発足後から、村山談話について
「政権として全体として受け継いでいく」
と述べていた。
もちろん、安倍首相の本音としては
「そのまま継承しているわけではない」
との立場だった。
官邸内の議論として出たのが
「当時の内閣の判断として受け継ぐもので、自分の立場が村山談話や河野談話と同じであると言う必要もない」
「これから未来に向かって受け継いでいくのが安倍談話でありそれに尽きる」
というものだった。
河野談話、村山談話ともに政局が不安定な時に出されたものだった。
河野談話が発出された時点で宮沢喜一内閣は衆院選で過半数割れし、退陣を表明しており、8月9日に細川護熙連立政権が発足する直前のことだった。
筆者は自民党幹事長担当だったが、党内は騒然としていて談話のことなど議論する余裕は全くなかった。
村山談話も同様で、自民、社会、さきがけの3党連立政権で、自民党内には談話への異論が強かった。
当選間もない安倍氏もその1人だった。
筆者が当時、野坂浩賢官房長官の担当として感じたのは、村山首相や野坂官房長官が談話に拘ったのはあくまで社会党政権としての存在感を示すことであり、日本の将来ではなかった。
野坂氏や前任の官房長官である五十嵐広三氏には同年1995年6月の戦後50年決議が自民党内の反対にあって中途半端な形になったとの思いが強かった。
そこで首相談話には
「植民地」
「侵略」
「反省」
「お詫び」
のいわゆるキーワードを盛り込むことに固執した。
野坂氏は
「反対ならば閣僚を辞めてもらいます」
と半ば恫喝して自民党を説き伏せ、閣議決定にこぎつけた。
■安倍氏をライバル視する石破首相
どさくさに紛れて出された河野談話、社会党政権の存在を後世に残すための村山談話とは異なり、安定政権を築いた安倍首相は有識者による
「21世紀構想懇談会」
で議論を重ね、歴史認識が異なる政治学者の五百旗頭真氏や読売新聞グループ本社会長兼主筆だった渡辺恒雄氏からも意見を聞き、談話を作り上げた。
談話はこう結んでいる。
「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献して参ります」
「終戦80年、90年、更には100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく」
「その決意であります」
戦後80年を既に見据えているのだ。
しかも石破政権は少数与党であり通常国会を如何に乗り切るかの見通しも立っていない。
今夏2025年夏には都議選、参院選もあり、政局が不安定になる可能性もある。
石破首相は
「政敵」
だった安倍氏の名前が出ると不快感を示すそうだが、個人的な感情で安倍氏に対抗して談話を出すべきではない。

「戦後80年談話」は禍根を残す 石破首相の中韓への謝罪癖に懸念
阿比留瑠比の極言御免
2025/1/16 1:00
https://www.sankei.com/article/20250116-6KPXLPMSFZPPHJZCMVBVGMNM3E/
「戦後の謝罪外交に終止符を打ちたい」
安倍晋三元首相がこの思いを込め、平成27年8月に戦後70年談話を発表して今年2025年8月で丸10年となり、日本は戦後80年を迎える。
安倍氏は談話発出後、筆者らに談話の意義についてこう語っていた。
「これで戦後80年、90年談話はもう必要ない」
それだけ考え抜いて作った安倍談話に自信があったのだろう。
談話は、西ドイツのワイツゼッカー大統領が敗戦40年の1985年に行った有名な演説
「荒れ野の40年」

「自らが手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません」
というレトリックを下敷きにして、次のように説いている。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
安倍氏によると、ベトナムの政府高官は
「この談話を読んで評価しないようなアジアの国があれば、まともではない」
と感想を述べていたという。
■村山談話を「上書き」
談話に取り組んだ背景には、平成7年に村山富市首相が出した戦後50年の村山談話への問題意識がある。
村山談話は、具体的にいつの何を指すのか曖昧にしたまま日本による植民地支配と侵略を謝罪しており、中国や韓国などに利用されて長く日本外交の手足を縛る枷となっていた。
安倍氏は安倍談話により村山談話を
「上書き」
し、超克することを強く意識していた。
また、安倍氏は安倍談話に加え、先の大戦で敵国同士だった米国やオーストラリアとの
「和解」
に取り組んだ。
オバマ米大統領を現職大統領として初めて被爆地・広島に迎え、自身は日米戦争の象徴である米ハワイ・真珠湾を訪問したのもその一環である。
安倍氏はまさに、日本を敗戦国の枠組みに閉じ込めてきた
「戦後」
を終わらせた宰相だったと言える。
■蒸し返しへの危惧
ところが、岩屋毅外相は2025年1月13日、訪問先の韓国での日韓外相会談後の共同記者会見で戦後80年談話の作成について次のように含みを持たせた。
「現時点で発出するとはまだ決定していない」
「戦後80年の節目にどのような対応を取るか、これからよく国内で相談したい」
出すと決まったわけではないにしろ、よく検討するというわけだが、果たしてどんな中身を想定しているのか。
岩屋氏は同時にこうも語った。
「政府として述べてきている歴代政権における歴史認識、談話を石破茂内閣もしっかりと引き継いでおり、この認識にいささかの変わりもない」
安倍談話を引き継いでいるということならばいいが、わざわざ
「歴代政権」
と話す所に、村山談話の下での謝罪外交や自虐的な歴史認識を蒸し返すのではないかと危惧を覚える。
第一、石破首相に安倍氏のような
「謝罪外交に終止符」
「戦後を終わらせる」
といった理念や信念はあるのか。
安倍談話に一体何を付け加えようというのか。
岩屋氏は今回、韓国で左派系の最大野党「共に民主党」出身の禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長と面会し、早速
「歴史問題の直視」
という注文を受けている。
「御用聞き外交」
かとの印象を受けた。
昨年2024年11月7日の当欄で紹介したように、石破首相は南京事件でも韓国併合でも中韓に安易に謝罪したがる癖がある。
戦後80年談話が村山談話に立ち戻るような内容であれば、全く出す必要がなく将来に禍根を残すだけである。
(論説委員兼政治部編集委員)

中国、韓国が利用する石破首相の歴史観 過去の言動繰り返せば付け入る隙に 
阿比留瑠比の極言御免
2024/11/7 1:00
https://www.sankei.com/article/20241107-3K6TVFPG6RPOZDBYUBB4CSA2ZI/
まだ石破茂首相のことを保守派だと見做していた20年以上も昔の話である。
筆者は当時、安倍晋三元首相や中川昭一元財務相らが熱心に取り組んでいた偏向歴史教科書問題や慰安婦問題など保守系の運動に関わろうとしないことをいぶかり、それらへの参加を促したことがある。
だが、返事はそっけなかった。
「そういうのは、もういいよ」
この時は、単に余り関心がないのかと流したが、徐々にそうではなくて歴史認識自体が大きく異なるのだと分かってきた。
石破氏の考え方は、むしろ左派・リベラルに近かった。
それを反映し、2024年9月の自民党総裁就任時などに、中国や韓国は首相の歴史観を理由に概ね歓迎を示した。
例えば韓国の左派紙、ハンギョレ新聞は同月2024年9月30日の社説で書いている。
「歴史問題についても『政治的ライバル』だった安倍元首相とは異なり、何度も合理的な見解を明らかにしたことがある」
「(中略)謙虚な歴史認識を示してくれることを期待する」
また、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(2024年10月18日付)は、首相が平成18年9月23日付の毎日新聞鳥取県版にこう語ったことを紹介している。
「最近は、自民党の若い議員を見ても、怖い」
「過去の戦争を『全て正しかった』と考えていて、頭は大丈夫かと疑いたくなる」
「日中戦争は明らかに侵略戦争だし、韓国併合は植民地化(だ)」
こうした首相のこれまでの言葉については、月刊誌「明日への選択」2024年11月号の記事
「かくも危うい石破首相の『歴史認識』」
がよくまとめていたので、許可を得て引用する。
それによると首相は平成29年5月、韓国紙、東亜日報のインタビューで慰安婦問題についてこう語った。
「納得を得られるまでずっと謝罪するしかないでしょう」
もっとも、その後の産経新聞の取材に首相は
「『謝罪』という言葉は一切使っていない」
「『お互いが納得するまで努力を続けるべきだ』と話した」
と否定している。
とはいえ、
「努力」
をどう翻訳(意訳)すれば
「謝罪」
に入れ替わるのか理解に苦しむ。
中国共産党系の新聞、世界新聞報のインタビューも防衛相時代の2020年に受け、こう述べたとされる。
「日本には南京大虐殺を否定する人がいる」
「30万(人)も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという」
「何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ」
「日本は中国に謝罪すべきだ」
これについても首相は月刊正論2020年9月号で
「大虐殺があったとは言っていないよ」
と否定しているが、聞き手の評論家、潮匡人氏はこうたしなめていた。
「ですが、そう相手に受け取られる対応も、事実関係で日中間に隔たりがある以上、国益の擁護者として慎重であるべきではなかったかと」
まさにその通りである。
首相が実際にどのような表現を使ったかは判然としないが、相手に利用されるようなことを述べたのは事実だろう。
来年2025年は終戦80年を迎える他、日韓国交正常化60周年にも当たる。
中国も
「抗日反ファシズム戦争勝利80周年キャンペーン」
を準備しているという節目の年である。
韓国や中国の反日勢力がさまざまな仕掛けをしてくると予想できるが、首相が過去の言動を繰り返すようなら、付け入る隙を与えることになろう。
もっとも、それまで首相を続けていられるかどうかは分からないが。
(論説委員兼政治部編集委員)

<年のはじめに>論説委員長 榊原智 未来と過去を守る日本に
2025/1/1 5:00
https://www.sankei.com/article/20250101-PWVSMDWROJMAZIIOSEKN3VJ2HQ/
今年2025年は、日本の未来と過去を守らなくてはならない年になるだろう。
抑止力の構築を急がないと、日本は数年内に、戦後初めて戦争を仕掛けられる恐れがある。
平和を守っていく年にしたい。
戦後80年である。
大東亜戦争(太平洋戦争)について中国や朝鮮半島、左派からの史実を踏まえない誹謗は増すだろう。
気概を持って反論しなければ国民精神は縮こまり、日本の歴史や当時懸命に生きた日本人の名誉は守れない。
政府や政治家が鈍ければ、国民は叱咤激励したり、自ら声をあげたりしていかねばなるまい。
能登半島地震から1年が経った。
復興を願うと共に、将来起きるかもしれない危難から日本や地域を守る必要性も痛感する。
ウクライナや中東の戦争を見てほしい。
自然だけでなく人間も大災害をもたらす。
安全保障は独立と繁栄の基盤といえる。
■統幕長の危機感共有を
自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長は昨年最後の記者会見で次のように語った。
「国際社会の分断と対立は深まり、情勢は悪化の一途を辿り、自由で開かれた国際秩序は維持できるか否かのまさに瀬戸際にある」
「来年(令和7年)を見通しても良くなる展望は開けない」
国家防衛戦略では令和9年までに
「我が国が主たる責任をもっ我が国への侵攻を阻止、排除できるようにする目標がある」
とし
「それまでに暇がない」
とも述べた。
率直な物言いは危機感の表れだ。
制服組トップがこれほど有事を懸念するのは米国と北朝鮮が開戦間際だった平成5、6年の第1次朝鮮半島核危機時の西元徹也統幕議長以来かもしれない。
だが、第1次核危機もそうだったが最近の日本の政治が危機感を十分共有しているとは思えない。
歴代内閣の努力は分かる。
安倍晋三政権は集団的自衛権の限定行使に道を開いた。
菅義偉政権は米国と共に
「台湾海峡の平和と安定の重要性」
を宣言した。
岸田文雄政権は防衛費増額や反撃能力保有など防衛力の抜本的強化を開始した。
石破茂内閣は自衛官の募集難対策に本腰を入れている。
中国の台湾侵攻や北朝鮮の暴発を抑止する取り組みだ。
ただし、昨年2024年の日本は、政治とカネの問題で騒動が続くなど専ら内向きだった。
国会などの場で日本の政治は外交安保にもっと意を払うべきだった。
周囲の専制国家が
「日本与しやすし」
と見れば抑止効果は減じる。
それがどれほど恐ろしいことか。
トランプ米政権の登場で、侵略者ロシアと抗戦してきたウクライナが休戦となれば、台湾海峡や東・南シナ海など北東アジアの安全保障環境を変化させる。
■戦後80年に踏まえたい点
北東アジア自体への影響にとどまらない。
停戦監視へ陸上自衛隊のウクライナ派遣が期待されるかもしれない。
また、紅海で民間船舶を攻撃する親イラン民兵組織フーシ派討伐への海上自衛隊参加の要請があるかもしれない。
日本の対応は、北東アジアへの欧米諸国の関与を左右する。
これらは仮の話だが、日本の政治は、そして日本国民は、ウクライナなどの情勢の展開に備えようとしているか。
分断と対立が深まる国際情勢を我が事として捉えているか。
トランプ氏との会談で石破首相は、日本と国際秩序を能動的に守る姿勢を示してほしい。
紙幅が尽きた。
戦後80年について2点指摘したい。
1つ目は、大東亜戦争を巡り、当時の日本には祖国防衛の思いに加え、人種平等の実現や欧米植民地支配打破の理想があった点を、戦後の日本人はほとんど知らされてこなかったという点だ。
2つ目は史実を踏まえた議論の大切さである。

満州事変
世界恐慌の少し前の昭和3年(1928)、満州を実効支配していた張作霖が列車ごと爆殺されるという事件が起きたのです。
元は馬賊だった張作霖は権謀術数に長けた人物で、日露戦争後に日本陸軍の関東軍と手を結び、軍閥を組織して満州を実効支配し、徴収した金を全て自分の物としていました。
当初、張作霖と関東軍の関係は良好でしたが、大正の終わり頃から、物資の買い占め、紙幣の乱発、増税などを行い、関東軍と利害が対立するようになっていきます。
更に欧米の資本を入れて、日本の南満州鉄道(満鉄)と並行する鉄道を敷設したことで、両者の衝突は避けられなくなりました。
満鉄は鉄道事業が中心として満州全域に広範な事業を展開する会社で、日本軍による満州経営の中核たる存在であっただけに、関東軍としても見過ごすわけにはいかなかったのです。
張作霖爆殺事件はそんな状況下で起こりました。
事件の首謀者は関東軍参謀と言われてきましたが、ソ連の関与があったとする説もあり、現在も論争が続いています。
ただ、この時、
「張作霖爆殺」
に関しての陸軍の調査と、彼らを庇うかのように二転三転する内閣の報告に関して、昭和天皇は不快感を顕にし、田中義一首相(元陸軍大臣)の内閣は総辞職しました。
天皇は自分の言葉(それを首相に伝えたのは鈴木貫太郎侍従長)が内閣に影響を与えてしまったことを反省し、以後は内閣の決定には拒否権を発動するなどの
「親裁」
は行わないようになりました。
それをやれば日本は専制君主国家になってしまうという思いからです。
張作霖の跡を継いだ息子の張学良はこの後、満州に入植してきた日本人と朝鮮人の権利を侵害する様々な法律を作ります。
また父の張作霖が満鉄に並行して敷いた鉄道の運賃を異常に安くすることで満鉄を経営難に陥れました。
そのため満鉄は昭和5年(1930)後半から深刻な赤字が続き、社員2000人の解雇を余儀なくされたのです。
日露戦争でロシア軍を追い出して以降、日本は満鉄をはじめとする投資により、満州のインフラを整え、産業を興してきました。
そのお陰で満州は大発展したのです。
この頃、清では戦乱が相次ぎ、日本は満州の治安を守るためにを置いていました。
そのため清から大量の難民が押し寄せることとなります。
そうしたこともあって日露戦争が始まった明治37年(1904)頃には約1000万人だった満州の人口は、20数年の間に3000万人にも増えていました。
同じ頃、蒋介石率いる中国国民党政権と中国共産党による反日宣伝工作が進められ、排日運動や日本人への脅迫やイジメが日常的に行われるようになりました。
日本人に対する暴力事件も多数発生しました。
代表的な事件は
「南京事件」
と呼ばれるもので、これは昭和2年(1927)3月に、蒋介石率いる中国国民党が南京を占領した際、中華民国の軍人と民衆の一部が、日本を含む外国領事館と居留民に対して行った襲撃事件です。
暴徒は外国人に対して、暴行・略奪・破壊などを行い、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、デンマーク人、フランス人が殺害されました(この時、多くの女性が凌辱された)。
この暴挙に対して、列強は怒り、イギリスとアメリカの艦艇は直ちに南京を砲撃しましたが、中華民国への協調路線(及び内政不干渉政策)を取る幣原喜重郎外務大臣(「日英同盟」を破棄して「4カ国条約」を結んだ全権大使)は、中華民国への報復措置を取らないばかりか、逆に列強への説得に努めました。
更に日本政府は国内の世論を刺激しないように、
「我が在留婦女にして凌辱を受けたる者1名もなし」
と嘘の発表をしたため、現状を知る南京の日本人居留民を憤慨させたのです(政府は居留民たちが事実を知らせようとする集会さえも禁じている)。
この時、報復攻撃をしなかった日本に対し、中国民衆は感謝するどころか、逆に
「日本の軍艦は弾丸がない」
「張子の虎だ」
と嘲笑したと言われています。
事実、これ以降、中国全域で、日本人に対するテロ事件や殺人事件が急増します。
満州でも、中国共産党に通じたテロ組織が、日本人居留民や入植者を標的にしたテロ事件を起こすようにもなりました。
しかし被害を受けた日本人居留民が領事館に訴えても、前述の通り、時の日本政府は、第2次幣原喜重郎外交の
「善隣の誼(よしみ)を淳(あつ)くするは刻下の一大急務に属す」(中国人と仲良くするのが何より大事)
という対支外交方針を取っていたため、訴えを黙殺しました。
それどころか幣原喜重郎外務大臣は、
「日本警官増強は日支対立を深め、ひいては日本の満蒙権益を損なう」
という理由で、応援警官引き揚げを決定します。
そのため入植者たちは、満州の治安維持をしている関東軍を頼り、直接、被害を訴えるようになっていきます。
それでもテロ事件は収まらず、昭和5年(1930)後半だけで、81件、死者44人を数える事態となりました(負傷者は数えきれない)。
この時、中国人による嫌がらせの一番の標的になっていたのが朝鮮人入植者でした。
これは多分に両者の長年の確執と性格による所もあったと考えられます。
韓国併合により当時は
「日本人」
だった朝鮮人は、何かにつけて中国人を見下す横柄な態度を取っていたと言われ、中国人にしてみれば、長い間、自分たちの属国の民のような存在と思っていた朝鮮人にそのように扱われのが我慢ならなかったものと考えられます。
中国人から執拗な嫌がらせを受けた朝鮮人入植者は、日本政府に対して
「日本名を名乗らせてほしい」
と訴えます。
最初は日本名を名乗ることを許さなかった統監府も、やがて黙認する形で認めることとなります。
日本政府の無為無策では南満州鉄道や入植者を守れないという意見が強まる中、関東軍は昭和6年(1931)9月、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業であるとして、満州の治安を守るという名目で軍事行動を起こしました。
政府は不拡大方針を取りましたが、関東軍は昭和7年(1932)7月までに満州をほぼ制圧し、張学良を追放しました。
いわゆる
「満州事変」
です。
「事変」
とは、大規模な騒乱状態ではあるが、宣戦布告がなされていない国家間の軍事的衝突を意味します。
以後、日本は中国大陸での泥沼の戦いに突入していくこととなります。

盧溝橋事件から支那事変
昭和12年(1937)7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍が、中華民国軍が占領している後方の陣地から射撃を受けたことがきっかけで、日本軍と中華民国軍が戦闘状態となります。
ただこれは小競り合いで、4日後の昭和12年(1937)7月11日には現地で停戦協定が結ばれました。
しかし東京の陸軍本部は派兵を望んでいて、最初は不拡大方針だった近衛文麿首相はそれに押し切られるように、昭和12年(1937)7月11日の臨時閣議で派兵を決めます。
盧溝橋の発砲事件に関しては、中国共産党が引き起こしたという説もありますが、真相は不明です。
異常な緊張状態の中、その月昭和12年(1937)7月の29日、北京東方で、
「通州事件」
通州事件(2) Sさんの体験談
https://nezu3344.com/blog-entry-6033.html
が起きます。
この事件は、
「冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)」(昭和10年【1935】から昭和13年【1938】まで河北省に存在した自治政府であるが、その実体は日本の傀儡政権であるとされる)
の中国人部隊が反乱を起こし(中国国民党や中国共産党が使嗾【しそう:そそのかすこと】したとも言われる)、通州にある日本人居留地を襲い、女性や子供、老人や乳児を含む民間人233人を虐殺した事件です。
その殺害方法は猟奇的とも言うべき残虐なもので、遺体のほとんどが生前に激しく傷付けられた跡があり、女性は子供から老人までほぼ全員強姦された上、性器を著しく損壊されていました。
これらの記録や写真は大量に残っていますが、まともな人間なら正視に耐えないものです。
この事件を知らされた日本国民と軍部は激しく怒り、日本国内に反中感情が高まりました。
また昭和12年(1937)8月に上海の租界で2人の日本の軍人が射殺された(大山事件)こともあり、日本人居留地を守っていた日本軍と中華民国軍が戦闘状態に入りました(第2次上海事変)。
この時、ドイツの指導と武器援助を受けていた中華民国軍は屈強で、日本軍は思わぬ苦戦を強いられます。
当時、上海の租界には約2万8000人の日本人が住んでいましたが、実は大山事件前にも、日本人を標的にした中国人によるテロ事件や挑発的行為が頻発していました。
昭和6年(1931)、商社や商店、個人が受けた暴行や略奪は200件以上。
通学児童に対する暴行や嫌がらせは約700件。
殺害事件だけでも、昭和7年(1932)から昭和12年(1937)までの間に何件も起きています。
犠牲者も軍人だけでなく、托鉢僧や商社員、新聞社の記者など民間人が多数含まれていました。
第2次上海事変は中華民国の各地に飛び火し、やがて全国的な戦闘となりました。
ただ、日本がこの戦闘を行ったのは、そもそもは自国民に対する暴挙への対抗のためでした。
「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)
というスローガンが示すように
「暴れる支那を懲らしめる(膺懲)」
という形で行った戦闘がいつの間にか全面戦争に発展したというのが実情です。
当時、日本は中華民国との戦闘状態を総称して
「支那事変」(あるいは「日華事変」)
と呼んでいました。
支那事変は大東亜戦争が始まるまでの4年間、両国とも宣戦布告を行わずに戦い続けた奇妙な戦争でした。
その理由は、
「戦争」
となれば、第3国に中立義務が生じ、交戦国との交易が中立義務に反する敵対行為となるからです。
従って両国が共に
「事変」
扱いとして戦い続けたため、国際的にも
「戦争」
とは見做されませんでした(実質は戦争)。
装備に優る日本軍は僅か3カ月で上海戦線を突破し、その年昭和12年(1937)の12月には首都南京を占領しました。
日本軍は、首都さえ落とせば、中華民国は講和に応じるだろうと見ていたのですが、蒋介石は首都を奥地の重慶に移して抵抗します。
中華民国には、ソ連とアメリカが積極的な軍事援助を行っていて、最早戦争の早期終結は望めないこととなっていました。

昭和12年(1937)12月、日本軍による南京占領の後、
「30万人の大虐殺」
が起きたという話がありますが、これはフィクションです。
この件は日本と日本人の名誉に関わることですから、やや紙幅を割いて書きます。
「南京大虐殺」
は、日本軍の占領直後から、蒋介石が国民党中央宣伝部を使って盛んに宣伝した事件です。
例えば、南京大虐殺を世界に最初に伝えたとされる英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員であったオーストラリア人記者のハロルド・ティンパリは、実は月1000ドルで雇われていた国民党中央宣伝部顧問であったことが後に判明しています。
その著作
”What War Means:The Japanese Terror in China"(邦訳『外国人の見た日本軍の愚行ー実録・南京大虐殺ー』)
の出版に際しては、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われていたことが近年の研究で明らかになっています。
また『南京大虐殺』を世界に先駆けて報じたアメリカ人記者ティルマン・ダーディンも『シカゴ・デイリー・ニューズ』記者のアーチボルド・スティールも南京陥落直後に南京から離れています(つまり伝聞)。
当時、南京には欧米諸国の外交機関も赤十字も存在しており、各国の特派員も大勢いたにもかかわらず、大虐殺があったと世界に報じられてはいません。
30万人の大虐殺となれば、世界中でニュースになったはずです(捕虜の処刑は別)。
また、同じ頃の南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人です。
もう1つおかしいことは、日本軍が占領した1カ月後に南京市民が25万人に増えていることです。
いずれも公的な記録として残っている数字です。
仮に日本軍が1万人も殺していたら、住民は蜘蛛の子を散らすように町から逃げ出していたでしょう。
南京市民が増えたのは、街の治安が回復されたからに他なりません。
当時の報道カメラマンが撮った写真には、南京市民が日本軍兵士と和気藹々と写っている日常風景が大量にあります。
占領後に捕虜の殺害があったことは事実ですが、民間人を大量虐殺した証拠は一切ありません。
20万人という数字は安全区だけのもので、それ以外の地区は含まれていないという主張もありますが、安全区以外の地域にはほとんど人がいなかったという外国人の証言が多数残っています。
もちろん一部で日本兵による殺人事件や強姦事件はありました。
ただ、それをもって大虐殺の証拠とは言えません。
今日、日本は世界で最も治安の良い国と言われていますが、それでも殺人事件や強姦事件は年間に何千件も起きています(近年の統計によれば、殺人は900〜1000件、強制性交等はそれ以上)。
ちなみにアメリカでは毎年、殺人と強姦を合わせると数十万件も起きています。
ましてや当時は警察も法律も機能していなかったことを考えると、平時の南京では起こらないような痛ましい事件もあったとは思われます。
また南京においては
「便意兵」
の存在もありました。
便意兵とは分かり易く言えばゲリラです。
軍人が民間人のふりをして日本兵を殺すケースが多々あったため、日本軍は便意兵を見つけると処刑したのですが、中には便意兵と間違われて殺された民間人もいたかもしれません。
こうした混乱が起きるのが戦争だとも言えます。
例えば戦後の占領下で、アメリカ軍兵士が日本人を殺害したり、日本人女性を強姦したりした事件は何万件もあったと言われます。
これらは許されることではありませんが、占領下という特殊な状況において、平時よりも犯罪が増えるのは常です。
要するに、南京において個々の犯罪例が100例、200例あろうと、それをもって大虐殺があったという証拠にはならないのです。
30万人の大虐殺と言うからには、それなりの物的証拠が必要です。
ドイツが行ったユダヤ人虐殺は夥しい物的証拠(遺体、遺品、ガス室、殺害記録、命令書、写真その他)が多数残っており、今日でも尚、検証が続けられています。
しかし
「南京大虐殺」
は伝聞証拠以外に物的証拠が出てきません。
証拠写真の大半は、別事件の写真の盗用ないし合成による捏造であることが証明されています。
そもそも日中戦争は8年も行われていたのに、南京市以外での大虐殺の話はありません。
8年間の戦争で、僅か2カ月間だけ、日本人が狂ったように中国人を虐殺したというのは余りにも不自然です。
とりわけ日本軍は列強の軍隊の中でも極めて規律正しい軍隊で、それは世界も認めていました。
「南京大虐殺」
とは、支那事変以降、アメリカで蒋介石政権が盛んに行った反日宣伝活動のフェイクニュースでした。
日本軍による
「残虐行為」
があったとアメリカのキリスト教団体とコミンテルンの工作員が盛んに宣伝し、
「残虐な日本軍と犠牲者・中国」
というイメージを全米に広めたのです。
このイメージに基づいて、後年、第二次世界大戦後に開かれた
「極東国際軍事裁判」(東京裁判)
では、日本軍の悪行を糾弾する材料として
「南京大虐殺」
が取り上げられることになります。
実は東京裁判でもおかしな事がありました。
この裁判では、上官の命令によって1人の捕虜を殺害しただけで絞首刑にされたBC級戦犯が1000人もいたのに、30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将1人しか罪に問われていないのです。
規模の大きさからすれば、本来は虐殺命令を下した大隊長以下、中隊長、小隊長、更に直接手を下した下士官や兵などが徹底的に調べ上げられ、何千人も処刑されているはずです。
しかし現実には、処刑されたのは松井大将1人だけでした。
東京裁判で亡霊の如く浮かび上がった
「南京大虐殺」
は、それ以降、再び歴史の中に消えてしまいます。
「南京大虐殺」
が再び姿を現すのは、東京裁判の4半世紀後のことでした。
昭和46年(1971)、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が
「中国の旅」
という連載を開始しました。
その中で本多は、
「南京大虐殺」
を取り上げ、日本人が如何に残虐な事をしてきたかを、嘘とデタラメを交えて書いたのです。
これが再燃のきっかけとなりました。
この時の取材、本多の南京滞在は僅か1泊2日、
「南京大虐殺」
を語った証言者は中国共産党が用意した僅か4人でした。
後に本多自身が
「『中国の視点』を紹介することが目的の『旅』であり、その意味では『取材』でさえもない」
と語っています。
本多の連載が始まった途端、朝日新聞をはじめとする日本の多くのジャーナリズムが
「南京大虐殺」
をテーマにして
「日本人の罪」
を縦断する記事や特集を組み始めました。
そうした日本国内での動きを見た中国政府は、これは外交カードに使えると判断したのでしょう。
以降、執拗に日本政府を非難するようになったというわけです。
本田勝一の記事が出るまで、毛沢東も周恩来も中国政府も、1度たりとも公式の場で言及したことはなく、日本を非難しなかったにもかかわらずです。
それ以前は、中国の歴史教科書にも
「南京大虐殺」
は書かれていませんでした。
「無かった事」
を証明するのは、俗に
「悪魔の証明」
と言われ、私がここで書いた事も、
「無かった事」
の証明にはなりません。
ただ、客観的に見れば、組織的及び計画的な住民虐殺という意味での
「『南京大虐殺』は無かった」
と考えるのが極めて自然です。

朝日新聞が生み出した国際問題
「WGIP洗脳世代」
が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始めます。
そして後に大きな国際問題となって日本と国民を苦しめることになる3つの種が播かれました。
それは
「南京大虐殺の嘘」
「朝鮮人従軍慰安婦の嘘」
「首相の國神社参拝への非難」
です。
これらはいずれも朝日新聞による報道がきっかけとなったものでした。
まず
「南京大虐殺」
ですが、これは前述したように、昭和46年(1971)、朝日新聞で始まった
「中国の旅」
という連載がきっかけとなりました。
全く事実に基づかない内容だったにもかかわらず、戦後、GHQによって
「日本軍は悪逆非道であった」
という洗脳を徹底して受けていた日本人の多くは、この捏造とも言える記事をあっさりと信じてしまったのです。
当時、朝日新聞が
「日本の良心」
を標榜し、売上部数が圧倒的に多かったことも、読者を信用させる元となりました。
まさか大新聞が堂々と嘘を書くとは誰も思わなかったのです。
更に当時、マスメディアや言論界を支配していた知識人の多くがこの話を肯定したことが裏書きとなり、本田勝一の記事が真実であるかのように罷り通ってしまったのでした。
日本側のこうした反応を見た中華人民共和国は、これはに使えると判断し、以降、執拗に日本を非難するカードとして
「南京大虐殺」
を持ち出すようになります。
そして50年以上経った現在まで、大きな国際問題となって残っています。
情けないことに、未だに、
「南京大虐殺」
が本当にあったと思い込んでいる人が少なくありません。
今更ながらGHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
の洗脳の怖ろしさが分かろうというものです。
朝日新聞が生み出したもう1つの嘘は、いわゆる
「朝鮮人従軍慰安婦」
問題です。
昭和57年(1982)、朝日新聞は吉田清治という男の衝撃的な証言記事を載せました。
その内容は、吉田清治が軍の命令で済州島に渡り、泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、かつてのアフリカの奴隷狩りのようにトラックに無理矢理乗せて慰安婦にしたという告白でした。
この記事は日本中を驚愕させました。
以降、朝日新聞は日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にしたという記事を執拗に書き続けます。
朝日新聞は吉田清治証言だけでも18回も記事にしています。
ちなみに
「従軍慰安婦」
という言葉は、戦後、元毎日新聞社の千田夏光(本名、貞晴)らによって広められた全く新しい造語です。
吉田清治証言が虚偽であることは早い段階から一部の言論人らから指摘されていました。
吉田清治自身も平成8年(1996)の
「週刊新潮」
のインタビューで、
「本に真実を書いても何の益も無い」
「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」
と捏造を認めていたのです。
ところが、朝日新聞がこの吉田清治証言に基づく自社の記事を誤りだったとする訂正記事を書いたのは、最初の記事から32年も経った平成26年(2014)のことでした。
実に32年もの間、朝日新聞の大キャンペーンに、左翼系ジャーナリストや文化人たちが相乗りし、日本軍の
「旧悪」
を糾弾するという体で、慰安婦のことを何度も取り上げました。
これに積極的に関わった面々の中には旧日本社会党や日本共産党の議員もいました。
多くの国民は朝日新聞が嘘を書くわけがないと思い、またGHQの洗脳によって
「日本軍ならそれくらいの事はしただろう」
と思い込まされてきたため、
「従軍慰安婦の嘘」
を信じてしまったのです。
「南京大虐殺」
と同様でした。
こうした日本の状況を見た韓国も、中華人民共和国と同様、
「これは外交カードに使える」
として、日本政府に抗議を始めました。
朝日新聞が吉田清治証言を記事にしてキャンペーンを始めるまで、40年もの間、1度も日本政府に慰安婦のことで抗議などしてこなかったにもかかわらず、です。
韓国の抗議に対する日本政府の対応が最悪とも言える拙劣なものでした。
平成5年(1993)、韓国側からの
「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めれば、今後は問題を蒸し返さない」
という言葉を信じて、日韓両政府の事実上の談合による
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」
(いわゆる「河野談話」)
を出し、慰安婦の強制連行を認めるような発信をしてしまったのです。
途端に、韓国は前言を翻し、これ以降、
「日本は強制を認めたのだから」
と、執拗に賠償と補償を要求するようになります。
これは80年前、大正4年(1915)の
「21ヵ条要求」
のいきさつを彷彿とさせる悪手でした。
もう1つ、朝日新聞がこしらえたと言える深刻な国際問題が、
「首相の國神社参拝に対する非難」
でした。
今も、首相の國神社参拝を
「世界の国々が非難している」
という報道を繰り返す新聞がありますが、これは正しくありません。
我が国の首相や閣僚の國神社参拝を感情的に非難しているのは、中華人民共和国と韓国のみと言っていいでしょう。
アメリカや中韓以外のアジア諸国のメディアが今も批判的トーンで國神社参拝を報じるのは、日本と隣国との争いの種になっているから、という理由が大きいのです。
もちろん英米メディアの中には國神社を
「戦争神社」
と言い、ここに参る者は
「戦争賛美」
の極右で
「歴史修正主義者」
だという論調もありますが、そのほとんどが、1980年代の朝日新聞の報道論調を下敷きにしています。
そもそも中国・韓国の2国は、戦後40年間、日本の首相の國神社参拝に1度も抗議などしてきませんでした。
それまでに歴代首相が59回も参拝したにもかかわらずです。
これが国際問題となったきっかけは、昭和60年(1985)8月15日に中曽根康弘首相が國神社を参拝した時に、これを非難する記事を朝日新聞が大きく載せたことでした。
直後、中華人民共和国が初めて日本政府に抗議し、これ以降、首相の國神社参拝は国際問題となったのです。
この時、中国の抗議に追随するように韓国も非難するようになりました。
以上、現在、日本と中国・韓国の間で大きな国際問題となっている3つの問題は、全て朝日新聞が作り上げたものと言っても過言ではありません。
3つの報道に共通するのは、
「日本人は悪い事をしてきた民族だから、糾弾されなければならない」
という思想です。
そのためなら、たとえ捏造報道でもかまわないという考えが根底にあると思われても仕方がないような経緯です。
朝日新聞のこうした考え方は政治的な記事に限りませんでした。
平成元年(1989)4月20日の
「珊瑚記事捏造事件」
などは同根と言える一例です。
これは、朝日新聞のカメラマンが、ギネスブックにも載った世界最大の沖縄のアザニサンゴに、自らナイフで
「K・Y」
という傷を付けて、
「サンゴ汚したK・Yってだれだ」
という悪質な捏造記事を書いたという事件です。
記事は日本人のモラルの低下を嘆き、
「日本人の精神の貧しさと荒んだ心」
とまで書かれています。
これは単にスクープ欲しさの自作自演だったとは思われません。
その書きぶりには、前記の3記事と同じ
「WGIPによる歪んだ自虐思想」
が見て取れます。
GHQの推し進めた洗脳政策は、戦後、多くの日本人の精神をすっかり捻じ曲げてしまったと言えますが、驚くべきことに、占領後は朝日新聞を代表とするマスメディアが、GHQの洗脳政策の後継者的存在となり、捏造までして日本と日本人を不当に叩いていたのです。
更に不思議なことはこの新聞が、戦後長らく
「クオリティー・ペーパー」
と言われてきたことです。
「クオリティー・ペーパー」
とは
「エリート階層を読者とする質の高い新聞」
という意味ですが、果たしてこの称号を与えたのは誰だったのでしょうか。
それは戦後の公職追放の後に、言論界を支配した者たちでした。

朝鮮人慰安婦に関しては、肯定派のジャーナリストや学者、文化人らが、
「軍が強制した」
という証拠を長年懸命に探し続けていますが、現在に至っても全く出てきません。
中には、
「軍が証拠を隠滅した」
と言う者もいますが、全ての証拠を完全に消し去ることなど不可能です。
軍は一種の官僚機構です。
仮に民間業者に命じたのなら、議事録、命令書、予算書、報告書、名簿、受領書、請求書、領収書など、夥しい書類が必要でしょう。
軍は勝手に金を動かせませんから、双方の帳簿も大量に残っているはずです。
戦闘中以外はトラック1台動かすのにも、いちいち書類が必要だったのです。
当時、軍用機の搭乗員たちは、たとえ練習でも飛行記録を残す義務がありました。
もし軍が直接行動したなら、慰安婦を強制連行するために動いた部隊、実働人員、収容した施設、食料などを記した書類も大量にあるはずですが、それらが全て煙のように消えてしまうことなどあり得ません。
そんなことが可能なら、戦後に捕虜の処刑に関係したBC級戦犯が1000人も処刑されるはずがありません。
2000年から、アメリカ合衆国のクリントン、ブッシュ政権下において、8年の歳月をかけて、ドイツと日本の戦争犯罪に関する大規模な調査が行われ、850万ページに及ぶ未公開や秘密の公式文書が調査されました。
そのうち14万2000ページが日本の戦争犯罪に関するものでしたが、日本政府や軍がいわゆる
「従軍慰安婦」
に関わる戦争犯罪を犯したことを示す文書は1点も発見されなかったという報告が、2007年にありました(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班【IWG】アメリカ合衆国議会宛て最終報告」)。
この報告は
「従軍慰安婦」
に終止符を打つべきものと思えますが、令和の今日においても尚、左翼系の政党やメディア、学者、弁護士らは日本政府と軍の
「強制」
を主張しています。
ここで皆さんに知っておいてもらいたい事があります。
それは戦時慰安婦の大半が日本人女性だったということです。
朝鮮人女性は2割ほどだったと言われています。
当時は日本も朝鮮も貧しく、親兄弟の生活のために身を売らねばならなかった女性が少なくありませんでした。
そうした女性たちが戦時に戦地の慰安所で慰安婦として働いたー。
これが事実の全てです。
一方、
「國神社参拝」
については、政治家の参拝を非難する左翼系の学者や文化人の中に、
「中国が抗議したのは、A級戦犯を合祀したからだ」
と言う人がいますが、これは稚拙であり罪作りな嘘です。
國神社が
「A級戦犯」
とされた人々を合祀したのは昭和53年(1978)10月でした。
それから昭和60年(1985)まで3人の首相(大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘)が延べ22回参拝していますが、昭和60年まで、中国は1度も抗議していません(A級戦犯合祀は翌年に朝日新聞によって報道されている)。
また
「天皇陛下でさえ、A級戦犯合祀以来、参拝されていない」
と言う人もいますが、天皇陛下の國神社への行幸がなくなったのは、昭和51年(1976)からです。
実はその前年(昭和50年【1975】)、三木武夫首相の参拝について
「私人としてのものか、公人としてのものか」
とマスコミが大騒ぎをしたことがありました。
昭和天皇が終戦記念日に國神社を親拝しなくなった理由は分かりませんが、もしかしたら
「自分が行けば、私人としてか公人としてかという騒ぎが大きくなる」
と案じたのかもしれません。

戦時徴用工強制労働の嘘
昭和40年(1965)頃から、在日朝鮮人と在日韓国人が
「自分たちは戦争中に強制連行されてきた」
と主張し始めました。
これもまた嘘です。
確かに戦争中
「戦時徴用」
として
朝鮮人労働者を国内の工場などに派遣した事実はありますが、戦時徴用は日本の中学生や女学生にも行われていました。
しかも日本の学生に払われた給料は僅かなものでしたが、朝鮮人労働者には正規の給料が支払われていました。
また徴用工が送られるのは、労働管理の整備された場所に限られていました。
「外国人を徴用工として使うのは酷い」
と言う人もいるが、当時、朝鮮人は法的には日本人・日本国民であったことを忘れてはなりません。
また同じ頃、日本人男性は徴兵で戦場に送られていましたが、朝鮮人が徴兵されたのは昭和19年(1944)になってからで、しかも訓練中に終戦を迎えたため、ほとんどが戦場には送られていません。
戦時徴用も終戦前の7カ月だけでした。
そして終戦後に彼らのほとんどは朝鮮へ帰国しています。
昭和34年(1959)に外務省が発表したデータによりますと、当時、日本国内にいた在日朝鮮人・在日韓国人は約61万人、そのうち戦時徴用で国内にとどまっていた人は僅かに245人でした(在日朝鮮人・在日韓国人全体の0.04%)。
つまり99.96%の在日朝鮮人・在日韓国人は
「職を求めて」
自由意思で日本にやって来た人たちだったのです。
しかもその中の多くが朝鮮戦争の時に密航してやってきた人たちでした。
「在日朝鮮人・在日韓国人の多くは戦争中に強制連行された人、あるいはその子孫」
という嘘は、最初は彼ら自身が言い始めたことでしたが、これを左翼系のマスメディアや学者らがあたかも歴史的事実であるかのように広めたのでした。
そのため、現在でもこれを真実と思い込んでいる日本人が少なくありません。
GHQの
「WGIP」
は今も日本人の心と日本の言論空間を蝕んでいると言えるのです。

第二次世界大戦中への流れを眺める時、なぜ人類はこれを止めることが出来なかったのだろうかと、絶望的な気持ちになります。
世界は第一次世界大戦を遥かに上回る規模の大戦争へと突入し、日本もアメリカと戦争を始め、中国と西太平洋が戦場となりました。
日本が戦争への道を進まずに済む方法はなかったのでしょうかー。
私たちが歴史を学ぶ理由は実はここにあります。
特に近現代史を見る時には、その視点が不可欠です。
歴史を事実を知るだけの学問と捉えるなら、それを学ぶ意味はありません。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これはドイツの名宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉です。
もっともこれは原文をかなり意訳したもので、正確に訳すと次のような文章になります。
「愚かな者は自分の経験から学ぶと信じているばかりだ」
「私は最初から自分の過ちを避けるために、他人の経験から学ぶことを好む」
私たちもまた先人の経験から、悲劇を避ける術を学ばなくてはなりません。

全面戦争へ
「支那事変」
は確固たる目的がないままに行われた戦争でした。
乱暴な言い方をすれば、中国人の度重なるテロ行為に、お灸をすえてやるという世論に押される形で戦闘行為に入ったものの、気が付けば全面的な戦いになっていたという計画性も戦略もない愚かなものでした。
名称だけは
「事変」
となっていましたが、最早完全な戦争でした。
しかもこの戦いは現地の軍の主導で行われ、政府がそれを止めることが出来ないでいるという異常なものでもありました。
そこには5・15事件や2・26事件の影響があるのは明らかです。
支那事変が始まった翌年の昭和13年(1938)には、
「国家総動員法」(昭和13年(1938)4月1日に公布、5月5日に施行)
が成立しました。
これは
「戦時に際して、労働力や物資割り当てなどの統制・運用を、議会の審議を経ずに勅令で行うことが出来るようにした法律」
です。
具体的には、国家は国民を自由に徴用でき、あらゆる物資や価格を統制し、言論を制限し得るといった恐るべき法律でした。
ちなみにこの法案の審議中、趣旨説明をした佐藤賢了陸軍中佐の余りに長い答弁に、衆議院議員たちから抗議の声が上がったところで、佐藤が
「黙れ!」
と一喝したことがありました。
この時、議員たちの脳裏に2年前1936年の2・26事件が浮かんだことは容易に想像できます。
佐藤の恫喝後、誰も異議を挟まなくなり、狂気の法案は僅か1カ月で成立しました。
国力の全てを中国との戦争に注ぎ込もうと考えていた日本は、この年昭和13年(1938)、2年後に東京で開催予定であった
「オリンピック」

「万国博覧会」(万博)
を返上します。
これは、最早世界の国々と仲良く手を結んでいこうという意思がないことを内外に宣言したに等しい決断でした。
このオリンピックと万博の返上は陸軍の強い希望であったと言われています。

暴れるドイツ
同じ昭和13年(1938)、ヨーロッパではドイツがオーストリアを併合し、チェコスロバキアのズデーテン地方を要求する事態となっていました。
チェコは拒否しますが、ヒトラーは戦争をしてでも奪うと宣言します。
イギリスとフランスの首相がヒトラーと会談しましたが(ミュンヘン会談)、英仏両国は、チェコを犠牲にすれば戦争を回避できると考え、ヒトラーの要求を全面的に受け入れます。
そのためにチェコは自国領土の一部をむざむざとドイツに奪われました。
イギリスとフランスが取った
「宥和政策」
は当時、ヨーロッパの平和を維持するための現実的で勇気ある判断として大いに評価され、ミュンヘン会談を終えてロンドン郊外のクロイドン空港に降り立ったチェンバレン首相を、イギリス国民は大歓迎しました。
しかしこの
「宥和政策」
は、結果的にドイツに時間的、資金的な猶予を与えただけのものとなりました。
結果論ではありますが、この時、イギリスとフランスが軍備を拡充して敢然とヒトラーに対峙していたならば、第二次世界大戦は避けられたかもしれません。
仮に戦争になったとしても、全ヨーロッパが火の海となり、夥しい死者が出る悲惨な状況にはならなかったと思われます。
狂気の独裁者に対して宥和政策を取るということは、一見、危険を回避したように見えますが、より大きな危険を招くことにも繋がるという一種の教訓です。
ドイツは易々とズデーテン地方を奪った後、チェコスロバキアの制圧に乗り出しています。
スロバキアに独立を宣言させ、チェコも保護下に置きながら、最終的には昭和14年(1939)3月、軍事侵攻して全土を占領しました。
そしてチェコ最大のシュコダ財閥の軍需工場を接収し、兵器を大量に増産すると、ソ連と
「独ソ不可侵条約」
を結んだ上で、昭和14年(1939)9月1日にポーランドに電撃的に侵攻しました。
おぞましいことに、ヒトラーとスターリンは事前にポーランドの分割を話し合っていたのです。
ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスとフランスは、完全に面子を潰され、2日後昭和14年(1939)9月3日、ドイツに宣戦布告しました。
ここに第二次世界大戦が幕を開けました。

第二次世界大戦
第二次世界大戦の始まりは奇妙なものでした。
イギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告したものの、実際にドイツに攻め込むことはしなかったからです。
大西洋でのドイツ潜水艦による通商破壊戦の攻防はありましたが、8カ月間、陸上での戦いはほとんどありませんでした。
そのためイギリスでは
「まやかし戦争」(Phoney War)、
フランスでは
「奇妙な戦争」(Drole de guerre)
と呼ばれました。
つまりイギリスもフランスも、建前上、ドイツに宣戦布告したものの、本心は戦争をする気などなかったのです。
イギリス国民の多くは、その年昭和15年(1940)暮れには戦争が終るだろうと考えていました。
当時、ドイツ軍は主力を東部戦線に移しており、イギリス軍とフランス軍が一挙に攻め込めば、ドイツ軍は総崩れになったであろうと言われています。
ドイツ軍首脳は、フランスとの国境線に大軍を配備しおくべきと主張しましたが、英仏のそれまでの宥和的態度から、戦う意思がないと見抜いていたヒトラーは、西部戦線をがら空きにして主力をポーランドに集中させます。
ドイツはポーランドを完全に制圧すると、今度は主力を西武戦線に移し、昭和15年(1940)5月、英仏軍に一気に襲い掛かりました。
両国軍はあっという間に撃破され、イギリス軍はヨーロッパ大陸から駆逐され、フランスは首都パリと国土の5分の3を占領されました。
ドイツ軍の破竹の進撃を見たイタリアもイギリス、フランスに宣戦布告しました。
驚異的な軍事力によってあっという間に西ヨーロッパを席巻したドイツの勢いを目の当たりにした日本陸軍内に、
「バスに乗り遅れるな」
という声が生まれ、一種の流行語となりました。
このことを深く憂慮した昭和天皇は、親英米派で日独伊三国同盟には反対の立場を取っていた海軍大将米内光政を内閣総理大臣に推挙しました(形式上は湯浅倉平内大臣の推挙)。
昭和天皇が個人名を挙げて首相に推挙するのは例のないことです。
如何に昭和天皇がドイツやイタリアとの同盟に反対していたかの証左です。
しかし昭和15年(1940)6月にドイツがフランスを降伏させると、陸軍は倒閣運動を行い、同年昭和15年(1940)7月に米内内閣を総辞職に追い込みました。
新たに誕生した第2次近衛内閣は同年昭和15年(1940)9月に
「日独伊三国同盟」
を締結します。
朝日新聞は、これを一大慶事のように報じました。
しかしこの同盟は、実質的には日本に特段のメリットはなく、アメリカとの関係を決定的に悪くしただけの、実に愚かな選択だったと言わざるを得ません。
もっともアメリカのルーズベルト民主党政権はこれ以前から、日本を敵視し、様々な圧力を掛けていました。
前年の昭和14年(1939)には、日米通商航海条約破棄を通告し、航空機用ガソリン製造設備と技術の輸出を禁止していました。
また、アメリカやイギリスは、日本と戦闘状態にあった中華民国を支援しており、
「援蒋ルート」
を使って軍需物資などを送り続けていました。
「援蒋ルート」
は主に4つありましたが、最大は
「仏印(フランス領インドシナ)ルート」
と呼ばれたもので、ハノイと昆明を結んでいました。
日本は仏印ルートの遮断を目的として、昭和15年(1940)、北部仏印(現在のベトナム北部)に軍を進出させました。
これはフランスのヴィシー政権(昭和15年【1940】)にドイツに降伏した後、中部フランスの町ヴィシーに成立させた政府)と条約を結んで行ったものでしたが、アメリカとイギリスは、ヴィシー政権はドイツの傀儡であり日本との条約は無効だと抗議しました。
しかし日本はそれを無視して駐留を続けたのです。
「援蒋ルート」
を潰されたアメリカは、日本への敵意を露わにし、同年昭和15年(1940)、特殊工作機械と石油製品の輸出を制限、更に航空機用ガソリンと屑鉄の輸出を全面禁止しました。
アメリカから
「対日経済制裁」
の宣告を受けた日本は、石油が禁輸された場合を考え、オランダ領インドシナの油田権益の獲得を目論みます。
当時、オランダ本国は既にドイツに占領されていましたが、植民地のインドシナはロンドンのオランダ亡命政府の統治下にありました。
翌昭和16年(1941)、日本軍は更に南部仏印(現在のベトナム南部)へと進出しました。
アメリカのルーズベルト政権はこれを対米戦争の準備行動と見做し、在米日本資産凍結令を発布します。
イギリスとオランダもこれに倣いました。
そして同年昭和16年(1941)8月、アメリカは遂に日本への石油輸出を全面的に禁止したのです。
当時、日本は石油消費量の約8割をアメリカから輸入していました。
それを止められるということは、息の根を止められるのに等しいことでした。
日本はオランダ領のインドネシアから石油を輸入しようとしましたが、オランダ亡命政府(当時はイギリスからカナダに拠点を移していた)は、アメリカとイギリスの意向を汲んで日本には石油を売りませんでした。
この時、日本の石油備蓄は約半年分だったと言われています。
つまり半年後に日本は軍艦も飛行機も満足に動かせない状況に陥るということでした。
もちろん国民生活も成り立たなくなります。
まさに国家と国民の死活問題でした。
日本は必死で戦争回避の道を探りますが、ルーズベルト政権には妥協するつもりはありませんでした。
それどころかルーズベルト政権は日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたと指摘する歴史家もいます。
アメリカがいつから日本を仮想敵国としたのかは、判然としませんが、大正10〜11年(1921〜1922)のワシントン会議の席で、強引に日英同盟を破棄させた頃には、いずれ日本と戦うことを想定していたと考えられます。
その底意を見抜けず、日英同盟を破棄して、お飾りの平和を謳った
「四カ国条約」
を締結して良しとした日本政府の行動は、国際感覚が致命的に欠如していたとしか言いようがありません。
それから約20年後の昭和14年(1939)には、アメリカははっきりと日米開戦を想定していたと言えます。
ただルーズベルト大統領は、第二次世界大戦が始まっていた昭和15年(1940)の大統領選(慣例を破っての3期目の選挙)で、
「自分が選ばれれば、外国との戦争はしない」
という公約を掲げて当選していただけに、自分から戦争を始めるわけにはいかなかったのです。
彼は
「日本から戦争を仕掛けさせる方法」
を探っていたはずで、日本への石油の全面禁輸はそのための策の1つだったのでしょう。

開戦前夜
日本はそれでもアメリカとの戦争を何とか回避しようと画策しました。
アメリカと戦って勝てないことは政府も軍も分かっていたからです。
しかし日本の新聞各紙は政府の弱腰を激しく非難しました。
満州事変【1931年(昭和6年、民国20年)9月18日〜1933年(昭和8年)5月31日】以来、新聞では戦争を煽る記事や社説、あるいは兵士の勇ましい戦いぶりを報じる記事が紙面を賑わすことが常となっていました。
中には荒唐無稽な創作記事も数多くありました。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)の
「百人斬り」
の記事などはその典型です。
これは支那事変【1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端とする日本と中華民国の間で起こった武力衝突】で陸軍の2人の少尉が、
「どちらが先に敵を100人斬るかという競争をした」
という事実誤認に満ちた根拠薄弱な内容でした。
しかし戦後、この記事が原因で、2人の少尉は南京軍事法廷で死刑判決を受け、銃殺刑に処されています(毎日新聞は現在も記事の内容は真実であったと主張している)。
ちなみに
「日独伊三国同盟」
を積極的に推したのも新聞社でした。
そんな中、昭和16年(1941)11月27日、アメリカのルーズベルト政権はそれまでの交渉を無視するかのように、日本に対して強硬な文書を突き付けてきました。
この文書は当時の国務長官コーデル・ハルの名前をとって
「ハル・ノート」
と呼ばれていますが、最も重要な部分は、
「日本が仏印と中国から全面撤退する」
という項目でした。
これは日本としては絶対に呑めない条件でした。
この時点で、日米開戦は不可避になったと言えます。
実はこのハル・ノートを見た日本軍首脳部の開戦派は、
「天祐」(天の加護。天の助け。天助。)
と言ったとされています。
つまり
「戦争をするしかない」
状況になったからです。
それまで戦争を回避したいと考えていた閣僚らも開戦に強く反対しなくなり、アメリカとの戦争には消極的な立場を取っていた海軍もここで開戦の決意を固めたと言われています。
とは言っても、ハル・ノート受領の前日には、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)から聯合艦隊の空母部隊がハワイに向けて出撃しています(攻撃決定は【昭和16年(1941)12月2日】。
艦隊が単冠湾に集結したのが【昭和16年(1941)11月22日】、真珠湾攻撃のための猛訓練を始めたのが【昭和16年(1941)5月】であったことを見れば、日本政府が戦争回避を試みる一方、軍は戦争開始の準備を着々と進めていたことが分かります。
ただし、ハル・ノートの解釈については後年議論の的になっている点があります。
「日本が中国から撤退」
という要求の文章の
「中国」
についてです。
原文は
「China」
となっていますが、この
「China」
が中華民国を指すのか、それとも満州まで含めた地域を指すのかが明確にされていなかったのです。
日本側は
「満州」
を含めた地域と解釈しましたが、実はアメリカ側は、満州は考慮に入れていなかったとも言われています。
戦後、この経緯を調べたピューリッツァー賞受賞作家のジョン・トーランドは、当時の日本の閣僚らに、もし満州を含まないと知っていたら開戦していたかと訊ねています。
すると多くの人は、
「それならハル・ノートを受諾した」
「開戦を急がなかったであろう」
と答えています。
もっとも、何としても日本を戦争に引きずり込みたいと考えていたルーズベルトは、別の手段で日本を追い込んだに違いありません。
とまれ賽は投げられました。

真珠湾攻撃
昭和16年(1941)12月8日未明、聯合艦隊の空母から飛び立った日本海軍の航空隊はハワイの真珠湾に停泊するアメリカ艦隊を攻撃しました。
日本軍は戦艦4隻を撃沈し、基地航空部隊をほぼ全滅させます。
ただ、この時、在アメリカ日本大使館員の不手際で宣戦布告が攻撃後になってしまいました。
同日、台湾から海軍の航空隊が出撃し、フィリピンのクラーク基地のアメリカ航空部隊を全滅させています。
更に同日、日本陸軍はマレー半島に上陸し、イギリス軍をも打ち破っています。
日本がアメリカとイギリスに対して同時に開戦したのは、オランダ領インドネシアの石油を奪うためでした。
そのためにはシンガポールのイギリス軍を撃破しなければならず、また手に入れた石油を日本に送るのに東シナ海を通るため、その航路を遮る位置にあるアメリカのクラーク基地を無力化する必要がありました。
真珠湾のアメリカ艦隊を叩いたのも同じ理由からです。
同日、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告を行いました。
同時に支那事変も正式に戦争となりました。
ここに至りインドシナ半島や太平洋を含めた史上最大規模の大戦争の火蓋が切られたのです。
日本軍は緒戦だけは用意周到に作戦を練っていましたが、大局的な見通しは全くありませんでした。
そもそも工業力が10倍以上も違うアメリカとの長期戦では100%勝ち目はありません。
しかしハル・ノートを受け入れれば、日本は座して死を待つことになりかねません。
そうなれば、70年前の幕末の悪夢が再びやって来る恐れがありました。
欧米の植民地にされてしまうという恐怖です。
当時の世界は、現代とは比べ物にならないほど、露骨な弱肉強食の原理で動いていました。
アジア、アフリカ、南米に有色人種の独立国はほとんどなく、多くの有色人種たちがひたすら搾取され、奴隷のような扱いを受けていました。
ヨーロッパの白人種の国でも弱小国はソ連やドイツに次々に解体されていきました。
何しろ国際連盟で
「人種差別撤廃」
の規約が否決された時代です。
国力を失った有色人種の極東の島国の運命は暗澹たるものになると、日本の政府や軍人たちが危惧したのも無理はありません。
後の話になりますが、戦後、アメリカ軍の南西太平洋司令長官であり、日本占領軍の最高司令官でもあったダグラス・マッカーサーは、昭和26年(1951)、アメリカ上院軍事外交合同委員会の場において、
「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのものだった」
と述べています。
つまり敵将さえもが、先の大戦は日本の侵略ではなく自衛のための戦争であったと明言したのです。
日本の真珠湾攻撃はルーズベルト大統領にとっては願ったり叶ったりでした。
彼は
「日本軍は宣戦布告なしの卑怯な攻撃を行った」
と、アメリカ国民に強く訴えます。
ここで戦争反対だったアメリカの世論が一夜にして
「リメンバー・パール・ハーバー」
の合言葉と共に変じ、一気に戦争へと向かっていったのです。
ところで、現代のアメリカ人の中にも、広島・長崎への原爆投下と東京大空襲は日本の汚い攻撃に対する報復だと言う人は少なくありませんし、日本人の中にも真珠湾攻撃は騙し討ちだったと言う人がいます。
しかし有史以来、宣戦布告をしてから戦争を行ったケースは実はほとんどないのです。
第一次世界大戦と第二次世界大戦がむしろ例外的と言っていいでしょう。
当のアメリカも幾度も戦争をしていますが、そのほとんどの場合、宣戦布告なしに攻撃を行っています。
つまり真珠湾攻撃を卑怯なやり口と言い募ったのは、完全なプロパガンダなのです。
ちなみに戦争終結間際にソ連は
「日ソ中立条約」
を一方的に破棄して、日本に対して戦闘を開始しましたが、モスクワの駐ソ大使に宣戦布告文を手渡したのは攻撃の1時間前でした。
しかも駐ソ大使から日本本国への電報はソ連の電信局が送信しなかったため、実質的には奇襲攻撃となっています。
ただ残念なのは、そうした事態になることを恐れた聯合艦隊司令長官の山本五十六が、くれぐれも真珠湾攻撃の前に宣戦布告文書をアメリカに手渡すようにと言っていたにもかかわらず、ワシントンの日本大使館員らがそのことを重く受け止めていなかったことです。
日本の攻撃を喜んだ人物がもう1人いました。
イギリス首相のウィンストン・チャーチルです。
日米開戦の報告を受けたチャーチルは大喜びし、すぐにルーズベルトに電話しました。
ルーズベルトの
「今や我々は同じ船に乗ったわけです」
という言葉を聞いたチャーチルは、これで戦争に勝てると確信しました。
彼はこの時の興奮と喜びを後に回顧録『第二次大戦』で次のように書いています。
「感激と興奮とに満たされ、満足して私は床に就き、救われた気持ちで感謝しながら眠りに就いた」
更にこうも書いています。
「ヒトラーの運命は決まった」
「ムッソリーニの運命も決まったのだ」
「日本人について言うなら、彼らは粉々に打ち砕かれるだろう」
ドイツとイタリアに関しては個人の滅亡にのみ言及していますが、日本に対しては民族全体の運命に言及しています。
たまたまの表現なのかもしれませんが、私はチャーチルの白人種以外への差別意識が表われたと見ています。
ちなみに彼は昭和28年(1953)にこの回顧録でノーベル文学賞を受賞しています。

マッカーサー「自衛戦争」証言
http://tadashiirekishi.web.fc2.com/1951-60/1951_makasa_shogen.html
昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは以下の2つの重大な発言を行なった。
1.日本の戦争は自衛戦争であった
2.アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである
1.「日本の戦争は自衛戦争であった」
原文と和訳は以下の通り
"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security."
和訳:
日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。
したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです。

マッカーサーは実際に朝鮮戦争を戦って、ロシア(ソ連)、共産主義の脅威(明治維新以来ずっと日本が恐れていたもの)をやっと悟った。
マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解できたのである。
しかし、呆れたことにこれほど重大な証言を報じた日本の大新聞は当時も今も皆無である。
NHK、民放などのテレビ局も完璧に無視している。
何を恐れているのだろうか。
報道するとまずいことになると考えていることだけは事実だろう。
アメリカに対する気兼ねか、それとも支那に対する気兼ねか?
東條英機は宣誓供述書で
「断じて日本は侵略戦争をしたのではない」
「自衛戦争をしたのである」
「国家自衛のために起つという事がただ1つ残された途であった」
と語ったが、それはこのマッカーサーの米議会証言録と重なるもので、最終的に東條とマッカーサーは同じ見解を披露したことになる。
2.「アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」
アメリカは日本の勢力を支那大陸、満州、朝鮮から駆逐したことで自分たちの目標を達成したかに見える。
しかしその結果アメリカは過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任を日本に代わって引き受けなくてはならなくなっただけだ、と述べたアメリカ外交官ジョージ・ケナンと同じ後悔を述べたわけである。
フィリピンで日本に完敗したダグラス・マッカーサーは、日本に恨みを持ち、復讐心に燃えていた。
後に日本が原爆を落とされて負けて、マッカーサーがやって来た時、彼はその恨みを晴らすべく、
「日本は悪いものだ」
と信じきって東京裁判をやらせ、自分たちの意向を反映させた日本国憲法を作らせて日本を骨抜きにした。
ところが朝鮮戦争が起こって事態は一変する。
その時、彼は初めて東京裁判で弁護側が言った事が全て本当だったのだと気付く。
そして満州にも支那に対しても、日本がやったようにやらなければならないという結論に達する。
しかし当時の大統領・トルーマンは、ソ連と戦争になることを恐れて、マッカーサーを解任してアメリカに戻した。
その後、アメリカはマッカーサーが予言したように朝鮮半島で負け始め、何とか38度線まで押し返したところで戦争は終結する。
そしてアメリカに帰国したマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会という最も公式の場で、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語ったのである。
マッカーサーは前年に東京裁判が誤りだったと発言している。

戦争目的を失った日本
開戦4日後の昭和16年(1941)12月12日、日本はこの戦争を
「大東亜戦争」
と名付けると閣議決定しました。
従って、この戦争の正式名称は
「大東亜戦争」
です。
現代、一般に使われている
「太平洋戦争」
という名称は、実は戦後に占領軍が強制したものです。
「大東亜戦争」
は前述したように緒戦は日本軍の連戦連勝でした。
開戦と同時にアメリカの真珠湾とフィリピンのクラーク基地を叩き、3日目にはイギリスの東洋艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスという2隻の戦艦を航空攻撃で沈めました。
更に難攻不落と言われていたイギリスのシンガポール要塞を陥落させました。
そしてこの戦争の主目的であったオランダ領インドネシアの石油施設を奪うことに成功します。
日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東条英機首相は、
「これで石油問題は解決した」
と言いましたが、彼も政府(そして軍)も、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気付いていませんでした。
結論を言えば、日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を日本国内に輸送することができなかったのです。
開戦前、日本政府はインドネシアの石油やボーキサイト(アルミニウムの原料)を日本に送り届けるための輸送船を民間から徴用することに決めていました。
しかし軍が必要とするだけの数を徴用すると、日本国内の流通に支障を来すため、軍は
「半年だけ」
という条件で無理矢理に民間船を徴用したのです。
ところが、インドネシアからの石油などの物資を運ぶ輸送船や油槽船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められる事態となります。
それでも海軍は、輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛に付くことは一切ありませんでした。
「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するためのもので、鈍足の輸送船を護衛するためのものではない」
というのが上層部の考えだったからです。
海軍は、かつて日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させて日露戦争に勝利したように、大東亜戦争もアメリカの太平洋艦隊を壊滅させれば終結すると考えていました。
そのため艦隊決戦こそが何よりも優先されるという思い込みを持っており、輸送船の護衛などは考えもしなかったのです。
海軍では船舶の護衛任務を
「くされ士官の捨て所」
と呼んで軽侮していましたし、陸軍にも
「輜重輸卒(しちょうゆそつ:物資の輸送をする兵)が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち」
と輜重兵を馬鹿にしたざれ歌がありました。
戦争が、輸送や生産も含めた総力戦であるという理解が欠如していたのです。
身を守る手段のない輸送船は大量に撃沈されました。
それで
「半年だけ」
という約束は反故にされ、軍は更に民間船を徴用することになります。
そのため戦場では勝利を収めながらも、国内経済は行き詰まっていくという矛盾した状況に陥りました。
石油を含む物資の不足が、工業生産力の低下を招き、戦争継続が困難な状況になったにもかかわらず、軍はその辺りを全く把握・理解出来ていませんでした。
驚くべきデータがあります。
公益財団法人「日本殉職者船員顕彰会」の調べによれば大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、魚船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上に上ります。
その損耗率は何と約43%です。
これは陸軍兵士の損耗率約20%、海軍兵士の損耗率約16%を遥かに超えています。
彼ら民間の船員たちは、海外から石油を含む貴重な物資を命懸けで運んだにもかかわらず、石油は軍に優先的に回され、国民には満足に行き渡りませんでした。
それでも軍需物資の不足に悩む政府は、昭和17年(1942)5月に、金属類回収令を発動し、寺の梵鐘、橋の欄干、銅像、更に一般家庭にある余った鍋釜や鉄瓶、火箸に至るまで強制的に供出させたのです。
これにより国民生活は一層逼迫しました。
この時点で、戦争継続は不可能な状況と言えました。

ミッドウェー海戦と言霊主義
昭和17年(1942)6月、聯合艦隊はミッドウェー海戦で、主力空母4隻を失うという致命的な大敗を喫しました。
この戦いは運に見放された面もありましたが、日本海軍の驕りと油断が多分にあったことも確かです。
例えば開戦前のシミュレーションの際、日本の空母に爆弾が命中して攻撃能力を失う事態に陥った時、参謀の1人が空母の被害を低めに修正させて図上演習を続けています。
また作戦前に
「もし敵空母がやってきたら」
と問われた航空参謀は、
「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)です」
とこともなげに答えていたという話もあります。
「鎧袖一触」
とは
「刀を抜くまでもなく、鎧の袖を当てただけで相手を倒してしまう」
という意味の言葉です。
ここには具体的な対策案はありません。
単なる思い込みです。
その発言が事実であったかどうかは不明ですが、ミッドウェー海戦全体を改めて眺めると、そこには上層部の油断や傲慢が随所に見られます。
そして私はここに
「言霊主義」
の悪しき面を見ます。
つまり
「悪い結果は口にしないし、想定もしない」
で、
「良い事だけを言う」
という日本人に特有の精神です。
この後も、日本軍は
「言霊主義」
に囚われ、太平洋の各戦場で独りよがりの作戦を立てて敗北を重ねていきます。
もう1つ日本軍の大きな欠点は情報を軽視したことです。
その典型が昭和17年(1942)8月に始まったガダルカナル島攻防戦でした。
この島をアメリカ軍に奪われたと聞いた大本営は直ちに奪回を試みますが、アメリカ軍の兵力を2000人くらいと根拠もなく見積もり、それなら900人ほどで勝てるだろうと一木支隊を送り込みました。
敵の半分の兵力で勝てると考えるのも大いに問題ですが、実際にはアメリカ軍は1万3000人もいたのです。
また日本軍が持っていない重砲などを装備していました。
アメリカ軍陣地に突撃した800人の兵士のうち777人が一夜にして死亡しました。
その報を受けた大本営は、それではと今度は5000人を送り込みます。
しかしアメリカ軍は更に1万8000人まで増強していました。
結局、ガダルカナル島を巡る攻防戦は半年近くに渡って行われ、日本軍は夥しい人的被害を出し、大量の航空機と艦艇を失って敗退します。
しかもガダルカナル島で亡くなった陸軍兵の多くは餓死でした。
この戦いでは、日本の誇る世界最強の戦艦である大和と武蔵は1度も出撃していません。
兵力を温存したかったという理由もありますが、石油不足のために動かせなかった(大和型戦艦は大量に重油を消費する)という面もありました。
輸送船を護衛しなかったツケが開戦後1年も経たないうちに回ってきたのです。

無意味な戦い
昭和18年(1943)の時点で、日本の国内経済は既にガタガタになっており、生産力は著しく低下していました。
アメリカとの戦争継続の見通しはかなり厳しくなっていましたが、アメリカの本格的な反攻がなかったためか、講和の画策をした形跡がありません。
一方、中国大陸に限っては戦いを有利に進めていました。
ただアメリカはその1年を間休んでいたわけでは決してありませんでした。
ヨーロッパ戦線を戦いながら、日本への反攻準備を着々と整えていたのです。
一番の武器は大型空母でした。
真珠湾攻撃を見て空母の有効性を確認したアメリカは、大型空母(エセックス級と呼ばれるもので、第二次世界大戦中の最強の空母)の建造を大幅に増やしたのです。
その結果、アメリカが終戦までの間に18隻ものエセックス級空母を就役させたのに対し、日本が戦争中に就役させて実戦に投入できた正規空母は1隻のみでした。
ちなみに開戦時、アメリカが保有していた中型以上の空母は7隻、日本は6隻でしたが、アメリカは大西洋にも空母を展開していたので、太平洋側では日本が優勢でした。
しかし僅か3年で大逆転しました。
昭和19年(1944)6月に行われたマリアナ沖海戦で、新型空母をずらりと揃えたアメリカの機動部隊の前に、日本の聯合艦隊は完敗を喫します。
その戦力差は最早圧倒的と言えるほど開いていました。
この戦いで大本営が掲げていた絶対国防圏が破られ、サイパン島が奪われました。
これは日本の命運を握られたとも言える事態でした。
というのも、サイパンからは大型爆撃機B-29が直接日本を空襲することが可能だったからです。
この時、国務大臣でもあった岸信介(戦後、首相になる)らは
「本土爆撃が繰り返されれば必要な軍需を生産出来ず、軍需次官としての責任を全う出来ないから講和すべし」
と首相の東條英機に進言しました。
東條は
「ならば辞職せよ」
と言いましたが、岸は断固拒絶しました。
東條の腹心だった東京憲兵隊長が岸の私邸を訪れ、軍刀をがちゃつかせて恫喝しても岸は動じませんでした。
結果、閣内不一致となり、同年昭和19年(1944)7月、東條内閣はサイパン失陥の責任を取る形で総辞職となります。
現代でもメディアや文化人などが、東條英機をヒトラーやムッソリーニなどの独裁者と同列に並べることがありますが、この一事を見てもそうではないことが分かります。
日本は戦争中であっても議院内閣制を堅持していたのです。
後の評論家の多くは、この時に不利な条件でも講和すべきだったと言いますが、既にこの時点ではアメリカは無条件降伏に近いものしか認めなかったでしょうし、大本営と陸軍がそれを呑んだとは考えられません。
つまるところ、行き着く所まで行く運命にあったと言えるのです。

神風特攻隊
日本は中国大陸での戦いでは常に優勢でしたが、昭和19年(1944)秋の時点で、アメリカを相手にした太平洋での戦いは最早絶望的でした。
聯合艦隊はほとんどの空母を失っており、強大な空母部隊を擁するアメリカ艦隊に対抗できる力などあるはずもなかったのですが、それでも降伏しない限りは戦い続けなくてはなりませんでした。
同年昭和19年(1944)10月、日本はフィリピンでアメリカ軍を迎え撃ちます。
追い詰められた日本海軍は、人類史上初めて航空機による自爆攻撃を作戦として行いました。
神風特攻隊です。
神風特攻隊は最初はフィリピンでの戦いの限定的作戦でしたが、予想外の戦果を挙げたことから、なし崩し的に通常作戦の中に組み入れられました。
しかし陸海軍の必死の攻撃の甲斐も無く、フィリピンはアメリカに奪われ、日本陸軍兵士51万8000人が戦病死します。
フィリピンを奪われたことで、南方と日本を繋ぐシーレーンは完全に途絶え、遂に石油は1滴も入って来ない状態となりました。
もっともその前から護衛の無い日本の油槽船はアメリカの潜水艦の餌食となっていて、昭和19年(1944)には、インドネシアから国内へ送られた原油は僅か79万リットルでした(戦前、アメリカから輸入していた原油は年間500万リットル)。
最早戦争どころか国民生活さえ維持できない状況となっていたのです。
翌昭和20年(1945)、アメリカ軍は遂に沖縄にやってきました。
日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に7万以上の兵士を配置しました。
更に陸軍と海軍合わせて約2000機の特攻機が出撃しました。
また聯合艦隊で唯一残った戦力と言える戦艦大和も出撃しましたが、延べ400機近いアメリカ空母艦載機の攻撃により、坊ノ岬沖であえなく沈められました。
戦後の今日、
「日本は沖縄を捨て石にした」
と言う人がいますが、これは完全な誤りです。
日本は、沖縄を守るために最後の力を振り絞って戦ったのです。
もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空及び本土決戦のために温存したでしょう。
沖縄は不幸なことに地上戦となり、約9万4000人もの民間人が亡くなりました。
沖縄出身の兵士は2万8000人以上がなくなっていますが、沖縄以外の出身の兵士も約6万6000人が亡くなっています。
決して沖縄を捨て石になどしていなかったのです。

悪魔の如きアメリカ軍
アメリカ軍は沖縄を攻略する前に、昭和20年(1945)3月に東京大空襲を行っています。
これはアメリカが日本の戦意を挫くために、一般市民の大量虐殺を狙って行われたものでした。
この作戦を成功させるために、アメリカ軍は関東大震災や江戸時代の明暦の大火についてまで調べ、どこを燃やせば日本人を効果的に焼き殺せるかを事前に研究し尽くして、空襲場所を浅草区、深川区、本所区などを中心とする民家密集地帯に決めました。
またどのような焼夷弾が有効かを確かめるために、ユタ州の砂漠に日本の民家を建てて作り、実験まで行っています。
その家の中には、ハワイから呼び寄せた日系人の職人に、布団、畳、障子、卓袱台までしつらえさせるという徹底ぶりでした。
そしてサイパン基地から300機のB-29に爆弾を積めるだけ積んで出撃し(そのため機銃まで降ろしていた)、昭和20年(1945)3月9日の深夜から10日の未明にかけて、2000メートルという低空から東京都民に爆弾の雨を降らせたのです。
その結果、一夜にして老人、女性、子供などの非戦闘員が10万人以上殺されました。
これはハーグ陸戦条約に違反した明白な戦争犯罪行為です。
昭和20年(1945)5月にドイツが無条件降伏し、世界を相手に戦っているのは日本のみとなりました。
東京はその後も何度か大空襲に遭い、全土が焼け野原となりました。
アメリカ軍は昭和20年(1945)5月に東京を爆撃目標リストから外したほどです。
被害に遭ったのは東京だけではありません。
大阪、名古屋、福岡など、日本の主要都市は軒並み焦土にされ、全国の道府県、430の市町村が空襲に遭いました。
アメリカ軍の戦闘機は逃げ惑う市民を、動物をハンティングするように銃撃しました。
空襲による死者数は、調査によってバラツキがありますが、数十万人と言われています。
アメリカ軍による最も残虐な空襲は、昭和20年(1945)8月に、広島と長崎に落とした2発の原子爆弾(原爆)でした。
これも無辜の一般市民の大量虐殺を意図したもので、明白な戦争犯罪です。
この時点では日本の降伏は目前だったにもかかわらず、人類史上最悪の非道な行為に及んだことは許し難いものがあります。
しかし今もアメリカ人の多くは
「原爆投下は正しかった」
と考えています。
その理由は原爆のお陰で戦争が早期に集結し、多くのアメリカ兵の命が救われたからというものです。
実に利己的な考え方ですが、広島と長崎に原爆を投下した本当の目的はそれではありません。
もし原爆の威力を見せつけることで日本に戦争終結を迫りたいなら、人口密集地に投下しなくてもよかったはずですし、仮に都市に投下するなら事前に告知して住民が退避する時間を与えるということも出来たはずです。
これは何も私の考えではありません。
実際に、アメリカ国内で原爆の関係者(原爆に関する諮問機関である暫定委員会のメンバー)が政府に提言していた内容です。
しかし残念なことに、それらの提言は取り上げられることはなく、広島と長崎に原爆は投下されました(長崎は当初の目的地である小倉上空が雲で覆われていたため、第2候補地であった長崎に投下された)。
原爆投下の目的の第1は、原爆の効果を知るためであったと言っていいでしょう。
その根拠は、原爆投下候補地には通常の空爆を行っていなかったことが挙げられます。
ちなみに京都がほとんど空襲されなかったのも候補地の1つであったからです。
アメリカ軍が文化財を守るため、京都、奈良などの古都を空爆しなかったという話がありますが、これは完全な誤りです。
この誤解に便乗し、中国人の建築家がアメリカに対して
「京都、奈良を空爆しないように進言した」
という話がありますが、これは悪質な捏造です。
何より忘れてはならないのは、原爆投下には有色人種に対する差別が根底に見えるということです。
仮にドイツが徹底抗戦していたとしても、アメリカはドイツには落とさなかったでしょう。
大東亜戦争が始まった途端、アメリカは約8割の日系アメリカ人(アメリカ市民)の財産を剥奪し、強制キャンプに送りましたが、第二次世界大戦中もドイツ系アメリカ人に対しては特に制約をしていません(ナチスへの協力者は除く)。
昭和19年(1944)9月にニューヨークのハイドパークで行われたルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の
「核に関する秘密協定」
において、原爆はドイツではなく、日本へ投下することを確認し合っています。
原爆投下のもう1つの目的は、ソ連に対しての示威行為です。
アメリカは戦後の対ソ外交を有利に運ぶために原爆投下を昭和20年(1945)の5月には決定していました。
原爆はソ連に対して何よりの軍事的威圧になると見ていたからです。
2発目の原爆が落とされた昭和20年(1945)8月9日、ソ連が
「日ソ中立条約」
を破って参戦しました。
最早日本が戦争を継続するのは不可能でした。
5日後の昭和20年(1945)8月14日、日本は
「ポツダム宣言」
を受諾すると連合軍に通達します。
ここに日本が3年9カ月戦った大東亜戦争の終わりが決定しました(同時に8年続いた支那事変も終結)。
古代以来、1度も敗れることがなかった日本にとって初めての敗北でした。
同時に、16世紀より続いていた欧米列強による植民地支配を跳ね返し、唯一独立を保った最後の有色人種が、遂に白人種に屈した瞬間でもありました。

「大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争だった」
と言う人がいますが、この見方は誤りです。
というより、正確な意味での侵略ではありません。
日本は中国以外のアジア諸国とは戦争をしていないからです。
日本が戦った相手は、フィリピンを植民地としていたアメリカであり、ベトナムとカンボジアとラオスを植民地としていたフランスであり、インドネシアを植民地としていたオランダであり、マレーシアとシンガポールとビルマを植民地としていたイギリスでした。
日本が
「大東亜共栄圏」
という理想を抱いていたのは確かです。
「大東亜共栄圏」
とは、日本を指導者として、欧米諸国をアジアから排斥し、中華民国、満州、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ビルマ、インドを含む広域の政治的・経済的な共存共栄を図る政策でした。
昭和18年(1943)には東京で、中華民国、満州国、インド、フィリピン、タイ、ビルマの国家的有力者を招いて
「大東亜会議」
を開催しています。
また同年昭和18年(1943)8月1日にビルマを、昭和18年(1943)10月14日にフィリピンの独立を承認しています(ただし、アメリカとイギリスは認めなかった)。
残念ながら日本の敗戦により、
「大東亜共栄圏」
が実現されることはありませんでしたが、戦後、アメリカやイギリスなど旧宗主国は再びアジアの国々を支配することはできず、アジア諸国の多くが独立を果たしました。
この世界史上における画期的な事実を踏まえることなく、短絡的に
「日本はアジアを侵略した」
と言うのは典型的な自虐史観による見方です。

日本国憲法
昭和20年(1945)8月、アメリカ軍を主力とする連合国軍が日本の占領を開始しました。
連合国軍とは言っても実質的にはアメリカ軍による単独占領で、ダグラス・マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters。以下GHQと表記)が東京に置かれました。
占領政策は狡猾で、表向きはGHQの指令・勧告によって日本政府が政治を行う間接統治の形式を取りましたが、重要な事項に関する権限はほとんど与えませんでした。
GHQの最大目的は、日本を2度とアメリカに刃向かえない国に改造することでした。
そこで、明治以降、日本人が苦心して作り上げた政治の仕組みを解体し、憲法を作り替えることに着手しました。
同年昭和20年(1945)10月、GHQは日本政府に対し、大日本帝国憲法を改正して新憲法を作るように指示します。
これは実質的には大日本帝国憲法破棄の命令に近いものでした。
幣原喜重郎内閣は改正の草案を作りましたが、発表前に毎日新聞社に内容をスクープされてしまいます。
草案の中に
「天皇の統治権」
を認める条文があるのを見たマッカーサーは不快感を示し、GHQの民生局に独自の憲法草案の作成を命じました。
もちろんこの時、
「戦争放棄条項」
がマッカーサーの念頭にあったことは言うまでもありません。
ハリー・S・トルーマン政権の方針に基づいて民生局のメンバー25人が都内の図書館で、アメリカの独立宣言やドイツのワイマール憲法、ソ連のスターン憲法などを参考にして草案をまとめあげました。
中にはほとんど丸写しという文章もありました。
メンバーの中に憲法学を修めた人は1人もいませんでした。
しかし驚いたことに、そんな彼らが1国の憲法の草案を僅か9日で作ったのです(日数については諸説あり、最短6日という説もある)。
本来、憲法というものは、その国の持つ伝統、国家観、歴史観、宗教観を含む多くの価値観が色濃く反映されたものであって然るべきです。
ところが日本国憲法には、第1条に
「天皇」
のことが書かれている以外、日本らしさを感じさせる条文はほぼありません。
しかもこのようにして作られた憲法には、今日まで議論の的になっている条項、いわゆる
「9条」
があります。
それは次の2項から成っています。
「(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
「(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
いわゆる
「戦争放棄」
として知られるこの条項は、マッカーサーの強い意向で盛り込まれたものでしたが、さすがに民生局のメンバーからも、
「憲法にこんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではないか」
と反対する声が上がったと言われています。
そのため、
「前項の目的を達するため」
という文言が追加され(芦田修正)、自衛のために戦力を保持することが出来るという解釈を可能とする条文に修正されましたが、日本人の自衛の権利すら封じる旨を謳っていることには変わりがありませんでした。
GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押し付けました。
内閣は大いに動揺しますが、草案を吞まなければ天皇の戦争責任追及に及ぶであろうことは誰もが容易に推測できました。
現代においても、日本国憲法はGHQから押し付けられたものではないと主張する日本の野党政治家及びリベラルの学者や文化人は少なくありませんが、GHQが残した多くの資料がそれを否定しています。
例えば、江藤淳はメリーランド州スートランドにあるアメリカ国立公文書館分室から、GHQのG-2(参謀第2部)の指揮下にあったCCD(民間検閲支隊)が昭和21年(1946)11月25日に出した検閲指針(A Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions,dated 25 November,1946,The National Records Center,資料番号 RG 331, Box No.8568)を見付けています。
それはGHQが新聞や映画などで削除または発行禁止処分の対象となる項目を略説したものですが、その中の(三)に、以下の文章があります。
「SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers:連合国軍最高司令官つまりマッカーサー)が憲法を起草したことに対する批判」
つまりGHQ自らが、日本国憲法を起草したのはマッカーサー(及び部下たち)であるとはっきりと書いているのです。
しかもそのことに対する批判は削除または発行禁止処分になるとまで言っています。
後にマッカーサーは
「9条を提案したのは幣原喜重郎首相だ」
と言い出し、幣原喜重郎自身も
「戦争放棄9条をマッカーサーに進言した」
という意味のことを言っています。
つまり9条はマッカーサーと幣原喜重郎の秘密会談で生まれたということですが、それはあり得ません。
何故なら、日本の非武装はトルーマン政権及びマッカーサーの断固とした意思であり、
「戦争放棄」
についてはマッカーサーが民政局長に手渡したとされる指示ノートに残されています。
マッカーサーは昭和28年(1953)の談話の中で次のように語っています。
「占領軍が撤退し、日本人の思い通りになる状況が生まれた途端に、彼らは押し付けられた憲法を捨て去ろうとするだろう」
「これほど確かなことはない」
(ジョージ・H・ブレイクスリー『極東委員会ー国際協力の研究』より)
つまりマッカーサーは日本人に
「憲法9条は押し付けられたものではない」
というイメージを植え付けておくことが大事だったのです。
ただ、幣原喜重郎がマッカーサーに9条のアイデアを語った可能性はあります。
昭和26年(1951)に、幣原喜重郎の元秘書官で当時衆議院議員だった平野三郎の質問に答えて語っている中に、戦争放棄に関する狂信的とも言える考えが吐露されているからです。
その一部を紹介しましょう。
「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である」
(中略)
「要するに世界は今1人の狂人を必要としているということである」
「何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことが出来ないのである」
「これは素晴らしい狂人である」
「世界史の扉を開く狂人である」
「その歴史的使命を日本が果たすのだ」
(『平野文書』より)
幣原喜重郎の言葉は、憲法9条が絶対的正義であるとする現代の護憲派の人たちの考え方と酷似しています。
この時、平野が
「軍隊のない丸裸の所へ敵が攻めて来たら、どうするという訳なのですか」
と訊いていますが、幣原喜重郎の答えは
「死中に活」
というものでした。
意味が分からない平野が重ねて問うと、幣原喜重郎はこう答えています。
「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」
ここには既に論理はありません。
敢えて言うならば、宗教的な妄想に近い考えになっています。
侵略国家に対して、自衛の力を持たない国家や民族がどのような悲惨な運命を辿って来たかは、世界史を繙けば一目瞭然です。
そもそも幣原喜重郎という人物は、かつてワシントン会議においてアメリカの策略に乗って日英同盟を破棄して名ばかりの
「四カ国条約」
を締結した張本人であり、満州や中国で日本人居留民が中国人から度々嫌がらせを受けても、
「自重するように」
と言い続けた外相(当時)です。
恐らく若い頃から、戦争を忌避すれば平和が訪れるという思想の持ち主だったのかもしれません。
それで前述したようにマッカーサーとの会談で、そうした話をした可能性はあります。
しかし繰り返しますが、日本の戦争放棄はアメリカの既定路線でした。
新憲法は、手続き上は大日本帝国憲法を改正する形式を取り、衆議院と貴族院で修正可決された後、日本国憲法として昭和21年(1946)11月3日に公布され、翌年昭和22年(1947)5月3日に施行されました。
ここで、絶対に知っておいて頂きたい事があります。
アメリカを含む世界44カ国が調印している
「ハーグ陸戦条約」
には、
「占領国は占領地の現行法を尊重する」
と書かれています。
つまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、明確に国際条約違反なのです。
ちなみに西ドイツも日本と同じように連合国によって強引に憲法を押し付けられています。
しかしそこには決定的とも言える違いがあります。
ドイツへ押し付けた憲法には
「交戦権」
を奪っていないことです。
そこには日本あるいは有色人種に対する明確な差別意識が窺えます。
第二次世界大戦中も、アメリカは日系移民(国籍はアメリカ市民)の私有財産を奪った上、強制収容所に送りましたが、ドイツ系やイタリア系の移民に対してはそんな事は一切行っていません。
この時、日系移民の若者(男子)たちは、アメリカに対する忠誠を誓うため、軍に志願してヨーロッパ戦線で戦いました。
日系アメリカ人2世が主力の
「442連隊戦闘団」
連合国軍の中で最も勇敢な部隊として知られ、アメリカ合衆国史上最も多くの勲章を受けました。
しかしその死傷率は300パーセントを超えるものでした(連隊の定員の3倍以上の死傷者を生んだ)。
その凄まじい数字を見ただけで、彼らの多くはアメリカで生まれ育ちましたが、日本の侍の心を持った男たちでした。
そして彼らはその合言葉
「Go for broke!」(当たって砕けろ!)
と共に、文字通りその命を懸けて、アメリカに日本人の素晴らしさを示したのです。
後にトルーマン大統領が
「諸君は敵のみならず、偏見とも戦って、勝利した」
とい言葉を贈りましたが、「もって瞑すべし:(宿願を果たして)それで安心して死ぬことができる」と思います。

前述したように
「日本国憲法」
はGHQの恫喝によって押し付けられました。
当時の日本政府には、これを拒否する力はありませんでした。
具体的に言えば、その日は昭和21年(1946)2月13日です。
この日の午前10時、外務大臣官邸を訪れたGHQ民生局のホイットニー准将らが外務大臣の吉田茂と国務大臣の松本烝治と終戦連絡事務局参与の白洲次郎らに、
「日本国憲法」
と題された草案を渡し、
「これはマッカーサーが日本の事情が必要としている諸原理を具現すべきものとしている」
と言いました。
そして
「君たちが草案を読んでいる間、我々は退席する」
と言って部屋を出ました。
3人はGHQが憲法草案を作っていたことにも驚きましたが、その内容を読んで愕然とします。
そこには
「戦力の保持は認めない」
「土地は国有とする」
「議会は一院制にする」
といった衝撃の内容が数々含まれていたからです。
(「土地の国有化」や「一院制」に関しては日本側の要望で削除されたが、それらはGHQも織り込み済みで、敢えていくつかそうした取引材料を入れていたとされる)
この時、白洲次郎が庭に出ていたホイットニー准将をつかまえると、彼は白洲次郎に向かってこう言いました。
「原子力(アトミック・エナジー)の暖かさをエンジョイしていたよ」(We have been enjoying your atomic sunshine.)
太陽の熱をわざと原子力(atomic)と表現したのは、白洲次郎に原子力爆弾を連想させる意図に他なりません。
更にこの時間帯に合わせて、東京上空に爆撃機B-25を飛ばせていたのです。
これは余りにもあからさまな恫喝です。
白洲次郎は
「血が逆流する思いであった」
と述べています。
部屋に戻ったホイットニーは、吉田らに対して
「この草案が受け入れられれば、天皇の地位は安泰になるだろう」
と言いました。
つまり言い換えれば、拒否すれば天皇の命も保証できないというものです。
日本は草案を呑む以外に道はありませんでした。
これは屈辱の歴史です。
ところがその憲法を私たちは70年以上経った今も改正していませんが、実はこれは世界の中でも極めて異常なことです。
憲法は絶対不変なものではなく、時代に合わせて必要なものを付け加え、不要なものは削除するというのは世界の常識です。
ちなみに第二次世界大戦後、令和2年(2020)の時点で、アメリカは6回、フランスは27回、イタリアは16回、韓国は9回、憲法を改正しています。
ソ連や中国といった共産主義国でさえ何度も改正しています。
日本と同じく連合国軍によって憲法を押し付けられたドイツは65回も改正しています。
しかし日本は押し付けられた憲法をまるで聖典のように扱い、一字一句変えることなく、現代に至っているのです。
最早非占領国ではなく、連合国軍が統治する国ではないにもかかわらずです。

教職追放
GHQの行った思想弾圧で、後の日本に最も大きな影響を与えたのは
「教職追放」
でした。
GHQは占領直後から、帝国大学で指導的立場にあった教授(多くは愛国者や保守的な思想の持ち主)、あるいはGHQの政策に批判的な教授を次々に追放しました。
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
を日本人に完全に植え付けるためには、教育界を押さえる必要があると考えたからです。
代わってGHQが指名した人物を帝国大学に入れましたが、その多くは戦前に共産党員であったり、無政府主義的な論文を書いたりして大学から処分された人たちでした。
戦前、
「森戸事件」(東京大学の森戸辰男が無政府主義の宣伝をした事件)
に関係して東京大学を辞めさせられた大内兵衛(戦後、東京大学に復帰、後、法政大学総長)、戦前、無政府主義的な講演をして京都大学を辞めさせられた(滝川事件)滝川幸辰(戦後、京都大学総長)など、多くの者がGHQの後ろ盾を得て、結果的に
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
の推進者となり、東大、京大を含む有名大学を支配していくことになります。
一方、追放を免れた者も、これ以降はGHQの政策に批判的な事を口にしなくなったばかりか、帝国大学においては、共産主義に阿る教授や社会主義者に転向する者、変節する学者が続出しました。
特に酷かったのは東京帝国大学で、昭和21年(1946)、憲法学者の宮沢俊義は
「八月革命説」
を唱えて、日本国憲法(1946年11月3日に”公布”、1947年5月3日に”施行”)の正当性を論じました。
「八月革命説」
とは、簡単に言えば、
「ポツダム宣言の受諾によって、主権原理が天皇主権から国民主権へと革命的に変動したもので、日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではなく、日本国民が制定した憲法である」
という説です。
現在でも、この説は東大の憲法学の教授らによって引き継がれ、その教え子たちによって全国の大学の法学部に広く行き渡り、司法試験などの受験界では
「宮沢説」
が通説となっています。
また国際法学者として東京大学に君臨した横田喜三郎は、東京裁判の正当性を肯定しています。
もちろん彼の説も、その後、弟子たちによって東京大学及び全国の大学に脈々と継承されています。
余談ですが、横田はGHQによる占領中に
「天皇を否定する」
内容の本(『天皇制』)を書いて出版しました。
しかし後年、最高裁長官に任命され、勲一等旭日大綬章が貰えそうになった時、門下生に命じて神田の古書店で自著を買い集めさせ、証拠隠滅のために個人焚書したのです。
何とも恥知らずな話ですが、見方を変えれば、己の信念や研究成果をもって書いた学説ではなかったという証です。
憲法学者の宮沢俊義も、最初は、
「日本国憲法の制定は日本国民が自発的自主的に行ったものではない」
と主張していましたが、ある日突然、正反対の意見を言い出した学者です。
その変わり身の早さから、恐らくGHQの教職追放を目の当たりにして、慌てて転向したものと思われます(宮沢は戦前にも軍部に阿って主張を変えた過去がある)。
悲しいのは、その後、日本の憲法学界をリードする東京大学の法学部の教授たちが、その宮沢の学説を半世紀以上に渡って継承し続けているということです。
そして東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚を排出しています。
「自虐史観」
に染まった教授たち(一部は保身のためGHQに阿った)から
「日本国憲法は日本人が自主的に作った」
「東京裁判は正しい」
という教育を受けた人たちが、文部科学省や外務省の官僚になるということの方がむしろ、恐ろしいことです。
「教職追放」
は大学だけでなく、高校、中学、小学校でも行われました。
最終的に自主的な退職も含めて約12万人もの教職員が教育現場から去ったと言われています。
その多くが愛国心を隠さなかったり、保守的な考えを持ったりした者で、特に戦前の師範学校出身者が多かったとも言われています。
その結果、教育界は社会主義者が支配するようになり、昭和22年(1947)に生まれた日本教職員組合(日教組)は、完全に左翼系運動組織となりました。
後に日教組の書記長となり、30年に渡ってトップの座にあった槙枝元文は、当時、国交がなかった北朝鮮を何度も訪問し、金日成から勲章まで授けられています。
こうして戦後の日本の教育界は左翼系の人々に乗っ取られた形となったのです。

公職追放
GHQが次に行ったのが
「公職追放」(公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令)
です。
GHQにとって好ましからざる人物と判断した人たちを様々な職場から追放したのです。
対象者は、
「戦犯」

「職業軍人」
など7項目に該当する人物でしたが、GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となりました。
昭和21年(1946)、自由党総裁だった鳩山一郎は、首班(首相)指名を受ける直前に公職追放により政界から追放されました。
表向きの理由は昭和5年(1930)の
「統帥権干犯問題」
での鳩山の発言でしたが(軍部の暴走を助長することになったとされた)、本当の理由は別にあったと言われています。
鳩山は昭和20年(1945)、アメリカの原爆投下に批判的とも取れるインタビュー記事が朝日新聞に載ったことで、GHQから睨まれていたのです。
ちなみにこの時、朝日新聞は2日間の発行停止処分を受け、それ以降、朝日新聞はアメリカやGHQを批判する記事を一切書かなくなりました。
戦後初の総選挙で第1党となった政党の総裁さえ簡単に追放してしまうGHQの恐ろしさに、以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまいました。
また名称こそ
「公職追放」
となっていましたが、実際は公職だけでなく民間企業からも追放されました。
当時、日本は貧しく、ほとんどの人が食うや食わずの生活で、社会保障の制度もありません。
職を失うことは、まさしく死活問題でした。
政治家と言えども、その恐怖に怯えたのも無理はありません。
GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放しました。
それは言論人や文化人にも及びました。
菊池寛(作家、「文藝春秋」創刊者)、正力松太郎(読売新聞社社長)、円谷英二(映画監督)、山岡荘八(作家)などの著名人の他、無名の記者や編集者も多くいました。
代わりにGHQの指名によって入って来たのは、彼らの覚えめでたき人物たちでした。
これにより、多くの大学、新聞社、出版社に、
「自虐史観」
が浸透し、GHQの占領が終わった後も、そうした思想が徐々に一般国民に行き渡っていくことになります。
大学や新聞社で追放を免れた人たちの中にも、追放を恐れてGHQの政策に対して批判的な事を口にする者はいなくなりました。
GHQの公職追放はその後も財界、教育界、言論界と広い範囲で行われ、その数は約20万6000人に及びましたが、追放を担当したG-2(参謀第2部)だけで、それだけの人数を処理できるはずはありません。
追放に協力した日本人が多数いたことは間違いなく、彼らの多くは共産党員並びにそのシンパであったと言われています。
前述の教職追放の時も、同じ日本人同士の密告や讒訴(ざんそ: 他人を陥れようとして、事実を曲げて言い付けること)が頻繁にあり、そうした空気を嫌って多くの教員が自主的に職場を去っています。
また政治家の間でも、GHQを使って政敵を追い落としたケースがありました。
ちなみに前述の焚書にも、左翼系学者や言論人の協力があったことは言うまでもありません。
こうした事実を見ると、
「教職追放」

「公職追放」
は、単に思想的な問題だけではなく、日本人の誇りとモラルを破壊したものだったということが分かります。

公職追放及び教職追放は、GHQにとっても大きな誤算となりました。
GHQの後押しによってメディアと教育界に入り込んだ社会主義者や共産主義者たちが大きな勢力を持ち始めたからです。
一般企業でも労働組合が強くなり、全国各地で暴力を伴う労働争議が頻発しました。
これらはソ連の指示があったとも言われています。
更に昭和24年(1949)、中国共産党が国民党に勝利して共産主義国を樹立したことにより、日本の大学やメディアでもソ連や中華人民共和国を礼賛する傾向が強くなりました。
日本の共産化を恐れたGHQは、昭和25年(1950)、日本共産党の非合法化を示唆します。
その後、官公庁、大企業、教育機関などから、共産主義者及びそのシンパの追放を勧告しました(レッドパージ)。
これにより1万数千人以上の人が様々な職場から追放されましたが、それらはかつての公職追放や教職追放のような徹底したものではありませんでした。
大学では共産主義者及びそのシンパの追放はほとんど行われませんでした。
メディアも同様でした。
また国鉄(日本国有鉄道。その後、JR各社に分かれる)の巨大労働組織で長年に渡り国民の血税を貪り続けた国労(国鉄労働組合)などでは、共産主義者らが、共産主義に反対する人々を、逆に共産主義者だと名指しして解雇し、実権を握りました。
こうして共産主義的な思想は日本社会の至る所に深く根を降ろしていくことになります。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
GHQが行った対日占領政策の中で問題にしたいのが、日本国民に
「戦争責任」
を徹底的に伝える
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
でした。
分かり易く言えば、
「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」
です。
これは日本人の精神を粉々にし、2度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものでした。
「極東軍事裁判」(東京裁判)
もその1つと言えます。
そして、これらの施策は結果的に日本人の精神を見事に破壊しました。
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」
という言葉は、文芸評論家の江藤淳が昭和58年(1983)から月刊誌「諸君!」に連載した『閉ざされた空間』で使った呼称ですが、彼はGHQの内部文書から、占領軍がそうした意図を持っていたことを明らかにしました。
同連載は平成元年(1989)に書籍化されましたが、言論史を塗り替える画期的な本となりました。
その後、教育学者の高橋史郎や翻訳家の関野通夫らが多くの1次資料を発掘し、江藤の説を裏付けています。
同書が明らかにした事は紛れもない事実で、実際、昭和20年(1945)10月2日に発せられたGHQの一般命令書の中に、
「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在及び将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」
と明記されています。
GHQはその方針に従って、自分たちの意に添わぬ新聞や書物を発行した新聞社や出版社を厳しく処罰しました。
江藤がアメリカ国立公文書館分室で見付けた前述の文書には、禁止項目は全部で30もありました。
禁止事項の第1は
「GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部及び最高司令官)に対する批判」
です。
2番目は
「東京裁判に対する批判」、
3番目は
「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」
でした。
アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、その他の連合国に対する批判も禁じられていました。
更に何故か朝鮮人に対する批判も禁止事項に含まれていました。
占領軍兵士による犯罪の報道も禁じられ、またナショナリズムや大東亜共栄圏を評価すること、日本の戦争や戦犯を擁護することも禁じられました。
新聞や雑誌にこうした記事が載れば、全面的に書き換えを命じられました。
GHQの検閲は個人の手紙や電話にまで及びました。
進駐軍の残虐行為を手紙に書いたことで、逮捕された者もいます。
スターリン時代のソ連ほどではありませんでしたが、戦後の日本に言論の自由は全くありませんでした。
こうした厳しい検閲を、日本語が堪能でないGHQのメンバーだけで行えたはずがありません。
多くの日本人協力者がいたことは公然の秘密でした。
一説には4000人の日本人が関わったと言われています。
更にGHQは戦前に出版されていた書物を7000点以上も焚書しました。
焚書とは、支配者や政府が自分たちの意に添わぬ、あるいは都合の悪い書物を焼却することで、最悪の文化破壊の1つです。
歴史上では秦の始皇帝とナチスが行った焚書が知られていますが、GHQの焚書も悪質さにおいてそれに勝るとも劣らないものでした。
驚くべきは、これに抵抗する者には警察力の行使が認められており、違反者には10年以下の懲役もしくは罰金という重罰が科せられていたことです。
もちろん、この焚書にも多くの日本人協力者がいました。
特に大きく関与したのは、日本政府から協力要請を受けた東京大学の文学部だと言われています。
東京大学の文学部内には戦犯調査のための委員会もあったとされていますが、この問題を占領の終了後もマスメディアが全く取り上げようとしないのは実に不可解です。
検閲や焚書を含むこれらの言論弾圧は
「ポツダム宣言」
に違反する行為でした。
「ポツダム宣言」
の第10項には
「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権は確立されるべきである」
と記されています。
つまりGHQは明白な
「ポツダム宣言」
違反を犯しているにもかかわらず、当時の日本人は一言の抵抗すらできなかったのです。
「大東亜戦争」
という言葉も使用を禁止されました。
GHQは
「太平洋戦争」
という名称を使うよう命じ、出版物に
「大東亜戦争」
という言葉を使えば処罰されたのです。
これは事実認識の点で非常に問題のある措置でした。
というのも、日本政府が閣議決定した
「大東亜戦争」
という呼称は、日中戦争から対米戦、ポツダム宣言受諾までの一連の戦争の総称ですが、
「太平洋戦争」
と言うと、中国大陸や東南アジアでの戦いが含まれないことになります。
しかも、
「太平洋戦争」
という呼称は、世界史で言えば、19世紀終盤に南米で起きたボリビア、ペルー、チリの戦争を指すのが一般的です。
GHQが
「大東亜戦争」
という呼称を禁じたのは、日本が欧米諸国に支配されていたアジアの解放を謳う意味で使った
「大東亜共栄圏」
を構築するための戦争であったというイメージを払拭させるためです。
GHQはたとえ大義名分であったとしても
「アジアの解放」
のための戦争であったと言われるのを嫌ったのです。
この検閲は7年間続きましたが、この時の国民の恐怖が国民の心の中に深く残ったためか、現在でも、マスメディアは決して
「大東亜戦争」
とは表記せず、国民の多くにも
「大東亜戦争」
と言うのを躊躇する空気があります。
如何にGHQの検閲と処罰が恐ろしかったかが想像できます。

『眞相はかうだ』による洗脳
GHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
は新聞とラジオ放送によっても行われました。
昭和20年(1945)12月8日(この日は真珠湾攻撃からちょうど4年目の日)より、全国の新聞に
「太平洋戦争史」
というタイトルでGHQによる宣伝工作記事が連載され、その翌日からNHKラジオで
『眞相はかうだ』
という番組の放送が始まりました。
いずれも大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたもので、国民は初めて知らされる
「真相」
に驚きました。
新聞連載もラジオ放送も、その目的は日本国民に
「太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった」
ということを徹底的に刷り込むためのものでした。
『眞相はかうだ』
はGHQが全て台本を書いており(そのことは国民に知らされていなかった)、放送される内容も占領政策に都合のいいものでした。
GHQは翌年昭和21年(1946)も
『眞相箱』
『質問箱』
というタイトルで、約1年に渡り洗脳番組を放送し続けました(依然、GHQが制作していることは伏せられていた)。
GHQが巧妙だったのは、番組の中に時折、日本人の良い面を織り交ぜたことでした。
そうすることで内容に真実味を持たせたのです。
しかし戦前の政府や軍を批判する内容には、多くの虚偽が含まれていました。
当時も、これらの番組内容は真実ではないのではないかと疑義を抱く人はいました。
ところが、彼らが声を上げても、そうした記事は
「占領政策全般に対する破壊的批判」
と見做され、全文削除されていたのです。
かくの如く言論を完全に統制され、ラジオ放送によって(当時はインターネットもテレビもない)洗脳プログラムを流され続ければ、国民が
「戦前の日本」
を徹底的に否定し嫌悪するようになるのも無理からぬことです。
ただ、何より恐ろしいのは、この洗脳の深さです。
GHQの占領は7年間でしたが、それが終わって70年以上経った現在でも、
「歴史教科書」
などの影響もあり、多くの日本人が
「戦前の政府と軍部は最悪」
な存在で、
「大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」
と無条件に思い込んでいます。
もちろん戦前の政府や軍部に過ちはありました。
しかし連合国にも過ちはあり、また大東亜戦争は決していわゆる
「侵略戦争」
ではありませんでした。
繰り返しますが、日本には中国を占領する意思はなく(人口と領土を考えても不可能であるし、またそうした作戦は取っていない)、またそれ以外のアジアの人々と戦争をしたわけではありません。
戦後、日本は僅か数年占領下においたアジア諸国に賠償金を支払いましたが、その国々を数十年から300年に渡って支配していたオランダ、イギリス、フランス、アメリカは、賠償金など一切払っていないばかりか、植民地支配を責められることも、少数の例を除いてはほとんどありません。
それは何故かー日本だけが誠意をもって謝罪したからです。
日本人には、自らの非を認めるにやぶさかでない、むしろ非を進んで認めることを潔しとする特有の性格があります。
他の国の人々と違って、謝罪を厭わないのです。
こうした民族性があるところへ、GHQの
「WGIP:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(英語:War Guilt Information Program)
によって贖罪意識を強く植え付けられたことで、当然のようにアジア諸国に深い謝罪の意を表したのです(もちろん連合国が謝罪させた面もある)。

現代においても歴史学者や評論家の中には
「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)など存在しない」
「WGIPは妄想の産物」
と断定する人が少なくありません。
しかしWGIPは陰謀論ではなく、厳然と存在するものです。
なぜならGHQの公式文書には、
「日本人にWGIPを植え付ける」
という文言が入った書類が多数残されているからです。
例えば、GHQの民間情報教育局(CIE)が昭和23年(1948)3月3日に出した文書のタイトルは、そのものずばり
「WGIPについて」
です。
そこには次のような文章があります。
「その任務を果たすためにCIEは1945年10月から1946年6月までの期間に第1段階のWGIPを開始した」
「このプログラムは日本の全ての公衆情報メディア、即ち新聞、書籍、雑誌、ラジオ、映画を通じて実施された」
(有馬哲夫著『日本人はなぜ自虐的になったのか』より)
ここにはGHQ自身がはっきりとWGIPを開始したと書いています。
これほど明白な証拠はありません。
これはあくまで一例で、GHQが日本人にWGIPを植え付けようとしていたことが書かれている文書はいくらでも残っています。
WGIPを否定する人たちは、こうした1次資料を無視します。
あるいは
「ウォー・ギルトとは『戦争の有罪性』を説くもの」
という風に論理の摩り替えを行います。
ところで、このGHQの文書で注目すべきは、
「日本の全ての公衆情報メディア、即ち新聞、書籍、雑誌、ラジオ、映画を通じて実施された」
というくだりです。
実はWGIPを試みたのはGHQですが、その後、それを積極的に推し進めたのは、他ならぬ私たちの国のメディアだったのです。
更にそれを後押しした組織に
「教育界」
があります。
教職追放の後、大学やその他の教育機関にGHQに阿る教授や教諭が大量に入り、若者や子供たちに自虐思想を植え付けていきました。
メディアと教育による
「洗脳工作」
は、連合軍の占領期間中に弛まず行われました。
その結果、日本の若年層の間に、過剰に自己を否定する、いわゆる自虐史観が蔓延していきました。
そして後に彼らの中から、
「君が代」

「日の丸」
を否定する人々が大量に生まれました。
実に悔しいながら、日本人をマインドコントロールするGHQの占領政策は見事に成功したと言わざるを得ません。
ちなみに戦後、GHQに最も忠実な報道機関となったのが朝日新聞と毎日新聞です。
特に朝日新聞は自ら進んでGHQの政策を肯定し、マッカーサーを称賛しました。
昭和26年(1951)に彼が連合国軍最高司令官を解任され、アメリカに帰国する際にはこう書きました。
「我々に民主主義、平和主義の良さを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった」(昭和26年【1951】4月12日)
まるで毛沢東か金日成を礼賛する共産主義国の機関紙のようです。
呆れたことに、この時、マッカーサーを顕彰する
「マッカーサー記念館」
を作ろうという提案がなされ、その発起人に当時の朝日新聞社長の長谷部忠が名を連ねています(毎日新聞社社長、本田親男の名前もある)。
朝日新聞社や毎日新聞社にとって、ダグラス・マッカーサーはそれほど偉大な人物であったということでしょう。

「ポツダム宣言受諾」
は、昭和20年(1945)8月9日の御前会議で決定されました。
場所は宮中御文庫附属庫の地下10メートルの防空壕内の15坪ほどの一室でした。
時刻は午後11時50分。
列席者は鈴木貫太郎首相、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、枢密院議長の7人でした(他に陪席4人)。
司会の首相を除く6人は、
「ポツダム宣言受諾派」(外務大臣・海軍大臣・枢密院議長)

「徹底抗戦派」(陸軍大臣・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長)
の真っ二つに分かれました。
日本政府が
「ポツダム宣言」
を受諾すれば、昭和天皇は戦犯として処刑される可能性もありましたが、会議中、昭和天皇は一切発言しませんでした。
時に昭和天皇は44歳でした。
昭和天皇は、その生涯に渡って、
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という姿勢を貫いていました。
「親裁」
とは、君主自らが政治的な採決を下すことです。
従って国民が選んだ内閣の決定には口を挟まないという原則を自らに課していたのです。
それを行えば専制君主となり、日本は立憲国ではなくなるという考えを持っていたからです。
昭和3年(1928)の
「張作霖爆殺」
に関する田中義一首相の報告に対して不満を述べたことで内閣が総辞職したことを反省し、以後は
「拒否権」
も含めて、
「親裁」(君主自らが政治的な採決を下すこと)
は行いませんでした。
唯一の例外が、軍事クーデターである
「2・26事件」
の際に制圧せよと命じた時です。
大東亜戦争の開戦には反対だったにもかかわらず(開戦回避のため、水面下で努力していた)、開戦が決まった御前会議においては、内閣の決定に対して一言も異議を唱えませんでした。
「ポツダム宣言」
を巡っての会議は、
「徹底抗戦派」

「ポツダム宣言受諾派」
が共に譲らず、完全に膠着状態になりました。
日付が変わって昭和20年(1945)8月10日の午前2時を過ぎた頃、司会の鈴木貫太郎首相が、
「事態は一刻の遷延も許されません」
「誠に畏れ多いことながら、陛下の思し召しをお伺いして、意見をまとめたいと思います」
と言いました。
ずっと沈黙を守っていた昭和天皇は、
「それならば、自分の意見を言おう」
と、初めて口を開きました。
一同が緊張して見守る中、昭和天皇は言いました。
「自分は外務大臣の意見に賛成できる」
日本の敗戦が決まった瞬間でした。
恐ろしいまでの静寂の後、部屋にいた全員がすすり泣き、やがてそれは号泣に変わりました。
薄暗い地下壕で、11人の男たちが号泣する中、昭和天皇は絞り出すような声で言いました。
「大東亜戦争が始まってから陸海軍のしてきた事を見ると、予定と結果が大いに違う」
「今も陸軍大臣、陸軍参謀長と海軍軍令部総長は本土決戦で勝つ自信があると言っているが、自分は心配している」
「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまうのではないか」
「そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来ようか」
「自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を子孫に伝えることである」
「今日となっては、1人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人たちが将来再び起ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う」
「そのためなら、自分はどうなっても構わない」
この時の御前会議の様子は、陪席した迫水久常書記官長(現在の内閣官房長官)が戦後に詳細を語ったテープが残っています(国立国会図書館所蔵)。
この録音を文字起こしした文章を読めば、当夜の異様な緊迫感がこれ以上はないくらいの臨場感をもって迫ってきます。
日本政府はその日昭和20年(1945)8月10日の朝、連合国軍に
「ポツダム宣言受諾」
を伝えますが、この時、
「国体護持」(天皇を中心とした秩序【政体】の護持)
を条件に付けました。
連合国軍からの回答は昭和20年(1945)8月13日に来ましたが、その中に
「国体護持」
を保証する文言がなかったため(昭和天皇の処刑の可能性もあった)、政府は昭和20年(1945)8月14日正午に再び御前会議を開きます。
この時の列席者は、昭和20年(1945)8月9日の時の7人に加え、全閣僚を含む計23人でした。
この席上で
「(陛下を守れないなら)本土決戦やむなし」
という声が上がりますが、昭和天皇は静かに立ち上がって言いました。
「私の意見は変わらない」
「私自身は如何になろうとも、国民の生命を助けたいと思う」
最早列席者一同は慟哭するのみでした。
そして昭和天皇は最後にこう言いました。
「これから日本は再建しなくてはならない」
「それは難しい事であり、時間も長くかかるだろうが、国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう」
「自分も国民と共に努力する」
(迫水久常内閣書記官長の証言録より)
同日昭和20年(1945)8月14日、
「ポツダム宣言受諾」
は閣議決定され、午後11時、連合国側へ通達されました。
こうして大東亜戦争は終結しました。
この歴史的な出来事の経緯と昭和天皇のお言葉が、今日、文科省が選定したどの歴史教科書にも書かれていないのは不可解としか言いようがありません。
従ってこの事を知っている日本人はほとんどいないのが実情です。
しかし、日本人であるならば、この事は永久に忘れてはならない事だと思います。

戦後、昭和天皇の戦争責任について様々な意見が出されてきました。
もちろん法的には責任は発生しませんが、この問題を語る前に、昭和天皇の政治に対するモットーについて述べたいと思います。
大日本帝国憲法の基本原則は、統治権は天皇が総覧( 全体に渡って目を通すこと)するが、実際の政治は政府が行うというものでした。
よって昭和天皇は、
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という政治姿勢を貫いていました。
つまり昭和天皇は立憲君主であって、専制君主ではなかったのです。
昭和天皇は御前会議の場でも基本的に閣僚たちの意見を聞いているだけで、自らの意見を口にすることはありませんでした。
戦争中も、軍部が天皇大権である
「統帥権」【大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権)】
を盾に、全ては天皇陛下の命令であるという体で国民を動かして戦争に突き進んだというのが実態でした。
昭和天皇がその生涯において、政治的な決断(親裁)を下したのは、2・26事件と終戦の時だけでした。
厳密に言えば、昭和3年(1928)の
「張作霖爆殺事件」
に対して不快感を露わにしたケースがありましたが、そのことで内閣が総辞職した結果を見て、昭和天皇は内閣の決定には拒否権を発動しない旨を自らに課していました(その後の昭和11年【1936】の「2・26事件」は軍の統帥権者として反乱軍の鎮圧を命じたもの)。
昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がアメリカ大使館でマッカーサーと初めて会談した時、マッカーサーは昭和天皇が命乞いをしに来たと思っていました。
ところが、そうではありませんでした。
昭和天皇はマッカーサーにこう言ったのです。
「私は、国民が戦争遂行に当たって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるためお訪ねした」
(『マッカーサー大戦回顧録』より)
この時、同行していた通訳がまとめた昭和天皇の発言のメモに、後日、藤田尚徳侍従長が目を通し、回想録に次のように記しています。
「陛下は次の意味のことを元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、色々の責任が追及されているが、責任は全て私にある』
『文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない』
『私の一身は、どうなろうと構わない』
『私はあなたにお任せする』
『この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』」
(『侍従長の回想』)
マッカーサーは昭和天皇のこの言葉に深い感銘を受けます。
「死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした」
「私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」
(『マッカーサー大戦回顧録』より)
この時の会談の際、車で訪問した昭和天皇をマッカーサーは出迎えませんでした。
昭和天皇は戦犯候補に挙げられていたので、これは当然でした。
しかし帰る時にはマッカーサーは昭和天皇を玄関まで見送りに出ています。
恐らく会談中に昭和天皇の人柄に感服したためだと思われます。
「君臨すれども親裁(君主自らが政治的な採決を下すこと)せず」
という存在でありながら、同時に日本の
「統治権の総攬者」
であった昭和天皇の戦争責任というテーマは、イデオロギーや政治的な立ち位置によって見方が変わり、また永久に結論が出ない問題ではあります。
「ご聖断」
が遅過ぎたという声もあります。
しかし、仮に半年前に天皇が終戦を決断したとしても、連合国、特にアメリカ政府がそれに同意する保証はなく、日本の陸軍がそれを呑むこともなかったと思われます。
昭和20年(1945)8月14日の時点でさえ、陸軍の中には、更なる犠牲を出しても本土決戦をすべきと主張する者が何人もいたのです。
余談ですが、戦争中、昭和天皇は1度も皇居から離れませんでした。
東京は何度もアメリカ軍の大空襲を受けており、周囲の者は疎開を勧めましたが、昭和天皇は
「目の前で君臣が次々と死んでいくのに、なぜ朕だけが疎開などできようか」
と言い、頑として拒否しました。
昭和天皇は死を覚悟していたのです。

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