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2019年11月14日時分 〜
コメント [政治・選挙・NHK267] 米国CIAとつながる日テレが、安倍おろしの決定打を放った:日本会議の傀儡・安倍氏はクビを洗って待つしかない!(新ベンチャー… 赤かぶ
38. 2019年11月14日 00:01:07 : XzoepxlvjU : ZXcuRGRZeWZ5VXc=[1]
虎ノ門ニュースでもやっていた!
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/330.html#c38
コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」中止で私物化問題の幕引き図るも新証拠続々! 安倍事務所がツアー案内、萩生田文科相も貸切バスで大量招… 赤かぶ
31. 赤かぶ[39996] kNSCqYLU 2019年11月14日 00:01:10 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30069]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/341.html#c31
コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」中止で私物化問題の幕引き図るも新証拠続々! 安倍事務所がツアー案内、萩生田文科相も貸切バスで大量招… 赤かぶ
32. 赤かぶ[39997] kNSCqYLU 2019年11月14日 00:01:59 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30070]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/341.html#c32
コメント [政治・選挙・NHK267] 公明・山口「野党も政権時は主催」民主党政権時を引き合いに出すが、問題はそこじゃない(まるこ姫の独り言) かさっこ地蔵
12. 2019年11月14日 00:02:28 : HkzdkP8Bv2 : N0suc0ZGNmkvTC4=[34]
>4
「私はモラルという防弾チョッキを着ている」

弁護士がゲリラになって政治家に転じたという経歴のフィデル・カストロ議長が居るぞ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/332.html#c12

コメント [経世済民133] 米国中央銀行=FRBという陰謀…大銀行と政府の既得権益を守る組織の正体(Business Journal) 赤かぶ
5. 2019年11月14日 00:05:08 : kepL5MmOP2 : dmFoaUkzQS9uVTY=[3]
ネルソン・オルドリッチの孫の一人はネルソン・ロックフェラーだが、ロバート・オルドリッチも孫の一人である。
よくこんな腐れ外道一族から気骨と反骨の映画監督が出てきたかと思う。
ハリウッド映画は好きでは無いがオルドリッチ監督は好きだ。
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/626.html#c5
コメント [カルト23] 中国は、ロシアに香港の治安維持を依頼し、鬼畜米英ラエルの狙いである人民軍は絶対に出さぬ事である。 ポスト米英時代
3. 2019年11月14日 00:05:59 : XzoepxlvjU : ZXcuRGRZeWZ5VXc=[2]
ポスト米英さんは中共のスパイですか?
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/364.html#c3
コメント [原発・フッ素52] 福島第一原発事故で発生した“汚染牧草” 南三陸町ですき込み開始 農家が保管 順次処理へ〈宮城〉 (仙台放送)  魑魅魍魎男
3. 2019年11月14日 00:16:01 : HkzdkP8Bv2 : N0suc0ZGNmkvTC4=[35]
処理出来ないので追い込まれた。永遠の管理を求められる。だから核発電は非現実的なのだ。

ついにばら撒く以外に無くなった。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/259.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK267] 首相事務所「桜を見る会」ツアー案内 関与否定は虚偽答弁(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 赤かぶ[39998] kNSCqYLU 2019年11月14日 00:19:51 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30071]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/342.html#c8
コメント [経世済民79] 竹中平蔵 「正社員は解雇が困難だから企業に負担かかる。だから首切り自由化する」(2ch) 会員番号4153番
112. 2019年11月14日 00:23:39 : wrCNAJuERM : M2hWQTI5ZXBMZ2c=[2]
竹中がクズなら正社員はゴミ!

こいつらはキチガイ。

アシュラ人民共和国国家社長
高木英YG大元帥

アシュラ人民共和国共和国国防相
山田ダベールYG元帥

アシュラ人民共和国人民軍参謀総長
日川義輝YG大将

アシュラ人民共和国国家貿易相
許政道大臣

アシュラ人民共和国人民保安内務相
松野ホエマツYG大将

アシュラ人民共和国国家社長府護衛局長
アホーガン少将

アシュラ人民共和国人民軍田代前衛軍
田代まさし中将

人民共和国人民軍田代前衛軍参謀長
山本圭一大佐

麾下の8個団体
アシュラ人民軍特殊空挺団
清原和博大佐

アシュラ人民軍野戦突撃団
高樹沙耶大佐

アシュラ人民軍青年突進団
英圭革大佐

アシュラ人民軍イタバシ親衛団
千柱革大佐

アシュラ人民軍中核前進団
洞口朋子大佐

アシュラ人民軍人民武装兵団
林守浩大佐

アシュラ人民軍日航闘争団
内田妙子大佐

アシュラ人民軍飛行電撃団
山口宏也大佐

アシュラ人民軍語学教育統制官
ヨンギュッス・タカギノエッチ・ヒデーリアン少将
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/341.html#c112

コメント [政治・選挙・NHK267] 与党は「桜を見る会」予算委集中審議に応じるべき(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
14. 赤かぶ[39999] kNSCqYLU 2019年11月14日 00:28:33 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30072]






http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/340.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK267] 首相事務所「桜を見る会」ツアー案内 関与否定は虚偽答弁(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 赤かぶ[40000] kNSCqYLU 2019年11月14日 00:29:56 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30073]






http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/342.html#c9
コメント [政治・選挙・NHK267] <問題あり、認めたも同然!>来年度の「桜を見る会」は中止 菅官房長官<野党の追及、効いてるゾ!> 赤かぶ
62. panbet37[2106] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2019年11月14日 00:32:06 : p3KJN4OyzU : MXJ2V3A2bXpZZVU=[11]
ついに、とどめの一発! 国賊、売国奴安倍晋三の最期が来た。嬉しいぞ。うれし涙で眼が潤んでくる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/331.html#c62
コメント [政治・選挙・NHK267] ペテン総理が報道内容をめぐって、「現場のデスクやキャップに電話で直接注文」をつけていた疑いが浮上!・・・メディアはなぜ… 赤かぶ
37. 2019年11月14日 00:32:41 : Xp0ZUIJBuw : cXhQOUw2aGI0eFk=[2]
父方 李氏朝鮮(代々ボンクラ) 拉致サギの横田早紀江は晋太郎の姉 横田めぐみは晋三の従妹
母方 維新で暗躍した武器商人グラバーの隠し子が倉場道三郎、そいつの隠し子が岸信介、そいつの隠し子が晋三の母である洋子(何だよ、この隠し子大会はw)

事実なら納得、日本破壊なんかヘッチャラでやれる
安倍家ほど愚かで腐った一族はいまい
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/321.html#c37

コメント [国際27] イラン、大規模油田発見 確認埋蔵量で世界3位か(時事通信) 赤かぶ
22. 2019年11月14日 00:40:30 : KmNOTg2HPw : VHp4alJHRms5ZkU=[16]
>21
勉強不足だな、秋田だって火山県だよ。

十和田湖、田沢湖はカルデラ湖だし、秋田駒ヶ岳、鳥海山、寒風山だってれっきとした火山だがね。
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/695.html#c22

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」中止で私物化問題の幕引き図るも新証拠続々! 安倍事務所がツアー案内、萩生田文科相も貸切バスで大量招… 赤かぶ
33. 2019年11月14日 00:53:48 : au9QuZhQVw : dU1CVUdxcjlHV1E=[3]
前夜祭パーティーの差額問題は是非徹底追及してもらいたい。総費用は幾らで、参加者が払った会費は幾らだったのか。その差額を埋めたのは誰なのか。差額の補填の出どころは何なのか。もし事務所が補填したなら、収支報告書に記載されていないのは何故なのか。官房機密費の不正利用も疑われる。まともな民主主義国家なら検察が動く所だが、この国は独裁国家なので検察にはまるで期待できない。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/341.html#c33
コメント [政治・選挙・NHK253] 人を小バカにしている安倍政治 65歳以上に職があるのか(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
54. 2019年11月14日 00:57:03 : wrCNAJuERM : M2hWQTI5ZXBMZ2c=[3]
日本社畜。痛い目に遭え。大卒になった吾輩は内田恭子に中野美奈子と佐々木恭子と滝川クリステルに高島彩。そして西尾由佳理に小野寺麻衣と水卜麻美に徳島えりかと岩本乃蒼と合コンできるようになった。

アシュラ人民共和国(Asyura People Republic)

人民共和国国家社長
高木英YG大元帥

人民共和国共和国国防相
山田ダベールYG元帥

人民軍参謀総長
日川義輝YG大将

人民共和国国家貿易相
許政道

人民共和国金融調達相
慎哲成

人民共和国人民保安内務相
松野ホエマツYG大将

人民共和国国家社長府護衛総局局長
アホーガン少将

共和国人民軍田代前衛軍
田代まさし中将

アシュラ人民軍田代前衛軍参謀長
山本圭壱主任大佐

麾下の9個団体
共和国人民軍特殊空挺団
清原和博大佐

共和国人民軍野戦突撃団
高樹沙耶大佐

共和国人民軍青年突進団
英圭革大佐

共和国民軍イタバシ親衛団
千柱革大佐

共和国人民軍中核前進団
洞口朋子大佐

共和国人民軍人民武装兵団
林守浩大佐

共和国人民軍日航闘争団
内田妙子大佐

共和国人民軍飛行電撃団
山口宏也大佐

共和国人民軍デンジャラス工兵偵察団
慎朝成大佐

共和国人民軍語学教育統制官
ヨンギュッス・タカギノエッチ・ヒデーリアン少将

http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/137.html#c54

コメント [政治・選挙・NHK267] <決定的な文書入手!>安倍事務所からの「桜を見る会の案内状と申込書」希望者は安倍事務所、担当秘書までと アウト!   赤かぶ
71. 前河[3193] kU@JzQ 2019年11月14日 01:08:02 : gEILUBiAMY : cXR1WkgzbmlvTEE=[80]

まあ、とにかく安倍は調子に乗り過ぎた。図に乗り過ぎたよ。

権力があれば何でも出来ると思ったんだろ。

支配者欲が強過ぎたな。

57の写真を見ても、中身もないのにひたらすらナルシストだとわかるポーズだよね。

ミュージカルならいいけどね。政治家のポーズじゃないな。バカみたいだ。

いい歳をしたおっさんが、万能感じゃあな……寒いだけだ。



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/324.html#c71

コメント [原発・フッ素52] 経産相「推進方針に変わりない」 核燃料サイクル政策巡り (共同)  魑魅魍魎男
4. 2019年11月14日 01:13:44 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[1698]
>>3
減容化のために再処理するというのは初耳だねwww

核燃サイクルが失敗に終わったので、またろくでもない
屁理屈を言い出したか。

どんな処理をしようと、放射性物質の総量は変わらない。
再処理により鞘に収まっていた放射性物質が大量に出てきて、
環境をひどく汚染する。

再処理化の目的はプルトニウムの抽出であって減容化ではない。

最初路はとんでもないコストがかかる。
六ヶ所村再処理施設の建設にいくら投じたか。
減容化のためにそんな金を払うわけがない。

劣化ウランにより米兵に深刻な被ばく被害が出ているのは
ご存知の通り。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/258.html#c4

コメント [原発・フッ素43] 東海村臨界事故から16年−−隠された被曝者たち    西岡昌紀 西岡昌紀
5. 2019年11月14日 01:25:54 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[1699]
>>4
事件の矮小化に必死だね。

強力な中性子線が出なければ、作業員2名も死ななかったはずだ。

「JCO臨界事故から20年 被ばく犠牲者は2人だけではないだろう」
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/173.html
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/880.html#c5

コメント [原発・フッ素52] 経産相「推進方針に変わりない」 核燃料サイクル政策巡り (共同)  魑魅魍魎男
5. 2019年11月14日 01:27:24 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[1700]
>>4
最初路 -> 再処理
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/258.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
1. 赤かぶ[40001] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:33:13 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30074]







http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
2. 赤かぶ[40002] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:35:40 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30075]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
3. 赤かぶ[40003] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:36:24 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30076]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
4. 赤かぶ[40004] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:37:29 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30077]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
5. 赤かぶ[40005] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:39:20 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30078]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
6. 赤かぶ[40006] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:40:15 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30079]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
7. 赤かぶ[40007] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:42:36 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30080]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c7
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
8. 赤かぶ[40008] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:43:08 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30081]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c8
コメント [カルト23] ゲン・石破パーティに党三役ゼロ。これでも自民にしがみつく石破は意気地無しである。 ポスト米英時代
2. 2019年11月14日 01:43:55 : DGFimv5Cho : RU55OXRldXVHalk=[1]
自民にしがみつけば自民の石破先生だけど離党したらただのデブなオッサンでしょ
どっかの部長さんとか、こう言う屁垂れオヤジはどこにでもいる
枝野が国民の敵と糾弾されるのは、期待があったから糾弾してもらえるのである
ところが石破ときたら
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/377.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
9. 赤かぶ[40009] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:44:52 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30082]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c9
コメント [経世済民133] 最高益達成トヨタへ憤慨の声噴出…下請けは買い叩かれ業績悪化、“反旗翻す”機運(Business Journal) 赤かぶ
12. 2019年11月14日 01:51:58 : DxAZqM7Qpc : ZkkyaWppUlF6bGM=[1]
トヨタのリコール隠しは、今に始まったことではない。エンジン、トランスミッション、サスペンション、ブレーキなど枚挙にいとまがない。加えてコストダウンしすぎたためチープな内装、下請けいじめがひどく、低品質の樹脂製品、よって見栄えが悪い。シートの中綿、ウレタン、車の下回りなど見えないところは徹底的にコストダウン。極めつけはヘッドライトカバー。5年くらいで白内障のようになり10年たつと黄ばみがひどく車検も通らない。FF車のリアの接地感が低く電子制御で何とかごまかしている。実際、以前の三菱以上にリコール隠しが常態化している。ヨーロッパで販売が伸びないのもうなずける。レクサス(中身はトヨタ)はLSだろうがGSだろうがよほど根性がないとアウトバーンを200q/hで走行できない。ヘッドライトが黄ばんだ初代LSを見るたびにつくづくこの会社の車はあかん、と思う。
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/617.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
10. 赤かぶ[40010] kNSCqYLU 2019年11月14日 01:52:16 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30083]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c10
記事 [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK 
ヤフー LINEと経営統合に向け交渉
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191113/k10012176571000.html
2019年11月13日 22時47分 NHK


動画→https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191113/k10012176571000.html

ソフトバンクグループのIT大手ヤフーが通信アプリ大手のLINEとの間で経営統合に向けた交渉を進めていることが明らかになりました。通信アプリ事業の顧客基盤を取り込み、スマートフォン決済などのサービスを一気に拡大するねらいがあるとみられます。

関係者によりますと、ヤフーとLINEは、経営統合に向けた交渉を進めています。

ヤフーの親会社にあたるソフトバンクと、LINEの親会社にあたる韓国のIT企業、ネイバーが50%ずつを出し合って新会社を設立し、その傘下に持ち株会社を置いてヤフーやLINEを子会社とする案が検討されているということです。

ソフトバンクとネイバーも交えて交渉が行われていて、実現すれば、設立される新会社はソフトバンクのグループ会社になる見込みで、今月中の合意を目指しているとしています。

LINEは、国内だけで8000万人を超える利用者を抱え、最近は、スマートフォン決済をはじめ、アプリを通じた総合的な金融サービスに力を入れていますが、利用者の獲得に向けた先行投資の負担が大きく、決算では赤字になっています。

こうした中で、ヤフーとしては、LINEと統合することで、通信アプリ事業の顧客基盤を取り込み、スマートフォン決済などのサービスを一気に拡大するねらいがあるとみられます。

ヤフーはことし9月、およそ4000億円を投じてファッション通販サイトのZOZOの買収を決めたばかりでLINEとの統合が実現すれば、競争が激しいインターネット業界で大きな再編の動きが続くことになります。

ヤフー ネット通販事業を拡大する方針示す

ヤフーは、ソフトバンクの創業者の孫正義氏らがインターネットの検索サイトを運営する会社として1996年に設立しました。

ネットを利用する際の玄関口、いわゆるポータルサイトとして検索だけでなくニュース配信や電子メールなどのサービスにも乗り出しました。

1999年にはネット通販の事業に参入。利用者どうしが品物を出品して売買するオークションサイトが人気になりました。

2012年には通販大手のアスクルと資本・業務提携を結び、家庭向けの日用品や食品の通販サービス、「LOHACO」を始めネット通販事業を強化してきました。

またヤフーは去年10月、ソフトバンクと共同でスマホ決済、「PayPay」を始めたほか、ソフトバンクの携帯電話を利用している人にネット通販のポイントを優遇し利用者の拡大に力を入れています。

そしてことし9月には国内最大級のファッション通販サイトを運営するZOZOの買収を発表し、ライバルのアマゾンや楽天に対抗してネット通販事業を一気に拡大する方針を示していました。

ヤフーは、先月、持ち株会社の体制に移行し、Zホールディングスという持ち株会社の傘下に事業を担うヤフーが入る形になっています。

LINE 新規事業への先行投資が膨らむ

LINEは韓国のIT企業、ネイバーの子会社です。東京・新宿に本社を置き、2011年に無料でメッセージをやりとりできるアプリのサービスを始めました。

LINEはスマートフォンの普及にあわせて手軽に連絡を取り合えるスマホのメッセージアプリとして利用者が年々拡大しました。

会社によりますと、アプリの日本での月間の利用者数はことし9月末時点でおよそ8200万人にのぼり、感情や表情がユニークに表現できるというスタンプと呼ばれる機能が特徴です。

LINEはユーザーの利用頻度の高さを武器にしてメッセージアプリ上に表示される広告を主な収益源にしています。さらに、無料の通信アプリで利用者を集めることで、LINEを入り口に多くのサービスを提供しています。

スマホ決済の「LINEPay」を提供し、コンビニや飲食店などでの支払いのほか、利用者どうしで送金できるサービスやAIスピーカーの開発など幅広い事業を手がけています。

ことし6月には利用者の情報を元にして点数を付けて利用者にさまざまな優待を提供する「スコアリング」と呼ばれるサービスを始めています。

目指していたのは、生活に必要な情報やサービスをLINEで完結できる仕組み、いわば“LINE経済圏”の構築ですが、去年の決算で最終赤字となるなど新規事業への先行投資が膨らんでいました。



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html

コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
1. 赤かぶ[40011] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:02:01 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30084]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK267] 日本は法治国家なのか。(日々雑感) 笑坊
3. 2019年11月14日 02:02:45 : mNJhrbfnfY : VmNSRmFLOEp2OEU=[1]
コイツは最後に必ず小沢一郎のことを持ち出す。よほど頭が単純なのだろう。所詮極右のレイシスト。桜を見る会には地元の周南市長も参加しているだろう。まずは地元のことからやれ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/338.html#c3
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
2. 赤かぶ[40012] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:02:53 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30085]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c2
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
3. 赤かぶ[40013] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:03:25 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30086]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c3
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
4. 赤かぶ[40014] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:04:03 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30087]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c4
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
5. 赤かぶ[40015] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:04:47 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30088]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c5
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
6. 赤かぶ[40016] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:05:27 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30089]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c6
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
7. 赤かぶ[40017] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:06:00 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30090]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c7
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
8. 赤かぶ[40018] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:06:35 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30091]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c8
コメント [経世済民133] ヤフー LINEと経営統合に向け交渉 NHK  赤かぶ
9. 赤かぶ[40019] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:08:15 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30092]



http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/633.html#c9
記事 [国際27] 米高官「ジュリアーニ氏が影響」 ウクライナ疑惑 公聴会で証言 NHK 
米高官「ジュリアーニ氏が影響」 ウクライナ疑惑 公聴会で証言
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191114/k10012176741000.html
2019年11月14日 1時48分 NHK



アメリカのトランプ大統領をめぐる、いわゆるウクライナ疑惑の公聴会で証言に立った、ウクライナ政策を担当するケント国務次官補代理は、「一般的な原則として、権力者に対抗するものに対する政治的な調査や訴追を他国に求めるべきではないと考える。そうしたことは国を問わず法の支配を損なうことになる」と述べました。

またケント氏は、トランプ大統領の顧問弁護士のジュリアーニ氏らによって、ヨバノビッチ前駐ウクライナ大使に対する中傷が行われ、大使の解任につながったと述べました。

そのうえで「ジュリアーニ氏の政治的な動機に基づく、捜査を加速させようという行動が、アメリカのウクライナとの外交関係に影響を及ぼした」と証言しました。

「バイデン氏息子が役員務める企業の捜査が条件に」

また、ウクライナ政策に関わってきたテイラー駐ウクライナ臨時代理大使が証言しました。

このなかでテイラー氏は、「アメリカのウクライナに対する政策決定には通常のチャンネルと、かなり異常なチャンネルの2つが並行して存在した。通常ではないチャンネルにはジュリアーニ氏らが関わっていた」と述べ、トランプ大統領の顧問弁護士のジュリアーニ氏が非公式の外交ルートでウクライナ政府と接触するという、異常な状態が存在したと証言しました。

そのうえで「ウクライナの大統領が望んでいた首脳会談は『ブリスマ』の捜査が条件になっていると私は考えるようになった」と述べ、バイデン氏の息子が役員を務めていたウクライナのガス会社に対する捜査がトランプ大統領との首脳会談の条件だったという認識を明らかにしました。




http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/717.html

コメント [国際27] 米高官「ジュリアーニ氏が影響」 ウクライナ疑惑 公聴会で証言 NHK  赤かぶ
1. 赤かぶ[40020] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:20:07 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30093]



http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/717.html#c1
コメント [国際27] 米高官「ジュリアーニ氏が影響」 ウクライナ疑惑 公聴会で証言 NHK  赤かぶ
2. 赤かぶ[40021] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:21:09 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30094]



http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/717.html#c2
コメント [国際27] 米高官「ジュリアーニ氏が影響」 ウクライナ疑惑 公聴会で証言 NHK  赤かぶ
3. 赤かぶ[40022] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:22:25 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30095]



http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/717.html#c3
コメント [原発・フッ素52] 福島第一原発事故で発生した“汚染牧草” 南三陸町ですき込み開始 農家が保管 順次処理へ〈宮城〉 (仙台放送)  魑魅魍魎男
4. 茶色のうさぎ[-13156] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 02:23:52 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-6]

 何回もだけど、、

 宮城、農家 ←こいつら、、 ばか?あほ?ロバ? 小学生?

 ↑ 自分の畑に、水銀 ←?? 『 馬鹿 』確定ですね。ぺっ♪

結論: 自然循環と体内濃縮 K40とCs137 ←勉強しろよ!!あほ 心臓筋肉

 年間1mSv 100Bq/kg ←以上は?黄色いドラム缶♪ 避難の権利です。

 年間5mSv 600Bq/kg ←必ず健康被害です。 放射線管理区域、レントゲン技師

 まぁ、中学生だったら理解できると思うけど?  うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/259.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK267] 桜を見る会、安倍首相自ら余程まずいと中止決定。最大の窮地。(かっちの言い分) 一平民
11. 2019年11月14日 02:24:00 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[765]
   ものを盗んでも暫くはやらないと言い返品することで無罪放免にはならない以上、公金の五千億円を一政党が私的に使用した容疑があれば先ず党費を以て国庫に返すと共に、事の経緯を司直の手によって明らかにし無罪か有罪かを決めなければならない。公職選挙法に違反する旨の買収容疑が掛かった以上、来年は中止で済ませることは許されない。関係者が多数関わっている故に個人責任の認識が無いのが巨悪の特徴であり巨悪故に責任追及を交わせる悪辣さがある。
  国民から徴税して国政を担う租税主義は、税の使途は全て福祉目的でなければならないと主張したのは税法学の故北野教授だった。要は国民生活の充実のためにこそ公金は使用されねばならず、国民生活の充実とは公金が先ず最初に最底辺層、最大弱者に福祉予算として歳出されることで国家全体が豊かになるという意味である。資本主義下では企業による労働の収奪は不可欠だが、労働の収奪の結果の国富の再配分は先ず最大弱者への福祉目的に使用されねば国全体の豊かさは実現し得ないのは道理だ。よって賢明な国は労働収奪を基礎とする政党と収奪の結果の国富の再配分としての福祉の充実を掲げる政党との政権交代を双方が認めている。
  自民党は国富の再配分の必要性について全く思慮が無い。労働の収奪の結果の国富も政権与党と財界が手にすべきとの観念に固執し、彼らにとって政権確保は公金の確保に他ならないのである。よって再配分を求める層を共産党などと侮蔑嘲笑し、高級料亭で根回しし党議拘束を掛けて企業利益優先のイリーガルな行政立法案を強引に可決しつつ補助金や交付金の形で国富の独占に明け暮れている。結果的に談合汚職や贈収賄が生じ、遂には花咲じじいならぬ公金バラ撒き総理夫妻が登場した。桜を見る会を年々盛況にしているのも自民党への票確保が目的で、参加者が多ければ多い程口コミで支持が拡大するとの目論見だろうがそこまでして永遠に国富を優先的に身内で分けることに固執するのは賢明では無い。仮にも国家単位で国際社会が動いている以上、貧困層の国民が年々拡大していることを国の恥とするのが与党特に内閣でなければならないが、彼らにとっては公金の弱者への再配分は論外であることが良く分かるのが今回の事態だ。議会は会の中止では無く廃止を決議、かつまた政権確保とは政権与党に公金の恣意的な優先利用が許されることを意味しないとの自覚を徹底して安倍内閣に認識させる必要がある。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/335.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍後援会は先に入場の特別扱い。テロ対策どこへやらの桜を見る会ツアー+れいわ舩後も質問(日本がアブナイ!) 笑坊
2. 2019年11月14日 02:26:28 : xXIehXjd1o : SE1UTXJhUWNKQzY=[6]
 これって、よく考えるとAKBと同じ手法なんじゃないのかな?

政治家枠の参加者にとっては、「桜を見る会」の本来の出席者(有名人)と間近に会って、写真撮影はもちろん、会話や握手ができるかも……って企画なわけだから。
道理でアベ主催のツアーに組み込まれるわけだ。

元々の仕掛け人は、アベ友のあの人かも?(笑)

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/337.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK267] ペテン総理が報道内容をめぐって、「現場のデスクやキャップに電話で直接注文」をつけていた疑いが浮上!・・・メディアはなぜ… 赤かぶ
38. 2019年11月14日 02:34:40 : QT9qG7Nb2M : dXIxVUVELnF3WU0=[22]
>>27

>安倍晋三はマトモな人間とは思えない。
>(って今更か)
>そもそも、人間なのか?


人間ではありません
ヒトモドキです
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/321.html#c38

コメント [経世済民133] 「ダブル11」の配送荷物が高速鉄道列車の「乗客」に!(人民網日本語版) 無段活用
1. しんのすけ99[957] grWC8YLMgreCrzk5 2019年11月14日 02:35:16 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[719]
確かに 北海道新幹線 予想通り大赤字ですからな


北海道新幹線は、採算が合わないことが分かっているのになぜ開通させたのか?
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2016/04/post-13.php
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/631.html#c1

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍晋三は、ほとんどビョーキじゃないか?  赤かぶ
100. 2019年11月14日 02:47:57 : QT9qG7Nb2M : dXIxVUVELnF3WU0=[23]
本来なら松沢病院に入れるべき男
上級国民だというだけで見逃されてこの有様
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/227.html#c100
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 赤かぶ[40023] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:50:52 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30096]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c1
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
2. 赤かぶ[40024] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:52:00 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30097]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c2
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
3. 赤かぶ[40025] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:52:38 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30098]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c3
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
4. 赤かぶ[40026] kNSCqYLU 2019年11月14日 02:54:14 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30099]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c4
コメント [原発・フッ素52] 福島第一原発事故で発生した“汚染牧草” 南三陸町ですき込み開始 農家が保管 順次処理へ〈宮城〉 (仙台放送)  魑魅魍魎男
5. 茶色のうさぎ[-13155] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 03:02:00 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-5]

 日本共産党『 赤旗 』 ←偏向報道、情報操作、、犯罪の証拠です。

 ↓ 宮城県: 高橋千鶴子: 風評被害だって、、 『市場に出回っている魚は安心』だって、、
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-04-16/2011041604_03_1.html

結論: ヨウ素が検知されてるのに、、 実害なのに、、 避難の権利なんて、知らんぷり♪ぺっ

 つまり、住民の声を、封印、封殺、隠蔽と思います。 都合のいい偏向報道と思います。

 地元漁師だって、地元主婦だって、、 避難したい人は大勢と思います。 東京だって、、

 まぁ、『 赤旗 』志位和夫 ←こいつ、、 ころせー♪ぺっ 💀  長文省略 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/259.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」 これは血税による巨大買収だ(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
38. 2019年11月14日 03:22:33 : IJjjrLkBu1 : TkVzTE5CdVJubC4=[766]
  安倍総理大臣主催としながら各省に推薦者を割り振るなど内閣が公僕を手足に使った実態が明らかだ。公僕とは国民福祉のための公務を行う行政官で、各省は安倍内閣の独占組織では無く、国権の最高機関である国会の立法作業後に憲法と基本法原則に忠実な公務を行う、与党以外の野党や無所属議員をも含めた代議士を介した全ての国民のための職員である。にも拘わらず、職員を使って推薦者を挙げさせるなど自党の後援会の下請け作業までさせていたのは国民への背任だ。かつ推薦理由は公表せずに功労功績のある者と抽象的な返答をさせるなど自民党の私益のために多くの公務員が下僕となっていることが明らかになった。
  しかも功績功労者として議員や上級幹部が挙げられているとすれば、彼らは公務でその地位に就き国会の仕事や行政の仕事を粛々と行っている筈であり、公務の傍ら功労や功績と認められる活動は逆に問題である。国民は専ら専属的に代議士や事務方としての公務を委任しているのであり私的行為にまで俸給は及ばないところ功労や功績もあくまでも公務の範囲内が前提だ。自民党議員が自ら自分自身を功績や功労があるものとして公金を使って表彰しているに等しい。推薦理由の正当性は無く詐欺的である。
  いずれにしても森友加計事件同様、首相は今回も自分の名が前面に出ているにも拘わらず「私は何の関係も無い」としているが、例えば不良品を出し顧客に損害を与えた企業で頭を下げるのは、不良品を工場で作った作業員ではなく経営者である。トップである以上責任を負う立場は約束事で、責任者の俸給の高さはそのためにある。自身が招待状を造り印刷して直接配った場合以外は無関係で済むなら総裁も総理大臣も体を為さない。首相夫妻がホストとして出ている以上、首相夫妻の私的パーティーである。首相自ら招待状を自分で印刷しゲストを選んでいなくても、ホストとしてゲストを歓迎し握手し写真を撮ったのだから主催者以外の何ものでもない。この会が首相主催で夫妻がホストであるのは最大の関係者である証左だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/320.html#c38
コメント [リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
172. 中川隆[-14958] koaQ7Jey 2019年11月14日 03:24:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2050]
気象庁 現在の雪(解析積雪深・解析降雪量)
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/snow/jp/#zoom:4/lat:39.164821/lon:142.866780/colordepth:normal/elements:snowd


気象庁は13日午後4時から「雪」に関する新しい形の情報提供を始めました。
積雪量が地図上に1時間ごとに表示され、おおまかな分布が把握できるようになりました。

気象庁によりますと、これまで積雪の深さについてアメダスの積雪計による観測値を数字で提供していましたが、今後は地図上の約5キロ四方の格子内の平均値が1時間ごとに表示されるようになるため、積雪のおおまかな分布を把握できるようになります。

降雪量についても現在までの3時間降雪量、12時間降雪量など選んだ時間ごとに確認できるようになりました。

降雪量予測もこれまでは最大で2日先までしか予測できませんでしたが、3日先まで予測できるようになりました。

さらに山形、福島、新潟、富山、石川、福井の6県で顕著な降雪が確認されて今後も継続すると見込まれる場合に「短時間の大雪に対して一層の警戒を呼び掛ける情報」を発表するということです。これらの情報は気象庁のホームページで公開されています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/782.html#c172

コメント [リバイバル3] 急増する山岳遭難 中川隆
10. 中川隆[-14957] koaQ7Jey 2019年11月14日 03:25:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2049]
気象庁 現在の雪(解析積雪深・解析降雪量)
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/snow/jp/#zoom:4/lat:39.164821/lon:142.866780/colordepth:normal/elements:snowd


気象庁は13日午後4時から「雪」に関する新しい形の情報提供を始めました。
積雪量が地図上に1時間ごとに表示され、おおまかな分布が把握できるようになりました。

気象庁によりますと、これまで積雪の深さについてアメダスの積雪計による観測値を数字で提供していましたが、今後は地図上の約5キロ四方の格子内の平均値が1時間ごとに表示されるようになるため、積雪のおおまかな分布を把握できるようになります。

降雪量についても現在までの3時間降雪量、12時間降雪量など選んだ時間ごとに確認できるようになりました。

降雪量予測もこれまでは最大で2日先までしか予測できませんでしたが、3日先まで予測できるようになりました。

さらに山形、福島、新潟、富山、石川、福井の6県で顕著な降雪が確認されて今後も継続すると見込まれる場合に「短時間の大雪に対して一層の警戒を呼び掛ける情報」を発表するということです。これらの情報は気象庁のホームページで公開されています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/792.html#c10

コメント [リバイバル3] スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ 中川隆
77. 中川隆[-14956] koaQ7Jey 2019年11月14日 03:26:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2048]
気象庁 現在の雪(解析積雪深・解析降雪量)
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/snow/jp/#zoom:4/lat:39.164821/lon:142.866780/colordepth:normal/elements:snowd


気象庁は13日午後4時から「雪」に関する新しい形の情報提供を始めました。
積雪量が地図上に1時間ごとに表示され、おおまかな分布が把握できるようになりました。

気象庁によりますと、これまで積雪の深さについてアメダスの積雪計による観測値を数字で提供していましたが、今後は地図上の約5キロ四方の格子内の平均値が1時間ごとに表示されるようになるため、積雪のおおまかな分布を把握できるようになります。

降雪量についても現在までの3時間降雪量、12時間降雪量など選んだ時間ごとに確認できるようになりました。

降雪量予測もこれまでは最大で2日先までしか予測できませんでしたが、3日先まで予測できるようになりました。

さらに山形、福島、新潟、富山、石川、福井の6県で顕著な降雪が確認されて今後も継続すると見込まれる場合に「短時間の大雪に対して一層の警戒を呼び掛ける情報」を発表するということです。これらの情報は気象庁のホームページで公開されています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html#c77

コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
19. 茶色のうさぎ[-13154] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 03:34:38 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-4]

 余談♪ 「ビワの種」 ←興味ありますw

 ↓ ビワの種を食べないように言われているのは癌が治っては困るから!
https://ameblo.jp/sunamerio/entry-12475697426.html

結論: まぁ、、自然治癒力 ←期待してます。 レモン? 多数ですね。 抵抗、反撃方法

 まぁ、、 自然に死んで、、 納得♪♪ さようならー♪ぷっ またねー♪ぷっ  うさぎ♂


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c19

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
2. 中川隆[-14955] koaQ7Jey 2019年11月14日 03:42:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2047]

レーニン(1870年4月22日 – 1924年1月21日) の時代のロシア


ソ連末期のグラスノスチ以後に公開された文書により、革命直後から内戦の時期にかけてレーニンが政敵に対して使っていたテロルの実態が明らかになると、レーニンは単なるスターリンの先駆けにすぎないのではなくスターリンと同等の独裁者として評価されることが多くなった。

レーニンの実像  


ロシアではグラスノスチによって、神聖不可侵だったレーニンの実像を知る手がかりが次第に明らかにされつつある。共産党中央委員会が管理していたマルクス・レーニン主義研究所所属の古文書館に「秘密」のスタンプが押された3724点におよぶレーニン関連の未公開資料が保存されていたことも判明し、民主派の歴史学者の手によってその公開が進みつつある。

 これらの資料のうちの一部は、ソ連崩壊以前からグラスノスチ政策によって公開されていた。そのうちのひとつが、私が月刊『現代』91年10月号誌上で全文を公表した、1922年3月19日付のレーニンの秘密指令書である。改めてここでその内容を紹介しておこう(翻訳全文は拙著『あらかじめ裏切られた革命』に所収)。


 22年当時、ロシアは革命とそれに続く内戦のために、国中が荒廃し、未曾有の大飢饉に見舞われていた。そんな時期に、イワノヴォ州のシューヤという町で、ボリシェヴィキが協会財産を没収しようとしたところ、聖職者が信徒の農民たちが抵抗するという「事件」が起きた。報告を受けたレーニンは、共産党の独裁を確立する最大の障害の一つだった協会を弾圧する「口実ができた」と喜び、協会財産を力ずくで奪い、見せしめのための処刑を行い、徹底的な弾圧を加えよと厳命を下したのである。以下、その命令書の一部を抜粋する。


<我々にとって願ってもない好都合の、しかも唯一のチャンスで、九分九厘、敵を粉砕し、先ゆき数十年にわたって地盤を確保することができます。まさに今、飢えた地方では人をくい、道路には数千でなければ数百もの死体がころがっているこの時こそ、協会財産をいかなる抵抗にもひるむことなく、力ずくで、容赦なく没収できる(それ故、しなければならないのです>


<これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョワは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない>


おぞましい表現に満ちたこの秘密書簡は、『ソ連共産党中央委員会会報』誌90年4月号に掲載され、一般に公開された。党中央委ですら、90年の時点で、レーニンが直接命じた残忍なテロルの事実の一端を、公式に認める判断を下したわけである。

 アナトリー・ラトゥイシェフという歴史家がいる。未公開のレーニン資料の発掘に携わっている数少ない人物で、同じくレーニン研究に携わっていた軍事史家のヴォルコゴーノフが、95年12月に他界してからは、この分野の第一人者と目されており、研究成果をまとめた『秘密解除されたレーニン』(未邦訳)という著書を96年に上梓したばかりだ。モスクワ在住の友人を通じて、彼にあてて二度にわたって質問を送ったところ、氏から詳細な回答を得るとともに、氏の好意で著書と過去に発表した論文や新聞インタビュー等の資料をいただいた。以下、それらのデータにもとづいて、レーニンの実像の一端に迫ってみる(「 」内は氏の手紙および著書・論文からの引用であり、< >内はレーニン自身の書いた文章から直接の引用である。翻訳は内山紀子、鈴木明、中神美砂、吉野武昭各氏による)。

まずは、ラトゥイシェフからの手紙の一節を紹介しよう。


「残酷さは、レーニンの最も本質をなすものでした。レーニンはことあるごとに感傷とか哀れみといった感情を憎み、攻撃し続けてきましたが、私自身は、彼には哀れみや同情といった感情を感受する器官がそもそも欠けていたのではないか、とすら思っています。残酷さという点ではレーニンは、ヒトラーやスターリンよりもひどい」


「レーニンはヒトラーよりも残酷だった」という主張の根拠として、ラトゥイシェフはまず、彼自身が古文書館で「発掘」し、はじめて公表した、1919年10月22日付のトロツキーあての命令書をあげる。

<もし総攻撃が始まったら、さらに2万人のペテルブルグの労働者に加えて、1万人のブルジョワたちを動員することはできないだろうか。そして彼らの後ろに機関銃を置いて、数百人を射殺して、ユデニッチに本格的な大打撃を与えることは実現できないだろうか>

 ユデニッチとは、白軍の将軍の一人である。白軍との内戦において、「ブルジョワ」市民を「人間の盾」として用いよと、レーニンは赤軍の指導者だったトロツキーに命じているのである。

「ヒトラーは、対ソ戦の際にソ連軍の捕虜を自軍の前に立たせて『生きた人間の盾』として用いました」と、ラトゥイシェフ氏は私宛ての手紙に書いている。

「しかし、ヒトラーですら『背後から機関銃で撃ちながら突進せよ』などとは命令しなかったし、もちろん、自国民を『盾』に使うことはなかった。レーニンは自国民を『人間の盾』に使い、背後から撃つように命じている。ヒトラーもやらなかったことをレーニンがやったというのはこういうことです。しかも、『人間の盾』に用いられ、背後から撃たれる運命となった人たちは犯罪者ではない。あて彼らの『罪』を探すとすれば、それはただひとつ、プロレタリア階級の出身ではなかったということだけです。しかし、そういう人々の生命を虫ケラほどにも思わず、殺すことを命じたレーニン自身は、世襲貴族の息子だったのです」


レーニンが「敵」とみなしていたのは、「ブルジョワ階級」だけではない。聖職者も信徒も、彼にとっては憎むべき「敵」だった。従来の党公認のレーニン伝には、革命から2年後の冬、燃料となる薪を貨車へ積み込む作業が滞っていることにレーニンが腹を立て、部下を叱咤するために書いた手紙が掲載されてきた。


<「ニコライ」に妥協するのは馬鹿げたことだ。――ただちに緊急措置を要する。

 一、出荷量を増やすこと。

 二、復活祭と新年の祝いのために仕事を休むことを防ぐこと。>


「ニコライ」とは、12月19日の「聖ニコライの祭日」のことである。この日、敬虔(けいけん)なロシア正教徒は――ということは当時のロシア国民の大半は――長年の習慣に従って、仕事を休み、祈りを捧げるために教会へ足を運んだに違いない。レーニンはこの日、労働者が仕事を休んだのはけしからんと述べているわけだが、そのために要請した緊急措置は、この文書を読むかぎりとりたてて過激なものではないように思える。しかし実は、この手紙は公開に際して改竄(かいざん)が施されていた。古文書館に保存されていた、19年12月25日付書簡の原文には、先のテクストの「――」部分に以下の一文が入っていたのである。


<チェーカー(反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会=KGBの前身の機関)をすべて動員し、「ニコライ」で仕事に出なかったものは銃殺すべきだ>

 レーニンの要請した「緊急措置」とは、秘密警察を動員しての、問答無用の銃殺だったのだ――。


 この短い書簡の封印を解き、最初に公表したのは、今は亡きヴォルコゴーノフで、彼の最後の著書『七人の指導者』(未邦訳)に収められている。ラトゥイシェフは、私宛ての手紙で『七人の指導者』のどのページにこの書簡が出ているか示すとともに、こういうコメントを寄せてきている。


「この薪の積み込み作業に動員されたのは、帝政時代の元将校や芸術家、インテリ、実業家などの『ブルジョワ』層でした。財産を奪われた彼らは、着のみ着のままで、この苦役に強制的に従事させられていたのです。彼らにとって『聖ニコライの日』は、つかの間の安息日だったことでしょう。レーニンは無慈悲にも、わずかな安息を求め、伝統の習慣に従っただけの不幸な人々を『聖ニコライの日』から一週間もたってから、その日に休んだのは犯罪であるなどと事後的に言い出し、銃殺に処すように命じたのです」

内部に胚胎していた冷血


 ひょっとすると、このような事実を前にしてもなお、以下のような反論を試みようとする人々が現れるかもしれない。


――レーニンはたしかに「敵」に対しては、容赦なく、残酷な手段を用いて戦ったかもしれない。しかしそれは革命直後の、白軍との内戦時の話だ。戦争という非常時においては、誰でも多かれ少なかれ、残酷になりうる。歴史の進歩のための戦いに勝ち抜くにはこうした手段もやむをえなかったのだ――。

 いかにも最もらしく思える言い分だが、これも事実と異なる。レーニンの残酷さや冷血ぶりは、内戦時のみ発揮されたわけではない。そうした思想(あるいは生理)は、ウラジーミル・イリイッチ・ウリヤーノフが「レーニン」と名乗るはるか以前から、彼の内部に胚胎していたのだ。

 話は血なまぐさい内戦の時代から約30年ほど昔に遡る。1891年、レーニンが21歳を迎えたその年、沿ヴォルガ地方は大規模な飢饉に見舞われた。このとき、地元のインテリ層の間で、飢餓に苦しむ人々に対して社会的援助を行おうとする動きがわきあがったが、その中でただ一人、反対する若者がいた。ウラジーミル・ウリヤーノフである。以下、『秘密解除されたレーニン』から引用する。


「『レーニンの青年時代』と題する、A・ペリャコフの著書を見てみよう(中略)それによれば、彼(レーニン)はこう発言していたのだ。


『あえて公言しよう。飢餓によって産業プロレタリアートが、このブルジョワ体制の墓掘人が、生まれるのであって、これは進歩的な現象である。なぜならそれは工業の発展を促進し、資本主義を通じて我々を最終目的、社会主義に導くからである――飢えは農民経済を破壊し、同時にツァーのみならず神への信仰をも打ち砕くであろう。そして時を経るにしたがってもちろん、農民達を革命への道へと押しやるのだ――』」


 ここの農民の苦しみなど一顧だにせず、革命という目的のためにそれを利用しようとするレーニンの姿勢は、すでに21歳のときには確固たるものとなっていたのだ。

 また、レーニンは『一歩前進、二歩後退』の中で自ら「ジャコバン派」と開き直り、党内の反対派を「日和見主義的なジロンド派」とののしっているが、実際に血のギロチンのジャコバン主義的暴力を、17年の革命に先んじて、1905年の蜂起の時点で実行に移している。再び『秘密解除されたレーニン』から一節を引こう。


「このボリシェヴィキの指導者が、(亡命先の)ジュネーブから、1905年のモスクワでの『12月蜂起』前夜に、何という凶暴な言葉で、ならず者とまったく変わらぬ行動を呼びかけていたことか!(中略)


『全員が手に入れられる何かを持つこと(鉄砲、ピストル、爆弾、ナイフ、メリケンサック、鉄棒、放火用のガソリンを染み込ませたボロ布、縄もしくは縄梯子、バリケードを築くためのシャベル、爆弾、有刺鉄線、対騎兵隊用の釘、等々)』(中略)


『仕事は山とある。しかもその仕事は誰にでもできる。路上の戦闘にまったく不向きな者、女、子供、老人などのごく弱い人間にも可能な、大いに役立つ仕事である』(中略)


『ある者達はスパイの殺害、警察署の爆破にとりかかり、またある者は銀行を襲撃し、蜂起のための資金を没収する』(中略)建物の上部から『軍隊に石を投げつけ、熱湯をかけ』、『警官に酸を浴びせる』のもよかろう」


「目を閉じて、そのありさまを想像してみよう。有刺鉄線や釘を使って何頭かの馬をやっつけたあと、子供達はもっと熟練のいる仕事にとりかかる。用意した容器を使って、硫酸やら塩酸を警官に浴びせかけ、火傷を負わせたり盲人にしたりしはじめるのだ。

(中略)そのときレーニンはこの子供達を真のデモクラットと呼び、見せかけだけのデモクラット、『口先だけのリベラル派』と区別するのだ」


彼の価値観はきわめて「ユニーク」で、「警官に硫酸をかけなさい」という教えだったのだ。

よく知られている話だが、1898年から3年間、シベリアへ流刑に処されたとき、レーニンは狩猟に熱中していた。この狩猟の趣味に関して、レーニンの妻、クループスカヤは『レーニンの思い出』の中で、エニセイ川の中洲に取り残されて、逃げ場を失った哀れなウサギの群れを見つけると、レーニンは片っ端から撃ち殺し、ボートがいっぱいになるまで積み上げたというエピソードを記している。


 何のために、逃げられないウサギを皆殺しにしなくてはならないのか?これはもはや、ゲームとしての狩猟とはいえない。もちろん、生活のために仕方なく行なっている必要最小限度の殺生でもない。ごく小規模ではあるが、まぎれもなくジェノサイドである。レーニンの「動物好き」とは、気まぐれに犬を撫でることもあれば、気まぐれにウサギを皆殺しにすることもある、その程度のものにすぎない。


「レーニンは疑いなく脳を病んでいた人でした。特に十月革命の直後からは、その傾向が顕著にあらわれるようになります。1918年1月19日に、憲法を制定するという公約を反古にして、憲法制定会議を解散させたあと、レーニンはヒステリー状態に陥り、数時間も笑い続けました。また、18年の7月、エス・エルの蜂起を鎮圧したあとでも、ヒステリーを起こして何時間も笑い続けたそうです。こうした話は、ボリシェヴィキの元幹部で、作家であり、医師でもあったボグダーノフが、レーニンの症状を診察し、記録に残しています」


 レーニンの灰色の脳は病んでいた。彼は「狂気」にとりつかれていたのだ。ここでいう「狂気」とはもちろん、陳腐な「文字的」レトリックとしての「狂気」でも、中沢氏のいう「聖なる狂気」のことでもない。いかなる神秘ともロマンティシズムとも無縁の、文字通りの病いである。

 頭痛や神経衰弱を訴え続けていたレーニンは、1922年になると、脳溢血の発作を起こし、静養を余儀なくされるようになった。ソ連国内だけでなく、ドイツをはじめとする外国から、神経科医、精神分析医、脳外科医などが招かれ、高額な報酬を受け取ってレーニンの診察を行った。そうした診察費用の支払い明細や領収書、カルテなどが、古文書館で発見されている。


 懸命な治療にもかかわらず、レーニンの病状は悪化の一途をたどり、知的能力は甚だしく衰えた。晩年はリハビリのため、小学校低学年レベルの二ケタの掛け算の問題に取り組んだが、一問解くのに数時間を要した。にもかかわらず、その間も決して休むことなく、彼は誕生したばかりの人類史上最初の社会主義国家の建設と発展のために、毎日、誰を国外追放にせよ、誰を銃殺しろといった「重要課題」を決定し続けた。二ケタの掛け算のできない病人のサイン一つで、途方もない数の人間の運命が決定されていったのである。

そしてこの時期、もう一つの重大事が決定されようとしていた。レーニンの後継者問題である。1922年12月13日に、脳血栓症の二度目の発作で倒れたあと、レーニンは数回に分けて「遺書」を口述した。とりわけ、22年1月4日に「スターリンは粗暴すぎる。そしてこの欠点は、われわれ共産主義者の間や彼らの相互の交際では充分我慢できるが、書記長の職務にあっては我慢できないものとなる」として、スターリンを党書記長のポストから解任するよう求めた追記の一節が、のちに政治的にきわめて重要な意味をもつこととなった。

 ラトゥイシェフはレーニンとスターリンの関係についてこう述べる。


「よく知られている通り、レーニンは『遺書』の中でスターリンを批判しました。そのため、レーニンは、スターリンの粗暴で残酷な資質を見抜いており、もともと後継者として認めていなかったのだという解釈が生まれ、それがスターリン主義体制は、レーニン主義からの逸脱であるとみなす論拠に用いられるようになりました。しかしこれは『神話』なのです。レーニンの『神話』の中で最も根強いものの一つです。

 レーニンがスターリンを死の間際に手紙で批判したのは、スターリンがクループスカヤに対して粗暴な態度をとったという個人的な怒りからです。スターリンがそのような態度をとったのは、衰弱の一途をたどるレーニンを見て、回復の見込みはないと判断して見切りをつけたからでした。しかしそれまではグルジア問題などで対立することはあっても、スターリンこそレーニンの最も信頼する”友人”であり、忠実で従順な”弟子”でした。レーニンが静養していたゴーリキーに最も足繁く通っていたのはスターリンであり、彼はレーニンのメッセージを他の幹部に伝えることで、彼自身の権力基盤を固めていったのです」

たしかに「遺書」では、レーニンはスターリンを「粗暴」と評しているが、別の場面では、まったく正反対に「スターリンは軟弱だ」と腹を立てていたという証言もある。元政治局員のモロトフは、詩人のフェリックス・チュエフの「レーニンとスターリンのどちらが厳格だったか?」という質問に対して、「もちろん、レーニンです」と答えている。このモロトフの言葉を『秘密解除されたレーニン』から引用しよう。


「『彼(レーニン)は、必要とあらば、極端な手段に走ることがまれではなかった。タンボフ県の暴動の際には、すべてを焼き払って鎮圧することを命じました。(中略)

彼がスターリンを弱腰だ、寛大すぎる、と言って責めていたのを覚えています。『あなたの独裁とはなんです? あなたのは軟弱な政権であって、独裁ではない!』と」


 あのスターリンを「軟弱だ」と叱責したレーニンの考えていた「独裁」とは、ではどういうものであったか? この定義は、何も秘密ではない。レーニン全集にはっきりとこう書かれている。


「独裁の科学的概念とは、いかなる法にも、いかなる絶対的支配にも拘束されることのない、そして直接に武力によって自らを保持している、無制限的政府のことにほかならない。これこそまさしく、『独裁』という概念の意味である」

 こんな明快な定義が他にあるだろうか。
 法の制約を受けない暴力によって維持される無制限の権力。これがレーニンが定式化し、実践した「独裁」である。スターリンは、レーニン主義のすべてを学び、我がものとしたにすぎないのだ。


 ラトゥイシェフはこう述べている。

「独裁もテロルも、レーニンが始めたことです。強制収容所も秘密警察もレーニンの命令によって作られました。スターリンはその遺産を引き継いだにすぎません。もっとも、テロルの用い方には、二人の間に相違もみられます。スターリンは、粗野で、知的には平凡な人物でしたが、精神的には安定しており、ある意味では『人間的』でした。彼は政敵を粛清する際には、遺族に復讐されないように、一族すべて殺したり、収容所送りにするという手段を多用しました。もちろん残酷きわまりないのですが、少なくとも彼には人間を殺しているという自覚がありました。しかし、レーニンは違う。彼は知的には優れた人物ですが、精神的にはきわめて不安定であり、テロルの対象となる相手を人間とはみなしていなかったと思われます。

彼の命令書には


『誰でもいいから、100人殺せ』とか

『千人殺せ』とか

『一万人を「人間の盾」にしろ』


といった表現が頻出します。彼は誰が殺されるか、殺される人物に罪があるかどうかということにまるで関心を払わず、しかも『100人』『千人』という区切りのいい『数』で指示しました。彼にとって殺すべき相手は匿名の数量でしかなかったのです。

人間としての感情が、ここには決定的に欠落しています。私が知る限り、こうした非人間的な残酷さという点では、レーニンと肩を並べるのはポル・ポトぐらいしか存在しません」

 ラトゥイシェフの言葉を細くすれば、レーニンとポル・ポトだけでなく、ここにもうひとり麻原彰晃をつけ加えることができる。麻原が指示したテロルには、個人を狙った「人点的」なものもあったが、最終的には彼は日本人の大半を殺害する「予定」でいたわけであり、これは「人間的」なテロルの次元をはるかに超えている。

暴力革命を志向するセクトやカルト教団の党員や信徒達は厳しい禁欲を強いられるものの、そうした組織に君臨する独裁者や幹部達が、狂信的なエクステリミストであると同時に、世俗の欲望まみれの俗物であることは少しも意外なことではない。サリンによる狂気のジェノサイドを命じた麻原は、周知の通り、教団内ではメロンをたらふく食う俗物そのものの日々を送っていたのであるが、この点もレーニンはまったく変わりはなかった。

 レーニンが麻原同様の俗物? そんな馬鹿な、と驚く人は少なくあるまい。レーニンにはストイックなイメージがあり、彼に対しては、まったく正反対の思想の持ち主でさえも、畏敬の念を抱いてしまうところがある。彼は己の信じる大義のために生命をかけて戦い抜いたのであり、私利私欲を満たそうとしたのではない、生涯を通じて彼は潔癖で清貧を貫いた、誰もがそう信じて今の今まで疑わなかった。そしてその点こそが、レーニンとそれ以外の私腹を肥やすことに血道をあげた腐った党指導者・幹部を分かつ分断線だった

 ところが、発掘された資料は、それが虚構にすぎなかったことを証明しているのである。1922年5月にスターリンにあてたレーニンのメッセージを公開しよう。


<同志スターリン。ところでそろそろモスクワから600ヴェルスト(約640キロメートル)以内に、一、二ヶ所、模範的な保養所を作ってもよいのではないか? 

そのためには金を使うこと。また、やむをえないドイツ行きにも、今後ずっとそれを使うこと。

しかし模範的と認めるのは、おきまりのソビエトの粗忽者やぐうたらではなく、几帳面で厳格な医者と管理者を擁することが可能と証明されたところだけにすべきです。

 5月19日     レーニン>


この書簡には、さらに続きがある。


<追伸 マル秘。貴殿やカーメネフ、ジェルジンスキーの別荘を設けたズバローヴォに、私の別荘が秋頃にできあがるが、汽車が完璧に定期運行できるようにしなければならない。それによって、お互いの間の安上がりのつきあいが年中可能となる。私の話を書きとめ、検討して下さい。また、隣接してソフホーズ(集団農場)を育成すること>

 


自分達、一握りの幹部のために別荘を建て、交通の便をはかるために鉄道を敷き、専用の食糧を供給する特別なソフホーズまでつくる。

こうした特権の習慣は、後進たちに受け継がれた。その結果、汚職と腐敗のために、国家の背骨が歪み、ついには亡国に至ったのである。その原因は、誰よりもレーニンにあった。禁欲的で清貧な指導者という、レーニン神話の中で最後まで残った最大の神話はついえた。レーニンは、メロンをむさぼり食らう麻原と何も変わりはなかったのである。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c2

コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
20. 茶色のうさぎ[-13153] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 03:44:28 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-3]

 おまけ♪ リンク、お勉強♪ うさぎ♂ 600倍もwww ばか

 ↓ 矢ヶ崎先生、広瀬さん、小野院長先生 ←正解と思います。
https://ameblo.jp/sunamerio/entry-11502879769.html


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c20

コメント [政治・選挙・NHK267] 即位パレードで「雅子さまの足跡」を振り返るマスコミが触れなかった男子を産まない皇后への過酷な圧力と深刻な事件!(リテラ) 赤かぶ
15. 2019年11月14日 03:49:58 : cWNSPdRAdG : cHBrMmttTUU5cU0=[3]
朝日新聞と紀子妃とは礼宮と交際中から昵懇で情報を漏らしていました。
雅子さまが赤坂御用地を散策中に朝日の岩井記者が怒鳴り付けたので怖くて外に出られなくなったそうです。
https://twitter.com/44fd3e933d2a425/status/1134526654787645440?s=20

オランダ王室からの招待でご一家が静養に行かれた時も、上皇夫妻の会見で「自分たちは私的な海外旅行はしたことはない」と批判した時、秋篠宮家には頻繁な贅沢私的海外旅行をさせているのに冷酷な人だと思いました。

川島一味による敬宮さま学習院乱暴事件の時も上皇夫妻は敬宮さまを思いやることもせずに「誰もが傷付かないように」と乱暴生徒(紀子妃父の同僚の孫)を庇いました。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/308.html#c15

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
3. 中川隆[-14954] koaQ7Jey 2019年11月14日 03:57:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2046]

レーニンの大量殺人総合データと殺人指令27通
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsatujin.htm

4年7カ月間で最高権力者がしたこと
1918年5月13日食糧独裁令〜1922年12月16日第2回発作


1、武力行使によるレーニンの二段階クーデター説

 1、レーニンの二段階クーデター

 内戦の基本原因は、ソ連共産党公式の従来説=外国軍事干渉と白衛軍ではなく、1918年1月18日憲法制定議会武力解散と、5月13日食糧独裁令の2つである。ロイ・メドヴェージェフとニコラ・ヴェルトは、ソ連崩壊後の秘密資料やアルヒーフ(公文書)を発掘・研究して、それを論証した。ソ連崩壊後のデータによって、公認ロシア革命史観も大逆転し、崩壊した。それとともに、レーニンの大量殺人データも次々と発掘され、レーニン評価も、180度転換しつつある。その一つがクーデター説である。

 第1段階クーデター説。1917年11月7日は、プロレタリア社会主義大革命などではなく、レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだった。11月7日の直前までに、労兵ソヴィエト・社会主義諸勢力が、ペトログラード・クロンシュタット・モスクワなど大都市における実質的な力関係として、国家権力を掌握しつつあった。

 クーデターについて、広辞苑は「急激な非合法手段に訴えて政権を奪うこと。通常は支配層内部の政権移動をいい、革命と区別する」としている。十月にケレンスキー臨時政府を倒したのは、ボリシェヴィキ、メンシェヴィキ、エスエル、左翼エスエル等のソヴィエト内社会主義4政党とアナキストが中心勢力で、その性格は革命である。しかし、単独武装蜂起を敢行したボリシェヴィキによる一党政権が成立した。このレーニンの行為は、革命ではなく、事実上の権力を掌握しつつあった革命諸勢力の中でのクーデターそのものである。ただ、クーデター1カ月後の1917年12月から3カ月間だけ、左翼エスエルとの連立政権が続いた。

 第2段階クーデター説。1918年6月14日全ロシア中央執行委員会からのエスエル、メンシェヴィキ追放と、各級の全ソヴィエトからも追放する決定は、レーニンによるソヴィエト権力簒奪と党独裁権力樹立クーデターだった。6月14日だけでなく、このクーデターは、4月29日全ロシア中央執行委員会における、穀物徴発による農民への内戦宣言、5月13日食糧独裁令と労働者食糧徴発隊組織と一体のものになっている。レーニンによる内戦仕掛け宣言とソヴィエト権力簒奪という第2段階クーデターこそ、その暴挙にたいして、1920夏から21年の全階層総反乱を引き起こした決定的な原因となった。レーニンによるソヴィエト民主主義破壊・ソヴィエト権力簒奪のクーデター過程については、下記ファイルで、7期に分けて検討した。

    『クロンシュタット水兵とペトログラード労働者』ソヴィエト権力簒奪の第2段階クーデター

 ここでいう二段階クーデターとは、11月7日実質的に、あるいは、6月14日完全に国家権力を掌握し、支配階級となったソヴィエト・社会主義諸勢力・政党内部において、レーニンが武力で、多くの社会主義党派ならなるソヴィエト権力を、ボリシェヴィキ党独裁政権に強行移動させたことを指す。現在のロシア歴史学会では、クーデター説が基本になっている。資本主義ヨーロッパでも、その見解が主流になってきつつある。日本においてだけは、この説がまだ市民権を得ていない。

 日本では、加藤哲郎一橋大学教授が「クー」としている。coup(クー)は coup D'etat(クーデター)と同じ意味である。中野徹三札幌学院大学教授は、『社会主義像の転回』で、レーニンのこの行為の詳細な研究をしているが、そこではクーデターという用語は使っていない。その問題に関して、中野教授から次の内容の手紙を頂いた。「宮地さんは、制憲議会解散をクーデターと規定するということであるが、私は、十月革命自身を一つの(独自の)クーデターとしてまずとらえております。私は、クーデターの語は用いていないが、十月武装蜂起と呼んで、十月革命の伝統的概念の変更を試みている。そして、十月武装蜂起そのもののうちに、制憲議会の受容そのものを不可能にする論理が内包されていたこと、そしてそれは内戦を不可避的によびおこし、他党派への弾圧、および、一党独裁とスターリン主義への道を大きく開いたことを論証したつもりである。」

 2、「平和=戦争終結」要求への犯罪的な裏切り

 レーニンは、権力奪取前、平和=戦争離脱・終結を力説した。それにより、ドイツとの戦争をまだ続けている臨時政府を批判するボリシェヴィキ支持率が急上昇した。1918年3月3日ブレスト講和条約によって、第一次世界大戦の東部戦線において、ロシアだけが単独離脱した。それは、ロシア国民に「平和」と息継ぎをもたらした。

 ところが、レーニンは、その2カ月後の5月13日に、布告「食糧人民委員部の非常大権について」、いわゆる「食糧独裁令」を発令した。レーニン・政治局の目的は、2つあった。第1は、食糧人民委員部を中央集権化し、食糧の武装徴発隊を十数万人も農村に派遣し、チェーカーと赤軍の暴力手段で、穀物・家畜を収奪して、それによって飢餓状態を克服することだった。第2は、農村において、「貧農委員会」を組織し、「富農」にたいする階級闘争を起すことだった。それは、ボリシェヴィキ側が、農村に内戦の火をつけることによって、80%・9000万農民を社会主義化するという、レーニンの、自国民にたいする犯罪的な戦争再開クーデター政策だった。

 レーニン・政治局にとって、プロレタリア独裁国家の権力基盤である軍隊と都市に食糧の供給を確保することが死活問題となっていた。彼らには2つの選択肢があった。1)、崩壊した経済の中で疑似・資本主義市場を再建するか、あるいは、2)、強制を用いるのかである。彼らはツアーリ体制打倒の闘争の中で、さらに前進する必要があるとの論拠から第2の方策を選んだ。この驚くべき無知、かつ犯罪的な思惑が、レーニン・政治局全員の社会主義構想であったことについては、ソ連崩壊後のロシア革命史研究のほとんどの文献が一致している。その証拠をいくつか挙げる。

 (1)、スヴェルドロフの発言。「一九一八年五月にはすでに、スヴェルドロフが、中央執行委員会において、次のように述べている。われわれは、村の問題にとり組まなければならない。農村に、敵対する二つの陣営を作り出し、貧農をクラークに向けて蜂起させる必要がある。もし村を二つの陣営に割り、都市におけると同様に、村に内戦の火をつけることができるならば、その時にはわれわれは、都市と同じ革命に、村において成功することになるであろう」(ダンコース『ソ連邦の歴史1』、新評論、1985年、P.154)。彼の発言趣旨は、個人的なものでなく、レーニンを含め政治局全員が一致していた共同意思だった。

 (2)、レーニンの発言。「一九一八年四月二十九日、全ロシア中央執行委員会の演説でレーニンは単刀直入に言った。我々プロレタリアが地主と資本家を打倒することが問題になった時、小地主と小有産階級はたしかに我々の側にいた。しかしいまや我々の道は違う。小地主は組織を恐れ、規律を恐れている。これら小地主、小有産階級に対する容赦のない、断固たる戦いの時がきたのだ。」(『共産主義黒書』P.74)。レーニンのいう「小地主」とは、土地革命をした80%・9000万土地持ち中農のことである。それは、権力奪取6カ月後に、レーニンが土地持ち中農9000万人に仕掛けた宣戦布告だった。

 (3)、食糧人民委員が同じ集会で言明。「わたしは断言する。ここで問題になっているのは戦争なのだ。我々が穀物を入手できるのは銃によるのみだ」(全ロシア中央執行委員会第4回議事録)(『黒書』P.74)

 (4)、トロツキーの発言。「我々の党は内戦のためにある。内戦とはパンのための戦いなのだ……内戦万歳!」(全ロシア中央執行委員会第4回議事録)(『黒書』P.74)。

 (5)、カール・ラデックが1921年に書いた文。「彼は一九一八年春のボリシェヴィキの政策、すなわちその後二年間にわたって行なわれた赤軍と白軍の戦いへとつながる軍事的対決の発展の数カ月前の政策について、次のように解明している。一九一八年初めの我々の義務は単純だった。我々に必要なことは農民に次の二つの基本的なことを理解させることだった。国家は自らの必要のために穀物の一部に対して権利があるということ、そしてその権利を行使するための武力を持っているということである!」(ラデック『ロシア革命の道』)(『黒書』P.74)

 (6)、食糧人民委員ツュルーパの5月9日の会議言明。「即座に武器を手にしてだけ穀物を受け取ることができる…。われわれは農村ブルジョアジーにたいする戦争を考えている」(梶川伸一『飢餓の革命』P.279)。ツュルーパの5月12日の官報談話。「われわれは農村に武装部隊を派遣するだろうし、それらは武器で富農に穀物を販売させるだろうし、これは、犠牲者と死にもの狂いの抵抗が出る戦争である」(梶川伸一『飢餓の革命』P.277)。

    梶川伸一『飢餓の革命 ロシア十月革命と農民』1918年食糧独裁令

    梶川伸一『ボリシェヴィキ権力とロシア農民』農民反乱の分析

 レーニン、スヴェルドロフ、トロツキー、食糧人民委員ツュルーパら政治局全員が、「村に内戦の火をつける」ための食糧独裁令を仕掛けたのは、どういう性質を持つのか。それは、5月時点のボリシェヴィキ党員35万人という「市場経済廃絶・貨幣経済廃絶」軍と、9000万農民・全他党派の「市場経済回復・実現」軍との内戦だった。市場経済廃絶軍は、党員だけでなく、チェーカー28万人、赤軍550万(1920年)という国家暴力装置、300万プロレタリアートを擁し、赤色テロルを行いつつ、余剰穀物収奪の戦争を先に展開した。市場経済回復・実現軍は、土地革命を自力で成し遂げた80%・9000万農民とともに、エスエル・左翼エスエル・メンシェヴィキ・アナキストという全他党派が参加した。それは、労働者と農民との内戦、都市と農村との内戦の性格も帯びた。それは、他党派にとって、レーニンの第4回目クーデターとなった。

 これは、5連続クーデター説に基づく歴史解釈である。第2回クーデターは、カデット機関紙、ブルジョア新聞の閉鎖命令、第3回は、ボリシェヴィキが敗北した憲法制定議会の武力解散をしたクーデターである。第5回クーデターは、下記にのべる6月14日全ロシア中央執行委員会と全ソヴィエトからのエスエル、メンシェヴィキ追放決定である。レーニンによるソヴィエト権力簒奪・党独裁の5連続クーデターにたいして、労働者・農民・兵士と全他党派が猛反対し、総決起した。

 3、内戦発生時期と原因説の大逆転

 しかも、ここには、内戦発生時期と原因に関する重大な問題がある。メドヴェージェフは、ソ連崩壊後の資料に基づいて、内戦の基本原因の一つを、ボリシェヴィキの食糧独裁令にあったとの新説を発表した。いわゆる内戦の勃発期日は、5月25日のチェコ軍団の反乱開始日である。それを導火線として、コルチャークなど白衛軍との内戦、外国干渉軍との戦争が広がった。

 ところが、上記6人の農民との内戦開始演説・発言時期は、4月29日から数日間の第4回全ロシア中央執行委員会、および、5月13日「食糧独裁令」発令前である。それは、チェコ軍団・白衛軍との内戦勃発の26日も前だった。ニコラ・ヴェルトは、『共産主義黒書』において、4月29日議事録を発掘し、メドヴェージェフの新説を追認・証明した。梶川伸一は、膨大なアルヒーフ(公文書)によって論証した。内戦を誰が先に仕掛けたのかは、明白な歴史的事実となった。それこそ、レーニンの、自国民にたいする犯罪的な戦争再開政策となった。レーニン、スヴェルドロフ、トロツキー、食糧人民委員ツュルーパこそが、5月13日、食糧独裁令発令によって、80%・9000万農民にたいする穀物・家畜収奪の内戦を開始したのである。食糧独裁令内容とその後の詳細は、農民ファイルで書いた。

    ロイ・メドヴェージェフ『1917年のロシア革命』食糧独裁の誤り

    『「反乱」農民への「裁判なし射殺」「毒ガス使用」指令と「労農同盟」論の虚実』

 こうして、レーニンは、「すべての権力をソヴィエトへ」「土地・平和・パン」という4つの公約を実行せず、それどころか、公約とは逆の路線・政策を選択したことによって、労兵農ソヴィエトや全国民の期待を裏切った。ボリシェヴィキ支持率が急落したのは、国民の期待が、政権発足後半年間で、幻滅と怒りに転化したからである。

 食糧独裁令とソヴィエト権力簒奪・党独裁権力樹立クーデターは、ボリシェヴィキ支持率を一気に下落させた。しかし、白衛軍がいた。白衛軍とは、外国軍事援助に全面依存した旧帝政復活目標の反革命勢力である。彼らは、農民の土地革命も全面否定していた。土地を手に入れた農民や、社会主義を望んだ労働者・兵士たちは、文字通りの反革命軍に敵対し、たたかった。1918年5月25日チェコ軍団反乱から1920年夏までの白衛軍との戦闘中は、複雑な二重の内戦となった。(1)レーニンが4月29日全ロシア中央執行委員会で宣言し、白衛軍との内戦よりも26日間も前に仕掛けた80%・9000万農民にたいする食糧独裁令強行の内戦と、(2)チェコ軍団、白衛軍との内戦である。

 4、クーデター政権の根本的に誤った路線への全階層総決起・反乱

 白衛軍が鎮圧され、それとの内戦が基本的に終結した1920年夏以後、労働者・農民・兵士と全他党派は、共産党独裁・ソヴィエト権力簒奪クーデター政権にたいして、経済的要求とともに、自由で平等な新選挙を求める要請行動に総決起した。

 食糧独裁令とは、マルクスの根本的に誤った机上の空論である市場経済廃絶・貨幣経済廃絶理論をロシアに具体化した路線だった。1917年5月以降の土地革命の嵐によって、農村共同体内部で土地分配を平等にした農村は、地主・富農(クラーク)・貧農はなくなり、ソ連全農村の構成がほとんど中農に変化していた。1918年6月11日貧農委員会の組織法令は、80%・9000万農民の心理と、土地革命後の農村実態にまったく無知なレーニンらの認識からの空論で、その方針は、半年ももたず、瓦解した。今度は、さらなる無知から、農民が生産した穀物・家畜を「軍事・割当徴発」した。それは、チェーカー、赤軍、共産党員労働者を使った、暴力による穀物・家畜収奪路線だった。それは、全土で土地革命農民の死に物狂いの抵抗・反乱を引き起こしただけでなく、ロシアの農業生産をも破壊した。

 その誤った農民の生産物収奪作戦にたいして、80%・9000万農民全員が抵抗し、そのため、都市部における飢餓がますます深刻化した。全土で、労働者が飢餓解決の経済要求で立ち上がった。その要求は、直ちに、自由で平等なソヴィエト新選挙要求やレーニンによって破壊されたソヴィエト民主主義復活などの政治的要求にエスカレートし、経済要求と結合した。

 この歴史的経過は、梶川伸一『飢餓の革命』『ボリシェヴィキ権力とロシア農民』の2著書・1210頁が、ソ連崩壊後の膨大なアルヒーフ(公文書)を発掘して、証明した。その結論として、彼は、「労農同盟が成立している」というのは、レーニンのウソであるとし、公認ロシア革命史の根本的見直しを提起している。ただ、レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターから食糧独裁令発令までの6カ月間、80%・9000万農民は、土地革命を事後承認したレーニンの政策を支持していた。その間は、労働者と農民との政治的軍事的同盟としての労農同盟レベルではないが、農民によるボリシェヴィキ政権支持の平和的関係があった。それを意図的に公然と破壊し、農民にたいする食糧独裁令の内戦を仕掛けたのは、レーニンの側だった。

 レーニンは、それらの経済・政治要求と平和的要請行動にたいして、平和的交渉や妥協を全面拒絶した。党独裁政権とその路線に抵抗、批判、反乱する階層にたいし、彼らを白衛軍と同列において、一律に、反革命・人民の敵・富農(クラーク)レッテルを貼りつけた。白衛軍は、まさに反革命勢力である。しかし、労働者・農民・兵士たちや社会主義他党派は、ソヴィエト内の革命勢力であり、ソヴィエトにおける飢餓解決と民主主義復活を要求している国民で、反革命などではない。レーニンは、反革命レッテルを恣意的に拡大し、大量殺人をするという犯罪的誤りを強行した。

 5、レーニンの最高権力者期間の算定問題

 ただ、このファイル・テーマとの関係で、レーニンの最高権力者期間の算定問題がある。彼の脳卒中発作は3回ある。

 第1回発作は、1922年5月26日である。回復すると、彼は、下記の「反ソヴィエト」知識人数万人の追放・強制収容所送りを「作戦」と名付け、直接指揮した。

 第2回発作は、1922年12月16日である。その発作によって、最高権力者としての活動という面では、再起不能となった。そして、党大会への手紙といくつかの短文を口述筆記で残した。その内容レベルの評価はいろいろある。しかし、それらは、はっきりいって、党大会や共産党運営にたいして、何の効果も挙げ得なかった。よって、私(宮地)は、彼の最高権力者期間を、第2回発作までの5年2カ月間と算定する。

 1917年11月7日は、レーニンの第1段階クーデターだった。労働者・農民・兵士ソヴィエトは、レーニンが4つの公約を全面的に実行するものと信じ、6カ月間、クーデター政権を支持し、平和的関係を続けた。しかし、(1)1918年4月29日全ロシア中央執行委員会による農民への内戦開始宣言、(2)5月13日「食糧独裁令」発令と労働者穀物徴発隊・貧農委員会による内戦の具体的戦術開始、(3)6月14日全ロシア中央執行委員会、および、すべての各級ソヴィエトからの社会主義他党派エスエル、メンシェヴィキ追放決定という一連の暴挙は、レーニンによるソヴィエト権力簒奪クーデターだった。それ以降、労働者・農民・兵士とクーデター政権は、決定的な対立関係に突入した。レーニンが自国民大量殺人をした最高権力者期間は、1918年5月13日から、1922年12月16日第2回発作までの4年7カ月間となる。

 その間、彼は、下記9つの(表)にあるように、ソヴィエト民主主義を破壊し、ソヴィエト権力簒奪をし、党独裁クーデター権力に執着し、一貫して、ロシア革命勢力内部におけるボリシェヴィキ批判・抵抗・反乱者にたいして、「反革命」という詭弁レッテルを貼りつけ、大量殺人を続けた。クーデターによる権力奪取の6カ月後、ボリシェヴィキは、県庁所在地ソヴィエト19/30で惨敗した。政権崩壊危機に直面したレーニンは、一挙に変質し、絶対的権力者としての絶対的腐敗が始まった。彼は、権力のための権力者に転落した。最高権力者として生き残るには、あらゆる詭弁とウソを使い、共産党秘密政治警察チェーカー28万人によって、大量逮捕・大量殺人を続けるしかなかった。

 1918年4、5月から22年にかけて、レーニンという人物がしたことと、その人間性をどう考えたらいいのか。ボリシェヴィキ党員作家ザミャーチンは、ゴーリキーとともに、ソ連文壇の中心で活動していた。その中で、彼は、モスクワ・ペトログラード労働者の山猫ストライキ、クロンシュタット総決起とレーニンによる皆殺し対応、共産党秘密政治警察チェーカーの手口を全体験した。同時期・同現場で、その直接体験をSF小説化した作家は、ザミャーチンしかいない。ソ連崩壊後、彼のレーニン認識を再確認するとどうなるのか。

 レーニンは、自ら、「鉄の手で社会主義を建設しよう」というスローガンを創って、キャンペーンを展開した。上記全体の誤りと、全分野における民主主義抑圧者に変質した、最高権力者レーニンの一側面は、歴史上でひた隠しにされ、偉大なマルクス主義者レーニンの虚像が作られていった。レーニンは、巨大な鉄の手をセットした絶対的権力者として、反民主主義・赤色テロル型一党独裁システム維持・強化に固執する中で、絶対的に腐敗した。ザミャーチンは、「自分自身を押しつぶし、膝を折って」という言葉で、レーニンの腐敗状態を文学的に表現した。彼は、「その方の巨大な鉄の手」と書いて、レーニンのスローガンを否定しただけでなく、レーニンを殺人者と規定した。

説明: 説明: http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/orwell.files/image004.jpg

『われら』 「恩人は、ソクラテスのように禿げた頭をもった男で、その

禿げた所に小さな汗のしずくがあった」「その方の巨大な鉄の手は、

自分自身を押しつぶし、膝を折ってしまっていた」「明日、彼ら(反逆

者)は、みな恩人の処刑機械に至る階段を昇るであろう」(299頁)

    『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーニン』クロンシュタット反乱

 彼は、一度も、自分の労働で収入を得たことがなかった。スイス長期亡命者だった。行政経験は皆無だった。ドイツ政府・軍部の政治的軍事的思惑と合致したお陰で、ドイツ軍封印列車に乗って、1917年4月フィンランド駅に到着した。亡命からの帰国後、わずか7カ月間で、ボリシェヴィキの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターを強硬に主張し、ロシアの絶対的一党独裁権力を手に入れた。ボリシェヴィキ批判・抵抗・反乱者にたいする詭弁、ウソ、殺人指令文書執筆、殺人督促電報などの行政業務は、その経歴のレーニンの精神を蝕んだ。ヴォルコゴーノフは、『レーニンの秘密』で、彼の精神的そううつ病症状を詳述している。山内昌之は、その解説において、革命家と政治家との矛盾に病んだレーニンの人間性をさらに分析している。

    山内昌之『革命家と政治家との間』−レーニンの死によせて−

 第3回発作は、1923年3月10日だった。以後、口述筆記も不可能になった。死去は1924年1月21日、54歳だった。


2、レーニンの大量殺人総合データ (表1〜9)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsatujin.htm


 3、大量殺人数推計の根拠と殺人指令文書27通

 これは、(表9)の推計に関する根拠である。殺人数については、白衛軍との内戦犠牲者700万人と、レーニンによる大量殺人最低数の数十万人とを区別することが難しい。これらの数字は、諸データや文献を検討し、白衛軍との内戦犠牲者を除いた数字である。殺人根拠の決定的データとして、各階層にたいするレーニンらの大量殺人・追放指令文書27通を載せる。それによって、ファイル全体が長くなる。しかし、その文書を読まなければ、なかなかレーニンの数十万人殺人犯罪事実を理解し、納得することができない。ただ、ソ連崩壊後に発掘され公表された文書だけである。証拠隠滅・焼却文書や現在も隠蔽中の文書は、かなりあると推定される。殺人・追放指令文書は、通し番号を付ける。もちろん、レーニンは、最高権力者・人民委員会議議長として、これらの文書すべてに直接関与している。

 当初の文書は19通だった。その後、8通を加えた。追加した〔殺人指令文書〕No.は、農民7、コサック10、労働者11・12、チェコ軍団14、知識人18・19、他党派24である。


(表10) 殺人指令文書27通

 〔殺人指令文書〕27通は、それぞれ〔小目次〕の文中に載せた。一方で、その通し番号を(表)にしておく。これらの指令を発したレーニンという大量殺人革命家の人間性をどう考えたらいいのか。未発掘の殺人指令文書や殺人指令電報などが、まだ数百通あると言われている。それらを含めれば、『レーニン全集』の裏側として、『レーニン殺人指令選集』が編纂できるほどである。


知識人の数万人は、追放と強制収容所送りである。他党派の百数十万人は、労働者・農民と重複する人数を含む。ここには、1921・22年の餓死500万人、内ウクライナの餓死100万人を入れていない。それが、レーニンによる政策的餓死殺人をどれだけ含むのかについては、関係資料がまだ未発掘である。ランメルは政策的餓死殺人を250万人としている。レーニン、トロツキー、スヴェルドロフ、トハチェフスキーらが、コサックやタンボフ反乱農民にたいして、すべての穀物・家畜を没収して、大規模な餓死殺人政策を行ったことは、ソ連崩壊後のデータによって、証明されている。

 単純総計をすれば、レーニンの大量殺人数は、百数十万人になる。ただ、発掘されたデータから見て、最低数十万人を殺害したことは間違いない。しかも、殺人指令レッテルのすべては、レーニンが意図的にでっち上げた詭弁とウソだったことが、ソ連崩壊後に判明した。レーニンという人間が、マルクス主義革命家であったことは事実である。しかし、27通の〔殺人指令文書〕を克明に検証すれば、レーニンという人物は、「反民主主義者、反人道主義者」という大量殺人型革命家だったことが、浮き彫りになる。この規定は、「反ソヴィエト」知識人として追放された哲学者ベルジャーエフがしたものである。

 1、反乱農民の数十万人殺害

 タンボフ、西シベリア、マフノの3大反乱だけでも、反乱農民の部隊は14万人いる。とくに内戦が基本的に終了した1920年夏から1921年春にかけて、「軍事=割当徴発」制の穀物・家畜の収奪による餓死の恐怖とも合わさって、反乱が激化し、36県が戦争状態になった。118件または数百件を合計すれば、反乱参加者は、百数十万人から数百万人になる。レーニンは、その内、数十万人を裁判なし射殺、革命裁判所による48時間以内の死刑、毒ガス使用による殺戮、人質、強制収容所送りなどの手法によって、農民を殺した。

 反乱農民数十万人殺害の別の根拠を挙げる。メドヴェージェフが公表したデータによるボリシェヴィキ側の死者からの逆算である。農民反乱の武力鎮圧過程において、食糧人民委員部10万人以上が死亡し、赤軍兵士171185人が死亡した。合わせて27万人以上が死んだ。正規の武装をした共産党独裁権力側がそれだけ死んだのである。反乱農民側の殺害・人質・強制収容所送りの人数がそれより少ないことはありえない。この逆算式から見ても、レーニンが、9000万農民のうちで、政権側の死者27万人をはるかに超える数十万人を殺害したことは明白である。これらの細目データは『農民』ファイルで書いた。

    『「反乱」農民への「裁判なし射殺」「毒ガス使用」指令と「労農同盟」論の虚実』

 〔殺人指令文書1〕、1918年8月11日、「暴動」農民の絞首刑指令

 これは、岩上安見『あらかじめ裏切られた革命』(講談社、1996年)のデータである。彼の直接取材にたいして、ヴォルコゴーノフが見せた「レーニン秘密資料」である。それは、レーニンの手書きの手紙だった。同一指令内容が、梶川『飢餓の革命』(P.547)にもある。ただ、岩上著の日付は「8月18日」になっているが、梶川著の日付にした。梶川氏から「この日付は、モスクワで1999年に発行された『レーニン・知られざる文書』でも確認できます」というメールをいただいた。

 「ロシア連邦ソヴィエト共和国 人民委員評議会議長 モスクワ・クレムリン

 一九一八年八月十一日

 ペンザ市ヘ クラエフ同志、ボシ同志、ミンキン同志他のペンザ市の共産党員達へ

 同志諸君!

 五つの郷での富農(クラーク)の暴動に対し仮借なき鎮圧を加えなければならない。富農達との最後の決定的戦闘に臨むことは、全革命の利益にかなっている。あなた方は模範を示さなければならない。

 一、正真正銘の富農、金持ち、吸血鬼を最低百人は絞首刑にすること(市民がみんな見られるように、是非とも絞首刑にしなくてはならない)。

 二、彼らの名前をすべて発表すること。

 三、彼らの所有している小麦をすべて奪うこと。

 昨日の電報通りに人質を決める。そして吸血鬼の富農達を絞め殺し、その姿を百マイル四方の市民すべてに見せつけて、彼らが恐怖におののき、叫び声をあげるようにしなければならない。(私の)電報の受取とその内容の実行について、電報を打ちなさい。

          あなたのレーニンより

 追伸 できるだけ、不撓不屈の精神の人を探しなさい。」(P.307)

 〔殺人指令文書2〕、1918年8月20日、「富農の人質」指令

 2つのデータを載せる。まず、梶川『飢餓の革命』の資料である。

 「戦時共産主義期に穀物や革命税の不履行に対して頻繁に人質(заложник)が利用された。八月にレーニンはツュルーパに、サラトフには穀物があるのに、搬送することができないのは最低の不面目であるとし、各郷ですべての穀物余剰の集荷に命を張る、富農から二五〜三〇人の人質を提案した(ГАР.Ф.1235, оп.93.170, л.48об.−49)。それに続く覚え書きで、「「人質」を取ることではなく、郷毎に指名するよう提案している。指名の目的は、彼らがコントリビューツィアに責任を持つように、富農は穀物余剰の速やかな収集と集荷に命を張ることである。そのような指令(「人質」を指名すること)は、a、貧農委、б、すべての食糧部隊に出されている」(Ленинский сборник.xviii.c.145−146.)と述べている。」(P.548)

 この経過について、ヴォルコゴーノフ『レーニンの秘密・上』が、さらに詳しく書いている。

 「テロルは反体制的行為で有罪となった者にたいしてのみ適用されたという反論があるかもしれない。だが、そうではなかった。赤色テロルについての命令が立法化される一カ月前、レーニンは食糧生産人民委員のA・D・ツュルーパに、『すべての穀物生産地城で、余剰物資の徴集と積み出しに生命賭けで抵抗する富農から二五〜三〇人の人質をとるべきである』という命令を出すように勧告している。ツュルーパはこの措置のきびしさに仰天し、人質問題については返事をしなかった。

 すると、次の人民委員会議でレーニンは、彼がなぜ人質問題について返事をしなかったのか答えよと詰め寄った。ツュルーパは、人質をとるという発想そのものがあまりにも奇想天外だったため、どういう段取りでそれを行ったらいいかわからなかったのだと弁明した。これはなかなか抜け目のない答えだった。レーニンはさらにもう一通の覚え書を送って、自分の意図を明確にした。『私は人質を実際にとれといっているのではない。各地区で人質に相当する人間を指名してはどうかと提案しているのである。そうした人たちを指名する目的は、彼らが豊かであるなら、政府に貢献する義務があるのだから、余剰物資の即時徴集と積み出しに協力しなければ生命はないものと思わせるためである』。

 そのような措置は差しせまった状況があったからで、特殊なケースにのみ適用されたのだと考えるのはまちがっている。これは内戦中のレーニンの典型的な作戦で、大々的な規模で実施された。一九一八年八月二十日、彼は保健人民委員で、リヴヌイの内戦のリーダーでもあったニコライ・セマシュコにこう書いている。『この地域での富農(クラーク)と自衛軍の積極的弾圧はよくやった。鉄は熱いうちに打たねばならない。一分もむだにするな。この地区の貧乏人を組織し、反抗的な富農たちのすべての穀物、私有財産を没収せよ。富農の首謀者を絞首刑にせよ。わが部隊の信頼できるリーダーのもとに貧乏人を動員して武装させ、金持ちの中から人質をとり、これを軟禁せよ』。」(P.376)

 〔殺人指令文書3〕、1918年8月29日、「クラーク鎮圧・没収措置の報告」督促電報

 梶川『飢餓の革命』に、この「電報」が載っている。

 「手本を示さないペンザ県執行委にレーニンは八月二九日に繰り返し打電した。五郷のクラークの容赦のない鎮圧と穀物の没収の、どのような、深刻な措置がようやく貴殿によって採られたかについて貴殿から何もはっきりしないことにわたしはきわめて怒っている。貴殿の職務怠慢は犯罪的である。一つの郷に全力を注ぎ、そこですべての穀物余剰を一掃する必要がある(Ленинский сборник.xviii.c.209.)」(P.547)

 〔殺人指令文書4〕、1920年10月19日、「タンボフ県の農民反乱への鎮圧」指令

 1920年8月、内戦が基本的に終結すると同時に、タンボフ県の農民反乱始まった。反乱農民は、最大時5万人になり、300組織に広がった。梶川伸一は、『ボリシェヴィキ権力とロシア農民』において、ソ連崩壊後に公開された膨大なアルヒーフ(公文書)を使って、反乱原因・経過を詳細に分析している。そこでのレーニンの指令を引用する。

 「九月二四日にレーニン宛てに、県執行委議長代理から次の文書が送られた。わが状態は悪化している(わが二個中隊が武装解除され、そのようにして四〇〇丁のライフル銃と四丁の機関銃が奪われ、全体として敵対者は強固)。[……]貴殿に[穀物を]何も出せなかった。集荷は一日必要な二〇〜二二万プードでなく二万〜二万二〇〇〇〜二万五〇〇〇しかない。この恐ろしい現実を知悉したレーニンは、直ちにチェーカー議長ジェルジーンスキィに「超精力的措置」を至急採るよう命じたが、事態はいっこうに改善されなかった。レーニンの関心事は、まず労働者への穀物の確保であった。タムボフの事件もこのことに集約された。

 二七日にブリュハーノフ宛てに次のように書き送った。『タムボフ県について。注意を払うように。一一〇〇万プードの割当徴発は確実だろうか』。これとの関連でさらに一〇月一九日に、国内保安部隊司令とジェルジーンスキィに、反乱は強まり、わが軍は弱いとの県執行委議長シリーフチェルの報告を伝え、反乱撲滅のための必要な措置を採るよう指示した。これとほぼ同時にレーニンはジェルジーンスキィには、叛徒の猖獗を醜悪の極みとして、タムボフ県のぼんくらなチェーカー員と執行委員を裁判にかけ、国内保安部隊司令を厳しく叱責し、厳格な反乱の鎮圧を命じたのは、依然として根絶されない反革命的行為への彼の焦燥感の表現であった。二月になると抑圧的措置が強化され、匪賊的村が焼き討ちされた。」(P.604)

 〔殺人指令文書5〕、1921年6月11日、タンボフ農民への「裁判なし射殺」指令

 以下は、『レーニンの秘密・下』にある「アントーノフの反乱」鎮圧経過である。

 「一九二一年五月、赤軍司令官トゥハチェフスキー元帥には、すぐに出動可能な常備軍五万人、装甲列車三両、装甲部隊三個、機関銃をもった機動隊数隊、野戦砲約七〇門、機関銃数百丁、航空部隊一個があった。抵抗があった場合には、軍隊は村を丸ごと焼き払い、農民の小屋に容赦なく発砲し、捕虜はとらないことになっていた。反乱の指導者アントーノフは、一度は敗北したにもかかわらず、もう一度抵抗を試みようとしており、ボリシェヴィキを数カ月にわたって忙しくさせた。だが、一九二二年五月、彼はチェーカーに密告され、一カ月後、彼の兄弟とともに一軒の小屋に閉じ込められた。彼らは一時間あまりそこにこもっていたが、軍隊が小屋に火を放ったため、森へ脱出し、走っている最中に射殺された。引きつづいて軍隊が、アントーノフを助けたと見られる大勢の人たちを、報復措置として処刑した。」(P.160)

 その鎮圧前に、レーニンは、この農民反乱にたいして、大量の人質政策をとり、モスクワに送らせた。そのデータも、『レーニンの秘密・下』にある。

 「一九二一年九月、モスクワ赤十字委員会会長のヴェーラ・フィグネルは、共和国革命法廷宛てにこう書いている。「現在、モスクワの拘置所には、タンボフ県からの大勢の農民が入れられています。アントーノフの一団が一掃される前に、身内のために人質になっていた人たちです。ノヴォ・ペスコフ収容所には五六人、セミョーノフには一三人、コジュホフには二九五人、この中には六十歳以上の男性が二九人、十七歳以下の若い人が一五八人、十歳以下が四七人、一歳未満が五人います。彼らは全員、ぼろをまとい、身体の半分は裸という惨めな状態でモスクワに到着しました。よほど空腹なのか、幼い子供たちはごみの山をあさって食物を探しています……政治犯救済赤十字は、こうした人質の救済と、彼らの故郷の村への送還を請願いたします。」

 政権側はそのような嘆願にたいしてほとんど耳を貸さなかった。」(P.158)

 6月11日、レーニンは次のような命令を、政治局の承認をえて、発令した。これは、『レーニンの秘密・下』の「レーニン秘密・未公開資料」によるものである。その文をそのまま引用する。

 「反乱の指導者アントーノフの率いる[タンボフ県の]一団は、わが軍の果断な戦闘行為によって撃破され、ちりぢりばらばらにされた上、あちこちで少しずつ逮捕されたりしている。エスエル・ゲリラのみなもとを徹底的に根絶するために……全ロシア・ソヴィエト中央執行委員会は次のように命令する。(1)自分の名前をいうのを拒否した市民は裁判にかけずにその場で射殺すること。(2)人質をとった場合は処罰すると公示し、武器を手渡さなかった場合は射殺すること。(3)武器を隠しもっていることが発見された時、一家の最年長の働き手を裁判なしにその場で射殺すること。(4)ゲリラをかくまった家族は逮捕して他県へ追放し、所有物は没収の上、一家の最年長の働き手を裁判なしに射殺すること。(5)ゲリラの家族や財産をかくまった家では、最年長の働き手を裁判なしにその場で射殺すること。(6)ゲリラの家族が逃亡している場合には、その所有物はソヴィエト政権に忠実な農民たちに分配し、放棄された家屋は焼き払うか取り壊すこと。(7)この命令は厳重に、容赦なく実行すること。この命令は村の集会で読み上げること。

 政治局は、あちこちの県で大虐殺が行なわれるのを認めていた。」(P.158)

 〔殺人指令文書6〕、1921年6月12日、毒ガス使用によるタンボフ農民の絶滅命令

 ロイ・メドヴェージェフは、『1917年のロシア革命』で、次のように認めている。

 「ボリシェヴィキが再びロシアを奪還した一九二一年春は、どことなく一九一八年春と似ている。だが今度は国が土台まで破壊されていた。工場は操業を停止していた。工業労働者の大部分が村へ去っていった。農業生産は半減した。だが農民は、ただぶつぶつ不平を言っていただけではなかった。再び武器を取って立ち上がり始めた。ロシア中央部ではエスエル党員アレクサンドル・アントーノフに率いられたタンボフの反乱、すなわちアントーノフの反乱が荒れ狂った。この時、内戦期において初めて軍は兵器庫から化学兵器を取り出し、使用した。」(P.125)

 ヴォルコゴーノフは、この詳細を『レーニンの秘密・下』で公表した。

 「一九二一年四月二十七日、レーニンの率いる政治局は、トゥハチェフスキーをタンボフ地方の司令官に任命した。彼は一カ月以内に農民の反乱を鎮圧すること、およびその進捗状況を毎週文書で報告するように命じられた。トゥハチェフスキーはその期限を守ることはできなかったが、要求の達成には全力を尽くした。

 六月十二日に、トゥハチェフスキーは次のような命令を出した。

 敗北集団や単独行動の盗賊の生き残り……などが森に集まり、平和に暮らしている住民を襲っている。(1)盗賊が隠れている森に毒ガスを撒き、彼らを一掃すること。窒息ガスを森中全体にたちこめさせ、そこに隠れているすべてのものを確実に絶滅させるように綿密な計画を立てること。

(2)小火器監察官は必要数の毒ガス入り気球と、その取り扱いに必要な専門技術者をただちに現場に派遣すること。

 体制から見て、どういう種類の農民が“本物の階級の敵”とみなされたのかは想像しにくい。だが、似たような措置は他のところでもとられ、政治局はそれを承知し、認めていた。」(P.135)

 〔殺人指令遂行報告7〕、1921年7月10日、タンボフ県匪賊抑圧政策の人質・公開処刑報告

 これは、ニコラ・ヴェルトが『共産主義黒書』に載せた。

 「タンボフ県匪賊抑圧政策に関する全権五人委員会議長報告 1921年7月10日

 クドリュコフスク郡の掃討作戦は、以前匪賊の一味をかくまったオシノフカ村から、6月27日に開始された。わが抑圧部隊にたいする農民の態度は、ある種の不信感をもって特徴づけられる。農民は森の匪賊どもを通報することなく、質問にたいしては何も知らないと答えた。われわれは40人の人質をとらえ、村に戒厳令をしき、村の住民に匪賊と隠匿武器を引き渡すために2時間の猶予を与えた。村人は集まって相談し、いかになすべきか躊躇していたが、しかし積極的に追い出し作戦に協力するとは決しなかった。

 きっと彼らは、人質を処刑するというわれわれのおどしをまじめにとらなかったのだろう。猶予時間が過ぎたので、われわれは21人の人質を村人の集まる前で処刑した。全権委員、共産主義者の目の前で、慣例にしたがって形式にのっとり、一人ひとりを銃殺によって公開処刑にしたことは、農民に衝撃的な印象を与えた……

 カレーフカ村に関しては、その地理的情況から、匪賊の一味にとって恵まれた場所になっていた……委員会はこれを地図から抹消することに決定した。全住民は赤軍勤務者の家族を除き、移動させられ、その財産は没収された。赤軍勤務者の家族はクルドウーク村に移され、匪賊一味の家族の、没収された家に住まわせた。いくつかの価値ある品−窓枠、ガラス製品、木製品等々−を回収したあと、村の家々に火が付けられた……

 7月3日、われわれはボゴスロフカ村の作戦を開始した。ここの農民ほど頑固で、組織化された者は、前に出会ったことがまずない。これらの農民と言い争っていると、若い者も年取った者も、異口同音に驚いたふうでこう言うのだった。

 「わしらのところに匪賊だって? まさか、そんなことを考えなさるなんて、とんでもない! 一度くらい近くを通るのを見たことはあったかもしれねえが、匪賊だなんて思ってもみませんでした。わたしどもはだれにも悪いことはせず、静かに暮らしとりますだ。なんにも知りません。」

 われわれはオシノフカでも同じ処置をした。人質を58人とった。7月4日にわれわれは第1グループの21人を公開処刑し、翌日には15人処刑した。しかし匪賊ども60家族、約200人を退治することはできない。最終的にわれわれは目的を達し、農民は強制されて匪賊狩りと隠匿武器の探索に出発した……

 上記諸村の掃討は7月6日に終了した。作戦は見事成功し、その影響は近くの2郡を越えて響いている。匪賊どもの降伏が相次いでいる。

                     全権五人委員会議長 ウスコーニン。(注)」(P.128)

 (注)、ダニ一ロフ、シヤーニン『タンボフ県における農民反乱1919〜1921年』218頁

    『「反乱」農民への「裁判なし射殺」「毒ガス使用」指令と「労農同盟」論の虚実』

    梶川伸一『ボリシェヴィキ権力とロシア農民』食糧独裁令の誤りと農民反乱

 2、脱走兵・兵役忌避逃亡者十数万人から数十万人を銃殺・殺害・人質

 1919年の公式統計だけで、脱走兵1761000人と徴兵逃れ917000人がいた。その合計は2668000人である。他年度の統計は出ていない。1918年5月の食糧独裁令以後に、徴兵制と内戦が始まった。1920年11月に内戦は完全に終結した。その3年間を単純計算すれば、266.8×3年=800.4万人になる。赤軍の正規軍化による最大規模は500万人だった。80%農民国家において、徴兵者の80%も農民兵だった。

 レーニン、トロツキーは、赤軍を、(1)内戦地方では白衛軍との戦争に当て、(2)内戦になっていない他地方では、軍事=割当徴発制の穀物・家畜収奪政策と反乱農民鎮圧作戦に使った。1920年夏以降のタンボフ県、西シベリア、ウクライナにおける3大農民反乱や36県での農民との戦争状態にたいする武力鎮圧に、全面的に赤軍を使い、裁判なし射殺や毒ガス使用による反乱農民の殲滅、殺戮作戦に使った。

 徴兵後、働き手を奪われた家族も穀物・家畜を、等しく軍事・割当徴発によって収奪され、餓死の危険が迫った。レーニン・トロツキーは、農民出身の兵士にたいして、反乱農民を殺す任務を負わせた。白衛軍とたたかうのならともかく、同じ農民を殺す軍隊は、彼ら80%を占める農民出身兵士にとって、犯罪的存在でしかない。脱走兵と徴兵逃れが大量に出るのは当然だった。トロツキーは、彼らにたいして、犯罪・腰抜けというレッテルを貼りつけた。1921年の公式統計での赤軍兵士銃殺は4337人である。4337×3年=銃殺した兵士13011人になる。

 レーニンは、徴兵逃れの農民狩りを指令し、チェーカーと赤軍に大々的に行わせた。彼は、それを「捕獲」と名付けて、捕獲数を報告させていた。その捕獲作戦に抵抗する農民を大量に殺し、また、脱走兵と徴兵逃れの家族を人質に捕えた。彼らが出頭しなければ、見せしめに人質を殺害した。その殺人と人質、人質殺害だけでも、800.4万人の脱走兵・徴兵逃れのうちで、最低でも十数万人になる。

 別の算出根拠もある。『飢餓の革命』(P.16)にある1920年8月のチェリャビンスク県だけの報告である。兵役忌避者7340人のうち106人が監獄、194人が矯正収容所、134人が強制労働、1165人が執行猶予、5067人が罰金、18人が銃殺、656人がそのほかの判決。もちろん、捕獲部隊との戦闘で多数が犠牲という公式統計である。

 4項目452人÷7340人=6.15%となる。脱走兵・徴兵逃れ800.4万人×6.15%=約49万人になる。機械的な計算式だが、約49万人を監獄、矯正収容所、強制労働、銃殺にしたことになる。

 〔殺人指令文書8〕、1918年8月30日、トロツキーの脱走兵銃殺命令

 これは、ヴォルコゴーノフ『トロツキー・上』(朝日新聞社、1994年)の文書である。

 「プロレタリアート独裁にたいする確信は、トロツキーをして国内戦時代における軍事テロの主要な推進者のひとりとした。手元に、一九一八年八月三十日にトロツキーが署名した命令がある。

 命令第三一号  赤軍および海軍へ  反逆者および裏切り者が労農赤軍にもぐり込み、人民の敵に勝利をもたらそうとしている。その次が、略奪兵と脱走兵である……。昨日、東部戦線第五軍野戦軍法会議の判決により二〇人の脱走兵が銃殺された。真っ先に銃殺に処せられたのは、その任せられた部署を放棄した指揮官やコミッサールであった。ついで負傷兵のふりをした臆病な嘘つきが銃殺された。最後にこれからの戦闘で自分の犯罪的行為を償うことを拒否した脱走兵が何人か銃殺された。労農赤軍の勇敢なる兵士諸君万歳! 略奪兵に破滅を。裏切り者の脱走兵に死を。  軍事人民委員  トロツキー。(注162)」(P.402)

 (注162)、マルクス・レーニン主義研究所党中央文書保管所、フォンド325、目録1、資料40、ファイル27

 3、コサック身分農民30〜50万人殺戮、強制移住による餓死殺人

 コサック身分農民は、440万人いた。彼らは、帝政時代から軍事的義務とひきかえに、土地利用で一般農民より優遇されていた。内戦中は、「白いコサック(白衛軍側)」と「赤いコサック(赤軍側)」とに分かれ、それぞれが流動的に入れ替わった。コサックたちが内戦にほんろうされる有り様は、ショーロホフが『静かなドン』において、農民兵士グリゴリー・メレホフの流転する生涯を通して、リアルに描いている。

 9000万農民の土地革命後、レーニンは、コサック優遇措置を廃止し、一般農民と同じにした。コサック騎兵集団は、たしかに「白」と「赤」の両面性を持っていた。それにたいして、レーニンと政治局は、コサックにたいしてだけ土地革命農民なみの権利・権限をも剥奪し、『農民』ファイルの極秘指令「赤色テロル」を先制的に仕掛けた。これは、メドヴェージェフの言うように、極めてひどい誤りであるだけでなく、ロシア革命にたいする犯罪行為だった。レーニンとスヴェルドロフは、未来の反革命因子を排除するための一つの階層まるごとを抹殺する大量予防殺人をしたのである。

 レーニンの一方的なコサック抹殺の先制テロルにたいして、コサック騎兵集団が総反発して、対赤軍の反乱を起したのは当然だった。レーニンとコサック反乱鎮圧司令官オルジョニキッゼは、30〜50万人のコサックを戦闘、虐殺、餓死で殺し、あるいは強制収容所送りにした。トロツキーは、反乱したコサック村の家族をシベリアに徒歩で強制移住させ、その穀物没収した上での死の行進手法により、数千人を餓死させた。

 1920年10月、生き残ったコサック騎兵3万人は亡命した。政治局は、自分の馬と別れ難いので亡命を断ったコサックを、すべて銃殺するか、強制収容所送りにした。これにより、ソ連各地のコサック領地に住むコサック身分440万農民は離散した。亡命者たちの一部は、有名なコサック合唱団を作り、コサックの歌と踊りを世界に広めた。

 スターリンも、レーニンのコサック根絶政策を忠実に継承した。それにより、440万人の70%、308万人が、戦死、処刑、流刑死で抹殺された。これらの詳細を、植村樹・元NHKモスクワ特派員が『ロシアのコサック』(中央公論社、2000年)で書いている。

 〔殺人指令文書9〕、1919年1月21日、コサックへの赤色テロル指令

 この日付は、『共産主義黒書』のものである。メドヴェージェフ『1917年のロシア革命』は、2月となっている。メドヴェージェフの文をそのまま引用する。

 「一九一九年春までに赤軍も著しく力をつけ、その兵員数は二百万に近づきつつあった。中農の気分が急変し、三百万人にまで増員することが決定されていた赤軍の補充が容易になった。一九一九年秋までに内戦を成功裡に終結させることができるだろうとの確信が生まれた。しかしちょうどこの頃から、赤軍にとっては失敗と敗北続きの時期が始まるのである。一九一九年三月十二日ヴェンシェンスカヤ村を先頭とするドン北部のコサック村で新しい反乱の火の手が上がった。それはすでに反赤軍の反乱であった。

 反乱の原因はドン上流地域のコサック村でおこなわれた最も無慈悲な赤色テロルであった。このテロルの直接の実行者は軍後方部隊あるいは前線司令官たちであったが、イニシアチブを取ったのは彼らではなかった。赤軍の側につき、戦闘をつい最近開始したばかりのコサック自身もテロルへの口実を全く与えてはいない。テロルの指令はモスクワから入ってきたのである。それは、ロシア共産党中央委員会組織局指導者にして全ロシア中央執行委員会議長であったヤコフ・スヴェルドローフ署名の同党組織局決定であった。指令は次のようなものであった。

 各地の戦線やコサック地区での最近の諸事件、コサック入植地奥地へのわれわれの前進とコサック部隊に囲まれての崩壊によりわれわれは党活動家に対し、上記地区での仕事の性格について指示を与えねばならない。コサックとの内戦の経験にかんがみ、コサック上層部全員に対する最も仮借なき闘争、彼ら全員を根絶やしにする闘争を唯一正しいものであると認めねばならない。

 一、裕福なコサックに対して大量テロルをおこない、彼らを一人残らず根絶やしにすること。ソヴィエト政権との闘いに直接あるいは間接に、何らかの参加をしたコサック全員に対し仮借なき大量テロルをおこなうこと。中間コサックに対してはソヴィエト政権に反対する新たな行動をとろうとするいかなる試みをも予防するためあらゆる措置を講ずること。

 二、穀物を没収し、余剰すべてを指定の場所へ運び、引き渡させること。これは穀物だけでなく、あらゆる農産物に適用される。

 三、よそから来た貧民移住者を援助するあらゆる措置を講じ、移住可能なところへ移住させること。

 四、土地関係やその他すべての関係において、他都市から来た人々とコサックとを平等に遇すること。

 五、完全武装解除をおこない、武器引渡期限以降に武装の所持が発覚した者は、すべて銃殺すること。

 六、他都市から来た人々のうち信頼のおける人々にのみ武器を渡すこと。

 七、今後完全な秩序が確立されるまでコサック村には武装した部隊を駐留させること。

 八、いずれかのコサック入植地へ任命されたコミッサールは最大限に毅然たる態度を示し、一貫して本命令を遂行すること。農業人民委員部は貧民がコサックの土地へ大量に移住できるように実際的措置を早急に準備すること。

 ロシア共産党中央委員会。(党中央アルヒーフ、ЦПА,Ф.17, оп.4,д.21, л.216)

 二月にドン上流地域のコサック村で実施され始めた恐ろしい、身震いさせるこの指令について私はコメントするつもりはない。これは極めてひどい誤りであるばかりでなく、ロシアと革命に対する犯罪行為であった。政治的あるいは倫理的判断やその結果については言うまでもない。二月のスヴエルドローフ指令が実施されたのはコサックの州なのである。この地域では男性住民はみな武装し、武器の扱いにたけており、大、小の村落で動員を短時間におこない、何十もの歩兵および騎馬連隊を編成することができるのである。この状況で「非コサック化」と大量テロルをおこなえば必然的にコサックの蜂起を招き、南部戦線の安定だけでなく、革命の運命をも脅威にさらすことになるのである。現にドン上流地域で始まった反乱を鎮圧することは出来なかった。ドン上流地域のコサックは連隊と師団を巧みに活用し、対コサックのために投入され、たいていは大急ぎで編成された兵団をことごとく打ち破った。このおかげでデニーキン軍は十分に態勢を整え、一九一九年五月、強力な攻撃を開始することができたのである。六月末までにデニーキン軍はウクライナのほぼ全域と、中央黒土地帯と、ヴオルガ地域のかなりの部分を占領した。六月二十四日、赤軍はハリコフを、六月三十日にはツァーリンを放棄した。」(P.121)

 〔殺人指令文書10〕、1920年10月23日、オルジョニキッゼのコサック解体命令

 これは、ニコラ・ヴェルトの『共産主義黒書』にある。

 もっとも手っ取りばやいコサック解体の方法は、コサックの村を破壊して、すべての生存者を収容所送りにすることだった。ボリシェヴィキ指導者の一人で、当時北カフカス革命委員会の議長だったセルゴ・オルジョニキッゼの文書の中には、一九二〇年十月末から十一月初めにかけて展開された作戦の一つの資料が含まれている。

 十月二十三日、セルゴ・オルジョニキッゼは以下のような命令を下した。

 「一、カリノフスカヤ村を完全焼却すること。

 二、エルモロフスカヤ村、ロマノフスカヤ村、サマシンスカヤ村、およびミハイロフスカヤ村の全住民を立ち退かせ、住民の家と土地は、ソヴィエト権力に常に愛着を示してきた貧農とチェチェン人に分配すること。

 三、上記諸村の十八歳から五〇歳までの全男子を列車に乗せ、見張りを付けて、重度の強制労働を行なわすべく、北方へ強制移住させること。

 四、女・子ども、老人を退去させること。ただし、もっと北の他の村に居住する許可を与えること。

 五、上記諸村の住民の全家畜と全財産を徴発すること。(注1)」

 三週間後、オルジョニキッゼあての報告は、以下のように作戦の展開を述べている。

 「カリノフスカヤ村−全村焼却。全住民(四二二〇人)は強制移住または退去。

 エルモロフスカヤ村−全住民排除(三一二八人)

 ロマノフスカヤ村−一六〇〇人強制移住。一六六一人移住待ち。

 サマシンスカヤ村−一〇一八人強制移住。一九〇〇人移住待ち。

 ミハイロフスカヤ村−六〇〇人強制移住。二二〇〇人移住待ち。

 このほか、一五四両の食糧輸送車がグローズヌイに向けて出発しました。強制移住がまだ完了していない村では、まず初めに白軍と緑軍の家族と、最後に反乱参加者の家族が移住させられました。移住させられなかった者の中には、ソヴィエト体制のシンパ、赤軍兵士・役人・コミュニストの家族がいます。強制移住作戦の遅れは、もっぱら車両の不足からきています。作戦のために送られてくる列車は、一日平均たった1編成でした。強制移住作戦を完了するために、さらに三〇六車両の追加が緊急に要請されます。(注2)」

 (注1)、ロシア現代史文書保存研究センター、85/11/131/11

 (注2)、ロシア現代史文書保存研究センター、85/11/123/15

 これらの「作戦」は、どのように行なわれたのだろうか? 残念ながらこの点については、我々にはいかなる正確な資料もない。わかっているのは、「作戦」は長引き、最終的に移住者はしばしば極北地方ではなく、その後も相次いだように、近くのドネッ炭田の方へ送られたということである。一九二〇年末の列車の状況からして、数量的に把握するのは難しい……それでも、諸方面から見て、一九二〇年のコサック解体の「作戦」は、十年後のクラーク撲滅の大「作戦」の前ぶれであった。連帯責任といい、列車による強制移住のやり方といい、経理の問題といい、移住者を受け入れる場所が準備されていなかったことといい、移住者を強制労働に使うという考えにおいて、このように言えよう。

 ドンとクバンのコサック地域は、ボリシェヴィキに反抗したために、多大の犠牲を払わされた。最も信頼できる評価によると、三〇〇万足らずの全人口中、一九一九〜一九二〇年に殺されたり、強制移住させられたりしたものは、三〇万から五〇万の間であった。(P.109〜111)

 4、山猫ストライキ労働者の逮捕10000人、即時殺害500人

 ペトログラード・ソヴェト議長ジノヴィエフとペトログラード・チェーカーが、1921年2月、全市を赤軍・共産党員軍・クルサントゥイ軍で包囲し、ストライキ工場をロックアウトした上で、10000人のストライキ労働者とボリシェヴィキ党員を逮捕した。そのうち、ストライキ指導者500人を拷問死、銃殺で即座に殺した。これは、V・セルジュとボリシェヴィキ指導者ダンの証言である。残りの9500人にたいする措置のデータはない。チェーカーは、残りの全員も銃殺する方針だったが、ゴーリキーとセルジュが、銃殺だけは止めた。

 この直前に、モスクワで全市的山猫ストライキがあり、それも鎮圧された。しかし、モスクワ・チェーカーによる12人銃殺、1000人逮捕という『黒書』データ以外は、現時点で分からない。

 モスクワとペトログラードの山猫ストライキ労働者にたいする〔殺人指令文書〕は、あるはずだが、まだ発掘されていない。

 ニコラ・ヴェルトは、『黒書』(P.94)で、その理由を次のようにのべている。『ボリシェヴィキは、労働者の名において政権を獲得したのだが、弾圧のエピソードの中で新体制が最も注意深く隠蔽したのは、まさにその労働者に対して加えた暴力だった』。

〔殺人指令文書11〕、1918年5月31日、ジェルジンスキーのストライキ労働者銃殺指令

 これは、ニコラ・ヴェルトが『共産主義黒書』に載せた。

 政治面では一九一八年春の独裁の強化はすべての非ボリシェヴィキ系新聞の最終的発禁、非ボリシェヴィキ系ソヴィエトの解散、反対派の逮捕、多くのストライキの粗暴な抑圧となって表れた。一九一八年の五〜六月には、二〇五の社会主義的反対派の新聞が完全に発行禁止になった。メンシェヴィキや社会革命党が多数派だったカルーガ、トヴェーリ、ヤロスラーヴリ、リャザン、コストロマ、カザン、サラトフ、ペンザ、タンボフ、ヴォロネジ、オリョール、ヴォログダのソヴィエトは、武力で解散させられた。弾圧はどこでもほとんど同じやり方で行なわれた。反対派が選挙で勝って、新しいソヴィエトがつくられると、その数日後に土地のボリシェヴィキは軍隊の応援を頼むが、それはたいていチェーカーの分遣隊だった。ついで戒厳令を出して、反対派を逮捕したのである。(注1)」

 反対派が勝利した町に自分の信頼する協力者を送ったジェルジンスキーは、一九一八年五月三十一目、トヴェーリへ派遣した全権のエイドゥークに、自分の命令を実行するにあたってなにより有効な武力行使について、次のように単純率直に書いている。

 「メンシェヴィキやエスエルやその他反革命の畜生どもに影響された労働者たちは、ストライキを行い、『社会主義』めいた政府の創設に賛成を表明した。君はすべての市にポスターを張って、ソヴィエト権力に対して陰謀を企てるあらゆる匪賊、盗賊、投機家、反革命家はチェーカーによってただちに銃殺されると声明すべきだ。市のブルジョワに対しては特別の支援を頼むがいい。彼らを調べ上げよ。もし彼らが動きだしたら、このリストが役立つだろう。我々の地方チェーカーがどんな構成員からなっているか、わたしに聞いてくれ。人を黙らせるには一発ぶっぱなすのがいちばん有効だとよく知っている連中を使うことだ。わたしは経験から、少数の断固とした人間で情況を変えることができるということを学んだ。(注2)」

 反対派の掌握したソヴィエトを解散し、一九一八年六月十四日にソヴィエトの全露執行委員会からメンシェヴィキと社会革命党員を排除したことで、多くの工業都市において抗議、デモ、ストライキが起こった。一方、そこでの食料事情はますます悪化していった。ペトログラード近くのコルピノにおいて、あるチェーカーの分遣隊長は労働者の食料要求デモに発砲を命じたが、彼らの配給食糧は一カ月小麦粉二フント〔〇・八キロ〕まで落ち込んでいた! その結果、十人の死者がでた。同日、エカチェリンブルク近郊のべレゾフスキー工場では赤衛軍によって十五人が殺されたが、彼らは「ボリシェヴィキの委員たち」が、町でいちばんよい家々を占拠した上に、土地のブルジョワジーから取り立てた一五〇ルーブルを横領したことに抗議の集会を開いたからだった。翌日には地区当局はこの工業都市に戒厳令を宣言し、モスクワの判断も仰ぐことなしに土地のチェーカーによって十四人が即座に銃殺された!(注3)

 一九一八年の五月後半と六月にはソルモヴォ、ヤロスラーヴリ、トゥーラや、ウラルの工業都市のニジニ‐タギール、ベロレツク、ズラトウスト、エカチェリンブルクなどで多くの労働者のデモが流血の中で鎮圧された。運動の抑圧において土地のチェーカーの役割がますます強くなったことは「コミッサロクラシー〔委員官僚制〕」に奉仕する「新オフラナ(帝政時代の政治警察)」という言葉やスローガンが労働者間で使われる頻度が多くなったことでも証明される。(P.76)

 (注1)、V.Brovkin,op.cit,p220-225(ブロフキン『十月後のメンシェヴィキ』)

 (注2)、RTsKhIDNI(ロシア現代史文書保存研究センター)、17/6/384/97-98

 (注3)、Novaia Jizn,1er juin 1918,p4(『新生活1918年6月1日』)

 〔殺人指令文書12〕、1920年1月29日、レーニンの第5軍軍事革命委員会議長スミルノフへの電報

 レーニンや共産党最高指導部は、ストライキにたいする見せしめの弾圧を呼び掛けた。ウラルの労働運動が高まっていた。それが不安になったレーニンは、スミルノフへの電報を送った。

 「Pの報告によれば、鉄道労働者が大規模なサボタージュをしているという…伝え聞くところでは、イジェフスクの労働者も関係しているとのことだ。わたしは君がそれを放置し、サボタージュを大衆処刑で処置しないことに驚いている」。『黒書』(P.99)

    『クロンシュタット水兵とペトログラード労働者』レーニンによる皆殺し対応

    『「ストライキ」労働者の大量逮捕・殺害とレーニン「プロレタリア独裁」論の虚構(3)』

 5、クロンシュタット水兵・労働者・住民を殺戮、銃殺、収容所送りで殲滅

 クロンシュタット・ソヴェトは、1905年革命、1917年二月革命、10月レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターにおいて、もっとも先進的役割を果した。トロツキーが称賛したように「革命の栄光拠点」だった。そこが、なぜボリシェヴィキ一党独裁政権にたいして、自由で平等な新選挙要求を突きつけ、平和的要請に決起したのか。15項目綱領の要求内容と鎮圧経過については、P・アヴリッチ『クロンシュタット1921』と、イダ・メット『クロンシュタット・コミューン』、および私(宮地)の『ザミャーチン「われら」と1920、21年のレーニン』が分析している。

 コトリン島住民45000人中、水兵10000人と労働者4000人のほとんどが殺された。判明しているのは、『共産主義黒書』にある「四〜六月の間に二一〇三名が死刑の判決を受け、六四五九名が投獄された」ことである。8000人が氷結したフィンランド湾を渡って、フィンランドに逃げた。レーニンは、恩赦すると騙して、彼らを帰国させた。そして、全員を逮捕し、強制収容所送りにした。しかし、彼らは、すでに出来ていた北極海につながるソロヴェツキー島とアルハンゲリスクの収容所に送られ、その大多数は手を縛られ、首に石を付けてドビナ河に投ぜられた。

 生き残ってソロフキ収容所に送られた者も、収容所内の処刑システムで殺された。内田義雄・元NHK特派員は『聖地ソロフキの悲劇』(NHK出版、2001年、P.55)で次の事実を記している。一九二一年春の「クロンシュタットの反乱」の鎮圧後、処刑を免れた水兵およそ二〇〇〇人が送られてきた。その他コルチャーク将軍指揮下の白軍の残党、農民、知識人、聖職者、ドンコサックなどいろいろの人たちがいた。連日のように処刑が行われ、ある時は人々の目の前で囚人たちを川に浮かぶはしけに乗せて流し、そのまま沈めて溺死させた。そのなかには女性や子どもたちも大勢混じっていた。何とか泳いで岸に向かってくる者は、機関銃で容赦なく、撃たれた。それが何回も繰り返された。

 レーニンは、クロンシュタットの平和的要請にたいして、「白衛軍の将軍の役割」と、真っ赤なウソをついた。農民・労働者・兵士の総反乱による一党独裁政権崩壊の恐怖におののいたレーニン・政治局は、それだけでなく、反革命の豚というレッテルを貼りつけ、鎮圧司令官トゥハチェフスキーに皆殺しを指令した。反革命の豚の殺し方が上記(表)のようになるのは必然だった。

 〔殺人指令文書13〕、1921年3月5日、トロツキーの最後通牒、雉子のように撃ち殺す

 この最後通牒は、クロンシュタット反乱関係の全文献に載っている。ヴォーリン『クロンシュタット1921年』から載せる。

 「次の日の三月五日に、トロツキーはクロンシュタットへの最後通牒を発した。それはクロンシュタットヘラジオを通じて伝えられたし、また代表を送ることに関するふたつの電報と同じ号の「イズヴェスチヤ」にも発表された。当然、代表を送る件についての交渉もすぐぶちこわしになった。ここにトロツキーの最後通牒の全文がある。

 労農政府は、クロンシュタットおよび反逆している戦艦に対して、ただちにソヴィエト共和国の権力に服従すべき命令を出した。それに従って私は、社会主義の祖国に対して反旗をひるがえすものすべてに、即刻、武器を放棄するよう命ずる。強情に抵抗しつづける者は武装を解除されて、ソヴィエト当局へひきわたされるであろう。逮捕された執行委員とその政府代表をただちに釈放せよ。無条件に降服するものだけが、ソヴィエト共和国の慈悲にあずかり得るであろう。

 同時に私は武力をもって暴動を鎮圧し、反徒を平定すべき命令を発する。平和な民衆がうけるかもしれない損害の全責任は、反革命反徒にあるであろう。これが最後の警告である。

                   共和国革命軍事委員会議長 トロツキー

                   最高司令官 カーメネフ」

 この最後通牒につづいて『お前たちを雉子のように撃ち殺すつもりだ』というトロツキーの指令が出された。」(P.91)

    『クロンシュタット水兵とペトログラード労働者』レーニンによる皆殺し対応

 6、チェコ軍団帰国途中の武装解除と銃殺命令、軍団の抵抗と反乱

 レーニンは、1917年11月7日、単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターに成功した。政府は、1918年3月3日、ドイツとブレスト講和条約を結び、ロシアだけが、第一次世界大戦から単独離脱した。ロシア国内にチェコ人の捕虜・投降兵士からなるチェコ軍団が4.5万人残っていた。政府は、彼らを武装させたままで、シベリア鉄道でウラジオストックから帰国させることにした。その帰国途中で、1918年5月25日、レーニン・トロツキーは、突如方針転換をした。彼らは、白衛軍ではない。武装したチェコ軍団4.5万人の反乱は、白衛軍との内戦勃発・拡大の引金になった。ただ、その26日前の4月29日、レーニンらは、全ロシア中央執行委員会において、自らが80%・9000万農民にたいする内戦を仕掛ける戦争開始宣言をしていた。これ以後、内戦は、(1)レーニンが仕掛けた農民との内戦、(2)チェコ軍団、白衛軍との内戦という2種類の内戦期間に突入した。

 ロイ・メドヴェージェフは、『1917年のロシア革命』で、この命令文書を載せた。この詳細な経過は、彼が分析している。

  〔殺人指令文書14〕、1918年5月25日、トロツキーによる武装解除・銃殺命令

 残念なことに、こうした状況の中でソヴィエト政権は、正当化できないほど残酷な行動をとり始めた。モスクワから軍団の移動路線へ、次のような恐るべき電報が送られた。

 「軍事人民委員命令

 モスクワより五月二十五日二十三時。サマーラ、ペンザからオムスクまでの鉄道沿線のすべてのソヴィエトヘ。

 全ソヴィエトは責任をもって速やかにチェコスロヴァキア人の武装解除をおこなうこと。鉄道路線内で武装が発覚したチェコスロヴアキア人はその場で銃殺すること。一人でも武装している者がいた場合、その輸送列車編隊は下車させ、軍事捕虜ラーゲリへ収容すること。地方軍事コミッサールは本命令を速やかに遂行する義務を負う。いかなる遅滞も恥ずべき裏切り行為と同義であり、違反した者は厳罰に処する。武器を引渡しソヴィエト政権に従う誠実なチェコスロヴァキア人に対しては、兄弟として過し、あらゆる援助を与えること。本命令を全チェコスロヴアキア輸送列車編隊に読み聞かせ、チェコスロヴアキア人と接する全鉄道員に通知すること。……

 軍事人民委員L・トロツキー。(注108)」

 (注108)、B・マクサコフ、A・トルクノフ『シベリアにおける内戦の記録』、国立出版所、1926年、57頁

 この命令の内容は、単に残酷であっただけではない。遂行不可能なものでもあった。ソヴィエト政権には、チェコスロヴアキア人を武装解除する力はまったくなかったからである。軍団の兵士たちが自発的に武器を手渡すと考えることなど、ばかげたことであった。異国にいて、そこで起こっている事件についてあまりよく判らず、様々な「徒党部隊」からの攻撃を懸念していた兵士たちは、武器を、安全を確保しつつ帰国を実現するための保証と見なしていたからである。軍団の一般兵士の気分は一変し、五月二十六日から軍団部隊とソヴィエト部隊との個々の衝突は、反乱へと拡大していった。チェコスロヴアキア軍はほとんど抵抗にあわず、シベリアとウラルの主要都市とヴォルガ地方のかなりの部分を占拠した。この地域全部のソヴィエト権力は打倒され、軍事コミッサールとボリシェヴィキ党の指導者は銃殺された。(P.106)

 7、聖職者数万人銃殺、信徒数万人殺害と教会財産没収

 これは、岩上安身『あらかじめ裏切られた革命』(講談社、1996年)に載った。この経過、内容とデータは、『聖職者』ファイルで分析した。聖職者・信徒らは、精神的にはともかく、具体的な反革命運動に加担していなかった。この大量殺人指令と殺戮は、コサック農民への赤色テロルに次いで、レーニンが、第2回目の未来の反革命因子を排除するための一つの階層まるごとを抹殺する大量予防殺人をしたものだった。

 〔殺人指令文書15〕、レーニンの教会財産没収、聖職者銃殺指令極秘手紙

   1922年3月19日付手紙全文 1990年4月「ソ連共産党中央委員会会報」で公表

 「ロシア共産党(ボリシェヴィキ)中央委員政治局員のためのX・M・モロトフヘの手紙

 一九二二年三月十九日

 極秘 写しは絶対にとらないこと。政治局員各自(カリーニンも同様)意見は直接、文書に書きこむこと。 レーニン

 シューヤ(訳者注=イワノヴォ州にある市)で起こった事件は、すでに政治局の審議に附されてはいますが、事件が全国的な闘争計画に沿ったものである以上、断固たる処置をとる必要があると思われます。三月二十日の政治局会議に自ら出席できるかどうかわかりませんので、手紙で自分の考えを述べます。シューヤの事件は、最近ロスト通信が各新聞社宛に掲載を目的とせずに流した、例のペトログラードにおいて、極右が教会財宝没収令に対し抵抗の構えをみせているとするニュースと関連づけてとらえるべきです。

 今度の件と、新聞が書いている宗教界の教会財産没収令に対する態度や我々が知っているチーホン総主教の非合法なアピールを比べると、極右聖職者達がこの時期を狙って我々に戦いを挑むことが、きわめてよく練られた計画であることが判明します。極右聖職者の主要メンバーで構成する秘密会議で、この計画が練られ、決定されたに違いありません。シューヤの事件は、この全体計画の単なる一片にすぎません。

 思うに、我々に対し、勝ち目のない徹底抗戦で向かってくるとは、敵の大きな戦略的誤りです。むしろ我々にとって願ってもない好都合の、しかも唯一のチャンスで、九分九厘、敵を粉砕し、先ゆき数十年にわたって地盤を確保することができます。まさに今、飢えた地方では人を喰い、道路には数千でなければ数百もの屍体がころがっているこの時こそ、教会財産をいかなる抵抗にもひるむことなく、力ずくで、容赦なく没収できる(それ故、しなければならない)のです。今こそ、農民のほとんどは我々に味方するか、そうでないとしても、ソヴィエトの法令に力ずくの抵抗を試みるひと握りの極右聖職者と反動小市民を支持できる状況にはないでしょう。

 我々はいかなることがあっても、教会財産を断固、早急に没収しなければなりません。それによって数億ルーブル金貨の資金が確保できるのです(修道院や大寺院の莫大な財産を思い出して下さい)。この資金がなくては経済建設をはじめとする、いかなる国家的事業も、またジェノアで自己の見解を貫き通すこともありえません。ルーブル金貨数億(もしくは数十億)の資金を手に入れることは是が非でも必要なのです。それが首尾よくできるのは今だけです。状況を見てみると、後からでは成功しません。絶望的な飢餓のときを除いては、農民大衆が、たとえ教会財産没収闘争で当方の完全勝利が自明だとしても、我々に好意的態度を示したり、せめて中立でいてくれるという保証はないのです。

 ある賢明な作家が国家的問題に関して、『一定の政治目的を達成するために残酷な手段を必要とする場合は、思いきった方法で、きわめて短時間に行なわなければならない。残酷な手段を長期にわたって用いれば大衆が耐えられないだろう』と述べていますが、まったくそのとおりです。さらにこの考えは、反動宗教界に残酷な手段でのぞむとなると、ロシアの国際的立場が、とりわけジェノア以後、政治的に不合理かつ危険の多いものとなるだろうということで裏づけされます。今、反動宗教界に対する我々の勝利は完全に約束されています。また国外のエスエルやミリュコフ派など主要な敵も、我々が今この時期、飢餓に際して迅速かつ容赦なく反動宗教界を弾圧するなら、もはや我々に抗することはできないでしょう。

 それゆえ、私は、今こそ極右聖職者達に徹底的かつ容赦ない戦闘を挑み、彼らが今後、数十年にわたって忘れることのできないような残忍な手段で抵抗を鎮圧すべきだという、疑う余地のない結論に達しました。この計画を実施に移すための作戦を私は次のように考えています。

 いかなる措置を採るときも公的には同志カリーニンのみが登場し、同志トロツキーは印刷物にしろ公衆の前にしろいかなる形であれ姿を現わしてはならない。政治局の名ですでに出された没収の一時停止に関する電報は変更しない。この電報は、敵にあたかもわれわれが逡巡しており、威嚇に成功したと思わせるので好都合である。

 シューヤには全ロシア中央執行委員会、もしくは他の中央政府機関から最も精力的で、分別のある敏腕な者を一人(数人より一人がよい)、政治局員の一人が口頭で指示を与えて派遣する。そして、この指示は、それによって彼がシューヤで、現地の聖職者、小市民、ブルジョアを全ロシア中央執行委員会の教会財産没収令に反対する実力抵抗に直接または間接にかかわったかどで、できるだけ多く、少なくとも数十人以上逮捕するものとする。

 任務終了後、彼はただちにモスクワに来て、自ら、政治局全体会議か、それを代表する二名の政治局員に報告を行なう。この報告にもとづいて政治局は司法当局に細かい、これも口頭の指令を出す。それは飢餓救援に抵抗するシューヤの暴徒に対する裁判が迅速に行なわれ、シューヤと、できればそれ以外にもモスクワや他の教会都市の最も影響力ある危険な極右を非常に多数、必ず銃殺刑にして終わるようにするためである。

 チーホン総主教自身には、明らかに、この奴隷所有者どもの暴動の頭目ではあるが、手を出さないほうが、賢明だと思う。彼に関してはGPU(ゲーペーウー)に秘密指令を出して、この時の対外関係をすべて、できるだけ正確かつ詳細に洗い出させること。そして、それをジェルジンスキーとウンシュリフト自らが毎週、政治局に報告するようにすること。

 党大会において、この問題にかかわるすべてないしは、ほとんどすべての代議員とGPU、司法人民委員部の主要職員からなる秘密会議を設けること。富豪の大寺院、修道院、教会の財宝没収がどんなことがあっても容赦なく、徹底的かつ最短期間で行なわれるべしとする大会秘密決議はこの会議で行なう。これを口実に銃殺できる反動聖職者と反動ブルジョアは多ければ多いほどよい。今こそ奴らに、以後数十年にわたっていかなる抵抗も、それを思うことさえ不可能であると教えてやらねばならない。

 この措置が迅速かつ滞りなく実行されることを監視するため、当の大会すなわち秘密会議で特別委員会を指名し、そこに同志トロツキーとカリーニンを必ず加えること、そしてこの委員会の存在は絶対公表せず、委員会指導下の作戦はすべて委員会の名によらず、全ソヴィエトと全党の名において行なわれること。富豪の大寺院、修道院、教会でこの措置を実行するときは特に責任感の強い優秀な職員を配すること。

 一九二二年三月十九日  レーニン

 同志モロトフヘの依頼、この手紙を各政治局員から今日中に回覧し(写しはとらず)、読了後、手紙の主旨に同意か反対かを書き込んで、ただちに秘書に戻すよう、とりはからって下さい。

 一九二二年三月十九日  レーニン」(P.289)

    『聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理』

 8、「反ソヴェト」知識人の国外追放・強制収容所送り数万人

 これも『知識人』ファイルで書いた。これは、レーニン第1回発作による「12×7」の計算ができなかった直後からの、レーニン直接指令によるボリシェヴィキとその同盟者以外の知識人解体措置だった。それまでのロシア文化の破壊行為だった。これは、レーニンの第3回目の「大量予防殺人=肉体的排除」である。この大量予防殺人を細かく、個々の知識人名までリストアップし、肉体的排除遂行をしている最中の1922年12月に第2回発作が起き、彼の政治活動が終った。

 〔追放指令文書16〕、1922年5月19日、知識人追放指令の秘密手紙

 ソルジェニーツィンは、『収容所群島』第1部・第10章「法は成熟する」(新潮社)の冒頭で、次のレーニン全集に掲載されている「知識人追放に関する準備指令の手紙」を載せた。よって、これは「レーニン秘密資料」ではない。その個所をそのまま引用する。

 「銃殺に代えて国外追放が大量かつ緊急に試みられた。刑法典が編集されていた、あの熱狂の時代、ウラジーミル・イリイッチ(レーニン)は閃(ひらめ)いた思いつきを、ただちに五月十九日付の手紙の中に結実させた。

 『同志ジェルジンスキー! 反革命を援助している作家や教授たちを国外へ追放する問題について。このことはもっと綿密に準備する必要がある。準備がなければ、われわれは馬鹿をみることになるだろう……これらの《軍事スパイたち》をつかまえ、絶えず一貫してつかまえ、国外へ追放するように処置しなければならない。これのコピーをとらずに、政治局員にこっそり見せてくださるようにお願いする』(「レーニン全集」第45巻、P.721)

 この場合、その秘密性は手段の重要さと教訓的なことから当然である。ソヴィエト・ロシアにおける切り裂いたようにはっきりした階級勢力の布陣は、旧ロシアのブルジョア・インテリゲンチャの輪郭の判然としない、ぼんやりした汚点によってはじめて破られてしまった。これらインテリゲンチャはイデオロギーの面で本当の軍事スパイの役割を演じていたのであり――彼らに対する最善の処置はその腐った思想の滓(かす)を削りとり、彼らを国外へ放り出すこと以外にはなかった。

 同志レーニンその人はもう病床にあったが、政治局員たちが明らかに賛同し、同志ジェルジンスキーが八方手を尽して逮捕を行い、一九二二年末に約三百人の人道主義者が伝馬船に?……いいや、汽船に詰め込まれてヨーロッパのごみ捨て場へ送りだされた。」(P.360)

 〔追放指令文書17〕、1922年6月、レーニンの「反ソヴィエト」知識人追放指令

 ロイ・メドヴェージェフは、『1917年のロシア革命』で、次の「レーニン秘密資料」を公開した。これは、L・コーガン「精神的エリートの追放についての新情報」『哲学の諸問題』(8号、1993年)で最初に掲載された。

 「一九二二年レーニンは多数の人文系学者をソヴィエト・ロシアから追放することを承認した。大勢の傑出した哲学者の一団がペトログラードやモスクワから、汽船(「哲学船」)で送り出された。ペトログラードからは経済学者や歴史家が西側諸国へ向かった。法律家、文学者、協同組合活動家、農学者、医者、財政学者も追放された。これはきわめて大規模な措置であり、モスクワやペトログラードだけでなく、キエフ、カザン、カルーガ、ノヴゴロド、オデッサ、トヴェーリ、ハリコフ、ヤルタ、サラトフ、ゴメリにまで及んだ。ゲー・ペー・ウーの文書ではこの措置は「作戦」というコード名で呼ばれ、その実施指導のために、L・カーメネフを議長とするロシア共産党中央委員会政治局特別委員会が設置された。委員会にはその他ジェルジンスキーの代理ヨシフ・ウンシリフトとゲー・ペー・ウー秘密工作部部長I・レシェトフが加わった。同委員会メンバーとゲー・ペー・ウーの地方機関に対するF・ジェルジンスキーの指令メモの一つにはこう書かれていた。

   ウラジーミル・イリイチ〔レーニン〕の指令。極秘。

 積極的な反ソヴィエト・インテリゲンツィア(まずはメンシェヴィキ)の国外追放を、たゆまず継続する。入念にリストを作成し、それらをチェックしわれわれの文芸学者たちに批評させる。文献は全部彼らに割り当てる。われわれに敵対的な協同組合活動家のリストを作成する。「思想」と「家族共同体」の論集参加者のチェックをする。草々。

   F・ジェルジンスキー」(P.134)

 この指令の月日をメドヴェージェフは、著書で書いていない。しかし、期日を推測させる文言がある。それは。「(まずはメンシェヴィキ)の国外追放を、たゆまず継続する」である。この文言は、5月26日第1回目発作以後の追放の督促・継続指令である。

 〔追放指令文書18〕、1922年9月5日、ジェルジンスキーの知識人追放督促指令

 これは、ニコラ・ヴェルトが『共産主義黒書』に載せている。

 一九二二年九月五日、ジェルジンスキーは自分の補佐のウンシュリヒトに次のように書いた。

 「同志ウンシュリヒト! インテリゲンツィア追い出しの件に関しては、事態はまだ手工業的だ! アグラーノフが出立してから、もはやこの分野で有能な人間はいない。ザライスキーは少し若すぎる。早く仕事するためには、同志メンジンスキーがこの件を担当しなければならないだろうと思われる……ちゃんと計画をたて、それを定期的に訂正・補足することが不可欠だ。すべてのインテリゲンツィアをグループとサブ・グループに分類すべきだ。

 一、作家。

 二、ジャーナリストと政治家。

 三、経済学者(これはサブ・グループ分けが必要だ)。(a)財政専門家、(b)エネルギーの専門家、(C)運輸の専門家、(d)小売業、(2)協同組合の専門家、等

 四、技術専門家(これもサブ・グループ分けが必要だ)。(a)技師、(b)農学者、(C)医者、その他

 五、大学教授、およびその助手等々。

 これらの紳士方に関する情報はすべて我々の部局の中『インテリゲンツィア』部によって総合されなければならない。知識人一人ひとりの書類が我々のところにあるべきだ……我々の部の目的は単に個人を追放したり逮捕することでなく、専門家に対する全般的政策を念入りに作ることだということをいつも心に止めておかねばならない。すなわち、彼らを身近に監視し、対立させ、彼らを単に言葉のうえだけでなく、行動においてソヴィエト権力を支持するよう仕向けるのである。(注1)」(P.139)

 (注1)、ロシア現代史文書保存研究センター、76/3/303

 〔追放指令文書19〕、1922年9月5日の数日後、レーニンの知識人掃討・浄化指令メモ

 これも、ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書』にある。

 数日後レーニンはスターリンにあてて長いメモを書き、その中でマニアックな詳しさで、すべての社会主義者、知識人、自由主義者その他の「紳士方」をロシアから「決定的に掃討」することを再び論じた。

 「メンシェヴィキ、人民主義的社会主義者、カデット等の追放の問題について。わたしが出立する前に始まっていたこのやり方がまだ必ずしも完了していないので、いくつかの問題を提起したいと思う。すべての人民主義的社会主義者を根こそぎにするよう決定したか? ぺシェホーノフ、ミャコーチン、ゴルンフェリトその他はどうだ? わたしは彼らが皆追放されるべきだと思う。彼らはエスエルより危険だ。なぜならもっとずる賢いからだ。

 それからボトレーソフ、イズゴーエフ、そして『エコノミスト』の連中(オーゼロフその他多くの輩)も。メンシェヴィキのローザノフ(狡猾な医者)、ヴィグドルチク(〔別名〕ミクロまたはその類いの名)、リユボーフィ・ニコラエヴナ・ラドチェンコと、その娘(二人はボリシェヴィズムの最も危険な敵だと言われている)、N・A・ロシコープ(彼は追放されるべきだ。度し難い。)……マンツェフ=メッシング委員会がリストを作成し、これら何百人かの紳士どもは容赦なく追放されるべきだろう。

 我々はロシアを徹底的に浄化しよう……『作家の家』の全作家と、(ペトログラードの)『思想の家』の思想家も。ハリコフはくまなく捜査しなければならない。あそこは外国だから、そこでなにが起こっているのか、我々はなにも知らない。市はエスエルの裁判が終わる前に、素早く徹底的に浄化されなければならない。ベトログラードの著述家と作家を処理してくれたまえ(彼らのアドレスは『新ロシア思想』一九二二年第四号三七ページと個人編集者リストの二九ページに載っている)。これは超重要だ!(注1)」(P.139)

 (注1)、ロシア現代史文書保存研究センター、2/2/1338

    『「反ソヴェト」知識人の大量追放「作戦」とレーニンの党派性』

 9、カデット、エスエル、メンシェヴィキ、左翼エスエルの絶滅

 1917年7月時点で、エスエル党員100万人、メンシェヴィキ党員20万人がいた。(表)において、この粛清人数を(カッコ)つきにしたのは、他の階級、階層の殺人数と重複しており、独自の数値を推計できないからである。ただ、スターリンの粛清により、これら百数十万人の全党員が、亡命した者以外、一人残らず殺された。

 〔殺人指令文書20〕、1917年11月8日、カデット機関紙「レーチ」閉鎖措置

              1917年11月28日、カデット党員逮捕の布告

 革命政府(人民委員会議)が樹立された翌日、軍事革命委員会は、レーニンの強い主張を受け入れて、カデット機関紙「レーチ」、その他のブルジョア新聞を反革命活動の理由で閉鎖した。さらにその翌日、「出版にかんする布告」を発し、敵対的な新聞の封鎖を命じた。

 布告発令前の全ロシア中央執行委員会では、左派エスエルだけでなく、ボリシェヴィキの一部も、それに猛反対した。武装蜂起による死者は、双方合わせて10数人だけだった。レーニンも「テロルなど問題にならなかった」と認めていた。たしかに、臨時政府内のカデット閣僚5人が、コルニーロフの反乱を契機に辞任したのは事実である。しかし、ソ連崩壊後の資料によっても、レーニンのレッテル「コルニーロフの反乱にカデット党が加担したから」という事実はない。それは、レーニンのウソである。それは、レーニンによる権力奪取と同時の先制攻撃としてのブルジョア階級からの言論出版の権利剥奪政策だった。すべての他党派、知識人が、それを言論・出版の自由への弾圧として、強烈に反対、批判した。この問題については、大藪龍介が、詳しい分析をしている。

    大藪龍介『国家と民主主義』カデット機関紙「レーチ」、他新聞閉鎖措置の誤り

 レーニンは、カデットを「ブルジョア自由主義」として、法律の保護外とした。反革命行為がなくても、ブルジョア階級とブルジョア政党のあらゆる人権剥奪を当然とした。その全文をスタインベルグが『左翼社会主義革命党』に載せている。

 「我々左翼社会革命党は、その布告の中に、一般情勢によっては正当化されえない政治的ヒステリー症状の現れを見てとった。略式の大量逮捕令は、革命の日常的な煽動と混乱の中では、特に罪を犯さずともカデットであるという単にそれだけの理由で、国中の誰もがカデット党員を迫害し逮捕し危害を加えることができる、ということを意味していた。次に、この命令の全文を掲げよう。

 革命に対する内乱の指導者たちの逮捕に関する布告

 カデット党の執行機関のメンバーたちは、人民の敵として逮捕され、革命法廷で裁判に付されることになる。カデット党が革命に敵対する内乱と繋りを有していることに鑑み、彼らを特別監視の下に置くべき義務を、地方の各ソヴェトは負う。この布告は、即刻実施に移されるものとする。ペトログラード、一九一七年一一月二八日、午後一〇時三〇分。この布告は、レーニン、トロツキー、アヴィロフ、メンジンスキー、ジュガシヴィリ・スターリン、ドゥイベンコその他により署名された。」(P.54)

 〔殺人指令文書21〕、1918年6月、チェキスト党集会での法令可決とレーニン指示

 これは、ヴォルコゴーノフ『レーニンの秘密・上』にある。これは、9000万農民と全他党派の強烈な反対を押切って、レーニンが1918年5月食糧独裁令による穀物・家畜収奪路線に転換した時期だった。「農村に内戦の火をつける」というレーニン、スヴェルドロフ、トロツキーらの貧農委員会方式にたいして、ロシア全土で農民反乱が勃発し始めた。それがいかに誤った政策だったかの詳細は、『農民反乱』ファイルで書いた。

 「チェーカーのテロルは党の決議と密接に連動していた。一九一八年六月、赤色テロル命令が採択される三カ月前、チェキストたちの党集会でいくつかの法令が可決された。『君主主義者−カデット、右派エスエル、メンシェヴィキの著名で積極的な指導者たちの活躍を阻止すること。将軍、将校たちの名簿をつくり、絶えず監視すること。赤軍、その指揮官……から目を離さないこと。目立った、明らかに有罪の反革命派、山師、略奪者、収賄者を銃殺すること』などである。たとえば、バスマチ運動指導者は決して見逃すことなく、ただちに革命裁判にかけ、死刑の適用を考えることと中央アジア局に命令している。

 チェーカーの問題についてレーニンの肩入れは、『監禁、監視などは徹底的に行なうこと(特設仕切り壁、木の仕切り壁、戸棚、着替えのための仕切り壁にまで)、不意の捜査、犯罪捜査のあらゆる技術を駆使した、二重、三重のチェック・システムなど』、ごく基本的な技術面にまで及んでいる。こうした言葉は、政府の最高責任者というより保安機関の専門家のものである。彼はジェルジンスキーに、『逮捕するなら夜が好都合』とまで書いている。」(P.381)

 〔殺人・追放指令文書22〕、1918年8月9日、レーニンによる銃殺と追放指令

 ヴォルコゴーノフ『トロツキー・上』のデータである。

 「「ニージニ=ノヴゴロド・ソヴィエトヘ  ニージニでは明らかに白衛派が反乱を準備中である。全力をあげて、独裁権を持つ三人委員会をつくり、ただちに大衆的テロを加え、兵士を泥酔させる数百人もの売春婦や、旧帝政将官などを銃殺するか、町から追い出すべきである……。一刻も猶予してはならない……。全力をあげて行動し、大がかりな家宅捜索をせよ。武器保有の罪は銃殺にすべし。メンシェヴィキや動揺分子はどしどし追放せよ……。  一八年八月九日  あなたのレーニン」

 恐ろしい言葉である。民主主義、ヒューマニズム、正義を守るとした革命前の約束はどこへいってしまったのか? こうした電報は沢山ある。」(P.516)

 〔殺人指令文書23〕、1918年9月3日、内務人民委員ペトロフスキーの電報命令

 これは、スタインベルグ『左翼社会主義革命党』にある。

 「九月三日の朝、内務人民委員ペトロフスキーは、次のような電報による命令をすべての地方ソヴェトに発した――。『感傷と逡巡には直ちに終止符が打たれねばならぬ。地方ソヴェトに判明している限りの反革命的社会革命党員は即刻逮捕すること。資本家と将校団から多数の人質を確保せよ。白衛集団に於いて僅かな抵抗もしくは動きが見受けられた際には略式大量銃殺刑で直ちに鎮圧せよ。地方執行委員会は率先して事に当るべし……大衆的テロルの発動に際しては躊躇、懐疑は無用である』。政府の最高機関がこのような言葉で語っているとすれば、その執行機関、その地方機関の行動は推して知るべしであろう。そして事実、中央執行委員会の布告が未だ警告にとどまっているのに、地方では既に復讐が開始されつつあったのである。」(P.133)

 〔殺人指令文書24〕、1921年2月28日、ジェルジンスキーのメンシェヴィキ、エスエル逮捕命令。21年4月、レーニンのメンシェヴィキ、エスエル逮捕・銃殺命令

 これは、ニコラ・ヴェルトが、『共産主義黒書』に載せた。

 すでに一九二一年二月二十八日に、ジェルジンスキーはすべての地方チェーカーに以下のように命じていた。

 「(一)、すべての無政府主義的、メンシェヴィキ的、エスエル的インテリゲンツィア、とりわけ農業と食糧調達部門の人民委員部で働いている役人をただちに逮捕すること。(二)、この活動開始後、工場で働いていて、ストライキやデモを呼び掛ける可能性のあるすべてのメンシェヴィキ、エスエルおよびアナキストを逮捕すること。(注4)」(P.124)

 (注4)、V.Brovkin,op.cit,p400(ブロフキン『十月後のメンシェヴィキ』)

 一九二一年三月からのネップの導入は、抑圧政策の緩和どころか、穏健な社会主義の活動家の一層の抑圧を招いた。この弾圧は彼らが経済的「新政策」に反対する危険からではなく、むしろ長いこと彼らがこの政策を唱えてきて、その分析の正しさと洞察力を示したからであった。「自称であれ、僧称であれ、メンシェヴィキとエスエルの唯一の居場所は――とレーニンは一九二一年四月に書いている――それは牢獄である。」

 数カ月後になっても社会主義者がまだあまりにも「活動的」なのを見たレーニンは、「もしメンシェヴィキとエスエルが、まだちらっとでも顔を見せるようだったら、容赦なく彼らを銃殺してしまえ!」と書いた。一九二一年の三月から六月の問に二〇〇〇人以上の穏健な社会主義の活動家やシンパが逮捕された。メンシェヴィキ党の中央委員会の全委員が投獄された。シベリア流刑で脅迫された彼らは、一九二二年一月にハンストを始めた。ダンとエコラエフスキーを含む十二人の指導者が国外追放になり、一九二二年二月ベルリンに到着した。(P.124)

 〔殺人指令文書25〕、1921年6月、社会革命党とメンシェヴィキ組織を壊滅させる国家的作戦

 ヴォルコゴーノフが『七人の首領』(朝日新聞社、1997年)で、ロシア中央文書保管所から発掘した文書を載せた。

 「同盟者として十分可能性のあったメンシェヴィキと社会革命党(エスエル)は、たちまちのうちに、容赦なく一掃された。それも政治的にだけでなく、肉体的にも抹殺された。

 昨日の友、同盟者、ほぼ同じ信念の持ち主だった人たちが、僻地へ追いやられたり、強制収容所(ラーゲリ)に放り込まれたり、刑務所に閉じ込められたり、国外に追放されたしりした。レーニンは、こうした迫害や弾圧で中心的な役割を果たした。彼の文書やメモ、決裁、報告書は、ひとの目的だけを追い求めている。すなわち、ボリシェヴィキと異なった世界観をもつロシアの社会主義者たちを、いかに絶滅するか、ということであった。

 一九二一年六月、レーニンの指示にもとづき、ウンシュリフトは政治局にこう報告している。

 『全ロシア非常委員会(ヴェー・チェーカー)は、まず第一に、社会革命党・メンシェヴィキの組織を、個々の非合法活動家たちと同様に、組織の指導者もすべて見つけだし、壊滅させるために徹底的な作業を続行するよう提案する。党の指示にもとづき、国家的規模の大々的な作戦を展開しなければならない……』(225)

 レーニンは同意した。まもなく政治局は、このウンシュリフトの報告にもとづいて、メンシェヴィキを「僻地」に追放する措置を強化することを決めるとともに、国外追放とすることにも反対しなかった(226)。」(P.155)

 (注225)、最新史料研究ロシア中央文書保管所、フォンド二、目録一、資料二四四七二、ファイル一

 (注226)、同文書保管所、フォンド二、目録二、資料六四一、ファイル一

 〔殺人指令文書26〕、1922年5月15日、17日、レーニンによる銃殺刑の範囲拡大とテロル指令

 これは、ソルジェニーツィン『収容所群島1』にあり、15日の指令は『レーニン全集』(第42巻、P.586)に載っている。5月17日手紙は、『レーニン全集』(第33巻、P.371)にある。

 「五月十二日、所定のとおり全露中央執行委員会会議が開かれた。だが、法典草案はまだできあがっていなかった。草案は目を通してもらうためゴルキにいるウラジーミル・イリイッチのもとへ提出されたばかりだった。法典の六カ条がその上限に銃殺刑を規定していた。これは満足すべきものではなかった。五月十五日、イリイッチはその草案の余白に、同じく銃殺を必要とする六力条をさらにつけ加えた(その中には、第六九条による宣伝および煽動…特に、政府に対する消極的反抗、兵役および納税の義務の不履行の呼びかけが含まれる)。イリイッチは主要な結論を司法人民委員にこう説明した。

 『同志クルスキー! 私の考えでは銃殺刑(国外追放でそれに代える場合もあるが)の適用範囲をメンシェヴィキ、社会革命党員等々のあらゆる種類の活動に対してひろげねばならないと思う。これらの活動と国際ブルジョアジーとを結びつける定式を見つけねばならないと思う』(傍点はレーニン)

 銃殺刑適用範囲を拡大する!簡明直截(ちょくせつ)これにすぎるものはない!(国外に追放された者は多かったろうか?) テロとは説得の手段である。このことも明白だろう!

 だが、クルスキーはそれでもなお十分には理解することができなかった。彼にはおそらく、この定式をどう作りあげたらいいか、この結びつきをどのようにとらえたらいいかわからなかったにちがいない。そこで翌日、彼は説明を求めるために人民委員会議議長を訪れた。この会談の内容は私たちには知る由もない。しかし五月十七日、レーニンは追いかけるようにしてゴルキから二通目の手紙を送った。

 『同志クルスキー! われわれの会談を補うものとして、刑法典の補足条項の草案をお手もとへおくる……原案には多々欠陥があるにもかかわらず、基本的な考え方ははっきりわかっていただけるとおもう。すなわち、テロの本質と正当性、その必要性、その限界を理由づける、原則的な、政治的に正しい(狭い法律上の見地からみて正しいだけでなく)命題を公然とかかげるということがそれである。

 法廷はテロを排除してはならない。そういうことを約束するのは自己欺瞞(ぎまん)ないしは欺瞞であろう。これを原則的に、はっきりと、偽りなしに、粉飾なしに基礎づけ、法律化しなければならない。できるだけ広く定式化しなければならない。なぜならば革命的な正義の観念と革命的良心だけがそれを実際により広くあるいはより狭く適用する諸条件を与えるだろうからである。

        共産主義者のあいさつをおくる    レーニン』

 私たちはこの重要文書をあえて注釈しないことにする。この文書に対しては静寂と思索とが似つかわしい。

 この文書はまだ病にとりつかれてないレーニンのこの世での最後の指令の一つであり、彼の政治的遺言の重要部分であるという点で特に貴重である。この手紙を書いてから九日目にレーニンは最初の脳卒中に見舞われ、一九二二年の秋に彼はようやくこの病から一時的に回復するのである。クルスキー宛の手紙は二通とも、二階の隅の明るい白大理石の小さな書斎で書かれたらしいが、そこは間もなく彼の臨終の床となった場所であった。」(P.342)

 10、飢饉死亡者500万人

 これを(カッコ)つきにしたのは、レーニン・政治局の(1)意図的政策による餓死者数と、(2)天災要因が基本の飢饉死亡者数との区別が、現時点での研究では不明確だからである。飢饉死亡者500万人とウクライナの死者100万人は、ほぼ定説になっている。ランメルは、そのうち、(1)意図的政策による餓死者数を250万人としている。

 これらには、天災の要因が当然ある。しかし、レーニンは、1918年5月から1921年3月までの2年10カ月間にわたる過酷な食糧独裁令を強行した。とくに1918年11月からの「軍事=割当徴発」制による一方的な穀物・家畜収奪路線は、全農民と国民を餓死寸前に追い込んだ。一方、それは、ソ連全土で、9000万農民の農業経営意欲を喪失させ、農業経営を縮小・崩壊させた。これは、まさに、レーニンのマルクス社会主義青写真に基づく、根本的に誤った市場経済廃絶路線だった。その誤りを主要な原因とし、餓死寸前の状況に、天災が重なって、500万人が飢え死にした。

 レーニンが、コサックや「存在しない富農=余剰穀物のある農民」にたいして、穀物をのこらず没収せよ! と指令したように、3大農民反乱地方、36県の農民との戦争状態地方、数百件の反乱地域にたいして、その武力鎮圧・殺戮、毒ガス使用だけでなく、それらの鎮圧後、報復として穀物の完全没収をさせて、意図的に餓死させるという飢餓の殺人政策を採ったことが考えられる。しかし、それは、「レーニン秘密資料」6000点の完全公開と飢饉史の研究が進まないと分からない。

 11、総計 最低数十万人を肉体的・政治的殺人

 レーニンが殺した自国民数は、これらのデータを単純合計すれば、百数十万人になる。これは、白衛軍との戦争における死者700万人を除く数である。意図的な飢餓殺人を合わせれば、数百万人を殺した。しかし、最低値として、数十万人を肉体的・政治的な国家テロルの手口で殺したことは間違いない。「レーニン秘密資料」6000点が全面公開されれば、この推計もさらに正確になる。以上のデータは、現時点における公表資料範囲内での近似値である。

 その大量殺人を遂行した社会主義国家暴力装置の中心部隊は、レーニン直属下のチェーカー委員長ジェルジンスキーとチェキスト28万人だった。チェーカー創設目的と実質的な共産党秘密政治警察28万人への異様な拡張目的の一つが、ソ連崩壊後に判明してきた。それは、〔殺人指令文書13〜18〕と〔殺人指令文書19〕にあるように、レーニンが、自由主義政党カデット絶滅だけでなく、ソヴィエト内の社会主義政党エスエル、メンシェヴィキをも殲滅し、ソヴィエト権力簒奪をし、共産党独裁政権を樹立することを、最初から企んでいたということである。何人かの研究者が、それを指摘している。

 〔殺人指令文書27〕、チェーカー創設とその組織、チェキスト

 チェーカーとは、十月革命後の1917年12月20日に設立された(反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会)のことである。それは、最初のソヴィエト政治警察で、1923年にGPUになり、1954年からKGBになった。のち投機取締が加えられるなど、名称には異同がある。革命直後の反革命派の動きや革命に反対する公務員のサボタージュを取締、革命法廷へ引き渡すことなどを任務とし、人民委員会議(内閣)に直属する機関として発足した。議長はジェルジンスキーで、委員会メンバーは8人だった。中央機関の設立に引き続き、18年には地方、運輸部門、軍隊内などにもチェーカーが創設された。当初この委員会は直接懲罰行動をとらず調査活動を主とするものとされたが、内戦と干渉戦争が本格化する中で、裁判所の決定なしに逮捕・投獄・処刑などを行いうるようになった。

 この設立決定の内容は、一度も公表されなかった。ただ、メンバーの一人ラツィスが、1922年2月10日「イズヴェスチヤ紙」で引用し、判明した。その内容は、ジャック・ロッシ『ラーゲリ・強制収容所注解事典』(恵雅堂出版、1996年)にある。

 「同委員会を反革命運動・怠業取締人民委員会議付属全露非常委員会と命名し、ここにそれを承認する。委員会の任務は:

 (1)、誰が引き起こそうとも、全ロシアのすべての反革命運動と怠業の企てと行動を監視し、これを撲滅すること。

 (2)、全ての怠業者と反革命分子を革命裁判にかけ、またその撲滅対策を作成すること。

 (3)、委員会は犯罪阻止に必要な限りの予備審理のみを行う。委員会は以下の三部に分かれる:1)情報部、2)組織部(全ロシアの反革命分子撲滅闘争の組織のため)と支局部、3)取締部。委員会は明日正式に発足する。それまでは軍事革命委員会清算委員会が活動する。委員会は印刷物、怠業(サボタージュ)その他、右翼エスエル、怠業者(サボタージュ参加者)、ストライキ参加者に注意する。必要措置として、押収、強制立ち退き、食糧配給券の支給停止、人民の敵のリスト公表などが講じられる。

 全露非常委員会参与会の議長とメンバーは、人民委員会議により任命される。」(P.41)

 人民委員会議は、議長にジェルジンスキーを任命した。「人民の敵」というレッテルは、スターリンからではなく、レーニンが権力奪取の1カ月半後から、正式に使い始めたのである。

 左翼エスエルの司法人民委員スタインベルグによるジェルジンスキー報告メモ抜粋

 「本委員会は新聞・雑誌、サボタージュ、立憲民主党員、右派社会革命党員、破壊工作者およびストライキ参加者に対しとくに注意を払う。

 本委員会に属する抑圧的措置は以下のごとくである。財産没収、住居からの強制退去、配給券の取り上げ、人民の敵のリストの公表等。

 決議 本案を承認する。本委員会を、反革命、投機およびサボタージュと闘う全ロシア非常委員会と称する。公布」

    『「赤色テロル」型社会主義とレーニンが“殺した”自国民の推計』

 4、ソ連崩壊後の発掘データによるレーニン像の大逆転

 〔小目次〕

   1、大量殺人指令における詭弁とウソの天才

   2、社会主義他党派絶滅を最初から意図していた「革命」家

   3、大量殺人犯罪型社会主義者?

 1、大量殺人指令における詭弁とウソの天才

 私(宮地)の判断では、ソ連崩壊後に公開された「レーニン秘密資料」、アルヒーフ(公文書)を見るかぎり、『農民』『労働者』『クロンシュタット水兵』『聖職者』『知識人』『赤色テロル』ファイルで分析したように、大量の赤色テロルにおいて、レーニンの側に正当性がまったくない。

 大量殺人指令において、レーニンが貼りつけたレッテルは、すべてレーニンの詭弁・ウソであったことが、ソ連崩壊後に判明した。とりわけ、「反革命」「富農(クラーク)」「反ソヴィエト」というレッテルの意図的な拡大解釈と、それをソヴィエト革命勢力である労働者・農民・兵士や社会主義他党派に貼りつけた手口は、まさにレーニンの思想犯罪といえる。革命勢力内部における大量殺人犯罪を、共産党秘密政治警察チェーカーとチェキスト28万人に遂行させる前提として、レーニンはその詭弁によって、チェーカーを殺人集団に変質させる思想教育犯罪を行った。レーニンは、権力奪取・権力簒奪クーデターの天才であるが、同時に、詭弁とウソの天才でもあったことが、ソ連崩壊後のデータによって証明されてきた。

 白衛軍と旧帝政勢力は、たしかに「反革命」である。しかし、労働者・農民・兵士によるレーニン路線への抵抗・反乱・異論は、レーニンの食糧独裁令による収奪と、その根底にあるマルクスの根本的に誤った社会主義青写真の市場経済廃絶・貨幣経済廃絶理論にたいする正当なものだった。レーニンによるソヴィエト権力簒奪クーデターと食糧独裁令に反対・反乱した勢力は、二月革命以来のソヴィエト革命勢力であり、「反革命」などではない。レーニンは、意図的にその2つの勢力にたいする規定を混同させた。そして、恣意的に、「反革命」という概念を拡大解釈し、革命勢力内部の批判・反対者や他党派を「反革命」勢力とでっち上げるという詭弁を使って、大量殺人犯罪を続けた。

 個々の具体的な指令・命令・布告を見ても、それらがいかに誤りであったのかは、上記や他ファイルで論証した。ましてや、上記3件の予防的大量殺人にいたっては、完全な犯罪である。よって、(表)の数字の性格は、「レーニンの大量殺人」「レーニンが殺した」という日本語以外に適切な言葉がない。

 2、社会主義他党派絶滅を最初から意図していた「革命」家

 レーニンの思想・理論とレーニン像にたいして、さらに鋭い痛烈な、突っ込んだ見方も成り立つ。以下のレーニン評価は、ヴォルコゴーノフ、ニコラ・ヴェルト、マーティン・メイリアや、ソ連崩壊後の多くの研究者たちが、共有しつつある。ロシア国内では、モスクワ国立歴史古文書大学学長アファナーシェフを初め、これが基本的になってきた。もっとも、ザミャーチンは『われら』において、先駆的で、もっとも痛烈な「レーニン=恩人=殺人者」規定を、1921年当時に行った。日本では、ここまで辛口のレーニン評価をする研究者はまだ出ていない。

    アファナーシェフ『ソ連型社会主義の再検討』レーニンがしたことへの根源的批判

 レーニンは、ボリシェヴィキ一党独裁政権樹立とその路線・政策を、マルクス主義社会主義青写真に基づく絶対的真理と信じていた。むしろ、それを絶対的真理として狂信するレベルの人間になって、1917年4月にドイツ軍封印列車に乗って帰国した。彼が創作した前衛党=共産党こそ、マルクス主義型社会主義の真理を体現し、実現できる唯一の政党である。それだけでなく、共産党とは、暴力革命・武装蜂起による権力奪取をなしうる軍事的政治的な鉄の規律によって鍛えられた軍事組織でもある。党中央決定の無条件実践を遂行する軍事的中央集権制の前衛党でなければ、真の「革命」を成し遂げ、科学的社会主義国家を確立することは不可能である。さらに、スイス亡命中、パリ・コミューンの敗北経験を徹底的に研究し、胸に刻み込んだ。それは、暴力革命で権力奪取をしたら、反革命勢力にたいするプロレタリア独裁=その生存権も奪う赤色テロルなしには、プロレタリア革命は挫折するという一面的な歪曲した狂信だった。

 ロシアにおいて社会主義を名乗る政党は多い。しかし、それらの政党との連立政権によっては、マルクス主義型社会主義を実現することは絶対にできない。なぜなら、メンシェヴィキは、ヨーロッパ型の改良主義政党であり、エスエル・左翼エスエルは、ロシア農民を土台とした社会主義構想の政党だからである。アナキストも、社会主義を名乗るが、中央集権国家を否定するので問題外である。いずれも、マルクス主義政党ではない。一国には一前衛党しか存在できない。いくら、社会主義を名乗っていても、それらの政党は、マルクス主義の真理を認識し、体現することができない。もちろん、ボリシェヴィキ支持率が低い時期には、臨時連立政府を倒すために、一時的に連立政権構想も語った。しかし、その秘めた本心は、最初から、共産党一党独裁権力だった。

 11月7日、ついに、単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターのチャンスが到来した。そして、一党独裁権力奪取に成功した。真の社会主義国家・経済体制を確立するために、共産党以外の社会主義他党派を、全ロシア中央執行委員会や各級の全ソヴィエトから追放するだけでなく、その政党組織と全党員を逮捕・銃殺・強制収容所送り・国外追放という手段によって、ロシアの政治社会から絶滅しなければならない。すべての社会主義他党派・党員の絶滅と、党独裁型社会主義実現とは、完全に一体の「革命」事業である。

    ダンコース『奪われた権力』レーニンによる社会主義他党派絶滅思想

 絶対的真理を体現している世界観政党・共産党だけが、唯一の「革命」勢力である。よって、共産党とその路線にたいして、批判・抵抗・反乱をする労働者・農民・兵士は、「反革命」勢力に転落した人民の敵となる。なぜなら、彼ら反対者は、異論・批判というレベルではなく、科学的真理にたいして、非科学的思想を社会に撒き散らすという駆除すべき害虫だからである。害虫や反革命者を肉体的政治的に抹殺するのは、全共産党員の正当な任務である。他党派と同じく、11月7日レーニンの単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターに参加・協力した者といえども、共産党に背を向けて、批判・抵抗・反乱を始めた者たちにたいして、皆殺し対応をするのは、当然の「革命」防衛という崇高・神聖な義務である。レーニンは、このような狂気の信念に基づいて、上記27通の〔殺人指令文書〕を発令した。未発掘指令文書や電報を合わせれば、百数十通になるはずである。

 これらが、ソ連崩壊後に発掘されたデータに基づくレーニン評価となってきている。

 3、大量殺人犯罪型社会主義者?

 このレーニン像が事実となると、別の疑問が生まれる。

 数十万人を殺したレーニンとは、一体何者であったのか。彼の人間性をどう考えたらいいのか。このような大量殺人を指令した人間は、はたして社会主義者を自称できるのかという根源的な疑問である。それとも、20世紀ロシアという特殊環境が、レーニンという大量殺人犯罪型社会主義者を産み出しえたのか。もちろん、レーニンだけでなく、共産党政治局全員が同一の思想・理論で武装していた。日本共産党を含めコミンテルン型共産党は、そのマルクス・レーニン主義思想で、世界中に生まれ、社会主義世界体制を作った。

 19世紀資本主義の実態は、マルクス・エンゲルスら多数の社会主義者を育んだ。しかし、それらは、思想・理論の段階で、実験段階に至らなかった。レーニンらボリシェヴィキだけが、マルクス主義社会主義青写真を世界で最初に実験する革命家になった。74年間に及ぶ実験の惨憺たる結果は、ユートピア思想の逆変種として、マルクス主義が、大量殺人犯罪型社会主義者という逆ユートピア革命家を生産したことを証明した。

 実験の結果、マルクス・エンゲルスも、『空想から科学へ』ではなく、空想的社会主義者だったことが判明した。レーニンは、その空想的社会主義理論を、2段階クーデターとチェーカー28万人という国家暴力装置を駆使して、数十万人の自国民を殺害しつつ、実験をするチャンスを手にした。彼にとって社会主義一党独裁権力こそすべてとなった。

 マルクスは、史的唯物論によって、資本主義から社会主義への発展が歴史的法則と断言した。その社会主義経済体制は、市場経済廃絶・貨幣経済廃絶になるとした。その政治体制は、プロレタリア独裁となるべきとした。それは、旧支配階級の権利を生存権を含めて剥奪するとし、大量逮捕・大量殺人システムを示唆・是認した。世界中の「マルクス主義革命」家たちが、それが、真理であり、法則であると信じて、熱狂した。

 レーニンは、ソヴィエト民主主義を破壊し、ソヴィエト権力簒奪クーデターを成功させた。彼とボリシェヴィキにとって、2段階クーデター政権が、絶対的真理の実験であるからには、支持率がいかに低下し、総反乱が勃発しようとも、政権交代という選択肢はありえなかった。根本的に誤った経済・政治路線にたいする総反乱の中で、党独裁権力を維持するには、社会主義他党派や批判・反対の労働者・農民・兵士の大量殺人を続けるしかなかった。そして、最初からの秘めた計画通り、ロシアにおける社会主義他党派殲滅の「革命」事業を、共産党秘密政治警察チェーカー体制によって遂行した。4年7カ月間の過程で、彼は、権力のための権力者に変質していった。絶対的権力者としてのレーニンは、歴史の法則どおり、絶対的に腐敗した。

 5、おわりに―レーニン批判の理由と視点

 一体、なぜ、私(宮地)は、このような人間を、無批判的に信奉したのか。その上、25歳から40歳まで、15年間も、彼の神話の伝導に専従しえたのか。その間、私は、彼の論文や公式の業績、多数のロシア革命史、ほとんどのソ連文学作品をむさぼり読むだけでなかった。民青地区委員長をやり、愛知県党の半分の党勢力を占める名古屋中北地区常任委員・5つの全ブロック責任者=現在の5つの地区委員長を歴任し、組織内の民青同盟員や共産党員に、彼の神話の伝導を行った。その面で、著作・論文によって、レーニン讃美を行ってきた学者・研究者のしたこととは、やや性質が異なる。

 それは、社会主義革命の理想に燃えた世界的時流に乗っただけなのか。1960年安保の入党世代なので、スターリンの犯罪は知っていた。しかし、レーニンの大量殺人犯罪をまるで知らなかった、あるいは、彼とスターリンの犯罪封印の策謀によって知らされなかった、ということですませられるのか。レーニン批判のHP他8ファイルと同じく、このファイルも、私自身の自己総括、自己批判の書でもある。今回で、レーニン批判ファイルは、(関連ファイル)にあるように、9つになった。

 なぜ、そんなにレーニン批判にこだわるのかと、友人知人からもよく聞かれる。もはや、『Good Bye Lenin』の時代になったから、そんな作業は無意味ではないかとも言われる。また、メールなどでも、何通も、すごい執念ですねと感心される。執念と見なされると、やや抵抗も感じるが、その通りかもしれない。そこで、長々と、いくつものレーニン批判を書く「執念」の根拠をのべる。

    ドイツ映画紹介HP『Good Bye Lenin』

 9つのレーニン批判ファイルを書いた理由は、2つある。

 第一、私の日本共産党体験とそこからくるレーニン批判である。

 私は、専従時代に、「21日間の監禁査問」を受けた。これは、1961年綱領が決まって以来、公表された中で、最長の不法監禁・共産党による精神的拷問事件だった。さらに、党中央批判にたいする不当な専従解任をされた。「日本共産党との裁判」という国際共産主義運動史上で前代未聞の民事本人訴訟によって、共産党一専従が共産党中央委員会を訴えた。共産党は、私が憲法の裁判請求権を正規に行使したことを理由として除名した。さらに、反党分子であるとして、さまざまな政治的社会的排除活動を仕掛けた。

 これらについて、私は、それが、日本共産党の党内犯罪であり、かつ、驚くべき反憲法犯罪であると規定している。それは、私にたいする共産党の政治的社会的殺人だった。その殺人犯罪者は、宮本顕治・不破哲三・上田耕一郎・戎谷春松の4人である。そこから、私は、共産党という組織は、なにか根本的におかしいという疑惑を深めた。党中央批判をしたことを本質的理由として、将棋の駒のように使い棄てられた共産党専従は、様々な証言による推定で数百人いる。彼らは、ほぼ全員が泣き寝入りした。1989年から91年の東欧・ソ連10カ国崩壊が、その疑惑の真相を、レーニンにまで遡って、とことん追究する必要があるという執念を成長させた。私は60年安保入党なので、スターリン崇拝時期を経ていない。日本共産党批判は、そのままストレートに、その根源であるレーニンへの批判と直結した。私への宮本・不破・上田らによる政治的殺人体験は、レーニンらによるロシア革命勢力数十万人への肉体的政治的殺人データと直接つながった。

    『日本共産党との裁判第1部〜8部』共産党の党内犯罪と反憲法犯罪

 第二、レーニンの大量殺人犯罪事例にたいする強烈な怒りである。

 9つのファイルに書いたレーニンの大量殺人犯罪データは、真実だと確信している。それにたいする怒りは、同時に、大量殺人事実とその〔殺人指令文書〕を、ソ連が崩壊するまで、完璧なまでに隠蔽してきたレーニンへの怒りと二重になっている。その犯罪を隠蔽・封印してきた者は誰なのか。スターリンは、『レーニン全集』を編纂したとき、都合の悪い文書を「レーニン秘密資料」6000点として、分離・封印した。しかし、〔殺人指令文書〕にあるように、レーニン自身が、「極秘」「複写をとるな」「(聖職者全員銃殺はトロツキーの任務だが)トロツキーの名前を出すな」などと、隠蔽を指令している。

 ただし、ソ連崩壊後、日本において、レーニンにたいする対応は、3種類ある。

 (1)、私のレーニンにたいする怒りの度合いは、彼の思想・理論を絶対的真理と信仰し、専従として15年間も、その宗教的伝導をしたという彼とロシア革命史に私がのめり込んだレベルに反比例しているともいえる。ただ、ここまで、レーニンの大量殺人犯罪を告発しているのは、現在のロシアとヨーロッパに比べて、日本においてまだ少数派である。なぜなのか。

 (2)、『Good Bye Lenin』と悟りきって、彼と絶縁した方が、あんたの精神衛生上いいのではないか、という人もいる。しかし、それを言う人は、ロシア革命史やレーニンと、ほどほどに付き合ったレベルではないかとも思う。

 (3)、一方、私のレーニン批判を聞くと、レーニン崇拝の立場から、逆の強烈な拒否反応を露骨に示す人もいる。日本には、日本共産党批判・スターリン批判では一致しても、レーニン批判となると、感覚的にまるで受け付けないレベルのレーニン信奉者はかなりいる。その人たちは、ソ連崩壊後に発掘されたレーニンの大量殺人犯罪データを知らないのか、それとも、それらを反共宣伝として一蹴する姿勢を堅持する「革命」家なのか。

 レーニン批判の視点は、逆説のロシア革命史である。

 ただ、その時期を、レーニンの最高権力者期間5年2カ月間に限定している。その内容は、公式のソ連共産党史、公認のレーニン讃美伝の否定だけではない。ソ連崩壊後に出版されたロシア革命史・レーニン評価において、発掘されたレーニンの大量殺人犯罪データをほとんど無視する著作・論文への否定でもある。

 また、逆説のロシア革命史といっても、その視点は特殊である。今回を含め、9つのファイルは、多くの歴史書にあるような客観性・総合性を目的としていない。それは、二月革命以来のロシア革命勢力でありながら、レーニンに「反革命」とでっち上げられ、無実の罪で殺害・銃殺・強制収容所送りをされた数十万人の労働者・農民・兵士と社会主義他党派党員の側に立って、ロシア革命史を逆説的に分析するという視点である。殺された数十万人のロシア革命勢力の立場から、ソヴィエト民主主義破壊・ソヴィエト権力簒奪クーデターによって、ソヴィエト権力を共産党独裁権力に変質させたレーニンの犯罪を検証するものである。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c3

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
4. 中川隆[-14953] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:00:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2045]


ロシア革命|100年後の真実




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c4
コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
5. 中川隆[-14952] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:08:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2044]
2018.12.08
戦争でライバルを破壊し、富を蓄積した米英(1/3)

 ウクライナ軍のガンボート(砲艦)2隻とタグボート1隻が手続きを無視、無断でロシアが領海と定めているケルチ海峡へ入ったのは11月25日のことだった。その前日にウクライナ軍はウクライナ東部、ドネツクにある中立地帯の一部を占領している。事実関係をチェックすると、ウクライナ政府のロシアに対する挑発だったことは間違いない。


 ウクライナでは来年(2019年)3月に大統領選挙が予定されているが、現職のペトロ・ポロシェンコは人気がなく、このままでは再選が難しい。そこでケルチ海峡の事件を利用して大統領選挙を延期させるつもりだと推測する人もいた。


 こうした挑発行為はアメリカ政府の許可がなければ不可能だという考えから、ドナルド・トランプ政権がロシアに対して軍事的な揺さぶりをかけていると見る人もいる。2016年の大統領選挙の際、トランプはロシアとの関係修復を訴えていたのだが、大統領に就任した直後にマイケル・フリン国家安全保障補佐官が解任に追い込まれて以来、政権は好戦派に引きずられている。


 そのトランプはINF(中距離核戦力全廃条約)からの離脱を口にしているが、この流れは2002年から始まっている。ジョージ・W・ブッシュ政権が一方的にABM(弾道弾迎撃ミサイル)から離脱したのだ。この頃、ロシアが再独立への道を歩み始めたことと無縁ではないだろう。


 アメリカ/NATO軍がソ連との国境に向かって進軍を開始したのは1990年の東西ドイツの統一が切っ掛け。その際、ジェームズ・ベイカー米国務長官はソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シェワルナゼに対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、東へNATOを拡大することはないと約束したとされている。


 ベイカー自身はこの約束を否定していたが、ドイツのシュピーゲル誌によると、アメリカはロシアに対し、そのように約束したとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックは語っている。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)


 また、ドイツの外務大臣だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーによると、1990年2月にシェワルナゼと会った際、彼は「NATOを東へ拡大させない」と約束、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812080000/


戦争でライバルを破壊し、富を蓄積した米英(2/3)


 アメリカ支配層は軍事力でソ連/ロシアを恫喝、服従させて世界の覇者になろうとしている。その戦略が遅くとも1904年までさかのぼれることは本ブログでも繰り返し書いてきた。


 その当時、ポーランドをロシアから独立させようという運動が存在した。プロメテウス計画と呼ばれているが、その指導者はユゼフ・ピウスツキ。


 その後継者ともいうべき人物がブワディスラフ・シコルスキーである。第2次世界大戦中はロンドンへ逃れ、イギリス政府の庇護下、亡命政府を名乗っていた。1945年4月にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が執務室で休止、その翌月にドイツが降伏すると、ウィンストン・チャーチルの命令でJPS(合同作戦本部)は米英数十師団とドイツの10師団がソ連を奇襲攻撃するという内容のアンシンカブ作戦を作成した。


 シコルスキーの側近だったユセフ・レッティンゲルはヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと考えていた人物で、ビルダーバーグ・グループの生みの親としても知られている。


 ドイツ軍の主力がソ連へ攻め込んだ時、イギリス政府は手薄になったドイツの西部戦線を攻撃せず、傍観している。チャーチルは父親の代からロスチャイルド資本に従属していたが、そうしたイギリスの支配層はソ連を制圧、あるいは破壊するためにナチスを使ったとも言える。この戦争でソ連は疲弊、アメリカの支配力は増した。


 ピウスツキが活動を始めたころに第1次世界大戦があり、ドイツが破壊される。ドイツはフランスとロシアに挟まれ、不利な状況にあった。イギリスもドイツに宣戦布告していたが、そのイギリスはロシア制圧を長期戦略にし、反ロシアのポーランド人を助ける。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812080000/


戦争でライバルを破壊し、富を蓄積した米英(3/3)


 当時、ロシアは農業を収入源にする大土地所有者と戦争をビジネス・チャンスと考える新興の産業資本家が2本柱だった。皇帝は軍人の意見もあり、戦争に傾いていくが、農民の意見を聞くということで皇帝がそばに置いていたグリゴリー・ラスプーチンは戦争に反対。皇后もやはり戦争を嫌っていた。


 軍事的な緊張が高まる中、1914年6月28日にオーストリア皇太子夫妻がセルビア人に暗殺され、開戦の危機が高まる。そこで7月13日に皇后はラスプーチンに電報を打っているが、その日に彼は腹を刺されて重傷を負う。8月中旬にラスプーチンは退院するが、7月28日に大戦は始まっていた。


 その後も皇后やラスプーチンは国が滅びるとして戦争に反対するが、1916年12月30日に拉致のうえ、射殺された。ロシア皇太子らが暗殺したと言われているが、黒幕はイギリスの情報機関SIS(通称MI6)だとする説がある。


 1916年にイギリス外務省はサミュエル・ホーアー中佐を始めとする情報機関のチームをペトログラードへ派遣したが、その中に含まれていたオズワルド・レイナーはオックスフォード大学で皇太子の「友人」。このチームが暗殺の実行部隊だと推測する人がいるのだ。


 当時の状況を考えると、ラスプーチンが重傷を負わず、暗殺もされなかったなら、皇后と手を組んで参戦に反対していたはず。大土地所有者や農民も戦争に反対だ。参戦しても早い段階でロシアが戦争から離脱したならドイツは兵力を西部戦線に集中、アメリカが参戦する前に勝利していた可能性がある。


 ラスプーチンが暗殺された直後、産業資本家を中心とする勢力が3月に革命で王政を倒す。いわゆる「二月革命」だ。そこにはメンシェビキやエス・エルが参加していた。この当時、レフ・トロツキーはメンシェビキのメンバーで、ニューヨークにいた。


 二月革命の際、ウラジミール・レーニンをはじめとするするボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか、刑務所に入れられていて、革命に参加していない。そうした亡命中のボルシェビキの幹部をドイツは「封印列車」でロシアへ運んだ。ボルシェビキが即時停戦を主張していたからである。


 結果としてボルシェビキ政権が誕生、ロシアは戦争から離脱するのだが、アメリカの参戦で帳消しになる。イギリス、フランス、アメリカ、そして日本などはそのボルシェビキ体制を倒すため、1918年に軍隊を派遣して干渉戦争を始める。


 ロシア革命とはふたつの全く違う革命の総称であり、ボルシェビキは最初の革命には事実上、参加していない。第2次世界大戦でドイツ軍を倒したのはソ連軍で、アメリカ軍やイギリス軍は勝負がついた後、ウォール街とナチス幹部が話し合いを進めるのと並行してヨーロッパで戦っただけだ。しかも、ドイツが降伏するとイギリスはロシアを奇襲攻撃しようとした。


 結局、ふたつの大戦でソ連/ロシアやヨーロッパは破壊され、その一方で戦場にならず、軍需で大儲け、ドイツや日本が略奪した財宝を手に入れたアメリカは世界で大きな力を持つことになった。


 しかし、アメリカはその地位から陥落しそうだ。アメリカは中東やアフリカなど資源の豊かな地域だけでなく、東アジアやヨーロッパで軍事的な緊張を高めている。これは1992年に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンに沿うもの。東アジアやヨーロッパを戦争で破壊するつもりかもしれない。(了)
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コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
6. 中川隆[-14951] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:09:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2043]

パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05


石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。

『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。

それを含む、パリ・コミューン論を採録する。


『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。

パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。
 
「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。

「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)

「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。

 僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。

 パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。

 もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。

 変な話だと思いませんか?

 かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか? 

 少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。

 1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。

 今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。

 これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?

 以下はそれについての僕の暴走的思弁です。

「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。

 このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?

 (...)

 なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?

 それに対する僕の仮説的回答はこうです。

 パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。

 パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。

 パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。

 パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。

 それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。

 ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。

 マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。

 でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。

 「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)

 レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。

「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67−8頁、強調はレーニン)

 少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。

 レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。

「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74−75頁、強調はレーニン)
 
 法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。

 この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたるのだと主張します。

「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)
 
 ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。

「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、76―77頁、強調はレーニン)

 レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。

 これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。

 マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。

「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)

 マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。

「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、45―46頁、強調は内田)

「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。

 でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。

 勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。

 ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。

 レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。

 アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。

「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)

 僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c6

コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
21. 茶色のうさぎ[-13152] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 04:10:41 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-2]

 なんか、、 朝麦3

 死? 再会? 同期の桜♪♪ 靖国神社って、大切だなって、、

 まぁ、、政治利用なんて、、 政教分離、当然だけど、、

 まぁ、、自分の国?ふるさと? 行事、風習、、大事だなって、、 愛国心

 神社、仏閣、教会、、 大事にしよー♪ぷっ またねー♪ 最後まで抵抗しよー♪ぷっ うさぎ♂


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c21

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
7. 中川隆[-14950] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:12:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2042]
右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた


2007年12月10日
ウォール街金融資本が作り出す歴史構造 アントニー サットン 〜左翼右翼の対立、戦争etc〜

大きな対立・戦争を起こしながら動いてきた現代史。その背後にある共通した動きについて詳しく調べた人がいるので紹介したい。

アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)、彼は事実を追求し、徹底した調査に基づいた注目すべき数々の本を出している。特に注目すべきは以下。


1.America’s Secret Establishment –

2. Wall Street and the Rise of Hitler –
(ウォール街がナチスヒトラーを勃興させた。)

3. Wall Street & the Bolshevik Revolution –
(ウォール街がレーニン、トロツキーなどに資金供与してロシア革命を成功させた。)

4 The Federal Reserve Conspiracy
(連邦準備銀行の陰謀)


アントニー サットンについて、 阿修羅 より(一部略)

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英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ−バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。

本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。


徹底した調査によって以下のことが判明した。


1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。

2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。

3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。


4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。

(分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。)

彼は、スカボンのような秘密結社は確たる存在であり、彼らの活動の実態を理解することによって19世紀と20世紀の正確な歴史理解が初めて可能になるという認識に至った。つまり、われわれが学校で教わってきている歴史理解と、実際に進行していた事態とはおよそまったく異なるということなのである。

彼は外との関係を一切絶ち、孤独に隠遁隠棲しながら調査と執筆に専念した。尋ねてくる人間はすべて政府関係者ばかりで、かれらは何をどうしても居場所を突き止めてくるのだという。当初米国内から出版はできず(出版拒否、大手取り次ぎ会社から拒否)オーストラリアで出版していたが、米国のパパま2人でやっている小さな出版社が見るにみかねて、彼の本を出版するに至り、彼の本はほとんどここからでている。現在はアマゾンドットコム等を通じほとんど彼の本は時間がかかるが入手できるようになっている。1999年のインタビューで74才の彼は自分はキャリア的には不遇を託ったが、このような本質的な問題に挑戦でき26冊の本を世に送りだすことができた。執筆内容に一切妥協はなく真実のみを書いた、これは私の誇りとするところである、という主旨のことを語っている。

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(引用以上) 


サットンの業績は、秘密のベールに包まれていた金融資本家のネットワークを徹底的に調査し、あぶりだしてくれたことだと思う。従来“陰謀論”として、よく検証されずに葬られていた分野を科学的に検証した。

彼の業績によってロシア革命やナチス、そしてベトナム戦争の背後にある真実が見えてきた。おおよそ、現代史(戦争や革命恐慌、バブル)の背後には彼らウォール街金融資本の触手があり、彼らが何らかの狙いをもって特定の集団に資金提供して、育て上げる。それらの集団は、主義思想や愛国心に沿って動き、対立や戦争を起こしていく。その過程で莫大な投資や消費が行われ、金融資本は莫大な利益を手に入れることになる。


背後からこれらの対立を操縦することで、金融資本家は世界秩序を維持してきた。サットンは、金融資本家の支配方法について以下のように言っている。


>世界秩序は、分断して攻略するという単純なテクニックによる支配で成り立っている。

>・・・世界秩序は、世界を実体とみなすヘーゲル弁証法を採用した。これはそのほかのあらゆる力と実体を否定している。テーゼ(正)−アンチテーゼー(反)−ジンテーゼ(合)の原則に基いて機能し、前もって決められた結論(合)に向けてテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)が対立して終わる。

>世界秩序はユダヤ人グループを組織して資金を提供する。次に、反ユダヤグループを組織して資金を提供する。また、共産主義グループを組織してこれに資金提供し、反共産主義グループを組織して資金を提供する。必ずしも世界秩序がこういうグループ同士の対立を煽る必要はない。彼らは赤外線追跡ミサイルのように相手を見つけ出し、確実に破壊しようとする。それぞれのグループの規模と資源を調節することで、世界秩序は常に前もって結果を決めておけるのだ・・・・  サットン 『連邦準備銀行の陰謀』より

※ここで世界秩序とは、金融資本による世界秩序のことをさす。

★このように見てくると、主義や主張をかざし、あるいは小さな国益をかざして、対立している人間・勢力というのは、支配者(コントローラー)である金融資本にとっては、非常に都合がよく操作しやすい。


日本でも、

・戦前スターリンとアメリカの圧迫→危機感高まった国内で右翼が台頭、陸軍と結んで戦争への道を突っ走った。

・戦後自民党に結党資金を与えたのはCIAであり、自民党の結党により左右社会党が合同し、二大政党という対立構造が生まれた。


そして現在的にも

アメリカ財閥が中国を急成長させている
アメリカの撤退が始まり中国が台頭する

中国の台頭により日本の(特に右の)危機感が高まっている。しかし、中国を急速に台頭させているのはウォール街金融資本である。僕も危機感には共感する。しかしいたずらに敵対し相手を挑発するより、真の意図を探り可能性を探る必要があると思う。

“日本を守るのに右も左もない”では、見えにくい敵、対立を煽り、歴史を操作している連中=国際金融資本(金貸し)も、徹底的に事実追求の立場から解明していきたい。サットンができなかったより深い分析(人々の意識潮流や可能性)まで含めて。

http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/12/000553.html

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60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。_ 2

アントニー・C・サットン

アントニー・C・サットン(Antony Cyril Sutton、1925年2月14日 - 2002年6月17日)は、イギリス生まれのアメリカの経済学者、歴史学者、作家。


サットンはロンドン大学、ゲッティンゲン大学とカリフォルニア州立大学で学びし、英国サウサンプトン大学にてD.Sc.を取得した。

米国ロサンゼルスにあるカリフォルニア州立大学で経済学部教授として働き、1968年から1973年までスタンフォード大学フーヴァー研究所の研究員であった。

当機関に所属している間、欧米技術とソ連経済発展の関連について "Western Technology and Soviet Economic Development"(全3巻)を出版し、ソ連発足初期から欧米諸国もその発展に深く関与したことを証明した。

またサットンはソ連が持つ技術的能力や製造能力も多数の米企業の支援と、米国民が納める税から融資を受けたことも指摘した。

鉄鋼業やフォードの子会社であったGAZ自動車工場など, 複数のソ連企業は米からの技術によって作られたことや、さらにはソ連がMIRVミサイル技術を手に入れたのも、高性能ベアリング製造に必要な(米からの)工作機械によって可能となったとしている。

1973年に3冊目の原稿から軍事技術関連部分を別編として "Military Aid to the Soviet Union" のタイトルで出版し、その結果フーヴァー研究員の仕事を辞任することになった[1]。 上記問題の研究成果として、

冷戦が生んだ様々な対立が「共産主義を制覇するため」続けられたのではなく、数十億ドル規模の軍事需要を意図的に維持するためだったと強調した。

少なくとも朝鮮戦争とベトナム戦争の場合、対立の両側も直接的・間接的に米国によって武装されていた[2]。

続編として、軍事技術転写の役割について論じた"The Best Enemy Money Can Buy" を書いた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3

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ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/819.html


アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)博士が昨年6月になくなった。77才だった。英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ−バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。

68年の刊行物で、融資と技術の流れを突き止めたものの、彼は、なぜ敵対する国に、あるいは自国のカネと技術で自国の戦士たちがしななければならないのか、一体どうなっているのか、全く理解できなかったという。ところが80年代の初頭、彼に一通の手紙が届いた。もしあなたが興味があるなら、スカル&ボーンズという秘密結社のメンバーリストを24時間だけ供与するがどうか、と記されていた。この組織のメンバーの家族が、身内が入会していてうんざりで、実態を知って欲しいと思ってのことだったという。送付して欲しい、と了承。黒革製の2巻からなる本は一冊は故人リスト、もう一冊は現在のリストだった。この時点までかれはこの秘密結社のことなど聞いたことも思ったこともなかったという。しかし、これらのリストの人物を綿密に調査したところ、この組織はただ者ではない、と驚愕。68年刊行物で疑問に思っていたことが氷解したという。つまり、この組織の連中のネットワークが米国政策決定過程を導き、このような売国的なことが行われていることを突き止めるに及んだという。

 彼は、スカル&ボンズは、ドイツを発祥とする秘密結社イル皆ティーの連動組織である、という。徹底した調査によって以下のことが判明したという。

1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。

2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。

3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。

4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。


Divide&Conquer (分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。

超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。いわゆる現今のポチ保守はこの左右対立の見方を徹底して利用し、自分たちの富裕的支配性の隠れみのにしてきた可能性がある。多くの一般日本人が、あるいは貧乏な日本人同士がやれ、お前は右だろ左だろどうせ土井支持者だろなどと滑稽にののしりあっている図が見える。これが彼らの思うツボなのだ。実際馬鹿げている。)


彼は、スカボンのような秘密結社は確たる存在であり、彼らの活動の実態を理解することによって19世紀と20世紀の正確な歴史理解が初めて可能になるという認識に至った。つまり、われわれが学校で教わってきている歴史理解と、実際に進行していた事態とはおよそまったく異なるということなのである。

彼は外との関係を一切絶ち、孤独に隠遁隠棲しながら調査と執筆に専念した。尋ねてくる人間はすべて政府関係者ばかりで、かれらは何をどうしても居場所を突き止めてくるのだという。当初米国内から出版はできず(出版拒否、大手取り次ぎ会社から拒否)オーストラリアで出版していたが、米国のパパま2人でやっている小さな出版社が見るにみかねて、彼の本を出版するに至り、彼の本はほとんどここからでている。現在はアマゾンドットコム等を通じほとんど彼の本は時間がかかるが入手できるようになっている。1999年のインタビューで74才の彼は自分はキャリア的には不遇を託ったが、このような本質的な問題に挑戦でき26冊の本を世に送りだすことができた。執筆内容に一切妥協はなく真実のみを書いた、これは私の誇りとするところである、という主旨のことを語っている。

スカボンは現在約600名がアクティブであるという。エール大学内で毎年25名が組織に入るしきたり。生涯を通じて、支配層中心メンバーとして機能するようだ。エール大学で、この組織の余りの無気味さに、排斥運動が起きた経緯もあるという。

"My senior year, I jointed Skull& Bones, a secret society, so secret I can't say anything more."

「わたしは大学4年のときスカボンに入ったんです。それは秘密結社でして、秘密であるが故に、わたしはこれ以上この組織について何もお話はできないんです。」

現大統領が最近の記者の質問にこのように答えている(これはサットンのホームページにも掲載されている。オリジナルはUSAToday紙の記事(非常に勇気ある女性ライターで当時大学生か学校出たてだったと思う。)この発言から分かることは、彼は、スカボンが1 秘密結社であり、2それが現時点で存在しており、3しかも自分がメンバーであり、4 内部情報を明かさないことがその組織の掟であること。この4点までを認めているのである。彼の、エール出身の父もこの組織のメンバーであることはよく知られており、すくなくとも父はメンバーとしては非常にアクティブだったという。ちなみにエール大学というような大学は、基本的にはアメリカの中産階層の子弟がはいれるところではまったくない。富裕層のための大学である。米国中央情報局の上層部は露骨にエール大学閥であることが知られている。

サットンのホームページ:

http://www.antonysutton.com/

彼が受けた最後のインタビュー:

http://www.antonysutton.com/suttoninterview.html

彼の代表作の一つ(スカボン本”America's Secret Establishment)

http://www.cia-drugs.com/Merchant2/merchant.mv?Screen=SFNT&Store_Code=CS&Affiliate=ctrl


1.America's Secret Establishment --

2. Wall Street and the Rise of Hitler --

ウォールストリートがナチスヒトラーを勃興させたことを証明した本。
3. Wall Street & the Bolshevik Revolution --

ウォールストリートがトロツキーなどいもふくめ資金を与え、ソ連を成立させた経緯がかかれている。


上記1についてのアマゾン書店で寄せられる読者評は以下のように最高度の星を獲得している。
http://www.amazon.com/exec/obidos/search-handle-form/002-3984047-1859263

読者のコメントをいちいち読むと非常に支持されていることがわかる。

彼の本は日本で一冊も翻訳されていないが、少なくとも
上記の3冊、最悪でも上記1について、翻訳出版されることが非常に望ましい。アメリカ理解、近現代史理解にこれらの報告書は絶対不可欠なのだ。

最高度の頭脳と調査能力を持つ彼は20世紀の知的巨人の一人であり、彼のすべての著書は近現代史を真に理解したいすべての人々、あるいは新しい歴史形成を担いたいすべての人々への贈り物であり、21世紀の知的遺産だといえる。

彼の真摯な知的営為、屈せず戦い抜いた態度に真の知識人の模範をみるものであり、最高度の敬意を払いたい。最近朝日新聞論壇で投稿されていたpublic intellectuals 公的知識人=一般人のための知識人という概念は米国由来のものであり、最近某大学でこの名前を冠する博士号Ph.D.を授与するところがでてきた。それほど、米国のいわゆる知識人は権力の走狗であることの批判からおきている現象だ。サットンこそこの敬称にふさわしい人物はいないだろう。

自分が知らない、聞いたこともない説であるゆえトンデモ本だ、などと決めつけるタイプの人々にはこれらは高踏すぎて無縁な著作郡であることは確かである。学問的訓練を経た読者に最も向くものといえる。

近現代史を専門とする人々は必読であることを強調していきたい。

http://www.asyura2.com/2003/dispute8/msg/819.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c7

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
8. 中川隆[-14949] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:20:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2041]

ソ連の歴史




















http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c8
コメント [政治・選挙・NHK267] 米国CIAとつながる日テレが、安倍おろしの決定打を放った:日本会議の傀儡・安倍氏はクビを洗って待つしかない!(新ベンチャー… 赤かぶ
39. 2019年11月14日 04:22:17 : ROPyIER50g : ZU9HakxoWnVwU0E=[1]
19を非表示にしないで必要のないものは非表示にする。赤かぶは所詮ウヨかぶ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/330.html#c39
コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
9. 中川隆[-14948] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:22:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2040]
ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。


ブラッドランド : ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 – 2015/10/15
ティモシー スナイダー (著), Timothy Snyder (原著), & 1 その他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8A-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861297
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89-%E4%B8%8B-%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3-%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/dp/4480861300/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3+%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F&qid=1555198794&s=books&sr=1-1-fkmrnull


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【犠牲者1400万!】スターリンとヒトラーの「ブラッドランド」1933〜1945
http://3rdkz.net/?p=405

筑摩書房の「ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実」(ティモシー・スナイダー著)によれば、ドイツとロシアにはさまれた国々、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域(=ブラッドランド)において、ヒトラーとスターリンの独裁政権は、1933年〜1945年の12年間に1400万人を殺害した。この数字は戦争で死亡した戦死者は一人も含まれていない。戦闘による犠牲者ではなく、両政権の殺戮政策によって死亡した人々だ。犠牲者の大半はこの地域に古くから住まう罪もない人々で、一人も武器を持っておらず、ほとんどの人々は財産や衣服を没収されたうえで殺害された。

「ブラッドランド」には、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ナチ西部占領地域は含まれていない。ルーマニアではファシスト政権の反ユダヤ政策により、強制収容所や移送中の列車の中で30万人が死亡したが、これはナチやソ連政府とは無関係な殺害政策である。ハンガリーでは戦争末期に40万人のユダヤ人がアウシュビッツに送られて死亡したが、ソ連は関与していない。ユーゴではナチ傀儡「クロアチア独立国」により数十万人のユダヤ人やセルビア人が殺害されたが、ユーゴがソ連に支配されたことはない。フランスでも反ユダヤ政策によりユダヤ人が絶滅収容所に送られたが、「ブラッドランド」からは外れる、とのこと。

その理由は、あくまで上記のようにポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、バルト諸国、西部ソ連地域のみに的を絞っているからだ。これらは戦前にはソ連に、戦間期にはナチスの大量殺人政策に痛めつけられた地域である。双方の無慈悲なテロに晒され夥しい数の人が死んだ”流血地帯”である。

筑摩書房「ブラッドランド」を読み解きながら、この地域で一体何が起こったのかまとめたい。


ブラッドランド=”流血地帯”はどういう意味を持つか

ブラッドランドは…

・ヨーロッパユダヤ人の大半が住んでいた

・ヒトラーとスターリンが覇権をかけて争った

・ドイツ国防軍とソ連赤軍が死闘を繰り広げた

・ソ連秘密警察NKVD(内務人民委員部)とSS(ナチス親衛隊)が集中的に活動した

…地域である。

ブラッドランドにおける主な殺害方法

1400万人殺したといっても、高度なテクノロジーは一切使われておらず、野蛮な方法であった。

ほとんどは人為的な飢餓による餓死である。

その次に多いのは銃殺である。

その次に多いのはガス殺である。

ガスも高度なテクノロジーとは無縁であった。ガス室で使用されたガスは、18世紀に開発されたシアン化合物や、紀元前のギリシャ人でさえ有毒だと知っていた一酸化炭素ガスである。

ウクライナの人為的飢餓テロー犠牲者500万人

http://3rdkz.net/?p=405


1929年〜1933年にかけて餓死したウクライナ農民の死亡率。赤は25%以上。ほぼ全滅した村も多くあった。

1930年代初頭、第一次五か年計画、集団農場化を焦るスターリンは、反抗的なウクライナ農民を屈服させるために飢餓を利用した。

年間770万トンにも及ぶ血も涙もない食糧徴発作戦により、少なくとも500万人のウクライナ農民が人為的な飢餓に追い込まれて死亡した。

食料徴発隊は共産党員、コムソモール、地元の教員・学生、村ソヴィエトの理事や議員、OGPU(合同国家政治保安部)で構成された《ブリガーダ》と呼ばれる作業班で、ほとんど盗賊と変わらなかった。作業班は家から家へと渡り歩き、家の中を隅から隅まで探し、屋根裏や床を破壊し、庭を踏み潰し、棒を突っ込んで穀物を探した。

村でも街でも国の組織にハッパをかけられ、残虐行為が広がっていた。
http://3rdkz.net/?p=405

ある妊娠中の女性が小麦を引き抜いたとして板切れで打ちすえられ死亡した。
三人の子供を抱えた母親は集団農場のじゃがいもを掘り出したとして警備員に射殺された。子供たちは全員餓死した。
ある村では穀物をむしり取ったとして7人の農民と14歳と15歳の子供達3人が銃殺された。

《ブリガーダ》は狂ったように食物を探しまわり、飢餓によって手足の浮腫が生じていない農民の家を怪しんで捜索した。しまいにはサヤエンドウ、ジャガイモ、サトウダイコンまでも取り上げた。餓死したものたちも瀕死の者たちも一緒になって共同墓地に放り出された。

人々の餓死は1933年初春に最高潮に達した。


雪が解け始めたとき、本物の飢餓がやってきた。人々は顔や足や胃袋をふくらませていた。彼らは排尿を自制できなかった・・。今やなんでも食べた。ハツカネズミ、ドブネズム、スズメ、アリ、ミミズ・・骨や革、靴底まで粉々にした。革や毛皮を切り刻み、一種のヌードル状にし、糊を料理した。草が生えてくるとその根を掘り出し葉や芽を食べた。あればなんでも食べた。タンポポ、ゴボウ、ブルーベル、ヤナギの根、ベンケイソウ、イラクサ・・

33年の冬までに、ウクライナの農民人口2000〜2500万人のうち、4分の1から5分の1が死んだ。
彼らは孤独のまま、極めて緩慢に、なぜこんな犠牲になったのかという説明も聞かされずに、自分の家に閉じ込められ、飢えたまま置き去りにされ、ぞっとするような死に方をしていったのだ。

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ある農家はまるで戦争であった。みんな他を監視していた。人々はパンのかけらを奪い合った。妻は夫と、夫は妻といがみ合った。母は子供を憎んだ。しかし一方では最後の瞬間まで、神聖犯すべからざる愛が保たれていた。四人の子供を持った母親・・彼女は空腹を忘れさせようとして子供におとぎ話や昔話を聞かせてやった。彼女自身の舌は、もうほとんど動かないのに、そして自分の素手の腕さえ持ち上げられないのに、子供らを腕の中で抱いていた。愛が、彼女の中に生きていた。人々は憎しみがあればもっと簡単に死ねることを悟った。だが、愛は、飢餓に関しては、何もできなかった。村は全滅であった。みんな、一人も残っていなかった。

大粛清ー犠牲者70万人以上

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ウクライナ大飢饉が一息ついた1934年1月、ナチスドイツとポーランドが不可侵条約を結んだ。当時のソ連はドイツ、ポーランド、日本という3つの宿敵に囲まれている形であった。ドイツとポーランドが手を結んだ今、ソビエト領内のポーランド人や少しでもポーランド人と関わりを持つ者は全てスパイとなった。

同年12月、レニングラード党第一書記キーロフが暗殺された。彼はスターリンにつぐナンバー2の権力者だった。スターリンはこれを最大限利用し、国内に反逆勢力がいるということを強調した。あたかも陰謀が常に存在するかのように。だがキーロフ暗殺の黒幕はスターリンその人であることが疑われている。

また、スターリンは集団農場化の大失敗によって引き起こされたウクライナの大飢饉を、外国のスパイ勢力の陰謀のせいだと主張した。

1936年、スターリンの妄想に付き従うものは重臣たちにさえ多くなかった。そんな中、ポーランド人のニコライ・エジョフという男がスターリンによってNKVD長官に任命されると、この男は反体制派とされる人々を嬉々として自ら拷問にかけ、手当たり次第にスパイであると自白させて銃殺にした。

1937年にはスターリンに歯向かうものは国内にいなかったが、依然政敵のトロツキーは外国で健在であり、ドイツとポーランドと日本という、いずれもかつてはロシア帝国やソビエト赤軍を打ち負かした反ソ国家に囲まれていた。スターリンは疑心暗鬼に囚われた。ドイツとポーランドと日本が手を携えて攻めてくるかもしれない……トロツキーが(かつてレーニンがそうしたように)ドイツ諜報機関に支援されて劇的にロシアの大地に帰還し、支持者を集めるのではないか……今こそ一見無害に見える者たちの仮面をはぎ取り、容赦なく抹殺するのだ!1937年の革命20周年の記念日に、スターリンは高らかにそう宣言した。

ポーランド人やドイツ人、日本人、またはそのスパイと疑われた人々や、元クラーク(富農)や反ソ運動の嫌疑により、約70万人の国民がスターリンとエジョフのNKVDによって銃殺された。また数え切れないほどの人々が拷問や流刑の過程で命を落とした。

粛清の範囲は軍や共産党やNKVDにまで及び、国中がテロに晒された。

殺された一般国民は全員、荒唐無稽な陰謀論を裏付けるために拷問によって自白を強要された無実の人々であった。

大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。

ポーランド分割ー犠牲者20万人以上

Soviet_and_German_Troops
1939年ブレスト=リトフスク(当時はポーランド領)で邂逅する独ソの将兵。両軍の合同パレードが開催された。

1939年9月中旬、ドイツ国防軍によってポーランド軍は完全に破壊され、戦力を喪失していた。極東においてはノモンハンにおいてソ連軍が日本軍を叩き潰した。その一か月前にはドイツとソ連が不可侵条約を結んでいた。世界の情勢はスターリンが望むままに姿を変えていた。

ヒトラーはポーランド西部を手に入れて、初めての民族テロに乗り出した。

スターリンはポーランド東部を手に入れて、大粛清の延長でポーランド人の大量銃殺と強制移送を再開した。

ドイツ国防軍の末端兵士に至るまで、ポーランド人は支配民族(=ドイツ人)に尽くすための奴隷民族であると教えられた。ドイツ将兵はポーランド人を気まぐれに虐待し、ドイツ兵一人が傷つけば身近なポーランド人を報復として数百人規模で銃殺した。また、ドイツ兵は平然とポーランド女性やユダヤ人女性を強姦した。銃声が聞こえれば付近の村人をフェンスの前に並ばせて皆殺しにした。またポーランド軍捕虜から軍服を奪い去り、ゲリラと決めつけて問答無用に銃殺にした。ポーランドにはユダヤ人が数多くいたが、ドイツ兵は彼らも気まぐれに虐待を加え、婦女子を強姦し、村人を銃殺し村を焼き払った。また、ドイツ空軍は開戦以来都市に無差別の爆撃を加え続け、戦闘の混乱により東に逃げる人々の列に機銃掃射を加えて楽しんだ。

1939年末までにドイツ兵に殺されたポーランド民間人は45000人に上った。
http://3rdkz.net/?p=405&page=2


戦後はドイツ軍政と、諜報機関のトップであるラインハルト・ハイドリヒによって編成されたナチス親衛隊の移動抹殺部隊により、ポーランドのエリート階層は根絶やしにされ、銃やガスや人為的飢餓でのきなみ絶滅の憂き目にあった。これは「AB行動」と呼ばれる。

ヒトラーの目的はポーランドをドイツの人種差別主義者の理想通りの世界とすること、社会からドイツの支配に抵抗する力を奪うことだった。とはいえ、当時のドイツの殺戮班はこの手のテロにまだ不慣れで、NKVDほど効率的に敵を排除することができず、総督府領内で徐々にレジスタンス活動が活発化して行く。

ソ連の場合、チェーカーやゲーペーウーを前身に持つエリートテロ組織であったNKVDや、革命初期の内戦期からテロの執行機関であった赤軍がもっとうまくやった。

ソ連軍は9月中旬、50万の大軍勢を持って、既に壊滅したポーランド軍と戦うために、護る者が誰もいなくなった国境を超えた。そこで武装解除したポーランド将兵を「故郷に帰してやる」と騙して汽車に乗せ、東の果てへ輸送した。

ポーランド将校のほとんどは予備役将校で、高度な専門教育を受けた学者や医師などの知識階級だった。彼らを斬首することにより、ポーランドの解体を早めることが目的だった。

同じころNKVDの職員が大挙してポーランドに押し寄せた。彼らは10個以上の階級リストを作成し、即座に10万人以上のポーランド民間人を逮捕。そのほとんどをグラーグ(強制収容所)へ送り、8000人以上を銃殺した。またすでに逮捕されたポーランドの高級将校たちを片っ端から銃殺にし、ドイツの犯行に見せかけた。そして家族をグラーグへ追放した。銃殺された者は20000人以上、将校の関係者としてグラーグへ送られた者は30万人以上とされる。そのほとんどは移送中の汽車の中や、シベリアやカザフスタンの収容所で命を落とした。

独ソ双方から過酷なテロを受けたポーランドでは、20万人が銃殺され、100万人以上が祖国を追放された。追放された者のうち、何名が死亡したかはいまだ未解明である。

独ソ開戦ー犠牲者?

horocaust

ドイツは第一次大戦で英軍の海上封鎖により76万人が餓死した苦い記憶を持つ。その歴史を熟知していたヒトラーは、食糧不安を解消するためになんとしてもウクライナが欲しかった。ウクライナはソ連の穀物生産の90%をしめるヨーロッパ有数のカロリー源であった。ヒトラーは東方総合計画を策定した。これは端的にいえばウクライナを占領し、農民を全て餓死させ、空白になった土地にドイツ人を入植させる。こういうものだった。

ドイツの計画立案者たちは、33年のウクライナ大飢饉に倣い、集団農場を使って農民を餓死させる計画を立てた。また、戦争によって拡大した領土に住まうドイツ人や前線に送るドイツ兵に食糧を効率的に供給するために、スラブ人やユダヤ人から食べ物を取り上げ、餓死させる計画を立てた。これはつまり、ソ連地域の大都市を破壊し、森に帰すことで冬の寒さに晒し、1942年の春までに3000万人を餓死させるというものだった。

しかし、戦況が思ったよりも長引き、ドイツ国防軍は苦戦し、進軍が遅れたために計画通りにはいかなかった。都市や集団農場の住民を殺して食糧源がなくなれば戦況は壊滅的に悪化するだろう。このような事情に加え、ナチス親衛隊やドイツ国防軍にソ連NKVDほどの実力はなかった。実際には飢餓計画は実行不可能だったのである。しかし、ドイツ国防軍に捕らえられた300万のソビエト兵捕虜は、冬の荒野に鉄条網を張り巡らせただけの収容所ともいえぬような場所に拘禁され、食べ物を与えられずほとんど全員が餓死した。またドイツ国防軍やナチス親衛隊は、50万人の捕虜を銃殺し、260万人の捕虜を餓死させるか、移送中に死に至らしめた。初めから殺すつもりだったのだ。犠牲者は310万人ともいわれる。

また、ドイツ兵はポーランド人よりもさらに劣等な人種としてロシア人を見ていた。ドイツ兵は彼らをためらうことなく銃殺したが、このような民間人に対する犯罪行為は、バルバロッサ命令という形で合法とされた。

また、コミッサール命令という政治将校、共産党員、赤軍将兵、または市民のふりをしたゲリラは問答無用に処刑して良いことになっていた。この定義にユダヤ人が含まれるようになると殺戮は拡大した。犠牲者はあまりにも膨大で、はっきりとした数字は未解明である。

1941年の9月までにドイツ軍が包囲した、ソビエト北の要衝レニングラードでは本格的な兵糧攻めが行われた。900日間にわたる包囲戦により、100万人の市民が餓死した。ヒトラーは東方総合計画により、レニングラードを完全に破壊して更地にしたうえでフィンランドに引き渡すつもりだった。はじめから住民を全て殺すつもりだったのである。包囲下のレニングラードでもNKVDは微塵も揺らぐことなく健在で、裏切り者を探し回っては銃殺していた。レニングラード市民は独ソ双方から過酷なテロを受けたのである。

また、1944年のワルシャワ蜂起では、20万人の市民が戦闘の巻き添えになって死亡し、70万人の市民が市内から追放された。

ホロコーストー犠牲者540万人

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ホロコーストはバルト諸国のリトアニアから開始された。ナチス親衛隊はリトアニアやラトヴィアで現地民を扇動してポグロムを引き起こし、ユダヤ人やNKVD、共産党員を殺害。ドイツ軍や警察はユダヤ人の成人男性をスパイやゲリラと見なして銃殺した。

1941年の8月ごろになると、ヒトラーは既にソ連への奇襲作戦が失敗し、戦争終了を予定していた9月中旬までにモスクワを占領することは不可能そうであると悟った。総統はせめてユダヤ人を皆殺しにすることを考えた。こうしてユダヤ人の女性や子供・老人がゲリラの定義の中に含まれた。

ポーランドの時と同じように、ソ連の指導者たちを排除するため、保安諜報部(SD)と警察の特殊部隊が編成されていたが、彼らの任務はいつしかユダヤ人を全て殺すことへと変化して行った。SDと警察の移動抹殺作戦により、リトアニアのユダヤ人20万人のうち19万5千人が銃殺された。その他の地域でも気の狂ったような大量銃殺が繰り広げられ、その凶行をとめることができる者はいなかった。全ては総統命令として正当化されたのである。

ウクライナ、ベラルーシ、西部ソ連地区でも状況は似たようなものだった。ドイツ軍が版図を広げるたびに移動抹殺隊が影のように現れ、現地徴集兵を雇ってユダヤ人や共産党員、精神障害者や同性愛者を手当たり次第に銃殺した。ウクライナのキエフではたった2日で3万人以上のユダヤ人婦女子が銃殺され、ベラルーシでは過酷なパルチザン戦が繰り広げられ、国民の4分の1が巻き添えになって殺された。移動抹殺作戦の犠牲者は100万人以上と推計される。
http://3rdkz.net/?p=405&page=3


ポーランドには6つの絶滅収容所が設置され、ヨーロッパ各地からユダヤ人や政治犯、思想犯、同性愛者や障害者がかき集められて、飢餓や強制労働や銃やガスによって命を絶たれた。犠牲者は250万人を超える。

ホロコーストの結果、ヨーロッパの全ユダヤ人のうち3分の2が殺害され、なかでもポーランドの被害が最も深刻で、90%以上、300万人のユダヤ人が絶滅された。

抵抗の果てに

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戦争後期、ソ連軍はドイツ軍を打ち破って東プロイセンへ侵入した。そして彼らは目に付く全ての女性を強姦しようとした。その時点でドイツ成人男性の戦死者数は500万人にのぼっていた。残った男性はほとんど高齢者や子供で、彼らの多くは障害を持っていた。女性たちを守る男はいなかった。強姦被害にあった女性の実数は定かではないが数百万人に及ぶと推定され、自殺する女性も多かった。

それとは別に52万のドイツ男性が捕えられて強制労働につかされ、東欧の国々から30万人近い人々が連行された。終戦時までに捕虜になり、労役の果てに死亡したドイツ人男性は60万人に上った。ヒトラーは民間人を救済するために必要な措置を一切講じなかった。彼は弱者は滅亡するべきだと思っていた。それはドイツ民族であろうと同じだった。そして彼自身も自殺を選んだ。

ヒトラーの罪を一身に背負わされたのが戦後のドイツ人であった。新生ポーランドではドイツ人が報復や迫害を受け、次々と住処を追われた。ポーランドの強制収容所で死亡したドイツ人は3万人と推計される。1947年の終わりまでに760万人のドイツ人がポーランドから追放され、新生ポーランドに編入された土地を故郷とするドイツ人40万人が移送の過程で死亡した。

戦間期のスターリンの民族浄化

独ソ戦の戦間期には、対独協力の恐れがあるとみなされた少数民族の全てが迫害を受けた。

1941年〜42人にかけて90万人のドイツ系民族と、9万人のフィンランド人が強制移住させられた。

1943年、ソ連軍がカフカスを奪還すると、NKVDがたった1日で7万人のカフカス人をカザフスタンとキルギスタンに追放した。更にNKVDはその年の12月には、2日間で9万人のカルムイク人をシベリアへ追放した。

1944年にはNKVD長官ベリヤが直接指揮を執って、47万人のチェチェン人とイングーシ人をわずか一週間で狩り集めて追放した。一人残らず連行することになっていたので、抵抗する者、病気で動けない者は銃殺され、納屋に閉じ込めて火を放つこともあった。いたるところで村が焼き払われた。

同年3月、今度はバルカル人3万人がカザフスタンへ追放され、5月にはクリミア・タタール人18万人がウズベキスタンへ強制移住させられた。11月にはメスヘティア・トルコ人9万人がグルジアから追放された。

このような状況であったから、ソヴィエトと共に戦ったウクライナやバルト諸国やポーランド、ベラルーシでもNKVDの仕事は同じだった。赤軍や新生ポーランド軍は、かつては味方だったパルチザンに対して牙をむいた。少数民族や民族的活動家はのきなみ捕えられ、同じように東の果てに追放されたのだった。その数は1200万人に及んだ!

おわりに

長年、ドイツとロシアにはさまれた国々の悲惨な歴史に圧倒されていた。これ以上恐ろしい地政学的制約はないだろう。ドイツとソ連の殺害政策によって命を失った人々は、誰一人武器を持たない無抵抗の民間人は、それだけで1400万人に及ぶ。もちろんこれは戦闘による軍人・軍属の戦死者は含まれていない。またルーマニアやクロアチアやフランスの極右政権によって虐殺されたユダヤ人やセルビア人は数に含まれていない。

ドイツとソ連の殺害政策は、偶発的に起こったのではなく、意図的に明確な殺意を持って引き起こされた。その執行機関はNKVDであり、赤軍であり、ドイツ国防軍であり、ドイツ警察であり、ナチス親衛隊だった。その殺し方は飢餓が圧倒的に多く、その次に多かったのが銃で、その次がガスである。

アウシュビッツはホロコーストの象徴だが、アウシュビッツで死亡したユダヤ人は死亡したユダヤ人の6分の1に過ぎない。アウシュビッツが本格的に稼働するころには、既にユダヤ人の多くは命を落としていた。

ベルゲン・ベルゼンやダッハウ解放後の悲惨な写真は人々の記憶に刻みつけられたが、それらはどちらも絶滅収容所ではなく、西側の連合軍が解放した絶滅収容所は一つもなく、カティンの森もバビ・ヤールも、西側の目に触れたことは一度もない。

ナチス崩壊後も、スターリンの赤い帝国が厳重に引いた鉄のカーテンによって、ロシアばかりでなく、ドイツの犯罪行為も闇に葬られてしまった。ナチスドイツの東部捕虜収容所は、絶滅収容所以上の絶滅施設であった。そこでは310万人が飢餓や銃によって殺害され、ソ連兵捕虜の死亡率は60%近くに上った。ヒトラーの東方総合計画の検証もほとんど進まなかった。”ブラッドランド”は、全て戦後スターリンの帝国に覆い隠されてしまったからである。

激しい人種差別と階級的憎悪、独裁者の偏執的かつ無慈悲な実行力が両国に共通に存在していた。

海に囲まれた我が国には、人種差別がどれほどの暴力を是認するものなのか、階級憎悪がどれほどの悲劇を生んできたのか、ピンとこない。

知ってどうなるものでもないが、この恐ろしい歴史を興味を持ったすべての人に知ってもらいたい。
http://3rdkz.net/?p=405&page=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c9

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
10. 中川隆[-14947] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:40:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2039]

ドイツやソ連に占領されるとこうなる:

ワイダ カティンの森 Katyń (2007年)

監督 アンジェイ・ワイダ
脚本 アンジェイ・ワイダ ヴワディスワフ・パシコフスキ プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
原作 アンジェイ・ムラルチク
音楽 クシシュトフ・ペンデレツキ
撮影 パヴェウ・エデルマン
公開 2007年9月17日
製作国 ポーランド
言語 ポーランド語 ドイツ語 ロシア語


動画
https://www.nicovideo.jp/search/KATY%C5%83%20%20%2F7%20?f_range=0&l_range=0&opt_md=&start=&end=


キャスト

マヤ・オスタシェフスカ (Maja Ostaszewska):アンナ
アルトゥル・ジミイェフスキ (Artur Żmijewski):アンジェイ大尉 - アンナの夫、カティンで殺害される
ヴィクトリア・ゴンシェフスカ (Wiktoria Gąsiewska) : ヴェロニカ(通称ニカ) - アンジェイとアンナの娘
マヤ・コモロフスカ (Maja Komorowska):アンジェイの母
ヴワディスワフ・コヴァルスキ (Władysław Kowalski):アンジェイの父・ヤン教授 - ヤギェウォ大学教授、講演会を名目に大学に招集され、同僚とともに収容所に送られ、病死
アンジェイ・ヒラ (Andrzej Chyra):イェジ中尉 - アンジェイの戦友 - カティンで殺害されず帰還、のちに「カティンの森事件」について、ソ連側の証人となったことを恥じて自殺
ダヌタ・ステンカ (Danuta Stenka):大将夫人ルジャ
ヤン・エングレルト (Jan Englert):大将 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・グリンスカ (Agnieszka Glińska):イレナ - ピョトル中尉の妹
マグダレナ・チェレツカ (Magdalena Cielecka):アグニェシュカ - ピョトル中尉、イレナの妹
パヴェウ・マワシンスキ (Paweł Małaszyński):ピョトル中尉 - カティンで殺害される
アグニェシュカ・カヴョルスカ (Agnieszka Kawiorska):エヴァ - 大将とルジャの娘
アントニ・パヴリツキ (Antoni Pawlicki):タデウシュ(トゥル) - アンナの甥、父カジミエシュはカティンで殺害される
アンナ・ラドヴァン (Anna Radwan) : エルジュビェタ - タデウシュの母
クルィスティナ・ザフファトヴィチ (Krystyna Zachwatowicz):グレタ - ドイツ総督府の法医学研究所関係者。イェジ中尉の依頼により、アンナにアンジェイ大佐の手帳をわたす
セルゲイ・ガルマッシュ (Sergei Garmash) : ポポフ大尉 - 同情的でアンナを秘密警察から匿った赤軍将校
スタニスワヴァ・チェリンスカ (Stanisława Celińska) : スタシア - 大将の使用人
クシシュトフ・グロビシュ (Krzysztof Globisz) : 医師 ドイツ総督府の法医学研究所で、カティンの森の事件の調査をしている。ポーランドがソ連により解放されることになり、自分の身の危険を感じている。


▲△▽▼


『カティンの森』(ポーランド語: Katyń)は、2007年(平成19年)製作・公開のポーランドの映画(en:Cinema of Poland)である。第二次大戦下に実際に起きた「カティンの森事件」を題材とした映画である。


自らの父親もまた同事件の犠牲者である映画監督アンジェイ・ワイダが、80歳のときに取り組んだ作品である[1]。原作は、脚本家でありルポルタージュ小説家でもあるアンジェイ・ムラルチクが執筆した『死後 カティン』(Post mortem. Katyń, 工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』)である。構想に50年、製作に17年かかっている。

撮影は『戦場のピアニスト』等でも知られるポーランド出身の撮影監督パヴェウ・エデルマン、音楽はポーランド楽派の作曲家クシシュトフ・ペンデレツキが手がけた。ポーランドでは、2007年9月17日に首都ワルシャワでプレミア上映され、同年同月21日に劇場公開された[2]。

翌2008年(平成20年)、第58回ベルリン国際映画祭でコンペティション外上映された[2]。

ワイダは、2010年(平成22年)4月7日、ロシアのウラジーミル・プーチン首相、ポーランドのドナルド・トゥスク首相が出席した「カティンの森事件」犠牲者追悼式典に参列した[3]。同月10日に開催予定であったがポーランド空軍Tu-154墜落事故のため中止となった「カティンの森事件」追悼式典のための大統領機には、搭乗してはいなかった[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE


1939年9月、クラクフのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)は娘を連れ、夫のアンジェイ大尉(アルトゥル・ジミイェフスキ)を探しに行く。一方、東から来た大将夫人(ダヌタ・ステンカ)はクラクフに向かう。アンジェイや仲間のイェジ(アンジェイ・ヒラ)たちは、ソ連軍の捕虜となっていた。アンジェイは、見たことすべてを手帳に書き留める決意をする。アンナはクラクフに戻ろうとするが、国境を越えられない。11月、アンジェイの父はドイツ軍の収容所に送られる。翌年初め、アンナと娘、アンナの義姉と娘は、ロシア人少佐の家に匿われていた。義姉親子は強制移住のため連れ去られるが、アンナたちは逃げ延びる。春、アンナと娘は義母のいるクラクフへ戻り、義父の死を知る。アンジェイはイェジから借りたセーターを着て、大将、ピョトル中尉らと別の収容所に移送される。1943年4月、ドイツは一時的に占領したソ連領カティンで、多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表する。犠牲者リストには大将、イェジの名前が記され、アンジェイの名前はなかった。大将夫人はドイツ総督府で夫の遺品を受け取り、ドイツによるカティンの記録映画を見る。1945年1月、クラクフはドイツから解放される。イェジはソ連が編成したポーランド軍の将校となり、アンナにリストの間違いを伝える。イェジは法医学研究所に行き、アンジェイの遺品をアンナに届けるよう頼む。イェジは大将夫人から“カティンの嘘”を聞き、自殺する。国内軍のパルチザンだったアンナの義姉の息子タデウシュは、父親がカティンで死んだことを隠すよう校長から説得されるが、拒否する。その帰り道、国内軍を侮辱するポスターを剥がした彼は警察に追われ、大将の娘エヴァと出会う。校長の妹はカティンで遺体の葬式を司った司祭を訪ね、兄ピョトルの遺品を受け取る。そして兄の墓碑にソ連の犯罪を示す言葉を刻み、秘密警察に狙われる。法医学研究所の助手グレタはアンナに、アンジェイの手帳を届ける。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=40518


▲△▽▼


カティンの森事件(ポーランド語: zbrodnia katyńska、ロシア語: Катынский расстрел)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦(ロシア共和国)のグニェズドヴォ(Gnyozdovo)近郊の森で約22,000人[1]のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソビエト内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。「カティンの森の虐殺」などとも表記する。

NKVD長官ベリヤが射殺を提案し、ソビエト共産党書記長スターリンと政治局の決定で実行された[2]。

「カティン(カチンとも。Katyń)」は現場近くの地名で、事件とは直接関係ないものの、覚えやすい名前であったためナチス・ドイツが名称に利用した。


経緯

1939年4月にドイツはドイツ・ポーランド不可侵条約を廃棄し、同年8月にドイツとソ連の間で独ソ不可侵条約が締結された。同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻することで第二次大戦が始まり、9月17日にソ連も同様にソ連・ポーランド不可侵条約を廃棄してポーランドの東部に侵攻した。独ソ不可侵条約には秘密議定書があり、両国はそれに従ってポーランドへの侵攻と分割占領を行ったのである。


ポーランド人捕虜問題

1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両国によってポーランドは攻撃され、全土は占領下に置かれた。武装解除されたポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、ソ連軍に降伏した将兵は強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。

ポーランド政府はパリへ脱出し、亡命政府を結成、翌1940年にアンジェへ移転したがフランスの降伏でヴィシー政権が作られると、更にロンドンへ移された。

1940年9月17日のソ連軍機関紙『赤い星』に掲載されたポーランド軍捕虜の数は将官10人、大佐52人、中佐72人、その他の上級将校5,131人、下級士官4,096人、兵士181,223人となった。その後、ソ連軍は将官12人、将校8,000人を含む230,672人と訂正した[3]。ポーランド亡命政府は将校1万人を含む25万人の軍人と民間人が消息不明であるとして、何度もソ連側に問い合わせたが満足な回答は得られなかった。

1941年の独ソ戦勃発後、対ドイツで利害が一致したポーランドとソ連はシコルスキー=マイスキー協定(英語版)を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜はすべて釈放され、ポーランド人部隊が編成されることになった。しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかった。そこで亡命政府は捕虜釈放を正式に要求したが、ソ連側は全てが釈放されたが事務や輸送の問題で滞っていると回答した。12月3日には亡命政府首相ヴワディスワフ・シコルスキがヨシフ・スターリンと会談したが、スターリンは「確かに釈放された」と回答している。


捕虜の取扱い

ポーランド人捕虜はコジェルスク、スタロビエルスク(英語版)、オスタシュコフの3つの収容所へ分けて入れられた。その中の1つの収容所において1940年の春から夏にかけて、NKVDの関係者がポーランド人捕虜に対し「諸君らは帰国が許されるのでこれより西へ向かう」という説明を行った。この知らせを聞いた捕虜たちは皆喜んだが、「西へ向かう」という言葉が死を表す不吉なスラングでもあることを知っていた少数の捕虜は不安を感じ、素直に喜べなかった。彼らは列車に乗せられると、言葉通り西へ向かい、そのまま消息不明となる。


事件の発覚

スモレンスクの近郊にある村・グニェズドヴォ(Gnyozdovo)では1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂が絶えなかった。独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際にこの情報を耳にした。

1943年2月27日、ドイツ軍中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。報告を受けた中央軍集団参謀ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ将軍は「世界的な大事件になる」と思い、グニェズドヴォよりも「国際的に通用しやすい名前」である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として報告書を作成、これは中央軍集団からベルリンのドイツ国民啓蒙・宣伝省に送られた。宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。


発見当初の動静

1943年4月9日、ゲッベルスはワルシャワ、ルブリン、クラクフの有力者とポーランド赤十字社に調査を勧告した。ポーランド赤十字社は反ソプロパガンダであるとして協力を拒否したが、各市の代表は中央軍集団司令部に向かい、調査に立ち会った。ドイツ側は赤十字社の立ち会いの後に事件を公表する予定であったが、1943年4月13日には世界各紙で「虐殺」情報が報道された。このため、ドイツのベルリン放送でカティンの森虐殺情報が正式に発表された。

1943年4月15日、ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し、1941年にソビエトに侵攻してきたドイツ軍によってスモレンスク近郊で作業に従事していたポーランド人たちが捕らえられて殺害されたと主張した。しかし、捕虜がスモレンスクにいたという説明はポーランド側に行われたことがなく、亡命政府はソ連に対する不信感を強めた。ポーランド赤十字社にも問い合わせが殺到し、調査に代表を派遣することになった。すでに回収された250体の遺体を調査した赤十字社は遺体がポーランド人捕虜であることを確認し、1940年3月から4月にかけて殺害されたことを推定した。1943年4月17日、ポーランド赤十字社とドイツ赤十字社はジュネーヴの赤十字国際委員会に中立的な調査団による調査を依頼した。

これを受けてソ連はポーランド亡命政府を猛烈に批判し、断交をほのめかした。ソ連の反発を見た赤十字国際委員会は全関係国の同意がとれないとして調査団の派遣を断念した。1943年4月24日、ソ連はポーランド亡命政府に対し「『カティン虐殺事件』はドイツの謀略であった」と声明するように要求した。ポーランド亡命政府が拒否すると、26日にソ連は亡命政府との断交を通知した。

ポーランド赤十字社はカティンに調査団を送り込み、また、ドイツもポーランド人を含む連合軍の捕虜、さらにスウェーデン、スイス、スペイン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ハンガリー、チェコスロバキア(ベーメン・メーレン保護領及びスロバキア)など各国のジャーナリストの取材を許可した。さらに枢軸国とスイスを中心とする国から医師や法医学者を中心とする国際調査委員会が派遣された。1943年5月1日、国際委員会とポーランド赤十字社による本格的調査が開始された。


第一次調査

調査はソ連軍がスモレンスクに迫る緊迫した状況下で行われた。国際委員会は遺体の発掘と身元確認と改葬を行い、現地での聞き取り調査も行った。ドイツ側は「12,000人」の捕虜の遺体が埋められていると発表していたが、実数はそこまでには至らなかった。

発掘途中の調査では、遺体はコジェルスクの捕虜収容所に収容されていた捕虜と推定された。遺体はいずれも冬用の軍服を装着しており、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っていた。遺体の脳からは死後3年以上経過しないと発生しない物質が検出されたことや、墓穴の上に植えられた木の樹齢が3年だったこと、遺体が死後3年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連の犯行を窺わせた。

また、調査に同行したアメリカ軍捕虜のジョン・ヴァン・ブリード大佐とスチュワート大尉は、捕虜の軍服や靴がほころびていないことからソ連軍による殺害であることを直感したと後に議会公聴会で証言している。

1943年5月になると現場付近の気温が上昇し、死臭が強まったために現地の労働者が作業を拒否するようになった。6月からは調査委員会と赤十字代表団が自ら遺体の発掘に当たった。明らかに拷問に遭った遺体や今までに見つからなかった8番目の穴が発見されるなど調査は進展したが、この頃になるとソ連軍がスモレンスクに迫り、委員会と代表団は引き上げを余儀なくされた。ポーランド赤十字社代表団は6月4日、委員会は6月7日に現地を離れた。

撤収までに委員会が確認した遺体の総数は4,243体であった。


西側連合国の対応

イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチス・ドイツが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。また当時ロンドンに移っていたポーランド亡命政府に対するイギリス大使であるオーウェン・オマレーが「事件がソ連によるものである」と結論した覚書を提出したが、ウィンストン・チャーチル首相はこれを公表しなかった[4]。

1944年、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領はカティンの森事件の情報を収集するために、かつてブルガリア大使を務めていたジョージ・ハワード・アール(英語版)海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったが、ルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務から外され、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった[4]。また、事件の生存者であるユゼフ・チャプスキ(英語版)は、1950年から「ボイス・オブ・アメリカ」のポーランド向け放送を担当することになったが、その際には事件に対して言及することを禁じられている[4]。


ソ連による「真相究明」

1943年10月15日からNKVDは独自に再調査を開始した。さらにモスクワに調査委員会を設置し、事件の調査を開始した。しかし、この調査委員会は委員長のニコライ・ブルデンコをはじめとして全員がソ連人であり、最初から「ナチス・ドイツの犯行」であることを立証するためのものであった[5]。ブルデンコ委員会は独自の聞き取り調査によって「殺害は1941年8月から9月、つまり、ドイツ軍の占領中に行われた」とし、殺害に用いられた弾丸がドイツ製であったことを根拠として、ナチス・ドイツの犯行であったと結論付けた[5]。

さらにソ連はニュルンベルク裁判においてドイツ人を裁くため、さらに調査報告書を作成した。告発を行ったソ連の検察官は「もっとも重要な戦争犯罪の内の1つがドイツのファシストによるポーランド人捕虜の大量殺害である」と述べている。これに基づいて1946年7月1日に裁判でカティンの森事件について討議が行われた。しかしこの告発は証拠不十分であるとして、裁判から除外された[5]。


冷戦期のカティンの森事件問題

冷戦が激化し始めた1949年、アメリカでは民間の調査委員会が設立され、事件の再調査を求めるキャンペーンを行った[6]。1951年、アメリカ議会はカティンの森事件に対する調査委員会を設置した[5]。1952年にはアメリカ国務省がソ連に対して証拠書類の提供を依頼したが、ソ連はこれを誹謗であるとして抗議している。調査委員会はソ連の犯行であることが間違いないと結論し、アメリカ議会は1952年12月に「カティンの森事件はソ連内務人民委員部が1939年に計画し、実行した」という決議を行っている[5]。しかし東側諸国はもとより西側諸国の多くもこれに同調しなかった[6]。

1959年、ソ連国家保安委員会(KGB)のアレクサンドル・シェレーピン議長は、ニキータ・フルシチョフ第一書記に対して、ポーランド人捕虜処刑に関する文書の破棄を提案している[7]。戦後ポーランドを支配していたPZPR(ポーランド統一労働者党)の幹部たちはソ連の説明を公式見解として認定した[8]。亡命ポーランド人たちは事件の研究を続け、時には地下出版の形でポーランド国内に伝えた[9]。

また、1970年代後半のイギリスでは事件に関する関心が高まり、ロンドンに犠牲者のための記念碑を作る計画があったが、イギリス政府はこの事件が起こった日付が「1940年」となっている点に難色を示し、除幕式に代表を派遣しなかった[4]。


冷戦後の調査

ソ連では1985年に就任したゴルバチョフ書記長の下でペレストロイカが進み、グラスノスチ(情報公開)の風潮が高まると、ソ連においても事件を公表する動きがあらわれた。1987年にはソ連・ポーランド合同の歴史調査委員会が設置され、事件の再調査が開始された。1990年にはNKVDの犯行であることを示す機密文書が発見され、ゴルバチョフ書記長らはもはや従来の主張を継続することはできないという結論を下した。

1990年4月13日、ソ連国営のタス通信はカティンの森事件に対するNKVDの関与を公表し、「ソ連政府はスターリンの犯罪の一つであるカティンの森事件について深い遺憾の意を示す」ことを表明した[7]。同日、ポーランドのヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領がゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフはカティンの森事件に言及するとともに、発見された機密文書のコピーをポーランド側に渡し、調査の継続を伝えた[7]。これにはカティンと同じような埋葬のあとが見つかったメドノエ(Mednoe)とピャチハキ(Pyatikhatki)、ビコブニアの事件も含まれている。


1992年、ソ連崩壊後の新生ロシア政府は最高機密文書の第1号を公開した。その中には、西ウクライナ、ベラルーシの囚人や各野営地にいるポーランド人25,700人を射殺するというスターリン及びベリヤ等、ソ連中枢部の署名入りの計画書、ソ連共産党政治局が出した1940年3月5日付けの射殺命令や、21,857人のポーランド人の殺害が実行されたこと、彼らの個人資料を廃棄する計画があることなどが書かれたシェレーピンのフルシチョフ宛て文書も含まれている。しかし、公表された文書で消息が明らかとなった犠牲者はカティンで4421人、ミエドノイエで6311人、ハルキエで3820人、ビコブニアで3435人であり、残りの3870人は依然として消息不明のままである[10]。

2004年、ロシア検察当局の捜査は「被疑者死亡」、「ロシアの機密に関係する」などの理由で終結した[11]。さらにロシア連邦最高軍事検察庁は事件の資料公開を打ち切り、2005年5月11日に「カティンの森事件はジェノサイドにはあたらない」という声明を行った[12]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6


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January 1, 2010
こんな映画を観た〜アンジェイ・ワイダ「カティンの森」

シアター・キノ代表の中島洋が正月映画に選んだ作品に間違いはないだろう。

こう考えて観た「カティンの森」(原題はカティン)、ソ連秘密警察によるポーランド将校の処刑シーンが延々と続いて終わるワイダ監督渾身の力作は、元日に観るべき映画として最良の選択だった。

カティンの森<事件>についてはウィキペディアが詳しい。カティンの森事件

しかしこの映画は「カティンの森事件」を伝えるためだけのものではない。実父をカティンで殺された経歴を持つワイダ監督の眼差しは、たとえば「存在の耐えられない軽さ」のような映画と同じ、犠牲者の側に立つのか、それとも生き延びるために加害者の欺瞞に迎合するのか、という非常に困難な問いに向けられている。そして、映画全体としてはソ連の犯罪の告発というより、夫の生還を信じて何十年も待ち続けたポーランドの女性たちへの痛切なグランプリになっている。

映画にはいくつかの役割がある。その中でも最も重要なものの一つは、歴史と人間の欺瞞を暴くことであり、もしかしたらすべてが欺瞞かもしれない歴史の中での人間の生き方を問うことである。

将校の妻たちは潔癖とも言える「拒否」の精神を発揮し、はた目には無意味に見える抵抗を続けていく。同じ状況におかれたとき、自分ならどうしただろうかと考えずにはいられないが、たぶん、現実に彼女たちはこういう生き方を貫いたのだ。処世術として迎合したふりをして時を待ち、組織化して反撃に転じるという発想はない。政治的にあまりにナイーブなのだ。すべては個人的な出来事に還元されてしまうようで、それを歯がゆくも感じる。

将校アンジェイの妻は、彼女とその娘の安全を心配する良心的な秘密警察幹部からの形式的な結婚話を断るが、思わず、なんて愚かなと思ってしまったほどだ。

しかし、これこそが女性特有の偉大さなのだ。極私的な「愛」しか信じるに値するものはない。一見、非歴史的で小市民的にみえるこの愚かといえば愚かな信念こそが、実はジェノサイドを不可避的に結果するあらゆる「政治」を解体する唯一の契機なのかもしれない。

大量の死体がブルドーザーで埋められていくシーンは圧巻で、自分が死体の一つとなって埋められていくかのような圧迫感がある。しかしそれは単に残酷なシーンというだけでなく、人間が本質的に持つ残酷さを感じさせて映像そのもの以上に恐ろしい。

バビ・ヤールでナチス・ドイツが行った大量処刑は機関銃によるものだったが、「カティンの森」ではソ連赤軍は一人ずつ確実にピストルで処刑したようだ。ほとんど証言が残されていないが、生涯最後となるかもかもしれない作品で、ワイダ監督はどんな細部にも細心の注意を払い、できるだけ事実に忠実に再現するように心がけたことだろうから、これがほぼ事実なのだろう。こうした「手工業的」な処刑方法には、いかにもスターリン型共産主義者らしい陰険さと小心さがうかがえる。

この大量虐殺の首謀者はスターリンとその片腕ベリヤであることが歴史的に明らかになっている。しかしこの「事件」は彼らの個人的な資質によって起きたものではなく、権力の集中によっていつでも起こりうることであり、現に起きていて、これからも起きていくことだろう。

最も軽蔑すべき人間たちによって最も優れた人間たちが粛清されてきたのが人類の歴史にほかならない。

その歴史を反転させる革命こそが待たれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/rzanpaku/diary/201001010000/


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「カティンの森」アンジェイ・ワイダ監督 虐殺を今に問う 2009年12月19日
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

 祖国の悲劇と抵抗の歴史を描き続けるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」が東京・神保町の岩波ホールで公開中だ。冒頭、「両親に捧(ささ)げる」という字幕が出る。父の命を奪い、母を苦しめた第2次大戦中の虐殺を、改めて「今」に問う。

 ポーランドに、ナチス・ドイツとソ連が侵攻した1939年。アンナは、ポーランド軍大尉の夫がソ連軍捕虜として連行される姿を目撃する。3年半後、ドイツは「虐殺された多数のポーランド人将校の遺体を発見」と発表。アンナは夫の死を伝えられるが、事実を受け入れられない……。

 この虐殺は「カティンの森事件」と呼ばれる。ポーランド東部を占領したソ連が40年、捕虜にした1万5千人ともいわれるポーランド人将校を殺害した。監督が映画化を構想し始めたのは、それから半世紀後だった。戦後、ポーランドはソ連の強い影響下にあった。「冷戦期、この事件はドイツの犯罪とされていた」と監督。89年に共産主義政権が次々倒れた東欧革命が起きるまで、真相はほぼ闇に葬られていたという。

 以後、すぐ製作に取りかかろうと試みるが、事件自体が長くタブー視され、全容を示す資料も、事件を扱った小説も見つからなかった。「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」の「抵抗3部作」をはじめ、抑圧された人間像を切り出す原作を重厚に映してきた社会派の巨匠は、撮影までに長期をかけた。「見つかった将校の日記を参考にしたり、当時を知っている人にインタビューしたりした。映画は登場人物を含め、ほとんど実話だ」

 監督がつむぐ物語は、残された人たちを軸につづられていく。「特に、多くの女性の話を書くことが大事だった」と話す。監督自身、夫の生還を信じ続けた母親を見て育ったからだ。待つ側を物語ることで、残されて生きる者をも苦しませ続ける戦いの現実を強調したかった。犠牲になった兄のためにソ連の犯罪を意味する墓碑を建てようとする女性も登場する。

 手を縛り、後頭部を撃ち抜き、埋める――。終盤の虐殺場面は、まるで流れ作業のように残酷に映される。「この事件は戦争というより、スターリンの指示による官僚的、組織的な虐殺だろう」。独ソ双方が、相手側の犯罪としてプロパガンダ映画に利用するさまも象徴的に映される。

 劇中、アンナの夫の父にあたる大学教授はドイツの収容所で亡くなる。「言いたいことは一つ。独ソ両国ともポーランドを事実上、『消滅』させることで、同国を思うままに動かしたかった」と述べた。
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200912180298.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c10

コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
22. 茶色のうさぎ[-13166] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 04:51:38 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-16]

 『 赤旗 』志位和夫、不破哲三、宮本顕治

 ↑ 売国奴、、こいつら、、除名処分するまでは、、 現在の幹部連中も、、 ぺっ♪

 純真な民青、地方議員、新日本婦人の会、民医連 ←奴隷状態、被害者と思います。

 まぁ、 太郎ちゃん、福島さん💛、森ゆうこ議員、、動労千葉 ←応援♪♪

 なお、 純真な朝鮮労働者、韓国、中国、台湾 ←市民、庶民は団結してね。 応援♪♪ 

 アメリカ、ロシアだって、市民、庶民は同じと思います。 ??? うさぎ♂ 朝麦?ばか

 みんな、人間、、、 小休止♪www ばか


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c22

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
11. 中川隆[-14946] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:51:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2038]

そして、超天才ショスタコーヴィチの人生はこうなった


宇野功芳

クラシック作曲家の三大ネクラは、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチではあるまいか。それでもチャイコフスキーの場合は、泣き節が大げさな上、メロディーが甘美なので深刻さが減じているが、救われないのはショスタコーヴィチだ。後期の弦楽四重奏曲を聴いてごらんなさい。もう、生きていくのがいやになる。


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ショスタコーヴィチ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906年9月25日 - 1975年8月9日)は、ソビエト連邦時代の作曲家。交響曲や弦楽四重奏曲が有名である。

シベリウス、プロコフィエフと共に、マーラー以降の最大の交響曲作曲家としての評価がほぼ確立され、世界的にも特に交響曲の大家と認知されている。また、弦楽四重奏曲においても秀逸な曲を残し、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。ショスタコーヴィチの音楽には暗く重苦しい雰囲気のものが多いが、その一方でポピュラー音楽も愛し、ジャズ風の軽妙な作品も少なからず残している。

当初、体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家というイメージで語られていたが、『ショスタコーヴィチの証言』[1]が出版されて以後、ショスタコーヴィチには皮肉や反体制、「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」というイメージも加わった。

略歴

1906年 9月25日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに生まれる。
1915年 春、両親に連れられて初めて劇場を訪れ、オペラ(リムスキー=コルサコフの《サルタン王の物語》)を観る。夏には母親から初めてのピアノのレッスンを受ける。秋、シドルフスカヤ商業学校に入学。作曲も始める。
1916年 グリャッセール音楽学校に入学。
1917年 2月、街路上で同年配の少年が警官に殺害されるのを眼前で見る。同月、グリャッセールのところへ通う興味を失ってしまう。
1918年 秋、ローザノヴァにピアノを師事。(1917年とも)
1919年 第108労働学校が閉鎖。ユストニナ校に転校。秋、ペテルブルク音楽院に入学。グラズノフに師事する。
1921年 ユストニナ校を中退。
1922年 父が死去。
1923年 音楽院のピアノ科を修了。夏休みを利用した結核療養のために訪れたクリミアで、初のピアノ・リサイタルを開く。
1924年 11月、映画館「スヴェトラーヤ・フィリム」でピアノ伴奏のアルバイトを始める
1925年 作曲科の修了にともない、音楽院を卒業。修了制作として交響曲第1番を作曲。
1926年 5月16日、交響曲第1番初演。秋、音楽院の大学院課程に進学。
1927年 1月、第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場。
1928年 メイエルホリド劇場の音楽部長として1月から3月まで務める。
1930年 バレエ音楽「黄金時代」完成し、レニングラードで初演。失敗する。
1931年 バレエ音楽「ボルト」完成し、レニングラードで初演。同じく失敗する。
1932年 科学者ニーナ・ヴァルザルと結婚。婚約記念として書き始められた歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を彼女に献呈。8月、作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出。
1933年 軽音楽に関するレニングラード市の委員会の委員になる。ピアノ協奏曲第1番初演。
1934年 レニングラード市アクチャーブリ区の区議会議員に選出される。
1936年 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1月)とバレエ「明るい小川」(2月)に対するプラウダ批判。5月30日、長女ガリーナ生誕。
1937年 春(一説には1月)、レニングラード音楽院に講師として勤務(後に教授)。交響曲第5番初演(11月21日)。この成功により名誉を回復。
1938年 5月10日、長男マクシム生誕。
1939年 ムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会の委員長となる。音楽院で教授に就任。
1940年 5月、労働赤旗勲章受章。ピアノ五重奏曲がスターリン賞を受賞。
1941年 交響曲第7番を作曲。翌年の初演は成功を収め、同年アメリカでも演奏された。レニングラード音楽院教授を辞任。
1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与。
1943年 3月、モスクワ音楽院教授に就任。国歌コンクールに参加。
1946年 ピアノ三重奏曲第2番がスターリン賞第2席を受賞。12月、レーニン勲章受章。
1947年 2月、レニングラード音楽院教授に復職。同月、作曲家同盟レニングラード支部の支部長に選出。10月、ロシア共和国人民芸術家の称号を授与。ロシア共和国最高議会代議員に選出。
1948年 ジダーノフ批判。9月、レニングラード音楽院、モスクワ音楽院ともに教授の職を解任。
1948年 3月、世界平和文化科学会議出席のため渡米(ニューヨーク)。
1949年 オラトリオ「森の歌」作曲・初演。
1950年 「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。10月、ソヴィエト平和擁護委員会の委員となる。11月、世界平和会議出席のためワルシャワ入り。
1952年 「革命詩人の詩による10の詩曲」がスターリン賞第2席を受賞。12月、世界平和会議出席のためウィーンへ。
1953年 交響曲第10番作曲、初演(12月17日)。6月、文化代表団の一員としてオーストリアに派遣される。
1954年 交響曲第10番に関する討議会(いわゆる第10論争)が作曲家同盟で開かれる。8月、ソ連人民芸術家の称号を授与。9月、国際平和賞受賞。12月、妻ニーナ死去。同月、スウェーデン王立音楽アカデミーの名誉会員に選出される。
1955年 東ドイツ芸術アカデミーの準会員に選出される。11月、母ソーフィヤ死去。
1956年 1月、サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出される。9月、レーニン勲章受章。
1957年 春に開かれた第2回作曲家同盟大会において作曲家同盟初委員長となる。交響曲第11番がレーニン賞受賞。
1958年 オックスフォード大学より名誉博士の学位を授与、イギリス王立音楽アカデミー会員に選出。国際シベリウス記念賞受賞。9月、右手の麻痺(後に脊椎性小児麻痺であることが判明)で入院。
1959年 9月、米国務省主催による文化交流プログラムでワシントンで開催されたソヴィエト祭に、ソヴィエト代表団の一員として派遣される。メキシコ音楽院名誉教授の称号を受ける。
1960年 2月、再び右手の治療のため入院。10月、息子マクシムの結婚式で転倒、右足を骨折、入院。作曲家同盟第1書記に任命。
1961年 9月、ソビエト共産党員となる。12月、入党と引き替えにレニングラード音楽院大学院での教育活動に復帰する。交響曲第4番初演(12月30日)。
1962年 交響曲第13番作曲、初演。ソヴィエト連邦最高会議代議員に選出される。第2回チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長に任命される。6月、右手の治療のため三度入院。 月、イリーナ・スピーンスカヤと再婚。11月、ゴーリキー市で行われたコンサートで「祝典序曲」を指揮。
1963年 ユネスコ国際音楽評議会名誉会員に選出。
1964年 バシキール自治共和国人民芸術家の称号を受ける。
1965年 心臓病の悪化で入院。ソヴィエト芸術学名誉博士の学位を授与。
1966年 5月、生誕60周年記念演奏会出演後、心筋梗塞を起こし入院。第3回チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長に任命される。8月、イギリス・ロイヤル・フィルハーモニック協会金賞受賞。10月、レーニン勲章受章。社会主義労働英雄の称号を授与。
1967年 3月、オーストリア共和国名誉銀記章授与。9月、右足骨折で入院。
1968年 5月、シャルル・クロ記念フランス・レコード協会1等賞受賞。ロシア共和国作曲家同盟理事に選出。《ステパン・ラージンの処刑》がグリンカ賞受賞。世界平和擁護委員会の委員に選出。
1969年 交響曲第14番作曲、初演。ウィーン・モーツァルト協会がモーツァルト記念メダルを授与。
1970年 クルガンのサナトリウムで8月まで療養生活を送る。ベートーヴェン生誕200年祭のソヴィエト連邦実行委員会委員長に就任。8月、治療のため再入院。11月、《ソヴィエト民警の行進》がソヴィエト文学・芸術コンクール1等賞受賞。フィンランド作曲家協会名誉会員に任命。
1971年 3月、第24回共産党大会代議員を務める。9月、2回目の心筋梗塞で入院。10月革命勲章受章。
1972年 5月、東ドイツ友好の星金賞受賞。7月、聖トリニティー大学より名誉音楽博士の学位を授与される。スクリャービン生誕100周年祭実行委員会委員長に選出。
1973年 デンマーク・ゾンニング基金名誉賞受賞。6月、ノース・ウェスタン大学より芸術名誉博士の学位を授与。8月、サハロフ非難書簡に署名。姉マリア死去。ラフマニノフ生誕100周年祭実行委員会委員長に選出。
1974年 男声合唱曲《忠誠》、弦楽四重奏曲第14番がグリンカ賞受賞。ソ連邦最高会議民族ソヴィエト〈国民教育・科学・文化委員会〉委員長を務める。
1975年 4月、フランス芸術アカデミーの名誉会員となる。最後の作品「ヴィオラソナタ作品147」完成。7月、体の不調を訴え入院。8月4日に再入院の後、8月9日、ソ連の首都モスクワの病院にて肺がんで逝去。8月14日、ノヴォジェヴィチ墓地に埋葬される。

詳細

1919年ペテルブルク音楽院(後にペトログラード音楽院、レニングラード音楽院)に入学。専攻は作曲とピアノ。1925年に、同音楽院作曲科の卒業作品として作曲した交響曲第1番において国際的に注目された。

1920年代後半から1930年代前半にかけては、アルバン・ベルクやダリウス・ミヨーなど西欧の革新的な音楽技法を吸収し、舞台音楽を中心に多くの楽曲を作曲。特にピアノ協奏曲第1番ではジャズに、歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』ではベルクの歌劇『ヴォツェック』などに触発された内容となっている。

しかし、1936年に歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』とバレエ『明るい小川』が、ソヴィエト共産党機関紙『プラウダ』で批判(プラウダ批判)を受け、自己批判を余儀なくされる。そのような状況下、批判前に作曲し、オーケストラでリハーサルまでしていた交響曲第4番の初演を撤回。批判後、新たに作曲された交響曲第5番以降は、それまでの作風から一転し、政府が自国の音楽に求めた「社会主義リアリズム」-「形式において民族的、内容において社会主義的」 - の路線に沿う作風の作品を発表し続けることとなる。

1930年代後半から1940年代前半にかけては、交響曲や室内楽曲を多く作曲。

中でも、スターリン賞を受賞したピアノ五重奏曲や、友人の突然の死を悼んだピアノ三重奏曲第2番、独ソ開戦直後から書き始められた交響曲第7番「レニングラード」が有名である。

1948年、ソビエトの作曲家のほとんどが「形式主義者」として共産党により批判(「ジダーノフ批判」と呼ばれる。)されると、オラトリオ『森の歌』や映画音楽『ベルリン陥落』、カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』など、あからさまに当局に迎合した共産党賛美の作品を多数作り、名誉の回復を勝ち得た。

一方、ヴァイオリン協奏曲第1番(1948年)や『ユダヤの民族詩から』(1948年)、弦楽四重奏曲第4番(1949年)など、この頃書かれた作品のうち、何曲かは公表が控えられ、多くはスターリンの死後に発表された。

1953年にスターリンが死ぬと、第9番以降、ジダーノフ批判以後は書かれていなかった交響曲(第10番)を約8年ぶりに発表。曲の内容の暗さと「社会主義リアリズム」との関係において、大論争(いわゆる第10論争)を巻き起こし、国外でも大きく報道された。

1950年代後半から晩年にかけては、交響曲、協奏曲、室内楽曲、さらには声楽曲で傑作を多数残した。特に、当局の締め付けが和らいだスターリン死後から1960年代前半までのいわゆる「雪解け」の時期には、演奏が禁止されていた作品の名誉回復(『ムツェンスク郡のマクベス夫人』でさえ、中規模程度の改訂の後、1963年に復活上演された)、交響曲第4番やヴァイオリン協奏曲第1番といった公表が控えられていた作品の発表、「社会主義リアリズム」の概念にとらわれない近代的で斬新な作風の作品(弦楽四重奏曲第7番や『サーシャ・チョールヌィの5つの詩』、映画音楽『ハムレット』など)の発表が相次いだ。

特にこの時期を代表する作品が弦楽四重奏曲第8番と交響曲第13番の2曲である。

弦楽四重奏曲第8番(1960年)では、曲の大半で自作の引用を大々的に行うほか、ドイツ音名の自分のイニシャル「DSCH」の音列を中心主題の素材として用い、自身へのレクイエムとした。また、交響曲第13番(1963年)は、ナチによるユダヤ人の大虐殺を、ウクライナの谷底バビ・ヤールで起こった実際の事件を取り上げて告発。共産党によりテクストとして用いた詩の書き換えを要求されるなどの事件もあったが、1930年代、1940年代のような厳しい批判にはほとんど晒されることもなく、音楽には一切手が加えられず現在でもショスタコーヴィチの代表作として聴かれている。また、60代を過ぎた1960年代半ば以降は、透明で熟達した技法の深化がみられる『ミケランジェロ組曲』やヴァイオリンソナタ、ヴィオラソナタなどのほか、十二音技法やトーン・クラスターを導入した『A・ブロークの詩による7つの歌曲』や交響曲第14番などで前衛的な作風へのアプローチを再び試みるなど、死の直前まで意欲的に作曲を続けた。ショスタコーヴィチの最晩年を代表する作品には、ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲や、ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の運命の動機など他作曲家の作品の引用を大胆に行い(自作の交響曲第4番の引用もある)、自身の音楽的回想とした交響曲第15番(1972年)、すべての楽章をアダージョとし、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番『月光』からの引用もみられる弦楽四重奏曲第15番(1974年)、死の1か月前に完成し、ショスタコーヴィチの「白鳥の歌」とも呼ばれる、作曲者自身聴くことの出来なかった遺作ヴィオラソナタ(1975年)などがある。

ショスタコーヴィチはピアニストとしても活躍した。卓越したテクニックを有し、音楽院を卒業してからは作曲家になるかピアニストになるか真剣に悩んでいたほどである。第1回ショパン国際ピアノコンクールにソヴィエト代表の一人として選出され出場・入選したほか、2曲のピアノ協奏曲や『24の前奏曲とフーガ』など、自作の初演・録音も多数行なった。しかし、後年は脊椎性小児麻痺の影響で右手が不自由となり、ピアノを弾くことが出来なくなった。また大のサッカー好きで、地元のサッカークラブのスコアをメモ帳に書き記すなどの熱狂的サッカーファンだった。サッカーの審判の資格も持っていた。

作風

ショスタコーヴィチの作品には、J.S.バッハのフーガ、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、マーラーの交響曲、ベルクの和声語法や引用法などの影響が見られ、オーケストレーションはあまり楽器の音色を混ぜない原色配置である。原則としてショスタコーヴィチの音楽は調性音楽の範囲内にあるが、無調的な主題を用いることも多く、最晩年には十二音技法を自分なりに消化した独自の音列技法やトーンクラスター等の前衛技法を用いたりしている。戦争や生死などをテーマとした重い作品が多い一方、交響曲第9番やジャズ組曲のような軽妙な作品も多く作曲している。

一般に作風の変化の境界点は、以下の項目に分けられる。

初期・前衛的な作品群


作品1 - 作品46(1919年 - 1936年) 少年期から音楽院入学以前の極初期は除き、ショスタコーヴィチの作風は、前衛的な音楽から出発したといってよい。例えば、交響曲第1番の冒頭では、グラズノフに和声の変更を指摘されていた。「前衛的」と最もはっきりとわかる初期の作品としては、『弦楽八重奏のための2つの小品』(作品11)、ピアノソナタ第1番(作品12)、格言集(作品13)、そして交響曲第2番(作品14)がある。しかし、『タヒチ・トロット』(作品16)や映画音楽『新バビロン』(作品18)以降は、ジャズやボードビル、キャバレー・ソングなど、軽音楽の影響も受けることとなる。この分野の傑作としてはバレエ『黄金時代』(作品22)、劇音楽『条件付の死者』(作品31)、ピアノ協奏曲第1番(作品35)などがあるが、枚挙に暇がない。交響曲第4番(作品43)の第3楽章の中間部は、明らかに軽音楽の影響が濃厚である。ショスタコーヴィチの、新ウィーン楽派に影響を受けたという意味での「前衛音楽」としての最後の作品は、管弦楽のための『5つの断章』(作品42)である。この作品は、交響曲第4番同様発表が控えられ、初演が行われたのは1965年になってからである。ゴーゴリの短編に取材したオペラ『鼻』(作品15)は、彼自身交流のあったメイエルホリドの斬新な舞台演出の影響を受け、古典形式を基本としながらも、ベルク、クルシェネクら同時期の作品を参考にしたきわめて前衛的な作風で発表当時から賛否両論を巻き起こす問題作となり、次作のオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(作品29)とともに彼の初期作品のピークとなる。初期はロシア音楽の伝統を受け継ぎながら最新の音楽を取り上げるなど機智と独創性に富んだ作風であったが、ムツェンスク郡のマクベス夫人』がスターリンの怒りを買い、折からの粛清が絶頂期にあることも鑑み、前衛色は失われていった。

社会主義リアリズム

作品47 - 作品92(1936年 - 1953年) 第4番のような前衛性を控えた交響曲第5番(作品47)は初演後に「社会主義リアリズムのもっとも高尚な理想を示す好例」と評価された[2]。この時期のショスタコーヴィチが音楽を担当した映画は「社会主義リアリズム」に基づいたテーマのものばかりで、ロシア革命を主題としたものが多い。例えば、ノンポリの学生が革命の理念に目覚め、社会主義的に成長する姿を描いた『マクシム三部作』(『マクシムの青春時代』作品41、『マクシムの帰還』作品45、『ヴィヴォルグ地区』作品50)、ロシア革命の英雄チャパーエフの活躍を描いた『ヴォロチャーエフ砦の日々』、暗殺されたキーロフを髣髴とさせる人物が主人公の『偉大な市民』2部作(作品52、55)、ロシア革命におけるレーニンとスターリンの活躍を描いた『銃を取る人』(作品55)、ロシア革命後の赤軍と白軍との内戦を描いた『忘れがたき1919年』(1952年、作品89)である。第二次世界大戦の勃発後はピアノ五重奏曲(作品57)や交響曲第8番(作品65)、ピアノ三重奏曲第2番(作品67)などこの路線から離れた作品もいくつか残している。しかし、1948年に「ジダーノフ批判」が出てからは、オラトリオ『森の歌』(作品81)や映画音楽『ベルリン陥落』(作品82)、『革命詩人の詩による10の詩曲』そしてカンタータ『我が祖国に太陽は輝く』など、再び意識したように「社会主義リアリズム」色濃い作風の作品を残している。この時期の作品としては交響曲第8番などの他に、歌劇『賭博師』や、ヴァイオリン協奏曲第1番なども、社会主義リアリズムの路線からは離れた作風であると評価されることが多い。


ユダヤ音楽への傾倒

ショスタコーヴィチの作曲家としての「ユダヤの音楽」への関心が明らかな最初の作品は ピアノ三重奏曲第2番 (1944年)といわれていた[3][4]。もちろんショスタコーヴィチはユダヤ人ではなかったが、マーラーへの興味をはじめとし、1936年には、プラウダ批判によって、自分の悲運をユダヤ人のそれに沿って象徴するものと考えるようになった[5]。1937年の交響曲第5番第3楽章にはユダヤ音楽の要素が表れそれは交響曲第3番(1929年)からのユダヤ教会での典礼の詠唱の旋律の引用でもある[6] また交響曲第7番(1941年)第1楽章のクライマックスなどにはクレズマー旋律が使われている[7]。音楽院の愛弟子でレニングラード攻防戦で戦死したユダヤ人、ヴェニアミーン・フレーイシュマンの未完のオペラ『ロスチャイルドのヴァイオリン』の補作(1944)を行ったこともある。作品にユダヤ音楽の主題が使われているのは歌曲集『ユダヤの民俗詩から』(1948年)、 ヴァイオリン協奏曲第1番(1948年)、弦楽四重奏曲第4番(1949年)、24の前奏曲とフーガ(1951年)、 プーシキンの詩による4つのモノローグ(1952年)である[8]。 ピアノ協奏曲第2番(1957年)第2楽章 交響曲第9番(1945年)フィナーレの後半には、ユダヤ人には「それ」としてハッキリ分かる形でユダヤ音楽が引用されているという。弦楽四重奏曲第8番(1960年)には、ピアノ三重奏曲第2番最終楽章のユダヤ旋律が明瞭に引用されている。その他の作品では交響曲第13番 (1962年)、また 交響曲第15番 (1971年)最終楽章での交響曲第7番の引用にユダヤ音楽のテーマを見出せる[9]。 ショスタコーヴィチの周りには、例えば親しい友人に作曲家のミェチスワフ・ヴァインベルク、俳優ソロモン・ミホエルスなどユダヤ人は多かったし、このほかオーケストラの団員にもユダヤ系は多かった。


スターリン死後

作品93 - (1953年 - ) 1953年3月5日、スターリンが死んだ。独裁者の死は、ソヴィエトの社会に一時の混乱をもたらした。1956年、フルシチョフによって行われた「スターリン批判」により、スターリンの独裁体制は名実ともに崩れ去った。スターリンの死に合わせたように、ショスタコーヴィチは、第9番を最後に中断していた交響曲を書き始め、すぐに発表する。前衛的な作風ではないものの、終始音楽に悲劇的な重さが付きまとう音楽で、自身のイニシャルをドイツ音名にした「DSCH」の音列も頻出する、自伝的な作品である。この作品以降、ショスタコーヴィチの曲には「DSCH」の音列が頻繁に使われるようになる。1950年代も終わり近くになると、ソヴィエトの社会主義体制も次第に軟化しはじめ、アメリカとも協調姿勢をとるようになってゆく。「雪どけ」といわれるこの時期、ショスタコーヴィチが発表を控えていた交響曲第4番などの作品が数十年ぶりに「初演」されたのもこの頃だ。戦前、ショスタコーヴィチが個人批判される元凶となった歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』はそのままの形での上演は絶望的だったものの、ある程度改訂された『カテリーナ・イズマイロヴァ』(作品114)は再上演が許される状態にまでなった。しかし、交響曲第13番の歌詞問題が表面化した頃、キューバへのミサイル配備計画がアメリカに非難されたのをきっかけに「雪どけ」体制は解体され、冷戦の時代に突入する。

「雪どけ」後

ブレジネフ時代になり、国内では締め付けが強まるが、ショスタコーヴィチ自身の生活は安定し数々の栄誉に包まれるなど、音楽活動を続ける環境はスターリン時代と比べ格段と恵まれていた。相変わらず体制に迎合した作品もあるが、作風は芸術性が高まり、七楽章の弦楽四重奏曲第11番(1966年)・マーラーの『大地の歌』の影響を受けた声楽つきの交響曲第14番(1969年)。豊かな響きと緊張感漂う映画音楽『リア王』(1970年)などの意欲作を相次いで発表した。とくに『ブロークの詩による七つの歌曲』(1967年)と弦楽四重奏曲第12番(1968年)においては十二音技法に挑戦するなど、その研究心は衰えなかった。

最晩年になると、作風も哲学風で研ぎ澄まされた独特の透明感が支配的となる。交響曲第15番(1971年)、弦楽四重奏曲第14番(1973年)・弦楽四重奏曲第15番(1974年)では過去の作品からの引用が顕著になるが、そこにはすでに健康の衰えを感じ、死を意識した作曲者の思いが見え隠れする。それは政治に翻弄された波瀾万丈の人生を振り返り、達観したかのような感を受ける。また「ミケランジェロの詩による組曲」(1974年)では、自身の芸術の総括をルネサンスの芸術家に譬えたものとして評価されている。


作品

「ショスタコーヴィチの楽曲一覧」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

ショスタコーヴィチの創作の中心は、交響曲と弦楽四重奏曲にあった。これらのなかでも特に有名なのが、交響曲第5番、第7番、第10番と弦楽四重奏曲第8番である。また歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』 は古今のオペラの傑作の一つとされる。


交響曲

交響曲第1番 ヘ短調 作品10(1925年)
交響曲第2番 ロ長調 作品14「十月革命に捧ぐ」(1927年)
交響曲第3番 変ホ長調 作品20「メーデー」(1929年)
交響曲第4番 ハ短調 作品43(1936年)
交響曲第5番 ニ短調 作品47(1937年)
交響曲第6番 ロ短調 作品54(1939年)
交響曲第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」(1941年)
交響曲第8番 ハ短調 作品65(1943年)
交響曲第9番 変ホ長調 作品70(1945年)
交響曲第10番 ホ短調 作品93(1953年)
交響曲第11番 ト短調 作品103「1905年」(1957年)
交響曲第12番 ニ短調 作品112「1917年」(1961年)
交響曲第13番 変ロ短調 作品113(1962年)
交響曲第14番 ト短調 作品135(1969年)
交響曲第15番 イ長調 作品141(1971年)


弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49(1938年)
弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68(1944年)
弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73(1946年)
弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83(1949年)
弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92(1952年)
弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101(1956年)
弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108(1960年)
弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110(1960年)
弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117(1964年)
弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118(1964年)
弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122(1966年)
弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133(1968年)
弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138(1970年)
弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142(1973年)
弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144(1974年)

弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)


管弦楽曲・吹奏楽曲

スケルツォ第1番 嬰ヘ短調 作品1(1919年)
主題と変奏 変ロ長調(1922年)
スケルツォ第2番 変ホ長調(1924年)
タヒチ・トロット(1928年)
E・ドレッセルの歌劇『コロンブス』のための2つの小品(1929年)
ジャズ・オーケストラのための第1組曲(1934年)
5つの断章(1935年)
ジャズ・オーケストラのための第2組曲(1938年)
荘厳な行進曲(1941年)
バレエ組曲第1 - 4番(1950年 - 53年)
祝典序曲(1954年)
ノヴォロシースクの鐘(1960年)
ロシアとキルギスの主題による序曲(1963年)
交響詩「十月革命」(1967年)
交響的哀悼前奏曲(1967年)
ソヴィエト民警の行進曲(1970年)
インターヴィジョン(1971年)
「緑の工場」のための序曲
2つの前奏曲(アルフレート・シュニトケ編曲)


協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35(1933年)
ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102(1957年)
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99)(1948年)
ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129(1967年)
チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107(1959年)
チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126(1966年)

室内楽曲

弦楽八重奏のための2つの小品 作品11(1927年)
チェロ・ソナタ ニ短調 作品40(1934年)
ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57(1940年)
ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8(1923年)
ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67(1944年)
ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134(1968年)
ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147(1975年)
弦楽四重奏のための2つの小品(1931年)
ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)
チェロとピアノのためのモデラート
3つのヴァイオリン二重奏曲
ハープ二重奏のためのポルカ 嬰ヘ長調
3つの小品


オペラ

鼻(1928年)
ムツェンスク郡のマクベス夫人(1934年)Op.29
カテリーナ・イズマイロヴァ(1963年) - 「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の改訂版。Op.114
賭博師(1941年)
大きな稲妻
オランゴ(1932年)


オペレッタ
モスクワ・チェリョームシキ(1958年)Op.105

合唱曲

オラトリオ「森の歌」(1949年)
カンタータ「わが祖国に太陽は輝く」(1952年)
混声合唱のための無伴奏合唱曲十の詩曲(1951年)
バラード「ステパン・ラージンの処刑」(1964年)
反形式主義的ラヨーク

声楽曲

日本の詩人の詞による6つの歌 作品21(1928年) オーケストラ伴奏版あり
プーシキンの詩による4つのロマンス 作品46 オーケストラ伴奏版あり
歌曲集「ユダヤの民族詩より」 作品79 オーケストラ伴奏版あり
レールモントフの詩による2つのロマンス 作品84
エフゲニー・ドルマトーフスキーの詩による4つの歌曲 作品86
プーシキンの詩による4つのモノローグ 作品91
エフゲニー・ドルマトーフスキーの詩による5つのロマンス 作品98
スペインの歌 作品100(1956年)
風刺 作品109(1960年)
自作全集への序文とその序文についての短い考察 作品123
アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲 作品127
マリーナ・ツヴェタエワの詩による6つの歌曲 作品143 オーケストラ伴奏版あり
ミケランジェロの詩による組曲 作品145 オーケストラ伴奏版あり


バレエ音楽

黄金時代(1930年)
ボルト(1931年)
明るい小川(1935年)
お嬢さんとならず者(1962年)

映画音楽

新バビロン 作品18(1929年)
女一人 作品26(1931年)
黄金の丘 作品30(1931年)
呼応計画 作品33(1932年)
司祭とその下男バルダの物語 作品36(1935年)
愛と憎しみ 作品38(1934年)
マクシムの青年時代 作品41(1935年)
女友達(1935年)
マクシムの帰還(1937年)
ヴォロチャーエフの日々(1937年)
ヴィボルグ地区(1938年)
友人たち(1938年)
偉大なる市民第1部(1937年)
銃を取る人 作品50(1938年)
偉大なる市民第2部 作品55(1939年)
おろかな子ねずみ 作品56(1939年)
コルジンキナの冒険 作品59(1940年)
ゾーヤ 作品64(1944年)
素朴な人々(1945年)
若き親衛隊 作品75(1948年)
ピロゴーフ(1947年)
ミチューリン 作品78(1948年)
エルベ河の邂逅 作品80(1948年)
ベルリン陥落 作品82(1949年)
ベリンスキー(1950年)
忘れがたき1919年(1951年)
偉大な川の歌・ユニティ 作品95(1954年)
馬あぶ 作品97(1955年)
第1軍用列車(1956年)
5昼夜 作品111(1960年)
ハムレット 作品116(1964年)
生涯のような1年(1965年)
ソフィア・ペロフスカヤ 作品132(1967年)
リア王 作品137(1970年)
永遠の使者
戦艦ポチョムキン(この映画のために曲が作られたわけではなく、1976年の復刻時に既存の交響曲が使用された)
チェリョームシキ


劇付随音楽 全10作品

南京虫 作品19(1929年)
射撃 作品24(1929年)
ルーレ・ブリタニア 作品28(1931年)
ハムレット 作品32(1932年)
スペインにサリュー 作品44(1936年)
人間喜劇 作品37(1933年 - 1934年)
リア王 作品58a(1941年)
母国 作品63(1942年)
ロシアの川 作品66(1944年)
勝利の春 作品72(1946年)

ピアノ曲

5つの前奏曲(1921年)
3つの幻想的な舞曲(1925年)
2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)
ピアノ・ソナタ第1番(1926年)
10の格言集(1927年)
ピアノ・ソナタ第2番(1943年)
24の前奏曲(1933年)
子供のノート(1944年)
陽気な行進曲(1949年)
24の前奏曲とフーガ(1952年)
2台のピアノのための小協奏曲(1954年)
グリンカの主題による変奏曲(1957年)

編曲作品

ドメニコ・スカルラッティの2つの小品 作品17
ムソルグスキー 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の管弦楽編曲 作品58
ムソルグスキー 歌劇「ホヴァーンシチナ」の管弦楽編曲 作品106
ムソルグスキー 歌曲集「死の歌と踊り」の管弦楽編曲
A.ダヴィデンゴの2つの合唱曲の管弦楽編曲 作品124
ロベルト・シューマン チェロ協奏曲 イ短調の編曲 作品125
ストラヴィンスキー 詩篇交響曲の4手ピアノ用編曲
リムスキー・コルサコフ 私はほら穴で君を待っていたの管弦楽編曲
チシチェンコ チェロ協奏曲第1番の再オーケストレーション
ヨハン・シュトラウス2世 「ウィーン気質」の編曲
ヨハン・シュトラウス2世 「観光列車」の編曲
オネゲル 交響曲第3番 典礼風の4手ピアノ用編曲
ベートーヴェン 蚤の歌の管弦楽伴奏用編曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第8番 悲愴の第2楽章の管弦楽編曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第32番の第1楽章の管弦楽編曲
マーラー 交響曲第10番の4手ピアノ用編曲
シューベルト 軍隊行進曲の管弦楽編曲
ロシア民謡「ヴォルガの舟歌」のオーケストレーション

自作の編曲

歌劇「鼻」のピアノ編曲
交響曲第3番のピアノと声楽用編曲
バレエ「明るい小川」よりモデラート
主題と変奏 作品3のピアノ用編曲
交響曲第4番の2台ピアノ用編曲
交響曲第10番の2台ピアノ用編曲

その他の作品

兵士(1917年頃)
森の中にて
自由の讃歌
ソヴィエト讃歌
国歌(ソヴィエト連邦)
赤軍の歌(アラム・ハチャトゥリアンとの共作)
ポルカ
4つのワルツ
平和の鳥
儀式用行進曲
2つのマズルカ
我が祖国の栄光を歌う

創作ジャンルは宗教音楽以外のほぼ全てにわたる。労働歌で1917年から1944年の間ソヴィエト連邦国歌でもあった『インターナショナル』の管弦楽編曲もある。

著作

本人の著書と称されているものが、日本では2冊出版されている。ソロモン・ヴォルコフによる『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳 中央公論社、1980年)と、レフ・グリゴーリエフとヤーコフ・プラデークの手による『ショスタコーヴィチ自伝――時代と自身を語る』(ラドガ出版社訳 ラドガ出版社〔発売:ナウカ〕、1983年)である。前者は、はじめは1979年にアメリカ、ドイツで出版されたもので、ショスタコーヴィチの評価をめぐって論議を巻き起こした。発表された当初からソビエト作曲家同盟などのほかローレル・フェイのような西側の音楽学者からも偽書である疑いが投げかけられ真贋については議論があった[1]。詳細は「ショスタコーヴィチの証言」を参照。

後者は1980年にソ連で刊行された。「自伝」とあるが、正確には、ショスタコーヴィチが生前にさまざまな媒体に発表した文章などを年代順にまとめたものである。ヴォルコフやマクシム・ショスタコーヴィチは、「実際には、別人が書いていたのだ」と主張している。すべての記事はソビエト体制下では公式見解として発表されたものである。

ショスタコーヴィチはさまざまな人物と頻繁に手紙をやりとりしており、数冊が出版されている。邦訳書は2006年現在、存在しない。とりわけ有名なのは、音楽学者イサーク・グリークマンと行われた書簡集である。1993年にロシアで出版されたもので、英訳されている (Story of a Friendship, trans. by Anthony Phillips, London: Faver/Ithaca, N.Y. : Cornell University Press, 2001.)。

2006年9月25日、ショスタコーヴィチ生誕100周年を記念し、ショスタコーヴィチと公私共に親友だったイワン・ソレルチンスキーとの往復書簡が出版されている。これは、イワンの息子であり音楽学者のドミトリーが編纂した書籍。ショスタコーヴィチとソレルチンスキーが知り合った1927年から、ソレルチンスキーが急逝した1942年までにやりとりされた、現存するほぼすべての書簡が掲載されている。

なお子息2人(ガリーナとマクシム)による、多くの写真を交えた回想証言『わが父ショスタコーヴィチ』(田中泰子訳、音楽之友社、2003年)が出版されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c11

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
12. 中川隆[-14945] koaQ7Jey 2019年11月14日 04:55:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2037]

宇野功芳

「ここ何年かで日本はもとより、世界のオーケストラが格段にうまくなった。
複雑に音が入り組んだマーラー、ショスタコーヴィチの交響曲には以前にも名盤が存在したが、指揮者の解釈はともかく、オーケストラの性能は十分とはいえなかった。
今ようやく、作曲者の意図した音が細大漏らさず、出てくるようになった気がする」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO92976910Z11C15A0000000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c12

コメント [経世済民133] JDI、4―9月期当期赤字1000億円超に拡大 構造改革費用など重し(ロイター) 赤かぶ
10. 2019年11月14日 05:04:41 : ZEpZjRC56Q : NGxhbk9qZHBlbUU=[44]
グローバルな市場で起きたスマホの市場の飽和と、供給能力の過剰がジャパンディスプレイの業績不振の最大の原因だ。

金策尽きて、ジャパンディスプレイは安く買収されるのみだ。
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/628.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」中止で私物化問題の幕引き図るも新証拠続々! 安倍事務所がツアー案内、萩生田文科相も貸切バスで大量招… 赤かぶ
34. 2019年11月14日 05:04:47 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[1]
>30
目一杯同意!笑


ベッ、ベッ、アベベのベェ〜
国会じゃ自席でブゥ ブゥ ブゥ

楽しいな 楽しいな

アベシにゃ法律も〜
モラルもナンにも無い!

ベッ、ベッ、アベベのベェ〜

みんなで支えろアベベのベェ
みんなで煽てろアベベのベェ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/341.html#c34

コメント [政治・選挙・NHK267] <問題あり、認めたも同然!>来年度の「桜を見る会」は中止 菅官房長官<野党の追及、効いてるゾ!> 赤かぶ
63. 2019年11月14日 05:30:14 : Vbfhee3zz2 : UEtldlh4aWRyODY=[42]
そんで、
公権力犯罪の長様やグル仲間の
処●は、いつですか???

もちろん、
犯罪人を捕まえない下僕公務員も
犯罪証拠を証拠隠滅・隠匿・黒塗りする下僕公務員も、
仕事をしない、
アベに指名されてアベから金もらってると自覚している
最高裁判事の皆様全員も
同様でいいですか??

アベの某外国強盗殺人世界一の謀略国への
貢ぎ物で、スッテンテンになって
死ぬしかなくなる、
1億数千万の皆様、

この方々から殺●れ始める前に
よろしくお願いいたします。

ついでに、
憲法違反犯罪者で、カツ
外国勢力の傀儡の犯罪者を使って国民の大切なお金を
奪った、
某アメ●カ国、
世界一の民主主義詐欺やIS詐欺や化学兵器詐欺などの、
濡れ衣ナシグリ、内政干渉で、
ポンコツ兵器在庫一掃で金儲け殺人三昧の、

主権者の皆様!

犯罪人を使っての世界的な強盗ですので、
全額、あなたたちの責任で返してくださいネ!
全額です!
サッサと返してくださいネ!
そして、
他国、強盗殺人はやめてくださいネ!

よろしくお願いいたします。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/331.html#c63

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
13. 中川隆[-14944] koaQ7Jey 2019年11月14日 05:31:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2036]

平林遼(指揮者)

ショスタコーヴィチ 解説 交響曲第1〜15番 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ECi1eJLgNeQ


ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 解説 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XzF8q6q_sMA
https://www.youtube.com/watch?v=AZC-HUVnpv0
https://www.youtube.com/watch?v=MzGKkKgJWTs
https://www.youtube.com/watch?v=WTzqSDPKXTc


ショスタコーヴィチ ロシアとキルギスの主題による序曲 解説 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6naFbMeh008


ショスタコーヴィチの交響詩《十月》詳細解説/Symphonic poem October by D.Shostakovich - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RrlviGz2Z-w

平林遼(指揮) @ryo_hirabayashi

広上淳一、ロリン・マゼール等各氏に師事 。
2019年第4回ニノ・ロータ国際指揮者コンクール「聴衆賞」・ファイナリスト(最高位次点) 。第1回イタリア国際指揮者コンクール「第3位」。2015-2017 ベルリン。第1回リッカルド・ムーティ・イタリアン・オペラ・アカデミー最終選考招聘。
東京音大指揮科卒。
https://twitter.com/ryo_hirabayashi?lang=ja


平林 遼 指揮者 未来の音楽研究所 音楽哲学・音楽思想
https://www.ryohirabayashi.com/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍後援会は先に入場の特別扱い。テロ対策どこへやらの桜を見る会ツアー+れいわ舩後も質問(日本がアブナイ!) 笑坊
3. 2019年11月14日 05:36:20 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[2]
>2
安倍との握手会…

手を差し伸べられたってイヤだね。
AKBのオネイチャン達となら、
ともかく。

ウッカリ手がぶつかっただけでも念入りに手を洗うね。

後援会の人達って、まさか
「わーい、
安倍さんと握手しちゃったー♡
今晩手が洗えない〜!」
なんて言っちゃうクチなん?

ウワー(・_・;

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/337.html#c3

コメント [国際27] 米高官「ジュリアーニ氏が影響」 ウクライナ疑惑 公聴会で証言 NHK  赤かぶ
4. 2019年11月14日 05:53:42 : ZEpZjRC56Q : NGxhbk9qZHBlbUU=[45]
トランプ大統領は開き直るしかないのは誰でも知っていることだろう。

民主党がだらしないので、私が真相解明させようとしたことに米国民は文句を言うんじゃない。このセリフしかないが、今のトランプ大統領だ。

米国の大統領がやっていることはせこいだけだ。国民を欺いているわけでもない。
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/717.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
11. 2019年11月14日 05:58:01 : lADdCxECco : WlBjZExCanUwRGM=[1]
>>1
東北、国民の知る権利奪還のたたかいに、
遂に山本太郎れいわ新撰組も加わったか。

いま知る権利、見る権利、表現する権利は、
国民の側に断固として取り戻すというたたかいの火が全国あらゆる分野で広がっている。
それだけ知る権利、見る権利、表現する権利の危機が深いのだ。

東北、1986年富山県立近代美術館で日本を代表する映像作家大浦信行の傑作『遠近を抱えて』が右翼の暴力によって知る権利が不当に失われる事件が起きた。
愛知や川崎など次々に知る権利、見る権利、表現する権利に攻撃が加えられてきた。
山本太郎が盛岡街頭で提起した食品表示の不当な隠蔽問題は、
国民の知る権利、見る権利、表現する権利に対する攻撃に繋がっている。

国民の権利奪還に向けて、多くの市民グループ、共産党や社民党は昔からコツコツと地道なたたかいを続けて来た。
更にたたかいを加速しなければ山本太郎が訴えるように国民の利益が失われて行く。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-11-27/2018112704_07_1.html

https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

https://www.senshu-u.ac.jp/event/20191205-00000847.html

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c11

コメント [原発・フッ素52] 福島第一原発事故で発生した“汚染牧草” 南三陸町ですき込み開始 農家が保管 順次処理へ〈宮城〉 (仙台放送)  魑魅魍魎男
6. 2019年11月14日 06:00:17 : H3qewymxyA : akJmdGxndm1hajY=[6]
人々がこれを見て何かがかわってほしい。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/259.html#c6
コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
12. 2019年11月14日 06:00:33 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[3]
これ、全ての社会問題を幅広く頭にインプットし、
図や文章をファイリング。

確かこの問題に関してはここのフォルダのこの辺のファイルにあった筈、
と素早く当たりをつけて表示。

そして自分がそれを読んだ時に理解し、考えたことも素早く口頭で表明。
(無論初耳の事や、わからない事は知らなかったと表明し、素早くチェックし、次から使えるだけのテーマを検索乃至ヒヤリング)…

物凄い情報処理IQと
プレゼン能力だ。

現代の、どこの大学や研究所や会社も欲しがる逸材だ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c12

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
13. 2019年11月14日 06:02:07 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[4]
>12
側近や部下の使い方も含めてだけど。

天才だよ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c13

コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
23. 茶色のうさぎ[-13165] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 06:02:34 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-15]

 たのしい、憲法 ←しちゃえばー♪ぷっ

 天皇 ←行事♪♪♪ 認識かなー♪? 現在も行事と思うけど、、 お祭り♪ 風習

 ボク? いろんな留学生しつてるけど、、 個人同士、なかよしだよー♪ぷっ 酒屋♪

 イギリスEU?? アイルランド留学生 ←心配してます。

 まぁ、庶民同志、、なかよし、と思います。 うさぎ♂ ←駄文がすきです。 ばか 麦??あほ

 ねむれません。 天皇って、、物部氏なの? 出雲が優先と思うけど、、本物ユダヤ??

 つまり、、蘇我氏は、偽ユダヤなの?? ねむれねー♪ぷっ ばか


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c23

記事 [原発・フッ素52] 富士山頂からライブ配信中、滑落死した40代男性は大腸がん・ステージ4闘病中、ラーメンが大好きだった 

先月末、富士山頂からライブ配信中に滑落死した人の動画が衝撃を与えている。

「富士山滑落映像」 (YouTube・動物園抜剣 2019/10/29)
https://www.youtube.com/watch?v=0gCLHICC2jw

この方の身元が判明した。

「ライブ配信中に滑落? 富士山の遺体は都内の47歳男性」 (NHK 2019/11/12)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191112/k10012174211000.html

先月、富士山に登る様子を動画配信サイトでライブ配信していた人が滑落する姿が流れ、その後、7合目付近で見つかった遺体について、東京 新宿区の47歳の男性と確認されました。警察は、この男性がライブ配信をしていたとみて詳しい状況を調べています。

先月28日、雪の積もった富士山に登る様子を動画配信サイトでライブ配信していた人が滑落する姿が流れ、警察が捜索した結果、2日後、7合目付近の標高およそ3000メートルのあたりで、遺体が雪に埋まった状態で見つかりました。

警察が調べたところ、亡くなったのは東京・新宿区に住む塩原徹さん(47)と確認されました。

ライブ配信をしていたとみられる人のツイッターのアカウントには都内から富士山五合目に向かうバスの乗車券の写真などが投稿されていて、警察によりますと、実際に塩原さんが高速バスの乗車券を購入した履歴があったということです。

警察はライブ配信していたとみて詳しい状況を調べています。

本人のものとみられるツイッターや動画配信サイトでは、司法試験の合格を目指していると自己紹介され、何度も富士山に登る様子などがライブ配信されていました。

静岡県警察本部山岳遭難救助隊は、登山中のライブ配信など注意力が散漫になる行為は行わないよう求めています。

遺体発見現場までの標高差は700m、約1500mの斜面を滑落したようだ。

動画ではやわらかい雪が積もっているように見えるが、表面はカチンカチンに凍結しており、
足を滑らせたら最後、どこまでも滑落してしまう。

そのため雪山登山にはアイゼン、ピッケルが必携であるが、この方は夏の軽装で登っており、
あまりにも無謀で起こるべくして起きた事故だと言える。

この方は過去何度か富士山に登頂しているが、電波状況がよくライブ配信ができるからであり、
登山そのものにはとくに興味も経験もなかったようだ。

ここまでなら原発板で取り上げる内容ではないのだが、ご本人のものと思われるツイートや
ブログが特定され、何と大腸がん・ステージ4で闘病中であり、ラーメンが大好きであることが
判明した。

「TEDZU@10kgなら50日で痩せられるキャンペーン」 (ツイッター)
https://twitter.com/TEDZU_law/

「司法試験予備試験受験生のblog」 (馬場民)
https://profile.ameba.jp/ameba/shiotetsu

大腸(直腸)がんが発覚したのは昨年3月、治療の詳細はわからないが、
ステージ4なら手術不可能で、抗がん剤および放射線治療を行なったと思われる。
一応寛解し経過観察中だったようだ。

今年2月には自転車事故で肋骨を骨折している。

またラーメンが大好きだったようで、ブログに頻繁に画像を掲載している。

「画像一覧 2013年2月」 (司法試験予備試験受験生のblog)
https://ameblo.jp/shiotetsu/imagelist-201302.html

この方は体育会系で、マラソン大会にも出場、日頃からジムで体を鍛えてもいたようだ。

そう簡単に大腸がんになるはずもなく、ご本人は温水洗浄便座を疑っていたようだが、
おそらく放射能被ばくが原因だろう。

「温水洗浄便座と大腸がんの因果関係」 (同上 2018/3/29)
https://ameblo.jp/shiotetsu/entry-12364215281.html

便に血がついてることが多いので、検査に行ってみたらなんと大腸がんが発覚
そーいえば、毎日トレーニング前にジムのウォシュレットで直腸洗浄してたなと
ググったら、温水洗浄便座と大腸がんの発生率は因果関係あるとかないとか
てか、他に思い当たる節が見つからない
温水洗浄便座の直腸洗浄には気を付けれ

ラーメンは汚染されている可能性が高く、店主・店員にも客にも体調不良が多いので
要注意である。

ラーメン屋さんには、食材、とくにダシの汚染に十分に気をつけて、客が安心して
食べられるようにしていただきたい。

亡くなった塩原さんのご冥福をお祈りいたします。


-----(ご本人のツイート引用ここから)-----------------------------

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1188617233368375296
富士山行きます 雪深そうw
17:43 - 2019年10月27日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1188627943959851009
バス酔で気分悪い もう帰りたい
18:26 - 2019年10月27日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1174388657525886977
がん治療で「たられば」を語るとキリがないのだけれど
治療がすべて終わってから自分がどうすべきだったかを知る
1. 放射線と抗がん剤は放射線先行
2. 抗がん剤はFOLFOXよりCAPOX(Bev推奨)
3. CAPOXは4回(3ヶ月)で十分
4. 主治医を説得するな。とっとと転院汁! #直腸がん #非手術
11:24 - 2019年9月18日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1171839234056974336
富士山なめんな3
10:33 - 2019年9月11日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1171215806169903104
今朝の吉田ルート 七合目付近の山小屋に落石被害があったので、
山小屋の自主判断で ・落石注意 ・登るなら明るくなってから を呼び掛けた
それが山小屋間で連絡するうちに「吉田ルート通行止め」にされて、
中止や下山する登山客多数w
17:16 - 2019年9月9日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1171067461933793280
富士山なめんな2 #日焼け #水膨れ
7:26 - 2019年9月9日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1170321829749121025
富士山なめんな #日焼け
6:04 - 2019年9月7日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1154761677608345600
軽い言い訳 八合目ー九合目でHWD11(au回線)が圏外表示
304ZT(softbank回線)は低速ながら辛うじて生きてたので、
HWD11の電源OFFってSTK4D再起動
しかし、何度再起動しても304ZTに接続せずOBS起動できず
山頂到達で再度チェックするとHWD11圏外、304ZT快速
F1 Play + Larix で通信再開して6時間終了
7:33 - 2019年7月26日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1154760281509076992
たぶん風邪 下山中ずっと頭痛と吐き気が酷くて、
今年の富士山での死亡者第二号になるかと思った
7:28 - 2019年7月26日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1149008167054921728
ありがとうございます 術前療法としての抗がん剤と
放射線治療だけなんですけどね ここまで来るのに長かったなとw
10:31 - 2019年7月10日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1148826160882544640
3ヶ月検診の結果 再発無し 散々怪しまれた分厚い肉芽組織は瘢痕化
コニタン(主治医)は「このまま治るんじゃね?」と軽い
ただ、この人は重篤な結果でも軽く言うw
22:27 - 2019年7月9日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1145334388378312704
ももクロマラソン50位以内逃す 2月に肋骨折ったのが運の尽きか
登坂やりすぎで平地に順応しきれず あと胃痛
順位とタイムはよくわからん
7:12 - 2019年6月30日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1140734609384038400
目眩が強くて風呂行けない 心当たりはありすぎる
走りすぎ 胃壁荒れすぎ 摂取カロリー少なすぎ
14:34 - 2019年6月17日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1131487140204834818
馬場の一番館 天のお告げがあったので来てみた 広東麺500円也
2:08 - 2019年5月23日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1126941593901002753
TEDZU@10kgなら50日で痩せられるキャンペーン @TEDZU_law
@pushriver 明日(4月12日)の第41回NPO法人宮崎がん共同勉強会
東京支部会の事前登録をしたのですが、都合がつかず
欠席させていただきたく思います。申し訳ありません。
2018年3月29日がん告知、直腸がんステージ4です。
13:06 - 2019年5月10日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1125104178383056896
押川勝太郎先生(腫瘍内科医)への質問
1. 下血から5年放置で直腸がんステージ3bを信じるか?
2. リスク低患者に対して、奏効率の低い術後補助化学療法が
用いられることに疑問はないか?
3. 抗がん剤に対する運動併用の効果を見た臨床実験の
抗がん剤の種類がん種は?オキサリプラチンはどうか?
11:25 - 2019年5月5日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1106074811288051712
肋骨固定のバストバンドしたままラーメンとか大食いしたら
胸やけが酷い ほぼ眠れんかった
気を付けよう バストバンドで 食道炎
23:09 - 2019年3月13日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1105735734974005248
としおか ラーメン中盛 800円
0:41 - 2019年3月13日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1101129293780869121
診察予約4時半で終わったの10時 都会の総合大病院の実情
6:37 - 2019年2月28日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1096450736613863424
飯田橋交差点をチャリ(Gios)で九段下方面 合流で気を効かせて
薄ーく入ろうとしたら、路肩の排水傾斜が思ったよりきつく、
左にハンドル持ってかれてガードレールにゴーン
投げ出されて肋骨骨折と血胸 気を付けなはれ
8:46 - 2019年2月15日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1092699964654858241
大塚屋 辛味噌ラーメン+麺大盛り+小ライスで850円也
0:22 - 2019年2月5日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1067184225609109506
オキサリプラチンの末梢神経障害が来た
投与が終わって1か月後ぐらいから徐々に発症するから、
投与中は予測できないんだこれ 困ったもんだ
#oxaliplatin #末梢神経障害
14:32 - 2018年11月26日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1007960835140960256
静岡がんセンターの大腸外科って、先月までお世話になってたとこ
去年から今年に掛けて常勤の先生がごっそり辞めちゃってたんだけど、
こういうことだったのね
静岡がんセンターで医療事故
5:19 - 2018年6月16日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/1006936607239237632
でも、アレっすよ 自分ひとりなら去年5〜6回やった単独登頂と一緒なのでw
人生初富士山って人が居てくれたらいいんですけどねえ
9:29 - 2018年6月13日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/991236964513808384
マジですか。入院しちゃったので、6月まで東京には帰れません。。
今住まわせてもらってる方の所に置かせてもらうとかできないですか?
1:44 - 2018年5月1日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/981090667542626304
MRIの造影剤で鼻の奥と下の付け根がむず痒くなって
くしゃみが出る 軽いアレルギー反応なんだそうだ
ただ、次はもっと重篤な症状が出るかもしれんから、
今度MRI受けるときは今日くしゃみをしたことを言えとのこと
1:46 - 2018年4月3日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/934957778463965184
つくばマラソンなんとか完走(タイム5時間10分)
予想通りヒロコ腫れたが、思ったほどではなかった
17:31 - 2017年11月26日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/928273824663068673
登山は富士山しか行かないス 富士山しか電波ないもの
配信も無くボッチで登山なんてあり得まへんw
6:51 - 2017年11月8日

https://twitter.com/TEDZU_law/status/921028923437105152
登山は素人同然なので教えることなど皆無に等しいですが
それでも良ければナンボでもw
8:03 - 2017年10月19日

------(引用ここまで)-------------------------------------------

(関連情報)

「登山開始6時間以内が危険、心臓病死が多発 (読売新聞)」 (拙稿 2017/6/7)
http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/230.html

「ラーメンによる体調不良 続報 (7)  相変わらず食後下痢をする人が多い」
(拙稿 2017/10/20)
http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/824.html

「ラーメン関係者に体調不良・急死・閉店・休業続出 原因はスープのダシか? 」
(拙稿 2014/10/5)
http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/577.html

http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/260.html

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
14. 2019年11月14日 06:04:13 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[5]
しかも、一般の人にも分かり易く整理して、だからねえ…
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c14
コメント [原発・フッ素52] 富士山頂からライブ配信中、滑落死した40代男性は大腸がん・ステージ4闘病中、ラーメンが大好きだった  魑魅魍魎男
1. 2019年11月14日 06:08:05 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[1701]
雪山登山に備え、このような滑落停止の訓練を行なうのが常識。

「雪上訓練(滑落停止 ピッケルストップ) 芝倉沢 風切り音注意」
https://www.youtube.com/watch?v=qqksRHBvdCE

登山のベテランによる解説。

「【富士山 滑落】富士登山シーズン外の落とし穴 徹底解説
〜ニコ生配信 富士登山雪山滑落事故に学ぶ〜」
https://www.youtube.com/watch?v=W4yQQQhjJmM

本人の写真など。

直腸癌ステージ4克服!?富士山滑落のニコ生主の人生が壮絶と話題に。。
https://quick-news.site/news/3713/
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/260.html#c1

コメント [戦争b22] シリアでトルコをロシアと戦わせようとするアメリカの手口(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
4. 2019年11月14日 06:10:46 : ZEpZjRC56Q : NGxhbk9qZHBlbUU=[46]
米国はシリアに利用価値がないと判断して手を引いた。ロシアはシリア政府の引き立て役を貫く姿勢だ。トルコとロシアはうまくはやれない。まずいことになったと思っているのは米国よりロシアの方だ。トルコがいつまで軍事介入できるのかも疑問だ。トルコはシリアと全面衝突できない。
http://www.asyura2.com/18/warb22/msg/899.html#c4
コメント [政治・選挙・NHK267] <決定的な文書入手!>安倍事務所からの「桜を見る会の案内状と申込書」希望者は安倍事務所、担当秘書までと アウト!   赤かぶ
72. 前河[3194] kU@JzQ 2019年11月14日 06:22:05 : eKKBdMhn0w : L0tIYTRwY1kudmM=[73]
森友学園、加計学園、桜を見る会……何でも私物化する男

「ミスター私物化」男

公の概念がわからないんだろ。

税金を私物化し無駄に使い放題、やりたい放題。しかし、庶民の苦しみはわからず消費税率は平気で上げる。


さて、報道番組をよく見ると、安倍を追求するには桜を見る会そのものよりも前夜祭の方が行けるぞ!

この三年間、「桜を見る会」の前日にホテルニューオータニで、「安倍晋三後援会、桜を見る会前夜祭」に安倍が参加していたらしい。

今年の前夜祭の参加者は850人!桜を見る会とセットになっているようだ。前日の夕食会の会費はひとり5000円。

政治活動の収支は報告書に記載が必要だが、安倍の関連政治団体に記載はなかった。

この5000円が怪しい。安倍は「個人が直接ホテルに払ってるから記載が必要ない」と言うが、本当に問題はないのか?

食事には久兵衛(高級寿司店)の寿司が出ていて、5000円では賄いきれないと野党議員の指摘。

もし、10000円の料理を5000円にして、残りの5000円を安倍事務所が負担していたら、「差額供与」にあたるということ。

「差額供与」これが犯罪だ!

安倍が後援会関係者を多数呼び、「差額供与」でもてなした可能性が高い。

これが公職選挙法違反だろ。メロン大のレベル話ではない!

公職選挙法違反で安倍を追求しろ!ここに焦点を絞るべきではないか?

桜を見る会自体を追求するのもいいが、どうやら追求しても「道義的責任」までしか難しいらしい。(テレビ解説者による)

前日の「差額供与」による公職選挙法違反、政治資金規制法違反なら、辞任の三人目は安倍になるかも!

来年の桜を見る会の中止など関係ない。

桜を見る会の「前夜祭」の方を追求しろ!安倍のアキレス腱だろう。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/324.html#c72

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
14. 中川隆[-14943] koaQ7Jey 2019年11月14日 06:23:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2035]
2006.08.19 明るい!?ショスタコーヴィチ
https://ushinabe1980.hatenadiary.jp/entry/20060819/1156002386

クラシック作曲家の三大ネクラは、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチではあるまいか。
それでもチャイコフスキーの場合は、泣き節が大げさな上、メロディーが甘美なので深刻さが減じているが、救われないのはショスタコーヴィチだ。
後期の弦楽四重奏曲を聴いてごらんなさい。もう、生きていくのがいやになる。
(講談社現代新書『新版・クラシックの名曲・名盤』宇野功芳著より引用)

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906年9月25日-1975年8月9日)は、「社会主義」ソヴィエト連邦を象徴する作曲家だ。

体制と理想との間で悶え苦しんだ作曲家ショスタコーヴィチ。

「社会主義」という理想と裏腹に、ソヴィエト社会は密告社会だった。

ショスタコーヴィチの作品は、「社会主義」リアリズムの路線に沿った作品であると国家よりお墨付きを与えられたり、反対に、作品によっては、ブルジョア的、退廃的であると批判された。

史上最悪の独裁者の一人であるスターリンの指導の下、生命の安全すら危惧された境遇で、その恐怖は計り知れない。

体制と理想の間で悩み苦しみながら、社会的な制限の中で、最大の理想を追い求めた音楽家がショスタコーヴィチだ。


私はショスタコーヴィチという作曲家にとても興味がある。

彼の人生は、国家と体制が個人の内面にまで入り込んできた時代を象徴するように思え、その作品は、特殊な状況下における人間の孤独な内面の戦いを暗示しているように思えてならないからだ。

彼の作品がネクラであるのは当然のことで、逆に明るかったりしたら、現在、彼の膨大な作品を私たちが楽しむこともできないはずだ。


◇  ◇  ◇


ショスタコーヴィチ:ジャズ音楽集
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000EMH7VY/ushinabesquar-22/

アーティスト: シャイー(リッカルド),ショスタコーヴィチ,ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団,ブラウティハム(ロナウド),マスーズ(ペーター)

1. ジャズ組曲 第1番 第1曲 : ワルツ
2. ジャズ組曲 第1番 第2曲 : ポルカ
3. ジャズ組曲 第1番 第3曲 : フォックストロット
4. ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35 第1楽章 : Allegretto
5. ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35 第2楽章 : Lento
6. ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35 第3楽章 : Moderato
7. ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35 第4楽章 : Allegro con brio
8. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第1曲 : 行進曲
9. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第2曲 : リリック・ワルツ
10. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第3曲 : 第1ダンス
11. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第4曲 : 第1ワルツ
12. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第5曲 : 小さなポルカ
13. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第6曲 : 第2ワルツ
14. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第7曲 : 第2ダンス
15. ジャズ組曲 第2番 プロムナード・オーケストラのための 第8曲 : フィナーレ
16. タヒチ・トロット(二人でお茶を) 作品16

______


ジャズ組曲第2番 第3曲 第1ダンス - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=71nw5r3n9iQ
リッカルド・シャイー指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

Shostakovich Jazz Suite Riccardo Chailly - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Shostakovich%3A+Jazz+Suite++Riccardo+Chailly

Royal Concertgebouw Orchestra · Riccardo Chailly

___

ショスタコーヴィチ: ジャズ組曲 ヤンソンス 1996 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VxpPokL863U
https://www.youtube.com/watch?v=EhUqLuoy4zs

マリス・ヤンソンス指揮 Mariss Jansons 8, 9, 11 March.1996
フィラデルフィア管弦楽団 The Philadelphia Orchestra
Shostakovich : Jazz Suite No.1

______


そんなネクラなショスタコーヴィチが、明るい作品を残している。

それが、ジャズ組曲だ。

このCDには、第1番と第2番が収録されているどちらも名曲だ。

中でも「プロムナードオーケストラのためのジャズ組曲第2番」のワルツ。

この曲は、スタンリー・キューブリックの遺作・映画『アイズ・ワイド・シャット』のテーマとして使われた。

優雅な旋律。まるで舞踏だ。

禁欲的な曲に収まりきらない、そこから溢れ出る退廃の香り。

ソヴィエト体制の下で、交響曲第5番を作曲した同じ作曲家とは思えないほど、この曲にはロマンティシズムが溢れている。

ショスタコーヴィチという人物、その音楽性には興味が尽きない。

その世界はどこまでいっても深淵だ。


◇  ◇  ◇


トルストイ『戦争と平和』の冒頭。

19世紀のナポレオンのロシア侵攻という歴史的事件をむかえる貴族社会の様子が描かれている。

来るべき戦争に対してもどこか他人事な社交界の空気。

トルストイの描写はとても精緻で、優雅な社交界の姿が目に浮かぶ。

この曲を聴いて連想されるのはそんな空気だ。

時代はだいぶ違うが、一言で言うと、「ロシア的」という言葉に尽きると思う。


「ソヴィエト連邦」を象徴する作曲家、ショスタコーヴィチの音楽に「ロシア」の残り香が感じられる。
https://ushinabe1980.hatenadiary.jp/entry/20060819/1156002386

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c14

コメント [カルト23] 簾ハゲ・来年のお花見中止。つまりは、来年の四月にアベニヤフ政権は存在しないという意味である。 ポスト米英時代
7. 2019年11月14日 06:28:21 : D1HWud924g : MjN3cGg1aXN0WkE=[1]

天よ、正義に力を与えよ____________(天・・・自分でやりなさい)

正義。力。___
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。・・・パスカル
__________

警察・検察・裁判所・メディアも犯罪者の仲間だから、逮捕されるべき犯罪者が逮捕されない。
__賄賂甘利、ドリル小渕、強姦魔山口、公選法違反・河井夫妻、憲法否定・インチキ総理・売国棄民・国賊・虚偽答弁・タワゴト時間つぶし馬鹿の晋三、公文書改竄・佐川・麻生バカだろう、・・・まさに犯罪者だらけの自民党。そして背乗り通名&「犬作生きてる詐欺」の下駄の糞;創価ガッカリ・公明党。・・・

>山口様の腹の中、黒いくろーい腹の中
http://www.asyura2.com/17/senkyo234/msg/264.html#c22
おまえら日本人は、本当に馬鹿だな。似非宗教は洗脳機関、総体革命を知ってるか?
権力中枢に入り込み、メディアを押さえ、ムサシを押さえ、疑う者は始末する。
背乗りの詐欺と利権と腐敗。貧乏人を騙して毟る。宗教ごっこは大儲け。ガハハ!
________

そればかりか、正義の告発者が冤罪で逮捕され、投獄され、あるいは抹殺される。
__植草一秀、石井紘基、佐藤栄佐久、小沢一郎・3秘書、三井環、籠池夫妻・・・・・

>安倍政権、これだけの人間を殺して政権の地ならしをしたってことか
http://www.asyura2.com/17/senkyo221/msg/109.html#c1
________

そして選挙は票も数えず犯罪者の仲間が当選したことにされるというデタラメが続く。まさにスターリン選挙。学習指導要領に「選挙のいろいろ」という項目を作り、小中高で「スターリン選挙」について教育しておくべきだ。「ホントの選挙は、みんなの前で票を数えるんだよー」ってな感じ。老人クラブでも、「スターリン選挙と年金詐欺」「馬鹿とアホウのスターリン政治」てな感じの講座を開くべきだ。

それでも、それを「何とかしよう」「政権交代を実現するんだ」「権力を手にしなければ何もできない」と奮闘してきたのが小沢一郎と同志。小沢の所属する政党は、常にムサシの標的にされ続けてきた。で、「もはや時間がない!」と立ち上がったのが山本太郎。応援しなくっちゃ!
______________________________________________

>不正選挙の黒幕がわかった! http://s01.jazz75.com/
不正選挙の真の問題は生活が負けた事ではなく、傀儡に日本が完全に牛耳られている事が最大の問題。そしてマスゴミ、官僚、野党、司法、財界も含め、この不正体制を黙認、協力、維持、継続している事が最もシリアスな社会病とでも言える戦後体制。東京リンチ裁判以降(戦後占領下において戦勝国によるリンチのような偽裁判)、生き残った方々は傀儡と考えたほうが、整合性が取れる。

>不正選挙を糾弾して安倍インチキ政権を打倒し、真の民主主義を求めようとする皆さんへ
https://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/46577694.html
2000年の米国インチキ大統領選挙以降、世界各国で米国主導による不正選挙が行われてきたことが明らかになってきました。チリ・メキシコ・アルゼンチン・韓国・イラク・・・。そして日本では何年も前からインチキ選挙が横行し、不正選挙による傀儡政権が政権与党となって悪政を推進しています。また、不正選挙を実施するには、様々な下準備が必要であり、実施されてきました。それらの手口と今までの不正選挙の概略をまとめてみました。・・・

その1 不正選挙実施のための準備 
その2 米国式不正選挙の概要 
その3 不正選挙に関する論証について
______________________________________________

http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/376.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK267] 「英語民間試験の5年延長は安倍官邸の陰謀」前川喜平・元文科次官が激白〈週刊朝日〉 赤かぶ
7. 2019年11月14日 06:29:53 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[6]
確かに、国際基準に沿うためなら
SAT(欧州のバカロレアでもいいけど)
方式にする必要はあるのかも知れない。

だったらその為には、先ず現状の偏差値制や受験制度を全面廃止して、
4月改め9月入学及び進級制度にしないと、帳尻が合わなくなる。

更に、制度移行に伴う受験生及び教師が被るであろう不利益に対しては、
国が全面的に金銭的援助を行うこと及び、最低限浮いた半年間の間は、
無料で講習を受ける権利を付与しなくてはならない。
それだけで賄えないなら、更に半年間の無償教育援助。無論貸与型奨学金制度は廃止である。

受験生が国が認めた民間に金を払うのとは全く正反対の、国から人(受験生、教師)への全面的金銭扶助でなくてはならない。

国の未来の為に教育が重要だという認識ごあるのなら、最低限それ位の施策がなくてはだめだ。

それができないのなら、他アジア国からいかに引き離されようが、現状のセンター試験制度のままでいた方が、民間に高い金払って序でに高い借金背負わせられる制度より、遥かにましである。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/336.html#c7

コメント [カルト23] 新べ・米戦争屋が国事行為に異様さを感じて安倍斬り。馬鹿が野心を持ったら飼い犬失格である。 ポスト米英時代
5. 2019年11月14日 06:35:28 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[868]
まあ、米でドッチの勢力が台頭しようが元祖ヤルタ体制や戦後日米隷従体制に逆行する政権はゴ主人は勿論、西側、中露の戦勝陣営からは否定され軍国主義復活と攻撃される
;戦後は終わったどころか、ワシラ勝ち組は永遠ナリ、ってアンマリだろ   ヨリ
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/375.html#c5
コメント [政治・選挙・NHK267] 「英語民間試験の5年延長は安倍官邸の陰謀」前川喜平・元文科次官が激白〈週刊朝日〉 赤かぶ
8. 2019年11月14日 06:38:40 : fKkQda7Cxw : a01WR1RYQWZoY00=[276]
暇なので制度を色々変える仕事を作っているようにしか見えない。

現状の日本のていたらくを見るに、今回のを含めて今までの大学入試改革は
すべて失敗だったのではないか。

「役人と政治家によって、教育が振り回されている」と言い換えたい。
どちらかというとお前らはいない方が良い、改革はやらない方が良い。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/336.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK267] 日本はもはや国の体をなしていないことを実感した1カ月 二極化・格差社会の真相(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
37. 2019年11月14日 06:39:12 : zzVnkkptd2 : THh5cWZTbTNwUW8=[12]
>>16 のような、おかしな思考回路を持っている事が、、日本衰退の理由の一つ。

排他的かつ平然と差別発言を行い、そして日本人を美化し、

韓国人は嫌い、しかし白人(スコットランドケール語)は、お好きなようで。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/325.html#c37

コメント [政治・選挙・NHK267] 日本は法治国家なのか。(日々雑感) 笑坊
4. 2019年11月14日 06:40:31 : WshobgUkII : Y0YyczBOLkxmNTY=[2]
>日本は法治国家なのか。(日々雑感)

この国は武力で制圧された植民地であり、民主主義は偽装であり、

法は奴隷を支配するために恣意的に運用される暴力装置であり、

メディアは3S政策に明け暮れる洗脳装置であり、選挙はスターリン方式であり、

裁判は魔女狩りのための暗黒裁判でおます。知らんかった? あっそ。

もしかしてニーメラーと一緒なのかな? それとも演技かな? 

まずとりあえず、ご機嫌よう!



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/338.html#c4

コメント [カルト23] 小泉と安倍の犯罪は、本丸は売国であるが、政治を変える時は、消費増税やお花見不正などの分かりやすさが決め手なのである。 ポスト米英時代
4. 灘の生一本[21] k@WCzJC2iOqWew 2019年11月14日 06:40:58 : 1Ob8RTC95w : TEFEUUZxLmR4em8=[1]
サクラ見会の食事部分で
公費不正発覚
持ち運び屋ケータリング業者と癒着
とか藤原直哉先生ツイより
 

 
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/372.html#c4

コメント [近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
15. 中川隆[-14942] koaQ7Jey 2019年11月14日 06:40:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2034]



ショスタコーヴィチ「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」作品16
2015 MAR 3 1:01:01 am by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/03/%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%81%e3%80%80%e3%80%8c%e3%82%bf%e3%83%92%e3%83%81%e3%83%bb%e3%83%88%e3%83%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%80%8d%e4%bd%9c%e5%93%81/


「タヒチ・トロット」(Tea for Two、二人でお茶を)は懐かしい。この原曲はブロードウェイ・ミュージカルの作曲家ヴィンセント・ユーマンスがNo, No, Nanette(ノウ、ノウ、ナネット)という作品の挿入歌として作って大ヒットした。

このコメディーの筋はなかなか面白い。金持ちの娘ナネットはブロードウェイの舞台に立ちたい。そこに2万5千ドル出せば恋人のトニーが曲を書いてキミを主演女優にするよという話が来る。そこでナネットは遺産管財人の弁護士に2万5千ドルを出すようかけ合うが、遺産は伯父さんが1929年の大恐慌ですってしまっていて実はもうない。弁護士はそこで「48時間キミがYesを言わなかったら出そう」という賭けにでる。何をきかれても No, No といい続けたナネットはそれで誤解を招いて大騒動になりトニーを取るか芝居を取るかになってあきらめ、めでたしめでたしというあらすじだ。

しかし作曲されたのは1925年だから大恐慌のくだりはあとづけなんだろう。Tea for Twoは曲が先にできていて、それにとりあえず作詞家が歌詞を即興でつけて、後で直そうと言っていたら結局そのままになってしまったそうだし、上演しながら作っていくというスタイルだった。ちなみに19世紀ヴィクトリア朝の英国で紳士が淑女を午後のお茶に誘い”Tea for two“と注文 するのがプロポーズするサインだったそうで、和訳の「二人でお茶を」はちょっと変だ。「紅茶ふたつ!」だ。

「48時間、Noを言い続ける」というのをぱくったのだろうか、ショスタコーヴィチの交響曲第1番を初演した指揮者のニコライ・マルコが自宅で彼にこれを聞かせ、「キミが1時間以内に記憶だけでこの曲を編曲することはできない(つまりNo)に100ルーブル賭けよう」と勝負を挑んだ。そうしたら22才のショスタコーヴィチはそれを45分(40分説もあり)で管弦楽スコアにしてしまい、賭けに勝ったとされる(作り話という説もあるが)。1927年のことだ。

これをどこで覚えたのか、僕は記憶がないが、ショスタコーヴィチのを聴く前に知っていたことは間違いない。ジャズ、ポップシンガーなど数えきれないほどの人がフィーチャーしているから確証はないが、このドリス・デイの歌がそうだったかな?という感じだ。




変ニ長調が長3度上のヘ長調に転調するのも斬新だが、いきなりサブドミナントで入るのがとてもおしゃれだ。こういうのはおかたいドイツ音楽じゃない、フランスのシャンソンの家系という感じで大好きだ。

ショスタコーヴィチがこれをちょいちょいと編曲したのがこれだ。こっちは変イ長調だ。気に入ったのか「タヒチ・トロット」という別名にして堂々と作品番号までつけている。今だったらコンプライアンス問題になってるな、大らかな時代だったんだ。




https://sonarmc.com/wordpress/site01/2015/03/03/%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%b4%e3%82%a3%e3%83%81%e3%80%80%e3%80%8c%e3%82%bf%e3%83%92%e3%83%81%e3%83%bb%e3%83%88%e3%83%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%80%8d%e4%bd%9c%e5%93%81/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c15
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 2019年11月14日 06:46:14 : zzVnkkptd2 : THh5cWZTbTNwUW8=[13]
玉川さんのそもそも総研で、田崎スシローは安倍をかばいきれなくなり第三者的発言が多くなってきた。

安倍や世耕、麻生、萩生田などの自滅党はバカばっかじゃん。そろそろ崩壊間近かな。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK267] <問題あり、認めたも同然!>来年度の「桜を見る会」は中止 菅官房長官<野党の追及、効いてるゾ!> 赤かぶ
64. 2019年11月14日 06:48:12 : GuJJGWNU2A : QTJ5b3E5di9pT2c=[290]
馬鹿野郎!

来年も首相でいられると思うのか? 亡命しているのでないか?安倍チャンは。

安倍・安倍一味は、粛清で、収監されているのでないか?

そうでないと日本は崩壊するのでないか。

先端産業は、ボロボロ、飯食っていける産業は無くなっている。

日本財政ボロボロ、黒田も安倍と粛清しないとな〜 

バブルはじけると、日銀も終わりです。

中小・地方銀行は、破産する状況で、近い将来半分は破産すると言われている。

安倍は、政策失敗続きで、成功事例が全くない。

いい加減にしてくれよな〜安倍晋三。いい加減、議員辞職したらどうか?

選挙で得票できないから、税金でのおもてなしで安倍票獲得しているのが、、今回見えてきましたね。

政治もボロボロ!
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/331.html#c64

コメント [政治・選挙・NHK267] 首相事務所「桜を見る会」ツアー案内 関与否定は虚偽答弁(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2019年11月14日 06:50:11 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[7]
もし、安倍官邸や事務所の名前はあるが、実際は内閣府に丸投げしてたんで
自分個人の関与は無い、なんて言い訳したらね…

それこそ、最高責任者には官邸にも事務所にも内閣にも全責任を負った者という意味での総理という肩書ではあるが、
安倍という個人には責任がない、
というか、責任能力がない
「総理」という名札ぶら下げたアレ、
禁治産者の木偶人形的象徴総理、
ということになるので、
すぐさま病院かスクラップ置き場送りに、処されなくてはならない。

その上で、彼を利用し、操ってきた傀儡(クグツ)師や香具師らの、責任を問う必要が出てくる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/342.html#c10

コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
24. 茶色のうさぎ[-13170] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 06:50:41 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-20]

 つまり、、

 民主化、、学生運動、、東大紛争、、

 全共闘は? 悲劇

 純真な、あさま山荘、、同志、、 慰霊すべきと思います。  うさぎ♂ 名誉回復♪♪

 うまれかわり、、まちがえる、、なよ!! 成仏♪♪ 命


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c24

コメント [経世済民133] 34歳男性、投資で大きな損失「借金で何も手につきません」(MONEY PLUS) 赤かぶ
3. 2019年11月14日 06:51:05 : 1MJfU1NVlg : RXJGS0ZMUm5DYUE=[2]
 投資で失敗。借金。どのよう立て直していけば?

 答は簡単です。カジノで大儲けすれば良いんですヨ。

 これから増えるだろうね〜 悪魔のささやき。 

 悪魔の使者である安倍チャンを総理にしたおかげですね。
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/629.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
15. 2019年11月14日 06:51:43 : 5OzOFYMUDs : MnM1Q0ZnVGdCUjY=[221]
『<太郎ちゃん&なかまたち>の皆々様へ。』

大丈夫大丈夫、若干時間(1〜2年)は掛かるが、民意はついて行くよ。
最終的には、<ヘドロ霞ヶ関$アメポチ構造>にどう立ち向かうか?解体するか?の方法論の問題なのである。

「霞ヶ関=中央集権構造」と「特別会計=二重会計制度」を抜本的に公明・公正・公平化出来ない限り、この国は「民主主義国家」とは口をスッパウしてもいえない状況にあるってことさぁ。
<ウソツキ政権>の瓦解とともに<ヘドロ霞ヶ関>の崩壊も煮詰まっている。

毎度お味見チリ紙交換“捏造がセ論調査&水増しテレビ世帯視聴率”如きは、無視無視カメよ亀さんよ♪でいいんだよ〜ん。!
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c15

コメント [経世済民133] 日銀が来春導入する「ETF貸し出し」は自作自演の茶番劇だ プロはこう見る 経済ニュースの核心(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 2019年11月14日 06:51:51 : GuJJGWNU2A : QTJ5b3E5di9pT2c=[291]
黒田日銀は、ここまで追い詰められてきた。

安倍・黒田は国家大犯罪をしでかした。

どう責任を取らせるべきでしょうか?
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/592.html#c5

コメント [Ψ空耳の丘Ψ62] 絶対に明かしてはいけない天皇家の正体 世界が騙された そこちょっとつんつく
24. お知らせ[1] gqiSbYLngrk 2019年11月14日 07:00:28 : j7YxY6rMXc : bHpKUXVRcUdFUmM=[2]
今回の大嘗祭は神託はありません。
大事な血税を国庫に戻すようお伝えください。
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/319.html#c24
コメント [経世済民133] 債券バブル破裂が次の米リセッションの引き金となる公算大 躊躇なく「しらを切った」のか、日銀の対話戦略 米金融当局、来年… 鰤
5. 2019年11月14日 07:03:30 : fCZ83cf8p2 : YzI0bTRWZmk2Mms=[869]
  パウエルが恐れているのもジャンク債の爆発でそれで政策金利を何とか抑え賭場の過熱を冷やしたいたいと言う  がトラの猛反発や相対取引が多く実情も掴みにくいのがツライところ
 ボロクズ債権を集めたジャンク債が暴発すれば危険が債券の王者の国債にも及ぶ  国債価格の暴落で金利が高騰し始めれば‥というシナリオは絵空事でなく日本も似た事情だろう  スリスリでまた取り繕うにしろバーチュアル財源ではいづれ市場の叛乱に直面させられる
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/622.html#c5
コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
25. 茶色のうさぎ[-13172] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 07:07:14 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-22]

 これら、、学生運動、、悲劇の原因は?

 宮本顕治、不破哲三 ←日本共産党、東大:民青ですね。ぺっ♪ うらぎり💢

 事実です。  長文省略 うさぎ♂


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c25

コメント [自然災害22] 関東付近での11月 地震多発 について taked4700
24. 2019年11月14日 07:11:59 : VbNjPGhewK : ZVRaN1l2R0VLcnM=[13]
Hi net 自動処理震源マップ 最新24時間北海道 の N =の値がたったの5しかありません。通常は15,16程度なのでこれは非常に小さな値です。
北海道または東北北部でかなり大きな地震が本日か明日中ぐらいに発生する可能性が高いと思われます。
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/779.html#c24
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 2019年11月14日 07:21:17 : IMchGoVAnc : SE1mSW04bUxORlk=[111]

山口県の安倍事務所に電報が届いたそうだ 「ライネンノサクラ モウチッタ」

返信があったそうだ、「ライネンモソウリハ サイテクレマスカ」

それへの返信 「ウメデモペンペングサニナッテモ サイテヤル」


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c6

コメント [政治・選挙・NHK267] 日本は法治国家なのか。(日々雑感) 笑坊
5. 地下爺[9214] km6Jupbq 2019年11月14日 07:21:52 : ZIRPLIvmG2 : eU4xWDhqRHdxTGM=[305]

    正しくは 痴呆国家 早く 国民が 覚醒せねば 。。。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/338.html#c5

コメント [政治・選挙・NHK267] 公明党に責任がないとは言わせない/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
25. 空虚[3110] i_OLlQ 2019年11月14日 07:22:05 : 1tu34P75Qo : bjZYNXZjSnVGbm8=[1]
コバンザメ?そんな可愛いもんやおまへんで!矢面に立つ自民党よりも質が悪い

【 利権寄生の迷彩軟体生物 】やがな。

プレデター(Predator)や、悍ましいの一言に尽きる。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/326.html#c25

コメント [政治・選挙・NHK267] 腐臭芬々たる安倍政権。(日々雑感) 笑坊
7. 2019年11月14日 07:27:48 : adMpoNbKJw : SC5KSC9PbzNrNFU=[62]
マスコミの世論調査は、あの浅ましい山口県の住民たちを抽出して、ランダムに電話をかけているので、自民党支持、安倍政権支持の割合が高いのだ、と聞いたことがある。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/316.html#c7
コメント [原発・フッ素42] 早く!すい臓がん発見 自己判定ガイド初公開 (NHK・ためしてガッテン) 魑魅魍魎男
26. 茶色のうさぎ[-13174] koOQRoLMgqSCs4Ks 2019年11月14日 07:27:56 : XCEhHsNMog : TlRFZnR1WDFiZ0k=[-24]

 日本共産党

 ↑ こいつら、、 国鉄、労組解体、自殺者、200人だぞ!!あほ

 現在も、幼児に、年間400枚、レントゲン照射だって、、あほ

 こいつら、、 人間か? 『 命 』 ←勉強しろよ!!あほ 

 現在でも、関東、東北、、5000万人だぞ!! あほ  うさぎ♂ 麦??ばか


http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/857.html#c26

コメント [政治・選挙・NHK267] いまだに安倍内閣を支持する国民はほんとうに日本に存在するのか:そういう能天気国民は戦前の軍国日本に戻りたいのか(新ベン… 赤かぶ
70. 2019年11月14日 07:29:12 : PBOHMSX2yo : NjVSWXg5U2N2N1k=[226]

>>69

不正開票が無いと言う証拠を出してみな!w
こういうバカは英米軍産の管理下にある御用メディア(NHK)が垂れ流す
捏造洗脳支持率を全く疑わないんだろうな 正にバカの極み。



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/309.html#c70

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」中止で私物化問題の幕引き図るも新証拠続々! 安倍事務所がツアー案内、萩生田文科相も貸切バスで大量招… 赤かぶ
35. 2019年11月14日 07:32:06 : IMchGoVAnc : SE1mSW04bUxORlk=[112]

「桜を見る会」の前夜祭も怪しいが、天皇の「祝賀御列の義」の前夜の嵐も出た祝宴も相当怪しい。
実際誰が費用を出していたのか? 
何故東京都の消防庁や子供まで動員出来たのか?

政府の行事で無いはずだが、本当に政府の出資は無かったのか?
何故天皇皇后が主席しなければならなかったのか?
これで天皇皇后はその真の主催者(日本会議?)に一生頭が上がらなくなった。



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/341.html#c35

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
7. 地下爺[9215] km6Jupbq 2019年11月14日 07:32:12 : ZIRPLIvmG2 : eU4xWDhqRHdxTGM=[306]

   単純に ご領主様 から 怒られたて ことでしょ 。。。。。


   晋三坊ちゃま が 国民の声 に 反応するわけないもんな!!


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c7

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
8. 2019年11月14日 07:32:29 : xXIehXjd1o : SE1UTXJhUWNKQzY=[7]

 マスコミの論調が、『参加基準がはっきりしなかったのが悪い』って話になってきた気がする。
これだと本丸は別にあるにも関わらず、参加基準をはっきりさせれば問題なし――アベはいつもの『責任は私に、でも辞めません』になる可能性が大だ。

野党の皆さんには、そうでない事を示すような更なる追及を期待したい。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c8

コメント [カルト23] ネトゲ・桜を見る会の公選法違反で解散総選挙。れいわ共産国民と立憲の中堅若手は一つにまとまる事である。 ポスト米英時代
3. 灘の生一本[22] k@WCzJC2iOqWew 2019年11月14日 07:36:33 : M1anx0nVS2 : M3FadUNIWDd5T2c=[1]
アヘとサクラ宴会と業者癒着に限らず
癒着癒着癒着ばかり
騙すゴミカスも一枚噛むからでしょう!パナマ文書もあばけよ!

パナマ文書に義姉の会社が…加藤厚労相とベネッセの“奇怪な関係”
日刊ゲンダイDIGITAL2019年11月12日
パナマ文書に義姉の会社が…
加藤厚労相とベネッセの“奇怪な関係”
租税回避の「パナマ文書」に加藤勝信厚労相の義姉の会社が
 
来年度から始まる大学入学共通テストは英語民間試験の導入こそ延期されたが、国語と数学で新たに出題される記述式も課題山積。いずれもド真ん中にいるのは教育産業大手のベネッセだ。

 主催する「GTEC」が英語民間試験に採用され、記述式の採点業務も子会社が受注。先週発売の「週刊文春」はベネッセびいきの背景に下村博文・元文科相との蜜月を指摘したが、ベネッセと奇妙な関係を築いた親族を持つ現職閣僚もいる。

 2016年、国際調査報道ジャーナリスト連合が公表し、世界に衝撃を与えた租税回避地に関する「パナマ文書」。分析プロジェクトに参加した共同通信が当時、興味深い記事を配信した。

 記事によると、05年に英領バージン諸島に設立された会社の約6.8%の株主として「東京個別指導学院」の名が記載。ただ、その連絡先は同学院の大株主で、元内閣官房参与の加藤康子氏が代表を務める会社の住所と、短縮した名前が記されていたのだ。

 同学院は学習塾を経営するベネッセ系の上場企業。康子氏は加藤勝信厚労相の妻の姉で、安倍首相の父・晋太郎氏の最側近だった加藤六月・元農相の長女だ。康子氏が代表を務める会社は、東京・渋谷区の「トランスパシフィック・エデュケーションネットワーク」。ブライダル関連の輸入業で、基準日の今年8月末時点でも同学院株を0.25%(13万5000株)保有している。続く
 



http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/370.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK267] 「桜を見る会」で田崎史郎と産経が失笑のスリカエ詐術で安倍擁護…でも安倍後援会850人招待には田崎も「多いな」とポロリ(リテ… 赤かぶ
19. 2019年11月14日 07:39:16 : 51zc6GzjYU : NWY5SThSQ2VyQXM=[1]

『寿司友』の田崎氏は昨日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)と

『ひるおび!』(TBS)にはしご出演。

予防線を張りつつ、必死に安倍政権をフォローしまくった

13日放送の『羽鳥慎一モーニグショー』(テレビ朝日)では、MCの羽鳥慎一から

「田崎さんは招待されてない?」と訊ねられ

「ぼくは招待状をいただいてますね。まだ行ったことはないんですけれども。

数年前から、最初はね、僕は自民党担当のキャップの時に、何か手渡された記憶が

あるんです」と“告白”。

羽鳥がコメンテーターの玉川徹氏に「玉川さん、呼ばれていないですよね」と振

る。

すると、玉川氏はいったん爆笑して、すぐに真顔になり、

火曜レギュラーのジャーナリスト・青木理氏にこう聞くのだ。

玉川:「そこですよ、ポイントは、まさに。聞きたいんですけど、

   青木さんは呼ばれたことあるの?」

青木:「呼ばれるわけないじゃないですか」

玉川:「そこ、本質なんですよ。(青木さんは)呼ばれたことないんでしょ。

で、田崎さんは呼ばれているわけですよ。

(机を叩きながら)ここに全てがあらわれているじゃないですか」
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/328.html#c19

コメント [政治・選挙・NHK267] いまだに安倍内閣を支持する国民はほんとうに日本に存在するのか:そういう能天気国民は戦前の軍国日本に戻りたいのか(新ベン… 赤かぶ
71. 2019年11月14日 07:41:01 : PBOHMSX2yo : NjVSWXg5U2N2N1k=[227]
>>69

日本は敗戦国であり英米軍産複合体は戦勝国という事
そして日本は国連で敵国条項がまだ解除されてないという事を
世界の歴史から学びなさい
これでなぜ日本が植民地ではないのか・・・
不正開票はイラクアフガンリビアの傀儡政権レベルだという事だ!
その政権の責任者が安倍であり創価山口であり
側面支援しているのが枝野幸男菅直人野田佳彦というトロイの木馬議員です


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/309.html#c71

コメント [原発・フッ素52] 富士山頂からライブ配信中、滑落死した40代男性は大腸がん・ステージ4闘病中、ラーメンが大好きだった  魑魅魍魎男
2. 2019年11月14日 07:43:44 : qW5770aSac : ZHBpTDdEcXlON1U=[1702]
https://twitter.com/kennoguchi0821/status/1189767085162782720
(野口健) 登山家
映像を見ましたが…。ピッケル、アイゼンはうつっていない。
また、滑落した直後の映像では自身の足が映っていますが、
ハイカットの登山靴ではなく軽登山靴または運動靴。スパッツなし。
雪山に登るという自覚が全く感じられない。
ノリだけで登ってしまったような印象も。残念。
21:52 - 2019年10月30日

https://twitter.com/delecour/status/1189530031581609984
(デルクールP (-x-))
そういえば滑落したニコ生主、がんの告知を受けてから
富士山に何度も登ってるんだっけ。死に急ぐあまりに
富士登山に入れ込んでしまった、と言えるのかもしれない
6:10 - 2019年10月30日

https://twitter.com/delecour/status/1189531938043744258
(デルクールP (-x-))
あの状況からだと、大人しくしていると
「寛解したとは言われているけど、いつかまた再発するかもしれない」と
不安に駆られるだろう。体を動かしていないと
不安から逃れられない、という気分は分かる気がする。
6:18 - 2019年10月30日

https://twitter.com/EOOOxxx/status/1189578670718906368
(ノスタル(夢に向かって日々是勉強))
富士山で滑落して亡くなったの、俺の友人。
あいつは一流大学を出て、バイトしながら司法試験目指していた仲間。
ステージWの大腸癌とも闘いながら頑張ってた。
マラソンが好きでロードバイクが好きでパソコンに詳しくて。
自分の顔がラクダに似てるって自虐もして。 志半ばで辛いと思う。
9:23 - 2019年10月30日

https://twitter.com/RGM89D7a6/status/1189550219207176193
(ジュリエッタ)
仮に癌が再発進行した場合はもう富士山は登れないし
抗がん剤の副作用如何で今後の在り方も全然変わる
滑落した人の迂闊さは分かるけど、この人来年雪が溶けた後に
また富士山に登れるかどうかって補償はないのよね
7:30 - 2019年10月30日
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/260.html#c2

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
9. 地下爺[9216] km6Jupbq 2019年11月14日 07:46:09 : ZIRPLIvmG2 : eU4xWDhqRHdxTGM=[307]


    これが まっとナー 意見やと 思う せやろがい !!

      桜を見る会に一言【せやろがいおじさん】グッとラック!OA動画  
      https://www.youtube.com/watch?v=OhAZFXK11nk




http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c9

コメント [政治・選挙・NHK267] 桜を見る会、安倍首相自ら余程まずいと中止決定。最大の窮地。(かっちの言い分) 一平民
12. 2019年11月14日 07:47:57 : VyI4hvJHy2 : VHUvSi5sdnM3eVU=[41]
 >>11
 返品すらしてない。暫くやらないと言ってるだけだ。来年は五輪イベントで忙しいからちょうど良い、そんな風にアキヱと笑っているだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/335.html#c12
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
10. 2019年11月14日 07:50:00 : syoID3ywmo : ei90ZldySjdXbi4=[238]
旧民主党も桜を見る会やってたんだから、どっちもどっち。

野党もかわらんよ。

くだらん話題ばかりだ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c10

コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍首相「桜を見る会」中止で私物化問題の幕引き図るも新証拠続々! 安倍事務所がツアー案内、萩生田文科相も貸切バスで大量招… 赤かぶ
36. 地下爺[9217] km6Jupbq 2019年11月14日 07:53:19 : ZIRPLIvmG2 : eU4xWDhqRHdxTGM=[308]


   大儲け いたしました 。。。


       まさに 一石二鳥 てこと 

                          by 昭恵
                       



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/341.html#c36

コメント [政治・選挙・NHK267] 桜を見る会、安倍首相自ら余程まずいと中止決定。最大の窮地。(かっちの言い分) 一平民
13. 2019年11月14日 07:54:06 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[8]
>7
「前総理の足跡をしのぶ会」
→前総理夫妻の数々の失言やヤジや奇行をスクリーンにて振り返り、大いに嗤って結構な会

「国民なら誰でもOK」
→その代わり厳重なセキュリティチェックを。

「バス会社へ自ら代金を振り込む」
→飲食代も自己負担

「各停車場にて、バカヤロウ三昌」
→三唱、ですね。バカヤロウ以外の名台詞も募集。
 
その他諸々中々いいと思います、、

ただ、最後に
胸に手を当てて、
「かつて自らが彼に与したような行いが無かったか
己の中に、彼と同等の要素はなかったのか」の深い内省を込めつつの、
黙祷をプラス。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/335.html#c13

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 地下爺[9218] km6Jupbq 2019年11月14日 07:58:03 : ZIRPLIvmG2 : eU4xWDhqRHdxTGM=[309]
比較してみましょう 。。。

 鳩山首相の「桜を見る会」、著名人ら数千人集まる より
 2010年4月17日 16:23 発信地:東京 [ アジア・オセアニア 東京 ]
 https://www.afpbb.com/articles/-/2718856?pid=5624349



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c11

記事 [国際27] 香港デモ、一般市民の幸福を求める「義」がない 香港混乱は前例ない段階に、不安高まるー本土国営メディアは介入示唆 香港最下位、東京2位 シンガポール首位−アジア不動産投資番付

香港デモ、一般市民の幸福を求める「義」がない

瀬口 清之
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
2019年11月14日
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香港の抗議活動が暴力化の度を強めている。この背景と課題を中国の事情に詳しい瀬口清之氏はこう見る。「香港政府への怒りや、共産党政権への不安は理解できる。しかし、それが、よりよい社会を作るための政策に結びついていない」。それはなぜなのか。

(聞き手 森 永輔)


抗議活動も、対応する警察も、暴力の度合いを高める(写真:AP/アフロ)
瀬口さんは最近、香港を訪問されました。どのような状況でしたか。

瀬口:香港の抗議活動は10月以降、急速に状況が悪化しています。

 6月に100万とも、200万とも言われる数の人がデモに参加していた時は、統制が取れており、平和的なものでした。しかし、リーダー格の人が拘束されるにつれてその統制が利うかなくなり、歯止めのないものになっています。

リーダーは穏健派の人々だったのですか。

瀬口:抗議活動に参加する人の主張は、穏健派から勇武派(いわゆる武闘派)まではかなりの幅があり、それぞれのグループにリーダーがいました。そうしたリーダーを含む2400〜2500人がすでに拘束されています。このため、例えば「今日のデモはこの辺でやめにしよう」と言っても、勝手に行動する集団が出てきてしまい、節度をもってやめられない状態に陥っているのです。

抗議活動の過激化を促した3つの出来事

瀬口 清之(せぐち・きよゆき
キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹
1982年東京大学経済学部を卒業した後、日本銀行に入行。政策委員会室企画役、米国ランド研究所への派遣を経て、2006年北京事務所長に。2008年に国際局企画役に就任。2009年から現職。(写真:丸毛透)
 今日に至る過程で、過激の度を高めるいくつかのポイントがありました。1つは7月に白いTシャツを着た反社会的勢力の人々が抗議運動の参加者を襲った時です。その時に警察が抗議活動参加者や一般市民を十分に保護しなかったことから反警察の機運が高まり、抗議活動の暴力化が進むきっかけになりました。

 2つ目は、香港政府が10月4日、抗議活動におけるマスクなど覆面の着用を禁止する覆面禁止法を制定したことです。これも抗議活動する人々の怒りの火に油を注ぐことになりました。

 さらにその後も、抗議活動の過激化を煽りかねない事件が起きています。その1つは、11月24日に予定される香港区議会(地方議会)議員選挙で、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏の立候補が認められなかったことです。10月末に決定が下されました。同氏は2014年に広がった雨傘革命のリーダーの一人。香港「自決(香港のことは香港人が決める)」を主張していることが理由ですが、立候補を認められた人の中には自決を求める人も含まれているので、「選挙管理委員会の判断には政治的意図がある」という見方が広がりました。

 もう1つは、デモに参加した学生が11月5日、駐車場の3階から転落し、その後死亡した事件です。これらの事件がどのような影響をもたらすのか予断を許さない状況が続いています。

次ページ香港市民まで襲われる事態に
香港市民まで襲われる事態に
 抗議活動は一般の香港市民にも害を及ぼすようになりました。襲撃や略奪が頻繁に起こっているのです。中国系銀行の香港支店は抗議活動のターゲットにされており、夜間にシャッターをこじ開けられ店内に火炎瓶を投げ入れられました。中国出身の人が営む雑貨店、携帯電話の販売店、旅行業者も襲われました。狙われるのは中国系企業だけではありません。抗議活動に参加する人々を「暴徒」と呼んだある香港人の親が経営する菓子店も略奪の対象になりました。

 こうした光景を目の当たりにした香港市民は、抗議活動の暴力行為に反対であるという意見を主張したくても、主張すれば次は自分たちがそ隊のターゲットにされるのが怖くて何も言えないようになっていると聞きました。

 11月11日には、抗議活動に参加する若者に対し、警察官が発砲しました。日本や米国だったら、必要に応じて警察部隊を増強することができるので、警察がここまで追い込まれる事態は起こさせないでしょう。警棒と盾などで対応できるレベルに抑えていると思います。

 しかし今の香港は、違法行為や暴力行為を警察が抑えられなくなっており、法執行に基づく統治の限界に達した状況と言えます。同じ状況が東京で起きたら、全国の警察が警視庁の応援に駆け付け、サポートするでしょう。しかし、香港の警察力は狭い香港の地域内に限られているため、他地域から応援を呼ぶことができません。中国の武装警察が深?に待機していますが、中国がこれを動かすことはありません。そんなことをすれば、2020年1月に控える台湾の総統選挙で民進党を有利にするだけです。来春に予定される習近平(シー・ジンピン)国家主席の訪日にも影響しかねません。

 危険度が増すにつれて中国本土から香港を訪れる人の数が減っています。10月1日から始まった国慶節の大型連休に香港を訪れた中国人の数は例年に比べて半減しました。このあおりで、土産物店、化粧品店、宝飾店などが続々と閉店するなど、香港経済は大打撃を受けています。

政策につながらない感情的怒り
抗議活動の狙いは現在どこにあるのですか。始まった当初は逃亡犯条例への反対でした。その後、経済格差への反発、香港政府・香港警察への反発、中国政府への反発(自決)などが指摘されるようになりました。

瀬口:そうですね。その3つが組み合わさっているのが実態だと思います。しかし、それに実が伴っていない。

 それゆえ一般市民からの支持が得られていません。これが現在の抗議活動が抱える課題だと思います。

 抗議活動は5つの要求をするようになりました。そのグループや時期により内容が若干変化してきましたが、およそ次のようなものです。

(1)逃亡犯条例改正案の撤回
(2)デモを「暴動」と認定したことの取り消し
(3)警察の暴力に関する独立調査委員会の設置
(4)拘束したデモ参加者の釈放
(5)後述
 逃亡犯条例は紆余曲折(うよきょくせつ)の末、香港政府が10月23日に正式に撤回しました。なので、解決したと言えます。

経済格差について。香港の経済格差は激しく、約40人の富裕層に総生産の4分の3が集中しているという数字を聞いたことがあります。

瀬口:そうですね。これに反発するのはもっともなことだと思います。不動産価格や物価が上昇し、香港はいまや中国本土から来る人と外国人しか住めない街になりつつあります。

 しかし、抗議活動に参加する人々は、どのような方法でこの格差を解消すべきだと考えているのでしょう。違法行為や暴力行為では解決できません。本来なら、不動産税や相続税、贈与税などを富裕層に課す、所得税の累進度を高める、社会保障制度を充実させる、といったことを求めるべきではないでしょうか。しかし、こうした要求は見られません。香港市民社会の安定を目指して経済格差を本気で解消するための抗議活動とは思えません。

次ページ「自決」の経験を持たない香港の歴史的悲劇
 また香港による自決が重要ならば、行政長官選挙における普通選挙を求めるべきです。5つの要求が変遷を繰り返す中で、後から普通選挙が加わりました。当初は「林鄭月娥行政長官の辞任」にとどまっていました。

 加えて、何のために普選を導入し自決するのか、その先の目標が明確ではありません。何のために自決、参政権が必要なのでしょう。

 香港政府・香港警察や中国政府への感情的な反発だけが先鋭化しているように見えます。

 これでは香港に暮らす一般市民からの支持は得られません。時の政治を変えようと思ったら、民衆の支持が欠かせません。例えば、江戸時代末期に起きた大塩平八郎の乱。元大坂町奉行所の与力だった大塩平八郎は苦しむ庶民を救うべく、彼らの強力な支持を得て、幕府に反発して命がけで武装蜂起しました。

 中国の紅巾の乱も同様でした。元の政府は内紛に明け暮れる一方、放漫財政を交鈔(編集部注:紙幣)の乱発で賄いインフレを招きました。さらに飢饉(ききん)への対応も十分でなかった。生活に苦しむ人々の支持を得て朱元璋らが立ち上がり、のちに元を倒し、明を打ち立てたのです。

 現在の香港の抗議活動には、みんなのために命がけで義を貫き通すリーダーが見当たらず、一般市民からの強い支持もないのです。

「自決」の経験を持たない香港の歴史的悲劇
なぜ、抗議活動から具体的な政策実現につながる動きが出てこないのでしょう。

瀬口:それは香港がこれまで歩んできた歴史の影響が大きいと思います。自決した経験がないのです。

 香港は、清がアヘン戦争に負けたため英国に割譲され植民地となりました。英国統治下の香港に民主主義(自決)はありませんでした。香港総督 は英政府が任命するもので、香港市民が選挙で選ぶことができなかったうえ、英国議会に議員を送り出すこともできませんでした。加えて、裁判も英国法に基づいて裁かれました。

 香港はまた、こうした参政権のない非民主的な統治体制に反発することもできませんでした。隣に巨大な中国が控えているからです。英国の“保護”がなければ、中国に飲み込まれてしまう。中でも、中国から香港に逃げてきた人々が抱く恐れは大きかったと思います。

中国から逃げてきた人々というのはどういう人たちですか。

瀬口: 中華人民共和国建国時に共産党支配から脱出した人たちや文化大革命で共産党政権に弾圧された人々です。襲撃を受け、命からがら逃げてきた。香港が中国に統治されることになり、中国の国内法が適用されることになれば、どのような目に遭うか分からない、と考えていました。

 1997年に中国に返還された後は、一国二制度を旨とする香港基本法の下で統治されることになりました。この体制も真の民主主義とは言えません。先ほど触れたジョシュア・ウォン氏のように当局が好ましくないと判断した人物は香港区議会議員選挙に立候補できません。行政長官選挙も、親中派が多数を占める選挙委員会で150人以上の推薦を得られなければ立候補できません。

 自決した経験を持たない人は、自決の仕方を知りません。「愛する香港のために、自分の命をなげうってでも自決を勝ち取ろう」という発想にならないのです。少なくともエリート層はそう見えます。抗議活動が激化するのを見ると、支持するのではなく、自分の財産をいかに守るかを考える。そして自分の移民先をどこにするかを考えるのです。

 抗議活動に参加している当の学生たちでさえ同様です。富裕層の子弟が多いので、いつでも香港の外に脱出できる環境で抗議活動を行っている人が多いと聞きます。「庶民のために」という意識でやっている学生は決して多くありません。

 これが香港問題の本質です。その証左として、抗議活動への参加者は数万人のレベルに減少してしまいました。

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習近平政権は安定度を高める
瀬口:話を中国に移します。いま中国では、奇妙なことに国内での結束が強まっているのです。

 日本の報道を見ていると、習近平国家主席が香港の抗議活動に手を焼いていて政治的に苦しい立場に追い込まれている、といった内容が目に付きます。しかし、実態は異なります。習近平国家主席の政治基盤は昨年より安定していると言われています。理由は2つ。1つは米中摩擦において、米国に対して毅然とした態度を取っていること。もう1つは、香港に対して中国本土の市民が幻滅していることです。

 これまで中国本土の市民は、中国が次に目指すべき民主的な政治モデルの一つとして香港を見てきました。しかし、こうした見方は間違いだったととらえるようになっています。事実としては、香港では民主主義による統治がなされてこなかったことは先ほど触れましたが、中国国内では香港は民主政治のモデルとしてとらえられていました。もちろん今の中国に比べて、言論の自由や資本移動の自由では勝っていますが。

 加えて、今回、“無法地帯”と化していることが連日報道されるのを見て、「香港の民主政治も決して立派なものではない」「一般市民すら危険に巻き込まれる」「今の共産党政権の下の方が安心して暮らせる」などと考えるようになったのです。

それは、香港をおとしめるプロパガンダに共産党政権が成功したからですか。暴力シーンを繰り返し報道しています。

瀬口:そうばかりとは言えません。暴力シーンを繰り返し報道しているのは全世界に共通する動向です。

 香港に住む人々と中国本土に住む人々はもともと、お互いに好ましからざる存在と認識してきました。香港人は香港を訪れる本土人を「成金」「田舎者」とさげすんできました。そうした冷たい視線を浴びる本土人も、当然、香港人に対してよい印象は持ちません。こうした感情的土壌の上に、抗議活動に関する報道の影響が積み上がったと言えます。

共産党政権は「香港の分離(独立)主義者が暴動を起こしている」と繰り返し喧伝(けんでん)していると聞きます。また、カラー革命の香港版、つまり「欧米諸国が裏で糸を引いて香港市民をたき付けている」との見方もあります。

瀬口:抗議活動が一部に分離独立を目指す意図を含んでいる、という見方はあながち事実に反してはいません。

 抗議活動に米国政府が関与しているかどうかは分かりません。ただ、米国の中国専門家は次のように話していました。「デモが平和的に行われている間は、米国政府も状況把握に動いていた。一部の米国人は心情的に応援してもいた。しかし、暴力化したのを機に応援する動きは後退した。テロを支援していると見なされる恐れがあるからだ。10月以降は様子見状態に入った」

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一般市民の支持がないことを習政権は見切っている
今の香港の抗議活動は日本の60年安保闘争に似ているのでしょうか。次のような考察を読んだことがあります。デモの原動力になったのは当時の岸政権に対する反発だった。参加した学生たちの大半は新安保条約の条文すら知らずに反対していた。「友達に誘われたから」という人も数多くいた。

 香港の抗議活動も共産党政権と林鄭月娥長官が率いる行政府、警察に対する感情的な反感が主たる動機で、経済格差や自決を真に実現しようとしているわけではない、と。

瀬口:そのように見ている人もいます。

 少なくとも、香港社会を安定させるためにあるべき政策を深く考察したり、一般市民の幸福を実現するために義を貫く動機に基づいたりしたものとは思えません。だから、抗議活動に反対すれば香港人であっても襲われる。

 しかし、だからといって抗議活動に参加する人々を一方的に責めることはできません。彼らは真の民主主義の下で自決をした経験を持たないのです。彼らにとって香港は“自分たちの祖国”ではない。

 経済格差に対する怒りや、共産党政権に支配されることへの不安は厳然として存在しています。

 香港の人口は約730万人で日本の17分の1ほどでしかありません。そこに約5100万人、香港の人口の約7倍の中国人が訪れているのです。香港中が大阪の道頓堀や東京の秋葉原になったような状況です。1997年に中国に返還された後、2008年の北京オリンピックまでは、返還をポジティブに受け止める雰囲気が香港人の間にありました。しかし、中国本土の経済が急成長し、香港への投資がどんどん拡大する中で不安が強まった。

香港の地盤沈下も指摘されますね。昨年、域内GDPで、香港は深?に抜かれました。

瀬口:おっしゃるとおりです。

 こうした怒りと不安は非常に激しいものがある。けれども、歴史の制約から、これを政策に結びつけることができていないのです。自ら政策を立て、それを実行する経験を持てずにきた。それゆえ、感情のはけ口として暴力に向かうしかない。それが香港の抗議活動の今の姿だと思います。

 なので習近平政権は当分、香港の抗議活動を静観すると思います。一般市民からの支持が得られていないのを見切っているでしょう。林鄭月娥行政長官の体制の下で時間をかけ、抗議活動が内側から沈静化するのを待つ。

やはり民主化というのは、権力に弾圧され虐げられた状態でないと実現しないのでしょうか。フランス革命のように。だとすると、中国本土の民主化も難しいことになりますね。先ほどお話しいただいたように、習近平政権の下で市民はそれなりに満足している。

 加えて、西側諸国が取ってきた「エンゲージメント政策」は誤りだったことになりますね。中国が経済的に豊かになれば、民主主義をはじめとする西側の価値観を受け入れるようになる−−という発想がその根底にありました。

瀬口:そうかもしれません。ただし、中国本土は「自決」を経験しています。この点は香港と異なります。また、1990年以降に生まれた若い世代は西側の価値観をかなりの程度まで共有しています。日米欧諸国ではその点を十分に理解できていない人が多いと思います。

特派員レポート

香港での抗議活動巡り広がる「情報闘争」


上野泰也のエコノミック・ソナー

泥沼化した「日韓関係」「香港情勢」


酒井吉廣の「2020年米大統領選」?トランプ再選を占う

世界の警察に復帰したトランプ政権の欧州・中東戦略


世界展望~プロの目

1国2制度てこにした台湾統一しぼむ、香港への寛容不要に


世界展望~プロの目

日本に厳しい視線、「弱い立場の韓国になぜそこまで」


世界展望~プロの目

中国のTPP加盟、ハードルは案外低い


レジェンドたちの言葉

20年前、サイバーや災害の危機管理を訴えた佐々淳行氏


キャスター西野志海の「もっとみたい!ニュースの疑問」

大阪G20目前「習近平主席は、なぜ焦っているんですか?」
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/111300111/?P=5&mds


 

 
香港混乱は前例ない段階に、不安高まるー本土国営メディアは介入示唆
Iain Marlow、Natalie Lung
2019年11月14日 5:01 JST
当局は全ての学校の休校を指示、ハンセン指数は3週ぶり安値
共産党系の環球時報、人民解放軍や武装警察の介入ほのめかす
People are detained by riot police during a protest in the Central district of Hong Kong, on Nov. 13.
People are detained by riot police during a protest in the Central district of Hong Kong, on Nov. 13. Photographer: Laurel Chor/Bloomberg
香港は6月から混乱が続いているが、今週に入ってからの騒乱は別次元だ。今後の行方を巡り不安が強まっている。

  13日は地下鉄や道路が寸断され、金融街の中環(セントラル)では催涙弾が飛び交い、中心部から離れた大学キャンパスでは警察と学生が激しく衝突した。香港は3日連続でこうした機能不全に陥り、当局は今回の騒乱で初めて幼稚園から大学まで全ての学校を14日に休校とするよう指示を下した。

  これまでの抗議デモは週末にほぼ限定され、それ以外では月曜朝の通勤を混乱させようという動きがたまに見られた程度だった。混乱の激化はすでにリセッション(景気後退)入りした香港経済への懸念を再燃させ、13日のハンセン指数は1.8%安と3週間ぶりの安値で終了した。

  香港の民主化拡大を推進する「進歩的弁護士グループ」のメンバーで政治コメンテーターのケビン・ヤム氏は「現在目の当たりにしているのは暴力の激化とデモ参加者の減少だ」と指摘。「これがどこに向かっているのかは分からない。多くの点で、少し未踏の領域に入っている」と語った。

Minister Warns of ‘Unthinkable’ Consequences As Protests Rage
香港中心部の道路を封鎖するデモ参加者ら撮影:ローレル・チョー/ブルームバーグ
  香港政府は混乱収拾が可能だとあらためて市民を落ち着かせようとし、暴力行為をやめるよう呼び掛けている。一方、中国国営メディアは表現を強めている。新華社通信は論説で、香港は「最も重大な岐路」にあるとし、「黒装束の暴徒」による暴力は今やほぼテロ行為だと非難した。

  共産党機関紙・人民日報系の環球時報は13日、香港統治の基盤としている基本法に基づき、中央政府が「直接介入」に乗り出す可能性があると示唆。「暴徒らの破壊行為の現場は本土の武装警察部隊の出先機関から自動車ですぐの距離で、人民解放軍の香港駐屯地からは歩いても近い」と報じた。

  中国の介入に対する不安はデモが始まって以来あるが、事態がそこに至ったかどうかは不明だ。中国の軍や警察がデモ鎮圧に乗り出せば香港の自治に対する疑念を呼び、米国が認めている貿易上の特権を香港は失うリスクがある。

City of Unrest
Hong Kong has seen widespread protests over the past three days


Source: Bloomberg reporting

原題:
Unprecedented Hong Kong Chaos Raises Fears About What’s Next(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-11-13/Q0WZS8T0G1LI01?srnd=cojp-v2

 
シンガポール首位で香港が最下位、東京は2位−アジア不動産投資番付
Faris Mokhtar
2019年11月12日 14:38 JST
投資家は中国や香港を「地政学的な火種」とみている
大阪は8位−アーバン・ランドとPwC公表のリポート
アジアでは2つの不動産市場で明暗が分かれた。

  価格上昇の観点から見たアジア太平洋地域の2020年不動産投資見通しランキングで、シンガポールが首位となった。一方、数カ月にわたる暴力的な反政府デモに揺れる香港は、19年の14位から最下位に転落した。アーバン・ランド・インスティチュートとプライスウォーターハウスクーパース(PwC)が12日に公表したリポートで明らかになった。

  シンガポールは中国や香港を「地政学的な火種」として回避する投資家の関心の高まりから恩恵を受けた。シンガポールは17年のランキングでは、空室の急増や賃料の下落を受け、全22市場のうち東京やバンガロール、シドニーなどを下回る21位となっていた。 17年に香港は18位だった。

Most-Favored Nations
Singapore ranks No. 1 for real estate investment prospects while Hong Kong has plunged


2020 ranking
2017 ranking
Singapore121Tokyo212Ho Chi Minh City34Sydney49Melbourne516Shenzhen65Shanghai76Osaka815Guangzhou910Seoul1017


Source: PwC, Urban Land Institute

原題:
Singapore Beats Out Hong Kong for Property Investment Prospects(抜粋)

http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/718.html

コメント [カルト23] 簾ハゲ・来年のお花見中止。つまりは、来年の四月にアベニヤフ政権は存在しないという意味である。 ポスト米英時代
8. バアルのような者[1651] g2@DQYOLgsyC5oKkgsiO0g 2019年11月14日 07:59:29 : jQCIwRLIEg : OG9qOVZUcTNBbi4=[1]
>カードキャプターさくらを見る会にしておけばよかった ?!

そんなのやめて、山形でさくらんぼ食べる会やろうぜ。

http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/376.html#c8

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
12. 一般ピープルぱんぴー[-687] iOqUyoNzgVuDdoOLgs@C8YLSgVs 2019年11月14日 08:01:25 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-3962]
>投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 11 月 14 日 02:50:05
>日刊ゲンダイDIGITAL 公開日:2019/11/13 15:00 更新日:2019/11/13 18:28

>>10

>旧民主党も桜を見る会やってたんだから

そう、立憲民主党と国民民主党は、追求する資格なし。

>桜を見る会の18年度の開催費用は、予算の3倍の5200万円にも上る。

旧民主党政権の時代は予算通りだったのか?

だいたい、国の予算を使って、桜を見る必要はないんじゃないか?

功績のあった人には、文化勲章とか紫綬褒章とかでねぎらえばいいんだから。


http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c12

記事 [カルト23] 藤原・テルアビブに鳴り響く空襲警報とミサイル。偽ユダヤ人はどんどんトンズラする筈である。
そうすると、日本から在日が半島に戻るみたいな事になり、残ったユダヤ人とパレスチナは上手くやっていける筈で、馬鹿げた偽シオニズムも消滅する筈である。
偽ラエルもパレスチナが併合すればよく、鬼畜米英が作った人工国家は要らないのである。
http://www.asyura2.com/19/cult23/msg/378.html
コメント [政治・選挙・NHK267] 首相事務所「桜を見る会」ツアー案内 関与否定は虚偽答弁(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
11. 赤かぶ[40027] kNSCqYLU 2019年11月14日 08:08:12 : 48FW7XOL3U : ODEvY0JSVUxLeU0=[30100]



http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/342.html#c11
コメント [政治・選挙・NHK267] 米国CIAとつながる日テレが、安倍おろしの決定打を放った:日本会議の傀儡・安倍氏はクビを洗って待つしかない!(新ベンチャー… 赤かぶ
40. 2019年11月14日 08:09:36 : kcUjPKIlB2 : Q0h6d1lDWms5d1k=[1]
桜を見る会(新宿御苑で毎年咲く花(と腐れ芸人)を見るだけ)でコレなんだから、

たぶん二度と無い東京五輪のチケットの配分なんて
(抽選販売ということになっているけど)
本当はどうなのか、分かったもんじゃない!


田村智子氏は「民衆を導く自由の女神」?
向かって右下の小僧役は誰?
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/330.html#c40

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
16. 楽老[1440] inmYVg 2019年11月14日 08:13:31 : T8JrIOrw0g : R3M0dXdZcXBHWm8=[290]
ゲノム編集、種子法廃止、F1種子問題、グリホサート、ネオニコチノイド
これらの問題に、もっと目を向けねばならない。

アグリ系グローバル企業(バイエル、デュポン、シンジェンタ等々)の圧力により
これらの事実を隠蔽し、販売時に表示することさえ許されない状況に追いやられようとしている。

和牛の精子が海外に持ち出されることを知っていながら提供したとして
牧場主(既に廃業)が1年2か月の求刑となった。
ところが
安倍政権は、日本各地のジャポニカ種の原種、原原種を外資に公開し、農業試験場を次々に閉鎖していっている。

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c16

コメント [政治・選挙・NHK267] <問題あり、認めたも同然!>来年度の「桜を見る会」は中止 菅官房長官<野党の追及、効いてるゾ!> 赤かぶ
65. 2019年11月14日 08:14:02 : x2IGwBgPDE : NEM4MnVZYVhkUFU=[4]
まるで政府が不道徳な年中行事を正義の下に中止したかのような菅とアレの言葉。
自分らが散々税金使って何年も不法行為をしてきたんだろうが!!
これで幕引きが出来るとでも思ってるのか相変わらずの国民見下し発言。

NHKも民法が報道し始めたからと慌ててお粗末な報道。「NHKが入手した云々」

公文書改竄や破棄や捏造に始まり税金もここまで私物化して赦される問題ではない!
もう数年前に総理も議員も辞めて当然の男とその取り巻きが未だに国を支配し続けている。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/331.html#c65

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
17. バアルのような者[1652] g2@DQYOLgsyC5oKkgsiO0g 2019年11月14日 08:18:40 : jQCIwRLIEg : OG9qOVZUcTNBbi4=[2]
再帰呼び出しやマルチプロセス、マルチスレッドの、「子を産み出す」タイプのプログラムはしくじるとマシンごと再起動する事が必要になる事が多い。コンピュータープログラムなら電源を切ればよく、リスク範囲はせいぜい会社がひとつつぶれるまでだ。しかし、遺伝子弄った生物が繁茂したら俺知らねえぞ。
終了条件入れるから大丈夫とか一世代限定だから大丈夫とかいったところで、まず一株ごとに遺伝子編集して栽培なんか割りに合わなくてやるわけ無い。また、無限増殖してメモリ食い荒らす再帰関数も、マルチプロセスプログラミングも皆、作った人はこれで完璧って思って走らせているのだ。

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c17
コメント [経世済民133] 債券でヘッジの時代は終わった「安全」再定義を クオンツファンド、グロース株離れ加速 債券上昇、アジア株安 日銀オペ減額… 鰤
2. 2019年11月14日 08:21:11 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[3613]
藤原直哉「再び長期金利上昇中」(後半:音声)
.
新国際政経
2019/11/13 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=nGAlJgSOU2Y
http://www.asyura2.com/19/hasan133/msg/630.html#c2
コメント [国際27] アメリカは社会主義の用意ができているのだろうか?(マスコミに載らない海外記事) 赤かぶ
3. 空虚[3111] i_OLlQ 2019年11月14日 08:22:22 : 1tu34P75Qo : bjZYNXZjSnVGbm8=[2]
・・・てか、耳が痛いのぉ。まんま、にほんじんの大衆感覚やんかさ。「素敵な中流、自由主義経済大国」「民主主義だ、万歳!(三唱)」やで・・・。 もともと欧州もメリケンも、カソリック的封建社会やで。カソリック的封建社会は、禁欲生活、一定の自制を伴う、東亜細亜ならその役割は儒教仏教思想が担ってきた。その効力がよくも悪しくも崩壊しただけやがな・・・。経済の力が宗教に勝ることを追求した果てが現代の国家社会主義的懐古心を高めているに過ぎない。一方で、ヤケクソのナショナリズムの高まりも観られる。 『全体主義』から脱した国家なんぞ、人類史上未だ未踏の領域でんがな・・・。国家という概念は、全体主義の類義語だからな・・・。

【 自由と平等は対義語だ 】二極の振幅 二元論の頸木だ。

金融資本主義による大衆統治には、砂時計が仕込まれている。ひっくり返す時が来る。 カオスは宿命だ、どんな全体主義も度を越せば反発が起こる。全体主義に於ける妥当性の追求が、政治システムの主題だわ。 民主主義は、未だ幻影のままだ。 
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/704.html#c3

コメント [政治・選挙・NHK267] <れいわ新選組、盛岡・街頭会見!>山本太郎氏がゲノム編集食品の表示を主張、「知る権利脅かされてる」(高橋清隆の文書館) 赤かぶ
18. 2019年11月14日 08:22:29 : CR0MimOaiU : UDRsYWlodjhIV0E=[9]
>16
正に。
こういった事は、
本当に大事なことだ。

食という、国存続の根幹に関わる。

これらについて、声を大にして言う政治家は、山田正彦氏や山本太郎氏(2人とも今のところ、「元」ではあるが)
以外いないのか?
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/343.html#c18

コメント [政治・選挙・NHK267] 日本はもはや国の体をなしていないことを実感した1カ月 二極化・格差社会の真相(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
38. 2019年11月14日 08:23:53 : fjoAWhJoIg : SUdudklxNmVqSW8=[1]
やっぱりモラルは白人しか持ち得ないな
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/325.html#c38
コメント [政治・選挙・NHK267] 安倍後援会は先に入場の特別扱い。テロ対策どこへやらの桜を見る会ツアー+れいわ舩後も質問(日本がアブナイ!) 笑坊
4. 楽老[1441] inmYVg 2019年11月14日 08:28:17 : T8JrIOrw0g : R3M0dXdZcXBHWm8=[291]
3月27日に桜を見る会の予算案2000万円以下が通った5日後の4月1日にケータリング会社と4000万円で契約したそうだ。
しかも、済んでみれば5500万円をオーバー

この責任は誰がとるのか。

    
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/337.html#c4

コメント [政治・選挙・NHK267] 桜を見る会、安倍首相自ら余程まずいと中止決定。最大の窮地。(かっちの言い分) 一平民
14. 2019年11月14日 08:30:10 : c881t8DIGg : cFA4NlkxWGpza0E=[1]
アベに食い荒らされた日本。
どう償うつもりか聞きたい。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/335.html#c14
記事 [国際27] 米国で対中戦略新提案「“選別”で経済関係縮小を」中国資本が怒涛の高級ブランド買収、その結末は 日本人が香港デモに無関心のままではいけない理由 中国で次々に捕まる日本人、日中関係正常化は幻想 ハイテク技術で急接近、中国とロシア 「2Q14」以降ロシアとウクライナに何が起きたか
米国で対中戦略新提案「“選別”で経済関係縮小を」
米国学界最大のアジア研究機関が「部分的な不関与」を提案
2019.11.13(水)
古森 義久
世界情勢?アメリカ?中国

米国・ワシントンで貿易協議に臨んだ中国の劉鶴副首相(左)とスティーブン・ムニューシン米財務長官(2019年10月11日、写真:AP/アフロ)
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(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 米中対立の影響が全世界に広がるなか、米国学界最大のアジア研究機関が、現在の対中関税戦争を一時休戦して“選別的”に中国との関係を縮小していくという「部分的な不関与」を対中新戦略として提案した。

 提案には、米国が日本との貿易協力関係を拡大し、やがては環太平洋パートナーシップ(TPP)に戻るという選択肢も掲げていた。提案者は超党派だが、学者だけでなく大物の元官僚や政治家も含まれており、トランプ政権に影響を及ぼすことも考えられる。

中国に対して「部分的な不関与」戦略を
 米国のアジア研究学会では最大規模の「全米アジア研究部会(NBR)」は11月上旬、「部分的な不関与=中国との経済競争への米国の新戦略」と題する政策提言報告書を発表した。

 この政策提言は、NBRのなかに組織された「米中戦略の経済的側面の変質についての調査班」の合計13人の専門家により、1年ほどの研究と調査を経てまとめられた。

 NBRが新戦略を打ち出した目的は、米国の新たな対中経済政策の形成にある。作業は、13人の同調査班メンバーのうち共和党の元下院議員のチャールズ・ボウスタニ氏とプリンストン大学教授のアーロン・フリードバーグ氏が共同議長となって進めた。両氏とも議会や政府の要職を務め、対中政策形成に長年関与してきた。

 トランプ政権は中国を米国の基本的国益と価値観を侵す有害な存在とみなして、対決していく姿勢を明らかにしている。今回、NBRが発表した報告書は、トランプ政権のそうした中国との対決姿勢に沿うことを前提としている。

4つの具体的な措置とは
 そのうえで、米中の対立が激しい経済や貿易の分野に焦点を絞り、中国に対しては今後「部分的な不関与」という戦略をとっていくことが適切な進路だと強調していた。ただし当面の戦術として、現在の対中関税戦争は一時的に休戦することが望ましいという。

報告書が提案する4つの具体的な措置
 報告書は、米国が今後とるべき対中政策として、4つの具体的な措置を提案していた。その主な内容は以下のとおりである。

(1)現在の対中関税戦争の一時休戦

 米国は、中国側から基本的な譲歩を引き出すまでは、対中圧力を減らすことになる暫定的な合意は避けるべきである。ただしこの基本線を守りながら、米国の消費者や生産者にかかってきた負担を軽減するために、中国との関税をめぐる対立を一時休止して、追加関税の対象となる中国からの輸入品を改めて選別する。

(2)米国の弱点を減らす防御措置の強化

 米国の高度な技術の中国への流出を防ぐ措置を強化する。強化策として中国側勢力の米国内での活動への監視や取り締まりを増やす。同時に中国側の特定製品、資本、要員の米国内への流入を規制する。この種の流入は、米国の官民の高度技術を入手しようとする中国側の目的に寄与してきた。

(3)技術革新と教育への投資

 米国の中国との対決や中国に対する抑止は長期化し、高度技術面での競合が大きな要素となる。その競合に勝つには、米国側が高度技術の発展や革新のための投資を官民ともに増大させなければならない。その投資を増大させるには、米国連邦政府の長年の財政赤字の減少にまでさかのぼって対処する必要がある。

対中対決があくまでも大前提
(4)同盟諸国との貿易や投資の関係の強化

 米国は、緊密な絆を保つ同盟諸国、友好諸国とともに、選別的な貿易システムの強化を推進すべきである。そのために環太平洋パートナーシップ(TPP)のような多国間協定への加盟も考える。同盟諸国とは経済発展のための技術や情報の共有も進めて、中国を抑えるという共通の目標を目指すべきだ。

トランプ政権の対中政策進化を促すことに
 こうした提案の一部は、トランプ政権の対中姿勢を和らげるような内容にもみえる。だが、中国へのこれまでの圧力を弱めず、中国との経済関与を減らすことがあくまでも大前提になっている。その意味でトランプ政権の政策の強化案とも呼べる。

 同報告書の中でとくに注目されるのは、(4)の「選別的な貿易システムの強化」であろう。対中抑止のために日本と経済・貿易面での連携を強め、その連携を通じて、すでに離脱したTPPに復帰することも考慮すべきだと提言した点は、大いに注目に値する。


 同報告書は、米国が超党派で中国への厳しい対決姿勢を強め対中経済関係を縮小する過程で、米国の消費者、生産者側がこうむる損失についても考慮することの必要性を説いている。つまり、米国の対中対決姿勢に多層な要因をインプットすることを説いているわけだ。その点でトランプ政権の対中政策の進化を促したともいえるだろう。

もっと知りたい!続けてお読みください
中国資本が怒涛の高級ブランド買収、その結末は
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58225?page=3


 

 

中国資本が怒涛の高級ブランド買収、その結末は
誰もハッピーにはなっていなかった?
2019.11.12(火)
姫田 小夏
中国

気が付けば、中国資本になっていたというブランドは少なくない
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(姫田 小夏:ジャーナリスト)

 上海の人気百貨店を訪れて驚いた。名だたる高級ファッションブランドがこぞって中国企業に買収されていたのだ。

 100年の歴史を持つ英国の老舗ブランド「Aquascutum(アクアスキュータム)」。日本でも一世を風靡したイタリア生まれの「Roberta di Camerino(ロベルタ ディ カメリーノ)」。売り場の担当者によれば、いずれも「すでに中国企業に買収されています」と言う。

 中国繊維大手の山東如意科技集団がアクアスキュータムを買収したのは2017年3月のこと。同集団はその後、スイスのラグジュアリーブランド「BALLY(バリー)」も買収した。2010年に日本のレナウンを買収して世間を騒がせた企業、と言えば思い出す読者も多いだろう。

「ランバン」も「フィラ」も
 気がつけば、フランスの「LANVIN(ランバン)」も2018年に買収されていた。買収したのは復星国際有限公司だ。復星集団の基幹企業である復星国際は、ギリシャのジュエリーブランド「Folli Follie(フォリフォリ)」やアメリカのファッションブランド「ST.JOHN(セント・ジョン)」、イタリアの紳士服ブランド「Caruso(カルーゾ)」という3つのブランドにも触手を伸ばし、それぞれで第2位の株主になっている。

 また、韓国資本のスポーツウェアブランド「FILA(フィラ)」の中国子会社は、現在、中国のスポーツ用品大手である安踏集団(以下、アンタ)の傘下にある。

中国資本は「救世主」?
 FILAは元々1911年にイタリアで生まれたブランドだ。2003年にアメリカの投資ファンドに所有権が移り、2007年に韓国のフィラ・コリアが4億ドルで本社を買収した。この年、中国の百麗集団が3億7000万元で中国における運営権を手に入れたのだがひどい赤字に悩まされ、2009年に3億3200万元でアンタに転売した。アンタの経営によって中国でFILAブランドの売上は順調に伸び、2018年にはオリジナルブランド「ANTA」を超えてダントツの稼ぎ頭になった。

 この秋、上海では街の至るところで「FILA」のロゴを目にした。特に若者の間ではウエアのみならずリュックやスニーカーもFILA製品があふれ、「ブレイク真っ只中」であることが伺われた。


上海では「FILA」が大ブレイクしている
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中国資本は「救世主」?
 アパレル業界に詳しい日本人の専門家は、中国資本が欧米の一流ブランドを買収する理由をこう説明する。「中国市場では高級ファッションブランドの爆発的消費が今後も見込まれるというのが最大の理由です」。

 加えて、そこには中国企業の「せっかちな性分」が見受けられるという。食うか食われるかの激甚(げきじん)な競争の中、自分たちで時間とコストをかけてブランドを育てる時間はないというわけだ。

 こうして中国企業は高級ブランドを次々に手に入れたが、買収される側の欧米ブランドにとっても抗えない事情がある。

出資先ブランドが粉飾決算
 歴史と伝統ある老舗ブランドといえども、欧米市場でひいきの顧客は高齢化の一途をたどり、消費は先細りしていく。一方、若者が飛びつくのはファストファッションや新興ブランドだ。

 中国資本による買収や資本参加は、中国市場での展開において外資企業が被るさまざまな障害やハンデが取り払われることを意味する。事業の継続を諦めかけていた経営陣にとって、中国資本による買収提案は“渡りに船”どころか“救世主”にも等しい朗報だといっても過言ではないだろう。

出資先ブランドが粉飾決算
 このように双方がウィン・ウィンを見込めるからこそ買収や資本参加の合意に至るわけだが、必ずしも目論見通りに事が運ぶとは限らない。

 1982年にギリシャで誕生したジュエリーブランドのフォリフォリが好例だ。

 フォリフォリは2009年のユーロ危機とギリシャ危機をきっかけに経営体力を失い、株式の一部を2011年に復星国際が取得した(現在も第2位の株主として16.37%の株を保有している)。フォリフォリにとって中国資本が注入されたことは、中国市場での出店が加速することを意味した。実際に中国市場でフォリフォリの店舗数は「2011年には100店舗だったが、2013年には200店舗に倍増した」(中国メディア)。

 ところが近年、米ヘッジファンドのQCMが投資家から依頼を受けて調査したところ、「フォリフォリには粉飾決算の疑いがある」との審査結果が判明した。

 QCMの調査報告によれば、「2016年の財務報告書には、販売店が630店あるとされているが、実際は289店しかない」(中国の「国際金融報」)というのだ。国際会計事務所のPwCも「2017年の実際の売上高は、財務諸表に記載されている数字より10億ユーロも少ない」(中国の「新京報」)としている。

怒涛の買収は曲がり角に
 ギリシャ資本市場委員と検察当局は捜査に乗り出し、2018年にフォリフォリグループを詐欺とマネーロンダリングで告訴、資産を凍結させた。フォリフォリは巨額の債務を抱えて極めて厳しい状況に置かれている。

 中国の「服装新聞」は、「郭広昌(復星集団CEO)氏は、当初、株式取得の理由について『このブランドは妻のお気に入りだから(出資した)』と笑って言っていたが、復星集団にとっては初めて関わった国際ブランドであり、その重要性は言うまでもない」と報じている。郭氏としてはせっかく出資した高級ブランドだが、まさかこれほどずさんな経営が行われているとは思わなかっただろう。

怒涛の買収は曲がり角に
 なんでもかんでも欲しがり、投資を拡大してきた中国企業は、大きな曲がり角を迎えている。

 アクアスキュータムを買収した山東如意も、数多くの企業買収を繰り返した挙句に巨額債務を抱え、2019年10月、格付け機関ムーディーズにB3に格下げされた。

 一方、買収された側も心境は複雑だ。復星集団は老舗バカンス会社であるフランスの「Club Med(クラブメッド)」も2012年に買収している。筆者は2019年2月、買収後の展開についてクラブメッド日本法人から話を聞いた。その際、広報担当者は「復星集団はサイレントインベスターに徹し、関係も良好」と言いながら、復星集団の傘下にあることはあまり公にはしたくない様子だった。

 買収した側も、された側も決してハッピーになっているとは言い難い可能性がある。中国企業が勢いにまかせて繰り広げた買収ラッシュは、この先どんな展開が待っているのだろうか。

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また韓国人がいやがる!実は激しかった中国人の嫌韓
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58187?page=4


 

 
中国で次々に捕まる日本人、日中関係正常化は幻想だ
「人質外交」に走る習近平政権、日本政府は対抗策を
2019.10.24(木)
福島 香織
中国

中国・北京
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(福島 香織:ジャーナリスト)

 またもや中国で日本人がスパイとして捕まった。しかも大学教授、研究者だ。

 中国が反スパイ法を根拠に拘束した日本人13人のほとんどが、たいして機密とも思えない“情報”を盗んだとして逮捕、9人が起訴され8人が判決を受け、その中には12年もの懲役刑を受けた人もいる。今回、14人目の逮捕者が出た。しかも国立大学教授、准公務員が捕まったのは初めてである。

 おりしも日本では天皇陛下の即位礼に中国の王岐山氏が賓客に招かれていた。来年(2020年)春の“桜の咲くころ”、習近平国家主席を国賓として招くことが決定している。安倍晋三首相は日中関係は完全に正常な軌道に戻ったと昨年秋の訪中時に発表し、中国の国家戦略“一帯一路”への支持も鮮明にしている

 だが、日本人が不当にスパイ容疑をかけられ、尖閣諸島接続水域に中国海警船が日常的に侵入している状況が、果たして日中関係の「正常な軌道」なのだろうか。

どんな情報に触れたのか?
 今回捕まったのは北海道大学法学部教授。9月に中国を訪問して以降、消息を絶っていた。

 防衛相防衛研究所戦史研究センターや外務省大臣官房国際文化協力室の主任研究官、外務事務管の勤務がある40歳代の男性で、専門は日中戦争史だった。かつて中国の治安機関史に関する論文を執筆したこともあるという。日本のメディア関係者によれば、今回の訪中は社会科学院の招待を受けていたという話があり、そのついでに研究のための資料集めやフィールドワークも行ったのかもしれない。帰りの空港で逮捕されたという。

 ネット上の公開情報によれば、教授は公募の研究予算をとって2018年から2021年までの期間で、日中戦争の再検討、というテーマの研究に従事していた。研究手法は、各国の文書館や図書館所蔵の多言語アーカイブを利用するものという。北海道大学は中国との研究機関や研究者との交流も深く、未公開の歴史的資料を閲覧したりする機会もあったかもしれない。

日本では野放しの中国のスパイ
古い未公開の戦争資料の中には共産党の秘密文書扱いのものもあるかもしれない。だが、中国には実際は「秘密」「機密」扱いとされ、絶対タブーとされていても、まったく国家の安全と無縁のものも、あるいは関係者、研究者なら常識と言っていいほど知られていることも山ほどある。

 例えば共産党史の抗日英雄譚「狼牙山五壮士」の捏造問題。狼牙山五壮士とは、中国の小学校国語教科書にも載っていたことがある共産党抗日烈士5人のことだ。1941年、河北省の狼牙山で旧日本軍の激しい攻撃に応戦しながら地元農民を守り、最後は日本軍に包囲され軍糧尽きて9月25日、このまま捕虜になるならば、と崖から飛び降りた、と言う美談で知られている。

 だが、これはプロパガンダ用につくられた「お話」で、本当はこの5人は村に逃げ込んだあと、銃で脅して村人の食糧を奪い、村人に暴力を振るって散々の悪行をつくして逃走。あとから来た日本軍に村人は彼らの悪事を訴え、逃げた方向を教えた。日本軍は村人の協力で彼らを追いつめ、3人を討ち取り、2人を捕虜とした。だが2人はのちに逃げ出し八路軍に戻ったあと、自分の悪行を取り繕うために、教科書に載るような美談をでっち上げた、という。この話は歴史研究者の間では結構知られているが、表だって触れてはいけない話だ。

 中国の山岳部の地形などは国家機密扱いなので、中国で登山用GPSの携帯を理由にスパイ容疑で取調べを受けることもある。私の知るケースは、たまたま初犯の観光客だったからGPS没収だけで無罪放免となった。中国では意外なものが、国家機密、タブーだったりする。

 だが歴史分野の「秘密」文書が、たとえ抗日戦争関連であっても現代の国家の安全に関わるとは考えにくい。教授の訪中目的は純粋な学術研究であろう。ただ、教授が過去に防衛研究所勤務であったことや、中国にとって近代戦争史が「プロパンガンダ戦略」上、重視されていることなども考えれば、逮捕拘束して取り調べすることで、中国がほしい情報を手に入れたり、あるいは圧力によって中国に都合のよいコマにしようとしたりする可能性だってゼロではないかもしれない。そういう想像力を働かせてしまうと今後、研究者たちはたとえ社会科学院や中国の大学の招待であっても、怖くて中国に研究やフィールドワーク、資料収集に行けなくなってしまうのではないか。詳細な情報はいまのところ何一つでていないが、今後の展開しだいでは日中の学術交流にも大きな禍根を残す事件になるかもしれない。

日本では野放しの中国のスパイ
 根本的なことをいえば、日本には英米のような本格的インテリジェンス機関はない。

 現在、中国でスパイ容疑で捕まり、有罪判決を受けている日本人の中には、法務省公安調査庁から数万円から十数万程度の薄謝を受け取って情報を提供したことが直接の原因になっているケースもある。彼らは「情報周辺者」などと呼ばれるが、実際は日本にとっても中国にとってもさして重要性のない情報である。

海外メディアが「人質外交」と批判
 北京で敏感な情報に業務上触れる立場にある日本人の「情報周辺者」と、東京で日本の政治上、治安上、技術上、研究上の重要秘密を知りうる中国人の数を比べると、人口比的にも後者の方が100倍くらい多いと言われている。

 また、在日中国人は中国政府に命じられたら、知りえた重要情報をすべて提供せねばならない法律上の義務を負っている。つまり中国の法律を基準にして考えれば、在日中国人の情報周辺者は全員がスパイ、となる。

 日本政府が民間の情報周辺者に薄謝で協力を仰ぐなら、先に日本国内にいる中国のための情報周辺者を管理し、取り締まる法律をつくるべきだろう。日本にはそういう法律がない。そうした法的整備がないまま、リスクをさほど意識していない民間人を通じて安価に情報を集めようとするから、日本の情報周辺者リストが中国にばれたりするのではないだろうか。

「人質」を取り戻そうとしない日本政府
「ボイス・オブ・アメリカ」など海外メディアは、習近平政権になって中国当局が外国人をスパイ容疑やでっち上げ罪状で逮捕するケースが急増したことを指して、はっきり「人質外交」だと批判している。

 たとえば昨年12月、中国のファーウェイのナンバー2、孟晩舟を米国に頼まれて逮捕したカナダは、自国民2人をスパイ容疑などで中国に“報復”のように逮捕された。今年9月には、FBIが中国の「千人計画」(海外で先端技術研究に従事する研究者を呼び戻す戦略的政策)の責任者であった柳忠三・中国国際人材交流協会ニューヨーク事務所主席代表を逮捕し取り調べを受けたことへの報復のように、中国で17年間続いてきた英語学習企業を創設、運営してきた2人の米国人男女を「違法越境」容疑で逮捕した。これはでっち上げの罪とみられている。違法越境は最悪無期懲役もある重罪だ。中国は外交交渉を有利に運ぶように相手国民をスパイ罪や冤罪で逮捕するのが常套手段だ。

 では、明らかに先鋭的な対立要因を抱えているカナダや米国に比べて、関係改善が喧伝されている日本の国民がなぜ14人も捕まってしまうのか。日本はそんなに対外スパイ工作が盛んなお国柄であったのか。

「邦人を返せ」と圧力を
私がここで腹立たしく思うのは、2015年に中国が反スパイ法(2014年)に続いて国家安全法を施行し、中国国内で外国人を「スパイ容疑」で捕まえ始めて以降、日本人だけですでに13人捕まり、9人が起訴され8人が有罪判決を受けているのに、日本政府は中国でスパイ扱いされている日本人を取り戻す交渉を中国政府相手にやった形跡がないことだ。

 交渉というのは、こちらの要求を聞かねば制裁を行うと圧力をかけ、要求を聞き入れられれば相手にとっての利益を考慮する、というものだ。米トランプ大統領がやっているように、恫喝と甘言を交えてゆさぶりをかけて、相手からの譲歩を引き出すやり方だ。中国にとって日本との関係正常化や経済支援、一帯一路への支持などが、米中関係で苦戦中の中国にとっての大いなる救済になるのだから、その見返りに、日本人を取り戻すことがなぜできなかったのか。さらに逮捕者が増えるとは、日本外交が中国に完全にみくびられている、とは言えないだろうか。

 中国外交部の華春瑩報道官は10月21日の記者会見で、記者の質問に答えるかたちで「中国の法律に違反した外国人は法に従って処理する。中日領事協定の関連規定に従い、日本側領事職務に必要な協力を提供する」と事実確認をした。また、この事件は日中関係には全く影響がない、とした。それは中国の言い分だ。日本は、日中関係に大いに影響ある問題として、日本人全員を取り返すまで、習近平氏の国賓訪問を延期してもらったらどうだろう。

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米国の方針と真逆、安倍政権の中国への接近は危険だ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58030?page=4


 

日本人が香港デモに無関心のままではいけない理由
一線を越えた警察の暴力、香港は戦場になった
2019.11.14(木)
福島 香織
世界情勢?中国

警察に催涙ガスを浴びせられて逃げ惑うデモ参加者(2019年11月11日、写真:ロイター/アフロ)
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(福島 香織:ジャーナリスト)

 2019年11月9日はベルリンの壁崩壊から30年目。あの東西の激しいイデオロギー対決が終焉するまでの困難と多くの犠牲に世界が思いを馳せていたころ、極東で新たなイデオロギー対立の炎が燃え盛っていた。香港デモである。

 11月8日、初めてデモの参加の最中に犠牲者が出たことが公式に確認された。デモ参加者の間で警察の暴力に対する怒りが渦巻き、翌9日は犠牲者の追悼のためにより大規模なデモに発展した。

 犠牲者は香港科技大学の22歳の男子学生だった。5日、軍澳の近くで警官隊の催涙ガス弾に追われて駐車場の3階から2階に転落。脳内出血、骨盤骨折で重体となり搬送先の病院で死亡した。警察は警察側に責任はないとしているが、救急車の到着が警察の妨害で少なくとも20分遅れており、香港科技大学の学長は第三者による死因調査と情報公開を求め、警察の責任を問うている。

一線を超えた中国&香港当局の対応
 11月11日にはゼネストが呼びかけられ、デモ隊は交通をマヒさせるためにあらゆる所で交通妨害活動を行った。これに対し、出動した警官の暴力は常軌を逸していた。金融街のあるセントラルでは通勤客を巻き込む形で、高温で毒性の強い中国製の催涙弾を容赦なく打ち込んだ。香港島東部の西湾河では、道路にバリケードを作っていたデモ参加者に向けて、交通警察が実弾を3発発砲。1発が柴湾大学生(21歳)の腹部に当たり腎臓と肝臓を損傷して学生は重体だ。九龍半島側のバス通りで、交通妨害をしていたデモ隊を白バイが轢き殺そうとでもするかのように追い回す映像もネットに上がっていた。

 12日深夜、香港中文大学構内で警官が催涙弾とゴム弾を発射し、60人以上の学生が負傷。デモ隊も火を放って応戦し、キャンパスが戦場となった。

警察の暴力に屈した学問の砦
 大学は本来、警察の介入を拒否できる強い自治権を持つ。副学長、学長らが自ら学生と警察の間に立って交渉にあたり警察の学内侵入を防ごうとしたが、警察は交渉に応じず、大学に突入した。これは香港デモ始まって以来、警察が初めて大学の自治権を犯したということであり、香港の学問の砦が警察の暴力に屈したと国際社会は衝撃を受けた。

 香港中文大学には香港インターネットのエクスチェンジポイント(HKIX)が置かれているという。警察が中文大学を攻撃したのは、こうしたインターネットの拠点を潰すのが狙いか、という見方もでている。

 あらゆる角度からみて、11月に入ってから香港デモに対する中国、香港当局の対応は一線を越えた感がある。

 それは11月4日に林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が習近平国家主席と直接会談し、習近平から「高い信頼」を寄せているとの表明を受けたことと関係があろう。この会談前、一部米国メディアから「林鄭は辞任させられるのではないか」という予想が発せられていたが、どうやら林鄭は行政長官を続投するようである。ただし習近平が内心、林鄭の行政手腕のまずさにイラついていることは仄聞(そくぶん)している。彼女に対する習近平の高評価表明の理由を、四中全会のコミュニケなどからも想像するに、習近平政権は林鄭に全香港市民から末代まで恨まれるような汚れ仕事をさせるつもりではないか。その汚れ仕事というのは、たとえば国家安全条例の施行かもしれないし、あるいは香港基本法18条に基づく人民解放軍介入要請かもしれない、と私は最近本気で不安に思っている。

一般市民にも容赦がない警察の暴力
 そういう瀕死の香港に対して、もう1つ辛い事実は、日本人の誤解と関心のなさである。

 私もたまに日本の民放地上波の番組にゲストコメンテーターとして呼ばれることがあるのだが、日本を代表するコメンテーターたちが香港の現状について「生活に心配のない学生が暴れて、市民の多くが迷惑をこうむっている」といった解釈していたのに愕然とした。そんな単純な話ではない。

警察署内、拘置所でレイプや虐待も
 もちろん、迷惑に思っている市民は多くいるし、デモ隊を批判する市民もいる。デモ隊側の暴力性が日に日にエスカレートしているのも事実だ。デモを批判するだけで、リンチを受ける場面もある。だが、それ以上に、今の香港警察は完全に中国公安化しており、事実を隠蔽した虚偽の情報を平気で公式発表したりもしていて、警察や司法権力に対する不信感がものすごい。この不信感が、過剰な自衛意識につながり、異見者を見付けると袋叩きにしかねない攻撃性となる。

 また、中国からの公安警察が相当数香港に送り込まれ、香港警察や新聞記者、市民の姿をして香港世論や国際世論をデモ批判に誘導しようとし、過剰にデモの暴力を演出したり、市民の不安を煽って過剰な攻撃性を引き出したりしている可能性は確かにある。私自身、親中派市民が香港市民に“リンチ”に遭い昏倒していたのに、救急車が駆け付けると、とたん立ち上がって警察車両に乗り込み、そそくさと立ち去るのを目のあたりにし、友人から「あれが金で雇われた“プロ市民”だ。容赦する必要はない」と教えられてびっくりしたことがある。

 また、警察の暴力行使が、いわゆる“勇武派”の最前線にいるデモ隊に対してだけでなく、女性や子供、すでに無力化された抵抗の意思がないことを示しているデモ隊や一般市民、買い物客らに対しても容赦なく、警察署内や拘置所などでのレイプや虐待がえげつないことも、多くの証言や映像などで判明している。

 デモを迷惑だと思う市民がいること、デモの暴力を批判することと、香港の中国化を容認すること、警察の暴力を正当化することは同列には論じられない。最近の世論調査では半分以上の市民が警察に対する信用をゼロと評価し、7割以上の市民が今の警察の大幅な組織改革が必要だと考えている。暴力に対して、より暴力的な応酬しか方法がないという負のスパイラルに陥っている根本原因は、香港警察の中国化であり、その信用の欠落である。そこを飛ばしてデモの暴力化のみを批判したりすることはできない。


警察に囲まれて袋叩きに遭うデモ参加者(2019年11月13日、写真:ロイター/アフロ)
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韓国KBSが報じた香港警察・内部関係者の告発
 最近、香港警察の内部関係者が韓国メディアKBSの匿名取材に応じて、興味深い告発をしている。

 1つ目は、香港警察に逮捕されたデモ参加者が、拘留中にレイプされたという噂に関する証言だ。過去5カ月の香港デモに対する取り締まりの中で、4人の警官が関わった、デモ参加者に対するレイプ事件が少なくとも2件あり、署内で医学的証明も行われているという。この警官によれば、実際のデモ参加者の拘留中のレイプ事件はもっと多いとのことだ

 2つ目は、7月21日の元朗駅で起きた「白シャツ集団襲撃事件」に警察上層部が関与していたという証言である。上層部から地区の警察に、白シャツ襲撃事件の通報があっても現場に急行する必要はない、との指示があったというのだ。

日本は無関心のままでいいのか
3つ目には、9月にデビルズピーク沿岸の海で発見された全裸の女性の遺体が、行方不明のデモ参加者の少女、陳彦霖であったことが10月になって判明した件だ。警察はこれを“自殺”として処理したが、遺体が発見されたとき、警察上層部から調査指針について「他殺の方向で捜査してはならない」「単なる遺体発見で処理せよ」との指示があったという。彼女は“自殺”させられた、本当は警察に殺害された、と信じているデモ参加者、市民は少なくない。

 4つ目に、警官によるデモ参加者に対する虐待、拷問事件は世間で明らかになっているよりはるかに数多くある、という証言。

 香港警察はこうしたKBSの報道を、警察に対する悪意ある中傷だと批判している。だが、警察発表に対して不信感が募っていることは確かだ。たとえば、11月11日、香港デモに批判的な男性が口論の末、正体不明の黒服の男に液体をかけられ火をつけられて火だるまになる映像がネット上でアップされた。この事件はCNNなど海外大手メディアも、デモを批判する男性がデモ隊に液体をかけられて火をつけられた、と報じた。香港警察もこの男性が「病院に搬送され、深度2の火傷を体の28%に負い、意識不明の重体」「犯人に関する情報提供を望む」と発表した。だが、不思議なことに、火をつけられた男性は、火のついたシャツをサッと脱いで、上半身裸のまま歩いて立ち去っていく様子の写真もある。

 ネット上では、その男性が中国のスタントマンであるという業界関係者の発言や、香港デモの残虐行為を印象づけるために5000香港ドルで雇われて火だるまショーをやった、といった言い出す人もでている。もちろん、この情報はデマかもしれない。直後に歩いて立ち去ったからといって、後に重体にならないとは限らない。だが今や、市民は、警察発表と、このネット上の噂とどちらが正しいか、判断がつかないという。そのくらい今の香港警察は信用されていない。

日本は無関心のままでいいのか
 林鄭は11月11日の会見で、デモ隊について「人民の敵」と非難した。これに対して、「人民の敵はお前だ」という突っ込みがネット上で一斉にあがった。

 だが、真の「人民の敵」は、中国共産党政権ではないか。なぜなら中共政権自身が、自分たちにとっての最大の敵は人民であるという認識だからだ。だから、軍事防衛費よりも治安維持費に予算をさき、全市民を管理監視するシステムの構築や世論誘導のために膨大な投資を行っている。香港市民も同じやり方で管理・監視し、世論誘導しようとしたら、香港人たちは命がけで抵抗した。中国人民は長きにわたる共産党支配に慣れ、抵抗することを忘れているが、香港人は自由と法治は命がけで守るに値すると考えたのだ。

香港で起きている対立の本質
 誤解なきように。私は暴力を絶対肯定しない。だが政権トップの言うことも警察発表も信じられない世界で、若者が命や未来を犠牲にして性急に要求を訴えることを「デモ隊の暴力が問題だ」と一蹴しては、民主主義が未完成の地域で専制に抵抗する手法として、それこそ抗議の自殺しかない、ということになってしまう。香港はすでに戦場になった。この段階に来て、「暴力反対、話し合いを」というセリフは何の説得力も持たないのだ。

 もし本気で解決の道を模索するとすれば、先に譲歩すべきは強者のほうだ。国際世論の圧力で、圧倒的強者である中国に譲歩を迫るしかない。せめて、デモ隊が要求する5大訴求のうち、警察に対する外部調査委員会を設置させ警察組織を浄化し、香港の法治を取り戻すことがまず必要だ。このまま“紛争状態”がエスカレートすれば、話し合いどころか解放軍出動の可能性が高まる一方だ。

 米国は「香港人権・民主主義法」という立法をもって中国に圧力をかける方針のようだが、日本はこのまま無関心を貫いていいものだろうか。

 ここで注意すべきは、来年春に予定されている習近平主席の国賓としての訪日の影響だ。今の予定では、習近平主席は天皇陛下との特別会見が設定される。中国共産党の歴代政権が、日本の天皇陛下との会見を国内に向けての権威強化に利用してきた経緯は今さら繰り返す必要はないだろう。だが、考えてほしい。香港情勢がこのまま悪化し、万が一、解放軍を出動するようなことになれば、天安門事件後の天皇陛下訪中と同様に、軍によって学生デモを鎮圧した専制政治に対して日本の天皇陛下が権威付けを行ったと、国際社会から受け取られるような場面も想定されるのではないか。

 香港の状況は偶発的なものではない。今がおそらく100年に一度の時代の変わり目であり、世界の価値観、秩序再構築期に入っているからこそ起きている現象だ。それは大きく言えば、これまでルールメーカーであった米国と、新たなルールメーカーになろうとする中国の価値観・秩序の衝突だ。言い方を変えるならば「開かれた自由主義社会」と「管理された全体主義社会」の対立である。この対立は世界各地で起きているが、香港で激化して、解決が一層難しそうに見えるのは、「自由と民主」を尊びながらも名目上は中国“国内”の“漢族社会”における対立だからだ。

 香港問題を極東アジアにおける自由と専制の対立と見れば、香港がこのまま中国化されてしまうと、東シナ海から南シナ海における自由主義陣営のプレゼンスにも影響してくる。逆に言えば、香港の自由主義的価値観が守られれば、それは中国の閉じられた全体主義世界の中で、唯一西側世界とつながる玄関になり、世界の完全な分断を防ぐ役割を担うことになるかもしれない。その存在が日本にとってどれほど価値あるものかは、地政学やパワーポリティクスを少し勉強した者なら想像できるのではないだろうか。

 別に政治的に介入しろといっているのではない。そんな外交実力が日本にないことは十分承知している。だが、日本人一人ひとりが香港問題に関心を持つこと、香港問題の本質が自由主義と全体主義の衝突という時代の行方を左右する戦いかもしれないと俯瞰して見ることは、日本が過去に犯した過ちを繰り返さないためにも必要かもしれない。

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弾劾追及、ついに強気大統領の目に涙
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ハイテク技術で急接近、中国とロシア
ただし同盟の設立は困難、その理由とは
2019.11.8(金)
渡部 悦和
アメリカ?中国?ロシア?IT・デジタル?安全保障

2019年6月5日、習近平国家主席がロシアを訪問、華為技術がMTSと5G通信網開発で合意した(写真:AP/アフロ)
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 最近、中国とロシアの急接近が話題になっていて、「中ロ同盟の成立か?」と先走るメディアも出てきた。

 この中ロ急接近の背景には米国の国家安全保障戦略などで主張された「米国と中国やロシアとの大国間競争」がある。

 特に米中貿易戦争により米国の付加関税や中国のハイテク企業・華為技術(ファーウェイ)に対する制裁措置などの攻勢を受けている中国のロシアへの接近は、単独で米国と対峙するよりもロシアと連携してこれに対処しようとする意図が読み取れる。

 結論的に言えば、「中国とロシアの同盟の成立」は困難であると思うが、ハイテクを中心とした中ロのパートナーシップの深化は予想以上に急速に進んでいる。

 本稿では、ロシアの専門家サムエル・ベンデット(Samuel Bendetto)と中国人民解放軍の専門家エルサ・カニア(Elsa Kania)両氏による共同の論考“A new Sino-Russian high-tech partnership”を参考にしながら、中ロ間の技術協力の軌跡を追い、その技術協力から生じるリスク及び影響を評価する。

大国間競争でパートナーシップ深化
 中ロ関係は、「新時代のための包括的な戦略的協調パートナーシップ」と表現され、世界的な大国間競争が激化するにつれて存在感を増している。

 特に、中ロのハイテク・パートナーシップは、両国がハイテク開発を推進させるために互いの能力を活用しようとしていることから、今後数年間は進展し続ける可能性がある。

 中国は、ロシアのSTEM(科学、技術、工学、数学)分野の研究開発能力や科学技術力を求めてロシアに接近していることは明らかであり、ロシアは中国のハイテク能力の活用を望んでいるようである。

 このような二国間協力で支配的なプレーヤーとなっているのは中国であり、ロシアは相対的に不利な立場に置かれる傾向にある。

 ロシアには、中国のバイドゥ(Baidu)、テンセント(Tencent)、アリババ(Alibaba)のような巨大企業は存在せず、これらの企業はロシア市場を含めてグローバルに拡大し始めている。

 それにもかかわらず、ロシア政府が自国のイノベーションを活性化させようとする中で、中国を目的達成の手段と見なしているが、中国もロシアを目的達成の手段と見なしているとも言える。

 今後、中国とロシアの間のハイテク協力は、短期的に深まり加速する可能性が高い。

 中国とロシアは今まで、生命科学から情報技術、AIなどの最先端技術に至るまで、自由で開かれたSTEMの発展を活用し、その成果を独自の技術エコシステム(生態系)に適用することができた。

中ロ技術協力の背景: 冷戦時代の軍事技術…
 しかし、今日では、そのような自由なアクセスを制限する新たな政策や対抗策が米国を中心として導入されている。

 中国とロシアは、技術革新における独立性を追求し、外国特に米国の専門知識や技術への依存度を低下させようとしている。

 中国とロシアは、デュアル・ユース(軍民両用)技術の開発における協力効果を認識している。両国は軍事協力を拡大しているだけではなく、第5世代通信(5G)、人工知能(AI)、バイオテクノロジー、デジタル経済など広範な技術協力を行っている。

 中国とロシアの技術協力の深化は、米国からの圧力の高まりに対応している。

 米国は、制裁や輸出規制などを通じて、世界の技術エコシステムに対する中国とロシアの関与を制限しようとしてきた。

 これに対し、中国とロシアの指導者は、半導体チップからオペレーティング・システム(OS)に至るまで、外国、特に米国の技術に代わる技術を自国で開発しようと決意した。

 この決意が中ロ協力へのさらなる動機づけとなっている。

中ロ技術協力の背景:
冷戦時代の軍事技術協力
 中ロの技術協力の歴史は、冷戦初期の1950年にさかのぼる。

 当初、中国の国防産業はソ連の技術と兵器の利用から大きな利益を得ていたが、後にリバースエンジニアリングによる技術の窃取による兵器の国産化が進められた。

 しかし、1950年末から1970年まで続いた中ソの対立は軍事協力を中断させ、冷戦終結後まで大規模には再開されなかった。

 その後、ロシアの対中武器輸出は回復し、中国はロシアの軍事技術にかなり依存する状態になった。

 中国は伝統的に、ロシアから航空エンジンを入手してきたし、中国が最新の「S-400」防空システムを取得したことでも明らかだ。

 ロシアによるS-400の中国への提供は、中国のミサイル防衛に大きな貢献をすることであり、中ロの軍事協力の大きな象徴になった。

 2019年10月、ウラジーミル・プーチン大統領は次のように発言した。

技術進歩への戦略的パートナーシップ…
「ロシアは中国のミサイル防衛システムの開発を支援する計画である。現時点でこの技術が完全に実用化されているのは米国とロシアだけであり、ロシアはこの技術を中国と共有することで中国の防衛能力を大幅に向上させることができるであろう」

 今日、中国の技術部門と国防産業は特定の部門と技術においてロシアを上回っている。例えば、中国は現在ロシアの無人航空機(UAV)よりもはるかに優秀なUAVを開発している。

 しかし、ロシア軍は中国製のUAVを入手することに消極的で、代わりに中距離で重量のある国産の無人戦闘機を開発しようとしている。

 一方、ロシアにとって、中国の特定の製品、サービス、ノウハウの取得は、ロシアの産業、政府、軍が必要とするまさに生命線となるかもしれない。

技術進歩への戦略的パートナーシップ
 中国とロシアの戦略的パートナーシップは、ますます技術とイノベーションに集中している。

 特に、2015年の習近平国家主席のモスクワ公式訪問を皮切りに、中国とロシアの両政府は、デジタル経済を含む新たな協力分野に焦点を当てた協定に署名した。

 中国とロシア政府は、企業間の共同プロジェクトやパートナーシップの促進を含む、より深い協力を目的とした新たなフォーラムやメカニズムを数多く立ち上げた。

 時が経つにつれて、中ロのパートナーシップはますます制度化されている。

●対話・交流

 中国とロシアの政府や省庁の間で交流やパートナーシップを促進しようとする対話が増加しており、こうした取り組みは2016年以降特に顕著になっている。

 これらの新たなメカニズムは、STEMの協力ネットワークを構成しており、両国がそれぞれの科学界に関与し、今後拡大していく可能性がある。

 2016年から、中国ロシア・ハイテク・フォーラムが毎年開催されている。2017年のフォーラムでは、ロシア及び中国の技術投資家の間での直接的かつ開かれた対話の創設、並びにイノベーション及びハイテク分野における協力の拡大・多様化に取り組んだ。

 特定のプロジェクトには、中国のロシアのシンクロトロン加速器プロジェクトへの参加が含まれる。

 北京での最初の対話には、生物医学、ナノテクノロジー、新材料、ロボット工学、無人機、人工知能などの産業から100以上の中国とロシアの企業が参加し、革新的な技術を披露し、協力のための新しい協定を締結した。

●科学技術パーク…
科学技術パーク

 中ロ間の科学技術パークの数が増加していることは、協力関係が拡大していることを如実に表している。モスクワと中国政府は、科学技術パークは、持続的な二国間協力に不可欠な基盤とインフラを構築できると考えている。

 2016年6月、中ロイノベーションパーク計画が開始された。このパークは2018年に完成し、情報技術、生物医学、人工知能の企業が参加している。

 また同時期に、中ロ投資基金とスコルコボ財団は、中国に医療用ロボットセンターを建設し、医療用ロボットを製造する契約に調印した。

 2010年に立ち上げられたスコルコボ・イニシアティブは、ロシアを代表する技術革新の場である。この財団は、ディープ・マシン・ラーニングやニューラルネットワーク技術を含む多くのハイテク・プロジェクトを管理している。

 2017年12月、中ロ両国の科学技術パークは、スコルコボに中露ハイテクセンターを建設することで合意した。このセンターは、ロシアのシリコンバレーになることを目指している。

●コンテストと競争

 2018年9月、最初の 「中ロ産業革新コンペティション」 が西安新区で開催された。ビッグデータ、AI、ハイエンド製造に焦点を当てた。

 競い合ったプロジェクトには、北京航空宇宙大学の飛行ロボットプロジェクトや、仮想現実と機能的電気刺激に基づく脳制御リハビリテーションロボットが含まれた。

 中国科学アカデミーは6万7900人以上の科学者を研究活動に従事させており、ロシア科学アカデミーは5万5000人以上の科学者を雇用する国内の550の科学機関と研究センターを含んでいる。

 プロジェクトにはAIの要素を含む脳機能への集中が含まれている。ロシア側は、中国の脳プロジェクトの立ち上げを含め、中国が神経科学分野で世界をリードする地位を占めているという事実に動機づけられている。

 脳の研究は、遺伝学から心理・物理学的機能に至るまで、様々な分野の研究である。これには、神経変性疾患の研究と、神経形態学的知能に基づく人工知能システムの開発が含まれる。

 このプロジェクトへの参加はロシアにとって非常に重要である。中国はこれに多額の投資をしており、いくつかの分野で世界のリーダーになっている。

パートナーシップの優先事項…
パートナーシップの優先事項
 中ロ関係が 「新時代」 に入っていく中で、特に重視されてきた分野としては、通信が挙げられるが、これに限定されない。ロボット工学とAI、バイオテクノロジー、ニューメディア、そしてデジタル経済だ。

●次世代通信におけるファーウェイの戦い

 ファーウェイをめぐる米国と中国の覇権争いは、中ロの急速な協力関係の深化に貢献した。

 事実、プーチン大統領は、中国企業に対する米国の圧力を 「来るべきデジタル時代の最初の技術戦争」 と呼んだ。

 世界的な圧力の増大に直面しているファーウェイは、今年、ロシアの学界と連携しSTEMの専門知識を活用するためにロシアへの関与を拡大した。

 ファーウェイは2019年、ロシアの国家技術イニシアティブと人工知能に関する協力契約を結んだ。そして、ファーウェイのロシアにおける研究開発人員を4倍に増やす計画を発表した。

 2019年にはロシアで 「ファーウェイ・イノベーション・リサーチ・プログラム」 が発足し、ロシアの研究機関に対しファーウェイから様々な分野で140件の技術協力の要請があった。

 2019年末までに500人を採用し、今後5年間で1000人以上の専門家を採用する予定だ。

 現在、ファーウェイはモスクワとサンクトペテルブルクに2つの研究開発センターを持ち、それぞれ400人と150人が働いている。

 今後、さらに3つの研究開発センターを開設する計画で、ロシアは欧州と北米に次ぐ「ファーウェイ研究開発センター」の上位第3位にランクされる。同社は、ロシアの科学コミュニティ、大学、その他の研究センターと緊密に協力することを計画している。

 ファーウェイはロシア連邦での5Gテストを積極的に拡大しており、ロシアのヴィムプレコム(Vimplecom)と提携してモスクワでの5Gテストを8月から開始している。

 ファーウェイに対する米国の圧力が続く中、グーグルのOSであるアンドロイドを完全に捨て、ロシアのアブローラ(Avrora) OSに置き換える可能性さえある。

●人工知能、ビッグデータ、ロボット工学…
人工知能、ビッグデータ、ロボット工学

 中国とロシアにとって、人工知能は技術協力における最優先事項となっている。

 例えば、ビッグデータの共有を拡大するために、中ロの「ビッグデータ本部基地プロジェクト」が進められているほか、AI技術特に自然言語処理を活用して、中国とロシアの企業向けに国境を越えた商業活動を促進するプロジェクトも開始されている。

 ロシアは、技術革新において独自の強みを有しており、多くの科学技術分野において顕著な革新を達成している。中国とロシアは独自の経済的潜在力を持ち、多くの分野で協力の豊富な経験を有している。

 ロシアのAI市場における世界シェアは小さいが、その市場は成長し成熟しつつある。ロシアの科学者と中国のロボット企業が協力して、ロボット工学と人工知能の分野でさらなる飛躍を遂げることができる。

 ロボット工学の分野で中国と協力するには、医学が最も有望かもしれない。

 AIの進歩は、大規模なコンピューティング能力、機械学習するのに十分なデータ、そしてそれらのシステムを操作する人間の才能にかかっている。

 今日、中国はコネクテッド・カーや顔・音声認識技術などのAIのサブカテゴリで世界をリードしている。

 ロシアは産業の自動化、防衛・安全保障アプリケーション、監視において強みを持っている。人工知能における中ロの協力関係は、拡大することが期待される優先課題である。

●デジタル経済

 中国の巨大IT企業は、ロシアで生まれつつあるデジタル経済にビジネスチャンスを見出している。中国企業がこの市場に参入するにつれて、ロシアのデータ・センターの能力は向上している。

 例えば、この1年間で、600以上のテンセント・ラック(サーバーの置き棚)がモスクワに設置され、同社の最大のプロジェクトとなった。

 テンセントのインフラは、クラウドサービスとゲームの開発に使用される。このプロジェクトは、ヨーロッパでインターネットユーザ数が最も多いロシア・テンセント(ユーザー数約1億人:75%の浸透率)に新しい可能性を切り開くものである。

 アリババは、ロシアの億万長者アリシャー・ウスマノフ(Alisher Usmanov)のインターネットサービス会社メイル(Mail)と20億米ドルのジョイント・ベンチャーを設立した。

 1億4600万人が住むロシアで、両社のオンライン市場を統合するという。この取引はロシア政府がロシア直接投資基金を通じて支援しており、現地の投資家が共同で新事業を管理することになっている。

中ロパートナーシップの難しさ…
中ロパートナーシップの難しさ
 中ロの科学技術協力はいくつかの問題に直面している。

 例えば、ロシアは依然として西側の技術に依存し、ロシアは中国のハイテク技術を受け入れることに熱心ではない。

 中国のパートナー企業によるロシアの知的財産の盗用と偽造品の生産は広く行われていて、ロシアの学術・大学の科学センターや企業における信頼感が大幅に低下している。これは、両国間の革新的な協力を制限する大きな要因である。

 またロシアは、中国が最も優秀な科学者をヘッドハンティングするのではないかと懸念している。

 ロシア科学アカデミーのトップは、「中国がロシアのSTEM(科学・技術・工学・数学)の優秀な人材をより良い賃金と労働条件で引きつけ始めているようだ」と懸念を表明している。

 この問題は、中国とロシアの双方にとって頭の痛い問題である。

 両国の有望な若い科学者は、米国で働くことを好む。ロシアで最高の教育を受けた若者、特にすでに国際的に活躍できる職業上の地位が確立されている人々には、米国移住への強い欲求がある。

 これは特にロシアに当てはまり、カリフォルニアの快適さ、太陽、ワイン、山、海にあこがれる人たちがすでにロシアを去ってしまっている。

 また、中国では政府がSTEMに優れた人々に中国にとどまるよう多くのインセンティブを与えているが、多くの研究者が海外特に米国で働くことを選んでいる。

 中国のハイテク企業に対する情報保全上の不信感もある。

 例えば、テンセントは2017年に、同社のソーシャルメディアアプリ「WeChat」の使用が禁止された。

 安全保障上の理由で、ロシアの通信監視機関ロスコムナザール(Roskomnadzor)は、禁止されたウエブサイトの登録簿にWeChatを登録したのだ。

おわりに…
おわりに
 現在メディアなどにおいて話題になっている「中国とロシアの同盟の成立」は難しいと思う。なぜなら、同盟には相互防衛の義務が伴うが、ロシアは中国が絡む紛争に関与したくないし、中国もロシアが絡む紛争に関与したくないからだ。

 一方で、大国間競争の時代におけるハイテク分野における中ロの協調は現在進行中であり、世界に大きなインパクトを与えるであろう。

 中国やロシアが普通の民主主義国家であれば問題がないが、中国は共産党一党独裁体制を強化し、ロシアではプーチン大統領が中央集権体制を強化している。

 このような権威主義国家同士の密接な協力関係の進展は、安全保障、世界経済、人権、各国の競争力という観点で民主主義諸国において大きな懸念となっている。

 特に、中国とロシアは、検閲と監視を強化する技術についても協力しており、中国のデジタル監視社会を支えている監視技術やシステムのグローバルな拡散は望ましいことではない。

 また、知的財産窃盗、不適切な技術移転にも適切な対処が必要だ。そして、両国は国家の「サイバー主権」と「インターネット管理」において、自国にとって望ましい考えを正当化し促進し、国際基準にしようとしている。

 日本と米国は、志を同じくする民主主義国家と連携して、中ロからの技術的な奇襲のリスクを軽減し、将来の脅威を早期に回避する努力が急務になるであろう。

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「2Q14」以降ロシアとウクライナに何が起きたか
ロシア専門家「小泉悠×真野森作トークイベント」から
2019.11.14(木)
新潮社フォーサイト
ロシア

小泉悠氏と真野森作氏によるトークイベントの模様
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(文:フォーサイト編集部)

 株式会社ゲンロン(東京・五反田)主催のもと9月18日に行われた、小泉悠氏と真野森作氏によるトークイベント「ロシアにとって国境とはなにか:ウクライナから北方領土まで」から一部を再録してお届けする。

 ウクライナ危機の勃発から5年、政府と親露派の対立が続く東部ドネツク、ルガンスク両州で、再び「停戦」に向けた動きが見えてきた。

 10月1日、双方の代表者が、停戦とともに親露派の地域に「特別な地位」を付与することで基本合意。29日に兵力の引き離しが始まった。もっとも、たとえ停戦合意が結ばれたとしても、前回と同様、有名無実化する可能性もゼロとは言えない。

 2013年11月、当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権が欧州連合(EU)との連合協定を見送ったことに端を発したウクライナ危機は、政権崩壊、クリミア編入、東部2州の「独立宣言」、マレーシア航空機撃墜事件を経て泥沼化。東部2州では2015年2月に停戦合意が結ばれたものの、すぐに戦闘が再燃し、今に至っている。

 今年5月、「和平」を公約に掲げるウォロディミル・ゼレンスキー氏がペトロ・ポロシェンコ氏から大統領の任を引き継いだが、その道のりは険しい。

 一体、ウクライナ危機とは何だったのか。この問題を2つの方向から解き明かしてくれるのが、ロシア軍事の専門家・小泉悠氏の近著『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)と毎日新聞元モスクワ特派員・真野森作氏の『ルポ プーチンの戦争』(筑摩書房)だ。

 ロシアにとってのウクライナという存在を「勢力圏」や「大国志向」という概念から分析する理論的アプローチを取るのが前者なら、実際にクリミアや東部2州の現場で「生のウクライナ」を捉えたのが後者である。

覆面の民兵が銃口を・・・
真野 私はウクライナにおける2014年を、村上春樹さんの『1Q84』になぞらえて「2Q14」と表現しています。

『1Q84』は1984年から月が2つある世界に行ってしまうお話ですが、ウクライナとロシアも2014年で世界がガラッと変わってしまった。普通の2014年ではなくなってしまい、クリミアで終わらずウクライナ東部紛争、さらにマレーシア機撃墜事件と続き、大きな転機、それも不可逆的な転機となった。

何が怖かったかと言うと、民兵

 ちょうど2013年秋から2017年春までモスクワ支局に赴任していたので、17回ウクライナに入りました。

 よく「現場に行くとどんな怖いことがあるのですか?」と聞かれるのですが、特殊部隊などの統制の取れた兵士は怖くありません。


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小泉 クリミアには、アメリカの「ネイビーシールズ」のようなロシア軍の最精鋭中の最精鋭が送り込まれました。「クリミア・ナウ」みたいな自撮りをネットに上げるなど、日本の特殊作戦部隊なら絶対にやらない自由な振る舞いをしちゃうところがロシア人っぽい。

真野 でも、記者がロシア語で話しかけても一切無視するくらいの統制は取れていた。じゃあ何が怖かったかと言うと、民兵です。

 ウクライナ大統領選が行われた2014年5月25日、親露派に反対の立場を取るドネツクの大富豪の豪邸の周りに、親露派の人々が集まって抗議をしていました。その時、望遠レンズで写真を撮っていたら、覆面をした民兵と目が合ってしまい、銃口を向けられた。謝ったら許してくれましたが、非常に怖かったです。


覆面の民兵(真野氏提供)
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小泉 覆面の向こうで凄い目をしている(笑)。

真野 大統領選の翌日、ウクライナ側がドネツク国際空港を初めて空爆して戦闘が本格化していきました。私はその時、市の中心部にいたのですが、空爆が始まったと聞いて地元記者と空港に向かった。すると、後ろから親露派武装勢力の乗ったトラックがやって来て、私たちのすぐ目の前で銃撃戦が始まった。急いで逃げました。

小泉 真野さんの本を読んで、そのシーンが凄く印象的だった。内乱みたいなものが本当の戦争に変わった瞬間ですよね。

 2014年7月くらいの段階で、ウクライナが躍進するんですよね。航空戦力、火力を持った統制の取れたウクライナ正規軍が寄せ集めの親露派武装勢力を蹴散らした。

 でも、8月にロシア軍が入ってきたら、あっという間に逆転されて、ウクライナは勝てなくなってしまった。

見事だった「クリミア制圧」
真野 クリミアの時は、ウクライナ軍も政変直後なので統制が取れておらず、動かないし動けないという状況の中で、何もできなかった。何もしなかったから血も流れなかった。

小泉 ロシア軍の動きが素早くて、ウクライナとしてはどうしようもありませんでした。

当時のロシア軍の動きが分かっている
 実はクリミア制圧については、どの部隊が何日にどこに上がったか、というレベルで研究が存在していて、相当詳細に当時のロシア軍の動きが分かっていますが、まあ見事ですね。

真野 まずあっという間にクリミアの自治共和国議会を制圧し、シンフェロポリ国際空港を制圧し、各ウクライナ軍基地を取り囲んで動けなくしたうえで、海は海で艦隊が出られないようにした。相当練り上げられていたのでしょうか。

小泉 おそらく2013年11月にキエフで騒乱が起こった段階でプランとしてはあったと思います。ロシアの参謀本部がつくったはずです。

 ただ、それを実行に移すかどうかは政治の判断。ロシア軍も本当にやることになってびっくりしたのではないかと思いますよ。

 やれと言われればやるわけですが、ロシア軍は2008年頃から大規模な改革を行い、贅肉を落としてかなり優れた軍隊に生まれ変わったので、2014年当時には相当、能力が上がっていました。その成果をまさに実証してみせた。

 ウクライナ軍の兵隊を見ると、着けている装備がいかにも古めかしい。革のベルトをしていますが、今ロシア軍はこんな格好していません。

シナリオ作りにSF作家を雇ったフランス軍
真野 最近、ウクライナ危機前に出版されたトム・クランシーの『米露開戦』(新潮文庫)を勧められたのですが、この小説の中でロシアがウクライナに侵攻する発端も、クリミアであり、ドンバス(ドネツクやルガンスクなど東部3州とロシアにまたがる広大な炭田地帯)なんですよね。ここがウクライナの弱い場所であるというのが、アメリカから見てもあった。

小泉 ソ連崩壊直後からクリミアの帰属問題がありました。そもそもクリミアのセバストーポリにいたソ連の黒海艦隊は、ロシアのものなのか、ウクライナのものなのか、という議論もあった。トム・クランシーも、ここが戦争のきっかけになると思ったのでしょうね。

 小説家の一見、荒唐無稽な思い付きが、割と現実になっちゃったりする。

 最近、フランスの国防省がSF作家を4、5人雇ったというニュースがありましたね。将軍たちからは絶対に出てこないような作戦や脅威のシナリオを彼らにつくってもらうらしい。クリエイターの想像力が軍隊にとっても必要みたいですね。

真野 常識に囚われない。

ドネツク市の警察庁舎が占拠される場面
小泉 我々がクリミア併合を予測できなかったように、プロの軍人さんがつくると「いやいや、それはさすがにないでしょ」みたいな専門家であるが故のバイアスがかかる。それを外したいのでしょう。

明らかにプロフェッショナルな人たちがいた
真野 かたやドンバスでは、ドネツク市の警察庁舎が占拠される場面に出くわしたのですが、親露派が集まっている中に、明らかにプロフェッショナルな人たちがいた。地元の記者によれば、言葉のアクセントが違っていたり、街のことを知らなかったりした。

 ですから、地元の人たちが危機感を持って立ち上がった面もゼロではありませんが、ロシア側が焚きつけてうまくやっていた面もあった。

 たとえば、イーゴリ・ストレルコフという親露派のリーダー格の1人(独立宣言とともに国防相兼安全保障会議書記に就任)は、かつてチェチェンで活動していました。そういう実戦経験を積んでいる人たちが投入されたのだろうと思っています。

 警察もあれだけの民間人がいると何もできない。あっという間にウクライナ保安庁(SBU)の庁舎も占拠されてしまった。

小泉 SBUは要するに元KGB(ソ連国家保安委員会)。それが武装解除するというのは、もの凄い話ですよ。

真野 なので地元の人も、SBUを簡単に武装解除させるなんておかしいでしょ、親露派と通じていたんだよね、と言う。

 小泉さんの『「帝国」ロシアの地政学』に「ロシアの浸透膜」というお話が出てきます。ロシアと他の旧ソ連諸国との間に国境はあるんだけど、それは浸透膜のようなもので、じわーっとロシアの汁みたいなものが滲み出ている。

小泉 「プーチンの出汁」みたいな(笑)。ウクライナの方だと薄味。

真野 お出汁が好きな人もいれば嫌いな人もいるのですが、膜のこっちと向こうを行き来している。

 その観点から言うと、プーチンの出汁がじわじわと時間をかけて浸透していた面があります。

小泉 SBUも立ち回りがうまい人たちなので、徹底抗戦はしないで適当なところで手を打ったという感じはしますよね。

「ウクライナ軍機落としたぜ」
荒廃していったドネツク
真野 その後、5月の空爆以降、ウクライナの航空戦力が出てきたのですが、ウクライナ軍機がだんだん落とされるようになったのが2014年7月頃。その中で起きたのがマレーシア機撃墜事件でした。

 最初は親露派も「ウクライナ軍機落としたぜ」などとSNSで書いていましたが、さすがにこれだけの事件になると、すぐに消した。

小泉 この事件の翌日だったか、プーチンが1日中教会にいましたよね。

 彼がいい人か悪い人か分かりませんが、一応、倫理観はあるのだろうと思うので、プーチンなりに責任を感じていたのではないかと思います。

真野 だんだんドネツクの方は荒廃していきました。子供たちが流れ弾に当たったり、クラスター爆弾をつい手に取っちゃって爆発し、何人か亡くなったりもした。

小泉 スクールバスに弾が直撃してしまった事件もありましたよね。

真野 難しいのは、前線になると、親露派とウクライナ政府側のどちらがやったのか分からないこと。どちらも相手がやったと言いますし、親露派の子供たちはウクライナ政府がやったに違いないと思っているので、「将来は僕も兵隊になって倒すんだ」と言う。

 街外れの炭鉱では、ソ連時代の地下核シェルターに住んでいる人もいました。

小泉 僕がモスクワ留学時代に住んでいた団地の地下にもありました。核シェルターというより防空壕。ちょっと地下に潜って入れる避難所があって、めちゃくちゃ臭い。旧ソ連の仲間の攻撃によってそこに潜らないといけないというのは、皮肉な話ですよね。

名前のない墓はなぜ?
真野 戦死したウクライナ兵のお母さんにもインタビューしたのですが、彼女の息子はドネツク空港からの撤退時に仲間を助けようとして捕虜になり、射殺されたそうです。

小泉 ロシア兵が東部戦線で戦死したウクライナ軍の兵士の携帯電話を取ってお母さんにかけ、「息子さんが戦死されました」と伝える動画がネットに出回っています。ロシア軍兵士も母親を傷つけないように言葉を選んで、感情を抑制しながら話している。

 携帯電話で言葉が通じる関係なのに、ここまでしなきゃダメなの?と思いますよね。

おそらくロシア軍人または
真野 ドネツク市郊外の墓地に行くと名前のない墓があります。おそらくロシア軍人またはロシア人義勇兵のものです。悲惨なのは、このウクライナ紛争に送られて亡くなったロシア軍兵士は、「戦死」という扱いにならないこと。そもそも何人亡くなっているかも分かりません。

小泉 第2次世界大戦でソ連兵はめちゃくちゃ悲惨な戦いを繰り広げたわけですが、あの時はパルチザンでさえ全員恩給の対象になりました。名誉が与えられ、社会的な尊敬を集めている。

 でもウクライナ紛争で亡くなった彼らは、ロシアが後ろ暗い戦争をしたせいで、命を投げ出して国家に奉仕したのに、栄光もなければ手当てもない。そこはプーチンさん、それでいいんですか?という気がします。

真野 あくまでも「戦争」ではないし、一切、侵略もしていなければロシア軍兵士も出していないよ、ということになっている。

ソ連崩壊はまだ終わっていない
真野 私の1つの結論は、ソ連の崩壊が終わっていないのではないかということです。

 ロシアはソ連みたいなものと思っている人たちが旧ソ連圏各国にたくさんいる。ロシアはソ連崩壊で15カ国のうちの1つになった。広いけれども、ウクライナなど大事なところがなくなってしまった。

 小泉さんは本の中で「巨人の見る夢」に見立てていましたが、私のイメージでは幻肢痛。切られてしまったのに、まだ「ある」と感じる足みたいなものなのではないかと思います。それが続いている限りソ連崩壊はまだ終わっていないのかなという気もします。

 すぐに何かあるとは思わないですが、カザフスタンも北部にはロシア系の人たちが結構住んでいる。

小泉 カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ氏が大統領の勇退という珍しい決断をした。ウズベキスタンのイスラム・カリモフ元大統領を見る限り、死ぬまで権力を握ったら残された娘たちが悲惨なので、私は生きているうちに引退すると言って辞めたわけです。おそらく娘に継がせる気があるのでしょう。

 あからさまな世襲をする気で、一旦はカシムジョマルト・トカエフ氏に大統領を任せたけども、いずれナザルバエフ氏の娘に権力を移すとなった時に、果たしてうまくできるのか。そうならずに、カザフスタン北部にまた「礼儀正しい人たち」が「夏休み」でやってくる可能性もある。あるいはロシアの冬は寒いので避寒でやってくるかもしれませんが。

 バルト三国も、ラトビアとエストニアは国民の4分の1がロシア系住民です。彼らは結構、厳しい扱いを受けているので、ロシアがうまいこと焚きつけて・・・ということはなくはない。ただ、バルト三国はNATO(北大西洋条約機構)に入っているので、さすがにないとは思います。

後継者を見つけるという非常に難しい作業
神輿からおりつつ後継者を見つける
真野 内政についても触れておいた方がいいのかなと思うのですが、プーチン大統領の支持率の推移を見ると、2005年に一気に下がる。原因は政府の年金改革でした。そこから盛り返して、2011年12月には下院選で不正があったということでモスクワとサンクトペテルブルクを中心に反政府デモが起き、また下がりました。

 その後、大統領に再選し、ずっと60%台できていたのが、クリミア編入で9割近くに一気に上がった。しかし、やはり年金改革を行うとなって2019年に60%台に下がった。

 社会保障のインパクトが強い。「冷蔵庫」(経済)と「テレビ」(愛国プロパガンダ)の戦い。どうも冷蔵庫の方が強いのかなという感覚です。

 そのあたり小泉さんの義理のお母さん(ロシア人)の感覚はいかがですか。

小泉 めちゃくちゃ怒っていますよ、年金の話。

真野 また9月の統一地方選はつくり上げた勝利でした。モスクワ市議選では有力な無所属候補は出させないようにし、与党の「統一ロシア」の候補は無所属として出した。

 特にモスクワ、ペテルブルクでは不満がじわじわ溜まっています。

小泉 これまでプーチン政権下では「冷蔵庫」が充実してきたけれども、こうなるとみんなついてこない。昔からプーチンは「原油バブルは続かないから産業構造を変えないとダメだ」と言ってきましたが、周りの権力者との折り合いがつかない。そこが神輿の辛いところです。

 プーチンは今、軍、情報機関、ガス産業、ロシア正教会といった各利益団体が担ぐ神輿に乗っています。本人も振り落とされないように必死。振り落とされないようにしながら、うまいこと神輿からおりつつ、後継者を見つけるという非常に難しい作業に取り組んでいる最中です。

 それが果たしてうまくいくのか。そういう転機に来ているのかなと思います。

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国後、択捉への軍事力近代化を進めるロシア軍
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北方領土「2島先行」か「2島幕引き」か?
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ウラジオ柔道外交はプーチン大統領の「一本勝ち」
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「ロシア軍大演習に中国軍が初参加」が意味するもの
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品質不正の神戸製鋼所をあえて弁護する
渡邊 光太郎

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58239?page=7

http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/719.html

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
13. バアルのような者[1653] g2@DQYOLgsyC5oKkgsiO0g 2019年11月14日 08:33:45 : jQCIwRLIEg : OG9qOVZUcTNBbi4=[3]
政府のカネで会を開き、参加費として参加者から徴収する分が裏金としてポケットナイナイだな。英語教育もそのパターンだ。参加費徴収された山口の後援会も怒れよ(笑)
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c13
コメント [政治・選挙・NHK267] 桜を見る会、安倍首相自ら余程まずいと中止決定。最大の窮地。(かっちの言い分) 一平民
15. 2019年11月14日 08:37:33 : fjoAWhJoIg : SUdudklxNmVqSW8=[2]
あれ?悪いのはアメリカなんだろ?

中東の後、戦場になる地域は必要だし、思う存分戦ったら?
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/335.html#c15

コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
14. 2019年11月14日 08:39:14 : c881t8DIGg : cFA4NlkxWGpza0E=[2]
「さくらを見る会」じゃなくて、なんで「福島産うまいもんを食べる会」にしなかったの?
福島には見事な桜並木があるっていうから、そこで「食べて応援」するのがアンダーコントロール・アベ政権の真骨頂ってもんじゃないの? どれだけの人が集まるかは見ものだけど。
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c14
コメント [政治・選挙・NHK267] 桜を見る会、安倍首相自ら余程まずいと中止決定。最大の窮地。(かっちの言い分) 一平民
16. 2019年11月14日 08:40:32 : WBLR85rxFg : ZzhJWXh6ckNBTlk=[229]
どう考えても安倍首相は人格破壊、精神的な病人になっている。一貫した物事の主張や遂行ができなくなっている。自民党・公明党が現状維持をしているようでは、歴史的にも異常な政権・政府の時代と捉えられる日がくるだろう。

http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/335.html#c16
コメント [政治・選挙・NHK267] “悪党”がゾロゾロ…桜を見る会の怪しい招待客選定プロセス(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
15. 2019年11月14日 08:41:52 : XQQuSwmRfE : ZG4uUi5zUEhpYU0=[1]
安倍は特別悪い!悪すぎる!!
それが分からない人は、日頃自分も泥棒してるのかな?
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/344.html#c15

   

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