★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用6 > 163.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
グルジェフの「超人思想」の謎
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/163.html
投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 29 日 22:42:03:ieVyGVASbNhvI

(回答先: Re: エンセンさんへ>本の事 投稿者 彼方 日時 2003 年 10 月 29 日 17:39:28)

 
彼方さん、Q太郎さん、どうもありがとうございました。

「奇跡を求めて」で、検索したのですが、引っかからなかったようです。
「奇蹟を求めて」だと出るようですね。

早速、注文しました。

グルジェフという人物には以前から興味がありました。
以前、「秘密結社ファン」という方が「空耳板」に投稿されていたのを読み、興味を持つようになりました。

以下は、その時に私がコピーしたものですが、転載しておきます。
 
──────────────────────────────── 
 
グルジェフの超人思想の謎

序章:“大いなる秘密”を探し当てた神秘の超人グルジェフ

人に圧倒的な印象を与える人物だった
「彼は20世紀最大の魔術師であった」──G・I・グルジェフをそう呼んだのは、彼の評伝を書いたコリン・ウィルソンである。実際、グルジェフは人に圧倒的な印象を与える人物だった。1917年のロシアで彼に初めて会ったアンナ・ブトコフスキーは言っている。
「相手の心を刺し通すような(といって不愉快な感じではない)目つき……生き生きとした言葉……私はここに座り、遂に一人の導師の前にいるのだ、と感じたのだった」
また、1920年にコンスタンチノープルで彼に会ったJ・G・ベネットは「私はそれまで見たこともない不思議な目を見た。その2つの目ひどく違っていたので、明かりのいたずらではないかと思った」といい、1948年のパリでグルジェフに会った医師ケネス・ウォーカーの夫人は、更にはっきり言いきっている。
「彼が私に与えた印象は、はかり知れぬ活力と集中力だった。私は彼が人間ではなく、魔法使いだという感じを持った」
そして、グルジェフ自身、その自伝『注目すべき人々との出会い』に書いている。
「これらの国々(アジアやアフリカの諸国)を何度かにわたって旅行してからというもの、私はずっと呪術師として、また『超越的問題』に関する専門家として知られているのだ」
では、そのグルジェフの魔術師としての能力はどんなものだったのだろうか。それについての資料は、残念ながらあまり多くない。というのは、彼はあるとき、自分が苦労して獲得してきた様々な“力”を意図的に使うことをやめてしまったからだ(その理由については後述する)。
が、それでも彼が、ときたま垣間見せたその力は尋常なものではなかった。例えば、グルジェフの古い知人フリッツ・ピーターズは第2次世界大戦の直後、パリで彼に会ったときのことを次のように書いている。当時ピーターズはベトナムで戦った米兵同様、戦争の後遺症のために神経衰弱寸前にまで追いこまれていた。
「私は彼に会うと非常な安堵と興奮を感じ、どうしようもなく泣けてきた。それから頭がくらくらし始めた。……彼は私を見てびっくりし、どうしたのだと尋ねた。私は頭痛がひどいのでアスピリンか何かが欲しいのだと言ったが、彼は頭を振り、立ち上がって、台所のテーブルのそばのもう一つの椅子を指した。『薬はだめだ』、彼は断固として言った。『コーヒーをあげよう。できるだけ熱いまま飲みたまえ』……私はコーヒーをすすりながらテーブルの上に倒れ込んだのを覚えている。その時自分のなかに奇妙なエネルギーが沸き上がってくるのを感じ始めた──私は彼をじっと見つめた。それから無意識のうちに立ち上がった。それはまるで烈しい青い光が彼から発して私の中に入ったようだった。このことが起こると、私は自分の中から疲れが完全に消えてしまったのを感じた」
しかし、それと同時にグルジェフの体は崩折れ、顔はまるで生命を奪われたように血の気を失った。そして、よろめくように部屋を出ていったのである。まるでつい先ほどのピーターズのように。
つまり、グルジェフは何らかの方法によってピーターズに生命エネルギーを注ぎこんだのだ。そのエネルギーはピーターズの心と体を癒したが、一方、グルジェフ自身を枯渇させ、疲労の極に達しさせてしまった。
が、ほんの数分後、部屋に戻ってきたグルジェフには、もう疲れの跡はなかった。彼はまた若者のように機敏で、ほほえみを浮かべ、元気いっぱいの様子だったのである。
自分の生命エネルギーのありったけを病める他者に注ぎこみ、ほんの数分でまた自分を充電する! それがグルジェフの魔術、あるいは超能力のひとつだったのだ。人間にはそうしたことを可能にする能力が秘められている、とグルジェフはいうのである。
偉大なエネルギー源から“力”を引き出す秘術
病める人間に自分の生命エネルギーを注ぎこみ、心身を癒すことは、グルジェフにとって造作もない“奇跡”のひとつであった。
このグルジェフの力は、かつてイエスをはじめとする宗教的な聖人たちが演じてみせた数々の奇跡を思い起こさせる。が、グルジェフにとって、こんなことは奇跡と呼ぶべきほどの事件ではなかった。彼のエネルギー制御術は、もっと強力な“力”を発揮することが可能だったのだ。
グルジェフは書いている。
「例えば、私の念力は非常に高まり数時間の準備で数十マイル離れたところから、ヤク(家畜)を殺すことさえできた。24時間あれば生命力を非常にコンパクトな形で集め、5分間のうちに象を眠らせてしまうこともできた」
とすると、彼がそう思いさえすれば、そのエネルギーで人間を殺すことも簡単にできたはずだ。そんな人間にとって、目前にいる自分を信じきっている人間に、活力を与えることなどなんの造作もないことなのだ。コンスタンチノープルでの出会い以後、彼の熱心な弟子になったJ・G・ベネットも、彼から生命力を注ぎこまれたときの経験をその自伝に書いている。ベネットが東洋で伝染した赤痢が重くなり、ベッドから出るのも辛い状況だったときのことだ。
「徐々に私は、グルジェフがすべての注意を私に集中しているのが分かった。……突然、私は測り知れぬ力の流れに満たされた。私の肉体は光に変わったようだった。私は普通の形で肉体の存在を感じることができなかった。努力も苦痛も疲労もなかった。いや、重さの感覚もなかった……私のこの状態は今までなかったほど幸福だった。それは性的結合のエクスタシーとは全く違っていた。というのはそれは肉体から完全に自由で、離れたものだったからだ。それは山をも動かすことができるという信仰における高揚だった」
グルジェフの弟子 J・G・ベネット
このベネットの体験は、先のピーターズの体験よりさらに注目すべきものである。というのは、ベネットの語るそれは、まさに宗教的な覚醒の瞬間そのものだからだ。たとえば密教やヨーガの修行者は、何年にもおよぶ血のにじむような修行のすえ、やっとこの覚醒の瞬間とめぐりあうことができる。それも本人の宗教的な資質が関係するので、修行さえすればだれにでも、というものではないのだ。が、グルジェフはそれをベネットに与えることができたのである。
もちろんベネット自身も、グルジェフのスクールで“グルジェフーワーク”と呼ばれる訓練を受けてはいたが、それは密教の修行などとは違い、ごくふつうの生活を送りながらのものだった。それでもなおグルジェフは、そのエネルギー制御術によってベネットを覚醒に導くことができたのである。
グルジェフが魔術師だとしたらそれはまさに同時代の魔術師たち──グルジェフが活躍した時代は西洋における魔術の再興期であった。ラスプーチン、クロウリー、ブラバッキー、シュタイナーなどさまざまなタイプの魔術師が輩出した──を、大きく超えている。少なくとも彼は、他の魔術師たちが手にできなかった“大いなる秘密”を自らのものとしていたことだけは間違いない。
たとえば、グルジェフはその力の秘密についてベネットに語ったことがある。
「世界にはある種の人間がいる。しかしごく稀にしかいない。こういった人間は、エネルギーの偉大な貯蔵庫あるいは蓄電池とでもいうようなものとつながっている。こういうものを引き出すことができる人間は、他の人間を救う手段になり得るのだ」
グルジェフによれば、人間はだれでも体内に“磁力センター”を持っており、それを成長させることによって“エネルギーの偉大な貯蔵庫あるいは蓄電池”と接続できる可能性を秘めている。が、その方法は秘密であり、修道僧やヨーガ修行者はその秘密を知らないがために、数年、数十年と覚醒めざして苦行を積まなければならないのだ。
だが、その秘密を知っている人間もいる、とグルジェフはいう。彼はその高弟ウスペンスキーに次のように語っている。
「この〈ずるい人間〉はどのようにしてこの秘密を知ったか──それはわからない。たぶん古い書物の中で見つけたか、受け継いだか、買ったか、誰かから盗んだかしたのだろう。別にどうでもかまわない。ともかくこの〈ずるい人間〉はその秘密を知っており、その助けを借りて修道僧やヨーギを追いこしてしまうのだ」
もちろん、これは間接的に自分自身のことを語っているのだ。そして、その秘密によって、彼は自分の弟子たちを覚醒に導こうとしていたのである。
若き日の探求の旅〜秘密教団「サルムング教団」を発見する
グルジェフはどのようにして秘密の能力を身につけ育んだのか。彼がその前半生を費やした“大いなる秘密”を求めての放浪は、最も興味深く、またスリルにあふれたドラマでもある。
グルジェフは1870年代のはじめ、コーカサス地方のアルメニアで生まれた。
父はその100年以上も前、アナトリアのギリシア植民地から移住してきた古いギリシア系であり、母はアルメニア人だった。グルジェフが育った時代のコーカサス地方は、古代以来の秘教的雰囲気と奇跡にあふれたところだった。青年時代のグルジェフは、医師と牧師という2つの道に向かって準備を始め、催眠術をマスターするなど魂と肉体の医師になる努力を続けた。が、それ以上のことを医学書で学ぶことはできなかった。そこで彼は新たな一歩を踏み出すのである。
彼は、さまざまな古文献をあさって研究した結果、「この地球にはいつかどこかに、真の知識を所有した共同体があったはずであり、もしそうなら、人類の内的スクールというものが今も実在するはずである」と、確信するにいたったのだ。
そこで、“秘伝の鍵を含む〈大いなる知識〉”を求めてのグルジェフの放浪が始まる。彼はコーカサス地方を手始めに、アナトリア、エジプト、クレタ島、アトス山、エチオピア、スーダン、ペルシア、バビロニア、トルキスタン、チベット、ゴビ、北シベリア……と、アフリカとアジアの広い地域を何度となく遍歴し、様々な危険な目にあっている。銃弾に当たって重傷を負ったこともある。スリルに満ちたその旅は400ページの自伝『注目すべき人々との出会い』でも、全てが書き尽くされていないほどである。
古代文明に深い関心を寄せていたグルジェフは、考古学者を伴って熱心に古代文明の故地を訪ね、同時に“真の内的スクール”を求めて、常人には近づくことすらかなわぬ、宗教的、哲学的、オカルト的、政治的、神秘的な結社や集団、教団など、ほとんどありとあらゆるヘルメス的伝統形態の至聖所へ参入したのである。
彼は諸国の聖者や賢者と接触し、議論をかわした。彼が接触した秘教的な教団は、イスラムやキリスト教の神秘派、チベット密教、シベリアのシャーマンなど数多い。
が、彼が最も影響を受けたのは「サルムング教団」という秘密教団だった。この秘密教団は、紀元前2500年にバビロニアで設立され、紀元6〜7世紀ごろまでメソポタミアのどこかに存在したが、その後の消息は謎に包まれていた。
しかし、古文書からその存在を知ったグルジェフは、旅の途中で知り合った仲間とともに熱心にその行方を追い、西アジアの深い渓谷に、そのサルムング教団の僧院を発見したのである。
彼は、その僧院と、さらにはサルムング教団の本部である北部ヒマラヤの「オルマン僧院」に数ケ月ずつ滞在し、ついに教団が秘伝した“大いなる知識”をつかんだという。その“大いなる知識”がどんなものだったか、全容は明らかにされていないが、グルジェフはこの時、イスラム神秘主義「スーフィー」を深く学んでいる。そのスーフィーが彼の成長に最も深遠な影響を及ぼした、とするグルジェフ研究家は少なくない。
彼はこのスーフィー修行のあと、別の場所に向かった形跡があるが、彼は自分が覚醒に達したその場所や導師について、はっきりしたことはひとつも語っていない。やはり、それは他者にもらすことの許されない秘義だからだろうか。
いずれにせよ、グルジェフの探求の旅はそこで終わりを告げた。彼は1912年のロシアに“あらゆる超自然的な知識の偉大な師”として登場するのである。

────────────────────────────────
 
次もコピーしたモノです。リンク先をコピーしていなかったのですが、「空耳板」のどこかにあるはずです。

────────────────────────────────
 
グルジェフの「超人思想」の謎
前回投稿した「ヒトラーの背後で働きかけていた東洋系秘教グループ」と同じサイトにあった別のテキストからの転載です。興味のある方どうぞ。
現在そのサイトは改装のため一時休止中で、再開までしばらく時間がかかるらしいです。残念。
-----------------------------------------
■■グルジェフの「超人思想」の謎
「彼は20世紀最大のオカルティストであった」── ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフ(1870頃〜1949)をそう評価するのは、イギリスの思想家で幅広い分野の著書を持つ有名なコリン・ウィルソンであった。
神秘思想に興味がある人なら、グルジェフの名を知らない人はいないだろう。彼は1870年頃にアルメニアのアレクサンドロポールで生まれた神秘思想家だ。彼の思想は「超人思想」とも呼べる特異なものだが、その思想的骨格はイスラム神秘主義「スーフィズム」の大きな影響下にある。
グルジェフは人間を「条件づけによって反応するロボット」だとみなしていた。彼はこう語っていた。
「人間は機械だ。彼の行動、言葉、思考、感情、信念、意見、習慣、これらは全ては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。人間は、自分自身では一つの考え、一つの行為すら生み出すことはできない。彼の言うこと、為すこと、考えること、感じること、これら全てはただ起こるのだ。人間は何一つ発見することも発明することもできない。全てはただ起こるのだ。……人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、それは自分が望んでいるようにではなく、起こるにまかせているにすぎない。全ては起こるのだ。人は愛しも、憎しみも、欲しもしない。それらは全て起こるのだ。」
そのグルジェフは、人類全体の世界の動き・歩みに関して次のように語っていた。
(以下、『奇蹟を求めて』より)
****************
我々は人類が円環運動をしていることに気づかざるをえない。ある世紀にあらゆるものを破壊したかと思うと別の世紀には創造している。また過去百年間の機械的な事物における進歩は、おそらく人類にとって最も大切な多くのものの犠牲のうえに進められたのだ。全体的に言えば、あらゆる点から見て人類は行きづまっており、この行きづまりからは下降と退化への一直線の道が続いていると考えられる、いや断言することができる。行きづまるとはプロセスが平衡のとれた状態になったということだ。
ある一つの性質が現われると、ただちにそれに敵対する別の性質が呼びおこされる。一つの領域での知識の増大は別の領域での無知の増大を喚起し、一方での上品さは他方の粗野を生みだし、あるものに関する自由は他に関する隷属をひきおこし、ある迷信が消えたかと思うと別のものが現われて増大するといったあんばいだ。
さて、今もしオクターヴの法則を思いだすなら、一定の方向に進んでいる平衡のとれたプロセスは、変化が必要な瞬間にも変化することはできない。それはある〈十字路〉でのみ変えられ、新しい道を始めることができるのだ。〈十字路〉と〈十字路〉の中間では何もすることはできない。それと同時に、もしプロセスが〈十字路〉を通り過ぎるときに何も起こらず、また何も為されないならば、後では何もできず、プロセスは機械的な法則に従って進む。しかも、たとえこのプロセスに加わっている人々があらゆるものの不可避的な滅亡を予見したとしても、何一つ為すことはできないだろう。もう一度くり返すが、私が〈十字路〉と呼び、オクターヴの中ではミとファ、シとドの間の〈インターヴァル〉と呼んでいる一定の瞬間においてしか、何かを為すことはできないのだ。
もちろん人類の生が、彼らの信じるあるべき方向に進んでいないと考えている人はたくさんいる。そこで、彼らによれば人類の生全体を変えずにはおかないさまざまな理論を編みだす。ある者が一つの理論を編みだすと別の者がただちにそれとは相容れない理論をうちだす。そして両者とも誰もが自分の方を信じると期待しているのだ。また実際、多くの人がそのどちらかを信じる。生は自然にそれ自身の道をとるものだが、人々は自分の、もしくは他人の理論を信じるのをやめようとはせず、また何かをすることは可能だと信じている。
むろんこれらの理論はみな全く空想的なもので、その理由は主に、彼らが最も重要なことを、つまり宇宙のプロセスにおいて人類と有機生命体が演じている従属的な役割を考慮に入れていないことにある。知的な理論は人間をあらゆるものの中心に置く。すべては人間のために存在しているのだ。太陽、星、月、地球みなしかり。彼らは人間の相対的な大きさ、無であること、はかなく移ろいゆく存在であることを忘れている。
彼らはこう主張する──人間は、もし望むなら自分の生全体を変えることができる、つまり理性的な原理に則って生を組み立てることができる、と。そしてひきもきらずに新理論が現われ、それがまた別の相反する理論を喚起し、そしてこういった理論やその問の論争がみな、今あるような状態に人類をひきとめておく力の一つになっているのはまちがいない。
そのうえ、全体的な福祉や平等に関するこれらの理論はみな実現しえないだけでなく、もし実現されれば致命的なものになるだろう。自然界のあらゆるものはそれ自身の目標と目的をもっており、人間が不平等であり、その苦しみが不平等であることにもまたその目標と目的があるのだ。不平等の破壊は進化の可能性の破壊を意味する。苦しみをなくすということは、第一に、人間がそれゆえに存在している一連の知覚全体を殺すことであり、また第二には〈ショック〉の破壊、つまり状況を変えることのできる唯一の力を破壊することになる。このことはあらゆる知的理論についても同様だ。
進化のプロセス、人類全体にとって可能な進化は、個人に可能な進化のプロセスと完全に相似している。しかもそれは同じものから始まる。つまりある細胞群が徐々に意識的になることから始まるのだ。それからその細胞群は他の細胞をひきつけ、従属させ、そしてしだいに全有機体をその最初の細胞群の目的に仕えさせ、ただ食べ、飲み、眠るだけという状態から連れだすのだ。これが進化であり、この他にはいかなる進化もありえない。人間においては個人においてと同様に、すべては意識的な核の形成から始まる。生のあらゆる機械的な力は、この人間の中の意識的な核の形成に抗して闘う。ちょうどすべての機械的な習慣、嗜好、弱点が意識的な自己想起に対して闘うように。

■Q.(弟子の質問) 人類の進化に対して闘う意識的な力があると考えることはできませんか。
■A.(グルジェフ) ある観点から見ればそうも言える。
■Q. この力はどこからくるのですか。
■A. それは説明するのにかなり時間がかかる。しかしそれは、現時点の我々に実質的な重要性をもつものではない。普通〈退化〉と〈進化〉と呼ばれる2つのプロセスがある。その違いは次の点にある。退化のプロセスは〈絶対〉から意識的に始まるが、次の段階ではもう 機械的になり、しかも進むにつれてどんどん機械的になる。一方、進化のプロセスは半意識的に始まるが、進むにつれてどんどん意識的になる。しかし退化のプロセスのある時点で、意識と、進化のプロセスに対する意識的な抵抗とが現われることもある。
この意識はどこからくるのだろう。もちろん進化のプロセスからだ。進化のプロセスは中断せずに進行しなければならない。いかなる停止でも元のプロセスからの離脱をひきおこす。そのような発展途上で停止した意識のパラパラな断片は、結びつけることもでき、少なくともしばしの間は進化のプロセスと闘うことによって生き延びることもできる。しかし結局それは進化のプロセスをもっと興味深いものにするだけだ。
機械的な力に対する闘いのかわりに、ある時点で、先程のかなり強力な意図的抵抗に対する闘いが起こることもあるが、もちろんその抵抗力は進化のプロセスを導く力とは比較にならない。これらの抵抗力は時には勝ちさえするかもしれない。なぜなら、進化を導く力には手段の選択範囲がより限られている、言いかえれば、ある手段、ある方法だけしか使うことができないからだ。抵抗する力は手段の選択範囲が限定されておらず、あらゆる手段、一時的な成功しか生みださないような手段でも使うことができ、最終的な結果として進化、退化の両方を、今問題としている時点で破壊してしまうのだ。
しかしすでに言ったように、この問題は今の我々には実質的な重要性をもっていない。今我々に重要な唯一のことは、進化の始まる徴候と進化の進行する徴候をより確かなものにすることだ。そして、もし我々が人類と個人の間の完全な相似を覚えていれば、人類が進化しているとみなしうるかどうかを立証するのは難しいことではないだろう。
たとえば、人間の生は意識を有する一群の人々によって支配されていると言うことができるだろうか? 彼らはどこにいるのだろう? 彼らは何者なのだろう? 我々はそれとちょうど正反対のことを目にしている。つまり生は最も意識の低い人々、つまり最も深く眠っている人々に支配されているのだ。生において、最良で最強、最も勇気ある諸要素が優勢であるのを目にしていると言うことができるだろうか? とんでもない。それどころか、あらゆる種類の粗野や愚かしさの優勢を目にしている。また、単一性への、統一への熱望が我々の生の中に見てとれると言えるだろうか? もちろん言えはしない。我々はただ新たな分裂、新たな敵対心、新たな誤解を見るばかりだ。
というわけで、人類の現況には、進化が進みつつあることを示すものは何一つない。それどころか、人類を個人と比較してみるなら、本質を犠牲にして人格が、つまり人工的で真実でないものが生長していること、また、自然で真実なその人本来のものを犠牲にして外部からきたものが生長していることをきわめてはっきりと見ることができる。これらとともに我々は自動性の増大を目にする。
現代文化は自動機械を必要としている。そして人々は獲得した自立の習慣を疑いの余地なく失い、自動人形に、機械の一部になりつつあるのだ。これらすべてがどこまでいったら終わるのか、また出口はどこにあるのか、いやそれどころか終わりや出口があるかどうかさえ言うことはできない。一つだけ確かなことがある。人間の隷属状態は拡大しつづけているということだ。人間は喜んで奴隷になっているのだ。彼にはもう鎖はいらない。彼は奴隷であることを好み、誇りさえ感じているからだ。これこそ人間に起こりうる最もいとわしいことだ。
これまで言ったことはみな、人類全体について言ったのだ。しかし前にも指摘したように、人類の進化はあるグループの進化を通してのみ可能で、そのグループが残りの人々に影響を与え、導くのだ。そんなグルーブが存在しているなんて言えるだろうか。ある徴候をそう考えればおそらく言えるだろう。しかしどちらにせよ、それは非常に小さなグループで、少なくとも他の人々を従わせるにはきわめて不十分であることを知らなければならない。あるいは、別の祝点から見れば次のようにも言える。つまり人類は意識的なグループの指導を受けいれられない状態にあるのだ、と。

■Q. その意識的なグループには何人くらい入れるのでしょうか。
■A. それを知っているのは彼らだけだ。
■Q. それは彼らはみな、互いに知りあっているということですか。
■A. それ以外考えられるかね。多数の眠っている人々の真只中に2、3の目覚めた人がいると想像してみなさい。彼らはまちがいなく互いに知りあうだろう。しかし眠っている人は彼らを知ることはできない。彼らが何人かだって? わからない。我々自身が彼らのようになるまでは知ることはできない。前にはっきり言ったように、人間は自分自身の存在のレベルしか見ることができないのだ。しかしもし彼らが存在し、しかもそうすることを必要かつ道理にかなったものであると考えるなら、意識的な200人で地上の生きとし生けるものすべてを変えることができる。しかし今は、彼らの数が十分でないか、彼らが望まないか、おそらくその時期がまだきていないか、あるいは他の人々があまりに深く眠っているかのいずれかなのだ。我々はエソテリズム(秘教)の問題に近づいてきた。
※このようにグルジェフは「人類の進化に対して闘う意識的な力」の存在について語ったが、また晩年、別の弟子ベネットにもこう語っていたという。
「このような進展(=進化)は、いわゆる惑星界の利害と力とに抵抗する人間の中にだけ起こりうる。人は次のことを理解しなければならない。彼個人の進化は彼自身にとってのみ必要なのだ。他には誰もそんなものに興味はない。誰にも彼を助ける義務はなく、またその気もない。それどころか多数の人々の進化を妨げる力は、個人の進化を妨げるのだ。だからその力の裏をかかなくてはならない。そして、1人の人間ならそれはできるが人類にはできない」
「古い世界が私を『ぷちっ』とつぶすか、私が古い世界を『ぷちっ』とつぶすかなのだ。『ぷちっ』。それから新しい世界が始まり得るのだ……」
******************(中略)******************
■Q. あなたが説いている教えとキリスト教とはどういう関係にあるのですか。
■A. 私は君がキリスト教について何を知っているのか知らない。君がこの語で何を理解しているかをはっきりさせるには、長時間いろいろと話す必要があるだろう。しかしすでに知っている人のために、お望みならこう言おう──これは秘教的キリスト教なのだ。しかるべき順を追ってこの言葉の意味を話すつもりだ。今は質問についての話を続けよう。出された欲求の中で最も正当なものは、自分自身の主人になるという欲求だ。なぜなら、これがなくては他のいかなることも不可能だからだ。この欲求に比べれば他の欲求はみな単なる子供じみた夢か、たとえ叶えられたにしても全く無駄な欲求にすぎない。
たとえば、誰かが人々を助けたいと言うとしよう。人々を助けるには、まず自分の面倒をみれるようにならなければならない。多くの人は、単なる怠惰 から他者を助けるという考えや感情におぼれるのだ。彼らは自己修練をするには怠惰すぎる。それと同時に、自分は他人を助けることができると考えることは、彼らにはたまらない快感なのだ。これは自己に対する虚偽であり、不誠実でもある。もし自己をありのままに見れば、彼は他人を助けようなどとはそもそも考えないだろう。そんなことを考えるのを恥ずかしくさえ思うだろう。
人数への愛、利他主義、どれも非常にきれいな言葉だが、それらは自分の選択と決断で愛するか愛さないか、利他主義者であるか利己主義者であるかを決めることができるときにだけ意味をもつのだ。そのとき彼の選択は価値をもつ。しかし全然選択しないのなら、あるいは彼自身違うものになれないのであれば、または偶然に身を任せているのであれば、すなわち今日は利他主義者、明日は利己主義者、また明後日は利他主義者というふうにコロコロ変わるのなら、そのうちのどれであろうと全く価値はない。
他人を助けるためにはまず利己主義者、意識的なエゴイストになれなければならない。意識的なエゴイストだけが他人を助けることができるのだ。今のままでは我々は何一つできない。人はエゴイストになろうと決心はするが逆に自分の最後のシャツを与えてしまう。あるいは最後のシャツを与える決心をしたのに、今度は逆に相手の最後のシャツをはぎとってしまう。あるいは自分のシャツを誰かに与えようと決心はするが、実際には誰か他の人のシャツを奪って与えようとする。そして、もし他の人がシャツを譲ろうとしないものなら腹を立ててしまう。これこそ最も頻繁に起こることだ。何にもまして、困難なことをするためには、まずやさしいことができるようにならなければならない。一番難しいことから始めるのは無理だ。
戦争についての質問もあったね。たしかどのようにして戦争を止めるのかと。戦争を止めることはできない。戦争は人間がその中で生きている奴隷状態の結果なのだ。厳密に言えば、人間は戦争の責任をとる必要はない。戦争は宇宙的な力、惑星の影響によるものだ。しかも人間の中には、これらの影響に抵抗するものは何もないし、またそもそもありえない。というのも、人間は奴隷だからだ。もし彼らが人間であり、〈為す〉ことができるなら、彼らはこれらの影響に抵抗し、殺しあうのをやめることもできるだろう。
■Q. しかし、これを認識した人々は必然的に何かすることができるのではないでしょうか。もし十分な数の人が戦争はあるべきではないという確たる結論に達すれば、彼らは他者に影響を与えることはできないでしょうか。
■A. 戦争を嫌う人々は、ほとんど世界創造の当初からそうしようと努めてきた。それでも現在やっているような規模の戦争は一度もなかった。戦争は減らないどころか増えており、しかもそれは普通の手段では止めることはできない。世界平和とか平和会議などに関するすべての理論も、単に怠惰、欺瞞にすぎない。人間は自分自身について考えるのも働きかけるのも嫌で、いかにして他人に自分の望むことをやらせるかばかり考えている。
もし、戦争をやめさせたいと思う人々が十分な数だけ本当に集まれば、彼らはまず、彼らに反対する人々に戦争をしかけることから始めるだろう。また彼らはまちがいなく、別の方法で戦争をやめさせたいと思っている人たちにも戦争をしかけるだろう。彼らはそういうふうに戦うだろう。人間は今あるようにあるのであって、別様であることはできない。
戦争には我々の知らない多くの原因がある。ある原因は人間自身の内にあり、また他のものは外にある。人間の内にある原因から手をつけなくてはならない。環境の奴隷である限り、巨大な宇宙の力という外からの影響をいかにして免れることができよう。人間はまわりのすべてのものに操られているのだ。もし物事から自由になれば、そのときこそ人間は惑星の影響から自由になることができるのだ。
自由、解放、これが人間の目的でなくてはならない。自由になること、奴隷状態から解放されること──人間が自己の位置に少しでも気づけば、これこそが彼の獲得すべき目標になる。内面的にも外面的にも奴隷状態にとどまる限り、彼にはこれ以外に何もなく、また可能なものもない。さらに、内面的に奴隷である問は、外面的にも奴隷状態から抜けだすことはできない。だから自由になるためには、人間は内的自由を獲得しなければならないのだ。
人間の内的奴隷状態の第一の理由は、彼の無知、なかんずく、自分自身に対する無知だ。自分を知らずに、また自分の機械の働きと機能を理解せずには、人間は自由になることも自分を統御することもできず、常に奴隷あるいは彼に働きかける力の遊び道具にとどまるだろう。これが、あらゆる古代の教えの中で、解放の道を歩みはじめるにあたっての第一の要求が〈汝自身を知れ〉である理由だ。
※ グルジェフによれば、人間は誰でも体内に「磁力センター」を持っており、それを成長させることによって宇宙的なエネルギーの偉大な貯蔵庫と接続できる可能性を秘めているという。が、その方法は秘密であり、修行僧やヨガ修行者はそれを求めて数年、数十年と苦行を積まなければならない。しかし、世の中には〈ずるい人間〉が存在し、その秘密を別の形で手にした人間もいるという。もちろん、この〈ずるい人間〉はグルジェフ本人のことを意味しており、その秘密の一部の公開をグルジェフは実施してきたわけだ。そして、その超人化のプロセスは、徹底的に厳しい自己制御の技法であった。
(以下、省略)

──────────────────────────────── 
 
《G・I・グルジェフ》

『 人類は眠っている,人は一人ではなく多くの〈私〉を持っている,夢想と忘却の中に自己を喪失する,生まれるには死ななければならない,無数の同一視から自己を解放しなければならない,自分自身を知れ,永続する〈私〉を達成せよ.』
『 私は,宇宙を支配している法則の統一性についてあなたが理解していることを知っているが,その理解は思索的,いやむしろ,理論的なものである.知性で理解するだけでは充分でない.あなたの存在をもって,絶対の真実と,この事実の不変性を感じなければならない.そうして初めて,あなたは意識し,確信をもって?私は知っている?と言うことができるのだ.』
『 あなたは,言葉がいかに余計で無用なものであるかを感じるだろうか?理性そのものがここにおいてはいかに無力であるかを感じるだろうか?』
『 思考も,あらゆる他のものと同じように,物質である.』
『 われわれにいちばん近いものは人間であり,あらゆる人の中であなたに最も近いのはあなた自身である.あなた自身についての研究から始めなさい.』
『 知識は隠されてはいないが,人々がその事実を理解できないのだ.』
『 われわれの発達は蝶の発達に似ている.われわれは?死に,生まれ変わらなければならない.?われわれは,自己の緩衝装置を壊さなければならない.子供はそういったものを一つも持たない.幼子のようにならなければいけない.』
『 (なぜわれわれは生まれ,なぜわれわれは死ぬのかと尋ねた人に),あなたは知りたいですか?本当に知るには苦しまなければならない.苦しむことができますか?できない.一フラン分も苦しむことができないのに,少し知るためにも,百万フラン分苦しまなければならない...』
『 われわれは,学ぶとき,自分の思考に従って聞くから,新しい思考を聞くことができない.新しい方法で聞き,学ぶことによってのみ...』
『 自己知識を追及するならば,自由を追及しなければならない.』
『 人間とは,「為す」ことができる存在である.「為す」とは,意識して,しかも自己の意志に従って行動することを意味する.人間に関してこれ以上完璧な定義は見出せない.』
『 人々の間にみられる差異はすべて,行動における意識の差異に帰せられる.ある人々の行動は徹底して意識的であり,一方,他の人々の行動は,石の無意識を上回るほど無意識的である.』
『 最初に自分自身の機械性を理解しなければならない.自分自身の機械性は,正しい手法による自己観察の結果,初めて理解できる.』
『 人間は複数の存在である.自己について話すとき,普通,「私」という.「私はこうした」,「私はこう考える」「私はこうしたい」という.だが,これは間違っている.
 こんな「私」などありはしない.いや,むしろ,われわれ一人一人の中に,無数の小さな「私」がいる,と言うべきであろう.われわれは分裂しているのだが,自分が複数であるということは,自己を観察し,研究しなければ認識できない.ある瞬間にはある「私」が出演し,次の瞬間には別の「私」である.人間が調和しないのは,われわれの中の「無数の私」が互いに矛盾しているからである.』
『 あらゆる人間の機械は三つの基本的部分,すなわち,三つのセンター(知性中枢部,感情中枢部,運動中枢部)に分かれている.これら三つのセンターを制御するすべての力を使えるようになって初めて,われわれは道徳的でありうる.』
『 私(グルジェフ)を信じるなどということは,無用である.自分で証明できないことは何も信じないように,しいてお願いする.』
『 自主的な苦しみだけが価値を持っている.』
『 隣人を見つめ,その人の本当の意味を知り,その人がやがて死ぬということを実感すると,あなたの中にその人への憐憫と慈悲がわき起こり,ついにはその人を愛するようになる.』
『 他人を助ければ,あなたも助けられる.あるいは明日,あるいは百年後に,ともかく助けられる.自然は負債を全部支払わなければならない.それは数学的法則である.すべての生命は数学である.』
『 われわれは過去をふり返り,人生の困難な時期だけを思いだし,平和な時期は少しも思いださない.後者は睡眠である.前者は奮闘であり,それゆえに人生である.』
『 ヨーガ行者は唯心論者で,われわれは唯物論者である.私は懐疑論者である.私の最初の禁止命令は,「何も信じるな,自己さえ信じるな」である.私は統計的証拠があって初めて信じる,つまり,繰り返し同じ結果を得て,初めて信じる.私が研究し,仕事するのは,導きを得るためで,信じるためではない.』
『 普通の人は魂も意志も持っていない.普通に意志とよばれるものは,単なる欲求の所産である.人がある欲求を持つと,同時に反対の欲求,つまり最初の欲求より強い反抗が生じて,第二の欲求が第一の欲求を抑え,消滅させる.これが普通の言葉で,意志と呼ぶものである.』
『 自己を変革する力は知性にあるのではなく,身体と感情にある.』
『 人為的なものは初歩的段階においてのみ必要である.われわれが望むものの完全さは人為的に達成することはできないが,初めはこの方法が必要である.』
『 自己に誠実であることは非常にむずかしく,人は,真実を見ることをとてもこわがるということを理解しなければならない.』
『 人は先入観に充ちた人格である.二種類の先入観がある.本質の先入観と人格の先入観である.人は何も知らず,権威に従って生き,あらゆる影響を受け容れ,信じる.われわれは何事も知らない.ある人が本当に知っている主題について話しているときと,無意味な言葉を話しているときを区別できず,全部信じる.われわれは自分のものを何も持っていない.』
『 私は助言することができても,助けることはできない.あなたが道を進むとき,初めて助けることができる.初めに,あなたが決めなければならない.』
『 植物が人の気分に影響し,人の気分が植物の気分に影響する.壷の中の切り花さえ,われわれの気分次第で,生きも死にもする.』
『 普通に,意志と呼ぶものは,自発的行為と,それを否定する行為との調整である.知性が感情に勝てば,人は知性に従う.反対の場合は,感情にしたがう.これが凡人の自由意志というものである.
 真の自由意志は,常に一人の私が命令するとき,初めて存在する.』
『 不幸なことに,われわれは常に反応する.彼は他人の意見の奴隷である.他人の意見を気にしてはならないという厳しい基準を理解し,打ち立てるべきである.周囲の人々から自由にならなければならない.内面で自由になれば,彼らから自由になる.』
『 偏見を持たず,一つ一つの行為をひとごとのように仕分けし,分析することを学ぶ必要がある.そうすれば,公正であることができる.偏見のない態度は内的自由を得る基礎であり,自由意志への第一歩である.』
『 文化的環境で,教養ある人生を送る人によくあることだが,その人の人生において恐怖がいかに大きな役割を演じているかに,気づかない.その人はあらゆることを恐れる.
 無意識の恐怖は,眠りに固有の著しい特徴である.』
『 人が,自己を取り巻くすべてのものにとりつかれているのは,自分と周囲の関係を充分客観的にみることができないからである.人は,その瞬間に自分を惹き付け,あるいは撥ね付けるもののどれにもとらわれずに,自己を見ることはできない.この無力さゆえに,人はあらゆるものと自己を同一視する.
 これもまた眠りの特徴である.』
『 暗示は非常に強い力を持つ.あらゆる人が暗示の影響を受けている.一人がもう一人に暗示する.』
『 自分自身をあてはめて他人を判断すれば,めったに誤らない.』
『 人々があなたに言うことではなく,あなたをどう思っているかを考慮しなさい.』
『 他人に教えることにより,自分も学ぶ.』
『 自己についてのワークをする願いを呼び起こす最善の方法の一つは,自分がいつ死ぬかもしれないということを実感することである.だが初めに,いかにしてそれを心にとどめておくかを学ばなければならない.』


 次へ  前へ

雑談専用6掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。